クルツシリーズ (あらほしねこ)
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猫まっしぐら

 俺の名前は、トマスン・クルツ。元はコムガードのメック技術士官だった。だった、というのは、整備大隊本部付け技術将校として、整備隊におけるメックのメンテナンスやチューニングなどの現場主任のようなものを任されていた。しかし、今は訳あって、ノヴァキャット氏族のボンズマンとしてこき使われる毎日だ。

 どうしてそうなったかなどと聞かないで欲しい、要するに、ノヴァキャットの連中が、俺達のいた野戦整備大隊本部に、本当にいきなりなだれ込んできた結果がこのザマなのだから。

 そして、俺は連中の捕虜となることとなり、こんな野蛮人共にとっ捕まった以上、股ぐらから脳天まで串刺しにされても仕方ないと覚悟を決めていた。けれども、やつらは俺を殺そうとはせず、逆に、氏族のために働くなら、命を助けてやってもいいと言ってきた。

 俺は、その話に一も二もなく飛びついた。ああ、そうさ。誇り高きメック戦士のお歴々とは違い、俺はただの技術屋だ。軍にいるのだって、いわゆる『わけあり』って奴だしな。まあ、なんて言うか。こういっちゃ悪いが、コムガードに対して貫き通さなけりゃならない義理なんてものは、あまりない。そんなもののために、見栄を張ってわざわざ殺されるつもりもない。

 で、ボンズマンってなにかって?いい質問だな、まあ、平たく言えば、戦争奴隷のこったよ。

 

 とりあえず、俺は機械いじりさえできれば、それで幸せという人間だ。確か、こういう俺のようなタイプの人間を、地球圏の古代言語で『オタク』とか言ったような気がする。まあ、そんなことはどうでもいいことだ。

 まあ、なんやかんやとあったが、ノヴァキャット氏族における社会での、ボンズマンとしての生活もなかなか悪くないものだとは思う。もちろん、それで氏族連中のイメージが改められたわけではないし、万事が万事納得できているわけでもない。

 そもそもからして、初めのころは、連中の価値観やら倫理観やら、聞きしに勝るそのデタラメぶりに、今までの常識というか価値観がAC20の直撃を受けたスティンガーのように粉々に吹っ飛んだ。

 『トゥルーボーン』とか言う、金魚鉢の親玉のような水槽の中で生まれた連中がやたら幅をきかし、そうでない連中は『人っ腹生まれ』と言われ、妙に粗末な扱いを受けている。

 中心領域の感覚からすりゃ、普通どんなに能力が高かろうがなんだろうが、人工物で生成された生命体は、クローン体とかそんな認識どまりだ。にもかかわらず、名の通った戦士階級の遺伝子で作り上げられたということで、ある意味、その戦士の再来として扱われているらしいが、だからといってそれで納得できるかと言うと微妙なもんだ。

 親父はホームラン王だったのに、息子の方はバットどころか、箸にも棒にも引っかからないような奴はごまんといる。競走馬だって、牝馬牡馬共に血統的に申し分ナシなのに、ろくすっぽ勝てもしないまま食肉センター送りなんて話も、かわいそうとは思うけれど、これもまたよくある話だ。

 おっと、これはあくまでもオフレコだ。間違っても誰にも言わないでほしい。それが、たとえ、お人形を抱っこしたお嬢ちゃんや、ポーリーとかいう変なオウムになりきって、往来を駆けずり回っているジャリ達でもだ。

 やつらは骨の髄まで氏族そのものだ、まだ歯も生えそろわないうちから、氏族の何たるやを叩き込まれて育てられている連中だ。下手を打てば、冗談抜きで物理的に首が飛びかねない。氏族連中に対して、ブラッドネームとやらを持った戦士をコケにするということは、即、死を意味することと同義だからだ。

 ともあれ、最初も言ったが、ここの暮らしも最初に思っていたよりそこそこ快適だ。ノヴァキャット氏族という連中が、他の氏族に比べれば割と温厚かつおおらかな気風を持っているというのが大きいが、俺の持っている技術や知識も、それなりに高く買ってもらえている、ということもあるかもしれない。

 流石に、新型メックの設計・開発を、とか言われても『冗談ではない』としか言えないが、C整備から野戦応急処置は当たり前として、旧式メックの近代化改修や機体の延命処置なんかの施工は俺が一番得意にしているものだ。

 俺が見て思うに、氏族人ほど物を無駄に扱わない連中はいない。メックひとつ取ってしても、中心領域だとどうしようもないポンコツ扱いされて、スクラップ工場か戦争博物館送りになるようなメックであっても、エンジンさえ動けばとにかくレストアして使おうとする。いや、動こうが動くまいが、メックの形をしていれば意地でもレストアを試みる。そうなると、もはや信念とかそういうものを突き抜けて、ある意味執念さえ感じる。

 この連中なら、たとえ手に入れたものがマッキーだったとしても、こいつらは喜んで修理して実戦に参加させかねない。

 オムニメックとか言う、攻守走そろった、それだけでもいい加減うんざりするような強さを持つ上に、手足や武器の交換がコンセントの差し替え並みに簡単と言う、ある意味反則技じみたメックがあるというのに、中心領域から捕獲したメック達も、彼らの技術を注ぎ込まれ、オリジナルとはまったく別物の強力な機体に作り変えちまうから怖い。しかし、そんなメックでも、ここじゃあくまでも二線級の戦力だっていうから恐れ入る。

 と、まあそんなわけで、氏族連中にとって、メックのサルベージやレストア技術に長けた人材は一人でも欲しいとこらしい。そして、俺はこの頭の中に納まっている、単なるレストアだけでなく、それに加えてプラスアルファできる技能を持っていたって事で、それなりの扱いを受けられるというわけだ。

 ああ、そうそう。

 おしゃべりに夢中になっていて、つい忘れるところだった。今日は、明後日の戦いに備え、ノヴァキャットのシャーマンによる、神託の儀があるんだ。

 今夜下される神託に備え、俺はボンズマン仲間と一緒に、工程表の確認や資材倉庫の在庫を確かめにカーゴを走らせた。今日のうちに準備を整えておかないと、明日になって大慌てすることになる。いや、大慌てするくらいならいいが、下手をすればとんだとばっちりを食らいかねない。いくらノヴァキャット氏族が、他の氏族連中に比べて変わり者、もとい気のいい連中とは言え、そこは腐っても氏族。殴る時は殴るし、蹴る時は蹴る。調子に乗り過ぎた悪ガキ共じゃあるまいし、この年になってからもわざわざ痛い目にあいたいとは思わない。

 そのことは、ほかの仲間も重々承知しているらしく、メンテナンスハンガーの中は、さながら戦場で大破したメックを緊急修理するかのような大騒ぎになる。

 なに?話が見えない?まあ、そう慌てないでくれ、明日になればすぐにわかる。俺があれこれ説明するよりも、実際にそれを見てもらったほうがいい。そっちの方がなんとなく楽しいだろ。もったいぶるな?まあ、そう言うなよ。

 さっきも少し話したが、ノヴァキャット氏族はいまどき珍しいくらい、神という存在を熱狂的なまでに崇め奉る性質がある。いや、神というのは妥当ではないかもしれない。連中の崇める神というのは、氏族にまつわる守護獣というか、氏族流に言えばトーテムとか言うらしいが、アミニズムテイスト大炸裂のなんともカルトな性格を持っている。

 そして、そのノヴァキャットってのは、ノヴァキャット氏族が本拠地としている、惑星ダグダに棲息する哺乳類型生物で、見た目は真っ黒な豹なんだかライオンなんだか良くわからない生き物で、猫か?と言われれば、まあ、猫だ。

 それはともかく、ノヴァキャット氏族の連中によれば、ノヴァキャットは未来を視ることができる霊獣めいた存在であるとか、なんとかかんとか。そして、それを崇め奉ることで、あのとてつもなく怪しい猫の力を授かろうとしているフシが見受けられる。

 それで、幻覚もとい予言視(ヴィジョン)を視た上で、その意味を読み取り神託とする狂人もとい神官が視法師と言われており、軍民問わず重要な存在、ということになるそうな。

とは言っても、俺のいたコムスターでも、

『技術は至宝』

 とか言う、平たく言えば、

『この荒んだ世界では、科学技術こそが一番尊いものなのです。だから、みんなで科学を信奉し敬いましょう。科学技術によって守護されている私達は、この世でもっとも恵まれ愛された、幸福な民なのです』

 などと言う、それこそ肩に耳がくっつきそうなくらい首を傾げたくなるような教義を本気で信仰しているから、まあ、あまり人のことは言えない。もっとも、そんなことを態度にでもだそうものなら、退職金が爆弾かレーザービームになったりするから、それこそ言えた義理なんかじゃないってのは、良くわかってるつもりだ。

 だいたい、科学や信仰で腹がふくれるなら世話はない。きょうび、腹いっぱい食えて、着るもの寝る場所に困らないという商売は、軍隊以外しかない。それらなら、五大王家各軍よりも、装備や待遇で恵まれて、なによりむやみやたらにドンパチやらかさないコムガードが一番だと思ったのだが、まさか、氏族とか言う訳のわからん連中と正面切って戦うことになるとは、あの時はさすがに思ってもみなかった。

 とりあえず、俺の益体もない感想はともかく、お互い、信仰心が篤いということは、それはそれで結構なことだと思う。

 それはともかく、神託の儀で視法師の口から介されて伝えられる啓示は、どんな法律よりも強力な力を持っている。そう、神託がカラスは白いのだと言えば、カラスはあくまでも白い鳥であり、チョコレートバーをシチューに入れて食えと言えば、その通りにしなければならない。まあ、もっともそんなバカな神託が下ることはないが、それでも、まったく無いと言い切れないところが怖い。

 さて、今夜はいったいどんな御神託が下るのやら。

 

 ベースボールと、フットボールと、そしてサッカーが同時にできて、それでもまだスペースが余るくらいに広い祭禮場では、その中央に楼閣とも見まごうばかりのやぐらが組まれている。しかもそれが惜しげもなく火を放たれて、凄まじい火炎を巻き上げながら、辺り一面を真昼のように照らし出している。

 そして、火炎の塔を取り囲むかのように、数機のメックがそれを囲み、まるで人間さながらの動きで、一心不乱に踊り狂っている。

 メックが踊る。踊る。踊る。

 両舷のマニュピレーターを交互に激しく振り上げ、中腰の姿勢でやや内股気味になったランディングレッグは、腰の動きと連動して、妙にコケティッシュな動きを繰り出している。その滑らかな動作は、自慢じゃないが俺のチームの仕事がかなり貢献した。

 新型・旧型問わず、メックのチューニングでまず手をつけるのは足回りや機体の反応速度、つまりは駆動系が定番だ。パワーユニットや武装の強化ってのも、まあそれはそれでありだが、熟練搭乗員ほど、まずは機体を思い通りにストレスなく動かすことから求める。出力や武装の強化は、その後からついてくるおまけみたいなもんだ。

 となれば、氏族製のメックってやつは、オムニ、あるいは俺達がⅡCと呼ぶバリアント・タイプ問わず、大体が攻守走そろったバケモン揃いだ。これでさらに駆動系の稼働効率が上がると来れば、『エンジンそのままで、スピード・燃費30パーセントアップ!!』とか言う、モーターショップのチューニング広告みたいなコピーが、誇張なしにぴったりはまる。

 というわけで、整備隊ごとボンズマンになった俺達の班は、いわゆる『入社試験』とばかりに、気合を入れてクラスターに所属するメック全機にこれらの改修を施した。

 ちなみに、クラスターってのは、中心領域の基準で言えば大隊に相当する。30機以上ものメックすべてに、チューンとオーバーホールをして見せた訳だが、確かに手間暇かかるわ、睡眠不足で天井に小人の行列が見えるわと散々な目にもあったが、おかげでそれなりのお釣りも返ってきた。

 骨身を惜しまずクラスターのために貢献したということで、俺達の班は身分のわりに評価も上がり、なおかつ俺の手首にまかれているボンズコードは、『忠誠』・『知略』・『闘魂』の三本のうち、『忠誠』のコードが切られている。

 俺は別に戦士志望じゃないんだが、俺のマスター、早い話が俺を捕虜にした張本人。氏族流にいえばボンズホルダーって言うんだが、とにかく、彼は他の連中が2本のコードなのに、俺には3本も巻きつけて下さりやがった訳だ。

 さっきも話したと思うが、俺がツカイードで捕虜になる原因となった、氏族軍の奇襲。というか、あれは多分強行偵察か何かだったのだろうとは思うが。あの時は、まったく突然に襲撃され、野戦ハンガーやトレーラーに積み込んだままのメック、そしてメックから降りていたパイロットがかなりお陀仏にされた。

 その時、俺は無我夢中で手近にあった無傷のブラックナイトに飛び乗り、性能に物を言わせて軽量級を3機ほど叩き潰してやったまでは良かったが、最後に残っていたマッドキャット、ここじゃティンバーウルフって言うそうだが、とにかくそいつに足を蹴り折られた。

 氏族は格闘戦がド下手クソと聞いていたから、ロングブレード・ハチェットで飛びかかっていった訳なんだが、3機も潰したことで調子に乗っていたせいもあって不覚を取ることになり、そのままティンバーのパイロットに捕虜にされた。

 そのティンバーのパイロットが、件のマスターって訳なんだが。何事にも必ず例外と言うものがあるということと、技術屋にメック戦士の真似事は無理だと言う事を思い知らせてくれた。

 それでも、マスターが言うには、氏族においては、メック戦闘で相手を撃破すれば、メック戦士としての資格が認められるのだという。マスターは、最初俺がメック戦士などではなく、技術士官であったことに驚きを隠そうとしなかった。軽量級とは言え、歴戦のメック戦士が乗ったメック3機を、戦士でもない技術者が撃破したということは、それだけで十分驚きと賞賛に値する、ってことなんだそうだ。

 とは言え、オリジナルまんまとはいかないが、それにかなり近いバージョンのブラックナイトの性能に助けられた、ってのが本当のとこだ。それに、悪質な運命の悪戯としか言えないが、氏族軍の整備兵として仕事で直に関わるようになった後からわかったことだが、氏族連中のメック、軽量級とは言えとんでもない火力を持った代物であったわけで、こんなのを相手にしてよくもまあ無事でいられたものだとゾッとした。

 まあ、ちとばかし昔話が過ぎたみたいだな。ともかく、そういったややこしい事情があるわけなんだが、とりあえずノヴァキャットに対する忠誠心は問題なし、と認められたってことさね。

 それはそうとして、メックが機体をくねらせ、両手を交互に振り上げながら一心不乱に踊り狂っているさまは、かなり面妖というか愉快というか、どうにもえもいわれぬ気分になる。

 何かが違う、俺はメックにモンキーダンスをさせるために、あの時自律神経をブッ壊す一歩手前まで連勤したわけじゃないんだけどな。まあ、いいさ。俺は、言われた仕事をきちんとするだけさ。そうすりゃ、明日も無事に、何事もなく、朝飯を食うことができるんだ。

 味がわかるかどうかは別にして

 

 クラスター総員をあげての奉納の儀も終わり、いよいよ神託が下される時がやってきた。ノヴァキャット氏族の組織構造の根幹を象徴する、神託の聖場。神殿というには小さいが、祠というには少し大きい。と言った具合に、時代を感じさせる古めかしい建物が、見上げるような高台の上にその姿を見せている。

 そして、そこから見おろすような形となる広場には、ノヴァキャットの戦士達と、その外周を城壁のように取り囲むメック達が、敬虔な使徒のごとく、整然と、そして厳かに参列し、耳鳴りのしそうな静寂が周囲を包む。

 そして、視法師付きの戦士が高台から見下ろす位置に立ち、その鋭い眼光で周囲を睥睨する。そして、彼は腰に差した刀を引き抜くと、それを天に掲げるように振り上げ、高らかに宣言した。

「御神託である!」

 周囲の静寂を切り裂くように、堂々たる声が空気を振動させる。その瞬間、目には見えない緊張感がその場を凍結させ、さっきまでのバカ騒ぎもとい狂乱が嘘のように空気が張り詰める。そして、俺たちボンズマン達が控えさせられている場所にも、身を打つような緊迫した空気が駆け抜けた。そして、いよいよ、ノヴァキャットの視法師がその姿を現した。

 痛い、いつ見ても、あの格好だけは反則だ。

 俺は、3日ぶりに姿を現したシャーマンの姿に、心の中で深いため息をつく。ローブというには、どこかひらひらとしたフリルを思わせるような衣に、これまたなぜか、エプロンを思わせる飾り布。グローブのような手袋に、妙にモコモコしたブーツ。そして、頭には、どこか猫の耳を思わせるような、これもまた、やはり白い帽子。そして、極めつけは、腰の後ろでゆらゆらと揺れている、猫の尻尾のような装飾具。

 それだけでもめまいがしそうな出で立ちであるのに、これがまた俺のお袋様とそう変わらない年格好の、50過ぎたオバチャンだから、めまいを通り越して気が狂いそうになる。

 テックの中で最も古株で、俺達が『おやっさん』と呼ぶ氏族人の整備部隊長の話だと、若い頃はたいそう美人、というか愛らしい系の女性だったらしい。そして、あの装束は昔から変わっていないらしい。だが、人には年齢に応じた服装があるはずだ。

 もし、俺のお袋様があんな格好で公衆の面前に出ようものなら、俺は役所に住民票手続きをした上で、よその衛星都市に引っ越す。

「皆の衆、神託を伝えるだぎゃ!」

 さあきた、今度は何を言い出すつもりだ?メック戦士達のヘルメット全員分に、猫耳カチューシャを取り付けることか?確か、トーテムの姿を身にまとえ、ってことだったが、それは先月だったな。なら、一週間、部隊の糧食はすべてキャットフードか?トーテムの力の源をその身に受けよってことだったが、あれは先週の話だ。おかげで、今でもまだ添加栄養成分のおかげで、髪がつやつや言って仕方ない。

 だいたい、ノヴァキャットってのは、首筋にヤマアラシのような毒針を何本も生やした、かなり剣呑なナリをしている奴だ。そんなのが、飼い猫じゃあるまいし猫缶なんぞ食うわけあるまいに。

 どうにもこうにも、視法師ってのは、その過酷な精神修行のため、本当に思考回路がショートして、文字通り電波障害を引き起こす奴もいると聞いたが、あのオバチャンもその口なんだろうか。

 だいたい、彼女の神託は、ここ最近実効性に欠ける意味のないものが多い。可哀想と言うか、本当に頭が可哀想なことになっているんだろう。まあ、言っちゃ悪いが、もうそんなに長くは持たないかもわからんね。

 それはそうと、件の元美少女視法師が、自分の見た幻覚、と言うか予言視を高らかに叫んでいる・・・が。

「未来は導き啓かれただぎゃあ!『汝、メックを桃色に染め、力の証たる角を戴くべし。さればこそ、常勝の加護あらん!そは三倍の速さと、三倍の力をもって、三倍の敵に打ち勝つであろう』と!大いなる意思に、畏敬と信仰の極みを!」

『大いなる意思に、畏敬と信仰の極みを!』

 ピンク!?メックを!?・・・これまた、なかなかいいカンジにガンギマっておりますわな。

 その予想すらしなかった言葉に、俺はあの視法師の精神崩壊を今こそ確信した。今までにも、戦いに備えてメックの色を塗り変えろといった神託は、過去にも何度かあった。それでも、白一色とか、真っ黒にするとか、あるいは、祭禮的な紋様を機体に施せとか、だいたいそんな感じのものだった。

 だが、しかし、ピンクとは一体何事か。戦場のど真ん中で、そんなバカなナリをしていたら、悪目立ちする上に遠距離射撃のいい的になる。

『今日のラッキーカラーはピンク』

 とはいっても、ものには限度ってのがある。

 なに?別にお前が乗って戦うわけじゃないからいいだろうって?おいおい、バカ言ってんじゃないぞ。これで連中がボロ負けした日には、

『おみゃー達が、心を込めて塗らんかったから、こういうことになったんだぎゃあ!』

 と、俺たち哀れなボンズマン及びテックは、言いがかりじみた叱責を受けて、どんな懲罰を食らうかもわかったもんじゃない。

 ちなみに、氏族のカーストでは、技術者階級は、戦士、科学者、技術者、商人、労働者、5段階評価の3番目。だがしかし、ひとつ付け加えれば、ボンズマンはそのどこにも属していない。早い話が列外階級だ、となれば、責任はみんな俺達に殺到してくる。

 そうなれば、結果は火を見るより明らかだし、俺たちがどんな目にあわされるかは、想像する必要さえない。

 本当に、勘弁してくれ。

 

 話によると、俺達のいる部隊が退治しにいくのは、海賊まがいのはぐれ者連中だそうだ。はぐれ者とは言っても、元軍人の脱柵者なんて当たり前、ものによっちゃ、部隊ごと海賊にジョブチェンジしたような連中も珍しくはない。そんな、ある意味正規軍並みの装備を持っているクセに、行動原理は無駄にプリミティブ。という、本当にどうしようもない連中だ。

 とはいえど、ゲリラに毛の生えたような連中ごときにうちのメック戦士たちがどうこうされるとは思わないが、問題はあの宣伝広告塔もかくやという機体のカラーリングだ。あれはどう見ても、アンブッシュに向いているとは思えない。

 しかし、今さらどうこう言っても始まらない。ピンクに塗れと言うならそうするしかない。俺達は、昨日までに在庫整理し直しておいた倉庫に整備隊総出で出向くと、これでもかというくらい詰め込まれているペンキの缶を、その荷台に積めるだけ積むという作業を何度も繰り返す。そして、整備隊資料庫から、百科事典並みに分厚い、それこそ枕にも使えそうなカラーチャート表をひっぱりだしてきた。

 ただ何も考えずにピンクに塗ればいいってもんじゃない。光沢か、半光沢か、つや消か。それだけじゃない、明度、彩度、ソリッドにするか、それとも蛍光か、メタリックか、はてまたパールか。およそ、軍用機に施すとは思えないような色味を、実戦部隊、整備部隊、その他関係各所の責任者が、それこそ真剣になってどれがより神託の趣旨により合致するものであるか、ということをピンクのカラーチャートサンプルを片手に、真剣な表情で激論の応酬をしているもんだから、その様子は見ていておかしいを通り越して、こっちの頭がおかしくなりそうだ。

 それはさておき、他の班の連中は、フォークリフトを使って、次々とコンテナを搬入している。っていうか、ベンチレーターも十分に作動していないうちから、ハンガーの中で缶を開けたバカは誰だ。揮発した溶剤の匂いで息が詰まりそうだ。 

 整備隊は、班をふたつに分けて、取り外した外装にリペイントを施す班と、機体整備を行う班とに分けて作業を行うことにした。だってそうだろう、とにかく見かけがまともじゃないなら、それをカバーして余るくらいに機体のポテンシャルを上げるしかない。

 そして、俺は機体整備の班の担当を受け持ち、およそ考えられる限りの、ありとあらゆる箇所の総点検を行い、機体のすみずみまでメンテナンスの手を入れた。早い話が、予定にない緊急のC整備だ。とにかくばらせる箇所はすべてばらし、少しでも怪しいと思ったり、精度があやふやと思った部品は容赦なく交換した。

 もともとそういった作業は、月間の予定表の中に組み込んで、余裕を持って行うのが常識だが、そんな理屈が通用する状況じゃない。とにかく、整備隊はこれから再び中心領域勢力相手に戦争をおっぱじめるかのような騒ぎでフル稼働し、特に、俺を含む、ボンズマンの技術者達は、それこそ気力と体力を総動員して整備にあたった。

 そして、作業の手が空いたものから順に、ウェスとコンパウンドを持って表面仕上げの手伝いに走っていく。お願いだからどうか笑わないで欲しい、こう見えても俺達は必死なんだ。

 ともあれ、そういった努力が実を結び、部隊の全てのメックは、艶っつやに光り輝くキャンディピンクに仕上げられたのみならず、新品同様の機体精度を与えられた、いろんな意味でスペシャルバージョンといっても差し支えないものになった。

 ああ、そうとも。もう俺たちの知識と技術でできることは、全部やりつくした。これで駄目だってんなら、その時はどんな罰でも受けてやるとも。いや、そうならないことに越したことはないけど。

 そして、いよいよと言うか、とうとう出撃の日を向かえてしまった。部隊の居残り組に見送られて、戦場に向かうドロップシップに積み込まれていくピンク色の巨人達を、俺や他のボンズマン達は、祈るような気持ちでその姿を見守っていた。

 お願いだから、あの半分だけでもいいから、なんとか帰ってきてください、と。

 

 頭が痛い、飲みすぎた。いや、飲まされたといったほうがいいか。

凱旋の宴で、俺たちの部隊は盛大な、なんて陳腐な表現じゃ表せないほどのどんちゃん騒ぎになった。神託の的中とかで、もともと神がかった性質を持っているノヴァキャットの連中は、圧倒的な勝利に文字通り狂喜乱舞した。

 そう、圧倒的に勝利したのだ。

 良くてイーブン、下手を打てば全滅を覚悟していた俺は、身辺整理も完全に済ませて来るべき裁決を待っていた。しかし、いざふたを開けてみれば、味方の損害ゼロ。それどころか、今回の作戦で遭遇した海賊共すべてを完全に殲滅したそうだ。

 出撃したメックはすべて帰還し、小破したメックまで捕獲して帰ってくるという、絵に描いたような大勝利。俺のボンズマスターが言うには、最低限の維持管理しかされていなかったゲリラのメックに対して、フルスペックを引き出して暴れまくったクランメック達の前に、海賊連中はいいように翻弄され、容赦なく一方的に撃破されていったそうだ。

 いやいやいや、ちょっとまて。

 それって別に、機体の色がどうとかあまり関係がないんじゃないのか?俺は、ガンガン痛む頭を抱えながら、ベッドの上で頭を抱えた。

 結局、ろくな整備や補給もなく、いい加減ガタが来始めていたポンコツメック相手に、完全メンテナンスを施し、さらにフルチューンまでしたメックが、その圧倒的な性能差で勝利したことになる。つまり、メックをピンクにしようが、まっ黄色にしようが、まったく関係ないことではないか。

 いや、待てよ。

 俺は、はたとあることに気づいて腕を解いた。

 もしかしたら、あの神託は、そうなるように組み立てられたものではないのか。そう、つまり、非常識な機体色を提示し、それによって、整備班員の不安をあおって機体のコンディションを完璧なものにするための。

 ただ、聞いたところによると、色味も全く関係ないわけではなかったらしい。基地のエプロンから連行されていく捕虜連中を見かける機会があったが、沈痛な面持ちで歩くやつがいて、まあ、これはわかる。しかし、その中の何人かは、

“ふざけんな、あんなのありか”

 とか

“このカルト共”

 とか、口々に好き勝手喚いていた。

 連中に食事を運んでやったボンズマン仲間の言うことには、連中、ピンクで統一されたメックの集団を見て、なんか得体の知れない何かが来たと思ったそうな。そして、そこは氏族。ただでさえ中心領域の常識が通用しない所に、あんな正気を疑うナリのまま、獰猛に襲い掛かってきたのだから、怪しいことこの上ない人喰い部隊かなんかと思ったとかなんとか。

 まあ、気持ちはわかるし、そう思っても無理はない。連中の驚きと衝撃に比べたら、俺たちの苦労なんてまだ事情を知っている分まだかわいい方だ。そして、あのオバチャンも、視法師としての面目を十二分に躍如させたと言っていい。

 言ってることは訳わかんないけど、突き詰めて考えれば、ちゃんと意味がある。

 ここにきて最初のころ、そうボンズマスターが俺に言って聞かせたことがある。ならば、あのトチ狂った神託も、その中にそういった意味が隠されていたのかもしれない。

 ああもう、なにがなにやら。

 あれこれと止め処もなくあふれ出してくる思考に、俺はさらに悪酔いの頭痛が悪化してくるのを感じて、思わずうめき声を上げた。もういい、とにかく、結果はすべてオーライだったのだ。何も心配することなどない、また明日も変わりなく朝飯を食いにいける。

 それと、戦勝祝いとして配られた、ノヴァキャット名物ウイロープディングは、明日食うことにしよう。どうせ、今食っても味なんてわからない。

 今日は、もう寝よう。



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探し物はなんですか

 外界から閉ざされた狭隘な空間。平滑で何の飾り気もない壁に、四方を囲まれた祈祷の間。その突き当たりにあたる壁面に据えられた、殺風景な空間の中でただひとつ浮いた存在感を放つ護摩壇。

 煌々と燃え上がる炎を前に、漆黒に染め抜かれた絹糸のような、しなやかな長髪が乱れ散るのも構わず、ひとりの視法師がその艶やかな前髪が焦げんばかりに炎に相対し、ただひたすらに精神を集中する。

 白磁のようにきめ細かく、そして、曇りひとつ、しわひとつない瑞々しいその顔に、幾筋もの汗の粒を走らせながらも、紅蓮の炎に炙られ、染め上げられるだけの彫像のように微動だにしない若き女視法師は、やがてその印を結んでいた手の片方を、極めて慎重に、かつ滑らかに懐へと差し入れる。

 そして、懐中から引き出したその手には、一発の弾丸が握られていた。ただの弾丸ではない、メックや装甲車両に搭載されるヘヴィマシンガンの徹甲弾頭。

 その、もはや砲弾と言うべきものであろう弾丸を握り締め、彼女は文字通り、祈りを込めるように差し頂いたあと、それをゆっくりと火中に投じた。

 

「駄ァ目だぎゃあぁぁ―――――――――っっ!!」

 血を吐くような、慟哭とも断末魔とも聞こえる絶叫に、祈祷の間の外で待機していたメック戦士は、全てを理解したかのように、極めて迅速に祈祷の間へと滑り込んだ。

「見えん!見えん見えん見えん見えん!にゃーんも見えんだぎゃ――――――っっ!!」

 彼は、祈祷の間の中を所狭しと転げ回り、悶絶するようにのた打ち回っている、自らの姉でもある若き視法師の姿を見て、半ば覚悟していた事態とは言え、その恥も外聞も、そして、およそ人間として備わっているはずの、ありとあらゆるものをかなぐり捨てたかのような奇態を繰り広げている光景に、思わず肩の力を落とす。

 それでも、決して周囲の祭具や物にあたるような真似をしないだけ、大したものだと思いながらも。

「うちはもう駄目だぎゃあ!もう、にゃーんも見えんようなってもうただぎゃあ!」

「落ち着け!落ち着くんだ!」

「これでもうなにもかもおしまいだぎゃあ!うちはあのババアどもに、人っ腹うまれの戦士崩れとか言い叩かれるんだぎゃあ!おしまいだぎゃあ、なにもかもおしまいだぎゃあああっっ!!」

「落ち着くんだ!」

 弟は、熱湯を浴びせかけられた猫のごとく取り乱しまくる姉のみぞおちに、容赦のない鉄拳を全力でめり込ませる。少々荒っぽいのだが、メック戦士としても鍛えた彼女に、生半可な制止は通用しないのだから仕方ない。

 とにもかくにも、心を鬼に変えた弟の試みは功を奏し、彼女は糸の切れた人形のように、くてりと崩れ落ちると、弟の腕に支えられながら、うわごとのように、ぶつぶつと聞き取れない声で何かをうめき続けていた。

 

「そう言われてもな・・・」

「そこを曲げて頼みたい、クルツ。俺のように、戦う事しか知らない人間では、もはやどう対処していいのか、わからない」

「うむぅ・・・」

 俺は、目の前で真剣な表情を浮かべている若いメック戦士を前に、どうにも困った状況になったのを悟る。彼は、俺のマスターが指揮しているバイナリー・・・ああ、バイナリーってのは一個中隊にあたるもんだが、そこの所属のメック戦士で、確か彼の姉が、この間急病で倒れた視法師の後釜に推されたと聞いている。

 っていうか、あのオバチャン、やっぱ駄目だったか。まあ、薄々は感じていたけど、いざそうなってみると、気の毒としか言いようがない。クラスターを勝利に導いたピンクの予言、あれが、燃え尽きる蝋燭の最後の炎だった、ってわけだ。まあ、それはともかくとして、だ。

 なんでも、彼の姉は、視法師の資格として必要不可欠である能力であるところの、いわゆる予言視(ヴィジョン)が視えるのだそうだ。であるから、これはまたとない逸材の予感。ということで、試しに審査をしてみたところ、資格十分という結果が出たらしい。

 他の連中は、フリーボーンだからどうとか、崇高な精神がどうとか、あれこれ不満を口にするものもいたようだが、氏族の世界では結果がすべてだ。よって、結果を出した彼女に対して、これ以上の不平不満や陰口は、それこそ不服の神判とかいう、早い話が決闘騒ぎに直結する。

 俺にはよく理解できないが、ここの社会じゃ命よりも、名誉のほうが重いらしい。いや、確かに、中心領域でも個人の名誉を貶めるのはタブーであるし、場合によっては犯罪行為とみなされる場合もある。しかし、相手の命をどうこうとまでいった、流血騒ぎに発展するのは滅多にない。そんな真似をしたら、今度は名誉毀損されたほうが犯罪者になる。

 それはともかく、彼の姉は、その予言視が見えるという能力を行使することができた。だからこそ、後継として指名されてしまったのだが、それが却って彼女を苦境に陥れている。

 まあ、中心領域で予言が見えるとか何とか言っていたら、それは単に頭の可哀そうな奴扱いされて終わりだが、ここでは、それらの能力は格別の意味を持つということは、俺自身、ここ最近の生活で十分理解するに至っている。

 もっとも、そのせいで無駄に振り回されたり、途方にくれたことは一度や二度では済まないのだが、まあ、それはこの際どうでもいいことだ。

 とは言え、今ここで俺に相談を持ちかけてきたこの男、氏族の人間にしてはずいぶん珍しい種類だと思う。俺の知っている限り、氏族の連中というのは、家族のつながりというのを、まったくといっていいほど重視しない。

 なんて言うのか、お互い同士を一個の人間、というふうにしか捉えていないふしがある。いや、個人の尊重なんてお綺麗なもんじゃ決してない。自分で見たり聞いたりした話をまとめてみると、自身の腹を痛めて生んだ子供ですら、『養育の義務がある存在』でしかないんじゃないかとさえ思えるようなフシがある。

 なに?お前の偏見じゃないかって?まあ、それも一概に否定はしない。けれども、子供番組でさえ、仲間同士の連帯と団結をうたいつつも、友愛とかそういったものを話に織り込んでいるものを、一本たりとて見たことがない。っていうか、そもそも番組のレパートリー自体、そんなに多いって訳じゃあないんだが。

 たとえば、氏族社会での子供番組。小さな子供と、一部の大きなお友達に大人気である『スパニエル氏族の冒険』なる番組を、たまたま目にする機会があったのだが、申し訳ないが、中心領域育ちの俺の感覚では、思わず首をひねりたくなるような代物だった。

 確かに子供向けの番組ではあるのに、そこはかとなく感じる殺伐とした雰囲気と、見終わったあとのなんともいえない後味の悪さは、こんなものが中心領域で放送されたら、まあ、そんなに長くは続かないだろう。

早い話が、

『よい子は、お父さんお母さんの事を気にしません』

『知らない人が困っていたら、まず疑いましょう』

『約束を破ったお友達は許しません』

 などといった、確かにこう生きられたら、葛藤も悩みも少なくて生きやすそうではあるわな。と、思ってしまう、ある意味痛快な出来栄えの作品ではある。こういうものを見て育ったら、どんな大人になるかは、ローカストでアトラスに正面切って立ち向かうぐらい、結果は歴然としている。要するに、中心領域の言い方で言えば、

『ロクな大人にならない』

ということだ。

「どうした、クルツ」

「ん?ああ、いや、なんでもない。考えをまとめていた」

「そうか、手間をかけさせて済まない」

 俺のごまかしにも、彼は律儀に小さく頭を下げた。それはそうとこのメック戦士、あの特徴的なノヴァキャット訛りがない。もっとも、あのミャーミャーギャーギャー猫が鳴いているようなイントネーションの訛り丸出しでしゃべるのは、戦士階級以外の人間に多い。

 彼のように、まるで何かを宣言するかのような、はっきりと区切った通る声で話すのは、氏族のメック戦士である連中の矜持のようなものだ。戦士階級以外の人間は、まあ、はっきりしゃべることはしゃべるが、訛りを無理して押し込めることは、あまりないようだ。

 もっとも、本人達自身は、きちんとした言葉で話しているつもりらしいが、いかんせん200年近く中心領域を離れ、独自の文化を形成していた過程で、ある程度の訛りが生じてしまったことに気付いていないのはご愛嬌だ。

 まあ、連中らしいと言や連中らしいが。

 ともあれ、戦士階級の連中の話し口は、時と場合によってはかなり高圧的に聞こえることもしばしばだが、彼の場合、状況も状況なので、むしろ、却って誠実な印象を受ける。まあ、それこそどうでもいいことだ。いい加減、本題に戻ろう。

 ついでに、俺もいい加減、ボンズマンの分際でメック戦士とタメで口をきいているが、彼自身が、あまり些細なことにこだわらないという性格をしているから、俺も普通にしゃべらせてもらっている。そうでもなければ、恐れ多くもメック戦士様々にこんな口の利き方をした瞬間、頭蓋骨をビスケットのようにカチ割られても文句は言えない。

 とりあえず、それはそれとして、ずいぶん厄介な話になったようだ。話を聞けば、彼の姉は、今回初めて予言を受けることを任されたのだが、こんな肝心な時になって、なぜか予言視がさっぱり見えなくなったそうなのだ。

 見えないなら見えないで、荷が重いという旨をオースマスターに伝えればいいのだろうが、事はそんなに単純なものでもない。

『やっぱりできません』

『はいそうですか』

 で物事が片付けば、この世の中のストレスは半分に減る。

 しかも、彼女の任された仕事にかかわる事態というのが、これまた重大な案件であるという。ノヴァキャット氏族は、イレースとか言う星系の領有権を争い、現在もドラコ連合の急進的な一部勢力と小競り合いを繰り返している真っ最中なのだが、今回、ドラコの艦隊が、ノヴァキャットの支配宙域の第一次警戒ラインの周辺をうろついているらしい。

 あまつさえ、DMZギリギリのラインに駐屯を始め、停戦協定を根拠としたノヴァキャット側の抗議にも一切貸す耳無しときている。

 俺としちゃ、氏族が口で済ましているうちに辞めといた方がいいと思うんだがね。

 まあ、俺のどうでもいい私見はともかく、この部隊にどう対処するかであるが、外交や貿易なら話も違ってくるんだろうが、どこをどう見ても明らかな示威行為である以上、まあ、間違ってもこの艦隊とそれに付随する部隊の侵入を許すわけにはいかないだろう。

 それで、例のごとく戦の前の景気付けにひと予言、ということなのだが、それを任された本人が、初仕事のストレスだか緊張だかなんかでえらいことになってる。というのが、今回の話のキモってわけさね。

「知ってのとおり、俺達姉弟はフリーボーンだ。お前も知っているとは思うが、戦士階級、いや、氏族という世界の中で、連中が言う『人っ腹うまれ』がどんな扱いを受けているかは知っているだろう」

「ああ」

「だから、俺も姉も、連中に負けないため、できる以上の修練をした。そして、その甲斐あって、俺はメック戦士に、そして、姉は視法師としての地位を得た」

「ああ」

「だが、姉は視法師でもあり、メック戦士でもある。そして、キャニスターうまれの連中から受けた屈辱も忘れていない。姉はいつでも完璧であろうとしていた」

「ああ」

 彼は、そこで言葉を切ると、しばらく迷うように口を閉じたが、ややあって、思い切るように言葉を吐き出した。

「俺は、皆のように、姉をただ俺より先に生まれた人間と割り切ることはできない」

「ん?」

「姉は、幼いころから、俺の為に、陽になり陰になり支え導いてくれた。今の俺があるのは、姉の助けがあってこそだ」

 俺は、初めて聞いた彼の意外な言葉に、一瞬思考が停止した。まさか、氏族の人間から、こういった人並みの言葉を聞くとは思っていなかった。

 なんだか、話がずいぶん重くなったようだが、自分以外の人間はすべて他人。と思っているような氏族の人間から、血族を思う言葉を聞くのは、かなりの非常事態だ。うん?馬鹿にしている?なに言ってるんだ、俺は何一つ大げさに言ってない。

 考えても見てくれ、子供のころから、友情と団結の代わりに、闘争と勝利をすりこまれて大きくなったような連中だ。自分以外の人間なんて、自分が生き残るか、あるいは成功するために必要な存在としか見ていない。だから、必要な時には協力もするが、逆に平気で見殺しにしたりもする。

 けれども、今はそんなことは置いておく。実際問題、彼の言葉は本心から出たものと判断して、俺もそろそろ真剣に考えてみることにする。今回の問題は、視法師である彼の姉が、予言視を見れなくなった事すなわち、予言ができなくなったということだ。

 それは、料理人が味覚を失うことと同義であり、自分自身の存在意義を完全に喪失することを意味する。力の在処を見失った絶望と、期待に応えられない重圧。それらの感情は、こんな俺でも察して余りあるものがある。

「わかった、だがその前に、俺のマスターに許可を申請させてくれ。俺の身分では、勝手に動くのは何かとまずいし、示しというものもあるはずだから」

「了解した」

 さてさて、そうは言ったものの、どうしましょうかね。

 

 あの後、マスターは俺の申し出にあっさりと了承をあたえた。そして、承諾を取り付けた以上は、とにもかくにも行動することとなった。そして、まず手始めに取り掛かったのは、自暴自棄になった彼の姉が、資材廃棄場に放り捨ててしまったという、ポーチとヴィナーの捜索という、のっけから絶望的な仕事だった。

 言いだしっぺの立場で言うのもなんだが、氏族連中が諦めて捨てるというのは、正真正銘使い物にならないガラクタだ。であるからして、氏族が言うところの廃棄場と言うのは、中心領域のそれみたいに、

『あっ、これまだ使えるかも』

 なんてものは何一つ落ちちゃいない。原型を留めるどころか、やもすれば異次元から飛来したとしか思えないような異様な物体が、捨てられた怨念とも呪詛ともつかない威圧感を放ちまくっていて、言うなれば『ラブクラフトランド』といった趣だ。正直、用がなければ絶対近づきたくない。

 しかし、事態が事態だけにそうも言っていられない。何かと紙一重な前衛芸術家が泥酔状態で作り上げたような、どうにも形容できない異形のジャングルの中へ、俺達ふたりはマグライト片手に踏み込んだ。

 もっとも、これは思っていたより簡単に片付いた。手分けして探した所、俺の目の前に、廃材の角に引っかかっているポーチを発見した。一応、彼にも確認してもらったが、間違いなく彼の姉のものだと断定できた。

 そして、問題はヴィナーの方だ。まあ、ヴィナーってのは、氏族の言葉で、戦利品コレクションってやつだ。そして、彼の姉が集めていたのは、機銃の弾ということだった。もっとも、それはすでに砲弾と言った方がいいレベルの大きさから、小銃サイズのものまでいろいろだったが、それらも、ポーチの引っかかっていた場所の周辺に、いくつか転がっているのを見つけ、ふたりで探し出せるだけのものを拾い集め、元通りポーチの中にしまっておいた。

「どうだ、クルツ?」

「ああ、この辺は隅まで探したよ。でも、隙間に落ちたかもしれないやつは、どうにもならないな・・・」

「それはやむを得ん、諦めよう」

「いいのか?」

「ああ」

 最初は、なんでまたこんな物騒なものを集めているのか。と思いもしたが、彼から聞くところによれば、姉が今まで撃破したメックや戦闘車両から一発ずつ頂戴してきたものなんだそうな。それならなおさら、全部見つけてやりたいと思うが、光源がマグライトしかないという、まさに真っ暗闇。

 下手にガラクタをどかそうとすれば、もしそれが崩れ落ちてきたら、俺たちは素直に生き埋めになるしかないだろうから、彼の割り切った判断は有り難い。

「さて、そろそろ戻ろう。消灯時間はとっくに過ぎている、警邏隊に見つかったら面倒だ」

「わかった」

 確かに彼の言う通りだ、暗闇の中、お互いの健闘をたたえながら帰路に着こうと踵を返した瞬間、俺たちはほぼ同時に息を呑んだ。

「・・・おい、あれって」

「・・・まずいな」

 マグライトの光の中、ぼんやり浮かぶ黒い影。ガラクタの山の上で、うずくまるようにしてこちらをうかがっている、一匹の黒い獣。

 そいつの正体に思い至る寸前で、闇夜を引き裂くような唸り声とも咆哮ともつかない声と同時に、そいつの全身が爆発した超新星のように逆立った。

「逃げろ!」

 彼の鋭い声と同時に、俺は一も二もなく駆け出していた。

 

 さて、最初はかなり無謀に思えたもんだが、トーテムであるノヴァキャットの御加護だかなんだか、ことのほかすんなりと話が進んだのは祝着至極だ。もっとも、その直後、どこから紛れ込んできたのか、本物のノヴァキャットが現れ、相当腹を空かせていたらしいトーテム様に、夜通し追い駆け回される羽目になったのはご愛敬だ。

 よく無事に逃げ帰ってこれたってか。まあ、マグライトのトンファーアタッチメントと、それを使いこなした彼の戦闘能力のおかげだとだけ言っとくよ。

 ともあれ、なんとかノヴァキャットの追撃から逃れた俺達は、全身傷だらけのままで、彼の姉の元に赴き説得を始めることと相成った。

 あえて必要最低限の手当てをしたままで、彼女の前に出ようというのは、一応俺のアイデアだ。満身創痍になりつつも、それでも真摯に説得する姿を見せれば、どんなに頑なな心も揺らぐだろうという、まあ、言ってみれば、

『俺達はこれほどまでに、貴女を応援したい』

 と言う、まあ、多少姑息な手段ではあるが、たとえ精神状態が普通でないもしれないとはいえ、人の言葉を解するなら、多少は情に響くかもしれない、といった助平心があったのは否定しない。そして、それは功を奏したらしく、彼女は、もう一度頑張ってみると約束してくれた。

 なに?それはずるくないかって?まあ、それは否定はしないよ。でもな?一応、ファーストエイドキットの解毒剤を飲んだとはいっても、それでもかなり強烈なノヴァキャットの毒毛にやられたダメージのせいで、俺たちふたりはすぐさま病院に担ぎ込まれたんだ。こちとら、曲がりなりにも体を張ってやってるんだよ?

 まったく、人助けも楽じゃない。

 

 再び祈祷の間に戻ることを決意した彼女は、以前とは別人のような、穏やかな表情で護摩壇に焚かれた炎の前に座る。その顔には、もはや迷いも焦りもない。

 先日、弟とその友人が、全身に傷を負いながら現れたときは、さすがに何事かと心底驚いた。そして、さらに驚いたことには、自分が投げ捨てたはずのポーチと、その中身を持っていたことだった。

 そして、彼らは、自分にポーチを差し出すと、しばらく何かを訴えかけるような様子を見せていたが、まるで陸に放り出された魚のように、ただ必死に口をパクパクさせているだけで、言葉らしい言葉など聞き取ることはできなかった。

 そして、数分後、彼らは突然表情を青褪めさせて、全身を細かく痙攣させると、その場に崩れ落ちたまま泡を吹き始めた。その症状から、即座にノヴァキャットの毒毛にやられたものと理解し、すぐさま病院に搬送して事なきを得た。

 なぜ彼らがノヴァキャットに襲われたのか、まあだいたい見当はつかなくもないが、それでも、かなりの危険をおかしてまでも、ポーチを探しに出たことは紛れもない事実だ。

 ならば応えよう、その勇敢にして真摯なる精神に対して。

 彼女の心は、もはや迷いや雑念のすべてを振り払い、磨き上げられた鏡のように、厳冬の森林にたゆたう湖のように澄み切っていく。そして、ヴィナーである、一発の弾丸を取り出し、それを静かに炎の中にくべる。

 さあ、わが魂を導き給え。

 彼女の全身全霊の祈りに応えるかのように、燃え盛る炎の中の弾丸は、真紅に染まり、輝きを増していく。

 我に、光を!

 祈りが頂点に達した瞬間だった、炎の中で深紅の輝きを放っていた弾丸は、雷鳴のごとき轟音と共に、閃光を放って炸裂した。

 

 凄まじい破裂音と同時に、祈祷の間に続くドアが、爆煙とともに物凄い勢いで紙のように吹き飛ぶ。体ひとつ分前に出ていれば、間違いなく爆風に巻き込まれていただろう彼は、予想外の衝撃映像に一瞬呆然としながらも、すぐさま、その中にいたはずの姉を思い出し、黒煙が渦巻く祠の中に駆け込もうとした時だった。

「見ぃえたぁだぎゃあああああっっ!!」

 突然、煙の中から、弾丸のように飛び出してきた彼女は、全身煤焦げたボロボロの姿で出現すると、炯炯と輝く瞳に狂喜の色をみなぎらせながら、弟の胸倉に掴みかかるように突進してきた。

「・・・け、怪我は!?一体なにが・・・!?」

 さすがに狼狽の色を浮かべている弟には委細かまわず、彼女は派手に手鼻をかんで、鼻腔に詰まった鼻血を豪快に吹き飛ばすと、すぐさまバルカン砲のように口火を切り始めた。

「そんなことはどーでもええだぎゃ!見えただぎゃ!すぐにオースマスターに伝えるだぎゃあ!!」

 この世にまたと無いと言って良いほどの白皙の美貌が、煤と流血にまみれながらも、彼女はなにかに取り憑かれたかのように、額から流れる血と鼻血を撒き散らし、奇声じみた歓喜の声を上げながら、これ以上ないくらいの喜びようで飛び跳ねまわっていた。

 

「皆の衆!ご神託を伝えるだぎゃ!」

 衣服はズタズタに引き裂かれ、流血がその焼け焦げた姿を染め上げている。その、まるでラグナロクを戦い抜いたヴァルキリーの如く、満身創痍となって現れた彼女の姿とその言葉に、祭禮の広場は、いつもと違ったどよめきがあふれかえる。

 無理もない、俺も含めて、みんながあの爆発を見ているのだ。普通に考えれば、まず助からないと思うだろう。俺自身、まさか、彼女が自決を選ぶまでに追い込んでしまったかと、一瞬腹の底まで凍りついたくらいだった。

「未来は導き啓かれただぎゃあ!『精悍なるノヴァキャットは、あらゆる光をさえぎる煙の中も、その歩みを止めることはなし。研ぎ澄まされた感覚、巧みなる身のこなしにより、ノヴァキャットは、煙に潜む龍をその毒毛で穿ち屠る』と!大いなる意思に、畏敬と信仰の極みを!」

『大いなる意思に、畏敬と信仰の極みを!』

 前後の突発事案はともあれ、待ちに待っていた神託が告げられたことに、今日ここに集まっていた連中は、沸き起こるような歓声をあげて、神託をたたえる言葉を合唱する。そんな様子を眺めながら、俺はどうにもしつこい油汚れのような不安を拭いきれないでいた。なんていうか、いたってまともな内容だけに、裏がありそうで余計に心配なんだよ。

 それにしても、まさかあの中に徹甲榴弾が混じっていたとは。だから言わんこっちゃない、と思う所もあるにはあったが、それでも、今回こうして結果オーライな状況を導き出しているのだ。それはそれということで、まあ、ありなのかもしれない。

 

 その日、早速行われた整備隊のミーティングは、いきなり壁にぶつかった。なにしろ、あんなまともな予言が降りることなど、実に久方ぶりであるため、逆にどう対処していいかわからない。まだ、この間の時のように、非常識な色で塗りたくれと具体的に言われたほうが、まだわかりやすい。

 結局、俺達整備班は、あの予言の内容を、メック・ノヴァキャットの搭載センサーの強化。という形に解釈した。そうと決まれば、さっそく作業に取り掛かる。なにしろ事態は一刻を争う。神託が遅れたために、それだけ残された時間も少ない。

 索敵用センサーだけでなく、環境センサー類も元から十分な性能の物が搭載されてはいたが、さらにその機能を強化するため、外部拡張端末を増設してみた。センサー類はこれでいいとして、予言の中にあった、『毒毛』というワードだが、これは、もしかしてミサイルか何かのことを言っているのだろうか。

 しかし、全員が同じ連想をしたらしく、両腕のER-PPCとラージレーザーを取り外し、代わりに、LRMランチャーに換装した。そして、ペイロードに余裕があったから、SRMランチャーも搭載することにした。

 センサーの感度、出力とも良好。コクピットブロックがある頭部に直接増設したから、伝達速度も十分な出来合いだし、火器管制システムとのリンクも誤差の発生率はコンマ以下だ。

 火器の換装も問題なく行えたが、若干トップヘビーになったため、急遽、腰部にバランススタビライザーを取り付けた。これで、重量バランスも解消され、実弾兵器のみで固めたとはいえ、十分な活躍が期待できる機体に仕上げることができた。

 毎度こういうことがあるたびに思うが、もしかしたら、中心領域、そして氏族を含めて、フォーミュラーレーサーのピットクルー並みに整備できる技術屋は、俺達くらいなものではないか。という、根拠のない自信がわいてくる。まあ、実際のところ、オムニメックだからできる芸当なんだが。

 指揮官やエース専用機のメック・ノヴァキャットは当然としても、実質上クラスターの主戦機であるシャドウホークやライフルマンは特に改装はしていない。しかし、強力なATM6を装備しているシャドウホークはノヴァキャットと随走しアシストも十分にこなしてくれるはずだし、ライフルマンにしても、敵の射程距離外から余裕をもって支援が出来る力がある。だから、俺達はリソースの大部分をノヴァキャットに振り分けることにした。

 かなり思い切った割り切り方で作業を進めたわけだが、光学兵器類がないとしても、これだけハリネズミのようにミサイルを搭載していれば、たとえ相手が重量級や強襲型を持ち出してこようと、連続多段ヒットの弾幕を持ってすれば、決して戦場で引けを取ることはないはずだ。

 むしろ、熱暴走でオーバーハングし、その場にみっともなくうずくまってしまうという稀によくある不具合が起こらないだけ上等というものだ。それに、今回は前の時と違い、損害が出たとしても、それはパイロットの技量にある。それだけでも、十分に気が楽というものだ。

 そして、ドライバーのマッチングも問題なし、システム、ハード共に正常に認識し、稼働していることを確認し終えた時は、俺達だけでなく、氏族出身の整備隊員達も、機体調整が無事済んだことを素直に喜び合った。

 はずだった。

 その場にいた全員が、ハンガーに立ち並ぶノヴァキャットを見て、微妙な表情を浮かべている。もちろん、俺もすぐその理由に気づいた。

 なんてこった。

 作業中は、時間との勝負に必死でまったく気づかなかったが、こうして改めてその全貌を眺めてみると、何か自分達がとんでもない間違いをしでかしたような気がしてきた。

 頭部ユニットの左右に増設したブレードタイプの集音センサー、これまた頭部前面装甲に増設した左右3本ずつ展開しているロッドアンテナ。そして、腰部ターレットに干渉しない位置に増設したバランススタビライザー。

 これらの外部増設ハード類のおかげで、ノヴァキャット達は、機体に施されたベージュイエロー、レッドブラウン、シャーシブラックの三色荒原迷彩のおかげで、どれも三毛猫にみえる。しかし、いまさらどうしようもないし、そもそもわざとやったわけでもない。そして、もうやり直してる時間なんてない。

 前々から、ずいぶん猫くさい形をしていると思っていたが、どうやら、今回俺達がダメ押しをしたようなものらしい。でもいいじゃないか、性能は折り紙つきだ。そもそも、冗談で仕事をするほど、俺達は命知らずじゃない。

 

 最近、俺は物質文明と精神文明のあり方について考える機会が多くなった。

いや、なに、別に哲学者とかそんなもんになろうと考えてるわけじゃない。だが、こうも予言の的中する事態を目の当たりにすれば、いい加減、なにか俺の知らない世界というものが、確かに存在しているとしか思えなくなる。

 あ?戦闘の結果?ああ、あれか、勝ったよ。いわゆる、『敵の卑怯な作戦』を打ち破って、逆に返り討ちにしたって話だ。

 俺のマスターから聞いた話だと、ドラコ連合の部隊は、氏族ご自慢の強烈極まりない光学兵器を封じ込めるため、アンチビーム・スモークを撒き散らして攻撃力を削ごうとしたらしい。

確か、通常のスモークディスチャージャーとは違い、セラミックだかの超微細粒子が混ぜこめられてる奴で、通常の煙幕よりも体に悪そうもとい、光学兵器の減衰率を高める効果がある奴だったと記憶している。確かに、光学兵器主体の装備が多い氏族メック対策としては、狙いはいいとこをついていたと思う。

 しかし、今回に限って、主力のノヴァキャットはいつものエネルギーウェポンではなく、すべてミサイルという実弾兵器で勝負に出てきたわけだ。

そして、視界がほとんどゼロという中で、センサーとバランサーを強化したノヴァキャットは、縦横無尽に戦場を駆け回り、しかも、熱ダレによる稼動障害もなく、圧倒的な継戦能力でドラコ連合の先鋒部隊を蹴散らし、その勢いのままオムニメック中心の強力な打撃部隊が敵戦線に穴を開け、駄目押しの如くIICメック部隊がなだれ込んで敵戦線を散々に切り刻み、ついには後退させることに成功したらしい。

 なるほど、すべての光をさえぎる煙とは、こういうことだったのか。俺は、上機嫌で自分の武勇談をしゃべり続けるマスターを前に、予言の妙について、つくづく感慨深いものを感じていた。

 そういえば、スランプからの脱出をはたした彼女が、律儀なことに直接俺の所に礼を言いに来ていた。危うく爆殺しかけたのにもかかわらず、なんとも義理堅いこととは思う。額に三日月のような向こう傷が刻まれてしまい、これがまた文句のない美人であるだけに、なんとも痛々しいことになっていたが、勝利を導き出した傷だといって、逆に誇らしげであった。

 氏族と中心領域の、それぞれに住まう人間の間には、どうしても異なる世界が存在するのは確かだ。けれども、彼女が自らこしらえたのだという、自家製ウイロープディングの入った包みを見ると、それでも変わらない何かがあるように思う。

 とりあえず、彼女には申し訳ないが、これは明日にでも食べよう。きょうは、俺のマスターが振舞ってくれた、テバサキ・フライとミソペーストトッピングのカツレツで腹がふくれてしまった。

 明日も早いことだし、今日はもう休むとしよう。



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花の帝都を猫が征く 前

 最近、うちの周辺、と言うか、ノヴァキャット氏族全体が妙な雰囲気になっている。いや、またどこかの連中とドンパチとか、そう言うものじゃない。そもそも、その程度の話なら、珍しくもなんともない。

 俺がこのノヴァキャット氏族、という珍妙な社会に連れてこられるきっかけになった、あのバトル・オブ・ツカイード。あの一件以来、どうもノヴァキャットとドラコ連合の間で、なにやら接触を持っているという話がある。

 どこでそんな途方もない与太をってか?まあ、そうだろうな。氏族といえば、程度の大小はあっても、中心領域の連中とは相容れない連中だ。

 その、戦闘にのみ特化した、常識外れの戦闘技術。そして、凶暴性と残虐性。それは、このノヴァキャットとて例外じゃない。人もメックも奇妙な踊りを舞い、訳のわからない神託をのたもうて騒いでいるだけの、脳天気な連中じゃ決してない。

 とにかく、それだけ氏族の連中ってのは、得体の知れない連中として、中心領域の民草から気味悪がられているってわけだ。

 俺だって、初めてエレメンタルとかいう大巨人を見たときは、これが本当に同じ人間かと、自分の目と正気を疑ったもんだ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。要するに、氏族連中ってのは、初めて中心領域の人間の前に姿を現した時、冗談抜きで宇宙人と思われていた。そりゃそうだろう、エレメンタル云々以前に、容貌や戦闘スタイルその他をもってしても、常識とか既成概念とか、そういったものがまったく当てはまらない連中だ。

 そういった両者が、実力行使で相手を叩き伏せる他に、歩み寄りの方法を模索するなんて、確かに信じられない話だ。

 けれども、ノヴァキャットと言う氏族に限って言うなら、それは不思議な話でもなんでもない。ノヴァキャットは、人の知恵をはるかに超えた別次元の存在。いわゆる『視法』の導きをなによりも崇め敬う。

 人の常識などはるかに飛び越した、その貴賎など全く問題にもしない、より高みにある光。それは、己の存在の証たるたてがみをなびかせ、力の限りひたすら駆け抜けるノヴァキャットの行く手を照らし上げるのだ。

 と、まあ、これが俺のマスターおよび、顔馴染の視法師兼メック戦士様から、繰り返し聞かされ続けたお題目だ。まあ、その是非はともかくとして、彼らには彼らにしか見えない何かがあるのだろう。そして、それは確かに存在しているんだろう。

 俺だって、実際にその様を見ていなければ、単なるガンギマリ集団としか思わなかっただろうからな。

 勝つとわかれば、どんな絶望的な状況に見えても、迷うことなく出陣して、確実に勝利をもぎ取ってくるし、やばいとなると、絶対勝ちにいけるとしか思えない状況でも、平気でケツをまくってしまう。

 面白い

 確かに、面白すぎる。

 それは、久しぶりのこの文明世界に来て見て、はるかにその面白さが際立つことになった。そしてわかったのは、氏族という連中は、良くも悪くもはるかに純粋で、はるかに奔放な連中だということだ。

 ああ、俺な。俺は訳あって、ドラコ連合のお膝元、ルシエンはあの帝都にお邪魔しているってわけさね。

 いや?別に俺は脱柵なんかしちゃいないぞ?ちゃんと、マスターもいるし、視法師とその護衛役も一緒だ。言ってみりゃ、スターキャプテン殿御引率のもと、はるばるやってきました花の帝都。ってとこさね。

そもそもの起こりは、俺がマスターと一緒に、ノヴァキャット次期族長と目されている、あのサンチン・ウェストの屋敷へと召集を受けたことから始まる。

 いや、俺達だけじゃない、他にも、あの時、危うく爆殺しかけた女視法師と、彼女の弟も、同じように気鋭の次期族長の屋敷に呼ばれていた。

 それにしてもなんだね、あれだよ、あの時はさすがに今思い出しても背筋が震えるよ。なにしろ、俺みたいな一介のボンズマンが、次期族長ともあろう御大に直々にお目通りがかなうなどと、それこそ天変地異に等しい超絶イベントだってのに、その上、オースマスターの筆頭である、ビッコン・ウィンタースまで控えていた訳だ。

 ただ、あの時一番印象的だったのは、女視法師の弟はともかくとして、俺のマスターや、彼女でさえもが、この二大巨頭の前では、ノヴァキャット訛りは跡形もなく消えうせ、氏族人口調で凛々しくも言葉を紡いでいたんだ。あれを見た時は、正直、あのふたりが本当に心配になった。なにか、悪いモンでも食ったのかと。

 そうそう、そんなことを話したいんじゃなかった。問題は、ビッコン・ウィンタースが、その巨大な体躯にふさわしい、重厚な言葉で告げた言葉の内容さね。

『ノヴァキャットは、更なる未来の光を追い、龍の園へと飛び込む。その露雫を払うのは、月の先見、星の戦士たる姉弟。そして、その血銘と共に雌伏せむ、白き短剣を携えし戦士。白き短剣の放つ叡智の光により、はびこる茨、澱む闇を切り払い、勇敢なる彼らは、ノヴァキャットの行くべき道を切り開く』

 と言うものだった。

 この予言を聞いた時、俺は何かの英雄小説の受け売りかなんかと思った。とはいえ、いくらなんでも氏族軍の大幹部ともあろう者が、そんなジュニアハイスクールの2年生みたいなことを言うはずもない。しかし、率直に言って、言ってる意味がビタイチわからない。とはいえども、さすがに、精霊と共に歩む一族だけのことはある。彼らには、全てが見えているらしい。ただし、余人が理解できるかどうかは、また別の話ではあるようだが。

 そして、ふたりは、俺達に衝撃的な言葉を聞かせてくれた。信じられるか?ノヴァキャットが、およそ200年の歴史をあっさり放り投げ、中心領域へと帰ると言い出してる。言ってみれば、親に大啖呵を切って実家を飛び出していった子供が、しばらくして家に帰ると言い出してるようなもんだ。

 さてさて、お優しくご寛大な親御さんであるならともかく、家出したあとも、散々迷惑かけた氏族というこの放蕩息子を、中心領域という親御は、果たして歓迎してくれるもんなのかね。

 なに?他人事みたいに言うなって?あのね、そんなこと百も二百も承知だよ?いいか?なんで俺が呼ばれたかわかるか?まあ、見当はついてるだろうけどな。要するに、俺はこの田舎モン達のツアーコンダクターをやれって言われてんだよ。

 基礎知識講習のため、極秘裏に派遣されてきた、ドラコ連合から極秘で派遣されてきた駐在官が、講義中であるにもかかわらず、アトラスよりも重い溜息を俺たちの目の前で思い切り吐き出してしまうほど、突き抜けた田舎者っぷりを炸裂させてくれたあの面子を、最悪俺ひとりで面倒見なきゃいけない羽目になったんだよなぁ。

 中心領域における、氏族社会との文化や概念の違いから始まって、言語、儀礼、慣習、その他諸々の講習中、真剣なものから頓珍漢なものまで、実に幅広い質問が飛び交った。しかし、女視法師が言い放った、

『機内持ち込みの糧食で、バナナはおやつに入るんかみゃあ?』

 とか言う質問、あれはどう見たって明らかな悪意だ。

 俺は、金髪と青い瞳の組み合わせがなんとも素敵なスラブ系の女性駐在官から、ボルシチやらスシやら、微妙に食い合わせの悪い夕食を振舞われ、

『もう手に負えない、貴方が最後の希望です』

 などと頭を下げられてみろ。早い話が、下駄の丸投げだ。これが美人に言われたものでなければ、悪いが俺は突っぱねる。

 まあ、久しぶりに、女性らしい女性と話が出来たわけだし、これはこれで悪い話じゃなかった。せっかくの機会だから、もっとお近づきになろうと考え、バーにでも誘おうとした瞬間、いきなり心臓に激痛が走ったのにはたまげた。

 こうなると、もうそれどころじゃない。俺は、可能な限りその場を取り繕いながら彼女の宿舎をおいとまし、青息吐息を吐きながら、ほうほうの態で宿舎に帰り着いた。そして俺はそこで見たものに、悲鳴を上げる寸前まで飛び上がった。

 宿の敷地内で、口には6インチ釘を咥え、右手にハンマー、左手には草か何かで編み上げた、不細工ながらもどこか禍々しい雰囲気の人形を握り締めた女らしきものが、その長い髪を振り乱し、暗がりの中をうろついていた。それは、昔なんかの資料で見た、ジャパニーズ・ゴースト、Ver.オーキョマルヤマさながらだったからだ。

 いったい、なんだったんだろうな、あれは?

 まあ、それはどうだっていいけどな。とにもかくにも、この予言に従うという形で、マスターと俺、そして、件の姉弟は、非公式ながらも、親善訪問団という名目で、ドラコ連合の本星へと派遣されることになったわけだ。

 

『アテンションプリーズ、アテンションプリーズ、当機はこれより着陸態勢に入ります。お客様につきましては、お席のシートベルトをお締めになり、ランプがお付きになるまでの間、お席をお立ちにならないようお願いいたします』

 キャビンアテンダントの、流麗かつ柔らかな声のアナウンスが流れ、旅客用ジャンプシップは、俺達の乗る旅客区画を兼ねたドロップシップを切り離した。そして、ドロップシップはゆっくりとアプローチ体勢に入る。いやはや、こういった、乗客重視の丁寧な着陸なんて久方ぶりだ。

 なんていうか、あのドロップシップの、レールのいかれかけたジェットコースターに乗せられたような、あのキチガイじみた轟音と振動がない降下着陸なんて、嬉しすぎてこのドロップシップのクルーが、みんな天使に見える。

 そして、俺達の乗ったドロップシップは、これまた優雅な白鳥が、穏やかな春の湖に舞い降りるように着陸した。そうだよ、本来、着陸とはこういうものなんだ。制動ブースターを全開にぶっ放して、自爆と勘違いして本気でビビるような爆発音が艦内を叩きのめしたりするもんじゃないんだ。

 嗚呼、文明よ萬歳

 

「おお~・・・」

 空港に降り立った一同は、みな例外なく修学旅行で都会を訪れた、クソ田舎のジュニアハイスクールの生徒のような表情で、ロビーの中を見回したり見上げたりで忙しい。

 メックどころか、ドロップシップさえ格納して、おまけに整備もおっぱじめられそうなほど、見上げんばかりの天井をもった広大なロビー。

 磨き上げられた、それこそ、御婦人がたのスカートの中をのぞけそうなほど、チリひとつ、くすみひとつなく磨き上げられた床。

 壁という壁を覆う、曇りひとつないクリスタルガラス。そして、天井からロビーを優しく照らす、上品ながらも優雅な衣装のシャンデリアライト。

 丁寧に刈り込まれ、入念に手入れされた観葉植物の鮮やかで柔らかい緑が、ともすれば、清潔すぎて無機的になりがちな空間に、さりげない自然の穏やかさと潤いを添えている。

 これだよ、これなんだ。人間の住む世界というのは、本来こうあるべきなんだ。空港ってのは、間違っても、茶色く変色した、血の染みが滲んだ包帯を巻きつけた戦士が、頭陀袋を枕にして死んだように寝ていたり本当に死んでいたり、降下酔いを起こした新兵が吐いたゲロが、床に不愉快なオブジェを作ったりなんかしていないんだ。

「ど、どえりゃーきれーなとこだぎゃ。こ、ここは誰かの宮殿かね?」

「いえ?ここは一般の公共施設ですよ」

「し、信じられねーだぎゃ。族長のお屋敷でも、ここまでピッカピカじゃあねーだぎゃ」

 女視法師は、ここがごく一般の市民に開放された公共施設、という事実がにわかに信じられないらしく、微かに怯えの混じった表情で辺りを見回している。まだ言葉を言えるだけ、彼女はマシなほうだ。

 肝心要のスターキャプテン殿、つまりは、俺のマスターなど、その目をまん丸にしたまま、すっかり言葉を失っている。その中で、特に変化が見られないといえば、視法師の護衛、つまり、彼女の弟は、努めて冷静に周囲の状況を観察している。

「ク、クルツ」

「はい、なんですか?」

「あ、その、なんだぎゃ。のどが乾いてしもーたでね、水はどこにあるだぎゃ?」

「水ですか、ウォータークーラーなら、ほら、そこにありますよ」

 緊張のあまり、口の中が渇いたのであろう女視法師は、俺が指差した先にあるウォータークーラーに、怪訝そうな表情で近づいていく。

「クルツー!これはいったいどーやって飲むんだぎゃー?蛇口もコップも、どこにもついてねーでよー!」

 イエーイ

 やってくれるとは思っていたが、まさか、あんなことを大声で言うとは。俺は、周囲の通行人が漏らす、かすかに聞こえる吹き出し笑いを後頭部で受け止めながら、少し火照ってきた耳をもみつつ、本気で戸惑った表情の彼女の元へ近づく。

 まったく、彼女も黙ってさえいれば、神秘的な雰囲気を漂わせた、それこそ息を呑むような美人なのに、ノヴァキャット訛り丸出しで大声を張り上げては、まったくもって全て台無しもいいとこだ。彼女ももしかして、先代のように、深く静かにイカレかけてきているのかもしれない。

「これはですね、ほら、ここのペダルを踏んでください・・・ほら、ちゃんと出てくるでしょう?」

 俺は、実際に水の出し方を実演して見せた。彼女は、それを興味深そうに眺めて、ふんふんと納得したようにうなずいていた。

「で?コップはどこにあるんだぎゃ?」

 まだ言うか。

「いえ、出てくる水を、上手く口で受け止めながら飲んでください。蛇口から直飲みする要領ですよ」

「わ、わかっただぎゃ」

 俺の説明に、彼女は若干緊張気味にうなずくと、噴水ノズルの真上に顔を差し出し、意を決したようにペダルを踏み込んだ。

「ブフォ!」

 神様、お願いですから、俺にこれ以上試練を与えないでください。

 目算を誤り、冷水で鼻の穴の中をまともに洗ってしまい、激しくむせ返っている彼女の背中をさすりながら、俺は、笑いをこらえて引きつる腹筋を押さえつける。

「こ、これはとてもじゃねーけど、うちの手には負えんだぎゃ。他のもんはねーのかね?」

「なら、そこの自販機で、何か買って飲みますか?」

「ジハンキ?なんだぎゃ、そりゃ?」

「え、ああ、自動販売機です、すみません。コインを入れて、ドリンクを買える機械ですよ。レクチャーで聞いたでしょう」

「え?ああ、そうだっただぎゃ。それじゃ、それにするだぎゃ」

 彼女は、まだ軽く咳き込みながらも、とことこと自販機の前に近づくと、きょとんとした表情でサンプルを眺めている。

「で、クルツ。こっからどーすりゃえーんだぎゃ?」

 本当に人の話を聞いていたのか、コンチキショウ。

 俺は、目の奥にかすかに鈍痛を感じながら、適当にボタンを押したりしている彼女の横に立つと、財布を開けて、ルシエン行きにあわせて支給された、物品価値換算で為替された、久々にお目にかかる硬貨をつまみ出した。

「いいですか、この金額にあわせて、硬貨を入れるんです・・・と、これで買えますから、好きな飲み物を選んでください」

「ありゃあ・・・こりゃすまねーだぎゃ」

 そういうと、彼女はさして考えもなく、さっさとボタンを押してしまった。

『お買い上げ、まことにありがとうございました。またのご利用をお待ちしております』

 自動販売機の簡易メモリーに録音されたアナウンスが、プログラム通りの対応音を流す。と、これまた彼女、意表を突かれたように、ドリンク缶を片手に自販機の前でぽかんとしている。

「あ、いやいや、こりゃ、ごてーねーに。こっちこそ、どーいたしまして」

 あろうことか、彼女は、自販機に向かって律儀に感謝の言葉を返している。そして、俺は、彼女が押したボタンの上にあるサンプルを見て、次に起こりえるであろう事態を予測し、鈍痛がさらに大きさを増した。

「んっ、んっ、んっ・・・げぇふっ」

 左手を腰に当て、思い切り胸を張りながら、まさに仁王立ちのフォームで炭酸飲料を豪快に一気飲みしたかと思えば、腹の底から、思い切り力強いげっぷを放ち、彼女は不思議そうに、自分が手にしたドリンク缶を眺めている彼女は珍しさ半分、驚き半分といった様子ながらも、はじめてのお買い物にいたくご満悦。といった感じだった。

「なんちゅーか、どえりゃー刺激的だでよ。のーみそがちくちくして、えーヴィジョンが見れそーだぎゃ」

 駄目だ、まだだ、まだ笑うな。こらえるんだ・・・し、しかし・・・!

 ここで笑おうものなら、冗談抜きで命にかかわる事態に直結しかねない。視法師の弟の方はともかくとして、俺はまだ彼女の人となりを把握していない。したがって、戦士様を嘲笑ったとかで、遠慮ない鉄拳が飛んできかねない。そんなのは御免こうむりたい、マジで。

「失礼、ノヴァキャット氏族よりの親善訪問団の御一行とお見受けいたす」

 まだ、前哨戦も済ませていないうちからのこの有様に、俺が必死に笑いをこらえていた時、氏族の戦士階級の堅苦しいしゃべり口に引けをとらない、アイロンをかけすぎたズボンのような折り目正しすぎる声で我に返る。そしてそこには、ドラコ連合武官と思しきふたりの男が立っていた。

 中肉中背ながら、均整の取れた体格は、ピッシリと着込んだ詰襟式の軍服の上からも、引き締まった体格を容易に感じ取らせる。そして、ナイフで切れ目を入れたような、切れ長の鋭い眼光は、東洋系特有の彫りの浅い面持ちも手伝って、彼らが魂として携える、サムライ・ソードを思わせる。

 これは、間違いなくクリタで言うところの、サムライという奴だ。初めて見る訳ではないが、静かにたたえられた水面の下に、鋭利な刃を潜めた雪解け水のような、彼ら特有の雰囲気はいつ見ても慣れることができない。

「我らが御館様の主命により、御迎えに参上つかまつった次第。それがし、トシロウ・ミカサ大尉と申す。以後、お見知りおきを」

「それがし、ライゾウ・イシカワ大尉と申す。以後、お見知りおきを」

 ふたりのサムライ・ウォーリアーは、自己紹介が終わるなり、深々と頭を下げた。その様子に、氏族人において、相手に敵意の無いことを示す、最上級の意思表示である利き腕での握手をしようと、右手を差し出した俺のマスターは、その見たこともない予想外の反応に、出した手のやり場を見失い、声を詰まらせながら戸惑った表情を浮かべていた。

 この瞬間、ある意味完全にイニシアチヴを握られてしまったと言ってもいい光景に、俺はこれからの一週間に、漠然とした不安を感じずに入られなかった。

 さすがに誰も口に出して言うなんて野暮はしないが、ここじゃ一番階級の高いスターキャプテンのあんたが頼りなんだよ。

 頼むよ、本当に。

 俺は、軽量級メックの偵察隊で、重量級メック小隊に挑まざるを得ない状況に陥ったような、そんなまるで勝ち目のない戦いに直面したような、やるせない気分に沈みかけたときだった。

その時、不意に、俺の肩を叩く手が置かれた。

「クルツ、及ばずながら、俺も力になる。出来ることはなんでも言ってくれ。ひとりで悩むことはない」

 彼は、並々ならぬ決意を秘めた、純粋な光をたたえた目でまっすぐ俺を見ていた。そうだ、まだ彼がいたんだ。希望はまだ残ってる。

でもな、別にこれは戦闘じゃないんだ。気持ちは純粋に有り難いが、力が入り過ぎたりして、それが空回りしたりしないことを祈るしかない。

 あれ?でも、俺はいったい何に祈りゃいいんだ?

 トーテム? セント・サンドラ? ・・・それとも、セント・ジェロームにかい?

 



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花の帝都を猫が征く 中

 やっとホテルに帰ってこれた、これほどまでに一日の終了が嬉しかったのは、本当に久しぶりだ。で?なんでこいつら、揃いも揃って俺の部屋に集まってきてんだ?

 俺は、礼服の上着をハンガーに引っ掛けると、タタミ・カーペットの上で、めいめい好き勝手にくつろいでいる連中の様子を観察する。

 今回のルシエン入りの引率責任者でもあるマスターは、すっかり気疲れた表情で、話すのもおっくう、といった様子でタタミの上に寝転がっている。まあ、無理もないな。会食を兼ねた会談の席で、マスターはその肩書き上当然の流れで、席上に現れた、なんとあのドラコ連合最高統治者と相対した時、マスターの緊張は頂点に達したらしい。

 まあ、無理もないわな。そういったクラスの人間の対応に、もっとも適切と思える階級は、将官相当であるギャラクシーコマンダーだと思うし、最低でもスターコーネルあたりだろう。

 それが、氏族世界ではエリートの証明であるブラッドネーム保持者だとしても、全体から見れば一介の士官に過ぎないスターキャプテン、つまり大尉相当の階級しかないマスターが、五大王家の一角と謁見し、しかも直々に会談することになったから、彼にとっては、色々な意味でたまらない時間だっただろう。

 いくら豪胆と無神経が売りの氏族人でも、さすがに絶対的な格の違いというものは感じ取れるらしい。そして、不用意な言動等、自分が下手を打てば、それは氏族の名誉とドラコ連合とのこれからの関係に、致命的な断裂をもたらすであろう、ということも本能的に理解していたようだ。

 しかし、そこは基地司令補佐を務めることもあるマスター。彼の人生において蓄積した知識・経験・教養、そして、戦場で鍛えた精神力を総動員し、事前にクラスター本部やギャラクシー本部の幹部と調整した段取り以上の対応をし、ドラコ連合政府の首脳陣を感嘆させることに成功した。しかし、力を使い果たしたその代償として、帰りの車の中でも今この時でも、ほとんど眠りっぱなしだ。

 可哀相に、すっかり消耗しきって。これでは多分、せっかくの御馳走や高級ワインの味も覚えていないだろう。

 一方、女視法師といえば、会食の席で、気を利かせてくれたクリタ王家お抱えの料理長が、デザートにと出してくれた惑星ナゴヤ産の銘菓『ウィロー』を、無理やり土産にと包んできた。そして、それをちびちびとかじりながら、難しい顔をして唸っているという、なんとも不思議な光景を演出している。

 実家が商人階級であったという彼女の店は、俺も幾度か口にした事のある、『ウィロー・プディング』を商いしているそうである。そして、彼女は、両親直伝の味に、それこそ絶対的な誇りと愛着を持っていたらしいのだが、それも、この帝都において、本場物を前にして相当衝撃を受けたらしい。

 ここからじゃよく聞き取れないが、猫が唸るような声でなにやらぶつぶつとつぶやきながらも、捕獲したメックを慎重に分解し、構造析調査をしている技術者のように、本場ウィローの味を盗もうと、ちびちびと、しかしじっくりと味わったり、時折首を傾げたりしている。

 そんな彼女の姿は、会食の時、明らかに親善大使として役職が低すぎることに、不審と疑惑の目を向けていた側近や閣僚達に対し、

『ノヴァキャットは常に天の理と共に進むもの、我らを率いるは、神託により御璽を受けた、血銘を冠する戦士の中の戦士である。汝ら、これ以上何を望むか?』

 と、居並ぶ壮々たる顔ぶれに対し、深く静かに、そして厳かに問いかけ、雑音を黙らせたのと同じ女性とは、とても思えない。

 そして、彼女の弟はといえば、特に変わった様子もない。彼は、目に映る新しいものを、すべてありのままに受け止め、そして自分の中に吸収しているように見える。フレキシビリティに富んでいるというか、精神的な耐性が強いとでも言うのか、とにかく、こういった状況では、本当にありがたい。

 で、彼がなにをしているかとみれば、部屋に備え付けられたトライビットの前で、なにやら放送されている番組に見入っている。氏族の支配宙域における番組といえば、スパニエル氏族の冒険を筆頭に、トレーニング番組や料理番組、そして戦場レポートぐらいしかないから、多種多様なテーマ性をもったドラマあり、ニュースあり、ドキュメンタリーありの中心領域におけるバラエティ豊かな放送番組は、かなり興味をひきつけられたらしい。

 とにかく、程度の差こそあれど、それぞれめいめいに帝都の夜を過ごしている。とりあえず、最初の会見を無事済ますことができて、明日と明後日はインターバルという形で、帝都の視察見学ということになっている。

 まあ、視察とかいっても、早い話が単なる観光だ。しかし、今度は俺が貧乏くじを引く番になりそうだ。そして、一番警戒しないといけないのは、例の女視法師だ。彼女の弟は、なにがあっても、努めて冷静に状況を判断しようとするし、血銘を冠する戦士の中の戦士ことマスターは、驚くことがあると、警戒して動かなくなる。

 だが、彼女は違う。どんな行動に出るか、まったく予想がつかない。それは、初日の空港での一件を思い出すまでもない。ふとみると、持ってきたウィローはすべて食べ尽くしてしまったのか、包み紙をぐしゃぐしゃと丸めると、部屋の隅にあるくずかごに器用に放り込んでいた。

 それからしばらくの間、部屋の中に聞こえているのは、番組の音声とマスターの寝息、そして、座卓に向かって、持ち込んだ携帯端末に何か書き綴っている、彼女のキータッチの音だけだった。

 なんか、ずいぶんまったりした雰囲気になっている。今までのせわしなさが嘘のように、穏やかな空間が室内を満たしていた。俺は、座卓の上に置かれている急須に、電子ポットの湯を注ぐと、茶を入れて一息入れる。氏族の世界にも茶はあるが、やっぱりドラコの茶にはかなわない。茶は、クズウの緑茶に限る。

 まあ、先のことを今から気にしても仕方ないし、その時のことはその時考えよう。

「これでよし・・・と」

 先ほどとは打って変わり、ずいぶんと満足そうな彼女の声に、俺は湯飲みを置いて彼女のほうを振り向いてみると、彼女は、今しがた記録し終えたばかりのテキストを読み直しながら、一仕事終えたような表情でうなずいている。

「米粉の量、質、砂糖と塩の配分、水の量と練りこみ具合。大体飲み込めただぎゃ。うちにかかれば、これくらい調べ上げることなんか朝飯前だぎゃ」

 どうやら、本場物の正体を自らの舌で解析しようとした彼女の試みは、おおむねうまく行ったらしい。

「どうですか、首尾のほうは?」

「お?ああ、もーこれで勝ったもどーぜんだでよ。あとは、明日の観光でいろんな店に行って、もっとほかの奴も食い比べして、あわよくばレシピも聞き出してやるだぎゃ。だから、クルツ、明日はおみゃーさんも一緒に行こみゃー」

「ええ、それはかまいませんけど」

「よっしゃ!そう決まりゃー、今日のとこはこの辺ということにするだぎゃ」

「そうですね、それじゃ、一服しますか?」

 俺は、彼女の分の湯飲みとお茶請けを用意して、彼女のささやかな努力をねぎらうことにしてみる。

「そりゃーありがてーだぎゃ、でも、その前にクソしてくるだぎゃ。どーも、ちーとばっかし食いすぎたみてーで、腹が張ってしかたねーだぎゃ」

 普通、化粧直しとか花を摘みに行くとか、もう少し言いようというものがあると思うんだが。まあ、彼女もれっきとした氏族人ということを忘れちゃいけない。しかし、いくらなんでも、女性がクソミソどうこう言うのは、正直言っていたたまれない。それも、美人が言うからなおさらだ。

 まあ、いいけどさ

 俺は、気を取り直して、彼女が戻ってきたときに備え、パックを新しいものと取り替え、湯飲みに軽く湯を注いで温めておく。

『クルツー!紙がねーんだぎゃ!持ってきてくれんかみゃー!』

 また、なにを素っ頓狂なことを

 氏族人の世界ならまだしも、この中心領域の高級ホテルで、今時そんなものがあるわけない。ウォーターシャワーとドライサーキュレーターが、この業界の当たり前な訳で、トイレットペーパーなんてものを使っているのは、一般家庭か野戦部隊の兵士くらいなもんだ。

とにかく、ないものはない、これから1週間もある。冷たいようだが、慣れてもらわないと困る。

「それは紙を使わない奴なんですよ、横にボタンがあるでしょう、その『洗浄』と書いてある奴を押してください。それで大丈夫ですよ」

『そ、そうかみゃあ?ほいじゃ・・・』

 心底不安そうな彼女の声が聞こえてくる。そして、次の瞬間、俺は自分の考えが心底甘かったことを思い知らされた。

『っぎぃえぇえええええええええええええええええっっ!?』

 まるで、熱湯をいきなり浴びせかけられたかのような凄まじい悲鳴が、部屋の障子をビリビリと振動させ、俺は、その予想外の絶叫に思わず尻を浮かせて驚いた。続いて、こともあろうに下半身を丸出しにした彼女が、猛犬に追われる猫のような勢いで部屋に転がり込んできた。

「おわっ!ちょっとなんですかっ!?」

「何だも何もねーだぎゃ!いきなりケツメドに水がひっかかってきたんだぎゃあ!」

「とにかく前を隠して!・・・いえ、早くバスルームに行ってくださいっ!」

 ひどい

 いくらなんでもひどすぎる

 これが本当に女のすることか?

 今の悲鳴で、マスターは弾かれたように跳ね起き、何が起こったのかという表情を張り付けながら、心底面倒くさそうに部屋を見回し、弟さんは、あられもない姿を晒している姉に、悲しそうな表情でため息をついている。

「ううう・・・く、屈辱だぎゃ・・・」

 心底ショックを受けた様子で、ベソをかきながらバスルームにすごすごと引っ込んでいく彼女を見送ったあと、俺は残ったふたりを呼んで、『ウォシュレット』なるものの使い方をレクチャーし、用はなくても、実際に彼らに実技練習をしてもらうことにした。

 初めてメックのシートに座る新兵に、操縦をレクチャーするかのような緊張感の中、説明を終えた俺は、順番に彼らをトイレの中に押し込んだ。

 まったく、なんでトイレひとつでこんな騒ぎになるんだよ。

『はうっ!・・・くっ!お、俺は負けんっ!!』

 こちらの方もこちらの方で、事前に詳細な説明をしておいたため、彼女の時のようなパニックはなかったが、それでも、前代未聞の感覚に揃って苦悶の声を上げながら、必死に耐えている様子がドア越しに感じられ、少々いたたまれない気分になったのは事実だ。

 しかし、これから中心領域に戻ろうという気が少しでもあるのなら、この試練、是非とも乗り越えていただきたい。というわけで、そのためなら、俺はいくらでも心を鬼にするさね。

 まあ、したからといって、どうこうなるような素直な連中じゃないんだが

 

 めいめいが自分の部屋に戻り、しばらくたっても呼び出しも訪問もなく、ようやくあの三人組は寝入ったものだと判断した俺は、待ち合わせの時刻を確認すると、そっと部屋を抜け出した。

「クルツ殿、とりあえず調達してきたが、これでよろしいか?」

 ホテルのラウンジに行くと、すでに待ち合わせの時間前からここにいたらしいミカサ、イシカワの両大尉が、傍らにおいてあったカートンを俺に差し出した。

「なにぶん、軍用であるゆえ、見かけは異なるものなれど、用途に供する分には、まったく問題はござらん」

「ありがとうございます、本当に助かります」

「礼には及ばぬ、それがしはただ、役目を果たしただけのこと。それは、そこもとも同じのはず」

 そう言って、ミカサ大尉の口元に微かな笑みが浮かぶ。

「クルツ殿、此度は、真に大儀でござった」 

 氏族の人間も、いい加減実直な人間がそろっているが、このドラコのサムライたちは、さらにそれ以上だ。もしこれと同じ事を、ライラやダヴィオンの将校に頼もうものなら、『騎士の誇り』がどうとかこうとか、『個人の自由』がどうとかこうとか、平たい話、

『何で俺がお前なんかにパシられにゃならんのよ』

 と、グダグダ理屈と不平をこねまくって拒否するだろう。いや、それならドラコだって、『武士道』がどうのと言いそうだが、幸い、彼らがそんな理屈を持ち出すことはなかった。とにかく、俺は、文字通りパシリ同然の頼みごとを快諾してくれたふたりに心から感謝しつつ、頼んでおいたものを受け取った。

「すまない、本当に感謝する」

「うむ、では、明日は存分に楽しまれよ」

 そう言うと、ミカサ、イシカワの両大尉は軽く敬礼をすると、そのままラウンジを立ち去っていった。え?何を受け取ったんだって?なに、たいしたもんじゃない。ドラコ連合軍で使ってる、野戦用個人携帯トイレットペーパー、ワンカートンさ。

 心を鬼にするんじゃなかったのかって?それもそうかもしれないけどな。まあ、ボンズマン根性と笑ってくれてかまわないよ。

 

 翌日、身支度を整えた俺達は、さっそくマップ片手に帝都散策としゃれ込むことになった。昨晩、少々ひと悶着はあったものの、一晩眠ればそんなこともケロリと忘れてしまえるのが、良くも悪くも彼らの得意技だ。もっとも、その根に持たない心持ちの良さが、彼ら氏族人最大の美点であることは間違いないだろうな。

 俺は、まず、彼女の意見をくみ、有名百貨店に向かうことにした。まず、行き先の希望が明確であったのが彼女だけ、と言った理由も大きかったんだけどな。こういう時、一番困る要望は、『どこでもいい』ってやつだ。

 帝都で一・二を争う大手百貨店にやってきた俺達は、まず食料品売り場に行ってみることにした。だが、ここで、俺は重大なミスを犯していたことに、その時まで気づかなかった。そして、気づいたときには、もうそれは後の祭りだった。

 道中、少しもよおしていた俺は、店内に入ってから、彼らに戻ってくるまで動かないよう、あくまで『お願い』する形で厳命してトイレに駆け込んだ。そして、用を済ませて戻ってきた時、彼らの姿は煙か霞のように、それこそ、影も形もなくなっていた。

 通貨という概念を理解させるには、実際に自分で判断し使ったほうが一番理解しやすいだろうと、彼らに若干の現金を渡しておいたことが完全に裏目に出た。

 物々交換ではない、貨幣と言う存在による取引。それが、ことのほか、彼らの好奇心を刺激してしまったようだ。けど、彼女やマスターならともかく、まさか彼までもがいなくなるとは、正直予想外だった。

 そして、さらに悪いことに、俺自身、その時点ではまだ状況を楽観視していた。あれだけ悪目立ちする連中だから、少し探せば見つかるだろう。と。

 しかし、現実は少し歩き回るどころか、館内中走り回っても、その姿はどこにも見つからない。冗談じゃないぞ、まさか、外に何か珍しいものでも見つけて、デパートから抜け出し、ノコノコついて行っちまったんじゃないだろうな。

 まさか、子供じゃあるまいし、そんなことは・・・ありうる。おおいに、ありうる。頭の中に浮かび上がった、最悪のシナリオのエレクトリカルパレードに、俺の背筋や脇腹に、冷たい汗が何本も滑り落ちていた。

 畜生、なんてこった。俺は、最後の望みをかけて、呼び出しアナウンスを依頼するためサービスカウンターに駆け込んだ時だった。

 すると、そこには、ミカサ大尉とイシカワ大尉のふたりがいた。そして、俺があれだけ駆けずり回って探していた、あの三人組も一緒だった。そして、俺が安堵の声を漏らすよりも早く、ミフネ大尉は、エンドウスチールよりも硬い声で、ひとこと俺にこう告げた。

「貴様達を、誘拐容疑で逮捕する」

 

 そんな馬鹿な

 何度繰り返しても、同じ言葉しか思い浮かばない自分に、いい加減疲れてくる。だが、いくら考えてみたところで、この状況が良くなるわけでもない。俺達4人は、そのまま連行され、拘置所にブチ込まれた。

 もちろん、取調べらしい取調べがあるわけでもない、ただでさえ、使節団にしては身分や階級が低すぎる連中が来たことに、ドラコの連中は不信感を隠そうとしなかったんだ。それがこんな騒ぎになり、それ見たことか。と、即逮捕につながったんだろう。

 え?いったい何があったんだって?・・・それにしてもまあ、こんなとこまで話を聞きに来るなんて、お前さんもよっぽど暇してるんだな。まあ、それはいいけどな。

 俺も詳しいことはよく知らないけどな、一度だけ面会に来てくれたミカサ、イシカワ両名の話だと、どうやら、要人を狙ったテロがあったらしい。そして、軽量級メックまで持ち出した襲撃で、帝国議員の御令嬢がさらわれてしまったらしいのだ。

 ここまで聞けば、多分お前さんならピンと来るだろうが、そのメックには、ノヴァキャット氏族の紋章がでかでかと描かれていたって話だ。いまさら言うことじゃないとは思うが、中心領域に住む人間にとって、俺らノヴァキャットを含む、氏族人に対する感情は最悪だ。

 きっかけは、あのバトル・オブ・ツカイードにさかのぼるわけだが、それらの動乱で、氏族人の恐ろしさを刷り込まれちまった中心領域は、氏族に対して半端じゃない恐怖と憎悪を抱くことになった。

 なんというか、これには各種メディアの扇動もあったかもしれないが、一番厄介なのは、事実をありのままに伝えた、この手の報道の中では一番純粋にジャーナリズムを発揮したものが、さらにこれらの感情に加速をつけたもんだといっていい。

 しかも、さらに間が悪いことに、ノヴァキャット氏族は過去において、あの最凶最悪と言われたスモークジャガー氏族と組み、このルシエンに攻撃を仕掛けたこともある。そして、今はもう本格的な戦闘は沈静化しているとは言え、はっきり言って、ドラコ連合の、特にルシエンに住む人々の、氏族に対する感情は最悪といってもいい。

 そんな状況であるから、街中でいきなりノヴァキャット氏族の紋章を掲げたメックが暴れだせば、ルシエンの人々は、何の疑いもなくノヴァキャットに怒りの声を向けるだろう。

 最悪もいいところだ

 しかし、不思議なもんだ。こんな状況なのに、少しも腹も立たないし、焦る気持ちもわいてこない。むしろ、こうなるのが遅すぎたとさえ思えるようになった。考えてもみてくれ、こんな連中と一緒に旅をしようってんだ。むしろ、何も起こらないほうが却っておかしいくらいだ。

 そかし、そうも呑気なことも言っていられない。このままでは、ドラコ連合との同盟どころか、下手を打てば、ノヴァキャット氏族がスモークジャガー氏族の二の舞になってしまう。建物ひとつまで丹念にすりつぶし、女子供関係なく、最後のひとりまで眉間を撃ち抜いていくような、宇宙規模の民族浄化。

 それだけは、絶対に避けなければならない。

 ああ、そうだな。確かに俺は、ノヴァキャットをはじめとする、氏族の侵攻から中心領域を防衛するため、彼らと戦ったことは確かさ。でもな、時間ってのは、いろんな意味でそれを薄めちまうもんさね。

 いろいろあったさ、7年の間に、いろいろとね。

 まあ、俺のどうでもいい感傷はさておいて・・・まったく、何をやってるんだろうね、この人達は。

 マスターは、牢屋に放り込まれるなり、すぐさま固いカーペットの上に寝転んで、すうすうと寝息を立て始めちまったし、彼女は、壁に向かって瞑想を始めた。弟さんは、身にしみこんだ習慣からか、彼女のそばに控え、微動だにしない。

 こんな時でも、自分のペースを崩さないのは、さすが氏族人といった所だ。さてさて、彼女は必死にヴィジョンの行方を追っているようだ。まあ、お手並み拝見といこうかね。

「ひひっ」

 不意に、彼女の奇妙な笑い声が牢の中に流れる。おいおいおい、まさか、ショックのあまり、本当に電波を受信するようになっちまったんじゃないだろうな。

「視えただぎゃ」

 彼女は、勝ち誇った表情と共に、瞑想の姿勢を崩す。

「道は示し啓かれた、‟邪なる剣、ノヴァキャットの行く手を阻む。なれど、ノヴァキャットの瞳は、常に前を向き前進する。火の竜、地の竜が、ノヴァキャットとその歩みを共にする。ノヴァキャットは、かの力によって、行く手をふさぐ剣を打ち砕き、さらなる光に向けて前進する”だぎゃ」

「え、それはどういう・・・」

 俺が、思わず息を呑んだときだった。牢の外に人の気配を感じて振り向くと、そこには思いもしなかった人物が立っていた。



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花の帝都を猫が征く 後

 まさか、こんな所でもう一度、彼女に会うとは思わなかった。

 あの、ダグダに来ていた女性駐在官。俺は、思いがけない人物と再会を果たすことになったが、どうもこの状況は素直にそれを喜んでいいものじゃなさそうだ。

 ああ、すまない。なんというか今現在、俺達4人は護送車に乗せられ、どこかへ運ばれている真っ最中だ。正直言って、この状況が吉なのか凶なのか良くわからない。

 まあいいや、話を戻そうか。彼女は、直属の上官である、ミカサ大尉の命令による送致手続きとやらで、俺達を軍警の拘置所から連れ出し、待機していた護送車で搬送されているって訳だ。そして、厄介なのはこれからだ。何が理由で、俺達を身に覚えのないことで逮捕したミカサ大尉達が、今度は俺達を他の場所へ移送するよう命令したのか。肝心なことは、まだ何一つわかっていない。そして、彼女も、移送の件もそうだが、自分の所属や官姓名以外の必要最低限の情報以外は、何一つ口にしてはいない。

 ハナヱ・ボカチンスキ―軍曹。それが彼女の名前らしいが、どうにもしっくりこない。どこが、と言われれば説明に困るが、強いて言えば勘だ。この名前だって、多分偽名だろう。まあ、そんなこと言ったら、ミカサ大尉やイシカワ大尉だって、今から考えりゃ、随分怪しいもんだ。

 拘束衣で全身を固められていたら、考え事しかすることがない。てなわけで、そんなことをつらつらと考えながらふと見ると、女視法師は、妙に不機嫌そうな表情を浮かべ、俺に向かって底光りのする目を向けている。

「おみゃーさん、どえりゃー楽しそーだがね?なんぞえーことでもあっただぎゃ?」

「いえ、そんなことはないですよ?」

「ふ~ん、まー、えーけどもがね」

 何をもってしてこの状況を楽しいと思えるのか、ちとばかし意味が分からないが、女視法師は、そう言うと不機嫌そうな眼を、形ばかりの警戒の様子を取っている、差し向かいに座る彼女、ボカチンスキー軍曹に向けた。

「ボカチン、ちっとばかし聞きてーことがあるだぎゃ」

「ボカチンじゃありません、私はハナヱ・ボカチンスキーです」

 その瞬間、あろうことか女視法師は体を揺すりながらゲラゲラと笑い出した。

「・・・なにが、おかしいんですか?」

「ふへっ、そりゃそーだぎゃ。ボカチンちゅーたら、ドラコじゃ『魚雷がボカンで沈没』っちゅー意味だぎゃ?ったく、縁起でもねー。それにくらべて、うちの名前は、そりゃーもー素敵なもんだぎゃ」

 いったい何がしたいのか、彼女は突然見当違いの話題を持ち出し、得意そうに小鼻をぴすぴすふくらませている。頼むから、こんな状況で無意味に相手を挑発するようなものの言い方はやめて欲しい。弟なんか、緊張で顔が強張りかけてる。

 もしこの場で、万に一つでも彼女がキレて、帯刀している光モンを抜いたが最後、拘束衣で全く身動きが取れない俺達は、ツキジ・マーケットのマグロよろしく解体ショーを我が身を持って披露することになる。

 あまり大きな声で言いたかないが、拘束衣でガッチガチに固められた今の俺たちは、ケンカをさせたら、多分、小学生にも負ける。

「・・・何か御用じゃなかったんですか?」

 しかし、ボカチンスキー軍曹は眉一つ動かさず、制帽の下からその青い目をついと向ける。なんというか、ダグダで会った時とは、全く別人だ。なんていうか、

 可哀そうに、明日はお肉屋さんに並ぶのね。

 と言った塩梅で、運ばれていく牛や豚を見やるような、そんな感じだ。

「あー、なんかひと笑いしたら、けろりと忘れてもーただぎゃ。思い出したら、まっぺん聞くでね」

 しかし、彼女は再三の下手な挑発に乗ることもなく、つまらなさそうに小さく鼻を鳴らした後、再び黙り込んでしまった。

 護送車の緊張は頂点に達し、俺を含め男性陣はどうにも居たたまれない様子で、互いに肩を寄せ合いながら目をそらしている。まったく、自分の状況と立場ってものを理解しているのか、この人は?

 と、その時、護送車が停止し、外からハッチが開けられた。

「着きました、皆さん、降りてください」

 さあ、これから何が起こることやら。俺達3人は、無意識のうちに顔を見合わせていた。けれども、女視法師はまるで旅館の送迎車から降りるような調子で、ホイホイと外へ出て行ってしまった。

 しかたない、どの道、ここでじっとしているわけにもいかないんだ。俺達3人も、覚悟を決めて彼女の後に続いた。

 

 そこは、氏族侵攻の際に破壊され、ほとんど放棄されかけた工業団地帯の一画だった。そして、そこに展開している臨戦態勢のDCMSの戦闘員達。そして、1個小隊(ランス)のバトルメックが、その姿を誇示するように巨体をそびえさせている。

 おい、まさか、ここで俺達を処分しちまう気じゃないだろうな。

「クルツ、心配することはない。俺達を消す気なら、メックなど用意する必要はない。本当にそのつもりなら、護送車の中にいた、あの女の技量だけで十分それはできる」

 俺の顔色を察してか、そう耳打ちする彼は、鋭い視線をボカチンスキー軍曹と、そして、覆いかぶさってくるような威容の重量級メックに向ける。

「それより、気になる。連中の注意が向こうの廃工場に向いている、なにかある」

 確かに、彼の言うとおり、ダークグリーンに塗装されたグランドドラゴンのPPCの砲身は、まっすぐに廃工場に狙いを定めている。

「その通り、あそこには、ノヴァキャットの残党を名乗るテロリストとそのメック、そして、人質がいる」

 その声に、俺は自分でもわかるくらい、表情を緊張させた。昨日、俺達を誘拐容疑と言う、まったく身に覚えのないことで逮捕した、ミカサ大尉達がいたからだ。

「されど、捕われているのは、ボカチンスキー議長閣下の御息女本人ではござらん。捕われているのは、かような時に備えた、影武者でござる」

 その言葉を聞いたときの俺達の顔は、傍から見てずいぶん間抜けたものだったろう。しかし、続いた言葉を聞いた時、そんな間抜け面をいつまでも貼り付けておくわけにはいかなくなった。

「我々は、これから10分後、あの施設を砲撃し、テロリスト共を殲滅する。そして、議長閣下の御息女は、無事救出されるものとなる」

 その話し方だと、もうその議長の娘さんとやらは救出・・・あ?ボカチンスキーって、もしかして・・・?

「その通り、彼女、ハナヱ・ボカチンスキー軍曹は、ボカチンスキー議長閣下の御息女でござる」

 はあ、なるほど。そういうことか・・・って、おい、ちょっと待ってくれ。

「ミカサ大尉、少し聞きたいことがある」

「テロリストとの交渉は、議論の余地もない愚かなものでござる。今さら、ノヴァキャット氏族との対話を、無頼の輩による恫喝によって取り下げることは、我がドラコ連合の威信にかかわりしこと。あの者らが我々の降伏勧告を無視した以上、速やかに排除するものにてござる」

「待ってくれ、それじゃ、人質ごと吹っ飛ばすってことか?」

「その通り、死人に口はない。ノヴァキャット氏族の名を騙る者と民に報せれば、どちらの腹も痛むものではござらん」

 なんてこった、どう言う事情があるかは知らないが、そのために無関係の人間まで始末するってのか?もしそうなれば、疑いは一応なかったことになっても、ノヴァキャットの立場は全く無くなってしまう。それに、ドラコ側にしてみれば、人ひとりの命を対価にして得られるものが、ノヴァキャット氏族に対するイニシアチブだとすれば、これは非常に良い買い物だろう。

 だが、こうなってくると、俄然洒落にならない空気が周囲をじりじりと押し潰していく。他の連中はと見ると、みな一様に口を硬く結んで一言も発しないでいる。特に、ボカチンスキー軍曹の表情は、苦痛に耐えるように硬直している。

 それはそうだろう、今からメックの砲撃でテロリストもろとも吹っ飛ばされようとしている人間が、自分の代わりに誘拐されてしまった人間なのだから。もし、それを当たり前だと言ってなんとも思わないようなら、それはもう人間なんかじゃない。

「ミカサ大尉、そしてイシカワ大尉、この状況は、我々にとって、非常に好ましからぬものである。我々への疑いは、我々の手で、全ての真実を明るみに出した上で、その潔白を証明する」

 そのとき、重い沈黙を破って発せられた言葉に、俺は心底仰天した。ルシエンに来てからこっち、まったく元気のなかったマスターが、今までとは別人のような表情で、あのふたりに視線を投げつけている。

「スターキャプテン・ローク・ドラムンド、スターコマンダー・アストラ、メックウォーリアー・ディオーネ。我らの誇りと名誉にかけて、名誉を回復するための全ての行為。囚われ人の奪還と、無頼の輩に対して、我が拳によって制裁を与える権利を要求する」

 見ると、あの姉弟も、マスターと同じ表情でうなずいている。だけど、このまとわりつくような嫌な空気はなんなんだ。

「心意気は汲もう、だが、敵の持つメックに対して、どう立ち向かうつもりでござるか?特に、人間の殺傷に長けたローカストなれば、たとえそこもとらが誉れ高き戦士といえど、赤子も同然のはず」

 確かに、かなり痛いところを突いてきた。聞けば、テロリストが持ち出してきたのは、旧型のローカスト1機ということだが、それがこの場合、かなりマズいことになる。

 ローカストといえば、対メック戦では全くお話にもならないような奴だが、歩兵相手には『自走挽き肉製造器』とまで言われる奴だ。無茶だ、いくらマスターがエレメンタルすら殴り倒せる戦闘力を持つ戦士でも、人を駆除することに特化したメック相手にどうこうできるものなんかじゃない。

 マスターは、女視法師とその弟を振り向き、彼らの意思を確認するかのように、無言でうなずきあう。

「我らが出向き、1時間。それまでに何もなければ、貴官らは、指揮するメックによって、予定通りの行動をしてかまわない」

「その言葉、真と受け取ってよろしいか?」

「是(アフ)、ただし、ひとつだけ願いがある。これは、我らが心より望むものである」

「承知した、なんなりと」

「そこにいる、トマスン・クルツ。彼の者の保護を願う」

 マスターの真剣な言葉に、ミカサ大尉は一瞬だけ俺の方に視線を向ける。

「承知した、我らの名誉にかけて」

「感謝の極みを」

 そして、ミカサ大尉は、マスター達の拘束衣の施錠を解除し、彼らを自由の身にする。

「ちょっと待て、冗談じゃないぞ?ミカサ大尉、もしかしてマスター達がそう言うと踏んで、わざわざここまで連れて来たんじゃないだろうな?」

 俺の言葉に、返事の代わりに鋭い視線が向けられる。そして、何故か俺も拘束を解いてもらえたが、それとこれとは別の話だ。こいつら、俺達氏族人を、面倒事を解決するための捨て駒にするつもりだ。

「クルツ、気にする必要はない。ひとたび名誉を傷つけられた以上、これ以外に俺達が恥をすすぐ方法はない」

「お前までいったい何言ってるんだ?こんな状況、絶対におかしいだろう!」

 思わず声を荒げてしまうが、彼は穏やかに微笑むだけ。まるで俺ひとりが取り乱しているような状況に、思わず言葉を詰まらせていると、マスターが俺の肩を軽くたたきながら話しかけてきた。

「クルツよ、おみゃーは今まで文句ひとつたれず、よー頑張ってくれたでな。後のことは、にゃーんも気にするこたぁねーで、おみゃーの自由にしてかまわねーでよ。このまま実家に帰ってもかまわねーし、そのボンズコードも、おみゃーさんの勝手で取っ払ってかまわねーでよ。

 おみゃーには、どえりゃー苦労かけたけどもが、長げーあいだ、どえりゃー世話になったでな。腹壊したり、カゼとかひかんよー、達者でやるでよ」

 マスターは、普段と何も変わらない笑顔で俺に声をかけると、再び俺の軽く肩を叩いて、女視法師とその弟を従えて廃工場に向かって歩き出した。

 マスター、こんな時に何フリーボーンみたいなこと言ってるんだ。畜生、何でこんなことに・・・!

「・・・マスター、ボンズマン・トマスン・クルツは、スターキャプテン・ローク・ドラムンドに対し、この場において、不服の神判を申し立てるものであります」

 こうなった以上、俺の言うことはたったひとつだ。俺は、マスターの背中に向かって言葉を投げつける。そして、マスターだけでなく、女視法師とその弟も、電流に撃たれたような表情で俺を振り返った。

「はあ?たーけ抜かすんもたいがいにせーよ?おみゃーみてーな人っ腹生まれに、何ができるだぎゃ」

「名誉を賭けた戦いにおいて、情けをかけられ、デズグラ(臆病者)としての生を負わされることに対し、私、トマスン・クルツは、スターキャプテン・ローク・ドラムンドに対し、不服の神判を申し立てる。場所は廃工場、勝負は生き残り」

 こっちから勝負内容を提示するのは、本当は儀礼に反するが、場合が場合だけに、そんなのは敢えて無視する。そして、俺の言い放った言葉に、今度は、ミカサ大尉達や、ボカチンスキー軍曹までもが顔色を変える番だった。

「私も、元は中心領域における戦士階級です。同じ条件なら、同じように戦えることを証明します」

「こ・・・この、人の気も知らんと・・・!」

 俺の宣言に対し、マスターは苦虫を噛み潰したような顔になる。けれども、ほんの一瞬だけ、彼の目が笑ったように見えたのは、俺のうぬぼれだろうか。それに、マスター。言っちゃ悪いが、それはお互い様だよ。

 

「やっぱりおみゃーさんは、てーした男だで。うちの目に、狂いはなかったっちゅーことだぎゃ」

 さっきまでの、意味不明のひねくれさ加減は跡形もなく消えうせ、めっぽう上機嫌な様子で視法師ディオーネが話しかけてくる。何?何で今まで名前を出さなかったのかって?

 前に一度聞いたことは聞いたって覚えはあるんだが、マスターの言葉で思い出すまで忘れていた。お前さんだって、顔見知りだけど名前はイマイチよく覚えていないってあるだろう?それが、これだ。

 それはともかく、俺達は成り行き上、二手に分かれることになった。組み合わせについては、さっきマスターに対してあれだけ大見得を切った以上、一緒に組むわけにもいかず、

『うちが責任持って面倒みるだぎゃ』

 と言うディオーネの言葉に、アストラも、それならば。と、マスターと組む方を選んだって訳だ。なんだよ、お前さんもいちいちこだわるな。だってお前、今までは、たまたまアストラの名前を呼ぶ機会がなかっただけの話じゃんかよ。

 しかし、本当に落ち着かない。いや、違うよ何言ってんだ。別にディオーネと一緒だからドキドキしてるわけじゃない。あのな、この際だから言っておくが、氏族の女戦士を普通の女性と同列に扱わない方がいい。下手に恋愛感情を持って、中心領域のノリで『愛してる』なんて言ってみろ、それは氏族人の女戦士にとって、

『このメスブタ』

 と言い放つのと同じことになる。そうなったが最後、これ以上ないほどの卑猥かつ屈辱的な表現で侮辱したことになり、下手を打てば不服の神判をブチ上げられ、それこそ命に係わる事案に発展しかねない。どうしてそうなるのかと言われても、連中の頭の中身がそうなっているんだから、そうとしか答えようがない。

 俺が落ち着かないのは、いつローカストに出くわすか。ってことだ。なにせ、俺達が持っている飛び道具と言えば、ミカサ大尉からもらった携行対装甲ミサイル一本だけ。まさに、正真正銘の一発勝負だ。ディオーネにいたっては、戦士のクセに『飛び道具は性にあわねーだぎゃ』とピストル一丁持っていない。

 ただ、彼女が自信ありげに持っている、ポーチの中身が気にかかる。当然、何が入っているかは教えてくれないが、それなりに使えるものが入っているのだろう。なにしろ、ノヴァキャットでは、相手に浴びせる喧嘩口上に、

『どーせ、おみゃーのポーチにゃー、ロクなモンが入ってねーくせに!』

 なんてものがある。それだけ、ポーチの中身ってのは、切り札じみた要素がつまっていると期待していいんだろう。いや、そうでないと、こっちが困る。

「クルツ、うちにえー考えがあるだぎゃ。ちょい耳を貸すだぎゃ」

 その時、かなり自信ありげな声とともに、ディオーネが俺に耳打ちをしてきた。

 

 いた。

 眼下に見えたローカストの姿に、俺の心臓は悲鳴を上げてはね上がる。そして、ガラクタの山を這いずりまわりながら、ローカストのセンサーに捕まらないようジリジリと接近を試みる。

 正直、こんな状況でなければ、絶対に御免こうむりたい行動をとっている自分が可笑しいやら悲しいやら。しかし、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 俺達を探しているのであろう奴は、まるで虫けらを探すダチョウかなにかのように体を揺すりながら、スクラップの山の間を歩いている。ありがたいことに、俺の方にはまだ気づいていないのか、こっちを向く気配はない。それとも、知ってて後回しにしようとしているのかは知らないが、とにかく、俺にとっては千載一遇のチャンスであることには違いない。

 自然と荒くなる息を無理矢理抑えつけ、顔中に吹き出る汗を静かに拭う。そして、安全装置を解除した後、アイアンサイトの目視照準で奴の横っ面を狙う。間違っても誘導モードなんて使えない。やったが最後、奴のセンサーは俺を逆探知し、スペリーブローニング機銃が俺を挽き肉にしてくれるだろう。

 そうこうしている内に、俺が隠れているところまで20mくらいの所を、奴は悠然と通り過ぎようとしている。普通に考えれば、気付いていないはずがない。しかし、ここまで接近を許しているということは、歩兵装備如きでどうこうされることはない、という絶対の自信があるか、それとも、人間狩りをより一層楽しむために、目視だけで探しているのか。

 だが、そんなことはどうでもいい。奴がそのつもりなら、俺は遠慮なくコイツをお見舞いしてやるだけだ。感覚的には視界一杯に迫る奴の横っ面、ワザとでもなければ外しようのない、必中の距離。そして、背後が開けていることをもう一度確認し、俺は構えたミサイルのトリガーを引いた。

 その瞬間、強烈なバックブラストと、ローカストの横っ面に炸裂したミサイルの爆風が、前と後ろから同時に吹き付ける。それと同時に、俺は空になった発射筒を放り投げ、一目散に走り出した。効果なんて確認している場合じゃない、今のバックブラストで、こっちの位置は完全にバレた。あとは、ディオーネが何とかしてくれることを信じて、力の続く限り奴から逃げ回らなくてはならなくなった。

 で?これがあんたの言う、『えー考え』なのか?

 俺は、ガラクタの散乱する、工場跡の敷地を全力疾走しながら、思わず心の中で悪態をついた。そして、俺の50メートルほど後ろからは、ローカストがつかず離れずの距離で追っかけてくる。

 当たり所が良かったのか、横っ面の装甲が多少吹っ飛んではいるが、中枢は無傷のままだ。当たり前と言えば当たり前だ、本来、こういうやり方をするならあと5、6人はいて、全員が同じ所を狙って集中攻撃しなけりゃならないが、メック相手にそれが上手くいったなんて話はあまり聞いたことがない。逆に、1個小隊が一瞬で挽き肉になったという話なら、嫌と言うほど聞いた。

 要するに、携行ミサイル一発でどうにかなってくれるほど、バトルメックってのは安い代物なんかじゃないってことだ。じゃあなんでそんな無茶をした、と言われてしまえば、やらざるを得なかった、としか言いようがない。

 スペリーブローニングの銃声が哄笑のように響き渡り、俺の周りで火花と跳弾が飛び回る。調子に乗りやがって畜生、しかし、今は調子に乗っていてくれた方が都合がいい。向こうが追いかけっこに飽きて、

『じゃあ、そろそろ』

 なんて考えでもした日には、俺はその場で挽き肉だ。

 ガラクタをかき分けかき分け走るのは、かなり消耗する行動だが、ローカストにしてもそれは同じなはずだ。スクラップの散乱した、足場の悪い場所を走るのは、ローカストの足を気休め程度には鈍らせることもできる。

 しかし、底意地の悪い先任軍曹が、さらに泥酔状態でセッティングしたような、錯乱しまくったコンフィデンス・コースのようなスクラップの森は、行けども行けども途切れることがない。いや、途切れてもらっちゃ困る。 開けた場所に出た途端、次の瞬間には『ミートソース、トマスン・クルツ風味』の一丁出来上がりだ。

 一応、こう見えたって、コムガード時代は、コンフィデンス・コースは得意中の得意だったんだ。挽き肉製造機なんかに負けてたまるかよ。

 その瞬間、俺は宙を走っていた。いや、走る格好で落下していた。

 選手のみなさま、こちらが、コンフィデンス・コースのゴール地点です。ご完走、おめでとうございます。

 などと言ってる場合じゃない。

 あんまりローカストを引っ張るのに夢中になりすぎていて、前をよく見てなかった。崖っぷちめがけて思い切り助走をつけてジャンプするような形になった俺は、スクラップの山から、枯れ運河に続く段差へと真っ逆様に転げ落ちていった。

 

 右足の関節が、一つ増えてる。

 俺は、土埃の降り積もった枯れ運河のコンクリートにひっくり返りながら、かなり洒落にならないことになっている自分の足を見た。

 どこかで見たことあるような気がするな。そうだ、こりゃ、メック・ノヴァキャットの脚の形だ。

 なんて言ってる場合じゃない、俺がつまらないことで感心している間に、俺を追っかけてきていたローカストも、身軽な動作で運河の底に飛び降りてきた。・・・マジ痛ぇ、勘弁しろよ、傷に響く。

 うおっ!危ねぇっ!?

 対人マシンガンの銃弾が、俺の左右を挟み込むように着弾する。爆発しない、ってことは、じわじわいたぶって殺すつもりだな、このダチョウ野郎。

 さて、どうやら不服の神判は、俺の負けってことらしい。マスター達はどうするんだろう。それが少し気がかりだ。それから、母さん。少し早いですが、そちらに逝くことになりそうです。不出来な息子と笑ってください。

 せめて楽な姿勢を、と思い、折れた右足をかばうように横向きになると、昼寝する猫のように体を丸めた。よし、こっちは準備OK。いつでもやってくれ。

 

 

 全て、覚えた。

 全細胞を磨り潰す覚悟でひたすら集中し、彼方の存在と此方の存在を手繰り寄せ、繋ぎ合わせる。少しでも気を抜けば途切れそうになる。しかし、ほんの一瞬とて掴んだその糸は離さない。我が氏族の名を騙り、我が氏族の名誉を汚さんとする者共。

 決して、許さぬ。

 全身を暴走する憤怒と憎悪を抑えつけ、凝縮し、やがて一塊の荒魂に練り上げていく。全身の細胞の一欠片まで奮い起こし、身体が潰れそうに、崩れそうに、砕けそうになる。目や鼻の血管が破れ、喉の奥から鉄の味がこみ上げる。

 さあ、受け取れ。

 我が氏族、我が輩(ともがら)、そして、我が怒り、それら全てを込めた鉄槌を、憑代に結んだ存在の釘目に、渾身の力を込めて叩きつけた。

 

 

 待てど暮らせど、撃たれる気配がない。いつまで待たせるんだよ。こっちはいい加減足が痛いわ吐き気がするわで、本当にどうしようもないんだ。いい加減、もったいつけるのはやめてくれないだろうか。

 いつまでも降りかかってこない銃弾に、俺は少しうんざりしながら、ローカストの方を見上げた。そして、ローカストと言えば、なぜか苦しそうに機体をよじらせている。

 その姿は、まるで悪いものでも食ったダチョウが、腹痛に耐えかねて身悶えているように見える。いったい何やってんだ?

 依然でたらめな動きを続けるローカストに、俺は折れた右足をかばいながら姿勢を変えて、寝転んだままその様子を眺めていた。と、そういえば、なんか音が聞こえるな。何かをハンマーで叩くような音が聞こえる。こんな所で、いったい誰が大工仕事なんかしてるんだ?

 ・・・って、音がやんだな。

「ムッハハハハ!!まぁたせただぎゃあ!クルツぅ!」

 ディオーネ?来たのか!?

「ムハハハハ!奴らの顔を見覚えるのに、ちーとばっかし手間取ったけどもが、うちにかかりゃー、そんくれーぞーさもねーことだぎゃ!」

 スクラップの山の上に仁王立ちし、颯爽と現れたディオーネは、右手にハンマー、そして、左手には、どこから拾ってきたのか、1mほどの長さの鉄パイプを握り締め、完全に飛ばしまくったハイテンションな表情で高笑いしている。

「おみゃーがかせーでくれた時間!感謝するでよ!」

 しかし、どこで殴られてきたのかと思わずにはいられないほど、目や鼻からあふれ出す血で顔面を赤く染め上げながら、手にしている鉄パイプを錫杖さながらに振り回しているその様相は、どこからどう見ても邪教の闇司祭そのものだった。

「とりゃっ!!」

 ディオーネが跳んだ。軽やかに、まるで、しなやかな山猫のように。

「ブフォ!?」

 びたん。と言う、聞くからに痛そうな音を立てて、彼女はローカストの上面装甲に、叩きつけられるように落下した。どうしてあいつは最後まで格好よく出来ないんだ?って言うか、本気で危なかった。あと数十センチずれていたら、めくれ上がった装甲の切り欠きで大怪我どころの騒ぎじゃなかった。

「ムハハハハ、おみゃー、覚悟するでよ。好き勝手ももうここまでだぎゃ!」

 更に勢いよく鼻血を噴き出しながら、不敵な笑いとともに起き上がったディオーネは、揺れるローカストの上で器用にバランスを取りながら、手にしていた鉄パイプの先端を、焼け焦げたコクピットハッチに走る亀裂に突き刺し、渾身の力でそれをねじ込んだ。

「くたばれ!」

 ドラ声じみた声で咆哮すると、ディオーネは右手のハンマーを高々と振りかざし、それを鉄パイプの柄元に力いっぱい叩きつけた。

 その瞬間、ローカストの装甲の隙間にねじ込んだ鉄パイプの先から、破裂音とともに爆炎が吹き上がった。そして、鉄パイプの柄元から、彼女の手にしていたハンマーを弾き飛ばし、金色の空薬莢が吹き飛ぶように吐き出されていくのが、はっきりと見えた。

「おわっ!?熱っちゃっちゃっ!」

 完全に沈黙したローカストの上で、ディオーネは、一瞬慌てた様子で鉄パイプを放り投げる。そして、爆圧で引き裂かれ、トライデントのようにささくれた鉄パイプは、くるくると回転しながら落下してくると、俺の顔の真横に鋭い音を立てて突き刺さった。

 

 そのニュースは、結局大きく報道されることはなかった。誘拐された帝国議院議長の御息女は、ゲンヨーシャ特務隊の働きによって、無事救出された。と言うことだけにとどまった。いや、ひとつだけ、事実と違って報道されたものがある。

 ノヴァキャットの紋章を描いたメック、あれは、急進的な反セオドア勢力による、ドラコ連合管領セオドア・クリタの権威失墜を狙ったテロだと報道された。そして、これを機に、反セオドア勢力の一斉摘発が開始されたと言う話だ。

 どっちにしても、結局俺たちノヴァキャットは、最後の最後までいいように利用された。ってことになる。いやはや、さすがに噂以上の御仁だよ。

 ああ、それと。 一応、言っとかなきゃならないことがある。

 あの廃工場での一件、ミカサ大尉達が、俺たちが自ら疑惑を晴らすために動く。と言うところまでは、確信はしていたらしい。だから、部下であるボカチンスキー軍曹を使って、わざわざ連れて来させたって訳だ。

 誘拐容疑で逮捕したことについても、俺たちを四六時中張っていた彼らからすれば、容疑の対象でないことは十分承知していたそうだ。しかし、他のドラコ側の人間はそうは思わない。だから、俺も含め、氏族からの親善大使一行の身の安全を確保するため、一番安全な所。つまり、自分の指揮管理が及ぶ軍警拘置所で確保することにしたんだそうな。

 そして、テロリスト連中の潜伏先を突き止めた頃合いで俺たちを外に出し、予定の段取り通り、彼らふたりの愛機、ハタモト・地とハタモト・火の2機を貸し与えるために用意していたんだそうだ。ここまでは段取り通りだった、しかし、こともあろうに氏族のメック戦士達は、彼らが思っていた以上に疑いをかけられたことを恥としていて、生身で戦うとまで言い出した。

 そして、その予想以上の決意の固さと、あまつさえ俺までもが一緒に行くとか言い出したもんだから、さらに言い出すタイミングを失ってしまったらしい。

 と、言う経緯をボカチンスキー軍曹が教えてくれた訳なんだが、あのあと、1時間をオーバーしてもミカサ大尉は砲撃の許可を出さなかったそうだ。それどころか、ミカサ大尉とイシカワ大尉は、自らのハタモトに乗り込んだ上で、バトルアーマー隊の中から偵察要員を送り出し、突入の機会をうかがっていたらしい。

 しかし、ローカストはディオーネの肉迫攻撃で撃破され、重武装のテロリスト達も、ひとり残らず、マスターとアストラに顔の形が変わるまでボコられ、廃工場に転がされていた。それらは、斥候を志願したボカチンスキー軍曹自身が確認し、報告したと教えてくれた。

 一応、彼らが悪者と思われたままじゃなんだから、蛇足までに。って奴だ。

 それにしても、問題はディオーネだ。あいつは一旦、テロリスト共の近くまでスニーキングを敢行し、ローカストのパイロットも含め、ほぼ全員の顔を確認してきたそうだ。それが何の必要なのかといえば、なんでも『ブルズ・カース』なる儀式に必要なんだそうな。

 視法の師匠に習ったという『禁呪』と言うことで、本当かどうかは知らないが、顔や声音を覚えた人間に精神をリンクさせ、呪詛を飛ばすんだとかなんとかかんとか。ドラコのホラームービーじゃあるまいし、こういっちゃ悪いが、物凄く嘘くさい。

 ただ、運悪く助からなかったテロリスト連中の検死結果に、心不全の痕跡があったらしい。だから何だと言われたら、俺も良くわからない。

 ともあれ、事がすべて終わったそのあとすぐ、足を折った俺は病院に担ぎ込まれ入院沙汰となった。マスターとアストラは、ミカサ大尉達と意気投合し、帝都の街へと繰り出して観光三昧だったって話だ。まったく、最後の最後でついてない。今度はいつ、中心領域の風を堪能できるかわからないってのに。

 俺?俺は入院中、ディオーネとボカチンスキー軍曹の付き添いがあったから、まあ、とりたてて不自由はなかったけどな。

 ディオーネは、ローカスト戦に入る前の宣言どおり、責任持って面倒見る。の言葉を守り、ずっと病院に張り付いていた。それから、蛇足ついでってわけでもないんだが、ボカチンスキー軍曹は、あの影武者となって捕まっていた女性とは、ほとんど姉妹同然に育った乳姉妹みたいなものだったそうだ。当のご本人も挨拶というか見舞いに来てくれたが、どっちがどっちだか良くわからないくらいだった。

 それはともあれ、結果的に彼女の親友を助ける形となった俺に、なにか礼をしたい。と言うことで、ボカチンスキ―軍曹も、同様に病院に泊り込んでいたんだ。

 なに?うらやましい?贅沢言うな?・・・なあ、そう簡単に言わないでくれ。ことあるたびに、枕もとで嫌味と皮肉の応酬をされてみろ?ただでさえこっちは大怪我してしんどいって言うのに、気の休まる暇もないどころか、うたたねする余裕もなかったんだ。怪我人なんだぞ、こっちは。

 本当に、勘弁してくれ

 

 俺の退院を待ったため、予定の滞在期間より若干オーバーしてしまったが、ルシエンでの役目を全て果たし、かの地を離れる日がやってきた。結果から言えば、非公式とは言え、今回の親善訪問は、予想以上の成果を双方にもたらしたと言っていいだろう。

 氏族の面々も、中心領域と言う場所に、それぞれの興味と好印象を持ったようだ。何はともあれ、ノヴァキャットとドラコがお互いに手を取る日は、そう遠くはないだろう。

 あ痛てっ

 ファーストシートでくつろいでいた俺の横っ面に、プラスチックの粒が当たった。マスター、お願いですから、こんな所でプラモデルなんか作るのはやめてください。

 ウルバリン?はあ、初めて乗ったメック?なるほど、思い出の機体って訳ですか。でもそれ、パッケージにブ〇ックヘッドって書いてありますけど。

 アストラは、さっきからずいぶん静かだな・・・へえ?携帯ゲーム?電気街で手に入れた・・・・今エンディングだから静かにしてくれ?・・・伝説の樹?・・・そうか、邪魔して悪かった。

 ディオーネは・・・機内食をさんざんお代わりしただけでは飽き足らず、手荷物の中に詰め込んで持ち込んだ、マンジュー・ケーキを頬張っている。いやそれ、ご両親のお土産とか言ってなかったか?

 それにしてもよく食うな。美味い、美味過ぎるって・・・ははは、『風が語りかけます』って奴か。まあ、食べ過ぎて腹壊さないように気をつけて。

 何はともあれ、みんなそれなりに得るものはあったらしい。

 俺?ああ、俺も、一応興味を引くものはあったかな。でもまあ、一応しばらくは連中も大人しくしてるだろう。それにしても、まったく迷惑な連中だ。たぶん本人はもう望んではいないだろうに。どうして、静かに眠らせてやれないのやら。

 ああ、ハハハ。なんでもない、気にしないでくれ。それじゃ、到着までまだしばらくあるから、俺も少し寝るとするよ。じゃ、またハンガーでな。



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お前に食わせる飯はない

「ザッケンナコラ―――!」

 俺が反射的に繰り出した跳び蹴りは、小さな敵の顔面にクリーンヒットした。そして、自分でも驚くくらい手ごたえのない軽い感触とともに、テント布をすっぽりかぶった小さな襲撃者は、見た目どおりぼろ雑巾のように吹っ飛ぶと、エプロンの強化コンクリートの上を盛大に転がっていく。

 あ?キレてないっすよ?この俺をキレさせたら、大したもんっすよ?

 久しぶりだな、少し疲れ気味なんで、少しおかしいのは自分でもよくわかってる。まあ、あまり気にしないでくれたらありがたい。それにしても、なんなんだ、こいつは!

「スッゾコラ―――ッ!!」

 俺は、コンバットナイフを握り直す小さな手を、委細かまわず蹴飛ばしてその手からナイフを吹っ飛ばした。まったく冗談じゃない、何が不満か知らないが、向こうがその気なら、こっちもそれなりの対応をするだけだ。

 だいたい、こっちはこの一週間、トータルの睡眠時間12時間、休日なしの連勤で、これ以上ないくらい気が立ってるんだ。今、俺に触れたら大怪我するぜ?もう誰にも俺を止められない、スモークジャガーだかなんだか知らないが、戦士と名乗った以上は死も覚悟と知れ。

 慌てて拾いに行ったナイフを腰だめに構え直し、弾丸のように突っ込んできた所を、軽く足を引っ掛けて転倒させると、俺は炸裂する感情のまま、ぼろ布の塊にヤクザ・キックの嵐をお見舞いした。

 ムッハハハハ!泣かすぞ、コラ!

 なに?児童虐待?人間性の欠如?大人気ない?ほほう、そう言うか?お前さん、まだ氏族の特殊性ってのをわかってないみたいだな。こいつらは歩兵を『エレメンタル』とか言って、遺伝子いじくりまわしてむやみやたらにデカごっつくするってのは知ってるよな。

 その対極に、『フェノタイプ』とか言う、気圏戦闘機乗りとして特化した奴らがいるんだよ。こいつらは背丈が140センチそこそこ、もちろん立派な大人でも、だ。だから、氏族連中の場合、喧嘩を売られた時、身長とか外見だけで相手を判断したら、痛い目見るどころか墓の下に行きかねない。

 それはともかく、俺はもう少しで刺されるところだった。搬入資材の整理作業の真っ最中に、搬入されたコンテナの中に紛れ込んでいたこいつがいきなり飛び出してきてね、俺に向かって斬りかかってきたんだよ。

 対スモークジャガー氏族殲滅作戦であるとこの、オペレーション・ブルドッグが事実上終結したとはいえ、まだ警戒態勢は解除されちゃいない。こういうことがあるからこその警戒態勢継続だってのに、港湾局の連中は一体なにしてやがんだろうな。コンテナの中にこんなとんでもない危険物が混じってやがった、こんなときのための入管検査だろうがよ。

 まあいい、これ以上言うと、こっちにもとばっちりが来る。それはともかく、ただでさえ寝不足でイライラしているところに、昨日定期配給されたばっかりの、新品のジャンプスーツをばっさり切られた。俺は軽い切り傷ですんだけど、下に着ていたなけなしのシャツまでやられちまった。

 シャツの一枚は皮の一枚、というくらい、俺たちボンズマンにとっちゃ、衣類も含めてあらゆるものが貴重品だ。それを、コイツ・・・!

 しかも、こいつは、俺に向かって

『我は、貴様らの裏切りによって滅ぼされた、スモークジャガー氏族の戦士、リオなり!我は、貴様達ノヴァキャット全ての者共に対し、破滅の神判を申し入れる!』

 と、来たもんだ。

 破滅の神判とはまた、ずいぶん大きく出たもんだ。こいつ、自分の言ってることが本当にわかっているのか?とりあえず、その時すぐに周囲を見渡してみたが、幸いなことにその氏族流の宣戦布告、バッチャルを聞いた人間は、俺以外にはいなかった。

 冗談じゃない、いくら逆上していたからといって、破滅の神判なんて、『やっぱり冗談です』では決して済まない。破滅の神判を申し入れると言うことは、その当事者だけの問題では終わらない。当事者の血族、成果物、とにかく、当事者がかかわったものありとあらゆる全てのものが、破壊・抹殺の対象になる。

 いくらノヴァキャットが、他の氏族に比べ、柔軟で、かつ寛容な一族であっても、決して許されない一言がある。別に取り繕うわけじゃないが、これを言われたのが俺で、本当に幸いだったとしかいいようがない。

 って、ずいぶん大人しくなったな。うわ、やべえ。こいつ、息してないぞ。

 

 その場ですぐさま行った、人工呼吸と御加護のお祈りをした甲斐あって、いったんは人事不省になっていた小僧は、息を吹き返すとなにやらうわごとのようにぶつぶつとうなりだした。運んでくる最中、枯れ木のように軽かったその体から、今ままで、ほとんどろくなものを食ってこなかっただろうと言うのが、ようやく見当ついた。

 だってお前、あんなボロ布を頭から被ってたらわかるわけ・・・まあ、言い訳はみっともないから止めとくわ。

「まったく、おみゃーさんも、たいがい容赦のねー奴だがね。幾らなんでも、ジャリ相手に半殺しの目にあわせるかみゃあ?」

 マスターは、いい加減あきれた表情でぼやきながら、俺のベッドの上でうなされている、垢と埃にまみれた小僧を見て嘆息している。

 それはいい、それはいいんだ。申し開きのしようもないことだから。それでも、仕事明けで俺がぐっすり眠れるはずだった、洗濯したばかりのシーツが、枕カバーが、毛布が、怪しい染みにまみれて雑巾同然になっていくのをなすすべもなく見守るのは、別な意味でツライ。

「まあ、おみゃーが嘘でってたらめゆーとは思わんだぎゃ。このジャリが、スモークジャガーの生き残りっちゅーんは、たいがいたまげたけどもが。まあ、まだこんなチビ介だし、戦士にもなっとらん半端もんだがや。

 なんちゅーか、不服の神判を挑まれたっちゅーことだけどもが、はてさて、いったいどーするかの・・・」

 さすがに、マスターも困った様子で腕組みながら、寝ている小僧を見下ろしている。と、その時、賑やかな足音とともに、ディオーネ、アストラ姉弟が俺の居室に現れた。

「ほーい、じゃまするでよ!お?隊長も一緒かみゃあ」

「クルツ、災難だったと聞いたが、怪我はないか?」

「ああ、それは大丈夫だ。どっちかっていうと、相手がヤバい」

 俺の言葉に、姉弟はベッドの上を覗き込む。すると、ディオーネが得たりといった表情で笑みを浮かべた。

「ほ、こりゃまた。おもしれーことになっとるでね」

「え?」

「ドラコの格言にこんなのがあるだぎゃ、『買った兜の緒を締めよ』。スモークジャガーの連中とのドンパチは終わったけどもが、油断大敵だぎゃ。ヴィジョンを探って、備えを万全にしよーと、ちっとばっかしひと頑張りしてきただぎゃ」

 なんかどこかしっくりこない言い回しだが、まあいい、余計なことを言うと、またぞろ面倒事がやってくる。とはいえ、なるほど、どうりで最近姿を見ないと思った。

「でな、ふっと見えたヴィジョン、なんともおみゃーさんにかかわってそーな気がしたからの、ちと顔見に来たんだぎゃ」

 ディオーネはそう言うと、人の部屋のボックスから断りもなくレーションをつかみ出すと、早速がつがつ食い始めた。本当に、勝手知ったる他人の家だなコンチキショウ。

「すまん、クルツ。姉は3日間何も口にしていない。姉が食べた分は、後で手配して届けさせる」

「ありがとう、でもまあ、気にしないでくれ。それより、ヴィジョンが見えたと言うのは?」

「“猛り狂いし黒豹の子、白き短剣に立ち向かう。短剣はその光で黒豹を鎮め、迷えるかの者に進むべき道を照らし示す”だでね。大いなる意思に、敬意と信仰の極みを、だぎゃ」

 ディオーネは、ドライケーキを頬張ったまま、神託の内容をもっくらもっくらしゃべりながら、ベッドの上の小僧に顔を向けた。それにしても、ホントこいつドライケーキ好きなのな。人が黙ってりゃ、貯め置きみんな食い散らかしやがって。

「まー、ディオーネがそーゆーんなら、それに従ってまず間違いはねーはずだぎゃ。ってことは、クルツ」

「はい、なんでしょう、マスター」

 ディオーネの言葉に耳を傾けていたマスターが、いよいよ結論を出したように俺のほうを見てにんまり笑う。ヤバいぞ、なんか嫌な予感がする。

「スターキャプテン・ローク・ドラムンドの名において、我のもつ権限の元に命ずる。我がボンズマン、トマスン・クルツは、スモークジャガーの民より受けし不服の神判に勝利し、これを退けた。よって、この者の処遇は、トマスン・クルツに一切を委任するものとする・・・だで。ま、しっかり面倒みてやるでよ」

 ちょっと待ってくれ、俺が?こいつの面倒を見る?

「こいつも見たところ、戦士階級とは言ってもしょせんは自称だぎゃ。つまり、まっとーな戦士じゃねーっちゅーことになるから、市民階級とたいして変わりねーだでな。おみゃーさんは、ボンズマンとは言え、コード2本もちょんぎれとる。もーちっとで戦士の仲間入りができる奴だぎゃ。ま、資格は問題なしだでよ」

 いやいやいや、そんな適当な理由で?

「話は決まったよーだみゃあ、そいじゃ、うちはこれでおいとまするだぎゃ。いい加減腹も減ったし、なんちゅーかこいつ、目に染みる匂いだで、あとで、風呂でも入れてやるだぎゃ」

 人の貯め置きを全部食っといて、言うことがそれか。

「クルツ、俺もいったん戻る。困ったことがあったら報せてくれ、あと、必要な物品もな」

 すかさず、アストラがフォローを入れてくれる。本当に、彼の細やかさには、いつも助けられている。

「ああ、わかった」

「よし、話は決まっただぎゃ。それじゃ、クルツ、後は任せたでよ」

 結局、面倒事はみんな俺かよ。

 

「殺さんかい」

「そんなの俺に言うな」

「おどれしかおらんじゃろうが」

「専門外だ、他をあたれ」

「だから、おどれしかおらんじゃろうが!」

「専門外だっつってんだろ、人の話聞いてんのかコノヤロウ」

 騒々しいにも程がある連中が帰った後、嵐が過ぎ去った後のように静かになった居室の中で、俺は、ようやく目を覚ました小僧となかなか険悪な空気の中、お互いの腹を探りあうように嫌味と皮肉のキャッチボールを始めることになった。

 まったく、嫌なキャッチボールがあればあったもんだ。普通、アレだろ。キャッチボールっつったら、収穫の終わった小麦畑とかで、夕陽を背中にやるもんだろ。

 だいたい、何だよコレ。オペレーション・ブルドッグの場外乱闘編ですか?だったら俺も、従軍徽章をもらわにゃ割に合わない。

「おどれに偉そうな口きかれる筋合いはないわい、臭い情けなんぞかけんと、とっとと殺さんかい」

「臭いのはお前だ、さっきから目に染みんだよコノヤロウ」

「なんじゃと!」

 さっきからなんだコイツは、ガキのクセに殺せだのなんだの。アレか?一丁前にボンズレフでもかまそうってのか?だが断る。この小僧に万一のことがあれば、俺は子供ひとり満足に面倒も見れない役立たず呼ばわりされる。

 そんなのは、真っ平御免だ。

「だいたい、偉そうな口きかれる筋合いはないだ?さんざんボコられといて、口だけは一人前だな、おい」

「うぐっ!・・・だ、だいたい、ありゃあおどれが・・・!」

「俺がなんだよ、俺がお前になんか罠でもしかけたか?変な言いがかりつけてきてんじゃないぞ。だいたい、お前の方から光りモン片手に向かってきたんだろうが。

 それともなにか?スモークジャガーってのは、子供なら手加減してくれる連中ぞろいだってのか?冗談じゃないよ?こっちだって大人しく刺されてやる義理なんかないんだよ。お前が弱いからこんなことになってんだ、お前の田舎と一緒じゃねぇか」

 どこまで行っても可愛くない口のきき方をする小僧に、俺は蓄積しまくった疲労とストレス、そして睡眠不足の勢いで物言いがきつくなる。

 大人げないとは自分でも思う、しかし、子供とは言え、あのスモークジャガー氏族の眷族が目の前にいるという、想定外もいい所な事実と、常日頃燻っていたスモークジャガーに対する嫌悪感がつい噴き出してしまう。

 スモークジャガーは、氏族の悪い部分を凝縮したどころか、そもそも人間の凶暴性に服を着せたような連中だ。奴らと比べれば、辺境宙域の海賊連中のほうがまだマシだとさえ思える。要するに、ろくなモンじゃない。

 だが、それを目の前の小僧にそっくりそのままおっ被せるのは違う、ということは頭じゃ理解している。しかし、蝮の子は蝮じゃないが、どうにも負の感情というか、警戒心が薄まらない。

 我ながら、小さい人間だと内心嘆息していると、ずいぶん静かになったと思ったら、こともあろうに、小僧はシーツを握り締めてぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。

 ちょっと待てよおい、そりゃ反則だろうが。

「・・・ひぅっ・・・や、やかましいわいっ!・・・ふぇっ・・・ス、スモークジャガーは・・・ふぐっ・・・そ、そんなんと・・・えぐっ・・・ち、違うわいっ!」

 アイスグリーンの瞳を、水の分量を間違えたゼリーのようにふやかしながら、その両目からは元栓の壊れた蛇口のように、後から後から水滴がこぼれ落ちている。

「ああ、わかったわかった。俺が悪かったよ、お前はまだまだこれからだけど、スモークジャガーが弱いんじゃないのは、ちゃんとわかってるよ。悪かったな、謝るよ」

「・・・わ、わかれば、ふえっ・・・え、ええわいっ!・・・ぐしゅっ・・・」

 どうでもいいけど、汚ねぇなぁ。

 普通、涙ってモンは綺麗なものの代名詞みたいなもんだろ?それが何で、その落下地点が、泥水でも跳ねたように茶色い染みになるんだよ。こいつ、いったいいつから風呂入ってないんだ?

まさか、ハントレス陥落の時からとか言うなよ?あれから、たいがいどれくらい経ってると思ってるんだ。下手打ちゃ、冗談抜きで病気になるぞ。

「戦士リオに問う、戦士の身なりが、乞食同然でもよしとするや?問否(クイネグ)」

「否(ネグ)!戦士とは自ら他の者の見本となるよう、誇り高く、清廉であるべきである!」

 わざわざ氏族人口調で問い掛けた言葉に、小僧もまんまと乗ってきた。キャニスター生まれときたら、大人連中でさえいい加減単純でわかりやすいのに、子供とくればなおさらだ。

「その通り、垢と埃にまみれた姿は、戦士として恥ずべきものである。問是(クイアーフ)」

「・・・ア、是(アフ)」

「よし、その言葉、確かに聞いたぞ?来い、今から風呂に入るぞ」

「う・・・」

 よし、なんかぐらついてきたぞ。この際誰に何と言われようが、こいつが自分から風呂に行くという流れに持っていく。もうこれ以上、俺の居室内の物品が汚染されるのを黙って見ているわけにはいかない。

「まさか、自分で言ったこと、ひっくり返すとか言わないよな」

「うぅ・・・」

 痛い所を突かれたか、やっこさん返す言葉が見つからないでやんの。

「だ、誰も入らんとは言っとらんじゃろうが!じゃったら、さっさと案内せんかい!」

 ほおほお、まだそんな強がりがきけるってかコンチキショウ。まあ、いいさ。どの道、この垢と泥の塊みたいな小僧をとっとと風呂に入れんことには、俺の部屋がバイオハザードだ。

 

「中止」

 冗談じゃない、こんな、マンガみたいなオチがあってたまるか!

「ま、待たんかい!おどれ、話が違うじゃろうが!」

「冗談も休み休み言え!こっちこそ話が違うぞ!」

 俺の言葉に、明らかに動揺した表情で食い下がってくるリオに、俺も負けじと言い返す。

 何があったかって?いや、別に何があったって訳じゃないんだが、脱衣所でこの小僧がポンポンと服を脱ぎ散らかしている拍子に、この小僧が、小僧じゃなかったってのを確認したんだ。

「何で言わなかったんだよコノヤロウ」

「おどれが聞かんかったから、言わんかっただけじゃ!だいたい、そがーなもん関係ないじゃろうが!」

 性別の違いを氏族人の感覚で言われても困る。家族とかならともかく、赤の他人とくれば、俺はその瞬間からロリだのペドだの言われかねない。仕方ない、ディオーネに事情を話して頭を下げるしかない。それでも駄目なら、ドライケーキ1カートンで釣るしかあるまい。やはり、最後はアストラに頼らざるを得ないようだ。

「いいから、今他の奴呼んで来るから、そいつと入れ」

「あ、アホ言いよんなら!信用できるかい!」

「だからさ、いいから前隠せ、みっともない」

「なんじゃと!なにがみっともないんじゃ!」

 最近、ドラコ式の浴場に改修したばかりの脱衣所で、俺と小僧、いや、もう小僧と呼ぶのは妥当じゃない。とにかく、俺とリオは、お互い予想外であろう展開にうろたえながら、激しく舌戦を展開した。

「とにかく、今から女の人呼んで来るから。絶対ここを動くなよ?」

「アホ言いよんなら!信用できるかい!」

「あのなお前、ボンズマンのくせに、そもそも選り好みできる身分じゃないだろうがよ」

「おどれさっき自分で言ぅたじゃろ!自分で言ぅたことひっくり返すんか!」

 なるほど、なかなか鋭いご指摘ありがとう。でもな、今見たら、風呂は今、ボンズマン連中が入る時間帯だから、早い話、中心領域出身の奴らが多いんだよ。そんな中に、こいつと一緒に入って、あまつさえかいがいしく洗ってやったりなんかしてみろ。そうなったら、俺は間違いなく、ペド野郎確定だ。

 俺は、とにかくこの場で待っているよう厳命し、服を着なおして脱衣所を出ようとした。

「う・・・ううう・・・・・・」

 だからさ、こいつは何回この反則技を使やぁ気が済むんだよ。

 恨めしそうな目つきで俺をにらみながら、両手の拳を固く握り締めて肩を震わせているリオに、俺は頭のてっぺんに穴が開いて、そこからガスか何かが抜けていくような、脱力感の極みに陥った。

 だいたい、監視の目をくぐり抜けて、ひとりでここまで密航してやってきたくせに、今さら知らない人間が怖いもないだろうがよ。これじゃ、完全に俺が悪者じゃないか。

 本当に、いい加減にしてくれ。

 

「絶対タオルはどけるなよ、さもないと、すぐ撤収だからな」

「わ、わかっとるわい」

 苦肉の策、ってわけでもないが、俺は、リオの腰に巻かせたタオルを絶対外さないよう厳命する。こいつの場合、こうしてさえおけば、どっちが裏か表かもわからないくらいガリガリに痩せているおかげで、見た目的には小僧にしか見えない。

 すげぇな、こいつの歩いた後、スタンプみたいな足跡がついてるよ。ったく、汚ぇなあ。

「さて、じゃあまずは頭から行こうかね」

「お、おう・・・」

 頭からシャワーをかけてやると、全身を伝わり落ちるお湯は、たちどころに泥水と化していく。ちょっと待てよ、なんだよこれ。

 当然、周りの奴らもドン引きして距離を開けていく。すまんね、迷惑かけて。

「こいつぁ、シャンプーより洗剤が必要かね」

 実際、リオの汚れっぷりは半端じゃなく、シャンプーをすり込んだはずの髪の毛に指を通そうとしても、針金の束のように引っかかり絡み付いてどうにもならない。それでも、辛抱強くじっくりと揉み解すように洗っていくと、真っ白い泡が真っ茶色になった。

 さっきから何べんも言ってるけど、何だよコレ。

 泥みたいな泡をいったん洗い流し、もう一度シャンプーで髪をとぐの繰り返しで、ようやく泡の色が白に近くなってくる。それと同時に、あのバターとカブト虫を練り混ぜたような、あの目に染みる匂いもしなくなってきた。

「なあ」

「なんじゃい」

「さっきは、思い切り蹴っ飛ばして悪かったな」

「・・・別にええわい、いつかやりゃあげたるけぇのぅ」

「痛むとこないか?」

「どうもありゃせんわい」

「後からなんかあってもまずい、俺に仕返しすんだろ?だったら、ちゃんと言えよ?」

「わかっとるわい」

 相変わらずとげとげしい返事に苦笑いしかでてこないが、今の所大人しくしている。さて、頭洗い終わったら、次は背中でも流してやろうかね・・・って、また、何泣いてんだよ、お前は。

「どうした、泡が目に入ったか?」

 話しかけても、リオはただ頭を横に振るだけで、何も答えやしない。まったく、この意地っ張りの泣き虫め。

「ほれ、シャワーかけるから、目ぇ閉じてろ」

 

「どうだ、少しは落ち着いたかよ」

 俺は、ゆったりと湯船につかりながら、隣のリオ介に声をかける。

「お湯こんなに使いおって、ぶち贅沢な風呂じゃのぅ」

「ドラコの風呂はみんなこんなだよ、ディオーネやうちのマスターがこの様式をえらく気に入ったもんだから、基地司令に改装を具申したらこの通り、ってやつだ」

「ノヴァキャットひとりだけ、中心領域に寝返ってぬくぬくしとるってわけかい」

「お前な、言い方ってもんがあるだろうがよ」

「裏切りよったんは事実じゃろうが、何が違うんじゃい」

「そうきたか、まあ、傍から見りゃ、そう思うよな」

 こいつの言いたいこともわかる。確かに、中心領域の五大王家が連携して再編された新生SLDFと組み、スモークジャガー氏族に宣戦布告したノヴァキャット氏族の動向は、他の氏族からすれば裏切ったとしか見えなくても仕方ない。しかし、それらは、地政、軍事、経済、その他諸々の打算から始まったものじゃない。

 

 竜が猫と豹を喰い殺す、そして、猫が龍と共に豹を殺す。

 

 ノヴァキャット氏族の筆頭視法師(オースマスター)が告げた神託、それが全てだ。そして、ノヴァキャット氏族は、次に来るであろう災厄を恐れず、その神託に従い、中心領域と共に戦うことを選択した。

 別にコイツを馬鹿にするわけじゃないが、そんなことを言っても、コイツは信じないだろうし、そもそも理解しようともしないだろう。

「でもな、ノヴァキャットは足元の砂金じゃなくて、はるか向こうの金山を見ている。つまり、今じゃなくて、未来を見てる連中なんだよ。確かにそういった意味じゃ、他の氏族からすりゃ理解に苦しむだろうな」

「さっぱり訳わからんわい」

「まあ、いいじゃないか。ある時は楽しめ、ない時は我慢しろ。それが氏族人ってもんだろ?」

「おまえに言われんでもわかっとるわい」

「ならいいさ、とにかく、そう言うこった」

「ふん、ボンズマンのくせに偉そうに」

「そりゃお前もだろうがよ」

 可愛くない態度と憎まれ口は相変わらずだったが、それでも、錆びた鉄のようなザラついた敵意は、それなりに消えたように見えた。と、思う。それにしても、ったく畜生。ガキのお守りも楽じゃない。

 

 俺の部屋で我が物顔でのさばっているリオは、見かけだけならほとんど別人になった。今、目の前で人の机の上や棚の上を珍しそうに物色しているこのチビ介は、褐色の肌とおろしたての絹糸のようにキラキラ光る髪が、利発な印象を与える姿に様変わりした。

 なんて言うか、真っ黒く汚れて見えたのは、何も汚れのせいだけじゃなくて、こいつの肌が元から濃い褐色だったからみたいだ。

 確かに、晴れ渡った夜空のように真っ黒な髪と、濃い褐色の肌のなかに、ひときわ鮮やかに輝いている、エメラルドみたいな瞳と言う、これまた珍しい組み合わせは、黒豹をイメージさせると言えば言えなくもない。ただ、これほどまでに泣き虫の黒豹とは、頼りないことこの上ないが。

 まったく、泣き虫と言えば、俺が頭を洗ってやっている最中、リオがいきなり泣き出したのには本当にまいった。おかげで俺は、風呂に入れることにかこつけて、子供相手にいかがわしいことでもしたのかという、周囲の冷たい視線の集中砲火を浴びた。

 え?ああ、そうだよ。こいつ、人が泥だらけの髪と格闘するのに気を取られた隙に、腰に巻いたタオルを取っ払ってかゆいところを自分でゴシゴシやってやがったんだ。おかげで、このチビ介が小娘だったってことが、周りの連中にモロバレさ。

 ああ、これで俺も、明日から立派なペド野郎の称号がもらえるんだ。畜生。

「クルツ、腹が減ったけん、なんぞ食わしてくれんかのぅ?」

 部屋に戻るなり、妙にでかい態度でくつろぎだしたリオが、気楽な声をかけてきた。なんだこいつ、いきなり馴れ馴れしくなりやがって。

「お前に食わせる飯はない、もちろん、俺が食う飯もない」

 事実は事実だ、俺は、今の状況を率直に伝えた。

「なっ?なんでじゃ!」

「取り置きはさっき、ディオーネにみんな食われちまった。食堂はこの時間は開いてない、つうか、開いててもボンズマンは使えない。朝まで我慢しな」

「なんでそうなるんじゃい!」

「文句なら、直接ディオーネに言えな。言っとくけど、あの女は、白兵戦でローカストを撃破したこともあるんだ。そこらへんをよく考えてから、文句は言いに行けよ」

「で、出来るかい!そがーなこと!」

 いい加減色黒だから、顔色の変化はよくわからないにしても、だいぶ動揺しているのはわかった。わかったんなら、もうこれ以上グダグダ言うな。風呂に医務室、だいたい、誰のおかげで食堂の時間に間に合わなかったと思ってるんだ。

「いいから、もう寝な」

「きさん、覚えとれよ」

「はいよ、おおせのままに」

 恨みがましそうなリオをベッドに追い払い、俺はボックスから野戦用寝袋を引っ張り出した。その時見つけたのは、前に片付ける時に紛れ込んだのか、寝袋と一緒に突っ込まれていたチョコバーのレーションパック。

 俺は、それをリオに放ると、今日はもうこのチビ介に関わるのを一切やめると決めた。畜生、まったく、最悪の非番明けだよ。

 歯磨きは・・・まあ、一日くらい、大丈夫だろ。

 



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君の願いは

「こんなアホらしいこと、やってられるかい!」

「やりたくなくてもやるんだよ!」

 逆上してデッキブラシを振り上げ、わめき声を上げながら飛びかかってきたリオを、俺は、手にしていたデッキブラシで攻撃を受け止め、そのまま勢いを絡め取るように受け流した。そうしたら、リオ介の奴は、自分の勢いで足を滑らせ、そのまままっすぐ湯船に突っ込んでいった。

「わぁっ!?」

 ずいぶんまた、可愛らしい悲鳴を。意外な発見に感心しながら、豪快な水しぶきと共に湯船に沈んだリオの姿を見る。ナメてもらっちゃ困る、こう見えたって銃剣格闘はわりかし得意だったんだ。

 おはよう!ははは、まだ寝てたかな?日も昇りきらない暗いうちから、俺とリオは朝掃除に出動してるってわけだ。朝稽古前のジムの掃除と風呂の支度は、まあ、新人ボンズマンの仕事みたいなもんだが、俺も、こいつに仕事を教えるために、わざわざ早起きしたって訳だ。

 それなのにこのチビ介ときたら、いきなりこれだもんな。

「・・・なんで、うちがこんな事せんとならんのじゃい」

 水風呂のなかから再上陸を果たしたリオは、かなりしょげた様子で自分が落としたデッキブラシを拾い上げている。まったく、いい加減諦めの悪い奴だ。そりゃ、本人にして見りゃ転落人生ここに極まれり、と言ったとこだろうが、それは俺だって一緒だ。

「いちいち文句垂れんな、早くしないと、朝稽古の連中がきちまうぞ」

「言われんでも、わかっとるわいっ」

 いちいち口答えの多い奴だ。こっちはわざわざお前さんに合わせて、しなくてもいい早起きをしてやってるってのに。

 

「なんじゃい、今日もこれかい」

 本当に、いちいち文句の多い奴だ。

「配給制限なしに、腹一杯食えるのがキッシ・ヌードルだけなんだ。文句ばかり言ってると、それだって食わせてもらえなくなるぞ」

「・・・あっちはええのぅ、丸々太ったエビフライ」

 リオは、戦士階級の連中が食ってるエビフライやテバサキ・フライをうらやましそうな目でながめている。っていうか、朝からあんな重たいモン食いたがるなんて、若いってのはいいねぇ。

「あっちはあっち、こっちはこっちだ。いちいち気にしてたって仕方ないだろう」

 俺は、未練がましい表情のリオに一言釘を刺すと、ボウルの底に残ったスープを一気に飲み干した。

「クルツ、俺はちと急ぎの用があるでよ、片付けておいてくれみゃあ」

「うちのも頼むだぎゃ」

「クルツ、俺のも頼む」

 マスター、ディオーネ、アストラの3人が、俺の前に次々とトレイを置いて立ち去って行く。お?ははあ、なるほど、そう言うことか。

「リオ、食えよ」

 俺は、3人分のトレイの上に、少しずつだが手付かずで残っている、エビフライやテバサキ・フライを、食い終わった空のボウルに素早く集めてリオの前に置いた。

「人の残飯なんぞ食えるかいっ!」

「食わないなら、俺が食うぞ?」

「待たんかい!おどれに食われるくらいなら、うちが食うわい!」

 そう言うと、リオの奴はちょうど一人分のフライを集めたボウルをひったくると、ボウルの上に覆い被さるようにして、フライにかじりついた。ハハハ、まるで猫だ。

 だが、実際問題として、育ち盛りの子供に粗食ってのも、ちと考えもんだ。ただでさえ、ひねり上げればポキンといきそうなくらい痩せてるだけに、食事については、ちゃんと考えてやらなければなるまい。

「ん、どうした?」

 食後の茶を飲んでた俺の脇腹を、リオが突っついてくる。やめろよ急に、噴いたらどうすんだ。まったく、今度は何だよ。

「食い足りなくても、もうないぞ。あんまり甘えると、クセになったら後がツラいぞ」

「・・・そ、そんなんじゃないわいっ。その、うちも腹一杯になったけん、残りはわれにやるわい」

「いいのか?」

「せ、戦士に二言はないわいっ」

 まったく、こいつは何赤くなってんだよ。なに、よくわかるなって?あのな、そりゃ、ひと月近く顔合わせてりゃ、それくらいわかるようにもなるさ。

「ありがとうな、リオ」

「ええから!とっとと食わんかいっ!」

 ハハハ、可愛い奴だ。

 

 ここ最近の共同生活でわかったことがある、このリオ介、なかなか機械いじりのセンスがあるということだ。呑み込みがどうとかそう言うレベルじゃない、こいつは、俺達テックが言うところの、『機械と会話』出来る感覚が備わっているらしい。

 わずかな作動音の違い、外観から直感的に感じる違和感、それらを嗅ぎ取り、認識することを、俺達は機械と会話すると言っている。 

 もちろん、これは誰でもできるって訳じゃないが、それでも経験や修行である程度は身に付けることは出来る。でも、このリオのように、子供のうちから感覚として備わっていると言うのも、かなり面白いことだ。

 例えば、こいつが変だ、と言ったところを試しに開けてみたら、本当に変だったりすることがちょくちょくあった。とは言ったって、まさか本当に整備の手伝いなんてさせるわけにはいかない。子供に触らせたと面白く思わないメック戦士もいるし、そもそも、危険な作業を子供にさせるわけにはいかない。であるからして、コイツに手伝わせているのは、せいぜいが機体の掃除と部品磨きくらいだ。

「ほぎゃっっ!?」

 人がそう言ってるそばから、いったい何やってんだよこいつは。なにぃ?コンデンサーに触ったぁ!?アホか!下手打ちゃ死ぬぞ!

 あぁあぁ、こんなに手を真っ赤に腫らしてからに。とはいえ、メックのサーボモーターコンデンサーに触って、あの程度で済んだのは本当にラッキーだぞ。一つ間違えりゃ、真っ黒焦げになってもおかしくないんだからな。

 わかったわかった、今手当てしてやっから、もう泣くんじゃないよ。

 

「なんでだめなんじゃいっ!?」

 だから、そう大声出すなってのに。もうすぐ消灯なんだぞ、近所迷惑だろうが!

「どこでもええって、ゆぅたじゃろうが!」

 ああ、確かに言ったともさ。でもな、日曜市だけには行きたくないんだよ。

「明日、ジョージとサダームが不服の神判をやるから、それじゃ駄目か?メックを使うって言ってたから、メック戦の参考に・・・」

「他人のケンカなんぞ見て、何が楽しいんじゃい!」

 おやおや、ずいぶん氏族人らしからぬお言葉でやがりますね。

「とにかくだな、バザール以外だったら、どこでもいいから。他にないか、ん?」

「・・・な、ないわいっ!・・・ふぇっ・・・じゃったら、部屋で・・・ひっく・・・寝とるわいっ!」

 コンチキショウ、人の気も知らんと、ベソベソ泣きやがって・・・。

「そうか、まあ、気が変わったら言えよ」

「じゃ、じゃかあしいわいっ!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を真っ赤にして怒鳴ると、リオは、もはや自分のもの同然にした俺のベッドにもぐりこむと、毛布を頭からかぶってそのまま丸くなってしまった。

そして、その布団饅頭の中から聞こえてくる嗚咽の声を聞きながら、俺はどうにも晴れない気分を持て余す羽目になった。

 本当にすまない、でも、とにかく、バザールだけは行きたくないんだよ。

 いつしか、泣き疲れてしまったのか、静かになった部屋の中で小さくため息を吐く。なんだ?随分らしくないじゃないかって?あのな、俺だって木の股から生まれたわけじゃないんだ。約束破られた子供がどんな思いをするかくらい、わかってるつもりだよ。

 

 翌朝、膨れっ面をぶら下げながら、デッキブラシを手に風呂場のタイルを磨いているリオは、起きてからずっと、一言も口をきこうとしない。

「・・・リオ」

「・・・・・・」

「・・・リオ介」

「・・・・・・」

「・・・リオってばよ」

「・・・・・・・・・」

「早く終わらせろよ、朝飯食ったら、日曜市に行くからな」

 その時、黒い砲弾が飛んできたと思った瞬間、俺は腹に鈍い衝撃を受けて、危うく足を滑らせて湯船の中にひっくり返るところだった。

「ほんとか!ほんとに行くんじゃな!」

「ああ、だから早く終わらせようぜ」

 俺の腹に抱きついて、こっちを見上げているアイスグリーンの瞳が、コヨーテ氏族の宝石職人が磨き上げたエメラルドにも負けない輝きを浮かべている様に、俺は少し言葉を詰まらせちまった。こいつらでも、こんな顔が出来るんだな・・・。

「アハッ!アハハハハッ!」

 弾けるように離れると、リオはデッキブラシを拾い上げ、まるでダンスのステップを踏んでるかのように、軽やかな足取りでタイルを磨き始めた。最初の頃は、転んでばかりいたのにな。

 そんなコイツの様子を見ながら、やはり、思い切ってよかった。そう思いながら、何となく軽くなった気分でポケット越しの銀細工に触れた。

 

 バザールに来るのなんて、何年ぶりだろう。まさか、またここに来ることになるとは思わなかった。

ん?ああ、あの時のことを気にしてるのかって?まあ、そうだな。そうかもしれないな。

「クルツ!腹が減ったけん、何ぞ食わしてくれんかのぅ!」

 そりゃ、あれだけはしゃげば腹も減るだろうさ。まったく、人の気も知らないで、気楽に跳ね回りやがって。けどまあ、子供が元気なのはいいことさ。

「・・・で?何が食いたいんだよ」

「あれじゃ!」

「あっ!?おい!待て!」

 その勢いに、思わずひるむくらい元気良く即答したリオは、俺が場所を確認する前に鉄砲玉のようにすっ飛んでいくと、人ごみの中を巧みにすり抜けて、あっという間に見えなくなっちまった。

「おい!リオ!あれってどれなんだよ!」

 ・・・くそう、なんてせっかちな奴だ。

 リオが駆け出して言った方向へ、記憶を頼りに人ごみをかき分けて行くと、果たして、リオは見知らぬ男となにやら話している様子だった。まさか、勢い余って人様にぶつかって、迷惑かけてんじゃないだろうな。

 だが、俺はリオの前に立っている男に、言い様の無い違和感を感じた。いや、何がどうって訳でもないんだが。

 灰色に近い褐色の肌、何もかもを見透かすような、銀灰色の小さな瞳。背はあまり高くないだろう、やせぎすの体格は、その存在感をさらに薄めている。

 有体に言えば、どこにでもいるような男。けれども、俺はこの男に、とてつもない不吉さを感じた。

 考えすぎ?ああ、それならいいけどな。でもな、俺だって整備兵とは言え、軍人のはしくれさ。危険要素に対して、無駄でもなんでもいいからセンサーが反応しないようじゃ、俺はとっくの昔にこの世からおさらばしている。

「お取り込み中すみません、私はこの子の保護者です。何か、ご迷惑をおかけしましたか?」

 俺が話しかけると、リオは明らかに動揺した表情を見せて振り向いた。くそ、やっぱり何かあったのか?

「いや、なんでもない。少し、道を聞いただけのことだ」

「・・・この子は、最近ここに引っ越してきたばかりだから、あまり詳しくは無いと思いますよ。よろしければ、私がご相談に乗りますが?」

「いや、それには及ばない。特に急いでいるわけではないのだから。では、君。引き止めて済まなかった」

 男は、静かな口調でリオに言葉をかけると、そのまま人ごみの中へと消えていってしまった。なんだよ、まるで幽霊みたいな奴だな。ああ、確か、前に見た時はあんな感じだったぞ。

「リオ」

「な、なんじゃい!」

 ・・・こいつ、何を動揺してるんだ?

「お前な、誰が財布を持ってると思ってるんだ?腹が減ってるのはわかるけどな、もう少し落ち着いたってバチはあたらんぞ」

「わ、わかっとるわい!」

 まあいいさ、何があったかは知らんが、ここでうるさく聞いて場を壊すこともない。

 俺の言葉に、どこか安堵の表情を浮かべつつも、リオの奴は、揚げ物の音も小気味いい、屋台と言うよりちょっとした食堂と言った風情の小屋を指差した。

「ぶちえぇ匂いがするけん、クルツ、あれを食わしてくれんかのぅ」

「わかった、少し早いが、あそこで昼飯にするか」

 俺がそう言うや否や、リオ介の奴は弾かれたように駆け出すと、あっという間にカウンターに張り付いていた。

「クルツ!はよこんかい!」

 はいはい、わかってますよ。

 

「いただきます」

「おう、食え」

 ありとあらゆる飯に、常に感謝の気持ちを。

 俺は、他はともかく、このひと月近く、これだけは徹底してリオ介にしつけた。そして、小さな手を合わせて神妙な表情で挨拶を終えたリオは、早速のようにフォークを取り、ミソソース・カツレツと戦闘を開始した。

 おぅおぅ、あんなに美味そうに食ってからに。

 そして、俺の両手の平を合わせたほどもあるカツレツは、瞬く間にリオの腹の中へと消えた。俺も、その一部始終を見ていたが、まるで飢えた黒猫が餌にかぶりついているようで、けっこうほほえましい。

 ハハハ、こいつ、俺の皿の上を見てやがる。

「食うか?」

 俺は、半分ほどになったカツレツの乗った皿と、付け合せの黒パンをリオの方に寄せてみた。さあ、どうする?自称戦士様。

「う・・・」

 一丁前に迷ってやがる、バカだねこいつは。今までさんざんマスター達のおこぼれをちょうだいしておいて、今さら何を見栄張る必要があるんだか。

「まあ、余計なお世話だったかな。気にするな」

「待たんかい!誰もいらんとはゆぅとらんじゃろうが!」

 そう言うと、リオは素早く細い腕を伸ばすと、皿を自分の方に引き寄せる。そして、カツレツをナイフで半分に切ると、残りの皿を俺の方に差し戻してくる。

 ははぁ、コイツめ。いっちょ前に気をつかってやがる。

「俺はいいよ、遠慮すんな」

「・・・ええんか?」

「ああ、食べろ食べろ」

 少し考えこむような表情を浮かべた後、リオは小さくうなずくと残ったカツレツにかぶりついている。それにしてもいい食いっぷりだ。こうまでくると、食わせ甲斐があって嬉しい。

 とりあえず、なんだかんだで、休日は彼女の満足感を満たしてくれたようだ。さてさて、トーテム・ノヴァキャット、セント・サンドラ、そして、セント・ジェロームに、感謝の極みを、だな。

 

「冗談もたいがいにしろ!そんなこと、認められるか!」

「なんでじゃい!」

 その日の夜、宿舎に戻った俺は、それとなくあの時のことをリオに問いただした。そして、誘導尋問にあっさりひっかかったリオが口にしたのは、まったく予想外もいいところな話だった。

「アンタロスに行くだと!馬鹿も休み休み言え!」

「じょ、冗談なんぞゆぅとらんわい!うちはスモークジャガーの戦士じゃ!みんながいる場所に帰って、何が悪いんじゃい!」

 畜生、あの時見た男は、やっぱりただの流れもんじゃなかったらしい。リオの話から察するに、奴はスモークジャガーの生き残りで、秘密裡に各地をまわっては、同朋を探し、アンタロスへの勧誘をしてまわっているらしかった。

 冗談じゃないぞ、いくらリオがスモークジャガーの生き残りでも、アンタロスなんて掃きだまりなんかに行かせてたまるか。だいたい、戦災孤児や少年兵の末路なんて、恐ろしいほど例外というものがない。クソのような連中にいいように使われ、くたばる。ただそれだけの話。

 自分の目で見たり、報告資料で見たり、そりゃもううんざりするほど同じ話の繰り返し。そして、下衆な話をするようだが、小娘がそんな状況に放り込まれたが最後、さらにろくでもない扱いが待っている。そうなるとわかっていて、はいそうですかと首を縦に振るつもりなんてない。

「とにかく落ち着け、ノヴァキャットでも戦士になれる。お前にだって、その資格は充分あるんだ。ここでしっかり修行していれば、お前の夢は必ずかなうんだ」

「・・・う、じゃ、じゃけん、うちはスモークジャガーの・・・!」

「だから、落ち着けと言っているんだ。スモークジャガーは、大拒絶でブラッドハウスは抹消されたんだぞ?どんなに頑張ったって、アンタロスじゃ名誉ある戦士にはなれないんだ。リオ、お前のしようとしてることは、危険なことなんだぞ?頼むから思い直せ、みんなだってお前のことを気に入ってくれている。ノヴァキャットは、お前を絶対裏切ったりなんかしない」

「じゃ、じゃけん!うちはみんなのいるアンタロスに行きたいんじゃ!」

 生き残った同胞がいる場所、そこへ行きたいというこいつの気持ちはよくわかるつもりだ。そこが、人間のクズ共が集まる無法地帯じゃなけりゃ、俺だって考えたろう。しかし、そうじゃなかった。だから、この話はここでお終いなんだ。

「だからって、そんな危険なとこに行くと聞いて、はいそうですかなんて言えるわけないだろう」

「じゃ、じゃかあしいわい!この人っ腹生まれのボンズマンが、なに偉そうな口きいとるんじゃ!!」

 それでも、意固地なまでに拒絶するリオの言葉に、じわじわと焦りと怒りが浮かぶ。人の気も知らないで、なんにもわかっちゃいないくせに、そんな薄黒い大人の理屈が鎌首を持ち上げる。

 それでも、どうにか感情を抑えつけ、言葉を探そうとしてみるが、こんな時に限ってムカつくくらいうまい言葉が出てこない。

「ノヴァキャットは敵じゃ!中心領域の猿と一緒にスモークジャガーを滅ぼした敵じゃ!」

「お前な!いくらなんでもその言い草は何だ!」

「おどれこそ何様のつもりじゃい!このフリーバース!!」

「!」

 さすがに、この十年来、散々言われっ放しで慣れてきたと思ったが、今の一言は、どう言うわけか、俺の心臓に根元まで突き刺さるような激痛を与えた。

 ノヴァキャットを敵と呼ぶのはいい、そして、俺を人っ腹生まれと呼ぶも別に構わない。実際、その通りだし、こいつの見てきたものを想像すれば、そんな言葉が出てきても仕方ない。そして、勢いで出た言葉だとしても、一番言われたくない相手から、一番聞きたくない時に投げつけられた言葉は、目潰しのように俺の視界を真っ黒にした。

 もう返す言葉も出てきやしない。俺は、今さらながらに、トゥルーボーンと呼ばれる連中と、俺達フリーボーンの人間との間に立ちふさがる、壁のようなものを思い知らされる。しかも、それを口走った相手が、俺にとっていろいろな意味で最悪だった。

 それでも、何か言わなければ、どうにかして、この狂った空気を元に戻さねば。そんな思いが頭の中で、出来の悪いシチューのようにぐるぐるかき回される。しかし、今まで見たこともないような敵意を向けてくる眼を見た瞬間、俺の無駄な努力を目一杯煮込んでいた大鍋がひっくり返り、その中身をぶちまけていた。

「・・・ああ、そうかよ」

 俺は、この時どんな顔をしていたんだろう。さっきまで、あれだけ怒りと興奮で歪んでいたリオの顔が、まるで液体窒素でもぶっかけたように凍り付いている。

 だが、もう何もかもがどうでもよくなった。俺は、ほとんど無意識に、壁に引っかけていたバックパックを引っ掴むと、その中に目に付いた衣類や携帯食料など、ありとあらゆるものを手あたり次第に詰め込んだ。

「もってけ、このボンズマンからの献上品だ。これ持って、アンタロスでも地獄でも、どこでも好きな所にいくといいさ」

 もう、理性的な言葉なんて考えつかない。俺は、パンパンに膨らんだバックパックをリオ押し付けた。

「それ持ってとっとと行きな。ああそうさ、こっちだって口だけ達者な穀潰しの世話はもう沢山だ」

 リオの褐色の頬が、それとわかるくらい引き攣り、震えている。だがもう知ったことか、もうたくさんだ、うんざりだ。

「それじゃ、元気でな」

「おどれに言われる筋合いなんぞないわい!」

 バックパックを抱えたリオは、俺の別れの言葉に、敵意に満ちた言葉と目を向けると、後はものも言わずに駆け出し、居室を飛び出していった。そして、嵐が過ぎ去ったような居室の真ん中で、俺は糸が切れたようにへたり込んでいた。

 

 俺は、なにか勘違いをしていたんだろうか。こいつと寝食を共にした1ヶ月という時間で、俺はこいつの何になれたって言うんだろうか。それでも、いつの間にか、あの子を大事に思うようになった自分を否定はできない。

 けれど、それはみんな俺の思い上がりだったんだろうか、独りよがりだったんだろうか、あの子にとって、俺は裏切り者の氏族の人間で、ただの人っ腹うまれでしかなかったのか。その事実を、他ならぬ本人から叩きつけられ、そして、裏切られたと勝手に逆上し、あの子をここから追い出していた。

 別に、今の今まで、感謝されたくて面倒を見てたわけじゃない。マスターからの下命だったとはいえ、それでも、してやれるだけのことはしてやりたいと思った。さっきのザマを見られたばかりじゃどうしようもないが、本当に、そう思っていた。思って、いたんだ。

「畜生・・・・・・!」

 俺は、急に温度が下がったような居室の中で、使い慣れた椅子に腰を落とした。そして、マスターが残していった、ボトル入りの酒を引っつかむと、もぎり取るように栓を開け、委細かまわず喉の奥に流し込んだ。

 強烈なアルコールが喉を焼く。だが、普段ならそれだけでひっくり返るそれすらも、心地良いものに変えてしまう。

 いや、心地良いわけなんか無いだろう。

 いい大人が、子供の言うことに逆上して、挙句の果てにはヤケ酒か。ザマぁないったらありゃしない。だから、バザールに行くのは嫌だったんだ。あそこに行くと、大体ろくでもないオチがついてくる。本当に冗談じゃない、人を馬鹿にするのも大概にしろと喚きたくなる。いや、こんな人間だから、こんなろくでもないオチしか引けないんだろう。

「畜生・・・」

 何度目かわからない悪態をついたその時、居室のドアをノックする奴がいる。

『班長、いいッスか?』

「・・・シゲか、どうした」

 この時間に珍しく、居室を訪ねてきたシゲは、丸縁眼鏡の奥の目を瞬かせている。

「いえね、こんな時間にリオちゃんがバックパック背負って走ってったもんッスから、何かあったのかと思いましてね、ええ」

「アイツなら、ここを出ていくとさ」

「え?」

 俺の返事に、シゲは困惑するような表情を浮かべる。

「それって大丈夫なんッスか?後でロークさんにどやされませんかね」

「知ったこっちゃねぇよ、そん時ゃそん時だ」

「ひとっ走り行って、追っかけてきますか?」

「余計な事してんじゃねぇよ、ほっとけっつってんだろ」

「・・・わかりました、それじゃ、失礼するッス」

 気遣うような表情で振り向きながら、ドアを閉めたシゲの足音が遠くなっていく。それが何故か、無性に情けなくなって、俺はボトルの中身を一気にあおった。

 

 

「起きたかみゃあ、大将」

 朝、のっけから奇妙な挨拶で目を覚ますと、そこには、ディオーネの姿があった。昨日の深酒で、目玉が不愉快に重い。

「・・・どうして、ここに?」

「どーしてもなにも、おみゃーこそ何こんなとこで寝とるんだがや」

 俺が寝ていたのは、整備員当直室だった。酔った勢いかなんかで居室を抜け出し、こんなとこでクダを巻いてたのか、俺は。消灯時間を過ぎていたのに、よく警邏隊に見つからなかったもんだ。

「それはそーと、おみゃーよ、あのポンコツのレストアはどうするんだぎゃ?おみゃーが直さんかったら、ありゃいつまでもガラクタのまんまだぎゃ」

「わ・・・わかりました」

 そうだった、最近ようやく仕事が落ち着いてきたのを機会に、今までだましだまし動かしていたローカストをレストアしてたんだ。

 数年前のように、あちこちの氏族から目の敵にされ、追いかけ回されていた時ならともかく、ドラコと同盟を果たし、イレース星系の片隅に落ち着けた今では、当面の強敵は減ったことになる。まあ、もっとも、そのおかげで他の氏族連中から恨みを買う羽目になったんだけどな。

 いわゆる、『ノヴァキャットの放棄』と呼ばれたあの戦い。あれは、今思い出しても酷いものだった。

 侵攻派・守護派問わず、ほとんどの氏族が中心領域の星系へと向かう船団に、その容赦のない牙を向いてきた。だが、スノゥレイヴン・ダイヤモンドシャーク両氏族の助けで、半分以上の人命と財産を失いながらも、どうにか全滅を免れてイレースにたどり着く事が出来た。

 それ以降は、作戦らしい作戦はないものの、備えを固めておくに越したことはない。ということで、旧式メックのレストアと改修・戦力化は、俺の所属しているクラスターのみならず、ノヴァキャット氏族全体の急務事項に認定されている。だから、ここ最近は戦闘がない代わりに、今までだましだまし使用されていたようなメックも、オーバーホールと強化改修の対象になったって訳だ。

 ああ、クラスターってのは、中心領域の軍事編成で言えば、大隊とかそのあたりになるもんさな。ともかく、スターコーネル・イオ閣下直々のお達しとあらば、頑張らない訳にはいかない。同じ命令されるにしたって、おっさんより美人に命令されれば、数倍力が入るってもんだ。

 それはともかく、だいぶ前の話になるが、ルシエンで起きたテロに巻き込まれながらも、ディオーネの冗談みたいな活躍によって捕獲し、DCMS相手に所有権を主張して持って帰ってきたローカストは、バキバキに破壊されたコクピット回りを何とか載せ換えたまではよかったが、うちの部隊は二線級扱いの部隊なもんだから、ⅡCタイプに改造するだけの物資はまわってこない。それどころか、クラシックタイプのローカストなんて氏族軍で部品を扱っているかどうかもわからないような有様だ。

 まあ、お前さんも今まであれこれ見聞きしてきて、薄々感づいてるかもわからんけど、このクラスターは、どうも変わり者とかクセの強い連中をかき集めて置いてある部隊らしい。そして、何か事があれば公式非公式を問わず、真っ先に最前線に放り込まれる、遊軍と言うか、まるで懲罰部隊みたいな任務をおおせつかることが多い。

 覚えてるか?結構前の話だが、ディオーネがスランプになった時、ドラコの連中とちょっとした小競り合いをしたことがあったろ?あれなんて、もしコムスター辺りに嗅ぎつけられたら、神判の契約を破ったとかで、あのいけ好かない白装束の眼帯親父が何を言ってくるかわかったもんじゃない。まあ、そんなこと俺の知ったこっちゃないけどな。

 とにかく、こき使われるわりには物は回ってこないって面倒な所だ。だから、IICアップデートは無理にしても、出来るだけのことをするしかない。さっきは急務と言ったが、コイツに関しては、まあ、やるだけやってみろ。みたいな扱いになっている。とはいえ、1V型といっても、ローカスト自身は元々素性のいいメックだから、特に苦労はしないと思うけどな。

「せっかくふたりでとっ捕まえた奴だぎゃ、直して使えるんなら、直すに越したこたぁねーだぎゃ?」

「そうですね、わかりました」

 俺は、昨晩のやけ酒でドラムロールを響かせる頭をなだめすかしながら、ディオーネに促されるままに当直室を後にした。

 

「おはようございます、班長!なんか顔色悪いッスよ?ああ、そうそう、冷蔵庫にスポドリあるから飲んでいいッスから」

「ああ、ありがとう、シゲ」

「なんのなんの」

 昨日、相当みっともない姿を見せただろうに、誰もそれを気にした様子もなく、いつも通りに接してくれている。みんながこれだけ気を使ってくれていることで、あの時の俺が、どれだけ大人気ない真似をしたのかを思い知らされてしまい、どうにも目を合わせづらい。

 詰所の隅の冷蔵庫にストックされた、相変わらずケミカルな色合いのスポーツドリンクを2本頂くと、ディオーネにも一本差し出したら、彼女はなんとも微妙な表情でかぶりを振った。

「こんなえげつねー色、よう飲めたもんじゃねーだぎゃ」

 いや、つったってコレ、氏族製の飲みモンだぞ?

「いらんモン寄越そーとしてんじゃねーだぎゃ、オーツカの奴はねーんきゃ?オーツカのは」

 これまた、高級なもの持ち出してきたな。

「誰か使いにやって、買わせてきますか」

「朝っぱらから大儀ィことせんでえーよ、コーヒーくれみゃあ、コーヒー」

「わかりました、少し待っててくださいね」

「おー」

 まったく、このお姉さんも、あれ以来すっかり贅沢になって、隙あらば中心領域製の飲食物を要求してくる。今淹れてるこの中心領域産のコーヒーも、実質ディオーネ達戦士階級が来た時の応接用になってしまっている。

「んなことより、だいぶこのポンコツもさまになってきただで。あとは、代わりのハッチを見つけてくりゃ、外に出して使えそーだでね」

 マグカップ片手に、機嫌のよさそうな表情を浮かべるディオーネは、今は基地警備に使われているクラシック・ローカストを見上げている。まあ、施設警備や偵察とかだったら、実戦でも使えなくはないだろう。しかし、いかんせん、アビオニクスが古臭いから、そこをなんとかしないとどうにもならない。

「そうですね、あとはソフトウェアもなるべく新しいものに更新して、各部ハードの認識をチェックする感じですか」

 あの時、ディオーネがおしゃかにしてしまったコクピットユニットの修理も終わり、この300年以上前の星間連盟華やかりし頃の遺物は、少しずつその力を取り戻して行く。捕獲後、こいつの中身を見た時は、どこのスクラップヤードから拾ってきたのかと思うくらい、駆動系も電装系もヨレヨレな状態だった。もっとも、これがしかるべき整備を適切に受けていた機体だったら、多分、俺もディオーネもここにいなかっただろう。

 それにしても、こいつを捕獲した本人であるディオーネが、自分達の戦利品であるとして、頑として所有権を譲らず、DCMS管区本部に対し所有の神判騒ぎにまで発展しかけたらしい。結局、余計な面倒事を増やしたくなかったのか、せめてもの報酬と思ってくれたのか、神判沙汰は無事回避され、めでたく我がクラスターの装備資機材が増える運びとなったそうな。まあ、経緯が経緯だし、これはこれでいいんだろうな。

 それにしても、俺の知り合いってのは、本当にケンカの達者な連中ぞろいだよ。

「まったく、おみゃーは機械をいじくりまわしとる時は、どえりゃー幸せそうだでね。ホントに、変わっとるやつだで」

 別に手伝ってくれるわけでもなく、作業の手を動かす俺の周りをうろうろしながら、ディオーネがあきれたようにぼやいている。確かに、俺は他の連中のように、戦士階級に抜擢されるための自主トレや特練なんて、一度も参加したことはない。まあ早い話、俺は別にこのままでいいと思ってる。正直、戦士階級とかには、あまり興味がない。

 もっとも、そういった考えは、氏族人から見りゃ、確かに変としか言えないだろう。けれどもが、いくらこの社会に馴染んだからと言ったって、俺自身の根本的なものが変わるわけじゃない。だから、俺はいつまでもボンズマンのままなんだろうな。

「にしてもまー、もったいねーと言うか、おみゃーも少し本気をだしゃー、とっとと戦士階級になれるっちゅうんに。一体何を遠慮してるんかみゃあ」

「まあ、逃げ足なら誰にも負けない自信はありますね」

「そんなもん自慢してどーすんだぎゃ、このたーけ」

「それしか自慢できるものが無いんですよ」

「そー言う問題じゃねーだぎゃ」

 ディオーネは、ローカストの足に寄っかかりながら、面白くなさそうな言葉遣いとは裏腹に、どこか楽しそうな表情を浮かべている。特に急いでいるわけでもないローカストのレストアをしろと急かすのも、もしかしたら、彼女なりの気の遣い方なのかもしれない。

「ま、だからローク隊長も、おみゃーさんの好きにさせてるんだろーけどもが」

 さてさて、これはまた妙な話になってきた。いったい俺のことをどう見ているかは知らないが、俺はなんの変り映えもしない男だよ。

 

 昼飯を持ってきてやるから待ってろ。と言う、メックウォーリアー・ディオーネ様のもったいないお言葉に甘え、俺はコーヒーを沸かしながら、携帯型のトライビットでも見ようかと私物を入れた引き出しをあさる。

 そういえば、おぼろげに残る記憶で、確かあのチビ介に渡した荷物の中に、予備のトライビットを押し込んだ覚えがある。まあ、旅先でも情報は必要だろうし、あれは連中にとって手土産代わりにもなるだろう。それに、実はもうひとつ予備がある。まったく問題なしだ。

「さて、世界情勢は、と・・・」

 トライビットをテーブル代わりの作業台の上に置き、チャンネルを入力する。実は、こいつは中心領域製のものだから、氏族社会じゃコードに引っかかるような放送も、余裕で受信してくれる。だから、これで、ここじゃ規制コードに引っかかって見られないような情報配信だってお手の物だ。さて、ディオーネ姐さんが帰ってくるまで、ゆっくりトラビ鑑賞と行きましょうかね。

 

 なんてこった

 

 俺は、トライビットの画面に映る、その予想外の映像に、マグカップを持つ手が凍りついた。

 針金で後ろ手に縛られたフリーのジャーナリストと思しき連中が、みるからにヤバそうな戦士らしき集団に、家畜のように一所に追い立てられている。その、まさに盗賊のような荒んだなりをした連中は、彼らに対し、ひとかけらの慈悲も持ち合わせていない様子で、まるで、土嚢か何かのように、彼らを無造作に突き飛ばし、蹴りたてている。

 恐怖にひきつった悲鳴とともに、突然画面が傾き、激しくバウンドするように画像が揺れた。そして、つい数瞬前までそのカメラを持っていたであろう男が、命乞いの悲鳴とともに引きずられ、ゴミ袋か何かのように地面に放り投げられる光景を、まるでカメラが見送るように映し出されている。

 その男だけじゃない

 全員が、一様に蒼白な表情で、懸命に命乞いと慈悲を叫び続けている。しかし、連中の、彼らに対する答えは、その手に握られていたマシェットを、次々と彼らの頚椎に振り下ろすことだった。

 まるで、シャンパンのコルクのように無造作に頭が飛び、噴水のように鮮血が吹き上げる。次々と、次々と。連中は、一体何が気に入らなかったか知らないが、泣き叫ぶクルー達を、それこそ男も女も関係なく、無造作にその首を刎ねていく。

 一体なんなんだ、この連中は!?

 俺は、とり憑かれたように画面に視線を凝視する。そういえば、この連中、話し言葉に、かすかにだがダヴィオン訛りがある。そして、この無法者達の身に着けているジャンプスーツやジャケットに縫い付けられている紋章。

 大型猫科肉食獣の頭蓋骨をあしらったエンブレム。その白い頭蓋骨から生えた、ひときわ目立つアクセントの金色の牙。

 まさか、こいつら、『ダーク』か!?

 確か、この間もコムスター経由の配信を閲覧したとき、小さくではあるが扱われていたのを見た記憶がある。だが、その時は、単なる落ち武者として、暗礁宙域でひっそり逃亡生活をしている連中、といった印象しかなかった。

 だが、今ここに映っている連中は、一体何の真似だ!?いや、別に不思議でもなんでもない。こいつらダーク、いやさスモークジャガーの連中だとしたら、ダヴィオンに対して並々ならぬ憎悪を持っているということぐらい、あの大拒絶の経緯を知っていれば簡単に見当がつく。

 だからといって、だからといって、こんな馬鹿な真似を?

 別に、こんな光景を見るのは初めてじゃない。こんな世界で生きていれば、こういった場面のひとつやふたつ、お目にかかる機会はいくらでもある。けれども、俺は、あいつの顔が浮かび上がり、それを押しやる事ができなかった。

「くそったれ!なんてこった!」

 俺は、システムの検査用に使っている端末に飛びつくと、キーが悲鳴じみたタップ音を上げるのも構わず、とにかくキーボードを叩き続けた。早く!早く探し出せ!

 そして、航宙港湾局のデーターを引きずり出し、画面を走らせたその中に、一隻だけ、スクラップ輸送の名目でチャーターされている、バッドニュース行きの船があった。

 もしかして、この船に?

「行ってやれ」

 画面を凝視していた俺の肩越しに、聞き覚えはあるが知らない口調で呼びかける声に振り向くと、そこにはディオーネがいた。

「ディ、ディオーネ・・・?」

「行って、あの小娘を連れ戻してこい。見たろう?あんな莫迦げた所で、あの泣き虫がやっていける道理はない」

 普段の飄々とした笑みはなりを潜め、彼女の銀色の瞳は、まっすぐに俺を射抜くように向けられている。知っている顔なのに、全く知らない人間に見えて、完全に彼女の存在感に飲み込まれてしまう。

「あのローカスト、あれの足ならなんとかなるだろう。少しでも後悔しているなら、お前が行くべきだ」

「い、いいのか・・・?」

「莫迦げたこと言っている場合か、行くのか?行かないのか?」

 その銀色の目は、俺の心の奥を見据えるように真っ直ぐに動かない。

「お前が行かずに、誰が行くというのだ?」

 そう、答えはひとつしかないだろう。

「・・・すまない、ディオーネ。行ってくる」

 俺は、立ち上がるとディオーネにまっすぐ向き合い、そして感謝の言葉を返した。途端、ディオーネは、まるで大輪の花が咲いたかのように、満面の笑顔を浮かべてうなずいた。

「それでこそ私のクルツだ、さあ、時間がない、急げ」

「わかった、すまない!」

 そうとなれば、後は時間との勝負だ。バッドニュース行きの船が出るまでに、宇宙港へたどり着かなければならない。待っていろ、リオ。今度はもう、お前が何を言おうと必ず連れ戻す。お前が居るべき場所は、地獄なんかじゃ絶対無い。そんなこと、俺は絶対に許さない。

「後の面倒は私が引き受けよう、心配しなくていい」

 検索したデータをローカストに転送し終え、ラダーを駆け上がる俺の背中にかけられたディオーネの言葉は、まるで姉か母のように暖かかった。

 ありがとう、本当にすまない。

 そして、ローカストのコクピットに収まり、ヘルメットとゴーグルを被り、イグニッションを作動させた。マグナ160が力強い鼓動を刻み、みなぎる力を抑えようとする駿馬のように、心地よい振動が伝わってくる。

 あとはもう行くだけだ。スロットルを全開にすると、ローカストはこの瞬間を待っていたかのように、凄まじい加速と共にハンガーを飛び出した。

 その後方警戒モニターに、ほんの一瞬だけだが、こちらを見送るようなディオーネの姿が見えた。俺は、もう一度心の中でディオーネに礼を言うと、スロットルとスティックの操作をしながら、テスト用に取り付けたキーボードを弾き、システムが警告を出す前に、ドライバーの修正を片付けていく。ハッチがないままだが、そんなもの気合でどうにでもしてやる。今は、そんなこと気にしてる場合じゃない。

 頼むぞ、ローカスト。今は、お前の足だけが頼りなんだ。

 

 場所は郊外にある民間請負輸送船専門の宇宙港、そこからバッドニュース行きの物資運搬のチャーター便が出港する事になっていた。時間はもうない、これを逃がしてしまったら、全てはジ・エンドだ。

 隊庭を駆け抜け、制止の声を振り切ってゲートを突っ切る。整備中で、武器弾薬や装甲のほとんどを取っ払っていたローカストは、あっという間にトップスピードですっ飛んでいく。

どうでもいいが風圧が物凄い、こいつって、こんなに速かったけか?とは言え、ただでさえ20トンという、紙のように軽い機体なのに、さらに5トン近くダイエットしたローカストは、それこそ疾風のように幹線道路を駆け抜ける。

 幹線道路といっても、一部石畳が敷いてある程度で、実際は整地された幅の広い道路といった感じだ。車両もたまに軍用トラックや配給センターのカーゴとすれ違うくらいで、邪魔になる奴はない。こんな真似をルシエンとかでやろうものなら、1kmも行かないうちにいったい何台の車やバイク、そして歩行者を蹴散らすことになるんだろうな。

『そこのメック!所属を名乗り右に寄せて止まれ!』

 畜生、面倒くさい連中が出てきやがった。後方監視モニターには、軍警の装甲車が追っかけてくるのが見えた。

『止まれ!』

 やかましい、誰が止まるか!

 俺はスロットルを全開に開けると、さらに機体を加速させる。すると、向こうもやっきになって追いすがってくる。面白い、タイヤつきのくせにこのローカストと勝負しようってのか。なら、足つきにしかできない走りってもんを見せてやる!

 うまい具合に下り坂になってきた、しかも、急勾配、そして入り組んだワインディングだ。さあ、ついてこられるもんなら、ついてきやがれ!

 ローカストは坂道を全速力で駆け抜けると、そのまま今にも離陸しそうな勢いで疾走する。どうでもいいが、さっきからキンコンキンコンやかましい。いったい誰だ!コンソールに車両用の速度計なんかとっつけた奴は!って、俺か。まあいい、こんなやかましいもん、帰ったら速攻取っ払ってやる!

 蛇がのたくるようなコーナーで、一切合切スピードを落とさず、反射神経の限界に挑戦するようにスロットルとフットレバーを操作し、慣性移動の横滑りを使ったドリフトでコーナーをクリアしていく。一方、軍警の方も、相当腕に自信があるのか、タイヤの音がきしむ音がここまで聞こえるほど、巧みに車体を振り回しながらしつこく追いすがってくる。

 結構いい腕してるじゃないか。だが、ずいぶん一杯一杯みたいだな?よし、これからがショーの始まりだ。今日は特別にタダで見せてやるから、よく見とけ!

 ようやく待ち焦がれていたポイントが見えてきた。ほとんどヘアピンカーブのそれは、崖っ淵に続く一本道にしか見えない。しかも下り坂だ、ほんの少しでも下手を打てば、次の瞬間にはあの世行きのダイブ確定だ。さあ、どうする?軍警さん!

 相変わらずキンコンやかましいコンソールを無視して、スロットルを全開にすると物凄い勢いで迫ってくる急カーブに向かって、そのままローカストを突っ込ませる。

その瞬間、強烈なGでシートベルトに体がめり込み、一瞬息が詰まる。そして、クリップポイントでフルブレーキングをかけると同時に、限界まで機体をしゃがませて重心を落とし、急激な振り戻しに機体を滑り込ませた。

 急激に視界が下がり、生乾きの風景画を横様に布巾がけしたみたいに、周りの景色が道路を引っかき削る轟音とともに崩れ流れていく。そして、バッタのように身をかがめたローカストは、ヘアピンカーブに向かって物凄い勢いでドリフトしていく。

 そして、コーナーの出口が視界に入った瞬間、フットレバーを踏み込むと、ローカストは我ながら惚れ惚れする勢いでロケットスタートを成功させ、再び次のコーナーに向かって猛然と突撃を再開した。

 後は同じ要領の繰り返しだ。そして、案の定、3つ目のコーナーで、軍警の姿は後方モニターから消え去っていた。

 

 いくらこいつが10個もヒートシンクを積んでるとはいえ、ほぼ全力稼働での走行はガタのきたこいつにかなり無理をさせたようだ。まだ完全レストアじゃなかったこともあり、未調整の関節は連続フル稼働のために、駆動系の過熱と消耗がそろそろ無視できないレベルになってきた。

 頼む、もう、すぐそこまで港が見えてきてるんだ。帰ったらフルチューニングしてやるから、お願いだから頑張ってくれ!

 心底慌てふためく警備員の制止を無視して、宇宙港のゲートを飛び越えると、そのままエプロンに向かって突っ走る。そして、エプロンが見えた瞬間、俺の血液は一気にマイナスまで冷え切った。そこには、今まさに離陸準備を始めているドロップシップの姿があった。機体の形式とナンバリングされた番号は、間違いなく検索して見つけたバッドニュース行きのドロップシップだった。

「そのドロップシップ!待て!」

 俺は、ローカストのモニターに映る、離陸寸前のドロップシップと併走するようにローカストを全力疾走させた。けれども、彼我の速度の差はどうしようもなく、ローカストはぐんぐんと引き離されていく。

「頼む!待て、待ってくれ!」

 限界を超えたローカストの脚部が、悲鳴じみた軋みを上げているのが、コクピットシート越しにはっきり伝わってくる。すまん!だけどもう少し、もう少しだけでいいから持ちこたえてくれ!

滑走路の強化コンクリートを蹴立てながら、ローカストは俺の叫びに応えてくれているかのように、必死にドロップシップに喰い下がる。しかし、とうとう限界に達した彼の足は、セーフティクラッチのかかる暇もなく、甲高い音と共にすべての関節がロックした瞬間、コンクリートの地面に激突するように転倒した。

 コクピットハッチもないのに、表に放り出されなかったのは奇跡としか言いようがない。けれども、これでもう、俺の悪あがきのすべは全てなくなった。その瞬間、航空燃料の匂いを含んだ空気の塊が、嘲笑うように俺の顔面に叩きつけられた。

 俺は、芋虫のようにローカストから這い出ると、足を引きずりながら、空へと駆け昇っていくドロップシップの後を懸命に追った。

「頼む!待ってくれ!お願いだ!待ってくれ!戻ってきてくれ!お願いだ!お願いします!お願いだよ、お願いだよぉっ・・・!!」

 叩きつける突風で視界がぼやける。足の痛みなんてこれっぽっちも気にしてなかったが、俺の意思を無視して足は勝手に力を無くすと、俺はみっともなくコンクリートの上に這いつくばる。そして、俺の目の前で、ドロップシップは、お前の都合など知ったことではない。とでも言うように、轟然と空へと舞い上がって行く。

「お願いです!なんでもします!お願いです!戻ってきてください!お願いします、お願いします!お願いしますお願いしますお願いします!お願いしますっ・・・!」

 こぼれ落ちた涙と同時に、ほんの一瞬だけ、視界が戻ってきた。けれども、その瞬間、ドロップシップは白煙の柱と共に一直線に天空へと駆け上がり、空に溶け込むように、俺の視界から消え去っていった。

 

 あの後、軍警に逮捕された俺は、身元引受人となってくれたマスターに連れられて宿舎に帰ってきた。その頃には、もう消灯時間になっていて、宿舎はひっそりと闇の中に沈んでいた。

「ほいじゃ、クルツよ。仕事の方は、俺から言ってしばらく休みにしとくでよ。明日のことは気にせんで、ゆっくり休んどくとええだぎゃ」

 マスターは、それだけ言うと、静かに部屋を出て行った。あれだけ迷惑をかけたというのに、何一つ言うことなく、警察署で黙って俺の始末書にサインをしてくれた。

 駆けつけてきてくれたアストラやディオーネも、軍警の連中に対して一歩も引かず、これ以上ガタガタ言うなら、不服の神判を発動させるとまで言い切って、警官達を真っ青にさせた。

 こんな、馬鹿でどうしようもないボンズマンのために。

 もう、何をするのもおっくうだ。リオは、これからどうなるだろう。アンタロスにいる仲間達は、あの子を暖かく迎えてくれるだろうか。

 あの時、力ずくでもいいから止めるべきだった。

だが、今さらそんな事を言っても、もう時間は元には戻らない。あのドロップシップを積み込んだジャンプシップは、あの子を乗せて、バッドニュースへ行ってしまったのだから。

 強情で、意地っ張りで、泣き虫で、そして、誰よりも心優しかった子。

 俺は、取り返しのつかないことをしてしまった。

 確かに、今までの人生の中で、俺が清廉に生きてきたなどというつもりなんてない。万人の恨みを買い、万人に悲しみを与え、万人に恐怖を与え、万人に絶望を与えてきた。軍人なんて商売をしていれば、そんなことは当たり前の話だ。今さら悔い改め頭を垂れてみた所で、俺の罪が消えるわけでもない。

 だけど、それでも。

 俺は、あの子に、昔の姿を重ねていたのかもしれない。泥の中で、暗闇の中で、冬の雨風の中でうずくまっていた、あの時の俺を。

 だから、今度は俺が、あの子をすくい上げようとしていたのかもしれない。けれど、結局俺がしたことは、あの子を今までとは比べ物にならない地獄へと送り込んでしまったという、取り返しのつかない失敗だけ。

 俺には、誰も、何も、救えない

 否定したくても、厳たる事実が俺の思考を侵食していく。もう嫌だ、何もかも。

 疲れた

 俺は無意識に立ち上がると、意味もなく居室をうろついた。何かを探そうとしている、なんとなくそういう気がする。ただ、何を探しているのかは、何故か思いつかない。

 何を探してるんだ?

 俺は、いい加減みみっちい自分に、もう笑うことしか出来なくなった。あきれたもんだ、こうなったら、人間おしまいだ。

 俺は、夜の闇に沈む窓の外に目を向けた。その、廃油を固めたような、真っ暗な窓に呼ばれているような気がした。ああ、結構さ。どうせ俺には、暗がりがお似合いだ。俺は、松葉杖を立てかけると、窓際に体重を預けるように寄りかかった。まったく、俺もよくよく飽きもせず足を折る男だ。

 すっかり灯も落ちた前庭は、使い古したオイルのようなねっとりとした暗黒に沈んでいる。何もかもを塗り潰すような漆黒の闇、いっそ、俺の心も全部塗り潰してしまえたらどんなに楽だろう。

「畜生、畜生、畜生・・・」

 馬鹿野郎、いつまでもメソメソしやがって。母さんが死んだ時、もう泣くことはないと思っていたのに。どこにこれだけ残っていやがったんだ、畜生。

 大の大人が、ベソベソみっともなく鼻を鳴らす音が、闇夜の中に響き渡る。その時、ほんのかすかに、闇の中から、微かに唸るような音が聞こえた。

「・・・誰だ?」

 嫌なもんだ、こんな時でも、軍人として訓練された感覚は鈍るって事を知らない。

「隠れてないで出て来い、いるのはわかってるんだ」

 いい加減、暗闇に向かって映画のキャラみたいな台詞を並べている。そんな自分が余計惨めで、グジグジと未練たらしく鼻をすすりあげた。

「もう勘弁してくれ、お願いだから」

 俺は、心の底からそう思った。そして、その時

「ぅ・・・」

 かすかな声とともに、藪がかさかさと囁くような音を立てた。そして、そこから、大荷物を背負った小さな人影が、ためらうように、迷うように、おずおずと立ち上がった。

 その時、俺は自分が何を考えているかなんてわからなかった。頭の中が痺れて、太陽をまともに見上げた時のように、目の奥が真っ白になる。そして、俺は思わず窓を飛び出していた。だが、ギブスで固められたとはいえ、骨にひびを入れた俺の右足は、そんな無謀さに抗議の声を上げた。

「ぁ痛でっ!?」

 骨と筋が軋むような激痛に、一瞬意識がくらみ、無様に窓の下に転落した。そして、息を詰まらせたまま、嘔吐感を必死にこらえながら土の上でうずくまる。

「ぬおおお・・・・・・っ!」

「ク、クルツっ!?」

 体中の神経を引っつかまれたような激痛に、声も出せずに地べたに転がる俺を、慌てて駆け寄ってくる足音の主が、その小さな手で必死に支え起こそうとする。

 間違いない、他に誰がいるってんだ。俺はその小さな体を、反射的に力一杯抱きしめていた。今ここで捕まえなければ、もう二度と会えない気がしたから。

「く、クルツ・・・く、苦しいけん・・・」

 その声を聞いた瞬間、かじかんだ手を湯につけた時みたいに、心がじんわりと震えた。ああ、そうさ、クサいのはわかってるさ。

「リオ・・・お前・・・あのドロップシップに・・・」

「うち・・・うち・・・荷物に入ってたトライビットを見て・・・それで・・・知らなかったんじゃ、あがーなことする連中じゃなんて、ちぃとも知らんかったんじゃ」

 こいつ、アレを見ちまったのか。俺でさえ、いい加減薄ら寒くなったんだ。リオにとっては、衝撃以外の何ものでもなかっただろう。

「うち・・・うち・・・ぶち怖ぁなって・・・気持ち悪ぅなって・・・うちは、デズグラじゃ。戦士の資格なんて、これっぽっちもない出来損ないなんじゃ・・・うっ・・・うぇぇ・・・・・・」

 リオは、俺の腕の中で小さく肩を震わせながら、絞り出すような声とともにすすり泣く。そんなリオが、どうしようもなくいじましくて、その骨ばった肩をさする。

「・・・リオに問う、戦士とはかくあるべきや」

「・・・せ、戦士とは、己と、民の名誉と誇りのために戦うものなり」

 唐突な俺の問いかけに戸惑いながらも、リオはまっすぐに俺の目を見据えてそう答えた。

「是(アフ)。無力なる民を徒に傷つけ、苦しめることは、戦士の為すべきことであるや?問否(クイネグ)」

「・・・ね、否(ネグ)!戦士とは、民の盾となり、剣となるために戦うものなり!」

「是(アフ)・・・大丈夫、それがわかるお前なら、きっと立派な戦士になれる」

 俺は、腕の中で震えているリオの肩に、包むように手を置いた。

「さあ、いつまでも外にいると体冷やすぞ。とりあえず、何か食べよう」

 俺の言葉に、リオは鼻声と一緒に何度もうなずきながら、その細い腕に力を込めた。ハハハ、ガリガリのやせっぽちのくせして、たいした力だよ。

 

 おかえり、そして、ありがとう。

 

 



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もうかりまっかぼちぼちでんな

「ちょっとちょっと!そこのカッコええお兄ーさんっ!」

 毎度、休日恒例のバザールめぐりにでかけた俺とリオ介は、いつもの変わり映えのしない店先を眺めながら、何か掘り出し物を見つけられたらお慰み。といった調子で歩いている時だった。

 聞き慣れない訛りのきいた声をかけられ、何事かと振り向くと、そこには自分の背丈よりも大きなマウンテン・バックパックを傍らに置き、日よけの簡易テントとマットレスという急ごしらえの露店の中で、牛乳瓶の底のように分厚いメガネをかけた、小柄な女性が俺達に向かって、ニコニコと明らかに営業用とわかるスマイルを向けている。

 やや癖のある、ふわふわとした蜂蜜色の髪と、小さな鼻の周りに散ったそばかすが、なんともいえない愛嬌を感じさせている。が、俺の中にある、通称『クルツセンサー』が、

『こいつにはかかわるな』

とそいつを見た瞬間、やかましく警報を鳴らしている。

 今まで、この幽霊じみたささやきが外れたためしはない。ただ、ひとつ難点があるとすれば、それは大抵手遅れの場合が多い。とどのつまり、役に立つかどうかは微妙だが、わからないよりはいい。俺は、リオを促して、とっととその場を離脱することに決めた。

「さて、リオ。そろそろ腹も減ったし、昼飯にするか?」

「そうじゃのう、うちも腹へったけん」

「よし、じゃあ決まりだな」

 時計を見ると、もうすぐ正午だ。それに、午前中はずっと歩きっぱなしだった。ここいらで一息つくのも悪くない。

「ああっ!?ちょっとちょっと、無視せんといてぇな!!」

 気にしない気にしない。だってそうだろ、あからさまに胡散臭い。

「なあなあ、お兄ーさんっ!うちの店、ちょっとでええから覗いたってぇな!?品揃え満点!トイレットペーパーからマッドキャットまで、なんでもありまっせ?って、ちょっとちょっと!無視せんといて!?」

 トイレットペーパーからマッドキャットまで?なんだよ、余計に胡散臭い。なんだよこいつは、どこのブラックマーケットのまわし者だ?とにかく、俺とリオは、早足でその場から離脱を図る。リオもここ最近は心得たもので、何も言わずとも俺に合わせてついてくる。

「ちゃうちゃう!うちはまっとーな商人やで?ブラックマーケットなんぞとは、なんのかかわりもあらしまへんって!」

「おわっ!?」

 いきなり真後ろから声が届き、驚くついでに振り向くと、背中にマウンテン・バックパック、たたんだテントとマットレスを小脇に抱え、汗びっしょりになりつつも、メガネ越しの笑顔を絶やさない、さっきの女性が立っていた。

「お、お兄ーさん、そないつれのうせんでもええですやん?うちは冷やかしお断りなんて業突く張りなこと言わへんから、ちょっとでええから見てってや。なあなあ、ええやろ?」

 なんなんだ、こいつは。しかも、わざわざ文字通り店までたたんで追っかけてくるか?

「なんかこう、誰もうちの店、見てってくれへんねん。なんでかなぁ?こーんな可愛い子がやっとるのに、誰も無視してくんよ。おかげで、朝早くから店出しとるのに、まだ鉛筆一本売れてへんねん。困ったわあ、これじゃ、大赤字確定や」

「そんなの俺に言われても………」

 だから何?とそれを言っちゃあお終いだ。と思いつつも、さてどうやってこの行商人から逃れようかと考えていると、隣のリオ介が俺の服を引っ張っている。

「ん?どうした」

「クルツ、この人も一生懸命みたいじゃけん。話を聞いてあげるだけでもええんじゃないかのう………」

「む~ん………」

 まさかの伏兵に、俺はいよいよ逃げる口実が見つけにくくなった。どうでもいいが、こいつがもし中心領域で生まれていたら、間違いなく余計なキャッチセールスに捕まりまくるんだろうな。

「いや~~、ごっつ優しい、ええ子やなあ!おねーさん、めっちゃ感動したで!あ、せやせや、これ、お嬢ちゃんにさしあげるよって。あ~んもう!こんなに感動したのは100年振りやわぁ!」

「お、おおきに!お姉ーちゃん!」

 ちょっと待ておい!こいつめ、俺の止める間もなく、この怪しい行商人からキーホルダーのぬいぐるみを受け取りやがった。

「すみません、こんなものまで頂いてしまって。私らはこれから食事にしますが、よければそこでお話を伺いますよ」

「えっ!おごってくれはるんでっか!?いや~ん、もう!お兄さんったら、ごっつ優しいし、カッコよすぎでんがな!もううちどないしよう!デェトしてもええくらいやわぁ!」

「いえ、それは結構です。とりあえず、立ち話もなんですから」

 この………一体誰がおごるなんて言ったよ。それにしても、厄介なことになったぞ。いったいどんなガラクタを売りつけられることやら。

 

 

「ごちそうさま、いや~、ほんまおおきに、こんなおいしいご飯ご馳走してもろて。ほんま、おおきにやわぁ」

「そうですか、それはなによりです」

 俺は、食後のアイスティーで口を湿らせながら、食事を終えてご満悦、といった表情の彼女と、手のひらに乗るような、小さな黒猫のぬいぐるみを手に、あきもせず目を輝かせているリオ介を見て、心の中で深いため息をつく。

「まあまあ、そんな顔せんでも大丈夫ですよって。もうこうなったら大サービスさせてもらいまっせ?で?で?なにか御用のお品とか、あります?」

「いや………急にそう言われても、何があるのかわからないし………」

「あちゃ、うちとしたことが、ちょっと舞い上がってしもうたわぁ。あっ、せやせや。お兄さん、枕とかええもん要りません?」

 はあ、ってか何で枕?

「しやかて、なんか疲れた顔してますもん、あんまり寝れてないんちゃうかな思いましてん」

 余計なお世話だよ、このヤロウ。

「お近づきの印に、半額にしときまっせ?低反発から羽毛までどれでもよりどりみどり」

「だから、なんでいきなり枕なんです」

「へえ、これが枕営業っちゅうやつですねん」

 なに言ってんだ、コイツ。

 なんかこう、社交辞令の味付け過多といった塩梅過ぎて、逆に良くわからねぇ前振りしやがる。どうでもいいが、これがこいつらの商売のやり方なんだろうな。まあ、いろいろなやり方があるもんだとは思う。

「………で、ちょっと簡単なんですけど、これがうちのあつこうとる商品のカタログですねん。もしカタログにあらへんでも、遠慮せず言ぅてくださいな、頑張って融通しますさかいに。他にもいろいろ、気が付いたら言ぅてください、勉強させてもらいまっせ!」

 なるほどね、商人の鏡と言ったところか。だが、それで『はいそうですね』と納得するわけには行かない。そもそも、コイツの話している訛りは、明らかにノヴァキャットで聞けるものとは違う。

 となれば、他所の氏族から紛れ込んできた奴なのだろう。どうせ簡単に本当の事は言わないだろうが、少し様子を見た方がいい。

「こう言うのも失礼ですが、貴女はもしかして、ダイヤモンドシャークの方ではありませんか?その言葉の訛りもそうですが、さっきも、これだけの大荷物を担いで、息を切らしていないと言うのは、戦士階級並みの鍛え方をした証拠と思います。少なくとも、普通の商人階級の人間ではない。と思いますが」

「え?な、なにゆうてるんですか、いややわぁ。そうはゆうても、ほら、うち、めっちゃ汗かいてしもぅたし」

 なにを言ってるんだか、気付いていないのかなんなのか、バックパックの隙間から、霧吹きのノズルがチラ見えしてるんだが。

「ご存知とは思いますが、今ノヴァキャットは氏族においては裏切り者扱いだ。まっとうな氏族人なら、近寄るどころか、その名すら口にする事をはばかるような存在になっている。ダイヤモンドシャークでさえ、それは例外ではないはずだ。

 私も、ノヴァキャットの一員として、危険要素となるものには断固とした立場を取らなければならない。商売もいいでしょう、しかし、それはお互いの素性をある程度でも明らかにしてからのことだと思う。どうですか?」

 さあ、どう出る?

「………なるほどなぁ、ノヴァキャットに、なんやおもろいボンズマンはんがいてはるとは聞いとったけど、なんや、噂以上の切れもんさんやなぁ。こりゃ、少しばかり甘く見すぎとったようやね。

せや、確かにうちはダイヤモンドシャークのもんや。そいでもって、うちはミキって言いますねん。こう見えても一応、ナガサワ・ラインの戦士で、気圏戦闘機乗りとかやってましたんよ」

「気圏戦闘機?ダイヤモンドシャークは、近眼でも戦闘機に乗れるのか?」

「ああ、これでっか。これは整備中の事故で目をいわしてまいましてん。おかげで、今じゃメガネ無しじゃやってけへんようなってしまいましてなぁ。戦士として、務まらなくなってまいましてん。

 そんでもって、とりあえず、明るい老後のため、自分で商売始めることにしたっちゅうわけなんですわ」

 なるほど、言葉だけ聞けば、もっともらしく聞こえる。だが、これで納得するほど、俺は素直な人間に育っちゃいない。

「………なるほど、よくわかった。しかし、ずいぶん簡単に白状したもんだな」

「いややわぁ、お兄さん。白状やなんて、まるでうちが悪いことでもしたみたいやないの」

 いつもの調子に戻した俺の口調に、ミキと名乗った商人は少したじろぐような笑みを張り付けている。

「そうは言わないが、他の氏族人がノヴァキャットの地に踏み込むのは普通じゃない。たとえボンズマンとはいえ、自分の住処を守ることに階級の違いはないと思うが」

「そりゃそうや、でも、心配せんでもええですよ。うちはただ、純粋に商いしにきただけですから」

 なるほど、そう言うか。しかし、口では何とでも言える。

「ほんまに大丈夫やて!うちが信じとるのはケレンスキーだけや!一文の得にもならない面子なんて、商人には必要あらしまへん。頭下げるんはタダやし、それで銭かせげるんなら、この頭、なんぼでもさげまっせ!」

 信じるものはケレンスキーねぇ、それはどっちのケレンスキーなんだか。

「ま、それでもお兄さんになんか買うてもらうまでは、このミキ、一生懸命ご紹介させてもらいますによって。あ、すんませーん、アイスティーおかわり、いただけますー?」

「おいコラ」

 ミキ、と名乗ったダイヤモンドシャークの戦士は、ケラケラと笑いながらとんでもない事を口走る。そして、ついでにアイスティーのお代わりを頼みやがった。畜生、誰が払うと思ってるんだ。そもそも、自分の客に金払わせるか!?

「まあまあ、ええやないの。そのかわり、きっちりサービスさせてもらいますによってな。なんやったら、夜のデェトも………」

「だからそれは結構だと言っている、興味ない」

「む~、なんや、ごっつお堅い人やねぇ………」

「当たり前のことをいっているだけだ」

「はぁ、まるでドラコのお人みたいやねぇ」

 ドラコにだっていろんなのがいるだろうに、まったく。だから、氏族人の女は苦手なんだ。それはそうと、さっきからご機嫌そのもののリオ介は、ミキからもらった小さなぬいぐるみを飽きもせず撫でくり回している。畜生、これじゃ、まるで俺が普段ロクに物を買ってやってないみたいじゃないか。

「まあいい、俺はトマスン・クルツ、こっちはリオ。ふたりとも、ノヴァキャット軍のボンズマンだ」

「そうでっか、ほな、改めてよろしゅうに………けど、クルツはん、コードがもう2本も切られとるやないの。いややわぁ、かなり活躍しなはったんやねぇ」

「10年近くボンズマンをしてれば、それくらいは当たり前だ。かえって遅いくらいだ」

「まあ、そんなどぉでもええことは置いといて。で、どないでっしゃろ、そろそろ商談とか行きたいんやけど」

「そうだな、けど、しょせんボンズマンの財布だ。あまり期待しないでくれ」

 すると、このミキ、いきなりケラケラと笑い出した。

「なにゆぅてますねん、いややわぁ。クルツはん、テラの銀行にうなるほど貯金がありますやないの」

「何を言ってるんだ、そんなこと………」

 ない、と言おうとして、ミキの見せた、何もかもを見透かすような、いたずらっぽい含み笑いを前に、再び疑念が鎌首を持ち上げる。なんで、お前がそれを知っている?

「クルツはん、銭のことに関しちゃ、この宇宙でダイヤモンドシャークの右に出るものはおりまへんのよ?蛇の道は蛇、銀行の中身からお客様の懐事情まで、うちら金剛鮫の商人魂の前じゃ、金魚鉢のなかの金魚も一緒ですねん」

「懐事情って………ミキ、さてはお前、最初っから俺を狙っていたのか」

 あきれ混じりにそう返すと、ミキは思い切り『しまった』という表情を浮かべた。やれやれ、商人魂とやらもここまで来ると、ROMエージェントより恐ろしいよ。

「ま、まあまあ、ええですやん。ちょーっと銀行を調べとったら、ついつい見てしもうただけやしぃ、なにも最初っから覗き見しようとしてたわけとちゃいますよ?」

「同じだよ」

 つうか、ハッキングなんぞやらかして、バレてタダで済むと思ってんのか、こいつは。なんか怪しい商人もどきがいると、俺が軍警とか所属先に通報しないなんて、なんでそう思えるんだか。

「あう………ご、ごっつ厳しいなぁ………」

 ミキは、俺の言葉に冷や汗交じりの笑いを浮かべている。まあ、やってることは洒落になっていないが、根は悪い人間じゃなさそうだ。

「ク、クルツ、クルツ」

 その時、遠慮がちな様子で、リオがおずおずと話に割って入ってきた。

「ん、どうした」

「そ、その、なんじゃ……あの……その………」

 こいつ、いつのまにカタログなんか読んでやがったんだ。言いたいことは大体わかる、こいつが持っているカタログのページには、いろいろな種類のぬいぐるみがカラー印刷されている。

「おやおや、リオちゃん。さすがお目が高いですなぁ。これはな、ゴーストベアーの職人さんが、一個一個心を込めてつくったぬいぐるみさんや。物自体はゴーストベアーの中でしか出回っとらんのやけど、市民階級のお子さん達には人気が高いから、他の氏族のお子さんの間でも、ぬいぐるみのステータスシンボルになってんねんで。

 縫製はしっかりしとるし、生地も中詰めの綿も上等。鼻や目はしっかりくっついとるから、ちょっとやそっとじゃ取れたりせえへん。しかも、素材の味を殺さず、絶妙に特殊加工されとるおかげで、汚れたら水洗いもばっちり。簡単に潰れたりへたったりせえへんから、大き目のサイズを買うて抱き枕にする人もおんねん。ぬいぐるみやったら、一押しの逸品やね」

 こいつ、子供相手になんてあざといセールスを。ほらみろ、リオの目が、もうやばいことになっている。

「おい、リオ。あのな」

「な、なんでも言うこときくけん!か、課題も毎日ちゃんとやる!朝もひとりでちゃんと起きるし、寝る前にきちんと歯も磨く!消灯時間もちゃんと守るから!じゃ、じゃから………!」

 ほらみろ、コイツ、余計なことしやがって。こんな目をしたリオに下手な事を言ってみろ。なだめすかすのに何日かかることやら。ただ、こういった嗜好品に関しては、普段ほとんどわがままを言ったことはないし、本人自身、自制している向きもある。

 そんなリオが、珍しく必死になって頼み込んでいる。まあ、たまにはいいかもしれない。情操教育の一環として考えれば。

 なに笑ってんだ、お前。なに、お父さんみたいだ?余計なお世話だよ。

「………わかった。リオ、どれが欲しい?」

「ほ、ほんま!?お、おおきに!!」

 一気に大輪の花が咲いたような笑顔を見せて、リオはその瞳を本物のエメラルドにも負けないほど輝かせている。なんというのか、値千金の笑顔とはこういうものをいうのかね。

 俺もいい加減、こいつくらいの娘がいてもおかしくない歳になっちまっているが、その娘とやらがいれば、こんな気持ちはとうにわかっていられたんだろうか。

 まあ………いいさな。

「ミキ、これはいくらになる」

 リオ姫が御所望あそばされたのは、1メートルクラスの大物の、ゆったりと寝そべった姿の黒豹のぬいぐるみだった。まさか、スモークジャガーの姿を重ねてる訳じゃないだろうが、さっきのミキのセールスがツボに入ったのかもしれない。しかし、これまた難儀なものを選んだものだ。

「まいど!え~と、これは8KEなんやけど、クルツはんやから特別に7KEにおまけしますさかい」

「昼飯をおごって、茶のおかわりまでもってやってるんだ。5KEくらいはいいだろう」

「そんな殺生やわぁ、愛情を値切ったらあきまへんよぉ?まあ、クルツはんの言うことももっともやね、6KE、このへんでどないでっしゃろ?」

「6………KEか、わかった、それで手を打とう」

「まいど!おおきに!商品はドロップシップのコンテナに預けとるさかい、すぐにお届けできまっせ。リオちゃん、よかったなあ」

「う、うん!おおきに!クルツ!お姉ちゃん!」

 これ以上ないくらいの喜びようのリオを見て、俺はとりあえず今の商談を自分自身に納得させる。しかし、多分これは彼女にとって前哨戦だろう。その証拠に、彼女は工具類やら、設計や計量計算ソフトウェアのカタログを広げだした。

 こいつは驚いた。

 最初、あのバラック同然の露店を構えていたせいで、売り物と言えば、海のものとも山のものとも知れない、ジャンクまがいのものだと高をくくっていたが、どうしてなかなか、ミキの扱っている商品というのは、どれも最新かつ使い勝手のよさそうなものばかりだ。なんか、見てるうちにだんだん欲しくなってきた。

「この工具キットなんていかがでっしゃろ、使うとる金属は高炭素混合鋼で、二層焼入れをしとるんやで。中は粘り強く、外はがっちり固く。これならネジのきつさに負けて、ネジ山をなめてバカネジにしてしまうこともあらへん。機械屋さんなら必携の一品やで!」

「なるほど、確かにな。だけど、少しリサーチが甘かったようだな。これに対応できるのは、シャドホやライフルマンのⅡCシリーズだけだ。ノヴァキャットのオムニメックシリーズの規格には、使えないこともないが限られてくる。

 こっちのセットだが、これならオムニメックにも対応できるが、逆にⅡCシリーズに対応しにくくなってる。俺のいるクラスターは、ほとんどセカンドライン級とは言え、オムニメックも配備されてるとこなんだ。だから、買うとしたら両方ってことになるが、それだと無駄なヤツが多すぎる。四割は引いてもらわんと、買う気にはなれんな」

「そんな殺生な!こない高級品をそこらの安もんと一緒にせんといてや!クルツはんのゆぅてはることももっともやから、おまけしたってもええけど、ええとこ一割や!」

「ならいい、こいつは他の奴を当たってくれ。そっちのカタログを見せてくれ」

「ちょちょ!ちょっとまってぇな!せっかくの男前はんが、そない短気起こしたらあきまへんがな!わかりました!一割半でどないでっしゃろ?」

「それなら何も変わらない、こっちの3Dプリンターのソフトだけでいい」

「ああん!もう!そんなら二割でどうでっか!?」

「二割・・・・・・・・・?微妙だな、それに、どんなに高級でもしょせん工具は消耗品だ。趣味で使うんじゃなくて、仕事だからなおさらだ。それなら、そこそこの質で、それなりに数を揃えられる物の方がいい。レンチセットはもういいとして、さっきの………」

「いやぁん!もう負けましたわ!わかりました!うちもダイヤモンドシャークの女や!三割!三割引でどないでっしゃろ!?まともに買えば、250KEの品を、175KEや!これ以上はまからへんでっさかい!どないです!?」

「175KEか、そうだな、悪くないな」

「だっしょだっしょ!?」

「とはいえ、なんか微妙なとこだな………まぁ、やっぱりいらな………」

「わぁかりました!もう!これやから中心領域のお人は苦手でっさかい!よそ様とちごぅて、手強いことこのうえなしや!170KE!もうこれ以上逆さにしても、鼻血一滴出やしまへんで!」

「よし、買った」

 合いの手を打つように、あっさり答えると、ミキは一瞬目を点にした。

「170KE、そうだな、悪くない。ドラコのマーケットの特売で買っても、まあ、それくらいだ。このクラスならメーカー価格で大体350CB、KE換算で約175KE。お前は何も損なんてしていない、っていうか、随分吹っかけたもんだな」

「あっちゃあ………クルツはん、知っとったんでっか?」

「一応、機械屋の端くれだからな。その辺の情報は、いつも目を通している」

「あははっ!こらかなわんわ、完全に一本取られましたわ!」

 別に、そんなことないさ。

「それじゃ、クルツはん。こん中から、お好きな枕、ふたつ選んでくださいな」

「なんでだよ?」

「ようさん買うてくれたから、おふたりの枕、おまけしますによって」

「いいのか?」

「はいな!これがホンマの、枕営業ですー」

 ホンマもうええわ。思わず感染りそうなダイヤモンドシャーク訛りをこらえながら、俺は、にこにこと笑顔で差し出してくるカタログを受け取った。

 

 

「今日は、ほんまにおおきに。こんなに買うてもろうて、感謝感激雨あられや」

「いや、こっちこそいい買い物をさせてもらった。それに、値切り交渉も楽しかったしな」

 配達するまで待てない、と言うリオの言葉に、俺達3人は、彼女のコンテナを積んだドロップシップが駐機している宇宙港まで足を運んだ。

 彼女の言っていた、マッドキャットまではさすがに積み込んじゃいなかったが、メック工廠発行の正式な売買契約書と所有権利書一式があったのには、さすがに言葉を失った。

 リオ介の奴は、さっそくミキから受け取った、馬鹿でかい黒豹のぬいぐるみをほおずりするように抱きしめながら、まるでワルツでも踊っているみたいにおおはしゃぎしている。で、俺はと言えば、本当に枕がふたつ入ったデカい紙袋を渡された。

「………リオちゃん、ほんまかわええなあ。あの子、クルツはんのお子さんでっか?」

「いや、訳あって俺が面倒を見ることになった。それに、ボンズマンとは言っても、形だけのことだ」

「そうでっか………聞いとったら、なんやジャガーっぽい訛りがあるによって、変やなぁとは思ぅとったんやけど」

「そうだとしても、あの子には導き手が必要だ。クラスターの仲間も、あの子を大事にしてくれている」

「そうでっか………ははっ、でもまあ、なんや随分クルクル表情が変わって、ほんまおもろい子やなぁ。それに、おとうちゃんみたいにごっつ優しい、ほんまええ子や」

「お父ちゃん?誰のことだ」

「クルツはんのことでんがな、誰がどう見てもそう思うで」

 俺が、リオの親父、ねぇ………。

「まあ、リオは否定するだろうな」

「へ?なんでですの」

「あの子は、今ではロストしたとは言え、シャワー系列の立派なトゥルーボーンだ。人っ腹生まれと同列に見られてるなんて知ったら、それこそ怒り狂うだろうな。それは、戦士だったお前が一番よく知ってるだろう」

 根に持っている訳じゃ絶対にないが、あの時のリオの目を思い出し、どうにもほろ苦い気分が顔に滲みでてしまうのがわかる。というか、もうああいうのは二度と御免こうむりたい。

「せやったね。ほんま、おっきな壁やね」

「ああ、大き過ぎる」

 俺とミキは、彼女が淹れてくれたコーヒーのマグカップ片手に、夕日の光の中で、くるくると軽やかなロンドを踊り続ける、小さな少女をいつまでも眺めていた。

 

 

「まいどおおきに!こないぎょうさん買うてもろぅて、うち、もう下げる頭がありまへんがなぁ」

「気にするこたーねーだぎゃ、他に、もっとえーもんはねーかみゃあ」

「あ、あの、もう少し考えて…・・・・・・」

 衝動買いとかそういう次元を飛び越えて、自分の目に止まったものは全て契約していくディオーネに、俺は少し腹の底が寒くなるのを感じながら声をかけてみた。なんていうのか、自分でPXでも始めるのかと聞きたくなるような雑貨の量は、計算しなくても結構な金額になるとわかる。

 しかし、彼女は買い物の邪魔をされたことに、あからさまに不愉快な表情を浮かべながら、ジト目で俺をにらみつけてきた。

「あのチビ介にゃー、あんなえーもん買ってやっといて。うちにゃあ、金出し渋るっちゅう了見かみゃあ?」

 そう言う訳じゃない、けど・・・・・・頼む、少しでいいから考えて選んでくれ。

 翌日、どこからどう嗅ぎつけてきたかは知らないが、仕事のあと、帰り支度を始めていた俺の前に現れたディオーネは、半強制的に俺を連行すると、まだ市場で店を構えていたミキの所へと足を運んだ。そして、カタログを眺めながら、あれやこれやと契約を進めていく彼女に、支払いのあてはあるのか?と聞いたら

『そのうちなんとかするだぎゃ、おみゃーが払っといてくれみゃあ』

 ときたもんだ。

「ああ、それと、そのタバコ、箱で3つほどもらっとくだぎゃ」

「まいど!………っていうかお姉さん、吸い過ぎは体に毒でっせ?売ったうちが言うんもなんやけど」

「そりゃ心配ねーだぎゃ、こいつぁ、軍警黙らす実弾だでね」

「え?ああ………そういうことでっか。ってか、戦士はんなら、一言言えばそれでええですやん」

「面倒ごとはなるたけ少ねーほーがえーに決まっとるがね。あ、そこのブランデーも、ひと箱もらっとくだぎゃ」

「まいど!………で、これも『実弾』で?」

「おーよ、対上級幹部用砲弾だぎゃ」

「ああ、なるほど」

 何が可笑しいのか知らんが、ミキとディオーネは十年来の知り合いのようにケラケラわらっている。っていうか、ディオーネの奴も、そういう搦め手とか使うのな。

 後はまあ、食いモンだの服飾品だの、スイッチが入った女性の買い物ほど恐ろしいものもないが、ディオーネは熱心にカタログとにらめっこをしながら、ほいほいと買い物を済ませていく。それにしても、いくらなんでも買い過ぎだ。

「ん~、なんちゅーかこう、もちっと精神が引き締まるよーな服はねーんかみゃあ?」

 あれだけ買っといて、まだ買う気か?っていうか、さっきから信託の儀に使う服探してたのか。確かに、自分の流儀がないからってんで、『あの』由緒正しい装束を引き継げとうるさく言われてたんだっけか。まあ、あれはあれで笑えるから、俺的にはありなんだが。………って、痛ぇ、いきなりカンガルーキックかよ。膝に当たったらどうするんだ。

「ああ!それならこれなんかどうでっしゃろ!?ドラコから特別ルートで手に入れた、女性神官の装束ですわ!確か、お姉ーさんは視法師もやっとるゆうてたさかいに、まさにうってつけ、お姉ーさんのためにあるよーなお召しもんでんがな!」

 目の前で人が蹴られたのに顔色一つ変えやしねぇ、まあ別にいいけど。ともあれ、ミキがディオーネに見せたのは、キモノ、と呼ばれる、いかにもドラコ的な、合わせの上衣と、キュロットスカートの親玉のようなフレアースカートの組み合わせと言う、随分変わった趣の衣装だった。

 それにしても、真っ白な上衣と真紅のスカートの組み合わせは、かなり派手と言うかなんと言うか、かなり景気のいい配色をしている。

「これさえ着れば、もう正真正銘のシャーマンでっせ!お姉ーさんの神秘的でエキゾチックな雰囲気にバッチリフィット!もう、ベリギューっちゅうもんでっせ!」

「よっしゃ、それも包んでもらうだぎゃ」

 買うのか!?それを!?

「まいどあり!」

 ・・・・・・・・・もういいよ、気の済むようにしてくれ。

「クルツ、クルツ」

 確か、ドラコ経由でテラの銀行から預金の引き出しと為替が出来たっけか。と、支払いの算段を考えていた時、ディオーネの呼ぶ声が俺を現実に引き戻した。

「なんですか」

「ちっと、見てもらいてーもんがあるだぎゃ」

「気に入ったものがあるなら、別に構いませんよ。支払いは何とかできそうですから」

 散々買い込んどいて、今さら何を言ってるんだか………。

「そー言う訳にゃーいかねーだぎゃ、これは、おみゃーが決めてくれねーと意味ねーだぎゃ。まあ、おみゃーが駄目っちゅーんなら、それはそれでかまわねーけどもが………」

 はて、これは面妖なことを。

「そうですか、で?どれですか」

 さすがに、あれだけ力の限り買い込むと、さしもの彼女もある程度引け目を感じるのだろうか。とにかくにも、ミキの露店の軒先に陳列されている、小物類に混じって並べられているアクセサリー達に目を落とす。

「こ、これだぎゃ」

 俺をちらちら見ながら、ディオーネがおずおずと指差したのは、安モンではあるが銀の指輪だった。緩やかなひねりの入った意匠はメビウスの輪を思わせる、神秘的で穏やかなものだった。

 なるほど、これは確かに割といい感じをしている。しかし、意外といい趣味をしているな。

「・・・・・・・・・どーかみゃあ」

「ええ、もちろんいいですよ」

「ほ、ほんとか!?」

 光が溢れるように、ふわりと明るくなる彼女の顔。そして、俺は購入物品をまとめた契約書にサインした奴をミキに手渡すそばで、指輪を受け取ったディオーネが、さっそく右手の薬指にそれをはめている。その彼女が、まるで少女のような表情を浮かべているのが見えた。まあ、それだけ喜んでくれるほど欲しかったものなら、本当に何よりさね。

 とりあえず、大事にしといてくれ。

 

「よう、ミキ」

「あっ、クルツはん!なんや、わざわざ見送りにきてくれはったんかいな?」

「まあ、そんなとこだ」

 ドロップシップのエプロンでは、貨物コンテナの搬入を終え、残った諸手続きを処理しているミキがいた。俺は、クリップボードに挟まれた書類を係官に手渡し終わるのを待って、彼女に声をかけた。

「クルツはんのおかげで、今度の出稼ぎは大黒字だったんよ。クルツはんには、ほんま感謝してますわ、おおきにな」

「それはなによりだ、だけど、もう少し演出にこらないと、そのうち痛い目にあうかもしれないぞ。それを言っときたくて来た」

「な、なにゆうてますのん。演出って、なんのことです?」

 ほんのかすかに動揺の色を浮かべたミキに、俺はつい呆れとも失笑ともつかないため息をついた。やれやれ、商才は桁外れでも、嘘の才能はリオ並みだな。

「まあいいさ、ただな、SLDFに合流しても、ノヴァキャットはノヴァキャットのままさ。まあ、それくらいは見て取れたと思うけどな。で、いい記事は書けそうかい?」

「さあ、うちにはなんのことやら……・・・」

 無意識に目を泳がせる彼女に、俺は今ようやく、彼女に対する警戒を解くことにした。この程度なら、放っておいても何も問題などない。

「ナガサワ・ラインと言えば、始祖がジャーナリストだしな。それに、あんたの顔と名前は、前に何度かメディアで見たことがある。もっとも、あの頃は、メガネなんてしてなかったけどな」

 少しカマをかけるつもりだったが、このお姉さん、見ていて面白いほど顔色を変えている。赤くなったり青くなったり、信号機じゃあるまいし。中枢に致命的命中ってとこか、やれやれ。

「ま、そんなことはどうでもいいさ。それに、商人としてのあんたは結構気に入っている。気が向いたら、また面白いものを仕入れて商売に来てくれ。うちのチビ介と待ってるから」

「………はははっ、やっぱりクルツはんにはかなわんなぁ。せやけど、うちもクルツはんのことは嫌いやないでっさかい。今度は値切りたくても値切れんような、ごっつええもんもってきますによってな?」

「ああ、楽しみにしてる」

「せや、楽しみにしたってな。でもって、デェトのほうも、よろしく頼んまっせ」

「考えとくよ」

「よっしゃ!うち、ごっつやる気出てきたわ!」

 まあ、ウルフの連中ならともかく、氏族の探りなんてこんなもんだろう。それに、俺が彼女に言ったことも、本当のことだ。

「ほいじゃ、クルツはん。元気でな」

「ああ、お前もな」

 再会の約束の握手をして、ミキはとんとんとタラップを駆け上がっていく。そして、ハッチをくぐる寸前、彼女は俺の方を振り向くと、あの屈託のない笑顔で手を振った。

「クルツはん!ほなね!」

「ああ、またな」

 彼女の小さな姿が機内に消えて、ハッチが閉まる。そんな光景を、俺は何となくほっとした様子で見送りつつ、万一の時は使えとアストラから借りたスナブノーズの入ったポケットから手を出す。そして、離陸音を響かせるドロップシップの音を肩越しに聞きながら、宿舎に帰るためエプロンを後にした。さてと、明日もまた仕事だ。労働とは尊きものかな。

 



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スルカイするかい?

「えーかげんにせんかいっ!」

 とうとう、たまりかねたようにリオがキレた。まあ、無理もないわな。さっきから人が勉強教えてやってるとこに、やれアレもってこいだのコレもってこいだの、正直、俺だってうっとうしいことこの上ない。

「何怒ってるんだぎゃ?」

「勉強の邪魔じゃ!」

 リオは、書きかけのノートをびしりと指差しながら、緑色の瞳を燃え上がらせてディオーネを睨みつけた。そんなリオ介の様子を、ディオーネはベッドの上に寝そべりながらニヤニヤと笑いながら眺めている。

「いつもいつも夜中にあがり込んで来てからに、ちったあ人の迷惑も考えんかいっ!」

「うちはにゃ~んも邪魔なんぞしとらんだぎゃ~?それに、今勉強しとるのは、リメンバランスだぎゃ?戦士階級の、しかも視法師が立ち会っとるんだぎゃ。いたれりつくせりの環境だぎゃ」

「アホ言いよんなら!ただ寝っ転がってもの食っとるだけじゃろぅが!クルツやうちは召使いじゃないんじゃ!」

 いやいやいや、リオさん、俺たちボンズマン。召使いどころか、奴隷だよ?

「何ゆーとるんだぎゃ、ちっとは余裕も必要だぎゃ」

「そんな余裕のこき方があるかい!普通に邪魔じゃ!!」

 やれやれ、まったくこのふたりときたら。

「もう勘弁ならんけぇ!」

「そーかね?どーするんだぎゃ?」

 リオは、その絶望的なまでに平ぺったい胸を張ると、ひとつ息を吸い込んでから、あらん限りの威勢をかき集めてバッチャルを開始した。

「我こそは、ノヴァキャット氏族のボンズマン、リオなり!我は、自主学習の妨害につながる訪問を認めず、メックウォーリアー・ディオーネに対し、陸上競技をもって不服の神判を発動する!」

 おやおや、またこの子の悪い癖が始まったよ。しかし考えたな、このおチビさん、戦士としての技量はともかくとして、走るという事に関しちゃ、大人にも負けない。

「我は、メックウォーリアー・ディオーネなり。我は、1万メートル走をもって、陸上競技場にて汝を迎えん」

 ちょっと待て!いくらなんでも、それは大人気ないだろ!!いくら短距離じゃ際どいからって、そんな子供相手に10キロも走らせるつもりか!?

「その言葉、確かに聞いたけぇね!さっそく、明日勝負じゃ!」

「まあ、えー言い訳でも考えとくだぎゃ」

「ゆぅたな!」

 あれよあれよという間に、決闘騒ぎにまで事態を展開させたふたりは、お互いに対照的な胸を張りながら、挑発的な表情でにらみ合っている。

 なんて言うか、雌豹に向かって子猫が虚勢を張っているようにも見えるその絵面を見ながら、俺は、子供用のランニング・シューズを都合してもらうため、馴染みの靴屋に電話をかけに部屋を後にした。

 

 

「なんか、足元がふわふわするのう・・・・・・・・・」

 新品のシューズを慣らすように、トコトコと軽く走り回るリオは、戸惑いつつもまんざらではない表情で、足元の感触を確かめている。

「だからって、あんな底のペラペラなズック靴よりはましだろう。あんなので走り回ったら、後で絶対足を痛めるぞ」

「わ、わかっとるわい!………ただ、その、こんなぶち上等な靴はいたの初めてじゃけん、ちっと驚いただけじゃ」

「まあ、それはいいけど。あまり無理せず頑張れよ、勉強の都合なんて、いつでもつけてやれるんだからな」

「………そう言うのと違うわい」

「ん?なんか言ったか?」

「な、なんでもないわいっ」

 リオはそういってそっぽを向くと、後は知らないとでもいうように柔軟体操を始めている。へえ、子供だからとは言え、えらく体が柔らかいな。シーアン雑技団に入ったら、人気者になれるんじゃないか?

「お、やっとるだぎゃ」

 相変わらず気楽な様子で、長い黒髪をポニーテールに結った、ジャージ姿のディオーネが現れた。すると、とたんにリオ介の奴は攻撃的な表情で目を三角にする。

「ウォーミングアップはどうしますか?」

「うんにゃ、家からここまで歩きながら適当に済ませてきただぎゃ。まあ、ストレッチでも手伝ってもらおうかみゃあ」

そう言うと、ディオーネはポンポンとジャージを脱ぎ散らかす。相変わらず、いい加減だな。

「たたんどいてくれみゃあ」

 はいはい

「クルツー!背中を押してくれみゃあ」

 はいはい………って、みぞおちまでしか裾がないハーフカット・レースシャツと、足の長さを際立たせるカットのショートパンツ。これまた、基本的に体の線にフィットするような、本格的なマラソンウェアだ。

 うん、実に健康的なエ………じゃなくてだな、ディオーネは、かなり本気でこの神判に臨むつもりだ。

「この!なに水着みたいなカッコで出て来とんじゃい!」

「ふへっ、これだからしろーとは困るだぎゃ。長距離を走るときゃ、布擦れを防ぐために、ぴっちりしたウェアを着るのは、じょーしきだぎゃ~?」

「うぐっ………し、知っとったわいっ!そんなこと!!」

 別に10km程度で布擦れもないもんだとはおもうが、リオ介が今身につけているのは、俺のお下がりである半パンとTシャツだ。ガチンコの陸上競技勝負に臨む、という意味合いじゃ、確かに、ディオーネの言う常識的なスタイルとは、まったくかけ離れたものだ。

 空力、吸汗性、軽さ、動きやすさ、そういった意味じゃ、すでにリオはお召し物の段階で負けている。まさかディオーネがこんなガチな準備をしてくるとは、さすが氏族人、一度勝負と名がつけば、子供相手でも手は抜かないということか。

「それじゃ、そのカッコはなんだぎゃ?」

「いちいちじゃかあしいわい!こりゃ、ハンデじゃい!」

「ふへっ」

 許せ、リオ。今回ばかりは、完全に俺のミスだ。

「よかった!間に合ったか!!」

 俺が内心頭を抱えていた時、バックパックを背負ったアストラが、彼の愛車であるマウンテン・バイクに乗って競技場に入ってくると、かなり慌ただしく脇に自転車を止め、息せき切ってトラックの芝生へと駆け込んできた。

「おー、トラ坊。わざわざケッタマシーンで来てからに。おみゃーも、おねーちゃんの勇姿をおーえんしにきたんかみゃあ?」

「なにゆうとるがね!こんな大人気ねー真似しといてよぅゆーがな!」

「大人気ねーって、先につっかかってきたんはリオ介のほーだぎゃ?」

「そーゆーんが大人気ねぇんだがや!」

 うわぁ、初めて見たよ。

 普段のアストラからは想像もつかない言動に、俺とリオは、しばらくその姉弟ゲンカらしきものを見守っていた。

「………まあいい。それよりクルツ、運動着を調達してきた、リオに使わせてやってくれ」

「そ、そうか、わざわざすまないな」

「気にしなくていい、それよりリオ、行ってこれに着替えてくるんだ」

「おおきに!アストラ兄ちゃん!」

「ああ、最善を尽くせ」

 包みを抱えて走っていくリオを見送りながら、アストラはこれ以上ないほど表情を緩めている。あんなに幸せそうなアストラの顔は、初めて見たよ………って、痛っ!?なんだ………?

「このたーけが!おみゃーがアストラにロクでもねーことばかり教えるから、あいつが変になってしもーただぎゃ!」

「わ、私は何も………!?」

「とぼけんじゃねーだぎゃ!おみゃーがアストラに貸した対人シミュレーションの中身、うちが知らねーとでも思っとるんか!?」

「そ、それは………!」

 不機嫌さを顔中に貼り付けたディオーネににじり寄られ、俺はこの場をどう言い逃れようかと思案を巡らせながらも、ついつい視線が彼女の量感ある胸元に描かれたI字ラインに固定される。と、その時、着替えを終えたリオが戻ってきた。

「待たしたけん………って、なにやっとんじゃいっ!!」

「はぁ?………って、むはははははっ!なんだぎゃそのカッコ!?」

 アストラの持ってきた運動着に身を包んだリオを見たとたん、ディオーネは腹を抱えて爆笑している。

 やや厚手の、袖口が締まった半袖シャツ。そして、まるでカボチャか何かのように見える、ぶかぶかの紺色をしたショートパンツに、赤の鉢巻。とりあえず、見てくれはともかくとして、動きやすそうな格好には違いない。

「アストラ、これは一体………?」

「ドラコの幼年学校で制式採用されている、体育教練における基本装備だそうだ。この間、あの行商人の店先で見かけたんだが、リオはよく自主トレをしているのを見るのでな、最適だと思って調達しておいた」

「そ、そうか……すまないな………?」

「気にすることはない、気概のある若手を支援するのは、先達の義務だ」

 これを?本当に?自分でミキんとこの店頭で買ったのか?アストラよ、お前は、本当に恐れを知らない戦士、いやさ、勇者王だな。

 とは言え、無粋な言動でせっかくの篤志に水を差すこともない。それに、事情がどうあれ、俺の古着に比べれば、クラシック・メックとオムニ・メックほどの性能差だ。リオ、これで条件は整ったぞ。さあ、どう戦う?

 

「それじゃー、念のため一応ルールは言っとくでよ。勝敗は先にゴールした方の勝ち、対等の環はこの競技場のトラックの外周部分が範囲、こっから飛び出したりしたら、その時点で出た方の負けだぎゃ。

 今回は一応、マラソンが競技種目だで、故意に相手を環の外に突き飛ばしたり、走ってる相手の足を引っ掛けて突っ転ばしたりは禁止だぎゃ。けどもが、気力体力の限界とか、怪我とかで走れんよーなった場合は、走れんよーなった方の負けとみなすだぎゃ。

 取り敢えず、以上だでな。で、ふたりとも、なんぞ質問はあるかの?なけりゃ、ぼちぼち始めるでよ」

 審判員、と言うか、立会人を務めてくれることになったマスターが、スタートラインの脇に立って、リオとディオーネに声をかける。

「うちはいつでもええだぎゃ~」

「うちもじゃ!」

 ふたりは、マスターの言葉に異存ない旨を告げる。そして、2人の意思を確認したマスターは、腰に提げたホルスターから、愛用のヴィンテージ・ハンドガン、シュテルンナハト・アーマーマグナムを抜くと、銃口を空に向けた。

「ほいじゃ、いくでよ。位置について、よーい………」

 瞬間、大口径アーマーマグナムが、耳をつんざくような落雷のような轟音を上げ、俺の鼓膜を直撃した。トラックから離れていてこれだから、あのふたりはさらにひどい事になっているだろう。案の定、リオとディオーネは、耳を押さえながらフラフラと駆け出した。

 マスター、せめて空砲を入れてきてくださいよ。ってか、撃った弾はどこに落ちてくんだよ。親指位もある劣化ウラン弾が頭に直撃なんて、マジで冗談じゃないぞ。

「どっちも頑張るでよ~」

 しきりに鼻をつまんで耳抜きをしながら走るふたりの背中に、マスターは自分の耳から耳栓を外しながら、気楽な声をかけつつ手を振っている。どうでもいいけど、あんた、本当にトゥルーボーンなのか?

 最初は、あまりにも無茶に思えた1万メートル走だったが、状況は意外な展開を見せた。リオは、スタート後すぐにディオーネの前に回りこむと、巧みに彼女の進行方向をブロックしながら、自分のペースに無理やりディオーネを付き合わせるように走っている。

 当然、ディオーネはリオを追い越そうとするが、まるで後ろに目があるかのように、リオは巧妙にライン移動しながら、ディオーネの進路をふさいでいる。

 普通の陸上競技なら当たり前にルール違反になるやり方だが、別に陸上競技のルールをまんま適用するとは言っていない、マスターがふたりに告げたのは、実力行使を伴う走路妨害をして相手に怪我を負わせるな、ただそれだけだ。

「なるほど、考えたものだ」

 アストラも、その様子に感心したようにうなずいている。確かに、ペースが速過ぎても、逆に遅過ぎても、スタミナの消費は適切なものではなくなる。しかも、若干10才のリオの体力では、10キロを走りきるにはかなり綿密なペース配分が必要となる。しかし、それだとメック・ウォーリアーとして鍛えたディオーネに対し、スピードで遅れをとることは目に見えている。

 これはただ10キロ走りきればいいと言うものではない。10キロを完走し、なおかつ相手より先にゴールしなければならないのだ。となれば、相手のペースを崩すのが一番だが、まさかこう言う手を使うとは、正直予想外だった。

 すらりと伸びた、カモシカのようにしなやかで長い足………あのな、そういうつもりで言ってるんじゃない、さっきから何なんだよお前は。要するに、コンパスの差っていう奴だ。つまり、リオとディオーネの足の長さの差で言えば、その回転数はおのずから違ってくるし、もちろん、適切な回転数というものが存在する。

 リオは常に自分の背後にディオーネを走らせておくことによって、言ってみればスポーツカーを常にローギアで走らせるような状態に置こうとしているってわけだ。

 腐っても鯛、さすがは金魚鉢生まれ。実戦においての小細工もとい、状況判断と作戦能力は、子供ながらに天晴れだ。頭を使うのは、寝小便の言い訳と隠蔽工作だけじゃなかったんだな。

 

 

 『15』と書かれたボードをかかげ、手に持ったベルを振る。さて、残るところあと10周だ。2人とも、そろそろ足腰に来始めているようだな………。

「こ、この!さっきから人の前うろちょろしよってからに………!」

 序盤早々、ペースを粉砕されたディオーネが、前を走るリオの背中に毒づくのが聞こえる。一方、リオはと言えば、ただひたすら前だけを凝視して、黙々と走っている。こりゃあ、相当しんどいはずだ。多分、意地と根性だけで走ってる。

 なんか、こうして見ていると、勝敗は別として、かなり感じいってくるものがある。トゥルーボーンとは言え、若干10才の子供が、現役メック・ウォーリアーを向こうに回して懸命に頑張っている。見ると、アストラも、まばたきを忘れてトラックを凝視している。

 で?さっきから聞こえる、気持ちよさそうな寝息は………やっぱりマスターか。ベンチに長々と寝そべり、日差しを全身に受け止めながら、まるで昼寝中の猫のように寝入っている。ほんとに、あんたって人は………。

『24』のボードを上げて、ベルを鳴らしたその時だった。

「だあっ!つきあってられねーだぎゃ!!」

 たまりかねたようにディオーネが叫んだと思った瞬間、リオを強引に振り切ると、その長身をひるがえすように前へと躍り出させた瞬間、そのしなやかな体は弾かれるように急加速を始めた。

「ま、待てっ………!!」

 あと、まだ2周もあると言うのに、今までとは桁違いのペースで疾走を始めたディオーネに、リオも慌ててその背中に追いすがろうとする。そして、その瞬間、俺達は信じられない光景に、我が目を疑った。

 ほとんど全力疾走といってもいいスピードで走るディオーネの真横に、リオの小さな体がぴったりと併走している。そして、2人は24周目のトラックを、弾丸のように駆け抜けた。そして、俺はほとんど反射的に、最後のボード『25』を掲げ、ベルを鳴らした。

「ぬぁああああああああっっ!!」

「くぅううううううううっっ!!」

 咆哮じみた声を上げながら、互いに一歩も譲らず最後のトラックを疾走する。お互いのプライドと意地をかけた勝負も、あと100メートル弱を残すのみとなった。

 それは、まったく突然に起こった。残り50メートル地点で、まるで狙撃兵に撃たれた奴みたいに痙攣した瞬間、リオの小さな体は崩れ落ちるようにレーンの上に倒れた。気配に気付いたディオーネは、ほんの一瞬だけ、わずかに振り向いたように見えた。しかし、彼女はそのままスピードを落とすことなく、ゴールラインを駆け抜けた。

「リオッ!!」

 その光景を目にした瞬間、俺とアストラは反射的に駆け出した。しかし、間髪入れず、リオの叫びが俺達の鼓膜を打ちつける。

「来んな!入って来んな!!」

 リオは、レーンにはいつくばったまま、トラックに駆け込もうとする俺達にそう叫ぶ。

「ふっ!ふぬぅうううううっっ!!」

 おそらく、肉離れを起こしたのであろうか。そんな、大人でも耐え難いであろう激痛に顔を歪めながらも、両手と左足で踏ん張るように立ち上がると、硬直しきった右足を引きずりながら、ゴールに向かって前進を始めた。

「もういい!勝負はついたんだ、無理するな!!」

「じゃ………じゃかあしいわいっ!まだ、まだ………終わっとらんわい………っ!!」

 痛みをこらえるように歯を食いしばり、青ざめた顔に大粒の汗を流しながら、そのエメラルド色の瞳は、ただまっすぐゴールだけを見据えていた。

「この程度………なんぼのもんじゃいっ………!!」

 小さな体に、みずから鞭打ってひたすら前進するリオを追い、俺とアストラはトラックの外周を移動する。そう、このトラックは対等の環。いわば、リオにとっての戦場。何人たりとも冒すべからざる聖域。そして、彼女自身の戦いは、まだ終わってはいない。

 1秒が、それこそ1時間にも感じられるような重圧感。そして、とうとう、リオの左足が、ゴールの白線を踏んだ。

 

 

 この神判は、ディオーネの勝ちとなった。一見非情にも思えたが、彼女は戦士として、全力でリオと勝負してくれた。そのことについて、どうこう言うつもりはないし、むしろ、リオを対等な挑戦者として認めてくれたことは、感謝するべきことだ。

「クルツ、俺は姉さんの世話をみよう。後のことは任せた」

 そして、アストラは俺にそう告げると、芝生の上で体を休めているディオーネの元へ駆け寄っていった。デ ィオーネは、汗だくになりながらも、ちらちらとリオの方を見ながら、何か言いたそうな顔を浮かべている。だけど、今はそれどころじゃない。俺は、彼女のことはアストラに任せ、ゴールラインの上でうずくまったままのリオを抱え起こした。

「大丈夫か?」

 それに答えず、いや、答えられないのか、リオは、ぜいぜいと荒い息のまま俺を見上げている。その時、俺の横で気配がすると、救急箱と氷をつめた袋が置かれ、同じように、ディオーネ達にもそれらを渡したマスターが、何かを一言二言彼らに告げて、立ち去っていくのが見えた。

「よく頑張った、見直したぞ」

 タオルで汗を拭ってやりながら、ねぎらいの言葉をかける。そう、確かに、リオは良くやった。この子が勝てなかったのは、ディオーネでも自分自身でもない。幼さゆえの未完成。ただ、それだけだ。

そして、リオはようやく張り詰めていたものが解けたのか、その緑色の瞳をぶるぶると潤ませると、大粒の涙をボロボロとこぼし始めた。

「これでお終いってわけじゃないんだ、お前には、まだたくさん時間がある。いくらでも強くなれる。まだまだ、これからさ」

 俺の言葉に、リオは両腕で顔を隠しながら無言でうなずいた。何度も、何度も。そう、お前はまだ、これからなんだよ。

 頑張れ、小さな戦士。

 

 

「リオ、13番のレンチを取ってくれ」

「わかったけん………はい、クルツ」

 メックの足の裏にもぐりこんだまま、側でジャッキの油圧を監視しているリオに手を伸ばす。そして、覗き込むように顔を見せた、猫耳の少女が俺にレンチを手渡した。

「………なに笑っとんじゃい」

「気のせいだ、それより、ジャッキの油圧は大丈夫か?ミートパイになるのはご免だぞ」

「えっ?あ、ああ、油圧は正常じゃけん、大丈夫じゃ」

 リオの声を聞きながら、対地センサーのカバーパネルをボルト止めした俺は、台車の上に仰向けになったままメックの足裏から這い出る。すると、そこにはジャッキの制御ボックスとにらめっこしている、ゆらゆらと揺れる黒い尻尾を生やした少女の姿があった。

 あの不服の神判後、ディオーネは、リオに対して

『戦士に対して、礼儀がなっていない』

 と言うことで、スルカイとして彼女がいいと言うまで、リオは猫耳カチューシャと尻尾付きのベルトクリップをつけて生活するよう言い渡した。

 さすがに、神判で負けた以上、リオも反論するつもりはないようだったが、さすがに、仮装パーティーにでも行くような格好は、やはり内心穏やかではない様子だった。

 問題は、それが無駄に似合っていることだった。しかし、このスルカイ………ああ、スルカイってのは、平たく言えば罰ゲームみたいなもんだ。原則、命に関わらない程度にかけられるこれは、氏族人としてやってはいけないこととか、上の立場の人間に対して無礼があった時とかに食らうもんだ。

 まあ、されたほうは、こんな屈辱を味わうくらいなら。と、大抵は反省して、二度とそんなバカをしないよう気をつける。って意義があるらしい。

 ただね、ちょっと思ったんだが、これは、どっちかと言えば、リオより俺の方がダメージが大きいぞ。

 実際罰を受けてるのはリオだろうって?違うね、確かにリオは仮装グッズをつけるよう言われているが、それによる副産物は、どっちかと言えばプラスのものだ。ボンズマン仲間からも、その黒猫の子のような姿がおおいにウケたらしく、前以上にかわいがられるようになり、休憩時間のコーヒータイムとかに、茶請けの菓子を譲られたりすることも多くなった。なにより、この整備隊のマスコットみたいな扱いになってる。

 問題は、俺だ。

 事情を知らない奴から見れば、このチビ介をつれて歩いているところを見て、俺が何か極めて特殊な趣味を持っていると推測するのは、アトラスを見て、これは偵察に向いていない。と推測するくらい簡単な話だ。

 ディオーネ、お前、いったい何のつもりでこんな………。

 ほら見ろ、今も、別のバイナリーから顔を出した連中が、俺を指差して何かひそひそやってやがる。

畜生、いっそ、俺も猫耳をつけてやろうか。

 



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浄めよ炎讃えよその名

「リオ、このシリンダー、全部磨いといてくれ」

「………また、部品磨きかい」

 リオ介の奴は、錆びの浮いたシリンダーの山を前に、憮然とした表情を浮かべている。

「ペーパーとコンパウンドの種類はわかるな?横着してサンダーなんか使うなよ、乱暴に扱って形を歪ませたら使いものにならなくなるからな」

「わかっとるわいっ」

 何かひとこと言い返さないと気が済まない、強情な性格は相変わらずだが、それでも一度始めると、黙々とシリンダーを磨き始めている。まあ、文句は多くても、仕事は人一倍真面目にするから、班の連中からもよく面倒を見てもらえるようになっている。もっとも、人気の秘密は、いまだ解除されないスルカイのせいなんだろうが。

 最近、イレースの周りを海賊がうろつきだしていると言う、ドラコからのありがたい情報のおかげで、うちのクラスターもまた慌しい空気に包まれ始めた。ああ、そうだよ。早い話が、

『居候させてやってんだから、庭先をうろついてる野良犬くらい追っ払ってこい』

 ってとこだ。

 まあ、それはともかく、今日は、月間表の予定に組まれていたC整備の日程にそなえ、負担を少しでも軽くするため、いつもより念を入れて整備するようになった。

 いやぁ、それにしても、リオが入ってから、仕事がはかどっていい。なに?バカ、皮肉なんかじゃないよ。確かに、こいつは確かに一言多い奴だが、実際仕事をさせれば下手な大人なんか問題にならないくらい真面目に仕事をする。

 もちろん、本格的な整備を任せるのはこれからだし、素質があるといっても、いかんせんまだまだ知識も経験も足りてない。だから、今の段階では、機械に慣れさせるため、部品のクリーニングとかの雑用をやらせている。

 今までは、それらも俺がみんなやっていたわけだが、リオと言う強力なアシスタントのおかげで、俺は本来の仕事に専念できるって訳だ。

 ははは、水を張ったたらいを前に、耐水ペーパーでシリンダーをゴシゴシやってる姿は、まるで餌を食べる前のアライグマみたいだな。頑張れよ、仕事が終わったら、ジュースでも飲みに連れてってやるから。

「ご苦労様、ふたりとも頑張ってますね」

 これはこれは、スターコーネル閣下直々に。

「ありがとうございます、司令」

 俺は、作業を中断すると、ハンガーに現れたスターコーネル・イオに敬礼する。礼式がついついコムガード式のものになってしまったが、彼女は気にした様子もなく、琥珀色の小さな目にあふれんばかりの笑みをたたえている。みると、俺の隣に駆け寄ってきたリオも、俺とまったく同じ礼式で可愛い敬礼をしていた。

「お、おつかれさまです!イオ様!」

 をやをや、このおチビさん、我がクラスター率いる彼女を前に、感動と興奮で顔が真っ赤だよ。まあ、いい加減地黒だから、慣れてないと見分けられないだろうけどな。ともかく、彼女はそのトレードマークともいえる、温和な笑顔をリオに向けてうなずいている。

「いつも真面目にやっているようですね、リオさん。特練で頑張るのももちろんですが、クルツ君のお仕事も、しっかり手伝うんですよ」

「は、はいっ!わかりました、イオ様!」

「いろいろ大変かも知れませんが、どんな小さなことも、ひとつひとつ、決しておろそかにしないで努力を忘れずに。必ず、誰かが見ていてくれますからね」

「は、はい!ありがとうございます!!」

「ええ、頑張ってくださいね」

 彼女は、エレメンタルほどではないが、それでもかなりある身長を折り曲げて、生真面目な造型師が作った人形のように、背筋をはって直立不動の姿勢になっている、リオの頭を優しくなでている。

「それと、クルツ君。今日の会議で、私達のクラスターも海賊討伐に参加することになりました。整備作業の段取りにも影響があるでしょうし、早めにお伝えしておきますね」

「了解です、お心遣い感謝します」

「そんな大げさなものでもないですよ、クルツ君のおかげで、クラスターのメック稼働率は常に80パーセントを超えているんです。これからも頑張ってください、期待していますよ」

「はい!最善を尽くします!」

「ええ、任せましたよ。それと、最近臨時報告の時間がありませんが、それも折を見てお願いしますね」

「は、はい!了解ですっ!」

 そう言うと、スターコーネル・イオは、氏族人にしては珍しい、実に優しい笑みを俺達に向け、ハンガーを立ち去っていった。

 やっぱり、いいよなぁ。ああ、彼女が氏族人じゃなけりゃどんなに・・・って、げふん!げふん!

「うちとは、ずいぶん態度がちがうがや?」

「うわっ!?」

 でぃ、ディオーネ?いつの間に後ろに?

「そんなこたぁどーでもえーだぎゃ、それよか、おみゃー、スターコーネルといると、ずいぶんうれしそーな顔するみゃあ、ん?」

 な、何を言ってるんだ、そんなことないよ?

「まー、えーだぎゃ。それよか、しばらく会えんよーなるだで、顔出しにきただぎゃ」

「会えないって、どこか派遣されるんですか?」

「このたーけが、このカッコ見てわからねーがや?」

 この格好って………そう言えばその紅白のやたら景気のいいツートンカラーは、こりゃこの前、ミキの店で買った、ドラコの神官装束じゃないか。ってことは………。

「おー、そのとーりだぎゃ。今回も、うちが神託の儀を任されたでよ」

「なるほど、それでさっそく、と言う訳ですか」

「だでよ。しっかしまー、この服ときたら、胸とか股とか、やたらスースーしてどーにも、だぎゃ。まー、ゆったりしとって、気分的にはOKだどもがみゃあ」

「だったら、下着とか着ればいいじゃないですか。なにもそんな………」

「たーけ、そんな邪道な真似して、効果ある訳ねーだぎゃ。ミキの奴に聞きゃー、ドラコの神官はそー言う着方はしねーっちゅー話だぎゃ。ま、それはともかくとして、歌と踊りのほーも、しっかり頼むでよ。そっちのチビ介も、クルツからしっかり習っとくだぎゃ。ほいじゃー、あさってくれーには出てくるだで、そんときゃー、なんぞ美味いもんでも食わせてくれみゃあ」

「わかりました、手配しておきます」

「おー、楽しみにしとるだぎゃ。ほいじゃ、いっちょ頑張ってくるだぎゃ」

 最後にようやく機嫌が良くなったディオーネは、彼女の言う通り、ゆったりとしたアワセ・ジャケットの袖やハカマ・スカートを風になびかせ、親指の分かれた白いショートソックスの下に履いた、ゾーリ・サンダルをペタペタ言わせながら立ち去っていった。

 やれやれ、今日はどうにも来客が多いな。

「クルツ、クルツ」

「ん、どうした」

 俺のジャンプスーツの腰を引っ張りながら、リオが疑問を顔に浮かべながら話しかけてきた。

「う、歌とか踊りとか、どーいうことじゃ?」

 ああ、そう言えば、リオはまだ知らなかったか。

「リオ、ノヴァキャットが、戦争とか外交とか、そう言った大きな節目には、視法師が神託の儀をするというのは知ってるよな」

「え?ああ、なんぞ胡散臭い占いをするっちゅーあれか?」

「………胡散臭い?まあ、確かにそう見えなくも無いだろうが、馬鹿にできるもんじゃない。それに、ディオーネの神託は、今まで外れたことが無い。今回も、その力を見込まれてのことだろうな」

「そー言うもんかのぅ」

 ははは、まったく信じてないよ、こいつは。まあ、無理も無い。俺だって、最初の頃はどうにも胡散臭く感じていた。まあ、古巣だったコムガードの大元のコムスターにも、予知視と言う能力を使えるとかいうプリセンターがいたが、そんなに違いと言うものは無いだろう。

 強いてあげるとすれば、コムスターのプリセンター達が視て、そして判断する予知視というのは、おしなべて悲観的なものが多いのに比べ、ノヴァキャットの視る予言というのは、もちろんいいことも悪いこともあるのだが、決して悲観的にはとらえず、必ず次のステップになるように解釈する。と言ったところだろう。

 まあ、俺だって、それで結構振り回されたりもした。メックをピンクに塗ったくったり、改装した挙句が猫みたいな姿にしちまったりとかな。なんにせよ、今は他の連中と同じく、予言について異論をさしはさむ気は毛頭ない。実際、この目で見て、時には当事者にもなって体験してきたことだから、なおさらさね。

「でも、それと歌ったり踊ったりすんのが、どう言う関係があるんじゃ?」

「ああ、早い話が、予言者の応援みたいなもんだ。楽しいぞ、夜、広場ででっかい焚き火をしてだな、その周りを囲んで、みんなで歌ったり踊ったりするんだ。メックもたくさん出てくるしな」

「そ、そうなんか?そりゃ、面白そうじゃのぅ」

「ああ、面白いぞ」

 なんだかんだ言っても、やっぱり子供だな。夜に焚き火をする、と言ったワードが、さっそくこのおチビさんの琴線に触れたらしい。

 まあ、本当に楽しいかどうかはともかくとして、嘘は言ってない。

 

 

「ほらほら、腕の振りが遅い!腰が入ってないぞ」

 その日の夕方、俺はリオを連れて宿舎の裏庭に来ると、さっそくに神託の儀で用いる歌と踊りを仕込むことにした。

「そんなんじゃ、2日も3日も絶食して頑張るディオーネに失礼だぞ!ほらほら、足がふらついてる、腰が甘いから安定しないんだ!」

「ちょ、ちょいとタンマ………ッ。の、のどがカラカラじゃけん………」

「弱音吐かない、だんだん良くなってきてるんだから、もうひと頑張りだ!」

「う、うう~~~っっ!」

 わざと情け容赦のないことを言ってみるが、それでもリオはへこたれたりすることなく、一生懸命その細い腕を上下に振り、中腰の姿勢で下半身をくねらせるように踊り続ける。まあ、踊りと言っても、早い話モンキーダンスだ。覚えるのに対して時間がかかると言うわけでもないが、まあ、なんか楽しいし。

 だってほら、動きにあわせて尻尾ふりふり踊るとこなんか、見ていて飽きない。

「ふう、ふう、ひい、ふう………」

「よ~し、よく頑張ったぞ。たったこれだけの時間で、完璧にマスターしたのはたいしたもんだ。さすがは戦士の系譜ってとこか」

「そ、そんなん関係ないわい………」

 リオは、汗びっしょりになりながら、肩で息をしながら座り込んでいる。それにしても変だな。リオのベルトにくっついているクリップ式の尻尾。こいつの中身はただのスプリングしか入っていないはずだが、なんでヘロヘロに縮こまってるんだ?

 風がない時でも、リオの感情に合わせて動く時がよくあるが、まさか、体の一部と化してたりしてな。

「よし、今日はこの辺にしとこう。いって風呂入ってきな、そのあと外出するぞ。なんか冷たいものでも飲みに行こう」

「ほ、ほんま!?やった!!」

 リオ介は、俺の言葉を聞くなり、表情を輝かせて勢いよく立ち上がった。

「クルツは風呂入らんのか!?一緒に行こう!!」

「いや、俺はまだすることがある。いいから行って来い、詰め所で待ってるからな」

「わかった!!」

 リオは、うきうきと返事をすると、弾かれたようにすっとんでいった。やれやれ、あのスルカイだってまだ解除されていないのに、これで風呂まで一緒に入った日には、あとでいったいなんて言われるやら。

 

 

 その翌日も、練習の仕上げとして、リオにもうひと頑張りしてもらった。まあ、元がそんなに難しいものでもないから、2日程度の練習で完璧にものにしたようだ。これだけ覚えられれば、当日訳がわからずオロオロすることもないだろう。

「今までよく頑張った。もう、お前に教えることは何もない」

「頑張ったも何も、簡単じゃろーが、こんなん」

「ハハハ、まあ、そう言うな。どれ、一休みしたら、会場の設営でも手伝いに行くか」

「わかったけん」

市場で買い置きしておいたジュースをリオに振る舞い、彼女が落ち着いた頃を見計らって、俺達は神託の儀が執り行われる広場に顔を出した。

「お、やってるやってる」

 そこでは、シャドウホークIICが、その持ち前の器用さを生かして丸太を組み上げ、やぐらを組み立てている真っ最中だった。そして、その周りでは、若い衆達が広場の掃除をしている。

「な、なんでシャドウホークで?」

 メックと言えば、ドンパチしか発想にないのか、リオは土木作業に駆り出されているシャドホを見て、あっけにとられた表情をしている。

「しかたないだろ、ライフルマンやノヴァキャットじゃ無理なんだし」

「そー言う意味とちゃうわいっ!」

「ははは、まあ、言いたいことはわかるが、ノヴァキャットの人間にとっちゃ、神託の儀の準備にメックを使うのは、戦闘と同じくらい大事なことなんだ。神聖な仕事を任されている、ってことでな。で、リオ、あれ見てみ」

「え………な、なんじゃありゃあ!?」

 俺の指差した方向にある練兵場を見た瞬間、リオは驚愕の色を顔中に貼り付けた。って、また、こいつの尻尾が毛を逆立たせて跳ね上がってる。あらやだ、これは一体どういうことかしら?

まさか、本当に体の一部になってんじゃないだろうな。

「な、なんでメックがうちと同じモン踊っとるんじゃ!?」

「神託の儀の時は、人もメックも一緒に踊るんだよ」

「な、なんで!?」

「なんでって、それがノヴァキャットのやり方だからさ」

「む、無茶苦茶じゃ………」

「でもまあ、楽しいぞ。本番になったら、まるでウラヤスネズミーランドのエレクトリカルパレードみたいで」

「そ、そういうもんかのう………って、ネズミーランドってなんじゃい」

「遊園地のことだよ………ああそうか、まだ一度も行ったことなかったんだっけか。それじゃ、いつかルシエンに一緒に行く機会があったら、連れてってやろうな」

「う、うん………?」

 やれやれ、ピンとこないって顔してるよ。まったく、強さも大事だけど、心の豊かさも大事だとは思うんだけどな。

 

「ディオーネ姉ちゃん、ほんまに3日出てこんかったのぅ。ご飯とか、大丈夫じゃったんかのぅ」

 いよいよ神託が下されると言う当日、大広場へと向かう途中、リオが表情を曇らせながらつぶやいている。

「だから、飯は食ってないよ。断食して体を空っぽにして、それで精神の集中を高めるって話だからな」

「なっ!?それじゃ、ホンマに3日間、なにも食べとらんのか!?」

「ああ、そうなるな」

「あ、あの意地汚い大喰らいのディオーネ姉ちゃんが?ホンマに、大丈夫かのぅ」

 おい、いくらなんでも、言い方。

「まあ、それが予言者としてのやり方だしな。俺達が心配したって始まらないさ」

「なんじゃい、クルツ、冷たいのぅ」

「はぁ?」

「こんなことじゃったら、もっといっぱい持ってくればよかったのぅ」

 リオは、自分のポーチを開けて、ドライケーキやチョコバーを心許なそうな顔で数えている。なるほど、そのつもりだったのか。

「な、なんじゃいっ!?」

 俺がついその頭を撫でると、リオは驚いた表情をこっちに向けてくる。

「すまんすまん。リオ、お前は俺の誇りだよ」

「………せ、戦士を応援すんのは、うちらの仕事じゃろーが」

 とりあえずまあ、そうこうしているうちに、大広場が見えてきた。まだやぐらに火はかけられていないみたいだし、遅刻はしなかったようだな。さて、このおチビさん、びっくりして腰を抜かさなきゃいいけどな。

 さて、俺達ボンズマンの場所は円陣の外縁だ。まあ、気楽と言えば気楽な場所だよな。ただ、その10数メートル後ろで、メックがドタバタやりだす寸法になるから、危ないっちゃ危ないわな。

まあ、踏み潰されないように気をつけないと、たまにやらかすことがあるからな。

「リオ、後ろの気配にはくれぐれも気をつけろ。少しでもおかしいと思ったら、すぐ確認するんだぞ」

「わ、わかった」

 さすがに、自分の背後にメックが控えていると言う状況は、どうにも落ち着かないらしい。リオは、ちらちらと後ろを振り返りながら、城壁のように居並ぶメック達を見上げている。

「お、いよいよだぞ」

 大きな松明を掲げ、グリーンを基調とした詰襟の正装に身を包んだスターキャプテンとスターコマンダー達が、やぐらの周りを取り囲むように駆け寄る。その中には、我らがマスターやアストラの姿もある。そして、正面に控えていた、スターコーネル・イオの乗機である、メック・ノヴァキャットがゆっくりと前に進み出て、やぐらを睥睨するように立ち止まる。

 その間、誰も一言も発したりしない。それどころか、松明の燃える音が、ここまで聞こえてくるような静けさに包まれる。そして、コクピットハッチが開くと、一際鮮やかな礼肩章で飾った礼服に身を包んだスターコーネル・イオが、月明かりの中、ゆっくりと立ち上がるのが見えた。

「我らは求む!未だ見ぬ世を照らす光を!我らは求む!より全き生を導く光を!皆の者!呼べよ、その御名を!崇めよ、その御名を!」

 機械の力を借りなくても、彼女の清冽な声は夜の闇を貫き、凛と響き渡る。そして、彼女が颯爽と手を振りかざす合図と共に、やぐらに松明が投げつけられ、やぐらは、数秒と立たないうちに巨大な炎の柱と貸し、辺り一面を昼間のように照らし上げる。

「さあ、時は来た!捧げよ!崇めよ!畏敬と信仰の極みをもって!!浄めよ炎!讃えよその名!!」

 その瞬間、今まで闇を支配していた静寂を打ち破らんばかりの大歓声と共に、ノヴァキャット氏族にまつろう聖人達を讃える歌の大合唱が始まった。そして、大広場は、怒涛のような熱気と興奮に包まれ、誰が始めるともなく、一斉に奉納の踊りと歌が夜の闇をうねり巻き上がっていく。

 人も、そしてメックも、トゥルーボーンもフリーボーンも、今この瞬間だけはその境を失う。皆があらん限りの声で歌い、あらん限りの力で踊る。

 うなりを上げて燃え盛る炎は、血潮の如く全てを真紅に染める。人々の歌声は、眠る力を呼び起こす振動となって大気を振るわせる。そして、大地を揺らがせ、腹の底に打ち響くメックの足音は、ここにいる全ての人間の鼓動と融合してさらに激しく高鳴り、邪なものどもを打ち払う、破邪顕正の響きとなって夜の闇を清めていく。

 今夜始めて儀式に参加したリオですら、まるでなにかに突き動かされているかのように、小さな体をあらん限りに動かして踊り、その鈴の転がるような声で歌い続けている。絹糸のような黒髪が乱れるのも構わず、松明の光に照らされながら一心不乱に踊るその姿。

 その時、リオの足元から伸びた影法師を見て、俺は思わず恐怖にも似た驚きを覚えた。

 トーテム・ノヴァキャット

 あらゆる危険を聞き分ける耳、俊敏な動きを作り出す、しなやかな体と長い尻尾。そして、身を守るため、日々の糧を得るために逆立てる、一撃必殺の力を宿すたてがみ。

 それら全てが、影法師となって踊る。小さな少女の足元から伸びた影が。

 だが、不思議じゃない。なにも不思議なんかじゃない。

 ここは、クラン・ノヴァキャットの世界。科学に凝り固まった物質文明の常識では、到底理解し得ない、純粋にして崇高なる精神の息づく世界。

 この場に集まった、ありとあらゆる命と精神の波動に突き動かされてうねり逆巻く大気に力を注ぎ込まれ、やぐらを覆い包む炎の柱が大きくその巨体を揺らがせた。次の瞬間、広場中の大気が渦巻き、燃え盛るやぐらへと殺到する。

 そして、轟音と共に、生命を吹き込まれたかの如くうねりを上げた炎の柱は、体内のやぐらをひねり潰すように粉々にした。同時に、粉砕されたやぐらは、炎の柱に一瞬のうちに飲み込まれ、さらに勢いを増した炎の柱は、まさしく竜巻の如く逆巻き始めた。

 もう、誰の目にも理性の光など宿ってはいない。誰もが人知を超えた大いなる意思に畏敬の念を捧げ、聖人達に敬意を捧げる。割れんばかりの合唱は、激しく大気を震わせ、メックの踏み鳴らす足音は、どんな打楽器でも奏でられない力強いビートを刻み、歌声に力を与えていく。

 ただひたすら祈り、ありったけの畏敬と信仰を、渾身の歌と踊りに変えて捧げ奉る。その肉体も、魂も、全てを聖なるものに捧げきったその瞬間だった。

 巨大な肉食獣の咆哮の如き轟音が、大気を激しく振動させた。そして、炎の竜巻は激しく身悶えるようにうねると、徐々にその姿が形あるものへと化していく。瞬間、凄まじいエア・バーストが、爆音と共にその場にいた人々をなぎ倒す。それでも、歌はやまない。すぐに全員が立ち上がり、そして渾身の力で踊り続ける。

 奉納の歌、そして踊りが最高潮に達し、全ての魂がひとつとなった瞬間、凄まじい咆哮じみた轟音が大気を震わせた。そして、次の瞬間、炎の柱は紅蓮の光に輝く、巨大なトーテム・ノヴァキャットの姿となって、光の粒子を撒き散らしながら、数多の星々が煌く天空高く駆け上っていった。

 

 

「リオ、リオ、おい、しっかりしろ、リオ!」

 俺は、その涙の跡がくっきり残るその顔に、何度も呼びかける。あの時、失神したリオを抱え、安全な所まで退避した。いや、驚くとは思ってはいたが、まさか気絶までするとは思わなかった。

 小さな体は、まるで枯れ木のように軽く、魂が抜けきってしまったようで、余計小さく見える。その小さな唇の端には、吹き出した泡がまだかすかに残っている。すまん、そんなに驚くとは思っていなかったんだよ。本当に悪かった、だから、目を覚ましてくれ。

「ぅ………」

 弱々しい声とともに、その目がうっすらと開くと、エメラルド色の瞳が俺の顔を映し出した。

「………クルツ?」

「よかった、気が付いたか・・・悪かった、本当に悪かった」

「な、なにがじゃ。なにあやまっとるんじゃ………?」

 憔悴しきった様子ながらも、リオは俺をきょとんとした表情で見上げた。

「怖い思いをさせて、本当にすまなかった。気分は悪くないか、リオ」

 そんな俺の言葉に、リオはふっと優しい笑みを浮かべると、俺の顔に手を伸ばした。

「クルツはなんも悪くなんかないけん、うち、クルツのこと、なんも怒っとらんよ」

「リオ………」

「じゃけん、ちっとばかし疲れたけん。寝てもええかのぅ………」

「あっ!お、おいっ!?」

 まるで今際の際みたいな言葉を残して、静かに目をつぶったリオに、俺は血の気が引く感覚を覚えたが、それもすぐ、小さな可愛らしい寝息を聞き、ようやく強張っていた顔がほぐれた。

「おつかれさま、おやすみ、リオ」

 俺は、その小さな体を抱き上げると、まだ興奮の余韻が伝わってくる大広場を後にして、宿舎へと歩き出した。

 

 

「お願いじゃ!ディオーネ姉ちゃん!!」

「たーけ!そんなん言われて簡単にいくわけねーだぎゃ!!」

「やってみんとわからんじゃろーが!お願いじゃ!うちを弟子にしてつかぁさい!!」

 やれやれ、ディオーネも、帰ってきたばかりと言うのに大変だな。お、やっぱり短距離走じゃかなわなかったか、とうとう捕まったな。ははは、腰にしがみつかれて、まるで子猫にじゃれつかれた親猫みたいだよ。

 よう、おはようさん。どうやら、ディオーネの予言どおり、俺達のクラスターは海賊討伐に成功して、損害ゼロで帰ってきたよ。まあ、多少の怪我人は出たみたいだが、まあ、これはコラテラルダメージだしな。

「あっ!こら!なに這い登ってきて!猫かおみゃーは!!ぎゃっ!?ち、乳を握るんじゃねーだぎゃ!あいででででっ!い、痛ぇ!痛ぇっちゅーとるだぎゃあぁっ!!」

 ははは、リオ介め、なんてうらやましい真似を。

「放せ!放すだぎゃあ!!」

「嫌じゃ!弟子にしてくれる言うまで、絶対放さんわい!!」

「こっ、このガキャ!あいででで!もげる!もげる!!」

 だいじょうぶ?ホントにもげたりしない?ソレ。

 まあ、ともかく、あの日の一件は、リオにとっていろんな意味で衝撃を与えたみたいだった。そして、海賊討伐に出撃したクラスターが帰還してくる日、ディオーネを待ち構えていたリオは、ドロップシップから降り立ったディオーネをさっそく強襲したって訳だ。

 え?弟子ってなんのことだって?ああ、リオも、あの場面には相当価値観をひっくり返されたらしくてな。あの翌日、目を覚ますなりずっと、自分も視法師になるってやかましかったんだ。だからこう言ってやったさ。

『好きにしな』

ってな。

 お、ようやくリオ介を振りほどいたようだな。だけど、ディオーネもなにもあんな必死に逃げなくても。お、転んだ転んだ。ははは、お約束だな。

「と、とにかく!いきなり言われてもわからんだで、少し考えさせるだぎゃ!」

「うちだってちっとは勘もええし、予感だって結構当たるわい!!」

「そんなもん、あてになるわけねーだぎゃ!」

「そんなことないけん!!」

 ディオーネが走りながら投げつける、携帯食料パックのデザート菓子のパックを、いちいち立ち止まりながら拾うため、じわじわと間を開けられながらも、必死にディオーネを追いかける姿は、あまりにも可愛らしくて笑ってしまう。見ると、俺だけじゃなくて整備班員や、ドロップシップから降りてきた他の戦士達も、その様子に笑いをこぼしながら見守っている。

「お願いじゃけん!ディオーネ姉ーちゃん!!………あっ?」

 お?どうした急に立ち止まって。

 なにやら、ドロップシップから降ろし、駐機スペースに並べられたメックと、走り去っていくディオーネを交互に見比べながら、リオ介はなんとも不思議そうな表情を浮かべている。いいのか?ディオーネを捕まえなくても。

「だめじゃ!!危ない!ディオーネ姉ちゃん!!」

「ギャオッッ!?」

「おわっ!?ディオーネッッ!!」

 俺達の見ている前で、ディオーネは突然動き出したライフルマンのつま先に蹴飛ばされるようにはねられた。あそこにあるメックはみんな、トレーラーに積むまで動かないように固定してあったはずだぞ?まったく、奴もとっとと降りてくりゃいいものを、中でなんか余計な事しやがったか?

 そんなことより、ディオーネは大丈夫なのか?

「このクソたーけが!おりてくるだぎゃああ!!」

 お、無事みたいだな。予想通り。

 ディオーネはすぐさま跳ね起きると、物凄い剣幕でライフルマンにわめき散らしている。景気よく鼻血を垂らしているが、すぐさまメディックが駆け寄っていく。エレメンタルのメディックである辺り、みんなわかっている。

 それにしても………だ。

「リオ、お前、あのライフルマンに誰か乗り込むのを見てたのか?」

「え?いや、なんとなく危ないって思っただけじゃけん。たまに、それっぽいのが見えたりするんじゃ。その、なんか感覚でわかるし………」

 なるほど、よくわからんが、このリオ介、ずいぶんと勘は鋭いらしい。なるほど、だから子供のくせに、ハントレスからここまで、密航して無事にたどり着いてるって訳か?

「放せ!放すだぎゃ!あのクソたーけを一発殴らせるだぎゃああぁぁっっ!!」

『ワッショイ!!』

 やれやれ、元気なことだ。

「デ、ディオーネ姉ちゃん、大丈夫かのぅ」

 ドラコ式の掛け声を上げたエレメンタルのメディック達に担ぎ上げられて、荷物か何かのように運ばれていくディオーネを見送りながら、リオは不安そうにつぶやいている。

「彼女の頑丈さは、エレメンタル並だから心配ない。それと、ディオーネの弟子の話だが、今度アストラと一緒に、俺からも頼んでみるさ」

「ほ、ほんま!?」

「ああ、そうなるといろいろ忙しくなるだろうけど、お前なら大丈夫さ。頑張れよ」

「う、うん!!」

「それじゃ、今度、ミキに連絡して、子供サイズの神官装束でも注文するか」

「やった!おおきに、クルツ!」

 跳ね回って喜んでいるリオの姿に、俺はふとその影法師に目を落とす。あの時見た、トーテムそのものの影法師。もし、あれが彼女の内なる姿だったとしたら。

 まあいいさ、真実がどうであれ、リオはリオだ。それに、この子も、ようやく自分の進む道を歩き出そうとしているみたいだ。それは、祝福すべきことだ。

「ディオーネ姉ーちゃーんっっ!うち、絶対諦めんけぇね―――っっ!!」

「やかまし―――っ!勝手に言っとるだぎゃ――――――っっ!!」

 ははは、ふたりとも本当の姉妹みたいだな。まあ、なにも心配なんていらないだろうな。さて、話もまとまったことだし、仕事、仕事。

 



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地上の星

「く、クルツ、お、お願いがあるんじゃ」

「なんだよ、改まって?」

「そ……その、あの………」

 いつものようになんの代わり映えもない一日が終わり、居室でのんびりとしていた俺に、なにやら思いつめたような表情で、リオがおずおずと話しかけてきた。

まあ、大体の見当はつく。もうすぐ俺の給料日だからな、きっと何か欲しいものがあるんで、これをチャンスと見込んでのことだろう。

「とりあえず、言ってみ」

「う、うん……あの、実は、自転車を買うてほしいんじゃ」

「自転車?おまえ、自分でモペットを直して乗り回してるじゃないか。やっぱりぶっ壊れたのか?あのポンコツは」

「ち、ちゃうわい!………あ、その、ど、どうしても必要なんじゃ」

「なんで?」

「う……そ、それは、その………」

 さて、これまたこのお姫様は、ずいぶん奇妙な事を言い出したもんだ。この間、ジャンクパーツ置き場に打ち捨てられていたモペットを拾ってきて、何をするのかと思っていたら、やはりジャンクパーツをあちこちからかき集めてきて、すっかりレストアして乗り回している。

 エンジンつきの自家用車があるってのに、どうしてまた、わざわざ自転車なんか?

「まあいいさ、で、どんな奴だ?」

「う、うん、あの、多段ギアとサスペンションダンパーのついとる、ごっついやつなんじゃけど……」

「MTBのことか?どうすんだ、そんなの?クロスカントリーでも始めんのか?」

「そ、それは、その………」

 俺の質問に、リオは観念した表情で、とんでもない事を打ち明けてくれた。

「また神判か!?お前はどうしてこうも血の気が多いんだ!」

「じゃ、じゃけん!あんなこと言われて、黙ってられんわい!」

「このストラバグ!もう少し腹の中で考えてから行動したって遅くないと、いつも言ってるだろ!大体お前、その調子でこないだシブコのガキ共相手に、不服の神判とかいって乱闘おっぱじめて!おかげで、俺はお前が病院送りにしたガキ共の教官に、今でも睨まれてんだぞ!その辺りの事をもう少し考えて動けよこのバカ!」

「じゃ、じゃけん!」

「じゃけんもなにもあるか!よりによって今度は気圏戦闘機乗りにだと!?毎度毎度地雷原を全力疾走するような真似ばかりして!今度こそ死ぬぞ!」

「せ、戦士が死ぬのを怖がってどうするんじゃい!」

「お前にもしものことがあったら、俺がクラスターの連中にぶっ殺されるんだよ!」

「う………!」

「まあいい。今のは言い過ぎた。とにかく、事情を話してくれ。それがわからんことには、どうにも手の打ちようがない」

 とりあえず、ここはいったん、お互い頭を冷やしてからにしたほうがよさそうだ。部屋の隅に置いた小型冷蔵庫から冷やしたジュースを取って、リオと俺の前に置いた。

「まあ、飲めよ……で?同じこと聞くけどもが、なんでまたこんなことに?」

「う、うん………」

 少しは落ち着いてきたのか、リオは神妙な顔をして居住まいを正すと、今日あった事をぽつぽつと話し始めた。

 どうやらこのおチビさん、気圏戦闘機乗りとひと悶着おこしてきたようだ。その気圏戦闘機乗り、ジークと言う奴らしいが、俺も噂程度は小耳に挟んだことがある。冷静沈着を通り越して、冷血無感情。人と言うより、まるで気圏戦闘機のアビオニクスの一部のようなパイロットだと聞いている。

 なんでまた、そんな奴と、ある意味正反対の性格をしているリオが接点を持ったか知らないが、ともかく、そのジークの言うことには、地面を這いずり回るだけの、鈍重な人形風情呼ばわりされた。というのが大まかな内容だった。

 まあ、確かに音速を超えた世界で戦う連中にしてみれば、メックなんてその程度かもしれないが、なにも子供相手にそこまで言うか。ってのも正直なところだ。しかし、リオ自身のメック戦士に対する思いとその努力は、そこいら辺のシブコのガキ共に勝るとも劣らないものを積み重ねている。

 いったいどんな経緯でそういうことになったかは、リオの説明だけでは細かい所まで知ることは出来ない。それでも、一番大切にしているものをいたく傷つけられたと言うことは、十分理解できた。

「なるほどなぁ。でもな、悔しいのもわからんこたぁないが、メック戦士にはメック戦士の、気圏戦闘機乗りには気圏戦闘機乗りの本分ってもんがあるんだ。どっちが優れてるとかどっちが劣ってるとか、そういった問題じゃないだろ。そんなことでいちいち腹立てていたら、そのうち全兵科同士で神判のバトルロイヤルだぞ」

「そ、それはそうじゃけど………」

 不承不承ながらもうなずくリオに、俺は諦めにも似た気持ちで小さくため息をつく。しかし、どうにも腑に落ちない。

 いくらこのチビ介が、愚直極まりない性格をしているからと言って、この程度で戦士階級の人間にケンカを売るものだろうか。兵科が違うとは言えど、気圏戦闘機乗りも、立派な戦士に違いは無い。

 どうにもその辺りがひっかかる、これだけの話じゃ済まないような気がする。少し気は引けたが、少し探りを入れた方がよさそうだ。大体、干渉が怖くて保護者などやってられない。

 

 

 ………なんてこった。

 あれからどうにかして事の次第を聞き出した俺は、可哀そうなくらいグズグズと鼻を鳴らしてうつむいているリオを前に、改めて途方にくれてしまった。やはり、メックやメック戦士をどうこう言われただけの話じゃなかった。

 シブコにも加われず、さりとて学校にも行けず、貧民層の子供のように働くしかできない。そして、それを放って何もしない、無能な連中。ってのが、俺やクラスターの皆のことだ。そう、言われたらしい。

 原因は、俺だ。

 リオは、今の所、形の上ではボンズマンと言う扱いになっている。しかし、知っての通り、リオはまだ10かそこらの子供だ。と言うことは、本来ならば、この年の子供と言うのは、学校に相当する機関に通っていなければおかしい。

 当然、リオはノヴァキャットのシブコ達と混じって、その教育隊に入ることなど実質上不可能だ。しかし、市民階級の子弟達が通う学校に通わせるとしても、それはそれで微妙な問題が付きまとう。

 なにしろ、この子は、ノヴァキャットの中で潜在的な禁忌とされている、スモークジャガーの生き残りだ。そして、リオ自身も、それを隠したりごまかしたりなどと言う真似は、一切しないしする気も持ち合わせてはいない。

 となると、どこへ行こうと、厄介な問題や軋轢を生み出すことは、もはや火を見るよりも明らかだ。

結局、俺みたいな一介のボンズマンが考えることではない。と、マスターやスターコーネル・イオのような直属の上官に一切を丸投げしてしまい、そのままずるずると保留し続けてしまったのが、そもそもの原因になってしまったって訳だ。

 せめて、その穴埋めにと、仕事が終わった後、リオのレベルにあった内容の勉強を見てやっていたが、それで済む問題でもないのは、少し考えればすぐわかることだ。もしかしたら、あの時のシブコ達との悶着も、その辺りが原因だったのだろう。

「すまない、リオ。俺がいい加減だったばっかりに、悔しい思いをさせちまったな。本当に、悪かった」

「………ヒック、く、クルツが悪いんじゃないわいっ・・・ヒック、あ、あいつには関係ないことなのに・・・ヒック、く、クルツやクラスターのみんなをコケにしたから、絶対に許せなかったんじゃい!」

 天におわすスモークジャガーの英霊達に畏み申す。貴方達が命がけで守ろうとした誇り高き精神は、なおも滅ぶことなくこの小さな少女に宿りしけり。願わくば、この誇り高き小さな戦士に、御加護を賜らんことを。

「………とにかく、ほら、そろそろ機嫌を直せ。ほら、今日は特別だ、チョコバー、食ってもいいから」

「ほんまに?……でも、夜に甘いもん食うなって………」

「いいんだよ。言ったろ、今日は、特別だ」

「う、うん、おおきに………」

 リオは、グシグシと顔を拭うと、冷蔵庫の中からチョコバーのパックを取りに、おずおずと立ち上がった。そして、俺は、容易ならざる事態に頭を抱える。

さてさて、これは本当に弱ったぞ。

 別に、自転車一台買ってやる事はたやすい。そんなものは、ミキに連絡を一本入れれば済むことだ。そうすれば、良心的な値段で高品質のブツが選り取り見取りで手に入る。

「とは言えなぁ……さて、どうしたものか………」

しかし、そうしてしまったあとに起こる必然的な結果と、それに伴う災厄を考えたら、どうしても次の言葉が出てこない。

 ……え?なに言ってんだよ。俺のことはどうでもいいさ、いざとなったら、どうとでも切り抜ける自身はある。それよりも、リオのことだ。

 彼女が神判として望むことになったのは、『ダウンヒル』と呼ばれる、自転車競技の一種だ。どんなものかと言えば、早い話、高台の上まで登っていって、そこからガタゴト道を全速力で駆け下りると言う、どうにも危険極まりないものだ。

 なぜにダウンヒルかといえば、気圏戦闘機乗りたちの間で、陸上トレーニングのひとつとして、ちょっとした流行になっているかららしい。山肌を高速で駆け下りることで、とっさの判断力と動体視力を養うには、もってこいだと言う話を聞いたことがある。

 もちろん、まったく人の手を加えられていない山の斜面を駆け降りるわけだから、一歩間違えば大事故に直結し、最悪、首の骨を折ってはいそれまでよ、と言う洒落にならない事態も珍しくない。実際、先だって、それで使いものにならなくなった気圏戦闘機乗りの話を聞いたばかりだ。

 当然、リオはダウンヒルなんて一回もしたことはないし、自転車らしい自転車も乗ったことなどない。最近モペットを乗り回しちゃいるが、あんなのはモーターボートとカヌーほどの差がある。

それに、形式上はスポーツ競技とは言え、命に係わる要素を多分に含んでいるだけ、ある意味、本格的な神判だといえなくも無い。当然、リオはそう言った類の経験など、一度も無い。

 今まであいつがやらかした神判は、市民階級の連中が、もめごとの調停に持ち出すものと、ある意味同レベルだ。いまさら、付け焼刃でどうこうなるだろうか……ならないだろうな、さて、本当に弱ったぞ。

「クルツ、入るぞ」

 その時、手に包みを抱えたアストラが、俺の居室を訪れてきた。

「どうした、2人とも。ずいぶん深刻そうな顔をしているな、俺でよければ力になれないか?」

「アストラ・・・すまないな、せっかく来てくれたのに。つまんないとこ見せて」

「気にするな、俺とお前の仲だろう、そんな遠慮は無用のものだ」

 アストラは、鷹揚にうなずきながらも、腰を下ろして話の輪に加わる。

「そういえば、今日の昼ごろ、リオがジークとなにかもめていたようだが………もしかして、その時のことか?」

「ああ、そんなとこだ」

「そうか………」

 俺は、リオから聞いた話をかいつまんでアストラに説明し、アストラもまた、終始真剣な表情でそれに耳を傾けていた。

「そうか……なるほど、大体の事情は飲み込めた。しかし、クルツよ。一度神判の契約を交わしてしまった以上、それを放棄することは許されない。無慈悲な事を言うかもしれんが、これはこの世界において動かせない戒律のようなものだ」

「ああ、それはわかってる。やっぱり、そうするしかないんだろうな」

「うむ。それと、リオにも言っておかねばならんことがある。リオは少し思慮にかけるきらいがある。勇敢な精神は大いに結構だが、使いどころを誤れば、それは敢闘精神ではなく、ただの無分別だ。リオも、その加減を考えて行動したほうがいい。俺は、そう思う。

 だが、譲れないものを守ろうとした心意気は、賞賛の極みだ。しかし、ひとりで抱え込む前に、クルツや俺達に一言話して欲しい。そのためのトロスキンではないか」

 さすがに、現役戦士からの諫言は、さすがのリオにも堪えたらしい。後ろの尻尾と一緒に、しゅんとうなだれている。

「まあいい、終わってしまった事をどうこう言っても始まらない。大事なのは、これからどうするかを考えることだ。同じ悩むなら、最善の対策を練る方向に使った方が、よほど有意義と言えるものだ。それより、姉から菓子を預かってきた。新しい趣向を試してみたので、ぜひ試食してくれとの事だ」

 沈みかけていた空気を追い払うかのように、巧みに話題を変えたアストラは、傍らに置いた包みから、皿の上に丁寧に盛り付けたウィロー・プディングを広げた。

 それにしても、いつ見ても見事なできばえだ。その瑞々しさといい、ほんのり香る甘い香りといい、その柔らかな弾力を感じさせるプディングは、ドラコの和菓子職人が本気で悔しがりそうなできばえだ。

 それに、盛り付けのセンスもいい。余計な装飾を無意味な事として嫌う氏族人だが、プディングの上に、爽やかな香りを漂わせる小さなハーブの葉が、洒落たアクセントとして添えられている。

 ともかく、超破壊的な行動パターンをデフォルトプログラムされたような女性が、これを作ったと言うこと自体、世の中は本当に驚きに満ちている。まあ、人はうわべだけじゃわからん。と、言うことだろうな。

「ともかく、自転車を入手する必要があるだろう。俺の持っている余剰パーツを提供したい所だが、どれもリオのサイズには大き過ぎるのが痛い。自転車は、体格に対して大き過ぎても小さ過ぎても事故につながる」

「そうだな、それは俺も考えていたよ。けどまあ、ディオーネも、また一段と腕を上げたもんだな。なんだか、こんなむさくるしい部屋で食うのが、もったいないと言うか申し訳ないというか。

そうだ、こんど部屋をタタミ・カーペットに変えてみるかな。そうすりゃ、今度またおすそ分けがあったとき、いい感じで食べられそうだ」

「うむ、いいかもしれん。ローク隊長や姉もそうしているからな。すぐに許可は下りるだろう」

「え、そうなのか」

「ああ、お前のこれまでの功績なら、特に難しくはないだろう。それに、ローク隊長は気楽にくつろげると言っているし、姉は瞑想を組むにはもってこいだと言っている。あの2人、ずいぶんドラコの文化が気に入ったようだ」

 へえ、なるほどねぇ。

「そうだ、忘れないうちにこれを返しておこう。この間借りた、対人交渉術シミュレーションソフトだが、なかなか面白かった。噂には聞いていたが、中心領域の人間は、気持ちひとつ伝えるにも、実にじっくり時間をかけるものなのだな。

しかし、ドラコ連合とも接触が増えた今のご時世だ。こういったもので中心領域人の心理を勉強するのも、悪くない」

「なるほど。で、一番のお気に入りは?」

「サキ・ニシノだ、あのひたむきさがいい。彼女の為なら、喜んで死地にも臨めよう」

 なるほど、さすがアストラらしい答えだな。まあ、予想はしてたけど。

「ただ、シオリ・フジサワは、どうも昔の姉を思い出すから、若干抵抗があったが」

 ディオーネが?嘘だろ。ありゃ、典型的な優等生キャラだぞ・・・?

「それより、このゲー……あいや、シミュレーションは、続編もあるんだが、借りていくか?」

「それは本当か!?ならば感謝の極み!!」

「ははは、そう大げさなもんでもないさ。確か、こっちのラックにしまっておいたはず……だけどな。お、あったあった」

「重ね重ねすまない。しかし、ドラコと言うのは恐ろしい所だ。これだけの心理分析シミュレーションを、一般流通で市販しているのだからな。これはやはり、日常生活においても、有事に備えた態勢作りを怠らない。ということだろう。なるほど、ルシエン会戦でのあの強さも、それなら納得できる」

「まあ、そうかもしれないな」

 そりゃ考えすぎだろう。単なるサブカルチャーとドラコの強さは、あまり関係ないと思うぞ。まあ、いらんこと言う必要もないけどな。アストラが楽しんでいるなら、それはそれでなによりさね。

「のう、さっきから2人でなに話とるんじゃ?」

 まったく、泣いてたカラスがなんとやら。チョコバーやディオーネ謹製のプディングという、夜のケーキタイムにすっかり機嫌を良くしている。まあ、それはそれで一安心だが。

 ともかく、俺達のやり取りを不思議そうに眺めていたリオは、もっくらもっくらと、口の中にものを詰め込んだまま話しかけてくる。氏族人とは言え、女の子がなんとも風情のないことだ。今度、『ケレンスキー様がみてる』でも読ませてみようか。女性シブコ達の実態を、深く鋭くえぐった名作もとい迷作だぞ。

『戦士たるもの、身だしなみはいつもきちんとね。ケレンスキー様が見てらっしゃるわよ』

ってなもんだ。

 

 

 あれから数日後、『必ず間に合わせてみせる、金剛鮫の名にかけて!』という、意味はよくわからないが、妙に頼もしいミキの言葉どおり、当日の3日前に宅配の荷物が到着した。俺達はさっそく、リオにあわせたセッティングをアストラに依頼することになった。

「なるほど、タチバナ・レーシングコーポレーションのクロスカントリーモデル『サイクロン』か、地味だが堅実、そして基本に忠実だな……折角だったから、俺もなにか注文すればよかったな」

「でも、どうせならフルダンパーモデルの『バトルホッパー』が良かったんじゃないか?素人には、ハードの助けがあってもいいんじゃないかと思ったんだが・・・」

「いや、駄目だ。最初からそれでは、ライディングに悪い癖がつく。フルダンパーはそれなりの技量でもそれなりに走れてしまうからな」

「だったらなおさら………」

「本来走れないコースを走れてしまうと言うのは、趣味で走る分には一向に構わん。しかし、そこで変な癖を覚えてしまったら、それは半永久的に直らん。バトルホッパーのようなタイプは、競技に熟達した者が、コンマ秒でタイムと戦うためのものだ。オールラウンドに、しかも基礎をしっかり身に着けるなら、基礎設計は古くとも、ハードテイルの方がいい」

「そうか……まあ、アストラがそう言うなら、その通りなんだろうな」

「そうだ、あと、無茶をさせないためでもある」

「え?」

「自分にできることとできないことの見極めを持たせたい、昔、神判でティンバーウルフを勝ち取った同機がいた。奴には悪いが、身の丈に合わない機体を手に入れたものがどうなったかは、お前も覚えているはずだ、クルツ」

「あ……ああ、そうだったな」

 アストラの同期だったメック戦士、歴相応に優秀だった男。しかし、自分の未熟さをカバーして余りある期待を手に入れた彼は、敵の真っただ中に深入りし、そのまま帰ってこなかった。

「そうだな……そう言うもんだよな………」

「うむ、信頼してくれていい」

 穏やかにうなずくアストラに、これ以上ないくらいの心強さに包まれる。彼の持つ自信は、彼自身の生きざまに裏付けられたもの。歪みなく、揺るぎない、一つ一つ丹念に積み上げた石垣のようにそれは強く硬い。まあ、戦士としての経験論もそうだが、そもそも今回の自転車騒ぎにしても。自転車を走らせたら、アストラの右に出るものは、このイレースにはいない。技術的なもの云々それ以前に、愛用のMTBでジープを追い抜く様を目の当たりにしたら、余計な口を挟む気はなくなる。なんにせよ、彼の存在は天祐以外の何物でもない。

 

 

「リオ、あと一周、走ってみてくれ」

「う、うん!」

 リオをMTBに乗せ、俺達はリオが自転車をこぐ様子を事細かに観察する。特に、アストラは、リオにもっとも最適なセッティングを思索中らしく、その目は真剣そのものだ。

「……どうだ、アストラ」

「ああ、もう大体わかった。セッティングの方針も、これで決まった」

「そうか、なら、さっそく作業にかかるか」

「そうだな。クルツ、いつもメックでは世話になっている分、ここで恩を返そう。あのサイクロン、最高のマシンにしてみせる」

「ああ、頼りにしてる……リオ!戻ってきな!一服したあと、もう一度セッティングするぞ!」

「わ、わかったけーん!」

 ははは、尻尾をなびかせながらやってくるよ。どうにも、あの格好を見てると、状況が深刻な事を忘れちまう。でもまあ、アストラの言うとおり、過ぎたことをくどくど後悔するより、最善の対策を考えるために動いていたほうが、確かにマシってもんさね。

 

 

 あれから丸一日かけて、俺達はリオのMTBのセッティングに費やした。アストラは、リオの走りを見て、そのクセを全て頭に入れてしまったらしい。

そして、その走りのクセの短所を補い、長所をより引き伸ばすため、俺みたいな素人にはよくわからなかったが、サドルの高さ、前後位置、ハンドル幅からグリップの選定など基本的なことから始まり、タイヤの種類やリアスプロケット比、サスペンションオイルの粘度からダンパースプリングの硬度。はては、チェーンやボトムブラケット、リムスポークやハブに至るまで、フレーム以外、元の部品がほとんどなくなるほどの、まさに大改造と言ってもいいくらいの作業だった。

 そして、アストラが持てる知識と技術を総動員し、セッティングとチューンを施したサイクロンをリオに引き渡すと、今日はいよいよ慣熟走行をかねて遠出をすることになった。

 それにしても、2人とも凄いペースだな。俺はスクーターで追っかけてるが、それでも置いていかれそうになる。アストラはともかくとして、リオは一体どういうことだ?

 まったく、初めてのことでも、少しコツをつかめばいっぱしにこなしちまう。さすがにトゥルーボーンって言ったところかね。まるでDESTの隊員みたいなオールラウンドぶりだよ。

 そんな事を考えながら、軽快そのものの走りを見せる2人の後ろを走っていると、不意に、先頭を走っていたアストラが、何かを見つけたように停止した。

「どうした、アストラ」

「ああ、いい斜面がある。リオ、ちょうどいい機会だ。ダウンヒルというものがどういったものか、少し手本を見せよう」

「え?う、うん」

「よし、では行ってくる。ここで見ていてくれ」

「わ、わかったけん」

 そういい残すと、アストラは再びMTBを駆ると、まるで山猫のような俊敏さでMTBを駆り、あっという間に斜面の頂上まで駆け上った。

「ぶ、ぶち凄いのう、アストラ兄ちゃん」

「そうだな。お、始まるぞ」

 高台の頂上で、豆粒ほどの大きさに見えるアストラが、地面を蹴ると同時に、斜面に向かって駆け出した。そして、スタートダッシュで最加速に乗ったと同時に、どう見ても安定性には程遠い斜面の岩肌を、まるで滑走するように駆け下りてくる。

 下半身のバネを利用し、巧みに重心の調整を繰り返しながら、今にも振り落とされそうな激しい衝撃をうまく逃がしている。そして、コースの二手三手先を読むように、自然な流れで段差や障害物をすり抜けるように疾走する。

 その走りは、熟達した者だけが持つ、一種の芸術的な気迫さえ感じさせる。ふと見ると、隣にいるリオも、アストラのその姿に、瞬きを忘れて見入っている。

「あっっ!?」

 その時、リオが突然大声を上げた。その理由はすぐにわかった。アストラの進行方向に、メックの頭ほどもある岩が行く手をさえぎっていた。

「あ、危ないっっ!!」

 心底うろたえた叫びを上げながら、リオが思わず身を浮かせた瞬間、アストラはとっさに前輪を跳ね上げて、ウイリー走行の要領で岩を捕らえると、スピードをまったく殺すことなく、重心移動とサスペンションの弾力を使い、岩をジャンプ台に見立てて高々と宙を舞った。

 そして、数メートルほど滑空したあと、アストラはMTBに覆いかぶさるように重心を均等に散らすと、不安定な地面をしっかり前後のタイヤに食いつかせ、そのまま何事もなかったかのように猛スピードで滑走を再開していた。

 リオは、その一部始終を見て、呆然としている。確かに、アストラの技術的なものも凄かったが、ダウンヒルの、その想像以上の激しさに少なくない驚きを感じたようだ。

「……あ、あんなん、うちにできるんじゃろうか………」

 やっとのことで口をついた言葉は、リオには似つかわしくもない、弱気なものだった。意地の悪い言い方かもしれないが、アストラの実演で、自分がこれから挑もうとしているものが、どれだけ高度な技術が必要なものであり、かつ危険なものかと言うことを、ようやく悟ったようだ。

 多分、アストラもそれに気付かせるつもりだったんだろう。こればかりは、知らなくても何とかなるとかいう問題じゃない。一瞬の不注意が、即、大事故につながり、最悪の場合、それはそいつの人生に幕を引きかねないものだ。

 それに、最後のジャンプはともかくとして、石くれや軟弱な土で作られた斜面を、オートバイ並みのスピードで、しかも完璧に走破するなんて、昨日今日ダウンヒルに挑戦する人間が出来る芸当じゃない。

 完全に言葉を失っているリオに、なにか声をかけてやりたくても、かける言葉が見つからない。俺みたいな素人が、何を言ったって気休めにもならない。そうこうしているうちに、何事も無かったかのように戻ってきたアストラが、すっかり放心しきった表情のリオに話しかけた。

「どうだったろう、やや雑ではあったが、だいたいああいった感じだ。ダウンヒルは、ただ茫洋と斜面を降りてくれば良いというものではない。全身をつかっての重心移動と、二手三手先を読むコース取りが重要になる。リオの場合、スピードや素早い状況判断は、この際考えなくてもいい。

 とにかく、重心の使い方を覚えて、確実に走破できるようにすることが先決だ。こう言ってしまっては、戦士としての誇りを傷つけることになるかもしれん。だが、今回の神判、勝つことよりも無事に生きて帰ることを考えろ。

 鍛錬を積んだもので、勝ちを狙わないのは間違ったことだが、まったくなんの経験もないことで敗れても、それは恥ではない。もしそれで二度と使い物にならなくなってしまったら、それこそ完全な敗北と了解してくれ。

 勝つことが全てではないし、負けることが必ずしも恥ではない。次のステップに進むための敗北もある。俺は今言った事を強制するつもりはない。だが、リオはまだ幼いが、大切なことが何かもわからないほど愚かとは思わない。それだけだ」

 アストラの言葉に、真剣に聞き入っていたリオだったが、そのエメラルド色の瞳には、固い決意をみなぎらせてアストラを見上げた。

「うん、わかった……じゃけん、うちはどんな時でも全力を尽くす。あの時、ああしときゃよかったなんて、後悔すんのは絶対嫌じゃ」

「……そうか。しかし、それでいい。最善を尽くせ、リオ」

「うん!ありがとう!アストラ兄ちゃん!」

 確かに、アストラの言うことも、リオの言うことも否定する根拠はどこにもない。俺が出来ることは、すべてやりつくした。

 トーテム・ノヴァキャット、セント・サンドラ、セント・ジェローム。そして、天にありしスモークジャガーの英霊達。どうか、この少女に御加護を賜らんことを。

 

 

 いよいよ神判の当日、俺はまんじりとせず朝を迎え、明らかに寝不足なのに、それでも、頭だけはいやにはっきりとしている。まるで、濃すぎたコーヒーを飲みすぎたように、意識は起きているが、体が脳の指令にワンテンポ遅れる。そんな感じだ。

 なのに、こいつと来たら、いったいなんなんだよ。朝までぐっすり、朝食もバッチリ、まるで、俺がひとりで大騒ぎしているみたいだ。いや、少なくとも、大騒ぎしているのが、俺ひとりじゃないのはわかった。

整備班の連中はもちろんのこと、シフト休になっているはずのメディック達の班が、装備資器材を担いで現れた。それだけじゃない、万が一の時の搬送に備えるためか、ヘリボーンの連中までもが現れ、現場で待機している。

「なんじゃい、まるで、うちがコケて大怪我するとでもいわんばかりじゃのぅ」

 まったくもってその通りだ。と、言いたくなる気持ちをぐっとこらえ、ブレストガードとヘルメットに身を包んだ、外見はこれ以上ないくらい勇壮なリオの姿をみやる。

 その、ちょっとした野戦基地のような周りの様子を見ながら、リオは憮然とした表情を浮かべていやがる。まったく、自分がどれだけ大事に思われてるか、ほんとにわかってるのか。ただ、なんだってこいつは、ヘルメットの上に無理矢理猫耳カチューシャをとっつけてんだ。

 ともかく、時間より少し早めに来たわけなんだが、その間に、リオの応援に駆けつけてきた連中が、気を利かせて作ってくれたミルクコーヒーをすすりながら、リオとアストラはMTBの最終チェックに余念が無い。

「あっ!きよったな!!」

「あっ、おい!」

 突然、リオが大声で叫んだかと思ったら、物凄い勢いで駆け出していく。その先には、見るからに使い込んだMBTに乗ってやってきた気圏戦闘機乗りがいた。なるほど、あいつがジークか・・・。噂は聞いていたが、本物を見るのは初めてだ。

 しかし、なんていうか、えらく小さい。気圏戦闘機乗りにチビが多いのは知っていたが、改めて見ると、さらにその小柄さに驚く。女と言うのを差っ引いても、比較対象のリオがいると、否が応でもそれが目立つ。

 いやはや、氏族人ってのは、戦闘要員を必要以上に大きくしたり小さくしたり。まあ、理にはかなってるんだろうが、中心領域で兵科にあわせて兵士の体格を遺伝子操作なんてしようもんなら、その瞬間からマッドサイエンティスト呼ばわり確定だ。

「シブコにもボンズマンにもなりきれない半端者が、よく逃げずに神判に挑む。正直、驚いた」

 おいおい、凄い言いようだな。しかし、このジーク、アストラから聞いた話だと、その歯に衣着せぬ容赦ない物言いでことある度にトラブルを起こし、部隊行動を乱すこともしばしば。

 それで、もといた部隊を追い出されたって話だ。しかしまあ、うちの星団隊も含めて、この管区の部隊が実力的にはフロントライン級にも引けを取らないのに、セカンドライン級部隊の格付けをされてるってのも、まあ納得だ。

 どうしてこんな奴がセカンドラインに?と、思っても、伝え聞こえる噂話などをかいつまんでみると、たいがい原隊で問題児あるいは厄介者扱いされて、この管区に飛ばされてくるって話が多い。

「やかましいわい!そんなすました顔も、今だけじゃい!」

「そうか、なら、私の表情が動くほどのものを見せてくれると言うわけか」

「当然じゃい!」

「お前の死をもってか」

 こいつ、平然ととんでもない事を言ってくれる。

「その程度ではつまらん、それでは失望にすらならない」

 何なんだこいつは、もしかして脳味噌の代わりに、シリコンチップが入ってるんじゃないだろうな。どうしてこうも、遠慮のない事を言えるんだ。

 それにしても、ジークひとりだけか?他の同僚達は、誰もこなかったのか。リオにあれだけ応援が押しかけてきたんだ、てっきり、ジークにもそれなりにサポートが来ると思っていたが、さて?

 まあ、なんにせよ、ひとりでいるのもなんだろうし、茶でも持っていってみるとしようか。

「スターコマンダー・ジーク、まだ少し時間があります。コーヒーはいかがでしょうか?」

「必要ない。引っ込んでいろ、人っ腹生まれ」

「なんじゃと!もっぺんいってみんかい!!」

「やめろ、リオ!申し訳ありません、非礼のほど、どうかご容赦を」

 別段、自分が言われたわけでもないのに、火をつけた火薬みたいにいきり立つリオを抑え、表情ひとつ変えないジークに頭を下げる。

「関係ない、だから引っ込んでいろと言っている」

「わかりました、出過ぎた真似をして、申し訳ありません」

「な、なんでクルツが謝るんじゃい!」

 こんな扱いは別に初めてじゃない、ここに来たばかりの頃は、それこそ毎日のように言われたことだ。けど、リオはどうにも納得が行かない様子で、俺に肩を押さえられながらも、隙あらば飛びかからんばかりの形相でジークを睨んでいる。

「……いい気なものだ、雁首そろえてピクニック気取りか」

 ジークは、向こうに見えるメディックやヘリボーン達を一瞥し、心底不愉快そうな表情で吐き捨てるようにつぶやいている。どうにもまあ、なんとなくだが、誰も来なかった理由がわかったような気がするよ。引っ込んでいろ、か。やれやれ………。

「時間の無駄だ、始めよう」

「望むところじゃい!」

 ディオーネの時とは明らかに違う、敵意むき出しの表情でジークを睨みつけるリオの目は、炎が揺らめいているかのように激しい光を放っている。

まさに一触即発、ほんの些細なきっかけで炸裂寸前の空気の間をすり抜けるように、マスターが2人の間に割って入ると、のんびりとした表情で声をかけた。

「まー、待つでよ。こっちはまだ朝飯も食っとらんだで、時間までもーちっとあることだしが、そー、せくもんじゃねーだぎゃ」

「………フン、勝手にするがいい」

 マスターの言葉に、ジークはあからさまに不服そうな表情でそっぽを向くと、MTBを押して一団から離れるように歩いていった。

 なるほど、孤独な一匹狼………ね。俺は、遠くの方で、ひとりでなにをするでもなく、ぽつんと座るジークの姿を見て小さく息をつく。

 どこにでも、ああいった奴はいるもんなんだな、俺も、コムガード時代、あんな感じの奴を何人か見たことはある。まあ、そう言った連中は、大体真っ先に土の下に行っちまったけどな。

 

 

 そうこうしているうちに、いよいよ時間になった。リオとジークの2人は、例によってマスターから一通りのルールを聞き終わり、いよいよ神判に望むことになった。

 畜生、なんか胃の辺りが痛くなってきた。当たり前だろ、不安に決まってる。ディオーネの時は、マラソン勝負だった。だから、特になんの心配もしてなかった。だが、今度ばかりは事情が違う。

 くそ、わかっていると思っていたはずなのに、なんだって氏族人ってのは、こうまで当たり前に人の生き死にを扱えるんだ。

「クルツ」

「アストラ?」

「戦士が戦いに赴こうという時に、そんな悲壮な顔を浮かべてどうする。リオに力を与えてやれるのは、お前だけだ。お前がそんな顔をしていてどうする、必ず帰ってくると信じろ。そして、お前がリオを祝福し送り出してやるんだ。

 お前が信じなければ、あの子は何を信じたらいい?お前が信じてくれるからこそ、それはリオの力になる。さあ、戦士の門出だ。行って、言葉を」

「アストラ………すまない、確かに言う通りだ。俺達がしてやれることは、みんなし尽くしたんだよな」

「その通りだ」

「あとは、リオを信じるだけなんだよな」

「その通りだ」

「わかった、行ってくる。それと、ありがとう、アストラ」

「お前と俺はトロスキンだ。その事実は、何があろうと動かない」

 俺はアストラの言葉に背中を押されるように、今まさにMTBにまたがって、走り出そうとするリオに駆け寄っていった。

 

 

 丘の頂上に見える、リオとジークの姿が、それこそ豆粒のように見える。そして、今回も立会人を買って出たマスターが、ゆっくりとアーマーマグナムを頭上に掲げる動作が、いやにゆっくりと見えた。

 そして、号砲が轟いた。

 ほぼ同時にスタートダッシュを決めた2人だが、リオは持ち前の脚力で、アストラがリオのために完全セッティングしたサイクロンの力をフルに引き出し、リオがリードを切る形でレースが始まった。

 しかし、問題はここからだ。いったんスピードに乗れば、それ以上加速することはコントロール不能を招き、足場の悪い斜面では転倒につながる。あとは、運動エネルギーに任せたまま、いかに最良のコース取りをするかにかかっているってわけだ。

 確かに、スピードは脚力に勝るスタートを切ったリオの方が若干勝っていた。しかし、ジークは、まったく無駄のないライン取りで、じわじわとリオに追いつき、そして、とうとう中腹付近で彼女を抜き去っていった。

 リオが、その並外れた運動神経を駆使して、必死にギャップを乗り越え、暴れかけるMTBを押さえつけながら疾走するのに対し、ジークは、その数メートル前から滑らかにラインを流し、少しでもギャップの抵抗が少ないコースを、正確にトレースするようにパスしていく。そのせいか、彼我の差はじわじわと放され、すでに3、4車身の差がつき始めていた。

 リオの駆るMTBは、彼女の制御に忠実に応えてくれているようで、激しくバウンドしつつも、車輪はしっかりと斜面を捉え続けている。もし、あれが箱出しの仕様のままだったとしたら、あの揺さぶられ方では、コースの半分も行かないうちにギャップに弾き飛ばされてしまっているだろう。

 その時、俺は、リオの走りにかすかな違和感を感じ始めた。周りの連中も、どうやら同じことに気付いたらしく、ざわめきの波が広がっていく。

おかしい、リオの取るラインが、少しずつだが横に流れ始めている。ジークのラインを直線として表せば、リオのラインはそれから離れていくように、じわじわと膨らんでいく。

 まさか、もうとっくの昔にコントロールできなくなっているのか!?

 そう思った瞬間、全身の血液が轟音を立てて足元へと落下した。俺は、反射的に振り向くと、斜面を見上げているマスターに駆け寄ろうとした。

「待て、クルツ」

「ア、アストラ!あのままじゃまずい!あのままじゃリオが!!」

「だから、神判を放棄するよう言うつもりか」

「それは………!」

「クルツ、いつかはリオもメックを駆り、戦場に立つ日が来るだろう。それは、今日とは比較にならない過酷なものだ。いや、それよりも、今ここでリオを降ろしたとしよう。その時、あの子には何が残る。生き残ったと言う、安心感か」

「け、けどな………!!」

「クルツ、いや、トマスン・クルツ、中心領域の戦士よ。たとえ今は虜囚の身でも、お前の中にある戦士の魂は、それが正しいと言うのか」

 わかってる。それは、わかってるつもりなんだ。けど、こんなのはないだろう!こんな終わり方なんてないだろう!!

 だが、どのみちもう間に合うことは無い。たとえここでマスターが神判の放棄を承認したところで、どうやってリオを助けに行く?ここには、そんな手段はひとつもそろっていない。もはや、リオの運命は誰にもわからない。

 アストラに肩をつかまれたまま、もう一度リオの姿を探した。そして、俺の目は、まなじりが張り裂けそうなくらい見開かれたのが、自分でも嫌になるくらいよくわかった。

 リオは、斜面から突き出た巨大な岩塊に向かって、少しもスピードを緩めず、むしろ加速さえしているようにさえ思える中、まっすぐに突っ込んでいく。

粉々に、なる。

 俺は、声にならない叫びをあげていた。

 俺はもうどうなってもいい、だから、あの子だけは助けてくれ

 無我夢中のまま、俺はアストラの手を振り解いて、全力で駆け出していた。アストラの叫びが聞こえたが、それはどこか遠くで聞こえるラジオのように、今の自分にはまったくかかわりのない音としてしか聞こえなかった。

 そして、リオの駆るMTBは、一直線に岩塊に突き刺さり、その姿が消えた。

 その時だった、岩塊から、何かが羽ばたくように宙を駆け上がった。激突のショックで、岩陰にいた鳥が驚いて飛び出したのかと思った。けど、それは鳥ではなかった。

 全身の力で跳躍した、しなやかな黒豹を思わせる姿。そして、それは弾丸のように空中を飛翔すると、全ての障害を飛び越え、はるか先を疾走していたジークすらも置き去りにし、悠然と舞い降りてきた。

 それが、リオだと理解できたのは、MTBが自由落下に近い勢いで着地し、凄まじい衝撃音とともに、主を振り飛ばした瞬間だった。

 俺は、全身の筋肉に鞭を入れて、がむしゃらに加速をかけると、エレメンタルにでも投げ飛ばされたように、放物線を描いて吹っ飛んでいくリオを追い、地面に激突寸前のその小さな体に追いすがり、飛びかかるように突っ込んでその体を受け止めた。

だが、不安定な姿勢で、その強烈な衝撃を受け流せるわけも無く、俺は加速のついたまま吹っ飛びながら転倒し、後頭部に爆ぜた鈍い衝撃と同時に一瞬目の奥に光った火花と共に、視界がブラックアウトする。

 ・・・ツ!・・・ルツ・・・・・・クルツッッ!!

 石か何かに頭をぶつけたらしい、脳味噌の代わりに、綿を詰め込まれたような頭の中に、ぼんやりと声が聞こえる。けど、脳だけじゃない、目にも、耳にも、中身を綿に取り替えられたような、頼りない感覚しか感じない俺には、なにがどうなのかさえもはっきりしなかった。

 

 

「よー、大怪我名人。気分はどーかみゃあ」

「か、勘弁してください。せ、背中を叩くのはっ………!」

 病室に現れたディオーネは、入ってくるなり俺の背中をぺしぺしとはたいてくれる。いや、ほんとに冗談にならないから。痛ででっ!

「うへへ、そーかみゃあ?うちがせっかく皮膚をわけてやったってのに、それでもまだいてーかみゃあ?」

「あっ!あいてててっ!ほ、ほんとに許してくださいっっ!!」

 まるでスイカの良し悪しを吟味するかのように、お気楽に背中をはたくディオーネに、俺は必死で声を上げる。すると、こんどは、何を思ったかおもむろにアーミーパンツを脱ぎ始めた。

「ちょ、ちょっと!?」

「ほれほれ、ここん所な、こっから皮取って貼っつけたんだがや」

 パンツ丸出しをものともせず、ディオーネは両足の太ももの内側に貼られたパッドを、足を開いてしつこく俺に見せ付ける。言いたいことはわかるが、実際に見せられても困る。

「いや~、おかげでな、歩くたんびに擦れてうっとしーだで、だぶついた奴をもらってきたでよ」

「あの、ホントすいません。近いですから、近い!近い!」

 ……よう、なんか病院での挨拶も毎度のことになっちまったな。悪いが、こんな格好で失礼するよ。

背中の皮膚がなくなるくらいおもっくそ擦りむいちまった俺は、転げたついでに地面に埋まっていた石に頭を直撃させ、そのまま人事不省になって病院に担ぎ込まれたそうだ。どうにも、神判に臨んだリオが無傷で、傍観者の俺が重傷ってのも、なんともわからないもんだ。

 え?ああ、神判の方か。あれは、その・・・ちと言いにくいんだが、リオの負けってことになっちまった。理由は、俺が対等の環に入っちまったから。そして、あまつさえ、リオを手助けするような事をしちまったから。ってのが、負けの理由だ。

 あれから一週間、今日、ようやく集中治療室から出て来れた。背中の皮膚移植手術の方はともかく、頭を強打したことで大事をとってのことらしかった。

 とりあえず、連絡はしておいたのだが、リオは姿を現していない。まあ、無理もないな。もしかしたら、あいつが大怪我をしたかもしれないが、同時に、あの強引なジャンプのパワーダイブで、逆転勝ちということになってかもしれないんだ。

 それを、俺がみんなぶち壊しにした……まあ、無理ないな。怒るのも。いや、怒らせるだけですむかな。すまないだろうな、絶対。

「どーしただぎゃ、クルツ」

 不意に黙ってしまったから、ディオーネが少し声のトーンを落とすと、身をかがめて俺の顔を覗き込むように話しかけてきた。

「もしかして、怒ったかみゃあ」

 ・あれで気を悪くしない奴は、滅多にないと思うが……でも、そうじゃない。

「おみゃーは、にゃーんも悪くにゃーよ。おみゃーが背中ズル剥けになんのも、あのチビ介が着地失敗して地面に叩きつけられるのも、どっちも結果は同じだぎゃ。どっちに転んでも、リオの負けは動かねーだぎゃ」

「それは……でも………」

「あんまそーシケた面すんじゃねーだぎゃ。おみゃーやトラ坊はまだえーだぎゃ、うちみてーに、ケッタマシーンに詳しい訳でもねー。特に、手伝いができるわけでもねー。ただお祈りしか出来ねーってのは、どーにももどかしーもんだぎゃ。でも、とりあえず、お祈りも届いてくれたみてーだし。おみゃーが大怪我したのは予想外だけどもが、あのチビ介が無事でよかっただぎゃ」

「それじゃ、姿が見えなかったのは………?」

「ま、それがうちに出来ることだぎゃ。気にするこたぁねーでよ」

 ディオーネが、俺を慰めてくれようとしているのはわかる。でも、俺は、氏族人の誇りを土足で踏みにじった。それは、どうあっても消えない事実だ。

 その時、ことさらわざとらしい咳払いがあり、つかつかと足音を立てて、誰かが病室に入ってくる気配がした。

「クルツはいるか」

「お、ジーク。なんか、用かみゃあ」

「クルツ、貴様のしたことは間違っている」

「バチクソシカトてんj-だぎゃ」

 ジークか、何しに来たか知らないが、いきなりこれか。

「貴様のしたことは、神聖な戦いを冒涜し、破壊した。私は、納得できない」

 だから、なんだってんだ。畜生。

「リオに伝えろ、私は、いつかもう一度、必ず神判で争うと。いかな理由であれ、完全な勝利でなければ意味がない」

「おみゃーも、たいがい難儀な奴だみゃあ」

 ディオーネのあきれ果てた言葉を無視して、ジークは、まっすぐ俺の目を見る。なんて目だ。まるで猛禽類の目玉をはめ込んだみたいだ。

「リオが力をつけたその時、私は彼女に所有の神判を申し込む。所有を争われるのは、貴様だ。貴様は、リオともう一度勝負するためのアイソーラだ。その事実、しかと胸に刻め」

 俺をかけて?所有の神判?訳のわからない奴とは思っていたが、ここまでくると、もはや別次元だ。俺なんかかけて、どうするつもりだ。

「リオに伝えろ、私は、奴が憎いと。私の持たざるもの全てを持つ、奴が憎いと。私は、奴のもつ全てを奪い取り、この手にする。必ず伝えろ、わかったな、人っ腹生まれ」

 言いたいだけ言うと、ジークは挨拶もなしに、さっさと病室を出て行った。ったく、それにしても、なんて言い草だよ。

 見ると、ディオーネは笑いをかみ殺すように肩を震わせている。

「まったく、あいつもどーしよーもねー意地っ張りだで。ほんとはリオ介がうらやましくて仕方ねーくせに、おみゃーにやつあたりなんぞしとるだぎゃ」

「はあ………?」

「ふへっ、あいつな、友達をわんさか見せ付けられて、嫉妬しとるんだぎゃ。自分を称えるもんはだれもいねー、それなのに、リオの周りは呼びもしねーのに人が集まってくる。いくらプライドが高くたって、高けりゃたけーほど、あん時のこたぁ面白いわけねーだぎゃ」

 そう言うと、ディオーネは小さく肩を震わせて猫のように笑っている。俺にはいまいちよくわからなかったが、女には女同士で、なにか見えるものがあるんだろうか?

「まー、このてーどならかわいーもんだで。だども、度を越すよーなら、遠慮なく潰させてもらうだけだぎゃ」

 なるほどねぇ………しかしまた、潰すとはまた物騒な。

「ま、えらそーなこと抜かしとっても、ひこーきから降りたら、ただのチビ介だぎゃ。にゃーんも怖ぇーこたーねーだぎゃ」

 そう言うと、ディオーネはけらけらと無責任に笑っている。まったく、彼女にかかると、どんなことでも些末事なんだろう。

「それはそーと、さっきから何が窓に当たっとるだで?虫かなんかでもいるんかね?」

 話が一段落つくと、ディオーネはうっとうしそうにつぶやきながら、病室の窓ガラスに近寄り、何の気なしに窓を開けた。

「ギィニャアァ―――――――――――ッッ!?」

 窓を開けたとたん、いきなり凄まじい悲鳴をあげたディオーネが、片目を押さえて床の上を転げまわっている。ま、まさか、蜂でもいたのか!?か、勘弁してくれ!こんな状態でたかられるなんて冗談じゃない!

「目が!目がああああああああっっ!!」

 ま、まずい!これは背中が痛いとか何とか言ってる場合じゃない!俺はその場から逃げ出そうと、痛みをこらえて死に物狂いでベッドから這い起きた。が、その時、窓の下に、大きな紙飛行機が落ちているのが見えた。

「このガキャア!そこ動くんじゃねーだぎゃあ!!」

 床の上を、無様に転げまわっていたディオーネが、いきなり弾かれたように跳ね起きると、怒りの形相も凄まじく窓の外を睨みつける。長い黒髪が深緑色に底光りし、ざわざわと生き物のように波打つ異様な光景に、俺は思わず自分の目を疑った。と同時に、ディオーネはその身を翻すと、いきなり窓から外へと飛び出していった。

 って、あっ!おい!ここ三階だぞ!?

『ね、姉ちゃ……げふぁ!!』

『わっ!わあっ!?か、堪忍じゃ!ディオーネ姉ちゃん!!』

 アストラとリオらしき悲鳴が立て続けに聞こえる。一体、下で何が起こってるんだ!?どうにか窓際までたどり着くと、ディオーネがアストラを殴り倒し、その隙に慌ててMTBにまたがったリオが、物凄い剣幕でわめき散らして追い駆けてくるディオーネから逃走を図り、弾丸のように病院の前庭を駆け抜けていく光景だった。

 そうか、この紙飛行機、リオが投げたものだったのか。俺は、その紙飛行機を拾い上げると、どうにも複雑な気分でそれをかざしてみる。それは、何度も窓にあたったらしく、先端はやや潰れていた。

 ディオーネのあの取り乱し方も気にはなったが、血らしきものはどこにも着いていなかったから、多分大丈夫だろう。そもそも、彼女の目玉が、たかだか紙飛行機程度でどうこうなるような、ヤワな代物とは思えない。

 それはそうと、この紙飛行機。なにやら、裏側に字らしきものが書き綴られている。わざわざ、こんな手の込んだ事をしてまで、何を書いて寄越したのか。正直、怖くもあったが、今、あの子が思っている気持ちを知りたい。という感情が不安を押し流し、俺は、かすかな緊張を感じながら、ゆっくりと紙飛行機をほぐしてみる。

 そこには、子供が書いたとは思えない、きっかりとした文字。ありがちの誤字脱字も一切無い、清廉な文章。でも、文字の美しさに反して、その中身は子供らしい思いついたままに自分の言いたい事を書き連ねた物なのが微笑ましい。そう、あいつはあいつなりに、今回の事件の重さを真剣に考えたらしい。

『ありがとう、だが、友人の見舞いを済ませてからでいい』

 ん?この声は、アストラか?

「クルツ、久しぶりだな。大事なさそうでなによりだ」

「ああ、ありがとう……それと、本当にすまなかった。俺が勝手な事をしたばっかりに、リオが……」

「気にすることは無い、まさか、俺もリオがあんな思い切った事をするとは、思ってもみなかった。あの時クルツが飛び出さなければ、あの子は地面に叩きつけられておしまいになっていた。神判は、最後まで立っていることも勝利の条件だ。どのみち、あの時点でジークの勝利は動かない。リオにも、それはよく言い聞かせておいた」

「そうか………」

 はは、姉弟そろって同じ言葉を聞かされるとはね。

「それはそうと、アストラ、ディオーネにやられたそれは、大丈夫なのか?」

 アストラの左頬には、スタンプで押したように、見事な鉄拳の跡が真っ赤に浮かんでいる。

「いつものことだ。今日はこの程度で済んで、俺は運がいい」

「そ、そうか………」

「今回の一件、リオにとっていい経験になったはずだ。今の自分では、自らの行動に全ての責任を負う力が無い。それがわかっただけでも、今度のことは無駄ではなかったと思う」

「そう……か」

「とは言え、やはり学校に通わせることは、保留してはならない問題ということだ。大人に混じって生活していると、己の分や能力に錯誤が生じる。同じレベルの集団に身を置き、その中で自己研鑽を図るのが正しい道だと思う。その点については、ローク隊長やイオ司令も検討するそうだ」

「知ってたのか………」

「済まない、その点に関しては、俺も上官の判断任せにしていた。せめて、立場上多少でも権限のある俺が、ローク隊長なりに真剣に具申すべきだった。許せ」

「アストラが謝ることじゃないさ、やっぱり、なんでもかんでも問題を棚上げにするのはよくないな。必ず自分にツケが回ってくる。今回の一件でよくわかったよ」

 なんの責任も非もあるわけではないのに、真剣な表情で詫びるアストラを見ていると、改めて自分のいい加減さが見にしみる。しかし、不意に、アストラは真剣な表情を浮かべると、俺の目をまっすぐに見据えてきた。

「クルツ、言っておきたいことがある」

「どうしたんだ、急に………?」

「俺は、リオになんでもひとりで抱え込むな。と言った。だが、それはクルツ、お前に対しても言いたいことではある」

 不意に、琥珀色の瞳に鋭い光を走らせると、アストラは、射抜くような視線をまっすぐに向けてくる。

「クルツ、俺にはどうしても、お前は、俺には及びもつかない何かを持っている気がしてならない。姉に視法の導きを取り戻してくれたことも、ルシエンで名誉を守るために共に戦ったことも、俺は決して忘れはしない。だが、俺とお前はトロスキンだろう。どんな些細なことでもいい、いつでも呼んでくれ。なんでも話してくれ。俺にも手伝わせてほしい」

 責めるようにも、懇願するようにも聞こえるアストラの言葉。今まで見せたことも無い、その真剣な表情に、おれは素直にうなずくしか他にできなかった。

「そうだな、アストラ。ありがとう」

 そう答えると、アストラは、まるで少年のように満足そうな笑顔を見せて立ち上がった。

「時間を取らせてすまなかった。では、俺はもうひとりのトロスキンの救出に行ってくる。あの子の足なら多分逃げ切れたとは思うが、一応念のためだ」

「ああ、よろしく頼む」

「うむ、今度来るときは、ちゃんとリオも連れてくる。なにしろ、手紙で前置きをしてから、そのあと病室を訪ねようという作戦は失敗してしまったからな。やはり、戦士たるもの、まわりくどい真似はいかん。今度は、正々堂々と正面から来よう」

「わかった。楽しみに待ってるからと、リオに伝えてくれ」

「承知した、任せてくれていい」

 そう言うと、アストラは一礼して病室を立ち去っていった。お?なにやら待ち構えていたらしい看護婦に捕まったようだな。

 それにしても、俺もこんな世界でよく今までやってきたもんだ。もし、これがノヴァキャットでなかったら、とっくの昔に脱柵してたかもしれない。

 ただ上ばかり見上げていちゃ、わからないものがたくさんある。リオにも、そして俺にも。自分の周りを見てみれば、こんなにも強く輝き、導きの光を投げかけている星があるじゃないか。

 そういや、考えてみれば、こうしてひとりで病室にいるってのも初めてだな。よし、誰も戻ってこないうちに、とっとと寝ちまおう。それがいい、うん。



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ランドエアメック無頼

 凄まじい衝撃音と共に、装甲板がショートする音がコクピットを怪しく振動させる。あれだけ、レーザーを食らっておきながら、コクピットにただの一発も直撃が無かったのは奇跡だ。いや、奇跡とかそんなことはどうでもいい。早く俺を地上に降ろしてくれ。

 俺は、360度ありとあらゆる方向に振り回されるLAMのコクピットの中で、ただひたすらそれだけを祈りながら、朝メシに食ったキシ・ヌードルが、逆流しそうになるのを必死でこらえる。

 勘弁してくれ、ほんとに。

 

 

 事の発端は、またもやイレースを訪れたダイヤモンドシャークの商人が、ご自慢の売り物と一緒に持ってきた、1機のLAMだった。

「………あのな、ミキよ、この際だからはっきり言っておくが、俺は一介のボンズマンで、クラスターの中の発言力なんて、無いも同然なんだぞ。それを、いきなりうちの司令に取り次いでくれって言ったって、そんなの無理に決まってるだろ」

「いややわぁ、なに言ぅてはりますのん。一介のボンズマンやなんて、そうは言ぅてはりますけど、うち、ちゃーんと知ってますねんで?」

「なにを」

「ンフフ、クルツはんのボンズコード、一本だけ残ってはるそれな、いつでも切れる準備があるってことですがなぁ。

 忠誠・知略・闘魂のうち2本が切れとって、あとは強さを示して戦士としてふさわしいとこをみせるだけ。それに、10年近いキャリアの中で、クラスターに貢献した実績もバッチリ。ただのボンズマンやなんて、ジェイドファルコンやウルフならともかく、そないやかましいこと言う人が、ここのクラスター、いや、氏族におりましたっけ?」

「いや、でも俺はフリーボーンなわけだしな………」

「アカンよ、クルツはん。自分の事そない言ぅたら」

 ミキは、俺を見上げるようにその細い指を俺の口に当てる。しかし、俺はと言えば、しつこく食い下がってくるダイヤモンドシャークの商人、ミキの執念深さに閉口する。くそぅ、こうと知っていれば、用事をでっちあげてすっぽかしたってのに。

 しかし、いくらなんでも、商談の話を俺が直々にイオ司令のところに持っていくなんて、無茶もいいところだ。一応、ノヴァキャットにだって、フリーボーン差別はあるし、ましてや、ボンズマンなんてのは、パシリを通り越して奴隷扱い同然だ。

 なに?そうは見えない?随分好き勝手にやってただ?バカ言え、誰が好き好んで苦労話なんかするかよ。大体、俺自身が思い出したくないんだ。

 まあ、ここでムキになっても仕方ない。ともかく、このミキさん。新しく試作開発したメックを売り込もうと、わざわざイレースくんだりまで足を伸ばしたって訳さな。ともかく、物には順序ってもんがある。と、いうことで、俺はまず、マスターに話を通してみることにした。

「まー、シャークにはいろいろ世話になったで、別にえーんでねーかみゃあ。イオの奴にゃー、俺から話を通してみるだぎゃ」

 ………いいのか?そんなに簡単で。

 それは、あまりにもあっさりと了承された。時間にして、3秒もたってない。

「おみゃー達はここで少し待っとるだぎゃ、ちっと行って、話をつけてくるだぎゃ」

 そう言うと、マスターはクラスター本部へと出かけていった。そして、後には、俺とミキ、そして、彼女がつれてきた、初老の女科学者が取り残された。

 どうでもいいが、この女科学者。かなり愛想が悪い、いや、悪いなんてもんじゃない。あからさまに不機嫌だ。

「………まっだく。ミキよ、おめぇの言うことだから信用してきたけんど、よりにもよってノヴァキャットだべか?はぁ、あきれてものもしゃべれねぇべさ」

 この頑固極まりないしゃべり口、もしかして、ジェイドファルコンの人間か。いやはや、この間、派手にガチンコかました氏族の人間がここにいること事態、もはや非常事態だ。どうも、ミキにとっては、敵対勢力だろうがそうでなかろうが、金を持ってりゃみな同じ。と考えてるとしか思えない。

「まーまー、センセ。そないくさらんと、このクルツはんは、信用できるお人でっさかい。心配は無用でっせ」

「だけんど、フリーボーンで、しかもボンズマンだべし。そっだら奴、なしてそこまで高く買うか、オラにはまったくわかんねぇ」

 ミキは、さっきからぶつぶつと文句をたれ続けている女科学者を、ニコニコ愛想笑いをまじえながら、巧みになだめすかしている。まあ、それはもうミキの当然の義務としても、このオバハンも、嫌ならこなけりゃいいだろうに。

「まーまー、そないなこと言わんと。人の良し悪しはフリーとかトゥルーとかではかれるもんやあらへんのは、センセが一番よく知ってるはずでっしゃろ。な?」

「………はぁ。ミキよ、おめぇにはかなわねえべさ。わかっただよ、とりあえず、ここはおめぇの顔さ立ててやるべさ」

 なんとも。とりあえずこの2人、まんざら知らない仲でもなさそうだ。

 

 

 

 あのあと、イオ司令から承諾を取り付けたマスターは、ミキの運んできたLAMのデモンストレーションを行う許可を委任され、その旨をミキに伝えた。司令と言えば、LAMにはさして興味も示さず、マスターに全てを任せたと言う話だ。

 まあ、無理も無いな。氏族と言う一族において、どうにも相性の悪い存在のひとつに、LAMが上げられる。なに?魅力的な兵器なのにどうしてって?まあ、そりゃ中心領域の考え方だな。氏族のように、人的・物的に資源が限られてくると、おのずから節制の精神でやりくりする必要がでてくる。

 そして、無駄なもの、非効率的なものを極力排除しようともする。つまりだ、『ランドエアメック』という名前でわかるとおり、ひとりでメックも気圏戦闘機も、両方の戦闘技術を習得させなければならない。と言うのは、中途半端な技術の習得につながり、時間の浪費も同然。氏族人にとって、ナンセンスの極みなわけだ。

 だからなのかもしれないが、たとえば、俺達が今、ドラコに間借り同然で住み着いているイレース。ここにも、昔ノヴァキャットがやってくるまでは、LAMの生産ラインが存在していた。が、ノヴァキャットはそのラインを丸ごと、メック・ノヴァキャットの生産ラインに作り変えちまった。

 地上施設や装甲車両には絶大な威力を誇っても、どうにも中途半端さが拭えず、しかもそれなりの戦果を上げるためには、乗る人間を選ぶ機体であるLAMは、当然、その選択肢から除外されても、なんの不思議でもない。

 ミキが持ってきたLAMの性能緒言を見せてもらった限りでは、まあ、手堅いつくりと言えるだろう。いわゆる、マルチロール・ファイターといったところか。しかし、LAMはファイター形態の性能だけでは成り立たない。エアメック、そしてバトルメック形態時の性能も、バランスよく配分されていないとならないからだ。

 しかし、運動性と電子装備系は驚くほど高い。複座型コクピットを採用してるってのも、これまた氏族製兵器としては珍しい。

 けど、基本的に個人の能力に絶対の自信を持ち、自分自身の力で戦功を上げる事を好む氏族戦士が、こういった類の兵器になじむとは到底思えない。中心領域に売り込むなら、まだ買い手もあろうが、なんだってこんなものをわざわざ持ってきたんだろうな。

 

 

 いよいよLAMのお披露目とあいなったが、いつものメンバーのうち、アストラとディオーネは、他のバイナリーのメンバーと一緒に、メーカー点検のためメックと同伴して兵器工廠への出張で不在。リオは、スターコーネル・イオに連れられて、教育委員会へ赴いた。

 わざわざスターコーネルがする仕事じゃないと思うが、そんなに興味なかったのか、リオをダシにまでして。

 ともあれ、その場に居合わせたのは、俺とマスター、そして、整備班の連中とクラスターの戦士が何人か興味半分で野次馬に来ている。それから、どこからか話を聞きつけてきたのか、他のバイナリーの幹部数人も、後学と話のタネにするつもりなのか、なにやら肘をつつきあいながら、苦笑を浮かべつつ様子を伺っている。と、まあそれなりに人は集まってはいる。

「どうでっかー!みなはーん!!」

 いや、どうでっかと言われても。LAM、だよな、それ以上でもそれ以下でもないわな。

「こちらは形式番号X-02、『フェニックスキング』言います!電子装備の充実と運動性能を極限まで追及!複座形式によるパイロットの負担軽減で、制空戦闘から強行偵察までこなす実力派!武装はER―PPC1基、ER-Mレーザー3基、LRM151門、アルテミスIV・システムと超充実!対空戦闘から対地攻撃まで、どんな局面にも即対応の優れもんでっせ!」

「なあ、ミキ。ひとつ聞いていいか」

「はいはーい、なんでしゃろ、クルツはん」

「それだけの武装を積んで、熱とかは大丈夫なのか?機体重量に比べて、ヒートシンクの数がいまいちな気がするんだが。いくら、ダブルヒートシンクとは言っても、これじゃせっかくの武装も生かせないんじゃないか?」

「こりゃまたお客さん、なかなか鋭い質問ですなぁ!でも心配無用や!このフェニックスキングが真の実力を発揮するんは、このファイターモードの時や!巡航速度マッハ1.2のスピードでかっ飛んで、エアインテーク直結の空冷機構でガンガン冷やしまっさかい、ER-PPCの連続発射も可能でっせ!!」

「………じゃあ、エアメックモードやメックモードの時は?」

「ちなみに、うちは上から88・54・86ですねん」

「んなこと聞いてない」

「またまたぁ~?ちょっとときめいたクセにっ。もう、クルツはん、素直やないんやからっ」

「………怒るぞ?」

 やっぱりな。こりゃ、アイデアだけが空回りした、完全なワンオフモデルだ。だいたい、ファイターモードでしかその実力を発揮できないなら、最初から気圏戦闘機として作ったほうが安上がりだ。

 そう言えば、いつだったかコムガード経由の情報を配信した時に、聞いた覚えがある。確か、ジェイドファルコンで、これと同じような複座型LAMが試作され、評価試験を受けたって話だが、やっぱり、メックとも気圏戦闘機ともつかない代物は、あの聡明かつ気鋭の族長をもってしても、没と言わしめただけのことはある。

 さすがに、あの時はいまいちピンと来なかったが、確かに今なら、族長の心情を察して、腹を抱えて笑える。

「………ヒートシンクの数は、大した問題じゃねぇべさ。X-02の主翼、こいつが放熱板の役割をするだ。主翼の中さ、冷却触媒が循環するラインも引いてあるだべし、主翼二枚でダブルヒートシンク5個分のお釣りがくるだべ」

 説明はミキに任せ、今までずっと不機嫌そうに黙っていた女科学者が、俺の方を睨みつけながら冷却機構の説明をしてくる。なるほど、このオバハンがこのLAMの設計者、ってわけか。

「おめたつ、乗ってみりゃええべさ」

「は?」

「乗ってみりゃええってしゃべってんだ。若ぇくせに、耳も遠いってか?」

 白衣に手を突っ込み、視線だけをこっちに向けて挑戦的な視線を投げつけてくる彼女の姿は、完全にプライドを傷つけられた科学者のそれだった。ただし、枕詞に『マッド』がつく方の。

「ま、まあまあ、センセもそない興奮せんと。クルツはんは優秀な技術者でっさかい、新しい機械を見ると、とことん質問せぇへんと気がすまないお人なんや。うちに免じて、堪忍したってぇな」

「優秀かどうかはわかんねぇけんど、確かに一筋縄じゃいかなさそだな。まあええべさ、ミキ、お前ぇ、この若造さ乗せて、いっぺん飛んできたらええべし。お前ぇの言うとおり、この若造が優秀なテックなら、それでX-02の力がわかるはずだべ」

「せやね、センセの言うとおりでんな。そいじゃ、クルツはん。このフェニックスキングは二人乗りでっさかい、うちが操縦するから、クルツはんも一緒にきたってえな」

「いやいやいや、ミキ。お前、その目で戦闘機なんか操縦できるのか」

「ああ、心配あらへんよ。別にドッグファイトをするわけやあらへんし、規定飛行をするだけなら、ちーとも問題あらしまへんよ」

「いや……しかし………」

「クルツはん、うちのこと、信じてくれへんの・・・・・・?」

 いや、そんな潤んだ瞳で見上げられてもな。けど、お前の近眼と言う事実が、厳たる不安要素なんだ。それと、胸ポケットからはみ出てんのは、そりゃ目薬じゃないのかね?

 

 

「さっすがクルツはん!何着てもごっつ似合いまっせ!ああんもお!いややわぁ、うち、どないしよう!!」

 どないしようもなにも、とにかく事故防止だけはしっかり心がけてくれ。最初っからそのつもりだったのか、しっかり準備してあったフライトスーツの窮屈さに閉口しながら、ひとりで盛り上がってるミキの姿にため息を吐く。

「それにしても、ちょっときついな。もう少し大き目のものはなかったのか?」

「なにゆうてますの、クルツはん。フライトスーツはきついくらいがちょうどええんやで?ユルユルのダボダボは、着心地はええかもしれへんけど、全身の血があっちゃこっちゃ動き回って、ブラックアウトやレッドアウトのもとでっせ」

 なるほどねぇ……でも、お前のそれは、少し小さすぎるんじゃないのか。なんていうか、体の線に密着してて、妙にいかがわしく感じるんだが。

「いやぁ、現役降りてから、急に胸とか腰とかおっきくなってしまいましてん。あ、ウエストは元のまんまを維持してまっさかい、別に太ったわけやおまへんで?」

 いや、ポーズなんてとらなくていいから。

「それじゃ、さっそく行きまひょか?あ、せやせや。クルツはん、前と後ろ、どっちがええでっか?」

「どっちでもいいのか?」

「はいな!どっちでも問題あらしまへん。クルツはんなら、前からでも後ろからでもバッチOKでっせ?」

 ………なんか、やな言い方だな。

「じゃあ、後ろで」

「クルツはん、見かけによらず征服志向なんやねぇ」

「なにが?」

 畜生、どうあってもまともな返事が返ってこねぇ。やっぱり不安しかねぇよ、何でこんなことに。

「さて、それじゃポジションも決まったとこで、レッツラゴーや!」

 ミキは自信満々の笑顔を浮かべている。これでメガネさえかけてなけりゃ、100パーセント安心もできるんだが………まあ、ミキにしたって、商売優先のはずだから、とんでもない無茶はしないはずだ。いや、しないと願いたい。マジで。

 

 

 おお、なかなか小気味いい離陸だな。おまけに滑走距離も短い。重量の割には、なかなかいいスタートじゃないか。

 最初の不安もどこへやら。いったんコクピットシートに座ってしまうと、不思議と腹も据わってくる。それに、パイロットシートで操縦しているミキの余裕たっぷりの様子を見ていると、もしかしたら俺が必要以上に考えすぎてたんじゃないかとさえ思えてくる。

「うふふ」

 って、言ったそばから変な笑いを漏らすのはやめてくれ。

「どうしたんだ、ミキ」

「え?ああ、いやね、クルツはんとの初デェトが空の上ってのも、なかなか悪くないなぁ思うてましたねん」

「こいつの性能を見せるためのデモフライトじゃなかったのか?」

「まあまあ、ええやないの。何事も楽しく、これが一番大事でっせ」

 そりゃ、そうかもしれないけどな。

「それじゃ、ちょっと動きまっさかい。クルツはん、存分に堪能してやぁ?」

 前言撤回、やっぱりなんか不安になってきた。だいたい、いちいち言い方がいかがわしいんだよ。

「お?………おおっ!?」

 さっきまでの、遊覧飛行じみた機動から一転。フェニックスキングは軽快にロールすると、切れのいい旋回で機体を翻した。

「ほい、エルロンロール」

「あ―――――――っ!」

「お次はバレルロール」

「ア―――――――ッ!」

「そいでもって、スプリットS」

「あ゛―――――――っ!?」

「これなんかどないでっしゃろ、プガチョフ・コブラ~~~」

「ア゛―――――――ッ!?」

 ………い、いかん。なんか、頭がふらふらしてきた。

「あははっ、声なんか出してからに。クルツはんも、けっこう可愛いとこあんねんな」

 OK、もうなんでもやってくれ。

「と、とにかく、ファイターモードの性能はよくわかったから、次はメックモードとエアメックモードを見せてくれないか」

「あ~~、それなんやけど、うち、飛行機ならなんでもOKなんやけど、メックの操縦はからっきしやねん。っていうか、知らへんし」

「はあ!?それじゃ意味ないだろ!」

「そないなことゆぅたって、うちは気圏戦闘機乗りでっせ?メック戦士やあらしまへんもん。そっちのほうは、いちおうセンセがやってくれることになってますねん」

「先生って………あのオバハンにか?」

「まあ、そんなとこですわ。うちじゃ、ええとこお散歩させるくらいが精一杯でっさかい」

 ところで、さっきから一体何がビービー鳴ってやがるんだ。やかましいな、まったく………って、おい!

「あかん!誰や知らんけど、うちらロックされとる!!」

 おいおいおい、冗談じゃねぇぞコノヤロー!?

「アカン!ミサイルや!!」

 そうミキが叫んだ瞬間、突然機体がひっくり返されたようにロールし、ひるがえるように旋回したと同時に、凄まじいGが俺の全身をシートに押し付けた。

「ぐえぇぇっっ!!」

「しゃべったらあかん!舌かむで!!」

 もう噛んじまったよコンチキショウ。

「この!誰やいったい!!」

 パイロットシートのミキが叫ぶのと、先ほどとは比べ物にならない、急激な機動でフェニックスキングが回避運動を取るのとがほとんど同時に起こった。その瞬間、視界の隅を、猛烈な勢いでシロネ戦闘機がすっ飛んでいく。ちょっと待ってくれ!あれは味方の戦闘機じゃないか!

「どうやら、うちら領空侵犯機と間違えられとるようやね。っにしてもまあ、警告もなしにいきなり撃つかいな、普通!」

 いや、確かに普通でない奴がいる。こんな短絡的な真似をするのは、あいつしかいない。

「ミキ!撃つなよ、あれは味方だ!!」

「わかってまんがな!それに、撃ちたくても、この子にはパチンコ一本積んでへん!!」

 ちょっと待ってくれ!それじゃ、信号弾もなしか!?

「武装ポッドはみんな、重量バランスを見るためのダミーや!大体、武器なんか積み込んだら、通関パスでけへんし!!」

 そりゃそうだ………ってことは、なんとしてでも逃げるしかないって訳か!?

「とにかく、クルツはん達の基地まで行きまっせ!そうすりゃ、センセかロークはんがなんとかしてくれるはずや!」

「通信は!向こうのパイロットや基地と通信は出来ないのか!?」

「それが、さっきからやっとるんやけど、さっきのパワーダイブでどっかイカれたらしいんや。雑音ばっかでなんも聞こえへんねん。堪忍や!」

 ちょっと待てよおい!それじゃ何のための複座型だよ、ぜんぜん意味無いだろ!

「しゃあないやん!まさかこない乱暴なことになると思わへんかったし、バトルプルーフなんてあらへん、ほとんど手作りに近い試作品なんやもん!」

 まるで、俺の思考を読み取ったかのようにミキが叫んだ瞬間、レーザーがすぐ両脇をかすめるように飛び抜けていき、当たりの浅いレーザーが装甲を削り、金属がショートする不吉な音がコクピットに響き渡った。

「と、とにかく今はそんなこと言ってもしょうがない!なんとかして逃げられないか!?」

「合点や!クルツはんも手を貸してや!」

「わかった!」

「レーダーと索敵監視、よろしゅう!」

「わかった!!」

「うちんとこ、婿に来て!」

「わか・・・って、オイィ!違うだろ!?」

「………あ~~、なんや、がっくりやる気のうなったわ。ま、ここで死ぬんも、運命やね」

「待て待て待て!!わかった!生きて帰れたら前向きに検討する!!」

「………フッ。せめて、あの世で一緒になろな、クルツはん」

「待ってくれお願いだお前だけが頼りなんだ!!わかった!真面目に考えるから!だからお願いだ!い、いや、お願いしますっ!!」

「んふふ、そない泣きそな声せんでもええよ。ほいじゃ、クルツはん!いっくでぇ~~!!」

 その瞬間、コクピットまで振動させる凄まじいエンジン音と共に、見えない空気の壁が激突してきたかのように、俺の全身を押し潰した。

 目の前のコンソールパネルに、アフターバーナー・オンの表示が転倒し、スピードメーターがぐんぐんと上昇していく。そして、ローリングと旋回が小刻みに繰り返され、50トンの機体がまるで羽毛のように空中を舞うのがわかる。その巧みな回避運動で、フェニックスキングは相手の射線をかわしていく。

 機体が身をひるがえすたびに、目の前でレーザーが機体のすぐ横を流れていく。そして、突然機体が180度裏返ったかと思った瞬間、そのまま鋭く下降した。その強烈なGで、意識が一瞬途切れ、気がつくと、頭上のシロネがすれ違うように反対方向へとかっ飛んで行くのが見えた。

 鮮やかなスプリットSをきめたフェニックスキングは、そのまま離脱を図ろうと、再びアフターバーナーに点火し、凄まじい轟音と共に強烈なGが全身を締め上げてくる。

 視力障害というハンデを負っているとは思えない、ミキの素晴らしいフライトマニューバーに、思わず安堵のため息をつこうとした瞬間、再びコクピットに響き渡るアラーム音に、呼吸が凍りついた。

レーダーレンジに、いくつものブリップが点滅し、そいつらはまっすぐにレンジの中央。つまり、俺達に向かって猛スピードで突っ込んでくる。

「み、ミサイルだ!6……10……20!?馬鹿な!全力射撃か!?」

「上等やっ!!」

 ミキの怒号と共に、彼女の気合が乗り移ったかのように、フェニックスキングは凄まじいローリングとともに、今までのバレルロールとは比べものにならないほど高速で、しかも、本当に見えないパイプの内壁を滑るようななめらかな回避運動で、白煙を引いて迫るミサイル達の間をくぐり抜けるように機体を舞い躍らせた。

 そして、包囲網から抜けた瞬間、機体が90度真横に倒立し、引力に引き込まれるように機首が沈んだと思うや否や、再びアフターバーナーが点火し、落下速度も加わってスピードメーターのデジタル文字が痙攣するように震える。

 その急激な回避運動で、凄まじいGが全身を直撃し、体中の骨や関節が軋みを上げた。そして、視界が真っ黒に塗り潰されていく。

 耐Gスーツが全身を締め付けて、下半身に下がりまくった血液を上半身へと押し戻そうと縮み上がる。それでもまだ、視界には古ぼけた写真のように、その周囲に灰色の縁取りが消えずにいる。

ようやく視界がまともに戻ったとき、ミキの様子がおかしいことに気付いた。ついでに、機体もさっきまでの滑らかさが消えたような気がする。

「どうした!大丈夫か、ミキ!!」

「あ、そ、その、大丈夫や!」

 嘘つけ、その様子はちっとも大丈夫そうじゃないぞ。

「こんな状態でこれ以上何を驚くんだ!いいから正直に言え!!」

「なんか、レスポンスのキレがのうなって……いま、サブコントロールに繋ぎ直してるとこや!」

 ミキの言葉を聞いた瞬間、俺は反射的に叫んでいた。

「コントロールをこっちにまわせ!こうなりゃ意地でも基地に帰る!!」

「む、無茶や!クルツはん!」

「今から操縦回りの設定し直す方がよっぽど無茶だ!ライトプレーンのライセンスは持ってる、俺が操縦するから、アドバイスを頼む!!」

「わ、わかった………ユーハブコントロール!!」

「よし!アイハブコントロール!!」

 畜生!こうなったらやれることまでやってやる!!

 俺は、スティックを握り締めると、スロットルレバーを全開に開けた。その瞬間、フェニックスキングは暴走じみた加速と共に、うなりを上げて疾走する。

 しかし、手間取っていたほんの少しの間に、再びシロネが真後ろにつけている。あいつめ、無事に帰れたら覚えてろ!!いや、絶対に帰って見せるからな!!

 昔、遊びで乗り回していたライトプレーンと違って、レスポンスにほとんどあそびのないフラップとラダーは、俺のちょっとした動きにも敏感に反応し、そのたびに巨体を揺るがせて狂ったように回転し、物凄い勢いで旋回していく。

「あかん!クルツはん、スティックはちょいと力を当てるだけでええんや!!」

 ミキの声が飛び、その声に従いながら操縦桿を握る力を緩める。姿勢は安定してきたが、それでも絶え間なく襲いかかるGに意識が薄れかけ、視界が塗り潰されそうになる。

 だが、そのたびにミキの声に振り起こされ、下っ腹に渾身の力をかけて、持てる気力と根性の全てを動員して耐える。そして、またもやアラームが鳴り響き、ロックオンされた事を報せる。思わずスティックに力が入り、機体はとんでもない勢いで急降下を始め、ミニチュアのような地表が、ぐんぐんと視界一杯に迫ってくる。

 アラームは鳴り止んだが、今度は地面に激突する。思わずスティックを引き起こした瞬間、半端ではすまないGが脳天を直撃し、一瞬、機体が垂直に沈み、すぐさま弾かれたように、木の一本一本までもがはっきり見えるほどの低空を弾丸のように疾走し始めた。

 おまけに、後方監視モニターが、ソニックブームで薙ぎ払われていく木々の様子を映し出し、いつかこのままでは誰かを巻き添えにすると、気ばかりが焦る。

 とたんに、危険状態を警告する別のアラームが鳴り響き、このままでは地上に激突すると警告をがなりたてる。慎重に引き起こしたつもりだったが、緊張した手は思い切りスティックを引いてしまい、首をへし折らんばかりの衝撃と共に急角度で上昇を始める。

 だが、要所を押さえたミキのアドバイスのおかげで、どうにか要領はつかんだ。スティックの操作はかなり微妙だが、それでも力加減は多少飲み込めてきた。

 だが、それでもヤバい状況に変わりは無い。必死にラダーペダルとスティックを操作しながら、追いすがるシロネの射線から機体を振り回すようにかわそうとする。が、それでも奴はぴったりと後ろをついて離れず、時折レーザーの斉射を浴びせかけてくる。

 機体装甲がショートする、総毛立つような破裂音が数を増してくる。シロネより機動性は上のようだが、それでも明らかに、ミキが操縦していたときより命中弾が増えている。

 どうやら、向こうはミサイルを打ち尽くしたらしい。だが、俺の腕では打ち落とされるのを待つカモ同然だ。このままじゃ、撃墜されるのも時間の問題だ。

 その時、俺の頭に、この機体がただの気圏戦闘機ではなく、LAMである事実が不意によみがえった。そう、メックなら、俺もひとかどは扱える。

 よし、なら駄目でもともとだ。どうせ、このままじゃジリ貧でしかない。

 俺は、コントロールパネルの中にある、モードセレクターに手を伸ばしながら、後ろにいるシロネの位置を見る。チェック・シックスの言葉どおり、本当に真後ろにいる。今度こそ、急所に当てるために狙いをつけているんだろう。畜生、そうはさせるか!!

 セレクターを操作した瞬間、壁に激突したような衝撃が全身を叩きのめす。次いで、バトルメックモードになった機体が、空気抵抗に押し上げられるように浮き上がった。その瞬間、こっちの突然の減速に反応しきれずに、真下を通り過ぎていくシロネが見えた。こいつ、逃がすか!!

 ファイターモードのメインスラスターから、メックモードのハイパワージャンプジェットにシフトしたスロットルレバーを全開に引き込むと、ジャンプジェットをフルパワーでブーストさせたフェニックスキングは凄まじい加速を見せ、飛びかかるようにシロネに迫ると、人の手の形を模したマニュピレーターが、がっしりとその翼を捕まえた。

 そして、フェニックスキングとシロネは、眼下に映っていた基地の敷地にむかって、力を失ったグライダーのように降下していった。

 

 

 

「クルツ、ホンマに大変じゃったのう………」

 数日後、明日帰ると言うミキのために、俺とリオは彼女を呼んで、市場にあるビアホールで慰労会をすることになった。そして、初めてその話を聞き、リオは俺とミキを見て、気遣わしそうな表情を浮かべる。

 まあ、なんと言うか、非常識なGを連発して受けたせいか、全身の筋肉どころか、軟骨がすり潰されたように間接がきしむ。もしかしたら、2・3センチくらい背が縮んでいるかもしれない。

ところで、こいつ何を持ってるんだ?見たところ、アザラシかなんかに見えるが、ちょっと違う気もする。

「リオ、そのぬいぐるみ、何だ?」

「これか?これはミキ姉ちゃんから、お土産にもろうたんじゃ。『しぃふぉっくす』ゆうてぶちかわええんじゃ」

 シーフォックス、ねぇ……むぅ、可愛いかどうかは、ちと微妙だが………。

「いや~、ほんま堪忍や、クルツはん。まさか、あないなことになるなんて、思ってもみいひんかったんよ」

「そりゃ俺も同じだ。まあ、気にするな。あのシロネのパイロットは、変わり者を通り越してどこかおかしい奴だからな」

 あの時、俺達に襲いかかってきたシロネのパイロットは、案の定、ジークだった。実弾演習中、偶然俺達に気付いたあいつは、形式不明機は全て敵とばかりに、僚機の制止を無視してひとりで追っかけてきたのみならず、問答無用で攻撃を仕掛けたとのことだそうな。どこか何かおかしい奴だと思っていたが、ここまで来るとホンモノだ。

「ところで、博士はやっぱり?」

「ん~、堪忍なぁ、クルツはん。うちも何度も頼んだんやけど………」

「まあ、仕方ないさ。やっぱり、他の氏族にしてみりゃ、ノヴァキャットと一緒にいるのは不愉快なんだろうしな」

「まあ、せやねぇ。なんでみんな、リオちゃんみたいに心を広ぅでけへんのかなぁ」

「まあ、それが普通の反応って奴さ。それより、本当に悪かったな。大事な商売道具を台無しにしちまって」

 あの後、ボディボードよろしくシロネを腹に敷いたまま、胴体着陸を強行したフェニックスキングは爆発炎上こそ免れたものの、シロネ共々大破するという悲惨なことになった。あの博士が、並々ならない情熱を注いだとわかる機体だけに、さすがにあの直後は合わせる顔がなかった。

「ああ、それは大丈夫や。機体に記録されたデータは無傷のまんまやったし、丸腰の状態で、本気でケンカ売ってきた相手を捕獲して戻ってきたちゅうんで、少なくとも、自分の研究理論が間違おてなかったゆうて、喜んでたさかいな。

 それに、うちかて収穫はありましたで。なにより、貴重な実戦データが手に入りましてん。これだけでも、LAM運用してる部隊に対してええ商品になりそうやし、フェニックスキングにしても、もっと練り直せば、売り物としちゃ十分いけそうなんや。それに、デモンストレーションも、やらせ無しのガチンコ勝負やさかい、説得力はばっちしや」

「そうか、ならいいんだが」

「うふふ、これも、みーんなクルツはんのおかげでっせ?今度はドラコはんのとこに話し持っていこ思てますねん。今回、かなりいい手ごたえがありましたさかい、元は十分取れそうやし、旨くいけば大儲けの予感がしとるんよ。ほんにまぁ、クルツはんは、うちの福の神様やわぁ」

「ははは、それは本当に儲かった時まで保留にしといてくれ。何があるかわからないのが、商売の世界だろ」

「へへっ、せやね。でも、感謝しとるのは、ホンマでっせ」

 大事な器材を大破させられて、烈火のごとく怒り狂うかと思われた2人だったが、意に反していたくご機嫌だった。何より、貴重な実戦データが収集できたというのが、2人に共通する見解だった。

「ところで、あのシロネのパイロットはん、どないなりましてん。あれは事故やったんやし、洒落にならんことになってなけりゃええんやけど」

「大丈夫だ、そこいら辺は、うちの司令官も承知しているって話だった。マスターがそう教えてくれたよ」

「そうでっか、ならええんやけど」

 俺のクラスターと、航空団との間で協議があったようだが、結局、非があるのは、事前にろくすっぽ警告もせず、いきなり問答無用で攻撃を仕掛けたジーク。と言うことになったらしい。

 一度は、かなり深刻なレベルでの処分も検討されたようだが、イオ司令と、マスターのとりなしで、処分の方法は2人に一任されることになった。まあ、話を聞けば、ミキも博士も、あまり厳罰は望んでいないようだし、話は全て理想的な形で落ち着き、そして解決したといっていいだろう。

 しかし、それでもひとりだけ貧乏くじを引いたバカがいる。それを思い出しただけで、腹の底から笑いがこみ上げてくる。

 お、噂をすればなんとやら。

「あ、ジークじゃ」

 普段口にできない、ジョッキ入りの特大ジュースをいたくご機嫌な様子で味わっていたリオが、知った顔を見つけてジョッキを持つ手を止めた。俺は、その姿に、改めて吹き出し笑いをこらえる。

 うはははは、無愛想なウサギがいるよ。

「なんやの、あれ?そういや、リオちゃんもネコ耳つけとるし、ノヴァキャットじゃ、動物アクセサリーがはやってますのん?」

「ふはは、まあ、そんなとこだ。いや、しかし、怖いくらい似合うな」

 みなさま、あちらをごらんください。あれが、スルカイ2号でございます。

「ク、クルツ……貴様、ここにいたか」

 おうおう、平静装ってても、顔が真っ赤だぞ。

「こんばんは、なにか御用でしょうか、スターコマンダー・ジーク」

「なにうちの真似しとんじゃい」

「ストラバグ!真似たくてしているのではない!クルツ!これは、貴様のせいで受けたスルカイだ!」

「はあ、私の……ですか?」

「そうだ!貴様のせいで私は………!」

「そりゃちゃうやろ、ジークはん。あのLAMを飛ばしとったんはうちやで?クルツはんは、ナビ席におったんや」

 ジークの剣幕に、かすかに眉をひそめたミキが、すかさず助け舟を出す。しかし、このウサギたん。そんなことじゃ刀を納めようともしない。

「でたらめを言うな!そんな視力で、パイロットができるわけがあるか!」

「そうでっか、まあ、こんなんでも、飛ばすぐらいならできまっせ?」

 そう言うと、口元に薄く笑いを浮かべながら、ミキはゆっくりとメガネを外し、その青い瞳をジークに向けた。そして、最初はいぶかりながらも、ミキを睨んでいたジークの表情が、凍りついたように固まった。

「ま、まさか………きさ……い、いや、貴女は、ヴァーミリオン・フォックス………!?」

「さあ、どうでっしゃろ。うちはただの商人でっさかい。あ、せやせや、そのアクセサリー、よう似合ぅてはりますな。うちんとこでも動物アクセサリー、仰山扱ぉてまっさかい、ひとつよろしゅう」

 そういうと、ミキはポーチの中から、メモリーチップを取り出すと、ニコニコと商人スマイルを浮かべつつ、それをジークに差し出した。

「これ、カタログでっさかい、お気に入りがあれば、お気軽に案内のアドレスに申し込んでくださいな。迅速な通販もうちの自慢でっせ!」

「わ、わかりました………クルツ!貴様との話はまた今度だ!!」

「わかりました、スターコマンダー・ジーク」

 そう言い捨てると、ジークはディスク片手に、ビアホールの喧騒の中をそそくさと立ち去っていった。

「なんだありゃ?」

「さあ?なんでっしゃろな」

 あいかわらず、ミキはニコニコと笑顔を浮かべながら、楽しそうにビールのジョッキを傾けている。

「ジーク、ええのぅ………ミキ姉ちゃん!うちも、そのカタログ欲しい!」

「うんうん、ええよええよ。リオちゃんになら、こっちの動物パジャマカタログもつけてあげようなぁ。クルツはんと一緒に見たってな」

「うん!おおきに!!」

 コラコラコラ、そこ。勝手に人の財布を薄くするようなことしてんじゃないよ。

「それより、こりゃええ情報が手に入りましたわ。今、ノヴァキャットでは動物アクセサリーが静かなブーム!う~ん、ネコ耳ウサ耳は定番やしねぇ………せや!上級マニア向けに、ウシ柄とかイヌ耳ってのもありやね!よっしゃ、さっそくゴーストベアーはんとこに発注しよ!」

 ははは、お前、そりゃちょっと違うぞぉ?

 でも、やる気満々のミキを見てると、なんだかそれもOKって気がしてきた。まあ、なんにせよ、最終的に丸く話が収まってめでたしめでたしだ。うん、この一杯が美味い。

 俺はトマスン・クルツ、メカならなんでもござれのテックだ。戦艦だって整備してやるぜ。でも、飛行機だけは勘弁な。



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貴方の常識私の非常識

 いやぁ、それにしてもよく燃えてるなぁ。

 よう、こんな時間に、お前も火事場見物かい?まったく物好きな奴だな。俺?俺は非常呼集で夜間出動さ。それにしても、本当に景気良く燃えているとしか言いようがない。

『クルツ!給水を頼む!!』

 おっと、出番だ。

「こっちはOKだ!ポンプ開いてくれ!!」

 タンク口に差し込んだジェットホースから、勢い良く消火剤が流れ込む音が夜の空気に響き渡る。さてさて、急がないと冗談抜きで駐在官宿舎が丸焼けになっちまうぞ。

「給水完了!いつでも行けます!」

『わかった!!』

 タンクに消火剤を満載したファイアースターターが、軽量級らしい俊敏さで再び現場へと駆け戻っていく。頑張ってくれよぉ、滅多に無い晴れ舞台なんだから。それにしても、あのメックにああいう使い方がほんとにできるとはね。俺も、半分可能性に賭けて言ってみたんだが、まさかそれが大当たりするとは思わなかった。

「どうですか、状況の方は?」

「はい!今の所、消火活動は順調です!」

 イオ司令も、こんな時間にご苦労様なことだ。二線級とは言え、いやしくも部隊の最高司令官が自ら陣頭に立って、本来消防隊に任せておけばいいような仕事の指揮を取っている。まあ、そこが彼女の偉いところだ。

「やはり、消防隊の方も、妨害工作を受けていたようです。消防車両に対して、サボタージュが仕掛けられていたと報告がありましたよ」

「ずいぶん周到ですね、その割には、実行犯はあっさり捕まったと聞きましたが・・・・・・」

「詰めの甘さは仕方ありませんね、所詮はアマチュアの仕事ですから」

「それにしても困った話ですね、未だに私達とドラコの同盟に反対を叫んでいる連中がいるというのも」

「まあ、彼らはそれが生きる楽しみのようなものですからね」

 いやはや、さすがに、スターコーネルともなると達観してらっしゃる。宿舎の近くに俺達の駐屯地があったことは、過激派ゲリラにしてみりゃ不運だったって訳だ。実際、連中があっという間にとっ捕まったのも、イオ司令の迅速な初動配置の効果が大きかった。

「………それにしても、あれはいつ思い出してもおかしかったですねぇ」

 火災現場に向かって、盛大に消火剤を振り掛けているファイアースターターの姿に、イオ司令は愉快そうな表情を浮かべる。

 そうなんだ、消防車のかわりに、メックキャリアーから降り立ったファイアースターターの姿を見た、火事場から焼け出されたドラコ連合駐在官達の表情は、それこそローカストに出くわした偵察兵のような顔をしていた。

「ですが、さすがにクルツ君です。とっさの機転は、いつもながら素晴らしいですよ。褒賞の方も検討しておかないといけませんね」

「ありがとうございます、そのお言葉だけで、これ以上ない光栄です」

 いやはや、なんとも嬉しいお言葉だ。彼女にそう言ってもらえただけで、もう十分過ぎるご褒美だよ。とはいえ、テロの標的はうちも含まれている訳で、以前から防災装備の一環で起案していた装備換装だったが、早い内から試作や準備を終わらしといて本当に良かった。

「あ、もう、だいぶ火も収まったようですね」

 イオ司令の言葉に振り向くと、さっきまであんなに派手に燃えていた駐在官宿舎は、半分ほど焼け落ちたものの鎮火は時間の問題、って具合まで消火されていた。

「では、私は指揮本部に戻ります。被害確認の方も気になりますから」

「はい!お疲れ様でした!」

「ええ、では、また後ほど」

 司令も、本当にいい人だ。トゥルーボーンのはずなのに、俺たちフリーボーンやボンズマンを、全然粗末に扱わないし。

「なーんだ、もう終わりかみゃあ」

 司令と入れ違いに、周辺警備にあたっていたディオーネが、自動小銃をぶら下げてトコトコと近寄ってきた。

「しっかしまー、たいがいけーきよく燃えとっただぎゃ。なんちゅーか、あれ見とったら、みんなで踊りたくなって仕方なかっただぎゃ~」

 ははは、それは確かに楽しそうだが、やったが最後、駐在官達が暴徒と化すぞ。

「さ~て、そいじゃ、後片付けして帰るかみゃあ」

 なんとも、気楽なもんですな。

「………ツさん」

 ん?誰か呼んだかな?

「………クルツさん」

 って、この声は………。

 文字通り、蚊の鳴くような声に振り向くと、そこには、所々すすけたドラコ・ジャパニーズ風の白い寝巻き一丁の、それこそ着の身着のままで焼け出されました。といった状況説明全開の女性が、一本の刀を抱きしめるように抱えながら、がっくり肩を落として立っていた。

「ぐ、軍曹!?ど、どうしてここに!?」

 その、思いもしなかった意外な人物に、つい声がうわずってしまった。けど、ルシエンにいるはずの彼女が、なんでここに?

「………おうち、燃えちゃいました」

「え?」

「燃えちゃいました、おうち」

 完全に消耗しきった、つぶやくような声と共に、彼女は、くすぶり続けている駐在官宿舎を力なく指差した。

「ま、まさか………?」

「…………………はい」

 あまりといえばあんまりな事態に、俺は、それこそかける言葉も見つからなかった。

「ぶわはははははははははっっ!!」

 突然、遠慮の無い馬鹿笑いが夜風に響いたと思ったら、ディオーネが腹を抱えて大爆笑していた。

「うはははははっ!さっすがボカチン!番組っちゅーもんをよーわかっとるだぎゃ!イヒヒヒヒヒヒッ!は、腹痛ぇだぎゃ!ふ、腹筋つりそーだぎゃ!」

 お、おい、いくらなんでもそりゃまずいだろ!

「ウッシャッシャッシャッシャ!!こ、これで、あと10年は笑えるだぎゃあ!だはははははははっ!!」

 あ、あのな、人間たるもの、もう少し思いやりの精神ってものをだね。

「………な」

 って、お?これはちとばかしヤバそうだぞ。

「………なにが」

 まずい。これは、抜刀5秒前。って奴ですか?

「なぁああにがおかしいんですかああああぁぁっっ!?」

「うぉっち!危ねぇ!?」

「殿中でござる!殿中でござる!!」

 

 

 前後を考えれば仕方ないとはいえ、乱心して抜刀した彼女を何とかなだめ、何とか流をつけてディオーネを追っ払う。取り敢えず、ここにいさせてもロクなことがない。

 そして、ぼつぼつ入ってくる事情を聞けばまあ、なんとも気の毒な話だ。過激派ゲリラが使用した爆発物、それは建物を破壊するよりも、焼き払うことに重点を置いた焼夷爆弾だったそうだ。そして、それは彼らの目論見どおり、ドラコ連合イレース駐在官宿舎に効果的なダメージを与えることに成功した。もちろん、ハナヱ・ボカチンスキー軍曹改め、准尉のイレースにおける全財産にも。

 准尉だけじゃない、駐屯基地のロビーには、彼女同様、着の身着のままで焼け出され、途方にくれている駐在官達が、虚ろな表情で振舞われたコーヒーをすすっている。

「被害甚大だな」

 その様子を、実にいたたまれなさそうなで見渡したアストラが、ぽつりとつぶやく。

「けどもが、人死にが出んかったたけよかっただぎゃ。准尉も、着任そーそー災難だったけどもが、うちの司令も最大限のサポートをするっちゅうとるし、元気だすだぎゃ」

「マスターの言うとおりですよ、とにかく、ハナヱさんが無事で本当によかったですよ」

 あれだけ盛大な火事でありながら、信じられないことに犠牲者はゼロ。怪我人と言えば、避難の途中で階段から転げ落ち、足をくじいた奴が一人と、柱の角に足の小指をぶつけた奴が一人という、実に奇跡的な結果だった。

 まあ、実際のところ、駐在官の数がまだ完全には揃っておらず、宿舎の方も空き部屋がかなりあったらしい。ゲリラの焼夷爆弾は、その人がほとんどいない空き部屋の集中する区画を焼き落としたって訳だ。そして、我らがボカチンスキー准尉の部屋は、その区画の中にあったため、延焼を免れることができなかった。と言う訳だ。

「お姉ちゃん!コーヒーのおかわり、いるかのぅ?」

「………え?あ、ありがとう。ええと………?」

「リオじゃ!よろしゅう!」

 居残りを命じられたリオは、まるで待ち構えていたかのように、大振りの魔法瓶を手に、ロビーで意気消沈している駐在官達にコーヒーを配って歩いていたが、一通り配り終えてきたらしく、ようやく俺達のところへ戻ってきた。

 別に、誰からやれと言われた訳でもないのに、自分からすすんでコーヒーを用意し、配り歩いてる。さすがに、整備班生活で鍛えた手際発揮ってところか。まあ、こういう骨惜しみしない性格だから、整備班だけでなく、クラスターの連中にも可愛がってもらえるんだけどな。

「リオ、お疲れさん。もうこの辺でいいから、お前はもう居室に帰って寝てろ。明日出勤猶予がでるとは限らないんだからな」

「じゃ、じゃけん、うちひとりのんびり寝てるなんて、ちょっと悪いわい」

「休める時に休むのも、大事な仕事だと教えたろ?今日は手伝ってくれて、ほんとにありがとな。後のことは俺にまかせて、ゆっくり休むんだぞ?」

「う……うん、わかったけん。ほいじゃ、みんな、おつかれさまです!」

「おー、ごくろうさん」

「疲れただろう、ゆっくり休むといい」

「寝る前にきちんと歯ぁ磨いてトイレにいくでよ、また世界地図じゃカッコつかねーだでな」

「わ、わかった、おやすみ!」

 遠慮がちに挨拶を済ませると、リオは尻尾を揺らしながら居室へと帰って行った。なんだ、もう日付が変わってるじゃないか。いくらなんでも、子供をこんな時間まで起こしておくのは問題だからな。

 

 

 

「………という訳だ。昨日の放火テロで、このメックの機能が十分応用を利かせられることがわかった。どうだろう、タンクの規格を改良し、もっと迅速に換装できるようにならないだろうか?あの一件、我々も無関係とは言えない。いつ何時、この基地が同じようなテロにあわんとも限らん。その備えとしても有効と思うが、どうか?問是」

 翌朝、さっそく整備班詰め所を訪ねてきた顔馴染みのメック戦士と、昨晩の件について情報交換を行う。司令からの褒賞の内示が、普段日の目を見ることが無かった機体搭乗員だった彼に、新たな意義と士気の向上をもたらしたのは何とも重畳ではある。

「是。そうですね、そうおっしゃられるなら、すぐにでも改修案をまとめます」

「うむ、よろしく頼む。破壊を司るメックが、人命を救うこともできる。実に素晴らしい経験だった。期待している、クルツ」

「わかりました、お任せください」

 よう、おはようさん。昨日は大変だったな。駐在官の連中は、あのあとクラスターが用意した空き部屋に泊まることになったよ。なんでも、火事にあった宿舎は、もう取り壊して一から建て直さないとお話にならない状態だってんで、新しい宿のアテが無い奴は、しばらくの間うちに下宿することになるって話だ。

 まあ、それは上が決めたことだから、俺にはあまり関係の無い話なんだが。いいのかね、本当に。確かに、ドラコ連合は、氏族社会と似たような精神構造を持っている。たとえば、ハタシアイ、アダウチ、ハラキリ、などなど。こいつらはそれぞれ不服の神判、拒絶の神判、ボンズレフに相当し、特にハラキリ、セップクとも言うらしいが、これなどは、さしもの氏族人ですら本気でビビるほどの、奇妙かつ物騒な習慣がある。

 けれども、いくら似てるとはいえ、あくまでもその根本的な差異は存在している。完全に似通っているわけじゃないし、その溝を埋めるなんて、一朝一夕じゃ至難の業だ。さてさて、どうなりますことやら。

 まあ、俺が気をもむことじゃないけどな。

 

 

 おや、ありゃ整備班から都合した兵員輸送車じゃないか。駐在官達は、もうお仕事は終わりなのか?

とは言え、そう言うのは少し不親切ってもんだ。昨日の惨状を見ればわかるとおり、個人の私物から官給品にいたるまで、全部灰になっちまったのは、なにも准尉に限った話じゃない。失った装備資機材の再補充があるまでは、まともな業務なんてできっこない。

 ははは、ジャンプスーツ姿も良く似合ってるじゃないか。徽章も何もついていない下ろしたての新品だから、まるでどっかのマニアか初年兵みたいだよ。って、おお、ボカチンスキー准尉もいるよ。しかし、大事そうに掲げ持っている、あの紫色の袋に包んだ刀、よっぽど大事なものなんだな。

「おかえり!ハナヱ姉ちゃん!」

 彼女の姿を見つけたリオが、さっそくすっとんでいって彼女を出迎えた。まあ、リオにしてみれば、食い物をくれる奴はみんな良い奴。という図式がある。今朝の食事時、俺ら技術者階級達の貧相な朝飯に眉をひそめていた彼女は、自分の朝食の半分をリオに分けていた。准尉にしても、昨晩夜遅くまで、消沈しきった人々に暖かいコーヒーを配り、元気付けようと奮闘していたリオの健気さに、心を打たれるものがあったらしい。

 まあ、なんにせよ、可愛がってくれるんなら、それは大歓迎さ。

「ただいま、リオちゃん。はい、これ、おみやげ」

「やった!おおきに!ハナヱ姉ちゃん!!」

 あれれ、こりゃまた、わざわざ申し訳ない事を………。

「クルツ!ハナヱ姉ちゃんから、チョコもろうた!!見たこと無い袋じゃ!これって、ドラコのお菓子かのう!?」

「ははは、いいものもらったな。でも、まだ仕事中だから、食べるのは宿舎に帰ってからにしろよ。溶けるとまずいから、冷蔵庫にいれときな。他の連中に間違って食われんよう、ちゃんと札つけとくのも忘れるなよ」

「うん!わかった!!」

 そう言うと、リオはまたもや弾丸のように駆け出していった。まったく、いつもながら回転数の余った奴だ。

「や、どうも。お疲れ様です」

「あ、は、はいっ。クルツさんも」

 いやぁ、いいねぇ、ジャンプスーツ姿も。美人は何着ても似合うってのは本当だな。

「それにしても、軍そ………いや、准尉がイレースに来ていたとは知りませんでしたよ。でも、着任早々大変なことになりましたね。私も、できる限り力になりますよ」

「そ、そうですね。本当は、いきなり面会に来て、ちょっとびっくりさせてみようかなって、そう思ってたんですけど」

 ええ、十分びっくりしましたとも。あの再会は、これ以上ないくらい衝撃的でした。

「ルシエンであった時は、確か軍曹だったのに、もう二階級も昇進したんですね。知らなかったとは言え、何もお祝いできないですみません」

「えっ!?あ、い、いえっ!気になさらないでください!その、何度かメールでお知らせしようと思ったんですけど、まだ、イレースには十分な通信網整備が整ってないみたいで。何度送ってもエラーが出ていたものですから………」

 エラー?はて、イレースとルシエン間の通信網は、まがりなりにも同盟同士の主要星系ってことで、まっさきにインフラ整備がされたはずなんだが?やはり、規格が違うのを急いで統一させようとなると、どっかしら無理が出るんかね。

「いよー、ボカチン。半ドンとはいいご身分だぎゃ」

 お、ディオーネ。ハハハ、案外、彼女がもみ消してたりしてな。ま、んな訳ないか。

「仕方ないでしょう、昨日の今日なんです。被害確認と、今後の方策の通達だけで手一杯だったんですから」

「むははは。まー、そりゃそーだぎゃ」

 昨晩、力の限り爆笑されたことで、いたく准尉を傷つけたことが尾を引いているのは明白で、とたんに彼女はまなじりを吊り上げた。

「まー、それはそーと。ボカチン、おみゃー、どーせこれからヒマだがや?うちら、これからサッカーでもしよーって話てんだどもが、おみゃーも混じらねーかみゃあ?」

「私はそれほど暇じゃありません」

「ふへっ、自信ねーんかみゃあ~?」

 おいおいおい、自分から誘っといて、なんて言い方だよ。

「その言葉、後悔しますよ。私は、学生時代、キャプテン・ウィングの再来と呼ばれていたんですから」

「それなら、うちもキャプテン・タイガーの再来だでよ」

 へえ、そりゃ凄いな。

「ふへっ、なら決まりだぎゃ。そいじゃー、グラウンドで待っとるだで、用意してくるとえーだぎゃ」

「必要ありません、今行きましょう」

「おー、別にかまわねーだぎゃ」

 ああ、行っちまったよ。どうにも、仲がいいんだか悪いんだか、まあ、ドラコとノヴァキャットの複雑な関係を象徴してるみたいで、わかりやすいけどさ。

 

 

「のう、クルツー。はよ帰ろうよ、ええじゃろ?」

「まあ待てよ、チョコは逃げやしないって。サッカーの結果がどうなったか、それを見たらすぐ帰るから」

 それならひとりで帰れば良さそうなもんだが、それでもとことこ後をついてくるリオをなだめながら、俺はグラウンドへと足を向けた。いや、なんていうか。あれからずっと、嫌な予感がするんだよ。まあ、考え過ぎならいいんだけどな。

『無礼者!!』

 雷鳴の如き怒号、稲妻の如く一閃する白刃。

「ハ、ハナヱ姉ちゃん!?」

 その衝撃映像に、さしものリオも仰天した声を上げる。

『初対面の婦女子に対し、寝所を共にしようとは何事か!?貴様の如き不貞の輩、この神刀巫王村雨の錆にしてくれる!剣を抜け!いざ死合わん!!』

 おいおいおい、また抜刀ですか。今度は誰が何やらかしたんだよ。

 その鬼神もかくやの形相と、静かに、しかし、圧倒的な圧力で全身から吹き上がる気迫に、その場にいた全員は凍りついたように固まっている。昨晩、寝巻き一丁で焼け出され、捨てられた子犬のようなはかなさは跡形も無く吹っ飛び、今そこにいるのは、凄絶な剣気を揺らめかせた白刃を掲げる剣士だった。

『誰か!この者に剣を持て!!』

『たーけたこと抜かしてんじゃねーだぎゃ!嫌なら断ればえーだけの話だがね!!』

 珍しく本気で慌てふためいた様子のディオーネが、准尉と、驚きのあまり呆然としているメック戦士の間に割って入り、必死の仲裁を試みている最中だった。

やばい、准尉の目がこれ以上ないくらい据わっている。このまま放っておけば、ディオーネまでもが巻き込まれかねない。

「ク、クルツッ!」

「ああ、わかってる!」

 ともかく、何とかしないと!

 俺は、リオの不安そうな声に応えながら、今まさに血風吹き荒れんとするグラウンドに向かって駆け出した。

 

 

「………も、申し訳ありませんでした。初対面の方に、急にあんな破廉恥な事を言われて………そ、その、頭の中が真っ白になっちゃったんです………」

 先ほどの、鬼神の如き気迫はどこへやら。ようやく感情を静めることに成功した准尉は、心底恥じ入ったようにうつむいている。

「ま、まー、奴も不注意だけどもが、別に悪気があったわけじゃねーだぎゃ。いつもの調子で誘っただけの話な訳だしが………」

 ディオーネのとりなしの言葉に、准尉は、かすかにあきれ果てたような表情を浮かべている。まあ、仕方ないっちゃ仕方ない。気持ちはよくわかる。俺だって、氏族人の世界で生活し始めた最初の頃は、この突き抜けまくった開けっ広げさ加減には、いい加減閉口したもんだ。

なんだと?そういうこと言って、結構楽しんだんじゃないかって?あのな、やっすいエロマンガかなんじゃあるまいし、実際やらかされてみろ、ドン引きもいいとこだ。

「ともかく、部下の不始末は俺の不始末だぎゃ。奴だけじゃなくて、他の連中にもよく言い聞かせとくだで、ここは俺に免じて収めてほしいだぎゃ」

「申し訳ない、俺からもお願いしたい」

 マスターとアストラの二人は、心底申し訳なさそうな表情で彼女に謝罪している。まあ、あの二人は、一応中心領域の世界に多少なりとも接した経験があるだけに、今回の騒動はそれなりに重く受け止めているようだった。

「とりあえず、ボカチン。ひとっ風呂浴びてさっぱりするだぎゃ。の?付き合うだぎゃ」

「そ、そうじゃ!ハナヱ姉ちゃん!一緒にいこう!?」

「そ、そうですね………すみません」

「謝る必要はねーだぎゃ、ほれ、ボカチン。リオ介も、道具取ってくるだぎゃ」

「う、うん!」

 いいねえ、女同士の友情って奴だな。まあ、ディオーネも、ああ見えて、押さえるところはきっちり押さえられるしな。まあ、とりあえず、これで大丈夫だろ。

 

 

「やはり、あのシミュレーションは、かなり事実に対して忠実に作られているようだ。綿密な準備もせずに、功を焦って行動すれば、最悪の結果になるというのはそのままだった。奴には悪いが、非常に貴重な実証結果だ」

「まあ、そうだろうな。俺も、最初の頃は、教練のあとタオルやらドリンクやらを持っていくのが怖かったよ」

「なぜだ?理不尽な暴力でも受けたのか?」

「理不尽というかなんと言うか、逆セクハラだ」

「逆セクハラ?」

「男がもろ肌脱いで汗を拭いたり、マッサージを要求してくるのはわかる。でも、女までそれをやらかすから、はっきり言って、いたたまれないってのが正直なところだったよ。ここの倫理観ってものを理解するまでは、一時ここの人間がわからなくなった」

「そうか、それは災難だった。しかし、今まで見聞きしてきた中心領域の人間の心理を鑑みるに、それもむべなるかな。だな………」

 俺の居室を訪れたアストラは、空になったビールの缶を、まるで紙くずのようにくしゃくしゃと小さく丸め、ゴルフボールくらいに圧縮したそれを、指先で転がしながらうなずいている。

「今日の准尉を見ていたら、昔の姉を思い出した」

「え?」

「姉は、カーン・サンドラに心酔し、そして敬意の極みを払ってきた。しかし、それが姉を異端とする口実を与え、苦境に立たせられる結果になった。今なら思う。もし、姉が中心領域に生まれていたなら、きっと誉れ高き戦士となっていたのではないか。とな……」

「アストラ………」

 一瞬だけアストラの目を横切った寂しげな笑みに、俺は頭の中でそれらの言葉の整理がつかずにいた。と、その時だった。

「たたたたた、大変じゃ!大変じゃけーんっ!!クルツ、クルツゥッッ!!」

 いきなり、居室のドアが吹っ飛ぶように跳ね開けられると、これ以上ないくらい動転しまくった叫び声を上げながら、素っ裸でリオの奴が駆け込んできた。

 って、このバカ!風呂場からその格好で、ここまで走ってきたのか!

「ハッ!ハハハ、ハナヱ姉ちゃんが、また大変なんじゃあ!た、助けてっ、クルツッ!!」

「ちょっと待て!ハナヱさんがどうかしたのか!?」

「ととと、とにかく大変なんじゃ!早く来て!クルツ!!」

 俺は、風呂場から居室まで、ストリーキングダッシュを敢行してきたリオに、素早くタオルケットを巻きつけながら、その動転振りに不吉な予感が現実のものとなりかけ、はらわたを絶対零度まで冷却するような感覚に襲われた。

「クルツ!とにかく急ぐぞ!!」

「あ、ああ!わかった!!」

 今は四の五の言っている場合じゃない!俺は、アストラと共に、全速力で現場に急行した。なんでこう、嫌な予感に限ってよく当たるんだよ!畜生!!

 風呂場に近づくにつれて、どう聞いても洒落にならない悲鳴が聞こえてくる。まさか……まさかまさかまさか!!

 脱衣所に飛び込むなり、うめき声をあげながら、素っ裸でひっくり返っている男達の姿が目に飛び込んできた。どれもみな、鈍器のようなもので一撃されたように、体中に痛々しいアザが浮かび上がっている。

『たーけた真似はよすだぎゃ、ボカチン!早まるんじゃねーだぎゃあああ!!』

 ディオーネの、悲鳴にも似た叫び声が大浴場の中から聞こえてくる。これは、いよいよただ事ではなさそうだ。

「クルツです!入ります!!」

「姉さん!俺だ!」

『えーからはよ来るだぎゃあ!!』

 ディオーネのわめき声に、俺とアストラは委細かまわず中へと駆け込んだ。すると、そこにはあられもない格好の准尉が姿勢を正して座り込み、逆手に構えたニホントウ・ソードを、今まさに自分の腹に突き立てんとし、それを必死に取り押さえているディオーネが、必死に喚き散らしているという光景に、俺は全身の血液が足元へ急降下爆撃を敢行しようとするのが、嫌になるくらいはっきりとわかった。

「夫となるもの以外にこの身を見られた恥辱と不貞、もはや死をもってすすぐより他になし!止めるな、ディオーネ!武士の情けだ!!」

「なに血迷ぅたこと抜かしとるだぎゃ!ここは風呂場だでよ!よすだぎゃああああ!!」

「クルツさん!この私の不貞、どうかお許しください!!」

「どわっ!?」

 涙目でそう叫んだ瞬間、准尉はその細腕からは思いもつかない力でディオーネを突き飛ばすと、いささかの迷いもなく切っ先を腹に突き立てようとした。

「お、おわ――――っっ!?」

 凄惨極まる地獄絵図が、予言者でもないのに鮮明なヴィジョンとしてフラッシュし、思わず、我ながらみっともない叫びを上げてしまったその時、突然2人が弾かれたように跳び上がった。

「どわっっ!?熱っちゃっちゃっちゃ!!」

「きゃあっっ!!」

 すかさず彼女達の背後に回りこんでいたアストラが、熱湯のシャワーを2人の背中に容赦なく浴びせかけ、予想外の攻撃に、さしもの彼女達も仰天した声をあげていた。

「今だ!クルツ!!准尉を取り押さえるんだ!!」

「お、おうっっ!!」

 もう、いちいち遠慮なんかしている場合じゃない。俺は、熱湯を浴びて、白い肌を真っ赤にして跳びあがっている准尉の手から、刀を奪い取ることになんとか成功した。そして、遅れて飛び込んできたリオからタオルケットを取り戻すと、それで刀を取り返そうともがく准尉をす巻き同然に巻き上げた。

「このクソたーけ!なんでうちまで熱湯ひっかけとるだぎゃあ!!」

「ぐほぁっ!?」

 凄まじい怒号に思わず振り向くと、一糸まとわぬ姿にもかかわらず、アストラに豪快なハイキックを炸裂させるディオーネの姿があった。そして、アストラはそのまま吹っ飛ぶと、豪快な水柱と共に湯船の底に沈んでいった。

 

 

 あのあと、なにをどうやって事態を収めたのか、俺自身はっきり覚えていない。取り乱しまくって腹をかっさばこうとする准尉を必死の思いで取り押さえ、ありとあらゆる言葉を使ってなだめ落ち着かせた。

そして、内務班の警備隊員が突入して、拘束された准尉と哀れな負傷者を運び出していった。と言う、大まかな記憶しか残っていない。というか、それだけ覚えてれば十分だ。と言いたくなるほど大荒れしまくった事件だった。

 とにかく、みんなの憩いの場である大浴場に、突如吹き荒れた熱帯低気圧は、クラスター内に少なくない驚きと衝撃を提供してくれた。そして、当然というべきか、最大の当事者であるボカチンスキー准尉だけでなく、俺とアストラ、果ては、その場に居合わせただけでしかないようなディオーネとリオまでもが司令執務室に呼び出され、イオ司令自らによる事情聴取と戒告を受ける羽目になった。

 もっとも、事情聴取こそ、俺を含む五人に対して詳細に聞き取りを行ったものの、おとがめのほうに関しては、不問、とまでは行かないものの、再発防止の注意と、相互理解の徹底。という形ですまされた。

 負傷者は、数こそ多かったものの、すべて峰打ちによる一撃だったので、もっとも重傷だったものも、骨にひびが入った程度で済んだから。と、言うことらしい。それに、この件についても、氏族人すら一目置き、同時にその不可解さに、程度の大小はあれ、畏敬のようなものを感じていたドラコ連合軍人における、いわば気質というか、精神的なありかたと思われたようで、特に遺恨を残すようなことはなかったようだ。

 さすがに、ドラコ連合相手では、現実問題としての外交関係上のノヴァキャットの立場は、お世辞にも強いものとはいえない。しかし、負傷者まで出してしまったこの一件において、何もしないという訳にもいかず、ドラコ連合総領事館に事前に連絡をしたのち、形だけの抗議文の提出をすることになった。

 その後、クラスターと総領事館の責任者同士の間で、ボカチンスキー准尉の処遇について協議があったらしい。そして、厳しい処断を下す必要はないというのは、双方とも共通した見解ではあったようだが、お互いの『示し』と『誠意』を表しあう、という意見に基づいて、ハナヱ・ボカチンスキー准尉ドラコ連合総領事館二級駐在官に対しては、ノヴァキャット側のやり方で処分を行うことになった。

ノヴァキャットのやり方、ひいては、氏族流の事の収め方。それは、つまりがスルカイってことになる。

 我らがイオ司令が下した、ボカチンスキー准尉に対するスルカイと言うのは、まず宿舎を失ったため、他の駐在官同様、クラスターの空き兵舎に住んでいた彼女を強制退去させた。そして、居住区の片隅に設置した野戦テントに住まわすというものだった。果たして何の冗談か、そのテントには司令直筆で、『重営倉』と書かれている、なんとも判断に苦しむ代物だった。

 さすがに若い女性がこれでは、と、俺はマスターに相談して、リオを可能な限り常駐させて連絡員兼世話係とした。

 ああいうことがあった後でも、それをひきずって距離を置くとかいった発想はリオにはなく、かえって、彼女が仮設の領事館内の売店から買ってくる、ドラコ製の菓子や帝都の話を楽しみにして、こちらからわざわざ言わなくても、暇を見つけてはちょくちょく通っている。

 これについては、司令も完全に黙認してくれたらしく、まったく何のおとがめもない。もっとも、わざわざ彼女の刀の錆になりに行く奴は、もはや皆無に等しく、それは俺の杞憂に過ぎなかった。また、ドラコ連合の軍人に対する、不可解なイメージが准尉に対して完全にリンクしてしまったらしく、あれ以来なんのトラブルも聞こえてこない。

「なんて、難しい話かね、実際」

「いや、卑近で身近な分、ある意味重要かもしれん」

「やっぱり、そうかな」

「そう思う。大局ではない、身近な違いこそ、人にとって意味と影響を為すものなのだろう」

 今日は重営倉に泊まる。といって出て行ったリオに、着替えと洗面道具を届けに行く道すがら、俺とアストラは今回の事件についての意見交換をしつつ隊庭を歩く。ついでに、久しぶりに彼女に会ってみたいというのもあるしな。

『ああっ!?ま、待ってください!それはちょっと!!』

『うははははっ!ショーギに待ったなしっちゅーたのは、ボカチン、おみゃーだぎゃ!ほれほれ、オーテだぎゃ!!』

『ひ、ひええっ!そ、そんなぁっ!?』

『ほ~れほれ、賭けるもんがなけりゃ、その黒ブラ、うちによこすだぎゃ!!』

『えっ?で、でもこれはサイズが……あいや、買ったばっかり……あっ!?ま、待ってください、自分でやります!……って、ちょちょちょっとお!?』

『だはははっ!黒ブラゲットだぎゃあ!!』

『ハナヱ姉ちゃん、まだパンツが残っとるけん!ガンバじゃ、勝負はこれからじゃけん!』

 重営倉、いかがわしいぞ、なにやってんの?

「どうやら、将棋をさしているようだな。准尉も不運なことだ、姉はゲームの類では負けを知らん。なにしろ、瞬間的とは言え、次手のヴィジョンが見えるのだからな」

「ああ、なるほど……しかし、これは入っていける状態じゃないな。仕方ない、外からリオだけ呼ぶか」

「それがいい、またセップクとか言って騒がれても困る」

「……よし。おーい!リオーっ!着替え持ってきたから、取りにこーい!」

『あっ、クルツじゃ』

『ひ、ひえっ!?あ、あわわわわっっ!!』

『むはははははっ、ちょーどえーとこにきただぎゃ!クルツ!トラ坊!えーもん見せてやるでよ!ほれほれ!はよ入ってくるだぎゃー!!』

『ぎゃああああっっ!!や、やめてくださいっ!!』

 もう、なにがなにやら。アストラも、悲しそうに顔を振っている。まったく、あのお姐さんときたら。

 

 

 愛すべき野蛮人達、遥か古の星間連盟戦士達の末裔。彼らは、ジェネラル・ケレンスキーの理想と言葉を信じ、自らの信念と正義を貫いて生きてきた。

 その生き方を否定する気は毛頭ないし、そんな資格があるとも思っちゃいない。神託の導きと共に生きるノヴァキャットが、いつまでもドラコと共に歩み続けるかはわからない。しかし、今この中心領域に回帰し、そして共に天を戴く以上、彼らには乗り越えなければならない壁は、それこそ無限に存在すると言っていいかもしれない。

 まあ、そんな固い事を言ってはみたが、それでもノヴァキャットは前進するだろう。変革を恐れず、常に未来を見続けて生きてきた。今までも、そして、これからも。

 



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走れ正直者

『びええぇぇ~~~~~んっっ!!』

 よお、少し騒がしくしてるけど、まあ、大目に見てくれ。

『うちが悪かったけぇーんっっ!クルツー!!勘弁してつかぁさぁぁ~~~いっっ!!』

 え?何があったのかって?ああ、まあちょっとな。

『うえぇぇ~~~~~んっっ!!開けて~っっ!開ーけーてぇーっっ!!ひぃ~んっっ!お~~~いおいおいおいっっ!!』

 なんだか可哀想だ?まあ、言うのは簡単だが、簡単に許しちゃ話にならない。お前さんも、子供の頃にゃ、ママから似たような目にあったこともあるだろ。

『ひ~~~んっ!!クルツ!ク~ル~ツ~~~ッッ!!』

 軸受けがぶっ壊れたモーターのように、わんわんと響き渡る大泣き声と、居室のドアをドンドンガリガリ叩いたり引っかいたり、まったくもって賑やかなことだ。まるで、家から閉め出された座敷猫だ。もっとも、似たようなもんかもしれないけどな。

『わぁ~~んっっ!もうしないけぇ~んっ!!ごめんなさい!ごめんなさあぁ~~いっっ!!びえぇ~~~~~んえんえんえんっっ!!』

 ・・・・・・むう、なんだか泣き方が魂の叫びっぽくなってきたな。

『うえっ!うえっ!うえぇ~~~~んっっ!!・・・・・・げほっ!げほっ!おえっ!!』

 どうやらのどが枯れたようだな。そろそろ、頃合か。

「やかましいぞ、リオ。近所迷惑だから静かにしろ」

『あっ!?クッ、クルツ~~ッッ!!開けてっ、開けてつかぁさいぃ~!!うちが悪かったけ~~んっっ!!』

「・・・・・・どうしてこう言うことになったか、わかってるか?」

『・・・・・・ひうっ、ひうっ、・・・う、うちが、うそついたから・・・・・・?』

 俺の質問に、ドア越しのリオの声が嗚咽交じりに恐る恐る答える。

「そうだな、どうして隠そうとした」

『じゃ、じゃけん、おねしょしてしもうたから・・・・・・』

「それだけじゃないな」

『う・・・・・・・・・』

 リオ介の寝小便なんぞ毎度のことだ。いまじゃ、ハンガーの屋上にマットレスやシーツを干してても、もう誰も気になんてしやしない。

「それだけじゃないな、なにをした」

『・・・・・・う、うちが・・・夜中にこっそり、ジュース・・・飲んだから・・・・・・それと、パンツ、ベッドの下にかくしたから・・・・・・』

 観念したような声で、リオは自分の悪行を白状する。

「よし、認めたな」

『・・・・・・う、うう・・・・・・・・・・・・・・・・・・うん』

 決定的な自白を取り付けた以上、もう騒音公害の元凶を放置しておく理由は無い。

「どうだ、反省したか」

 ドアを開けると、そこには土砂降りの中をさまよってきた捨て子猫よろしく、涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにして、小さく震えながら水気の多いメロンゼリーのような目で俺を見上げるリオがいた。

 

 

 いやいや、さっきは騒がしくして悪かったな。でもまあ、こればっかりは子供の必修科目みたいなもんだから、すまんが大目にみてくれると助かる。

「あのな、リオ。お前が寝小便することくらい。昨日今日で治るもんじゃないってのは、よ~くわかってるよ」

「う・・・うぅ・・・・・・」

 まださっきの余韻が残ってるのか、リオ介はしゃっくりのように肩を震わせながら、俺の話に頭を垂れている。

「寝小便くらい、子供なら誰だってやらかすし、大きくなってくうちに自然に治るもんだ。だから、俺はお前がシーツに世界地図を更新することなんか、少しも気にしちゃいない」

「ふ・・・ふえぇっ・・・・・・」

「俺が許せなかったのはな、世界地図でもジュースの盗み飲みでもない。それを隠して、ごまかし通そうとしたその根性が許せなかったんだ。正直、『てめえの馬鹿さ加減にゃ、父ちゃん情けなくって涙でてくらぁ!』って、一発張り倒してやりたい気分だったぞ」

「ひっ・・・・・・!!」

 俺の言葉に過敏に反応したリオ介は、ぎゅっと目を閉じると、小さな体をますます小さくして硬直した。

「安心しろ、殴りゃしない。もうお前は罰を受けたんだ、それで十分だ」

「ク、クルツ・・・・・・」

「リオ、こういう話がある。そう、昔・・・・・・と言っても、かなり昔過ぎるんだけどな。まだ、人間がテラにしか住めなかった、氏族も星間連盟も無かった頃の話だ。

 で、だ。そのテラには、メリケンという国があってな。その国に、ジョージと言う貴族の子供がいた。で、だ。そのジョージはな、新品まっさらのランサーを見つけた訳なんだが、あまりにも見事だったんで、その切れ味を試してみたくなった。

 そしてだ、こともあろうにワシントンは、そのハチェットでサクラっていう親父のお気に入りのメイドを斬っちまった。当然、親父は怒り狂う訳だが、ワシントンは、自分が殺ったと親父に正直に白状したんだ。

でもって、そのワシントンの勇気に、親父もその心意気を汲んで。本当なら吊るす所を鞭打ち10回にして、命は助けてやった。そして、親父の寛大さに感動したワシントンは、それを励みに精進を重ね、メリケンの王となった。

 そういう話だ。とにかく、自分の非を認め、そして正直にあろうとする潔さと度量の大きさを持った奴は、将来大物になれる。っていう話だ」

 ・・・・・・だったよな?確か。

「まあ、たとえがまわりくどすぎたかもしれんが。・・・・・・そうだな、リオ、お前が将来戦士になって、部下を率いる立場になったとして、だ。運悪くお前の率いる部隊が不利な状況になったとしよう。

 その時、お前が自分のプライドを優先して、司令部に本当の事を報告せず、嘘の報告をして、自分の判断で状況をどうにかしようとしたらどうなると思う?司令部の方は、お前のいる戦区は問題無しとして、結果として支援行動が後回しにされる。となるとどうなるか、お前のついた嘘のために、お前だけならともかく、お前を信じて戦っている部下までもが巻き添えになって全滅する。ってこともありうる訳だ。

 嘘をついたら、それをごまかすためにさらに嘘をつく。そして、またごまかして、また嘘をついて。そうなると、しまいには自分では手に負えない状況になって、一気に嘘をついたツケが回ってくる。結局、俺が何を言いたいかって言えばだ。嘘を逃げの道具に平気で使うような根性を持ったら、氏族の戦士としてすでに終わってる。ってこった」

 俺が話している間、リオは神妙な表情をして、身じろぎひとつせず耳を傾けている。おうおう、それにしても赤くなったり青くなったり、まるで信号機だね。

 え?わかるのかって?そりゃお前、いくらこいつがプリンセス・オブ・地黒でも、共同生活もいい加減長いんだ。ま、慣れだ、慣れ。

「ご、ごめん!クルツ、うちが悪かったけん!も、もううそ言わない!うち、これから正直もんになる!」

「そうか、わかってくれればそれでいい。とにかく、お前にはまだたくさん時間があるんだ。欠点を直す時間はいくらでもある、焦ることはないさ」

「う・・・うん!」

 やれやれ、子供のしつけってのも、楽じゃないね。

 

 

「クルツ、クルツー!」

「おう、リオか。どうした、こんな時間に」

「お茶もってきたけん、一休みしたほうがええけん!」

「ああ、そうだな」

 残業、と言っても、サービス残業みたいなもんなんだが、俺は、明後日、階級の神判に挑む予定になっているシブコのメックを調整する作業を依頼された。まあ、こいつが最後の1機。ってわけだ。

「おつかれさまじゃけん。ハナヱ姉ちゃんから緑茶をもろうたけん、クルツ、お茶好きじゃろ?さっそく淹れてきたんじゃ」

「お、そうなのか?そいつはありがとうな。で、准尉は?」

「うん、ディオーネ姉ちゃんとショーギをしとるけん。今まで取られたもの、今日こそ取り返すって頑張っとったけん」

「そうか、仲が良くてうらやましいな」

「なあなあ、クルツ。今日も遅くなるんか?」

「ああ、そうなるな。寝る前にちゃんと歯磨きして、トイレに行けよ。それと、夜更かしなんか絶対するなよ」

「うん、気をつけるけん」

 先週のお灸はかなりきつかったらしく、今の所かなり素直に人の言う事を聞くようになっている。しかしまあ、普通、10歳にもなれば、『おうちに入れない』攻撃をくらっても、さしたる効果はなさそうなもんだが、こいつの場合、根っこが純粋にできている分、そういった精神攻撃にめっぽう弱い。

 この間の週末の夜なんぞ、あまり退屈そうにしていたので、面白半分で怪談話を一席ぶってやったら、それがリオ的にはかなりストライクだったようで、夜、トイレに行きたくても行けず、タオルケットから頭を出すことさえままならない。と言った状態に陥ったらしく、その次の朝は世界地図どころか、インナースフィア・ユニバーサルマップ状態と言う大惨事となり、あれからもう二度と怪談はやっていない。

「シャドウホークかぁ、大丈夫なんかのぅ・・・・・・」

 リオは、ハンガーに居並ぶメック達を見て、心配そうにつぶやいている。

「まあな、ちと心許ない気もするが、こいつはノヴァキャットが放棄の神判を喰らって、他の氏族連中から袋叩きにあった時も、激戦の中で立派に踏ん張った名機だぞ。まあ、使いこなせれば、ティンバーウルフの一機はなんとか仕留められるさ」

「そ、そうかのう・・・・・・」

「戦場じゃ、相手のクラスは選べないからな。そこを何とかするのも、メック戦士としての技量を問われるって訳さ。リオ、いつかはお前も階級の神判に挑戦する時が来るんだ、他人事みたいには言ってられないぞ?」

「うん、わかっとるけん。じゃけん、クルツはどうするんじゃ?クルツも、最後のコードを切ってもらえんと、神判を受けさせてもらえんのじゃろ?」

「そりゃそうだ。でも、仕事が忙しくてな。あてにされればされる分、そこいら辺はどうしてもお留守になる。でもまあ、お前が神判を受ける時は、俺が腕によりをかけて、スペシャルバージョンにカスタムしてやるからな」

「わかった、頑張る!」

 取らぬ狸のなんとやらじゃないが、俺とリオは、そんなたわいも無い話をしながら、もうすぐ主とともに階級の神判に挑む、3機のシャドウホークを眺める。

「・・・・・・それにしても、良く使い込んである。どれだけ必死に打ち込んできたか、こいつらを見てるとよくわかるよ」

「そ、そうなんか?」

「ああ、まあな。さて、俺はこいつらを仕上げてから帰るから、お前はもう帰ってていいぞ。ああ、それと、もしかしたら小包が届くかもしれないが、宛先は俺の名前でも、物はマスターのだからな。受け取ったあとも、絶対に粗末に扱うなよ」

「うん、わかったけん!」

 リオは、自分に任せろ。と言わんばかりに、その平ぺったい胸を張ってみせる。

「よし、じゃあ頼んだぞ」

「うん!」

 まあ、こいつも馬鹿じゃないし、小包のひとつくらい、ちゃんと預かれるだろ。

 

 

 やってもうた。

 リオは、その認めたくない現実を前に、全身の血液が凍りつき、下っ腹に氷の塊をねじ込まれたような感覚を嫌になるくらい感じていた。目の前には1個の小包。そして、その真ん中には、どこをどう見ても子供サイズの足型が、どうしようもないくらい完全に、箱の中心を完全プレスしていた。

「ど・・・どないしよう・・・・・・」

 完全に自分のミス。あの時、すぐにでもクルツの机の上において置けばよかった。寮直当番から荷物を受け取り、それを部屋に持っていったまでは良かった。しかし、それを部屋の隅に置いたまま、風呂へ行ってしまった事がそもそもの間違いだった。

ひとっ風呂浴びて帰ってきた頃には、頭の中から箱の存在はすっかり抜け落ち、電灯をつけようと暗い部屋の中を歩き回った時、小包の箱にデス・フロム・アバヴをまともにきめた後だった。

しかし、いまさらそれを後悔したところで、箱が元通りに回復するわけでもない。踏み潰した瞬間、足の裏越しに届いた、なにやら硬いものが砕けるボリボリという音と感触。

それだけは、どんなに頭を振り回しても、何度も深呼吸しても、消え去ることなく足の裏と脳に刻み込まれてしまった。そして、リオの体温は、ぐんぐんと下降線を描き始めていた。

「あわ・・・あわわわわ・・・・・・・・・」

 リオは、瀕死の重傷を負った兵士を抱え上げるメディックのような動作で、その真ん中が見事に潰れた箱を手に取った。そして、逃れようもないその現実を前に、奥歯が16ビートを奏で始める。

「ど・・・どないしよう、どないしようどないしようどないしようっっ!?」

 クルツの失望する顔、ロークの激怒する顔。そして、小さな少女の想像力は、どんどん殺伐としたイメージに膨れ上がっていく。

「あわわ・・・あわ・・・あわわわわ・・・・・・」

 膝小僧がガクガクと震えだし、その震えは瞬く間に全身を伝わると、小刻みに振動する手は握力を失い、手にしていた箱に止めを刺すかのように床に落としてしまった。

「あぎゃっっ!?」

 またもや聞こえた、『バリ』と言う破壊音に、リオは総毛立つ感覚と共に、全身から大量の汗が噴き出した。もはやまともな思考も出来ず、リオは、ただわたわたと自分でも意味不明の動作を繰り返しながら、もはや四角い原型を留めないほどへこみまくった箱の周りを、ジャイロが不調を起こしたメックのように歩き回るだけだった。

 

 

「・・・・・・すん・・・すん・・・ひっく・・・ひっく・・・・・・」

 正直に事情を説明し、謝らなければ。頭では、そうわかっているのに、いざ行動に移そうとなると、押し潰さんばかりの恐怖で全身がすくみあがってしまう。

 このままでは駄目だ。あの時、クルツと約束したではないか。そう何度も何度も自分に言い聞かせるが、一歩踏み出す勇気がどうしても出てこない。そして、気がつくと、ハンガーの屋上で膝を抱えていた。

 傍らには潰れた箱、そして、夕闇に浮かび上がる戦士階級の居住区に灯る明かり。歩いて10分もしない距離にあるそれが、今のリオには何万光年も離れた星の光に見えた。

「あうぅ・・・・・・・・・」

 視界がぼやけたと思った瞬間、頬の上を涙がこぼれ落ちるのがわかる。そして、せっかく晴れた視界も、再びぼやけ、そして涙をこぼすことの繰り返し。

「どうした、リオ?こんな所で」

「ひえっっ!?」

 不意に背後からかけられた声に、リオは思わず声を上ずらせて肩を震わせた。

「・・・・・・ア、アストラ兄ちゃん」

 そこには、アストラが、いつもと変わらぬ穏やかな表情を浮かべていた。

「どうした?また、クルツに叱られたか?」

「ネ・・・否、あの・・・その・・・・・・」

「無理をしなくてもいい。だが、なんでも相談に乗ろう、リオ」

「う、うん・・・・・・」

 リオは、顔中に散らばった涙を拭うと、ぽつぽつと言葉をつむぎ始めた。

 

 

 ・・・・・・まあなんとも、ある程度予想はしていたが、これはちょっとどうしたものやら。 俺は、アストラに連れられてハンガーを訪れたリオを見て、さすがに思案に暮れた。その腕にしっかり抱きかかえられた小包の箱。それは、見ていて悲しくなってくるくらいに形を変えている。

 だからと言って、リオを責めるとか、どうこう言うつもりはない。この子は、俺の教えを守り、自分の失敗を正直に告白しに来たのだ。アストラに背中を後押しされたとは言え、この子の真っ赤にはれ上がった目を見れば、ここまで来る間にどれだけ苦しんだかわかる。

「・・・・・・ク、クルツ」

「ん、どうした」

 リオは、ひしゃげた箱を胸に抱えながら、俺をまっすぐ見上げて俺の名を呼んだ。

「う、うち、行ってローク様に謝ってくる!」

「・・・・・・そうか。けど、こうなったのも、俺にも責任がある。俺も一緒に行こう」

「じゃ、じゃけん・・・・・・!」

「いいから。俺も一緒に行かせろ。怖かったろ?でも、ちゃんと正直に言えたよな。リオ、お前は、俺の誇りだよ」

 戸惑いながらも、いくつもの感情を浮かべているリオの前にかがみ、俺は、自然にリオの頭を撫でていた。こいつのすることなすこと、確かに振り回されっぱなしだが、それでも、まっすぐに生きている姿を見ると、どうにもいじましくなる。

「・・・・・・う、うう・・・・・・っっ。ご、ごめん、クルツ・・・ッ!」

「すまなかったな、でも、なにもかもお前ひとりで抱え込むことはないんだ。俺も一緒になんとかしてやる、な?」

「お、おおきにっ・・・クルツ・・・・・・っ!」

「いいさ、さあ、行こう。アストラ、すまない。この子の悩みを聞いてくれて、本当に感謝するよ」

「気にしなくていい、しっかりな」

 俺は、静かに微笑んでいるアストラに一礼すると、リオをつれてマスターの所へと向かった。

 

 

「・・・・・・こりゃまた、派手にぶっ潰したもんだぎゃ」

 謝罪の言葉とともに、自分の前に差し出された箱を見て、案の定、マスターは言葉を失って絶句していた。そして、手にした箱を振ってみたり逆さにしてみたりしながら、思案に暮れた表情を浮かべている。

「申し訳ありません、マスター。私がいたらぬばかりに、大切な品物を破損してしまったこと、いかような罰も受けます。ですから、この子には、どうか御寛大な処置を」

「は、箱を壊したのはうちじゃ!・・・・・・い、いえ、うちです!罰は、うちが受けます!」

「リオ、お前は気にしなくていい。大事なものと言っときながら、人任せにした俺が悪いんだ。マスター、全てに責任は私にあります。処分は私が受けます」

「なんでじゃ!クルツ、ひとりで抱え込むなゆうたじゃろ!?うちも一緒じゃ!!」

「リオ!」

 こいつ、人の気も知らんと。まったく、子供のクセに頑固な奴め・・・・・・!

「あ~、その、なんだぎゃ。もうその辺にしとくだで」

「は、はい、申し訳ありません、マスター」

「ご、ごめんなさい、ローク様・・・・・・」

 マスターの制止の声に、俺達は姿勢を正さない訳にはいかなかった。

「いや、まあ、その・・・なんだぎゃ。とりあえず、リオ坊。その箱、開けてみるでよ」

「え・・・!?は、はい、わかりました・・・・・・」

 マスターの言葉に、リオは全身に緊張を走らせながらも、言う通り包装を解き始めた。しかし、震える指は、そのちょっとした作業でさえ苦労するに十分の様子だった。

「・・・・・・あ?」

 包みを解き、箱を開けた瞬間、リオの目が点になった。

「マ、マスター、これはいったい・・・?」

「あ~、まーその、なんだぎゃ。リオ坊も、毎日クラスターのために頑張ってるでよ、俺からも何か褒美でも出してやろー思ぅとったんだぎゃ。だどもまぁ、俺はおみゃーさんと違ぅて、銭もろうとるわけでもねーしが、どーにか工面してみただども、そんなどえりゃーもんは買えんかっただぎゃ」

 潰れた箱の中に入っていたのは、卸問屋から直接仕入れるような、カートン詰めのチョコレートバーだった。

「いや、まあ、菓子でゆぅたら、うちら氏族製のものよか、中心領域製の方が桁違いに美味いでな、あのミキにゆぅてドラコの菓子を取り寄せたんだぎゃ。

 いやはや、いきなりどっさり渡してびっくりさせよーかと思うとったんだども、こーなるとはちぃとばっかし予想外だったでよ。ふたりとも、たいがいおっかねー思いをさせちまったみてーだどもが、俺がスケベ心出したばっかりにいらん心配させたよーだみゃあ。なんちゅーか、もの自体はリオ坊にくれてやろ思うとったもんだで、ヘマしたことは気にせんでもえーだぎゃ」

「マ、マスター・・・・・・」

 あまりにも予想外の展開に、リオも唖然とした表情で言葉を失っていた。

「でも、言い訳やごまかしをせなんだおみゃーたちの潔さには、俺もたいがい感動したでよ。クルツ、おみゃーの教育がええだで、リオ坊もこんなにまっすぐ育っとるだぎゃ。あん時、無理言っておみゃーを戦士候補のボンズマンにしたこと、やっぱし大正解だっただぎゃ。リオ坊も、チビッ子のくせに、戦士にふさわしいえー根性しとるだで、こりゃ、俺もたいがい期待できるっちゅーもんだぎゃ」

「ロ、ローク様・・・・・・!」

「なはは、リオ坊よ、たいがいびっくりさせといてすまねーけどもが、今はこいつで我慢しといてくれみゃあ。あとでもぉ一回、ちゃんとしたものを買ぅてやるでよ。の?」

「あ・・・ありがとう・・・ございます・・・・・うっ・・・うぇぇ・・・」

「んーんー、怖い思いさせて勘弁だぎゃ。おみゃー、頑張るでよ?おみゃー達ほど、戦士にふさわしー性根をもっとる奴はねーだで、俺は期待しとるでよ。焦らずじっくり、力と心を磨くとえーだぎゃ」

 一気に気が緩んだのか、いままで我慢していた感情を、涙と共にあふれさせたリオの頭を撫でながら、マスターは満足そうな笑みと共に、何度もうなずいていた。

 

 

「・・・・・・なるほど、それは大変だったな」

「ああ、しかし、まさかあんなオチがつくとは思わなかった」

「なるほど・・・・・・しかし、今回のこと、リオにとってはいい経験になったと思う。人を育てるのは、人生を左右するような事件ではない。地味でも堅実な日々の蓄積こそが、真に磨かれた精神を育てる。俺は、そう思う」

 俺とアストラは、PXの前のベンチで仕事のあとの一杯って奴を傾けながら、あれこれ雑談しているうちに、先日の事件が話題にのぼっていた。

「俺や姉も、似たような経験を両親から受け取ってきた。こう言ってはトゥルーボーン批判に聞こえるかもしれんが、こうした生きた道徳を学べるトゥルーボーンは皆無ではないかと思う。

 イオ司令やローク隊長は例外としても、人の痛みに無頓着なトゥルーボーンが多いことは事実だ。そういった意味では、リオがどのような戦士になるか、俺も見てみたい。だから、俺に出来ることは何でも力を貸したい」

「・・・・・・そうか、ありがとう、アストラ」

「礼には及ばない、俺もクルツには何度も助けられている」

 アストラは、少年のような笑顔を浮かべながら、手にしていた缶ビールの残りを飲み干した。と、その時、向こうの方から、やたらと賑やかな声が、ドップラー効果を存分に発揮して近づいてきている。

「待つだぎゃ!このたーけっっ!!」

「なっ、なんで怒るんじゃ!?うち、正直にあやまったけん!!」

「それとこれとは、話が別だぎゃあ!!」

「わっ、わあああっっ!?」

「つ、捕まえたぎゃ!ひぃ、ひぃ、ぜぇ、ぜぇ・・・・・・こ、この!何度も上手く逃げおーせると思ぅただぎゃ!?」

 外では、スライディングタックルでリオを捕獲したディオーネが、せっかくの黒髪をバラバラに乱れさせながら、汗だくになって荒い息を吐きつつ、暴れまくるリオを取り押さえ、猫のケンカのように、取っ組み合いながらごろごろと芝生を転げまわっている。

「じゃ、じゃけん!名札もつけずにハンガーの冷蔵庫に入れといたら、誰のもんかわからんわい!」

「語るに落ちただぎゃ!だったら、名札ついとらんものをどーして食ぅただぎゃ!?」

「一週間もほったらかしにしとったから、駄目になる前に食ぅたんじゃ!」

「その一週間目に見たら、なくなっとったんだぎゃああっっ!!」

 ディオーネ、なにも泣かなくてもいいだろうに・・・。

「訓練のあと・・・教練が終わったあと・・・あれで『おいちい!』するんがうちの楽しみだったっちゅーのに!おみゃーはっ!おみゃーはっっ!!」

「ひつこいんじゃ!そんなに食いたかったら、またハナヱ姉ちゃんにショーギで勝てばええんじゃい!!」

「ぎゃっ!?あいででででっっ!!」

「姉ちゃんの弱点はわかっとるけん!いつまでもやられっぱなしじゃないけぇね!?」

 リオのクローアタックは、ディオーネの胸にがっちりヒットし、委細構わず渾身の力でぐりぐりひねり上げてる。なんて言うか・・・下品なんですが・・・いや、これ以上はまずいか。

「い、痛えっ!痛えっっちゅーとるだぎゃあ!!」

 ほほう、タンクトップ一枚の薄い前面装甲が命取りになったか。胸部中枢にまともにヒットしてるようだな。ははは、しかし、男があれをやったら、まんま変質者だな。

それにしても、リオもディオーネにだけは遠慮がないな。・・・・・・お、どうやら脱出成功か。ははは、逃げろ逃げろ。

「さて、では、こっちに飛び火しないうちに退散するか」

「でも、ふたりを放っておいていいのか?」

「大丈夫だ。姉も、あれで楽しんでやっている。姉妹喧嘩のようなものだ、気にすることはない」

「・・・・・・そ、そうか?まあ、アストラがそういうなら・・・・・・」

「もっとも、リオも正直なのは結構だが、人を見て出方を考えるくらいのことは知っておいたほうがいいかも知れんな。まあ、まだ早いだろうが」

「そうだな、そのうち折をみて教えとこう」

「うむ、では行くか。そろそろこちらに矛先が向くころだ」

「ああ」

 

 

 戦士に必要なもの。それは卓越した技量とそれを支える強靭な力。だが、それだけでは補えないものもある。多くの氏族人は、戦士に余計なものは不要と言う。けれども、氏族人だろうと中心領域人だろうと、大切なものは普遍的ではないかと思う。

 まあ、俺が生粋の氏族人ではないから、そういうことを思うのかもしれない。でも、古の武人には、心技体そろった人格者も多かったと聞く。ドラコにおいて、今なお剣聖として語り継がれている、ムサシ・ミヤモト。そして、カペラ黎明期において、比類なき武勇を轟かせた、闘神マスター・エイジア。

彼らのように、強く、そして大きな心を持つ戦士にリオがなる事が出来たなら、それはきっと、俺にとって一生の誇りになるだろう。

 頑張れ。そして、走れ、正直者。



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赤い狐と緑の狸

「まったく、おみゃーさんも、懲りずによー来るだぎゃ。うちらは別にかまわんだども、これがばれたら、おみゃーさんがまずいことになるんでねーかみゃあ?」

「まあまあ、そこいら辺はうまくやってまっさかい。なんも問題あらしまへんですわ」

「ふ~ん、ま、えーけどもが」

 よう、ひさしぶり。え?食事中だったかって?ああ、気にするな。お前も食ってくか?

「ミキ姉ちゃん!おかわり!」

「うんうん、あんじょう食べて、おっきくなるんやで」

「うん!おおきに!!」

 ん?なにを食ってるかって?ああ、こいつは、ミキがこの間ドラコ相手に商売しにいって、そこで見つけてきたヌードルさな。確か、『ウドン』とか言ってたな。俺達がいつも食ってる、キシ・ヌードルによく似てるが、コシのある太い麺と、魚介類系のダシで味付けしたスープは、あっさりしていてのど越しがいい。

「クルツはんも、おかわりいかがでっか?」

「ああ、じゃあ、もう一杯もらおうかな」

「玉子はかけまっか?」

「ああ、頼む。それと、あれ、あの四角い奴、あれも乗っけてくれ」

「はいな!玉子とお揚げ、月見の狐でんな。あはは、風流やね」

 ミキは、ひとりで楽しそうに笑うと、替え玉を鮮やかな手つきで湯切りすると、手馴れた動作で盛り付けていく。

「はい、クルツはん。おまっとうさん」

「おう、ありがとうな」

 ドンブリ・ボウルをミキから受け取り、これまた、ドラコ直輸入のシチミ・スパイスを振りかけてさっそくいただくことにする。

 この商人さん、ドラコでいいものを見つけてきたとかで、これを氏族世界で売りさばくのだ。などと、また奇矯な事を言い出し、馴染みの客、早い話、いつものメンバーな訳だが、俺達を呼んで試食会を開いている。それはいいんだが、なにもわざわざイレースまで来てやらなくとも、ストラナメクティあたりの方が、リサーチの効果は上がると思うんだけどな。

「なにゆうてはりますのん、いつもみなはんにはお世話になってまっさかい、おいしいもんは、まっさきに振舞うっちゅうんがスジってもんでっしゃろ?」

「なにゆうとるだぎゃ、世話になっとるゆぅたら、うちの実家の方でもおみゃーさんのおかげで、売り上げが昔みたいに伸びてきたゆぅて喜んどっただぎゃ」

「ああ、ムーンキャット・プディングのことでっか。あの猫印ウィロー、あんじょう売れてまっさかいな。ま、ノヴァキャット産と堂々と書けないのが歯がゆいんでっけどな」

「そりゃしょーがねーだぎゃ、ま、うちの父ーちゃんも母ーちゃんも、その辺は納得しとるでよ。にゃーんも問題ねーだぎゃ」

 そうそう、このミキさん。ディオーネの実家で商いしているウィロープディングに目をつけ、さっそくこれの独占販売権を申し込んで、こいつを中心領域のみならず、氏族世界でも売りさばいてるって話だ。

しかしまあ、こいつも、商売のためならちょっとやそっとのやばい橋は平気で渡る、ハイリスク・ハイリターンが服を着て歩いてるようなもんだ。

 ん?この事務所はなんだって?ああ、ここは、ミキが新しい商売拠点として立ち上げた、まあ、言ってみりゃ彼女の経営する支店みたいなもんだ。当然、従業員はノヴァキャットの商人階級や市民階級の人間な訳だが、そこいら辺も、どう上手くやったか知らないが、優秀な人材を確保できたとのことだった。

 しかしまあ、このお姉さん。着々と勢力範囲を広げていらっしゃる、なんともまあ、驚くばかりだ。それと言うのも、この間ドラコとの商談が大成功し、一気に商売が起動に乗り出したらしい。ほら、この間のLAMな。あれの実戦データと機体データ、これがドラコのLAM運用部隊の食指を動かすに十分な代物だったらしいよ。で、売れ筋商品のマッドキャットMK-IIと合わせて発注があったらしい。

 まあ、なんにせよ商売がうまくいってるんならなによりさ。

「それにしても、お祝いの花が結構来たもんだな。ディオーネの実家とうちのクラスター、それと、取引先がひいふうみい……」

「ホンマ、ありがたいですわ」

「ああ、そうだな……って、客か……?」

「ホンマや、誰やろ?まだ営業はしてへんのやけどねぇ……」

 来客をしらせるチャイムに、ミキはそそくさと席を立つと、オフィスに戻っていく。

『あれま!ジークはんやないの!!いややわぁ、わざわざきてくれはったん!?』

 ジーク?

『いまみんなでお昼食べとったんよ、よかったらジークはんも食べてってや!』

『い、いえ……私は、ただご挨拶に来ただけです。ど、どうかお気を使わないでください、スターキャプテン・ミキ』

『んもう、なにゆうてはるのん。うちはもうただの商人なんやから、そない昔のことは関係あらへんって。な?遠慮せんと、ほらほら』

『あっ!ああああ、あのっ、こ、ここ今度是非出直して参ります失礼しますっっ!!』

『あっ!?ちょっとジークはんっ!?』

 ミキの誘いを辞退する声と同時に、リヤカーをひっぱって、逃げるように疾走していくジークの姿が、窓の外に一瞬だけ見えた。・・・なにやってんだ、あのウサギたんは。

「どうしたんだ、ミキ?」

「え?ああ、クルツはん。いやな、せっかくジークはんがご挨拶にきてくれたんやけど、すぐに帰ってしもうたんですわ」

「はあ、なるほど」

「……もう、こない立派な花まで持ってきてもろうたのに、手ぶらで帰してしもうたわぁ。うちとしたことが、とんだ大失敗ですわ」

 いや、確かに立派だな、これは。今までのなかで、一番でかいぞ。

「そういや、あの時ジークの奴、お前のこと、ヴァーミリオン・フォックスとか言ってたよな。もしかして、お前のファンか何かだったんじゃないか?」

「んもう、クルツはんまでそないなこと言ってぇ。うちは、今は一介の商人でっせ?もう飛行機とは関係あらしまへんねん」

「でも、この間、思い切りドッグファイトしてたじゃないか。俺を巻き込んで」

「いやんもうっ、あまりうちをいぢめんでくださいなっ」

 まあ、いいけどな。

「そ、それより、まだ食べたりないんとちゃいます?部屋にもどりまへん?な、な?」

「ん、まあ、いいけど・・・」

 ミキに腕を引っ張られ、休憩室へ戻ろうと歩き出した時、また事務所に客が入ってきた。

「楽しそうおすなぁ、赤い狐はん?」

 この、どこか穏やかな中にも、どこか素直に受け取れない感覚を持たせるこの言い回し。まさか……?

「バビロンの紅狐も、こうなってしもうたらただの女どすなぁ。ま、第二の人生満喫してはるようで、なによりどすわ」

 ブラックホールのように底知れない深みのある黒髪。カミソリの刃を思わせる鋭い目。喪服のような漆黒のスーツの上下に、これまた、かなりけれん味のきつい趣味のほどを思わせる黒紫のルージュをひいた、美人ではあるんだろうが、まるでカラスが人間に化けたかのような女性が、悠然とした様子でこちらを見ていた。

「なにしにきたんや、冷やかしならお断りでっせ」

 ん?

「ずいぶんつれないどすなぁ、せっかく新装開店のご挨拶にお伺いしはったんに」

「ほほう?おのれがそないなことゆうんかいな?なら、茶でも飲んできまっか?漬けもんもコンテナ一杯ありまっせ?」

 おやおやおや?

「ほんなら、茶釜ごと頂きますえ。お漬物も樽ごともってきておくれやす」

「言うやないの、ホンマにもってくるで」

 ふむ?何か知らんが、いいカンジにギスギスしてきたぞ?

「おんどれのこっちゃ、どうせまたうちの邪魔しにきたんやろ。今度はなにやらかすつもりや知らんへんけど、うちが笑っとるうちに帰った方が身のためやで」

 いやいやいや、笑ってない笑ってない。

「あらまあ、怖いどすなぁ。そないにつんけんしとったら、せっかくの化けの皮がはがれてしまいますえ?殿方はんの前で、それはまずいんやおまへんか?」

「じゃかあしいわ!これ以上グダグダ抜かすと、耳から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたるねんど!!ええからとっとと帰らんかい!!」

「おお、こわ。これやから田舎モンは嫌どすなぁ」

「おんどりゃ、いっぺん、本気でいわしたろか?」

「ホホホ、では、ごきげんよろしゅう」

 そして、何しに来たのかわからない、名前すらも名乗らなかったまま、彼女は悠然とした仕草で事務所を去っていった。

「ああもう!けったくそ悪いったらあらへんわ!!」

 彼女が立ち去ったあと、怒りに任せて玄関先に塩をばら撒いているミキをみながら、彼女にしては珍しく攻撃的な態度をとった事実に、俺は半分狐につままれた感じだった。

と、応接間に飾ってある熱帯魚の水槽にふと視線が行った時、俺はそこに映るどうにも違和感の残る魚のチョイスに首をひねり、念のため家主に確認をとってみることにした。

「なあ、ミキ」

「なんでっか、クルツはん」

 まだ感情が高ぶっているせいか、若干言い回しがきつくなっているが、気にせず当初の質問をしてみることにする。

「あの熱帯魚の水槽なんだけどな」

「それがどないしましたか」

「いや、あの中にピラニアが混じってるんだが、あれは大丈夫なのか?他の魚と一緒にしても」

「はあ!?」

 俺の言葉に、心底驚いた表情を貼り付けたミキは、飛びつくように水槽に駆け寄ると、窓ガラスを振るわせんばかりの絶叫を上げた。

「あ゛―――――――っっ!?あのズベタ、やりよった―――――――っっ!!」

「なっ!?ちょっ!おいっ!!」

「なにしてはるのクルツはんっ!早よこいつ取ってぇな!早よ早よっっ!!あ゛――――っっ!ディスカスちゃんがかじられとる―――――っっ!?ネネ、ネオンテトラちゃんが丸呑みに―――――っっ!?」

「なっ!?ま、待ってろ!今すぐ……痛ででででっっ!?あだだっっ!!」

「ぎゃ――――――っっ!!クルツはんまでかじられとる――――――っっ!!」

 

 

 事務所を訪れ、そして応接間の水槽にピラニアを放流して帰って行ったあの女性、実はスノーレイヴンの気圏戦闘機乗りだという。それが何ゆえイレースまで乗り込んできたのか。俺は、なにやらきな臭さを感じさせる事態に、嫌な胸騒ぎを感じていた。

「あのズベタ、絶対許せへん!!うちのクルツはんとお魚ちゃんをこんな目にあわせよってからに!!今度来たら、ハージェル頭からバケツでぶっかけたる!!」

 俺の手や腕に包帯を巻きながらも、怒り心頭のミキを見て俺は小さくため息をつく。結局、水槽のなかで起こったバイオハザードによる被害は、ディスカス3匹とネオンテトラ多数。そして、俺の腕や手指に刻まれた咬傷13箇所だった。それから、あのピラニアは、さっそく鍋で煮られてしまった。

 可哀想に、もしかして、一番の被害者は、アイツじゃないかって気がしてくる。しかしまあ、彼女もいつの間に放り込んだんだ。

「感心しとる場合やあらへんがな!!」

「おわっ!?」

「なにが目的か知らへんけど、このままタダで返すわけにはいかへん!まだその辺におるはずや、追っかけてって……!!」

「おいおい、荒事はよした方がいいぞ」

「そないなこと他の連中ならともかく、うちら金剛鮫がそないな真似しまっかいな。うちらのやり方で、きっちり落とし前つけたりまっさかい!!」

「あっ!?おい!ミキッッ!!」

 俺の傷の手当てを終えると同時に、ミキは小柄な体をひるがえらせて、弾丸のように往来にすっ飛んでっていった。

「クルツ、おみゃー、行って様子を見てくるだぎゃ。さすがに、イレースで他の氏族の連中がもめごと起こした日にゃー、どーにも洒落にならんでよ。リオ、おみゃーも一緒に行ってくるだぎゃ」

 さっきまでウドンをたぐっていたマスターが、俺とリオに下命を言い渡した。もっとも、俺としてもそうするつもりだったから、さっそくミキの後を追いかけることにした。

「よし、リオ、行くぞ!」

「わ、わかったけん!」

 

 

 2人の足取りをつかむのは、実に簡単だった。ミキはともかくとしても、もうひとりのほうは、その特徴の塊のような姿が幸いしてか、聞き込み追跡はことのほかうまく行った。そして、小さな肩を思いっきり怒らせながら、往来を踏みしめるように引き返してきたミキと行き会うことができた。

「ミキ!」

「ミキ姉ちゃん!」

「ん?ああ、クルツはんにリオちゃん。どないしはったんでっか」

「どうしたもなにも、気になったから追っかけてきたんだが」

「ありゃあ……そりゃ申し訳ないことしてもうたね。とりあえず、話はつけてきたさかい、心配せんでもええですわ」

 事務所を飛び出していったときよりは、ある程度落ち着いているようには見えるが、それでもまだ、怒りは収まっていないのは見てすぐわかる。

「ところで、彼女は一体何者なんだ?もし差し支えなければ聞いていいか?」

「ん、あいつはスノーレイヴンの気圏戦闘機乗りで、カーラいいますねん」

「スノーレイヴン!?おい、それって……!」

「あのズベタ、また性懲りも無くうちの商売邪魔しにきよったんや。ホンマ、ムカつくやっちゃで」

 ズベタって、さっきからすげぇ言いようだな。

「うちがまだ現役だった頃の話なんやけど、ハージェルの輸出量と関税のことで、えげつない条件出してきよってな。そいで不服の神判に持ち込んだ時、うちとカーラが気圏戦闘機でガチンコかましたんや。もちろん撃ち落としたったけどな。

 まったく、こないなことになるんやったら、あん時情けなんぞかけんと、いっそ息の根止めとくべきでしたわ。あのズベタ、そん時のことまだ根に持ってはるんや。ホンマ嫌らしいやっちゃで」

 むぅ、あのミキが、ここまでこき下ろすとは。

「せや!クルツはん!!」

「な、なんだ?」

 突然、何かを思いついたかのように表情を輝かせたミキは、俺を引っ張ると路地裏に連れ込んだ。

「クルツはん、いいネタあるんやけど、特別にタダで教えまっさかい、よぅ聞いてや?」

「い、いいネタ?」

 ミキは、辺りをうかがうように視線を巡らせると、声を潜めて話しかけてきた。

「実はな、あの女、レイヴンのウオッチなんや。うち、見ましたねん。あいつ、うちが追いついたとき、本屋でなに買ぅてたと思います?イレースの観光ガイドとロードマップや!そないなもん欲しがるんは、ウオッチ以外の何モンでもあらへんで!?」

 お前は何を言ってるんだ?

「別に普通じゃないのか?それくらい」

「なに呑気なことゆうてはるんや、クルツはん!ウオッチがまず探るとしたら、相手の主要都市の概要や地理条件でっせ!?ふたつとも、まさにうってつけやないの!?」

 なるほど、俺がまだコムガードにいた時、ROMエージェントが氏族のスパイを血祭りに上げたという話をよく聞いたが、与太でも作り話でもなかったんだな。けど、それはそれで、なんだか可哀想に思えてきたよ。

「な!?な!?こりゃやばいで、クルツはん!!ノヴァキャットのためにも、今のうちに危険要素は消しとくべきやで!っていうか、消して」

 おいおい、なに血迷ったこと言い出してんだ。

「せや!クルツはん、スナイパーライフル、タダで融通しまっさかい!あ、それとも、ハンドガンのほうがええでっか?もちろん、高性能サプレッサーもおまけしまっせ!?な?な?どうでっしゃろ!?ナイフも爆弾も、うちの店にはなんでもありまっせ!!」

 ちょっと待ってくれ、なんでそんなに話題が弾む?っていうか、お前んとこじゃ、そんな物騒なモンまで扱ってんのか。

「わかった!!ミキ姉ちゃんに悪さすんなら、そいつ悪モンじゃけん!まかしてつかぁさい!あいつのタマァ、うちがとったるけぇね!!」

「頼もしいなぁ!ええ妹分をもって、うちはホンマに幸せモンや!!」

「ちょっと待てコラ」

「ふぎゃっ!?グ、グーでぶった!?」

「か、顔はやめてぇな!商人の命なんやっ!!」

俺は、二人の耳を容赦なく牽引し、強制的に事務所に連れ戻した。やっぱりこいつら、可愛い顔してても骨の髄まで氏族人だ、ったく。

「あのな、放棄の神判の時、俺達ノヴァキャットはスノーレイヴンには、散々世話になったんだ。いいか、こうして俺がお前達と話していられるのも、スノーレイヴンが海軍を派遣して支援してくれたからなんだぞ?

 俺達ノヴァキャットはレイヴンに恩がある訳だし、ダイヤモンドシャークもそうだが、レイヴンも大事な理解者なんだ。それをお前、イレースに行った調査員が戻らなかったなんて話になったら、キャットの立場は余計悪くなるんだぞ」

「せ、せやかて、クルツはん!」

「気持ちはわからんでもないけどな、でも、お前達シャークだって、俺達ノヴァキャットを毛嫌いどころか、完全に敵扱いしているゴーストベアとうまくやってるだろ。人付き合いはお互い様ってことで、ここはひとつこらえてくれないか?

それにミキ、あいつとは一応話はつけてきたんだろ?とりあえずはその線でいって、それで駄目なら次の手をマスターと相談して考えよう。で、どうだったんだ?」

 俺の説得というか、説教に、ふたりは石をぶつけられた猫のような表情で俺を見ていたが、それでも、どうにか納得はしてくれたようだった。

「あのズベタ、とことんうちの邪魔するつもりや。ウドンに対抗してソバ?しかもマッチャ・パウダー入りで?はっ!高級ならええもんちゃうこと、あのズベタにきっちり教えてやりまっさかい!!」

 どうにも、かなりヒートアップしてるなぁ。

「じゃあ、どうするんだ?」

「きまっとるやないの!神判や!今度の日曜市にお互い出店を出して、どっちがより多くさばけるか、勝負するんや!!」

「へえ、それはウドンとソバでか」

「せや!こうなったらさっそく行動や!今度こそあのスカした面、ぎゃふんと言わしたるさかい!!」

 なるほど、ぎゃふん、とねぇ。さてさて、どうなりますことやら。

 

 

「いらはい!お客はん、なにさしあげましょか~~~!?」

「ようこそおいでやす、ご注文、なんにしましょ?」

 神判の当日、俺とリオはその様子を見に日曜市に出かけることにした。市場全体を対等の環に設定したそこは、物珍しさのせいか、すでに結構な数の人間が集まっていた。

「クルツ、ミキ姉ちゃん、だいじょうぶかのう・・・・・・」

「むぅ・・・この様子じゃ、なんとも言えんな」

 俺達は、予想外の人の集まりように、しばらく遠巻きにその様子を眺めるしかなかった。

「でも、こう言っちゃミキ姉ちゃんに悪いけど、あっちの黒姉ちゃんの売っとるもんも、なんかおいしそうじゃのう」

「そうだな、あのミキと張り合おうとするだけのことはある」

 ミキが商っているウドンは、店の雰囲気からしてドラコの駅前やホーム内でよく見られる、立ち食い店形式なのに対して、カーラの方は、ややゆったりした雰囲気の、いわゆる茶店形式で構えていた。どちらもメニューに工夫を凝らしたらしく、定番はもとより、かけもつけもありという、なかなか凝った感じだった。

「よー、クルツ。やっぱ、おみゃー達も来たんかみゃあ」

「マスター、今回も立会人ですか」

「だでよ、なんかこー、我ながら結構板についてきた気がするだぎゃ」

「そうですね、それに公平かつ厳正です」

「よすだぎゃ、照れるでよ」

 どうも最近、神判と来ると自ら立会人を買って出るようになったマスターは、俺の言葉に心底照れくさそうに苦笑いを浮かべた。しかし、すぐに真剣な表情になると、俺とリオにこう告げた。

「それと、おみゃー達には悪ぃんだどもが、今回は遠慮してくれみゃあ。公平さを保つためだで、ねーちゃん方の売りもんを買うてえーんは、第三者のみに限らせてもらうでよ」

「そうですか。そうですね、わかりました」

「すまねーだぎゃ、ま、神判が終わった後にでも、ゆっくりごちそーになるとえーだぎゃ」

「はい、マスター。それでは、私たちはしばらく時間を潰してきます」

「おー、そーしてくれみゃあ」

「では、マスター、私たちはこれで失礼します。行こうか、リオ」

「う、うん……ほいじゃ、ローク様、失礼します!」

「おー、クルツになんぞえーもんでも買うてもらうとえーだぎゃ」

「は、はい!」

 さてさて、立会人がこう言ってる以上、俺達の出る幕はない。さて、どうなりますことやら。

 

 

 

 そして夕方、再び出店のある一角に戻ってきた時には、時間ということもあり、あれだけいた客はもうまばらになっていた。

「マスター、状況はどうなっていますか?」

「ん、帰ったんか。まー、見てのとーりだぎゃ。だいたい似たよーな売れ行きだったで、今最後の客待ちだぎゃ。時間もそろそろだで、そんあとで集計と判定だでな」

「そうですか」

 なるほど、それなりにいい勝負。といったところか。しかし、この時間、食事時とはいえ、そろそろ市場もお開きになるから、人々も三々五々帰り支度を始めている。わざわざ外で軽く食べるような時間でもないし、それぞれの自宅で夕食を食った方がいい時間でもある。むぅ、どうなるのやら。

「あれ、クルツさんじゃないですか。リオちゃんも一緒で、どうしたんですか?」

「え?あ、准尉?今日も出勤だったんですか?」

「ええ、あのときの火事で仕事が遅れた分、いろいろ済ませておかなければならないことがあったものですから」

「大変でしたね」

「ええ、もうクタクタですよ……って、あれ?」

 休日出勤帰りの准尉は、空気にただよう香りに、その形のいい鼻をかすかに動かした。

「えっ?ここにもおそば屋さんがあったんですか。懐かしいなぁ」

「ええ、なんでも、味勝負ってことらしいですが」

「へえ、そうなんですか。あ、もしかして、『神判』ってことですか?」

「ええ、そうですよ。さすが、察しがいいですね」

「そ、そうですか?へへっ、これでも、氏族社会については勉強していますから」

 なるほど、そうですか。

「そうだ、氏族の方が作ったおそば、食べてみようかな。ちょうどおなかもペコペコだし。クルツさんも一緒にどうですか?」

「すみません、実は私の知り合いが神判に望んでいるので、私は控えるようにと、マスターから下命されているものですから」

「そ、そうなんですか?じゃあ、しかたないですね」

「そうだ、私のことは気になさらず、准尉はぜひ行ってきてください」

「そう、ですね……わかりました、それじゃ、私、ちょっと行ってきます」

 准尉がそう言って、出店に向かって歩き出した時、マスターが、何かを閃いたと言う表情で呼び止めた。

「ボカチンスキー准尉、おみゃあさん、腹はたいがい減っとるかみゃあ?」

「え?ええ、まあ、それなりに……」

「そいじゃ、ちっと頼みてーことがあるだぎゃ。あのふたりの出しとるウドンとソバ、2つとも食べ比べをしてもらえんかみゃあ?本場もんの舌なら、これ以上ねーくらいの審査結果になるでよ。の?いっちょ頼まれてほしーだぎゃ」

「ええっ!?に、2杯も……ですか?」

「駄目かみゃあ?」

「准尉、私からもお願いします。食べ切れなければ、試食程度でもいいですから。それに、ここに処理係がいますし、残してもなにも問題ないですよ」

「処理係って、うちが?」

 俺の言葉に、リオは憮然とした表情で見上げてくる。

「む~……わかりました。そこまでおっしゃられるなら、私としても断れません。そのお申し出、お受けします」

「おお、すまねーだぎゃ。ほんとに助かるでよ」

 准尉の承諾を取り付けたマスターは、彼女を伴って出店に向かうと、彼女達に審査方法の変更を告げていた。

「と言う訳だぎゃ。お互い1杯ずつを彼女に食ってもらって、彼女が上手いと言った方の勝ちにするだぎゃ」

「そうでんな、このままやと食材の質が落ちるだけでっさかい。うちはかましまへんよ」

「まあ、そう言わはるんなら、うちもかまわんどすえ」

「なら決まりだぎゃ」

 さてさて、これは面白くなってきた。どうなるかな?

 

 

「かけ一丁、おまっとうさん!」

「おまたせどす、ご注文のかけどすえ」

 ほうほう、両方ともかけで注文したか。確かに、余計なものが入っていない分、純粋に味の判断をつけることができる。さすが、通と言うかなんと言うか。

「ありがとうございます。では、いただきます」

 准尉は、丁寧に両手を合わせてふたつのドンブリ・ボウルに一礼すると、ゆっくりと食べ始めた。

「……………」

 それぞれ一口食べただけで、准尉はすぐにハシを置いてしまった。いったいどうしたんだ・・・・・・?

「貴女達、これはどういうつもりなんです?」

「へっ?ど、どういうつもりって……」

「な、なんぞあったんどすか……?」

 突然、口調が硬く、そして鋭くなった准尉の異変に、ふたりはかすかに戸惑いの色を浮かべている。いや、まあ、だいたい見当はつく。

「貴女達、追い出汁は?」

「はぁ?お、オイダシ……でっか?」

「それと、昆布や椎茸は当然、加えているのでしょうね?」

「・・・・・・コ、コンブ?」

「シイタケ……って、な、なんどすか、それ」

 もはや詰問ともいえる准尉の言葉に、戸惑いながらもどうにか答えた2人の言葉を聞いた瞬間、突然准尉の目が稲妻めいて険しくなった。

「そんな事も知らずに、貴女達は饂飩や蕎麦を人様に商っていたのですか?饂飩や蕎麦の味は麺のみに非ず、たとえ麺のみ本物を使ったとしても、肝心の出汁がお粗末では話になりませんよ?確かに、オリジナルの味に近づけようとした努力は買いましょう。しかし、これでは所詮、近い味にしていると言うだけのもの。この程度、本物の足元に到底及びませんよ?」

「なっ!?ちょ、ちょっと、どういうことでっか!?」

「そ、そうどす!いくらドラコのお人やゆうても、それは聞き捨てならんどすえ!!」

 当然、ふたりの抗議の声が上がるが、准尉は深々と嘆息しながらかぶりを振った。

「確かに私は料理人ではありません、それでも、合成調味料と本物の御出汁の違い位はわかるつもりですよ?貴女達、麵つゆにこともあろうに出来合いの調味料を使いましたね?」

「あ、いや、それは……まあ」

 思いもしない指摘事項に、ミキもカーラも歯切れが悪くなる。それはまあ仕方あるまい。ふたりとも料理人かと言われれば答えは否だ。それに、市場での立ち食いともなれば、そんな手間かけてられるかと言うのが実際の所だろう。

「確かにこのままでも、氏族の方々に対しては受け入れられる余地もあるでしょう。しかし、簡便なスープの素のような代用調味料で味をつけただけのものでは、ドラコにおいて受け入れられる事は到底ありえませんよ?ましてや、テラにおいては見向きもされませんね」

『テッ、テラ……ッッ!?』

 准尉の叫んだ、テラという言葉に、ミキとカーラはそろって上ずった叫びを上げる。無理もない。氏族人にとって、テラとは永遠の魂の故郷のようなものだ。それを引き合いに出され、反論の余地があるとは思えない。

 しかし、准尉。テラに行ったことがあったんだな。そういや、忘れていたけど、彼女も、ルシエンに帰れば、いわゆる『いいとこのお嬢様』って奴だったのを、ケロリと忘れていたよ。

「いいですか?これは饂飩にあって饂飩に非ず、蕎麦にあって蕎麦に非ず、です。ドラコの立ち食いでさえ、出汁には店としてのこだわりを注ぐのです。にもかかわらず、貴女達はインスタントやレトルト同然のものを出した。貴女達が饂飩や蕎麦で勝負をしていたとおっしゃる以上、『本物』でなければ意味はありません。そして、この程度のものを饂飩や蕎麦だと吹聴されることは、ドラコのいち臣民として到底許容はいたしかねます。私の言う事に不服があるのなら、おのおの饂飩の何たるか!蕎麦の何たるかを学び尽くしてから、幾らでもお伺いしましょう」

 あ~あ、ハナヱさん、言っちゃったよ。まあ、最初に御馳走になった時、俺もそう思ったが、ファストフード的な扱いならまあいいかと思って、あまりうるさい事は言わなかったんだけどな。

「と、言う訳だで。この勝負、仕切り直しちゅうことで、ふたりとも、もっと研究し直してから、ということだでな。

 スターキャプテン・ロークの名において、我の持つ権限のもと、ここに宣言する!この神判は無効、再度機会をもつものとする・・・・・・だでよ」

 マスター、アンタって人はほんとに……まあ、仕方ない。准尉がキレ散らかした時の始末に負えなさ加減は、実際にマスター自身も目の当たりにしている。特に、今みたいに静かにキレるのは、彼女に限らず大抵洒落にならない兆候だ。彼女が手にしている紫の袱紗に包まれた、巫王村雨がその秋水白刃を閃かさないうちに、強制的にでも場を収めたほうが、確かにみんな幸せではある。

 まあ、こんなとこだろうな。

 

 

「いやぁ、これやから、中心領域のお人は苦手でっさかい。これじゃ、うちらまるで田舎モンや」

 まるで、じゃなくて、まんまなんだけどな。まあ、それを言うのは酷ってモンだ。で、あのあと、俺達は慰労会をすることになった。

 あのスノーレイヴンのカーラは、あの場から姿を消してしまっていた。まあ、良くも悪くもしぶとそうな根性の持ち主だ。どうせそのうち、またミキに嫌がらせをしにくるのは目に見えている。

「まあ、あのズベタが本気でしょげかえってるんを見れただけでも、うちは大儲けや。まあ、それはそうと、もう一度ドラコに行って、今度こそ完全なレシピを手に入れんとね」

「そうだな、頑張れよ」

「はいな!そいでもって、めっちゃおいしいウドン、まっさきにクルツはんにご馳走しまっさかいな」

「う、うちも食べたい!!」

「うんうん、ええよええよ。リオちゃんにも、うちが腕によりかけておいしいもんご馳走しようなぁ」

「ほ、ホンマ!?やった!!」

 むう、なんかミキがからむと、いつもこんなパターンだな。ディオーネやマスターはすでに酔い潰れて、その辺にひっくり返ってる。麺類と酒の組み合わせは最悪と言うのを知らなかったのか。それと、准尉はあのあと、言い過ぎたかと気まずくなったみたいで、逃げるように重営倉に帰ってしまった。アストラは……まだ食ってる、よっぽど気に入ったんだな。

 まあ、今度は珍しく、平和に事が運んで何よりだ。我らの神に、敬意と信仰の極みを、だな。



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鬼は外福は撃ち

『チームブラボー!応援を頼む!!こっちはもう持たない!!』

『なんとしても持ちこたえろ!ここを突破されたら終わりだぞ!』

『応援は!?味方はいないのか!』

『駄目だ!俺達だけで踏ん張るしかない!』

『畜生!戦力に差があり過ぎる!』

『アガッッ!』

『しっかりしろ!メディック!どこだ、メディィ――――ッック!!』

『くそっ!誰でもいい!応答してくれ!』

 殺気じみた怒号と、自動小銃の貴智凱じみた銃声が、夜のしじまに絶え間無く炸裂する。

『MGはどうした!?なんで黙ってる!!』

『さっきの突撃でやられた!気をつけろ、後ろに回られたぞ!!』

『畜生!畜生畜生ォッッ!!』

『わああああああっっ!!』

『ぎゃああっっ!!』

『た、助けて!助けて!!』

 悲痛な叫び声が、夜の闇を通して響き渡る。俺達は、助けに走りたい気持ちを無理矢理押し殺して、ひたすら司令部を目指してひた走る。

「私が、私があんなこと言わなければ……私が……!」

 蒼白になった表情で、ハナヱ准尉が震える唇の隙間から声をもらす。

「今はそんなことゆぅとる場合じゃねーだぎゃ!ほれ、ボカチン!立つだぎゃ!!グズグズしとると奴らに見つかるでよ!!」

 力なくへたり込んだ准尉を、ディオーネが叱咤しつつ引き起こす。くそ、なんてこった。彼女は、もう駄目だ。

「わあっっ!?」

「リオッ!大丈夫か!?」

 鋭い衝撃音と共に、流れ弾にヘルメットを弾き飛ばされたリオが悲鳴と共にひっくり返る。だが、見た目かなり目を回した様子ながらも、すぐさまサブマシンガンを抱えて立ち上がる辺り、さすがといったところだ。

「だっ、だだ大丈夫じゃけん!流れ弾がかすっただけじゃ!!」

「気をつけろ!俺の側から絶対離れるなよ!!」

「う、うんっ!」

「見つかった!こっちに来るぞ、走れ!!」

 叫び声と共に、アストラは自動小銃をフルオートで乱射し、接近してくる相手の動きを牽制する。俺は、リオにヘルメットを被せ直し、俺の陰にかばうようにして走り出す。

「そういえば、マスターは!?」

「わからん!途中ではぐれた!!」

 振り向きながら自動小銃を撃ちまくりつつ、俺とアストラはいつの間にか姿が見えなくなったマスターの消息を尋ねあう。あの人のことだ、無事だとは思うが。

『ぎゃあああぁっっ!!』

 またもや、突撃に失敗した戦士達の断末魔の悲鳴が上がり、そのたびに、銃声の数が確実に減っていく。

畜生、ここは、地獄だ。

 

 

「よー、ボカチン。めっきり寒くなっただどもが、カゼとかひーとらんかみゃあ?」

「え……ええ、まあ、なんとか……」

 冬の足音も本格的になってきた今日この頃、最近では夜もめっきり冷え込むようになり、未だ重営倉暮らしを解除されないハナヱ准尉を気遣い、俺達は毛布と電気アンカの差し入れをしに彼女の元をおとずれた。

「ふはは、おみゃー、まるで『ダルマサン』みてーだぎゃ」

「し、しょうがないでしょうっ!テントの中で火気は厳禁なんですから……!」

 ハナヱ准尉は、ありったけの衣類と毛布に身をくるみ、それでもテント布一枚を通して浸透して来る厳しい冷気にガタガタ震えながら、頭からすっぽりかぶった毛布の塊となった姿で、底冷えする寒さと戦っていた。

「むはは、そーかと思ってほれ、追加の毛布と電気アンカだぎゃ。あったけーコーヒーも持ってきただぎゃ、ちったあ足しになるでよ」

「あ、ありがとうございますっ!」

 さすがに、じわじわと容赦なく体内を蝕んでいく冷気には勝てず、ハナヱ准尉は、一も二もなく素直に礼を言うと、ディオーネが差し出したぬくもりグッズを抱きしめた。

「なんちゅーかまあ、ずいぶん高くついたスルカイだぎゃ。そろそろ解除されてもええころと思うけどもがみゃあ」

「仕方ありません、大勢の方に大怪我をさせてしまったのは事実なんですから」

 ハナヱ准尉は、追加の毛布にくるまり、電気アンカを抱きしめながら諦めきった表情を浮かべている。

「ああ、そうそう。これ、こいつの予備のバッテリーだぎゃ。使い切る前に、クルツなりリオ介なりに充電を頼んどくとえーだぎゃ」

「すみません、なにからなにまで」

「気にするこたぁねーだぎゃ、ま、ここで凍死でもされた日にゃー、洒落にならねーだで」

 ケラケラと無責任に笑いながらも、ディオーネは魔法瓶のコーヒーをカップに注いで、ハナヱ准尉にすすめている。他で思われているより、彼女は細やかな気配りが出来る女性だ。ただ、普段の言動がそれを打ち消してなお余りあると言う訳なんだが。

「どれ、ここで寒みぃ寒みぃゆうててもせんないことだしが、ボカチン、なにかドラコでやっとる冬の行事の話でも聞かせるだぎゃ」

「冬の行事、ですか……?」

「だでよ、いろいろあるだぎゃ?『オーミソカ』とか、『オショーガツ』とか」

「それは行事と言うより、習慣ですよ。そうですね、冬の行事って言ったら……節分とか、かな……?」

「セップン?なんだぎゃ、そりゃ。みんなでキスでもしてまわるんかみゃあ?」

 中途半端なドラコ語の知識で頓珍漢なことを言うディオーネに、ハナヱさんは疲れた表情を浮かべる。

「何言ってるんですか。接吻じゃなくて節分です、節分って言うのは、厄除けの儀式で、鬼を追い払うことで災いを追い出し、代わりに福を招くためのものなんですよ」

「オニ!?オニっちゅうたら、オーガのことだでよ!なんだか話が物騒になってきただぎゃ、ドラコにはそんなバケモンが本当にいるんかみゃあ!?」

「え……?なにを言って……」

 准尉の言葉に、心底驚いた表情を浮かべたディオーネに、准尉は一瞬怪訝そうな顔をして見せたが、すぐに、なにか思いついたような様子で、いたずらっぽい笑いを小さく目元に浮かべた。

「ええ、そうですよ。鬼というのは、そうですね、ここで言うエレメンタルの方々と同じくらいの体格で、頭には牛のような角が生え、猪のような牙を持っているんです。岩や鋼をも砕く怪力を持った赤鬼や、知略とスピードに秀でた青鬼がいるんです。

 彼らは、テラにおいて、私達ドラコ国民の故郷であるヤーパンに住む魔族達で、男の生皮を剥いで八つ裂きにし、女を犯し魔族の子を孕ませ、赤子を生きたまま喰らう、最凶最悪の魔物です。ヤーパンでは、それら鬼を撃退し、駆逐するための軍事演習を、毎年2月3日の日に国を挙げて執り行っていたんです。節分とは、銃後の女子や子供達が、戦士達の精神を学ぶため行う儀礼行事。と言う訳なんですよ」

 へえ、そんなイベントがあったとは。さすがはドラコの故郷、東洋の神秘ヤーパンだ。俺も初めて聞いたわ、知らねぇぞ、どうなっても。

「こんばんは、失礼しますよ?」

 どわっ!?イ、イオ司令っっ!?

 突然テントの中に入ってきたイオ司令は、いつもの柔和な笑みの中に、並々ならぬ興味を輝かせている。

「近くを通りかかったら、何か興味深いお話をされていたようでしたので。失礼とは思いましたが、一部始終をお聞かせさせていただきました。よろしければ、そのお話、もっと詳しくお聞かせいただけますか?」

「ひぇっ!?あ、あのっ!りょ、了解しましたっっ!!」

 さあどうすんだよ、と成り行きを見守っていたが、真剣な表情の中にも、年頃の少女のように輝く興味の光を溢れんばかりにたたえた目を前に、ハナヱさんはしばらくの間、罠にかかった兎のように無言で唸りながら身をよじらせて懊悩している。恐らく、彼女の中では、

『あれはディオーネさんをかつぐための与太話です』

 と言うか言うまいか迷っているのだろう、そして、それを言ったが最後、確実に目の当たりにするであろう落胆、失望、怒り、ああ、怒るのはかつがれたディオーネな。まあ、それはともかく、それらを回避する術を必死になって探しているんだろう。

 俺としちゃあ、正直に白状した方がいいと思うんだけどね。

 

 

 その数日後、月も変わり、2月に暦が変わったある日、部隊内での白兵戦演習を執り行うことが急遽決定されたことが、クラスター内部の掲示文書に基地司令付けで内示された。

 内容としては、部隊を急襲したエレメンタルを、小火器装備のみで撃退する。と言う、まともな神経で聞いたら、無謀以前に自殺行為以外の何物でもない内容だった。

 レギュレーションでは、エレメンタル側は2人。掃討し損ねたものが基地に侵入、白兵で強襲をかけたという設定だった。そして、迎え撃つ側も、突発事態のため、使用火器はハンドガン、サブマシンガン、ショットガン、そして、口径が7・62ミリ以下の自動小銃および分隊支援機関銃のみという、フル装備のエレメンタルを相手とするには、豆鉄砲としか言いようのない、かなり絶望的な装備しか許可されないといった状況だった。

 もちろん、双方実弾を使用する訳ではない。弾薬は、強化ラバー弾を使った暴徒鎮圧用の実包であり、当たり所によってはかなりの重傷を負うが、一応はアンリーサルウェポンとなっていた。しかし、エレメンタルの持っている武器が、これまた問題だった。

 一応、設定上飛び道具は携帯していないものの、近接格闘用の得物を持っているという状況設定により、エレメンタル同士が格闘教練で使用するトレーニングスタッフを装備すると言うことになっていた。

 いや、教練用だからといって馬鹿には出来ない。シャフトは頑丈な金属の棍棒だし、打撃部分の発泡ウレタンを強化ゴムできつく締め上げるように巻いた代物だ。生身の人間がこいつで思い切りぶん殴られでもした日には、運が良くても脳震盪は確実、下手を打てば脳挫傷は免れない。

 クラスターは、この前代未聞の軍事演習に、全ての兵科の隊員達が色めきだち、慌しく準備を進める雰囲気で覆いつくされた。しかも、厄介なことに、この演習は基地が襲撃されたと言う設定のため、俺達整備班の人間もこの演習に参加することになった。というより、早い話が、この基地で勤務している人間全員が、エレメンタル2人を撃退するための戦力として駆り出されることになったって訳だ。

 

 

 って言うのが、今回の騒動のいきさつ、って奴だ。そして、いよいよ演習本番となり、開始早々、当初のレクレーション気分は、アカ・オニ役のトムとアオ・オニ役のマイクの、2人のエレメンタル達の必要以上の張り切りと頑張りようにより、実戦さながらの阿鼻叫喚の地獄絵図に変わるのは、ものの10分とかからなかった。

 氏族の演習と言うのは、中心領域の連中みたいにあらかじめシナリオなんて上品なものは用意されちゃいない。お互いに与えられた状況設定だけを頭に入れ、あとは双方死力を尽くして激突する。

 もちろん、演習で死人が出るなんてこともざらにある。氏族人にとって、演習も戦闘のひとつであり、決してお定まりのお勉強コースなどではないと言うのは、確かに言える。

 しかし、これはいくらなんでもやりすぎだ!

「わ、私が、私が正直に言わなかったからこんなことにっ……どうしよう!どうしようどうしようどうしようっ…………!」

 すでにパニック寸前の准尉は、走りながらも半ベソ顔で取り乱しかけている。自分の発した不用意な言動が、この未曾有のパニックを生み出したことに、生真面目な性格が自責の念のエレクトリカルパレードとなってかなり混乱状態に陥っている。

「そんなこといまさら言ってもしかたねーだぎゃ!!早いとこ司令部まで行って、イオ司令に洗いざらい白状して、どうにかまとめてもらうしか方法はねーだぎゃ!!」

 状況が状況だけに、ディオーネもいつもの毒舌を吐く余裕もない。しかも、四方八方から流れ弾がすっ飛んでくるこの状況下で、落ち着いて話などすることなど不可能なのは、すでにわかりきった事実以外の何者でもない。

『後退しろ!ここはもう持たない!!』

『誰か!予備のマガジンをくれ!!』

 ほんの数十メートル離れた向こうで、突進してくるエレメンタルに向けて、数名の戦士達が自動小銃を乱射しているのが見える。周囲に転がり、うめき声を上げている人数を見ると、おそらく分隊規模のチームだったようだが、瞬く間にそれは1人減り、2人減りして、とうとう最後の1人を残すのみになった。

『来てくれ!シュタイナー!!来てくれ――――っっ!!』

 他の分隊にいるのであろう同僚の名を叫びながら、彼は明らかに非力とわかるサブマシンガンを、迫り来るエレメンタルに向けて乱射する。まずい、いいからもう逃げろ!!俺がそう叫ぼうとした瞬間、真紅にペイントされたエレメンタル・バトルスーツが、その手に構えたトレーニングスタッフを高々と振り上げるのが見えた。

『うおおぉぉ――――っっ!シュタイナァァ―――――――――――――――ッッ!!』

 それこそ一撃で吹っ飛ばされ、彼はボロ雑巾のように宙を舞い、見ていて気の毒なくらいしたたかに地面にたたきつけられた。しかし、そこで人並みに硬直している暇なんて無かった。俺達に気付いたエレメンタルが、こっちに向かってきたからだ。

「わっ!わわっ!!きっ、きき来たけんっ!来たけんっ!クルツゥゥッッ!!」

 先ほどの凄惨な衝撃映像を目の当たりにした余韻も冷めやらないリオが、小刻みに震える細い腕ですがり付いてくる。

「クルツ!ここは俺が食い止める!!姉さんと一緒にふたりを連れて、早くスターコーネルの所へ!!」

「アストラ!無茶だ、俺も残る!!」

「ストラバグ!状況を考えるんだ!!姉さんひとりでは准尉とリオをカバーできん!彼女の状態を見てわからないか!?」

 確かに、この際取り繕ってもしかたがない。早い話、ハナヱさんはもうまったく使い物にならない。

「わかった、すまない、アストラ!先に行く!!」

「ああ、ケレンスキーとトーテムの加護あらんことを!!」

 

 

 自ら捨石となって俺達の血路を開いてくれたアストラのおかげで、俺達4人は、野戦司令テントまであと6ブロックのところまでたどり着いた。しかし、無線から聞こえてくる状況では、防御側の戦力も、あとは絶対防衛ラインを残すだけとなり、今現在、予備戦力部隊が交戦中とのことだった。

「もう少しだ!リオ、准尉、大丈夫か!?」

「う、うちは大丈夫じゃ!でも、ハナヱ姉ちゃんが……」

 走りづめで荒れる呼吸を整えながら、状況を確認しようと立ち止まったときだった。

「ぐははははっっ!!見ぃつけただぎゃああああああああっっ!!」

「おわっっ!?」

「わっ!わあああっっ!!」

 突然、模擬陣地として積み上げられていた土嚢を蹴散らして、凄まじい土埃と共に真っ青にペイントされたエレメンタル・バトルスーツが現れた。しまった!マイクに追いつかれていたのか!?

「ぬぅありゃあああああああああああああっっ!!」

 素早く背後に回りこんでいたディオーネが、トード・バトルアーマーの後頭部に、凄まじい撃発音と共に、自動小銃の零距離射撃を叩き込むように乱射して火花を散らさせる。

「おみゃーの相手はうちがしてやるだぎゃ!どっからでもかかってくるでよ!!」

「ディオーネ!無茶はやめろ!!」

「たーけ!!おみゃーは早よチビ介とボカチンをつれていくだぎゃ!!」

「ディオーネ!!」

「弟にばっかり苦労はさせんだぎゃ!うちにも姉ちゃんの意地ってもんがあるでね!」

「すまない!ディオーネ!!」

「ぬおっっ!?逃ぃがさんだぎゃあああああっっ!!」

「クソたーけ!!おみゃーの相手はうちがするゆぅただぎゃ!!」

「どぅおっっ!?」

 モリタ式コンポジットライフルのオプションレイルに着装した10番ゲージショットガンを続けざまに乱射し、顔面に次々と直撃を受け、さしものエレメンタル・バトルアーマーも一瞬動きを止める。

「散弾ではなぁ!!」

「うるせー!くそたーけ!!」

「ディオーネ姉ちゃんっ!?」

「振り向くな!!走るんだ、リオッッ!!」

 凄まじい銃声と怒号を背中に聞きながら、俺は准尉の手を引っ張り、リオをせかしつつ、後ろ髪を引かれる思いでその場を全速力で離脱した。

 

 

「頑張れ!あともう少しだ!!」

 ヒステリックな銃声と、不気味なうなりを上げて飛び交う曳光弾の不吉な光の間をかいくぐりながら、とうとう3人まで減ってしまった俺達は、司令部テントの明かりが伺い見える地点までたどり着いた。しかし、無線から聞こえる状況は、もはや絶望的なものしか聞こえてこない。

『こちらチームアルファ!スターキャプテン・サンダースがやられた!スターコマンダー・リックが引き継ぐ!オーヴァー!!』

『こちらチームズールー!もう俺ひとりになった!最後の通信だ、これから突貫する!!』

『チームラムダ!応答しろ!!くそっ!全滅したのか!?』

『こちらチームデルタ!残存戦力をまとめ、チームチャーリーと合流後、突撃を開始する!これが最後だ、オーヴァー!!』

 マイクとトムの迎撃に残存する班が集結しているということは、恐らくディオーネはやられたんだろう。そして、どれもこれも、まともな部隊行動を保っているところはひとつもない。スターコーネル・イオ、貴女は今、どんな気持ちでこの無線を聞いているのですか。

 そして、俺たちにも、皆と同じ運命が舞い降りようとしていた。

「ク、クルツ……ッッ!!」

 心底引きつった声を上げて、リオが俺にすがり付いてくる。その前には、こともあろうに、ふたりそろったエレメンタル・バトルアーマーが月明かりに浮かび上がり、俺達の前に立ちふさがっていた。こいつら、いつの間に。

「畜生、これまでか」

「ど、どないしようっ、クルツッッ!?」

「リオ、良く聞け。今度は、お前が准尉を連れて司令部まで走るんだ。奴等を俺が食い止める。絶対に5分は持たせて見せる。いいな?」

「クッ、クルツッッ!?駄目じゃ!やられてまうけんっっ!!」

「これしか方法がないんだ、早く行け」

「嫌じゃ!うちもクルツと一緒に戦うけん!!」

「駄目だ。それにリオ、今ハナヱさんを守り、司令のところまで連れて行けるのは、リオ、お前しかいない。お前だけにしか頼めないんだ。お願いだ、頼りにしている。ハナヱさんを連れて行ってくれ」

「わ、わかったけん!」

「ああ、頼んだぞ、リオ」

 リオは、にじみ上がった涙を拭うと、放心状態の准尉の手を引っ張って駆け出した。

『女子供だからって逃がさんだぎゃああああっっ!!』

 まるでステレオのように叫びながら、走るふたりを捕まえようとするエレメンタル達に向けて、俺は自動小銃の弾幕をお見舞いした。

「勘違いするな!この俺が、お前らふたりまとめて相手してやると言ってるんだ!!」

「ぬはは、面白れーだぎゃ」

「よーゆぅたでよ」

 マイクとトムは、じわじわと俺に向かって距離を詰めてくる。怪我で済むかな………いや、すまねぇだろうなぁ。畜生。だが、俺はリオと約束した。必ず5分はこいつらを足止めしてみせる。母さん!マティ!俺に力を!!

 そして、目覚めよ、その魂!!

「おー、クルツー。こんなとこにいたんかみゃあ。たいがい探したでよ~~~~」

 不意に、その状況からは明らかに場違いな、暢気きわまる声がしたと思ったら、なにやら凄まじい大きさの荷物を背負ったマスターが、ひょっこりと現れた。

「いや~、こいつを取り外すのに、たいがい苦労しただぎゃ。おみゃーがいつもたやすくやっとるから、簡単かと思ぅとったどもが、けっこう技がいるもんだみゃあ」

「ま、マスター!それ、バルカン!?」

「おお、これかみゃあ。だいじょーぶだで、口径は7・62ミリだしが、弾もこめなおしてきただで、レギュレーションにゃー違反しとらんでよ」

「い、いや、そういう問題じゃなくて!」

 冗談だろう?ドラム缶ほどもある弾倉を背中に軽々と背負い、駆動モーターをスポーツバッグのように左脇に引っさげ、バルカン本体を右脇に腰だめに構えた姿で、小型クレーンでもなければ到底持ち上げられないようなミニガンユニットを、マスターは、それら全てを体中に巻きつけて、得意げな表情でひょこひょこと近寄ってくる。

「ほれ、クルツ。危にゃーでよ、どいとくだぎゃ」

「え………おわっっ!?」

 リオと准尉の頭を押さえて地面に伏せた瞬間、ジェットエンジンの作動音に似たモーター駆動音と共に、マフラーが外れた自動車を思い切り空吹かしさせたような轟音が夜の空気を引き裂き、火炎放射器のような凄まじいマズルフラッシュが周囲を照らし上げた。

「だはははっ!鬼はー外――っっ!福はー撃ち――っっ!っだぎゃ―――――っっ!!」

『ギッ!?ギィニャアアアアアアアアアアアア――――――――――――――ッッ!!』

 火山の噴煙のような凄まじい爆煙と、装甲を乱打する耳をつんざくような衝撃音に包まれたマイクとトムは、予想外の秘密兵器の登場とその威力の前に、全身の装甲から凄まじい火花を炸裂させて、悲鳴を上げながら踊るような姿で悶絶している。

 1秒間におよそ100発もの銃弾を発射するミニガンの前に、ふたりは体をのけぞらせ、その爆発的な瞬間圧力の直撃の前に、身動きひとつ出来ない状態になる。あの分だと、間接部分の非装甲部にもかなりの数が直撃しているはずだ。

 メックやヘリから瞬間的に掃射されるのではなく、直接弾幕を集中させられているのだ。いくらエレメンタル・バトルアーマーとは言え、貫徹こそしないものの、毎分六千発もの連続的な掃射の直撃を浴び、その内部に響き渡る轟音と衝撃は、到底防ぎきれるはずがないだろう。

「むははははっ!ほーれほれっ!鬼は――外―――っ!!福は――撃ち―――っっ!!」

 生身の人間なら、まともに構えるどころか、そのマズルエナジーで吹っ飛ばされてしまうほどの威力をもったミニガンを、マスターは生身の体ひとつで支えている。その足元は、かかとが地面にめり込みかけているが、その逞しい両足はしっかりと地面を踏みしめ、少しも揺らいだりなどしていない。

 バルカン本体からは、凄まじい数の薬莢が噴き出すように吐き出され、一瞬のうちにマスターの足元に金属のじゅうたんを作り上げると、真鍮独特の澄んだ音色を奏でている。

 マスターは、破邪顕正の呪文を心底愉快そうな声で唱えながら、まるでホースの水をひっかけるかのように、気楽かつ楽しそうにエレメンタル達に銃弾を浴びせ続けていた。

 そして、数分後、弾切れと共に、カラカラと余韻を残しながらバレルを回転させるミニガンの銃口の先には、まるで砲撃の爆心地のようにえぐり飛ばされた地面の中に、細かく痙攣しつつ、折り重なって倒れているマイクとトムがいた。

 

 

「ったく、おみゃーの与太のせーで、どえりゃーめにあっただぎゃ」

 新居祝い、と言う訳でもないが、俺達は晴れて戦士階級宿舎に戻った准尉を訪ねてみることにした。そして、鼻の頭にでかい絆創膏を貼り付けたディオーネは、新しく支給されたハナヱ准尉の宿舎に押し入るなり、その冷蔵庫から、ケーキやらプリンやら、めぼしいものを引っかき出すと、さっそくのようにがつがつと食い荒らし始めた。

「も、申し訳ありません……」

 さすがに彼女、今回ばかりは反駁する元気もないらしく、せっかくの買い置きがディオーネの胃袋に消えていくのを黙って見ている。

「まーまー、准尉もそんなにしょげるこたぁねーだぎゃ。俺はけっこう楽しかったでよ。スターコーネルも、この演習の効果についちゃー、どえりゃー満足しとったし。ほれ、だからこーして、ちゃんと宿舎に帰ってこれただぎゃ」

「は、はい………」

 マスターのとりなしにも、准尉は心底申し訳なさそうにうなだれている。クラスターを恐怖と混乱のどん底に叩き落した冬季白兵戦演習。幸い、死亡者はでなかったものの、重傷6、軽傷23とけっして軽くない被害が出たにもかかわらず、スターコーネル・イオは、戦士達の白兵戦能力の不足を認識し、演習で得られたそれら様々な結果についていたく満足し、さっそく訓練カリキュラムの見直しを図ることにしたそうだ。

 しかしまあ、准尉も今回ばかりはやらかしてくれた。仲間内同士でやり取りする与太ならともかく、上司に対してそれをやらかすとエラい事になるのは当然の帰結だが、今回それが滅茶苦茶洒落にならない規模でキックバックしてきたわけだ。

 しかし、彼女が絡むと、どういう訳か騒ぎが大きくなるよな。まあ、それは彼女自身、薄々自覚しているようではあるけどな。冗談好きと言うのはいい事だと思うが、これからは時と場を考えてもらいたいもんだ、マジで。

 だが、どちらにしても、もうあんなのは二度と御免だよ。

「しかし、そう言えば、先日の白兵戦演習。我々のクラスターにおいて、定例化するという内示を司令が出していたな。俺も、来年に備えて、一から鍛えなおさんといかん。あの演習で、いかに自分が修練が足りないかを思い知らされた」

 真剣な表情でうなずきながら、体中に包帯を巻いたアストラがつぶやいた一言に、マスター以外の、その場に居た全員の表情が凍りついた。

 嘘だろ?お願いだから、嘘だと言ってくれ。

 なんてこった、鬼を追っ払って、福どころか、逆に災いが一個ギャラクシーで押しかけてきたのも同然だ。勘弁してくれ、本当に。



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四月が吐いた愚かな嘘

 嵐のように降り注ぐミサイル。大気を焦がし、不吉な閃光と共に飛来するプラズマ弾。建物はお菓子の家のようにもろく吹き飛び、逃げ遅れたメックが玩具のように木っ端微塵にされる。

 最後まで踏みとどまろうとするかのように、マッドキャットMK-IIが必死にガウスライフルを撃ち続ける。だが、その一撃必殺のはずの亜光速弾も、奴の装甲に命中した途端、鉄の扉に当たった小石のように弾け飛んでいく。しかし、それでも彼は、とり憑かれたように全ての火器を奴に向けて撃ち続ける。

 もういいから逃げろ、いったん退いて態勢を整えるんだ。エクスターミネーターのコクピットの中で、無駄だと知りつつそう叫ぶ。その時、奴の右腕が動き、肩と連動した長砲身砲塔がゆっくりと動く。

 ああ、もう手遅れだ。神よ、願わくはあいつの魂を、どうかヴァルハラへと連れて行ってください。

 スナイパーキャノンが轟然たる砲声と共に紅蓮の炎を吐き出し、その瞬間、マッドキャットMK-IIは、衝撃と爆風で飛び散った手足を残して、跡形もなく消滅した。

 地震のような振動と、大地を踏み砕かんばかりの轟音と共に、立ち込める黒煙を押しのけ悠然と現れた巨大な影。燃え盛る炎に赤々と照らし出される、金属の塊そのものの重厚な機体には、全てのものを拒むかのように、切っ先を地に向けた剣の紋章が描かれている。

 ブレイクの言霊、『ワード・オブ・ブレイク』

救いようのない狂信者達の軍団。世界の滅びを具現化するような超重メックは、焼け焦げる街と人を見下すかのように、業火の中に屹立する。

 

 

 予備陣地を経由し、どうにか駐屯基地へ集合したクラスターのメックや歩兵達は、その半分以上が帰ってこなかった。そして、その誰もが、立っていられるのが不思議なほど傷付き、そして疲労の極みにあった。

「クルツ、大丈夫か」

「ああ、なんとか生きてる。俺だけな………」

 ジャンプスーツや頭に巻かれた包帯に赤茶けた血を滲みあがらせ、連戦に次ぐ連戦のために、濃い疲労の色を浮かび上がらせたアストラが俺に声をかけた。

「自分を責めるな、俺も同じだ。誰ひとりつれて帰ってやれなかった」

 そう言うと、アストラはがっくりと汚れた床の上に座り込む。そして、俺達は、濁ったオイルのようにからみつく疲労と、仲間を失ったやるせなさでしばし黙り込んだ。

「………フロントラインの連中は壊滅、俺らセカンドラインとゾラーマが最後の防衛線の主力。しかも、ほとんどが年寄りとシブコのヒヨコ達だ。

 ダイヤモンドシャークから、いくらマッドキャットを融通してもらっても、動かしているのがいい加減ガタのきた年寄りと素人同然のガキじゃ、スクラップを作りに行ってるようなもんだ」

「クルツ、少し休め。お前は戦闘だけではなく、メックの整備にまで手を貸している。シゲ達に任せておいてもいいのではないか?このままでは、オルカに食われる前に自滅する」

「………わかってる、わかってるんだが。でも、どうしても体が動いちまう。ははは、これもボンズマン暮らしが長かったせいかな」

「フッ、そうかもしれんな。それだけの腕を持ちながら、本当にもったいのない事をしたものだ」

 アストラが、疲れきった顔にうっすらと笑みを浮かべた時だった。

「クルツ!よかった、おみゃー、生きとったがや!!」

 負傷者の間をかき分けるようにして、ギブスで固められた右足をかばうように松葉杖を突きながら、ディオーネが必死の表情で駆け寄ってくる。

「よかった………報せを聞いたときにゃあ、もう生きた心地がせんかっただぎゃ。よかった、本当によかった………」

 うっすらと涙まで滲ませながら、ディオーネは張り詰めていたものが一気に緩んだように泣き笑いを浮かべている。彼女は、3日前、乗機のノヴァキャットがオルカのガウスライフルの直撃を受け、どうにか自力で帰還したものの、大破した機体から救出された彼女は、右足を骨折すると言う重傷を負ってしまっていた。

 機体の方は、さすがオムニメックの強みと言うか、破壊された右肩周りのフレームを修理すれば、あとはユニットを乗せかえるだけで、ほとんど稼動には問題ない状態まで持っていけた。

 しかし、修理に使った火器の大部分が、他からの流用や戦場から回収してきたジャンクパーツ。吹っ飛ばされた右腕のERラージレーザーの代わりに、半壊したメックから取り外したLRMランチャーを無理やり取っ付けた姿は、誰がどう見たってデチューンだ。

 ディオーネには申し訳ないが、これでは火力・性能的共に良くて6割といった所しか回復してない。いや、言い訳するつもりじゃないが、こんな状況じゃ、これが精一杯だった。

「ディオーネ、少し休んだほうがいい。基地警備とは言っても、そんな足でメックに乗ったら辛いだけじゃないのか」

「ふへっ、なにゆうとるだぎゃ。クルツが戦場で必死にがんばっとる時に、ぬくぬくと寝てられやせんだぎゃ」

「ディオーネ、休むのも仕事の内だ。そう言ってくれるのは嬉しいが、早く傷を回復させてみんなを安心させた方がいい」

「………ふふっ、おみゃーもゆぅようになっただぎゃ。了解しました、スターコマンダー・トマスン・クルツ。私、メックウォーリアー・ディオーネは、負傷療養を最大限努力します………で、えーんかみゃあ?」

「ああ、けど、本当にそうしてくれるとありがたい」

「ありゃあ………見抜かれとったがや」

 ディオーネは、いたずらっぽい笑みを浮かべて俺を見る。年齢を重ねても、少しもその美貌を損なっていない。むしろ、積み重ねてきた時の分だけ、熟成した美しさを放っている。いい加減付き合いが長いが、それも、今日か明日でお終いになるかもしれない。

「クルツ、アストラ、帰ってきてそーそーすまねーけどもが、イオが作戦会議をするっちゅうとるでよ。司令部まできてくれみゃあ。」

「わかりました、マスター」

「了解、隊長」

「あー……その、なんだぎゃ。クルツ、もうおみゃーはボンズマンじゃねーわけだしが、そのマスターっちゅうんはよすでよ」

 たしなめるようにいいながらも、マスターの表情は少年がはにかむような笑顔を浮かべている。この人も、いろいろな意味で変わっていない。

 変わったのは、世界が地獄になりつつあるということだけだ。

 

 

 作戦会議とはいっても、あんな化け物相手に有効な手段など、いまさらある訳もなかった。軌道上爆撃による大量無差別攻撃、その大打撃から立ち直る暇も与えないかのように、ワード・オブ・ブレイクは見たこともない超重メックを投入してきた。

 傍受した奴らの通信から、そのメックが『オルカ』と言うことはわかった。元は、今は名も無き氏族の生き残り達が、最後の力を結集させて作り上げた、力と破壊に取り付かれた、妄執と怨念の塊のようなメック        

と言うのは伝え聞いている。そして、オルカはまず、ジェイドファルコンにその牙を剥いた。

 並の重量級メックの、優に2倍はある巨大な機体。その絶望的なまでの足の遅さを補って余りある、航宙巡洋艦並の装甲と火力は、近づくもの全てを消し炭に変えた。たった1機でジェイドファルコンのケシークを壊滅寸前にまで追いやり、あまつさえ、当時の族長を、乗機であるツルキナごと木っ端微塵にした。

 だが、滅亡寸前にまで追いやられたあの一族に、ここまでのメックを作り上げる力など、どう考えてもありっこない。どこかで糸を引き、技術を提供した奴がいる。そう思っていた矢先に、あの事件のあと、WOBが量産したオルカをこれ見よがしに戦線に投入し、各地で五大王家軍・氏族軍を問わず、その機甲部隊を粉砕した。

 状況は最悪だった。オルカを主力としたWOBの打撃部隊は、すでに全ての防衛線を突破し、いよいよ最終防衛ラインを残すのみとなった。ここで突破される訳には行かない、主だったフロントライン・タウマンやケシークは、そのほとんどが粉砕され、俺達のクラスターが、戦力と呼べる最後の守備隊だ。

 もしここを突破されたら、イレースは完全に狂信者共の手に落ち、あとはドラコ連合の構築した絶対防衛線に進撃するのを止める手立ては無くなる。

 奴らは最悪だ。核兵器、化学兵器、生物兵器、ありとあらゆる大量破壊兵器をなんのためらいもなく使い、通った後におびただしい死体の山を作り出した。そして、五大王家だけではない、氏族人にも奴らは同じように侵略を開始した。

 ………いや、同じじゃない。WOBは、氏族人を同じ人間として見ちゃいない。奴らは、氏族人を絶対に捕虜にはしない。その意味は、お前ならすぐわかると思うが。

 ドラコの応援は、もう期待できない状況になった。DCMSはもとより、ゲンヨーシャ、光の剣、DEST、これら全ては、ルシエンを防衛するため、そしてWOBを迎撃するための戦力として投入される事となり、他所に割く余裕は歩兵一人ないと言ってきた。

 今や中心領域・氏族世界を股にかける貿易商となった、ダイヤモンドシャークのミキから、非公式に何度かメックの無償支援があった。しかし、あまりに危険すぎるため、正規のルートは使えない。だから、連中の目を盗むようにして、どうにか陸揚げした機体を小分けに編成して、拠点まで陸送するしか方法がない。

 もうこの辺りは、ほとんどがWOBに制圧されている。制空権も同様だ。そんな中にコンボイだかそれとも自走だかでこちらまで届けようとしても、半分も行かない内に戦闘爆撃機に捕まり、ほとんどがスクラップにされてしまう。

 シャークだって、1機でも多くのメックが必要なはずだ。それを、シャーク・タウマンに納入する分からキャットへ流していると知れたら、絶対ただでは済まないだろう。そんな危険を冒してまで送り届けてくれたミキの努力も、結局は報われない結果になりそうだ。

 他に味方がいない訳ではない。DCMSイレース駐留部隊長、ハナヱ・ボカチンスキー少佐。彼女は、WOBのイレース侵攻の際、帝都から下命された帰還命令を一蹴し、あくまでも直属の指揮下にある部隊と共に、義勇軍同然でイレースに残留した。

 ドラコにおいて、下命に逆らえば、それは即、自分の死となる。あのセオドア・クリタがいた時ならともかく、彼はもうこの世にはいない。恐らく、WOBの暗殺者の仕事だろう。奴らなら、当然やりかねない。

 とにかく、今の彼女の立場は相当に危険なものだ。それでも、彼女は自分の保身より、ノヴァキャットの、そしてイレースの人々の為に戦うと言ってくれた。実際、彼女の率いる部隊と、その愛機であるハタモト・カスタム『シコン』に助けられ、ここまで持ちこたえられたのは紛れもない事実だ。

 それと

 リオ。あの子はどうなっただろう。もう1年になるだろうか、逼迫した戦況のために、ある程度年齢のいったシブコ達も、即席のメック戦士として戦線に駆り出されるようになり、リオも、員数合わせのため練成部隊に組み込まれ、それから一度も会っていない。

 リオのように、滅亡した氏族の元シブコという、微妙な立場の者でさえも徴用せねばならないほど、ノヴァキャットは後がなくなっていた。過去の歴史を紐解いてみても、子供を戦争に駆り立てた国や組織に未来はない。だが、どのみちそれは、死ぬのが少し遅いか早いかの違いでしかなくなっていた。もう、WOBはすぐそこまで来ているのだから。

 

 

 あれから一週間、オルカとWOB機甲部隊の動きは止まったままだ。あれだけの巨体だ、一度の戦闘で膨大なエネルギーと弾薬を消費するのはわかっているが、もうこちらから攻め込んでいく余力はどこにもない。

 敵の戦力は、当然あのオルカだけじゃない。あの忌々しいハイエナのような四足メック、ホワイトフレイム。奴らは、オルカの周囲を忠実な下僕のように群れを成して固めている。おそらくC3システムを搭載しているのだろう奴らは、一度標的に定めた迂闊な敵に対して、悪魔的なまでの連携攻撃で集中砲火を浴びせかける。それで鉄屑と消し炭に変えられた不運なメックとメック戦士は、いちいち覚えてなどいられない。

 WOBの方も、もうこちらが攻勢に出られない事をよく知っていて、オルカの補給整備を悠々と行い、偵察隊は、ハイエナ共に守られたオルカを遠巻きに眺めながら、指をくわえているしかない状況が当たり前になった。

 もう、俺達は守るだけで精一杯なんだ。それがどんなに絶望的か、10年前に経験したノヴァキャットの放棄。あの時の戦いだって、こんなに辛くはなかった。

「クルツ!オルカが動いた!出撃だ!!」

 装備を固めたアストラが走ってくる、俺は、傍らに置いたヘルメットをつかむと、咥えていたタバコを地面に押し付けた。

「わかった!場所は!?」

「ここから3エリア先だ!」

 俺のくだらない質問にも、アストラは律儀に答えてくれた。そう、もう場所を聞くとかそういった次元じゃない。おそらく、パトロール隊と遭遇したのだろう、遠雷のような砲声がかすかに聞こえてくる。戦場は、もう5キロも離れちゃいない。そして、もうこれが俺にとって最後の出撃になるだろう。

「クルツ!待つだぎゃ、クルツッッ!!」

「ディオーネ?どうした!?」

 その時、ハナヱさんに支えられながら現れたディオーネが、痛みをこらえるように汗を滲ませて、必死の表情で俺を呼び止めた。

「クルツ!うちのサンドラに乗っていくだぎゃ!おみゃーのミントウォーター、あれはもうもたねーだぎゃ!の?だから、サンドラを………!!」

 ディオーネは、青ざめた表情で、自分のノヴァキャットを持って行けと叫ぶ。多分、ディオーネも、もうわかっているのだろう。ハナヱさんも、辛そうに目をそむけたまま、ディオーネの肩を支え続けている。

「ありがとう、ディオーネ」

「お、おう!操縦はわかるだぎゃ?いつも整備してもらってただで、大丈夫だぎゃ?」

「………いや、気持ちだけ受け取っておく。ディオーネは、サンドラでここの守りを固めてくれ」

「んなっっ!?な、なにたーけたこと抜かしとるだぎゃ!!ほ、ほれ!ボカチン!お、おみゃーからもなんか言ってやるだぎゃ!」

「………その、クルツさん、ディオーネさんの気持ち、こたえてあげるわけには………」

「いや、2人とも聞いてくれ。ディオーネ、お前がここに残るといっても、それは戦いから外れた訳じゃない。戦いは何が起こるかわからない。俺達が必死に食い止めても、網を潜り抜けてくる奴がいるかもしれない、もしそいつらがここを見つけたとき、戦力が必要なのは一緒なんだ。

 サンドラは、ディオーネ、お前が乗るべきだ。頼む、俺達が、後ろを気にせず戦えるように、お前がここを守ってくれ」

「ク……クルツ………ッッ!この・・・この・・・ストラバグ!!お前はいつもそうだ!昔から・・・昔からそうだ!私が……私がいつもどんな思いでいたか……お前は!お前は………!!」

 その細い眉が吊りあがった瞬間、ディオーネの両目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。まるで少女のように泣き出したディオーネを前に、俺はその肩を支えてやりたい気持ちで一杯になる。

「………ディオーネさん、クルツさんの気持ちもわかってあげてください。私達全員、生還を期するつもりはありません。だから、必ず帰るなんて無責任な約束は出来ません。でも、私達は、私達にできる全ての事をしてオルカを止めます。

 ディオーネさん、クルツさんは、みんなの思い出が詰まったこの場所を護って欲しいんです。そして、それをお願いできるのは、クルツさんにとって、ディオーネさんしかいないんです」

 ハナヱさんは、いまや無二の親友でもあるディオーネに、俺が言いたくても言い出せなかった事を、すべて代わりに言ってくれた。本当に済まないとは思っている、思えば、ハナヱさんにも、昔から迷惑のかけっぱなしだった。

「そんなこと……そんなこと、わかっている!!………ハナヱ、私はお前がうらやましい。クルツと一緒に戦いに行けるお前がうらやましい………こんな肝心な時に、役に立たない自分が、心底恨めしい………!!

だが、わかった。クルツ、ここは私が何があっても護ろう。私達の記憶が全て詰まったこの場所を護ろう。たとえ何があっても、私はこの場所を護る。そして、ここに居続ける………それでよろしいな?スターコマンダー・トマスン・クルツ」

「ああ、重ねて頼みたい、ディオーネ」

「わかった、行ってこい、クルツ」

「ああ、行ってくる、ディオーネ」

 そう、もう言うべきことは全て言った。後は、行くだけだ。

 

 

「調子に乗るな!!」

 市街地の廃墟で、ホワイトフレイム隊と遭遇戦となり、敵味方入り乱れての乱戦の中、裂帛の気合とともに、ソードに切断されたホワイトフレイムの首が飛ぶ。どのような武器でも、達人が使えばそれは一撃必殺の神器と化す。

 格闘戦に特化させたというハタモトカスタム・シコンは、ジャンプジェットの水平噴射で一気に間合いを詰めると、2匹目のハイエナに狙いを定め、強烈なキックで相手を転倒させると、薄い腹部装甲にソードを突き立て、その中枢をえぐり抜いた。

 配下のグランドドラゴン達と共に、鬼神の如く戦場を獅子奮迅の勢いで駆け抜けるシコンは、ハタモトシリーズの特徴とも言えた左腕のウェポンベイの代わりに、左右対称のマニュピレーターを装備する。その両手で支えるソードは、普通のソードの2倍近い大きさを持ち、その姿は、まさしく騎馬武者を引き連れて戦場を疾駆する大将軍を髣髴とさせた。

 マスターやアストラのノヴァキャットも、自身が囮となり、2機の巧みな連携を組み合わせたサッチウィーヴでホワイトフレイムの包囲網を拡散させたところを、瓦礫や廃墟の陰に潜ませていたマッドキャット達に合図を送り、逆にWOBのハイエナ共にガウスライフルの嵐を浴びせかけた。

 ゾラーマやシブコ達の搭乗するマッドキャット隊も、マスターの巧みな指揮によって、それなりに善戦している。そして、予想外の反撃に奴らが混乱しているところを、ER-PPCが次々とその側面装甲や背面装甲を焼き溶かしていく。

 さすがに、百戦錬磨のメック戦士の前では、たかがC3システム程度のギミックでは、その勢いを止めることは出来ない。さて、俺も仕事をするか。

 瓦礫だらけの廃墟は、俺の分身、エクスターミネーターカスタム・ミントウォーターにとって最高の狩場だ。ほら、今俺の目の前に、なにも気付かずに尻を向けているハイエナが2匹。

 ステルスシステムを作動させながら悠々と間合いを詰め、ジャンプジェットを噴かす。それでようやく奴も俺に気付いたようだ。だが、もう遅すぎる。

 ホワイトフレイムの頭を真上から蹴り潰し、間髪入れずもう1匹に飛びかかる。そして、両腕に組み込んだクローで、奴の背中の砲塔を鷲掴んで動きを封じた。いいからおとなしくしていろ、すぐに終わる。

 爪を閉じ、スピアのように尖らせたクローを、コクピットハッチに突き立てる。そして、腕を引き抜くと、コクピットや中枢がむき出しになったそれに向けて、ミントウォーターの頭部マシンガンが、マフラーのイカれた自動車の排気音のような砲声と共に、一瞬で頭の半分を弾き飛ばした。

『クルツ!ハイエナが逃げていく!オルカが来るぞ!!』

 緊張の色が混じったアストラの通信が、インカム越しに俺の耳に届く。見ると、生き残ったホワイトフレイムは、まるで主の到来に怯える犬のように、次々と戦場を駆け去っていく。そして、入れ替わりに耳障りな重量音が轟き、瓦礫を踏み砕いて奴が現れた瞬間、いきなり砲声が轟き、マッドキャットが右半身を吹っ飛ばされて転倒した。

 そして、それを合図にするかのように、パルスレーザーが嵐のように吹き荒れ、大地が沸騰したかのように凄まじい爆炎を吹き上げると、瞬く間に視界が黒煙に覆い尽くされた。

「マッドキャット隊は下がれ!火力支援に徹するだぎゃ!!」

 マスターの指揮に、マッドキャット隊は瓦礫や廃墟の影に後退して身を潜めると、ありったけの火力をオルカに叩きつける。しかし、こっちが一発撃った瞬間、向こうからは10倍返しとなって返ってくる。

 距離を開ければLRMやPPCが、逆に懐に潜り込もうとすると、SRMやパルスレーザーが容赦なく浴びせかけられ、瞬く間に装甲の半分が持っていかれた。砂を掴んでばら撒くような弾幕の前に、ステルスシステムなど何の役にも立たない。奴もそれを知っているから、四方八方に惜しげもなく弾幕を張りまくる。

『クルツ!大丈夫か!?』

「ああ、まだなんとか行ける!」

 とは言うものの、アトラス1個小隊分の一斉射撃に近い数のLRMの弾幕は、エクスターミネーターの足でも逃げ切る事が出来なかった。火力に差があるといっても、限度ってもんがある。こいつの体の中には、中枢の代わりにミサイルでも詰まってるってのか!?

 水を詰め込んだ袋に、針ででたらめに穴を開けたかのように、オルカの全身からは後から後からミサイルやレーザーが噴き出るように撃ち出される。ミサイルのカーテンがうなりを上げ、狂ったように巻き上がる爆炎と渦巻く黒煙の中を必死に逃げ惑う。

 ようやく瓦礫や廃墟の影に身を隠したと思った瞬間、せっかくの遮蔽物も、惜しげもなく撃ち込まれるガウスライフルやスナイパーキャノンの直撃で、砂の山を蹴散らすように粉砕され、追い討ちをかけるかのように、唸りを上げて途切れることなく降り注ぐミサイルやレーザーの集中豪雨が、隠れ場所を取り上げられた哀れなメックの装甲を剥ぎ取り、パイロットと機体を粉々に粉砕する。

 もう、こうなってしまっては、パイロットの技量とかメックの性能など、まったく問題にすらならない。特に、俺のミントウォーターやハナヱさんのシコンのように、近接格闘戦に特化させてしまったメックは、近づこうとするそぶりを見せただけで、キチガイじみた集中砲火を浴びせかけられ、どうにもお手上げな状況に追い込まれた。

 戦場では、あれだけ勇壮に見えたはずのノヴァキャットも、オルカの前では子猫同然に追い立てられている。マスターやアストラのノヴァキャットは、暴風のように殺到する弾幕の中をかいくぐるように疾走しつつも、不安定な姿勢からPPCやラージレーザーを撃ち込んでいる。けれども、この時ほどそれが無力に見えたことはない。

 そう思った次の瞬間、マスターのノヴァキャットがガウスライフルの直撃を受け、ストロボのような金属崩壊の閃光に包まれる。被弾したのは左肩だったようだが、この一撃で左腕は手ひどく破壊され、何本か無傷で残ったマイアマーとケーブルで辛うじて肩にぶら下がり、オイルやマイアマー保護液をボタボタ垂れ流している様は、腕を引き千切られかけた人間のそれに、ぞっとするくらい良く似ていた。

 その凄惨な光景に息を呑んだのもつかの間、こんどは、アストラのノヴァキャットが突然がっくりと膝を折ると、苦痛に耐えんとする人間のような姿でうずくまった。・・・・・・しまった、熱が溜まり過ぎたんだ!!

『来るな、クルツ!!』

 そうアストラが叫んだ時には、俺はもうノヴァキャットに駆け寄っていた。そして、全身から白煙を立ち昇らせているノヴァキャットをかばうように引きずり動かした。

『やめろ!俺はいいからここから離れるんだ!!』

 そういわれて、はいそうですねなんて言えるか!それに、こうなった以上、もうどうにもならないだろう!!

 気付くと、後方に下がらせていたはずのマッドキャット達が駆け寄り、1機がオルカを牽制するかのように弾幕を張り、もう1機が牽引用のアンカーをノヴァキャットに打ち込み、熱暴走で動けなくなったノヴァキャットを牽引する。

『アストラ!ここはメックが冷めるまで、いったん退いとくだぎゃ!!動けるよーになったら、また戻ってくればえーだで!!おみゃー達!なるべく風通しのえーとこまで運んでくだぎゃ!!』

『了解であります!!』

 まだ子供としか言いようのない、インカムから聞こえてきたシブコのパイロットの声を聞きながら、俺のミントウォーターと、使い物にならなくなった左腕を爆砕ボルトで強制パージしたマスターのノヴァキャットは、彼らの壁になるように立ちふさがると、オルカに全力射撃を浴びせかける。

 オルカの注意が俺達の方を向いたその一瞬の隙をついて、シコンがジャンプジェットの水平噴射でオルカに突撃すると、全機重をかけた突きをその膝関節に突き立てた。

『くたばれ!化け物が!!』

 咆哮じみた怒声と共に、シコンは渾身の力を込めてヘヴィーソードを捻り込むように突き刺し、駆動系の振動が伝わったのか、激しい火花を散らしながらオルカの足を切り裂こうとする。

 だが、それだけでも丸々重量級メック1機分はありそうな装甲に包まれたオルカの足は、シコンの渾身の一撃にも大した痛痒を示した様子もなかった。それどころか、オルカが大きく足を蹴り出した途端、シコンはその重量差から来る勢いに大きくバランスを崩し、その衝撃で、ヘヴィーソードが耳障りな金属音とともに真っ二つに折れ砕けた。

 そして、奴は、そのアトラスの足ほどもある左腕を振り下ろし、シコンはエレメンタルに蹴飛ばされた子供のように、凄まじい轟音と共に吹っ飛ばされると、完全に沈黙してしまった。

「少佐!?………ぐあっっ!!」

 ミサイルアラートに反応するのがほんの一瞬遅れたその瞬間、背骨をへし折らんばかりの衝撃がコクピットを揺さぶり、ヘルメット越しでも鼓膜を破りそうな轟音が耳を乱打する。システム異常のアラームがけたたましく鳴り響き、警告灯がコンソールパネルを真っ赤に塗り潰す。

 どうにか機体を立て直した時、SRMとパルスレーザーの乱撃を受けて、正面装甲が粉々に砕け散ったマスターのノヴァキャットが、瓦礫を吹っ飛ばしながら仰向けに転倒する光景が目に飛び込んできた。

「マスター!?マスターッッ!!」

 胴体から吹き上がる黒煙の中に、小さな炎が見え隠れしているノヴァキャットに、俺は全身の毛が逆立つのを嫌というくらい感じていた。

『うわああああああああっっ!!』

 突然、悲鳴じみた絶叫と共に、生き残っていた2機のマッドキャットが飛び出してくると、狂ったように全ての火器をオルカに乱射し始めた。指揮官であるマスターがやられたことで、完全に理性を失っちまったらしい。

「やめろ!遮蔽物まで戻るんだ!!」

 典型的な戦闘ショックに陥った2人のシブコ・パイロットは、もはやまったく周りが見えていない。インカム越しに怒鳴る俺の声も、もはや聞こえないのか、それとも人っ腹生まれの言うことなんぞ、聞くつもりもないのか。

 ………あの2人は、もう駄目だ。

 オルカの右肩の砲塔が旋回し、砲声とともに衝撃波で地面が砂埃を吹き上げたと同時に、マッドキャットの上半身が、まるで目に見えない鮫に一瞬で食い千切られたように、ごっそりと吹き飛ばされた。

そして、間髪入れずに、ガウスライフルの一撃が、もう一機のマッドキャットのキャノピーのど真ん中に直撃し、コクピットブロックがまるで風船のように弾け飛ぶのが、やけにゆっくりと見えた。

 2機の重量級メックを一瞬の内に鉄屑に変えたオルカは、ゆっくりと俺の方に顔を向ける。その水棲動物の顔を切り取って貼り付けたような、無表情な顔が俺をまっすぐ見据えている。そして、スナイパーキャノンの砲身がゆっくりと旋回し、地獄の入り口のような、不気味な闇を潜ませた砲口がまっすぐに俺を覗き込む。

終わったな

 心のどこかで、もうひとりの俺自身の声が聞こえた。アストラ、ディオーネ、すまないが先に逝く。イオ司令、お役に立てず、本当に申し訳ありませんでした。そして、リオ、元気でな。

 後は、衝撃波と破片が、俺の体を塵に変えるのを待つだけだ。俺は、もはや立っているだけでも精一杯のミントウォーターの中で、やけに乾いた気分でそれを見つめていた。

 その時、オルカが何かに気付いたかのように、その巨体を一瞬揺らがせた。それと同時に、瓦礫の中から、黒い影が疾風のように飛び出してきた。

 その、たった1機の軽量級メックは、レーザーやミサイルをオルカに浴びせかけながら、物凄い速さでその周りを疾走しつつも、まるでオルカをからかうかのように、ダンスのように軽やかなステップで、巧みにオルカからの射線をずらしていく。

 極限まで引き絞られた鋭角的なフォルム、そして、低く身をかがめた黒豹を思わせる、機動性にあふれた小型メック。まさか、あれはもしかしてクーガーか!?あれは、ジェイドファルコンの高機動メックだ。しかし、どうしてこんなところに?・・・・・・ミキの奴、あんな物まで手に入れて送ってきたってのか!?

突如現れた漆黒のクーガーは、挑発するようにレーザーを撃ち込みつつ、全速力でオルカの周りを疾走する。

 一方、オルカのほうも、自分の周りをすばしこく走り回る、小うるさい新手の出現に業を煮やしたかのように、委細構わず激しく地面を踏み鳴らし、その巨体を軋ませながら旋回させてクーガーを追い駆け、SRMやパルスレーザーの弾幕を浴びせかける。

 その時だった、オルカの足元が鈍い音を立てた瞬間、床板を踏み抜いた象のように、オルカの下半身が地面にめり込んだ。あの下に地下街があったのだろう、その天井になる地面は、急に奴が派手に暴れまわったせいで、その重量と衝撃に耐え切れなかったんだ。うまいぞ、奴の身動きが取れない今ならチャンスだ!

 しかし、オルカを罠にはめたクーガーは、突然向きを変えると一目散にその場を駆け去って行く。なにをやってるんだ!あのメック戦士は!?

 しかし、そう思ったのもつかの間、クーガーは倒壊したビルの斜面に取り付くと、巧みなジャンプジェット制御で、ステップを繰り返すように駆け上り始めた。いったいなにをするつもりなんだ・・・って、まさか、あいつ・・・・・・!?

 もしそう言うことなら、のんびり見物なんかしている場合じゃなさそうだ。オルカは、左腕のアームを使い、落とし穴から這い出ようと暴れ始めた。まあ慌てるなよ、せっかくこれから面白い事が始まるんだぜ?

 俺は、ガタガタになったミントウォーターに、もう少し無理をしてもらうことにした。ここでじっとしていれば、死んだと思われてやり過ごせもしただろうが、こんな素敵なチャンスを前に、そんなケチな事をするつもりはない。

「そらどうした!ここにもいるぞ!!」

 1基だけどうにか生きていたM・レーザーをでたらめに撃ち込むが、的が馬鹿でかいおかげで狙わなくても当たる。そして、当然だが撃ち返してきた奴の攻撃を、瓦礫を盾にしながらどうにかしのぐ。

 それでも何発かのレーザーやミサイルが直撃し、ただでさえボロボロの装甲を削っていく。その時、スナイパーキャノンの砲口がまっすぐこっちを向いていた。そして、紅蓮の炎が大輪の花を咲かせた瞬間、おれの目の前の瓦礫は、小麦粉の袋のように飛び散り、凄まじい衝撃と轟音がコクピットを打ちのめした。

「………っつ!この野郎、大雑把な真似しやがって………!!」

 運がいいのか悪いのか、あの一撃でさえ背骨や首を折らずに済んだ俺は、激しい耳鳴りに舌打ちしながら、砕け散ったキャノピーの向こうに見えるオルカを見た。そして、今度こそエクスターミネーターの全システムは完全に死に絶え、見ると、両足が吹っ飛ばされている。瓦礫越しでもこの威力か。やれやれ、素晴らしいことで。

 ともかく、これで、こいつは文字通り鉄の棺桶になったって訳か。どうやら、今度こそお終いのようだな。しかし、不思議なもんだ。文字通り絶体絶命って状況なのに、俺の気分は愉快なほど満ち足りている。そう、俺は、俺のやるべき事をやり遂げたんだ。

 トタン板のようにひしゃげたコクピットから這い出し、すべての役割を果たし終えたミントウォーターの上に立つ。

 お疲れさん、最後まで俺の無茶に付き合ってくれて、本当にありがとう。

もう用のなくなったヘルメットを放り投げ、やけに汗がうっとうしいと思って額を拭うと、グローブが真っ赤に染まっていた。

 まあいい。で、最後はなんにする?ミサイル?PPC?それともご自慢のスナイパーキャノンか?まあ、どうせなら派手で豪華な奴にしてくれよ。さ、好きにしな。

 そう覚悟を決めた時だった。耳鳴りがひどい俺でも、思わずひるむほどの衝撃音と同時に、オルカの頭上に、クーガーがまるでテレポーテーションでもしたかのように現れ、そのコクピットをまともに踏み潰した。

「………ははっ」

 予想していたこととは言え、あまりにも鮮やか過ぎる光景に、あっけにとられる俺の目の前で、クーガーは器用にバランスを取りながら、ひしゃげたオルカのコクピットブロックの上にその足を何度も踏み降ろし、容赦なくコクピットハッチを叩きのめす。

 そして、とうとう鈍い音と共に、クーガーの足は、オルカの頭にハッチごと足首までめり込んだ。そして、クーガーは足を引き抜くと、身軽な動作でその上から飛び降りた。

 覚めないと思っていた悪夢の、あまりにもあっけない最期。

俺は、今この目の前で起こっている事が、どうにもタチの悪い夢を見ているようで、ただ呆然とその光景を眺めていた。多分、他から見れば、相当な間抜け面だったに違いない。

「さて………」

 俺は、ジャンプスーツのポケットから、くしゃくしゃになったタバコの箱を取り出すと、どうにか一本だけ残っていた、へろへろに折れ曲がったタバコを咥え、火をつけた。

『クルツ!タバコはだめじゃゆぅてるじゃろ!!』

 クーガーが、余計なお世話を言ってくる。まるで、どっかの誰かさんのような事を言うやつだ。

『………まったく、うちが少しでも目を離すと、すぐこれじゃ!タバコなんて、体にええことなんかひとつもないけん!』

 キャノピーがゆっくりと開き、そこから立ち上がったパイロットの姿を見たとたん、俺の口から、タバコが落ちた。

「リオ……なのか………?」

 夜空のような黒髪、小麦色の肌に一際鮮やかなアイスグリーンの瞳。黒豹を思わせる、すらりと伸びた均整の取れたしなやかな長身。そして、絶望的に薄い胸。

「お待たせ!クルツ!応援のメックを運んできたけん!敵はどこじゃ!?」

「………今、お前が踏み潰した。それがそうだよ」

 まぶしいほどの若々しいエネルギーに満ちた女性の、未だ抜けない彼女の故郷の言葉に、俺はどうにかそう答える事が出来た。

「どうじゃい!このデカブツ、コクピットだけ潰したけん!クルツなら、これくらいすぐ直して使えるよーにできるじゃろ!?」

 クーガーのコクピットから降りてきたリオは、黒豹のように身軽に駆け降りてくると、俺の前に走ってきた。1年振りに会う彼女は、最後に会った時よりも凛々しさと美しさに磨きがかかり、立派な戦士の顔になっていた。

「わっ!な、なんじゃ!?」

 俺は、思わずリオを抱き寄せていた。今じゃもう、俺よりも背が高くなっちまっているが、初めて会った時の、あの垢と泥にまみれたガリガリの小さな姿を思い出し、良くここまで立派に大きくなってくれたと思うと、万感の思いが頭を埋め尽くす。

「リオ………こんなに立派な戦士になって、お前は、俺の誇りだよ。ありがとう、本当に、ありがとう………」

「な、なにゆうとるんじゃ。あの時、クルツに拾われんかったら、うちはきっと野垂れ死んどったけん。うちだって、クルツには一杯感謝してるけぇね………へへっ!でも、うちがおらんとなんもできんのは、あいかわらずじゃけぇねぇ、クルツは!」

 俺より目線ひとつ高い背丈で見おろしながら、リオは生意気なことを言ってくれる。でも、それでもいい。この子は今、すべて俺を越えてくれた。それは、俺にとって、なにものにも変えがたい喜びだ。

「そうだな、本当にその通りだ」

「でも………クルツがあいつを足止めしてくれたから、うまくいったんじゃ。へへっ、でも大丈夫じゃ!これからはずっと一緒じゃけぇね!………あ、な、なに泣いとるんじゃ。ほんとじゃけん、また一緒じゃ。そ、それと………た、ただいま、クルツ」

「ああ、お帰り、リオ」

 40年近く生きてきた俺だが、こんなに幸せだと感じたのは、生まれて初めてだった。でも、どうやらいつまでもこの幸福感を独り占めする訳にも行かなくなったようだな。

「………あ、みんなじゃ」

「そうだな、英雄のお出迎えだ」

「え、英雄って、う、うちが………!?」

「ああ、そうだ。さあ、胸を張ってみんなの所に行ってこい」

「え………で、でも、うちひとりでやっつけた訳じゃないけん。クルツも………」

「何を言ってんだ、おまえを示すのは今だ、さあ、行ってこい、胸を張って」

「う、うん!」

 マスターが、アストラが、ハナヱさんが、そして、イオ司令に肩を支えられたディオーネ。生き残った戦士も、エレメンタルも。そして、民兵として志願した市民達も、彼ら全員が、あの子を讃える声を上げながら津波のように押し寄せてくる。

 困ったような表情を浮かべながらも、それでもみんなからの胴上げに、弾むように笑って応えているあの子の姿を見ていると、なぜだか不意に視界がぼやけてきた。

 ………ははは、年をとると、涙腺がゆるくなってしかたないな。でも、わかるかい?人として、こんなに嬉しいことはないんだ。もう、あの子は小さな戦士なんかじゃない。この世界を、この星を救った偉大な戦士だ。

 リオ、お前は、俺の生涯の誇りだよ。

 

 

「うふふ……クルツゥ……ほめすぎじゃけん………」

 いったい何をやらかしたから、俺にほめられた夢なんか見てるのやら。深夜、眠りが浅くなった拍子に、ふと聞こえてきた寝言に気付き、何かうなされているのかと思って寝袋から這い出した俺は、実に充実した睡眠をおとりあそばされている姫君の姿に、さすがにあきれるしかなかった。

 そんなことはどこ吹く風、時折子猫のように体をくねらせながら、幸福の絶頂を絵に描いたような表情を浮かべつつ、小さな口をむにむにとにやけさせながら熟睡しているリオは、タオルケットを蹴っ飛ばして大の字になっている。俺は、へそ丸出しにして豪快に寝こけているチビ介に、元通りタオルケットをかぶせてやった。

「………そこまでゆうんなら……僚機にしてやってもええけんね………」

 なんですって?

 これまた素晴らしい夢をみていらっしゃるようで。さてさて、ここで一発叩き起こしてみると言う方法もあるが、さあ、どうしましょうかね。

 ………まあ、いいさ。子供の見る夢だしな。好きなようにさせとこう。どんな夢を見てるか知らないが、それが幸せであるなら、目が覚めた時、その幸せを現実にできるように、今生きる現実を一生懸命生きてみろ。

 もちろん、お前ひとりで頑張ることはない、俺も、そしてみんなもいる。現実の中で道標を探しながら、お前の夢をつかみとって見せてくれ。

 ゆっくりおやすみ、今はまだ、小さな戦士。

 



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聞け戦巫女の唄(前)

 正直、困った。

 俺は、目の前の包帯だらけの小柄な女性を前に、どうにも進退窮まった状態を呪う。付き添いのマスターも、どうにも複雑な表情を浮かべている。

「スターコマンダー・ジーク。どうして、私なのでしょうか」

「お前にしか出来ないことだ、それだけだ」

 さて困った。こいつ、いったいどういった風の吹き回しなのやら。

「改めて依頼する、中心領域の戦士。トマスン・クルツ、私に力を貸してくれ」

 

 

 ちとばかり時間は遡るが、そもそもの事の起こりは、仕事中、突然司令本部へ呼び出された時だった。いったい何事かと思いながらも、とにもかくにも司令室へと急ぐと、果たして、ドアの向こうにはスターコーネル・イオ、マスター、そして、無愛想な黒ウサギ。もといジークがなにやら思いつめた表情で立っていた。

「お仕事中すみませんね、ご苦労様です、クルツ君」

 イオ司令は、相変わらずの笑顔と共に、俺の来室を迎えてくれる。しかし、視界の端に映ったジークの顔が、驚愕の表情で塗り潰されているのが見える。まあ、わからんでもない。クラスターの最高指揮官が、一介のボンズマンに、それこそ友人同然の挨拶をしたんだから。

 だが、混乱するのも無理はない。ジークはよそのクラスターに所属する戦士だ、ここのクラスターの、ある意味特殊な状況と言うか事情など、あずかり知らぬのも無理はない。

「ありがとうございます。本日はどういった御用でしょうか、司令」

「そうですね、どちらかと言えば、用事があるのは、スターコマンダー・ジークの方ですけれど」

 イオ司令の言葉に、長身揃いの面子の中で、一際小柄さを際立たせているジークを見てみる。何があったか知らないが、ジークの顔はあちこちアザだらけで、包帯と絆創膏が賑やかに顔面を飾っていた。いや、よく見ると、顔だけではなく、袖口からのぞいた腕にも、ぐるぐると包帯が巻かれていた。この分だと、全身包帯巻きかもしれなかった。

「どうぞ、スターコマンダー・ジーク。用件を」

「了解しました」

 イオ司令に言葉に、ジークは敬礼を返すと、そのカミソリのような目を俺に向けてくる。なんか嫌な予感がするぞ。今度は、俺を相手に神判とか言うつもりじゃないだろうな。

「今日は、お前に頼みたい事があってきた」

「頼みたいこと………ですか」

「そうだ」

 こいつの口から頼み事なんてのも、ある意味意表を突かれたが、さて、こいつはいったい何を言い出すのだろう。そう思いながら、話を切り出すタイミングを見計らっているジークの小柄な姿を、俺は若干の緊張を伴いながら見ていた。

「実は、私の新しい機体が手に入った訳なのだが………」

 俺の様子を伺うように話を切り出すジークを見ながら、俺はこの間のLAM騒動の事を思い出す。あの時に、ジークの搭乗機であったシロネは、ほとんど使い物にならなくなるほど大破してしまっていた。

「ダイヤモンドシャークのバーミリオンフォックス・カンパニーから、LAMを調達した。それが、今の私の機体だ」

 バーミリオンフォックスといえば、ミキが経営している総合商社だな。まあ、それはいいとして、言っちゃ悪いが、この言葉を聞いた時、大怪我をしてどこか当たり所でも悪かったのではないか、と疑った。

考えても見てくれ、普通、氏族の戦士階級というのは、LAMという兵器をとことん駄作扱いしている。普通の気圏戦闘機乗りのみならず、メック戦士であっても、自らすすんでLAMに乗ろうなどと言う物好きはいない。

 おおかた、何かのテストケースのつもりで導入した機体を押し付けられたのだろう。しかし、それはそうとして、ならばなぜ、わざわざ俺の所に来たのかが理解できない。

「私は今後、LAM乗りとして戦うことに決めた。そのために、お前の力が要る」

 さてさて、これはいよいよ風向きが怪しくなってきたぞ。気圏戦闘機乗りがLAMに乗り換えるというのも、いい加減おかしな話ではあるが、それに加えて、一介のボンズマンの手助けが必要とまで言っている。

 これはアレか?もともとおかしなヤツだと思っていたが、いよいよ本格的におかしくなってきたってことだろうか。そう考えている所に、それらを否定するかのようなジークの声がかかった。

「LAMに乗る事を選択したのは、あくまで私の意志だ。そして、代替機にLAMを配備するよう申請し、そして最終的に神判によってその要求を認めさせたのも、私自身の力によってだ。そして、お前に助力を求めるのも、全て私自身の意思で決断したことだ」

 少しのよどみなもなく言い切ったジークの、その真剣な表情を前にして、俺は、再び災厄が列をなして訪れたであろうことを、その瞬間確信した。

「急な話で戸惑うのもわかる、しかし、私の所属するクラスターには、LAMの構造や概念について精通しているテックも戦士もいない」

 まあ、そうだろうな。

「神判に打ち勝ち、LAMの支給を認められた。そして、納入されたLAMと共に、ミキ女史より、クルツをアドバイザーとして推薦する書簡もいただいた。そして、お前に協力を要請するための許可も、スターコーネル・イオ並びに、スターキャプテン・ロークから、正式な手続きにのっとって申請をし、これを許可された」

 なるほど、だからそんなに顔中ボコボコになっているわけだな。だが、俺の所に来るよりもまず、病院に行く方が先じゃないのか?

 それはともかく、ジークんとこのスターコーネルはともかくとして、イオ司令やマスター達も、どうにも面倒なことをしてくれたものだ。

「それと、今回の件にあたっては、イオ司令とローク隊長から、ある一定の条件が出された。つまり、最終的な決定権はクルツ、お前にあり、それでどのような判断を下そうと、お前に対して、いかなる強制力も一切行使されない。と言われた。その件については、私も了解している」

 おやおや、ここまで来て、ずいぶん弱気な路線になってきたな。最終的な判断が俺にあるってことは、ここで断っちまってもいいってことだな?

「待て!そ、その前に、一度機体を見てから考え直せ!!私が言うのもなんだが、素晴らしい機体だ!!」

 そんな俺の魂胆を察したのか、ジークは俺に反論の暇を与えさせない剣幕で必死に言葉を並べあげる。

「LAMにはもう関わりたくない、あの機材は相性が悪すぎる」

「タダでとは言わん!手当ては出す!!」

「タダだろうとなんだろうと、もう空を飛ぶ機械には係わりたくないんだよ」

 わざと放った、俺のぞんざいな口調に、ジークはほんの一瞬だけ不快そうな表情を浮かべている。ジークは、俺の知っている氏族人の中でも、一番氏族の戦士のイメージにヒットする堅物だ。これで、気を悪くしないわけがない。いや、してくれたほうが、それこそ望む所、ってやつだ。

 そうとも、ここで少しでも譲歩したが最後、あとはなし崩し的に面倒事に巻き込まれるに決まっている。幸い、マスターも最終的な裁量権は俺にあるとしてくれた。それなら何も遠慮することはない。さっさと断りを入れて、この疫病神を追い返すべきだ。

「だが、私もここで引き下がるわけにはいかない。私の、戦士としての命運がかかっている。ならば、お前が協力してくれるというまで、私もここに滞在することにする。どの道、お前が協力してくれなければ、LAMはまともには動かんから仕事にもならん」

「ちょっと待て!?」

 あまりといえばあまりな言葉を口走ったジークに、俺は思わず声のトーンを上げてしまった。こともあろうに、このクラスターに居座るだと!?そうなれば、こいつを心底嫌っているリオが当の本人に出くわした時、どんな騒ぎになるかはたやすく見当がつく。

「リオのことだろう、心配するな、良好な関係を維持できるよう、最大限の努力をする」

 だから、そんな問題じゃねえっつうの!!

 思わず、イオ司令とマスターの方を見ると、2人とも完全に『我関せず』といった表情でシカトを決め込んで、ドラコ直送の緑茶なんぞをすすっている。いくら2人が戦士階級としては変わり者の部類に入ると言っても、LAMに対する認識までが例外というわけではない。

 いったん興味を引けば、こちらがうろたえるくらいに乗り気になるが、逆に興味のない話には、とことん乗ってこない。これがふたりの大まかな性格だ。さすがはシブコ同士の結束といったところだが、俺にとっては、それで済む問題ではない。

「とにかく、私もここで引き下がるわけにいかないのは、先ほど話したとおりだ。お前にはお前の矜持があるように、私にも私の矜持というものがある。お互い、ここは根競べと行こうじゃないか」

 ………このチビ介、だんだんなりふりかまわなくなってきやがったな。くそ、なんてこった。

 勘弁してくれ、本当に。

 

 

 結局、俺はジークの要求を呑み、イオ司令の承認決裁のもと、クラスター本部付けで気圏戦闘機部隊への出向を命じられた俺は、ジークの所属するクラスターに着くや否や、さっそく予想通りの台詞を頂戴することになった。

「クルツ、最初に言っておくことがある」

 さあ来た、どうせ立場をわきまえろとか、命令には絶対服従とかそんなもんだろう。

「はなはだ不本意ではあるが、今回の件において、私に対して遠慮なく物申してかまわん」

 別にへりくだりたいとか、高圧な態度をとられたいとか、そんな奴隷根性は、ジャガーメックの背中の装甲ほどもないが、さすがに、この言葉を聞いた時は、我が耳とジークの正気を疑った。

「お前は、私が思っていた以上に、あのクラスターの中では重要な位置を占める男と認識した。スターコーネル・イオやスターコマンダー・ロークからの扱われ方もそうだが、なによりも、あの『バビロンの紅狐』が高く買われている男だ。今回の件にあたって、彼女より通達があった。LAMの事に関しては、お前を特に推薦すると。

 その、一本だけ残されたコード。それは、いつでも切れる用意がある。しかし、お前並みの技術をもったテックは貴重であるがゆえに、お前の後継者が見つかるまでの間、やむなく保留処分にされている、と言うことも書き添えられていた」

 おやおや、一応、ミキも考えてくれたようだ。どこからそんな嘘八百もいい所な話を。まあ、自慢じゃないがテックとしての技量はクラスターにいる氏族出身の連中には負けない、って自信はある。だが、代わりがいないかと言えばそうでもない。

 たとえば、俺の部下ってことになるシゲ。あいつは間違いなく、俺の後を任せられる技術と知識を持っている。今では、俺の仕事って言ったら、メンテナンスやチューニングプランの起案の吟味と承認、そして、作業工程の中間および最終チェックくらいだ。だから、俺はリオの教育に専念できるわけなんだが。まあ、そんなことは今はどうでもいい。

「言ってみれば、お前は我々氏族人のテックがふがいないばかりに、足止めを食っているようなものだ。今はたかがテックに身を落としているとは言え、戦士階級と比べても、能力的にはなんら遜色ないことは彼女からの書簡や、クラスター本部での一件で了解した」

「なるほど………なら、ひとついいか?」

「どうした」

「いくら言葉のあやだったとしても、テックを落とすような発言はやめて欲しい。確かに、実際に戦場で戦うのはお前達戦士かもしれない。しかし、その戦場で駆る機体を万全の状態に整えるのは、俺達テックの仕事だ。代わりはいくらでもいるなんて考えもやめて欲しい、熟練したテックひとり養成するためにも、お前達戦士を一人前にするのと同じ、いや、それ以上の時間と金がかかってるんだ」

「なに………?」

 俺の遠慮ない言葉に、ジークの元々鋭い目が、さらにきつく吊りあがる。だが、俺はかまわず言葉を続けた。ここで逆上するようなら、俺はこの仕事を下りる。それが、たとえミキの紹介によるものだったとしてもだ。

「お前達戦士が戦場で戦うように、俺達テックはハンガーで戦っている。自分が整備したメックや気圏戦闘機、戦車達が戦場で生き残れるように、搭乗員と一緒に帰ってこれるように。もし、敵に撃破されたとしたら、それは戦士だけの敗北じゃない、テックの敗北でもあるんだ。

 でも、自分の整備した機械が、一度もやられること無く帰ってきた幸運なテックなんてひとりだっていやしない。それでも、俺達は自分の持つ技術と知識の全てを注いで、機体をより完全な状態にする。

 機械とその搭乗員を愛せないヤツに、テックの資格なんてない。自分の整備した機材と搭乗員が無事に帰ってくることが、テックにとっての最高の喜びさ。だから、俺達テックは、1機でも多く、ひとりでも多くの戦士が帰ってこれるように、散った戦士とその愛機の重さを背負って、どんな目にあっても歯ァ食いしばって工具を握るんだ。

 俺は、テックが身を落とす場所だなんて思わない、氏族人の技術階級がふがいないとも思わない。ジーク、お前の言ったことは、間違っている」

「クルツ、貴様………」

「お前達の言う、たかがテックにここまで言われたのは腹が立つか?だがな、俺は間違った事を言ったつもりなんてないから、撤回なんてしない。生粋の氏族人ならともかく、俺は中心領域の人間だ。いくらボンズマンになったからって、その記憶は消せないし、そのつもりもない。

 俺は、この世界が気に入ってる。大切な仲間も出来たし、守っていきたいと思える奴も出来た。だから、俺はノヴァキャットのために、自分に出来る限りの事をしたいと思っている。だから俺はここにいる」

 さあ、ここまで言った以上、こいつの性格なら絶対タダでは済ますまい。今まで思っていても口にしなかった事を、なんで今頃になってコイツに対しては叩きつける必要があったのか、自分でも、いい加減滑稽なことだとは思うが。

「………そうまで言うからには、それ相当の覚悟があってのことだろうな」

 俺は、返事の代わりにジークの目を真正面から見据えた。耳に聞こえるあらゆる言葉よりも、より一層効果的な対決姿勢の意思表示だ。

「表へ出ろ」

 

 

 膝の真横に、コンバットブーツの爪先が鞭のように打ち据え、たまらず姿勢を崩した所に、右目の奥に響く衝撃が炸裂する。その瞬間、視界の端に映った小さな影に、すかさず蹴り出した俺の右足に、標的を捉えた鈍い感触が伝わる。そして、間髪要れず俺が振り上げた腕の真下を、かいくぐるように飛び込んできたその小さな背中めがけて、ここぞとばかりに肘を振り下ろした。

「グッ………!き、貴様っっ………!!」

「そっちこそ……ゲフッッ………好き放題しやがって………!」

 旗色は、五分か正直それ以下だ。手数は圧倒的に向こうが多い、そして、怪我をしているとは思えないほど、スピードも身のこなしも圧倒的だ。おまけに、体格が子供並みに小さいから、こちらの攻撃はほとんど当たらない。とは言え、一発ごとの威力は我慢できないほどじゃない。当たってやる代わりに、カウンターを思いっきりお見舞いしてやる。

 おかげで、どっちもどっち、今の所なんとか持ちこたえはいる。相手がチビだとかそんなことは、もうこの際まったく関係ない。遠慮なんかしていたら、こっちがやられる。

「オウフッッ!!??」

 ………こ、こいつ、なんて真似を。

 ヤツのコンバットブーツが、俺のオートキャノンの弾倉に直撃した。当然、俺はメックじゃないから、CASEなんて気の利いたものがあるわけもなく、誘爆ダメージはそのまま中枢を直撃し、エレメンタルに下っ腹を鷲掴みにされ、そのままはらわたをもぎ取られるような形容しがたい激痛に、呼吸が止まり全身から脂汗が噴き出してくる。

 ………このチビ、もう勘弁ならねぇ!!

 全身を駆け巡る激痛と怒りをそのままエネルギーに変換し、感情を爆発させるがままに全身の筋肉をフル稼働させると、俺に致命的命中を食らわせた事で油断していたジークをとっ捕まえた。

「きっ、貴様っっ!?」

 まさか動けるとは思ってもいなかったのだろう、ジークの顔が、明らかな驚愕の表情で覆いつくされていく。俺は、ジークの細い肩をがっしりと鷲掴みにしたまま、思い切り背中を反らせると同時に、腹筋背筋全ての力を使って頭を振り下ろした。

「喰らえ!!」

 鈍い音と同時に、衝撃が視界を真っ暗に塗り潰し、チリチリとショートするような感覚が目の奥を焼く。そして、うっすらと戻ってきた視界の中に、額にでかいタンコブを作ったジークが、白目を剥いてひっくり返っていた。

 

 

「よう、目が覚めたか」

「む………?っ痛ぅっ…………!」

 小一時間ほどして、ようやく目を覚ましたジークは、頭を押さえながら周囲を見渡すという約束動作をしている。・・

「私は……負けたのか………?」

「そうなるかな」

 俺の言葉に、ジークは額に巻かれた包帯を不思議そうになぞっている。

「………まさか、あんな原始的な手でやられるとはな」

「油断大敵だ、それに男子の御本尊様を足蹴にするお前が悪い。あれですっかりキレた」

「切れた………?出血はないようだが」

「そうじゃなくて、堪忍袋の緒が切れた、ってやつだ。粉砕なんかされてたら、勝負はお前の勝ち。そのかわり、俺も使い物にならなくなって原隊送り。ってやつだ」

「む………」

 俺の言葉を聞いたとたん、ジークの顔色が変わった。まさかこいつ、何も考えずにあんな危険極まりない蹴りを入れたってのか?冗談じゃねぇぞ、ったく………。

「それは困る、今お前がいなくなったら、私とLAMはどうなる」

「というわけさ、俺の言ったこと、少しは納得してくれたかい?」

「………そう……だな」

 憮然とした表情で、目を合わせようともしないが、こいつはこいつなりに納得はしてくれたのだろう。とりあえず、そう思うことにしよう。考えること自体、時間の無駄だ。

 それにしても、俺がジークに逆転の一発をかました時だ。あの時も、確かにチョークで引いた対等の環を遠巻きにするように、結構な数の気圏戦闘機乗りやテック達が集まって見物していた。そして、卑しくも戦士様をノシてしまった以上、これはただで済むまいと思っていたら、連中、ニヤニヤと笑いを浮かべながら、あとは知ったことではない。とでも言うように、三々五々散って行ってしまった。

 当然、ジークを気遣う奴なんてひとりもいなかったし、衛生兵を呼びに行った奴もいなかった。つまり、俺とジークは、完全に放っておかれてしまったわけだ。

 いくらなんでも、頭を強打して失神したんだ。素人でも、少しは心配するのが普通だ。それが、揃いも揃って知らん振りってのは、あんまりじゃないのか?

「気にするな、いつものことだ」

「いつものことって、お前………」

「私は、嫌われ者だからな」

 自分でそう言ってれば、世話はない。それにしても、コイツについては、クラスター内の位置付けといい、どうにもわからない事が多すぎる。

 確かに、氏族人というのは協調の精神ってヤツをかなり重視している。だから、ジークのように独断専行・自己中心のオフィシャルサンプルのような人間は、それだけでかなり苦しい立場を強いられるのはわかる。だが、ここまで総スカンを喰らうってのは、少し考えられないことだ。

 けれども、こいつは不思議な奴だ。今さらかもしれないが、戦士階級の連中から罵倒されたり侮辱されたりなんてのは、それこそ日常茶飯事だった。さっきジークに言われたような言葉だって、ありていに言えば聞き飽きた類であって、いまさら腹を立てるのも馬鹿々々しいとさえ言えるようなものだ。

 なのに、こいつに対しては、真っ向から反論しただけじゃなく、あまつさえ神判騒ぎまでブチ上げるといった結果になった。普通なら、また野蛮人がわけのわからんことを。で済ませられるはずなのに。

 それにしても、こいつとのガチンコは結構高くついた。俺の肩ほどもないチビだから、ましてや女だからと侮ったわけでもないが、こいつの格闘能力はかなりのもんだった。急所を狙い、なおかつ確実にヒットさせるだけの技量とスピードをもっている。

 AC2の連射を喰らっときながら、たいしたことはないと高をくくっていると、いつの間にか関節やら武器やら、当たって欲しくないところに連続して当たって青くなるってやつだ。実際、ジークの拳や蹴りは、俺の関節やら脇腹やらに今でも焼けるような痛みを残している。

 お互い素手同士だったからよかったようなものの、これでもしジークが本調子だったら、ましてやナイフやらの武器でやりあっていたとしたら、多分、俺は立っていられなかっただろう。

 まあ、そんなことはどうでもいい。どうでもいいことなんだが。

「それはそうと、これはお前が手当てしてくれたのか?」

「ああ、まあな。頭を強く打ったわけだし、念のため病院に行こう」

「いや、いい。私がフェノタイプだったら、それも考えなければならないかも知れないが、私はただの発育不良で小さいだけだ。それに、私がいなくなっても、気にする者はいない」

「アホウ、そう言う問題じゃないだろう。俺が気にするよ」

 まったく、どこまでも不貞腐れたチビ介だ。俺は、ここのテックから借りてきたジープに、有無を言わせずジークを放り込むと、一路ホスピタルに向けて走り出した。

 

 

 

「なんとも無くてよかったな、さすが戦士様、頑丈そのものだ」

 精密検査の結果は、まったく異常なし。軽い脳震盪と、単純型頭部外傷。平たく言えばたんこぶのみと診断された。頭なんだから、念入りに検査しろ。と、しつこくドクターに言い続けていたら、どちらかと言えば、俺の全身の打撲の方が酷く、右目に喰らったパンチは、ひとつ間違えば角膜損傷と網膜剥離を起こす所だった。と、逆に脅かされた。

 とりあえず、ブチ犬のような輪っかが出来てしまった事と、大事を取る、と言う事で、眼帯を巻かせてもらった。

 隣のシートに、憮然とした表情で座っているジークは、額に湿布を貼り、包帯を巻き直して終わりだ。これじゃ、どっちがケンカに勝ったのかわからない。だが、客観的に見れば、ふたりともぐるぐる巻きの包帯コンビで、どっちもどっちだ。

「なあ、ひとつ聞きたい事があるんだが」

「神判の勝者はお前だ、お前にはその権利がある」

「そんな大したことじゃないさ、ただ、なんだってLAMに乗る気になったのか、ってことさ。確かに、見た目は戦闘機だが、ありゃメックでもあるんだぞ?」

「それは、お前が教えたはずではないのか?」

「俺が?」

「そうだ。あの時、私は、あの紅い気圏戦闘機を確実にしとめたと思った。だが、突然それはメックに変わり、空戦ではありえない機動で私のシロネを行動不能にした。もし、あの紅いLAMが武装をしていたとしたら、私は、今ここにいないはずだ」

 ジークは、額の包帯を気にするようになぞりながら、とつとつと答える。

「それも、戦士ではない、テックの操縦によってだ。正直、ショックだった。試作の域を出ない機体で、しかも、空戦の素人の手によってその命を握られた、ということがな」

「ありゃ別に、大した話じゃないだろう」

「別に、今さら隠すこともないだろう。話は全てミキ女史から聞いた、機材の不具合を起こしたメインシステムの代わりに、コ・パイのサブシステムで私の追撃をかわし機体を捕獲したとな。

 あの時は、心底はらわたが煮えくり返る思いだった。気圏戦闘機のパイロットとして、数多の敵を墜としてきた私が、今日初めて操縦桿を握った男に全てをひっくり返されたのだ。こんな理不尽があってたまるかと、不服の審判も考えた」

 そりゃそうだろうな。俺は、ジークの言葉を聞いて、そう思わずにはいられなかった。誰だって、絶対の自信を持っていることで、ずぶの素人に足をすくわれたなんて事になれば、平静でいられるほうがどうかしている。

「………だがな、時間が経つにつれ、冷えていく頭が恐怖を感じた。もし、あれが本気で反撃を加えていればどうなっていたか。翼をもぎ取られていたら、コクピットに拳を加えられていたら。

 気圏戦闘機は高速で飛んでこそ、初めてその力を示す事が出来る。それが、敵に捕えられた途端、生殺与奪を握られたアヒル以下の存在に落ちてしまった。そう思った時、心底恐ろしいと思った」

「それで、自分もLAMに乗ってみようと?」

「単刀直入だな、その通りだ。あの緩急自在の機動を持つ機体を、自分の意のままに操れたとしたら。それは、新しい空を与えてくれる。そんな気がしたんだ」

「新しい空、か………」

 ジークの言う新しい空、それがどんなものなのか、俺にはわかりようもない。この、根っからの氏族人である彼女に、あえて困難な道を選ばせる空とは、いったい何なのだろう。

「なあ、ジーク」

「何だ」

「お前にとって、空ってのは、仲間からそっぽを向かれてまで、行きたい場所なのか?そうやって、独りで何もかも背負い込んでまで、行きたい場所なのか?」

「どういう意味だ?」

「人間、独りで出来ることなんて、たかが知れている。俺は、そう思ってる」

 予想通り沈黙が流れ、聞こえてくるのは、エンジンの音とオープントップのフロントガラスをすり抜けていく風の音。

 さっきの事もそうだったが、どうして俺は、こいつの言う事を受け流す事が出来ないのだろう。自分でもおかしいくらい、ジークの言うことなすことにいちゃもんをつけて。

 なぜだかよくわからない、けれども、なにがどうあろうと、こいつとは真正面から向き合い、それがたとえ相手の逆鱗に触れるような事でも、お互いを向かい合わせなければならない。そう思えて仕方なかった。LAMがどうとかそう言った問題ではない、おせっかいかもしれないが、とにかく、そう思った。

「フッ………ハハハハハッッ!それで私を試しているつもりか?なら無駄な努力だったな、クルツ。今後一切、お前が私に対してどんな口を叩こうが、私がLAMをものにするまで、ここから帰すつもりはない。

 まったく、なにを言い出すのかと思えば、そういうことか。お前の性格は、すでに重々承知している。言うことにいちいち腹を立てていては、神判に勝利し、わざわざLAMを調達させた意味がない。

 残念だったな、私を怒らせて家に帰ろうという腹だったのだろうが、そうはいかん。もっとも、そうなったとしても、今度はお前に負けるつもりはないから、どの道帰しはせんがな」

 突然笑い出したジークは、まったく予想外の反応を俺に見せた。ジークの解釈は、当たっているとも間違っているとも言えない。けれども、確かにジークは、俺の言う事を受け止め、そして自分の言葉で返してきた。

 それは、とても大事なことのように思えた。

「そうか」

「そうとも、だが、こういうのも悪くない」

 視界の端に、かすめるようにして映ったジークの表情は、微かだが、穏やかな表情が浮かんでいた。そう思うのは、俺の思い上がりかもしれないが。

 

 

「今日はご苦労だった、散らかっていて済まないが、ゆっくり休んでくれ」

 その日、結局ケンカと病院の往復で一日が終わり、ジークの居室に帰ってきた俺達は、全身を包み込んでくる泥のような疲労感に、どちらからともなく、ぐったりとその場にへたり込んだ。

「それにしても………飛行機だらけだな、この部屋は」

 俺は、初めて見るジークの部屋を見渡して、その飛行機マニアも裸足で逃げ出すようなインテリアを眺める。

 ポスターやピンナップ、スクラップ写真は当然として、古今東西ありとあらゆる気圏戦闘機のソリッドモデルが机や棚の上を飾っている。そして、机の上を、彫刻刀や小刀、紙ヤスリと一緒に、様々な大きさと形の木片が埋め尽くし、彼女の意外な趣味と特技を見て取れた。

「すごいな、こいつはみんな、お前が作ったのか?」

「作ったものもある、市販品もある」

 ジークのコレクションを眺めていると、それらの中に、見たこともない型の飛行機が混じっているのに気がついた。鼻っ面が妙にとんがったタイプや、プロペラがくっついたヤツは、どれもこれも、今時の戦闘機とは違う、どこか懐かしさを感じさせるような雰囲気を持っていた。

「ジーク、こいつらはいつの飛行機なんだ………?」

「ああ、これか・・・これは、まだ人間が、テラにしか住めなかった頃、その大空を舞った飛行機達だ。数少ない資料しかなかったが、ひとつひとつ裏をとり、それらを参考にして私が作った」

「なるほど………『GRAMMAN F-14 TOMCAT』、こっちは『Mitubishi A6M5-A Type-zero』………みんな知らないヤツばっかりだな・・・・・」

「それはそうだろう、この子達は、みな千年以上前に生まれたものばかりだ。軍事歴史の学者でもなければ、覚えている者のほうが珍しい」

「千年前?………良く調べたもんだな」

「ああ、私のファルコナー………ああ、教官の事だと思ってくれていい。まだ私がシブコの教導隊にいた頃だ。教官はよく、ブライアン・キャッシュから見つけてきてくれた、大昔の飛行機の資料を私に見せてくれたものだ。今にして思えば、勝手にブライアン・キャッシュから資料を持ち出すなど、厳罰ものの行為だったがな。

 カラーもあればモノクロもあった。どれもこれも、ノイズだらけの不鮮明なフィルムだったが、それでも、私は震えたよ。今にしてみれば、性能など比べるべくもないものだとしても、それでも、私は彼らに魅せられていた」

 機体にかけた人間の情熱が、どこか不思議な懐かしさと温かみをまとっているような飛行機達に、心から慈しむような表情を向けるジークは、いつに無く饒舌だった。

 病院からの帰り道以来、まるで憑きものが落ちたかのように、彼女を包み込む空気は穏やかなものに変わった気がする。まあ、こちらとしても、四六時中角を突っつき合わせるのは御免なわけだから、それはそれで歓迎なんだが。

「そうか………でも、よくここまで作ったよな。お前、本当に飛行機が好きなんだな・・・・・・」

「フフッ、まあな」

「それじゃ、今度、俺にもひとつ作ってくれよ」

「む………?フフッ、そうだな、考えておこう」

 俺の何気ないひとことに、ジークは、まるで少女のように目を細めて笑う。その笑顔には、部隊のつまはじき者としての影は、どこにも見つからなかった。

「………私には、夢があるんだ」

「夢?」

「そうだ、いつか、この子達がその翼を広げた、テラの空を飛びたい。誰とも争うことなく、誰とも競うことなく、ただ、飛びたい」

「そうか………」

 彼女の夢は、かなう日が来るだろうか。是が非でもかなって欲しい。俺は、その時、心からそう思った。

「ありがとう、クルツ」

「………なにが?」

「フッ・・・・・・なんでもない。今日のこと、と言うことでいい」

 そんなジークの言葉に、どう答えようかと考えているうちに、だんだん目蓋が重たくなってきた。せめて、持参してきた愛用の寝袋にもぐらねば、とわかっていても、俺の意識は少しずつ塗り潰されていく。ジークの声が聞こえたような気がしたが、その時には、もう俺は眠りの淵に滑り落ちていた。

 



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聞け戦巫女の唄(中)

「どうだ、素晴らしいだろう?」

 まるで新しいオモチャを自慢する子供のように、表情を輝かせながら声を弾ませているジークの姿に、俺は心の中で深いため息をついた。

 どうでもいいが、朝から終始一貫して機体の説明とも自慢ともとれるジークの話を聞いていたら、いつの間にか昼飯時を過ぎていた。ただ何もせず、立ちんぼで話を聞き続けるってのも、これはこれで重労働だ。

 結局、俺はまた自分から地雷原に飛び込む事を選択した。イオ司令やマスターは、用件を伝えるだけ伝えると、あとはもう知らぬ存ぜぬで、強制もしないが味方もしない、って態度を崩さなかった。どうにもならない、それが、あの時の偽らざる心境だった。

 仕方ないだろう、あまり人に対する好き嫌いがないリオにしては珍しく、あの子が唯一本気で牙を剥く人間が、毎日遭遇する可能性の高い状況に収まり、いらぬ紛争を起こすであろう危険因子を多分に含んでいるとなれば、どんな結果になるか予想もできないほどマヌケなつもりはない。

 とにかく、過ぎたことは置いておくとして、今目の前にあるLAM。量産型ということもあって、翼や細かい箇所の形状は異なるが、この間後部席に乗せられ、図らずしも空中戦に巻き込まれたあの機体、フェニックス・キングに瓜二つと言っていい機体だった。

「これがワルキューレだ、武装はER―PPC1基、ER-Mレーザー3基、LRM152門、アルテミスIV・システムだ。50tクラスの中戦闘機ということになる」

 中戦闘機って、LAMにこれだけ武装を積み込んだら、どっちかというと戦闘攻撃機じゃないのか?………まあ、いいけど。

「50tクラスでこの武装か、機動性とか大丈夫なのか」

「問題ない、私が飛ばしてみた限り、ドッグファイトは十分可能と判断した。それに、ワルキューレの持つ変形機構、これを活かした戦法の構想があるのだ。そのために、お前の協力が必要なのだ」

「ふむ………?」

 LAMの特性を活かした戦法ねぇ………さてさて、何をどうするつもりなんだか。

「それはそうと、もうこんな時間か。すぐに取り掛かりたいところではあるが、空腹では効率も上がらん。弁当を準備してきた、作業は食事をとってからにしよう」

 不意に話題を変えたジークは、ハンガーの隅にある作業台の上にある、色気のない箱を指差した。

てっきり工具箱か何かと思っていたが、ありゃ、弁当箱だったのか………って言うか、弁当があるってことは、ぶっ通しで働かせるつもりだったな・・・・・・?

「さあ、お前達ボンズマンは、普段あまりいいものを食べさせてもらえないのだろう?レーションの中身を詰めただけだが、それでも普段の食事よりは上等なはずだ。さあ、遠慮せず食べてくれ」

 コイツのことだから、さっそくこき使われるものと思っていたが、まさかメシまで用意してくれるとはね。それにしても、こいつの浮かれ方は普通じゃないな。そんなに新しい機体が嬉しいのかね。

 それはともかく、確かに、ジークが用意してくれたメシは、俺が普段食っているキシ・ヌードルとかに比べれば、上等もいい所だ。戦士階級ってのは、レーションひとつとってみても、特別扱いなんだな。

「………私も元はボンズマンだった。だから、お前の苦労はわかるつもりだ」

「そうだったのか?」

「ああ、その通りだ」

 こいつは驚いた。まさか、ジークがよその氏族の人間だったとはね。

「しかし、お前も不幸なものだな。テックとしての技術が一流だったばかりに、なかなか思うように動けないだろう?私は気圏戦闘機を飛ばすしか能が無かったからな、ボンズマンであった頃は、雑用ひとつとっても失敗ばかりしていたから、相当ひんしゅくを買いまくったものだ。もっとも、だからこそ少しでも早く、3本のコードを切ってもらえるよう、力を尽くさざるを得なかったわけだがな」

「ボンズマンって言ってたな、それじゃ、前はどこに居たんだ?」

「ジェイドファルコンだ」

「ジェイドファルコンってことは………2年前の話か?」

「そうだ、たかが2年、されど2年。ノヴァキャットにおける生活は、私の既成概念を粉々に打ち砕き、更地に戻してくれるには十分な時間だった」

「確かに、そうかもな」

 驚いたな、まさか、ジークが元ボンズマンとは知らなかった。しかし、彼女の話からすると、1年もしないうちに戦士としての力を認めさせたってことになる。いやはや、10年近くたっても、未だにボンズマン稼業の俺とは大違いだ。

「それは関係ない、さっきも話したが、私にはクルツのように機械工学に精通している訳でもなければ、他に秀でた技能を持っているわけではない。結局、私が他人に胸を張って言える技術は、戦士としての力を示すしかなかった。という訳だ、私は、お前が努力を怠っているとは思わない」

「そ、そうか………?」

「そうとも、現に、氏族人のテックでは誰ひとり扱うことの出来ないLAMを、こうして整備をしに来てくれているではないか。とてもではないが、あの頃の私に、クルツのような真似は到底不可能だ」

 ジークは、苦笑交じりに目を細めながら、小さなサンドイッチを口に運んでいる。が、ほんの一瞬だけ、寂しげな色がその銀貨のような瞳の上で揺らめいた。

「私は、誰からも頼られた事が無い」

「ジーク?」

「いや、誰も頼ろうとしなかったから、かもしれん。氏族人のしきたりとは言え、ついさっきまで敵だった氏族に力を尽くさなければならないという奇妙な現実、それが他人に対して壁を作ってしまったのは事実だ。

 今にして思えば、愚かなことだ。クルセイダーとウォーデンと言う主義主張の違いこそあれ、元は偉父祖が失望なされた世界を正すという目的は一緒だったはずだ。それを、氏族人同士で反目しあうなどと、それこそ、偉父祖がご覧になられたら、さぞかし落胆なされることだろう」

 ジークの淡々とした言葉に、俺も思わずフォークを持つ手が止まる。戦うことしか考えていないように見える氏族人でも、真摯に己が使命と理念を胸に秘めている者もいる。

 彼らは、確かに野蛮な民かもしれない。けれども、彼らには彼らの矜持と信念が、確として存在し、その光を放ち続けているのだ。だからこそ、俺はここにいる。その光の照らす先を見るために。

「確かに、中心領域の概念からしてみれば、我ら氏族人は理解に苦しむ世界に住む民かも知れん。だが、我々は、愚かな戦を飽きもせず繰り返し、母なる地球と先人達が生み出した歴史の結晶である、人類全ての宝である叡智の実を喰い潰す五大王家が許せなかった」

 その純粋な魂が紡ぎだす言葉。そう言えば昔、やはり同じような事を言っていた戦士、いや、戦士の卵がいた。けれど、今はどこにいるのか、生きているのかもわからない。やはり、もし会えたとしたら、同じ事を言うかもしれないな、と思った。

「まあ、なにやら辛気臭い物言いをしてしまったが、それは今は置いておこう。私には、この機体の力を知る事が先決だ」

「ああ、そうだな」

 まあ、コイツもコイツなりに、いろいろ思う所はあるようだ。どうにもな、他の連中にも、こう自分を素直に見せる事が出来たなら、なにも部隊で孤立する事はなかったろうに。

「それはそうとして、ジーク。そのスルカイ、まだ解除されてないのか?」

 さっきから気になってはいたんだが、ジークの頭の上で揺れている長い耳。こいつは、この間のLAM騒ぎの時、客人に危害を加えたということで、受けることになったスルカイだったはずだが………。

「ああ、これか。スルカイはもう解除されている、これは私自身の戒めだ」

「戒め?」

「そうだ。今にして思えば、あの時の私の行動は、まさに道化そのものだ。なればこそ、その時の愚かな私を忘れぬため、スルカイを解かれた後も、こうしてこの滑稽な装飾品を着けている。

 それに、以前ミキ女史にお会いした時、カタログを戴いた訳だが、何も買わないというのは義理に反するからな。手持ちの戦利品を処分して、どうにか通貨を手に入れた。私達戦士は、必要なものは供与か徴用という形で手に入れられるが、あの方から、まさかそんな不遜な真似をする訳にもいかない。コーヒー1本飲みたいがために、PXから特権を行使して頂戴してくるのとは訳が違う。まあ、そう言うことだ」

 そう言うこととは言うが、ジェイドファルコンの人間は、質実剛健が服を着て歩いているような連中揃いで、過剰な装身具をまとうことを良しとしない気質がある。それを、ひとつ間違えれば、仮装パーティーから抜け出してきたような姿で往来をうろつきまわるというのは、相当な非常事態と言わなければならない。

 ともかく、やや内罰思考が強いとは言え、あの時の事は、ジークはジークなりに重く受け止めていると言うのはわかった。ミキに対して盲目的な信奉者であることは、過去のくだりからして感じてはいたが、さすがに、ここまでくると並大抵のものではない。

 ミキにしてもジークにしても、気圏戦闘機乗りという共通項があるが、このジークがここまで信奉するミキというのは、氏族のなかでも結構凄腕のパイロットだったってことなんだろうか。

 ただ、そのことに関しては、何度もそれとなく聞いてみたことはあったが、いつもの冗談だかなんだかわからない、あの変に人懐っこいと言うか、しなを作った態度でごまかされて終わりだった。

まあ、それこそ、どうでもいい事なんだが。

 

 

「やっぱり、俺も乗らないと駄目か?」

「何を言っているのだ、お前がいないと始まらないだろう?」

 昨日は、ワルキューレの機体構造のチェックだけで一日が終わってしまい、今日はいよいよ実際にテスト稼動させてみることになったが、ここで予想外の事態が発生し、俺は、今さらながらにジークにはめられたことに気付いた。

「昨日見た時は、複座じゃなかったような気がするんだが?」

「ああ、それなら、昨晩のうちに積み直して調整しておいた。そのくらいなら、うちのテックでも十分できる作業だからな」

「なんだって?」

「仕方なかろう、そうでもしなければ、多分お前は何かと理由をつけて、同乗を拒むだろうからな」

 ありゃ、見抜かれてただぎゃ。

「お前をあざむくような真似をした事は、本当にすまないと思っている。しかし、今の私に、全モードの単独操縦は正直言って無理だ」

「わかった、まあ、お互いのことはおいておこう。それで、俺は何をすればいい?」

「ああ、まず、整備マニュアルの作成だが、うちのテックでも理解できそうなものを作れるか・・・・・・?」

「それなら任せとけ、うちのリオでもメンテできるくらい、わかりやすいものを作ってやるよ」

「リオの事はともかく………うむ、まあ………そうか。なら、この件については大丈夫だな。期待しているぞ、クルツ」

「ああ、それで、次は?」

「いわば、これが本題のようなものだ。知ってのとおり、私は気圏戦闘機乗りだ。メックについては、素人も同然だ」

「まあ、そうだろうな」

「それでだ、以前、お前が見せた、私のシロネに白兵戦を仕掛けた技、あれは見事だった」

 ああ、あの空中アクロバットか。けど、あれは『これが駄目ならもう終わり』的な覚悟でかましたものだ。もう一度やって見せろと言われて、はいそうですかとうまく行くようなもんじゃないんだが。

「戦いとはそういうものだ、仕損じて無事でいられるとは、私も思っていない」

「で?あの時の要領を教えてくれ、と」

「その通りだ、さすがクルツ、察しがいい」

「それなら、いきなり大技をかまそうなんて考えず、基本的なメックの操作も覚えた方がいいな」

「わかった、やってみる」

「よし、なら始めてみるか」

 

 

「う゛ぅぉえええええええっっ!!」

 たった30分足らずの訓練飛行で、俺はさっき食ったミートボールと感動の再会を果たすことになった。

今日もまたありついた弁当は、せっかくジークが用意してくれたものということで少し気が引けたが、アイツも俺の隣でサンドイッチさんと再会しているから、まあ、大目に見てもらおう。

「だ………大丈夫か?ジーク」

「あ、ああ………しかし、これはなかなか………うぐぇおっっ!!」

 あの後、さっそく息巻いてLAMのテスト飛行を行い、ファイターモードまでは順調だった。しかし、エアロメックモードから風向きが怪しくなり、メックモードに移行したとたん、俺達の胃袋と忍耐力はあっという間に臨界点を突破した。

 確かに、メックだって歩く時はもちろんのこと、飛んだり跳ねたり走ったりすれば、装輪車両とは比較にならないヨーイングやピッチングの嵐が襲い掛かる。メックの操縦にはまったく自信がないと自分で言うだけあって、ジークの操縦は酷いを通り越して、自殺願望があるんじゃないかとさえ疑わせるものだった。

 とにかく安定しない。エアロメックモードはどうにか操縦しきれてはいたが、それでも、このモードの最大の売りである低空でのホバリング機動に移った途端、ユラユラヒタヒタと怪しげな揺らぎが途切れることなく神経を侵食する。

メックモードに移行して、地上走行を行った時などは、それはもう筆舌に尽くしがたいなんてもんじゃなかった。

 とにかくリズムが一定しない、いきなり大きく傾いたかと思えば、それと同じ勢いと振り幅で機体を建て直すからたまらない。三半規管を蝕む振幅と、転倒の恐怖が常に付きまとい、それらは確実に俺とジークの体力を消耗させていった。

「とにかく、焦らず基本から行こう。エアロメックやメックモードは、サブか緊急時の手段として考えて、とにかくファイターモードで安定させて動かすことを第一目標にしよう………うげぇぇっっ!!」

「わ、わかった………すまない、面倒をかける………おぉぅえぇっっ!!」

 まったく、ふたり仲良くゲロ吐いてちゃ世話はない。これは、前途多難だ。

 

 

「なにが、良くなかったのだろうか」

 エプロンの掃除を終えて、一息つくために休憩をとっていると、ジークがポツリとつぶやいた。

「初めての割にゃ、飲み込みはいい方だと思うけどな」

「世辞はいい、飲み込みがいいのなら、ふたり揃って酔っ払いのように嘔吐することも無かろう」

「いや、メック動かしていきなり転倒、ついでに背骨も折って、そのままあの世逝き。って訓練生もいるからな、そういったのに比べれば、ってやつだ」

「そうか」

 俺の言葉に、ジークはなんとも微妙な表情を浮かべて、エプロンの片隅にたたずんでいる機体を見つめていた。

「なあ、ジーク」

「なんだ」

 俺の呼びかけに、ジークは、すっかり疲れきった表情で振り向いた。なんだかな、こりゃ、相当まいってるな。

「お前、目的を取り違えてないか?」

「なんだと?」

「だってそうだろ?お前、いつから戦場を地面に移したんだ?お前が戦うのは、あくまでも空なんだろ?だったら、もっと違うやり方があるんじゃないか?」

「それがわかれば苦労はない!」

「いや、お前はもうわかってるはずさ。こう思ってないか?『全てのモードを使いこなさなければならない、より完璧に、より高度に』ってな。お前がLAMに乗ろうと思ったのは、なにも地べたをメックで駆けずり回るためじゃないだろ?」

「そ、それはそうだが」

「なら、お前の戦場で、ワルキューレを使いこなす工夫をしようぜ?」

「しかし、どうやって」

「とりあえず、今日は上がろう。ふたりともこんな状態じゃ、事故を起こしに行くようなもんだしな」

「そう………だな」

「とりあえず、今日の残りはデータの整理とチェックにしとこう」

「わかった、そうしよう」

 

 

 あれから一週間、俺達は相変わらず、飛ばしては吐き、吐いては飛ばす、の繰り返しを続けていた。さすがに、ある程度はジークの技量もさまになってきたが、それでも、メックモードに関しては、相変わらず俺達の胃袋をこねくり回し続けてくれた。

 そして、今日もどうにか無事に宿舎に帰ってきた俺達は、めいめいLAMについてのデータを検討することになった。ワルキューレのハードディスクからコピーしてきた、今までの機動データを個人携帯端末で立ち上げてみながら、ジークの操作におけるクセなどを分析してみる。そこから、最適な機動パターンを割り出してみようって寸法だ。

 一方、ジークといえば、参考にとミキからLAMと共に同梱されてきた、ドラコのLAM部隊の記録映像を食い入るように見ている。

 それはそうと、今まで集めたデータを検討した限りでは、ファイターモードはもちろん問題なし。エアロモードで、やや機体の操作バランスに問題が生じ始め、それがあの真綿で首を絞めるような不快な振幅の原因になっている。そして、最大の問題が、メックモードにおける不安定さだ。

 これはさすがに、メックと言う機械の操作を本格的に訓練しなければ、どうにもならないものであることは否定できない。しかし、今さらそんな手間隙かかった真似をする訳にもいかないだろう。まず、ひとりの為にそんな特別カリキュラムを組む事自体無理があるし、そもそも、航空団幹部層が納得しないはずだ。

 ワルキューレを配備させただけでも、あちらさんにとっちゃ最大限の譲歩ってヤツだろう。となると、この問題は俺達でなんとかするしかない。だが、こうやって検討してみると、意外にも、ジークのメックモードにおける操縦は、それほど深刻な問題点があるわけではない事が判明した。

 基本的な操作は、まず問題なくコマンドされている。外部状況に反応するタイミングも悪くない、処理の仕方もまずまずと言っていい。では、何が悪いか。と言えば、これはもう単純明快なものだ。

 それは、恐怖心。この一言に尽きる。本人はまず否定するだろうが、この不安定な駆動パターンは、他兵科からメックへと機種転換したパイロットのそれに近い。もともと途中からメックに乗り換える、なんて奴が滅多にいないこともあって、これはすぐに記憶の引き出しから出てきた。

 つまり、今まで慣れ親しんできた気圏戦闘機とは、まったく性格が違うバトルメックと言う機械の操縦と、その機動パターンに戸惑い、無意識のうちに精神的なブレーキを引いてしまっているってやつだ。

 となればどうするか、ジーク自身の心理的な問題を取り払う事が出来ればいいのだが、これは、ハードの調整やチューニングでどうなると言ったものではない。早い話が、ジーク自身が意識を変えるしかないんだが、そんな簡単なことじゃないってのは、うちのリオ介にだってわかる話だ。

「どうだ、何かわかりそうか?」

 気付くと、ジークが俺の肩越しに端末の画面を覗き込んでいる。ジークもジークなりに、やはり気になるのだろう。

「ああ、一応な」

「一応、とは?」

「まだ確証が持てないんでね、あいまいな事を言って、混乱させる訳には行かない。だから、少し待っていてくれないか」

「そうか、しかし………いや、お前がそういうのなら、そうしよう」

 ジークは神妙な表情でうなずき、再びトライビットの画面に向き直ると、そのまま黙り込んでしまった。画面では、LAMの1個小隊がマローダーやオストカウトの一団を向こうに回し、凄まじいテンポで姿を変えながら、めまぐるしい機動性で相手を翻弄し、クラス重量の違いをものともせず、一歩も引かない奮闘振りを見せている映像が流れていた。

 ここまで完璧にLAMを稼動させていることから、LAM装備部隊のアグレッサー、もしかしたら、DESTの戦技研部隊かもしれない。

 そして、ジークは、その映像を食い入るように睨みつけている。もしこのLAM達がDEST所属だったとしたら、参考にすること自体、そもそも間違いと言う気もしてくる・・・が、こうなると、何とかしてやりたいってのが人情なんだが。

 その時、止まりかけた部屋の空気をかき混ぜるかのように、部屋のインターホンの呼び出し音が鳴った。

「ああ、いい。私が出る、作業を続けてくれ」

「悪い、頼む」

 まあ、ここはジークの部屋なんだから、当然っちゃ当然だ。

「なに!?」

 突然大声を張り上げたジークに、何事かと振り向くと、受話器を握り締めたまま、ジークは厳しい表情を浮かべている。

 まさか、あまりにも訓練結果が酷いんで、LAMを取り上げられたってんじゃないだろうな。

「非常呼集だ、ブリーフィングルームへ行くぞ」

「え!お、俺もか!?」

「何を言っているんだ、でなければ誰が電子管制をする!早く来るんだ!」

 いいよ、わかってる。どうせ、こういうことになるだろうとは思ってたんだ。

 

 

「では、まとめに入る。今回の任務は、本日1520に第57警戒郡の防空レーダーが捉えた、所属不明機および艦隊に対する警戒および捜索だ。本件に関しては、ドラコ連合の一部の勢力による、ゴーストベアー領アルシャインに侵攻したことに関連した、ベアー側による何らかの動きであると予想されている。

 今さら説明することもないと思うが、これらアンノウンが、ベアーとなんらかの関わりがあるとすれば、ベアーと軍事協力関係にある、スノゥレイヴンの海軍も視野に入れておかなければならない。レイヴンには、放棄の儀の折、海軍艦隊をもって支援してもらった経緯があるが、戦場で相まみえた以上、その引き金を鈍らせてはならない。

 明朝0700をもって、アンノウンは第一次警戒ラインに接近。翌1230には領空内に侵入・降下すると予測される、同ポイントに最も近く、迅速な対応が出来るのは我々の航空団と言うことになる。

 宙域の警備および防衛の主力は、衛星軌道上の艦隊および艦載機で行われる。我々の任務は、万が一に備え、防衛ラインを突破してきた敵航空部隊を邀撃、方面航空団および艦隊の応援が到着するまで、警戒任務にあたる。

 先ほど名前を呼ばれたものは、スクランブル要員として待機。残りの者も、準待機任務とする。以上だ」

 ジークの所属する航空隊の部隊長のブリーフィングを、俺はどうにも落ち着かない気分で聞いていた。

ああ、そうさ。やっぱり、怖いよ。俺も実戦に参加しなくちゃならない、ってのもそうだが、なにより、ジークの機体慣熟訓練が間に合わなかった。ってのが一番痛い。さて、どうなるか。

「クルツ、心配することはない。確かに、メックモードやエアロメックモードの習得は間に合わなかったが、ファイターモードは何も問題はない。大丈夫だ、お前は必ず無事に帰してやる」

「ジーク、お前………」

「気にするな、お前は精一杯やってくれたと信じている。これは、時の運という奴だ」

 隣に座っていたジークが、ささやくように話しかけてくる。だが、その横顔は厳しい表情を浮かべ、まっすぐボードの方を見たままだった。

しかし、ベアーだけならともかく、放棄の儀で世話になったレイヴンまで、連中の片棒を担いで攻めてくるかもしれないってのは、心情的にちと厳しいもんだ。

「ベアーだろうがレイヴンだろうが、敵は敵だ。今私がどこにその身を置こうと関係ない、私の存在意義は敵を粉砕することにある。それだけだ」

 戦士としての、存在意義、か。

「中心領域には、『昨日の敵は今日の友』という言葉があるそうだな。逆もまた真なり、だ。悩んでいても始まらない、過去は過去だが、我々がここに存在することもまた、動かせない事実だ。私達戦士は、存在し続けるという事実を形あるものにするためにいる。そしてそれを支えるのはお前達だ、違うか?」

「いや、その通り………だ」

「フフッ、なら、そんな顔はよせ。お前は、いつもヘラヘラ笑っているのが似合う」

「ヘラヘラって、おい、俺はいつも真剣勝負だぞ」

「ハハハ、知らぬは自分ばかり、か。噂は聞いているぞ、あのクラスター随一の変態だとな」

「変態?おい、いくらなんでもそりゃないだろう」

「アハハハハ、お前は変態だよ。明けても機械、暮れても機械、機械と工具が友であり娯楽であり快楽。フフッ、これを変態と言わずして何と言う」

「せめて変人にしてくれ、変態はいくらなんでもあんまりだ」

「断る。変態、これこそお前に相応しい称号ではないか。フフッ、私は気に入っているぞ」

「お前が気に入っても仕方ないだろう、俺は嫌だよ」

「いや、クルツ、貴様は変態だよ。そして、ジークルーネ、貴様もな」

『あっ!?』

 しまった、コイツとのおしゃべりに夢中になっていて、今がブリーフィング中だって事を、すっかり忘れてた。

「も、申し訳ありません、スターコーネル・ロイズ。これは私が先に話しかけたものであります、クルツに責任はありません!」

「そのようだな。俺の話は確かにつまらんかもしれんが、ちゃんと聞いておかんと、貴様らの命に係わるぞ」

「も、申し訳ありません」

「まあいい、本来なら、またスルカイを申し付けたい所だが、今回に限って大目に見てやる。ブリーフィング中に、とは言わんが、他の連中にも今みたいに接してみろ」

「りょ、了解!」

「まあ、そう硬くなるな。ジークルーネ、貴様でも、一応まともに他人と会話できるとわかっただけ発見だ。ブリーフィングは以上だ、総員、速やかに任務の準備をするように!」

 険しい表情から、一転して豪放な笑顔を放つ飛行隊長は、大きな背中を揺らしながら、のしのしとブリーフィングルームを出て行った。

「驚いたな」

「驚いたのはこっちだ、なぜ止めなかった」

「あのな、そりゃ言いがかりだろう。それに、止めたらお前聞いたかよ」

「まあいい、この話は後だ。お前の装備一式を借りてこなければならん、主計課に行くぞ、一緒に来い」

「ああ、わかった」

 まったく、子供じゃあるまいし、おしゃべりで叱られるなんて、我ながらみっともない話だよ。

 

 

「どうでもいいが、寝るときくらい、耐Gスーツは脱いだらどうだ」

「いや、でもこれ、かっこいいし」

「まったく、大きい図体をしておきながら、子供みたいなことを」

「いやほら、子供の頃の夢はパイロットだったしさ。好きな歌は『うちのダーリンはパイロットだっちゃ』だったしな、よく歌ったもんだ」

「話がよくわからん」

 あの後、航空団の主計課に装備一式を借りに行ったわけだが、貸し渋りどころか気前良く最新装備を貸してくれた。いや、しかしこうすると気分なもんで、この間の必要最低限な装備とは桁違いだ。とにかくかっこいい、ジャンプスーツに耐Gスーツ、フライトベストにエアフォースヘルメット、こいつら一式に身を固めてみると、否応なしに気分が盛り上がってくる。

「はしゃぐのは一向に構わんが、それらは、我々気圏戦闘機乗りの死に装束のようなものだ。その気構えを忘れるなよ」

「なんでそういうこと言うかな」

「事実だ」

「夢を忘れた大人め」

「何の関係がある」

 まったく、人がせっかく盛り上がってるのに、いちいち一言多い奴だ。だからみんなに嫌われるんだよ。だいたいこんな話、カラ元気でもかまさにゃやってられるか。

「まったく、結局、LAMの習熟が間に合わなかったと言うのに」

「結局、ふたりでゲロ吐いてただけだったしな。ははははは」

「お前という奴は、駄目なら笑ってごまかそうという気か。いいか、実戦になったら、お前も搭乗してもらうのだからな。それを忘れるなよ」

「そういやそうだったな、複座なんだしな」

「そう言うことだ。はっきり言っておくが、巻き込んだつもりはないからな。お前も中心領域の戦士であった以上、覚悟を決めろ。ワルキューレのコ・パイシート、そこがお前の棺桶だと思え」

「やれやれ、複座ってのはやっかいなもんだな、一蓮托生死なばもろとも。やだねぇ、俺、複座の飛行機だけにゃ乗りたく………」

「今度は泣き言か?」

「複座?複座………そうか!ははははははは!!」

「な、なんだ!どうした!?」

「そうだよ複座だ複座なんだよ!はははは!これで勝ったも同然だ!!」

 そうだよ、俺はどうして気付かなかったんだ!何のための複座で、しかも電子偵察機並みのシステムを積んでるんだよ!よし、そうと決まればさっそくだ!!

「おい待て!どこに行くつもりだ!寝られるうちに寝ておけ!!」

「大丈夫!すぐに終わる!!」

 俺は、LAMのデータが全て詰まった個人端末を抱えて、ハンガーへとダッシュした。こうなったら、時間との勝負だ。

 

 

「よし、これで、メインコントロールのサポートが出来るはずだ」

「やっと終わったか、このストラバグめ」

「うお!?」

 何やってんだコイツ、人を驚かせやがって。

「人の顔を見て驚く奴があるか、つくづく無礼な奴め」

 いつの間にか現れたジークは、ラダーを片手で掴みながら、空いた手でマグライトを持っているんだが、それが顎の下から顔を照らしている。しかも、それがコクピットのへりから頭だけ出して、こちらを見ら睨みつけている絵面は、大抵の奴なら十分ビビる。

「まったく、自分で否定しておきながらこれだ。今すぐにでもスクランブルがかかっておかしくない状況で、貴重な睡眠時間を潰す奴があるか」

「いや、どうしても今やっておきたいことだったんだ」

「仕事熱心なのはありがたいが、これ以上システムを増やされても、もうテストをする時間も余裕もない。今ある機能で最善を尽くすしかない。お前はもう十分やってくれた、さあ、帰るぞ」

「そうだな、わかった」

 あれから3時間後きっかりに、俺はプログラムの修正を終えたが、ハンガーまで追いかけてきたジークに、作業終了と同時に宿舎へ連れ戻されることになった。

 実際の稼動チェックが出来なかったのは心残りだが、システム上のチェックではエラーもバグも無し。システムも、構想どおりの機能が構築できた。

 ただ、本当ならフルオートで対応させるつもりだったが、専門の機材でのテストもなしにそこまでやると、逆にシステム不全を起こす可能性がある。だから、電子管制官、つまりは俺がそれをマニュアルで実行しなければならない。けれども、俺の予想通りのパフォーマンスを示してくれたから、それでよしとするしかない。

 それに、ジークの言うとおり、時間的に余裕がない状況で、あれこれ後付のシステムを盛り込むのも、確かにリスクは大きい。ここはもう、最善を尽くしたと信じて、おとなしく引き下がるしかないだろう。

「お」

「どうした?」

 ハンガーの外に出ると、視界一杯に広がる夜空の光景に、俺は思わず声を漏らした。

「流星群だ、珍しいな」

「そう言えば、数年に一度の流星群現象、今の時期がちょうどそうだと言っていたな………おい、何をぶつぶつ言っているんだ?」

「これだけありゃ、願い事も叶うだろ」

「願い事?何のことだ」

「流れ星とくりゃ、消える前に願い事を3回唱えるって言うだろ」

「知らん、初めて聞いた」

 俺の説明に、ジークは狐につままれたような表情を浮かべ、夜空を次々と流れていく流星を見上げていた。

 

 

「今さら言うことではないかも知れんが、疲労や睡眠不足は、命に係わるミスを引き起こす。気圏戦闘機なら、さらにその危険度は大きくなる。綱渡りの最中に居眠りをするようなものだ。寝るのも任務だ、わかったら今すぐ寝ろ」

「わかった、わかったから、手錠は外してくれ。俺にそんな趣味はないんだ」

「ストラバグ、いつ何時飛び出していくかわからんような奴は、それぐらいせんと不十分だ。いいから、もう休め。お前は十分よくやってくれた。あとは私に任せろ、今度は、私が信頼に応えてみせる」

 宿舎に連れ戻された俺は、とにかく寝ろ一点張りのジークに、右手首を手錠でベッドのフレームに連結され、強制的に寝かしつけられる羽目になった。ジークの言いたいこともわからんではないが、いくらなんでもここまでするか。

「おい、言うとおりおとなしくしてるから、こいつを外してくれ。俺は、自分の寝袋で寝るから」

「その手に乗るか、いいから寝ろ」

「あ、おい!?わかった!誓って今すぐ寝るから、外してくれ!おい!!」

「うるさい、お前のおかげで気疲れも甚だしい、黙って寝ろ」

 こともあろうに、同じベッドに横になったジークは、心底うっとうしそうに答えると、すぐにすうすうと寝息を立て始めた。もともと一人用のシングルタイプだから、いくらジークが小柄とはいえ、お互いが密着するような形になってしまった。

 ああまったく、なんでこんなおかしな話になるんだ。

「ジーク」

 返事はない。

「ジークさ~ん♪」

 ためしに、頬を引っ張ってみた。意外と暖かくて柔らかい、じゃなくて、反応すらない。

「よし、寝たね」

 俺は、ジークが寝入ってしまったのを確認して、俺はポケットの中に丸めておいた針金を抜き出すと、手錠の鍵を外してベッドから脱け出した。

「まったく、見た目によらず出鱈目ばかりしやがって」

 人ひとり横たわれるほどしかない小さなベッドの上で、今にも転げ落ちそうな状態で寝ているジークを真ん中に寄せ、毛布をかけ直すと、俺はこれ以上ないくらい馴染んだ寝袋に潜り込んだ。体調管理とこいつは言うが、一番万全でいてくれないと困るのは、他でもないジークだ。しっかり休んでもらわにゃ、いざと言う時、俺が困る。

 ジークがLAMに習熟することは間に合わなかったとは言え、それでも、俺に出来る限りの事をしたと思おう。後はもう、祈るだけだ。そう思いを巡らせながら、俺はシュラフの中で目を閉じる。

やっぱり、ここが一番落ち着くよ。それじゃ、おやすみ。

 



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聞け戦巫女の唄(後)

「起きろ!」

 アサノメザメハイッパツノローキック

「な、なんだ!?スクランブルか!!」

 頭上から降ってくるジークの声に、俺は枕元のヘルメットを引っつかんで飛び起きた。

「朝食だ」

 朝メシって、それだけのことで人に蹴り入れるってか、コノヤロウ。

「クルツ!貴様、夜中に脱け出して、今度はどこに行っていた!!」

「脱け出すって、俺はお前の言うとおり、おとなしく寝てたぞ」

「なら何故お前が寝袋で寝ていた!私は鍵を外した覚えはないぞ!?」

「いや、お前が外したね」

「なんだと!出鱈目もいい加減にしろ!!」

「夜中に、どうしても寝辛いから、何とかしてくれ。って言ったら、お前が外したんじゃないか。覚えてないのか?」

「む………ん?」

 ふはは、考え込んでるぞ。まあ、自分で外したなんて言ったら、それこそ厄介事の種を自分で作るようなもんだ。思い出せないんなら、ジーク自身の仕業、ってことにしておきましょうかね。とにもかくにも、俺はジークに案内され、隊員食堂へ向かうことにした。

 

 

「やはり納得がいかん。なぜ、私が鍵を外す必要がある」

「またその話か、いい加減しつこいな、お前も」

 俺は、日曜市の出店以外の場所で食べる、品数が2品以上もある豪華な食事と対決しながら、ジークのぼやきを適当に聞き流す。

「だが、鍵を外すのはいいとして、なぜわざわざ寝袋で寝る必要がある。ベッドの方が、十分休めるだろう。それに、体を冷やしたりはしなかったか」

「家じゃ、いつもあの寝袋さ。それに、枕が変わると眠れないんだよ、俺は」

「嘘をつけ、お前がそんな繊細な人間なものか」

 ひでえ言われようだな、おい。

「まあ、いい。それと、誤解の無いよう言っておくが、別につがいを強要するつもりは無いぞ。だから、あれだ。ただ、体調を管理するなら、きちんとした寝床で就寝したほうがいいのだ。私はそう思う」

 そういった情緒面では、まったくこだわらない氏族人だから、まあ、深読みするのも意味無いことなんだろうけどな。でも、氏族人とは言え、やはりああいった状況は抵抗がある。まあ、子供じゃあるまいし、30過ぎて言う台詞じゃないわな。

「しかし、今回ばかりは、ドラコの連中も余計な事をしでかしてくれたよな」

「アルシャインに侵攻した部隊のことか。だが、五大王家やコムスターとの連携による総力戦ならともかく、まだ今の中心領域には、氏族との戦いは手に余るもののはずだ。可哀相だが、アルシャインに侵攻した部隊は、おそらく無事ではすむまい」

「まぁ、確かにな」

「それに、それだけで済めばいいが、恐らく、近い内にゴーストベアーと一戦交えねばならなくなるだろう。これからが大変だぞ」

「とんだとばっちりだな、ドラコが咳をすればノヴァキャットが風邪をひく。ってか」

「ドラコの動きに対して傍観を決め込めるほど、キャットの立場は強くはないからな」

「そうだな」

「しかし、ベアーのキャットに対する憎悪の度合いは、さすがに理解できんな。確かに、他の氏族も、キャットに対していい感情を持っているわけではない。何をして、ここまで執拗な憎しみを抱けるのか」

「なまじ近くにいるから、目障りな存在がよく見えるんだろうな」

 氏族のメンタリティを、俺は全てを理解した訳じゃない。だが、戦いに明け暮れ、戦いそのものを己の存在意義に置き換えてしまったことで、もはや、彼らはジェネラル・ケレンスキーの理念を、真の意味で継承していると言えるんだろうか。

 彼が絶望したものに気付かなければならない。争いと欲望、死と破壊、乱れ荒みゆく世界と人の心。

欲望は何処より生まれ出でたるものか、争いは何処より生まれ出でたるものか。それに続きつながる執着、確執、葛藤。その全てを断ち切る為に、彼は無より生まれ出でたる人間の存在を欲したと言う。何者にも縛られる事のない、己の力のみで地に立ち存在する、完璧にして無二の人間を。

 なにものにも囚われず、なにものにも縛られない、真なる無より生まれ出でたりし完全なる人間。しかし、それがまた、支配するものとされるものの差別を作り出し、力こそ正義という思想を作り出した。そして、それは同じ氏族だけでなく他の氏族に対しても向けられ、主義主張の違いを、戦いによってのみ解決しようとする。

 星間連盟への回帰を図るのであれば、ノヴァキャットはその先陣を果たしたことになる。しかし、それが他氏族の憎悪の対象となるのなら、それはもはや、ウォーデンもクルセイダーもない。五大王家を全て打ち滅ぼし、その後釜に成り代わろうと言うのだろうか。どちらにせよ、中心領域と氏族とは、相容れない存在となっているのかもしれない。これは、本当に彼の望んだ結果なのだろうか。

「クルツ、おい、どうした」

「え?ああ、少し考え事をしていたよ」

「考え事だと?」

 おい、なんで鼻で笑う?そんなにおかしいこと言ったか。

「フン、リオのことでも思い出していたか?それともディオーネ?いや、スターコーネル・イオか?」

「なんでだよ」

「気にするな、これも食べるがいい」

 そう言って、ジークは分厚いハムのソテーを、返事も聞かずに俺の皿の上に乗せた。

「いいよ、お前の分がなくなるぞ」

「うるさい!いいから食べろ!!」

 なんなんだよ、もう。

 

 

「暇だな」

「待機に暇も何もあるか」

「ずっと座りっぱなしなんだぞ」

「私は慣れている」

 朝食後、俺たちはすぐさまアラート要員として、5分待機任務につくことになり、それからずっと、アラートハンガーに詰めっぱなしだった。

「もうすぐ交替がくる、それまで辛抱していろ」

「了解です、スターコマンダー・ジークルーネ」

「ジークでいい、お前にそう呼ばれると、何故か馬鹿にされている気がしてならん」

「ひどいこと言っていると思わないか?」

「お前に限って、思わん」

 ひでぇなぁ。

「なにをらしくない顔をする、私ほど優しい戦士はいないぞ」

 自分で言ってりゃ、世話ねえや。

「それはそうと、おかしいとは思わんか」

「何が?」

「現在、警戒線ぎりぎりを遊弋しているアンノウンだ。まるで、こちらの注意をひこうとせんばかりの配置だ。気に入らない」

「注意を?」

「そうだ。例えば、だ。出来るだけ敵の目をひきつけるために、これ見よがしの部隊行動を展開する。そして、その反対側から特務隊を送り込み破壊活動を行う。そうすれば、混乱に乗じて侵攻が容易くなるし、効果的な打撃も与えやすい」

「それは、確かにありえないことじゃないが。でも、それは………」

「中心領域の戦法といいたいのだろう?我々氏族も愚かではない、有効な手は取り入れるのにやぶさかではない。それに、作戦の性質にもよる」

「作戦の性質?」

「そうだ。たとえば、大規模な侵攻作戦における準備。効率よく進軍・拠点確保を遂行できるルートやポイントを調査し、同時に撹乱行動で警戒態勢を拡張・混乱させる。レコン・チームやデモリッション・スクワッドと言うものか。それらを配置するとしないとでは、作戦の効率がまったく違ってくる」

「確かにそうだが、氏族の戦士がそんな戦法をよしとするか、だな」

「現実的ではないと?なら、それは違う。クルツ、自分自身に目を向けてみろ。ベアーの支配している宙域で、中心領域に属していた場所は多い。そして、侵攻によってボンズマンとなり、そのまま戦士階級に組み込まれたものも多数いる。

 彼らのノウハウをもってすれば、それらの任務は容易に行えるはずだ。そして、ベアーの戦士達の矜持を傷つけるものではない。なにしろ、『人っ腹生まれ』のやらかすことなのだからな」

 こいつは驚いた。確かに推測の域を出ないとは言え、可能性の範囲で警戒すべき因子を、的確に指摘している。

「それに、考えてみろ。規模的に大きいとは言え、この地域に配置されているのは、セカンドライン級のクラスターがほとんどだ。攻略すべき重要拠点がない代わりに、戦力もそう固くはないから侵入も容易い。即効的な戦果ではなく、後の時間経過による効率的な戦果を期待する。さっき言った特務部隊を確実に、そして安全に送り込むには、まさにうってつけのポイントだ」

「おい、それじゃ………!」

「ああ、思っている以上に、今回は危険な状況かもしれん。ここで、ひとつでも抜かりがあれば、後々手痛い打撃を受けることは、間違いないだろうな」

「ジーク」

「どうした?」

「お前、凄いな」

 口の中が乾く感触を感じながら、思わず率直な感想を口にする。すると、ジークは、腕組みをしたままの姿勢で顔を向けると、鋭い造りの目に不敵な笑みを浮かべた。

「こう見えても、私はタスタスのブラッドネームを持っている」

「え!そうなのか!?」

「ああ、そうとも。驚いたか?驚いたろう」

 俺の反応に気をよくしたのか、ジークは小さな鼻をぴすぴす言わせながら、満足そうな表情を浮かべている。

「なら、なんでセカンドラインにいるんだ?」

「お前が、今まで見てきたとおりだ」

「ああ、なるほど」

「あっさり納得するな、本当に憎たらしい奴だ」

 なんで怒られるのかさっぱりだが、ちょうど交代要員がアラートハンガーに現れたことで、俺達ふたりは30分待機に移行し、そのまま待機室に場所を移すことになった。そこなら、少しはくつろぐことも出来る。いやはや、戦士ってのも存外窮屈なもんだな。

「ジークルーネ!」

 アラートハンガーを立ち去ろうとした俺達を、聞き覚えのある声が呼び止める。

「スターコーネル・ロイズ、何かあったのですか?」

「ああ、すまんがお前達二人、今すぐ飛んでくれ。警戒空域外だが、現地の地上部隊から、所属不明の航空機を目撃したとの通報があった。他の航空団にも問い合わせたが、該当空域を飛行予定の航空機はなし。民間からの報告も同じだ。ワルキューレは、電子偵察機並のアビオニクスがある。この任務に、最も向いていると判断した。お前達両名は現場へ急行し、状況の確認と所属不明機の捜索を行ってもらう。」

「了解しました。我々両名は、これより急行します」

「よし、頼んだぞ、ふたりとも」

 スターコーネル・ロイズは、ジークと俺に向かって深くうなずく。そして、俺を呼び止めると、素早く耳打ちするようにささやいた。

『すまんな』

 ジークは、一瞬こちらを振り向いたが、先に行くと身振りを残して駆け去っていった。

「本来関係ないはずの貴様に迷惑をかける。だが、あのイオやロークが特に目をかけている貴様だ、必ずうまくやってくれると信じている。

 ジークルーネは、確かに優秀な戦士だ。だが、皆に対して心を閉ざしている。どんなに屈強であろうと、戦友を信じない戦士に武運は続かない。貴様なら、ジークルーネの戦友になれるかもしれないと思っている」独り

 スターコーネル・ロイズの言葉に、俺はあの無愛想な相棒を思い起こす。アイツは独りなんかじゃない、こうしてちゃんと背中を見守ってくれる奴がいる。

「了解しました。ふたつのクラスターの名誉にかけて、全力を尽くします」

「貴様、いい目をしている。奴らの判断は正しい、イオとロークの期待に応えろ、問是」

「是、残されたこのコードにかけて」

「よし、もう言うことはない。行け、ジークルーネが待っている」

 ジーク、お前は自分で思っているほど、嫌われちゃいないよ。それがわかった時、お前は、今よりもっと高く速く飛べるんだろうな。

 

 

「調子はどうだ、クルツ」

「現在高度6000フィート、スーパークルーズ毎時890マイルで巡航中。システム正常稼動、レーダー・センサー共に異常検知無し、エンジン出力も良好だ」

「そうじゃない、お前のことだ」

「俺?」

「他に誰がいる」

 こりゃ驚いた、ジークが、よりにもよって人の心配をしているよ。

「貴様、今、無礼な事を考えていたろう」

「そんなことはないぞ、断じてない」

「私がお前の体調を案ずるのが、そんなに意外か。お前は私の第二の目であり頭脳なのだ、当然のことだろう」

「大丈夫だ、訓練でずいぶん慣れた。この程度なら、遊覧飛行みたいなもんさ」

「調子のいい奴だ。いざとなった時に、やれ目が見えんだの嘔吐だのと騒ぐなよ」

「わかってる、訓練と本番は違う。気を抜いたら命に係わる、気合で頑張るよ。まあ、頼りにしてくれとは言わないが、せめて、あてにはしてくれよ」

「何を言っている、頼りにしていなければ、後ろになど乗せるものか」

 なんか今日は、違う意味で予想外の言葉が返ってくる日だな。

「お前は不思議な男だ、どんなことでも、当たり前のようにこなしてみせる」

「だから、ずば抜けたものがないんだけどな」

「極めようとしないだけだろう、お前が何かを始めた時、ただならぬ光が目に宿るのを知っているか?」

「変態だからか?」

「根に持つ男だな、貴様は。違う、お前はあらゆる状況を楽しんでいる、それが私には理解できない」

「愚痴を言っても仕方ないからさ、なら、目の前にあるものを受け入れるしかないだろう。幸い、俺の周りは結構面白い連中が揃っているからな。

 そう言えば、ジーク。お前、この間、うちのリオがうらやましいとか言ってたよな。俺なんかより、あいつの方がもっと不思議だよ。どうせわかってるだろうけど、あいつはスモークジャガーのシブコでね。始めの頃は、俺達に対して敵意剥き出しだったよ。

 あいつはあいつなりに、色々考えたり悩んだりしたんだろうな。正直、俺も最初は持て余したし、やってけるのかとも思ったよ。でも、今は知っての通りだ、あいつは、拒絶じゃなく理解することを選んだんだ。だから、他の連中にも理解されている」

「いかにも子供の考えることだ、私には、そこまで器用には出来ん」

「そうかな、あいつが、ここに来てもう1年近くなるのに、どうして言葉遣いを変えないと思う?普通、子供だったら、周りに染まって言葉も変わるのが普通だろ?でも、あいつはそうしない。自分が、スモークジャガーの誇りを捨てていないからさ。

 考えて見りゃ危険な話さ、滅びた氏族の矜持を引きずるなんざ、下手すりゃどんな攻撃を受けるかわかったもんじゃない。そう言い聞かせても、やっぱりあの通りさ。立場は従えても、魂まで下る気はない。ってとこなんだろうな。でも、少なくとも、あのクラスターでそれにケチをつける奴はいない。リオは周りを認めている、だから、周りもあいつを認めるんだろうな」

 余計なおしゃべりがすぎたかな、ジークからは、何の返事も返ってこない。まあ、仕方ないことだな。こんな話、面白いはずないだろうし。

「そうか………奴が、な………」

「悪いな、変な話しちまって」

「いや、気にするな。そう言えば、クルツ。昨日、流星に願い事をするとか言っていたな。それは、中心領域のまじないごとか?」

 話を変えてきたか、まあ、今はその方がいいさな。

「そんなとこだな」

「何を祈願した?」

「悪いけど、それは言えない。人に話したら、その時点で無効になるんだ」

「随分と都合のいいまじないだな」

「でも、事実だから仕方ない」

「まじないに事実も何も無かろう、自然現象に対して願をかけるなどと」

 呆れたように吐き出されるジークの声が、不意に詰まるように途切れた。

「どうした?」

「しまった、なぜ気付かなかったのだ」

 うめくようなジークの声に、俺はなぜか微かな悪寒を感じた。勘弁してくれ、こういう時の悪い予感に限って、ディオーネのヴィジョン並によく当たるんだよ。

「流星群だ、あの時、すぐにでも気付くべきだった。私がジェイドファルコンにいた時だ、中心領域の気圏戦闘機部隊に奇襲をかけられた事がある。その時、奴等は流星群に紛れて降下突入してきた。

ここ最近の夜毎の流星群、それに紛れてこない奴がいないとも限らん。クルツ、もう一度HQに連絡を取れ。目撃情報の続報がないか確認するんだ、それと、レーダーの出力モードと無線のバンド域を上げろ。どんな些細なことでもかまわん、とにかくできる限りの情報を集めろ」

「ああ、わかった」

「私の取り越し苦労ですめばいいが。最大戦速で現場に急行する、気を抜くなよ、Gにやられるぞ」

「わかった、やってくれ」

 そう応えた瞬間、エンジン音の唸りが激しさを増し、俺の全身は見えない壁に押し潰されるようにシートに圧迫された。そして、機体速度が音速を超えた瞬間、加速した機体の先端に渦を巻き始めたベイパーが白いリングを形作り、超音速飛行にシフトしたワルキューレは、その中を潜り抜けるように突進するのがはっきり見えた。

「どうだ、クルツ」

「駄目だ、最初に報告されたポイントから、アンノウンに関する目撃情報は何もない」

「いや、それでも、どこかにいるはずだ。私の勘が囁き続けるのだ、この囁きが狂ったことは一度もない」

「わかった、もう一度やってみる………あ?」

「どうした」

「いや、さっき、ほんの一瞬だけ、パルス信号らしいものがひっかかった。波長の断片だが、救援信号に似てなくもないんだが。すぐに消えちまったから、単なるノイズかもわからんが」

「クルツ!そのパルスの断片が発信された方向を計測しろ。おおまかな位置でもかまわん、できるか!?」

「あ?ああ、大丈夫だ。記録には残っているから、おおまかな方向と空域なら算出できる」

「よし、頼むぞ。何も無ければそれにこしたことはない、だが、万一もある」

「わかった、それから、応援はどうする」

「お前の判断に任せる」

「わかった」

 かすかに逡巡するかのようなジークの返事と同時に、ワルキューレはその機体を震わせると、主の命のままに再び加速を始めた。

 

 

「おい、飛ばしすぎじゃないのか。これじゃ、プロペラントがもたないぞ?」

「間に合わなければ意味がない、何も無ければ、その時点でいったん帰投すればいい。それだけの残量は確保できる」

 アフターバーナーを全開にしたワルキューレは、ものの10数分で、例のパルス信号の断片が発信された空域へ臨場した。そして、通常巡航速度まで減速すると、周辺空域を旋回し索敵飛行を開始する。

「クルツ、レーダーはどうだ」

「いや、何も反応はない」

「むぅ、こいつのレーダーでも捕捉できないのか」

「半径100キロのおおまかな範囲だからな、もしかしたら、座標がずれているのかもしれないな」

「そうかもしれんが………ん?」

 ジークは、いぶかしげな様子でそう応えたかと思った瞬間、ワルキューレは突然機体を翻し、雲海の切れ間からかすかに覗く海面に向かって高度を下げ始めた。

「どうした!?ジーク!!」

「見つけた!船がやられている!!」

「なんだって!?」

 ジークはそう叫んでいるが、俺には船の影はもちろん、それらしい痕跡すら見えない。しかし、ワルキューレは微塵の迷いも無く降下していく。

「なんてこった………」

 高度300フィートの低空で飛行し始めた時になってようやく、俺はジークの眼力と目の前の事実に唖然となる。ワルキューレが旋回する真下の海面には、船の影も形も無かったが、波間に浮かぶ油の膜が、太陽の光を鈍く反射して漂っていた。

「クルツ、やはりお前の探知した信号は、ノイズなどではなかったようだ。ここで何かがあった、おそらく、見られては都合が悪かったのだろう。問答無用で撃沈されたようだ」

「あ、ああ、そうみたいだな。けど、巡視船や高速艇とは言え、救難信号を最後まで打電させる暇もやらずに沈めるなんてことが………」

「可能だ。少なくとも、私は出来る」

 なんてこった、それなら、この空域の周辺に、敵が潜んでいることになる。

「クルツ!踏ん張れ!!」

「な!?ぐあっ!!」

 ジークがそう叫んだ瞬間、機体は跳ね上げられるように急上昇を始め、あっという間に雲海を突き抜けた。

「来るぞ、5、いや、6だ!!」

「なんだって!?」

「お前に見える距離じゃない!レーダーに集中しろ!!」

 ジークの声に、反射的にレーダーに目を戻すと、レンジの外周ギリギリにブリップが点滅していた。なんてこった、この距離は人間の目で見える距離なんかじゃないぞ。

畜生、結局こうなるのか。だが、そんなことを言ってる場合じゃなくなった。こうなったら、腹をくくるしかない!

「反応が二手に分かれ始めた、包囲する気だぞ!」

「教科書どおりだな、望むところだ!」

 余裕に満ちた声と同時に、機体が翻ると、大きく回り込むように旋回を始めた。

「クルツ!アルテミスは作動しているか!?」

「ああ、どれでも好きな奴を狙ってくれ!」

「よし、E-03にロック!こいつが一番動きが鈍い!」

「わかった!」

 俺にはどれも同じブリップにしか見えないが、ジークにかかれば練度まで見て取れるようだ。さすが、ブラッドネームの看板は伊達じゃないらしい。

「いいぞ、ロックした!」

 その瞬間、ランチャーが一斉にミサイルを打ち出し、15発の音速の矢は、紺碧の空間に向かって真っ直ぐに突き進んでいく。

「6、9、13!13発命中、目標健在!」

「それだけ当たれば十分だ、この距離で喰らえば余裕を奪える!」

 そうジークが答えた瞬間、さらに加速がかかり、数秒後には、ようやく俺の目でもシロネ重戦闘機の編隊が見えてきた。そして、その中の一つが、不自然に煙を吐き続けている。

「すれ違うぞ、腹に力を入れろ!」

 ジークの言葉の意味を了解し、俺はもう一度03をロックし、次の急加速に備える。そして、ワルキューレは、獲物に襲い掛かる荒鷲のように、高位度からシロネに急降下をかけ、その相対速度も相まって、激突しそうなスピードで接近してきたシロネに、ER-PPCのプラズマ弾を直撃させ、命中したと同時に炸裂した火の玉とすれ違う。

 バブルキャノピーにへばりつくようにして後ろを見ると、敵機は右側の翼を吹き飛ばされ、木の葉のようにゆっくりと落下していく。その時、俺はあることに気づき、もう一度落下していくシロネを見た。

 主翼と、垂直尾翼の先端、そして腹面を黄色にペイントし、黄金の鷲のエンブレムをあしらった機体。その見覚えのあるマーキングに、俺はこれ以上ないくらい腹の底が冷えるのを感じた。

 間違いない、この気圏戦闘機隊は、腕っこきの連中ばかりを集めた、元レイザルハーグ王立空軍第159戦術戦闘航空団、『ゲルプフリューゲ』だ。どうやら、こいつら、今や宗主であるベアーの片棒を担いでやってきやがったんだ。元からの反ドラコ思想と、その片割れの氏族が相手なら、参戦する動機は完璧だ。畜生、なんてこった!

 先制攻撃には成功したが、相手は一機で一個航空中隊に匹敵するとまで言われている連中だ。いくらこのワルキューレが最新鋭機とはいえ、ジークにとっては海のものとも山のものとも知れない機体だ。しかも、完全に乗りこなせている訳じゃない。

「見物している暇があるか!来るぞ!!」

「ジーク、気をつけろ!あれはレイザルハーグのゲルプフリューゲだ!!」

「それがどうした!知っている!!」

 そうこう言っているうちに、弧を描きながら向かってくるシロネの機影が映る。だが、いきなり突き飛ばされたように体が真横にひっくり返り、視界の半分に海が見えたかと思った瞬間、機体は旋回しながら下降した。

 スプリットSだ、そう思った瞬間、凄まじい圧力で押し潰されるGと共に、全身の骨がミシミシと嫌な音を立てる。全身の筋肉に力を入れて踏ん張るが、それでも目の前が薄暗くなっていく。

 溶接用ゴーグルをかけたような視界に、さっきまで後ろにいたはずの敵機の腹の下が見えた。相手も小刻みなヨーイングを繰り返しながら、こちらからの射線をかわそうと巧みに機体を旋回させるが、まるで相手に曳航されているように、回避機動を取る敵の斜め下に機体を滑らせ、機首をぴったりと敵の後方に取りついている。

 だが、感心して見物している場合じゃない。俺は照準システムと格闘しながら、逃げ回る敵機からロックを外されないようFCSを操作し続ける。そして、照準が固定しアラームが鳴ったほんの数瞬、待ち構えていたように、フルチャージされたER-PPCのプラズマ弾がシロネのノズルに直撃し、落雷のような放電とプロペラントの爆炎が炸裂するのが見えた。

 そして、急激に姿勢を崩した敵機にレーザーの掃射が容赦なく突き刺さり、シロネは巨大な火球となって後方へ流れていく。

 普通の人間なら、ロックオンを確認した瞬間には逃げられているような短い時間だ。それを、少しの狂いも無く実行した反射神経に、俺は驚くより空恐ろしさを感じた。

 ただでさえ、上下左右に振り回される非常識な状態のなかで、まるでラジオのスイッチを入れるかのように的確に攻撃を実行する。しかも、並の相手ではない。あのゲルプフリューゲ相手に互角のマニューヴァーを展開し、一瞬のチャンスを逃さず撃墜したジークの技量。

 それを思うと、以前ミキの操縦するLAMに乗り、ジークの追撃を受けた時、自分で考えていた以上に危険な状況にいたことを思い知らされた。

「ジーク!囲まれるぞ!!」

 レーダーに映るブリップは、中心点、つまり俺達の乗るワルキューレを取り囲むようにその距離を縮め始めた。キャノピーの外を見ると、二機一組になって、死角に回り込もうとするシロネの機影が見え、そのぞっとする光景に、脇の下を冷たい汗が流れる。

「さて、出会い頭に殴りつけるという手は、二つ落としたからまずまずだ。しかし、多分あの中に指揮官がいるはずだ。プロペラントも心許ない、連中相手にこれは厳しいな」

「おい!お前がそんなこと言ってたら、俺はどうするんだよ!」

 冗談じゃない、ここまできて、何弱気なこと言ってるんだ。

「誰が終わりと言った。ファイターモードだけでしのげればと思っていたが、そうもいかないようだ。LAMの力を試すには、相手にとって不足はない」

「大丈夫なのか」

「クルツ、さっきの言葉、そのまま返そう。お前は全力を尽くして、LAMのセッティングをしてくれた。今度は、私がお前の努力に答える番だ」

 とうとう、ジークはトランスフォーメーションを実戦で使う覚悟を決めたようだ。となると、このひと月の成果が、いまここで試されるわけだ。

「わかった、どの道このままじゃ、退くことも無理だ。やろう、俺も最後まで付き合う」

「それでこそ」

 ジークは、一言楽しそうに答えると、再び敵の真っ只中に向かって機体を旋回させた。相手の方も、さすがに2機も撃墜されたことで、動きに隙が無くなってきた。そして、2機一組の編隊で二手に別れ、執拗に死角に潜り込もうとしてくる。

 ジークも敵の間隙を突いて反撃するが、ゲルプフリューゲは、機首上げと同時に、空中で停止するような信じがたい機動を見せ、確実にロックしたミサイルを紙一重ですり抜けるように回避すると、その場で振り向くようにさえ見える旋回で、あっという間に視界から消える。

 そのたびに後方警戒装置がやかましく鳴り響き、機体のすぐ脇をミサイルやレーザーが掠めていく。太陽が足元をすっ飛んでいき、頭の上を海面が流れ去っていく。

 全身の力を少しでも緩めたが最後、サングラスをかけたように視界が曇り始め、Gが首の骨を容赦なくきしませる。もうどっちが上か下かもはっきりしない、締め上げるような息苦しさで、マスクに当たる呼吸がごうごうと獣のような音を立て、際限なく鳴り響く警報音で、どうにか意識をつなぎとめている。

 その時、いきなり顎をハンマーでブン殴られたような衝撃が走り、目の前が一瞬真っ白になる。その、余りの激痛に意識が飛びかけ、視界がぼやけていく。

「クルツ!トランスフォームのバックアップ!!」

 隣の部屋から聞こえてくるラジオのように、どこか遠いジークの声が耳の中に入ってくる。そうだ、ここで俺が音を上げる訳にはいかない。ジークは、まだ戦っているんだ。

「シ、システム異常なし、コマンド送信回線速度異常なし、いつでもいける!」

 ジークの声と、チェックシックスの警報音が同時に聞こえた時だった。突然、機体が見えない網に絡め取られたような衝撃と共に減速した瞬間、バレルロールで機体が洗濯機のように激しく回転したかと思うと、頭上に見える海面を背に、白煙を引いたミサイルが頭上を飛び去っていき、続いて敵機が追い越すように飛び出していく。

 インジケーターは、いつの間にかエアロメックモードを示していた。俺は、顎の激痛を無理やり押し込めながら、絶えずエラーを送ってくるシステムに、姿勢制御とFCSの補正コマンドを送り込み、それをジーク側のコンソールにリンクさせる。それとほぼ同時に、ER-Mレーザーがこっちを追い抜いた敵機を照射した。

 だが、狙撃された敵機は、突然急ピッチで機首を上げると、ほぼ90度ともいえる急角度で急上昇し、レーザーを間一髪回避する。その時、コクピットからも見えるほど大きく前方に突き出したLAMの脚部が逆噴射をかけ、真後ろから蹴りを入れられたような衝撃が走る。

 そして、気づいた時には、フルチャージ状態の放電を放つ荷電粒子が、敵機の背中のど真ん中に直撃していた。さすがに、ジークに同じ機動は何度も通用しなかったらしい。そして、コクピットが傾いたと思うと、キャノピーが装甲に閉鎖され、変わりにモニターが目の前に現れた。

 メックモードにシフトしたワルキューレは、敵を追うように機体を回転させると、背中から黒煙を噴きつつヨタヨタと飛んでいたシロネに、レーザーの掃射を浴びせかけ、駄目押しのようにPPCを直撃させた。そして、今度こそとどめを刺された敵機は、半分から引きちぎられるように空中分解を起こし、海面に向かってバラバラと落下していった。

 だが、メックモードのワルキューレも、そのまま海面に向かって自由落下を始める。だが、俺の打ち込んだ補正データがリンクされ、ジークの操縦に干渉しない程度に機動システムが姿勢制御を実行する。そして、空中を舞うように機体を翻しながら、敵機の予測進路にレーザー掃射を加えつつ動きを牽制していく。そして、再び装甲が開放され、メックからエアロメックにシフトした機体は、着水寸前でスラスターを吹かし、海面をホバークラフトのように疾走を始めた。

「クルツ!機体をチェックしてくれ!!」

「アクチュエーター、フレーム、異常負荷・損傷ともになし!エンジン出力も問題ない、まだいける!!」

 目が回るなんてもんじゃない、少しでも気を抜けば失神しそうな機動と衝撃で、内臓をすり潰されるような不快感。そして、口の中に手を突っ込まれ、下顎を捻り回されているような激痛に耐えながら、俺はコントロールシステムと格闘する。ひどい話もあったもんだ。

 だが、気圏戦闘機乗りが、メック戦士に対して上位意識を持つのも無理はないと、頭の隅で納得したりもする。なんだ、俺もまだ余裕があるじゃないか。

 ジークの方も、俺が送信する最適化した補正データをうまく操ってくれてるようだ。この前までの訓練飛行が嘘のように、ワルキューレは海面を滑るように駆け抜け、頭上から降ってくるミサイルやレーザーをすり抜けていく。

「クルツ!お前、大丈夫か!?」

「あ、ああ。ま、まだいける」

「プロペラントが尽きかけている、指揮官機を落とすぞ」

「わ、わかった、やろう」

 確かに、推進剤のプロペラントは、コーションサインがつき始めている。これ以上戦闘機動を続ければ、ゲルプフリューゲに落とされる前に、燃料切れで墜落するのは時間の問題だ。

 ワルキューレは脚部ジャンプジェットスラスターのベクトルを変え、海面を蹴るように跳ね上がり、ファイターにシフトした時、またしても頭上から敵弾が降ってきた。が、突然機体が90度バンクしたかと思うと、キャノピーの間近をレーザーが掠め、一瞬コクピットを照らし上げた。

 そして、バンク飛行のまま全速力で突進して弾幕を振り切ると、姿勢を建て直した瞬間、再び天空に舞い上がった。海面すれすれのナイフエッジ、この機動は、昔二度ばかり見たことがある。一度目はドラコ空軍の式典で、イワサキ中佐のデモフライト、そして、二度目もドラコだったが、名前は忘れたがロシア系パイロットで、3秒飛んだ所で墜落した。

 だが、敵弾の真っ只中で、これだけの大技をいとも容易くやってのけるジーク。そこに痺れる憧れるじゃないが、こうなると、もしかして勝てるんじゃないかと、紺碧の中を上昇する機体のなかで、そんな事を考えながら、俺は光明が見えてきたように思えた。

「クルツ、あの技、使わせてもらう」

「やるのか」

「ああ、トランスフォームの要領も掴めてきた、いける」

「よし、やろう」

 ジークのうなずく気配を感じたと同時に、ワルキューレは蒼空を舞う敵に向かって機体を翻す。そして、お互いにシザース旋回を繰り返しながら、相手の焦りとミスを誘い出すように競り合う。そして、ついに相手の機動に振り回されたふりをして、ジークは敵の指揮官機の前に機体を滑らせた。

 途端に、キャノピー越しからでも、レーザーが装甲を焼き、金属をショートさせる音がコクピットに響き渡り、ミサイルの至近弾で機体が大きく振動する。

後ろを見る必要なんてない。今の俺達はこれ以上ないカモだ。よほどのお人好しでもない限り、真後ろに着かない方がどうかしている。そして、この時こそ、俺達が待ち望んでいた瞬間だった。

「今だ、ジーク!!」

 後ろを振り向き、続いて後方レーダーの表示を見ながら、俺は自分でもおかしいくらい、うわずった声で叫んでいた。その瞬間、再びメックモードにシフトすると、急減速の衝撃と共に、機体全身に大気の流れを受け止めるように、悠然と大気に舞い上がるのがはっきりとわかった。

 そして、モニターの視界に、真後ろにいた指揮官機が現れたと同時に、ジャンプジェットが最大出力でブーストする。ここでしくじるわけにいかない、姿勢制御タスクに次々浮かび上がるエラーを潰しながら、ナビゲートシステムの進路を指揮官機にロックする補正コマンドを打ち込み続ける。そして、再び機体が加速した瞬間、指揮官機はワルキューレの二本の腕にがっしりと拘束されていた。

「許せよ、クルツ」

「あ?おわっっ!?」

 その時だった、辛うじて聞き取れる程度のジークの声がインカムから流れ、意味を聞き返す暇もなく、突然俺のシートが背面パネルを吹き飛ばし、機体の外に射出された。

 メイン・パイロット制御の、緊急用イジェクト・システム。そう気付いた時にはもう、俺は海面に叩きつけられていた。

 パラシュートで減衰されたとはいえ、トレーラーの荷台から転げ落ちたような衝撃と、鼻や口に勢いよく流れ込んでくる海水で、一瞬意識が飛びかける。やっとの思いで水から頭を出すと、コクピットを叩き潰したシロネを振り捨てるようにワルキューレが離脱し、ファイターにシフトして上昇していく所だった。

「畜生!なにが『許せ』だ!!ふざけるなよ!戻って来い、馬鹿野郎!!」

 空に向かって喚いてみても、もうどうにもならない。ワルキューレは、仇討ちとばかりに追撃してきた2機を引き連れていくかのように、飛行機雲の尾を引いて、やがてその機影は蒼空に溶け込むように見えなくなった。

 

 

 もはや毎度のことなので、もういちいち嘆く気にもならないが、俺は、砕けた奥歯を抜歯した傷と右足首の痛みで目を覚ました。

 空戦の真っ最中にワルキューレのコクピットから放り出され、パラシュートがあったとは言え、不自然な体勢で海面に激突したため、俺は右足首の靭帯を断裂する羽目になった。かてて加えて、根っこを残して砕け半分以下になった奥歯を抜き、裂けた歯茎を縫合すると言う、ちょっとした手術のおかげで、辛抱ならない激痛に悩まされ、こうして一時間に一度はその痛みで目を覚ますことの繰り返しだった。

 あとで聞いた話だが、虫歯とかがあった場合、歯に開いた小さな穴の中に残っていたわずかな空気が気圧の変化で急激に膨張し、亀裂が入ったり、最悪の場合、粉々に砕けっちまうことがあるらしい。

 だから、航空機パイロットには、虫歯がないか、あるいは完全に治療するのが絶対条件ってことだった。

 もっとも、いまさらそんな話を聞いた所で、何の足しにもならないが。いや、もしかしたら。ジークはあの時、俺の様子がおかしいことに気づいていたのかもしれない。足手まといと思われたか、それとも気遣われたのか。だが、それこそもう、いまさらどうにもならないことだ。

 俺は、あれから半日位たった後で、捜索にやってきたコーストガードの警備艇に拾われた。盛大に吐血しながら失神していた絵面のおかげで、警備艇のクルーはもうくたばってると思ったのか、こともあろうにボディバッグの中に詰め込んで下さりやがった。

 それより、問題は別の所だ。ガス欠寸前のワルキューレで、無傷の気圏戦闘機二機を相手に飛び去っていったジーク。あいつは一体どうなっただろう。今日の今日までまったく連絡がない、どうなったのか消息さえ聞かされていない。

 誰も見舞いになんか来やしない、まあ、俺はあの航空団じゃ、それこそ一介のテックだ。しかも、フリーボーンでボンズマン。おまけに、肝心のジーク自身が勝ったのか負けたのかもわからない。堂々凱旋したってんなら話も別かもしれないが、俺ひとりがライフジャケット一丁でプカプカ浮いてる所を拾われただけ、というなんともしまらない結果になった訳で、これで

『よくやった、感動した』

 なんて言われたら、ハナヱさんじゃないが、それこそセップクもののみっともなさだ。

「クルツ、起きているか?」

 おっと?誰も来ないといった傍から、飛行隊長自らおでましか?これは一体、どういった風の吹き回しなんだか。しかし、随分疲れきった顔をしているな。おまけに、フライトスーツのままだ。もしかして、俺が知らない間に、本格的な戦闘が始まったのか。

「クルツ、貴様にはすまないが、よくない知らせがある」

 そう言うと、スターコーネル・ロイズは、疲労でくすみきった表情を引き締めると、まっすぐに俺の方を見据えて言葉をつむぎ始めた。

 

 

 基地のフェンスを飛び越えるように、低空で離陸していく気圏戦闘機の放つ、アフターバーナーの轟音が、バスの窓ガラスを振るわせんばかりに鳴り響く。

「うおおぉ~~~!!すっごいのう、羽根の下の字まではっきりみえるけん!!」

「こらこら、行儀が悪いぞ。それと、窓から頭を出すんじゃない、危ないぞ」

「でも、ぶちすごいけん!あんなでっかいのが飛ぶんじゃ!すっごいのう!!」

「人の話を聞けよ、コンチキショウ」

 席から飛び降りるようにして、今度は反対側の窓にへばりついて飛び去っていく気圏戦闘機を見送っているリオに、俺は一息ため息をつく。

 あれからひと月ほど過ぎた、けれども、いまだにジークの消息はわからないと言う。当然のことながら、捜索活動も打ち切りになった。

 病室で、スターコーネル・ロイズから聞かされた話。俺が打電した応援要請に、彼は集められるだけの部下を引き連れ戦闘空域に急行した。そして、捜索飛行の途中、所属不明のドロップシップを一隻拿捕したそうだ。

 だが、それ以降の捜索でも、肝心の敵機もワルキューレの姿も無く、現場から10キロほど離れた海上で漂流している俺を発見し、今度は反対側の70キロ海上で、沈みかけていたワルキューレを発見し、海軍とコーストガードに応援要請をしたという。

 けれども、ワルキューレのコクピットの中に、ジークの姿は無かったという。パイロットシートがイジェクトされた形跡は無く、海面に着水した時に吹っ飛んだのか、キャノピーは跡形も無くなっていたという話だった。おそらく、あいつは最後の最後まで機体を捨てることをよしとしなかったのだろう。それとも、他になにか訳があったのか。どちらにせよ、一体何故?としか言いようが無い。

 それから後も、スターコーネル・ロイズは、許す限りの時間と人を使い、ほぼ連日にわたる捜索活動にあたったそうだ。そして、そのため、見舞いに来るのが遅れたとも付け加えた。結局、ジークはMIAとして扱われることになり、基地に帰ってきたのは、激しい戦闘があったことを物語るダメージを刻んだ、主のいないLAMだけだった。

 これらを受けて、イレース全域に防空警戒が発令強化され、衛星軌道直前でその存在をちらつかせていた未確認艦隊は、徐々に後退を始めているそうだ。まさか向こうも、たかだかセカンドラインに、ゲルプフリューゲを撃退できる技量の戦士がいるとは思ってもいなかったのだろう。そして、ジークは敵の破壊工作隊をいち早く発見し、これを殲滅。イレース侵攻の尖兵を挫いたと言うことで、勲章もののアワードを贈られた。だが、当の本人は行方不明のままだ。

 ワルキューレは、そんな名誉ある機体として特例措置がとられ、当面の間、航空団で保管されることになった。その裏側には、スターコーネル・ロイズの尽力があったことは疑いようが無い。そして、俺は両部隊の司令に許可を取り付け、まあ、例によって、マスターに頼み込んだ訳なんだが、仕事に差し支えない範囲、つまりは、俺の休日を使って、ワルキューレの保守整備とレストアをする分にはOKってことになった。

「じゃけん、クルツも物好きじゃのう。休みの日も仕事しにいくんか?」

「仕事っていうより、気持ちの問題だな。それよか、リオ。お前、いつもついてくるけど、ハナヱさんと遊びに行っててもいいんだぞ」

「別にええけん、それに、遠くに行くのは楽しいけんね」

「まったく。いつも食いきれないほどポーチに菓子を詰めてきて、重くないのか?」

「これか?これはジークのお供えもんじゃけん」

 これまた随分な言いようだな。しかし、リオ姫虎の子の中心領域製の菓子を、よりにもよって宿敵にお供えか?

「お供えって、別に、まだ死んだと決まったわけじゃないんだぞ。それに、お前、いつもそれ全部持って帰ってるじゃないか」

「じゃ、じゃけん!お供えする場所がないから持って帰るんじゃ!!」

「部屋にでも置いときゃいいだろ」

「そ、そがーなことして、いたんで食えんくなっとったらどうするんじゃい!!」

「別に、お供えだから関係ないだろう?しかも、来るたんびに、小遣いはたいてわざわざ新しいもの準備してからに」

「もうええわい!うちの勝手じゃけん!!」

 リオは、顔を真っ赤にしてそっぽを向くと、座席の上に膝立ちになると、意固地になって窓の外を見ている。

 ちょっと、からかいが過ぎたな。しかし、こいつの反応は、俺も正直驚いている。だが、『戦士』という存在を信奉するリオにとって、ジークの行動は、英雄以外の何者でもなかったのだろう。

 確かに、リオはジークとそりが合うとは言えない。けれども、今にして思えば、その反発もお互い似たもの同士、というより、似た境遇だったからなのかもしれない。もしも、ジークのように、リオが戦士としての資格を得て、スモークジャガーの眷属、と言う意識をより堅固に持っていたとしたら。それはきっと、ジークのようにノヴァキャットを拒絶したかもしれない。

 あいつも言ったように、子供ゆえの柔軟さと素直さ。それが、似た境遇でありながら、まったく違う状況を作っていた。あいつも、悩まなかった訳はないだろう。リオに対する苛立ち、それはそのまま、自分自身に対する苛立ちだったのかもしれない。

 新しい機体を前に、目を輝かせながら言葉を途切れさせることを忘れ、クラシックエアプレーンのソリッドモデルを手に、自分の夢を語り聞かせたジーク。全てを拒絶するような、堅固な鎧の裏側にあったもの。それを知ることも理解することも無いまま、あいつは姿を消してしまった。

 まあ、俺の勝手な考えとはわかっちゃいるが。それでも、もう少し時間があれば、その何かが見えたのかもしれない。それこそ、俺の勝手な思い込みかもしれないけれど。

「リオ」

「………」

「リオさ~ん」

「………」

「リオ介~」

「もう!なんじゃい!?」

「お前は、俺の誇りだよ」

「なっ!?なんじゃい急に!!」

「ハハハ」

「もう!ほんまに知らん!!」

 湯気が出そうなくらいに赤面したリオは、再び反対側の窓にへばりつくと、今度こそ、どんな呼びかけにも答えようとしなかった。と、その時、また2機の気圏戦闘機が爆音を立てて離陸していった。漆黒の機体に描かれたジョリーロジャー。あれは、スターコーネル・ロイズのパーソナルマークだ。そして、彼と僚機のパイロンの片方には、ライフ・ギアを収納したカプセルが吊り下げられていた。

 そう言えば、さっきリオが大騒ぎして見上げていた機体も、同じ装備を搭載していた。わかるか、ジーク。お前には、待ってくれているものがこんなにもいる。やり残した事だって、抱えきれないほど残っているはずだ。

 まだ、ヴァルハラにいくのは早い。そして、きっと帰って来い。お前の目指した空を、テラの空を舞い踊るために。

 



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水のゆりかご

 最近、妙に平凡な日々が続いる。いや、別に退屈とか言うつもりはない。何もなければ、それに過ぎたことはないのだ。誰が広めたか知らないが、まったくもって有り難くないことに、『入院王』だの『大怪我の達人』だの言われているらしい俺が、こうして何事もなしに、緊急の仕事も入院沙汰もなく、予定通りにシフト休が回ってきたことは、まさに感謝の極みというものだ。

 で、今日もまた、リオを連れて、休日恒例のバザール巡りに出かけることになった。今回、参加人数がいつもより多い。ちょうど休みが重なったハナヱさんと行き会って、彼女も誘うことに成功したんだが、そこに通りかかったのが、当番明けのディオーネとアストラの姉弟で、リオから話を聞きだしたディオーネは、半ば強引に参加。アストラは、さすがに疲労の色を浮かべてはいたものの、姉の暴走、もといお目付け役として来てくれることになった。

 さすがに、これだけの大所帯で歩き回るのは久しぶりだが、リオにとっては、それもまた楽しいらしく、はしゃぎっぷりもいつもより気合が入っていた。まあ、子供らしくていいさな。でもって、小休止もかねて、露店横丁で食事と相成った。

 もちろん、ディオーネの提案なのだが、ひとつ問題がある。たぶん知っているとは思うが、戦士階級と言うのは、通貨を使う必要がないと言う特権を持っている。と言えば聞こえはいいが、早い話、ただの一文無しだ。良識と配慮が標準装備されているアストラはともかく、その姉の方は、少しでも気を抜くとどんな行動に出るかわからない。

 それに、ディオーネは正味な話、アサルト級の大喰らいだ。リオはともかくとして、当然、この姉弟の食事代は、俺が持たなければならないことになる。まあ、戦士階級のふたりが、必要だから提供するように。と店側に申し出れば、それで話は片付いてしまうのだが、心情的なものと、なによりも、リオの前でそんな真似はして欲しくない。というのが、正直な所だ。

 こういう言い方をすると、戦士たる者の存在を歪めている。などと言われそうだが、昔のように氏族人だけの世界に閉じこもっていた時ならともかく、曲がりなりにも中心領域の一角に居を構え、あまつさえ、その中の一大勢力のひとつである、ドラコ連合と同盟を結んでいるという事実がある以上、ある程度中心領域の常識に即した考え方を、リオにも持ってもらいたいと思っている。これだって、ある意味立派な『協調の精神』だろう。

 え?いや、別におごるのが嫌だって言ってる訳じゃない。ただ、そうなると、また次の給料日までカツカツになる。それが、ちょいとばかりしんどいだけさ。って、まあ、同じことだわな。

『大丈夫ですよ、クルツさん。私も、幾らか余裕がありますから。お金の心配は無用です』

 俺の心を読み取ったかのように、ハナヱさんが、素早くささやきかけてくる。いやぁ、本当にいい人だ。ボンズマンなんて言う、しち面倒臭い身分でなければ、速攻で行動に出たいくらいなんだが。まあ、そのことについては、今は置いておこう。言うだけ寂しくなる。

 それはともかく、俺達は場所を確保すると、めいめい注文を済ませて、あれやこれや、たわいのない雑談に花を咲かせながら時間を潰す。けど、こうしていると、昔、気の合った同期の仲間と一緒に、休日の外出で安レストランや喫茶店に陣取り、教官や規則の不平不満を言い合いながら、部隊食堂では口に出来ない娑婆の料理をかっ込んでいた時のことを思い出すよ。

 あの頃の連中は、今どうしているだろう。もう、何人も生きちゃいないだろうが、それでも、できることなら、もう一度会って、こうやって馬鹿話をしてみたい。

「よっしゃ、そいじゃ、さっそくいただくでよ」

 それからほどなく、給仕の少年が運んできた料理が並べられ、我らがディオーネ姐さんは、野獣のように目を輝かせると、さっそくフォークを握り締める。

 しかしこのお姉さん、本当によく食う。軽く見積もっても、俺達ひとり頭の注文の2倍の品を頼んでいる。リオは子供だから列外としても、ハナヱさんの分と比べると、缶詰と野戦炊事車両ほどの差がある。

 それにしても、ハナヱさんがいてくれて、本当によかった。とてもじゃないが、このお姉さんのメシ代まで俺が出すとなったら、俺の財布は間違いなく空になる。まったく、御嬢様々だ。

「それにしても、本当に良く食べますね。ふだんあれだけ食べていて、まだ足りないんですか?」

「それとこれとは別だがや。あ、そうそう、この間、おみゃーからもらった黒ブラな。ありゃー、うちには小さ過ぎて、ちーともはまらんかったでよ。持っててもしょーがねーだで、後で返しとくだぎゃ」

「ぬぁっ!?」

 だからそう、おごってもらっといて、どうしてそういう言い方するかな。それに、ありゃ、もらったんじゃなくて、賭け将棋で巻き上げたんだろうに。

「れだけ食べるんですからね、それは太りますよねぇ」

「むはは、どーいうわけか、乳だけよー育ってしょーがねーだぎゃ」

「ああ、だから脳や神経まで栄養が回らないんですね」

「育たねーよりかは、百万倍マシだがね」

「う……………」

 また始まったよ。こういっちゃなんだが、本当にどうしようもないな。野郎共には、どうにも対応できない。と言うか口を挟みにくい会話に辟易して、隣のリオを見ると、せっかくの料理にまだ手をつける様子もない。

「リオ。ふたりのことは気にしなくていいから、遠慮しないで食えよ。まあ、いつものことだしな」

「う、うん」

「どうした?」

 リオの見つめる先には、まあ、どこにでもいそうな親子連れがいた。人のよさそうな父親と、気立ての良さを表情に漂わせている母親。そんなふたりの間に囲まれて、買ってもらったばかりであろう、ポーリーのぬいぐるみを笑顔で抱きかかえている、たぶんリオと同じくらいの女の子。

 楽しそうに談笑している、温かくも家庭円満を絵に描いたような光景。家族そろって、休日のお出かけってやつだろう。リオはフォークを手にすることも忘れ、その若草色の瞳は、そんな一家の光景をじっと見つめ続けていた。

 でも、まさかな。子供とは言え、リオはトゥルーボーンだ。フリーボーンの家族に関心を持ったりするとは思えないが。

「の、のう、クルツ」

「どうした、リオ」

「そ、その………クルツやアストラ兄ちゃん達にも、父ちゃんや母ちゃんがおったんじゃろ?」

 リオの問いかけに、まだ何やらちくちくとやり合っているご婦人方を脇において、俺は意外な質問の意味を吟味する。そして、先にリオの言葉に答えたのは、アストラだった。彼は、静かな、しかし暖かい声をリオに向けた。

「その通りだ」

「その、父ちゃんや母ちゃんって、どんな感じだったんじゃ?」

 ん?

「それは、どういう人達だったか。と、いうことか?リオ」

「う、うん」

 おいおいおい、こりゃいったいどう言うことだ?まさか、リオがそういうことに興味を持つなんて。

「父も母も、腕のいい菓子職人だ。同時に、商才に篤い商人でもある」

「そうなんか………ほいじゃ、アストラ兄ちゃんやディオーネ姉ちゃんも、子供の時とかは、あんな感じじゃったんか?」

「む………?ああ、そうだな。両親は義務婚であったとはいえ、お互い強い絆があった。俺達姉弟は、そういった両親の元で育てられた。まあ、短い時間ではあったがな」

「え………?」

「俺達は、ふたりとも戦士としての適性があると審査された。だから、姉さんは六歳の時、俺はその3年後、養成所に入所した。だから、俺達姉弟が両親に育てられたのは、せいぜい5、6年といったところだ」

「そうなんか………」

 アストラの言葉にうなずきながらも、リオは、なにかしら思うような瞳で、向こうの親子達と、アストラやディオーネを見比べている。そんなリオを、アストラはいつもと変わらない、穏やかな表情で見守っていた。その時、目一杯口に中にものを頬張ったディオーネが、ハムスターみたいな顔で器用に話しかけてきた。

「まー、あれだぎゃ。うちの母ちゃんは、いわゆるシブコのドロップアウターだったでよ。それでも、そこいらの女に比べりゃ、半端じゃーなかっただでね。ふはは、今にして考えりゃ、うちの父ちゃんは、母ちゃんに完璧尻に敷かれとっただぎゃ」

 ってことは、あなたはまんまお母さん似。ってことか。

「痛でっ!!」

 そう思っていたら、いきなりドリンクの氷を一粒ぶつけられた。

「おみゃー、まーたロクでもねーこと考えとっただぎゃ?」

 ホントにこいつの勘の良さときたら、それとも、本当に人の頭ん中が読めるのか?

「そりゃーそーと、ボカチン。おみゃーの母ちゃんは、どんなんだったんかみゃあ?」

「へっ!?わ、私のっ・・・・・・ですか?」

「おー」

「わ、私…………私の母は………」

 なんか急に顔色が悪くなってきたぞ。まさか、聞いちゃいけないことだったんじゃないのか?もしかして、既に鬼籍に入ってしまっている、とか。

「うあ…………………」

 ハナヱさんは、急にフォークを取り落とすと、そのまま頭を抱えてガタガタと小刻みに震え始めた。お、おいおいおい、なんだか、ヤバい感じだぞ・・・・・・?

『ご、ごめんなさい………もう寝坊したりしません………もう朝稽古に遅れたりしませんから………!』

 ハナヱさんは、焦点の定まらない目を見開かせながら、なにやらうわごとのようにブツブツと言葉を漏らし始める。そして、透き通るように真っ青になると、変な汗を顔中にびっしりとにじませながらガタガタと震え始めた。

『お許しください、お母様………!』

 むぅ、なんだかよくわからないが、ハナヱさんの御母堂は、すこぶる厳しい御方だったようですな。これは、はからずしも、彼女の古傷をえぐってしまったらしい。いやはや、人間、色々あるもんだな。

 

 

 ちょいとしたアクシデント気味なこともあったが、一堂はおおむね気分転換を満喫したようだった。リオといえば、バザールで買ってやったばかりの、携帯工具セットの中身をあれこれと吟味している最中だ。別に、俺が押し付けた訳じゃなくて、こいつが買ってくれといってきたんだが。

 しかし、こいつも一応子供なんだから、もっと他に欲しがるものがありそうなもんだが。まあ、この間買ってやった、あのバカでかい黒豹のぬいぐるみは、今でも随分大事にしてくれているようだから、それはそれでいいのかもしれない。まあ、新しいものをホイホイねだったりしないのが、こいつの偉い所でもあり、いじましい所でもある。

「の、のぅ、クルツ………」

「ん、どうした?」

「そ、その………今日の話なんじゃけど………」

「今日の?ああ、親父やお袋がどうとかいったアレか?」

「う、うん………」

「その、クルツの母ちゃんの話、うち、聞いてもええかのぅ………?」

「俺の?」

 ああ、そう言えば、あの時はハナヱさんのトラウマを呼び覚ましちまったんで、そこでその話題は打ち切りってことになった。だから、俺に対しては聞きそびれたんだろう。それは別にかまわないんだが、一体どんな風の吹き回しやら。今回、このお姫様は、俺が子供の頃の話を聞かせてくれといってきた。

 どうやら、今までの生活環境の影響かどうか知らないが、こいつはこいつなりに、フリーボーン。いわゆる、人っ腹生まれが、どういう世界で育つのか興味を持ったらしい。そもそもの話、トゥルーボーンのリオにとっては、遺伝子的な親はあっても、言葉の意味での両親や兄弟というのは存在しない。

 まあ、自分に無いものや、常識の範囲外のものに興味を示すのは、人間として別段不思議ではないとは言え、トゥルーボーンからしてみれば、まったく傾注にも値しない事に敢えて興味を持った。と言うことが、逆に俺の興味も引いた。

「あまり、面白い話じゃないかもしれないぞ?」

「あ、そ、その、駄目ならいいんじゃ」

「いや、別にかまわないけど?それじゃ、聞くか?」

「う、うん!」

なるほどね、けどまあ、いったいどういった風の吹き回しやら。まあ、ご希望通り、お題の話をしてみましょうかね。

 

 

 彼女は、SPに取り押さえられて、自分の前に引きずり出された少年を、磨き上げられた眼鏡のレンズ越しに、興味深そうな視線を投げつけた。

 四肢の均整が取れた北欧系の体格だが、やや黄色味のかかった、東洋系特有のきめ細かい肌。そして、夜空のように真っ黒な髪と、深みのある琥珀色の瞳。レイザルハーグでは大して珍しくもない、北欧系住民と東洋系住民の混血児。か、なにかだろう。と彼女は見当をつける。

 それにしても

 彼女は、SPふたりがかりで押さえつけられながらも、野生の狼のような静かな凶暴さを秘めた瞳で、まっすぐ自分を睨みつけている少年に、心の中で、深いため息をつく。

 なにをどのようにすれば、こんな荒んだなりになるものなのか

 少年の頬は泥と埃にまみれ、彼自身の怒りも手伝ってか、青白くひきつっている。その黒髪も土埃で艶を失い、伸び放題に伸びてばさばさに振り乱れ、まるで、たてがみのように背中や肩を覆っている。顔には、いくつかの痣が浮かび上がり、ところどころ裂傷の痕も見える。

 そして、過去の殴打の痕の残るその左目は白く濁りかけ、このままでは失明するのも時間の問題だろう。

「ずいぶん手荒に扱ったようね?貴方達にも子供はいるでしょうに」

「猊下、確かに抵抗された時、多少制圧行動はとりましたが、可能な限り配慮は致しました」

 彼女の揶揄に、SPは若干うろたえたように答える。しかし、少年を取り押さえた手は、決して緩めない。

「冗談です、わかっていますよ」

 彼女は、かすかに苦笑じみた表情を口元ににじませる。SP達も、この少年を取り押さえるのに相当苦労したらしい。この背の高い男達にどう当てたか知らないが、ふたりの顔にはそれぞれ殴打の痕が残り、スーツの上には、つま先の跡がスタンプされている。そして、そのどれもが、みぞおちや金的周辺の下腹部に集まっている。

 子供のくせに、やけに実戦的、というより、荒事慣れしているのだろう。それはそれで問題だ、と、彼女は小さくため息をつく。

 事の起こりは30分ほど前。非公式だが、浪人戦役の復興下にあるレイザルハーグの町並みを視察するため、必要最低限の護衛だけを連れて訪れた時のことだ。同行した人間は反対したが、東洋系住民が集中しているスラム街の実態を見ておくため、周囲の反対を押し切るようにして足を運んだ。

 そして、この地区の報告以上の荒みように、思わず眉をしかめつつ、その惨めな生活ぶりに忸怩たるものを感じ、直にそれらの空気を見て取りたいと思い、難色を示す警護を説き伏せて車から降り、その周囲を歩いていた時だった。

 物陰に巧みに潜んでいたひとりの少年が、突然疾風のように飛び出してくると、自分が手にしていたサイドバッグをあっという間に奪い取り、SP達の体勢が整う前に、彼らの間をすり抜けるように逃走を開始した。

 実際、その瞬間まで、自分も、そしてSP達も、その少年の存在にまったく気づいていなかった。とはいえ、彼らが油断すると言うことはありえない。しかし、少年は、複数の人間の間同士に生じるほんのわずかな死角に、音も気配もすべて殺しながら巧妙に滑り込み、周囲に自分の気配を解け込ませるように、完全に場の空気と同化して接近してきた。

 訓練を積んだエージェントでも、そうそう出来るものではない、子供とは思えない動きに、一瞬何が起こったのかも理解できなかった。SPの数名が少年を追って走り出した所で、ようやく事態を飲み込むことが出来たほどだった。

 しかし、精鋭揃いSPの追跡から逃れられる道理もなく、しばらくたった後、猟師に生け捕りにされた猛獣のように、彼らに取り押さえられた少年が引き出されてきた。

 彼女は、SP達を制するように進み出ると、少年の目の高さまで体をかがめる。

「お名前は?」

 彼女の問いに、少年は相変わらず威嚇するような目つきで睨んだまま、何も応えない。

「お年はいくつ?」

 これも、然り

「おうちはどこかしら」

 やっぱり、何も答えてくれない

「お母さんは?」

 彼女が、最後の切り札とでも言うべき一言を発した瞬間、少年は、彼女の目論見どおりの反応を示し始めた。

 初めは、やはり反抗的な表情を浮かべていたが、彼女の言葉がじわじわと浸透していくにしたがって、両方の目がぶるぶると潤み始め、泥と埃で汚れた頬にぼろぼろと大粒の涙がこぼれ始めると、たちまち汚れた縞模様を作り始めた。

 大人顔負けの殺気と敵意を放つ、人間性が完全に凍りついた表情から一変して、幼い子供本来の顔に戻り、壊れた蛇口のように涙を流して泣き続ける少年を前に、彼女の周りに張り詰めていた空気が少しづつ緩んでいく。

「ごめんなさいね、おばさんが悪かったわ」

 意図して言ったこととはいえ、そのあまりにも過剰な反応に、胸の奥で微かに罪悪感じみたものを感じつつも、彼女は、静かに少年の前に近付くと、ポケットから取り出した絹のハンカチで、当然のことのように、その汚れた頬を拭ってやる。

 決して安物などではない純白のハンカチが、一瞬で雑巾同然に変わるその光景を見て、その場にいたSP達は、予想すらしなかった光景に息を呑む。

「猊下、この少年はどういたしますか?」

「この少年には、罰を与えなければなりませんね」

 つい先ほどまでの慈悲深い行動とそぐわない、またしても予想だにしなかった言葉に、SP達は面食らった様子で互いの顔を見合わせる。

「この少年の自由と将来は私が預かります。もう、この少年に一切の選択肢はありません。犯罪者になる自由も、ひとりで野垂れ死ぬ自由も認めません。この少年を教養課幼年部に送致する手続きをとりなさい。その間、私の権限で保護観察処分とします。それまで、決して取り逃がしてはなりませんよ」

 彼女はそう宣言すると、安堵するかのように、微かに表情を和らげたSP達に、心の中で柔らかい笑みを浮かべる。

 ROMエージェントも、人の子ですか

「もう、これ以上見るべきものはありませんね、帰りますよ」

 彼女はそういうと、この荒みきった町を一瞥し、なにやら思う所のあるような表情を一瞬だけ浮かべたあと、SPと、彼らに取り押さえられた少年を従えて踵を返した。

「そうそう、言い忘れました」

 彼女は車に戻る途中、振り返ることはせず、ただ何かを思い出しただけ。と言った口調で、SP達に指示を与えた。

「一名、靴を調達してきなさい。裸足では、フロントが渋るでしょうから」

 

 

「あきれた話です」

 彼女は、部下の提出した報告書を、その場で一気に目を通してから、心底面白くなさそうな表情で、簡潔な感想を述べる。

「ドラコ連合軍近衛連隊中佐であった父は、浪人戦役で戦死。レイザルハーグ王立軍少尉であった母も、戦後、軍の人員整理対象となり、強制除隊。ブラッディ・クリスマス事件における、強姦殺人の被害者として死亡。その際、兄も消息は不明。ありがちといえば、ありがち。このご時世、ありふれていて、特に見るべきものはありませんね」

 そう言いつつも、彼女のほっそりとした白い指先は、苛立たしげにテーブルを叩き続けている。

「ご苦労様、下がってよろしい」

 彼女のねぎらいの言葉に、調査報告書を提出したエージェントは、一礼すると無駄のない動作で速やかに退室して行った。

「さて」

 彼女は、一仕事を終えた表情で立ち上がると、スイートの応接間を後にして、あの少年の様子を見に行くことにした。

「トマスン」

 果たして、少年はリビングルームの隅で、警戒心を剥き出しにしてうずくまっている。その荒れ果てた姿も手伝って、狼の子供が座り込んでいるようにも見える。それはそうとして、外にいた時はそれほどでもなかったが、室内にいると、さすがに臭いがきつい。

 その身なりを見れば言うまでもないが、この年齢の子供に対するものとしては、どうあっても許容できないほど、劣悪な環境にかなりの間晒されていたのが見て取れる。部下との面談に入る前、風呂に入って着替えておくように。と言いつけておいたはずなのだが、どうやらその気配もない。ルームサービスでわざわざ注文したサンドイッチやホットミルクも、まったく手付かずのままだ。

「こっちに来なさい、トマスン」

『トマスン』と言うのは、彼女がとりあえずつけた名前だ。何しろ、何度聞いても答えようとしないから仕方ない。一応、名前の方の調べはついてはいるが、その名を呼ぶのは、彼自身が名乗る意思を示した後にしたい。あんな経歴を知ってしまった後ではなおさらだ。何もかもを見透かしたような言動を、この少年に対してしていいとは思えない。

「トマスン、貴方のことですよ、トマスン」

 彼女は、辛抱強くその名で呼びかける。

「トマスンじゃない」

「名前がないと困るでしょう?」

「のらいぬみたいにいうな」

 そう言うと、少年は激しい敵愾心を浮かべた目で彼女を睨みつける。人を信じようとしない、頑なに他者を拒絶する目。しかし、彼女は少しも臆することもなく、余裕を見せた表情で切り返した。

「野良犬じゃないなら、お風呂に入って、きちんと着替えるべきじゃないかしら?」

「うるさい、ぼくのかってだ」

「大人の言う事をきかない悪い子には、おしおきをしなきゃいけないわね」

「やってみろ、ぼくをばかにするな」

「わかったわ、泣いて謝っても許さないわよ」

 彼女は、つかつかと少年のそばに歩み寄ると、埃と垢で汚れた手首を掴み、そのまま有無を言わさずバスルームに引っ張っていく。だが、硬い骨の感触が直に伝わってくる、あまりにも痩せさらばえた少年の腕に、再び胸を突く痛みと共に内心嘆息をつきつつも、彼女は、服なのか雑巾なのかわからないほどボロボロになった少年の着衣を剥ぎ取ると、自分も服を脱いでバスルームに入る。

「大人しくしてなさい、泥が目に入るわよ」

 少年を座らせると、彼女は頭からシャワーを降り注がせる。そして、少年を包んで流れる湯は、彼女も思わず驚くほどの泥水と化して流れていった。

「きれいにしたら、散髪もしないとね」

 シャンプーを手に取ると、伸び放題となった髪の毛に手を置き、その強張りきった髪を優しく揉みほぐすように泡立てる。最初は真っ白だった泡も、しばらくすると、土色に変色し始めた。

「これじゃ、もう一回洗わないと駄目ね」

 彼女は、この洗い甲斐のある少年を前に、苦笑混じりにシャンプーのボトルを手に取った。

「どうしたの?寒いのかしら?」

 気づくと、その背中が小刻みに震えている。髪を洗うのに気を取られ過ぎて、体を冷やしてしまったかと思い、そう問いかけてみたが、少年は小さく頭を横に振る。

 背骨と肋骨が掘り込んだように浮かび上がる、がりがりに痩せこけた小さな背中が、何かを耐えるように、かすかに漏れ聞こえる嗚咽に合わせて小さく波打っている。そんな少年に、彼女はあえて言葉をかけることはせず、できうる限り優しく、温かな湯気の昇るシャワーを降りかけた。

 

 

 やっとのことで、少年の全身から泥と垢を駆逐した彼女は、さっきまでの、警戒心の塊のような表情から一転して、戸惑った表情を浮かべる少年を促して、湯を満たしたバスタブに入った。

「お風呂のあとは、きちんと着替えて、ご飯にしましょうか」

 彼女は、少年と差し向かいでバスタブの湯につかりながら、黙りこくったままの少年に笑いかける。どうやら、少しは恩義を感じてくれたのか、目の粗いヤスリのような敵意は消えている。もっとも、不愛想な表情は相変わらずだったが。

「それから、明日は病院にいかないとね。目、痛いでしょう?」

 彼女の言葉に、少年の顔に一瞬、ビクリと恐怖の表情が浮かぶ。

「ちゅうしゃ、するの?」

 少年にとって久方ぶりであろう、包み込むような湯船の暖かさが、彼の心を解きほぐしたのか、今までの立ち居振る舞いとは一変して、幼い子供そのままの無邪気な不安に、彼女は、こみ上げてくる笑みを抑えきれずに表情をほころばせた。

「未来のプリセンター・マーシャルが、何を情けないことを言っているの。しっかりしなさい、男の子でしょう?」

 彼女は、そう言いいながらしなやかな手を伸ばすと、少年の小さな額を人差し指で優しくつついていた。

 

 

「猊下!お久しぶりでございます!」

 久しぶりの再会に、子供のように惜しみのない歓喜の笑みをあふれさせて、私邸を訪れた彼女を出迎える青年を前に、彼女は、つい苦笑交じりの笑みで答える。

「貴方も健勝そうでなによりです、デミ・プリセンター『ティンダロス』」

 もはや、本名より本名となってしまった二つ名で呼ばれてしまった青年は、困ったような表情でかしこまる。もっとも、その本名とされる名前さえ、本当の名前と言う訳ではない。彼自身、最近知ったことだが、自分の名前の由来は、母が昔飼っていた二匹のジャーマンシェパードの名前を、それぞれ姓と名に使ったもの。と聞いた時には、さすがに笑うしかなかった。

「そ、それは勘弁してくださいませんか?猊下」

「では、貴方も猊下はおよしなさい。ここで、そんな他人行儀もないでしょう」

「はい、ごめんなさい、母さん」

 丁寧に刈り揃えたばかりの、瑞々しい香りを漂わせる芝生の上を歩きながら、青年は、照れ隠しの笑顔を浮かべつつも、広い庭園の中央に用意されたテーブルに案内すると、ガーデンチェアを引き、彼女に席を勧める。

「クズウから取り寄せた新茶です。シミズ産もいいものですが、さすが、香りが違います」

 メイドを下がらせ、自らティーポットを手に取り、かいがいしく茶の用意をする青年に、彼女は柔らかい微笑を浮かべる。

 あれから15年、ガリガリに痩せこけたみすぼらしい少年は、今では、第一系列に迫らんばかりの気鋭たる青年に成長した。

 15年と言う年月を、彼女は最初の思惑どおり、自分の手駒を作り上げることにのみ使った。そして、少年も、彼女の為だけに牙を研ぎ、そして彼女の為だけにその技を磨いた。手駒となれば上々と思っていた子供が、今や手駒どころか、二つとない懐刀となった。

 彼女が拾ったのは、ただの野良犬ではなかった。あの時、レイザルハーグのスラムで見せた、百戦錬磨のエージェントの目さえも欺き抜いた技量。東洋系の人間に対して、有無を言わさず与えられる、理不尽な暴力と憎悪が横行する地獄の中で、幼い子供がたった独りで生き抜くために、望むと望まざるとに係わらず身に着けた能力。

 それは、彼女の最初の目論見どおり、しかるべき場所で、しかるべき師に就き、適切に、そして無駄なく磨き上げられた時、少年は、野良犬どころか、獰猛な牙と狡猾な知略を備えた、恐るべき猟犬へと成長した。

 そして、完成されたその力は、彼女に仇為す者だけでなく、やがてそうなるであろう者にも、その牙はひとかけらの慈悲もためらいもなく、例外のない死を与えていった。しかし、それは、あくまでも彼女の為だけに振るわれる、忠誠と敬愛の証でもあった。

「サンドハーストは変わりありませんか?相変わらずフォヒト猊下は気難しいですか?ああ、それと、セネカ猊下はご健勝ですか?私もまだ未熟者ゆえ、またお会いして、いろいろ教えを頂きたいものです」

 心の底から嬉しそうに、うきうきとした様子で若草色の茶をカップに注ぎながら、あふれだした言葉が止められない。と言った様子の青年に、彼女は眼鏡の奥の目を細める。

「そんなことより、自分のことですよ。もういい大人なのですから、誰か良い人はいないのですか?」

 彼女の一言に、ポットを持つ青年の手が一瞬止まったあと、ばつの悪そうな笑いを浮かべ、微かに赤面する。

「あ、いえ、どうも仕事が楽しくて。つい、そこまで気が回りませんでした」

「仕事が楽しいというのは、私の肩書きとしては心強い限りですけど、私個人としては、それでまっとうに人とお付き合いができるものか、心もとない限りですよ」

「相変わらず、お厳しい」

 彼女の言葉に、困ったように赤くなった耳を揉み解しながら、彼も差し向かいの椅子に腰を下ろす。そして、しばらくの間、二人は軽く談笑を交えつつ、ふくいくたる香りをたたえる緑茶の味を愉しんでいた。

「私の方から、ああいった話をしておいてどうかとは思いますが」

「どうなさったんです、母さん?」

 不意に色味が変わった彼女の言葉に、青年は表情を正し、カップをソーサーの上に戻す。

「蠍を、放つ時が来たと思うのですよ」

「もちろん、私もお手伝いをさせていただけるのですよね?」

 短い、しかし、確固とした意思が秘められた言葉を向けた彼女に、青年もまたデミ・プリセンターとしての表情で応える。

「貴方には、ノヴァキャットに行って欲しいのです。そのためにどんな手段を使ってもかまいません、貴方が最善とした判断に一任します」

「承知しました、猊下。全ては、叡智の光のために」

 青年は、畏敬のこもった表情で、静かに一礼する。そして、それを見届けた彼女は、再びカップを手に取ると、残り少なくなった緑茶で唇を湿らせた。

 

 

 さて、案の定、このお姫様、あっけにとられた顔をしているよ。

「と、まあ、これが俺の母さんの話だよ。どうだ、面白かったか?」

「う、うん。じゃけん、その話はホンマなんか?う、うち、クルツはずっとテックじゃったとばかり思うとったけん」

 果たして、リオは俺が話している間中、冷蔵庫から出したジュースのパックに口をつけることも忘れ、実に真剣な表情で聞き入っていた。

「ははは、どう思う?」

 俺は、わざととぼけた笑いを返してみせる。すると、とたんにリオの目が釣り上がった。

「な、なんじゃい!ひょっとして、うちをからかっとったんか!?」

「そんなことないさ。さっきの話も、本当と取るか、作り話と取るかはお前に任せるよ」

……………」

 おやおや、このお姫様、ずいぶん困った顔をしているよ。まあ、さっきも言ったけど、これをどう受け止めるかはお前さんの自由だよ、リオ。

「でも、クルツの母ちゃんがおったから、クルツがいて。じゃけん、うちもこうしていられるんじゃ」

「ん?」

「じゃけん、ホントでもうそっぱちでも、どっちでもええけん」

「ははは、そう来たか」

 リオは、随分生意気なことを言ってくれながら、ようやくのように、パックのストローをくわえ、こくこくとジュースを飲み始めている。けど、考え込む時のいつもの癖で、飾り物じゃない本物の方の耳がピコピコ動いている。まったく、いい加減可愛い奴だね、こいつも。

「リオ、冷蔵庫にあるチョコバーな、一本取って食っていいぞ」

「えっ?じゃ、じゃけん、夜はお菓子食うたらいけんって………」

「いいさ、今日だけ特別だ。母さんも、お前の言葉を聞いたら、喜んでくれる」

「そ、そうかのぅ」

「ああ、そうとも」

 俺の言葉に、リオは心底戸惑ったように、若草色の目を動かしながらも、嬉しそうに冷蔵庫からチョコバーを取り出している。

 そうだな、まあ、お前がさっきの話をどう取ったとしても、それはお前の自由さ。それに、その言葉だけで、お釣りが出るくらいだよ。

 それに、お前だから話したんだ。ま、ゆっくり悩んでみな。



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