「うるさいですね……」と言われたいだけの人生でした (金木桂)
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1

寝る前に思い付いた一発ネタ。
タグに性転換とありますが全くつっこみません。


 

 それはふわふわのウサギで、一言で表せばティッピーだった。

 

 まず最初に。

 俺は気付けば転生していたらしい。冒頭がアレだからって別にアンゴラウサギになっちゃった訳ではない。転生自体は良く分からない普通の女の子になっていた。名前は……まあどうでも良いか。その辺は想像にお任せします。

 

 ともかく、ここがアニメの中かつ漫画の中かつ映画の中なのは間違いない。この世界での生まれは木造りの家が立ち並ぶまるでヨーロッパみたいな街並みで、その最寄り駅すらありえないくらい西洋風。日本なのに。挙句の果てにポッポーと汽車すら走っている始末。当然電車内には液晶ディスプレイなんて気の利いたものは存在しない。

 

 ここまでくれば題目は「ご注文はうさぎですか?」の舞台であると想像は容易かった。特徴的な町並みだったのである。

 ジャンルはファンタジーでもなければ学園ラブコメでもなく、或いは超能力アクションでもない。日常系である。

 

 正直言って俺はこの作品についてあまり知らない。アニメも見てないし漫画も読んでない、ただ知ってることがないわけでもない。

 

 このごちうさという作品、香風チノというメインキャラがとにかく過激派女子中学生なのである。例を挙げよう。

 もし皆さんがカフェを経営していたとして、最近超大規模チェーンコーヒーショップ(スター〇ックス)がその近くに出店してきたらどうするだろう。分からない? まあそうかもしれない、たらればなんてこの世で一番意味の無い話だ。でもチノなら爆破する。木っ端微塵に粉砕する。間違いない。前世に俺は掲示板で見ていて詳しいんだ。

 

 香風チノだけじゃない。宇治松千夜という女子高生は動画でちょっとだけ見たけど下ネタしか言わないし、主役の女の子(名前は忘れてしまった)はサウンドエフェクトみたいな奇声で音MADばっか作られるし、正直この事実を知った時は本当に日常系か? と疑ったりもした。まあ間違いはない、だって動画で見たんだし。とにかくぶっとんだキャラ性が目玉の作品なのだろう、たぶん。

 

 けどそこで一つ疑問に思ったのだ。俺はごちうさについては切り取り動画だけは色々見たことあるが、何故かチノが言ったとされる名言については一度も聞いたことがない。その言葉は幼い容姿から繰り出される辛辣なセリフ。「うるさいですね……」という名言だ。

 ネットではよく見かける名セリフなのに実際にその言葉を聞いたことが一度も無いのだ。いと不思議である。まあもしかしたら利権で引っかかってネットから消されてしまったのかもしれない。そりゃ動画サイトに無断アップロードされているわけだし、可能性はそこそこ高い。

 

 

 お、長いって?

 そろそろプロローグが長引きすぎてダラダラになりかけているしな、じゃあ端的にまとめようと思う。

 

 人生2周目の俺に生き甲斐は無い。実際毎日何かを意識的にするという習慣も目標もなく惰性で再び生きていた。そんな俺だが、香風チノと出会ってから目標が出来た。

 

「ウサギー! ウサギですねウサギ! やー可愛いウサギ! ところで動物が喫茶店の中にいるのは衛生的ではない上に異臭の原因になると思うのですが如何思うでしょうか」

 

「ティッピーは毎日洗っているので大丈夫です……!」

 

 今世を生きる理由である些細な目標、それは香風チノに「うるさいですね……」と言ってもらうこと。

 ただそれだけを目的に毎日香風チノと絡む一人の良く分からない少女の小噺だ。

 

 

 

 

──────☆

 

 

 

 

 さて、どうすれば「うるさいですね……」と香風チノが言ってくれるのか。これが非常に難しい。

 特にその核心的な理由は、原作と違ってチノのキャラクターがこの世界ではあまり尖っていないという点が挙げられるだろう。この世界のチノはまだ時間軸が原作に至る前日譚であるのか、それとも既に世界線が分岐しているのか、或いはこの世界自体が二次創作的な扱いなのか、ともかくスタバは爆破しないし泥水みたいなコーヒーは淹れないし〇タバのサジェスト汚染もしないし爆発も無い。だからどれだけ周りで騒がしくしても歌を歌ってギターをかき鳴らしても一つも「うるさいですね……」が貰えないんだよな。

 

 この目標は人によっては下らないと思うかもしれない。たかが一言を貰うために追っかけて仲良く話したり煽ったり煽られたりと、俺の真意が分からないと思う方々も多いはずだ。だがそういう時は考え方の切り口を変えて欲しい。コペルニクス的転回というやつだ。

 RPGゲームでレベリングを行う時、大体の人間は目標レベルを決めて作業すると思う。例えば2番道路でレベリングするにしても10レべなら簡単に辿り着くが20レべになるとその二倍以上の時間がかかる。だから10レべになったら次のステージに行ってまたそこでレベルを上げたりする。

 俺もそれと同じだ。俺にとっては生きるために理由が必要で、それは何でも良い。ただ何となく琴線に触れたからこんな目標に向かって生きているだけ。ただ違うのは今の目標が達成されたら俺の生き甲斐が消えるのだ。俺の人生には次のステージなんてなく、あるのは連綿と続いた平坦なる隘路だけ。取り敢えずの目標で今世は突っ走っているのである。

 

 それはさておき。何か忘れてるような…………。

 

 ああそうだ、忘れてた。もう一つ、チノとの関係性について。

 俺は中学一年生。都合良くチノと同じクラス、どころか小学生の頃から関わり合いがある。いわゆる幼馴染である。これで俺が少年だったならお手軽楽チンなテンプレラブコメの完成だったかもしれない。しかし俺自身の精神はともかく肉体が少女である以上そういったイベントは起きることなく(であっても年齢的にNGなのもある)結果的に普通な日々が緩やかに流れている。

 

 

 中学入学して一週間、今日も今日とて実績達成のために放課後になった途端俺はチノへ突貫していた。

 

「香風さん、一緒に帰りましょう。今日も家のお手伝いですか?」

 

「今日は無いですね」

 

「なら一緒に喫茶店行きましょう喫茶店。勿論スタ〇以外で」

 

「何でスタ〇はダメなんですか……別に良いですけど」

 

「あ、あとどんなに美味しいコーヒーが出てきても店をdisったり爆破したりしないでくださいね。自分も困るので」

 

「しません……!! 前から思ってるんですけど私に対するその悪いイメージなんなんですか……!?」

 

「だって香風さん、そういう素質というか才能というか、可能性を秘めてるじゃないですか。絶対にさせないですからね」

 

 俺だって前世は決して奇天烈な人間性も無く一般人だった。幾ら何でもアニメキャラとはいえ知り合いが爆発テロ魔になったりネット工作員になったりするのを傍観するのはちょっとゴメン被る。…………もしかして俺の知ってるテロチノになってないのは俺の意識的な偏向教育が実を結んだ結果だったり? ちょっとあり得るのが怖い。

 

 俺はクラス全体に一度目を通して、すぐにチノを伴って教室を出た。何だか見たことあるような姿のクラスメイトもいたけど、名前もキャラも覚えてない。当然今世で見たことはないから、多分将来のチノの友人候補なんだろうけど……まあいっか。俺には関係ないし、何よりその二人は仲良さそうだから割り込めない。

 

 教室から出た廊下は春とはいえ未だ薄寒い空気が辺りを包んでいた。この時間だとホームルームが終わってないクラスも多くあり人は疎らで、ポツリポツリといる学生は各自が部活動や委員会、塾へと思い思いの場所へ行くために校舎の外へと流れを作っていた。

 

 俺の顔を見上げると、チノは呆れたように溜息をつく。

 

「はぁ……まあいいですけど。いえ、やっぱり良くないです。私ってそんな人物に見えますか……?」

 

「見えないけど、可能性は感じます」

「なんですかそれ……!?」

 

 使用済みボロ雑巾を顔にぶつけられたみたいにショックを受けた表情を浮かべるチノに少し申し訳なさを感じる。相手は女子中学生、しかも成り立て。流石に言いすぎだったかもしれない。

 

「ごめんなさい、少し過剰でした。今の香風さんなら大丈夫です、安心して下さい、私が付いている限りは絶対に変な事にはなりません」

 

「付いてなくてもなりません!」

 

「…………え?」

 

「なんでそんなに不思議そうな顔をするんですか……!?」

 

「……んーまあいいですけど。それより何処行きます? やっぱ甘兎庵ですか? それともフルール・ド・ラパンに行きます?」

 

「露骨に話題を……!? 仕方ないですね……なら甘兎庵に行きましょう。そっちの方がお財布に良心的価格です。それに新作が出たと千夜さんも言っていました」

 

「決まりですね。では優雅に緑茶パーティーとカマしましょう。あ、でも香風さん。新作はニンジン羊羹らしいですけどどうでしたっけ? 香風さんなら食べれましたっけ? 大人ですもんね香風さん、何なら私奢りますよ香風さんねえ香風さんニンジン食べれる香風さん」

 

「少し黙ってください…………」

 

「あ、それです!! 惜しいっ! ゴチなら±500円でニアピン賞です! 後もうちょっとなんです! その言葉をほんのちょ~っぴり捻ってくれれば±0でホールインワンなんです! 朝1GOD揃いなんです! 親番一巡目ツモで48000点なんです!」

 

「先に行きますよ」

 

「あ、ああ! ちょっと待ってください香風さん!」

 

 無視して早足になったチノを追いかけようとその小さな背中に目を向けてふと思った。

 果たしてこの関係は友達と言えるのだろうか? 俺は煽ってチノはそれを冷たい目で見下す。決して俺はマゾなわけじゃない。

 

 こんなことを考えるのも理由がある。チノからどう思われているかは分からないが、俺はチノのことは別に友達とは思っていない。それどころか人生で友達、なんて概念があったことなど一度もない。常に一人、俺はただ生きてきた。

 

「早く来てください」

 

「分かったので早足は止めてください!」

 

 ああ、そうだ。俺の人生に友達は必要ない。生死だって関係ない。唯一関係があるとすれば………さしあたり存在意義となったちっぽけな生き甲斐だけだ。

 

 

 

 

☆───香風智乃───☆

 

 

 

 

 

 私にとって真麻環(まあさめぐる)は不思議な人間でした。彼女は自分のことをマッカンと呼ぶよう言っていますが、しっくりと来ないので一度も呼んだことはないです。

 

 真麻さんとの出会いは小学生の頃でした。思えば初めて会った頃からよく訳の分からないことを言ったりする騒がしい人でした。無視していた頃もありましたね、そのくらい酷かったです。休み時間には毎回来て、放課後も分岐路まで勝手に付いてきました。まだその頃は喫茶店までは来なかったですね、そこは恐らく遠慮があったんだと思います。というかそれすら無かったら完全に縁を切っていたと思います。

 

 最初はあまり好きではなかったんですけど……でも真麻さんはあの時、お母さんが死んだときも変わらずに私の下に来ました。その頃私はクラスでも浮いていて、お母さんが死んだ噂も相まってクラスメイトは私のことを出来るだけ触れないようにと全く近づいてきませんでした。その中で真麻さんは異端だったと言っても良いと思います。

 

 でも真麻さんに私は酷い事を言ってしまいました。整理がついていなかった私は気を使って明るく話してくれる真麻さんに怒鳴ってしまい、それから悪いことをしてしまったことに気付いてすぐに逃げてしまいました。

 翌日に改めて謝ったのですが本当に気にしていないかのようにそのことを許してくれました。その時に気付きました。真麻さんはきっと何があっても、例えば私がクラスで虐められて、関わったら一緒に巻き込まれてしまうような状況になったとしても、そんなのどうでも良いとばかりにいつものように調子良く話しかけてくると思います。いえ、これは願望かもしれません。でも間違っているとも思いません。

 

「大人な香風さんは今日は甘兎庵で何を頼むんですか?」

 

 むっと来ましたが無視です。この手の真麻さんの揶揄いは突っ込むだけ無意味とこの短くない数年間で完全に学びました。

 

「そうですね……今日はあんみつの気分でしょうか」

 

「分かりました。では千夜さんにはニンジン羊羹を用意しとくように……と」

 

「いつの間にスマートフォンを……! た、食べないですからね!」

 

「好き嫌いは良くないと思いますよ香風さん。もう中学生ですしやはり野菜の好き嫌いくらい無くしていかないとこれからの成長期大きくなっていけないですよ。足とか胸とか脳味噌とか」

 

「うっ……」

 

 何時になく正論です。でもニンジンのあの独特の風味……食べたくない……です!

 真麻さんは薄い黄色の髪の毛を揺らしながら、とぼけたような表情で「ん~?」と口角を上げました。

 

「あれー? 香風さん、もしかして食べたくないんですか? しかしもう千夜さんには頼んでしまいましたから二人分食べなくてはなりません。これは仕方ないです、ええ、仕方のない事なんです」

 

「勝手に何やってるんですか真麻さん……!」

 

「勘違いしないでくださいよ香風さん。全身全霊、私は香風さんのことを想ってやってるんですよ。これは将来香風さんが頭脳明晰容姿端麗ばいんばいんになるための布石で」

 

「余計なお世話です」

 

 私は変な事を言い始めた真麻さんを無視してまた早歩きを始めます。真麻さんは「ちょっと待ってくださいって! はあ最近の香風さん結構最近惜しいのに……!」とすぐに駆け足で追いついてきます、運動部でもないのに運動神経が良いのが少し恨めしいです。というか惜しいって何でしょうか……どうせしょうもないことを考えているだけなんでしょうけど。

 

 こうやって真麻さんとおしゃべりするのは楽しくないかと言われれば嘘になるんですけど……ただ若干のうざ、鬱陶しい言動が気になります。それさえなければ良い友達なのですけど……どうにかならないんでしょうか。

 

 溜息を吐きながら私は肩を並べて歩く真麻さんの姿を目で追った。

 

 



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2

続きましたちょっとだけ。
あらすじちょっと詐欺ってる気がしたけど他に変える候補が思いつかないです


 先程も言った通り、チノとは割と綿密な関係である。

 

 何も無い日は大抵いつも一緒にいて、チノが自分の喫茶店を手伝う日は三回に二回俺も付いてってコーヒーを飲みながら茶々(邪魔)を入れる。どうにもチノの実家、ラビットハウスはあんまり客入りが宜しいわけではなく昼間下がりのカフェには殆ど人影は存在しない。偶に来ても新聞を広げて小一時間したら出て行ってしまう常連客だけで、席数の半分以上が埋まるのも休日くらい。というか最近は休日なら九割埋まったりするんだが………もしかして俺の歌聞きに来てる? いやいやまさかね……。

 

 ともかく平日なら無限に俺が居座ってもノー問題という寸法だった。ちょっと気になるのはラビットハウスの経営状態、こんなに人いないのに何だかんだと潰れていない。客単価もそう高いわけじゃないのに……ああ、そっか。夜はチノの父親がバーをやってるんだからそこで利益上げてるのかな。まあ分からないから今度行ってみようと思う。

 

 しかし今日はそんな例外の一日。俺はチノと別れて直帰して、そのままパソコンの電源を付ける。前世でも趣味はネットサーフィンでノートパソコンは手放せなかった俺ではあるが今の俺はそうじゃない。音楽活動だ。親には趣味で通しているが当然そうじゃない、目的達成のために始めた。チノから「うるさいですね……」と言われるならやっぱ台詞的にここは騒音を出せば口を突いて出てくるだろう。でもただそれだと他人にも迷惑が掛かってしまう、本当に工事音とかサイレン音とかを流そうもんなら近所迷惑で一気に町内ブラックリスト入り間違いなし。なら五月蠅くても人に受け容れられるもの。そう考えて音楽が最適と思ったのだ。そしてより五月蠅いものをと、曲調激しめのロック或いはJPOPを唐突にお前の目の前で演奏してやらぁ! とばかりに始めたものの今まで全くこれっぽっちも成果を上げていない。最初こそ驚いてはいたが最近じゃ「と、とても良かったです……」とか何故か褒められてしまって「へ?」と生返事を返してしまったまである。

 

 だが、だが。

 

 ここで引いては非効率的だ。俺は多少なりともこのいわゆる、音楽活動に時間を費やしてしまった。具体的には三年半、三年半だ! ギターはそこそこ弾けるようになった、それだけじゃない。アンプやMIDIキーボードやオーディオインターフェイス、外部音源にPCだってそれなりに高いものを買ってしまった。それだけのものを既に投資してしまって、回収はゼロなんてありえない。だからこそ何が何でも俺は縋りついていくしかないのだこの手段に。

 

 PCからDAWを起動して作りかけの譜面を眺める。手は抜いてはいないとはいえ、まだ完成度に不満が残る。そもそも作りかけで、まだAメロ製作途中だ。

 作業机の片隅、チノから貰ったラビットハウスのチラシの上に置かれていたヘッドホンで耳に蓋をし、俺は音と格闘し始めた。

 

 

 

 

──────☆

 

 

 

 

 四月は変わらず、雲行きが少々怪しいものの土曜日。

 暇だった俺は普段と変わらず朝11時、家を出るとチノが働くラビットハウスへと歩を進めていた。

 

 ふと道中、四月の穏やかな陽気に誘われて川のせせらぎに目を奪われる。一応街中であるにも関わず川の水は底が見えそうなほど透明で、まるで人間が住んでいない森林の奥地のそれを思わせる。

 

 やはりここは作品のアニメの中だ。そう意識せざるをえない。清らか過ぎる天然水に、あちらこちらに跳梁跋扈する色形様々なウサギ。前世なら日本でも有名スポットとして多くの観光客で道が溢れていただろう。だがこの世界ではあくまでも日本にあるお洒落な街の一つ程度の認識しか世間からされていないらしく、同じ系列に挙げられるだろう吉祥寺や自由が丘とも違って都内からも全く近くないので不動産会社が毎年行ってる住みたい街ランキングにも上がらない。考えれば考えるほど不思議な街並みだと思う。悪く言えば不自然とも言えるが。

 

 いくつかの建物を通り過ぎてラビットハウスの前まで着くと、ドアには既にオープンと白字で書かれた木目の小粋な看板が釣り下がっていた。まあ何回も何回も来ているから開店時間を間違えるなんてドジはしない。躊躇いなくドアノブを回した。

 

 ドアが押されて次第に視界が開けていく。ほんのりコーヒーの香りが馴染んだ空気が流動し鼻孔を揺るがす。カフェに並べられたアンティーク調の木製テーブルや椅子はどうやらチノの祖父のこだわりだったらしい。モダンなカフェというよりかはシックな雰囲気で、静けさが年季の入った木と渋いコーヒーの香りに溶けて漂っていた。

 

 カウンターではチノがマグカップを白いシルク製の布で拭いていた。いつもと同じような特徴的な水色のエプロンに丈の長いロングスカート、やはり頭の上にはアンゴラウサギのティッピーがちょこんと乗っている。……ちょこんなのか? 思ったけどやっぱりドスンの方が正しいかもしれない。この前気になってアンゴラウサギの重さをググったら2.5㎏~4㎏らしい。理解不能である。首周りの筋肉を鍛えてるんだろうか。やはり原作ではス〇バを爆破しようとしている人間の思考回路は俺には分からないらしい。

 

 チノは俺の姿を認めると、掠れたような、上ずったような声を出した後に手を止めた。

 

「いらっしゃ……おはようございます」

 

 反射的に言おうとした言葉に急ブレーキを掛けて、代わりに出てきたのは朝の挨拶だった。いらっしゃいませのままでも良いだろ俺客なんだから。

 まあいいや。やはり他に客は他には居ない。ってことはここは朝一チャンスだ。俺はサブマシンガンばりに口火を切った。

 

「ふう……あのですね。仮にも接客業なんですから小さい声でどうするんですか。それに無表情なのはどうかと思いますよ? 接客の命は笑顔です、一番簡単かつ低コストで客の気分を良くさせる方法なんて笑顔以外にはありませんし積極的にスマイルを撃ってください。あと何より言いたいんですけど私客なんですが」

 

「……そうですね。努力するべきなのかも……しれません」

 

「あ、アレ? 待って下さい、ちょっと待ってください。ジョークです。朝一おはようジョークです」

 

 本気で瞳を俯かせて凹み始めたので慌てて弁解を試みるがチノは肩を落としたままだ。いや本当に待って。罪悪感ヤバい。ヤバ谷園。一応俺、こんななり(外見平均身長JC)でも中身は合算29歳だから見た目可愛い少女を落ち込ませるのは中々心にくる。なんせ17歳下ってことで同級生よりよっぽど学校の若手教員との方が年齢差が無いってことになる。大人も社会も経験したことは無いが、まあその辺の煩雑な精神構造が年上の矜持をチノに対して感じちゃってるのだろう。

 

「ほら、アレですよ香風さん。この喫茶店には色んな魅力がありますよね。このシックな雰囲気とかとても落ち着けますし看板娘は可愛いですしアルバイターのリゼさんも……銃さえ持っていなければ可愛いですよほら」

 

「でも銃を取ったらリゼさんじゃないですし……というかコーヒーについては褒めてくれないんですか」

 

「だって正直、個人的にスタ〇のキャラメルフラペチーノの方が美味しいじゃないですか」

 

「それコーヒーじゃないですよね……!?」

 

「でも香風さん、砂糖とかミルクとか入れないとコーヒー飲めないですよね。ラビットハウスのコーヒーより好きなんじゃないんですかフラペチーノ」

 

「そ、そんなことはないですよ…………?」

 

「否定が弱いですね……これは既に香風さんの心はスタ〇に囚われつつあると見受けします。どうです、ラビットフラペチーノとか出されては」

 

「パクリじゃないですか、そのままなんてやりませんよ。新作の生クリームフルーツパフェがありますし。とはいえその発想はアリですね……新しく甘いドリンクを考えるのはアリです」

 

 チノは顎に手を当てて、真剣な面持ちで考え始めた。フラペチーノに感化されてオリジナルドリンクを企画しようとしているみたいだが……うん、ここで否定するのも忍びない。成功するかもしれないしな。

 

 そのままカウンター席に近づくとおもむろにチノは顔を上げた。視線の先は俺……を通り越してその後ろ。多分、俺が背負ったギターケース。

 

「演奏するんですか?」

 

「あれま、バレましたか」

 

「……毎週こうして通われてたら分かります。少し待って下さい、お父さんに話してくるので」

 

 そう言ってチノはそそくさと背後の従業員用の扉から出て行ってしまう。何だかこうして演奏するたびに確認されてしまっている以上、俺の望むような展開にはならないような気がするんだよなぁ。少し前からどうせ演奏するんならとチノの父親(タカヒロ)特製のライブスペースまで作られる有様だ。訳が分からない。音楽作戦、もう駄目なんかな……いやでも。確率が1%でもあるなら俺はやる。前世と違って時間だけは大いにあるんだ、早まるのは良くない。良くないのだ。

 

 決意を固めていると先程チノが出て行ったドアがゆっくり開かれる。中から出てきたのは紫色の髪の毛をツインテールに纏めた少女、こちらを確認する視線は明らかさまに半目になっていた。ラビットハウス唯一のアルバイトである天々座理世である。原作ではこのラビットハウスでも良識的な従業員であり、俺が実際知るリゼさんも銃火器(モデルガン)を持っているのを除けば非常に一般的女子高生だ。……一般なのか?

 

 リゼさんは俺の姿を見ると、おっ、と声を上げた。

 

「今日も来たのか……そんなデカいギターケースまで背負ってるってことはやる気か?」

 

「はい。新曲が出来たので披露しようかと」

 

 嘘も方便である。新曲が出来たのは嘘じゃないし……何だかこの会話だけ聞くと俺がシンガーソングライターみたいだ。

 

「あーうん。ここ路上じゃないって分かってるよな?」

 

「はい」

 

「そうか。まあチノのお父さんが良いなら私は別に構わないが……」

 

 そう言って会話が途切れる。リゼさんはまだ俺以外客が来てない現状を確認するように辺りを一瞥すると、濡らした布巾を持ってテーブルを綺麗にしに俺の横を通り過ぎてしまた。

 

 ぶっちゃけると俺はリゼさんとはそこまで仲良くない。と言うのも俺はこの場においてはただの客でしかなく、リゼさんもアルバイターの一人である。常連として良く会ってるから互いに存在を認知しているが、俺は手ぶらな時はいつもチノと話しているためにあまりリゼさんとは会話したことないのだ。あともう一つの要因として、俺はチノ以外の人間にあまり興味が無い。アレ、何だかこうして言ってみると無茶苦茶社会不適合者っぽいぞ? まあいっか、実際似たようなもんだったし今更だ。

 

「……そういえば、チノとは同じクラスだってな。本人から聞いたぞ」

 

 不意に後ろから、ぽつりと葉っぱから滴る雫のように落ちついた声が響いた。

 

「ええ」

 

「チノはああ見えて……いや見たまんまか。かなり気が弱くて内気な性格なんだ、だからその……私も真麻には感謝してる」

 

「こちらこそ香風さんにはお世話になっています」

 

 見えないリゼさんの表情を考えながら俺はギターケースを床に置いた。

 お世話になっているというのは本当のことで。何故ならもしチノがこの場に居なかったならば───俺は多分廃人みたいに生きていただろうから。

 

「なあ。ところでチノとはいつからの付き合いなんだ」

 

「珍しいですね天々座さん」

 

「へ? 何がだ?」

 

「いや、こうやって話したことないなぁ……と思いまして」

 

「ああ、そうだな」

 

 大抵リゼさんと話すときはチノがいる時か、或いは注文を取りに来た時だけだ。だからこうしてゆったりと話すことも無ければ話しかけることも、話しかけられることも無いんだが、今日はそういう気分なのだろう。

 

 んで、いつからだったか。

 

「そうですね……多分、小学三年生くらいの時じゃなかったですかね。その時は、いや今も大して変わらないんですけど、ずっとぼっちで教室にいました」

 

「あーなんか想像できるなぁ…………」

 

 だろうなぁと俺も思う。普段からあまり人と話すタイプじゃないからなぁ。

 うんうんと頷いているとガチャンと音がして再びチノが戻ってきた。首を縦に振っていた俺の方を見て不思議そうな表情を浮かべるが、すぐに興味が消えたのか話題を切るように口を開く。

 

「お父さんは問題ないって言ってるので大丈夫です。じゃあ時間は午後三時くらいで良いでしょうか」

 

 な、なるほどなぁ。いやいつも通りだけどさ…………。

 

「そうですねーそうしましょう。あはは……」

 

「……? どうかしましたか?」

 

「いえ、なんでもないです」

 

 途端虚しくなってくる。完全にこれ、バーで演奏してるジャズミュージシャンみたいな扱いじゃん。公認化されてるじゃん。絶対これ「うるさいですね……」なんて言ってくれる空気感じゃない。

 でもチノの少し楽し気というか、待ち遠しそうな表情を見てると特段悪い気はしない。

 

 俺はそのままコーヒーを頼むと、時間までに宿題を終わらせるためノートをバッグから取り出した。

 

 

 

 

 

───天々座理世───☆

 

 

 

 

 

 私にとって真麻環は知人というに相応しい人物だと思う。チノと同じ中学で同じクラスらしいけど、私からするとバイト先の常連客以外の何者でもない。

 

 真麻について知っている事と言えば、まず愛想があまり良くないということだ。普段私が話しかけても一言二言しか言葉を返してこないし、酷いとはいといいえでしか会話をしようとしない。あまり人付き合いが得意な方ではないかと思ったけどチノとは仲良さげに話しているし……正直不思議な中学生だ。

 

 そんな真麻は良くラビットハウスをステージにギターを弾く。弾くというか、最近は弾きながら自分で歌っている。ラビットハウスで。……分かってるんだろうか、ここは喫茶店だぞ? しかもモダンテイストでもなくレトロな感じを売りにした喫茶店だぞ? 絶対ステージ間違ってるだろ!

 

 しかしチノのお父さんはそれについては笑顔で承知しているらしく、1アルバイトの私がどうこうする理由も無いのでそうなれば静かに見守るしか選択肢が無い。実際平日はチノと喋ったり独りで勉強しているだけで全く害は無いし、客としても安定的にお金を落としてくれるから上客の方だと思う。

 

 土曜か日曜の午後三時。それが真麻のライブ開始時刻で、その30分前になるとラビットハウスにはいつもは来ないような客が来店する。それこそ金髪に髪を染めた男の人だったりサングラスに形の良い白い髭を蓄えたおじさんだったりと。どちらかと言えばいつもは来ない、エネルギッシュそうな人たちが挙って来店するのだ。

 

「ウェイターのお姉ちゃん。注文いいかな?」

 

「あ、はい! ただいま!」

 

 ラビットハウスで唯一席が全て埋まる時間、それがこのライブタイムだった。

 呼ばれたテーブルには案の定というか、少し派手な恰好をした男の人が四人座りながらメニュー表を開いている。一人はスマートフォンで何かを調べているようだった。

 

「イチゴのケーキセットを4つで。ドリンクは全部コーヒー。ケーキはイチゴのショートケーキが三つとモンブランが一つ」

 

「かしこまりました、では少々お待ちください」

 

「あ、ちょっと待った! 確認したいんだけど……今日はやるの?」

 

「はい。私は詳しくは分からないんですけど、本人が言うには午後三時かららしいですよ」

 

「お、よっしゃ! 今日は当たりの日らしいな、俄然楽しみになって来たわ! サンキュねお姉ちゃん」

 

 一礼をして私はテーブルを後にする。こういう真麻のライブ目当ての客が最近は本当に多くて、冗談半分で少し恨むこともある。だってこのラビットハウス、それまでは土日だってあまり客足は多くなかったにも関わらず今じゃこの賑わい。真麻は何もしないから良いかもしれないけどこっちは愚痴の一つも言いたくなるほど忙しくなるんだぞ……!

 

 とは言え、真麻のライブが凄いのは音楽についてあまり造詣が深くない私でも分かる。ライブ中のラビットハウスは何というか、暑い。これは温度的な話じゃない。どういうべくか……まるで歌詞が心を刻んできて、出来た傷跡が熱を持って交感神経を通じて脳味噌を揺さぶってくるかのような、そんな熱量が真麻のライブにはあるんだ。

 

 五分前ともなると席は全部埋まり、オーダーも飛んで来なくなって、必然的に私とチノはカウンターの奥で棒立ちになりながら開けた場所で準備をする真麻を眺めることになる。しかし真麻に話しかけるお客さんはいない。それは以前ライブ終わりに「初めまして、君凄い上手いねぇ……どうだい? プロとか興味あるかい?」と声を掛けた客に対して一言「いいえ。どうでもいいですけど今話しかけないでもらえませんか。ところで香風さん、どうでした?」と他者を冷たく一蹴してから誰もが委縮して躊躇っているのだ。きっとその歌も親友であるチノに聞いてもらいたくて歌って、だから最初に感想を求めたんだろう。それが功を奏したのか、このラビットハウスに真麻目的で来る客は全員マナーが良い。

 

 時間になると気怠そうにしながらも真麻はマイクを手に取り───始まった。

 

『えー、はい。一曲目やります。タイトル、無題の少年』

 

 ギターに手を当てて、真麻は演奏を始める。その横にはスピーカーやアンプやマイクスタンドが電源コードと繋がっている。ただの喫茶店であるラビットハウスでは使われることの無かった、夜用の装置である。ラビットハウスがバーである時間帯だとジャズ演奏家も時たま呼ぶみたいで、こういう道具も倉庫に置いてあるとはチノのお父さんの言葉だった。

 

「凄いですね……毎週見てるのに魅かれます」

 

 チノが譫言みたいに息を漏らす。私もおんなじ気持ちだった。

 

「だな。まあ、でも理由は分かる。チノもそうだろ」

 

「はい……普段がアレなので認めたくはないですけど、私と違って真麻さんは凄いんです」

 

「うーん、私からすればチノも凄いと思うけどな」

 

「そうですか?」

 

 目を伏せながら言うチノの言葉を否定する。

 私からすれば中学生で実質喫茶店を切り盛りしているチノは、過去の自分と比べたら全然立派なもんだと思う。私なんかチノと同じくらいの頃に何をしてたか……多分その頃だとモデルガンを使った的当てゲームにハマってた時期だったはず。うん、比較にすらならない。

 

「立派に喫茶店をやってるじゃないか。それが何よりのチノの凄さだ」

 

「凄さ……ですか?」

 

「ああ。さっき理由は分かるって私言っただろ? それはな、今の真麻は一生懸命なんだよ。私はギターについては全く詳しくなんかないけど、あそこまでに技術を磨き上げるのは相当な時間と根気がいるはずだ。そして上手くなった、なのに一生懸命に弾いている。手を抜いてもそれなりの演奏が出来るはずだ。でもやらない。そこにこの場にいる全員が魅かれるんだと思う」

 

「なるほどです……ですがやっぱり私とは違います」

 

「違わないぞチノ。その一生懸命さはチノにだって見える。店の仕事にはもう慣れているのに、それを良くしようと改善する努力を躊躇わないだろ? 本当なら変化させない方が楽なハズなのにチノはそれを厭わない、そこが真麻とチノの共通点だと思うんだ」

 

 きっと多分それも真麻の影響だろう。最初こそ「あれれーチノさんの喫茶店人ヤバい閑古鳥がうるさいですね。ところで原因とか考えたことありますか? 私的には恐らくこの店の認知度が低すぎるのとかありきたりなメニューしかないせいで他店との差別化に大失敗しているのとかが秒で思いつくんですがその辺りどう思います?」とまくし立てる真麻の言葉に腹を立てたりしたけど、それは暴力的なまでに正論だったんだ。

 

 チノが通常の業務の傍らで新作パフェを試作してみたり、慣れないパソコンでチラシを作ったりしたのも、全てそんな真麻が原因だったと今なら確信して言える。二人とも方向性は別だけど一生懸命なんだ。

 

 

 ───もしかして、真麻がチノに対して仲良くしていて、私に対して冷たい反応なのはその差なのだろうか?

 

 

 そんな思考が飛んできた鏃みたいに脳裏を掠って、ヒヤッと背筋に冷たいものが走る。

 確かに、私はそんな一生懸命にやっている事なんてない。アルバイトは自分でも真面目に熟しているとは思っているけどマスター代理のチノほどではないし、学校生活だって普通だ。

 

 仲良くなれないのは、私が、原因なのだろうか?

 

 気付けば40分経過して、お客さんは満足そうに真麻に拍手を送っている。

 締めの挨拶すらせずに無表情で片付けを始めた真麻のことを、私は直視することが出来なかった。

 

 

 

 

 




 自分でも書くの難しく感じてきたので、感想とか評価とかお気に入りとか見て求められてたら頑張ります…。


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3

ひっそり上げるスタイル



 入学式から一ヶ月半経つと桜の花びらは校門前で散り去り、花弁の代わりに緑深い葉が枝の先を覆うように茂っていた。そろそろ梅雨だなぁと思い始めながら天を仰いで、太陽の眩しさからそっと目を背ける。俺の根はインドアなのだった。

 

 季節は移ろえど相変わらず俺はチノに付き纏う日々を送っていた。既に3年以上やってるルーティンだからしょうがない。言葉にすればストーカー行為みたいに思われるかもしれないがそんなこともなく、寧ろチノも良く俺の席に来たりする。傍から見たら仲良しこよしのニコイチフレンドと思われているに違いない。つまりこれは相思相愛、間違いない。

 

 ともあれ、帰宅部である俺とチノは放課後になれば家に帰るのが世の理。

 下駄箱で上履きと外靴を入れ替え、トントンと足に完全にフィットさせると洒落た石畳を踏みしめる。俺の真横にはいつも通り空色の長い髪を左右に靡かせたチノが、授業で固まってしまった肩を解したり憑きものでも落とすように腕を天高く伸ばしていた。

 

「今日はどうしますか?」

 

 伸びを終えると、おもむろにチノは口を小さく開けた。

 普段の選択肢なら3つある。直帰するか、チノの喫茶店を冷やかすか、チノと一緒に何処かへ行くか。今回その内の1つは既に選択肢から消えている。

 

「そうですね……香風さんは今日は店の手伝いですよね? では遊びに行くのは無理ですね」

 

「そうなりますね。…………真麻さんはどうするんですか?」

 

「私ですか〜、じゃあ今考えます」

 

「はぁ……」

 

 取れる選択肢は2つ。しかし今日はラビットハウスに行くつもりはないからチノとは途中で別れることになる。消去法的に選択肢としては直帰しか残らない。

 でも家に帰って何か作業したりする気分でもなければ勉強に励むのも面倒臭い。そもそも俺にとって勉強は暇潰し以上の何物でもない。将来の展望は何処にもなければやりたいこともなりたい職業も特には無い。だから『勉強すれば未来の選択肢が増える』と言われても何とやら、これっぽっちも心には響かない。なんてことは今どうでも良いな。

 

 家に帰らず、勉強もしたくない。それならば取れる選択肢は限られてくる。第3の選択肢の出番である。

 

「まあ、甘兎庵にでも遊びに行こうと思います」

 

「むう……しょうがないですね」

 

「なんと言っても甘兎庵の方がラビットハウスより椅子の心地が良いですからね。背もたれが無骨な木製なラビットハウスと違って甘兎庵の椅子は革が張っていて長時間居座るなら最適です。今日は甘兎庵が優勝ですかね。つまりはYou lose! 何で負けたか明日まで考えといてください。そしたら何かが見えてくるはずです」

 

「何言ってるんですか……」

 

 何だか視線が痛い。まるで呆れられているみたいだ。爆破魔に呆れられる道理はないはずなんだけどなぁ。

 チノは少しもじもじと右手と左手をへその高さで擦りながら、ふぅと小さく息をつくと、たどたどしく言葉を紡ぐ。

 

「あの……でしたら明日か明後日で、良いですけど。新作を作ったのでラビットハウスに寄ってくれませんか……?」

 

「へ? 別に良いですけど、今度は何を作ったんですか?」

 

 友達が居ないから誘うことに慣れていないのだろう。緊張から耳まで赤く染まったチノの双眸に目を合わせながら俺は頭をポリポリと掻いた。

 実を言えばチノの新作と聞いてもあまり心は弾まない、むしろ逆で密かに身構えてしまう。例えばこの前のラビットハウス渾身の新作、生クリームフルーツパフェ。アレは言うなれば糖分の暴風雨だった。器の下部の三分の一がチョコアイス、その上には大量の生クリームの海に一口サイズにカットされた数種類の果物が埋め込まれているといった狂った二段構造になっており、完食した暁には体細胞が全て糖と置き換わったような錯覚すら味わえる逸品である。ホント苦労したんだからな食べるの、コーヒーも3杯お代わりした訳だし。俺の名前が真麻環(マッカン)だからって無尽蔵に甘いものが好きだと思うなよ……?

 

「この前、真麻さん言ってましたよね。ラビットフラペチーノでも出されてみては、と」

 

「ええっ……。パクリですけどそれ大丈夫ですか? スタ〇に訴訟されて敗訴して慰謝料でケツの穴まで毟り取られませんか?」

 

「取られません……! というかなんて言葉を使ってるんですか真麻さん……。別にパクりませんよ、着想を真似るだけです。最近良くインスタ映えとかあるじゃないですか、詳しくは話さないですけどそんな感じです」

 

「なるほど。ウサギのフンみたいな球状の黒い芋をブッコんだり、飲み物の色を化学洗剤混じりの汚い川みたいに虹色にしたり、そういうアレですね」

 

「表現にとても悪意があります……!」

 

 だってインスタ映えって言うけど俺はインスタをやったことが無い。前世ではベッドでずっとネットしたりテレビを見たりするだけで、隠さずに言えばそういうキラキラした写真を見かけるたびに舌打ちしていたりする。自分でもそれが憧憬が裏返った結果の私怨であると気付いてはいるけど、まあ憎いものは憎いからしょうがない。俺は悪くない。悪いのは全部タピオカミルクティーだ。

 

 チノは溜息を吐くと、仕方がないなあと言った風貌で目に掛った前髪を払った。

 

「まあいいです。甘兎庵に行くんでしたらこの道は左ですね」

 

「ええ、お別れですね。今日はちゃんと付き添えませんけど接客頑張ってくださいね。あと甘いものを食べてるんですから歯磨きはちゃんとしてくださいね。それとまだ夜は冷えるので寝間着はあったかい恰好で、布団にはしっかり入って就寝してくださいよ」

 

「余計なお世話です……!」

 

「惜しい! あと1捻り加えられればジャストミートで最高なんですけどもう少しどうにかなりませんか香風さん! 余計なお世話をうるさいに変えて語尾にねを付けるだけで救われる命がここにあるんです!」

 

「知りませんよ……! もう私行きますからね!」

 

 本当に後もう一搾りだったのに……!

 チノは本当にそのまま分帰路を右に曲がって行ってしまう。なんだかんだ言って去り際に小さく手を振ってくれたので振り返しておく。根は良い少女なのだ、彼女にはこのまま愛を貴んで生きて欲しい。爆破は不幸しか生まない。

 

 そうして一人になった。春の残り香に釣られてか、すれ違う人々は薄手の服装で独特な街の空気感を楽しんでいるようだ。

 一人は慣れているはずなのに、どうにも落ち着かない。

 

 気持ち湿った空気に肌を攫われながら、整理の付かない心を誤魔化すように足元の石を軽く蹴飛ばしてみる。

 石はコツコツと転がって、橋の欄干の隙間をすり抜けて、太陽に照らされ輝く川の水面にポチャンと数重の波紋を作った。

 

 

 

 

 

──────☆

 

 

 

 

 

 甘兎庵。

 ぜんざいや抹茶など、和スイーツをメインに提供している喫茶店だ。特に羊羹が絶品で、調和の取れたほどよい甘さには感服せざるを得ない。月2で通ってる。

 

 そんな甘兎庵の看板娘、宇治松千夜は天然腹黒中学生だ。何回も通う中で知り合ったのだが、最初に話しかけられたのはチノから「うるさいですね……」を引き出すための曲の歌詞を書いている最中だった。

 

『その文章……あなたもしかして同志……!?』

 

 確か、その時の曲には感情の清流は深淵へと注がれ~とか、そんなテイストの中二病感満載のリリックを考えていた気がする。

 

 この甘兎庵、なんとメニュー表が中二病チックにアレンジされているのだ。例えば「煌めく三宝珠」であれば三色団子。「翡翠スノーマウンテン」ならば白玉抹茶かき氷。「兵どもが夢の後」ならば特盛フルーツ白玉ぜんざいといったように、初来店の客に決して優しくないネーミングをしているのである。普通なら初見バイバイになるところなのだが、なまじどれも味が良いからリピーターも多く最近だとグルメ雑誌にも載ったらしい。ラビットハウスとは大違いである。

 

 そしてこの特徴的なメニュー名、考えていたのは何と千夜さんであるらしい。和風清楚美人な容姿からは考えられない。と言ったら原作もそうなんだけど。

 俺の知っている宇治松千夜という少女は変態だった。紛れもない純度100%の変態少女だった。ダイレクトな下ネタを言いまくり、性の知識はなんのその。その言動は女子高生というより新橋の高架下の居酒屋で呑んでるおっさんだ。新橋行ったことないけど。

 

 ともかく、そんな千夜さんに将来性を買われてスカウトされた俺は客ながらにしてめでたいことに(良く分からないが)甘兎庵お品書き考案委員会顧問役に就任してしまったのだった。なおメンバーは俺と千夜さんの二人だけである。肩書だけは立派でも特に俺は断じてただの客だ。客のはずだ。

 

 だから、未だに千夜さんと今こうして人参で出来た新作羊羹の名前を考えている現状が分からなかった。

 

(かん)ちゃん。こんなのはどうかしら? 黄水晶の鏡匣(かがみばこ)

 

「私の名前は(めぐる)ですって……そんな麻雀の(カンチャン)待ちじゃないんですから」

 

「え?」

 

 対面に座る千夜さんに溜息が零れる。何度訂正してもこんな感じで笑顔ではぐらかされてしまうんだよなあ。

 

「はぁ……そうですねぇ。何で鏡匣なんです?」

 

「カッコイイでしょ?」

 

「でしょって言われましても……」

 

「環ちゃんは何かないのー?」

 

「考えなきゃダメですか……幼き夢のインぺリアルトパーズとかどうでしょう?」

 

 人参の花言葉は幼き夢、インペリアルトパーズは黄色く透き通った羊羹を見たまんま言い表してみた。うーん、やっぱり俺にそのあたりのセンスがあるように思えないんだけどなぁ……。

 千夜さんは吟味するように下顎に指を当てた。

 

「なるほど。インペ……なんちゃらトパーズは色を表しているのね。アレ、それで幼き夢ってなにかしら?」

 

「人参の花言葉です」

 

「……いいわね! それで行きましょう!」

 

「ええっ。良いんですか?」

 

「花言葉まで取り入れるなんてオシャレでいいじゃないかしら。それにこの甘兎庵に相応しいカッコいいメニュー名……ええ。採用しない理由はないわね! 流石私のスカウトした顧問役だわ!」

 

 別に顧問役になるつもりもなかったんですけどね……。

 満足げに頷く千夜さんに俺は溜息を堪えつつ、テーブルに目を落とす。高級感のある長机の上には広げっぱなしのノートと書き連なった文字列。気分転換に散らかした歌詞の一部だ。

 

 ラビットハウスでは暇なとき勉強したり本読んだりするくらいしかしていないが、甘兎庵にいるときは何となく歌詞が浮かぶ。ラビットハウスだとチノがいるからかイマイチ集中出来ないのだ。

 

「それにしても千夜さんは相変わらずぐいぐい来ますね」

 

「そうかしら? あんまり自覚はないけど……ん~……そうみたい」

 

「まあいいですけど……」

 

 千夜さんと話していると何だか曖昧な返事が多くなる。それは多分、千夜さんのふんわりした言葉がそうさせているんだろう。

 思えば、俺別にそこまで千夜さんと積極的に話しに行ってるわけじゃないんだけどなぁ……なのに会話の頻度だけで言えばチノを除けば一番多い。いやまあ、チノ以外の人間と殆ど言葉を交わしてないのも一つの要因だとは思うけど。興味ないからね、そういうの。

 

「千夜さんは仕事良いんですか? 一応今日もお店のお手伝いですよね?」

 

「大丈夫よー。平日はそこまで忙しくないから」

 

 ほーん。ただそうは言うけど、周りを見渡せば一時期のラビットハウスの十倍は盛況なんだよな。あまり知らないけどバイトの店員は多そうだし、一人抜けるくらいなら余裕なのかもしれない。

 

「香風さんに聞かせたい言葉ですね」

 

「あらあら~でも私、ラビットハウスのコーヒーも好きよ?」

 

「客足については否定しないんですね……」

 

 完璧な営業スマイルではぐらかすこの感じ、流石喫茶店の娘とちょっと感心しちゃった。あれ、でも同じく喫茶店の娘で営業スマイル全く出来ない子がいたような……。

 

 千夜さんは俺の手元の覗き込むと「ほぅー」と漏らした。

 

「環ちゃんのそれ、ノート? またいつもの書いてるの?」

 

「はい」

 

「……センスが良いワードが多すぎるわ! 悔しさより先に尊敬の念すら感じちゃう……! ところで物は相談なんだけど真似して良いかしら?」

 

「駄目です。未公開なんで」

 

「そうなのねー残念」

 

 一応チノに聞かせるまでは歌詞は公にしたくない。俺はチノにうるさいですね……と言われるためなら何でもやる男だ。いや女だ。家が爆発して泥を啜って生きることになろうと、社会から役立たずと蔑まれようと、この心が変わることだけは絶対にない。

 

「ねえ環ちゃん」

 

「今度は何ですかもう……」

 

「名前、呼んでみたかっただけ」

 

「はあ」

 

 初々しいカップルか。調子狂うなーやっぱり。

 千夜さんは俺の目を猫みたいに覗き込むと、何故か一回頷いた。

 

「冗談よー。でも、やっと何となく環ちゃんのこと分かったかも」

 

「私ですか? 別に何もない普通の人間ですけど……」

 

「私だって普通の人間よ? でも環ちゃんは、私にとってはあんまり普通じゃない……かしら? どう思う?」

 

「私に聞かれましても……自己理解すら私は怪しいですよ」

 

 自分のことは自分が一番分かっている、なんて言葉は虚言にしかならない。他ではない自分というものを見る時、必ず自己補正機能を持ったフィルターを通すことになる。フィルターを通して見た自分の姿というのは必ず歪み、屈折している。自分自身を良く捉えたいという無意識の精神的な防衛機制が自己認知を歪めているのだ。

 それに人は季節のように移り変わる。考えは遷ろうし思想も年齢と共により深まる。だから絶対的に正しい自分自身なんて何処にもないし、分からない。

 

「千夜さんから見た私ってどんなのなんですか?」

 

「そうねぇ……ナイショよ」

 

「ええっ……? 教えてくれるんじゃないんですか?」

 

「だって恥ずかしいもの」

 

 堂々と胸を張りながら口にする言葉ではないと思うんですが……。言動が一致してないんじゃないだろうか。

 

「そうねぇ……なら環ちゃんが私のこと、どう思ってるか教えてくれたら話そうかな?」

 

「無理ですごめんなさい。この話は無かったという事で」

 

「私どう思われてるの!?」

 

 清楚と見せかけて下ネタ大好きえっちなお姉さん系の女子中学生だと思ってます~とか面と面向かって言えるかって。いつもチノといるからって常識くらい俺だって知ってる。チノはもしかしたら知らない。

 

「さあどうでしょう。ヒントと言えば私は千夜さんのことは好ましく思ってますからそこまで悪い印象ではないですよ。そういう女の子も魅力的で男性受けが宜しいと私は思いますハイ」

 

「男性受けってなに!? 余計に気になるわ環ちゃん!?」

 

「あ、ここから先はメンバー限定コンテンツなので知りたい方はメンバー登録と良ければチャンネル登録お願いしますね」

 

「ユーチューバー!?」

 

 あ、ユーチューバーってこの世界もいるんだ……あまりネットしなくなったから知らなかった。好きなことを仕事にって言うけど動画編集とか絶対に怠いから俺はなれない。それ以前に職業観とか持ってないからその辺については超どうでも良い。

 ともかく、この話題を続けるのは俺に都合が悪い。適当に逸らそう。

 

「あそうです、ユーチューバーで思いついたんですけど甘兎庵でユーチューバーやるのどうですか? 喫茶店系ユーチューバーです。成功すれば店の評判上がりますよ?」

 

「強引に話を変えてきたわ……。実は考えたことはあるのよ? でも甘兎庵は純喫茶店なのよ。新しい側面を混ぜるのもいいけど、それがあまりに若者カルチャーすぎると甘兎庵のブランド自体が変貌してしまうわ」

 

「なるほど……」

 

 それは確かにうなずける。極論、甘兎庵が突然「アニメコラボやるわよー! 今週はリゼロ! 来週はナルト! 限定メニューもそこそこ用意するわ~!」とかやり始めたら絶対に甘兎庵は明日からそういうサブカル秋葉系の飲食店という認識のされ方になっちゃうだろう。飾らず言えば話題集めが目的の同人ゴロである。それは避けるべきことだ。新たな挑戦をするにも自分の積み重ねたもの以上のコンテンツをブッコむのは逆に乗っ取られてしまうリスクを大いに孕んでいるのである。ほんわかしてる割に考えてるんだな~。

 

「でもアイドルとかなら私も興味あるわ~。歌って踊って抹茶を立てるアイドル宇治松千夜です、よろしくね~」

 

「あれ、アイドルは良いんですか?」

 

「スカウトされれば前向きに考えるわよ?」

 

 良いんですか……。

 千夜さんの容姿ならスカウトなんて余裕だと思うんだが……実際、千夜さん目当てで来る客もいるくらいだ。だからといって店が荒れたりするとかは無く、そういう客もみんな後方彼氏面の如く目線を送るだけなので今日も甘兎庵の安寧は保たれているのだった。……保たれてるのか?

 

 お茶請けの切られた羊羹を口に入れながら千夜さんはむごむごと咀嚼しながら「あっ」と手を口に当てた。

 

「……でもアレだわ! 私がアイドルやったら甘兎庵が私ブランドになっちゃう! それは大変ね……代々続いてきた甘兎庵を宇治松千夜ショップにするのはお祖母ちゃんに申し訳ないわ……」

 

 いやいや。流石に自意識過剰ちゃん過ぎでは?

 

「どこから湧いてきた自信ですかそれ……」

 

「この胸よ!」

 

 いや確かに中学生としては豊かな山脈だとは思いますけども。……なんか段々会話に疲れて来たぞ俺。完全に千夜さんのペースに飲み込まれてしまってる。潰される前に話題を変えないと。

 

「というか、何の話でしたっけ」

 

「……えーと、ユーチューバーかしら?」

 

「あ、面倒なのでその話は止めましょう。アレですアレ……そう、新メニューの名前ですよ」

 

「あ〜随分脇道に逸れたわねぇ……」

 

 新メニューの名前を決めるだけでユーチューバーだのアイドルだの何だのの話になってたし相当道草を食ってたな。まあ前者に関しては俺が最初に出した話題だけども。

 

「でも本当に良いんですか? 私の考えた名前なんかで」

 

 そう言ってみると千夜さんは不思議そうに目を合わせた。

 

「何で?」

 

「だってそもそもここは千夜さんのお店……正確には千夜さんの家系のお店ですけども、ならやっぱり千夜さんが考えたメニュー名の方がお客さんも納得すると思うんですね。今までの中二、コホン、クールな名前のメニューも全部千夜さん考案だったから客も楽しんで受け入れてくれたとも私は考えています」

 

「今何か言いかけなかった?」

 

「気のせいです。兎に角ですよ、客は真麻環というこのお店では無価値で無知蒙昧な人間が考えたメニュー名よりも千夜さんのセンスで意味不ッ……ゴホホン! スペクタクル溢れる名前を付けた方が客のニーズにマッチすると思うわけなのです」

 

「やっぱり何か言いかけたわよね?」

 

「断じて気のせいです」

 

 決して中二病極まってるとか意味不明だねとか言いかけたわけじゃない。そう、中二からメニュー考えてるなんて凄いな〜とか意味不明があの世でダンスっちまうネーミングセンスだぜ! とかそういう風に言いたかったのだ。ごめん、やっぱり無理があるわ。中二から考えてるかどうかなんて知らんし。俺はそっと目を逸らした。

 

 千夜さんはしょうがないわね……と言いたげな優し気な表情で頷く。

 

「……なら私に考えがあるわ」

 

「考えですか?」

 

 反芻すると千夜さんは自信たっぷりに深く首を縦に動かす。

 

「ええ。私の考えたネーム案と環ちゃんの考えたネーム案を合体させれば良いんだわ!」

 

「そんなロボットアニメみたいな……」

 

「私たちなら出来る! なぜなら甘兎庵お品書き考案委員会なのだから!」

 

 戸惑う俺を他所にガッツポーズでやる気満々の千夜さん。これ、本当にやるつもりのやつだ……!

 

「例えばそう! さっき私が出した黄水晶の鏡匣と環ちゃんの出した幼き夢のインペリアルトパーズを組み合わせれば!」

 

「組み合わせれば……?」

 

「───幼き夢の鏡匣、かしら」

 

「…………あれ、存外に悪くないですね。もっと悪魔チックな理解不能言語になると思ったんですけど良い具合にミックスされてます」

 

 絶対にナンスセンスな単語になると思って考え得る限りの非難の言葉を放とうとしてたのに……千夜さんの得意科目が国語というだけはあるのかもしれない。

 

「でしょ! 私と環ちゃんが合わされば最強よ! これからは未来永劫、一緒に甘兎庵を盛り上げる社員として頑張りましょうね!」

 

「いえ、私は働きたくないので内定辞退させていただきます」

 

 社員なんか誰がなるか誰が。

 しかし思った以上に千夜さんには衝撃的だったようで、口を大きく広げて背筋に雷でも走ったかのような顔をした。

 

「まさかニート宣言……!? ダメよそんなの! 環ちゃんは私のモノよ!」

 

「突然変なこと言わないで下さいよ……。まあ、もし仮に身近で就職するとしても色々と都合が良いのでラビットハウスにします」

 

「そんな……!? 甘兎庵を一緒に世界一の売上高を誇る大企業にしようって約束をしたの忘れたの!? 一年前、喫茶店業界について熱く語り合って私達甘兎ホールディングスが世界をリードして頑張ろうと誓ったあの約束も!?」

 

「全部してませんから!!」

 

 そもそも甘兎ホールディングスってなに? 喫茶店が1店舗しかないのにホールディングスなの?

 

 千夜さんは真面目にショックを受けたような表情をするが、すぐに一変させて楽しそうに息をついた。

 

「……ふぅ、満足したわ」

 

「年下だからってからかうのは止めてくださいよ」

 

「ごめんなさいね。でも安心して? 同級生の友達にはもっと良くやってるわ」

 

「可愛そうなのでもっと止めてあげてください」

 

 割と本心だった。

 

 

 

 

 

───宇治松千夜───☆

 

 

 

 

 やっぱり、環ちゃんは嘘つきだわ。店仕舞いを手伝いながら、私は夕方の会話を思い返す。

 

 なにも確信を持ったのは最近の話じゃなく、どことなく最初から勘付いていたの。

 

『あら、その制服。女子中学生一人は珍しいわね〜何してるのかしら?』

 

『……はい。まあ、アレです。ちょっと歌とかやってるんで、歌詞作ってます』

 

『え、見せて見せて』

 

『良いですけど、今作ってるのはまだ無理です。それで良ければ』

 

 思えば私はガンガンと初対面から環ちゃんに突撃した。それは一概に、甘兎庵に一人で来る女子中学生と言うのが珍しかったから。あとその日は雨で、暇だったというのもあるわね。

 ともかく私はそれ以降距離を詰めていった。

 

『その文章……あなたもしかして同志……!? ねえ、甘兎庵のメニュー考えるのとか興味ないかしら』

 

『全く無いですけど』

 

『良いじゃない〜、ちょっとだけ、ほんの先っぽだけでいいからいいから』

 

『何の交渉をしてるんですか千夜さん……』

 

『勿論将来有望な甘兎庵社員の勧誘よ』

 

『ごめんなさい、無理です』

 

『またまた遠慮はいらないわよ~。ところでこの山芋を使ったどら焼きを使った新作スイーツどうかしら?』

 

『ええっ、無視ですか……』

 

 確か、私が話し始めた当時はまだチノちゃんとも面識が無かったはずだわ。今となっては懐かしいわね。

 ともかく私は環ちゃんが来店するたびにお話をしに行ったわ。後悔も未練もそこにはないの。おかげで仲良くなれたと思うし、チノちゃんとも知り合えたんだから。

 

 でも、気付いてしまったの。

 真麻環という後輩の、歪な在り方に。

 

 端的に言えば環ちゃんは私に興味が無い。いえ、正確にはチノちゃんを除いて誰にも興味が無いんだわ。

 

 環ちゃんの態度は確かに初めて会った時よりも親しく感じる……でも。それは例えるなら対応方法が他人から知り合いのものへとシフトしただけで、会話の解像度は全く変化が無い。言うなれば、心の距離かしら。私が近づいても環ちゃんは全く私に近づいてないの。

 

『冗談よー。でも、やっと何となく環ちゃんのこと分かったかも』

 

『私ですか? 別に何もない普通の人間ですけど……』

 

『私だって普通の人間よ? でも環ちゃんは、私にとってはあんまり普通じゃない……かしら? どう思う?』

 

『私に聞かれましても……自己理解すら私は怪しいですよ』

 

 多分本人は気付いていないのかもしれない。気付いていないのだろう。

 基本的に誰にでも同じ調子で接して、自分の本心を曝け出すことをしないんだと思う。それは────とても悲しい事だわ。

 

「……よし、決めた」

 

 拳を握ってみる。

 環ちゃんの心の牙城はとても固いわ。それはもう大阪城みたいに難攻不落よ。でもこれに対して白旗を上げるのは……悔しいわ。それに私だけ仲良くなりたいだなんて寂しいもの。

 

 だから私の最近の目標。

 環の心をぶった切って本心を暴く! これしかないわ!

 

 とにかく遊びに行くのを誘ったりラビットハウスに行ってみたりと行動あるのみよ! たとえ断られても地球の果てのブラジルまで追いかける勢いで突っ込むわ!

 

 

 

 

 ────ところで、男受けとか言っていたけど本当に私のことどう思っているのかしら。それについても問い詰める必要かもしれないわね……。

 

 




まだ三月から五分くらいしか経った感覚しかないんですけど夏ですね


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