成仏してクレメンス。
「一、十、百、千…………すごい、ホントに振り込まれてる」
カルデアからチリ、チリから成田へと飛行機で移動して東京で一泊。
実家へ向かう電車に乗る前に立ち寄ったコンビニ、そのATMの前で思わず声をもらした。
前三桁から後ろにずっとゼロが続いて、最後に口座開設のために入れた百円がぽつり。何かの間違いなんじゃないかと思い、もう一度ゼロを数えてみるが、やっぱり答えは変わらない。
『身内びいきにならないよう客観的に見積もったけど、どう考えてもこれだけの給料になるんだよねぇ。立香君、あの若さでこの大金を扱いきれるかなぁ』
レオナルド・ダ・ヴィンチがそうボヤいていたと聞いたが、実際に通帳記入すると確かにその異様さが分かる。
「……取り敢えず、実家までの電車代下ろさなきゃ」
並んでいた0が一気に9に変わり、一万円が一枚とキャッシュカードがATMから返却される。それをしっかりと財布に入れて、コンビニを出た。キャッシュカードを持つ手が震えて、少しもたついたが。
空はどんよりと曇っていて、朝だというのに太陽が何処にあるか分からない。
「参ったなぁ」
カルデアで金額を告げられた時は、あのマンガを全巻買おうとか、あのジャケットを買おうとか、色々考えていた。けど、こうして本当に自分の物になって分かった。
全部買っても、0.1%も使えない。
残りの99・9%は、いったいどうしたらいいのか。
『わたし、マシュ・キリエライトのお勧めは無論、貯金です。いつ予想外の出費があっても困らないように!』
後輩にはそう言われたが、この貯金が無くなるような予想外の出費とは何なのか。是非とも教えて欲しいところだ。
吐いたため息が白く染まる。
「何よ、お金下ろすだけで辛気臭いため息吐いて。鬱陶しいわね」
コンビニの外で待っていた彼女は、不機嫌さを隠しもしないでそう言った。
「ああ、うん。ごめん、オルタ」
そんな彼女に、立香は反射的に謝る。
ジャンヌ・ダルク・オルタ。フランスを救った英雄ジャンヌ・ダルクの、もしもの彼女。
人理修復の旅にて敵として現れた彼女は、紆余曲折の後、カルデアにサーヴァントとして現界した。それからは何だかんだ言いつつも人理修復の旅に付き合ってくれ、後始末である亜種特異点や微小特異点でも活躍してくれた。
とはいえ、彼女はカルデアのサーヴァントであるからして。つい数日前、カルデアの解散式を機に英霊の座に帰った……はずだったのだが。
『日本に着いたら、こいつを充電するといい。いやぁ、改造が間に合って良かった良かった。きっと驚くぞー?』
そう言われて渡されたものが、ダ・ヴィンチ製のトランク型データバンク兼簡易召喚器だと知ったのは、今朝のこと。
目が覚めたらベッド脇でオルタがマンガを読んでいて。いつもの通りにおはようと挨拶したところで、ここはカルデアではないことに気づき、思惑通り驚かされた。
どうやら夜の内に充電が完了して召喚されたらしい。
「まあいいわ。で、温かい飲み物は?」
「あっ……忘れてた」
「はぁ? このクソ寒い中待たされた上に、忘れたですって?」
「ごめん、今買ってくるよ」
「ちっ、もういいわよマスター。財布貸しなさい」
半ば奪うようにオルタは財布を受け取ると、近くにあった自販機につかつかと歩いていく。財布から適当に小銭を数枚取り出し自販機に入れると、ほぼノータイムで缶コーヒーのボタンを押した。
つり銭は出さず、そのままもう一度同じボタンを押す。
「ほら、アンタの分」
オルタは缶コーヒーと財布を放り、立香に渡した。
「っとと、ありがと」
「ふん……」
プルタブに爪を立て、引き上げる。カシュッと音を立てて飲み口が空き、オルタはコーヒーを口にした。
「……マッズ。これなら、あの胡散臭いアーチャーが淹れたやつの方がマシだわ」
「結構凝ってたからね、教授」
モリアーティ教授がカルデアの一室を改造して開いたカフェは、食堂とはまた違った雰囲気で。静かに作業したい人たちにとって憩いの場になっていた。立香もたまに立ち寄ってはコーヒーとクッキーを貰い、サーヴァントたちとゆっくりおしゃべりに興じた。
もっとも教授は、カフェでなくバーのはずなのだがネ、とボヤいてはいたが。
「カルデアに入ってくる酒が少ないのが悪いのよ」
「いやぁ、うわばみなサーヴァントが多かったせいだと思うよ」
何せバーを開店して次の日には、棚の酒瓶が全て空になっていたのだから。
お酒がなければバーは開けない。教授は泣く泣く、カフェに転向したのだった。
「あら、そんなこと言っていいのかしら? それだと、うわばみばかり召喚したマスターのせいってことになるわよ」
「…………前言撤回します」
「そうしておきなさい」
オルタは不味そうにしながらも、もう一度缶コーヒーに口付けた。特異点新宿の時に得た現代的な服装でビルの壁に寄りかかって飲む姿は、とてもよく決まっている。
きっと自分がやっても同じようには行くまいと立香は思いながら、缶コーヒーを開けた。
そういえば、缶コーヒーを飲むのも二年ぶりになる。
缶に口に付けて傾けると、安っぽい苦さと甘さが喉を通り、違いがわからない香りが鼻に抜けた。
「それで、あの辛気臭いため息の原因は?」
「え? ああ、大したことじゃないよ」
「それを決めるのは私。いいから話しなさい」
「あー……えっと、さ。俺、カルデアが解散になったとき、それまでの給料を貰ったんだ」
基本給はそれほど高くない。いや、高卒にしてはだいぶ高いけど、それでも常識の範囲。問題はそれに上乗せで付いてきた技能手当やら危険手当諸々と、成功報酬という名のボーナスだ。
それらによって給料は膨れに膨れて、宝くじに当たったって貰えない金額になっていた。
ダ・ヴィンチよりその金額を告げられたときは、驚きと喜びがやってきたが、いざ目にしてみれば困惑しか湧いてこない。
「このお金のことを家族とか友人に言うべきなのかとか、色々考えちゃってさ」
お金は簡単に人を狂わせる。
ダ・ヴィンチが心配していた扱いきれるかというのは、使い道のことではなく、大金を持つことで起こる様々なトラブルに対処できるか。立香自身も大金に狂わないかということだったのだと、ようやく気づいた。
黙って立香の話を聞いていたオルタであったが、話が終わるなり吐き捨てるように言った。
「くっっっだらない! 聞いて損したわ」
「ははっ、やっぱりそう思う?」
「心底ね。アンタがお金持ちだろうが貧乏だろうが、どうだっていいわ」
本当に、どうだっていい。人間関係だってどうだっていいし、何なら世界の命運だってどうだってよかった。
「何なら、今すぐ全額引き下ろして来なさい。全部焼いてあげるわ。そうしたらアンタの、そのくだらない悩みも綺麗さっぱり無くなるわよ?」
「それはちょっと………勿体無いかな」
「ああそう。ならどこかに全額寄付してしまいなさいな。アンタ好みの偽善に浸れる、有意義な使い道でしょう?」
オルタはぐいっと缶コーヒーをあおると、自販機の脇にあったゴミ箱に缶を投げ入れる。そして立香に、さっさと飲み終えろと急かしてきた。
話しているうちに冷めたため、缶コーヒーはやけどするほど熱くはない。けれど一息に飲み終えるには少し熱い。二度に分けて缶を傾けて空にし、立香もゴミ箱へそれを捨てた。
先に入れたオルタの缶に当たり、軽い音が鳴る。
振り返ると、彼女は立香を置いてつかつかと歩き出していた。
立香は慌てて小走りで追いかけ、キャリーバッグがゴロゴロと音を立てた。
「オルタはさ、何か欲しいものとかないの?」
目的地を告げずに歩く彼女の背に、立香は問いかける。
「それは当然、言えば買ってくれるのでしょうね?」
「まあ、あまり高いものじゃなければ」
「ジェット機だって買えるクセに、何を言ってんだか」
「えっ……あれ欲しいの?」
「物の例えに決まってるでしょうッ!」
現代屈指の技術に興味はあっても、欲しいかと言われればNonである。あれは乗り物であって、乗ることに意味があるのだ。
「じゃあバイクとか?」
「乗り物から離れなさい! 第一、バイクとか死体女と被るじゃないの。ぜっっったい嫌!」
しかし、欲しいものを問われてみると、オルタの中で答えがすぐに出てこない。
消え物──先ほど話題になったお酒はどうだろうか。
嫌いではない。だが、こだわりもない。お酒は呑むことよりも雰囲気を楽しんでいた。だからだろうか、雰囲気に呑まれて失敗して…………これはいま関係ない。
オルタはぶんぶんと頭を振って、思い出しかけていたものを思考から追い出す。
改めて、好きなことから欲しいものを考えてみる。
好きなこと…………敬虔な信徒に神はいないのだと思い知らせることほど痛快なことはない。
ない、が。それが味わうために、いったい何を買えばいいのだろうか。
信徒の心? 札束でビンタし、改宗を迫れとでもいうのか。それはちょっと、いや、かなり違うだろう。
「そうね。確かに、改めて考えてみると特に欲しい物なんて──」
無い。
そう言おうとした矢先に、彼女の目にとある店の看板が飛び込んできた。
オルタの足はぴたりと止まり、後に付いて歩いていた立香は、その背に軽くぶつかってしまう。
「っと、ごめんオルタ」
「…………」
「オルタ……?」
返事なく立ち止まるオルタに立香は首をかしげて、彼女の正面に回り込んだ。
それでも反応がないため、顔の前で手を振ってみる。
「おーい、オルタ?」
「っっっ! な、何よ!?」
「何って、オルタこそどうしたのさ。急にぼーとしたりして。もしかして、具合悪いとか?」
ホテルで霊基トランクの取り扱い説明書はざっと読んだが、正直ちんぷんかんぷんだった。もし、何かの拍子に霊基が不安定になって、それが体調に現れたとしたら大変だ。
だが、それは立香の杞憂のようで。
「べっ、別に悪くなんてないわよ!」
「ならいいんだけど。もし体調悪いなら言ってよ? なんだかいつもより顔が赤いような気がするし」
「これは……そう、寒さのせいよ! アンタを待ってたときに顔が冷えたの!」
そうだ。これは寒さのせい。
視線の先にあったジュエリーショップのせいではない。
ショーウィンドウに張られたブライダル広告のせいではない。
ましてや、立香に左手の薬指にはめる指輪を買って貰うという想像のせいでは、決してない。
そう、寒さのせいなのだ。
「そっか、ならこれ使ってよ」
そう言うと立香は付けていたマフラーを外し、そっとオルタの首に巻いた。
「なっ!? なななっ!」
「うーん……俺のマフラー、あんまりオルタの服に合ってないかも。けど、暖かいでしょ?」
暖かい。それは暖かいはずだろう。さっきまで立香が付けていたのだから。
つまりは、この暖かさは立香の体温であるわけで。
「っっっ!!」
それを認識した瞬間、今度こそオルタの顔はしっかりと赤くなった。
オルタは咄嗟に首に巻かれていたマフラーを口元まで引き上げて顔を隠す。
幸いにして、立香には気づかれなかったようだ。ただマフラーを自分で巻き直しただけと勘違いしている。
「い、一応礼は言っておくわ」
「どういたしまして。それで、買って欲しいものは決まった?」
そんなこと言われたって、考えたことはいま全部吹っ飛んでしまったし、指輪が欲しいなんてとてもじゃないがシラフで言えることじゃない。
何も無いと言おうとしたオルタであったが、そこでふっと欲しい物が思いついた。
「そうね……パソコンと液タブ。二台ずつ買いなさい」
「パソコンと液タ…………あの、オルタさん。つかぬことをお聞きしますが、今の霊基は何でしょうか?」
「さあね、どちらかしら?」
「二台っていうのは……」
「もちろん、アンタの分」
夏の七日間()が脳裏に過ぎり、思わず後退りする。
だが、逃がさぬとばかりにオルタが肩を掴んできた。
「地獄の底まで、付き合ってくれるのでしょう?」
「…………ハハッ、モチロン」
笑みを浮かべて尋ねる彼女に、立香も笑って頷く。
もっとも、どちらの笑みも聖女の浮かべるものとはまるで違ったが。
それは多分、輝かしい夏の思い出。
恥ずかしくも誇らしい、悪戦苦闘の宝物。
それらはみんな、天文台に置いてきたけれど。
また積み上げるのも、きっと悪くない。
「ところで、オルタ。どこ向かってたの?」
「はあ? 駅に決まってるでしょ。私の電車代のためにコンビニに寄ったんだし」
「駅、反対だよ?」
三度目にしてついに、ジャンヌ・ダルク・オルタの顔は隠せないほど赤くなるのだった。
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