東方月煌幻 ~月下の銀狐~ (沢村亮輔)
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第一話◆魔女と九尾

 

 この九尾は何を言っているんだ?

 魔法理論の研究に没頭していたわたしは、書きかけの研究書類から視線を離し、背後に立つ声の主、式神の九尾に思わず顔を向けた。

 魔法の森が夕刻をむかえ、薄暗くなったころのこと。

 デスクランプを(とも)した直後、人の家に、それも書斎兼研究室へ、よりにもよっていけ好かない九尾の狐が土足で踏み込んできたのだ。わたしの聖域たる書斎に押し入るからにはよほどの話かと思えば、意味不明なことをぬかしやがった。

「聞こえなかったか? 『今夜、死ぬ覚悟を()って霧の湖に来い。確かに伝えたからな』と言ったのだ。理解できなかったのか?」

 研磨(けんま)したての刃物に似た眼光を放ち、九尾は不快感をあらわにした。相変わらず人を見下す嫌な瞳だ。

 わたしと同じぐらいな背丈の身体は導師服に似た物をまとい、背後から見える九本尻尾が扇を連想させた。顔立ちは整っちゃいるものの、眉根(まゆね)を詰まらせて睨みつけている。金色の短めな髪は、二本角を思わせる独特な帽子に包まれ、こいつの耳に見えてしまう。

 ……両袖を胸元に合わせ、わたしを見下ろす姿が(かん)にさわる。

「聞こえていたが、まるで訳がわからん」

 負けじとわたしも睨み返す。火花を散らすでは生ぬるい。花火を乱発するといった方が合っている。それほど華やかじゃないが。

 とにかく、訳もわからずホイホイと死ぬ覚悟をしてたまるか。向こうもわたしのしかめっ面を目にして気分を害しているに違いない。

 どういうわけか、なんとなくこいつの気持ちがわかる。こいつもわたしの気持ちを漠然(ばくぜん)とわかるのだろう。嫌いな者同士は奇妙な共通認識があるのかもしれない。

 わたしは人間を見下すこの九尾が嫌いだし、妖尊人卑の九尾もわたしを嫌っているはずだ。なのでお互い名前を呼ぶことすらない。どうしても呼ばなければならないときに限り、わたしはこいつを九尾と呼ぶし、こいつはわたしを魔女と呼ぶ。

 名前で呼び合わなくなってどのくらい経つだろうか? 追憶する気にもならない長い時間なのは確かだ。

 そんな九尾が自らの意思でここに来るとは考えにくい。おおかたこいつの主、妖怪の賢者こと八雲紫(やくもゆかり)からの命令なのだろう。その命令がこの訳のわからない言伝(ことづて)だと? しかも本人は来ず、いがみ合っている九尾を寄こすとは……。バカにしてるとしか思えん。

 妖怪退治を生業(なりわい)とする以上、いつ殺されても文句は言えない。その覚悟はいつも持っている。命がけの商売だから当然だ。しかし、こいつの言葉遣いは「死にに行け」と聞こえる。それも頭ごなしに。

 冗談じゃない! なぜ胡散臭(うさんくさ)い賢者のために死ななきゃならないんだ!?

「今取り込み中だ。他をあたれ」

 こいつと会話を交わすことすら気分が悪い。できる限り口数少なく返答し、わたしは机に向き直った。

 木製の机の上には、はたからは乱雑に散らかっているように見えるだろう。しかし魔法使いのわたしに言わせれば、雑多な物など一つもない。

 付箋(ふせん)だらけの分厚い三冊の魔導書。正面のブックスタンドに立てかけた参考書。指になじんだ羽根ペンと底が平べったいインク瓶。魔力などの分量計算に使う木製のソロバン。備忘紙を貼りまくった小型のコルクボード。ずんぐりとしたガラス製のウォーターボトル。そして書きかけの研究書類。

 それら全てが今研究中の魔法理論に必要な物だ。

 九尾がなんの用件でここに来たか知らないが、今のわたしにはやることがある。新しい魔法理論、〈自然魔力変換理論〉の完成。それが今やらなければならない最優先事項だ。

 外の世界では日光や風力や水流など、自然を利用して雷に似た力へ変換できる技術があると聞く。「自然の力を魔力に変えることは可能だろうか?」と思ったのが研究を始めたきっかけだ。この理論が完成すれば、幻想郷に技術革新が起こる事は間違いない。

 しかし今のままでは問題が山積みだ。特に「自然の力を無尽蔵に引き出す割には得られる魔力は微々たるもの」が最大の問題なので、それを改善しなきゃならない。九尾の用件など二の次だ。

 

 研究を再開していると九尾が淡々と言葉を発す。

「人間風情のお前が紫様に選ばれたのだ。誇りに思え」

「やなこった」

 わたしは書類を目にしつつ即答した。

 そんなもん、誇りにしてたまるか。

 正直なところ、文句を言うのもバカらしくて無視したかったんだが、条件反射で口に出してしまった。長年に渡っていがみ合っているんだ。見下した物言いをされれば反発もするさ。

 それにこいつは事ある毎に「紫様」だ。妖怪の賢者が使役する式神というご大層な肩書だが、わたしから見れば体のいい使いっぱしりじゃないか。

 そんな式神を放ったらかし、研究に意識をそそぐ。右手の使い慣れた羽根ペンをインクに浸し、書きかけの書類へ走らせる。得られる魔力の分量を確認するため、手元のソロバンの珠玉(しゅぎょく)を弾く。

 近頃はインク要らずの魔法ペンや、巨人が踏んでも壊れない鋼のソロバンが流行っているようだ。わたしも一度試したみたが、どうもしっくりこなかった。自然素材特有の肌触りがない。やっぱり文房具は自然素材に限る。

 書斎に筆記類の音が響くなか、背後から突き刺すような気配を感じた。〈魔女の目〉を使うまでもない。九尾が両袖を胸元に合わせ、忌々(いまいま)しい顔をしていることはたやすく想像できる。

「……拒否の意思と捉えた。幻想郷がどうなろうが外の世界からの侵略者に蹂躙(じゅうりん)されようが知ったことではないのだな?」

 わかってるじゃないか。てゆうか、要点はそれか! 具体性に欠ける話し方にも程がある!

「外の世界からの侵略者? 迷惑な話だな」

 わたしは振り向くことなく肩をすくめた。

 そもそも隔絶された幻想郷を外の世界の侵略から守るのが、賢者たる八雲紫と九尾の役割のひとつだ。一介の魔法使いに過ぎないわたしが負うべき責任でもなければ果たす義務でもない。

「邪魔しないから頑張ってこい。いちおう応援してやってるんだ。わかったのなら、とっとと帰れ」

 こいつに毒づく自分の言葉に嫌悪感はない。

 八雲紫と九尾がいる限り、たとえ幻想郷に存在する全ての妖怪が反旗をひるがえしたとしても、美しく残酷にこの大地から排除するのだろう。九尾は嫌いだが、妖術と高い〈計算〉能力だけは認めている。気に入らないのは人間を見下す態度だ。

 〈計算〉で思い出したが、こいつは「三途の川の幅を求める方程式」を完成させたらしい。しかし、「スケールが壮大すぎるので、何がどうすごいのかよくわからん」と、周囲の反応は微妙なようだ。

 そんな微妙な方程式を作った九尾が冷たく言い放った。

「紫様の命令は果たした。魔女の参戦可否だけ確認できれば良いとの仰せだ。脆弱(ぜいじゃく)な人間が関わる戦いではないのだからな」

 いちいち癇にさわる言い方だ。わたしも人のことは言えないが。

 九尾の言葉以外に衣服が擦れ合うかすかな音を耳にした。たぶん(きびす)を返したのだろう。

 この煮え繰り返る気持ちをどうやって静めようかと思案していると、九尾が嫌みっぽく声を上げた。

「紫様が仰るには、博麗(はくれい)の巫女は二つ返事で快諾したとのことだぞ」

「なんだって!?」

 耳を疑う以前より、わたしは勢いよく椅子を後ろへ押し出しながら立ち上がり、身体の向きを九尾に改めた。

 たしかに博麗は幻想郷の(かなめ)である〈博麗大結界〉の管理者だが侵略者を迎撃する防衛者じゃあない。しいて言えば、わたしと同じく、幻想郷で悪事働く妖怪を退治することくらいだ。そもそも自分から戦いを求めるほど好戦的な性格じゃあない。そのことは十年以上付き合いのあるわたしが良く知っている。

 八雲紫、博麗に何を吹き込んだ?

 肩越しに振り向く九尾は薄ら笑いを浮かべている。 わたしが動揺しているように見えたのだろう。

「あの巫女、さまざまな格闘術を身に付けているようだが、相手は西洋妖怪の一群。しかも頭目は吸血鬼だ。矮小(わいしょう)な人間がどこまで持つか、見ものだな」

 嘲笑(ちょうしょう)はわたしへの当て付けなのだろう。今までで最悪な面立ちだ。

 博麗の強さは本物だし、それは疑いようもない。過去に天魔という天狗の長を打ち負かすほどに。

 問題なのは吸血鬼だ。伝聞や文献によると「力は鬼のごとく、速さは天狗のごとく」と聞く。人間の血を吸い、血を吸われた者も吸血鬼になると言われる。おそらく頭目を含めた吸血鬼が複数いることは想像にかたくない。いくら腕が立つ博麗でも、鬼や天狗の特徴を持つ吸血鬼相手に生き残ることができるだろうか?

 一抹の陰をきざした。

 嘲笑(あざわら)っていた九尾だったが、不安がっているらしいわたしを見て満足したのか、それとも見飽きたのか、目線と顔を正面へ戻す。

 思いがけない言葉を聞いたとはいえ、よりによってこんな表情を見られるとは……。不覚だ。

 両方の頬を叩き、表情を戻す。わたしは覚悟を決めた。死ぬ覚悟なんかじゃあない。数少ない友人を生きて帰らせるための覚悟だ。

「霧の湖と言ったな。正確な場所は?」

「取り込み中なのだろう? 紫様へは『魔女は幻想郷の未来よりも私用を選んだ』とお伝えしておく。せいぜい頑張っておけ」

 顔も向けずによくもぬけぬけと! わたしへの当て付けか!? だからこいつが嫌いなんだ!

 こちらの心情を予想していたのか、九尾の肩が小刻みに震えている。きっと予想通りに反応したわたしを笑っているのだろう。わたしの(はらわた)は、こいつが書斎へ踏み込んできた以上に煮え繰り返っていた。

 どうしてくれようかと思案しているうち、九尾の前に空間の裂け目が現われる。〈スキマ〉と呼ばれる裂け目だ。

 〈スキマ〉とは、異なる空間を任意に繋ぎ、どこにでも移動できる出入り口のようなものと言ってもいい。裂け目の中にはたくさんの目や手が見える。これは外の世界を見たイメージであり、人間の欲の手と他人の目だと聞く。八雲紫が移動手段として使用するが、その従者であるこいつも使っている。滅多に使わないが、早々にこの場を去りたいということか。

 嫌なやつだが、このまま返すわけにはいかない。

「待て! 正確な場所を教えてくれないか!?」

 わたしは両手の平を上に向け、語気を強めた。

 これでもへりくだった言い方だ。友人の命がかかっているとはいえ、こいつに頭を下げたくはない。

「……本質を見抜け」

 嫌いなやつに頭を下げる決心が固まった瞬間、九尾はそう言い残して九本の尻尾を揺らしながら〈スキマ〉に入っていく。

「おいっ!」

 逃がすものかと右手を突き出して駆けだすが、間に合わない。わたしの手が触れる直前、拒絶するように〈スキマ〉は閉ざされた。

 反目し合うほど嫌いなのに、今に限って聞きたいことが山ほどある。なんとももどかしい。

 空ぶった右腕を下ろし、怒りの矛先を失ったわたしは仕方なく机に戻ろうとした。歩き出したとたん、窓ガラスに映った自分と目が合う。まるで般若(はんにゃ)だ。

 こんな顔では他者へ接しても避けられるに決まっている。ましてや、わたしの肌は全ての季節に関係なく小麦色だ。奇異の目で見られるのは慣れているつもりだ。

 だけど、こんなわたしを友達だと言ってくれる数少ない仲間がいる。その一人が博麗だ。大切な友人が死地におもむこうとしている時に、魔法理論の研究などしてる場合じゃあない。

 九尾のせいでわたしの心は驚きと怒りと不安がない交ぜになっていた。椅子に座り、たかぶった気持ちを静めるため、机の右上に置いてあるウォーターボトルへ手を伸ばす。冷めたガラスが火照(ほて)った肌を刺激する。キャップ代わりに被せているグラスを外し、ボトルからなみなみと水を注ぐと、無意識にため息を漏らしてしまった。

 わたしは何をやっているんだ……。

 子供のころから愛飲している博麗神社特製霊力水。これは、博麗の先代にあたる今は亡き恩人の“巫女様”から勧められた水だ。製造法は先代の巫女様が編み出し、後を継いだ博麗が作り続けている。独学で似たような水を作ったことはあったが、本家の足元にも及ばなかった。そのため、週に一度の頻度で博麗から水を分けてもらっている。

 無色無味無臭だが霊力を回復させる他に、瘴気(しょうき)の耐性を高める効果がある。瘴気ただよう魔法の森に居を構える人間のわたしには欠かせない。先代の巫女様からこれを勧められなかったら、わたしは魔法使いになれなかったと思う。

 その水が注がれたグラスに口をつけ、味わうことなく喉に流し込む。飲み干すと気持ちが若干静まった。

「本質……か」

 あいつが去り際に残した言葉をつぶやいた瞬間、最悪な笑顔を思い出し、再び腸が煮立ち始める。グラスに注ぐ動作を省き、ボトルごと水を一気に飲み込む。だが、勢い余って気管に入ってしまい、思いっ切りむせてしまった。大安吉日関係なしに、今のわたしは仏滅を迎えているようだ。

 咳き込みが収まるころには気持ちも大分落ち着いたので、深呼吸するように大きなため息をつき、わたしは〈深読み〉を始めた。

 

 続く。




・オリキャラ:芳賀峰妖子(はがみねようこ)
・職業:魔法使い兼フリーの妖怪退治屋
・容姿:褐色肌に銀髪ロング
・性格:無愛想で皮肉屋


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第二話◇賢者と巫女

 紫様の命令を果たしたわたしは、夜の(とばり)が降りかかる博麗神社の境内に転移した。滅多に使わない〈スキマ〉を閉ざし、境内周辺を見渡す。

 瓦屋根が黒鉄(くろがね)を思わせる本殿。薄明かりに映える鈴緒。灰色に染まり始める参道。静寂(せいじゃく)に支配された境内。

 見渡した風景はゆっくりと、だが確実にわたしを含む妖怪好みの世界へ変化してゆく。実に心地よい薄暗さだ。しかし、心の奥にくすぶるモノがある。悪必滅を貫徹するあの魔女のことだ。

 人間の分際で高い魔法能力を有するあの魔女は、紫様に選ばれたことを拒否したのだ。それどころか、博麗の巫女が参戦すると聞いたとたん、態度を一変させた。おなじ人間である博麗の巫女を助けたいのだろう。だが、妖怪の賢者たる紫様を差し置いた罪は重い。

 始めから承諾すればよいものを……。今さら態度を変えてもすでに手遅れだ。紫様の意思を否定したのはお前自身なのだからな。

 あの魔女は「使うときに使わず、使わないときに使う」いわば〈風呂のフタ〉だ。今宵(こよい)は幻想郷の存続に関わる決戦の日。戦場に〈風呂のフタ〉で何ができる。

 問題外だと結論を下し、わたしは紫様が待つ神社の母屋(おもや)へと歩みを早めた。

 

 母屋の居間に行灯(あんどん)の明りが差していた。八畳分のそこへ入室すると、二つの視線がわたしに向けられる。ちゃぶ台の前へ座る紫様と、左隣に並ぶこの神社の巫女がそろって視線を投げてきた。

 紫様は、誰もが認めるであろう鮮麗なお顔で「ご苦労さま」とわたしをねぎらう。八卦(はっけ)(すい)と太極図を描いた導師服が良くお似合いだ。

 膝丈に届くほど長い黄金(こがね)色の髪がうるわしい。その髪を八本に束ね分け、腰から下付近の余った髪は畳へ敷かれている。先端に結っている赤い小さなリボンが愛らしい。

 その主が居られる部屋には、ちゃぶ台の他に茶箪笥(ちゃだんす)と置時計など、必要最低限の家具しか置かれていない。割と広く感じられるのはそのせいだろう。紫様とわたしが居住する八雲邸に比べると、あまりにも殺風景すぎる。

 ちゃぶ台の上には湯飲みが二つあるほか、霧の湖周辺の地図が広げられ、立体的かつ仮想的に視覚化されていた。侵略者の拠点、予想戦力、戦略展開予測、果ては湖周辺に棲息する妖怪がどのようにコき使われるかまで表示されている。本日午後に、館ごと転移してきた侵略者への対策を継続して練っていたに相違ない。

 浅はかな凡俗(ぼんぞく)から見れば「今さら対策を練ったところで間に合うわけがない」と思うはずだが、紫様は賢者と呼ばれるお方だ。このお方の思考レベルは、幾多の軍師が束になろうと足元にも及ばないだろう。

 わたしが敬愛する主ほど、真摯(しんし)に幻想郷を愛している者はいない。その愛すべき幻想郷への侵略行為は、紫様へ弓引く事に他ならないのだ。

 わたしは賢者に使役されし式神、八雲藍(やくもらん)。我が主と同じ姓を冠する者として、幻想郷へ侵略する者どもは美しく残酷にこの大地から根絶させる。

 決意を新たにして紫様のそばへと近づき、そしてひざまずく。

「ご報告を申し上げます。魔女は幻想郷の未来よりも私用を選びました。その時点で、作戦内容および落ち合い場所など詳細は不要と判断し、帰還した次第でございます」

 主である紫様へ(うやうや)しく一礼したのち、あの魔女の意思を端的にお伝えした。……あの無愛想な面構えが脳裏に浮かび、苛立ちが波紋のように広がる。だが、主の前でそのような表情を出すわけにもいかない。わたしは平静を装うことにした。

「そう。意外な答えね」

 紫様は驚くでもなく右手で髪を大きくかき上げた。房の二束が優雅に舞い上がる。

「外の世界の妖怪と技術に興味を持つと考えたんだけど……。あなたはどう思っているのかしら?」

 紫様がわたしから視線を外して博麗の巫女に移す。整った顔を仏頂面にしているこの人間は「……来るさ」と口数少なく答えた。

 黒い髪を腰まで伸ばしたこいつは、女とは思えない並外れた背丈がある。その高さは、紫様とわたしをゆうに越えるほどだ。赤い巫女装束の下の鍛え抜かれた身体は幾多の傷跡が刻まれ、それは正座する膝の上に置かれた手にも及んでいた。指に至っては、関節ごとに切断し再び繋げたと言われても、なんらおかしくはない。

 無口で頑健な身体の巫女はその外見とは裏腹に、人妖わけへだてなく親睦を持とうとするので理解しがたい。わたしも例外ではなく、気安く「藍」と呼び捨てにされるたび虫唾(むしず)が走る。

 たかが矮小(わいしょう)な人間だ。妖怪に比べれば、その一生など瞬く間に終わりを迎える。その間わたしがこらえればいい。……だが、いちいち食って掛かるあの魔女は別だ。こらえるにも限度がある。

 わたしは脆弱(ぜいじゃく)な人間である魔女が嫌いだ。魔女は人間を見下すわたしのことが気に入らないのだろう。

 それでいい。人間風情と馴れ合うなど妖怪の沽券(こけん)に関わる。互いに名を呼び合うことは、億分の一もないだろう。

「藍」

 物思いにふけっていたわたしは、主の声で現実へと引き戻された。紫様が右隣を指差す仕草は、「ここに座りなさい」とのご意思だ。それに従い、はばかりながらも座に着く。

 我が主に隣座してよいのは、このわたしだけだ。それゆえ、この巫女もあの魔女に次いでわたしを苛立たせる。卓越した格闘家だと認めるが、所詮は人間。いくら鍛え抜かれた鋼の肉体であろうと、吸血鬼の一撃に耐えられるはずがない。どこまで持つのか興味はあるが。

 それにしても、この巫女といいあの魔女といい、なにゆえ紫様は人間を迎撃者に指名したのか理解しがたい。……主の見識に並ぶ道のりは果てしなく遠いようだ。

 ちゃぶ台を囲んで、紫様を中心に侵略者への対策会議が再開された。

「妖子が拒否したからにはプランAを実行に移しましょう。こちらの戦力は三名。それを一箇所に集めて敵を制圧。問題は、どちらを攻めるか――よね?」

 地図をながめて頬杖しつつ、紫様は憂いたように吐息を漏らす。紫様が仰りたいことはわかる。霧の湖周辺の地図は、敵勢力を二つに分けて表示しているからだ。

 湖畔に(すた)れた洋館があるが、そこから湖をはさんだ反対の位置に、敵の拠点たる紅い洋館がある。その拠点と廃洋館の半分距離をへだて、名もなき平原に妖怪が集結しつつあった。おそらく侵略者に併呑(へいどん)された幻想郷の妖怪達と思われる。敵幹部に統率されていると見て間違いないだろう。

 連中が存在意義の(かて)を求めたとすると、目的地は人里だと予測できる。人里を見捨てて拠点の制圧か。侵略者の勢力拡大を無視して人里の防衛か。紫様、いかがなさいますか?

「藍、あなたならどのような盤面を描くのかしら?」

 頬杖を崩さずに紫様はたずねられた。地図に向けていた視線をわたしへと移した主の瞳は、興味深げな輝きがある。

 主の信頼に応えるのが従者の務め。わたしの意見が参考になるのなら、これに勝る名誉はない。

 (おど)る心をおさえ、地図上の敵勢力に注視する。確認し終えたわたしは、最善策を紫様に提案した。

「おそれながら申し上げます。月齢周期によれば今宵は満月。満月の光は妖怪の力を増大させます。吸血鬼を含めた西洋妖怪もまた同様。ここは敵勢力が拡大する前に、総力戦で拠点を制圧すべきかと。満月の光によって妖力が増大した紫様とわたくしならば、十分可能と存じ上げます」

 わたしの提案に「人里は?」とたずねられたので、話を続ける。

「ご心配には及びません。人間など、放っていれば勝手に増えます。八雲邸には近年における〈人里の文化〉の記録がございます。復旧に多少の時間を費やしますが、ここで敵の拠点をたたかねば在来妖怪と外来妖怪との覇権争いは必至。幻想郷は、泥沼化した戦国時代へと(さかのぼ)ることになりましょう。光明さす未来をお望みでしたのなら、小を切り捨て、大を活かすべきと具申(ぐしん)いたします」

 胸元に合わせている両袖の中へもぐり込むよう一礼し、わたしは意見をしめくくった。

 人間にしてみれば、わたしは非情な選択を取ったのだろう。だが、ここは幻想郷。人間の恐怖から生み出され、科学技術の進歩とともに衰退してきた妖怪のいわば“別天地”だ。

 幻想郷の人間は、妖怪を根底から恐れるために存在する。恐怖を糧とする妖怪が、人間に恐怖を与える事は当然の(ことわり)といえよう。

 外来妖怪らは糧を求め、侵略の道を選び、実行に移した。彼らが共存するために幻想郷へと渡って来たならば、なぜ使いの者を差し向けない? なぜ拠点周辺の妖精を(なぶ)り殺す? 幻想郷に対して、ひいては紫様へ対する宣戦布告とみなしていいだろう。

 わたしの考えは、妖怪として間違っていない。

「実にあなたらしい考えね。筋は通るし合理的な意見だと思うわ。ただね……」

 紫様はそう口にし、頬杖を解かれた。そして、ちゃぶ台に置かれた湯飲みへ細い腕を伸ばす。

 わたしの意見をどのように評価なされるか気になっていたが、おおむね高いことがうかがえる。……語尾を除けば、だが。

 湯飲みを口にされたのち、意見の評価が続行される。

「あまりにも堅実すぎて面白味に欠けるわ。あなたなりの最善策は否定しないけど、もう少し柔軟な発想をなさい。でないと、付け入る隙を与えかねないわよ」

 批評を終えた紫様は、鮮麗なお顔に笑みを浮かべているものの、瞳には称賛する気配がない。「考え方が(かたく)なすぎる」――と仰りたいのだろう。だがわたしに反論する意思はない。

 紫様の意思は何よりも優先させる。

 わたしが八雲の姓を与えられた時の決意。それは今でも揺がない。

「御意のままに……」

 恭しく一礼するわたしに対し、紫様は「期待しているわ」と声をかけられた。心中に喜々とした衝動の波紋が広がってゆく。

 今宵の決戦を乗り越えたのち、精進しなければならない。

 心の内で固く決意するわたしを尻目に、紫様は左の巫女へたずねた。

「あなたの意見も聞かせてちょうだい」

 先ほどから一言も発していない巫女は、不機嫌そうな表情を崩さないでいる。程なくして地図に向けていた仏頂面を紫様へと移す。

 この巫女は普段からこんな表情なので、わたしから見れば敵意を持っているとしか思えない。しかし、紫様と巫女のあいだに信頼関係があるのも事実。寡黙な巫女が甘言を用いたとは考えにくい。……紫様のお(たわむ)れなのだろうか?

 いずれにしろ肉体言語主体のこの巫女が、どのような講釈をするか非常に興味深い。大方わたしの意見とは反対に、人里を守ると言うのだろう。だとしたら、根拠に基づく理由を聞きたいものだ。我が主に隣座する以上、わたしを納得させてみろ。

 心中で嘲笑(あざわら)うわたしをよそに、博麗の巫女は幾多も傷跡が走る右手を地図にのばす。紫様とわたしの視線が巫女に集中するなか、意外な場所を指差し、わたしの予想は見事に外れた。巫女が無言で指し示した場所は、拠点から反対に位置する廃れた洋館だったのだ。

「……プランBの落ち合い場所ね。まさかあなた……?」

 予想外な行動に呆気に取られるわたしと違い、紫様は冷静な声を発す。心なしか、その声が低いように聞こえる。

 主が袖下から扇子(せんす)を取り出す。広げた扇子で鮮麗なお顔の下半分を隠している。怪訝(けげん)な表情を巫女に見られたくないのだろうか?

 それにしてもこの巫女、なにゆえ廃洋館を選んだのだ?

 そう思案したとき、仏頂面の巫女が口を開く。

「ここで妖子を待つ」

 廃洋館を指差す巫女の口ぶりは、まるであの魔女がそこに現われる、と予言しているように聞こえる。仏頂面の口元がわずかに吊り上っているので、よっぽど自信があるようだ。その姿を目にしたわたしは、もはや呆れるしかなかった。

 プランBの内容は、こちらの戦力を二つに分けた連携作戦だ。しかし、あの魔女が参戦を拒んだ時点で白紙になったはず。

 だいいち、あいつに廃洋館のことは一言も話していない。しいて上げれば、お情けと皮肉を込めて「本質を見抜け」と言い残したくらいだ。しかし、それをこの巫女が知っているわけがない。

「魔女がそこに来るという根拠はなんだ?」

 うずまく疑念に耐えかね、思わず声を上げる。その直後、巫女は鉄面皮(てつめんぴ)な顔をわたしに向けた。

「そう(ささや)くんだ、わたしの(かん)が」

 勘? 勘だと!?

 巫女が発した言葉に、わたしは怒りを通り越して頭が真っ白になり、そして虚脱(きょだつ)する。この巫女がなにを考えているのか理解できない、と再認識した瞬間でもあった。

 あの魔女が〈風呂のフタ〉なら、さしずめこの巫女は〈昼行灯〉だ。まったく、人間は感情を優先させるから嫌いなんだ。

 この時ばかりは外の世界からの侵略者よりも、二人の食わせ者が脅威に思えてならなかった。

 

 茶箪笥上の置時計は八時を指し、隣室から柱時計の鐘の音が響くころ、決戦の準備はすでに整っていた。

 わたしが湯飲みを洗い場において戻ると、ちゃぶ台に広げられていた地図は紫様が片づけ、霧の湖へ直結する〈スキマ〉を開かれていた。〈昼行灯〉は行灯を消している。あとは湖畔に建つ廃れた洋館へ行くのみ……。

 けっきょく紫様は巫女の意見を「一時間」という条件付きで採用された。「勘のささやきとやらが確かなら、ぜひとも目にしておきたい」とのことだ。一時間たって廃洋館に魔女が現われなかった場合、総力戦で敵の拠点を制圧する。

 結果的にわたしの意見も採用された。――が、人間風情に出し抜かれた感が否めなく、どうにも腑に落ちない。しかし紫様が決定を下されたのだ。主のお考えに及ばぬなら、忠をもって従うのみ。

 決意新たにしていると、紫様は細い赤リボン付きの包み込むような帽子をかぶる。

「確認するけど、一時間たったら速やかに拠点制圧を実行します。いいわね?」

 紫様は並び立つわたしと巫女に念を押した。その瞳には確固たる決意の(ともしび)を宿している。

 主の意思に「御意のままに……」と両袖を持ち上げて一礼するわたしと比べ、この巫女は無言で頷くだけだった。

 寡黙には違いないが、この場は一礼して応えるべきだろうに。礼儀知らずにも程がある。

 わたしと巫女の同意に満足そうな笑みを浮かべると、主は大きく開いた〈スキマ〉へ入ってゆく。その後を巫女が続こうとするが、見咎(みとが)めたわたしは「おいっ」と呼び止めた。見下ろすように仏頂面を向ける動作は、ばか高い背丈も相まって見下しているような感じがする。

 まったくこの巫女ときたら、勘で意見するわ、場の雰囲気を察しないわ、上下関係は無視するわで一体なに様だ!? 本人も自覚がないのか、それだけにタチが悪い。やはり〈昼行灯〉のようだ。

 睨みつけるわたしを察したのか、巫女は無言のまま〈スキマ〉から後ずさった。

 紫様の後に続くのは、従者たるわたしの領分だ。お前の部下になった覚えはない。

 魔女が現われるかどうかは些末(さまつ)なことに過ぎない。問題は、無駄となるかもしれない一時間をどのように補填(ほてん)するかだ。

 わたしはあらゆる策を練りつつ歩みだす。上背が高い巫女の横を通り過ぎて〈スキマ〉に踏み進むと、湖畔の廃洋館へ辿り着いた。

 

 満月の明かりが、無人になって久しい洋館を照らしていた。

 妖力が増大していく認識よりも、目の前の光景に我が目をうたがう。扇子で顔下を隠している紫様もわたしと同じ気持ちなのだろう。

「遅いっ!!」

 聞き覚えのある怒声が廃洋館にはね返る。

 浮遊する杖に座って足を組み、右手で頬杖をつきながら鋭く睨みつけている者は、まぎれもなく“あの魔女”だ。

 夜でも目立つ悪趣味な黒い尖がり帽子と魔導服。眉間(みけん)(しわ)をよせ、眼光ゆらめく無愛想な面構え。月光を反射しているような腰まで伸ばした銀髪。髪を束ねる首元の似合いもしない大きな青リボン。季節に関係なく常夏を思わせる小麦色の肌。そして――。

「さんざん待ったぞ。賢き者なりの釈明を聞きたいものだな」

 賢者に対してわきまえない不遜(ふそん)な態度。

 わたしを苛立たせる元凶の、悪必滅を貫く〈風呂のフタ〉が本質に気づいたのか……?

 

 続く。




・博麗の巫女が発言した元ネタ。
GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊
草薙素子
「そう囁くのよ。わたしのゴーストが」


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第三話◆敵の名は

「遅いっ!!」

 満月の光が八雲紫、九尾、博麗を照らし出し、待ちくたびれていたわたしは三者の姿を視認したとたん、声を張り上げた。背後に建つ住む者を失って久しい西洋の館は、荒れ果てた姿を月明かりにさらし、わたしの声を響き返す。

 湖畔に建つこの洋館は、かつて外の世界から転移したと聞く。灰色の壁は月光に照らされ白く見える。(おごそ)かだったであろう玄関は扉が外れかけ、獅子を模したレリーフが湖を見つめ続けていた。

 それほど広くない庭は荒れ放題だ。一目で手入れが一切されていないとわかる庭木は枝葉で鬱蒼(うっそう)としている。玄関に続く通路は雑草が生い茂り、長い年月が経っていることを物語っていた。

 廃洋館の入り口である(さび)だらけの崩れかけた門扉(もんぴ)前で三者を待ち続けていた。宙へ浮かせた魔法の杖に足を組んで座っていたわたしは、ようやく訪れた一行に頬杖をつきながら睨みとばす。

 賢者は表情を読み取られまいと、扇子(せんす)で目から下を隠している。相変わらず胡散臭(うさんくさ)い雰囲気だが、ここにわたしがいるとは思っていなかったようだ。

 賢者の後ろにいる九尾は、苦々しい顔でわたしを睨みつけていた。たぶん「本質を見抜け」と言ったことを後悔しているんだろう。

 八雲の姓を冠する二者の後ろに立つ博麗は、いつも通りの仏頂面だ。しかし、かすかに笑みを(にじ)ませている。こいつとは十年以上の付き合いだから、行動を読んでいたとしても不思議じゃあない。

 一人を除き、わたしに送られる凝視は「なぜお前がいる?」と思えてならない。

 ……なんだ? 一度拒んだとはいえ、人を呼びつけておいてだんまりはないだろ!? こっちは二時間近く待ってたんだぞ!

 わたしは座る杖をかたむけ、寄りかかるように頬杖のまま右肘をつく。そして左腕を軽くかかげ、呼びつけた張本人に指をさす。

「さんざん待ったぞ。賢き者なりの釈明を聞きたいものだな」

 妖怪の賢者こと八雲紫へ皮肉まじりに釈明を要求する。当の本人は顔下の扇子を閉じ、わざとらしくため息を漏らした。

「あら、来てたの? 藍の口ぶりから来ないと思っていたわ」

 胡散臭い雰囲気のまま、賢者は笑顔とともに扇子を袖の下にしまう。

 そっちから呼び出したくせによく言う。

 心中でぼやきつつ元の姿勢に戻す。

 ……さっきからわたしを睨む九尾に嫌悪感が増大する。人を粗大ゴミみたいに見るんじゃない!

「あなたの『(かん)のささやき』もいい線いっているわね」

 八雲紫が九尾の後ろでたたずむ博麗に振り向くと、頑健な身体の巫女は無言でうなずき、顔をわたしへ向けなおした。

「早かったな」

 仏頂面にかすかな笑みを覗かせていることから、こいつだけはわたしが廃洋館へ向かうと確信していたようだ。たまに口にする「勘のささやき」とやらか? そんな友人に右手を軽く上げて応え、座っている杖から立ち上がる。

「まあそれはそれとして。ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかしら?」

 杖を小さくして腰にさげたポーチへ閉まった直後、八雲紫が話をすり替えてきた。

 ……釈明はなしか。

「あなた、ここをどのように割り出したのかしら? 藍から『場所は話す必要がなかった』と聞いたのだけれど」

 控える従者へ肩越しに振りむくと、九尾はいつも合わせている両袖を持ち上げるように一礼した。

 

 八雲紫。

 妖怪の賢者、神隠しの主犯、割と困ったちゃん等、複数の二つ名を持つスキマ妖怪。明治十七年に博麗大結界を張り、外の世界から幻想郷を隔離した張本人だ。

 上品な見かけとは裏腹に権謀術数(けんぼうじゅつすう)が服を着て歩くと言ってもおかしくはない。裏で糸を引くにおいがプンプンするので、正直この手のタイプは苦手だ。ゆえにわたしは敬称を込めず、フルネームか賢者と呼ぶようにしている。

 胡散臭ささえなければ好感を持てるんだが、本人はそれを改めようとしないのはなぜだろう? そんな八雲紫に親睦を持つ博麗と、狂信ともいえる忠誠心を持つ九尾の気が知れない。

 〈境界を操る程度の能力〉を持ち、万物に存在する境界を意のまま操り従える。本人の弁では、夢の中の人や物を強引に現実空間へ取り出すこともできるんだそうだ。

 物事の存在には境界がある。それを任意で操る能力は、論理的創造と破壊をもたらす。このことから「神に匹敵する能力の持ち主」といっても過言ではない。

 

「説明する義務や義理があるのか?」

 腰に手をあて、賢者の質問を突っぱねると、九尾が「魔女! わきまえろ!」と怒鳴った。瞳には炎のような輝きをともしている。夜の湖畔に式神の怒声が響き、やや遅れてわたしの後ろから返ってきた。

 忠誠心ってもんは、こうも一途になれるもんなのか? 他者の下につかないわたしには理解できん。

「いいのよ。妖子はわたしの部下ではないのだから」

 怒りに震える九尾を後ろ手で制し、八雲紫は笑顔のまま再びわたしを見据える。

 月明かりに映えるあの笑顔は、たぶん仮面のような気がする。本心は猜疑(さいぎ)に満ちているのだろう。胡散臭い賢者のことだ。今さらわたしを値踏みするわけじゃあるまい。

「あなたに義務はないわ。でもね、細かい事が気になるとこれから始まる決戦に支障を来たすのではなくて? あなたも同じことを考えているはず。違うかしら?」

 さすがに痛いところを突いてきた。聞きたいことがあるという本心を見抜いたか。だが、見方によってはチャンスだ。なぜなら、八雲紫が利害関係を示唆(しさ)したんだからな。敵の正体も気になるし、ここは賢者の誘いに乗ってみるか。

 意を決し、腰に当てていた手をやや大きめに開く。わたしはこの場所に至る経緯を話すことにした。

「この廃洋館からは湖の全景を見渡すことができる。敵の動向を知るうえで打ってつけの場所だ。対岸の紅い洋館が敵の拠点じゃないのか? それも用意周到かつ統率のとれた一群なんだろう? であれば、幻想郷の(かなめ)が人里だと把握しているはずだ。とうぜん制圧に乗り出すだろうが、総力戦を仕掛けてこない点が気にかかる。戦力を分けても拠点を守りきる絶対の自信があるとみた。違うか?」

 わたしの推論は、九尾との会話から得たキーワードを元に〈深読み〉して導き出したものだ。あいつから得た情報というのは(しゃく)にさわるが、あの状況じゃあ仕方がない。それに〈深読み〉に必要な情報量は十分あった。

 説明を一通り聞いた妖怪の賢者は相好(そうこう)を崩すとともに、片肘を持ちながら見つめ続けている。月光を浴び、顎に指を添える姿は、幼いころに読んだ絵本の中の女神様のようだが錯覚だろう。胡散臭い女神に御利益(ごりやく)などあるものか。

「あなたの推論だけど、だいたい合っているわ。『用意周到』と『統率のとれた一群』の根拠を詳しく聞かせてちょうだい。納得できる理由ならあなたの疑問に答えましょう」

 ……だいたいってなんだ? 微妙に違ってるのか? 根拠を聞きたいのなら聞かせてやろうじゃないか。そのうえで敵の正体を聞き出してやる。

「約束は守ってもらうぞ。最初に疑問を――」

 

 最初に疑問を感じたのは、「敵がなぜ今夜を選んだのか?」だった。

 今日のような満月は妖怪の妖力を増幅させる。人狼(ワーウルフ)しかり、人虎(ワータイガー)しかり、人白沢(ワーハクタク)しかり。吸血鬼も同様だろう。詰まるところ人間以外、敵も味方も今夜は絶好調だ。

 月齢周期は約三十日。一ヶ月以内に計画されたと仮定すると、短期間で人員や装備を整える事ができる敵だと推測される。それを可能にするには、名君や暴君にならぶ優れた統率力が必要だ。

 以上の点をまとめると――。

 

「――以上の点をまとめると、敵は一群の能力と装備をベストコンディションに整えたと推測できる。計画的に満月の今夜を狙った――と、わたしはそう考えたんだが。賢者よ、いかに?」

 〈深読み〉によって導き出した推論を、わたしは八雲紫へ真偽のほどを問う。笑顔を絶やさぬまま見つめ続ける賢者は、わたしの推論を検証しているようだ。今回の推論は九尾との会話で得た情報だけで〈深読み〉したもので、確証とはいえない。八雲紫はどう思っているんだろうか?

 わたしとてただ時間を無駄にしたわけじゃあない。ここで待っているあいだずっと敵の様子をうかがっていたが、拠点たる紅い洋館に動きはなく、名もなき平原に集まった勢力も同様だった。懐中時計を見ながら確認したので間違いない。

 やがて、わたしの推論を検証し終えた八雲紫が話し出す。

「ご名答。それは藍との会話で推測したのかしら? だとしたら大したものね」

 笑顔で称賛する賢者にわたしは戦慄(せんりつ)を覚える。さり気なく推論の根拠を言い当てたのだ。

 「大したもの」はお前の方だ。〈深読み〉の情報元が九尾と瞬時に判断したのだからな。

 天敵に狙われた獲物のように押し黙るわたしに対し、八雲紫は添えていた指を顎から離し、表情を改めていた。それまでの笑顔は消えうせ、胡散臭さが微塵(みじん)も感じられない。目の前にいる者は、まぎれもなく“賢者”だ。

「敵勢力は、カーマセイン・スカーレット伯爵とその一派。外の世界では暴君として名高い吸血鬼。おそらく、恐怖の(かて)を求めて幻想郷へ侵攻して来たのでしょう。こちら側の妖怪とは比較にならない吸血鬼を相手にする以上、人間であるあなたもただで済むはずがない。今一度問います。幻想郷の人柱になる覚悟があなたにはあって?」

 賢者たる風格を漂わせて指差し、わたしへ問いかける八雲紫の姿に思わず固唾(かたず)を飲む。「死に逝く覚悟はあるか?」と聞いているのだ。だが、最初に決めた覚悟は変わらないし、そもそも風格に吹き飛ばされるほど軽いものなんかじゃあない。

 それに吸血鬼の備えは十分してきたつもりだ。そのひとつが首に提げた防御用魔法具、〈紺碧衝壁(こんぺきしょうへき)〉。見た目は五芒星(ごぼうせい)を模した拳ひとつ分のペンダントだが、持ち主に攻撃を与えられた瞬間、小規模な衝撃波が発生し、ダメージを相殺させる備蓄魔力タイプの魔法具だ。四方八方から攻められてもダメージは軽微で済むし、敵をふっ飛ばしてくれるので、まさに一石二鳥!

 ただし物理攻撃に限られるので、魔法や妖術はもとより雨や雪などの自然現象に対して反応しない欠点がある。連続して発動できないが、この衝撃波に耐えられるやつなどそうはいないので問題ないと思う。ちなみに備蓄魔力は満杯だ。

 他にも色々と用意してある。魔力全快秘薬が四本。箸で作った即席の十字架がひとつ。ここへ向かう途中、知人宅から勝手に拝借した陰干しされたニンニクが一株。

 それら全部を腰のポーチに詰め込んできた。準備もしないで吸血鬼に挑めるか!

 一通りの装備を頭の中で確認し終えると、大きく息を吸い込む。

「……死ぬ気はない。わたしが決めた覚悟は、博麗とともに生きて帰ることだ。そのためにここへ来た」

 八雲紫の問いかけにわたしは腕を組み、毅然とした態度で生還を宣言した。

 三人の眼差しが集まるのがわかる。

 ゆるぎない覚悟だと確信するような視線。出しゃばるなと明らかに見下す視線。十年以上のあいだに培われた信頼の視線。その見つめる瞳が、わたしが幻想郷に存在するという現実を認識させていた。

 ……若干一名いやな視線を向けているが、見なかったことにしよう。

「趣旨は違うけど、覚悟は本物みたいね。藍、たった今よりプランBに変更します。いいわね?」

 肩越しに振り向く八雲紫に対し、「御意のままに……」と九尾が両袖を持ち上げてかしこまった。異論はあるだろうが、主の意思を何よりも優先させる。九尾とはそういうやつだ。

 わたしから見れば、主人の指示や命令に受動的で依存しているようにしか思えない。自分で自分を決められないようなものだ。賢者から「死ね」と命令されれば、こいつは喜んで自ら命を絶つのだろう。わたしには理解できないが。

 賢者の問いかけに緊張していたのか、冷や汗が頬を伝う。それを手の甲でぬぐっていると、月明かりに仏頂面と赤い巫女装束を浮かび上がらせた博麗が歩み寄ってきた。

 相変わらず半端ない背丈と頑丈そうな身体つきだな。

 わたしのそばまで近づくと、こいつの息づかいが耳に入ってくる。

 ……そう言えばつい最近、なにやら特殊な呼吸を修得できたと話していたな。たしか「生命エネルギーを巡らさせる呼吸」だとか。

 その話を聞かされたとき、未知の技術や知識に目がないわたしは習得方法をたずねてみた。しかし、あまりにも熾烈(しれつ)な修行内容を聞き、常人には無理だと悟った覚えがある。

「来ると思っていたよ」

 表情とは裏腹に、その声はわたしを信じ抜いた安堵感(あんどかん)があった。博麗の言葉を耳にし、賢者との緊迫したやり取りから解放されたと改めて思う。

「いつから待っていた?」

 わたしがここに来ると予感してたらしいが、先に来ていたとは思わなかったようだ。

 胸ポケットに入れた懐中時計を取り出してみると、長針はⅢをさし、短針がⅧを過ぎている。時刻を確認すると、待ちわびた怒りが再燃してきた。

「ここに到着してから二時間たった! 二時間もだぞ! 幻想郷に技術革新をもたらすかもしれない研究時間をどうしてくれるんだ!?」

 わたしの剣幕に博麗は仏頂面を崩さないものの、微妙に瞳が揺れている。従者になにやら指示を与えている八雲紫も、主の言いつけを聞く九尾も揃ってこっちに振り向いた。

 わたしの嫌いなものを三つ上げるなら、「九尾」と「ウソ」と「研究妨害」だ。研究の時間を無駄にされると、誰であろうがぶん殴りたくなる。怒りが再燃して当然だ。

 数少ない友人のために覚悟を決めたとはいえ、待つ時間にも限度ってもんがある。この煮えたぎる想いを晴らさずにはいられなかった。

 やがて、博麗の微妙に揺れる瞳が、不思議なものを見るかのように変わっていると気付く。

 わたし、何かおかしなことでも言ったか?

 釈然(しゃくぜん)としないものがあると、ハッキリさせたくなるのがわたしの性分だ。物珍しいような眼差しを向ける博麗に対し、腰に手を当てて睨みつける。

「なんだ? 言いたいことがあるならハッキリ言え」

 はたから見れば、姉妹ゲンカかなにかに映るだろう。わたしの頭頂部がこいつの目に位置するくらいの身長差があるので仕方がない。

 廃洋館の周辺は静寂に支配されていたが、博麗の言葉により破られる。

「神社に来れば話が早い、と思ってな」

 ……今の今までその考えに至らなかった。怒る理由が筋違いと気付いた直後、顔面が頬を中心に火照りだす。あまりにもシンプルな答えに、「あ……」としか返す言葉が出ない。

 こいつの背後から「ぷっ!」と八雲紫の吹きだす声と、九尾の漏らすため息が聞こえてきた。

「一本とられたわね、妖子」

 賢者が右手で口元を隠しながらクスクスと笑う姿は、十代後半の少女を思わせた。先ほどの覚悟を問うた風格は欠片もなく、普段の胡散臭さが戻っている。わたしから見れば、バカにしてる態度にしか見えない。

「深読みしすぎだ」

 九尾もバカにした言葉を発す。書斎で見せた最悪な笑顔を再び目にし、ふつふつと(はらわた)が煮立ってきた。しかし、ここで以前に発した博麗の言葉が脳裏をよぎる。

 ――「過ちを認めて糧とすることが大人の特権だ」

 感情を爆発させれば九尾の思うつぼ。「ご覧のように魔女は不覚悟でございます」と告げるに違いない。

 ……また博麗の言葉に助けられたな。

 どうにか腸の煮立ちを抑えて平静を取り戻したわたしは、謝礼と敬意を込め、博麗の瞳を見据えた。

「お前、天才だな」

 わたしが送る最高の褒め言葉を、博麗は仏頂面そのままに、キョトンとした目で見つめ返していた。

 

 続く。




・芳賀峰妖子の能力:深読みする程度の能力


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第四話◇妖怪のプライド

「仰っている意味がわかりかねます」

 紫様に八雲の姓を与えられて千余年。長年仕えてきたわたしが異論を口にしたのは何百年ぶりだろうか?

 従者の身であるわたしが反発したことに、紫様は大仰(おおぎょう)に目を丸くされ、右手で頬を押さえている。わたしが反意を示したことに驚かれたのだろう。その仕草さえ気品にあふれ、思考が鈍るほどの優美さを有す。

 紫様とわたしは湖を背にし、魔女と巫女が(すた)れた館側に立っている。

 現在、我々は月光照らす廃洋館前の湖畔で、作戦の最終調整に入っていた。

 紫様が採用されたプランBの内容は、戦力を二つに分けた連携作戦だ。

 チームAが拠点を攻撃。大打撃を受けた敵は、襲撃勢の撤退の伝令を出す。その伝令をあえて見逃し、残りを掃討。

 チームBは、伝令の知らせで拠点に戻る襲撃勢を尾行し、チームAと挟撃。

 以上が「拠点攻撃による襲撃勢誘導ならびに挟撃作戦」の詳細だ。

 紫様がわたしと魔女に言い渡した命令は、「襲撃勢の方は藍と妖子でお願いね」という容易に承服できないものだった。主の命令は絶対だ。しかし、この命令ばかりは反論せざるを得ない。

 巫女の隣に立つ魔女も、感情むき出しで不満を紫様へぶつけていた。

「ちょっと待て! それはわたしと博麗の役目だろう!? 拠点制圧はお前と九尾でやればすぐ片がつくはずだ!」

 口やかましく異論を唱えているが、わたしには騒音でしかない。夜雀の鳴き声がまだマシだ。

 この組み合わせは、わたしが魔女の住居へ向かった際、紫様と巫女で取り決めたのだろう。仮に巫女の提案だとすれば、こいつはわたしを差し置いたことになる。

「あなた達の気持ちはわかるけど、『妖怪と人間のコンビがより良い効率を生み出す』との意見が出てるの。そうよね?」

 紫様が魔女の隣に立つ者へ同意を求めると、巫女は無言のままうなずく。

 やはり取り決められていたか。この巫女、紫様になにを吹き込んだ?

 巫女に疑念を抱いた直後、魔女がつかみかかるような勢いで紫様に詰め寄る。

「わたしと博麗は、これまで何度も組んできた! その実績はお前もわかっているはずだ! 九尾と組むぐらいなら独断行動をとるからな!」

 紫様の顔前でまくし立てる魔女は腕の幅を広げ、反論を主張した。月明かりに浮かぶ顔は耳の先まで紅潮している。あらん限り張り上げる声は廃洋館の周辺に響き渡り、やや遅れて廃屋から跳ね返ってきた。

 この魔女の無礼を我が主はどのように思っているのだろうか?

 敬語もつけずに主張し続けるこいつは、紫様の寛大な御心によって生き長らえている事を知らぬとみえる。このお方が真に怒りを(あらわ)にされたとき、お前ていどの存在などまたたく間に消えるだろう。

 そんな魔女に対し、紫様は袖下から取り出した扇子(せんす)で顔下を隠していた。口が開くたびに飛ぶこいつの唾を防ぐためだろう。

 わたしも異論を持っているが、この魔女と違って主に対する反抗心は一切ない。紫様が何を意図しているのか確かめたいだけだ。

 ……それにしてもこいつ、賢者たる紫様に対して敬称もつけぬばかりか「お前」呼ばわりするとは……。無礼、無作法、不躾(ぶしつけ)の三拍子だな。しかし、どこまで食い下がる気だ? 駄々をこねる子供か、この魔女は?

 腹に据えかね、力ずくでも黙らせようと思ったその矢先、魔女の悲鳴が周囲にこだました。

「なんのつもりだ、博麗!? 痛たたたっ! 力を入れるな!」

 後ろに立っていた巫女が音もなく近づき、背後から魔女の左手首をつかみ、強引に背中へひねり上げていた。右腋(みぎわき)で魔女の右腕をしっかりと固めているため、巫女の拘束から逃れられないのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ。関節をきめられた魔女はそれまでの紅潮がウソのように消え、苦悶(くもん)の表情を浮かべている。

 心なしか涙目に見えるが、月光による瞳の反射に違いない。あれだけ捻りあげるからには、肩と肘の関節にかかる負荷は計り知れないだろう。……痛がる魔女を見ていたせいか、腕の節々に幻痛がわいてきた。

 様々な格闘術に精通しているであろう博麗の巫女が口を開く。

「向こうで話そう。紫、少し妖子を借りる」

 紫様が「手短にね」と答えると、背を向けた巫女は廃洋館の敷地に魔女を連れ出してゆく。

「待て待て! わたしは胡散臭(うさんくさ)い賢者に文句があるんだ! それ以前にわたしを罪人扱いするな――痛い痛い痛い痛い!!」

 二人が錆びついた門扉(もんぴ)をくぐっているはずだが、耳に入る魔女の声量には変化はない。語尾は完全に悲鳴――。

 ……そういえば、あの魔女の悲鳴は現在に至るまで耳にした覚えがない。口を開けば皮肉しか出さないが、悲鳴は年頃の女性そのものだ。

 隣に視線を向けると、フリルのついた白いハンカチを上下に振り、巫女と魔女を見送る我が主の姿があった。

 

 魔女の悲鳴がおさまったころ、わたしは意を決し、紫様へ口を開いた。

「……おそれながら具申いたします」

 満月の光が紫様とわたしの影を廃洋館前の湖畔に映し出している。

 我が主に対して(うやうや)しく一礼するわたしは罪悪を感じていた。紫様の意思に逆らった以上、明確な根拠をしめす義務がある。そもそも異論を唱えることが越権行為にほかならない。

「あなたが異論を唱えたり意見するなんて、今夜に限って珍しいわね。なにかしら?」

 見据える紫様の瞳は空に映える星々のように輝いている。わたしが意見することなど滅多にないので、珍しがるのも無理はない。

「拠点制圧は紫様とわたくしで実行すべきかと。満月の影響により妖力が増大している紫様とならば、吸血鬼どもの殲滅(せんめつ)はじゅうぶん可能と存じます。襲撃勢力は返す刀で討伐できましょう」

 根拠というよりは言い訳に近かい。袖を持ち上げて締めくくると、それまで輝いていた紫様の目はくもっていた。わたしの言葉がご期待に沿えるものではなかったらしい。

 紫様とわたしの間に沈黙がおとずれる。

 ときおり吹く風が湖畔の周囲に広がる草木を揺らし、湖面に映る満月がさざ波でゆがむ。廃洋館から魔女の怒鳴り声が聞こえてくるが、それを仏頂面のまま聞く巫女の姿が容易に想像できる。

 野良犬のエサにもならない喧騒は放っておくとして、紫様の答えを待つことが先決だ。

 やがて、紫様が憂いたように小さなため息を漏らす。

「要するに妖子と組みたくないわけね。けど、私情をはさんだ人事変更に意味はあるのかしら? 仮にわたしがあなたと組んだとしても、プランAとなんら変わらない。そうは思わなくて?」

 わたしを(さと)す紫様は憂い顔だが、瞳に威圧めいた光をともしていた。主の眼差しに、袖を合わせたわたしの両手が汗でにじむ。

 紫様が仰ることはもっともだ。実際わたしは私情をはさんでいるが、それ以外の懸念がある。

 越権行為を重ねることにためらいつつ、わたしは紫様へ進言を試みた。

「お言葉を返すようですが、それでは幻想郷の(ことわり)が守れません。明治十七年の〈博麗大結界〉による外の世界との隔離の折、『人間は妖怪を恐れ、それを(かて)とする者が人間に恐れを与える』と、あなた様から教わった(ことわり)でございます。なにゆえ人間などと共闘できましょう」

 進言というよりは忠言に近かった。わたしの話を聞いていた紫様は、それまでの憂い顔を真剣な表情に改めている。わたしに向ける眼差しは、心の内を見透かしているような光へと変わっていた。

 このお方はわたしの懸念に対してどのような心持なのだろうか? 「従者の身でありながら、主の意思に従わぬばかりか、異論や忠言をするなどおこがましい」と思われても仕方がないのかもしれない。紫様の心内を知ろうとする衝動は抑えられないでいる。

 人間は日常文化に当てはまらない現象が起こった場合、危機意識から恐怖を生む。恐怖を与える立場の妖怪が矮小(わいしょう)な人間とともに戦うなど、わたしのプライドが許さなかった。

 永遠に思えるほどの長い沈黙は、紫様が口を開くことで破られる。

「あなたの気持ちはよくわかるわ。今日(こんにち)にいたる幻想郷はその(ことわり)により成り立っていることも」

 一呼吸の間をあけ、紫様は右手で大きく髪をかき上げた。八つに分け束ねた内の二房が舞い上がり、月光に映える。宙を舞った髪が元の位置に戻ると、湖へ身体を向けられた。後ろ手を組みながら夜空をながめる紫様は、どことなく(はかな)げなように見える。

「ただね、時代は変わりゆくものなのよ。“時代の流れに適応するには、変化を求めることが重要”とわたしは考えているの。変わらぬ時代に固執するようでは、やがて幻想郷は閉塞(へいそく)し、存在理由をなくした末に滅びゆく。それを回避するには、この世界に住むすべての者が“変化を求める心”を持つ必要がある。そうは思わなくて?」

 わたしに幻想郷の未来を語る紫様は真面目な顔で振り向く。賢者たる風格を漂わせるその姿は威厳に満ちあふれ、わたしよりやや高い背丈にもかかわらず巨大に思えてしまうほどだ。その言葉が、わたしの疑問を氷解させてゆく。

「……わたくしにも『変化を求める心』を持てと仰っているのでしょうか?」

 わたしの問いに紫様は「わかってるじゃない。その通りよ」と満足げな笑みを作る。その笑顔に応えようにも、新たな疑問の陰が(きざ)す。

 紫様の指示や命令なくして行動できるのだろうか?

 そんなわたしに、主は心中を読んでいたかのように語りだす。

「あなたも十分に変わる兆しを表しているんだけど、気が付かないかしら?」

 紫様の指摘に心当たりなどあるはずもなく、わたしはうつむき加減で考えに及んだ。

 主の意思に従うのが従者の務め。受動的態度は自覚している。他者から「小間使い」「腰巾着」「スキマ妖怪の犬」と揶揄されようとも、わたしはそれを愚直なまでに守ってきた。紫様の指示や命令で行動したわたしは、常に正しい結果を出し続けてきたからだ。

 考えあぐねているわたしをじれったく思ったのか、紫様は答えを提示された。

「芳賀峰妖子の存在が、あなたを変える切っ掛けになるわ。認めたくないでしょうけど、事実として受け止めなさい」

 あまりにも意外な答えに、落雷のような衝撃が全身を伝う。それまでうつむいていたわたしは、思いもしない名を口にした我が主へ、勢いよく顔を上げる。そこには、湖に向けていた身体をわたしへと改め、真剣な眼差しを送る紫様がたたずんでいた。

 あの魔女がわたしを変える鍵である、と仰るが、お(たわむ)れとは思えない。わたしがあの魔女に影響を受けるわけがない。たかが人間風情に共感するなどあろうものか!

 心に否定の嵐が吹き荒れる。

「仰っている意味がわかりかねます」

 気が付けば、組み合わせの命令直後と同じ言葉を口にしていた。頬に汗が伝う感触を覚える。平静をよそおうも、紫様の射抜くような眼差しの前では無意味にひとしい。

「じゃあ聞くけど、わたしがいつ『芳賀峰妖子を嫌いなさい』と命じたのかしら? 妖子を『あの魔女』と呼び、彼女の皮肉に反発する言動は、自発的な意思ではなくて?」

 わたしは紫様の指摘に返す言葉どころか、声までも失う。あの魔女を意識していた事実に、たった今自覚してしまったからだ。

 人間相手に感情をむき出していた自分が情けない。これでは妖怪の面目が丸潰れではないか。しかも、よりによってあの魔女を無自覚に意識していたとは……。わたしは妖怪の面汚しだ。

 自身を卑下(ひげ)すると同時に再びうつむいていると、紫様の声が耳にはいる。

「藍を責める気はないわ。むしろ自発的傾向を見せるあなたに喜びさえ感じているのよ。負の感情とはいえ、それは藍自身が決めたことに変わりはないのだから。これを機会にあなたが能動的となり、いつの日かわたしと双璧をなす時代が来るといいわね」

 その言葉を聞き、わたしは紫様へ顔を向けた。見つめる瞳は期待感に満ちている。心からの期待に応えることこそ、従者が主にできる最大の恩返しだ。

 ……もしや、わたしの変革を促すために、紫様はあえてプランBへ変更されたのだろうか? それが真実ならば、幻想郷を我が物にせんとする侵攻者よりも、式神であり従者たるわたしに重きを置いたことになる。このわたしをそこまで想って頂ける以上、なんとしてでも本作戦を成功させなくては。それを実行するにあたって大きな問題がある。

「ですが、わたくしとあの魔女とのあいだに協力態勢を敷くなど、不可能に思えてなりません」

 本作戦における最大の問題を紫様へ提起する。わたしとあの魔女にある溝は計り知れない。それを解決しない限りは共闘など不可能だ。そんな不安をよそに、紫様は含み笑いを浮かべる。

「博麗の巫女が妖怪と人間のコンビを提案したとき、あなたと同じ質問をしたのだけれど、彼女、なんて答えたと思う?」

 わたしの不在時の情景を思い出したのか、我が主は笑いをこらえている。月光を浴びるその姿は、大陸の神話に記された月の女神のようだ。

 あの巫女の思考が読めないので「わかりかねます」と答えると、紫様は巫女の言葉を口にする。

「彼女はこう言ったのよ。『あの二人の間には、協力関係などという都合の良い言い訳は存在しない。あるとすれば、単独行動から生じる結束力だけだ』――ですって。面白いでしょう? 人一倍寡黙な彼女が、今のあなた達を的確に言い表しているのだから」

 言い終えた直後、紫様はこらえていた笑いを愉快そうに吹きだす。まったく同じ感想を持ったわたしは頬がゆるんでいた。

 ……確かにわたしと魔女は協力関係など築きようもない。だが、共通の敵が現われ、戦闘を余儀なくされたのなら話は変わる。排除のために結束力が生じるのは必然と言えるだろう。それにあの魔女が悪必滅をかかげる以上、選択の余地はないはずだ。

 あの巫女がそれを意図して発言したとすれば、紫様と違う意味で底が知れない見識を持っている――かもしれん。

 それまで抱いていた疑問が消え、わたしは清々しい気持ちになっていた。これほどの爽快さは久しく味わっていない。

 表情を引きしめ、わたしは姿勢を正す。従者の身でありながなら主に異論を唱えた罪は重い。

「出すぎた発言を致しました。数々の無礼をお許しください」

 わたしが深々と頭を下げると、紫様は陶磁器のように白く清らかな手を顔前で振る。

「謝る必要はないわ。私情を挟んだのはともかく、あなたは幻想郷の未来を思って発言した。それを(とが)める気はないわ」

 さすが賢者と呼ばれるお方だ。その見識と同様に御心も大海のごとく広大であり、そしてなによりも底深い。

 わたしが心中でそのように感嘆していると紫様が呼びかけてきた。

「藍。幻想郷の未来のために、心ゆくまま尽力なさい。芳賀峰妖子とともにね」

 満月の明かりに照らされる笑顔まぶしく、紫様は意思を示された。

 主の意思は何よりも優先させる。

 それが従者としての務めであり、わたしの存在意義だ。自発性を鍛えるのは今宵(こよい)の決戦のあとからでも遅くはない。

「承知いたしました。それにつきましてお願いがございます。九尾妖術〈妖怪レーザー〉、ならびに飯綱(いづな)術式〈アルティメットブディスト〉の使用を――」

「許可します。『心ゆくまま』の意味、わかるわね?」

 全身全霊をもって遂行せよとの仰せだ。主の望みはわたしの望み。主が幻想郷を真摯(しんし)に愛しておられるなら、当然わたしも幻想郷を愛している。

「御意のままに……」

 使命を与えられ、あふれる歓喜を隠しつつ一礼する。ここから先はわたし自身で方針を決めなければならない。

 襲撃勢のほとんどが在来妖怪と思われる。その中から西洋妖怪を見つければ勝機はあるはずだ。大陸の吸血鬼だとすると文献などに記された弱点は宛にはならない。妖波を解析できれば弱点が明確になり、勝利は磐石なものとなろう。伝令の到着する時間が鍵だな。

 ……問題は〈風呂のフタ〉だ。ただでさえわたしを苛立たせるあの魔女が大人しくしているはずがない。どうにかして主導権をにぎる必要があるが、一筋縄ではいかないだろう。

 本来なら総力をもって拠点制圧するべきなのだが、紫様はわたしに「変化を求める心」を促すため、あえて最善策を選ばなかった。ここで奮起せねば、断腸の思いで吸血鬼掃討を二の次にされた紫様の意志に背くことになる。我が主のご期待に沿うためなら、あの魔女とともに戦うことさえ(いと)わない。

 ……最悪の場合、あの魔女の皮肉を一晩中聞かされることになるが――。

 わたしが自発的になる道は前途多難なようだ……。

 

 続く。




・博麗の巫女が発言した元ネタ。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX
荒巻大輔
「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ」


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第五話◆決意と覚悟とけじめ

 

「待て待て! わたしは胡散臭(うさんくさ)い賢者に文句があるんだ! それ以前にわたしを罪人扱いするな――痛い痛い痛い痛い!!」

 博麗に背後から両腕をきめられ、廃洋館の敷地へ連行されるわたしは情けない悲鳴をあげていた。左手を右肩後ろまで回され、そのうえ右腕がこいつの(わき)下で固められているから手の出しようもない。両腕をひねり上げた状態なので否応(いやおう)なく前傾姿勢になってしまう。頭突きをしようにも届かないだろうし、だいたいこいつに効くはずがない。

 もがけばもがくほど関節の痛みが倍増する。千切れんばかりの痛みに耐え切れず、とうとうわたしは根をあげた。

「わかったからっ! 降参するからもう離してっ!!」

 懇願(こんがん)が届いたのか、それとも敷地に着いたのか、博麗はようやく両腕の拘束をとく。解放された直後にバランスを崩すものの、両腕をバタつかせてなんとか転倒は免れた。どうやら腕は左右ともに壊れていないようだ。

 節々に鈍い痛みが残っているが、これでも加減してくれた方なのだろう。こいつが本気を出せば、わたしなんかの細腕は根元から引き抜かれていたに違いない。

 各関節をさすりながら敷地内を見渡す。

 鬱蒼(うっそう)と生い茂る密林を思わせる庭の木々。敷き詰めた石畳の隙間から雑草が伸びる通路。(おごそ)かだった片鱗を見せる外れかけた玄関の扉。

 荒れ果てたその風景は、侵攻者に蹂躙(じゅうりん)された人里の末路を思わせた。

 幾分か痛みが治まったので博麗に身体を向け直す。すると鉄面皮(てつめんぴ)な顔をかすかに険しくさせている。上背のあるこいつと、子供のころに亡くなった父親の姿が重なり、わたしは一瞬だけ縮こまってしまった。

 廃洋館の庭へ連れ込んだ博麗がわたしを見据える。

「組み合わせを紫に提案したのはわたしだ。文句ならわたしが聞く」

 直立不動のまま話す博麗の瞳が熱を帯びたように揺らいでいる。八雲紫に詰め寄った態度を(とが)めているようだ。

 以前から気になっていたが、なぜこいつはあの胡散臭い賢者を信用しているんだ? 尊敬や羨望(せんぼう)が入り混じった眼差しをあいつに向けているが、それだけとは思えない。

 賢者たる風格や威厳を持ちあわせ、並外れた見識を有しているのは認める。だが、それゆえに考えが読みにくい。

 今夜の件にしてもそうだ。博麗大結界の管理者とはいえ、こいつの提案を思慮なく採用するはずがない。きっと何らかの狙いがあるはずだ。八雲紫の手駒になる気はないが、博麗を死なすわけにはいかない。

 わたしの心は、賢者に対する猜疑(さいぎ)であふれ返っていた。

 廃洋館の敷地にたたずむ博麗は、賢者の狙いに対して苦慮するわたしを知ってか知らずか、変わらない表情を浮かべている。それほどまでに八雲紫を信用しているのだろう。そう考えたとき、心の底にジリジリとした(くすぶ)りを覚えた。それは、胡散臭い賢者から博麗をとられまいとする、嫉妬にも似た保護感情なのかもしれない。

 意を決し、わたしは腰に手を当てて数少ない友人へ詰め寄る。

「博麗、ありのまま答えろ。八雲紫に何か吹き込まれたんじゃないのか?」

 真っ直ぐな心を持つ友人は、凄むわたしにひるみもしないで首を横へ振る。こいつの無口っぷりは昔から変わらないが、嘘をつかない点も同様だ。

 わたしは質問を続ける。

「自分の意思で参戦を決めたのか?」

 今度は頷いているので賢者にそそのかされたわけではないらしい。

 それじゃあなぜ死地へおもむく決心をしたんだ? そもそもこいつは自ら戦いを望むような戦闘狂なんかじゃあない。むしろ常人には思いつきもしない苛烈(かれつ)極まる修行を趣味にするようなやつだ。無欲のこいつのことだから金銭目当てとは思えない。

「八雲紫はわたしに『死に逝く覚悟』を問うた。お前にも確認してきたんだろう? 二つ返事で即答したお前の決意はなんだ? 何がお前を突き動かした!?」

 語尾になるにつれ口調がきつくなる。質問が詰問に変わるほど、わたしは博麗の本心を知りたかった。

 こいつが参戦する動機、理由、そして真意を知らずして友人と言えるか! それを確認しなければここに来た意味がない。

 やがて、質問責めに首の動きだけで答えてきた寡黙な巫女が声を発す。

「正義」

 たった一言の本心を聞いたとたん、その単純すぎる答えに熱を奪われた。同時に全身から力が抜けゆく感覚を味わう。こいつの本質は純粋そのものだから、難しく考える必要などなかったのだ。

 いまさらになって博麗の純粋さを再確認したわたしは、あれこれ思考を巡らせていた自分がバカらしく思えてならなかった。

 

 肩と腕の痛みがようやくひけたころ、わたしは博麗の参戦理由を知った。

 こいつが言うには、愛する幻想郷へ侵攻してきた外来妖怪に対して八雲紫が逆上するおそれがあるらしい。それを抑えることも参戦理由のひとつだと言う。あの賢者がブチ切れるとは思えないが、わたしに比べてあいつと会う機会が多い博麗の言うことだ。まず間違いないんだろう。

 それにしても、敵を心配するとは相変わらず甘い考えだな。だが、この優しさがこいつの美徳でもあるんだが。悪必滅を貫くわたしとは大違いだ。

 参戦理由はわかったが、もうひとつ重要な問題がある。わたしと九尾が組むことだ! その件の原因を作った張本人に、わたしは再び詰め寄った。

「なぜいけ好かないあいつと組まなきゃならないんだ!?」

 張り上げた声が庭中に響き渡る。

 露骨にいやな顔をするわたしへ、博麗は普段の仏頂面で聞き返す。

「なぜ藍を嫌う?」

 九尾に対する嫌悪を口にするたび、こいつは同じ質問をする。こいつなりに仲を取り持つつもりらしいが、わたしからすればお節介以外の何ものでもない。

「わたし個人の問題だ。何度も言わせるな」

 このセリフを口にするのも何度目だろうか? 少なくとも、こいつの口数を上回るのは確かだ。

 わたしを気にかける眼差しは慈愛に満ち、さながら菩薩(ぼさつ)様のように思える。なぜかその視線に後ろめたさを感じた。わたしは唇を噛みしめ、顔を逸らす。

 九尾とは浅からぬ因縁があるが、この場で口にすることじゃあない。それよりも、わたしと九尾を組ませようとする博麗の意図がさっぱりわからん。

 こいつの気持ちはわずかな表情の変化で推測できるし、悪癖の予兆も大体わかる。だが、何を考えているのかはまるでわからない。そもそも他者の心や考えがわかる者など、〈(さとり)妖怪〉以外にいないだろう。それ以外がいるとしたら、こいつの考えを是非ともお教え願いたいものだ。

 ――今すぐここで!

 つのる苛立ちに後頭部をかきまくるも、気休めにもなりゃしない。自身の胸に手を当てると同時、思いのたけをぶつける。

「わたしはお前の力になりたいからここへ来たんだぞ! お前のために決めた覚悟を無駄にさせる気か!? だいたいわたしが九尾と組んで協力関係を築けると本気で思ってるのか!? あんなやつと組むなんてまっぴらだ!!」

 一方的にまくし立てたわたしは、上気した身体にこもる熱を排出するような荒い息づかいでいた。そよ風が火照(ほて)る肌に涼を与えるも、心地よさを味わう気分ではない。耳に入るのは、わたしの呼吸音と枝葉がする音だけだ。

 わたし達のあいだに重い沈黙がおとずれた。やがて博麗は、頑健な身体に内包する肺腑(はいふ)の限界まで息を吸い、そして吐き出す。

「妖子、何か勘違いしてないか?」

 博麗の瞳に炎のような光が揺らいでいる。その表情は、わたしをここへ連行した直後と同様だった。

 わたしが勘違いしてる、だと? 何に対して?

 心中で疑問符をつぶやくと、博麗に対して憤然と聞き返す。

「勘違いだって? 根拠はなんだ!?」

「お前のためにチームを組むんじゃない。チームを組むためにお前が必要だったんだ。それでも我を通すと言うのなら、それは私情だよ」

 わずかな険しさを滲ませる顔とは裏腹に、その声はどことなく悲哀が込められていた。それを耳にした瞬間、頭の中でその言葉が幾度も繰り返され、わたしは硬直する。博麗を生かして帰す“覚悟”が“私情”だと、ほかならぬ本人に指摘されたからだ。

 熱い想いが込められた言葉のお陰で、わたしは過ちに気づいた。

 ……こいつの言う通り、わたしは勘違いをしていた。博麗を生かす覚悟そのものは本当だ。それを九尾と組むことへの否定材料にしてしまったことが間違いだったんだ。そんなわたしを博麗は、「共闘できない言い訳を“覚悟”だと思い込んでいる」と見抜いたのだろう。

 それじゃあ、なぜあいつと組む必要があるんだ? いがみ合う者同士がうまく連携できるとは思えない。

 疑問をふたつに絞り込み、硬直する身体を無理やり解いたわたしは、二本の指を顔前へ立てた。

「博麗、ふたつだけ答えてくれ。わたしとあいつが組む理由は? それと、いかにして協力関係を築けるか? ――だ」

 このふたつの疑問だけ、わたしには解けようもなかった。

 八雲紫がこいつの提案を採用するからには相応の理由があるはずだ。博麗は、その場しのぎの意見をするほど浅はかな人間ではない。その事は、十年以上つき合ってきたわたしがよく知っている。

 やがて、ふたつの質問を突きつけられた博麗は、落ち着いた口調で回答し始めた。

「妖子の〈深読み〉と、藍の〈計算〉の相性がいいと考えたんだ」

 一つ目の質問の答えに「なるほど」と心中でつぶやく。

 わたしが〈深読み〉による予測を立て、九尾の〈計算〉で確定させるわけか。役割分担できれば負担が減り、そのぶん攻め手を増やせるだろう。……お互いに歩み寄れば――だが。

 最大の障害をどのように越えるか? その疑問に対し、博麗は大きく息を吸い込む。

「妖子と藍の間には、協力関係などという都合の良い言い訳は存在しない。あるとすれば、単独行動から生じる結束力だけだ」

 博麗の言葉に、氷雪魔法のような衝撃を受けたわたしは瞬く間に凍りついた。その言葉には重厚さがあり、例えるなら、熟練者達をまとめ上げる統括者。そんな風格と威厳が今の博麗に備わったような感じを覚え、微動することなく聞き入っていた。

 こいつがこれほど口を動かすことは滅多にない。いつも大事なときに重みのある言葉で(さと)し、たしなめ、鼓舞(こぶ)を促す。わたしがこれまで魔法使いとしてやって来れたのは、こいつが口にしてきた数多くの言葉のお陰だ。

 そんな友人が、硬直しているわたしに優しく語りかける。

「今夜だけでも藍を信じてみないか?」

 温もりのある仏頂面を目にし、固まった身体が緩む。気が付けば頬も同様になっていた。

 強さと寡黙さは幻想郷一であろうこいつに、こうして背中を押されたのは星の数だ。まあそれはそれとして、今の話を冷された頭で〈深読み〉してみるか。

 犬猿の仲である九尾と協力関係をむすぶ可能性はゼロに近い。少なくともわたしから歩み寄ることはないし、あいつもそうだろう。

 そんなわたし達に共通の敵が現われたとしたら? 例えば今夜と違って戦える者がわたしと九尾しかいなかった場合、否応なく共闘するしかない。八雲紫の命令であれば、九尾も組まざるを得ないだろう。

 普段からいがみ合う魔法使いと式神が、戦場を共にするなど前代未聞。鴉天狗のブン屋が血相変えてシャッターを押しまくる姿が目に浮かぶ。

 それにしても「単独行動から生じる結束力」とは、言い得て妙だな。こいつがこれほど口数を多くして語ったんだ。不本意だが、今夜だけ“狐につままれて”みるか。

 意識せず苦笑する表情をわたしは引き締める。覚悟を曲げるからには、相応のモノを求めなければならないからだ。わたしは博麗に改めて視線を向けた。

「お前の言いたいことはわかった。私情を挟んでいたのは認める。今夜に限り九尾と組もう。ただ、わたしの覚悟を無駄にさせたけじめ(・・・)はつけてもらうぞ」

 確固たる決意を声に乗せ、わたしは博麗を指差す。八雲紫の問いかけに大口を叩いた手前もある。そう簡単に覚悟を曲げるわけにはいかなかった。

 博麗とともに生きて帰る意思は今も変わらない。しかし、わたしが決めた覚悟は、こいつのそばで戦うことを前提としたものだった。これをただで曲げたとあっては、魔法使いの端くれとしていい恥さらしだ。

 わたしの要望に「わかった」と口数少なく答える博麗の目には、想いを汲んだような力強さがある。こいつなりの贖罪(しょくざい)なのだろう。そんな博麗に、硬い意思の表れである握り拳を突き出す。

「博麗、帰ったら一発殴らせろ」

「今じゃダメなのか?」

 わたしの要求に、こいつはわずかだが眉を動かす。けじめをつける時期がおかしいと思ったのだろう。

 今殴っては意味がない。こいつもわたしと同じ立場になれば、きっと同じことを考えたはずだ。

 わたしは拳をさらに突き出す。

「ダメだな。お前が生きて帰る口実を作ってやったんだ。それでは不満か?」

 そうだ。これは生還を意識させるお互いの口実だ。

 覚悟を無駄にされたわたしはこいつを殴る権利がある。こいつはそれを無駄にさせた責任を負う義務がある。これを断ろうものなら“博麗の巫女”の名がすたるってもんだ。

「いや、不満はない。神社に帰ったらわたしを殴れ」

「約束したからな。破ったら縁を切るぞ」

 必ず帰るという約束を交わしたわたし達は、再確認する意味で拳と拳を小突き合わせる。それが二人だけの合図だ。

 硬い皮膚に包まれたこいつの拳を突き合わせるのは、数えだしたらきりがない。その度にこいつの拳から伝わる温もりは忘れたことはない。相変わらず硬くてささくれ立った温かい手だ。

 殴るために生還しようとするわたしは微笑みを浮かべ、殴られる約束を受けてくれた博麗も、仏頂面にわずかながらも笑みを滲ませていた。

 

 続く。




・博麗の巫女が発言した元ネタ。
仮面ライダーSPIRITS
一文字隼人
「正義」


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第六話◆明日は別腹

 

 話がまとまったわたしと博麗は、敷地の庭から八雲紫と九尾のいる廃洋館前に戻った。湖面に浮かぶ満月はさざなみでゆがみ、風が湖畔に茂る草葉をなでている。決戦前だというのにその風景は印象深く、まるでこの世で最後に見る景色と思えた。……縁起が悪いので、払い落とすように頭を振るう。

 九尾と向かい合っていた賢者が「あら? 思ってたより早かったじゃない」と、白々しい笑みを浮かべながら迎える。こいつのことだから時間通りだと思っていたに違いない。

 九尾も主と同様に顔をこちらへ向けているが、その表情はどことなくさっぱりしたものになっている。賢者に(さと)されたんだろうか? それでもきつめな視線は変わらないが。

 九尾を睨み返した直後、八雲紫が厳しくも冷静な口調で話す。

「これより『拠点攻撃による襲撃勢誘導ならびに挟撃作戦』の決行にあたって最終確認をします。わたしとあなたで拠点を強襲。救援の伝令は“見逃して”それ以外を制圧。藍と妖子は、伝令の知らせで退却する襲撃勢を尾行。拠点制圧後のわたし達とあなた達でこれを挟撃し、全滅させる。大丈夫だと思うけど、もしも作戦が破綻した場合は各自の判断に任せます。いいわね?」

 賢者の確認に博麗が無言でうなずき、九尾が「御意のままに……」と一礼し、わたしは「仕方がない」と頭に両手を回す。応じる仕草は様々だが、異論を唱える者はもういなかった。

 あとは予定通りに行動し、西洋妖怪勢を全滅させるだけだ。例え命乞いしようが話し合いに持ち込もうが、皮肉で返し――。

 ……ちょっと待て! 外国の妖怪に日本語が通じるのか!?

 異国語といっても英語や仏語など色々ある。そもそも敵が外の世界のどこの国なのかも不明だ。賢者と九尾は長いこと生きているので、異国の言葉を話せても不思議じゃあない。言葉の壁がある限り、わたしの皮肉も通じないだろう。

 この緊急事案を賢者にさり気なくたずねてみる。

「そう言えば、相手は西洋妖怪なんだろ? 言葉の壁はどうする?」

 両手を頭の後ろに回したまま八雲紫にたずねると、こいつの式神が鋭く睨んできた。

 敬語すら使わないわたしの態度に立腹しているようだ。だが、わたしは賢者の配下に加わったわけじゃないし、博麗のように親睦を持った覚えもない。誰の下にもつかない魔法使いは気楽な立場なのだ。

 九尾のにらみは無視し、賢者に視線を戻す。すると作戦の首謀者から大きなため息を見せつけられた。

「魔導書の大半は異国語で書かれているはずなのに、それでよく魔法使いを名乗れるわねぇ」

 わざとらしく肩をすくめる賢者の姿が目に映った。その瞬間、わたしに流れる血のすべてが頭部へと集中する。そして頭へ回した手を腰に当てた。

「うるさい! 魔導書を読み書きできる者が異国語すべて話せると思うな! ……ほんの少しだけしゃべれる程度だ。博麗、お前もそうだろう?」

 となりに立つ巫女へ同意を求めると、強く頷いている。拳で語るこいつは肉体言語という共通語を持つので、覚える必要がなかったのだろう。

 ……それにしても、今夜に限って怒鳴りっぱなしな気がする。研究を邪魔されたからか? なんにせよ、これから制圧に乗り出すんだから、落ち着かないとダメだ。

 左右の頬を叩いて咳ばらいし、表情を引き締める。その直後、九尾が意外なことを口にした。

「わたしが通訳してやってもいい」

 ……なんだって!?

 驚きを心中に押し込み、九尾を見やる。さっきまでの鋭く睨んでいた顔は鳴りをひそめ、澄ました表情でたたずんでいた。

 わたしの前ではいっつも見下す顔を見せていたが、どういう風の吹き回しだ? 普段のこいつなら、こんな風に自発的行動はしないはず……。何か裏があるな……?

 疑心めいた気持ちを腕組で隠し、「ただじゃないんだろ?」と返すと案の定、九尾は薄ら笑いを浮かべた。

「察しがいいな。なら話が早い。今までの紫様に対する数々の無礼を、相応の態度で示せ。自ら礼儀知らずと認めるのなら、わたしが外国語を翻訳すると約束しよう。それがいやなら黙って働け。せっせとな」

 思った通りだ……。

 要約すると「通訳を頼みたきゃ土下座しろ」ってわけか。わたしを見る九尾の目になにかしらの魂胆が感じられない。どうやら通訳を請け負うのはウソではないようだ。それにしても土下座とは穏やかな話じゃないな。

 わたしを礼儀知らずと思っているらしいが、あいにく人並みの礼儀作法は身につけている。真に敬意を表する者に対してはわきまえるが、胡散臭(うさんくさ)さただよう賢者に対する敬意などない。博麗と約束はしたが、こんなイヤミ全開な九尾の言いなりなんてごめんだ。

 「やなこった」と、言いたいところだが、ただ断るだけじゃ面白味がない。三者の注目を浴びるなか、どうしてくれようかと思考を巡らせていると、土下座に相反する作法がひらめく。

 わたしは大きく肩をすくめてみせた。そのあと、深い吐息とともに肩の力を抜く。夜でも目立つ黒い尖がり帽子を目深に被りなおしたのち、ただした姿勢で背筋を伸ばす。この動作をわびる決心と捉えたのか、九尾の薄ら笑いが明確なものになる。

 してやったり顔の式神へ身体を向け直したわたしは、丈が長いスカートの裾を軽くつまむ。そのあと左足を右足の後ろに引き、片膝を折り曲げた。

 この所作は北欧における伝統的礼儀作法、カーテシーというものだ。しかしこれだけではインパクトに欠けるので、わたしなりのアレンジを加える。

 最敬礼をする場合、本来は帽子を脱ぎ、深くお辞儀をするんだが、それをあえて省いた。帽子を脱がず、背筋を伸ばしたままのカーテシーは「礼儀作法ぐらい身に付けているが、お前に示す敬意はない」との意思の“お上品”な皮肉だ。

 ダメ押しで八重歯が見えるぐらい口の端を吊り上げると、わたしは声を放つ。

「やなこった」

 上品な反抗を目の当たりした三人が、異なる反応を示した。九尾は、背中に氷を入れられたような面立ちだ。いくら計算高いこいつでも、この作法は予想できなかったに違いない。八雲紫は関心の目を向け、博麗がわずかな苦笑を滲ませる。

「あなたを交渉に向かわせたら、宣戦布告と見なされるでしょうね」

 八雲紫が口元をおおい、笑顔を見せている。

 さすがは賢き者だ。皮肉まで品がこもってる。

 そんな賢者に目線を合わせ、元の姿勢に戻す。

「交渉する気はないが、何をしゃべっているかわかれば皮肉の一つでも返せると思ってな」

 手の平を上に向け、本心を打ち明けたわたしに対し、賢者は愉快そうに笑い声を上げた。

「なかなかおもしろい発想ね。いいわ。言葉の〈境界〉をいじってあげるから、思う存分に皮肉ってらっしゃい」

 発想を気に入った賢者とは反対に、従者の九尾が苦い顔を向けている。土下座か黙って働くかの二択を迫ったんだろうが、ご期待に沿う義理はない。

 式神を睨み返し、手招きする八雲紫に応じて近づく。すると、わたしの額に手をかざしてきた。意識が浮いたような違和感を覚えるも束の間、「もういいわよ」との声が耳に入る。

「すまない。正直いって助かる」

 言葉の〈境界〉を操作し終えた賢者に対して礼で返す。無愛想、無作法、皮肉屋と呼ばれるわたしでも他者の施しを受けた場合、感謝の念を直接伝えることは忘れない。それが胡散臭い賢者であってもだが、人間を見下す九尾は別だ。交換条件抜きで施そうとはしないだろう。

「紫、わたしも頼めるか?」

 拳による共通語を持つ博麗が歩み寄ってきた。便乗する理由が知りたいわたしは、隣に立つ博麗へ顔を向ける。

「拳で語ればいいだろ? それとも例の『(かん)のささやき』か?」

「挨拶ぐらいしか話せないんだ」

 仏頂面で頭をかきつつ振り向いた博麗は、その表情とは裏腹にどことなく恥じらいを見せていた。

 こいつが異国語を話したいとは意外だな。……挨拶と言えば、いつだったかこいつと組んだとき、妖怪へとどめを刺す際に奇妙な決めゼリフを言っていたな。あの時は気にも留めなかったが、思い返すと永遠の別れを思わせるような口ぶりだった。

 あのときなんて言ってたっけ? たしか、明日はなんたらかんたらだったような……。

 ――あ。思い出した。

 本人がいるうえに広い見識を持つ賢者もいることだし、この際だからたずねてみるか。

 そう決めたわたしは、言葉の〈境界〉をいじられた博麗と、かざした手を下ろす八雲紫へ質問しだす。

「なあ、後学のために聞きたいんだが、『明日は別腹だ』はどういう意味の挨拶なんだ?」

 

 続く。



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第七話◆長くアツい夜の始まり

 

「今夜だけでも藍を信じてみないか?」

 

 九尾と並んで名もなき平原手前の林にひそむなか、博麗の言葉を思い返していたわたしは、今さらになって迷いが生じていた。

 博麗に言われて「狐につままれてみよう」と思ったが、本当にこいつを信じていいんだろうか?

 これまでにない不安が生じ、たまらず左を向く。視線の先には、屈むわたしと同じ姿勢の九尾が前方を注視している。

 鬱蒼(うっそう)と生い茂る(やぶ)の後ろ側で、これから人里に対して襲撃するであろう敵勢力を遠くからうかがっていた。八雲紫の手筈(てはず)通りに行動しているものの、伝令がつく様子はまだない。そんなわけで、こうやって敵の行動を探っている。

 林を形成する幾多の雑木は天高くそびえ、ときおり吹く風が枝葉を擦らす。月明かりの細い光が差すその風景は、木漏(こも)れ日こぼれる慰安地を思わせる。

 地面には雑草の絨毯(じゅうたん)が敷かれていた。その上には小枝や木の実、木の葉などが散らばっており、人の手の及ばない林に彩りを添えている。秋だったら目を奪うような紅葉で映えることだろう。

 足元に転がった無数のドングリの実を目にすると、幼いころの思い出がよみがえる。十数年も前に亡くなった先代の巫女様は、命の大切さをドングリの実で教えてくれた。あのときの光景は今でも覚えている。

 この林に来る移動手段として九尾の〈スキマ〉を使用し、一瞬で到着した。初めてこいつの〈スキマ〉をくぐったが、複雑な気分を抱いたのは普段から反目し合っているからなのだろう。

 湖畔に沿って広がる名もなき平原は、廃洋館から徒歩で二十分ほどの距離に位置する。日中は濃霧でおおわれる湖周辺において、その影響をあまり受けないとして広く知られる場所だ。

 見渡す限り広がる草地は月明かりのお陰もあって濃緑に染まり、大小複数の岩が点在していた。平原の中央には一際大きな岩がある。高さは、外の世界の単位で言えば約二メートル。縦幅およそ五メートル。横幅が三メートルほどはあるだろう。

 意識しなくても目を引く圧倒的な存在感は、まるでこの場所のヘソを思わせる。あの岩に座って飲む月見酒は格別な味なので、今夜の満月を(さかな)にして洒落(しゃれ)込んでみたい。

 ――こんな状況じゃなければ。

 今の平原は、寝返った在来妖怪が中央の大岩を中心に動き回っている。数は二百ぐらいだが、在来妖怪ばかりで吸血鬼どころか西洋妖怪すら見当たらない。

 〈魔女の目〉を使おうにも、この技能は特定の範囲を視認するものだし、最大有効範囲はわたしを中心とした半径十メートル。ここからでは遠すぎる。

 わたしとの距離は――五十メートルといったところか。廃洋館から見た限りでは集合しているくらいしかわからなかったが、ここから眺めたら今現在まで隊列訓練を受けているようだ。兵員の現地調達にしては酷な気がする。おそらく支配する者とされる者を明確にするためだろう。

 見た限りの情報を元に〈深読み〉すると……。

 極少数の外来妖怪が、言葉の通じない在来妖怪に無理やり統率力と上下関係を押し付け、それを優先したせいで人里襲撃が遅延している――と、思われる。暴力という名の共通語しか通じないなら、そりゃあ当然だ。

 それにしても、こんな戦略を立てたスカーレット伯爵とやらは、かなりの傲慢者(ごうまんしゃ)じゃないのか? 自らを絶対的な強者と(おご)りたかぶっているとしか思えん。しかも満月によってパワーアップしているから厄介なことこの上ない。わたしの研究を邪魔しやがるし、まったく迷惑極まりないやつだな、吸血鬼ってのは。

 心中でぼやきながら胸ポケットにしまっていた懐中時計を取り出す。時刻を確認すると九時ジャストだった。

 ここに到着して以来、お互い舌をなくしたように黙り込んでいたが、九尾が口火をきる。

「おい」

 いつもなら嫌な声に聞こえるが、今に限ってそのような感じはない。こいつの心境の変化に違和感がつのりつつも左へ視線を向ける。九尾は眉根(まゆね)の詰めた厳しい顔を作っていた。

 こんな時ぐらい両袖を離せないのか?

「時計をしまえ。月光の反射で居所がばれる」

 九尾が顎で上をしゃくる。その方向を目で追うと、枝葉から漏れる月明かりが差し込んでいた。夜中の“木漏れ日”を眺めていたいが、そんな余裕はない。

 もっともな意見なので無言で時計をしまう。

 顔を正面に戻した九尾は、遠く離れた敵勢力を凝視し、しばらくして目をつむる。この行為を藪の後ろへひそんで以来ずっと続けていることから、どうやら妖波を解析しているらしい。

 わたしが持つ参考書によると、妖波とは妖気を細分化した内の一種であり、妖怪個別の性質を表す波だと記されていた。人間は妖気を感じ取れる程度だが、妖怪はそれを個体別に判断できるときく。

 九尾は高い〈計算〉能力でそれらを数字に変換し、対象の能力や弱点などを解析できるそうだ。

 九尾にならって正面を向くと、わたしは複雑な想いに駆られた。猛烈に嫌っているはずなのに、なんとなく気持ちがわかるという疑問。博麗に指摘されるまで、それは「嫌い合う者同士の共通認識」としか思っていなかった。しかし、何故なんとなくわかるようになったんだろう? 思いあたる節はない。

 しいてあげるなら、博麗と同様に「最悪な印象を受けた出会い」をしたからかもしれない。

 この十年以上の間に、博麗とは紆余曲折(うよきょくせつ)を経て友人と呼べる間柄になった。だが、こいつだけはあいつのようにはいかず、いまだに相成れない関係のままだ。人間に対する偏見さえなければ、わたしも変に意識することはなかっただろうし、お互い歩み寄れたかもしれないのにな……。

 あいつの口ぶりでは、「今からでも遅くはない」と聞こえたが本当にそうだろうか? 博麗と九尾に共通する何かがあるはずだ。それを見つけられれば、こいつへのわだかまりがなくなって受け入れられる――と思う。

 隣の九尾に複雑な想いを馳せていると、心地よいそよ風がわたしの前髪をなびかせた。ほどよい風は雑木や藪の枝葉を鳴らし、さながら草木の息吹を感じさせる。それと連動し、頭上から不規則に月の輝きが降りそそぐ。

 妖怪どもの行動を探るなか、幼かったころによくやった遊びの記憶がよみがえる。

「……まるで隠れん坊してるみたいだな」

 懐かしい光景が浮かび、われ知らずとそんな想いを口にさせた。

 わたしのつぶやきを耳にし、九尾が不快げな顔を向ける。

「暇を持てあましているようだな。これは遊びではない。しっかり役目を果たせ」

 小声の割には威圧感を込めて凄んでいる。わたしの何気ない一言を、こいつは皮肉と捉えたらしい。かすかな声で叱責を済ませた九尾は、険しい顔を正面に戻す。

 皮肉ばかり口にするから仕方がないが、遊んでいるとは心外だ。敵勢を探る九尾に対し、ひそませた声でわたしは抗議する。

「ちゃんと働いてるさ。そっちこそ、ただ睨んでないできちんと仕事したらどうだ?」

 声を細めつつ反論すると、こいつは顔も向けずに口を開く。

「ならばその成果を聞かせてもらおうか。根拠に基づくものなら、わたしの情報を提供してやってもいい」

 九尾の言葉に復唱を求めそうになったが、辛うじてその衝動を抑える。通訳の申し出に次いで、情報交換を提案してきたからだ。横顔にもなにかしらの魂胆が感じられない。

 今夜に限ってどうしたんだ、こいつは!? わたしが博麗に説得されていたあいだ、別の者になったとしか思えない。

 八雲紫に何を吹き込まれたか知らないが、自分で自分を決める努力が感じられる。……話し方は相変わらずだが。しかし、ここで口論する暇はないし、こいつの情報も気になる。まあ、事前に段取りを決めたわけでもないし、情報が得られれば(もう)け物だ。

 そんな感じで割り切ったわたしは九尾に密着するように身を寄せると、〈深読み〉の結果を話すことにした。

 

 〈深読み〉でまとめた情報を聞いた九尾は、厳しくしていた表情を緩ませたとたんに鼻で笑いやがった。

「この現状から深読みした結果がそれか? もはや妄想の域だな」

 嘲笑(ちょうしょう)する態度にむかっ腹が立ってきた。

 考えてみれば受動的なこいつが情報共有を持ちかけるわけがないじゃないか! 話すんじゃなかった……。

 後悔の念を心中で吐き出していると、九尾が言葉を重ねてきた。

「敵が動き出さない理由だが、可能性としてはあり得るだろう」

 言い終えた九尾の表情は、先ほどまでの嘲笑から澄ましたものに変化していた。普段通りの見下した態度かと思えば、わたしの意見を認めるような言い振りに戸惑ってしまう。

 ……やっぱり変だ。一時間ほど前までいがみ合っていたのに、こうも軟化するか!? もしかして、昼飯の油揚げが今頃あたった――ってのはないな、たぶん……。

 わたしが物珍しげな視線を送っていると、九尾は不快げな面立ちを向ける。

「なんだ、その目は? ……まあいい。今まで敵の妖波をしらみつぶしに解析していたが、二百二十八のなかで吸血鬼特有の妖波がふたつある。しかし、在来妖怪の妖波が邪魔だな。伝令が着く様子はまだない。それまでに吸血鬼の詳細を解析してみせる」

 顔を正面へ戻した九尾に、わたしは感心するやら呆れるやらでため息すら出なかった。約束通りに情報をくれたのはいいが、今までご丁寧(ていねい)にも一つひとつ妖波を解析していたという。それなのに吸血鬼の妖波解析はまだだときた。

 こいつは式神なんかじゃない。気の済むまで計算しなければ存在意義を見いだせない計算魔だ!

 ……そういった意味では、わたしの〈深読み〉と同じ性質なのかもしれない。そのような認識はできるが、浅からぬ因縁と思考の相違によるせいもあってか、そう簡単には歩み寄れない……。こいつも同じ事を考えているんだろうか?

 感心と呆れる気持ちは、いつしか「こいつの心境を知りたい」という好奇心に変化していた。その気持ちがわたしの目を九尾に向けさせたのだろう。

「……なんだ?」

 わたしの眼差しに気づいたのか、計算魔が見向きもしないで疑問符を口にする。その表情は月光に頼らずともわかるほど厳しいものだった。こいつに今の心境を話しても、また嘲笑されるのは目に見えている。結果が予想できるので話を現状に戻すことにした。

「二百二十六体もの妖怪を二体で束ねようとするからには、よほどの手練(てだ)れだな」

 付け加えると、その数の妖怪を屈服させたことに他ならない。それにどんな武器を装備しているか気になる。

 まったく、厄介な敵だな。

「だから迂闊(うかつ)に手を出すべきではない。生きて帰りたければ、おかしな真似はするな。いいな?」

 そう口にした九尾は厳しい表情をますます険しくさせ、わたしに釘を刺す。吸血鬼が持つ妖波の解析を邪魔されたくないようだ。

 まったく、それならそうと段取りぐらいつけろよな。

 そのように思案していると、拠点の方角から凄まじい妖気が名もなき平原を飲み込んだ。

 

 なんだ、この妖気は!?

 妖怪退治屋のわたしでさえ経験したことがない強力な妖気に恐怖を覚える。その凄まじい妖気には相応の殺意が込められていたからだ。

 強大な妖気は夜空に輝く満月と呼応するかのように、頭上から殺意をまき散らしてゆく。まるで殺気の大波に飲み込れたような感覚だ。またたく間に広がる勢いは、幻想郷に生きる者たちへの殺害予告のように思える。気づけば全身が総毛立ち、額から油汗がにじみ、小刻みに膝を震わせていた。

 わたしだって怖いと思うことぐらいあるさ。人間だもの。とにかく、この殺意込みの妖気を頭目である吸血鬼が発したのだとしたら、超大物級に違いない。

 文献によれば「吸血鬼は強力な再生能力を持つことから“不死の王(ノーライフキング)”と呼ばれる」と記されていた。

 だとしたら博麗はどうなる? 霊力をまとわせた神速の貫手(ぬきて)も不可視の打撃も再生されると無意味だ。あいつはいつだって約束を守ってきた。だが、この強烈な妖気を感じてしまっては、その信頼がぐらついてしまう。

 ……あいつを死なせるわけにはいかない! こうなったら逸早くここの妖怪どもを掃滅(そうめつ)し、拠点に乗り込むしかない!!

 そのように結論づけると即座に右手を突き出し、呪文の詠唱を始める。予想外の事態に行動を起こそうとするわたしへ、九尾が身をよじって猛然と抗議しだす。

「なんのつもりだ!? 敵に居所を教えるようなものだ!」

「緊急事態が発生したんだ! 大人しくしていられるか!」

 詠唱を中断して返答する間にも、これまで唱えた分の術式が組みあがりつつある。自身の右腕に魔法陣が淡く浮かぶのを確認し、すぐさま詠唱を再開した。

 こいつはこの妖気を感じていないのか!? こんなもん(・・・・・)を放つ妖怪は幻想郷にはいないはずだ!

「何を根拠に言っている!? 今すぐやめろ!」

 九尾が制止の声を上げるころには、強烈な妖気はウソのように消えていた。

 あの妖気はおそらく脅し目的と思われる。ということは、博麗と八雲紫が拠点に殴り込んだ証拠だ。目の前の妖怪どもを片付けないと間に合わない。右腕に幾重もの魔法陣が包み込むと、再び返答するため詠唱を中断する。

「拠点から吸血鬼の妖気が流れてきた! ここにいる妖怪どもを根絶させる! 博麗を助けるんだ!」

 詠唱を中断される苛立ちか、もしくは友の危機に対する焦燥(しょうそう)なのか、わたしは声を荒げた直後、詠唱を再開する。右手に集まる魔力が銀色の輝きを発し、藪にひそむわたしと九尾を照らし出していた。

 集束する魔力に熱さはないが、右手を圧迫する密度がある。右腕の魔法陣は既に形成を終え、各々が低い音を立てていた。それはまるで、腹をすかせた獣のうなり声に思える。

「紫様がたてられた作戦を無駄にする気か!?」

 こいつの怒声がわたしの集中力を()ぐ。それをどうにかこらえる。右手に集束する魔力のかたまりは夜空の満月のような大きさと化す。この時点で〈魔砲〉の術式は完成をむかえた。

 九尾の制止する声に苛立ちが頂点に達する。博麗には悪いが、殺気含みの妖気に平然とするこいつを心底信じる事などできようもない。わたしはあらん限りの声で九尾に怒鳴り返す。

「お前はあんなバカっ怖い妖気よりも賢者の意思の方がそんなに大切か!? んなもんに縛られてたまるか!」

 その直後、大岩に集まる敵勢力へ狙いを定める。何体かこちらに気づいたようだが、もう遅い。残るは引き金となる魔法名を口にするだけだ。

 魔力が集束する右手をかかげると同時、わたしは立ち上がる。

「重撃――〈バスター――」

 魔法名を口にするその直前、九尾が絶叫した。

あれ(・・)は紫様の妖気だっ!!」

 ――えっ?

 

 続く。



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第八話◆魔女と九尾の本質

 

あれ(・・)は紫様の妖気だっ!!」

 ――えっ?

 九尾の絶叫直後、わたしは幾重もの立体化した魔法陣に包まれた右腕を振り下ろすように前へ出す。肘を左手で支え、引き金となる魔法名を言い放つ。

「重撃魔砲〈バスター・カノン〉」

 考えなおす(いとま)がなかったわたしは魔法使いの(さが)か、それとも妖怪退治屋の(さが)なのか、〈魔砲〉を行使してしまった。

 白銀に輝く奔流(ほんりゅう)が昼夜を逆転させ、大気を揺るがす轟音が名もなき平原に響き渡る。右腕を軸に、わたしの背丈をゆうに越える光の渦が塵芥(ちりあくた)へと変える勢いで、正面の敵を飲み込んでゆく。

 〈魔砲〉が収束したころには、名もなき平原は本来の夜に戻っていた。

「さっき……なんて言った……?」

 〈魔砲〉を放った姿勢のまま、わたしはうめくように声を絞り出す。九尾の言ったことが確かなら、とんでもない過ちをしでかした事になる。

 冷や汗が頬を伝う。大混乱におちいる妖怪どもを尻目にし、強張った顔を恐る恐る左へと向ける。そこには、もはや身を隠す意味がないと悟った九尾が立っていた。鬼の形相を作っていることから、わたしが愚行を犯した事は間違いない。

「……『あれは紫様の妖気だ』と言ったのだが、もう遅い」

 怒気がにじむ九尾の言葉を耳にした瞬間、両腕の力が抜け、重力任せにだらりと下ろす。

 あの殺気まじりの妖気が八雲紫のモノだと……? あんな妖気を持つ妖怪は吸血鬼以外にいないと思ったのは間違いだったのか? 博麗が口にした「賢者の逆上」はこのことだったんだ! じゃあ、八雲紫がその気になっていれば、わたしなんかいつでも殺せたのか!?

 本気になった賢者の妖気だったと知らされ、再び膝が震えだし、立っていられないほどの恐怖に呑まれる。

 胸元であわせた両袖を小刻みに震わせ、九尾が鋭い眼光を放つ。その瞳は、灼熱化された鉄を思わせるほどに揺らめき、怒りの度合いがうかがい知れる。

「この大馬鹿者が……。おかしな真似はするなと言ったはずだ。どう始末をつけるか説明しろ!」

 憤怒に駆られながら詰め寄る九尾の剣幕におされ、思わずたじろぐ。そのとき、わたしの頭の中に疑問が浮かんだ。

 賢者の妖気だとなぜ先に教えなかったんだ? あの強烈極まりない妖気が発生した時点で八雲紫だと言ってくれれば、こんな真似はしなかったのに……!

 責任転嫁ともいえる怒りが込みあがり、矛先を九尾に向ける。

「始めからわかってたんなら先に言え! あれが八雲紫のモノだと知ってたら先走らなかったさ!」

 両脇をしめ、肘から下を広げて怒鳴った。

 はたから見れば自己中心的に思われても否定できない。その自分勝手な感情だけが、自責の念に押し潰されそうなわたしの精神を支えているからだ。そんな態度を見かねたのか、九尾はつかみかかる勢いで顔前に迫る。

「お前が『あの妖気は賢者』だと認識すると思ったまでだ! わたしの目が節穴だったのは認めるが、それを差し引いてもお前が重大な愚行を犯した事に変わりはない!」

 頭上の枝葉からこぼれる月光がこいつの表情を浮き彫りにさせた。詰める眉根(まゆね)は深い(しわ)を作り、血走った目でわたしを睨みつける。頬を上気させて激昂(げきこう)する姿は見慣れているはずだった。

 頭脳に(もや)がかかるような気分を抱くわたしに、九尾が「見ろ!」と正面を顎でしゃくった。促されるまま中央の大岩に視線を向ける。統率のとれない襲撃勢が慌てふためいているが、隊列を整え、守りを固めようとしていた。次の攻撃を警戒し、こちらの出方をうかがうらしい。

 やにわに九尾の責め言葉が耳に入る。

「お前の重撃魔砲で二百二十八体のうち、四十六体が減った。その数を減したのであって殺したわけではない。この意味がわかるか? いかにわたしであろうと二百体以上ではトレースしきれん。お前の私情のせいで何もかも台無しだ!」

 こいつの言うことはもっともだ。どさくさにまぎれて逃げた者はまだいい。統率者の指示で拠点へ伝令に出た者や、同じく少数で人里を襲う者もいるかもしれない。

 こんなはずじゃなかった。

「こうなった以上、もはや挟撃は望めないだろう。伯爵に我々の作戦が露見した場合、紫様らに対して全力をもって排除しようとするはずだ。紫様ならば切り抜けられるが、博麗の巫女はその限りではない。巫女が殺されても文句を言う権利はないと知れ!!」

 九尾の怒声を耳にした瞬間、わたしは事の重大さを理解した。立て続けに責めているが、耳に入る状態じゃないほど後悔の嵐が吹きすさんでいる。

 わたしのせいであいつが死ぬ……? わたしは博麗を助けたい一心で頭がいっぱいになって……。

 九尾の言ったことを信じなかったばっかりに、あいつを死なせてしまうかもしれない。いや、最悪の場合、吸血鬼化されて頭目の眷属(けんぞく)にされてしまうかもしれない。

 八雲紫は? 九尾は? みんなは? わたしのせいでみんな殺される? 幻想郷が壊れる?

 〈深読み〉が地獄の未来を描き続けて頭から離れない。思考が無間(むけん)に落ちゆくわたしは、周りの状況を把握できなくなっていた。そのように自分を追い込んでいたのだ。

 息苦しさのあまり過剰なまで呼吸が荒くなり、同時に意識も薄れてゆく。冷や汗がにじむ身体は先走ってしまったことと、博麗と九尾を信じることができなかった後悔と、自分に対する怒りにわなわなと震え、どうすることもできない。もはや制御不能な〈深読み〉とおさまり様もない過呼吸に耐えらなくなり、わたしの頭の中は真っ白になりかける。

 その寸前、左頬に強い衝撃を受け、わたしは我に返った。気付けば正面を向いていたはずの顔が右向きになっており、左頬には腫れるような痛みが広がっている。飲み込めぬ状況のまま顔を正面に戻すと、右手を払った九尾の姿があった。

「戻れたか?」

 そう口にする表情は、普段の見下すものではなかった。焦燥していたのか額に汗が浮かび、頬を上気させている。そして何よりも瞳に高慢さがない。両袖を胸元へ合わせて元の姿勢に戻るも、肩で大きく息を切っている。

 それを見たわたしは、ようやく九尾に引っ叩かれたのだと悟った。こいつのお陰で正気に戻れたが、思考はまだ冷静さを戻せないでいる。ぶたれた頬をさすり、返す言葉を探すがなかなか見つからない。無言で口を開閉させることしかできないわたしは、まるで陸の上の魚みたいだ。

「舌をなくしたか? いつもの皮肉はどうした?」

 冷めた口調とは裏腹に、九尾の瞳はよどみなく澄んでいる。初めて見るその眼差しに、わたしは押し黙るしかなかった。なぜなら、博麗と同様の純粋な瞳をしていたのだから。

 こいつは主である八雲紫に疑うことなく従っているが、逆に考えれば「疑問を抱く必要がないほど信じている」といえる。

 ……同じじゃないか。わたしを信じてくれる博麗とまったく一緒じゃないか! こいつとあいつの共通点は、良くも悪くも純粋さだったんだ!!

 心中で驚愕していると、九尾の顔がみるみると険しくなる。その表情は、裏切られた怒りを表しているように見えた。

「そんなふ抜けた顔をわたしに見せるな! 神経を逆なでる無愛想な顔を見せてみろ! 反骨心あふれる根性はどうした!? 悪態をつく口まで失ったか!? わたしの知っている、自分の本質を貫き通す“魔女”はどこへ行った!?」

 憤怒の形相で詰め寄る九尾に、わたしは思わず後ずさる。今までとはまったく違う感情をぶつけるこいつの気迫に圧されたからだ。真剣な眼差しで口にする叱責は鼓舞(こぶ)を促すとしか思えなかった。

「わたしの本質……?」

 放心して以来、初めて口にした言葉は九尾とわたし自身への問いかけだった。九尾の澄んだ瞳には、信じなければいけないことを信じ抜けず、すっかり自信を失ったわたしが映っている。わたしのつぶやきに九尾が声を荒げた。

「お前は今まで何を信じて戦ってきた!? あの巫女のように、悪行者から弱者を守る正義ではなかったのか!? 悪必滅の三文字こそ、お前が持つ本質ではないか!!」

 両袖を合わせ、顔前に迫る九尾の言葉を聞いたわたしは、再び声を失う。それまで見失っていた本質を、嫌っている式神から指摘されたからだ。九尾の澄んだ瞳を直視できず、うつむいて逸らすしかなかった。

 かつて心に刻んだ悪必滅という三文字が頭の中を駆けめぐる。わたしが魔法使いを目指すきっかけの言葉であり、妖怪退治屋としての信念だ。

 悪事を働く妖怪は、人間や立場の弱い妖怪に害をなしてきた。それが命を奪う行為だと、殺された者はさぞかし無念だったろう。そして残された者の悲哀と憎悪による苦痛は、無間の底のように計り知れない。その気持ちは痛いほどわかる。

 悲しみや憎しみの連鎖を断つためには、理不尽な悪行を必ず滅ぼすしかない。それが弱者を守る正義であることを、わたしは忘れていた。

 博麗のことを優先しすぎて自失し、それを九尾に指摘されるとは……。なんとも皮肉な話だ。……こいつは今までわたしをこんな風に思っていたのか?

 あまりにも衝撃的な言葉に困惑していると、九尾の大きなため息が耳に入る。

「もういい。お前は帰れ」

 顔を上げると、敵勢へと(きびす)を返す九尾の姿があった。

「……帰れ?」

 聞き返す声に歩みを止めると、九尾は肩越しに振り向く。失望とも諦観とも取れるその表情は、こいつの心情そのものなのだろう。

「今までお前を〈風呂のフタ〉と揶揄(やゆ)していたが、本物の〈風呂のフタ〉に成り下がったお前は足手まといでしかない。ここからはわたしの独断で対処する」

 わたしから視線を外して正面に向きなおり、九つの尻尾を揺らしながら歩んでゆく。その後姿と、脳裏に浮かんだ博麗の背中が重なりわたしは確信した。彼女らの本質が同一なのだと。それと同時に九尾がわたしに対するもう一方の見方もわかった。

 わたしが〈風呂のフタ〉だと……? つまり「必要なんだか不要なんだかよくわからんモノ」らしい。

 そう考えた瞬間、頭に血が上る。

 あいつ、わたしの本質を認める一方で、粗大ゴミみたいに思っていたのか!?

 ……あいつの懲らしめ方なら知っている。幻想郷から好物の油揚げをなくせばいいだけだ。それを実行するには、まず九尾が生きていないと成り立たない。こうなったら無理にでも手助けし、いつかきっと幻想郷中の油揚げを買い占めてやる!!

 ここに至って、わたしは通常の思考に戻っていると気づく。

 九尾のやつがそれを見越して発破をかけたとしたら? なるほど、長年に渡って賢者へ仕えてきたあいつらしいやり方だ。八雲の姓は伊達じゃない、って訳か……。

 考え抜いて納得すると帽子を目深に被りなおし、それに魔力を注ぐ。これでこの帽子はちょっとやそっとで外れることはない。なんせ魔法使いのトレードマークだからな。

 それに続いて両の頬を何度もたたき、気持ちを切り替える。

 博麗と九尾を信じ切れなかったことへの贖罪(しょくざい)。 尻拭いは自分でする。

 わたしの目標はふたつに定まった。そのためなら人間を見下す九尾と組んでも構わない。

 あらためて嫌いなやつと組む覚悟を決めると、足早に歩を進めた。足を踏み込むたび濃緑にそまる草地から擦った音がなる。九尾との距離が縮むにつれて音の拍子は早くなってゆく。それは、置いて行かれまいとする焦燥の表れかもしれない。

 ほどなくして九尾に追いつくと、ジロリとした目線を向けられた。その目線を一瞥(いちべつ)し、わたしは自他共に認める無愛想な顔で口を開く。

「お前が残りを全滅できるとは思えん。だから手を貸してやる。お互い半分の割り当てなら、なんとかなるかもしれないからな」

 憎まれ口を叩きつつ、正面の大岩に集まる群勢を見やる。まだ混乱しているが、防御隊列から攻撃隊列に組み直しているらしい。

 逆に考えると、わたしの重撃魔砲によって敵を引き付けたことになる。まあ、結果論だが……。

 敵勢の動向を読んでいると、同じ方向に視線を投げる九尾が小さく吐息した。

「意地を張るな。お前に残り百八十二体中、九十一体もの妖怪を倒せるとは思えん。賭けてもいい」

 聞き捨てならないセリフを聞き、わたしの頭脳に不快な音が鳴った。

 満月の光を浴びた妖怪相手に、人間では太刀打ちできないことなど誰でも知っている。妖怪退治屋のわたしがそれをわかってないとでも思っているのか、この九尾は!?

 喧嘩(けんか)を売っているとしか思えない態度に、(はらわた)煮立つ思いのわたしはそれを買ってやると決めた。

「言ってくれるな。わたしが勝ったらなんでも言う事をきくか?」

 賭けの交渉をしている内に、いつしかお互い歩みを止める。

 敵との距離はおよそ四十メートル。敵勢の中から、やたらと肩幅がある背の高い男と、身の丈こえる巨大な十字架を片手で担ぐ女が前に出た。天高くのぼる満月の明かりのお陰か、こちらに十字架で差し示す女の姿がよく見える。どうやらあいつが統率者らしい。

 やつらがわたしの研究を邪魔した伯爵の部下か?

 二体の西洋妖怪に敵意の眼光を飛ばしていると、九尾の声が耳に入る。

「先ほどの四十六体を含めた百十四体。それを倒せたらお前の勝ちと認めよう。負ければ逆の立場になり、また恥をかくだけだ」

 左を見ると、九尾が嘲笑(ちょうしょう)を浮かべ、合意の意思を表していた。

 賭けが始まる前に勝ち誇った顔を見せるからには、よっぽど自信があるか、わたしを舐めきっているかのどちらかだろう。……いや、妖尊人卑を地で行くこいつのことだ。両方に違いない。

 定めた目標が一つ増えた。

「賭けは成立だな。さて九尾、何か策があるんだろ? 極力従ってやるから教えてくれ」

 前面の敵勢力を片付ける方法についてたずねると、「ないな」と即答してきた。

 賢者の従者が「策はない」ってどういう冗談だ!?

 思わず「ああ?」と聞き返すわたしに、こいつは苦々しげな面立ちを向ける。

「どこかの魔法使いが先走ったせいで何もかも台無しになってしまった。代替え案があるなら是非ともお聞きしたいものだ」

 ……それを言われると言葉に詰まる。

 極めて傲慢(ごうまん)であろう伯爵が攻め込んできたせいで、研究を邪魔されるわ、九尾と組まされるわ、先走って大ポカやらかすわで、今夜のわたしは最悪な気分だ。人生の不運が一斉にやってきたとしか思えない。

 その元凶である伯爵一味を放っておくと、幻想郷は地獄と化すことは明白。それなら悪必滅らしいことをしよう。

 わたしは九尾に単純明快な代替え案を推奨する。

「ここにいる敵を掃除し、幻想郷に住む者達を守る。四の五の考えるよりもこの方が手っ取り早いだろ?」

「いかにもお前らしい具体性に欠ける策だな」

 わざとらしく大きく肩をすくませる仕草は、無策っぷりに呆れ果てた証なのだろう。わたしは賢者じゃないし軍師でもないので、期待するだけ野暮ってもんだ。

 それにしても「具体性に欠ける」と、よく言えるな。自分がわたしの書斎で話したことは棚上げか?

 両肘を抱え、正面を見据えたわたしは、今の気持ちを口数少なく答える。

「お前に言われたくないな」

 顔をしかめる九尾の様子が視界の隅に入る。きっと自覚があるんだろう。それでもこいつと組まなきゃ話は始まらない。

 わたしと九尾の双肩には、幻想郷に住む者達の命と未来がかかっている。手段を選ぶ必要はない。今でもこいつのことは嫌いだが、能力だけは認めている。今は個別の能力である〈深読み〉と〈計算〉が頼りだ。

 先走って重撃魔砲による宣戦布告をした以上、もう後には退けない。幸いにも敵はまだ混乱を(しず)められていないようだ。この機を逃す手はない。

「おい。攻撃魔法を行使するが、いいか?」

 こいつに追加攻撃の確認を行うのは、私情を捨てて段取りつけるべきだと思い知ったからだ。わたしの確認に九尾が同意を示すようにうなずく。

「わたしは吸血鬼の妖波を解析する。そのあいだ、お前は時間を稼げ」

 偉そうに言っているが、こいつも同じ(てつ)を踏まないと決めたようだ。

 解析に専念するため双眸(そうぼう)を閉じる九尾の姿に、わたしは心中で「すまないな」とつぶやく。

 こいつは今、わたしを信じて全身全霊で解析にあたっている。博麗の言う通り、今夜だけでも信じよう。

 夜空に浮かぶ真円を描く煌々(こうこう)とした満月は、わたしの心の迷いを晴らしてゆく。

 心の内を悟らせないよう感情が表れない仮面で隠し、敵の行動予測の思考と現状を把握する思考とに分ける。たかぶる気持ちを内に秘め、臨戦態勢は整った。

 さあ、ゴミ掃除をしようじゃないか!!

 

 続く。




・重撃魔砲〈バスター・カノン〉の元ネタ:恋符「マスタースパーク」


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第九話◆女吸血鬼は不敵に笑う【前編】

 

「降雷魔法〈ボルト・フォース〉」

 感情が表れない仮面を作ったわたしは、軽くかかげた右手で指を鳴らす。十時の方向、距離五メートルほど離れた妖怪どもの上に魔法陣が浮かぶ。またたく間に数本の稲妻が落ちた。

 一瞬だけ夜を侵略する明滅と轟音。落雷で複数の妖怪が短い悲鳴を上げ、焼けただれた身体を濃緑の草地へ沈ませた。

 戦闘開始から最低でも二十分くらいは経つ。満月下の妖怪は妖力が増幅するだけあって中々しぶとい。

 ……これで十体目。吸血鬼の妖波解析はまだか!? これまでに高威力の魔法を行使してきたが、十体倒した程度とは……。魔法使いのプライドが折れそうになるのは気のせいだろうか?

 数で勝る敵勢力に囲まれた状況のなか、わたし達は(おく)することなくそれぞれの役割を果たそうとしていた。わたしの役目は、八時方向のかたわらにいる九尾を防衛すること。こいつは今、双眸(そうぼう)閉ざして全力で吸血鬼の妖波を解析している。なので無防備な状態だ。

 文献などである程度の知識はある。だが外の世界から来た吸血鬼は未知の妖怪なので、できるだけ詳しい情報が欲しい。今はこいつの解析が頼りだ。

 それにしても、わたしが九尾を守るとはな。……まあアレだ。奇妙な星の巡り合わせってやつだ。

 半ば強引に決め付け、目視と合わせて〈魔女の目〉で周囲の妖怪どもを()る。全方位を囲む敵勢は直近で四メートルほどにじり寄ってきていた。

 わたしを中心とした半径七メートルの範囲は、脳裏に浮かび上がるヴィジョンで三百六十度わかる。その気になれば最大有効範囲十メートルに達するこの技能は、全天周を見渡すことなく“視れる”のだ。〈魔女の目〉に魔力は必要ない。

 しかし地中は対象外。それと有効範囲以遠は(もや)がかかったように視れないなど欠点がある。しかも長時間発動し続けるとヴィジョンが脳裏に焼きついてしまう。

 わたしの場合、時折解除したり範囲を七メートル以内にしないと連続発動の限界は三時間。なので、制限をかけないと二~三週間ほど日常生活に支障が出てしまう。

 その技能で視る妖怪どもは人間を模す者や、野獣を模す者など様々な姿で殺気だっている。中には刀剣類や鈍器物などで武装する者もいた。みな一様にうなり声を上げている。

 それにしても、よくこれだけの数が集まったもんだな。……大半は西洋妖怪の暴力に屈して寝返らざるを得なかった妖怪だろう。誤った道を選んだのなら、せめて悪として殉じさせてやるのが、わたしなりの情けだ。

 そのような想いを馳せていると、右手に集まった魔力が赤い光りを放つ。

 九尾は両袖を合わせた姿勢そのままに、うつむき加減で目を閉ざしている。どうやらまだ解析中らしい。

 ……こいつ、吸血鬼の妖波解析にいつまでかかっているんだ? これだけ時間がかかるんなら、せめて解析に要する時間を聞いておくべきだったな。それに初っ端(しょっぱな)から重撃魔砲をぶっ放してしまったから、そろそろ魔力全快秘薬を飲まないとまずい。今の魔力残量は、魔法三発分ってところか。

 秘薬に即効性はなく、服用して効果があるまで五分ほどかかる。この状況じゃあ大っぴらに飲めやしない。

 それなら飲む時間を作るまでだ。こいつらの行動は読めているし、それを誘発させる手段は心得ている。

 わたしは右手を夜空にかかげた。魔力のかたまりが赤く光る。妖怪どもが火を恐れる獣のように(さわ)す。

「人間風情のわたしにやられて、お前らそれでも妖怪か? だからよそ者の手駒にされるんだ。幻想郷の面汚しどもが……。恥を知れ!」

 冷淡に決め付けるわたしの言葉は、警戒心を殺意に変える効果が十分あった。妖怪どもの殺気が一斉に増す。やにわに一体の妖怪が叫んだ。

「じゃあ死ねっ!」

 それを皮切りに全方向から勢いよく襲い掛かる。

 思った通りだ。二体の吸血鬼に屈した阿呆どもが死ぬ道を選択した。それもいいだろう。

 妖怪どもに心中で念仏を唱える。かざした手を草地に向けて払う。

焔壁(えんへき)魔法〈フレムォル・フォース〉」

 魔法名を口にした直後、わたしから三メートル隔てたまわりに炎が噴き上がる。およそ八メートルはある紅蓮(ぐれん)の壁がうねりくるう。襲い来る妖怪どもはそれに飲み込まれてゆく。

 焔壁魔法を行使した理由は二つあった。突撃かます妖怪の迎撃はもちろん、包囲する敵勢の牽制目的でもある。

 よし! この隙に秘薬を――。

 そのとき、脳裏のヴィジョンに予想外な光景をとらえた。正面七メートルほど先から巨大な十字架が飛んでくる。“あの女”が投げたのだろう。バカっ早く迫るそれは炎の壁を突き破り、どう見ても回避不能。

 だが、わたしには〈紺碧衝壁(こんぺきしょうへき)〉がある。いかなる物理攻撃だろうと衝撃波によって――。

 やばい! 九尾を忘れてた!!

 衝撃波の巻き添えになると判断し、後ろの九尾へ顔を向けずに叫ぶ。

「九尾!! あぶ――」

 口を開くと同時に巨大な十字架がわたしの腹部へあたる。その刹那(せつな)、首にさげた〈紺碧衝壁〉が反応し、(あお)い輝きを放つ。わたしを中心として碧い衝撃波がドーム状に広がり、周囲のものを払い散らす。

 両袖を合わせた姿勢の九尾。月光を照り返す巨大な十字架。天を焦がす勢いの炎の壁。紅蓮の炎に焼かれる妖怪ども。警戒の網をせばめていた敵勢。

 〈紺碧衝壁〉の輝きがおさまったころ、わたしの半径五メートル以内のものはすべて吹き飛ばされていた。さながら竜巻が去ったあとのような有様だ。

 魔法具の秘石が光っていないので、次の発動に二分ほど時間を要してしまう。その間は何とかしのぐしかない。

 

 目視で十メートルほど先の正面にいる男女を睨みつつ、約七メートル先の九尾を視る。賢者の従者は、厳しい表情で両袖を合わせたまま立ち上がろうとしていた。

「すまん! 大丈夫か!?」

 こいつに謝罪をしたのは、これが初めてかもしれない。九尾の心境の変化にあてられたからだろうか?

 九つの尻尾で立ち上がった九尾の顔が変化している。わたしの態度に困惑しているようだ。

 熟考する間もなく正面の男女が動く。二体の吸血鬼は黒い霧のようなものになり姿を消す。妖怪どもが再び包囲をせばめる。

 その直後、隊列の隙間をかいくぐる大量の蝙蝠(こうもり)が視えた。俊敏に飛行する蝙蝠たちは鋭い牙を剥きだしてわたしに襲い掛かる。〈紺碧衝壁〉の秘石は光っていないので、残り少ない魔法を使うしかない。

「旋風魔法〈ストリーム・フォース〉」

 とっさの判断で右手を振り上げる。風の壁が蝙蝠たちを飲み込む。それを見上げた直後、九尾が数珠(じゅず)状の発光物を投げた。

 一直線に連なった発光球。敵群勢の隙間へ入り込むや一斉に一メートルほどふくらむ。

「発」

 九尾が片手で印を切る。球体群から左右個別に太い光線が発射された。

 九尾妖術〈妖怪レーザー〉だ!

 光線単体は高火力。それをスノコ状で放たれるのだから、食らった者はたまったもんじゃない。

 ――わたしは今まさにそんな気分だ。

 重なり合うほどの間隔がせまい赤い光線。それは妖怪ばかりかわたしまではさみ込んでいた。レーザーが胸元をかすめ、魔導服からわずかに煙を上げる。わたしは「少しでも動けば命はない」と悟った。右手をかかげた姿勢のまま硬直する。包囲する妖怪どもは真横からの赤い光柱になす術もなく貫かれ、肉塊と化してゆく。

 たち込める焦げ臭さととどろく絶叫を前にして、九尾が吐息しながら両袖を合わせた。

「他愛ない。『幻想郷の妖怪も惰弱(だじゃく)になったものだ』と、紫様ならお嘆きになるだろう」

 賢者の嘆きを代弁するようにつぶやく九尾の表情には険しさはない。むしろこいつ自身が心の底から嘆いているように感じられた。そんな九尾に対しそれまで肝を冷やしていたわたしは、後ろへ向き直るや無表情という名の仮面を崩す。

「わたしまで殺す気か!?」

 冗談抜きで死ぬとこだった! 一歩間違えばわたしまで草地に沈む妖怪の仲間入りだ! なに考えてんだ、こいつは!?

 憤りを隠せないわたしに対し、九尾は眉間に(しわ)を寄せる。

「お前の位置や動きも計算の上だ! それから二度とわたしを衝撃波に巻き込むな! 先ほどの魔法具の発動が二秒早かった場合、また解析し直すところだったぞ!」

 声を荒げ、九尾は正面に向かって歩みだす。

 それはさっき謝ったじゃないか! ――と言いたいところだが、押し問答になることは容易に想像できる。それにこの口ぶりだと解析は完了したようだ。ここはわたしが折れるしかない。

 わたしと九尾の攻撃で妖怪どもを打ち減らしたはいいが、それでもかなりの数が残っていた。〈紺碧衝壁〉の秘石が点滅しているのでいつでも発動できるが、秘薬を飲まないと魔法が使えなくなる。それに少し〈魔女の目〉を休ませなければ、今後の戦闘に支障を来たす。

 優先順位を明確にし、わたしは正面の敵勢へ身体を向けた。

「秘薬を飲む。時間を稼げ」

 左に二メートルほど離れた九尾へ告げると「不便なやつだ」と一瞥(いちべつ)で返してきた。それを同意と認識したとたん、四方の敵が動き出す。〈魔女の目〉で視たその光景は、突進する者と飛翔する者からよってたかって捕食されるように思える。だが、あいにく餌になった覚えもなければ喰われる気もない。

 大型の木槌を持った一つ目入道が迫る。博麗をゆうに越える身の丈の妖怪は、太くたくましい両腕で木槌を振りかざす。その一撃を食らえばわたしの身体はこっぱ微塵(みじん)に砕け散るだろう。

 ――当たればの話だが。

 残りの魔力で術式を組む。接近戦用の魔法、光刃魔法〈ブレイド・フォース〉。射程は一メートルもないが抜群の切れ味を誇る優れものだ。わたしは腕を切断しようと構える。

 迎撃しようしたそのとき、妖術の構えを取る九尾が視えた。「発」と掛け声を上げると、九尾の前後左右に赤光の鉤刃(かぎやいば)が現われる。既視感がわたしを襲う。

 飯綱(いづな)術式〈アルティメットブディスト〉じゃないか!!

 わたしは光刃魔法を強制解除する。魔法の暴発を防ぐためだ。魔力を解放し、即座に身をかがめる。迫り来る一つ目入道の脅威よりも、九尾の妖術のほうが命に関わることを知っていたからだ。

 鉤刃は瞬時にして三メートルほどに達した。それが反時計回りで高速に敵勢を刈りだす。刃がわたしの帽子の先をかすめた直後、一つ目入道は下半身と永遠の別れを遂げた。

 死の赤い鉤刃が敵勢を刈ること数十秒。九尾が袖を合わせると、おびただしい数の(しかばね)が名もなき平原に沈んでいた。

 

 九尾に二度も殺されかけたわたしは、憤然とした気持ちで立ち上がる。そのとき、ヴィジョンの全周にわたって蝙蝠の群れが視えた。〈深読み〉する間もあたえず目の前に集まり、人体を模して実体化する。一瞬にしてそれは“あの女”に変わり、わたしを戦慄(せんりつ)させた。

 その女はわたしとさほど変わらない背丈だが、首からさげる十字架と身にまとう藤色のメイド服が目線をうばう。均整のとれた身体を限界まで(ねじ)っていた。その顔は異様に自信ありげな笑みを浮かべ、おかっぱに似た金髪と冷たく光る碧眼が月明かりに映える。右手をロングスカートのポケットに突っ込み、左足を真横へ伸ばす。その構えは回し蹴りを放つ直前に他ならない。

 〈紺碧衝壁〉があるとはいえ、相手は外の世界の吸血鬼。それも肉弾戦を仕掛けてきたんだから、懐にもぐりこまれた魔法使いにとって命取りだ。このメイドが不確定要素のかたまりである以上、防御手段を重ねなければならない。

 わたしは足の軌道を読むと、すぐさま博麗直伝の防御の構えを取る。突きだした右腕を直角に曲げ、夜空を指差す。左手で右肘を押さえる独特な構えができた瞬間、わたしの右肘にメイドの蹴りが直撃した。

 構えた右腕に衝撃が走る。〈紺碧衝壁〉から碧い衝撃波が放たれた。それをものともしない強烈な蹴りは、激痛とともにわたしを九尾がいる方向へ小石のように吹き飛ばす。

 こちらを振り向く九尾の姿が視える。迫り来るわたしに驚愕する形相は、「こっちに来るな」との抗議かもしれない。願い叶わず、程なくわたしの身体は九尾と衝突。折り重なるように転倒した。

 メイドから四メートルほど蹴り飛ばされたわたしは、九尾を押し倒す形で覆いかぶさってしまった。柔らかい身体の感触が伝う。黄金(こがね)色の短髪が耳に触れたとたん、得も知れぬ衝撃が全身に走る。

 思わず顔を突っ伏すと、うずめる大地から草葉の擦る音が耳中に響く。鼻腔に土の香りと草葉のにおいが刺激する。ものの数秒でこれらを味わったわたしは、九尾と一緒に土へ還った気分になり目まいを起こした。

 こいつともども大地に還るなんて、それこそごめんだ!

 心中でぼやいていると、ここぞとばかりに妖怪どもが群がり、一斉に襲い掛かる。迎撃しようにも魔力がないし、〈紺碧衝壁〉はチャージ中につき使用不能。

 ……こいつとともに地獄へ落ちるとは、わたしもヤキが回ったか。

 そんな思いが頭によぎったそのとき、九尾は勢いよく両腕を広げた。左右の袖から大量の〈ヒトガタ〉が飛び出す。大の字を模し、和紙で出来ているであろう小さなそれは、襲い迫る妖怪どもの身体に次々と貼り付いてゆく。九尾が「発」と声を上げると白く輝き、一斉に爆ぜた。

 

 続く。




・紺碧衝壁の元ネタ:平成vsシリーズのゴジラの体内放射


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第十話◆女吸血鬼は不敵に笑う【後編】

 

 九尾の両袖から大量の〈ヒトガタ〉が飛び出す。大の字を模し、和紙で出来ているであろう小さなそれは、襲い迫る妖怪どもの身体に次々と貼り付いてゆく。

「発」

 かけ声とともに〈ヒトガタ〉は白く輝き、一斉に爆ぜた。

 夜の平原を照らす満月の下、〈ヒトガタ〉の炸裂音に続き妖怪どもの絶叫が響き、破裂した身体は次々と草地に四散した。周囲に広がる血の臭いはあまりにも濃く、このまま嗅覚が麻痺してもおかしくはない。そんな凄惨(せいさん)な光景を視たわたしは、九尾の術に全身が総毛立つのを感じた。

 何だ、今のは!? 明らかに“式”を使役した術だぞ! 九尾め、どこでこの術を身に付けた!?

 それは後でこいつに聞くとして、問題なのはメイドの攻撃力だ。博麗から教わった防御術と〈紺碧衝壁(こんぺきしょうへき)〉の二段構えの対策にもかかわらず、わたしをたやすく蹴り飛ばした。防御した右肘に鈍痛があることから、「力は鬼のごとく」はあながち間違いじゃないらしい。

 それにしてもあの蹴りを受けてよく助かったもんだな。帰ったら博麗に一杯おごるか。その前に、やるべき仕事を片付けなければならん……!

 わたしに回し蹴りみまったメイドを視ると、彼女の背後に肩幅がやたらと広い黒マントの男がいる。その男は一つ目入道ほどではないものの博麗に勝る背を有し、マント越しでもわかるほどたくましい体格だ。

 端整な顔を能面のようにしていることから、わたしと同じく考えを読ませないためだろう。メイドと同じ色の長髪を後ろへ回して結い、あらわとなった額の分、より一層に目鼻立ちを引き立てていた。

 ……あの男、いつの間に移動した? いや、それ以前にあのメイド、〈紺碧衝壁〉の衝撃波をどうやって耐えたんだ? 満月で妖力が増しているとはいえ、いくら吸血鬼であっても平気なはずがない。

 もしかして、十字架を投げられた際、〈紺碧衝壁〉の特性を見抜いたのか? だとしたら、あの二体はかなりの場数を踏んだ強者とみていいだろう。戦慣れした二体に、わたしと九尾の連携で勝てるんだろうか?

 〈深読み〉による推測を立てた直後、わたしの下で仰向けに倒れている九尾が険しい顔を作る。

「……いつまでわたしに覆いかぶさっている? 気持ち悪いからいい加減にはなれろ!」

 声を荒げる九尾から慌てて跳ね起きる。こいつを信じると決めたが、それは仕事上の話であって私情ではないし、そもそもそっち方面の趣味はない。

 両足で草地に立って〈魔女の目〉を解除し、わたしは九尾を睨む。

「お前こそ、お(たわむ)れも大概にしろ! わたしは『秘薬を飲む。時間を稼げ』と言ったんだ! 囮を引き受けたつもりはない!」

「なら今のうちに飲め。吸血鬼が来る前にな」

 立ち上がった九尾が冷ややかな言葉を吐く。そんな九尾に眼光を飛ばしながら、腰のポーチへ右手を突っ込む。左に立つこいつの言う通り、秘薬を飲むのは今しかない。(しゃく)にさわるが……。

 指先にガラスの冷たい肌触りを感じると、それをつまむ。取り出した小指大ほどの細長い小瓶には、黒褐色の液体が満たされている。これは魔法の森にただよう瘴気(しょうき)の源たる“お化けきのこ”を原材料としており、一見したら不味そうだが、じっさい不味い。だが今夜のような長丁場の場合、ぜい沢は言ってられない。

 コルクのふたを親指で弾き抜き、天を仰ぐように一気に飲み込む。口内に墨汁と泥水とタニシの煮汁を混ぜたような味が広がり、わたしの顔をしかめさせる。本来ならある程度の魔力を温存した上で飲むんだが、気の利かない式神のお陰で今は魔力がない状態だ。

 ふと、首からさげた〈紺碧衝壁〉を見ると中央の秘石に輝きが戻り、青から緑へ変わっている。備蓄した魔力が三分の二になった証だ。

 とりあえずこれで身を守れるが物理攻撃限定。しかも隣に九尾がいるので、発動したらまた巻き込んでしまう。別にこいつの心配なんかしちゃいない。そのあとの辛辣(しんらつ)な文句が問題なのだ。

 空になった小瓶を後ろへ放ると、〈ヒトガタ〉を用いた妖術について「さっきのアレは何だ?」と九尾に問いかけた。わたしの記憶が確かなら、アレは陰陽師に通じる導術であり、妖怪が繰り出すモノじゃあない。

「わからないのなら特別に教えてやる。試作型の式神術〈狐狗狸散(こくりさん)〉だ」

「式神が式神術だあ!?」

 真面目な瞳を向ける九尾に、わたしは素っ頓狂な声を上げてしまった。澄まし顔でうなずくこいつにウソは感じられない。

 ……考えてみるとこいつは八雲紫が使役する式神なので、式神を使えてもおかしくない。少しややこしいが。

 色々と聞きたいが今は戦闘の真っ最中だ。この疑問は後日に聞くとしよう。……こいつに答える気があればだが。

 気持ちを切り替えるために深呼吸したわたしは、個人的質問から現実的な質問に変えた。

「妖波の解析結果は?」

 口数少なく問うと、式神は正面のメイドと大男を見据えながら答える。

「こんな状況だ。手短に伝える。あの吸血鬼らは――」

 九尾によると、二体とも吸血鬼特有の能力を使用でき、自身を霧や蝙蝠の群れに変化させるそうだ。

 ……そういう大事なことは早く言ってくれ!

 九尾は個別の能力も解析していた。メイドは〈大気を操る程度の能力〉を持ち、風や雷などの気象現象を意のままに出来るらしい。黒マントは〈武器を使いこなす程度の能力〉で、あらゆる武器に精通していると言う。

 それで肝心の弱点なんだが……。

「――“陽の光”を浴びせるか、“白木の杭”で心臓を貫く以外にない。他の解析結果は折を見て話す」

 端的に説明を終えたとたん、九尾は振りかえりもせず真後ろへ苦無形の妖力を投げつける。程なくして絶叫が上がり、草地に沈む音を立てた。襲い掛かろうとした妖怪が返り討ちにあったのだろう。

 こちらの反撃を恐れている今はいい。何もかも投げ捨て、死兵となれば話は別だ。

 わたしの経験上、捨て身になった敵ほど厄介なものはいない。それを防ぐには短期で全滅させるしかないが、九尾との連携不成立が難題だ。こいつを信じると決めたが、何一つかみ合わないのがもどかしい。こいつも同じ気持ちなのだろう。

 それにしても、吸血鬼の弱点に関する文献や伝聞も宛にならないな。てことは、せっかく用意してきた十字架もニンニクも効かないのか? ……メイドが十字架を担いでいた時点で薄々そんな気がしていたが。吸血“鬼”というからには、炒った豆やイワシの頭は……。効きそうにないな、たぶん。

 弱点を聞いたわたしは、ポーチに入れていた箸の十字架と拝借(・・)したニンニクを無造作に取り出し、後ろへ放り投げた。せっかく準備してきたが、役に立たなければゴミと同じだ。

「物を粗末にするな、と親から教わらなかったのか?」

「箸はドングリの木で作った物だし、ニンニクも知り合いの物だから気にしなくていい。そいつ、お前みたいにイヤなやつだしな」

 九尾に軽口を叩いたそのとき、身の丈こす十字架を片手で持ったメイドが跳躍する。放物線を描かず一直線にこちらへ向かってくるので飛翔能力はあるらしい。

 左手で振りかざす十字架の素材は不明だが、見た限りだと百キロ以上はありそうだ。それを軽々と扱うんだから、わたしが受けた蹴りの威力もうなずける。

 顔前までメイドが迫りくる直前、左に立つ九尾が前方へ巨大な防壁を作る。護符にも似たそれは、わたし達を守る大きさが十分あった。

 赤い防壁に阻まれた吸血鬼が急停止した直後、衝撃波がそれを揺らす。ふいに後ろから妖怪どもの悲鳴があがる。おそらく衝撃波のあおりを食らったに違いない。「速さは天狗のごとく」も文献に記されていた通りだが、なんで誤った弱点が載ったのかまるで訳わからん。

 それはともかく、なぜ九尾は防壁を張ったんだ? その気になればメイドを迎撃できたはず。まさか魔力が回復しきっていないわたしを守るためか?

 九尾の防壁を前にしたメイドが、草地へ立って感嘆な吐息を漏らした。

「……中々やりますわね」

 微笑みを浮かべながらのつぶやきは悪意的なものではなかった。むしろこちらの奮闘を称賛したように思える。逆に考えれば、自分たちの力に確固たる自信を持ち、「勝って当たり前」と(おご)っているとも言えるだろう。そんなメイドの態度に苛立ちを覚え、わたしは感情を隠しつつ答える。

「褒め言葉なら光栄だが、(けな)し文句なら最悪だな」

 わたしの返答に対しメイドは目を大きく開き、大仰(おおぎょう)に驚く仕草をする。

「わたくし達の言葉を話せるのですか? 流暢(りゅうちょう)にしゃべれるほどの教養はあるようですね」

 耳に入る言葉は日本語だが、唇の動きとまったく一致していないために妙な違和感がある。しかし、こっちの話も普通に伝わっているので、八雲紫の能力がうまく作用しているようだ。

 それにしてもこいつ、口調は丁寧だが言葉尻に人を見下す節がある。九尾も同じ気持ちなのか、目尻を吊り上げていた。少しは見下される者の気持ちがわかっただろう。

 警戒を高めるわたしと九尾に対し、メイドが巨大な十字架を左に立て置き、つつましく片膝を浅く折る。

「わたくしはカーマセイン・スカーレット伯爵に仕える給仕長兼ハウスキーパー、カストミラ・クロフォードと申します。後ろに控えますは弟のクロード・クロフォード。なにぶん無口ですので、わたくしが紹介させていただきました」

 カストミラと名乗るメイドは、四メートルほど後ろに立つ黒マントの男を弟と視線で示した。クロードという名の大男が無表情のまま冷たい眼光を飛ばす。その視線は明らかに殺意をあらわにし、一般の者が目を合わせようものなら恐怖のあまりショック死するかもしれない。

 そんな状況のなか、わたしの心は疑問の嵐が吹き荒れていた。

 ……何か変だ。戦闘中で悠長に名乗り上げないだろ、普通! それとも外の世界の風習なのか?

 ……いや、違うな。きっと何かしらの意図があるはずだ。博麗の言葉を借りれば、わたしの(かん)がそのようにささやいている。

 少し早いが〈魔女の目〉を発動し、メイドのカストミラとクロードとかいう大男を視る。不気味な笑みを見せるカストミラは、巨大な十字架を左手で支え、スカートのポケットに右手を突っ込んでいた。

 ……右手が気になるな。他の武器を隠すにしてはポケットが大きく膨らんでいない。何らかの意図があるのはたしかだ。

 四メートルほど離れているクロードは、無表情のままわたし達を睨んでいる。マント越しでも目立つ異様に広い肩から細い糸のような物が地面へ伸びており、ピンと張られた糸は合計十二本。まるで細長い針を草地に刺している感じだ。

 ……待てよ。あの糸が武器だとしたら?

 地面に刺すからには、何かを隠す行為に他ならない。射程内なら、それを使って不意打ちをかますはず。だとしたら、カストミラと名乗るこのメイドは囮だ!

 〈魔女の目〉は地中を視ることができないので、十中八九地中からくる! 対処しようにも魔力はまだ全快していないし、旋風魔法すら行使できない状態だ。わたしは〈紺碧衝壁〉でしのげるが、防壁を前面へ張る九尾には防御手段がない!

 こいつを救う方法はただ一つ。

 わたしはありったけの力を右の拳へ込め、勢いよく自分の胸に叩きつけた。

 

 続く。




・オリキャラ:カストミラ・クロフォード
・性格:淑女にして慇懃無礼


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第十一話◇絶対絶望【前編】

 

 あの魔女、一体なんのつもりだ!

 今宵(こよい)の戦闘で二度目の衝撃波を受けたわたしは、吹き飛ばされながら憤りを抱いていた。カストミラと名乗る吸血鬼に対して思考を巡らせているさなか、魔女がとつぜん魔法具を発動させたからだ。一度目は不可抗力だったと認めるが、今のは意図的なものとしか思えん。

 飛空妖術をもって急制動するも間に合わず、わたしは身体を丸める。頭をかばった直後、左半身に強い衝撃が伝わり、雑草生い茂る大地へ勢いよく転がった。

 およそ六メートルは吹き飛ばされただろうか? 仰向けとなったわたしの視界に、晴れわたった夜空ときらめく満月が入った。背中からはすりつぶされた草の匂いと、程よく湿った土の香りが鼻腔をくすぐる。

 大自然の抱擁(ほうよう)にひたる間さえも在来妖怪どもは与えなかった。好機とばかりに群がってくる八体ほどの敵は、一様にして焦燥と恐怖の形相を作っている。

 二体の吸血鬼から余ほどひどい仕打ちを受けたのだろうが、同情する余地はない。こいつらは賢者である紫様に弓引く裏切り者だからだ。伯爵に寝返った罪は万死にあたいする。

 そんな者どもに両袖を解き、苦無(くない)型の妖力をばらまく。風切音が鳴った直後、身体中を貫かれた八体の敵は絶叫しながら倒れる。満月の影響を受けずとも、下っ端どもの始末などたやすいものだ。

 目前まで迫った脅威を排除したわたしは、両袖を戻しつつ尻尾で立ち上がったが、魔女のお陰で冷静な思考を失っていた。臓物(ぞうもつ)煮えたぎるとはこの事だ。周囲の敵に牽制するべく四方八方へ苦無弾を放つも、わたしの気持ちは晴れない。憤りだけがどんどん募りゆく。

 はたから見ると八つ当たりに捉えられても仕方がないが、苛立ちのすべては魔女の愚行によるものだ。先走って作戦を台無しにした件。妖波を解析した直後に吹っ飛ばされた件。そしてこれ(・・)だ。

 あの魔女の評価を改めかけたが、どうやらそれは誤りだったらしい。

 群がる敵勢を追い払い、わたしは積もった憤りを発散させた。

「大馬鹿者がっ!!」

 〈風呂のフタ〉を見やった直後、憤りは消沈する。わたしの目に映った光景は、魔女がカストミラに首をつかまれ、宙に浮かされた姿だった。

 左手で魔女を軽々と頭上に持ち上げるカストミラの表情は、それまでの気味の悪い笑みをより一層ゆがませている。口端からのぞく八重歯が月光を反射させ、残忍さを際立てた。

 吊り上げられた魔女は苦悶(くもん)の表情で両足をバタつかせ、カストミラの腕に両手の爪を食い込ます。呼吸すらままならない状態での抵抗は、妖怪退治屋として、あるいは人間としての意地なのかもしれない。

 女吸血鬼の足元に、一瞬だが(やじり)に糸を付けた物が地中へもぐるのが見えた。その異様な物体が目に焼きついたわたしは、それまで得てきた知識の中からある武器を思いだす。

 もしや環集多槍鞭(かんしゅうたそうべん)か……?

 

 環集多槍鞭。

 外の世界はもちろん、幻想郷でさえその存在が忘れられた幻の武器だ。その武器をわたしは紫様より聞き及んでいる。

 主に中距離から遠距離の攻撃を目的とした武器であり、左右対称な楕円状の()に六本ずつ鏃をさげ、それを中央の制御球によって操作。防具の肩当へ取り付けるため、必然的に肩幅が一回りほど広くなるのが特徴だ。装備後の姿が、クロードと呼ばれる吸血鬼の肩幅と一致する。

 恐るべきはその鏃だ。未使用時はコイル状に収納されているが、ひとたび目標を補足すると、どこにいようと追尾する槍と化す。鏃にくくられた糸は髪の毛ほどの細さでありながら鋼の硬さを誇り、鞭のしなやかさを合わせ持つ。

 強力な武器だけにその扱いは難しく、十二本の槍鞭を意のままに使いこなす技量がなければならない。雑多な妖怪では制御しきれないだろう。

 紫様の話によれば、その昔、R国のF王子は二十本もの槍鞭を意のままに操ったらしい。

 そんな武器が外の世界にあるはずがないのだが……。

 

 あがき続ける魔女を女吸血鬼が嘲笑(あざわら)う。

「わたくしは知っているのですよ、魔法使いの弱点を。このように喉を封じてしまえば詠唱できなくなるのですからね」

 カストミラの言うことは正しい。魔法使いの手早い無力化は喉を封じるに限る。外の世界に存在しておきながら、その対処を心得ていることから、カストミラと名乗るあの女は相当数の修羅場をくぐり抜けてきたとみて間違いない。即座に魔女を殺さないのが証だ。

 あの吸血鬼はわたしを誘い出そうとしている。かつて同じ策を弄したわたしだからわかるのだ。

 ならば魔女を利用すればいい。わたしが誘いに乗らない限り、魔女をいたぶりこそすれど容易く殺すことはないだろう。

 カストミラの思惑を推し測るなか、晴れた夜空にもかかわらず一筋の稲妻が魔女を直撃した。白目をむく魔女の身体が激しく震える。その際、妖力や魔力を感じなかった。ということは、わたしの解析の通り〈大気を操る程度の能力〉によって大気中の静電気を集束させたものと思われる。

 そうなると魔女の魔法具から発した衝撃波に耐えた理由も想像がつく。おそらく魔法具と同質の衝撃波を発生させて相殺したのかもしれん。己の能力を徹底的に磨き上げていなければ思いつきもしない発想だ。

 苦しむ魔女へ、愉悦にひたるカストミラの瞳が冷たく光る。

「これでも手加減させていただきました。さて、あなたはいくつまで耐えられるのでしょうか?」

 その直後、魔女めがけて断続的に稲妻が落ちる。落雷を受けるたび、魔女の身体が痙攣(けいれん)を起こす。

 やはり殺さない。

 人質を生かさず殺さず扱うのは基本中の基本だ。魔女には吸血鬼の“重石”になってもらう。その隙に裏切り者どもの掃滅。それが最善な方法だ。

 そのような方針を決めた直後、「それでいいのか?」という疑問符が思考によぎり、わたしは否定するように頭を振る。紫様から魔女を意識していたと指摘されて以来、あいつを気にかける幻聴が時折ひびく。

 わたしは魔女の信念を認めてはいるが、同情した事など一度もない。だが、魔女の放心を立ち直らせたのは紛れもなくわたし自身の意思だった。しかし、この機を逃せば裏切り者どもが死兵と化すは必至。そのような事態になれば、わたしであっても収拾がつかなくなる。

 そもそも魔女との連携が何一つかみ合わない以上、戦略として成り立たない。わたしは最善な方法を選択しているはずだ。

 自分を正当化させるように言い聞かせていると、脳裏に紫様の言葉がよみがえった。

 ――「心ゆくまま尽力なさい」

 わたしは幻想郷のため、ひいては紫様のために戦っている。自分で決めた方針にもかかわらず、疑問が生じるのはなぜだ?

 カストミラが放つ雷撃を受けるたび、痙攣する魔女の姿がわたしの目をとらえて離さない。ためらうわたしをよそに、魔女は鋭い眼光をカストミラへぶつけていた。

 瞳から発せられる輝きは、たとえ魔法が使えずとも眼前の敵を倒そうとする意思に他ならない。それは悪必滅をつらぬく魔女の信念そのものだ。その瞬間、魔女の(くじ)くことのない戦意が、わたしを引き止める理由だと理解した。

 「理解とは(おおむ)ね願望に基づくもの」だと聞く。この言葉の通りなら、わたしは魔女を救いたいと願っている。

 放心したあいつを正気に戻そうとした気持ちと同じではないか!!

 ――「『心ゆくまま』の意味、わかるわね?」

 脳裏に紫様の言葉が再び思い浮かんだそのとき、身体は無意識のうちに魔女の方向へ素早く動いていた。

 最善の選択を放棄し、魔女の助けに向かうわたしは大馬鹿者だ!

 妖術を使い、地表すれすれに滑空しながら心中で悪態をつく。そんななか、真下の大地から無数の槍鞭が飛び出す。

 やはり環集多槍鞭だったか!

 待ち受けていた槍鞭の動きを見切り、身体をひねって回避する。事前に予測していたから紙一重でかわせたものの、考えなしに動いていたらあの槍鞭によって身体を貫かれたことだろう。それを想像した瞬間、背筋が凍りつく感触を覚える。

 幻の武器だと明確にわかったと同時に、魔法具を発動させた魔女の意図も理解した。あのとき魔女は、魔力が回復しきっていない状態のなかでクロードとか言う吸血鬼の行動を読み、もっとも有効な手段でわたしを避難させたのだ。

 ……魔女め、味な真似をしてくれる!

 (しゃく)な気持ちを抱きつつ、拳大の妖力をカストミラに放つ。妖力が音速を超えた(くさび)と化す。それがカストミラの左手を切り飛ばした。

 血の尾を引く左手とともに落下する魔女。それを受け止めるべく両手を伸ばす。魔女の背中に両腕を回して抱きとめる。その瞬間、弾力性のある感触が伝わり、わたしを当惑させた。それと同じく魔導服のくすぶった臭いが鼻に刺す。

 魔女を抱きながら五メートルほど退避して振り向く。女吸血鬼は「あら?」と他人事のようにつぶやき、大量の血が噴き出る手首をながめている。痛みをまるで感じていないように思えるその表情は、先ほどまでの不気味な笑みから神妙な面持ちに変えていた。切断された左手に未練を持っているようにも見える。

 そんなわたしをよそに、腕の中の魔女が騒ぎ始めた。

「誰が助けろと頼んだ!? いい加減に離せ!」

 勢いよく暴れていることから、重症を負ったわけではないらしい。心なしか頬が赤らんでいるように見えるが、怒りによる紅潮だろう。

 魔女を救助した自分の行動に納得してはいなかったが、また(・・)奇妙な充実感に満たされていた。おそらく、こいつが放心したときと同じく、わたし自身の意思に従ったからだろう。

 それなのにこいつの態度ときたらどうだ!? 礼儀知らずにも程がある!

 そんな魔女を突き飛ばすように解放し、それまで抱えていた不満をぶつけた。

「命を救ってやった返答がそれか!? 少しは感謝したらどうだ!」

 妖力による全周防壁を張りつつ憤るわたしに、カストミラの左手をすでに投げ捨てた魔女が険しい顔で返す。

「『救ってやった』だと!? わたしを利用しようとしたくせによくそんなことが言えるな! キツネそばでもご馳走すれば満足か!?」

 こいつ、いつの間にわたしの考えを〈深読み〉した? 事実なので否定はしないが……。

 ひと通りまくし立てた魔女はやたらと魔導服を気にしだす。こびりついた返り血が服の表面で赤い玉となり、魔女の手によって払い落とされてゆく。どうやら撥水加工が施されているらしい。そんな魔女の行動がわたしの苛立ちに拍車をかけた。

「お前は何を考えている? こんな状況で身だしなみを気にしている場合か!?」

 群がる妖怪どもが防壁に爪牙を立てるなか、魔女は憤然とした顔をわたしへ向ける。その瞳から放たれる鋭利な眼差しにこいつの真剣さがうかがい知れた。

「お前から見れば無意味だろうが、わたしにとっては大問題だ!」

 言い切るとすみずみまで魔導服を確認しだす。その様子は、どこかに異常がないかをチェックしているようにも見えなくはない。

 それほど大事なものなら戦場に持ち込まなければいいではないか。それはともかく、そろそろ防壁が崩れる。周辺の裏切り者どもの攻撃が激しさを増しているからだ。

 攻め手に回らねばこちらの不利が続く。この状況を打破するには何らかの切っ掛けが必要なのだが……。

 思考を巡らせるなか、「なあ」と左に立つ魔女が口を開く。

「キツネそばの代わりじゃあないが、二体の吸血鬼の本質がなんとなくわかった」

 両肘を抱え、正面に眼光を飛ばす魔女がなにやら〈深読み〉したらしい。以前のわたしなら一笑に付していたが今は違う。状況が状況だけに、こいつの〈深読み〉で少しでも局面が変わるのであれば、それに越したことはない。

 わたしは「聞こう」と返した。

 

 続く。




・環集多槍鞭の元ネタ:円英智著「ロマンシア 浪漫境伝説」


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第十二話◇絶対絶望【後編】

 

 両肘を抱え、正面に眼光を飛ばす魔女がなにやら〈深読み〉したらしい。以前のわたしなら一笑に付していたが今は違う。状況が状況だけに、こいつの〈深読み〉で少しでも局面が変わるのであれば、それに越したことはない。

 わたしは「聞こう」と返した。

「吸血鬼は本気を出しちゃいない。自分たちの不死性に自信があるのか、勝つ気もなければ負ける気もないように思える。かと言って戦闘を放棄しているわけではないらしい。二体とも本気なら今頃わたしは地獄にいるはずだ」

 魔女は自身を指差し力説し、わたしに顔を向けて話し続ける。

「確証はないが、もしかしたら『本気を出さない』のではなく『本気を出せない』のかもな。そうとでも考えないと、妖怪退治屋の立場がない」

 妖怪と人間の差を憂いたのか、魔女は伏し目がちでそのように述べた。顔を正面に戻して唇かみしめる様は、カストミラに対して並ならぬ敵愾心(てきがいしん)を抱えているようにも見える。

 〈深読み〉の後半はともかくとして、こいつが身をもって知り得た情報だ。事実に勝る情報はない。

 こいつの言う通り、限りなく不死性が高い者ほど怠惰(たいだ)な性質になりがちだ。命の危機を気にする必要が少ないのだからな。それを示すように、左手を再生させたカストミラは謎めいた笑顔に戻っている。満月の影響もあってか、よほど吸血鬼としての能力に自信があるのだろう。

 逆に考えれば、数少ない弱点をつくことで勝機が見えるはずだ。……もっとも、夜明けを待つ猶予もなければ、林の中で白木を探す余裕もないが。

 それにしても再生能力が高いという理由だけで本気を出さないわけがない。だが確かめる価値はある。吸血鬼らの持つ自信の根拠がわかれば現状を打開できるかもしれん。ここはひとつ再生能力がどのくらい高いのか確認するとしよう。それには魔女の〈魔砲〉が不可欠だ。

 わたしは、カストミラを睨みつける魔女へ問いかける。

「魔力は回復したか?」

 無愛想な顔のままうなずく魔女を確認した直後、思いつきを実行に移す決意が固まった。

「防壁が崩れる。もって一分だ。そのあいだに重撃魔砲の術式を組み上げろ」

 一刻を争うと判断したわたしは、概要を省略して用件のみ伝える。それを聞いた魔女は大きく目を開き、驚愕した顔を向けた。

「お前は正気か!? 『一分以内に〈魔砲〉の準備をしろ』って冗談を言っているわけじゃあないよな!?」

 魔女の怒声が苛立ちを増大させる。こいつの心中は、指示に対する疑念があふれているのだろう。驚愕の顔をしかめっ面に変えているからわかる。

「冗談などではない! お前も魔法使いの端くれなら何としてでも組み上げろ!」

 わたしも負けじと声を荒げるが、この場で言い争う時間はない。現にわたしと魔女をおおう防壁の所々がほころび始めている。猶予はないと判断し、別な角度から魔女をあおることにした。

「お前の〈深読み〉を証明するまたとない機会ではないか。それにあの女吸血鬼にやられっぱなしで済ますようでは悪必滅の信念がすたるというもの。それを望むお前ではあるまい?」

 煽り言葉を受け、紅潮と言うわかりやすい反応を示す魔女に、わたしは了承の意を感じ得た。

 お互い反目し合う仲なのか、漠然(ばくぜん)ながら魔女の気持ちがわかる。魔法使いとしてのプライドを刺激すれば、このような誘導は可能だ。

 ……こいつを意識していたのは認めよう。だからと言って即座に仲良しこよしになる必要はない。こいつも同じ立場であればそのように思うだろう。

 わたしの思惑をよそに、魔女は無表情という名の仮面を作った。右腕を突き出し、小声で詠唱するに従ってこいつの右手が銀色の輝きを放つ。集まる魔力のかたまりは命の輝きにも見え、わたしの目をとらえて離さなかった。

 ふいに魔女が詠唱を中断する。

「さすがに一分では無理がある。せめて二分ほど防壁をもたせろ」

 顔も向けずに言い放つと魔女は詠唱を再開させる。任せろ、などと無粋な言葉をかける必要はない。自分の役目を果たす。それだけだ。

 組み上がって行く術式にただならぬ気配を感じ取ったのか、敵の妖怪達が血相を変えだす。それまで防壁を破壊しようと躍起になっていた大半の者は我先と逃げ、残りの者はいまだに爪牙を立てている。

 敵の数は二十体程度。「その数であれば二分はもてそうだ」と判断し、防壁の維持に意識をそそぐ。

 今の魔女は〈魔砲〉の詠唱に集中している。今度はわたしが守らねばなるまい。

 ……しかし、恐怖を与える立場の者が、恐怖を生み出す者の防衛とはな。

 因果なものだと考えていると、二体の吸血鬼が近づいてきた。草葉を鳴らしながら悠然と歩みよる姿は、ともすれば今宵(こよい)の戦いに勝つ気すらないように思える。魔女の〈深読み〉もあながち間違いではないようだ。

 二十体の敵による懸命な攻撃が報われたのか、防壁のほころびが誰の目でもわかる具合にひどくなる。このままでは三十秒が限界だ。わたしの心に幾ばくかの焦りが生じだす。

 伯爵配下の二者が目前まで迫ったそのとき、魔女が銀色に輝く右手を天へ掲げる。直後、わたしに視線を向けた。

「防壁を解け!」

 その言葉を耳にした瞬間、わたしは崩壊寸前の防壁を妖力による衝撃波に変えた。それまで防壁を破壊しようとしていた敵勢が木の葉のごとく吹き飛ぶ。

 どのみち崩壊する防壁だ。このように使えば効率がいい。

 雑多な妖怪どもが飛ばされ、眼前の敵は二体の吸血鬼のみ。

 魔女は、夜空にかかげた幾重もの魔法陣に包まれた右腕を前へと突き出す。

「重撃魔砲〈バスター・カノン〉」

 

「……九尾。わたしの〈魔砲〉は当たったよな? 〈深読み〉の立証どころか一矢を報いたとも思えん。これじゃあ意味がない」

 魔女が〈魔砲〉を行使した姿勢のまま、無表情な顔でわたしに視線を向ける。わずかに眉を動かすことから、自慢の重撃魔砲が通用しなかったことに少なからず動揺しているようだ。

 こいつの〈魔砲〉は確かに吸血鬼へ直撃した。この目で見たのだから間違いない。

 二体の吸血鬼は重撃魔砲で上半身が消し飛んだにもかかわらず、黒い霧の集束とともに十数秒足らずで完全に再生を遂げたのだ。それを目の当たりにしたわたしは、再生能力の大元が何なのかを理解した。……いや、思い知ったと言うべきか。

 戦慄(せんりつ)する気持ちを隠しつつ、吸血鬼の不死性を説明するため、魔女に顔を寄せる。

「お前の攻撃は無意味ではない。お陰で吸血鬼の不死性がわかった。よく聞け。やつらは――」

 

 ――やつらは膨大な量の妖力と引き換えに身体を再構成させたのだ。衣服まで再生していることから、群体構成に近い妖怪とも考えられる。たとえ細切れにされようと妖力がある限りはいつでも復活できると言ってもいい。

 妖力を封じて枯渇させれば再生は阻止できる。だが、封印するには手練(てだ)れな二者相手では絶望的だろうし、満月下での吸血鬼は底知れぬ妖力を持つ。それを枯渇させるなど不可能に近い。

 結論を言うと、どちらか――

 

「――どちらか一方に絞れば封じられないこともないが、そのためには相応の時間と隙が必要だ」

 再生能力の説明を終えると、わたしは速やかに魔女から顔を遠ざけた。

 カストミラとクロードは悠然とたたずみ、冷酷な視線を送っている。勝ち誇っているとしか思えないような笑みのカストミラに思わず固唾(かたず)を飲んでいると、魔女が不快げなため息を漏らした。

「……それを確かめるためだけに(・・・)重撃魔砲を行使させたのか? まあ相手は外の世界の吸血鬼だし、お前がビビるのも無理ないか」

「わたしがいつビビったっ!」

 決め付ける魔女に小声で抗議すると、こいつは正面を睨みながら自身の左頬へと指差す。

「なら、その冷や汗はなんだ?」

 思わず左頬に手を当ててみると、冷や汗などかいてはいない。その直後、墓穴を掘ったと悟った。わたしが取った行動は、吸血鬼に対して臆していることを証明するものだったのだ。

「……お前、カマをかけたな?」

 憤りをどうにかこらえて睨むと、当の本人は無表情のまま答える。

「わたしを利用した代金だと思えば安いもんだろ」

 軽薄な皮肉に何も言い返せないわたしが憎らしい。だが、こいつを利用したのは事実なのだから、この場はこらえるしかない。はなはだ不本意ではあるが……。

 それにしても吸血鬼の再生能力には恐れ入る。身にまとう衣服まで再構成させるとはな。「不死の王(ノーライフキング)」とはよく言ったものだ。

 わたしがそのように考えていると、目の前の吸血鬼らが強大な妖気を放つ。

「ご丁寧なお持て成しに痛み入りますわ。わたくし達も相応の返礼をさし上げないといけませんわね」

 右手をスカートのポケットに入れたまま、片手で巨大な十字架を軽々と担いだカストミラが気味悪く笑う。その表情は裏切った妖怪どもを黙らせるほどの殺意も含んでいる。

 それでも負けるわけにはいかない。ここで死ねば紫様の意思に背くことになる。この魔女ではないが、(くじ)かぬ意思はわたしにもある。

 それにしてもこの妖気、殺意はあるが本気さが感じられない。その気になれば即座にわたし達を殺せるものを……。

 疑念が渦巻くわたしをよそに、カストミラの八重歯が月明かりに光る。

「その前に、これまでの戦闘でひとつ確信を得ました。あなた方、今夜初めて組まれたのでしょう?」

 その言葉を聞き、わたしは心中で舌を打つ。

 魔女との連携不足がバレることは危惧していたが、早々に見抜かれるとはな。

 合わせた両袖の手に汗がにじむ。唇を噛みしめるわたしの焦燥は頂点に達していた。

 魔女に至っては、しかめっ面で後頭部をかきまくっている。カストミラから指摘されたことに諦観したような仕草が気に食わない。

 魔女の態度を(とが)めようと思った矢先、平原へ急速に近づく数十もの妖気を感じた。

 総数は五十。伝令の数にしては多すぎる。かと言って味方とも思えん。いずれにせよ、危機的状況をむかえていることは確かなようだ。

 頭上の月は真円を描き、妖力が増幅する輝きをまき散らしている。分け隔てることのないその月光は、とうぜん吸血鬼にも影響を与え、接近する所属不明な妖怪どもも例外ではない。

 わたしと敵を照らす月明かりに「分け隔てないにも程がある」と、心中で恨み言をつぶやく。そんなわたしをよそに、満月は地上の争いを傍観し続けていた。

 

 続く。



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第十三話◆真価の片鱗

 

 メイドに即興コンビだと見抜かれた直後、新たな妖怪の一群が現われた。

 九尾によると、拠点付近を守備していた在来妖怪どもの一部が、八雲紫の妖気に恐れをなして逃げてきたらしい。まあアレだけ殺す気満々の妖気を間近で味わったんだから、尻尾巻いて逃げ出すのは当然だ。……実際、わたしもビビった。

 そんなやつらに対して九尾が「今からでも遅くはない。わたし達に助勢しろ」と説得を試みたが、逃げ込んできた妖怪どもは黒マントの(やじり)攻撃の脅迫に屈してしまった。九尾が言うには、あの鏃みたいな武器は環集多槍鞭(かんしゅうたそうべん)とかいうらしい。連中、どうやら二体の吸血鬼に味方したほうが得だと思ったようだ。

 こっちは人間の魔法使いと九尾の狐。あっちは高位の妖怪である吸血鬼が二体とその下僕に成り果てたお仲間の群れ。どちらが有利か一目瞭然(いちもくりょうぜん)だろう。その時の「大馬鹿者どもが……!」と歯ぎしりさせた九尾にほんの少しだけ同情してしまった。

 かくしてせっかく減らした敵勢力は増大し、おかげで劣勢を強いられる結果となった。

 

 満月が輝く夜空の下、わたしは憤りを隠しながら、群がる妖怪どもを魔法で迎え撃っていた。なぜなら地上の敵勢力をたった一人で相手にしているからだ。

 襲い掛かる妖怪どもの攻撃をかわして見上げると、はるか上空で九尾がメイドを含む少数の妖怪どもと交戦していた。

 あいつ、「わたしは空から攻める」と一方的に言い放って飛んでいったが、本当のところは〈紺碧衝壁(こんぺきしょうへき)〉の巻き添えを避けるためだろう。そのお陰でこんな目に遇っているわけだが。

 それにしても九尾に殺されかけるわ、大事な魔導服を汚されるわ、敵はわんさか増えるわ……。なんで今夜に限ってこうもついてないんだ!? 絵に描いたような燦々(さんさん)たる状況じゃないか! 人生の不運が総集結したとしか思えないぞ!

 そりゃあ先走った自分が悪いけどさ……。だからってこんな目に遇わすことないだろ!!

 回りは〈魔女の目〉に頼らずとも敵だらけ。怒声と悲鳴と断末魔が耳に入り、鼻は鮮血と肉が焼け焦げる臭いでいっぱい。戦いと無縁な者がこの光景を目にすれば、あまりの凄惨(せいさん)さに卒倒するだろう。今や名もなき平原は混戦を極め、怒号と混乱が総動員だ。

 戦闘が始まってどのくらい経っただろうか? 体感では一時間半は経過しているように思える。

 てことは〈魔女の目〉の限界時間が半分になったも同然だ。このまま長引けば、ヴィジョンが脳裏に焼きついて幻視を招いてしまう。そうなると視覚異常が生じてますます不利になる。

 戦闘の継続性を懸念したわたしは、〈魔女の目〉の有効範囲を半径五メートルに狭めた。これで少しは長くもてるはずだ。

 その直後、地鳴りとともに大地が揺れだす。正面から三歩手前の草地がいきなり隆起する。わたしの前に巨大な石板が立ちふさがった。岩盤妖怪の不通佐無(とおさない)だ。

 墓石に手足を付けたような身の丈は五メートルほどだろうか? 巨大な身体を前のめりにさせている。中央に位置する吊り上った目から熱い光を放っているので、このままわたしを押し潰すつもりらしい。

 その背後に、この妖怪の攻撃を避けるだろうと見越した阿呆どもがいる。左右の腕を鎌に変えた鎌鼬(かまいたち)と、三つの鬼火を作った化け提灯(ちょうちん)が隠れていた。

 岩盤妖怪の攻撃をかわした隙に殺す気なんだろうが、あいにく()えるんだ、わたしには。

 敵の行動を予測している間に術式は組み上がった。魔法を行使するため、右手を腰の後ろへ引きこむ。不通佐無の巨体が顔前まで迫る。わたしは右手を勢いよく突き出す。

「閃光魔法〈スパーク・フォース〉」

 丸太ほどの閃光が宵闇(よいやみ)を切り裂き、耳をつんざく衝撃音が平原にとどろく。

 彗星にも似た光が右手から放たれ、押し潰さんとする不通佐無の巨体をたやすく貫いた。中央に大きな風穴を開けた岩盤妖怪はただの石板でしかない。それまで前のめっていた身体は、閃光魔法の衝撃で逆方向にかたむく。程なくその石版は、後ろにひそむ二体の妖怪を巻き込んで地に伏した。

 下敷きにされた敵の短い断末魔を聞く間さえ与えず、妖怪どもが怒号とともに押し寄せる。襲い掛かる形相は、どいつもこいつも同胞の仇討ちと言わんばかりだ。

 こいつらは吸血鬼からの暴力によって意思を統一している。いや、させられたと言うべきかもしれない。その意思を別な方向へ活かせば死なずに済んだはずなのにな。

 そんな想いが脳裏によぎったとき、環集多槍鞭とかいう武器が妖怪どもをかい潜り、わたしの身体へと襲う。槍鞭の根元についた細い糸が幾多の曲線を描く。その軌道はまるで獲物を捕食しようとする蛇のようだ。程なくして刃の蛇がわたしの身体中に牙を突きたてた。

 魔導服越しに刺す痛みを感じた瞬間、〈紺碧衝壁〉から(あお)い衝撃波が放たれる。衝撃の壁が無数の鏃と群がっていた妖怪ともども吹き飛ばす。強制的に宙へ舞う敵を視つつわたしは苛立ちから舌打ちする。吸血鬼らの攻め方が気に食わない。

 戦闘が始まって以来、メイドと黒マントの攻撃のほとんどは在来妖怪どもが仕掛けた後だった。あの姉弟が何を意図しているのかわからんが、こそこそとした攻め方はわたし達を舐めてるとしか思えない。

 戦いがこのまま長引くと〈紺碧衝壁〉の備蓄魔力が底をついてしまう。その証拠に魔力残量を示す秘石が赤く光っている。使えるのはあと二回――。

 ……まさかあの黒マント、これを狙って遠距離から攻撃しているのか!? だとしたら在来妖怪どもの隙間から攻めるのも納得がいく。

 ――妖怪どもの隙間から……?

 なぜそんな回りくどい攻撃を仕掛けるんだ? 「鬼の強さ」と「天狗の速さ」を持つんだからすぐに片付くじゃないか。それなのに、片鱗を見せただけで手抜き同然の攻め方しかしてこない。

 ……ひょっとして、本当に“勝つ気も負ける気もない”のか? わたしだったら本気を出せない理由がない限り、こんな体裁を守るような戦い方はしない。でなければ人間のわたしは今ごろ殺されているか、血を吸われて眷属(けんぞく)にされているはずだ!

 ――吸血……? もしかして……!

 ひとまず態勢を立て直そう。魔法具もそうだが自分の魔力もそろそろやばい。今の内に秘薬を飲んでおきたいが、黒マントはその隙を見逃さないはずだ。〈紺碧衝壁〉の魔力を入れ直す暇もないし、深追いは命取りになりかねない。

 不利な状況が続くと考えたわたしは、早口で呪文を詠唱する。右手に集まる魔力が赤い光を放つ。即座に右手を濃緑の大地へ振り払う。

焔壁(えんへき)魔法〈フレムォル・フォース〉」

 本日二回目の焔壁魔法は妖怪どもの目眩(めくら)ましとして十分に機能した。〈魔女の目〉の範囲には天高くうねる炎の壁だけが視え、五メートル以遠に吹き飛ばされた敵勢の恐れおののく声が耳にとどく。

 戦闘序盤でこの魔法の威力を思い知らせてやったんだ。これを恐れないやつは、あの吸血鬼姉弟だけだろう。

 紅蓮の炎によって妖怪どもが混乱している隙に飛行魔法を行使する。魔法の浮力が身体を包み込む。わたしは瞬く間に夜空へ上昇した。

 魔導服越しに大気をつんざく感触が伝わり、空気抵抗の気流が頬に伝う汗を吹き飛ばす。十メートルほど上昇して眼下に視線を向けると、炎の壁を突き破った槍鞭が見えた。あのままでいたら串刺しにされていただろう。無数の槍鞭に貫かれたらと思うと固唾(かたず)を飲まずにはいられない。

 黒マントに視線を移すと、感情のない顔でこちらを見上げている。するどく睨む碧い瞳は絶えず殺意を放ち、さながら殺戮人形のような面立ちだ。

 もしわたしが黒マントの立場だったら必ず追撃をかける。この場に留まるのはやばい。〈紺碧衝壁〉もまだチャージ中だし、距離をとったほうがよさそうだ。それに空中戦はあまり得意じゃあない。

 身の危険を感じたわたしは、ふと三十メートルほど離れた平原中央の大岩に視線を向けた。それまで敵勢が集まっていたが、今は妖怪の「よ」の字もない。態勢を直すには打ってつけな場所だ。ひとまずそこを目指して移動し始めた。

 

 十メートルほど飛行したとき、右手をポーチに突っ込む。指先に触りなれたガラスの感触が伝わる。素早く秘薬を取り出したその直後、六時方向の上空からこちらに急速落下する九尾が視えた。

 飛空妖術を使わずに盛大な背面飛行状態の九尾。――それを避ける(いとま)はない。

 まばたきする間もなく背中に強烈な衝撃が走った。背骨を折らんばかりの激痛に肺の空気が一瞬で吐き出る。それになんとか耐え、薄らぐ意識を保つ。しかし今のショックで〈魔女の目〉が解除され、握っていた小瓶を離してしまった。

 満月を侵食するように、黒褐色の液体が夜空へ散ってゆく。

 わたしの身体は九尾とともに地上へと急加速している。飛行魔法を駆使して急制動するも、無駄なあがきでしかなかった。

 斜め方向へ落下するわたし達に平原のヘソたる大岩が迫る。距離は約十五~六メートル。このままではこいつと一緒に激突死だ。魔法を行使する間などあるはずもない。

 絶体絶命のそのとき、〈紺碧衝壁〉の秘石が光りだす。チャージ完了の合図だ。

 そうだっ! またこれを利用しよう! 衝突する寸前で〈紺碧衝壁〉を発動させれば、衝撃波が大岩に跳ね返って助かるはずだ!!

 助かる手段がひらめき、わたしは右手にありったけの力を込め、意識があるかどうかわからない九尾へ叫ぶ。

「おいっ! 衝撃波を出すから注意しろ!」

「ならわたしの合図に合わせろ!」

 背後から偉そうな声が耳に響く。どうやらくたばっちゃいないようだが、これからわたしが何をするか承知しているような口ぶりだ。落下する速度と斜角と大気流あたりを計算し、タイミングを割り出すつもりらしい。正直いって、わたしじゃあこんな状況で計算できない!

 とにかく疑問や雑念は後回しだ。ここは九尾に任せよう。

 すぐにも我が身を叩きたいが、その衝動を強くおさえる。こいつが発する合図を聞き逃すまいと、聴覚に意識をそそぐ。今聞こえるのは風を切る音と自分の鼓動だけだ。

 大岩がみるみる近づくにつれ、脈打つ鼓動は激しさを増す。しかし少しでも焦ればそれこそ最後。九尾の計算は無駄になり、助かる命も助からない。

 二度も先走ってたまるか!

 大岩との差が約二メートルを切った瞬間、「今だっ!」と九尾の声が耳に入る。待ってましたとばかりに握りしめた拳を自分の胸に叩き込んだ。こいつの計算通りのタイミングで〈紺碧衝壁〉が発動し、碧い衝撃波を放つ。その直後、大岩から跳ね返った衝撃波が襲い、わたしと九尾を引き離した。

 仰向けで急上昇しているため全身が大きく仰け反る。骨という骨が折れるような痛みは、きしむという表現すら生ぬるい。以前に戦った鴉天狗の葉団扇(はうちわ)から繰りだす突風と大差ないほどだ。

 激痛に耐えつつ歯を食いしばり、強く(まぶた)を閉ざす。耳には風を切る音しか聞こえず、顔面は風圧だけ感じる。

 大岩から遠ざかって何秒がたっただろうか? 全身の痛みから解放されて目を開けると、煌々(こうこう)とした満月がわたしの視界に飛び込む。

 助かった……!

 絶体絶命の危機を回避し、思わず安堵のため息をつく。飛行魔法でバランスをとると、慎重に敵の様子をうかがう。敵勢との距離は約三十メートル。あっちも必死になって態勢を立て直している。もっとも、必死なのは在来妖怪どもだが。

 無理やり隊列を組ませるために黒マントが槍鞭で強要し、いつの間にか地上へ降り立ったメイドが巨大な十字架を振るって脅す。暴力によって服従する妖怪どもの身体には、裂傷や打撲痕が痛々しく残っており、明らかに戦闘で負った傷ではない。その光景を視界に捉えたわたしは、ふつふつと怒りが込み上がってきた。

 寝返った妖怪どもに同情するわけじゃあないが、まるで奴隷も同然じゃないか! 勝手に侵攻しておいて何様だ! そんなに吸血鬼は偉いってのか!?

 憤りを抱えつつ大岩付近に着地する。ブーツ越しに草地の感触が伝わると、改めてメイドと黒マントの必滅を決意した。

 背後から草葉を踏む音が鳴るが、九尾の立てたものだと容易に想像がつく。激突死を免れたことに肩の力でも抜いているんだろう。

 ……それにしても、大岩を回避したタイミングは絶妙だったな。死を目前にしたからか、こいつに対するわだかまりが「どうでもいい」ような気がした。ひょっとしたら、それが勝利の鍵――なのか……?

 そんなことを考え、改めて秘薬を取り出して口に含む。あまりの不味さに顔をしかめていると、聞きなれた声が耳に入る。

「少しは吹き飛ばされる者の気持ちがわかったか?」

 いちいち棘のある言い方が(かん)にさわる。だいたい他者から皮肉屋と呼ばれるわたしに皮肉を送るなど、どこまでバカにすれば気が済むんだ!?

「いつまでも根に持つと――」

 憤然とした心持ちで肩越しに振り向いた途端、わたしは声を失う。いがみ合う式神の姿を目にし、空の小瓶を落としてしまった。

 九尾は両袖を合わせたいつもの姿勢で立っている。しかし左上腕の袖が破れ、大きな裂傷が嫌でも目につく。傷口から大量の血が流れ、袖下に赤い染みが滲んでいる。誰の目でもわかるくらい相当の深手だ。

 普段のきつい表情をさらに険しくし、痛みの度合いは想像にかたくない。こいつが流血する姿を見たのは初めてだ。

「その傷はどうした!?」

 予想だにしない姿を目にし、思わず上ずった声を発してしまう。

「カストミラが振るった十字架によるものだ。大した傷ではない」

 わたしを見つめる九尾は普段通りの淡々とした口調だが、声がくぐもっているように聞こえる。よほどの痛みに耐えているのだろう。

 人体を模す妖怪や妖精、あるいは神などは、人間と大して変わらない構造だ。それゆえ急所も同じ位置にある者が大半を占める。

 いくら九尾であってもこのまま放置していたら出血死は免れない。こいつがくたばったらわたし一人で妖怪どもと戦うことになる。どう考えても不利だ!

 九尾との危機を感じたわたしは流血する式神に近づき、懐から木綿で出来た白いハンカチを取り出した。

「何の真似だ? 人間の施しなど受けん」

 九尾は一歩後ずさり、応急手当てに拒否の意を示す。その表情は妖怪としてのプライドなのか、露骨に嫌そうな顔をしている。だが、そんなのはお互い様だ。実際、こいつに助けられたわたしも同じ気持ちだったからな。

 「いいから受けろ」と近づくが、九尾は頑として拒む。その気持ちはわかるが、今手当てしないと取り返しがつかなくなる。……と、なんとなくそう思う。

 こいつの頑固な態度に苛立ちが頂点に達し、わたしの感情はとうとう爆ぜた。

「意地張ってる場合か!? わたしは医者じゃないが、怪我の具合くらいわかる! 出血のせいで頭がボーっとしてるんだろ!? 今止血しないと死ぬぞ、お前!!」

 今の心情を全力で吐き出したわたしに対し、九尾の顔は痛みに耐えながらも困惑を滲ませている。見据える瞳も同様に揺れ動き、こいつは自身の気持ちを整理しきれていないようだ。

「早くしないと敵が攻めてくるぞ。ついでに、これまでの戦いからメイドと黒マントの狙いが何なのかを聞かせてやる。だから手当てを受けてくれないか?」

 わたしの熱意が伝わったのか、あるいは観念したのか不明だが九尾は小さなため息をつき、そしてバツが悪そうにそっぽを向いた。

「念のため防壁を張る。手早く済ませろ」

 相変わらず偉そうな言い方だが、応急手当てと〈深読み〉の内容を受ける気になったらしい。

 ハンカチの隅を摘んで勢いよく振ると、スカーフ大に広がる。それを咥えて一気に引き裂くと同時に、わたしと九尾の全周が防壁でおおわれた。

 

 続く。




・オリキャラ:クロード・クロフォード
・性格:無口にして殺意のかたまり


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第十四話◆鋼の結束【前編】

 大岩に背を預けながら座る九尾へ、わたしは止血処置を施していた。傷口を押さえて圧迫し、引き裂いたハンカチできつく縛る。するとこいつの口から激痛にもだえる声が漏れた。圧迫止血だからそりゃあ当然だ。

 止血と並行し、〈深読み〉の内容を話す。防壁に守られているとはいえ、いつ敵が攻めてくるかわかったもんじゃない。そんな状況なので端的に説明することにした。

 

 二体の吸血鬼は在来妖怪を盾にしながら攻めている。「木は森へ、石は砂利へ、水は湖へ」という言葉をなぞれば、「吸血鬼は妖怪どもへ」――だ。

 その気になれば即興コンビであるわたし達を瞬殺できるはずなのに、そうしようとしない。それは満月の夜なのに「本領を発揮する事ができない」状態だからだ。むしろ「これ以上の力を出せない」と言ってもいい。

 例えば、かなり以前から血を吸っていないとしたら? 伯爵がメイドと黒マントの真価を恐れたと仮定すれば、吸血禁止を命令したとしてもおかしくはない。それでも強大な力には変わりないが。

 あの姉弟が「勝つ気も負ける気もない」態度をとる理由は、吸血鬼としての体裁を守るためのハッタリだ。

 

「……お前は決戦の最中にそんな妄想をしていたのか? 紫様がお聞きになれば呆れ果て――痛っ! 今わざとやっただろ!?」

 一言多い九尾に対し、〈深読み〉の内容と止血処置が終わった意味も含め、傷口に巻かれたハンカチを軽く叩いた。まじめな顔でムキになるこいつに頬が吊り上る。余計なことを言った罰だ。

「妄想だと言い切るんなら、これまでの戦闘を思い返してみろ。攻撃パターンが一致するはずだ」

 人の意見を妄想とぬかす九尾に冷たく言い放ち、わたしは腰を浮かせた。

 胸ポケットから懐中時計を取り出し、現在の時刻を見る。確認した直後、思わず舌を打つ。長針はⅩを差し、短針がⅩⅠに近づいていたからだ。思っていたよりも時間がかかっている。

 〈紺碧衝壁(こんぺきしょうへき)〉の備蓄魔力はあと一回分。魔力全快秘薬は残り一本。〈魔女の目〉の発動限界はもって一時間。自身の魔力以外はジリ貧だ。

 現状確認して後ろを振り向くと、三十メートルほど先にいる妖怪どもは隊列を整えていた。いつでも突撃できる状態だ。

 どうやって巻き返そうか、と思考を巡らすなか、衣服が擦る音を耳にする。顔を戻すといつもの姿勢の九尾が澄ました表情でたたずんでいた。

 左上腕に巻いたハンカチがわずかに滲んでいるが、出血は止まったらしい。念のため(わき)の下から肩にかけてハンカチできつく縛ったが、二重に止血処置して正解だったようだ。

 ……博麗から教わった応急手当てがこんなところで役に立つとは思わなかった。人生どう巡るかわからないな、まったく。

 そんなことを考えていたわたしへ、九尾は真一文字に結んでいた口を開く。

「お前の意見が正しいようだ。これまでの戦闘を検証したが、やつらは在来妖怪達が攻撃した後に攻めていたし、カストミラの攻撃を受けた時も同様だった」

 九尾がわたしの意見を認めたことに驚きはもうない。こいつの心境の変化は気になるが、いちいち驚いていては先が危うくなる。こいつも同じ気持ちを持ったからこそ検証したのだろう。その証拠にわたしを見据える瞳は信頼に満ちた光が揺れ動き、以前の高慢さなど微塵もない。

 九尾はさらに言葉を重ねる。

「あの姉弟が『本領を発揮できない』とお前は言うが、あながち間違いではない。あの二体の妖波を解析したとき、ほぼ同質なモノを感じた。当初は近親者だとして気にも留めなかったが、お前の指摘を受けて再考した。血を吸わなければ吸血鬼の能力は徐々に衰える。おそらくあの姉弟は吸血禁止を下命され、互いの血を吸い合っているのだろう。もしかすると全力に近い状態となるため、今宵(こよい)の満月を待ち望んでいたのかもしれんな」

 言い終えると顎で正面を促す。九尾の示す方向へ振り向いたわたしの目に、咆哮(ほうこう)を上げる妖怪どもが映る。どいつもこいつも恐怖を大声でごまかしたやつばかりだ。

 そんな連中の最後尾にメイドが薄ら寒い笑みを浮かべ、黒マントが感情のない顔で攻撃の機会をうかがっているのだろう。妖怪が妖怪を盾にするなど、ちゃんちゃらおかしい。

 正面へ身体を向け、腕組みで敵勢を凝視するわたしの右隣に九尾が歩みよる。いっけん落ち着き払っているようだが、妖怪どもを凝視する瞳は炎のように揺らめき、憤りの度合いがうかがい知れる。本気を出せない吸血鬼に舐めた真似されたんだ。こいつの(はらわた)はどろどろに煮え繰り返っているに違いない。

「おい、魔力と装備はどれほど残っている? カストミラとクロードの攻撃に対抗できる手段があるが、わたしだけでは無理だ。お前の手を借りるが異論はあるまいな?」

 高圧な口調でたずねる九尾に思わず吹き出しかける。素直に「手伝ってくれ」と言えばいいのにな。人間相手に心を開くなど、妖怪のプライドが許さないのだろう。それにこいつの言う対抗策はだいたい察しがつく。

 メイド張りの異様な笑みを作り、わたしは答える。

「〈紺碧衝壁〉はあと一回。秘薬は残り一本。保有魔力は、雑魚どもの掃除くらい十分可能な量だ。“盾”の排除がお前の狙いだろ?」

 わたしの笑みに九尾は薄ら笑いを向け、「段々わかってきたようだな」と述べて言葉を重ねる。

「お前ほどの魔法使いならば切り札の一つや二つくらいあるのだろう? どのようなモノか話せ。最後の締めに使えるか検討したい」

 それまでの笑みをひそめ、九尾は厳しい表情に変えて返答を待っている。思いついた策に必要らしい。おそらく、眼前まで引きつけた敵勢をまとめて片付けるためだろう。

 切り札なら二つほどあるが、秘密にしているからこそ切り札と呼べるのだ。いずれもリスクを伴うので出来れば使用は避けたいが、この状況では使わざるを得ない。

 切り札について思考を巡らせたわたしは、腕組みのまま片眉を吊り上げた。

「ならお前も明かせ。でないと割に合わない」

 交換条件を要求すると九尾は無言でうなずく。厳しい表情で見据える瞳にあざむく気配はない。その澄みきった瞳がわたしを話す気にさせたのだろう。

 

 切り札のひとつは〔零式重撃魔砲〈バスター・カノン タイプ・ゼロ〉〕。

 魔導服の裏面に重撃魔砲の術式をすみずみまで施しているので、魔力さえあれば詠唱することなく行使できる優れものだ。

 ただし一発限り。

 行使後に重撃魔砲の術式が消滅するためだ。

 施した術式はデリケートなため、魔導服が汚れたり破けた場合、機能しないおそれがある。わたしが服に気を配るのはそんな訳だ。

 もうひとつは〔轟雷魔砲〈テスラ・カノン〉〕。

 直径六十センチほどの雷球を作り出し、周囲一帯に数多くの稲妻を落としまくる〈魔砲〉だ。なので威力のほどは降雷魔法を遥かに上回る。

 広範囲かつ高威力な分、消費魔力は半端なく、制御も難しい。しかも詠唱が長いわりに行使できる時間は一分弱。それ以上は制御負荷の影響により両腕が壊れてしまう。

 諸刃の“剣”という言葉を“魔法”に取り替えたようなこの轟雷魔砲だが、博麗とかわした何気ない会話が切っ掛けであみ出したものだ。

 

 わたしが持つ切り札の内容を簡潔に話すと、九尾は約束どおり自分の持つ切り札を明かした。それは式神術の狐狗狸散(こくりさん)で、わたしとこいつが土に還りかけた直前に放ったものだ。

 詳しく聞くと〈ヒトガタ〉に“式”を憑かせ、それを数多く意のまま操るという。“式”が憑いた〈ヒトガタ〉は探索から射撃まででき、時には自爆させることも可能だそうだ。しかしまだ試作の域を越えておらず、膨大な妖力と集中力を消費するらしい。行く行くは「自我を持つ式神」を作るつもりなんだそうな。

 人間を見下す九尾の“人間くさい”考えにまた吹き出しかける。それは、子供を授かりたいと願う人間の考えと何ら変わらないからだ。こいつは人間を見下しているが、無意識にうらやんでいたのかもしれないな。

 皮肉の言葉を探す間もあたえず、九尾が口を開く。

「轟雷魔砲を使え。合図はわたしが出す。先ほどのようにな」

 即答した九尾にわたしは思わず嘆息を漏らす。詠唱時間より攻撃範囲を選んだこいつの判断は正しいが、轟雷魔砲の術式組み上げに約三分かかる。

「詠唱する時間が問題だ。その間わたしは無防備か?」

 手の平を上にして問いかけるわたしに、九尾は口端を吊り上げ、犬歯にも似た八重歯を覗かせる。

「わたしを誰だと思っている?」

 両手で振り払うように防壁を解除する姿は、皆まで言うなとばかりの意思に思えた。満月の影響による妖力の増幅と考案した作戦によっぽど自信があるのだろう。

 合わせ戻した両袖と、背中から覗く九つの尾が勇ましく見え、自然と頬がゆるむ。そんなわたしに九尾は笑みを返し、この時点であらゆる疑問が消え去った。

 こうしたやり取りをするのも今夜が初めてだ。

 真顔に戻した九尾が口を開く。

「説明するまでもないが、念のため確認しておく。お前の役目は――」

 

 九尾が考案した対抗策は、最初に点で攻めて敵をひきつけ、面の攻めに切りかえる作戦だ。

 お互い密接してわたしが〈魔女の目〉で全方向の敵を捕捉し、こいつが妖波解析で弱点を割り出す。二者で行える極めて有効な攻撃手段だ。

 盾にしていた妖怪どもが減れば吸血鬼らは焦り、ほぼ確実にこちらを畳みかけるだろう。敵勢が集中攻撃を仕掛けてきたらしめたもの。轟雷魔砲と狐狗狸散で一掃できる。

 問題は黒マントの槍鞭(そうべん)だが、九尾によると「環集多槍鞭(かんしゅうたそうべん)は岩などの鉱石物を貫くことができない」らしい。言われてみれば、実際受けたのは地中からの不意打ちか直接攻撃ぐらいだ。以前のわたしならまったく信じる気もなかったが、今は疑問の欠片もない。

 

「――理解できたか、魔女?」

 説明し終えた九尾に「ああ」と答えると、澄んだ視線を向けられる。博麗と同じ純粋さを持つ式神に迷いはなく、人間の魔法使いを信頼する気持ちが伝わった。

 互いにうなずき合うとどちらともなく宙を舞い、それまで背にしていた大岩の上へ降り立つ。

 正面に視線を向けると、今にも総攻撃をかけそうな在来妖怪どもが、そろって雄叫びを上げる光景が映りこむ。狼の遠吠えを下品にしたとしか思えない大声は、吸血鬼からの酷な扱いに対しての怨嗟(えんさ)か、その生き方を選んでしまった嘆きなのかもしれない。

 そして、何もかも投げ捨てた死兵と化す前兆でもある。あれだけの数がやけくそを起こしたら、わたしもこいつも瞬殺されて間違いなく地獄行きだろう。

 ……そういや、敵の総数は何体になったんだ? 五十体ほど倒したが、そこから先は数える余裕がなかったが……。計算魔のこいつならカウントしているに違いない。

 そう考えたわたしは、右隣で両袖を合わせている九尾に「敵の数は?」とたずねる。

「現時点で百二十二体。ちなみにスコアは八十二対七十四でわたしがリードしている。質問はそれで終わりか?」

 嫌味な笑顔を向ける九尾の報告は、記憶から抜け落ちていた賭け勝負を鮮明にさせた。その笑顔を目にし、わたしの腸は煮立ち始め、しかめた顔を逸らす。

 敵の数だけ答えればいいのに余計なことを言いやがる。このままだと負け越すじゃないか! ……言いだしっぺはわたしだが。

 やや間を置いて、返答するために九尾を見やる。

「一つある。お前が再起不能になったらどうなるんだ? 主にお前の世話を焼かせる気か?」

 そのように言い捨てると九尾は眉根をつめて睨みつけてきた。それを無視し、正面を向く。

 わたしの目に映った光景は、(せき)を切ったように突撃しだす妖怪どもだった。名もなき平原には、吸血鬼の強大な力に屈服した者達の怒号が響きわたる。メイドと黒マントは今のところ姿を見せていない。また在来妖怪どもの合間をぬって仕掛けるつもりだろう。

 草葉と土煙を散らしながら迫る敵勢力に対し、わたしは〈魔女の目〉の有効範囲を限界まで広げた。半径十メートルの全天周が視界となった事は、脳裏にヴィジョンが焼きつく事を意味する。そんなのは承知の上だ。

 今全力を出さなければ吸血鬼の思うつぼ。余力を残してくたばれば幻想郷が滅んでしまう。外来妖怪から幻想郷を守るためなら視覚がどうなろうと構いやしない。

 わたしが悪必滅の信念を貫く限り、負ける訳にはいかないからだ。

 

 続く。




・魔女の目の元ネタ:TAITOのstg、レイフォースの自機X-LAYの設定から


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第十五話◆鋼の結束【後編】

 

 大岩の上に立つわたしと九尾は互いの背を預けながら、襲い来る妖怪どもを片っ端から始末していた。

「七時方向、八メートルほどに泥田坊。二時方向、九メートルほどに土蜘蛛女郎。十時の方向、十メートルくらいからショウケラ――」

「ショウケラは光に弱い。その他は――」

 わたしが半径十メートル以内の敵を捕捉し、九尾が解析して弱点を示す。この連携はわたし達の長所を存分に発揮した。

 空中の妖怪は魔法や妖術を食らって墜落し、地上の妖怪も同じく地に沈む。夜風が血と燃焼のにおいを鼻腔に運び、怒号と断末魔が耳に響く。

 数で圧倒していた妖怪どもは徐々に減少し、吸血鬼姉弟の攻撃回数もそれと比例した。メイドと黒マントが仕掛けてきたら、魔法と妖術の集中砲火で退かす。これを何度も繰り返した結果、吸血鬼らの手出しが確実に減っていった。

 思った通りだ。

 メイドと黒マントはやはり妖怪どもを盾にしていた。その証拠に、ときおり()えるメイドの異様な笑顔が陰っている。

 ……なぜ最初から九尾とこんな風に連携しなかったのだろう? お互い嫌い合っていたからか?

 いや、違うな……。わたし自身、素直に認めようとせず歩み寄らなかったからだ。今こうしてこいつと結束しているのは、わたし自身の意思に他ならない。

 博麗が口にした「単独行動から生じる結束力」の意味はこの事だと、今になってわかった。たとえ反目し合っていたとしても、困難に対して信じあえば不可能はない――という事か。

 結局のところ不器用なんだろうな、わたし達は……。

 そんな想いを馳せていたとき、妖怪どもの攻撃が激しさを増してきた。〈魔女の目〉で視える範囲の敵勢はあまりにも多く、九尾に情報を伝えづらくなったくらいだ。

 それをこいつが見逃すはずはない。素早く両腕を広げ、大量の〈ヒトガタ〉を全周囲にわたってばらまく。式の憑いた人を模す和紙から一斉に苦無弾(くないだん)が連射され、押し迫る妖怪どもを抑えこむ。

 その直後、「術式を組めっ!」との声が耳に飛び込んだ。叫び声ではあるが焦りや迷いは一切ない。

 九尾の指示を受けた瞬間、わたしは魔導服の両袖をまくり上げ、轟雷魔砲の詠唱を開始する。両手を胸元に運び、包み込むように合わせて浪々(ろうろう)と呪文をつむぐ。

 詠唱が進むにつれ両手の平へ青白い魔力が集束してゆく。魔力のかたまりは徐々に雷球と化し、両手と胸を圧迫しだす。それと同じく両腕に幾重もの魔法陣が浮かび上がり、小麦色の肌を照らし始めた。

 幼いころはこの肌にコンプレックスを抱いていたが、今は亡き母から「お母さんと同じ肌はいや?」と、さとされて気が楽になった覚えがある。

 思い出を振り払ったころ、両腕をつつむ複数の魔法陣が完成した。魔力を制御する低い音がなり、魔法使いにとって心地いいハーモニーを奏でだす。

 長い詠唱が終わると術式は組みあがり、直径六十センチほどに膨張した雷球からいくつもの微小な稲妻がほとばしる。電流特有の痛みが両手と胸に刺す。

 一見すると今にも暴発しそうだが、これでも安定状態だ。あとは引き金となる魔法名を口にするのみ。両手に雷球のしびれを感じつつ、詠唱のあいだ〈ヒトガタ〉でわたしを守り続けてきた九尾に叫ぶ。

「組み終えたっ!!」

「よし! やれっ!!」

 絶叫に近い合図を聞いた瞬間、稲光が乱発する雷球を斜め上空へと押し出す。

「轟雷魔砲〈テスラ・カノン〉」

 両腕を斜め上に突き出し、引き金の魔法名を発す。直後、両手から離れた雷球は満月の立場をうばった。雷球が八メートルほどの上空へ到達したそのとき、数多くの稲妻が激しい音をともなって妖怪どもの頭上に降りそそぐ。絶えることのない落雷が夜の平原を青白く染め、轟音が怒号や悲鳴をかき消す。

 雷球が稲妻を放つたび、複数の魔法陣が両腕に負荷をあたえた。動脈から毛細血管にわたって絞めつけるような激痛が走る。強力な〈魔砲〉の行使には、相応の魔力を魔法陣で制御する必要があるからだ。それに見合う効果は十分あり、雨のごとき雷が妖怪どもを感電死させる。九時から三時方向に視える範囲は、雷がまるで滝のように落ち、まさに“轟雷”そのものだ。

 攻勢に出たのはわたしだけじゃあない。詠唱の時間を稼いでくれた九尾も、さらに大量の〈ヒトガタ〉をばらまいて反撃に転じた。妖怪どもの隙間に潜りこんだそれは、「発」の掛け声とともに爆ぜる。三時から九時方向の敵勢は次々と自爆する〈ヒトガタ〉に成す術もなく巻き込まれ、身体を四散させた。

 わたしと九尾を中心とした半径十メートル以内の光景は、轟雷魔砲と狐狗狸散(こくりさん)によって地獄絵図を描きつづける。妖怪どもがこの世で最後の絶叫を上げているはずだが、雷鳴と爆音がそれをかき消す。焼け焦げと鮮血を嗅ぎすぎたせいか、鼻が麻痺したかのように何も臭わない。

 敵勢力が確実に数を減らすなか、九尾がわたしに心を開いたのだと突然理解した。

 長年こいつを嫌っていたが、今は心の底から信頼している。それまで抱えていた嫌悪感もわだかまりも、もはやどうでもいい。むしろ、「なんでこんな簡単なことが出来なかったんだ?」との後悔すらある。

 こいつが心を開かなかったら、このような逆転劇はあり得なかったはずだ。それに引きかえ、わたしは猜疑心(さいぎしん)を拭いきれなかった。だからこそ、こいつの信頼に応えなければならない。

 〈深読み〉は不要だ。わたしの心に従えばいいのだから……。

 

 雷球は消失し、満月が本来の立場を取り戻す。名もなき平原は妖怪どもの(しかばね)で埋め尽くされていた。そのほとんどは轟雷魔砲による感電死か、狐狗狸散による爆死かに分別できる。互いの切り札を出した甲斐があったようだ。

 死屍累々(ししるいるい)の平原を見渡している九尾が冷淡につぶやく。

「“盾”は、あらかた排除できたな」

 普段どおりの両袖合わす姿勢をとるこいつは相変わらずきつい表情だ。左上腕に巻かれたハンカチが真っ赤に染まっている。淡々とした口ぶりとは裏腹にかなり無茶をしたんだろう。きつめな顔が痛みをこらえているようにも見える。

 それはわたしも同様だ。威力も範囲も重撃魔砲を上回る〈魔砲〉の代償として両腕に激痛が走っている。両腕の表面全体には血が浮くように滲んでいた。はたから見れば赤い汗と思うだろうが、実際は毛細血管が少々傷んだためだ。

 両袖をまくったのは、魔導服に施した術式を気にしたからであり、それ以外の意図はない。

 痛みに耐えながら予備のハンカチで血をぬぐう。その後、残り一本の秘薬を飲み干し、〈魔女の目〉で慎重に周囲を視る。轟雷と狐狗狸散から逃れた数十体ほどの妖怪どもが散り散りにおびえて戦意を失い、十時方向およそ八メートル先にあの姉弟が突っ立っていた。

 黒マントは無表情のままだが、左手で十字架を担ぐメイドは明らかに動揺している。冷静なら引きつった顔で冷や汗をかくわけがない。それに、妖怪どもが一気に減ったとたん、まったく攻めてこなくなった。やはり本気を出せないみたいだ。

 何気なくメイドを見やると視線が合ってしまった。見据える(あお)い瞳は氷のような眼光を放ち、それまで引きつっていた表情が険しいものに変わっている。「よくぞ見破ったな!」とでも思ってるんだろう。

 空っぽの小瓶を右に投げ捨てたわたしは、厳しい顔のメイドに身体を向けた。

「おい、小間使い。『返礼をする』と言っていたが、こんな前菜(オードブル)で満足するとでも思ったか?」

 わたしの皮肉を受けたメイドの顔がますます険しくなる。

「小間使いではなく“ハウスキーパー”とお呼びください。わたくしは紳士淑女(しゅくじょ)に仕える淑女です。あなた方と一緒にしないで頂けますか?」

「おごりたかぶった暴君が紳士だと? 笑えない冗談だな」

 メイドの主張をわたしは一蹴した。

 紳士淑女ってのは、少なくとも気品と礼儀正しさを持つ者だ。断りもなくよそ様の領域へ踏み込み、一方的に侵略を図るようなやつが紳士なわきゃない。おそらく自分たち以外の命などクソ以下にしか考えていないのだろう。この姉弟の在来妖怪に対する行為から、伯爵の品位などたやすく推測できる。

 わき返る怒りを心に押し込んで睨み飛ばしていると、メイドはわたしの眼光よりも言葉に反応し、興味深げな表情を作った。

「スカーレット伯爵をご存知なのでしょうか? ……流暢(りゅうちょう)な言葉に洗練された格闘防御術。ただの魔法使いではないようですね。お名前をお聞かせ願えますか?」

 誰かと問われれば、人妖関係なく必ず名乗り上げるのがわたしの流儀だ。両腕の痛みをこらえ、腰へ手を当て伸ばした背筋でメイドの誰何(すいか)に答える。

芳賀峰(はがみね)妖子(ようこ)。どこにでもいるただの魔法使いだ。三途の川の死神に教えてやれ」

 自分でも過剰だと思える名乗り口上だが、外の世界から来た吸血鬼にはこれぐらいが丁度いい。無表情の黒マントはともかく、メイドは虚脱したような面立ちだ。わたしの迫力に度肝を抜かしたんだろう。

 そんなことを考えていると、背後の九尾が右に並んできた。

「どや顔をさらすのはいいが、彼女らは唯一神をあがめる敬虔(けいけん)な信教徒だ。三途の川も死神も通用しない。あの十字架を見ればわかるだろうに」

 いちいち揚げ足を取るこいつに、これまで信頼してきた気持ちがぐらつく。

 名乗り上げくらい好きにやってもいいじゃないか!

 辛辣(しんらつ)なツッコミに文句を言おうとしたその寸前、わたしの言葉をさえぎるように九尾が右手で制す。

「口を閉じろ。ここから先はわたしの領分だ。お前は口出しせずに大人しくしていろ」

 険しい顔を向けて偉そうな口調にむかっ腹が立ってきた。言い返そうとして九尾の左肩をつかむが、こいつはわたしの右手をつかみ返し、険しい顔を寄せる。

「その両腕の状態で何ができる? まともに使えないのだろう? 魔力は回復するだろうから、いつでも詠唱できるようにしておけ。いいな?」

 小声で指示を出すこいつの瞳にくもりはなく、決意めいた光を放っている。何か企んでいるようなので「何をする気だ?」と声をひそませて問う。九尾はわたしから視線を外し、メイドと黒マントに目を向けた。

「『わたしの領分』と言ったはずだ。お前の魔力回復と腕の痛みが治まる時間を稼ぐ。そこから先はカストミラとクロードを追い込み一点砲火。一本に集束させた妖怪レーザーと重撃魔砲を合体させれば、やつらの再生能力に要する妖力を上回るはずだ。少しでもわたしに信頼を寄せるのなら黙っていろ。そのあいだの安全は保障する」

 ここまで真摯(しんし)に言われると黙るしかなかった。こいつの領分というからには、わたしじゃ無理なことをするつもりらしい。

「……わかった」

 了承の言葉を聞くと九尾は無言でうなずき、それまで掴んでいたわたしの右手を離す。

 両袖合わす見慣れた姿勢をとると大岩の端へ歩き出した。九つの尾を揺らすたび、尾毛が月光を映し返す。確固たる決意あふれる背中に既視感を覚える。「白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)」を髣髴(ほうふつ)する後ろ姿に、こいつと初めて出会った記憶がよみがえった。

 程なくして大岩の端に着いた九尾は、肺腑(はいふ)の限界まで息を吸いこむ。

「わたしは『妖怪の賢者』に仕える八雲藍(やくもらん)。一時休戦を提案したいが如何(いか)に?」

 極端に兵数を減らされたメイドは焦っているに違いない。向こうは本気を出せないし、これ以上の戦闘を継続する余裕なんかないはずだ。その弱味につけ込んで話し合いを持ちかけ、時間稼ぎというわけか。……こっちもジリ貧だが。

 九尾による虚言を用いた交渉は、ウソが嫌いなわたしにとって容易に認められることじゃあない。とはいえ、九尾を信じなかったせいで大混戦になったのは事実だし、余計な真似をしてこれ以上めちゃくちゃになるのはごめんだ。

 わたしの出る幕はなさそうだし、〈魔女の目〉を通して静観しとくか。

 そのように気持ちを切り替えたわたしは、まくっていた両袖を戻し、治まらない激痛に耐えながら腕組みをする。こいつに対するできる限りのフォローは、半径十メートル周辺の生き残った妖怪どもを警戒することくらいだ。

 真円を描く月に照らされた平原で、九尾の狐と女吸血鬼の駆け引きが始まろうとしていた。

 

 ……それにしても九尾のやつ、メイドと同様に声と唇の動きが一致していない。

 異国語を話す九尾に対し、嫉妬(しっと)羨望(せんぼう)の眼差しを向けるわたしがいた。

 

 続く。




・轟雷魔砲〈テスラ・カノン〉の元ネタ:BASTARD!!‐暗黒の破壊神‐の魔法「轟雷(テスラ)


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第十六話◇たばかり合う者たち【前編】

 

「わたしは『妖怪の賢者』に仕える八雲藍(やくもらん)。一時休戦を提案したいが如何(いか)に?」

 大岩の端に立つわたしと草地でたたずむカストミラの視線がぶつかり合う。

「八雲藍さんと仰いましたね。一時休戦とはどう言うことでしょうか?」

 先ほど告げたわたしの提案に、カストミラは巨大な十字架を片手で担いだまま(いぶか)しむ。表情も険しさが増し、碧眼から鋭い光を放っている。そのかたわらに立つ無表情のクロードは、殺意がこもった眼光を絶やさず発していた。

 わたしからやや離れた背後の魔女は、平原に散らばる四十体の妖怪を監視しているようだ。こいつなりのフォローらしい。

 ……あの両腕の状態にもかかわらず律儀なやつだな。

 向かい合うわたしとカストミラのあいだに緊迫した空気が張り詰める。神経を集中させているせいか、口内に酸味にも似た感覚が広がっていた。このような緊張感は嫌いではない。ゆえに気を緩めることなど(もっ)ての(ほか)だ。

 優勢に攻めていた者が一転して休戦を提案する。敵が訝しがるのも当然だろう。それは最大の好機とも言える。この話し合いはわたしの妖力と魔女の魔力を回復させる時間稼ぎだが、それと同時にカストミラの真意を探るまたとない機会でもあるのだ。

 わたしは背筋を伸ばし、毅然と答える。

「あなた方が本領を発揮できないことは察知している。それに至る事情もな。わたしとしては同胞だった者達をこれ以上殺したくはない。せめてこの場にいる者達だけでも解放して欲しい。そうすれば、あなた方の行為を我が主は許されるだろう」

「気付いていましたか。賢者の従者を名乗るだけあって優れた洞察力ですわね。感服いたしました」

 わたしの言葉にカストミラは愛想のいい笑みで返した。口端から覗く鋭利な牙が月光を反射させる。

 あの笑顔はこちらを警戒して作られたものだろう。自分らの弱味をにぎられ、わたしの狙いをうかがう。当然の反応だ。

 あの女吸血鬼、驚異的な能力の他に弁も立つようだな。そうでなければ弱味を握った相手に愛想笑いするはずがない。

 疑心が募りつつ、わたしは平静を装って答える。

「それはどうも。それで、解放していただけないだろうか?」

 わたしの声にカストミラはやや間を空けて返答した。

「条件によりますわね。わたくし達は、あなた方からみて侵略者にあたります。あなたの提案が『罠ではないか』、と疑いを抱いている事もお忘れなく」

 そう思うのは当然だ。返答の直前まで思考を巡らせていたに相違ない。ここは対等な立場であることを強調し、利害関係があることを示すべきだろう。

 わたしは咳払いをしたのち「失敬」と前振りした。

「そう思われても仕方がない。しかしわたし達も同じ疑惑を抱いている。この場がお互いの疑いを解くまたとない機会であると認識していただきたい」

 互いが対等の立場だと主張したわたしに、カストミラは愛想笑いを崩さずそのまま沈黙する。おそらくこちらに対する猜疑心(さいぎしん)が吹き荒れているのだろう。

 それでいい。じっくり悩め。長考するほどこちらにとって好都合だ。

 心中でほくそ笑んでいると、そよ風がわたし達のあいだに吹き込む。一陣の風は、妖怪の(しかばね)で埋め尽くされた大地からわずかに覗く草葉を揺らし、血と焦げが混じった不快な臭いを吹き飛ばしてゆく。まるで大自然が(よど)みきった大気を浄化させているようだ。

 耳にするのは風鳴りと草葉が擦る音のみ。それ以外は静寂が支配している。この長い沈黙が可能な限り続いてほしいと願っていたが、わたしの望みは叶わなかった。

「承知いたしました。では、わたくし達の要求を述べさせていただきます。そこの魔法使い、芳賀峰妖子(はがみねようこ)さんを差し出してもらいましょう」

「なんだって!?」

 カストミラが出した条件に、魔女は素っ頓狂な声を上げた。振り返ると、腕組みの姿勢で立つ魔女が大きく目を見開いている。

 驚愕した表情でそんな声を出されては、カストミラに付け入る隙を与えかねないではないか!

 わたしは「黙っていろ」と魔女を制したのち、正面に向き直る。

「理由を聞かせて欲しいのだが……?」

 聞くまでもない疑問をあえてたずねた。おおかたこの魔女を伯爵に献上するか、禁を破って吸血する気だろう。

 勢力の大半を失ったからには、主の下へおめおめと戻れるわけがない。仮にカストミラが伯爵へ叛意(はんい)を抱いているのなら、魔女の生き血を吸うつもりだ。

 いずれにせよ、到底のめぬ条件だな。もっとも、休戦する気もないが。

 わたしが推測を二つに絞り込んだと同時、カストミラはそれまで担いでいた十字架を草地に下ろす。月光に映える白肌の手を離すと、巨大な十字架が大地に倒れる。その際、腹に響くような音をたて、相当の重さだと実感した。

「愚問ですわね。伯爵への献上品に決まっていますわ。その要求をのんで頂けるのであれば、わたくし達はこの場に残った者達を解放すると約束いたしましょう」

 左の手の平を上に向け、カストミラは理由を明かした。愛想のいい顔を不気味な笑みに変えてはいるが、瞳から真剣さが伝わる。

 ……ふむ。推測した通りだが、こうもすんなりだとそれはそれで信用し難い。一人の人間に執着しているとも考えられる。狙いは魔女の血か? その理由を明確にさせる必要があるな。

 わたしは一度うつむき加減で顔をそらした。相手の要求に対し、ためらうような素振りを見せるためだ。この仕草でわたしが迷っているとカストミラに思わせれば主導権を握れるだろう。

 考えあぐねるふりをしたのち、わたしは正面を見据えた。

「たいへん心苦しいが、別の条件に変更願いたい」

「あら、それはなぜでしょうか?」

 わたしの返答にカストミラは怪訝(けげん)そうな表情を作る。小首をかしげる表情とは裏腹に、思考を巡らせているとみて間違いない。

 一人の人間と引き換えに妖怪四十体の解放。はたからみればこれ以上の好条件はないだろう。

 ――やつらにその気があれば、だが。

 紫様へ弓引く者は万死に値する。少なくともわたしは許さない。しかし、生き残った者達が相応の態度を示せば話は変わる。戦意を失った以上、敵にとっては取引材料以外に使い道はないだろう。

 幸いにもカストミラは話し合いに意識を集中しているようだ。もし攻撃の意思があるのなら、早くからわたし達に襲い掛かっていただろう。こちらの意図を察している様子はない。

 わたしはカストミラの本性を探るべく、深く息を吸い込んだ。

「今現在この魔女は、我が主である八雲紫様の所有物だ。主の許可を得ずして引き渡すわけにはいかない。主に仕える立場ならばわかっていただけるはずだ、“ミセス”カストミラ」

 魔女にその気はないだろうが、紫様の能力が施されているからにはその支配下だといえる。わたしはウソを言ったわけではいない。

 その直後、背中側から不快げな声を耳にする。

「誰が所有物だ?」

 話の腰を折られ、しかめた顔を逸らす。肩越しに振り向くと不快感をあらわにした魔女が睨んでいた。話を邪魔されたことに苛立ちが募る。

 この魔女、わたしとの約束を忘れたのか?

「大人しくしていろと言ったはずだ」

 小声で凄むが、それで引き下がる人間ではない。大事な場面にもかかわらず、こいつはなおも食って掛かってきた。

「それにあのメイドがミセスだと? 旦那は誰だ? 人狼か?」

 ……この魔女が「釈然としないことを明確にさせる」という性格を失念していた。こいつを黙らせるには、簡潔にハッキリと説明したうえで念を押す以外にない。

 小さなため息を漏らし、わたしは魔女に眼光を飛ばす。

「メイドの頂点たるハウスキーパーは、既婚や未婚に関わらず“ミセス”が敬称だ。わかったのなら口を閉じていろ。わたしが問うまでな」

 わたしの言葉に納得したのか、魔女は口を摘む仕草で応え、目深に帽子を被りなおす。

 まったく、下らぬ質問を場違いな時にしてくれる。やはり〈風呂のフタ〉だ、こいつは。

 わたしの苦悩をよそに、魔女は無表情の仮面を作っている。正面に顔を戻すと、微妙な表情をしたカストミラの姿があった。呆れるようなバカにしたような顔を向けられて心が乱れそうになる。それを「失礼」とごまかすと、カストミラは感嘆の吐息を漏らす。

「ほう……。ハウスキーパーの詳細を理解しておられるようですね。もっと早くあなたとお会いしていれば、いい友達になれたでしょうね」

 憂うような表情に加え、悲観ともとれる声を聞き、彼女の本心に思えてしまう。だがそれは親近感を持たせるための話術であり、向こうの条件をのませようとする魂胆に他ならない。

 ひとつ言えることは、魔女の身柄に固執している点だ。

 伯爵に忠を示して献上するか、それとも禁を破って吸血するか。

 魔女をどうするかでやつの本性がわかる。

 わたしは改めて表情を引きしめ、ただした背筋で毅然と答える。

「それはこの話し合いを終えた後にしよう。話を戻すが、仮にこの魔女を差し出したとして、生き残った妖怪達の安全が保障されるとは限らない――との懸念がある」

 わたしの言葉にカストミラの表情が再び気味悪くゆがむ。

 おそらくここが正念場と判断し、一気に畳み掛けるようだ。次の発言ですべてがわかる。それを聞き逃すまいと、わたしは全身を“耳”にした。

「約束は守りますわ。わたくしを含む館の者は、生命の重みを尊重しておりますから」

 左腕の幅を大きくするカストミラの言葉に、違和感が波紋のように広がる。違和感はすぐ憤りに変わった。

 妖精たちを(なぶ)り殺しておいて何が「生命の重みを尊重する」だ! 反吐が出る!! 生命の重みをわかる者が、他者に対してこうも暴虐を働くはずがない!!

 今の発言で、わたしはハッキリうそだと確信した。憤る気持ちを抑え、カストミラに矛盾を問いただす。

「……館周辺の妖精らを嬲り殺し、湖近辺の妖怪達に対する酷な扱い。それらの行為におよんだ理由をお聞きしたい」

 低い声で問いかけたわたしに、カストミラはいたって落ち着き払った態度で返す。

「その件に関しましては、すべて伯爵のご命令に従った結果ですわ。わたくし達も本当はこのような酷い事などしたくはなかったのですが、主の意思を優先させる事こそ従者の務め。この心得は、同じ立場であるあなたでしたならおわかり頂けると思うのですが、八雲藍さん?」

 カストミラの弁明を聞いた直後、わたしは心中で呆れ果てた。

 筋は通っているが、それだけだ。口数が多い割にはあまりにも薄っぺらい。おおかた献上品の話も大ウソだろう。

 この程度の弁舌でわたしを言い包められると思っているようなら、馬鹿にしているとしか考えられん。

 カストミラの異様な笑みに今更ながら嫌悪感を覚える。明らかにわたしを――いや、幻想郷に住む者を愚弄(ぐろう)している態度だ。

 しかし、感情をあらわにするわけにはいかない。なぜなら話し合いはまだ終わっていないからだ。

 どうやらこちらを舐めきっているらしい。ならば受けて立つまで。ご破算させるには、それなりのきっかけが必要だな。

 募る嫌悪を心の奥へ追いやり、わたしは顎を引き、抑揚(よくよう)のつかない声でカストミラに問う。

「つまり、本意ではなかった――と?」

 わたしの言葉に対して女吸血鬼は左手の平を上に向け、過剰なほど笑顔を見せる。

「わたくしの意思よりも伯爵の意思が大事か、と問われておいでですか? ええ、その通りですわ」

 カストミラの返答に、わたしは話し合いの潮時を悟った。

 質問を都合よくすり替え、体裁を取りつくろったか。聞いてしまえば意外とあっけない最後だな。だが、茶番劇の幕引きとしては丁度いい。後は“打ってつけなやつ”にこの場を破綻させるだけだ。

 わたしはカストミラから視線を外し、肩越しに背後の魔女を見やる。

「――だそうだが、聞いていたのだろうな?」

 あらゆる事柄を〈深読み〉するこいつのことだ。話し合いの内容を聞き、カストミラのウソに気づいているとみていいだろう。

 わたしの問いに魔女は腕組みを解く。

「ああ、全部聞いていた。メイド、わたしにウソは通用しないぞ」

 魔女は腰に両手を当て、無表情で冷たい眼光を飛ばす。こいつの目線をたどると、わずかに頬を引きつらせているカストミラの姿があった。気味の悪い笑みを崩さないことから、おそらく動揺を隠しているのだろう。

 さて、魔女の詰問にどのような弁明をほざくか……。見ものだな。

 わたしは正面のカストミラを見据えた。

「ウソですって? 何を根拠にそう仰るのでしょうか?」

 白を切る女吸血鬼に対し魔女の言葉が容赦なく襲う。

「お前は最初から妖怪どもを解放する気がなかった。むしろ追い詰められた際の取引材料程度にしか考えていない。わたしの身を『献上品』と称しておいて、隙を突いて吸血するつもりでいたな?」

 カストミラの笑みが陰る。どうやら図星のようだ。

「それと“質問に質問で返し、自分が発した質問に答えた”。互いの立場をわきまえた話し合いにもかかわらず、自分が賢いように見せてわたし達を格下扱いした証拠だ」

 その点に気づいていたか。この魔女、意外と抜け目がない。その証としてカストミラの笑みが完全に消え失せている。

「そもそも、首にさげた十字架と相反する行動をしておきながら、それは伯爵の命令だとぬかす。チグハグじゃないか! お前は(しゅ)(あるじ)、どちらに仕えている!?」

 語気を強める魔女に指差され、カストミラは「それは……」と声を詰まらせた。頬がますます引きつり、額に油汗を滲ませたその表情は、隠しきれない動揺に他ならない。

 二十を数える時間が経ったころ、黙り込んでいたカストミラが口を開く。

「……それは伯爵に決まっていますわ。伯爵は、わたくしを含むすべての従者に、これまでと変わらない生活を約束されたお方です。わたくし達が不本意であったとしても、従者達の未来を危惧されたことに変わりはありません」

 己の胸に左手を当て、カストミラは熱弁をふるった。真剣な表情と眼差しから本心を明かし、熱意を伝えようとする努力がうかがえる。しかし、わたしには無意味だ。

 一聞するともっともらしいことを言っているが、その実きれい事で飾った責任転嫁に過ぎない。それに加え、彼女らが紫様の提唱される「変化を求める心」を理解するとは思えん。

 化けの皮が剥がれたな。

 カストミラの返答に両拳を引き込んで「ふざけるな!」と魔女が怒鳴る。それを後ろ手で制し、わたしは紫様のお言葉を引用した。

「……紫様は、『変わらぬ時代に固執する者』を必要とはしないお方だ。これ以上の話し合いは無意味。お前(・・)とは友達になれないな、ミセス」

 冷たく放ったわたしの言葉を受け、女吸血鬼は呆然とたたずんでいた。その瞳に光はなく、さんざん見せていた不気味な笑みなど微塵もない。

 余裕がないほど追い詰められたのだろう。叩くのなら今だ。

 わたしは振り向くことなく背後に立つ魔女へ確認を求める。

「準備はできているんだろうな?」

「いつでも」

 口数少なく答えたことから、魔力と腕の痛みは回復したようだ。

 身体中に流れる妖気が満ちあふれる。わたしは妖力が全快したと実感した。

 そのとき、カストミラの表情が悲哀一色に急変した。瞳をうるませて目尻が下がったその面立ちは、心の底から嘆いているように思える。

 いったい何の真似だ……?

 猜疑心であふれかえるわたしをよそに、カストミラの口から悲観する言葉が出る。

「わたくしは真実だけを申し上げております。すべて伯爵の命令に従った結果であって、わたくし達の本意ではございません。館にいるほとんどの者は敬虔(けいけん)な信教徒です。『汝の隣人を愛せよ』との戒律を守る以上、この期に及んでなぜウソをつけましょうか? どうかわたくしの話を信じてください」

 左腕の幅を広げ、カストミラはわたし達に懇願を示す。その態度を目にしたわたしは再び呆れ果てて吐息し、魔女に至っては大きく肩をすくませていた。

 まだ茶番を続ける気らしい。どうあっても魔女の身を確保するつもりか? だとしたら、やつの考え方は人間以下のようだ。ならば逸早く魔女との合体攻撃でまとめて滅ぼすとしよう。

 腹の虫が暴れるような気持ちを抱えたわたしは、浅はかな吸血鬼をどのような策で一箇所に追い込むか思案する。

 視界に一匹の蝙蝠(こうもり)を捉えたのは、そんなときだった。

 

 続く。



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第十七話◇たばかり合う者たち【後編】

 拠点の方角から飛来した一匹の蝙蝠(こうもり)は、わたしと魔女ふくむ平原に存在するすべての者達を確認するかのように、満月が浮かぶ夜空を旋回し続けていた。夜半に蝙蝠など珍しくもないが、黄金の輝きを放つとなると話は別だ。

 ただでさえ目立つ黄金の蝙蝠は、この場に生存する者たちの目をとらえて離さない。特にカストミラは強い反応を示し、それまでの悲観さがウソのように消え、表情を引き締めている。その背後にたたずむクロードは相変わらず無表情のままだ。

 おそらくあの蝙蝠が伝令と思われるが、それにしては到着が遅すぎる。もしや紫様の方にも何か支障をきたしたのかもしれない。

 わたしの心に不安の嵐が吹きすさぶ。

 すぐにでも紫様が居られる拠点に駆けつけたいが、それはできない。我が主は「作戦が破綻した場合は各自の判断に任せる」と仰っていた。敵を目の前にして主の元へ赴くことは、戦闘を放棄することに他ならない。それはわたしに変革の道を示された紫様の意思に背く行為だ。

 主の期待に応えることこそ従者ができる最大の恩返し。わたしはまだ紫様に恩を返してはいない。

 そのように新たな決意をしたとき、魔女が左隣へ歩み寄ってきた。

「……あの派手な蝙蝠が伝令らしいな」

 顔を向けると、こいつは腕組で夜空の蝙蝠を仰ぎ見ていた。月明かりに照らされた顔はクロード張りの無表情だが、瞳に疑惑を見抜こうとする色がある。どうやら〈深読み〉しているようだ。

 それにしてもこいつ、いったい何を根拠に〈深読み〉している?

 わたしが思案するなか、魔女は視線を正面に戻して結論づけた。

「今ごろになって到着という事は、博麗達にも何かあったか?」

 そのような推測を立てた魔女に心中で嘆息する。わたしとまったく同じ考えを口にしたからだ。

 同じ結論に達するとは大した妄想力だな。もしや紫様は、こいつの〈深読み〉を未来予測の一種と認識していたのかもしれない。……そういえば、あの巫女も直感を「(かん)のささやき」とか言っていたな。

 それは後で考えるとしよう。今は伝令の動きが重要だ。

 わたしは夜空に羽ばたく蝙蝠を再び見やる。

 名もなき平原を隅から隅まで探るように飛び回った黄金(こがね)色の蝙蝠は、やがてカストミラの顔前へおもむき、そして滞空した。その直後、女吸血鬼の引き締めていた表情がつのる。わたし達にさんざん見せ付けていた薄気味悪い笑みはない。どうやらあの蝙蝠はカストミラよりも格上な吸血鬼のようだ。

 黄金(こがね)の蝙蝠が叫ぶ。

「カストミラ! 現状任務を放棄して今すぐ戻りなさい!」

「これは四天王のジョセフィーヌ様。そんなに慌ててどうなさいました?」

 ジョセフィーヌと呼ばれた蝙蝠がひどく動揺した声を張り上げる。それに対し、カストミラは落ち着いた態度を取っていた。

 やはり幹部か、あの蝙蝠。それにしてもあの慌てようはなんだ?

 わたしは聴覚に意識を注ぐ。

「二時間ほど前、二人の襲撃者が館に殴りこんできたわ。最初はたかが二人と(あなど)っていたけど、想像以上の被害が出てるのよ。『賢者』と名乗る妖怪はわたし達四天王で辛うじて抑えてるけど、もう一人の女が問題だわ! 人間のくせしてあの女、中庭の武装グールも人狼部隊も壊滅状態にしてくれちゃって……! 伯爵自ら中庭に迎え出ると仰ってるわ!」

 語尾に近づくほど蝙蝠の焦りが増してゆく。そんな彼女に「なるほど。それは大変な問題ですわね」と答えるカストミラだが、落ち着き払った態度が不自然に見えた。何かバツが悪そうな素振りだ。

 不自然な態度のカストミラに、ジョセフィーヌと呼ばれた黄金の蝙蝠が「何をのんきなこと言ってるの!」と声を荒げる。彼女らの会話を聞いていたわたしの心は疑問であふれ返っていた。

 話の内容から、紫様は四体の手練(てだ)れを相手に奮闘されているようだ。だがあの〈昼行灯(ひるあんどん)〉、紫様を差し置いて伯爵と勝負するつもりか!? 出しゃばるにも程がある!

 わたしが心中で憤っていると、隣の魔女は誇らしげにつぶやく。

「博麗、絶好調じゃないか」

 左に視線を向けると、無表情だった魔女が八重歯を覗かせていた。腕組みを崩さないこいつの表情は、先走った時とは別人のような信頼に満ちた笑みを浮かべている。

 調子のいい事をぬかすやつだ。誰のお陰でその自信を取り戻せたと思っている……!

 心中でぼやいて正面へ向きなおり、わたしは再び全身を“耳”にした。

 一方的にまくし立てる蝙蝠へカストミラが適当な相槌を打ち続ける。その光景は蝙蝠の発言によって崩された。

「現地調達した雑兵(くずども)がことごとく()られてるのはどういうわけ!? あなた、こんな辺ぴなド田舎の負け犬二匹にやられて恥ずかしくないの!?」

 図らずとも蝙蝠の口から真実が暴かれ、カストミラの表情が急激にくもる。

 カストミラが「あ……」と漏らした直後、わたしは魔女に「今の聞いたな?」と確認したところ、「なにが『隣人を愛せよ』だ」と、しかめっ面で返してきた。

 ウソを上塗りした報いだな。

 血の気が引くカストミラを無視し、蝙蝠は立て続けに責め言葉をぶつけた。

「制圧完遂の褒美に吸血解禁を伯爵へ願い出たのはあなたじゃない! どう見ても失敗としか思えないわ! 今すぐ撤退して救援に来なさい! わたしの言葉は伯爵の言葉よ!」

 沈黙するカストミラを見たわたしは、事の大筋を理解した。

 

 伯爵は姉弟の真価を恐れ、吸血禁止を命令。その命令に不満を抱えてきた姉弟は、幻想郷侵攻の手柄と引き換えに解禁を望んだ。

 伯爵の目的が「住み難くなった外の世界を捨て、新天地として幻想郷を選んだ」と仮定すれば、姉弟の望みを聞き入れてもおかしくはない。征服してしまえば(かて)となる人間を独占し、優位に立てるのだからな。

 以上の点をまとめると、カストミラは伯爵に踊らされているようだ。女吸血鬼がそのことに気づいているのなら、伯爵は手強い反逆者を生むことになるだろう。

 

 ――そんなところか。身から出た錆とはよく言ったものだ。

 使い古された(ことわざ)を思い出したそのとき、蝙蝠からの叱責に押し黙っていたカストミラの妖気が増大しだした。わたしはそれに凍てつく殺意を感じ、先ほどまとめた推測を思い返す。

 わたしの推測が正しければ、最悪な局面だ!

 魔女も殺気を感じてか、無表情で身構えている。

 カストミラの表情がゆがむ。血色を取り戻した頬――。

「承知いたしました。そちらは劣勢なのですね?」

 吊り上った口端――。

「だからさっきから言ってるでしょ!? わかったらさっさと――」

 とつぜん蝙蝠を掴んだ左手――。

「ジョセフィーヌ様。伯爵にお伝え願います」

 月明かりを反射させる牙――。

「伝えるって何よ!? それ以前にその手を離しなさい!!」

 冷たく光る碧眼。そして――。

「ここから先は競争です――とねっ!!」

 満面に広がる不気味な笑み。

 離反を宣言した女吸血鬼は、立場が上であるはずの蝙蝠をにぎりつぶした。周囲に絶叫が響き、金粉にも似た粒子が霧散する。

 吸血鬼の能力のひとつとして「蝙蝠の群れへの変化」があるが、損失すると相応の苦痛を伴うようだ。

 握った拳を顔前で凝視したカストミラは、程なくして不気味な笑みを一層ゆがませ高らかに笑い出す。腹の底から発す笑い声は実に禍々(まがまが)しく聞こえ、名もなき平原のすみずみまで響き渡った。背後に控えるクロードの無表情さと差があり過ぎるせいか、その笑顔はわたしと魔女や周りの妖怪達を黙らせるほどだ。

 魔女の固唾(かたず)を飲む音が耳に入る。カストミラの奇行に肝を冷やしているのだろう。

 ひとしきり笑うと、カストミラはこちらに視線を移す。興奮が落ち着いたのか、いたって穏やかな面立ちだ。その穏やかさが不安を増大させた。

「失礼いたしました。身体の一部を潰されたくらいで大げさに絶叫しなくてもよろしいでしょうに。吸血鬼の恥さらしですわね」

 言い終えたのち、痛快な笑い声を上げた。やがて彼女は落ち着いた態度で話し出す。

「これほど晴れやかな気持ちは久方ぶりでしたので、少々はしゃぎすぎてしまいましたわ。それにしても良いものですわね、正直になる事は。あなた達もそうは思いませんか?」

 それまでの鬱積(うっせき)を晴らしたかのような余韻にひたるカストミラだったが、清々しい顔とは真逆の殺意を放つ。

 何と言うことだ。やつめ、追い詰められた挙句に開き直ったか!

 戦慄(せんりつ)を覚えたわたしは、周りの妖怪達へ叫んだ。

「お前達、紫様に謝罪の意思があればすぐ逃げろ! 口添えはしてやる! とにかく逃げろ!」

 逃走を促したのは戦闘の邪魔になるからであり、何もこいつらを許した訳ではない。

 戦意を失った妖怪達は、わたしの叫びを理解していっせいに逃げ出す。だがその直後、複数の稲妻と槍鞭(そうべん)が妖怪達を襲う。

 あの姉弟、使い道がなくなった妖怪達を始末する気だ!

 次々と妖怪が倒れるなか、左から魔力の集束を感じた。隣を見たその瞬間、般若(はんにゃ)の形相の魔女が魔法を行使する。

「爆裂魔法〈スプレッド・フォース〉」

 手毬(てまり)ほどの光弾がカストミラ目掛けて一直線に飛ぶ。着弾後、爆発の光と音が夜を支配する。爆裂魔法を食らった姉弟は、爆発の衝撃によって身体を四散させた。だが、強力な再生能力によって数十秒もたてば復活を果たす。妖怪達を逃がすための時間稼ぎだろうが、一度悪だと決めたこいつがたやすく考えを改める訳がない。

 わたしは疑問を般若顔の魔女にぶつけた。

「悪必滅を貫くお前らしくもない。どういう心境の変化だ?」

「優先順位を守っただけだ。それにあのメイドのやり方が気に入らん」

 即答した魔女は、般若の形相から無表情に変え、こちらを向く。わたしを見据える瞳は、熱い光を絶えずともしている。信念を変えたわけではないようだ。

 十七体の妖怪が犠牲になったが、こいつのお陰で残り二十三体は逃げ切れたのだから文句などない。

 奇妙な満足感を得て安堵するわたしに魔女の頬がゆるむ。

「お前らしくないぞ、その顔。それよりも、どうやってやつらを一箇所に追いやるか教えてく――」

 そのとき、わたしの視界から魔女が消えた。横合いからの突風が魔女をさらったのだ。右の耳に魔女の絶叫が聞こえ、そして遠のく。強烈な風がわたしの衣服を左から右へなびかせる。風上を背にしてこらえながら目にしたものは、およそ十五メートル吹き飛ばされて草地に転がる魔女の姿だった。おそらくカストミラが突風を起こしたのだろう。

 状況を把握した直後、焦燥の津波が襲う。

 これでは合体攻撃ができない!!

 急いで魔女の元へ向かおうとするも、わたしの前にクロードが立ちはだかった。無表情から放つ殺気があらゆる行動を奪う。阻まれたことへの焦りは瞬時に怒りとなって身体を震わせた。

「どけっ!」

 怒鳴り声が聞こえないようなクロードの反応のなさに、怒りが倍増する。

 眼光をぶつけるわたしの真上からカストミラの声が響く。

「クロード。わたくしが血を吸うまでのあいだ、八雲藍さんの相手をなさい。頼みましたよ」

 夜空を見上げると、嬉々とした表情のカストミラが魔女の元へと飛び去っていった。このときになってわたしはカストミラの真意を悟る。開き直った吸血鬼は死兵よりもタチが悪い。

 蝙蝠を握りつぶす直前、「ここから先は競争」との発言から伯爵と争うことは明白だ。吸血鬼同士の覇権争いによる被害は予測できない。そうなれば幻想郷は戦国時代どころか真の意味で地獄と化す。「敵の敵は味方」とはいうが、これほど宛にならない言葉はない。

 カストミラの叛意(はんい)を予想しておきながら、それをみすみす許してしまうとは……。明らかにわたしのミスだ。

 このときばかりは詰めの甘さを思い知った。

 何としでもカストミラの吸血を阻止せねばならん。幻想郷をカストミラと伯爵との戦場にするわけにはいかない。そのためには眼前のクロードをかい潜る必要がある。

 紫様が真摯(しんし)に愛しておられる幻想郷の防衛。それがわたしに与えられた使命なのだ。

 

 続く。



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第十八話◆不退転【前編】

 

 突風に飛ばされたわたしは正直いって参っていた。なぜなら、開き直ったメイドと一対一の戦いを強いられたからだ。

 本来の予定では、九尾と吸血鬼姉弟をどこか一箇所へ追い込み、一本に集束させた妖怪レーザーと重撃魔砲による合体攻撃でおしまいのはずだった。ところがわたしはメイドに吹っ飛ばされ、九尾は黒マントに阻まれたといった状況だ。なんとかして九尾と合流したいが、メイドはその隙を与えてくれない。どうやら合体攻撃は出来そうもないようだ。

 魔力が全快したとはいえ秘薬を使い果たしたこっちと違い、あっちは満月が浮かんでいる限り無尽蔵な妖力を持つ。メイドがいつから血を吸っていないか知らないが、人間と吸血鬼との力の差は歴然。しかも満月のお陰でパワーアップしているのでタチが悪い。

 この不利な状況のなか、わたしは思考をフル回転させた。その結果、三つの可能性を見出す。

 一つ。妖力を封じる。魔法なら封印できるが、そもそも魔力と妖力は別物なので却下。

 二つ。妖力の源をつぶす。満月の破壊は不可能だし、霧の魔法で月光を遮断しても、メイドが繰り出す突風に散らされるのでこれも却下。

 三つ。メイドを力押しで倒す。九尾が言うには、「再生に必要な妖力を超える攻撃力なら倒せる」らしい。

 増術魔法で重撃魔砲を底上げできるはずだが、一度も試したことがないし、たぶん合体攻撃の威力には及ばないだろう。しかし、現時点で実行可能な手段であるし、やる価値は十分にある。それに九尾と合流できないのでこの方法以外にない。

 わたしはとんでもないゴリ押しを選ぶしかなかった。

 

 大岩から十五メートルほど離れた平原の草地に、わたしとメイドは向かい合っていた。その距離およそ五メートル。吸血鬼にとっては一足飛びで縮められる距離だ。

 右手をロングスカートのポケットに突っ込んだままのメイドは、異様な笑みで冷たい眼光を放つ。在来妖怪らを掃滅させたときの動揺は微塵(みじん)もない。むしろ開き直ったことで余裕を取り戻したとも言える。なんせ吸血禁止を命じた伯爵から離反したんだから当然だ。

 狙い定めるような眼差しが恐怖をあおる。

 やばいから逃げろ! 死ぬ気か!? どう考えても勝てっこない!

 頭脳に危機を知らせる警告が響く。しかし悪必滅の三文字がそれを上回り、わたしをこの場に留まらせた。

 自分自身の士気は問題ないが、〈魔女の目〉は万全とは言いがたい。太陽を直視したのと同様に、ヴィジョンが薄っすらと焼きつきを起こしている。逃げたはずの妖怪どもが(おぼろ)げながら()えてしまうので〈魔女の目〉はもう限界だ。だが解除できない理由があった。

 ……メイドが巨大な十字架を持たないのが気になる。あれだけ重そうな得物を担いでいたんだから、おそらく身軽になるため手放したんだろう。てことは天狗以上の速度を持つと思われる。その動きを把握する必要があるので、このまま発動し続けるしかない。

 そんなことを考えていると、メイドは気味悪い笑みのまま左の人差し指を突きつける。

「しばらくぶりの生き血ですから、それ相応に味付けさせていただきますわ」

 ゆがめる笑顔と嬉しそうな声に寒気が走る。

 味付けと言うからには、人喰い妖怪と同じく精神的に追い詰め、絶望させたところで吸血するつもりだろう。

 かすかに舌を覗かせるメイドに対して、わたしは飛行魔法で草地から足を浮かせた。こいつの動きにいつでも対処できるようにするためだ。

「やなこった。吸血されてたまるか。どうしても血を吸いたければ(しゅ)に祈れ。『哀れなわたくしに生き血を与えたまえ』とな」

 地表すれすれに滞空するわたしは、はやる気持ちを抑えつつ詠唱し始める。その隙を突いてメイドが跳躍した。左腕を後ろに引き、一瞬で距離をつめる。わたしの顔めがけて貫手(ぬきて)を放つ。それを寸前でかわす。右頬が風圧に揺れる。

 天地が逆転したのはその直後だった。竜巻に飲まれたわたしは一瞬で上空へ吹き飛ばされる。

 意思に逆らい上昇する身体。呼吸すらままならない強い風。

「強風にお気をつけなさいませ」

 メイドの声が遠のくころには十メートルほど飛ばされ、全身が悲鳴を上げる。だが、わたしにとっては好都合だ。組み終えたこの魔法は一定の距離を取ることで効果がある。

 夜空に放られたわたしは、崩した体勢のまま両腕を広げた。

「分身魔法〈ブランチ・フォース〉」

 左右に三つずつ光球が飛ぶ。横一列に並んだそれは、すぐさま“わたし”となった。これは魔力で作った幻影であり、六人分の攻撃力になったわけじゃあない。だが目くらましの効果としては十分だ。

 やがて、地表すれすれまで降下した“わたし達”は右腕を同時に突き出す。やつとの距離は約七メートル。その距離を保ち、増術魔法の詠唱を始める。

 メイドは驚くでもなく口を開いた。

「あらまあ、たくさん増えましたね。本物はどれなのでしょうか?」

 七人のわたしを見渡すメイドは、ワザとらしく左頬に手を添えた。

 ……いちいち鼻につく仕草だ。

 (はらわた)煮立つ気持ちを抑えて答える。

「七分の一の確率だ。当たれば特賞を、外れたら残念賞をくれてやる」

 横一列に並ぶ七人のわたしから同時に答えられ、メイドは片眉を吊り上げる。本体を見抜こうとしているようだ。そのあいだ、あちこち移動させた幻影にまぎれて右方向へ動く。メイドは顔と目で幻影を追っている。

 わたしは呪文をつむぐ。メイドを中心に、半径七メートルほどの範囲で滑空する幻影らが詠唱しだす。右手に集まった魔力が金色の輝きを放ち、術式は完成した。右腕を夜空へかかげ、魔法名を発す。

「増術魔法〈ブースト・フォース〉」

 その直後、わたしの身体は金色のオーラで覆われた。当然メイドを囲む幻影もオーラに包まれる。

 この魔法は、次に行使する魔法の威力を四倍まで増幅できるんだが、魔力の消費も相応に跳ね上がってしまう。これで重撃魔砲を最大まで増幅すれば、わたしの魔力はほとんど残らないはずだ。合体攻撃に比べたら威力は劣るだろうが、九尾と合流できないからには自前で何とかするしかない。

 チャンスも行使も一回限り。外せば後がないが当てれば望みはある。

 ……大丈夫。きっとうまくいく。

 プレッシャーに押しつぶされそうな気持ちを奮い立たせる。わたしは右袖をまくり上げ、重撃魔砲の詠唱を開始した。

 

「わからない魔法使いさんですね。その魔法はわたくしを含む吸血鬼には通用いたしませんよ」

 周りの幻影を目で追いつつ、メイドは薄気味悪い笑みを浮かべていた。再生能力からくる自信だろう。だからこそ増術魔法をかけたんだ。

 六つの幻影を操り、わたしは口を開く。

「この〈魔砲〉は特別だ」

 七人のわたしが八方から答えると、メイドは十時方向の幻影に身体を向けた。

 わたしは詠唱を続ける。右手に銀色の魔力が少しずつ集束し、右腕にも複数の魔法陣があわく浮かぶ。増術魔法の影響か、集まる魔力が右手をしめつける。魔法陣も同様に右腕を圧迫しだす。

 最大まで増幅した重撃魔砲を行使すれば、わたしの右腕はただでは済まないだろう。なんせ、こんなのは初めての事だからな。当然、必中させなければならない。

 焦燥と不安と重責がない交ぜになる。そんなとき、信念である「悪必滅」の三文字と、果たすべき博麗との約束が頭に浮かび、わたしを勇気づけた。

 重撃魔砲の術式が組み上がるなか、メイドは手近な幻影相手に動きだす。

「こちらでしょうか?」

 そうたずねながら均整のとれた身体をひるがえす。

 なびく黄金(こがね)の短髪と藤色のメイド服。バランスを取る左腕とポケットに突っ込んだままの右腕。裾が広がるロングスカート。限界までひねる上半身。真横に構える陶磁器のような白い右足。

 直後、メイドは藤色の旋風と化す。繰り出した回し蹴りが“わたし”をとらえる。高速の蹴りを食らった幻影は砕けるように左方へ飛び散った。一度は耐えたとはいえ、あれをまともに食らったらと思うと全身が凍りつく気分だ。

 手応えのなさにメイドは「あら? 外れでしたか」とつぶやき、周りを見渡す。まるでくじ引きを楽しむかのような表情だ。その姿を視ながらわたしは詠唱し続ける。もちろん一定の距離を保つことも忘れない。

 魔力と魔法陣の密度が増す。

 術式が組み上がるまであと少しだ。それまでの時間がほしい。

 そう考えたわたしは、時間稼ぎも兼ねてメイドに問いかける。

「そんなにわたしの血を吸いたいか?」

 八方からの“わたし達”に問われ、メイドはいちばん近い幻影を見据える。

「当然ですわ。それが吸血鬼の(さが)だと言えますから」

 異様な笑みで答え、メイドは左手を垂直に素早く振りおろす。その瞬間、幻影のわたしが真っ二つに裂けた。たぶん真空波だろう。両断された幻影は左右に分かれて霧散する。

 これで残り四つか……。

 分身の数が減るたびに不安と焦りが募りゆく。気持ちを落ち着かせるため、わたしは大きく息を吸いこみ、そして吐きだす。幻影も同様の動作をする。

「それならさっさと吸えばよかっただろうに。なぜこんな回りくどい事をする?」

 メイドは気味の悪い笑みを崩すことなく返す。

「先ほども申し上げましたが、久方ぶりの生き血です。ただ吸うだけでしたら造作もありませんが、それでは余りにももったいないと思いまして。せっかくありつける血ですから、相応の味付けを施さなければなりません」

 月明かりが鋭い牙を冷たく光らせた。メイドは幻影の動きを注視している。視線が合うたびに冷や汗をかく思いだが、やつはどれが本体か察知していないようだ。

 それにしてもこいつ、人喰い妖怪と同じ理屈をぬかしやがる。わたしに言わせれば、人の血なんて鉄錆くさい水に塩を混ぜたような味だ。それを味付けするなど、ジュースじゃあるまいし……!

 命をもてあそぶような口ぶりに熱いモノがふつふつと込み上がる。わたしはメイドとの距離を保ち、義憤を抑えながら反発した。

「お前の口ぶりだと、人間の血は絶望的な恐怖で味が変わる、と聞こえるな」

「人間のあなたには理解できないでしょう。しかしながら人の生き血は心を追い込むことによって熟成されるのです。『芳醇な香りの赤ワイン』とでも申しましょうか」

 周囲の幻影を見回し、独自の理屈をほざくメイドにわたしの苛立ちは倍増した。

 魔法に関する事しか取柄のないわたしだが、人並みの宗教知識ぐらいはある。記憶違いじゃなければ、十字架を持つ信教徒は「殺害」「強奪」「偽証」などは禁じられているはずだ。

 それなのにこいつらは妖精を(なぶ)り殺し、妖怪達の自由を奪い、「それは本意ではなかった」とウソをついた。それと九尾との話し合いのなか、「隣人を愛せよ」とかぬかしたのも記憶に新しい。

 どう考えても矛盾してるじゃないか!

 苛立ちのあまりわたしは語気を強める。

「大罪をさんざん犯しておいて何が『赤ワイン』だっ! そんなんでよく信教徒だと言えるな! なにもかも矛盾だらけじゃないか!!」

 四方からの異口同音にメイドはたじろがず、右方向の幻影へ碧眼を向ける。

「あなたの仰るとおり、たしかにわたくしは罪を犯しました。ですが、戒律には例外があるのです。あなた方のような異教徒どもに対しては、(あや)めても奪っても偽っても(しゅ)はお許しになられます」

 当然だと言わんばかりの態度に反吐が出そうだ。

 こいつ、戒律とやらを曲解してやがる! 異なる宗派の者には何をやっても許されるとでも思っているのか!?

 こめかみの血管が激しく脈打つ。憤慨(ふんがい)すればこいつに付け入る隙を与えることになる。だが怒りをぶつけずにはいられなかった。

「異教徒だからという理由だけで、なにも罪のない者達を地獄に落とすのか!?」

「それは違いますわ。これは救済なのです」

 メイドの言葉に耳を疑う。

 暴虐(ぼうぎゃく)行為が救済だと!? 何を言っているんだ、こいつ!?

 憤りは瞬時に疑問で上書きされてしまった。そんなわたしを尻目に、メイドは気味の悪い面立ちで言葉をかさねる。

「数多くの罪を重ねた異教徒は、残酷な目に遭うことで罪の(けが)れが清められ、天国へと旅立てるのです。わたくし達は『(しゅ)の代行者』とでも申しましょうか。ですのでこれは(しゅ)による救済であり、それを代行するわたくし達の魂も救われるのです」

 平然と言ってのけ、メイドは幻影に向けて貫手を放つ。左手につらぬかれた幻影は、衝撃波を食らったように後方へ飛び散る。消えゆく幻影を「おかしいですね。くじ運が悪いのでしょうか?」と、メイドは残念そうに眺めていた。

 これで残りは三つ。

 メイドの話を要約すると、「殺しも盗みもウソも救済だから戒律を破っても許される」ということらしい。

 冗談じゃない! そんなのは大罪を犯すための口実じゃないか!

 こんなあぶない考え方をするやつが幻想郷に存在したら、住民は地獄を味わうだろう。そうなったら無念の想いを残す犠牲者はもちろん、残された者の憎悪や悲哀の連鎖が永遠につづく。こいつを生かしておく訳にはいかない。

 わたしの中に憎しみのような気持ちが広がる。

 ……何がなんでも必滅してやるっ!!

 

 続く。



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第十九話◆不退転【中編】

 

 わたしの中に憎しみのような気持ちが広がる。

 ……何がなんでも必滅してやるっ!!

 怒りが右手と右腕の痛みを薄れさせたとき、ふいにメイドが口元をおおう。

「怖い顔ですね。ゴブリンと変わらない顔つきですが、それほどわたくしを殺したいのでしょうか? そのようなお考えはお捨てください。天国へ行けなくなりますよ?」

 哀れみにも似た表情を浮かべるメイドに殺意が増大する。聖者然とした物言いとは裏腹なヘリクツが気に入らない。

 わたしは聖者面の吸血鬼に憎悪の視線を投げた。

「あいにくわたしは地獄行き確定者だ。それにお前の言う天国とやらへは行きたくもない」

 自分の行き着く先を宣言し、術式の組み上げに意識をそそぐ。

 わたしはこれまで妖怪退治屋として数多くの命を奪ってきた。幻想郷の閻魔(えんま)さまから「そう、あなたは少し命を粗末にしすぎる」と説教されたこともある。

 恩人である先代の巫女様が教えてくれた言葉は、今でもわたしの頭の中だ。

 ――「ここに転がるドングリ達を見てごらん。どれもこれも同じ姿だけど、一つひとつ違う命が宿っているのさ。生きてさえいれば、いつかきっと誰かと繋がりあうことが出来るんだ。命の価値はみんな同じってことを、覚えておくんだよ」

 ……巫女様の教えと真逆な道を選んだんだ。どのみちわたしの地獄行きは避けられないだろう。悪必滅の信念がわたしを縛り付ける呪いだとしても、今さらこの生き方は変えられない。こんな人生を送っていることに、きっと巫女様はあの世で失望しているはずだ。

 そんな想いを馳せていたわたしに、メイドは肩をすくませて吐息する。

「そう悲観なさらないでください。わたくしに殺されることで、あなたは必ず天国へゆくことができます。なぜなら、それは(しゅ)がお決めになられた運命なのですから」

 決め付けた言葉を聞き、わたしはこれまでの苛立ちが消え失せた。

 ……このメイド、どうやら「運命は自分で切り開く」という概念がないらしい。

 信心深いのは結構だが、わたしにすれば(しゅ)とやらにすがった神頼みでしかない。すべての事柄を“運命”だからと決め付けたら、それは可能性を否定することと同じだ。

 実力がありながら可能性を信じないこいつに、わたしはほとほと呆れ果てた。

 それならわたし流の返答をしようじゃないか。

「信じる者は足元をすくわれる。あらゆる物事を運命だと割り切るお前にふさわしい言葉だと思わないか?」

 周囲にただよう“わたし達”の言葉を受けたメイドは「ありがたいご助言、痛み入りますわ」と返し、かすかに頬を引きつらせる。

 運命についてどうのこうの悶着している間に、重撃魔砲の術式は完成していた。魔力は夜空の満月を超える大きさになり、幾重にも浮かぶ魔法陣がそれぞれ重い音を立てる。

 あとはタイミングを計るだけだ。それはメイドの攻撃直後に決まっている。確実な隙を狙うには、究極の選択を押し付けるしかない。

 ほどなくしてわたしは二体の幻影を操作する。重撃魔砲を構えた幻のわたしが前後からメイドに迫る。メイドの笑みが一層ゆがみ、身体を真後ろへとひるがえす。

 それは一瞬のことだった。

 ロングスカートから伸びた右足が夜空に昇ったそのとき、こいつの目前の幻影は弾け、蹴り上げの軌跡をたどるかのように飛び散る。背後の幻影は落雷と同時に姿を消す。

 姿勢とスカートを正したメイドは、吐息しながら眉根を詰めた。

「またまた外れですか。こうも続くと、いささかストレスがたまりますわね」

「奇遇だな。わたしもストレスがたまっている。もっとも、お前とは比べようがないがな」

 軽口を叩くわたしと幻影に、メイドは鋭い牙を見せつける。

 メイドにまた“外れ”を引かせれば決着がつく――と思う。

 わたしの読みが確かなら、合体攻撃には及ばないものの十分な効果はあるはずだ。魔力の大半を注ぎ込んだこれで復活したら、笑い話どころかシャレにもならない。

 わたしは迷いを払うため深呼吸する。腹の底まで溜まっていた空気をすべて吐き切るとともに、落ち着きを取り戻す。

 わたしと幻影はメイドの前後をはさむ。

「これが最後のチャンスだ。前のわたしと後ろのわたし。どっちが本物か選べ」

 圧迫する右手と右腕の痛みに耐えつつメイドを睨む。それを平然と受け、メイドは余裕を見せ付けるように(いびつ)な笑みで返す。

「なるほど。究極の選択というわけですか。まあ、わたくしがあなたの血を吸う運命は決まっておりますので、あしからず」

 神経を逆なでるイヤな面立ちだ。わき出る嫌悪と憎悪をかろうじておさえ、無表情の仮面で隠す。

 わたしと幻影は少しずつメイドへ迫る。距離は約四メートル。

 脳裏のヴィジョンには、かすかに焼き付いた妖怪どもを含め、メイドとわたしの幻影が()える。不気味に微笑むメイドがこれまで以上の殺気を放つ。どうやら隙を狙っているようだ。

 重撃魔砲を構えればすべてが動く。こいつが前のわたしを攻めるか、後ろのわたしを攻めるか、二つに一つ。

 わたしは勝負に出た。

 魔力が集まった右手を勢いよくかかげる。幻影も同様に動く。二つの発光球に満月がかすむ。

 “わたし達”にはさまれたメイドはその隙を見逃さなかった。即座に身をひるがえし、後ろへ貫手(ぬきて)を放つ。渾身(こんしん)の指先が大気を裂く。

 たなびくロングスカート。音速を越えた指先。気流にゆれる十字架のペンダント。勝利を確信したメイドの笑み。一挙手一投足が視える。

 その瞬間、メイドの貫手が胸をつらぬく。真っ赤な鮮血は――。

「なんですってっ!?」

 ――出ない。

 風穴を開けられた幻影は貫手の衝撃とともに飛び散った。

 思った通りだ。

 こいつが後ろを狙う確証はあった。こんな大物の悪党なら確実に背後からの攻撃を嫌う。その習性を逆手に取ったのだ。

 異様な笑みから驚愕の形相に一変させたメイドに対し、わたしは突き出した右腕を左手で支え、極上の皮肉を送る。

「外れだ。予告通り残念賞をくれてやる」

 メイドが肩越しに振り向いた直後、引き金の言葉を発す。

「重撃魔砲〈バスター・カノン〉」

 白銀の輝きが夜を消し、大地に響く轟音が大気を揺るがす。巨大な光の激流が容赦なくメイドを飲み込む。

 強大な魔力を制御する複数の魔法陣が、わたしの右腕をしめつける。腕中の血管が破裂するような激痛に顔がゆがむ。いや、実際に破裂している。

 右腕の周りに赤いオーラが浮かんでいるが、そんなんじゃあない。その正体は汗腺や毛穴からふき出したわたしの血だ。制御負荷の圧迫によるものだろう。轟雷魔砲をも超える魔力を制御する代償と言ってもいい。

 これだけ威力を上げた重撃魔砲だ。いくら吸血鬼であっても無事なわけがない。もっとも、わたしの右腕も同じだが。

 

 全身全霊ではなった重撃魔砲はやがて収束し、平原に夜がもどった。

 射線跡には草葉と土煙が舞い、わたしの視界をさまたげる。〈魔女の目〉も限界をむかえ、ヴィジョンに〈魔砲〉の輝きが焼きついていた。構えたままの右腕は絶叫したいほどの激痛が走り、噴出した真っ赤な血が表面にベットリとまみれている。

 痛みに耐えつつ目を凝らす。まき上がる土煙はおさまらず、不安と結果を求める気持ちが募る。今のところメイドの気配はなく、耳に入るのは遠くから聞こえる九尾と黒マントの戦闘音だけだ。

「やった――のか……?」

 最大出力の重撃魔砲を食らわせたが、わたしの心に何かが引っかかり、そのような疑問符を吐かせた。

 右腕を下ろそうとしたそのとき、土煙がゆれる。風ではない。

 ゆれた土煙の中から突然メイドの左手が飛び出す。

 完全に不意を突かれ、無防備のわたしは喉をつかまれてしまう。こいつの手首をつかんで抵抗するも、強烈な握力の前では無意味に近い。

 呼吸すらできずに意識が遠のく。おぼろげな視界に映ったのは、土煙から現われたメイドの姿だった。一度くだけ散ったのか、その身体は肉がえぐれて骨と筋肉も露出し、誰が見たって即死レベルの重い傷だ。しかし、黒い霧が無節操にこいつを再生させてゆく。

 わたしは渾身の重撃魔砲が効かなかった事よりも、ゆがんだ笑みの方に恐怖を覚えた。

「惜しい! 実に惜しいですわ! わずかにパワー不足でしたね!」

 優越感丸出しな声が耳に響き、吸血されると察した。

 いやだ! 吸血鬼なんかになりたくない!

 もがき続けるわたしに対し、完全に再生しきったメイドが「失礼いたします」と発す。右腕にこいつの息づかいを感じた瞬間、やわらかいなにか(・・・)が肌を刺激する。生温かくおぞましい感触が前腕部を伝う。それがメイドの舌だとわかったとき、遠のく意識がハッキリと戻る。

 味見のつもりだろうが同性に文字通り舐められるなど、もの凄く気色わるい。

 そんなことを考えていると、メイドが首をかしげた。

「ふむ……。まだ“芳醇さ”が足りませんか。でしたら――」

 こいつの握力が増した直後、とつぜん竜巻が起こる。首をつかまれた状態での竜巻は、確実にわたしの体力を奪う。ただでさえ呼吸がままならないのに、荒れ狂う強風が輪をかける。

 風音が遠のくほど薄れていた意識は強い痛みによって戻された。腹部にメイドの右膝がめり込んでいる。

 最後の〈紺碧衝壁(こんぺきしょうへき)〉が発動するも、それを読んでいたかのように、こいつは大気を衝撃波へ変えた。

 相殺しあう衝撃波。消える竜巻。二メートルほど宙を舞うわたし。

 その瞬間、メイドが跳躍(ちょうやく)し、左足でわたしを一閃した。袈裟懸(けさが)け状に激痛が走る。

 途切れかけた意識のなかで視えた光景は、丈長のスカートをひるがえし、陶磁器のような白い左足で弧を描ききったメイドの姿だった。そのあざやかな軌跡は、さながら平原に浮かぶ満月かのようだ。

 優雅なダンスのフィニッシュをきめるように着地するメイド。やや遅れ、わたしは無様に背中から大地へ打ちつけられた。

 

 続く。



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第二十話◆不退転【後編】

 

 草地へ叩きつけられたわたしは、身体をくの字にさせて(もだ)えていた。打ちつけた背中もそうだが、メイドの蹴りによるダメージが大きい。左肩から右(わき)下にわたって激痛が走っている。

 おさまらない痛みに絶叫を上げたいが、今の状態ではできそうもない。斬撃のような蹴りを受ける直前、鳩尾(みぞおち)を膝蹴りされたせいで満足に呼吸ができないからだ。

 鳩尾は人体の急所のひとつなので、強い衝撃を受ければひとたまりもない。強烈な痛みが肺の機能を狂わせている。それに、重撃魔砲を最大まで増幅して放ったから右腕が壊れてしまった。もう使い物にならないだろう。

 わたしは三重の激痛で芋虫みたいにのた打ち回るしかなかった。そんなとき、かたわらに立つメイドが気味の悪い笑みを浮かべながら近づく。

「あなたの奮闘には敬意を表しますわ。ですが、満月下の吸血鬼にいどむ行為は浅はかと言わざるを得ませんね」

 こいつの言うことはもっともだ。敵が強大な力を持つ吸血鬼だからこそ、八雲紫は即時決戦を(のぞ)んだのだろう。とはいえ、人間のわたしにとっては思いっきり不利な状況だが。

 それにしてもこのメイド、いつまでわたしをいたぶるつもりだ? その分こっちにもチャンスはあるが、こうもやられっぱなしだとプライドが傷つくな。

 激痛が走るなか、思考は心中でぼやくぐらいに落ち着いてきた。わたしはうつ伏せになって今の状態を確認する。

 怪我。肋骨数本に骨折の疑いあり。激しい痛みが頭脳を支配している。それでも冷静さを保たないと反撃の策が立てられない。

 右腕の血管が破裂。少なくとも毛細血管は壊滅したようだ。すっかり壊れたようで、腕どころか指先ひとつ動かない。とうぜん痛みも肋骨が折れたのと同等だ。

 左肩から右腋にかけての重度の打撲。たぶん傷に沿って青あざができているだろう。こっちも思いっきり痛い。

 わたしの身体は博麗と違ってあまり頑丈じゃあない。こればかりは魔法使いに付きまとう“(もろ)さ”だ。どっちにしろ、それぞれの負傷による熱い痛みは当分おさまりそうもない。

 〈魔女の目〉。使用時間を大幅に過ぎたため、ヴィジョンの焼き付きがひどい。〈魔砲〉の輝きがまだ脳裏に残っている。だが、解除したらメイドへの対処ができなくなってしまう。今はこのまま継続するしかない。

 魔力残量は辛うじて一発分。反撃するにしてもどれもこれも決め手に欠ける。全力で行使した重撃魔砲が通用しなかったんだ。たとえ魔力が満杯だとしても致命傷を与えるには程遠いだろう。

 ……もう打つ手なし。完全に詰んでしまっ――。

 待て待て! 簡単にあきらめるな!

 不死の王(ノーライフキング)だろうが死を迎えない命なんてあるわけがない。原点に戻って考えろ。きっとなにか手があるはずだ。

 有効手段は「陽の光を浴びせる」か「白木の杭で心臓を貫く」かの二つ。しかし夜を明かす持久力はないし、白木にしても今から林へ探しに行くのは不可能だ。陽の光に匹敵するモノがあれば別だが、そんな都合よくあるわけがない……。

 各々の傷が熱を帯びて頭脳に侵蝕(しんしょく)してゆく。

 わたしは草地に突っ伏すと歯ぎしりの音を立てた。弱点がわかっているにもかかわらず、なんの策も思い付かないことに悔しさと焦りがつのる。焦燥感と呼応するように、呼吸と鼓動が激しさを増す。

 その、内なる音がわたしにヒントを与えた。

 ――呼吸……。――鼓動……。

 あるっ! 陽の光と同じモノがわたしにも(・・)あるじゃないかっ!!

 これ(・・)を研究中の魔法理論で引き出せば勝てる! 魔導服へ施した術式に魔法理論を書き加えれば〈魔砲〉が使える! ――はずだが、これ(・・)を使えば博麗との約束が果たせなくなってしまう……。

 わたしは友人との約束を守るか、それとも眼前のメイドを倒すか選択しなければならなくなった。つのった焦りが恐怖となって飲み込み、痛みにうずく身体を震わせる。

 考えぬいた結果、わたしは恐怖をふり払った。

 ……博麗、許してくれ。……この命、使い捨てるっ!!

 そう決意し、左の人差し指を口元に運ぶ。指先に八重歯をたてて噛み切る。痛みが走るが、メイドの蹴りと身体中の激痛に比べたら大したモノじゃあない。

 口内に血の味が広がる。自分の血だからか、それ程イヤな感じはない。とめどなくあふれ出ているので当分は流血し続けるだろう。

 術式に細工を加えるためにはそれなりの道具が必要だ。あいにく持ち合わせていなかったが、これで道具は出来た。あとはメイドに気付かれないよう術式を改変するだけだ。そのためにはできるだけ注意を逸らさなきゃならない。

 わたしは魔導服の懐に左手をしのばせ、異様な笑顔のメイドへ眼光を放つ。

「……お前の本質が見えた」

「わたくしの本質――ですか?」

 小首をかしげ、わたしの言葉に興味を示している。術式に細工を加えるなら今だ。

 左手の動きを悟られないよう注意しつつ、わたしは語り続ける。

「救済と称して弱者を(しいた)げ、苦痛の顔と声に快感を得ずにはいられない異常性。お前の本質は“残虐(ざんぎゃく)”だ」

 気味悪く笑うメイドの表情がわずかにくもる。

「わたくしをあなた方と一緒にしないで下さい。先ほども申し上げましたが、わたくしは(しゅ)に代わって異教徒たちを救済している身です。(しゅ)の代行者たるわたくしを残虐と呼ぶなど聞き捨てなりませんわね」

 左の手の平を上に向けながら主張する姿が見え、心中で「思った通りだ」とつぶやく。どうやら思い当たる節があるらしい。

 そもそも救済とは、苦しんでいる者に救いの手を差し伸べることだ。「自分たちの教えに当てはまらない」と決め付け、殺害する事が救済なんてあり得ない。こいつの考えは間違っている。

「……違うな。そんなのは救済なんかじゃあない」

 否定の言葉を受けたメイドは、肩をすくめて吐息した。

「わかっておられないようですね。唯一にして絶対たる(しゅ)をあがめぬ者は誰であろうと罪になります。その罪は、より残酷な目に遭うことによって浄化されるのです。あなたも本心では地獄に落ちたくはないのでしょう? わたくしがあなたの(けが)れを清め、そして天国へとお送りいたしますわ」

 さも当たり前といった態度にむかっ腹が立つ。こいつの考えだと、幻想郷に存在する神々でさえも救済の対象なのだろう。

 わたしは再びメイドを睨む。

「よけいなお世話だ。宗教の数だけ天国と地獄がある。どれを信仰したところで他からみれば天罰も同然。生きるも地獄、死ぬも地獄。どっちにしたって行き着く先は地獄だ」

 否定する言葉を聞いたメイドの顔が険しくなる。こいつの(はらわた)は煮え繰り返っているに違いない。

 もう少しで細工が終わる。その調子で挑発に乗り続けてくれよ。

 そう願いながら、懐に忍ばせた左手の速度を上げる。わたしはメイドの注意をそらすため、負傷した痛みに耐えつつ憤りの言葉をまくし立てた。

「お前が何を信仰しようと、わたしには関係のないことだ。だが、救済と称して悪逆非道を重ねる行為は許せない。残虐な本質を持つ者が救済だあ? お前は頭がイカれた異端者だ!」

 侮蔑(ぶべつ)の言葉に反応し、メイドは身をかがめて顔前まで近づく。月明かりの逆光で表情はよくわからない。しかしヴィジョンには(おぼろ)げながら険しい顔が()える。詰める眉根の下の碧眼は炎にも似た光が揺らめき、わたしを凝視していた。

「……あなたとはわかり合えないようですね。たいへん残念に思えてなりませんわ」

 大仰(おおぎょう)に頭を振る仕草がムカつく。だが、わかり合えないという点だけは同感だ。

 これまで交わした話は水かけ論なんかじゃあない。お互い火だるま状態で油を掛け合ったようなものだ。

 その甲斐あって術式の改変は済んでいる。あとは最大の隙を突いて行使するだけだ。

 ――最後の〈魔砲〉をな。

 最大の隙、つまりとどめの一撃を促すべく、わたしは顔を険しくさせた。

「だったら、早くわたしを絶望させないと後悔することになるぞ。その右手がお前の切り札なんだろう? 殺すならさっさと殺せ」

 こいつがなぜ右手をポケットに突っ込んでいたのか今まで考えていたが、左の貫手(ぬきて)を見てピンときた。武器を隠していると思ったが、右手そのものが武器だったんだ。

 例えるなら(さや)に見立てたポケットから放つ居合い斬り。――といったところか。とどめの一撃として温存していたに違いない。

 〈深読み〉による結果をぶつけた直後、思いっきり腹立たしい笑みを見せつけられた。

「右手の件は正解ですわ。優れた観察力は賛嘆(さんたん)に値します。しかしながら、絶望という答えは不正解です」

 メイドは称賛と(あざけ)りの言葉を送ったのち、大事な魔導服の襟首をつかむ。片手で吊り上げられたわたしは手足を脱力させ、疑問符で返す。

「なんだと……?」

 右腕と肋骨と袈裟懸(けさが)け状の激痛に耐え、わたしは疑いの問いを投げる。メイドは嬉々とゆがませた顔を寄せた。

「絶望の寸前に踏みとどまり続ける人間の血。それが何よりの好物なのですよ、わたくしは。今のあなたのように」

 鼻と鼻が触れるほど迫り、メイドはそのようにぬかした。

 瞳に映るわたしの表情は、恐怖の淵につま先立って耐えているように見える。どうやらメイドの言う「芳醇な香りの赤ワイン」になったらしい。

 そう簡単に血を吸われてたまるかっ! その寸前にとっておきを食らわせてやるっ!

 そんなことを思っていると、メイドが首を傾けつつたずねる。

「あなた、今――」

 しまった! 表情に出たか!?

 最後の手段を見抜かれたかと思い、とっさに目をそらす。

「――『吸血鬼になりたくない』と、思っていますわね?」

 微妙な問いかけに安堵しそうな気持ちを辛うじておさえる。ため息ひとつ吐こうものなら、せっかくのチャンスがなくなってしまう。わたしは目をそらし続けた。

「あなたを眷属(けんぞく)にする気などありませんのでご心配なく。心臓を直接もみながら吸血したのち、握りつぶしてさし上げますわ。あなたは至高の快楽を味わいながら天へ召されるでしょう」

 その直後、メイドは愉快そうに笑い声を上げる。

 目線を戻すと、まるで勝利を確信したかのようなメイドのゆがんだ笑顔が飛びこむ。よっぽど吸血を待ち望んでいたんだろう。

 直に心臓を揉んで吸血するなど良い趣味とは思えないな。だが、こいつの趣味に付き合う義務もなければ義理もない。

 わたしが睨みつけると、メイドは牙を光らせて言い放つ。

「人間にしては最高の魔法使いでしたわ。せめて異教徒の分際であるあなたのために祈りを捧げましょう」

 穏やかな顔に変え、メイドは双眸(そうぼう)を閉ざす。うつむき加減で祈りの言葉をつむぐ仕草は、本気でわたしのためにと思えてしまう。

 やがて祈りを終えると、再び気味の悪い笑顔にもどる。

「さようなら、芳賀峰妖子さん! 心おきなく天国へお行きなさい!!」

 その直後、メイドはポケットから右手を抜き放つ。こいつの上半身が勢いよくねじれる。思った通り、とどめの一撃だ。腰だめの貫手がヴィジョンに視えた瞬間、襟首つかまれるわたしは頬を吊り上げた。

Hasta(アスタ) la() vista(ヴィスタ)Mrs(ミセス) Castmilla(カストミラ)(地獄でまた会おう カストミラ)!!」

 突然の異国語にメイドの動きが一瞬だけ鈍る。狙い通りのこの隙を見逃すわけがない。間髪いれず、わたしは“引き金”をひく。

「零式重撃魔砲〈バスター・カノン タイプ・ゼロ〉」

 

 続く。




・妖子の決め台詞の元ネタ。
「ターミネーター2」
T‐800
「Hasta la vista,Baby!」


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第二十一話◆残光火

 

「零式重撃魔砲〈バスター・カノン タイプ・ゼロ〉」

 白い閃光が視界をさえぎり、聴覚の限界をこえる激しい音が響く。光は身の丈を上回る奔流(ほんりゅう)と化し、容赦なくメイドを飲み込む。五メートルほどは吹っ飛ばしただろうか?

 地に立つわたしは、〈魔砲〉の衝撃と負傷した三箇所の凄まじい痛みに耐えながら両足を踏ん張り続けた。

 

 特殊な呼吸法、〈波紋〉を体得した博麗いわく「生命エネルギーは太陽と同等」。万物が自然から発生するのなら、命も自然の産物に他ならない。それを〈自然魔力変換理論〉の応用で引き出し、零式重撃魔砲に直結させた。

 文字通り命を燃やしたんだ。これで効かないわけがない。

 メイドへ放った決めゼリフも、別行動をとる直前に博麗から教わったものだった。

 八雲紫によれば――。

「『明日は別腹』? それって『アスタ ラ ヴィスタ』でしょ。しかも『地獄でまた会おう』ですって? それ、誤訳の域を越えているわ。百歩譲っても『もう会えないけど、またね』と言う意味に近いわね。まあ、あなた達にとっては似たような言葉でしょうけど」

 ――とのことらしい。ついでに発音も教わったが、うまく言えただろうか?

 ヒントとなった呼吸法を体得した博麗と、明確な弱点を解析してくれた九尾、そして決めゼリフの意味と発音を教えてくれた八雲紫に感謝しなきゃな。

 ……もっとも、わたしが生きていればだが。

 

 零式重撃魔砲が収束した名もなき平原にメイドの絶叫がこだまする。五メートルほど離れた草地で吸血鬼はのたうち回り、苦痛の悲鳴を上げ続けていた。

「――あ、アツい!? い、いったいなんですの、こ、これは!?」

 起き上がろうとする身体が干乾(ひから)びたように崩れてゆく。崩れかける右手が再生しないことに目の色を変えている。

 驚愕の表情を作ることから、自分の身に何が起こったのかわかっていないらしい。ただの人間が太陽に等しい“力”を放ったんだから、そりゃあ当然だ。

 皮肉の言葉でも送りたいができそうにない。なぜなら命を燃やした影響で身体中の力が抜け続け、立っているのがやっとな状態だからだ。それに負傷箇所の痛みが増しているのでそれどころじゃあない。

 崩壊しかけるメイドを眺めていると、胸ポケットに閉まっていた懐中時計が足元へ落ちた。それと同時に魔導服がほころび始める。細切れとなる魔導服は、一陣の風によって飛び散ってゆく。施した術式が消滅した証だ。

 零式重撃魔砲を行使すると一張羅が台無しになるうえ、半裸をさらして帰らなきゃならない。だから奥の手にしていたんだ。だが、これしか攻撃手段がなかったんだから仕方がない。今身に着けているのは黒い尖がり帽子と首からさげる〈紺碧衝壁〉と腰のポーチ、そして下着とブーツだけだ。

 熱い痛みに耐えるなか、全身の力が抜け続けるわたしは崩壊するメイドを見据えることしかできなかった。

「み、認めません! わ、わたくしは(しゅ)の代行者なのです! い、異教徒にやられるなど認めませんわ!!」

 言葉の節々に吃音(きつおん)を生じさせ、なおも立ち上がろうとする。その執念を見たせいか、熱い痛みに侵蝕された思考へ焦燥と恐怖が襲う。

 こいつを突き動かすものはなんだ!? (しゅ)への信仰心か!? それとも吸血鬼としてのプライドか!? いずれにしろ、とっととくたばってくれ! もう反撃できる体力がない!

 わたしの願いとは裏腹に、とうとうメイドは立ち上がる。

 藤色の衣服も、弧を描ききった足も、切り札だった右手も、驚愕にゆがむ顔も少しずつ崩れてゆく。その様は、さながら砂で出来た人形のようだ。そんな“砂人形”がいびつな笑みを作る。

「き、吸血鬼……! そ、そう! わ、わたくしは吸血鬼なのです! ち、血を吸えばこんな傷などすぐにでも治りますわ! そ、そうに決まってますわ!!」

 自分に言い聞かすと、メイドはとつぜん奇声を交えて笑い出す。左手で頭をかかえて仰ぎ見る姿に寒気がおそう。その笑顔には不気味さも余裕さもなく、狂気に取り憑かれたとしか言いようがない。

 こいつ、あまりのショックに気がふれたか……?

 心中でおののいていると半狂乱のメイドと視線が合う。血走る瞳に思わず固唾(かたず)を飲む。

「……ああ(しゅ)よ、わたくしを救ってくださるのですね? 感謝いたします……」

 わたしを視認して何やらつぶやき、穏やかな表情になった。双眸(そうぼう)を閉ざしてうつむき、崩れかけた右手で胸に十字を切る。その直後、顔が上がり大きく目を見開いた。

「そこの人間! 血を吸わせなさいぃぃ!!」

 崩壊しかける身体にもかかわらず、メイドはわたしへと突進しだす。唾液まみれの口から奇声を上げ、狂気にゆがむ表情には理性の欠片もない。ついさっきまで戦っていたというのに、その相手さえ認識できていないほどだ。

 飛ぶことが出来なくなったのか、あるいはそれすら考えられなくなったのか、メイドは一心不乱に駆ける。わたしに伸ばす右の前碗部は骨がむき出し、左腕も同様だった。これまで異様な笑みをたたえていた顔の左半分は既に原形をとどめておらず、まき散らした灰がむなしく尾を引く。

 視界に入るメイドは朽ち果てる死兵と成り果てた。頬に冷や汗が伝う感触を覚える。

 こいつは血を吸うことしか頭にない。逃げたいのは山々だが、死に体のわたしでは立っているだけで精一杯だ。どうしたらいい!?

 ……こうなったら根競べだっ! わたしかメイド、どちらが先に燃え尽きるか勝負といこうじゃないか!!

 覚悟を決め、左手を握りしめる。

 距離が縮むにつれ全身の力は抜け続け、メイドの崩壊も進む。顔前まで迫ったそのとき、両肩をつかまれた。かたい感触を覚え、同時に怪我とは別の痛みが走る。

 ヴィジョンに()えるこいつの身体は、いつ灰燼(かいじん)と化してもおかしくない。奇声を上げるメイドに負けじと、わたしは眼光を放つ。

 鋭い牙を見たその瞬間、互いの顔が交差する。メイドの頭が灰の(かたまり)となり、わたしはそれを顔面に浴びたのだ。灰となったのは頭に限らず、四肢と身体も同様だった。

 完全に灰燼と化したメイドは、わたしの身体を突き抜け、平原の草地へ散った。メイド――いや、カストミラの命は今ここに尽きたのだ。人間によって灰となったことも運命による決定事項だったとすれば、これほど皮肉な話はない。

 根競べが終わった安堵か、それとも命の炎が消えかけているのか、全身の力が一気に抜ける。怪我の痛みの影響で耳鳴りと立ちくらみがしたとたん、後ろ髪を引っ張られたかのように身体が傾く。

 程なくわたしは草地に沈む。周囲はカストミラの灰が舞い上がり、半裸の肌に草葉の感触が刺す。

 右腕と肋骨、左肩から右(わき)下の痛みが治まらず、まるで焼印を押されたかのように熱い。夜空へ浮かぶ満月が〈魔女の目〉のヴィジョンに焼きついてゆく。死を間近にしたのか、解除する気すら起こらない。

 わたしは吸血鬼を倒したことよりも、博麗との約束を破ってしまったことに気持ちが揺らいだ。

 博麗、わたしは地獄に落ちる。今生の別れってやつだ。お前を殴る約束は果たせそうもない。……ごめんな。

 月光に照らされるなか、様々な思い出が次々と浮かぶ。

 妖怪退治に明け暮れた日々。数少ない友と杯を交した酒の味。博麗との出会い。九尾との対立。慧音先生の愛ある頭突き。先代の巫女様の教え。

 ……これが俗にいう“走馬灯”ってやつなのか? まるで動く写真を一気に見ているようじゃないか。

 そのとき、脳裏に巫女様の言葉がよみがえる。

 ――「命の価値はみんな同じってことを、覚えておくんだよ」

 その言葉に罪悪感の波が広がり、わたしの身体を震わせた。

 ……巫女様。妖子は地獄へ落ちます。巫女様の教えを守らず、たくさんの命を奪ってきました。許して下さい、巫女様。

 心中で謝罪していると、あのときの光景が思い浮かんだ。幼いわたしに、命の価値をドングリの実で教えて下さった巫女様――。

 ……待てよ。もしかして……!

 わたしは吸血鬼に対抗できるもう一つの可能性を見出した。

 もう一体の吸血鬼はきっとアレ(・・)で倒せる! 九尾も黒マントの再生能力に手を焼いているはずだ。何とかして伝えなきゃならないが、わたしには立ち上がるだけの体力はない。

 考えろ、わたし! 命が尽きるまであとわずかだ! 直接の答えでなくとも、せめてヒントだけでも伝えないと……!

 薄れゆく意識をなんとか保ち、わたしはひたすら考えた。その結果、答えに近しい“物”を魔法で示せばいいと思いつく。

 即座に詠唱を始める。

 右腕は使い物にならないので左腕を伸ばそうとするが、思うように力が入らない。それでも最後の力を振り絞り、ようやっと夜空へ伸ばす。左手に集まる魔力が白く輝く。

 術式が完成した直後、目標確認のため左に顔を向けて凝視する。焼きついたヴィジョンで見えにくいが、辛うじて捕捉できた。

 目標、雑木林。距離、およそ五十メートル。

 狙いを定めたわたしは、確実に九尾へ伝えるべく大きく息を吸い込む。

「らああぁぁんっ!!」

 絶叫した直後、夜空に伸ばした左腕の力が抜け、林の方角を指して草地へ沈む。

 名前を叫ぶことで、あいつはこの“メッセージ”を理解するはずだ。

 根拠のない確信を持ち、かすれた声で魔法名を発す。

「閃光魔法〈スパーク・フォース〉」

 左手から放たれた光柱が宵闇(よいやみ)の草地を駆ける。

 閃光魔法が雑木林に達したはずだが、確認するすべはもうない。命の燃焼と熱をおびた激痛で耳は遠のき、目もぼやけている。

 精も魂も果てたわたしは、人生の最期を迎えたのだと悟った。閻魔(えんま)様の裁きを受けたのち、数ある地獄のいずれかに落ちるのだろう。不思議と恐怖はない。むしろ意識が薄れてゆくことに心地よささえ感じる。わたしは夜空に顔を向けた。

 ……博麗、九尾、八雲紫。悪いがわたしはここまでだ。後の事を丸投げにするなんて無責任すぎるよな。……迷惑かけてすまない。

 心中で謝罪したとたん、熱く激しい痛みは薄らぎ、意識の遠のきが加速した。わたしは逆らうことなくそれを受け入れる。

 薄っすらと見える満月は煌々(こうこう)としており、幻となって脳裏に焼きついてゆく。わたしの意識は真っ白な“闇”におおわれ……。

 

 続く。




・零式重撃魔砲〈バスター・カノン タイプ・ゼロ〉の元ネタ:FAZZ(フルアーマーダブルゼータ)腹部ハイメガキャノン


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第二十二話◇託された閃光

 

 襲いくる槍鞭(そうべん)苦無弾(くないだん)で打ち落とした直後、わたしとクロードは膠着(こうちゃく)状態におちいった。六メートルほど距離をおき、互いに大岩のかたわらで眼光をぶつける。

 カストミラから受けた傷が痛む。左上腕部へまかれたハンカチは朱に染まり、不規則な間隔で血の雫が落ちる。止血処置を受けていなければ今ごろこの程度ではすまなかっただろう。

 したたる血は、草地を埋め尽くす二百五十三にもおよぶ妖怪の(しかばね)に落ちる。足の踏み場もないため飛空妖術で身を浮かせ、隙をうかがいながら戦っていた。わたしはこれまで魔女との合流を試みていたが、黒衣の吸血鬼に阻まれている状況だ。

 いかにして魔女と合流するかを再考していたその時、とつぜん昼夜が逆転した。耳をつんざく衝撃音が平原に響く。目がくらむ左方からの光源に思わず顔を向ける。凝らした目に予想外の光景が飛びこんだ。

 大岩から十五メートルほど離れた草地に、白光の〈魔砲〉を放つ魔女と勢いよく吹き飛ぶカストミラの姿があった。魔力をまったく感じない。わたしはすぐさま理解した。

 普段の重撃魔砲と違い、あの〈魔砲〉は明らかに命の輝きがある。まるで夜明けを告げる朝日のようだ。

 どのように編み出したかは不明だが、魔女は命そのものを魔力の代わりにしたとしか思えない。その輝きから察するに、あいつは死ぬ覚悟で行使したのだろう。それを証明するかのように吹き飛ばされたカストミラの妖気が急激に弱まる。

 とどろく衝撃音のさなか、聞き覚えのない声を耳にした。

「姉さんっ!!」

 正面からの絶叫に顔を向け直すと、思いもよらぬ光景が映りこむ。

 光源へ顔を向けたクロードが、これまでの表情の無さを一変させ、驚愕の形相を作っていた。殺気を放つ眼光は消えうせ、真一文字に結んでいた口が半ば開いている。姉の危機に動揺しているようだ。

「しゃべれるのか?」

 問いかけた瞬間、クロードはすぐさま無表情へと戻す。わずかに瞳を揺らすことから、姉の身を案じているのは確かだ。

 わたしは瞬時に確信した。おそらく今までこいつはカストミラの意思に従ってきたのだろう。紫様の意思を何よりも優先させるわたしのように。

 ならばこいつの考えはわかったも同然だ。自分の立場に置き換えればいいのだからな。

 そのように考えた直後、まばゆい光と(とどろ)く音が収束した。わたしは思考を加速させ、これから起こる近い未来を読む。

 盛大な悲鳴を上げ続けるカストミラの妖気は急速に弱まっている。命が尽きれば、この男は姉の意思を継いで伯爵に挑むだろう。そのためには人間の血を吸い、本来の力を取り戻す必要がある。魔女の血を狙うことはほぼ確実。

 ……今度はわたしが阻む番か。奇しくも立場が逆になったな。

 複雑な気持ちを押し込み、わたしは考えをまとめた。そしてすぐさまクロードに目を向ける。その碧眼にはそれまでの動揺はなりをひそめ、研ぎたての刃のように光っていた。わたしの隙をつき、姉の救助に向かうと見て間違いない。

 ならば阻止するまで!

 わたしはすかさず合わせていた両袖を離す。右手で印を切ると、満月うかぶ夜空がゆがみ始める。

 わたしが張れる最大の防壁だ。風景が湾曲するほどの全周防壁は、直径十メートルにもおよぶ。全周防壁がわたしとクロード、草地に沈む大量の屍と大岩をおおう。霧や蝙蝠(こうもり)の群れに変化して潜り抜けるおそれがあるため、わたしもろとも閉じ込めたのだ。

 この防壁は守りの切り札といってもいい。なぜなら使用中は他の防壁が張れないうえ、満月の影響下であっても三十分と持たないからだ。したがってその時間内にクロードを始末しなければ幻想郷は地獄と化す。それを阻止することこそがわたしの使命だ。

 そう決心し、あらためて視線を正面の吸血鬼に移す。するとクロードの顔がかすかにこわばる。わたしの意図を理解したらしい。その証に碧眼から明確な殺意と憎悪を放っている。どうやら本気になったようだ。

 そう確信した直後、カストミラの妖気が完全に消えた。

 クロードを警戒しつつ左へ一瞥(いちべつ)し、その光景を焼き付ける。脳裏に焼きつけた光景は仰向けで倒れた半裸の魔女と、その周囲に飛散する灰だった。

 趣味の悪い魔導服が消失している。切り札の零式重撃魔砲を行使したのだろう。それとカストミラの亡骸(なきがら)がなかった。魔女の周囲に舞うあの灰は“ミセス”の成れの果てのようだ。

 カストミラの死亡を悟ったこのとき、一抹の陰がきざす。

 ……あの魔女がたった一人で吸血鬼を倒した。これは幻想郷の(ことわり)(くつがえ)ったのではないのか?

 魔女の生死や雑多な妖怪らの落命は些末(さまつ)なことに過ぎない。問題は、人間風情が高位の妖怪たる吸血鬼を倒したという事実だ。この由々しき事態を、紫様はどのように思われるのだろうか?

 考えあぐねるさなか、魔女の絶叫が平原に響く。

「らああぁぁんっ!!」

 その声を聞いた瞬間、魔女の方に顔を向ける。すると白い閃光が平原を駆け、草葉と土煙を散らす光景が視界に飛び込んだ。程なくして地を走る閃光は雑木林に達し、倒木の音がなる。

 わたしは、それが何らかのメッセージであると瞬時に理解した。

 あの魔女が訳もなくわたしの名を叫ぶわけがない。あいつは命がけで吸血鬼を倒した。その事実とあのメッセージに何か関係があるのかもしれん。

 幻想郷の(ことわり)については後回しだ。人間に後れを取るようでは八雲の姓がすたる。今は目の前のクロードを倒すことが先決だ。

 黒衣の吸血鬼は無表情ではあるものの、カストミラの死に激しく動揺している。冷静ならば、紅潮したり瞳を微動するはずがない。感情が読めるようになったのは好都合だ。ならばクロードを牽制しつつ魔女のメッセージの解読といこう。

 事の手順を明確にし、わたしは思考を巡らせつつクロードに仕掛けた。

 

 複数の苦無弾が大気を裂く。曲線を描く槍鞭が宙に舞う。ぶつかり合う苦無弾と槍鞭。鋭利な(やじり)は刃こぼれすることなく苦無弾をくだいた。

 阻むわたしと阻まれたクロードの視線がぶつかり合う。殺意を宿す瞳に負けじと睨み返し、わたしは思考をめぐらせ続ける。

 まず優先すべきは妖力の封印だ。満月がある限り、再生に要する妖力は無尽蔵。いくら傷を負わせてもたちまち再生してしまう。通常の妖術では倒すことはできない。

 懸念を抱いた直後、幾多の槍鞭が迫りくる。刃の蛇が曲線を描く。瞬時にその軌道を読む。わたしは次々と襲う槍鞭の動きに合わせ、寸前でかわす。

 最後の槍鞭が右肩を掠めたとき、反撃に転じようと身構えた。その瞬間、左腕に痛みが走る。カストミラから受けた左上腕部の傷が痛んだのだ。大した痛みではないが、行動を鈍らされるには十分だった。

 攻撃の機会を逃したわたしは、クロードとの距離を五メートルほど保って牽制する。

 クロードの顔がかすかに険しくなった。行く手を阻まれたことに苛立っているようだ。直立不動のまま睨みつける両目は灼熱化された鉄のように輝き、わたしの行動を奪う。合わせた袖の手に汗がにじみ、焦燥をつのらせる。それを深呼吸で落ち着かせ、わたしは次の攻撃を警戒しつつ考えに及んだ。

 

 これまでクロードの妖力を封じられなかったが今は違う。こいつは感情を押し殺している。抑えこんだ怒りを爆発させれば大きな隙が生じ、妖力を封じられるだろう。

 わたしとて今まで闇雲に攻めていたわけではない。攻撃しながらこいつの妖気を探っていたが、解析は十分できた。だが、どのような方法で隙を大きくさせるかが問題だ。

 その難題に思い悩んでいると、黒衣の吸血鬼がすべての槍鞭を放った。曲線を描く十二本の槍鞭が目前に迫る。わたしは襲い来る槍鞭すべての動きを読む。

 ゆるやかな曲線を描く中速度の槍鞭が四本。極端に曲がりくねり、高速で迫るのが同じく四本。超高速でメチャクチャな動きをみせるのが残りの四本。

 中速の槍鞭以外はダミーだ。わたしの目を引きつけるため大きく動き、避けきったところで本命を叩き込むとみて相違ない。これまでとまったく異なるパターンだ。

 防壁は張れない上にこの距離では回避不可。ならば妖術で代用すればいい。

 槍鞭の軌道を予測し、わたしは両袖を素早く離す。

「発」

 右手で印を切ると、赤く光る卍の刃が正面(・・)に現出した。四つの鉤刃(かぎやいば)は高速で回り、迫る槍鞭を次々と弾く。落ちた槍鞭は即座にクロードの元へ引き寄せられた。確認したのち術を解く。

 わたしは間髪いれずに大量の苦無弾を放つ。音速を越えた苦無弾がクロードに襲い掛かる。

 着弾の寸前、クロードの身体が奇妙にゆがむ。数多くの苦無弾が標的をすり抜ける。身体の一部を霧にした、吸血鬼ならではの避け方だ。

 わたしとクロードの視線がぶつかり合い、再び膠着状態におちいった。この間にも思考をめぐらせる。

 

 どうやら早期に封じなければならないな。このままだと紫様の命令が果たせない。

 わたしはいかにしてクロードの感情を爆発させるか考えたすえ、ある点に気づく。こいつは姉に依存している節がある。いわば最大の弱点だ。そこをつく以外に手はないだろう。

 本腰を入れるにはまだ早い。魔女のメッセージの謎が残っている。おそらく吸血鬼を倒すヒントのはずだ。

 メッセージの解釈に考え及んだそのとき、クロードの身体が再び黒い霧と化す。霧は夜の空間へ広がり、文字通り霧散した。衣服も槍鞭も跡形なく消え失せる。

 ……闇にまぎれての不意打ちか、それとも蝙蝠の群れに変化しての八方攻撃か。

 いっそうに張り詰めた空気が肌を刺す。わたしは周囲の気配に神経を尖らせ、メッセージの謎に思考をめぐらせた。

 

 魔女が放った魔法は林をさした。真っ先に思いつくのは白木。

 たしかに白木の杭は吸血鬼を倒せる数少ない道具だ。中でもセイヨウサンザシで作られた杭は最良だときく。

 セイヨウサンザシは、冬の終わりと春の訪れを告げる「良き希望」の象徴とされ、吸血鬼とは対になる存在だ。杭の材料に用いるのも納得がいく。だが、あの林には様々な木々が群生している。あの中に入ってその木を探す暇はない。

 そのとき、真後ろから殺気が刺す。複数の妖気だが、迫る殺気はひとつだけだ。蝙蝠の群れに変化したのだろう。

 わたしは寸前まで引きつけ、素早く身をひるがえす。尾毛をかすめた蝙蝠の群れが上昇する。

 全周防壁の(いただき)すれすれを蝙蝠たちが舞う。満月に照らされるその姿は、いつまでも旋回し続ける鳩の群れのようだ。もっとも平和の象徴とは程遠いが。

 わたしは蝙蝠の群れを目で追いながら、魔女と白木について考えを深めた。

 

 魔女と白木。その接点さえ判明できれば謎は解ける。

 白木といっても種類はさまざまだ。トネリコ、ビャクシン、クロウメモドキ、ポプラ。いずれも魔女との接点がない。強いて言えば、あいつが投げ捨てた箸の十字架ぐらい――。

 わたしはそのときの状景を思い出す。

 あいつは――。

「箸はドングリの木で作った物だし、ニンニクも知り合いの物だから気にしなくていい」

 ――と言っていた。

 そうか……! 樫の木でもいいのだ!

 樫の木とドングリの木は同一植物。樫の木は数多くの象徴として描かれ、〈生命の樹〉の観念をもたらしたとされる。不死者と〈生命の樹〉は真逆の存在。これほど打って付けな物はない。

 メッセージの答えは「樫の木の箸」。どのような経緯で知り得たかは不明だが、魔女はそのことを伝えたかったのだろう。頼りない箸ではあるが、妖力を封じて弱体化させればさしたる事ではない。

 問題なのは、あんな小さな箸を平原の中から探し出すことだが幸いなことに宛はある。残る〈ヒトガタ〉は三十枚。それを小さな〈スキマ〉から防壁外に出し、探させるとしよう。

 考えをまとめたわたしは、クロードの抹殺に本腰を入れた。

 

 続く。




・飯綱術式〈アルティメットブディスト〉の元ネタ:式弾「アルティメットブディスト」


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第二十三話◇血闘幻葬【前編】

 

 蝙蝠(こうもり)の群れから元の姿へ戻ったクロードは、(しかばね)うずめく草地に立って槍鞭(そうべん)を繰り出す。

「なんだ、その攻撃は? カストミラはもっとマシな攻撃をしていたぞ」

 乱れ飛ぶ槍鞭を寸前でかわし、わたしは口端を吊り上げた。槍鞭を引き戻すクロードの表情が険しくなる。

 右に滑空しつつ無数の苦無弾(くないだん)を放つ。苦無型の妖力が一直線に黒衣の吸血鬼へ向かう。クロードの身体が陽炎(かげろう)のように揺らめく。その身体を苦無弾がすり抜ける。

 吸血鬼が持つ能力を防御へと活かしたことに、わたしはワザとらしく嘆息をつく。

「やるではないか。それはカストミラから教わったのか?」

 挑発の言葉に反応し、クロードの顔は険しさを増す。耳の先まで紅潮した表情は、月明かりに頼らずともハッキリわかるほどだ。

 相手の感情を揺さぶるには、大切な“もの”を引き合いに出すのに限る。こいつの場合、姉であるカストミラだ。わたしが紫様の意思を優先するように、こいつも姉の意思に従ってきたのだろう。ならばそこを突けばいい。

 カストミラに対する依存心を刺激し続ければ、こいつは必ず激昂(げきこう)するはずだ。現にクロードの無表情の仮面はもう崩壊していた。目じりは吊り上がり、瞳に炎をともし、頬も引きつっている。妖気は解析済みなので、大きな隙が生じればこいつの妖力を封じられるはずだ。

 緊張感がいっそうに増す。

 あと一息だ。

 わたしはさらに挑発の言葉をまくし立てた。

「感情が顔に出ているぞ。お前は今、あの魔法使いの生き血を吸う気なのだろう? だが無駄なあがきだ。なぜなら間もなく死を迎えるのだからな、あの人間は」

 八重歯を見せながら嘲笑(あざわら)うとクロードの顔がさらにこわばった。あらゆる負の感情が混じりあっているのだろう。

 わたしは苦無弾を連射しつつあおり続けた。

「今ならまだ間に合うかもしれないが、わたしを殺さない限りこの防壁(オリ)は消えることはない。早くしないとあの人間は死ぬぞ」

 苦無弾の嵐を防ぎきれなくなったのか、クロードは手近な屍に槍鞭を突き刺す。四つの屍を引き寄せると、そのまま盾にした。屍の盾に数多くの苦無弾が突き刺さる。槍鞭を正確に制御できないほど感情がたかぶっているとみた。畳み掛けるなら今だ。

 わたしは両袖を離した。苦無弾を乱発し、右手で印を切りだす。クロードの妖気を読み取り、脳裏で数字に変換する。あまりの桁の多さは解析の際に確認済みだ。湧き出す数字の源を割り出せば妖力は封印できる。

 封印の計算式を編み、わたしは徹底的に嘲笑う。

「どうした!? カストミラを人間ごときに殺されて悔しくないのか!? 姉弟同士での吸血で辛苦(しんく)をしのいで来たのだろう!? お前の体たらくを目にした姉は、さぞや地獄で嘆いているだろうなあ!!」

「黙れええぇぇっ!!」

 クロードの咆哮(ほうこう)が夜の平原に響き渡る。爆ぜた感情は、これまでの鬱積(うっせき)を晴らすかのような勢いだ。それは行動にもあらわれた。盾にした四つの屍をわたしに向けて投げ放つ。

 迫りくる屍を避けようとしたその瞬間、左腕の傷に激痛が走る。その痛みはわたしに対するカストミラの呪い、あるいは弟を守ろうとする想いなのかもしれない。

 身体の前面に強い衝撃を受けたのはそのときだった。激しい痛みに意識が遠のく。屍と衝突した弾みでわたしの身体は吹き飛ぶ。

 直後、いちめん屍の大地に激突する。背中に衝撃が走り、思わず苦痛の声を漏らす。

 視界には幾多の屍が映り、血と焦げた肉の臭いが不快感をあおる。死体の海へ沈んだわたしは額に右手を添え、頭を振った。

 ……失敗だ。

 妖力の封印は、あと一歩のところで不成功に終わってしまった。カストミラから受けた傷の痛みに、一瞬とはいえ意識を奪われたのが原因だ。

 わたしとしたことが、詰めを誤るとは……。しかし自己嫌悪におちいる暇はない。

 痛みに耐え、わたしは思考を加速させた。

 左腕の痛みさえなければ完璧だったが、まだ望みはある。やつに施した封印式は未完成だが、あとひとつの封印式を加えれば完成だ。そのためには、再び隙を生じさせる必要がある。クロードをまた激昂させれば封印は可能だ。

 ――ただし、好機は一回限り。

 それ以上の挑発行為は、こいつに猜疑心(さいぎしん)をもたらしかねない。疑われたら最後。わたしの策は見破られ、なす術もなく殺されるだろう。

 かくなるうえは最後の好機にすべてを注ぎ、クロードの妖力を封じるしかない。

 結論を出したわたしは、両袖を合わせて立ち上がった。

 屍埋め尽くす草地から足を浮かせ、クロードに目を向ける。紅潮させた顔面と憎しみあふれる瞳に思わず息を飲む。こめかみの血管がハッキリと見えるので、怒りの度合いがうかがえた。

 封印のタイミングを逃すまいとする重責がのしかかる。それを「紫様の意思」と変換し、自分に鼓舞(こぶ)を促す。ふかく息を吸い込む。吐息とともに焦燥や不安は消え失せる。

 眼光を放つクロードに負けじと睨み返す。張り詰めた空気が肌をさすなか、クロードが槍鞭を放つ。押し殺していた感情を解放したせいか、槍鞭の制御に乱れがない。

 襲い来る十二本の槍鞭が、曲線の軌跡をえがく。わたしは軌道を見切り、即時に上昇する。五メートルほど昇ると両袖を離す。その直後、正面に数珠状の妖力を投げた。連なった妖力の球体が膨張した瞬間、右手で印を切る。

「発」

 複数の球体から放たれた赤い光線が大地に降りそそぐ。幾多の屍が吹き飛び、草葉と土煙が立ち昇る。

 目を凝らすと負傷したクロードの姿があった。光線の直撃を受けたのか、左半身が消失している。あれぐらいでは致命傷には至らないだろう。

 十数秒たらずで再生し終えたクロードは、わたしを追って飛翔した。上昇と同時に槍鞭を放つ。狙いすました十二本の刃の蛇がわたしを襲う。

 避けようとした直前、また左腕の傷に痛みが走る。痛みに気を取られた瞬間、身体の数箇所がとつぜん熱を持つ。熱は一瞬で激痛に変わった。右肩、右脇腹、右太腿に槍鞭が突き刺さり、衣服は鮮血でにじむ。貫通しなかったのは、満月が妖怪に与えた恩恵なのかもしれない。

 激痛で顔をゆがめるわたしのそばに、憤怒の形相のクロードが近づく。

「姉さんを愚弄(ぐろう)した異教徒め……! ただでは殺さんっ!」

 怒号を聞いた直後、腹に重い衝撃が走る。痛みの源を見やると、クロードの右拳がめり込んでいた。

 槍鞭を食らった以上の痛みに意識がぶれる。激痛に身を屈めたそのとき、背中へ更なる痛みが襲う。痛みの範囲から両手を組んだ打撃らしい。その衝撃は、わたしを瞬時に落下させるほどの威力だ。

 痛みに耐えつつ飛空妖術を使い、なんとか地上との激突はまぬがれた。屍が乱雑する草地に足を着けたとたん、目まいをもよおす。槍鞭の傷から出血したせいだろう。片膝を着き、わたしは額に右手をそえた。

 クロードの性格からすると、おそらく槍鞭による追撃はない。親族を愚弄された場合、間近で殺さなければ気が済まないはずだ。わたしならそうする。

 姉を失ったこいつのことだ。愚弄したわたしの死を見届けるとみて間違いない。逆に考えれば最大のチャンスだ。それだけ冷静な思考ではないと言える。これを利用しない手はない。

 封印の策を練っていると、屍に降り立つクロードのブーツが見えた。先ほど「ただでは殺さん」と言ったことから、すぐにはわたしを殺さないだろう。わたしは最後のチャンスが訪れたと確信した。

「立て、女狐!」

 起立を促すクロードの語気が荒い。姉を侮辱したわたしに憎しみを抱いているようだ。それに従い、ゆっくりと立ち上がる。

 わたしを越える背丈のクロードは憤怒の形相のままだ。強い殺意が肌を刺す。それに対しわたしは敢えて頬と口元を緩ませた。

「……何がおかしい!?」

 薄ら笑いを目にしたクロードが凄む。

「いや……。やけに口数が増えた、と思ってな」

 鼻で笑ったとたん、襟首をつかまれた。衣服の襟が頚動脈を圧迫する。襟首つかむ両拳を小刻みに震わせ、クロードは怒りの顔を寄せた。

「同じ目にあえばわかる!」

「深い愛情と言うわけか。姉を失ってさぞかし不安のようだな」

 怒気を込める言葉に嘲笑(ちょうしょう)で返す。その裏でわたしは妖力の封印を試みる。

 頭の中にこいつの妖力が数字となって浮かぶ。湧き出す数字の源はすでに特定済みだ。あとは、残り一つの封印の計算式を施すのみ。

 隙をうかがっていると、襟首の絞め付けがいっそうに増す。その圧迫に意識が薄らぐ。

「俺の心は怒りでいっぱいだ! 不安などないっ!!」

 激昂するクロードを目にし、今が好機と悟る。薄ら笑いを浮かべ、人差し指で自分の頬をつく。

「ならば、その冷や汗はなんだ?」

 クロードはすぐさま右手を頬にあてた。紅潮していた顔は血の気が引いている。冷や汗などかいていないにもかかわらず、こいつはわたしの言葉に反応した。不安を抱えている証だ。

 片手で吊り上げられた形になり、薄らいだ意識が覚醒する。

 この瞬間を待っていたのだ! 魔女のようにカマをかけたのは(しゃく)だが……。

 下ろした右手で素早く印を切る。

 だまされたと気づいたクロードの右手が再び襟首をつかむ。

「俺まで愚弄する気か!?」

 両拳の震えが激しい。憤りの形相に戻ったクロードへ、わたしは八重歯を見せた。

「そんな気はない。殺す気でいるんだ」

 言い放った直後、襟首の絞めあげが強くなる。眼光も殺気も同様だ。

「……貴様の浄化を執行する。串刺しの刑だっ!!」

 わたしをよりいっそう高く吊り上げ、クロードの碧眼が憎悪に染まる。すべての槍鞭を突き刺すつもりらしい。だが、わたしの〈計算〉は完璧だ。

 

 クロードの怒号が響き渡って十数秒。名もなき平原は静寂(せいじゃく)に包まれていた。

 当惑する黒衣の吸血鬼が、まったく動かない槍鞭に目を向ける。紅潮していた顔は蒼白に変わり、疑問の声さえ発さない。

「……成った」

 つぶやくわたしに、クロードは真っ青な顔を上げる。無言で大きく目を見開いて驚愕することから、何が起こったか理解したようだ。

 わたしは、こいつの姉に相当するいびつな笑みを作る。

「察しのとおり、お前の妖力を封じさせてもらった」

 そう宣言した直後、クロードの握力が強まる。

「それがどうした!? 貴様を絞め殺すことくらいはできる!」

 襟首をつかんだまま下ろすと、クロードはわたしの喉元をつかみかけた。その直前、印を切る。

「発」

 掛け声と同時に、赤く光る卍型の刃が現われる。わたしの四方に出現した鉤刃が高速で回りだす。その瞬間、クロードは下半身を残して後方に弾けとんだ。遠のく上半身と間近の下半身が屍の海に沈む。

 絞め上げから解放されたわたしは、それまで圧迫していた首をさすった。頭部に滞流していた血液が正常に戻る。襟元をただし、両袖あわす常時の姿勢で考えに及んだ。

 妖力を封じたが、あの程度の傷ではすぐに再生するだろう。その証拠に、足元の下半身は黒い霧と化している。だが、再生はできてもダメージは残っているはずだ。

 妖術で弱らせ、心臓に樫の木の箸を突き刺す。その手順通りにやればわたしの勝ちだ。

 考えをまとめると、視界に再生したクロードの姿が映る。その手には、カストミラの形見となった巨大な十字架を携えていた。

 たしかあそこはカストミラが茶番をさらした場所だったな。やつめ、環集多槍鞭(かんしゅうたそうべん)が使えぬから持ち替えたか。あの女吸血鬼、得物を己の構成に含めなかったようだな。見た目の重量から察すると、自分の速度を抑えるために所持していたのかもしれん。

 まあいい。切り札も増えた(・・・)ことだし、そろそろ反撃に移るとしよう。

 真円を描く煌々(こうこう)とした満月の下、妖力が増幅するわたしは両袖を離す。左右の袖口から残り三十の〈ヒトガタ〉が飛び出す様子を目にしたとたん、思わず頬をほころばせた。

 気の緩みではない。紫様から与えられた使命を果たしている事に、例えようもない充実感を得ているからだ。

「今までにない最高な夜だ……!」

 

 続く。



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第二十四話◇血闘幻葬【中編】

 

「発」

 掛け声と同時に赤い光が放たれる。連なる光球から左右に伸びる光柱。重なり合うほどせまい間隔のレーザーが蝙蝠(こうもり)の群れを飲み込む。次々と焼け落ちる蝙蝠たち。

 九尾妖術〈妖怪レーザー〉が収束すると、(しかばね)の海に沈んだ蝙蝠たちは黒い霧となって消え失せた。霧は四メートルほど隔てた正面に集まりだす。やがてそれは巨大な十字架を拾い上げたクロードとなった。かなりのダメージが蓄積しているらしく、肩で大きく息を切っている。

 肩の環集多槍鞭(かんしゅうたそうべん)はまだ装備されたままだ。おそらく、衣服と同様に身体の一部として構成しているのだろう。わたしにとっては都合がいい。

 それはともかく、これまで受けた傷の痛みがひどくなってきた。左上腕部、右肩、右脇腹、右太ももに熱を帯びたような激痛が走り続けているが、出血は止まったようだ。この分だとしばらくは持つだろうが、油断してはならない。それに、防壁の維持は十分が限度。急がねばならん。

 そう判断し、わたしはクロードとの距離を詰める。間近まで迫ると、黒衣の吸血鬼が十字架を頭上に振りかざす。炎ゆらめく碧眼がわたしを捉える。それに構わず真っ正面から突っ込む。

 大気を裂く十字架が頭上から襲う。すかさず右手で印を切る。

「発」

 掛け声とともに四つの刃が現われた。赤く光る巨大な卍がわたしを中心に回りだす。高速の鉤刃(かぎやいば)がクロードの身体を()ぐ。十字架を持ったままのクロードは絶叫とともに下半身と別離し、勢いよく吹き飛んだ。それを確認し、わたしは術を解く。

 吸血鬼の上半身が屍うずめく大地に沈んだ直後、目の前の下半身は黒い霧と化す。霧が完全に散ると、四メートル先のクロードは勢いよく立ち上がった。

 大岩の前で巨大な十字架を構えるクロードの身体は、いたるところから黒い霧が噴きだしている。それは四肢の関節を含め、これまで与えた傷にも及んでいた。よく見ると、先ほど切断した腰の傷の再生がこれまでより遅い。どうやら、再生に要する妖力は底を尽きかけているようだ。

 わたしに言わせれば、再生できない吸血鬼など雑多な妖怪に等しい。封じてしまえば妖力は無尽蔵に増えることはない。苦悶(くもん)の表情を浮かべていることから、相当のダメージがたまっているのだろう。

 いま少しだ。あと一押しで紫様から与えられた使命を果たすことができる。

 そのように思い及んだとき、黒衣の吸血鬼が十字架を担ぐように構えた。これまでの構えとは異なり、柄の部分をわたしに向けている。異様な構えを目にし、危機感の鐘が頭脳へ鳴りひびく。

 もしや――。

 直感するや瞬時に身をひるがえす。

 やにわにクロードが叫ぶ。

「食らえ!」

 弾ける音とともに柄の末端部が放たれた。音速を超えた末端部がわたしに襲いかかる。髪の毛一本ほどの隙間でそれをかわす。直後に起こる衝撃波。吹き飛ばされたわたしは、頭を庇いつつ屍で埋め尽くす草地に転がった。

 三メートルほどは飛ばされただろうか?

 丸めた背中に鈍い衝撃がつたわる。同時に左腕の傷と、槍鞭(そうべん)を受けた傷が激しく痛みだす。焼けるような痛みに耐えきれず、わたしはその場でうずくまるしかなかった。

 先ほどのあれは切り札だったのだろう。その証拠に連続して撃ってこない。爆発物ではなかったのは幸いだ。炸裂弾なら直撃した瞬間、爆発の衝撃によって身体が四散しただろう。

 直感どおり、避けて正解――。

 ……待て。

 クロードがわたしの行動を読んでいたとすれば? 数箇所の深手を負っているわたしが無理やり回避したらどうなるか? それが狙いで切り札を使ったのならば、素早く攻撃に移るはずだ。

 顔を上げたわたしの目に、巨大な十字架を振りかざしながら迫るクロードの姿が映りこむ。憤怒の形相はもはや怒り狂った鬼と化していた。その表情に我知らずと息を飲む。

 切り札を使ったとなれば、わたしにとどめを刺すことはほぼ確実。それなら新たな“奥の手”で迎え撃つまでだ。

 そのように考え、わたしは目を閉じた。集中力を高めるなか、クロードの迫り来る音が耳に響く。うずめく屍を踏みつけ、()ねのける不快な音だ。

 強烈な殺気が肉迫し、肌を刺す。

「召されよ、女狐っ!!」

 クロードの怒号と同時に、わたしの準備は整った。目を開くと、姉の形見を頭上にかかげたクロードの姿が飛び込む。灼熱(しゃくねつ)の炎のような眼光とともに十字架がわたしを襲う。

 振り下ろされた十字架は――。

「な、何っ!?」

 ――とつぜん止まる。

 そのたくましい両腕には四本の槍鞭(・・)が貫き、こいつの動きを封じていた。それは腕に限ったことではない。背中に残りの八本が突き刺さっている。

 操作できなくなった槍鞭がおのれの身に突き立っているのだ。何が起こったのか理解できないのも無理はない。

 苦痛と疑問の表情を浮かべるクロードに、ゆっくりと立ち上がったわたしは冷たく言い放つ。

「妖力の波長がわかれば、環集多槍鞭の制御を奪うことなど造作もない」

 その言葉にクロードの顔が凍りつく。

「貴様、乗っ取ったのか!?」

「槍鞭は制御できなくとも、再生することや霧と蝙蝠になることができた。――そのことを疑問に思わなかったのか?」

 冷淡に聞き返すと、わたしは環集多槍鞭の制御球へ妖力をそそぐ。直後、クロードの背中に突き立った八つの槍鞭がますます食い込む。わたしは言葉を重ねる。

「――だとしたら大馬鹿者だ、お前は」

 言い終えた瞬間、槍鞭はこいつの厚い胸板をつらぬいた。その強烈な勢いに、クロードは屈強な身体をのけ反らす。振りかざしていた巨大な十字架が屍で埋まる大地に沈む。激痛による絶叫は名もなき平原中に響き、噴きだす大量の血が月光をさえぎる。

 突き出した槍鞭はクロードの心臓を露出させた。動脈と静脈とともに引き出された心臓は激しく鼓動を打っている。その様は、まるでこいつの悔しさと怒りを飛躍的に増幅しているかのようだ。

 

 〔敵の得物である環集多槍鞭の操作を奪う〕

 それがわたしの新たな切り札であり、妖力を解析した際の副産物だ。

 紫様から聞き及んだとおり、雑多な妖怪であれば扱いに難儀するだろうが、わたしには苦もなく操作できた。これも主から授かった知識の賜物(たまもの)だろう。

 十二本の槍鞭を操り、改めてこの武器の恐ろしさがわかった。わたしのような高位の妖怪であれば妖力を中央の制御球に注ぎ、念じるだけで敵を貫いて殺すことができるのだ。この危険性は、外の世界の銃器類に近いものがある。

 この武器が幻想郷のエンジニア集団たる河童(かっぱ)たちに知られたら厄介だ。好奇心旺盛なやつらのことだから、模造品か簡易版を大量生産する事はほぼ確実。しかも悪意がない分、余計にタチが悪い。

 このような武器を幻想郷に残してはならない――と、紫様もそうお考えになるだろう。幸いにもクロードの構成物の一部らしいので、こいつを殺せば消滅するはずだ。

 そう決断し、わたしは屍で埋めつくす草地に横たわる十字架へ手を伸ばした。先端部に触れると無機質で冷たい感触が伝わる。質感から察すると、この十字架は花崗岩(かこうがん)に近い鉱石物でできているようだ。柄の末端部以外に細工を施された形跡はない。

 巨大な十字架を前後逆さで水平に持ち上げる。わたしの身の丈を越えるだけあって相当な重量だ。少なくとも三百キロ以上はあるだろう。その重さに身体中の傷が痛み出す。

 痛みに耐えて十字架の柄をクロードへ向ける。こいつの腹部に狙いを定めたその直後、勢いよく投げ放つ。

 放たれた十字架が月光に(きらめ)く。肉と臓物(ぞうもつ)のつぶれる鈍い音が耳に伝わる。わたしの手から離れた十字架は大気を裂き、平原の象徴である大岩にクロードもろとも突き刺さった。大岩の真横に串刺しとなったクロードの絶叫が響く。

 十字架が貫通した腹部の傷と、槍鞭によって(えぐ)られた胸部の傷は、おびただしい血と黒い霧をふき出す。再生する速度がかなり遅い。霧や蝙蝠の群れに変化して脱出しないことから、吸血鬼としての能力は限界を迎えたようだ。血の泡を吹くその口からは、激痛に耐え切れない声を吐き続けていた。

 串刺しの吸血鬼に、わたしは感心の視線を送る。

 ようやく追い詰めたか……。わたしをここまで疲弊させるとは、さすが不死の王(ノーライフキング)と呼ばれるだけはある。

 串刺しとなった黒衣の吸血鬼が激しい恨みの言葉を吐く。

「貴様のような異教徒は絶対に浄化してやるっ! それが姉さんの意思だ!!」

 憎悪がこもった眼光を受け、わたしは無言のままでいた。いや、何も言い返せなかったのだ。その碧眼の奥にゆらめく光がなんなのかを、わたしは理解した。

 こいつにとってカストミラは信頼し合える唯一の肉親だったのだろう。

 もしも紫様が何者かによって亡き者にされたとしたら? わたしもこいつと同じ気持ちになるはずだ。主の喪失など今まで想像すらしなかった。

 ……わたしとこいつは同類なのかもしれない。奇妙な縁だな……。

 クロードに少なからず親近感を持ってしまったわたしは、当惑が(かせ)となって微動すらできない。

 ためらうわたしの視界に〈ヒトガタ〉を捉えたのは、丁度そのときだった。和紙で出来た大の字を模す三十の“式”が一箇所に集まって滞空している。その中には吸血鬼退治に必要な物があった。魔女が投げ捨てた樫の木の箸で作られた十字架だ。

 適当に交差させた箸は凧糸(たこいと)できつく結ばれ、たやすくほどけるようには見えない。まるで悪必滅を貫徹するあの魔女の信念のように思える。

 この箸を平原の中から探し出すのは思いのほか簡単だった。至極単純な発想だ。あのときあいつは、この箸とともにニンニクも投げ捨てた。ならばその匂いをたどれば良い。

 わたしの推測は的中し、白木に相当する樫の木は入手できた。しかし、迷いの(もや)は晴れないでいる。

 ためらい続けるわたしの脳裏に、紫様の言葉がよみがえった。

 ――「心ゆくまま尽力なさい」

 紫様の意思は何よりも優先させる。

 これまで貫き通してきたわたしの信念が迷いの靄を払い散らす。

 そうだ。我が主と同じ姓を冠する者として、わたしには果たさねばならない使命がある。まさにこの瞬間ではないかっ!!

 迷いは完全に晴れた。

 わたしは〈ヒトガタ〉が探し当てた箸の十字架に手を伸ばす。漆が塗られていないかわいた木の質感を覚える。なめらかな肌触りから、あの魔女と長い年月をともにしたのだろう。

 細い箸を手に持った瞬間、残った〈ヒトガタ〉をクロードへと飛ばす。人の形をした和紙が、あがき続ける黒衣の吸血鬼の四肢に貼りつく。それを視認し、すかさず印を切る。

「発」

 

 続く。




・九尾妖術〈妖怪レーザー〉の元ネタ:式輝「狐狸妖怪レーザー」


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第二十五話◇血闘幻葬【後編】

 

 細い箸を手に持った瞬間、残った〈ヒトガタ〉をクロードへと飛ばす。人の形をした和紙が、あがき続ける黒衣の吸血鬼の四肢に貼りつく。それを視認し、すかさず印を切る。

「発」

 掛け声と同時に〈ヒトガタ〉が爆ぜた。爆発の衝撃でクロードの四肢が血潮(ちしお)とともに吹き飛ぶ。再び吸血鬼の絶叫が平原中にこだまする。その叫び声にはあらゆる負の感情が含まれていた。

 はたから見れば、わたしは極めて残虐(ざんぎゃく)な行為をしているのだろう。大岩に打ちつけ、なおかつ四肢を吹き飛ばすなど、まともな者がやることではない。だが相手は、主が愛しておられる幻想郷を混乱にみちびく招かざる者、吸血鬼だ。妖力を封じたとはいえ(あなど)ってはならない。

 頼りない箸でも樫の木で作られているのは紛れもない事実。これを有効に活かすには、可能な限り攻撃を加えて極限まで弱体化させる必要がある。ここで倒さねば幻想郷に未来はない。

 幻想郷の害悪は、美しく残酷にこの大地から根絶させる。それが紫様の意思であり、わたしの意思だ。

 決意あらたに、樫の木の箸で作られた十字架を握りしめる。魔女から託された箸を持ち、わたしは大岩に打ちつけたクロードのそばまで近づく。

 満身創痍(まんしんそうい)の吸血鬼は血の泡を吹きながらも、憎悪あふれる碧眼で睨みつけていた。欠損した四肢の箇所から黒い霧がのぼりたつ。それは(えぐ)られた胸と、槍鞭(そうべん)によってさらされた心臓も同様だ。霧が噴き出る心臓は、こいつの心情を代弁するかのように激しく動いている。再生が追いつかないほど妖力は枯渇しているようだ。

 それにしてもこいつの(くじ)くことのない戦意には恐れ入る。敵でなければ親睦を持ちたいところだ。

 ……カストミラではないが、もっと早くに、それも敵としてではなく出会っていれば、このような結末を迎えずに済んだかもしれないな。

 そんな気持ちが顔に出たのか、クロードの怒号でわたしの思考は現実へと戻る。

「なんだ、その目は? 異教徒に同情される筋合いはない! 舐めるな、この女狐め!」

 世の無常さに思いを馳せている場合ではない。わたしは表情を引き締め、凄むクロードの顔前に箸で作られた十字架を突き出した。

「これが何かわかるか?」

 突然の問いかけにクロードはわずかながら困惑した表情を作る。その顔を目にしたわたしは心中で「やはりわからぬか」とつぶやく。困惑がにじみ出る黒衣の吸血鬼を凝視し、そのままの姿勢で話し続ける。

「『日本は箸の国』と例えられるが、どうやら知らぬようだな」

 薄ら笑いを目にしたクロードの顔から、にじみ出ていた困惑が消えた。

「なんの話だっ!?」

「なあに、日本の文化を教えてやろうと思ってな。これは箸と言ってな、お前達が使うスプーンと同列な道具だ」

 日本の食器について説明し始めたとたん、「それがどうした!」と眼光とともに返された。それを受け流し、淡々と話しつづける。

「この箸は『樫の木』で出来ている――と言えば、わたしが何をするかはわかるな?」

 クロードの顔が蒼白に変わった。こんな細い箸が、「白木の杭」の代用だと理解したらしい。箸を凝視した黒衣の吸血鬼が、碧い瞳をわたしへと向ける。

「なぜ手の内を明かす? そんな棒切れで俺を殺せると思うか!」

 クロードが怒気のこもる言葉を吐く。瞳から放たれた憎悪の眼差しがわたしに突き刺さる。その碧眼は紅蓮(ぐれん)の炎のような光に揺れ、強い意志を宿していた。こいつの不屈の精神が本音を明かす気にさせたのかもしれない。

今宵(こよい)の戦いで数多くの経験を得ることができた。手の内を明かしたのはその返礼だ。それに――」

 一息の間を置き、わたしは言葉を重ねる。

「――わけもわからずに最期を迎えるのも哀れだと思ってな」

 同じ立場から見れば、クロードの奮闘ぶりは敬意を表したい。道は違えど、こいつはこれまで姉のカストミラに全力を注いで支えてきたのだろう。尊敬する者の信頼に応える行動としてみれば、共感できなくもない。手の内を明かしたのは、わたしなりの情けであり敬意でもある。

 そんな心境のわたしとは裏腹に、出血しているはずのクロードの顔がみるみる紅潮してゆく。

「俺を舐めるのもいい加減にしろっ! その高慢さが命取りになるぞ!」

 大岩に打ち付けられた吸血鬼の口から血の泡と怒号が吐き出る。そんな気はなかったのだが、どうやらこいつには見下しているように見えたらしい。

 反抗心あふれる瞳の輝きがあの魔女に似ている。あいつもこいつと同じ気持ちを抱えていたのだろうか?

 ……まあいい。捉えかたは自由であるし、わたしなりの情けも果たした。こいつの忠告どおり、速やかにとどめを刺すとしよう。

 意を決し、わたしは表情を引きしめる。

「そうだな。お前の言う通り、もうおしまいにしよう」

 言い終えるや、クロードの顔前へ突き出していた箸を逆さに持ち替え、天高くかかげた。満月の明かりがわたしを照らす。月光によって生み出されたわたしの影がクロードの全身をおおう。互いの視線が交差する。

 碧眼に自分の顔が映ったその瞬間、わたしは右腕を振り下ろした。箸ごしに肉をつらぬく鈍い感触が伝う。その直後、クロードの絶叫が響く。黒衣の吸血鬼が上げる叫び声には激痛はもちろん、無念さと憎悪を含んでいた。

 口から出るものは怨嗟(えんさ)の声だけではない。箸で貫かれた心臓と同様、おびただしい血を吐き出している。

 返り血を浴びる寸前、わたしは五歩ほど跳んでかわす。両袖合わすわたしに、一陣の風が血の臭いを運ぶ。不快な臭いが鼻腔を刺激する。

 そのとき、クロードの身体から青白い炎が噴き出した。蒼白の炎は、瞬く間に吸血鬼の身体を包み込む。勢いよく燃え上がる割には焦げ臭さがない。おそらく〈生命の樹〉の観念をもたらすとされる樫の木が、不死の王(ノーライフキング)たるこいつを滅しているのだろう。即死に至らないのは杭と比べて箸が小さすぎるためだ。

 蒼白の炎に包まれたクロードの絶叫がかすれてゆく。わたしに向けられた眼光も消えかかっていた。やがて、四肢を失った身体に残された頭部が力なく垂れる。消滅するのも時間の問題だろう。

 わたしは(きびす)を返す。

 そのとき、強烈な殺気を背後から感じた。おそらく最後の力をふりしぼった奇襲だろうが、すべて読んでいたことだ。背を向けたのも、不意打ちを促すため作った隙に他ならない。迎撃の準備は既にできている。

 わたしの〈計算〉は完璧だ。

 九尾妖術〈妖怪レーザー〉を放つべく、わたしは右手を構えつつ振り返る。目にしたのは首を切りはなしたクロードだった。燃え盛る炎とともにこちらへ向かって襲いかかる。

 迫り来る首は大きく口を開け、鋭い牙がむき出しになっていた。碧眼は血走り、殺意の光だけしかない。なにもかも投げ捨てた死兵の眼光だ。

 わたしは数珠(じゅず)状の妖力を右手に握ったまま(・・・・・)、左手で印をきる。

「発」

 妖力の球体群がわたしの背丈を上回るほどふくらむ。放たれた巨大な光線は、一瞬にして夜を赤い世界に変えた。

 束ねた〈妖怪レーザー〉は、顔前まで襲いくる首だけとなった黒衣の吸血鬼を飲み込んだ。耳をつんざく轟音が名もなき平原に響き、クロードの断末魔をかき消す。クロードの首が、包まれた蒼い炎もろとも消えてゆく。

 やがて極太の赤いレーザーは収束した。首だけとなったクロードの姿は既になく、妖気の欠片すら感じない。四肢を失くした身体と環集多槍鞭(かんしゅうたそうべん)も同様だ。

 射線上の大きく抉れた大地が、束ねた〈妖怪レーザー〉の威力を物語っていた。程なく離れた大岩も赤熱の光を発している。真横に打ち付けた十字架が大岩と同じく灼熱(しゃくねつ)化して赤い輝きを放つ。妖術を構えたままのわたしの視線が十字架に固定される。

姉さん(カストミラ)によろしくな」

 残された十字架が吸血鬼姉弟の墓標に見えたのか、わたしの口からそんな手向けの言葉を吐かせた。

 

 

 空間が湾曲する全周防壁を解除したわたしは、両袖合わす姿勢のまま熟考し、微動すらできずにいた。なぜなら紫様のおっしゃる「変化を求める心」を持たなかった場合、クロードと同様の末路をたどっただろうと考えたからだ。

 紫様から心の変革を促されていなければ、依存する現状に固執したすえ、無様な最期を迎えたのかもしれない……。

 そのような考えに及んだ心当たりはある。戦いの終盤、追い詰めたクロードに対して親近感を持ったことが原因だ。

 主と姉の違いはあれど、わたしとあいつには幾つかの共通点があった。

 疑いようのない信頼感。指示や命令に従う忠誠心。精神の支えとする依存性。

 これだけ似通った点があれば、似た者同士だと思うのも無理はない。クロードがどう思っていたかは定かではないが……。

 姉であるカストミラの意思に従った結果があのような末路とは、あまりにも悲惨で哀れな最期ではないか。

 そう思うと、心中にむなしさの波紋が広がってきた。自分の行く末に思い悩んでいると、一陣の風が前髪をゆらす。そよ風がそれまで上気していた身体の火照(ほて)りを払う。深呼吸すると蓄積した心のよどみが吐き出され、むなしい想いは幾分か静まった。

 風鳴り音のなか、およそ三十を数える時間が経ったとき、わたしは紫様の真意を悟った。

 これまでわたしは主の命じるまま行動してきた。

 紫様の意思は何よりも優先させる。

 それが従者の務めであり、わたし自身の存在意義と思っていた。

 紫様は、そんな心持ちのわたしを「愚直なまで受動的態度を取り続ければ、いずれ悲惨で哀れな破局がおとずれる」と思ったに違いない。

 この決戦の直前までいがみ合っていた魔女と組ませたのも納得がいく。今まで無自覚に意識していたあいつと組めば、(いや)がうえでも自発性を持つ――と思慮されたのだろう。

 事実、わたしと魔女は強大な能力を持つ吸血鬼に勝利することができた。しかも互いに結束しあってだ。巫女が言った「単独行動から生じる結束力」も、あながち間違いではないのかもしれない。

 わたしが魔女のメッセージ抜きではクロードを倒すことはできなかったであろうし、あいつも妖波の解析結果を聞かなければ自力ではカストミラに勝てなかっただろう。

 ――もしや紫様は、何もかも見通しておられたのか? わたしの〈計算〉はもちろん、巫女の「(かん)のささやき」も、魔女の〈深読み〉も織り込み済みでこの作戦を立てられたのでは? だとしたら、賢者にふさわしく深い見識をお持ちだと改めて思う。……我が主と肩を並べられる日は、遠い先のようだ。

 嘆息をつくと同時に、それまで押し込んでいた懸念がよみがえる。脆弱(ぜいじゃく)な人間が高位の妖怪たる吸血鬼を倒した事実だ。これは幻想郷の(ことわり)(くつがえ)ったことを意味する。この事実をお知りになられた紫様はどう思われるのだろうか?

 その前に魔女の生死を確認せねばならん。仮に死んでいたとすれば、「己の命と引き換えに幻想郷を守った」という美談としてごまかすことができる。もし生きているのならば、そのときは……。

 決意を固め、わたしは魔女の元へ向かうことにした。

 大岩を通り過ぎてから程なくして激しい亀裂音が耳に入る。肩越しから見やると、大岩の真横に突き刺さっていた十字架がもろく崩れ落ちる光景を目にした。十字架の鉱石物質がレーザーで熱せられて膨張し、外気に冷やされ自壊したのだろう。

 これであの吸血鬼の姉弟が幻想郷に存在した痕跡は、すべて消え去った。

 主であるカーマセイン・スカーレット伯爵に踊らされ、真の力を取り戻すべく離反し、志し半ばで散った姉弟。

「……(はかな)いものだな」

 吐息とともにそうつぶやき、わたしは視線を戻して魔女の元へと急いだ。

 

 続く。



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第二十六話◇長くアツい夜の終わり

 

 濃緑の草葉を踏み鳴らし、わたしは半裸で横たわる魔女の左側まで近づいた。仰向けの魔女は生きているようにも死んでいるようにも見える。

 月明かりは満身創痍(まんしんそうい)なこいつを照らしていた。浮かび上がる小麦色の肌には、首からさげた五芒星(ごぼうせい)型の魔法具と白い質素な木綿の下着、機能性を重視したベージュ色のポーチと薄茶な革のブーツだけ身にまとっている。センスを疑う黒い尖がり帽子はこいつの頭付近に、懐中時計が足元で転がっていた。

 血まみれの右腕と袈裟懸(けさが)け状の打撲痕がいやでも目につく。鳩尾(みぞおち)の上辺に皮下出血が見られる。肋骨の一つや二つは折れているだろう。左の人差し指の先に噛み切ったあとがある。吸血鬼を倒したことと何か関係があるのかもしれない。

 身体と転がる帽子に微量な灰が付着している。おそらくカストミラだった(・・・)物だろう。吸血鬼の遺灰を目にしたわたしは戦慄(せんりつ)し、思わず身震いした。

 矮小(わいしょう)な人間が、よもや〈生命の樹〉と同等のモノを引き出すとはな……。あのときの〈魔砲〉の白光がいまだに脳裏から離れない。あれは明らかに命の炎だ。

 わたしは燃え尽きたであろう魔女の生死を確かめるべく、そっと身を屈めた。

 いつもの無愛想な顔は見る影もなく、耳の先まで血色がない。それは唇も同様だった。半ば開いた口も、下着に包まれた起伏豊かな胸にも、呼吸の気配はない。

 柔らかそうな首元に右手を伸ばす。指先に冷え切った肌の感触が伝わる。頚動脈から血液の流れが感じられない。

 物言わぬ魔女にわたしは小さな吐息をもらす。その吐息が何に対してなのか自分でさえわからなかった。ただ、「幻想郷の(ことわり)」と関係ないことは確かだ。

 複雑な気持ちを抱え、わたしは立ち上がった。

「……死んだか」

 そうつぶやき、足元の魔女を見据える。こいつが地に伏してから三十分は経つ。呼吸が停止してから蘇生までのタイムリミットは、せいぜい十分。既に死んでいたのだろう。

 微風が吹き、これまでの戦いで火照(ほて)った身体の熱を奪ってゆく。濃緑の草地がさざ波のように揺れるなか、わたしは魔女の死の考察に及んだ。

 こいつは魔力の代わりとして己の命を燃やし、〈魔砲〉に直結させたのだろう。それは〈生命の樹〉の観念と同等なモノをもたらし、結果としてカストミラを(ほうむ)った。その戦果だけは称賛に値する。しかし己の命を燃やした代償は高い。

 この魔女は悪必滅の信念を貫徹し、そして燃え尽きたのだ。こいつの(くじ)けぬ戦意が、わたしを無自覚に意識させたのかもしれない。紫様がこいつを「変革をもたらす切っ掛け」と仰るのも今ならうなずける。せめてその心意気だけは見習うとしよう。

 わたしは夜空をあおぎ見た。天高く浮かぶ満月は、わたし達のことなど無関心かのように輝いている。その(きらめ)きに既視感を覚え、過去の記憶が浮かぶ。

 こいつと初めて会った時もこのような満月だったな。青臭いことばかりほざいていたあの小娘が、よもやわたしと肩を並べて戦うとは……。だが死んでしまったからには美談として語り継ぐとしよう。

 考え終えたわたしは草地に横たわる魔女を見やる。こいつとの様々な思い出が次々と浮かぶ。……どれもこれも、ひどいやり取りばかりだ。

 まあいい。わたしをここまで意識させた人間は後にも先にもこの魔女だけだろう。ならば、手向けの言葉ぐらいは送ってやらねばな。

 そう思い、わたしは姿勢をただす。

「幻想郷のため、ひいては紫様のために死ねたのだ。光栄に思え」

 このような手向けの言葉など、こいつが生きていれば悪態で返したに違いない。それにしても半裸をさらしたままでは目の毒――もとい気の毒だ。そう思った瞬間――。

「……やなこった……」

 ――しゃべったっ!?

 耳を疑い、即座にかがみこむ。草を(しとね)にする魔女は目覚めてはいない。だが表情にわずかながら血色が戻っていた。

 まさか蘇生したとでもいうのか!?

 事態の急変を目の当たりにし、わたしの心は激しく揺れ動く。戸惑いながらも再び魔女の首元に右手を伸ばす。月光に映える小麦色の肌へ、震える指でふれる。冷えていた肌から微弱な熱を、首からはかすかな脈が感じ取れた。胸もわずかながら上下に動いている。

 どのような経緯かは不明だが、魔女は確かに息を吹き返した。悪霊なみのしぶとさを持つこいつにわたしは驚愕しつつ呆れ果て、もはやため息すら出せない。

 手向けの言葉に逆らうようによみがえるとは、どれだけ反骨心にあふれているんだ、この魔女は!? やはり〈風呂のフタ〉だ!

 憮然(ぶぜん)とする気持ちは、やがて焦燥に変わった。脳裏に「幻想郷の(ことわり)(くつがえ)りかねない」という懸念が再び湧きだす。

 この人間は高位の妖怪である吸血鬼を倒した。悪事働く妖怪を退治する行為はさしたる問題ではない。むしろ人間に希望を持たせた方が恐怖の度合いも増す。妖怪退治屋はそのために存在すると言ってもいい。

 だが、“恐怖を生み出す者”が“恐怖を(かて)とする者”を超越したとなれば話は別だ。これまでのパワーバランスは崩れ、妖怪と人間の立場が入れ替わるとも限らない。このままでは、妖怪のためにこの地を隔絶された紫様のご意志が無駄となる。主と同じ姓を冠する者として、この事態を見過ごすことなどできない。

 わたしは、それまで魔女の首筋にふれていた指を見つめた。

 ……死んでいれば「幻想郷の(ことわり)」は覆らずに済む……。

 賢者の従者としての重責がのしかかり、頚動脈へあてた指の爪に力が入る。このまま動脈を切り裂けば、幻想郷の(ことわり)は守られるだろう。これは紫様の意思を遵守(じゅんしゅ)するための務めなのだ。

 爪の先が魔女の動脈に食い込んだそのとき、突如として幻聴が響く。

 ――それでいいのか?

 また(・・)頭の中に疑問符が広がり、指の動きを奪う。同時に心の揺らぎが激しくなる。

 ……わたしは、紫様が愛しておられる幻想郷を守りたいだけだ。それにもかかわらず、なぜ疑問が生じる? なぜためらう?

 自問自答を繰り返したすえ、いつしか魔女とのやり取りの記憶がよみがえる。どれもこれもロクな思い出ではないが、奇妙な充実感があった。それが(かせ)となっているのだろうが、私情をはさめば危機が広がりかねない。実際、こいつの私情のせいで作戦が破綻したではないか。

 わたしの中で重責と私情がせめぎあう。満月の明かりが自身の影を作り続け、魔女の身体に重なっている。その影が自分の心の闇に思えた。それを目にし、腹の底から(くすぶ)りにも似た自己嫌悪がにじみ出る。

「……ちがう」

 ささやくように呟いたとき、せめぎ合いは終わった。

 わたしはそれまで魔女の首筋にあてた指の力を抜く。かたわらに転がった帽子と懐中時計を拾い、血まみれの右腕とともにこいつの腹部に乗せる。淡い褐色の左腕を自分の右肩に回し、両膝の裏へ自身の左腕をもぐらせた。

 腰を浮かせたとたん、左上腕部の傷と槍鞭を受けた傷が激しく痛みだす。それに構わずわたしは魔女を抱え上げた。力なく垂れる頭を尻尾の一つで支え、こいつの右肩に移す。意識のない顔を見ると呼吸は寝息ほどになり、頬にも血色が戻りつつあった。

 いったいどういった理由で蘇生したかはわからんが、この分であれば何とか助かるだろう。魔女の状態を改めて確認し、わたしはようやく呆れた吐息を漏らすことができた。

 ……わたしが思い留まったのは、情に流されたからではない。紫様の能力が施されている以上、この魔女はあのお方の“所有物”だ。主の許しを得ずして殺すことはできない。それに紫様の教えである(ことわり)を、わたし自身が曲解している疑いもある。

 作戦が破綻したのも魔女だけの責任ではない。紫様が妖気を発したあのとき、早くに真実を伝えていればこんなことにはならなかったはずだ。なにもかもこいつに責任を押し付ける気はない。すべてを魔女のせいにした挙句、殺してしまっては人間の浅知恵と変わらないではないか!

 わたしはそこまで(いや)しくはないつもりだが、その考えに至ったのも事実。このうえは紫様に包み隠さずご報告し、相応の罪を償う以外にない。

 謝罪の決意したわたしは弾みをつけ、魔女を抱えなおす。こいつの重みに至るところの傷が悲鳴を上げる。顔をしかめて耐えるわたしと比べ、(かいな)の魔女は死んだように眠っていた。普段は無愛想な面構えをしているくせに、今ばかりは穏やかな表情だ。その寝顔を見ているうち、苛立ちが募ってきた。

 先ほど「魔女だけの責任ではない」とまとめたが、だからと言ってすべてを許したわけではない。責任所在と私的感情は別問題だ。そもそもこいつが先走らなければ、わたしはここまで負傷しなかっただろう。賠償を求めてもいいくらいだ。

 募った苛立ちを今の魔女にぶつけても意味がない。しかし、死んだように眠るこいつをながめていると、文句の一つでも言わなければ気がすまなかった。

「わたしにここまで手を焼かせたからにはキツネそばだけでは済まさんぞ。聞こえているのなら起きろ!」

 その直後、背後から馴染み深い妖気を感じ、聞き慣れた声が耳に入った。

「あら? ずいぶん深い仲になったじゃない」

 肩越しに振り返ると、紫様が意識のない巫女をわたしと同じように抱えて立っていた。背後に〈スキマ〉が開いているので拠点の制圧は終えたらしい。

 お召しの導師服がおびただしい血で汚れている。大怪我を負われたのかと思えたが、よく見ると(かいな)に抱いた巫女の血だった。気絶している巫女はかなりの深手を負っており、右肩から脇腹にかけての傷が痛々しい。まるで巨大な肉食獣に噛み砕かれたかのようだ。

 満身創痍の巫女と比べ、紫様には傷らしい傷は見られない。その主が負傷したわたしを見据えた。

「あなたにしては珍しくてこずったようね」

 傷ついたわたしを気にかけている。だが鮮麗なお顔にかすかな陰りをにじませていた。おそらくわたし達が作戦を破綻させたことに憤っているのだろう。罪悪感が波のように迫り、わたしの心を飲み込む。

 周囲を見渡した紫様が嘆息するようにつぶやく。

「こっちもあらかた片付いたみたいね」

 わたしは魔女を抱えたまま紫様へ向き直る。

「申し訳ございません。魔女が先走ったせいで作戦の破綻を招きました。しかしながら、この者の暴発を防げなかったのはわたくしの責任。このうえは、いかなる処罰を受ける所存でございます。なんなりとわたくしめに――」

「藍!」

 矢継ぎ早の謝罪の言葉は紫様の一喝によって制された。主の射抜くような眼差しに身体が畏縮(いしゅく)する。やがてその眼差しは温もりある光を宿し、微笑みとともにわたしを(さと)す。

「まずは順を追って説明してちょうだい。判断するのはあなたの話を聞いてからでも遅くはないでしょう。いいわね?」

 諭されたことで思考は冷静になった。魔女が倒れてから、わたしは従者として「幻想郷の(ことわり)」の重責に縛られていたのかもしれない。紫様はその点に気づかれたのだろう。焦って経緯を言い忘れるとは、なんとも恥ずかしい。

 心中で反省し、「御意のままに……」と頷くように一礼したわたしはこれまでの経緯を説明し始めた。

 

 紫様は真剣な面立ちで、破綻にいたった経緯を聞かれていた。わたしは順を追って包み隠さず話しつづける。

 紫様の妖気を吸血鬼が発したものと勘違いした魔女。その妖気を紫様のものだと気づくと思い込んでいたわたし。暴発した魔女に真実を告げた件。放心した魔女を引っ叩いて正気に戻した話。混戦を収拾すべく結束したこと。

 それ以降から戦闘の終結に至るまでを紫様へ説明し終え、わたしは頭だけで一礼して締めくくった。ひと通り話を聞かれた紫様はしばしのあいだ黙考する。負傷した巫女を抱え、考えに及ぶ紫様を見ていると、心の揺れはいっそう激しくなった。

 沈黙の時間が続くほど、わたしの心は罪悪で満たされてゆく。魔女を抱える両腕がかすかに震える。それは傷の痛みでもなければ、紫様が下す処罰の恐怖からではない。長く続くこの重い空気に耐えられないからだ。

 長い沈黙は紫様の声によって破られた。

「結論から言うわね。あなたと妖子に非はないわ」

「今、なんと仰いましたか?」

 予想外の言葉を耳にし、思わず聞き返してしまった。紫様はわたしの非礼を(とが)めもせず、穏やかな面立ちで語りだす。

「作戦が破綻した原因はわたしの妖気でしょう? 格下の妖怪相手に妖力を出し惜しみ、妖気で退かせたのがまずかったようね。わたしクラスの妖気を人間が感じれば、恐怖におののいて当然よ」

 一息の間を空けたのち、紫様はさらに続けた。

「そもそもあれだけの妖気を放ったのは百年ぶりかしら? 人間でわたしの妖気を知る者はいないわ。元凶はそのことを失念していたこのわたし。これでは不満かしら?」

 そう締めくくった紫様は、微笑みと同時に片目を閉じる。だがわたしは納得できなかった。

 おそらく紫様はお一人で全責任を抱えるおつもりだ。しかし、それではあまりにもわたし達にとって虫が良すぎる。わたしも魔女も何らかの責を負うべきだ。

 そう考えた瞬間、衝動のまま口が開いた。

「お言葉を返すようですが、あなた様が全責任を被ることなど、従者として容認しかねます」

 突然の異論に主は目を丸くさせた。わたしが映る瞳は微妙に揺れ、心の内を表している。

 滅多に異論など唱えないわたしが、今夜の内で二度も反意を示したのだ。驚かれるのも無理はない。その表情が穏やかな笑顔となり、紫様は興味深げに首をかしげた。

「それじゃあ、誰がどのような形で責任を執るべきなのかしら? 詳しく話してちょうだい」

 主の問いに言葉が詰まる。わたしとしたことが勢いだけで異論を唱えてしまった。反意を表した以上、明確な根拠を示す義務がある。

 わたしは思考を加速させたが、都合のいい言い訳しか思いつかない。思考を巡らすほど焦りが募る。

 考え抜いたすえ、「今の気持ちをそのまま伝えることしかない」と結論に至った。感情を優先させる人間の真似など不本意ではあるが、これしか考えられなかったためどうしようもない。これまでにない緊張のなか、わたしは表情を引きしめた。

「おそれながら申し上げます。作戦の破綻における原因は、紫様を含めた各々の“想い”であると思われます」

「想い……?」

 たずね返す紫様は、瞳に興味あふれる光を宿している。紡ぎだす言葉を真剣に聞き、真意を確かめているようにも思えた。わたしは感情のまま言葉を重ねる。

「さようでございます。紫様は真摯(しんし)に幻想郷を愛しておいでです。それは『愛情の想い』なのでございましょう。従者たるわたくしが持つのは『忠誠の想い』でございます。巫女は『純然たる想い』を持ち、魔女は『悪必滅の想い』を持っております。これだけ質の異なる『想い』が集まれば、微妙なズレが生じるは必然。このうえは、参戦者全員による連帯責任が適切と具申(ぐしん)いたします」

 頭だけ一礼するわたしは心中で恥じていた。先ほど述べた根拠は今の気持ちに適度な言葉を飾ったものだ。詭弁(きべん)と言ってもいい。

 黙考する紫様は、感情のない表情を作っている。失望されたとしても仕方がない。

 こんな態度では、感情を優先させる人間と変わらないではないか! 妖怪の面目が丸つぶれだ……。

 卑下(ひげ)するわたしに、紫様の射抜くような視線が突き刺さる。その眼差しは心の底まで見透かすような光を宿し、微動できずにいた。

 それまで沈黙していた紫様が口を開く。

「わたしを含めた連帯責任。それはあなた自身の考えなのかしら?」

 見据える主の瞳に息を飲む。畏縮する身体を無理やりほどく。

「仰るとおりにございます」

 紫様の瞳を見据え、わたしは答えた。おかしなことに悔いはない。むしろ爽快な気分だ。自分の気持ちに従ったからだろう。

 そんな思いをよそに、紫様は穏やかな面立ちで微笑んだ。

「筋は通るし柔軟な発想ね。いいわ。それでいきましょう。詳しくは神社に戻ってから、ということでいいわね?」

 満月照らす笑顔(うるわ)しく、紫様はわたしの意見を採用された。募った負の感情が消え失せる。躍る胸のうちは隠しようもなく、ついつい頬が緩んでしまう。わたしは表情を引き締めることなく頭だけで一礼した。

「御意のままに」

 

 紫様の〈スキマ〉により我々は博麗神社へ帰還した。

 母屋に戻った直後、紫様はわたしの“式”を憑けなおす。傷と疲労が消え、身体は元の状態になった。

 いわく「わたしだけで三者の手当ては大変」とのこと。“式”を憑けなおすことは、膨大な妖力と精神力が必要だ。手練(てだ)れな四体の吸血鬼を葬り、お身体の疲労は困憊(こんぱい)なはず。にもかかわらずわたしを気にかけるとは……。

 手間をおかけした事に謝罪すると紫様は片手で制し、負傷者の手当てを指示される。こうして紫様とわたしは、二人の人間の応急手当てを始めたのだった。

 

 重傷の巫女と魔女の手当てを主と施し、床の間へ寝かせたところで柱時計の鐘が三つなった。作戦開始から六時間がたったことになる。

 ひと通り手当てが終わった現在、紫様とわたしは殺風景な居間でちゃぶ台を挟んでいた。わたしはちゃぶ台から身を乗り出し、抱えていた懸念を申し上げた。無論、人間である魔女が高位の妖怪たる吸血鬼を倒した件だ。

「――と、幻想郷の(ことわり)が覆りかねない由々しき事態にございます。紫様、いかが致しましょう?」

 主はその報告を驚くでもなく冷静なまま聞き入り、白肌の右手で黄金(こがね)色の髪を大きくかき上げる。房の二束が華麗に舞う。それがゆっくりと畳に下りたとき、紫様は小さな吐息を漏らした。

「わたしも美味しい所を持っていかれたわ」

 苦笑まじえるその言葉に、わたしはすべてを察知した。

「もしや、あの巫女が伯爵をっ!?」

 無言でうなずく紫様を目にした瞬間、戦慄(せんりつ)が襲う。あの巫女までもが吸血鬼を倒すとは予想できなかった。紫様はそのときの状況を思い返すように語りだす――。

 

 当時、紫様は手練れな四体の吸血鬼と空中戦を繰り広げていたと言う。真下の中庭を見ると、伯爵の召喚した巨大魔狼に右半身を呑まれ、苦悶する巫女を目撃する。その直後、巫女の反撃で魔狼は弾け飛び、とつぜん融解して灰燼(かいじん)と化す。紫様はその技に“陽の光”と同質のモノを感じたと述べた。

 そこから先は空中戦に集中していたため詳しく見ていなかったらしい。その直後、打撃音とともに伯爵の悲鳴が上がった。それが二回続いたと言う。

 四体の吸血鬼にとどめを刺した時、銃声が響いた。真下を見たと同時に三度目の打撃音がとどろく。その光景は、倒れながらもリボルバーを握った伯爵と、その胸部に右拳を叩き込んだ巫女の姿だった。血まみれの巫女が立ち上がると、心臓をつぶされたカーマセイン・スカーレット伯爵は溶けだし、断末魔さえ上げることなく灰になった。

 

「――わたしがそばまで近づいた途端、彼女は意識を失ったわ。それにしてもあの二人、どんな原理で“陽の光”に相当する力を発揮できたのかしらね……?」

 巫女の武勇を語り終えた紫様は、憂うように吐息を漏らす。主の憂慮する姿が目に入り、わたしはこれまでの懸念を強めた。

 このままでは幻想郷の(ことわり)が崩壊してしまう。平原で見せた紫様の陰ったお顔は、同じ懸念を抱いていたのかもしれない。妖怪と人間の立場が逆転した場合、わたし達はどこに行けばいいのだ!?

 倍増する不安に耐え切れず、わたしは口を開く。

「紫様、どうなさるおつもりですか?」

 わたしはこれまで経験したことのない脅威を味わっていた。気づけば頬に汗が伝っている。

 心中でおののいていると、主はさしたる事ではないかのようにあっさり答えた。

「どうするつもりもないわ。放っときなさい」

「……よろしいのですか?」

 いっそうちゃぶ台から身を乗り出すと、紫様は逆さに組んだ両手を高々と掲げた。大きく仰け反ったのち、気持ち良さげなうめき声を漏らす。

「――現時点であの二人だけでしょう、吸血鬼を倒した人間は。それに二人とも無傷ではないのだし、今は(・・)なんの心配もないわ」

 姿勢をただす紫様の言葉に当惑が襲う。現状の肯定ではない。未来への懸念に対してだ。主は「今は」と仰ったが、近い将来、人間が高位の妖怪を越えるということなのだろうか?

 心中に不安がよぎる。そんなとき、紫様が頬杖をつく。

「あなたは心配性ね。それなら、今後は彼女らの動向を適宜に監視なさい。それでいいわね?」

 向けられる瞳は想いを汲んだように揺れている。わたしの心情を察したようだ。

 紫様のお考えによると、今はまだ深刻な段階ではないらしい。いずれ“その時”が訪れると予測されているのだろう。この口振りだと“その時”までに何らかの対策を練る――ということか。

 紫様の望みはわたしの望み。

 ならば“その時”が来るまでに、わたしも対策を練らねばなるまい。それを含め、巫女と魔女を適宜に監視しよう。

 特に〈風呂のフタ〉は要注意だ。今夜のような暴発を繰り返さないとも限らない。幸いにも魔女の弱味(・・)はわたしの手中にある。当分のあいだは身近(・・)で監視できるので問題ない。

 この時点であらゆる懸念は氷解した。わたしはちゃぶ台から身を引き、ただした姿勢で主の眼差しに応える。

「御意のままに……」

 一礼して顔を上げると、ちゃぶ台に両腕を乗せる紫様の姿があった。その表情には、からかうような笑みが満面に広がっている。わたしが「何か?」とたずねると、吐息のような笑いを漏らす。

「いえね、あのとき藍の口から『連帯責任』の言葉が出るとは思わなかったのよ。以前のあなただったら人間に責任を負わせるはず。ところがわたしも含めた『連帯責任』を、あなたは自分で考えた。まるで誰かの罪を一緒に背負うかのように。どこかの魔法使いさんに熱烈な好意を持ったのかしら?」

 主はすべてを見抜いていた。だが動揺はない。ただ紫様自身が全うしようとする責任に納得いかなかっただけだ。それと、主の推測にひとつだけ誤りがある。

 従者が反論するなど(もっ)ての(ほか)だが、これだけはどうしても伝えなければならなかった。紫様が提唱なさる「変化を求める心」の影響か、あの魔女の挫けぬ戦意にあてられのか定かではないが、わたしの出来るささやかな反発だ。

 茶化した紫様に、わたしはかすかな苦笑で返す。

「おたわむれを……。わたくしは芳賀峰妖子に好意を持った覚えはありません。しかしながら心の底から憎んだ事もございません」

 心境と事実を述べたのち、両袖を持ち上げて一礼した。紫様はそんなわたしに「素直じゃないのね」と、笑みをこぼす。

 何でも見通す我が主のことだ。幻想郷の(ことわり)が覆るのをおそれ、魔女に爪を立てた事実も見通しておられたのだろう。広い見識を持つこのお方の従者でいられるわたしは、本当に幸せ者だ。

 心中で誇っていると、紫様はご自身の右手に頬を置く。

「さて、『連帯責任』も含めた事後処理の段取りをしましょうか」

 賢者たる風格をまとった紫様のかたわらに小さな〈スキマ〉が現われた。その中から厚めの備忘帳と鉛筆を手に取り、わたしへ差し出される。それを受け取ると同時に〈スキマ〉は閉ざされた。小さめな帳面のざらついた質感が肌に刺す。

 備忘帳をちゃぶ台に置くわたしは、これまで考えていた良案を紫様へ提案する。

「おそれながら具申いたします。連帯責任について最良の案がございます」

「楽しそうな顔ね。聞きましょう」

 

 続く。



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最終話◆帰還の報酬

 白い“闇”に(おお)われるなか、かすかな雨音が聞こえてきた。段々とハッキリ耳に響いてくる。屋根を激しく打ち付けていないから土砂降りじゃあないらしい。

 わたしはその雨音に違和感を覚えた。聞きなれた雨音だが、それが問題だ。

 なんで寝室からの雨音が聞こえるんだ?

 違和感はそれだけじゃあない。寝室に置くランプキャンドルの匂いが鼻腔を刺激する。疑問の嵐が吹きすさぶ。

 わたしは命を燃やし尽くした。そう。死んだのだ。その証拠として身体に力が入らないし、怪我の痛みも感じない。視界も白い“闇”に覆われたままだ。それなのに音が聞こえるし、匂いもする。

 ……まるで訳がわからん!

 困惑と混乱が大集結するなか、わたしは気づいた。

 いま、考えている(・・・・・)……!

 死んだ人間は幽霊にでもならなければ思考を維持できないはず。そもそも三途の川を渡った覚えもないし、幽霊になった覚えもない。考えられるのはただ一つ。

 わたしは生き長らえたのだと悟った。だが、どういった理由で生き残ったのか見当もつかない。

 釈然としないものがあると、ハッキリさせたくなるのがわたしの性分だ。そのためにはここがどこなのか確かめなきゃならん。だいたい想像はつくが……。

 わたしは目を凝らす。白い“闇”は思考の覚醒とともに晴れてゆく。それでも視界はハッキリしない。脳裏のヴィジョンに満月の(きらめ)きが焼きついているからだ。太陽を真正面から直視したような焼きつけは、酷使した〈魔女の目〉の代償と言ってもいい。この分だと視覚異常は二~三週間ほど続くだろう。

 頭脳に侵蝕(しんしょく)した真円の幻が苛立ちをかきたてる。凝らしに凝らしたすえ、ようやく視界の片隅に見慣れた物が入った。

 ベッドに横たわるたび見る木目の天井。心中で「思った通りだ」とつぶやく。ここはわたしの家の寝室だ。

 視界が月の幻でおおわれたと同時に安堵のため息をつく。だが、普段から横になるベッドの質感が違う。背中のマットがいつもより柔らかい。どうやらわたしのベッドではないようだ。

 疑問の嵐が増大する。

 わたしのベッドはどこにいった? それ以前にさっきから力が入らないのはどういうわけだ?

 わたしは身体を揺すろうとするが、首から下が拘束されたように微動すらしなかった。唯一自由がきく首をもたげ、再び力の限り目を凝らす。……どうやら当たらずとも遠からず、と言ったところらしい。

 わたしの身体には見慣れた布団がかけられ、そこから両腕を出していた。右腕は包帯で簀巻(すま)き同然だし、噛み切った左人差し指も同様だ。それと左肩から右(わき)下にわたって包帯で巻かれた感覚があるし、胸の下から腹にかけて硬い何かをあてがった感触もある。完璧な手当を受けたようで、思わず嘆息してしまった。

 それにしても隅から隅まで全身包帯だらけのような感じがする。これじゃミイラじゃないか――。

 ……寝間着はなく、洗い立ての下着だけ身にまとっている、と肌の感触で今ごろ気づく。

 それはそれとして、いったいなんで助かったんだ!? 誰が手当てしてここに寝かせたんだ!? ますます訳わからん!!

 満月の幻が視界をおおい、わたしの困惑と混乱はピークに達した。そのとき、寝室の左方からドアが開く音を耳にする。ヴィジョンの焼きつきが邪魔してよく見えないが、覚えのある気配だ。

「……ようやく起きたか。作戦を破綻させておいて六十時間も眠り続けるとは大した身分だな」

 こんなイヤミ全開な口を利くやつは幻想郷でただ一者。こいつの口ぶりから察すると、二日以上は眠っていたようだ。その九尾に憤然と返す。

「これでも死にかけたんだ。少しはいたわれ。……ていうか、なんでお前がここにいる?」

 こいつが我が家にいることの疑問を口から出すも、ずいぶん寝込んだせいか掠れた声しか出ない。自分で言うのもなんだが、まるで別人のようだ。

脆弱(ぜいじゃく)な人間がなにを偉そうに」

 冷たく言い放った九尾の声を聞いたあと、ドアの閉まる音がした。衣服の擦れる音と足音が近づいてくる。

 質問は無視か……。こいつは左腕に深手を負っていたはずだが、その割には元気そうなのが腑に落ちない。まあ、いろいろ聞いて〈深読み〉してや――。

 音の接近につれ、わたしは不安を覚えた。

 ……待てよ、二日!? あれからどうなったんだ!?

 九尾が健在ということは、黒マントの吸血鬼は倒せたらしい。それ以外の情報が気になる。特に博麗の安否だ!

 動かない身体が震えだしそうな勢いで、わたしは九尾の気配に顔を向けた。

「九尾! あれからどうなった!? 博麗は無事かっ!?」

 数少ない友人の安否を問うと、足元あたりから返事がした。

()くな喚くな。お前を起こしたあと、順を追って説明してやる」

 九尾の声を聞いた直後、なにやら歯車のかみ合う音が寝室に響く。金属の重なる音と連動し、上半身が徐々に起き上がる。どうやらこのベッドは、手回し式で上体を起こすことができるらしい。当然わたしのものじゃあない。

 聞きたいことが一つ増えたと思った矢先、歯車の音にまぎれて九尾の声が聞こえてきた。

「それにしてもお前、少しは下着にも気を遣ったらどうだ? どれもこれも質素すぎる。同年代の女たちならもっと(あで)やかな物を持っているはずだぞ」

 今の言葉で誰が手当てを施したのか理解した。頬が瞬時に熱を帯びる。

 よりにもよってこいつに裸体を見られるなんて……!

「うるさい! よけいなお世話だ!!」

 

 雨音が不規則なリズムでハーモニーを奏でつづける。隣室の洋間から正午を告げる時計の鐘が耳にとどく。視界は満月の幻にさえぎられ、頼りなのは耳と鼻と周りの気配を感じることだけだ。

 上半身を起こされたわたしは、椅子に座ったであろうかたわらの九尾から事の顛末を聞いた。

 ――首謀者であるカーマセイン・スカーレット伯爵は、深手を負った博麗に心臓ごと右拳でぶち抜かれ敗北。断末魔を上げることなく融解し、灰となって消滅した。

 わたしは〈波紋〉を使ったのだと確信する。太陽と同じ力を拳にのせて殴ったんだから、伯爵はたまったもんじゃなかったろう。

 わたしは話の続きに耳を傾ける。

 主な戦力は壊滅。伯爵の娘を含めた特に害とならない者達は、八雲紫の判断で生存を許された。後日、幻想郷の代表である八雲紫と、家督を継いだその娘との間で会談の予定。秘密裏かつ平和的に事を運ぶらしい。

 八雲紫の見え隠れする魂胆も気になるが、深手を負った博麗の方が気がかりだ。

「それで博麗はどうなった!?」

 掠れ気味の声をしぼり出すわたしに、九尾は落ち着いた声で制す。

「あんずるな。重傷だが一命は取り留めた。お前と同じく回復に相当の時間を要するだろうがな」

 博麗が無事と聞いて安堵の吐息をつく。五体満足なら大きく肩で息を吐いただろう。

 九尾によると博麗は昨日目覚めたようだ。わたしの容態が気になるらしく、八雲紫へ様子をたずねていたという。その博麗から言伝(ことづて)を頼まれた、と九尾は述べた。

「『治ったら殴りに来い』――だそうだ」

 いかにもな言葉にあいつの心意を悟った。わたしは約束を破ったも同然なのに、あいつは微塵も気にしていないのだ。そればかりか約束を果たすつもりでいる。純粋な博麗らしい言葉に熱い想いが込みあがってきた。

 そんなわたしを無視するかのように、九尾は淡々と話す。

「紫様からお言葉を預かっている。『作戦を破綻させた罰として、妖怪退治屋の職務は無期限休止』――との仰せだ。当然だな。むしろ軽すぎる処罰だ」

 九尾の嘲笑(あざわら)う声に、込みあがった想いが()えた。先走って暴発したんだから文句は言えない。見返りを求めちゃいないが、ひとつだけ腑に落ちない点がある。わたしは憤然と不満を漏らす。

「フリーの魔法使いのわたしに『職務休止』だと? なんの権限があっ――」

「所有権だ」

 さえぎるような九尾の言葉に耳を疑う。なんのことだかわからず思考をめぐらす。そんなわたしに構わず、九尾は言葉をつむぐ。

「お前には紫様の能力が施されている。能力の支配下に置かれた以上、お前は紫様の所有物だ」

 そう宣告され、わたしは思い出す。

 こいつとカストミラとの話し合いの際、今と同じセリフを吐いていた。作戦前に賢者から言葉の〈境界〉をいじられた件のようだ。わたしは掠れた声で答えた。

「なら返す。異国語を話す必要性はないからな」

 冷たく突っぱねたとたん、嘲笑(ちょうしょう)が耳中に響く。

「それは紫様がすでに解除された。……まだわからんか?」

 あざける口ぶりが(かん)にさわる。共闘したときとは偉い違いだ。……てことは、別の〈境界〉をいじったのか?

 わたしは九尾の声がする方向に眼光を放つ。

「わたしの何か(・・)をいじったな?」

「紫様は、怪我の痛みと首以外の身動きの〈境界〉を操作された。肋骨が三本折れていたし、袈裟懸(けさが)けの打撲もひどかったからな。右腕も手当てを施さなければ今ごろ手遅れな状態だ。激痛で暴れたら治るものも治らん。紫様の御慈悲に感謝しろ」

 九尾の言葉に絶句するしかなかった。激痛を感じないのも、首から下の自由が利かないのも八雲紫の仕業だとわかったからだ。それと同時に疑問が広がる。

 わたしは作戦を破綻させた。それを胡散臭(うさんくさ)い賢者がかんたんに許すはずがない。この件をダシにしてタダ働きさせる気か? それとも何か厄介ごとを押し付けるかもしれない。胡散臭い魂胆のにおいがプンプンする。

 あらゆる可能性が〈深読み〉によって思い浮かぶ。考えれば考えるほどイヤな予感がし、背筋に悪寒を覚える。

 ほどなくわたしは賢者に対する猜疑(さいぎ)をやめた。

 ……まあ、あれこれ考えても仕方がない。先走ったわたしが悪いんだし、ここは素直に処罰を受けよう。過ちを認めないと筋が通らない。

 わたしは「わかった。従おう」と真顔で答えた。その直後、九尾の嘆息が耳に入る。きっとわたしが処罰を受け入れたことに驚いたんだろう。

 会話は途切れ、雨音だけが寝室に響き続ける。周囲に重い空気がただよう。……このような気まずい雰囲気は苦手なので、話をすり替えることにした。

「わたしのベッドはどこへやった? あれじゃないと落ち着いて眠れやしない」

「紫様とわたしが住む八雲邸に一時保管しているが、六十時間も眠っておいてよく言う」

 冷たく答えた九尾にわたしは返す言葉を失う。もっともな嫌味で返され、砂利飯を噛んだような苦々しい気分だ。

 

 百を数える時間が過ぎたころ、重い空気に耐えかねてか、九尾は声を発す。

「二つほど聞きたいことがある」

 わたしは辛うじて当惑を押し込んだ。

 共闘して以来、こいつが質問してくるなんて珍しいことは続くもんだな。

 重い空気は嫌いだし、断る理由もないので黙ってうなずく。

「どのような方法で『陽の光』に相当する『命の炎』を引き出した?」

 九尾の問いに、わたしはうつむいたまま沈黙する。

 研究中の魔法理論の応用で命を引きだしたモノだが、自慢して答える気になれなかった。なぜなら、〈自然魔力変換理論〉の脅威に気づいてしまったからだ。

 たしかにわたしは命を燃やし、零式重撃魔砲の術式に直結させて吸血鬼を(ほうむ)った。これは命そのものが武器になることを意味する。

 この理論を悪用されたら、あらゆる命が魔力に変わってしまう。わたしの研究の成果で数多くの命が“消耗品”になるなんて、そんなのはごめんだ!!

 そんなつもりで研究し続けたわけじゃないし、それこそ巫女様の教えを破ることになる。これでも人並みの倫理観はあるし、そんな真似をするほど馬鹿じゃあない。

 幸いにも研究書類は封印魔法を施したブリーフケースにしまって隠してあるし、書斎兼研究室も施錠済みだ。たとえ〈スキマ〉で侵入したとしても、そう簡単には見つからないだろう。……たぶん。

 とにかく研究は中止。身体の自由が戻ったら関連資料は残らず焼き捨てよう。知識も墓の下まで持っていく。それが巫女様の教えに背いたわたしの贖罪(しょくざい)だ。

 ……とはいえ、作戦を破綻させた責任は重い。九尾の問いに答える義務があるとわかってはいるが……。

 思い悩むなか、以前博麗が口にした言葉を思いだす。

 ――「大いなる力には大いなる責任が伴う」

 その重みのある言葉がわたしの背中を押した。

 未完成とはいえ〈自然魔力変換理論〉を使った以上、果たさなくてはならない責任がある。このまま黙っていたら、いつかきっと後悔する事態が起きるだろう。

 わたしは意を決し、九尾が発した声の方向にうつむいた顔を向けた。

 

 わたしはすべてを話した。

 研究中の〈自然魔力変換理論〉。博麗が体得した〈波紋〉をヒントに、自分の命を燃やすというひらめき。魔導服に施した術式へ魔法理論を書き加えたこと。命を燃やし尽くした時の気持ち。完成した魔法理論の危険性。研究の中止と関連資料を破棄する決意。……研究し続けてきたわたしの処遇を賢者に一任する想い。

 苦悩な思いで告白したわたしに、これまで聞いていた九尾は小さなため息をつく。その吐息には脅威も恐怖も感じられず、むしろこちらの気持ちを察したように聞こえた。踏み込んだ質問をしてこないのは、こいつなりの配慮なのかもしれない。

 沈んだ空気に耐えられず、わたしは「もうひとつは?」とたずねる。衣服を擦る音と、椅子の引く音が同時に聞こえた。姿勢をただしたのだろう。

「樫の木――ドングリの木で作られた箸の件だ。お前のメッセージのお陰でクロードを倒すことができた。樫の木は〈生命の樹〉の観念をもたらしたとされる。白木の杭に相当すると言ってもいい。いつそれに気が付いた?」

 その時の光景がよみがえったのか、九尾は息を弾ませて問いかけた。語尾になるほど気持ちの(たか)ぶりが伝わってくる。こいつが息を弾ませるなんて珍しい。むしろ初めてだ。想像以上に壮絶な戦いだったのだろう。

 興奮が再燃する九尾に、わたしは率直な気持ちを口にした。

「いや、まったく知らん」

「なにっ!?」

 素っ頓狂な声を上げる九尾に、わたしは無言でうなずく。

 ドングリの木にそんな逸話があったなんて初めて知った。

 唯一動かせられる首をかしげると、九尾の放つ怒気が肌に刺す。

「……では、何を根拠に弱点だと?」

 研磨(けんま)したての刃物のような視線を感じる。両袖を合わせたいつもの姿勢で睨みつける様子が目に浮かぶ。それに構わず、あの時ひらめいた妙案を明かした。

「幼いころ、今は亡き先代の巫女様から命の繋がりを教わったんだ。そのとき、ドングリの実でたとえて話していてな。それを思い出した」

 九尾が「『根拠はなんだ?』と聞いている」と低い声で凄む。わたしは話を続けた。

「命の繋がりを誰よりも知っていた巫女様だ。ドングリの木にも陽の光に相当する力がある、となんとなく(・・・・・)そう思った。それに当代の巫女である博麗いわく『生命エネルギーは太陽と同等』。さっきの話を聞いていなかったのか?」

 ありのまま説明し終えると、九尾から発す怒気の熱が増した。この気配は何度も覚えがある。激怒する前兆だ。まともな視覚だったら、両袖あわす姿勢で全身を小刻みに震わせるこいつが見えたに違いない。

 凄む九尾が低い声を上げる。

「……よもや、そのような妄想を根拠だと言うわけではあるまいな?」

 脅すような威圧感に全身が総毛だつ。

 理屈抜きのひらめきだったんだ。こいつが怒るのも無理はない。

 憤る九尾へ、掠れ気味の声でいたって真面目にかえす。

「妄想なんかじゃあない。亡き巫女様の思し召(おぼしめ)しだろう。結果として吸血鬼を倒せたんだから気にするな」

 怒気の熱がますます強くなる。わたしなりの(なだ)めの言葉は逆効果だったらしい。このあと「大馬鹿者!!」と怒鳴るかと思ったが、予想は外れた。

 九尾は深いため息をつくと、怒気の熱さが消える。その直後、勢いよく衣服のすれる音が聞こえた。一緒に椅子が揺れる音もしたので、どうやら立ち上がったようだ。その九尾の声を右側やや上から耳にする。

「根拠に基づく方法と思ったのだが、漠然(ばくぜん)とした思いこみに踊らされていたとはな。それなりの知識があると思ったが、とんだ見込み違いだ。これまでの話は紫様へは伏せておく。このような絵空事など報告する価値はない」

 語気からすると、こいつは怒りを通り越して呆れ果てたらしい。以前だったらわたしを見下してあざ笑い、賢者に事細かく報告すると言うはずだ。ひょっとして、人間に対する偏見を改めたのかもしれない。口ぶりもこれまでのような高慢さがないように思える。

 そのとき、博麗の説得の言葉が脳裏をよぎった。

 ――「今夜だけでも藍を信じてみないか?」

 あの晩、わたしは決戦の直前まで九尾を信じ抜けなかった。その結果、招いたのが作戦の破綻。こいつの言ったとおり、無期限の職務休止じゃ軽すぎるくらいだ。そんなわたしをこいつは放心から立ち直らせ、最後まで信じてくれた。

 今こそ下らないわだかまりを捨てるときじゃあないのか? これまでの険悪な関係を、今ならやり直せるかもしれない。

 そんな考えをしていると、立ち上がった九尾が言い放つ。

(かゆ)を作ってくる。そのあいだ大人しく待っていろ」

 衣擦れと足音が左方に遠のく。九尾の見方が変わったわたしは思わず声を張り上げた。

「お前がここにいる理由はわたしの警護のためなんだろう!?」

 叫んだ直後、足音が止まる。衣服のすれる音がしないので、振り返ることなく歩みを止めたのだろう。

「……なぜそう思う?」

 九尾の当惑する声を耳にした。突拍子もないことを口にしたんだ。驚いて当然だろう。

 確証はある。今までの会話の節々に、こいつと賢者の意図が読み取れた。

 わたしは掠れ気味の声で返す。

「お前たちの態度でだいたい察しがつく。何から何まで至れり尽くせりだ。その施しが引っかかる。特にわたしの――」

 

 特にわたしの看護や、「職務休止」という名の長期休暇を与えるのは不自然だ。いくら吸血鬼を倒したとはいえ、ここまで高待遇するか、普通?

 わたしは重症の身。八雲紫に言われるまでもなく、仕事どころか日常生活すらままならない。こんな状態を、名を上げたい妖怪どもは黙ってはいないだろう。わたしを快く思わない人喰い妖怪は特にな。

 そもそも身動き取れないのに、なぜわざわざ「職務休止」を告げる必要がある? わたしが重傷の身であると、幻想郷中に情報を流しているとしか考えられない。たぶん博麗の情報も広がっているだろう。

 隠すどころか大っぴらにする理由を考えた結果、その答えがひらめいた。わたしと博麗の命を狙う悪党どもへの警告以外にない。

 博麗には八雲紫が、わたしには九尾がつきっきりで面倒を見ている。四六時中大妖怪がにらみを利かすんだ。これほど強力な――。

 

「――これほど強力な“結界”はない。それがわたし達への報酬。違うか?」

 そのように〈深読み〉の結果を述べると、九尾は呆れ気味に答えた。

「妄想も考え方も、捉えかたは自由だ」

 言い終えると再び足音を鳴らす。遠のく足音に、わたしは「待て」と制止を促した。足音がやむ。しばしの沈黙が続き、雨音だけが寝室に響いていた。

 気持ちの整理をつけ、わたしは九尾に対する今の心情を話し出す。

「……あのとき、お前が心を開いてくれなかったら、あのような逆転劇はあり得なかったはずだ。それに比べてわたしは(かたく)なになりすぎていた。だが、お前の本質が見えたとき、自分の心のせまさを知ったんだ。わたしを何度も助けたのは、お前の意思で決めたことなんだろう?」

 興奮したのか、語気が若干あらくなったので一息つく。雨音が響くなか、わたしは話を続ける。

「……初めてわたしに会ったあの夜の事を覚えているか? あのときも決戦のような満月だった――」

 

 当時のわたしは、初歩の魔法を身に付けたばかりの駆け出しにも満たない小娘だった。

 ある日、両親を人喰い妖怪に殺された幼い兄妹と出会う。同情したわたしは、必ずその人喰い妖怪を退治すると約束。義憤に駆られながらその妖怪を探し回った。

 兄妹の仇を探し当てたのは、それから三日後の深夜。満月の光は妖怪の力を増大させる。逆に追い込まれたわたしを救ったのが九尾だった。いや、救ったのは結果的であり、九尾は賢者の命令で不穏分子を始末したに過ぎない。それも、あの兄妹との約束を奪われる形で……。

 約束を果たせなくなったわたしは猛然と抗議したが、九尾は黙ったまま。なおも食って掛かると「うるさい……!」と睨まれた。その後、九尾が口にした言葉は今でもハッキリ覚えている。

「大馬鹿者が。仇討ちなどとご大層な約束は、相応の実力をつけてからにしろ」

 そう吐きすてると、闇にまぎれて姿を消した。九つの尾が月光を反射させる後ろ姿は、まさしく「白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)」。その背中は今でもわたしの記憶の中にある。

 夜明け後、非情な現実がわたしを待っていた。ありのまま報告した結果、幼い妹の悲痛な言葉が心に突き刺さる。

 「ウソつきっ!!」――と。

 

「――お前の冷たい言葉には、『現実を見なければ酷な報いを受ける』という意味も含んでいたんだな?」

 わたしが語る思い出話を九尾は黙って聞いているようだ。物音はないが気配がある。こいつも、あのときの光景を思い浮かべているんだろうか? 奇妙な思いに駆られながらも、わたしは話を続けた。

「お前は人間を見下しちゃいない。八雲紫と同様に幻想郷やその住民を愛し、見守ってきたんだ。冷淡な言葉もきつい態度も愛情のあらわれであり、だからわたしを助けた……」

 そこから先の言葉に声を詰まらせ、たまらず(うつむ)く。正直言って本音を出したくない。不安と焦りと恥ずかしさがない交ぜになり、頬も火照ってきた。だが、このままだと気持ちがスッキリしない。

 シャキッとしろ、わたし! 二言三言しゃべるだけじゃない! ……よし。

 勇気をふるい、わたしは勢いよく顔を上げた。

「作戦を破綻させてしまって……悪かった。お前が言ったとおり、わたしの私情のせいだ。それにお前のことを誤解していたし……。だから、その……すまなかった」

 謝罪の言葉を述べ、唯一自由がきく頭を下げる。こいつに誠心誠意でわびたのはこれが初めてだ。

 頭を下げるわたしの耳に雨音が響く。九尾は物音立てずにいた。たぶん背中を向けたまま聞いているのだろう。

 どうにか謝罪することができ、頭を上げる。だが、最大の難関が残っていた。戦いの場で助けられ、怪我の手当てを受けたからには感謝の念を伝えなければならない。それに警護されている以上、なおさらだ。でないと人間の道理から外れてしまう。

 こんな雰囲気は苦手だが、九尾に感謝の言葉を送るのは今しかない。

 そう決意し、大きく息を吸い込む。

「……何度も助けられたのに、まともな礼をしていなかった……な」

 言葉の先が続かない。照れくささと恥ずかしさが邪魔をする。さながら片想いの相手に告白するような気分だ。それらの感情を振り払うように、大きく頭をふるう。

「お前のお陰で助かった……ような……もんだ。……いや、その、アレだ。……ありがとう。……藍」

 語尾になるにつれ顔のほてりが増す。はたからは茹でダコに似た顔をしているのだろう。こんな顔を見られたくないので、右方へそっぽを向く。

 ようやく謝礼を告げたわたしだったが、心中は穏やかではなかった。つい最近までいがみ合っていたこいつに、こっぱずかしいセリフを言ったんだから当然だ。

 後悔と恥ずかしさがせめぎあう。そんななか、沈黙し続けてきた式神が深いため息を漏らす。何か言いたげな感じがしたので、わたしはそっぽを向きつつ、聴覚に意識をそそいだ。

「お前の口からそのような言葉が出ようとは――」

 衣擦れの音が聞こえる。肩越しで振り返ったようだ。言葉の続きが待ち遠しいような聞きたくないような。

「――めでたいほどに大馬鹿者だな」

 今なんて言った!?

 あざける九尾の声に、わたしの頭の中から不快な音が鳴った。思わず声の方向に振り向く。状況を飲み込めないでいると、九尾の足音がこちらに近づいて来た。

「わたしが人間風情に心を開くと思うか? 一つ良いことを教えてやろう」

 顔前にこいつの息遣いを感じる。密着させるほど顔を寄せたようだ。

「“その気”にならなければ相手はだませない」

 息遣いが遠のいた瞬間、わたしはハメられたと直感した。放心から立ち直らせたのも背中を預けて共闘したのも、すべて“心を開いた気”になったものだったのだ。もしかしたら、こいつは自分の心さえも(あざむ)いていたのかもしれない。

 わたしの頭脳に崩れる音が響く。

 こいつの信頼に満ちた瞳の輝き。あらゆる疑問が消え去ったあの笑顔。時間稼ぎの虚偽による交渉を決意した表情。それらの光景が、割れるガラスのように壊れてゆく。さっきまでの呵責(かしゃく)していた気持ちも同様だ。

 九尾の最悪な面立ちが頭脳に広がった瞬間、わたしの感情は爆ぜた。

「帰ってくれ! ってか出てけっ!!」

 なにもかも芝居だってのか!? 冗談じゃない!! 九尾に対する見方を改めたのに、これじゃあ無意味じゃないか!!

 ……そもそも狐は人間を()かす者。こいつを信じたわたしがバカだった。

 自分を卑下(ひげ)していると、九尾の嘲笑が耳に入る。

「そうはいかん。果たすべきことを果たしてもらおう」

「人の話を聞いてないのか!? さっさと出てけっ!!」

 怒鳴ったとたん、額に尖った何かが触れた。かすかな痛みと温もりを感じることから、指先の爪をあてられたらしい。「黙って話を聞け」という意味のようだ。

「賭け勝負を忘れたか? スコアはわたしが百二十八でお前が百八。お前の勝利条件は百十四なので、わたしの勝ちだ。負けたからといって、よもや賭けを反故(ほご)にするつもりではあるまいな?」

 あてられた爪に力がこもる。肌を刺す威圧感に冷や汗が頬へ伝う。

 こいつ、いい事を思い出させてくれるじゃないか。だがわたしは五体満足とは程遠い状態だ。幸か不幸かご期待に応えようがない。

「身動きできないのに何を果たせってんだ!」

「わたしの世話を受けろ」

「なっ!?」

 予想外な言葉を耳にし声が詰まる。九尾の考えがまるで読めないわたしは、陸の上の魚のように口を開閉させることしかできなかった。

 なに考えてんだ、こいつは!? ふつう、見下す相手に世話を焼くか!? まったく理解できん!

 絶句するわたしの表情を読んだのか、九尾は追い打ちの言葉を投げてきた。

「わたしは『負ければ逆の立場になり、また恥をかくだけだ』と言ったはずだ。ならば恥をかけ。賭けに負けた以上、お前には命令に従う義務がある。理解できたか?」

 理解するも何も、わたしに拒否権はないということだ。つまり、食事も包帯の交換も用足しも、全部こいつがやるってのか!? どれだけ“いい性格”してるんだ、こいつは!?

 ……自分から賭け勝負を持ち込んだとはいえ、こんな結果になるなんて。人生最大の不運だ……。

 うな垂れて沈黙していると、九尾の足音が遠のいてゆく。消沈するわたしを目にし、観念したと捉えたのだろう。

 ふいに賭けの勝者の歩みが止まった。

「調理場の水瓶(みずがめ)に溜めた水、博麗神社の霊力水だな。いつから口にしている?」

 九尾の問いに力なく返す。

「子供のころから……。先代の巫女様から勧められて飲んでいる。飲みたいんなら好きに飲め……」

 九尾にハメられた挙句、屈辱の介護を受ける日々が続く。悪態をつく気力がなくなってもおかしくはない。

 滅入るわたしに、九尾が訳のわからない事をのたまったのはその時だった。

「ひとくち飲んで納得した。二代目の巫女に感謝するんだな」

 二代目とは先代の巫女様のことだ。思わぬ人物の名を耳にし、「えっ?」としか言葉が出ない。

 困惑する頭脳をなんとか静めようとするわたしの耳に、九尾の衣擦れ音が届く。身体をこちらに向けたようだ。

「お前が息を吹き返した理由だ。あの水は霊力を回復させるだけではない。体感した限り、霊魂と肉体を繋ぎとめる効果がある。それを長年に渡って飲んできたのなら、悪霊なみのしぶとさを持って当然だ」

 九尾の口からでた驚愕な事実を知った瞬間、全身に衝撃が走った。普段から飲んでいる霊力水に、そのような効果があるなんて知らなかったからだ。

 今までわたしは、魔法の森にただよう瘴気(しょうき)の耐性を高めるため飲み続けてきた。もし巫女様が、わたしの身に万が一の事を考えていたとしたら? いや、わたしだけじゃあない。あらゆる可能性を信じていた巫女様のことだ。幻想郷に住むすべての者達を想い、霊力水の作り方を残されたのかもしれない。

 そう考えた直後、満月の幻が焼きつくわたしの脳裏に、おぼろげな巫女様の姿を視た。焼きついた満月が邪魔して表情はよくわからない。だが笑窪(えくぼ)を作っている。その瞬間、巫女様の姿は消え、満月の幻だけが脳裏に残った。

 ……幻でもいい。あの人の笑顔が見れたのだから……。

 わたしは巫女様が失望していなかったのだと悟った。

 ……巫女様。妖子はまだ生きていていいのですね……?

 生き残ったことへの真実に感情は抑えられず、顔の震えも止まらない。湧き上がる感情とともに、とめどなくあふれ出す涙が頬をぬらす。気が付けば嗚咽(おえつ)を上げていた。なんとか堪えるも、しゃっくりを繰り返すような引きつり声が漏れる有様だ。

「おい」

 九尾の声を聞いた瞬間、顔面に衝撃が走る。そんなに強くはないが、とても柔らかい布のようだった。だが、今のわたしはそれを確認するほど冷静ではない。

 ムカつく九尾を前にして、ただただ号泣を我慢するしかなかった。そのムカつく式神が言葉を発す。

「止血処置に使ったハンカチの弁斉品だ。人間風情に借りを作ったままではわたしのプライドが許さないからな。粥を作っている間、それで顔でも拭いておけ」

 突っぱねるセリフを残し、九尾は寝室から出てゆく。式神の足音と気配が遠のき、やがて消えた。

 一人残った寝室に、午後の雨音がこだまする。今まで堪えてきた忍耐は遂に崩れ、わたしは号泣してしまう。泣き喚く声が寝室に響き、雨音をかき消していた。

 

 隣室の時計が午後一時の鐘を鳴らす。雨はやむことなく屋根を打ち付けている。そのころには、わたしの気持ちは落ち着きを取り戻していた。まだ鼻が詰まっているが……。

 冷静な思考が戻ったわたしは、九尾の取ったこれまでの言動を〈深読み〉し、ある結論に達した。

 あいつは、今までと変わらない関係を望んでいる――のかもしれない。

 妖尊人卑を地で行くあいつのことだ。人間と親睦を持とうとしないことは、誰よりもわたしがよく知っている。――賢者を除いて。

 共闘した時の気持ちは本心だったのだろう。だが戦いは終わり、結束する理由がなくなった。だから“心を開いた気でいた”と言い張ったんだ。

 事の真相を追求する気はない。もし追求したら、また辛辣(しんらつ)なイヤミと嘲笑で返すに決まっている。あいつが険悪な関係を続けたいのならそれでもいい。

 反目しあって意見をぶつける相手がいてもいいじゃないか。いつの日か、このロクでもない出来事を笑い話として語る時代がおとずれる。その時代(とき)を待つのも悪くはない。

 そのように納得させ、わたしは深いため息をついた。そしてこれからについて思考をめぐらせる。

 戦いが終わったとはいえ、やることは一杯だ。まず怪我の療養。今の状態じゃあ復帰どころか何もできやしない。

 全快したら博麗との約束を果たさないとな。……先走って迷惑をかけてしまったからには、わたしも殴られないと割に合わない。これはけじめだ、わたしなりの。

 それと賢者への謝罪。作戦をご破産させたんだ。頭を下げないと筋が通らない。

 ……吸血鬼を倒した方法については、聞かれたら答えよう。報告を伏せてくれる九尾との義理もあるしな。

 あと、わたしをハメた九尾に礼をせにゃならん! 今にみてろ! いつかきっと油揚げを買い占めてやる!!

 ひと通り今後の段取りを決め、わたしは俯いた。別に落胆したわけじゃあない。九尾が投げつけた弁済品を確かめるためだ。

 満月の幻が邪魔なので思いっきり目を凝らす。すると腹部付近に、止血処置を施したのと同じタイプのハンカチが視界に入った。拳一つ分の大きさの白いハンカチはきれいに折り畳まれ、木綿特有の質感を放っている。

 どこにでも売ってあるただのハンカチだ。人間を見下すあいつがわざわざ人里で買ってきたんだろうか? だとしたら妖怪のプライドを守るのも楽じゃあないらしい。

 このありがたい贈り物を前にして、わたしは小さな吐息を漏らす。

「……身動き取れないのに、どう使えってんだ」

 ぼやいた直後、視界は満月の幻で覆われ、雨音が耳中に響く。

 わたしの不運の日々は、まだまだ続きそうだ。

 

 完。




・博麗の巫女の言葉の元ネタ。
スパイダーマン
ピーター・パーカー/ベン・パーカー
「大いなる力には大いなる責任が伴う」

――スペシャルサンクス――
添削・構成アドバイス
カイ.アルザードSSTM様


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