破滅し候え、我が主 (葉川柚介)
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破滅し候え、我が主

 殺してやる。

 特定の一個人に対して明確な殺意を抱くことが俺ごときの平凡な人生でありうるとは思っていなかった。

 

 貴族が支配する社会とはいえ、裕福な騎士爵家などというものはそうそうない。爵位なんてものもこの辺りまで来ると親筋の家の威光あっての物種で、父と母、俺と妹の四人家族でさえ相応の見栄やら格式やらを考えると色々大変で、主家から同年代の御令嬢の遊び相手兼付き人見習いをつけたいという招集がかかれば一も二もなく条件に当てはまる俺が差し出されるのも、自然の成り行きだった。

 

 生来どういうわけか親に教えられていないこともすいすいと覚えがよかったせいもあってか見事抜擢され、お嬢様に仕える立場になったのは年齢が一桁だった頃の話。

 初めてお目見えとなる日。お仕着せに身を包み、妹のため両親のため家のため、何があってもこの仕事を成し遂げようと心に決めて。

 

 

 俺は、生まれて初めての殺意を知った。

 

 

 俺が仕えた相手はクラエス公爵家令嬢、カタリナ・クラエス。

 もしも「悪魔」というものが人の中に紛れているのなら、この女こそがそれだった。

 

 カタリナ・クラエスは特別強い欲望に塗れている、というわけではないだろう。

 たとえば彼女が望むのは菓子であり、装飾品であり、身の回りの世話程度のもの。

 だがそれらが全て、いついかなる時も望む通りにならなければ気が済まず、またその望むところが周囲にとっては理不尽極まりない、という性質だった。

 

 お菓子が食べたい、と従者に命じるのに時を選ばない。

 同期にして年上のメイド、アンさんの用意したクッキーが紅茶に合わないからスコーンを出せと言う。用意がないと言われればいいから持ってこいとカップを投げられ、血の流れる額を押さえながら雨の降る街を買いに走ったこともあった。

 リボンを持ってこいと言われ、望む通りの色を持っていけば別の色がいいと言う。そのまま癇癪を起こし、リボンで首を絞められかけたときはさすがに死の恐怖を覚えた。力は弱く、あの程度では死ななかっただろうが、躊躇わずその行動に移ったことは恐ろしい。

 

 それが毎日毎日続く。

 クラエス家に仕える間中生傷が絶えたことはなく、寝ているときにたたき起こされたことも一度や二度ではない。それで寝癖がついていれば無様と罵られ、鼻で笑われることになる。

 

 おそらく彼女の性質は度の過ぎた強欲でも邪悪でもなく、強烈なエゴだろう。

 自分が正しい、世界は自分の望む通りになるべきだ。そういったことを一片の疑いもなく心の底から信じている。

 だから、何もかもが許されてしかるべき。

 だから、遊び相手はおもちゃと何も変わらない。きっと、壊れたらまた新しいのを親に強請ればいいと、その程度に思っていたのだろう。

 

 尊厳を踏みにじるようなことはしてこない。

 そもそも自分が雑に扱う「それ」が同じ人だなどと、思ってもいないのだろうから。

 

 

 許すものか。許してなるものか。

 殺してやる。夜に枕を濡らした涙と同じ数だけそう思った。

 家に残る父と母と妹がいて、できるはずもないのに。そのことがさらに悔しかった。

 

 だが、それもじきに変化した。

 あの人を殺す? 我ながら、とんでもないことを考えていたものだ。

 

 カタリナお嬢様に置かれましては、その生を最後まで全うしていただきたい。

 公爵家令嬢カタリナ・クラエスとして。どこまでもどこまでもその心根のままに生き。

 

 そして積み上げた過剰な自信と誇りの全てを失い、虫ケラのようにその命を終えてくださいますように。

 

 

「そうだよ、そうなんだよカタリナ・クラエス……! お前は望むがままに生きるそれだけで、破滅の奈落へ堕ちていく……! そうだよなあぁ……運命に愛された女(フォーチュン・ラバー)……!!」

 

 

◇◆◇

 

 

 俺にとって運命の日となったのは、カタリナ・クラエスが王家の第三王子、ジオルド王子に目通り叶った日だった。

 カタリナ・クラエスは城にて面会を果たし、王子の子供ながら端正な顔立ちに一目で入れ込み、既に彼女気取りなのかべったりと腕を組んで城の中の案内を頼んでいた。

 目を離すとどんな失礼があるかわからないから、とついていくように言われたことを当時は嘆き、今は感謝している。

 カタリナ・クラエスの度を越した入れ込みようはジオルド王子をしてすら御しきれるものではなく、浮かれて歩いて間抜けにも縁が浮いた敷石に躓き、頭から転ぶ次第となった。

 その時咄嗟に手を出してしまった自分のお人好し加減、昨日までなら呪わずにはいられなかったが、今は違う。それらすべては今日この日、俺が祝福を授かるための過程だったのだと心の底から信じられるのだから。

 

 カタリナ・クラエス、転倒により額に裂傷を負う。

 傷跡を縫い、公爵家令嬢としては社交界において致命的ともいえるような顔の傷を抱え、数日の高熱にうなされたその陰で、伸ばした手を取られて死なば諸共とばかりに引きずり倒され、固い石畳で頭を打った付き人がいたことなど一応の介抱を任された使用人以外誰も気にすることはなく。

 

 

 再び目覚めたときに、俺は理解した。

 カタリナ・クラエス。

 ジオルド王子。

 その双子の弟たるアラン王子。

 彼らの存在と名前と境遇と魔法の存在、魔力を持つ者の魔法学校入学義務。

 偶然で片づけるには多すぎる数の符合をもって、俺は結論を下す。

 

「……ここがFORTUNE LOVERの世界か」

 

 目覚めの第一声はこれで、前世の記憶を思い出した俺にとって正しく生まれ変わったかのように世界が輝いて見える気分だった。

 

 

 「FORTUNE LOVER」。

 いわゆる乙女ゲーであり、前世が男であった俺の耳にもその名が届く程度の知名度と、多少なりと内容を知ることになるほどのアレさを誇るゲームだった。

 魔法と貴族のファンタジーな世界観。学園ものなストーリーにおいて、ごく普通の家に生まれた健気で特殊な力を持った主人公が、数々の困難を乗り越えて運命の男性と結ばれる王道展開。

 とくに有名だったのはメインの攻略対象たる王子の婚約者であるお邪魔キャラの公爵令嬢で、辞書で「悪役令嬢」の項を引けば彼女を指すだろうと言われるほどの王道ぶりだったという。

 

 件の悪役令嬢、生まれは高貴にして性格は傲慢、わがまま。王子に想いを寄せられる主人公を妬み、恨む。頭脳も魔法もお察しながら、生まれ持った家の権威と取り巻きの数、そして己の望みを阻む者は決して許さないという執念深さがいろんな意味で愛され玩具にされ、それはもうゲームをプレイしていない勢にすら知れ渡るほど。

 

 その邪魔者の名は、カタリナ・クラエスということを、思い出した。

 

 俺は心から納得した。

 あの人並外れたエゴと非情さ、乙女ゲーのメインヒロインをいじめ抜く悪役令嬢だからだ、と考えれば頷ける。

 カタリナ・クラエスはまだ8歳。FORTUNE LOVERのストーリーが始まる15歳まではまだ6年の歳月があり、その間をかけてその苛烈にして自己愛に満ちた性格と、王子は自分のものだという歪んだ認識をさらに育んでいくのだろう。

 その先に生まれるのは嫉妬に狂い、怨念に取りつかれた狂気の怪物。

 ジオルド王子と結ばれるかもしれないFORTUNE LOVERの主人公は、それと相対することになるだろう。

 

 ――そして、カタリナ・クラエスは破滅する。

 

 例えばヒロインがジオルド王子のルートに入った場合、ハッピーエンドで国外追放、バッドエンドならば望んでやまなかったジオルド王子自身の手によって斬り殺されることとなる。

 公爵令嬢、カタリナ・クラエス。FORTUNE LOVERの攻略対象たる国の重鎮次世代たちとも縁深い彼女は、それ以外の道筋でも悪役令嬢の宿命として破滅へつながる道が数多い。

 

 

 そう、つまり。

 

 あの女を、俺が殺すまでもない。

 いやむしろ、生きてもらうべきだ。

 そうすれば、全てが思うままになると信じて疑わなかったその果てに、何もかもが思い通りにならないという最悪の絶望が待っている。

 

 

 俺はこの日、前世の記憶を取り戻した日を境に心を入れ替えた。

 これから先、いかなる苦難があろうともカタリナ・クラエスに仕え、その望むところを成そう。

 なぜなら、前世の記憶として未来を知る俺が、俺だけが、カタリナ・クラエスの破滅の未来を知っているのだから。

 もしその素行を矯正することが叶うならば、カタリナ・クラエスを救うことすら可能だろう。

 

 

 そして救うことができるということは、「救わない」こともできるということ。

 

 

 願うがままに生きよ、カタリナ・クラエス。

 羞恥を知らず、自尊心のみで生まれた者よ。そのエゴを肥え太らせたその果てに、望んだすべてを失う破滅の顎がカタリナ・クラエスを食いちぎることは必定。

 俺はただ、その日を迎えるのを待てばいい。その時こそ、我が満願成就の日。

 

 これまでカタリナ・クラエスが俺に成した数々の侮辱と悪罵。それらは必ずや清算される日が来ると、今この時に確信できたのだから、どれほどの苦難も乗り越えられる。

 

 

 ――これより、私が誠心誠意お世話させていただきます、カタリナ・クラエス様。

 15歳を迎えての魔法学校入学と、その後の学園生活。それら全てお望みのままに進むよう、お仕えいたします。

 

 そして、その果てに。

 

 

 

 

 破滅し候え、我が主。

 

 

◇◆◇

 

 

 これは、一人の男の物語。

 家族の為と己に言い聞かせ、あらゆる痛苦に耐える覚悟で公爵令嬢に仕える男。

 

「キース! キース出てきて! 扉を開けて!」

「カタリナお嬢様。鍵を持ってまいりました。『マスターキー(ハルバード)』でございます」

「……! でかしたわ!」

 

(ククク……! 引きこもってる扉を斧でブチ破るなどシャイニングの所業……! これでキース・クラエスの性格がひん曲がってロイエンタールみたいになることは確実よ……! また一歩破滅に近づいたなぁ、カタリナ・クラエスゥゥゥ!)

 

 

 これは、一人の復讐者の物語。

 かつて味わった理不尽と辛酸、その全てを定められた破滅に導いて清算させようという決意の行く末。

 

「あの、あなたは……私のことを変だと思わないんですか? カタリナ様みたいに……」

「お言葉ですが、ソフィア・アスカルト様。人の価値を決めるのは外見ではありません。その心と行動。それこそが人を人たらしめるものなのです。バケモノとは髪や目の色が人と違う者ではなく、人を人とも思わない傲慢と理不尽を兼ね備えたモノをこそ言うのです……!」

「アッハイ」

 

 

 

 そしてこれは、多くの者に語り継がれる物語。

 公爵令嬢、カタリナ・クラエス。王子を、宰相の子息を、関わる多くの人たちを魅了し、救った彼女に仕え、陰に日向に支えた無二の忠臣として語られる、従者の姿かくあるべしと讃えられる、そんな男。

 以心伝心、一心同体。心と心が通じ合っているかのような、誰もが羨むその主従。

 

「カタリナ様、危ない! 失礼いたします……死ねぇ!」

「あの、義姉さんを僕のゴーレムから助けてくれて本当に良かったと思うんですけど、死ねって言ってませんでした……?」

「何のことでございましょう、キース様。私はただ必死にカタリナ様をお救いするべく力いっぱい突き飛ばしただけでございます」

 

 

「フゥハハハハハ! ジオルド王子のみならずアラン王子、果てはその婚約者にまで好かれてるっぽい波動を感じたときはどうなるかと思ったが、むしろそれでこそ! このまま人間関係がこんがらがりにこんがらがるよう、お前が『おもしれー女』ムーブを続ければ、必ずや破綻と破滅が待ち受ける……! その最後のピースたるマリア・キャンベル様。あなたとの出会いを、私は一日千秋の思いでお待ちしていますともさああああ!」

 

 

「くっ……! マリア・キャンベルすら抱きこんで生徒会を『逆ハーレム~百合の香りを添えて~』にするとは……! 仕方ない、こうなったら、次の策を練るため、フィナーレにはキャンディーのつかみ取り大会もある秘技、脳内会議を!」

 

 

 

 なお、そのツーカーぶりは主従ともによく似ているからだったのだが、そんな風に思われていることを当人たちは知らないし、従者に至っては周囲の評価を知ったら過呼吸を起こして卒倒すること疑いないが、知らぬは当人ばかりであった。



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闇に飲まれよ、我が主

「そこの花はもう少し隅に。カタリナがぶつかって倒れるといけないので」

「はい、ジオルド王子」

 

「テーブルクロスは短めで。カタリナが裾を踏むかもしれない」

「至急、調節いたします」

 

 王城の庭は広く、開放感にあふれている。

 国の中枢としての威容を示すためはもとより、多数の貴族を招いての社交界の場となることもあるが故の必然だ。

 そして今日もその役割を果たさんと、幾人ものメイドと執事、使用人たちが忙しなく準備に追われている。

 今回開かれるのは、第三王子ジオルド主催の茶会。

 同年代の友人たちを招くことを趣旨として、その縁者たる貴族たちも参加はするが、貴族の社交の場としてはとても砕けた集まりとなる予定だった。

 

 ジオルドは自らその準備の監督を務めている。

 いまだ魔法学校入学前の幼い身ながら、将来を嘱望される聡明さはこの場においてもいかんなく発揮され、メイドたちを手足のごとく扱って着々と準備を進めていく。

 

 賢く、よく気が付くジオルドが主催する茶会はこれが初めてではないが、その用意に一片の妥協もないことは、ジオルドに親しい者だけが気付くこと。

 

 

「よう、随分気合入ってるな?」

「やあ、アラン」

 

 例えば、双子の弟たるアラン王子など。

 数か月前までのぎくしゃくした兄弟仲はどこへやら。人々から優秀ともてはやされる双子の片割れに対して複雑な思いを抱いていたアランであるが、いまやこうしてジオルドに気安く話しかけるほどになっている。

 本来最も近しいはずだった弟の、久しく見ていなかった笑顔。

 王族としての立場はあるが、それを失わなかったことは一人の人間として素直に喜ばしいことだと、ジオルドは思う。

 

「他の貴族が言ってたぞ。最近、ジオルド王子主催のお茶会ははっきりしてきた、って。みんなのためじゃなくて、『誰か』のためのものなんだろうとさ」

「……ふふふ」

 

 しかし、今度はジオルドこそ何とも言えない感情を持て余す羽目になっている。

 アランと再び親しくなれそうなことと、貴族たちの評価はまさしく表と裏。一人の少女がもたらしたものだから。

 

「そうやって笑って誤魔化そうとするのは変わらねーな。……これまでは、なんでもできる余裕のせいだろうと思ってたぜ」

「なんでもはできませんよ。もちろんできないことだってあります。――例えば、カタリナ・クラエスの行動を予測すること、とか」

「……それは、な。うん」

 

 すげぇわかる、と苦笑を見せるアラン。いま思い浮かべているのはきっと同じ少女だろうとジオルドは確信する。

 

 公爵家の令嬢とは思えない、底の抜けた明るい笑顔。

 時々これまた貴族とは思えない奇特な言動に突っ走る、しかし好ましい少女。

 

 カタリナ・クラエスは大切な人であると、ジオルドは胸を張って言える。

 最初は打算。その次は興味。そしてその先の今、自分が彼女に抱いている感情は何なのか。

 それを知っていくこれからが、なにより楽しみだった。

 

 

 ……ただ、気になることが一つ。

 

「カタリナの行動を予測できるのは、『彼』くらいでしょうから」

「ほんとそれな」

 

 ジオルドをしてすら計り切れないカタリナ・クラエス。

 その行動は突飛にして奇怪。次に何をするかサッパリわからず、どんなに身構えていても度肝を抜いてくることに定評のある少女。

 彼女のすることを目にすれば、ジオルドだろうとアランだろうとその婚約者のメアリだろうと目を丸くする。

 だというのにただ一人、そんなカタリナの側に常に寄り添い、カタリナが何をしでかそうとも予想通りとばかりにフォローする少年が、いる。

 

 名前は、モノ。モノ・クラウディオ。

 クラエス家の寄子である騎士爵家の嫡男。

 カタリナの遊び相手兼従者として仕える、自分たちと同年代の少年。

 ジオルドとアラン、二人の心を捕らえてやまない不思議な少女について思いを巡らせる度、常にその傍らにある彼もまた、思い出さずにはいられない。

 

「……この前、カタリナが菓子の食いすぎでのどに詰まらせたとき、『カタリナならこのタイミングで詰まらせるとわかってた』としか思えないくらい一瞬で背中叩いて助けてたぞ」

 

 なお、そのときモノは「死ねぇ!」と叫んでいたのだが、距離が遠かったアランの耳には届かなかったし、息ができず死にかけていたカタリナはそもそも気付かなかった模様。

 

「僕が見たのはカタリナの畑でしたね。汗を拭いたり飲み物を届けたり、作業自体はカタリナの望む通りにさせながら他の全てを支える勢いでした」

 

 言うまでもなくカタリナのわがままを増長させるための策であり、なおかつカタリナ一人では農業をやり遂げられないようにするために自分の支えを前提とさせるための罠のつもりである。

 恨み骨髄なカタリナの望みを叶える苦痛と、来るべき破滅をさらに強力なものとなるだろうという期待がせめぎ合う、モノとしても負担の大きい策である。と、当人は思っている。

 

「カタリナが望んでるもの、多分全部わかってるよなあいつ」

「……ええ」

 

 そうなりたいわけでは決してないのだけれど、なんかそのポジションにいられると心がざわめく。そういう男が、いるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 品の良い調度。清潔な生活感。

 貴族、まして公爵家の屋敷ともなれば建物も家具も一流で、それらの手入れはいつも万全。主たちからの愛着もあり、ある種の風格が一室一室に漂っている。

 そして部屋とその主もまた、長い付き合いになると一体感のようなものが出る。

 

 今もそう。

 窓辺に佇む一人の少女。齢は15。クラエス家令嬢、カタリナ・クラエス様。

 窓枠にそっと手を添え、わずかな憂いを秘めた眼差しは母親譲りの鋭さを備える。

 その目に見据えられると身がすくむ、というのはクラエス家に仕える使用人たちが一度は経験する通過儀礼。魔法学校入学を控えた少女でありながら、それだけの存在感を秘めている。

 

 その心を悩ませるのは果たして何か。

 これから始まる学園生活への不安。

 あるいはさらにその先の将来のこと。

 公爵家令嬢として複雑怪奇を極める友人関係。

 婚約者たるジオルド王子やそのご友人たちとのあれやこれや。

 年頃の少女なのだから、その心をざわめかせる理由は星の数ほどあるだろう。

 

 だがそれでも、するべきことが迫ってくるのが人の生。

 

「……あら、もう魔法学校へもっていく荷物を決める時間かしら?」

「いえ、お嬢様のご都合次第でございます」

「なら、今のうちに済ませておきましょう」

 

 そう、魔法学校入学を明日に控えている以上、寮生活などなど含めて必要な持ち物の選定は絶対必須のことである。

 魔力を持つ者が集うという性質上、ほとんどの魔力保持者が貴族階級で占められるため、魔法学校は事実上の社交界となる。まして全寮制での生活ともなれば、私物の一つをとっても公爵家令嬢として相応のセンスと格式が求められる。厳しく選ばなければならない。

 

 憂いの時を終えたカタリナお嬢様は、声をかけたアンさんにうっすらと微笑みかける。

 心の内を惑わせていた何者かは消えていないだろうが、それでも明日からに希望を持てる。それもまた若者の特権ということか。

 

「さて、それじゃあ持っていく物を決めてしまいましょうか。とはいっても、私の方である程度は用意してあるのよ?」

「……さようですか」

 

 自信満々、といった顔で胸を張るカタリナお嬢様に対し、アンさんの声はどこか重い。

 さもありなん。その気持ち、俺もよくわかりますよ。

 

 カタリナ・クラエスの気質は、傲慢にして傍若無人。

 幼いころは俺を奴隷どころか人と見なしてすらいないような扱いを繰り返してきた悪逆の女。

 今もってなおそのわがままさは収まる気配を見せず、奥様からどれだけ叱責されようと思うがままに生きている。

 

 

 たとえば、ジオルド王子の婚約者となる契機となる傷を負った事件のあと。何を思ったか始めたのはまず、剣の稽古。

 令嬢らしからぬ趣味に突如耽溺した理由は家中の誰もわかるところではなく、教師を呼んで師事したはいいものの、その太刀筋はめちゃくちゃ。真剣などもちろん持たされたことはないが、勢い任せに剣を振るっているのか体ごとぶつかっているのかわからないようなその様は、どれだけ教え諭されようとも変わることはなかった。自分で持っている木剣で自分自身を殴らなかったのが不思議、とは教師の方の言だった。

 

 これもまたカタリナ・クラエスの傲慢……! 特に根拠もなく、己の進む道が正しいのだという絶対の確信があればこその無駄の発露だろう。

 見るに見かねてか一緒に剣の修練を始めたカタリナの義弟のキース様は対照的に筋がよく、師の言葉と太刀筋をみるみるうちに吸収していったのとはエラい違いだ。

 ……ちなみに、なぜか俺までその訓練に巻き込まれた。しかも、さすがに主人に当たるカタリナ相手に同じ剣を持って対するのは、ということで分厚いグローブみたいな手袋つけただけの素手で。

 いくら木剣とはいえ一切の躊躇なく、しかもわけのわからない軌道で振り回してくるカタリナ相手にサンドバックじみた相手を数年に渡って務めさせられた結果、剣の教師から「アレを避けられるなら、相手がどんなに変な武器や技を使ってきても君なら生き残れる」とお墨付きをもらってしまった。

 おのれカタリナ・クラエス!

 

 

 それだけではない。

 これまたどういう思考の湾曲か、クラエス邸の片隅に畑を作りだした。

 公爵令嬢が、である。カタリナ本人が、である。

 最初そのことを言いだしたときは、おそらく一瞬で飽きて、でも世話だけは俺に押し付けられたりするのだろうな、と思った。

 だがどういうわけか異常な熱心さで、まるで畑づくりに命がかかっているかのように日々手間を惜しまず世話を続けた。

 社交界で知り合ったハント家令嬢メアリ・ハント様を家に招いて植物を育てるコツを聞くなど、剣のときと同じく人に教えを乞うことにためらいがない。

 

 あの、我欲と自尊心のゼリー寄せのようなカタリナ・クラエスがなぜそんなことを。

 同じことを疑問に思っていたアンさんが問うたところによると、「土の魔力を高めるため、土と対話する」からなのだという。

 ……うん、意味がない。魔力云々って絶対そういうのじゃない。

 実際、魔力の有無はもとより各人が保有する魔力量というものも極めて個人差が大きい。らしい。

 たとえばキース様は、土で出来たかなり大きな人形をゴーレムとして操ることができる。その気になれば家の一つや二つ、たやすく破壊して更地にしてのけるだろう。

 一方カタリナ・クラエスにできることと言えば、土を数㎝隆起させることだけ。せいぜいが人を躓かせる程度のものでしかない。

 その差が多少なりと埋まるかどうか。極めて怪しいものだと俺は思うし、クラエス公爵様たちもそう思っておられるようだ。

 

 だがそれでもカタリナ・クラエスは畑づくりをやめない。それが魔力の増大につながると信じて。

 しかしいずれ、その全てが無駄だったことに気付くだろう。

 そしてその時カタリナ・クラエスの取る行動は決まっている。

 「周囲への八つ当たり」。これに間違いない。

 なぜ思った通りにならない。なぜもっと早くに止めなかった。お前のせいだ。死んで詫びろ。

 

 耳の奥に残る、かつて幾度となく降り注いだカタリナ・クラエスからの罵倒が脳内で合成され、リアル過ぎる幻聴を描き出す。

 幼いころから今日にいたるまで俺を苛み続けるこの恨み……! おのれカタリナ・クラエス!

 

 

 ……と、言いたいところだが、今日の俺は機嫌がいい。

 なにせついに、カタリナ・クラエス魔法学校入学の日がやってきたからだ。

 それはすなわち、乙女ゲーム「FORTUNE LOVER」の物語始まりの狼煙。

 カタリナ・クラエスが育てに育てたエゴがついに破滅という名の果実を重く実らせ、腐り落ちて潰れるその日がやってくる。

 

 この魔法学校でジオルド王子、あるいはキース様、はたまた他の親しくしている誰かが運命の相手たるマリア・キャンベル嬢と出会い、恋に落ち、それを妬んで醜く妨害しようとしたカタリナ・クラエスは破滅する。

 その日を思うと、それだけで俺の心は温かく蕩けるような気分になる。

 

 ……実は俺は、前世の記憶を取り戻した立志の日のすぐあと、ワインを買った。

 まだまだ飲み頃には若い、カタリナ・クラエスに仕え始めた年にできたワイン。それを実家の倉の隅にこっそりと隠し、眠りにつかせてある。

 俺は願いが成就した暁に、そのワインを飲むと決めている。

 そのワインは、そもそも大した高級品でもない。熟成に最高の環境というわけでもないだろう。

 だが確信がある。

 恨み骨髄のカタリナ・クラエスの破滅を知って、その積もり積もった年月を同じだけ重ねたそのワイン。宿願の叶ったその日、最高の豊潤をもって俺の舌と心を満たしてくれるに違いないと。

 

 

 そのためにも、カタリナ様におかれましてはまずしっかりと学園生活を営んでいただけますよう、従者として持ち物の整理に誠心誠意ご協力させていただく所存でございます。

 

「では、まずこちらを」

「……なに? その『いるもの』『いらないもの』って書かれた箱」

「読んで字のごとく、学校生活に必要なものとそうでないものを分けるためのものでございます。さあ、カタリナ様。お選びになった荷物をお見せください」

「ふーん、まあいいわ。まずはなんといってもコレ! 鍬! 魔法学校でもしっかり畑を作るためには、やっぱり家で使い慣れたものでなくちゃ……」

「あ、それはいりません」

「流れるようにいらないものの箱に入れたー!?」

 

 

◇◆◇

 

 

 二人のやり取りを見ながら、カタリナ付きメイドのアンは思った。

 

(……本当に相性いいわね、この二人)

 

 

「うーん、一応用意はしてあるけどこれはいらないわよね、パーティー用のドレス」

「いります。カタリナ様なら10着はいります。いつなにをやらかして破くか知れたものではないので。……む、『いるもの』の箱に入り切りませんね。ではこの『動きやすい作業服』を置いていきましょう」

「やめて、モノ! それがなかったら私はどうやって木登りすればいいのよ!?」

 

 

◇◆◇

 

 

 全ては順調。

 カタリナ・クラエスはまっすぐ破滅に向かって突っ走っている。間違いない。

 ジオルド王子をはじめとした攻略対象キャラとは順調に接触し、まるで野猿のようなムーブでドン引きされている。

 これなら愛想尽かされるのも時間の問題……!

 やはりカタリナ・クラエス破滅の未来は決して消えない運命の祝福なのだ!

 フゥハハハハハ! 愉快、愉快だなああああ!

 

 

 ……というわけで。

 どうぞ健やかに、お望みのままにお過ごしくださいませカタリナ様。

 学園生活を支える従者としてアンさんとともに選んでいただいたからには、誠心誠意その願うところを叶えるべく――その果てに破滅していただくために――お仕えいたします。

 

 そして、まだ見ぬマリア・キャンベル様。

 ご入学おめでとうございます。

 貴族ならぬ身に魔力を宿し、魔法学校へとご入学されるからにはご不安も多くございましょうが、どうかご心配なさらず。

 あなたにはこれから数多くの素敵な出会いと、輝かしい未来が待っています。

 私も、微力ながらそのお手伝いをさせていただきたく。

 

 

 どうか、あなた様にとって最も幸せな未来(カタリナが破滅するグッドエンド)を掴み取られますように。

 それこそ私の望む未来。

 

 破滅せよ、カタリナ・クラエス。

 全ての望みに裏切られ、底知れぬ絶望の闇に飲まれよ、カタリナ・クラエスゥゥゥゥゥ!



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School daysされませ、我が主

 魔法学校入学。

 それは、カタリナ・クラエスの人生が破滅のレールに乗ったという何よりの証拠。

 この学園生活を各生徒が波乱万丈に富みつつ進んでいけば、それだけでカタリナ・クラエスは破滅する。それが定められた未来。

 運命に愛された女の宿業。

 

 

 の、はずだったのだが。

 

 

「おのれカタリナ・クラエスゥゥゥゥゥゥゥ! 酒! 飲まずにはいられないッ!」

 

 愉悦の味とは程遠い、苦みと渋みが舌を抉るワインをがぶ飲みする俺がいた。

 

 その理由は他でもない、カタリナ・クラエスのせいだ。俺がこうして荒れるのは大体カタリナ・クラエスのせい、とも言うが。

 今日こうして荒れているのは、これまで順調に俺の思惑通りに破滅への道を歩いてきていたカタリナ・クラエスが、魔法学校へ入学するなりその破滅への道筋を踏み外し始めたからに他ならない。

 

 カタリナ・クラエスといえば悪役令嬢。

 乙女ゲームの主人公に数々の嫌がらせをしてヘイトを集め、ジオルド王子やキース様といったヒロインの攻略対象にすらも疎まれ、成敗される。それがあるべき姿、人生の意味。

 

 だというのに!

 

 無事魔法学校へ入学した、主人公たるマリア・キャンベル様。

 彼女は持って生まれた光の魔力によって注目されるのみならず、ひたむきな研鑽によって手に入れた聡明さをもって入学直後の学力テストでジオルド王子に次ぐ2位の成績をマーク。それによって生徒会への参加を許されるという栄誉を得た。

 それでこそ主人公。それでこそ世界の中心。

 一方、カタリナ・クラエスは諸々平凡。成績も平均ラインで格の違いというものを見せつけられていた。

 

 俺は思った。これはイケる。

 カタリナ・クラエスなのだからそりゃーもう恨むに違いない。平民出のマリア・キャンベル様が自身の上を行き、婚約者たるジオルド様と共に生徒会で過ごすなど到底看過できることではないだろう。

 これは、間違いなく嫌がらせが始まる。そうすれば破滅への道は決まったようなものよ!

 

 

「どうぞ、カタリナ様」

「ありがとう! ……ん~、おいしい! やっぱりマリアの作ってくれるお菓子は最高だわ! ね、モノ!」

「……さようでございますか」

 

 ……なのになんで仲良くお茶してるんだあああああああああ!!!

 

 

 マリア・キャンベル様はまさしく思った通りの方だった。

 美しい容姿に清らかな心、明晰な頭脳。

 人の中心となる資質を秘めた、まさしく運命の乙女と呼ぶにふさわしい女性。

 だからこそジオルド様たちが心惹かれるに足るものであり。

 

 

 ……だからとて、カタリナ・クラエスまでもがめっちゃ懐いているのはどういうことなのか!

 

 ジオルド王子たちの要望でカタリナ・クラエスが生徒会活動に参加するようになったのはいい。それによって接する時間が増えれば、必然マリア・キャンベル様に対する恨みを募らせる。悪くない展開だと思ったのだが、社交界のパーティ会場でお菓子を持って帰りたいとかぬかす生来の意地汚さはここでも遺憾なく発揮され、マリア・キャンベル様に手作りのお菓子をねだり、それによって懐柔されるという有様を見せやがるとは……!

 

 

 カタリナ・クラエスと菓子と言えば、思い出すのは過去のこと。

 まだ幼かったころの俺が、たまにメイド長や使用人頭、庭師のトムさんからお菓子をもらうたびにどこから嗅ぎつけてか姿を見せたカタリナ・クラエスによこせと言われ、断れるはずもなし。

 半分で済めばいい方で、全て取り上げられたこととてザラだった。

 それで奪うのみならず、一口食べて下賤な味と捨てられたときは、怒りでどうにかなりそうだった。

 しかも、ある時を境にそうしてゆすり取った菓子を素朴で美味しい、とのたまって嬉々として食べるようになった。

 何だその心変わり! 忘れていないぞ、過去の屈辱は……!

 

 そんな有様を見せられて、最近飲酒量が増えている、というわけだった。生まれ変わったこの世界には未成年飲酒云々という概念はないからセーフ!

 

 ……しかしマズいな。これはなにかしら手を打たなければ、下手をするとカタリナ・クラエスが主人公たるマリア・キャンベル様を妬むのではなく、むしろ攻略される側になりそうな勢いだ。

 乙女ゲー主人公の魅力を考えればあり得る話。そして、そうなってしまえばカタリナ・クラエスが破滅に至らない……!

 

「……致し方ない。かくなる上は事態打開のため、秘技・脳内会議を!」

 

 なお、脳内会議は多数の脳内俺によって開催される意見交換の場であり、最後にはキャンディのつかみ取り大会も開催される。

 

 

「……閃いた!」

 

 

◇◆◇

 

 

 魔法学校の生徒会室は、成績優秀者の集うサロンのようなもの。

 今年度は生徒会長のシリウス・ディーク様を筆頭に、ジオルド王子やマリア・キャンベル様たちが学園の運営に寄与している。

 その中に一人、本来の選定基準とは異なる理由で呼ばれたメンバーこそ、カタリナ・クラエス様。

 ジオルド王子たちの熱望によって参加が許された特別な人。

 

 だからこそ、生徒会としての職務には携わらず、ただそこにいるのみ。

 しかし、そうあればこそジオルド王子の心は安らかになるという。

 ゆえにカタリナ・クラエス様は今日も生徒会室でのんびりと生徒会長閣下が手ずから淹れたお茶を飲み、マリア・キャンベル様が手作りしてきたお菓子を堪能する。

 平和そのもの、といった一幕がそこにはある。

 

「カタリナ様。本日のお茶菓子はマリア・キャンベル様がお作りになられたクッキーでございます」

「わーい、クッキー大好き!」

「お茶は生徒会長閣下が。……申し訳ありません、本来ならばカタリナ様の従者である私がするべきことですが、生徒会長閣下の入れるお茶が一番見事だとカタリナ様がおっしゃるので」

「いえいえ、僕が好きでやってることですから」

 

 そうなるように、俺も少々尽力させていただいた。

 マリア・キャンベル様がお菓子作りのため食堂の調理場の隅を借りていたのをクラエス家経由で正式に頼んでもっと堂々と使えるようにと交渉し、材料の調達や下ごしらえの手伝いなどなど。

 そのようにいくつかを整えれば、それだけでカタリナ様は嬉々として生徒会室に入り浸るようになった。

 マリア・キャンベル様は手製の菓子を喜んでパクつくカタリナ様に対して嬉しそうに笑う。

 

 だが一方、ジオルド王子はそんな二人をどこか複雑そうな目で眺め、書類を書き損じたらしく慌てている。

 

 

 ククク……どうやら計画通りに事が進んでいるらしいな……!

 

 そう、単純なことだったんだ。

 カタリナ・クラエスを破滅に導くために必要なのは、「マリア・キャンベル様が幸せな結末に辿り着くこと」ではなかった。

 本物のマリア・キャンベル様の人となりを知ってしまえば、そんな風に考えていたことを恥じ入る思いだ。

 

 カタリナ・クラエスの破滅はマリア・キャンベル様の幸福によって押しのけられた結果ではなく、カタリナ・クラエスの醜い我欲が自身を奈落の底へと蹴り落としたことによるもの。

 カタリナ・クラエスが、欲しいと思った物を手に入れられない。その状況こそがこの女を破滅へと導くのだ。

 

 つまり!

 カタリナ・クラエスがマリア・キャンベル様に懐いているのなら、とことんまで懐いていただけばいい。マリア・キャンベル様はあれだけの人格者。多くの人に好かれることは確実で、その中にはマリア・キャンベル様自身の運命の人もいることだろう。

 その結果、間違いなく、カタリナ・クラエス以外の誰かと結ばれる。

 

 たとえばマリア・キャンベル様がジオルド王子と結ばれたとして、そのときカタリナ・クラエスはどうするか。ジオルド王子かマリア・キャンベル様か、どちらに対してであれ「奪われた」と思うことは確実! 嫉妬に駆られたその時に、どう動くか。

 破滅へつながる行動になる! と断言しよう!!

 

 ああ、やはり世界は俺に味方している。

 どうぞ幸せな時をお過ごしくださいませ、カタリナ・クラエス様。

 遠からず失われるその甘い幸福に浸れば浸るほど、喪失の絶望がお前を破滅へ導くのだからなぁ……!

 

 ただひと時、破滅へ続く学園生活(School days)を精々楽しむがいい、カタリナ・クラエスゥ!

 

 

◇◆◇

 

 

 そんなある日のこと。

 俺は魔法学校での用事の手伝いとしてカタリナ・クラエスに呼び出された。

 さすがはカタリナ・クラエス。魔力を持たない俺をすら学校の用事に駆り出そうとは見下げ果てた傲慢と怠惰よ。

 なので、喜び勇んで手伝いに馳せ参じた。

 この状況、傍からすれば「我を通して従者を不当に駆り出している公爵令嬢」の図であり、俺はそんな主に泣く泣く従う哀れな従者。カタリナ・クラエスの評判を下げられるのなら多少の労働など苦でもないわ……!

 

 

(なお、従者に作業を頼むのは魔法学校の主たる層である貴族の子弟としてはごく普通のことであり、主人によく仕える立派な従者としか見えていないのだが、モノは知らない。)

 

 

 ともあれ、そうして用事を片付けたあと、中庭沿いの通路を歩いていた時のこと。

 

「……あら?」

「――マリア・キャンベル様のお声が聞こえます。他にも何人かご令嬢のお声も」

 

 カタリナ・クラエスが気付いたのは、風に乗って流れてきたどこか穏やかではないと思しき会話の声。

 声の方へと目を向ければ、中庭に数人の女生徒たち。

 位置関係からして、マリア・キャンベル様一人に対して残り全てのご令嬢という組み合わせのようだ。

 

 距離はあるのに声が聞こえてくる。マリア・キャンベル様以外の方たちの、だが。

 取り囲む様子はまるで逃げ道を封じるようで、詰め寄っているようだと言えば俺たちの見た雰囲気が通じるだろう。

 

 それはまるで、ゲームの主人公に降りかかる難癖イベントのようで。

 

 

 ……マリア・キャンベル様に、嫌がらせを?

 カタリナ・クラエス以外の人間が……?

 

「っ! モノ!!」

「はい」

 

 カタリナ・クラエスの叫びに一声応え、中庭と廊下を隔てる腰ほどの高さの柵を飛び越え走る。

 近づき詳しく見えはじめる様子は、まさしく怒れるご令嬢方と怯えるマリア・キャンベル様の図。

 一言二言聞こえた話によると、「邪魔」「ふさわしくない」などなど。

 そして、マリア・キャンベル様を詰る集団の中心人物らしき女性の手に燃え上がる魔法の炎。

 

 ……いけませんねえ、そんなことをなさっては。

 

 

◇◆◇

 

 

「わからせてあげるわ、あなたの身の程というものを……!」

 

 マリア・キャンベルは怯えていた。

 

 魔法が使える、ということで魔法学校への入学を許された。

 光の魔力を持つことで注目された。

 奇異の目で見られないようにと続けた勉強の成果が実り、生徒会の一員となった。

 

 それら全てが、今この瞬間に繋がっている。

 向けられる憎悪と嫉妬の目、目、目。

 口々に放たれるのはマリアという存在の否定。

 

 望んで得た力、望んで辿り着いた場所ではなかった。

 失われてしまった家族との温かい時間を、せめて取り戻したいと願い、祈っていただけだった。

 生徒会のみんなやカタリナたちが優しくしてくれていたから忘れていた、疎まれ、腫物扱いされていた以前までの日常という名の絶望が再びマリアの心を締め付ける。

 

 ああ、やはりこれが自分の運命なのか。

 人に嫌われ、疎まれ、憎まれるという運命に愛されているのか。

 

 じわじわと近づけられる炎の魔法で燃える手。

 ちりちりと頬を焦がす熱は涙がこぼれる暇すら与えず迫り。

 

 

「――いけません、お嬢様方」

「え、えぇっ!?」

 

 

 突如その熱が引き、声が増え。

 

 驚き開いたその目の先に、燃える手をなんと素手で掴んでマリアから遠ざけるカタリナの従者、モノの姿が現れていた。

 

 

◇◆◇

 

 

 ああ、うるさい。

 手が燃える? そうですね、魔法を使っているあなたと違って、俺の手はあなたの手を掴んでいる限り、あなたがこの魔法を止めない限り燃えますねそのうち炭になりますねそれがどうした。

 

 このままだったら、マリア・キャンベル様が傷つくじゃあないですか。

 マリア・キャンベル様が、カタリナ・クラエス以外の誰かによって、傷つけられるじゃあないですか。

 

 そんなことはこの俺が許さん。

 運命に愛された女(FORTUNE LOVER)を傷つけて良いのは、その果てに破滅するべきは、カタリナ・クラエスただ一人。

 あなたたちは、その器ですらないのですよ。

 

 仕える相手ではないとはいえ、貴族の令嬢たる方に対する基本としてのうっすらとした笑顔を浮かべつつ手を掴んでいると、遅れてカタリナ・クラエスが駆け付けてマリア・キャンベル様を庇う。

 語るに曰く、魔法学校は純粋な実力主義であることや、マリア・キャンベル様は努力の人である、などなど。全くその通りである。

 

「そんなことをしていると……破滅するわよ!」

 

 カタリナ・クラエスの眼力のせいか、一目散に逃げていくご令嬢方。

 いやあ、わかっているじゃあないかカタリナ・クラエス。そうだよ破滅するんだよ。お前がな。

 

「……あっ、あの! モノさん、そ、その手……」

「はい、どうかなさいましたかマリア・キャンベル様?」

「いやいやいや、どうしたかじゃなくて! なにしてるのよモノ! 手が火傷してるじゃない!」

「……はぁ、当たり前でしょうカタリナ様。火に触れたら火傷する。常識ですよ?」

「知ってるわよそんなこと!?」

「そう思っていたのですが、以前まだまだ熱いスープを我慢できずに勢いよく飲もうとして口中火傷しておられやがりましたよね忘れてませんよ」

「……すみません、手を貸してください。私が治します」

 

 とかなんとか言っていたら、マリア・キャンベル様が光の魔力で手の火傷を治してくれた。

 いやあ、ありがたいです。このままだと日々の使用人業務にも支障が出そうだったので。

 

「なんで、こんな無茶を……」

「はっはっは、大したことはありませんよマリア・キャンベル様。カタリナ様に仕えていれば火傷だの骨折だの食当たりだのは日常茶飯事なので」

「えぇ……」

「ちょっ、モノ!? 最近はそんなことないでしょう!? あくまで子供のころの話で……!」

「お黙りやがりくださいカタリナ様。それは最近私が慣れてきて事前に止められるようになってるだけだってことくらい気付けよオイ。今だってマリア・キャンベル様が作ってきてくれたお菓子、落ちたの拾い食いしようとしてやがりましたよね」

「そ、それは……。というか、あれ!? マリアの作ってくれたお菓子がなくなってる!?」

「拾い食いしようとしてやがるの等お見通しでございますよカタリナ様。げふー」

「あの、モノさん……? 今、言葉遣いが……」

「はい、なんでしょうかマリア・キャンベル様? あ、手作りのお菓子美味しかったです」

「アッハイ」

 

 

 今回はなんとかなったが、どうやらマリア・キャンベル様が持つ人を惹きつける力は、カタリナ・クラエス以外にもよくないものすら惹きつけてしまうようだ。

 これはよくない。

 カタリナ・クラエスの動向のみならず、彼女に対する周囲の感情も注意して、守護らねば……。

 

 

「ちょっとー!? 私の分も残しておきなさいよ、モノ!」

「……申し訳ありません、マリア・キャンベル様。また近いうちに同じものを作ってきていただけますか?」

「……ええ、喜んで」

 

◇◆◇

 

 

「お疲れさまです、モノさん。少しよろしいですか?」

「はい、なんでございましょうか生徒会長閣下」

「や、あの……閣下はさすがに……」

 

 穏やかな声を掛けられる。

 その声の主は、魔法学校の生徒会長を務めるシリウス・ディーク様。

 カタリナ・クラエスと違って極めて聡明で、生徒会長としての実務能力もカタリナ・クラエス等及びもつかない優秀な人物であった。

 俺はカタリナ・クラエスの従者として時折生徒会の方々と時折話をすることもある程度だが、それでもシリウス様はしっかりと俺の顔と名前を憶えてくれているらしい。さすがである。

 俺は基本的に、カタリナ・クラエス以外の人は全て好きです。

 

「実は、先日マリア・キャンベルさんが巻き込まれたトラブルに関わったと聞きまして。少し話を聞かせてもらえませんか?」

「はい、お任せください」

 

 そんなシリウス様が声をかけてきた理由は、先日のマリア・キャンベル様詰問事件についてだった。あのあと、マリア・キャンベル様の光の魔法による治癒で俺の手はすぐに治った。

 さすがです。土を数㎝盛り上がらせる程度のことしかできないカタリナ・クラエスと比べるとまさしく奇跡。人として、知的生命体として、そして魔法使いとしてすらカタリナ・クラエスとは格が違うのですね。

 

 そんなことを思いつつ、シリウス様からの質問に答えていく。

 あの場の状況、詰問していた女生徒の特徴、話した内容などなど。

 着々と答えていく。

 

 

「――ところで、モノさん。カタリナさんのことはどう思っていますか?」

 

 その質問がひと段落して。

 シリウス様が聞いてきたのがカタリナ・クラエスについてだった。

 

 少し風が出てきただろうか。

 首筋の辺りを、冷気にひやりと撫でられた気がした。

 

「どう、と仰いますと?」

「モノさんはカタリナさんに仕えて長いと聞きました。ジオルド王子たちがあれほど気にかけているカタリナさんがどんな人なのか、あなたの目からどう見えているのか気になったんです」

 

 特に寒い時期でもないし、気のせいだろうか。

 シリウス様からは特に不穏な気配も感じないし、なによりシリウス様はあのカタリナ・クラエスの傍若無人な注文にも笑顔で応えてお茶を淹れる人格者。人を害する、ということなどしはすまい。

 そう、この世の中に「悪」とはまず第一にカタリナ・クラエスのこと。それ以外は、先日マリア・キャンベル様に詰め寄っていた女生徒たちですらかわいいものだ。

 

 

「――カタリナさんに仕えていて、辛い、苦しいと思ったことはありませんか?」

「辛かったこと、ですか?」

 

 シリウス様の灰色の瞳が、少しだけ黒みがかったように見えたのは光の加減だろうか。

 

「カタリナさんは、たくさんの人に慕われていますから。それ以外の一面も知れたら、と思いまして」

「なるほど、さすがは生徒会長閣下です」

 

 そんなシリウス様が聞きたがったのは、カタリナ・クラエスに関わるネガティブなエピソード。

 任せてくださいシリウス様。いくらでもある、というかカタリナ・クラエスとの記憶はそのことごとくが艱難辛苦の積み重ねなのですから。

 

 シリウス様の話の上手さ、聞き上手さもあって、従者として言ったらダメかなレベルの暴言は抑えつつ、それでもかつての、そして最近のカタリナ・クラエスの暴虐エピソードを話していく。その気になれば一晩無限に怨嗟の言葉を述べることもできますが、何か?

 

 

「……こんなところでいかがでしょうか」

「……えっ、あ、はい。そ、そうですね。ありがとうございました。――少し用事があるので、これで」

「はい、生徒会長閣下」

 

 そうして話を終えると、シリウス様はそそくさと席を立った。

 さすが、生徒会長ともなると多忙なのだろう。俺は俺で、そろそろカタリナ・クラエスが帰ってくるわけだし、クラエス家使用人としての仕事に戻るとしよう。

 

 

◇◆◇

 

 

「バカな……そんなバカな……!」

 

 魔法学校の廊下を足早に歩くシリウス・ディーク。

 普段のシリウスを知る者であれば、その思いつめた表情に驚くだろう。

 温和にして冷静、全生徒の模範たることを自然にこなすかのシリウス・ディークが、まるで追い詰められて逃げているようですらあるのだから。

 

「モノ・クラウディオ……どうして、どうして『僕の魔法』が効かないんだ……?」

 

 学業優秀な生徒会長としての評判は仮の姿。

 ある事情により、マリア・キャンベルが持つ光の魔力と対になる闇の魔力を持つ魔法使いだった。

 

 闇の魔法は他のどの魔法とも異なり、人の心に作用する。

 人が持つ怒りや憎しみ、そういった負の感情を増幅させ、操ることができる禁断の邪法。

 その力を持ち、人を操り、上手く立ち回ることができれば人の世において不可能はない。そういう類の力だ。

 

 人間の心は複雑を極める。

 どれほど優しく、聖人のようだと讃えられる人格者であろうとも、その心に一片の怒りも恨みもないなどということは、ありえない。

 闇の魔法は、その一欠片の憎悪で心の全てを満たすことができる。

 昨日まで微笑みとともに全てを許していた人格者を、破壊と狂乱に狂う悪魔に変えることすらたやすい。

 

 その、はずなのに。

 

(モノ・クラウディオにも、確かに闇の魔法をかけた……! なのにカタリナ・クラエスへの態度が変わらないなんて……!)

 

 自然な会話の中でカタリナ・クラエスへの不満を想起させ、闇の魔法で増幅させた。

 しかし、間違いなく闇の魔法を使い、その後の様子をうかがって、それでもモノ・クラウディオの態度に変化はなかった。

 カタリナ・クラエスに仕える中で起きた出来事や苦労を、時に笑みさえ交えて話す。

 それらがモノの中ではただの思い出になっていることはあきらかで、それが怒りと憎悪に塗りつぶされたようには、どうしても見えなかった。

 

 そんなことはありえない。

 人が人の心を持つ限りありえない。

 

 もし、そんなことがあるとしたら、それは。

 

 

「まさか、本当に、混じりけなしにカタリナ・クラエスに善の感情しか抱いていない……?」

 

 そう考えるしかない。

 それが、闇の魔法で人の心を知り尽くすシリウス・ディークの結論だった。

 

「……ダメだ。彼を契機にカタリナ・クラエスを切り崩すことはできない。作戦を練り直さないと」

 

 

◇◆◇

 

 

 なお、当のモノ・クラウディオはというと。

 

「ふぅ、生徒会長閣下にカタリナ・クラエスへの恨みを話せて気分がいい。……ククク、待っていろよカタリナ・クラエス。お前の悪行、その全てが清算される日は近いのだからなああああ……!」

 

 『混じりけなしにカタリナ・クラエスに悪の感情しか抱いていない』ため、闇の魔法で増幅するまでもなく怒りと憎しみだけで心がたっぷたぷなので、効果はあったものの実質影響がゼロだけだったりするのだが、誰も気付いていなかった。



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破滅しないのか……? 我が主!

「……あら、お茶が美味しいわ。腕を上げたわね、モノ」

「光栄でございます、奥さま」

 

 クラエス家邸宅。

 夏の陽射しが差し込むテラスにて、優雅な所作で俺の淹れた茶にお褒めの言葉を授けてくださるクラエス公爵夫人、ミリディアナ様。

 面差しこそカタリナ・クラエスの母らしくとても似ているが、その性格は公明正大。なにせあのカタリナ・クラエスに情け容赦なく説教かまして一時的にとはいえしゅんとさせる女傑なのだから、俺としては身命を賭してお仕えするに足る主の一人。

 

 今は魔法学校の夏休み。カタリナ・クラエスとキース様の帰省に合わせて俺とアンさんもクラエス家に戻っている。

 色々とあれこれあった夏休みもそれなりに時が過ぎ、今日は久々にミリディアナ様にお茶の給仕を命じられた。

 魔法学校で生徒会長閣下に教わったコツを駆使して淹れたお茶はお眼鏡に適ったらしく、優しい微笑みとともに称賛していただけた。嬉しい。

 

「うふふ、生徒以外でも魔法学校は学ぶことがあるようね。……ところでモノ、あの子は、カタリナの様子はどうかしら。夏休みはいろいろと宿題も出ると聞いているけれど」

 

 そして、ミリディアナ様はカタリナ・クラエスのことをとても気にしている。

 幼少の頃から暴虐とエゴを煮詰めて固めたような娘を持ってしまったその心労、いかほどであろうか。

 俺はカタリナ・クラエスの破滅を願ってやまないが、それによってミリディアナ様たちクラエス家の方々が心を痛めるだろうことは少し辛い。

 とはいえ、俺がこの胸の底に宿しているのはそれで止まる程度の恨みではない。この魂はすでに修羅の域にあるならば、ただひたすらに進むのみ。

 そう、その言葉に偽りなど一つもなく、たとえどれだけそのお心を痛めるとしても伝えるべきは真実ただ一つ。

 

「は、おそらくカタリナ様は夏休みの宿題に何一つ手を付けておられないかと」

「……おかしいわね、カタリナからは順調に進めていると聞いたのだけれど?」

「恐れながら、奥さま。もし本当にカタリナ様がまじめに宿題に取り組んでいるのであれば、日に三度はキース様に泣きついていなければおかしいかと」

「………………」

 

 カタリナ・クラエスは頭の出来もお察し。学園の授業についていくのすらやっとでひーこらしているのを見たのは一度や二度のことではない。

 俺の答えを聞いたミリディアナ様は、ゆっくりとカップを傾けお茶を飲み干す。

 その後深く息を吸い、天を仰ぐ。

 しばらくして、吸い込んだ全てをため息として吐き出し、席を立つ。

 

「モノ」

「はっ」

「カタリナの部屋へ行くわ」

「お供いたします」

 

 

 その後。

 俺を伴ってカタリナ・クラエスの部屋へ赴いたミリディアナ様は一人で部屋に入り、しばらく。

 何か言い合うような声が聞こえ始め、どたばたと物音がし、そして。

 

「それじゃあお母さま私ちょっと畑の世話がっぐえぇ!? 喉が!?」

「おっと、そのように走っては転んでしまいますよカタリナ様ぁ……?」

「でかしたわモノ!」

「えええええ!? いたの、モノ!? ていうか離して! お母さまが、お母さまが……!」

 

 逃走しようとするカタリナ・クラエスの襟首を引っ掴んでミリディアナ様へと献上することとなりました。

 その後、再び引きずり込まれたカタリナ・クラエスの部屋から響き渡るミリディアナ様の怒声とカタリナ・クラエスの涙声。

 

 ああ、素晴らしい……。

 カタリナ・クラエスの悶え苦しむ声は、俺の心を何より癒す特効薬。

 夏の暑さも消え去り、涼風に撫でられるような心地で青い空を見上げる。

 

 ああ、もうじき夏も終わり、魔法学校が始まる。

 カタリナ・クラエス破滅の時が、着実に近づいてきていた。

 

 

◇◆◇

 

 

「カタリナ・クラエス! 私たちはあなたの罪を糾弾します!」

「……へ、私?」

 

 季節は移り変わり、冬の寒さが着々と歩み寄ってくる今日この頃。

 いやしくも空腹を抱え、待ちきれないとばかりに勇み足で食堂へと踏み入ったカタリナ・クラエスを出迎えたのは、いきなりの罵声だった。

 間抜け面で何が起きたかわからない、という表情を浮かべているが、対する令嬢たちの顔には侮蔑と怒りの色が濃い。

 その手に持った何かの書類を突きつけて、周囲の目を引くように声高らかに謳いあげる。

 

「公爵家に生まれ、ジオルド王子の婚約者としての立場を悪用し、マリア・キャンベルに対して繰り返した嫌がらせの数々……さあ、あなたの罪を数えなさい!」

 

 そして配られるビラ。

 どうやら「カタリナ・クラエスの悪行の数々の証拠」らしい。

 こっそりとのぞき込んでみると、そんなことが書いてあった。

 

 なるほど、これがいわゆる断罪イベントというやつか。

 カタリナ・クラエスの犯した罪の数々を考えればいつ誰がやっても不思議ではない。

 

 

 ――なんて、俺が思うとでも?

 

 

 噂に聞いた、カタリナ・クラエスの破滅。

 それはいくつかのトリガーがあり、断罪イベントもまた重要な過程の一つだ。

 これによってカタリナ・クラエスはついに進退窮まり、「最後の手段」に出るしかなくなる。

 

 

 だがそれは、突きつけられた罪の証が言い逃れようのないものならばの話。

 

 

「なにをしているのです。カタリナが? マリアに嫌がらせを? ……しかも、こんな手の込んだ方法で? 冗談でしょう」

 

 それがジオルド王子を筆頭に、俺ですら一笑に付すような脆い証拠なら意味はないんだよ。

 

 

 ジオルド王子を筆頭に、アラン王子やマリア・キャンベル様達が続々と集まり、「カタリナ・クラエスの悪行の証拠」に対する反証を次々と挙げていく。

 驚くべき杜撰さであったそれらはマリア・キャンベル様本人の否定の言葉もあって、周囲の囁く声も冤罪なのではという空気になり、いたたまれなくなったのか令嬢たちは逃げ出していく。

 カタリナ・クラエス断罪は何かの間違い、として終結することとなったわけだ。

 

 ……妙だな。

 

 

◇◆◇

 

 

「どうもおかしいなことが起きているようですね。カタリナ、しばらくは決して一人で行動しないように」

「えぇ、はい。気を付けます、ジオルド様」

 

 食堂での一件は、カタリナ・クラエスを糾弾した令嬢たちの退散という形で決着がついた。

 その後、カタリナ・クラエスはジオルド王子たちに伴われながら移動している。

 あんなことがあった以上、一人にしておくのは危険というのは筋の通った理屈だろう。

 

 ……しかし、やはりおかしい。

 さっきの一件は一体なんだったんだ。

 雑な証拠で、根も葉もない罪を捏造してカタリナ・クラリスを糾弾する。どう考えても、成功の可能性は低い。低すぎる。そんな方法をわざわざ選ぶ理由が全く分からない。

 しかも、俺は覚えている。それをした令嬢たちは、以前マリア・キャンベル様に詰め寄っていた方々だった。

 

 何もかもが雑に過ぎはしないだろうか。

 まるで一貫性がないというか、「以前マリア・キャンベル様を目の敵にしていた令嬢たちが、その標的をカタリナ・クラエスに変え、雑な証拠で糾弾する」だろうか?

 ……いやまあ、カタリナ・クラエスはカタリナ・クラエスなのでいつ誰から恨みを買ってもおかしくない、いやむしろただ呼吸をしているだけでも人に忌み嫌われるのがカタリナ・クラエスという人間なので、マリア・キャンベル様憎しがカタリナ・クラエス許すまじに変わる事にはなんら不思議はないのだが。

 

 ともあれおかしな話だ。

 例のカタリナ・クラエス糾弾のビラ。

 一見する限りは理路整然としていて信憑性を感じるが、その土台となる悪行の証拠が根も葉もないものばかりだった。

 

 くそっ、俺に聞いてくれればカタリナ・クラエスの悪行なんていくらでも提供したのに!

 ……じゃなかった、いまはそんなおかしなことをした真犯人だ。

 あの令嬢たちが自発的にした行動、とするには怪しいところが多すぎる。

 「何者か」が、カタリナ・クラエスを陥れようとしている。

 

 

 ……余計なことを。

 仮にあの断罪が成功したとしてなんになる?

 カタリナ・クラエスがロクに名前も認識していない程度の相手から糾弾されたとして、それがどれほどのものになるか。

 制裁などせいぜいが退学。恨みつらみを募らせたとしても、公爵家の娘たるカタリナ・クラエスからすれば復讐も容易な程度の家。

 

 

 それで、カタリナ・クラエスが破滅するとでも思っているのか。

 

 光の魔力保持者を、王子をその手にかけんとするという悪逆があってこそ、カタリナ・クラエスは破滅しうる。

 それに届かない程度の小物が余計なことをして、それでなんになる。

 

 ……なんとかしなければならない。

 不心得者が余計なことをして、カタリナ・クラエスを破滅させられないことになったなら。

 

 そのとき、俺は死ぬだろうから。

 

 

◇◆◇

 

 

「……?」

 

 マリア・キャンベルは、違和感を感じた。

 カタリナ・クラエスたちとともに歩む中庭に面した廊下で、ふと視界の隅をよぎる何か。

 思わず顔を向ければ、一瞬。

 木立の向こうにゆらりと立ち上る黒い黒い影が見えた。気がした。

 

「あれは……?」

「マリア? どうしたの?」

 

 足を止めて中庭を見ていたマリアに、カタリナが気付いた。

 

 どうするべきだろう。マリアは逡巡する。

 いま気付いた、あの嫌な予感がする黒い影。

 既に消えている。見間違いだったのかもしれない。

 忘れてしまうのが、いいような。

 

 ……いてもたってもいられなくなるような胸騒ぎがなければ、そう思えただろうに。

 

「いえ、なんでもないです。……ちょっと、調べたいことがあるので皆さんは先に行っておいてください」

「そう、なの……?」

 

 アレだけは、見過ごしてはいけない気がする。

 たとえ、どんな危険が待っていたとしても。

 そしてあの影は、カタリナを糾弾した令嬢たちを包んでいたものときっと同じで、それはマリア以外には見えていないようだった。

 

 だとすれば、自分が何とかするしかない。

 大切な人たちを守るために、マリアはそう覚悟を決めて。

 

 

「じゃあ、モノ。マリアと一緒に行ってあげて」

「承知いたしました」

「えっ」

 

 カタリナの言葉とそれに応じたモノに、少し目を丸くした。

 

「あ、いえその、別に私一人で」

「そう仰らずに、マリア様。……カタリナ様は一度言い出すと聞かない方ですので、ここでマリア様にお断りされたら、私がお叱りを受けることになります。どうか、お供させていただけませんか?」

「そ、そういうことなら……」

 

 そして、中々どうして押しが強いのはカタリナ主従の数多あるよく似たところの一つ。

 そう言われてしまえばマリアとしては断ることもできず、モノを伴ってマリアは影の痕跡を追う。

 中庭の影そのものは消えていたが、残滓のようなものがうっすらと見える。

 どうやら、その気配は校舎の中に続いているようだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「あなたが、カタリナ様を陥れようとしていたのですね……生徒会長」

「――なんのことですか、マリア・キャンベルさん。それに、モノ・クラウディオさんも」

 

 マリア・キャンベル様についてきたら、生徒会室で生徒会長閣下を犯人認定しはじめましたでござる。

 ……え、そういうことなんです? 生徒会長閣下が、カタリナ・クラエス糾弾の黒幕だったんです?

 

 なるほど、そうか。

 道理でカタリナ・クラエス断罪の証拠は雑でもビラの完成度は高かったはずだ。生徒会長閣下の能力ならば、それも妥当なことだと納得できる。

 ……え、生徒会長閣下がカタリナ・クラエスを恨む理由がない?

 何言ってるんですか、カタリナ・クラエスですよ? 息をするだけで全人類から恨みを買うに決まってるじゃないですか。

 

「とぼけないでください。あなたの周りのその黒い影、それはさきほどカタリナ様を責めていた令嬢たちと同じものです」

「……なるほど、光の魔力保持者というのは本当に厄介だな」

 

 どうやらマリア・キャンベル様の指摘は正鵠を射ていたようだ。柔和で穏やかな生徒会長閣下の、雰囲気ががらりと一変する。

 マリア・キャンベル様の言う影なるものは俺にはさっぱり見えないが、どうやら生徒会長閣下が下手人というのは間違いないらしい。

 それも、かの令嬢たちを意のままに操るがごときことまでできるという。

 ……あまり、好き放題に動いていただきたくはないな。

 あの程度の策では、カタリナ・クラエスを破滅させるには足りないのだから。

 

 やはり、マリア・キャンベル様。あなたの存在こそがカタリナ・クラエスの絶望にして、私の希望なのです。

 

「お下がりください、マリア・キャンベル様」

「モノさん!?」

「モノ・クラウディオ……! お前も邪魔をするのか!」

 

 なので、マリア・キャンベル様を庇って前に出る。

 相手は優秀な魔法使いたる生徒会長閣下。しかも、カタリナ・クラエスを破滅させるべく策謀を巡らせ、実力行使もした。下手をすると、殺される。

 そのことを察して心配してくれているのだろう、マリア・キャンベル様が俺の前に出ようとするのを押しとどめる。

 

 すみません、マリア・キャンベル様。

 あなたはすなわち私の希望。あなたがご壮健である限り、カタリナ・クラエス破滅の道は揺るがない。

 そう、たとえ俺が道半ばで死んだとしても。

 

「申し訳ありません、生徒会長閣下。閣下がカタリナ様に手を出すのだけは止めなければならないのです。いかがです? カタリナ様からは手を引く、というのは。色々と思うところもおありでしょうが、カタリナ様が閣下のお邪魔など、しようと思ってもできることではございませんので」

「……きみ、カタリナ・クラエスを守りたいのかけなしたいのかどっちなんだ?」

 

 それはもちろん貶したいです。

 カタリナ・クラエスは徹底的にボコボコにされて欲しいので。

 だがそれとこれとは別の話。

 マリア・キャンベル様の話すところから察するに、生徒会長閣下は少々他とは異なる魔法を使うご様子。

 

 しかし、それだけのこと。

 生徒会長閣下の目的が何かは存じ上げませんが、カタリナ・クラエスを破滅させようというものではないでしょう?

 なら、余計なことをされては困るのですよ。

 間違っても、退学程度で終わられては意味がない。

 

「どうか、お聞き入れいただけませんか? お優しい生徒会長閣下には、こういった陰謀の類は向いていません」

「……うるさい! うるさいうるさい! お前も、マリア・キャンベルも、カタリナ・クラエスも! 僕の邪魔をするものは、皆死ねばいい!」

「っ! いけない、モノさん逃げて!」

 

 そう思って説得を続けていたのだが、なんかキレられました。

 マリア・キャンベル様も焦っているし、魔法などさっぱりわからない俺でもわかるほどの妙な悪寒が吹き寄せて来て、なんか体が動かない上にすさまじい勢いで意識が闇に落ちていく。

 眠気、なんてものではない。強制的に意識を刈り取られるこの感じ、下手をすると二度と目覚めなくなるのではという不安がすごいんですけども。

 

 ……これ、死ぬかもわからんね。

 だがまあ、仕方がない。

 カタリナ・クラエスに仕えている以上、満願成就の時をこの目にする前に命を落とすことも十分あり得た。

 その時が来た、それだけだろう。

 でもきっと大丈夫。マリア・キャンベル様が生きていればそれだけで、カタリナ・クラリスの破滅は決まっているものだから。

 

「生徒会長……閣下、私のことは、いかようにも……。ですがどうか、マリア・キャンベル様だけは、傷つけなさいませぬ……よ、う……」

「モノさん!」

「……お前もだ、マリア・キャンベル。少し眠っていてもらうぞ」

「んんっ!? むー!」

 

 倒れ込む俺の耳に最後に響いたのは、マリア・キャンベル様のくぐもった悲鳴。

 くっ、ダメだ……! せめて、犯人の情報だけでも……!

 

 

◇◆◇

 

 

「まさか、カタリナまでもが被害に遭うなんて……」

 

 学院に割り当てられた生徒の私室。

 その一室でカタリナ・クラエスは眠りについていた。

 

 マリア・キャンベルの失踪から四日後、そしてカタリナ・クラエスが中庭で昏睡状態に陥っているのを発見されてから今日まで二日、一度も目覚めずに眠り続けている。

 部屋に集うのはジオルド王子を筆頭にしたカタリナ・クラエスの友人一同。

 マリア・キャンベルが失踪してから、カタリナと共に捜索を続けていたが、その中でもたらされたカタリナ・クラエス昏睡の悲報。

 何かが起きている、そのことは間違いがない。

 だがむざむざとカタリナまでもその毒牙にかけさせてしまったことは悔やんでも悔やみきれない。それぞれきっかけは違えど、カタリナは大切な友であり希望。

 それが奪われかねない今は、己を傷つけられるよりも辛い。

 

 まして、救えるはずだったのであればなおのこと。

 

「まさか、モノが残したあのメッセージがカタリナの危機を知らせるものだったとはな……」

「……姉さんと同じ状態ということは、きっと同じ犯人にやられたのでしょう。次に狙われるのは姉さんだと、教えてくれていたのに……!」

 

 カタリナの従者、モノ・クラウディオ。

 カタリナに先立つこと二日、すなわちマリア・キャンベル失踪の日に意識を失った状態で道端に倒れているのが発見された。

 今のカタリナと同じ状態。同じ犯人の手にかかった、ということだ。

 

 その時何が起きたかは不明ながら、モノの手の下、床面にはモノ自身が自分の指先を噛み千切って出したと思しき血で文字が書かれていた。

 

 『カタリナ・クラエス』。

 その名が意味するところが一体何なのか、意味が分かったのはカタリナが同じように意識を失った状態で発見されてからだった。

 

「モノさん……ちょっと警戒しなきゃと思ってましたが、本当はこんなにもカタリナ様のことを思って……!」

「犯人を捕まえるよりもカタリナ様を守って欲しいと願っていたのですね。それなのに、私たちは何もできなくて……」

 

 メアリもソフィアも涙をこらえ、声を震わせて無力感に打ちひしがれる。

 きっと、モノもまた自分たちに負けないくらいカタリナのことを思い、守ろうとしていたというのにその意思を託された自分たちは何もできなかった。そのことが悔しくてならない。

 

 

 ――なお、当のモノ本人は「それも全部カタリナ・クラエスってやつの仕業なんだ」という意図で書いただけであり、こんな風にカタリナを救うためにしたことだ、と聞かされたら精神が崩壊して死んでいたため、昏睡状態にあったからこそ一命を取り留めたと言える。

 

 

「ですが、これで一つだけはっきりしました。……カタリナたちを襲った人物は、闇の魔力を持っています」

「闇の、魔力……」

 

 しかも、この事態を引き起こしたものが闇の魔力を持っていることが、モノとカタリナの症状から間違いないと言える。

 どれほど高名な医師の診察でも「異常なし」という結論に達し、それでいていつまでも目覚めない。

 まだ眠り続けて二日のカタリナは顔色が悪くなる程度だが、モノはすでにやせこけ始めている。

 このままの状態が続けば、そう遠くないうちに命を落とすことになるのは確実。

 なんとしても犯人を見つけ出して、マリアと、カタリナと、そしてモノを救わなければならない。

 一行は、そう決意を新たにした。

 

 

◇◆◇

 

 

「というわけで、生徒会長! こんなことはもうやめてください!」

「いや、なんでお前たちは目覚めた!? 死ぬまで眠り続けるようにしたはずなのに!」

「え……なんとなく? そういえば、すごく懐かしい感じのする夢を見たような」

「気合でございます、生徒会長閣下」

「闇の魔力って一体……!」

 

 魔法学校内にある、ディーク家所有施設の地下にて、生徒会長閣下は追い詰められていた。

 暗く、湿気の鬱陶しい室内。

 常の穏やかな様相をかなぐり捨て、マリア・キャンベル様諸共俺を襲おうとしたときのような表情を浮かべて叫ぶ。

 

 俺が目覚めたのはつい先ほど。

 ものすごくイヤなことにカタリナ・クラエスとほぼ同時であったという。

 そうなるまでは1週間近く眠り続けていたらしいが、なにか夢を見たような、見なかったような……。

 

 いや、そんなことはいい。

 目を覚ましたカタリナ・クラエスの言葉で生徒会長閣下の居所が分かり、こうして俺を含めた一同で押し掛けてきた、というわけだ。

 

「お前たち、僕が何をしたかわかっていないのか!? お前たちを殺そうとしたんだぞ!」

「えー、そうですか? もし本当に私を殺そうと思うのなら、眠らせたりなんてしないと思うんですけど」

「仮に、殺そうとしていたとしてなんだというのです。邪悪とは相手の尊厳を踏みにじることを言うのです。殺すなど、それに比べればどうということもありません」

「ええそうよね、モノ!」

 

 くそっ、めっちゃカタリナ・クラエスを睨みながら言ってるのに全く察する気配がねえ! お前のことを言ってるんだよちくしょう!

 これだからカタリナ・クラエスは!

 

 なんか生徒会長閣下はディーク家で何があったかなどなど話してくれているが、まあそれはそれ。

 カタリナ・クラエス並みの邪悪の存在が語られたが、それってジオルド王子たちならなんとかしてくださるのではなかろうか。

 

 ……シリウス様。どうか、自暴自棄にならないで。

 あなたが受けた苦痛と怒り、俺は痛いほどにわかります。

 今のあなたは追い詰められている。ですが、それで終わってはいけない。

 そうなる原因を作った邪悪外道のディーク夫人に報いを受けさせねばなりません。

 そのためなら、私を殺そうとしたなど些細な事。カタリナ・クラエスの命を狙ったのはむしろ最高にグッジョブ。マリア・キャンベル様を攫ったのは少々よろしくないですが、その罪は十分償えるもの。

 

「まあ、私はその辺よくわからないです。でも……」

「ですから、どうかお手を。あなたのために、私は……」

 

『傍にいます』

 

「……っ!!」

 

 

 

 

うわっ、カタリナ・クラエスとハモっちゃったよ屈辱!

 

 

◇◆◇

 

 

 結論として。

 シリウス・ディーク改めラファエル・ウォルト様は己の行いを認め、役人に全てを証言した。

 その証言をもとにディーク侯爵夫人の罪は明らかとなり、罪に問われ、報いを受けた。

 カタリナもマリアも事件の被害者として丁重に扱われ、学業その他においても不利に扱われることはなかった。

 

 少しの騒動と療養の末、生徒会長が不在のまま学園生活は元の姿を取り戻していく。

 

 

 そして、卒業式の日が訪れる。

 

 

◇◆◇

 

 

 魔法学校中庭。

 色々なパーティーが開かれるためにあるその場が、今日はひときわ華やかだった。

 盛大な飾りつけ、豪華な料理、美しく着飾る令嬢たち。

 そしてあちこちで花開く、卒業を祝う言葉の数々。

 

 卒業パーティーに儀礼的な堅苦しさはなく、在校生が卒業生へ花束を贈る様が散見される。

 カタリナ・クラエスは不作法にも野菜を集めた野菜束なる珍妙な代物を贈ろうとしていたので、俺がこっそり花束にすり替えておいたが、あの女は気付かず持っていったらしい。そのまま普通に花束を渡すがよいわ。

 俺はカタリナ・クラエスの嫌がることなら金を払ってでもやりますが、他の人が嫌がることは基本的にしたくないのです。

 

 さてそんな俺ですが、クラエス家付きとはいえ魔法学校にいる使用人ということで給仕やらパーティー出席者のお世話やらに駆り出されています。まあよくあることなのでそれはいい。

 ……それに、今の俺にとってはまさしく役得。

 卒業式が催されるということは、すなわち乙女ゲームFORTUNE LOVERのエンディングの時。

 

 そう、ついについにカタリナ・クラエスが破滅を迎える、その時だ。

 

 さあ、どんな結末だ?

 マリア・キャンベル様が誰かと結ばれて幸せになるのを妬むのか?

 それで激高して襲い掛かり、返り討ちに会うことになるのか?

 フフフ、その時お前がどれほどの絶望を味わうのか今から楽しみで仕方ない。

 断末魔の声は天上の音楽として、長く俺の耳を楽しませてくれることだろう。

 

 さあ、いまか? まだか? 早く、早く……!

 

 

 そうやって、待ちきれない思いでいた俺はさりげなくマリア・キャンベル様の動向をうかがって。

 ノコノコとマリア・キャンベル様に寄って行ったカタリナ・クラエスが「誰か好きな人はいないか」と聞くという墓穴を掘ったのを耳にして勝利を確信し。

 

 

「私は、カタリナ様をお慕いしています」

 

 

 

 

「………………………………………………え?」

 

 

◇◆◇

 

 

「ハァっ……ハァっ……はっ!?」

 

 心臓が暴れているな、と他人事のように思った。

 薄暗い林の中。魔法学校の一角、カタリナ・クラエスがこっそりと、と当人は思いながら作っているが実際は広く知られている畑の近く。

 木の幹にもたれかかるようにして、胸の苦しさを荒い息で吐きだしている自分を、その時初めて自覚した。

 

「バカな……そんなバカな……!?」

 

 そうなった理由は、わかっている。

 マリア・キャンベル様の発した言葉のせいだ。

 

 「カタリナ・クラエスを慕う」。

 それは、俺という人間にとって何をどうしても出てこない発想。

 邪悪の象徴を善なるものと認識するという、あってはならないパラダイムシフト。

 それが、よりにもよってマリア・キャンベル様の口から出てきた。

 

 この世界に、俺の味方はいないのか。

 カタリナ・クラエスという闇に閉ざされた俺の未来を救ってくれるはずだったマリア・キャンベル様ですら、ああなった。

 

 なら、俺が、カタリナ・クラエスから解放される方法なんて、もう……。

 

 

 そのとき。

 

「モノ、大丈夫?」

「カタリナ、様……」

 

 ノコノコと、一人で、カタリナ・クラエスが現れた。

 

「なんだか様子がおかしかったから、心配になってきてみたんだけど……具合でも悪いの? アンを呼んできましょうか?」

「……いえ、お気になさらず」

 

 

 ……今、だろうか。

 チャンスは。

 

 そんな考えが脳裏をよぎった。

 

 今ここは、卒業パーティーの会場から離れている。誰かに見られる可能性はほとんどない。

 マリア・キャンベル様ですらカタリナ・クラエスを破滅させられないのなら、それができるのはただ一人、俺だけなのでは……?

 

 パーティー用のドレスに身を包んだカタリナ・クラエスは、たとえいまだに木に登れば野猿並とはいえ、その身体能力を発揮できるものではない。

 やるなら、今しか、ないのでは。

 

「そうなの? まあでも、こっちへいらっしゃい。そんなところにうずくまっていてもお腹が空くだけよ?」

 

 この期に及んで意地汚いことを言いながら、手を差し出してくるカタリナ・クラエス。

 

 その手を、取ってしまえばいい。

 そのまま引きずり倒し、片手で掴めそうな細い喉を締めればいい。

 暗く、静かな林の淵。誰が気付くこともなく、マリア・キャンベル様に慕われているという望外の喜びに浸って油断に油断を重ねている、今なら……。

 

 俺の人生にとって、カタリナ・クラエスの排除は絶対の条件。

 カタリナ・クラエスがいずれ破滅する、と思っていればこそ生きて来れた。

 だがそうならないのなら、もう生きてはいけない。

 

 カタリナ・クラエスか、俺か。

 生きていられるのはどちらか一人。そしてカタリナ・クラエスがのうのうと生き残るくらいなら。

 

 いっそ、このまま道連れに。

 

 

「カタリナ!」

「っ!?」

「あら、ジオルド王子」

 

 そう決断するのがあと数秒早ければ、死ぬのは俺だけだっただろう。

 

 息を切らせて駆け付けたのは、ジオルド王子。

 犯人であったラファエル様は自首したとはいえ、迂闊に一人で行動して覚めない眠りに陥った前科持ちのカタリナ・クラエスを心配しただろうジオルド王子にもしカタリナ・クラエスの命を狙っている様を目撃されていれば、そのまま言い訳の余地なく斬り捨てられていたとしても不思議はないのだから。

 

「姿が見えなかったので心配しました。あまり、一人で出歩かないでください」

「もう、心配性ですねえジオルド王子。それに、一人じゃないですよ。モノも一緒ですから」

「モノ、ですか……」

 

 

 ――そのとき、ジオルド王子が俺に向けた、目。

 

「カタリナ様! こんなところに! 私を置いていかないでください!」

「ごっふ!? メ、メアリ? そんなタックルみたいに抱き着いてこなくても、私はどこにもいかないわよ」

「そうですよね? ……行くとしたら、他の誰でもない私とですよね」

 

 ――ジオルド王子の時以上の勢いで現れたメアリ様がこっそりと、カタリナ・クラエスにすら聞こえないような小声でつぶやいた言葉。

 

 

 ……もしかすると、俺は何かを間違えていたのではないだろうか。

 アラン王子やマリア様たち、続々と駆け付ける皆さまが口々にカタリナ・クラエスへの心配の言葉をかけるのを見て、俺の中で何かが繋がろうとしていた。

 

 

 俺はきっと、甘く見過ぎていたのだ。

 マリア・キャンベル様の慈愛の心を。

 ジオルド王子の優しさを。

 

 電流が走ったような思いだった。

 

 前提となる認識を、改めなければならない時が来た。

 

 

 カタリナ・クラエスは。

 カタリナ・クラエスは……!

 

 

 カタリナ・クラエスは、「逆ハーレムの中で破滅する」のでは……?

 

 先ほどの卒業パーティーと今の様子。

 マリア・キャンベル様の迎えた結末は攻略対象を全て攻略したいわゆるハーレムルートか、あるいは積極的に攻略を行わなかった場合の友情ルートとなったのだろう。

 その方向性や程度に差はあれど、みんな仲良くめでたしめでたし。そういう終わり方だ。

 

 

 「いま、この瞬間」だけは、の話だ。

 

 ここはFORTUNE LOVERの世界。

 だからこそマリア・キャンベル様を中心に世界が動き、カタリナ・クラエスは悪鬼羅刹の女。

 しかし、俺たちは今ここに生きている。

 

 ハッピーエンドのその先が、ある。

 いつまでも、「みんな仲良くめでたしめでたし」でいられるか?

 カタリナ・クラエスが、それだけで我慢ができるか……?

 

 無理だ、と断言しよう。そんな慎ましさがあるのならば、こうして俺の恨みなど買いはしない。

 

 

「……そうなのですね」

「モノ? どうかした?」

「いえ、ご心配なく。……ところでアラン王子、先日お届けした野菜はいかがでしたか? 『カタリナ様から』お送りするよう伝えられた、あの、野菜」

「えっ」

「……アラン?」

「な、なんだよ。モノが言う通り、普通に野菜をもらっただけだぞ!? なんでそんな目で見る!? ……ああ、でもあの野菜は、美味かったぞ」

「それはよかったです、アラン様」

 

 嬉しそうに、能天気に笑うカタリナ・クラエス。

 少し頬を赤くして、そっぽを向いて頬をかくまんざらでもなさそうなアラン王子。

 

 ……やはり、か。

 イケる。人がいればそこに生じるのは友情か、愛情か、はたまた嫉妬か憎悪か憤怒か罪か。

 今の軽い揺さぶり程度でも、ジオルド王子とキース様はすかさず反応し、メアリ様はすごい目付きでアラン王子を見ている。

 

 この世に永遠はあるかもしれない。

 だが、人間関係の中にそれは、決して、ない。

 

 つまり、諦めるのはまだ早い。

 カタリナ・クラエスを痴情の縺れで破滅させるという、可能性がまだ残っている……!

 

 かつてカタリナ・クラエスによって味あわされた絶望。

 それに報いを受けさせるそのためならば、たとえどんなに細い希望であってもしがみついて見せよう。

 

 なあに、心配はいらない。

 「あの」カタリナ・クラエスなのだ。たとえ今は不思議と大人しくしていても、すぐに化けの皮が剥がれること請け合い。

 俺はこれからも誠心誠意仕えることで、カタリナ・クラエスのエゴを増長させ、それによって破滅させる。そのための努力、一欠片として惜しまないことを、今ここに改めて誓おう。

 

 

「皆さま、カタリナ様と仲良くしてくださって本当にありがとうございます。『これからも、カタリナ様のことをよろしくお願いします』」

 

 俺は先ほどまでの絶望を振り払い、いつも通りの笑顔で皆さまに感謝と願いを述べる。

 そう、これが再びの第一歩。

 俺は二度と挫けはしない。

 

 カタリナ・クラエスの顔が破滅に歪み、全てを失うその日まで……!

 

「ええ、もちろん。カタリナの婚約者として、大切にしますよ」

「いやいや、姉さんは王子の婚約者には向いてませんから。僕がしっかりと面倒を見ますよハハハ」

「カタリナ様ぁ、そろそろパーティー会場に戻りましょう? 実はさっき、カタリナ様が好きそうなお菓子が追加されたんです」

 

 この世界に祝福を。

 全ての人々に幸運を。

 

 そこからただ一人零れ落ちよ、カタリナ・クラエス。

 

「カタリナ様」

「なあに、モノ?」

 

 ああ、その日が楽しみだ。

 今日開けるつもりだったワインは、さらにもうしばらくの時を要してさらなる芳醇を迎えることだろう。

 

 

「これからも、誠心誠意お仕えさせていただきます」

「ありがとう、モノ。あなたが一緒にいてくれると、私もすごく嬉しいわ!」

 

 その間抜けな笑顔が絶望に崩れるその時を、最高の味わいで迎えるために……!

 

 

 その日その時、今日という日の幸せこそが終わりの始まりだったと気付くがいい!

 

 

◇◆◇

 

 

 なお、「その時」を迎えることがあるとして。

 

「……なんでしょう、モノがまた一層カタリナへの忠誠心を抱えたような」

「モノは僕以上に姉さんとの付き合いが長いからなあ……」

「ただでさえアラン様も自覚し始めたというのに、モノさんまで……!?」

 

 

 カタリナ・クラエス破滅の最有力候補たちから最大のライバルになりうる存在と見なされていることを、モノ・クラウディオは知らない。

 

 

◇◆◇

 

 

 カタリナ・クラエスは、魔法学校において「慈悲の聖女」とすら呼ばれる少女。

 己の未来に待つ破滅を回避し、これからの未来に希望を抱いて生きる。

 

 モノ・クラウディオは、時に身命を賭してすらカタリナ・クラエスに仕える忠義の男。

 かつての恨みを忘れず、カタリナ・クラエスの破滅に繋がるとなぜか信じて疑わずに仕え続けるその果てに待つものを、ほの暗い希望とともに待ちわびる。

 

 

 その様が、まさしく理想的な主従の姿に見えること。

 ジオルド王子たちカタリナ・クラエスを想う面々から「真っ先に排除しなければならない最大の強敵はモノ・クラウディオかもしれない」という確信を強められていることを、2人は相変わらず考えもしなかった。

 

 これまでも、そしてきっと、これからも。

 

 

 たとえこの先、カタリナ・クラエスにさらなる破滅の可能性があったとしても。



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