愛は薄明の中に刹那 (沖 一)
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上章 夜狩りと一葉
第一話 拳を握る【冒険家】


2021/9/7に改稿を行いました


□アルター王国南東部・山林

 

 大陸西部に位置し、500年の歴史を持つアルター王国。大陸の西方三国の一つに数えられ、北にドライフ皇国、南にレジェンダリア、東には砂漠の向こうにカルディナがあり、多くの国家に囲まれて戦争をはじめとした過酷な宿命を背負った国であるが、ファンタジー然とした文化、大規模な決闘都市や挑戦の敷居が低い神造ダンジョンの存在などが影響し、いまだに〈マスター〉から人気の高い国である。

 

 だが、彼女がアルター王国を選んだ理由はただ一つ。

 冒険しやすいから。

 

 

 

 最寄りの村からも街道からも遠く離れた山林の中。鬱蒼とした大自然の中にうっすらと続く、道とは言えぬような獣道。それを無視して木や茂みをなぎ倒しながらズンズンと進んでゆく人間が一人いた。

 彼女の名はフォリウム。アルター王国に所属し冒険家を自負する【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】の〈マスター〉である。

 この辺りは主要都市からは遠く、少し西にあるそこそこ良質な狩場もとある悪名高い〈マスター〉の縄張りがそう遠くないために、ティアンだけでなく〈マスター〉が近づくことも少ない。

 だが、故に『開拓』の余地がある。

 

 ふと立ち止まったフォリウムの左手に懐中時計のようなものが現れた。フォリウムが蓋を開いたそこにあったのは5センチメテル程の銀色の針。それが文字盤から飛び跳ねると、浮き上がったままある一点を指すように止まった。

 フォリウムはシステムウィンドウに表示される地図とその針が指す方向をしばし見比べて、満足したようにウィンドウを閉じた。

 

「『羅針盤』の予測とのズレ、誤差範囲内。これは当たりかな」

 

 そう独り言ちて『羅針盤』と呼んだものの蓋を閉じると、それは彼女の左手の甲に刻まれた紋章へと吸い込まれていった。そしてまた歩き始めた。

 

 

□【大冒険家】フォリウム

 

 しばらく歩いて、陽が傾いて空が朱に染まりだした頃。『羅針盤』を片手に、針の指し示す方向を山々を見渡して探していた時、《直感》のスキルが働いた。“本来感じる違和感などをより強烈に感じる”程度の効果しかないスキルだが、反応した時は決まって“何か”がある。

 

「あの辺かな……《遠視》《看破》」

 

 二種のスキルの併用による、遠方の《隠蔽》や《幻惑》を見破る重ね技。【冒険家】の探索におけるありふれた技だが、その効果は劇的だった。

 見渡す山々には全て森が広がっていたが、《看破》によって森の一部が消えうせた。

 《幻惑》によるベールが暴かれたのだ。

 木々の幻が剥ぎとられた先には洋館が建ち、沈みゆく太陽の明かりに染められていた。漆黒の煉瓦によって建てられた館は遠く離れたここにまではっきりと存在感を主張している。

 

「すごい、あんなのがこんな所に建っているなんて……ん?」

 

 予想以上の結果に見とれていた私は、手元の『羅針盤』の針を見て気づく。針の指す先は、館よりもやや手前の方を指していた。

 『羅針盤』の機能は『多大なリソースの方位を示す』である。

 なのであの建物こそが探していたリソース源かと思っていた。あの館が多大なリソースをつぎ込んで建てられたか、維持されているか、又は何かを守っている設備なのかと。

 

 しかし、前方を指していた針はゆっくりと動いていた。気のせいに思えた遅々とした動きは段々と加速していき、十二時の方向を指していた針はいまや二時の位置を過ぎようとしていた。

 

「近づいているの……!?」

 

 針は三時の位置を過ぎ、いまだに回転を止めない。更に加速しながら四時を過ぎ、五時をも過ぎる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、自分の周囲を回りながら距離を詰めてきているのだ。

 そして針が真後ろを指して回転が止まった時、《危険察知》が発動し――

 

 ――それと同時に一つのスキルのチャージが完了した。

 

「《破城槌》ッ!!」

 

 『羅針盤』を放り捨て、スキルによって打撃ダメージを六倍にした拳を真後ろへと殴りぬく。

 サブジョブに【砕拳士(バウンド・ボクサー)】をもつ私の《破城槌》は一撃で純竜級モンスターに致命傷を与えうる。それが一匹の狼型モンスター【ナイトウルフ】の額を捉えた。

 背後から襲い掛かろうと跳躍していた【ナイトウルフ】に強烈なカウンターとして突き刺さり、断末魔もあげさせずに全高1メテルを超える肉体を爆散させた。

 血と肉と骨が拳圧によって吹き飛び、すぐ近くまで迫っていた数頭の【ナイトウルフ】たちに豪雨のように降り注ぐ。彼らは怯んだのか、影も残さず茂みの中へ消えた。

 

 だが逃げたわけではない。《聴力強化》によって人外レベルの聞き分けを可能にする耳が、獣たちが少し後退し、警戒しながら包囲しはじめた事実を捉えている。

 

 獲物を狩る時の基本は相手を疲弊させ、集中力が途切れた瞬間を狙う事。【ナイトウルフ】とは聞いたこともないモンスターであったが、狼の名を冠すのならば狩りのイロハは抑えて当然か。名前の通りならば彼らは持久戦の構えで日没を待ち、得意とする夜戦へと持ち込むつもりなのかもしれない。

 だがあいにくこちらには耳だけでなく《暗視》もある。

 それに幻を破った瞬間にこいつらが動き出した事、襲ってくる直前まで強化された聴覚・嗅覚で察知できなかった事実から手の内はほとんど暴いたも同然。

 

「あんたらは恐らく幻惑・隠密能力に特化したレア種の群れってとこでしょ。こんな所まで来て遺跡でも〈UBM〉でもないのは残念だけど、退かないのなら私のボックスの肥やしになってもらう」

「GUWAAA!!」

 

 返答は咆哮。飛び出てきた【ナイトウルフ】は六頭。前衛と後衛に三頭ずつだ。後ろの三頭が幻惑・隠密による援護をするつもりだろうが、接敵状態で【大冒険家】の《直感》を騙す程の《幻惑》を〈UBM〉ですらないただのモンスターが扱えるはずはない。

 

「なら真っ向から捉えるッ!」

 

 低く突っ込んできた一頭目を躱し、その隙を逃さぬように飛びついてきた二頭目に——は意も介さずに拳を握り、スキルチャージを開始する。

 私に生じたチャージ硬直は明確な隙だったが、二頭目の牙は私を傷つける事なく通りぬけた。

 《幻惑》による幻の【ナイトウルフ】だったのだ。すでに暴かれた手札に頼った代償は、今ここで支払われる。幻の二頭目が作る隙に攻める予定だったであろう三頭目と、後衛の一匹が直線状に並ぶ瞬間、スキルを放つ。

 

「《ウィングド・ナックル》!」

 

 素の二倍の攻撃力を孕んだ衝撃波が十数メテルを駆け抜け、軌道上にいた二頭の【ナイトウルフ】の身体をぶちぬいた。二頭が血と臓物を撒き散らし、同時に後衛にいた一頭の【ナイトウルフ】の姿が搔き消えた。

 

「前衛・後衛を幻で一頭ずつ嵩増ししていた訳か。で、残り二頭。いや一頭かな」

「GRRRR……」

 

 私を囲む二頭の【ナイトウルフ】。そのうちの一頭もまた幻影にすぎないことを既に見抜いている。だがそれでも、【ナイトウルフ】が撒いた血を頭から浴びた私は警戒を怠らずに構え続ける。

 残された一頭が破れかぶれの突撃に移るかと思えたその時、辺りに影が落ちた。

 日没だ。同時に二頭の姿が影へと消えた。攻撃準備かと思ったが、気配が遠ざかっている。撤退するのだろう。

 追うかと考えたが、《直感》が発動した。

 

 確かに、仮にも(ナイト)を冠するモンスターだ、追える自信もなければさしてうま味もない。見逃そう。

 

「あの館の探索は明日にしてもう休もう。今日は野宿か……。……?」

 

 落とした『羅針盤』の所まで歩き、拾おうとして二つの違和感に気が付いた。

 一つは全身に被った【ナイトウルフ】の返り血がまだ光の塵になっていないこと。

 もう一つは、針がいまだにその先を私の背後へと向けていること。

 なにか妙だと思いながら『羅針盤』を拾い上げた時、針がその先をグイン、と()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ!?」

 

【呪詛】【呪縛】

【脚部破壊】【出血】

 

 瞬く間だった。呪いにより身動きが取れなくなったのも、脚を攻撃されて完全に破壊されたことも。

 

「ぐ、うぅ、ぁ」

 

 吹き飛ばされて地面を転がり、土にまみれてやがて仰向けになって止まり、ようやく自分に何が起きたのかを理解した。

 自分に付着した【ナイトウルフ】の返り血が媒介となって呪いが発動し、その隙をついて脚を狙われたのだ。

 

 そして、それらを為したのが目の前の巨大な狼だということも理解した。

 全高は3メテルを優に超え、全身を星空のような黒色で塗りつぶされた狼だ。闇に立つその姿のなんと美しいことか。

 だが狼がこちらに向ける薄明の群青をした瞳に慈悲の心はない。ただ命を奪うという意思があるのみだ。その証明とでも言うように、血に濡れた前足は私の胴を抑えて離さない。肺を圧迫し呼吸さえさせない膂力はその体躯が見せかけでない事を嫌というほどに知らしめた。

 

 その頭上に記される【夜藍狼 ラディアラ】の銘。それが意味するものは――

 

「〈UBM〉、か……!」

 

 【大冒険家】の《危険察知》を完全に欺くほどの隠密性。恐らく隠密能力に秀で、さらに夜間で本領を発揮する存在。

 先ほどの【ナイトウルフ】の群れは、自分の群れですらない能力によって作った眷属か。自身の血を仕込んでおき、何らかの手段で目標に血を浴びせる事と適当に時間稼ぎさえ叶えばどうとでもなっていい捨て駒。

 

 疲弊させ、集中力が途切れた瞬間を狙う。

 理解していたはずの狩りのセオリーに私はまんまとしてやられた訳だ。

 

「か、《看……」

 

 せめてもの思いで発動しようとした《看破》は情報だけでも持ち帰ろうという最後の足掻き。

 だが、スキルの発動もできぬ間に咢は閉じられ、咀嚼され、カラダはバラバラに――

 

【致死ダメージ】

【パーティ全滅】

【蘇生可能時間経過】

【デスペナルティ:ログイン制限24h】

 

(あがた) 譲羽(ゆずりは)

 現実世界の肉体が覚醒し、フォリウムから譲羽へと戻ってきた私はダイブしていたベッドから起き上がり、思考を巡らせていた。自分の仮初の肉体で聞いた肉が咀嚼される音と気味の悪い生暖かさがまだ離れなかったが、それよりなにより頭を巡らす。

 

 デスペナは無念だけど、それでも〈UBM〉が出てきてくれたのは本意だ。それに至近距離での『針』の反応からして逸話級より上であることは間違いない。

 そして、夜まで現れなかった事から推測できる夜にしか本領を発揮できないという条件や隠密などの非戦闘要素へリソースを割いている存在である事を踏まえれば。

 

 仮に伝説級〈UBM〉だとしても、準備を整えれば私一人でも勝てるのではないか?

 

 〈UBM〉のMVP特典、すなわちデンドロの中のオンリーワン要素の一つである特典武具が私の視界にちらついた。

 

「ぃよし!」

 

 久しぶりのお宝を前に、トレジャーハンター魂が燃えてくる。

 とはいえ、今から24時間はログインできない。もう日も沈んでいることだし、晩御飯にしようと冷蔵庫へ向かった。食い殺されたばかりで肉を食う気にはならなかったから卵と米だけのテキトーチャーハンだ。

 

 今に見ていろ、“ラディアラ”。アタックはデスペナ明けの次の明朝だ。



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第二話 月から逃げ、太陽を追え

砕拳士(バウンド・ボクサー)

 拳士+壊屋系統上級職。壊屋系統としてのスキルをほとんど習得でき、なおかつ拳士系統らしいスキルも多く習得する。

 さらに壊屋系統らしく高いSTRに加え、高いAGIをはじめとした拳士系統らしいステータス成長をする。

 これらの傾向により、オブジェクト破壊に特化した【粉砕屋(デストロイヤー)】よりも戦闘に向いたジョブである。

 また素手、或いは籠手等の準素手判定の場合、メインジョブでなくとも固有スキルを全て使用できる。

 

(あがた) 譲羽(ゆずりは)

 というのが私のサブジョブの【砕拳士】だ。

 【壊屋(クラッシャー)】は探検の際のオブジェクト破壊に最適だったので良かったが、そのままノリでとった【砕拳士】はほとんどの攻撃スキルにチャージの隙が生じるため、本来は他の戦闘系上級職のサブとして使うか〈エンブリオ〉による補助込みで使うのが一般的なジョブだ。

 

 なので【大冒険家】×【砕拳士】というジョブ構成と私の非戦闘系〈エンブリオ〉でマトモな戦闘をするのは難易度が高い。

 だから一点特化により“脆さ”をもつ〈UBM〉なんて行幸という他ない。

 

「誰か仲間は……いらないか」

 

 同行者を考えたが、そちらに特典武具をとられたり情報を流されたりしたらたまったものではない。

 ただでさえこの前のカルチェラタンでの遺跡探索で()()したばかりだ、貪欲にいこう。

 当面、狙うはソロ討伐だ。

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 私がデスペナになってから四日が経過したデンドロ世界。もしかして“ラディアラ”が何か噂になっていないか、誰かに先手を打たれていないか不安になったが、耳に届く情報では特に動きは無かった。

 あんな所に行く〈マスター〉がそもそも少ないから当然か。

 

 そんな情報収集や装備も整った今、私は“ラディアラ”の元へこの前と同じルートを通って移動していた。ちなみに最寄の村では四日という()()なペースで人が訪れたことに驚いていた。

 

 四日で頻繁ってどんだけ人が来ないんだ。確かに何にもないけど、自然豊かでいい場所だとおもうんだけどな。

 2040年代に突入した今、文明が見当たらないような自然を見たいのなら電車もバスも電波も届かないような場所まで行かなければないのではないだろうか?

 せっかくの大自然を楽しまないとはデンドロユーザーも勿体ないことをしている。

 

「とか言っときながら、私だって藪をぶち抜いてこの“獣道”作ったんだよね……」

 

 獣道と呼ぶには程遠い、藪を押し退けてできている一本の道はこの前の私が『羅針盤』の指し示す方向へ真っ直ぐと突き進んだ為にできた物だ。

 ごめんね、デンドロの大自然よ。

 

 閑話休題。

 相変わらず手元の『羅針盤』はこの前と同じ方向を指している。“ラディアラ”はあの館から動いていないようだ。

 まだ早朝の時間、このペースなら朝のうちに館までたどり着けるはず。そこで観察の体制に移ろう。

 確実に仕留める手を見つけてみせる。

 

 しかし……いまだに気になるのは“ラディアラ”の生態だ。

 私を襲ってきた【ナイトウルフ】は死体が消えなかった点と呪いの媒体になったことから“ラディアラ”が私に血を浴びせる為に放った召喚獣の類と検討をつけている。

 

 つまり、狼系のモンスターは群れを成すのが定石なのに“ラディアラ”はただの一体だったという事になる。

 これだけでも定石から外れているのに、あれだけ強い〈UBM〉(ラディアラ)が住処にしているであろう館に幻術をかけて隠しているのも変な話だ。

 さらに強大な〈UBM〉が近くをうろついてるとでも?でもそんな噂は無かったし、『羅針盤』の探知にも無いのだけれど……。

 

 そうこうしている内にこの前デスペナになった地点の近くまできた。

 念のため観察しても、“ラディアラ”が接近している様子は無い。『羅針盤』は昨日と同じ地点を指している。

 館を発見した地点に立ち『羅針盤』の探知と記憶を頼りに見渡していると、見つけた。

 

「《直感》が発動する違和感はあそこか……」

 

 きっとあそこに《看破》をかければこの前と同じように幻が消え館が現れるのだろう。

 

 だがそうすれば昨日の二の舞だ。よって《看破》はせずに地図に場所を刻むのにとどめる。

 そこに幻がかかっていると知っていれば、ある程度近づけば問題なくたどり着けるだろう。偵察をしておくためには、夜行性であろう“ラディアラ”が動き出す日中の間に近づく必要がある。

 私は歩みを進めた。

 

 

 目的地に近づくにつれ、所々に妙な点が現れた。木の根元の土を掘り起こした後に埋めた跡や、熟れていない木の実を避けるように摘んだ跡。

 

「挙句にコレだもんなぁ」

 

 獣用の罠。跳ね上げ式のスネアトラップ——ひもの輪の中に足を引っかけるとひもが締まり獲物を捕らえる仕組み——だ。

 

「《鑑定眼》……やっぱり毒か。荊棘状のひもが締まったときに毒が入るようになってる」

 

 しかも殺すためではなく、衰弱させるための毒。

 これは狩人系統のスキルによるものの特徴だ。

 

 つまり、人がいるのだ。こんな辺境の山奥に。

 

 加えて、さっきから誰かに見られている気配がしている。最初はそれこそ“ラディアラ”かと思ったが、『羅針盤』は依然として館がある地点を指している。

 もっとも、直線ルートで接近されていた場合は気づかないのだが、日も落ちる前に最大限気配を殺している私の接近を気づいているのならもうゲームオーバーだ。

 どうかそれだけはやめて欲しいと願ってその可能性は早々に捨てた。

 

 とはいえ、私が接近に気づいたにも関わらず《直感》で方向を絞り切れないほどの隠密性には知性を感じる。

 ただのモンスターではあるまい。

 

 このままでは見つけれない。そう思った時だ。

 《危険察知》が発動した。

 

 咄嗟にスキルが教えた方向へ手に持っていた『羅針盤』を投げつける。

 宙を舞った『羅針盤』は、気がつくと空中に現れた矢に銀色の文字盤を貫かれていた。

 軌道を逸らされた矢が地面に刺さる頃には理解する。これは《隠密》持ちによる狙撃だ。

 

「ねぇ!こっちに敵意は――」

 

 返答は第二矢。

 ヒョウッ、と矢が飛んできたが今度は手の甲で払いのける。

 【砕拳士】のSTRを持ってすればこの程度、スキルを使わずともグローブに穴が空くことすらない。

 

「私は【冒険家】のフォリウム!重ねて言うけど敵意はない!」

 

 応じるか、戦闘続行か。

 どちらに転んでもいいように身構えていたが、意外にも相手はどうやら応じてくれるらしい。

 消されていた気配が現れ、足音が近づいてきた。

 やがてその姿が現れた。

 

「突然射掛けてごめんなさい、こんな所に人が来るなんて滅多にないことだから」

 

 声の主は女。

 目深に被ったフードに加え、全身を覆う外套の森林迷彩は狩人系の服装だ。

 左手の甲を見れば、そこに紋章は無い。

 つまり、ティアンだ。

 

 近寄って来た彼女は弓を持ったままだが、矢は番えられていない。

 ここまでされて警戒し続けるのはさすがに失礼か。

 構えを解いて私も話しかけた。

 

「この稼業じゃよくある事だから気にしなくていいよ。そういうあなたはどうしてこんな所に?」

「住んでるのよ」

「住んでる!?」

「えぇ。詫びの一つもしたいし、よければ家まで案内するわ」

 

 そう言って彼女は歩き出した。

 背を向けて歩む姿に、矢を射かけてきた時の敵意はもう無い。

 とはいえ無警告で射ってきた人間にホイホイついて行くのは絶対に賢い選択ではない。

 ないのだが……

 

「〈UBM〉のいる、人里離れた山に住むティアンか……流石に初めて、かな」

 

 こういう面白いものに飛び込まずにいられる性分なら、元より冒険家などやっていない。

 

 

 

「フォリウム、だったわね。あなた、【冒険家】って言ったかしら」

「そうだよ、厳密には上級職の【大冒険家】だけど」

「へぇ」

 

 前を歩く彼女からそんな言葉に返事を返しながら、サクサクと進む彼女の後ろを追いかける。

 それとなく私に探りを入れる彼女は、まだ私を信用しきっていないからだろう。

 だけどここで情報の出し惜しみをして警戒を強められても仕方が無いし、私は正直に答えることにしていた。

 

 さて、【冒険家】というジョブだが、〈マスター〉の間ではピンとこない人が多い。『冒険者』という概念がフィクションで広く浸透し、デンドロでも汎用ギルドの名前が『冒険者ギルド』なものだから、【冒険家】と聞いて変に深読みをする人が多いのだ。

 だがティアンにとって【冒険家】のジョブが持つ意味はそのままだ。

 『冒険する人』であり、所謂トレジャーハンターのイメージのままで受けられている。

 

「さっき私の矢を軽くはじいていたけど、上級の戦闘職もあるんじゃないの?二つも上級職に就いてるなんて、もしかして名のある【冒険家】だったりする?」

「いやぁ、私は〈マスター〉だから。この程度普通だよ」

 

 ほら、と言って左手に刻まれた羅針盤の紋章を見せた。

 見せたのだが、フードから除く表情はあまりに怪訝そうだ。“しっくりきてない顔”という他にない。

 

「もしかして、〈マスター〉を知らない?」

「……えぇ、ごめんなさい」

 

 なんと。

 デンドロのリリースによって〈マスター〉が一般的になったのはデンドロ内で四年半も前になり、辺境の村にさえ〈マスター〉の事は一般教養として伝わっているというのに。

 

「物心ついた時からこの山で暮らしてるから世間知らずで……。実は街に行ったのなんてもう何年前のことかわからないぐらいなの」

 

 これまたなんと。

 見た所二十代半ばの彼女が言うからには、二十年近くこの大自然の中で生きてきたということではないか。

 

「すごいね……人里離れた所に住んでいるティアンに出くわすことはままあるけど、ここまで完全に浮世離れした生き方をしているのは初めて。

 ともかく、〈マスター〉ってのは……人種みたいなものかな。〈エンブリオ〉の所持とか、あらゆるジョブに適正を持ったりだとか、色々違ったりするんだよ」

「あらゆるジョブに適正って……本当に同じ人間なの……?」

 

 言われてみてなるほど、と思う。

 ゲームのプレイヤーにとって就けるジョブに偏りがない事は不思議ではないが、これはティアンの人にとってみれば「私はその気になったら戦士でも学者でも料理人でも、あらゆる分野の職業を極めることができますよー」という事に他ならない。

 今までティアンからその事について言われたことはないが、冷静に考えるとぶっ飛んだ性質である。

 

 ここで更に不死性を持つなんて言ったら全部嘘だと思いそう……よし、黙っておこう。

 

「まぁジョブ適正以上に〈マスター〉を〈マスター〉たらしめるのは〈エンブリオ〉かな。私の場合は……」

 

 歩いている内に再生のクールタイムが過ぎた『羅針盤』を紋章から呼び出した時、ふと違和感がよぎった。

 地図を見れば、やっぱりだ。

 彼女の興味深さ故に忘れかけていたが、そろそろ《隠蔽》か《幻惑》が掛けられた地帯に踏み込んでいるはず。そこに近づけば《直感》が働くはずだ。

 だがそれがない。

 

 まさか、解除されている?だとしたら、なぜ?

 

「着いたわ」

 

 そう彼女が言って、私達は木々が開けた所に着いた。

 そこにあったのは館。漆黒の煉瓦に、はめ込み窓のある二階建ての洋館。

 それは昨日、幻のヴェールの向こう側で夕日に染められていた館と同じもの。

 

 まさか。

 

 手に取っていた羅羅針盤盤の蓋を開き、蓋を影にして『羅針盤』の動きが彼女に見えないようにし、起動する。

 同時に彼女に対して《看破》を使った。

 

 その時、唐突に吹いた風が彼女の目深のフードをはがし、疑惑は確信へと変わった。

 

 フードの下の瞳は群青、髪は月も溶けそうな夜の黒。

 

 『羅針盤』は目の前の一人の人間に秘められた膨大なリソースを示し、《看破》は彼女の名前を暴いた。

 

 私の《看破》に対し、彼女はまだ自分の名前を教えていなかった事に気づいたようで照れ臭そうにはにかみ、言った。

 

「ごめんなさい、まだ名乗っていなかったわね。私は――」

 

 【宵闇狩人(ナイトシーカー)】ラディアラ・リベナリル

 

「もてなすような物もないけれど、羽休めしていって」

 

 相変わらずその表情に敵意はない。

 だが彼女こそが、“ラディアラ”だった。



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第三話 月夜に垣間見る

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 毒を食らわば皿までと、のこのこと館へ入っていく私はふと『注文の多い料理店』を思いだした。

 しかし、あの小説と違うのは私は〈マスター〉で仮に美味しく調理されて食べられたとしても三日後には五体満足で復活するという点だ。

 実際一度食べられている。つまり入って損は無い。

 

 何より“ラディアラ”の正体が『【夜藍狼】へと変身できる【宵闇狩人(ナイトシーカー)】のティアン』か『【宵闇狩人(ナイトシーカー)】のティアンに人化できる【夜藍狼】(〈UBM〉)』なのかを判断する必要がある。

 前者だったら私はただのティアン殺しになってしまうし、後者なら私一人の手には負えない。

 

 しかして虎穴に入ったわけだが、どうだろう。

 館の中は豪華絢爛とはほど遠く、むしろアルターかレジェンダリアの街中にある家と大差はない。

「お茶でも入れるわ」とラディアラが歩いて行った居間の方にはさりとて大きくない食卓に二脚の椅子。

 食器棚には焼物や木皿など様々な食器が並んでいる。

 天井にはシャンデリアなど勿論なく、代わりに小さな魔力灯。

 

 一方ラディアラはというと、水瓶から掬った水をヤカンに入れて魔力コンロで沸かし始めた。

 どれも、そう珍しい道具や設備ではない。

 ただアルターよりもレジェンダリアの物に似ている気がする。

 

 立ったままラディアラを観察しているとティーポットに茶こしを準備しながらラディアラが振り向き、「どうぞ座って」と言って透き通るような群青の瞳がテーブルの傍の椅子に向けられた。

 言葉に甘えて一足先に座らせてもらう。

 

「一人なの?」

「えぇ、もうずっと」

 

 ラディアラは静かに告げて、細く美しい指でティースプーンを掬って茶葉をポットに入れていた。

 本当にそこに、私をねじ伏せた【夜藍狼】のSTRが秘められているのかと疑いそうになる。

 

 ほどなくして出てきたラディアラが淹れてくれた紅茶は現実でもデンドロ世界でも会った事のない香りがした。

 だが品のあるいい香りだ。肩の力を和らげてくれるような柔らかさがある。

 

「いい香りだね」

「ありがとう」

 

 紅茶を褒められたラディアラは、ただ嬉しそうに微笑んだ。

 出された一杯に《毒感知》や《危険察知》は反応せず、それはただの美味しい一杯の紅茶だった。

 

「ラディアラはどうしてあんな所にいたの?」

「たまに森を歩いてるの。適当に巡って罠の様子や、取ってもいい果実がないかとかを見て周りながら歩くのが好きだから」

「そこで私を見つけたんだ」

 

 聞くべき事はそんな事では無いと分かっていた。

 

 どうしてこんな所に一人で暮らしているのか。

 あなたが秘めている膨大なリソースの正体はなんなのか。

 無警告で射かけてきたのはなぜか。

 なのになぜ今は館に上げているのか。

 

 そもそも探りを入れるためにこの館に入ったのだ。

 聞こうと思えば、いくつも聞くべき事があった。

 だけど穏やかな暮らしを感じさせる光景を見て、むしろ彼女の領域に土足で入る真似をした私の方が申し訳ない気持ちがして、これ以上踏み荒らす真似はできなかった。

 

「そういえばこの紅茶って……」

「私が作ったの。ジョブによるものじゃないから味の保証はないんだけど」

「え、手作りってこと?すごいね、こんなに美味しいのできるんだ」

「ふふ……時間なら、いっぱいあるから」

 

 ティーカップを置く手に視線を寄せるように伏した目に、雨粒さえ弾きそうな睫毛が微かに震えていた。

 

 儚さだ。

 ラディアラと出会って、まだほんの少しの時間しか経っていない。

 なのに、紅茶を淹れる背中、浮かべる微笑み、私に話しかける言葉。

 彼女が醸す雰囲気に、宝物を薄く脆い玻璃で必死に守ろうとしているような、そんな印象を受けるのはなぜだろう。

 

 そんな私の思いも裏腹に話は弾む。

 いつしか陽は沈み、そのまま晩御飯までご馳走になることになってしまっていた。

 そこまでしてもらうのは悪いと思ったのだが、ラディアラは「気にしないで。元はと言えばお詫びなんだから」と譲らない様子だった。

 あくまで柔和な態度のラディアラは、どちらかというとお詫びではなく他人の為に料理を作る機会を楽しんでいる様であった。

 それに私もラディアラの作る料理に興味が湧いていた。なので彼女に腕を振るってもらうことにした。

 

 しかし、食卓に並べられた料理を見て、私は少しばかり申し訳なくなった。

 いそいそと料理するラディアラは楽しそうなので何も言わなかったが、これは、()()()()()ではないだろうか?

 

 鹿肉のクリームシチューと言っていたが肉だけでなく色とりどりの野菜、立ち上る湯気からはクリームが香り食欲をそそる。

 おまけにシチューだけでなく柔らかいパンまで添えられていた。

 行商人など到底来ないだろうこの場所で、それらがどれだけの御馳走なのか分からないほど馬鹿ではない。

 なのにラディアラは上手にできたと言わんばかりの満足げな笑みを浮かべるだけ。

 

「さ、食べましょうか」

 

 先ほどまでの儚げさを忘れさせるほどに暖かな笑顔に、私は「美味しそう」とだけ言って手を合わせた。

 

「いただきます」

「……イタダ?」

「ん?あぁ、私の文化だから気にしないで」

 

 昨今だと外国人でも『いただきます』を知らない人はなかなかいないが、ティアンだとそうもいかない。

 なまじ翻訳機能があるだけに、翻訳されない『いただきます』がティアンからは聞きなれない呪文か何かに聞こえるらしい。

 

 さて、気を取り直してスプーンを手に取り、シチューを口に運んだ。

 口をつける前から期待はしていたが、味わった瞬間、感想が自然と漏れ出ていた。

 

「美味しい……」

 

 クリームは牛乳とはどこか違う風味ではあったが、決して薄味ではなく塩も効いている。

 鹿肉は日本で食べるような肉とは違う雰囲気があるが、硬かったり獣臭かったりは全くない(ちなみに私のSTRなら肉が鰹節ぐらい硬かったとしても噛み切れる)。

 

「美味しいなぁ、実は【料理人(コック)】だったりする?」

「まさか。素材がいいだけ」

「素材って……そう、この周りに畑とか何もなかったけど、野菜なんてどうしてるの?【狩人】だからどうにかできたり?」

「それこそまさかよ。館の二階が食料生産を担ってるの」

「へぇ、だからこんな所でこんな料理を……」

「流石に鹿とかは狩ってきたものだけど」

 

 デンドロ世界の技術も時に現実世界を凌駕しているが、まさかこんな形で恩恵に預かることがあろうとは。

 山暮らしも悪くないんだなとしみじみして、その他にも普段の暮らしの話をラディアラから聞いた。

 私からは冒険家としての話をしたりもした。

 

「やっぱり【冒険家】って危ないの?」

「まぁ、そうだね。この前は爆死だし、その前は串刺しになっちゃった」

「く、串刺し?」

「そ。ある遺跡に入って、先史文明の技術っぽいのは見つけたんだけどアイテムボックスに入らなくてね。

 みんなで無理をして持ち帰るぞって担いでいったら、行きでは引っかからなかった罠を起動させちゃって、結局みーんな槍に串刺しにされて死んじゃったわけ」

「え?」

「ぐさ、ぶしゅぁ」

 

 瞳をまんまるにして驚くラディアラ。

 そういえば、彼女には〈マスター〉の不死性について説明していなかった。

 しばらく呆気に取られていたラディアラだったが、私が冗談で煙に撒いたと思ったのか、やがて信じる様子を見せずにクスクスと笑うものだから、それが少しだけ私にも面白かった。

 

 ご飯を食べ終わった後も、私たちはずっとおしゃべりを続けていた。

 

 

 結局、寝室まで借りる事になった。

 そのベッドは私が現実で使っているベッドやデンドロ世界でよく使うベッドよりも数段上質なもので、私はログアウトもせずにぐっすりと休息をとり今に至る。

 

 つまり朝が来た。

 

 ベッドで一人『羅針盤』を起動する。きっとラディアラは今も館の中にいるのだろう、『羅針盤』は相変わらず膨大なリソースがそばにある事を示していた。

 

 結局ラディアラがどっちなのかはいまだに分からない。

 でも昨日一晩話したラディアラは、孤独な日々を過ごしていた人が久しぶりの出会いを純粋に楽しんでいるようにしか、私にはそうとしか思えなかった。

 

 コンコンとノックが聞こえて私は意識を頭の中から戻してきた。

「はーい」と返事をしつつ、『羅針盤』を紋章の中へと戻した。

 私が彼女のリソースに気づいていることを知られるのは得策ではないだろう。

 『羅針盤』の光の塵が完全に消えた頃に扉が開き、ラディアラが顔を出した。

 

「おはよう、調子はどう?」

「もうスッキリ。こんな所で落ち着いて寝れるなんて思ってもみなかった」

「そう、よかった。今から森の様子を見て回ろうと思うのだけど、一緒にどう?」

 

 それは昨日のおしゃべりの中で私が彼女の狩人生活に興味を見せていた故の提案だった。

 私はうれしく思いその提案に乗ろうと思ったが、一つ思い出して眉を顰めた。

 

 確か、今日は大学の授業があったのだ。

 少し急がなければいけないが、今からログアウトして準備すれば十分に間に合う。

 

「んー、向こうで用事があるから遠慮しておくよ」

「むこう?」

「ログアウトしてくるけど、たぶんこっちで一日もしないうちに戻ってくると思う」

「え?」

 

 少し慌てていたから、とりあえずログアウトしようとウィンドウを操作してログアウトするまで私は気づいていなかった。

 

 そういえばラディアラは〈マスター〉の事情に疎かったのだと。

 目の前で人が消える光景を見て彼女はどう思うのだろうかと少し申し訳なく思ってから、私はそのままデンドロ世界から離脱した。

 

 

(あがた) 譲羽(ゆずりは)

 

 たっぷりと休息をとったとは言え、それはデンドロ時間の中での話。

 ログアウトして仕度を整えて、授業を受けて、食堂で遅めの昼ご飯を食べる頃には私はもうすっかり眠たくなっていた。

 このまま帰って寝たいけど、ラディアラに事情の説明はしなければいけないだろうなどと考えていると、快活そうに私を呼ぶ声が聞こえた。

 

「譲羽~、おはよ~」

「おはよ、ひー」

 

 声をかけてきたひーがサンドイッチを手に私の正面に座った。

 大学で知り合った友達だが、出会った頃からあだ名で呼んでいたせいで彼女の本名はだいぶ朧気だったりする。

 ちなみに彼女もデンドロプレーヤーである。

 

「ねーねー、この前の愛闘祭、譲羽はどうだったの?」

「愛闘祭って……あぁ、ギデオンの」

 

 あの日は何をしていただろうか。

 確か……そうだ、【ラディアラ】に食われたのがその日だった気がする。

 

 私のげんなりとした表情から何かを読み取ったらしいひーは「あぁー、聞かないでおく」とだけ言ってサンドイッチを食べ始めた。

 

「そっかぁ、譲羽はお金、ないもんねぇ~。イベント楽しむ余裕なんて、ないよねぇ~」

「ゲーム内通貨でそこまでマウント取られると腹立つんだけど」

「愛闘祭にかこつけてお金ばらまいたらもぉじゃんじゃん寄ってくるの。最高だよね」

 

 ひーがどうやらゲーム内ではっちゃけるタイプの人間であることはデンドロ内で会ってそうそうに理解した。

 出会ってから一年と少し。

 出会った時から金遣いの荒さと火遊びの盛んさは少々目に余る物があったが(あくまでデンドロ内の話である)、その勢いに歯止めが効かなくなったのがこの前のカルチェラタンの〈遺跡〉を巡った皇国と古代兵器による事件の後からである。

 

 あの事件の時、私は〈遺跡〉に突入して湧いてくる煌玉兵に対処していた所を他十数人の〈マスター〉もろとも爆殺された。

 そのせいで【ブローチ】を失い、デスペナの直前に使ってしまった【快癒万能薬(エリクシル)】も無駄打ち。

 さらに〈遺跡〉の収穫品の大部分をドロップで失い、そのなけなしの収穫品もデスペナ明け時には市場に出回ってたせいで価値は下落。結局、大赤字もいいところだった。

 

 一方でひーはと言えばひっそりと戦いから息を潜め、その癖して国がほとんどを押収したというレア素材をアイテムボックス二つ分いっぱいにかっぱらって裏ルートで売りさばき、大儲けしたらしい。

 然るべき所に届ければしっかり指名手配されそうな行いだが冒険家稼業は往々にして裏ルートを利用することが多く、私も例外ではないから別にそれは構わない。

 だけどそれの売値が10桁に上ったと聞かされて目の前で豪遊されていると流石に気分も良くない。

 

「じゃあ譲羽はなにもないの?面白いこととか、出会いとか!」

「……ない」

「なぁんだ」

 

 ふー、とひーが頬杖をついて溜息を吐き出した。

 

 面白い事と言えばとびきり面白いことが起きている。

 言うまでもなくラディアラだ。

 

 今だにその正体は掴めていないが、〈マスター〉でないのに〈UBM〉並みのリソースを持っていることは確実。

 これが面白いことでないならなんだというのだろう。

 しかし、一人で静かに暮らしてきたであろうラディアラを見世物のように人に話すのは絶対に彼女にとって良い事ではないと思ったのだ。

 

「やっぱり【ブローチ】と【快癒万能薬】ぐらいおごったげようか?」

「ゲーム内でたかるほど落ちぶれてないッ」

 

 ひーがカルチェラタン成金となってから幾度となく繰り返された会話をして、それから私は大学を出た。

 今日の授業は終わったし、今は特にやることも無い。

 まだログアウトから8時間は経っていないから、デンドロ内は夜だろう。

 ラディアラは寝ているかもしれないが、今のうちにログインしておいてもいいかと思い、家に帰った私は<Infinite Dendrogram>を起動した。

 

 意識が私の肉体を離れ、数時間ぶりのデンドロの世界へ入っていく。

 ラディアラのいるであろう館へ。

 

□【大冒険家】フォリウム

 

 時間はやはり夜だった。

 ログアウト地点にログインした私は館の窓からまだ高い月が見える。

 

 ラディアラは寝ているのだろうかと、探る意味合いで『羅針盤』を取り出そうとした時にそれは起きた。

 

 激しい音と共に破らん勢いで扉が開かれた。

 《直感》も《危険察知》も作動せずに起きた突然の出来事に動揺したのも束の間、身体を襲う衝撃。

 訳の分からない内に壁に押し付けられた。

 背中から圧倒的な力によって首を抑えられ、壁に無様にへばりついている私には誰によってかは見えなかった。

 だが見えずとも分かる。

 【砕拳士《バウンド・ボクサー》】のSTRでさえ太刀打ちできないこの膂力には覚えがある。

 

 あの【ラディアラ】だ。

 自分の背後に立っているモノは間違いなく人間の形をしているが、このプレッシャーを間違えることは無い。

 

「ラディアラっ……!?」

「どこへ行っていたの。どうして戻ってきたの」

 

 ぞっとするほどの冷淡な声だった。

 昨日、一緒に話していた記憶の中の彼女とはほど遠く、むしろ【夜藍狼】の無慈悲な目を思い出させる。

 

「あなたの気配は前触れもなく部屋に現れた。どうやった。言え!」

「私は……〈マスター〉だか、ら……向こうに、行って、戻って……きた」

 

 だんだんと視界がぼやけていく。

 カヒュと息が喉から漏れた。

 いまや彼女の力は際限なく強くなっていき、私の首は壁に押し付けられてもうすぐの所でへし折られそうになっていた。

 

「わたし……ひとり……ほかに、ひと、は、こない……これない……」

 

 視界が傾き、ドサリという音がどこか遠くで聞こえたような気がした。

 実際には、ラディアラが私から手を放し、そのまま立っていられなかった私が倒れた音だった。

 

 痛みは無い。所詮この肉体はゲームのアバターで、設定一つで痛覚なんていじれる。

 だけど窒息の苦しみはある。

 プレイヤー本人の意識が朧気になっていくことは無いが、生体反応として酸欠の症状は現れる。

 視界はぼやけるし、平衡感覚や四肢の感覚は消えるし、肺が苦しくなって満足に動かせない横隔膜を引きつらせながらえづいたりする。

 

 私もそんな一般の例にもれず床に倒れて身体を縮こませて、何度も何度もえづいていた。

 酸欠でぼやけ、涙で滲む視界の中で、私を見下ろすラディアラの表情が微かに見えた。

 

 混乱、怯え、怒り、様々な感情が入り混じった悲痛そうな顔。その身に宿す力とあまりに不釣り合いな、弱き者の顔だった。



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第四話 滴る後悔

宵闇狩人(ナイトシーカー)

 狩人系統派生下級職【夜行狩人(ナイトハンター)】の上級職にあたるジョブ。

 【大狩人(グレイト・ハンター)】を抑えたステータス成長をし、【大狩人】が習得する罠や武器関連のスキルをやや低いレベル上限で習得する。

 その代わりに夜間戦闘に特化しており、夜間で五感やステータスを強化するスキルの他、高レベルの《気配操作》《隠密》を習得する。

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 ラディアラはいつの間にか部屋から出て行ったが、開け放されたままの扉と私に残る窒息の苦しみは先程までの出来事が決して夢幻(ゆめまぼろし)で無い事を語っていた。

 

 私に蓄積されたダメージは、さほど大した物では無かった。

 首をへし折るほどと形容したダメージも私に喋らせる事を念頭においたせいか、なけなしの【劣化万能霊薬(レッサーエリクシル)】を使うまでもなくただの【HP回復ポーション】で事足りた。

 

 それでも、と思い出すのはラディアラが発揮したあの膂力。

 私に身じろぎ一つの抵抗を許さないSTRは【宵闇狩人】の範疇に収まるものではなかった。

 

 とうとう私の目の前で、人の姿でその膨大なリソースの片鱗を見せたラディアラだったが、私を倒した彼女が見せた表情は蹂躙劇には到底似合わない悲痛さに満ちていて、急に消えた私にどれほどの恐怖と警戒を抱いていたかを理解させるに有り余った。

 

 ラディアラはリビングで椅子に座っていた。

 灯りをつけず、差し込む月明りに浮かぶ彼女は、夜の中で黒く輝く髪を垂れさせて俯いていた。

 やってきた私に一瞥もくれない。

 テーブルに置いた手は硬く握りしめられていて、その手中には首から提げているロケットがあった。

 

 今朝までの笑顔と明るさが嘘のようで、私が感じていた儚さは間違っていなかったのだという確信を全く嬉しくない形で私は知らしめられていた。

 

 まずは謝りたかった。

 〈マスター〉について、ログアウトについてちゃんと説明をせずにログアウトしてしまったことを。

 

 そして伝えたかった。ラディアラの生活を脅かすつもりも、ないと。

 

「ごめんなさい」

 

 なのにその一声はラディアラのものだった。

 

 相変わらず俯いたままで、目は開いていたがロケットを握る手はむしろ硬くなっている。

 その様相で呟かれた謝罪の言葉は謝るというよりも、むしろ突き放すような色だった。

 

「夜が明けたら出ていって。そして私の事は誰にも話さないで」

 

 それだけだった。

 きっぱりとそれだけ言うと、ラディアラの身体は呼吸に合わせて上下に動くだけで、それ以上何も言おうとしなかった。

 

「わかった。誰にも話さない。私は北に行くよ。お世話になったのに、ごめんね」

 

 そう言って、借りていた寝室ではなく玄関へと足を向けた。

 それに気づいたかラディアラが顔を上げる気配があったが、「夜目が効くから大丈夫」とだけ言ってそのまま私は館を出た。

 

 嘘はつかずに真っすぐ北へと歩いて行く。

 枝々を払い、藪を抜け、自分の轍を隠そうともせずに歩いて行った。

 

 ラディアラは追ってこなかった。

 

 夜の森を一人、歩きながら頭に浮かぶのはこの地に来てからの幾つもの思い出だった。

 私がログアウトする前、ラディアラは森を一緒に見て回らないかと誘ってくれた。

 色々とお世話になってしまったが、それでもなお良くしてくれようとしていたのだろうと、今でも信じられる。

 

 寝る前まで二人で喋りあったのはすごく楽しかった。

 私達は住む世界は違うし、生き方も違う。

 彼女はアルター王国の山奥で暮らす狩人で、私は冒険家——いや、それすらゲームの中で被っている仮面に過ぎず、本当の私(譲羽)は日本で安全に暮らす大学生に過ぎない。

 なのにラディアラとの会話は不思議と弾み、きっと今まで過ごしたどんな時よりも会話という事を楽しんでいたように思う。

 

 夕食もすごく美味しかった。

 こんな山の奥であんなに美味しい物を食べれると思っていなかった。

 それに、楽しそうにシチューを作るラディアラの様子。

 ありありと思い出せる。

 楽しそうで、もてなされすぎて悪いのではないかという罪悪感を脇に置いて料理を楽しめたのはそんな彼女の様子があったからだ。

 

 美味しいといえば、最初に淹れてくれた紅茶だってそうだ。

 一人で生きる彼女がその長い時を持て余す時間の使い道として向けたのだろうか。

 今では定かとならないが、ジョブに頼らずに淹れた美味しい紅茶に、物寂しそうな言葉は、そんな考えを私にさせたのだった。

 

 思い出はラディアラとの出会いまで遡った。

 出会いは、いいものとは言い難かった。初対面で矢を射掛けられたのだ。

 しかしどうやらこんな山奥で暮らしているとのことで、しかもただの山ではなく〈UBM〉がいる山。

 一体どんな生活をしているのだろうと、思えばこの時から興味津々だった。

 

 結局、ラディアラこそが【夜藍狼】ではないかという疑惑にぶち当たってしまうのだが。

 

 そしてその疑惑は、最後の最後に説得力を持つものとなってしまった。

 不本意な結末と共に。

 

 私の不注意のせいだ。

 私の不注意が、彼女の安寧を脅かす結末へと導いてしまった。

 

 あのプレッシャーは間違えない。

 【夜藍狼】の正体は紛れもなくラディアラだ。

 

 そして、彼女は孤独な人間だ。

 本当にティアン(人型範疇生物)かは分からないが、彼女が悲しみも怒りもある人間だという一点は、間違えたくなかった。

 

 一年以上デンドロをプレイしていて、こんなに人間との接し方を間違えて後悔したのは初めてだった。

 この世界の異常なリアルさには初ログイン時から驚いていたし、『ティアンは背景を持たないただのNPCだ』なんて考えもプレイして早々にやめた。

 だけど(フォリウム)は、〈マスター〉と話していてもティアンと話していても、本当にそこに人がいると真剣に考え続けていなかったかもしれない。

 

 所詮、〈Infinite Dendrogram〉はゲームだ。

 本気になる必要なんてない、失敗を過度に恐れなくていい、楽しい事を選んでしてればいい、面倒になったらやめればいい、だってこれはゲームだから。

 

 そういう考えが、知らないうちに私の根底に覆せないほど強くこびりついていたんだろうか。

 それが、今となっては悔しくて仕方なかった。

 

 ラディアラに恩を返したかった。

 もっと色んな事を話したかった。

 

 過ごした時間はほんの一日だけど、それでもラディアラとのこれからはきっと楽しいものになるんじゃないかと、私は無根拠ながらに考えていた。

 

 でもそれを壊したのは、全部、全部私のせいだった。

 否定の余地などないほど完全に、私のせいだった。

 

 

 もう、歩き続けて一時間も経ったろうか。

 もし館に再び《幻惑》などが掛けられているなら、もう気づけないほどの距離になったろう。

 私は〈エンブリオ〉を喚ぼうとおもったが、やっぱり()()()()()()()()()()だった。

 結局『本体』は出さずに『羅針盤』だけ。

 最近すっかりこんな使い方ばかりになっているなと思いながら『羅針盤』を開いて針が飛び出た時、私の口から思わず「あれ」と小さく漏れた。

 

□【???】ラディアラ・リベナリル

 

 フォリウムが出て行って、10分もした頃。

 私は館を出て南へ向かった。

 もちろん、フォリウムを追いかける訳ではない。

 夜目があるといっていたし、そもそも一人でこの山に踏み入って来た【大冒険家】だ。問題はないだろう。

 

 彼女と過ごした時間は楽しかった。

 人柄で言えば、信用できる人物だったようにも思う。

 なのに、フォリウムが少し姿を消して再び現れたというだけで私は私を抑えきれなかった。

 きっと彼女が上級の戦闘職でなければ勢い余って殺していただろう。

 

「……ふふ」

 

 フォリウムが来る数日前にも一人殺していた事を思い出して、私は自分の記憶の都合の良さに思わず笑った。

 今の今まで、すっかり忘れていた。

 狼の姿で食い殺した人間は女だったように思うが、元から覚えていたくなかった光景だ。

 その上狼の肉体だった事も踏まえればその顔を思い出せるはずもなかった。

 

 こんなにいい加減だから、きっと私は生きていく場所を守る為に人を殺してしまえるのだ。

 

 

 やがて、それほど高くない山の頂上についた。

 相変わらず木々は生えておらず見晴らしがいい。

 まだ月は高いが、太陽が昇ると遥か南にある稜線から太陽が世界を照らしゆく光景が見れる。

 

 それは()()()が好きな景色だった。

 私が【夜行狩人】のジョブをとって、最低限()()()なったのはまだ私が10歳にもなっていなかった頃だったが、それでもフローは見せたい景色があると言って夜歩きのゴール地点をここにしたのだ。

 それから何度もフローとここから夜明けを眺めた。

 

 もう古い記憶だ。それでも決して色褪せない。

 

 しばらく月の光と夜風を浴びていた。

 それは私の罪を赦してはくれないが、私の心を穏やかにはしてくれる。

 

 

 そんな平穏を莫大な魔力反応がかき消した。

 一拍遅れて激しい閃光。

 それは眼下の森のある一点から放たれていた。

 

 夜をほんの一時だけ昼に変えた閃光は、そう経たずして消えた。

 だがあの莫大な魔力反応はその程度の閃光に費やされたにして多すぎる。

 発光点に目を凝らしていた私は、森の木々の影に隠れゆく巨大な姿を見つけた。

 

 大きなトカゲだ。

 体高は1メテルほど、体長はその長い尾を含めれば10メテルに届きそうな長さ。

 月光を受けて鈍く光る鱗は、なるほど攻撃を徹すのに難儀しそうである。

 

 そのプレッシャーは、規模で言えば似た物と出会ったことがあった。

 この森に棲む一匹の【亜竜鹿(デミドラグディアー)】が力を蓄え、その枠を超えて唯一無二の存在となった時のプレッシャーと似ている。その存在の名はたしか〈UBM〉。

 

 しかし【亜竜鹿】と違い、あんなトカゲは元となったモンスターが皆目見当がつかない。

 あんな大きさになりうるトカゲなど、この一帯にはいない……。

 

 見た事のないモンスターの出現と、直前の魔力反応。この二つを結び付ける言葉を私はふと思い出した。

 

『——私の古巣はここからずっと南にある所なんだけど、そこでは自然魔力が濃いせいで〈アクシデントサークル〉っていう魔法が自然と起きちゃう現象があってね。時には()()()()まで起きることがあるの。まぁ滅多に起きないんだけどね』

 

 それはかつてのフローの言葉。

 滅多に起きないとは言われていたが、目の前で起きた事の説明にはなりうる。

 

 私はいくつかの仮説を立てつつも駆けていた。

 夜の森の中を音も立てず、それでいて音より速く。

 私の身では、それは容易いことだった。

 

 山を下りてやがてトカゲの近くまで近づいた時、気配の一切を遮断しながら私はその巨体を見ていた。

 トカゲの頭上には【湧沸蜥蜴 スプリンガー】の表示が現れる。

 決まり、〈UBM〉だ。

 

 しかし気づいたことは他にもある。

 まず傷だらけなのだ。

 堅牢そうな鱗のあちこちには焦げ跡がついており、北を向いて歩き始めたその動きは緩慢としている。

 この【スプリンガー】というトカゲの〈UBM〉はきっと激しい戦闘を終えたばかりなのだ。

 

 そして二つ目。【スプリンガー】の周りだけ自然魔力濃度がやたらと低い。

 スプリンガーが歩んだあとの道に自然魔力がほとんど残されていないのだ。

 〈UBM〉は自分がいる環境で最も力を振るえるように存在が変わり強化されるという。

 きっとこの個体は自然魔力濃度が高い場所に元々おり、大気中の自然魔力を急速に取り込んでは魔法を扱う戦法を得意としていたのではないだろうか。

 

 以上二点から考えるに、『この【スプリンガー】は遥か南にあるレジェンダリアから、〈アクシデントサークル〉で発生した転移魔法によって来た』のだと考えた。

 

 しかし不思議なのはここまでボロボロなのにも関わらず休息を挟まず、夜明けすら待たずに動くその理由である。

 そこで気づいた。この山の中で、【スプリンガー】が向かう北には他の場所より明らかに魔力濃度が高い場所がある。

 

 館だ。館は様々な機能を維持するための魔力を徴収するために自然魔力を誘引する効果を持つ。

 

 【スプリンガー】がそこを目指しているならば。

 

 私は歯噛みし、しかし戦闘の準備を構えた。

 遅々と北へ進む【スプリンガー】を闇の中から見つめる。

 あの館にモンスター風情が土足で居座るような事は、あってはならない。

 無遠慮に近づく者は、例え誰であろうと。



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第五話 薄明はまだ来ない

□【???】ラディアラ・リベナリル

 

 夜の森で息を潜める私に、この森の生態系の頂点の一角を成す存在としての余裕はなかった。

 次の夜を待っている猶予はない。

 例え【スプリンガー】が緩慢な動きで歩き続けたとしても、次の日没までには館に辿り着くだろう。

 

 月はもうだいぶ傾いており、夜明けまで猶予はない。

 一刻も早く殺す必要がある。

 もし【スプリンガー】が日没までに館へとたどり着いて、その魔力が豊富な土地でMPを回復しきったのなら、きっとそこを離れない。

 そんな事は許せなかった。

 このトカゲ風情を館に触れさせる気なんて毛頭ない。

 

 転移直前までの戦闘が終わったばかりで気が立っているのだろうか、【スプリンガー】は歩みを進めがらも周りを警戒しているようだった。それでも私に気づく様子はない。

 

 それもそうだ。夜に潜むことを極意とする狩人が隠れる闇を暴こうなど、森に隠された木を見つけるよりも遙かに至難なのだから。

 

 夜明けまでに知らしめなければならない。この森で誰の聖域を犯そうとしていたのかを。そして、その報いを。

 

「《蕭殺(しょうさつ)虚空(こくう)》」

 

 それは第六感を含むあらゆる感覚を鈍らせ、更に鈍ったという事さえ認識させない奥義。

 一秒ごとに消費する決して少なくないSPと夜間でなおかつ自分が未発見状態であるという条件を代償に相手に絶対の無防備を作り出す。

 

「《瞬間装備》」

 

 装備するのは【枝刃巨斧 ブランチクリース】。

 二又の刃をもち、私の身の丈を超える大きさを持つ巨斧はかつての〈UBM〉の成れの果て、特典武具。

 刃の数を増やす能力は今は使わない。夜の闇によって強化されたSTRのままに振るい、装備補正によって倍増した攻撃力を秘める刃を【スプリンガー】の首に突き立てるのみ。 

 

 更にそれだけではない。《蕭殺》にはもう一段階ある。

 それは初撃ダメージ三倍化の効果を持つ、夜の狩人に与えられた必殺の一撃。

 対象は首に添えられる刃に気づかぬまま、そして訪れた死に気づかぬまま永遠の闇に沈む。

 

 【スプリンガー】の頭の上に立ち、斧を構える。大きく息を吸い、血液の流れを感じ、コントロールする。身体を弓のように引き絞り、無防備に晒された頸へ──

 

 ──夜狩の奥義が、振るわれる。

 

「《蕭殺(しょうさつ)時化空(しけぞら)》ッ」

 

 私が出しうる最大火力が、二枚一対の刃に込めて振り下ろされた。

 狙いは違えず【スプリンガー】の首元へ。刃が月光を煌めかせる鱗を砕いて皮を裂き、肉を割った。

 

 そのまま骨まで達した一撃が脊椎を叩き折って頸を胴から切り離す。

 そんな幻想が、斧が肉で止められたという現実の前に破れ去った。

 

 轟く絶叫。

 地を震わせ木々を揺らす叫びが【スプリンガー】から放たれて、次いで超音速で振るわれた尾の先端が私を打った。

 首に突き立っていた【ブランチクリース】がほんの僅かばかりの緩衝材となったが、その一撃は痛烈なカウンターとして私を斧ごと吹き飛ばす。

 

 十メテル以上の距離を矢のように飛んで森の木を二本へし折り、三本目にはじかれて地面へと転がった。

 

「……っ、《気配操作》」

 

 怪我はとても軽傷とは言えないが、吹き飛ばされることで生まれた距離は安全圏まで私を運んだとは到底思えなかった。

 《気配操作》の発動と同時に【ブランチクリース】を収納し、その場を飛び退く。

 

 飛び退いた私のつま先を高圧水流が掠めた。

 無論自然現象などではない。【スプリンガー】による水属性ブレスでの狙撃であることは明らかだった。

 

 再び気配を消した私を【スプリンガー】は見つけられないようだった。

 身を隠す私と苛立ちながら周りを警戒する【スプリンガー】。

 

 しかし、これは私が優位を取った訳でも振り出しに戻った訳でもない。

 

 相手は咄嗟に私を軽々と吹き飛ばす反撃を出せる余力があるのに対し、私は全身のあらゆる箇所に【打撲】があり、斧越しに一撃を受けた左腕は【骨折】していた。

 さらに状況が追い打ちをかけるように、東の空は薄明に染まりつつある。

 それは私の時間の終わりを意味していた。

 

 このまま【スプリンガー】との戦闘を続けるか?

 ――否。夜が明ければステータスとスキルへの上昇補正が失われ、正面戦闘では敵わなくなる。

 では《気配操作》を維持して逃げるか?

 ――否。その結果として待ち受けるのは【スプリンガー】が館へと到達しMPを全快させ、万端の構えとなる最悪の構図。

 

 では手段は残されていないか?

 ――否。()()()()()()

 しかしフォリウムが私から十分に離れていなかった場合、彼女にその一片を知られる恐れがある。

 

 確かに、そういえば、フォリウムがいた。

 私の頭は一瞬だけ戦闘から気を逸らした。

 もしラディアラを介して私の秘密が知らしめられれば、それこそ命や平穏を狙われる可能性は十分にある。

 それはつまり、私が一番恐れていた事態に他ならない。

 

 しかし所詮、大事の前の小事。切り札を使う時だ。

 

 そう覚悟を決めて【スプリンガー】へと目を向けた時だった。私は視界に入ったそれを新たな敵かと思った。

 

 それは、北から飛んできていた。

 それは、地上数十メテルを飛んでいるせいで一足先に朝日を浴びていた。

 それは、光に照らされる帆船だった。

 輝く舳先に立つ人物が一人。フォリウムだ。彼女の口が動く。

 

 ――吶喊(とっかん)

 

 その宣言通り、巨大な帆船は吸い込まれるように【スプリンガー】へと突っ込んだ。

 当たればトカゲの巨体をすり潰すであろう突進を【スプリンガー】はその巨体に似つかわしくない俊敏さで飛びのいて躱す。

 フォリウムの乾坤一擲の一撃は不発に思えた。

 

 しかして帆船は大地に落ちず、地表数十センチメテルのところで私のすぐ横を通りぬけ、その通りぬけざまにタラップにつかまっていたフォリウムが私を掴んだ。

 【スプリンガー】がこちらを向いた時には帆船は急上昇し、忌々し気に睨む【スプリンガー】を遥か高い空から見下ろしていた。

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 ラディアラの前を去った私が助けを差し伸べるなど、恩着せがましいだろうか。

 しかし『羅針盤』で感知したラディアラ級のリソースがラディアラのすぐ近くに現れたとあっては、そのまま見ないふりとはいかなかった。

 例えここで再び姿を見せたことを罵られようとも、彼女の力になることで恩に報いたかった。

 だからこそ、私は自分の帆船型〈エンブリオ〉の【全天航 アルゴー】に感謝していた。

 

 私はラディアラの右手を掴んだまま、自動で巻き上げられるタラップに任せて甲板におり立った。

 そこでようやく、彼女がどういう状態にあったか気づいた。

 全身にダメージがあるようだが、何よりも目に見えて明らかな左腕の【骨折】。

 

「大丈夫!?」

 

 痛みに顔をしかめるラディアラに、アイテムボックスから【劣化万能霊薬(レッサーエリクシル)】を取り出して左腕にかける。

 ゴキゴキと骨が軋みながらも瞬く間に治癒していくのを見て私は安堵した。

 【快癒万能霊薬(エリクシル)】の無い今、これで事足りる怪我しか負っていなかったのは幸いだった。

 

 吶喊する直前、視認できたモンスターの名前は【湧沸蜥蜴 スプリンガー】、つまり〈UBM〉。

 その見た目はかつてレジェンダリアで見た【ウィザードリザード】に似ていた。濃い自然魔力を求める習性があり、霧のように可視化した魔力のある所でよく見かけるモンスター。

 おそらく【ウィザードリザード】から〈UBM〉に成長してもその習性が変わらず、濃い自然魔力を求めるあまり〈アクシデントサークル〉による転移魔法でこの森にやってきた線がもっとも濃厚か。

 【ウィザードリザード】はアルター王国では見かけないモンスター。故に警戒してラディアラは早期討伐を考えたのだろうか。いや、それにしても、もっとやりようはあっただろうに。

 

「このまま高度を保ってあの〈UBM〉から離れよう。私の知ってるモンスターの類縁種なら、遠距離魔法を扱うこともあるから警戒しながら――」

「私は行く。あの〈UBM〉を仕留める」

「……え?」

 

 限りなく現実的に思えた私の案は、即座にラディアラによって棄却された。

 

 だけど理解できなかった。

 彼女の継戦意志の理由が分からなかった。

 いつか仕留めるというなら、わかる。

 しかし空はもう薄明。

 【夜藍狼】であれ【宵闇狩人(ナイトシーカー)】であれ、彼女が夜間でないと本領を発揮できない存在という事は変わりないはずだ。

 なのに、夜が終わりを告げたこの時に戦いを挑もうというのか。

 

 ラディアラは茫然とする私に構いもせず、いつも首から提げているロケットを強く、怯えを振り払うように強く握りしめながら甲板の縁へ歩いていく。

 

「【スプリンガー】の狙いは館なの。より濃い自然魔力を求めて、魔力を集める機能のあるあの館を目指してる」

「そんな、でも、私達で戦ったとしても──」

「あそこは()()()()()()()()()()()なの!それをあんな獣に侵されるぐらいなら、私は命を懸けてでも戦う!」

 

 あぁ、きっと私ではラディアラを止めれない。

 

 吊り上げられた眉、固く握られた手、ダメージの疲労を感じさせない立ち姿。

 言い淀んだ私に叫んで振り返った彼女の表情は毅然としているよう、なのに、どうして泣き出しそうにも見えるのだろうか。

 

 それは、私を締め上げるラディアラが寝室で見せたのと同じ、彼女が抱え込む秘密を知らないが故に私が理解できない彼女の素顔だった。

 

 この沈黙の間もラディアラはロケットを固く握りしめている。

 それが彼女の言うフローという人にまつわる品なのだろうか。

 その人への想いが、彼女に何年もこの地に一人で生きさせているのだろうか。

 だとしたら一体だれがラディアラを救えるのか。

 

 そして、譲れない想いを抱えて戦いを選ぶ彼女は知ってて言っているのだろうか。

 【スプリンガー】の秘めるリソースが伝説級〈UBM〉に相当するということに。

 逸話級〈UBM〉でさえ少なくとも500レベルまでカンストした〈マスター〉と同格の戦闘力を誇り、伝説級〈UBM〉ともなれば超級職の〈マスター〉で五分と評される存在だ。

 ただのティアンと〈マスター〉の二人で勝てるような相手ではない。

 

 いや、違う。

 ラディアラは、決して()()()()()()()ではないのだ。

 

「邪魔をするようなら容赦はしない」

 

 ラディアラはもう隠すつもりを捨てていた。膨大なリソースをその身に宿す強者として告げて、続けて宣告した。

 ――逆転の一手を。

 

 

 

「《帳下ろし(イクリプス)》」

 

 

 

 光が消えた。

 

 その宣告は東の稜線から現れようとしていた太陽を隠し、地上から光を奪った。

 すなわち夜の再臨である。

 

 もちろん、たかだか上級職の【宵闇狩人】にできる芸当ではない。

 

「もしも、この戦いの果てに私が生き残ったなら――」

 

 スキルによるものでない、私自身の生来の直感。それに従ってラディアラに《看破》をかける。

 かつて【夜藍狼】に発動し損なった一度目。

 ただの【宵闇狩人】としか表示しなかった二度目。

 しかし三度目の《看破》はようやく正しく彼女の秘密を暴いた。だが、()()を暴けた要因は私にはなく、あくまで彼女自身が晒すように決めたから。

 

 暴いたのは【夜藍狼】でも【宵闇狩人】でもないラディアラの真の称号。高レベルの《隠蔽》により今の今まで暴けなかった彼女の秘密。

 

「――その時はどうか、この事は他言無用でお願い」

 

 さらに《看破》はもう一つ、彼女の身に宿る膨大なリソースの一翼を暴いた。

 ()()力の発現に伴い、彼女の背から蝙蝠の如き翼が生え、群青の瞳は真紅に染まる。

 それは人の身ではない、ある亜人種の特徴。

 

「過ぎる力は、恐怖と凶行を招くから」

 

 

 【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル 種族『吸血鬼』

 

 

 それは狩人系統 夜行狩人派生超級職、夜の下あらゆる命を狩る超越者の称号。

 それは永劫の若さと人外の能力を手にし、人間範疇生物の頂点の一角に君臨する存在。

 

 人の身を超える力を二重に擁した彼女はただそれだけを言い残し、羽ばたき、船を飛び降りた。

 自らの想いと遺されたものを守るために。




□ラディアラの初撃について
 もし夜明けを承知で【スプリンガー】をより時間をかけて観察していたのなら、時間経過によってSTR・END上昇の効果が切れるのを目撃しただろう。もし日が沈むまでに館に到達されるのを覚悟で罠を張り巡らせて足止めに徹すれば、ある程度の消耗を代償に【スプリンガー】の館到達によるMP回復を防いで戦いに望めただろう。
 しかし、それは≪瀟殺≫の発動機会を失うということでもあり、館に到達されるリスクをも生む選択肢であった。自身の最高の一撃を捨ててもなお館が侵される可能性を残す選択肢など、ラディアラには到底、選択することができなかった。

□吸血鬼の特徴について
これを書いていた当時は吸血鬼がAE含めて原作では未登場であり、またティアンの吸血鬼がいまだ出ていないので見た目設定に関しては捏造しています。 
原作と共通するのは『血液の摂取のみで生存可能』『高い個人能力』『日中での能力低下』などです。


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第六話 風に揺蕩う

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 翼をはためかせて空に躍り出た私を【スプリンガー】が即座に迎撃、水属性ブレスが私を掠める。

 しかし《帳下ろし(イクリプス)》によって夜になった事により、吸血鬼特有の高いステータスと【夜興引】によるステータス強化の二者を再び取り戻した私にしてみれば避けられないものではない。

 何発かの高圧水流が天を刺すが、そのいずれもが私に当たらない。

 無傷のまま大地に到達した私を【スプリンガー】が睨むが、ただ睨み合うために私は降りてきた訳ではない。

 

 戦うためだ。

 まずはその能力を暴ききる為に、正面から戦える手段をとろうではないか。

 肉体を変化させることでより高いステータスを得る『吸血鬼』のスキルを私は唱えた。

 

「――《変化・夜藍狼》」

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 眼下では、ラディアラが【夜藍狼】へと変身していた。 

 狼の唸り声と蛇の威嚇音にも似た音声(おんじょう)がこの距離にも届く。

 やがて【スプリンガー】が口からブレスを吐き、それを潜り込むように【夜藍狼(ラディアラ)】は懐へと駆けて行った。

 

 光を奪われた太陽が浮かぶ偽りの夜空の下、冷たい風が私に強く当たる。

 私は、何もできないで甲板に立ち尽くしていた。

 そこに打算や計算など微塵も無い。

 怖がってるだけだ。

 その恐怖は戦って傷つき、傷つけられる事に対してではない。

 

 ()()()()()()()()()()戦いに飛び込む事への恐怖だ。

 

 だって彼女はティアンだ。

 遊戯としてこの大陸に降り立った(〈マスター〉)とは違う。

 いくら超常種と超級職の力を持つとしても、血を流せば痛み、首を断たれれば命は喪われる。

 

 ――もし、私が戦いに関与することで、そのせいでラディアラの命が喪われることになったら。

 

 この世界は所詮ゲームだと、そう考えてしまっているのかもしれないと私は思っていた。

 だからゲームとしてではなく、〈Infinite Dendrogram〉の世界に生きる一人の人間としてどうか、もう一度ラディアラに接することができれば、謝ることができたらと、そう願っていた。

 

 しかしここに来て、命が不可逆的に失われうるという究極のリアリティが私に突きつけられた。

 ゲームだから恐れなくていいなどとは、もう考えられない。

 戦いを見ることさえ怖くてたまらない。その結末に、私が関わる事が怖い。

 

 轟音が三度響いた。

 最悪を想定し思わず目をつぶる、だが戦闘音が止むことは無かった。

 まだラディアラは生きている。

 だが、数秒後もそうだという保証はない。

 

 戦闘音が止み、太陽が甦った静寂の中をただ一匹の〈UBM〉が勝利の雄たけびを上げる。そんなビジョンが次の瞬間に現実になってもおかしくない。

 彼女の死はこうしている間にも近づいているのだろう。

 

 だというのに――

 

『飛び込んでも足手まといになるんじゃない?』

『いざという時に備えて離脱手段を残しておくのも、正しいんじゃない?』

『大丈夫、ここで待っているのが最善手』

 

 ――そんな下らない戯言が、真理の顔をして鎖のように私を縛り上げる。

 

 ラディアラを喪うことは怖い。

 だけど、私のせいで喪う事になるかもしれない。

 その事の方が、怖くて、怖くて、仕方がなかった。

 

 しかし、ただ茫然と戦闘を見下ろす中、私の目は捉えた。

 

 ほとんどダメージを受けていない【スプリンガー】と相対していた【夜藍狼】がウォーターカッターのようなブレスによってわき腹を抉られ、血に染まったまま、傷だらけのラディアラへと戻るのを。

 

□【夜興引】ラディアラ・リベナリル

 

 もう《変化・夜藍狼》の維持はできなくなっていた。

 ダメージを受けた状態での巨体の維持によるSP消費は《帳下ろし》の維持に関わる。

 

 だが《変化》を解いた理由はそれだけではない。

 【スプリンガー】の動きに慣れ始めた今、《変化》によって巨大な体躯とステータスを得る狼形態よりも、相手の攻撃を避けやすい小さい身体と【枝刃巨斧 ブランチクリース】による重い一撃を放てる人型のままのほうが都合がいい。

 

 そして何より――

 

「《カースド・ブラッド―【吸魔】―》《紅血鍛冶(ブラッド・スミス)》」

 

 ――こちらでのみ使えるスキルは少なくない。

 

 それらは【夜興引】ではなく、『吸血鬼』によるスキル。

 腹から流れ落ちる血液にMP吸収の呪いを加え、短剣へと形を変える。

 加えて武器にする直前に【夜興引】として生成した麻痺毒も混ぜておいた。

 これで【麻痺】と【吸魔】の二重状態異常を与える武器が完成する。

 

 そうしてできた十二本のダガーが宙に浮かび、その刃先を【スプリンガー】へと向ける。

 それは自らの血液を操作する《ブラッド・アーツ》による効果。

 本来は体内の血液に使うものだが、浮遊と()()程度なら発動は造作もない。

 

「飛べ」

 

 私の声に応え、血の短剣は一直線に【スプリンガー】へと撃ち出された。

 

「SYAAAA!」

 

 込められた魔力から危険を察知した【スプリンガー】は驚異的なジャンプ力で後退し、水属性ブレスで短剣の迎撃を行った。

 口だけでなく、【スプリンガー】の周囲に現れた水球からの掃射によって【スプリンガー】が着地した時には十二本全てが届くことなく弾き飛ばされていた。

 

 思った通り。

 《夜藍狼》時に【スプリンガー】の喉元に食らいついた際に私の脇腹を貫き、右目を抉りかけたのはあの水球による遠隔ブレスだ。

 ブレスが口から放たれるせいで魔法か身体機能か判別できなかったが、さすがに魔力を使わずに宙から水は放てないだろう。

 遠隔ブレスと口から放たれるブレスがほぼ同質であることから口のブレスも身体機能ではなく魔法だ。

 

 これではっきりした。【スプリンガー】は人間で言うなれば魔法職的な〈UBM〉だ。

 

 しかし【スプリンガー】はその魔法能力の他に、フォリウムの船の吶喊を躱す俊敏さ、私の防御力越しに【左腕骨折】をもたらす攻撃力、《瀟殺・時化空》を肉で止める堅牢さを持ち合わせていた。

 それらから導ける【スプリンガー】の実像は——

 

 《夜藍狼》と化す夜の中の私を上回る身体能力を持っていながら、破壊力十分な水属性魔法を扱いこなす〈UBM〉。

 破格の肉体と驚異的な魔法技能を併せ持つ怪物的存在。

 

 ――ではない。

 

 こうして見れば狩人の勘でわかる。

 【スプリンガー】はそれほど隔絶した存在ではない。

 

 分かりづらいが【スプリンガー】はその強さの大部分をMPに依存している。

 ブレスは勿論、高い身体能力も素のものではなく、魔法によるステータスの増強のおかげだ。

 そしてその手の場合、複数のステータス増強は間違いなく負担が跳ね上がる。

 

 つまり【麻痺】で機動力を削げば、身体能力強化は機動力への比重が大きくなり【ブランチクリース】の一撃を跳ね返すほどの筋力や堅牢さは用意できない。

 仮に無理やり補正をかけても、強力すぎる身体能力強化の負担はMPという【スプリンガー】の生命線に大きな亀裂を入れることになる。

 

 元より一直線に濃い自然魔力を求めていたほどだ、戦闘開始時点で魔力は余裕のある状態ではないだろう。

 加えて魔力の薄いアルター王国での戦闘は【スプリンガー】本来のバトルスタイルに凄まじい負担をかけているはずだ。

 

 殺せる。

 【スプリンガー】の死は、ずっと近い所にある。

 

 この確信は短剣から逃げるためにブレスを吐きながら跳躍した【スプリンガー】が着地した時点ですでに得ており、私は【ブランチクリース】を構え終わっている。

 距離が離れていようと攻撃する手段がこの斧にはあるからだ。

 

 「《重刃枝伸》ッ!」

 

 膨大なSPと引き換えに、既に私の身の丈を超えていた【ブランチクリース】はさらに長く、複雑に伸びていく。

 私と【スプリンガー】の距離をも埋めるほど遠くまで、飛び退く余裕もないほど広くまで。

 【ブランチクリース】は斧を振り下ろすほんのひと時の合間に、数十年にわたって成長した大樹の如く肥大し、その巨大さを裏切らぬ大質量を【スプリンガー】へと叩きつける。

 

 「SYOAAAAAAAA!!」

 

 【スプリンガー】はとっさにブレスで弾こうとしたようだが、無駄な抵抗だった。

 ダメージ三倍撃こそないものの、火力よりも面制圧性を取った巨重斧はそうやすやすと圧し返せるものではない。

 

 抵抗むなしく斧は振り下ろされ、増殖した枝刃たちが【スプリンガー】の皮膚に刺さる。

 咄嗟に魔力をこめて防御力を上昇させたのだろうが、気休めでどうにかなる攻撃力ではない。

 首への《瀟殺》に続き二度目、まともに通ったダメージに【スプリンガー】は悲鳴を上げた。

 だが容赦はしない。

 

 《ブラッド・アーツ》による自身への血液操作でSTR以上の膂力を発揮しながら力任せに斧を引けば、食い込んだ枝刃は【スプリンガー】の鱗をはがし始めた。

 

「GYAOOOOOOOOO!」

 

 瞬間、斧を押し上げる力が数倍に跳ね上がる。

 魔力を騒動員し掛けたであろう筋力の強化。【スプリンガー】の必死の抵抗は、巨大化した斧の大質量をものともせず押し上げようとしている。

 だが――

 

「遅い、《ブラッド・アーツ》!」

 

 私と【スプリンガー】の近くへ弾き落とされた三本の短剣への《ブラッド・アーツ》に全神経を注ぐ。

 

 スプリンガーが斧を押し上げてその身が自由になった瞬間、真紅の短剣たちが三連、【スプリンガー】へと刺さった。

 鱗をはがされて晒した肉へと短剣は柄まで潜り込み、体組織を手あたりしだいにねじ切り、《ブラッド・アーツ》のコントロール外になった所で《紅血鍛冶》の効果も切れてただの血液となった。

 【麻痺】と【吸魔】の二重状態異常をのせた血が【スプリンガー】の中を流れる。

 

「HYOOOO……!」

 

 人の身とは比べ物にならぬ巨体とは言え、使ったのは【夜興引】特製の麻痺毒。

 あれだけ投与すれば発動した【麻痺】は【スプリンガー】のAGIを少なくとも50%は削る。

 

 もう【スプリンガー】は機動力への補正なしに私とまともにやりあえない。

 もし機動力へ手を抜こうものなら、再び血剣と巨斧の波状攻撃が襲う。

 もう数度同じ攻防を繰り返すだけで【スプリンガー】のMPは底をつくだろう。

 

 苦し紛れに【スプリンガー】は三発の高水圧ブレスを放ったが、担ぐ【ブランチクリース】は既に《重刃枝伸》を解除して元の大きさへ戻っており、躱すことは造作もない。

 そして口と二つの水球に次いで、四発目のブレスが新たな水球から放たれるが、それすら私に届きはしない。

 更に現れた二つの水球からブレスを放ったところで弾幕が止む。

 それは【スプリンガー】が見せた明らかな疲労。

 

 狩人の勘は告げる。

 今だ、もう一度。

 

「《重刃枝伸》ッッ!」

 

 

◇ ◆ ◇

 

 ラディアラの判断は何も間違えていなかった。

 

 【湧沸蜥蜴 スプリンガー】の能力と手札を正確に読み切り、【夜興引】『吸血鬼』【枝刃巨斧 ブランチクリース】を最大限に扱い、【スプリンガー】を追い詰めた。

 

 【スプリンガー】が見せた疲労は本物であった。

 ENDとSTR、無理やり発動した二種のステータス補強は桶に穴をあけたようにMPを消費した。

 水球を五つも展開したのだって初めてであった。

 数を重ねるごとにMP消費は加速度的に跳ね上がった。

 さらに不慣れな技術は数値化できない疲労をも貯めこませた。

 

 それこそがラディアラの読み切った死線。

 

 しかし、ここに来てラディアラは失念していた。

 

 無理やり発動する技は消費を跳ね上げる?然り。

 不慣れな技術の行使は疲労をため込ませる?然り。

 

 ラディアラが【スプリンガー】に重ねた公式は、等しくラディアラにも適用される。

 《重刃枝伸》が特典武具のスキルとはいえ、全長10メートルはある【スプリンガー】の逃げ道を無くす程の広範囲を刃で埋め尽くすまでに刃を伸ばすなど、()()()()であった。

 血の短剣の操作に用いた《ブラッド・アーツ》は本来体内の血液に作用させるスキルであり、自分の腕の届かない所に発動させ、武器と化した血液を飛翔させるなど()()()()()()であった。

 

 無理や無茶が生むパフォーマンスへの悪影響など戦士ならば知っててしかるべきだった。

 しかしラディアラにとって同格との命のやり取りは久しいものであり、なおかつ彼女は戦士ではなく狩人であった。

 

 《瀟殺》に始まり、《帳下ろし》、《夜藍狼》、《紅血鍛冶》、体外への《ブラッド・アーツ》、そして二度目の《重刃枝伸》。

 

 ラディアラは、()()()S()P()()()()()()()()使()()()()()()()()()を失念していた。 

 

 そのことに気が付いたのは、陽が現れて空と大地を光で満たした瞬間であった。

 

 ――SP枯渇による《帳下ろし》の効果切れ。

 それが生むのは【夜興引】のステータス強化スキル《夜徹し》の効果切れと、吸血鬼の種族特性による日中の身体能力低下。

 

 さらにSPの枯渇は《重刃枝伸》の不発をも招いた。

 二又の斧は不完全に新たな刃を生やしただけで、渾身の一撃は届かず、斧はむなしく地を響かせたのみだった。

 

 【スプリンガー】の息切れという千載一遇の好機をラディアラは逃した。

 

 そして【スプリンガー】にとって魔力の薄いアルター王国の地がアウェーであるように、【夜興引】かつ『吸血鬼』であるラディアラにとって陽が天にある時こそがアウェーであった。

 

 【スプリンガー】にとって千載一遇の好機が訪れた。その口の中に、今一度ブレスの魔力が迸る。

 

 

 

 ラディアラが戦闘慣れしていなかったが故の悲劇。

 それが齎したのは、ラディアラの窮地と、彼女の死という結果だろうか?

 

 ――否。

 窮地が齎したのは、死の可能性だけではない。

 

 その証明は誰がするのか?決まっている。己の〈エンブリオ〉を操る()()だ。

 

 【スプリンガー】は己に差した影に気づき、ブレスを準備したまま首を持ち上げた。

 そこにあったのは、帆船。

 フォリウムの【全天航 アルゴー】が再びその船首を【スプリンガー】へと向けていた。

 

 今度は避けはしない。

 自分をここまで追い詰めた宿敵(ラディアラ)を一撃で仕留めんと溜められていたブレスが、そのまま【アルゴー】へと放たれた。

 伝説級〈UBM〉が放った高圧水流は、戦艦ではない【アルゴー】を正面から砕き、帆船はバラバラの破片と化した船体が光の塵となる様を彼らへ晒した。

 

 一隻の船が、壊されて止まった。

 

「《インパクト・チャージ》」

 

 しかし一人の女が、止まらなかった。

 

 塵となりゆく船体から飛び出したのは、【大冒険家】のフォリウム。

 

 〈Infinite Dendrogram〉は〈マスター〉の痛覚は消すが苦痛は消さない、恐怖も消さない。

 立ち上がるのに意思が必要という一点において、〈マスター〉はティアンと同じ条件になる。

 〈エンブリオ〉、精神保護、蘇生。あらゆる〈マスター〉の優位点はその一点においては助けにならない。

 しかして彼女は立ち上がった。

 

 彼女はその脚力(STR)をもって船体を蹴り、弾丸のように落ちてきた。

 拳を握り、振るうは怪腕、発動するは破壊。

 解放されるただ圧倒的なまでの爆発的エネルギー。

 

 確固たる覚悟の下、それは怪物に向けられた。

 

「《破城槌》ッ!」

 

 女は今、その心でもって拳を振るった。

 己を守る為ではない。獣を狩るためでもない。

 友を守るために。

 

 風に揺蕩う軟弱な意思はいらない。

 護るために戦う。この覚悟だけでいい。

 

 譲羽(ゆずりは)冒険家(フォリウム)の拳を握った。




《ブラッド・カース》
……【暗黒騎士】が保有するスキル。己の血を浴びせる事により相手に【呪縛】を与える。
《ブラッド・アレスト》
……【高位呪術師】が保有するスキル。己の血を【呪縛】とスキル封印効果を持った網に変える。
《カースド・ブラッド》(二次創作スキル)
……吸血鬼または【高位呪術師】が保有するスキル。己の血を相手に浴びせる事により相手に呪いを与える。与える呪いは自分で選択する。


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第七話 Dawn Breaker

□――???年前――

 

 瞼の向こうに、陽光を感じた。

 もう少しだけ寝ていようかなんて考えていたけど、あの人のハミングが聞こえてきた。

 珍しい、起きる時にフローがいるなんて。

 いや、昨日は一緒に寝たんだった、どうしてだっただろう?

 

 まとまらぬ思考のまま瞼を開ければ、窓際で朝日を眺めるフローの姿があった。

 彼女のハミングに合わせて揺れる頭につられて、肩に届きそうな黒髪がいったりきたりしている。

 揺れる髪先の下には、しなやかな肌色の曲線が背中を描き、曲線はそのまま小ぶりな尻を形作っていた。

 

 つまり、一糸まとわぬ姿でそこにいた。

 

「ど、どうして?」

「ディア、起きたんだ。調子はどう?」

 

 フローはこちらに振り向くと、自分の姿をまるで意に介さぬように歩み寄り、ベッドから身を起こしていた私の顔に手を近づけた。

 そこでやっと私も同じように何も身に着けずに眠っていたことに気が付き、頬のそばに近づいた細い指を見て昨日のことを思い出した。

 

 

 二十の誕生日を迎えた朝だった。

 フローから紅石を渡されて、それが何か一目でわかった。

 私がずっと小さかった頃に彼女が一度だけ言っていた——『吸血鬼の能力の下地』の他に、『吸血鬼の血』こそが吸血鬼になるのに必要なもの。

 

 紅石はフローの血で作られた宝石だった。

 

 もし私が紅石の正体に気が付かなかったら、きっと彼女は何も言わなかっただろう。

 私だけが人里へと降りるか、フローと共に過ごして私だけが老いて死ぬか。

 そんな別れが自然なんだと彼女は思っているようだった。

 

 だけど、そんな別れよりも望んだ未来が私にはあった。

 

「フロー、どうすればいい?」

「……まったく、覚えてないと思ったんだけどなぁ。それを飲み込めば、いやいや別に石のまま無理に飲み込まなくても——ちょっと!?」

 

 どうやらフローの制止を振り切って紅石をそのまま飲み込んだのが無茶だったようだ。

 本当は僅かな違和感がしばらく続くだけと聞いていたが、私の場合はそうではなかった。

 

 飲み込んだ紅石が食道を通って胃に到達し、そのまま全身へと行きわたるのを熱として感じた。

 でもそれは苦しいような熱ではなく、むしろ切なさであった。

 頬が火照り、指先が痺れるような、形容するなら甘さとも言うべき熱が私を浮かせていた。

 心配そうに「大丈夫?」と右手に触れたフローの指が冷たくて、なのに私を溶かしてしまいそうな不思議な感覚。

 

 両手でフローの手を握りこんで、フローに体重を預けた。

 ほんの少しだけ息を呑む声が聞こえたように思う。

 受け止めてくれたフローの肩へ頭をゆだねると、フローの首元がしっとりと汗ばんでいた。

 

 私の熱い息が、フローの首を撫でた。

 

 

 

「ほら」

 

 回想に沈んでいた私を引き戻すように、私の頬に手を近づけていたフローが私の髪を一房掬いあげた。

 彼女の手の中にある私の髪は昨日までの白髪ではなく、澄み渡る夜空を写したような黒だった。

 

「フローと同じだ」

「うん、私達の色」

 

 そう言ったフローは少しだけ申し訳なさそうな色をしていたけれど、隠し切れない喜びがにじみ出ていた。

 私も同じだ。これから、フローと同じ時を過ごしていけるのだと思うと、どうしても顔がほころぶのを抑えられなかった。

 ガラス越しの太陽は、生まれなおした私を祝福するように輝いていた。

 十年以上前にフローに救われた人生が、やっと産声を上げた気がした。

 

 

 

 それは今から遠い昔の出来事。

 

 憶える者は私しかいない宝物の記憶だった。

 

 

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 轟音と共にフォリウムは降り立った。

 【スプリンガー】へ振るった拳は躱されて、代わりに大地に大きなクレーターを作っていた。

 立ち上がったその背中を思わず見上げる。

 

 なぜ。

 

 立ち向かうのは無茶だと言ったのは彼女なのに。

 これは私の戦いで、彼女には関係無いはずなのに。

 彼女に言った言葉は『助けて』ではなく『邪魔はするな』だったのに。

 なのに、なぜフォリウムは私の前に立ち、怪物へと拳を向けるのだろうか。

 

 特典武具は、人々にとって力である以上に偉大なる名誉であるはずだ。

 〈UBM〉(【スプリンガー】)が私を仕留め勝利に酔う、疲弊しきった隙だらけの時に今の一撃を放っていればフォリウムは確実にその名誉を得ていただろう。

 

 なのに、なぜフォリウムは私を護ろうとしているのか。

 

「ごめんね、ラディアラ。遅くなって」

「どう、して……」

「まだ謝ってないの」

 

 暁光を浴び、ブロンドの髪を輝かせてフォリウムは言った。

 

「〈マスター〉の事をろくに説明せずにログアウトしたこと。それに、ご飯とベッドの恩も返せてない」

「……そんなの、もう、いいわ」

「晩御飯が美味しかったからまた食べたい。森を一緒に回るのもまだしてない。やってみたい事、いっぱいあるよ。私はラディアラとしたいこと、いっぱいあるの。だから怖いけど、怖いから、戦う」

 

 なぜ。疑問は今だに消えない。

 だけどそれは船上でのフォリウムが見せなかった煌めき、覚悟の発露。

 ならば信じよう。

 数値で表すことはできなくとも確かにある、燃ゆる魂の煌めきを。その覚悟を。

 

「なら、手を貸してもらうわ」

「もちろん」

 

 フォリウムの後ろではなく、隣へ。護るならば共に。

 何も失わずにあの怪物を倒すために戦う。

 肩を並べた私達にお互いの顔は見えなかったけれど、一つはっきりと分かることがあった。

 

 ここには怯えで戦いから逃げる者も、諦めで戦いを投げる者もいない。

 二人は命ではなく、心を賭してここにいた。

 

◇ ◆ ◇

 

 【スプリンガー】は突如空から降ってきた人間に警戒していた。

 だがラディアラが相対した相手の格を見極めたように、【スプリンガー】もまた悟っていた。

 

 ――あぁ、こいつは大した者ではない。(STR)は恐ろしいが、攻撃を掻い潜りながら攻めるような真似はできない格落ちだ。

 

 その判断は正しい。

 夜が明けてもなお一万弱のAGIを確保しているラディアラと違い、第Ⅴ止まりの〈エンブリオ〉に上級職止まりのただの〈マスター〉であるフォリウムのAGIは1000にやっと届くかといった程度で、亜音速機動など到底できはしない。

 脚力の強化によって亜音速移動が可能な【スプリンガー】にしてみればただの鈍亀。

 

 更に付け加えると、ラディアラだけでなくフォリウムも【救命のブローチ】を持っていなかった。

 彼女の懐事情は失ったばかりの【ブローチ】を500万リルという大金をはたいて買う余裕はなかった。

 おまけにフォリウムは特典武具まで持っていない。

 

 この戦場に降り立ったフォリウムは能力も無ければ装備もなく、その格は二者とは到底比肩するものではなかった。

 

 それでも【スプリンガー】に油断はなかった。

 

 ——最初から戦い続けている術師(ラディアラ)からはまだ魔力の匂いがする。奇怪な術で足止めをされるような事でもあれば、拳士(フォリウム)は手痛い一撃を己に叩きこむだろう。

 

 その判断もまた正しかった。

 この場における状況をまとめるならば、【スプリンガー】が自身の残存MPや足止めに留意しつつこの拳士を殺せば、もはや【スプリンガー】に負けの目はないということだ。

 まだ【麻痺】と【吸魔】は残っているものの、それを齎しうる残り九本の血の短剣も、先ほど融けて血だまりとなっていた。

 

 ――今のやつらにまともに攻める手はない。ここは一度距離を取り、ブレスをもって攻勢にでよう。

 

 【スプリンガー】の取った思考。

 それは正に、二人が望んでいた行動だった。

 

「《ブラッド・アレスト》」

 

 ラディアラの宣誓と共に、【スプリンガー】の近くにあった血だまりが輝きだし、血の網へと姿を変えて【スプリンガー】へと向かった。

 【高位呪術師(ハイ・ソーサラー)】のスキルであるそれはMPで動くため、SPの枯渇したラディアラにも使える技。

 そして着地隙を逃さぬように紅網が襲い掛かると同時に、フォリウムも走り出してスキルを発動する。

 

「《インパクト・チャージ》」

 

 フォリウムの発動したスキルは先ほどの強襲時に使ったものと同じ、スキルのチャージ時間の延長を代価にスキルのダメージ倍率を跳ね上げるもの。

 

 ここで【スプリンガー】が焦燥の声を上げた。

 【スプリンガー】に絡みついた《ブラッド・アレスト》は【呪縛】の状態異常を与えると同時にランダムにスキルを封じる。

 【呪縛】は段階的にAGIを減算することで動きを封じる【麻痺】とは違い、状態異常が発動したその時点で動きを封じる。

 さらに《ブラッド・アレスト》により血の網となっている血は、《紅血鍛冶(ブラッド・スミス)》により短剣と化していた血液であり、その時に《カースド・ブラッド》によって込められていた【吸魔】の呪いも残っている。【吸魔】によってMPの流出は加速し、スキル封印によって更に手札を削る。

 駆け出したフォリウムは《削岩穿》既にスキルチャージを始めている。このまま最短距離で突っ込めば拳は【スプリンガー】に届く。

 

 だが、最短距離での到達はできなかった。

 紅網に捕らわれた【スプリンガー】は水球を中空に生み出した。

 いかに【高位呪術師】の《ブラッド・アレスト》と言えど、相手は伝説級〈UBM〉。【スプリンガー】のスキルをまとめて封印することは叶わず、不運にも【スプリンガー】の水魔法を封じなかったのだ。

 

 三発の激流が放たれる。

 

「クッ!」

 

 三発ともが狙うはフォリウム。

 それをSTR任せに地面を蹴ることによる即席の亜音速機動で躱す。

 それは砲弾のように直線的ではあるが来るとわかっている攻撃を振り切る為ならば問題ない。

 襲い掛かる水流の全てを躱した。

 

 だがダメージは受けずとも時間はロスし、その結果は、言うまでもない。

 

「……《削岩穿》」

 

 硬化した肉を貫くに足る拳は、行き場を無くして空を貫いた。

 その隙に【スプリンガー】はまだ残るMPによって【呪縛】へのレジストに成功し、力任せに《ブラッド・アレスト》の網を引きちぎる。

 身体と能力を縛る鎖は解かれた。

 術師からはさらに離れ、先ほどの血だまりのような仕込みも周りに無い。

 故に考慮すべきは眼前の拳士のみ。

 

 ――ならば長い溜め無くしては有効打を放てないこの拳士に時間を与える事こそが愚策。

 

 拳士に技を溜める時間は与えない。

 なけなしのMPによる筋力(STR)強化を脚力に集中させ、咢を開いて拳士へと跳んだ。

 ブレスの発動に伴う溜め時間すら惜しいが故の最速・最短攻撃。

 その五体を咬み砕き、四肢が折れた所を後でブレスで消し飛ばす。

 そうすれば残るはただの死にぞこないの術師だけだ。

 

 【スプリンガー】は己の勝利への道筋を確信する。 

 

 しかし、牙を突き立てんとしていた【スプリンガー】は拳を引いて飛び込んでくる拳士の姿を見た。

 

 なぜか?

 答え合わせには、コンマ一秒も要らなかった。

 

「《ハートブレイカー》」

 

 それは空振った打撃スキルをストックし、次の攻撃時に属性や性質を保ったままダメージを十倍化するスキル。

 それこそが【砕拳士(バウンド・ボクサー)】の奥義《ハートブレイカー》。

 その一撃は諸刃の剣。

 十五秒以内に相手へとぶつけなければ十倍撃は己の心臓に降りかかる。

 

 だがフォリウムには当たる確信があり、外す心配など微塵もなかった。

 SPが切れたラディアラに即ブレスを溜め始めた感の良さ、降り立った私へ侮りを抱きながらもチャージを始めた私を近寄らせない狡猾さ。

 この(さか)しいトカゲが狙うのは、ラディアラではなく間違いなく自分だろうと信じていた。

 

 威力が十倍化された《削岩穿》を乗せた拳は【スプリンガー】の眉間へと振り抜かれ——

 

 衝撃は頭蓋を貫通し脊椎の八割を消し飛ばし、

 脳、心臓、肺、その他多々の主要器官を抉り、

 主要器官を【欠損】した【スプリンガー】は、残存HPを全て失った。

 

 レジェンダリアという異邦から訪れた伝説級〈UBM〉がその身を光の塵へと変えていくのを一人の〈マスター〉と一人のティアンが見つめていた。

 

【<UBM>【湧沸蜥蜴 スプリンガー】が討伐されました】

【MVPを選出します】

【【フォリウム】がMVPに選出されました】

【【フォリウム】にMVP特典【蓄魔手甲 スプリンガー】を贈与します】

 

 それは勝利の報せ。

 運営()の手によってなされたそれは、絶対に揺らがぬ真実。

 薄明を跨いだ戦いは今、終わりを告げた。

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

「フォリウム!」

 

 ぺたり、と座り込む私にラディアラが駆け寄ってきた。いまだ警戒半分、期待半分の顔で。

 私は特典武具と化した【スプリンガー】を掲げてラディアラに応えた。

 

「終わったよ、ほら」

「よかった……倒せたんだ」

「うん。ダメージ量の問題なのかな、私がMVPになっちゃった。なんかズルしたみたい」

「それでよかったわ。私はいくら持ってても名誉にはならないから」

 

 全く謙虚なことだ。もっとも、世俗から離れてあの館で暮らし続けるラディアラにしてみれば心からそう思っているのかもしれない。

 

 いや、それよりも。ラディアラに伝えなくては。

 

「ねぇ、ラディアラ」

 

 うん?と座ったままの私を見つめたラディアラをすっかり昇った太陽が照らしていた。

 優しく吹く風が、長く伸びた黒髪を綺麗になびかせている。

 

「私、他の人に絶対言わない。【夜興引】のことも、吸血鬼のことも。ここにあなたが暮らしてるってことも。……だから、その、えーっと」

 

 何を伝えたかったのだろうと、しどろもどろになった私を見ていたラディアラが不意にクスリと笑った。

 

「あなた、戦ってた時のほうがよっぽど上手く喋ってたわ」 

「えぇ……」

 

 二の句を繋げなくなったままの私に、ラディアラは手を差し伸べた。

 

「ありがとう、フォリウム」

「え?」

 

 私は手をとって立ち上がった。

 ラディアラが言う。

 

「帰りましょう」

 

 ラディアラは手を離して、歩き始めた。

 私もその後を追うように歩き出した。

 北へ、館のある方へ。

 

 

 

 これが、私がラディアラと一緒に暮らす事になる出来事。

 

 私のとっておきの思い出だった。

 




 これで上章完結となります。この後はキャラ・設定紹介と接続話を含んだ間章を挟んだ後、下章になります。
 さて、ここでターニングポイントになるので読者の皆様には評価のほどをしていただけたらなと思います。評価がもらえる事は書いてる者としてとてもうれしいことですので。
 感想もお待ちしています。


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間章
キャラクター紹介



※上章終了時点でのネタバレを含みます


名前:フォリウム(縣 譲羽)

年齢:20歳

メインジョブ:【大冒険家】Lv.100 (合計Lv.432)

サブジョブ:【砕拳士】【拳士】【壊屋】【冒険家】【鑑定士】【船員】

〈エンブリオ〉:【全天航 アルゴー】 TYPE:チャリオッツ 到達形態:Ⅴ

備考:ジョブ構成も〈エンブリオ〉の性質も戦闘向きとは言い難い冒険特化型マスター。【冒険家】はENDが高めらしいので、純粋に戦闘に寄せて考えるなら【大冒険家】とのシナジーは【砕拳士】よりも【硬拳士】の方が良さそうなものだが、本人はオブジェクト破壊性能を重視して【砕拳士】で戦う事を選んだ。レジェンダリア出身。

 

名前:ラディアラ・リベナリル

年齢:不明 (肉体年齢21歳)

メインジョブ:【夜興引】Lv303 (合計Lv653)

サブジョブ:【宵闇狩人】【高位呪術師】【夜行狩人】【呪術師】【吸血鬼】

〈エンブリオ〉:なし

備考:山奥で一人暮らしてきた吸血鬼。吸血鬼と超級職という二重のリソースの器を獲得しているため、リソース総量では伝説級〈UBM〉に匹敵し、戦闘能力も準〈超級〉程度はある。

 

【湧沸蜥蜴 スプリンガー】

 莫大なMPを持つ伝説級〈UBM〉。自身のステータス強化と強力な水属性ブレスを用いて戦う。自然魔力が濃い状況では手の付けられない怪物と化す。

 

館 (正式名称不明)

 ラディアラが住む館。その正体はレジェンダリアの精霊人形の亜種である。館そのものがが動き回ることはないが、部屋を清潔に保ったり家具を自動で修復したりする機能を持つほか、二階では食料生産設備が整えられている結構すごいやつ。実はウォシュレットまであり、2045年を生きる譲羽を満足させる水準の生活を提供する。

 

 

ジョブ設定

大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)

 冒険家系統上級職。ENDはそこそこあるが、ENDの高い戦闘職と比べるとそれすら負ける。ステータスが低い代わりに《危険察知》《遠視》《暗視》《聴力強化》《看破》《環境適応》《嗅覚強化》《方位感覚》などの汎用性の高いスキルを数多く覚える。

 

砕拳士(バウンド・ボクサー)

 拳士+壊屋系統上級職。壊屋系統のスキルをほとんど習得でき、なおかつ拳士系統らしいスキルも多く習得する。ステータスは壊屋系統らしく高いSTRに加え、比較的高いAGIをはじめとした拳士系統らしいステータス成長をする。

 また素手、或いは籠手等の準素手判定の場合、メインジョブでなくとも固有スキルを全て使用できる。

 備考:サブジョブでもスキルを発動できるか否かはかなり意見が分かれそうだが、【爪拳士】がサブジョブでも爪武器装備時に全てのスキルを使用している他、イライジャも素手条件のスキルをかなり自由に扱っているのでできるものとした。

《ウィングド・ナックル》

 【砕拳士】の固有スキル。【爪拳士】の《ウィングド・リッパー》と同種同格。あちらが数十メテルのリーチを誇るのに対し、こちらは十数メテルのリーチとダメージ倍率が掛かることが特徴。

 備考:ルークとトーナメントで戦った【砕拳士】がこのような中距離技を使わずに懐に飛び込んだことに関しては、恐らく彼は自身の〈エンブリオ〉による直接攻撃に自身を持っていたのだろうと解釈した。

《インパクト・チャージ》

 【壊屋】系統のスキル。チャージを必要とする技のチャージ時間を伸ばす代わりにダメージ倍率を増加させる。

 備考:シュウがこのようなスキルを使っていない事に関しては、スキル宣誓によって動きが読まれる事を嫌ったのだと解釈した。

《ハート・ブレイカー》

 【砕拳士】の奥義。空振った打撃スキルをストックし、次の攻撃時に属性や性質を保ったままダメージを十倍化する。十五秒以内に相手へとぶつけなければ己の心臓に十倍撃のダメージを喰らう。空振った瞬間にぶつける相手を決めて発動する必要があり、その瞬間からカウントダウンが始まる。自傷ダメージは【救命のブローチ】【身代わり竜鱗】などのアイテムやスキルによるあらゆる手段を無効化し、自身の防御力を無視する。自分の身体を超えてダメージが伝播することもないので、要は外せば確実に死ぬし、無駄死に。《ハート・ブレイカー》を発動中に他の物体を殴る事は可能だが、《ハート・ブレイカー》による補正はもちろん乗らない。

 

夜興引(ヴェスパー)

 狩人系統 夜行狩人派生超級職。言わば夜間戦闘に特化した【狩猟王】。ステータスはAGIが高めで、それでさえ【狩猟王】には劣るが夜間であれば完全に上位互換となる。もっとも昼間戦闘の方が仲間とのコンビネーションもしやすいので一概にこちらが強いとは言えない。

帳下ろし(イクリプス)

 【夜興引】の固有スキル。発動時はSPを消費し続けるが、自分を中心とした一定範囲内を夜に変える。夜によって強化される様々なジョブ・スキルが恩恵を受ける他、日光を必要とするような存在に明確なカウンターとなる。

《瀟殺》

 【夜興引】の奥義。相手の第六感を含むあらゆる感覚を鈍らせる《虚空》と、初撃ダメージを強化する《時化空》の二段階を持つアクティブスキル。どちらも自分が未発見状態かつ夜間でないと使えない。

 

吸血鬼 

 レジェンダリアに住む希少種族。〈マスター〉の増加により数自体は増えたが、ティアンの吸血鬼がいまだ少ない事もあって希少性が失われたわけではない。『日中で弱体化する』『血液を摂取するだけで生存できる』『基礎能力が高い』など様々な種族特性を持つ。かつてレジェンダリアで隆盛を誇った吸血鬼は〈常夜の地〉に住むことで日中のデメリットを消したが、ラディアラはこれを【夜興引】のスキルによって叶えた。血液に作用するスキルを数多く持つ。

 備考:原作で唯一出てきた吸血鬼であるブラッド・Oは白い髪に大きな犬歯を特徴としているが、本作での吸血鬼の特徴は五話にて語った通りである。黒髪吸血鬼概念は譲らない。それに、所詮は二次創作。




希望される情報があればコメントにてどうぞ


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接続話 蠅のように群がり、煙のように纏わり付く。

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 ふと、微睡みから覚めた。テーブルに突っ伏して寝ていたようだ。

 まだ【スプリンガー】との死闘によるSPの消費と失血のせいで普段の疲労や眠気とは違っただるさが全身を包んでいる。

 そんな半分寝ぼけたような調子で回りを見渡すと、フォリウムの気配がまだ戻っていないことに気が付いた。

 

 遅い。遅すぎる。

 

 【スプリンガー】を倒した後、私達は館に戻り朝ごはんを摂った。

 準備は何もしていなかったからフォリウムが持っていた携行食を食べたが、なかなかに面白い味だった。フォリウム曰く必要な栄養素を全て摂れると言っていた。たまになら食べてもいいと思う。

 そして食べ終わった後にフォリウムは用を足しに行った。

 しかししばらく待っていてもフォリウムはまだ戻らず、少しの間目を閉じていようと思っていたらそのまま眠ってしまったのだった。

 

 窓から見える空からは私が寝ていたのが1時間以上だった事を示している。

 そんなに時間がかかるものだろうか、それとも余程お通じが悪いのだろうか……?

 

「フォリウム?」

 

 試しに呼び掛けてみたが返事はない。トイレのドアをノックしても、返事は無かった。

 訝しんだが、すぐに思い出した。

 この感覚には覚えがある。

 この前、フォリウムが『向こうに行ってくる』と言って私の前から姿を消した時と同じだ。

 

 あの時、私はフォリウムの再出現を全く予測できなかった。消えた時と同じぐらい、予兆なく現れた。

 フォリウムは自分以外は来れないと言っていた。しかし、あの時はとりあえず信じたが確証はまだ得てない。

 もし、あの転移手段でフォリウムが多くの仲間を連れてくる事ができたなら……。

 

 あぁ、自分が嫌になる。

 彼女は共に【スプリンガー】と戦ってくれたというのに、私はまだフォリウムを信じていないのだろうか。

 

 瞬間、気配が現れた。

 光の塵が現れたそこに、考えるよりも先に反射的に手が動いた。

 音速で振るった手刀はしかし、形をなしたフォリウムの寸前で止まった。

 

「わ、ぇ、うわ」

 

 出会い頭に向けられた殺気に、フォリウムが後退りながらへたりと座り込んで、ようやく私も手を収めた。

 

「お、おはよう、ラディアラ」

「説明を、してくれるんでしょうね」

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 こんなおっかないラディアラを見るのは初めてだった。

 ラディアラに殺気を向けられたのはつい数時間前にもあったが、思えばあの時のラディアラの表情は見ていなかった。

 殺気の強さで言えば、すぐに霧散した今回は前回と比べるべくもない。しかし、今回のラディアラは殺意こそないものの、納得できる説明を聞くまでは梃子でも動くまいと腕を組んで私を睨んでいた。

 美人が無表情で黙り込むと怖いとは言うが、目の前でされると本当におっかない。

 

 さっきまでごはんを食べていたのと同じ机、同じように向かい合わせ。なのにこの威圧感は玉座に鎮座した帝王の如く。そして私は王に無礼を働いた大罪人であった。

 

「えっと、つまりね。〈マスター〉にはここ以外とは別で暮らしてる世界と肉体があって、そっちの方の管理とか、しなきゃいけない事とがあって……」

「だからって急に消える事はないじゃない」

「一応、書き置きを残してたんだけど……」

 

 ラディアラの目がチラリと机の上を探って、私が残したメモを見つけた。

 字が読めないのかと思ったけれど、ため息を吐いたラディアラは、どうやら今ようやくそれに気づいたみたいだった。

 

「ラディアラを起こすのはよくないかなと思って……」

「……ようは、街での暮らしとかあるから、ずっとここにいられる訳じゃないってこと?」

「えっと、ちょっとちが――まぁ、はい、概ね合ってる」

 

 【尿意】と【空腹】のアラートがあったため、パパーッと済ませてきてしまおう。

 それがどれほど甘い考えであったかを私は思い知らされていた。

 爆速スパゲッティによる夕飯込みでログアウト時間は30分弱だったのだが、三倍で進むデンドロの時間はラディアラが寝て起きて私がいない状況に大いなる不安を与えるには十分すぎたらしい。

 これに関しては私の説明不足が原因で私に非があるため何も言えない。

 そこで、二度とこんな事が起こらないようにラディアラに正しい〈マスター〉の知識を伝えようと思ったのだが――

 

()()()()()()()()()()()()()があって」

「無茶苦茶よね」

「〈エンブリオ〉っていう()()()()()()()()()()()()()()()があって」

「人間版〈UBM〉じゃない」

「死んでも三日後に()()()()

「あんまりからかったら怒るわよ」

 

 この有様である。

 以前、一度だけ軽く説明した時と同じようにまるで信じていない。

 気持ちはわからないでもない。

 ティアンでも〈マスター〉の存在を都市伝説扱いしている人は結構いるらしい。なんでも不死性や『別の世界』とかいうのがうさん臭く感じるらしく、リアルで言うと『地球平面論者』ぐらいの割合で存在しているとか。

 むしろトム・キャットなどのごく一部を除いて〈マスター〉なんて世界史ぐらいでしか登場していないだろうに、こうも急増した〈マスター〉をよくもまぁティアンの人たちは当たり前のように接し、社会のシステムに組み込んでいるものだと思う。

 結局、『〈マスター〉とは人間の中での〈UBM〉とも言える存在で、私には〈マスター〉の国で【大冒険家】や【砕拳士】としての仕事があるので館を離れることがある』ぐらいの認識で落ち着いたらしい。それとログイン・ログアウトに関しては『〈マスター〉の国との行き来の手段には転移を用いるが、行ったことのない場所に行けるわけではない』という形で納得してもらえた。

 現実世界や〈マスター〉の特異性について完全には理解しきらなかったものの、ご機嫌斜めなラディアラに逐一説明できる雰囲気ではない。

 

 そんなことがあって、ラディアラのご機嫌取りの為に私はアイテムボックスの中に眠っていた抹茶と【どこでも茶室】を使ってお茶を点てていた。

 幸いにも天地由来であるはずのデンドロ茶道は現実のものに即していて抵抗なく茶を点てられている。

 ちゃんとお茶を点てるのなんて中学生以来だし、この【どこでも茶室】だってセールで買って以来初めて使ったのだけど意外と身体は覚えているものでそつなく点てられた。セット内容に茶碗とか入ってなかったらどうしよう、なんて考えていたのは秘密だ。

 

 茶筅で抹茶を混ぜる小気味よい音が静かな部屋を満たす。手を動かしながらちらりとラディアラを見やると、椅子に座ったまま感心半分、困惑半分の顔をしていた。

 あれだ、初めての抹茶体験で「私なんにもせずに座って眺めてるだけだけど、拍手とかしなくていいのかな」って考えてる外国人と同じ顔。

 

「……なに?」

「別に、なんでもないよ……こんなものかな」

 

 はい、と言って既にラディアラに出していた団子の横に茶碗を置く。

 お店で試飲試食した時は美味しかったけど、和の文化に馴染みがないラディアラの舌に合うのかどうか。

 

 しかし、不安を胸にラディアラを見つめる私をよそに、ラディアラはテーブルに置かれた茶碗に口をつけるどころかじっと見つめて動かない。

 

「えっと、お気に召さない?」

「いや……これは、お菓子をこの緑のに付けて食べればいいの?」

「え?いや、別々で……」

「匙はないの?」

「ないよ、紅茶と同じでそのまま口をつけて飲むの」

「こんなに器が大きいのに?」

「……うん」

「へぇ……」

「少し苦いと思うから、その時は団子食べてね。甘くておいしいよ」

 

 ラディアラは恐る恐るといった様子で両手で茶碗を持ち抹茶を一口飲み、少し顔をしかめながら茶碗を置いて団子をかじった。もぐもぐと咀嚼し、一言。

 

「クセになるわね」

 

「ほんと!?」

「えぇ、緑のは苦いけど、優しいから慣れればこれだけでもいけると思う。これなんて言うの?」

「抹茶だよ」

「マッチャ……あなたの分のマッチャは無いの?」

「うん、茶碗が一つしかなかったからね」

「そう、少しあげるわ。私だけが飲むのは少し申し訳ないから」

「別にいいのに」

 

 とは言いながらも自分の手前が気になるので一口もらう。うん、上出来。団子もおいしいし、これはいい買い物だったな。

 

「んー、やっぱりおいしいね。ラディアラも気に入ってくれたみたいでよかった」

 

 ほっとしてラディアラを見たのも束の間、ラディアラの表情が僅かに曇る。どうしたのだろうと思えば、ラディアラはぽつりと話しだした。

 

「ごめんなさい。あなたは戦ってくれたのに、それでも、まだ……」

 

 ラディアラの視線はテーブルの上に組んだ手に落ちている。

 

 ラディアラが【アルゴー】から降りる時に言っていた『過ぎる力は恐怖と凶行を招く』という言葉。

 彼女が送ってきた人生は知らない。それでも、この数日ラディアラと接する内に見えた彼女の恐怖の本質は、自分の生活が脅かされる事に対するものだろうとは分かっていた。

 超級職だとか吸血鬼だとかはラディアラのほんの一部に過ぎず、彼女はただこの館で静かに暮らしていたいだけの一人の人間だ。

 

「ラディアラが謝ることじゃないよ。ちゃんと説明してなかった私が悪い。今度、街で〈マスター〉について書かれた本でも買ってくるよ。もしかしたら抹茶もまた買えるかもしれない」

 

 努めて穏やかに語った私にラディアラは微笑んで、短く「ありがとう」と呟いた。ようやく彼女が笑顔を見せてくれた気がした。

 

「でも抹茶が手に入るかは運次第かな。アルターでもレジェンダリアでもほとんど見なかったから」

 

 ピクリと。それは気のせいだったかもしれないが、僅かにラディアラが身じろいだ。 

 

「……ねぇ、レジェンダリアってどんな所?」

「……おもしろい所だよ。建物も人も自然も、変なのがいっぱい」

 

 ()()

 妖精郷とも呼ばれるレジェンダリアには人間範疇生物だけでも多種多様な種族がいる。妖精、獣人、巨人族や小人族にエルフ。

 そして吸血鬼。

 

 フローが誰なのか、私はまだ知らない。その名前を聞いたのは、戦いに臨む前にロケットを握りしめながらラディアラが語っていたその時だけだ。

 フローが遺した館だと、言っていた。魔力で動く設備が多いこの館はレジェンダリアでよく見る技術だったはずだ。

 

 間違いなくレジェンダリアはフロー所縁の地だ。

 ラディアラがフローと出会ったのがレジェンダリアかアルターなのかは分からない。

 フローによって吸血鬼になったのか元から吸血鬼だったのかも分からない。

 どれほどの時間を一人で生きてきたのかも分からない。

 分からないことはまだたくさんある。それでもラディアラが自ら話さない限りは詮索はやめておこうと思った。

 きっとその物語は、ラディアラにとって軽々しく扱えるものではないだろうから。

 

 ◇

 

「――人は大体そんな感じかな。結論、外見より中身が変な人が多かったかな。見た目は奇抜だけど性能がいい家具とは真逆だね」

「ふぅん、じゃあ自然は?」

「うーん……アルターの森って素直じゃん?それをへそ曲がりにした感じ」

「……よく分からないのだけど」

「いや、本当にそんな感じなんだよ。全然雰囲気の違う木が仲良く乱立してたり、同じような見た目の木のくせに凄く低かったり高かったり、一つの木に三種類ぐらいの木のみが実ってたり」

「あまりそこでは暮らしたくないわね」

「同感。魔力濃度が高すぎるんだろうね、そのせいで〈アクシデントサークル〉がポンポン起きて冒険もやりづらかったよ。やっぱり【冒険家】の半分以上は神造ダンジョンにしか行かないし、他の人たちも神造ダンジョンメインの人がほとんど。その分外のマップは人が少なくて秘境感あったし、〈アクシデントサークル〉で行動制限されるのも面白かったし、逆にあえて突っ込むのもギャンブル的でワクワクしたんだけどね。でもある時モンスターの群れに追われちゃって、必死に逃げてたらその内アルターまで来ちゃってそのまま鞍替えしたんだ」

「聞く限りはとんだ魔境ね」

「でもそれだけ不安定な環境でも、外での狩りに拘ってる()()たちもいたんだよねぇ。何考えてるのかわかんないや」

 

 私の一言にラディアラが眉を顰め、やや逡巡してから、言った。

 

「…………冒険を楽しんでたあなたも同類じゃないの……?」

 

◇ ◆ ◇

 

■レジェンダリア北東部 国境付近山林

【???】アイス・ブレイカー

 

「クソッ!こいつどこまで――」

 

 ミサイルのように執拗に追尾する《ヒート・ジャベリン》が亜音速で逃げる仲間の喉を貫き、光の塵へと変えた。

 仲間はことごとく倒され、最後には満身創痍の俺だけが残った。

 

「……ちくしょう」

 

 今日は厄日だ。不測の事態ばかり起きやがる。

 

 一つ目はPKをしかけた〈マスター〉集団の中にティアンがいた事。いつも通りのPKのはずが、俺たちは指名手配されてしまった。

 二つ目はレジェンダリア逃亡の最中にクランと出会した事。アルターとの国境で狩りをしてるアホどもがいるなんて想定外だった。

 三つ目はそのアホどもがPKパーティである俺たちを返り討ちにしちまった事だ。

 

「いやいや、中々楽しめたよ。前衛が大きく欠けた状態で始まる戦闘なんて久々だったし、きっとみんなにもいい経験になった」

 

 膝をつく俺の前でそう言うのはアホどもの頭であろう優男だ。まだこいつ一人を狩るぐらいの余力はあるが、その瞬間に後ろに控えている奴らの一斉攻撃で俺は死ぬだろう。そうなればデスペナ明けの俺が立っているのは“監獄”の中だ。アカウントを一つしか持てないこのゲームで隔離サーバー行きなど冗談ではない。

 だが【出血】も激しいこの身体ではどうせ放っておいても死に至る。

 万事休すか。

 

 しかし、優男の行動は死を覚悟していた俺の予想を裏切るものだった。

 

「パッセンジャー、彼のHPを……そうだな、15%まで回復させてあげてくれ」

「了解」

「あぁ?なんのつもりだ?」

「少し話をしたいだけさ、アイス・ブレイカー」

 

 優男は俺の前にしゃがみこみ、目を合わせ言った。

 

「僕はスレッジ・ハンマー、このクランのオーナーでね。単刀直入にいこう、君を勧誘したい」

「はぁ?……てめぇらは討伐クランじゃねぇのか」

「その通り。そして君はPKだ、それも指名手配中。利用可能セーブポイントが無くなったからアルターを目指してる。違うかい?」

「何もかもお見通しってわけかよ……それで?討伐クラン一つPKし(殺し)損ねた俺をご所望か、よほど人材不足みたいだな」

「そう拗ねないでくれよ、君を買っての言葉には違いないんだ。実は僕たちの獲物が狩りの最中に()()()()()()()()しまってね、ちょうど越境するところだったのさ」

「はっ、それを手伝えとでも?『よかったな、渡りに船だ』『WIN-WINにいこう』とでもぬかす気か?」

「まさか、勧誘と言ったろう?きちんと報酬だって払うさ。ただ……逃げようなんて思わないでくれよ?せっかくの人材を失いたくはない」

 

 瞬間、右頬に燃え上がるような感覚。もし痛覚設定をオンにしていれば皮膚が焼かれるような痛みがあっただろう。だがそれは根性焼きなどではない。さっき、俺の仲間を追尾して殺した魔法は喉に付けられた刻印を貫いていた。おそらく、それと同じ追跡刻印が俺に刻まれている。

 

 どうやら、選択肢は無いらしい。

 

「……あぁ、いいぜ。乗ってやるよ」

「はは、ありがたいね。ようこそ、〈F(From)・Shaker〉へ。楽しいハンティングと行こうじゃないか」




 フォリウムが言及しているジョブの才能とは「特殊超級職を除く全てのジョブへの適正保証、レベル上限の保証、上級職二つと下級職六つの保証」の事です
 あくまでティアンとの差異を口語で説明してるため雑な表現になっていますが、この三つの要素が誤解なく伝わっているものとお考えください


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下章 月の願いに一欠片の愛を
第一話 追う者たち


 夜。草木も眠る丑三つ時とは言うが獣まで眠りにつくかと言われればそうではない。森を駆ける狼の群れがそこにいた。彼らは縄張りを広げようと駆けている貪欲なモンスターたち。それは命を喰らうほどに強くなるシステムが用意されている〈Infinite Dendrogram〉の世界ではよくある存在だ。より広い土地を、より強い力を。人が富を求めるように闘争を続ける。そして運が良ければ特別な存在(〈UBM〉)へと至るのかもしれない。

 

「GRRRR!」

 

 一つの獲物を見つけた。人間だ。

 人間はいい、強いこともままあるが往々にして殺した時の見返り(経験値)は大きい。それに濃厚な血の匂いがする。これだけ血を流して弱っているのならばそう手間はかかるまい。

 

 群れから抜けた一団が標的めがけてまっすぐに駆ける。

 襲い掛かるのは全部で五頭。いずれもが亜竜級にまで成長した個体。瞬く間にこの人間の四肢をもいで碌な抵抗を許さぬままに群れの下へと連れ帰るだろう。

 

 そんな希望が、地面から生えた紅刃によって四頭の狼の身体ごとバラバラにされた。

 一瞬。狼の肉体が意味のない肉片の集まりと化した。細切れにされた肉片が地を汚すよりも早く光の塵へと還る。

 五頭のモンスターはだだの一頭になった。

 

 先頭の狼も後続が全滅したことは気配で察した。

 だがここでは止まれない。もし、仲間を刻んだ技の主が目の前の人間であるならば、背を向けた瞬間に追い打ちで背から捌かれるのは必然。

 攻めるしかない。

 

 モンスターは意を決して飛びかかる。人間が自分へと向けている左腕へと噛みつき、噛みちぎり――

 ――噛みちぎれない。

 自分の顎にすっかり収まる細腕だというのに、この人間の腕は、なんという――

 

「《破城槌》」

 

 その宣告が狼に破壊と死をもたらし、狼が最期に聞いた音となった。

 

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

「結構侮れないね」

 

 それは塵に還ったモンスターにではなく、私の両腕に装備された【蓄魔手甲 スプリンガー】に対する感想だ。

 手甲という名前から当初は甲冑の籠手のようなものをイメージしていたそれは、実際に見ると忍者が着けていそうな腕貫に鱗を編み込んだような代物だった。

 防御面に不安があったが、END+50%の装備補正に《身体強化》を加えて咬ませてみたところ、ダメージはまるで徹っていない。

 

 満足げに装備を眺めていると隠れていたラディアラが姿を現した。

 

「かなり深く咬まれてるように見えたけど大丈夫?」

「うん、1.5倍のEND補正に加えて【スプリンガー】のスキルでおまけに5,000も加算したからね。ダメージはほとんど……いや、【出血】あるな。徹ってたんだ」

 

 試しに装備を外してみると確かに、腕についた狼の歯形からぷくりと血が出てきていた。

 あくまでゲームでとして振る舞うデンドロだがこういう所ではリアリティってのを忘れないらしい。一方で傷口から狂犬病みたいな感染症が入ってくることはない。こういう所は都合よくリアリティをなげうっているのが実にデンドロらしい。

 ちなみにこれぐらいなら適当に唾をつけとけば瘡蓋(かさぶた)すらできずに勝手に治る。

 

「ま、ほぼノーダメだね。1MPでENDかSTRのステータスを1強化できて、《魔力貯蔵》でMPも問題なし。効果は10分も持続するし、いやぁさすが特典武具だね」

「……、…………」

「ドロップはエメンテリウムと毛皮か。まぁこんなものか、ラディアラは?」

「…………」

 

 じーっ、と。まさに穴を空けるが如く。

 ラディアラの視線が私の腕から、正確には咬み跡から離れない。

 

「えと、ラディアラ?これは私がテストのために敢えて咬まれたんだし、ラディアラはオーダー通りに一匹だけ残して後は狩ってくれたから、特に気にするものじゃ……」

「え?そ、そうね。ドロップ品だったわよね、ごめんなさい。えっと、私も大体そんな感じね」

「そっかぁ」

 

 まぁ弱めの亜竜級だったようだし、派手なものはそう出ない。

 一頭当たり三万リルぐらいで五頭合わせて十五万リルの儲け。

 せめて【ブローチ】を買うぐらいまではお金が欲しいのだが私の今の手持ちは300万リル弱。500万リルの【ブローチ】には到底手が届かない。

 

 そんな金欠に苦悩している私の耳に飛び込んできたラディアラの言葉は、私を驚かせるには十分だった。

 

「エメンテリウム、もう館のボックスいっぱいだからなんとかしたいのよね」

 

「なんて?」

「このエメンテリウムって一つで千リルぐらいでしょ?捨てるには勿体ないけど、私は街まで行けないし」

「それ一つ二万リルで売れるんだけど!?」

「え、でも昔会った旅商人は大体それぐらいって」

「そいつあくどいなぁ」

 

 なんとまぁ、非携帯型アイテムボックスを満たすほどのエメンテリウム。ラディアラはとんでもない財産を持っていたらしい。

 浮世暮らしってすごい。

 

「そうだ、だったら私換金してくるよ」

「そうね、私が持ってても仕方ないし。あげるわ」

「……いや、ラディアラのお金だよ?」

「でも私、今まで生きてきてお金なんて使ってこなかった」

 

 秘境に住む人は考え方が違って困る。流石にラディアラの提案に易々と頷くわけにもいかず、それでもとりあえず換金してこようかとギデオンまで向かう事となった。

 

 【冒険家】故の一丁前のアイテムボックスに入るだけのエメンテリウム、500個ほどを入れて。

 

 このアイテムボックスに、一千万リル(一億円)相当。

 並みの冒険の成果を軽く上回る金額に眩暈がしそうだ。

 まぁいい、パパーッと売ってしまおう。

 

 しかし、ラディアラの調子だと換金したお金を本当に受け取らない可能性もある。

 どうしたものか。そうだ、二人分の【ブローチ】にでも還元してしまおう。それでも半分掻っ攫う事になってしまうが、まぁそれは、ゆくゆく返していくということで。

 

 

「申し訳ありませんが百個単位でのエメンテリウムの買い取りは致しかねます」

「……そこをなんとかならない?」

「なりません」

 

 ギデオン最大の商店と呼ばれるアレハンドロ商店でこれだった。

 確かにアポもなしに一千万リル分買い取ってくれ!と頼み込む方が無茶だった。  

 

 それでもなんとか頼み込んで《真偽判定》で悪意が無い事を証明し、【契約書】でなんらかの不都合があった際に罰金措置にあう契約をしてやっと100個(200万リル)ほど買い取ってもらえた。

 

 つまり、今の私の手持ちは500万リルにギリギリ届かない程度な訳で、結局【ブローチ】を一つ買うこともできない。とりあえずラディアラに買っていこうと言っていた〈マスター〉に関する本といくつかの【HP回復ポーション】を買って、ガチャに並ぶ人の列を眺めているのだった。

 

「はぁ……ままならないなぁ」

「なにが?」

「うわ、ひー」

「おひさ~」

 

 知らぬ間に隣に来ていたのは金欠で嘆いている時に会いたくないランキング一位の女、ひーだった。

 現実では私より背の低い、ふわんとした雰囲気の彼女だがデンドロのアバターは細身で私よりも長身。暗い茶髪のボブカットも、こちらでは燃えるような赤色のロングだ。

 彼女も【冒険家】ではあるが、一目で【冒険家】とイメージできそうな装備の私と違い彼女は軽装の剣士のような出で立ち。

 以前より装備が変わっていたのでこっそり《鑑定》したところ、質が二回りほど向上していた。【スプリンガー】(特典武具)を外している今の私のなりでは比較にならない。全てを把握してるわけではないがどれも生産装備の中ではかなりいいものだったはずだ。金額を聞くのが怖い。

 

「聞いてよ~、さっきあのガチャで10連したのに全部C以下だったんだよ。ひどいよね~」

「……金額は?」

「10万リルを10連」

「聞きたくなかった」

「だと思った~」

 

 これこそがカルチェラタン成金。この調子だと100万リルなんて端金ぐらいにしか考えてない。総資産いくらなんだ?いや聞きたくはないけど。

 

「ところでさ~今って仕事空いてる?【冒険家】ギルドで結構割りのいい仕事入ったらしいよ」

「……なんでそれを私に?」

「金払いは良さそうだったんだけど、依頼主がタイプじゃなかったんだよね~」

 

 なんともひーらしい理由であった。

 しかし、適当な相槌を返した私に彼女が続けた言葉は私に警戒心を抱かせた。

 

「それにアルター南東部の道案内がお望みらしいんだけど、私はあの辺行ったことないし」

「アルター南東部?」

「そ、国境に近い森しかないようなとこ」

 

 アルター南東部。それはラディアラの館がある地帯だ。しかし、一般にはただの辺境扱いされていて〈マスター〉、ティアンともどもに注目されていない場所である。

 私は不穏の影を感じた。

 

 ◇

 

「あなたがスレッジ・ハンマー?」

 

 【冒険家】ギルドにその男はいた。赤毛の優男はテーブルに腰掛けて読んでいた本から視線を上げた。

 

「そうだけど、君は?」

「【冒険家(アドベンチャラー)】のフォリウム。ひーから話を聞いたんだけど」

「あぁ、なるほど。彼女、意外と義理堅いようだね」

 

 スレッジ・ハンマーからやや離れた所に一人。おそらく彼の仲間だろう。

 本をテーブルに置いたスレッジ・ハンマーがこちらへ身体を向け、ヘーゼルカラーの瞳が私を見た。

 

「いきなりだけど、本題にいこう。こちらが欲しいのは探索の同行者、アルター南東部の山林の地理と生態系に詳しい人材。追跡や探知に長けた〈エンブリオ〉で能力面をカバーしてもらっても構わないけど、ようは道案内だね」

「同行する人数と目的は?」

「それは依頼を受けてもらってから話すよ」

「……出発の日時は?」

「そうそう、メンバーの合流の都合で今すぐにとはいかないんだったよ。パッセンジャー、ソルティとハイランドの合流はいつだっけ」

「こっちであと半日もすればリクヴィルに居るラスティたちと合流してから来るはずですから、こっちの夜中ぐらいじゃないですか?」

「うん、だからそれ以降になるかな。リアルの都合で少し先延ばしにするかもしれないけど」

 

 リクヴィル。それはラディアラがいる森の近くにあった村の名前だ。

 それに思い出した。スレッジ・ハンマー。こいつとは一度あった事がある。

 私がレジェンダリアにいた時の事だ。討伐ランキングに名前があった男。新造ダンジョンの外で狩りをしていた変人の一人だ。

 私は、【スプリンガー】の特典武具を外してギデオンに来たことを早くも幸運に思っていた。

 

 私とラディアラが戦った【スプリンガー】はラディアラ曰く、戦闘の最中に転移によってこちらへ来たようだったと言っていた。

 そしてレジェンダリアの討伐ランカーがわざわざこんな所まで、それも道案内を探してまで向かおうとしている場所がある。

 

 トラブルの匂いがしていた。

 

 

◇ ◆ ◇

 

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 フォリウムが街へ向かってから、私はまた森に出ていた。

 実を言えば森に出る必要はなかった。

 食料は先ほどの狩りで最低限確保できたし、まだ備蓄だってある。他の山菜だって山に採りに行くほどでもなければ様子を見るべき罠もない。

 だが、家でじっとしていると、()()()が抑えきれなくなりそうだった。胃が締め付けられ、熱が私を浮かすような、そんな昂ぶり。

 心当たりならある。  

 血だ。

 あの時フォリウムが腕の咬み痕から流したほんの僅かな血の匂いを嗅いだ時からこの妙な感覚は始まり、そしていまだに消えない。いまだに鼻腔に残り香が染みついているような気さえする。

 

 確かに、私は吸血鬼だ。それでも血に渇きを覚えることなんて、もうずっと無かったはずなのに。

 

「ん?」

 

 麻痺しかけている嗅覚が、それでも鋭敏に別の匂いを嗅ぎつけた。

 男が二人、南から歩いてきている。  

 それも、これはもしかすると。

 

「厄介な予感ね」

 

 ◇

 

 不運にも予感は的中した。  

 男の二人組は【スプリンガー】の通り道を歩いていた。このままいけば戦闘跡までたどり着くだろう。

 吹き飛ばされた私がぶつかった幾本もの木、【アルゴー】の吶喊でなぎ倒された木々、【スプリンガー】のブレスの流れ弾で削られた大地をみれば結構な規模の戦闘があったことは一目瞭然だ。

 

 聞いた話では〈UBM〉の狩猟権を巡った争いはしばしば起きたという。そして、【スプリンガー】が現れた時、既に何者かとの戦闘で傷ついていた事を考慮するなら……

 

 ――殺しておくべきか?

 

 剣呑な考えが頭に浮かんだ。

 しかし、この森にはフォリウムも戻ってくる。もし彼らを殺したとして、捜索に人が来た場合フォリウムに知られる事となる。

 脳裏によぎるのは私に殺意を向けられて怯える彼女の顔。

 もう、フォリウムの前で人殺しの顔をするのは嫌だった。

 それに昼間の襲撃となればフォリウムに射掛けたように失敗する恐れがある。

 

 自分の殺意を抑えるのが、結局は理屈であることに辟易しながら私は殺人という手段を取らない事にした。

 

「こんにちは、こんな所にまで何の用?」

 

 話しかけた時、あえて気配は消していなかったから向こうの反応も穏やかなものだった。

 今、彼らが私を看破すれば《偽装》の効果で【宵闇狩人(ナイトシーカー)】が見えているだろう。ジョブ特性のおかげか《偽装》で隠蔽した【夜興引(ヴェスパー)】を見破るのはほとんど不可能だ。実際、フォリウムは終ぞ【夜興引】を《看破》できなかったという。

 実際、彼らはやや身構える様子があるものの、それは人気(ひとけ)のない場所で人間に出会した時の反応として普通の範疇に収まるものだった。

 

「少し、調査でな。あなたは……なんだティアンか」

 

 しかし、少しカドを感じる。憎悪ほど暗くはないが、侮りにも似た感情……無関心?

 見やれば二人とも左手にそれぞれ紋章がある。フォリウムの言葉を信じるならば、この二人は〈マスター〉だ。

 そのうちの一人が、私に質問を投げかけた。

 

「そうだ、あんた【スプリンガー】って知らないか」

 

 心臓が跳ね上がる。想定の中で最悪の質問だった。

 しかしこの時の返答は決めていた。

 

「ごめんなさい。心当たりはないわ」

 

 近寄るべきではない。

 私のように〈UBM〉と単独で渡り合うような存在は〈マスター〉でも稀有だとフォリウムから聞いた。そうであれば、【スプリンガー】が消えた地点にいる私はさぞ怪しく見えるだろう。私の身に宿す力のせいで争いに巻き込まれるなど、全く御免蒙(ごめんこうむ)る。

 こんな事ならやはり手段を選ぶべきでは無かったと後悔しながら、私は彼らを適当にあしらおうと決めた。

 

 そう考えていたのだが。この世界はいつだってままならないものだった。

 

 

「ソルティ、《真偽判定》に反応した。このティアン何か知ってるぞ」



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第二話 夜に輝く赤どもよ

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

「ソルティ、《真偽判定》に反応した。このティアン何か知ってるぞ」

 

 その言葉を聞いた男が「本当か?」と振り返った瞬間に私の身体は動いていた。揺らめくように走り出し、矢より早く距離を詰めた。

 

 ここで殺す。

 

 武器を取り出して構える時間すら惜しい。貫手がソルティと呼ばれた男の首を狙う。

 しかし夜でない私の速度は音速域には及ばず、すんでの所で彼の左手が首を庇うように挟まれた。私の右手は差し込まれた左手を貫通するも、首には僅かに届かない。やはり昼間ではこの程度か。

 視界の端で、《真偽判定》を使っていた男が逃げようとしているのが見えた。

 手を抜き取り、男を飛び越えつつ《瞬間装備》で構えた弓で矢を放つ。

 放たれた矢は走り出した男の足を掠めるにとどまったが一瞬の足止めは叶った。彼らは立ち止まり、宙を跳んだ私に視線を向けたが、着地と同時にそれを振り切って私は茂みの中に姿を消した。

 

◇ ◆ ◇

 

 私のもとに一人の冒険家が訪れるずっと昔。

 一人の旅人が訪れた。若い男だった。

 【薬師】を名乗った彼は、まだ見ぬ薬草が無いかと歩いていたところ、いつしかこんな山奥まで来てしまったと言う。

 装備は山をただ歩き続けるには十分なものの、モンスター避けの香はこの辺りのモンスターには効き目の無いもので、彼がここまで来れたのが幸運以外の何物でもない事を物語っていた。

 このまま死なれても困りはしなかったが、【薬師】の知識に興味があったので援助と引き換えにその知識の一部を授けてもらう事にした。

 

 

 彼が滞在して数日が経過した。私は余所者が少しぐらい滞在しても構わなかったが、彼の方はずっとこんな所にいてもいいものなのだろうか?なんとなしに彼に尋ねると答えた。

 

 ――村に弟子を置いている、よほどの事態でもなければなんとかなるさ。

 

 その日も彼の講義を受け、その合間に紅茶のコツを教わった。なんでも私の育てている茶葉は匂い付けをしやすいものだとか。彼がこの山で採ったものを使って数種類飲んでみたが、どれもおいしかった。手順も教えてもらったのでこれからは私でもできるだろう。

 薬師とは言え博学だとこぼすと、

 

 ――元は俺の趣味じゃなかったんだけどな。(ひと)の為にと作っていたらいつの間にか、さ。

 

 そう言って彼ははにかんで笑っていた。

 

 

 山歩き、それも夜の中だった。二人で歩いていた。

 

 ――【宵闇狩人】の傍で夜の森を歩ける機会なんて二度とないかもしれない。いつか俺が夜を往かねばならん時に、きっとこの事が糧になる。

 

 本当は反対で、実際にするべきでないと伝えた。

 だけど彼の意志は頑なで、彼に教えをもらった借りもある。危険はあれど私がいるならこの山で私達を脅かしうる脅威はないだろうと、私はそう思ってしまった。

 そんな愚かな夜歩きの中、事は起きた。

 

 ――痛っ……いや、気にしないでくれ。少し棘で擦っただけだ。夜というだけで、こんなにも勝手が違うとは。

 

 誤算だったのは、偶然流れた彼の血が、ヒトの血が記憶よりも遥かに強く私の理性を殴りつけてきたこと。

 さらなる誤算は、この夜に限って私に襲いかかる力量さも測れない無謀なモンスターがいたこと。 

 

 血に酔った私は加減というものを忘れて襲い掛かってきた熊の腹に吸血鬼の膂力をそのままに振るった。

 【薬師】の目の前で熊は素手の私によって腹を切り裂かれ、臓物をこぼしてから光の塵になった。

 

 ――きみ、その目は……。

 

 私の両目は月夜の中で爛々と紅く輝いてみえただろう。

 彼は見てしまったのだ、唯の人の身では説明できない力と貌を。かつて人々が怪物と(そし)ったものを。

 それを見られた以上、生きて返す選択肢はなかった。

 

◇ ◆ ◇

 

 森に血の匂いが漂っていた。私のではなく、あの二人の血。その命を奪おうとして振るった手は、それでも命には届かなかった。

 

「……逃げたか?」

「いや、多分まだいる。ケガは?」

「左手が死んだな、手持ちじゃ治るか半々だ。ありゃ防いでなけりゃ首がやられてたな……【宵闇狩人(ナイトシーカー)】だと?あれは狩人系統の素手の攻撃力じゃねぇぞ、特典武具か?」

「見たところ無かった。隠密系統みたいに表示を隠蔽できる超級職かも」

「俺かお前なら就けるかもしれんな、そういうイベントか?」

「突発的すぎるけどあり得る、デンドロらしい」

 

 《真偽判定》は最も相対したくなかった相手だった。その上私が全力を使って戦った〈UBM〉について聞かれたのは輪にかけて最悪だ。【夜興引】のことも吸血鬼のことも暴かれかねない。

 つまり、目の前にいるのは最大級のリスクであった。故に《真偽判定》持ちだと分かった時点で即座に殺しにかかったのは選択の余地すら無い、必然だった。

 

 今も二人の居場所はわかる、聞かれていないと思い込んでいる話し合いまでわかる。  

 次は《帳下ろし(イクリプス)》を掛けて攻撃すれば確実に殺せる。

 

しかし、それは()()()()()()が無ければ、という条件がつく。

 

 【酩酊】。相手から攻撃を受けた訳では無いはずなのに、原因不明のそれは確かに私に罹っていた。

 いや、認めたくはないけれど原因に検討はつく。右手に付いたあの男の血だ。今も私の手から静かに滴り落ちる新鮮な血。森の中を漂う、濃厚な、人間の血の匂い。

 

 認めたくない、認めたくない。

 どうしてまた、どうしてまだ。こんな、人の血で酔うなんて。

 

「ログアウトできるか?」

「おれもあと15秒ぐらいかかる。到着は遅れるが制限が抜け次第ログアウトしよう、あれは二人じゃ無理だ」

 

 ログアウト?

 そうだ、フォリウムが口にしていた。館を離れ、〈マスター〉の国へ転移をする時に言っていた言葉だ。

 逃げる気か。

 

「《帳下ろし》《蕭殺・虚空》」

 

 先の攻撃で剣士の男と軽装の男のうち、まともに手傷を与えれたのは剣士のほうだ。本当なら《真偽判定》をもつ軽装から仕留めたかったが、まずは数を減らす。

 

「なっ、夜!?」

「来る!」

 

 狙ったのは手負いの剣士だったが、軽装の男が背後からの奇襲に反応してみせた。《虚空》による感覚鈍化を剣士に指定したのが仇となったか。なら軽装から仕留める。

 《ブラッド・アーツ》によって掌から皮膚を突き破って血を溢れさせ、それを即座に《紅血鍛冶(ブラッド・スミス)》で剣へと変える。

 しかし血剣を振るわんとしていた右腕に、どこからともなく現れた蛇が噛みついた。蛇は軽装の肩から生えていた。

 蛇に似つかわしくない凄まじい咬合力だが、《ブラッド・アーツ》による血流操作で咄嗟に硬化した腕を砕くことはない。それでも咢を離さぬ蛇は、その渾身の力で剣の軌道を逸らした。

 

 再び接敵状態となって《蕭殺・虚空》が解除され、状況に反応した剣士が背負った剣の柄を握った。

 蛇が私の腕を放さない今、そのまま振り抜かれるのはまずい。

 血液のコントロールによって皮膚に食い込む蛇の牙が抜けないように固定してから右腕を引けば、蛇ごと身体を引かれた軽装がこちらに倒れこんだ。これなら味方ごと斬るしかないだろう。

 だが、

 

「なびけ!」

 

 その一言ともに剣は振り抜かれた。だがやってきたのは私達をまとめて薙ぐ斬撃ではなく、大岩で殴りつけるような衝撃。私だけがその衝撃に晒され、たまらず飛ばされた。

 木々の隙間を吹き飛ぶ私に向かって軽装がいつの間にか手にしていた松明を向ける。

 

「《アーソン・トーチ》!」

 

 夜を照らす松明から炎が零れ落ち、それは地を駆ける焔となって私へ向かってきた。吹き飛ばされつつ空中で身体を捻ってむりやり地を蹴り、吹き飛ぶ軌道を変える。

 だが焔は三つへ分かれると二つが退路を断つように回り込み、中央の一つは軌道を修正して私へと向かってきた。  

 炎が私を囲い、更に追い立てる。

 

「《瞬間装備》《重刃枝伸》!」

 

 一瞬で装備した【枝刃巨斧 ブランチクリース】による刃の伸縮。

 だがそれは攻撃の為ではない。刃を地に向けた状態で刃を伸ばし、その勢いを利用してこの炎の囲いを飛び越える。

 不安定な体勢から即座に囲いを抜け出せる手段を持ち合わせていたのは流石に予想外だったのか炎は追従しきれず、私は囲いを飛び越えて二人から距離をとった所に着地した。

 

 消えずに燃え留まる炎を挟んで、私と彼らが対峙する。

 

 炎に囲まれた【ブランチクリース】はもうこの戦いでは使えないだろう。

 だが元々【酩酊】の状態異常に罹っている以上、あんな重たい武器を人間相手に精密に振るう芸当はできそうにない。そしてそれは緻密なコントロールが要される弓も同様だ。

 

 私が武器の多くを使えない一方で相対する二人の手札は十全。

 剣士は左手が使えない状態でありながらも剣を扱ってみせ、しかもそれは振るった軌道にいた味方を避けて私だけに打撃を与える奇剣。

 軽装は《帳下ろし》で夜になったにも関わらず私の気配を察知してみせ、それでいながら肩から蛇を生やした術を持ち、自在に炎を操作する術も扱った。

 奇剣もそうだが、特に軽装の技々の特異性はジョブでは説明できない。おそらくこれが、フォリウムが言っていた〈エンブリオ〉だろう。

 

 一目見ただけでは特定できない固有の能力を持ち、そしてジョブの能力も持っている。

 これはまさに人間版〈UBM〉だ。いや、徒党を組む以上〈UBM〉よりも厄介な相手ではないだろうか。

 だが、戦闘を長引かせながら相手の能力を探る真似はできない。そんな隙を見せれば彼らはたちまち〈マスター〉の国へと転移して逃げる。

 

 なにより、血だ。【スプリンガー】と戦った時はただ血を流しただけだから気が付かなかったが、人間の血を嗅いでから傷を負ったせいか血への欲望が時間が経つごとに強くなってゆくのを感じる。

 こうしている今も形容しがたい渇きが私を襲っている。

 

 短期決戦。それしかない。

 だが彼らはこちらの都合など知らぬように作戦を組み上げる。

 

「ハイランド、ログアウトは?」

「だめだ、この夜が一種の結界になっているのかカウントがリセットされた」

「俺が時間を稼ぐから行け。お前が合流できるかで本隊が再戦できる可能性はダンチで変わる」

「あぁ、任せた」

 

 軽装が背を向け、剣士が剣を背負うように構えてこちらを向く。

 最悪のパターンだ。ここで奴を見逃そうものなら奴はたちまち転移で逃げおおせるだろう。

 

「逃がさない!」

「いいや、行かせるね。《勝利と栄光に捧ぐ(ベレニケ)》」

 

 剣士はスキルの宣告のようなものを唱えたかと思うと、自らの長髪をバッサリと断ち切った。

 斬られた亜麻色の髪と、切り落とした髪と同じ色をした剣が金色に輝きだし、それらは光の糸となって編み合わさり一つになった。

 

 おそらく、この剣士の〈エンブリオ〉の切り札なのだろう。だが闇夜に輝く金色をただ惚けて眺めていたりはしていない。

 超級職のAGIとSTRによる踏み込みは音速領域を平然と突破して炎の壁を突き抜けた。

 

 このまま剣士を振り切って軽装を追えばいい。先ほどまでの打ち合いでわかったが、剣士のAGIは私には遠く及ばない。追い追われなら確実に私が勝つ。

 

 だがその考えを剣士は切り伏せた。

 

「なびけ」

 

 すでに一度聞いた言葉。しかし、それはただの焼き直しではなくより洗練された一撃となって私に襲い掛かった。文字通り、剣がその硬さと重さを忘れ、なびいたのだ。風に煽られたしなやかな髪のように、しかし暴風のような力強さで吹き抜けたそれは剣というよりも鞭のようだ。

 

 疾い。

 身を翻して躱したものの、金色の鞭が掠った外套は切り裂かれていた。

 先ほどまでとは違う、斬撃の性質としなやかさの両立。  

 もし初撃がこの一撃であれば私はすでに地に伏していたのかもしれない。

 

 そして不規則な一撃の回避のために態勢が崩れた所を剣士の蹴りが刺さった。

 辛うじて受け止めるが、勢いは死なずに吹き飛ばされる。

 一瞬で距離を詰めた素早さ、蹴りを受け止めた腕に伝わるダメージ、どちらも先ほどまでの人間と同じものとは思えない。

 これがこの剣士の切り札であり、勝算か。

 

 だが、それでもまだ不十分。それを彼は知らない。

 精々超級職一つを修め優れたステータスを持つティアン、そう私を認識しているのであれば、それは不適当だ。

 暴かれるならば殺しを選択するほどの私の秘密を、そしてその秘密が【夜興引】(超級職一つ)だけでは成しえぬ力を私にもたらしている事を彼は知らない。

 

 真正面から突っ込む。相手がリーチに優れステータス差も大分埋められてしまった現状では得策とは言えないが、軽装に追いつかねばならない以上、時間のかかる手段は選べない。

 

「なびけ!」

 

 それは剣士も予想できていたのか、再び輝く剣を振るった。ただ今度は刀身が六つに分かれていて、先ほどの鞭にような軌道と違って格子状に交差する光線による面攻撃。

 それに馬鹿正直に突っ込めばそのまま切り刻まれるのだろう。避けるには後退しかなく、まさに時間稼ぎのための一振り。

 しかし格子状にしたのは愚策だ。そこに通り道はある。

 

「《ブラッド・アーツ》」

 

 両の手の甲から皮膚を突き破って血液が噴き出した。スキルによってノーモーションで飛んできた血液の通過を剣は許す。

 光の檻を過ぎ、さらに発動する。

 

「《ブラッド・アレスト》」

 

 呪いを与える血の網。剣士を捕らえるのはそれに任せ、迫る剣を高く跳んで避ける。

 だがまだ終わらない。能力を完全に振るうための姿への変化に、ようやく肉体が追い付いてきた。瞳は紅く染まり、翼が生える。それこそが私が超常たる所以、吸血鬼の姿。

 

「なん、だと……」

 

 《ブラッド・アレスト》による【呪縛】で身動きができない剣士は、剣を手から取り落とし驚愕の表情を浮かべた。輝く剣はそんな彼の意志をくみ取るように私を追うが、翼をはためかせる私に追いつくことはできなかった。

 地に倒れた剣士の背後に回り、首を掴んで空へ翔んだ。そのまま担ぎ上げて背骨折りへと移行する。《勝利と栄光に捧ぐ(ベレニケ)》というスキルを使ってから、彼のステータスは急上昇したようだが、それでも私のSTRによってその肉体は軋みをあげていた。

 空になびく剣は届かず、仮に剣士が【呪縛】を振り切っても高所から叩き付ければダメージは深刻だろう。剣が届かなくなるほどの高度を目指しつつ、向かうは軽装の方。

 男が走りゆく音を耳が捉えた。軽装はなんらかのスキルで気配を薄めているようだが、今の私をその程度でごまかすことはできない。

 《帳下ろし》の領域外に出るぐらいには距離を稼いだようだが、まだ転移はしていない。

 追いつける。

 

 ふと、剣士がかすかにしか動かない手でアイテムポーチから何かを取り出すのが見えた。状態異常の回復薬かと思ったが、それは薬ではなかった。あれは……ジェム?

 

「ク……ク、《クリムゾン・スフィア》」

 

 自らの命を顧みない捨て身の爆炎が、偽りの夜空に赤く咲いた。

 



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第三話 時を刻む命

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】 フォリウム

 

「それでどうかな、案内は頼めるかい?」

 

 ギデオンの【冒険家】ギルドの中、何度も、何時間も入り浸っていたはずの空間の中で私は大海の中に一人置き去りにされたような不安感を抱いていた。

 

 討伐ランカーが本拠地(レジェンダリア)を離れてわざわざこの国(アルター)に来て目の前にいる。おまけに目的の仔細は話さず、ただ道案内を依頼している。

 そしてその地点は、レジェンダリアから来たであろう〈UBM〉(【スプリンガー】)が現れていた場所だ。

 

 間違いなく、この男の目的は私とラディアラが倒した〈UBM〉だ。

 ここまで来た以上彼らは必ず森の隅々まで探すだろう。そして木の根をかき分け、岩をひっくり返しているうちにやがて気が付くのだ、森の中で暮らす一人の吸血鬼の存在に。

 

「悪いけど、力になれそうにない」

「そうか、残念だよ。気が変わったり伝手があったらよろしく頼むよ」

「えぇ」

 

 それだけ残して、私はギルドを出ていった。

 ラディアラに遭遇しうる〈マスター〉の一団がいる。かなり悪い事態だ。戦闘も想定しておいたほうがいい。ともなると、やはり【ブローチ】が必要だ。

 そもそも今回のギデオン来訪の目的はそれだ。ラディアラはティアンだ、万が一そのHPが尽きることがあれば訪れるのは本物の死だ。致命傷からの保護を最低一回は保証する【ブローチ】は必ず要る。

 だけど、お金(リル)が足りない。アイテムボックスのエメンテリウムは、その価値を沈黙させてボックスの中で眠っている。

 

 ――他の商店に行ってみる?

 アレハンドロ商店でダメだったのに誰が買ってくれるというのか。 

 

 ――手持ちの物でも売る?

 できるなら既にやっている。二度のデスペナで売れるものなんて元よりない。

 

 ――闘技場に参戦する?

 今にもラディアラの下へ〈マスター〉が迫っているかもしれない現状では悠長すぎる。

 

 ダメ、ダメ、ダメ……。考えながら街中を歩き続けて、いつの間にかアクセサリーショップの前まで来ていた。

 窓から見える店内では、相変わらず【ブローチ】が500万リルで鎮座している。手の届かない現実は変わらない。

 

 しかし……。一つのアイデアが浮かんだ。

 私のエンブリオならここから即座に逃走することができるし、仮に捕まったとしてもエメンテリウムを換金して賠償もできれば、“監獄”送りとまではならないだろう。()()は分の悪い賭けではないのではないだろうか。

 

 そこまで考えてようやく、私は遺跡を攻略する段取りを考えるのと同じくらい自然に、今までの人生で全く考えてこなかった()()を手段の一つとして真剣に思案していることに気が付いた。

 現実に極めて近しい世界で犯罪を行おうとしている自分がいることに驚いた。だけど、今迫っている危機はラディアラに迫っているのだ。【ブローチ】が用意できなかった場合、その時死ぬのはラディアラなのだ。

 

「どうしたの、ヤバい顔してるけど」

 

 ――そう考えた時に声はかけられた。

 

「……ひー」

「やほ」

 

 アレハンドロ商店でスレッジ・ハンマーの情報をくれたひーが、すぐ傍にいた。

 なんとも間の悪いことだった。彼女が来なければ、人通りのいなかったさっきならばうまくいったのかもしれないのに。

 そんな私の後ろ暗い感情を吹き払う一言を彼女は告げた。

 

「どしたの、【ブローチ】いるの?」

 

「……え?」

「【ブローチ】みてたんでしょ?いくつ?10コ?」

 

 聞き違いではなかった。彼女は確かに、一個500万リルもする【ブローチ】について話をしていた。

 

「……どうして?」

「アクセとかそんな眺めるタイプじゃないでしょ、フォリウムは。……え、ガチで10コいるの?」

「いや……2個、いる」

「なーんだ、ビックリした」

 

 そう言ってひーはフラリと店内に入り、買い物をして、出てきてそのまま【救命のブローチ】を2つ、私に渡した。

 

「みてよ、これ。ついでに買っちゃった。装備枠に入れなかったらいくらでもつけれちゃうの運営もわかってるよねー」

 

 キラキラと銀色に光るブレスレットを光にあて、満足げに緩めたその顔には悪意も敵意もなかった。いつも通りの、現実でもデンドロでも質の変わらない、あっけらかんとした笑顔があった。

 

「どうして……?」

「ん?いや事情は知らないけど、中々にヤバいんでしょ?あんな顔してたらさすがに助けるって」

「……ありがとう」

「あは、いつも買ったげようかって言ってたじゃん。お礼なんて……ちょ!?何この量のエメンテリウム!?バグ!?それとも換金しろって!?こんな——」

「そんなのでごめん!」

 

 続きは聞こえなかった。上空に出現させた【アルゴー】に跳び乗り、そのまま発進させたから。

 あまり行儀のいいお礼ではなかったけれど、今は、何よりも。行かなくては。

 

 

 

「あーあ、行っちゃった……」

 

 自らの〈エンブリオ〉に跳び乗ったフォリウムをひーが見ていた。一刻を争うように飛んでいく船の、その行先を。

 

「――南東かぁ」

「あの、今の大きな音は……こ、この罅なんですか!?」

「え?」

 

 店から出てきて驚きの声をあげたティアンの視線の先はフォリウムがさっきまで立っていた場所、跳び上がる反動でバキバキに割られた石畳が残されていた。

 ひーの真横であった。

 

「もしかして私がなんとかする流れ?」

 

 

 

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 ――お前があの時死んでいれば。

 人の焼ける匂い。

 家が、畑が、あらゆる営みが燃え朽ちた真っ黒な灰が、雨で流されてゆく終わりの景色。

 それは現実か?違う。脳裏に焦げ付き、今またしても幻として私の前に現れた古い記憶。この命が刻む、遠い過去。今よりもっと弱かった私の過去。

 あれから時が流れたのに、私はまだ弱いままだった。

 

「《ヴァイタル……コンバージョン》」

 

 焼け爛れた背中が、吹き飛んだ翼と右腕の肘から先が、その他身体のあらゆる傷が、私のHPを燃料に再生してゆく。ものの数秒で私の肉体は無傷へと戻る。

 私は、弱いままに。

 

 剣士の自爆によって墜落したが、逃げる男はまだ離れきってはいない、距離は約300メテル。

 無傷の脚で立ち上がり、再び走り出す。この相対速度なら数秒もかからない。

 

「なっ!?クソっ!」

 

 男は振り返り、松明を向ける。

 先程見た炎だ。今度は五叉に分かれて襲い来るが、吸血鬼の力を解放した今では問題ではない。

 掌から噴き出させた血を短剣に変え、投擲。空気の壁を貫いた衝撃波をまき散らして飛翔した紅剣は狙い違わず男の頭に命中。衝撃に耐えきれずに紅剣は派手に砕け散るが、それは確かな命中の証でもある。

 しかし確実に致命の一撃であったはずのそれを、男は如何なる手品か耐えて見せた。

 だが二撃目。今度は確かに喉に突き刺さり、その衝撃をもって首を抉ぐり飛ばした。

 

 確実な死。風に消えた魔炎が術者の死亡をなによりも雄弁に示す。

 しかし。

 人の死体はモンスターと違いそこに残る。それがこの世界の掟だというのに——消えるはずのない男の死体も光の塵となって消えた。

 

「なぜ」

 

 まさか、ログアウト?あのタイミングで逃げられたのか?

 分からない。殺せたかどうかさえ、私には分からない。

 

 あぁ、眠気が押し寄せてくる。HPも血も失い過ぎた。抗えない。

 私は——

 

「ラディアラ!」

 

 私の名前を呼ぶ声が聞こえた。あの人がつけてくれた私の名前、しかしあの人のものではない声で。

 

「フォリ……ウム?」

「どうして、こんな、HPが……ラディアラ!」

 

 ゆっくりと降りてきた【アルゴー】から飛び降りたフォリウムが私へと駆け寄ってくる。私を心配し、抱き寄せてはしきりに声をかけてくるフォリウムの腕を握った。

 あの人ではないのに。なのにどうして。私はまた、どうしようもなく。いずれ去る人間にこんなにも心を許してしまうのだろう。期待を寄せてしまうのだろう。

 

 あぁ。

 私はまだ、弱いままだ。

 

 

□【大冒険家】フォリウム

 

 ラディアラを乗せて館へと戻る傍ら、幾つもの戦闘痕が見えた。それに船からも見えた空に咲いた赤。あれは《クリムゾン・スフィア》の炎だ。

 きっと〈マスター〉との戦闘があったんだ。

 あれがスレッジ・ハンマーの率いるクランと全く関係が無いと考えるのはあまりに楽観的だろう。

 

 あれから時は経ち日が沈んだ今、ラディアラを彼女の寝室に寝かせていた。ラディアラの寝室には入ったことが無かったが、ラディアラはHPの大部分を喪失し【失血】の状態異常も抱えていた。吸血鬼である彼女の仕組みをよく知らないが、もしかしたら彼女の寝室には何らかの医療作用があるかもしれない、と思い運び込んだ。

 ある程度の【HP回復ポーション】を飲ませた今、HPの心配は消えてゆっくりと静かな寝息を立てていた。

 

 できる限り急いだはずだった。私のベストを尽くしたはずだった。

 なのに私は、彼女の危機に駆けつけることができなかった。

 不甲斐ない。もっと彼女の力になれると思っていたのに。

 苦しそうに眠るラディアラの顔を見ては考えてしまう。

 

 僅かにラディアラの口が動いた。

 

「……フロー?」

「! ラディアラ、目が覚めた?」

 

 薄く目を開けたラディアラは、私を見て思い出したように私の名前を呟いた。

 

「フォリウム……。ここは、戻ってきたの?」

「うん、ラディアラが倒れてたから。身体にケガはなかったけどHPがものすごく減ってたし、状態異常もあったから」

 

 いまだ目が冴えていない様子に尋ねるのは憚られたが、それでもこれは聞かなければいけない事だった。

 

「〈マスター〉と戦闘に、なった?」

「っ、そうだ、あいつら……!」

 

 ラディアラは起きようとした。だが腕をついて上体を起こすその動きは彼女のステータスが嘘のように怠慢としたものだった。

 

「私が着いた時にはもう敵影はなかった。仮に逃げられてたとしたら、もう追えないよ」

「いや……確かに私が殺した」

 

 殺したと、はっきりと口にしてラディアラはベッドに倒れ込む。深く、重いため息をついた。

 

「――十一人」

「え?」

「私が独りになってから、ここを守る為に殺めた人数。不必要だったとは言わない。だけど、あなたが来る数日前にも私は一人殺してる。その人も【拳士】系統だったから、もしかしたらあなたの仲間だったのかと……あなたがここに来たのはあの人の行方を調べに来たのが理由の一つなのかもしれないと考えると、怖くて、ずっと言い出せなかった。でも、私が殺した。ごめんなさい」

 

 ラディアラの双眸から涙が線を引いて流れ落ち、堰を切ったように話し続けた。

 

「ずっと、ずっと昔、私はフローに助けられた。生きるって事を教えてもらった。

 産まれきたことをずっと疎まれ続けた私と生きてくれた。あの人と一緒に夜を駆けて、昇る太陽を見て、側にいて……この時の為に私はあったんだって、本当にそう思ってた。

 でももうフローはここにのこっているだけだから。だから私はこうするしかないの」

 

 語りきって目蓋を閉じた。罪を話し終えたと言わんばかりに。

 しかし、ラディアラは何も気づいていなかった。私が話した真実も、私が隠し続けた事実も。肝心なことを何一つ気が付いていなかったのだ。

 

「ごめんなさい。でも叶うなら、少しだけ一人にして」

 

 もしも、『わかった』とそれだけを言い残しここを後にし、ベッドで眠り、明日を迎えて。

 ラディアラに募る罪悪感の全てを赦し、現実とこの世界を行き来しながら、森で狩りをし、食卓に座り、食後にはかわりばんこでお茶を用意して、たまには二人で夜をでて。

 

 そういう日々を、そういう時間を。そうやってこの世界で生きていくことを。

 もしも、許されていたなら。

 

「違うんだよ、ラディアラ……」

「……え?」

 

 今度は私が話す番だった。

 

「あなたに殺されて光の塵になった〈マスター〉は、〈マスター〉の世界で生きてる。三日後にはまたこの地に蘇るし、既に〈マスター〉の世界で仲間に連絡をとってるかもしれない」

「そんな、それは、あなたの、……」

 

 アイテムボックスからギデオンで買ってきた本を渡す。表紙から、それは〈マスター〉について書かれた本だと分かる。

 ラディアラはようやく、私が冗談で言っていたのではないと信じ始めた。

 だが、まだ話さなければならない。

 

「私がここに来る数日前に、あなたが殺した人間……。狼の群れをけしかけて、それでも詰めきれずに、日没が来てから、狼になったあなたが噛み砕いた……」

「どう、して、それを」

「わ、私も……〈マスター〉なんだよ?私が、私が……その人間なの」

 

 猛々しい風が部屋の中を吹き荒れた。それは私を吹き飛ばし、床へ叩き付け、そのまま抑え込んで離さなかった。

 その風はラディアラだった。

 爪が胸に食い込み、紅い瞳が私を睨む。尖った犬歯が覗く口は怒りをむき出しにあらわす。

 

「あ、あの〈マスター〉は、自分の命をただの駒として切った!あなたは……あなたは一度殺されていながらまたこの森にやってきた!そうやって、贋物の命で、ただの遊戯かなにかのつもりで、私の、私を、踏み荒らした!」

「ぅ……ラディ……ァ……!」

「あなたも所詮、アレらと同じ〈マスター〉でしょう!?新しい人種だなんて、くだらない!普通の人と同じように、悪辣に!人を脅かすだけで!奪うだけで!」

 

 慟哭は止まらない。積み重ねられたこの世界へのあらゆる憎悪がラディアラの内を駆け巡り、暴力として溢れ出す。

 

「結局あなただって!そんな贋物の命で!」

 

 ラディアラの掌が胸に沈み込み、肉を潰して骨を割る。そのまま力に任せて胸を貫くかと思われた時、ラディアラの爪が心臓に触れた。指が、無音に響く命に触れた。

 瞳が幽かにきらめいた。

 

 風も光もない薄闇の部屋の中、私の鼓動が二人を繋いだ。私の命が時を刻んでいた。

 

 ラディアラの瞳に私がいた。

 紅いままの瞳に薄く私を映していた。

 

 どちらかが息を吐いた。どちらかが息を吸った。

 熱が、籠っていた。

 

 ――この命は本当は、本物の命ではないのか?

 

 ほんの僅かな力だった。でもそれで心臓が傷つき、血潮が漏れ出た。痛みはない。だが命の流出を感じる。喉にこみ上げる苦しさと舌を満たす匂いは私の血だ。

 

「「あなたは」」

 

 

 

【ダメージ超過】

【パーティ全滅】

【蘇生可能時間経過】

【デスペナルティ:ログイン制限24h】

 

 

 

(あがた) 譲羽(ゆずりは)

 

【ペナルティ期間中です。あと23時間59分35秒】

【ペナルティ期間中です。あと23時間59分08秒】

【ペナルティ期間中です。あと23時間58分56秒】

 

 ヘッドギアを外し、ベッドの上で起き上がる。私の左胸に傷はない。当たり前だ。

 お腹が鳴った。何時間も通してダイブしていたから、当たり前だ。

 私の命の置き場はここなのだから、当たり前だ。

 

 本当にそうだろうか?

 

 ラディアラが私に触れていたあの時、確かに私の命はあの世界にあった。私の目も、耳も、鼻も、肌も、心も。あの暗い館の一室の中でラディアラに触れていた。

 あの場で命を感じたのは私だけなのだろうか。

 それとも私とラディアラを隔てるものを彼女は見たのだろうか。

 

 確かめたい。

 

 スマホを開き、短い文を送った。

 

『ひー、頼みたいことがある』

 

 

 

 

□ギデオン 【冒険家】ギルド 

 

「オーナー、やっぱり二人のログアウトはデスペナでした」

「そうか、残念だ。〈UBM〉と接敵したのか?」

「いえ、《真偽判定》で【スプリンガー】について知っているティアンを見つけたらしいのですが、直後にそのティアンから攻撃を受けログアウトの猶予なくデスペナにされたと。二人はなんらかの超級職取得イベントの類と推測してるようです」

「ふむ、イベントねぇ。……しかし、あの二人が後れをとるティアンか。【スプリンガー】の事も知っているようだし、ちょっと皆で()()に行こうか」

 

「ねぇ、さっき断った依頼。やっぱり受けるよ」

 

 ギルドの扉に一人立っていた。

 何を考えているのか悟らせない笑みを浮かべて。

 



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第四話 追憶、褪せぬ記憶

 今よりはるかに昔のこと。

 一人の吸血鬼がいた。

 血に飢え、富に飢え、権力に飢えた血族から逃げた女がいた。

 底無し沼の地獄から、精一杯の憎しみをまき散らして逃げてきた女だ。

 彼女は、彼らの生き方を否定し、否定した現実と掲げた理想を己に証明するため、遠い地へとやってきた。

 過酷な道のりだった。吸血鬼の血を逃がすまいと追ってきた同胞。予測困難な現象が襲い掛かるレジェンダリアの大地。追手に捕まれば反乱分子として処刑され、大自然はただあるがままに彼女の身を食わんとしていた。

 国境を越えてアルターに来てからも気の休まるひと時は無かった。【宵闇狩人】と【高位呪術師】の力を吸血鬼の身で扱える彼女ではあったが、ティアン故に才能(レベルキャップ)の壁に阻まれ、力を振るえば敵を蹴散らせるような隔絶した存在ではなかった。昼はモンスターに見つからぬように祈りながら隠れ、夜もどうか無事に往けるようにと祈り、気配を殺しながら森を歩いた。祈りを捧げる神も祖もいない彼女は、夜空に瞬く星の光を見ては祈った。いつか安住の地に辿り着ける事を希って彼女は歩き続けた。

 どれほど歩き続けただろう。そこに辿り着いたのは時が味方してくれたとしか言いようが無かった。一体の〈UBM〉が、老衰によって目の前で死を迎える光景があった。その膨大なリソースが空へと消えていく様を彼女が見ていた。群れを守り続けた偉大な〈UBM〉が死に、群れと広大な縄張りが遺された。

 彼女に舞い降りた千載一遇の機会だった。今まで押し殺した気配をむしろひけらかすように。周囲のあらゆるモンスターを威圧するようにあり続けた。弱きモンスターを追いやり、縄張りを拡大せんと襲い掛かるモンスターたちを殺し続けた。三日三晩もする頃には、彼女は一角の縄張りを手に入れた。

 そこに〈館〉を目覚めさせ、彼女はようやく壁と屋根に囲まれた暮らしを手に入れた。魔力によって様々な機能が稼働すると聞いていた館は扱いが悪いせいかただの館であるだけだったが、それでも原始的な狩猟採集の日々で肉体的な飢えを満たせていた。追手もモンスターの脅威もない、待ち望んでいた安寧を彼女はようやく手に入れた。

 しかし彼女の(さが)からは逃げきれなかった。人間の血無くしては獣のように粗野になる吸血鬼という種族の性を否定したくてこんな遠い地までやってきたといういのに、血の渇きを満たすために人間を飼っていた同族と同じく血の飢えからは逃げきれなかった。

 

 ある夜更けのこと。居を構えていた森の麓にある村まで近づいた彼女はとうとう耐えきれなかった。

 

 無防備に眠っていた一人の子どもに手を伸ばした。もの言わぬ骸になるまで吸い付くしたい程の欲求に突き動かされながらも、微かに残った理性で彼女は幼子を攫った。理性などではなく、肉食獣が己のテリトリーまで獲物を運んでから食すのと同じ、もっとシンプルな欲求故だったかもしれない。ともかく彼女は子を一人担いで森の中へ消えた。古びた小屋で一人ぼっちで眠っていた子どもが攫われた事に、村の誰もが気づかなかった。

 明るくなりつつある森を駆けて、開けた場所に辿りついた時に彼女は気づいた。

 痩せこけている。

 血族の家にいた時、幾度も見た飼われていた人間とはまるで違う。触れていた腕と胴が固かったのは、それが肉がほとんどなく皮が骨に張り付いたような細い身体だったからだ。

 

「どこに行くの……?」

 

 目を開いた幼子が口を開けた。

 

「あなたは抱きしめてくれるの?」

 

 匙も握れないようなか弱い手が、彼女を掴んだ。

 

 人の臭いを辿って入った小屋は何年も放置されたように古く、そこでこの子は一人寝ていた。

 ただ誰からも必要にされず、されど逃げ出す力も持たずにたった一人でそこにいた。

 飼われていた人間を哀れに思った事はなかった。ただ、その行いを是としている一族への侮蔑が募るだけだった。

 だが、彼女は初めて、一つの命を哀れんだ。

 

 その少女は、普通の愛ある夫婦の間に生まれた子どもだった。村は流行り病で活気を失いつつあったが、それでも村長夫婦の懐妊は喜ばしいニュースとして村民に受け止められていた。その村の新たな希望の光かと思われていた。

茶髪と赤毛の夫婦の間に生まれたその子の髪色は、白髪だった。それはただの偶然による先天的な色素欠乏によるものだったが、彼女の父はそう考えなかった。

 流行り病が蔓延する前に村に訪れた一人の若い旅人がいた。彼はほんの少しだけ滞在し、そして村を出ていった。出ていって間もなくして流行り病が村を襲った。彼が邪気を持ち込んだのだと、村民たちは己に降りかかった不幸を通り過ぎっていった一人の男のせいにして生きていた。彼も白髪だった。

 父親は妻をなじった。あの男の子だろう、村に災いをもたらした男と寝た売女め、村を受け継ぐ者の血を汚す恥じ知らずが。子どもに聞かせるにはあまりに惨い言葉を浴びせ、女はせめて娘だけは守ろうと必死に抱きしめていた。まだ歩く事も知らない赤子が知っていたのは、まだ理解できない言語による罵詈雑言と自分を抱きしめる母の温もりだった。       

 母は食事もろくに与えられなくなっていたが、覚悟のなせる技か天が授けた奇跡か、乳だけはわが子へ与え続けた。だが半年も経つ頃に、女はこの世を去った。

 

 もちろん、少女を攫った吸血鬼にそのような事は知る由もなかった。しかし今にも折れそうな細腕と昇り始めた朝日を受けてきらめく群青色の瞳には、与えられるべき全てを奪われた寂しさが宿っていた。

 与えられる全てに縛られていた自分とは違う苦しみの中を生きてきた幼子に、どうか何にも囚われぬように生きれるようにと。夜明けの空の下、白い髪を一撫でして、額に優しく口付けた。

 こうして故郷を捨てた吸血鬼と、故郷に捨てられた人間は出会った。

 

 

 

 その幼子は自分の名前を知らなかった。

 

「カリアとかラミリーとか、そういう呼ばれ方、されたことない」

「……そっか」

 

 よく星が見える夜だった。夜空を見上げた吸血鬼はふと考えた。星とは、なんだろうか。家にいた時、吸血鬼に属する者として様々な教育を受けた。苦しみとも言える時間だったが、あの家にいた時間の中で、本を読んでいた時間は安らぎだった。逃げるように様々な本を読んだが、どの中でも星はただ夜空に煌く光とだけあって、腑に落ちる説明は終ぞ見なかった。だけど魔力灯と違う、遠くてか細い光に、昔の人と同じように静かに心が安らいだ。人間から血を吸った際の心を腐らせるような快楽とは違う、紛れもない自分が感じる安らぎを星に見た。

 

「ラディアラ」

「らでぃ……?」

「あなたの名前はラディアラ。私はフローレイアで、あなたはラディアラ」

「ながいよ」

「ふふ、そうだね。じゃあディアって呼ぼう」

 

 それは古い言葉で、星を意味する言葉だった。

 

 

 

 あれから幾らか時が流れた。

 吸血鬼が血を欲す以外の食事が人間と変わらないことは幸運だった。吸血鬼の故郷を抜け出す時に盗んできた()の扱いにもやがて慣れ、館の畑から採れる野菜とアルターの森の恵みは二人を養うのに十分で、ラディアラは健やかに育った。ラディアラは自身の正確な齢を知る術はなかったが、おおよそ十頃になっていた。

 いつだったか二人で忍んで街に行った時、ラディアラは幸運にもいくつかのジョブに就ける才を持っていたため、森での生活に不便しないように【夜行狩人】に就いていた。

 森の中をフローレイアの付き添いがありながらも歩けるようになったラディアラは、森を歩いては様々な山菜や木の実を取って持って帰ってくるのが好きな活発な少女になっていた。

 ある時二人がリビングで食事を摂っていると、ラディアラがフローレイアに我儘を言った。

 

「ねぇフロー、私次は【呪術師】がいい」

「えぇ?あれって確かあんまり扱いよくないよ?確か【襲撃者】とか【斥候】とか就けるはずだから、そっちの方がいい狩人になれるはずだけど……」

「でも、ラディアラがこの前守ってくれたのは【呪術師】の技でしょ?私もあれがいい!」

「うーん……じゃあ【呪術師】に就けるようだったら、それでいこう」

「ほんと?絶対だからね!」

 

 結局、フローレイアが人間に変化して二人で街に降りてジョブクリスタルの前に立った時、ラディアラは賭けに勝ったようにニッコリと笑いながら【呪術師】に就いたのだった。

 人間の寿命で変に回り道をするのはよく無いことだとは思ったけれど、珍しい彼女のわがままだったから折れて、そのまま【呪術師】としての教育もする事になった。その後、【呪術師】のレベルが50に到達して、【高位呪術師】に就くと言い出して、再び自身が折れるハメになる事をこの時のフローレイアは知らなかった。

 

 

 

 さらに時が経った。

 

「最近あんまり【高位呪術師】のレベルが伸びない」

「むしろ上出来じゃないかな、私の【高位呪術師】なんて30かそこらで止まっちゃったもん。もうすぐ17の誕生日だし、久しぶりに街に降りて他のジョブに就いてみる?【襲撃者】とか——」

「うーん、折角なら【宵闇狩人】に就きたいんだよね。なれるなら下級職より上級職でしょ?」

「それもそうか……」

 

 二人が出会った時のラディアラを5歳、出会った日を誕生日と決めたのはいつだったろうか。ともかく、この頃になるとラディアラの背もフローレイアと同じぐらいにまで伸び、フローレイアと大自然から多くを学び、すっかり自分の考えを持つようになっていた。

 ラディアラが選択するなら、変に自分の意見を通す必要はないかと考えた時、一つの考えがフローレイアによぎった。ラディアラのジョブ選択は私を追っているようでむしろ――

 ――そこまで考えて杞憂かと振り払った。何年も前に、それも一度しか話していない『吸血鬼の能力の下地』を身につけようとしているなど。

 既に一人で街に向かわせても大丈夫だと思える程度の一般教養は教えてあるし、やがて彼女は人間社会の中で問題なく生きていくだろうから。

 そんな筈はないだろうと。

 

 それが杞憂では無かった事を三年後、フローレイアは知ることになる。

 

□【宵闇狩人(ナイトシーカー)】フローレイア・リベナリル

 

 ディアの二十の誕生日の朝だった。贈り物にある紅石を渡した時、ディアはハッと顔を上げて私を見つめた。

 

「フロー、どうすればいい?」

「……まったく、覚えてないと思ったんだけどなぁ」

 

 本当は、『これを私と思って』と言おうとしていた。今日で、彼女には私から離れて人間たちの中で優れた狩人とした生きてもらうつもりだった。

 本当なら、今日でディアは私というしがらみからも解かれ、自由を手に入れるはずだったのに。望むなら、できるなら何をしたっていい自由を手に入れてもらうはずだったのに。

 

 だけどディアはここで私と生きる道を選び、紅石を口にした。

 

 その後は、火照ったディアをおさめるのに大変だったけれども。

 三日も経った時にようやくディアは落ち着いて、その次の朝日と共に目を覚ました。

 

 開いた目蓋の奥の群青の瞳はそのままだったが、この前までの白い髪はなく、私が掬った髪は星に照らされる夜のような黒になっていた。

 ディアは確かに私と同じ時を生きる存在になっていた。

 

「フローと同じだ」

「うん、私達の色」

 

 ディアは私を見て微笑んでいたけれど、微笑んでいたのは私も同じだった。

 今更になって気づいた。きっと、私はこうなる事を望んでいた。

 始まりは何もなかった私たちだったけど、今ここで、私たちが望んでいたものに手が届いた。

 薄明が過ぎて現れた太陽に照らされながら、私たちは触れ合って、もう一度眠った。

 

 

 それからしばらくの間、ディアは新しい身体の感覚に戸惑っていたようだったけれど、やがて慣れた。

 

「そういえば、吸血鬼になったけど、あんまり、なんて言うか……」

「吸血衝動がない?」

「そう!……もっと、定期的に込み上げてくるようなものを想像してた」

「え、私そんなに吸いたそうな顔してた?」

「ちょっと、時々……」

「そ、そうなんだ……」

「…………」

「…………」

「で、でも、初めて会った時以外そんなに切羽詰まったようなものをフローをから感じた事はなかったよ?」

「え……!?初めて会った、時って」

「私をフローが連れ去った時。あの時、本当は人の血を吸うためだったでしょ」

「……それは」

「別に気にしてないよ。それに小さい時はあの時の事を考えたりした事はなかったから」

「そ、そっか……ちょっと、ショッキングかな……」

 

 そうは言ったけれど、この十数年人間と一つ屋根の下で暮らしていたにも関わらず、そこまで強い吸血衝動に駆られた事がなかったのは私も不思議に思っていた事だった。一つ、仮説はあったけれど。

 

「きっと、飢えなんだと思う」

「飢え?」

「そう。たとえ肉体が満たされてても、心が飢えていたらそれを満たすために血を求めるんだと思う」

 

 私の一族がそうだったから、とは言えなかった。今の私は血に飢えない生き方しているけれど、かつての血に飢えた日々は未だに私の汚点だった。

 私の過去をディアに話した事はなかった。遠い所から来た事は察しているようだったけれど、あんな生き方をしていた事はこれから何があっても消えない私の罪の一つで、ディアを想うほどに口は重くなった。

 

「ふーん、そっか……」

「え、何?」

「なんでもない……こ、紅茶入れてくる」

「うん……。…………あ」

 

 ラディアラが去ってやや経ってから気が付いた。

 私の仮説に基くなら、私はディアと会ってから吸血が必要ないほどにずっと心が満たされていて、そして今のディアがそうだと言っているようなものだと。そんな事に気がついて、ちょっと、いやかなり、恥ずかしくなった。

 

□【宵闇狩人】ラディアラ・リベナリル

 

「ふぅー……」

「フローってこの時間好きだよね」

「うん、空が明るくなっていくけど、星はまだ見えるから」

「だからって館から出なくてもいいのに」

「いいじゃん、ディアは好きじゃない?」

「ううん、風が気持ちいいし、私も好き」

 

 私が吸血鬼になって、人間としてフローと過ごしたのと同じぐらいの時が過ぎた。

 人間の時の私の身体は成長という変化を続けていたけれど、吸血鬼になってからはそういう変化は無くなった。成長する私の傍らで全く姿が変化することのなかったフローと同じように、私たちが老いることはなかった。私の誕生日は二人の祝い事として残っているけれど、年齢を記憶しておくのは億劫になってはっきりとは憶えていない。けれど、それは何よりフローといられる残り時間を刻むような真似に意味がないと気づいたから。

 

「ん……あそこ、人影が見えなかった?……うん、気のせいじゃない」

「……本当だ」

 

 フローが何かに気づき、指した先には確かに一人の人間の女がいた。

 日が昇ったため動き出したようだが、明らかに狩りの格好ではない。亜人ならともかく人型範疇生物(ティアン)の中でも特に素手での戦闘力が低いのが人間だ。彼女の周囲にモンスターの気配は無いが、それでもこの一帯に生息するモンスターのレベルは低くない。放っておいては死ぬだろう。

 

「見過ごすのは気分が悪いね。私が行くよ、フローはご飯の支度しておいて」

「……いや、ディア、あなたが行っちゃだめ」

 

 私の腕を掴んだフローは、その視線を森の中をさまよう女へ向けていた。

 何をそんなに心配する必要があるのだろう。確かに夜は明けたけれど、彼女の服装や佇まいは明らかに戦う者ではない。それにあえて言いはしないけど、今や私とフローの能力差は縮まり、むしろジョブのレベルとステータスで言えば私の方が高かった。

 

「私だって【宵闇狩人】なんだよ?大丈夫だって」

「違う、そうじゃないの」

 

 今までフローが私に見せたことのない心配そうな表情だった。私は再び、何をそんなに心配するのだろうと思いつつも、私の腕を掴む彼女の手を優しく解いてもう一度大丈夫と言った。

 

「ディア……!」

 

 フローに背を向けて、走り出した。振り向くと、まだ不安そうな顔でフローがこちらを向いていた。私は微笑みを返し、そのまま走っていった。

 音を殺して近づく事もできたけど、いきなり現れても驚かしそうだからある程度近づいてからは適度に音を立てて歩んでいった。彼女は近づいてくる足音に怯えていたようだけど、それが人の姿をしていると気がつくと安堵の表情を浮かべた。

 

「大丈夫?そんな格好で来る所じゃないけれど」

「あぁ、よかった……あなたは、狩人の方ですか?」

「えぇ」

 

 背中に背負った弓を見せる。私のステータスなら殆どの狩りは素手でも問題ないけれど、森に出る時の習慣だった。

 

「じ、実は父が病で倒れて……なんとか力になろうと思って、こんな所まで……」

 

 そう言った彼女の手の中には確かに薬草が握られていた。

 

「病の症状は高い熱と手足の腫れ?」

「そ、そうです!」

「ならそれであってるわ。それだけあれば真っ当な【薬師】なら作れると思う。私は薬は作れないけど、あなたを送り届けるだけなら力になるわ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 フロー以外の人と話したのなんていつぶりだろう。そんな事を考えながら歩き始めた。歩みを進める方向に、少しばかりの胸騒ぎを抱えながら。

 

 

 彼女がここまで来た時は、高かった日がすっかり沈むまでかかったそうだが、十分な薬草を手にした今、私が背負って最短距離で行けばその数倍の速度で進める。流石にステータスに任せて走りはしなかったが、それでも朝のうちに村にたどり着いた。

 

「わぁ、こんなにあっという間に……!本当になんとお礼を言ったらいいか!……どうかしましたか?」

 

 私の背から降りた彼女が、顔を覗き込んで言った。

 私は前にかけていた弓を背に直しながら、あの胸騒ぎの予感が正しかったことを知った。

 

「いえ……着いたなら、私はここで」

「そんな!私と父の恩人なんです、せめて父に顔を合わせるだけでも……」

「……わかったわ、それだけ」

「こちらです!」

 

 走り出した彼女の背を追って歩き始めた。

 足取りが、重たい。見たくはないのに、どうしても目で追ってしまう。

 辺りにある麦畑に、点在する家屋。歩いている道。そのどれもが、見覚えのあるものだった。とうの昔に擦り切れて消えたと思っていた記憶が甦る。

 

 ここは、私の生まれた村だ。



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第五話 煙をあげる炎

□【宵闇狩人(ナイトシーカー)】ラディアラ・リベナリル

 

「こちらです!」

 

 歩いていく先をただ足を動かしてついていく。ここを最後に見たのはもう何年も前のはずなのに、なぜか見るほどに記憶が浮かび上がってくる。

 その全てはどれも苦い味。私を囲う子どもの群れ。それを見て放っておく大人たちの影。そして何よりも痛く刻まれるのは――

 

「ササーラ!今までどこに!」

「あなた!これを……」

「【ラーン草】か!お前、こんなに……」

「これだけあったらアシルさんたちの分も作れるかもしれない、今すぐ薬を作る!」

 

 いつのまにか私の足は一つの家の前まで着いていた。

 戸の前から家の中を見れば、私が助けた女性——ササーラというらしい——に駆け寄って話しかける男と、薬草を受け取って調合を始めた【薬師】らしい男がいた。薬師は薬草を受け取って家の中に入ると、床に臥している男の隣で薬草をすり潰しはじめた。

 

「どうやら妻が世話になったようで」

 

 惚けたように突っ立っていたのはほんの少しだったはずだが、いつのまにかササーラと話していた男が私の傍まできていた。

 

「ありがとうございます。おかげで義父さんの病も何とかなりそうだ、あなたは妻と父の恩人です。私はエルメア、あなたのお名前を伺っても?」

「……行きずりで助けただけよ」

 

 目を合わせられなかった。彼はまだ若く、私を虐げていた人々とは関係ないはずなのに、どうにもこの地そのものが私を拒絶しているかのようだった。まるで地の底を前後不覚で歩かされている不安感。こんなことならフローに任せておくべきだった。いや、フローのことだ、こうなる事を薄々察していたのかもしれない。下手に私を刺激するのを恐れてあの場では考えを言わなかったのだ。

 

 しかし、臥せていた老夫が薄らと開けた目と泳いでいた私の目が合ったその時、私はどうしようもない間違いを犯したのだと思い知った。

 

「「どうして」」

 

 双方が息を呑んだ、双方の顔が青ざめた。私が一歩後退り、男は身を起こす。

 

 男が私の顔を見て何を思い出したか、手に取るように分かった。なぜならその男は幼い私に刻み付けられた最も苦しい記憶の核を成す者。村の誰もからも見放された私を最も痛めつけた者。

 

「今更、何をしにきた!亡霊めが!」

 

 かつて何度も私を殴った手で私を指し、何度も私をなじった声で叫んだ。手も声も顔も、記憶のものより老けていたものの、違えるはずのないものだった。

 その男は、私の父だった。

 

「エルメア!そいつを殺せっ、魔性だっ」

 

 半狂乱は父か私か。狂ったように声を張り上げたのは父で、声にならぬ悲鳴をあげたのは私だった。

 もつれる足で踵を返した。逃げる姿はまさしく脱兎の如く。恐怖という牙に咬まれた脆弱な草食獣だった。

 

「殺せっ 殺せっ」

 

 老人の声が村中に響いていた。視線という視線が走り去る私を刺す。

 右肩に軽い衝撃、どこからか飛んできた矢が私の肩を射抜いていた。痛みで涙が滲み、傷口からは血が零れた。それでも走った。

 

「ディア!」

 

 村からそう離れた場所ではなかったが、私を何者かが抱きとめた。フローだった。私は全く気が付かなかったが、彼女はひっそりと私を尾けていたらしかった。

彼女の抱擁は、何よりも恐れていた過去との邂逅を果たした私にとってあまりに温かく、火傷してしまいそうなほどの優しい愛情にただ大声を上げて泣き続けた。

 

「帰ろう、私達の家に、帰ろう」

 

 それを言ったのは私か、フローか。どちらにせよ私は早くあの館へ戻りたかった。黒い外壁に、太陽や月の光を映すガラス窓。二人で食事を摂るリビング。二人で目覚める白いシーツのベッド。フローと共に過ごすあの場所へ、早く戻りたかった。

 家と呼べる家もなく、庇護してくれる人もいなかった忘れたかった過去を早くフローと過ごしたあの館ですっかりと塗りつぶしたかった。

 

なのにあのしゃがれた声がどこまでもつきまとっていた。殺せ、殺せ、と呪詛が私の耳朶にまとわり続けた。

 

 ◆ ◇ ◆

 

「あの村は……私の、父が……」

 

 泣き続けるラディアラは多くを語れなかった。それでもフローレイアは何が起きたかを大凡理解した。彼女を知る者がまだいて、愛の対極にある物を投げかけたのだと。彼女を行かせるべきでは無かったと深く悔みながら、ラディアラの傷に薬をつけて包帯を巻き、寝かせた。

次にするべき事は理解していた。これはラディアラの過去にまつわる事であったが彼女を関与させずに為すべきだとフローレイアは理解していた。

 

麓の村との邂逅は避けては通れない問題だと分かっていたけれど、何もこんな形でなくとも。

 

フローレイアが思い出すのはかつてレジェンダリアで見た景色。吸血鬼が人間を飼い、エルフや獣人などの他種族と手を取り合っている振りをしながらいかに相手を蹴落とそうかと腹の中を隠しあう、富と権力を求めて続ける終わらない闘争。あまりに醜い争いの形を許容できなくてフローレイアはレジェンダリアを抜け出したのだ。いつか、自分(吸血鬼)は他種族とも共存できるのだと信じたかった。

 フローレイアは麓の村と自分たち(吸血鬼)が、支配や排斥以外の形で関われると信じたかった。

 

 フローレイアはラディアラを寝かせたまま館を出た。あの村の人々がラディアラを追っているのは想像に難くなく、もし彼らが森深くにある館を見ればそれこそ暴動が止められないであろう事が予見できた。

 フローレイアはどうか血が流れずに済むようにと朱に染まる空を眺めながら、森の中を歩いて行った。

 

 やはりというべきか、館とはそう遠くない地点で一団と接触した。その大半はやっつけに槍を持たせただけの人々であったが、先頭を往くのは明らかに素人でない三人。

 彼らの目がフローレイアの紅い瞳と交錯する。

 

「お前、人間ではないな」

「これ以上近づかないで。彼女には関わらず、今すぐ帰って」

「そうはいかないな。村の人々は悪霊が出たと恐れている」「さては貴様のアンデッドか、【死霊術師(ネクロマンサー)】め」

「彼女は生きている。あなた達のように心がある一人の人間(ティアン)よ」

「皆、この【死霊術師】の声に耳を貸すな!」「誰もが無知で無力と思うなよ、術師」

 

 【弓手】の男が番えた矢が放たれた。

 日はまだ沈んでいないがやるしかない。矢を躱し、紅剣を創り出して低く構える。

 その隙にも【剣士】と【槍士】の二人が距離を詰めてきていたが、僅かに間合いの外。夜でないこの時、フローレイア(吸血鬼)にとって迂闊な攻めは命取りとなる。

 

 二本目の矢が空を駆け、場が動いた。胴を狙った矢を半身にして躱すが、その隙を突かんとばかりに剣士と槍士は動いていた。振るわれた剣を屈んで避け、突かれた槍先を剣で払う。返しに逆手に持ち替えた紅剣を槍士へ。胴を狙った一突きであったがしかし、退き気味であった槍士はそれを躱す。

 三本目。放たれた矢が無茶な攻め気で体勢の崩れた腿に突き立った。その一矢こそがこの連携の本命であり、それは僅かでは済まない隙を生む。

 膝をついたフローレイアに槍士が刃を叩きつけるように振り下ろす。紅剣で受けた彼女に槍士が顔を近づけ、小さく呟いた。

 

「今からでも逃げろ」

「なにっ?」

 

 気のせいに思えたが、武器の押し合いを続けながら槍士はあくまで静かに口を続けた。

 

「もう彼らは止まらない、あの娘を連れて逃げろ。闇に乗じれば不可能じゃない」

「彼女を追うあなたがそれを言うの」

「もう分かっているだろう。これ以上戦って平穏が勝ち取れると思っているのか」

「っ、爆ぜろ!」

 

 紅剣を炸裂させて破片を槍士に浴びせたが、彼は急所を庇って飛び退いた。

 

 再びフローレイアと前衛二人との距離が空いた。だが旗色は悪い。立ち上がろうとしたフローレイアの腿から濃い血臭が立ち昇り、片膝をついた。フローレイアが手痛い傷を負った一方で、狩人たちはかすり傷しか負っていない。この攻勢を逃すまいと剣士が剣を高く振り上げて叫ぶ。

 

「皆聞け!この女が死ねば、皆が見た死人(アンデッド)はただの屍へと返る!さすれば二度と死人の畏れは訪れまい!」

 

 野次馬と化していた村人らがどよめいた。恐怖と興奮の昂りの中、流れる私の血を見て殺せ、殺せと声が上がる。この術師を殺せ、あの死人を殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。

 

「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」

 

 自分の大切なものをただ踏みにじらんとする激しい渦に、フローレイアは今一度激昂した。彼らが望むそれは本当に、己の守りたいものを守るための殺生なのか。恐怖について目を背け、耳を閉じ、ただ叫ぶだけの盲目な狂騒ではないのか!

 滴る血液からもう一振りの紅剣を振り翳し、力の限り叫ぶ。

 

「あなたが、彼女に何も与えなかったあなたたちが!私たちから奪う権利なんてないでしょう!」

 

 フローレイアの叫びを森が聞いた。山を響き、空まで届き、雲も聞いた。武器を手に取る男たちも聞いていた。

 しかし彼らは赦しを与えて人々を導く導師でなければ、命を摘み取る狩人でしかなかった。

 

 

 

 ◆ ◇ ◆

 

□【宵闇狩人】ラディアラ・リベナリル

 

 血と、人の焼ける臭いを捉えた。それが何の匂いなのか、想像してしまった。どうか思い違いであってくれと願いながら匂いを辿る。それは村の中央から漂ってきていた。

 

 私が起きた時にフローの姿は無く、月光が差し込む寝室に私は一人で寝かされていた。不吉な予感を必死に抑えつけて、残されたフローの香りを追い、森の中で褐色になって乾きつつある血だまりを見つけ、十数人という数が歩いていっただろう轍を辿っていった。夜の森を走って、ステータスの限界を超えるほどに必死に走って、走って、ササーラに案内された村の入り口に着いた。

 

 息絶えた一つの躯が磔にされ、燃え盛る炎に焼かれていた。両腕は肘から先が無く、胸は深く袈裟に切れ裂かれていた。紅くきらめいていた瞳に光は無く、夜空を映したような黒髪と透き通るような白い肌は血と煤で余す所なく汚されていて、昇る火炎が舐めるように躯の脚を焦がしている。その周りには狩りの成功を祝う人々が炎を囲んでいた。

 フローだった。今まで共に過ごしてきた姿とは結び付かないほどに肉体を破壊され、生気を失った抜け殻がそこにあった。

 包帯を巻かれた右肩の傷の痛みを忘れさせるほどの冷たさが、氷柱となって心の奥深くに突き刺さる。拭いようのない絶望感、無力感、悲愴感。

 私の膝が折れて地に着かんとした時だ、火を囲む人々の中で最も火に近いところに立っていた数人の男が火を囲む人々へと向き直った。燃え盛る炎を背に一人が携えていた剣を掲げ、声高に叫ぶ。

 

「皆!人々を惑わす悪しき術師は倒した!二度と死人が現れるようなことは無く、この村で蔓延していた病もやがて消えるだろう!」

 

 熱狂の歓声があがった。ある者は諸手を上げて喜び、またある者は病に倒れている家族の安泰を知って胸をなでおろしていた。諸手を上げる者たちの中にはエルメアの姿もあり、またその遠くない所でササーラは父の背中をさすりながら暖かで穏やかな笑顔を浮かべていた。

 父と、ササーラと、エルメアと、何人もの大人たちが頭を垂れて感謝の言葉を並べていた。

 

 私の心を抑えつけるあらゆる留め金がはち切れた。全ての思考は彼方に追いやられ、ただ天を焦がさんばかりの怒りが燃え上がった。

 一跳びで群衆を飛び越えて、炎の前に降り立つ。高らかに叫んでいた男の胸を正面から掌で貫いた。五指が背中を突き抜けたが、そのまま腕を振るって明るく燃える篝火の中に放り捨てる。火に放り込まれるまで男は自分の身に何が起こっているかまるで分っていないようだった。呆気にとられた静寂に、木が燃え爆ぜる音だけが響く。

 誰も状況が飲み込めないうちに更に動く。側にいた男の首に手刀を打ち込み、もう一人の腹には足刀を叩き込んだ。頸椎を折られた男が私の背後で崩れ落ち、蹴られた男は子犬が蹴っ飛ばされるように緩やかな、高々とした軌道を描いて飛んでいく。大の大人がぐしゃりと地面に打ち捨てられるのを私は静かに見ていた。人々も黙って見ていた。ようやく彼らが狂乱に陥ったのは、息のあるままに焼かれる男の断末魔が響いてからだった。

  蹴り飛ばされた男の口は血の混じった泡を吐いて、その目は逃げ惑う人々を見た。そして私を見た。彼は最期に何かを伝えるつもりだったかもしれなかったが、無視した。全く興味が無かった。私の意識は次にすることにあった。鏖殺だ。

 一人も逃さなかった。膝をついて命乞いをした男の舌を引き抜き、背を見せて走り出した女の足を潰し、家に隠れて震える子どもには家ごと火をつけた。裂いて、潰して、焼いて、殺して、殺して、殺して。

 全てが潰えていった。全てが沈黙した。

 何人たりとも敵わぬ夜が広がっていた。

 

 最後に一人の男が残った。逃げもせず、隠れもせず、しかし戦いもしなかった男が一人。一番始めに命乞いをした男と一番始めに逃げ出した女の死体、二組の目玉の視線に射られながら、一つの村が終わるさまを小便を垂らして眺めていた。私の足音が近づいた時、男の顔がこちらを向いた。年を取っているものの、その顔はやはり記憶のものと易々と結び付く。そしてそれは男からしても然り。

 亡霊に怯える目は最期に何を思うのだろうか。

 

「お前があの時死んでいれば――」

 

 怨嗟の言葉を吐いた父の首を引きちぎった。目の高さまで持ち上げると、私と同じ群青の瞳が暗闇の中で燃える炎を映していた。私を、夜を、幾多の屍を炎が照らしていた。私の足から伸びる長い影が暗い森へと続いている。フローの躯と剣を掲げた男を焼いた炎はいよいよ激しく燃え上がり、二つの肉体を食い尽くさん勢いだった。そこに父の首を投げ込んだ。放物線を描いた父は火の中に飛び込み、鼻を衝く毛髪の焼ける匂いがまた一段と強くなった。炎は無感情に焼き、照らし、昇っていく。

 

 たった一人、私が残った。

 こんな事の為に、私はあの日選んだ訳ではないのに。私はただフローと生きる時のためにこの身を望んだのに、私の身体は余すところなく血に塗れていた。

 

 やがて雨が降り、燃え上がる何もかもを流していった。

 

 

 

 ◇

 

 窓から差し込む陽光で目が覚めた。遥か昔の追体験も、そこで終わった。フローを亡くしたあの時を夢で見たのはひどく久しぶりだったけれど、思い出す匂いは全て新鮮なままだった。

 そしてあの時の、もう二度と触れたくないと思った痛みは再び訪れた。また、独りになった。

 

 「あぁ…………」

 

 私はフォリウムを拒絶した。昨日まで当たり前のようにこの館に訪れていた温もりはもうこない。たとえ〈マスター〉たるフォリウムが本当に不死であろうと、関係ない。昨日までと同じ明日はこない。そして今まで私が独り繰り返してきた日常ももう来ない。

 〈マスター〉の不死性は恐らく事実だろう。それを語るフォリウムに嘘は無かった。きっと私が殺した〈マスター〉は数日もすればこの地を再び訪れるだろう。私が彼らを殺さなくてはいけないと思ったのと同じ程に、彼らは私を殺そうとしていた。果たして、不死身の狩人が一度(ひとたび)目を付けた獲物をそう易々と諦めるだろうか?

 何度殺しても甦り、何度も相対しなければいけない狩人の襲撃を一体何度耐えられるというのだろうか。

 一体何度、ここを守れるだろうか。

 

 だがどうしようもない。フローから唯一遺されたこの場所を失う選択肢などはじめから選べるわけがないのだから。

 

 

◆ ◇ ◆

 

■アルター王国南東部・リクヴィル村

 

「はぁ……」

 

大きなため息が煙草の白煙と共に吐き出された。その二つがさらに大気と混じりあい、目の前の風景に溶けて消えていく。目の前に広がるのは穏やかで慎ましい農村。点在する家屋に広がる畑。柵にもたれかかり、少し遠くに目をやれば草原が広がっている。それはともすれば大空よりも遥かに自由を感じさせる景色だ。

 

「平和だねぇ」

 

 右頬に狼の刺青が施された男が呟き、再び煙草に口をつける。

 揺らがぬ安寧を象徴するかのような景色に向けた言葉は、どうして不満の色で満ちていた。

 それもそのはず。彼、アイス・ブレイカーは殺意が飛び交う戦場を駆け抜け、刃をぶつけ合い、極限のリアリティの下の戦いを求めてデンドロの世界を訪れていたのだから。だが今はどうだろう?幾つもの失敗が重なり、生殺与奪権を握られ、あまつさえこんな平穏の中で放置される事を強要されていた。

 無意識の内に右頬に触れる。この皮膚を剥げば呪縛から逃れるのではないかと希望的観測を抱いては、不可避の炎が自らを貫く想像から逃れることができずに頭の隅に追いやっていた。堂々巡りだった。

 煙草を吹かしては無為の思索を続ける彼の下に男が歩いてきた。

 

「そんなに退屈か?」

 

「そりゃあな。お前らは討伐クランだろ?なのになんだってアルター王国に来てまでこんな辺鄙な村でのんびりやってんだ。お前だって退屈じゃねぇのか?」

「まず、『お前』じゃなくてラスティネイルだ、いい加減名前で呼んでくれ」

「長ぇだろ」

「ならラスティでいい」

 

 ラスティネイルは続けた。

 

「それにアイス、」

「アイスって呼ぶのだせぇからやめろ」

「……『お前らのクラン』って言うが仮とは言え自分だって入ってるんだぜ?今回の狩りが終わってセーブポイントまで着いたらオーナーも正式に加入させるだろうさ」

「ピクニックが趣味の討伐クランなんざ入ろうとは思えねぇけどな」

「それについては朗報だ。明日、ようやく仲間がこの村に合流する事になった。オーナーもギデオンからここまで来るから、そこから狩場に向かう」

「やっとか!」

 

 ようやく戦闘が自分を待ってる事を知らされたアイス・ブレイカーの顔に喜びが浮かび、そしてあのいけすかないオーナーとまた顔を合わせる事を遅れながら理解し、またため息をついた。

 

「ま、いいさ。数日振りの戦闘だ、俺は好きにやらせてもらう」

 

 短くなった煙草を惜しむようにとびきり深く吸った。デンドロでは煙が肺を満たすこの感覚さえも現実と全く相違ない。そしてそれは矢の唸り声、振るわれる刃、吹き出す血も然り。命がひりつく闘争を思い出し、煙を吐いた。今度はため息は共にいない。吸い殻を靴ですり潰しながら、心の中は戦いを臨む高揚感で満たされていた。

 

「それと、オーナーの前では煙草は吸うな。あの人は煙草嫌いだからな」

「はぁ!?あいつ炎キャラなのにか!」

「関係あるか?それ」



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第六話 安全圏にこもれ

 □【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 館がやたら広々と感じる。

 フォリウムが来てから、今日でちょうど七日目だった。彼女が〈マスター〉として度々館を離れていた事を考慮すれば、実際に過ごしていた時間はそれより短い。

 

 起きて、挨拶を交わす人なんてずっといなかった。

 たまたま館の近くを通りがかり、出会った人々ならこれまで何人かいた。しかしフローがいなくなってからフォリウムがこの館で寝泊まりするまでの間に、同じようにこの館で寝泊まりした人は100年以上前の【薬師】以来だった。

 

 だからずっと過ごしてきた独りの館であるはずだった。

 窓の外に降る雨以外は何も音がない、静かな館。こんな雨の日は二回の畑から野菜を採ったり、フローが遺した本を読んだりして過ごしていた。

 

 何も変わらない雨の日の館であるはずだった。

 窓の分厚いガラスは館の内装と私を映している。ガラスに映りこむ像はずっと昔から変わらない見慣れたもの。

 ガラスが映してきた今まで通りの日々を過ごせばいい。そう考えても、私はいつの間にか椅子に腰かけていた。

 何をするでもなく、何を考えるでもなく、ただ腰かけていた。

 

 日が沈み、窓の外が夜の暗闇に満たされても雨はずっと降り続けていた。

 

 ◇

 

 目覚めた時に陽光は無かった。昨日降っていた雨はいまだに分厚い雲を空に残し、窓から見える空には曇天が広がっていた。

 私はベッドから起きあがり、ふと白いシーツを撫でた。

 一人では広すぎるベッドだ。思えば独りになってからもう二百年近い時が経つが、ベッドの広さを感じたことなどそれこそ二百年ぶりぐらいのように思えた。

 

 今日はこの前の戦闘でボロボロになった外套などの修繕に一日を費やした。この館は食料の生産だけでなく、服の修繕のための糸はおろか機織機を使って糸を編むこともできる。今回はストックされていた布を使ったために機織機の出番は無かったが、その他にも様々な機能がこの館には備えられていて私がこんな所で一人で暮らすことができているのは超級職や吸血鬼だからなどという理由よりも館によるものが大きいのは疑いようのない事実だった。

 

 やがて修繕も終わり、次に何をしようかと考えた所で私は昨日から何も食べていない事を思い出した。

 

 キッチンに向かう途中で、窓から夜空の様子が見れた。どうやら雲は晴れたらしく、綺麗な星空が広がっていた。

 

 思えば長い時を生きてきたものだ。

 私がフローと出会った日。毎年訪れるその日の星空は覚えている。夜空を見上げれば否応もなく思い出すのだ。

 

 ――ねぇディア。この星空は私達が出会った時の星空なの。夜空に浮かぶ星たちは、毎日少しずつ配置が変わっていくんだけど、それは一年で一週してまた同じ位置に戻るの。だから、今日この空に浮かんでいる星たちは、私達が出会った時の夜と同じ星空なんだ。

 

 ――今日でもう十年なんだ。早いね。

 

 それはまだ私が吸血鬼になっていなかった時の事。微笑みかけながら優しく私の頭をなでるフローの顔には優しさだけでなく、惜しむような寂しさがあった。

 人間と吸血鬼の間に立ちはだかる時間の壁を惜しむ寂しさだった。

 

 ◇

 

 何が起きようと日は昇る。暖かな温もりと肌をチクリと刺す眩しさで何度でも昇る。はるか向こうの稜線から出てきた太陽は尾根に立つ私の髪を黒く艶めかせていた。

 

 昨日と一昨日は館から出なかったけれども、昨夜はフローとよく見た景色が懐かしくなって月が高いうちに館を出た。

 朝日なら、館の寝室からも見える。しかしフローはそれとは別にここから見る景色も好んでいた。

 私は今でも太陽の良さというものがよくわからない。だけど尾根から昇る太陽を見つめるフローの横顔や、白いシーツの上にふわりと広がる夜のように黒いフローの髪が陽光で照らされる様は好きだった。今でも思い出せるくらいに。

 

 山の中に建つ館も、朝日の入ってくる寝室も、長く続く稜線も、木々が茂るこの森も、この地を照らす太陽も、ここから見える全てはフローが愛したものだった。

 いや、全てがそうという訳ではないか、と遠くに木々がなぎ倒されてできた空間を見て気づいた。フローがいなくなってから変わったものもある。あの木がない空間はこの前〈UBM〉と戦った跡だ。……もう少し探せば〈マスター〉たちと戦った跡もみつかるだろうか。

 

 今日で三日目だ。森で二人の〈マスター〉を殺してから、三日目。早ければ今日の夕刻にでも彼らは仲間を引き連れてくるだろう。

 風が強く吹いている。風は髪を乱暴になびかせ、落ち葉を舞わせ、雲を遠い国へと運んでゆく。昨日はどうだったろう、風は吹いていただろうか。

 明日もこの風は吹くんだろうか。

 

 答えはない。やがて高く昇った太陽は、眼下の全てを遍く照らしながら西の空へ沈んでいく。

 アルターの森を夕映えが朱く照らしていた。

 

 ◇ ◆ ◇

 ■アルター王国ギデオン・【冒険家】ギルド

鬼鉄(オニガネ)】キングスバレイ

 

 日没が近い。太陽が複数あるわけでもないデンドロの世界は現実と同じように日が暮れる。空が暮れと夕焼けのグラデーションになり、ギルド内にも明かりが灯される頃には〈F・Shaker〉の面々も六人が集まっていた。

 

猛炎騎士(ナイト・オブ・ブレイズ)】スレッジ・ハンマー

大予言者(ギガ・プロフェット)】パッセンジャー・リスト

鬼鉄(オニガネ)】キングスバレイ

盾巨人(シールド・ジャイアント)】アースクエイク

双鎌士(デュアル・シックルマン)】ダイキリ

狙撃名手(シャープシューター)】ブラック&ホワイト

 

 【スプリンガー】の追跡にと招集された俺たちは、スレッジ・ハンマーから後出しで『7割ぐらいの確立で【スプリンガー】は討伐されているもの思っていてくれ』などと言われたが、その場合でも伝説級〈UBM〉に匹敵するらしい戦力が存在するだろうとのことで、レジェンダリアにとんぼ返りするような奴は一人もいなかった。

 まだ戦闘用の装備をしていない人もいる一方、抜き身のライフルを下げる【狙撃名手】、鎧姿の【盾巨人】、SF競泳水着のような恰好をした【双鎌士】など、すでに戦闘職らしい恰好をしたやつもいる。

 ……自分で言っておきながらダイキリ(【双鎌士】)の恰好は()()()()()か?首から下の肌の露出がないとはいえ、身体にぴっちりと密着したスーツは女らしい肉体の曲線を惜しげもなく見せていた。スーツの全体を覆うゲル状の物質が放つ光沢が、官能的な雰囲気を醸していた。

 

 ふと、ダイキリのものではない視線を感じて見渡すと、テーブルに一人で座る女がひそめた眉を隠しもしないで俺を見ていた。

 たしか名前を『ひー』と言った。メインジョブは【冒険家】や【大冒険家】ではないが、それでもアルターの【冒険家】ギルドに登録のある【冒険家】らしい。オーナーが協力を取り付けたという彼女の視線に居たたまれなくなって俺はダイキリに向けていた視線を逸らした。

 

 ともかく、クランの中でもなかなかに壮観なメンツが揃っていた。これにさらに上級職四人が合流するとは、よほどこれからの戦いを警戒しているらしかった。

 

 そんな事を考えていると、ギルドの外に何か巨大なものが現れていることに気が付いた。話し声も聞こえてくる。

 

 ――ちょっとコレとコレ、短いんじゃない?

 ――うるせぇ、乗る前にそれでいいってアンタが言ったんだろうが

 ――頼むから通りでそんなもの出さないでくれ、こんな所でしょっぴかれたりしたら……

 

 何かを渋っている一人と話を切り上げたがっている二人。そう待たずに話は終わって、巨大なものの気配が消えた時にはギルドの扉を開いて二人の男が入ってきていた。

 

「オーナー、お待たせしました」

「構わないよ。ハイランド、ソルティ、この距離をよく来たものだ」

 

 先んじてアルターに入った癖に藪をつついてデスペナを食っていた二人だった。レジェンダリアからギデオンに来るには『シモノケタクシー』を使ったらしい。

 そのタクシーは利用料にあるものを要求する事からレジェンダリアでは有名だった。飛行速度も空輸成功率の高さも良いのにあまり利用されない訳にはその利用料が絡んでおり、ギルド前での問答は正に利用料にまつわるものだった。詳細は二人の名誉のために省くとしよう。

 

「さて、これで八人。リクヴィルの待機組を拾いに行こうか」

 

 足を組んでいたオーナーが椅子から立ち上がった時だった。

 一枚の硬貨が放物線を描き、オ-ナーの座る机に落ちた。

 

 皆の視線がカタカタと音を立てる硬貨に集まる。どういう意図かとその【冒険家】の女を見やった時、誰よりも早くオーナーが口を開いた。

 

「なんのつもりかな」

 

 それは投げてよこした硬貨について——ではない。カウンターに一人で座る彼女がまさに今している事についてだった。ひーとかいう変な名前をした彼女はマッチを擦り、いつの間にか咥えていた煙草に火をつけ、ギルド内全てを煙で満たしてやろうとばかりにたっぷりと白煙を吐き出していた。

 一言で言うなら喫煙していた。禁じられているはずだった。それは何よりも不機嫌を微塵も隠さないオーナーの声色が証明している。

 

「それ迷惑料。いやね、どうにもあなたたちのしたいようにさせてあげる訳には――」

 

 バチリと脳天から駆け抜ける電流は《危険察知》の報せ。だが経験則で分かる、これは致命的な危険ではない。

 その油断のせいで俺の反応は遅れた。

 

「〈エンブリオ〉だ!」

「――いかないんだよね、《凍界の楽園(アイランド・イン・ザ・パルマフロスト)》」

 

 パッセンジャーの警告も虚しく、ひーの言霊が世界を塗り替えた。先程までの日没時特有の温かい空気は消え、広がるのは寒冷な氷河の空気。

 暴力的なまでの冷たさに驚いて漏らした息が白く染まる。床を、椅子を、机を、俺たちの装備をあっという間に霜が真っ白に染め上げた。

 それを為したのがひーの〈エンブリオ〉によるものである事は間違いない。

 

 極寒の別世界と化したこの場で最も早く動いたのはダイキリだった。この中で最もAGIが高い彼女はその素早さにものを言わせ、ひーが《瞬間装備》を発動するよりも早く【双鎌士】の刃を閃かせた。

 ダイキリの〈エンブリオ〉はボディスーツ型のアームズ。スーツに蓄えられたゲル状の物質は人工筋肉のように彼女の動きをサポートしつつ、攻撃時には硬化して刃となる。

 手、足、腹、背。あらゆる部位が刃の起点。全身から生やす複数の刃を読み切るのは至難。END型はもちろんAGI型でも遅れを取りうる。

 

 今まで多くの獲物にしてきたように、その高速変形・変幻自在の鎌は一人の無謀なマスターの急所へと滑り込む致命の刃であるはずだった。

 しかしダイキリの刃はひーが空中に生み出した氷の結晶に阻まれた。

 続く二撃目。ゼロ距離まで近づいたダイキリが防がれた左手の刃を引っ込めつつ、代わりに刃を生やした右手で首を刈りにいくと同時に左脛から生えた鎌がひーの足を薙ぎにかかる。

 対するひーは《瞬間装備》。しゃがみ込んで首狙いの刃を躱し、取り出した剣で足を狙った鎌とかち合わせる。

 そのまま剣を跳ね上げてダイキリの体勢を崩しにかかったが、ダイキリも鎌を軟化させて剣の勢いを流しつつもその回転モーメントに従って自ら跳躍した。

 体操選手のように身体を捻りながら全身から細い刃を生やし、チェンソーの如き高速回転の刃でひーに反撃するが彼女はその間合いから拳一つ分の距離だけを取って見切っていた。

 

 刃の軽さという弱点はあれど、それでも近接戦を得意とするダイキリが押されているのは、この極寒でいつものようには身体と〈エンブリオ〉が動かないからか。

 

 

 瞬間的に始まった戦闘だったが、パッセンジャーがダイキリ一人では詰め切れないと判断して続いて指示を出す。

 

「寒冷領域を展開するTYPE:ワールドの〈エンブリオ〉だ、少なくともギルド内は領域内!ブラック&ホワイトは直ちに寒冷領域を脱してから援護開始、次に俺が脱出して援護に回る!」

「《ヒート・ウェーブ》……まずいね、温度の上昇にレジストがかかってる。この程度の魔術じゃ相殺しきれない」

「わかりました、オーナーは《ヒート・ウェーブ》の維持だけしてMPを節約していきましょう……皆は俺が外に出るまで時間を稼いでくれ」

「任せろ」

 

 パッセンジャーの指示に返事を返したものの、現況は著しく悪い。そもそも八人を相手どって戦おうとしている奴が勝算無しとは思えない。

 

 唐突に始まった戦闘の緊張感を鎮めようと息を吸った瞬間、改めて俺は塗り替えられた世界に戦慄した。別に攻撃されたわけではない。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 もちろん痛みはない。しかし痛覚を遮断したアバターでも窒息の苦しみはあるように、炎の熱さを感じるように、このアバターは身を貫くほどの寒さというものを手加減なく伝達する。

 寒さ。生物である以上決して逃れられないものをこの〈エンブリオ〉は武威にしてしまった。

 

 だが、なんというのだ。手足がもがれたわけでも、目を潰されたわけでもなく、武器を奪われたわけでもない。支障はあれど戦える。なんら問題ではない。パッセンジャーが領域外に出れば、()()()()()()()()()()()形勢は返せる。何より、今から大物狩りに行こうという所で邪魔されてたまるか!

 

 その想いは皆一緒だった。《瞬間装備》で俺の手にモーニングスターが、ソルティ(【剛剣士】)の手に剣が、アースクエイク(【盾巨人】)の手に大楯が、ハイランドの手に〈エンブリオ〉の松明が握られた。

 ブラック&ホワイト(【狙撃名手】)は距離を取るべく脚甲の特典武具にSPを込め、切り結ぶのは不利と判断したダイキリも《隠蔽》と《気配操作》を発動して姿をくらまして次の奇襲へと備えた。

 

「あらら、【隠密】系統?」

 

 軽いリアクションを残したひーを隙と見てモーニングスターを構えたが、パッセンジャーの制止が入った。

 

「警戒!でかい魔法が来るぞ!」

「了解、《ディヴァイダー》!」

 

 叫んだのはアースクエイクだ。スキル宣言により右手に持つ大楯から複数のパーツが分割。手盾程の大きさのそれぞれが盾として強固な防御力を維持したまま彼のレギオンの〈エンブリオ〉によって戦場のあらゆる場所へ素早く届けられる。

 《ディヴァイダー》を確認してブラック&ホワイトは走り出し、ハイランドは《詠唱》を始めた。

 パッセンジャーが〈エンブリオ〉を発動できていない事以外、いつも通りの布陣だった。

 いつも通りの防御手段を皆が信頼していた。

 いつものように宙を自在に舞うあの頼もしい盾が自分たちの前に来るのだと信じ込んでいた。

 

 しかし盾はアースクエイクの手元から飛び出したかと思うと、たちまち減速し地に落ちた。

 

「は!?」「なっ!?」

 

 皆が驚愕に固まる中、ひーは狙いを定めていた。

 狙われたのは俺とソルティではなかった。落ちたとは言えすぐそこまで飛んで来ていた盾を自力で拾えたからだ。

 《瞬間装備》で新たな盾を構えていたアースクエイクの下に留まっていたパッセンジャーとオーナーたちも狙われなかった。

 所在を潜めるダイキリと走り去るブラック&ホワイトも狙われなかった。

 

 狙われたのは盾が来る前提で《詠唱》を始めていて無防備なハイランドだった。

 

「《ホワイト・フィールド》」

 

 護ってもらう前提で足を止めていたハイランドに【白氷術師(ヘイルマンサー)】の奥義が着弾した。ハイランドの足元にぶつかった冷気の塊が一気に拡散し、その猛威を振るう。彼は直前に飛びのこうとしていたようだったが、暴力的な冷気で満たされるこの領域内で放たれた《ホワイト・フィールド》は躱すにはあまりに広範囲を影響下に置いた。

 熱を奪いつくさんとする大魔法がハイランドとその一帯を覆い隠す白霧を生む。それはまだ霜になりきらず大気中に残っていた水蒸気が過度の冷却で絞りだされて凍結した氷霧。ギルド内の照明の光を受けてキラキラと輝くそれはともすれば幻想的な景色。

 だが忘れてはならない、それは上級職の奥義が呼んだ惨状なのだ。濃い氷霧の中にあるハイランドの影はピタリと動かない。【凍結】避けのレジストさえも突破されて氷像と化したか。

 

「《アイシクル・ランス》」

 

 またもやひーのスキル宣誓が為された。狙いは分かり切っている。【凍結】したハイランドを砕くためだ。しかし防げない。

 

「メリッサ、なぜ動かない!」

 

 アースクエイクが叫ぶも相変わらず原因不明の不調で盾が動くことは叶わず、防げる者も近くにいない。放たれた氷槍は目標へと飛翔する。弾丸の速度と巨大な氷柱の質量、そのシンプルな運動エネルギーは脆い氷像と化したハイランドを砕くに能う。

 だが、それを遮るものがあった。

 

「《ファイアーウォール》」

 

 オーナーの《ファイアーウォール》だ。炎壁が氷霧を切り裂きながらハイランドの前に現れ氷槍と衝突、灼熱と冷気が混じりあう。

 結果は灼熱の勝利。氷槍はきらめきながら降り注ぐ細氷へと姿を変えた。

 こうしてハイランドは守られた。

 

 ――そこに遠方よりガシャンと氷像が砕ける音がした。

 

 まさか。

 

 全員が振り返った。そこには低温領域を抜け出そうとしているブラック&ホワイトしかいないはずだから。

 ブラック&ホワイトは確かに低温領域外にいた。彼の足は霜が降るギルドの床の向こう、冷やされていない石畳の敷かれた、ただのギデオンの通りにあった。

 しかしそこにあるブラック&ホワイトの身体は()()()()()()()()()()()()、駆け抜ける姿勢のままの彼が地面に叩きつけられ砕けていた。俺たちが見つめたも束の間、バラバラの氷像と化して石畳にまき散らされたブラック&ホワイトの身体が光の塵になって舞う。

 最も安全圏にいたはずの一人が、為す術なく散っていった。

 もし、それが《ホワイト・フィールド》のようなスキルによるものであれば()()()()()()()()()()()()()()()()。しかし彼さえ気づいていなかった以上、ひーはブラック&ホワイトを【凍結】させるためにスキルの発動などは何もしていない。であれば——

 

「領域外にでれば【凍結】!?」

「……冗談だろう」

「大マジだよ、《アイシクル・ランス》」

 

 指揮をとるべきパッセンジャーも、武器を構える俺たちも、最も広きを見ていたオーナーでさえも固まっていた。その隙にひーは迷わず一手を打った。

 今度こそ無防備だったハイランドの胸を氷槍が砕く。氷像の頭が地面に落ちるよりも早く、砕けた氷像の破片はブラック&ホワイトの後を追うように光の塵となった。

 

 あっという間に二人の〈マスター〉が斃された。

 

 アースクエイクの盾は相変わらず動かない。その訳にようやく皆が気が付いた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()。目をやれば盾が落ちていた場所で弱々しく蠢くモノ達があった。

 

 この盾はアースクエイク自身の〈エンブリオ〉によって運ばれる。その〈エンブリオ〉に障害があった。彼の〈エンブリオ〉は蜂型のレギオン【禍捧蜂窩 メリッサ】。

 その蜂の羽が凍てつき飛ぶことが叶わず、寒さで瀕死になって地を這いずり回っていた。

 

 最悪だ。

 遠距離攻撃を行うブラック&ホワイトと中距離攻撃を行うハイランドはデスペナ。極寒の悪影響でアースクエイクのレギオンが活動困難、おそらく俺のガードナーも召喚直後からいきなり活動に障害をきたすだろう。そして屋外に出られない以上、パッセンジャーは〈エンブリオ〉を使えずいつも通りのスタイルによる援護が叶わない。

 

 1対8の戦力差でいきなり二人を削ってみせたひーは不敵に剣を構え、【冒険家】のものではない武威を見せながら口を開く。

 

「外には出ないほうがいいよ。ここがあなたたちの安全圏(レフュージア)だから」

 

 極寒の世界に立つ【白氷剣士(ヘイルソードマン)】の女はそう言った。

 




【白氷剣士】
魔法剣士系統派生上級職
【白氷術師】+【魔法剣士】による上級職。AGIが良く伸び、MPもほどほどに伸びるステータス成長をする。
 冷気をまとった剣による攻撃が特徴。サブジョブが習得している氷属性魔法を扱える特性を持つ。
 このジョブをもつ時点で【白氷剣士】【白氷術師】【魔法剣士】【剣士】【魔術師】が最適解となり残り下級職が3つとれるだけ、その上ジョブコンセプトからオールラウンダーを目指しているせいでどの距離で戦っても本人のセンスが問われる難易度の高いジョブ。

【白氷活殺 レフュージア】
 ひーの〈エンブリオ〉。《凍界の楽園》によって自身を中心として低温領域を作り出し、さらにその外殻に超低温領域(あんぱんで言うとあんが低温領域でパンが超低温領域)を展開するTYPE:ワールド。
 第二層にあたる超低温領域はその温度もさることながら熱伝導速度が凄まじく、人体程度なら一瞬で凍らせる。突破できるのは炎熱特化の〈エンブリオ〉か〈UBM〉程度に限られる。
 モチーフは氷河期において局所的に生物が生き残ることができる場所である『レフュジア』。


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第七話 白氷活殺

■【鬼鉄(オニガネ)】キングスバレイ

 

「外には出ないほうがいいよ。ここがあなたたちの安全圏(レフュージア)だから」

「ふざけんじゃねぇッ!」

 

 剣先を俺たちに向けて不敵に言ってのけたひー(【白氷剣士】)へ真っ先に駆けだしたのはソルティ(【剛剣士】)だった。両手剣の〈エンブリオ〉である【ベレニケ】を背に背負い、突撃する速度そのままに剣を振りぬいてやろうと言わんばかりの全力疾走。

 これから狩りに行く相手は【スプリンガー】か、【スプリンガー】を単独討伐した可能性のある超級職のティアンだと聞かされていた。

 そのティアンの情報をデスペナを代償に持ち帰ってきた一人がソルティだ。この狩りへの意気込みはリアルでのチャット上からでも推し量れるものであったが、それが妨害されたとあって彼は怒り心頭であった。

 しかし、単独で突っ込むのはいただけない。

 

『ファフロツキーズ、《カオス・コマンド》!』

 

 一瞬だけ姿を現した灰色の人型(【ファフロツキーズ】)がすぐさまその形容を変化させていく。

 俺の【笑姿千万 ファフロツキーズ】はランダムで異なる姿のモンスターになるガーディアンの〈エンブリオ〉。そのステータスは時間制限とランダム性の二重の縛りによって莫大であるが、ステータスがランダムであるが故に獣戦士系統派生超級職である(【鬼鉄】)のステータスも大きく変わり、採るべき戦法も連携も変わる。

 パッセンジャーの〈エンブリオ〉による連携の補助が無い今ではむしろ戦闘の枷になりかねなかったが、もはやステータスの底上げ無しで勝てる相手でもなかった。

 

『れぃぃぃぃん、コマンド・トウモロコシです』

 

 俺のステータスに爆発的な補正が加わると共に、ずしん、と。全高2メテルはあるだろうトウモロコシが黄色い穂を包む苞葉を足のようにして立ち上がった。立ち上がったトウモロコシからさらに小さなトウモロコシが二本ニョキと生えて腕となる。

 トウモロコシの胴体、ままトウモロコシの形をした両腕、足代わりに生えた葉で地面に立つ姿はトウモロコシの擬人化というよりセンスの悪い着ぐるみのようだ。

 

「よりによってトウモロコシか」

『れぃぃぃぃん、それが《カオス・コマンド》』

 

 アースクエイクが漏らした愚痴にファフロツキーズ=トウモロコシが答えるが、頭に生えたトウモロコシ特有のひげは凍りつき、全身の動きもどこかぎこちない。この低温領域から悪影響を受けているのは一目瞭然だった。

 おまけにファフロツキーズ=トウモロコシのステータス構成はSTR特化。魔法で戦うジョブ構成のひーとは間違いなく相性が悪い。そして何よりもSTR型では既に駆け出しているソルティをこの距離から援護する術がほとんど無い。

 

 アースクエイク(【盾巨人】)が構える盾に守られるパッセンジャーとスレッジ・ハンマー(オーナー)のうち、パッセンジャー(【大予言者】)が《予言》の力を乗せて指示を出した。

 

「《盾が飛ぶ》」

「《シールド・フライヤー》!」

 

 すかさずアースクエイクが《シールド・フライヤー》を放った。低温領域で蜂の〈エンブリオ〉による補助が無いにも関わらず、盾は通常の【盾巨人】では説明できない豪速でひーへと飛んだ。

 

「よっと」

 

 軽い言葉でひーは盾を躱し、当たらなかった《シールド・フライヤー》は並ぶテーブルを小枝を砕くように破壊しながら進み、カウンターにぶち当たった。木製のカウンターが大きくひしゃげる。

 凄まじいエネルギーによる破壊を尻目に、ひーは駆けて来ているソルティから目線を外していなかった。

 

「来なくいいのに……《ホワイト・エッジ》」

「ハァッ!」

 

 【白氷剣士(ヘイルソードマン)】のスキル《ホワイト・エッジ》によって攻撃力と耐久力を上昇させ、更に白い冷気を帯びたひーの剣が【剛剣士(ストロングソードマン)】であるソルティの〈エンブリオ〉を迎え撃つ。

 片や先程まで片手で振るっていた無銘のブロードソード。

 片や分厚い刀身の両手剣である【ベレニケ】。

 鍔迫り合いは一瞬。バックステップで距離を取ったのは、STRが勝るはずのソルティだった。

 

 《ホワイト・エッジ》のエンチャントはひーが捧げた一万ものMPによって無銘の剣を打ちなおし、その攻撃力と耐久力を【ベレニケ】との剣戟すら可能な領域に高めていた。

 更に数十秒で効果が切れる筈の《ホワイト・エッジ》は《凍界の楽園》が生み出した極寒の大気の下で発動された事により、その発動時間を著しく延長させている。

 

 無銘はもはや無銘にあらず。その銘を“一花心(ひとはなごころ)”。凍界が消えれば共に消えゆく運命だが、触れれば火傷するほどの冷気を纏った魔剣である。

 

「《大嵐》!」

 

 俺の手にあったモーニングスターが鎖を10メートル以上に伸ばしながら回転し、横薙ぎの一撃としてひーを襲う。

 いまだに砕けていなかった数少ないテーブル達を砂塵を切るように粉砕しながら駆ける一撃は隠密性など毛ほどもなく、ひーは容易く跳んで避けた。だがその回避行動がソルティへの追撃を中断させた。

 

 味方をも巻き込みかねない広範囲無差別攻撃の鉄球と鎖。それが【冒険家】ギルド内の家具を粉砕しながらそのままパッセンジャーとオーナーへと向かったが、すんでの所で新たな盾を《瞬間装備》したアースクエイクによって防がれた。

 激しい音を立ててぶつかった鉄球と盾にオーナーが口笛を吹く。

 

「おみごと、アースクエイク」

「おいキングス!俺が防げるのも限度があるぞ!」

「仕方ねぇだろトウモロコシじゃAGIが足りねぇんだから!」

 

 大きな声で話す俺たちの会話を止めるように、《シールド・フライヤー》の盾が埋まったカウンターの向こうから大きなクシャミが聞こえた。

 

「ぶはっくしょいい!ひー!お前って奴は久しぶりにギルドに顔を出したと思えばまた迷惑を持ち込みやがって!」

「ごめんね、修理費はこいつらと折半するからさ」

 

 ひーと呑気に話す男の左手には紋章が無い。おそらくはこの【冒険家】ギルドの責任者のティアンだろう。

 いや、そんな事よりも。

 こいつは今、()()って言わなかったか?

 

「する訳ァ無ェだろがァ!」

 

 青筋を浮かべてソルティが吼えた。

 これはマズい。

 

「ファフロツキーズ、投げろ」

 

 

 

■【盾巨人《シールドジャイアント》】アースクエイク

 

 ソルティが挑発にまんまと乗ってひーの間合いに入ろうとするのを彼女は静かな目で見ていた。

 ひーは間違いなくここで取る気だ。

 しかしこの距離、俺では間に合わないしダイキリが突っ込むにはリスクが高すぎる。

 

 そう、ダイキリなのだ。この戦場で最も鍵を握るのは。

 【(シャドウ)】のスキルによって気配を消しているせいで仲間の俺たちでさえ無事かどうかすら探知できないが、この戦闘の鍵は間違いなく彼女だった。

 

 俺は低温領域により〈エンブリオ〉が機能不全でただの【盾巨人】。パッセンジャーも屋内のせいで〈エンブリオ〉が使えず【大予言者】の力を十全に発揮できない。オーナーは戦う事による消耗が激しい戦闘スタイルのせいで、この後の戦いを意識している以上ここでは戦力として数えられない。

 これだけのハンデが多い中で、最もひーを殺しうるのはソルティ(【剛剣士】)でもキングスバレイ(【鬼鉄】)でもなく、ダイキリ(【影】【双鎌士】)だ。

 鎌士系統派生上級職である【双鎌士(デュアル・シックルマン)】に就いているダイキリの一撃は、急所さえ突けば一刺しでひーに致命傷を与えうる。

 俺たちがひーに僅かでも隙を作れば、その瞬間にダイキリが致命の二撃を叩き込んでブローチとHPを全て削り取る。

 だから俺たちの勝利条件はひーに決定的な隙を作らせる事。それだけでいい。

 

 ソルティは【剛剣士】とは言え、今のキングスバレイに比べればまともなAGIを持つ前衛なのだ。そんな彼をここで失えば、なんらかの切り札を使わない限りまず間違いなくひーを倒せなくなる。

 

 万事休すに思われた時、視界の隅でキングスバレイが動き出し、呼応するようにパッセンジャーが《予言》を告げた。

 

「《ファフロツキーズがキングスバレイを投げる》」

 

 そんな無茶な、と思われた次の瞬間にはファフロツキーズの鳴き声。『れぃぃぃぃん』の一声と共に馬鹿げた速度でキングスバレイが射出された。

 

「《殴打》っ」

 

 能筋な音速機動の中で告げたキングスバレイのスキルは実にシンプルなもの。ただコンパクトな動作で棍棒を殴りぬけるだけの棍棒士系統の初歩的なスキル。しかし音速機動と《殴打》によって加速したモーニングスターの柄は、ひーがソルティへ振るおうとしていた“一花心”をすれ違い様にへし折った。

 

 なぜモーニングスターの星球鎚ではなく、柄を振るったか?答えはシンプル。自身が投げ飛ばされた勢いでファフロツキーズを連れてくるためである。

 

「ヨイショォッ」

 

 キングスバレイが数メテルほどひーを通りすぎた所でモーニングスターの鎖を引けば、その先に括り付けられていたファフロツキーズが勢いを再現するようにひーへとスッ飛んで行く。

 

 2メテルを超える巨体が飛んで来たにも関わらず、武器を折られたひーは至って冷静。半メテルはあるトウモロコシ形の巨大な拳が振り抜かれるも、ひーは闘牛士さながらに至近距離で身を翻してファフロツキーズの手に触れた。

 

 何が起こるかを予見したパッセンジャーが《予言》を告げる。

 

「《ファフロツキーズが凍らされる》」

「《フロストバイト》」

 

 僅かに先んじて《予言》したパッセンジャーの言葉に続き、ひーの《フロストバイト》によって彼女が触れるところから魔力が流れ込んで魔法として形を成す。

 それは接触した部分を【凍結】させる【白氷術師(ヘイルマンサー)】のスキル。この低温下において発動するそれは植物をモチーフとするファフロツキーズ=トウモロコシの半身を【凍結】させて余りあるはずだったが、パッセンジャーの《予言》が的中したことで【凍結】範囲は拳程度に収まった。

 

 それがパッセンジャー・リストの【大予言者(ギガ・プロフェット)】の能力。

 彼の《予言》に則った現象はその規模が都合の良い方に大小される。

 放つ攻撃の速度はより速く、受ける攻撃のダメージは小さく、と言った具合に。

 彼自身の行いによるものは《予言》の影響を受けないが彼の《予言》を聞いた上での行動は問題なく恩恵を受けることができる。

 

 新たな無銘の剣を《瞬間装備》しながら、ひーは【大予言者】の能力の片鱗に気づいたようだった。

 

「ようは喋る前に殺しきればいいんでしょ……《ホワイト・エッジ》」

「やってみろよッ、なびけ!」

 

 ソルティの声に応えて彼の〈エンブリオ〉である剣がうねりながらひーに迫り、一方ひーはもう一度“一花心”を生み出し、再び二人の剣が交差する。

 STRを遺憾なく発揮してなびく【ベレニケ】をひーが捌き、冷気を纏う“一花心”をソルティが打ち払う。

 冷気と柔毛。どちらも異能を備える剣であったが、性質による相性差がはっきりと出た。

 【ベレニケ】はある程度は冷気を押し返す様子があったものの、もとよりこの低温。打ち合った箇所からじわりじわりと冷気が脅かしてくる。

 キングスバレイやファフロツキーズも援護を入れるが、STR特化の彼らではどうしても剣戟に割り込むにはAGIが足りなかった。

 

 余りに味方が密集しているせいで【メリッサ】による自在軌道の《シールド・フライヤー》が使えない今の俺では大した援護はできない。

 かといってあの只中にはとび込めない事情がある。

 

「アースクエイク、分かっているとは思うが離れてくれるなよ」

「【盾巨人】の君さえいなかったら彼女は即座に《ホワイト・フィールド》をここに叩きこむだろうね」

「……分かっています、あの目は狙っている目だ」

 

 こちらを用心深く見つめるひーの目。俺やオーナーがいつ動いてもいいように気を配ると共に、俺が動いて盾による射線の妨害が無くなれば迷わず【白氷術師】の奥義をパナそうとしている目だ。

 

 まさか、はるばるアルターまで来た狩りにこんな前哨戦があるとは思いもよらなかった。それも、ただの上級職と上級エンブリオ相手にここまで手玉に取られる事があろうとは。

 これが狩りを控えた戦いでなけれぼまだやりようもあるというのに。

 

 そこまで考えた所で、俺は何度目かとなろう疑問にぶつかるのだった。

 それは《凍界の楽園》が展開されてからずっと脳裏にちらつく疑問だった。

 考えても詮の無いことだ。

 だのにどうしても離れない。なぜ、なぜだ?最初から不可解だった。理由も目的も分からない。

 

 ――なぜ、ひーは俺たちと戦っているんだ?

 

 ◇ ◆ ◇

 

□現実世界にて昨日

 

 樋口(ひぐち) 千尋(ちひろ)はデンドロ世界から帰ってきていた。

 

「南東、南東……なにかあった気がするんだけどなぁ」

 

 ギデオンを並々ならぬ様子で飛び出していったフォリウムを()()として見送った彼女は頭を悩ませていた。

 フォリウムが踏み砕いて行った石畳についてティアンに説明し、とりあえず賠償を立て替えて、それからしばらくはキーワードとしてどこかで聞いたはずの『南東』という言葉をどこで聞いたか頭を悩ませていたが、埒が明かなかった彼女は結局ログアウトしたのだった。

 インターネットの力でも借りようかとスマホに手を伸ばしたところで、スマホにメッセージが来ていることに気が付いた。

 

「あれ、譲羽だ」

 

 なにか面倒なレポートでもあったかなと思い開いてみれば、そこにあったのはシンプルな頼みだった。

 

『私がログイン可能になるまでどうにか時間を稼いでほしい』

 

 どうしても、もう一度会って話をしたい(ティアン)がいる。

 

 譲羽《フォリウム》の話を聞くうちにやがて頭の中の点と点が繋がった。

 南東。なんとなく気に食わなかったスレッジ・ハンマー。討伐クランの〈F・Shaker〉。

 どうやら譲羽が会いたいと言う人は、彼らに命を狙わているようだった。

 

 ひーは遊戯派だ。フォリウムがなぜそこまで一人のティアンに固執するかが分からない。

 しかし彼女の脳裏に浮かんでいたのは顔も知らぬティアンではなく、アクセサリーショップに並ぶ【ブローチ】の前で、今までに見たことがないほど切羽詰まった様子のフォリウムだった。

 あれほど困窮した姿を見せた友人を見捨るつもりはなかった。

 

 理由としてはそれだけであった。ただそれだけ。莫大な利益が絡む訳でも、〈F・Shaker〉の面々に恨みがある訳でもない。彼らからすればとんだとばっちりだろう。

 

 ただ友の願いを叶える為。その為だけ戦う。

 

 ――それってなんか、サイコーに熱くない?

 

 故に。

 千尋(ちひろ)白氷剣士(ひー)の”一花心”をここに振るう。



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第八話 死に至らぬ死

大変お待たせいたしました。
更新再開に付随してのお知らせですが、この度今作全話書き直しました。
話の大筋は変わっていませんが、細かい描写・演出の変更の他矛盾点の整理など行っております。
細かい事は活動報告の方に載せてありので、よろしければご覧ください。
それではどうぞ




■【盾巨人(シールド・ジャイアント)】アースクエイク

 

 〈エンブリオ〉たる剣を振るう【剛剣士(ストロング・ソードマン)】。

 第六形態のガーディアン(【ファフロツキーズ】)

 《獣心憑依》によってそのステータスの60%を自身に上乗せしてモーニングスターを振るう【鬼鉄(オニガネ)】。

 

 それらと相対するは一人の【白氷剣士(ヘイル・ソードマン)】。

 

「なびけ!」

 

 ソルティが裂帛の気合いと共に振るった剣はその形を変え、僅かに剣先を伸ばしながらひーを狙ったが狙いは当たらず。ひーは同士討ちを狙ってかファフロツキーズの懐へと飛び込む。

 

『れぃぃぃぃん』

 

 ファフロツキーズもトウモロコシの形をした拳を振るって応戦するが、いかんせんAGIの差を詰めきれないで拳は届かない。

 モーニングスターでは鎖が味方を絡め取ってしまいかねない為か、キングスバレイはカウンターに埋まっていた盾を掴んでは、スキルも無しにただSTR任せにぶん投げた。

 

 バオンッ。

 

 縁から衝撃波を発しながら飛んでいく盾をひーは反射的に避けて見せた。

 【冒険家】の《直感》によるものか、あるいは素で持っている戦闘勘のなせる技か。

 

 並の前衛超級職すら一撃で破壊しかねない盾の投擲は、暴力を象徴するように破壊と轟音を撒き散らしながら【冒険家】ギルドの中を駆け抜けて、俺の《シールド・ハンドラー》によってなんとか受け止められた。もし俺が受け止めていなければ、背後にいるオーナーとパッセンジャーがどうなっていた事やら。

 

「だからキングス!」

「いいじゃねぇかお前が止めれるんだから!」

 

 ただ、キングスバレイのなんちゃって《シールド・フライヤー》を放ってひしひしと実感するのはAGI不足だ。

 攻撃を氷属性魔法や冷気で行うAGI型の【白氷剣士】相手では、END寄りのソルティやSTR特化のキングスバレイ達では分が悪い。

 

 今もどこかに潜むダイキリに、奇襲狙いではなく共に前衛として戦ってもらった方が良いかと思った時。ソルティが大きく舌打ちし、己の長髪に手をかけた。

 

 必殺スキルの予備動作だ。ここで使えばこの後の狩りでは使えないだろうに、AGI不足を補う為であればやむを得ないと言ったところか。

 

「《勝利と栄(ベレ)——》」

 

 しかしその行為には一つの大きな過ちがある。

 彼の必殺スキルの発動に必要な『己の髪を断ち、剣に捧げる』という工程は、敵の目の前で行うには余りに無防備。普段であればその隙を、俺の〈エンブリオ〉である【メリッサ】が自在に小盾を飛ばして守ってくれるが——

 

「【メリッサ】は無いんだぞ!」

 

 距離は十分に離れていた。ひーは背を向けてファフロツキーズと斬り合っていた。それを隙と見ての必殺スキルの行使だったかもしれないが、彼はひーが用意した餌にまんまと釣られていた。

 即座にファフロツキーズに背を向けて駆け出したひーの、ソルティに向けられた左手には既に爆発的な冷気の前兆。【白氷術師】の奥義《ホワイト・フィールド》だ。

 

「《獣武一体》!」

 

 キングスバレイが【鬼鉄】の奥義を発動し、跳ね上がったSTRによってバズーカのように打ち出されたモーニングスターがひーを後から狙う。

 左後方からやってきた鉄球と鎖、それさえもひーは躱し、左手から《ホワイト・フィールド》が放たれる。

 

 その瞬間を()()()()()()鎖がひーの左腕を強かに打ちすえた。

 

 腕がへし折れ、《ホワイト・フィールド》はその射線をソルティから逸らした。

 しかし直撃は一秒にも満たなかったにも関わらず、【白氷術師】の奥義はソルティの半身を【凍結】させていた。

 

 だがひーの注意関心は既にソルティに向いておらず、尋常でない挙動で自身の腕を破壊した鎖へと向いていた。答え合わせのように鎖の先にある鉄球が啼いた。

 

『ジャ!ジャジャ!』

 

 先程までの鉄球ではなく、角を生やした蛇のような動物の頭がそこにあった。

 それこそが【鬼鉄】の奥義たる《獣武一体》。自身が装備する武器を意思とステータスを持つモンスターと化し、もう一体の《獣心憑依》の対象とするスキル。

 【獣戦士】は本来、素手、爪、牙以外の武器スキルを発動させられない。しかしそのルールを覆すのが【鬼鉄】。その固有スキル《武と獣》によりサブジョブにある剣士系統、槍士系統、棍棒士系統などの武器を扱うジョブのスキルを扱う事ができる。獣と共にある戦士でありながら武器を持つ矛盾を許されたジョブ、それが【鬼鉄】である。

 その【鬼鉄】が許すもう一つの矛盾こそ、同時二体への《獣心憑依》。

 奥義 《獣武一体》は伝説級特典武具の【ヒゲダンシャク】を武器モンスターと化し、そのステータスの60%をキングスバレイへと上乗せする。練度不足故に発動時間は90秒に限られるが、限定的に120%の上乗せによりステータスの理論値は【獣王】を超える。

 

「ウォォッ」

『ジャジャジャ!』

 

 24時間のクールタイムを必要とする切札はここに使われた。

 STRをさらに増強させ、AGIも上昇させたキングスバレイが【ヒゲダンシャク】と共に決定打を与えんと駆け出した刹那。

 

 【白氷剣士】もまた奥義を切った。

 

「《ペニテンテ》!」

 

 目の前に広がった絶景に、キングスバレイが息を呑んだ。

 

 ひーとキングスバレイまでの距離、数メテル。

 二人を繋ぐ地面にいくつもの氷柱が生えた。

 それは氷柱にして氷柱にあらず。複製された数十という“一花心”である。

 

 美しくもある氷剣達は、白い殺意の群れ。

 絶死領域だった。

 

「飛べ」

 

 短く呟いたひーに、キングスバレイが吼えた。

 

 地面から生えた“一花心”達が一斉にキングスバレイへと向かい、キングスバレイは【ヒゲダンシャク】を振るいその全てを叩き落とさんとする。

 首、足、腹、肩、腕、ありとあらゆる部位を狙い、音速を突破する白刃達をキングスバレイが振るう柄と角を持つ蛇の頭たる【ヒゲダンシャク】がへし折り、潰し、壊す。

 

 一つが首を狙い、柄で打ち払う。

 一つが頬を掠め、僅かな切り傷から凍傷が広がる。

 一つが腹に突き立ち、冷気が広がる前に【ヒゲダンシャク】の鎖が引き抜いて、折る。

 

 瞬く間に増える裂傷凍傷、しかしその全てがかすり傷。

 

 ぶつかる奥義と奥義。何人たりとも踏み入れぬ白銀の嵐。

 

 永遠にも思える絶技の応酬であったが、しかして終わりは必ず来る。

 

 展開していた幾多もの“一花心”の全てががへし折られ、地に散り空に舞う。

 亜音速の域まで高められたAGIにより、重力に従い自由落下する氷剣の欠片達がゆっくりと落ちるように感じる加速時間の中、キングスバレイはひーを見据えた。

 

 まだ《獣武一体》による強化は続いている。次は、お前だ。

 

『ジャジャジャジャジャ!』

 

 けたたましく啼く【ヒゲダンシャク】。そのAGIはひーに喰らいつくに能い、STRは噛み砕くに能う。

 

 【ヒゲダンシャク】の突進を躱し、突撃を選んだひーはその右手に残る“一花心”で決着をつける気か。

 

「いいだろう!」

 

 今この時ならばAGIは遅れを取らない。

 勝負時だった。

 

 【ヒゲダンシャク】の鎖をのたうちさせながら引き戻しつつも、ひーと激突してやろうと突進するキングスバレイ。

 

 ——その右腿を一つの“一花心”が薙いだ。

 

 それが正真正銘、《ペニテンテ》による最後の一振り。

 複製された数多の氷剣の中で唯一残った一振り。

 

 氷の欠片達に埋もれていた一つの“一花心”がキングスバレイの足を切りつけ、そこから氷が一気に広がる。

 

 右足の自由を失い、ガクリと膝をついてひーと対峙したキングスバレイは、果たして——

 

「——一手、先か」

 

 苦し紛れに柄を振るったキングスバレイの喉元に、“一花心”が突き立った。

 【ヒゲダンシャク】の軌道を読み切ったひーによる、その手に握った“一花心”による刺突だった。

 

 【凍結】が全身に回り氷像と化したキングスバレイ。“一花心”が引き抜かれると同時に像の首が落ち、【鬼鉄】とそのモンスター達は光の塵と化した。

 《ペニテンテ》により束の間の顕現を許された数多の“一花心”達もまた、彼らと共に塵となる。

 

 奥義の応酬の果ての決着。

 光と氷の粒子が織りなす、幻想的な景色が広がっていた。

 

 ——その煌めきを歪める存在が一つ。

 

 ひーの傍の空気が陽炎のように歪んだ。

 誰もいなかった空間に現れたのは【双鎌士】のダイキリ。彼女が見出した好機がここだった。《ペニテンテ》の絶死圏外から、一息にも満たぬ内に間合いへと飛び込んできたのだ。

 

 《隠蔽》をかなぐり捨てて振るう〈エンブリオ〉の薄刃が、ひーの右腕を切断した。

 溢れる血が即座に凍結して傷口にはりつく様を見ながら、ひーは後退り、ダイキリは体勢を整えた。

 

 腕から生やした刃を戻しつつ、至近距離で放った刃を伴うハイキックがひーの喉を突く。

 

 的確な急所攻撃が鎌士系統のスキルによって威力を跳ね上げ、確かにひーのブローチを砕く一撃となった。

 超級職でないダイキリの一撃は【ブローチ】を貫通することさえないものの、もとより【双鎌士】。第二の刃で剥き出しの命を刈り取ればいいだけだ。

 ハイキックの姿勢のまま、膝から伸びる刃がひーの心臓を目指して走る。

 

 ひーの左腕は鎖で砕かれ、右腕はダイキリによって切断された。

 もはや彼女に防ぐ手立てはない。

 

 【双鎌士】による、確実の致命撃たる凶刃が——

 

「《玄冬素雪は揺籃(レフュージア)》」

 

 ——何者かの手で掴まれた。

 

 その色は白藍。今宵見た如何なる氷よりも透き通るそれは、手だけではなく腕を持ち、胴を持ち、脚を持ち、ただ一つ頸だけを持たぬ氷像。

 半ばで断ち切られたかのような頸からは今にも先が生えてきそうだったが、顔を持たぬ氷像はそのまま掴んでいた刃を捩じり切ってダイキリを蹴り上げた。

 

 AGIに優れた彼女でさえ認識不可能な速度で蹴り抜かれ、天井に激突する。

 そこへ《シールド・フライヤー》を飛来させるも、氷像はこちらもただの片手で掴み取った。

 僅かな後退もない。特殊能力ではなく、ただステータスの卓越が故に。

 

 今もダイキリが天井から落下しゆく中、ひーは命令を下す。

 

「キーストーン、排除して」

 

 それが白藍の氷像の名前。ひーの必殺スキル(玄冬素雪は揺籃)により、《凍界の楽園》内で死んだ存在達のリソースを凝集させて生まれ落ちた絶対強者。

 二体のモンスター(ファフロツキーズ、ヒゲダンシャク)二人の上級職(ブラック&ホワイト、ハイランド)一人の準〈超級〉(キングスバレイ)。それらのリソースをキーストーンは一身に背負っていた。

 

 キーストーンは左手で盾を掴んだまま、ダイキリへと右手を翳す。

 その手に迸る空気を歪める程の冷気は、ひーの《ホワイト・フィールド》を上回る圧倒的な超々低温。

 

 キーストーンへと自由落下を続けるダイキリが己の必殺スキルを宣告した。

 

「《誰も捕まえられっこないさ(ジンジャーブレッドマン)》!!」

 

 もはやダイキリに次の戦いへの余裕など無かった。

 

 ここで殺し切る。

 

 その覚悟が聞こえるように、彼女が纏うゲル状の〈エンブリオ〉が隆起した。

 

 手を翳したキーストーンの射線から()()()()()離脱し、レーザーのような冷気の奔流をすんでの所で躱した。

 必殺スキルの使用により、ダイキリの〈エンブリオ〉は出力を数倍へと跳ね上げる。

 AGIは倍に。人工筋肉としての性能も向上。硬化して成す刃は鋭さそのままに強度はヒヒイロカネの如く。

 さらに必殺スキルの発動中、ダイキリは真空さえも足場にして世界を駆ける。

 

 避けた一蹴りで十数メテルを移動し、音速さえ置き去りにさる機動で【白氷剣士】の下へ。

 

 ここで。今、ここで殺し切らねば。

 

 ——そう駆け出そうとしたダイキリの周囲を白藍の刃が包囲した。

 

 それはキーストーンが発動した《ペニテンテ》。展開速度も展開密度も先程の比ではない。

 如何なる怪力も、如何なる堅牢も、いかなる韋駄天さえも殺す、まさしく氷獄。

 

 バツンと弾ける音は刃が放たれた衝撃波か、はたまた一人の〈マスター〉の命が潰える音か。

 ダイキリは塵に還った。

 

 キーストーンがこちらを向いた。

 今の今まで、ただ傍観するしかできなかった俺を咎めるように。

 城壁を破壊する一撃さえ防いでみせるという【盾巨人】の自負を砕くように、顔の無い貌《かお》がこちらを睥睨した。

 

 形勢は傾いた。

 ひーは両腕を失った上に大魔法を重ねて使ったことでMPは枯渇寸前だったが、キーストーンはまだ無傷でいる。ワールドの領域から出られない制限を負う代わりに顕現に時間制限を持たない凍界に生きる絶対者。それがキーストーンだった。

 

 低温領域による凍死を待つまでも無く、もはや俺たちになす術は無かった。

 

 だというのに。

 

「実に惜しかった」

 

 この男は一人、飄々と言うのだった。

 

 この状況で俺たちに何が出来ると言うのか。

その身の半分以上を凍てつかせた【剛剣士】が、紙切れほどにも役に立たない盾を持つ【盾巨人】が、一切の光明を見出せない【大予言者】が閉口する中、オーナーは荘厳な教会に踏み込んだ背信者のように口を開く。

 

「実に惜しかった。ダイキリを落とした今の瞬間にダイキリでなく僕たちを狙っていればデスペナになってたのは彼女じゃなく僕たちだった」

「今からでもしてあげるよ」

 

 俺たちを磔にしているのはいまだ身を刺す極寒によるものか、キーストーンの存在感(プレッシャー)によるものか。

 標本にされたように動けぬ俺たちを尻目に、オーナーはそれでも口を続ける。

 

「さよならだ」

 

 その一言で、終わった。

 

 ひーは身じろぎ一つしなかった。

 キーストーンも指一本動かさなかった。

 

 ただ——

 

 ——駆け抜けた超々音速の何かが両者に気付かせないままひーの身体を貫いて、有り余るエネルギーが彼女の身体を両断していた。

 

「——(イム)》」

 

 消えゆく極寒と絶対強者。

 その二つを見送るように、一人。さっきまでこの場にいなかった男が立っていた。

 

「さすがのPK(プレイヤーキル)と言うべきかな、アイス・ブレイカー」

()()()がいなけりゃ、この槍はお前に向けていたんだがな」

 

 レジェンダリア国境にて俺たちと共に来る選択をしたPK(プレイヤーキラー)、アイス・ブレイカーだった。

 

「尻ぬぐいをさせて悪いね」

「間に合うためにだいぶと無理はしたぞ。申し訳なく思うんならこのままセーブポイントまで行かせてくれないか」

「オーナー、くれぐれもしちゃダメですよ」

「心配しなくてもしないよ、ラスティ」

 

 また別の男がギルドの入り口に立っていた。ラスティネイルだ。

 この二人はギデオンより遠く南東にあるリクヴィル村で待機していた。しかし、早々にデスペナになったメンバーからのリアルを通した連絡により戦闘を知った彼らは駆けつけ、今、決着がついた。

 

 ひーは知る由も無かった。残る二人という内の一人が、ここまで強襲に特化した存在だとは。

 ここで俺たちを全滅させて三日間のデスペナを稼ぐ事が最善と考え、最後の最後までそのつもりで戦っていたようだったが、その企みは成就寸前で止められた。

 もしPKの存在を知っていれば、それこそオーナーが言ったように捨て身ででもオーナーやパッセンジャーと言った超級職の後衛達を狙ったのかもしれないが、無駄な仮定だった。

 

 ひーは斃れ、ここに六人の〈マスター〉が集結した。

 それだけが真実だった。

 

 ここに集った俺たちは、討伐クラン〈F・Shaker〉。

 いよいよ本懐の大物狩りへと動き出した。

 

 月が上ったばかりの宵だった。



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第九話 船は来たりて

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 星を隠す曇暗な雲の合間から月が僅かに顔を出した。

 三日前の()()()も、夜空は雲に覆われて月明りは無かった。だが目覚めた時の感覚が確かならきっと、ちょうど月があの高さに届いた今が()()()から七十二時間の経過だった。

 私は館の外壁にもたれかかり、はるか遠く北西の稜線を眺めている。

 

 ずっと考えないようにしていた事がある。

 あの時、私がフォリウムに向けた殺意のままに彼女を殺したのは事実だ。たとえ彼女が〈マスター〉でその命が仮初だとしても、それは揺らがない。

 けれど私がフォリウムの心臓に触れ、脈動する命を感じ取った時。

 

 見つめ合った私とフォリウムは共に何かを言おうとしていた。

 

 手の平から伝わる熱とフォリウムの瞳に煌めく私の姿。

 あの時に私の口を突いて出ようとした言葉が何なのか、私自身分からなかった。

 

 だけど。

 もしも。

 確かめる事が許されるなら。

 フォリウムがあの時に何を思ったのかを聞きたいと、そう思ってしまう。

 

 私が一人、ありもしない希望を待っている時だった。

 稜線の向こうに一つの影が現れた。

 帆船だ。月明かりが弱い今宵の空であくまで朧げな姿であったが、それは確かに帆船だった。

 

 私の心臓が静かに跳ね上がる。

 

 空を飛ぶ帆船が誰の象徴かは言わずもがな。二度に渡り私の窮地に駆けつけ、遂には私自ら拒絶した彼女のものだ。

 

 その甲板に立つ姿を見つけようと、宵闇の中を飛ぶ帆船を見つめる。

 大きな帆。空を掻く櫂。船が近づきその姿が明瞭になっていく一方で、私の希望は薄暗く塗りつぶされていった。

 

 よくよく見れば帆船の意匠は細部が異なる。さらに、空を飛ぶ事以外は普通の木造帆船の様相であったフォリウムのものと違い、その船体は半透明であった。

 夜の闇を透した黒でありながらも、船体の各所には星のようにきらめく灯が埋め込まれていて、この距離からでも見えるのはその微かな明かりが半透明の輪郭を淡く照らしているからであった。

 

 甲板に立つのは望んでいた(ひと)ではなく、杖や盾や剣など多種多様な装備をした()()の男達だった。

 その中の大きく分厚い刃の両手剣を担ぐ男の顔と剣には見覚えがあった。三日前、なびく剣で私と戦った〈マスター〉に違いなかった。

 

 瞬間、私が立つ館一帯に《看破》の感覚。

 あまりにも容易く、館の《幻惑》が剥がされた。今や館を覆い隠していたヴェールはその姿を暴かれ、秘密は公然たるものになっていた。

 信じ難い事だったが、彼らは数千メテルは離れた先に掛けられている《幻惑》を感知し、それを《看破》したようだ。

 

 私は瞼を閉じ、静かに息を吐いた。

 

 ◇

 

 彼らの接近はあくまで静かなものだった。

 船が館に近づいて静かに地面に降り立ち、男達は館を中心とした森の開けた空間の端に並んだ。

 

「君がラディアラ・リベナリルだね」

 

 一人の男が尋ねて来たが、既に《看破》で私の名前は分かっているのだろう。言葉には確信がこもっていた。

 

「えぇ。要件は仇討ちかしら」

 

 話しかけて来た男とは別の、剣を背負った男のギラギラとした目を見れば分かる。

 雪辱を果たさんと炎に燃える瞳だ。仮初の命を言えど、私に殺されたことがよほど腹に据えかねるらしい。今にも剣を抜きそうな面持ちだ。

 しかし話しかけてきた男は剣の男を諫めるようにしながら、あくまでも落ち着いて言葉を続ける。

 

「はは、そんなに殺気立たないでくれよ。僕たちは一体の〈UBM〉を探しにはるばる来ただけなんだよ?何が何でも君を殺したいって訳じゃあない」

「彼は違うようね」

「殺されたともあれば恨みの一つもあるだろうさ。でも本当に目的は〈UBM〉さ、狩りの楽しみがあるならそっちで発散させるよ」

「【スプリンガー】なら死んだわ」

 

 ざわり。

 

「そうか」

「手負いだったようだけれど、あなた達が戦ったのね。気が立っていて苦労させられたわ」

 

 三日前に私に《真偽判定》を使った〈マスター〉こそいないようだったが、ここにいる他の誰かが同様の手段で私の言葉の真偽を測ったのだろう。

 彼らの戦意がやおらに膨れ上がる。

 

 私はついさっきまでしていたのと同じように北西の空を眺めていた。そこにはただ暗い夜空の下、星も月も隠すような雲が広がっているだけ。

 他には——ましてや帆船なんて——なにも無かった。

 

「ただで帰るという事はないのでしょう?」

 

 どうせ、いずれこういう日が来るのだと思っていた。

 これはあの時の続きだ。

 私の為にフローが死んだあの日の続き。炎に焼かれ、雨に流され、風に消えた数多の命が、死の運命を私の下に運んできた。

 

「ティアンなのに話が早くて助かるね。ともすれば八つ当たりだろうけど、僕たちの楽しみが奪われたんだ。君に支払ってもらおう」

 

 彼らはあくまで遊びだ。仮初の命で過ごす世界であれば、そうもなるだろう。自分の命が無際限に支払えるモノになれば、命の価値は暴落する。それは己の命だけでなく、他者の命ごと暴落する。

 〈UBM〉狩りという享楽が失われたから、失われた〈UBM〉を他の命で補填する。単純な理屈だ。単純な理屈で、人間はいとも容易く他者の大切な物を奪える。

 

 男は薄っすらと笑みさえ浮かべながら、芝居がかった仕草で指を鳴らした。

 彼らの背後の帆船が光の塵になるのと同時に、四人の男たちがそれに応える。

 

「《ディヴァイダー》!」

 

 【盾巨人(シールド・ジャイアント)】の持つ大楯が七つに分かれ。

 

「《勝利と栄光を捧ぐ(ベレニケ)》!」

 

 自らの長髪を切り落とした【剛剣士(ストロング・ソードマン)】の剣が光輝く。

 

「《血は力なり(パワー・イズ・パワー)》」

 

 【閃光術師(フラッシュマンサー)】はガントレットの掌を固く握り。

 

「《奏でるは天地の調べ(テンモンミッソウ)》」

 

 【大予言者(ギガ・プロフェット)】 がその一言で空を塗り替えた。

 

 【大予言者】の肉体はスキル宣告と共に夜空の闇の中へ消えていた。この、途方もなく美しい空に。

 今や空には月も雲も無く、ただため息が出る程に満天の星々が広がっていた。

 それは長い生を送ってきた私でさえ見たことのない星空。明暗大小、幾つもの星々が煌めく空の中で際立つのは、流れる川のように全天を横切る星々の集まり。

 その様をあえて名付けるならば、()()()か。

 

「伝説級とやりあうだけのメンツで来たんだ。楽しませてくれよ?《ヒート・ジャベリン》」

 

 【猛炎騎士(ナイト・オブ・ブレイズ)】を冠した男が放った炎槍が戦いの火蓋を切って落とした。

 

◆ ◇ ◆

 

 威力よりも速度に秀でた《ヒート・ジャベリン》は、彼我の距離30メテルを一秒も経ずに到達するだろう。

 しかし今は夜。空が塗り替えられたと言えどそれは変わらない。

 【夜興引】と吸血鬼の能力を遺憾なく発揮するラディアラからすれば、一秒弱も猶予が与えられれば躱すのは造作もない。

 

 だが《ヒート・ジャベリン》を置き去りにして、一条の光が尾を引いてラディアラへと突撃した。それは光を纏った男、ラスティネイル。

 全身に(まばゆ)い光を纏って一直線に距離を詰めた彼は武器を持たず。代わりに全身鎧から腕部と脚部だけ抜き出したような、厳めしいガントレットを装備して拳を固く握りしめている。

 

 輝くラスティネイルと蝙蝠の如き翼を生やしたラディアラが激突。《ブラッド・アーツ》による血流操作で硬化したラディアラの手刀が光り輝く拳とぶつかった。

 STRとENDの拮抗、双方にダメージは通らず。ほんのひと時睨み合った二人は、遅れて到達した《ヒート・ジャベリン》を避けるように飛びのいた。

 

 背から生やした蝙蝠の如き翼で空に舞ったラディアラはラスティネイルを見下ろす。彼はもうその身に光を纏っていなかった。

 

 (私より速かった。限定的なAGI加速?脅威だけど、それでも空は飛べないみたい)

 

 こちらを見上げるラスティネイルを観察していたラディアラは、周囲の異変に気づいた。

 

 (もや)だ。暗闇の中でも見えるのは、その靄自体が淡く光っているからであった。

 ラディアラが初めて見る現象ではあったが、知識として知っていた。

 光る靄。それは可視化するほどに高濃度な魔力だ。

 魔力の靄はいつの間にやら周囲のあらゆる所に現れ、ラディアラとラスティネイルの傍にも漂っていた。

 

 なぜ、こんな物がこんな時に?

 

 答えは見えぬまま二人の傍の靄が輝いた。

 ——魔力が魔法として形をなして力を発揮する〈アクシデントサークル〉。

 ラディアラの傍にあった靄が炸裂。空間にある物体を微塵に裂かんと鋭利な風が渦巻いた。

 僅かな起こりを察知して飛びのいたが、それは風属性初級魔法《バースト・ウィンド》と同じ物。初級という位の低さに見合わず、可視化するほどの魔力全てが込められた《バースト・ウィンド》は直撃すればラディアラの肉体を大きく裂いていただろう。

 

 もし、飛び退いていなければ。

 その身に迫っていた思いもよらないチェックメイトの可能性にラディアラは一人、冷や汗を流した。

 

 一方でラスティネイルの傍の霞もまた〈アクシデントサークル〉を引き起こす。

 しかし発現したのは攻撃魔法ではなく、初級付与術の《アジリティ・ブースト》。

 

 ラディアラには殺意ある攻撃、ラスティネイルにはその身を強化する祝福。

 ラディアラは偽りの星空を見上げ、呟く。

 

「天が味方をしているとでもいうの」

 

 ◇

 

 まず【予言者(プロフェット)】と呼ばれる上級職について説明しよう。

 相当する下級職を持たないこのジョブの就職条件は『多くの予言を的中させる事によって多くの禍福を招く事』である。

 そして習得するスキルはたったの三つ。それも《託宣》のような未来を見せてくれるスキルは覚えない。

 

 一つは《予言》。パッセンジャー・リストが()()との戦いで見せたものだ。起きる事象への予言が的中した際に、その事象の規模を都合の良い方へと大小させるスキルである。

 もう一つは《識者》。サブジョブにおいた【研究者】【魔術師】【錬金術師】などの学問を修める類のジョブのジョブスキルを系統の制限なく扱う事ができるパッシブスキル。

 最後の一つは《沈思黙考(ハイスピード・コンテンプレート)》。哲学者系統の《高速思索(ハイスピード・スペキュレイション)》が『無手の代わりに思考速度三倍』であったのに対し、こちらは『瞑目し、なおかつ沈黙している間のみ思考速度()()』という効果を持つ。

 つまり【予言者】は『予言ができるようになるジョブ』ではなく『専門的な知識によって予言ができる者の予言の意義を強化するジョブ』に過ぎない。

 

 《識者》によって複数系統のジョブスキルを制限なく扱える特性は強力に思えるが、実際に【予言者】に就いている者はほとんどいない。

 複数系統のジョブと言えど、それでも六つの下級職と一つの上級職が上限。そんな器用貧乏になるより同系統の上級職を二つとって能力を特化させたほうが強いに決まっている。

 なにせ【予言者】はMPやSPがある程度伸びるのみで特化職ほど高くならない。自分が起こした動作は《予言》の対象外となる為に能動的なサポートは特化職に劣り、おまけにAGIも高くない為に高AGIの前衛達による高速戦闘の最中に《予言》を挟み込むのは不可能に近い。

 頼みの綱の《沈思黙考》も瞑目していては戦局が分からず、沈黙していてはスキル詠唱が出来ない。どう考えても戦闘に組み込めるようなジョブでは無かった。

 

 よって就職難易度の高さと能力の不遇さが相まって【予言者】は《マスター》にさえ見向きされないジョブである。

 

 

 だがここに【占星宮 テンモンミッソウ】という〈エンブリオ〉がある。

 プラネタリウムを模したドーム状のラビリンスを展開する【テンモンミッソウ】が保有するスキルは二つ。

 展開したラビリンス内を観察する《睨界》と、ラビリンス内にいるパーティメンバーにテレパシーで話しかける事ができる《上奏》だ。

 《睨界》によって現在を観測し、そこから数瞬先を予測。そのビジョンを《上奏》によって味方へと共有する。

 〈エンブリオ〉単体でも完結した性能を持つが、この〈マスター〉はその性能を【予言者】によって強化する。

 目の代わりに《睨界》により知覚し、《予言》は《上奏》によるテレパシーで伝えることで《沈思黙考》のデメリットを踏み倒す。それが【大予言者(ギガ・プロフェット)】 パッセンジャー・リストの戦闘スタイルである。

 

 そしてパッセンジャー・リストが【テンモンミッソウ】の必殺スキルを用いて〈エンブリオ〉と一体化した今、新たに使用できるスキル《刻天》。

 その効果は〈アクシデントサークル〉の発生である。

 

 《刻天》は使用可能なジョブスキルの中でMPを消費して発動するスキルを〈アクシデントサークル〉という形で発動できる。

 《刻天》が行うのはMPを自然魔力としてラビリンス内に展開するのみであり、その魔力が実際に〈アクシデントサークル〉となるか、そして狙い通りの術として発動するかは運任せになる。

 もっともそれは()()1()0()0()%()()()()()。自分の肉体を指先まで完全にコントロールできる者ならば、自分が出すサイコロの目を自在にコントロールできるのと同じ理屈だ。《刻天》はMPを自然魔力として放出するという一点に関して如何なる達人も足下に及ばぬ繊細さを見せ、また生半可な干渉では妨害する事は叶わない。

 

 そしてこれが【大予言者】とシナジーを見せる。

 完全にコントロール下にあると言える術式発動を行う《刻天》はあくまでも自然現象によって術式が発動する以上、それは己の手から外れた物であり()()()()()()()()()()()()()

 〈エンブリオ〉による行いは原則的に主人(〈マスター〉)によるものだとみなされるが、あくまでも〈アクシデントサークル〉という自然現象を介する為にそれは主人(〈マスター〉)による物だとみなされずに、ここに《予言》は成立する。

 

 以上がラディアラを襲い、ラスティネイルに味方した〈アクシデントサークル〉の秘密である。

 

 しかしラディアラにこの事実を知る由は無い。

 更に【大予言者】が彼女の一挙手一投足からその先を読んで仲間へと予知を伝え、起こす現象が全てラディアラに不都合な方へと影響が大小されるという事も、また知らない。

 



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第十話 星夜を破る

□アルター王国南東部・ラディアラの館、近隣

 

 一呼吸の間に過ぎた波状攻撃をやり過ごし空中に退避したラディアラだったが、一息つくにはまだ早い。

 【盾巨人《シールドジャイアント》】のアースクエイクが、特典武具の固有スキル《ディヴァイダー》によって七つに分割した正六角形の小盾を《シールド・フライヤー》によって撃ちだしている。その軌道は緩やかな弧を描くが、速度は亜音速に達する。

 

 多方面から迫る《シールド・フライヤー》の攻撃に対し、空中のラディアラは目を瞑った。たとえ攻撃が亜音速だろうと、ラディアラは音速域に身を置く【夜興引(ヴェスパー)】の吸血鬼である。視覚ではなく聴覚に頼り、翼だけでなく四肢による姿勢制御も組み合わせて回避を行う。七発の《シールド・フライヤー》は速度、タイミングともにズラすことで回避の感覚を間違わせる連撃だったが、空中で身を翻すラディアラには一つも当たらず。小盾たちは【テンモンミッソウ】の空の下、てんでんばらばらに飛んで行く。

 

 しかし躱したラディアラに余裕の表情はない。回避姿勢そのままに地面へ目指してラディアラが羽ばたいたのと、外れた小盾たちが自在に軌道を描きだしたのは同時のことだった。

 亜音速。その速度を落とさぬままに小盾たちはラディアラを囲うべく飛来する。

 

 手元を離れた盾が自在に動きだすなど尋常ではないが、ラディアラは《シールド・フライヤー》とのすれ違い様に小盾の影に隠れる存在の羽音を聞いていた。それこそはアースクエイクの〈エンブリオ〉である蜂型のレギオンである【メリッサ】だ。先の戦いでは相手の〈エンブリオ〉が展開した寒冷領域により機能不全に陥っていたが、十全に働けば盾の運搬だけでなく《シールド・フライヤー》の軌道操作による多角的(オールレンジ)攻撃を可能にする。

 

 特にラディアラのような人間程度の空を飛ぶ目標に対して使用するのであれば。

 亜音速で飛び交う小盾たちは空を舞うラディアラを閉じ込める動的な檻となる。

 

 地面へ飛び込むラディアラは間一髪、檻が完成する寸前に【メリッサ】の制空圏を離脱した。

 ——地上ならば、踏ん張って《シールド・フライヤー》を殴り飛ばして【メリッサ】の包囲網を突破する手段が取れる。しかし踏ん張りが効かない空中であったなら。包囲網を突破できずに飽和攻撃を食らって堕とされていただろう。〈アクシデントサークル〉の初撃を躱したのと同じように、ここもまた一手間違えば敗北と死に繋がる分水嶺だった。

 

 しかし地上に辿り着いたとて、そこは安全地帯ではない。見上げれば【メリッサ】がラディアラの全天を囲んでいる中、ラディアラの着地点には()()()()()()()()()()ラスティネイルがいた。先陣をきって殴りかかって来た時と同じように、ガントレットを握り全身に眩い光を蓄えている。その身から繰り出されるのは【閃光術師(フラッシュマンサー)】とは思えぬSTRとAGIによる近接戦闘だ。

 

 着地した瞬間から攻勢が始まるかと思えば、否。後方、ラディアラの死角から【メリッサ】が一つ《シールド・フライヤー》の威力を孕んで飛来してきている。

 複雑な軌道を描けるが故にギリギリの回避は許されない。【メリッサ】の追跡半径を振りきる為に引き寄せてから左へ大きく跳ぶ。

 

 そのタイミングでラスティネイルは動いた。

 光の軌跡を残してラディアラに追いつき、殴りかかる。一挙一動に光の残像を残しながら振るわれる拳は、超級職と種族特性によって卓越したAGIを持つラディアラよりも更に速い。そして【テンモンミッソウ】により未来予測のサポートが受けられるラスティネイルはラディアラが回避か迎撃か、どの手段を取るかが簡単に分かる。

 

 ほんの数秒にも満たぬ音速域の攻防であったが、数合の後に拳が一発——ラディアラの腹に入った。

 

 厳めしいガントレットの握られた拳が、防具の無いラディアラの腹に。

 顔を苦悶の表情に歪めつつ、鳩尾にめり込んだ腕を取ろうと動いたラディアラだったが、それよりも早くラスティネイルは離脱した。

 だが明らかに有利であるラスティネイルは、その状況に反して表情は芳しくない。

 

(硬ぇ……AGI型前衛の防御力じゃねぇな)

 

 ラスティネイルは【閃光術師】であれど、彼の〈エンブリオ〉によって強化されたAGIとSTRは前衛型の準〈超級〉と殴り合う事だって可能なのだ。パンチ一つ取ってもダメージは無視できるものでは無い。だと言うのにガントレット越しに感じた手応えは、【テンモンミッソウ】の観測によって得られたステータスと装備の情報から予測されるダメージよりはるかに小さいものだった。

 それはひとえに《ブラッド・アーツ》による被弾部位の硬化が間に合ったからであったが、ラディアラの秘密を知らぬラスティネイルに焦りが浮かぶ。

 だがそんな彼を諫めるように声が届く。

 

『焦るなよ、ラスティネイル。こちらの有利は揺らいでない』

『ステータスの変化はなし、装備の変化も観測してない。見えないように隠しもっている特典武具か、吸血鬼の種族特性かも。AGIと手数では勝ってんだ、このまま観てりゃいずれ暴ける』

『【メリッサ】もまだ全然いけるからな、援護の心配はすんなよ』

『……そうだな。未知の奥義ぶっぱでやられたりしたらシャレになんねぇし、このままのペースでいくか』

『俺が着くまでに終わらせるのだけは勘弁しろよォ!』

 

 それは【テンモンミッソウ】を中継するパーティ内テレパシー。ラディアラには聞こえない秘匿会話が続く最中にも、戦局は動き続けている。

 少しずつ狭まるように近づく【メリッサ】による飛び交う小盾の檻。

 小盾の檻の内外で数を増やしていく輝く魔力の靄たち。

 そして、小盾の檻の縁に辿り着いた剣士。既に髪を切り落として必殺スキルを発動しているソルティだ。テレパシーで威勢のいい声を上げる彼がラディアラの下へ着くまでもう数秒の猶予もあるまい。

 彼が背負う 輝く直剣 ( 【ベレニケ】 )をラディアラは既に知っている。自在に変形してなびく剣の切れ味は、毛髪ほどの細さになっても容易くラディアラを切り裂くのだ。

 

 脅威に囲まれる中で一人、ラディアラは短く息を吐いた。

 ——盤面は、こちらから動かさねばなるまい。

 

 ソルティが着くまであと15歩。

 腹のダメージもそこそこに、ソルティが辿り着くよりも早く攻勢に出る。

 

 バサ、と羽を広げると、逃げると思ったかラスティネイルが再び接近してくる。ラディアラからしてみれば、むしろ攻め込んでやろうかと思っていたところに好都合な事だ。静かにスキルの発動を準備しながら拳を構える。

 

 あと10歩。

 先手を取らんと殴りかかってきたコンパクトな一撃を逸らし、カウンター気味に右の手刀で首を狙う。しかしこれさえも読んでいたか、ラスティネイルは僅かに首を傾げるだけの動作で躱す。たったそれだけで、首には拳一つ届かない。

 だが、それで構わない。

 

 あと5歩。

「《ブラッド・アーツ》」

 血液操作のスキルを両手に発動。左手はあくまで()()させつつ、右手の血液を刃状に成形。薄く鋭利な刃が手の甲の皮膚を内側から切り裂きながら、飛び出す。

 

「うぉっ!?」

 

 この攻撃までは予測できていなかったようだが、それでもラスティネイルは躱した。光の尾を引いてバックステップで距離をとった彼の隣には、とうとう並び立ったソルティがいる。

 

 ——この一撃が届いていれば儲けものだったが、これで構わない。

 

 ラディアラは皮膚を破って出てきた血液たちを《ブラッド・アーツ》によって手に保持したまま、翼をはためかせる。

 

「相手しろやァ!」

 

 無視。吼える剣士と拳士を捨て置いてラディアラは直上に飛んだ。

 すかさず群がるのは小盾の群れ。唸る風切り音と共に飛来する小盾らは自在に舞う砲弾にも等しく思えるが、ラディアラは既に知っている。盾を操縦する【メリッサ】がレギオンの〈エンブリオ〉、すなわち生命と呼ぶに相応しい存在だと。

 

「《ブラッド・アレスト》」

 

 右手に溜めていた血液を網として放出し、近寄る【メリッサ】達を一網に捉える。ただの網では強度不足だろうが、これは《ブラッド・アレスト》。【呪縛】の状態異常が付与された拘束具だ。

 

 保有MPの少ない【メリッサ】達ではレジストも叶わず、網に捕らわれ堕ちていく。大穴が空く【メリッサ】の包囲網。そこを突破していくラディアラの影。

 見渡し、見下ろす。

 

 周囲に魔力の靄は無い。

 盾の包囲網を抜けたばかりでスレッジ・ハンマーから《ヒート・ジャベリン》のような援護射撃も来ない。

 盾の包囲網はまだ再編されていない。

 

 上空、ラディアラは一人だ。

 

 好機。

 

「《紅血鍛冶(ブラッド・スミス)》!」

 

 左手に《ブラッド・アーツ》によって滞留させていた血液の解放。それは今やただの血液ではない。あの〈UBM〉、【スプリンガー】に向けて放ったのと同じ、【麻痺】と【吸魔】の二重状態異常を付与させた呪いがついている。それを三振りのダガーに鍛造。硬く、鋭い切っ先が向くのは、地上にいるラスティネイル。

 

 肉弾戦を行う彼だが、【閃光術師】である以上何らかのカラクリがあるはずだ。正体は分からないが、まずは【吸魔】でMPを奪う。

 彼を狙うにあたり、このタイミングで横やりは入らない。

 ラスティネイル(【閃光術師】)が扱う光属性魔法は発動までに時間が掛かる。【ベレニケ】もラディアラの全力投擲のダガーを全て防ぎきるほどの迎撃力は無い。

 

 振りかぶる。左手の指で挟みこむように握りこんだ三振りのダガー。ただの短剣と侮るなかれ。超級職と種族特性の二重の恩恵による卓越したSTRと《ブラッド・アーツ》を利用して得られる投擲速度は音速を優に超える。

 

 夜の狩人はその一撃を決して外さない。

 

 紅い短剣を空高くから、地上にいるラスティネイルへ放とうとした時。

 

 ——ラスティネイルもまた、ラディアラへ右手を向けていた。

 

 魔力の高まりはない。

 しかし、彼が身に着けるガントレットの手の平に埋められた宝石が輝きを放った。

 【ジェム】だ。

 

 【ジェム】から解放される魔法、放たれたのは光線。しかし()()()、と呼ぶには余りに太く、余りに眩しい。大地から天に打ち込まれた光の杭は【閃光術師】の奥義、《グリント・パイル》だ。レーザーの膨大な熱量は肉を焼き潰し、込められた衝撃は骨を穿つ。

 

 ——それをラディアラが躱せたのは偶然に過ぎなかった。

 

 咄嗟のことに鍛造した紅剣を捨ててまで無理に行った空中機動が功をそうしたか、《グリント・パイル》はなびく長髪の一房を焼き貫いて【テンモンミッソウ】の空に消えた。

 

 きりもみで空を落ちるように飛ぶ中で、今度はラスティネイルが左手をかざすのが見えた。その手の平にはもちろん、【ジェム】だ。

 しかし、このレベルの戦いにて同じ手を二度見せるなど。

 再び魔法が解放される時、ラディアラは空中で叫ぶ。

 

「一度見たならッ!」

 

 羽ばたき、急制動、急上昇。《グリント・パイル》が光属性魔法である以上、【ジェム】の使用により『発動速度の遅さ』という弱点を克服しても所詮、その軌道は直線である。

 再び地から天へと放たれた《グリント・パイル》は、高速機動により照準を振り切ったラディアラの残像にさえ届かない。

 

 ——そして天から打ち下ろされた《グリント・パイル》がラディアラの片翼を貫いた。

 

「……そんな」

 

 途端に失速する。速度の利を失ったラディアラに、《ブラッド・アレスト》に捉えられていなかった【メリッサ】達が追い付く。鳴らす轟音は紛れもなく《シールド・フライヤー》の威力を孕んでいた。

 顔面は両腕で庇うも、左腿に一発がめり込み、肉ごと骨が折られる感覚。《ブラッド・アーツ》による部位硬化が間に合わなかったのだ。激痛に反し、左足から力が抜けていく。

 さらにもう一発。後方から迫る【メリッサ】の小盾が、無事だった片翼を破り捨てるように薙いでいった。

 千切れた羽が落ちていく。傷口は《ブラッド・アーツ》で無理やり止血するが、だからといってダメージを癒せるわけでは無い。

 

 それぞれ一撃を加えた【メリッサ】達は反撃を警戒してかラディアラから離れ、再び包囲網を形成していく。しかし例え包囲網が形成されずとも、抜け出す力など残されていなかった。

 地面に落ちていく。あまりに無力に。

 

 落ちていく。

 

 落ちる先には、雪辱を果たすつもりか剣を構えるソルティ。言うまでもなく【メリッサ】の包囲網は健在で、ラスティネイルもいつの間にかガントレットの手の平に【ジェム】を再装填し終えている。

 残された片翼を動かしてみるも、碌に動かない。《グリント・パイル》はただの高熱量のレーザーではなく、運動エネルギーさえも保有している。翼を貫く際に、その骨や筋繊維に小さくないダメージを残していった。

 もはや飛べまい。

 

 落ちていく。

 

 落ちる最中、ラディアラは空を見上げた。美しい空だ。【テンモンミッソウ】が見せる夜空はラディアラが見慣れたものでは無かったが、それ故に幻想的な星空だった。

 見上げた星空に、こちらを見返す一組の眼があった。

 

——誰だろう。私より高い所になんて、誰もいないはずなのに。

 

 幻かと思ったが、そうではない。瞬きもしている。どこか見覚えのある、群青の瞳。

 

——あぁ。

 

 ラディアラは気づいた。それが何か。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 鏡だった。初級光属性魔法、《ミラー・プレーン》によって空中に作られた鏡面だ。【テンモンミッソウ】が自在に発生させられる〈アクシデントサークル〉がラディアラの知らぬうちに発動させていた魔法は攻撃でも祝福でもなく、ただ光を反射する魔法だった。ラディアラが躱した《グリント・パイル》を反射させ、当てたのだった。

 そして今、宙空から見つめている眼は鏡に映った自分のものだった。

 

 落ちていく。

 

 落ちていくラディアラは館を見つめた。愛おしい家だった。この戦いの中でも、終ぞ傷つける事は無かった。黒い煉瓦は罅の一つも無く、はめ込まれた窓硝子は輝く夜空を映している。

 美しい思い出。

 あの窓から何度夜明けを見た事だろうか。朝日に煌めく館を外から眺めたことも、数えきれないほどある。

 窓に反射する西の空。今は【テンモンミッソウ】の偽りの空に覆われているが、その向こうにある山の尾根から見える景色を。見つめていたラディアラは。

 

 ビシ、と。罅が走るのを見た。

 

——硝子が。

 

 否。割れているのはガラスではなかった。

 

 西の空を見上げた。

 ラディアラだけでない。剣を構えていたソルティ、ガントレットの【ジェム】を構えていたラスティネイル、【メリッサ】を指揮していたアースクエイク、戦局を捉えていたスレッジ・ハンマー。

 皆が見上げた。【テンモンミッソウ】の星空を。

 

 そして聞いた。女の声。

 

吶喊(とっかん)

 

 そして見た。ステンドグラスのように砕け散る星空と、冒涜的に空を割り入ってくる舳先を。

 星空の破片を撒き散らしながら見せた姿は、帆船だ。

 船首に立つのは女。両腕に着けた手甲は特典武具。

 

 眼下を見下ろすその姿を、落ちゆくラディアラは見上げて呟く。

 

「……来た」

 

 ラディアラが呟いたのは、無意識のうちだった。

 だが確かに、来た。

 フォリウムだ。彼女が来たのだ。

 



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第十一話 ともにある

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 足止めは十分にできなかったと、ひーから連絡があった。謝りながら教えてくれた戦果は驚くべきもので、超級職を倒したと聞いた時には流石に耳を疑った。

 戦力を削ってくれ、敵の情報まで掴んでくれた。本当に、感謝してもしたりないぐらいだ。

 存分に礼を尽くそう。

 この戦いが終わった、その時には。

 

 ◇

 

 デスペナから復帰してギデオンのセーブポイントからデンドロの世界に戻った私はすぐさま【アルゴー】に乗った。

 空も飛べる自慢の〈エンブリオ〉だけれど、この時ばかりは亜音速にさえ到達しない航行速度がもどかしい。

 

 しばらく走らせれば、ラディアラの館があるはずの所に巨大なドームができていた。まるで世界に穴が空いたようだ。曇り空の今日の夜の中でも、はっきりと視認できるほどに昏い闇。

 

 ラディアラの《帳下ろし(イクリプス)》によって展開される夜の空間とは似て非なる領域。恐らく、相手の〈エンブリオ〉だ。

 

 迷うことはない。【アルゴー】はその舳先を、最大船速を維持したままで突っ込んだ。

 

 揺れる。凄まじい衝撃だけど、放り出されるような無様は晒さない。反動でやや押し返されるも、今の一撃でドームには大きな罅が入った。

 もう一発だ。

 

吶喊(とっかん)

 

 私の命令に従い【アルゴー】が再び加速する。罅の入ったドームに舳先を押し付けたまま、推力を上げていく。

 ものの一秒も持たなかった。

 ドームは船を押し返す事も叶わず、内側に向かって崩壊した。砕け散ったドームの破片がバラバラと舞う中、乱入者の私を幾多もの眼が見上げる。

 

 その中にはラディアラもいた。左腿から血を流し、背から生やす羽は一つは根本から千切られており、もう一つは穴が穿たれている。

 穴にある焦げ跡から察するにレーザーの類か。ひーからの情報には無かった手合いがいる。

 目を配り、見つけた敵の数は四。ラディアラの傍に二人。私のすぐ下にもう二人だ。

 

「《看破》」

 

 下にいるのは【猛炎騎士(ナイト・オブ・ブレイズ)】スレッジ・ハンマーと【盾巨人(シールド・ジャイアント)】アースクエイク。

 ラディアラの傍にいるのは【剛剣士(ストロング・ソードマン)】ソルティ・ドッグと【閃光術師(フラッシュマンサー)】ラスティネイル。

 

 【猛炎騎士(ナイト・オブ・ブレイズ)】はひーとの戦闘で火属性魔法の《ヒート・ジャベリン》を使った事と名前から察するに、【白氷剣士(ヘイルソードマン)】のように魔法職と前衛職の複合だろう。命名則からして超級職と見て間違いない。

 いや、なぜだろう。それにしては……。

 

「来たか、【冒険家(アドベンチャラー)】」

 

 思いにふけりかけた私に、スレッジ・ハンマーとラスティネイルが掌をかざした。ラスティネイルは《グリント・パイル》で甲板の私を、スレッジ・ハンマーは《クリムゾン・スフィア》で【アルゴー】を焼き尽くすつもりだろうか。

 ラスティネイルが向けるガントレットの掌には【ジェム】。なるほど、光属性魔法の弱点をカバーするための運用か。確かにそれなら発動までの溜めをゼロにし、一方的に光線を放ち続けることができる。

 

 しかしラスティネイルの【ジェム】から魔法が解放されるよりも早く、私の口はスキルを宣告する。

 私の、必殺スキルを。

 

「《船はともにある(アルゴー)——50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》!」

 

 宣告と同時に、【アルゴー】は輝きだす。そして帆船を構築するパーツたちが独りでに外れ、空に浮かんで夜を照らす。

 

 輝く【アルゴー】を前に彼らは傍観する事なく、行動に移した。

 

「《ヒート・ジャベリン》」

「《グリント・パイル》!」

 

 二種の魔法が破壊の意志の下に顕現する。《ヒート・ジャベリン》は宙に浮かぶ【アルゴー】の船底目掛けて放たれたものであり、《グリント・パイル》は甲板の上にいる私を狙ってのものだ。

 

 文字通り光速で到達する【閃光術師】の奥義は防具の装甲を溶融させて貫通し、急所を射貫く。ダメージではなく、急所の【部位欠損】による即死判定は【ブローチ】もお構いなしに即死させる。

 照準を振り切るほどのAGIを持たない私では、狙われること自体が死に等しい。

 

 放たれたレーザーが【アルゴー】の輝きを塗りつぶさんと空を走り、魔法で編まれた炎槍もまた帆船を焼かんと船底を撃った。

 

 光は一人の心臓をいとも容易く貫き、炎が船を食らいつくすほどに広がる。

 

 

——私が必殺スキルを発動していなかったらの場合だが。

 

 《グリント・パイル》は止められていた。

 他ならぬ、【アルゴー】の輝きによって。

 

 輝いていた船体からは一部が引きはがされるように装甲が宙に浮かび、私を囲んで形を為していた。

 

 《船はともにある(アルゴー)》。それは船体の性能を向上させると同時に、船体の一部を鎧と化して身にまとう必殺スキル。

 《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》で発動した今、船体を構成するパーツの50%が鎧となり、甲冑として展開されていた。

 

 《グリント・パイル》の衝撃を胸で受けて()()()を踏む私だったが、その装甲に熱によるダメージはほとんど無い。

 

 《ヒートジャベリン》にしても、また然り。火属性魔法らしい威力と優れた弾速・MP燃費を兼ね備えた優秀な魔法だが、必殺スキルを発動した【アルゴー】には足りない。 

 船底に直撃した炎槍は、その表面に僅かな焦げ目を残しただけで霧散した。

 

 これこそが《船はともにある(アルゴー)》。

 海だけでなく空をも飛べる帆船たる【アルゴー】は、どこへでも冒険へ行くことを目的とした〈エンブリオ〉。ならその必殺スキルとはいかなるものか?

 答えは、適応。

 灼熱、寒冷、湿潤、乾燥、日射。牙を剥く自然のあらゆる要素への耐性の獲得だ。

 そして()()()に、同種の魔法攻撃への耐性獲得も意味する。

 

 その意味を理解したのだろう、ラスティネイルが顔をゆがめた。

 手をこまねいているうちに、私は行動を次に移させてもらう。

 

「行こう」

 

 身にまとった【アルゴー】に命令し、私の身体がふわりと浮かんだ。

 鎧となった今も、【アルゴー】は元来の機能を失っていない。すなわち飛行能力も健在だ。

 

 

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 自由落下よりも速くスレッジ・ハンマー達の所へ落ちていくフォリウムを見て声を上げたのはラスティネイルだった。

 

「アースクエイク、【メリッサ】をよこせ!俺がやる!」

「……まさか【ベークワン】の時のもっかいやんのか!?」

「しかないだろ!ソルティ、ここは任せるぞ、オーナーの火力はこっちに寄せる」

「任せろ、こいつは俺が絶ッ対に斬る」

 

 会話を残し、私ではなくラスティネイルをかすめるように【メリッサ】が飛び、そしてラスティネイルは飛ぶ小盾を掴んでそのままフォリウムの方へ飛んで行った。私を囲っていた包囲網も次々とラスティネイルを追いかけ、追い越していく。

 

 だがこれで楽になったかと言えば、そうも断定はできまい。包囲網もラスティネイルもいなくなったが、代わりに遠くからこちらを見る【猛炎騎士】の目は先ほどよりも鋭い。彼は今まで魔法を数度放ったのみだが、放たれた《ヒート・ジャベリン》のどれもが適切なタイミングで撃たれたものだった。

 あくまで動く様子はないが、油断を見せていい相手でない事は確かだろう。

 

 周囲の分析に努めていた私の視界の端で、ゆっくりと歩み寄る影があった。

 

「よそ見とは余裕だな、吸血鬼」

 

 剣士、ソルティ。光り、なびく剣を手に持った【剛剣士(ストロング・ソードマン)】は自然体に下段に構えて私と対峙する。

 敵意を浮かべる爛々とした瞳に、陽炎のように揺らめく剣。三日前に彼と相対した時、確かな直感があった。

 

——彼の剣は私の命に届き得る。

 

「あなたの剣はもう知ってるもの」

「何?」

「恐るるに足りないって言ってるのよ。もう一度殺してあげる」

 

 嘘だ。彼の剣を知っているなど大法螺に過ぎない。

 前に彼を殺した時、取った手段は吸血鬼の力を出し惜しみしない初見殺しの技だ。彼の不規則になびく剣筋を——仮に時間を掛ける余裕があったとしても——正面から相手にすべきものではないという確信があったから。

 全く見切ってなどいない。

 

「ティアンの分際でよ……!」

 

 しかし《真偽判定》を持たない彼は容易く挑発に乗った。

 こちらへ駆けてくる彼の目は怒りと殺意がグラグラと煮えている。

 もっとも、くだらない殺意だ。仮初の命と遊戯のつもりでいる世界で抱く殺意など偽物に過ぎない。

 

 フォリウムが来てくれたのだ。ここで死んでたまるものか。

 敵は、倒す。

 

「《瞬間装備》」

 

 取り出し、構えるのは【枝刃巨斧 ブランチクリース】。《紅血鍛冶(ブラッド・スミス)》による生半可な武器では、この剣と打ち合うことはできない。

 全長は身の丈を越え、刃も巨大で重たい【ブランチクリース】では不利かもしれないが、これしかない。

 

「なびけェ!」

 

 振るわれた剣の風切り音はむしろ矢に近いものだった。

 ビシュウッと鋭く、うなる刀身は伸張し、槍よりも長い突きが放たれた。

 それをはじく。【ブランチクリース】を短く握り、刃先の破壊力ではなく取り回しの良さを優先して振るう。幾度となく振るわれる斬撃。なびく剣のリーチは私の斧よりも長く、しなる剣先は槍のようでもあり鞭のようでもある。

 しかし一発でも食らってはいけない。もし腕を切り落とされでもしようものなら、再生のための《バイタルコンバージョン》でHPが尽きかねない。

 かといって攻め気に呑まれてはいけない。【ブランチクリース】で有効打を入れるにはより近づく必要があるが、それは死へ最も近い道だ。確かにこの距離は一方的に攻撃されてしまう距離だが、これは相手の剣が伸ばすことでギリギリ届く距離である。もし近づいて間合いに余裕ができれば、彼は剣をしならせて私の背後から斬る攻撃手段が選択肢に挙がる。

 そこまで択の多い戦闘に付き合ってはいけない。

 

「チィッ!」

 

 間合いを詰めずに攻撃をさばき続ける私に苛立ちが募ったか。声を上げる剣士に対して優位を感じたのも束の間——【ブランチクリース】の刃が引き寄せられる感覚。

 

 刃と刃が交錯する瞬間。ほんの一瞬だ。そのほんの一瞬のうちに、剣を弾こうとする【ブランチクリース】の刃に自由自在に動く剣先が絡みついていた。

 繊維の集合体という正体を隠すのをやめたように、手を模して変形した刀身が斧の刃を握りこむ。

 

 武器をとるつもりか。

 

 刃先を掴まれ、手ごたえが重くなった瞬間には私の肉体は思考に先んじて動いていた。

 短くもっていた柄を長く持ち替え、全身の筋肉を連動させて大きく振り切る。

 旗を翻すように振るわれた【ブランチクリース】に対し、剣士は悪手をとった。

 この()で武器をとらねばと、一瞬の引き合いの中で彼はほんの少しだけ執着したのだ。

 

 力任せに巨斧を振り切った私以上に、剣士の体勢が崩れる。

 両者が隙を見せた瞬間——

 

「《ヒート・ジャベリン》」

 

——炎属性魔法による援護射撃。

 

 しかし反応できない速度ではない。

 それどころか私が待ち望んでいた一発でもある。

 放たれた炎槍が到達するよりも早く【ブランチクリース】の切っ先を向け、発動する。

 

「《重刃枝伸》!」

 

 私のSPを荒々しく食うように消費し、【ブランチクリース】がその刃を樹状に増殖させていく。

 

 一瞬の後に、刃と焔が激突。

 弾ける焔が刃の群れに反射され、夜を赫く染め上げた。

 

 高密度に広がる刃と灯りが私の姿を覆い隠す帳となった時、待ちわびた瞬間だった。スキルを発動する。対象は、脚の傷口から流した血液。

 

「《ブラッディ・ファミリア》」

 

 闇から這い出す怪物のように、地面に流れ落ちた血溜まりから影が生まれた。影は瞬く間に形を為し、狼となる。

 名を【ナイトウルフ】という。かつてフォリウムに襲いかかったモンスターだ。

 

「行け」

 

 生まれ落ちた眷属が命令に従い、まず《幻惑》を発動。《幻惑》で生じさせた分身は【ブランチクリース】を回り込んでソルティへと駆けていく。

 

 彼も爆ぜる炎と刃の陰から迫る狼に気づいたようだった。そして同時に察知する。

 

「実体じゃねぇッ、《幻惑》か!」

 

 優秀なことだ。ソルティは【ブランチクリース】の陰から迫る狼を《幻惑》による幻と断定し、《重刃枝伸》を展開したままの【ブランチクリース】の上を見上げた。

 そこには跳躍して飛び掛かろうとする【ナイトウルフ】の姿がある。

 

「チャチい小ネタだな!」

 

 堂々と剣を構えるソルティだったが、彼はこの瞬間に私が《気配操作》を発動したことに気がつかなかった。

 つまり、()()()()()()()()()()()に気がつかなかった。

 

 今度こそ喰らうといい。

 相対する敵が己を未発見状態の時に限り発動できる【夜興引】の奥義——

 

「《蕭殺(しょうさつ)虚空(こくう)》」

 

 

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 船を降り、直下のアースクエイクとスレッジ・ハンマーの両名に向かって落ちるように飛べば、アースクエイクが盾を構えるのが見えた。その姿勢は防御ではなく、投擲。

 

「《シールド・フライヤー》!」

「《ウィングド・ナックル》!」

 

 アースクエイクが持つ大楯が投げられると同時に私の拳から衝撃波が放たれた。衝撃波はまっすぐアースクエイクへと走り、彼から放られた楯は衝撃波によって撃ち落されるかと思いきや、緩やかなカーブを描いて衝撃波を避けた。描いたカーブの先には私。

 ブブブと、得体の知れない羽音を響かせながら駆けた楯が私を打ち据えた。

 

「ぐっ……!」

「《瞬間装備》、《アンチ・ペネトレーション》!」

 

 一方でアースクエイクは新たな盾を《瞬間装備》した。更に防御スキルも加えて《ウィングド・ナックル》を完全に防いだアースクエイクに反し、《シールド・フライヤー》に横から殴られた私は軌道を乱されて少し吹き飛んだ。

 

 だが大したダメージはない。身にまとう【アルゴー】の飛行能力で姿勢を制御し、制止。

 容易く立て直した私を見上げてアースクエイクが苦い面持ちを浮かべていた。

 

 どちらも、有効打が無い。

 

 だが事実としては私に有利がある。彼のシールドフライヤーが嫌がらせ程度の効果しかなく、ラスティネイルらの魔法も《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》を貫通できないのであれば、私は悠々とラディアラの援護に行ける。

 

 その戦局の流れを読んでか、ラディアラの方にいたラスティネイルが叫んだ。

 

「アースクエイク、【メリッサ】をよこせ!俺がやる!」

「……まさか【ベークワン】の時のもっかいやんのか!?」

「しかないだろ!」

 

 やり取りの直後、ラディアラ達の方から飛んできた小盾が私を囲んだ。全周を飛び交う小盾からは微かに耳障りな羽音が聞こえる。《シールド・フライヤー》の軌道操作と同じ、アースクエイクの〈エンブリオ〉によるものだろうか。

 推察を続ける私の方へ、ラスティネイルも飛ぶ小盾に乗ってこちらへ向かっている。

 

——空中戦のつもり?飛び回りながら《グリント・パイル》を撃ち続けたりするのだろうか。

 

 訝しんだ時には、ラスティネイルが小盾の上でしゃがみこんでいた。その姿勢は、さながら陸上のクラウチングスタート。

 

 彼の肉体が輝いた瞬間、砲弾のように飛び出した。

 

——速い!

 

 ガツン!と響いたのは、一瞬で私に到達したラスティネイルのガントレットが《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》の装甲を殴りつけた音だった。

 

 体勢を崩した私をさらに両足で蹴り飛ばし、反動で離脱。空中に飛んだ先には、空飛ぶ小盾が着地点を用意している。

 かくいう私は、蹴り飛ばされた先でさらに小盾に打ち据えられる。

 そして次の瞬間には再び小盾を蹴って加速したラスティネイルが一撃離脱。

 その繰り返し。

 突進に合わせてカウンターを合わせようにも、虚実が混じる攻撃の前に拳はただ空を切るばかり。

 ピンボールのように縦横無尽のラスティネイルは完全に私のAGIを振り切っていた。

 

——ダメージはともかく、体勢が整えられない!

 

「くっ……《ウィングド・ナックル》ッ!」

「おッと」

 

 放った衝撃波は、確かにラスティネイルの軌道を捉えていたはずだった。しかし彼は片手から《グリント・パイル》を放ち、その反動で無理やりに軌道を変えて見せた。

 

「今のは惜しかったな」

 

 空中で、若干の距離を置いてラスティネイルが再び小盾に着地した。

 焦る私と、優位を獲得して薄く笑みを受かべるラスティネイルの視線が交錯する。

 その時、ぽつりと呟かれた一言を私たちの耳は捉えた。

 

「おや、ソルティがやばいね」

 

 言ったのは、スレッジ・ハンマーだった。

 ラディアラを見やれば、【スプリンガー】と戦っていた時と同じ紅剣を手にソルティへと接近している。

 ソルティはと言えば、《重刃枝伸》を発動したままの【ブランチクリース】の傍で【ナイトウルフ】に剣をむけるばかりで——【夜興引】の奥義によるものだろうか——迫りくるラディアラに全く気が付いていないようだった。

 

 しかし、スレッジ・ハンマーの言葉でラスティネイルが気が付いた。

 小盾の上から彼がラディアラを睨む。その掌には【ジェム】だ。

 

——【ジェム】は両手に合わせて二つ。

——照準が完了した瞬間には《グリント・パイル》が放たれる。ラディアラを射抜くのに、コンマ一秒も要らない。

 

——阻止する。

 

 だが《ウィングド・ナックル》では間に合わない。

 ならば、何か投擲するか?いや、【アイテムボックス】から適当なものを投げた所で、数秒の時間稼ぎにしかならない。ラディアラがソルティを倒すには十分かもしれないが、その後にはラスティネイルに狙い撃ちだ。

 ならば——

 

「《瞬間装備》!」

 

——私が普段は【砕拳士(バウンド・ボクサー)】のスキルで戦うのは、【大冒険家】が攻撃に使えるスキルを覚えないからだ。だけど唯一、【冒険家】系統が武器スキルを覚える武器種がある。

 私だって戦闘で使ったことはない。しかし、この状況で私はその武器を選んだ。

 掴んで、振るう。そしてスキルを叫んだ。

 

「《デクスタラス・ウィップ》!」

 

 私の両手に握られた()()()が、ラスティネイルへと伸びた。

 名目上は鞭として扱われるこの武器《ロープ》は攻撃力をほとんどもたない。あのフィガロが持つような【紅蓮鎖獄の看守(クリムゾン・デッドキーパー)】と比べればリーチは劣り、《射程延長》や《自動索敵》のような利便性もなく、防御に使えるような耐久性もない。

 発動したスキルも、自身のDEX(器用さ)に依存してある程度自由に鞭を動かせるだけのスキル。普段は移動用に崖を掴んだり、手の届かない物を取ったりする用途にしか使わないスキルだ。

 

 だけど今は、それで十分。

 伸びたロープがラスティネイルの片腕に絡みついて、ぐい、と引っ張る。

 

「うお!?」

 

 一拍。ほんの一拍だけ遅れて放たれた《グリント・パイル》の照準はラディアラを外れ、森の上空へと消えていった。

 

 私の周囲をピンボールのように移動し続けるラスティネイルをこれで捕まえるなんて発想はなかった。しかし、ラディアラを狙うために足を止めた今なら、隙としては十分だった。

 そのまま両腕を絡めとり、こちらへ——引っ張る!

 

「——せいッ!」

「っ、【メリッサ】を!」

 

 小盾の上で不安定に立っていただけの彼と違い、私は【アルゴー】を身にまとうことで得た飛行能力で空中でも踏ん張ることができる。

 悲鳴のように叫んだラスティネイルだったが、あっけなく綱引きに負けて宙に浮いた。

 

「くそっ!」

 

 ラスティネイルが【ジェム】からの《グリント・パイル》でロープを焼き切り、小盾たちはラスティネイルの足場になろうと駆ける。しかしもう遅い。

 

 もう、抱きしめられる距離だ。

 

「捕まえた……!《身体強化》!」

 

 【蓄魔手甲 スプリンガー】による《身体強化》でSTRを強化した上で、脚をラスティネイルに絡ませる。

 締め上げる力は可愛いものではなく、このまま骨をへし折れそうだった。もちろん蹴ったりなんだりの離脱は許さない。

 そして二人の体勢はマウントポジション。ここは私の間合いだ。

 

 しかしそれでも諦めないのか、ラスティネイルは掌を私の装甲にピタリとつける。密着する寸前、どういうカラクリなのか既に【ジェム】が装填されているのが見えた。

 

「連射ならどうなんだ!」

 

 ガウン、と衝撃。《グリント・パイル》のものだ。続けて二撃目、再びタックルのような衝撃が身体を揺さぶる。言葉通り貫くまで撃ち続ける気なのか、三発四発と止まる気配は無い。

 

 しかし、それでも——

 

——私は拳をたかだかと上げた。

 

「なッ、クソッ!?」

 

 私のステータスや戦闘スタイルから次に放たれるスキルに察しがついたのか、ラスティネイルが攻撃をやめて離脱しようともがき始めた。

 けれど無駄だ。空中で、私が一方的に飛行能力を持ち、おまけにSTR差も絶大。

 逃がすはずがない。チャージ時間を終えたスキルが発動し、拳を振り下ろす。その効果は打撃ダメージの六倍化——

 

「——《破城槌》!」

 

 ラスティネイルの防御姿勢はガントレットを装備した両腕をクロスしたものだった。

 そこに降りかかる《破城槌》。

 

 ラスティネイルのガントレットが、段ボールを叩き潰すよりもあっけなく、手を滑らせた生卵よりも滑稽に砕けた。

 拳はさらにラスティネイルの胸当てを大きくへこませて、そこでようやく止まった。しかし耐えた事に意義などない。また何度でも振り下ろすだけ。

 

「ぐうぅっ……!」

 

 唸るラスティネイルの傍らで、突如、彼のガントレットから数十という【ジェム】が溢れた。

 

——なるほど、これが【ジェム】連発のタネか。

 

 彼のガントレットが【アイテムボックス】だったのだ。ガントレットそのものに【ジェム】を大量に入れて置き、消費したそばから掌の中に召喚。高速戦闘の最中にもロスなく連射するための仕組みだったのだろう。だが逆に、ガントレットの破壊によって彼の強みは失われた。

 

 両腕を砕かれたラスティネイルを知ってか知らずか、小盾たちが私に向かう。

 けれど、もはや《身体強化》によりSTRを底上げした私の敵ではない。

 

 飛んできた盾を叩いて殴れば、それだけできりきり舞いに落ちていく。殴った盾の向こう側で何かが潰れる感覚がしたが、構わない。

 

 今なお足掻くラスティネイルを再び見下ろして、宣告。

 

「《破城槌》ッ!」

 

 再び《破城槌》の六倍撃。胸当てを破り裂くように叩き割り、肉体に拳が叩きつけられる。響く轟音は叩きつけたエネルギーの規模そのものを示していた。

 痛覚の無いはずのラスティネイルが衝撃に耐えかねて声を漏らし、懐の【ブローチ】が砕けて欠片が零れ落ちる。

 

 もう一発。

 

「《破城槌》ィッ!」

 

 三度、六倍撃。

 【砕拳士】のSTRを増大させた一撃は、一人の【閃光術師】の肉体を砕くには余りに十分。

 いや、それは砕くという表現でさえ生ぬるい破壊だった。拳が触れたほんの一瞬で、ラスティナイルの胴体は血煙になった。

 もちろん、致命傷。

 

 瞬く間に蘇生可能時間が過ぎ、彼のガントレットからあふれ出した幾多もの【ジェム】が空中に舞う景色の中でラスティネイルは光の塵となった。

 

 見下ろせば、アースクエイクとスレッジ・ハンマー。だが盾を構えるアースクエイクはこちらではなくラディアラを見ている。

 かくいうラディアラは《重刃枝伸》を解除した【ブランチクリース】を大きく振りかぶって投げつける姿勢。彼女の後ろに散りゆく光がある事から、ラディアラがソルティを倒したのだと分かった。

 攻城兵器のバリスタさながらに振りかぶるラデイアラの破壊力を侮るなかれ。確かに彼女はAGI型の戦闘スタイルを取るが、ステータスがややAGIに偏るとは言え満遍なくステータスが成長する【夜興引】で音速戦闘をしているのだ。

 そのSTRも、凡庸なものではない。

 

「ハァァァァッ!!」

 

 空気を震わす雄たけびと共にラディアラが投げた【ブランチクリース】が、バゥン!と空気を叩き潰してアースクエイクへ突き進む。

 

「《フェイタル・ディフェンダー》!」

 

 アースクエイクが発動したスキルで盾が輝いた。盾を使い捨てる代わりに防御力を上昇させる、【盾巨人】が持つ瞬間防御力としては最上のもの。

 しかし、盾が向いていない上向き()に対してはガラ空きだった。

 

 こんな状況であれば、まともな遠距離攻撃手段を持たない私への意識が手薄になるのも仕方ない事だろう。

 

 確かに、()は遠距離攻撃手段をもっていない。

 けれど()()にはある。

 

 ラスティネイルのガントレットから溢れた【ジェム】。その一つを手に取り、アースクエイクへ。

 

「《グリント・パイル》」

 

 上空から放たれたレーザーはアースクエイクの腕を穿ち、彼は盾を取り落とした。

 

「え」

 

 ズシンと盾が地を揺らすと同時に、彼の瞳は一切合切を切り裂く【ブランチクリース】が迫り来るのを目撃した。

 

 直撃だった。巨斧がアースクエイクを胸に突き立つ。

 果たして致命傷だったのか、それとも【ブローチ】を直接叩き割ったか。アースクエイクの代わりに【ブローチ】が砕けた。

 

 盾を持つ腕は穿たれ、【ブローチ】も無く。

 一方で、私の周囲にはいまだラスティネイルの置き土産——《グリント・パイル》の【ジェム】——がくるくると舞っている。

 

 数えるのも馬鹿らしい。

 取れるだけの【ジェム】を片っ端から掴んでは撃ち、掴んでは撃つ。更に撃つ。更に撃つ。更に撃つ。

 撃つ。撃つ。撃つ。

 

 本来は彼らと共に戦っただろう幾条もの光線がアースクエイクとスレッジ・ハンマーへと降り注ぐ。

 

「《ヒート・ジャベリン》」

 

 その宣告が聞こえた気がした。事実、唱えられたのだろう。悪あがきのようにスレッジ・ハンマーから炎槍が放たれた。しかし私に目掛けられた一発の《ヒート・ジャベリン》に対し、こちらが放つ《グリント・パイル》の圧倒的な密度は比べものにならない。数メテルも進めずに、焔は光にかき消された。

 【ジェム】はまだ尽きない。光は雨のように降り注いでは、その熱は空気を焼き、衝撃は地面を砕いた。

 

 どれだけ撃ち続けただろうか。やっと【ジェム】が尽きた時、残っていたのはその身さえも盾としたアースクエイクと、彼の奮闘にも関わらず加熱された灼熱の大気に四肢を焦がされたスレッジ・ハンマーだった。

 

「不甲斐ない……です。オーナー」

 

 アースクエイクは謝罪を一言だけ残し、その身を光の塵に変えた。

 

 地面に仰向けに転がるスレッジ・ハンマーは傍に降り立った私と、【ブランチクリース】を拾い上げたラディアラを見つめ、ただ呟いた。

 

「あーあ……」

 

 贔屓していたスポーツチームが負けたような、そんな声だった。



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第十二話 獣よ獣よ、赫く燃える

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

「ラディアラ、これを」

 

 降り立った私は【ブランチクリース】を拾い上げたラディアラに短く呼びかけてアイテムボックスから取り出した物を放った。

 

「【救命のブローチ】。用意してたんだけど、使わなかったね」

 

 まだ戦闘の気が抜けてないのだろう、超音速のAGIで私の目に止まらぬ速度で掴んだラディアラは私の説明を聞いてしげしげと見つめた後にそれを胸元に装備した。

 しばしの逡巡の後に、一言。

 

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 

 雲が分厚い夜空の下で、光源は《船はともにある(アルゴー)》によって今もなお輝く上空の【アルゴー】と《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》の鎧だけ。私の鎧に照らされるラディアラの顔にはまだ幾ばかの迷いがあったけれど、彼女は確かに私の眼を見てありがとうと言った。

 

 ひどい有様だ。背中に生える翼のうち一つは根本からちぎれて、また一つは大きい穴が空いている。脚から流れる血は服を汚していて、他にも斬られたり殴れたりしたダメージが随所に見られるせいで服はボロボロだ。彼女の艶やかで美しい黒髪にも、一部レーザーで焼け焦げた痕があってまだ少しだけ髪の焦げた匂いが漂っている。

 けれど私に向ける群青色の瞳はまっすぐで、潤いに煌めいていて、何より生きていた。

 

 ラディアラの館で彼女の慟哭を聞き、私がデスペナで消えてから経った時間は私からすればほんの24時間、ラディアラにとってみても72時間。数字にすればただそれだけの時間に過ぎないけれど、あの瞬間がラディアラとの最後の時になってしまうのではないかとずっと怖くて仕方が無かった。

 だけど戦ってくれた()()と、抗う選択をしてくれたラディアラのおかげで、今この瞬間があった。

 

 しばし見つめ合う私達だったけれど、【アルゴー】に照らされているのは私たちだけではない。足元には四肢が焼きつぶれて仰向けになったスレッジ・ハンマー、襲撃してきた討伐クランのオーナーがいる。 

 

 終わらせよう。

 

「ここに【契約書】がある」

 

 アイテムボックスから取り出した【契約書】は、本来はともに冒険をした【冒険家】仲間と後腐れなく取り分を分配するために持っていたもの。それに内容を手早く書き込んで、突き付ける。

 

「私はあなたを適当な〈月世の会〉の施設に連れて行って、私持ちであなたを治療してもらう。代わりにあなた達は二度とラディアラに危害を加えない。彼女のいる建物や乗り物への攻撃も認めない。意図的なトレイン行為も認めない」

「ふふ、〈マスター〉相手に治療権での交渉というのは賢くないね。この傷もデスペナで治る」

「同意しなければMPを0にして拘束する」

 

 私が言い終わるが早いか、意図を組んだラディアラが《カースド・ブラッド》で【吸魔】を付与させた血液をスレッジ・ハンマーの顔に浴びせた。彼女の手からボタボタと垂れる鮮血に彼が顔を歪めたが私たちは無視した。さらに私が彼の首元に右手を添えて、そのまま《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》の右腕部を外した。遠隔操作はできないが、こうして私の〈エンブリオ〉が触れている間、彼は自発的なログアウトできない。

 そうこうしているうちに【吸魔】によって彼のMP残量は減っていき、とうとう脅威となりうる魔法を発動できるラインを割った。

 

「それとも“自害”する?」

 

 もっとも、彼は“自害”を選ぶまい。どう見ても遊戯派である彼にとって、追い詰められた末に“自害”するなど、これ以上ない敗北だ。ボロボロと所持アイテムをドロップしてリアルに戻った時に味わう苦汁は味わいたいものではあるまい。

 

 たとえこいつが馬鹿だとしても、強いられる“自害”よりも治療を受けられる選択の方が良い選択だと分かるだろう。

 

 ダメ押しに彼の目の前に拳を突き出した。そこに装備されているのは【蓄魔手甲 スプリンガー】。《真偽判定》よりも更に確実な【スプリンガー】討伐の証。

 

「あなた達が追っていた〈UBM〉は既に討伐された。もうここにあなたたち(討伐クラン)が満足するような報酬はない。それとも、たかだか憂さ払しのためにレジェンダリアからまたここまで来る?」

「いや来ないね」

 

 軽薄な男だ。

 眼前に突き付けた拳で彼の顔を潰すにはスキルを使うまでもなく、逆に彼がスキルを紡ごうとするほんの一瞬があれば事足りる。

 だと言うのに、彼はまだへらへらと笑うばかり。

 

「いやぁ、参ったな。この身体じゃ振り払う事もできないや」

 

 薄ら笑いを浮かべながら言ったその言葉は事実だ。MPは底を着こうとしているし、四肢は焼けてボロボロ。STRは到底、私が組伏せれば抗うこともできないぐらい、低い——

 

——低すぎないだろうか?

 

 スレッジ・ハンマー

 職業:【猛炎騎士】

 レベル:218 (合計レベル:718)

 HP:5858

 MP:85000

 SP:801

 STR:588

 AGI:343

 END:1158

 DEX:157

 LUC:100

 

 名前から察するに【猛炎騎士】は紅蓮術師と騎士系統の複合系超級職。ひーの【白氷剣士(ヘイル・ソードマン)】が白氷術師と魔剣士の複合系上級職であったように、【猛炎騎士】も前衛職として最低限のステータスを持っているはずだ。

 しかし《看破》で見える彼のステータスのMP以外は、下級職を埋めきらずカンストさえしてない私よりどれも明らかに低い。

 そんな事が、あるのだろうか。

 

 カウントダウンのように、スレッジ・ハンマーのMPが減っていく。もう100を切っている。

 

 90、80、70。【吸魔】によって着々と減っていくMPと裏腹に、不吉な予感が止まらない。

 60、50、40。妙に低いステータス。そういえば彼が使っていたスキルは、《ヒート・ジャベリン》のみ。それも妙だ。

 30、20、10。ステータスにスキル。まるでジョブを一部分しか使えないような——

 

 頭を巡らす私は、根本的な過ちに気が付いた。

 ジョブによって成り立つはずの要素が不足しているのなら、〈マスター〉の戦力を担う()()()()()()()が影響している可能性を考慮しなければいけない——

 

——私はまだ、彼の〈エンブリオ〉を知らない。

 

「《羅針盤(パイシース)》!」

 

 【アルゴー】が持つスキルの一つ、リソース探知の『羅針盤』。左手の上に現れた盤面から針が浮かびあがった。しかし先端は目の前のスレッジ・ハンマーを指さず、別の方向。私の後方へ——

 

「やっと気付いたのかい?鈍いなぁ」

 

 0。

 ブブブブブ、と耳障りな音がした。先ほどまでの【メリッサ】の羽音と似て非なる羽音。

 (はえ)だった。

 どこから現れたのか、という次元の話ではなかった。

 一匹でなく、群れと呼ぶのもおぞましい、黒い塊。

 スレッジ・ハンマーの身体全てが真っ黒な蠅の集合体になって蠢いていた。

 しまった、と口にするよりも早く——

 

——地面が赤熱した。

 

 咄嗟にラディアラを突き飛ばしたが、私が逃げる余裕は無く。

 私の足元から、炎が吹き上がった。

 燃え盛る、などという生易しい炎ではない。燃焼速度が音速を超え、衝撃波さえ伴うデトネーション現象そのもの。

 音を置き去りにするジェットの噴出は地面表層を吹き飛ばし、槍のように私の首を貫く。

 命の代わりに、懐の【ブローチ】が砕けた。

 

「フォリ——」

 

 その次は更に一瞬だった。

 

 私が炎から抜け出したよりも速く。

 ラディアラのAGIと反応速度をもってしても認知できないスピード。 

 過程を認知することさえ叶わず、ただ結果だけを遅れて気づいた。

 

——超音速さえ届かない、紛れもない超々音速による()()がラディアラを串刺しにしていた。

 

「——(雌突雄撃《バイド・マイ・タイム)》」

 

 遅れて到達した突風が吹きすさぶ中で聞こえた、微かなスキル宣告。 

 それを告げたのは、ラディアラに槍を突き立てている()()()()()()()()()

 槍は確かな一撃としてラディアラに届き、致命撃と判定されてブローチが阻んだ。ここにラディアラの命は守られ、代償に【ブローチ】が砕けた。

 襲撃、そして破壊。引き延ばされた一瞬の中で、辛うじて〈マスター〉に《看破》が作用した。

 

 アイス・ブレイカー

 職業:【奇襲者】

 レベル:100 (合計レベル:500)

 HP:13500

 MP:2000

 SP:7942

 STR:1350

 AGI:3360 (+16800)

 END:650

 DEX:320

 LUC:100

 

「【奇襲者(スニーク・レイダー)】、アイス・ブレイカー……?」

 

 知らない男。私だけでなくラディアラさえも完全に不意を突かれた。

 

 ずっと隠れていたんだ。きっと、倒された〈マスター〉達と違い、彼だけがずっとラディアラの前に姿を現さなかった。この戦場からずっと身を隠していた。

 

 誰もいないと思っていた森の中に潜んでいた敵。

 さらにもう一人、森の中から気配が現れた。

 炎だ。

 

「超級職の〈マスター〉に対する警戒度というのが、君には全く足りていない」

 

 炎であり、それはスレッジ・ハンマーだった。茂る草木を延焼させる紅蓮の炎に身を染めて、緋い(スタッフ)を携えたスレッジ・ハンマーが()()に騎乗して近づいていた。

 彼が騎乗する()()は、蹄のある四本足に、尻から生える尾、背中に着けられている鞍からも簡単に馬と断ずることができたが、馬ならあるべき頭がなかった。

 弓を構える人間の上半身が、馬の首の代わりに生えている。

 

 ケンタウロス。

 現実世界では神話上にのみ存在し、一方デンドロ世界では人間範疇生物として存在する生物。だが目の前のケンタウロスは《看破》を受け付けないことから察するに、〈エンブリオ〉だ。

 

 ずっと隠れていたのだろうか。いや、ただ身を潜めているだけなら私よりもラディアラが気づいているはずだ。

 すなわち〈エンブリオ〉か特典武具の特殊能力。

 

 ケンタウロスの他に、蠅による身代わりやラディアラさえ欺いた隠蔽能力。 

 他にもあるはずだ。まだ分からない能力が。

 そして彼はあくまでも、戦いで決着をつけるつもりだ。

 

「スレッジ……ハンマー……!」

「倒すべきは僕だけかい?」

 

 違う。もう一人いる。

 

 ラディアラに奇襲をかけた〈マスター〉、アイス・ブレイカー。

 奇襲に使った2メテル程のパルチザンを構えて、今もラディアラと対峙している。奇襲時のような馬鹿げた速度ではなく、《看破》で見えた一万七千程度のAGIで戦っているらしい事が幸いだが、彼女の【ブローチ】が砕かれた今、一刻の予断も許されない。

 

 本当は、相対しているスレッジ・ハンマーを無視して彼女の下へ助力に行きたいというのに。

 

 今、目の前にいるのは詳細不明の〈エンブリオ〉を持つ超級職。もはや目を離す事などできなかった。

 

 スレッジ・ハンマー

 職業:【猛炎騎士】

 レベル:218 (合計レベル:718)

 HP:58580

 MP:190000

 SP:8007

 STR:5880

 AGI:3432

 END:11580

 DEX:1570

 LUC:100

 

 《看破》で見えた彼のステータスは、今度こそ目の前の相手が本物だと示すステータスをしている。

 さっき蠅となって消えたスレッジ・ハンマーは、きっと彼の〈エンブリオ〉によって生み出された、ステータスに下降補正がかかった分身。

 私達はそんな人形に勝利宣言を……。

 

 どうして力を隠して身を潜めていたのか、ある程度想像はつく。

 

「——()()()を成立させるために、あなたは本腰で参加してなかった訳?」

「その通り」

 

 したり顔で頷く(つら)に苛立ちが募るが、知ったことは無いと言わんばかりに彼は話を続ける。

 

「蹂躙なんてつまらないだろう?そもそも【スプリンガー】を僕抜きでやろうという話だったんだ。本当はアイス・ブレイカーにも見ていてもらうだけでいようかと思っていたんだけど、まさか彼にここでも出番が来るとはね」

「あなた達は、もう負けたでしょう!」

「それは確かに事実だ。君は僕たちを破った。けれど僕と彼はまだいる。アンフェアな戦い以上に、僕は負けるのが嫌なんだ」

 

 後方から剣戟が聞こえる。こうしている今も、ラディアラは戦っている。

 湧き上がるのは、怒りだ。この戦場で唯一、彼女だけが真に命を賭けている。

 なのに彼らは、どうして、こうも容易く、ゲームだと一蹴できるのか——!

 

「さぁ、戦おうよ」

「遊びで……人の世界に踏み入るなぁッ!」

 

 今度こそ返事はなく、スレッジ・ハンマーが持つ杖の先に《クリムゾン・スフィア》による眩い火球が形成され、ケンタウロスが弓を構えた。番えられた弦から矢の代わりに放たれた《ヒート・ジャベリン》が、飛んだ。

 

 

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 致命傷だと思った。

 フォリウムの首を襲った火炎に気を取られた私を襲った刺突は、私のHPが全快だったとしても削り切る一撃だった。

 どこから来たのか、いつ来たのかさえ分からなかった。

 

 【ブローチ】が砕けるその時まで、私は自分の命がここで終わったのだと本気で信じていた。

 

 しかし【ブローチ】は確かに砕け、目の前には私に槍を突き立てる男がいた。右頬に狼の刺青を入れた男。正真正銘知らない顔だ。

 視界の隅でフォリウムの口が、この男の名前を読み上げた。もっとも、彼女も知る名前ではないようだ。

 

 なら倒す。

 フォリウムが助けに来てくれたこの時を無為に返すつもりなら、私はそれに抗う。

 

 HPは全く回復していない。血も多く失った。

 けれど倒す。倒して、この夜を越える。

 

「《ブラッド・アーツ》!」

「《狩人よ、死すべし(シャウラ)》ァ!」

 

 誰が勝とうと負けようと。今宵最後となる戦いが始まった。

 




スレッジ・ハンマーのメインジョブは騎士系統よりも騎兵系統、特に【幻獣騎兵】からの複合超級職の方がしっくりくる気が今さながらにしましたが、騎士の方がカッコいいので騎士系統でいきます。

《雌突雄撃》
アイス・ブレイカーのエンブリオ【浸透蠍針 シャウラ】が持つ固有スキル。目標に対し未発見状態で待機していた時間に比例して初撃を与えるまでの攻撃力とAGIを強化する一段階目《雌突》と、与えたダメージ量に比例して攻撃力とAGIを強化する二段階目《雄撃》の二段階発動型のスキル。《雌突》は《雄撃》より強化倍率が高いが、スタンバイ状態からアクティブ状態に移行した際の猶予時間が数秒しかなく、数秒の猶予時間の間に標的にダメージを与えられなければ強化はリセットされるデメリットを持つ。
ラディアラの不意すら突いたのが《雌突》で、フォリウムに《看破》された際のAGI強化が《雄撃》によるもの。
【奇襲者】のスキルも併用した《雌突》はかの狼桜の《天下一殺》をも超えるダメージをたたき出すが、その火力は彼の〈エンブリオ〉さえも奇襲に特化した物であるが故なので、彼は不意の遭遇戦などでは全然役に立たない。


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第十三話 刻まれる世界

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

「《ブラッド・アーツ》!」

「《狩人よ、死すべし(シャウラ)》ァ!」

 

 体外に出した血液を右手に纏わせた私に対し、槍の男——アイス・ブレイカーとフォリウムは言っていたか——はスキルを宣言し、その穂先を青白く光らせた。突きこまれた刃を硬化させた血液で受けた時、言葉にし難い悪寒をはっきりと感じた。

 悪寒の正体も分からぬままに、ただ素早く血を手から切り離しす。

 

 悪寒は、正しかった。空中に置き去りにされた血液は、光を発する穂先が軽く触れただけと言うのに、不吉に輝く青の光は血液を塵も残さず消し飛ばす。歯車を間違った方向に回してしまったような、不快な音が響いた。

 熱とは違う、しかし紛れもない破壊の力だった。

 

「勘がいいなァ!」

 

 突きの姿勢から体勢を崩さず二度、三度。振るわれる刃は速く正確。ほんの少し触れただけで招いた決定的な破壊を目の当たりにしたと言うのに、私は危なっかしく避けるので精いっぱいだった。

 

 彼のAGIは、私に肉薄している。

 先の戦いで私のAGIを超える速度で動いていた光を扱う男は、速くとも正確さに欠ける大雑把な動き故に一撃離脱を仕掛けてきていたが、彼は違う。得た速度に順応し、槍の一振り一振りが私の四肢を狙っている。

 何よりも厄介なのが彼の攻撃は急所を狙っているのではなく、私の身体のどこかにさえ当たればいいと言わんばかりに振るわれていた。

 

 青く光る刃の軌跡に目を取られた瞬間、彼の槍の柄が私の腿を殴った。既に負傷し血の滲む傷がある脚。

 HPを温存するために《バイタル・コンバージョン》による肉体再生を行っていなかったのは失策だった。

 重なる傷の痛みに、動きが鈍った。

 

「ッハァ!」

 

 縦に振り落とされた刃が、私の髪に触れた。

 青白い光が、伝導する——

 

 その事実を認識するよりも早く、私は手刀で己の髪を斬り飛ばした。

 空になびいた髪が光に侵され、再び(ひしゃ)げるような破壊音。

 やはり、消滅した。

 

 しかし振り下ろされた槍は止まらず、勢いよく跳ね上がる。逆袈裟で襲い掛かる刃。

 避けようにも左側から迫る刃から退くには、左脚で大地を蹴るしかない。

 負傷した左脚では強く蹴れないと踏んでのことだろう。

 

 周到なことだ。

 けれど、不十分。

 

 力の入らない筋肉に代わり、《ブラッド・アーツ》で血液を操作する。局所的な血圧の変化により肉は収縮と伸張の命令に従った。

 無傷の筋力さながらの出力を発揮した脚は私の身体を押し上げた。やや無茶な機動で崩れた体勢は、残された翼を広げることで回転と重心を制御。

 果たして光の軌跡は、私の去った空間をなぞった。

 穴の開いた翼にも、まだ役割はあるのだ。

 

 ヒュウ、と口笛を吹いたのは称えたつもりか。一度距離が空き、彼は槍を持ち直す。変わらず槍は穂先を輝かせており、刃が風を切る度にあの耳障りな破壊音が聞こえるようだった。

 出し惜しみをしている余裕はなく、少なくないHPを捧げて《バイタル・コンバージョン》で左脚だけを最低限治療する。

 そんな私に、彼は語り掛けてきた。

 

「察しの通り、《狩人よ、死すべし(シャウラ)》の攻撃は固定ダメージ。中途半端に残したHPなんざ丸ごと吹ッ飛ばす。脚とは言わず、羽まで治したほうがいいんじゃねぇの」

「親切なのね。生憎、あなたのお仲間が空に飛んだ私を逃がしそうにないから」

「お仲間ねぇ……」

 

 彼は皮肉げに頬を歪めた。そこには、狼の刺青が存在を主張している……。

 

「まぁいいや、これだけやりあえるのは久々なんだ。ついてきてくれよ!」

 

 触れられてはならぬ攻防が、続く——。

 

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 ケンタウロスの弓から放たれた《ヒート・ジャベリン》を横っ飛びで躱しながら、脚部の《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》にのみ飛行能力による上方向の推進力を発揮させる。不自然な勢いで脚が高く上がる私は側転のように腕で地面に手をつき、そのまま切り離していた右腕部分の《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》をなんとか拾い上げた。側転から立ち上がり、右腕に再び装着する頃にはスレッジ・ハンマーの杖先に浮かぶ《クリムゾン・スフィア》が尾を引いて飛び出している。

 彼のMPは19万だったか。私と長々と続けた会話がそのまま《詠唱》に組み込まれていたなら、上級職の奥義魔法に込められたMPは如何ほどか。いくら優れた魔法耐性を誇る《船はともにある(アルゴー)》と言えど、直撃したいものではない。

 

 避けるべく《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》の飛行機能で火球を飛び越えた時、目の前に新たな炎が大写しとなった。

 

 スレッジ・ハンマー。騎乗するケンタウロスごと炎の化身となり燃え盛る彼が、杖を高く掲げて目の前にいた。

 ケンタウロスに跳躍させたのか。こちらにピタリと矢を番えるケンタウロスに乗り、彼もまたスキルを宣告する。

 【砕拳士(バウンド・ボクサー)】に即応力の優れたスキルはない。ただ迎え撃つべく、拳を振りぬく。

 

「ッッラァ!」

「《クリムゾン・スフィア》」

 

 【蓄魔手甲 スプリンガー】による《身体強化》はまだ活きている。上昇幅は最大の一万。強化されたSTRによる攻撃力は、ENDに恵まれる【猛炎騎士(ナイト・オブ・ブレイズ)】であるスレッジ・ハンマーの防御力さえ上回っている。

 そのSTRが込められた私の左拳は、彼のスキルではなく騎乗するケンタウロスが放った炎の矢とかち合った。その矢もやはり、《ヒート・ジャベリン》だったが、上昇した攻撃力と《船はともにある(アルゴー)》の耐性の前に淡く散った。

 

 だが忘れてはならない。スレッジ・ハンマーが唱えたのは《クリムゾン・スフィア》。【紅蓮術師(パイロ・マンサー)】が誇る奥義である。

 

 杖先に現れた火球が空気を食らい、轟々と燃える。今にも放たれるかと思われた火球はしかし、逆に体積を小さくした。

 

 だが熱量は衰えず。むしろ圧縮されたことで炎の温度が急激に上昇する。

 融ける鉄のような眩さは【冒険家】が閃光に対する耐性を持っていなければ【盲目】を患うほどの輝き。

 輝きが杖先で形を為し、刃となる。

 

 それは紛れもなく、炎によって編まれた騎士の得物、槍だった。

 

 輝きは振り下ろされ、軌道上には左腕があった。

 炎に気圧(けお)された、ほんの一瞬の事だった。

 

 肘から先が、炎に呑まれて消えた。

 

 ピンと張った糸でスポンジケーキを斬るよりもあっさりと、垂らしたお湯が雪を溶かすよりも素早く。

 腕と鎧が、あまりに容易く溶断されてしまっていた。

 

 もちろん痛みはない。しかし膨大な熱が——断たれた左腕よりむしろその他の部位——顔、胴、腰、脚と、その近傍を過ぎ去っていくのを焦げ付く程の熱さで感じた。

 

 思わず退いた私に、既にスレッジ・ハンマーは槍を片手に持ち、空いた手を向けていた。

 

 彼のAGIは三千以上だったか。一千程度の私より三倍も高い。計算式の都合上、そのまま彼が三倍速で動く事を意味している訳ではないが、それでも彼の動きは明らかに私より早い。

 

「《ヒート・ジャベリン》」

 

 彼の手の平、それとケンタウロスが番えていた第二矢の両方が私に命中し、叩き落された。

 胴と右手。両方に直撃した《ヒート・ジャベリン》は《船はともにある(アルゴー)》によって防がれていた。しかしそれは傷痍系状態異常が発症しない程度に、という但し書きが付く。

 そう高くないHPは削られるし、装甲越しに伝わった熱と衝撃で身体が引き攣る。右手は特にダメージが酷く、もう少しで指が全く動かなくなる所だった。そうなれば、左腕を失った今、ポーチから全くアイテムを取り出せない事になる。

 

——回復するなら、今のうちにしなくては。

 

 そう考えてポーチ型の【アイテムボックス】に手を伸ばした時、右手に刻まれた()()が目に留まった。

 

——()の紋様。《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》にこんなのは無いはず。これは、なに?

 

 時間で数えるのも馬鹿らしいほどの、瞬きにも満たない時間だった。それでも私の停止は迂闊と言う他なかった。

 落ちた私の真上には、槍を構えるスレッジ・ハンマーと弓を構えるケンタウロスがいる。

 

 まだ、回復はできていないというのに……!

 

「クッ!」

 

 左腕を失ったことでバランスが取りづらいが、四肢の欠損は何も初めての経験ではない。残された肘で勢いをつけて半身に起き上がり、地面についた右腕で地面を押し出す。

 リアルならともかく、この肉体の筋力(STR)ならそれだけで高速離脱が可能となる。

 事実、私の身体はバネのように打ち出された。

 

 槍を空振(からぶ)って私を見送るスレッジ・ハンマーに対し、ケンタウロスは地面に降り立った無茶な体勢のまま、弓を構えた。

 射つつもりか、しかし(やじり)は私を向いておらず、放たれる矢は到底私を狙ったものとは思えなかった。

 

 ラディアラの方でもない。

 

 それだけを見切った私は、弓から《ヒート・ジャベリン》が放たれるのを見ながらポーチから【HP回復ポーション】を取り出した。

 

——その右手を《ヒート・ジャベリン》が精密に貫いていた。

 

「え?」

 

 おかしい、と口にするよりも早く、手の中の【ポーション】が砕けて、中身が熱で蒸発した。《ヒート・ジャベリン》のまさしく槍のように太い炎は手の甲から《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》と内側に装備した【スプリンガー】を貫通し、魔法耐性によって減衰されたものの、針のような一筋の炎として確かに右手を貫いていた。

 

 肉を焼き貫いた《ヒート・ジャベリン》が消えた時、残された右手にもはや感覚は残されていなかった。確かにそこにあるのに、手首から先が無くなってしまったかのようだった。

 筋肉が収縮したままで硬直した拳は、指一本さえピクリとも動かなかった。

 

 貫かれた《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》の孔に残る、()()()()——

 

「《ブレイズ・クロス》、《サザンクロス》」

 

 間髪入れずにスレッジ・ハンマーはスキルを唱えていた。

 どちらも、今宵まだ一度も耳にしてないスキルだ。

 

 瞬間、地面が赤熱する感覚。間違いなく、蠅の時に私の首を貫いた吹きあがるジェットの炎魔法。

 しかし、彼はもう一つスキルを使用していた。

 上空に光。

 光の筋が十字に交わり、その交点が一層に煌めく——

 

「くっ、【アルゴー!】」

 

 正体不明の輝きに、私の呼び声に応えた【アルゴー】が突撃した。その船体装甲は私がまとう輝く鎧と同じ《船はともにある(アルゴー)》による物だ。

 【アルゴー】が私の直上に辿り着いたのと、十字架から光線が迸ったのは同時だった。

 輝く十字架の交点から降り注いだ光は、その衝撃によって甲板を砕き、破砕音が確かに響いたが、【アルゴー】は防御力と魔法耐性をもって防ぎきった。

 【アルゴー】はただの一条も光線を徹さなかった。

 

 だが攻撃はそれだけではない。

 地面の熱が、爆墳する。

 

 必要なのは防御じゃない、攻撃力だ。

 【スプリンガー】の《身体強化》で底上げしたSTRそのままに《ウィングド・ナックル》で地面を殴りつける。

 焼けた拳でもスキルが発動するのかは博打だったが、賭けは私の勝ちだった。

 

 拳から放たれた衝撃波の塊がほんの少しだけジェット炎を遮った。星のように輝く青い炎が、秩序(ちつじょ)()ったジェット構造を崩されたことで酸素不足の赤を呈したのも一瞬、《ウィングド・ナックル》の衝撃波も全て吹き飛ばしてジェットは隆盛した。

 しかしその一瞬で、《ウィングド・ナックル》の反動と《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》の飛行能力で私は退避している。輝くジェットは空を焼いた。

 

 状況は不利。攻めなくては。

 守ったら負ける!

 

「【アルゴー】、吶喊!」

「行け、《アルゴー》」

 

 上空に浮かぶ、輝く私の帆船を落とそうと呼んだ時。彼もまた、船を呼んだ。

 

 それは〈エンブリオ〉の銘ではなく、スキルの一つ。上空に半透明の帆船が突如として現れ、私の【アルゴー】と激突した。

 片や宵闇を塗りつぶさんとする輝きをそなえ、片や闇を映す無色の船体。船首をぶつけあった両者は、銘々に森の中へ落ちていく。

 

 落ちゆく【アルゴー】と《アルゴー》を見送る私が真に見ていたのは、私の【アルゴー】ではなく、彼の《アルゴー》だった。

 

 蠅、隠密能力、ケンタウロス、狼、十字架、さらにアルゴー。

 多機能な〈エンブリオ〉だ。しかしこれだけ揃えば、モチーフが何かは分かった。

 もっとも、それで優位に立てる訳でもないのだが。

 

「南天の星座、か」 

「ほう!槍を持ってなかったら拍手してあげてた所だよ」

 

 白々しいが、彼はこの時に本当に手を止めた。彼が乗るケンタウロスも、空に浮かぶ十字架も、またいつでも攻撃を放てそうに見えたが、確かにすぐさま攻撃を始める様子は無かった。

 

「気づいたのは、君もアルゴーをモチーフにした〈エンブリオ〉だからかい?」

「えぇ。名前までは想像がつかないけど」

 

 余興を楽しむように彼は話す。

 

「【片天不在 ポロフィラックス】、気になったらあとでググってみるといい。数百年前に消えた星座さ。……あぁ、必殺スキルは気にしなくていいよ。みんなデスペナしちゃった今、あまり使う意味がない代物さ」

「その時点であなたも退いてればよかったものを」

「いやいや、まだ本体は無傷だったのにおめおめと逃げていってはオーナーの示しがつかないだろう。せめてもの成果さ、彼女を殺して君も倒して、大手を振ってログアウトするよ」

 

 会話の最中、遠くでアイス・ブレイカーと戦いを続けるラディアラへ一瞥くれた彼の目に、復讐の色はまるでない。あくまでもゲームの成果物を眺めるだけの、ただそれだけの視線。

 軽く口にしたティアンの殺害という言葉も、本当にNPCを殺すだけと考えているに過ぎない。

 

 炎に蹂躙された腕に、思わず力が入った。

 

 〈マスター〉のほとんどが遊戯派だという事ぐらい、私にも分かっている。私だってついこの前までは遊戯派だった。リアリティのあるゲームと言えど、所詮はゲームだと考えていた。

 しかしラディアラは生きていた。この世界で本当に生きている一人の人間だった。

 長い時間を生きて、亡くした人を想い、この森の奥で生きる事を選び、〈UBM〉という脅威が現れても思い出が続く家を捨てられずに戦う事を選び、孤独に怯える一人の人間だった。

 

 彼女を知って、私の考えは変わった。

 

 なのに、目の前の彼は、スレッジ・ハンマーは。

 多機能にして優れた〈エンブリオ〉はきっと第六形態だろう。ジョブだって、超級職に就いて合計レベル700という域に辿り着くまで多くの苦労があったはずだ。

 私よりも遥かに長い時間を〈Infinite Dendrogram〉で過ごしたはずだった。

 なのになぜ彼には分からないのだろう。生きたいと願うティアンの想いが。

 なぜ容易く踏みにじれるのだろう。一人のティアンの命を。

 

 今更ながらに再び怒りが沸きあがる。

 

 なぜそんなにも、この世界をただのゲームだと——!

 

「あなたは……あなたには分からないの!?本当にこの世界が、ティアンが、ただの作り物だと思ってるの!?」

「いや思っていないよ、馬鹿じゃないんだから」

「は……?」

 

 私の中で吹きあがった怒りの炎が、シャッターを切ったように動きを止めた。

 

()()()()()()であるはずが無いじゃないか。……究極のリアリティ、たかがゲームの売り文句では役不足なほどにこのゲームはリアルだ。ティアンなんて最たる例だ。どこからどうみてもただのプログラムの範疇じゃない、知性と情動を併せ持つ人間そのものじゃないか」

 

——人間そのもの。

 

「なら、どうして、そこまで分かって」

「これがゲームだからだよ!ティアン殺しの罪状がリアルで裁かれるかい?裁かれないだろう?それだけで十分だよ。どんなに歴史があって、物語があるティアンだろうが、ただその一点で所詮ゲームの出来事だよ。やってみるといいさ、『この人は私が大切にしていたゲームのキャラクターを殺しました!訴えてください!』ってね。そんなおままごとに付き合ってくれる弁護士を探すのは骨が折れそうだね」

 

 挑発でもなく、ただ彼がそう思っているというだけの事だった。

 

 〈Infinite Dendrogram〉を確かに存在する世界と考えている。ティアンを人間だと考えている。

 考えた上で、彼にとってこの世界は遊戯でしかないという。

 

 無邪気と呼ぶにはおぞましい悪意だった。

 

 けれどなぜか——途端に彼が携える武器が、安っぽく見えた。

 特典武具であろう杖も、〈エンブリオ〉であろうケンタウロスも空に輝く十字架も、彼が誇る【猛炎騎士】のレベルとステータスでさえも。

 子どもに与えられた玩具みたいだ。

 

 確かに彼の方が強い。その事実に間違いは無い。

 それでも彼の強さは、吹けば倒れる張り子に見えた。

 

「フォリウム!」

 

 私の名を叫ぶラディアラの声が聞こえた。そう、フォリウム。私の名前。

 (あがた)  譲羽(ゆずりは)とは違う、この世界の私の名前。ラディアラにとっての私。

 

 超音速機動特有の、速さにそぐわぬ静かさで、いつのまにかラディアラが右隣に立っていた。剣戟によるものだろう、長かった黒髪が肩のあたりでバッサリと斬られていた。

 連戦の疲労をおくびにも出さず隣に立つラディアラが顔を向けているのは私の後方。きっとまだアイス・ブレイカーがいるのだろう。

 それぞれ真反対を見ながら並び立つ私達だったが、ラディアラの視線は私の腕に落ちていた。

 

「あなた、その腕……」

 

 ついさっきまではボロボロのラディアラを私が心配していたのに、いつの間にか私のほうがずっと酷い有様になっていた。

 左腕は肘から先が無いうえに傷口は炭化した黒に染められ、右手は炎に焼き貫かれて火傷が酷く手は閉じたままで動かせない。

 

 【アルゴー】は落ちた。左腕を失った。右手ももう開かない。

 けれど、まだ私は立っている。

 

 私が生きている。

 

 ただそれだけで、十二分。

 

「別々の1vs1×2でなく、2vs2にする気かい?コンビネーションは中距離火力のある僕たちの方が有利だけどね」

「誤射んなよ」

「そんなに下手じゃない」

 

 私達を挟んでスレッジ・ハンマーと会話をするアイス・ブレイカーへ、ふと目を向けた。

 青白い輝きを穂先に備えた槍を携え、ゆっくりとこちらに歩みを進める、頬に()()()()を刻んだ男。

 ラディアラを見れば、彼女も私を見ていた。鋭い視線から察するに彼女も気づいたのだろう。

 この戦いの突破口。

 

「ラディアラ、アイス・ブレイカーから()()()()()

「えぇ、私もそれがいいと思う」

 

 バコン、と私の脚力により地面が砕ける音と同時に、ラディアラの重心が傾く。

 ラディアラは軽やかに、私は地面を踏み砕いて、二人して弾けたように飛び出した。

 

 




スレッジ・ハンマーの行いは「〈Infinite Dendrogram〉はゲームに過ぎないから虐殺に躊躇がないローガン」などと違い、〈Infinite Dendrogram〉そのものに対する見解はフランクリンと同程度の考えを持っています。もっとも「〈Infinite Dendrogram〉が世界だからこそ踏みにじる事を容赦しないフランクリン」とは違い、あくまでも〈Infinite Dendrogram〉をゲームとしてしか見てないので世界派とも言い難いです。


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第十四話 To Be Continued はいらない

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

 私はSTRによって大地を踏み砕きながら、ラディアラはAGIによって風を置き去りにして飛び出した。

 東の空は僅かに青みを帯びてきている。夜が明ければ、ラディアラに掛かっている【夜興引】によるステータス強化が失われてしまう。それに私の《船はともにある(アルゴー)》にも、そう時間は残されていない。

 

 それまでに片をつける。

 

 私達が同時同方向に向かったのはアイス・ブレイカー。槍を構えて迎撃の形を取る彼だったが、それよりも先に私達を追うようにスレッジ・ハンマーの詠唱が響いた。

 

「《サザンクロス》」

 

 スキルが唱えられると同時に、上空の十字架が輝きだす。そこからはやはり、光線が降り注ぐのだろう。しかしそれだけで手を緩めるスレッジ・ハンマーではない。彼が乗るケンタウロスから矢と化した《ヒート・ジャベリン》が放たれている。それは私の右手に刻まれた狼の紋様に狙い違わず命中する魔弾の一撃だ。

 私のAGIでは振り切れず、かといって既に貫かれた《船はともにある(アルゴー)》の鎧で防げるとも思えない。

 私に防ぐ手立ては無かった。

 

「ラディアラ!」

 

——私には。

 

「えぇ!」

 

 《船はともにある(アルゴー)》の飛行機能によりラディアラの上を位置取り、影を作る。一拍遅れて十字架から落ちてくる光の柱は、確かな衝撃はあったものの私の《船はともにある(アルゴー)》によって遮られた。けれど《ヒート・ジャベリン》は《サザンクロス》の衝撃で動きが止まった私の眼前に現れていた。

 

 しかし裂帛一閃。

 《瞬間装備》で手にした【ブランチクリース】を振りぬき、《ヒート・ジャベリン》を叩き潰すラディアラがいた。

 

 《サザンクロス》の光が晴れて、けれど砕かれた《ヒート・ジャベリン》の火の粉も散って消えぬうちにラディアラへ飛び込まんとする影。アイス・ブレイカーだ。

 

 AGIのままに飛び込んだアイス・ブレイカーだったが、《危険察知》でも発動したのか槍を振るう前に上空を、私を見上げた。

 そこにいる私は流星。急降下しながら構えるは蹴り。無論、スキルの破壊力を秘めている。

 この一撃は、AGI型のHP程度ならば消し飛ばす。

 

「《破城槌》!」

 

 果たしてアイス・ブレイカーはすんでの所で立ち止まり、空隙と化した大地に私の脚が突き刺さった。

 轟く破砕音。

 ただの蹴りと呼ぶには破壊的すぎる一撃は地面を砕きながら捲り上げた。

 

 土塊が瓦礫のように舞ってアイス・ブレイカーに襲いかかるが、彼はなお冷静に青白い光を穂先に湛えた槍を振るった。

 青の残像が煌めいた中、刃が触れた土塊に光が伝播して一瞬、塵も残さず消滅。

 

「固定ダメージ……!?」

 

 攻撃の正体を察して呟いた私の声には、隠し切れない焦燥の色があった。

 光の伝播した領域に固定ダメージを流し込む。恐らくそういうスキルだ。もしあの切っ先が《船はともにある(アルゴー)》の装甲に掠りでもすれば、魔法耐性さえ無視して私ごと消し飛ばしかねない。

 

 けれど、肉薄する。

 ラディアラも退かず、私を援護する。

 肉薄こそが、唯一の活路だからだ。

 

 捲り上がった土塊のうち、ラディアラの方へ飛んできたものがアイス・ブレイカーへと蹴り飛ばされていた。

 一直線に飛ぶ土塊は戦闘態勢の私の動体視力でさえ残像としか捉えられないほどの高速だったが、彼のAGIはラディアラと同等——音速領域だ。

 振るわれた槍の石突きが土塊を叩いて逸らし、その上で近づく私に槍を向ける時間的余裕がアイス・ブレイカーにはあった。

 

 私のAGI差では、この状況からチャージを要するスキルを発動する暇は無い。

 

 けれど、この時に限りスキルは必要なかった。

 ただ、かざせばいい。

 

 アイス・ブレイカーの槍が《船はともにある(アルゴー)》の脚部を撫でた。すかさず光が鎧全体に伝播する。

 一方で私はただ、右手を彼の前にかざしていた。

 

 そこにあるのは、スレッジ・ハンマーの攻撃で刻まれた、狼の刻印。

 アイス・ブレイカーはそれを双眼でしかと捉えた。

 一瞬の静寂。

 

「敵の敵は味方。違う?」

 

 私の口から出た言葉は、いやに響いた。

 鎧に伝播した光が、破壊を齎さずにただ輝く。

 やがてアイス・ブレイカーは()()()()が入った右頬をにやりと歪めた。

 

「確かになァ」

 

 私の鎧から青の光が霧散して、元の輝きが戻った。

 ゆらりと動いた彼の視線が私たちの向こう、スレッジ・ハンマーへ刺さる。

 スレッジ・ハンマーも胡乱げな視線でアイス・ブレイカーを見つめ返し、再び静寂が訪れた。

 沈黙を破ったのは、アイス・ブレイカーの笑い声。

 

「ハハ、確かにそうだよな。ハハハ!」

「……どういうつもりだい?」

「スレハンよぉ——」

 

 返事も半ばに、動いた。

 超音速機動で駆け出したアイス・ブレイカーが、青い残光の尾を引いてスレッジ・ハンマーへ刃を向ける。この時、確かにスレッジ・ハンマーは今宵初めて驚愕の色を浮かべた。

 

「——よく考えたら《雌突雄撃》を決めてAGIを確保した今、てめぇをデスペナした方が話早ぇわ!」

 

——ラディアラとの戦いは、クランによる狩りの趣だと言っていた。しかしアイス・ブレイカーが参戦したのは、メンバーが壊滅してスレッジ・ハンマーが本体を晒してから。今思えば不自然だったが、彼の頬にある刺青の意味を理解した今ならその理由が分かる。

——彼は正式なメンバーではなかったのだ。それも、脅すような形で手駒にしていただけに過ぎない。

 

「裏切るのかい!」

「もとよりてめぇが俺の命を握ってただけだろうが!」

 

 ケンタウロスから《ヒート・ジャベリン》が放たれた。今度の《ヒート・ジャベリン》は私ではなくアイス・ブレイカーを狙ったものだったが、追尾する炎の槍はアイス・ブレイカーに追いつけない。

 今の彼のAGIは超音速機動を可能にしている。生半可な魔法では、届かない。

 

 アイス・ブレイカーがぐるりと円軌道を描いて《ヒート・ジャベリン》を振り切りながらスレッジ・ハンマーの背後を取る傍らで、私たちも駆け出している。

 挟み撃ちだ。

 

 形勢は逆転した。2対2から3対1へ。

 私達は数の利を得た。

 しかし、それでも忘れてはならない要素がある。

 

——私やアイス・ブレイカーと違いスレッジ・ハンマーはまだ、必殺スキルを使っていない。

 

「とことんやる気なんだな、君たちは……《無貌の巨人(ポロフィラックス)》」

 

 瞬間、彼が乗るケンタウロスが消えていた。空に輝く十字架も消えていた。

 代わりに、半透明の巨人がいた。

 

 スレッジ・ハンマーが握っていた槍の炎と、アイス・ブレイカーの青い光と、私の鎧の輝きに照らされた、首無しの巨人。5メテルを超える半透明の異形の人型の心臓部にスレッジ・ハンマーはいた。

 《無貌の巨人》のSTR、AGI、ENDはスレッジ・ハンマー本人の物をそれぞれ二倍に、HPは10倍となっている。ただのスキルではありえない強化幅。必殺スキルだろう。

 しかし必殺スキルにしては、味気ない。

 

 だが、その答えは既に出ている。スレッジ・ハンマーは自身の必殺スキルに対して『仲間がいない今ではあまり意味がない代物』だと言っていた。つまり——

 

「あれは味方の強化や援護を目的とした必殺スキル!単体では大したことない!」

「具の無ぇクラッカーみてぇなもんか!」

 

 スレッジ・ハンマーの後ろを取ったアイス・ブレイカーと、ツーマンセルを組んで今も距離を詰めている私とラディアラ。前後から接近する私たちが接近する最中でありながら、スレッジ・ハンマーに焦りの色は無かった。

 

 澱みなく続けられたスキル宣告こそが真髄だった。

 

「《——右に(デクシア)祭壇(アラ)》、左に(アリステラ)南十字(サザンクロス)》》、《ブレイズ・トルーパー》」

 

 その一言だった。巨人の右肩と左肩にそれぞれ祭壇と十字架の紋様が浮かび上がり、呼応するように変化が始まった。半透明だった肉体が焔に染まり、続けて火の粉が全方位に広がる。頬をチリチリと焦がす熱気が過ぎ去った後には、巨人はいつの間にか白銀の十字架を背に持っていた。

 5メテル余りの巨体の上から覗く十字架の交点が、一際に輝く。

 

「《サザンクロス》」

 

 刹那に迸った光線に身構える猶予も無かった。スキル宣告から反応して防げたさっきまでの一撃とは全く別の、高速発動の一撃。それがスレッジ・ハンマーの後ろを取っていたアイス・ブレイカーの顔面を貫いていた。狼の入れ墨がある右頬に寸分違わず吸い込まれるように命中した光線は致命傷足りえた故にアイス・ブレイカーの【ブローチ】を破壊した。

 

 ラディアラと同等のAGIを持つ彼でさえ、反応の余地が無かった。

 

 自他問わず〈エンブリオ〉の出力を強化する必殺スキル。それが《無貌の巨人》の能力。

 

 《サザンクロス》の衝撃で後方へ吹き飛ばれたアイス・ブレイカーに《無貌の巨人》が追撃せんと距離を詰めていた。その手に握るのは炎の刃を持つ薙刀。スレッジ・ハンマーが持っていた炎の槍の刀身を更に延長させた代物だった。焔そのものである刃が、振るわれる。

 それは炎の嵐だった。空気を焼き焦がす刃の舞。巨人の薙刀は刃だけでもアイス・ブレイカーの槍よりも長く、それでいて伝説級金属(オリハルコン)さえも瞬時に溶かすだろう熱量。先の光線で【ブローチ】を破壊されたアイス・ブレイカーは、まさしく窮地に立っていた。

 

「惜しいけど、僕と共に来ないなら君はここで終いだな!」

「クソ、やってみろよ……!」

 

 言葉とは裏腹に、もはやアイス・ブレイカーが振るう槍は、攻撃とも言えぬ儚い抵抗に過ぎなかった。ラディアラと同等のAGIを持っている彼でさえ、耐え凌ぐのが精一杯。

 そして《無貌の巨人》の背で輝く十字架は、だんだんと白銀の輝きを灯し始めていた。再びあの十字架から《サザンクロス》が放たれた時、形勢は完全に決する。

 けれど何ができるというのか。私の情けないAGIに、既に敗北を喫した装甲。攻撃に転用できる武具はもちろん、アイテムでさえ何もない。仮にあったとしても左腕はとうに無く、右手も火傷のせいで握りしめた状態で強張ったまま、動かすことはできない。

 スレッジ・ハンマーに対する優位点はラディアラとアイス・ブレイカーのAGIだった。なのに《無貌の巨人》はただ巨体によってAGIの差を埋めてしまった。

 だとするならば、何なら届くというのだろう。

 

「フォリウム、私達が初めて会った時のこと覚えてる?」

 

 隣でラディアラが言った。【ブランチクリース】を左手に持ち換え、右手の傷口から杯を満たすほどの血を地面に注ぎながら、目線は《無貌の巨人》から離さずに私に語りかけていた。

 藍色の瞳は微かに震えて彼女の恐れを映し出す。しかしその奥には、目の前の敵に立ち向かう覚悟が輝いている。

 ここにいる中で唯一、命を懸けているラディアラの瞳にのみ宿る熱い光。薄明の空の様に透き通る藍色でいて、明日を望む眩い意思。

 

「私では、奴の反応速度を越えられない。でもあなたなら……《ブラッディ・ファミリア》」

 

 死を拒む意思が沸騰し、溢れ出すように、地面に出来た血だまりから影が這い出て狼に形を変えた。【ナイトウルフ】だ。

 

「時間もない。余力もない。でもここで勝たなければ、明日はない」

「……わかった。派手なのいこう」

 

 私は拳に力を込めた。そうだ、私には(ハナ)からこれしかない。

 

「《破城槌》」

 

 その宣告で、《無貌の巨人》の中にいるスレッジ・ハンマーがこちらを見た。しかし六倍撃は何にも当たらずただ空を殴り、鞭を打ったような衝撃音だけが響いた。

 それを皮切りに私達は飛び出す。私とラディアラと一頭の【ナイトウルフ】がスレッジ・ハンマーの命を狙わんと駆け出した。

 しかしスレッジ・ハンマーは焦りではなく、むしろ余裕をもって言葉を投げかける。

 

「《ハート・ブレイカー》だろう、フォリウム!《破城槌》による六倍、その更に十倍撃を当てるつもりかい!僕に、そのAGIで!」

 

 【砕拳士(バウンド・ボクサー)】はそう有名なジョブではないが、スレッジ・ハンマーは奥義まで知っていたらしい。

 そして彼の推測は正しい。私は先の《破城槌》に《ハート・ブレイカー》を発動している。

 《ハート・ブレイカー》の対生物破壊性能は上級職の域を超えるものだ。事実、私は《削岩穿》を《ハート・ブレイカー》で十倍化することで〈UBM〉だった【スプリンガー】を倒している。《無貌の巨人》のENDを持ってしても、本体がいる心臓部に直撃させれば確実に《無貌の巨人》とスレッジ・ハンマーの【ブローチ】の両方を破壊するに足るだろう。

 しかし《ハート・ブレイカー》は代償として、空振りから十五秒以内に目標に攻撃を当てなければ十倍撃は私の心臓に向けて解放される。リバウンドの一撃は一切の防御系スキル・アイテムを無効化して発動者の命を確実に奪う仕様となっていて、私も例外ではない。

 だからスレッジ・ハンマーには余裕がある。十五秒だけ近づけさせなければいいのだから。

 

 そして私達の勝機はそこにある。

 

「近づかせないさ!」

 

 《無貌の巨人》が振るう薙刀から、炎の一部が剝離して高熱斬撃として飛来する。直撃すれば私の左腕を奪った時のように容易く肉体を両断するだろう。

 銘々が散開し、ラディアラは私と【ナイトウルフ】を置いて《無貌の巨人》の間合いへ飛び込んだ。一太刀で命を奪う薙刀の焔を躱し、ラディアラは【ブランチクリース】を《無貌の巨人》へと叩きつける。しかし彼女も限界が近かった。普段のラディアラの膂力は《ブラッド・アーツ》による血液操作の恩恵を強く受けてのものだ。《ブラッディ・ファミリア》への消費によってSPも底を尽きようとしている今、彼女にいつもの剛力はなく、ただ《無貌の巨人》の右腕に止められた。

 【ブランチクリース】が腕の肉に刺さったラディアラへ《無貌の巨人》の左手が伸びていた。羽虫を握りつぶそうとするようにラディアラへと進む左手は、彼女を掴めばまさしくその通りになるだろう。

 しかし巨人の左手に煌めく青の残光。アイス・ブレイカーの槍だった。一呼吸おいて指がぽろぽろと落ちる。

 その間にラディアラは【ブランチクリース】を巨人の腕から引き抜き、離脱した。しかし二人は依然、薙刀の間合いの内にある。

 

「感謝する!」

「もっと動けよ、もっと!」

 

 短い会話の二人に向けて薙刀が振るわれたが、二人は躱す。人数が増えたことでアイス・ブレイカーにも多少の余裕は生まれたようだったが、それでも二人の攻撃は心臓部には届かず身体の末端を槍と斧で微かに削っていくにとどまった。アイス・ブレイカーの固定ダメージも高すぎるHPの《無貌の巨人》相手では相性が悪いのだろう、急所に届かない攻撃では固定ダメージを使わずに温存しているようだった。

 そしてスレッジ・ハンマーは多少の手傷をも許容して私を見つめ、最大限の注意を払っていた。

 《ハート・ブレイカー》の十五秒。ここが彼の土壇場なのだから。

 

 もう数秒もなかった。

 

 それでいてスレッジ・ハンマーの立ち回りはあくまで堅実だった。自身の周囲から離れない二人に薙刀を振るいながらも、私が無理に近づこうとすれば直ちに反応を見せるだろう。

 到底、近づくことなどできなかった。

 

 しかしラディアラ達に薙刀を振るったその時、振るったが故に私と《無貌の巨人》の間に刃の炎はなかった。背を向けていないが故に十字架も無かった。ただ一つ、私と《無貌の巨人》の間にいたのは、一頭の【ナイトウルフ】だった。

 待ちわびた瞬間だった。

 大きく踏み込んだ足が大地を掴み、限界まで引き絞った右手が【ナイトウルフ】と《無貌の巨人》を一直線上に結ぶ。

 

「《ハート・ブレイカー》」

 

 私の右手が【ナイトウルフ】の頭に叩き込まれた。

 《破城槌》の空振りによって《ハート・ブレイカー》の対象と定めたのはスレッジ・ハンマーでも《無貌の巨人》でもなく、この【ナイトウルフ】だった。

 スキルにより六十倍撃と化した拳を受けた【ナイトウルフ】は一瞬で肉体が破壊された。そして飛び散るよりも早く、頭から尾までが馬鹿げた圧力によりただの一塊になるまで圧縮され、片手に収まるほどの大きさになった。血の塊になったそれは、振り抜かれた拳の面に押されて超音速の壁をも超えた。

 

 解き放たれる。

 それは紛れもなく、ただ一発の血の弾丸だった。

 

 真意に気づいたスレッジ・ハンマーが《無貌の巨人》の肉体を動かしたが、十字架で受けることも、薙刀の炎で蒸発させるのも到底間に合わなかった。到底間に合わないほどのスピードだった。

 ラディアラ達の動体視力さえ振り切った血の弾丸は《無貌の巨人》の腹に深々と突き刺さった。

 すかさずラディアラが発動する。

 

「《ブラッド・アレスト》!」

 

 本来は網の形を経由する呪法が、肉体そのものに埋まっていることにより即時発動した。《ブラッド・アレスト》の効果は【呪縛】。《無貌の巨人》はあくまでも巨体とそれに見合ったSTR、END、AGIを持つに過ぎない。高いMPを持たない肉体をそのままに拘束した。

 身体から力を失い膝を突いた巨人に私たちは群がっていた。

 

「かませ、シャウラァ!」

 

 巨人の心臓——スレッジ・ハンマーがいる急所めがけてアイス・ブレイカーが槍を突き立て、光が炸裂した。破壊をもたらす青は、彼の槍が放てる固定ダメージのストック全てを流し込んだのだ。

 一体どれほどの量だったのだろう。青はスレッジ・ハンマーと《無貌の巨人》を接続する組織を破壊し、残りが全てスレッジ・ハンマーへと流れ込んだ。膨大な固定ダメージの破壊力。はたしてそれは、確かに届いた。スレッジ・ハンマーの懐から【ブローチ】が砕けて落ちる。

 しかしスレッジ・ハンマーもカウンターを入れんとばかりに魔法を発動していた。

 

「はじけろ!」

 

 命令は薙刀の焔へ出されたものだった。刃と化していた炎は言われるがままに弾け、その大火力で周囲を焼き焦がしていた。一歩退いたアイス・ブレイカーを責めることはできないが、しかしスレッジ・ハンマーに隙を与えた。

 けれどここを逃してはならない。

 

「畳み掛けろォ!」

「言われるまでも——《ウィングド・ナックル》!」

 

 私の拳から放たれた、拳骨そのものの威力を孕んだ衝撃波。空気を殴り飛ばし、威力余って地面を削ぎながら突き進むそれをスレッジ・ハンマーは跳んで躱した。

 

 否、跳んで躱そうとした。

 しかし跳躍点には既にラディアラがいた。【ブランチクリース】を高く掲げるラディアラが。

 

「逃がさない」

 

 振り下ろされた【ブランチクリース】は、今度こそ確かに、彼女の圧倒的な剛力が込められていた。ラディアラのSPを一滴残さず込められた最後の一撃は確かにスレッジ・ハンマーに届いた。右肩から入った大斧の刃は鎖骨を砕いて肋骨を割り、振り抜かれてスレッジ・ハンマーを地面に捨てた。

 そしてひしゃげるように地面に叩きつけられたスレッジ・ハンマーは襲い掛かる《ウィングド・ナックル》に対処する術を持たなかった。

 風を伝わった私の拳が、彼の顔面を殴る——!

 

「がうッ」

 

 ——スレッジ・ハンマーの肉体が力無く、地面に倒れた。

 

 断末魔をあげたように思えた彼だったが、驚くべきことにまだ息があった。騎士系統というEND型超級職のステータス故に為し得たのだろう。

 しかし彼はもはや死に体だった。

 立ち上がろうとするスレッジ・ハンマーだったが右肩からは音を立てるように血が吹きでていて右腕は狂ったように痙攣していた。

 二本足でやっとの思いで立った時には身体はふらついて、目は焦点が定かになっていなかった。きっと彼のステータスには【酩酊】の状態異常が浮かんでいることだろう。

 

 私が彼の下に歩いて行くまでにたっぷりの時間があったが、彼はただ、何の抵抗を示す事もできていなかった。

 彼は、目の前に立った私に向けて口を何やら動かしていたたが、それがスキルとなることは無かった。肺か喉か舌か、連撃の中でどこかやったらしかった。

 

 私は今一度、焼けた拳を握りしめた。

 

「じゃあね」

 

——《破城槌》

 

 私の拳に殴られたスレッジ・ハンマーが空に高く舞った。黎明の空、まだ陽は私達を照らしていなかったが、高く打ち上げられたスレッジ・ハンマーの身体だけが一足早く朝日に照らされていた。

 数瞬の間だけ彼は照らされ、やがてHPが尽きて、光の塵になった。

 

「《羅針盤(パイシース)》」

 

 開かない右手の上に現れた『羅針盤』は周囲のリソースを探知し、今度こそ彼が本当にデスペナルティになったことを示した。



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最終話 愛は薄明の中に刹那

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

「……終わった」

 

 『羅針盤』を紋章の中に戻した私は、すぐにでもラディアラへと向き直りたかった。

 けれどできない理由がいた。

 

「死んだか」

 

 黎明の空の中に光の塵となって消えたスレッジ・ハンマーの名残から目線を外して、アイス・ブレイカーが槍を地面に突いて大きなため息を吐いていた。

 彼はこれからどうするのだろうか。槍の光自体は消えているものの、彼のAGI強化はまだ効いているようで私では到底食らいつけるような速度ではない。退いてくれるに越したことはないんだけど。

 警戒を募らせるのは私だけではなくラディアラも同じで、私よりも彼女の方が厳しくアイス・ブレイカーを睨んでいた。

 けれど戦いを望んでいないのは、むしろ彼の方だった。

 

「おいおい、まさかやりあおうってんじゃないだろな」 

「必要があるなら私たちはあなたとも戦う」

「勘弁してくれ、俺は今セーブしたいんだよ。俺はさっさとギデオンにでも向かうからさ、お互い不干渉にしとこうぜ」

「いいよ」

 

 きっと《真偽判定》を持っていたのだろう。彼は「ありがとな」と言うが早いか、残像を残して森の中へ消えていった。

 去ったようだった。

 

 ふぅ、と息を漏らした時、私の《50/100(フィフティ)装着(ジャケット)》が光の塵になって消えた。《船はともにある(アルゴー)》の時間切れだ。船体を利用して構成された鎧は時間切れと共に破壊判定になる。今も森の中に落ちている私の【アルゴー】は必殺スキルによって船体の半分を失った状態になっていることだろう。

 

「ほんとにギリギリだった。もうちょっと長居されてたらやばかった」

「私もちょうどね」

 

 見やれば、ラディアラのステータスも莫大な強化が失われた所だった。【夜興引(ヴェスパー)】によるステータス強化は夜に限ったもの。

 夜が明けたのだ。

 

 まだ低い太陽は輪郭の一部を山の向こうから出しているだけで私たちはまだ夜の名残の中にいたけれど、それでも夜明けに違いはなかった。

 

 ようやく訪れた静寂を噛み締めるように向き合う私とラディアラだったが、改めてひどい有様だった。

 ラディアラはやっぱりボロボロで血に塗れていて、私はもっとひどかった。左腕は途中から無いし、右手は炎で焼かれたせいで皮膚の下のピンク色が見えていて、ちょうど焼き貫かれた部分は黒く炭になっていた。治療は到底できないだろう。もっとも、デスペナで簡単に()()怪我だ。

 

「……あなたには、無理をさせたわね」

 

 呟いて、ラディアラが私の右手を取った。

 私の身体なら簡単に()()事を彼女は今や理解しているはずなのに、あまりに優しく私の右手を取るものだから遮断されてる痛みさえ感じるような気がした。

 

「私なら大丈夫だよ。怪我だってずっとこのままって訳じゃないんだし」

「それでもあなたは傷ついた」

 

 触れあう手からラディアラに流れる鼓動を微かに感じ取る。

 やはり、紛れもなかった。

 この手に感じるのは、ティアンであるラディアラの命だ。

 

 ラディアラも、その手に同じく私の鼓動を感じているはずだった。〈マスター〉である私の命。

 

 あの夜。私達の最後の夜になっていたかもしれなかった夜を思い出しているのは、私だけじゃないだろう。

 

「あなたは——」

 

 ラディアラはあの時の続きを言うようにして、そこで言葉につまった。私は彼女の言葉を待っていけれど、ラディアラの視線が私の右腕と左腕を行き来するばかりだった。それでもしばらくしてから、ようやくラディアラは握っていた私の手を放して「なんでもない」とだけ呟いた。

 

「そっか」

 

 何を聞こうとしていたのか、聞きたかった。でも今は聞かなくてもいいと思う。

 今は言葉にされなかった空白が、ラディアラの口から形にされる“いつか”が来るだろうから。

 

 確かに、今日は私もラディアラもひどく傷ついたし、ラディアラが命を落とし得た瞬間だって数え切れない。でも、ラディアラは私が来た時には「ありがとう」と言ってくれた。この世界には〈UBM〉も〈マスター〉もいっぱいいるけど、これからそんな災いがラディアラに来る時があったとしたら、きっと、彼女は私を隣に立たせてくれる。きっと今日みたいに二人で越えられるのだと思う。

 だからやがて訪れる“いつか”で、ラディアラの口から続きを聞きたい。

 

 私が森の向こうに手をかざすと、ゆっくりと浮かび上がる影あった。必殺スキルで船体の半分を失い、スレッジ・ハンマーの《アルゴー》との衝突で森に落ちた私の【アルゴー】だ。

 船首と、船尾と、マストと、それらを繋ぐように残された竜骨の他には、乗れる甲板が辛うじて残されただけの【アルゴー】は帆船を名乗るには些かみすぼらしかったが、それでもゆっくりと空を行く様はまだ確かに船としての機能を保っている。

 そのまま静かに、空気を押し退けて微風を吹かせて私達の傍に着陸した【アルゴー】をラディアラは見上げていた。黒髪を風になびかせる彼女に、私はふとした思いつきを口にした。

 

「ラディアラ、少し乗ってみない?」

「……そうね、そういえば、落ち着いてあなたの船に乗った事は無かったわね」

 

 首肯したラディアラの前に【アルゴー】がバラバラとタラップを下ろした。先に私が掴まろうとしたが、左腕は無く右手も物を握れる状態ではなかったためにラディアラが私を背負ってタラップを握った。

 

「あの時の逆みたいだね」

「【スプリンガー】の?」

「そう」

「あの時ほど荒々しい乗船では無いわね」

「それは確かに」

 

 再びバラバラとタラップが巻き上げられながら、【アルゴー】は高度を上げていく。地面がはるか下になる頃に巻き上げられたタラップが甲板まで届き、ラディアラが私を担いでいるとは思えないほどにふわりと甲板に飛び乗った。

 

 下ろしてもらった私が振り向けば、背後、東を昇る朝日があった。

 朝だった。とても静かな朝。戦いに満ちた騒がしい夜の向こうに待っていた、雲が流れてゆく音さえ聞こえそうな朝。

 

 輝く太陽を見る私の隣で、ラディアラも太陽を見ていた。【冒険家】のスキルによって眩しさに耐性を持つ私と違い、ラディアラは少し目をひそめて眩しそうにしながら、それでも太陽を見ていた。太陽と、陽光に照らされる稜線、森、いまだ空に残る雲、照らされる全て。ここから見える世界、その全てを感じ取るように見ていた。

 

「ふぅぅぅ」

「……フォリウム?」

 

 バタリ、と倒れ込んだ私をラディアラが見下ろしていた。

 

「気が抜けちゃった……今まで生きてきた中で一番気が張り詰めた気がする」

 

 不安そうな表情を浮かべる彼女の心配を打ち消すように笑ったけど、浮かべた笑みは疲労感のせいで完璧とは程遠いものだろうと分かった。

 

 ラディアラは少しだけ安心したように「そう」と短く言って、寝転がって笑う私の隣に座り込んだ。

 それからしばらく二人で空を見ていた。だんだんと昇る朝日は少しずつ西の空まで明るくしていく。

 私の言葉が出てきたのは、流れゆく雲を眺めているうちの事だった。

 

「すごい怖かったんだ」

 

 まるですり抜けるように口から出ていた。言わなくてもいいのに、だとか、そんなことさえ考えないまま、顔を覗かせた言葉が最後まで現れるのを私は他人事のように見ている。

 

「あの夜が最後になるんじゃないかって、ずっと怖かった」

「……私も」

 

 同じく通り抜けるようにラディアラからこぼれた言葉は、空耳かもと思った。でも見上げたラディアラの顔は確かに私を向いていて、それは聞き違いではなかった。

 

「戦いがそばまで来ていたから逃げれば良かったのにね。身を隠して、やってくる連中をやり過ごして、いつかやってくるあなたを待つ事だってできたのに」

 

 私を見るラディアラの藍の瞳の上で光の粒が跳ねているみたいだった。

 

「でも顔も知らない誰かにフローの家が荒らされたらって、焼かれたりしたらって思うと、その光景を見るのも見ないでいるのも私には耐えられなかった」

 

 身を起こした私から、ちょうど距離を保つようにラディアラが立ち上がって、この景色を取り込むように息を吸った。

 光の粒はラディアラの黒い髪の上でも、血に濡れてなお白い肌の上でも跳ねているようだった。

 それは美しいのに。間違いなく美しいのに、どうして、手の内から溢れゆく雫を見ているような儚さを感じてしまうのだろう。

 

 吸い過ぎた息のおつりを払うように短く嘆息して、ラディアラは言った。

 

「ここを離れようと思うの」

 

 ラディアラはアイテムボックスから一冊の本を取り出した。それは日記のようで、持ち主の名前が書かれている。名前はフローレイア・リベナリル。

 ラディアラがかつてロケットを握りしめながら叫んだ名前、フロー。ラディアラがここに留まり、たった一人で〈UBM〉にさえ立ち向かった、彼女の理由。

 

「フローの日記があるのを見つけて開いてみたの。悪いとは思ったけど、最後になるかもと考えたら少しでもフローの事を思い出したかった」

 

 ラディアラは日記に記された名前をなぞった。今は亡き人の筆跡にその面影を見るように、輪郭に触れるように。

 

「日記はレジェンダリアにいた時の頃から書かれていた。フローから私と出会う前の事はほとんど聞いたことがなかったから、私の知らない事がたくさんあった。でもやっぱり、私が知るフローだった」

 

 慈しむ指先には、一体どれだけの歴史が刻まれているのだろう。吸血鬼であるラディアラは〈マスター〉が増加する前より……いや、そんな数年なんて単位がくだらなくなるほど昔から独りだった。

 積極的な狩猟を行わないラディアラによってあれほど溜め込まれた【エメンテリウム】が、なによりも年月を語っている。

 

「フローは、種族の違いなんて本当は些細なものだって……故郷での種族間のいがみ合いや支配とは無関係で対等な隣人として、いろんな人と一緒に暮らせるはずだって、その考えが正しいという事を証明したくてこんな所まで来ていた」

 

 レジェンダリアは今でも“妖精郷”の名に偽りなく、妖精を始めとする獣人、エルフ、吸血鬼などの多種多様な種族が共存する国ではあるが、平穏とは言い難い政治闘争が繰り広げられ、〈マスター〉が増加した今でも〈マスター〉さえ政治の道具の一つとして使われている影の側面を持つ。レジェンダリアの吸血鬼は今でこそ力を失っているが、かつて妖精郷の夜を担うとまで言われた一族がどれほどの支配と構造を生み出しいてたかは想像に難くない。そんな地を去ったフローレイアという人物に何があったかは想像に任せるしかないが、一つ分かるのは、そうして故郷から離れたこの地で、彼女はラディアラに出会ったのだ。そして、如何様にしてかその生を終えた。

 

 ラディアラが日記をアイテムボックスにしまった。彼女の独白はいよいよ佳境に来ている。

 

「この前、私が言ったこと覚えてる?独りになった私はむしろ出会った人を拒絶するような生き方をしてきた。フローは私に命と愛を与えてくれたのに」

「でも、それは……ラディアラが人とは違う秘密を抱えていたからでしょ?」

「だとしてもフローは最期の時まで対話を望んでいた。そして、きっと私がこんな生き方をしていくのを望んでいなかった」

 

 違う、違う。そんな事は言わないで欲しかった。だって、それじゃあまるで——

 

「……改めたいの、フローがくれたこの命を。だから——」

「なら一緒に行こう」

 

 見下ろしていたラディアラの隣に立つために立ち上がろうとした。でも片腕だけ、それも自由の効かない手とあってはうまく立ち上がれず、右腕を支えにしてようやく立ち上がれた。

 

「一緒に行こうよ」

 

 生きてきた事を間違いみたいな言い方はしてほしくなかった。

 

——それじゃあまるで、私達の出逢いまで間違いだったみたいだ。

 

 彼女が必死に生きてきた事は決して間違いでも、無意味でも、望まれなかった事でもない。

 だって、無限の可能性があるこの世界で私とラディアラが出会えたんだから。

 

「もう、一人で行くとか言わないで。【スプリンガー】のときも、〈マスター〉が来た時も私はそばにいなかった。だけどこれからもそうだなんて、寂しいよ。そんな寂しいこと言わないでよ。私は、あなたがこの世界をもっと見たいって言うなら、その隣にいたいよ」

 

 ラディアラは、生きている。そして私も、この世界に生きている。〈マスター〉にとってこの生命は本当の命ではない。この世界と生命をただの遊戯だと思い込むことだって、偽物だと割り切ることだってできる。でも私はどうしようもなくこの世界に生きている。

 

「行こうよ、ラディアラ。私の船でどこにでも行こう。私の船で、あなたが見たいこの世界のどこにでも」

 

 身体中の息を全て使うように言った。

 

 ラディアラの顔に浮かんだのは驚きか、それとも……安堵だろうか。

 光に照らされる彼女は柔らかく、言った。

 

「先に言われちゃったわね」

「それじゃあ」

「えぇ」

 

 ラディアラは微笑み、眼差しと笑みを私に向けた。

 そこにはもう儚さはなかった。新雪を解かしたような暖かな色だった。

 

「あなたと、この世界の可能性を見ていきたいの。フォリウム、あなたと一緒に」

 

 

 ◇

 

 朝日が森を照らしている。

 その中の開けた場所にある黒い館も照らされていた。

 今は誰もいない館。かつて二人の吸血鬼が暮らした館。

 たった一人になった吸血鬼が長く、時代が移ろうほど長く過ごした館。

 一人だった吸血鬼は一人の〈マスター〉と出会い、その二人がしばし時を同じくした館。

 はるか昔からと同じように館は今も、窓に嵌められた硝子で陽光を反射し煌めいていた。

 

 その館のそばに誰かがいたなら、光に照らされて空を去ってゆく帆船が見えただろう。

 空を行き、空の向こうに旅立っていく帆船がどこまでも行くのが、きっと見えた。

 

 




これにて完結です。
長い間お付き合いいただいて本当にありがとうございました。もし楽しんでいただけたなら、評価などしていっていただければ嬉しいです。感想などもお待ちしています。それでは。


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