【朗報】修羅場系パーティーに入った俺♀だったが、勇者とフラグの立たない男友達ポジションに落ち着く (まさきたま(サンキューカッス))
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1話「さらば平穏! 旅立ちの日に吹く嵐!」

 漢とは。

 

 心に鋼の覚悟を持つ、誇り高き存在である。

 

「そうだろう、イリア! 血沸き肉踊る戦いの果てに友情に目覚め、『強敵』と書いて『とも』と呼ぶライバルに出会い、何度も拳や剣を交わしながら成長していくぅぅぅ!!」

「そーですねー」

 

 俺は情けない男だった。漢ではなく、男だった。

 

 何故そんな自虐を叫ぶのか。それは、思い出してしまったからだ。魂の輪廻、その前世における自分の生き様を。

 

「俺は病などには負けぬ! 健全な肉体は強靭な筋肉に宿る! ふん、はー! ふん、はー!」

「わー、そうですね兄様」

 

 俺の肉体から滴る汗の音が心地よい。

 

 筋肉は、マッスルで、muscleだ。

 

 名門貴族に生まれた俺は、魔法などという軟弱な攻撃手段に頼ることなく、ひたすらに筋肉を苛め続けていた。

 

「ふぬぅぅぅう!! 腕立て伏せ5000回いぃぃ!!」

「顔がバカみたいですよ、兄様」

 

 妹を背中にのせながら、俺はひたすらに上腕筋と三角筋を苛め続ける。

 

 リズム良く上下する背中に妹を乗せて、ハードな負荷を可愛いマッスル達に課していく。

 

 ────病死。それが、俺の前世の死に様だった。

 

 俺は不健康な食生活と好き放題な飲酒、皆無と言って良い運動習慣が祟り、脳の血管が詰まって破れて即死した。

 

 その、前世の情けなさ過ぎる死に様を思い出した俺は、今世においてその教訓を活かすべく体を鍛え始めたのだ。

 

 貴族は、魔法を使い敵を屠る。

 

 平民は剣を振るい、貴族を守る。

 

 それが、この世界の常識だった。

 

 貴族に生まれた俺は、本来であれば学問的に魔術を修め、平民達の指揮を執りながらその魔法で敵を薙ぎ払うべきだった。

 

 

 だが、そんな事をしては……。俺の肉体は前世の様に貧弱そのものになってしまうではないか!!

 

 貴族は偉い。家事炊事は全て雇った家政婦や執事がやってくれる。

 

 俺たちの仕事は、魔法を勉強し、文化を習い、優雅に暮らすことである。

 

 平民から搾取した利益を得る代わり、いざ有事には民を守るため魔法を振るい、命を投げ出して戦う必要がある。

 

 ────そのせいだろうか。最近は大きな戦争がなかった弊害で、貴族といえばデブでふくよかでぽっちゃりな奴ばかりなのだ。

 

 ろくに運動をせず良いものを食べ、座学で魔法を学んだり貴族的な絵画を嗜んでいるだけの貴族は、まさに前世の俺だった。

 

 

「ふん、ふん、ふん、ふん、ふん!!」

「鼻息が気持ち悪いですよ、兄様」

 

 

 デブになってたまるか。早死にしてたまるか。

 

 俺は反省を活かせる人間だ。今世における俺の目標は、健全な肉体と健全な精神を宿した男の中の漢となる事だ。

 

 そして、出来ればライバル的な奴に出会って、切磋琢磨しながら己の肉体をぶつけ合い、夕日の下で笑い合いたい。ま、これは少し高望みかもしれないが。

 

「後、お兄様。少し、言っておきたい事があります」

「何だ、イリアァァァ! ふん、ふん、ふん、ふん」

「……どんなに、兄様が頑張ろうと────」

 

 だが、俺は夢を追い続ける。いつか出会う生涯のライバルに勝つために、今日も肉体を限界まで苛め続ける!

 

 それが、俺の筋肉道なのだ!!

 

「兄様の肉体は女性のモノなので、そんなに筋肉は付かないと思います」

「うるさい! 健全な精神を以て修行を積めば、筋肉モリモリマッチョマンになれる、聖書の神もそう言っている!」

「『無垢に修練を積めば道の頂きに至るだろう』、それが聖書の記述です。曲解をしないでください兄様……、というか姉様」

「俺の事は兄と呼べぇぇぇぇ!!!」

「……はぁ」

 

 妹がなんか呆れた声を出しているが、知ったことではない。

 

 俺は、俺の夢を追い続ける。そこに、何の妥協も遠慮も必要ない!

 

「……こんなのが周囲に知れ渡れば、嫁ぎ先が無くなりますよ」

「生涯の伴侶は俺自身が選ぶ!! 父の意向なんぞ知ったことかぁ!」

「お父様が聞いたら卒倒しそうですね……。はぁ、兄様はどこで拗らせてしまったのでしょうか」

「ふん、ふん、ふん、ふん、ふんはぁ!」

 

 長髪が揺れ、汗が滴る。

 

 喉が渇き、血の味が広がる。

 

 ふむ、今日のトレーニングは中々にハードな負荷になったのではないか。少しブレーキングタイムを設けた後に3セット程繰り返そう。

 

 

 ─────トン、トン。

 

 

 俺が筋肉達と至福の一時を楽しんでいたその時、俺の部屋のドアをノックする無粋な音が聞こえてきた。

 

「……来ましたよ、誰か」

「……うむ。暫し待て!」

 

 来客、と言うかどうせ使用人だろう。しかし、いかに使用人相手とはいえこんな汗だらけで対応する訳にはいくまい。

 

 用意しておいたタオルで全身の汗をくまなく拭き取り、さっさと服を羽織り髪を整える。

 

 鏡を見て我が身を確認し、よしオッケー。

 

 

「お入りになってください」

「失礼します、お嬢様。ご主人様がお呼びでございます」

「分かりました、サラ。いつもありがとう、うふふ」

 

 柔和な笑みで、メイドに微笑みかける俺。その姿はまさしくSEISO(せいそ)を絵に描いたような感じ。

 

 俺は、対外的にはおっとりとして優しく美しい美人令嬢として通しているのだ。

 

 何故なら、貴族に生まれた人間が粗暴な言葉遣いをすると、家に迷惑をかけてしまうからである。子をしつける能力を疑われ、親が社交界で後ろ指を差されるのだ。 

 

 俺みたいなナヨナヨした漢と呼べない人間を、この年まで面倒見てくれているパパンやママンにそんな迷惑はかけられぬ。

 

 俺は漢を目指す身ではあるが、せめて両親への義理として、対外的には清楚系お嬢様として振る舞わねばならぬのだ。それもまた、漢道!

 

「兄様の変わり身が凄すぎて引きます。情緒不安定なんでしょうか?」

「あらあらイリアったら。兄様ではなく、姉様でしょう?」

「……間違えました、すみません姉様」

 

 おいこら妹、俺の猫かぶりを使用人にバラそうとするんじゃあない。お前もこの家の人間なんだから、ちゃんとこの家の利益につながる立ち振る舞いをしなさい。

 

「不満です……。こんなのが私より引く手数多の人気だなんて世も末です。嫁いだ先の男の人がかわいそう」

「ふふふ、イリアもこれから可愛く成長すれば、きっとモテモテになりますよ。社交界なんて、笑ってウフフと言っとけば大概乗り切れます」

「どんだけ貴族社会を舐め腐ってるんですか姉様は」

 

 さてさて、パパンは一体何の用で俺を呼びつけたのかな。最近よく目が死んでいると俺の中で評判な妹を部屋に置いて、俺は父が待つという客間に優雅に足を運んだ。

 

 清楚に。ここ大事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、来客でしょうかお父様」

「おお、よく来たなイリーネ」

 

 サラに従い客間まで付いて行くと、数人の見覚えのない連中が客間でパパンの前に通されて座っていた。

 

 ふむ、見た目的には平民か? 正直服装が汚らしいが……。冒険者って感じの防具を身に着けているな。

 

 かっこいい。羨ましい。俺もこんな高価でフワフワした服なんか着たくない、あんな感じのボロくて硬派な装備で身を包みたい。

 

「よく来たね、まずは紹介するよ。今そちらに座っているのが、僕らの町で冒険者をしているというカール君とそのパーティのお二人だそうだ」

「あ、は、初めまして。カールと、言います」

「これはご丁寧に、どうも」

 

 向こうが立ち上がって頭を下げたので、俺も貴族らしくスカートの裾をつまみ上げて礼を返す。

 

 礼を返すのは大事。平民相手には礼儀知らずな貴族が多いけど、そういう貴族は俺達の生活が彼らに支えられていることを知るべきだ。

 

「カール君、こちらが僕の娘のイリーネだ。今でこそこんな大人しくなったが、昔は中々にヤンチャだったのだよ。ほら、挨拶しなさい」

「あらお父様、恥ずかしいですわ。どうかそのような事はおっしゃらないでください」

「はっはっは、すまんなイリーネ」

 

 まぁ現在進行形でヤンチャは続けてるんですけどね。パパンには隠すようにしてるだけで。

 

「改めまして、私はイリーネ。イリーネ・フォン・ヴェルムンドと申しますわ。以後、お見知りおきを」

「ど、どうも……」

 

 で、何で俺は冒険者を紹介されたんだろう。コイツらとなんかさせられるんだろうか。

 

「娘は昔から、勘が鋭くてね。人が嘘をついたり誤魔化したりすると、ほぼ間違いなく看破してしまうんだ」

「……はい。お父様、それがどうかしましたか?」

「イリーネ。彼らの話を、一度しっかりと聞いてやってくれ。彼らが今話した内容は、僕一人で判断するには少し荷が重くてね。正直信じたくないような話も含まれているんだ、君の意見も聞かせて欲しい」

「ああ、そういう。分かりましたお父様、私で良ければ」

 

 要は、この冒険者共が詐欺かなんか働いてるんじゃねーのって疑ってる訳ね。

 

 漢を目指す男である事を隠し、淑女として普段から嘘で塗り固めている俺は、他人が嘘をつくと大体わかるのだ。

 

 この連中がどんなことを言い出したのかは知らないが、パパンは俺にうそ発見器の代わりをしてくれという話らしい。

 

「冒険者カール様。どのような話をお父様になさったのか、もう一度お聞かせ願えますか?」

「ええ、勿論。実は────」

 

 話を始めたカールの目を見据える。そこに、濁りや曇りは見受けられない。

 

「────魔族の王が、復活すると女神のお告げがあったのです」

 

 その澄んだ目のままで、カールはとんでもないことを言い出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者カールは、どこにでもいる平凡な青年だった。

 

 熱心な女神教徒で毎日祈祷を欠かさないこと以外は、凡庸で普通な冒険者だった。

 

 しかし、ある日彼は夢で女神と出会い、魔王の復活を告げられる。そして、女神から加護を与えられて魔王を討伐するように命じられた。

 

 カール青年も、最初はただの夢だと思ったらしい。しかし、その夢を見た日もいつものように依頼に出かけ────

 

「気付いたんです、俺の身体能力が跳ね上がっていた事に。いつもだったら苦戦するレッサーウルフの群れに出くわして、俺は鼻歌混じりに数秒で全滅させました」

「あら、まあ」

 

 レッサーウルフは結構強めの魔獣だ。その群れを一人で全滅させられるとしたら、かなり強いぞ。

 

「それだけじゃない。今まで使えなかったのに、急に魔法が使えるようになりました」

「魔法が使えるって……貴族の生まれでしたの、貴方は?」

「いえ、どこにでもいる平民の生まれですよ」

 

 そして、カール青年は急に魔力に目覚め、全属性の魔法を使えるようになったらしい。何それズルい。

 

 基本的に、魔法使いはみんな貴族だ。魔力とは、遺伝により受け継がれるものである。だから平民だというカールが、魔法を使える筈など無い。

 

 魔力の無い親から魔法使いが生まれることはなく、逆に魔力のある者同士が子を生すと絶対に魔力のある人間が生まれる。ちなみに貴族が平民と交わって子を成すと、弱い魔力を持った子が生まれるか魔力無しかのどっちからしい。

 

 勿論、貴族であっても才能により魔力の大小は存在するけれど。そんで俺は結構、魔力の才能はあるっぽい。

 

「イリーネ、彼は私の前で水魔法を使って見せたよ。本当にカール君は魔法が使えるんだ」

「それで、お父様は与太話と切って捨てられなくなったのですね」

「俺は嘘をついていません。本当に魔王が復活するというのなら、俺は命を懸けてでも戦うつもりです」

「……」

 

 ふむ。嘘ついてねーなこいつ。

 

 まっすぐな目をしている。自分の信じた道を進む鋼の覚悟を感じる。

 

 ……漢レベルは結構高いな。筋肉も結構ある。このカールという青年、将来は立派な漢になるやもしれん。

 

「信じましょう、お父様。彼は嘘を言っているように見えませんわ」

「そうか……。となれば、本当に魔王が復活するというんだね」

「厚かましいのは分かっています。ですが、俺達も先立つものがないとどうしようもできない……。資金援助を、お願いできませんか」

「イリーネが信じるというのなら、君の言葉は真実なのだろう。分かった、僕も貴族として君に最大限の援助を約束しよう。少し執事と相談をさせてくれ」

 

 はえー、つまりコイツは女神が選んだ勇者様かぁ。良いなぁ。

 

 強敵との闘いを仲間との絆で乗り越え、時に絶望し時に打ち砕かれながら、最強の勇者へと成長していく感じだろ?

 

 すでに、可愛い女の子二人も仲間にしているみたいだし。冒険の途中でアバンチュールも有るわけだ。

 

 ……。

 

「サラ、カール君達を部屋に案内してやってくれ。もう遅いから、君たちは今夜僕の家に泊まっていきなさい。明日の朝までに、それなりのものを用意しておこう」

「あ、ありがとうございます! この恩はいつか!!」

「魔王を倒し英雄となった後で、是非もう一度うちに来てくれ。その時に君の武勇伝を聞かせてくれれば、それが最大の報酬だよ」

 

 パパンはニッコリと、ニヒルな笑みを浮かべてカール達へウインクした。

 

「やったわね、カール」

「は、話のわかる人で、助かった……」

「これで、女神様の仰った街まで旅が出来る。良かった……」

 

 ほっと胸を撫で下ろす、カール達冒険者一行。

 

 俺のパパンのこういう、カッコいい所が好きだな。多少損をしたとしても、自分の信念を貫き通すのは漢の証だ。

 

「……」

 

 ……で。

 

 俺は、どうすべきかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……イリーネ。もう一度言ってくれるかい?」

「あの方たちについていきたいです、お父様」

 

 やっぱやるっきゃないよね、パパンに直訴。うん、俺もあのカールとか言うのに付いて行きたい。

 

「な、何故君が」

「おそらく、あの方々は全員が平民。カールさんが魔法を使えるからと言って、きっと彼の魔力は無尽蔵とはいきませんわ。魔法使いとして、私も彼に助力したく存じます」

 

 冒険、ライバルとの出会い、敵との死闘、友情、努力、勝利。そのすべては、カールについて行けば手に入る可能性が高い。

 

 それに、このまま家に残っても無限に結婚相手を紹介され続けるだけだ。これ以上、見合い話を粉砕する手段を考え続けたくない。

 

 パパンには悪いが、俺は貴族令嬢なんぞで人生を終えるつもりはない。将来はきっと、男の中の漢となるのだ!

 

「な、何も君が行かなくても良いじゃないか。もっと武闘派の貴族もいる、そういう人達に任せれば────」

「あの方が女神に選ばれた勇者だというなら、彼の傍らで魔法を振るい魔王と戦った者が我が家名ヴェルムンドを名乗れば、どれだけ誇らしい事でしょう」

「……イリーネ、これは遊びじゃないんだ。命を落とすかもしれないんだぞ」

「お父様、私は学んできましたわ。貴族たるもの、有事には平民の前に立って戦い、民を守り抜くべきだと。今、魔王と戦いに行くだろう平民を送り出すのに金を手渡すだけでは、貴族の名折れですわ」

「君のいう事はもっともだ、もっともなのだが……」

 

 この機会を逃してたまるか。合法的に家出じゃ! 男とくっつけられる前に脱出じゃあ!!

 

「明日、カールさんに向けて用意する『援助』として。私を差し出してくださいまし、お父様」

「君は────、僕は、イリーネに幸せに暮らして居て欲しいだけなんだ。家族の平凡な幸せを守ることが、僕にとって何より大切な」

「存じております。そして、そのような信念をお持ちのお父様の下で育てていただき、感謝しておりますわ」

 

 うんうん、パパンの気持ちも知ってるけど。俺は漢になりたいわけで、父の意向には添えそうにない。

 

「ですがお父様。私は、イリーネは────、国の為に英雄となって魔王を討伐し、再びお父様に会いに戻ります」

「……そう、か。そこまでの、決意か」

「お父様と、別れの挨拶は致しません。再会を祈っての挨拶をいたしましょう」

「そこまで言うなら、僕から言う事は何もない。……行ってきなさい、僕の可愛いイリーネ」

 

 よっしゃああ!! これで、自由に外を出歩ける!!

 

 貴族の立場を隠す為とか適当言って簡素な服に着替えて、街を好き放題冒険できる!!

 

「きちんと、便りを寄越すんだよ」

「ええ。貴族として、一人の人間として、魔王復活の脅威に立ち向かうべくイリーネは行って参ります」

「……君も、大人になったね。子の成長、父として嬉しいような寂しいような」

 

 父の瞳から、一滴の涙が溢れる。

 

 任せておいてくれパパン、俺はこの旅を通して男の中の漢として成長し、一回りも二回りも大きくなって戻ってくる。

 

「……今まで育てていただいて有り難うございましたお父様。全てが終わった後で、また会いましょう」

 

 俺は静かに嗚咽している父に一礼し、身支度を整えるべく自らの部屋へ向かった。

 

 長旅になる。色々と用意をせねばならない。

 

 持っていくべきものをよくよく選ばねばな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉様、今なんと仰いましたか?」

「俺の事は兄と呼べ」

 

 俺は自分の部屋に戻って、ベッドの上でダラダラしていた妹にさっきの話を告げた。

 

「魔王が復活するから、一丁旅に出てぶっ殺してくる」

「え、え? それは与太話ではなく?」

「カールって冒険者の話なんだが、マジっぽかったぞ。で、そんな面白そうな旅に付いていかない選択肢とか無い。明日から旅に出るから、俺」

「はあぁぁぁぁあ!?」

 

 うん、まぁそりゃびっくりするよな。

 

「え、ちょ、はぁ!? 見合い話とかどうするんですか!?」

「全部却下ー、俺は結婚なんぞいたしませーん」

「今から旅になんて出てしまったら、結婚適齢期過ぎてしまいますよ!? 将来どうするんですか!?」

「馬鹿だなぁイリア。魔王を討伐した一行ともなれば、英雄だぞ英雄。お金ならたんまり貰えるだろ」

「結婚はどうするのかって言ってるんですよ!! 魔王倒した筋肉ゴリラ姫なんぞ誰が貰ってくれるんですか!?」

「道中で可愛い女の子見つけてラブラブになるから問題ない」

「男と結婚しろ!!」

 

 ぎゃあぎゃあと妹は騒いでいる。きっとコイツは俺が羨ましいのだ。

 

 夢と希望と冒険と筋肉にまみれた素敵な旅に出ることが出来る、俺の未来に嫉妬しているのだ。

 

「兄様のアホ、馬鹿、脳筋!! 自分の幸せを何だと思ってるんですか!」

「む? 魔王を倒す旅に出る、これ以上に血沸き肉踊る熱い展開が有るか?」

「この脳筋馬鹿!」

 

 まったく、人を好き放題罵倒しおって。

 

 だがまぁ、俺を羨む気持ちも分かる。くくく、ここは寛大な心で許してやろう。

 

「……私を、置いていくのですか?」

「そりゃそうだ、イリアにはまだ筋肉が足りない」

「……兄様の馬鹿」

 

 妹はひとしきり怒った後、やがて不貞腐れるような声を出して、部屋から出ていった。

 

「もう、兄様なんて知りません」

 

 むむ、明日までには機嫌を治して欲しいのだが。このまま別れるのは少し、後味が悪いし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、と……」

「よろしくお願いいたします、カール様。決して、迷惑はかけません」

 

 翌日。俺はカールへの『援助』として、冒険者の装束に身を包んで3人の前に現れた。

 

「え、その、君が付いてくるの?」

「だ、大丈夫……? 貴族の方が、その、旅とか出来る……?」

「こう見えて鍛えておりますし(迫真)、私は上級魔術までは扱えますわ。魔王を討伐する勇者足るもの、魔法を使える仲間が居ないと格好がつかないのではなくて?」

「そ、そりゃ貴族様の助けがあれば千人力です、けど」

「本来であれば、有事に矢面に立つのは貴族であるべきなのです。貴方に魔王を倒す大役をお任せする以上、この程度の手伝いくらいはさせてくださいまし」

 

 ふむ、勇者君ご一行もまさか貴族の御令嬢が付いてくるとは思わなかったらしい。

 

 まぁ普通は身分差とかでビビる。だが、戦力的には申し分ない筈だ。魔法攻撃の威力は、剣や槍の比ではない。

 

 ……正直なところ、俺は魔法攻撃より肉弾攻撃の方が得意だけど、それは黙っておこう。魔法も使えるし、嘘ついてないし。

 

「剛毅なお嬢様だなぁ。命の保障は出来ませんよ」

「元より承知の上ですわ」

 

 よし、この感触は付いて行って良い感じだ。まぁコイツ男だもんな、女の子の仲間が増える分には大歓迎だろ。

 

「……あわわ、また知らない人が増えた……」

「落ち着きなさいレヴ、悪い人じゃなさそうよ。てかそろそろ、その人見知り治しなさいよ」

「む、無理……。気が強そうな人怖い……」

 

 勇者君の仲間からは、あまり歓迎されてなさそうだけど。ちっこくて可愛い方の黒髪ちゃんは、仲間の影に隠れてブルブルしている。

 

 ふむ、恥ずかしがりやさんだな。ここは、俺は別に怖くないよとアピールしておこう。

 

「それと私からひとつ、お願いがありますの」

「な、何ですか?」

「私は今から、フォン・ヴェルムンドを名乗るのをやめます。貴族が街を歩いていては、無用な警戒を生むでしょう。今後、私にはただの町娘『イリーネ』として接してください」

 

 そう、それは平民アピールだ! 身分差でビビっているのなら、身分差を無くしてしまえば良い。

 

「敬語も結構、扱いもぞんざいで構いません。貴方達の仲間の一人として、平等に扱っていただければ幸いですわ」

「……良いのか?」

「それもまた、ノブレス・オブリージュ。貴族たる者の矜持です」

 

 どや顔でカール君にそう言うと、彼は分かったような分からないような微妙な顔をしていた。

 

 うん、実は言った本人の俺ですらイマイチ意味が分からん。ノブレス・オブリージュって言いたかっただけだ。

 

「貴族の人って取っつきにくい印象があったけど、貴女は違うみたいね。私はマイカ、よろしく」

「ええ、長い付き合いになるでしょう。よろしくお願いいたします、マイカさん」

「あと、私の後ろに隠れてプルプルしてるのがレヴね」

「……ひぃ」

「……ど、どうも」

 

 パーティーの気さくな方の女の子は笑顔で話しかけてきてくれたけど、もう一人の小動物系の娘は警戒心たっぷりだ。

 

 これから頑張って仲良くなろう。

 

「よろしく、イリーネさん。俺はカール、女神様に選ばれただけの凡人です」

「カールさん、貴方は自分を凡人などと謙遜してはいけません。貴方を魔王を倒す勇者と見込んだからこそ、付いていこうと決めたのです。貴方への侮辱は、私にとっての侮辱でもありますわ」

「……む、ごめんなさい。じゃあ、その……俺は、魔王を倒す者カールです」

「それで宜しいです」

 

 そんで、ちょっと気概が足りてなさそうな勇者君に喝を入れておく。お前には俺と並ぶ漢になって貰わねば困るからな。

 

 俺のライバルポジは、お前に決めた。よし、なんか燃えてきたぞ!

 

「イリーネ、くれぐれも怪我をせんようにな。もし何かあったら、すぐに家に戻ってきて良いんだぞ」

「大丈夫ですわお父様。ヴェルムンドの名をこの世の果てまで轟かせた後で、悠々凱旋して帰ってきます」

「……君はいつまで経っても、ヤンチャ者だ」

 

 そう言って呆れたような笑顔で、父は俺の肩を抱き締めた。

 

 父なりに、苦渋の選択だったのだろう。一応は愛娘(俺)を、どこの生まれかもしれぬ馬の骨に預ける形だからな。まぁ、あんまり心配かけないよう適宜手紙は送っておこう。

 

「いってきます、お父様」

「無事に帰ってくるんだよ、イリーネ」

 

 こうして、俺はいよいよ魔王を討伐する旅路に出発した────。

 

 

 

 

 

「待って!!」

 

 そんな今まさに歩き出そうとした時。俺を呼び止める、絞り出したような声がした。

 

「待って、くだ、さい! 兄……、姉様!!」

「イリアか」

 

 それは、朝から拗ねまくって俺の見送りに顔を出さなかった妹イリアだった。

 

「本当に、本当に行っちゃうんですか」

「私はいつだって、本気です」

「……姉様の馬鹿!!」

 

 大きな声で、涙混じりに妹は俺を罵倒する。

 

 妹は何だかんだ、俺に良く懐いていた。きっと、寂しさと怨めしさで拗ねているのだ。

 

 腫れた目で睨み付けてきた妹の髪を撫で、俺はそのまま妹と抱き合った。

 

「見送りに来てくれたんですね、イリア」

「……姉様の馬鹿、酷い人」

「ごめんなさい。寂しい思いをさせてしまいますね、イリア」

「……う、くぅ」

 

 うんうん、俺は良い妹を持った。

 

 以前「筋肉ぅぅぅ!」と叫びながら腹筋している姿を見られ、俺の社交界ステータスも終わりかと思ったけれど、妹は俺を慮って黙っていてくれた。

 

 最近は、俺の筋トレに付き合ってくれている始末だ。イリアは本当に兄想いの、良い妹なのだ。

 

「……姉さま、これを」

「ん? これは何ですの?」

「私の手作りの、お守りペンダントです」

 

 彼女はすっと、俺に小さなペンダントを手渡した。

 

 それは鳥の意匠があしらわれた、綺麗で暖かなペンダントだった。

 

「どうせ、姉さまは行くんでしょう。そう思って、昨日ずっと作っていました」

「まぁ、イリア……っ!」

「私の、気持ちを込めたお守りです。持って行って、くれますか」

「ありがとう。肌身離さず、ずっと持っておきますわ」

 

 うーん、このツンデレさんめ。昨日から部屋にこもって顔を見せないと思ったら、こんな嬉しいものを作ってくれていたのか。

 

 俺は、やはり良い妹を持った。

 

「また、会えますよね姉様」

「ええ、いずれ」

 

 ペンダントを受け取った俺は、そのまま妹と離れ。

 

「次に会う時まで、このペンダントを貴女と思って大切にいたします」

「姉様。お気をつけて」

 

 向き合って笑顔で、妹と別れをすましたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良い、妹さんでしたね」

「自慢の妹ですわ」

 

 なんだか、胸が温かい。妹の手作りペンダントのずっしりとした重みが、俺を守ってくれているような気持ちになる。

 

「わ、綺麗。これ、手作りって本当かしら」

「妹は、金属を操る魔術にかけては超一流ですの。こういった小道具作りは、彼女の真骨頂ですわ」

「へー、魔法ってすごいなぁ」

 

 ほのかに妹の魔力を感じる、大事なペンダント。彼女からの真摯な思いが、確かに俺に伝わってくる。

 

 待っていろ妹、俺は漢の中の漢になって、魔王を倒し帰ってくる。

 

 どんな敵が襲ってきたとしても、お前との絆にかけて粉砕して見せる。

 

「さらば故郷、さらば家族。私は、旅に出ますわ!」

 

 ────こうして、俺の冒険譚は幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、良し。追跡魔法はバッチリ起動していますね。姉様はレーウィンの街に向かった様子です」

「……お嬢様」

「行先さえわかればしめたモノ。後は、たまたまバッタリ出くわす様に────」

「その、イリアお嬢様。お嬢様はそろそろ、姉離れをされた方が……」

「サラうるさい。良いから、何かレーウィンの街に出かける口実を考えなさい」

 

 そして、旅立つ姉を見て黒い笑みを浮かべるお嬢様と、呆れた顔でソレを眺める従者が居たとか居なかったとか。



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2話「筋肉と恋人はよく似ている、嫉妬深い所とかな!」

 旅というのは素晴らしい。

 

 歩き通しで1日間過ごせるなんて、貴族として生きていた間は考えられなかった。貴族という生き物は、やれ馬車だの人力車だの、楽な移動手段を用いる事こそステータスと考えられていたからだ。

 

 俺も薄々気づいては居たのだ。俺のマッスルは、持久力に乏しいと。

 

 俺は、今まで様々なトレーニングを重ねて瞬発的な筋肉は鍛えてこれた。だが、持久力のある筋肉は中々鍛えられていなかった。

 

 と言うのも、魔法の座学の時間や礼儀の時間、社交界の時間など、色々と貴族も忙しいのだ。俺は、貴族としての職務から解放された夜の寝る前のわずかな時間に、鍛練を行っていた。

 

 だからこう、一日かけて軽い負荷を続けるトレーニングを行う機会はなかったのだ。

 

「……本当に、鍛えていたんですね。イリーネさん、全然疲れてなさそう」

「そうでもありませんわ。疲れを顔に見せぬよう誤魔化していますが、こういった長時間の運動はなかなか経験していませんの」

「あ、ごめん。ひょっとして、イリーネさん疲れてた? ちょい休む?」

「いえ、結構。この程度で休んでいては、魔王相手に戦えませんわ」

 

 俺の体にはあまり持久筋が無いからか、ただ歩き続けているだけで割といい感じに筋肉を虐められている。

 

 これだけでも、旅に出た甲斐があるというものだ。色々と負荷を変えてやるだけで、俺の筋肉は更に発達していくだろう。

 

 次は小走りくらいの負荷をかけてみたい。

 

「レヴなんか、私達についてきた日はずっとカールに背負って貰ってたよね」

「それを考えれば、やっぱイリーネさん体力あるよ」

「あうう……」

 

 見るからに小動物系のレヴちゃんは、あんま筋肉なさそうだもんな。そりゃしゃーない。

 

 よしよし。もし彼女が疲れたらウェイト代わりに俺が背負ってやろう……。

 

 と、言いたいのだが。そう言い出せるほど、俺と彼女はまだ仲良くない。むしろ、レヴちゃんは俺に対し警戒心剥き出しだ。

 

 俺が近付くと、ビクッと肩を揺らしてマイカやカールの後ろに隠れてしまう。

 

 早いところ、仲良くなりたいなぁ。

 

「ところで、レーウィンの街に着いたら、どうするつもりですの?」

「そこを拠点にしばらく活動する予定だよ」

「ふむ、具体的には?」

「女神様が言うには、そこが魔族の最初に狙う都市らしいので。だからレーウィンで魔族の情報を集めつつ、敵が攻めてくるのを待つ」

 

 ふむ、成る程。つまり、俺はレーウィンで暫く筋トレしていればいいのか。来るべき戦いに備え、筋肉を調整しておかねば。

 

 ……あ、待てよ。そういや、普段筋トレをする場所はどうしよう。流石に、こんな初対面の平民の前でフンフンフンフンする訳にはいかない。

 

 そもそも、筋トレをする姿は傍目には見苦しい。家の品位を守るためにも、1人で誰にも見られず筋トレできる時間が欲しい。

 

 だが、仲間と旅をする以上、一人になれるタイミングなんてあるのか? それも、トレーニングを行うなら数時間ほど。

 

 ……厳しいよなぁ。まさか、俺は今まで通り筋力トレーニングが出来ない!?

 

 これはまずい。筋肉は嫉妬が強く、浮気に厳しい奴なのだ。少し構ってやらない時間が多いと、すぐにそっぽを向いてしまう。

 

 せっかくコツコツと作り上げてきたインナーマッスルが、フニャフニャになってしまったら俺はショックで自殺してしまうだろう。

 

 うーむ、対策を考えねば。深夜にこっそり起きて、フンフンするべきだろうか。夜更かしは肌に悪いから、令嬢的には止めておきたいんだが。

 

「今日は、この辺で野宿にしよう」

「……あら?」

 

 などと今後の筋肉との向き合い方を考えていると、カールは見晴らしの良い野原で立ち止まり、ドスンと荷物を下ろした。ふと空を見上げれば、いつの間にか日が赤く、地平に落ちかかっていた。

 

「今日はここまで来れれば十分だ。このペースだと、3日もあればレーウィンに着く」

「そうね、今日はこの辺にしときますか。旅に慣れていないイリーネさんも居る事だし、あんまり無茶は良くないわね」

 

 夕焼けの空が、赤い平原を照らしている。なるほど、そろそろ夜営の準備をする必要があるのか。

 

 ……。夜営ってどうすれば良いんだろう。何を手伝えば良いのかな?

 

「ここで休むのですか。して、私はどのようにすればよろしいのですか?」

「今日はちょっと汚いけど、この寝袋を使ってくれイリーネ。今日の見張りは、俺とマイカでやる。旅の初心者たる君は、ゆっくり休んでいて」

「……そ、それはどうも。大変ありがたいのですが、その。野宿ってここで雑魚寝なさいますの? 一面、何もないようですが」

「そうだね。一面何もない場所だからこそ、襲われにくいんだ」

 

 周囲は、一面見渡す限りの野原。遠目には森などが見えているだけで、遮るものが何もない大平原だ。

 

 え、ここで雑魚寝するの?

 

「み、水浴びなどはどうすれば……? まわりに、水源も何もございませんし」

「あっはっはっは、やっとイリーネさんが貴族らしい所を見せたわね。冒険者は、毎日水浴びなんかできないわよ」

「明日、近くに川があれば寄るつもりなので。イリーネには申し訳ないけれど今日は我慢してください」

 

 カラカラと、同じく女冒険者のマイカが笑う。

 

 そっか、平民はいちいち身を清めないのか。それで小汚い身なりになっちゃうのね。

 

 まぁ俺も身なりを気にするのは、あくまで令嬢的な価値観に基づいてのことで。平民のふりをしている今は、特に気にしなくても良いと思うのだけれど。

 

 ────マジで、一人になれるタイミングがねぇな。

 

「……やっぱり、貴族様に旅は厳しい? ……帰る?」

「帰りませんわよ。……ふむ、でしたら」

 

 よっしゃ、こうなれば力技だ。筋肉との愛を守るため、久しぶりに派手に魔法をぶっ放すか。

 

 魔法を使うがこれは浮気じゃない、むしろ筋肉への純愛だ。うん、てか俺、いざという時に魔法使えんと困るしね。

 

「あー、皆様、ちょっと離れていてくださいな」

「……ん?」

 

 えーと、上級魔法はうろ覚えなので自信はないのだが……。うん、なんとなく呪文思い出してきた。

 

 これでも一応魔法使いとしてパーティ加入しているんだ、ここは復習を兼ねて本気でやっとこう。

 

「炎の精霊、風神炎破、錦のそよ風、爆連地割の大明封殺!」

「え、あの、イリーネさん?」

「来たれ粉塵、飛び散れ岩炎、集積を成すは鋼の克己!!」

「な、何!? イリーネさん怒った!? そんなに、水浴びできないのが嫌だったの!?」

 

 あ、ちょっと呪文間違えた気がする。鋼じゃなくて黒鉄の克己だったような……? 

 

 いやまぁ良いや、気にせずぶっ放してやれ。

 

「行きますわ、これが私の最大火力!! エクストリィィィム、バスタァーッ!!」

 

 

 

 ────ちゅどーん。

 

 

 

 俺が約1年ぶりぶり3回目に放った爆炎の上級魔法は、なんとか無事に野原の丘に着弾し大爆発を巻き起こした。

 

 うーん、やっぱり魔法は好かんな。呪文を覚えるのが面倒くさいし、魔力の制御がちまちましていて性に合わん。

 

 威力は申し分ないけど、ロマンがない。例えるならこれは、火薬を仕掛け爆発させただけだ。

 

 やはり肉弾戦の方が、俺は好みだ。いつか、上級魔法並みの威力のパンチを放てるようになりたいものだ。

 

「にゃあああ!!」

「ひぃぃぃ!?」

 

 近くで仲間たちの迫真の悲鳴が聞こえてくる。

 

 上級魔法を間近で見たことがなかったのかな? 見れば、カール達は腰を抜かして座り込んでいた。そうビビるなよ、ただの爆発じゃないか。

 

「え、あの、イリーネさん? 貴女は一体何をやって……」

「出来ましたわ、横穴」

「えっ」

 

 だが、嫌いな魔法を使った甲斐はあった。俺の魔法は見事に成功し、野原の小さな丘に大穴を開けることに成功した。

 

 これで、簡易洞穴の完成だ。

 

「ふふ、では私はあの中で水浴びをしてきますわ。この中ならカール様が意図して覗きに来ない限り、服を脱いでも体を覗かれません」

「あぁ成程、それでいきなり魔法を……。で、水源はどうするの?」

「水魔法の適性を私は持ってますので。私は今から少し、お時間を頂きます」

「あ、ああ。どうぞ、ごゆっくり」

「……そんな事で簡単に、魔法で地形を変えるのね。貴族の人って大胆というか何というか」

 

 よし。これで一人になれる空間を強引に作り出したぞ。

 

 後は、なるべく声を出さずにフンフンするとするか。

 

「……イリーネさんって、少し変わってるかな?」

「そうね。嫌味な人じゃないけど、エキセントリックな人ではありそうね……」

「怖い……、爆発魔法怖い……」

 

 背後から何か聞こえてくるけど聞こえないふりをしよう。さぁ、今こそマッスル達との蜜月の時間だ。

 

 今日は軽く、超高速スクワットから始めるとするか。いくぞぉぉぉぉ、スクワット1万回ィ!!

 

 

 

 

「……私たちは、寝床の準備をしましょうか」

「そうだね」

「……? なんか、物凄い速度のフンフンが聞こえない?」

「え、何それ聞こえない」

「そもそもフンフンって、何さレヴ?」

「いや、その、フンフンとしか言いようのない声が……」

 

 息を殺して、声を潜めてえぇぇ!! ふん、ふん、ふん、ふんふんふんふんふんふんんっ!!

 

「や、やっぱり聞こえる!」

「レヴ、大丈夫?」

 

 フン、ハー!! フン、ハー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……イリーネさん、遅いわね」

 

 ふんぬー!! 逆立ち腕立て、後300回ぃぃぃ!!

 

 ふんぬー!! ふんぬー!! ふぬん……っ!

 

「水浴びにしては、時間がかかっているな。マイカ、少し様子を見てきてくれないか」

「了解よ」

 

 ……ふんぬ?

 

「おーい、イリーネさーん?」

 

 近づいてくる人の気配と共に、洞窟の外からマイカさんの声が聞こえてきた。

 

 どうやら、俺は筋肉との愛に夢中になりすぎたらしい。既に、それなりの時間が経過してしまった様だ。

 

 俺は手早く桶の水をひっかぶり、汗だらけの肉体を洗い流した。こんな穴の奥で貴族令嬢が筋トレをしていたと知られるわけにはいかない。

 

 バレたらまるで、俺が変な人みたいではないか。

 

「はい、何でございましょう」

「あ、居た居た。ずいぶん時間をかけているみたいだから、様子を見に来たんだけど……」

 

 マイカさんはヒョッコリと、穴の奥まで顔を覗かせた。しかし時既に遅し、俺は取り繕いを終えた後だった。

 

 彼女からは、俺が普通に水浴びしているようにしか見えないはずだ。

 

「私は、髪のケアに時間をかけておりまして。せっかく今まで大事にしてきた髪ですもの、旅に出たとしてもそれは続けたいのですわ」

「あー、その気持ちは分かるかも。イリーネさんの髪、長くて綺麗だもんね。そっか、それで時間かかってた訳ね」

 

 今まで髪のケアなんぞしてなかったけど……。まぁ、でも咄嗟に出てきたにしては良い言い訳ではなかろうか。

 

「もう少しで、上がりますわ」

「りょうかーい」

 

 何にせよ、これで上手く誤魔化せた。マイカさんが立ち去ったら、筋トレ再開するか。

 

 今日のノルマが終わった後は、ついでに髪をよく洗って、一応ヘアケアした振りをしとこう。

 

「……じゃ、私は、これ、で……」

 

 納得した顔のマイカさんは、そのまま俺に一声かけて、穴から戻ろうとする。

 

 しかし。何かを直視した彼女は突然目を見開き、顔をひきつらせた。

 

「あら、どうかしましたかマイカさん」

「あ、ひ、ひ?」

 

 マイカさんは顔を真っ青にし、絞り出すような声で縮み上がっている。

 

 む、一体どうしたというんだ。

 

「へ、へ、へ」

「……屁?」

「ひゃあああ!!! へ、蛇ぃぃぃ!!!!」

 

 彼女はそう叫び、その場で尻もちをついて俺の方へ抱きついてきた。

 

 あー……。よくみれば、魔法の衝撃で眠りから目覚めたのか、ニョロリと蛇さんが土から顔を出していた。

 

 これか。

 

「へ、へび、蛇っ!!」

「……マイカさん、蛇が苦手ですの?」

「誰だって嫌でしょ!? 私、ちっちゃい頃に噛まれて死にかけたのよ!! 蛇をバカにしちゃだめよ、噛まれたら痛くて辛くて、おまけに激痛のせいで気絶できないんだから!!」

「あらまぁ」

 

 珍しく、マイカさんは取り乱している。

 

 どうやら蛇にトラウマがあるらしい。彼女は飄々として見えたが案外、こういうのには弱い様だ。

 

「じゃ、私が追い出して差し上げ────」

「何が起こった、マイカァ!!!」

「……へっ?」

 

 

 

 

 

 

 直後。焦った表情のカール青年が、俺が水浴びをしている穴に飛び込んできた。

 

 あまりに咄嗟で、体を隠す余裕などない。むしろ俺は、蛇を掴むため布を手に巻いていたので、一糸纏わぬ生まれたままの姿だった。

 

 そして俺は全裸のまま、目を白黒しているカールと真っ正面から向き合った。

 

「……あ」

「へっ……?」

 

 当然ながら生まれてこの方、父親以外の男性に裸を見られたことなどない。

 

 これでも俺は、箱入り令嬢なのだ。

 

「あ、いや、アレ? マイカ、無事か……?」

「……」

 

 カールは混乱し、その場から動けずにいた。まだ、いまいち事態を把握できていないらしい。

 

 ふむ。

 

「ちょっと動かないでくださいな、カールさん。そこに蛇が出ましたの」

「あ、ああ蛇。蛇ね、了解」

 

 俺は気にせずにカールの傍に歩き、そのままひょいっと、蛇の顔をつまみ上げて洞穴の外へ放り投げた。

 

 せっかく、俺の放った爆発魔法の近くに居たのに生き延びたんだ。その命、大切にしろよヘビ公。

 

「あ、ああー、蛇ね。成程、マイカは蛇で悲鳴を上げたのね」

「そうですわ」

 

 だんだん状況が把握できて来たのか、カール青年の顔が青くなってくる。

 

 平民が、嫁入り前の貴族令嬢の水浴びを覗く。ぶっちゃけこれは、死刑クラスの狼藉である。

 

 現在進行形で顔を逸らさず、俺の裸体をガン見しているのもポイント高い。

 

「そ、その、違うんです。これは、その」

「良いから後ろを向きなさいよ、このエロ男!!」

「ずびばぜん!!」

 

 ガスッ、と気持ちのよい音が響く。

 

 蛇がどこかへ行って復活したマイカさんが、棒立ちしていたカールの顔面に膝蹴りを放ったのだ。

 

 それも、真ん中にクリーンヒット。カールの顎を揺らす様に入ったな、良い運動センスだ。

 

「ご、ごめんなさいイリーネさん! カールの馬鹿が、いやそもそも私が叫ばなければ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!! 違うんです、悪気はなかったんです、本当にごめんなさい!!」

 

 しかし、中々良い一撃をもらったにもかかわらずカールはそのまま流れるように土下座の体勢に移行した。

 

 ……タフだな、コイツ。

 

「ふふふ、気になさる必要はありませんよマイカさん」

「う、その。多分カールは本当に悪気はなかったと思うんで、どうか許してあげていただけたら」

「そもそも、私は怒ってなどいませんよ」

 

 とまぁ、顔面蒼白にして恐縮しているエロ男を前に。俺は普段通りの笑みを浮かべながら頭を撫でてやった。

 

 ふ、この男に下心がない事くらい見ればわかる。俺を舐めないで貰おうか。

 

「お父様も仰っていたと思いますが。私は、人が嘘をついたり誤魔化したりしていればなんとなく分かるのですわ」

「え? は、はぁ」

「この場所に飛び込んできた時の、カールさんの表情は見えていましたもの。仲間が心配でたまらない、そんな顔をしておいででした。マイカさんが心配で、反射的に駆けつけてきたみたいですね」

「は、はい……」

 

 おう。ならば、俺がカールを責める理由などどこにもない。

 

 漢たるもの、ラッキースケベの一つや二つ起こして当然だ。それもまた、青春!

 

「仲間が心配で、反射的に体を動かせる。それは、貴方の美徳そのものでしてよ? 何を恐縮する必要があるのです」

「え、でも、その。俺は、イリーネの体を見てしまって」

「貴方に少しでも邪な目的があったならば、それはそれはきついお仕置きが行われたでしょう。ですが……ただの事故に対して憤慨するほど、私は狭量ではありませんよ」

 

 俺は堂々と体すら隠さず(サービス精神)恐る恐る顔を上げるカールの前に立って言い放った。

 

「貴方の仲間想いなその態度、感服しましたわ! その崇高な精神に免じて、此度の狼藉は不問といたします。これからも高潔な貴方でいてくださいな、カール」

「お。おお……」

「これもまた、ノブレス・オブリージュ! 貴族たるものの矜持ですわ」

「おぉ……、おぉ?」

 

 カールは俺の決め台詞を聞いて、少し首をかしげている。

 

 うん、多分ノブレス・オブリージュは関係ない。言いたかっただけだ。

 

「許してくれるのか、イリーネ……?」

「そう言っておりますわ」

 

 もし下心有ったらぶっ飛ばしてたけどな。まぁ、今回はシロという事にしてやろう。

 

 マイカさんが即座に庇ったことからも、前科がある訳ではなさそうだし。

 

「マイカだったら全身複雑骨折までは覚悟しなきゃいけなかっただろうに……。イリーネさんは、なんて心が広いんだ」

「何か言ったかしらカール」

「ひっ。い、いや。許してくれてありがとうイリーネさん、もう二度としないから!」

「よろしくってよ!」

 

 彼はそのまま、俺の体を直視せず背を向けて出て行った。

 

 うむ。きちんと反省して、二度と同じ過ちを犯すなよ。

 

「……心が、広いんだねイリーネさんは」

「いいえ? 私は、悪意をもって行動する人間には、欠片も慈悲を用意しませんコトよ」

「……でも、私だとこうあっさり許せなかったかも」

 

 マイカさんは、あっさり許した俺を意外そうな目で見ていた。

 

 まぁ、こう見えて中身は漢を目指す男なもんで。裸見られても精神的にはほぼノーダメージなんだ。

 

 俺が裸見られて怒るかどうかの基準は、下手人が悪い奴かどうかである。

 

「……私も、そんな風に冷静にカールと接することが出来たらなぁ」

 

 ────そんな俺を、マイカさんは何故か羨ましそうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、今!! あの平民、お姉様が水浴びをしていた穴に飛び込みました!!」

「あら、本当ですね」

「馬脚を現しましたね、これだから男は!! ふふふ、楽しみです、アイツは姉様により処刑決定です。あの地獄の制裁を受けて立っていられるでしょうか?」

「……イリア様は制裁された経験がおありなんですね」

「これで姉様も目が覚めたでしょう。平民の男と旅に出るなんてもっての他です!! きっと、説得すれば家に戻ってきてくれるに違いありません!!」

 

 そのパーティが野営している距離よりはるか後ろ。

 

 こそこそと姉をストーキングしていた貴族令嬢とお付きメイドは、はるか遠くの野営パーティを指さしてぎゃあぎゃあ騒いでいた。

 



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3話「筋肉の為には出費を惜しめぬ」

 みずみずしく青い麦畑が、公道沿いに何処までも広がる。

 

 ポツリポツリと散見されていたあばら家の中で、薄着を着た髭のおじさんが水をすすって休んでいる。

 

「……ほら見て、イリーネ」

「ええ」

 

 果てなく続く一面の野原を抜けると、そこには畑があった。

 

 まだ青い畑の中のあぜ道を進むと、その傍らには家があった。

 

 そして、

 

「ついに、到着ですのね」

 

 そのあばら家と畑の中を進んだ先に、俺達の目指していた町『レーウィン』が見えた。

 

「2日間かぁ。予想より早く着いたわね」

「イリーネが結構体力有ったからな」

「ふふふ、貴族と言えど惰弱な人間ばかりではありませんのよ?」

 

 カールは、俺が旅に付いて来れたのは意外だと言った。

 

 聞けばこの二人の中で、俺は足手まといと思われていたらしい。というのも、前に依頼で護衛した中年デブ貴族は、数キロ歩いただけでへこたれたのだそうだ。

 

 いくら魔法を使えようと、旅に付いてこれないなら足手まとい以外の何でもない。

 

 ましてや俺は見るからにか弱い貴族令嬢である、まともに旅を続ける体力は無いだろう。レーウィンに着くまでには音を上げて、実家に引き返すことになるかもしれない。その時は出資者の娘だ、なるべく丁寧に応対しよう。

 

 と、そんな感じにこっそり話し合われていたらしい。

 

 確かに俺は、パッと見そんなに筋肉に溢れてないからな。触ればカッチカチで、インナーマッスルははち切れんばかりに発達しているのだが。

 

「イリーネは、この町に来たことある?」

「初めてですわね。この町の貴族とは、付き合いはありませんでしたので」

「なら、俺達の知ってる宿を取るけどそれでいいか?」

「ええ、お任せします」

 

 どうやらカール達は、レーウィンに来るのが初めてではないらしい。

 

 彼らに此処の土地勘があるなら、宿は任せるとしよう。

 

「ふぅ、やっと屋根のある場所で寝られるわ」

「……疲れた」

 

 マイカはレーウィンの入り口の柵にもたれかかって腰を曲げ、気持ちよさそうに伸びをし始めた。ふむ、おっぱいが強調されてセクシーだ。美乳だな。

 

 レヴちゃんも、マイカの真似をして伸びをする。……無乳だが、背伸びをしているみたいで可愛いな。

 

「レヴもよく頑張ったな。今回は誰にもおんぶされず、一人で歩けたじゃないか」

「え、えへへ……」

 

 カールは笑いながら、そんな小動物(レヴ)の髪を撫でて褒めた。レヴちゃんも、撫でられて嬉しそうに目を細めている。

 

 この二人、歳は離れているけど随分仲は良さそうだ。兄妹なんだろうか。

 

「……」

 

 一方でマイカさんは静かな目で、この微笑ましい図を見ていた。何やら、複雑な感情が入り混じった目だ。

 

 嫉妬か? うーん、わからんな。俺はまだこの3人の関係をいまいち把握していない。

 

 今夜、ちょっと聞いて見るか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私とカールは、同郷なのよ」

「幼馴染ってやつだな。ちっちゃい頃はよく一緒に遊んだもんだ」

 

 夕食。

 

 カールお勧めの平民用宿を取った俺達は、久しぶりの暖かな料理な舌鼓を打ちながら、テーブルを囲んで談笑していた。

 

「昔からカールは熱心な女神教の信者でね。ガキの頃から勇者に憧れて、毎日修行だとか言って剣振ってたのよ」

「う……。男が勇者に憧れて何が悪い!」

「少なくとも、頭は悪いわ。こっそり村の倉庫から剣を持ち出した事で、何度もお説教されてるんだから」

 

 聞くとカールは、勇者願望に中てられた中二病的な少年時代を過ごしたらしい。農家の生まれなのに「修行だ、鍛練だ」とひたすら剣を振り続けたそうだ。

 

 ふむ、それで出会った時から中々の筋肉を纏っていた訳か。

 

「私はちっちゃい頃から、この馬鹿のお目付け役としてずっと一緒に遊ばされてたの。カールは放っておくと、何をしでかすか分からなかったからね。勝手に立ち入り禁止の洞窟に出掛けて魔物と戦い出すわ、修行だと言って崖を上ろうとして落っこちて大怪我するわ」

「……あらあら、ヤンチャですこと。ふふっ」

「わ、笑わないでよイリーネ。マイカも、昔話はその辺で……」

 

 カールは今でこそ落ち着いているが、昔は相当な悪ガキだったらしい。

 

 危険であろうと興味があれば一直線に向かっていく。それで、大体失敗して怒られる。

 

 まったく危なっかしいたらありゃしない。

 

 だが、その気持ちはよく分かるぞ。勇者に憧れ、自身を鍛え、強敵との戦いを望むのは男の本能だからな。

 

 うむ、やはり俺が強敵(とも)と見込んだだけはある。

 

「結局、カールは無駄に剣を振り続けたせいで、村の中ではそこそこ腕が立つ様になっちゃったの。そんで、冒険者になった方が良いんじゃないかって話になってね」

「あらら。冒険者は、なかなか不安定な職業でしてよ? 望んでなるモノでは無いと思っていましたが」

「私もそう言ったわ。で、私の忠告に何て答えたんだっけ、カールは?」

「……も、もうその辺で勘弁してください」

 

 マイカの少し酒精の帯びた吐息が、カール青年の首元にかかる。

 

 悪戯な笑みを浮かべた彼女は、そのまま急にキッと目つきを鋭くして誰かの口調を真似た。

 

「『止めるなマイカ、俺はもう決心した。冒険者には収入は無いが、ロマンがある!!』とカールはそう言って、本当に冒険者になっちゃったの。流石の私も唖然となったわね」

「や、やめてくれ。これ以上過去の話を掘り返すのは」

「それで、何だっけ? 『俺についてこいマイカ、俺は大金持ちになって毎晩豪華なステーキを食わせてやるぞ!』だっけ? 現実は、貴族様に頭下げないとろくに路銀も用意できないような貧乏冒険者だけど」

「う、うぐぐ」

 

 ふむ。ロマンが有ると来たか。

 

 そうだな、望んで冒険者になるとしたらそれしかないわな。身分に囚われず、好きに生きて好きに死ぬ風来坊。

 

 実際に冒険者になると、凄まじく苦労するんだろうが。

 

「それで、お二人はパーティを組まれたのですね」

「……いや。実は……」

「違うわ。当時の私は『冒険者なんて不安定な職業お断りよ』とバッサリ断ったの。組み始めたのは最近」

 

 ……。

 

 そんなに格好付けたのに、幼馴染みに振られたのか、カール。

 

「私は堅実志向なの。……ただ今回は、コイツが勇者に選ばれたとか言うから。流石に放っておくのも心配だし、付いて行ってあげることにしたのよ」

「それまではマイカ、村でずっと堅実に狩人やってたからなぁ。あの時は正直、付いてきてくれると期待してたんだが。ちっちゃい頃からずっと一緒だったし」

「嫌に決まってるでしょ。冒険者がどれだけ危険で、どれだけ貧乏なのか知らない訳じゃないし」

 

 カールは思ったほどマイカの好感度を稼げていなかったのか。小さな頃からずっと一緒に過ごしていると、異性として見れなくなるっていうしな。

 

 もしかしたら、二人は男同士の親友みたいな感覚なのかもしれない。

 

「今だって、女神様の話が無ければ冒険者続けるの反対なんだからね。村に戻って、安定した仕事に就くのが一番だわ」

「夢がないなぁ、マイカは」

 

 リアリスト思考のマイカと、ロマン派のカール。なかなか良いコンビだな。

 

 ……いや、ちょっと待て。何となくだが、マイカが誤魔化している様な気がする。

 

 この言い方、マイカは冒険者になるのが嫌というよりは、もしかして。

 

「……あっ。もしかして、マイカさんが付いて行かなかったのって、カールさんの帰る場所を守っていたんですの?」

「ぶぅぅぅぅっ!!」

 

 そういうことか。

 

 冒険者には怪我が付き物だ。そして、怪我をして動けなくなった冒険者に働き口はない。

 

 ただでさえ低収入なのに、もし依頼の最中に故障したら人生それまでなのだ。

 

「カールさんが冒険者を諦めるか、あるいは続けられなくなった時のことを考えてマイカさんは村に残っていたのですね。ふふ、お優しい人です」

「なっ、ちょ、違うから!! 別にそんな、私は普通に冒険者が嫌だっただけで!!」

「……マイカ。そうなの……?」

「違います!!」

 

 あ、コレは嘘ついてるな。やっぱそう言うことか。

 

 マイカはカールにもしもの事があったとき、手を差しのべられるように故郷に残ってたのだ。

 

 つまりマイカは、幼馴染の帰る場所を守る忠犬系女子と言ったところか。ツンケンしているのは、その擬態らしい。

 

 なんだ、カールの奴はしっかり幼馴染の好感度は稼いでいたんじゃないか。

 

「わ、私は別にカールが負傷したら養ってあげようとか、そんな、そんな面倒なこと考えてないわよ!」

「……そうでしたか。うふふ」

「はっはっは、そうそう! 誤解だよイリーネ、コイツはそんな殊勝なタマじゃないよ。昔っからド正論で人を殴って悦に入るのが趣味の性格悪い奴でね」

「……」

「マイカは分からず屋で意地っ張りなのさ。男にはロマンを追い求めないといけない時期があるんだよ。それを、理解してくれず、正論で斬って捨てるというか」

 

 ……そして、カールは彼女の真意に全く気付いていないと。マイカさんも可哀そうに。

 

「むしろ、今回はマイカがついてきてくれた事にびっくりした。駄目元だったのに」

「あのね。魔王復活とか最初は与太話かと思ったけど、あんたの言ってる話はマジなんでしょ? 世界の危機とか言われたら、そりゃ協力するわよ」

「……マイカ。お前にも、協調性という概念があったんだな」

「ひねり潰すわよ」

 

 ふむ、これで大体の二人の関係は分かったな。

 

 片やロマン主義、片や堅実主義。それでお互い意見が食い違い意地を張り合った結果、こんな感じの関係に固定されちゃったのね。

 

 仲良くすれば良いのにと思うが……。これに関しては、そっとしておけばいいかな。いずれ、時が解決してくれるだろう。

 

 例えばそう、冒険の合間。激闘の末、夜空を二人きりで見上げていると、ふとしたタイミングで二人はお互いを意識し合ってしまう。そして……。

 

 ……。

 

 うん、王道だな! そんな熱々の関係になった二人を、ヒューヒューと冷やかす役割は俺に任せておけ。よく口笛を練習しておくとしよう。

 

 ……そういや、口の筋トレってどうすれば良いんだ? 取り敢えず噛力を鍛えれば良いのか?

 

「成程。お二人の関係は、大体把握しましたわ」

「そっか。ま、そんな感じで俺はマイカとはパーティ組むことになった訳」

「勇者としての加護を受けて最初に仲間に誘ったという事は、彼女は優秀な方なんですね」

「おう。マイカは狩人だから気配を消すのが上手くて、仕掛け罠や弓に長けていて、一度覚えた地形は忘れない。まさに、理想の斥候役だよ」

 

 おお、偵察役か。確かに、狩人をしていたならうってつけの役目だ。

 

「獲物や罠を見つけるのも得意よ。このパーティの中での私の役割は、遠距離狙撃と斥候を兼ねた遊撃職ね」

「マイカは頭が良い。状況を見て臨機応変に、最適な行動を取ることのできる人間だ。昔から旅に出るとしたら、絶対にコイツだけは誘うと決めていたんだ」

「ふふん」

「……」

 

 カールは先ほどと打って変わって、マイカをベタ褒めし始めた。認めるところは認め合ってるのか、ますます良い関係だ。

 

「それに、やっぱマイカは可愛いしな。一緒に居て楽しいし、気心も知れてるから気兼ねもいらない。そこが一番大きいかな」

「あははは。やっぱカールには私が必要よね」

「ああ、勿論だ。旅をするなら、気楽な仲間が良い」

 

 そういうと、少し頬を染めつつ二人は見つめ合った。

 

 ……おや? もしかしてこの二人、もう付き合ってたのか?

 

 会話が、段々とカップルのノロケになって来たぞ。口が甘ったるくて砂糖を吐きそうになってきた。

 

「実はマイカが付いてきてくれなかった日、俺はショックで寝込んだくらいだ。絶対来てくれると思ってたから」

「そ、それは、冒険者なんて不確かな職業だからね」

「だからさ、こうしてお前がすぐ近くにいてくれる事が、本当に幸せなんだ」

「え、あの、その」

 

 どうしたカール。何か、変なスイッチ入ってない?

 

 真顔のカールの怒涛のホメ殺しで、マイカが流石に困惑してきている。

 

「俺は昔からマイカにずっと助けられっぱなしでさ。感謝してるんだよ、心の奥から」

「え、うん、そうね。でも、まぁ幼馴染みだし?」

「お前と同郷で良かった。何かを頼りたくなった時、真っ先に浮かぶのはお前の顔だよ」

「あ、はは……」

 

 ドストレートな好意を受けてマイカは徐々に頬を染め、目を左右へと揺らしている。

 

「…………」

 

 そしてマイカが顔を真っ赤にクネクネしている隣で、小動物ちゃんは無表情で惚気る二人を見つめていた。

 

 まぁ、いきなり隣で惚気られたら、こんな反応にもなるわな。俺も多分今、真顔だ。

 

「あ、あーっと。カール、そう。レヴはどうなの?」

「レヴ? レヴは素直で良い娘だよ! 目の中に入れても痛くない、家族みたいなもんさ!」

「えっ……」

 

 レヴの不穏な気配に気付いたのか、マイカさんは咄嗟にホメ殺しの矛先をレヴに逸らした。流石は幼馴染、カールの扱いをよく知っている。

 

「レヴは、目元が可愛いよな。大きくてクリっとしていて、愛嬌がある」

「あ、その……」

「あと俺はレヴの素直で頑張り屋さんなところが、一番好きだよ。こないだもコツコツと、こっそりランニングしてたでしょ」

「あう、あうう……」

 

 そして、また褒め殺しが始まった。カールは顔を赤くしたまま、小動物ちゃんの正面に移動して褒めまくっている。

 

 なんなんだアイツ。タラシか?

 

「えーっと。マイカさん、あれは一体?」

「……もう酔っぱらったみたいね。カールってば、凄くお酒に弱いの」

「はぁ」

 

 酔っぱらった、ね。

 

 確かに、俺達はさっきレーウィン到着の祝杯を挙げたところだが。まだ、エールビール1杯目だぞ?

 

「あのバカ、酔うと凄まじい褒め上戸になるのよ。シラフだと喧嘩しっぱなしなのに、酔うとあんな感じでベタ褒めしてくるもんだから扱いにくいったらありゃしない」

「ああ、そういう方なんですね」

「酔ってるときは口説いてんのかってくらい持ち上げてくるのに、次の日になるとスパっと飲み会の記憶が飛んで忘れてるもんだからタチが悪いわ」

「あらら。アレ、記憶がないんですの」

「そうよ、だからあの酔っ払いに関わっちゃダメ。赤面するまで褒められ続けた挙句、酔い潰れた馬鹿を介抱するハメになるんだから」

 

 経験者は語る。既に何度か、マイカにはそういう経験があったらしい。カールは中々に面白い酔っぱらい方をしているようだ。

 

 だが、人を誉めるだけなら良い酔い方ではないだろうか。

 

「まだマシですわよ、その潰れ方は。酔って他人の悪口を連呼する方よりかは、よっぽど無害ですわ」

「……まぁ、体験したらわかるわ。あれが無害だなんて口が裂けても言えなくなるから」

 

 マイカは何かを思い出したようで、遠い目をしていた。何か嫌な思い出でもあったんだろうか。

 

「アレがどれだけ女の子を勘違いさせてきたか、って話よ」

「……あぁ」

 

 そっか。ほぼ口説いてたもんな、さっきのアレ。

 

「レヴも一応あの悪癖を知ってはいるんだけど……」

「今、顔真っ赤ですわね」

「知っていても面と向かってやられると、ねぇ。アイツは馬鹿にしてるんじゃなく本気で人を褒めてるから、また照れるのよ。イリーネさんも気を付けてね」

 

 面白そうだな。今度、酔ったアイツの正面に座ってみるか。

 

 まぁ、俺は野郎にいくら褒められても照れはせんし。でも、あれが仮に異性だったとしたら勘違いするわなぁ。

 

「凄いなぁ、レヴは今日もこんな細い体で頑張ってる。いつも助かってるよ」

「……う、ぅ……」

「レヴは笑顔が可愛いんだよ。もっと笑って欲しいなぁ」

「……あうー」

 

 レヴの顔から湯気が昇っている。

 

 彼女はもうノックアウト寸前だ。もしかして、あの娘もカールの事を気に入ってたりするんだろうか。だとしたら三角関係……?

 

 というか、そもそもレヴとカールの関係をまだ聞いてない。さっき『家族みたいなもん』とカールはさっき言っていたし、本当の家族ではないんだろうけど。

 

「ところでレヴさんは、どういう経緯でこのパーティに?」

「あー。それは、んー。ごめん、本人の許可貰ってから話すわ。私と違って結構、重たいモノ背負ってるのよあの娘」

「……そうなんですの」

「立ち位置としては、近接戦闘と破壊工作が彼女の役割かな。実際、そういうのしてるところを見たことないから腕は分かんないけど」

「了解ですわ」

 

 そっか。レヴちゃんが近接戦闘要員か────

 

 

「って、ちょっとお待ちになって。じゃあレヴちゃんを矢面に立たせるのが私達のパーティの基本陣形ですの!?」

「まぁ、理論上はそうなるわね」

「いけませんわ、そんなこと認められません! 彼女、見るからに私達より年下じゃないですの。あんな小さな子の後ろに隠れて戦うなんて────」

「そうそう、そんな風にカールが『レヴを危険にさらせない』って興奮してね」

 

 む、そうか。じゃあ、何か解決策があるんだな。

 

「レヴは、私の護衛ってことでカールの後ろに配置したの。基本的に魔物や賊と戦闘になったら、カールが最前線で突っ込んで蹴散らしておしまいっていうのが今の基本陣形ね」

「……」

「というか、戦闘に関しては私達はあんま役に立てないわ。だって、カールが強くなりすぎて大概の敵は瞬殺しちゃうし。私は斥候、レヴは隠密工作、いわば非戦闘時の情報収集が私達の役目って感じね」

 

 成程、戦闘は全部カール一人でやるのか。

 

 ……あれ、じゃあ俺の役目無くね?

 

「ただカールと言えど、まだ上級魔法は使えないみたい。本職の魔法使いさんが来てくれて、助かるわイリーネ」

「あ、あらそうですの。まぁ、この世界を守るため頑張らせていただきますわ」

 

 そっかぁ、近接戦闘は全部アイツ一人でいいのか。やべぇ、俺が本職は筋肉使いで近接専門だとバレたらどうしよう。

 

 うぐぐ。すごく嫌だけど、魔法の勉強も再開した方がいいんだろうか? 一応、魔術書は簡単な奴だけ持ってきたし。

 

 き、筋トレしながら復習しとくか。この前みたいに呪文間違えないように。こないだは極限砲(エクストリーム・バスター)って叫んだけど、教科書読み返してみると精霊砲(エレメンタル・バスター)が正式名だったし。

 

 よく発動したな、アレ。

 

「あーうー……」

「可愛い……かわ……Zzz」

 

 そんなパーティーの最強戦士カールは、年下の女の子を抱き締めながら酔いで顔を真っ赤にし、寝息を立て始めた。抱き締められた方の小動物の方も、目を回して気絶している。

 

 ……絵面は犯罪的だなぁ。

 

「カールは潰れたみたいね。今日はもう、お開きにしましょうか」

「そうですわね。お二人を運ぶのは、私がやりますわ」

「出来るの? カール、結構重いわよ?」

「身体強化魔法というモノが有りますの」

 

 俺はそのまま、抱き合って寝ている二人を脇に抱えて持ち上げた。やっぱカールは重いな。

 

「へー、魔法ってそんなコトもできるんだね」

「魔法はかなり万能ですわ。カールさんにも、後々伝授するつもりです」

 

 そうなのだ。属性ごとに得意分野は違うけど、総じて魔法はかなり便利なのだ。

 

 俺が唯一日頃から練習している魔法である身体強化は、魔力消費以外のデメリット無く身体能力を2~3割強化してくれるという、まさに出し得魔法である。

 

 これは、絶対にカールに習得して貰いたい。この魔法はいわゆる攻撃魔法とは違い、ロマンに溢れているからだ。

 

 だって、身体強化だぞ身体強化!! 少年漫画の王道能力の1つじゃないか!

 

 俺は「筋力強化(ブート)」と命名されているこの魔法を勝手に「KO(けぇおぅ)拳」と名付け、いざという時の切り札として修練している。

 

 魔力消費が激しくなるが重ねがけも可能で、自分より格上の相手に無茶をする時に「体持ってくれよ、KO(けぇおぅ)3倍(さんべぇ)だぁぁぁ!!」と言う激熱ムーヴも可能だ。

 

 実際は精々2~3割程度の筋力が強化される魔法なので、重ねがけして身体能力は3倍にならないが。まぁ、気持ちは3倍だ。

 

「凄い、二人を軽々持ち上げちゃった」

「ふふ、軽いものですわ」

 

 ただまぁ、今は別に身体強化を使ってないけども。これはただのマッスルだ。

 

 本当に発動させるなら、詠唱しないといけないし。それはめんどくさい。

 

「じゃあ、また明日。詳しい方針も、朝に話し合いましょう」

「そうですわね」

 

 そのまま部屋に二人を放り込んだ後、俺はマイカと挨拶を交わし、自らの個室へと入って別れた。

 

 

 

 ……当然だが俺は自腹を切って、個室を借りている。

 

 実は、当初は資金の関係で女子は相部屋となりかけたのだが、そこは『貴族としての色々な都合』と誤魔化し俺は個室を借りることに成功した。

 

 そもそも路銀は俺の実家の援助だし、さらに個室代は自腹ならと文句は出なかった。

 

 これで、少なくとも手持ちの金が尽きるまでは個室というプライベート空間を確保できた。今後は、バイトをしてでも個室は維持するつもりだ。

 

 そう、それは当然……

 

 

 

 

「フンフン、フンフンフン、フンフンフンフンッ!!」

 

 この愛らしい筋肉との、蜜月タイムの為だ。個室だ、人目を気にせず筋肉祭りだ、ヘイワッショイ!

 

 今日も良い艶をしているな、俺の大腿筋膜張筋。どうした縫工筋、今日は元気がないぞ? 

 

 はぁん、さては構う時間が減って少し拗ねていたな? よしよし、俺の自慢の可愛い筋肉よ待たせたな! これからは毎日、たっぷり愛してやるぞぉ!

 

 その為に、わざわざ身銭を切って個室を借りたんだ!

 

「ぬるっぽぅ!! ふんふん、フンフン、ぬるっぽぅ!!」

 

 躍動する肉厚。滴る肉液、溢れる吐息。

 

 ふわぁ。やっぱり筋トレは……最高だぜ!!

 

「ふんふんふんふん、ふんぬらばぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こひゅー……。こひゅー……」

「お嬢様……」

 

 一方、遠く離れた筋肉令嬢の実家。

 

「ですから、旅慣れぬお嬢様が徒歩で冒険者を追い掛けるなど無茶だと申し上げたのです」

「こひゅー……、こひゅー……。ただ私は、早く姉様に……」

「明日馬車をご用意いたしますので、今日のところはお休みくださいまし」

 

 無謀にも姉に倣って徒歩でカール一行を追いかけようとした本物の貴族令嬢は、疲労困憊しメイドに引き摺られて実家へと引き返していた。

 

「あの平民……、覚えているのです……、こひゅー」

「……おいたわしやイリア様」

 

 ちなみに彼女が全身筋肉痛から復活するのは、数日経ってのことだった。



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4話「世を忍ぶ仮の姿……。それもまた、ロマン!」

「まずはこの街でやるべきことの整理だな」

 

 レーウィンの街についた俺達一行は、翌朝より来るべき魔族の脅威に対抗するべく行動を開始した。

 

「周辺で魔族の目撃情報がないか聞き込み、ヴェルムンド様から貰った資金で新たな装備の調達、そして新たな協力者を見つけられないか交渉」

「そのあたりですわね」

 

 現状では、俺達の持っている情報は少ない。分かっているのは、魔王軍の手先がもうすぐ襲ってくるかもしれないという事だけだ。

 

 詳しい情報を知るには、女神さまとコンタクトを取るか地道に聞きこんでいくしかない。

 

「聞き込みは、私がやるわ。この街に、狩った獲物を卸しに来たことがあるの。知り合いの商人さんを当たってみるわ」

「俺も聞き込みかな、以前この街で冒険者をしていた時期があるんだ。その時の仕事仲間に当たってみるよ」

 

 周辺での聞き込みは、この街に来たことのある二人がやる事になり。

 

「……じゃあ装備、探してくる。この街の鍛冶屋を総当たりして、品質を見定めておく」

「おう、レヴの鑑定眼は当てになるからな。良さげなモノが有ったら報告してくれ」

 

 武器の鑑定が出来るらしいレヴが、装備を見繕う役目になったので。

 

「新たな協力者については、お任せください。これでも私は貴族ですもの。この街の貴族へ交渉するなら、私がスムーズだと思いますわ」

「うん、お願いするよ」

 

 俺は必然的に、残された『協力者を探す』任務を与えられることになった。まぁ、貴族という身分を活かせる任務だし妥当な役目だろう。

 

 ……でも、交渉とか苦手なんだよなぁ。口ではああ言ったものの、やっぱやだなぁ。

 

 拳で語り合える相手なら楽なんだが、残念ながら貴族は基本的にインドア派が多いし。

 

「じゃあ、結果は夕方にまたこの宿に集まって報告するという事で」

「異議なーし」

 

 とはいえ、せっかく引き受けた任務だ。

 

 自信はないけれど、やれるだけ頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フワッハッハハハ、魔王が復活デスか。面白くない冗句デス、マドモゼアル・イリィィィィネ!! 民衆を不安に陥れて何を企んでいるのデスか、オヒョヒョヒョヒョ!!」

「いいえ、私は決して冗談や企みをしているわけではありませんわ。本当に魔王が────」

「キエェェェイ!! まだ続けるというのであれば、いかにヴェルムンド家の御令嬢と言えど容ォ赦はしませーんヌ!!」

 

 ……レーウィンに居住している3家の貴族。俺はそのうちで、まずは一番格式高いソミー家を訪ねてみた。

 

 ソミー家はこの町の統治者とされる家だが……。その当主を呼んでもらうと尋常じゃなく濃いキャラのオッサンが出てきて、清楚モードの俺の嘆願を一蹴した。

 

 見た目はシルクハットにカイゼル髭と言う、まさにザ・貴族な男だ。だが、心は尋常ではなく狭い。奴は奇怪な口調で俺を罵倒し、追い立てるように唾をペッペと吐き散らした。

 

「2度と来るなデス! オヨォー、ぶっ殺しますよキエェーイ!!」

「は、はあ。失礼いたしました……」

 

 まったく話が通じない。同じ人類とは思えない。

 

 マジかよ、貴族にもあんな奴がいるのかよ。

 

 魔王の話を出した瞬間、カタカタ真顔で笑いながらクビを振るオッサンは、ちょっとしたビックリ人間の域だった。俺、社交界を続けていたらそのうちあんなのとお茶会しなきゃいけなかったのか。良かった、カールに付いて行って社交界から逃げ出せて本当に良かった。

 

 これで、ソミー家との交渉は決裂、と。うん、仕方ない。あれは仕方ない。

 

 あんなに変な奴は、そうそう居ない筈だ。切り替えて次行こう、次。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴァー。お前、私の財産を狙っているのね……。そうなんでしょう、バレバレよ……」

「あ、あの。私はそういうつもりではなく、プーンコ家のお力をお借りしたく」

「騙されない、騙されないんだから……。ヴァー……。私をそこらのアホ貴族と一緒にしないで頂戴……。そんなのに騙されるのは、ヴァー……。この街の他の貴族くらいのモンよ……」

「は、話を聞いてください。決して私は……」

「ヴァー。それ以上続けるなら、呪うわよ……。ふふっふふふ。呪って呪って、二度と散歩出来ないからだにしてあげるわ……。ヴァー……」

 

 ……なんだこの女。

 

 続くプーンコ家に交渉に行くと、出てきたのは目に物凄いクマを浮かべたダウナーな女貴族だった。彼女はヴァーヴァーと奇妙な声で鳴きながら、俺の話に最初から聞く耳持たず突っぱねるだけだった。

 

 一応めげずに交渉していたけれど、やっぱり話を聞いてくれる様子がない。最初から嘘と決めつけて、鼻でせせら笑うような対応だ。

 

 まぁ、いきなり魔王とか言われて胡散臭いのもわかるけど……。でも仮にも別の家の貴族が訪ねてきたんだぞ? もうちょい礼節的なアレは無いのだろうか。

 

 ……というか、何でこの街の貴族は全員こんなにキャラが濃いの!?

 

 貴族ってそういう人しかいないのか? 俺が過去に社交界で話した人たちは、普通に礼儀正しい人ばっかりだったけど。まさかそれは、パパンが付き合う相手を厳選していたから?

 

 実は貴族って、変人が多いのかもしれない。まさか最後の家も、このレベルの奇人が出てくる……のか?

 

 だんだんやる気がなくなってきた。怖い、貴族怖い。

 

 こんなのを貴族と思ってたなら、そりゃマイカも『貴族はとっつきにくい人が多い』って結論に至るわ。俺も今、貴族という存在に辟易している。

 

 頼む、最後の家くらいはまともな貴族が出てきてくれ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごきげんよう」

「ええ、ご機嫌よう」

 

 ……っ。

 

 こ、この貴族……。挨拶を返すぞ!?

 

「私はヴェルムンド家が長女、イリーネ・フォン・ヴェルムンドと申します。貴重なお時間を頂き、感謝いたします」

「これはご丁寧に、サクラ・フォン・テンドーですわ。まずは当主の不在をお詫びします。ただいま家を空けております父の代わりに、私が当主代行をしてますの」

 

 お、俺の自己紹介に名乗りを返しただと!?

 

 まさかコイツ……。

 

「良かった……。話を聞いていただけて、本当にうれしいですわ……」

「ええっ!? ま、まだ何も聞いてないような!?」

 

 普通だ……。この人は話が通じる、普通の貴族令嬢だ……。

 

「そ、それで。今日はいかなる御用で?」

「ええ、お話いたします。実はですね……」

 

 これでやっと、普通に交渉が出来る。よし、頑張るぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……魔族の王が、復活ねぇ。……すみません、その」

「流石に胡散臭い、信用に値しない。でしょうか?」

「ええ、まぁ」

 

 一応、カールから聞いた話をしてみたが。この貴族も話を聞いてくれただけで、あまり協力的なそぶりは見せなかった。

 

 うん。まともな感性を持っていても、初見でカールの話を信用するのは難しいからな。

 

「正直なところ、貴女が他の貴族2家どちらかの回し者ではないかと疑ってすらいます」

「回し者、ですか?」

「このレーウィンの地で、我がテンドー家を含めた3つの家が権力争いしているのは貴方もご存じでしょう。無駄な出資をさせて、我が家の資金力を奪う……、貴方の役割はそんな所では?」

「そ、そんな!」

 

 それどころか、この御令嬢は俺を詐欺師扱いして睨みつける始末だ。ぐぬぬ。

 

「権力争い、と言いますが……。そもそもこの街はソミー家が仕切っているのでは? 私は他の地の貴族ですが、そう伺っておりましたけど」

「そのソミーが没落してきてるから、争いが生まれているんでしょう? アホ当主が何も考えず散財しまくったせいで当家やプーンコ家の支配力が強まって、今やレーウィンは三つ巴の権力図です」

 

 俺の頭に、ふと『キョキョキョキョキョ』と笑うカイゼル髭の変人が浮かんでくる。俺が最初に助力を乞うた先のキャラの濃い男貴族だ。

 

 そっか、アイツ見るからにアホっぽかったもんな。

 

「この絶妙な勢力バランスの中で、何の信用もない冒険者に出資する様な貴族家はないでしょうね。勿論、当家も含めて」

「……そうですか。理解が得られず残念です」

「もしも。本当にもしも、魔族が攻めて来るというなら当然手を貸しましょう。貴女の言葉が真実だというなら、口先で援助を求めに来るのではなく、確固とした証拠を持って私の前に来なさい」

「……ええ。その言葉を頂けただけでも、他の貴族の家よりは収穫がありましたわ」

「それはどうも。これでお話は終わり?」

「ええ。今日のところは、引き返しましょう」

 

 信じて欲しければ証拠を出せ。まぁ、納得のできる言い分だ。

 

 他の貴族は論外だが、テンドー家だけは交渉の余地がある。この事実が分かっただけでも、収穫として十分だろう。

 

 あとは、聞き込み担当のマイカやカールがしっかりと魔族の存在の証拠を掴んでいれば、改めて説得は可能だ。

 

「また会いましょう、サクラ・フォン・テンドー」

「こっちは出来ればお会いしたくないわ、イリーネ・フォン・ヴェルムンド」

 

 こうして俺は最後の貴族屋敷を後にして、帰路に就いた。

 

 

 さーて、今日の仕事は終了。後は……、夕方までどうしようかな。

 

 ……。まだ、しばらく手持ちの資金はあるけれど。今後、俺が個室を借り続けるのであればいつか無一文になってしまうだろう。

 

 今日は、このままバイト先を探す方向にシフトしよう。資金を増やすことは、パーティにとってもきっとプラスに働くだろうし。

 

 ……夕方までは就職活動だな。この世界の雇用形態がどうなってるのか、どんな仕事をすればいいのか、まずはその下見をせねば。

 

 肉体労働系のバイトが良いかな? しかし、それだと1日中拘束される可能性もある。日中はパーティとしての仕事を振られる可能性もあるから、出来れば半日だけの仕事がいい。

 

 なら噂話を集めるためにも、飲食店で接客バイトの方が良いか? 貴族的に人前で給仕をするのは抵抗があるが、そこは平民のふりをして……。いや、バレるか? バレたら社交界で物笑いの種だぞ。

 

 ……ま、その辺はやってみないと分からん。とりあえず、一度宿に戻ってこの貴族的な服を着替えてから考えよう。

 

 こんなフリフリした服で平民だと言っても説得力がないしな。早めに冒険者衣装に着替えねば。

 

「……」

 

 ……そうだ、どうせなら時間がある今日のうちに冒険者用の鎧とかも下見しておこう。俺は魔法使いだけど近接戦をする可能性もある、鎧は必須だ。

 

 篭手と、兜も必要だ。フルアーマーな魔法使いって何やねんと突っ込まれそうだけど、理屈の上ではおかしくないし。装備を下見してくれているだろうレヴちゃんの話を聞いて、明日購入してみてもいいかもしれない。

 

 一般的な『ローブにトンガリ帽子』の魔法使いって、あれはローブの下に魔法薬仕込んでたり特殊な魔法が付加されてたりするのが本来魔法使いが装備する意味な訳で。特殊な装備や魔法薬を持ってない俺が、所謂『魔法使いっぽい格好』をする意味はあんまりないのだ。

 

 貴族は儀礼とか風習を重んじるから俺もローブを持っているけれど、魔法使いだろうと鎧装備の方が強くねと常々思っていた。魔力を通すことで鋼より硬くなるローブ(確か国宝)みたいなアイテム持ってるなら、その方が強いんだろうけど。

 

 ……。でも、やっぱいろいろ言われるかなぁ? 一応、鎧を買うのは相談してからだな。それとなくカール達に感想を聞いてみて、いけそうならちゃんとしたのを購入するようにしよう。

 

 うん。古い慣習や意味のなさそうなしきたりって奴も、人と人とのコミュニケーションでは重要になってくることもあるのだ。その辺は慎重にしておいて損はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────と、言うのが今日の私の成果ですわ。テンドー家は、一応交渉の余地がありそうでしてよ」

「そっか、ありがとうイリーネさん」

 

 俺は今日のところは取り敢えず本格的な鎧は購入せず、使い捨てれる品質の皮鎧と格好よさげなお面だけ購入して宿に戻った。

 

 皮鎧でボディラインを隠し、お面を被れば男女の区別がつきにくくなる。この状況で髪型をポニーテールにでもすれば『小人族の長髪の男』に見えなくもない。

 

 まぁ今日は、バイト時の変装用の衣装だけ購入した訳だ。戦闘用の鎧は、後でみんなと相談するつもり。

 

「私は駄目ね、魔族の目撃情報なんてどこにもなかった。本当に魔族なんて来るのか? って猜疑的な目で見られたわ」

「すまん、俺も空振りだ。冒険者の誰も、魔族なんて目撃していないって話だった」

「あら……。そう、上手くはいかないものですね」

 

 確固たる証拠を持ってこいと言われたが、残念ながらカール達は失敗したらしい。まぁ、まだ情報収集して1日目だ。焦ることは無い。

 

「レヴはどうだ? 良い店あったか?」

「……正直、この街の防具は品質良くない。あんまり、性能面は期待できない……」

「そうかー。ま、田舎だしなぁココ」

「しいて言うなら、北西のユリネ工房がマシ……。あそこは仕事が丁寧……。もし剣が折れたりしたら、そこに持っていくと良いかも……」

「分かった。ありがとう、レヴ」

 

 ふむ。なら、俺もその工房を覗いてみるか。

 

 メタリックなアーマーを装備するのは、一つのロマンだからな。

 

「さて、今日はここまでだな。明日からは、全員で聞き込みを行おうと思う。それまで、各自休んでくれ」

 

 これで今日の報告会は終わり。カールが締めて、解散の流れになった。

 

 ならば、俺も好きにさせて貰おう。

 

「カール。私は、今から仕事を探しに行って参りますわ」

「え、仕事?」

 

 そう。今こそ、バイト探しタイムの本番だ。

 

 夜だけ働き手を募集している店は、日中にチェック済み。後は、総当たりで雇ってもらいに行くのみである。

 

「個室を借り続ける以上、いつか私の手持ちもなくなりますもの。それに、仕事先で情報が何か聞けるかもしれないでしょう?」

「……イリーネさん、働いたことあるの?」

「ありませんけども。出たとこ勝負ですわ!!」

「……貴族がバイトってどうなの……」

「平民のふりをしておけば、無問題ですわ!」

「だ、大丈夫かなぁ?」

 

 まぁ、何とかなるだろう。筋肉があれば大抵のことは乗り切れるし。

 

 それにメタルアーマーなんて購入する事になったら、かなり金が飛ぶだろう。資金を増やしておいて損はない。

 

「仕事が無理そうだったら、戻ってきなよ」

「結構、こき使われるわよ」

「それも、修行のうちですわ」

 

 うむ。無事にパーティの許可をもらえたし、堂々と出かけますか。

 

「では行って参ります」

「気を付けてね」

 

 さぁ、どんなお店が俺を雇ってくれるかな? 器量よし、頭よし、筋肉よしの3拍子揃ったパーフェクト人材たるこの俺を雇える幸せな店は何処かな?

 

 わーっはっはっはっは!!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい止まれコラァ」

「……」

 

 ……絡まれた。

 

「舐めてんのかテメェ」

「ぶっ殺されてぇのか、あぁん!?」

 

 俺がバイト先を探し始めて、数分。夜の街を歩いていただけで、ものすっごく絡まれた。なんだこの街、怖ぇよ。

 

 そっか、そういえば貴族の間で勢力争いの真っ最中だったっけ? 治安は良くないんだな、ここ。

 

「……何が、気に障ったかは分からんが。ソコをどいてくれるか、前に進めない」

「退く訳ねぇだろ、このガキがぁ!!」

 

 変装しているので男口調のまま、穏便に事を済ませようと交渉する。しかし、相手は激高するばかりだ。

 

 

 うぅ、マズイなぁ。

 

 いきなり路上で喧嘩なんてしたら、雇ってくれる店も雇ってくれなくなる。何でいきなり絡んでくるかなぁコイツら。

 

「俺に他意はないんだ、敵対の意思はない」

「ふざけんなよ!」

 

 ……うう、チンピラはやだなぁ。こういう程度の低い人の考えはよくわからん────

 

「────猿のお面で顔を隠した完全武装の男なんて、見逃せるわけねぇだろうがぁ!! 怪しすぎるんだよテメェ!!」

「本物の不審者でも、もうちょい怪しくない格好するぞオラァ!!」

「どこの家の回し者だぁ、テメェ!!?」

 

 あぁ、そっか。昼に買ったこのお猿のお面(モンキーマスク)が原因か!

 

「べ、別に俺は怪しくないウッキー」

「舐めてんのかゴラァ!!」

 

 ……。

 

 ふーむ、これは想定外だ。

 

 俺は考えたのだ。貴族令嬢が、店で給仕なんてしたら家の沽券にかかわる。ならば、身分がばれないようにすればいいと。

 

 とはいえ、ここの3貴族の家には挨拶に行ってしまった。バイト中にこの地の貴族に顔を見られれば、俺がヴェルムンド家の令嬢だとバレてしまう。

 

 なら、最初から顔を隠してバイトすればいい。性別も誤魔化しておけば、絶対に気付かれない筈だ。

 

 お面をつけて小人族の男を名乗れば、小柄で声が高いのも誤魔化せる。俺は小人族の平民、ホビーとして仕事を探そう。と、まぁそんな名案を浮かべていたのだが……。

 

 まさか、その弊害としてバイトする前から怪しまれてしまうとは。

 

 まさに、盲点だった。

 

「俺は小人族のホビーだウキ」

「その腹立つ猿真似はやめろ! 殺すぞ!!」

「怪しいモノじゃないウッキ」

「お前以上に怪しい人間はこの街に居ねぇよ!!」

 

 幸いにも今は猿の振りでうまく誤魔化せているが、このまま怪しまれたままじゃ囲まれて拘束されてしまう。

 

 うーむ、どうしたものか。

 

「おめぇが、お嬢の誘拐犯かその仲間だろう? ネタは上がってるんだよ!!」

「誘拐犯?」

「しらばっくれんじゃねぇ!!」

 

 おぉ? つまり、この街で誘拐事件が発生していたのか?

 

 治安どうなってるんだ、本当に。仲間に、夜一人で出歩かないよう警告しておこう。

 

「お嬢を何処にやった!!」

「てめぇは陽動ってとこか? どっちにしろ、お嬢を拐った連中の仲間だろう」

「お嬢を何処に攫いやがった、吐けこの猿!!」

「人に向かって猿とは失礼な。俺は小人族のホビー……」

「さっきまでウキウキ言ってたのは誰だよこの猿ぅ!!」

 

 そうかそうか、この連中は『お嬢』とやらを拐われて気が立っている訳ね。そんな時に猿のお面を装備した不審者を見つけて激昂していた訳か。

 

 そりゃ、キレるわな。

 

「落ち着け、俺は本当に何も知らない」

「上等だ! 体に聞いてやるよ、爪全部剥がされても同じことが言えるかなぁ?」

「ただ、俺は誰が『お嬢の行方』とやらを知っているかは分かるぞ」

 

 ここは、取り敢えず誘拐事件の解決に協力しよう。話はそれからだ。

 

「やっぱりテメェは回し者か!! お嬢を何処にやった────」

「お前らの中に一人、嘘をついている奴がいる。俺には、それが分かる」

 

 とっとと疑いを晴らすために、俺は先程から嘘の匂いがプンプンする怪しいチンピラを一人指さした。

 

 多分、コイツは何かを知っている。

 

「お前。一人だけ随分と、落ち着いているみたいだが」

「……っ! テメェ、何の言いがかりだ! 自分が怪しまれているからと言って────」

「その腰に巻き付けた袋は何だ? 昏睡薬でも入っているんじゃないか?」

 

 俺の嘘を見抜く能力は、パパンが無条件で信用するほどに精度が高い。まぁ、やってることは顔色見て呼吸様式見て、そんで態度と口調で判断しているだけだが。

 

 それでも、大概の人間のごまかしは見抜ける。

 

「何の言いがかりだ!」

「もしかしてコイツが、お嬢とやらが誘拐された時の第一発見者じゃないのか?」

「黙れ!」

「この男からだけ、本気で誰かを心配している気配がない。むしろ、必死で何かを隠し続けている後ろ暗い気配がする。内通者がいるとすれば、ソイツだ」

「黙れぇぇ!!」

 

 俺の口を塞ごうと思ったのか、内通者っぽい奴が突進して殴りかかってきた。

 

 ただ、こいつはロクに鍛えていない。そんな軟な拳ではこの俺に傷一つつけることは出来ん。

 

「ふん!!」

「ぐあぁ!!」

 

 俺は慌てて突っ込んできた男の土手っ腹に拳を叩き込んで、その男の腰袋をスリ取る。果たして袋の中には、怪しげな粉薬が隠し持たれていた。

 

「貴様、かえ、せ……」

「お前がこれを飲んでみろ」

「もがぁっ!?」

 

 まぁ、これ睡眠薬か毒薬かどっちかだろ。さぁ、どうなる?

 

「…………Zzz」

「睡眠薬か」

 

 ま、そんな事だろうとは思ったが。

 

「ど、どういうことだ!? お前が誘拐犯の仲間じゃねぇのか!?」

「フレッドが、裏切り者……? でも確かに、コイツがお嬢の誘拐を知らせて……」

「何だ、何がどうなっている!?」

 

 チンピラ達は、混乱して俺と裏切り者のフレッドとやらを見比べている。

 

「め、酩酊香を持ってこい! フレッドから事情を聴くぞ」

「そこの猿も逃がすな、事情を聞かせて貰うからな!」

「構わん。誘拐事件が起こっているというなら、むしろ1市民として力は貸す」

 

 とりあえず、このチンピラ達と協力してお嬢を救い出してやろう。

 

 上手くやれば、大金が貰えるかもしれない。

 

「起きろ、起きろフレッド!!! てめぇ、どういう事情でこんな薬隠し持ってやがった!!」

 

 さて、どうなるかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まぁ結論から言えば、フレッドは内通者だった。

 

 嗅ぐと人間を酩酊状態にするお香を使ってフレッドは尋問され、その素性がばれた。

 

 彼はソミー家に買収された人間で、どうやら『お嬢』とやらを拉致し奴隷として売り飛ばす役目を任されていたらしい。ひでぇ事しやがる。

 

「俺も付いて行こう。女を攫って売りさばくなんぞ、男の風上にも置けない」

 

 チンピラ共は激高し、お嬢が拉致されたという倉庫を強襲する運びとなった。当然、俺も付いて行く。

 

 女の子が拉致されているのだ、いかなる理由があろうと見過ごすわけにはいかない。それがたとえ権力争いの一環なのだとしても、知ってしまったからには戦わねば不義理だろう。

 

 俺はチンピラ共と協力し、倉庫の扉を蹴破って。

 

「カチコミじゃあああああ!!!」

「お嬢を返せアホンダラぁぁぁ!!」

「ウッキー!!!」

 

 倉庫の奥に簀巻きにされている若い女を確認し、突撃した勢いのままに奴隷商人どもをボコボコにぶっ飛ばした。俺も、KO拳を駆使しながら数人の敵をボッコボコにした。

 

 俺は、女を攫ったり無抵抗な人間をいたぶる連中を決して許さんのだ。

 

「無事ですか! お嬢!!」

「け、けほっ。あ、貴方達……っ! やっと来てくれたのね、遅いわよぉ」

「お嬢ォォォォ!! 俺達としたことが、油断して申し訳ねぇ!!」

「うぉぉぉぉ!! 申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!」

 

 ……チンピラ達は号泣しながら、助け出した『お嬢』とやらに慚愧している。どうやら、お嬢は軽傷らしい。

 

 むさい男が号泣しながら頭をガンガン床に打ち付けるのは熱苦しいが、良い光景だ。

 

「……!? ねぇ貴方達。あの不審者は誰?」

「え? ああ、あの猿ですかい。アイツは……」

 

 そして、『お嬢』とやらが俺に気付く。俺も、彼女の顔を正面から見る。

 

 ……あっ。

 

「お嬢、ご安心ください。アイツは……。あの猿の仮面は敵じゃないです」

「そ、そうなの?」

「ええ。だってアイツは……」

 

 俺は、その令嬢に見覚えがあった。

 

 というか、普通に考え着くべきだった。3家の貴族の争いに巻き込まれ拉致される『お嬢様』が居るとすれば、彼女である可能性が高いに決まっていたのに。

 

「アイツは……」

「あの、猿の仮面は……」

 

 お嬢、と呼ばれたその女性は。俺が今夜、ノリと勢いで助け出したその女の子は。

 

 ────唯一交渉の余地がありそうだった貴族令嬢、サクラ・フォン・テンドーその人だったのだ。

 

「……」

「そ、そうだ。よく分からないが、その場のノリで一緒について来て貰ったけど……」

 

 これは、ヤバい。俺がこんな粗暴なふるまいをしたことがばれたら、ヴェルムンド家が社交界で終わる。

 

 気付くな、俺の正体に気付かないでくれよ────

 

「改めて、あの猿仮面って誰!? 何アイツ、めっちゃ怪しいんだけど!?」

「小人族とか名乗ってなかったか!? でも小人にしては格好が珍妙すぎねぇ!?」

「なんとなく味方扱いしてたけど、改めてアイツ何なの!?」

「ええっ!!? 貴方達、素性も知らない奴と一緒に突っ込んできたの!?」

 

 それ以前の問題だった。バレるとか以前に、まだ不審者扱いされていた。

 

「お、俺は怪しいモノじゃないウッキ」

「尋常じゃなく怪しいわ!」

 

 あーうー。



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5話「初めての社会経験、箱入り貴族令嬢編」

「成程……、つまり貴方は……」

「おう」

 

 不審者は拘束された。

 

 先程までは誘拐された貴族令嬢サクラ・フォン・テンドーを救出するドサクサで、チンピラ達に仲間っぽく認識されていた。

 

 しかしよくよく考えれば『仮面で顔を隠したフル武装の不審者』を、治安維持も業務である貴族が見逃す訳にはいかないのだ。

 

 俺だって、実家に居たらそうする。少なくとも事情聴取は絶対にする。

 

「顔に少々コンプレックスの有る、普通の小人族の戦士であると?」

「俺は仮面をつけていないと、大騒ぎされちまうんだ」

「はぁ。では、仮面は取っていただけないので?」

「無論。断固として、拒否する!!」

 

 このままでは、逮捕されて仮面を剥がされる。このサクラという女は、俺がヴェルムンド家の令嬢と知っている。

 

 仮面を剥がされる訳にはいかない。今日の蛮行がバレる訳にはいかない。俺は必死で嘘をついた。

 

「聞いてくれ。俺は一子相伝の暗殺拳の使い手だったが、弟の卑劣な罠で顔面に大火傷を負ってしまい伝承者の道を断たれてしまったんだ。付けている仮面は火傷の痕を隠す為、そして旅をしている理由は憎き弟を見つけ復讐する為!」

「怪しさがそろそろオーバーヒートしてきたわ」

 

 こんなことで、実家の家名に泥を塗りたくない。それは笑顔で俺を送り出してくれたパパンへの背徳だ。

 

 イリーネは誇り高き貴族でいなければならない。

 

「どうか見逃してくれ、俺は敵じゃない。それは分かってくれるだろ?」

「えぇ、まぁ。私を助けてくれたのは、本当だし?」

「ただ困ってる人間を見過ごせなかった。それだけだ」

 

 幸いにも、現状ちょっと恩を売れている。

 

 俺が裏切り者を看破したからこそ、この短期間でサクラ令嬢を救出できたのだ。

 

 ここを主張して上手く言いくるめれば、見逃してもらえる気がする。

 

「……じゃ、次は貴方の目的を教えてくれるかしら? どうして、小人族がこんなタイミングでこの街に来たの」

「出稼ぎだ。俺は色々な街を渡り歩いて金を貯め、次の街を目指す根無し草。この街に来たのも、より遠くに旅立つための足掛かりに過ぎない」

「風来坊、と言う訳ね~。まぁ確かに、貴方みたいな目立つ人間は今までこの街で目撃されていないし? 貴方が最近この街に来たばかりというのは、納得してあげる」

 

 ジッと胡散臭そうな目で、サクラは俺を見ている。

 

 まだ、疑いは晴れ切っていなさそう。敬語調をやめたら、何か間延びした喋り方するなぁこの娘。

 

「で、貴方の勤め先は? 出稼ぎというからには、もう仕事にはついているんでしょう」

「……いや、就職先を探しているところだ。そんな折に、お前らに絡まれて今に至る」

「……ふーん」

 

 そうなんだよなぁ。結局、今日は就職先を見つけられなかった。

 

 このまま資金が無くなったらどうしよう。おとなしく、顔出して給仕とかやった方が良いんだろうか?

 

 ……仮にも貴族が、なぁ。

 

「私が雇うと言ったら、貴方はどうする?」

「ふァっ!?」

 

 仮面の下で少し困った顔をしていたら、サクラは俺に向かってそんなことを言い出した。

 

「そうね、今日のカチコミで貴方がかなり腕が立つのは分かったし。夜間の飲食店の用心棒はどうかしら、それなりの給金は出すよ~?」

「……願ってもない! 良いのか、本当に」

「乗り気ねぇ。勿論、助けてくれたお礼も兼ねて奮発するわよ」

 

 どういう心境の変化なのか、俺は彼女に雇ってもらえるらしい。

 

 なんと、幸運この上ない! 顔を隠したまま雇って貰える店が有るとは思いもよらなかった。

 

「お嬢、こんな怪しい猿仮面を雇うつもりで?」

「逆よ。こんな怪しいの、手元に置いておいた方が安心だし?」

「恩に着る!」

 

 よし、よし! 貴族の雇われともなればそこそこに高収入が期待できる!

 

 用心棒の仕事なら、そんなにややこしい事を覚えなくても筋肉でどうとでもなるだろう。

 

 まさに、俺の天職ではないか。

 

「……じゃ、今日は遅いからまた明日。夕暮れ前に、顔見せにいらっしゃい」

「わかった」

 

 やったぞ。ついに、念願の仕事を獲得したぞ!

 

 わーい、今日はサービスで筋トレを3割マシだ!

 

 

 

「……本当にあんなの雇って良いんですか、お嬢」

「彼処まで怪しいと、逆に怪しむのが馬鹿らしくなっちゃって。それに、行動から敵ではないことは確かよ」

「まぁ、怪しいだけでまだ実害はないですが」

 

 そんな鼻歌混じりに帰る不審者を、サクラ・フォン・テンドーは呆れ混じりに見据えていた。

 

「それに、案外ああ言うのがカギを握ってたりするのよね……」

「何のですか?」

 

 ただ、その目に浮かぶのはただの呆れだけでなく。

 

「この私が覇者となる、その足掛かり♪」

 

 面白い玩具を見つけた狩人のような、獰猛な光だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「イリーネさん、今日は夕方からバイト?」

「ええ、稼いでまいりますわ」

 

 俺はドヤ顔で、自身の就職決定を自慢していた。

 

「貴族が……、バイト……」

「今の私は平民のイリーネですもの、バイトくらい致します。後ろ盾のない権威に、1Gの価値もありませんわ」

「そういう、地に足が着いた考えは好きよ。頑張ってねイリーネ」

「ええ、マイカさん」

 

 この日も昼間は全員で聞き込みを行ったが、魔族の情報はどこにもなかった。

 

 こうも何もないと、カールは女神を語る何かに騙されたんじゃないかという疑問も沸いてくる。

 

 まぁ、今は考えてもセンの無い事だ。

 

「夜には、帰ってまいりますわ」

「頑張ってね」

 

 それより、今は金を稼ぐことを考えよう。

 

 今日は俺のバイト初出勤だ。飲食店の用心棒とは聞いたが、実際にどんな仕事をすればいいのかよくわかっていない。

 

 まぁ、店に行ってから教えて貰おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄さん、ちょっと一杯どうです?」

「可愛い子、揃ってますよ~」

 

 俺が、サクラから指定されたお店に行くと。

 

「あ、本当に怪しい人が来た!」

「お猿さんだ、面白~い」

 

 妙に露出の高いお姉さま方が、俺を見つけて面白そうに手を振ってくれた。

 

 彼女達が手を振る店の看板に標された名前は……「魅惑の渡り宿・フォーチュン」。そのテカテカした装飾の看板は見るからに、

 

「えっ。ここって、その、そういうお店?」

「どういうお店だと思ったの~?」

 

 どう見ても風俗店でした。横乳見えてますやん貴女、寒くないの?

 

 

 

 

「この店は、飲食もやってるから飲食店に違いはないぞ」

「そういうのもやってる店だって言っといてくれよ、驚いたじゃねーか」

 

 中に入ると、昨日見たチンピラの一人がマスターっぽい格好で立っていた。彼が、店長らしい。

 

 俺は男口調に切り替えながら、店長らしき男の前に腰かけた。

 

「テンドー家って、貴族じゃなかったっけ? 風俗店なんて運営してて家名は大丈夫なのか?」

「テンドーって言えば、元はこの辺で有名なギャングファミリーだよ。風俗を運営して傷付くような家じゃねぇ」

「お前らギャングだったのかよ……」

「この街は、他の貴族も似たようなもんだぞ? プーンコ家だって麻薬カルテルだし、ソミー家も裏カジノやって債務者嵌めてるって話だ」

 

 ……そっか、そもそもの治安が悪いのかこの街。道理で、パパンが全くこの街の貴族と関わろうとしなかった訳だ。

 

「うーん、俺はギャングの片棒担いじまったのか」

「まぁ、ウチはこの街で一番良心的なギャングだから安心してくれ。ウチはやってることは風俗だが、無理やり体売らせてる女は居ないよ。借金した馬鹿は別だが、基本的にはみんな本人の意思で働いてる」

「……ギャングに良心もクソもねぇだろ」

「違ぇねぇ。だがこの街で女が高収入を得るには、うちの店で働くのが一番だって言われてる。実際、かなり給料は出しているぞ」

「ほーう、額面幾らだ? 確かに、イヤイヤ働いてる女は居なさそうだが」

「あんまりデカい声出すなよ? ……くらいだな、稼いでるやつは」

「そ、そんなに!?」

 

 売れっ子の嬢が稼ぐ額は、俺の手取りの数倍の額だった。嘘だろ、俺の給料でも冒険者稼業よりずっと多いから喜んでたのに……。嬢ってそんなに儲かるのか。

 

「そんな高額で女を雇って、赤字にならねぇのか?」

「本人の意思で水商売してるやつは、指名を稼ごうと努力して『いい女』になる。すると、客も上質な女を抱けて満足する、そしてリピーターが増えてうちの利益も上がる。嬢を優遇するのは、別に間違った方針じゃねぇ」

「成程な」

 

 どうやら、この店は優良店の部類らしい。値段はやや高いが、嬢も積極的で楽しんで仕事をしているっぽい。

 

 ……。本当に、みんなエロいな。

 

「興味があるなら、誰か抱いてくか? 身内割で安くしとくぜ」

「あー、魅力的な提案だが俺は稼ぎに来てるんでな。割引してくれるったって、素の値段が高いんだろ? 無駄な浪費はしたくねぇ」

「まぁな。1人抱けば、お前の今日の護衛料金は吹っ飛ぶな」

「馬鹿にしてやがる」

 

 女を抱いたらタダ働き、ってそんなの割に合わん。

 

 そもそも、今のボディには棒が生えていない。最初から、そういう目的の行為は出来ない。

 

 筋トレの方法次第で生やせるんじゃないかとこっそり考えているが、今の所はその方法は分かっていない。何を鍛えれば生えるんだろうか。

 

「で、用心棒って何すりゃいいんだ? 俺は何処で待機してればいい?」

「カウンター座って客の振りしててくれ、その方が次の客が入りやすい。サービスで、飲み物は出してやる。泥酔されても困るから、アルコールは薄い奴な」

「バナナシェイクで。水で薄めんなよ」

「あいよ、2杯までは奢るがそれ以上は自腹だ。ペースはよく考えとけ」

「ケチくせぇ……」

 

 飲食なんてオマケ要素なんだから、好きに飲ませろよ。

 

「あ、それと客に酒が回ったら、嬢を一晩買うよう勧めてみてくれ。上手くやれたら、もうワンドリンク無料だ」

「あー、営業もしろと?」

「用心棒っても、そう揉め事なんて起こるもんじゃねぇからな。何もしねぇより、適当に仕事振られた方が暇を持て余さねぇだろ」

「まー了解。誰がお勧めか聞かれたら、店長に振るぞ」

「ああ」

 

 うーん、思ったより仕事が多いな。待機中に筋トレでもしようかと思ったけど、そう言う訳にはいかんらしい。

 

「じゃ、もうすぐ本営業が始まる。タチの悪い酔っぱらいが出てきたらハンドサイン出すから、客の振りしたまま追っ払え。お前が店側の人間だと知られるな」

「何でだ?」

「客同士の諍いにした方が、処理が楽だ」

「……はいはい」

 

 さて、仕事頑張りますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かるか、猿仮面!! 俺だって、俺だってなぁ!」

「分かるよ、辛ぇよな」

 

 ……その日の仕事は、用心棒というよりホステスしている気分だった。

 

「俺は必死で、命を懸けて、日々働いているんだ!! レッサーウルフを狩るのだって、文字通り死の危険と隣り合わせなんだぞ! それを、アンナは全く理解してくれない!!」

「そっかー」

「『え、今日は1匹しか狩れなかったの?』じゃねーよ!! マジで強ぇんだぞあの狼!! 久しぶりに死線くぐったのに、家に帰ると俺は甲斐性なしのダメ亭主扱いだ! あげく、ヘトヘトだってのに『家に帰ったんなら家事手伝え、お前の稼ぎだと家でも働くのが当然』と来た!! もう、本当に何で生きてるか分かんねぇよ!!」

「そりゃあ酷ぇなぁ。流石に怒ったのか?」

「当然、『はい分かりました!』って怒鳴ったよ」

「立場が弱ぇ……」

 

 今日はタチの悪い客は来店せず、ショボくれたオッサンの愚痴に相槌を打ってやって半日を終えた。

 

 結構、この店は繁盛しているらしい。引っ切り無しに客が入っては、たまに嬢が指名され2階の宿へと消えていった。

 

 俺はその合間の、飲食席でオッサンの愚痴を聞いては嬢へ繋ぐ仕事を数時間続けた。

 

「猿仮面、アンタの事は気に入ったぜ。また会おうな」

「おう、気をつけて帰れよ!」

 

 楽しく下品に騒いで、酒を楽しむ。貴族に生まれてからは出来なかった、庶民的な娯楽がここにはあった。

 

 貴族の酒と言えば上品で高価な少ない酒を大層な料理と共に酌み交わす、社交界の潤滑油。そこには大騒ぎして下ネタや愚痴を振りまく下品な人間はいない。

 

「猿仮面!! 次はお前を指名するぜ、尻の穴を洗って待っておけ!」

「冗談じゃねぇ、男に掘られるなんてお断りだ」

「あっはっは。まぁ半分くらい冗談だ」

 

 だが、ここは治安の悪いレーウィンの風俗店。上品な人間なんてものは来店せず、品の無い客が大騒ぎするのが当たり前の場所。

 

 前世でも、ここまで馬鹿なお店に来たことはなかった。それくらい、この店は派手でエキセントリックだった。

 

「時間だ、もうバーは締める。猿仮面、帰っていいぞ」

「そりゃどーも。給金は?」

「ちょい待て、ホラ。帰りにスられたりすんじゃねぇぞ」

 

 時間一杯まで酔っぱらいの相手をした俺は、夜遅くなってから解放された。手には、たんまりバイト代が入っている。

 

 これで週に3回ほど働けば、少なくとも個室は維持出来るし装備に回す金も得られる。確かに、割りの良いバイトだ。

 

「疲れた……。早く帰って筋トレで癒されよう……」

 

 だが、精神的な疲労がそこそこ来ている。筋トレの心地よい疲れとは違う、ずっしりとした疲労感だ。

 

 うう、早く筋トレしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーネさん、おはよう。……少し疲れてる?」

「ええ。働くと言うのは、なかなか疲れるものです」

 

 貴族として生きてきた今世、労働はあまりしてこなかった。その弊害なのか、大した労働はしていないのに疲れを引き摺ってしまった。

 

 ……だが、健全な肉体は健全な精神に宿る。これも精神修行と思えば何のその。

 

「イリーネさん、今日は冒険者として依頼を受けようと思うんだけど大丈夫? 私達も、路銀が尽きる前に働かなきゃだし。周囲の探索を兼ねて、採集依頼をやろうって話」

「問題ありません。私は数時間働いたくらいで音を上げる様な、柔な貴族ではありませんわ」

「無理はしないでね。戦闘とかは無いし、お使いみたいなものだから大丈夫とは思うけど」

 

 マイカは少し心配してくれているが、むしろこの疲労感こそ成長の証だ。

 

 人は疲れから回復した時に、より強靭に成長する。この精神修行も繰り返せばきっと、将来のより良い筋肉の為になる。

 

「では、参りましょうマイカさん」

「そうね。その前にカールの馬鹿を起こさないとだけどね」

 

 やはり旅に出て良かった。貴族として日々優雅に暮らすより、余程健全である。

 

 ちなみにこの日も幾つかの薬草を採集すべくレーウィン周辺を探索したが、やはり魔族に出会うことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次のバイトの日。

 

「でよぉ、猿仮面。俺は言ってやった訳だ、お前の口はゴブリンの尻穴より臭ぇってな」

「ひでぇ事言いやがる。怒ったろソイツ」

「激怒して息を吐きかけてきやがった。あまりの臭さに失神したね俺は」

 

 相も変わらず、下品すぎる話が飛び交うバーで俺は健気に働いていた。

 

 本物のお嬢様がバイトしてたら卒倒していたな。働いたのが俺でよかった。

 

「おぅい、猿仮面と……ジョージも居るのか。お前らこっち来い、新入り連れてきたぞ」

「ほう、どんな奴だ?」

 

 前に喋った客と歓談していると、更に別の粗野な男が会話に割って入ってくる。礼儀もマナーも有ったもんじゃない。

 

 だが、この下品な感じも慣れれば悪くない。最初は戸惑ったモノの、よく話してみれば客は気が良い連中が多い。

 

 貴族特有の嫌みったらしい牽制もないし、作法で怒られることもない。

 

「今日は気分が良い、お前らの酒も奢ってやる!! あ、女は別だぞ」

「微妙にケチ臭い奴だな~。女も奢ってくれよ」

「高いんだよ、それは流石に!」

 

 あと、客同士が仲良くなるのが異様に早い。まだ数回しか会ったことのない人間同士、楽しく会話して酒を楽しめるのもこの場所の特異性だろう。

 

「聞いてくれマスター、俺は今日はコイツに危ないところを助けられてな。コイツの支払いも俺の奢りだ」

「あいよ、ツケは拒否だからな」

「分かってるって」

 

 こうして、今日も一人新たな人と出会う。

 

 一期一会、もう二度と顔を合わさない奴も居るだろう。この先、何度も顔を合わす奴も居るだろう。

 

 それが、この風俗バーと言う特異な空間の醍醐味の1つなのだ。

 

「さ、猿!?」

「だははは!! 初見はビビるよな、でも気にするな! この猿はいい猿だ」

「面白いぜ、この猿の兄ちゃん」

「初めましてウキ」

 

 さて、今日はどんな出会いが────

 

 

 

 

「ど、どうも。初めまして、俺は冒険者のカールと言います。こういうお店は初めてで────」

「ウキャァァァァア!?」

「うわぁぁぁぁぁあ!?」

 

 俺の隣に緊張した面持ちで腰かけたのは、物凄く見覚えのある男だった。

 

 というかカールだった。

 

「どうした猿仮面!」

「い、いや何でも無い。ちょっと人生の危機に陥っただけだウキ」

「それは何でもないで済ましちゃマズくないか」

 

 待ってヤバイ。それはヤバイ。

 

 お面を被ってはいるけれど、鎧の下の布服とかはカールにも見せたことがある普通のやつだ。

 

 てか、そもそも声と髪で一発でバレる。急拵えの変装だ、さすがに一緒に旅した仲間に気付かれてしまう。

 

 ど、どうする────

 

「ふむ、何か困りごとか? 俺で良ければ力になるよ」

「……そいつは、どうも」

 

 カールは、心配そうに初対面のはずの猿仮面(オレ)を気遣っていた。

 

 あ、コイツ気付いてないっぽい。

 

「いや、もう解決した。俺の人生は救われた、ありがとう」

「この短期間で何があったんだ」

 

 ま、まぁそうか。普段は清楚オブ清楚で通している貴族令嬢(イリーネ)が、こんな怪しいお店で男装して働いているなんて想像だにしないだろう。

 

 認知バイアスという奴だ。

 

「まぁ、座れ。今日は色々と楽しもうや」

「ああ、ご相伴に預かる。俺も、聞きたい話があるしな」

「おお、何でも聞いてくれ。この店の客は、この街の風俗事情に一番詳しいって噂だぜ」

「ふ、風俗事情は別に聞かなくて良いかな。まぁ、後で聞くよ」

 

 ……成る程。カールは風俗に来るキャラに見えなかったが、魔族の情報を集める為に付いてきた訳ね。

 

 その情報収集の手段は間違えている気がする。エロいお店に何の魔族の情報が有るっていうんだ。

 

「じゃあ、俺達の出会いに乾杯!!」

 

 ……。こいつらどーせ股間の魔族(隠語)の話しかしなさそうだが、まぁ付き合ってやるか。



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6話「男同士の猥談はゲスいが、大体楽しい」

「……そうなんだよ!! 俺は、俺は!!」

「おうおう、飲め飲め。そして全部吐き出しちまえ!」

 

 ……カールが店に来て数分後。酒に弱いカールは、速攻で悪い大人達に潰されていた。

 

 魔族の話をしようとしては鼻で笑われ、そのまま酒を飲まされ。気付けは彼も、猥談の世界に引きずり込まれていた。

 

「俺だって、俺だって性欲がある! 必死で我慢してるんだ! でもマイカはからかってくるし、レヴにそんな事出来ないし、イリーネはすこぶる無防備だし!!」

「おいおい女の子の名前が3つも出てきたぞ」

「さてはコイツ、女誑しか! 許さん、もっと飲め!!」

「頂きます!!」

 

 この場は男しかいない、下品な空間だ。その雰囲気に飲まれタガが外れたのか、普段は紳士っぽいカールが大変お乱れになっていた。

 

 彼が溜め込んでいただろうエロ方面の愚痴を振り撒かれる。俺が聞いてはいけない類いの話が連呼される。

 

 ……うーわ、ちょっと面白い。

 

「おし、最初から話していけ。マイカってのは、どんな女なんだ?」

「俺の幼馴染みで、親友! あと胸がおっきい!」

「そーかそーか、おっぱい大きいのはいい女の証だな!」

「巨乳で幼馴染みで親友だと? この野郎、良い立ち位置獲得しやがって!」

「優しくて頭も良くて、本当に良い女なんだ。だけど……っ!!」

 

 カールは酒の前に突っ伏して歯軋りしながら、涙声になってゴニョゴニョ呻き始める。

 

「もうずっと前にフラれたんだぁ~……」

「あーっはっはっはっ!!! そうかドンマイ!! 飲め!!」

「いだだぎます!!」

 

 ……え、マイカにフラれてんの? めっちゃ脈ありそうに見えたけど。

 

「決死の覚悟で一緒に冒険者になって着いてきてくれって言ったのに……。マイカのやつ、笑顔で『お断り♪』だもん……」

「そりゃ根本的に脈が無かったな!」

 

 あー。それ、告白のつもりだったのか。

 

「今は一緒に旅してるんだろ? もう一度アタックしたらどうだ?」

「良いんだ、俺はもうフラれたんだ。フラれ虫なんだ……」

「こいつ酔わすと面白ぇな、ダハハハハ!!」

 

 ダメだ、完全にフラれてると勘違いしている。マイカの真意は『冒険者なんて危ない仕事はやめて、故郷で私と一緒に暮らそうよ』なのに。

 

 この男、さては鈍感系だな?

 

「他の女はどうなんだ? パーティーに3人女がいるんだろ?」

「レヴってどんな娘だ? エロい?」

「エロくねーよ!! レヴは、レヴはなぁ! 俺の大事な娘みたいなもんだ!!」

 

 マイカの誤解をどう解こうか考えている間に、話題が流されてしまった。まぁ、機会を見て誤解を解いてあげよう。

 

「レヴはまだ未成年だ。年も5つ下だし、保護しているようなもん。そういう対象じゃない」

「5歳差くらいならアリじゃねぇの?」

「レヴはそういうのじゃないってば。親を失ったアイツを、たまたま俺が保護しているだけ。そんな弱味につけこんで関係迫ったら、レヴも断れないだろ。そんなの、男のやることじゃねぇ!!」

「まぁ、端からそんな男を見つけたらぶっ殺すわな」

「レヴは大人になるまでは俺が面倒を見る。そして、俺が見込んだ男と結婚させて、何不自由なく幸せに一生を暮らしてもらうんだ」

「こりゃダメだ、完全に父親目線だ」

 

 ……親、失ってたのかレヴちゃん。そういや、マイカもレヴちゃんは重い過去背負ってるって言ってたしな。

 

 うん、なるべく優しくしてあげよう。

 

「そう言うの抜きにしたら、レヴって娘は可愛いのか?」

「そりゃあもう! 目元がくりくりしていて、顔立ちも整ってて、笑顔が輝いてる。将来は絶世の美女になるに違いない! ちょっと内気だけど優しい性格だし、何より裏表がない素直な子だ」

「ほう良いな、今度俺に紹介してく────」

「レヴに手を出したら殺す」

「うーわ、目がマジだ」

 

 冗談でナンパしようとした男を、氷の様な目で睨み付けるカール。

 

 やっぱこいつ、酔うと仲間誉めマシーンになるみたいだな。あと若干親バカだ。

 

「今は、レヴには俺だけいればいいの! 将来は涙を飲んで他の男に任せるから、今だけは俺の可愛いレヴでいて欲しいの!」

「これは気持ち悪い」

「レヴは可愛いんだぞ? 寝てると、怖い夢を見たっていって俺の布団に潜り込んで来たりとか、まだまだ甘えん坊でな」

「……ん? レヴちゃんって何歳?」

「13歳だ。本当に、可愛いさかりでな!」

 

 だよな、レヴちゃん結構成長してるよな。

 

 え、そんな歳の子が怖くて寝床に潜り込む……か? 流石に年齢的におかしいだろ。

 

「レヴはまだ一緒に水浴びしようとか、寝る前に抱っこしてとか、子供らしいところが多々あってな。それが本当に癒されると言うか、可愛くてな!」

「……いや、10歳超えてそれはねーだろ」

「レヴにはまだまだ俺が必要なんだ。絶対に、良い男を見つけてやるからな!」

 

 ……その年頃って、親に甘えたいというより異性を意識し始める思春期真っ只中では。

 

 それ、レヴちゃんなりの不器用なアピールじゃないのか?

 

「てか、そんな年頃の女の子と一緒に水浴びしたのか?」

「いや、大体はマイカがそのまま引き摺っていく。そんなことしたらレヴが大きくなって色事を知った時、恥ずかしい思いをさせるからな」

 

 いや、もう十分わかってる年齢だろ。誘われてるだけだろソレ。

 

「……まぁ、本人にその気は無さそうだから捨て置くか。コイツにロリコンの素養は無さそうだ」

「もし何か仕出かしたら殺すのは俺に任せろ。誰にもバレずに仕留めてやる」

「レヴは誰にもやらん! 俺が認めた男以外には触れさせん!!」

 

 んー。頭が痛くなってきた。

 

 カールは割とマトモな男だと思ってたけど、コイツ結構なアレだ。

 

「で、最後。イリーネって娘だっけ、残ってるの」

 

 お、とうとう俺か。カールは俺の事をどう思っているんだろう。

 

「イリーネって娘はエロいのか?」

「エロい」

 

 真顔で即答すんな!

 

 え、エロい? 俺ってエロい要素有ったか!?

 

「イリーネは最近仲間になったところなんだが……。もう既に尋常じゃなくエロい」

「ほー、良いなぁ。俺もエロエロな女の仲間が欲しいぜ」

 

 待て待て、待て。了見を聞こうか、俺がエロいってどういうことだ。

 

 清楚オブ清楚な猫かぶりモードの俺は、他人から見れば完璧おしとやかお嬢様の筈。下ネタなんぞ言ったこともなければ、女の子にセクハラした事もない。

 

 俺がエロいはずが────

 

「貴族で箱入りのお嬢様だからか、男の視線に無防備でさ。裸見られても気にする素振りがない。こないだなんか、水浴びを覗いちゃったのに褒められて……」

「水浴び覗いたのかよ」

「それは、エロいな。てか、かなり世間知らずじゃねーのそれ」

「多分イリーネは、家族以外の男と話した経験がないんだと思う。男に裸を見られる意味を理解していないみたい。普通、全裸見られたら怒るよなぁ……」

「無自覚系のエロお嬢様か。やばい、それは凄く羨ましいぞ」

 

 ────ああ、そう取られちゃうのね。

 

 いや、男と話した事普通にあるぞ? 付き合いのある貴族の子息とか、社交界でよく喋るし。なんならお見合いまでしてるし。

 

「イリーネは何と言うか、浮世離れした雰囲気のある令嬢なんだ。ミステリアスな雰囲気もありつつ、親しみやすくもありつつ、しかも凄腕の魔法使い」

「はぁー。今までで一番羨ましいぞ、その娘。俺のパーティにくれよ」

「そればっかだなお前……。絶対に嫌だ」

 

 言うほどミステリアスか、俺? マッスルテリアスなのは認めるが。

 

「貴族って言えば嫌味ったらしくて取っ付き難い印象だけど」

「いや、イリーネは物凄く親しみやすい。旅の最中は平民扱いしてくれって言い出して、一度も偉ぶったことが無い」

「マジ!? そんな貴族居るんだな」

「家がちゃんとしていて、育ちが良いんだろうな。蝶よ花よと育てられた娘は、無垢で素直な妖精みたいな女になるんだ」

「ああ、本当そんな感じ。イリーネは、妖精みたいな人なんだ」

 

 ……その妖精さん、ここで猿のお面被って下ネタで盛り上がってるけど。

 

 カール、貴族令嬢に夢見過ぎじゃないか。あいつら大体は腹黒だぞ?

 

「きっとスプーンより重い物持ったことないんだぜ」

「重い荷物を持とうとして、『きゃっ』って言いながら尻餅ついたりしてさ。そこで男の俺が代わりに荷物を持って力強い所をアピールすればワンチャン……」

 

 家では100㎏のダンベル(妹製)をフンフン言いながら持ち上げておりましたが。

 

「で、その娘は狙うのか? 他は対象外なんだろ?」

「えっ……? いや、イリーネは俺なんかとは釣り合わないし」

「男1人に女3人のパーティなんだから、全然ありだろ。むしろ、そのイリーネが別のパーティに彼氏作っちゃって、お前のパーティ抜けるとか言い出したらどうするんだ?」

「……、それは困る」

「だろ?」

 

 え。こいつら、俺を口説くように話を持っていってないか?

 

 余計なことをするな!

 

「いや、貴族と平民は身分差的にまずい様な」

「馬鹿、よく考えろ猿仮面。イリーネってのは、聞く限り箱入り世間知らずの純粋お嬢様だぞ? あっさり悪い男に騙されて、持ち帰られちゃうかもしれないんだぜ」

「そうならないためにも、カールがイリーネのハートを射止めて悪い男から守るんだ」

「そ、そうか? そういうものなのか?」

 

 カールがちょっと説得されかかっている。余計なこと言うなこのクソ客共! 男からの好意なんぞ要らんわ!

 

「まずは『平民の冒険者同士、裸の付き合いが必須』とか適当な嘘並べて一緒に風呂に入ってだな」

「そこで油断したイリーネを情熱的に抱きしめて、押し倒し────」

「それ殺されても文句言えない奴だろ!?」

 

 ほぼ強姦じゃねーか!!

 

「いい加減にしろよ、イリーネにそんな真似出来るか!!」

「えー、ノリ悪い奴だな」

 

 おお、よく言った。当り前だよなカール。

 

「イリーネは、貴族の令嬢という身分を捨ててまで俺について来てくれた人だ。その信頼を裏切るくらいなら死んだ方がマシだ!」

「ちっ、生真面目な奴め。上手くノせれば面白いことになると思ったのに」

「じゃあ3人ともダメじゃね? お前は誰と付き合いたいんだよ」

「今は、まだ……。誰かを好きになってから改めて考える」

「しばらくは曖昧にお茶を濁して、ハーレムを堪能するつもりって訳ね。ちっ、お零れを口説き落とす作戦が……」

「お前らそんな事狙ってやがったのか!」

 

 よし、よしよし。口説きに来られても困っていたところだ、良く我慢した。褒めてやるぞカール。

 

「まぁ冗談は抜きにしても、イリーネって娘はよく注意して見といてやれよ。箱入り娘ほど騙されやすいもんはねぇ」

「わかったよ。そういわれると心配になって来たな……。彼女、自分の部屋の代金は自分で支払いたいとか言ってバイト始めちゃったし」

「え、貴族が平民の下働きしてんの? それ大丈夫?」

「てか、ダメだろそれ。絶対騙されてひどい目に遭うぞ」

「今頃、『これが平民の仕事なのですね……』とか言って風俗で働いてるかもしれん」

「そ、そんな事は流石に……」

 

 ……。

 

 別に騙されてはいないけれど、確かに風俗店で働いているな。

 

「いや、大丈夫。イリーネは、人の嘘を見破るのが得意だ。そう簡単に騙されたりなんか……」

「今までろくに男と話したことが無い貴族令嬢が、社会に出て悪い男の餌食にならないとでも?」

「もしかしたら、今誰かの上で腰を振ってたりするかもな?」

「……。明日、イリーネにどこで働いているのか聞いてみる。大丈夫、イリーネの事だから大丈夫だとは思うけど」

「ちょっと不安になってんじゃねーか」

 

 ゲッ。

 

 問いただされたらヤバい、下手にボロ出したら俺が風俗で働いてるのがバレる。

 

「本当にその無自覚お嬢様、どっかで働いてたりしてねぇかなぁ」

「貴族令嬢を汚してみてぇなぁ」

「大丈夫……、イリーネは大丈夫、うん」

 

 よし、何か適当に考えておくか。

 

 貴族が働いていて違和感のない仕事ってなんだ? どういえばカールを安心させることが出来る? まぁ、明日までにはなんか思いつくだろう。

 

「案外、この近くで働いてたりしてな。うーむ、こっそりイリーネちゃんが働いている事にかけて、ちょっと女買おうかな」

「本当にそうかもしれねぇぞ、買ってけ」

 

 本当にそうなんだよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だいたい同時刻。

 

「……」

「お嬢様、顔が真っ青ですが」

 

 風俗街のある通りの、入り口付近。そこに何やらペンダントを握りしめ、顔を真っ青にしている小さな貴族令嬢が居たそうな。

 

「その、本当にこの先にイリーネ様が?」

「……」

「この道の先って、風俗街では?」

「そ、そそそそんなハズが……」

 

 そのペンダントの示す、姉の所在は風俗店の中。時刻は深夜、ばっちり営業時間中である。

 

「姉様。ね、ねねね姉様ぁぁぁ!!?」

「イリアお嬢様!! どうか、お気を確かに!!」

「いやあああぁ!? 姉様が、姉様があああぁ!?」

「イリア様ぁぁぁ!! お、おいたわしや……」

 

 想像だにしていなかったその事実に、妹は目をぐるぐる回しながら錯乱していた。尊敬する姉が、風俗などという汚らわしい場所にいるのだから無理もない。

 

「とうとう姉様が女を買いました!! 姉様が兄様になってしまいましたぁぁぁ!!」

「……え、そっちですか!?」

 

 ただし、彼女はイリーネが体を売ってると全く考えていなかった。



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7話「新たな敵!? 怪人ウサギ仮面襲来!」

「あら? あらあらあら?」

「……おや、これはどうも」

 

 俺達が拠点としている、宿屋の飯場。

 

 庶民向けの安いスープとパンを頬張りながら、今日もカール達と『魔族の情報をどう集めるか』話し合っていた矢先。

 

「話には聞いていましたが、本当に平民に身をやつしているのですねフォン・ヴェルモンド」

「あらサクラさん、ご機嫌よう。これも、目的の為を思えばですわ」

 

 ギャング令嬢のくすんだ茶髪が、風に揺れる。

 

 俺達カールパーティーは、店の視察にきた貴族サクラ・フォン・テンドーと邂逅を果たしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この店は、テンドー家の管理している店ですの?」

「ええ。宿泊・飲食系は大体私の家の関連店です。その方面が、私の実家の生業なので」

 

 話を聞いて、なんとビックリ。俺達が以前から利用していたこの宿屋は、彼女のグループが経営している店だったと言う。

 

 今日はそれで、たまたま視察にきたのだとか。そういや風俗を牛耳ってるギャングだもんなお前の家。

 

「それで。……ふむ、貴方がイリーネさんの仰っていた『魔王を打倒する者』カールですか?」

「あ、はい」

「……何か頼りない雰囲気ですわね。魔王復活の話は、本当の事ですの?」

「ほ、本当ですよ。俺自身、信じがたいとは思ってるんですけど」

 

 平民カールは、いきなり貴族に話を振られてテンパっている。この町の貴族はギャングあがりのエセ貴族だから、そんなに緊張する必要ないぞ。

 

「本人が信じがたい話を、私が信じられるとでも? まったく胡散臭い。この男は詐欺師ではありませんかヴェルムンド嬢」

「私は他人の戯言を鵜呑みにしたことはありませんわ。私の行動はすべて、自らの『人を見る目』を信じた結果です」

「そこまで仰るなら、何も言いませんが」

 

 サクラは半目で頼りなさげなカールを見下ろしている。

 

 まぁ、話だけ聞いてると完全に詐欺師だもんなコイツ。魔王復活するから資金カンパしろ、なんて普通信じない。

 

「……カールは、詐欺師じゃない」

「あらあら、詐欺師は皆そう言うものでしてよ」

「……む」

「レヴ、落ち着きなさい」

「子供のしつけもなっちゃいませんのね、これだから平民は。粗暴な方達とは、お付き合いしにくいわぁ」

 

 粗暴なのはお前の実家じゃい。

 

「貴族と言うのも家によって随分違うんですね。最初から平民を見下す人もいれば、きちんと話を聞いてくれる人もいる」

「あらあら。見下される人間には、見下されるだけの理由があると思わないかしら?」

「私達が何かしたとでも?」

「マイカさん、落ち着いてください」

 

 マイカは不機嫌そうに、サクラの顔を睨み付ける。

 

 うわっと、一触即発。何で喧嘩売るかなぁ、お互いに。

 

「魔族襲来の証拠を見せれば、私達に協力いただけるのでしょう? サクラ・フォン・テンドー。いずれまた、貴女のお顔を見に行きますわ」

「まぁそんな日が来るとは思わないですけど。精々お待ちしておりますわイリーネ・フォン・ヴェルムンド」

 

 そう言ってサクラは、含み笑いのままクルリと半回転した。

 

「ではご機嫌よう────」

 

 そして別れの挨拶も返せないままに、彼女はその場でスッと煙のように立ち消えた。

 

「……なっ?」

 

 ────瞬間移動、ないし透明化? 嘘だろ、超高度な奥義クラスの魔法じゃないか。

 

 これにはマイカ達も、目を見開いて驚く。ギャングまがいとはいえ、彼女も貴族なのだ。しっかり魔法は習得しているらしいが……、まさかこれ程の腕とは。

 

「消えた……」

「……あれって魔法? 瞬間移動? イリーネも出来るの……?」

「私には出来ませんわね。ああいった系統は苦手分野ですし、適正もない。そもそも奥義レベルの魔法ですわ、アレ。平野で見せた、ああいう攻撃系統の魔法は得手なのですが」

 

 というか魔法そんなに勉強してない。

 

 ガァーってしてドッカーンな攻撃魔法はフィーリングで習得できたが、他のややこしい魔法理論が必要な奴はサッパリだ。

 

 本物の魔法使いはめっちゃ頭がいい。サクラと比較されて、脳筋がバレないようにしよう。

 

「まぁ、でもみんな。あんな奥義クラスの魔法が使える人が、魔族の証拠さえ見つければ協力してくれるんだ。前向きに考えよう」

「うーん。協力はありがたいけど、私はあの人嫌いだな。すっごい見下された気がした」

「貴族なんて、あんなもん……」

 

 ……嫌悪感を持ってしまったか。

 

 うーん、サクラはむしろ、この街で一番まともな貴族なんだけどな。

 

 やっぱ平民と貴族って、根本的に相性悪いのね。搾取する側とされる側だし。

 

「イヤな事は忘れて、改めて今日の予定を立てようか」

「そうね。冒険者として多人数の依頼を受けて、旅の道中で仲間から情報集めるのはどうかしら。まだまだイリーネさんの実家の援助で余裕があるとはいえ、金銭面の事も考えていかないと」

「依頼は、全員で受けなくてもいいよね……? 私は情報収集専門で動きたい……」

 

 ま、今はそんな事を忘れて情報を────

 

 

 

 

 ……カサカサ。

 

 

 

 

「……ん、虫?」

「イリーネさんどうかした?」

「いや、その」

 

 今、どこかで虫がカサカサしている様な音が聞こえた。仮にもここは飯場なのだ、不用意な発言は避けよう。

 

 周りを見渡して、ゴキでも居るならこっそり駆除しておこうか────

 

 

「あっ」

 

 

 ────宿の入り口付近に、彼女が居た。先程高慢な態度で色々言っていた令嬢サクラは、テーブルの陰に隠れて耳を真っ赤にしながらカサカサ移動していた。

 

 ……彼女はどうやら魔法で瞬間移動していたのではなく、何もない所で音もなくコケたらしい。

 

「……何でもありませんわ。気のせいでした」

「ああ、そう」

 

 サクラはそのままコソコソと陰に隠れて、無事に宿屋を出て行った。あんな振る舞いをした直後にコケて、恥ずかしくて立ち上がれなかったようだ。

 

 貴族というのはプライドの生き物である。武士の情けだ、見なかったことにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、良いじゃない」

「マイカもそう思うか?」

 

 その日の昼頃。

 

 俺達は、兼ねてからの悲願だった新装備を購入した。

 

「うーわ、しっくり来る。昔から故郷で振ってた剣と、まるきり同じ感覚」

「ちょっとカールさんの背丈からは、長めの剣に見えますが」

「良いんだ、このずっしり来る感じが」

 

 カールの安い収入では購入できなかった、ロングソード。武骨で飾り気の無い、無機質な美しさの剣をカールは購入した。

 

 カールは自らの剣を眺めて頬を染め、うっとり興奮している。この男、武器オタクの気も有りそうだ。

 

 俺の裸体を見た時は顔を真っ青にしたくせに。

 

「マイカ達は何も買わなくて良いのか?」

「矢が補充できたし十分よ。それに、レヴ曰く品質はそんなにみたいだし」

「……そう。どれも中の下くらいの品質だから、あまり過信しない方が良い」

 

 マイカとレヴは、新しく装備を購入しなかった。お金の節約という意味もあるが、何より彼女達の自前の武器の方が品質が良いらしい。まだ劣化していないので、今まで通り使用するそうだ。

 

 つまり今回装備を購入したのは、俺とカールだけ。

 

「で。イリーネ、新しい装備はどう? 着れそう?」

「余裕で着れますわ。……もっとガッシリした鎧を想像していたのですが」

「……あんまり重いのは疲れる。女性はビキニアーマーが基本」

「筋力強化出来ますのに……」

「女性にフルアーマーは向かないわよ」

 

 そして、その俺の装備というか防具だが。

 

 急所守れるだけのビキニアーマーって、どないやねん!!

 

 てか冒険者の女って、本当にこんなの装備するんだ? エロいって感想しか出てこないんだが。

 

「フルプレートの鎧は本当に重いよ。普段から金属装備に慣れておかないと」

「結構、肌荒れるから気を付けてね。荷重がかかるところはスレてすぐ真っ赤になっちゃうから」

「……まぁ、今回はこれで納得しますわ。ですが次こそはフルアーマーを……」

「や、そもそも魔法使いが重装備するのはおかしいからな? 軽い防具つけてる人は多いけど」

 

 俺なら全身鎧くらい余裕なんだが。でも、モリモリマッチョウーマンだとバレると家の品位がなぁ。

 

「部屋に戻ったら1度着けてみて。もし重すぎて装備出来そうになかったら返しに行くわ」

「……了解ですわ」

 

 むー、しばらくはこれで我慢するか。

 

 全身鎧を着たかったなぁ……。きっと、すんごく良いトレーニングになったのになぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶぅぅぅぅっ!!」

 

 俺は部屋に戻ると、言われた通りに買ってもらった装備に着替え、仲間に見せに行った。

 

「イリーネ!! 何て格好しているの!?」

「えっ。いや、戴いたビキニアーマーを装備しようかと」

 

 やはり、ビキニアーマーは露出が多い。

 

 しかし今度からこの格好でうろつかないといけない訳で、慣れていかないと。

 

「お、おー……」

「……痴女」

「隠して、前! 前!」

 

 しかしニュー装備で部屋に入った俺の姿を見た瞬間、マイカが顔を真っ赤にしてブチ切れた。

 

 俺、また何かやっちゃいました?

 

「インナー!! インナー付けなさいよ、ビキニアーマーだけ装備する訳ないでしょう!?」

「え、そうなんですの?」

「見えてる、際どいところが色々と見えてるから!!」

「……そういや世間知らずのお嬢様だったな。いいかイリーネ、ビキニアーマーってのは下にタイツ型の服を────」

「ガン見しながら冷静に解説するな!! アンタは後ろを向いてろカール!!」

 

 どうやら、裸にビキニアーマーという痴女スタイルはこの世界ではおかしいらしい。うーん、前世のイメージに引っ張られ過ぎたか。

 

 そうだよね、横乳見えてるしほぼ下着だしこんなの痴女だよね。良かった、俺の感性はおかしくなかったんだ。

 

「……ビキニアーマーのつけ方、教える」

「あ、ありがとうございます」

 

 『どーしたもんかなぁ』と、流石の俺も恥ずかしくて頬を掻いていたら、呆れた目でレヴちゃんが俺の手を引いてくれた。

 

「部屋に来て」

「はーい」

 

 小動物的な彼女に引っ張られ、俺は部屋を後にする。

 

 まさか彼女が俺に話しかけてきてくれるなんて。ちょっとは打ち解けてきてくれたのかな?

 

 ビキニアーマーは失敗だったけど、これを機にレヴちゃんと距離を詰めたいな────

 

「それとあんまり、カールを誘惑するな……」

「あっハイ」

 

 違った、牽制だった。

 

 やっぱり三角関係なんですねぇこの人ら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、そうそう。イリーネ、少し聞いておきたかったんだけど」

「何ですのカール?」

「その。イリーネが働いている場所ってどんな場所なのかなって……」

 

 その日の晩。いつもの如くバイトに出かけようとしたら、カールが引き留めてきた。

 

 ふむ、例の質問だな。ちゃんと答えは用意しているぞ。

 

「サクラという貴族令嬢が居たでしょう。彼女の紹介で、飲食店の店員をやらせてもらっていますわ」

「あ、ああ成程。そういう感じなんだな、良かった」

「申し訳ありませんが、私が働いていることはサクラさんには内緒にしていてくださいね。彼女には『知り合いを推薦する』という体で仕事の紹介いただきましたので」

「分かった、了解。そっか、イリーネ本人が働いてたら外聞が悪いのか」

「そういうことですわ」

 

 こういう時はあまり嘘を言わず、一握りの嘘と真実を塗り固めて喋るのがコツだ。まるっきり嘘を言うより破綻しにくく、態度にも出難い。

 

「では行って参ります」

「うん、頑張ってね」

 

 これでカールは上手く誤魔化した。さぁ、今日も仕事を頑張ろう。

 

 

 

 

 だがしかし、この時の俺はまだ想像だにしていなかった。

 

 この時、出かけた先でまさかあんな奴と出会うことになるなんて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもの如く、歩む夜道。

 

 猿の仮面をかぶり、安い皮装備で変装した俺は、その連中と出会った。

 

「……なっ!?」

 

 その得体のしれない存在は、夜の街にひっそりと佇んでいた。

 

 人影が二つ。それは篝火に照らされて、フワフワと民族衣装のようなローブをはためかせて。

 

 ────まっすぐに、俺の姿を見据えて立っていた。

 

「……っ」

 

 ギャングの連中ではない。それは一目でわかる。

 

 あいつらは、こんなにヤバそうな雰囲気の衣装を身に着けたりしない。

 

「────」

 

 向こうの人影も、俺の姿を見て幾分か動揺を見せた。

 

 俺の奇天烈な姿に驚いたのだろうか。だが、どう考えても怪しいのはお前らの姿だ。

 

 

 ニンマリと口元を歪めわらう、ウサギの仮面。

 

 何故か片方だけ千切れて短くなっている、2本のウサギ耳。

 

 人参の紋様が全体に描かれた、異様な雰囲気のローブ。

 

 

 ────この世の怪しいという言葉全てを詰め込んでも、この連中の異様さを表現できる言葉を知らない。

 

 まさに不審者・オブ・不審者と言った感じだ。

 

「さ、猿の仮面……?」

「な、なんて怪しい人。あんなに怪しい人がこの世に存在するのですか……?」

 

 数秒ほど、睨みあう。

 

 こいつらの目的はなんだ。見た感じは人間に見えるが、実は変装した魔族とかありえるかもしれない。

 

 俺は、一応はサクラに雇われた用心棒。この街の治安を守るためにも、少し職務質問させてもらおう。

 

「そこの怪しい二人。一体何者だ!?」

「お前に言われたくないです!!」

 

 むぅ、猪口才な。俺の姿よりおまえらの方が100倍は怪しいわ!!

 

「私達は事情があって世を忍ぶ姿を取っているだけ。貴方こそ、どんな事情でそのような姿をしているのですか」

「世を忍びたいならもっと目立たない姿を取ればいいだろ!! そんなザ・不審者みたいな姿をする理由になるか!!」

「わ、私だってそう言ったのですがお嬢様が────、ゲフン、ウサギちゃん戦士1号がどうしてもこの姿をしろと!!」

「お前らウサギちゃん戦士とか名乗ってるの!?」

 

 夜闇に照らされる、笑顔のウサギの仮面が不気味で仕方ない。その、道化のような台詞回しに会話の主導権が握れない。

 

「何ですか、いきなり話しかけて来て! 警備(ガード)を呼びますよ、猿の不審者!! 不気味で怖いんですよお前!!」

「上等だ、どちらが怪しいのか警備(ガード)に判断して貰おうじゃないか!」

 

 俺はこの日、今後の『人生の宿敵』になる不審者二人と出会ったのだった。

 



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8話「少女の過去と、魔族の足跡」

「おう、遅刻だぞ。こんな時間まで何してやがった猿仮面」

「すまねぇ」

 

 あの変態ウサギ仮面と遭遇したせいで、その日はバイトに遅刻した。

 

「とりあえず、言い訳してみ」

「……実は、通報されたんだ」

「そんな誰もが納得する理由を出すな。説教しにくいだろうがこの野郎」

 

 社会人として、職場に遅刻などもってのほかだ。だがしかし、あれは仕方ないんじゃないだろうか。

 

 不慮の事故だ。まさかあんな怪しい奴が通報してくるなんて思ってもいなかった。

 

「まったく。そんな不審者みたいな格好してるからだ」

「違う。俺は不審者に通報されたんだ」

「ああ、不審者として通報されたんだろ?」

「だから、不審者に通報されたんだって」

「ん?」

 

 にしてもまさか、ウサギの仮面を被った不審者に通報されることになるとは思わなかった。

 

 警備兵も、どうみても怪しいのはあっちだろう。連行するのはあの二人組だけでよかったじゃないか。

 

 何で俺まで事情聴取されねばならんのだ。

 

「……つまり、お前みたいなのが他にも居たのか」

「あんな怪しい奴と一緒にしないでくれ」

「で? そんな状況から、よく解放して貰えたな」

「ああ、サクラお嬢様が通りかかって俺の身元を引き受けてくれてな。そうじゃなければ、一晩留置されていたらしい」

「ほう、そりゃよかった」

「サクラお嬢様もウサギの仮面を被った変人を見て驚いていたぞ。俺も、あんな怪しい奴がいるのかと心底驚いたよ」

「いやお嬢は、お前みたいなのが他にも居たことに驚いていたんだと思うぞ」

 

 いやあ、助かった。サクラお嬢に顔覚えて貰っててよかった。

 

「にしても頼むぜ、次からは捕まったりしないでくれよ。お前みたいなのでも、戦力としては当てにしてんだからな」

「戦力、ねぇ。あんまり、家同士の抗争には首突っ込みたくないんだけどなぁ。勤務中に起こった厄介ごとに関しては、ちゃんとするけどさ」

「そうはいかん。そろそろ、マジの戦争が始まりそうなんだ。報酬は弾むから、俺達の戦力として動いてもらいたい」

「えー、そういうのはちょっと」

「お嬢の口利きで、留置所から出れたの忘れたのか? ここで働いて金貰えてるのも、お嬢のお陰だろうが。ちょっとは貢献しろや」

 

 ……えー。こっちもお嬢様の命助けたりしたんだし、その辺はおあいこじゃない?

 

「どっちの家の仕業かはわからねぇんだが、この前ウチの仲間が殺されてんだよ。取引先から金と酒運んでた運び人が殺されて、運んでたブツ全部奪われた」

「うーわ」

「本来の当主であるおやっさんは、怒り狂って飛び出しちまった。犯人とっ捕まえて落とし前付けさせるって、息まいてさ」

「……」

 

 え。そんなに簡単に飛び出して大丈夫なのか、貴族当主。ギャングと言う方がしっくりくる連中だな。

 

「お嬢が代行して当主になったが……。まだあの歳だ、お嬢は裏の世界についてはまだよく分かっちゃいない」

「まぁ、年齢的にはまだガキだよな」

「だがよ、お嬢は精一杯ギャングの跡取りとしてふるまって、自分の立場を受け入れようと頑張ってくださってる。生真面目すぎるんだよ、お嬢は」

「……生真面目ねぇ」

「幼い頃、お嬢は俺達の稼業がどんなものか知って、顔を青くしながらも受け入れた。それが私の宿命なら受け入れますと」

 

 まぁ、実家が反社会的勢力なら顔も青くなるわな。

 

「ギャングなんて本来は、もっと自由で奔放な稼業なのさ。脅して、殴って、徒党を組んで、そんで自分がやりたいように生きる……」

「反吐が出る」

「だが、お嬢にはそういうのがない。ただ、ギャングの元締めという自分の立場に誠実であろうとしているだけの、普通のお嬢様なんだよ。まったく性に合ってない」

 

 性に合ってない、か。確かに、サクラからはギャングの連中特有の下品で粗暴な気配は感じなかったが。

 

 それに、あのヘッポコぶりではギャングには向かないか。

 

「お嬢は多分、普通の名家に生まれてたらこれ以上無く幸せだっただろうさ。素直な性格で誠実なお嬢様なんて引く手数多だろ」

「まぁそうだろうな。だが、現実は風俗店経営しているギャングの跡取り令嬢」

「いっそ家出でもしてくれれば気が楽なんだがね。サクラお嬢は誠実すぎて、俺らみたいなチンピラにまで仁義を通そうとして下さる。俺達に出来るのは、その仁義を裏切らないようにすることくらいさ」

 

 そこで会話を切って、マスターはグビリと臭そうな黄土色の酒を飲み干した。

 

 つん、と特有の刺激臭が鼻孔を刺激する。 

 

「そのおやっさんとやらは、帰ってこねえのか?」

「あの人は一度旅に出たら、次の日に戻ってくることもありゃ数年帰って来ないこともある。今回も、目的を達したら帰ってきなさるだろう。それまでは、俺達でお嬢を守らねばならんのだ」

 

 ふーん。慕われてるんだな、サクラってお嬢様は。

 

 話を聞いて肩入れしても良いかなって気になってきたが、俺達には俺達の目的もある。

 

 今はいったん保留だな。

 

「他の家の動きはどうなってんだ?」

「金が入用なのか、略奪が活発化してきている。前回のお嬢売り飛ばしの件もそうだが、なりふり構わなくなってやがる」

「ひえー。とっとと、この街から離れた方がいい気がしてきたぜ」

「輸送中を襲撃するなんて当たり前、目撃者を潰してぇのか基本皆殺しだ。しかも、貴族自ら出張ってきて襲撃してきているっぽい。運び人襲撃の時は、貨物台が大破してたって聞くからな」

「大破?」

「付近には、上級魔法ぶっぱなされた痕跡みたいなのが残っていた。かなりの威力だ、あんなことが出来るのは貴族しかいねぇ。貴族自ら戦争に参加するってことは、この街の……プーンコかサミー家の連中の仕業だ」

 

 普通の貴族は荒事を嫌うからな、とマスターは続けた。

 

 ……ははは。

 

 まさかソレ、たまたま俺が水浴びした付近だったりしないよな。上級魔法使える貴族って、そう多くないと思うんだが。

 

 ただのギャングが上級魔法使えるとか怖すぎるだろ。いつ町が亡んでもおかしくないぞ。

 

 上級魔法ぶっ放してくる連中と戦争なんかしてられない。やっぱ、この街の争いには不干渉がよさそうだな。

 

「うちのお嬢様は、上級魔法使えるのか?」

「お嬢は……わりぃな、何処の誰が話聞いてるか分からねぇからな。そういう情報は内緒だ」

「あーね。取り敢えず、お嬢から援護は貰えるんだよな?」

「ばっか、戦争の時はお嬢には屋敷に籠ってもらうに決まってんだろう」

 

 うーん。成る程、ならどっちにしろお嬢は戦力外か。

 

 ますます闘う気が起きない。用心棒なんぞ、引き受けるんじゃなかったかもしれない。

 

 参戦するにしてもまさか、俺が魔法ぶっぱなす訳にはいかんし。身バレするわ。

 

「……ほら、客が来たぞ。働け猿」

「あいよ」

 

 うーん、このバイトどうしよう。辞めた方が良いかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お?」

「帰ったかイリーネ、お客さんだぞ」

 

 もう深夜に差し掛かる時間だというのに、宿屋に戻るとカール達の部屋に明かりがついていた。

 

 何事だろうと猿仮面を脱いで中に入ってみると、見覚えのあるちっさいのがテーブルに座ってパンを頬張っていた。

 

「あら? い、イリア?」

「お久しぶりです、姉様」

 

 それは何と、数日前に実家で別れた妹。最近ちょっぴり反抗期な、可愛いイリアだった。

 

「数日ぶりでございますね、イリーネお嬢様」

「サラ! 貴女も来てらしたのね」

 

 それに、俺が子供のころからお世話になっていたメイドのサラも一緒にいる。

 

 どうして彼女がこんな場所に? イリアは実家で待っているのではなかったのか?

 

「イリア、どうしてここに?」

「はい、姉様。姉様が出発された後、私達も魔族の情報について調べておりました。そして分かったことが幾つかありましたので、そのご報告に伺いました」

「まぁ……」

 

 おお、それは助かる。俺達がチマチマ聞き取り調査している間に、イリアも貴族の伝手を使って魔族の情報を集めてくれていたのか。

 

 流石は、俺の妹だ。

 

「それで、何が分かったの?」

「そうですね、結論から言いましょう。このレーウィンの街付近で、不審な事件が多発しています」

「不審な事件?」

「輸送部隊への襲撃ですよ。それも、食料を狙ったモノばかり」

 

 ……。それは、抗争絡みの話じゃないか?

 

「確認できただけでも、4件。これが、この数か月で立て続けに発生しています」

「……成程。生存者からの情報は? それは、人間による襲撃なのか?」

「分かりません、基本的に被害者は皆殺しにされている様なので」

 

 カールは、その話を聞いて魔族による襲撃を思い浮かべたらしい。

 

 だが、この街のギャング共の縄張り争いは激化していると聞く。そのせいで、そんな物騒な事件が立て続いてしまった。

 

 そう考えても、矛盾はしないが……。妹の目を見るに、まだ他にも情報があるらしい。

 

「ただ、これは未確認の情報ですが。その襲撃から生き残った生存者がいるらしいです」

「む」

「その者はここより少し北の集落で『巨大で毛むくじゃらな生物に襲われた』と大騒ぎしたそうです。残念ながら誰にも信じて貰えずに、もう追い払われたとか。生存者の、今の行方はつかめていません」

「……」

 

 え、マジか。そいつの言う事が本当なら、それは魔族の襲撃じゃないか?

 

 巨大で毛むくじゃらの生物ってのが魔族を言い表しているのかは分からんが、その人間を見つけ出して話を聞く価値はありそうだ。

 

「ああ、ありがとうイリアちゃん。そっか、類似事件が多発しているならそれは魔族の仕業とみてよさそうだな」

「お役に立てましたか?」

「まぁな。……食料を運ぶ輸送隊ね。これで行動指針が立ったな、明日からは食料を運ぶ商人の護衛任務を受けるとしよう」

 

 カールは、その毛むくじゃらの存在を魔族と確信しているようだ。

 

 確かに魔族かもしれないが……。実はただの巨大な熊かもしれないし、もうちょい情報を集めてもいいんじゃないか?

 

「……レヴ、落ち着きなさい」

「……」

 

 その時、俺はふと聞こえてきたマイカの優しい声に釣られ、ふとレヴの方を見た。

 

 

 ────彼女は、顔面蒼白だった。

 

 

 レヴちゃんは汗を額から垂らし、目を大きく見開いて、ガタガタとマイカに抱き着いて震えていた。

 

「レヴ、さん?」

「……ああ、あまり突っ込まないでやってくれイリーネ。妹ちゃんの情報は正しかったんだよ」

 

 イリアの話が、正しかった?

 

「魔族の襲撃からたった一人生き残った女の子は、周囲から嘘つき扱いされ理解して貰えなかった。彼女は村を追われて、一人になった」

「……まさか」

「そんな彼女を引き取ったのは、女神から話を聞いて魔族の存在を知ってた男だったって話だ。今の話は、間違いなく魔族の目撃情報だ。この世界の中で魔族を『実際に見た』ことがある人間はレヴだけなんだから」

 

 おい、じゃあ魔族の襲撃から生き残った生存者って。

 

「……お父、お母が、私を逃がしてくれた」

「レヴちゃん……」

「……両親は、高名な冒険者だった。翼龍を討伐したことすらある、英雄的な人だった。そんな二人が、まるで手も足も出ない悪夢のような敵。それが、魔族……」

 

 そうか、やっぱりレヴの事だったのか。

 

 レヴの両親が殺されたのって、魔族に殺されたのね。それで途方に暮れていたところを、カールに拾われた訳か。

 

「誰も、信じなかった。お父が、弱かったんだって。低級獣に殺される程度の、耄碌ジジィだって……」

「レヴ……」

「失礼しました。すみません、レヴさんがそのような事情をお持ちとは知らずに。無配慮であったことを、深くお詫びします」

「……いい。むしろ、わざわざ遠くまで教えに来てくれてありがとう」

 

 レヴは随分と、辛い体験をしたらしい。自らの親に庇われ命からがら逃げだして、逃げ着いた先でその両親を罵倒され。

 

 だが、それならば今の話は魔族によるものだと確信できる。それどころか、最近『運び人が殺された』というギャングの情報も、実は魔族の被害だった可能性が高くなってきた。

 

 もう、魔族は俺達のすぐ背後にまで迫ってきていたのだ。妹は、値千金の情報を持ってきてくれた。

 

「イリア、情報は他にもありますの?」

「ええ。まぁ、魔族の情報では無いのですが」

 

 む、まだ他にも掴んでいるのか。

 

 イリアって意外と優秀なのな。俺に似て脳筋なイメージだったけど。

 

「この街はかなり治安が悪い様子です。実は、かなり凶悪そうな不審者に絡まれてしまって」

「何ですって!? 大丈夫でしたか、イリア」

「すぐに警備兵を呼んで事なきを得ました。全く持って恐ろしい────」

 

 ……不審者、だと。そ、それはまさか。

 

「────不気味で怪しげな仮面を被った、不審者でした」

「まぁ、仮面の不審者! ああ、私も見たことがありますわ。禍々しく面妖な雰囲気の、怪しげな仮面をつけた者!」

 

 なんと、イリアも遭遇していたのか。あの変態ウサギちゃん戦士に。

 

「えっ……仮面?」

「そうです。獣の仮面を被った、珍妙奇天烈な変人です! 姉様ももう、目撃しておられましたか」

「イリアも遭遇していたのですね。……何者なのでしょうか、恐ろしい」

「そ、そんな変なのが居るのね。注意しないと」

 

 そうだ、その情報を共有しておかないと。人間とは思えぬ、異様なセンスの仮面だった。実は魔族側の人間、なんてこともあるかもしれない。

 

「そ、その仮面の人は、そんなに悪い人じゃないかもよ……?」

「カール、貴方は実際に見ていないからそんなことが言えるのです。アレは、正真正銘の変態です」

「ええ、注意するに越したことはないでしょう。魔族との対決が控えているんです、どんな小さな不確定要素も慎重に対応するべきです」

 

 ……。もしかしてカール、猿仮面の事と勘違いしているか? あとで、変態はウサギ仮面だと教えておいてやろう。

 

「イリア、今日は私の部屋に泊まって行きなさい。この時間に外に出るのは危険です」

「ええ、お世話になります姉様。サラは────」

「私も、旅費は戴いておりますのでご心配なく」

「そう」

 

 こうして、久しぶりに会った妹との夜は更けていく。

 

 この晩、俺は魔族や来るべき宿敵『ウサギちゃん仮面』に対抗するべく、妹を付き合わせ久しぶりに全力でフンフンしたのだった。

 

 

 

 

「……んっ? 姉様、この猿の仮面は一体……?」

「二人きりの時は兄様と呼べ。気にすんな、それは俺が身分を隠し変装するグッズだ」

「……」

 

 ちなみに妹は、何故か俺の自慢の変装アイテムを死んだような目で見つめていた。



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9話「小動物を愛でるのと幼女を愛でるのは同じ感覚」

「え、レヴさんとお出かけですか?」

 

 久しぶりに妹と二人の夜を明かした、次の日。

 

 俺は、カールに頼まれて買い物に行くことになった。

 

「今後は商人の護衛に依頼を絞る、つまり長旅する機会が増える事になる」

「となると、下準備が必要だわ。依頼を受ける前に、保存食や消耗品を買い込んできて欲しいのよ」

「ふむ、了解しましたわ」

 

 その理由はイリアからの情報で、旅支度が必要になったから。

 

 基本的に冒険者は自給自足だ。依頼人から食料を保証される事なんて、期待しない方がいい。

 

「……それは良いけど。……こいつ、と?」

「ああ。レヴ、そろそろイリーネと打ち解けろ。人見知りなのは知ってるけど、イリーネみたいな良い奴まで遠ざけてたら一生治らないぞ」

「……私はカールが居れば、それでいい」

「ワガママ言わないの。俺はな、レヴに健全に成長してほしいんだ」

 

 カールの言葉を聞いて、レヴはぷぅと頬を膨らませて俺を睨む。

 

 この男、完全に目線が父親だな。

 

 ワガママで人を選り好みしていては成長しない。そこを直せと言っているんだろう。

 

「そうですわね。私もそろそろ、レヴさんと仲良くしたく思っていましたわ」

「……カールが、そう言うなら」

 

 こうして、俺とレヴのデートが確定した。これを一つの機会に、好かれずともせめて普通に話が出来るくらいにはなりたいものだ。

 

 そもそも何でこんなに敵視されてるのか、そこも聞いておきたいところ。よし、頑張るぞ。

 

「昼までには戻ってきますわ」

「ああ、よろしく。俺達は良さげな依頼を見繕っておくよ」

 

 俺は未だにベッドで爆睡している妹を置いて、レヴと共に商業区画へと出掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お父はいってた。貴族は信用するなって」

「あれま」

 

 レヴに俺を嫌っている理由を聞くと、亡くなったご両親から『貴族はろくでもない』と教わっていたらしい。

 

 曰く、平民をモノとしか考えていないだとか、優遇されて当たり前、搾取して当然と思っているのだとか。

 

 まぁ、そういう貴族は多いし否定しきれないのが辛い。

 

「……イリーネも、打算ありきで動いている。違う?」

「いえ、私は打算なんて……」

「……本当に、イリーネは魔王を倒す為だけに行動している? 自分の欲望を、どこかに隠し持っていないと言い切れる?」

「どういう意味ですか」

「英雄になりたいだとか、実家の名誉の為だとか、そんな邪な感情は一切なく着いてきたのかと聞いている」

 

 ……。

 

 英雄になりたいというつもりはないが、名誉の事はちょっと気にしてるかも。

 

 まぁ、そう言われたら打算ありきで行動していた事になるのかなぁ? カールに着いて行った目的の1つは、少年漫画みたいな展開への幼稚な憧れもあったと思うし。

 

「そういう意味ならば、打算はありますわ。何せ貴族に取って、名誉は無視できない大切なモノですもの」

「ほら、やっぱり……」

「その大切な名誉に誓って、申し上げましょう。私は、本気で魔王を倒すためにカールに協力するつもりですわ」

 

 でもまぁ、それが悪い事かと言われたら違うと思う。名誉の為だったら命が惜しくない連中だって少なくないし。

 

「貴族に生まれた者の矜持、ノブレス・オブリージュ。それが私の信条であり、座右の銘ですわ」

「……何それ」

「貴族は平民より優遇されている、だからこそ有事の際にはどの平民よりも先頭に立って戦わねばならない。そうでなければ、貴族の名折れですもの」

「……」

「こんな考えですから、名誉の為の打算と言われても仕方ありませんわ。何せ私は貴族の名折れと謗られぬ様に、自らの誇りのためにカールさんに着いてきたのですから」

 

 まぁ、ぶっちゃけこれはウチの家訓でもある。貴族に生まれたからには、誇りをもって生きろと。

 

 自分の身を惜しんで、平民を見捨てることなどあってはならない。それがヴェルムンド家の矜持だ、そうパパンには教え込まれたのだ。

 

 だからこそ、パパンも俺が旅立つのを止めれなかったのだろう。

 

「……もう、いい。分かった」

「貴族にもいろいろな人種が居ます。貴方が知らないだけで、素敵な人もたくさんいますのよ? あまり偏見を持たないでくださいな」

「……むー」

 

 とはいえ、冒険者みたいな底辺の職業の人からすれば、貴族はうざったいし憎たらしいとは思うけどね。偉そうだし、基本搾取される側だし。

 

 俺もあんまり偉そうにならないように気を付けよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オキョキョキョキョー!!」

「な、何奴!?」

 

 レヴと談笑していると突然、不気味なカイゼル髭のシルクハット貴族が現れた!!

 

「キエェェェイ!! 見つけましたよ、このド腐れ平民んんんヌ!!」

「……うわぁ」

 

 おい馬鹿、何でお前が出てくるんだ。

 

 今、レヴちゃんに上手く『貴族にも良い人は居るんだよ』アピールしている最中だったのに。おまえは腐れ貴族の代表格だろうが。

 

「怒り心頭、なのでーすよオヒョヒョヒョヒョ!! 見てください私のこの手!! わなわなわなわな、震えているでショー……」

「……あの。どうかされましたか、私達が何かいたしましたかソミー様」

「うるさい!! 底辺貴族如きが、この私に話しかけーるななななな!!」

 

 ……かちーん。

 

 お前今、ヴェルムンド家を底辺貴族扱いしやがったか?

 

 お? 喧嘩なら買うぞ? 名誉のためなら命かける覚悟で貴族やってんだぞ俺は。

 

「……」

「そこのチビ女!! お前は、私の依頼を失敗して逃げ出した卑怯者の娘ではあーりませんヌ!?」

「……うるさい」

 

 ソミーとかいう駄貴族は俺に目もくれず、小動物(レヴ)に脅しだした。

 

 ちょっと待て、お前子供相手になにやってんだ。レヴちゃんビビってんだろうが。

 

 もう、ぶっ殺しても良いですかねコイツ。

 

 俺は咄嗟に彼女を背に庇い、唾を撒き散らして怒鳴っているソミーに穏やかに話しかけた。

 

「私の仲間が、どうか致しましたか? 彼女は人見知りなので、いきなり話しかけないでいただけると────」

「お前は引っ込んでいろ!! このチビには、大損をさせられたのだダダ!!」

「大損?」

「コイツの親が凄腕の冒険者だというから、高い金を払って護衛に雇ったのに……。輸送していた私の金は、まるごと敵に奪われてしまったンだ!」

 

 ……む。それって。

 

「あの冒険者、全員野垂れ死んだと聞いていたが……。お前が生き残っているという事は、親の冒険者も生きていますネ!? 何処にいる、案内しろ!!」

「……死んだ。生き残ったのは、私だけ」

「はい、嘘ぉぉぉぉぉぉオ!! そんなアホしか騙せないような嘘はやめて、正直に話をしなサイ! どれだけの額が奪われたか分かっているのデスカ!? 弁償、弁償弁償弁償弁償弁償ォォォオ!!」

 

 この馬鹿貴族が、レヴの親の最期の依頼者かよ。こんなんに会ってたなら、そりゃあ貴族に偏見持っても仕方ないか。

 

 これは一等ヤバい奴だからな。

 

「囲めお前たち!! このゴミを逃がすな!! ヒョヒョヒョヒョ!!」

 

 とかアホな事を考えている間に、俺達はサミー家の取り巻きに囲まれてしまった。

 

 んー、数が多いな。数十人といったところか。

 

 レヴちゃんを守りながら全滅させるのは厳しいか? 俺、筋トレは重ねてるけど実戦経験は乏しいんだよな。

 

 正直、勝てるかも分からん。チンピラ数人程度なら絶対勝てるけど、こんなにズラリ囲まれると微妙だ。

 

「ソミー様。彼女は嘘を言っていません、それはこのヴェルムンド家の誇りにかけて誓えますわ」

「ぺっ! そんな木っ端貧乏貴族が何を言おうと大した保証になりはせん!!」

「……。それ以上、当家への侮辱を続けるならばこちらにも考えがありますが」

「考えぇ? 自分の立場が分かっていませんナ、ヴェルムンド嬢! ちょうどいい、お前も損害の穴埋めにつかいまショー。貴族令嬢は、高く売れるのデス!」

 

 お。やるかコイツ、今はっきり喧嘩売ったよな俺に。

 

 この可憐でクールで美しい貴族令嬢イリーネ・フォン・ヴェルムンドを捕まえて、奴隷商人に売り飛ばす的な発言が出たよな。

 

 なら、ボッコボコに叩きのめしても文句は言われないよな!

 

 

「……レヴ。戦闘は、どの程度できます? 逃げられるなら、カール達を呼んでいただきたいですわ」

「……この人数はきつい。イリーネ守りながらとなると、多分負ける」

「私は守らなくて結構です。貴女一人だけ戦うならば、どうです?」

「逃げるくらいなら、何とか……」

 

 お、レヴちゃんってば自力で逃げる事出来そうなのね。なら、逃げて貰って────

 

 

 

 

 

「あら。今日も下品な声で鳴いていますのね、フォン・ソミー」

 

 どいつからぶっ飛ばしてやろうかと手の指をコキコキ鳴らしていたら、脇から見覚えのある女が歩いて来た。

 

 それはくすんだ茶髪で、高慢な口調。バーのマスター曰く『たまたまギャングの家に生まれた普通の貴族令嬢』。

 

 すなわち、サクラ・フォン・テンドーその人である。

 

「テンドー……。何の用デス」

「私の宿の客に、イチャモンつけて脅している無作法な方が居ましたのでね。流石に見過ごせなかったのですわ」

「これはそこの冒険者と、私の問題ダ! 横入りされる筋合いはありませンーヌ!」

「ありますわ。彼女が、私の宿に泊まっている限りは」

「……」

 

 見れば、サクラの背後にはズラズラとならず者達が追従している。

 

 オイオイオイ、ここで一戦やらかすつもりか? 助けに来てくたのは有り難いが……、凄い被害が出るぞ。

 

「テンドー家の長たるもの、客を蔑ろにするわけにはいきません。それ以上続けるのであれば、我が家は全力を以て貴方を迎え撃ちますが」

「そこの冒険者は、以前私と契約していたデス。そいつが何処に泊まろうと、お前に介入される謂れはナッシング」

「この年の冒険者相手に凄んで、脅している貴方に何の正義も感じませんわ。彼女が正規の手段で私の宿に滞在している以上、私が肩入れするのは彼女に他なりません」

 

 ギロリ、とカイゼル髭は顔を赤らめてサクラを睨み付けている。一方、そのサクラは涼しい顔で自らの顔を扇子で扇いでいる。

 

 緊迫した空気が、両者を包み込む。

 

「……。興が削がれたデス。夜道には気を付けておけ、平民ーヌ」

「貴方こそ。ウチの客に手を出しておいて、タダで済むとは思わないことですわ」

 

 バチバチ、と貴族同士で火花を散らし。やがて、ソミー家のバカタレは忌々しそうに背を向けて立ち去った。

 

 ふむ、助かったか。ソミーの貴族は引いてくれたらしい。

 

「ご無事かしら、イリーネ・フォン・ヴェルムンド」

「お力添えに感謝しますわ、サクラ・フォン・テンドー」

「この私の客であったことを幸運に思うのですね。別の宿に泊まっていたら無視していましたわ」

「……それは、どうも。今後も、貴女の息のかかった店でお世話になるとします」

 

 俺が客だったから助けてくれたのね。サービス行き届いてんな、テンドー家。

 

「……一触即発だった」

「いえ、案外そうではありませんのよ? 私が介入すれば、ソミーは手を引かざるを得ませんし」

「そうなのですか?」

「今、このレーウィンの街は三つ巴の抗争中ですもの。私とソミーが潰し合ったら、勝者になるのは傍観しているプーンコ家。そんな愚かな選択を、ソミーが取れる訳がないのです」

 

 ……成る程? 漁夫の利を狙ってるやつがいる以上、気軽に争う訳にはいかんのか。

 

「ウチの家は宿泊客を通じて、外様の旅人を抱き込めるのが強みですからね。客である以上は絶対に庇いますわ」

「まぁ」

「ソミーも、私の客に手を出したら本当に介入してくると分かっていますので。ここは、彼には撤退の一手しかないのです」

 

 まるで狂犬だな、テンドー家。三つ巴で気軽に喧嘩出来ないのを良いことに、ガンガン噛み付いてるのかよ。

 

 サクラって、思ったより好戦的な性格なのか?

 

「では、ご機嫌よう。もう絡まれちゃいけませんわよ」

「ありがとうございました、テンドーさん」

 

 だが助かったのは事実。何かお礼をしないとな。

 

「……ね、良いお方もいらっしゃるでしょう?」

「アイツ、この前は凄い威張り散らしてた。あんまり好きになれない……」

「ですが、今は助けて貰ったんですから」

「むぅ」

 

 レヴちゃんは、あまり納得がいっているようには見えなかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなもので良いでしょうか」

「……十分」

 

 アホ貴族から解放された後、俺達は予定通りに物資を買い込んだ。

 

 レヴは、凄腕冒険者だった両親から基本的な旅支度の知識を教わっていた。燻製肉の保存法はどうだとか、武器の手入れ具はこうだとか、色々と知らないことを教えて貰った。

 

 貴族という生き物は甘えている。旅支度をしろと命令すれば、後は従者が全てやってくれていた。こうやって一つ一つ準備するのは、物凄く手間がかかる事なのだ。

 

 やっぱり、平民は凄い。貴族なんぞより、ずっと偉い。

 

「……イリーネ。貴女は何故、そんなに簡単に立場を捨てられたの?」

「レヴさん、突然どうかしましたか?」

「……別に、カールに付いてこなくてもイリーネの立場なら一生平穏に暮らせたはず。死ぬ可能性もある過酷な旅に、こんな苦労までしてどうして付いてきたの?」

 

 それは、心底不思議そうな顔だった。

 

 小動物少女レヴは、俺の顔を覗き込んで心の底から疑問符を浮かべ、問うてきた。

 

「行きがけに話したではありませんか。私には貴族としての誇りが────」

「嘘。……だってそれだけで捨てられる幸せじゃないよ、貴族の立場は。私はずっと羨ましかったもの、貴族の人(あなた)たちが」

 

 レヴは、皮肉でもなんでもなくそう言った。貴族が羨ましくて仕方がなかったと。

 

 それは、きっとまっとうな感情だろう。

 

「何もしなくても、食べるものに困らない。定期的に豪華なパーティを開催して、歌や絵画や彫刻を楽しむ」

「確かに、そのような事もしていましたわ」

「私は、一度でいいからそんな豪勢な暮らしがしてみたいとお父に言った事がある。そしたら『じゃあお金をたっぷり貯めて、いつか貴族みたいな贅沢しような』と答えてくれた」

 

 彼女は何かを懐かしむ様に、ほんのりと瞳に涙を浮かべて話を続ける。

 

「お父は、凄かった。冒険者としては、名前を知らない人間なんていない。そんなお父ですら、貴族みたいな贅沢をするお金はないんだ」

「……ええ。冒険者である時点で、あまり収入は期待できませんから」

「……でもイリーネは、何も努力せずにずっとその贅沢を続けていたんでしょ? 狡い」

 

 そうか。それが、レヴの心にある俺への嫌悪の正体か。

 

 自慢である両親ですら叶わぬ贅沢をあっさり享受していた、貴族と言う立場への嫉妬。当り前だ、誰だって仲良くする気にはならない。

 

「だから聞きたいんだ。どうして、その立場をあっさり捨てられたの? イリーネには、貴族の立場の価値が分からなかったの?」

 

 おそらくレヴは、俺の行動が理解できないのだ。

 

 貴族の立場に夢を見て、何の苦労もなく幸せな生活であると信じ込んでいた彼女からしたら。俺が、あっさり貴族の立場を捨てて、カールに協力していることに疑念すら抱いているのだ。

 

 ……腹黒い、下心でも有るんじゃないかと。

 

「分かりました。私も、腹を割ってお答えしましょう」

「……うん」

 

 実は貴族と言うのも気苦労が多い。レヴが夢見ている社交パーティなんてものは、煩わしいだけだ。

 

 腹の探り合い、権力の摺り寄せ合い、言葉の裏を読んでの言質の取り合い。貴族だって、それなりの苦労は存在するのである。

 

 だが、そんなことをレヴに伝えても嫌味にしか聞こえないだろう。

 

 豪華な食事をした人間が『あの食事にも不味い部分はあるんだよね』なんて言っても、感情を逆撫でするだけだ。

 

 

「これを、見ていただけますか」

 

 

 だったら。これ以上無く分かりやすい理由を提示してやればいい。

 

 俺は、先程買ったばかりの料理用の鉄の串をケースから出した。これで、説得をしてみよう。

 

「串……?」

「はい」

 

 そして、そのまま。

 

 俺は、ゆっくりとその串を自らの掌に突き立てた。

 

 

「────っ!! な、何をしている」

「ナイスキャッチです、レヴさん」

 

 だが、俺の掌が鉄の串に貫かれる直前。目を見開いたレヴが、慌てて串を握っている俺の腕を押さえた。

 

 ピタリ、と串の切っ先が手甲の真上で停止。うむ、間一髪。

 

「分かりましたか?」

「……いや、何が? 何でいきなりこんな危ない事をしたの?」

「レヴさん。貴女は今、私の腕を止める時に何か考えましたか?」

 

 ふいー。怖かった。

 

 ちゃんと、レヴが俺の掌を見捨てないで止めてくれて助かったぜ。まぁ、寸止めするつもりではいたんだけどね。

 

「私は人が嘘を言っているかどうか分かります。私の家に来た時のカールは、一切嘘をついていませんでしたわ」

「……何が、言いたい?」

「魔族が攻めて来るなんて、危ないでしょう。このままでは、誰かが傷つくことになる。そう考えたら、居ても立ってもいられず家を飛び出しちゃってましたの」

 

 そう。まぁ貴族の誇りだの何だのとゴタゴタ理由を並べたけど、カールに付いてきた一番の理由はこれだ。

 

 俺の力で誰かが救えるなら、俺に戦わない理由など無い!

 

「私が手を伸ばすことで、傷つかずに済む人がいるかもしれない。なら、手を伸ばすのは人として当然ではありませんか、レヴさん?」

「……。それが、イリーネの答え?」

「そうですわね。まぁ他にも、旅というものに憧れていたとか世俗的な理由もありますけどね」

 

 俺のなんちゃって上級魔法でも、人間の出せる最大火力の部類だ。きっといつか、俺の超火力は必要となる時が来るだろう。

 

 それに俺は、身体強化も使える。

 

 だから前衛に立ってもいいし、負傷しても後ろに回れば超火力連発できる。そんな俺の存在は、結構有用なはず。

 

 俺が戦うことで、助かる命があるかもしれない。なら、躊躇う理由は何もない。

 

 

「……。イリーネに感じていた違和感、やっと消えた」

「おや? 今までは、何か妙な印象でもお持ちだったのですか?」

「今までは、イリーネは変人貴族だと思ってた。でも、今日ちょっと納得した……」

 

 俺の答えを聞いて満足したのか。レヴちゃんは、とうとう初めて俺に笑顔を向けてくれた。

 

 それは、カールが散々『笑顔が可愛い』と誉めていた理由の分かる、花が咲いたような明るい笑顔だった。

 

「イリーネは、アホ貴族だ……」

「だ、誰がアホですか!」

「うん、良いアホだ。……うん」

 

 ただし、その笑顔は罵倒とセットだった。何でや。

 

「……イリーネは貴族の中でも指折りのアホだった。だから、信用する事にする」

「あの。私はこう見えて、様々な学問を修得しております。一応、名家の令嬢なのです。決してアホでは有りません」

 

 修得した学問は基本一夜漬けなので、もう全部忘れているけど。

 

「お父が言ってた。深く物事を考えず、直情的に行動して損をする人はアホ……」

「む……」

「でも、信用できるのはそう言う人。だから、私はイリーネを信用する……」

 

 そう言うと。レヴは警戒を解いた子リスの様に、スリスリと頬を俺の体に擦り合わせてきた。

 

 ……おお、可愛いなコイツ。

 

「少し複雑な気持ちですが、信用していただけたならまぁ」

「……ん。これから、よろしく」

 

 なかなか懐かなかった小動物が、懐いてくれた。それは何とも、不思議な達成感だった。

 

 これでようやく、俺はパーティーの全員から仲間と認めてもらえたことになる。

 

「……♪」

 

 人懐っこくもたれ掛かってきたレヴの体温を感じながら、俺は彼女と談笑しつつ帰路へついた。

 

 彼女の信頼を裏切らぬ様に、これからも頑張ろう。その為に、今日も筋トレだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方そのころ。

 

「う~ん……。なんかヤバい事態が進行している気がしなくもないです」

「どうしたのですかイリアお嬢様」

 

 姉に付き合わされてあまり寝られなかったイリアは、寝ぼけ眼でメイドの用意した食事をモチャモチャ食べていた。

 

「なんか私の妹ポジションが脅かされている様な気が……。変ですね、姉様の妹は私だけの筈ですのに」

「そうですね、イリーネ様の妹はイリア様だけですよ」

「うん……。あ、パンおいしいです」

 

 ちなみに。この日を契機にイリーネとレヴは姉妹のように仲良くなるのだが、それは別のお話。

 



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10話「そろそろ、アイツを絞めとかないと駄目かもな」

 その日の昼。俺は、妹との今生の別れを済ませた。

 

「姉様。お達者で」

「イリア、気を付けて帰るんですよ」

「貴重な情報を、ありがとうな」

 

 この町の治安は良くない。女神様の話では、もうすぐ魔族も攻め入ってくると言う。 

 

 名残惜しいが、早く帰って貰うのがイリアの為だ。 

 

「道中気をつけなさい。サラがついているので心配はしていませんが……、仮面を被った不審者には注意してくださいまし」

「あっハイ。一応は気を付けます、ハイ」

「……なんか生返事な気がしますが、まぁ良いでしょう」 

 

 死ぬつもりはないが、命がけの戦いであることは明白だ。もう二度と妹には会えないかもしれない。

 

 悔いの残らない別れ方をしよう。俺は力いっぱい妹を抱擁し、その耳元で約束を囁いた。

 

「また、会いましょうイリア」

「……ええ、姉様」

 

 手に、妹が残してくれたペンダントを握りしめながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬車に乗った二人が、街の外に消える。

 

 これで、イリアとの別れは済ませた。いよいよ、決戦の時間だ。

 

「もう依頼は見繕ってる。出発は、3日後だ」

「了解ですわ」

 

 カールとマイカは、俺達が買い出しにいっている間に既に仕事を見つけてくれていた。

 

 既に、商人の護衛依頼を引き受けたらしい。

 

「食料を扱ってる商人だ。ここが襲われる可能性は、十分にあると思う」

「行き先と期間は?」

「レーウィンからヨウィンまで。往復5日くらいね」

 

 そうか、5日か。となると、しばらくバイトを休まねばならんな。今日、マスターに伝えておこう。

 

「……旅支度は、大丈夫。必要なものは、全部買いだしてる」

「なら、明日依頼人に顔見せに行くだけだな。その後は3日後まで今まで通り情報収集だ」

 

 いよいよ、本格的な戦闘が始まる。

 

 魔族がこの商人に食い付くかは不明だが、襲撃があれば魔族の死体を持ち帰れるかもしれない。

 

 そうなれば、魔族が存在するという何より大きな証拠だ。少なくとも、サクラは協力してくれる筈。他の貴族も、喧嘩している場合ではないと気付くだろう。

 

 俺達で勝てなさそうなヤバイ敵の場合は、戦略の練り直しだ。何はともあれ、一度戦ってみないと分からない。

 

「各々、心の準備をしておけ」

「はい」

 

 心の準備など、もうとっくに済ませている。後は夜にしっかり、筋肉の準備をしておかないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冒険者の依頼が入った。しばらく、バイト休ませてくれ」

「おい、何でこのタイミングで長期依頼なんか受けるんだよ。他家との決戦が近いって言っただろ」

「憎き弟とよく似た男を見つけてだな。その情報を得るために、依頼を受けることになった」

「……その依頼、断ってくれねぇか。金なら、上乗せして出すからよ」

 

 マスター、バイトしばらく休ませて。

 

 そんな軽いノリでシフト変更お願いしたら、めっちゃ渋い顔された。

 

「そろそろ、ガチの抗争になるんだよ。お嬢の身が危ないかもしれん」

「抗争? 今は、3家の勢力が拮抗してるから平和なんじゃないの?」

「プーンコとソミーが停戦協定を結んだらしいんだよ。この情報がマジなら、こっちに矛先向けられる」

 

 あらま、勢力拮抗が崩れたのね。

 

「お前みたいな怪しいのでも、そこそこ戦力には数えてるんだ。頼むから、残ってくれねぇか」

「そう言われても、もう依頼は受けちまったからな」

「金は上乗せするっての」

「そこはお前、信用の問題だよ。分かるかマスター? 俺みたいな冒険者は、信用第一でやってんだ。信用されなくなると依頼受けるのを拒否されるようになってだな────」

「お前の見た目で信用第一は無理がある」

「せやな」

 

 痛いところを突くじゃねぇか。

 

「まぁ、何だ。帰ってきた時に何か有ったら手は貸すさ」

「……ち、仕方ねぇ」

 

 だが、俺の本当の目的は魔族の討伐。この町の勢力争いなんぞに、首を突っ込んでる余裕はないのだ。

 

 サクラには借りがある、少しくらい肩入れしても良い気もしていたが……。まぁ、タイミングが悪かった。

 

 これは、しょうがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイトの休みをもらった後。俺は、レヴに頼んで戦闘の手解きを受けていた。

 

 貴族のお嬢様たる俺は、野蛮な喧嘩などという行為とは疎遠だった。せいぜい、妹と兄妹喧嘩していたくらいだ。

 

 だから一度、プロの冒険者に稽古をつけて貰いたかったのだ。

 

「……イリーネ。確かに貴女の力は凄いけど、まだ動きが甘い」

「私は身体強化の魔法が使えるだけ。戦闘に関しては素人ですわ」

「……分かった。じゃ、教えていく」

 

 レヴちゃんは、このパーティーの近接職だ。せっかく仲良くなったことだし、空いている時間に『戦い方を教えて』とお願いしたら快諾してくれた。

 

 彼女は、小さなダガーナイフを振り回す戦闘スタイルらしい。だが、俺は止めておけと言われた。

 

 スピードと手数が重要になるので、魔法を詠唱する隙がある俺には向かないそうだ。

 

「イリーネは武器持ってないけど、杖とか使えないの?」

「魔法的な意味では、杖を使え無くもないです。武器的な意味では全く使えませんけど」

 

 魔法使いたるもの、杖を装備する人は多い。杖使って魔法打つと、結構威力が上がるからだ。

 

 だが、俺は今のところ杖を装備するつもりはない。俺の魔法の腕だと、火力をブーストしたら制御しにくくなるからだ。

 

 以前、家庭教師に杖を借りて上級魔法を庭にぶっぱなして見たがエラい事になった。俺は素の魔法火力が凄いので、そこにブースト掛けちゃうと大惨事になるのだ。

 

 ただでさえ一撃必殺の威力がある上級魔法、わざわざ暴発させるリスクを背負いたくない。威力を上げずとも、元々十分に威力がある。なら、杖なんかいらない。

 

 あと、単に魔法の杖が高価なのもある。貴族ですら、気軽に買える値段じゃない。

 

「……杖は使わないの? じゃあ、徒手空拳を教える」

「お願いしますわ」

「戦いの基本は、相手の動きを読むこと。どんなに強い一撃でも当たらなければ無意味だし、どんなに弱い相手でも急所に一撃を貰ったらおしまい……。相手の動きの流れを理解しないといけない」

 

 レヴはそう言うと、緩やかに拳を構えた。俺の真正面で、ファイティングポーズを取っている。

 

「……今、私は何を狙っていると思う?」

「えっと。おそらく、正拳突きでしょうか」

「……私の姿勢をよく見て。重心が、前に寄ってるでしょ?」

 

 そこまで言うと小動物的少女は、突きの構えから突然に体を翻した。

 

 レヴは一歩突き出した足を軸に180度回転し、俺の下半身に強烈な足払いを繰り出す。その一撃は当たることなく寸止めされ、俺の脛の骨の前で停止した。

 

 ……今のが実戦なら、反応できずにスッ転ばされてたな。

 

「お、驚きましたわ」

「……正解は、回し蹴り。前足を軸にしないといけなかったから、私の重心が前に寄ってたんだよ」 

「成程。貴女の重心のおかしさに気付いていれば、今のも予測できたという事でしょうか」

 

 あれこの娘、強くない? 今の蹴り、全く反応できなかったんだけど。

 

 前にチンピラとやり合った時、こんな凄まじい技使ってくる奴いなかったぞ。

 

「……最初はこんなクイズ形式で、経験を積んでいって貰う。お父も、こうやって私に近接戦を仕込んでくれた」

「ええ、よろしくお願いしますわ」

「次からは、私が答えを言う前に自分で反応してみて。良い動きだったらそういうし、駄目だったら教える」

 

 だが、味方が頼りになるのは良い事だ。俺は実戦に関してはド素人、ずっと冒険者として生きてきた彼女の知恵は頼りになる。

 

 あとで、カールとも訓練しよう。奴には、俺からいくつか魔法を仕込んでやらんといけないし。

 

「次は、この状況。イリーネは、どうする────?」

「ふ、こうですわ!」

 

 こうして俺は、自分より年下の指導者の下でミッチリ戦闘訓練をさせて貰ったのだった。

 

 レヴちゃんと仲良くなれた恩恵は、思った以上に大きかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……次、これはどうする?」

「そのまま耐えて、ぶん殴りますわ!」

「……違う! 少しは避ける努力をしてイリーネ」

 

 しかし、残念なことに俺はあまりレヴちゃんの教えを上手く実践できなかった。

 

「こんな風に背後を取られた時は?」

「両手で頭を守り、気合を入れて耐えますわ! そしてそのまま頭突きで反撃!」

「……ち、違う」

 

 残念ながら俺は、相手の攻撃をかわすスキルを身に付けられなかった。咄嗟に手が出て防御は出来るようになったものの、どの方向に避けたらいいかの判断がつかない。

 

 だがガードして耐えられれば、逆にブン殴ることが出来る。致命傷さえ受けなければ、ガードした方が状況が良い。なんか性に合っている気がするし。

 

「それは、魔法使いの戦い方じゃなくて重装兵(タンク)の戦い方……」

「私は肉体強化魔法で、筋力だけでなく防御力も上がっていますの。軽い一撃ならば、耐える方が反撃しやすいと思いますわ」

「……。うーん、そっか。防御力も上げられるなら、実質重装兵(タンク)みたいに動いても問題はないか……。お父も、出来るだけ本人の資質に合った動きをした方がいいと言ってたし」

 

 どうやら俺は、レヴの想定とは違う戦闘技法を身に着けてしまったらしい。彼女的には『ゆらゆら敵の攻撃を避けながら、魔法でカウンターする』スタイルを教えたかったそうだが。

 

 だが、この『軽い攻撃を耐えて反撃する』ってスタイルは、凄くシックリ来た。

 

 これは、筋肉に自信がある俺にぴったりのバトルスタイルではなかろうか。

 

「……その腕や足で弾く戦闘スタイルだと、手足の防護は必須になる。明日、買いに行こうか」

「はい、ありがとうございますわ」

「明日は、買った手甲を使って刃物を弾く方法を教える……」

 

 うん、戦い方が確立したのは良い事だ。何も考えず突っ込んで殴るより、よっぽど勝率が良い。

 

「……ところで、魔法は詠唱が必須だけど。イリーネは肉体強化(ブースト)、いつ唱えたの?」

「ああ、レヴさんに訓練を申し込む前からかけてましたわよ? 魔力の鍛錬ですわ」

「……ああ、そうなの」

 

 む、危ね。流石は一流冒険者の娘、魔法の知識もあるのか。

 

 俺が、肉体強化魔法を使っていないことがバレちゃうところだった。あれ使っちゃうと筋肉への負荷が減るから、普段から使いたくないんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……さて。程よくレヴちゃんと汗を流した後、俺は夜の街に繰り出した。

 

「お、猿仮面か。こんなところでどうした」

「む」

 

 別にやましい目的がある訳ではなく、夜のバイトが無くなったので飲み屋に情報収集しに行くことにしたのだ。

 

 貴族令嬢としては許されなかった、いけない夜遊び。だが今の俺には、情報収集という大義名分がある。

 

 ここ数日で身に着けた酔っ払いを相手にするスキルで、魔族やそれに類する話を聞ければ御の字だ。

 

「お前もここで飲むのか。風俗以外で見かけないから、通い詰めてんのかと思ったが」

「そこまで女好きじゃねぇよ」

 

 バイトではなく、普通に飲むのは楽しい。あれこれ気を使わないで済むし、安い酒でも騒ぐ馬鹿と一緒に飲むと旨く感じる。

 

「ついてるな、猿。もうすぐ、この店にサクラお嬢がいらっしゃるぞ。俺は席取りだ」

「あー、お嬢様が来るのか。視察?」

「いや、単に飲みたくなったらしい。機嫌が良ければ、お前も奢ってもらえるかもな」

 

 お、あの娘が来るのか。猿モードではあんまり話していなかったから、良い機会だ。

 

 ちょっと、話しかけてみるか。

 

「あのお嬢様、お酒飲むんだな」

「酔うと可愛くなられるぞ。お持ち帰りしそうなアホが居れば、身内だろうと血祭りにあげるが」

「ひえー、おっかねぇ」

 

 ふむ、ナンパを疑われるような行動は避けるか。口説くような言葉も使わない方がいいな。

 

 一応、今の俺は男で通しているし。

 

「お、来た来た。お嬢だ」

 

 一応貴族対平民の図式なので身なりを整えていると、まもなくサクラお嬢様が店に入って来た。

 

 ふむ、いつも通り茶髪をフワフワさせているな。

 

「ん、なんか男と一緒に居ないか?」

「何だと!? お嬢に粉掛けるゴミクズは何処のどいつだ」

 

 だが、気になるのはその隣にちょいとナンパな男が居る事だ。ペラペラとお嬢様に話しかけて、その手を握りしめている。

 

 な、何やってんだアイツ。

 

「……あの野郎。俺がちょっと目を離した隙に何やってやがる」

「な、なあ。アイツってさ」

「おう、話したことがあるアイツだな」

 

 その、貴族相手にナンパをかましている頭の悪い男の正体は。

 

 

 

「パーティの女を誑し込んでると噂の、ハーレム野郎カールじゃねぇか。お嬢にまで手を出すつもりならぶっ殺してやる」

「うーわ」

 

 それは顔を真っ赤に泥酔している、褒め上戸モードのカールだった。

 

「おい、お嬢様が視線でSOS出してるぞ。助けに行けよ」

「勿論だ、あの野郎。肥溜めに沈めてやる」

 

 ……。アイツも情報収集してたんだろうか?

 

 何で一人で飲んでるんだよ。保護者のマイカは何処行った。



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11話「猿仮面、大地に立つ」

 事の始まりは、数時間前に遡る。

 

「お父様は、未だ行方知れずなのね?」

「はい。恐らくは、他の街へ遠征しているものと思われます」

 

 風俗店関連の元締め、レーウィンの『旅人の守護者』テンドー家のサクラは戦力集めに奔走していた。

 

「困ったわね~。お父様の親衛隊が居なければ、戦力半減よ」

「まさか、奴らが停戦するとは思いませんでした。何があったのでしょうか」

「水と油みたいにいがみ合ってたのにねぇ」

 

 その理由はテンドー家と敵対している2勢力が和解し、停戦してしまったからだ。となれば、次に狙われるのは自分達であることは想像に難くない。

 

 ただでさえ今は、当主たる父親が短気を起こして出征してしまっており、戦力不足の状態なのだ。

 

「手あたり次第、冒険者に声をかけるわよ。一人でも多くの協力を得るの、それしかないわ」

「ヘイ、お嬢」

 

 テンドー家は、旅人を大事にする。それは、彼らの上客が『風俗目当てでやってきた冒険者』であるからに他ならない。

 

 そう父に教えられていたサクラは、普段から出来るだけの事をして旅人を優遇していた。その成果は、こういった事態に備えての事だ。

 

「確か、ヴェルムンドという貴族の旅人がいたはず。その娘、冒険者やってるくらいだから攻撃魔法が使える可能性が高いわ」

「ほお、それは頼もしい」

「何としても、その娘を抱き込むわよ。金欠らしいし、資金援助と引き換えにすれば交渉くらいは出来る筈」

 

 サクラは、平民の詐欺師に騙されているだろう貴族令嬢を思い出していた。名前は確か、イリーネと言ったか。

 

 冒険者に良い様に騙されているあたり頭は悪そうだが、フォン・ヴェルムンド家と言えばそこそこ有力貴族だ。サクラの記憶では数代前に戦功を挙げて貴族の爵位を得た家の筈。

 

 つまり、ヴェルムンドは武家の一族。ならばイリーネも戦闘用の魔法を使える可能性が高い。

 

 ついでに、彼女を騙してるっぽい冒険者も抱き込めれば万々歳だ。

 

「今から彼女が宿泊している宿へ向かいましょう。幸いにも私は今朝、彼女に恩を売れてるし。交渉の余地は十分にある筈だわ」

「おうとも」

 

 そんなこんなで、イリーネ・フォン・ヴェルムンドに抗争の助力を乞おうと彼女の滞在する宿に向かったはいいのだが……。

 

 

 

「イリーネなら居ませんよ。あの娘も、情報収集に出て貰っていますし」

「あら、そうですか」

「それに申し訳ないですけど、私達は長期の依頼を受けることになってます。レヴ達の件は感謝していますけど、貴女の力にはなれません」

 

 

 

 残念ながら、肝心のイリーネは不在だった。おまけに、彼女を擁している詐欺グループの女には取り付く島もなく助力を断られてしまった。

 

 詐欺師だと思って、冷たくしてしまったのが仇になったらしい。

 

「こうなれば、彼女本人に直訴しなくては。貴族が一人いるかどうかで、戦力は段違いだし」

 

 しかし、こんな事で諦められるほどサクラに余裕はない。何としても、戦力をかき集めて決戦に備える必要がある。

 

「……宴会を。イリーネ嬢が情報収集をしているというなら、酒屋に居る可能性が高いですわ。適当な酒場を貸し切って、私のおごりだからと冒険者を集めなさい」

「へ、へい!」

「冒険者がぞろぞろ集まれば、イリーネも聞きつけて来るはず。しらみつぶしに探すより、おびき寄せた方が速いです。ついでに、その宴会でフリーの冒険者にも粉を掛けましょう」

 

 イリーネの行先が分からない以上、総当たりで探していくのは時間の無駄。それよりも、サクラの権力で酒をふるまいながら冒険者を集めた方が無駄がない。

 

 サクラは部下に命じて酒に余裕がある店舗を調べさせ、大宴会を企画した。

 

「酒場ラハイナが、今在庫に余裕があるそうで」

「では、そこの席を押さえなさい」

 

 もう、あまり時間に余裕はない。ここは散財してでも冒険者に助力を得なければならない。

 

 そう判断しての事だったが……。

 

「……派手にやってるな、テンドー家の」

「む」

 

 そんな派手な騒ぎを起こせば、他家の人間が察知しないはずもなく。

 

「なぁ、テンドー家の。お前さん、ずいぶんと護衛が少なくねぇかい?」

 

 そこかしこに部下を飛ばしている間に、気付けばぞろぞろと見覚えのないチンピラ共がサクラの周囲を囲んでしまっていた。

 

「そう見えますか? ご安心あれ、ウチの連中は頼りになりますの」

「そうかい、じゃあ試してやろうか? 偉大なるテンドー家の護衛がどれほどのモンか、教えて貰おうじゃあねぇか」

 

 ソミー・プーンコで停戦が結ばれたせいか、そのチンピラ達は普段以上に好戦的だった。

 

 今ここで抗争になっても、負けるのはサクラだ。

 

 いくらこの飲み屋通りがサクラの勢力下とはいえ、父親の親衛隊が抜けて戦力が減衰した今の状況は不味い。

 

「申し訳ないですけど、そんなに時間に余裕がなくってね。また遊んであげるから、出直してきなさい」

 

 まだ冒険者に助力を乞えていない。今、此処に敵の兵隊が集結してしまえば負けてしまうだろう。

 

「どうした、怖いのかテンドー家のお嬢様?」

「唇が震えてるぜ、オイ」

 

 しかし、この繁華街から逃げてしまえば勝機がない。今日中に足りない分の戦力を、旅人から集めなければならない。

 

 本当の当主たる父親が帰ってくるまで、サクラはこの家を守り抜かねばならない。

 

「今、あなた方と戦う意味はないと思いますが」

「こっちには有るんだよな、これが。プーンコに先越される前に、早いとこお前の家を潰して取り込まねぇと」

「今ここで、俺達に臣従を誓え。そしたら、家は残してやるから」

 

 シャ、と無機質な音がする。

 

 見れば、サクラの前に立っていた人相の悪い男が抜刀し、彼女に向けて剣を突き出していた。

 

「停戦と同時に抗争できるよう、こっちは前々から準備を重ねてたのさ。今すぐ、ここに全員集結できるぜ」

「余裕コキすぎて、俺達とプーンコの講和を察知できなかった時点でお前の負けだ」

 

 この脅しに、サクラはどうするべきか迷った。

 

 戦力的には全然足りないが、今すぐここに自家の戦力を集めて迎え撃つべきなのだろうか。

 

「……」

 

 だが、それをしたが最期。テンドー家の財産は、骨の髄までしゃぶられて再起不能にされるだけ。

 

 かといって1家ならまだしも、2家相手に連戦して勝てるだけの余力はサクラには無い。

 

 十中八九、テンドー家で世話をしていた人間はその戦争で死ぬか他家に降伏してしまうだろう。

 

「本当に、講和がなったのかを確認しなくても良いのですか? プーンコはその利益が大きいなら、約束を破って襲撃する家ですわよ」

「……あ?」

「今日は引いた方が、お互いの為ですわ。こうしている間にも、手薄になった本邸をプーンコが囲んでいるかもしれませんわよ」

 

 今のサクラには時間を稼ぐ事しか出来ない。時間さえ稼げれば、イリーネさえ味方につけることが出来れば、あるいは。

 

「だーっはっはっは! 講和は成ってるんだよ、それも確実にな」

「裏切りのプーンコ家相手に、口約束なんか信用するかっての。手は打ってるよ、とっくによ」

「おいお前ら、無駄に問答して連中が集まってきても厄介だ。とっとと拉致るぞ」

 

 だが、当然彼らにはそんな時間稼ぎなど通用する訳もなく。

 

 しびれを切らした男の一人が、無遠慮にサクラに掴みかかろうとして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む、困りごとか」

 

 その体は、夜空へと大きく吹っ飛ばされた。

 

「サクラって言ったか? 今朝は俺の仲間が世話になったそうだな」

「あ、貴方は」

「カール。しがない冒険者であり、魔王を倒す者でもある」

 

 いきなり割って入って来たその男に、サクラは見覚えがあった。

 

 イリーネ・フォン・ヴェルムンドの所属するパーティのリーダーで、魔王復活を掲げ資金をせびる詐欺師。

 

 その無愛想な平民冒険者は、ただの回し蹴りでチンピラを数メートル吹き飛ばしたのだ。

 

「安心して俺にかかってこい、殺さずにぶっ飛ばしてやるから」

 

 その男は、そのままノソリとサクラの前に立ちはだかってチンピラを威圧した。

 

「それくらい、実力に差がある。借り物の力だから、威張れねぇけどな」

 

 そこまで言い切ると、カールは突然に思い切り大地を踏みしめた。

 

 直後、雷が落ちたような轟音が鳴り響き、地面に大きな亀裂が走って大地が揺れる。

 

「さて。俺に蹴っ飛ばされたい奴は前に出てこい」

 

 カールはまだ剣を抜いていない。

 

 彼は、ただ無表情に手を組んだまま、足技だけでその実力の一端を示したのだった。

 

 

「や、やってられるか!!」

「あんな化け物の存在、聞いてないぞ!!」

 

 その意味不明な実力の乱入者に瞠目したチンピラは、我先にと逃げ出してしまった。

 

 無理もない。カールは、女神の加護ですさまじい身体能力に底上げされている。

 

 常人からしたら、妖怪変化にも見えただろう。

 

「ふむ、平和的解決。どうだ、借りは返せたか?」

「あ、その、どうも……」

 

 目の前の非常識な存在に、サクラは目が点になる。

 

 ちょっと地面蹴っただけ亀裂が走るとか意味がわからない。だが、サクラは九死に一生を得た思いだ。

 

「じゃ、俺はこれで」

「……あ。ちょ、ちょっと待ってくれるかしら?」

 

 これは、引き留めるしかない。この男を何としても、自分の陣営に引き入れねばならない。

 

「何だ?」

「先程は、助かりましたわ。本当に、危ないところだったんですの」

「そうだったのか」

「良ければ、その。お礼に1杯奢りたいのですがお時間はありますか?」

 

 サクラは咄嗟に、色仕掛けだろうと何だろうとを駆使してこの男を口説き落とす算段を立て始めた。

 

 このまま彼を酒場へ誘って時間を稼ぎ、自分の経営する店の人気嬢を集めて接待し、この男を味方につける。

 

 これは、神様が与えてくれたサクラ・フォン・テンドーへのチャンスに違いない。

 

「……む。確かに、俺は酒場に向かうつもりだったが」

「どこか、行き先は決めていますの?」

「いや、魔族の情報収集がしたかっただけなんだ。店は決めてない」

「なら、私達と一緒にどうかしら。知人に声を掛けて人をたくさん集めますわよ」

「ほう、それは助かる」

 

 サクラの提案に、カールは乗り気になった。彼の資金は、あまり潤沢とは言えない。

 

 酒場での飲食費は情報料と割り切ってはいたが、出費は少ない方がいい。目の前の金持ちが奢ってくれるならそれに越したことはない。

 

「では、ご相伴に預るよ」

「ええ、ええ」

 

 と、ここまではお互いにとって良かったのだが。

 

 

 

 

 

「助かったぜ、兄ちゃん。喉乾いたろ、これやるよ」

「む、ありがとう」

 

 カールが異様に酒に弱いことを知らなかったサクラの一派は、機嫌取りのつもりでその場で上質な酒を振舞ってしまい。

 

「むぅ? なんか、頭がくりゃくりゃしてきたゾ」

「ちょっ!? 酔うの早くありません!?」

「まさか、今のは酒かぁ? 実は俺は、酒を1杯飲まされただけで死ぬゾ~」

 

 下戸のカールは渡されたモノを水と思って一気飲みしてしまい、速攻で出来上がってしまった。

 

 上質なせいで、酒精が濃かったのが運のつき。この瞬間カールは、ただの仲間誉めマシーンへと変貌した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、お嬢はこいつに危ないところを助けてもらった訳で?」

「この人を全力で歓待してあげて頂戴。なんとしても味方になって貰うわよ」

 

 ……落ち着いて話を聞くと。

 

 酔っぱらったカールがサクラの手を握って何を話していたかと言えば、仲間の自慢だった。

 

「レヴは可愛くてな────」

「は、はぁ。そうなのねぇ」

「マイカは頭が良くて────」

「そ、それは、素晴らしいわね」

「イリーネは格好良くて────」

「よ、良かったわね」

 

 流石は仲間大好き人間カール。店に入って来た時はサクラを口説いてるのかと焦ったが、その実、彼はひたすらサクラ相手に惚気ていただけだった。

 

 自分の仲間はどれだけ素晴らしいかを、それはもう物凄いご機嫌で濁流の如く語り続ける。サクラはカールの機嫌を取るために、曖昧な笑みを浮かべながら相槌を打ち続ける。

 

 仲間の話をうんうんと聞いてくれるサクラに、カールは大層ご満悦だった。酔っぱらって歯止めが利かなくなり、同じ話を何度も繰り返しながら仲間自慢を繰り返している。

 

 有体に行って凄く面倒くさい奴だ。

 

「お嬢の危ない所を助けて貰ったって話なら、全力で接待しねぇと。今のあのバカに意識があるか分かんねぇけど」

「絶対無いだろ。明日には記憶飛んでるだろうな、アレ」

 

 むぅ、せっかくサクラに話しかけようと思ったのに。彼女は、カールの相手で精一杯の様子だ。

 

 サクラからは、魔族に襲われた可能性が高い『殺された運び屋』の状況を聞き出したいのに。

 

「お嬢、レベッカとパルメの都合がついた。すぐ応援に来てくれるそうですぜ」

「あ、有難いわ」

 

 彼女の御引きの一人が、コッソリ耳打ちをする。その名は、確か俺のバイト先で人気No.1~2クラスの風俗嬢だ。

 

 カールを色仕掛けで落とすつもりか、サクラ。ソイツ、俺と一緒で長期依頼受けちゃったから戦争に参加するのは無理だと思うが。

 

「おう、カール。随分出来上がってるみたいじゃねぇか」

「おお、猿ぅ!! お前も来てたのか、まぁ座れ。今から、マイカのとっておきの話をしてやろう」

「いらない」

 

 仲間になった直後とはいえ、カールの痴態は身内の不始末。一応、サクラに助け舟を出しておこう。

 

 あと泥酔状態のカールに、余計な口約束させないようにしないとな。

 

「お嬢様も久しぶり」

「貴方も来ていたのね。えっと猿仮面……じゃなくて、何か名前はあったわよね」

 

 お嬢は俺が話に入って来たのを見て、安堵のため息をついた。ノロケ男の相手にするのに、そろそろ辟易していたらしい。

 

「俺は小人族のドビーだ。人の名前を忘れないでくれよ、まったく」

「あら? 確か、前はホビーって名乗ってなかった?」

「そうだった、俺はホビーだった」

「相変わらず怪しさで塗り固められたような人ね、貴方」

 

 それほどでもない。

 

「最近はどうなんだ、カール。お前が探している魔族とやらの情報は見つかったのか?」

「いまみんなで手分けして情報集めしている。イリーネの妹ちゃんが、良い情報を持ってきてくれてだな……」

「そうかそうか」

「そのイリーネも、今どっかで情報収集してくれているんだ。もしかしたら、この店に顔を出すかもしれん」

 

 お前の目の前にいるけどな。

 

「あら、イリーネさんも今この通りにいらっしゃるの?」

「分からん」

「そう、残念です……。是非とも彼女とも話がしたかったんですけど。明日、貴方の宿泊している宿にお邪魔しても良いかしら?」

「良いぞ。俺の仲間に会いたくなってきたか?」

「そうなのよ。是非、お会いしたいわ」

「そうか、そうか!! あっはっは!!」

 

 ……。相変わらず、仲間の話をしているカールはテンション高いなぁ。

 

 てか、明日サクラは俺に会いに来るのか。戦力目当てって所か?

 

「イリーネはなぁ、イリーネはなぁ……。最近、もうエロくてエロくて仕方ないんだ」

「は、はぁ……」

「事故でうっかり裸見ちゃって以来、もうやましい感情が溢れてきてどうしようもない。本当にいい女でな、俺がこんなこと考えてると知ったら幻滅されそうなんだけど」

 

 …………。いきなり何言い出してんのこのアホ。

 

「服の上からでもスタイル良いの分かるし、優しいし、頭よさそうだし」

「そ、そうなの」

「そんな娘の身体見ちゃったらもう、そんなの……。悶々とした情欲が留まる気配を見せない!」

 

 カールは、内心で俺をかなり性的に見ているらしい。

 

 どんだけ盛ってんだカール。普段、そんな事考えてたの?

 

 ……。そういや、前世でカールくらいの歳の時はこんなもんだったっけか。しっかり筋トレをしていない人間は、女の色香に惑いやすいと聞いたことがあるし。

 

「そんなに悶々としてるなら、良い女の子を紹介しましょうか」

「な、何ぃ!?」

「もうすぐ、人気の風俗嬢がこのお店に遊びに来るみたいだけど。彼女達に、一晩相手して貰うのはどう?」

「ま、待て。俺にそんな金は────」

「私が奢ってあげるわよ。というか、そもそも私が雇ってる娘達だし」

 

 ふむ。サクラの奴、カールがエロ猿であることを知って色仕掛けに来やがった。

 

 まぁ俺に悶々とされるのは気持ち悪いので、解消してくれるなら助かる。

 

 ……ちょいとカールが羨ましいが。

 

「貴方が大切な仲間に欲情して変なことしでかす前に、性欲を解消しておくのも悪くないんじゃない?」

「い、一理ある」

「流石はサクラお嬢様、太っ腹」

 

 ただ、レヴやマイカには絶対内緒だな。あの二人は、カールが商売女抱いたと聞いたら激怒するだろうし。

 

「でも、俺は女抱いたことなんか無くて」

「おいおい、そうだったのかよお前」

「初めてが商売の人って、それはどうなんだ?」

「バカ、今こっちに来てる女の子は店のNo.1クラスの娘だぞ。むしろ、そんな娘で卒業とか光栄だろ」

 

 ……まぁ、この男ならそのうち放っといても卒業出来そうだけど。マイカでもレヴでも、お好きな方をどうぞ。

 

「そ、そうか。そう言うものか……」

「そうだよ、ヤっちゃえよ」

 

 お、カールが乗り気になった。これで、少しはこの男の悶々もマシになるだろう。

 

「そう、言う……」

「……ん?」

 

 だが、しかし。

 

「……」

「おーい、カール?」

 

 そろそろ、タイムアップだったらしい。

 

 話をしているうちに徐々にカールの表情が無くなってきて、コックリコックリと船を漕ぎ始めた。

 

 あ~あ。

 

「……」

「おい、お嬢様。こいつ……」

「潰れちゃったわね」

 

 せっかく、一流美女で脱童貞するチャンスだったのに。勿体ねぇ野郎だ。

 

「どうします?」

「そうね。彼の宿まで、送り届けてあげましょうか」

「ですね」

 

 こうなっちゃえば、もう出来ることはない。夢の中でいい女でも抱いてろ。

 

「今日はお開きかしらね」

「そうか。お嬢様、あんたに聞きたいことがあったんだが」

「悪いけど、今日はちょっと余裕がないかしらねぇ。結構立て込んでるのよ」

「そっか、そうだよな。じゃあ、またなお嬢様」

「……貴方も、余裕があれば力を貸して頂戴よ? お金に糸目は付けないわ」

「雇ってくれた恩は感じてる。余力があれば、力は貸すさ」

 

 サクラとゆっくり話したかったが、流石に襲撃された直後なのであまり余裕はないらしい。

 

 今日は、引いておくか。

 

「じゃあ、またな────」

「大変です、お嬢!」

 

 

 俺も帰ろうと手荷物を纏め、席を立ったその瞬間。

 

 慌てた様子のチンピラが、息も絶え絶え店に駆け込んできた。

 

「奴等が、人数集めてもう一度攻めてきました! 外で、もう乱闘が始まってます!」

「何ですって!?」

 

 

 ……うーわ。カールが潰れた直後とは間が悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺様の部下に、舐めた事しくさった冒険者は誰だ!」

 

 通りに響く、低い罵声。

 

「フーガー兄貴に逆らってただで済むと思うなよ!!」

「顔を握りつぶされたくなけりゃ、とっとと土下座しに出てきやがれ!」

 

 先程、カールの意味不明な恐喝に恐れをなして逃げ出したチンピラ達は、仲間の大男を連れて再び戻って来ていた。

 

「あのデカいヤツ、まさか賞金首のフーガーか!?」

「100人殺しの、残虐無比のフーガーだ!」

「逃げろ、マジで殺されちまう!」

 

 この男は、カイゼル髭の貴族に雇われた用心棒である。サクラが凄腕の冒険者に守られたと聞いて、部下から助力を乞われやってきたチンピラの兄貴分だ。

 

 元は盗賊団の首領で、レーウィンにも略奪に来たことがある極悪人。強力無双を自負しており、今まで殺し合いに負けたことがない豪傑である。 

 

「おら、出てこい! ぶっ殺してやる」

 

 彼の恐怖を、街の人間は覚えていた。盗賊時代、嗤いながら素手で住民の頭蓋を握り潰した、その悪漢の姿を。

 

 彼の姿を見て、命が惜しい者は我先にと逃げ出した。誰だって命は惜しいだろう。

 

 だが、逃げることが出来ないものも居た。

 

 

「くっ、お嬢が今あの店で飲んでる」

「急いで知らせにいけ、お嬢だけは逃がさねぇと!」

 

 

 それは、サクラに心服している部下達だ。

 

 粗暴者のフーガーが出張ってきたとあらば、勝てる見込みは薄い。少しでも時間を稼いで、安全な場所に避難して貰わねばならない。

 

「……儂が時間稼ぎに行く。お前らは、その間にお嬢の避難を」

「ぐっ、無茶すんなよ爺さん。あんたが殺されたら、お嬢は泣くぞ」

 

 部下達は決死の覚悟を決めて、賞金首のフーガーに向かっていき────

 

 

 

「待ちな、そこの不細工」

 

 

 

 彼より早く、フーガーに喧嘩を売りにいった存在に気が付いた。

 

「……あん?」

「お前が、フーガーとか言うヤツか?」

 

 それは、異様な男だった。

 

「な、何だアイツは」

「怪しいなんてもんじゃねぇぞ」

 

 顔には、子供が好むような猿の仮面を被っていた。

 

 髪は纏めてポニーテール、安そうな皮の鎧を纏って、汚れた半ズボンを履いた不審者。

 

「何だぁ、テメェ? ……いや、本当に、何だ?」

「……狂気を感じる」

 

 それは知る人ぞ知る、ここ最近とある風俗店にのみ出没する都市伝説のような存在。

 

 この世の面妖と言う概念をかき集めたような、珍妙な人間。

 

「ふ、フーガーに喧嘩を売ったぞアイツ」

「まさか、味方なのか……?」

 

 それは、すなわち────

 

 

 

「俺はドビー。小人族の戦士さ」

 

 

 

 一応は自分で恩を返しておこうと、サクラが逃げる為の殿を買って出たイリーネだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着け、まだ諦めるな。ソミーに喧嘩を売ったからって、まだ味方とは限らない……!」

「嫌じゃ……。儂はあんな怪しい奴と一緒に闘いとうない」

「頼む……っ! 敵であってくれ……!」

 

 彼女の出現で、周囲が軽く阿鼻叫喚に陥ったのはご愛敬である。



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12話「ちから is パワー」

 これで、一応義理は果たしたことになるかな。

 

 俺は、自分の背丈の1.5倍はある大男を前に対峙して、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 

『俺がボコって来てやるよ、その敵とやら』

『大丈夫なのか、猿仮面。ソミー家にはかなりヤバい奴が居るぞ。百人殺しのフーガーなんか、間違っても正面から戦っちゃいけねぇ』

『ヤバそうなら逃げるさ。倒せそうなら、倒してやるが』

 

 そんな軽口をたたきながらも、俺はそのフーガーとやらから逃げるつもりは全くなかった。

 

 元来、平民が貴族(まほうつかい)に勝てる筈がないからだ。魔法という技術は、それほどに強力だ。

 

 それに、流石に俺も今回は肉体強化魔法を使用する。

 

 となれば、ソミー家の用心棒がどれほどの腕かは知らないが、残念ながら身体能力で俺に勝てる筈もないだろう。

 

 

 ────まぁ、だからと言って油断する気にもなれないが。

 

 

 俺はぶっちゃけ、今日レヴちゃんと訓練するまで平民を舐めていた。身体能力でごり押しすれば、魔法を使えない奴に負けっこないと考えていた。

 

 だが、現実としてレヴちゃんは強かった。今の俺が本気で彼女を倒そうとしても、負けてしまうだろうと確信できた。

 

 どんなに重い一撃も、当たらなければ意味がない。どれだけ強力な攻撃手段を持っていても、上手くいなされたら大きな隙を晒すだけ。

 

 戦闘の経験が浅い俺は、いくら筋力に恵まれようと『強力な駒をたくさん持ってボードゲームを始めた初心者』に過ぎない。生まれてからずっと戦闘行為で飯を食っていたプロ棋士が相手だと、俺は負けてしまうだろう。

 

 だから、俺は自分より弱いだろう目の前の男を侮らない。これから奴が、どんな悪辣な罠を仕掛けて来るか分からない。

 

 レヴちゃんの教えを思い出せ。敵が何をしてくるか、予測するんだ。

 

 

 

 

「おい、猿の仮面を被った奴」

「……何だ」

「これを食うか?」

 

 

 

 

 すっ、と。目前の大男フーガーは、俺に向かって無言で何かを差し出した。

 

 それは、なんとバナナだった。

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 こいつ。一体何が狙いだ?

 

 バナナは完全食だ。エネルギー効率が極めて高いらしく、レース直前に愛用するマラソンランナーも居るらしい。

 

 そんな良いものを、今から喧嘩をする相手に普通渡すか?

 

 まぁ、貰えるなら貰っておこう────

 

 いや待て。

 

 こんな場所でバナナを食べたら、仮面の隙間から素顔がバレないか? バナナは大きな口を開けねば食べられない、となると仮面がズレてしまう可能性もある。

 

 いかん、危ない。これは、敵である俺の素顔を暴こうというフーガーの悪辣な罠だったのだ。なんて、卑怯な……。

 

 

「俺がそんな見え透いた罠に乗ると思うか」

「む、俺の毒入りバナナを見破るとは。バカみたいな見た目をして、中々やるじゃねぇか」

「貴様の考えなどお見通しだ。あまり舐めるな」

 

 あ、毒入りだったのか。危ない、食わなくてよかった。

 

「残念だが、俺に嘘や策謀は通じない」

「バカみたいな見た目をしている癖に、バカではないと言うことか」

 

 これでも俺は、高等な教育と筋力トレーニングを受けた名家の令嬢だ。バカな筈がないだろう。

 

「おいまさか、あいつらアレで頭脳戦をしているつもりか……」

「何て恐ろしい。あんな低レベルな心理戦見たことねぇぜ……」

 

 周囲から俺を褒め称える声がした気がする。それほどでもない。

 

「フーガー兄貴。もうやっちまいましょうぜ」

「こんな怪しいのに時間取って本命を逃がしちゃ、この猿の思う壺です」

「そうだな」

 

 俺を騙すのは不可能と判断したのか、フーガーはポキポキと拳を鳴らしてファイティングポーズを取る。構えは、レヴちゃんと似ているが……。

 

 筋肉量が違うからか、レヴちゃんとは重心の安定感が全然違う。

 

 あの娘はフワフワと重心を揺らして動きを悟られまいとしていたが、この男は山のようにズシリと腹の真下に重心を置いている。

 

 むむむ、どう動いてくるのかまったく分からないぞ。

 

「死んどけや、猿っ!!」

「ヌッ!?」

 

 レヴちゃんの教えを守り観察に注力しすぎて、俺は反応が鈍くなっていたらしい。

 

 殆どノーモーションで、フーガーと呼ばれた男は俺の腹を蹴飛ばした。

 

「────速っ」

 

 しまった、反応が遅れた。避けるのは勿論、手でのガードも間に合いそうにない。

 

 しかも重心はしっかり、蹴りに乗っている。このまま踏み抜かれたら、俺と言えど内臓破裂は免れない。

 

「死ね」

 

 もっとも、踏み抜くことが出来れば、だが。

 

 

 ────ダン、と鈍い音。

 

 奴の蹴りは、俺の腹に受け止められて弾むように停止した。

 

 

 

「……む」

 

 

 腹は、体の中で最も装甲の厚い部分だ。

 

 装備した鎧が重点的に守っている部位であり、鍛え抜かれた腹筋がクッションとなる場所であり、そして全身で最も筋力に弾性がある部位である。

 

 俺は妹に頼んで、鉄球を腹筋に落とさせるトレーニングを数年に渡り行っていた。そのズシリと腹にくる衝撃が、俺にたっぷり腹の防御を仕込んでくれていた。

 

 俺の腹部は、今や鋼と言っても過言ではない。その程度の打撃で、俺を昏倒させようなどと百年早い。

 

 狙う位置が悪かったな、フーガーとやら。

 

「その程度か、不細工。次は、俺の番だな」

 

 

 ヤツの攻撃を腹で受け止めたまま、俺はニタリと笑った。

 

 フーガーの目が見開く。これで決まるとでも思っていたのだろうか。

 

「お返しだ」

 

 その思い上がりを矯正してやらねぇとな。

 

 俺は、その大男の技を借りるように。ヤツの腹部目掛けて、重心をしっかり足先に乗せたストンピングを放った。

 

 

 

 

 

 

「……ゲッ。何者だよ、お前!」

「避けんなよ、不細工。力比べといこうじゃねぇか」

 

 残念なことに、俺の蹴りは避けられた。

 

 攻める技術を練習していない俺の技など、奴からすれば止まって見えるのかもしれない。

 

「嘘だろ……」

 

 俺は思い切り飛び込んで蹴ったので、急停止出来ず植えてあった樹木へと激突する。

 

 やっちまった。

 

「兄貴……、樹が」

「木が、足の形にくり貫かれてやがる。どんな威力で蹴ったらこうなるんだ?」

 

 その木は、俺の足の形にくり貫かれた。前世でいうトコロテンの様だ。

 

 間違って蹴飛ばしてしまったその樹木は断末魔のような軋み音を奏で、自らの重みに耐えきれずゆっくりと倒れていった。

 

 ズシン、と重い音が周囲に響き渡る。木に悪い事をしてしまった。

 

「……なんだ、その馬鹿力は。何なんだ、お前」

「はっはっは。見ての通り、どこにでもいるお猿さんだ」

 

 俺の筋力は、フーガーとやらの想像を上回っていたらしい。自信満々に笑っていたその大男は、恐怖の表情で絶句していた。

 

「化け物かよ、お前」

「おや、知らなかったのかチンピラ。猿の筋力は、平均的な人間の12倍に達するって事をよ」

「えっ? それってゴリラの話じゃないか?」

 

 あれ、そうだったっけ。いや、確か猿だった筈。

 

「あまり、野生を舐めるなと言うことだ。お前は握力自慢らしいが、猿の握力は500kgに達する。人間であるお前に勝ち目はない」

「いやだからそれゴリラの話じゃね?」

「くっくっく。全身を筋肉の鎧で覆われた、体重150kgに至る森の賢者に喧嘩を売ったことを後悔するが良い」

「駄目だコイツ、さっきからゴリラの話しかしてねぇ!」

 

 そこまで言われると、何かだんだんゴリラの事だった気がしてきたな。

 

 猿はそんなにマッチョじゃなかったっけか。まぁ、どっちも類人猿だし似たようなものだ。

 

「まぁ、猿でもゴリラでもどっちでもいい。続きをやろうや、デカブツ」

「こいつ、まさか魔法使いか? こんなチビの癖に、俺様より筋力があるとかどう考えてもおかしいぞ」

「さあどうだろうな? 来ないなら、俺の方から仕掛けさせてもらうぞ!」

 

 混乱しつつも俺の正体に勘づきそうになったフーガー目がけて、俺は再び蹴りを放つ。

 

 一撃でも当たればその肉を抉るだろう、俺の殺人的打撃がラッシュとなってフーガーを襲った。

 

「おいお前ら離れていろ、巻き添えを食うぞ!!」

「フーガー兄貴!」

 

 ……流石に、上手い。自信満々に、俺の前に出てきただけの事はある。

 

 フーガーは、急所目がけてまっすぐ繰り出した筈の俺の打撃の、その全てを避けていなして無力化していく。

 

 その大男は見た目に似合わぬ、繊細な戦闘技術も身に着けていたらしい。

 

「避けるのはうまいな、大男。だが、いくつか受け流し損ねているぞ?」

「ぐ、ぐぬ……」

「さっき左の肋骨が折れたんじゃないか? 貴様の右肘も、嫌な音を立てているぞ」

 

 だが、流石にノーダメージとはいかないらしい。俺の攻撃の余波で、少しずつフーガーの身体が負傷していく。

 

 ついでに、ヤツの衣装がビリビリと破れてセクシーな感じになっている。クソ、クリーンヒットさせないと全身の服が破けてフーガーが全裸になってしまうぞ。

 

 男のセクシーショットに需要はない。とっとと仕留めねば。

 

「もう諦めて、吹っ飛べフーガー!!」

 

 いつまでも、このチンピラに付き合っている時間はない。サクラの無事を確認して、早く宿に帰らないと。

 

 明後日には、長期依頼の任務だ。少しづつ、荷造りも始めねば。

 

 

 ────そんな余計な事を考えて、攻撃が大振りになってしまったのが運の尽きだった。

 

 

「……捕まえたぁ」

「げっ!!」

 

 

 面倒臭くなった俺が、横薙ぎに全力で回し蹴りを放った後。

 

 敵の腹に受け止められた足を奴に掴まれ、そのまま俺は地面に引き倒されてしまった。

 

「痛ぇ!!」

「さっきから、良くもやってくれたなこの野郎」

 

 形勢逆転。俺はフーガーにマウントポジションを取られ、大地に押さえつけられた。

 

 こ、これはヤバイ。

 

「は、離せ!!」

「おーおー、すげぇ力だ。てめぇら、抑えるのを手伝え」

「ヘイ兄貴!」

 

 くそ、体勢的に力が入らない。動ける範囲で暴れてみるが、数人掛かりで抑え込まれては敵わない。

 

 ちくしょう、油断した。これまでずっと喧嘩で食ってきた人間を舐めるなと、レヴちゃんに教えられた直後だったのに。

 

「さて、馬鹿力よう。俺は握力自慢でな、是非ともお前さんに味わってどれ程のモノか判定して貰いてぇ」

「ぐっ、やめろ! 数人がかりなんて、卑怯者!」

「俺はな、人間の頭の骨を握りつぶすのが大好きなんだぁ……」

 

 ニンマリと、フーガーの顔が狂気に歪む。

 

 俺の顔面を握りしめ、心の底から奴は楽しげに笑っていた。

 

「仮面を取ってから、握りつぶされてぇか? 仮面ごと、グシャリといってやろうか?」

「……狂人め」

「はっはっはっはっは! 俺が狂ってるって? そりゃあどうもありがとう、誉め言葉だよ」

 

 目が怪しく光っているその大男は、俺の猿仮面を握りしめ、ピシリとヒビを入れた。

 

「俺は人が握り潰されて死ぬ瞬間の、その顔を見るのが大好きなんだよ」

「……っ」

「断末魔の声を挙げながら、激痛と恐怖に表情を歪め、やがて脳みそごと握りつぶされてアホ顔になって死ぬ。何度見ても、絶頂モンさぁ……」

 

 な、なんだよコイツ。危ない奴ってレベルじゃねぇぞ!?

 

「趣味が悪すぎる。せっかく鍛えた筋肉が泣いてるぞ、お前」

「筋肉、ねぇ」

「お前の体の筋肉は、そんな悪趣味な行為の為に鍛え上げられたわけじゃねぇだろ。もっと、その力を役に立てる方法が世の中には────」

「だははははぁ!!」

 

 力で対抗しきれそうにないので、なんとか口先で丸め込もうとしてみたが。

 

 フーガーから返ってきたのは、心底愉快といった笑い声だった。

 

「俺の筋肉は役に立っているじゃねぇか! これ以上ねぇくらいに」

「なん、だよ」

「むしろ、俺が体を鍛えたのはこの為さ。ケンカが強くなって、顔を握りつぶせるくらいに力をつけて、そんでムカつく奴を好きな時に握り殺す。そんな権力を手に入れるために、俺は必死で体を鍛えた」

「……」

「良い体だぜ、俺の親譲りのデカい体幹に感謝してやまねぇ。誰が相手だろうと、その気になりゃ何時でも捻り潰せるんだからな」

「……そんな、事の為に体を鍛えたのか」

「そんな事? ムカつく奴を苦しめて殺す、これ以上に素晴らしい事なんてねぇよ」

 

 人を殺すなんて行為を嬉々として語るフーガーを見て、俺は思った。

 

 ああ駄目だ、コイツは駄目だ。フーガーは、生かしておいてはいけない人間だ。

 

「力は、そんな使い方をしちゃいけない。お前みたいな奴が、力を持っちゃいけない」

「おいおい、そんな事を誰が決めたよ」

 

 ……こいつは、ここで始末しよう。せめて、2度と誰かに危害を加えられないように。

 

「聞け、狂人。俺が体を鍛えた時、最初は自分との対話から始まった」

「あん?」

「俺は自らを鍛えるにあたって、体中の筋肉細胞のひとつひとつと向き合って行こうとした」

 

 コイツは、筋肉を人殺しの道具として扱っている。

 

 他人の命を奪うことに何の躊躇いもなく、むしろ嬉々と楽しんでいる節すらある。

 

「なぁ、フーガー、俺は筋肉に愛称を付けているんだよ。大胸筋のムネ美、太腿筋のモモ子、僧帽筋のボーちゃん」

「……あん?」

「俺はそれらの筋肉達と向き合って、話し合って、そして誓ったんだ。お前らの力を借りる代わりに、絶対に間違った力の振るい方はしないってな」

 

 許せねぇ、生かしておけねぇ。

 

 こんな考えの奴が、力を持っていていい訳がない。俺の全身の筋繊維が、コイツを倒せと叫んでいる。

 

「お前は、筋肉の声を聞いたことがあるかフーガー」

「え、いや無いけど」

「筋肉を愛したことはあるか。その力の振るい方を、しっかりと考えた事はあったか!?」

「あ、愛? 筋肉を……?」

「大切な日に、大切な筋肉とデートしたことはあるか!? 筋肉相手に声を出して語り掛け、愛を囁いたことはあるか!?」

「ある訳ねぇだろ!!」

「筋肉と出掛ける事を、デート扱いしてんの!?」

 

 もう十分だ。

 

 これ以上、コイツと話すことなど何もない。

 

「分かったよ。お前の筋肉はすべて、見掛け倒しのハリボテだって事にな」

「お前基準だとほぼ全人類ハリボテにならねぇかな」

「それを今から証明してやる」

「何だコイツ、兄貴より狂人度高くねぇ?」

 

 ────諦めるな。こんな、筋肉と向き合ったことのない連中相手に力づくで負けるわけがない。

 

「お、おお!? あ、兄貴! こいつ、体が……」

「何だと!? しっかり押さえろ、絶対に逃がすな!」

「だ、駄目だ! なんて力だ!!」

 

 無茶をさせてしまっている自覚はある。だがお願いだ、俺の声に応えてくれ。

 

 体中の筋繊維よ、俺に力を貸してくれ。

 

「う、動く!! ダメだ、抑えられねぇ!!」

「兄貴、兄貴も一緒に!」

「もうやってる! くそ、何だこれは────」

 

 俺はこいつらに、力を持つ者の在り方を教えてやらねばならないんだ。

 

 

 

「────お前らに、筋肉を教えてやる」

 

 俺はそう言って、ノッソリと起き上がった。

 

 体に、俺を押さえようともがくチンピラをへばりつけたまま。

 

「ぐ、この野郎良い気になるな! 顔面握り潰してやる!」

「その前に、俺が貴様の腕を握りつぶす」

 

 慌てたフーガーが俺の顔面に力を入れるが、もう遅い。

 

 仮面を壊される前に、フーガーの二の腕を握って上腕骨を砕いておく。これで、もう力は入れられないはず。

 

「ぎゃああっ!!」

「くそ、囲め!! コイツは危険だ!!」

「飛び道具を持ってこい! 弓でハリネズミにしてやれ」

 

 腕を砕かれたフーガーは地面に尻をついて腕を押さえ、弟分のチンピラは我先にと逃げ出した。

 

 ふん、筋肉の足りない奴らだ。

 

「フーガー。てめぇが二度と人の頭を潰せねぇようにしてやる」

「こ、こんちくしょう! 化け物め、なんだその力は!!」

「筋肉との対話の証だ」

「この化け物を正面から相手にするな! ボウガン構えぇ!!」

 

 さて、どうしよう。

 

 フーガーが負けそうだからか、周りにいたチンピラがなりふり構わず飛び道具を構えてしまった。

 

 周囲で構えられた弓を無視して、このフーガーとか言う男の骨を砕くか。サクラを逃がすだけの時間は稼げてるから、安全第一で流石に一旦引くか。

 

 この男をこのまま放置するわけにはいかない。だが、弓に毒とか塗られてたら掠っただけで俺は昏倒してしまう。

 

「撃て、あの猿を撃ち殺せ!」

「むっ」

 

 早速、弓の第1射が来た。うお、暗くて見えねぇ!

 

 とりあえず、斜め後ろに跳躍。同時に、たくさんの空を切る音がする。

 

 矢は当たってないが、避けれたのは運が良かっただけだな。闇のせいで、全く見えなかった。

 

「……」

 

 これは、一旦引くか。

 

 そうだ、クレバーになれ俺。レヴちゃんに教わったことは何だ? 平民を舐めるなって話だろう。

 

 さっきそれで失敗した直後なんだ。こいつらなんて楽勝だと油断せず、大事を取って撤退すべきだ。

 

「第2射、構え────」

「そうはいかねぇなぁ!!」

 

 このまま狙い撃ちにされるのを嫌った俺は、即座に地面を全力で殴りつけた。

 

 俺の拳の先から激しく土埃が舞い上がり、軽砂が敵のチンピラに降り注ぐ。

 

「ぐ、これは────」

「煙幕だ、見えているうちに射て!」

「ちくしょう、見失いました!」

 

 よし、成功。後は、全力で逃げるだけ。

 

 土煙にまぎれながら、俺はサクラが撤退したであろう店の反対側へと駆け出した。

 

「ぐ、猿仮面に逃げられます!」

「無理に後追いするな、逃げるなら逃がしてやれ! あれとまともにやり合うな!」

 

 背後の声からは、追撃は来ないらしい事がわかった。

 

 まったく、ありがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、猿。こっちだ」

「あ、マスター」

 

 そのまま走っていると都合よく、俺の知り合いの風俗店のマスターが路地から手招きしているのに気が付いた。

 

 おお、退路を確保してくれていたのか。

 

「よくやった、礼を言う。ちょいと危なっかしかったが、あのフーガー相手にやるじゃねぇか」

「ま、ざっとこんなもんよ」

「だが連中は、これから虱潰しにお前を探すだろう。今晩は、俺達のアジトに泊まっておけ」

 

 それが安全だ、とマスターは付け足した。ふむ、確かに今宿に戻ってマイカ達に迷惑をかけるのはいただけないな。

 

 多分、カールもそのアジトに収容されてるんだろうし。

 

「分かった、案内してくれ」

「おう」

 

 ここはカールの保護もかねて、明日までは世話になろう。俺はそう考え、マスターの誘いに乗った。

 

「因みに、俺達のアジトは敵に割れてるからな。もうすぐ、囲まれると思うぞ」

「はぁ!?」

「長期戦になることは、覚悟しといてくれ」

 

 だが、続く言葉が不穏で仕方なかった。

 

 おい、冗談じゃねぇぞ。明後日には依頼があるんだ、絶対に帰らせてもらうからな。

 

「囲まれるとか関係ねぇ、俺にも予定がある。明日には帰らせてもらうぞ」

「無理だっつの。朝一番で敵を皆殺しに出来るってなら話は別だが」

「あー。カールが居るなら出来んことはないかな? アイツ、超強いらしいし」

 

 実際戦ってるのを見たことないけど、女神の加護で凄い強くなってるって噂だ。カール居るなら出来るんじゃね?

 

「あの冒険者も、アジトで酔い覚まししてるよ」

「あんまり酒飲ますなよな、アイツに。酔うと面倒くさいんだよ」

「知ってるよ、俺が飲ましたんじゃねぇ」

 

 ふむ、やっぱカールはアジトに居るのか。

 

「取り敢えず、力を貸してくれてありがとうな。アジトに戻ったら、一杯やろうか」

「酒は有るのかよ」

「勿論だ。酒だけじゃなく武器や食料も、数か月分はアジトに運び込んである。あのアジトの外壁を陥落させない限り、暫くは戦い続けられるぜ」

「マジで戦争やってんだな、お前ら」

 

 そんな長期を見据えて抗争なんぞ、やってられない。そもそも、もうすぐ魔族が攻め込んでくるはずなのだ。

 

 戦争で街が疲弊した時に、魔族に襲われたらひとたまりもない。

 

「何とか争わない道はねーのかよ」

「それは難しいだろ。ここまで来たら、お互いの意地の張り合いだ」

 

 本当に間が悪いというか。こんな時に決戦しなくても────

 

 

 

 

 

 ────ォォン。

 

 

 

 

 その時。聞いたこともないような低い唸り声が、夜のレーウィンに響き渡った。

 

「……あん? 何だ今の鳴き声。獣か?」

「聞いたことがねぇ唸りだ。ウルフ系統の新種か……?」

 

 俺とマスターは顔を見合わせ、そして首を捻る。

 

 今の、背筋が凍りつくような声は何だ。まるで生命の危機であるかのような、この鼓動の早まりは何だ。

 

「……あ、待てマスター。今さっき、アンタ何て言った?」

「何だよ、急に」

「アジトの話だ。マスター、あんた長期戦を見据えてアジトに何したって言った?」

「ど、どうした猿。そんな怖い声出してよ」

 

 嫌な予感がする。

 

 見逃してはいけない何かが、どんどんと進行しているような予感がする。

 

「いや、何もしてねぇよ。ただ、武器や()()()()()()()()()()()

「────」

 

 

 ────食料を、運び込んだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウォオぉオオヴォオオッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞いたことのない雄たけびが、闇夜に響く。

 

 生まれてこの方見たことのないような数メートルの巨体の化け物が、闇の中で猛りながら飛び跳ねている。

 

「オォヴォオオぉ、うヴォォォっ!!!」

 

 駆けつけた先に、俺は見た。

 

 マスターの案内した『アジト』とやらは既に廃墟と言えるまでに崩壊しており。

 

「は? ……は?」

 

 その怪物の周囲に、ただ無数の血溜まりが飛び散っていた光景を。

 

「なに、これ」

 

 一匹の怪物は猛る。

 

 嬉々と口元を歪めながら、ダラダラと生暖かな赤黒い汁を零して。

 

 アジトに居ただろう住人たちの、積み上げられた死体の上で咆哮している。

 

 

 

「ま、魔族? あれが────」

 

 それは、毛むくじゃらの生物だ。

 

 それは、とてつもない巨体の生物だ。

 

 まさしくそれは、レヴちゃんから聞いた通りの姿で。

 

 『龍をも討伐した高名な冒険者が手も足も出なかった』という、正真正銘の怪物。 

 

 

 

「お嬢? お嬢ォォォォ!!!」

 

 

 

 そして、俺達は気づいてしまう。

 

 怪物の足元に乱雑に積まれた無残な肉塊の中に、今夜の彼女が身に纏っていたドレスがある事に。

 

 彼女は、サクラ・フォン・テンドーの末路は……想像に難くない。

 

 

「……ヴォゥオ」

 

 マスターの絶叫を聞きつけて、怪物の顔がこちらに向いた。

 

 マントヒヒのような小憎たらしい顔面をしたその怪物は、新たな2匹の俺達(エサ)を見つけて再び頬を緩めて笑った。



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13話「死亡フラグなんざへし折ってやるぜ! と言うのも死亡フラグ」

 全身の細胞が、警告(アラート)を鳴らしているのが分かった。

 

 俺は本能で理解した。その化け物と、正面から戦ってはいけない事を。

 

「よくも、お嬢を────」

 

 だから、これは反射的な行動だった。

 

 何かを考えたわけではない。何かを見て動いたわけではない。

 

 ただ、気付けば恐怖に駆られて。俺はマスターを脇に抱え、全力で真横にかっ飛んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あんな生物があるか。

 

 その巨体は、象なんかとは比べ物にならない。

 

 肉付きは、4足歩行の獣。だが顔面は類人猿で、全身に浅黒い体毛を生やし、腹に爬虫類の様な鱗も備えている。

 

 俺は前世から今世を通じて、アレに該当するような生物を見たことがない。

 

「マスター、無事か」

「俺、は……?」

 

 ジュウ、と肩がひりつくように痛む。

 

 ヒゲ面のオッサンを抱きかかえ跳んだからか、結構肉が抉れてしまった。廃墟と化したアジトから数十メートル連なり、地面に血痕が滲む。

 

 咄嗟の事で、結構擦ってしまったらしい。見れば肩から、ダラダラと血が滲んでいた。

 

「起き上がるぞ、マスター。お前は早く逃げろ」

「な、何がどうなっている。猿、俺は何でこんなところに倒れている?」

「庇ってやったんだよ、見ろ俺達がいた場所を」

 

 だが、そんな軽傷を気にしている場合ではない。俺達は今、命の危機なのだ。

 

 周囲に獣の気配が無いか用心深く立ち上がり、俺は先程まで立っていた場所を睨みつける。

 

「上級魔法でもぶっ放したような、大きい穴が開いてやがるじゃねぇか」

 

 そこに、奴は居た。大地に空いた大穴の中心に、その化け物は佇んでいた。

 

 毛むくじゃらのソレは両手の拳を何度も地面に叩きつけ、そこに死体がないことに首をかしげていた。

 

 少しでも反応が遅れたら、俺達はあそこで潰れた水風船のように血を撒き散らして死んでいただろう。

 

「何だよ、ありゃあ……」

「何でもいいよ」

 

 その呆けたようなマスターの呟きに反応し、化け物は再び俺達の方を見る。

 

 『そこか』とでも言いたげに、奴はニタリと微笑んだ。それは身の毛のよだつ、獰猛な笑みだった。

 

「マスターは逃げろ。アンタ庇いながら戦える相手じゃなさそうだ」

 

 さて、どうしたらいいのか。何をするのが正解なのか。

 

 俺はあの化け物を倒すことが出来るのか。なりふり構わず逃げることに全力を出した方が利口なのか。

 

 何も、分からないけれど。

 

「……平民(マスター)が逃げる時間くらいは、稼がねぇとな」

 

 ノブレス・オブリージュ。貴族の高貴な地位は、その覚悟によって賄われる。

 

 コイツを放置していたら、とんでもない被害が出るのは明白だ。なら、俺は『貴族』としてこの化け物と相対せねばならない。

 

 ……まだ確認できていないが、俺の知り合い(サクラ)の仇の可能性が高いし。

 

「猿。お前、あの化け物に勝てるのか?」

「わからん。ぶっちゃけ、勝算は薄い気がする」

「なら、逃げんのか?」

「アレ放っておくわけにはいかんだろ」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのウチに、再び化け物が跳躍した。

 

 俺達のいる方向目がけてまっすぐに飛び上がり、両掌を組んでアームハンマーの体勢で拳を振り上げている。

 

 受け止めたら、死。俺は再び、マスターを掴んで右へと跳んだ。

 

 ────ズドン、と。

 

 再び、凄まじい爆音とともに公道が抉れてクレーターが出来る。アイツ、飛び上がって地面殴るだけで上級魔法並の火力を出せるらしい。

 

 何だその頭の悪い強さは。

 

「……選り好みしてられる状況じゃねぇな。こっちも、魔法(とっておき)ぶっ放すか」

「おい、猿。俺はどうすればいい」

 

 近接戦が良いだとか、魔法使えば貴族とバレるとか、そんな小さな事を気にしている場合ではない。

 

 上級魔法でも何でも駆使して、今の状況を打開せねば。

 

「マスターはマジで逃げてくれ、これ以上庇い続ける自信がない」

「庇わんでいい」

 

 

 返ってきたその言葉を聞き、思わず俺はマスターへと振り返った。

 

 マスターは、その男は、憎悪に顔を歪めて化け物を睨みつけていた。

 

 

「マスター……?」

「分かってる。俺じゃ、あの化け物の足止めすらできないだろうさ。だが、攻撃を引き付ける事は出来る」

「いや、アンタ」

「無論、俺は潰れた蟻ンコみたいになるだろう。だが、その隙にとっておきとやらをお見舞いしてやれねぇか猿?」

 

 おいおい。この人、あの化け物の一瞬の隙と引き換えに死ぬ気だよ。

 

「せっかくの命をそんな無駄に使うんじゃねぇマスター」

「お嬢の敵討ちになるなら、構わん」

「だから、勝算薄いんだって。俺のとっておきは威力十分だが、準備にクソほど時間がかかる。ほんの数秒引き付けられたところで何も変わらん」

 

 そうなんだよなぁ。アレは威力は折り紙付きなんだが、発動に時間かかりすぎる。戦闘用魔法というのは、基本的に前衛が存在し守ってもらえるのが前提の技術だ。

 

 俺があまり上級魔法を重視せず、肉体強化魔法に執心したのもそこが理由だったりする。『盗賊の襲撃を受ける』みたいな実際にあり得る窮地に陥った時、上級魔法に秀でているのと肉弾戦に秀でているのでどっちが生存率が高いかって話だ。

 

 上級魔法は、撃つとすれば大体30秒くらい集中しながら詠唱する必要がある。

 

 その間は殴りあいは勿論、敵の攻撃を避ける事すら難しい。詠唱中に他の事をしたら、魔力制御を失敗して自爆する危険があるからだ。

 

 正直なところ、マスターを逃がしたあと俺も何処かへ隠れて、不意打ちで1発ぶっぱなすのが一番成功率が高い。正面切って唱えても、当たりっこないだろう。

 

 そもそも、コイツから逃げられるかは怪しい点であるが。

 

「猿、なら俺は何秒稼げば良い」

「え? まぁ、数十秒くらい」

「分かった、任せろ。俺がどうなろうと気にしなくて良いから、キッチリ当てろよ猿仮面」

 

 しかし、マスターはやる様子だ。あんた、戦える人間だったっけか? 一応は喧嘩できそうな体格をしているが。

 

 でももう大分良い歳だろうし、あまり無茶しない方が────

 

 

 

 ────殺気。

 

 ああ、この人は何も見えていない。

 

 マスターから滲み出る尋常では無い憎悪が、俺に教えてくれた。もう、この男は正気ではない。

 

「猿ぅぅ!! 今から時間稼ぐから、とっておきの準備とやらをしろぉ!」

「お、おい。死ぬなよマジで!」

 

 それほどか、それほどまでにサクラを慕っていたのかこの男は。命よりも、身の安全よりも、一矢報いる事がそれほどに重要なのか。

 

 男にここまで体張られてしまっては、詠唱せねば無作法と言うもの。奇襲作戦の方が成功率高そうだが、男の覚悟を汲んでやるのも漢としての務めか。

 

 マスターは、憤怒の表情で、怪物へ向かってゆっくり歩きだした。自分を恐れて逃げ出さない獲物を確認した魔族は、不気味で嬉し気な鳴き声を放って再び拳を構える。

 

 ……彼を信じよう。俺はマスターが敵を引き付けているその隙に、敵から距離を取って静かに詠唱を始めた。

 

「────炎の精霊、風神炎破」

 

 魔法の発動を確認。今から、俺はこの場所を動けない。

 

 マスターは本当に時間を稼げるのだろうか。正直、すぐさま捻り潰される予感しかしない。

 

 冷静に考えれば、俺はあの男を止めてやるべきだっただろう。だが、とても説得が通じるような雰囲気ではなかった。

 

 それに、彼の気持ちは痛いほど伝わってきた。愛する者を失った耐え難い悼みが、その眼光に現れていた。

 

「────錦の螺旋渦、爆連地割の大明封殺」

 

 ならばその意地を貫き通してくれマスター。俺も、アンタと一緒に命を張ってやる。

 

 俺に出来る、いや人類に出来る最高の火力をアイツにお見舞いしてやろうじゃねぇか。

 

 

 

 

「オォヴォっ!!」

「来るなら来やがれぇ!!」

 

 憤怒したマスターの挑発に乗り、魔族が跳躍する。

 

 改めて遠目で見ると、その非現実的な光景にめまいがしそうになった。数メートルの巨体が、何故ああも容易く空を舞うのだ?

 

 暗闇に紛れて地鳴りと共に落ちてくるその怪物は、まるで隕石の様。跳躍からほんの数秒、土砂と瓦礫を舞い上げながら大地をたたき割ったその魔族の一撃は、しっかりとマスターの居た場所を破壊した。

 

「化け物がぁ!!」

 

 だが、彼は即死していない。

 

 吹き飛ぶ土砂に混じり吹き飛ばされながら、肩から赤黒い血を撒き散らしているマスターは怪物に向けて絶叫した。怪物の一撃は、カス当たりだったらしい。

 

「────来たれ粉塵、飛び散れ岩炎」

 

 詠唱は、まもなく最終段階に入る。もう少し、もう少しだけ時間を稼いでくれマスター。

 

 見れば怪物は、地面に拳を叩きつけた後にくぐもった声を上げて目を擦っている。

 

 何故か、マスターに追撃を加えようとしない。自分が巻き上げた土砂のせいで、見失った様だ。

 

 魔族は、目を擦りながらキョロキョロとマスターを探し続ける。何て幸運な男なんだ、あいつは。

 

「……俺の店ではな。お嬢に危害を加える奴は、出入り禁止を突き付けてるんだよ」

 

 ボソッと、マスターの呟きが聞こえてきた。

 

 彼は、怪物の真正面に血塗れで大地に倒れ伏しながら、満足げに何かを握って笑っていた。

 

「────集積を成すは黒鉄の克己!!」

「通告状だ。二度と、俺達の街に来るな化け物」

 

 ……そして俺は気付く。

 

 怪物が、先程からずっと目を擦っていた理由に。

 

 ……カードだ。

 

 あの男は、マスターは吹き飛ばされながら、怪物の両方の眼球に木製の通告状(カード)を投げ付けていたのだ。

 

 それは、元来は出禁にした客に投げ付けるブラックリストのメモ書き。

 

 マスターはダーツが得意だと自慢していた。彼はダーツの要領で、態度の悪い客に突き付ける『出入り禁止の通告状』を投げ、魔族の目に見事命中させたのだ。

 

 これならば────

 

 

「猿、準備はまだ終わらんのか?」

「完了した。やるなマスター」

 

 

 奴が視力を失って、混乱している今ならば。俺はこの一撃を、決して外すことは無いだろう。

 

 さあ人類に許された、最高の火力を届けよう。

 

 4大元素に適性があり、精霊に認められた一族のみが使用できる究極の魔法技術をご覧に入れよう。

 

 

「吹っ飛べ。これが、必殺の……」

 

 

 ウロ覚えではなく、きちんと復習してしっかり詠唱した本当の威力の『上級魔法』。

 

 ヴェルムンド家に代々伝わり、家の人間でも一握りしか習得を許されていない『秘奥義』。

 

 これぞ、まさに俺の全力全開────

 

精霊砲(エレメンタル・バスター)あぁぁっ!!!」

 

 

 

 俺の絶叫と共に放たれたソレは、一瞬の間夜の街を明るく照らし上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水、土、火、風。その4つの元素が混じり合い、溶け合わせて、一束のエネルギーに変化させる。本来人間では制御しきれないその凄まじい魔力の奔流を、精霊のアシストを経て顕現させる。

 

 俺は教わった教科書通りの手順で、教科書通りにソレを発動した。

 

 非常事態なので、周囲の被害など考えず魔力を一切セーブせず、俺は全力でソレを解放した。

 

 

 

 教科書の記載では、間違いなく人類最強の魔法の一つだという。習得できる人間は限られており、類い稀な魔力量と幅広い元素適性を併せ持ち、清廉潔白で精霊に認められる純粋な心の持ち主でなければならない。

 

 習得は最高難度だが、一度放てばソレは戦局を決する。大地は裂け、山は割れ、海は干上がる。この世で最も威力の高いその魔法は、人類にとって正真正銘の最終手段であり……

 

 

「当たった、か」

「お、おおおぉお? な、何て隠し玉持ってんだ猿仮面よぉ」

 

 

 これを超える攻撃手段は、魔法に限定せずあらゆる兵器、剣技、火薬を用いても現人類には存在しない。

 

 今この世界において、これで仕留められない相手に対する対案は存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

「オォヴォオヴォォォっ!!」

 

 

 だから。

 

 俺の渾身の上級魔法が直撃して、平然としているアイツはどうすればいいのだろう。

 

 目が見えぬままに精霊砲(エレメンタルバスター)を食らい、激昂して地面に八つ当たりしているあの化け物に、俺は何をすればいいんだろう。

 

「効いてないのか、今の」

「多少は、痛そうな顔をしているが」

「致命打どころか、骨の一本も折れてなさそうだな……」

 

 ああ、女神様、本当に存在するというなら、何でこんな生物を地上に生み出したんだ。

 

 人類がどんな手段を駆使しても、理論上最強の1撃を直撃させたとしても、ピンピンとしているあの生物を相手にどうしろというのだ。

 

「マスター、走れるか。すまんが打つ手がねぇ」

「走れん。肋骨が折れてる」

「そっか」

 

 なら、マスターを背負い逃げるか。

 

 俺一人じゃあ、どうにもならないことが分かった。悔しいがカールと合流して、アイツに何とかして貰おう。

 

 

 

 ……。そういや、カールは何処だ?

 

 俺はさっき、マスターにアイツの居場所を聞いたような。確かカールは、このアジトに収容されていたんじゃないのか?

 

 いやそんな、冗談だろ。もしかしてアイツ、死んでんのか?

 

 女神から加護を得て、魔族を倒すために旅に出たあの男は。何の戦果も挙げないままに、酔い潰れて意識がない所を魔族に殺された?

 

 は、はぁあ!?

 

 

「俺は置いていけ。この怪我だ、もう助からん」

「マスター……」

「お嬢の死んだこの場所で死ねるなら本望だ。アイツに一矢だけ報いれて、心残りもちょい減ったしな」

 

 マスターは、諦めたように四肢の力を抜いた。彼に、生存意欲はもうないらしい。

 

「くそぉ、悔しいなぁ。クズで底辺風来坊の俺が、本気で娘みたいに可愛がってた娘だってのに。敵討ちすらできねぇなんてさ」

「……」

「おやっさんは破天荒な人でな。抗争があるとお嬢を放って行って家を空けた。その間のお嬢の世話役は、俺らみたいなチンピラだったのさ」

 

 マスターは慟哭する。その頬に、血と混じった赤い涙を垂らして。

 

「ちっさい頃から世話をしてるとさ、どうにも情が移っちまっていけねぇ。俺みたいに、嫁に先立たれて子供も居ねぇオッサンだと猶更さ」

「……そっか」

「とっとと行け猿。俺が咀嚼されている間に、お前だけでも生き延びろや」

 

 彼はそこまで言い終わると、唇を噛みしめて黙り込んだ。

 

 まもなく、魔族の視力も戻るだろう。その前に、俺は安全な場所に逃げなければならない。

 

「じゃあな」

 

 早く、マイカ達の所に行こう。カールが死んでしまった事、魔族が本当にやばい事、この街から一刻も早く逃げださないといけない事を伝えよう。

 

 それが、生き残った俺の使命だ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時。

 

 ガコンと、地面が二つに分かれて俺は足場を失った。

 

「────え?」

 

 滑る、落ちる。

 

 お笑い番組で見たことのあるようなボッシュート穴が俺が立っていた大地に開き、滑り台のような何処かへと俺は滑り落ちていく。

 

 え、ちょ、何!? これ何?

 

「なななな何事ぉ!?」

 

 スイーっ、と。

 

 俺はボッシュートされた後、滑り台の様なトンネルを尻で滑り落ちた。

 

 ズボン擦れ破けて半ケツ見えたらどうしよう。男装してるとはいえ、俺は自慢のプリケツを露出しながら歩く趣味はない。

 

 

 

「あ痛っ!」

 

 やがて、その滑り台は終着する。幸いにも、ズボンは無事だ。

 

 俺は見覚えのない暗い地下室に、半ば転がされるように投げ出された。

 

「い、いたたた」

「……あら、良かった。肩が擦れてるけど軽傷みたいね、貴方」

 

 誰かが、俺に話しかけてくる声がする。

 

 状況が把握できないままに、俺はキョロキョロと周囲を見渡して、気付いた。

 

「ここ、は?」

「地下通路よ。……アジトで唯一、壊されずに済んだ場所」

 

 壁に備え付けられた蝋燭台が、俺に話しかけてきた人物を照らしだす。

 

 それは、くすんだ茶髪と控えめな胸が特徴の半裸の少女だった。

 

「……乳首見えてますよ、お嬢様」

「うるさいわね!! シャワー中に襲われたんだから仕方ないでしょ!!」

 

 それは、すなわちサクラ・フォン・テンドー。死んじまったと思っていたその少女は、この怪しげな場所にこっそり隠れ潜んでいたのだった。

 

「ぬあああぁ!!」

「あ、マスター!」

 

 まもなく、割と重症な中年男性も俺と同じようにボッシュートされてくる。どうやら、俺達はサクラに助けて貰ったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「外の様子は見えてないのだけれど、さっきの爆発音は貴方の攻撃なの?」

「まぁな」

 

 俺達は、そのままサクラから何があったのかを聞き出した。

 

 聞くと、カールを連れてアジトに戻ったサクラは、猛獣の唸り声のようなものを聞いた直後にあの怪物に襲われたらしい。

 

 未知の敵の襲撃で彼女の配下は混乱の極致に陥ったが、咄嗟に「お嬢だけは何としても」と地下に彼女含め非戦闘員を逃がしたのだそうだ。

 

 その後、部下は全員で怪物に特攻し、一人も戻ってこなかったという。

 

「外の様子が分からないのに、よく俺達を此処に導けたな」

「私には土魔法の素養があるから、精霊を介して貴方達の位置は把握していたの。貴方達を落とした穴も、私の魔法よ」

「土魔法か。なら、落とし穴とか作れるか? あの化け物、頭は悪そうだからそういう罠は効きそうだが」

「残念ながら、私にそういう攻撃力は皆無よ。あのサイズを落とそうってなら、数日掛かりで詠唱しないと無理ね。そもそも土魔法はおまけで、魔法使いとしての本職は別だし」

 

 彼女はそう言うと、息も絶え絶えなマスターの下へと近寄った。

 

「……もう、無茶をして」

「お嬢……。お、嬢、ぉ、ぉ。ご無事でぇぇぇ」

「泣かないでよ、泣きたいのはこっちよもう。……貴方まで失ったら、絶対に号泣してたわよ私」

 

 サクラは、生きて再会できて感極まっているマスターの手を握り、そして静かに言葉を食んだ。

 

 

「癒す理は草木の聖祭、安堵の雫はかの者を包む」

「……お嬢、ありがてぇ」

「生きとし生けるは我が掌の保護を受けん、万物のせせらぎは貴方と共に。癒せ、精霊の歌(ララバイ)

 

 ああ、成程。これが、彼女の魔法か。

 

 それは貴族の扱う魔法としては正直マイナーではあるが、絶対に一定の需要があり使い手は重宝されるモノ。

 

 その技術は独特ではあるが、決して失われることなく継承され続けた魔法体系の一つ。

 

 直接的な攻撃力は皆無だが、誰か失いたくない人がいるときはこれ以上無く有用な魔法。

 

「テンドー家は回復魔法の一族か……」

「外傷専門ですけどね。うちは小競り合いが多いから、そっち方面ばかり上達してしまうのよ」

 

 口ではそんな文句を言いながらも、サクラはテキパキとマスターの傷を塞いで包帯を巻いて行く。

 

 手際が良いな、流石本職の回復術師だ。

 

「お猿さんも、肩をお見せなさいな」

「恩に着る」

「この程度であれば、すぐに完治させてあげられるわ」

 

 彼女が腕を当てると、じんわりとした暖かな光と共に、俺の肩の傷が塞がっていく。サクラの回復魔法の腕は、中々に大したものみたいだ。

 

「あ、そうだサクラ。カールの奴は?」

「あそこで寝ているわ。まだ、酔いが抜けていない様子よぉ」

「……ああなると、一晩は目を覚まさねぇんだよなアイツ」

 

 カールも非戦闘員とみなされて、この地下に運び込まれていたらしい。ああ、生きていてくれてよかった。

 

 ……大丈夫。俺はお前を『勇者の癖に使えねー』なんて思っていないからな。安心しろカール。

 

「アイツが目覚めるまで、此処に隠れているしか無いか。街に残した仲間が心配だが……」

「生きていることを祈るしかないわよ。アレに正面切って喧嘩売って勝てるわけないもの」

「だよな、よく生きてたよな俺もマスターも」

 

 俺が1日に撃てる上級魔法は、魔力量的に2発まで。一発ぶっ放した時点でもう、半分以上の魔力を消費してしまっている。

 

 せめてもう少し魔力が回復するまでは、あの化け物に喧嘩を売る訳にいかん。この地下で、しっかり休ませて貰うとしよう。

 

「マスターも、それでいいな」

「俺は、お嬢さえ生きていてくれりゃあ何も言う事ねぇよ」

「そうかい」

 

 アイツを放っておけば、町の被害がどれ程になるか分からない。だが、許してくれ。

 

 俺には、無理だった。持てる全ての力を出し切っても、アイツには全く届いていなかった。だからカールが目を覚ますまで待って、二人であの化け物に勝負を挑む方が勝率がよさそうだ。

 

「……」

 

 弱い。

 

 ああ、俺は弱い。

 

「猿、お前何をそんな悔しそうに」

「見捨てるんだよな。俺はここに隠れて、街で暴れ始めるだろうあの化け物から逃げて、沢山の人の命を見捨てる事になるんだよな」

「お前そんな、真面目な奴だったのか?」

「情けねぇんだよ。俺は思い上がってた、とっておきを使えば勝てねぇ相手なんていないと思ってた。恥ずかしくて、今すぐ腹を切りたい気分だ」

 

 自分への怒りが収まらない。

 

 俺はまだ、甘えていたんだろう。筋肉を鍛えることで、自己満足を得ていたんだろう。

 

 殺し合いの戦闘を前提とした訓練を、俺は今まで行ってこなかった。魔王が復活しただの魔族が攻めて来るだの、想像だにしなかった。

 

 そんな戦いの素人が、実戦で強いはずが無いだろうに。

 

「強くならねぇとな」

 

 俺は呟くように自戒した。

 

 まだ、全然足りなかった。俺は、魔族と戦うには実力不足もいい所だった────

 

 

 

 

 

 

 

 ……ゴリゴリ。

 

 

 

 

 その時、ふと。

 

 俺の頭上から、鈍い音が聞こえてくるのに気が付いた。

 

「あん、何の音だ?」

「音ですの? 何も聞こえないわよ」

 

 

 ゴリゴリ、ズリズリ。

 

 

 それは時折甲高い音も混じりながら、確かに俺の頭の上から聞こえてきていた。

 

「おい、聞こえないのか誰も」

「……いや。確かに、何か変な音が」

 

 おい、勘弁してくれよ。何で、そんな音が聞こえてくるんだ?

 

 アイツは、見るからに頭が悪そうな生物だった。だから、こうして隠れてしまえば俺達を探し出すことは不可能だろう。

 

 だったら、そんな筈はない。アイツが、俺達の存在に気付いているはずがない。

 

 

 

 

 ズリズリズリズリ。ゴリゴリゴリゴリ。

 

 

 

 

 微かに、天井が軋み始める。

 

 砂の房が、サラサラと零れ落ちてくる。

 

 ああ、そんな。嘘だと言ってくれ、女神様。

 

 

 

 ────やがてボコっと、鈍い音を立てて天井が切り抜かれた。

 

 

 それは、1mほどの小さな穴だ。ゴワゴワとした武骨な獣の拳が、スリスリとスクリュードライバーのように擦り回されて天井から見えていた。

 

 やがて、天井の穴から星の光が漏れ。ゆっくりと、巨大な眼球が穴越しに俺達を覗き込む。

 

 

 

「……化け物」

 

 

 

 この生物は、どういう理屈か俺達が地下に居ると当たりをつけ、拳で地面を掘り進めたらしい。

 

「ヴォォォオゥ♪」

 

 魔族は目元を吊り上げ、獰猛な笑みを浮かべ、餌を見つけた喜びで咆哮した。

 

 俺は、その怪物の咆哮を呆然と見上げる事しか出来なかった。



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14話「猿仮面VSマントヒヒ 類人猿最強決定戦!!」

 その怪物は、間違いなく喜んでいた。

 

 見失った敵を捕捉し、彼らを血祭りにあげられる幸福に酔いしれていた。

 

 奴はもう、難しいことを考える必要はない。

 

 いつものように、先程までのように。大地ごと彼らを蹂躙すれば良いだけだ。

 

 

「……れろ」

 

 怪物はその場で跳躍する。

 

 獲物(オレ達)が隠れ込んだその穴の真上で、両拳を握り合わせ、喜色満面に跳躍する。

 

「みんなこの場から離れろぉぉぉ!!」

 

 

 俺の半ば悲鳴のような絶叫の直後、サクラの用意していた地下通路は大地の亀裂と共に崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、はっ、はっ」

 

 他の皆を、庇う余裕はなかった。

 

 俺はがむしゃらに地下通路の天井を蹴り壊し、その勢いのまま地上に脱出した。

 

「嘘だろ、おい、本当に!」

 

 あの化け物は何なんだ。ちょっと牽制みたいなノリで、上級魔法並の威力の打撃を繰り出してきやがって。

 

 駄目だ、早くここから逃げなければ。このままだと、本当に死んでしまう。

 

 そうだ、実家に逃げ帰ろう。そしてこの魔族の脅威を両親に伝え、きちんとした戦力を編成して迎え撃とう。

 

 魔族は、俺一人の手に負える存在じゃなかった。俺は自らの筋肉に自惚れていただけの、無力で知的で可憐な美少女お嬢様に過ぎなかったのだ。

 

 怖い、恐ろしい、吐き気がする。自分の大切な何もかもを根こそぎ否定された気分だ。

 

「ヴぼぉぉヴぉっ!!」

 

 怪物と、目が合う。

 

 何をしても届かない実力の差が、そこには存在している。捕食者と、獲物の悲しいまでの生態格差。

 

 逃げなければ。何もかもを投げ捨てて、なりふり構わずここから離れなければ────

 

 

 

 

 

「待ちなさい!」

 

 誰かの、制止する声が聞こえる。

 

 うるさい、誰が待つものか。

 

 自分の命より大切なモノは、この世に存在しないのだから。俺が死んだら、哀しむ人がいると知っているんだ。

 

 何だかんだいって、仲の良い妹。俺を溺愛してくれている両親。アレコレと教えてくれた魔法教師に、一緒に茶を囲んだ屋敷のメイドさん達。

 

 俺は、俺のためにも誰かのためにも、死ぬわけにはいかない。どんなに無様だろうと情けなかろうと、生き延びねばならない。

 

 過呼吸になりながら、這う様に俺は怪物に背を向けて逃げ出して────

 

 

「お前の相手は、このサクラ・フォン・テンドーですわ!!」

 

 

 その言葉に、思わず俺は立ち止まった。そのまま呆けるように、俺は背後へと振り返ると。

 

 

 そこに、彼女は立っていた。

 

 

 半ば涙目になりながら、四つん這いで転げるように逃げる無様な俺の後ろで。

 

 一人の少女が、腕を組んで怪物に相対していた。

 

「これ以上は、一般人を巻き込むつもりは無いわ。貴方は早く逃げなさい、お猿さん」

 

 それは、いかなる蛮勇か。

 

 何の攻撃力も持たない齡10代半ばのそのお嬢様は、自分の数十倍の体積の敵を相手に、不敵に微笑んでいた。

 

「後は私が、あの化け物に落とし前をつけてあげるから」

 

 

 ああ、何てことだろう。

 

 今の、このサクラの後ろ姿は。

 

 ろくな衣服も纏わず、ボロボロの体躯を晒しなお、爛々と目に光を灯して立つその女の背は。

 

 

 ────俺が目指した、漢の背中だった。

 

 

 

『ただ、ギャングの元締めという自分の立場に誠実であろうとしているだけの、普通のお嬢様なんだよ』

 

 マスターのそんな言葉が、俺の脳裏を過る。

 

 そうだ。サクラは、彼女は生まれついてのギャングなどではない。

 

『幼い頃、お嬢は俺達の稼業がどんなものか知って、顔を青くしながらも受け入れた』

 

 彼女は、彼女なりに受け入れたのだ。自分の出自を、その家の宿命を。

 

『サクラお嬢は誠実すぎて、俺らみたいなチンピラにまで仁義を通そうとして下さる』

 

 そして彼女は今も、自分の家業を呪わずに受け止めて立っている。

 

 チラリと見えたサクラの表情は余裕に満ちていたが、その足先はガクガクと震えていて。相手を見下すように笑っているその唇は、真っ青に染まっている。

 

 

 

 ────何処にでもいる普通のお嬢様(サクラ)は、その恐怖を表出することなく噛み殺し、堂々とそこに君臨していた。

 

 

 

 

 ……。ああ、何でだろう。

 

 そんなサクラを見て、俺の体から震えが引いていった。

 

 

 

「生き延びてたんだな、お嬢様」

「これでも土系統の魔術師よ。生き埋めになるわけないでしょぉ?」

「そっか。目が覚めたわ、俺にもやらせてくれ」

 

 これは、どういう心境の変化なのか。先程まで恐怖でパニックに陥っていた俺の精神は、サクラによって一瞬で建て直されてしまった。

 

 今も彼女がそこにいるだけで、何故か恐怖が和らいでいくのだ。

 

「落とし前をつけるにしろ、あんたが魔法使いである以上は前衛が要るだろ」

 

 あのマスターは、人を見る目がないらしい。

 

 いや、彼女に近すぎて目が曇っていたのかもしれない。

 

「もう少し付き合う事にする。前衛は任せろ」

「……ありがと。心強いわ」

 

 この娘が、サクラ・フォン・テンドーが、普通のお嬢様だって?

 

 サクラは、目の前の半裸の少女はギャングがまったく性に合っていないだって?

 

「安心しなさい、猿仮面。貴方の後ろは、このサクラ・フォン・テンドーが確かに預かりましたわ」

「ありがたい」

 

 冗談ではない、この安心感はなんだ。彼女が共に戦ってくれる、この頼もしさはどういう事だ。

 

 人を惹き付け、戦意を沸き上がらせるカリスマ性を持ち。誇り高く、恐怖に負けず、怪物に相対せる勇気があり。

 

 配下全員が命賭けてでも守ろうとする、圧倒的な人望を持っている。

 

「サクラお嬢様。あんた、漢だな」

「……ん?」

 

 とんでもない。この娘は、ギャングの家に生まれた可哀想な『普通のお嬢様』なんかじゃない。

 

 生まれながらに王気を放つ、チンピラ達を纏め街を治めるに足る『王の器』を持った漢だ。

 

「ちょっと!? 私は女の子なんだけど!?」

「謙遜するな。俺は、お前の薄い胸の内に秘めたハートに惚れた。お前を漢と認めよう」

「それは私に胸がないと言う侮蔑かしら!? あの化け物の相手が終わったら、貴方に落とし前つけさせるわよ猿仮面!」

 

 こうして俺は、頼もしい後衛を得て。

 

 先程のマスターとのタッグとは違い、前衛として魔族に突っ込んでいく事にしたのだった。

 

「気合いをいれろよ、お嬢様。俺が全力で隙を作るから、何とかしてアイツを仕留めろ」

「それはいいけど、さっきの侮蔑は訂正しなさいよ! 私だって男の子よりは胸あるんだから!」

 

 うむ? 何をさっきから、サクラは激昂してるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大いなる精霊の加護は、その身に宿る────」

 

 

 俺は地面を蹴って、体勢を低く怪物目がけて突進した。

 

 レヴちゃんに教わった、あの近接戦闘技法を思い出せ。俺は、レヴちゃんに何と教えられたっけか。

 

『……イリーネ。貴女は技を回避する動きが得意ではない』

 

 そうだ。俺は、レヴちゃんの変幻自在の足技に翻弄され、ロクに回避もままならなかった。

 

『それはきっと、貴方の心の持ちように起因していると思う。イリーネは攻撃された時、「怖いから技を避けよう」と考えず「怖いから早く倒してしまおう」と考えている』

 

 だから俺は、多少のダメージは我慢出来るように攻撃をブロックし、攻めに転じるカウンターを教えられた。

 

 

「古の戦士の魂よ、我が肉体に恩恵を────」

 

 

 このデカブツ相手に、少しでも攻撃が掠ったらアウトだ。だが、俺にレヴの様な華麗な体捌きでヤツを翻弄することなどできる筈もない。

 

 だったら話は単純だ。

 

 

「────肉体強化(ブート)!!!」

 

 

 詠唱を終えた瞬間、全身に力が満ち溢れてきた。

 

 筋肉が躍動し、体に暖かな魔力が纏いつき、足に羽が生えたように軽くなる。

 

「猿仮面、尖った岩の前に小さな落とし穴を作ってみます。詠唱が終わったら教えるから、暫くその化け物の気を引いていて頂戴」

「承知したぜ、お嬢!」

「詠唱は急に切り替えられないから、被弾するんじゃないわよ。回復魔法が間に合わないかもしれないんだから」

 

 全身を落とすような大きな落とし穴は作れない、と先程お嬢様は言っていた。

 

 裏を返せば、踏み抜いたら躓く程度の小さな落とし穴は作れるらしい。

 

「お猿さん、前ぇ!」

「おう、分かってるさ!」

 

 魔族は既に間合いを詰めて、牙を剥きながら俺目がけて鋭利な爪を振りぬいて来ていた。

 

 先程までのように横っ飛びで避けることは出来るだろうが、そんなことをして距離が離れたら標的がお嬢に変わるかもしれない。

 

 だったら、壁役として俺に出来ることは────。

 

 

「痛ってぇ!!」

「猿!?」

 

 

 避けずに、奴の顔面目掛けて跳躍する事!

 

「顔面に一発くれてやるよ!」

「ヴァぁァガぁっ!!」

 

 魔族の爪は空振ったが、剛毛に覆われた前腕が俺の腹を掠った。おろし金のように、腹の肉が抉られる。

 

 だが、その傷を代償として。俺は、奴の顔面鼻先に躍り出ることが出来た。

 

 空中で腰を捻り、全身のバネを右足に集約し、俺はヤツのでっぱった頬骨目掛けて真っ直ぐに蹴りを放つ。

 

「調子コいてんじゃねぇデカブツがぁ!!」

 

 

 ────その一撃は、微かに怪物の顔を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土蜘蛛の巣(アースパイド・ウェブ)

 

 やがて、令嬢サクラは罠を張り終えた。

 

 アジトの残骸の深く尖った支柱の前に、奴の片足がすっぽり入る程度の落とし穴を作成した。

 

「アイツ、でたらめだわ。時間を稼げとは言ったけど、誰が殴り合えって言ったのよ」

 

 目の前の猿は、見事に敵を引き付ける任務をやり遂げた。

 

 あとは、どの方向からどの向きに敵を誘導すれば罠が成就するかを計算し、猿に誘導して貰うだけである。

 

 右の足を引っかけるとするなら、体勢を崩した怪物はそのまま右前方向に倒れ込む。となると、誘導する角度は少し左に寄せなければならない。

 

「こんなものかしらね」

 

 猿に分かりやすい様に、彼女は地面に大きな矢印を引いた。その向きに怪物を誘導すれば、怪物のその顔面を尖った支柱で串刺しに出来る筈である。

 

 いくらあの化け物が頑丈だとしても、数トンはありそうな自分の体重で顔面をくり貫いてしまえば万事休すだろう。

 

「準備は出来たわ。猿仮面、地面の矢印の通りに誘導しなさい!」

「ガッテンだ! 手際がいいじゃねぇかお嬢様」

 

 その声は、怪物の噛みつきを真上に跳んで避けながら、ムンサルトの要領で踵落としを決めていた不審者から返ってくる。

 

 目前の魔族が化け物過ぎて感覚がマヒしていたが、あの猿の仮面も十分におかしい。自力で数メートルは跳躍し、自分の何十倍もの体積の化け物相手に正面から殴り合っているのだから。

 

 きまぐれで雇ってみた男だったが、端金で仲間になるにはお買い得過ぎる男だ。

 

「私はいったん、距離を取っておく。後は任せたわ」

「任せとけぇ!」

 

 いつまでも近くに居て、戦闘の余波で負傷してはたまらない。サクラは猿仮面の謎の戦闘力の高さを信じつつ、付近に自分で作成した隠れ穴へと撤退した。

 

 先ほどまで重傷だったマスターや、酔い潰れたカールもその穴に収容している。彼女には、重症だったマスターの様子を見に行く必要もあった。

 

 こうして、その戦いの結末は猿仮面(イリーネ)に任された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サクラの用意した地面の矢印は、分かりやすく俺の目に映った。

 

「じゃあ、出来るだけ不自然にならないようにあの方向へ飛びますかね」

 

 既に、俺は満身創痍だ。

 

 さっきから何度も何度も奴の顔面に渾身の一撃をヒットさせているのに、この化け物はどこ吹く風である。

 

 一瞬顔を顰めはするが、本当にその程度だ。多分、デコピンくらいにしかダメージが通っていないんじゃないかと思う。

 

「オォヴォオオぉ、うヴォォォっ!!!」

「分かったっての」

 

 ダメージは通ってなかろうが、怪物の怒りは明らかに高まってきている。

 

 格下の生物に纏わりつかれながら、チクチクと地味な攻撃を受け続けたのだ。そりゃあ、イライラするのも道理だろう。

 

「こっからが本命だ。今度こそ、ぶっ殺してやるよ」

 

 俺は信じる。サクラの罠の完成度を、この化け物の頭の悪さを、そして俺自身の能力を。

 

 卑屈になるな。俺は確かに弱い存在だ。だが、どんなに弱い存在だろうと『勝てない』理由にはならない。

 

 俺が負けを認めたレヴちゃんを思い出せ。彼女は、俺なんかより明らかに貧弱なマッスルだ。なのに、彼女は俺より強かった。

 

 つまりいくら生物として格下だろうと、それは敗北を意味するわけではないのだ。

 

「やーいこの類人猿! お前の顔面マントヒヒ!」

 

 適当な煽り文句で魔族を挑発しながら、俺はサクラの描いた地面の上を真っすぐに走り抜ける。魔族は逃さじと俺目がけて飛びついてきて、時折爪を振るってきている。

 

 よし、釣れた。

 

 

「そのまま、あと五歩で思いっきり跳躍しなさい!! 貴方が落とし穴を踏んでは台無しよ!」

「分かった!」

 

 

 あとは、お嬢様の指示通りに。

 

 背後から迫る怪物の気配から逃れるように、俺は五歩目で大きく大地を蹴って、空中へと避難した。

 

「うォ、ヴォ、ヴぉォォっ!!!」

 

 空に逃げた俺を叩き落とすべく、怪物は半立ちになって爪を振り上げる。

 

 大丈夫、この距離ならば俺に爪は届かない。

 

 さあ、振り下ろせ。その高く振り上げた前腕を、大地へと叩きつけろ。

 

 そこには────

 

 

「かかった!」

 

 

 彼女が用意した、罠がある!

 

「ヴぉ?」

 

 怪物が、困惑した鳴き声を上げる。

 

 その化け物の右足が地面へと陥没し、ズルリと滑って体勢を保てなくなる。

 

 その怪物が倒れ込んだ先にあるのは、割れて鋭利に尖った鉄製の建造物の支柱。

 

「死ね────」

 

 ブシュ、と怪物の血が大地に飛び散る。

 

 鋭利に尖ったその鉄柱は、怪物の肉を串刺しにした。

 

 

「……オオォォォ、ヴォォォォォォォォっ!!!」

 

 

 だが、その怪物は死んでいない。

 

 なんと転倒しながらも、その魔族は咄嗟に左の前腕で顔面を庇ったのだ。

 

「ぐ、失敗────」

「いや、十分だサクラお嬢」

 

 激痛に身悶えしながら、腕に突き刺さった鉄の柱を抜こうと怪物はも掻き苦しんでいる。

 

 この好機を、俺は逃すつもりはない。

 

 

「────炎の精霊、風神炎破」

 

 

 今度は、至近距離で。

 

 胴体ではなく、顔面に狙いを定めて俺は上級魔法の詠唱を始めた。

 

 この怪物に、人類最強の火力を改めて届けよう。

 

 

「……え? それって、まさか上級魔法」

「────錦の螺旋渦、爆連地割の大明封殺」

 

 

 同じ魔法使いであるサクラは、この魔法を知っていた。まぁ、有名な魔法だしな。

 

 『精霊砲』は習得できれば、それだけで軍人として最高待遇で迎えて貰える。攻撃魔法使いにとっては、まさに憧れの大魔法だ。

 

 そして、軍人家系の名門ヴェルムンド家の代名詞でもある。

 

 流石に、正体ばれたかなぁ。

 

「────来たれ粉塵、飛び散れ岩炎」

 

 だが、そんな些細な事はどうでもいい。この一撃で、絶対にこの化け物を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────詠唱の最中、怪物と目が合った。

 

 鉄の柱を引きちぎり、顔面を紅潮させ、血涙を流して牙を剥く魔族が俺の目前で唸っていた。

 

 

 ……ああ。もう、抜け出してしまったのか。

 

 

「集積を成すは黒鉄の克己────」

「ヴォォ────」

 

 

 くそったれ、間に合わない。

 

 どれだけ早く詠唱しようと、奴の爪より先に呪文を完成させられない。

 

 

 

 ────黒い衝撃と共に、一瞬、耳が聞こえなくなる。

 

 激痛が、体を焼くように走り回る。

 

 

 

 ……ああ、致命傷。

 

 魔力の制御に集中していたせいで回避行動がとれなかった俺は、とうとう怪物の一撃を綺麗に貰ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……鼓動の音がうるさい。

 

 土の味が、血と混じって舌に染みこむ。

 

「さ、猿仮面っ!?」

 

 遠くで、お嬢様の叫び声がする。

 

 足が動かない。腹に力が入らない。微かに、腕が動かせる程度か。

 

 ああ、血が足りない。目が、だんだんと霞んでくる。

 

「ガァぁぁ……」

 

 そんな、俺の瀕死の様を見た怪物は鼻息をフンスと鳴らした。ようやく俺を仕留められて、腹の虫がおさまったらしい。

 

 ……どうやら、勝った気でいるなアイツ。まだ、俺は諦めてねぇぞオイ。

 

 

 

 激痛、意識朦朧、呼吸苦、眼前暗黒感。これらのクソみたいなコンディションでなお俺は。

 

 いまだに詠唱途中の『精霊砲』の術式を維持しているのだから。

 

 

 さぁ、もっと近づいてこい。俺に、その顔面を無防備に近づけろ。

 

 究極の魔法を、俺の切り札を、お前にお見舞してやる。

 

 

 

 ────それまで、俺の命が持てばであるが。

 

「……」

 

 息が苦しい、さっきから呼吸が出来ていない。

 

 腕の感覚がない、どうなってるのかと目線を落としてみたらもう右半身が無くなっていた。

 

 息を吸い込もうと頑張ってみるも、聞こえてくるのはヒューヒューという空気の漏れる音。胸が抉られて、肺も破れているらしい。

 

 

 怪物が近づいてくる。奴はようやく笑顔を見せて、俺の身体を摘まみ上げる。

 

 

 ────そして、奴は俺の体を口元へと運んでいった。

 

 

 チャンスだ。今こそ精霊砲を、俺の究極の魔法を、コイツにお見舞いしてやるんだ。

 

 

「……ぁ」

 

 むむ? 声が、出せない。何故だ、どういうことだ。

 

 もう、撃っても問題ないのに。むしろ、今撃たないと間に合わないのに。

 

 どうして、声が出ない────?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ああ、そっか。

 

 俺はもう、息が出来ないんだった。

 

「逃げて、猿仮面────」

「……」

 

 

 諦めず声を出そうと頑張ってみるも、空気は肺から零れていくばかり。

 

 呼吸機能を破壊された時点で、精霊砲はもう封じられたも同然だった。

 

 あと一節なのになぁ。最後に、一言だけ言葉が出せれば、この化け物の顔面を消し飛ばすことが出来たのにな。

 

 ……無念だ。

 

 

「うヴぁぁー」

 

 俺は、抵抗する力も残っていないまま、怪物の口腔内へと投げ込まれた。

 

 そして人肉と血で汚れた牙に、全身を細切れに噛み砕かれ殺されるのだろう。

 

 何て、結末だ。

 

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 どうせ、噛み砕かれるなら。

 

 ちょっとくらい無茶しても構わんよな。

 

 

 

 

 

 ────激痛。

 

「……ぇれ、め」

 

 内臓を弄られる不快感が、嘔吐中枢を刺激する。

 

 自ら傷口を広げる痛みが、カラカラに乾いた目を涙で潤す。

 

「ぇれめん、たる……」

 

 俺は、無事だった左手を動かした。

 

 ぽっかり大穴が開いている右胸の傷口へ、強引に左手をねじ込んだ。

 

 ヌメリ、と血が手に纏わりつき。生まれて初めて触る生温かい臓器に、優しく手を触れて。

 

 肺の空気が漏れているだろう場所を見つけ出し、漏れ穴を塞ぐ為に『肺を握り込んだ』。

 

 

 ────こうして、気が遠くなるほどの激痛と引き換えに、俺は再び発声機能を取り戻した。

 

 

 

 化け物の口腔内、その舌の上。

 

 魔族の硬い外皮も鱗も存在しない、脆弱な喉元に向けて。

 

 

 

「『精霊砲(ぇれめんたるヴぁすたぁ)』ぁ……っ!!」 

 

 

 俺はかろうじて吐き出した空気を、何とか言葉に変換した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、直後の事である。

 

 目がつぶれそうになるほどの熱量を持った光が、怪物の頭を消し飛ばしたのは。

 

 

 

 

 

 この日、初めて。

 

 人類は、魔族に勝利した。



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15話「あかん! これじゃ患者(猿)は死ぬゥ!」

「もう、本当に無茶をして。私が居ないと、このまま野垂れ死だったわよ」

 

 俺の頭上から、優しげな声がする。

 

 ひりつくようだった全身の痛みが、麻酔でもかかったかのように和らいでいる。

 

「ぁ……、お嬢、さ……」

「まだ喋っちゃだめ。物凄い重傷なのよ、貴方。抉れて足りない体の組織を、私の魔力素で代用して何とか生きながらえているレベル」

 

 後頭部に柔らかい感触。

 

 目が霞んで、前が見えないけれど。どうやら俺は、サクラに膝枕されながら治療を受けているらしい。

 

「お疲れ様、ありがとう。貴方は、英雄よ」

 

 そんなサクラの、優しい言葉を聞く限り。どうやら俺は、あの糞ったれの怪物を仕留める事が出来たようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢……。ヤツは、どう、なって」

「首から上は、綺麗に消し飛んでいるわね。上半身もズタボロ、動く気配はないわ。間違いなく死んでいる」

「そ、か……」

 

 俺の残り魔力全てを振り絞った必殺の『精霊砲』は、無事に魔族をぶっ殺したみたいだ。

 

 流石の怪物も、体の中からの攻撃には脆かったのだろう。

 

 食われる寸前に体内から消し飛ばす。多分、これ以外に俺があの化け物を倒す術はなかったと思う。

 

「なぁ、俺の身体は治るのか?」

「安心なさい、治るわ。この私が近くにいた幸運を喜ぶのね」

「そっか。サンキューな」

 

 しかも、なんと俺の身体は快復するらしい。すげぇなこのお嬢様、右半身消し飛んでるのに治せるのか。

 

 並の術者じゃねーな。

 

「すごかったわよ、貴方。あんな怪物と殴り合うなんて、人間とは思えなかった」

「何せ、俺はお猿さんだからな」

「……そうだったわね」

 

 まぁ実際、かなり無茶をしたよな俺。肉体強化を掛けたとはいえ、ほぼ生身であの化け物相手に肉弾戦をやった訳で。

 

 今、こうして原形をとどめたまま治療を受けられているのも奇跡に近い。

 

「もし、また同じような怪物が襲ってきたら。猿仮面は、また戦ってくれるかしら?」

「そうだなぁ。出来れば、二度と御免だな」

「そりゃあ、そうよね」

 

 少なくとも、もっともっと強くなるまでは戦いたくねぇな。今日の勝利はマジで偶然の産物だし。

 

 あんなの相手にしちゃあ、いくつ命があっても足りやしない。

 

 

 

「……なぁ、まだ目が見えねぇんだが」

「目は別に焦る必要ないから、後で治すわ。それより、貴方の命に係わる臓器がズタズタなのよ」

「ああ、そうなの」

「肺が握り潰されてるなんて初めての経験だから、治し方がよくわかんないのよ。右腕も何とかくっつけようと頑張ってるんだけど、損傷が激しくて……」

 

 せやな。自分の肺を握り潰すとか、世界広しと言えど俺くらいしかやらんわな。

 

「……でも安心なさい、絶対に治してあげるから」

「ありがと」

「眠ければ、眠っていて良いわよ。マスターに言って、運んでもらうようにするし」

 

 ……そうか。俺はもう眠っても構わないのか。

 

 じゃあ、お言葉に甘えても良いかもしれない。

 

「それに、お礼を言うのは私の方だわ。部下の仇を取ってくれて、ありがとう」

「どういたしまして、だ」

「これでせめて、私を守って死んでいったあの子達の魂も浮かばれる」

 

 その言葉の後、ポタリと肩に涙の雫を感じる。

 

 サクラは、俺の頭上で泣いているようだ。

 

「ねぇ、猿。貴方の仮面、取っても構わないかしら」

「駄目だ、馬鹿を言っちゃあいけない。この仮面だけは外せない」

「あらら、意固地ね。まったく最期くらい……、いや。何でもないわ」

 

 彼女は、少し涙声になりながら。ギュッと、俺の掌を握りしめた。

 

「じゃあ、約束するわ。サクラ・フォン・テンドーの家名に賭けて貴方の仮面を取ったりしない」

「頼むぜ、本当に」

「ええ、約束。だから、もうゆっくり寝ていなさい」

 

 そう言うと、サクラは俺の掌を握りしめたまま。心地よい子守唄を、ゆっくり吟んじ始めた。

 

 

「眠れや、眠れ────」

 

 

 それは何処か儚げで、哀愁の漂う子守唄。

 

 母親に抱かれて眠っている様な、独特の安心感。

 

「ああ、何だ。本当に眠くなってきた」

 

 もしかして、魔法的な作用もあるのだろうか。サクラの歌を聞いた俺は、ドンドンと深い眠りに誘われていく。

 

 意識が遠のく。傷つき疲れた体から意識を投げ出し、心が楽になっていく。

 

 

 ────ああ、心地が良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴぉっ……」

 

 

 

 

 

 

 む。

 

 何だろう、今の声は。

 

 

 

 

 

 

 

「ヴォォォォッ、ぉオぉ……」

 

 

 

 

 

 

 

 ……また、聞こえた。

 

 

「なぁ、サクラ。何か、聞こえないか?」

「気のせいじゃないかしら? 良いから、もう眠ってしまいなさい」

「そう、か」

 

 気のせいなのだろうか?

 

 とてもおぞましく、恐ろしく、憎々しい声がどこかから聞こえてきている気がするんだが。

 

「本当に、大丈夫なのか? 周囲を見渡してみてくれ、サクラ」

「大丈夫よ、周りには何もいないわ猿仮面。きっと、トラウマになったあの怪物の声が幻聴として響いているのよ」

 

 ……そうか、何もいないのか。

 

 そういや、サクラは土魔法で周囲の人間の場所を把握していたな。じゃあ、彼女が何もいないと言えばそこそこ信頼できるんじゃないか?

 

 激戦で精神が張り詰め過ぎていたか。心配のし過ぎだな、もう寝てしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

「おォオオお、ヴォおォオぉ!!」

 

 

 ……。

 

 そんな、訳があるか。これが、幻聴なはずがあるか。

 

 聞こえた。はっきりと今、俺はあの怪物の咆哮を耳にした────

 

 

「サクラ。違う、これは幻聴なんかじゃない!」

「……幻聴、だってば。いいから寝なさいよ、まったく」

「早く、早く目を治してくれ! 近くに、近くにまたアイツが────」

 

 サクラは、もう疲れているんだ。きっと、怪物の声を聴きたくない余り、今の咆哮を幻聴と切って捨ててしまっているんだ。

 

 くそ、まだ息があるのかアイツは────

 

 

 

 

 

 

 

 ────血糊が剥がれ、瞼が開いて視界がクリアになる。

 

 

 

 

 

 目元を晴らして、大粒の涙を貯めながら、優しく俺の手を握りしめるサクラお嬢様が目に入る。

 

「寝てて、良かったのに」

 

 その、サクラの背後には……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おォオヴぉオお────」

「ヴォおォ、ヴォオぉ!!」

「ヴォォォオゥ……っ!!」

 

 

 

 群れが居た。

 

 毛むくじゃらの化け物が、地平線を埋め尽くすような数で。

 

 何十、何百、何千という恐ろしい大群をなして。

 

「……は?」

 

 奴等は俺達のいるこの場所へ、街の遥か遠くから唸り声と共に迫って来ていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「貴方は馬鹿ね。せっかく、アレの存在を知らず眠れることが出来たのに」

「え、あ、ぁ」

「きっとそこで死んでるのは、群れをはぐれた馬鹿な個体だったってことね。あの化け物の群れこそが、本隊なのでしょう」

 

 俺は、その光景が信じられなかった。

 

 あれだけの思いをして、奇跡に奇跡を重なり合わあせて、やっともぎ取った奇跡の勝利だというのに。

 

 

 ────敵は、魔族は、俺の想像をはるかに超える戦力でこの街を襲撃しようとしていたのだ。

 

 

「逃げ、ないのかサクラお嬢様」

「あれだけの数相手に、何処へ逃げようって言うのよ」

「……違いない」

 

 そうか。サクラは、これを見ていたのか。

 

 だから、サクラは執拗に俺を眠らせてしまおうとしたのか。

 

 

 俺が、あの化け物を倒した英雄になるという心地よい結末のまま、その命を終わらせることが出来るように。

 

「すまんサクラお嬢様、俺はもう戦えそうにない」

「知ってる。満身創痍だもの、貴方」

「ああ。神様って奴が実在するなら今すぐ殴り飛ばしてやりたいぜ」

 

 どれだけ、人をバカにするつもりだ。最初から、人間に勝ち目なんてなかったんじゃないか。

 

 どれだけ奮闘しようと、どれだけ努力をしようと、決して勝てない相手。俺が命がけで戦ったあの勝負を、嘲笑うかのような魔族の数。

 

 本当に、運命を司る女神様は性格が悪いらしい。きっと、必死で魔族1匹を討ち取った俺の姿を見て、『無駄な事をしている』とせせら笑っていたのだろう。

 

「俺の戦いは、まるきり無駄だったって事かよ」

「そんなことはないわ」

 

 あまりの敵の多さに、あまりに残酷な結末に、自暴自棄になりかけたその時。サクラは、俺の背中から腕を回して抱き着いてきた。

 

「言ったでしょう。貴方は、私の大切な仲間の仇を討ったのよ」

「……」

「小さな頃、私の世話をしてくれたジョージ。お菓子作りが得意なマイクに、喧嘩っ早いけど優しいピート。そんな大切な皆を殺した憎い魔族は、貴方の手で討たれたの」

 

 その、サクラの声は震えながらも確かに感謝の情で溢れていた。

 

「たとえ、今から殺されるのだとしても。貴方が、私の家族(ファミリー)の魂を救ってくれたことに変わりはない」

「お嬢……」

「だからこれは、せめてものお礼よ。このまま、あの化け物に食い殺される最期の時まで、この私が貴方を抱き締めていてあげる」

 

 その言葉通りに、サクラは俺にしがみつくように、ギュっと抱き締めてきてくれた。

 

「一人で死ぬよりかは、寂しくないでしょう?」

 

 ……。

 

 ああ、何て人間が出来てんだこの娘は。

 

 本当は、今すぐ泣き出したいだろうに。喚いて、叫んで、発狂したいだろうに。

 

 この女は、最期の死ぬ間際まで他人を気遣って行動していやがる。

 

 

「……恩に着る。本音を言えば、死ぬほど怖えわ今」

「私もよ」

「でもさ。最近出会ったばかりの奇縁だが、アンタと一緒に死ぬのは悪くないと思えてきた。最期まで、一緒に居てくれ」

「……私も、かな。だからこそ死を共にする相手の、顔くらい見せて欲しいものだけど」

 

 あー。もう死んじまう訳なら、顔を隠す意味もねぇか。

 

「ええ。勿論そんなにコンプレックスなら、無理にとは言わないわ」

「あー。きっと腰抜かすぞ」

「……実はね、猿仮面。今、仮面の中身は美形でしたー、って展開を期待しちゃってる」

「なら仮面を取るのはやめる。その期待には応えられん」

「冗談よ、もう」

 

 残念。仮面の中身は超絶美少女イリーネちゃんでした! という展開は彼女的にはどうなんだろうか。

 

 なんか男を相手にするような対応のままだし、仮面の中身がイリーネだとバレてないっぽいけれど。

 

「はー。死ぬ前に童貞卒業したかったな」

「……。え、それ言うなら、あと10分くらい早く言っといてくれないと。さすがにもう無理よ?」

「言ってみただけだ。最初から期待しちゃいない」

 

 そもそも生えてないしな。てか、10分前に言っとけばワンチャン有ったのか畜生。

 

「……ねぇ、猿仮面。もう、アイツらが来るわ」

「そうだな。ここで仲間が死んでるのを察知してるのか、真っすぐこっち目指してるな」

「最期に言い残す事、なんかある?」

「んー」

 

 言い残す事、ねぇ。ここで何かを言い残しても、誰にも何も伝わらないのだけれど。

 

 強いて言うなら────

 

 

 

「……まだ死にたくねぇよ、女神のクソッタレ。これかな」

「あら、意外。貴方って神を呪うのね」

「まぁ、実在するのを知ってるからな」

 

 カールの夢に現れたとか言う女神は、本物だろう。

 

 だというなら、本当に神が存在すると言うのなら、こんなふざけた結末から助けてくれよ。

 

「ここで何を叫ぼうと、家族に何も届かねぇし。だったら届く可能性のある相手に、文句ぶちまけるだけさ」

「それは道理ね。……私も、詰ろうかしら」

「良いんじゃねぇか?」

 

 そんな馬鹿みたいな話をしてる合間に、群れはとうとう街の中へ入ってくる。

 

 恐ろしい化け物は、もう此処に到着してしまう。

 

「神様のバカ」

「真面目に仕事しろや、バカ野郎」

 

 ……。

 

「私、まだ死にたくない」

「俺には、やり残したことがたくさんある」

 

 …………。

 

「返して、私の大切な人達を。助けて、この街に残った人を」

「まだ、俺は妹が嫁に行く姿を見れてない。せめてそれまでは、生きていたかった」

 

 …………畜生。

 

 

 

「────こんな結末なんて」

「────あんまりじゃ、ねぇか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪い、寝てた」

 

 そんな、俺達から零れ落ちた呟きに応える声があった。

 

「────そっか。もうここまで来てやがったのか」

 

 ソイツの体躯は土を被り汚れていたが、その眼光は紅く燃え盛っていた。

 

 重そうな低品質の大剣を、敵の群れに向けて真っ直ぐ構え。

 

 剣士は静かに激昂し、全身から闘気を剥き出しに、毛髪を逆立てて怒っていた。

 

 

「持ち堪えてくれて、ありがとう」

 

 

 静かな怒声が、闇夜に溶ける。

 

 月明かりに、無数の魔族の光る目が照らされ。それに相対するは、矮小な人間ただ一人。

 

 

「……カール?」

「後は任せろ」

 

 

 地平に魔族が満ちた時。女神に選ばれた勇者(カール)が、ようやく目を覚ました。



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16話「黒歴史を力へ変える系勇者カール」

 勇者(カール)は夜光に剣を掲げ,迫り来る無数の魔族に対峙した。

 

 人間の背丈程の剣を構え、人間の数十倍のサイズの化け物に相対した。

 

 

 

 

 ……俺は『ソレで何が出来るんだ』と思った。

 

 

 

 

 だってそうだろう。あんな化け物相手に、剣1本でどう戦うというのか。

 

 しかもカールは上級魔法すら使えない、最近女神に選ばれただけの剣士だ。

 

 敵は、この俺がズタボロになりながら精霊砲を使ってやっと屠れた化け物。そんな怪物が、数えるのも馬鹿らしい数で徒党を組んで攻め込んできた。

 

 ちっぽけな冒険者1人が相手取るには、あまりに絶望的な戦力差ではないか。

 

 

「俺が寝ている間に、よくもまぁ好き放題暴れてくれやがったな!!」」

 

 

 そして、魔族は切り刻まれる。

 

 飛び散る血肉に、染まる大地。群れの先頭を走る怪物の、無残な断末魔が飛び交う。

 

 

 ────俺には、その光景をすんなりと理解できなかった。

 

 

 おかしいだろう。カールの怒声と共に放たれた斬撃は、風刃となって数匹の魔族の首を纏めて吹き飛ばした。

 

 理解ができぬ。月夜の怪物は、彼の一振りで死骸を晒した。

 

 

「襲ってきたのは、貴様らだ。なら皆殺しにされても文句はねぇよなぁ!!」」

 

 

 あれだけ強かった怪物は。

 

 あれ程に恐ろしかった、あの巨体の生物は。

 

 その男のほんの一動作で、物言わぬ細切れの肉塊に成り果てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「与えましょう、絶対の矛を」

 

 

 カールが女神から受け取った恩恵は、実はたった3つだけである。

 

 

「私に与えられるのは、どんな敵をも屠ることが出来る『必殺』の素養」

 

 

 それは『女神から魔力を借り受ける』恩恵と『肉体を女神の力で強化される』恩恵。

 

 

「どのような剣を使おうと、貴方の斬撃は防がれることはありません」

 

 

 そして、この世の有りとあらゆるモノを切断できる『絶対切断』の恩恵だった。

 

 

「斬りたくないものは残しておけますし、斬りたいものは絶対に斬ることが出来ます」

 

 

 それは、女神が人類に与えたとっておきの切り札。

 

 

「魔族を統べる王に対しては、現人類の殆どの攻撃手段が無効となるでしょう。しかし、貴方だけはその腰に佩いた剣で魔王を倒すことが出来る」

 

 

 鉄鋼だろうと、大地だろうと、空間だろうと。カールが斬ろうと思ったモノに、切れないものは存在しない。

 

 それは事実上、女神自身の持つ『神の権能』の貸与だった。

 

 

「貴方が世界を救うのです、カール」

 

 

 

 

 その少年は、真っ直ぐで素直な心を持った剣士だった。

 

 女神が力を貸したとしても、決して驕ることなく努力を続けられる人物だった。

 

 そして、その少年は────

 

 

 

 

「……何だ、あのカールの動き。見たことがない奇妙な型だ」

「だけど、流麗ね。そうあるべき、剣の流れに沿っているわ」

「分かるのかお嬢様」

「これでも喧嘩の世界で生きてるのよ。生まれてこの方、剣士はいっぱい見た事がある」

 

 凄まじい形相で魔族を屠り始めた、勇者カールの後ろで。

 

 俺は半ば夢うつつ、その非現実的な光景に困惑しながらサクラと呑気な会話を繰り広げていた。

 

 

「恐らく、カールの剣は我流。そして1人で多数を相手取る事に特化した剣筋を研究してる」

「……む? アイツ、そこらの雑多な冒険者の一人だぞ。そんな特殊な剣術を身に付けられる環境じゃなかった筈だが」

 

 サクラの見立てによると、カールは随分と奇妙な剣術を使うようだった。

 

 元来、日銭を稼ぐ冒険者が好んで習得するのは『徒党を組んで騙し討ち上等の、何でもアリ剣術』だ。

 

 これは職業軍人と異なって、『いかに手柄を稼ぐか』より『いかに生き延びるか』を重視しているからである。

 

 多人数で囲んで確実に獲物を仕留める連携、暗器を用いて煙幕を張り逃走する戦法など、卑怯だろうが実践的な技術であることが多い。

 

 

 逆に、職業軍人……。まぁウチの実家もそうなのだが、貴族の爵位を得た軍人は1対1の状況に強い剣術を好む。

 

 それは、今の貴族は剣を握って闘う機会が、試合という『身の安全が確保された舞台』に限られるからだ。

 

 そして試合で冒険者みたいな卑怯な剣を使うと、社交界で白い目で見られる。正々堂々の、タイマンでの勝負で勝つことが誉れとされるのだ。

 

 戦時中ならいざ知らず、戦争が遠い記憶の話となって軍人の頭から『実戦』の文字が抜け『名誉』の要素が強くなった。

 

 剣での試合は、自らの家の『名誉』を高めるためのもの。1対1という状況でのみ真価を発揮する、軍人の剣。

 

 ……俺は女の子なので習ってないけど。

 

 

 しかし、カールの剣はそのどちらにも当てはまらない。

 

「1対多の剣術って、つまり古流剣術って事だよな」

「……一般的にはそうね」

 

 なら、カールの用いている『多人数相手が前提の剣』と言うのは何なのかと言えば、遥か昔に戦時中の職業軍人が編み出した流派であろう。

 

 敵に囲まれたとしても、軍人として彼らは逃げる事が許されない。だが、死ぬ訳にもいかない。

 

 そんな状況で生き延びるために、当時の剣士は『多人数相手に斬り結ぶ技術』が求められた。特に『魔法剣士』は一騎当千と扱われていたので、単騎で敵陣に突っ込むことも多く、普段から多人数相手に剣を合わせる必要があった。

 

 実践的なその古流剣術を、何故カールの様な平民冒険者が習得している? 

 

 

「でも、古流剣術とも動きが違うわ。カールの剣は、それとも別物」

「え、違うのか。じゃあ何なんだ?」

「分からない。分からないけど、あれは……」

 

 古流剣術でもないのか。じゃあ、カールが使っている剣は何なんだ。

 

「見たところ、アレは自分より大きな化物に囲まれた状況を想定している剣術よ。剣先を常に自分の頭より上に構えているし、受け筋も高い位置からの攻撃に対応できる様に意識されてる」

「……まさに、あの化け物を相手にするための剣術って事か?」

「そうね」

 

 つまりは、彼の技法は魔族を狩ることに特化した剣術らしい。

 

 何処でそんな剣を習得したんだ、カールは。いったい何時から、魔族の復活を予見し修行していたっていうんだ?

 

 女神様に選ばれたのは最近だと聞いていたが、そんな付け焼刃で身に付けた技術が、あんなに自然な剣筋に昇華できるものなのか────?

 

 

 

 

『昔からカールは熱心な女神教の信者でね。ガキの頃から勇者に憧れて、毎日修行だとか言って剣振ってたのよ』

 

 

 

 ……まさか。

 

「サクラお嬢様、そういや聞いたことがある。アイツは、カールは小さな頃から勇者に憧れていて、剣を持ち出しては一人で振りまくっていたと」

「……そうなの?」

「あのバカ、きっと剣術の師匠が居なかったんだ。だから、一般的な剣術は身に着けることが出来なかった。そして────」

 

 ああ、頭が痛い。

 

 俺は、カールが何故あんな特殊過ぎる剣術を身に着けてしまったのかを理解してしまった。

 

 そう、あいつは……

 

「英雄になりたいという妄想の果てに、自分よりデカい怪物と戦うための剣を修行し始めたんだ……」

 

 

 カールは、強い剣士になりたかったわけではない。

 

 幼少期より、おとぎ話の英雄に憧れていた。だから、おとぎ話の主人公のような戦いがしたかった。

 

 その憧れのせいで、実践的でまともな剣術ではなく『創作の主人公が習得している様な特殊過ぎる剣術』を我流で会得してしまったんだ。

 

 

 前世の俺がか●はめ波を練習したように。

 

 今世のカールは、英雄譚の主人公の剣術を真似て習得してしまった。

 

 

「……子供じみた英雄への憧れが、実践レベルの『対魔族特化の剣術』に昇華しちゃったってこと?」

「実際に魔族が攻めてきたせいで、あの剣術は子供じみた憧れでは無くなったけどな」

 

 この時俺は、女神が勇者としてカールを選んだ理由を理解した。

 

 こんな創作の世界の独自剣術を実戦レベルにまで修行した(バカ)なぞ、そんなに多くはあるまい。

 

 しかもカールは女神教の熱心な信者で、素直な性格だ。勇者としては申し分ない。

 

 何故俺が勇者ではないのかと疑問に思ったこともあったが、考えてみればかなり妥当な人選だ。

 

 

「もしここが平和な世界なら、アイツはガキっぽい平凡な冒険者でいられたんだろう」

「……でも魔王は復活してしまい、彼が望む『英雄が必要な世界』になったって事ね」

「逆だ。この時代が、お人好し(カール)を矢面に立たせないといけないヤバい状態に陥ってしまったんだ」

 

 

 女神様とやらが直に動かないといけないような、世界崩壊の危機。

 

 そんな情勢が、カールからただの夢見がちな若者として生きる権利を奪ったのだ。

 

 俺はカールのその無邪気すぎる剣術と、それに不釣り合いな異常な攻撃力にため息をつく。

 

 それは女神(おとな)が、西部劇が好きな幼児に拳銃を握らせて強盗を退治させている様な、薄気味悪さを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪い、結構逃げられた。半分くらいは狩ったと思うんだが……」

 

 半刻後。

 

 英雄様は、殆ど反り血も浴びずに無傷で俺達の前に戻ってきた。

 

「猿仮面、無事なのか? 見たとこかなりヤバそうなんだが」

「私が傍に居るから、今回は無事ね」

「サクラが居なかったら死んでたそうだがな」

 

 ……無傷、ね。

 

 俺はこの重傷と引き換えに1匹仕留めたのに、カールは一息に死体の山を築いたのか。

 

 女神の恩恵を受けているとはいえ、少しモヤモヤとした気持ちになるな。

 

「そんなに強いなら早く起きろよカール、俺の苦労返せ」

「……すまん。俺がもうちょい早く起きていれば」

 

 はからずも、少しキツめの口調になってしまう。

 

 助けてもらった手前、俺は何も言えない。なのだが、どうも心に折り合いがつかないのだ。

 

 ……多少は、カールの力への嫉妬も混じっているかもしれない。

 

「酒が入ると、どうもな。これでも頑張って起きた方なんだが」

「うるせー。酒に弱いくせにガバガバ飲んだからだろ」

「ぐうの音も出ないよ。女神様が夢に出てきて、アームロックで起こしてくれなきゃ明日まで寝てただろう」

「……思ったよりファンキーだな、女神様」

 

 成る程、女神は夢の中でこのアホを起こそうとしてたのね。

 

 一応は、俺達を助ける努力をしてたのか。

 

「カールに酒を盛ったのは私の部下よ。だから、それは私の責任だわ」

「サクラ……」

「危険に晒してごめんなさい、猿仮面。そして危ないところを助けていただき、ありがとうございましたカール」

 

 俺がカールに文句を垂れていたら、サクラが割って入ってきて頭を下げた。

 

 空気が悪くなりそうなのを、察したのかもしれない。

 

「詐欺師扱いして申し訳ありませんカール、貴方は紛れもなく勇者でしたわ」

「……あ、いやその」

 

 流石に、サクラも貴族令嬢なだけはある。

 

 カールの言っていた『魔族が攻めてくる』というのが虚言でも何でもなかった事を知ると、自らの非を認め頭を下げた。

 

 この辺の切り替えの早さも、施政者向きの性格だな。

 

 さて。カールはサクラから結構きつく当たられていたが、奴の反応はどうだろう?

 

「あの、お嬢様。ち、乳首見えてますよ」

「服を着るタイミングが無かったんだから仕方ないでしょ!!」

 

 彼は謝罪より、お嬢様の乳首が気になったらしい。目を左右へと揺らしながら、カールは頬を染めて俯いていた。童貞らしい反応と言える。

 

 だが、セクハラになりそうだから口をつぐんでいたが、俺も気になってた。よく指摘したぞカール。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく考えたら私ほぼ全裸じゃない……。こんなはしたない格好で……」

「命の危機だったしな」

 

 サクラお嬢様は正気に戻った。

 

 さっきまでの腰にバスタオル巻いただけの裸族スタイルから、カールのマントを借り受けて露出魔の待機形態スタイルにフォルムチェンジした。

 

「私も顔を隠したくなってきたわ。猿仮面、あんたの仮面寄越しなさいよ」

「今のお嬢様が猿の仮面まで装着したら俺より不審ですぜ」

「うるさいわねぇ」

 

 その格好で動物のお面まで装備したら『本物』になっちゃうだろ。

 

「……なあ二人とも、今から俺達が借りてる宿に来ないか?」

「む、何故だ?」

「話がしたい。俺が常日頃言ってた『魔族が攻めてくる』ってのが冗談じゃ無いと分かっただろ。この人類の危機に、協力して欲しいんだ」

 

 ああ成る程、俺やサクラを協力者にするつもりか。

 

「……服を着る時間を頂けるなら、私は構わないわ」

「当然待つよ」

 

 サクラは着替えるようだが、俺に着替えはない。宿に置いてるからな。

 

 ……ふむ、ふむ。つまり俺はこの格好のまま、宿に戻るのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「猿仮面も来てくれるよな」

「嫌です」

「……ん?」

 

 

 

 

 ……流石に、バレる。

 

 変装しているとはいえ、このままマイカやレヴちゃんに会っちゃったらモロバレだ。

 

 イリーネだけ何時まで経っても帰ってこない状況で、精霊砲使える髪の色も声色もイリーネに似通った仮面とか気付かれない方がおかしいわ!

 

 カールは先入観のせいか脳筋だからか、幸いにもまだ、気づいてなさそうである。なら、このまま誤魔化しきるしかない。

 

 名家ヴェルムンドの令嬢が、猿の仮面を装備して風俗で働いてたなんて噂が飛び交えば我が家は終わりだ。

 

 何としても隠し通さなければ。

 

「……猿仮面、何か用事でもあるのか? なら日時を改めて……」

「嫌どす」

 

 頭が悪そうなカールならともかく、顔見知りに見られたらバレる可能性の方が高い。

 

 日時を改められようと、嫌なものは嫌だ。

 

「魔族とやらが本当に居るのは分かった。だが、お前の魔族退治なんぞに付き合っている余裕はない」

「お、おいおい。人類が滅ぶかどうかの瀬戸際だぞ? それよりも優先しなきゃならない理由って」

「あんな化け物と闘うなんて2度と御免だって言ってるんだよ」

 

 俺の赤ピンク色の脳細胞をフル回転させ、それっぽい断る理由を考える。

 

 今の俺の重傷っぷりなら、こんな言葉が出てきても不自然ではないはずだ。

 

「……猿仮面」

「それに、俺にはやらなきゃならない事があるんだ。こんな命懸けの闘いに身を投じている余裕はない」

 

 何かそれっぽい言い訳を絞り出せ。俺、そもそもどういう話でここに来たんだっけ?

 

 誰かに復讐するとかそんな話だったような。

 

「俺はある男を探してるんだ。それは俺の妹を拐い、婚約者の命を奪った胸に7つの傷のある男」

「何と……!」

「俺は絶対に復讐を果たし、妹を助け出さねばならない。あんな化物との戦いで、命を落とす訳にはいかない!」

 

 おお、咄嗟に出てきたにしては良い言い訳じゃなかろうか。

 

 俺はカール達に見つめられながら、声を震わせクッと悔しげに喉を鳴らした。

 

 迫真の演技である。

 

「あれ、前と言ってる事が違────」

「お嬢は黙っていてくれ。すまんカール、俺にはやらねばならぬ事がある」

「そんな事情が有ったなんて……。無理を言ったな猿仮面」

 

 よし、うまく誤魔化せたようだ。このまま、ノリで撤収してしまおう。

 

 仮面を掌で覆った俺は、クールに体を翻し。

 

 登り始めた朝日を背に、ゆっくりと歩きだした。

 

「いつか、全てが終わった時。その時は改めて力を貸すよ」

「……そうか。ありがたい」

「お嬢様も、治療ありがとうな。いつか、また会おう」

「いろいろ突っ込みたいけど……まぁ良いわ。行くのね、猿」

 

 おう、行くぞ。

 

 だってカールより先に帰らないと、怪しまれるじゃないか。

 

「忠告。貴方、暫くは絶対に安静よ。少なくとも3日間は、戦闘禁止ね」

「了解だ」

 

 お嬢様からのありがたい忠告を頂き、背を向けながらグッと親指を立てる。

 

 朝日に照らされた俺はハードボイルド系猿仮面として立ち去り、カサカサと隠れるように早朝の風俗街を後にした。

 

 カール達が帰ってくるまでに、このボロボロの身を清め部屋に戻らねばならん。

 

 傷を誤魔化す化粧の時間も必要だし、急がねば。

 

 

 



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17話「うわぁ、強くなろう。ビッグになろう」

「と、いう訳で」

 

 ごくり、と一同は唾を飲み込んだ。

 

「俺達は猿の怪人と共に魔族を撃退することに成功し、そして────」

 

 時刻は朝早く。

 

 目を覚ましてもカールが帰っていない事に気付き、怒っていたレヴちゃんとマイカの前で。

 

 若干お酒の匂いがする笑顔のカールは、女の子と手を繋いで悠々と帰宅した。

 

「今日から仲間になってくれることになった、サクラだ」

「暫く世話になるわ」

 

 うっすら透けているフリフリのスカート。赤く刺激的な布面積の少ないキャミソール。

 

 そして彼は、どう見ても風俗嬢な見た目のサクラを『仲間』として起き抜けの俺達に紹介したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風俗嬢をお持ち帰りして朝帰りとは、良い度胸ねカール」

「違う! 痛いから頬をつねるのはやめてくれマイカ」

 

 カールは即座に正座を言い渡され、幼馴染マイカにより折檻が加えられた。

 

 無理もない。一緒に戦っていた俺は、カールの言ってることが嘘じゃないと知っているのだが。

 

 サクラが刺激的な服に着替えたせいもあって、先程の報告がエッチなお店帰りの酔っぱらいの戯れ言にしか聞こえない。

 

「……この、イヤらしい服の女の人、何?」

「レヴ、貴女にはまだ早いですわ。少し私の方を向いていましょう」

「……カールは、不潔?」

 

 カール大好きっ娘の思春期レヴちゃんは、心底悲しそうな顔をしている。この野郎、レヴちゃん泣かしたら許さんからな。

 

「ふーん。私があれだけ頑張って資金をやりくりしてた間に、カールはエッチなお店で散財する人なのね。ふふふ、殺すわよ」

「誤解だマイカ! 本当に、本当に魔族が襲来したんだって!」

「その割には服も装備も汚れてないけど」

「いや、それは頑張ったからで!」

 

 まぁこれはカールの責任というよりかは、サクラの服が悪い気がしなくもない。風俗嬢の同伴にしか見えない。

 

「あの、サクラ・フォン・テンドーさん。どうしてそのような、扇情的な衣装を?」

「うるさいわね、今着れる服がこれしかなかったのよ」

 

 話が進まなさそうなので、助け舟を出しておくか。サクラの口から説明があれば、二人も納得するだろう。

 

「マイカさん。この方は紛れもなく、テンドー家のご令嬢サクラさんですわ。何故か、水商売の服を着てらっしゃいますけど」

「え。サクラって、あの高慢ちき貴族?」

 

 そうだよ。会ったことあるだろみんな。

 

「……言われてみれば、確かにあの貴族。胸が萎んでて気付かなかった」

「髪が解けてるからか、貴族のオーラが無くて分からなかったわ」

「胸なんか萎んでないし、貴族のオーラくらいちゃんとあるわよ!!」

 

 ……。あ、言われてみれば初めて会った時と比べて胸が萎んでる。

 

 ちょっと盛ってたのか。

 

「貴族がどうして、そんな商売女みたいな服を?」

「アジトが半壊したので、最寄りの私の店の娘から服を借りたの」

 

 そういや、あの辺りは風俗街近かったもんな。風俗嬢の服借りたのか。

 

「……じゃあ、魔族が襲来したのは本当?」

「ああ」

「じゃあ正体不明の猿の仮面を被った怪人が、魔族相手に大立回りして勝ったのも本当なの? その話で戯れ言と確信したんだけど」

 

 事実です。

 

「雇い主の私が言うのもなんだけど、猿仮面については深く考えない方が良いわ。頭がおかしくなるわよ」

「俺も同じ意見だ。道端で全裸で歩いている人が居たら、お前ら見て見ぬふりをするだろう? それと同じ対応で構わない」

 

 流石にソレと同じ対応は遺憾です。

 

「ふむ。魔族の襲撃が事実だとしたら、ひとまずは女神様の指令を達成できたって事なのかしら」

「ああ。女神様は『この街は暫く大丈夫』って言ってたな」

「……そう。じゃあ、次は何処へ行けばいい?」

「まだ未来を読み切れないそうだ。暫くは、修行して敵に備えろってさ」

 

 ふむ、次の行先は不明なのか。

 

 なら、しばらくこの街を拠点にして情報収集しつつ筋肉トレーニングあたりが妥当かな。

 

「では、改めて名乗らせてもらうわ。私はサクラ・フォン・テンドー、この街の『夜』を司る快楽と堕落の貴族」

「はぁ、どうも。……そういえば貴女、カールが仲間になるって言ってたけど」

「ああ、そのこと? 昨晩テンドー家の勢力がほぼ壊滅したから、この街に残ってたらいくつ命があっても足りないの」

 

 若干目が死んでいるサクラは、そう言うと速やかに地面に正座した。

 

「僅かに残ってる私の資産は好きにしていいから、連れて行ってください……」

「ちょ、土下座しなくても」

 

 ……。そうか、サクラの家は実質壊滅してたな。

 

 後ろ盾が無くなった貴族ほど惨めなものはない。ましてや、こんな治安の悪い街の貴族なら尚更だ。

 

 人買いに『元貴族の奴隷』とか銘打たれ、変態糞貴族に売られるのが関の山だろう。

 

「サクラはかなり高レベルの回復術者だそうだ。パーティに医者が居ると居ないとでは大違いだし、俺からも『是非仲間に』とお願いした」

「ふーん。カールがそういうなら、私は別に良いけど。回復術者は仲間にして損がないし」

 

 それに彼女は、俺のあの重傷からこうして五体満足に回復させてくれた。

 

 その恩は、返さねばならないだろう。

 

「私としても賛成ですわ。サクラさんは、この街で唯一まともな対応をしてくださった貴族ですし」

「……最初に会った時、イリーネさんには割と邪険に扱っちゃった気がするけど」

「挨拶を返してくださり感動しましたわ。まさか、サクラさんが礼儀という概念を理解しているなんて」

「私に対する期待値低くない!?」

 

 すまん。その前の2家の対応で、期待値が下限突破していたのだ。

 

「……その貴族に1度助けてもらった恩があるから、反対はしないけど」

「何か含みがありそうな言い方ね。遠慮せず言って良いわよ」

「……コイツ卑猥な服着てるし、信用出来ない。パーティーの和を乱しそう」

 

 レヴちゃんは、サクラの加入に難色を示していた。

 

 そういやこの娘、俺が加入した時も反対気味だったっけか。人見知り激しいのかな。

 

「この服は普段着じゃないわよ? 普通の服買って着替えるまでの繋ぎだしぃ」

「……でも、何となくカールを誘惑しそう。躊躇いなく胸とか露出しそう」

「躊躇いが無かった訳じゃないわよ!」

 

 せやな。非常事態だったもんな。

 

「それに男1人に女4人のパーティー、バランス悪い……。男に性転換して出直してきて」

「無茶言わないでよ……」

「その辺にしなさいな、レヴちゃん。カールが入れると決めたのですから」

「イリーネ……。むぅ」

 

 放っておくと際限なく毒を吐きそうだったので、一旦レヴちゃんを抱き締めて落ち着かせてあげる。

 

 見知らぬ人への警戒心が強すぎる。本当に小動物みたいだなぁ。

 

「それに、もう一人連れていきたい人が居てだな。まぁ、連れていきたいというか『連れていってくれ』と懇願されたというか」

「……え、もう一人ですの?」

「重傷だから今は上で休ませてるけど、サクラの配下の男が1人着いてきたいそうだ。これで男女比は少しマシになるぞ」

「お、男の人? 知らない、男の人、怖い……」

 

 ……。それってもしかして、マスターか?

 

「彼は私の付き人みたいなモノよ。基本的に私の傍から離れないから、あんまり気にしないで良いわ」

「……その男は連れていく価値あるの? 話を聞いてると、戦闘要員にはなれなさそうだけど」

「あの男は役に立ちますわよ? スラム出身ですが話術だけで成り上がり、人気風俗店を経営するに至ったその手腕と人生経験は中々のモノです」

 

 ほー、マスターって結構凄い人なのか。確かに、人生経験は豊富そうだが。

 

「いや、ソレ要はただのチンピラって事じゃ」

「……ヤらしいお店の経営者? それは、ヤダ」

 

 だが、流石に女性陣の受けは悪い。風俗店関係者ってだけでかなり胡散臭いもんな。

 

 話してみると、マスターは結構いい人なのだが。

 

「……お嬢」

「あ、貴方! まだ動いちゃダメっていったでしょ!」

 

 

 そんな、パーティ女性陣から反対の雰囲気を感じ取ったのか。すごく顔色の悪いマスターが、食堂にゆっくりと降りてきた。

 

 大丈夫か、この人。フラフラじゃないか。

 

「いえお嬢。この宿屋は床が薄くてね、話が聞こえてきちゃいまして」

「……だからって」

「カールの旦那、その仲間の皆さん。どうかこのしがないショボくれたオッサンの、一生に一度の頼みを聞いてくれねぇか」

 

 見るからにまだ不調そうなマスターは、震える足を折り曲げて地面に額を擦り付け、俺達に頭を下げた。

 

 いきなり重傷者が鬼気迫る勢いで頭を下げたので、マイカもレヴちゃんも凍り付いている。

 

「この方は、お嬢は、俺の全てなんだ」

 

 そのオッサンは、サクラの為に命を懸けて隙を作ったその男は、自分より一回りも二回りも年下の俺達に土下座を続けた。

 

「魔族のせいでテンドーの家も壊滅し、風俗の経営も手放さなきゃいけねぇ。共に夢を語り合った友人も、みんな化け物に食われちまった。俺に残されてるのは、もうサクラお嬢だけなんだよ」

「……」

「旅の途中で俺が不要だと思ったなら、奴隷に売り払って資金に変えてもらっても構わねぇ。俺ぁ少しでも、お嬢の力になれる事がしてぇ。頼む、連れてってくれっ……」

 

 枯れた声の、心よりの懇願。

 

 俺はその言葉に、嘘を感じなかった。これはひたすら真摯な、この中年の男の本心だった。

 

 彼は、何もかも失って残された命をサクラの為に使いたいと、本気でそう思っていた。

 

「……むぅ」

「俺としては、この人に着いて来て貰っても構わねぇと思ってるんだが。男が俺一人ってのも、肩身狭いし」

 

 まぁ、確かにこんな頼み方をされちゃあ断れんよな。俺も賛成しておこう。

 

「私はサクラ・フォン・テンドーさんを信用しています。彼女が勧める男性であれば、同行に何の不満もありませんわ」

「そうね。何かやらかしたらその場で追い出せばいい話だし。男手として、ついて来て貰うのもありかもね」

「……えー」

 

 レヴちゃんは俺の背中に隠れ嫌な顔をしているが、マイカも一応納得してくれたみたい。

 

 よかったよかった。レヴちゃんは、早く人見知りを治さないとな。

 

「恩に着る。この命、お嬢とあんたらに捧げることを誓おう」

「はいはい、満足したなら早く上に上がって寝なさいよ。心臓破けてたんだからね、貴方」

「うっ。了解です、お嬢」

 

 心配そうにマスターに駆け寄るサクラ。心臓破けるって、ソレ相当やばくないか?

 

「腕を貸しますわよ、付き人さん。私、ちょっとこの方を二階に送ってきますわ」

「え、あ、どうも」

「イリーネ、大丈夫? その人、結構体格良いけど」

「身体強化を使えば余裕ですわ」

 

 重傷だとは思っていたが、まさか心臓ぶち抜かれてるとは思わなかった。

 

 俺は肺が破れただけだし、彼よりは大したこと無い。

 

 マスターの方がよっぽど重傷じゃないか。まったく、そんな体で降りて来るなんて無茶な男だ。

 

 ……いや。心臓と肺が破けるのって、どっちが重症なんだろうか? なんとなく肺の方が破けやすい気がするけど……。

 

「ほら、しっかり捕まってください付き人さん」

「かたじけねぇ」

 

 まぁどっちでも良いや。なんか俺、サクラの治療のお陰か結構調子いいし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、付き人さん。このベッドで横になっていてください」

「ありがとうな」

 

 ヨロヨロのオッサンの肩を担ぎ、2階のカールの部屋に放り込む。

 

 男部屋で寝とけ。

 

「俺のことはマスターで構わねぇ。もう、バーも店も失ったけどな」

「なら、マスターとお呼びしますわ」

 

 おう、俺もそっちの方が呼びやすい。付き人さんって言いにくいんだよな。

 

「ではマスター。何か欲しいものはございますか? 喉は渇いておりませんか?」

「ありがとう、大丈夫だ」

 

 そうか。なら、もう俺は降りるか。

 

「では、お大事になさって」

「……ああ」

 

 にしても、一気に大所帯になったな。6人旅か。

 

 サクラが一緒に来てくれるのは心強いし、マスターの料理の腕は絶品だし。旅が楽しくなるな。

 

 

「……なぁ、イリーネさん。あんた、猿か?」

「……」

 

 

 俺がふと気を抜いた、その瞬間。

 

 マスターは不意に、俺の正体の核心を突いてきた。

 

「どうなんだ?」

「……ふむ」

 

 ふむ。やはり、気付かれていたか。

 

 精霊砲は、ヴェルムンド家の代名詞。あの魔法を人前で使った時点でバレるのは覚悟していたが……。

 

 マスター相手と言えど、正体はなるべく知られたくないのが本音。あんな猿みたいな粗暴な振る舞いを、他家に知られたらヴェルムンド家の品位が問われる。

 

 ───生き別れの兄とか、そう言う方向で誤魔化すか。

 

 精霊砲を使える、とある事情で勘当になった猿好きの兄が居ると言ってみよう。

 

 おお、良いなコレ。割と説得力のある嘘な気がするぞ。

 

 よし、これで誤魔化せる。いや、誤魔化して見せよう。

 

 

「な、な、何を言ってるのかお前、バカ野郎この野郎。わたわわわたしには生き別れの兄が居るウッキ」

「全身から馬脚生えてるぞ」

 

 おお、いかんいかん。結構動揺してたわ俺。

 

 嘘を突くのは得意なつもりだったが、こんな不意討ちで問い詰められる状況には慣れてないし。

 

「カールと飲んでる時、ヤツの仲間の話題になると猿仮面は動揺してたからな。猿の中身はカールの関係者だと睨んでた」

「動揺なんかしてませんわよ、ウホホホホ」

「お嬢様笑い出来てねーぞ」

 

 クソ、この男鋭いじゃねぇか。どうしよう、秘密を知られたからには口封じをしなければ。

 

 どうしようか……。

 

「……安心しろよ。別に、言い触らしたりしねぇからよ」

「いえ、その、本当に、俺……じゃなくて私は」

「はいはい。じゃ、俺が勝手にアンタを猿だと思って話しかけるわ」

 

 しかし。

 

 当のマスターは、別に言い触らすつもりは無いと言い放った。

 

「────今日は、ありがとうな」

「……」

「お嬢を守ってくれて、仲間の仇を討ってくれて、ありがとう」

 

 ……。

 

「魔族を退けたのは、カールですわよ?」

「アンタがいなけりゃ、お嬢は死んでただろ。それに、仲間の直接の仇を討ったのはあんただ」

「……そんな言葉を頂いて、さらに誤魔化すのは無作法ですわね。貴方のお礼、受け取っておきますわ」

 

 あー。もうバレバレっぽいし、おとなしく白状するか。

 

 噂が広まったらどうしよ。

 

「その、マスター? 少しお聞きしたいのですが」

「別に構わねぇが、その敬語やめてくれねぇか? その方が親しみやすいぜ猿」

「……そうかい。あのだな、サクラお嬢様は俺の正体に気付いてると思うか?」

 

 俺は、サクラの事をよく知っているだろうマスターに相談してみた。

 

 気にはなっていたのだ。俺の体を治療したサクラも、俺の正体に気付いてそうだと。

 

 彼女にもバレてるなら、しっかり口止めしておかなければ。

 

「お嬢様か。……んー、どうだろうな?」

「分からないか?」

「サクラお嬢は鋭い時はとことん鋭い人なんだが、普段は物凄いポンコツでな。あの反応だと、気付いてねぇんじゃねぇの?」

 

 ……えっ。普段は物凄いポンコツなのか、サクラ。

 

「うっかり集合場所を間違えて拉致されるわ、詐欺に騙されて全財産の半分くらい毟られるわ、何もない所でスッ転ぶわ」

「……あらら」

「あのお嬢だけ旅に連れていかれた日には、お前らにどんな迷惑をかけるか分かんねぇ。俺がついて行ってやらねぇと」

 

 そういや猿仮面として出会った日、拉致られてたなあのお嬢様。薄々そんな気はしてたけど、結構ウッカリな人なのか。

 

「そ、そっか。俺も気を付けて見とくよ」

「おう。……土壇場だとトコトン頼もしくなる人なんだがなぁ、お嬢は」

 

 だがいくらポンコツでも、サクラは俺にとって命の恩人。しっかりフォローしてあげるとしよう。

 

 いざという時は凄く頼りになるし。

 

「じゃあ、俺はちっと寝るわ。おまえも重傷だったんだから、早く休めよ」

「はいよ、サンキュー」

 

 その言葉を皮切りに、マスターは目を閉じて静かに寝息を立て始めた。きっと、もう限界だったのだろう。

 

「おやすみ、マスター」

 

 俺はそんなオッサンにシーツをかけてやり、再び食堂へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「寝ましたわ、彼」

「悪いわね、イリーネ。本当は主たる私の仕事なんだけど」

「気になさらなくて結構です。こう見えて、力持ちですのよ」

 

 あくまで清楚な範囲で、俺は力こぶを作りマッスルアピールする。

 

 ……うむ? なんとなく筋肉に元気がないな。やはり俺の身体はまだ本調子じゃないらしい。

 

「イリーネ、お疲れ。とりあえず今後の動きを話し合ってだな、元々受ける予定だった商人の護衛依頼をそのまま受ける方針にした」

「ああ、魔族が食いつくかもしれないと仰っていた依頼ですわね」

「次の行先が定まっていないし、どうせ旅をするなら丁度いいかなって」

 

 そうだな。その依頼を受ける理由は無くなったけど、断る理由も現状ないもんな。

 

 小金稼ぎに、しっかり依頼をこなしてやろう。

 

「行先がヨウィンってのも、ちょうどいい……」

「ヨウィン、ですか」

「そうね。魔法学研都市ヨウィン、古代の勇者伝説を研究している専門家のいる街」

 

 おお、それは何か聞いたことがある。

 

 色々な魔法学者たちが集って研究施設を作り、その最先端の知識を欲した有力者が移り住んで、いつしか大きな街へと発展したという研究者の為の街。

 

「過去の魔族との戦争資料が手に入れば、一石二鳥ね。適当に選んだ依頼だったけど、良い行先じゃない」

「もう買い出しも済んでいますから、準備もいらないですわね」

 

 そっか。じゃあ、この治安の悪い街とはおさらば出来るのか。

 

 風俗の店の客たちは悪い連中じゃなかったが、チンピラやらウサギ仮面やらに絡まれるのは正直もう御免被りたい。

 

「じゃ、今日はもう予定が無いのね。今から屋敷へ向かって路銀になりそうなものを回収しに行くわ。私を護衛しなさいカール」

「屋敷って、テンドー家のか?」

「そうよ。きっと今日中に、事情を知った他家のチンピラが略奪しに来るはず。それより早く、持ち出せる財産は持ちだしたいの」

 

 サクラはそう言うと、カールの手を引いて外へ出た。

 

 財産の確保ね、それは大事な仕事だ。

 

「もう少ししたら嗅ぎつけられて、戦闘になるかもしれない。急ぐわよ」

「ほほう、私も同行するわ。貴族の屋敷から、ドサクサに紛れて金目になりそうなものを片っ端から持ち出せばいいのね」

「マイカさん、でしたっけ。貴女、なんか目が輝いてません?」

 

 ……マイカは何でそんなに嬉しそうなんだろう。

 

 まぁ、資金が増えるのはありがたい話であるが。

 

「そう言うことでしたら、私もお手伝いをしますわ。多少は腕に覚えが……」

「イリーネさんは結構、ここで休んでなさい。私がここに逃げ込んだ姿はきっと見られてるもの。旅の資金や装備を置いてるこの宿を、防衛する戦力は必要でしょう?」

「え、はい。分かりました」

 

 筋力には自信があるので荷物運びを手伝おうと申し出てみたが、残念ながら俺はお留守番らしい。

 

 拠点防衛は確かに重要だしな。仕方ない。

 

「じゃあ、レヴとイリーネはこの宿で待っていてくれ。俺達で、路銀を回収してくる」

「オッケー、目利きは私に任せなさい。金目の物を正確に判定してあげるわ」

「いや、私の家の所有物なので価値は大体わかってるつもりですけど……」

 

 でも、なんかソレ楽しそうだな。ちくしょう、ちょっと羨ましい。

 

「じゃあ、出発ー!」

「盗賊を実家に案内している気分ね……。気が重いわ」

「いってらっしゃいまし」

 

 うーん。俺ってば後衛職だし、チンピラと殴り合いする様な任務には不向きと思われてるのかも。

 

 弱いと思われるのは悔しいから、もっとレヴちゃんに鍛えて貰おう。

 

 チンピラくらいなら、多分もう勝てるけど。いつか、魔族を一人でボコボコに出来るくらいには強くなろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まったく。3日間は絶対安静って言ったでしょうに」

「ん? サクラ、今何か言ったか?」

「何も言ってないわよぉ?」

 

 朝の戸張に、包まれて。

 

 そのギャング令嬢の呆れた声色の呟きは、早朝の街の雑踏にやがて溶け消えた。



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18話「本性を現したね」

「帰ったぞー」

 

 数刻後、カール達は戦利品を携えて宿へと帰宅した。

 

「お宝いっぱい、まぁまぁの稼ぎになったわ」

「お疲れ様……」

「ただいま、レヴ」

 

 喜色満面のマイカに、風呂敷スタイルで沢山のお宝を背負うカール。

 

「結構な量ですわね。明日までに、換金が間に合うでしょうか?」

「いや。これらの換金はヨウィンに着いてからやろうと思う。今のこの街は、勢力図がゴタゴタになってるから物価も安定してないし」

 

 ふむ。かさ張るとは思うけど運んで、向こうの街で換金するのか。 

 

 まぁ、せっかくなら適正価格で買い取ってほしいもんな。買い叩かれたらもったいない。

 

「ところで、聞きたいのですが……」

 

 まぁ、それは納得した。

 

 それよりも今、俺が気になっているのは……

 

「……ふ、ふふふ」

 

 彼らの後ろで目が死んでいるサクラお嬢が、ちいさなネックレスを大切そうに抱えて泣いてる事だ。

 

 

 

 

 

「……あの。サクラさんはどうされましたの?」

「ああ、辛いことが沢山あったんだ。気にしないでやってくれ」

 

 この短い時間で、いったい何があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マイカはな、商品の目利きが出来るんだよ」

「ちゃんとした鑑定眼を身に付けていないと、買い物の時にボッたくられるだけだもん」

 

 サクラが宿の隅っこでシクシクしている理由を、カール達は簡単に教えてくれた。

 

「それが、どうしましたの?」

「それがだな」

「テンドーの家宝が、だいたい贋作だったのよ。サクラさんの母親の形見すら、二束三文の価値しか無かったわ。それを聞いてから、ああなったの」

「おお、もう」

 

 自信満々に家宝を紹介したサクラは、その殆んどが価値の無いガラクタと聞いてショックを受けたそうだ。

 

 結局持ち出す事にしたのは、普段使いしている衣類や装飾品の一部だけ。テンドー家が代々大切そうに金庫にしまっていた財宝は、ほとんど安物なので置いてきたらしい。

 

「……許さない。あの商人共、絶対に落とし前をつけてやるんだから」

「サクラが今持ってるネックレスも、アクアルビーを模して作られた着色硝子よ。安物だから持っていく必要ないって言っちゃったんだけど」

「それが、サクラの一番大切にしている『今は亡き母親からの誕生日プレゼント』だったみたいで。それ聞いて以来、あのお嬢様は放心しちまった」

「胸が痛い」

 

 何より大切な宝物がガラクタって、そりゃ傷付くわな。

 

 父親は蒸発するわ、魔族に組織はぶっ壊されるわ、家宝は騙されて偽物だわ。不幸の星の下にでも生まれてるんじゃないのか、サクラは。

 

 何とか元気付けてやりたい。

 

「……サクラさん」

「イリーネ」

「どうか悲しまないでください。貴女が手に持っているネックレスは、紛れもなく本物なのですから」

 

 なら、ここは精神的年長者たる俺の出番だな。前世の記憶を換算すると最年長は間違いなく俺だ。

 

 ふ、ここは知的で包容感溢れるお嬢様モードを見せてやろう。

 

「……どういう意味よ」

「その物体の金銭的価値など、さして重要な要素ではないと言う意味ですわ。人から戴いたものの価値は、それに込められた想いにあります」

 

 そう言って俺は、袋から妹から手渡されたペンダントを取り出した。

 

 渋い黒褐色の、怪しい光沢を持つそれは、俺にとって紛れなく宝物である。

 

「これは、私が出発する際に妹から手渡されたものです」

「……見たことの無い素材ね。それは?」

「おそらく、土中の金属を抽出して作ったものでしょう。なので商人に売り払っても、このペンダントは二束三文です」

 

 だが、俺はそのペンダントを大切に布で包み、再び袋へと戻した。

 

「しかし、やはりこれは私の一番の宝物なのですわ。妹からの、純粋な想いが込められていますもの」

「イリーネ……」

「そのアクアルビーが偽物だったとして。貴女の母君からの想いまで、偽物だったのでしょうか?」

 

 金なんてどうでもいいんだよ、世の中は真心だよ!

 

 うむ。我ながら良い説得な気がする。脳の筋肉を鍛えておいて良かったぜ。

 

「……そっか。少し気が楽になったわ、ありがとイリーネ」

「これからは、一蓮托生の仲間ですからね。お気になさらなくて結構ですわ」

 

 サクラの顔色も戻り、空気が良くなった。ふぅ、これでひと安心。

 

「それに、誰も怪我せず戻ってきた様で何よりです。悪い人と小競り合いせずに済んだのですね」

「あー、いや。ちょっとチンピラとやり合ってきたわよ?」

「あら」

 

 何だ、結局戦闘になったのか。

 

 うーん、俺もついていきゃ良かったな。カールはともかく、サクラやマイカが怪我をしたらなぁ……。

 

 特にサクラは、貴族仲間だからか猿の時の経験からか、かなり親近感感じるし。

 

「どんな戦いになりましたの?」

「結構大規模な襲撃だったぜ。なんか、フーガーだかフーゴーだか言う気持ち悪いマッチョが大将として出てきたな」

「え、フーガー!? それって、あの『百人殺し』?」

「知っているの、イリーネ」

 

 知っているも何も、そいつとは戦ったことある。

 

 たしか傲慢ヒゲ貴族の下っ端で、かなり強い殺人鬼だった筈。俺との勝負では、筋肉では俺に分があったものの喧嘩慣れの差で負けかけた。

 

 よく、怪我をせずに済んだものだ。

 

「いえ、その方の悪名を聞いたことがあるだけです。元盗賊の、残虐無比な悪党と聞きますわ」

「あー、そんな奴だったのね。1発で再起不能だったから、あんまり気にして無かったわ」

「……そうでしたか。カールさんが傍にいてくれて良かったですわね」

 

 まぁ、あのデカブツもカールの敵では無かったか。魔族の群れ相手に無双する様な奴が相手では、分が悪すぎるわな。

 

 多分、フーガーは普通の冒険者基準では超強いんだろう。俺の師匠であるレヴちゃん並の戦闘技術はもっていた気がするし。

 

 俺が戦っても、勝ちきれたかどうか。

 

「……いや、イリーネ。そのフーガーとやらを一発でノしたのはマイカだぞ」

「えっ」

 

 えっ。

 

「まぁ不意打ちで、サクっと」

「うぅ、思い出しちゃった。デカいマッチョが、マイカさんに股間を潰されて断末魔の声を上げ……。オロロロロ」

「サ、サクラさん!?」

 

 何を思い出したのか。

 

 せっかく笑顔が戻ってきたサクラが、再び顔色を真っ青に変えて嘔吐し始めたではないか。

 

「よくも、あんな残酷な……。いくらフーガーが相手とは言え、あそこまでしなくても」

「お、落ち着けサクラ。マイカは敵には容赦ないが、味方にはちゃんと優しいから」

 

 ちょっと待って。俺の脳内では、マイカはパーティの常識人枠に入ってるんだけど。

 

 サクラが思い出しただけで吐き出すような真似を、マイカがしたのか?

 

「ちょ、ちょっと大げさじゃない? ほら、私は弱っちいから、どうしても敵の急所を狙う戦闘スタイルになるだけで」

「そうだな。確かにマイカは戦闘力は低いな、うん。やる事がえげつないだけで」

「……私も、たまに引く。合理的なのは納得するけど、引く……」

 

 そこそこ懐かれてるレヴちゃんにすら、引かれるような行動をするのか。

 

 ひょっとしてマイカって、かなりヤバい女なの? あんまり仲良くしない方がいいのか?

 

「違うから、イリーネさん。私、別に危ない人とかじゃないから。だからそんな目で私を見ないで!」

「これは俺の私見だが、純粋な脅威度でいったらマイカは人類最上位だと思う。戦闘力がないだけ」

「……マイカは戦況判断力が優れすぎてて、負け戦には絶対に関わらないタイプ。裏を返せばマイカが味方に付いてる時点で、ほぼ勝ち戦が約束されてる……。まさに、戦場の死神」

 

 そ、そうか。そういや前にカールが『絶対にマイカだけは仲間にすると決めていた』って零してたな。

 

 勇者パーティの最古参、最初のカールの仲間マイカ。彼女もまた、カールに及ばずとも非凡な能力を持っているのだろう。

 

「人類に対する脅威度で言えば、昨日俺が戦ったデカ魔族は大体0.5マイカくらいかな。魔族2体でマイカ1人分の脅威ってところか」

「……真に恐ろしいのは、魔族でも殺人鬼でもなく、一見普通そうに見える人……。真の脅威は、自らを脅威だと感じさせない……」

「ひ、ひぃぃ……」

 

 俺にはわかる。今のカール達は、本気で言っている。

 

 そんな、嘘だろ? 俺がやっと殺したあの怪物2体合わせて、やっとマイカと同格だっていうのかよ。

 

 じゃあ、俺なんかじゃ絶対にマイカに勝てないじゃん。

 

「悪ノリね、あんたら悪ノリしてるわね! イリーネが若干信じかけてるじゃない、早く誤解を解きなさいよ!」

「誤解……?」

「……誤解?」

「不思議そうな顔すんな!」

 

 誤解を解けと喚くマイカを、心の底から不思議そうに見つめるレヴとカール。

 

 そっか。やっぱりマジなのか。

 

「大丈夫ですか、サクラさん。とても気分が悪いようですわね、お部屋まで送りますわ」

「れ、礼を言うわフォン・ヴェルムンド。あの娘の顔を見ていると、トラウマが呼び起こされちゃうの」

「ほらぁ! イリーネが目を合わせてくれなくなったじゃない!」

 

 あの基本的に仲間を褒める事しかしないカールが、大真面目な目で言うんだもん。そりゃあ、信じるよ。

 

「マイカ、落ち着け。そんなお前だから、俺は最初に仲間に誘ったんだ」

「嬉しくない! 今のこのタイミングでそれ言われても全然嬉しくない!」

「……でも確かに魔王討伐の旅をするなら、マイカのような人は一番頼もしい。悪辣な敵を知るのは、悪辣な味方……」

「レヴ、覚えてなさいよ貴女! ちょ、違うからね。誤解だからねイリーネさん!」

「分かっております、分かっておりますから、どうかご容赦を。私は、その、まだしがない未熟な魔法使いでして」

「その反応は分かってない!!」

 

 取り敢えず、今は下手に出ておこう。もうちょい修行して昨日の魔族をボコせるくらいになるまでは、マイカに従順に接しよう。

 

 おお、怖い怖い。戸締まりしとこ。

 

「誤解よぉぉぉぉ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────イリア様」

「なんですか、サラ」

 

 ところ変わって、荒野を進む馬車の中。

 

 とある妹とメイドは、一足先に魔法学研都市『ヨウィン』へと馬車を進めていた。

 

「そろそろ実家に戻られてはいかがでしょう。旦那様に顔を見せなければ、怒られてしまうと思いますが」

「いやです。私が家に戻るのは、お姉様を説得してからです」

「あの様子を見るに、イリーネ様の決意は固いと思われますよ。旦那様も旅をお認めになられておりますし、もう諦めては」

 

 二人は、お守りに仕込んだ盗聴魔法からイリーネ一行の次の行先をヨウィンだと聞き、先んじて馬車で移動していたのだ。

 

「サラ、貴女の仕事はなんですか?」

「はい。イリアお嬢様の意を汲み、そして成すことです」

「その通り。これで、お話は終わりです」

「イリア様……」

 

 半ばやけっぱちになりながら、妹はメイドの懇願を切って捨てた。

 

 きちんと父親の了承を得て家を出たイリーネと違い、妹は父親に黙って家を飛び出している。それも、数日間だ。

 

 このまま帰れば、大目玉間違いなし。どうせ怒られるなら、とことんやってやれというのが本音だろう。

 

「それより、ヨウィンにはいつ頃着くのですか?」

「後、丸一日はかかると思います」

「ふむ、旅と言うのは存外に暇なのですね」

「さようでございますか」

 

 因みに妹の旅が暇なのは、やるべきことを全てメイドがやっているからである。

 

「本でも持ってくるんでした」

「馬車で読むと、酔いますよ」

 

 そんな、凸凹主従の気楽な漫遊。

 

 片や姉の身を案じる妹、片や主を諫められなかった自分の処遇にビクビクしている従者。

 

 その平穏で平和な旅路は────

 

 

 

「ヴぼぉぉヴぉっ!!」

「……はい?」

 

 

 

 なんかでっかい、毛むくじゃらの化け物に遭遇してぶっ壊された。

 

「……」

「ヴぼぉぉ」

 

 類人猿の様な顔、4足歩行の獅子のような体躯、狂人の叫びのような不気味な鳴き声。

 

 それは、二人が今まで見たことの無いような巨大な生物で。

 

「い、イリア様」

「……何ですか、これぇ?」

 

 呑気な旅をしていた二人を、恐怖のどん底に叩き落とすには十分なインパクトが有った。

 

 

 

 

「ぎゃぁぁぁあ!! 食われちゃいますぅぅ!!」

「イリア様ぁぁぁ!! お、お、お逃げください……!」

 

 目の前にいるのは、やべぇ怪物だ。二人は、本能的にそれを理解した。

 

 この魔族は幸運にもカールの凶刃を逃れ、野に逃げ延びた個体である。

 

 九死に一生を得たこの化け物は、散り散りになった群れの仲間に合流しようと、周囲を散策していたところであった。

 

「ヴかぁぁア!!」

「おんぎゃぁぁぁぁ!」

 

 そんなヘトヘトの怪物が途方にくれた先に、降って沸いた人間(しょくりょう)である。

 

 そりゃあ、襲うに決まっている。

 

「ば、馬車がぁぁあ!! 壊したらお父様に怒られるぅぅ!!」

「それどころじゃありません! 逃げますよ!」

 

 怪物の爪は馬車をひと割き、ガラクタへと変えた。メイドに引っ張られて飛び出したイリアは、間一髪で肉の塊にならずに済んだ。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 言うこと聞かずにすみませんお父様ぁぁ!」

「うぁぁあん! こんなの、契約の対象外ですよぉぉぉ!!」

 

 だが、それがなんだと言うのだろう。

 

 馬車から脱出できようと、怪物はもう二人を餌として認識しているのだ。

 

「ヴぅううヴぉォ」

「……あ、あ、あ。もうダメです」

 

 鈍重な人間の足で、獰猛な獣から逃げ延びる事が出来るだろうか。

 

 結末は決まりきっていた。二人は最初から、この怪物に目をつけられた時点でもう終わりだったのだ。

 

「姉様、ごめんなさい。こっそり追跡魔法仕掛けてごめんなさい、おやつ盗んだりしてごめんなさい、いつも悪口言ってごめんなさい……」

「イリア様、申し訳ありません。こっそり夜に添い寝してごめんなさい、食事に媚薬盛ってすみません、洗濯する前の下着盗んで申し訳ありません……」

 

 自らの人生の詰みを悟ったのだろう。

 

 二人は逃げることを止め、その場に座り込んでその人生の罪の懺悔を始めた。

 

 せめて、死後は安らかに成仏したいらしい。

 

「最期にお会いしたかったです、姉様……」

「このまま死んでしまうなら、いっその事……」

 

 そう、二人が死の覚悟を固めた瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 ────轟音と共に極光が天から降り注ぎ、その怪物を一息に蒸発させた。

 

 

 

 

 

 

「……ほへ?」

「……あら?」

「危ないところだったな!」

 

 目の前にできた、超巨大なクレーター。

 

 放たれたそのエネルギー砲は、イリアの知る史上最強と呼ばれた(イリーネ)の『精霊砲』より、遥かに強力な魔力砲であった。

 

「驚いたか? どうやら、魔族とか言うやべー怪物が復活したらしいんだ!」

「……え、あの。これは、一体」

「そこで黒焦げになった怪物が、魔族というものだ。人類では逆立ちしたって勝てないほどの、圧倒的な戦闘力を秘めた怪物よ」

 

 自分より遥かにでかいその怪物は、女の言う通り炭になって動かない。

 

 圧倒的な戦闘力を持っているらしいソレは、今や物言わぬ亡骸だ。

 

「だが一般人、安心するがいい」

 

 呆気に取られる二人の前に現れたのは、ペラペラと聞いてもいないことを喋り続ける女。

 

 見ればそれは燃え盛るような紅い長髪が特徴の、黒ローブを纏った少女だった。

 

「女神は、世界を見捨てていない。現にこうして、女神は勇者を世に送り出した」

「え、あ、はい? 勇者?」

「そうとも」

 

 その少女の、名は。

 

「私はアルデバラン。魔炎の力を纏いし勇者、アルデバランである!」

 

 

 

 

 この出会いが、イリアを平凡な貴族令嬢から、世界をも救う勇者達との数奇な運命へと導くことになる。



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19話「ギャングお嬢の死亡フラグ」

 商人の護衛任務は、盗賊に襲われたり魔物に遭遇したりすることなく終わった。

 

 2日間の旅を経て、俺達はレーウィンからヨウィン入り口の清流川のほとりへ辿り着いていた。

 

「これが、ヨウィン……。なんて、凄い街」

 

 照り付ける朝日の下、白く磨かれた石造りの橋を渡ると、そこに学研都市が広がっていた。

 

 まるで、古代の都にタイムスリップした様だ。

 

 噴水には天使が彫られ、整備された水路にはボートが浮かんでおり、大きな時計台を初めとした古代建築が見渡す限りに広がっている。

 

 ヨウィンは、そんな美しくも古風な建物が立ち並ぶ不思議な町だった。

 

「ヨウィンは初めてかいな、お嬢ちゃん」

「ええ、ええ! このように美しい街だとは思いませんでした!」

「はっはっは、この街は一生に一度は観光しとくべきやな。歴史マニアには垂涎の街や」

 

 このヨウィンという都市については、今回の依頼人である商人のおっちゃんが道すがら詳しく教えてくれた。

 

「せやな。暫くヨウィンに滞在するつもりなら、北と南のどっちに拠点を置くか考えとき」

「北と南、ですか?」

 

 その商人曰く、一際目立つ位置に建造された時計台を境目に、ヨウィンは北エリア・南エリアと2つの集落に分けられているそうな。

 

 北エリアには、カリブレート躍進院という魔法大学が中心となって『先進魔法技術』を研究しているらしい。

 

 細やかな学校や研究所がいくつも建てられ『新しく有用な魔法』の開発に日々勤しんでいるのだとか。

 

 一方で南エリアは真逆の方針で『失われた古代魔法』の研究が主だそうだ。

 

 リッセル古代図書館に日々学者は押し掛けて古文書を解析し、『古き良き時代の魔法』を現代に復活させようと目論んでいるらしい。

 

「最新の魔法技術を求めるなら北、過去のロマンを求めるなら南って事か」

「北と南は、意見の相違でちょっと対立気味や。観光するなら、どっちかに絞らんと白い目で見られるで」

 

 古きを求める歴史学者と、最新を求める魔法学者。まぁ、あまり仲はよく無かろうな。

 

「うーん。最新の魔法にも興味はありますけれど……」

「私達が滞在すべきは、やっぱ南かな? 過去の勇者伝説に詳しいのは、古い魔法を研究している人達っぽいし」

 

 そしてマイカの言う通り、俺達は南エリアの研究者と仲良くなるべきだ。

 

 過去の魔族はどんな形をしていて、どんな戦闘方法を取ってきたか。それが分かるだけでも、この街に来た戦果としては十分すぎる。

 

 ……新しい魔法を覚えて強くなりたい、というのは俺自身のワガママだし。魔族に精霊砲が通じないとは思わなかった。

 

 出来ればこの街で最新式の『魔法の杖』を買って、精霊砲の火力アップがしたい。後でマイカに、資金を出してもらえないか相談してみよう。

 

「南か、ええやん。古代の魔法って、やっぱロマンあるやんな」

「ええ。勇者伝説とか、とても面白いと思いますわ」

「分かるわ、その気持ち! ワシも若い時は夢中になって勇者の本を読み漁ったなぁ……。そう言うことなら、紹介状書いたろか?」

 

 ニコニコとそのおっちゃんは、目を細めて笑いながら一枚の白紙を取り出した。

 

「南エリアに研究熱心な友達がおんねん。ソイツに手紙かいて、話を聞けるようにしたるわ!」

「え、宜しいんですか?」

「かまへん、かまへん! 手早く依頼受けてくれて、あんたらには感謝してるし。それに、知識を求める若者に手を差しのべるのはヨウィンの『常識』っちゅーやつやで」

 

 なんと、そのおっちゃんは俺達に研究者を紹介してくれると言うではないか。

 

 それは助かるぞ。話が聞けそうな研究者を探して、交渉する手間が省ける。

 

「それは助かるな! おっちゃん、俺からも頼む。この通りだ」

「頭なんか下げんでええよ。お前さん、パーティーリーダーやろ? あんたはなるべくペコペコせず、堂々としとき」

「おお、何という良い人……」

 

 これは、ついている。カール達は、実に良い依頼を受けたものだ。

 

 こうして、俺達の旅は今日も絶好調で────

 

 

「ほな、紹介手数料は依頼料から引いとくなー?」

「おう。……おう?」

 

 

 旅は今日も絶好調なので、商人の腹黒い戦略により依頼料が10%カットされた事は気にしないでおこう。

 

「……商人はこういう生き物。頼み事は基本有料」

「まぁ、実際有り難いし」

 

 こうして俺達のパーティーは現地の研究者とのコネを得て、無事にヨウィンへと到着したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほな、護衛はここまででええよ。ご苦労さんや、冒険者はん」

「こちらこそご依頼、ありがとうございました」

 

 俺達は商人のおっちゃんを無事に商店街へと送り届け、依頼を達成した。

 

 この通りはこの町に住む研究者にとって衣食住の販売拠点となっている区画で、おっちゃんはその店の1つのオーナーらしい。

 

「しばらくこの街に滞在するなら、うちのお店に寄ってな。安くするで!」

「あはは、どうも」

 

 最後まで、商魂たくましいおっちゃんであった。

 

 

 

「ふぅ、結構いい収入になったな。で、これからどうする?」

「さっさと、紹介された所に行ってみる?」

 

 そして商人と別れた後、俺達は商店街の広間で一息を吐きながら話し合いを始めた。

 

「……その前に、お店の目利きをしていきたい。ここの街、レーウィンより技術レベルは高そう……」

「そうね、サクラの財産の換金もしときたいしね」

「賛成ですわ。せっかく商店街に来ているのですもの」

 

 とりあえず、何をするにも資金と装備が必要不可欠だ。かさ張るし、出来ればお宝は今日のうちに換金しておきたい。

 

 衣類、宝石類、装飾品類などはそれぞれ取り扱っている店舗が違う。どの場所にどんな店があるかを、把握する必要がある。

 

「だったらこの街の店の場所と、相場の情報が必要ね」

「ほう、じゃあちょいと散策の時間を取るか」

 

 マイカも、俺と同じ意見らしい。

 

 俺達は少し時間を取り、それぞれ別れて通りを偵察することにした。

 

「そんじゃあ半刻後に、この場所に集合しよう。店の場所と、その売価を確認してきて。出来れば、商品の質も」

「……了解した。そういうのは得意、任せて」

「ええ、了解しましたわ。では、また後で会いましょう」

「俺はお嬢に着いて行きます。どうせまた迷子になるでしょう」

「ならないわよ! 全く失礼ねぇ」

 

 少し迷ったが、俺は単独行動を選んだ。

 

 不馴れな街だしレヴやマイカと一緒に行動しようかとも思ったが……、護衛中に目に入った気になるお店があったのだ。

 

「では、失礼いたしますわ」

「じゃあ後でね、イリーネ」

 

 自由行動が出来るのであれば、ぜひともアレは購入しておきたい。だが、誰にも知られたくない。

 

 俺は、パーティのみんなと別れた後もこっそり見られてはいないかと振り返りながら、コソコソと隠れつつ『例のお店』を目指したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、サクラ主従は。

 

「ここは随分と、緊張感のない街ね」

「ウチらの街が、治安が悪すぎるだけでさぁ」

 

 パーティが解散した後、2人は『相場の把握』という使命をすっかり忘れて、興味の向くままに街を散策し始めていた。

 

「あんな風に無防備に商品を並べちゃって、盗まれないのかしら。私なら、気付かれずに盗る自信あるわよ」

「やめてくださいよ? 何せこの街には、貴族が多い。泥棒がバレて見つかった日には、通りすがりの魔術師にコンガリ焼かれてお陀仏でさぁ」

「ああ、それじゃ盗みなんて働く気にならないわよねぇ」

 

 何やら不穏な事を言っているが、別にサクラに窃盗癖がある訳ではない。彼女の住む街では、無防備に品を陳列する方が悪いのだ。

 

 店の経営者側の貴族だったサクラは、その無防備な陳列が気になって仕方がないらしい。自分の配下の運営する店であったなら、叱りつけてすぐに直しただろう。

 

「そういえばどうして、この街に貴族が多いの?」

「そりゃあ、ヨウィンは魔法研究の街ですよ? 魔術師が集まらない訳がないでしょう」

「ああ、そりゃあそうね」

 

 そしてこの街の住人は、大きく大別して2つに分かれる。

 

 それは研究により魔術そのものを発展させようとする『研究者』と、その知啓を学び得る代わりに研究者に資金や魔力を提供する『魔術師』だ。

 

 パトロンとなった貴族が研究者を雇い、自らの魔法技術を高める。それが、この街の根本的な成り立ちだ。

 

「割と位の高い貴族もいるみたいです。うっかり道端でぶつかった相手が侯爵令嬢とか、そんな話が有り得てしまう。治安は良いかもしれませんが、おっかなさで言えばレーウィン以上ですぜ」

「恐ろしいわぁ。ウチみたいな木っ端貴族なんか、一瞬で消し飛ばされちゃうわね。もう壊滅してるから関係ないけど」

「家が権力を失おうと、お嬢はまだ爵位は持っています。それは、すごく大事な事でさぁ」

 

 そのマスターの言葉に、サクラは()にもと頷いた、

 

「そうね。私はまだ貴族としての地位を失っていない」

「……お嬢」

 

 彼女の眼には、強い光が灯っている、

 

 そもそも、彼女が魔王討伐というカールの過酷な旅に着いてきた目的は、家を復興する為だ。

 

 カールが本物の勇者であることは、先の戦いで疑いようはない。そして、領地を取り返せるほどの地位を得るためには、分かりやすい戦果が必要だ。

 

 強い戦士である『カールとのコネクション』、そして魔王討伐という『分かりやすい功績』。それらはきっと、テンドー家の復興に何より大きな助けとなるだろう。

 

「私は魔王を討伐した後、いつかあの町に戻って、私を育ててくれたテンドー家の全てを取り戻す」

「……」

「きっと、今頃は店も宿も全部利権を握られちゃってるんでしょう。でも、それは奴らに貸しているだけよ。手放すつもりなんて、毛頭ないわ」

「無論です、俺も、あの店をいつか取り戻して見せる」

「そう。なら、私についてきなさい」

「ええ、何処までもついて行きますぜお嬢」

 

 それは、選択肢なんてなかった彼女のギャンブル。サクラはカールという男の非常識な強さに、自分の人生全てを賭けたのだ。

 

 それが吉と転ぶか凶と転ぶかは、神のみぞ知っている。

 

「まぁつまり、この街での揉め事はご法度です。レーウィンの時みたいに、喧嘩売ったり買ったりして上級貴族様に目を付けられたらたまんねぇ」

「分かったわ。こっちは治安もよさそうだし、そもそも喧嘩売られることも少ないんでしょうけど」

「ですな。あの街みたいに、目が合ったら殴り合うみたいなことにはならんと思いまさぁ」

 

 こうしてサクラ・フォン・テンドーとその配下は互いに家族(ファミリー)としての絆を誓いあい、新たなる冒険が始まって────

 

 

 

 

「……それ以上カールを侮辱したら、切り殺す」

「侮辱、侮蔑、軽蔑。ククク、おかしいな。貴様は事実を告げられると侮辱に感じるのか?」

「やめろ、レヴ。俺は気にしていないから」

 

 その、冒険者のリーダーたるカールが、さっそく揉め事を起こしている現場に遭遇したのだった。

 

「カールの旦那、何やってんだ……?」

「……アレに人生掛けて、本当に大丈夫かしら?」

 

 何はともあれ、見て見ぬふりは出来ない。

 

 サクラは、多少の躊躇いを覚えながらもカール達の下へ走って行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとカール、何事なのよ?」

「あ、サクラか」

 

 サクラが駆けつけた先に居たのは、剣呑な雰囲気のレヴと不快そうに腕を組んでいるカールだ。

 

 そしてその正面に立っていた、燃え盛るような赤い髪が特徴の女。

 

「大したことじゃない。変なのに絡まれているだけだ」

「絡んでいるんではない、諭してやってるのさ。貴様らの、その不敬をね」

 

 カールが指差した場所に居た女。

 

 それは背は低く目つきが悪く、黒いバンダナを額に巻いて真っ赤なローブを身に纏った、いかにも『攻撃魔術師』ですよといった風貌の女だった。

 

「そこの男は勇者を自称している。そんな不敬を、世界が許してもこの私が許さない」

 

 そう言うと、彼女は若干の憎悪すら込めて、カールを睨みつけた。

 

「自称ではなく、カールは本物の勇者よぉ? それは、実際に見た私が保証するわ」

「なんだお前も仲間か、それとも騙されたクチか? 足りないのは胸だけにしておけ、この茶髪貧乳」

「誰が茶髪貧乳よ!!」

 

 喧嘩の仲裁に来たサクラは、1秒で激高させられた。

 

「おい、お前。俺をいくら嘘つき呼ばわりしようと構わないけどな。俺の仲間まで侮辱する気なら剣を抜くぞ」

「侮辱ではなく、事実だろう? アホに騙されるアホを、見下して何が悪い」

「確かに茶髪貧乳は事実だが、それは人を傷つける言葉だ。それ以上続ける気なら、本当に斬る」

「事実じゃないわ! ぶっ殺すわよ!」

 

 カールはお嬢の乳首を見たことがあったので、現実を知っていた。

 

「この赤チビ、今すぐ訂正しなさい。さもなくば、ここで落とし前付けさせるわ!」

「どうどう、落ち着いてくだせぇ。お嬢まであっさり挑発に乗せられちゃいけねぇ、俺達は仲裁に来たんだろ」

 

 実はサクラは、結構挑発に乗りやすい。ギャング令嬢という面子をかけて何かする機会の多かった彼女は、プライドが高めなのだ。

 

「大丈夫です、マスターさん。俺は、ここで暴れるつもりなんてない」

「カールの旦那……」

 

 現状この場で冷静なのはマスターと、少し不快そうにしているカールのみだった。

 

 カールは、昔から馬鹿にされる機会が多かった。おとぎ話に憧れ、冒険者で貧乏暮らし、幼馴染には振られる。そんなカールだからこそ、多少馬鹿にされた程度では頭に血が上らない。

 

「……赤いの。今すぐ、サクラに謝れ。そうすれば、俺から言う事は何もない」

「は、やなこった」

 

 そんなカールの、逆鱗があるとしたら。

 

 それはきっと、仲間を侮辱された時のみであろう。

 

「そこで顔を真っ赤にしている貧乳女は、猿のように品性が無いカスだな」

「────そうか、殺す」

 

 女のその言葉が終わるや否や、カールは剣を抜き放った。

 

 本気だ。女神の恩恵を受けた勇者カールが、本気でその女を殺すつもりで、剣を抜いた。

 

「ちょ、カールの旦那!!」

「悪い。ちょっと、我慢が出来ない」

「……加勢する、カール……」

 

 周囲に、複数の魔導士が杖を構える気配。

 

 もし喧嘩になれば、取り押さえようという心算だろう。

 

「やめろ、旦那が暴れたらこの街に居られなくなるぞ!」

「邪魔しないでくれ、あんただって悔しいだろ」

「そりゃそうだけどよ!」

 

 マスターは、どうやってカールを諫めようかと必死で頭を絞った。

 

 魔族の群れを、1人で打倒する男。そんな人間が剣を一振りするだけで、どれだけ死人が出るか分からない。

 

 勿論、カールは他人を巻き込むつもりなんてないだろう。だが、頭に血が上った今の彼がどれだけ正確に剣を振るえるか分かった事ではない。

 

「そうよ、下がっていなさいカール」

 

 そんなマスターの不安を、分かってか分からずか。

 

 剣を抜いたカールの前に、そのギャング令嬢は歩を進めた。

 

 

「今のは、私に売られた喧嘩よ。私が買うのが筋でしょう?」

「ほう?」

 

 

 それは幼少期より喧嘩の世界で生きてきた、攻撃魔法を持たない貴族の少女。

 

「私は、サクラ・フォン・テンドー」

 

 勝てるか負けるか、そんなものはどうでもいい。噛みつくか噛みつかないか、それこそが重要だ。

 

 どんな敵が相手であろうと、心の牙を失わない。それが、テンドーの家訓である。

 

「その喧嘩、買ったわ。かかってきなさい」

「は、お前を釣るつもりなんぞなかったが。まぁ、網に掛かったのであれば相手をしてやろう」

 

 その猪武者さながらに真っすぐなサクラを見て、赤髪の女は愉悦に顔を歪め、杖を構えて名乗りを返した。

 

「私の名は、勇者アルデバラン。そこの偽物とは違う真の勇者、アルデバランだ」

「……はい?」

 

 その言葉が終わった瞬間、彼女の体躯から凄まじい魔力が噴き出す。

 

 魔力で蜃気楼のように空気が揺れ、目もくらむ七色の光がアルデバランを包み込んだ。

 

「よくぞ私相手に、そこまで吠えた。殺してやるぞ、ド貧乳!!!」

「……」

 

 

 あ、ヤバい。喧嘩を買う相手を間違えた。

 

 サクラは、即座にそれを直感で知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ」

 

 その諍いの、遥か後方で。

 

 群衆に紛れて様子を見守っていたカールの幼馴染は、肩をすくめ溜め息を吐いた。



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20話「勇者の敗北、決意の涙」

 その虹色に輝く魔術師は、間違いなく異形の存在だった。

 

 そもそも勝てる相手じゃない。何かを同じ土俵で競える存在ではない。

 

 同じ魔術師であるサクラには、ソレが一層ハッキリと理解できた。

 

「お、おいサクラ。コイツなんかやべぇぞ」

「……ふん。見ればわかるわ」

 

 同様に、異次元の存在であるカールもアルデバランの力量を悟ったらしい。

 

 勇者を名乗るだけの事はある。その赤髪の魔術師からは、凄まじい魔力の奔流が渦巻いていた。

 

「力の差に気が付いたか? 今すぐそこで土下座するなら、お前は見逃してやっても良いぞ」

「えぇ。まぁ、確かに凄い魔力よね」

 

 その赤髪が魔力を見せつけ、流石に血の気が引いたサクラの顔を見て、ニヤニヤとアルデバランは嗤った。

 

 きっとすぐに、許しを乞うと思ったのだろう。

 

「で? それが何だというのかしら?」

 

 だが、しかし。返ってきたサクラの反応は、赤き勇者の予想したソレとは異なった。

 

「む?」

「私の名前はサクラ・フォン・テンドー」

 

 彼女は顔こそ青ざめさせているものの、その目付きに一切の怯みは無く。

 

 正面から目を見つめたまま、杖を構えたアルデバランの正面にまっすぐ歩みより。

 

「生まれてこの片、イモを引いたことがないのだけが取り柄なのよ!!」

「なっ!?」

 

 女勇者の胸ぐらを掴み、勢いよく頭突きをかましたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あら?」

「そこまでにしなさい、アル」

 

 そのサクラの意地をかけた頭突きは、アルデバランに当たることはなかった。

 

 見上げれば、金髪碧眼のイケメン剣士がサクラの頭を抑えてアルデバランを守っていたからだ。

 

「……誰? タイマンの喧嘩に割り込むなんて、無粋な人ねぇ」

「申し訳ありません、お嬢さん。これでもアルは、僕にとって大切な人でして」

「ふん、要はそこの赤いのの仲間ってことね」

 

 興が削がれた、とサクラはアルデバランの胸ぐらを離した。

 

 せっかく、覚悟を決めて仕掛けたというのに。肩透かしも良いところである。

 

「それに、アルはやる時は本気でやっちゃう人なのです。あのまま続けていたら、貴女の方が危なかったんですよ?」

「まさか、それで私に恩を売るつもり? 反吐が出そうだわ」

「いや、まぁ、そうですか」

 

 謎イケメンの乱入で少し冷静になったサクラは、一歩引いて周囲を見渡した。

 

 もしかしたら、割り込んでくるヤツが他にも居ないかと思い至ったからだ。

 

 

 

 

 

 

「……アルは、僕が守る」

「やれやれ、うちらの大将は喧嘩っ早くていけねぇ」

 

 その勘は、正しかった。

 

 見れば、筋骨隆々のヒゲ中年と人形のように透き通る肌の少年が、アルデバランの背後からサクラを睨み付けているではないか。

 

 

「3人も新手が出てきたか。おいサクラ、この人数相手なら混じっても構わんな?」

「……そうねぇ。お願いするわ、カール」

「……始まっちまったもんは仕方ねぇ。お嬢、俺も入りやす」

「私も助太刀、する……。貴族にしては良い啖呵だった」

 

 アルデバランの仲間が喧嘩に割って入り、カール達も色めき立った。

 

 もう、サクラから頭突きをかましてしまっている。

 

 こうなれば、彼女を守るためにも参戦するしかない。冷静気味だったマスターも、覚悟を決めて拳を握った。

 

 

 ────しかし。意外なことに、目の前の金髪男はアルデバランの口を抑え、ペコリと頭を下げたのだった。

 

 

「……いや、こちらが引きますよ。元々は、アルから絡んだみたいですし」

「なに!? イノン、貴様何を……っ!」

「アル、僕は言いましたよね? この街では喧嘩はご法度だって」

 

 その展開に、サクラは呆とする。

 

 一方で不満を垂れようとしたアルデバランに向かい合い、キラキラした笑顔の金髪は少し怖い顔をして叱りつけた。

 

「魔族を名乗ったならともかく、彼が勇者を名乗ったから何だというのですか」

「いやだって、勇者はこの私────」

「それは、堂々と公言してはいけないと約束したでしょう? 貴女が勇者であるという情報は、秘匿された方が都合が良い。むしろ、他に勇者を名乗ってくれる人がいるならありがたいじゃないですか」

「だが、しかしだな……。勇者は私だし、認めてもらいたいし、その」

「……アル?」

「……うぅ」

 

 どうやら、アルデバランはこの仲間に頭が上がらないらしい。

 

 言い含められて大層不満そうに、彼女は口を尖らせて黙り込んだ。

 

「さて、ご迷惑をお掛けしました。僕のリーダーの数々の無礼に関しては、僕が代わりにお詫びします」

「……む。サクラへの侮辱さえ取り消すなら、俺から言うことは何もない」

「勿論ですとも。非礼な暴言の数々、ここでお詫びと謝罪をさせていただきます。申し訳ありませんでした」

「む~……」

 

 不完全燃焼。それが、サクラの本音であった。

 

 だが、避けられる争いは避けた方が良いのも事実。

 

「その謝罪、受けておいてあげるわ」

「……サクラが納得したなら、俺も引こう」

 

 サクラも、アルデバランの仲間の謝罪を受け入れた。

 

 これにて、一件落着である。

 

「ただ、今後貴方達とは絡みたくないわね」

「そうでしょうね。なるべく、顔を合わせないようにしておきましょう」

 

 茶髪のギャング令嬢は、そこまで言うと踵を返した。

 

「僕達にもまだ二人ほど仲間が居ますが、彼女らにも言い含めておきますよ」

「頼むわよ」

 

 1度は全面衝突かと思われたその諍いは、こうして平穏無事に終息し────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウッキャァアアアアアア!!!!」

「ウッサぁぁああああああ!!!!」

 

 謎の獣の奇声に、飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、何?」

「な、何事だ!?」

 

 周囲は、再び混乱の渦中に陥った。

 

 何せ、その名状しがたい獣の様な呻き声と共に、見るからに不審な3匹の怪人が転がり込んできたのだから。

 

「この前はよくも通報してくれやがったな、このウサギ野郎!! ニンジンのアミュレットなんか身に付けやがって、ますます怪しくなってるじゃねぇか!」

「それはこちらの台詞ですよ、不審者猿仮面! お前みたいなのはとっとと家に帰って、妹でも愛でていると良いのです!」

「そうですよ、私に健康で文化的なメイド生活を返してください!」

「何を訳の分からない事を!」

 

 通りに現れたその3人の不審者は、それぞれボロボロの猿の仮面1人と気味の悪いウサギの仮面2人だった。

 

 奇々怪々なその面々は、周囲に目もくれず互いに罵倒しあっている。

 

「……何、あれ?」

「教育に悪いからレヴは見ちゃいかん! ほら、俺の方を向いていような~?」

「……でも、あの人たち格好良いから見ていたい」

「ダメだ! お兄ちゃんは、レヴがあんな変態になること許しませんからね!」

 

 カールやサクラはすぐに目を逸らしたが、まだ幼さの残るレヴは仮面の集団に興味津々だった。

 

 意外なことに動物仮面の不審者は、チビッ子に人気らしい。

 

「……知らない人、知らない人。私は勇者アルデバラン、あんな不審者と知り合いだったりなんか────」

「あ、リーダー! そこに居るのは、私達のリーダーアルデバランじゃないですか、少しこっちに来てくださいよ!」

「巻き込まれてしまった!」

 

 カール達と同じく、目を逸らして他人の振り決め込んでいたアルデバラン。

 

 しかし、彼女はウサギ系変質者から声をかけられてしまっていた。

 

 なんと、アルデバランは不審者と知り合いらしい。

 

「……何してるんだ、その、イリ────」

「私の名前は、ウサギちゃん戦士1号です!!」

「何してるんだ、その、ウサギちゃん戦士1号……?」

 

 アルデバランが巻き込まれている間に、カールはサクラと目配せして群衆の中に逃げ込んだ。

 

 猿仮面に対する対応は、基本的には『全裸で道端を歩く人』と同じである。決して目を合わさず、無関係な人を装うのだ。

 

「聞いてください、リーダー! そこの糞ダサ仮面は、許せないことを言ったんです!」

「てめぇの方こそ、俺の逆鱗に触れたんじゃねぇか!」

「あ、いや、あのだな。とりあえず落ち着いて、な……?」

 

 しかし、既に巻き込まれてしまっているアルデバランはもうどうしようもない。

 

 是非もなし。さっきまで喧嘩していた張本人アルデバランは、一転して仲裁する側になってしまった。

 

「まぁ、何だ。お前ら、何をそんなに怒ってるんだ?」

「「コイツ、この俺(私)の仮面をダサいと馬鹿にしやがった!!」りました!!」

「……ぁー」

 

 流石のアルデバランも、絶句した。

 

「信じられません。このウサギちゃん戦士、一生の不覚です! こんな怪しい不審者仮面に、仮面のセンスを侮辱されるだなんて!」

「誰が怪しい不審者仮面だ、俺のどこが怪しいのか言ってみろ!! 自分の顔を鏡で見ながらな!!」

「ムキー!! まだ言いますか、このアホー!!」

 

 どっちもどっち。赤髪勇者はそう切って捨てたかった。

 

 どちらも死ぬほどダサいし、この上なく不審である。

 

「リーダーは分かってくれますよね!! この、ウサギの可愛さと格好良さを!」

「……えっ」

 

 だが最近仲間になった純粋無垢な土魔術師は、自分の仮面を格好よく可愛い姿だと信じて疑っていない。

 

 自分を信じきった声で、ウサミミを揺らしながら跳び跳ねるウサギちゃん戦士1号。

 

 それはきっと、アルデバランにとって苦渋の選択だっただろう。だが彼女は、

 

「そ、そうだな。うん、私はかっこ良いと思うぞ、その仮面……」

「ですよね!!」

 

 その純粋無垢な仲間に、合わせることを選んだ。

 

 

「リーダーなら、分かってくれると信じてました!」

「えぇ……?」

 

 そのウサギ型不審者を公衆の面前で褒めたアルデバランは、周囲からドン引きされた。

 

 何なら、同じくウサギ仮面を被ったメイドも引いていた。

 

「お前……、マジか。ソイツのリーダーやってるくらいだから普通の奴ではないと思ってたけど」

「ア、アル……。本気で言っていませんよね?」

「正気に戻って、アル……」

 

 迂闊な発言のせいで赤髪勇者は、自分のパーティメンバーからまで白い目で見られた。

 

「え、いや、今のは……」

「そもそも、よくそんな面妖な仮面を付けたヤツと仲間になれるな。美的センスおかしいんじゃねぇの、お前?」

「ぁー……」

 

 そして絶対に言われたくなかったその言葉を、よりによって不審者(さるかめん)からぶつけられた。

 

 アルデバランの心の中の大切な何かが、砕け散る音がした。

 

「よく見れば、お前自身もかなり服装ダサいし。髪が赤色だからって、全身赤で染めるのはセンスないわ」

「……えっ? いやだって、赤は私のパーソナルカラーで……」

「じゃあお前さ、もしも猿が『私は猿です』って書かれた服着ててみろ? 凄くダサいだろ、そう言う事だ」

 

 罵倒されたショックから立ち直る暇なく、アルデバランは猿仮面の不審者にセンスのダメ出しをされた。

 

「あーでも、確かに私もそれ思いましたね。赤色に合わせて、白とかグレーとか見映えるワンポイントが有ればなぁと」

「まぁ、今まで魔術一辺倒で生きてきたんだろ。お洒落に関しては、ド素人でも仕方ない」

「大丈夫ですよリーダー、私が今度もっとセンス良い服を見繕ってあげますから」

「……」

 

 アルデバランは、目が死にそうになりながらその言葉を噛みしめた。

 

 何で私は、ウサギやら猿やらの仮面を得意げに被っている変態に、ファッションセンスでマウントを取られないといけないんだろう。

 

 そんな、心の底で尋常ではないストレスに襲われながら。

 

「まったく、興が削がれたぜ。おいウサギ被りの変人、今日の所は勘弁してやる」

「それはこちらのセリフです。本当は今すぐその猿仮面をひっぺがしてやりたい所ですが、リーダーのお洒落を優先するとしましょう」

「材料とデザインを決めていただければ、私が衣服をお作りいたしますよ」

「ありがとうございます、ウサギちゃん戦士2号。ですが、それ以上私に近付かないでくださいね?」

「あれ?」

 

 何かを言い返そうとして、何から言い返せばよいか分からないアルデバラン。

 

 そんな彼女の正面に立った猿仮面は、自分より背の低い女魔術師(アルデバラン)の頭を撫でながらこう言った。

 

「まぁ、もっと精進するんだな」

 

 

 

 

「うわぁぁぁあああん!!」

 

 とうとう、彼女は何かに耐え切れなくなったらしい。

 

 赤髪の勇者アルデバランは、両目に大粒の涙を浮かべながら何処かへ走り去って行った。

 

「え、あれぇ?」

「リ、リーダー!? どうしたんですか!?」

「うるさい、こっち来るな、1人にさせろ!!」

 

 ウサギ(イリア)は心配そうな声でアルデバランを追ったが、女勇者はそれ以上の速度で駆けてゆき、やがて人ごみに消えてしまった。

 

「お前なんかに泣かされたんじゃないんだからな!! ばーかぁぁ!!」

 

 そんな、捨て台詞を残しながら。

 

「え、あ、あれ? アイツ急にどうしたんだ?」

「情緒不安定なのでしょうか? リーダーなのに」

 

 ぽかーん、とその泣いた女の子(アル)の後ろ姿を眺める不審者たち。

 

「あああ、またアルが泣いてしまった!! おいそこの猿、言い過ぎですよ! アルは口が悪い割に、すっごく打たれ弱いんですから!」

「え、そうなの? なんかゴメン」

「アル、アルー! どこへ行くの?」

「うわぁ、まためんどくさい機嫌取りをせにゃならんのか」

 

 泣きながら走り去ったアルデバランを、慌てて追いかけるパーティメンバー達。

 

 こうして、この場における勝者がついに決定した。

 

 

 後に宿命のライバルとなるカールパーティと、アルデバランパーティの抗争の初戦。

 

 その勝者は────

 

「……悪いこと、しちゃったかな?」

 

 

 

 

 猿仮面だった。

 

 



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21話「アルデバランの正体は?」

「……はぁ、はぁ。ついに手に入れたぜぇ」

 

 その時、俺は歓喜していた。

 

「まさか、本当にこんな奇跡のアイテムが実在していたなんて」

 

 こんなモノをお嬢様モードで購入したら噂になるかもしれない。

 

 だから俺は慎重を期して、猿仮面を装備してその店へと向かった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ。んほぉ、たまんねぇ……」

 

 俺が手に持っているのは、怪しく緑色に輝いている宝石があしらわれた銀製のブレスレット。

 

 これはどうやら観光客向けの特産品らしいが、俺の心の熱い部分にヒットしてつい衝動買いしてしまった。

 

「これを身に付けるだけで、本当に────」

 

 勿論、俺は宝石や装飾品に興味はない。

 

 俺はただ、このブレスレットに付随している魔法効果に興味があったのだ。

 

 なんと、このブレスレットは……。

 

 

「体が、すっごく重いぞぉー!! うほぉおぉお!!」

 

 

 装着者に、重力負荷をかけることが出来るマジックアイテムだったのだ!

 

「すげぇ、これさえあれば誰にもバレずに24時間筋トレ出来るじゃねぇか……」

 

 このヨウィンの観光客に人気を博している、トレーニング用の筋力増強ブレスレット。

 

 その中でも、最も負荷の強いモノを選んで購入してみたが……、これは良い!! 体が一歩踏みしめるごとに圧がかかる!!

 

 これが悟●やベ●ータが愛用した修行……。テンションが超上がってきた。

 

 装備時は所有者の魔力を消費し、体全体に重力負荷がかかる仕組みらしい。つまり、戦いの最中にピンチになって「ふむ……本気を出させてもらおうか」とか言いながら重力ブレスレットを外すという格好いいムーヴが出来るようになった訳で。

 

 これは、実に画期的な装備品だ。俺の人生(きんにく)の革命にと言っても過言ではない。

 

「伝説の重力修行だ、これで俺も最強の戦士だ! うは、うははははは!!」

「このブレスレットを気付かずに姉様に装着させれば、自分が弱くなったと勘違いしてきっと────、あは、あははははは!!」

 

 

 

 そんなこんなでテンションが上がり、高笑いをしていると。

 

 俺の隣から同じように、高笑いをする声が聞こえてきた。

 

「……ん?」

「……おや?」

 

 なんだろうと、横を向いてみるとそこには……。

 

 

 

「なーっ!! 変態ウサギ野郎じゃねぇか!!」

「げ、ねぇ……じゃなくてお猿の不審者仮面!」

 

 なんとレーウィンの街でひと悶着あった憎き相手、ウサギちゃん戦士がそこに立っていたのだ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って感じで、喧嘩になった」

「お前が言ってたウサギ野郎って、実在してたんだな」

 

 ────おい、お前なんで猿仮面になって喧嘩してんだよ。揉め事は厳禁だって言ったじゃねぇか。

 

 人気のない所で呼び止められた俺は、怖い顔のマスターにそう問い詰められていた。

 

「悪かったよ、熱くなっちまった」

「まぁ、ウチのお嬢も揉め事起こしてたし今回は大目に見るが……。次やったら正体バラすぞ」

「ごめんなさい。許してください。何でもしますんで」

 

 正体ばらされたらヴェルムンド家の威厳が地に落ちちゃう。

 

「……ていうか、カール達にも見られちゃったんだよな。マイカとレヴちゃんは、猿仮面の正体に気付いてそうだったか?」

「いや距離が離れてたし、二人とも目を合わせないようにしてたし。多分気付いていないと思うが」

「そっか、よかった。……あれ、何で目を合わせないようにしてたの?」

 

 幸いなことに、マスターの話ではみんな俺が猿仮面だと気付いていないらしい。

 

「そんなに正体バレたくないなら、筋トレ器具買う程度でワザワザ変装すんなよ」

「いや、俺みたいな清楚な可憐な美少女がマッチョ用の負荷グッズかったら目立つし……」

「……はぁ。次から、俺に言やぁ買ってきてやるぞ?」

「本当か!? それは助かる!!」

「お前は俺とお嬢の命の恩人だ、そんな程度の雑用で良ければやってやるさ」

 

 やはり、マスターは良い人だ。そう言ってくれるなら、次からはお願いしてみよう。

 

「後な、悪いがお前よりお嬢の方が清楚で可憐だ」

「……清楚? 可憐?」

「清楚で可憐だろぉが?」

「あ、ハイ」

 

 サクラは言うほど清楚で可憐だろうか。どっちかって言うと男前な奴だと思うが。

 

 清楚というのは俺の様にお上品で、可憐というのは俺の様に可愛らしい存在を言うはずだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マイカもイリーネも、あの場に居たのか?」

「私は居たわよ。あんたら喧嘩しそうだったから、いざって時の為に罠張りしてたんだけど……。ま、不要だったわね」 

「私も、何やら騒がしかったので遠巻きに様子を伺っておりました。あの方々はお知り合いなのですか?」

 

 集合時刻になると、既に待ち合わせ場所には全員集合していた。

 

 俺はその場にいたのか問い詰められたが、猿仮面については知らぬ存ぜぬで通すことにした。

 

赤いヤツら(アルデバラン)は知らんけど、猿仮面は俺の知り合いだな。……なんでアイツ、こっちに来てるんだろ?」

「……それって、魔族を1匹倒したっていう、例の怪人さん?」

「そうだぞ。あの滲み出る怪しさは間違いなく本人だ」

 

 いうほど滲み出ていたか?

 

「……正体不明の、強い戦士。きっとお父やお母の様に、あの仮面さん達は訳あって身分を隠しているに違いない……。かっこいい」

「レヴ、あれをカッコいいと認識するのはやめなさい。ダメです。お兄ちゃんは絶対に許しません」

「えー……」

 

 そうだよな、やっぱりアレ格好いいよな。

 

 やはり、カールはちょっとセンスが人とズレてるみたいだ。可哀想に。

 

「で、まだあんたはアレを仲間に誘う気? 私はご一緒したくないわね、怪しすぎるわ」

「中身は良い奴なんだ、本当に。それにシンプルに強いから、背中を任せられる」

「せめて仲間に誘うのは、身元がはっきりしてる奴にしましょうよ」

 

 まぁもう、仲間としてご一緒してるんですけどね。

 

「でもあの猿仮面、なんか大事な用事があるから仲間になってくれるつもりはないみたいよぉ? 本人が言い出すまでは、放っておきましょ」

「だな、とりあえずアイツは放置だ。バッタリ街中で出会っても、他人の振りをするんだぞ」

「言われなくとも話しかけるつもりなんてないわよ」

 

 おう、そうして貰えた方が誤魔かす手間が省けて助かるぜ。

 

「じゃ、もう時間だし換金しに行きましょ? 相場がマシな店は、もう見繕ってるから」

「お、仕事が早いなマイカ」

「誰かさんと違って、私は喧嘩で時間を潰したりしてないの」

 

 そういうと、マイカはいくつかの店の方角を指さした。

 

「今日中に手土産持って、紹介された学者さんの家に挨拶に行くわよ。それと、宿も探さないとね」

「……生活拠点の確保、大事」

「だな」

 

 俺達が喧嘩している間に、マイカは一人でやるべき事を終わらせてしまっていたらしい。

 

 うむ、カールより頼りになる。

 

「そんじゃ、行くぞ」

 

 こうして取引を無難に済ませた俺達は、商店街を離れた。

 

 そして商人に紹介してもらった『魔法学者ユウリ』を訪ねるべく、南エリアへと足を進めた。

 

 その先に、どんな出会いがあるのかと胸を踊らせながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ」

「よっておいで、見ておいで!」

「おお、君たち! バイトをしてみる気はないかい!?」

 

 南エリアへと通じる、水路を渡る橋。

 

 その場所は、多種多様な人々が往来して活気に満ちていた。

 

「ねぇねぇ、そこゆくお兄さん。少し、時間を頂けないかい。君には不思議な運命が渦巻いている気がするよ、ボクの占いを聞いていくといい」

「アルバイト募集だよ~! 危険なことなど何もないよ、ただちょっとジュースを飲んで一晩ゆっくりしてもらうだけ! その間、体の変化を記録させてもらえればバイト代貰えるよ!」

「生きの良い魔導ゴーレム、新作だよ! 使い道は特にないけど、ほら勝手に動くんだぜ! これは買いだろ!」

 

 商店街と住居エリアの中間であるその橋は、少し怪しげな露店で溢れていた。

 

 この感じは、レーウィンの風俗繁華街を思い出す。

 

 研究者の街だし、もっと静かな雰囲気を期待していたが……。まぁ、ここを越えればきっと静かになるだろう。

 

「ねぇ、お嬢さん。この薬を飲んで、一晩だけうちに泊まらないかい? 損はさせないよ」

「すみませんが、他を当たってくださる?」

「どうだい嬢ちゃん、このゴーレム。動くぜ!」

「……動いてますわね」

「そうだ、動くんだぜ! だから買え!」

 

 すれ違う度に声をかけられるのは、結構ウザかった。

 

 レーウィンの風俗街のポン引きは、まだ美人のお姉さんが声をかけてきただけマシだった。むさいオッサンに声をかけられるのは苦痛極まりない。

 

「ほらほら、そこいくお姉さん。ちょっと数分、頂けませんか」

「すみませんが、急いでますので……」

「ボクの話が役に立たないと断ずるのであれば、お代は結構ですよ。しがない占い師ではありますが、世の中を見通すことには長けているつもりです」

「いえ、その、ごめんなさいね? また、時間のあるときにお付き合いしますわ」

 

 そのまま流れで、橋の手摺にもたれ掛かったフードの女の子に声をかけられる。

 

 水晶を手に持ったその娘は、レヴちゃんより幼い。商売と言うより、ごっこ遊びをしている様に見える。

 

「聞いておいた方が良いよ? ボクが今から語るのは、与太話でも何でもない」

「……はぁ」

「なんと既に魔王が復活していて、間もなくこの街へと攻め込んでくるんだ。そうなってからじゃ、君達は他人事で居られなくなるよ」

 

 普段なら、ちょっとくらいは構ってあげても良かった。

 

 だが今日は買い物に喧嘩で時間がかかったので、早めに学者さんに挨拶に行きたい。今は、子供の遊びに付き合っている時間はない。

 

 申し訳ないが、スルーしよう。

 

 そう、思っていたけれど。

 

「……魔王の、復活?」

「そうさ。もう、魔王という存在は復活しているらしいんだ」

 

 子供の与太話として切って落としにくい言葉が出てきたので、俺は立ち止まった。

 

「おや? 興味があるかい、この話に」

「……そうですわね」

 

 それはもしかしたら、この子のごっこ遊びの設定というだけかもしれない。

 

 無論、聞くだけ無駄な話かもしれない。

 

 でも、

 

「……カール」

「ああ。お嬢さん、今の話を詳しく聞かせてくれねぇか?」

「ふふふ、喜んで。占い師は、その見通した先をベラベラと喋るために生きているのだから」

 

 俺達は、情報収集のためにこの街を目指したのだ。

 

 それが有益な情報である可能性があるなら、是非とも聞いておくべきだろう。

 

 

 

 

 

「ボクが知る話によるとね」

 

 白髪のショートボブ。フードをすっぽり被った少し眠たげなその女の子は、注目を集められて嬉しそうに話を始めた。

 

「つい10日ほど前、この街に赤き魔炎の勇者が現れて人々に告げて回ったらしいんだ。『魔族の王が復活した、再び混沌の時代が始まる』と」

「……ほう?」

 

 彼女の話は、どうやら『赤き魔炎の勇者』……、おそらくアルデバランの語った内容をそのまま吹聴しているらしい。

 

「彼女によると、まもなくこの村に魔族が攻め込んでくるそうだ。みんな、冗談や悪戯だと馬鹿にしているみたいだけど……。ボクには、本気で言っているようにしか見えなかったね」

「そうか。その女勇者について、知っていることはもっと無いか?」

「そうだね。……名前は、アル何某といったかな。凄まじい魔力の持ち主で、最新式の炎獄魔法を習得している世界最強クラスの魔術師だそうだよ」

「ふむ」

 

 確か女神様は「次に魔族が訪れる場所が分からない」とカールに言っていた。しかし、アルデバランは次にこの街が襲撃されると言うらしい。

 

 もしもアルデバランが本当に女神に選ばれた存在だというなら、何故カールと聞いた話の内容が違うのだろう。

 

「で、誰も信じてくれなかった事に腹を立てた彼女は、自分の魔術工房に籠って有事に備える事にしたそうだよ。北エリアに工房を借りて、今は生活しているらしい」

「そっか。他に情報は?」

「いや、ボクが知っているのはこれくらいかね。どうだい、役に立ったかい?」

 

 占い師の少女はそう言うと、ニパっと笑顔を見せた。

 

 そうか。期待していた内容とは違ったが、アルデバランの情報が手に入ったのは収穫だと言えよう。

 

 勇者を自称する凄腕魔法使い。ヤツの正体は何者なのか、カールから女神様に確認してもらわねば。

 

「ありがとう、お嬢ちゃん」

「礼なんていらないさ。少しでもボクの話が役に立ったと思うなら、ついでに占いを聞いて行きなさい。全員合わせて50Gで、君達の運命を見通してあげるよ」

「……あー。む、まぁ良いか。頼む」

「毎度あり……」

 

 良い情報が貰えたので、カールはお布施として自腹で50Gを彼女に支払った。こういうお金をケチったら、誰も情報をくれなくなるので仕方がない。

 

 必要経費だと言えよう。

 

「……むむむ! これはこれは、皆様なかなか数奇な運命の様子で」

「ほう? どう数奇なんだ?」

「えっと、そうだね。剣士君、君が全ての仲間の運命と紐付いているよ。今後、君と一緒に旅をしている仲間たちの命運は君の選択で大きく変化していくだろう」

 

 金を払うと、占い師の少女は少し愉快そうにカールを見据えて笑った。

 

「君、名前は?」

「カールだ」

「カール君。君は、群れを守る百獣の王だよ。君が道を違えない限り、君の仲間たちはずっと君を支え続けてくれるだろう。まもなく君に大きな苦難が訪れるだろうが、選択を誤らない限り道は開ける。精進したまえ」

 

 むむ。まぁ、カールはパーティのリーダーだし、そりゃあそうだろうな。

 

 占い師って言えば、適当で意味深な事を言いつつ誰にでも当てはまることを言うのが仕事だ。コールド・リーディングって奴だっけか?

 

 まぁ、信じる気にはなれんな。

 

「そこの、小柄な女の子……。君は、小猫かな」

「……子猫?」

 

 次に占い師は、レヴちゃんに語りかけた。ビクッと、レヴちゃんの肩が揺れる。

 

「そう。警戒心が強く、なかなか誰かに懐こうとしない子猫。でも、その将来性には目を見張るものがある。……君、どこか凄い人の血筋だったりしないかい?」

「……うるさい。私は、普通の冒険者の子」

「そうかい」

 

 占い師はレヴちゃんに向かって話しかけるも、プイとそっぽを向かれてしまう。うん、警戒心が強いのは見たままだ。

 

「えと、次はそこの……レンジャー衣装のお姉さん」

「私? マイカよ」

「おお。マイカさん、貴方はウサギですね。愛情が深く一人で生きていけるようにふるまいつつも、実は寂しがりで誰かのぬくもりを求めている。おそらくお相手は……さっきのカール君?」

「んな!?」

「貴女は自分の心に素直になるだけで、一つ上の幸せを得ることが出来ますよ。それに、ウサギは性欲が強い事で有名な生物です。貴方も本当は────」

「ちょ、ちょ、何をデタラメ言ってんの!! この、ちっこいからって」

「……ああ、失礼。少し配慮が足りませんでした」

 

 おお、この娘は結構観察力あるな。マイカの恋心、もう見抜いたのか。

 

 それとも、本当に占い出来るんだろうか。子供のごっこ遊びにしては、堂に入っている気がするし。

 

「あんた、適当言ってるだけでしょ! 訂正しなさいよ!」

「失礼な、ボクの占いは本物ですよ」

「ま、まぁまぁマイカさん。子供のいう事ですわよ」

 

 マイカの目がつり上がったので、窘めておく。

 

 この子、結構怖いもの知らずだ。

 

「そこの、胸が大きい貴族さんは……、ゴリラだね。身長は180㎝で体重100㎏オーバー、人間の12倍の筋力を持ち、身の危険を察知すれば自らの糞を投げ付けてくる森の怪人」

「あれま」

「そこの胸の小さな貴族のお姉さんは、なんとびっくり獅子だね。実は、上に立つ者の資質をこの中の誰より備えている……。ただ、今は怪我をしているみたい。雌伏の時だから、耐えぬいてみて」

「ご忠告は感謝するけど、胸の大きさでイリーネと区別しないで。殺すわよ」

「その後ろのオジサンは……、野良狼か。恐ろしい牙があるように見えて、その実は臆病で従順。仕えるべき主が居ることを、幸運に思うといいよ」

「……む、見透かしたことを言いやがる」

 

 むむ、サクラの王器にまで気付くのかよ。これ、コールド・リーディングとかじゃなく結構ガチの占いなのか?

 

「はいはい、もう満足した? もういいでしょカール、とっとと行きましょう」

「……見当はずれの事ばっかり。時間の無駄だった」

 

 レヴちゃんとマイカの二人は、胡散臭い詐欺師に対する反応だ。だがこの占い師が本物なら、カールに大きな苦難とやらが訪れる訳で。

 

「マイカ、ごめん。私、ちょっとこの娘を信じる気になってるわ……。初対面にしては、人の内面を見抜き過ぎよぉ」

「……恥ずかしいが、俺も見透かされた感じがしたね。お嬢に賛成しとく」

「そうですわね、私もこの娘を信じかけています。カール、一応気を付けましょう」

「……待ってイリーネは納得(そっち)側で本当に良いの?」

 

 構わないけど、何か?

 

「なぁ、占い師さん。俺に降りかかる苦難ってのは、どんなもんだ?」

「そうさね。君に降りかかる苦難は、君にとっては取るに足らないモノさ。ただ、君を必要としている人たちにとってその限りではないよ」

「どういう意味だよ」

「思い切りをよく行動しなさい。悩まず、咄嗟に最適に動きなさい。それが、次の君の苦難に対しては正答になりうるだろう。……まったく、たかが50Gで喋る内容じゃないね、コレは」

 

 そこまで言うと、白髪の占い少女はニコリと微笑んだ。

 

「これで、助言は終わりだよ。君達がどんな未来を歩むのかボクには分からないけれど、君達が歩む先に見えたものは話した通りさ」

「まぁ、よく分からんが一応頭に入れておくよ。ありがとう」

「そうしてくれ。君が、選択を誤らないことを祈っていよう」

 

 そう言うと、彼女は再び目を伏せて水晶を覗き込み始めた。

 

 言うべき事は言い終わった、という感じだ。

 

「……不気味なやつ」

「そうね、気にしないでおきましょ。それより、早く紹介された学者の家に行かないと」

「ああ、ユウリさんだっけか」

 

 にしても、気になる娘だったな。ただの子供のごっこ遊びにしてはイヤに現実味があった。何より、彼女の人見は割と的を射ていたように思える。

 

 可憐で清楚な俺を見て、ゴリラなぞ普通は連想しない。何かしらの、特殊な魔術を使っていると考えるのが妥当だろう。

 

「む、ユウリだと?」

「お、知ってるのか占い師さん。良ければ、家がどの辺か教えてくれないか?」

「……ふむ。もしかして、君達は商人パイロンからの紹介状を持ってたりするのかい?」

「パイロン……? ああ、あの商人はそんな名前だったような」

「おお、そうかそうか。何だ、それを早く言いたまえよ」

 

 一度は会話を切った占い師少女だったが、ユウリという名前を聞くと驚いた顔で再び話しかけてきた。

 

 何やら、知っているらしい。

 

「パイロンの言っていた実験(モルモ)……、お客さんというのは君達なんだね。来るのはもう少し夕方になると思ったが」

「……む?」

「ああ、自己紹介が遅れて申し訳ない。パイロンが紹介した学者というのは、ボクの事さ」

 

 そう言うと、白髪の占い師は俺達の前に歩いてきて軽く一礼した。

 

「どうも、はじめまして。ボクは『未来を見通す者』『時代の観察者』たる占考学者ユウリだ。君達を歓迎するよ」

「……え?」

 

 

 そう言って手を差し伸べてきた少女は、レヴちゃんより年下にしか見えぬ幼さの残る女の子。

 

 それが、俺達と天才少女ユウリの出会いだった。



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22話「修羅場系パーティに入った俺だったが」

「さあ入りたまえ、遠慮は要らないさ。ボクの工房へようこそ、冒険者諸君」

 

 白髪の幼女に導かれるままに、俺達は街を行き一軒家へと案内された。

 

 案内されたのは石造りの洋館で、奇妙な魔法陣が幾つも壁に描かれた『いかにも』な風体であった。

 

「おお、立派な家。一応聞くけど、1人暮らしじゃねぇよな?」

「ああ、父と同居している」

「そうか」

「ボクの父も研究者だ、一応ね。もし父の研究に興味があるなら、口を利いてもいいよ」

 

 そこまで言うと、ユウリは口をつぐんだ。

 

 ……ふむ。何故か今、母親の話題が出てこなかったな。触れない方が良いんだろうか。

 

「それはありがたいな。まずユウリは、どんな研究をしてるんだ?」

「よくぞ聞いてくれた。ボクは、古代より伝わる由緒正しい予知魔法を正しく再現する研究をしているのさ。ボクの占い師稼業も、研究の一端だね」

 

 カールも母親については触れない方が良いと判断したらしい。ユウリが話しやすそうな話題を振って、分かりやすく話を変えた。

 

「予知魔法……。え、じゃあ俺に大きな苦難が待ち受けているってのは本当なのか?」

「うむ、本当である可能性が高い」

 

 くるくると、白い短髪を弄くるユウリ。その彼女の瞳は、少し不満げに揺れていた。

 

「ただし、確実ではない。ボクの見た未来は、あくまで『現時点で起こる可能性が最も高い未来』に過ぎないのさ。だから昨日の占い結果が、今日の結果と変わることなんて多々ある」

「ふーん、最も起こる可能性が高い未来、か」

「それが、現代占星魔術の限界なのだよ。ボク達占魔法使いは、予知しているのではなく予測しているに過ぎないのさ。ボクはそれが、不満なんだ」

 

 彼女は、自らの魔法を語りながら自嘲する様に笑った。

 

「ネズミと猫が戦っているのを見て、『猫が勝つだろう』と分かる魔法にどれだけの価値があるだろう? 考えれば自ずと分かるのに」

「む、何となく言いたいことは分かるぞ」

「もし、猫がネズミに敗北するような事があるならば。その結果を予め予知してこそ、価値のある対策が取れるんだ。ボクが研究しているのは、予測を予知に変える術なのだよ」

 

 成る程、確かにそうかもしれない。

 

 話の内容は少し小難しいが、ユウリが言いたいことは何となく理解出来た。要は占魔術をもっと確実なものにしたいわけね。

 

 そういや占魔法って、突き詰めれば確率論になるって家庭教師が言ってたな。

 

「その為に、君達にボクの研究へ協力してほしいのさ」

「協力って、何すれば良いんだ?」

「ああ、大したことは要求しないさ。君達には、数日間だけボクの指示通りに生活してほしい」

 

 ……む? それ、結構大した要求じゃないか?

 

「君達に対して、ボクが朝一番に占を立てる。その結果を元に、色々と行動してほしいんだ」

「具体的には?」

「例えば、占の結果でカール君が転ぶ事が分かったとする。ならばその日に『足元に気を付けて』と言い含めて、それでもなお転ぶかどうか様子を見る」

 

 白髪の少女はそう言うと、少し真面目な顔になって俺達を見つめた。

 

「ボクの新たな占魔術理論が正しければ、どう言い含めようとカール君は転ける筈なんだ。確率を予想しているのではなく、未来を予知しているのであれば」

「まぁ、そうだろうな」

「だから、君達にはしばらくボクの占結果に逆らって生活して貰いたい。それで、ボクの占いが外れたかどうかを報告してほしいんだ」

「……へぇ? それ、ちょっと面白そうじゃない。要は、あんたの占をどんな手を使ってでも外させれば良い訳ね?」

 

 ふーむ。まぁ、そのくらいなら確かに大した要求じゃない。

 

「ただ申し訳ないけどウチは金欠で、協力の報酬として金品を支払うことはできない。代わりに、ボクが持ちうる限りの知識やコネを提供しよう。これで、どうだろうか」

「ああ、助かるよ。そもそも俺達は、学びに来たわけだし」

「授業料が浮くなら万々歳ね。ついでに、この家に泊まり込むとかはアリ?」

「研究に参加してもらってる間は、我が家を住居としてもらって構わない。客部屋は3室しかないので、相部屋をして貰うことになるがね」

 

 お、泊めてくれるのか。

 

「その方が、朝一番にボクの屋敷に来るより楽だろうさ」

「それは、助かりますわ」

「ただ、ボクの家に家政婦やメイドの類いはいない。生活するのであれば、食事や洗濯などは自分でやって貰うよ」

「無論、構わねぇ」

 

 そして、ユウリとの契約が成立した。

 

 彼女は、俺達に住居と知識を提供し。その代わり、俺達はユウリの研究へ暫く協力する。

 

「そんじゃ、明日の予定はどうする?」

「俺は、戦闘じゃあんまり役に立てねぇ。代わりに炊事洗濯は、任せてもらおうか」

「そうね、マスターにその辺は任せて私達は街を散策するってのでどぉ?」

 

 炊事などは、その道のプロフェッショナルのマスターが買って出てくれた。

 

 これはありがたい。俺も料理は出来るけど、マスターには勝てんし。

 

「私達は好きに出歩いても、宜しいのですよね?」

「朝一番の占に逆らってもらう事以外に、ボクから要求することはない。日中は、ある程度自由に行動してもらって構わないよ」

「なら明日は各自、自由行動にするか。みんな散って、それぞれ情報を仕入れてきてくれ」

 

 こうして、俺達はユウリの好意で生活拠点を得ることが出来た。

 

「今夜はもう遅い。今日くらいはボクが食事をご馳走するから、待っていたまえ」

「おお、感謝する。料理出来るんだな」

「こうみえて嫁入り修行はバッチリなのさ。将来は、ボクの知慧と魔術を欲する貴族に娶って貰う心積もりだ。良い当てがあれば紹介してくれ」

「その年から将来見据えすぎだろ」

 

 ……ふむ、貴族の側室狙いか。魔力は弱まるから正室に平民はあり得ないけど、側室に囲う貴族は多いと聞く。

 

 彼女が優秀な学者であるなら、十分勝算はあるだろう。

 

「……本気なのでしたら、伝を当たって差し上げますわ。縁談の類は、我が家にいくらでも飛び込んでまいりますので」

「おお、助かるよ」

「まぁ、もう少しお年を召してからですけどね」

 

 ここは、おとなしく媚を売っておこう。仲の良い貴族に能力のある学者を紹介するのは、我が家にもメリットになるし。

 

「……ここの家の本は読んでもいいの?」

「ボクの家にある本? ああ、汚さないなら手に取って貰って構わないさ」

「……ん」

 

 レヴちゃんは、じぃっと本棚の本を見つめていた。どうやら、気になる本があるらしい。

 

「じゃあ、今日はこのままユウリの世話になりつつ、本で情報を集めるか。勇者伝説などについて書かれた本はあるか?」

「うーん、父の趣味の本棚に小説くらいならあると思うけど。ボクは読んでないから、場所は知らないね」

「そういうのに詳しい学者に渡りをつけて貰う事は出来ます?」

「あー……。少し、知人を当たってみるよ。でもそういうのなら、父の知り合いを当たった方が良いかもしれない」

 

 ユウリは、少し難しそうな顔をして俺達の話を聞いていた。

 

 どうやら彼女自身は、あまり勇者伝説に詳しくなさそうだ。

 

「まぁ、父にはボクから話を通しておく。君達は気兼ねなく、本を読んでいると良い」

「それはどうも。そういや俺達、まだ親父さんに挨拶をしていないな」

「そこは気にしないでくれ、君達はボクの客なんだ。父と会う必要はないさ」

「いや、そういう訳にはいかないでしょ……。ここ、お父さんも住んでいるのよね」

「まぁ、そうなのだけど。父はその、少し変わり者なんだ。あまり会わない方がいいと思う……」

 

 父の話題が出ると、ユウリは目を伏せて明後日の方を向いた。

 

「変わり者?」

「その、何というか父は、メインの研究論文が『宴会芸で使える古代魔法』という感じの人で。学会でも奇異の目で見られていてだね」

「友人として見ると面白いけど、家族になると迷惑なタイプの人か」

「迷惑ってレベルじゃないよ……。ボクが初めて発表もちこんだ時も、父の名前が出ただけで門前払い食らったし」

 

 ユウリは、父の話をしている時はほんのり目が死んでいた。きっと苦労したんだろう。

 

「悪い人じゃないんだけど、迷惑な人なんだよ父は。尻から出てきた魔法を食らいたくなければ、会わない方がいい」

「何それ怖い」

 

 そんな人には確かに会いたくねーな。

 

「父は夜遅くまで出かけているから、彼が帰ってくる前に客間に入ってくれたまえ。そのまま寝て貰えると、ボクとしては助かるよ」

「そうか、分かった」

 

 そんな半ば懇願に近いユウリの要請を受けて、俺達は早々に案内された客室へと入った。俺とサクラ、レヴとマイカ、そして男どもという部屋割りだった。

 

 彼女の手作りの夕食は確かに美味しく、お腹も膨れたのだが……。夜遅くになると陽気な男の歌声が屋敷に響き、少し寝不足になったのは我慢するべきか。

 

『もう、客が居るんだと言っただろう!!』

『客が来ているからこそ、歌うのだ! ラララララーイ!!』

『本当に勘弁してくれ、さもなくば親子の縁を切る事になる!』

 

 ユウリは、しっかりと怒ってくれていたみたいだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……翌朝。

 

「ああ、部屋から出てきてくれて構わないよ。父はもう追いだしたから」

「追い出した、て」

「本当にすまなかった、昨夜のような乱痴気騒ぎはもう起こさないと約束しよう。久しぶりの客に、父も興奮してしまったらしいんだ」

 

 朝日が屋敷の窓を照らし出したころ、疲れた顔のユウリが俺達の部屋をノックして起こしに来てくれた。

 

 昨夜は、なかなかに大変だったようだ。

 

「父はもう研究室に向かわせた。すまない、君達の求める勇者伝説に詳しい学者への伝手は少し待ってくれないか? 父とその話をする余裕が、昨晩には無かったんだ」

「ああ、いや、どうも。そりゃあ、しゃーねぇよ」

 

 まぁ、そうだろうな。昨日は、大喧嘩をしていた様子だし。

 

「今から早速、今日の君達の占を立てる。それが終わった後は、自由に行動してくれたまえ」

「分かった。何処に行けば良い?」

「居間に来てくれ、簡単ではあるが食事を用意している」

「おう」

 

 なるべく、彼女には優しくしてあげよう。

 

 俺は、すこしゲッソリしている幼いユウリを見てそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

「うむ。……むむむむ、これは……」

 

 そして、食事を食べている間。

 

 ユウリは非常に難しい顔で、食卓に置かれた水晶を覗き込んでいた。

 

「そうか、いや、成程。むむむ」

「何をそんなにうなっているんだ、ユウリ」

 

 その顔は、先程までと打って変わった真剣なものだった。他人の未来を見通す彼女には、きっと彼女にしかない視点があるのだろう。

 

「うむ、そうか。すまない皆、今日の占に関しては何も頼むことはない。思い思いに、1日を過ごしてくれたまえ」

「ん、何だそりゃ。俺達は占いの結果を教えて貰って、その占い通りにならないようにするって実験じゃなかったのか?」

「今日に関しては、何もしない方がいいのさ。では、もう解散してくれて結構だ」

 

 そう言うと彼女は、静かに席を立った。

 

「では、失礼するよ。君達の今日に、幸せの多からんことを」

 

 何かから逃げるように、いそいそと席を立ったユウリ。

 

 ただ気のせいか、その時彼女は少し頬を染めてカールの方を見ていたような気がした。

 

 

 

「……行っちまいましたね」

 

 さてユウリも去って、自由に行動していいぞと言われた俺達。ここから、どうするかだが。

 

「勇者伝説に詳しい学者さんへの伝手がまだ貰えてない訳で、あんまりやることないわね」

「……一応、図書館とかは使えるって」

 

 はっきり言って、あまりプランは無いのであった。

 

「そういやカール、女神様からアルデバランの事は聞けた?」

「いや、昨日は夢に出てきてくださらなかったな。女神様も、忙しいのかもしれない」

「そっか」

 

 そうなのか。カールって毎日、夢の中で女神様に会える訳じゃないんだな。

 

「まぁ、今日はまだヨウィンに来て2日目だし。みんな観光もして無いだろう、今日は好きに羽を伸ばしていいんじゃねぇか」

「そうですわね」

 

 そんなカールの一言で、今日はオフという事になった。

 

 昨日まで長旅をしていた訳だし、確かに休養日を設けるのもいいだろう。

 

「じゃあ、今日はゆっくりしましょうか」

「……ん」

 

 

 だが、その一言こそが地獄への入り口であることを、この時のカールはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、手合わせか? 良いぞイリーネ」

「ふふ、よろしくお願いしますわ」

 

 俺は、この降って湧いた休日をカールを誘って修行に費やすことにした。

 

 今まで近接戦に関してはレヴちゃんに指導をしてもらっていたが、まだこの男と直接手合わせしたことが無い。

 

「私に勇者の選ばれし力というものを、経験させてくださいまし」

「オッケー、じゃあまた後でな」

「楽しみにしております」

 

 俺は前から、一度勇者の身体能力を体験したいと思っていた。

 

 それに大概カールは他の女子メンバーと仲良くしていることが多く、二人きりになれずにいた。これは、奴と距離を縮める良い機会だと思うのだ。

 

「では、私達がヨウィンに入った門の郊外の広場でお待ちしておりますわ」

「おう、了解だ」

 

 ふ、ふふふ。腕が鳴るぜ。

 

 今まであんまりカールと男らしい付き合いをしてこなかったからな。ここで一つ、俺がパーティ内のライバルポジションだとカールに認めさせてやらねばなるまい。

 

 対人戦闘に関しては、対魔族特化の剣術しか使えないカールじゃそんなに強くないだろう。俺でも戦えば、ワンチャンくらいはある筈だ。

 

「あ、そうだイリーネ……」

「では、本日の昼! よろしくお願いしますわね!」

「え、あ……」

 

 カールが何かを言いかけた気がしたが、俺は気にせずに走り出した。

 

 さぁて、血沸き肉躍る筋肉のぶつけ合いの準備を始めようか! あのビキニアーマーは何処にしまったかな?

 

 ふはは!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、まぁ。

 

 こんな感じでカール君と決闘(デート)の約束をしてウキウキしてた俺だったが。

 

 

 

 

 

「…………カール? 今日は私と、一日付き合ってくれるんじゃなかったの?」

「……一緒に、甘い物、食べようって。カール……」

 

 俺は、カールを舐めていた。

 

 この男の朴念仁スキルが、此処までのものとは考えていなかった。

 

「私をわざわざ買い物に誘ったのは、あなたでしょぉ? これ、どういうこと?」

「カールさん、私との戦闘訓練をしていただけるという約束は……」

 

 約束の時間、約束の待ち合わせ場所、郊外の広場付近。

 

 そこには、目を吊り上げて一人の男を睨みつける4人の女の子が居た。

 

「え、あ、いや。全員と十分時間取れると思ってたんだけど」

「……で、4人全員と約束重ねちゃった訳? 同じ時間に、同じ待ち合わせ場所で?」

「それは、その、調整に失敗したというか」

 

 俺はてっきり、今日はずっとカールと殴り合えるもんだと思っていた。

 

 しかし、この男は何と……。俺だけではなく、パーティの女子全員に約束(デート)を交わしていたのだ。

 

「……」

「え、あれ? 何でみんな、そんなに怒ってるの?」

 

 いや、俺は怒ってないんだが……。マイカとレヴちゃんは、かなりキてるだろこれ。

 

 完全にデート用の装備で身を固めてますやん。凄いお洒落してきてますやん。

 

「ん、そういやマイカにレヴ。何か今日、可愛いな服」

 

 大丈夫か、コイツ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまないねカール君、ボクは研究者なのだ。研究者とはすなわち、自らの知的好奇心に決して抗う事が出来ない生き物なのだよ」

「……ユウリのお嬢。これは、一体」

「だって、見たくもなるだろう。あの男が、仲間の女の子全員から詰め寄られる未来が見えたんだぞ? ボクはその未来に対する好奇心を抑えることが出来なかったのさ。だから、カール君に助言しなかったボクは研究者として決して間違っていなかった訳で……」

「はぁ……」

 

 その様相は、物陰に隠れたロリとオッサンが鼻息荒く見つめていたりする。



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23話「ラッキースケベの神様」

 同日午後。

 

「ほう、これはなかなかですわ」

「へぇ、結構美味しいわね。この店、当たりじゃない?」

 

 カールに4人の約束がブッキングされ、どうするんだこの空気となった俺達勇者一行であったが。

 

 わずかに一触即発な空気が流れたものの、パーティー崩壊に繋がる様な事態にはならなかった。

 

「……♪」

「あらレヴ、口元汚れてるわ。そんなにがっつかずに食べなさいよ」

 

 まぁ今回は、幸いにも一番争いの火種になりうるマイカとレヴちゃんが仲良しだったのが大きい。

 

 サクラはカールにお熱って感じでは無さそうだし、かくいう俺もカールに異性的興味を抱いてなぞいない。

 

 そんな背景もあってか、

 

「俺の手違いで同じ時間に集まっちまってすまんな、俺が奢るからこのまま遊びにいこうぜ」

「……はぁ」

 

 と言うトンチンカールな男の提案に、全員が乗ったのだった。

 

 ビキニスーツの戦闘装束な俺、わりかし本気デート装備のLOVE勢と普段着のサクラ。この4人をつれ回そうとしてる辺り、カールは本当に大物なのだろう。

 

「最初は、甘いもの……」

「まぁ、それで良いわよ」

 

 そして現在、レヴちゃんと約束していたスイーツ巡りを行っていると言う話である。

 

 商店街の一角にあったお洒落なカフェに入った俺達は、幸せそうなレヴちゃんを愛でながらのんびりとした時間を過ごしていた。

 

「なあマイカ。今日はお前、すごく可愛いよな。こう、なんと言うか、すごく可愛いよな」

「お小遣いの前借り? 構わないけど利子が付くわよ?」

「……はい、分かりました」

 

 因みに4人全員を奢ると宣言したカールだけは、メニューの値段を見て顔を青くした。

 

 このヨウィンという街は、商品の質が良いが物価が高い。何せ、そこら中に貴族が闊歩する街なのだ。

 

 この街はお金持ちの暮らす街。そんな場所の大通りに構えている店が、庶民的な値段の筈がない。それに気付けなかったのが奴の敗因と言える。

 

「平民のお金で食べるお菓子は美味しいわぁ」

「……それは貴族としてどうですの、サクラさん」

「自分の懐が痛まないのは最高の調味料なのよ? そう言う貴女もガッツリ食べてる癖に」

「だって、この店は本当に美味しくて……」

 

 流石にカールが哀れなので俺は遠慮してやろうかと思ったけど、この店の料理がこれまた旨いのだ。

 

 パッと見は洒落た軽食屋だったが、これがまた大当たり。出てきた肉の焼き加減といい、香辛料の使い方といい、付け合わせのサラダのセンスといい、何もかも完璧である。

 

「甘いものを食べに来ておいて、ステーキ頼むのは女性としてどうなのよ?」

「糖分よりタンパク質の方が体に良いですわ」

「まぁ、私は普通にケーキを頼むけどぉ。店員さん、これお代わりお願いねぇ」

 

 サクラは、カールの懐事情なんぞ何のそのと頼みまくっている。

 

 ほんのり頬がゆるんでいるあたり、実はサクラも甘いもの好きなのだろう。

 

「今、代金計算したけどお小遣い3ヶ月分くらいね」

「……今日でサクラとも仲良くなりたかったし、これで喜んでくれるなら俺はっ……」

「ばーか」

 

 この後、全員でショッピングを楽しんだり修行をしたり、一日かけてカールを酷使した。

 

 彼はしばらく小遣い無しの生活らしいが、きっと覚悟の上での発言だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの男は、何処か抜けてるわよねぇ?」

「完璧な人間なぞ、なかなか存在しませんわ」

 

 夜。

 

 ショッピングの帰りにカールと組手を行った俺は、ユウリの家に戻った後サクラと共に水場で汗を流していた。

 

「まぁ、リーダーには美味しいモノ奢って貰えたし? 平民特有の小狡い感じがしないのは好感が持てるけど」

「彼は、とても誠実な男ですわ」

「ふーん……」

 

 俺やサクラは一応貴族なので、髪のケアに時間をかける。……と、言うことになっている。

 

 本当のところ今までは烏の行水だったのだけど、サクラが仲間になったので真面目にヘアケアをする事になった。

 

 時間かけないと怪しまれるし、これは仕方がない。

 

「イリーネ、貴女はカールの事をどう思ってるの?」

「どう、とは?」

 

 ふと、サクラは俺にそんなことを聞いてきた。

 

「他の二人は、まぁ想いの方向が露骨よねぇ? イリーネだけは、よく分からなかったから」

「ああ、そう言う方向の話ですか」

 

 要はサクラは、俺がカールを狙ってるかどうかを聞きたいらしい。

 

 まぁ、女4人のパーティーだ。そう言う人間関係の把握は重要だな。

 

「私は、その気はありませんわね。カール自体は好ましく思っているのですが、異性としては見ておりません」

「ま、そんなとこよね。貴女、本心を隠すのが上手いから分かりにくいのよ」

「ふふふ。貴族は貞淑と可憐で身を包んで、真意を隠すことが重要なスキルなのです」

「……やれやれ、貴女って結構タヌキよねぇ。あの占娘はゴリラ扱いしてたけど」

 

 む、誰がタヌキだ。あんな筋肉のない動物に例えられるなど、侮辱に値するぞこの野郎。

 

「まぁ、その気がないのは分かったわ。イリーネの性格的に嘘は付かないでしょうし」

「当然ですわよ、私は嘘が大嫌いなので。私は、殿方より女性に興味があるのですわ」

「あぁ、成る程ね。確かに、ちょっとそれっぽい雰囲気が────」

 

 あ、ポロっと口が滑った。

 

 まぁ、実際は女の子の方が好きと言うより、まだ男と縁談するのに抵抗が大きいって感じだけどな。

 

 実家の縁談を断り続けたのもそれが理由だし。

 

「……あらぁ? 貴女って、ソッチなのね。あらあらぁ?」

「どうかしましたの、サクラさん」

「……」

 

 ところで、どうしてサクラは固まっているんだろう。

 

「……そういえば、前に童貞がどうとか言ってたような……。え、あれって冗談の類いとがじゃなくて? あれ、私って今かなりアブない??」

「おーい、サクラさん?」

「え、ええっと。ごめんなさい、私はノーマルよ? 変な気を起こさないでよねイリーネ」

「あー、そんな心配は要りませんわ。どっちかと言うと女性、って話ですし。家柄的にも、将来は普通にお嫁に行くつもりですもの」

「まぁ、そうよねぇ。貴族って、平民みたく自由恋愛できる立場にないモノねぇ」

 

 サクラ、俺が女もイケると知って警戒してたのか。全く失礼な、嫌がる女性に何かしたりするもんか。

 

 俺は、紳士な漢なのだ。

 

「いやまぁ、同性愛って言うのかしら? そういう人に会うのが初めてで、どう接していいか分からなくて。ごめんなさいね?」

「普通でよろしいですわ。サクラも普段から『女の子に興味のある』男の人と接しているでしょうけど、特別に警戒したりはしないでしょう? 人の気持ちを踏みにじるような卑劣な真似をするかどうかは、性癖ではなく人柄で判断すればよいだけの事」

「あー、ね。うん、そんなものよね」

 

 そうだぞ。それに俺の場合、前世に引っ張られてるだけだから本物ではないし。体に精神が馴染んでくれば、将来的にはどっちもイケる感じになりそうだ。

 

「ごめんね、変なこと言って。お礼に、背中でも流してあげよっか」

「ふふふ、それは嬉しいですわ。あと、今の話は誰にも内緒でお願いしますわよ?」

「はいはい、秘密の多い女ね、貴女は」

 

 まぁ、うっかり口が滑ってしまったけどなるべく今のは黙っておくことにしよう。将来、婚約先の男性に嫌な思いをさせるかもしれんし。

 

 サクラが、話の分かる相手でよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おろ? 風呂場に誰ぞおるのかい?」

 

 ────かぽーん。

 

 サクラと俺が、なんとなくノリで洗いっこを始めたその折に。

 

「……ユウリ? ではないのか、誰ぞ……?」

 

 なんとヒゲのオッサンが、股間にタオルを当てながら侵入してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おろろ?」

「……ひっ、ひぃ!?」

「あらま」

 

 そのオッサンは、見たことのない人間だった。

 

 だが、その言葉と居住まいからはなんとなく素性に想像がつく。

 

「いやぁぁぁぁ!!? 変態ぃぃぃ!!!」

「う、うわわわ!? おなごが二人とな!?」

「あらまぁ」

 

 ふむ、嘘をついているかどうか観察するか。

 

 オッサンは、心底驚いているように見える。だが同時に、頬を赤らめて俺やサクラの裸体を見て興奮し始めている。カールの様に土下座せず、ガン見を続けて喜色満面な表情を浮かべている。

 

 判定。このオッサンはわざと覗いたワケではなさそうだ。だが、かなり邪な感情が渦巻いている。

 

「おお、そうじゃ。そう言えば昨夜、客が居ると────」

「いいから後ろ向きなさいよ変態ジジイ!!」

「ありがとうございます!!」

 

 一応イリーネ的判定は無罪だが、サクラがいち早くぶん殴ってしまった。まぁ、彼女も裸を見られたわけだし殴る権利くらいはあろう。

 

 何故殴られたジジイがお礼を叫んだのかは知らんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「重ね重ね、申し訳ない。客人に対する礼を大きく逸している、出来る限りの詫びはするつもりだ」

「本当よ、私の肌はタダで拝めるほど安くないわ。私は今まで家族とカール以外の男に裸を見られたことないんだから」

 

 そのオッサンは顎に綺麗なアッパーカットが入って昏倒し、騒ぎを聞いて駆けつけてきたユウリは風呂場の惨状を見て全てを察し土下座した。

 

 ユウリ曰くやはりこの謎の人物の正体は、ユウリの父親である『ユウマ』という人物らしい。

 

「そういえば、私もカールと家族以外の男の人に裸を見られたことありませんでしたわ。奇遇ですね、サクラさん」

「言っとる場合か!! 貴女はもっと怒りなさいよイリーネ!!」

「私は肉体に自信がありますわ。見られて恥ずかしい部分はありませんし」

「……もういいわ。私は、絶対にそのジジイ許さないから!」

 

 サクラは怒り心頭に、プリプリと気絶した裸のオッサンを睨みつけている。

 

 乙女の柔肌は、他人に見せるものではない。漢らしいサクラと言えど、やはりショックなのだろう。

 

「彼はわざと覗いてきたわけではありませんよ? 見られてしまったものは仕方が無いです、いったん落ち着きましょうサクラさん」

「そんなこと言われてもねぇ」

「ボクからの説明が足りていなかったんだ。こんなでもボクにとってはたった一人の肉親、無礼は承知だが命を奪うのは勘弁してほしい。代わりに、ボクにいかなる罰を与えてくれても構わない」

「……い、命まで奪うつもりはないわよ。てか、貴女って魔術師よね? 爵位が有ったら、こんなことくらいで死罪にはならないけど」

「……ウチは、その、単なる混血魔術師で。何代か前に貴族の血は入ってるけど、今は平民の身分だ」

「あー」

 

 サクラは気付いてなかったのか。家のどこを探しても家紋とかないし、そんな感じだろうと思っていたが。

 

 平民の男が貴族令嬢の裸を覗くのは、普通に死罪まであるよな。

 

「平民に、裸を見られたのね……」

「まぁカールさんも平民ですし」

「アイツは将来的に英雄になるし構わないわ。むしろ未来の大貴族候補だもん、誘惑の為に見せてやるくらいしないと」

「あれ、サクラさんは意外とカール狙い?」

 

 今度はポロリと、サクラが割と重めの爆弾を落とした。

 

 サクラもカール争奪戦に参加するつもりなのか。

 

「狙ってあんまり損がなさそうなのよねぇ、カール。騙されたりとか裏切られたりとかはなさそうだし、ウブだから押せばコロって行きそうだし」

「あらまぁ、人気ですわねあの男」

「上手くいけばお家復興よぉ? 側室扱いで資金援助とか貰えるだけでも、十分な見返りだわ。私の立場的に狙わない手はないでしょ」

 

 そっか、彼女の立場的にカール落せたら物凄く美味しいのか。

 

「むしろ、彼を狙う理由がないのってイリーネくらいじゃない?」

「そうですわね。ウチはもう、既にそれなりの名門貴族ですから……。魔王討伐に貢献しただけで、かなりの地位を戴けるでしょうね」

「軍事の名門一族よね、貴女。最近平和続きで、以前ほどの権勢は無くなっちゃってるっぽいけど」

 

 まぁ、パパンはあんまり権力とか求めてなかったし。

 

 前なんか『軍人の権力なんぞ、低いくらいで丁度いいんだ』と笑ってたなぁ。

 

「ねぇ、サクラさん。私は、このおじ様に研究者さんを紹介して貰えればそれでお咎めなしとしたいんですけど」

「むー。でも」

「度量の大きなところを見せて、カールにアピールしては如何ですか?」

「そ、そうねぇ。そう言う事ならまぁ、一旦不問にしてあげるわ」

 

 そんなこんなで、少し話が逸れたのを利用しサクラを説得する事に成功。

 

 感謝しろよ、オッサン。

 

「すまない、この借りはきっと返そう」

「そうね、貸し1つね。後で取り立てるから覚悟しなさい」

「分かった、勿論だ」

 

 こうして場を収めることに成功した俺は、サクラと共に風呂を上がった。

 

 本来、世話になってる立場なのは俺達だ。なるべく、譲歩するのが筋というものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇカール。サクラの言ってた『裸を見た』って、何の話?」

「……カール、また女の子の裸見たの? 仲間になった女の子、全員の裸を確認しないと気が済まないの?」

「その、違うんです。不可抗力だったのです」

 

 部屋に戻ると、下で俺達とユウリの会話を聞いていたらしい仲間たちがカールの折檻を始めていた。

 

「私の服は切り裂いたし、レヴは失神中に全裸にしたし。仲間にするたびに裸の具合でも確認してるの?」

「滅相もないです。レヴに関しては救命行動ですし、少し語弊がありますマイカ」

「……思い出したら、恥ずかしくなってきた」

 

 そういや誰にも言ってなかったっけか。サクラは風呂場で魔族に襲われたから半裸で戦ってたって話。

 

 ……と言うかカールの野郎、俺やサクラだけじゃなくそこの二人の裸もばっちり見てたのね。

 

「ねぇイリーネ、カールって結構肉食だったりする? 割と安全な男として見てたんだけど」

「そうですわね……。基本は紳士でおとなしい方ですけれど、しっかり性欲はあると思いますわよ?」

 

 前に風俗のバーで、俺の事エロいとか言ってたしな。

 

 簡単に女の子の裸を見られる辺り、奴はラッキースケベの神様に好かれてるのかもしれない。

 

「良いから吐け、この変態」

「……どうして、カールは女の子の裸を見るの? わざとやってるの?」

「偶然なんです、わざとじゃないんです、痛いのでそれ以上はぁあああ」

 

 そんなカールLOVE勢の二人に頬を抓られて悶えているカールを、俺とサクラは生暖かい目で見つめていた。

 

 ああ、平和だなぁ。

 



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24話「魔術とは、学問なのです」

「うむ。むむむ、成る程」

「どうだ、ユウリ」

 

 柔らかな朝日が照りつける、ユウリ家の食堂のテーブル。

 

 目を覚まし身支度を整えた俺達カール一行は、今日も約束通りユウリの占いを聞くべく集合していた。

 

「そうか、何とまぁ……。うん、占いの結果が出たよ」

「おお。なら、今日はどうすれば良いか教えてくれ」

 

 厳かにそう告げる、幼き占い少女。

 

 今から聞くのは、今日起こる可能性の高い未来。それを回避するのが俺達の役目なのだが────

 

「カール君、君はだね。今日マイカの胸を揉んで、レヴのお腹を舐めて、イリーネの股ぐらに突っ込んで、サクラの尻に顔を埋める事になるだろう。何とか、その未来を回避してくれたまえ」

「あんたは何やるつもりなのよ!!」

「痛あぁっ!!」

 

 占いの結果を聞いたカールの顔面が、マイカのアッパーカットで大きく揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 ジリジリ、と俺達は警戒心をむき出しにカールから後退った。

 

 こいつは本当に、どういう星の下に生まれているんだ。

 

「そんな怖い顔で、距離を取らないでください女性陣。俺は、カールは危険人物などではありません」

「話を聞く限り、危険人物そのものなのだけどぉ?」

「まだ俺は何もしていないでしょう? ほら、怖がらなくて良いんです。カールは敵ではありません、もっと心を開いてください」

「ですが、その。ユウリさんの占い結果を回避するのには、距離を取るのがが最適だと判断いたしましたわ」

「……カールは放っておくと、ろくなことをしない?」

「俺は無実だ……」

 

 ぶん殴られてなお、必死で無害アピールをしているカール。

 

 確かにまだ何もしていないかもしれないが、カールならそういうことをしてもあまり違和感がない。うっかり偶然で、そういうラッキースケベくらいは普通にあり得る。

 

 そんな自覚があるからこそ、彼はこれから自分がどういう扱いを受けるのか理解しているらしい。

 

「いっそのこと、カールを拘束しましょうか。縄と手錠、荷物にあるから」

「えっ、何でそんなものを持ってらっしゃるの」

「本来は、取り押さえた賊に使う用よ。生け捕りで報酬額が上がるタイプの」

 

 マイカはそう言うと、ジャラジャラした鎖を袋から取り出した。

 

「なあマイカ、俺達は仲間だよな? 俺とお前は、ずっと一緒に遊んでた幼馴染み同士だよな?」

「そうね、カール。私と幼馴染みなら、分かってくれるよね?」

「分かるさ! 本気で俺を縛るつもりなんだろ!? 今日は一日、俺を部屋に放置して情報収集する気なんだろ!?」

「よく分かってるじゃない」

 

 マイカは顔を青くしているカールの腕を掴み、ぐるぐる巻きに拘束していく。

 

 口で嫌がってはいるものの立場的にマイカには逆らえないのか、カールは抵抗らしい抵抗をしなかった。

 

「食事の世話はマスターがしてくれるでしょ。今日は一日、その姿で我慢なさい」

「……了解です。カールの旦那、元気だしてくだせぇ」

「ひでぇ……酷すぎる……」

「……大丈夫。私も、お世話してあげる」

 

 占魔術師にセクハラを予言されてしまっては、どうしようもない。

 

 憐れカールはミノムシみたいに簀巻きにされ、マスター(おっさん)に抱き抱えられたまま男部屋に放り込まれたのだった。

 

「……ぐすん」

 

 部屋からカールのすすり泣く声が聞こえて、少し可哀想な気もするが。

 

 ユウリとの契約的に、カールをこうするのもやむを得まい。マスターに世話してもらえるみたいだし、今日くらいは妥協してもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父に頼んで、紹介状をいくつか用意させたよ。好きなのを持っていきたまえ」

「助かりますわ」

 

 ユウリは、俺達に3枚の手紙を持ってきた。

 

 カールを封印し、俺達はマスターの用意していたサンドウィッチを頬張っていた折である。

 

「昨夜は迷惑をかけたからね、精一杯やらせてもらうよ。まだ直接話は通せてないから、今日会いに行くつもりならボクがついていこう」

 

 曰く、それぞれ勇者関連の研究において有名な研究者への紹介状だそうだ。ユウリは、しっかりと依頼をこなしてくれていたらしい。

 

「このブリオ博士は、古代回復魔法の復活を研究している学院教授さ。ボクも講義を受けたことがある人物だ、非常に分かりやすい講義をしてくださる。勇者伝説の回復役の伝承と文献から、実際に古代に使われた回復魔法の再現を目指しているらしいよ」

「あら、良いわね。回復魔術には興味があるわ」

「ロメーロ博士は、射出系魔術についてこの街でも有数の識者と言われている人だ。古代から現代への魔法詠唱と構築の変遷を研究しており、勇者伝説において使用された魔法についても講演を定期的に行っている」

「……それは興味深いですわ」

「最後は、アンリというボクの同級生。彼女は、家ぐるみで歴史考古学の研究をしている変わり種の一家だ。魔法の知識には今一つ欠けるけど、恐らく純粋な勇者伝説については彼女の一家が一番詳しい筈さ」

「へぇ、良いじゃない」

 

 ユウリの話を聞くと、成る程話を聞いてみたい研究者ばかりだ。特に、射出系魔術に詳しい人には是非とも教えを乞うてみたい。

 

 俺は、ちょっと胡散臭い家庭教師からしか魔術を習ったことが無かった。一度、ちゃんとした学校で学んでみたいと思っていたのだ。

 

「さて、何処に行こう……? 全員でそれぞれ会いに行くか、3手に別れるか……」

「3手で良いんじゃない? この人数でゾロゾロ押し掛けてこられても迷惑でしょ」

 

 確かに、その方が無難だろう。それに、その方が効率よく情報も集まるだろうし。

 

「なら私、その回復魔術を研究している博士に会いたいわねぇ。父親から学んだだけの独学の魔術じゃ、この先不安だもの」

 

 サクラは、やはり回復魔術の学者に興味を示した。俺と考えることは同じらしい。

 

「私は、ロメーロ博士ですっけ? その、射出魔法の人に興味がありますわ」

「まぁそうよね、それぞれの得意分野だもんね。私とレヴは魔法の話分かんないし、単純な勇者伝説に詳しい最後の子に会いに行きましょうか」

 

 とまぁ、俺とサクラの熱望を感じたマイカは頷いてくれた。よし、これで射出魔法の人に会いに行ける。

 

 俺が集めるべきは、古代の攻撃魔術の情報収集。勇者伝説の情報だけでなく、あわよくば精霊砲より強力な魔法を習得したい。

 

「自分を磨いて損は無いからね、頑張りましょイリーネ」

「ええ。どうせなら私も、もっと強力な魔法を覚えたいですわ」

 

 俺とサクラは、そう言って腕を交わした。

 

 ぶっちゃけ現代に精霊砲より強力な魔法は無いのだが、過去の大戦期にはもっと強力な攻撃魔法がたくさん存在していたという。

 

 それらは時代の変遷と共に失伝され、『失伝魔法(ロストマジック)』と呼ばれて各地で研究されているのだ。

 

 射出魔法を専門に研究している人なら、ひょっとしたらそういう研究もしているかもしれない。

 

 こないだのような無様な勝負はしたくない。せっかく魔法都市に来たのだ、しっかりパワーアップして見せる。

 

「うむ、委細承知した。じゃあ、その人達の下に案内するからボクに付いて来たまえ」

「お願いね、ユウリ」

 

 こうして、俺は新たなる『学び』に期待してロメーロ博士とやらに会いに行くのだった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────の、だったが。

 

「おお、おお、好ましきかな。イリーネさん、貴女のような勉学熱心な方にはいくらでも知識を提供しましょう。それが、ヨウィンと言う街です」

「感謝の極みですわ」

 

 学園の最上階の研究室で出会った、ロメーロ博士。

 

 彼の話は、一言でいうと。

 

「ではまずは基本。魔導方程式と魔力昇華過不足算の法則について復習いたしましょう」

「……はい。……はい?」

 

 何を言っているのかサッパリ理解できなかった。

 

 ……え、何その聞いたことのない言葉。

 

「使用した魔力αに、発動係数nをかけることで理論実行量nαとなりますが、魔力昇華過不足算の法則により決して実際の威力Tはnαを超えることが無いのです。つまり、全ての魔術発動においてnα>Tは絶対不変の法則であります」

「…………??」

「この際にT/nαを昇華係数と言って、いかに効率よく魔術を行使できたかの指標になります。これは魔術師が修練によって上昇させることが出来ます。一方で理論値であるnαは、魔力成長期を過ぎた魔導士だと生涯増えることはありません。熟練の魔導士とは、発動した魔法を理論実行量にいかに近付けるかを探求した存在なのです」

「ははぁ、成程ですわ(思考停止)」

「そして、魔術杖などで魔法の威力を強化しようとする場合は理論実行量に強化係数vをかけます。ここはとても大切で、魔術杖は決して昇華係数を上昇させるものではなく、理論実行量に対する係数だという事なのです。むしろ、その操作の難易度から魔術杖は昇華係数を下げるとまで言われています。だが、ある程度熟練した魔導士において昇華係数が下がろうと、理論実行量に強化係数が掛かる方がメリットが大きい」

 

 頭の中が、数式でぐるぐるしている。

 

 俺の家庭教師は、そんな難解な数式を教えてくれたことはない。『ガァーってするとフォゥ!! って感じで出るのよ! 発動すればいいの、細かい理論より体で覚えるのが魔術よ!』みたいな教え方の家庭教師だった。

 

 それで理解できた俺も俺だが、やっぱり本物の魔術師って頭を使わないと駄目なのね。

 

「今までの話は、全て単一属性の魔法の話です。イリーネさんの用いる精霊砲は、4属性の魔法の合わせ技なので計算式が大きく変わります。4つの属性全てに魔導方程式を組み立てて、均一対数計算を行います。正確な計算には虚数魔導式の概念が必要になってくるのですが、恐らくそこまでは習っていらっしゃらないと思うので割愛いたします。近似計算式maxNα≒v〔(n1-logT1)/a+(n2-logT2)/b+(n3-logT3)/c+(n4-logT4)/d〕を用いて計算してみましょう」

 …………。

 

 で、全く話についていけてない訳だが。俺は、どうしようかコレ。

 

 

 

「……ええ、理解しましたわ」

「おお、分かったかね」

 

 無論、ここは取り敢えず────

 

「さっぱり分からないことが分かりました」

「……おや」

「私の師匠は、そのような難解な数式を教えてくださりませんでした。ただ、発動すれば良いと」

「ふむ。感覚派の人から魔法を教わったんだね……、なら今の私の言葉の大半は理解できなかったのでは?」

「お恥ずかしながら。学びを乞いに来て、情けない限りですわ」

 

 わからん事は素直にそう言う。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。

 

 知ったかぶりは、ろくな事にならんのだ。

 

「まぁ、確かに魔術師は詠唱さえ覚えれば魔法行使が可能だ。そこで満足する人も多い」

「……」

「だが、それよりも1歩上を目指したいなら────、どの様にして魔法は発動し、どんな風に魔法は制御されているかを知らねばならない。それを知れば、きっとイリーネ君の魔法はますます強くなる」

「それは、本当ですか?」

「勿論だとも」

 

 素直に分からないと吐露すると、博士は優しい顔のまま俺の顔を見つめてそう言ってくれた。

 

「なら、今日はもっと簡単で分かりやすいところから始めようか。昇華係数測定……まぁつまり、君がどれだけ魔術が上手いかを調べてみよう」

「……はい。私はどうすれば良いですか?」

「そうだね、この器具を腕に付けて────」

 

 あー。この人、凄く優しいな。

 

 何の義理もない俺に、ここまで親身にしてくれるなんて。

 

「初級火魔法を詠唱したまえ。後はこの振り子が、君の実力を測定してくれる」

「はい。これは、どういった物なのですか?」

「君が使用した魔力に対して、どれだけの火力が出ているかを調べる道具さ。少ない魔力で強い火が出せていれば、昇華係数が高い魔法と言えるんですよ」

 

 ふむ。要は、どれだけ魔力のコントロールが上手いかってことか。

 

 それは結構自信あるぞ。

 

「分かりました、博士。煌めく火精、指に宿りて炎を映せ……」

「……うむ?」

 

 腕にバンドを巻いたまま、俺は言われた通りに小さな火を指に灯す。

 

 すると机の上に置かれた振り子は速やかに、直角に折れ曲がって動かなくなった。おお、不思議。

 

「火を消してみてください」

「はい」

 

 そして魔法を終えると、振り子はそのまま力を失って左右へと揺れ始めた。

 

 面白いなー、これ。

 

「うむむむ?」

「どうかしましたか、ロメーロ博士」

「君、さっき詠唱を間違えておったよ?」

「あら?」

 

 ……あ、そんな馬鹿な。火の初級魔法、今までずっとあの呪文でやって発動したんだけど。

 

 確か教科書にも、あの詠唱が書いてあった筈。最近見直したし、間違いないと思う。

 

 ……そういやあの教科書、師匠の手書きだったな。師匠が間違えて書いたのか?

 

「正しくは『揺らめく火精、指に宿りて炎を灯せ』です。なの、ですが……」

「分かりました、次からそう詠唱いたしましょう」

「いえ。その、不思議なことに貴女の魔法には無駄が一切ありませんでした、イリーネ。昇華係数は満点の100%です」

 

 博士はそう言うと、胡散臭い目で俺の指先を見つめていた。

 

「呪文を間違えたというのに、魔法発動に全く魔力のロスがない。発動に使用した魔力を100%、綺麗に威力へと変換できています」

「へぇ。それはつまり、良い事ですわね?」

 

 ふ、どや。俺は師匠からも「魔力使うの上手過ぎて引くわー」と言われたことがある。

 

 伊達に一族きっての天才扱いされてはいないのだ。大して努力せんでも並大抵の事は出来たし。

 

「ええ。だが裏を返せば、既にイリーネさんの魔法は完成してしまっています。もう、全ての魔術師が生涯をかけて到達しようとしている『究極の魔法効率』に至っていると言えます……。どうなってるんですか?」

 

 ……おろ? 俺の魔法は、完成している?

 

「では、私はどうしたらもっと強くなれるのでしょうか」

「呪文を間違えているのにこの昇華係数になるなら、どのように魔法を使っても最大威力が出せるでしょう。逆に言えば、今からどのように努力されようと魔法に関しての伸び幅はあまり期待できませんな……」

「……えぇー」

 

 それは、正直かなりショックな事実だった。

 

 要は、俺は「もうレベルカンストしているのでこれ以上強くなれませんよ」と言う事らしい。

 

 ちょっと俺のレベルキャップ低くない?

 

「では、私はもう強くなれないのですか?」

「そんなことはありませんよ。貴女自身の成長は頭打ちですが、より強化係数の良い魔術杖などを使えば魔法威力の底上げは出来ます」

「杖、ですか。実は恥ずかしながら、自分用の魔術杖は持っておらず……。なかなかに高価で手が出しにくくて」

「おお、でしたらこの街で作っておくべきですな。ヨウィンは魔術杖の名産地、他で買うよりも断然安く品質も良い。お勧めの店を幾つか教えて差し上げましょう」

「それは願ってもない事ですわ。ですが、その」

 

 なるほど。俺のレベルはカンストしてるから、後は装備で誤魔化すしかないのか。

 

 小さなころは魔法の天才とか言われて少し調子こいたけど、ただ俺は早熟なだけだったんだな。早々に魔法に見切りをつけて筋トレに走ったのは、強くなるという意味では正解だったらしい。

 

 でもなぁ、魔術杖はなぁ。

 

「私は今、実家から出て旅をしている状況でして。予算が、あまり……」

「……ふむ。予算ですか」

「日々の暮らしに困窮してはいないのですが、魔術杖のような高価な装備品を買うとなると……」

「そういえば、イリーネさんは冒険者のパーティとして旅をしてらっしゃるんでしたね。確かに、それでは資金的に心許ないでしょう」

 

 正直言って、魔術杖は高い。

 

 旅商人は、中品質の魔術杖で一軒家が建てられるくらいの値段を要求してくる。

 

 原産地であるヨウィンで買うと少し安くなるとは思うが、それでもカールパーティの有り金全部はたいて買えるかどうかだ。一応、杖店は覗いてみるつもりだが、正規品を購入するのは難しいだろう。

 

「でしたら、ちょうど良い方法がありますよ」

「丁度良い方法?」

「ええ。ある程度腕が立つことが前提ですが、精霊砲が使える魔法使いが居るならきっと何とかなるでしょう」

 

 と、若干魔術杖の入手を諦めかけていた俺だったが。

 

「実はですね────」

「そんな方法が……」

 

 気の良いロメーロ博士はなんと、現実的な魔術杖の入手方法を丁寧に教えてくださったのだった。

 

 初対面の俺に、よくもまぁここまで親身になってくれるものだ。

 

「本日は、本当にありがとうございました。このご恩は、いずれお返ししますわ」

「気にすることはありません。私はユウマ博士のファンですからね、彼の紹介ならいくらでも力になりますよ」

「そ、それはどうも……。ん、ユウマ博士?」

「ええ、私の尊敬する数少ない研究者の一人です」

 

 ……。それって、あのユウリの父親の変な人?

 

「そ、そうですか。素晴らしい方と知り合えて、私は幸せですわ」

「そうでしょう、そうでしょう。ユウマ博士に、くれぐれもよろしく頼みます」

 

 うーん? 人違いとかじゃなくて、本当にあの変な人のファンなのかこの人。

 

 チラッとしか会ってないけど、話を聞く限り相当な変人だと思うんだが。宴会芸の研究している人だろ?

 

 まぁ、そういう人に限って変なカリスマを持っていることも多い。気にしないでおくか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻、ユウリの家。

 

「さて。ただいま戻りましたわ、カールさん」

「モゴモゴ」

「口まで縛られているんですか……」

 

 俺はロメーロ博士の家から帰った後、真っすぐにカールが閉じ込められている部屋に向かっていた。

 

「はい、外して差し上げますわ」

「ぷはぁー、生き返った。おかえりイリーネ、話は聞けたか?」

「ええ、素晴らしい話を聞けましたわ」

 

 ユウリからの依頼的に俺はカールを避けるべきなのだろうが、どうしても今日の間にカールに話しておきたい頼みがあったのだ。

 

 それは、

 

「明日、郊外の森の探索に行きたいのです。ついて来ていただけませんか、カール」

「探索?」

「ええ、森の探索です」

 

 明日一緒にフィールドワークしようぜ! という、至極シンプルな頼みであった。

 

「この辺は魔物が強いので、探索するにも護衛が必要なのです。カールがよろしいのでしたら、是非……」

「探索って、いきなりそんな……。何か理由でもあるのか?」

「ええ。実は、私とサクラさんの魔術杖の素材を取りに行きたいのですわ」

 

 そう、俺がロメーロ博士から教わった『高価な魔術杖を安く入手する裏技』。それは、自分で素材を取りに行って工房に持ち込むという方法だった。

 

 魔術杖の技師さんは冒険者から杖の素材を買って、加工して商品にしているらしい。つまり、俺達でも魔術杖の素材を持っていけば買い取ってくれるのだ。

 

 なので明日、カールやサクラを誘って森に行って『魔術杖の素材になる木材』を入手し技師さんに売れば、その代価で1~2本ほど杖を作ってもらえるという寸法である。

 

「私、どうしても魔術杖が欲しいんです。魔族とやらがいかに恐ろしい存在なのか聞いて、このままで良いのかと考えまして。どうか、私のわがままに付き合っていただけませんか……」

「む、そっか。そういう話なら、喜んで付き合うよ。それならいっそのこと、パーティ全員で行ってもいいかもね」

「ええ、私から提案してみますわ」

 

 よし来た。これで、精霊砲の威力は上がるし、魔法使いっぽい見た目になるし。

 

 中身が筋肉なのだから、せめて見た目くらいは魔法使いっぽくしないと清楚がはがれてしまう。

 

「じゃあ、明日に備えて準備しないとな。イリーネ、流石にそろそろ縄解いてくれない?」

「構いませんわよ。今日1日、大変だったでしょう」

「本当だよ、まったくマイカめ。アイツ、人の心の大事な部分をいくつも失って────」

 

 カールも理解してくれたし、後はみんなの説得だな。うん、コイツが話の分かる男で助かったぜ。

 

 だからその後、足がしびれていたカールが転倒して俺の股に顔を突っ込んできたのはご愛敬としてやるか。

 

 

 




おまけ


「さて、カール君。今日のボクの占いは、どうだった?」
「お見事様、全て的中してたよユウリ」
「やたっ! ふふふ、流石はボクだ」
「────っ!?」


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25話「占い少女ユウリからの指令、青髪幼女を救え!」

 ヨウィン南西部に位置する、広大な森。

 

 『魔力の森』と俗称されるその場所は、この近辺では類を見ない程に『凶悪な魔物』が跋扈しており、現代の魔境と言われている。

 

「どうやら、この森には魔力を豊富に含んだ地脈が存在するらしいのですわ」

「へ? 魔力って、地面から出て来るもんなの?」

「魔力と言うものは何処にでも存在する、空気のようなものです。ですが魔力を行使する事が出来るのは、魔術師だけと言われていますわ」

 

 そもそも、このヨウィンと言う街の成り立ちはこの森から始まったという。

 

 豊富な魔石や魔力樹を有した、天然の魔法樹林。

 

 何故、この森だけ妙に魔力が濃いのか。その謎の研究をするために、100年以上前の学者が森の近くに研究所を立てたのが全ての始まりだった。

 

 その豊富な魔力資源に目を付けた商人が研究所の近くに拠点を作り、小さな集落が出来た。その小さな集落であげられた高度な研究成果を求め、貴族や学者が移り住み始めた。

 

 そんなこんなで集落はどんどん発展し、気が付けばヨウィンは小さな研究拠点から立派な街へと変貌を遂げたのだ。

 

「たった100年で、こんなに街が大きくなったの?」

「建築資材さえあれば、土魔術師1人で街は作れますからね。ましてや、ヨウィンに来るほど腕の良い土魔術師なら楽勝でしょう」

「そっか、魔法か」

 

 そのヨウィンの学者たちが、100年かけてなお踏破しきれていない『魔力の森』。そこは高純度の魔法素材が枯れることなく手に入るという、とても不思議な場所だ。

 

「魔物も、この森で高純度の魔力を帯びた餌を食べて育っているのです。ですから、他の街より住み着いた魔物が強いそうですわ」

「成る程、それでさっきから妙に強力な魔物が出てくる訳ね」

「……カールが居て助かった」

 

 この森に入るには、相応の実力が要求される。そこらの冒険者が迷い込めば、半日で魔物の胃袋に収められてしまうだろう。

 

 なので、この森に探索に来るのは基本それなりの冒険者。

 

 そんな精鋭が100年の月日をかけて森の探索を進めているそうだが、奥地はまだ秘境扱いなのだそうだ。

 

「思ったより早く、進めてるわねぇ?」

「マイカの索敵が早いからな。いつも助かる」

「一応、私の本職は狩人だしね」

 

 だが、うちのパーティには『索敵の達人』と『対魔物のスペシャリスト』がいらっしゃる訳で。

 

 自分よりでかい魔物にめっぽう強い俺達のリーダーは、道すがら多量の魔物の死体を量産していた。

 

「もう少し奥に、ヨウィン樫という魔術杖に最適の木が群生しているらしいわ。あとひと踏ん張りよ」

「おう、任せとけ」

 

 まだ森の浅い所とは言え、今の所は順調。

 

 俺達は、カールの背に守られながら危険な森を歩み続けた。

 

「じゃあ各自、警戒を怠るな」

 

 ────その顔の裏に、言い知れぬ不安を抱えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 順調な旅なのに、皆の顔が険しい理由。 

 

 それは、今日のユウリの占い結果に起因していた。

 

「最悪の占い結果?」

「……ああ。正直な事を言うと、この占いには外れて貰いたいね」

「どんな内容なの?」

 

 今日の朝。ユウリは、過去に類を見ない程に怖い顔で占いを告げた。

 

「子供だね。死んでいるみたいだ」

「……なっ!?」

「森の中で、絶望の顔の女の子が魔物に食われて絶命している。まだ年端も行かぬ、小さな子だ」

「どういう事だ、それ」

「近くに、真っ青な顔の君達の姿が見える。カール君がすぐ魔物に斬りかかって女の子を助け出そうとするけど、既にその子の下半身は無い。どう見ても、絶命している」

「……」

 

 その占いの内容は、信じられ無いほどに残酷で悲劇的だった。

 

「……朝から最悪の気分だよ。何とか、この結果を覆してみてくれ。理論上、今回のボクの占魔術は絶対に的中する筈なんだけど……。何処かに穴があるかもしれないから」

「わ、分かった。努力する」

「青髪の、ショートヘアの女の子だ。見かけたら保護してやってくれ、頼んだよ」

 

 ユウリが生涯をかけて研究してきたテーマは、絶対に的中する占魔法だ。

 

 確定した未来の一部を知ることで、前もって対策を立てる事をユウリは目指している。

 

 火事を予知したなら、水を貯めて備えるだろう。

 

 飢饉を予知したなら、食料を節約して蓄えておけるだろう。

 

 ────だけど。予知してしまった火事や飢饉そのものを、防ぐ手段はないそうな。

 

「……」

 

 ユウリが見えた『子供が死ぬ』場所は、森。カールはその娘を助けようとして、間に合わなかった状況らしい。

 

 恐らく、占い結果を変えるため森に向かわなかったとしても、その娘が死ぬ未来に代わりはないだろう。俺達がその女の子を助けるためには、ユウリの占い結果より早く女の子を見つけ出して保護しないといけない。

 

「すぐに、森に出発するぞ」

「了解ですわ」

 

 俺達はあまり、時間に余裕がない。

 

 そう判断した俺達は、マスターに用意してもらった食事をかっこむと、朝1番に魔力の森へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ、目的地ね」

「取り敢えず、当初の目的だったヨウィン樫は手に入りそうだな」

 

 まだ、太陽が昇りきる前の時刻。カールがサクサクと敵を倒してくれたお陰で、俺達は早くも樫の群生林へと到着した。

 

「元々、私達はヨウィン樫を取るために此処へ来る予定だった。それであの占い結果なのだから、今通ってきた道の何処かで女の子が殺されるのよね」

「まぁ、女の子が迷い込んだとして他の場所は通らんだろうな。人が通れる道は1本だったし」

 

 普段ヨウィン樫を取りに行くのは、街の冒険者か魔術杖職人だ。

 

 比較的森の浅い所に存在する、ヨウィン樫の群生地。そこへの道筋は過去の冒険者により草が分けられ、迷わぬ様に目印がつけられていた。

 

 途中に分かれ道らしき場所も見当たらない。ユウリも『1本道だから迷わない筈』とは言っていた。

 

「女の子らしい姿は今の所どこにも見つからなかったわね……」

「……だな。じゃあ、ここからどうする? 少し周囲を探すか?」

「馬鹿なのぉ? こんな危険な場所で時間使う必要なんて無いでしょ、さっさと帰るわよ」

「えっ」

 

 そう言ったのはサクラだった。

 

 彼女は、不満げな顔でカールをジトっと睨みつけていた。

 

「おいサクラ、まだ女の子が見つかっていないぞ」

「だからこそよ? 私達がこの森の中で女の子を見つける筈なのよぉ、だったら早く引き返した方がいいに決まってるじゃない」

「そうね、サクラさんが正しいわ。素材を回収出来たら、さっさと帰るわよカール」

 

 その意見にマイカも頷く。カールはまだ、よく分かっていないという表情だ。

 

 ……ふむ。そっか、よく考えたらそうだな。

 

「もともと私達が通る予定だった場所に、女の子は居る筈ですわ。1本道で行きに出会えなかったなら、絶対に帰りに出会う筈」

「……あ、そっか」

「間に合わなかったのが原因でその子が絶命するのであれば、むしろ私達は急いで引き返すべきなのです。そう言う事ですわね、サクラさん?」

「そんなとこ。私だって子供を見捨てるのは忍びないもの、せめて最大限努力はするつもりよ」

「そっか。じゃあ、急いで帰らないと駄目なんだな俺達」

 

 その通り、せっかく元々の予定より早く出発したんだ。1秒でも早く、女の子に接触するためにもなるべく早く行動しないと。

 

 にしても、前から思ってたけどサクラって結構頭いいよな。

 

 魔族戦でも、きっちり罠に嵌めて動き止めたりしてたし。マスターは何処を見て彼女をポンコツ扱いしているのだろう。

 

「さっさと良い感じの枝を集めて帰りますわよ。ただし、生きてる魔力樹の枝を切っちゃだめですわ。呪いを受けて寿命が減るらしいですから」

「あくまで落ちてる枝を集めないといけない訳ね、了解よ」

「あぶねー。聞いといてよかった」

「カール、斬るつもりだったの……?」

 

 剣を抜きかけていたカールに、先んじて忠告しておく。

 

 魔力の樹には意思があり、自らの体を傷つける者に呪いをかける性質があるのだ。森林伐採にもなるし、生きている樹に傷はつけてはいけない。

 

 あくまで俺達は、森の恵みの『おこぼれ』を預かる身なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10分ほど、俺達は互いに見える範囲で採集を行った。

 

 そして俺がそれなりに丈夫そうな樫の、40~50cm程の枯れ枝を拾って強度を確かめていた折。

 

「……?」

 

 俺はふと、何処かから視線を感じた。

 

 誰かにジッと、見つめられている。たぶん、近いところだ。

 

「イリーネ、どうかした?」

「い、いえ……」

 

 すぐさま周囲を見渡したが、周りにいるのは仲間だけ。

 

 森には、魔物も女の子らしき姿は見えない。

 

 ……気のせいか?

 

「……」

 

 いや、やはり視線を感じる。

 

 どこかで、誰かが俺を見つめている気がする。

 

「マイカさん、周囲に何かいませんか? 何かの気配を感じますわ」

「えっ……。気付かなかったわ、ごめんなさい。少し探ってくるね、みんな止まって」

「オッケー」

 

 気のせいだったら恥ずかしいが、念のためマイカに探って来て貰おう。

 

 もし例の女の子が居るのであれば、ぜひとも保護してあげないと。

 

「……気配、ある? 私には分からない……」

「すみません、何か視線を感じるのですが……。気のせいかもしれませんわ」

「気のせいだったらそれに越したことはねーよ」

 

 パーティで何かの視線を感じているのは、俺だけの様だ。

 

 だったら、気のせいかもしれない。だが、確かに今も視線を感じている。

 

 ……何処だ?

 

「うーん……。イリーネ、誰も居ないみたいだけど」

「そうですか……。申し訳ありませんわマイカさん、気のせいの様です」

「良いの良いの、危険な場所では過敏に反応するくらいで丁度良いんだから」

 

 そうこうしているうちに、ぐるっと周囲を一周してマイカが帰ってきた。

 

 特に、異常は無かった様子だ。

 

「……」

「じゃあ、続けましょうか」

 

 なのに、何だ? この、不思議な感覚は────

 

 

 

 ……みぎうしろ。

 

 

 

 そして何となく、声が聞こえた気がして。

 

 俺は、右後方へと振り返った。

 

 

 

 ……そのまま、まっすぐ。

 

 

 

 居る。やはり、そこに何かが居る。

 

「誰か、居ますの?」

 

 声をかけても、反応はない。だが、確かにそこに『何か』が居る。

 

「……イリーネ?」

「やはりそこに居ますわ、何かが」

 

 落ち着いて周囲を見渡し、俺は気付いた。

 

 振り向いた先、右後方の倒れた樫の切り株の上に、何かの気配が有った。

 

 そうか、こいつか。こいつがさっきから気配を放っていたのか。

 

 

 

 ……こっちに、きて。

 

 

 

 こいつは、何だ? 目には見えぬ、化け物の類か?

 

 ……周囲には、頼れる仲間たちが居る。ここでなら、何かが起こっても助けてもらえる。

 

 おびえる必要なんてない。俺はその得体の知れない声の主に従い、切り株を目指す事にした。

 

「カール、そこに何かの気配を感じます。少し、見ていてくださいまし」

「……お、おいおい。そこって、何処だよ?」

 

 カールに一声かけて、俺はゆっくりと歩きだした。

 

 切り株の上。よくみれば、ぼんやりと蜃気楼の様に揺らめく陰がある。そして、確かな魔力の奔流を感じた。

 

「ここですわ────」

 

 俺は、それに恐る恐る触れて────

 

 

「────っ!?」

 

 

 真っ白な光が、俺を包み込んだ。

 

 直後、温かく目が焼ききれそうな光量が、切り株に触れた瞬間に森を照らしあげた。

 

「きゃっ!?」

「どうした、イリーネ!?」

「目が、目が……」

 

 眼球が痛ぇ。何じゃこりゃ、スタングレネードか何か?

 

 音はしなかったけど、この光量はテロだろ。目が潰れるかと思ったわ。

 

「何があった?」

「カール、その、目をやられましたわ。先ほどの、謎の光のせいで……」

「光?」

 

 ぼんやりと視力が戻ってくる。心配そうに俺を覗き込むカールの顔が、輪郭を帯びてくる。

 

「光って、なんだ?」

「ですから、先ほどの」

「……? すまん、何処か光っていたか?」

 

 しかし、いまいちカールの言葉は要領を得ない。

 

 あの殺人的な明るさの光を、カールは見逃したと言うのか?

 

「マイカ、何か見えたか?」

「ううん、私にも分からなかった。イリーネ、本当に大丈夫?」

「……あら、あら?」

 

 え、誰も見えていないのか? あの、森全体を覆えるくらいの熱量を帯びた光を……

 

 

 

 

 

 

 ……これで、みえる?

 

 

 

 

 

 頭に、そんな声が響いてきた。

 

 それは、どこか幼さを帯びた優しい声色で。

 

「……え」

「イリーネ、本当に大丈夫なの? ひょっとして、持病とか持ってたりする?」

 

 心配そうにサクラが駆け寄ってきたが、俺にはそれどころじゃなかった。

 

 再び目が慣れて、世界が色彩を取り戻した後も……。俺の目には、カラフルな波がそこら中に渦巻いているように映っていたからだ。

 

「これは、目がおかしくなった……? すごく、チカチカ致しますわ」

「む。イリーネ、頭は痛くない? 吐き気はしないかしら?」

「そういうのではなく、その。何と形容すればよいのでしょうか……」

 

 俺を抱きかかえ、優しく介抱してくれるサクラ。

 

 そして俺は、そんな彼女の横に……

 

 

 

 

 

 

 ……やっとめが、あったね。

 

 

 

 

 

 小人のような姿をした、光で形成された存在を知覚した。

 

 

 

「イリーネ、大丈夫だから。わかりやすく、今どんな感じなのか教えてくれる?」

「……実は、妖精さんが見えますわ。そして今、私に話しかけてきましたの……」

「……。これはもう駄目かも分かんないわね」

 

 なんぞこれ。

 

 



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26話「精霊の歌」

「その時、森の妖精さんが話しかけてきたのですわ、こっちにおいでと。私がその誘いに吸い寄せられるように切り株に触れると、世界がカラフルな光で包まれて────」

「これはヤバいわね」

 

 突然の幻覚、幻聴、視野異常を主訴に医師の診察を受けた俺だったが、女医サクラは目を伏せて首を振った。

 

 どうやら俺は、手遅れらしい。

 

「おい、イリーネはどうしちまったんだ?」

「んー。もともと頭痛持ちで幻覚を見ちゃったのか、変なキノコ食べちゃったか。何れにせよ、街に戻って精査が必要ね」

「此処で治せないの?」

「前に言ったでしょ、私は外傷専門なのよぉ」

 

 どうやら俺は、やベー奴みたいな感じになってしまったらしい。無理もない、俺だってそう思う。

 

 でも、実際に……。

 

 

 

 

 

 

 ……こっちに、おいで。

 

 

 

 

 

 

 今も俺の目の前に妖精さんが立っていて、手招きしてるんだもん。

 

 うーん、疲れてるのかな。

 

「イリーネ、自分の名前は言える? ここは何処か分かる?」

「その辺は大丈夫ですわ。……今も、そこの妖精さんが手招きして呼んでるのが気になりますけど」

「あんまり大丈夫そうじゃないわね。うーん、頭打ってないわよね?」

 

 うん、打ってないとは思う。

 

「……。逆にサクラさんは、そこに何も見えないのですわね?」

「見えないわ。イリーネが指差してるのは、ただの切り株よ」

「切り株の上に居るのですわ。うーん……」

 

 この妖精さん、どうやったら消えるんだろう。

 

 森がヴェールを掛けられたように眩しいし、変な声が響いてくるしで頭が変になりそうだ。いや、もうなっとるのかもしれんけど。

 

「……」

 

 妖精は俺を手招きしながら、俺の見ている切り株のその先を指差していた。

 

 あっちに何かがあると、言いたいのかもしれない。

 

「……。よし、少し妖精さんの誘いに乗ってみますわ」

「えっ。何するつもりよ、イリーネ」

「妖精さんの呼んでいる方へ行ってみます。もしかしたら、本当に何かあるのかも」

 

 最初から頭の中の妄想と決めつけるのもよくない。1度くらい、妖精さんの示す場所を調べてみても良いだろう。

 

 妄想だったとしても、大して実害はないし。

 

「こっちに、妖精さんが導いていますわ」

「ちょっと、あんまり動いちゃダメ。今、貴女は相当おかしくなってるのよ?」

「自覚していますとも。だけど────」

 

 これが妄想や幻覚だと、理性では判断出来る。

 

 でも、実際に見えてしまっている俺にはどうしても、妖精が何か重要な事を示しているようにしか見えないのだ。

 

「こっち、こっちです」

「そっちに道は無いわよ……」

「ですが、こっちに」

 

 俺が妖精の指し示す道を進むと、その妖精は嬉しそうな声色で歌い始めた。

 

 どこかで聞いたことのあるその音楽と共に、妖精はゆらゆら浮いて俺を先導し始めた。

 

「イリーネ、ちょっと。一旦止まりなさい、どこに行くつもりなのよ」

「分かりませんわ……」

「これ、大丈夫なの? カール、一旦気絶させてでも止めた方が良いんじゃ」

「……ん。イリーネ、ぜったい変」

 

 ふらふらと、妖精の跡をついていく。

 

 そんな様子の俺を見て心配そうに、仲間たちが追いかけてくる。

 

「……すまんイリーネ、ちょっと落ち着け。な?」

「落ち着いていますわよ。……あ、妖精さんが止まった」

「落ち着いているようには見えねぇな。すまん、後で謝るからちょっと眠っててくれ────」

 

 俺を取り押さえようとしたのか、カールがニュッと手を伸ばしてくる。

 

 む、大丈夫だってば。

 

「……あっ、彼処。彼処です!」

「あん?」

 

 心配したカールに組みつかれた、その時。俺は、とうとう妖精が指し示す場所へと辿り着いて────

 

 

 

 

 

 

 

 

「うきゅぅ……」

「……」

 

 青い髪の幼女が、目を回して気絶しているのを見つけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地面にうつぶせに倒れる、小さな女の子。

 

「おーい、大丈夫かしら?」

「……はっ!?」

 

 彼女がどうやら、お目当ての幼女で間違いないらしい。俺とサクラは駆け寄って声をかけると、幼女の眠りは浅かったのか、声に反応してすぐ目を覚ました。

 

「えっ、えっ? ここは、何処なの?」

「怖くないですわよ。大丈夫、大丈夫」

 

 女の子は起き上がると、パチクリと目を見開いて困惑した顔を見せた。

 

 見た目は妹……イリアと同じくらいの年代だろうか。貴族風の衣装を身に纏った彼女は、俺達に気が付くと警戒した表情で睨み付けた。

 

「本当に、イリーネの言った場所に何かあったわね」

「うーん……偶然なのか?」

「今はそんなことどうでもよろしいですわ」

 

 どう対応していいか分からなそうなカールを脇にどかして、俺は女の子に優しく語りかけた。

 

「お嬢さん。落ち着いてくださいな、私達はヨウィン樫を採集しにきた冒険者ですわ」

「冒険者……」

「そう、冒険者です。お嬢さんよろしければ、私達にお名前を教えてくれませんか?」

 

 この子からしたら、それは怖い状況だろう。森の奥深くで見知らぬ大人に囲まれているのだから。

 

 こっちがアタフタしていると、この子まで不安になってしまう。

 

 こう言う時はさっさと自己紹介して、安心させてあげるのが大切だ。

 

「……内緒。平民なんぞに名乗る義務はないの」

「あら、あら。でしたらご安心ください、私は貴族ですわよ? イリーネ・フォン・ヴェルムンドと申しますわ」

「嘘。名門ヴェルムンド家の人が、冒険者なんかやってる訳ないの」

 

 むず、信じて貰えなかった。

 

 まぁ、そうか。俺の家柄的に、冒険者は変だよな。

 

「とある事情があっての事ですわ。ヨウィンへと戻る道すがら、お話しいたしますわよ」

「……信用できない」

「むー。どうしましょう、宿に戻れば家紋入りの装飾品などお見せできるのですが」

 

 睨み付けるように、俺を見つめる幼女。

 

 この警戒心の強さは、初めて会ったときのレヴちゃんに通じるものがあるな。

 

「……私に任せて」

「何とか出来るのか、レヴ」

「……ん」

 

 その幼女の態度に、シンパシーを感じたのだろうか。

 

 自信ありげなレヴは、目で俺に下がっていろと合図を出した。

 

「森の中で、一人ぼっち。そんなあの娘の気持ち、私にはよく分かるから……」

「レヴ……」

 

 そうか、きっと彼女も初めてカールに出会った時に似たような状況だったのだろう。

 

 俺なんかより、確かにこの娘の気持ちを理解できるのかもしれない。

 

 ここは彼女に任せよう。信じるぞ、レヴちゃん。

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 レヴちゃんは、しゃがみこむ幼女の前に腰を落とした。

 

 正面から、座って向き合う形だ。

 

「……?」

「…………」

 

 お互いに無言のまま、数秒が経過する。

 

 真剣な表情で幼女を見つめるレヴと、困惑の表情で見つめ返す幼女。

 

 場には、不思議な緊張感が張りつめていた。

 

 

「……っ!」

「……っ!?」

 

 

 やがて、ピクンと幼女が揺れる。それに釣られたのか、レヴちゃんも目を見開いてのけぞる。

 

「……っ! ……っ!」

「……っ!?」

 

 やがて青色幼女は小刻みに震えだし、不思議な声色でヒッ、ヒッと呻き始めた。

 

 その珍妙不可思議な行動に、逆にレヴちゃんの方が混乱させられる。

 

「……ひっ! ……ひっ!」

「え、え……? なにこれ……」

「……ひっ!」

 

 睨みあいの最中、その幼女の呻きは一定間隔で続く。

 

 その謎の挙動に、レヴちゃんの理性はとうとう耐えきれなくなったらしい。

 

「ひ、ひぃぃ……」

 

 レヴちゃんは幼女から逃げるように、カールの背中へと逃げ出して隠れてしまった。

 

 どうやら、作戦は失敗の様子だ。

 

 

 

「……ひくっ! ……ひくっ!」

「な、何なの……? あの娘、何をやってるの……?」

「いや、レヴちゃん」

 

 レヴが去った後も、女の子は数秒起きにピクピク揺れ続けていた。

 

 傍から見ていた俺にはわかる。それは、どう見ても……

 

「……しゃっくり、始まったの。……ひくっ!」

「レヴ……」

 

 まぁどうみても、緊張でしゃっくりが始まっただけであった。

 

 

 

「レヴにコミュニケーションを期待しちゃダメみたいね……」

「……あう」

 

 同じ小動物系同士、馬が合うかと思ってけしかけてみたが失敗だったらしい。

 

 

 

 

「……起こしてくれたのは感謝するけど、1人で帰れるの。放っておいて」

「むぅ、強情ですわね」

 

 その後、俺達はあの手この手で会話を試みたが、幼女の警戒が解けることはなかった。

 

「ですが、道中には怖い魔物が居ますわよ?」

「私、魔法使いだもん。全然怖くないの」

「でもよ、さっき気絶してたじゃんか。あの状態で襲われたら、死んじまうんだぞ」

「うるさい、起こしてくれたのは感謝してると言ったの。でも、これ以上私に関わらないで」

 

 何を言っても頑なに、彼女は俺達の同行を拒否してやまない。何やら、思うところがあるらしい。

 

「とはいっても、ここから街への帰り道は一緒でしょう? 安全の為にも、一緒に帰った方がいいですわ」

「まだ私にはやる事あるもん。あなた帰るつもりなら、先に帰っててよ」

「そういう訳にはいきませんわ。やる事って、なんですの?」

「言わない。関係ない」

 

 これではらちが明かない。

 

 こなれば、彼女には申し訳ないが、魔法か何かで眠って貰って街まで運ぶのも手かもしれない。放っておいたら死んでしまう可能性が高いのだ、本人の意思は尊重したいが人命優先の場面だろう。

 

「いい加減にしなさいよぉ? ここは、子供の遊び場ではないわ。親に、勝手にこんな場所に来ちゃいけないと習わなかった?」

「……習った、けど。私、今はやる事があるの!」

「だから、何がしたいのか知りませんが親と一緒に来なさいな。貴女一人で森をうろつくだなんて、見過ごせるわけがないでしょ?」

「うるさいうるさい! 関係ないでしょ!」

 

 説得を続けるサクラも少し、口調が厳しくなってきた。ここは命を落とすこともある危険な森、カールが守ってくれているとはいえ俺達もそれなりのリスクを冒してここにきているのだ。

 

 幼女の駄々で、無駄に時間を使いたくないのだろう。

 

「もう、しょうがないんじゃない? 気絶させて運ぼうか、カール」

「……あんなちっちゃな子を殴るのか?」

 

 マイカは、俺も考えていた最終手段を持ち出してきた。

 

 手荒な行動だが、これは仕方ない。

 

「失神する呪文とか無いの? イリーネ、サクラ?」

「私は知りませんわ」

「……ちょっと眠くする魔法ならあるけど、こう興奮している子には効かないと思うわぁ」

「んー」

 

 さて、問題はどうやって気絶させるかだが────

 

 

「うるさい、そんな事させるかなの!」

「ぎゃん!!」

 

 

 森に少女の悲鳴が響き、振り向けばサクラが仰向けに倒れ伏していた。

 

 俺達の不穏な気配を察した幼女が、正面に立っていたサクラを吹っ飛ばしたらしい。

 

 ……あの子、何をしたんだ?

 

「お、おげぇ……。お腹が、お腹が」

「サクラさん、大丈夫ですの!?」

「こっち来るな、なの!」

 

 腹を押さえて蹲るサクラに駆け寄ろうとしたら、間髪入れずに幼女は俺に向けて光の弾を発射した。

 

 無詠唱の攻撃魔法だと? ……意外な攻撃手段に目を見開いていると、拳大の射出魔法が俺の顔面へと迫ってきていた。

 

「痛っ……、何をなさいますの!」

「この、この、この!」

 

 腕のガードが間に合わなかったので、飛んできた魔法は額で弾いて無効化する。うん、痛い。

 

 だが、耐えられないダメージではない。せいぜい、チンピラのパンチと同じくらいの威力だ。この程度なら、どうという事はない。

 

「イリーネ!」

「大丈夫ですわ!」

 

 俺の顔面に直撃させた後も、幼女は魔法を連打し続けた。いくらパンチ程度の魔法とはいえ、急所に貰うと気絶させられてしまうだろう。

 

 俺は光の弾を拳で弾いて、何とか耐え抜いた。

 

 現にサクラは、鳩尾に貰ってノックアウトされているのだ。しっかりガードせねば、油断はできない。

 

「魔法具────?」

 

 だが、あんな年の幼女が無詠唱でじゃんじゃか攻撃魔法を連打するなんておかしい。気になってその発動の様子を見ていると、どうやら彼女の手に持っている球体から魔法が発動されているようだ。

 

 ヨウィン産の高性能魔法具、と言ったところか。

 

「その子を取り押さえて!」

「分かったぜ!」

 

 今の俺に詠唱する余裕などない。自分の身を守るので手いっぱいだ。

 

 俺が時間を稼いでいるうちに、カールに頼んで幼女を制圧して貰おう。

 

 少しお痛が過ぎるからな、反省させてやらないと。

 

 

 

 

「……この防犯具の性能を、甘く見るななの」

「へっ?」

 

 

 

 ふと、魔法の猛攻がやむ。

 

 顔を上げれば、幼女に向かって突進していたカール目掛けて幼女は『その魔法具を投げ出していた』。その直後、幼女は投げ出した魔法具に背を向けて耳を塞いでしゃがみこんだ。

 

炸裂(バースト)!!」

「ぎゃあ!!?」

 

 その奇妙な行動に嫌な予感がして、俺は咄嗟に目を閉じ耳を塞ぐ。

 

 ああいう使い方をする現代兵器をよく知っているからだ。

 

 

 

 ────光が、森を覆う。

 

 

 

 同時にキィィィィィ、と凄まじい耳鳴りが森に鳴り響いた。

 

 あわせてバタバタと、樹の枝にとまっていた鳥が地面へ力なく墜落した。

 

「……うぅ。やはり、これは」

 

 スタングレネード、この世界にもあるのか。俺の世界と違って、音波攻撃が有害っぽいけど。

 

 耳を塞いでいた俺ですら、頭がくらくらしているのだ。鼓膜破けてるんじゃねぇか、みんな。

 

 

「……ぁ」

 

 

 流石に、自分の目の前で音の爆弾を食らったカールは再起不能っぽい。

 

 視力が回復して周囲を見渡すと、カールは幼女に飛び掛かろうとした体勢のまま、その場で気を失って倒れ込んでいた。

 

 そして周りを見渡しても、幼女の姿は見えなくなっていた。視界を奪った隙に、隠れてしまったらしい。

 

「な、何てもん持ってるのよあの娘……。あー、頭がくらくらする」

「マイカさん! 無事でしたの?」

「え、ごめんよく聞こえない。まだ、耳がボケてるみたいね」

 

 声がした方へ振り向くと、なんとマイカは気を失わずに平然と立っていた。

 

 耳をポリポリと掻いているあたり無傷ではなさそうだが、彼女も気絶は免れたらしい。逆に、他の仲間────サクラやレヴちゃんはカール同様に気を失って倒れていた。

 

 ……人間3人を即座に昏倒させるのか。俺が知ってるスタングレネードより遥かに強力っぽいな。ただの音波攻撃ではなく、多分魔法による攻撃も混じってそうだ。

 

 あと、青髪幼女があんな場所で気を失っていた理由が分かった気がする。絶対自爆しただろアイツ。

 

「マイカさん、お怪我はありませんか? よくご無事でしたわね」

「あー、聞こえてきた。あの娘とイリーネが耳を塞いだのを見て、咄嗟に真似したのよ。何か意味がある行動だと思って」

「それは、素晴らしい判断だった様ですわ。私も、あの娘が耳を塞いだから咄嗟に真似をしましたの」

「へー、成程」

 

 ふむ、彼女が状況判断力に優れるというのは本当らしい。パーティ全滅を避けれて、何よりだ。

 

 この状況で俺一人とか勘弁してほしい。

 

「……さて。イリーネは気絶から回復させる魔法とか、使えないのよね?」

「ごめんなさい」

「謝る事じゃないわよ」

 

 後は、気絶したみんなの手当てだが……。俺にはよく分からん。

 

 ぐわーっとしてドッカーン、って感じの魔法しか教わってないんだ。すまんな。

 

「それより、このままだとまたあの娘を見失ってしまいますわ。マイカさん、気絶した彼らは私が見張っていますので追跡をお願いしてよろしいですか?」

「……うーん。そうねぇ」

 

 取り敢えず、気絶した仲間は一纏めにして俺が守ることにしよう。

 

 マイカには、早くあの子を追ってもらわないと。

 

「いや、これは潮時かもね。私も、ここで周囲を警戒しておくわ」

「へ?」

 

 しかしマイカは子供を追いかけようとせず、溜息をついて気を失っているカールの下へ歩み寄った。

 

 ……あれ?

 

「あの娘は、もう諦めましょう。あんな物騒な物持ってたんですもの、次はどんな隠し玉が出て来るか分からないし」

「……マイカ、さん?」

「変に関わって、私達まで死んじゃったら元も子もないし。予言通りにあの娘が死んじゃうことになったとしても、それは運命だったって事ね」

 

 ……そのままマイカはカールの頭を膝に乗せ、暗に彼女を見捨てるような事を言い出した。

 

「そ、そんな! せっかく、彼女が生きている間に見つけ出せたのに────」

「それでここにいる皆を、危険にさらすつもり? そもそも今、魔物に襲われたら絶体絶命なのは分かってる?」

「わ、私が撃退しますわ!」

「後衛の貴女が、ここで全員を守りながら戦えるの? それに、私が上手くあの子を捕まえたとしても、次の隠し技で私が気絶しないという保証はあるの?」

「……ですが、それでは彼女は」

「私達は、最大限努力をしたわ。でもこれ以上は、仲間に危険が及ぶ……。いえ、もう既に及んでいるもの。私は、もうあの子に関わるのは反対よ」

 

 そのマイカの言い分は、間違っていなかった。

 

 あの娘が、俺達が想定していなかった隠し武器を持っていたのは事実だ。

 

「……」

 

 ああ、でも。

 

「では、あの子を見捨てるのですか」

「イリーネ、貴女の住んでいた世界とここは違うのよ。恵まれた貴族みたいな『救えるものは救おう』なんて甘い考えじゃ、冒険者としてやっていけない」

 

 それではあの、妹と同じくらいの年齢の女の子は。

 

「自分と、仲間の命を最優先。それ以外は二の次よ、分かってイリーネ」

「……」

「それに、私達は彼女に手は差し伸べたわ。それを振り払ったのは、彼女よ」

 

 ユウリの予言の通りに、殺されてしまうのだろうか。

 

「……」

「ごめんね、貴女の怒りも分かるわ。冷たい人間よね、私」

「……その、それは」

 

 俺には、我慢できない。

 

 目の前に助けられる命があるのに、救おうとしないのが許せない。

 

 でも、

 

「私には、あの子よりカールのが大事なのよ」

 

 そのマイカの言葉は正しい。それは、理解は出来てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……こっち、こっち。

 

 

 

 

 

 

 頭のなかに、声が響く。

 

 光の奔流の先に、人型の小さな生命体か手招きをして俺を呼んでいた。

 

「妖精さんが……、あそこで手招きをしてますわ」

「えっ。まだ見えてんの、それ」

「はい」

 

 それは舞い踊るように、フワフワ左右に揺れながら、真っ直ぐに俺を見つめた。

 

 女の子を見捨てる。そんな決断を仕掛けている俺を咎めるように、その妖精は歌い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……宵の羽衣、既に剥がれ。

 

 ……小さな子羊、天へと召され。

 

 ……憐れ憐れ、はよう此方へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソレは、不思議な唄だった。どこか懐かしく、どこか厳かで、どこか悲しげな歌だった。

 

「やはり、あの妖精は私に語り掛けていますわ……。あの子を追いかけろと」

「ちょ、ちょっと? またフラフラついていかないでよね? 私一人で魔物の相手とか無理よ?」

「分かっています、分かっていますとも」

 

 何がそんなに悲しいのだろう。何をそんなに呼んでいるのだろう。

 

 俺はこの場を離れることが出来ない。マイカの言う通り、唯一意識があって戦える俺がここを離れたら、カール達は魔物の餌になるだろう。

 

 

 

 

 

 ……こっち、こっち。

 

 

 

 

 だが俺は、その不思議な歌声を聞いてから、妖精から目が離せなくなっていた。

 

「イリーネ?」

「……」

 

 俺は、行かなければいけない。その妖精に着いて行かなければ、きっと後悔する。

 

 そんな強迫観念に囚われ、気付けば俺はフラフラと妖精の方へ一歩踏み出していた。

 



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27話「身分違いの恋」

 ……宵の羽衣、既に剥がれ。

 

 ……小さな子羊、天へと召され。

 

 ……憐れ憐れ、はよう此方へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 命を落とすだろうと予言された、青髪の幼女。

 

 運良く死亡する前に彼女を見つけ出した俺達だったが、残念ながら説得に応じて貰えず逃げられてしまった。

 

「……イリーネ、落ち着いてよね。貴女まで居なくなったら、相当ヤバいんだから」

「わ、分かっております」

 

 俺はなお諦めず彼女を追いかけるべきか、見捨てるべきか迷った。

 

 マイカは、断固として俺に追わせるつもりはないらしい。そりゃそうだろう、この状況で戦えるのは俺だけなのだ。

 

 カールが失神した今、俺がこの場を離れる訳にはいかない。

 

「あの子を見捨てるか、私達を見捨てるか。これはそういう選択肢よ、イリーネさん」

「……ええ」

 

 そうだ。

 

 今彼女を追いかけると言うことは、カール達を見捨てることを意味する。

 

 俺はカールやサクラに命を助けられた身だ。命の恩人を見捨てるなんて、仁義に反する。

 

「安心してくださいマイカさん、私にしか見えない妖精が気になるだけですわ。無論、ここでカール達を守りますとも」

「ごめんねイリーネ、ありがとう。貴族には相当、辛い決断なんでしょ? それ」

「……いえ、冷静さを失いかけていたのは私ですわ」

 

 すまない、幼女。もし、皆の意識が戻った後でなお生きてきたなら、次こそは保護してやるから。

 

 マイカの言う通り。俺は、この場を離れてはいけない。

 

 ……ごめんよ、女の子。

 

 そんな、少し諦めにも似た感情と共に。俺は、こちらを向いて無言で歌い続ける妖精を見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 ……こっち、こっち。

 

 

 

 

 

 妖精は、俺を呼び続ける。

 

 あれは一体、何なのだろうか。

 

 先ほどは、妖精の導きの通りに進むと幼女を見つけ出すことができた。なら、敵ではないのだろうか。

 

 しかし、その幼女のせいで俺の仲間は壊滅に陥った。ソレを鑑みるに、むしろ敵なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 ……おねがい、こっち。

 

 

 

 

 

 

 人型のその妖精は、何の表情も見せぬまま手招きし続ける。

 

 人の言葉を理解している、人ならざる生命体。艶やかな光で包まれた、幻想的な存在。

 

 ……ああ、不思議だ。あれは本当に、何なのだろう────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その時、ふと。

 

 世界が、切り替わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ああ、あの娘ですわ。

 

 

 森を疾走する、誰か。

 

 

 ────放っておきなさい、もう助からない。

 

 ────自分の身を、最優先。

 

 

 音響する、誰かの声。ソレは、聞き覚えのある人の声。

 

 

 ────俺が道を切り開く、皆は自分だけ守っててくれ。

 

 ────任せましたわ、カール。

 

 ────来るわよ!

 

 

 ああ、そうか俺達だ。これは、俺達の声だ。

 

 だが、俺にこんな記憶は無いぞ。

 

 森の中、魔物に囲まれて絶体絶命。囲みを突破するためにカールは敵に突っ込んで、後衛はレヴちゃんと俺を要に防御陣形を取っている。

 

 俺達は森の中で、こんな危険な状況に陥ったことはないぞ?

 

 

 ────あっ?

 

 ────イリーネ!?

 

 

 そして、視界が赤く染まった。

 

 気付けば、俺の上に獰猛なドーベルマンに似た魔物が乗り込み、咆哮していた。

 

 

 ────た、助けっ

 

 ────イリーネ、大丈夫!? 今、助ける。

 

 ────あっ

 

 

 油断したのだろうか。それとも、これがこの森の魔物の強さだとでも言うのだろうか。

 

 死角からの不意打ちで大地に叩きつけられた俺は、ろくに抵抗も出来ないまま。

 

 

 

 

 ────ぐちゃり。

 

 

 

 

 生臭い痛みに、頭が割れそうになって。

 

 俺が頭から魔物に補食されてしまったのだと気付いたのは、自分の視界に首のない俺の体が映った後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息が、荒くなる。

 

「……っ」

 

 俺は目を見開いて、首筋に手をやった。

 

 すべすべと触れる肌触り。

 

 繋がっている。俺の首はまだ、しっかりと喉にある。

 

「そ、そんなに辛いの? イリーネ、顔色がすごく悪いわよ」

「……、え、えぇ」

 

 何だ今のは。何だ、今の景色は!

 

 これは、白昼夢と言う奴か? 俺はこんな真っ昼間から、夢を見ていたとでも言うのか?

 

 妙に現実味のある夢だった。まるで実際に体験していたかの様な、リアリティーのある夢。

 

 だが、現実ではない。間違いなく俺の首はくっついているし、こうして俺は生きている。

 

 ああ、気分が悪い。なんて、最低な気持ちだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……こっちに、おいで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の頭に、幼い声が木霊する。

 

 ああ、くそ。まだ、頭に声が響いてやがる。

 

 もういい加減にしてくれ。俺は、疲れてるんだ。

 

 何だか良くわからないものに振り回されるのは、そろそろ御免だ。

 

 俺は気が変になってしまったのか? 自分が死んでしまう夢を見るなんて、本当にどうかしている────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……おねぇちゃん、しんじゃうよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりに不快なその夢に動揺していた、その時。

 

 妖精から聞こえてくる声色が、冷酷なモノに変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……こっちに、おいで?

 

 ……しにたく、ないでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーネ? イリーネってば、大丈夫?」

「……」

「気分が悪いの? さっきのヤツの後遺症?」

 

 俺は、気付けば大地にへたり込んでいた。

 

 アイツは、あの妖精は。このままだと俺が死ぬと、そう言っているのだ。

 

「────ぁ」

 

 これは、脅しか? それとも、忠告なのか?

 

 俺はあの娘を、追いかけた方が良いのか? それとも、無視するのが正解か?

 

 どっちだ。俺は、何を信じればいい?

 

 

 

 

 妖精は、今もまだ俺の方を向いて歌っている。

 

 涼やかで、清らかで、気味が悪いほど純粋な歌を。

 

 

 

 

「……あぁ」

「イリーネ?」

 

 

 そっか。何て事はない。俺はいつも通り、嘘をついていないか見抜くだけでいいんだ。

 

 どう見てもアイツは、嘘をついていない。

 

 このままだと俺は死ぬ。

 

 

「マイカさん。幻覚かもしれない、妖精が語りかけてきたのですわ」

「……何て、語りかけてきたの?」

「このままだと、私は魔物に食われて死ぬそうです」

 

 

 俺はわかる。人が嘘をついたかどうか、くらいは。

 

 あの妖精は、顔も見えぬあの生命は、決して嘘をついていない。

 

 あれは、罠や脅しの類いではない。純粋な、忠告だ。

 

 

 

「妖精さん。今すぐ、私はあの子を追いかけるべきなのですか?」

 

 

 

 意を決して、俺は妖精に語りかけた。

 

 この先、俺はどうするべきなのか。どうしたら、俺は死なずに済むのか。

 

 

 

「イリーネ……」

「自分でも、怪しいとは感じているのです。ですが、あの妖精はきっと、嘘なんか言っていない」

 

 

 マイカが、何とも言えない顔で俺を見つめる。

 

 彼女から見れば、俺は目に映らぬ何かに踊らされている狂人でしか無いのだろう。

 

 だけど。俺には、自分が死ぬような景色を見せられてしまった俺には、悠々と待っている気になれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……おいかけなくていい。

 

 ……こっちに、おいで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妖精はそう言うと、自分の足元を指差した。

 

 ヒラヒラと舞いながら、妖精は俺を見つめて真下を指し続ける。

 

 

 ……ん?

 

 

 

 

「私、ちょっと妖精さんの居るところに行ってきますわ」

「ダメよ。落ち着いてイリーネ、あなた正気じゃないの。自分にしか見えないものを、追っていっちゃダメ」

「ああ、その。ですがすぐそこらしいですわ、彼処の木の根元だそうです」

 

 妖精さんは、別にあの娘を追えって言ってる訳じゃないのか。 

 

 その妖精が指しているのは、俺のすぐ傍の木陰。そこに俺を呼んで、どうするつもりだ?

 

「木の根元って……。そこに、何かあるのね?」

「ええ、あるそうです」

「なら、私が見てくるわ。イリーネ、あなたはここで待ってなさい」

 

 マイカは、俺に歩いていって欲しくないらしい。

 

 ふむ。まぁ、確かに俺は今おかしくなってるしな。

 

 偵察役のマイカに見てきてもらうのが、正解か。

 

「なら、お願いしますわ」

「分かった、待ってて」

 

 俺はそう言うと、妖精のいる方向をまっすぐ指差した。

 

 さて、これで一体何が見つかると言うのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ここ、ここ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マイカが妖精の指す場所に近付くと、妖精は嬉しそうな声を出して笑った。

 

「この辺?」

「ええ、その辺りですわ」

 

 そのままマイカはまっすぐ、妖精の居る場所まで歩いていって……。

 

 

 

「あっ」

 

 

 

 額にタンコブを作って目を回している、先程の幼女を見つけ出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「拘束して簀巻きにしたわ」

「例の犯罪者拘束用のヤツですわね」

 

 俺達は無事、青髪幼女を確保した。

 

 ボディチェックで見つけた怪しげな球を没収し、縄でぐるぐる巻きにして地面に転がした。

 

「ふむ、万事解決」

「絵面が人拐いそのものと言うことに目を瞑れば、ですわ」

「私達に危害を加えたのはその子からじゃない。売り飛ばされても文句言わせないわよ」

 

 マイカさんは、この悪ガキの所業に結構お怒りだった。まぁパーティー半壊させられたしな。

 

 大人げないと言うべきか、仕方ないと思うべきか。

 

「何にせよ、今度こそ当初の目的達成ですわね。妖精さんには感謝ですわ」

「そうね。後は早く街に帰って、イリーネのその妖精さんとやらが見える症状を調べてもらわないと」

 

 せやな。何なんだろう、これ。

 

 まだ、森全体にプワプワした光の渦みたいなの見えるし。その集合体みたいなのが、妖精さんだ。

 

 と言うか、妖精で良いんだよな? 魔物とかじゃないよな、これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……うん、うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その妖精さんは、目を回している青髪幼女の上に座ってご満悦だった。

 

 うーむ。何がしたいんだろう、こいつ。

 

「妖精さん、妖精さん」

 

 俺が妖精に語りかけてみると、そいつは不思議そうに首をかしげた。

 

 一応言葉は通じるんだよな?

 

「もう、これで大丈夫ですの? 私は死なないですみますの?」

 

 

 

 

 

 ……ううん? まだだよ?

 

 

 

 

 

 おお、通じた。

 

 ちゃんと受け答えはしてくれるのね。

 

「マイカさん、気を付けてください。まだ、何かあるそうですわ」

「そう。うーん、その妖精って幻覚じゃなくて何かの現象なのかしら?」

「そう思いますわ。2回もその子の居場所を指し示したんですもの、偶然とは考えにくい」

 

 ああ、恐らくこの妖精さんは俺の妄想が産み出した存在ではなさそうだ。

 

 おそらく魔法的な素養がないと見えない系のアレだ。サクラにも見えてなかったのは気になるけど。

 

「その妖精、次は何を言ってる?」

「えーっと、ですわね」

 

 そうだな、それを聞かないとな。

 

「もしもし、妖精さん────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────アレは、どこなの!?

 

 ────アレって、何だよ!?

 

 俺が妖精に声をかけた瞬間、再び世界が切り替わった。

 

 エコーのかかった声が周囲に鳴り響き、周囲が不鮮明にぼやける。

 

 ────この数相手に、一人でどうこうしても無理なの!

 

 ────そんな事分かって……!

 

 ────私が持ってた防犯具! アレは何処なの!?

 

 おお、さっきの映像と様子が違う。

 

 さっきの映像だと、青髪の子は既に殺されていた。

 

 そして、魔物の群れに囲まれた俺達はカールを先頭に切り抜けようとして、俺は運悪く頭から噛み殺された。

 

 しかし、今回は幼女が俺に背負われている。

 

 ────あんな危険なもの、捨ててきたわ。暴発したら全滅じゃない。

 

 ────暴発なんてしないの! 意図的に魔力込めない限り!

 

 幼女は俺の背中でやかましく叫び、もがいている。

 

 俺は幼女を持ちにくそうに背負いながら、魔物の猛攻を辛くも凌いでいた。

 

 ────カール、早く!

 

 ────今やってる! くそ、どれだけ沸いてくるんだコイツら!

 

 突破口を作ろうと一人奮闘するカール。だが、じきにパーティーの皆は疲弊していく。

 

 ────あっ!?

 

 ────サクラ!!

 

 そして、とうとう。足元がふらついていたサクラが、俺とレヴちゃんの間をすり抜けてきた魔物に組み付かれた。

 

 全員、自分の正面の敵を相手にするので手一杯だ。フォローにいける存在が居ない。

 

 ────ぁっ

 

 そして、彼女はろくな抵抗もできぬまま。

 

 その華奢な首筋を一噛みに抉られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……、ふぅ」

 

 再び、世界が輪郭を帯びてくる。

 

 息を整えて周囲を見渡すと、マイカが心配そうに俺を覗き込んでいた。

 

「イリーネ、どうしたの?」

「ああ、妖精さんと少しお話していたのですわ」

 

 成る程。分かったぞ、これはさては予知魔法と言うやつだ。

 

 ユウリも言っていた「起こる可能性のもっとも高い未来を映し出す」魔法。何故かは分からんが、今俺は妖精にその映像を見せられていたのだ。

 

 つまり今の映像は白昼夢でも何でもなく、純粋な魔術。そして、起こりうるもっとも可能性の高い未来。

 

「ねぇ、マイカさん。そういえば、さっきの女の子が持っていた球はどうなさいますの?」

「ああ、あの危ない魔道具? 扱い方わかんないし暴発したら危険だし、捨てて帰るつもりよ」

「それ、私に預からせてもらえませんか? 後々、必要となるかもしれませんわ」

「……うん? まぁ暴発させないなら、良いけど」

 

 あの場面で、スタングレネードが1発あれば状況は大きく変わる。

 

 きっとあの妖精さんは、これを捨てるなと言いたかったのだろう。

 

 

 

 

 ……♪

 

 

 

 

 俺が球を回収すると、妖精は嬉しそうに踊りだした。よし、正解っぽい。

 

 これで人事は尽くした、あとは天命を待つのみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……って感じで、その子を捕縛したのよ」

「そっか。うーん、面目ねぇ」

 

 帰り道。カール達が目を覚ますまで待って、俺達は再び魔力の森を歩いていた。

 

「……」

 

 幼女はまだ目を覚ます様子が無かったので、太いヨウィン樫の枝に幼女の手足を縛りつけ、肩に担いで持ち帰っていた。

 

 豚の丸焼きみたいな扱いだ。

 

「あのスゲーうるさいの、何て名前の道具なんだ?」

「……知らない。あんな武器、初めて、見た」

「私も初めて見たわ。ヨウィンは魔法技術が進んでいるわねぇ」

 

 そうだな。軍事貴族のウチですら見たことないんだから、普通の冒険者が知ってるわけないよな。

 

「イリーネとサクラは知ってたのか?」

「いえ。初見でしたわ」

「知ってるわけないでしょ」

 

 本来、こういった武器の類は貴族であるヴェルムンド家に優先的に卸される筈。しかし、この幼女はウチより早くこのスタングレネードもどきを卸されていたことになる。

 

 となると、カールの肩で獲物の如く背負われているその幼女は、ウチなんかより位が高い貴族である可能性があるのだが……。

 

「このガキ、むかつく……」

「おう、突っついてやれレヴ」

「……まぁ、落とし前は必要よねぇ? 私は顔に落書きでもしてやりましょうか」

 

 我らがパーティメンバーは、ウチより爵位の高そうな貴族令嬢に寄ってたかって悪戯しているので言い出しにくい。

 

 うん、まだ本当に俺より格上の貴族なのか分からんしな。気にしないでおこう。

 

「で、だ。イリーネ、まだ見えているんだな? 例の妖精さん」

「ええ。妖精さんに教えられた内容も、先程話した通りですわ」

「それじゃあ、もうそろそろ俺達は魔物の群れに囲まれるわけだが────」

 

 うん、前もって囲まれるのが分かってると気が楽だな。

 

 不意を突かれずに済むわけだし。

 

「あ、凄い数。イリーネの言ってた通り、獣型の魔物が群れを成して襲ってきているわ」

「本当か、マイカ?」

 

 周囲を偵察してきたマイカが、報告に戻ってきた。

 

 やっぱりあの白昼夢は、予知魔法で間違いないらしい。

 

「えっと、皆さん。後ろを向いて、両耳を塞いでくださいまし」

「え? ……ああ、成程」

 

 では、未来を変えるとしよう、さっきあの幼女がやってたみたいに、俺はその魔法具に魔力を込めて……

 

 

 

「そぉぉぉい!!」

 

 

 マイカが教えてくれた方向に思いっきり投げ込んで、同じく耳を塞いで目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────爆音が、森に木霊する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃああああ!! なの!!」

「うおー……、距離があってもうるせぇなぁ。耳がキンキンしやがるぜ」

 

 ふむ、成功だ。うまくあのスタングレネードは発動したっぽい。

 

「耳が!! 耳がぁぁぁなの!!」

 

 一方で両手両足を縛られて耳を塞げなかった幼女は、本日2回目のスタングレネードで叩き起こされていた。

 

 耳から血が垂れて来てるあたり、鼓膜が破れてそうだ。

 

「はいはい、治してあげるわよぉ。有料だけどね」

「え、何なの? 何も聞こえないの」

「親に満額請求してあげるから、覚悟しなさい」

 

 ようやく意識を取り戻した幼女は、自らの置かれた状況を理解していないっぽい。

 

 ふむ、鼓膜が治ったら声をかけてやるか。

 

「お嬢さん、お目覚めですか?」

「……あ! お前らはさっきの!」

「あの後、貴女はこけて気絶しましたの。なので、街まで運んであげている最中ですわ」

「ええ、ああ、そうなの。それはご丁寧に……、って!」

 

 サクラの魔法で耳が聞こえるようになってから、幼女に優しく声をかける。

 

 格上の貴族かもしれないんだ、ここは丁寧な応対を……。

 

「運び方がおかしくない!? 家畜みたいな運び方なの!!」

「気のせいですわ」

「つん、つん」

「突っつくな!! なの!!」

 

 ああ、もう駄目っぽい。

 

「不敬なの、不敬なの!! お前ら、この私を誰だと心得る!」

「名乗られてないから知らないわぁ」

「私はリタ! リタ・ゴッドネス・セファールなの! ほら名乗ったでしょ、良いから早く私を解放するの!!」

 

 ……。リタ・ゴッドネス・セファール。

 

 うん、その名前どっかで聞いたことが……。

 

 え、セファール?

 

「……」

「どうしたのイリーネ、顔が青いけど」

「セファール、ねぇ。そんな貴族家有ったかしら?」

「貴族じゃないの!! この無礼者ども!!」

 

 ……確かセファールって、この国の王家じゃなかったっけ。そうだそうだ、そもそもミドルネームに女神(ゴッドネス)名乗れるのは王家の女性だけだ。

 

 こんな子、王家にいたっけ? いや、正直王家とそんなに繋がりがないから分からん。けど、もしこの子がガチ王家なら俺の立場ヤバイんだが。ヴェルムンド家が取り潰しの危機なんだが。

 

 え、嘘だろ? 何で王家の御令嬢が、護衛もなしにこんな危険な場所に?

 

「……貴族じゃないなら、怖くないし。くらえ、さっき見つけた臭い種……」

「ぐえええ! 臭いの! その種、すっごく臭いの!」

「鼻に詰め込んでやる……さっきの、お返し……」

「やめるの! 不敬者! ぐえええええ臭いの!!」

 

 ……。

 

 本当に不敬だな。どうすっべ、コレ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「王家?」

「ようやくわかったか、不敬者!! 不敬者!!」

 

 俺達は幼女を簀巻きのまま、とりあえず上座に座らせた。

 

「王家な訳なくない? 何で王族が一人で森をうろついてるのよ」

「彼女、嘘をついてませんわよ?」

「そう思い込んでるだけの子供に違いないわぁ。うんそう、そうじゃなきゃテンドー家再興の野望が……」

 

 俺達は、彼女への対応を決めあぐねていた。

 

 ガチ王家とか身分が違い過ぎてどう対応していいか分からん。

 

「うーん。本当に王家の令嬢だったら面倒ね、バレないようにこの辺に埋めておくのはどう?」

「ひぃぃなの! ひ、ひ、人殺しぃ!!」

 

 すちゃ、とマイカは据わった目でタガーを取り出した。

 

 おいおい。

 

「マイカさん、質の悪い冗談で子供をからかうのは止めなさいな」

「その子、本気で怖がってんだろーが。……うん、冗談だよな?」

「えっ?」

「えっ?」

 

 えっ。

 

「ほ、褒美!! もし、ここから私に従って王族への礼を尽くせば褒美を使わすの!!」

「あら、素敵ね。でも、私達はいっぱい不敬な事しちゃったし……。始末した方がローリスクじゃない?」

「ゆ、許すの! 女神に誓って今までの不敬は全部不問にするから、物騒な考えは捨てるの!!」

「ふふふ、ありがと」

 

 この幼女、マイカが割と前向きに王族殺しを検討しているのを察したらしい。

 

 幼女は、怯えた顔で今までの不敬を無かったことにしてくれた。ラッキー。

 

「……で、だ。リタ様? は、何でこの森に一人で居たんだ?」

「ひ、人探しなの……」

「人探し?」

 

 カールがリタの事情を聞き出そうとすると、彼女はバツが悪そうに顔をそむけた、

 

 おや。

 

「その、私。仲良しの子と、パーティを抜け出して森に冒険に来たの」

「え、それって脱走……」

「パーティがつまんないのが悪いの! 音楽聞いてるだけとか退屈だし!」

 

 この御令嬢、さては家出しやがったな。

 

 俺も小さな頃よくやったから責められんけど。パーティを抜けてやるスクワットは最高やでぇ。

 

「で、その。森で、魔物に襲われて、はぐれちゃって」

「お、おい。じゃあ、もう一人子供が森の中に取り残されてるのか?」

「そ、そうなの! あの子平民だから、魔法も使えないだろうし! で、昨日からあの子をずっと探してたの」

 

 で、この子はあろうことか家出したあと危険な森に冒険に来てしまったと。

 

 いくら子供とはいえ、後先考えなさすぎだな。

 

「でも、全然見つからなくて……。お願い、一緒に探してほしいの! 本当に、見つけてくれたら何でもしてあげるから!」

「いや、でもなぁ」

 

 探せと言われても、どこを探せばいいのだろう。この広い森で、魔法も使えない子供が一人隠れてるって。

 

 街に戻って、探知魔法のスペシャリストとかを呼んだ方が良いのだろうか?

 

「妖精さん妖精さん、貴方はその子の場所が分かりますか?」

 

 まぁ、一旦妖精さんに聞いて見るか。

 

「……妖精さんって、何なの?」

「リタ様。あのお姉さんは、妖精さんが見える不思議なお姉さんなのよ」

「そう……、お気の毒なの」

 

 可哀そうなものを見る目やめーや。本当に見えてんだよこっちは。

 

 

 

 

 

 

 

 ……ああ、それならむこう。

 

 

 

 

 

 

 妖精は、前と同じように進むべき森の方向を指さした。それは、たまたまヨウィンへの帰り道の方向だった。

 

「このまままっすぐだそうですわ。街の方角ですわね」

「そう。なら、当てもないし信じて進みましょうか」

 

 せやね。もし外れても、街に戻ってから捜索隊組んだ方が効率よさそうだもんね。

 

「ちょっと、引き上げる気じゃないよね? まだあの子が見つかってないの」

「いや、街に戻って大勢の冒険者集めた方が良いんじゃない? 人手が足りなすぎるわ」

「……む。でも、それは確かにそうなの」

 

 幼女も納得したし、とりあえず街に戻るか。

 

 妖精さんの指す方向が本当なら、案外自力で街に戻ったのかもしれないし。

 

 

「おい気を付けろよ、前には魔獣がいっぱい気絶してるからな」

「踏んで起こしたら面倒ねぇ」

 

 

 それと、ユウリに占ってもらうのもいいかもしれない。今回だって、このリタを助けることが出来たのはユウリの占いのお陰なんだ。

 

 人探しとかは出来るのか分からないけど、頼んでみるのも一つの手だと────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ここ、だよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、妖精は。

 

 とある気絶した魔獣の一体を、指さして止まった。

 

 

 

 

 

「……イリーネ? 急に立ち止まって、どうしたの?」

「……」

 

 ああ。まぁ、そうだよな。

 

 魔法も使えない子供が、こんな強い魔物の跋扈する森で生き延びられるはずが無いよな。

 

「……そこ、ですわ」

「へっ?」

 

 見てしまった。

 

 俺には、見えてしまった。

 

「……あ」

 

 赤い、子供位の大きさの肉塊を咥えて倒れている、大きな魔物の姿を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ありがとう、おねえちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森に、静かな子供の声が響く。

 

 真っ白な光が、その子供の変わり果てた姿を包んでいく。

 

「うそ、なの。そんなの、嘘……」

「リ、リタ……」

「あれは、あの服は、ロッポの着てた────」

 

 リタも気付いてしまったらしい。彼女の探していた『平民の子』の、その変わり果てた姿に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ありがとう、リタをたすけてくれて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、そうか。ちくしょう、そう言う事か。

 

 何が、妖精さんだ。何が、幻覚だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ぶじでよかった、リタ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が見ていた妖精は、俺をずっと導いていたその超常現象的な存在は────

 

 

「い、いやぁ! ロッポ、ロッポぉ!!」

「お、落ち着いて! 暴れたら駄目、魔物が目を覚ましちゃうわ!」

「私だ、私のせいだ!! 私が抜け出そうなんて言ったから、私が森に行こうなんて言い出したから!!!」

 

 

 

 ────彼女を守ろうとしていただけの、(ゴースト)に過ぎなかったのだ。

 

 

 

 その霊は、泣き叫ぶ幼女の隣で微笑んでいた。

 

 その眼には、恨みも怒りもない。ただ、リタが生き延びられたことを安堵している顔だった。

 

 

「ごめん、ごめん、ごめんなさい! 私が、私が……」

 

 

 ……森に光が、満ちていく。

 

 リタを見守るその子の霊は、淡い輝く粒子となって、森に溶けていく。

 

 きっと、もう満足したんだ。リタが助かったことを確信して、この世に未練が無くなったんだ。

 

 

 

 

 ……まったく、漢じゃねぇか。

 

 この哀れな子供は自分の友達を、俺を使って死んでなお守り抜きやがったのだ。

 

 

 

 

 

「……妖精さん。何か、遺言はありますか?」

 

 その妖精が見えるのは、俺だけ。

 

 その妖精の言葉を伝えられるのは、この場では俺のみ。

 

 

 だから、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……みぶんちがいの、はつこいでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺はその無垢な言葉を、消えゆく霊の想いを、ゆっくりと言葉に乗せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……いっしょにあそんでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 ……リタ様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 泣き叫ぶ少女に抱き着くように覆いかぶさったその霊は、満足げな表情でやがて霧散した。

 

 



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28話「未来予知エルボー!!」

 森で伏した物言わぬ子供の骸を、布でくるんだ後。

 

 俺達は、無言になったリタが案内するまま豪華な屋敷へと歩んでいった。

 

 ここが、彼女の滞在していた宿らしい。屋敷の入り口でリタの名前を出すと、慌てた番兵が俺達を屋敷の中へと案内してくれた。

 

「そうか、君達がリタを……。まさか、森に出かけていただなんて」

 

 導かれるまま屋敷の中に入って話を聞くと、リタは『王弟』ガリウス様の娘だった。

 

 ガリウスは現国王の二つ年下の弟であり、直接的に内政権は持たないものの『貴族を束ねる議会』の議長を務める大人物である。

 

 彼はこのヨウィンを直轄領地の一つとして治めているらしく、視察目的で滞在していたそうだ。

 

 そして昨日に執り行われた王弟ガリウスを歓迎する舞踏会の最中、脱走を目論んだリタは行方不明となった。

 

 王族が行方不明になったので、屋敷中は大慌て。反政府組織による誘拐まで視野に入れて、町中で捜索が行われる寸前だったという。

 

「お父様、私……」

「こっちに来なさい、リタ」

 

 俺達が森でリタを保護した経緯を聞くと、『王弟』ガリウス様はカールにじきじきに頭を下げた。権力者が、それも王族が平民に頭を下げることは非常に珍しい。

 

 それほどに、謝意が深かったのだろう。

 

「リタ、そこに立ちなさい」

「……」

 

 そしてガリウスの娘への行動は苛烈だった。

 

 1日中森を這いずり回り、疲労困憊で立った娘リタに起立を命じて、

 

「この、痴れ者がぁ!!!!」

 

 

 ────その頬を張り飛ばして、大声で怒鳴ったのである。

 

 

 

 

 

「ガ、ガリウス様」

「リタ、自室に戻っていなさい。君の処遇は、後程言い渡す」

 

 憤怒の表情を隠そうともせず、ガリウスはぶたれて地面に這いつくばる娘に冷たく声をかけた。

 

 そのあまりの剣幕に、誰もが言葉を失った。

 

「勇敢な冒険者諸君。君達には、王族の名に懸けて最高級の歓待を用意しよう。だがすまない、本日は立て込んでいてね」

「は、はい。恐縮です……」

「明日の夕方、再びこの屋敷に来てもらえないだろうか。ぜひとも今回の件の、礼をさせてくれ」

 

 仮にも、命からがら生き延びた娘に対する所業ではない。しかし、ガリウスは娘を一瞥すらせず俺達に語り掛ける。

 

 そんな扱いを受けたリタは、歯を食いしばるように立ち上がると、涙をこぼしながら屋敷の中に駆けだした。

 

 彼女に声をかける者は、いなかった。

 

「それと、この子を……」

「ああ、預かろう。彼も、死後安らかに過ごせるように計らってやらないと」

 

 リタが立ち去った後、俺はずっと手に持っていた『血の付いた布の塊』をガリウスに差し出した。

 

 ガリウスは布でくるんだロッポ……、死んでしまった平民の子の死体を受け取る。そしてガリウスは、血で自らの服が汚れる事も気にせず抱きしめた。

 

「何から何までありがとう」

 

 そう言って、ガリウスは再び頭を下げた。

 

 ……ああ、これが王族。貴族の中の貴族にして、生まれながらにして人の上に立つ者か。

 

「ガリウス様、リタ様も傷ついておられます。今日くらいは、御労りをしては如何でしょう」

「いや。アレは私の娘だ、私にはわかる。今日は労られる方が辛く苦しいはずだよ」

「……左様ですか、差し出がましい事を」

「ありがとう。君達には私の大事な娘を守ってくれて、感謝の言葉もない」

 

 そしてガリウスは、ロッポを抱いたまま悠々と背を翻した。

 

「本来なら今すぐにでも君達に向けて感謝の意を示す所だ。しかし今夜だけは、私はこの小さな英雄の喪に服さなければならない」

「……ええ」

「明日、また君達に会えることを楽しみにしている。その時に、いろいろと話を聞かせてくれたまえ」

 

 その言葉に、俺たち全員は黙礼した。

 

 雰囲気のある人だと思った。『王弟』ガリウス様からは、サクラとはまた違った包み込むようなデカさを感じる。

 

 明日は、粗相のないようにしなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、言うのが今回の経緯だ」

 

 ガリウスの屋敷を辞して、空に赤みがかかった頃。

 

「そうか。では、青髪の女の子は助けられたんだね?」

「そうだな。紆余曲折あったが、当初の目的だった青髪の子は助け出すことが出来たぞ」

「……むむむ」

 

 魔術杖を作りに行く気になれなかった俺達は、少し早めにユウリの屋敷の戻って報告を行った。

 

 杖は、また明日にでも作りにいこう。

 

「そうか、ボクの占魔法は外れたか。いや、子供の命が助かったのは喜ばしい事なのだが、うむむ」

「ユウリ?」

 

 しかしユウリに『子供の命は助かった』と告げたら、とても複雑な顔をしていた。

 

「そっか、ユウリの研究的にはあまりうれしくない結果なんだ」

「そんなところだね、今回の魔術式はかなり自信あったんだけど。理論上は、絶対回避不可能の未来を映せるはずだったんだ。それでもなお、予知が外れたとなると……」

 

 ブツブツ、と再び考え込むユウリ。

 

 子供の命が助かったのは喜ばしいが、研究者としては無念な結果に終わった。彼女なりに、複雑なのだろう。

 

「あと、気になるのがイリーネの症状だね。森で霊が見えた、だとか」

「そうですわ。アレはまぎれもなく、亡くなった子供の霊の声でしたの」

「あの森で幽霊が出ただとか、そんな話は聞いたことが無い。だが、そうだな……」

 

 少し顔を伏せたユウリは、何かを噛み殺した様に言葉を紡いだ。

 

「その症状については、ボクに心当たりがあるかもしれない。自信はないから、一度専門家に話を聞いてから話をするよ」

「おお、本当ですか」

「もしかしたら、だけどね。あまり当てにしないでくれ」

 

 そう言葉を漏らすユウリには、その言葉と裏腹に好意的ではない感情がこもっていそうだった。

 

 ……何なんだろう?

 

「みんな、今日は疲れただろう。ゆっくりと休むと良い」

「言われなくてもそうするわぁ。マスター、食事の支度は出来ているかしら?」

「ヘイお嬢。腕によりをかけてますぜ」

 

 ユウリは、そこで会話を切るとブツブツ呟きながら部屋に戻って行った。研究者と言う生き物は、考える事が多いみたいだ。

 

「この屋敷、なかなか調理設備が整っていましてね。今日は、少し手の込んだモノを作らせてもらってます」

「へぇ、ハンバーグ……」

「ここらで取れる魔物肉は、魔力が豊潤で旨いそうでさぁ」

 

 ユウリと入れ替わりに出てきたエプロン姿のオジサンが、自慢げに肉を焼き始める。

 

 彼の自慢の料理に舌鼓を討ちながら、俺は今日起こった出来事をゆっくり反芻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 

 そのまま寝る気になれなかった俺は、ユウリの屋敷のリビングで独りミルクを飲んでいた。

 

 隠れ筋トレにも、身が入っていない。やはり、俺も今日は疲れているのだろう。

 

 肉体的にではなく、精神的に。

 

 

 

 

 ────ありがとう、おねぇちゃん

 

 ────リタを、助けてくれて

 

 

 

 あの青髪の娘は、本来は死んでいた。

 

 ユウリの予知によれば、高確率で帰らぬ人となっていた。

 

 それを助けることが出来たのは、とても喜ばしい。

 

 

 

 ……だが、彼女と仲の良かった平民ロッポは、どうしても助けることはできなかったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 それは、きっと難しかっただろう。ロッポが死んだのは、恐らく昨日の話だ。

 

 ユウリの予知魔法より前に死んでいた人間なんて、どうやったって救いようがない。

 

 

 

 

 ……夜空を、見上げてみる。そこには未だに、森から見えるようになった光の奔流が渦巻いていた。

 

「……はぁ」

 

 これも、分からない。

 

 俺にしか見えない光ではあるが、確かに現象として存在しているモノだ。

 

 ユウリには心当たりがあると言っていた。なら、俺は彼女の言葉を信じて待つしかない。

 

 

 

 

 LaLaLa……。

 

 

 

 

 夜空を見上げ、星を読んでいたその折。屋敷の何処かから、哀愁の漂う音楽が聞こえてきた。

 

 それは、清らかな吹奏楽器の音。

 

 夜中の風情を壊さぬよう、控えめで真摯な音色で誰かが唄を奏でている。

 

「……何処の、音楽でしょうか」

 

 聞いたことのない、音程の曲だった。

 

 パーティーの誰かが、楽器を使えると言う話を聞いたことはない。俺自身、教養程度に弦楽器を弾ける程度だ。

 

 このように、高いレベルの吹奏楽を習得しているとなると同じ貴族のサクラか。

 

 あるいは、ユウリとその父親……。この家の人間か。

 

 

「聞きに行こう」

 

 

 どうせ寝付けなかったのだ。夜の無聊を慰めるには丁度良い。

 

 俺はその音色に導かれ、屋敷の外の庭へと歩きだし────

 

 

 

 

 

 

 

「やめたまえ、やめたまえ。学会と言うのは新たな知識を世に知らしめる場であり、下手な宴会芸を披露する場ではない」

「うるさいぞユウリ。今年の学術学会の金賞は、私の『屁で奏でる三重奏』で決まりである」

「やめたまえ、やめたまえ」

 

 

 

 尻から素敵なメロディを奏でる奇人と出会ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めて、はじめまして」

 

 それは、無精髭がだらしない細身の男性だった。

 

「私はユウマ。そにいるユウリの父であり、『ヨウィンの青き稲妻』と呼ばれる存在だ」

「呼ばれてなどいない、恥ずかしい名乗りはやめたまえ」

 

 ふむ、なかなか濃い男が出てきたな。

 

 以前風呂場でちらっとしか会った事がないが、見た目の通りヤバい人の気配がするぜ。

 

「屋敷で世話になっておりますのに、挨拶が遅れて申し訳ありませんわ。私の名前はイリーネ。イリーネ・フォン・ヴェルムンドと申します」

「ふむ、よろしく。先日は、大変良い乳と尻であった」

「セクハラはやめたまえ、恥ずかしくて仕方ない」

 

 このオッサン、凄いな。俺が普通の貴族令嬢なら攻撃魔法が飛んでくるぞ。

 

「ヴェルムンド家のお嬢さん。時間があるなら、私の次の学会で発表予定の演目を見ていかないかい?」

「学会での発表なのに、演目……?」

 

 普通学会で発表するのは演題とかじゃなかろうか。

 

 演目って劇だろ。

 

「タイトルは何ですの?」

「『6騎士放屁物語─シャイニングブレス─』である」

「遠慮しておきますわ」

 

 本当に劇だった。

 

「イリーネ、ここはおとなしく部屋に戻っておかないか。我が父のことながら、この男と同じ時間を過ごして得をする人間はいないと思うのだ」

「何を言う。意外とチビっ子に人気なんだぞ私は」

「学会で評価を得たまえよ、チビっ子相手ではなくて!」

 

 ユウリはウンザリとした口調で、父親であるユウマに食って掛かる。

 

 彼女は以前、学会に発表を持ち込んだ時に『父親のせいで苦労した』と言っていた。詳しくは知らないが、今の状況からなんとなく想像はつく。

 

 学会で演劇をするような人物の子が持ち込んだ発表だ。まぁ、ネタ発表だと思われても仕方ないだろう。

 

「その、ユウマ様は素敵なお方だとは思うのですが。既に夜も遅く、貴殿の発表を楽しむにはいささか不向きな時間かと存じますわ」

「ふむ、そうかね。それは残念だ」

 

 ユウリの言う通り、この男とはなるべく関わり合いにならない方がよさそうだ。

 

「ではせめて、曲のサビだけでも演奏して差し上げよう! これぞ『トロピカル────』」

「いい加減にしたまえ迷惑人間!!」

「ぎゃふん!」

 

 一度断られたのも関わらず、意気揚々と尻を俺に突き出した奇人は娘の肘打ちで地面に叩きつけられた。

 

 結構ヤバい音がしたぞ今。

 

「今のうちに帰ると良いイリーネ、この馬鹿の始末はボクがやっておくから」

「は、はぁ……。結構良い一撃でした様ですが、生きておいでですか?」

「無論だ。我が父ながら、無駄に頑丈で……」

 

 その疲れ果てたユウリの声を遮るように、床に沈んだ馬鹿親はノッソリと起き上がった。

 

「ふむ。脇が甘いなユウリ、肘に体重が載っていない。30点だ」

「本当に、無駄に頑丈なんだ……」

 

 そして、娘の渾身の肘打ちの採点を始めた。

 

「その、ユウマさん。打たれた頭は大丈夫ですか?」

「無論。イリーネ君よ聞きなさい、何を隠そう私は痛みを快感に変換できる人種だ。君はまだ私に対して遠慮しているようだが、もっと容赦なく侮蔑して貰って構わない」

「……は、はぁ」

 

 ヤバい、本気で付き合いたくないと思った人間はコイツが初めてだ。

 

「紛う事なきセクハラだから本当にやめたまえ。よりによってあのパーティで、一番良識的なイリーネに無礼を働くなんて」

「彼女が良識的だからこそ、私は快感なのだ」

「……」

 

 ……。まぁセクハラはどうでも良いんだが、普通に失礼だよなこのオッサン。

 

「その、お話が込み合っている様子ですので、そろそろ失礼いたしますわ」

「そうしてくれ。明日、また何かしら誠意を用意しておくから」

 

 ユウリの心情的にも、これ以上俺がここにいる方が負担になるだろう。

 

 彼女の言う通り、今日は部屋に戻るか。

 

「因みに我が一家は代々マゾヒストでな。我が父も、『自らに心地よい痛みを与える魔法』を開発して学位を取ったのだ」

「父よもうそれ以上喋らないでくれ、頼むから一族の恥を広げてくれるな」

「何を言うユウリ、お前だってその論文を読んどるだろうが。知っとるんだぞ? 貴様の棚にある背表紙に何も書いていないファイル、ソコに自らを痛めつける快楽に関する魔術が纏まっていて────」

「やめたまえ、やめたまえ。それ以上その話を続けるなら、ボクは親子の縁を切って殺人に手を染めねばならなくなる」

 

 ああ、聞こえない。俺には何も聞こえない。

 

 思春期の女の子の恥ずかしい性事情なんか知った事ではない。

 

「お気に入りのページは、縄を使って自ら────」

「未来予知エルボー!!」

「ぐほぉ!?」

 

 部屋に戻る最中、俺が背を向けた後でユウリがとてもしょうもない事に予知魔法を使っていた。

 

 ……にしてもユウリは凄いな。エロ本隠すノリで論文隠すのか……。

 

 

 



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29話「悪役令嬢イリーネさん」

 夜が明けて、お日様の輝きが部屋に満ちる頃。

 

 俺達は今夜の、王弟ガリウスからの招待に向けてどうすべきか話し合っていた。

 

「ガリウス様からの招待です。失礼のないような礼服が必要ですわ」

「……まぁ、その出費はしょうがないか。うーん、サクラの服を全部売っ払うんじゃなかったわね」

 

 冒険直後の昨日とは違い、今日も昨日みたいな粗野な服装で出向く訳にはいかない。

 

 平民を招待したのだ、流石に服装の無礼で手打ちになることは無いだろうが……。それでも、出来る用意はしておいた方が良い。

 

「……王族の、パーティ……♪」

「レヴさん、落ち着きなさい。楽しみなのは分かりますけど」

 

 貴族社会に妙な憧れを持っているレヴちゃんは、今夜のパーティを心から楽しみにしている様だ。

 

 正直羨ましい。圧倒的格上な存在からのご招待とか、貴族からしたら胃痛の原因でしかない。

 

 レヴちゃんが興奮して失礼を働かないよう、それとなく目を配らねば。

 

「どんな感じでパーティーって進行するの? 挨拶とか必要?」

「まぁ、必要なのですが……。ここは貴族として礼儀作法を学んでいる、私とサクラで挨拶回りしましょうか」

「…………イリーネ、ごめんなさい。ウチで学んだ礼儀作法は、ガン付けられたら殴り返せって感じのヤツで」

「……そうでしたか」

 

 そっか、サクラの街でまともな貴族の社交会が開かれるはずもないか。

 

 じゃあ、まともな礼儀作法分かるの俺だけ?

 

「要は空気を読めばいいんでしょ? 作法とか知らないけど、イリーネの様子見て失礼はないようにするわ」

「マイカさんは、まぁ、上手いことやってくださるでしょうね」

「私、作法は分かる……。いつかのために、お父に聞いて学んでた……」

「あら。レヴは偉いですわ」

 

 ふむ、意外。

 

 この二人の言うことを信じるなら、パーティに出てもあまり問題にはならなさそうだ。

 

「一応、一般的な礼式は知ってるわよ? ただその、ウチの地区は社交界の鼻つまみ者だから……」

「なら初めて私に会った時の様な、普通の対応でよろしいかと思いますわ。喧嘩だけは、くれぐれも避けてくださいね?」

「ど、努力するわ」

 

 サクラは一応貴族だし、喧嘩っ早いのさえ何とかなれば問題にはならないと思う。

 

「問題は……」

「何故俺を見る」

「……はぁ」

 

 まぁ、一番の問題はうちのリーダーだな。

 

「カール。いくら招待されたとは言え、令嬢の乳を揉んではいけませんよ?」

「滑ってスカートずり落としたら、相手次第で首を跳ねられるわよ?」

「……当然、口説くのもダメ……」

「俺をなんだと思ってるんだ」

 

 ラッキースケベの神様と思ってるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「練習ですわね」

「……おー」

 

 朝食を終えた後。

 

 俺はユウリ家の食卓で、テーブルマナーについて講習会を行うことになった。

 

「マスター、少し協力してもらえますか」

「はいよ」

 

 使用人役として、マスターにも協力を仰ぐ。

 

 彼は扱い的にサクラの使用人の様なものだ。今回のパーティーに呼ばれていないとは言え、彼にも貴族の社交界に慣れておいてもらった方が良いだろう。

 

「では、まず何の知識もないまま実際に食事をしてもらいましょう。マスター、我々はテーブルに座っていますので食器を並べていただけますか?」

「ヘイヘイ」

「マスターも、分からないことがあれば聞いてくださいな」

「見くびらないでくだせぇ。俺も元はテンドー家の厨房担当。その辺はわきまえていまさぁ」

 

 ほう、彼の料理技術はサクラの実家で身に付けたのか。

 

 なら、使用人としての動きは問題ないんだな。

 

「さて、コースが始まるとまずは私たちの前に小さな料理が運ばれてきます。これは、アミューズと言って食前酒に合わせるモノですわ」

「……へー」

 

 マスターが運んできた何も乗ってない小皿から、俺はナイフとフォークを使って料理を頂く振りをする。

 

 それに倣い、他の仲間も真似て料理を口に運ぶ真似をした。

 

「本来であれば、着席時に使用人が酒を注ぎに来るはずですわ」

「王族の酒か……。きっと旨いんだろうな」

「ただし、今日の席で酒に呑まれるのは好ましくありません。特にカールは、勧められても飲むべきでは無いですね」

「異論ないわね」

「間違いない……」

「……はい」

 

 カールがシュンとしたけれど、この釘は刺させて貰おう。

 

 俺だって王族のパーティーの経験は少ないのだ。1杯で潰れる馬鹿のフォローまで出来ん。

 

「あら、カール。私に喧嘩でも売りたいのかしらぁ?」

「……えっ?」

 

 突然、サクラがカールに声をかけた。

 

 ふと見ると、サクラは愉快かつ好戦的な目でカールを見ていた。

 

 ……あぁ、成る程。

 

「カールさん。貴方の置いたナイフの刃先が、サクラさんに向いていますわ」

「えっ? ……あ」

「刃を向ける、と言う言葉の意味はご存じですわね? それは無礼どころか、敵意すら表す行動です。本番では絶対にやめてくださいね」

 

 うむ、これ本番でやってたら洒落にならんかったな。

 

 まぁ、ガリウス様の様子だったら『平民のやることだ』と注意で済むだろうけど。

 

 面倒くさい系の貴族にやっちゃったら目も当てられない事になる。

 

「ナイフは外向きでなく、内向きに置くこと。これは鉄則ですわ」

「肝に命じます……」

「この様に、テーブルマナーは結構面倒くさいのです。細やかなマナーはこの際気にしないでおきますが、絶対にやってはいけない事だけ重点的にやっていきましょう」

 

 やはり、練習しておいてよかった。

 

 何としてもこの場で、仲間達にパーティを無難に乗り切るだけの礼儀を身に着けさせる。

 

 それが貴族たる俺の責務だな。

 

「……そうですわね、では私が招待された他の貴族の役をしますので、会話してみてください」

「会話?」

「貴族のパーティーは社交の場ですわ。席の最中、近付きになりたい人に話しかけに行く事もありますの。今回は我々がメインゲストですので、何人かは話し掛けて来るはずですわ」

 

 あの言い方だと、おそらく相応に大きな宴席が用意されるはず。となれば、他の貴族に話しかけられる展開もあり得そうだ。

 

 ま、大丈夫だとは思うけど……。一応、サクラにも念を押しておこう。

 

「サクラさん。失礼ながら貴女の家柄は、あまり格式高いとは言い難い。それを、悪しき様に言う方もおられるかも知れません」

「……そーね、実際よく言われるわぁ」

「重々ご承知かと思いますが、何を言われても手を出してはいけませんよ。貴方の誇りの高さは存じておりますが、本日の席は相手が悪すぎますので」

「……わーってるわよぉ。私だってここで暴れたら、家が再興できなくなるって理解してるわ」

 

 ふむ。サクラがそう言うなら信用しておこう。

 

「では、私は少し性格の悪い貴族になりますね」

「……性格悪いイリーネって、想像し辛いな」

「ん、おっほん」

 

 ……演じるって言っても、誰をモデルにしようか。ヴェルムンド家の知り合いって、基本的に性格いい人多かったからな。

 

 微かに見たことある、ムカついた貴族の真似を片っ端からやっていくか。

 

 

 

 

 

「あら、ごめんあそばせ。本日は遠い所よりお越しいただきありがとうございますわ、平民の方々」

「わ、イリーネの顔が怖くなった」

 

 おい、せっかく演技してるんだからイリーネ扱いすんな。

 

「我々は心より歓待申し上げておりますのに、実に残念ですわ」

「……何が言いたいのかしら?」

「どうやら、あなた方は私どもを軽く見られている様子。まさかそんなみすぼらしい服装で会に出席されるとは、私どもの力不足を嘆かざるを得ませんわ」

 

 うん、うん。実際、前にこんな事を言ってきた奴が居た。かなりの成金貴族で、遠回しにウチの金欠を馬鹿にしてやがったのよね。

 

 戦争の無い時代に、軍事貴族が金持ってるわけないだろうに。

 

「……随分と堂に入ってるわね」

「イリーネが、悪い貴族に見えてきた……」

 

 外野うるさい。こう見えて、演技は得意中の得意なんだよ。

 

「あらぁ? これでも、私に用意できる最高の品質の衣装よぉ?」

「それはそれは、失礼を。ですがあなたの身に着けている服は、どう見ても安い布地と二束三文の装飾品に見えますが……。もしや、商人に騙されて安物を掴まされたのでは?」

「うぐっ……」

 

 あ、しまった。うっかりサクラの傷を抉ってしまった。

 

 でも、実際に言われる可能性もあるし……。というか、言われたし。

 

「教養は必要です事よ? ちゃんと悪いものは悪いものと見抜ける目がないと────」

「……」

 

 うーん。結構本気で怒らせちゃってるか?

 

 一度切り上げて、謝っておこうかな。

 

「……いえいえ。貴方には分からないでしょうが、見ての通り最高品質の衣装よぉ?」

 

 おっ。まだ続けれるのか。

 

「馬鹿になさらないでくださいな、私も目利きには自信が────」

「貴女の家に招待されるにあたって、これ以上の準備は必要ありませんの。この家の格式に合わせた、まさに最高級の衣装です事よ」

「……」

 

 サクラはそう言うと、ふんと席を立った。

 

 ……これは。

 

「ええ、それで正解ですわね。自分の家を卑下せず、そして馬鹿の相手をせず。お見事な対応ですサクラさん」

「あ、普通のイリーネに戻った」

「ウチは悪名高いからね。そういうのは慣れてるって言ったでしょ?」

「ですが、先程の無礼を謝っておきますわ。不愉快な事を申し上げて申し訳ありません、サクラさん」

「良いわよそんなの。てか、多分アレってあんたが言われた奴でしょ」

 

 あ、やっぱバレたか。

 

「では、今のサクラさんの対応をお手本にしてください。次は、カールさんに話しかけますわ」

「おお、俺か」

 

 サクラは、放っておいても安心だろう。

 

 さて、じゃあ次は最大の問題児カールに行くとくするか。

 

 この男、仲間をバカにされたらあっさりブチ切れるのが目に見えているからな。

 

「それでは参りますわよ? ん、おっほん」

「お、また顔が怖くなったな」

 

 さて、今からカールの前で仲間を侮辱しなければならない訳だが────

 

 ここは、俺の演技力に全てかかっている。

 

 俺は演技とは言え、仲間の悪口を言いたくはないからだ。

 

 となれば、俺は(イリーネ)を侮辱する他はない。後はどれだけ、演技した俺がイリーネとは別の性格悪い貴族と認識されるかどうかだ。

 

 イリーネがイリーネを煽っても、カールからしたら反応に困るだけだろうしな。

 

「此度の成果は素晴らしいですね、平民の剣士。きっとさぞかし腕が立つのでしょう」

「あ、え、ええ。どうも……」

「ガリウス様から招待される平民など、一生に一人見れるかどうか。光栄に思いなさい」

 

 よくいるタイプの、ナチュラルに平民見下し系貴族。

 

 だが、高圧的に接しているのにカールはどこ吹く風って感じの態度だ。相手がどれだけ偉そうでも、あまり気にしないんだよなコイツ。

 

「にしても、大変でしょうね。貴方の仲間は、ずいぶんと癖がありそうな人ばかり」

「癖……?」

「そうですとも。あまりマトモな方ばかりには見えませんわ」

 

 さて、いよいよ本番。心苦しいけど、カールを煽っていくか。

 

「特にあのイリーネとか言うのは良くない。見るからに性格が悪そうね」

「……む?」

「仲間、というか付き合う相手は選んだ方が良いわ。低俗な人間との付き合いは、自らの価値を落とすもの」

 

 まぁ実際、俺は普段猫被ってるしな。性格悪いと言えなくもない。

 

「おい取り消せよ、どういう意味だ」

「あら、私のありがたい忠告に盾突く気?」

 

 あ、割と本気で怒った。やっぱり、カールに仲間の話題は禁句なのね。

 

 あと、上手いこと演技に入り込んでくれてる。

 

「イリーネは何を考えているか分からない、腹黒い女よ。きっと、心の内で色々とやましい事(筋肉)を考えているに違いないわ」

「違う。お前にイリーネの何が分かる」

 

 何が分かると言われても。

 

 カールが演技だと忘れかかってキレているが、イリーネについては大体何でも知ってるぞ俺。

 

「イリーネは優しい人だ! 話して居ればわかる、人の痛みを理解して行動できる人だ! 貴族だとか平民だとか関係なく、人の本質を見て話してくれる!」

「……あら、そう」

「イリーネは大事なものを守る芯の強さを持った、白百合のような女性だ。常に冷静沈着で、常識的で、魔法の腕は超一流。心も広くてちょっとの事では怒らないし、可愛くてスタイルもよくて髪が綺麗で、まさに非の打ちどころのないお嬢様って感じで!」

「……あーっと」

「イリーネはまだ不慣れだろうに、旅の途中でも色んなところに気を配って俺達を纏めてくれているんだ。宝石のような瞳に、金絹のような髪、唇は溶けるように紅く声は鈴の音のように美しい。実際に女神を見たことのある俺が断言する、イリーネは地上に舞い降りた女神のような────」

「あ、ストップ。ちょいとストップ、一旦終了ですわ」

 

 とりあえず悪い令嬢の振りをして(イリーネ)をバカにしてみたら、凄い勢いで褒め台詞があふれ出してきた。

 

 成程、カールの前で仲間をけなすとこうなるのか。

 

「駄目だ、お前はまだイリーネの魅力を分かっていない」

「あれ、このカール正気を失ってませんか?」

「今からもう1時間かけて、俺がイリーネの魅力をだな────」

「ちょ、ストップ!!」

 

 助けて、助けて。このままだと何時間も誉め殺しにあわされる。

 

 幼馴染みカモン!

 

「止まらない、さっきからカールが止まりません! マイカさん、助け────」

「あー……。取り敢えず45度くらいの角度で勢いよく殴ったら戻るわよ?」

 

 カールは家電製品か何か?

 

「それはこないだの旅の途中の話だ。俺は不覚にもうっかり、水浴びをするイリーネの隠れ穴に飛び込んでしまってだな……」

「えっと、ごめんなさいカール? 令嬢チョップ!」

「ぐわっ!!?」

 

 若干照れの入った俺は、全身の筋肉をバネにした一撃を腕に乗せカールに叩きつけた。

 

 ふむ、良き威力。俺の渾身のチョップを食らったカールは、激しく転がって壁に叩きつけられた。

 

 強くしすぎたかな。

 

「イリーネのチョップでそんなに吹っ飛ぶ訳無いでしょ、大袈裟ね」

「……カール、バランス、崩した?」

 

 幼馴染と小動物は、不自然に吹っ飛んだカールを怪訝そうに見ている。

 

 にしても、確かに随分吹っ飛んだなぁ。

 

 今の一撃は精々、俺の本気の50%程だ。女神に選ばれた存在カールなら、かすり傷で済む程度の威力の筈────

 

「ちょ、カールの頭蓋骨が陥没してるわぁ!? ちょ、どいて、緊急治療よぉ!!」

「えっ」

 

 ぴゅーっ、と虚ろな目のカールが頭から血を吹き出す。そして、サクラが迫真の表情でカールへと駆け寄る。

 

 その日、俺はカールが案外打たれ弱いことを知った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「申し訳ありませんわ、カール……」

「いや、俺こそすまない。我を失って暴走してしまった」

 

 俺は、深々とカールに土下座した。

 

 今までは、カールが強すぎてあんま重傷負ったところを見たことが無かった。だがこの男、酒で昏睡したりスタングレネードで気絶したり、割とやられる時はやられている。

 

 防御力は一般人と同じレベルなのか、カール。

 

「大切なイリーネを悪く言われて、頭に血が上ってな」

「まぁ……」

「途中から演技だってすっかり忘れてたわ。アレが俺の本心だ」

 

 俺の謝罪に、カールも謝って返す。自分がバランスを崩したのが原因と思っている様子だ。

 

 割と重傷を負わせてしまったのに、なお俺を口説く姿勢を忘れないのはすげーな。

 

「ほんとカールはカールね。スッ転んで死にかけるとか、何考えてんの?」

「うるさいなマイカ。てかお前気を付けろ、今ナイフの刃先が俺に向いてるぞ」

「向けてんのよ」

「どういう意味だよ!」

 

 俺と妙に距離の近いカールを見て、ジト目のマイカはしれっとカールに刃を向けていた。

 

 あれは確信犯だな。

 

「……心配して、損した」

「レヴ? お前も気を付けないと、刃先が俺に向いてるよ?」

「……知らない」

 

 カールが俺を口説きだしたせいで、LOVE勢の不満が高まってる。

 

 これはいけない。

 

「二人とも、既にテーブルマナーを使いこなしてるわね」

「まぁ、コツは掴んだわ」

「意外と、簡単……」

「あれ、テーブルマナーってそういうもんなの!?」

 

 違います。

 

「じゃあ、残り二人もやりますわよ。カールのは、悪い見本だと思ってくださいな」

「そうね。後はカールが本番で、女の子口説き始めたりはしないよう祈るのみね」

「……いや。カールなら、やる……」

 

 まぁ本当にやったら、速やかに筋肉チョップで眠ってもらうけどな。 

 

 あー。本番が不安だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、成程。貴女はかのヴェルムンド家の御令嬢か」

「お会いできて光栄の極みですわ、ガリウス殿下」

「まさか、貴族が冒険者の仲間におられるとはな。ではこのような変則的な会は、初めてであるか?」

「ええ、仰る通りでございます」

 

 夕方。招待された通りの時間にガリウス邸を訪ねた俺達は、予想とは違った歓待を受けていた。

 

「我ら血族以外の者は、席を外させている。この席は、私が君達の為だけの用意した席である。私は一人の……リタの父親として、君達に謝意を示したいのだ」

「格別のご配慮を頂き、感謝いたします」

 

 そう、俺の予想が外れて有象無象の貴族が会に参加していないのだ。

 

 用意された料理は超豪勢なのだが、会に出席しているのがガリウス様とその奥方、そしてリタだけ。

 

 その理由は曰く、

 

「盛大な会になればなるほど、冒険者たる彼らの肩身が狭くなるだけ。私の示す誠意とは、君達に最大限の『楽しい時間』を過ごしてもらう事に他ならない」

 

 だそうだ。

 

 要はガリウス様も『平民を見下す貴族』が多い事を把握していて、俺達が不快な思いをしないようにしてくれたのだろう。

 

 めっちゃええ人やん。

 

「こ、っこ、この度は助けていただいてありがとうございます、なの」

「こちらこそ、リタ様の御力になれて何よりですわ」

「あ、えと。苦しゅうない、なの」

 

 リタちゃんはまだ、社交界慣れしてなさそうだな。歓迎パーティを抜け出すような子だし、社交経験値(スキル)は低いのかもしれない。

 

「さてさて。改めて私からもお礼を申し上げよう、冒険者諸君。我が娘リタを保護してくれて、本当にありがとう」

「殿下の支えとなれたこと、一生の誉れと思いますわ」

 

 父親からもフォロー? の謝辞が入る。

 

 リタちゃんの言葉がたどたどし過ぎて、不安になったのかもしれない。

 

「私は昨日、娘から今回の話の詳細を聞いて把握しているつもりだ」

「はい、殿下」

「だが、出来れば君達からも今回の顛末をお聞かせ願いたい。構わないだろうか、カール殿」

「は、はいっす!!」

 

 いきなり話を振られて、ビクンと背筋を伸ばすカール。

 

 俺が殿下の応対してるからって、油断してたなコイツ。お前が俺達のリーダーだって忘れるなよ。

 

「では一つ、お伺いする。我らが王族に伝わる暗器『破裂球』を、君達は初見で見破ってリタを拘束したとの事だが。まさか、冒険者界隈にあの武器の情報が洩れていたりするのかな?」

「破裂球? ……あ、あの凄い音のする道具でしょうか」

「そうだ」

 

 あ、アレそんな名前なんだ。

 

「俺は、その、気絶してしまったので……。イリーネとマイカだけが、見破ったみたいです」

「はい、殿下。ご心配なさらずとも情報は漏れておりませんわ。何やら魔法具であることは分かりましたので、リタ様が耳を塞いで蹲ったのを見て、私も真似をした方がいいと判断したのみです」

「あ、私も同じ理由で真似しました」

 

 情報漏洩を気にしてたのね、把握把握。アレ、もしかしたら王族秘伝の隠しアイテムだったりするんだろうか。

 

「ああ、成程。リタには、今後アレを使う際にギリギリまで視線を外さぬよう指導しておこう」

「そうされてしまえば、私も昏倒は避けられませんでしたでしょう」

「君達も、あのアイテムについてはくれぐれも秘密で頼む。では、次の質問である」

 

 もしかして、今のを確認するために貴族を会から追い出したってのもあるのか?

 

 多分それも、理由っぽいな。

 

「イリーネ殿。君は妖精が見える、と聞いた」

「……ええ。不思議に思われるかもしれませんが、本当に見えたのです」

「そして妖精の導きに従い、リタとロッポを見つけ出したとか」

「仰る通りです」

 

 ああ、妖精さんの話? きっとリタから聞いたのだろう。

 

 嘘を付くわけにはいかない。でも正直に答えても、ガリウスから可哀そうな人扱いされてしまう。

 

 くすん。

 

「それは、事実であるか?」

「……事実ですわ」

「そうか」

 

 ガリウス様はそう言うと、何故かくっくっくと笑い出した。

 

 何だ?

 

「貴殿は嘘をついていないな。私は、人の嘘を見抜くのが得意なんだが……」

「は、はぁ」

「そうか。ふふ、これはこの街の学者が全員ひっくり返る話だな」

 

 そう言うとガリウスは、俺を面白いものを見る目で覗き込んだ。

 

 何だって言うんだ?

 

「伝承には有ったのだ。太古の昔、精霊の力を借りて魔を払った勇者が居たと」

「精霊の力、でございますか?」

「その男は精霊の助けを借りて仲間を導き続け、最後はたった一人で凶悪な魔王に挑み、そして破ったという。それは私が一番、子供心に胸を躍らせた冒険譚だ」

「ああ、勇者伝説の1小節ですわね。私も、聞いたことがございます」

 

 そうそう、その偉大な精霊術師の末裔がヴェルムンドなんだよな。それで、『精霊砲』が我が家の代名詞になってる訳で。

 

「最も、現代の研究では『精霊とは魔力の総称であり意思を持たないモノ』と判明している。だから、精霊が何かを導くなんて有り得ないのだよ。だから今の話は、創作の伝承として扱われた」

「へ? 精霊は、実在するのではないのですか?」

「しない、或いは魔力と同義の存在とされているよ。このヨウィンの街ではね」

 

 え、それじゃあ我が家の超必殺技(エレメンタルバスター)は何やねん。

 

 パパンは『精霊の力を借りて放つ大技』とか言ってたが。

 

「だが、君が見たのは精霊で間違いない。未来の情報を伝え、人間を導き、そして未来を変える為の手助けをする存在────まさに、伝承の『精霊』と一致している」

「精霊……? 私には、あれがロッポさんの遺志により動いている様に見えたのですが」

「さもありなん。何せ精霊とは、すなわち人の魂だ。勿論、ロッポの意思で動いておっただろう」

 

 む? それ、どういう意味だ?

 

「あの霊は、満足げに森に溶けて消えましたが……。精霊なら消えないのでは?」

「森の他の精霊と同一化したのだ。これからロッポの魂は森で霧散し、溶け合い、そして森全体の意思の一部として在り続けるのだろう」

「……成る程」

 

 つまりゴーストと精霊って似たようなもんなのね。

 

 ……精霊ってそういうもんなの?

 

「伝承の通りに考えるなら、君は精霊にこの上なく愛された存在なのだろう。精霊を視認できる者は、ここ数百年で一人もいなかったからね」

「さ、左様ですか」

「精霊に愛されたものは、精霊の関わる魔法ならどんなに適当に詠唱しても発動させられるという。むしろ発動の効率が良すぎて、まともに詠唱すると暴走してしまう事があるそうだ」

「……あっ」

 

 それ、めっちゃ心当たりある。いつも適当に呪文唱えてんのに大体うまく発動するから、師匠が癇癪起こしていたし。

 

 教え甲斐がねーって。

 

「私自身、魔法についてよく勉強しているつもりだが……。これは、まさしく魔法学会が大荒れする情報であるな」

「え、えーっと……」

 

 じゃあ俺ってば、精霊使いになるの?

 

 ……筋肉使いから精霊使いにジョブチェンジしてしまった。ダサくなったなぁ。

 

「私は、君の経験にとても興味がある。出来れば、今回の件は論文として報告して貰いたい。それは君自身にとっても、貴重な経験となるだろう」

 

 ……論文。

 

 書いたこと無いけど、絶対に面倒くさいヤツだよねそれ。

 

「光栄でございます。是非とも、殿下の期待にお応えさせていただきます」

「うむ」

 

 まぁガリウス様のご命令とか、断れる訳無いんですけどね。

 

 ユウリに相談して、助けてもらおう。

 

「いやいや、痛快。精霊なんてものはいない、魔力に意思は存在しないと街の学者は言い続けておったが……。私にはどうにも、それが不満だった」

「それは、どうしてでございましょうか」

「結論に、夢が無いからである」

 

 ガリウスはそう言うと、両手を広げて笑みを溢した。

 

「精霊は存在したのだ。ならば、私が胸踊らせた伝承も作り話ではなく事実であったと言うこと」

「左様でございますね」

「善きかな、勇者伝説。楽しきかな、古代の伝承。久々にこの街に顔を覗かせた甲斐が有ったと言うものだ」

 

 おお、ガリウス様は勇者伝説が好きなのね。

 

 だったら、詳しい人を紹介してもらえる様に頼んでみても良いかもしれない。

 

 王族からの紹介なら、どんな人でも好意的に教えてくれる筈。

 

「ガリウス様は、勇者伝説に深い知見をお持ちなのですね」

「おうとも。私は王族であり、魔法使いであり、研究者であるのだ」

「素晴らしいですわ」

 

 うまく誉めつつ、思いきって正面から頼んでみよう。

 

 この人には、変に遠回しに頼むよりまっすぐ行った方が印象が良さそうだ。

 

「君の発表を楽しみにしているよ。あの天才が、どんな顔をするか見物だ」

「……あの天才、ですか?」

「ああ。この街にいる精霊否定派の筆頭学者は、まだ齢11の天才少女なのだよ。飄々として聡明なのだが、彼女の話には夢がなくて好きになれなかった」

 

 ……ん? 少女の天才学者?

 

 飄々として、聡明?

 

「その方のお名前を、お聞きして宜しいですか?」

「ああ。ユウリ、と確か言ったかな」

 

 

 ……おうふ。

 

「彼女は頭は良いが、それが短所にもなっている少女だ。自分が正しいと信じたことは、決して疑わない」

「……」

「ユウリ女史は常々、『精霊なんて不確かな存在に、未来を見通せる筈はない。人間だけが、未来を知覚できるのだ』と言って憚らなかった」

「……あぁ、それで予知魔法の研究をしてらしたのね」

「おや、ユウリ女史とは知り合いかな? 彼女は君の発表を聞いて、きっと深くショックを受けるだろう。だが、それもきっとユウリ女史にとって良い経験になる筈さ」

 

 お、おお。そっか、そうなのか?

 

 

 

 

 

 ────その症状については、ボクに心当たりがあるかもしれない。自信はないから、一度専門家に話を聞いてから話をするよ。

 

 

 

 

 

 あれ、ひょっとしてユウリもガリウスと同じ結論に至ってた? 俺が見たのは、精霊だったと気付いていた?

 

 つまり、俺がこの精霊の話を学会で発表すれば……。

 

 

「イリーネ殿の経験は、ユウリ女史の生涯をかけた研究を否定する話だ。だが、それが事実であるなら公に知らしめねばなるまい」

「……」

 

 だよね。

 

 ユウリが今までやってきた研究、全否定する事になるよね。

 

 

 



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30話「予知少女の苦難」

 ユウリと言う少女の人生は、まさに苦難の連続だった。

 

「あの、ユウマ氏の娘さんか」

「祖父は伝説のネタ魔術師で、父は宴会芸魔法の第一人者」

 

 彼女の一族の悪名は、ヨウィンの津々浦々にまで響いていた。

 

 曰く、学会を侮辱する者。曰く、生涯をネタに生きる者。

 

「きっとあの娘は、歌を歌い始めるぞ。学会をお遊戯会と勘違いしているに違いない」

「気にすることはない、慰安芸人だと思えば良いさ。気分転換には良いだろう」

 

 ユウリは年に不釣り合いな聡明さと思慮深さで、齢7つの頃に新たな学説を提唱するべく学会の門を叩いた。

 

 しかし、そんなユウリを歓迎する者は少なかった。

 

「外れの会館で、夕方に3分だけ時間をあげよう。そこで評価を得られたなら、もっと良い場を用意できるとも」

 

 彼女が数年をかけて纏めあげた『未来を見通せる魔法』の発表の場は、飲んだくれた男どもが寝そべる小さな部屋で、3分ほどの短い発表に終わった。

 

 何故なら彼女が発表の場として与えられたのは、打ち上げ用の宴会場だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 しかし、ユウリはめげなかった。彼女には、諦められぬ理由があった。

 

 彼女の心の奥底にあったのは、亡き母の笑顔であった。

 

 ユウリは、火災で母を失った。ユウリ自身も、死ぬ思いをした。

 

 

 ────あの悲劇を回避する術はなかったのか?

 

 

 もし火災が発生するのが分かっていれば、母の命は助かった筈。

 

 もう二度と、あんな悲しい思いをしたくない。だからユウリは、未来を知る魔法の研究を始めた。

 

 もっとも当時は未来を知る魔法など眉唾でしかなく、ユウリの研究が受け入れられるのはもう少し先の事である。

 

 

 

 

 

 

 そして父親、ユウマはと言えば。

 

「ママについては、残念であったな。だが、私はユウリが助かっただけでハッピーだ!」

「……」

 

 父は、母の死んだ日も普段と変わらぬ様子だった。

 

「葬式の準備をしないとな。ユウリ、手伝うが良い」

 

 ウキウキとして葬式の準備をする父親の手には、楽器が握られている。

 

 ……冷たい人間だと思った。ユウリの父からは、妻が死んだことをあまり気にした様子が見えない。

 

 

 

 

 母の葬式は、つつがなく終わった。

 

 喪主であるユウマは、葬式の最中すら笑顔を絶やさなかった。

 

 参列者に『研究成果を見てくれ』と言って、墓場で人形にオーケーストラを演奏させて喝采を浴びて機嫌良くなっていた。

 

 式の終わり、ユウマはこう言って笑った。『今回の学会の金賞は、私で決まりだ』と。

 

 

 父は、自分の宴会芸でウケを取ることが母親の葬式より大切だったのだ。

 

 ユウリは、そんな父親に激しく失望した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユウマにも理由はあったのだ」

 

 父と親しくしている研究者に、その不満を打ち上げてみた。

 

 さすれば、意外な答えが返ってきた。

 

「君のお母さん……。クウリ女史はね、ユウマの底抜けに明るい魔法に惹かれて婚約を決めたのだそうだ」

「ママ、が?」

「だからユウマも、きっとクウリ女史が大好きだった芸の魔法で送りたかったんだろう。ユウマは、そういう男さ」

 

 父親は魔法学会でネタ研究者としてバカにされてはいるものの、一方でファンも多かった。

 

 類まれなセンスを持って芸を紡ぐ、生粋の魔法芸人。

 

 魔法には色々な用途がある。ならば、魔法を使って観客を楽しませる魔導士が居ても良いじゃないか。

 

 そんな頭の柔らかい考えの研究者は、毎回のユウマの発表を聞きに行き、それを心から楽しみにしていた。

 

 彼の芸の、クオリティは高いのだ。

 

「それでも、ボクは悲しかった」

 

 それを聞いてみて、父の気持ちは分からんでもない。だが、ユウリとしてはもっと静かに母を送ってやりたかった。

 

 目いっぱい涙を流して、母に別れを告げたかった。

 

 父の下らない芸のせいで、母親の葬式の日、ユウリは1粒の涙も流せなかった。

 

「……はぁ」

 

 ユウリは、ひっそりと父親を怨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、父親がユウマと言う点で良い所もある。とにかく彼は、大金を稼いでくるのだ。

 

 大した成果が出ていない研究者は、万年金欠であることが多い。実際、ユウマの研究には資金提供の話など出たことが無く、本来であればユウマは赤貧学者の筈だった。

 

 しかし、彼は非常に質の高いパフォーマーでもある。ユウマは時折、貴族のパーティに呼ばれて日銭を稼いでくる事があった。

 

 それでユウリは、貴族ほどとはいかぬまでも、比較的裕福な生活が出来ていた。

 

「金はある。知識を得るツテもある」

 

 自分の夢を叶える環境は整っていた。

 

 ユウリは父親の知り合い研究者の協力を得て、とうとう未来予知の魔法の研究を始めた。

 

 母親を失うに至った火災。その悲劇を二度と繰り返さないようにする魔法。

 

「未来予知は、精霊の専売特許ではないのか?」

「精霊なんてモノは、伝承でしか伝わっていない眉唾な存在だ。少なくともボクには見えないし分からない。そんな存在を真に受けて、未来を知る術を諦めるなんてことをしたくない」

 

 幼いユウリはそう言うと、自ら精霊について文献を読み漁り始めた。

 

「きっと、過去の精霊使いは予知魔法のノウハウを持っていた。しかし『自分が予知した』と言うのではなく『精霊が予知した』と言う事により、周囲に説得力を持たせていたんだ」

「……はぁ、成程」

「既に、簡易ながら未来予知の術式は勘案してある」

 

 ユウリはそう言って、自ら考案した未来視の魔法の基礎理論を父親のファンの研究者に見せた。

 

 それは、

 

「む。……む、これは正しいんじゃないか?」

「そうだろう、そうだろう」

「凄いな。その年で、大したものだ」

 

 本職の研究者が唸ってしまうほどに、完成度の高いものだったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初の学会は悲惨な扱いを受けたユウリだったが、徐々に彼女の研究は認められてきた。

 

 それに伴って、ユウリの発表の場は端っこの会館から本議会へと移されていくことになった。

 

「この予知魔法の精度はいかほどなのかね」

「試行回数18回、的中は同じく18回です」

「予知した未来を変えようとするとどうなる?」

「……そうなれば、未来は変わります。この魔法はあくまで、現時点で最も高い未来の可能性を示しているに過ぎない」

 

 最初は絵空事であると馬鹿にされていた『予知魔法』は、ある程度の精度を誇る本物だと周知されてユウリの扱いは変わった。

 

 ネタ魔導士の娘ではなく、天才少女研究者として広く名が知られることになった。

 

「彼女の術式を、私の研究室で再現実験したがかなりの的中度だった」

「ユウリ女史の言う通り、精霊なんて存在しなかった。過去の精霊術師は、きっとこの術式を使って予言をしていたに違いない」

 

 精霊とは魔力の総称であり、今まで信じられていた『人の魂の集合体』なんて事は真っ赤な嘘。

 

 精霊の力を借りずとも、人間には未来を知る術がある。

 

 ユウリが編み出したその魔法と学説は、ヨウィンの学会を大きく揺らした。

 

 占魔法、予知魔法という分野が新たに開拓され、多くの学者がそれを研究対象に加えた。

 

「彼女は、天才だ」

「あの父親から、彼女のような娘が生まれるものなのか」

 

 古代魔法を研究していたグループは、ユウリの結論で『研究が100年分は進んだ』と言って大喜びしたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……イリーネ。君の昇華係数、つまり魔力の変換効率は桁外れに高いんだね」

「100%、と言われましたわ」

「そうか。熟練の魔術師が生涯をかけてなお辿り着けない境地に、君は既に至っているんだね」

 

 ガリウスのパーティーから帰ったあと。

 

 俺は、天才少女ユウリから呼び出しを受けていた。

 

「精霊に愛された者、本物の精霊魔術の使い手。イリーネが嘘をついていないなら、君が見た映像はきっとボクが求めてやまない『本物の予知魔法』に相違ない」

「ユウリ、さん?」

 

 彼女は、少し疲れている様に見えた。

 

 見れば、1日かけて集めたのであろう、さまざまな資料が机の上に乱雑に積み上がっていた。

 

「教えてくれ、嘘をつかないでくれイリーネ。君が見たのは、聞いたのは、本当に妖精のような形と意思をもった存在だったのか?」

 

 その言葉には、少し懇願のような感情が混じっていた。

 

 俺は、どう答えるべきなのだろう。ガリウスの話によると、俺の経験は彼女の研究を真っ向否定するものらしい。

 

 ……父の悪名で学会から虐げられたユウリが、なお諦めず自身の努力で手にした『研究者としての名声』を、失ってしまうかもしれない。

 

「……事実ですわ」

「そうか」

 

 だが、嘘をついて何になるだろう。

 

 ユウリの立場を慮り、嘘を公表する方がきっと良くない。

 

「あー……。そうか、そうだったか」

「ユウリ、さん?」

「イリーネ。君が見えたその『不思議な光』の詳細について、説明する約束だったね」

 

 ユウリはそう言うと、数枚綴りの紙切れを裏向きに俺へと差し出した。

 

「それは、知人の論文だ。ボクの研究ではないモノだ」

「は、はい」

「そこに、恐らく答えが書いてある。……ただ悪いが、ボクの口から説明してやる気が湧かなくててね」

 

 少しなげやりな口調で、ユウリは俺から視線を切った。

 

「後は、これを読んでくれ」

 

 研究者とは、説明が好きな存在である。

 

 そんな研究者たるユウリが、資料を手渡すだけで説明を終えた。

 

 それはきっと、彼女自身────

 

 

「……ふぅ」

 

 

 ────耐え難い虚無感に、襲われているからに他ならない。

 

 

「では、拝読させていただきますわ」

「ああ」

 

 

 ……森の光。精霊の存在、未来を知る魔法。

 

 それらの、俺の身に起こった不思議な現象の答え。

 

 それが、この論文に書かれている─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 序論。

 

 本魔法を実践する際には、周囲にしっかりと観察者を用意すること。何故なら、自らを痛め付けるという魔法の性質上、事故とは切り離せぬ魔法であるからだ。

 

 あと、見られている方が気持ちがいい。

 

 議論。

 

 本魔法には、縄が必須である。縄の長さに関しては、身長の倍以上、数メートルもあれば良い。

 

 既存の自虐魔法では、精々痛みを与えられるのが限界であり、拘束されてしまう嗜虐を楽しむことはできなかった。しかし、本魔法の開発により、我々は手軽に拘束プレイを楽しむことができるようになった。

 

 方法。

 

 縄に細工は必要ない。本魔法の核は地面に用意する魔法陣であり、その構築に則ってヌルヌルと縄が体を這いずり回り、やがて卑猥な形状で縛り上げ────

 

 

 

「すまない読むのをやめたまえ」

「あっ」

 

 ユウリは機敏な動きで、俺の手から論文を取り上げた。

 

「これは違うのだ。違う論文だ、だから内容は忘れたまえ」

「は、はぁ……」

「ああもう、こっちだ。こっちだった、ああもう」

 

 ユウリってば、うっかり渡す論文を間違えたらしい。

 

 何でそんな論文が机の上に置いてあったのだろう。ストレス解消にでも、使ったのだろうか。

 

「こちらだ。勇者の伝承において、事実と根拠に基づいた『精霊』という存在に関するレポートで────」

「あら。なんと、机の下に荒縄が……」

「余計なものを見つけるのはやめたまえ」

 

 ふと気になって、机の下を覗くとユウリの背丈の何倍かの荒縄が有った。論文に記載されていた通りの長さだ。

 

「……イリーネは何も見なかった。良いね?」

「了解ですわ」

 

 これ以上、この件に突っ込むなと言うユウリの鋼の意思を感じる。

 

 よし、話を戻してあげよう。

 

「ユウリさん、ガリウス様はこうおっしゃいましたわ。私に、今回の一連の経験を論文として報告しろと」

「ああ、その方が良い。ボクからも、全面的に協力しよう」

「ユウリさんは、それでよろしいのですか?」

「無論だ。それが真実であるというのであれば、ボクは受け入れて先に進む」

 

 そうはいっているものの、ユウリの顔にははっきり『納得がいかない』と書かれていた。

 

 きっと、まだ消化しきれていないんだろう。精霊が存在していて、予知魔法は精霊の専売特許で。

 

 人間がいかに努力しようとも、精霊の予知にはかなわない可能性が示唆されて。

 

 それは、ユウリの夢を否定するような事実だから。

 

「……事実を否定するのは、詭弁者だ。事実を受け入れて、昇華し、発展させることが研究者の生業なのだよ」

 

 でも聡明なユウリは、俺の話を本当だと感じているんだ。だからこそ、激しく傷ついているのだろう。

 

 きっと今も、頭の中で俺の体験の矛盾点を探しているに違いない。

 

「ねぇ、ユウリさん。頼みたい事があるのですが」

「何だね? 君の発表に関しては、微力ながら力を貸すことはもう約束したよ?」

「そうではありませんわ」

 

 うん。ユウリには一宿一飯の恩がある。

 

 彼女のお陰で、リタを助けられた。彼女のおかげで、俺達はこの街でスムーズに行動できた。

 

 なら、少し恩返しもしておかないと。

 

「明日、お時間はありますか?」

「明日かい? ああ、特に予定は入っていないが」

 

 ユウリが明日、フリーなのを確認。

 

 よし、これは好都合。

 

「明日、私とデートいたしませんか?」

「……ヘ?」

 

 そのまま俺は、ユウリの肩を掴んで笑いかけ、勢いのままデートに誘った。

 

 

「……え、デート?」

「そうですとも。私と1日ほど、お出かけいたしましょう」

 

 俺はキメ顔で、今世初めて女の子を外出に誘った。人生で初のデートだ。

 

 まぁ男に誘われて遊覧はした事あるんだが、あれは貴族行事なのでノーカン。

 

「えっと、それはどういう」

「ユウリさん。貴女の望み、きっと私が叶えて差し上げますわ。なので、明日貴女の時間をくださいな」

「……え」

 

 ユウリはパチクリと目を見開いて、俺を見つめている。

 

 そして声を震わして、クールな彼女に似つかわしくない素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 

「ええええええええ?」

「あの、ユウリさん?」

「あいいや、ボボボボクはその、あれえええ?」

「何を動揺してらっしゃるんですか?」

「デートって、その、え?」

 

 む、デートという言葉がまずかっただろうか? 可愛らしく顔を真っ赤にして、ユウリは俺を見上げている。

 

 そうか、彼女は思春期初めの女子。少し、多感なお年頃なんだろう。

 

「そう気負わずともよろしいですわよ。少し遊びに行くだけですわ」

「あ、遊びに……?」

「そうですとも」

 

 まぁ、俺の中身は男性よりなので、デートでも間違っていないが。

 

「勿論、来てくださいますわよね?」

「……ふぁ、ひゃい!」

 

 断られても困るので、少し意地悪だが顔を近づけて迫ってみた。

 

 ちょっと意識しているユウリなら、これで押し切れるだろう。

 

「明日、楽しみにしておきますわ」

「あ、あ、えと……。わ、わかった、よ」

「良い子ですわ」

 

 よし、押し切った。

 

 さーて、明日が楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

「あう、遊びって、どんな遊び……? ボクは明日どうされてしまうのだ……。あの性癖が知られてしまったし、まさか、まさか……」

 

 

 

 

 

 

 その晩。

 

 筋肉令嬢は筋トレの後にさわやかな睡眠を得て、思春期少女は悶々と一晩を過ごしたという。



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31話「歴史的発見とその価値は」

「ん? イリーネは何処だ?」

 

 次の日、朝日の昇った頃。

 

 パーティー1番の寝坊助カールは、既にユウリ家にイリーネが居ないことに気が付いた。

 

「もう出掛けたわよ、ユウリと一緒に」

「ああ、そうなの?」

「何でも、やらなければならない事があるんだとか」

 

 話を聞けば、どうやら昨日にユウリを落ち込ませる出来事が有ったらしい。それを、イリーネが元気付けようと外出に誘ったそうだ。

 

「優しいイリーネらしい……」

「よくもまぁ、貴族社会で生きてあんな純粋に育ったわねぇ、あの娘(イリーネ)

「サクラの街は、むしろ荒みすぎ……」

 

 貴族の端くれであるサクラは、そのイリーネの特異性をほんのり理解していた。

 

 自分の街はギャング街、治安が悪いレーウィンで育てば喧嘩早くもなる。

 

 だが、普通の街であったとしても貴族が性格良く育つ事は珍しい。 

 

「貴族って生き物は、生まれてからヘイコラ何でも言うこと聞いてくれる平民がずっと近くにいるからね。増長しない人のが少ないわよ、普通」

「あー、まぁそうね」

「あの子、全然偉ぶる様子がないし。よほど、父親の教えが良いのかしら?」

 

 サクラは常々そこが疑問だった。イリーネは、貴族にしては優しすぎる。

 

 その実、ヴェルムンド家の家訓が『平民を守り導くのが貴族としての務め』という事もイリーネが特異な理由だろう。

 

 だが、イリーネが何より特異なのは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「健全な肉体は、健全な精神に宿る。つまり、たまには運動しましょうユウリ」

「ぜぇー……。ぜぇー……」

「ほら、もう1セットいきますわよ」

 

 イリーネは、頑強な筋肉を身につけるには、高潔な精神である必要があると信じて疑わないからであった。

 

 全ては、筋肉の導きであった。

 

 

 

「ふぅ、ここらで1度休憩に致しましょうか」

「……違う。これは、ボクが期待(よそう)していた責め苦とはかけ離れている……」

「あら? どうかいたしましたか、ユウリ」

 

 日が空に上りきる前。

 

 爽やかな汗を流す令嬢と、肩で息をしているインドア少女は森手前の広間でトレーニングに励んでいた。

 

「あの、その、イリーネ? これは一体、どういった催しなんだい?」

「直に分かりますわよ」

「分かる前に、その、ボクの体力が尽きそうなんだが」

 

 フラフラと、顔を青くして水分を貪るユウリ。既に限界寸前の様子だ。

 

 イリーネ的にはまだ『アップ』のトレーニング量にすら達していないのだが、まぁそれは仕方ない。

 

 ユウリは子供なのだ、大人のトレーニングに付いてこられる筈もない。

 

「熱中症になりますからね、しっかり水分は取ってくださいな」

「んぐ、んぐ……。はぁ、どうも」

「ではもう少し休んだ後、ストレッチで体を解しますわよ? 筋肉痛を緩和するのですわ」

 

 ユウリが本当に限界っぽいと察したイリーネは、午前のトレーニングを早々に切り上げた。

 

 イリーネにしては、至極良識的なトレーニング量であった。

 

「……で。そろそろ、説明をしてもらえないか?」

「今日の目的でしょうか? まぁ、こればかりは待ってもらうしか有りませんわ」

「待つ? 誰かを、ここに呼んでるのかい?」

 

 ユウリは汗だくになりながら、イリーネに事情を問うた。

 

 今日は何も予定がないとはいえ、ユウリは一線級の研究者だ。やるべき事は幾らでもある。

 

 ましてや、もうすぐイリーネによって持論が破られようとする直前なんだ。新たに、吟味して訂正した学説を考案しなければならない。

 

「呼んでませんわよ。ただ、ここなら来るんじゃないでしょうか?」

「……誰が、だい?」

「ユウリさんが求めているもの、でしょうか」

 

 虐められるならまだしも、こんな健全なトレーニングに巻き込まれるなんて聞いていない。

 

 ユウリは少し腹立たしげにイリーネを睨み付け、

 

 

「────あぁ、やっぱり。お出でなさいましたわ」

「なに?」

 

 

 直後、イリーネが何かを指差したのでその方角へと振り向いた。

 

 

 

「……誰が? ボクには何も見えないが」

「私には、見えていますの」

「…………まさか!」

 

 

 

 ユウリには、何もわからない。

 

 イリーネの指差した方向に見えるのは、太い1本の樹のみである。

 

 だが、

 

「こっちにいらっしゃいませんか? 遊びましょう、精霊さん」

「……っ!」

 

 イリーネの態度からして、そこに存在するようだ。

 

 一度は自分で存在を否定した、正真正銘の『精霊』が。

 

「何処? 今、その精霊は何処にいるんだい?」

「今は、樹にくっついてますわ。少し、悪戯っ子な顔をしてますわね」

 

 そう、これこそがイリーネからユウリへのプレゼント。

 

 この街の誰より先に、本物の『精霊』の研究をする権利を、ユウリは手にしたのだ。

 

「ご案内しますわユウリ、こっちにおいでください」

「あ、ああ」

 

 それは、研究者としての性だろうか。

 

 未知の『歴史的発見』を前にして、ユウリの心のモヤモヤはすぐさま消し飛んだ。

 

「その、何処に? 今精霊は、樹のどの辺りにいるんたい?」

「ちょうど、ユウリの目の前ですわよ」

 

 どうすれば、知覚できる。

 

 どうすれば、記録できる。

 

 

 天才少女の目に、活力が漲った。

 

 ユウリはトレーニングで体力が尽きていることも忘れ、夢中でその樹を凝視していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふぃー。良い汗かいたぜ。

 

 やっぱ、他人を巻き込んでやるトレーニングは、最高やな。

 

「……ふむ? 触れてみると魔力の気配。だが、間違いなく此処には何も存在しない……」

 

 ユウリは、俺の指差した樹を熱心に見つめてブツブツ言っていた。

 

 森の近くに来たら、精霊に会えるかもしれない。

 

 うまく遭遇できたなら、ユウリに精霊の実物を見せてやろうと思ったけど……。大成功みたいだな。

 

「不思議だ。この場所に何かかあると、そう言われて見れば確かに……? いやでも……」

 

 研究に命を懸けてるユウリの事だ。自らの学説を否定される結論に至るにしろ、実物たる精霊を検証してみたいと思うのが普通だろう。

 

 

「ねぇイリーネ。先程話しかけていたが、精霊は何か言ってるかい?」

「何か、ですか」

 

 そういや、さっき『遊びましょう』と声をかけてみたが、一昨日のように精霊から返事は無かった。

 

 あれは、ロッポの精霊が特別だったのだろうか?

 

「精霊さん、精霊さん。何か、面白い遊びはないですか?」

 

 精霊に聞こえてなかったのかもと、もう一度声をかけてみる。

 

 反応は、帰ってくるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 ……おひるねしよーよ、おひるねー

 

 

 

 

 

 

 

 お、反応が帰ってきた!

 

 精霊はニヤニヤと笑いながら樹の下を指差し、俺を昼寝を誘っている。

 

 うーん、そこで昼寝すると何か有るのだろうか。

 

「ユウリさん、ユウリさん。精霊は、この樹の根下で昼寝をしろと言っていますわ」

「ふむ。……ふむ?」

「ただ、凄くニヤニヤしているのが気になりますが」

 

 少し嫌な予感がするなぁ。

 

 何というか、黒板消しの挟まったドアを開ける直前の様なしょうもない嫌な予感が。

 

「……伝承では、精霊はかなりの悪戯好きとも聞く」

「ははあ。では、罠なんでしょうか」

「分からない。……予知魔法を使ってみるか」

 

 ゴニョゴニョと、ユウリは樹の前で詠唱する。

 

 そんな俺達を、精霊は楽しげに眺めていた。

 

「んー。何も起こらないみたいだが」

「あら」

「すやすや寝ているボクが見えるね。どういう了見なんだろう」

 

 ユウリはそう言うと、ごろんと精霊の指差した位置に寝転がった。

 

 試してみるつもりらしい。

 

「ここで寝ればいいんだね?」

「はい、その辺りですわ」

 

 ユウリが寝転がると、精霊は嬉しそうに笑い。

 

 そして、両手を上げて樹に光の塊を投げ入れた。

 

「おや?」

「どうした、イリーネ」

 

 あの光の塊は、魔力か何かだろうか?

 

 精霊の魔力により、樹は突然に光輝き……

 

 

 

「ぐあーっ!?」

「ユウリ!?」

 

 

 ボトボトと、突然果実をユウリの顔面に落としたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、季節外れの果物」

「ユウリさん。顔がベタベタですけど、大丈夫ですか」

「それどころではない。ボクにははっきり見えたんだ、この果実がものすごい速度で熟れていくのを」

 

 天才少女は、甘く柔らかい果実が顔面に直撃し、その汁で全身ベトベトになった。その様をとても愉快げに、精霊は指差して笑っていた。

 

 しかし、ユウリの表情も暗くない。むしろ、ユウリは満面の笑みで俺に解説を始めた。

 

「精霊は文献記述の通りだ! 彼らは植物と心を交わし、その実を芳醇にすると聞く!」

「あの、ユウリさん?」

「半信半疑だったが、間違いない。確かに精霊は実在するし、その痕跡をボクは今捉えたのだ!」

 

 あれ? 何か凄いテンションだぞ、ユウリの奴。

 

 精霊の存在を突きつけられて少しは凹むと思っていたが、むしろ大はしゃぎしてないか?

 

「そのー……。精霊が実在することって、ユウリさん的に結構ショックが大きいのでは?」

「それはそうさ、大変なショックだ! まさに衝撃だ! これだから、世界と言うものは面白い!」

「あ、あれー?」

 

 ユウリは昨夜から態度を一転させ、目をキラキラ輝かせて喜んでいる。

 

 喜んでくれたなら、何よりなのだが……。

 

「イリーネ、礼を言うよ。これで、ボクの長年の悲願が叶うかもしれない」 

「は、はぁ。ユウリが喜んでくださるなら、私としては誘った甲斐が有ったというものですが」

「そうか、精霊か。それがボクに足りないモノだったんだ!!」

 

 有頂天、とでも言うべきだろうか。

 

 ユウリは頭に果実が乗っかったまま、くるくる軽やかに小躍りし始めた。

 

 とうとう、ストレスで壊れちゃったかな?

 

「ユウリさん。何がそこまで、嬉しいのです?」

「分からないかねイリーネ。理論上は必ず的中するはずの、ボクの新しい予知魔法。その予知が外れる時、そこには精霊が常に関わっていたんだ」

「……ふむ?」

「考えてみたまえ! 君達に出会うまでは100発100中だったボクの魔法が、先程も含めて2回も予知が当たらなかったんだ!」

「それは……」

 

 ランラン、という鼻唄が聞こえてきそうなテンションである。

 

 ユウリは自分の予知が当たらなかったのに、何故喜んでいるのだ?

 

「ボクの予知術式に『精霊の干渉』なんぞ考慮していない。精霊の存在なんて、否定的だと思っていたからね!」

「は、はぁ」

「だが、こうして精霊の存在を確認できて気が付いた。ボクの予知魔法は『精霊が介入した時だけ、未来が変わっている』!!」

 

 ユウリは手を打って、笑った。

 

 そうか、そう言えば確かにそうだ。リタを助けた時も、今果物を顔面に落とされた時もその通り。

 

 精霊が介入した時だけ、ユウリの予知が狂っている。

 

「これは、これは凄い発見だぞ。ああ、ボクの学説が狂わされたことなんぞ些細な話だ!」

「よ、良かったですわねユウリ。つまり、予知魔法の改良点が見つかったのですわね?」

「改良点どころではない、革新だよ。考えてみたまえイリーネ。精霊とは、すなわち魔力を支払えば人間に力を貸してくれる存在だ!」

「……は、はい」

「なら、精霊に交渉すれば嫌な予知をした時に、『自らの望む未来』へ誘導させることすら出来る筈さ。未来予知なんてチャチな魔法どころではない。ボクは今、未来を操る魔法の基礎理論を手に入れたのだ!」

 

 ……。

 

 予知した未来を変えられるのは、精霊のみ。

 

 なら精霊に頼んで、未来を変えて貰えば運命を操れる。

 

 

 ……それはすなわち、運命操作の魔法。

 

 

「……え。そ、そんな神をも恐れぬ魔法が存在して良いのですか!?」

「だが、今ボクの中で理論は組み上がった。悲劇的な結末を、回避する術を知った。ああ、今日は何という日だろう」

 

 白髪の幼女(ユウリ)は、日の光に照らされて舞い踊る。

 

 これが、天才少女ユウリ。自らの過ちを糧とし、修正するどころか更に発展させる頭脳の持ち主。

 

「……ありがとう、イリーネ。ああ、今日はここに来て良かった!」

「そ、想定とは異なりましたが……。喜んでいただけて上々ですわ、ユウリ」

「ああ!」

 

 まだ妹ほどの年でありながら、ユウリは歴史上でも類を見ない凶悪な魔法の基礎理論に思い至った。

 

 彼女はまだ若い。生涯をかければ、きっとユウリは運命操作の技術を確立してしまうだろう。

 

「最早ボクは『時代の観測者』程度ではない! ボクは『歴史を調和する者』を名乗ろう!」

 

 ひょっとしたら俺は、凄い化け物を生み出してしまったのかもしれない。

 

 完全にキまった恍惚の表情で、果汁まみれのまま高笑いするユウリを見て、俺は額に汗を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……む? 森の入り口で、誰か騒いでいるぞ」

 

 

 

 

 

 

 テンションが振りきれたユウリを宥めていると、何処からか聞き覚えのある声がした。

 

「貴族の女性と、子供ですね。姉妹でしょうか?」

「……あ、あの娘。前に話した占いの娘じゃない?」

「おお、本当だな!」

 

 機嫌良く高笑いをしている天才少女を、その声の集団は知っているらしい。

 

 今のユウリのテンションで知人と会うのは恥ずかしかろう。

 

 俺は布でユウリの顔を拭いて落ち着かせてやりながら、その声のする方向に振り向いて────

 

 

「……おうい、ユウリ女史。何を騒いでいる?」

「あっ」

 

 

 俺は、化け物をみた。

 

 

 

 

 

 

「うわっ気持ち悪っ! ですわ!?」

 

 思わず、叫んでしまう。

 

 だって、無理もない。だって精霊の塊が、蓮コラの様に密集しながらこっちに迫ってきたのだから。

 

「え、気持ち悪……?」

「あ、いえ、その」

 

 しかしよく見れば、精霊の塊の正体は、見覚えのある少女だった。

 

 その少女に紅き精霊が、ベタベタと全身に引っ付いている。

 

 凄い密集具合だ。顔も見えないくらい、精霊がみっちり顔に引っ付いている。

 

 精霊に好かれているとかそういうレベルじゃない。精霊に媚薬でもばら蒔いてんのかってくらいの愛されっぷりだ。

 

「すみません、いきなり失礼な事を。つ、つい口から溢れてしまいましたの」

「わ……私は、つい口から『気持ち悪い』と溢される人間だったのか……?」

「あ、いや、その」

 

 少女はワナワナと震えだす。

 

 いかん、今俺はとんでもなく失礼な事を言ってしまった。これは謝罪せねば。

 

「お、落ち着いてアル。きっと気が動転してたんだよ、アルは気持ち悪くないよ」

「そ、そうだぜリーダー。あのお嬢さんはきっと、アルを何かと間違えたのさ」

「そうですの、ちょっと変なものが見えた気がしましたの! 申し訳ありませんでしたわ」

「そ、そうなのか……?」

 

 少女の回りにいた仲間たちが、こぞってフォローに入ってくれる。

 

 よし、良くわからんが落ち着いてくれた。これで何とか────

 

「そうですよ! リーダーの全身真っ赤な衣装は、暗いところでみると血みどろお化けに見えるんです! だからきっと、気持ち悪がられたのですよ!」

「う、うわああああん!!」

「ア、アルー!?」

 

 その精霊の塊の後ろから、ニュッと現れたウサギ仮面が余計な事を言って少女は泣き出した。

 

 うーむ、コイツが居るってことは……。

 

「君は確か、アル某といったか。勇者を自称している最高位の魔術師の……」

「あー、彼女がアルデバランさんなのですね」

 

 精霊の密度が濃くていまいち顔が見えなかったが、この少女はアルデバランなのか。

 

 確かこの間、俺が猿仮面姿でファッションを指導してやったセンスの無い女の子だ。

 

「……って、げ! 姉……」

「どうかしましたの?」

「な、何でもありゃしませんよ!」

 

 アルデバランは泣き始め、ウサギの不審者は変な声をあげ。

 

 森の入り口広場は、突然に混沌に飲み込まれたのだった。

 

 

 

「血みどろお化けじゃないもん、炎のイメージだもん……」

「大丈夫だよ、可愛いよアル!」

 

 

 



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32話「精霊使いと、魔炎の勇者」

「久しぶり、魔炎の勇者アルデバラン。魔族探しは、順調かい?」

「うん、うん……。それがあんまり順調じゃなくて」

「元気を出しましょう、アル」

 

 数日ぶりに遭遇した勇者アルデバラン。

 

 精霊に纏わりつかれていて彼女と気付けなかった俺は、いきなり彼女を泣かせてしまっていた。

 

「本当に申し訳ありませんわ。その、突然に声をかけられて驚いてしまいまして」

「お嬢さん、かなりビビってたよな。何がそんなに怖かったんだ?」

「……それなんですが、ねぇ」

 

 アルデバランの仲間らしき、中年の冒険者が俺に話しかけてきた。

 

 多少だが、いきなりリーダーを泣かされてムッとした様子も見てとれる。しっかり謝った方が良いだろう。

 

 だが一応、カールとは敵対気味なんだよなこの連中。

 

 何処まで説明したもんか……。

 

「その、私は他人に見えないものが見える性質がありまして。アルデバランさんの周囲に、その、凄まじいモノが見えたのですわ」

「……何だ? 不思議ちゃん系か、あんた」

「いえいえ。それが、ユウリの言うには……」

 

 精霊の件だけ、話をしておくとするか。この話は、どうせ後で発表するモノだし。

 

 俺がカールの仲間であることは伏せておこう。

 

「イリーネは、精霊術師なのさ! 現代に、まさか本物の精霊使いが現れるとは思わなかった!」

 

 あ、興奮したユウリが割り込んできた。

 

 まだ、テンションは高めのままらしい。

 

「……精霊? あんた確か、前にそんなもの居ないって」

「居たんだよ! ボクは確かに、この目で精霊の痕跡を掴んだ! 精霊は、実在したんだよ!」

「……まぁ」

 

 パタパタと両手を上下に振りながら、小さな天才はピョンピョン跳ねている。

 

 元気になって何よりだ。

 

「……ああ、居るだろうな。女神様も、存在すると仰っていた」

 

 ユウリの精霊という発言を聞いて、アルデバランが口を挟んできた。

 

 メンタルが回復してきたらしい。

 

「おお、ともすれば。君の言っていた女神も、君の見た『幻覚』ではなく事実なのかもしれないね」

「あれ、信じてくれてなかったのか!?」

「流石に半信半疑だよ。君が嘘をついていなさそうだとは思ったが、狂人の類いかもしれんとも考えていた」

 

 まぁ、いきなり『魔王が復活した』なんて触れ回るやつを信用する気にはなれんよな。

 

 うちのパパンも半信半疑で、俺を呼んだしな。

 

「それより、その。貴族のお姉ちゃん、貴女が精霊術師って本当なの?」

「あら? ええと、多分本当ですわ」

「……多分?」

「私、精霊さんが見えるだけですもの。これを精霊術師と言っていいものか、さっぱりですわ」

 

 ユウリの話を聞いて、興味深そうにミドルヘアのショタが話しかけてきた。

 

 白ローブにしなやかな金髪、透き通りそうな肌。出で立ちと筋肉を見るに、魔法使いっぽいが。

 

「それが本当なら、相当凄いよ。ねぇアル、今って精霊が見えにくいんだよね?」

「そうだな。女神様曰く、現代は非魔法技術の発展に伴って、人と精霊との親和性が下がってるらしい。今時、精霊を知覚できるのは物凄い貴重な事だそうだ」

 

 ふむ? 確かに最近、精霊を見たって人は聞かないけど。

 

「技術が発展すると、精霊が見えなくなるのですか?」

「生活の上で力及ばぬところを、昔は精霊に手助けしてもらっていた。だから人間は精霊に感謝するし、精霊も人間と深い関係を築けていた」

「成る程」

 

 アルデバランは、俺の質問にスラスラと答えていく。

 

「様々な技術発展に伴って、人は精霊を必要としなくなった。こんな時代に、精霊を知覚できる人など滅多にいない。それこそ、精霊に限界まで愛されていないと厳しいだろう」

「……そうなのですね」

「改めて問おう、精霊術の使い手を称する者よ。貴様には、本当に見えておるのか?」

「見えておりますし、話もできますけど」

 

 そっか。俺ってば精霊にモテモテなのか。

 

 ……それとも波長が合うとかなのか? 俺はアルデバランみたいに、精霊がベタベタと張り付いていないし。

 

 どっちかというと、精霊に限界まで愛されているのはアルデバランっぽいが。

 

「実は、先ほどの件ですが。アルデバランさんの周囲に凄まじい量の精霊が見えております」

「何?」

「それで、パッと見で凄い絵面の怪物が迫ってきたように見えたのですわ。精霊に愛されているという意味では、アルデバランさんの方が凄そうですが」

「そ、そうなのか?」

 

 そうそう。何かアルデバランにくっついている精霊、みんなデレデレしてる様に見えるし。

 

 そうだ、実際に精霊に聞いてみよう。

 

「精霊さん、精霊さん。アルデバランさんが、お好きなのですか?」

「む、私の精霊に話しかけた……?」

 

 さて、返答は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……んほー。この魔力、たまんねぇ……

 

 

 

 ……魔力が腹の中でぐるぐるして、きもちいー

 

 

 

 ……もうらめぇ。この魔力なしで生きていけない身体になっちゃう

 

 

 

 ……すでに死んでるやろ、おまえ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんかヤク中の危ない人みたいな精霊ばっかりだ。

 

「アルデバランさんの魔力が、大変美味しいそうです」

「はぁ、そうなのか」

「『んほぉ、たまんねぇ』と言って悶えてます」

「精霊ってそんな感じなの!?」

 

 そんな感じらしい。俺も最近見えるようになったばっかりだから、全部そうかは知らんけど。

 

「精霊さんにも、好みの魔力とか有るみたいですね」

「そうなのか……。何か精霊に対する夢が壊れたな」

 

 だよな、なんかオヤジ臭いよな、精霊。

 

 しかし流石に勇者を名乗るだけのことはあるな、アルデバランは。これだけ精霊に愛されてたら、さぞかし強力な魔法が撃てるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ……おやじくさくなんかないもんー

 

 

 

 

 

 おや。

 

 俺の感想に不満を持ったのか、さっきユウリに悪戯を仕掛けていた精霊が頬を膨らまして突いてきた。可愛い。

 

「あら悪戯っ子な精霊さん。貴方は、アルデバランさんの所には行かないのですか?」

 

 

 

 

 ……あーいう味が濃い魔力、きらい。あんなのよろこぶの、火精だけー

 

 

 

 

 この精霊さんは、アルデバランに興味がないらしい。

 

 どうやら、精霊によって味の好みが変わる様だ。火精って事は、火魔法を司る精霊かな?

 

 

「おい、精霊は何て言ってる?」

「……火魔法の精霊は、アルデバランさんの魔力が大好きらしいです。しかし、他の種類の精霊はそうでもないご様子」

「そりゃ、私は火魔法しか適性ないし。私に纏わりつくとしたら、火の精霊だろう」

 

 あー。

 

 魔法の適性って、そう言うことか。その魔法を司る精霊が、その人の魔力を好むかどうかなんだな。

 

「にしても、どうやら本当に精霊が見えてるっぽいなお前。えっと、その……名前なんだっけ」

「ああ、申し遅れましたわ。私の名前はイリーネ。イリーネ・フォン・ヴェルムンドでございます」

「あー、イリーネね。ふむ、私はお前が気に入ったぞ。どうだ、私のパーティーに来ないか?」

 

 アルデバランは、俺が嘘をついてない事を察したらしい。

 

 少し値踏みをするような目で、俺の顔を見つめていた。

 

「仲間ですか?」

「そう、仲間。なのだが……うむむ、ヴェルムンド? えっと、すまん。もう一度名前を聞いていいか?」

「はい。私は、イリーネ・フォン・ヴェルムンドと申しますわ」

「ヴェルムンド……。ああっ!! それって確かウチの────」

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!!」

 

 

 何かに気付いた様子のアルデバランの言葉を遮って、ウサギ仮面の不審者が割り込んできた。

 

 な、なんだコイツ。

 

 

「私の名前はウサギちゃん戦士1号! それ以上でも以下でもない!」

「は、はぁ」

 

 人と人が会話している最中に割り込んではいけないと、親に教えて貰わなかったんだろうか。

 

 親の顔が見てみたい。

 

「あーっと、ウサギちゃん戦士1号?」

「そうです、私はウサギちゃん戦士1号です!」

「あー。なんだ、その、黙っておいた方がいいのか?」

「リーダーの察しがいい所、好きです」

 

 シャキーン、と決めポーズを取る不審者。

 

 相変わらず、コイツはダサくてキモいなぁ。

 

「えっと、その。貴女は誰なんですか、ウサギちゃん戦士って何なのですか?」

「よくぞ聞いてくれました。では語りましょう、悲しきウサギの宿命を!!」

 

 え、そんな長々語られても困る。

 

「そのウサギは、信じていた人間に騙され、裏切られ、皮を剥がれてなぶり殺しにされました!」

「は、はぁ」

「その恨み、晴らさでおくべきか! 闇夜に哭く血に濡れた兎は、人への怨嗟を叫び、仮面となりて私を操りました! それがウサギちゃん戦士なのです!」

「すんごいシリアスな設定をぶっこんで来ましたわね」

 

 その設定じゃあお前、化けウサギに精神乗っ取られてますやん。

 

「そこの仮面はパーティでも指折りの奇人だ。気にしないでくれ」

「そのようですわね」

「誰が奇人ですか!!」

 

 そんな仮面被ってる時点で、お前以上の奇人は存在しないわ。

 

「あーっと。アルデバランさん、ごめんなさい。私には、既に旅の仲間がいるのですわ」

「何だ、そうなのか。……いや、だが我々は魔王を倒すべく立ち上がった正義のパーティ。イリーネが本物の精霊術師であるなら、是非にでもウチに移籍してほしい」

「そう言われましても」

 

 ウチのパーティも、魔王討伐を掲げているからなぁ。

 

 どうしよう、カールの事はうまく誤魔化して────

 

「ああ、言ってなかったねアルデバラン。彼女のパーティリーダーもまた、勇者を自称していたよ」

「……何だと?」

「カール、と名乗る青年だ。あまり深くは追及していなかったが、彼もまた嘘をついているようには見えなかったね」

「カール。カール、ああ。アイツか」

 

 あ、しまった。ユウリに口止めしてなかった。

 

「そうか。おまえはあの、偽勇者の」

「偽、ですか。カールは嘘をついているようには見えませんでしたが」

「偽勇者だよ。……まぁ、本人は嘘なんかついてないだろうがな」

 

 アルデバランは合点がいったという表情で、腕を組んで頷いていた。

 

 どうやら、カールについて俺達の知らない事を知っているらしい。

 

「本人は嘘をついていない、とは?」

「私の女神様に話を聞いたよ。カール、つまりお前のパーティのリーダーに力を貸しているのは悪神だ」

「悪神?」

「太古の昔に罪を犯し、神々の間で裁かれて地上に堕ちた罪業の女神さ。数百年の時を経てその女神は力を取り戻し、再び神としての権能を獲得した様子だが……」

 

 悪神、とな? 神にも善悪があるのか。

 

 と言うか、神様って一人じゃないのね。

 

「罪業の女神────彼女の精神は幼い。神としての力はあれど、神としての器はない」

「……はぁ」

「今回も、その悪神の『勇者を地上に送り込んで名声を得よう』という思い付きに、カールという人間が付き合わされているだけだそうだ。一応、神の端くれである以上は人間の味方ではあるのだが……。その悪神の本質は『罪業』、いずれお前達は被害を被ることになるだろう」

 

 何だって、それは本当なのか? 

 

 それなら確かに、カールが嘘をついていないのも納得できるが……。

 

「そうだ。お前らの所の神は、この街への魔族の襲撃についてどんなお告げをしている?」

「え、この街への襲撃、ですか?」

「そうだ。この街が狙われていると知って、ここへ来たのだろう」

 

 ……。ああ、ユウリからそういえばそんな事を聞いた。

 

 魔炎の勇者が『この街が魔族に襲われてしまう』と騒いでいたと。

 

「すみません。我々はたまたまこの街に来ていただけです」

「何だと?」

「此方のお告げでは『次の襲撃は何処か分からないので、適当に旅しといて』って感じでしたわ。それで、勇者伝説について調べようとこの街に伺いましたの」

「……おいおい、そっちの女神は大丈夫か?」

 

 大丈夫かと言われても。俺は実際に会ったことが無いので何とも言えない。

 

「まもなく、魔族からの何かしらの攻撃があるらしい。しかしその詳細が分からないので、どう警戒したものかと苦慮してるんだ」

「はいはい! アルデバランに質問だ、その予知は女神様に聞いたものかね?」

「そうだ、ユウリ。それがどうかしたか?」

「女神様に、その予知魔法の術式を聞いて来てくれ! 実在するんだろう、女神様!」

「……ああ、次に会ったら聞くだけ聞いて見るよ」

 

 ユウリは神の予知魔法が気になるらしい。

 

 いや、そこはどうでもいい。

 

「……情報提供、あらためて感謝いたしますわ。こちらでも、カールに相談してみます」

「ボクも、とりあえず毎日朝一番に予知魔法は行っている。そこで気になる結果が出たら、アルデバランにも知らせを出すよ」

「頼んだ」

 

 そう言うと、魔炎の勇者は、苦虫を噛み潰したような顔で俺の顔を見つめていた。

 

「お前達も、そちらの女神に話を聞いてみるといい。……恐らくだが、私を導く女神様を悪神扱いする筈だ」

「……ほう」

「何せ、数百年前────お前らの女神が『罪』を犯した時に裁きを下し、地上に落としたのは我が主神だそうだ。彼女からしたら、私の女神様はさぞかし憎いだろうさ」

 

 そのアルデバランの表情からは、何とも言えぬ複雑な感情が見てとれた。

 

「お前達がどのような力を授かったかは知らん。しかし、恐らく私とカールが共闘することはないだろう」

「……そうですか」

「それに、幼い悪神の使徒ごときでは、私の力の半分にも及ばん。足手まといだ」

 

 アルデバランなりに、色々と感じることがあるらしい。

 

 自らの信仰する女神を悪く言いたくはないが、『人類の危機に下らない喧嘩してる場合じゃねーだろ』と内心思っているのかもしれない。

 

「イリーネ、貴様は何か困ったことがあれば私のパーティーに逃げてこい。私こそ真の勇者だ、助けを乞う者を見捨てる事は絶対にしない」

「……それは、感謝致しますわ」

「うむ。では、また会おう」

 

 赤き勇者はそう言い残し、不敵な笑みを浮かべて立ち去った。

 

 ……うーん、これがアルデバランの人となりか。高圧的で不遜な言い回しだけど、悪い印象は受けなかった。

 

 むしろ、カールより勇者の風格あるかもしれん。

 

「面白い話を聞かせてくれてありがとう、貴族のお姉ちゃん」

「何か困ったことがあれば、いつでも我々にご相談を。勇者アルデバランとその一行は、全ての民の味方です」

「別に困ってなくても、一晩のアバンチュールを体験したくば俺の所に来い。こう見えても貴族令嬢の扱いには慣れていてな? お嬢ちゃん可愛いし、たっぷり────」

「私の中のウサギが血を求めている!! 色ボケを殺せと牙を剥き出しに慟哭している!!」

「ぐえええええっ!?」

 

 ウサギ仮面が、髭のオッサンにドロップキックを噛ました。

 

 アルデバランの仲間は、個性的で面白い奴ばかりらしい。

 

 特にあのウサギ仮面は、何処に向かっているのだろうか。ウサギは血を求めんだろ。

 

「では、私達も帰りましょうかユウリ。今の話を、カールに伝えねばなりませんわ」

「そうだね」

 

 こうして俺達は、アルデバランと笑顔で別れた。

 

 最初は敵対してしまったけど、今後は良い関係が築けそうだ。彼らは、意外と良い奴なのかもしれない。

 

「食らえ、ウサギ百連爪!!」

「地面から爪が生えて襲ってくるだと!! 何だこりゃ、はじめて見たぜ」

「きゃあ!? お嬢様、巻き込んでます! 貴女の忠実で従順な下僕が、魔法に巻き込まれてます!」

「2号お前、昨夜私に添い寝してやがりましただろ爪連撃!」 

「ひえーバレてます!?」

 

 それに奴等、ウチのパーティーより間違いなくキャラが濃い。愉快な旅路っぽくて羨ましいな。

 

「よ、ほ、とお」

「避けるなです、オッサン!」

「ひええええ」

 

 ギャアギャアと喧しいアルデバラン一行と別れて、俺はあのパーティーに入らなくて良かったと内心で胸を撫で下ろした。

 

 あんなウサギ仮面を被った変態と、一緒に旅なんかしてられないからな。



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33話「俺はただ、宴会芸で笑顔を……」

「と、いうことがありましたわ」

「ほう」

 

 同日夕刻。

 

 ユウリの家に戻ってきた俺は、パーティーにアルデバラン達の事を報告していた。

 

 アルデバランが勇者であること、カールの女神様とは別の女神様に力を貰ったこと、間もなく町に魔族が攻めてくること。

 

「……む。悪神、ね」

「女神様って複数いるのね。神様に祈る機会なんて無かったから、知らなかったわぁ」

 

 そしてアルデバランから貰った情報の中で、特に皆が注目したのはカールに力を貸しているという『悪神』だった。

 

 人の味方ではあるが、同時に『悪』でもあるというその女神。神という超常の存在でありながら、同じ存在に悪と断ぜられたモノ。

 

「私とレヴが聞きに行った勇者伝説でも、女神様は複数居たらしいって記述があったわ」

「へぇ、昔から女神は複数存在していたのですわね」

 

 俺の報告を聞き、勇者伝説について聞きに行っていたマイカが口を挟んできた。伝承でも、女神は複数居るらしい。

 

 前世の日本でも、神様は唸るほど存在していた。こっちでもそうなのか。

 

「文献には同じ時代に複数の勇者が存在していた記載が存在するの。だけど、基本的に1柱の女神が力を授けるのは1人までと言われているわ」

「つまり、昔から勇者の数だけ女神が存在していたわけぇ?」

「……魔王現れる度に、複数の女神がそれぞれ勇者を選んだ、だって」

「なんと。では、カールやアルデバラン以外にもまだ勇者が存在している可能性もあるのですか」

「あると思うわ」

 

 ほえー。1女神に1勇者がセットなのか。

 

 じゃあカールは、いっぱいいる勇者の中の一人なのね。なんか有り難みが薄れたな。

 

「ただ、ちょっと気になる学説があるのよね」

「あら、それは?」

「勇者は、近年になればなるほど数が減ってるのよ。一番古い文献だと10人以上存在していた勇者が、次の勇者伝説においては8人に減っていた。そして先の大戦において、勇者は4人しか伝承されていない」

 

 おお、結構減ってるな。何でだろう。

 

 相対的にカールのレア度が上がったけど、戦力は多い方が良いなぁ。

 

「これは仮説だけどね。勇者伝説は全てハッピーエンドで、勇者は全員生き残って幸せに余生を過ごしたとされる。でも実際は、戦争で勇者にも被害が出てたんじゃないかな?」

「まあ、普通に考えれば勇者陣営が無傷ってのも変ですわね。少しくらいは被害が有った方が自然ですが」

「そう、だから学会はこう考えているそうよ。『女神は、力を与えた勇者が死ねば共に消滅する』」

 

 ……むむ?

 

「つまり、女神が消滅したから勇者も減った。それが、世代を追う事に勇者そのものの数も減っている理由よ」

「……おいおい、マイカの姉御。前の大戦の時の勇者って、4人なんだろ? じゃあ、今回の勇者の数は」

「最大で4人って事ね。下手をしたら、カールとアルデバランだけの2人だけって可能性すらあるわ」

 

 お、おいおい。それは不味くないか?

 

 今までは何人も勇者が居たからこそ、魔王を倒せていた訳だろ? 今回は最悪2人って。

 

 しかも、その2人の勇者は……。

 

「アルデバランの女神様は、カールの女神を悪神と断言し敵対してるのよね? ……唯一の頼れる味方かもしれない勇者アルデバランと、共闘出来ないのはキツくない?」

「……喧嘩してる場合じゃ、無いよね」

「うーん。取り敢えず、カールに力を与えた女神様に事情を確認するのが先決ねぇ」

 

 そうだ。そんな、勇者が減り続けているのっぴきならない状態で、勇者同士で敵対するなど愚の骨頂。

 

 何としても、カールとアルデバランを通じて仲直りして貰わねば。

 

 

 

 

「ですが、その。カールは……」

「そうね、そろそろ解放しましょうか」

 

 

 

 

 マイカはそう言うと、アザだらけで居間に磔にされていたカールを解放した。

 

 実は居間に入った瞬間から、磔状態のカールに「タスケテ……タスケテ……」と乞われて反応に困っていたのだ。

 

 でもマイカ達の顔が怖かったので、知らんぷりをしていた。

 

「因みに、そろそろカールに何があったのか聞いても?」

「男同士の付き合いで、俺がカールを一緒に水浴びに誘ったんでさ。したらこいつ、時間を間違えやがって」

「裸の女子3人で身を清めていたら、『さあ、裸の付き合いをしようぜ!』と言って全裸のカールが乱入してきたのよぉ」

「それは酷い」

 

 成る程。それは磔の刑も妥当と言えよう。

 

「……ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、マイカ様」

「はいはい、反省したならもう良いわ」

 

 ただ、カールが萎縮しすぎなのが気になる。何をされたんだあの男。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、なら俺は女神様に祈ってくる。熱心に祈ってたら、たまに通じるんだ」

「そうね、女神様に連絡とるのが先決よね」

 

 俺達は、カールに頼んで女神様に事情を聴くことにした。

 

 それが、今のとこ最重要なミッションだろう。

 

「マイカさんとレヴさんは、街で情報集めを。レーウィンと同じく、魔族に関する情報を探っていただきたいですわ」

「……ん、了解」

「イリーネとサクラは?」

「杖を作りに行きますわ。戦闘が近いのなら、装備を整えねばなりません」

「そうね、質の良い魔術杖って魔法使いの能力をかなり強化するもの。また魔族と戦う羽目になるなら、早いとこ準備しないと」

 

 それにはマイカ達も納得し、俺達の新たな方針が決まった。

 

 アルデバランからの情報を信用し、魔族が再び攻めてきている前提で動く。

 

 カールは、女神様から事の詳細を聞き出す。

 

「じゃあ、今日は早く寝ましょう。明日、朝一番から動くわよ」

「……ん」

 

 つまりまた、俺は戦うことになるらしい。

 

 あの、人の理の外に位置する化け物と。ひたすらに不気味で凶悪な、獣のような何かと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────寝れねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、俺はなかなか寝付けずにいた。

 

 ベットの中、思い返されるのは『類人猿の顔をした4足歩行の化け物』の姿だった。

 

 耳に残る奇妙な鳴き声で、何もかもを破壊しつくしながら迫り来る『人類の敵』。

 

 あの時はカールが居たから、俺達は勝てた。

 

 もしカールが居なければ、俺はどうなっていた?

 

 そう思うと、恐怖で身が固まる。

 

「……いえ。次はちゃんと、最初からカールが居ます」

 

 そうだ。こっちにはカールが居るんだ。

 

 何を恐れる事がある。魔族がどれだけ束になろうと、カールに手も足も出ていなかったではないか。

 

 勝てる勝負だ。きっと、カールさえ万全なら────

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 

 

 

 ああ、震えている。

 

 そっか、怖いんだ。思ったより、魔族に食われかけたあの経験は、俺の中でトラウマになっていたらしい。

 

 もう一度、あの戦いをしなければならない。その恐怖が、ギリギリと胃を締め付けている。

 

「……情けない」

 

 自分で選んだ道だ。血沸き肉踊る闘争の旅を求めたのは俺自身だ。

 

 1度死にかけたくらいでこんなザマでは、何のためにカールについてきたのか。

 

 

 

 

 俺は部屋を抜け、夜道を歩きだした。

 

 少し風に当たろう。心を落ち着けて、再び床に就こう。

 

 そんな、気持ちだった。

 

 

 

 

 屋敷の外、壁に覆われた庭。

 

 月の光に照らされ、草木は揺らめいていて。

 

 

 

「……あら」

 

 

 

 俺は吸い込まれるように、太い切り株の上に目を落とした。

 

 何故ならそこには、愉快な小人が隊列を組んで踊っていたからだ。

 

 ……これは、精霊?

 

『ハイホー、ハイホー』

『えんやらたった、ほいたった』

 

 いや、これは精霊ではない。

 

 精霊にしては、声が随分とはっきり聞こえる。本物の精霊は、もっとエコーがかかった声だった。

 

 しかし、これが実在する生物とは考えにくい。こんな小さな人間など、いくらファンタジーなこの世界でも居る訳がない。

 

『月夜に歩く、お嬢さん♪』

『今宵一晩、楽しい舞いに付き合いませんか♪』

「……私に、話しかけているのかしら?」

『勿論ですとも♪』

 

 その小人は、快活な笑みを浮かべて躍り続ける。見ていて元気の出る、小気味の良いダンスだった。

 

「……」

 

 その小人に、触ってみる。なるほど、触ることは出来る。

 

 木製、かな? よく見れば、その小人の関節部分に分かりやすく切れ込みが入っていた。

 

「……これが、貴方の魔術なのですか?」

「ご名答、よく気付いたのである」

 

 今、切り株の上で踊っているのは木製の人形だ。

 

 となれば、こんな器用な魔術を使えるのは一人しかいない。

 

「こんばんは、ユウマさん」

「うむ。またお嬢さんに出会ったの」

 

 小人を見とれる俺の背後から返事を返したのは、ユウリの父親にして学会随一の変人、ユウマであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日も今日とて、新たな芸の練習である」

「ご勤勉なのですね」

 

 俺はどうやら、ユウマ氏の宴会芸練習中にお邪魔してしまったらしい。

 

 このオッサンは、どうやら夜に練習する習性が有るようだ。

 

「……娘に、聞いた。君は、精霊が見えるのかね?」

「ええ、その通りですわ」

「精霊は実在したのだな。あの娘の学説が間違っていたとは、やはり世界は面白い」

 

 ユウマは、少し目を細めて切り株の小人へ目を落とした。

 

「ユウリは、落ち込んでいたかな?」

「最初は。しかし精霊を用いて新たな研究の種を見つけたようで、最終的には大喜びしていましたわ」

「それで、帰ってから妙に機嫌が良かったのだな。それは上々である」

 

 ユウマは、娘が落ち込んでいたかを気にしていたらしい。奇人とは言え、親だということか。

 

「最近ユウリは、私が渾身の芸を見せても笑わなくなってきたでな。昔はきゃっきゃと喜んだものだが」

「それはきっと、成長した証でしょう」

「うむ、我が娘の成長は嬉しくもあり寂しくもある。いずれ巣立ってしまうのが怖くてしょうがない」

 

 ……。それは、何処までがこの男の本音なのだろう。

 

 学会の奇人ユウマは、娘の学者生活にとって障害でしかなかった。

 

 しかし、この男は一応親としてユウリを可愛がっても居るみたいだ。

 

「ユウリさんには、ずっと家に居て欲しいのですか?」

「それは男親の共通の願望である。出来るなら可愛い娘は大人にならず、ずっと子として傍に居て欲しい。まぁ、叶わぬ願いではあるがな」

 

 ……そんなモノだろうか。行き遅れが家に居る状況って、男親からしても辛いと思うのだが。

 

「……ユウマさん。貴方がどうして芸の研究をしたか、伺って宜しいでしょうか?」

「む。学者に研究内容の話を振る意味を理解しているかね。一晩かけても語りきれぬぞ」

「いえ、シンプルに答えていただきたいのですわ。ユウリさんの障害になってまで、左様な研究を続けるのはどうしてなのかなと」

 

 俺は、少し勇気を出して聞いてみた。

 

 何が、そこまでユウマを動かしているのかを。

 

 ユウリに辛い思いをさせてまで、彼が宴会芸を研究する意味を。

 

「私が娘の足枷になっているだと? 何をバカな、あの学会は親がどうだからと言って研究成果を不当に評価したりはしないが」

「……しかし。ユウリさんは最初の講演で、ユウマさんの評判のせいでそれは酷い場を与えられたと」

「む、そんな勘違いをしとるのかユウリめ。7歳の子の持ち込み発表に、そもそも場を与えられることは普通ないというのに」

 

 ユウマはそう言うと、ふんすと鼻息を荒くした。

 

「私が学会主に頭を下げ、あの席を用意して貰ったのだよ。子供ながらに価値のある発表だと、お偉いさんに媚びて何とか1席ねじ込んで貰った」

「……え?」

「娘の研究内容は、友人から聞いて理解していた。我が娘は、紛う事なき天才だ。だから1度でも発表の場を与えてやれば、きっとその価値は見出だされ認められる。だから、最初はどのような場でも良かったのだ」

 

 あれ? ユウリから聞いた話とは違う。

 

 彼女は父親のせいで、学会で酷く苦労したと。ユウマの娘だと馬鹿にされ、軽んじられたと。

 

「確かに、馬鹿にはされたろうな。私を目の敵にしてる学者も多いし、そういった奴らは下品なヤジを飛ばしてくる」

「そうなのですか」

「もっとも、慣れればどうということもない。馬鹿にしている奴の発表を見に来る暇な奴等だと、笑い飛ばしてやればいい」

 

 ユウマは得意気な顔でそう言うと、自分の髭を弄りながら唇を吊り上げた。

 

「実は私も、父親が『ネタ魔法使い』であったせいで散々な扱いを受けたのだ」

「まあ」

「何の役にも立たない、無駄な研究をしているに違いない。そう言われ、中々発表の場を与えて貰えなかった」

「しかし、今は発表の場を貰えているのですね」

「発表し、認められたからな。私の芸魔法の、その素晴らしさが!」

 

 中年は、全力でドヤ顔をした。殴りてぇ。

 

「……でも実際、宴会芸はあまり生活の役には立たないような」

「何を言う」

 

 宴会芸の発表なんぞ、学会でやる価値は無いってのは正解だろ。

 

 そう思って突っ込んだのだが、ユウマは憮然とした表情で言い返した。その目には、小さな怒りすら見てとれた。

 

 

「誰かを笑顔にする行動。それは、決して馬鹿にされたり軽んじられたりして良い事ではない」

「……あ」

 

 

 それはただ、優れた芸の為だけに魔術を研鑽した男の言葉。

 

 人を笑顔にしようと、人生を賭けて四苦八苦した奇人。

 

 彼はその芸を発表する場を与えられるのに、どれ程苦労したのだろうか。

 

「まだ小さな頃だ。私の魔法を見て、ユウリはキャッキャと笑ってくれた」

「……」

「それだけで、無邪気な娘の笑顔だけで、私はこの魔法は生涯を捧げるに足る魔法だと知った。父の悪名のせいで苦労したが、ついにその価値は学会にも認められ、私は毎年学会で場を与えられるようになった」

「……」

「聞いて、見て、楽しい魔法はそれだけで価値がある。若人よ、私の魔法をどうか軽んじてくれるな」

 

 む。むむむ。

 

 なんだコイツ、急にまともな事を言いやがって。

 

「失礼いたしました。聞けば、確かに素晴らしい魔法に違いありませんわ」

「そうであろ?」

「ですが、ユウリさんの言うことも少しは聞いてみては如何でしょう。時折ですが、貴方の行動にはどうかと思う節もありますので」

「……ふむ。留意しよう」

 

 こいつ、頭のネジは外れてるけど、中身は人の良いおっちゃんらしいな。

 

 人を笑顔にして喜ぶタイプの、少し迷惑な善人だ。

 

「ユウマさん。間もなく、この街に危険が迫り来るそうです」

「うむ? それは、精霊のお告げか?」

「いえ、女神のお告げです。おそらくは、真実」

 

 少しだけ信用してみてもいいかもしれない。

 

 この男は迷惑で空気が読めず、セクハラで無礼ではあるが根は善性だ。

 

「いざという時に、逃げ隠れる場所を用意しておいた方がよろしいですわ。獣では気付けぬ地下室のような、そんな場所を」

「ふむぅ。と言われても、一朝一夕で用意できるものではないが」

「土魔術師の力を借りれば可能かと。ちょうど、私達の仲間に腕のいい土魔術師(サクラ)もおります」

 

 元々これは、ユウリを救うために提案をするつもりではあった。

 

 今のタイミングで告げたのは、俺がこの男を少し気に入ったからに他ならない。そして、きっと受け入れてくれると踏んだからだ。

 

「うむ! 娘の安全に関わる事なら是非頼む。我が家の庭の範囲であれば、好きにしてもらって構わない。なけなしの財産だが、依頼料も出そうではないか!」

「ず、随分あっさりと信用なさるのですね」

「それは当然。何せ、君は先程……」

 

 ユウマは俺の提案を快諾した。見込み通りだが、そのあっさりした態度に少し肝を抜かれた。

 

 この男、無条件で俺を信用しすぎではないか?

 

「君はユウリの為を想って、私にあのような文句をぶつけたのだろう? 娘の為を想ってくれる女性の発言だ、何を疑う必要がある!」

 

 ……。

 

 ああ、この男は色々と間違えているだけだ。

 

 

 この日俺は、学会一の奇人と呼ばれていた男の実態が、何処にでもいる子煩悩な父親だと知った。



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34話「なんだこのオバサン!?」

『ようこそ、魔術杖専門店へ~ぷりぷりムッチリ天国~』

 

 ……これは、どういう事だろう。

 

「あの、イリーネ? ここが、貴女が聞いた『腕の良い魔術杖職人』の店」

「その筈ですわ」

 

 魔族の襲来に備えて、魔術杖を作る。それが、今日の俺達の目的。

 

 だが女二人、サクラと共に商店街に出掛けた俺は、怪しいネオンの看板が立つお店の前で立ち往生していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝。

 

「……と、言う訳ですの」

 

 俺はユウマの家の庭に『避難シェルター』を作る提案をしたこと、そしてその為にサクラの力を借りたい旨を伝えた。

 

「ああ、確かにそれは要るな」

「依頼料も美味しいわね」

 

 提案に対する皆の反応は良かった。

 

 サクラ本人も『いざという時、私達も逃げ込める広さのシェルター作っておくわぁ』と乗り気だった。

 

 だがいくら土魔術師と言えど、シェルターを作る程の作業となれば数日掛かりの仕事。短期間で終わる作業とはいえ、どうせなら効率良く仕事がしたい。

 

 なので、

 

「先に杖を作りに行って、製作の待ち時間に図面引くわ」

「杖があった方が、作業も早いですしね」

「イリーネ、貴女も土の素養有るんでしょう? 手伝ってくれるわよねぇ」

「勿論です」

 

 サクラと話して、俺達は先に杖を作る事に決めた。

 

 その方が、間違いなく効率的だと思ったのだ。

 

「店ならお任せください。以前話をした博士から、腕の良い職人さんの店を伺っておりますので」

「流石よ、イリーネ」

 

 店選びに迷う必要はない。

 

 ロメーロ博士。以前俺に魔法について色々教えてくれた男が、紹介してくれた『腕の良い店』がある。

 

 こうして意気揚々、俺とサクラは杖を作るため素材を持ち込んで依頼に出向いたのだったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーネ。本当に、ここ?」

「その筈、ですわ……?」

 

 その博士から紹介されたお店が、どう見てもエッチなお店にしか見えないのである。

 

 デカデカときょぬーなお姉さんのイラストが看板に描かれたその店は、俺が前にバイトしていた風俗店を彷彿とさせた。

 

「一応、入ってみる? 店主の看板センスがおかしいだけかもしれないし」

「そ、そうですわね」

 

 大丈夫だよな、博士。お前、ちゃんと腕の良い職人さんを紹介してくれたんだよな。

 

 行きつけのお店を間違えて紹介した訳じゃないよな?

 

 一抹の不安を覚えながらも、俺は遠慮がちに店の戸を叩いた。

 

 

 

「……ごめんくださーい」

「あ? うーい」

 

 

 

 一声掛けると、気だるい声が帰ってきた。

 

 中に人は、ちゃんと居るらしい。

 

「あの、仕事の依頼に伺いました」

「はいはい、どちら様? 紹介とか持ってる?」

 

 扉を開けると、ブカブカの作業服に身を包んだ看板イラスト通りの美女が出てきた。

 

 煤まみれで髪もボサボサだが、作業服からはち切れんばかりに溢れている胸がセクシーだ。

 

「うち、一見さんはお断りなんだよね」

「ど、どうぞ。ロメーロ博士からの紹介ですわ」

「あー! はいはい、じゃあ杖の方の依頼か! だよね、まだ真っ昼間だもんね。女の子二人だし」

 

 ……。その口振りだと、杖じゃない方の依頼も有るのだろうか?

 

 いや、深く考えないようにしよう。

 

「わあ、素材も持ってきてくれてるんだ。うんうん、善きかな」

「あの、それで依頼は受けていただけるのでしょうか?」

「勿論、良いよん。随分と、樫を持ってきてくれたねぇ。余った杖素材も買い取らせてもらうけど、それで良い?」

「え、ええ」

 

 だが、一応この店は魔術杖職人の店で正しいことが分かった。

 

 後は、ちゃんとしたモノを作ってくれるかどうかである。 

 

「あの、宜しければ貴女の過去に作った杖を見せていただいても良いですか?」

「ん、良いけど。部屋奥の右の部屋に入ってみて、中に一杯在庫あるから」

「ど、どうも」

 

 杖なんて使ったことがないし、目利きなんて出来ないが。

 

 せめて、この女が前にどんな杖を作っているのか確認した方が良いだろう。

 

「左の部屋は開けちゃダメよ。エロ────じゃなくて、失敗作しか入ってないから」

「……」

 

 ……。聞かなかったことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーネ、大丈夫なのこのお店」

「……真面目そうな博士からの紹介でしたので、信用したのですが」

「すっごく見覚えのある品がそこら中に転がってるんだけど。媚薬とか鞭とか、張り子とか!!」

「そういえば、ご専門でしたねサクラ」

 

 やっぱり、この店は夜の商売も請け負っているらしい。

 

 案内された部屋には確かに杖の在庫も有ったが、アダルティなグッズや不自然にデカいベッドなど魔術杖に無関係なモノも沢山転がっていた。

 

「……本当に、大丈夫なのこのお店?」

「……」

 

 不安になることを言わないでくれサクラ。俺もちょっと迷ってるんだ。

 

 本当に、依頼するのがこの店でいいのかと。

 

「在庫の杖はどう?」

「ふむぅ。私が以前、家庭教師から借りたモノよりはしっかりしてると思うのですが」

「ふぅん? どんな所が?」

「敵に殴りかかっても、折れにくそうですわ」

「魔術杖を打撃武器として扱うのはやめなさい」

 

 そんな事を言われても。だって、俺は魔術杖を買うのは初めてだ。どんな杖が良い杖で、どんな杖が外れなのかも良くわからない。

 

 だがら、博士の言った「腕の良い職人」と言うのを信じるしかないのだが。

 

 

「ん、ん、んほぉぉぉ!? 高ぶってきたー、くふふふー」

 

 

 時折、作業場から嬌声が上がるこの工房で、果たしてまともな杖が出てくるのだろうか。

 

 あの女、本当に作業してるんだろうな。自家発電に勤しんでないだろーな。

 

「……不安ですわ」

「信じて待ちましょ、あんたが選んだ店でしょお?」

 

 そうなんだけれども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、どうぞどうぞ。お姉さん、張り切っちゃったよ」

「え、もう出来たのですか?」

 

 一時間と待たずに、女は作業を終えて部屋から出てきた。

 

 その手には、艶々とした光沢を放つ杖が握り締められていた。

 

「うん、うん。ヨウィン樫の杖は作り方が決まってるからね、材料さえあれば仕上がるのは早いのよ」

「そ、そうなのですか。試してみても宜しいですか?」

「いいよー。町の外に向かってなら、魔法を使っても構わないから。かなり威力上がるけど制御難しいから、失敗しても凹まないでね」

 

 この職人、一応仕事は早いらしい。

 

 だが、いくら早くても雑な仕事をされたら堪らない。ちゃんと、杖の性能を確かめておこう。

 

「そうね、私も試させて貰おうかしら」

「どうぞどうぞ。ただ民家に被害出しちゃダメよ? ちゃんと、森側に撃つんだからね」

 

 職人はくれぐれもと、森の方角へ撃つように念押しした。

 

 職人が指さした方角を見れば、数百メートルほどの空き地が広がっており、その先に森が見える。

 

 いくつかクレーターが出来ているのを見ると、みんなここで試し撃ちをしていくのだろう。

 

「じゃ、私から行くわぁ」

「おー」

 

 方角を確認した後、サクラは杖を構えた。彼女から手始めに魔法を使いたいらしい。

 

「地霊、懇願。大いなる山林、其を隆起せよ」

「お、土系統か。良いな、この周囲が荒れたら自分で戻して帰っとくれよ」

「我を守るは大地の起伏。土壁(ブロック)!」

 

 さて、どれ程の威力になるかな。レーウィンでは、そこそこ大きな土柱を建てていたが。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

「何も起こりませんね」

「ごめん、制御ミスったわ。え、何これ難しい」

 

 高々と詠唱をしたは良いが、魔法は不発に終わったらしい。

 

 やはり、杖を使うと制御が難しい様だ。

 

「もっと力抜きな。最初は、普段の半分くらいの威力を意識すると良い」

「ええ、了解よ」

 

 職人はニヤニヤとしながら、呪文を失敗したサクラを眺めている。

 

 この女、失敗するのが分かってたな。

 

「我を守るは大地の起伏────」

 

 気を取り直して、サクラが再び詠唱した。微かに、額に汗が見て取れる。

 

土壁(ブロック)!」

 

 その高らかな叫びと共に、土はせり上がり────

 

 

「……あらまぁ」

「うっそぉ」

「ひゅー、良いじゃん」

 

 

 目の前に、小さな一軒家ほどの土の塊が隆起したのだった。

 

 

「頑張って扱ってね。ウチの店の杖は魔法の強化率がウリだから、制御難易度跳ね上がってる代わり威力は保証するよ」

「す、すごいわね。小さな壁を作るだけのつもりだったのに」

「その杖に慣れるまでは、ここにきて練習してもいいよ。街中で魔法の練習するわけにはいかないでしょ? 客寄せになるし」

 

 職人はニヒヒと笑って、サクラの背を叩いた。

 

 どうやら、杖の性能は本物らしい。あの博士の紹介は、間違っていなかったのだ。

 

「じゃあ、私! 次、私もやりますわ!」

「おお、頑張りな。ちゃんと、森に向けて撃つんだよ」

「ええ、勿論です」

 

 俺は貰ったばかりの杖を握りしめ、目の前の空き地を睨みつけた。

 

 以前、俺が猿仮面として魔族と戦った時を思い出す。俺の精霊砲は絶大な威力ではあったが、魔族にはあっさり耐えられてしまった。

 

 俺は『精霊砲』は十分な威力だと信じ込んでいたが、足りなかったのだ。もっともっと、強力な魔法を使えないとこの先カールの旅には付いていけない。

 

 正直なところ、俺は魔法が嫌いだ。長い時間をかけて詠唱し、ただ広範囲を吹き飛ばすだけの攻撃に、ロマンも何もあったモノじゃない。

 

 だけど、肉弾戦は俺に求められていなかった。人間の筋力では、魔族にどうあがいたって太刀打ちできなかった。

 

 魔法使いが戦争で役に立つには、魔法をしっかり極めねばならない。

 

「行きますわ!」

「あ、ちょっとイリーネ」

 

 もう、何も聞こえない。俺の精神は研ぎ澄まされ、杖と一つになりつつある。

 

 よし、いける。

 

「こ、こんなに倍率の高い杖で『精霊砲』撃っちゃったら凄いことになるわよ!? それは理解してるよね?」

「え、その娘『精霊砲』が使えるのかい? 実際に見るのは初めてだ」

「────炎の精霊、風神炎破」

「ちょっとぉ!?」

 

 魔力が、杖を通じて荒れ狂っている。

 

 大地から、空から、風から、太陽から、精霊がひょこっと顔を覗かせて近づいてくる。

 

「ややややばいですって! この杖でイリーネが魔法使っちゃったら……」

「何を慌ててるのさ、お嬢さん」

「精霊砲よ!? 人類最強の攻撃魔法よ!? 杖なしで撃っても数十メートルはクレーター出来るのに、杖ありで撃っちゃったら大惨事よ!」

「え、それマジ? で、でも大丈夫。安心して、ウチの店の杖で最初から魔法を発動できた奴なんていないし────」

 

 精霊が、制御に協力してくれている、そうか、これが俺の魔法成功率の高さの理由か。

 

 呪文を間違えても、きっと今までは精霊さんが術式を修正してくれていたのだ。ありがとう、精霊さん。

 

「あれ、制御出来てそうじゃない?」

「出来てるわねぇ」

 

 4種類の精霊は、ニコニコと俺に手を振ってくれている。どうやら、万全の状態らしい。

 

 よし、発動の準備は整った。

 

 ……では、ぶち飛ばしていくぜ!!

 

 

「えっ、えっ? この娘、ひょっとしてかなり高レベルの魔術師だったり?」

「イリーネ、ちょ、待っ────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちゅどーん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程。君達は、新作の杖で魔法を試し打ちしていたんだね」

「はい」

「もう少し周囲への迷惑は考えなかったのかな? 凄まじい爆音が響き渡って、町中が大混乱に陥った訳だが」

「面目次第もありませんわ」

 

 夕刻。

 

 俺とサクラ、そして職人のお姉さんはお巡りさん(ガード)の詰め所で職務質問を受けていた。

 

「私、魔術杖を扱うのは初めてだったのです」

「それで加減が分からなかったの? うーん、まぁそれは仕方ないけど……」

「そう言う時は、職人が気を付けてあげないと。そこの職人、魔術杖製造のライセンスは持ってるよね? 初心者講習、ちゃんとしたの?」

「は、はい。というか、初心者講習の途中の出来事で」

「講習中の事故は監督者の責任ですよ」

 

 クドクド、と正論でお巡りさんは注意を続けた。

 

 話を聞くに、突如として街に轟音が響き渡り、東の方角から土煙が上がったのを見て住人は「すわ、敵襲か」と大パニックになったらしい。

 

 数日前から、アルデバランが「魔族が攻めてくるぞ」と町中で吹聴して回っていたのも混乱に一役買った。

 

 「本当に魔族が攻めてきたのだ」「こんな場所に残っていられるか」「お前は実は人間に化けた魔族なんだろう」等と妄言がそこかしこで振り撒かれ、ちょっとした阿鼻叫喚になったという。

 

 

 

 

 

「……イリーネ」

「て、てへぺろ、ですわ」

 

 

 

 

 

 その勇者アルデバラン本人も、フル装備で俺達の元に駆けつけてきた。彼女も、魔族の襲撃だと思ったらしい。

 

 先程の爆音が俺の放った魔法だと理解すると、「……うわぁ」と呟かれて引かれた。

 

 何せ。俺が放った精霊砲のせいで、工房と森の間に位置した空き地が丸ごと全部、巨大なクレーターに変わっていたのだから。

 

「イリーネ、攻撃魔法に範囲はあまり求められない。威力が分散する上、仲間も巻き込んでしまうからな」

「あ、はい」

「初めて杖ありで撃ったんだし、今回は仕方ない。今後は、もっと範囲を絞ることを意識しろ」

 

 と、俺は魔炎の勇者様から有難いアドバイスを頂いた。

 

 ふむふむ、覚えておこう。

 

「だから言ったのよ」

「ごめんなさいですわ、サクラ」

 

 今回はやらかしたな。反省反省。

 

 その後、俺達はガードに数時間たっぷり叱られ、反省文みたいな調書を書かされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と時間がかかってしまったわ。こりゃ、作業は明日からかしら」

「そうですわね」

 

 取り調べから解放され、ユウリの家に帰り着いた折。空は赤焼けに染まり、辺りはやや暗くなってきていた。

 

 この暗さで、土木作業をするのは危険だ。避難所の建設は、明日にしよう。

 

「本日は魔術杖を入手できただけでも、良しとしましょう」

「素材を持ち込むと、結構安いのねぇ」

 

 少し予定は狂ったものの、今日の最優先目的は果たした。

 

 今までと比べ数倍の高火力の魔法を撃てるようになったのは、想像していた以上の戦果だ。

 

「魔法制御の練習もしないとですね」

「また、あの職人の所に行って練習させてもらえばいいわ」

「そうですわね」

 

 次はちゃんと、火力をセーブして撃とう。もうちょいと威力を押さえないと、実践では使えそうにない。

 

「マイカ達にカールは、上手くやってるかしら?」

「マイカさん達は、何だかんだで良い情報を掴んできそうですが」

「ま、聞けばわかる事か」

 

 こうして、俺達はやっとユウリ邸の門を開き────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、あら。お邪魔しているのです~」

 

 

 玄関をくぐると、微笑んでいる見覚えのない女性に出迎えられた。

 

「え、はぁ、どうも」

「……貴女、誰?」

 

 その女性は、白い布を一枚身に纏うのみの姿だ。玄関広場のその中央に、巨乳でおっとりした女性が悠然と佇んでいた。

 

 一応は女性として大事なところを隠しているが、その裸に布切れ1枚の出で立ちは、はっきり言って痴女である。

 

「お会いするのは初めてですね~。初めまして~」

「ど、どうも初めまして。イリーネ・フォン・ヴェルムンドと申しますわ」

「サクラよ。貴女、挨拶をするなら名乗りを上げるべきではありませんこと?」

「ああ、それは失礼を~」

 

 目の前の女性はユウリ邸に忍び込んだ変質者の可能性もあったが、とりあえず丁寧に挨拶されたので返しておいた。

 

 サクラは不審そうにしていたが、この女性からはあまり邪気を感じなかった。

 

 まぁ、正直変な人だなぁとは思ったが────

 

 

 

「私は知叡の女神、神魔の創造主にして最古の『現人神』。名は女神セファと申します~」

 

 

 ────。

 

 ……はい?

 

「ふぁい?」

「くすくす。疑っておりますね~?」

 

 思わず、素っ頓狂な声がこぼれる。女神? 女神、だって?

 

 その女は、聖母のような微笑みを浮かべ。金糸の如く撫でやかな髪を、ふわふわと室内で揺らしながら。

 

「ですが、そこの精霊使いさん。貴女ならば、ひしひしと感じとれるでしょう?」

 

 自信満々に、俺を指さして彼女は言った。

 

「私が、『本物である』と」

 

 ────その女は、女神を名乗り。

 

 何もかもを見透かしたような目で、俺達を見据えて笑っていた。

 

 

 

 

 

 

「え、別に何も感じませんけれど……」

「あれ~?」

 

 でも、別に俺は特に本物であるとか感じていないのであった。

 

 なんだこのオバサン!?

 



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35話「女神の思惑! 闇夜に消える猿仮面」

「ずずず……」

「音を立てて茶を飲んでいるわね、この女神様」

 

 ユウリ邸に突如として現れた女神を自称する不審者。

 

 本物かどうかは分からないが、取り敢えず歓待しておくのが無難と考えた。

 

「結構なお手前で~」

「どうもですわ」

 

 こう見えて俺は貴族令嬢、紅茶を淹れるくらい朝飯前。

 

 俺の丁寧な紅茶道(ティータイム)に女神様も満足げだ。

 

 では、改めて質問していこう。

 

「あの。女神様は、どうして地上に降臨されたのですか?」

「んー? カールが熱心に祈ってたので、仕事を中断して降りてきたのですよ?」

「まあ」

 

 あー、そう言えば今日、カールは一日中祈るって話だっけ。

 

「そしたらあのヤロー、驚きのあまりズッコケて私の神布を剥ぎ取りやがったのです~。まさか人間相手に肌を見せることになるとは」

「あいつ、女神様にもソレ発動させんのね」

「目に浮かびますわ……」

「制裁の女神パンチで気絶したので、ヤツは今2階に転がしているのです」

 

 成る程。それで女神様は一人ポツンと此処に佇んでいたのか。

 

 この人、本物なのかね? さっきから嘘をついてる素振り無いし。

 

「ふふー。本物なのですよ、精霊の導き手」

「……ひょっとして今、心をお読みになりましたか?」

 

 心の中で疑問符を浮かべただけなのに、女神は答えを返した。

 

 ……心の声が、聞こえているのか?

 

「女神ですゆえ~、人の心を読むくらい余裕なのです~。そこの貧相娘がまだ私を疑っていることも、豊満なこの胸を苦々しげに睨み付けていることも、全てお見通しなのです~」

「貧相で悪かったわね!!」

 

 うわーお。

 

 じゃあ、俺が愛と勇気と筋肉を愛する、漢を目指す男であることもバレてるのか。

 

 それは不味いぞ。

 

「……んー。それもバレてますけど、何と言うか」

「出来れば、女神様の心の内に秘めておいていただければ」

「んー。まぁ良いのです、黙っておきましょう。そこは、バレようがバレまいがどっちでも良いのです」

 

 いや、全然どっちでもよくない。

 

 ヴェルムンド家の品位に関わる部分なので、バレる訳にはいかんのだ。

 

 頼むぞ女神、絶対に内緒だからな。

 

「はいはい、それよりですね。貴女方が私を呼び出した本題ですけども~」

「……ああ、そうね。色々と確認したいことがあったのだけど、口に出さなくても伝わるのかしら?」

「ええ、ええ。そっか、私が悪い神様として扱われていたのですね~。ぷんぷん!」

 

 うわっ。この人(神)、口でぷんぷんって言ったぞ。

 

「この街が魔族に襲われるのは本当なのか、アルデバランとは何者なのか、貴女が悪と言われる由縁はどうなのか。聞きたいのは、この辺」

「ふむ。アルデバランってのは、多分本物の勇者だと思いますよ~?」

「そこは、薄々と気づいておりましたわ」

 

 アルデバランは勇者確定、と。実際に話してみて悪い奴では無さそうだし、信用して良さそうだ。

 

「では、この街が襲われるのは事実なのですか?」

「ぶっちゃけますと事実ですが、この街はアルデバランとかいうのが居るので、守らなくて良いのです」

「……はい?」

「アイツの使徒が、この街に来てるのは分かってましたから。ここに魔族が攻めてくることは知ってましたけど、放置するつもりだったのです~」

 

 ……ふむ?

 

「勇者ってのは、言わばチートなのです。ずるっこで、無敵で、最強なのです。基本、負けっこ無い馬鹿げた力を持った存在ばかり」

「はぁ……」

「アルデバランがどんな力を貰ったかは知りませんが、そこらの魔族に苦戦するとかあり得ません。ここにカールまで来たら過剰戦力なのです。だから貴女達を、此処に導く必要は無かったのですよ~」

 

 勝手に来ちゃいましたけどね、と女神は溜め息を吐いた。

 

 ……過剰戦力。言われてみればそうだ。

 

 レーウィンの襲撃の時でも、カール一人で楽勝だった。勇者アルデバランも、きっとカールに匹敵する力を持っているに違いない。

 

 だから、女神はここに俺達を誘導しなかったらしい。

 

「むしろ、此処に来てほしくなかったくらいなのですよ。君ら二人が出会ったら、殺し合いに発展してもおかしくなかった。何せ根本的に、私とアイツは相性が悪いので」

「相性が悪い……?」

「ええ。以前の戦いでも、私と向こうの勇者は殺し合いしましたし。きっと、根本から噛み合わないのですよ」

 

 女神はそう言うと、不快そうに自らの髪をいじり始めた。

 

「ま、そういう訳でさっさとこの街から離れるのです。なるべく、あの子の使徒とは近づかないように」

「……今は人類にとって窮地です。仲が悪いからと言って、力を合わせないのは非効率的では?」

「そんなの向こうに言いやがれ、です。私としては、向こうが変ないちゃもん付けて斬りかかってこなければ敵対する理由もないのですし」

 

 あの分からず屋はいつも邪魔ばっかり、と女神はブツブツ呟いている。

 

 ……思ったより女神様って、感情的で人間臭いんだな。小物臭がしてきたぞ。

 

「聞こえてますよ、精霊術師~? それに私は元人間なので、人間臭いのは当たり前なのですよ」

「え、元人間?」

「はいそーです。意外ですか? 一定の信仰を集めれば、人間であろうと神に昇華されるのです」

 

 ……。え、神様ってそう言うものなのか。信仰を集めただけの、人間が成れるもんなのか?

 

 そういや、前世でもキリストが神扱いされてるしな。あいつも、元を正せばただの人間か。

 

「私の正体や過去なぞどーでも良いのです。要するに、他の勇者と仲良くやるのはあんまりお勧めしないってことだけ覚えておくのですよ」

「……失礼を承知で聞くわ。それって、貴女が悪神だってところが関係してるわけ?」

「うむ、確かに無礼な質問。まぁ、それはその通りなのですが、私は悪いことをしたとは思っておりません」

 

 少し挑発的なサクラの物言いを気にした様子もなく、女神セファは俺達に微笑んだ。

 

「人類を救うための手段が、神々の規律に抵触するものだった。ただ、それだけなのです」

「……具体的には、何をなさったのですか?」

「無実の人を殺しました。しかし、それは魔王を倒す為、人類を存続させるために必要不可欠な事でした。それが、私の背負った罪なのです」

 

 セファは笑みを崩さぬまま、少し目を細めて笑った。

 

「私は彼から……殺してくれと言われました。自分の命を捧げるからどうか大切な人を守ってくれと、懇願されました」

「……」

「酷い話です。その者は私の選んだ勇者で────、想い人でもありました。私はうっかり惚れちまっていたのですよ、自身が選んだ勇者に」

「む……、それは」

「神々は、人間と恋仲になってはいけません。しかし、どうしても情が寄ってしまう時があるのです。その結果、私は彼の願いを聞き入れ、彼の命と引き換えに人類を守りました」

 

 その言葉に、嘘はなかった。

 

 女神ともなれば幾らでも分からぬ嘘を吐けるのかもしれないが、それでも俺から彼女は嘘を言っている様に見えなかった。

 

「しかし他の神々の怒りに触れた私は、地上に落とされたのです~。数多の神々が滅び、減って、最近やっと復活しましたが」

「そんな、事が」

「それが私が悪神と呼称されている理由なのです。ご納得いただけましたか?」

 

 なんとまぁ、人間臭い。

 

 その言葉が事実なのであれば、この女神が元人間だったというのは頷ける。

 

「まぁ要は、私が他の神々から割と敵視される存在だという事なのです~」

「……ええ」

「ですが、私の想いはたった一つ。私が愛した人類の、存続と繁栄のみなのです」

「それは、何となく伝わったけど」

「ならば、私に従うのです。この街はもう一人の勇者に任せて、さっさとこの街から離れるのです。魔族襲来まで、後3日くらいしかないのですよ」

 

 セファはそう言って、俺達を優しく諭した。

 

 でも、本当にそれでいいのか? アルデバランの奴は話が分かりそうだった。

 

 カールの事を話しても、あんまり興味がなさそうと言うか。敵対の意思は感じなかった。

 

「……女神様。叶うのであれば、私達もこの街のために戦いたいですわ。この街には、知り合いがたくさん出来ました。その方々を見捨てたくはないです」

「だーかーらー、そういうのはアルデバランとかいうのに任せればいいのです。心配せずとも、勇者の力があれば負けることはあり得ません。むしろ、残っても足を引っ張り合うだけなのです」

「アルデバランとコンタクトを取りましたが、彼女はあまり敵対的ではありませんでした。上手くやれば、共闘も────」

「無理ですよ。アイツとはきっと、絶対に分かり合えない。共闘するとしたら、それは向こうに騙し討ちの計略がある時だけなのです~」

 

 にべもなし。

 

 女神様は、アルデバランとの共闘を絶対に無理と切って捨てた。

 

「それは、しかし」

「分からず屋なのですね~。そこまで言うなら止めはしませんが、きっと貴女も気付く日が来るのですよ。『共闘なんて、絵空事だった』と」

「……」

 

 少し意地になりながら食って掛かると、女神様は口をへの字に曲げて嘆息した。

 

 やはりこの女神も、向こうの女神を快く思っていなかったらしい。頑として、セファは共闘を受け入れるつもりは無さそうだった。

 

「まぁ、カールはきっと言う事を聞いてくれるのです。あの子、私を狂信してますし」

「……む」

「話し合いは、これでおしまい。私も結構忙しい身で、やることが沢山あるのです。質問には全て答えたのですよ、後は行動あるのみ~」

 

 そこまで言うと、女神セファは光に包まれた。

 

「さっさと荷物を纏めて、旅に出るのです。そして、君たちは手にいれた杖を使いこなせるように修行してください」

「……ですが」

「ですがも、へったくれも有りません。女神命令なのですよ~」

 

 カールにもそう伝えておくのです、と女神は嗤い。

 

「では、貴女達の未来に幸と栄光のあらんことを」

 

 やがて、光に包まれて消え去った。

 

 

 

「……どう思う? イリーネ」

「女神様の仰る事も、分かりますが」

 

 女神が消え去った後。

 

 俺は、サクラと顔を向き合わせ相談した。

 

「ちょっと、横暴と言うか強引よね。別に、カールも残って共闘しても構わないじゃない」

「何か、それで良くないことが起きるのでしょうか」

「分かんない。私には、あの女神にやましい事があって誤魔化した様しか見えなかったけど」

 

 ……女神からの命令は、即日退去だ。アルデバランとは、関わってはいけない。

 

 しかし、この街には知り合いが沢山できた。ユウリを始め、力になってくれた人が沢山いた。

 

 出来る事なら、俺はこの街の人々を守るために戦いたい。

 

「共闘出来ないなら、役割分担すればいいのですわ。例えばアルデバランさん達に敵をせん滅していただき、私達は街の被害を防ぐために行動するとか」

「そうよね。その命令が出てこなかった時点で、あの女神様はちょいと胡散臭いのよね」

「とはいえ、私達のリーダーはカールです。どう判断されるでしょうか」

 

 そう、俺達のリーダーはカールだ。女神様に心酔し、力を授かった勇者。

 

 たとえ俺達にとって女神が胡散臭い存在でも、彼はきっと命令に素直に従ってしまうだろう。

 

「……はぁ。詳しい事は、全員集まってから話し合いましょう。マイカやレヴ、あとマスターも含めて」

「そうですわね」

 

 だが、ここでいくら議論しても何も始まらない。

 

 パーティの行動指針は、皆で決めるべきだ。

 

 そして俺とサクラは、とりあえず2階で気絶しているだろうカールを起こすべく階段を上った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「女神セファ……、へぇえ。確かそりゃ、テンドー家の主神じゃねぇですかお嬢」

 

 パーティ全員が集まってから、俺達は先程の女神様とのやりとりを共有した。

 

 気絶していたカールも、夢の中で女神と対話をしていたらしい。カールと女神が話した会話の内容は、俺達が聞いたものとほぼ同一だった。

 

「え。私の家って、あの女神の信徒だったの?」

「そうですぜ」

 

 そして女神セファ、という名前に真っ先に反応したのは、意外にもマスターだった。

 

「セファ教って言ったら、ちっとマイナーながら細々と続いている由緒正しい古宗派でさぁ。条件付きながら人殺しが容認されてる教義なもんで、チンピラにとっちゃ信仰しやすい宗派です」

「あー、大多数を救う時に必要ならば犠牲を許容する、みたいな感じのアレね。そういや聞いたことあったわぁ」

「無論、犠牲者本人の同意が必須だとか色々と細かい条件がありますがね。そっか、女神様自身が人殺しをやったんだ。だから、そんな教義が出来ちまったんですねぇ」

 

 話を聞くに、セファという女神は昔から確かに存在していたらしい。

 

 俺は宗教に詳しくないのだが、聞く人が聞けば卒倒するレベルのビックネーム女神だったのだとか。

 

「何せ歴史が古いんですよ、セファ教は。俺達みたいになんとなく信仰しているチンピラも居れば、狂信的に命を捧げる勢いで崇拝している奴もいる」

「ふーん」

「ありがとうマスター、セファの事はよくわかりましたわ」

 

 これで、あの女神の事は分かった。

 

 だが、今はそれよりももっと重要な議題がある。

 

「で、だ。どうするんですかい、カール」

「……ああ、俺達の方針だろ?」

 

 俺達は話し合わねばならない。女神様の指令通り、この街を見捨てて別の場所へ旅立つべきかどうか。

 

 勇者であるなら、少しでも被害が少なくなるように行動するが常。しかし、今回は女神様自ら『この街の戦いに関わるな』と念を押してきた。

 

 

「みんなの意見を聞かせてくれ」

 

 

 そう言ってカールは、全員の目を見つめた。

 

 きっと彼自身、まだ迷いがあるのだろう。

 

「正直、私はあの女神を胡散臭いと感じたわぁ。……此処の住人にはかなり良くして貰っている。街に残ってアルデバランと共に、みんなを守るべきだと思うわよ?」

「アルデバランと共闘が駄目でも、二手に分かれてより街への被害を減らすべく活動することは出来ますわ。傷つくかもしれない人がいるのに、ここを離れるのは反対です」

 

 俺とサクラは、先程話し合った通りに街を守るべく残ることを主張した。

 

 3日後に魔族が攻めて来る。なら、そこから逃げ出すような真似はしたくない。

 

「……私は、神様を信じない。でも、必要ないのにカールを危険な戦場に赴かせたくない。だから方針は、カールに任せる」

「俺はお嬢と意見合わせるべきなんだが……。本音を言やぁ、避けられる戦いは全て避けたいね。前の時だって、お嬢は死にかけたんだし」

「私も、女神様に従うべきと思うわ。そもそも、カールが旅に出て戦ってるのも、女神様の指示通りなんでしょ? そんな神様からの指示に逆らうなんて、今までのカールの行動全否定するようなもんじゃない」

 

 レヴちゃんはどっちつかずで、マスターとマイカは女神様に従う派か。

 

 女神の命令に賛成2、無投票1、反対2。意見が綺麗に割れてしまった。

 

 ああ、こうなってしまったならば。

 

「よし。俺は、出来るなら女神様に従いたいと思ってる。あのお方が言うことには、きっと何か深い意図が有る筈なんだ」

「……カール」

「多数決だ、今回は女神様の仰る通り行動する。明日準備して、明後日にこの街を経とう。それまでに、この家の庭に避難所を作れるか?」

「……狭いものならね。2人が逃げ込める程度の大きさなら、1日もあれば形になるわ」

「なら、明日1日かけて頼む。サクラ以外は、全員で旅の準備だ」

 

 やはりカールは、女神の命令に従うようだ。彼は筋金入りの女神信者、パーティの意見が同数なら当然そっちに行くだろう。

 

「ごめんな、イリーネにサクラ」

「いえ。リーダーがそう決めたなら、従うだけです」

 

 こうして俺達が、アルデバランと共闘する事は無くなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。

 

 俺は今ひとたび、猿の仮面と鎧を身に着けて立った。

 

「……」

 

 部屋の外には誰もいない。今、この屋敷で出歩いているのは俺ただ一人。

 

 夜に練習する習性の有るあのオッサンも、既に寝静まったのを確認した。屋敷を出るには、今しかない。

 

 

 

 

 ────イリーネ、貴様は何か困ったことがあれば私のパーティーに逃げてこい。私こそ真の勇者だ、助けを乞う者を見捨てる事は絶対にしない。

 

 

 

 アルデバランのこの言葉に嘘はなかった。

 

 きっと、彼女は信じる女神は違えど、心優しき勇者の筈だ。

 

「せめて報告には、行かないと」

 

 アルデバランの滞在場所は、既に聞いている。夜分遅くになってしまうが、今からアルデバランの所に手紙を出しに行こう。

 

 夕方、俺はヴェルムンド家の家紋入りで、数枚綴りの手紙を作った。

 

 これを読めば、俺達が知りうる情報が全て伝わるようにしておいた。

 

 3日後に襲撃がある事、俺達の女神の指令で街を離れる事、結局共闘は難しそうだという事。

 

 

 

 そしてこちらの女神様が、少しきな臭い。何かを隠している様な気配が有る事。

 

 

 

 こんな話を、堂々とアルデバランに伝えるわけにはいかない。

 

 カールが聞いたら、間違いなく気を良くしないだろう。

 

 だから、コッソリと手紙でアルデバランに伝えるだけに留めておく事にした。

 

 

 

 月は雲に隠れ、闇が街を覆い隠す。

 

 隠密活動には、もってこいのコンディションだ。

 

「……いざ」

 

 貴族令嬢が夜に徘徊するなど、目撃される訳にはいかない。俺は再び、猿神の装束の力を借りて駆け出した。

 

 闇に紛れし、猿の化身。さぁさ、夜の街に溶け込んでいざ任務を果たさん────

 

 

 

「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ」

 

 

 

 そんな感じに、屋敷から飛び出そうとしたその瞬間。何やら恐怖に震えた声が背後から聞こえてきた。

 

 ……ん?

 

「な、何か物音がするなと思って様子を見に来たのだが……。何と言う事だ、想像の十倍は怪しい奇人がいるじゃないか」

 

 廊下の奥から声がしてくる。

 

 恐る恐る首を回して振り返ると、そこには顔面を蒼白にしたユウリが俺を指さして立っていた。

 

「君は誰だい。イリーネの部屋の前で、何をしているんだい……?」

「……」

 

 ……。

 

 ふむふむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「幼女☆誘拐!!」

「も、もがもがもがー!!」

 

 

 あば、あばばばばば!! 見つかった、見つかっちまった。

 

 どどどどうしよう、俺が猿仮面身に纏ってる姿を屋敷内で見られてしまった!!

 

「証拠隠滅☆口封じ!!」

「むむむむー!!」

 

 とりあえず拉致だ! 拉致監禁だ!

 

 ユウリを連れてここを離れ、ゆっくりと事情を説明するんだ! 大丈夫、きっと分かってくれるはず!

 

あうええ(たすけて)ー!!!」

「叫ぶなコラ、バナナの皮にするぞ(?)!!」

「ぃぃぃー!?」

 

 

 

 

 こうして猿仮面の怪人が幼女の口を塞ぎながら、深夜の街を全力疾走するのだった。

 

 そのあまりの怪しさに、寝ぼけて窓の外を見つめていた街の住人は流石に夢だろうと切って捨てたとか。

 

 



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36話「失伝魔法とSMプレイ」

「……ふむ、ふむ。話は分かった」

「流石はユウリ、話が早いぜ」

 

 深夜の広場、ベンチに腰かける不審者と幼女がいた。

 

「君は思ったより、馬鹿だったんだねイリーネ」

「あるぇー?」

 

 その幼女は蔑んだ目で、俺を睨み付けていた。

 

 

 

 俺は、全てを話す事にした。

 

 ユウリをこの場に拉致してしまったは良いが、俺には上手い誤魔化し方が思い付かなかったのだ。

 

 そもそもユウリは占魔術の使い手である。仮面を付けていたとはいえ、何らかの魔法で俺の正体を看破できる可能性がある。

 

 もはや誤魔化すこと叶わじ。

 

 冷静にそう悟った俺は、仮面を捨ててかくかく然々とユウリに事情を説明する事にした。

 

「それは、その。イリーネなりの変装のつもりだったんだね?」

「どうだ、格好良いだろう」

「見た目の違和感は物凄いが、男口調に違和感がない……。さては結構慣れてるな、その演技」

 

 と言うか、こっちが素だが。普段のお嬢様口調こそ演技である。

 

「で、だ。君達は街を出て魔族との戦闘をアル某に任せる事にしたから、その旨を手紙で伝えたいんだね?」

「そうだ」

「なら、ボクから手紙を渡しておく。そんな怪しい姿で彼女の工房に忍び込めば、殺されても文句言えないよ」

「……そんなに怪しいかなぁ」

 

 ユウリはジトーっと俺を睨み、呆れ声で手紙を受け取った。

 

 だがまぁ、彼女から渡してもらえるなら話が早い。ここは、彼女に託しておこう。

 

「それよりも、だ」

「はい」

 

 ユウリは受け取った手紙を寝巻きのポケットに仕舞うと、先程よりなお機嫌が悪い声を出した。

 

 幼女誘拐したからだろうか。

 

「君、精霊の論文の件はどうするの? 君の経験を纏めて発表して貰わないと、ボクの研究も前に進まないんだが」

「……あっ」

 

 そうだ、論文の事を忘れていた。

 

「はぁ、忘れていたんだね?」

「す、すまん。あーでもどうしよう、俺達は明後日には出発する必要が……」

「分かったよ。ならせめて明日1日は、ボクに付き合いたまえ。論文はボクの方で代筆して、代理で発表する事にする。出来れば、君だけでも残ってもらいたいんだが」

「その。一応、パーティーの方針だし……」

「だろうね。まったく、君がいないと再現性を確かめられないと言うに……」

 

 ユウリは不満げに頬を膨らませ、俺を睨み付けている。

 

 その様からは、はっきりと「不満です」という態度が見てとれた。

 

「魔族からの襲撃が終わったら、この街に戻って来たまえよ?」

「ぜ、善処する」

 

 魔族から襲撃されるって結構な一大事な筈なんだが。ユウリ的にはそんなものより、研究の方が重要らしい。

 

 薄々感づいていたが、ユウリは少しマッドサイエンティスト寄りなのかもしれない。

 

「じゃあ、明日一日はボクの研究の為に尽くしたまえ。約束したよ?」

「お、おう」

「その代わり、君のその珍妙な変装については黙っておいてやろうじゃないか」

「あざーっす!! ヒュー、太っ腹だね大将!」

「……今の君がイリーネだと、中々に信じがたいねこれは」

 

 だが、これでユウリの口封じが出来た。

 

 物凄い弱味を握られてしまった気もするけど、深く考えないでおこう。

 

「では、屋敷に戻ろうか」

「応ともさ!」

 

 こうして俺は、無事に正体バレの危機を乗り越える事が出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 筈だったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そ、そうさ。そのまま、そのまま」

「あ、あ、アツゥイ!! 火傷する、ちょ、ま、アツゥイ!!」

 

 翌日、俺は猿仮面を被り、街の郊外でドM魔法の行使に勤しんでいた。

 

 なんでさ。

 

「そうか……そうだったんだ、今までのボクに足りなかったのここの術式……」

「もう止めていいっすか、これ!? 痛いんだけど!? 何で真っ昼間からマゾヒスト魔法の修行しないといけないんだ俺!?」

「あと少し、あと少しだけ……。これも、精霊の研究の一環だ。多少呪文を間違えていようと、魔法発動が可能な君にしか頼めない仕事なんだ」

「どう考えても精霊関係ないよなぁ!?」

 

 街の郊外とはいえ、近くに通りはある。往来を行き来する人も少なくない。

 

 そして街行く人々は、好奇と畏怖の目で俺達を見ていた。

 

 ああ、何でこんな目に。

 

「ふ、ふ、ふ……。ようし、この呪文のデータは取れた。では次の呪文を」

「もう良いだろ!? せめて精霊についての実験をしないか!」

「あれぇ、ボクに逆らうのかい猿仮面? ならうっかり昨夜の事とか仮面の事とか、口が滑ってしまうかもしれないよ?」

「この腐れサディスティックドMロリ!」

「何とでも言いたまえ」

 

 あかん。ユウリの目が完全にキマっている。マッドサイエンティストモードに侵食されている。

 

 俺は出発の準備をカール達に任せて、一体何をやっているんだ!?

 

「あふん、次で最後だ。今は亡きお祖父様の残した、最大にして至高の自傷魔法……。ボクがずっと理論を研究し続けてなお理解できなかった、祖父の人生を賭けた究極のマゾプレイ」

「お前の祖父(じい)ちゃん、ドMに人生賭けちまったの!?」

「史上類を見ないネタ魔導師の秘奥を、是非とも現代に蘇らせる。それこそボクの使命……」

「そんなネタ魔法は一生寝かせとけ!」

 

 ああ、本当にどうしてこんなことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数刻前。

 

 俺は、カール達に頭を下げてユウリの研究に同行する旨を承諾してもらった。

 

『そういや、そんな話もあったな。なら準備は俺達に任せてくれイリーネ』

『恩に着ますわ』

『……気にすること、ない』

 

 こうして温かく送り出された俺だったが、内心は結構ブルーだった。

 

 研究だの論文だの、めんどう臭そうな話題は苦手だ。

 

 しかし嫌な予感をビンビンに感じながらも、弱味を握られた俺はユウリに逆らうことが出来ない。

 

「ああ、論文に関してはそんなに時間を取らないよ」

 

 ────しかし、ユウリの話は想定外の方向へ行った。

 

「実はもう、精霊に関する論文の構想はほとんど完成しているんだ。今日主にイリーネにして貰いたいのは、古代魔法学の発展の為の実験さ」

「どう言うことだユウリ?」

 

 彼女によると、実は精霊論文の内容に関して最終段階まで完成しているらしい。

 

 その最後の詰めも、少し時間があれば終わるそうだ。

 

「君の真の才能は、古代魔法の復活にある」

「古代魔法の……?」

「長い歴史の中で詠唱が失われ、文献に存在すれど行使出来る者の居なくなった魔法。それは失伝魔法とも呼ばれ、我ら古魔法学者はその復刻に生涯を賭ける者も多い」

 

 ユウリには、前に俺の話を聞いてからずっと狙っていた実験があったそうだ。

 

 それは、俺による『失伝してあやふやな詠唱しか残っていない呪文』の復活である。

 

「君ほど精霊に愛されていたなら、多少呪文を間違えても魔法は正しく発動してくれるだろうさ。そして、その発動した魔法から逆に解析して正しい呪文を導きだす」

「な、なるほど」

 

 ユウリの所属する学派は古代魔法の研究グループ。古代魔法の復活こそ、悲願。

 

 そんな連中からしたら、俺は喉から手が出るほど欲しい存在らしい。

 

「丁度よく、手頃に失伝した魔法がいくつかある。それを、是非とも復活させたい」

「手頃に失伝したの意味がよくわからないが、了解だ。その失伝魔法を詠唱すればいいんだな?」

「ああ」

 

 そう言うと、ユウリは目を輝かせ、

 

「どうしてもボクには発動させることができなかった、祖父の開発した魔法なのだが……」

「……『火炙り体験☆苦悶鎖攻め』?」

 

 俺は公衆の面前で、いかがわしい謎魔法を詠唱する羽目になったのだった。

 

 勿論俺は、身バレ防止のために猿仮面を装備することを選んだ。ついでにユウリにも、土魔法で複製した予備仮面を付けさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『猿の仮面の変態が2人、郊外でSMプレイに励んでいます』と通報が有った」

「だから何だというんだい? ボク達は誰かに迷惑をかけたかい?」

「アツゥイ!! くそ、アツゥイ!!」

「……確かに迷惑は、かけては、いな……。いや、やっぱり割と迷惑じゃないか?」

 

 間も無く、国家権力の犬が不審者出没の通報を受けて駆け付けてきた。俺とユウリは敢えなく捕捉され、警備(ガード)から事情聴取と相成った(10日ぶり2度目)。

 

 こんないかがわしい行為をしていたら、通報されるのもやむ無し。まったくユウリめ、幼女とはいえ常識というものくらい持って欲しいものだ。

 

「そもそも、その怪しい仮面は何だ。仮面で素性を隠して何をするつもりだったんだ?」

「アツゥイ!! はぁはぁ、そりゃこんな特殊なプレイを公衆の前でやるんだぞ? 素性を隠したくなって当然だ」

「……ごもっとも。いや、でも、アレ?」

 

 それに、この街の警備は融通が効かないな。

 

 いくら行動が怪しかろうと、この仮面を見れば俺が不審者ではない事くらい分かるだろうに。

 

「それに、この仮面は格好良いだろう。俺の野性味とワイルドさをよく表現した素晴らしい仮面だ」

「……格好、良い……?」

「くふぅ……。そこの馬鹿のいうことは無視してくれ、単にこの仮面もプレイの一環なのさ。公衆の面前で、こんな屈辱的な仮面(モノ)を付けさせられて────嗚呼」

「何と業の深い奴等だ」

「あれ? 今、俺の仮面の事を屈辱的って言った?」

 

 どういう意味だ、こんなにイカす仮面に向かって。

 

「君達に悪意がないのは分かったがね、世の中には公序良俗と言うものがあるんだ。こんな朝から卑猥な行為をされると、この地に住まう子供達の教育に悪い」

「と言うか、君達もまだ子供だろう。特に、ちっちゃい方……、子供のうちからそんな特殊性癖に目覚めてはいかん」

「男の方も、幼女に攻められたいと言う願望は深く理解できるが……。いくら同意の上とはいえ幼女に手を出したら駄目だ」

「ちょっと待て誤解だ、俺にそんな趣味はない……アツゥイ!!」

「言動と行動がまるで一致していない」

 

 そんな懐疑的な目で見るな! これはユウリに命じられてやってるだけで、仕方なく!

 

「ともかく、詰め所に来てもらおうか。君、危ないから早く火を消したまえ」

「えー。不審者2名を確保。詰め所まで任意同行願います、オーバー」

「ご、誤解だぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったくひどい目に遭った」

「お前のせいでな、ユウリ!!」

 

 1時間ほど事情聴取を受けて、厳重注意で俺達は解放して貰えた。

 

 俺達は卑猥ではあったが危険人物ではないと判断されたらしく、逮捕には至らなかった。

 

「家の庭とか、そんな誰にも見つからない場所で試せばよかっただろう。あのマゾ魔法!」

「とはいってもだね。呪文のタイトルからして火が出る事が予想されるから、水回りが近くにないと危険だと判断したのさ。となると、必然人目のあるところで試さざるを得なくてだね」

「ちょっとお前の趣味も入ってただろ! 見られて気持ちよくなってたんだろ、この変態幼女!」

「それは否定しないが……。そもそも、原著論文にも周囲に人目がある場所でと記載されていてだね」

 

 2人でやるんだから人目は十分だろ! それに水が必要なら、俺が魔法でいつでも出せたわ!

 

「それに、もう一つ試してほしかった究極の魔法……祖父の秘奥がどれほどの威力か分からなかった。我が家の狭い庭で試すのは少しリスキーだと判断してね」

「えっ……そんな危険な魔法を使わせようとしたのか」

「詳細が良く分からないのさ。曰く、究極のネタ魔法らしいのだが……。『自らに苦難を与えることで、より高度な成長に導く魔法』というのが祖父の記載だね」

 

 ……結局、ただのドM魔法じゃねえか。そんなネタ魔法の復活の為に、俺は大恥を掻かされたのか。

 

「この魔法の論文には『術者に成長を促す』と書かれているのが気になっていてだね。成長しないと解除できない凶悪な苦難が襲い掛かってくる危険が……」

「おい。それ、今日中に解除できたのか?」

「分からないから試しているんじゃないか」

「今日中に解除できなきゃ困るんだよ! 俺は明日出発するんだから」

「でも、技術の発展に犠牲はつきものでね」

 

 いかん。この娘、やはり相当にマッドだ。

 

 昨日までは割と常識的で素直な子だと思ってたんだがな。ユウリはどうやら実験の事になると、周囲が見えなくなってしまうタイプらしい。

 

「悪いが、脅されてももう協力はしないからな。警備(ガード)の世話にまでなったんだ、義理は果たしただろう」

「むぅ。まぁ仕方あるまい、現時点でそこそこに収穫はあったしね」

 

 これ以上ユウリには付き合っていられん。俺は裏路地で猿の仮面と鎧をしまい込んで、さっさと屋敷に帰ることにした。

 

「はい、ユウリさんも仮面をお取りになって。仮面のまま屋敷に戻るところを見られたら、面倒ですわよ」

「ふむ、確かに」

 

 ああ、無駄で災難な1日だった。

 

 だが、少し俺だけの自由な時間が出来たのは幸運だ。今のうちにユウリと一緒に、アルデバランに会いに行こう。

 

「仮面を外した事ですし、このままアルデバランさんの工房へ向かいますわ。よろしくて?」

「構わない。にしても、先程の猿モードとの言動の違いが凄まじいな……。本当に同一人物なのか?」

「貴族令嬢たるもの、猫を被る事くらい造作もありませんの」

「そんな生易しいレベルではないけどね。多重人格と言われた方がしっくりくるよ、ボクは」

 

 この手紙をアルデバランに渡せば、この街での俺の仕事は終了。後は、彼女に全てを任せよう。

 

 頼んだぞ、アルデバラン。この街を、どうか魔族から守ってくれ。

 

 

 

 

「……おや。ソコに居るのは、イリーネ殿と、ユウリ女史」

「へ? あ……」

 

 

 

 

 そんな、ちょうど猿仮面を脱いだ直後の俺に話しかけてきた人物がいた。

 

 それは何と、

 

「ガリウス様! これはこれは、ご機嫌麗しゅうですわ」

「うむ、数日ぶりであるな。ユウリ女史も、学会以来であるか」

「どうも、王弟ガリウス様。お久しぶりでございます」

 

 この街の最高権力者、すなわち視察中の王の弟ガリウス様であった。

 

 周囲には護衛がぞろぞろと立ち並んでおり、リタの姿は見えない。きっと、仕事の最中なのだろう。

 

「精霊の件、イリーネ殿から話を聞いたかねユウリ女史」

「ええ、素晴らしい発見でした。彼女との共同研究の下、次回の学会にてボクの口から発表させて戴く次第です」

「ふむ? 君は精霊否定派と思っていたが」

「いえいえ、実際に見れば意見も変わるというものです。ボクは真実に基づいて考察するのみ。きっと、閣下のド肝を抜く発表に仕上げて見せますよ」

「それは上々、実に楽しみだ。君が噛んでいるなら、イリーネ殿の発表はきっと大成功となるだろう」

 

 ガリウスは嬉しそうに、俺とユウリを見比べた。

 

 そうだ、しまった。俺ってばガリウス様から直々に発表を命じられてたんだった。

 

 王様の弟の命令を無視するって、相当にヤバい案件だ。このタイミングで謝っておかねば。

 

「ガリウス様、大変に申し訳ない事がありますわ」

「む、どうしたというのだねイリーネ殿」

「私達カール一行は、一身上の都合で街を離れねばならなくなりました。私の知る情報は全てユウリに伝えておりますので、精霊の件についての発表はユウリに依頼する事になっております」

「ほう、それは……。何とも勿体ない。その発表はきっと、学会中で讃えられる事になるだろうに……。世紀の発見たる精霊の観測者が、その場にいないとは」

「非常に残念極まりませんわ」

 

 王弟ガリウスは、話を聞いて見るからにガッカリしていた。むぅ、目をかけて貰ったのに申し訳ない。

 

 俺としても是非とも、ヨウィンを守るためにに残りたいのだが……。カールが決めたなら、従うほかにないのだ。

 

「因みに、一身上の都合とはどういう要件なんだね? 私が力になれる事であれば、力を貸すが」

「それが、なんですが……」

 

 ガリウスはおそらく心からの善意で、俺にそう言ってくれた。

 

 ……どうしようか。

 

 以前パーティで話し合って、ガリウス様にはカールが勇者である件は伏せる事になっていた。

 

 『魔王復活』なんて言葉を出せば国家転覆レベルの流言と判断されて、街を追い出される可能性があったからだ。

 

 しかし、ガリウスは非常に聡明な男に見える。よくよく話せば、理解してもらえるかもしれない。

 

 だが、もし信じて貰えなかったら? 即日逮捕なんてことになったら?

 

 俺はどうするべきなのだろう。

 

 だが、そもそも魔族が襲撃するのを知っていて、黙って立ち去るのは果たして正しい事なのだろうか。

 

 せめてこの街の権力者たるガリウスに、報告はしておくべきではないのだろうか。

 

「実は、とある恐ろしい予知が有ったのです」

「……ほう?」

 

 そして俺は数瞬黙り込んだ後、ポツポツとガリウスに向かって話を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「まもなく大量の魔族が攻めて来る、か。縁起でもない話だ」

 

 俺は、その場でアドリブに言い訳を作った。

 

 まぁ、要はこういう話だ。

 

 ユウリたちと研究していた予知魔法で、2日後にこの街に大量の魔族が攻めて来る事が分かった。その予知を信じて、俺達は逃げる事にした。

 

「言いふらせば、町中がパニックになる話です。しかし、誰にも何も言わずに逃げるのは気が引けまして」

「それは間違いないだろう。よく私に知らせてくれた」

 

 ガリウスは俺の話を聞いて、ううむと首を捻った。

 

「予知魔法は絶対ではない。しかし、なかなか精度の高い魔法だ」

「仰る通りですわ」

「この時代に魔族などと、にわかには信じがたい話だ。予知魔法の失敗だと思いたいが……」

 

 そんな予知を見てしまったのであれば、逃げ出すのも納得だ。ガリウスはそう頷いて、

 

「君達は一刻も早く逃げると良い。この街の事は、我々に任せたまえ」

 

 そう言って腕を組み、自信満々に笑った。

 

「王族たるもの、民を守るが生業なり。道中怪我をしないよう気を付けられよ、イリーネ殿」

「……ええ。ガリウス様こそ、御達者で」

「ふふふ、こう見えても私は歴戦の魔術師である。もしその予知が事実であったとて、我が必殺の魔法で魔族を蹴散らしてくれよう」

 

 ああ、偉丈夫。ガリウスには、この男に任せておけば安全だと思えるだけのオーラが有った。

 

 ……だが、現実を俺は知っている。当代随一と謳われた俺の精霊砲を持ってなお、魔族の群れには歯が立たなかったのだ。

 

「決して、無理はなさられぬよう。ガリウス様の勝利を信じておりますわ」

「ああ、任せておきたまえ。もし何もなければ、是非戻ってきてくれよ?」

 

 ガリウスは、ひとかどの人物だ。これほどの男を、魔族の襲撃で失うのは惜しい。

 

 アルデバランに伝えよう。くれぐれも、この街をよろしく頼むと。

 

「では、おさらば。急いで対策を練らねばならぬでな」

「はい、ガリウス様」

 

 俺は、強い眼光で部下を引き連れて戻るガリウスの背中を、祈るように見つめ続けた。

 

 ……本当に、この街を離れて良いのだろうか。そんな疑問を、心に浮かべながら。

 

 



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37話「勇者は逃げ出した!!」

「ああ、逃げることにしたのか。偽勇者はそれで良いんじゃないか?」

 

 彼女の工房に到着した俺達は、ありのまま昨日の話し合いの内容を伝えた。

 

 意外にもアルデバランは、俺達が街を去ることを聞いてもあまり気にした様子は無かった。

 

「むしろ、あの連中には関わるなと女神様が煩かったので丁度良い」

「……この街を、よろしくお願いいたします」

「言わずもがな。私の魔炎で、魔族全てを消し飛ばしてやる」

 

 俺からの頼みに、アルデバランは力強くうなずいた。

 

 彼女も女神から『カールと共闘するな』と口酸っぱく言われたそうで、俺達がこの街から立ち去る事に関して何も文句はない様子だった。

 

「貴様らこそ街を出るならさっさとしろ。我が魔炎に巻き込まれて蒸発したくなければな」

「……ええ」

 

 アルデバランの実力がいか程なのかは知らない。しかしこうも自信満々に頷いたのだ、きっと信用するに足る戦闘力はある筈だ。

 

 後は女神の指示通り、可及的速やかに俺達はこの街を離れるのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔族と言うものは、そんなに恐ろしいものなのか?」

「ユウリはピンと来ないかも知れませんが、とてもとても恐ろしい相手ですよ」

「ふぅむ。伝説では、勇者に良いようにされているイメージしか無いが。ちょっと強いだけの魔物だろう?」

 

 帰り道、ユウリは魔族について俺達に聞いてきた。

 

 彼女の中では、魔族とはやられ役の雑魚みたいな印象だったらしい。確かに勇者伝説では、魔族は引き立て役であるかの如くボコボコにされている描写が多い。

 

 なんなら、比較的レベルの高いこの街の冒険者なら対処できると考えていたようだ。

 

「勇者だから、良いように出来るのです。一般の冒険者が魔族に出会ったら、ほぼ絶望ですわ」

「そんなものか」

 

 ユウリは、俺やアルデバランが嫌に険しい顔で魔族について語っているのを見て、魔族という存在が少し気になりだした様子だ。

 

 カールやアルデバランが本物の勇者であることも、俺達の態度からもう確信しているらしい。

 

「イリーネは、魔族と戦ったことはあるのかい?」

「……ありますわ。私が魔族と戦った際には精霊砲が通用せず、肉弾戦で叶うはずもなく、全身ズタボロで死にかけましたわ」

「精霊砲を撃っても、歯が立たなかったのかい? なら、現存する魔法のほとんどが効かないじゃないか」

「ええ、効かないでしょうね。あ、今のは猿仮面を付けていた時の話なので、パーティの皆には内緒でお願いしますね」

「そんな命懸けの闘いの時くらい、仮面は外そうよ……」

 

 被りたくて被っていたわけではない。正確には、仮面を被ってる時に急襲されたというべきか。

 

「数メートルの巨体、一薙ぎに家を砕き、咆哮で大地を割る化け物。ただの人間が相手をするには、分が悪すぎる相手でした」

「……そんなヤバい怪物が攻めてきて、大丈夫なのかい?」

「勇者の力を得たカールは、一人で魔族の群れを撃退してましたけどね。恐らく、アルデバランも同レベルの戦闘能力を持っている筈ですわ」

「話を聞く限り、カールは本当に強いんだね。単なるエロバカにしか見えなかったんだけど……。こないだ胸触られたし」

 

 何かを思い出したかの如く、ユウリは少しうつむいて頬を染めた。

 

 ……あの野郎、そんな気はしてたけどユウリにもスケベ発動してやがったか。

 

「私達のリーダーが、申し訳ありませんでしたわ。今度ねじっておきますわ」

「まぁ、事故だったんだ。強引に迫られるのも悪くないかなと、新たな世界に目覚めたのでボクは気にしていない」

「ユウリはこれ以上変な扉を開かないでくださいまし」

 

 流石はユウリ、性癖の幅が広すぎる。

 

「だが、実際に魔族の話を聞くと怖くなってきたな。本当に、カールはこの街に残ってくれないのかい?」

「女神同士の対立が原因らしいですわ。全く馬鹿馬鹿しい」

「うーむ、それは何というか。いざとなれば、助けに来ておくれよ?」

「……ええ、まあ。ユウリさんには、お世話になってますし」

 

 ああ、本当に女神の内輪もめにはうんざりする。

 

 俺達はこの街で、ユウリから多大な恩を受けた。

 

 衣食住や学者への伝手、杖作りの情報に未来予知魔法の理論。様々な事をユウリから教わった。

 

 そんな彼女を置いて、魔族から逃げるように立ち去るのは本当に勇者のする行動なのだろうか。

 

「……私だけでも、カールのパーティから離れてここに残るべきか────。いや、私が残っても大した戦力にはなりえません。やはり、カール本人に残って貰わないと」

「そ、そんなに真剣に悩まないでくれたまえ。先程の、アル何某がボクらを守ってくれればそれで済む話なのだろう?」

「それは、その通りですわ」

 

 ただアルデバランに本当に街を守れるかどうか、だ。

 

 俺は、彼女の戦闘力を知らない。アルデバランの能力が、カールに匹敵する保証はない。

 

 あの女神だって言っていたではないか。『アルデバランがどんな能力を貰っていたかは分からない』と。

 

 

「ユウリ、明後日の予知することは出来ますか?」

「明後日は、少し遠いね。時間が空けばあくほど、消費魔力は膨大になるし精度も落ちる。半日~1日ほど先を見通すのが、今の所は限界だね」

「そうですか。では、明日の出発の直前に明後日の予知をしてくださいなユウリ。それで街が無事なのを確認できれば、心残りなく出発できますわ」

「ああ、それは言われるまでもない。元より、やるつもりだったよ」

 

 ユウリにあらかじめ予知して貰って、街の無事を知る。これが、俺にできる最大限。

 

 もし、街に少しでも被害が出るようだったら、何としてもカールを説得して残って貰う。

 

 ユウリやユウマ氏に危害が及ぶのであっても同様だ。

 

「では、また明日ですわね」

「ああ」

 

 その会話が終わるころに、俺達はユウリの屋敷に帰り着き。

 

 明日には別れとなる白髪の幼女の髪を撫でて、俺は居間へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あらおかえり、イリーネ」

「ただいま戻りましたわ」

 

 屋敷に帰ると、既にカール達は戻ってきていた。

 

 少し遅い時間になってしまっていたから、既にみんなで夕食を囲んでいた。

 

「お先に戴いてるわ」

「ごめんなさい、遅くなってしまって」

「ユウリの研究に付き合っていたんだろ? しょうがないぜ」

「実は、それだけではありませんの。先程、とあるお方に会いまして」

 

 皆が集合していたので、俺は王弟ガリウスに出会って魔族襲撃を予知した事を伝えた。

 

 こっそりアルデバランに会いに行ったことは、伏せておいたが。

 

「勝手に行動して申し訳ありませんわ」

「いや、それは良いんじゃない? 事前に敵襲が予測できていれば、被害が少なくなるよう避難誘導できるだろうし」

「カールが勇者って事を黙っていたなら、問題ないと思うわ」

 

 先走った行動ではあったが、特に文句は言われなかった。ふぅ、良かったぜ。

 

「それと、明日の出発前にユウリに予知して貰おうと思います。本当に、アルデバランに任せても街に被害が出ないかどうかを」

「……ふむ。それで、街に被害が出る様子ならどうするの?」

「予知の内容によりますが。ユウリやユウマ氏に被害が及ぶようなら、やはり私達は街に残るべきだと思いますの。この二人には、多大な恩がありますわ」

 

 しつこいと思われるかもしれないが、俺の意見は断固としてアルデバランと共闘する派だ。

 

 俺は他の人に比べて、女神に対する信仰心が少ないからかもしれない。

 

「ユウリはともかく、あのお父さんにはあんまり恩を感じていないわぁ……。紹介とかしてもらったけれども」

「そこは置いておいて。この街に滞在するにあたって良くしてくださったユウリへ義理を果たさないのは、貴族として名折れですもの」

「そこは同意よ。例えばユウリが死んでしまうのに放っていくなんて、貴族以前に人間として出来ないもの」

 

 サクラも、俺と意見は近いらしい。元々、彼女も居残り派だしな。

 

「そうだな。逆に、街が守られる未来が見えたら心置きなく出発できるだろう。俺も、イリーネの案には賛成だ」

「そーねー。まぁ女神様の言った事だし、実際ちゃんと守られてる予知になるんじゃない?」

「……む、ふむ。良いんじゃない……?」

 

 よし、言質を取った。後は、明日の予知を待つばかりだ────

 

 

 

 

「たださ。本当に街が壊滅していたら、どうするの?」

「え?」

「イリーネの不安が的中して、ヨウィンの街が壊滅していた場合。私達が残って、街を守るべきなの?」

 

 そううまく話がまとまりかけた時。

 

 マイカは、少し無表情な目で俺にそんな事を問いかけた。

 

「それは、勿論────」

「精霊が関わった時だけ、未来は変わる。それ以外の場合は、基本的に必発必中。そういう類の魔法じゃなかったっけ、ユウリの占魔法って」

 

 『勿論だ』と答えようとした直後、俺の目を真っすぐ見つめたまま、マイカは小さく息を吐いた。

 

「カールが残ろうが残らまいが、予知でそう出てしまった場合、街が壊滅する未来は変わらないんじゃない?」

「……しかし、それはきっとカールが街を去ってしまったからで!」

「ならカールが残れば、絶対に未来は変わるの?」

「保証はありませんけど、その可能性が高いはずです。だって、カールは魔族の群れをものともせず倒せるのでしょう?」

「カールは、イリーネのか細い腕でビンタされるだけで瀕死になる程ひ弱でもあるけどね」

 

 何故だろう。俺の提案を聞いてから、マイカの言葉から棘を感じる。

 

「過去の勇者の戦闘資料を見ても、カールは攻撃力だけなら歴代勇者で最強クラスなんだけど……。防御面は何も加護がないんだから、少し気を抜けば即死しうる脆さがある」

「……」

「イリーネ、カールを便利で無敵な戦闘兵器とでも思ってない? コイツは意志を持った人間で、少し攻撃力が高いだけの脆くか弱い剣士よ」

「私は、別にカールをそんな風に見てなんか」

「そもそも戦うたびに敵に情報が洩れていく訳だし、カールは気軽に戦闘していい存在じゃないの。更に、殺し合いになるかもしれないカールと同等の力を秘めた『勇者』が同じ街にいる訳でしょ? 女神様が『離れろ』って言った理由も、そこだと思うのよ」

 

 俺が、カールを兵器として見ている? カールが絶対負けない無敵の戦闘兵器だと?

 

 そんな事はない。そうじゃなくて俺は、この街の皆を救いたいと思ったからで。

 

 とても強いカールが居たら、街はきっと助かるって────

 

「街が壊滅する未来が見えたなら猶更、この街を離れるべきだわ。人類が勇者を2人も失ったら、それこそ終わりなのよ」

「……では、この街の皆さんを見捨てると!?」

「違うわ。さっきも言ったじゃないイリーネ、予知魔法を覆せるのは精霊の介入だけなんでしょ?」

 

 マイカは、きっと怒っていた。

 

 街を守るためにカールが此処に残るべきだと主張する俺に、怒っていた。

 

 

「街が心配なら貴女が一人で残りなさいよ、精霊の導き手さん。予知した未来を変えたいなら、イリーネが一番適任なんじゃないかしら?」

 

 

 ……。

 

 その、言葉に。俺は、何も言い返す事が出来なかった。

 

「おい、マイカ。言い過ぎだ」

「ごめん、ちょっと感情的な言い方になっちゃったけどね。私の知ってるカールは、もともとそんなに強い人間じゃないのよ」

 

 昨日は、隠していたのかもしれない。

 

 カールに街へ残って戦えと主張した、俺やサクラに。内心で、かなりの怒りを覚えていたのかもしれない。

 

「貴族さんは、民衆は守るものって教育されたのかもしれないけれど。私達は、大事なものだけを守れればそれでいい」

「マイカ、少し黙れ」

「貴族が平民に、勝手な矜持を押し付けないで。私は別にこの街の人間がどうなろうと知った事ではないし」

「マイカ!」

「冷たいと思う? 私が冷徹で残酷で薄情な人間だと思う? そうよ、その通りだわ」

 

 鬼気迫る口調だ。

 

 その口ぶりからは、本気の感情が見て取れる。

 

 

「親が死んだ者同士、ずっと寄り添って生きてきた幼馴染なんだよ? この街の人間の命全部ひっくるめたって、カールの方が大切に決まってるじゃない……」

「……」

 

 

 彼女は、本気で。カールの身を、心の奥底から心配しているのだ。

 

「……言い過ぎてる自覚はあるわ。柄にもなく、感情的になっちゃった」

「いえ。私も、考えが足りませんでしたわ」

「少し頭を冷やしてくる。要は明日、ユウリの予知で平和な未来が見えたら何も問題はない訳だし」

 

 そういえば、初めて見たかもしれない。

 

 いつも笑顔を絶やさず、冷静で理知的な態度のマイカが、ここまで感情をあらわにする姿を。

 

「無敵の戦闘兵器、か。確かに、私はカールさんが負けず怪我をしない前提でしかお話をしていなかったです」

「いや、そう思って貰って構わない。女神様からの力を継いだ俺は、そうやすやすとやられはしない」

「いっつも年上に虐められて、私に庇われていたくせに。勇者に選ばれたから急に強くなったんだろうけど、私の中ではまだまだアンタは弱虫カールだっつの」

「うるさいな。剣術始めてからは、虐められてねぇっての!」

 

 そうだ。カールは、存外に脆いのだ。

 

 俺の50%のパワーですら致命傷を負ってしまうほどに、タフネスに乏しいのだ。

 

「ふぅ。今日はもう寝ましょ? 一日寝て、感情を整理してから話をするべきよぉ」

「……最終的には、カールが決めればいい」

 

 俺はどうするべきなのだろう。そう行動するのが、正解なのだろう。

 

 もし街が壊滅する未来となれば、たった一人このヨウィンに残るべきなのだろうか。

 

「……おやすみ、イリーネ」

「ええ、マイカさん」

 

 その時マイカと交わした挨拶は、存外お互いに穏やかな声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────炎が、街を包み込む。

 

 ────紅蓮の渦が、人を焼く。

 

 

 

 阿鼻叫喚がそこにあった。

 

 逃げまどう人々、響く苦悶の声、焼ける赤子の前で呆然と立ち尽くす女。

 

 これは現実の光景なのだろうか。それとも、ただの夢なのだろうか。

 

 

 

 ────見覚えのある少女が、駆けていく。

 

 

 青い髪の少女だ。ユウリやレヴよりなお幼い、森で出会ったおしゃまな幼女。

 

 ガリウスの娘リタが、何かを抱えて街の中を疾走している。

 

 

『はっ、はっ!』

 

 

 リタの息遣いが聞こえてくる。

 

 人の流れに逆らって、幼女は何かを目指して真っすぐに走り続ける。

 

 

『よくも、父様、を』

 

 

 その眼には憎悪が宿り。リタは手に抱えていた何か────、森で見た破裂球なるアイテムを高く掲げた。

 

 

『よくも────』

 

 

 

 

 その、直後。

 

 リタを含めた周囲一帯は、凄まじい熱量に焼き払われた。

 

 幼女のいた場所には、墨すら残らない。

 

 ただ、膨大で無慈悲な熱量が機械的に街を焼き尽くし。

 

 

 

「────ふ、ふ」

 

 

 

 その地獄のような景色の中心で。

 

 魔導士が一人佇み、そして笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

 飛び起きる。

 

 周囲を見渡して、自分がユウリの家の部屋で寝ていたことを思い出す。

 

「夢……?」

 

 鼓動が速くなり、息が乱れている。

 

 夢だ、俺は夢を見ていたのだ。この街の全てが焼け落ちてしまう、そんな恐ろしい夢を。

 

 気に病み過ぎだ。女神の奴も言っていたじゃないか、この街を守るにはアルデバラン一人いればよいと。

 

 彼女さえ居てくれれば、ヨウィンの街は安泰なのだ。

 

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 

 息が荒い。喉が渇く。

 

 恐ろしい夢だった。まさに悪夢だ。

 

 少し水を飲もう。そして、落ち着こう。

 

 ベッドの端に腰を掛けて、ふぅと深呼吸する。辺りは暗く、屋敷は静まり返り、涼やかな風が窓から入ってきている。

 

 

 うん、着替えてもう一度寝よう。

 

 

 俺はビショビショになった寝間着を脱ぎながら、ゆっくりベッドから立ち上がり、

 

 

 

 

 ────イリーネ

 

 

 

 

 どこかで見た、精霊と目が合った。

 

「え、あ、ひゃあ!?」

 

 うわ怖っ!!? 真っ暗な場所で精霊に出会ったら、幽霊そのものだな。

 

 こいつは、えっと。確か……

 

「……その、御姿。たしか、リタさんのご友人の」

 

 

 

 

 ────リタを、助けて

 

 

 

 

 そうだ、ロッポだ。

 

 この精霊は、確かロッポという名前の平民だった子供の霊。

 

 そのロッポが、何でこんな夜遅くに────

 

 

 

 

 ────あれが、2日後の、この街だよ

 

 ────お願い、イリーネ

 

 

 

 ────リタを、助けて

 

 

 

 精霊はすがるように、懇願するように。

 

 俺の枕元に立って、しっかと頭を下げた。

 

 

 

 ────どうか、出ていかないで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カールは居まして!?」

「ん、ふにゃあ!?」

 

 精霊は、未来を予知する。

 

 精霊術師の見た未来は、この世のどんな予知魔法より精度が高い。

 

「カール、一生のお願いがありますわ」

 

 いま先ほど俺が見た景色は、悪夢ではない。

 

 現実だ。2日後に現実となる、精霊の予知魔法だ。

 

「い、イリーネ? こ、こんな真夜中にどうした」

「どうか聞いてください、カール」

 

 深夜の男部屋、爆睡しているマスターを尻目に俺はカールを部屋の外へ担ぎ出した。

 

 あんな地獄みたいな光景を見せられて、居てもたってもいられなくなったからだ。

 

 

「え、今真夜中だぞ!? これってまさか、ピンク色な展開────」

「聞いてくださいカール。たった今精霊による、予知を見ました」

「……あ、そういう。よし分かった、話を続けてくれ」

 

 

 

 俺は、夢で見た内容を話した。

 

 町が炎に包まれて、地獄絵図になっていた事。

 

 俺達が助けた少女リタが、跡形もなく消し飛ばされていた事。

 

 襲撃していた敵の姿は、まるで人間の魔導士の様であった事。

 

 

 

「目覚めたその時、目の前に精霊が居たので夢ではありませんわ。これは、精霊の予知」

「……おいおい」

「私は街に残ります。この街の人々を見捨てる事なんてできません。そして、改めて一生のお願いがありますカール」

 

 夢の内容を伝えた後、俺は険しい顔になったカールの目前で頭を地面にこすりつけた。

 

 土下座だ。

 

「貴方の命を危険にさらすことになるのは存じています。ですが、どうか」

「……」

「街に残って、皆を守るために力を振るってください」

 

 

 

 ────これがきっと、本来俺がとるべき立場だ。

 

 見知らぬ他人を救って当たり前。それは、貴族にとっての常識に過ぎない。

 

 平民であるカールは、その日暮らしで手一杯。他人の命を救っている余裕なんてない。

 

 この街の人間を助けたいというのは、俺のエゴイズムにすぎない。

 

 

「誰かが死ぬのは嫌です。誰かが苦しい思いをするのは、嫌です。救えるものなら、この手が届く場所にある命なら、私は救いたい」

「イリーネ……」

「私に出来る事なら、何でも致しましょう。カール、貴方とその大切なパーティメンバーまで危険にさらすことになるのは承知しています。ですが、どうか」

 

 だから、カールに『街を救って当たり前』と主張するのではなく。

 

 『俺が街を救いたい』から助けてくれと頼むのが、通すべき筋だ。

 

「どうか、私に力を貸してくださいカール」

 

 ……カールは、女神教の信者だ。

 

 セファという女神に心服し、逆らう事を良しとしないだろう。

 

「イリーネ。女の子が気軽に何でもするなんて……」

「貴方がそこそこにスケベなのは存じております。もちろん、色々と覚悟の上です」

「いやちょっと待って、そこの誤解は解いておきたい。俺は別に狙って誰かにスケベを働いた事なんか」

「狙ってやっていないだけで、相応に幸福を感じていらっしゃるでしょう? 普段から、女人に割と興味を持たれている様に感じておりますが」

 

 前の飲み会の時、イリーネはエロいだの何だの言ってくれたよなぁ。知ってんだぞ俺は。

 

「……男ってスケベな生き物なんです。結構そういう雰囲気出てたの、俺?」

「パーティの女性陣に確かめてくだされば、全員同じ答えが返ってくると思いますわ」

「え、嘘。死にたい」

 

 カールがひっそりと傷ついた顔をした。

 

 いや、そこは誤魔化しようが無いだろうカール。むしろ、エロくないと思われると思ってたのか。

 

「いや、まぁ一旦そこは置いておこう。深く考えると鬱になってくる」

「ええ。ではカール、答えを聞かせていただけますか」

「そんなの、答えるまでもないだろ」

 

 まぁこれは、ぶっちゃけ最後まではされないだろうと踏んで、胸触られるくらいまでは覚悟した上での発言だったのだが。

 

 意外にもカールはその場で腕を組んで、ニコニコと笑っているだけであった。

 

「俺は勇者である前にカールで、このパーティのリーダーだ」

「……ええ」

「仲間に助けてと言われて、断る事なんざありえない。女神様の命令に反するのは心苦しいが────」

 

 ニッシッシ、と何も気にしていなさそうな顔で。カールは、あっさりと意見を変えてくれた。

 

 

「街に残って戦おう。そもそも、それが俺の目指した勇者の姿だからな」

 

 

 こうしてカールは、俺の我が儘を笑って受け入れてくれたのだった。

 



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38話「決戦! アルデバランとの共同戦線」

「……とまぁ。昨夜、イリーネがそんな予知を見たらしくてな」

 

 翌朝。

 

 俺がこの街が壊滅する未来を見たことを、パーティー全員に共有した。

 

「で? カールはどうするの?」

「わり、マイカ。街に被害が出るっていうなら、俺は残って戦おうと思う。……お前はどうする?」

「あーもー。あんたはそう答えると思ってたわよ。だから昨日あんなにゴネたのに」

 

 ぷぅぅ、と頬を膨らませてマイカはカールを睨み付けている。

 

 少し、心が苦かった。俺は、マイカの気持ちを無視した頼み事をした訳だ。

 

「私も残るわよ。私に出来ることなんて限られてるけどね」

「心強い、サンキューな!」

「はぁぁぁ……。本当に、このバカは」

 

 満面の笑みで答えを返したカールは、マイカから小突かれていた。

 

「すみません、マイカさん。私が、頼み込んだから」

「……別に、私から何も言うことはないわ。カールが決めたことでしょ」

 

 マイカは口ではそういいつつ、俺を一瞥してプイッと顔を背けた。

 

 やはり、思うところがある様子だ。

 

「さて、予定が変わって明日決戦となってしまったんだが。レヴとマスターも、それで良いか?」

「元々お嬢が賛成してるんでさ。俺に拒否権なんぞねぇよ」

「……元々、カールが決めた事に従うつもりだった。戦えと言われたなら、戦う」

「頼んだぜ。ただ前線には俺が立つから、お前らは無理すんな。イリーネは安全圏から精霊砲をぶっぱなしてくれ、他のメンバーは全員でイリーネを護衛だ」

 

 カールの決めた方針に、全員が頷く。

 

 前回の戦いで精霊砲は通じなかったが、今回は杖ありの状態だ。魔族の数匹程度なら、俺の精霊砲で吹き飛ばせる可能性は十分ある。

 

「でもさ、それってつまりは」

 

 ただし俺以上の火力を出せない他のメンバーは、俺を守るしかなくて。俺が屠れる魔族も、せいぜい数匹。

 

 で、カールは単騎で敵に切り込むと。

 

「私達、カールのおまけよねぇ」

「そ、そんな事はないぞ!」

 

 もう全部こいつ一人で良いんじゃないかな、と言いたくなる役割分担だ。

 

「カールは突っ込むと周囲が見えないから、撤退の合図は後ろで私達が指示を出すわ。合図の花火を打ち上げるから、見落とさないでよね」

「お、おう。頼むぜマイカ」

「もう一人の勇者は魔導士なんでしょ? ソイツの攻撃に巻き込まれる可能性があるし、深入りは禁物よ。あくまで私達の仕事は、街の被害を減らすこと」

 

 おお、確かにそうだな。引き際を判断するのは、安全圏に居る俺達の仕事だ。

 

 話を聞く感じ、アルデバランはかなりの凄腕魔導士。カールが深く斬り込み過ぎると、範囲攻撃できなくて邪魔になるやもしれん。

 

「因みに女神様は、何か仰っていましたか?」

「……昨夜は音信不通だった。怒ってるのかなぁ」

「きっと分かってくださいますわ」

 

 女神様、なぁ。結局、精霊の予知が本当ならヨウィンは焼き滅ぼされるわけだが。

 

 女神ともあろう存在が、ヨウィンが焼け落ちる未来を予知できないはずがない。現に、前の街の襲撃は予知してカールを向かわせている。

 

 つまりアイツは、ヨウィンの街が滅びようと関係なく見捨てるつもりだったって事だ。

 

 

 それは、まるで。『その件は担当外なので』と仕事をたらいまわしにする役所のような、冷たい対応。

 

 

 ひょっとして、女神様ごとに守りを担当してる地域とかがあるんじゃないか? それで、このヨウィンという区域の担当がアルデバランの女神だったという訳で。

 

 こっちの女神セファがカールを遠ざけようとするのも、仕事の担当範囲外だからとか?

 

「……ふぅ」

 

 考えすぎかな。単に敵対しているから、協力したくないだけだろう。

 

 神様がそんな役所仕事で人類を守ってるとか、あまり考えたくない。

 

「じゃ、今日は装備を整えて、鋭気を養おう」

「ユウリのお嬢にも、伝えてきやす」

 

 何にせよ、これで俺は戦える。

 

 ユウリのため、この地に住まう人のため。

 

「じゃ、みんな頑張ろう」

 

 その言葉に答えるように、俺は拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……」

 

 暗い顔のアルデバランが、悔し気に俺の顔を睨みつける。

 

「つまり、私一人ではヨウィンを守り抜けなかったのだな」

「あ、それはその。予知魔法は別に、絶対なものでは」

「イリーネが見たのは、精霊の予知だろう? 疑うべくもない」

 

 俺は、こちらの事情を話すべく再びアルデバランを訪ねていた。

 

 フレンドリーファイアでカールを焼き滅ぼされたら困る。彼女には、俺達が残ることを伝えておかねばならない。

 

「まったく不甲斐ないな」

「ほ、本当にヨウィンは焼け落ちちゃうの?」

「その様ですわ」

 

 アルデバランは、酷く傷ついた顔をしていた。それは俺の予知が、『アルデバランは負けますよ』という予告に他ならなかったからだ。

 

 自信があったらしい彼女は、目に見えて落ち込んだ。

 

「そうですか。そんな未来が見えたなら、貴方達に何処かへ行けとは言えないですね」

「どんな敵だったんだ? 言っちゃ何だが、ウチの大将が負ける姿を想像できないんだが」

「見た目は人型の魔導師でしたわ。遠目でしたのでそれくらいしか分かりませんが」

「ほーん……魔導師、ね」

 

 それを聞き、アルデバランの仲間のオッサンが顔をしかめた。コイツは確か、前に俺をベッドに誘ってきたエロオヤジだ。

 

「魔導師相手に勝負して、アルが本当に負けんのか? アルよりやべぇ魔術師が地球上に存在するとは考えにくいぞ」

「どういう意味ですの?」

「いや、考えすぎなら良いんだがな。その魔導師が操ってたのは『炎』なんだな?」

「それは、ええ。……、炎?」

 

 炎。そう、炎だった。

 

 その魔導師は、炎の渦を纏いヨウィンの町を火の海沈め────

 

 

 

「あああっ!? まさか、まさかあれってアルデバランさんなのですか!?」

「え、私!? ちょ、そんな訳無いだろう!」

「リ、リリリーダー!? まさか、リーダーは魔族の手先なのですか!?」

「アルが、魔族……? でも確かに、アルの魔力は人間のものとは……」

「違う! 私じゃない! 私はやってない!!」

 

 そうじゃん! よくよく考えたらこいつ『魔炎の勇者』とか名乗ってる炎系統の魔術師じゃん!

 

 まさか、ヨウィンを焼いたのはこの女っ……!

 

「こ、ここで討っておけばヨウィンは……」

「違うからなイリーネ! 私に向かって拳を構えるのを止めろ!」

「というか魔術師が拳を構えるなです。杖を構えろ」

「アル……、まさかお前が裏切り者だったなんてな。せめて俺がこの槍で……」

「ちっがーう!! さてはラジッカ貴様、私をからかっているな!?」

 

 アワアワと混乱しながら、首を左右に振るアルデバラン。

 

 目を見開いて混乱するショタ魔導師に、悲しげな顔で槍を取り出すエロオヤジ。

 

 この極悪人め、許しておけん。

 

「いや、まぁな? 街を丸ごと焼き滅ぼせる魔術師が世界に何人居るんだって話よ」

「私がやる訳ないだろう! 勇者だぞ!? 人類の守護者だぞ!」

「……私も、アルがそんな事をするとは思いませんが。ラジッカ、貴方は何が言いたいのです?」

「いや、分かるだろ。……洗脳、あるいは寄生する魔族に注意しろって言ってんだ」

 

 ……ほえ? 洗脳、寄生?

 

「え、何その気持ち悪い魔族」

「洗脳に関しては過去の文献にも有った。強い人間の戦士を捕らえて洗脳して、魔族の手先にしたって話」

「……あ」

「この広い街を焼き尽くせるほど糞強い魔術師なんて、アルデバランくらいしか思い付かねぇよ。その予知で見た光景は多分、敗れて洗脳か寄生かされたアルデバランが魔族の手先にされてるって事じゃねーの?」

「わ、私が洗脳……?」

 

 ……そ、そうか。そう言う感じの事もしてくるのか、魔族。

 

 何それ怖い。最強チートの勇者が敵に回るとか考えただけでも恐ろしい。

 

「ア、アルが洗脳……? そ、そんなのダメだよ! 困るよ!」

「ふむ。確かにあり得ない話ではない」

「リーダーが敵に回るとか勝てっこないじゃないですか。そんなの無理です、私は速攻逃げ出しますよ。大事な人と2人きり、愛の逃避行です」

「1号、分かっています。その大事な人とは、すなわち私────って、あ痛!」

 

 相変わらずこのパーティーはキャラ濃いな。今真剣な話してるんだから、茶々を入れるな。

 

「この私が利用されると言うのか……。それは、確かに危惧するべき展開だな」

「アルが洗脳されて……エッチな服装で……ダメだよそんなこと!!」

「うるせー! 思春期だからって盛ってんじゃねーぞです、このムッツリショタが」

「ムッツリじゃないよ!」

 

 ウサギ仮面がスパーンと、軽快な音でショタを引っぱたいて突っ込みを入れた。

 

 あの奇人、まさかパーティ内では突っ込みキャラなのか。

 

「一応、今から洗脳対策は練っておく。よく伝えてくれたぞイリーネ」

「ええ。では明日、よろしくお願いしますわ」

「私達は魔族を討つ、その目的が一致しているだけだ。貴様らとはよろしくするつもりはない」

 

 アルデバランはそう言うと、プイと顔を背けた。

 

「……だが、死ぬなよ。イリーネ・フォン・ヴェルムンド」

「無論です」

 

 彼女にも、勇者としての立場があるのだろう。まったく、上司の諍いに挟まれる部下と言うのは大変だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────翌朝。

 

「げっ」

「あっ」

 

 俺達カール一行とアルデバランは、街の郊外でばったり出くわしてしまっていた。

 

「おい、ここは魔族が攻めて来るだろう最前線だ。俺に任せて、魔導師はどこかに隠れていた方が良いんじゃないか?」

「それは此方のセリフだ。剣士は近距離攻撃しかできないんだから、先手は私に譲れ」

 

 俺達は、此処こそが決戦の場だと予測した。ユウリの予知で見えた光景は、南西の街郊外に布陣する俺達の姿だったからだ。

 

 考えてみると、『魔力の森』の広がる南西は他の方角と違って敵がこっそり進軍してくるにはもってこい。

 

 なので俺達は、魔力の森がよく見える南西郊外に出張って来たのだが。

 

「私の女神様は、ここに陣取れと仰った」

「やっぱり、この方向から魔族は来るんだな」

 

 アルデバラン側も魔族の襲撃方向を察知していたようで、ブッキングしてしまったらしい。

 

「……」

「……」

 

 意図せずして、肩を並べる事になったアルデバランとカール。

 

 全身赤づくめの燃えるような髪の少女と、平凡な外見の男冒険者。

 

 上司に当たる女神は敵対こそすれど、二人は同じ敵を迎え撃つ仲間同士だ。

 

 ブッキングしても、別に大した問題は無いだろう。

 

「お前は別の場所に陣取れと言うたのが聞こえないのか? パーティ丸ごと吹き飛ばされたくなければ、おとなしく私に従え」

「お前、それを本気で言ってるのか? 仲間に手出しするつもりなら、俺は迷わず剣を抜くぞ」

「は、おもしろい。私の高速詠唱、止めきれるかな?」

「この距離ならどんなに速く詠唱しようが、俺が剣でお前を両断する方が先だ」

 

 ……あれ? 思ったよりギスギスしてるぞこの二人。

 

「ちょ、ちょっと。今から魔族と戦いましょうって時に、身内で争ってどうするのよ」

「そうですアル、落ち着いて」

「私は落ち着いているがな。そこの馬鹿が……」

「その女が仲間に危害を加えないと宣言しない限り、俺は引かん」

 

 え、何だコレ。この二人、何でこんなに仲が悪いの?

 

 なんで第一印象から、こんなに喧嘩腰なの?

 

 まさかこれが、女神様の言ってた『根本的に相性が悪い』って奴なのか。

 

「喧嘩はやめたまえ、アル某にカール。ボクとしては、お互いに目の届く範囲で暴れてほしいのだ。勇者二人の活躍が同時に見届けられるとは、実に幸運ではないか」

「む、ユウリか?」

 

 醜い喧嘩を見かねたユウリが、カールとアルデバランの仲裁に入った。

 

 よし。ここは両方に顔が利いて、中立的な立場の彼女に仲裁を任せよう。

 

「え? あれ、ユウリが何故ここに!? おいカール貴様、何故戦場に子供を連れてきている!!」

「いや、アレは勝手に着いてきたと言うか。何度も帰れと言ったのだが」

 

 ひょっこり、俺達の中から幼女が顔を出したのを見てアルデバランは激怒した。

 

 戦場に子供を連れて来るなという、至極当然の怒りらしい。

 

「おいユウリ、ここは遊び場じゃないんだぞ。何故この偽勇者に付いて来た!?」

「そんなもの、決まっているじゃないか。勇者伝説の最新章だぞ? 学者として、見逃すわけにはいくまい。安心したまえ、この闘いは私が語り手となって後世に語り継ごう」

「物見遊山気分だよ、この幼女」

「アホかぁ!! 早く家に戻れユウリ。貴様、命が惜しくないのか?」

 

 アルデバランは険しい顔でユウリを叱りつけた。興味本位で戦えぬ者が戦場に居るなんて、言語道断。彼女の怒りも尤もだ。

 

 しかし、それは何度も俺達が言った。それでも彼女は、こう言い返してきた。

 

「とはいえ君たち。後衛に未来を見れる者が居ると便利ではないかね?」

「……あ?」

「ボクはまだ、未来に介入する術を身に付けていない。しかし、ボクが予知した内容をイリーネに伝えることにより、未来に介入することは出来るのさ」

 

 そう、言われてみたら後衛にユウリが居るとかなり便利なのだ。

 

 カール以外は後衛の安全圏に布陣するから危険は少ないし、ヤバイ未来を予知して貰えれば回避できる。

 

「自分の街を守るため、協力は惜しまんよ。それに、私の身が危なくならぬよう守ってくれるのだろう?」

「……。とまぁ、ユウリはこんな感じでな」

「ユウリ貴様、覚悟はあるんだろうな? この戦いで命を落とすかもしれぬという、覚悟は」

「そんな覚悟なんて無いよ。命を懸けてでも、未知の知見を得て持ち帰り世間に広めんとする覚悟はあるがね」

 

 ユウリは、研究に命を懸けている女だ。そして、街の為に出来ることはしようという正義感もある。

 

 更に何より、未来予知のエキスパートという存在は戦力として(下手したら俺達の誰よりも)役に立つ可能性が高い。

 

 そこまで固い決意ならと、俺達は根負けしてユウリを戦場に連れていく事にしたのだった。

 

「……はあ。しっかり守れよ、偽勇者」

「言われるまでもねぇ」

 

 まぁカールは敵陣に突っ込むので、実質護衛するのは俺達なんですけどね。

 

 ウチは近接職少ないし、こっそりアルデバランの近くに布陣して守って貰いたいなぁ。

 

 

「えっと、カール様と言いましたか? 私は勇者アルパーティーの剣士、イノンと申します」

「へ? あ、ああ。これはどうも」

 

 そんな姑息な事を考えていた折、ぺこりとアルデバランの仲間で一番まともそうな男が頭を下げてきた。

 

 険悪な空気を読んでフォローしようとしているのだろうか。

 

「そこに居る人相が悪い槍使いがラジッカ、一番若く小さい魔術師がキチョウです」

「うっす、よろしく」

「ど、どうも!」

 

 なるほど、自己紹介か。そういや、まだこいつらの名前知らなかったな。

 

「そして、仮面を被った二人が……」

「闇夜に溶ける断罪の刃! 虚悪を討つ幻獣ウサギちゃん戦士1号!」

「や、闇夜を駆ける追跡者! コソコソカサカサ貴方を付け回すウサギちゃん戦士2号!」

「……だ、そうです」

「2号はただのストーカーじゃね?」

 

 名乗りに無駄な情報が多すぎる。やっぱり頭おかしいなコイツら。

 

「先程の話の続きなのですが、やはり我々は距離をおいて布陣した方が良いと思うのです」

「は、はあ」

「魔術師であるキチョウやウサギは攻撃範囲がとても広い。我々と連携の取れない貴殿は、此方の攻撃に巻き込まれてしまう恐れがある」

「……え、そのウサギ仮面って魔術師なの? さっき戦士って言ってなかった?」

「実は、彼女は頭がおかしいので……」

「成る程、やはりそうだったか」

「誰の頭がおかしいですか、このエセイケメンが!」

 

 お前やろ。

 

「貴殿方を疎んじているのではなく、お互いが戦いやすいよう。お互いに少し距離を取って、敵を待ち受けませんか?」

「む。そう言われると、まあ」

「互いに手分けして、攻めてきた魔族を半分ずつ相手にする、というので如何でしょう。お互いに不干渉であれば、女神様の不興も買いにくいでしょうし」

「分かった」

 

 あ、一緒に守ってもらうプランが崩れた。あっちのパーティーの方が近接職業が多かったのに。

 

 まあいいか、こうなりゃ俺が肉弾戦するか。貴族令嬢としてははしたないが、背に腹は変えられん。

 

「聞いたかみんな、少し待ち受け場所を変えるぞ」

「……そうね。お互いに100歩ずつ、此処から東西に距離を取るとかどう?」

「それで宜しいでしょう」

 

 結局俺達は向こうのイケメン剣士の提案に乗る事になり、カールとアルデバランはお互いに背を向けた。

 

 そのまま、まっすぐ100歩ずつ進む約束だ。こうして俺達は、アルデバランと別れ────

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 

 

 彼らに背を向けたその瞬間。魔力の森のその奥から、何か違和感を感じ取ったのだった。

 

「……どうかした? イリーネ」

「何やら、魔力が渦まいてますわ……? サクラさん、これって」

「あ、確かに何か感じるわねぇ。これって、敵の気配なんじゃない?」

 

 同じ魔術師であるサクラも、この違和感に気がついたらしい。

 

 ピリピリと魔力が張り詰め、森の奥から薫る凶悪な気配に。

 

「凄い魔力の反応だよ! ……ねぇアル、これって」

「むむむ? いや、でもそんな」

 

 アルデバラン達も、そのあまりな魔力の揺らめきに立ち止まって首をかしげていた。

 

 こんな感覚は初めてだ。前に魔族と戦った時は感じなかった、凄まじい魔力の渦。

 

「……あれ?」

 

 ぼんやりと、魔力がうごめく方向を眺める事数秒。その魔力の渦が突如として静まり返る。

 

 そして何かを皮切りに、凄まじい勢いで魔力の塊が森の奥で膨れ上がり始めた。

 

 

 

「────れろ」

 

 

 

 背筋が、凍り付く。強烈な死の気配が、全身の神経をタコ糸のように張り詰める。

 

「かく、れろ」

 

 静まり返った郊外の街で、アルデバランが顔を真っ青にして呟いた。

 

 彼女はその膨れ上がった魔力を見つめ、ワナワナと声を震わせながらやがて叫んだ。

 

 

「貴様ら! 私の後ろに隠れろぉ!!!」

 

 

 間髪入れずにアルデバランは駆け出して、俺達の先頭に仁王立ちした。その手には、赤い宝石が輝く杖が握られている。

 

 俺はただ呆然と佇み、やがて彼女のその行動の意味を悟った。

 

「え、アル? 一体何を」

「カール、アルデバランの背に隠れますよ! 早く!!」

「え、あ、ああ」

 

 あれは、まさか。この森の奥から感じる魔力の奔流は、もしかして。

 

 いやでもそれはおかしいぞ、幾らなんでも遠すぎる。

 

「何、どういうこと? 私には何も分かんないんだけど、何かヤバいの!?」

「魔力です! 森の奥から、凄まじい魔力が!!」

 

 俺は、その魔力の動きを知っていた。いや魔術師なら、きっと誰でも知っている。

 

 だが、本当にあり得るのか? この凄まじい魔力を感じるのは、森のその奥の奥、ここから10kmは離れた超遠距離だ。

 

 でも、この感じは。この、魔力の流れは……。

 

「じゃあ、何が起こるって言うの!?」

「この、魔力の動きは。まさしく長距離砲撃魔法────!!」

 

 

 

 そう。それは誰もが習う、基礎魔法。

 

 渦巻く魔力を纏め、膨れ上がらせて放出する。今のはまさしく、攻撃魔法の基本の流れ。

 

 だが通常の放出魔法の射程距離は、ほんの数メートルほどだ。上級魔法と言われる俺の精霊砲で、やっと数十メートルの射程となる。

 

 本当にあり得るのか? 町から数10㎞も離れた場所から、本当に長距離砲撃魔法なんて発動されうるのか────?

 

 

 

 

(えん)(えん)(えん)(えん)。我に集いし火の化身ども、その残酷なる裁きを下せ」

 

 一心不乱。アルデバランは額に汗を浮かべながら、俺達と仲間を背に詠唱を始めた。

 

「竜なる鉄槌、神なる断罪、灼熱業火の狂乱が世界に粛清の大火を与えん────」

 

 彼女を取り巻く精霊たちが、歌を歌い始める。俺が逆立ちしたって制御できないようなありえない密度の魔力が、アルデバラン周囲から湧き上がるように渦巻き始める。

 

「黄昏の女帝よ、その罪を贖え。暗黒の駄馬よ、その油に獄炎を灯し焼き果てよ!!」

 

 ああ、これがアルデバランの能力。

 

 全人類が丸ごと喧嘩を売っても勝てないような、アホみたいな魔力量。それをすべて薙ぎ合わせ、制御する魔術師としての力量。

 

 これが、魔炎の勇者────

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて森のその奥から、光が漏れる。

 

 ありえない程強大な魔力な塊が、レーザーの如く真っすぐ街へと撃ち放たれる。

 

 ああ、くだらない。こんなのと比べたら、俺の精霊砲は水鉄砲のようなものだ。

 

 なんて、狂った火力。なんと、恐ろしい破壊力。

 

 極光は森の何もかもを焼き払いながら、真っすぐ俺達のいるヨウィンへと直進して、

 

 

 

 

 

「オオオオオ、惨劇の幕よいざ開かれん! 焔神覇王(アルドブレイク)!!」

 

 

 

 

 

 赤き髪の少女が放った、爆炎の奔流に突き刺さった。

 

 

 

「これは、何なの? 夢でも見てるのかしら」

「私に聞かないでくださいまし、サクラさん」

 

 嗚呼。この感覚を覚えるのは二度目だ。

 

 どうしようもない、バカげた存在である勇者。どれだけ俺が頑張っても、決して届かない場所にいる『神の寵愛を受けた者』。

 

「ぐ、ぐ、ぐ。何というパワー、この私が押し返されそうだっ……!」

「アル、頑張って!!」

 

 敵の魔力砲撃が、まずおかしいのだ。数10㎞離れた先から撃てる砲撃って、何じゃそれは。

 

 そしてそのバカげた砲撃を、真っ正面から撃ち返しているアルデバランは何なのだ。どうして、個人でこの魔力砲と拮抗できているのだ。

 

「あ、ぐ、がぁぁあ!!」

 

 流石のアルデバランも苦し気である。当り前だ、こんな魔法と力比べして勝負になる方がおかしいのだ。

 

 しかし、アルデバランは勝つだろう。やがて、その極光は力を失い、細くなりつつあるからだ。

 

「あ、ぁ、ああああああ!」

 

 アルデバランも、絞るような声を出す。徐々に、彼女の杖先から出る魔炎が黒ずんでいく。

 

 やがて、二つの魔法は力を失って。全身汗だらけのアルデバランはその場で膝を突き、森の奥から発せられた魔法も静かに溶け消えた。

 

 

「はぁー、はぁーっ! ふ、防ぎぎったか?」

「大丈夫ですか、アルデバラン! 魔力ポーションです、早く補給を」

「ああ、助かるイノン」

 

 

 何とか、凌ぎきった。膝をついて仲間に支えられているアルデバランを見て、俺達の感想はそんな印象だった。

 

 おそらく敵は、魔術師だ。それも、アルデバランに匹敵するほどの凄まじい魔術師。

 

 ソイツは姿を見せず、俺達に遠距離戦を挑んできた。いや、厳密には『奇襲を察知すらされないまま、街を焼き払う』のが本来の作戦だったのかもしれない。

 

「……あ、魔力────」

「2発目だと!? まさか、もう向こうは撃てるのか!?」

 

 そして、再び森の奥深くから膨大な魔力が渦巻き始める。

 

 アルデバランはまだ回復しきっていないというのに、敵はもう第2射を準備しているらしい。

 

「ぐ、お前ら私の後ろに隠れろ! イリーネ、お前も精霊砲を奴に向けて撃ってくれ!」

「わ、分かりましたわ。ですが、私の魔法ではどれほど足しになるか」

「やらないよりマシだ! 正直、次は防ぎきれるか分からん!」

 

 アルデバランに促され、俺も作ったばかりの杖を握りしめる。くそったれ、俺のチャチな魔力でも足しにはなってくれ。

 

「どうするんだ、このままじゃジリ貧だぞ! 敵さんの方が魔力があったら、それで負けじゃねぇか!」

「押し返すしかあるまい! ポーションをありったけよこせ、私が魔力勝負で打ち勝って敵を焼き殺してやる!!」

「勝てるのか、大将!」

「勝つしかないんだ!!」

 

 バカみたいに膨れ上がる魔力の塊を前に、俺とアルデバランは深呼吸する。

 

 勝つしかない。そうだ、勝つしかないんだ。

 

「イリーネ、タイミングを合わせろよ!」

「え、ええ!」

 

 敵のあの、強大過ぎる砲撃を。今一度防ぎ、そして押し返すしか勝ち目はない。

 

 先ほどは、アルデバラン一人で討ちあって互角だった。なら俺が力を貸せば、押し返せるかもしれない。

 

 

 ……いや、本音ではわかっている。恐らく、そんなのは無理だ。

 

 マグナム銃同士の打ち合いに、水鉄砲を持って参加して何になるだろう。おそらく、気休めにしかならない筈だ。

 

 でも、それしか手段がない。あんな遠くにいる敵を攻撃する手段なんて、俺かアルデバランの遠距離砲撃魔法しか手段が────

 

 

 

 

 

「……いや、無理に勝とうとしなくていいわ。街に被害が出ないよう、魔力を節約しながら防ぎなさい」

「え、マイカ?」

 

 

 

 

 次の一撃に全てを賭ける。

 

 そんな感じに色々と覚悟を決めて詠唱を始めそうになったら、マイカがアルデバランと俺の頭をゴツンと叩いた。

 

「何をする、何を言う。敵の攻撃を押し返さない限りは、敵を倒す手段が────」

「あんたら、私達が此処にいるのを忘れてるでしょ。もうとっくに行ったわよ、アイツ」

 

 

 そんな呆れ声と共に、マイカは戦場の間にポッカリ空いた線状の更地を指指した。

 

 それにつられて、俺とアルデバランはマイカの指さした方角を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 土煙が、駆けていく。

 

 森の奥と、俺達の間を結ぶ砲撃魔法の痕跡。その醜く抉れ上がった『かつて森だった』大地に土埃が舞い上がる。

 

 

「……」

 

 

 ソイツは、走っていた。おそらくは、アルデバランと敵が撃ちあっている最中から。

 

 ────歴代最強の攻撃力を秘めた勇者、カール。

 

 近づくことさえできればどんな敵にも負けない男は、既に敵の魔導士目掛けて遮二無二疾走していた。

 

 



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39話「ヨウィン決戦」

 俺の人生では二度目の、本格的な魔族との決戦。

 

 しかしその襲撃の手段は、俺の想像していたものとは違った。

 

 俺は魔族どもが大挙として押し寄せてきて、街で破壊の限りを尽くすものだと思っていた。

 

「そうよね。ソレが出来るなら、遠距離から魔法ぶっ放した方が安全で手っ取り早いわよね」

「……想定外」

 

 当たり前のことだ。わざわざ敵は、俺達の想定通りに動いてくれない。

 

 この街に攻めてきたのは以前戦った四足類人猿の魔物ではなく、全く別の敵。おそらく、魔導師。

 

 あの予知夢で見たとおり、敵は人型をしているのだろうか。それともあれは、やはりアルデバランが操られた姿なのだろうか。

 

「……偽勇者が砲撃地点に向かっているなら、任せよう。我々は、ここで街への被害を防ぐぞ」

「了解ですわ」

 

 カールの判断は早かった。砲撃がまだ続いているだろう時から、既に敵目掛けて走り始めていたそうだ。

 

 俺がアルデバランと協力し街の被害を防いでいる間に、カールが敵を討てれば勝ち。

 

 この戦いの全ては、奴の剣に委ねられた。

 

「キチョウとイリ……、ウサギちゃん戦士も防御魔法を張っておいてくれ。イノン達は、周囲を警戒して奇襲に備えろ」

「ま、任せてアル!」

「分かりました、リーダー!」

 

 向こうのパーティーの魔法職二人が、俺達の背後に来た。バックアップしてくれるらしい。

 

「イリーネ、私達で敵の魔力砲を弾くぞ。街から逸らすようにして、敢えて斜めに撃つんだ」

「ええ」

 

 アルデバランに促され、俺は自身の頼りない魔力で小さな渦を練り上げた。

 

 勇者や魔族に比べたら、俺の魔法なんて小石のようなものだ。だが小石でも、当て方次第では────

 

「2射目、来るよ!」

「応とも」

 

 きっと、何かの役に立つ。そう信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凄まじい爆炎が、白髪少女の鼻孔に煤を香らせた。

 

 

「……おいおい。これが、勇者の力だとでも言うのかい? 何とも非常識な」

 

 

 ユウリは、目の前で繰り広げられる人外どもの狂乱に、常識という壁を打ち壊されていた。

 

 何もかもが、規格外。これが勇者という存在か。

 

 人類最強の魔法たるイリーネの『精霊砲』ですら、魔法学者をして『あり得ない』威力だ。

 

 というのに、その精霊砲ですら霞むほどの極光が力を競っているのは悪夢としか言いようがない。闘いが始まったら予知魔法を使うという使命も忘れ、ユウリは呆然とその場に突っ立っていた。

 

「ユウリ。今、予知魔法使える?」

「あ、ああ。やろうか」

 

 マイカに促され、ようやくユウリは我に返った。

 

 既に戦いは始まっている、ユウリは先の展開を予測してイリーネに伝えねばならない。

 

 少女は何とか心を静め、自身のか細い魔力で未来を予知しようと前を向き、

 

「……て、マイカ上!! 何か降ってくるよ!?」

「あら」

 

 高速で飛来してくる、無数の物体に気が付いた。

 

 先程の砲撃の、余波だろう。空高く舞い上がった木々の残骸が、魔法を準備しているユウリへと降り注いだ。

 

「レヴ!!」

「……がってん」

 

 思わずユウリは魔法を中断し、頭を手で覆って蹲った。しかし、木の残骸が彼女に降り注ぐ事はなかった。

 

 見上げれば、カール一行の二人がユウリを守って木を弾き飛ばしていたからだ。

 

「……あ、ありがとう。助かったよ」

「守ったげるから安心して魔法を使いなさい、こう見えてそこそこ修羅場潜ってんのよ私達」

「ああ」

 

 存外に機敏な動きだ。彼女達が周囲を固めてくれれば、きっと安心だ。

 

 非力そうなマイカに、小柄なレヴ。その二人が弓と拳を構え守るその奥で、ユウリは静かに予知魔法を詠唱した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────見えたのは、廃墟。

 

 

 ────一面に広がる、無人の石櫟。

 

 

 ────大地に転がる、黒色の人形。

 

 

 

 燃え盛る家は朽ちて、一面に死が広がり。広がる滅びた街並みに、蠢くものはない。

 

 ただ、ただ残酷な光景が広がる。全てが終わった世界で、静止した時間が流れ続ける。

 

 ユウリはその景色の中に、ヨウィンの象徴である『リッセル古代図書館』の残骸があると気がついた。

 

 すなわち。この終わった『世界』は、明日のヨウィンの姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 へたり、とユウリは尻を着いた。

 

 それが、この街の結末だった。

 

「ユウリ?」

「嗚呼」

 

 届いていない。

 

 昨夜にイリーネが見たという悪夢。炎に覆われて壊滅する、ヨウィンの運命。

 

 勇者カールがこの街に残った程度では、その未来は覆せていない。

 

 このまま、指を咥えて戦いの行き先を見守った先には、地獄しかない。

 

「駄目みたいだ。……このままでは、街は」

「あーそうなのね。そんな気はしてたわよ」

「そんな気はしてた、って……」

 

 マイカはそう言うと、髪を括りあげて前の方へ振り返った。

 

「予知をイリーネに伝えてくるわ」

「イリーネに?」

「だって。あの娘しか未来を変えられないんでしょ?」

「あ、ああ。その通りだ」

「ならイリーネに、魔力をこれ以上使わせないようにしないと」

 

 マイカに出来ることなど少ない。

 

 彼女に出来ることはせいぜい、安全圏で冷静にモノを判断することだけ。

 

「……イリーネ、もう2射目に備えて詠唱し始めてる」

「あらら。よし、急ぐわよ」

 

 マイカはイリーネに向かって駆け出した。

 

 アルデバランとは異なり、あくまで『人間としての範疇の』魔力しか持たない彼女(イリーネ)の為に。

 

 

「未来を変えられるのは、精霊が関与した時だけ」

 

 その言葉の意味を、ユウリから又聞きしただけのマイカが誰よりも理解していた。

 

 1を聞き10を知るその利発さこそが、勇者カールの最初の仲間マイカの武器である。

 

「それってつまりは────」

 

 精霊のみが、未来は変えられる。その言葉の意味は、

 

「イリーネが『精霊魔法』を使う以外に、未来を変える術がない」

 

 だからイリーネに、魔法を無駄撃ちさせる訳にはいかない。

 

 彼女は以前、1日に撃てる『精霊砲』は2発までと言っていた。つまり、未来を変えるためのチャンスは後2回。

 

 今、あの生真面目で少し変わった性格のお嬢様だけが、この場の全てを救える人間なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てな訳で、あんた一人で頑張りなさいよアルデバラン。未来を打ち破るのは、私達でやるから」

「ちょっと待てぇ!! 次の砲撃は防げるか分からないんだが、本当に」

「死ぬ気で防げ。元々はあんた一人で対応するつもりだったんでしょうが」

 

 精霊砲の詠唱を行っていた最中、俺はマイカに口を塞がれた。

 

 聞けばどうやら、ユウリの見た未来が『破滅』だったそうで。だから俺に、精霊砲を無駄打ちするなと止めに来たらしい。

 

「イリーネ、精霊砲の射程ってどのくらい? 向こうの砲撃地点に届く?」

「絶対届きませんわ。杖で強化された分を加味しても、おそらく敵までの距離の半分にも届かない」

「となると敵に近付くか、敵にぶち当てる以外の選択肢を探すか、ね」

「おい、もうすぐ2射目来るぞ! ああもう、(えん)(えん)(えん)(えん)。我に集いし────」

 

 マイカが話しかけてくる隣でアルデバランがギャアギャア叫んでいる。

 

 すまん、アルデバラン。正直、俺の雀の涙みたいな火力であの砲撃を迎撃しても、気休めにしかならなそうだ。

 

 だったら未来を変えられそうなタイミングまで、出し惜しみさせてもらいたい。

 

「と言ってもどうするんですか? あんな遠くにいる敵、いくら姉様の精霊砲でも届かない。リーダーと一緒に魔法を迎撃するくらいしか、活用法がないのでは?」

「そんなことないわよ。と言うかわざわざ魔法ぶつけ合わなくても、もっと楽に敵の攻撃を防ぐ手段があるかもしれないし」

「えっ?」

 

 マイカはそう言うと、ウサギ達に向けて遠くアルデバランより先の地面を指さした。

 

「アルデバランの後ろで防壁張るんじゃなくて、アルデバランよりずっと先にある地面を隆起させなさい。それも、なるべく多くの土を」

「え、はあ。つまり、撃たれる前に土の障壁を準備させておくのですね?」

「そう言う事」

 

 む、砲撃の合間に土で防壁を築くのか。でも、それって大丈夫なのか?

 

「2射目来てるぞぉぉ!! 惨劇の幕よいざ開かれん! 焔神覇王(アルドブレイク)!!」

「頑張りなさい、アルデバラン。私達のリーダーが敵を切り滅ぼすまで」

「手伝えぇぇぇ!! あ、ちょ、ヤバいって!」

 

 しれっとした表情で、アルデバランに無茶振りするマイカ。

 

 直後、再び極光が俺達に向かって迫り、アルデバランの猛炎に防がれる。

 

「ぐぎ、ぐぎぎぎぎ……」

「うん、やっぱりね。貴方達は、今回の砲撃が終わった直後から土をせり上げて頂戴。出来るだけ長い距離に、魔力の防波堤を作るわ」

「何がやっぱりなのだ! 手伝、え、オオオオ!?」

「アルー!?」

 

 再び、アルデバランが死に物狂いで敵の砲撃を押さえている。

 

 レーザーの如く凶悪な密度を持った魔力の奔流だ、もしアルデバランが撃ち負けてしまえば町は消滅してしまうだろう。

 

「がぁ、が、ぐ。あぁぁ……」

「お、よく頑張ったじゃないアルデバラン」

 

 しかし、そのレーザーもやがて細まり終息する。アルデバランは何だかんだといいながら、見事一人で2射目を防ぎきった様だ。

 

「カールも大体半分の距離まで到達してるわね、これ間に合うんじゃないかしら」

「し、死ぬ……」

 

 ぜぇぜぇと、死にそうな形相で倒れ込むアルデバラン。

 

 しかしその成果として、彼女は再び街を敵の砲撃から守りぬいた。

 

「もう無理、だ……。今ので、正真正銘、すっからかんだ」

「あいあい、今よみんな! イリーネ、サクラ、貴女達も土魔法唱えて! 特にイリーネは、土の精霊とかにお願いして超固い防壁にしてもらいなさい」

「え、ええ。分かったわぁ」

「いえ。マイカさん、それで本当に大丈夫なんですの?」

「大丈夫、大丈夫」

 

 有無を言わせぬマイカの指示で、サクラや向こうのウサギ怪人が大地をせり上げ始める。

 

 先ほどの砲撃で抉れた地面が、逆に競りあがって小さな山を形成していく。

 

 しかしこの防御手段は……、どうなんだ?

 

「イリーネ、どうしたの? 貴女も……」

「いえ。マイカさん、正直なところその作戦はあまり有効とは思えませんわ」

 

 せっせと土の防壁を形成し始めているところ申し訳ないが、この手はおそらく愚策だ。他の作戦を考えねばならない。

 

 何故なら、

 

「敵が魔法を今まで通りの軌道で撃ってくれれば有効ですが、砲撃の軌道を変えられれば無意味になりますわ。例えば、振り下ろし系統の術式に変更したり」

「確かに、それはそうね」

 

 そう、いくら俺達が堅牢な防壁を築き上げたとしても無意味なのだ。

 

 平民であるマイカは知らないかもしれないが、魔導師は魔法の射出地点を結構自由に設定できる。自分より遥か上空に設定して、空から魔法が降り注ぐように術式を変えることも可能。そうなれば、レーザーが築き上げた防壁の上を素通りして街を焼かれてしまうだけ。

 

 射出地点が自分から離れれば離れるほど制御が難しくなるので普通はやらないが、今回の敵みたいな超上級の魔術師ならやってきてもおかしくない。

 

 

 

「だったら……」

「でも、それは無いわ」

 

 マイカは自信満々に、そんな俺の心配を切って捨てた。

 

「私、眼には自信があるのよ」

「眼、ですの?」

「そう。これでも狩人やってたからね、どんな距離でも獲物は絶対に見失わない程度に目は良いの」

 

 彼女は、ジィっと敵を睨んだ。

 

 数10㎞先の敵の姿など、俺にはとても視認できないが……。彼女には、視認できている、のか?

 

 

「あれは多分魔力砲台、よ。敵はいちいち魔法を詠唱してるんじゃない、兵器か何かを使って攻撃してるわね」

「兵器ですって?」

「そ、おそらく古代兵器とかじゃないかしら。この街の成り立ち自体が、魔力溢れる地殻を調査するために人々が集ったからでしょ。そして、その豊富な魔力を兵器利用しようと画策した人間も数多くいた訳で。きっと、そのうちの誰かの作品でしょうね」

 

 マイカに解説され、ハッと気付く。そうか、それがあの馬鹿げた威力の魔法攻撃の正体か。

 

 おかしいと思ったのだ。本来であれば、勇者はその辺の魔族なんか相手にならないほどのチートを得ている筈だ。

 

 その勇者たるアルデバランが、同じ魔法という土俵で戦って押し負ける訳がない。

 

 敵は個人の魔導師ではない。戦略兵器を操って戦っている、軍隊だ。

 

「敵の攻撃の威力はすさまじいわ。逆に言えば、あれだけの威力の攻撃を反動なしで撃てるとは考えにくい」

「それは、つまり……?」

「あの砲台が、固定されている可能性が高いって事。少なくとも、発射地点は気軽には動かせないはずよ」

 

 そうか、そういうことか。だったら、前もって砲撃される場所に防壁を張るのはこの上なく合理的だ。 

 

「成程、固定砲台か。ただの魔導士に私が打ち負けるなぞ、おかしいと思ったのだ!」

「でも、敵の魔法は大地を抉りながら迫ってくるんだぜ? 土を迫り上げたくらいで、どれだけ意味がある?」

「そこはイリーネの交渉しだいでしょ。土の精霊とやらに、気合いいれろと言う他無いわ」

 

 ただの防壁では駄目。土の精霊に協力して貰って、なるべく堅牢な防壁を形成しなければならない。

 

 ……それが、俺の役目か。確かに、土の精霊に介入して貰わないと未来は変えられんからな。

 

「それに、攻撃を防ぐ必要はないの。街から逸らせたら十分だわ」

「そうだ、その通りだ」

「周囲に被害が出ないようにするには、空の方向に向けて軌道を逸らすのがベスト。その為に、下から突き上げてやらないと」

 

 これが、マイカという女か。

 

 彼女は、何処にでもいる平凡な少女だ。

 

 特別な魔法が使える訳でも、特別な技術を持っているわけでもない。

 

「イリーネが土魔法を介して強化した、対魔法防壁。それはきっと、現状で未来を変えるに足る最善の一手だと信じるわ」

 

 ただ、彼女は視野が広い。

 

 そして、一番妥当であろうという判断を土壇場でも下せる冷静さを持つ。

 

 カールが、マイカを最初に仲間に誘った意味が分かった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「土の巨壁! ぜぇ、ぜぇ」

「これで、何とかなったでしょうか」

 

 俺達は、完全にダウンしたアルデバランに代わりせっせと陣地構築に勤しんだ。

 

 何重にも土の壁を張り、逐一精霊に頭を下げて、なるべく頑丈な障壁へと仕上げていった。

 

「敵の奴、なかなか3射目を撃ってこないな」

「流石に、向こうも魔力に余裕がないのでしょう」

 

 ほぼ連発に近い速度で撃ってきた2射目とは違い、何故か3射目はなかなか発射されなかった。

 

 時間が空いてくれるのは助かる。今のうちに、少しでも多くの障壁を仕上げないと。

 

「……ふむ。これが精霊魔法……」

「アルデバランさん、どうされましたか?」

「いや、見事なものだと思ってな。普通の障壁とは明らかに強度が違う、確かにこれならば防げるやもしれん」

 

 アルデバランは俺が仕上げた障壁を見て、何やら納得した表情で頷いた。

 

 よく分からないが、誉められているようだ。ちょっと土の精霊さんにお願いしただけなんだがな。

 

「ユウリさん、そろそろいけますか?」

「ああ、だいぶ魔力が戻ってきた。もう少しで予知が出来るだろう」

 

 後は、どうなるか。

 

 アルデバランの魔力は、もう殆ど残っていない。次は、彼女の手は借りられない。

 

 俺達が生き残るためには、この土の障壁作戦が成功するか否かに全てがかかっている。

 

「む、来たな。3射目だ」

「大分時間がかかってましたわね。きっと、向こうもギリギリなのですわ」

 

 やがて、先程と同じ様に魔力の渦が巻き起こる。

 

 残った魔力を振り絞り、念のために俺は精霊砲を構えておく。

 

「さて、来るなら来い────」

 

 アルデバランも、よろめきながら立ち上がり。俺達の作り上げた土の長城の最後列で、敵の一撃を待つ。

 

 まもなく、カールは向こうに到着するだろう。つまりこれが正真正銘、最後の1発。

 

 防ぎきって、見せる。

 

 

 

 

 

 そして、森が裂けた。

 

 

 

「あん?」

「えっ?」

 

 まだ、魔力が渦巻いている段階だ。敵の攻撃は、始まってすらいない。

 

 だというのに、森は裂けて大地が割れた。

 

「……え、何? 何が起こってるの、イリーネ」

「あ……」

 

 魔力を持たないマイカには、状況が理解できないらしい。

 

 そりゃそうだ、魔力を感じられる俺ですら理解できないのだ。

 

 ああ、くそったれ。道理で、3射目は妙に時間がかかった訳だ。

 

 

「……これ。さっきの砲撃の、何倍の魔力かしらぁ?」

「分からん。分からんとしか、言えん……」

 

 敵の先程の砲撃は、まだ全力ではなかったらしい。

 

 まだまだ、敵の魔法には上があった。

 

 先程、アルデバランが息も絶え絶えになりながら相殺した魔力砲。その数倍はありそうな巨大な魔力球が、遥か先の敵の砲撃地点に形成されていく。

 

「……何よ、あれ」

「私に聞くな」

 

 あれが、こちらに向かって放たれたらどうなるだろう。

 

 俺達の魔力が全快であったとして、果たして防げるのだろうか。

 

 渦巻く莫大な魔力、大自然の土からすら感じる脅威。それは、魔術に見識のある人間の心をへし折る光景だった。

 

「はぁ。そうか、私達の負けか」

「ちょっと! まだ、諦めないで────」

「きっとあの魔力砲を、森に設置された時点で負けていたのだろう。我々は前もって敵を捕捉し、攻撃される前に叩かねば勝てなかった」

 

 アルデバランの顔から、生気が無くなった。

 

 その目、その顔にははっきり諦念が浮かんでいた。

 

「……ああ、私は誤った」

 

 そう言うと、アルデバランはしゃがみこんで動かなくなった。

 

 おい、おい、おい。ちょっと待て、お前勇者だろーが。

 

 気持ちは分かるが、そんな簡単に諦めちゃいかんだろ。勇者なら勇者らしく、最後の一瞬まで足掻いてみせろ。

 

「……これは確かに、無理かもねぇ」

「ごめん……、アル、ごめんなさい」

「どうせ助からないならいっその事────っ!!」

「2号ォ!! それ次やったら一生許さないって言いましたよね!!」

 

 俺の後ろに控えていたメンバーも、絶望に支配される。ウサギに至っては、同士討ちを始める始末だ。

 

 俺は、死ぬのか? こんな場所で、魔族にあっけなくやられて、殺されるのか!?

 

「……いや。私は、まだ諦めませんわよ! どんな魔法が飛んでこようと、私の精霊砲で弾き返して差し上げますわ!」

「む、力を貸す……。イリーネ、死ぬ時は一緒」

「まったく、これだから修羅場慣れしてない連中は! まだ何か出来ることあるかもしんないでしょ!」

 

 まだ元気があるのは、カールパーティーの初期メンバー2人。何だかんだで、修羅場の時に一番頼りになるのはこの二人かもしれない。

 

「イリーネ、思いっきり地面深くまで精霊砲で穴開けられない? 土の中に逃げ込めばあるいは」

「生き埋めになるだけですわ! そもそも、あの砲撃の近くにいるだけで蒸発しますわよ!」

「……一応、魔法に斬りかかってみる。多分意味ない、けど……」

 

 まだ戦意喪失していない3人で、あれこれと知恵をひねり出す。

 

 くそ、俺はどうすれば良い? どうすれば助かる?

 

「アル、死ぬときは一緒です」

「ごめん、ごめんよアル……」

「くそ、まだ死にたくねぇ」

 

 マイカもレヴも、妙案が浮かぶ様子はない。その絶体絶命の窮地の中で、俺はすがるように正面を見据え。

 

 再び、俺はあの少女に抱きしめられた。

 

「はいはい、落ち着きなさいな」

「わぷっ……。あれ、サクラさん?」

「そうよぉ?」

 

 まだ諦めまいとあがこうとしている中、サクラはその莫大な魔力に背を向けて、俺を正面から抱き締めた。

 

「落ち着いて、深呼吸しなさい。魔術師ならわかるでしょ、アレを何とかするのは無理」

「でもサクラさん! どうにかしないと、私達────」

「どうにかできないものを、どうにかしようとするんじゃない。どうにもならなくても、助かる術を探しなさい」

 

 そう言うとサクラは、静かに詠唱して俺達の前に土の障壁を作った。

 

 サクラのその目には、諦念の中に強い決意の灯が宿っていた。

 

「そんな事言ったって、もう手段が……」

「聞いて、イリーネ。テンドーの家に伝わりし、蘇生魔法があるの。それを遅延発動してみるわ」

「蘇生、魔法……?」

「術者の命と引き換えに、誰か一人の命が助けられる魔法よ。まぁ、上手くいくかどうかわかんないけど」

 

 蘇生魔法。それは、ありとあらゆる回復魔術の頂点に位置する、まさに奇跡の魔法。

 

「蘇生魔法!? そんなの、この世に存在するの!?」

「正直、眉唾なんだけどね。ウチの古い魔術書の『禁呪』として記されていたわ」

「いや、蘇生魔法なんてものが実在するなら世界はひっくり返る訳だが」

 

 そんなありえない魔法を、サクラは使用できるというらしい。

 

「厳密には、超速度の治癒魔法らしいけど。死ぬ前から発動させておかないと駄目で、その魔法の効果の間は致命傷を受けても一度だけ生き返れるのだとか」

「……ああ、そういう系統の治癒魔法か。それならば、古代魔法の文献に存在しているな」

「戦場で、後衛が前衛の指揮官を守るために使用していた魔法だそうよ。これをうまく使えば、一人くらい生き残れるんじゃない?」

 

 サクラはそう言うと、俺の肩を抱きながら。

 

 その耳元で、泣くようにか細く、静かに囁いた。

 

「どうか、動かないでイリーネ。貴女だけは、生き残らせて見せるから」

 

 ……。

 

「サク、ラ?」

「蘇生魔法を使えるのは私。だから、誰を生き残らせたいか私が選んでいいわよね」

「え、いや。どうして、私を────」

「友達だからに決まってんでしょ。身内のマスターはここにいないし、助けるとすれば貴女以外ありえない」

 

 茶髪の貴族令嬢は、何かを悟ったように。

 

 自らの髪を解いて、そのリボンを俺の頭に巻き付けた。

 

「私の遺品よ。母様から誕生日に送られたリボン、大切にしてね」

「あ、いや、サクラさん!?」

「マイカにレヴもごめんね。1人しか選べないのよ、この魔法」

「……言いたいことは色々あるけど。本当に、アレを防ぐ手立てはないのね?」

「絶対無いわ。多分、この世のどんな魔導士でも防ぎようがないと思う」

 

 そんな、どうして。

 

 それじゃ、俺だけが生き残ることになる。ここにいる仲間たちや、後ろにいる街の人々や、目の前で泣いているサクラも、みんな居なくなって。

 

 俺一人だけ、生きながらえてしまう。

 

「ほ、他に手立てはないのですか!? サクラさん、その魔法を貴女自身に使ったり────」

「術者が死ぬ魔法を術者に使ってどうすんのよ。……馬鹿ね、貴方は黙って受け取ればいいの」

「ですが、何故私────」

「一度、私を助けてくれたでしょ? いま、それを返すだけ」

 

 助け、た? 俺がサクラを?

 

 そんな事があったか? 俺は彼女と接していたのは、猿の仮面を被っていた時だけで……。

 

「魔力の渦が収束してきた。きっと、もうすぐ全てが終わるわ」

「サクラ、さん……」

「さようなら、イリーネ」

 

 そう言って儚く笑うサクラ。その眼から、一筋の涙がこぼれる。

 

 これが、この戦いの結末か?

 

 この無様な結果が、街に断固として残るように叫んだ俺の行動の末路か?

 

 これなら女神様の言う通り、街を離れた方がよかったのではないか!?

 

「私の、せいでみんなが────」

「貴女のせいなんかじゃないわよ、イリーネ」

 

 これでは、俺がみんなを殺したようなものだ。俺が、何もかも悪いのだ。

 

 なのに、俺一人が生き残っていいのか?

 

 本当に、他に出来る事はないのか……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「諦めるにはまだ早い!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 野太い男の声がする。

 

 雄たけびを上げながら、この深く悲しい絶望の中に、乱入者が割り込んできた。

 

「え、誰!?」

「何奴!?」

 

 一体誰だというのだ。この、どうしようもない状況下で。

 

 まだ、何かを変えられると自信満々に割り込んできた男は────

 

 

 

「ふっ。この私はヨウィンの黒き雷光……」

「……あ」

 

 黒いタキシードに、怪しい髭。

 

 真っ赤な大きい蝶ネクタイと、鳩でも出てきそうなシルクハット。

 

「ある時は少女に侮蔑されて興奮し、ある時は娘に肘鉄を食らい絶頂する、街一番の被虐紳士!!」

 

 

 ……。ああ、えっと、その。

 

 貴方は一体、何をしにここへ?

 

 

「宴会芸博士、ユウマ☆見参!! 喝采せよ、皆の衆!!」

 

 それはユウリの父親にして、セクハラと宴会芸の達人たる学会一の奇人。

 

 

 

 

 ぷすぅーーーー、と。

 

 その男の登場と共に、間抜けな放屁音が森の木々に木霊した。

 

 今までさめざめと恐怖で泣いていた(ユウリ)は、父の登場と共に目から光を失った。

 

 



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40話「笑顔の魔術師」

「ふーはっはっはっは!! 我が傀儡どもの織り成す至高の旋律、御堪能あれ!」

 

 中年の男は、底抜けに明るく。

 

「ディ・モールトォ! 今日の私の傀儡使いはまさに天下無双。人形たちよ、今こそ唄え────」

「えっと、あの。ちょっと止めてもらって良いですかソレ」

 

 周囲の空気を何も読めていないまま。意気揚々と絶望の最中に殴り込んできて、だだ滑りしながら芸を披露し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいユウリ、何とかしなさいよアレ。貴女の親でしょう?」

「……。すまない、ちょっとボクは今いっぱいいっぱいで。父の奇行を受け止めるだけの余裕がない」

「はい、もっとフォルティッシモ(うるわしく)!! LaLa~」

「何なんだ、コイツ」

 

 非現実的な魔力の暴威を前にして、狂ったように叫び声を上げ続ける中年男性。

 

 ああ、かわいそうに。きっとユウマ氏は、あまりの恐怖で頭がおかしくなってしまったのだろう。

 

 だから、こんな意味のわからない事をしているに違いない。

 

「ユウリ、貴女の父は普段からこんな感じなのか?」

「まさしく平常運転だ」

 

 そうか、これで正常なのか。

 

「あの……、えっと。もうちょっとしたら3射目が来るので、そろそろ座ってくれないかしらイリーネ」

「……あ、いいえサクラ。私一人が生き残る訳にはいきませんわ」

「馬鹿言ってないで、1人でも生き残る手段を────」

「弾けるリズムに、乗るバイプス。踊るアホゥに見るアホゥ!!」

「ちょっと、静かにしてもらって良いかしら。友との一生の別れだっていうのに、集中出来ないんだけどぉ!?」

 

 サクラが命懸けで俺を助けてくれようとしている後ろで、陽気に歌って踊りだすオッサン。空気が台無しである。

 

 本当に、どうしてくれようコイツ。

 

「父よ、やめたまえ。以前から貴方は空気を読まぬ男だったが、此度は度が過ぎている」

「何を言う、ユウリ。今この時をおいて、我が芸を披露するに足る場面はあるまい」

「どこがさ。父よ、いい加減にしたまえ! 流石のボクも、死ぬ直前に身内と縁切りしたくは────」

「アラララララーイ!!」

 

 娘からマジの説教が入るも、ユウマは気にした素振りを見せない。

 

 ああ、狂人。きっと彼は、とっくに頭がおかしくなっていたのだ。

 

 素面でこんな真似が出来るものか。

 

 

「では、前座はここまでだ。いよいよ本番のメインディッシュ。我が必殺の大合奏をお見せしよう!」

 

 

 その狂った絶叫と共に、ユウマは周囲に紙吹雪を振り撒いた。

 

 見ればそれは、彼やこの街の学者が記しあげた論文。そしてその全てが、ネタ魔法について記述された論文である。

 

「さあさ、皆様どうぞ手に取り給え! リクエストがあればお応えしよう! 人を笑顔にする魔法の真髄をご覧にいれて差し上げよう!」

「……本当に、これは正常なの?」

「分からない……。ボクには、父が何を考えているか分からない……」

 

 

 

 その無造作に撒き散らされた論文の中。

 

 俺は、その踊り狂う底抜けに明るい魔術師が……。

 

 

 

「よほほほほーい!」

 

 

 

 今にも、泣き出しそうであることに気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、10年以上も前の事である。

 

 

 

「ああ、クウリ。そんな、嘘だ」

 

 妻の勤める研究所の、大火災事故。

 

 その知らせを聞いたユウマが、我先にと事故現場へ駆けていったのは。

 

「ああ、クウリ。ああ、ユウリ。二人は無事なのか?」

 

 幼い娘は、妻の職場の託児所で面倒を見てもらっている。その職場が焼け落ちたのだ、二人とも死んでしまっている可能性が高かった。

 

 ユウマが到着したその火災現場では、既に火は鎮火されており。哀れな被害者達が、その名を検分されている折であった。

 

「あ、ああ! クウリ、そんな!!」

 

 書き出されたその被害者達の名の中に、ユウマは妻の名が有ることに気がついた。

 

 何かに覆い被さるように焼け焦げたその死体は、妻が身に付けている筈のユウマとの結婚指輪を身に付けていた。

 

 この醜い炭の塊こそ、自らの愛した妻だった。

 

「ああ、ああああっ!! 嘘だ、クウリ、そんな、アあっ!!」

 

 助からなかった。死んでしまった。

 

 自分がくだらない芸を研究している間、妻は火災で無残に焼け死んでしまった。

 

 生涯を添い遂げると誓った相手を失い、ユウマは自暴自棄に陥りかけて────

 

 

 

 

「……すぅ、すぅ」

「アッ……」

 

 

 

 焼け焦げた彼女の覆い被さった先に、小さな命が寝息を立てていることに気が付いた。

 

 熱かったろうに、苦しかったろうに。ユウマの妻であるクウリは、自らの娘を鎮火されるその瞬間まで自ら盾となって守り抜いていた。

 

「クウリ……、守ってくれたのか」

「すぅ、すぅ」

「すまん、すまん……」

 

 まだ3つ。ユウマは何も分からぬだろう幼き子を抱き抱え、ユウマは妻の遺体に突っ伏して泣き伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 念のためユウリを病院に連れて行き、その後に妻の亡骸を棺桶へと優しく仕舞い、ユウマはこれからの事を想った。

 

「どうしようか」

 

 思い出すのは、楽しかった妻との日々。

 

 悩まれるのは、これからの生活。

 

「これからは、私一人でユウリを養っていかねばならん。仕事の時間も減らす必要があるだろう」

 

 妻を失ったショックと、将来への不安。その重圧が、1人の男に重くのしかかる。

 

 ユウマは、すっかり広くなってしまった自らの家の居間で、延々と悩み続けた。

 

「まずは、妻を弔ってやらねば。そして、割りの良い仕事を探し出して稼ぎ、少しでも家庭の時間を増やそう」

 

 ユウマはショックから立ち直っていない頭でぼんやりと、そんな事を考えていた。

 

 愛娘であるユウリはまだ幼い。まだまだ、親の愛が必要な時期だ。

 

 親が死んだことも理解できないであろう年齢の娘を想い、ユウマは再びさめざめと泣いた。

 

 

 

 

「……」

「おお、ユウリ。目覚めたかね」

 

 翌日、娘は病室でぼんやりと目を覚ました。

 

 病院は火災の重傷者でごった返し、軽い火傷で済んだ彼女は目覚めればすぐに退院となる筈だった。

 

「おはようユウリ、よく眠れたかい?」

「……」

「ユウリ?」

 

 しかし、ユウマは異変に気付く。

 

 ユウリが、何を言ってもうんともすんとも反応しないのだ。

 

「おうい、医者を呼んでくれ。娘の様子がおかしいんだ」

「はあ」

 

 顔を覗き込んでも、目が合わない。

 

 手を差し出しても、反応しない。

 

 どれだけ語り掛けても、ユウリはただ無表情に虚空を見つめるだけだった。

 

 その様子を心配したユウマは、医者の診察を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

「……」

「どうやら娘さんは、心を失っています」

 

 ユウリに残った火災事故の後遺症は、ユウマが想像していた以上に重たかった。

 

「おそらく、娘さんには意識が有ったんです。自らの母親が焼き殺されていく最中、しっかりとその様を見届けてしまった」

「それは、どういう事なのだ」

「まだ幼児たる彼女にとって、親の存在は世界の全てです。それが目の前で残酷に失われてしまい、この娘は自らの幼き心を守るため、感情をブロックした」

 

 何をしても、何を言っても、ユウリはピクリとも動かない。

 

 やがて食事すらとらなくなったので、ユウリは病院のベッドで管から強制的に栄養を流し込まれて生きていた。

 

「更に、火災現場は酸素が薄い。そんな状況下で脳にダメージを負ってしまえば、快復は難しい」

「おい、では、娘は」

「低酸素による、心神喪失症。おそらく、完治は難しいでしょう」

 

 今まで蝶よ花よと育ててきた、天真爛漫なユウマの娘は。

 

「ありていに言えば娘さんは、植物のような存在になってしまわれました」

 

 

 ────心を失っていた。

 

 

 

 

 

 ユウマは慟哭した。

 

 物言わぬ心無き空器となった娘を抱きしめ、何もする気が起きずに泣き続けた。

 

「お願いだ、ユウリ」

 

 幼女の髪は乱れ、腕は細り、眼は落ちくぼむ。

 

 しかし、彼女は一切の動きを見せない。

 

「答えてくれ、動いてくれ、話してくれ」

 

 毎日のように病院に通い、人形のような娘を前にして、父親は語り掛け続けた。

 

 いつか、以前のように。妻と娘と共にでかけたピクニックで見せた、あの花の咲いたような笑顔が見れると信じて。

 

「もう一度だけでいい」

 

 ユウマは、娘の身体に突っ伏して懇願した。

 

 自らも食事をとるのを忘れ、やせ細りながらもユウマは慟哭をやめなかった。

 

「笑ってくれ、ユウリ────」

 

 その、届かない祈りを娘に捧げながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日、ユウマは夢を見た。

 

 亡くなった妻と、活発に笑う娘。

 

 その二人と共に、娘の誕生日を祝う夢だった。

 

 

『ユウリ。4歳の誕生日をおめでとう』

『ユウリはクマさんが好きだったね』

『パパ、ママ!! これ、貰っていいの!?』

 

 大きなクマのぬいぐるみを前に、はしゃぐユウリ。

 

 喜んでくれてよかったと、胸をなでおろす妻。

 

『あまりお菓子を食べ過ぎないようにな。今夜は、ご馳走を用意しているぞ』

『ケーキは、明日まで持つからね』

 

 幸せな光景だった。

 

 それは火災さえなければユウマが今も手にしていた筈だった、大切な家族との時間だった。

 

『ああ』

『あら、ユウマさん。何を泣いているのです』

 

 夢の中でも、ユウマは泣いた。

 

 優しく聡明だった妻に支えられて、おいおいと泣き始めた。

 

『何故だか分からないが、涙が止まらないんだクウリ』

『いきなりどうしたのです』

『あの子の笑顔を見ていると、胸が締め付けられる』

 

 眠っているユウマには、この光景が夢だと分からない。

 

 ただ妻が生きていて、娘が笑っているこの世界が、どうしようもなく愛おしかった。

 

『祝いの席に涙は不吉ですよ。ほら、貴方も笑ってくださいな』

『ああ、すまんなクウリ。もう大丈夫だ』

 

 それは、ほんの一時の安らぎ。

 

 現実逃避ではあるが、その時確かにユウマは救われていた。

 

『あなたは、人を笑顔にする魔術師なんでしょう?』

『その通りさ。私はユウマ、ヨウィンに笑顔を満たす者』

『なら、貴方も笑っていてくださいな』

 

 そして、その夢の中でユウマは。

 

 

『人に笑顔を届ける者が、泣き顔じゃしまらないでしょう』

 

 

 そう、妻に優しく諭された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んあ」

 

 その幸せな夢も、やがて終わりを告げる。

 

 ユウマにはいつものように、辛く苦しい現実の朝が来る。

 

「……ああ、そうか」

 

 ユウマはのっそりと起き上がり、今日の日付を確認する。

 

 色々と追い詰められ、すっかり頭から抜けていたが。今日、この日は────

 

「今日はユウリの、4歳の誕生日か」

 

 火災事故から半年が経って。

 

 ユウマは自らの娘が、誕生日を迎えていたことに気が付いた。

 

 

 

「────ああ、構いませんよ」

「ありがとう」

 

 ユウマは、病室にクマのぬいぐるみを届けさせた。

 

 そして自らの人形の楽団を持ち込み、娘の誕生日を祝う許可をもらった。

 

「4歳のお誕生日、おめでとうユウリ」

 

 彼は医者や職員の見守る中、自慢の魔法で華美な演奏を始めた。

 

 夢で妻に諭されたように、満面の笑顔を浮かべながら。

 

「生きていてくれて、本当にありがとう」

 

 虚空を見つめるだけのユウリでも、愛おしい娘には変わらない。

 

 ユウマは全身全霊の技術を持って、軽快で無邪気で牧歌的な、ユウリの好きだった音楽を奏でた。

 

 その行動にどれほどの意味があるかは分からない。

 

 だけど、それこそがユウマに出来る唯一の『娘への愛』であったから。

 

 

 

「……あっ!?」

「えっ?」

 

 

 医者が、思わず叫び声をあげる。

 

 ユウマが、久しぶりにユウリの前で芸を披露したその日。

 

 

「ユウリちゃんの、顔が……」

 

 

 演奏が終わって見れば、なんとユウリは首を曲げてユウマの方を見ていた。

 

 娘は父の演奏に反応し、その方向を自分の意思で向いたのだ。

 

 この時ユウリは、実に半年ぶりに人間らしい反応を見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「娘さんは、間違いなく感情を閉じてしまっていました」

 

 その日から、ユウマは毎日のように娘の前で演奏を始めた。

 

 決まった時間に毎日のように開かれるその演奏会は、病院のちょっとした名物となった。

 

「しかし、貴方は娘さんの閉じた心をこじ開けた」

 

 最初は首を動かすだけだったユウリも、徐々に多彩な反応を見せるようになった。

 

 小首をかしげたり、目を見開いたり、指を曲げたり。それは間違いなく、ユウリが回復していることを示していた。

 

「これはまさに奇跡と言えるでしょう」

「馬鹿を言いたまえ君、私を侮辱する気か」

 

 医者はユウリの快復していく様を見て、まさしく『奇跡だ』と述べた。

 

 しかし、ユウマはそうは思わなかった。

 

「これは私の魔法が、素晴らしかっただけだ」

 

 

 

 ユウマが妻に見初められた、人を笑顔にする魔法。

 

 宴会芸と馬鹿にされながらも、多くの人間に笑いを届けた彼の魔法が、娘にも届いた。

 

 ただ、それだけの事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからユウマは、笑顔を絶やさないようになった。

 

 娘の前では常に笑顔で、常に明るく振る舞った。

 

「……ぱ、ぱ?」

「おおそうとも! 私がパパである!」

 

 やがてユウリは、言葉が喋れるようにまで回復し。

 

 自分の意思で食事も取れて、歩くことが出来るようになった。

 

「退院ですね。長い間、お疲れさまでした」

「貴方の演奏が聞けなくなると思うと、寂しくて仕方がない。これからも頑張ってください」

「ふはは! まぁ、私の魔法は超一流であるからな!」

 

 晴れて退院となったユウリを連れて、ユウマは家に帰った。

 

 家に帰って最初にするべきことは、決まっていた。

 

 

「一年ほどほったらかしにしてすまなかったな、妻よ」

 

 

 それは、当の昔に埋葬されていた妻の葬儀であった。

 

 彼はずっと満面の笑顔で、娘と共に妻を弔ってやる事を心待ちにしていた。

 

 母親の死を目の前で見てしまったユウリの心に折り合いをつける為にも、これは最優先でやらねばならなかった。

 

 

 ────1年ごしの、妻の葬式。

 

 

 それは知人友人をたくさん集め、妻の好きだった曲をメドレーで演奏するという、参列者の笑顔で満ちた愉快な葬式だったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてユウマは、娘を取り戻した。

 

「父、父。ボクも、研究者になりたい」

「そうか! 研究というのは楽しいぞ、素晴らしいぞ! きっとお前も、学会を笑顔に包ませる素晴らしい魔法を作り上げるに違いない!」

「……そんな魔法は、作らない」

 

 ユウリは少しずつ、口数が増えた。無表情だった顔には、生気が戻った。

 

「人形の笛だけではもの足りぬからな。次の学会では新しい楽器を試してくれよう」

「新しい楽器?」

「それはすなわち、尻である!!」

 

 ユウマは研究の成果が認められ、笑顔を届ける魔術師として名が広まった。その素晴らしい芸の数々で、貴族の宴会にも招かれるようになった。

 

 彼は、娘を不自由なく生活させられるだけの資金を稼げるようになった。

 

「屁で音色を奏でるのだ!」

「……ふふ、何だソレは。馬鹿馬鹿しい」

 

 

 

 ユウマと言う芸だけしか能のない男が、火災で何もかもを失いかけてなお、絶望の縁から諦めず努力し続けたその成果。

 

「ふふ、ふ」

 

 彼の娘(ユウリ)は、数年ぶりの笑顔を父親(ユウマ)に向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウマは不器用な男であった。

 

 ただ娘に笑顔になってもらうためだけに、その生涯の全てを費やした。

 

 決してユウマは、生まれつきセンスのある男では無かった。渾身の芸がだだ滑りする事も少なくなかった。

 

 魔法での演奏は見事なものだが、ギャグはワンパターンだし、一度受けた芸をひたすら繰り返す悪癖もあった。

 

 だが、しかし。ユウマの事を知る者は、口を揃えてこう言うだろう。『彼の魔法は素晴らしい』と。

 

 何故ならそれは、

 

 

 

「あんなにも家族愛に溢れた魔法を、我々は知らない」

 

 

 

 彼のその愚直なまでの生き様に、感銘を覚えた人間は少なくなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウマは、娘が魔族との戦いに同行すると聞いて尾けてきた。

 

 ユウマは、娘がさめざめと泣いているのを見て飛び出した。

 

 彼に、魔力砲撃を何とかする事は出来ない。

 

 彼に出来る事はただ、泣いている娘の前に立って、奇行を繰り広げることだけである。

 

「父よ、落ち着きたまえ。今は皆が覚悟を決めて、死と向き合う時間なのだ」

「……落ち着いているともユウリ。ふむ、新しく人形にハープを仕込んでみたのだが……、お気に召さなかったかな」

「今はそういう状況ではないのだ父よ。どうか少し、静かにしてはくれないか」

 

 呆れたユウリは泣き止んで、父を宥めに回った。

 

 ユウマも諭されて、静かにその場に座り込んだ。

 

「魔力の収束が終わったみたいねぇ。発射準備は万端と言ったところかしら」

「きっと、間も無く全てが終わるのだろう。そうだな、では最期のその時は父の隣で過ごすとするか」

 

 娘のために生きた道化は、ただ騒いだだけ。

 

 しかし過程はどうあれ、さめざめと泣いていた娘を泣き止ますことには成功した。

 

「……父?」

「いや、何でもない……」

 

 ただそれだけの事が。

 

 ユウマにとって、何よりも大切だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あらら~、大変な事になっているのです」

 

 どこか遠くの空の上。

 

 誰にも聞こえぬ呟きが、女神の口からこぼれ落ちた。

 

「カールの奴め、私の命令に逆らって。だから苦労する羽目になるのですよ~、馬鹿馬鹿しい」

 

 女神はしばし自分の職務を離れ、逃げるように指示した勇者の様子を確認するべく下界を覗いていた。

 

 古き神である彼女には、やるべきことが沢山有るのだ。ましてや今は、人類の天敵である魔王が復活し暴れまわっているタイミング。

 

 いつまでも勇者にかかりきりというわけにはいかなかった。

 

「それに『精霊』だの『未来予知』だの子供だましに振り回されて。未来が確定しているなら、私達が介入する意味などないじゃないですか~」

 

 女神は、窮地に陥ってしまった自らの勇者に向けて、独りごちた。

 

 確定した未来などこの世に存在しない。だからこそ女神は、人類の為に頭をひねって『どうすればより良い結果を掴めるか』考え続けているのである。

 

「あんなの人間より視野の広い精霊が、未来を演算してるだけなのです。本当に未来を決めるために必要なのは、たった1つ」

 

 精霊の魔法は、あくまで演算に過ぎない。

 

 女神は絶対に助からない様な劣勢を跳ね返し、人類に希望をもたらせた勇者を何度も見てきた。

 

 そんな『奇跡』を起こすことが出来た勇者は、全て例外なく────

 

「精霊にも予測できないような、人間の強い感情なのですよ」

 

 

 何より強い、人間特有の強固な精神があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間もなく敵の砲撃が放たれる。

 

 ヨウィンと言う街のすべてが終わってしまう。

 

 

 ────人間に勝ち目はない。

 

 それが、精霊たちの出した結論(よち)だ。

 

 

「……イリーネ?」

 

 誰が見ても分かる、紛う事なき逆境。

 

 今のこの状況をひっくり返すには、それこそ『奇跡』が起こるのを期待するしかないだろう。

 

 

「ど、どうしたのよ、イリーネ」

「……」

 

 だから間違いなく、これは偶然の出来事だ。

 

 無様なおっさんが、娘の為を想い、自分に何かが出来るかもしれないと足掻いただけの行動。

 

「どうして────」

 

 

 

 

 その暴走が偶然、『奇跡』の最後のピースを埋めた。

 

 1人の中年の『想い』が、1人の少女に託された。

 

 

 

「……どうして笑っているの、イリーネ!?」

 

 

 窮地にこそ活路あり。

 

 脳筋思考の貴族令嬢は、仲間たちに渾身の笑顔を向けながら、

 

「ブラボーですわ、ユウマ様」

 

 迫りくる砲撃に向かって、正面から相対した。

 

 



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41話「受け継がれし想い」

 撒き散らされる、紙吹雪。

 

 狂ったように叫ぶ、笑顔の魔術師。

 

「……」

 

 ユウリの父親ユウマが乱入してきた、その時。俺は、彼が周囲に撒き散らした論文の束に目を奪われた。

 

 そこに記されているのは、全てが『ネタ魔法』。

 

 土人形に自らを鞭打たせる魔法や、水が霧状に撒かれて虹を作る魔法など、おおよそ役に立つ魔法は無さそうだ。

 

 だと言うのに。俺は、1枚の論文に目を奪われて離せなかった。

 

 

 

「あら、イリーネ? そんなのを拾って、何を……」

 

 

 

 中年が紙吹雪代わりに家から持ってきた、論文の束。

 

 その内に1つ、どうみても光を纏ったモノが有った。

 

 それは優しく、淡く、そして暖かな光。

 

「これ、は」

 

 その光はまさしく。

 

 以前、王族リタを救おうとした平民ロッポと同じ、誰かを想った優しい感情の光だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ────聞こえ、るか。

 

 

「ええ、聞こえますとも」

 

 

 論文を手に取ると、はっきりと声が聞こえてきた。

 

 エコーが掛かった独特の音響。その声は、どうやら俺以外に聞こえている様子は無い。

 

 ……精霊だ。おそらく精霊が、この論文に憑いている。

 

 

 

 ────そうか、聞こえるか。

 

「ええ」

 

 

 

 やがてポゥと青白い光と共に、何かが虚空に浮かび上がる。

 

 それは、何処かで見た様な顔の老人だった。間違いなく初対面なのだけれど、何故か初めてでは無いという感覚。

 

 この老人は、何者なのだろう。

 

 

 

 

 ────よし、ならば

 

 

 老人はゆっくりと目を明け、生気の無い顔で俺の前に浮かんだまま……

 

 

 

 

 

 

 ────罵ってください。

 

「消えろゴミ豚、ですわ」

 

 ────オッホホゥ!

 

 

 

 

 老人は俺にドMを乞い、仕方ないので罵倒してやると頬を染めて喜んだ。

 

 

 突然に虚空を罵倒した俺を、サクラは困惑の目で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────久し振りの罵倒、ごちそうさまですじゃ。

 

「いえいえ、お気に召したようで」

 

 

 この短いやり取りで、俺はコイツの正体を悟った。

 

 まあユウマが持ってきた論文に取り憑いていたのだ。元よりそうじゃないかと思っていたが、

 

 

 ────わしは、そこがユウマの父親にしてユウリの祖父。すなわち、ソウマと申すものである。

 

 

 この爺の正体は、伝説のネタ魔導師であるユウリのお爺ちゃんだ。

 

 

「どうして、貴方はここに?」

 

 ────どうして、と言われてものう。研究に未練が有ったとしか、言えんな。

 

 

 うむり、と目を瞑る老人精霊。

 

 どうやらこの爺さんは、論文にした研究の1つが心残りとなって精霊化したらしい。

 

 

 ────誰も、だーれも。わしの研究の価値を理解しようとせんかった

 

 

 老人は、寂しげに言葉を続けた。

 

 その声色には、確かな悲哀が浮かんでいた。

 

 

 ────確かに、冗句(ジョーク)で作ったような魔法も有った。だが、この研究だけは本物のつもりだった。

 

 

 老人は、自らの研究が評価されず無念でならないらしい。

 

 そして俺は、爺が取り憑いているその論文に見覚えがあった。

 

 確かこれは……。ユウリが持ってきた『自らに苦難を与えることで、より高度な成長に導く魔法』とかだったか?

 

 

 ────違う。それはその魔法の本質ではない。

 

 

 老人は、(かぶり)を振って俺の心の声を否定した。

 

 詳細がよく伝わっていない、彼の生涯を掛けた秘魔法。稀代のネタ魔導師の、とっておきの秘奥。

 

 その本質は、成長の為の魔法ではないという。

 

 

「では、どういった魔法なんですの?」

 

 俺は、老人に問う。

 

 このどうしようもない状況をひっくり返すには、新しい何かが必要だ。この老人の言う『本物の研究』がその鍵となりうる可能性がある……。

 

 

 ────その魔法は自らを窮地へと導き誘う、自ら傷付くことをも恐れぬ究極の魔法。その結果、成長するに過ぎない。

 

 

 ははあ、成る程。

 

 彼のとっておきの魔法を使うと、俺は窮地に陥るのか。

 

 

「つまり頭がおかしい(マゾヒスト)魔法なのですね、使えねぇですわ。とっとと灰になってくださいまし、この悪霊」

 

 ────ちがわい!

 

 

 全く、この一族に期待したのがバカだった。とっておきの魔法とか言うから、少し現状打破に使えるんじゃないかと期待したのに。

 

 期待させるだけさせておいて、結局マゾ性癖を満たすためだけの魔法かよ。

 

 

 ────確かに、並の術師が扱えば窮地に陥るだろう。だが、アレさえあれば全てが解決するのだ。

 

「……アレ?」

 

 

 アレって何だよ。

 

 何だコイツ、頭大丈夫か? 代名詞しか喋られない耄碌爺なのか?

 

 いや、頭がおかしいのは元々か。それが耄碌して、こんな酷い有り様になったのだろう……。

 

 

 

 ────この魔法は、『筋肉』さえあれば何の問題もないのだ。

 

「貴方が神か」

 

 

 

 何だ、このオッサン良い奴じゃん。

 

 

 ────最近の魔導師には筋肉が足りん。全く嘆かわしいことこの上ない。

 

「仰る通りですわ」

 

 ────だから、わしの魔法の真価に気付けんのだ。筋肉さえあれば、全てが上手く行くというのに。

 

「まさしく、世界の真理ですわ」

 

 ────おお、見所があるのうお嬢ちゃん。お主にならこの秘奥、授けてやっても惜しくない。

 

 

 そうか、筋肉だったのか。

 

 そうだ、それしかないじゃないか。こんな絶体絶命の窮地に、俺に出来ることなど筋肉で全てを超越するのみだ。

 

 筋肉だったんだ。万事は、筋肉で流転するのだ。

 

 

 ────なんという素晴らしい思考回路。貴様は、まさしく筋肉の化身だな。頭に筋肉でも詰まってるんじゃないか?

 

「お誉めに預かり光栄ですわ」 

 

 

 この老人を信じよう。

 

 見ろよ、この神々しいお姿を。前に現れた胡散臭い女神なんかより、よっぽど神様らしい。

 

 俺は最初から信じていた。この神秘的な雰囲気を纏った聖なる老人こそが、本物の神であると。

 

 

 ────や、別に神ではないのだが

 

「ありがたや、ですわ」

 

 ────いや拝まれても。

 

 

 老人はゆっくりと、俺にその魔術の組成を語り始めた。

 

 それとほぼ同時期に、うねる魔力の奔流が止んだ。もう敵の魔法の準備は整ったらしい。

 

 それは魔力の収束が終わり、いよいよ発射されるフェイズになった事を意味する。

 

 

 

 ────急ぐのだ、脳内筋肉娘。もう時間は無いぞ。

 

 

 分かっているとも。

 

 だが俺はまだ、この魔法の詠唱を教わっただけだ。

 

 一体これはどんな魔法なのか、俺にはかわからない。俺の筋肉が3億倍くらいに膨れ上がる魔法とか?

 

 

 ────そんな筈はあるまい。それは、古代より存在した由緒正しき魔法だ。

 

 

「……へぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブラボーですわ、ユウマ様」

 

 呪文の詠唱は、暗記した。

 

 俺はその魔法の概念を、軽く説明を受けただけで理解できた。

 

 

 素晴らしい魔法だ。俺は今まで、魔法といえば無粋な戦略兵器としか思っていなかった。

 

 こんなに素晴らしい魔法があるとは思ってもいなかった。

 

 

「イリーネ、貴女何を……」

「サクラさん、ご安心くださいまし。今、何とかして差し上げますわ」

 

 

 俺は悠然と、放たれつつある魔力砲に相対した。

 

 この老人を信じるなら。3代続くユウリの血族の、その知恵の結晶を信用するなら。

 

 きっとこの魔法は、ヨウィンを救うだろう。俺が、彼らに代わって全てを救おう。

 

 

 

 

「確かに受けとりました、その秘奥」

 

 

 精霊は、俺に魔法を伝授すると煙のように立ち消えた。

 

 きっと、誰かに自らの奥義を伝承して貰いたい一心で、ずっと取り憑いていたのだろう。

 

 

「ユウリ、貴女の祖父は決して単なるネタ魔導師ではなかった」

 

 

 生涯の全てをネタと談じられた男。

 

 自らの子孫にすら理解されず、せっかく甦らせた古代の秘奥を再び歴史の闇へと葬り去られた哀れな研究者。

 

 

「祖父が父に、父が娘に。三代に渡り継がれた想い、その力をお借りします」

 

 

 今、その魔法を呼び起こそう。

 

 ある意味で究極と言える、その奥義を。誰からも理解され無かった、悲しみの魔法を。

 

 俺は噛み締めるように。その詠唱を、言の葉に紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

喝采せよ(プラウディツ)喝采せよ(プラウディツ)

 

 

 

 

 

 

 

 ────どうして、誰も理解せん。

 

 老人は吠えた。

 

 生涯をかけて研究してきた魔法が、ついに完成した。

 

 学会でその魔法を提示し、そして後世に伝えることこそが老人の悲願だった。

 

 ────違うのだ。この魔法には、素晴らしい意味が……

 

 彼の発表は、一笑に伏された。

 

 その学会にいた誰もが、その有用性を理解できなかったからだ。

 

 またいつもの、彼の性癖ジョーク魔法だとしか考えなかった。

 

 老人は失意の中、トボトボと帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

勝利に餓えた獣よ(キルドウォーリア)血に溺れた戦士どもよ(ワナビーアウォン)雄叫びをあげよ(ハォウゼム)

 

 

 

 

 

 

 

 ────じいさん、あの魔法はねぇよ。

 

 名うての冒険者に聞いてみても、やはり老人の魔法は理解されなかった。

 

 何せ、その魔法には分かりやすいメリットが無い。むしろ、分かりやすいデメリットが目立つのみ。

 

 ネタ研究の1つとして見る分には良いが、実用するとなると難しい。

 

 それが、海千山千の冒険者の下した彼の魔法への評価だった。

 

 ────確かに、上手く使えば何かの役に立つかも知れねぇけど。もっと良い手段は、山のようにあるだろうな。

 

 その魔法は、確かに理論値は高かった。上手く使いこなすことができれば、この上なく強力な魔法だと言えた。

 

 だが、恐らくこの地上のどこを探しても、彼の魔法を有効活用出来る魔導師はいないだろう。

 

 そう言って、高名な冒険者は老人の魔法を切って捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ(ソゥ)ここに血湧き肉踊る武人の宴(ザグレーテストパーリィ)その開催の宣言を(イズオープンドナウ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、老人は気が付いた。

 

 間違っていたのは自分だったのだと。

 

 自らの生涯を賭けた研究は、周りを顧みず突き進んだ結果生まれたネタ魔法に過ぎなかったのだと。

 

 

 

 自らの人生に、意味などなかったのだと。

 

 

 

 

 ────そんな筈があるか。

 

 ────誰も理解してくれないけれど。誰も、気付いてくれないけれど。

 

 ────この魔法はいつかきっと、世界を救う素晴らしいものなんだ。

 

 

 

 

 そんな彼の心の奥底の叫びは、自らの諦念によって封殺された。

 

 享年、60歳。

 

 稀代のネタ魔導師とバカにされた老人は、最期まで誰からも理解を得られぬまま、家族に見守られるベッドの中で静かに息を引き取った。

 

 

 

 

 

 

誓いは戦いの女神に捧ぐ(スウェアーザゴッデスオブバトゥ)闘志はただ、己の肉体に誓う(アンドスウェアーマイボディ)

 

 

 

 

 

 

 

 

『魔法を封じる魔法、ですか?』

『そうだとも。この魔法はわしの周囲に、魔法を無力化する空間を形成するのだ』

 

 本当に、これはネタ魔法なのだろうか。

 

『自分も相手も、この空間の中では一切の魔法が使えなくなる』

『自分も使えなくなるのですか』

『ああ。どんな者であろうと、魔法が使えなくなる結界であるからな』

 

 そう。老人が甦らせた古代魔法とは、逆に魔法を封印する結界であった。

 

『それに、どんなメリットが?』

『相手がどんな魔法使いであろうと、肉弾戦で勝負できる』

『……我々は魔法使いですよ?』

 

 魔法使いが、自らの長所である『魔法』を封じる魔法を編み出した。

 

 それは端から見れば、単なる馬鹿としか思えなかった。

 

『体を鍛えれば良い。体を鍛えて、この魔法を使い、敵に肉弾戦を挑むのだ』

『馬鹿らしい。戦士職に、肉弾戦で勝てるものか』

『自ら進んで窮地に陥るようなものじゃないか』

 

 世紀の大発明と吹聴して発表されたその魔法は、学者達から酷評を浴びた。

 

『周囲一帯に魔法を無力化する結界を張って、何になる』

『魔法使いが自らの強みを捨てて、どうする』

『魔力要求量と難易度が高すぎて、戦士職では扱えない。どうしようもない魔法だな』

『こんなもの、マゾヒストしか喜ばないじゃないか』

 

 確かにそうかもしれない。

 

 だが、この技術は画期的なのだ。老人はそれを皆に訴えたが、結果として理解されることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────古代闘技場よ(アンティーク)いざ咲き誇れ(コロッセオ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───悔しいのう。悔しいのう。

 

 

 

 確かに、分かりやすい強みは無いかもしれない。

 

 使い道も限定されるし、場合によっては不利な状況を作り出してしまうだろう。

 

 

 

 ────だがしかし、この魔法は。

 

「これは、とあるお方が生涯を捧げた魔法です」

 

 ────わしの全てを込めた、この魔法は。

 

「いつか皆を救うことが出来る筈と、死後もなお祈り続けられた秘奥」

 

 ────それは理論上は、最強の。

 

「だってこれは理論上、最強の────」

 

 

 

 筋肉令嬢(イリーネ)はその手を高く掲げた。

 

 馬鹿にされ続けた老人の、その誇りを取り戻すため。

 

 その攻撃が魔法であるのなら、この結界を破る術はない。

 

 何故ならこれは、ありとあらゆる精霊の干渉を防ぎ『魔法を無効化する事に特化した』防御魔法。

 

 

 それはまさしく究極の、

 

「対魔法、防御結界ですから」

 

 

 

 

 

 ……やがて、おぞましき魔力砲は放たれた。

 

 ヨウィンの街全てを焼き尽くしても釣りがくる程の膨大な魔力が、堰を切られた濁流のごとく押し寄せてきた。

 

 

「……参りますわ」

 

 

 だが、しかし。

 

 その魔族の無慈悲な砲撃が、街へ届くことはない。

 

 

 

「ちょっと!? な、何よこれ」

「じ、地震か!?」

 

 

 蒼き魔力が、令嬢に渦巻く。

 

 

「オオオオオオッ!!」

 

 

 その少女は手を高く掲げ、まっすぐに敵の魔法を見据えたまま咆哮した。

 

 その叫びは唄となり、地鳴りと共に蒼く透明な何かがせり上がってきた。

 

 

「……これは、まさか結界?」

 

 

 魔炎の勇者は、見たこともないその魔法を前に呆然と呟く。

 

 迫りくる極光に、正面から相対する障壁。

 

 それは確かに、1人の少女を中心に展開されていた。

 

「な、何事なの!? どーなってるのこれ!?」

「……壁?」

 

 見た目は、半透明な青い壁。

 

 その外景には、古代闘技場で戦った戦士の姿が彫刻されており。見るものを魅了する、古代の美がそこにあった。

 

「おい、イリーネ!! 何だこれは!」

「見ての通りですわ」

「見ての通り、じゃない!! 何をするイリーネ、この結界の中では魔法が使えないではないか!」

「ええ」

 

 アルデバランだけは、その異変にすぐ気が付き焦った声を上げた。

 

 自らの力の依り代とする、魔力の一切が使えないという事実に。

 

「アルデバラン、貴女の仰る通り。この結界は────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その直後、極光が結界に直撃する。

 

 そしてその極光は、硝子(ガラス)に放水しているかのように波紋を広げ飛び散り、霧の如く結界に飲み込まれ霧散した。

 

「……なっ!?」

 

 イリーネの結界は、小揺るぎもしない。

 

 当たり前だ、この結界はその為の魔法なのだ。

 

「これ、は……」

「この結界は、ありとあらゆる魔力の干渉を許しませんの。敵の攻撃が魔法である限り、敵はこの街に塵一粒すら届かせられない」

 

 これが究極の、対魔法結界。

 

 それは、ネタ魔導士と侮蔑された男が生涯を懸けた研究成果であった。

 

「これが貴女のお祖父様のお力ですわ、ユウリ」

「……そうか。こんな魔法だったのか、それは馬鹿にもされる……。魔術師を殺す魔法を、魔術師に発表するなんて。やはりお祖父様は筋金入りだ」

 

 実に素晴らしい、俺好みの魔法である。

 

 この結界の中では、身体強化魔法すら使えない。純粋な肉体でのみ、戦うことが許される。

 

 ユウリの祖父の話によると、この魔法は詠唱の通り、古代の闘技場において魔法で不正(ドーピング)するのを防ぐために使われたモノらしい。

 

 つまり、この結界の中ではありとあらゆる敵に対して純粋な筋肉勝負が挑めるのだ。ますます筋力トレーニングの励みになるではないか。

 

「そうか。……私達は、助かったのか」

「……窮地の後には好機あり。敵の方々、3射目に随分時間をかけましたからね」

「そう、だな」

「では、後は彼にお任せしましょう」

 

 こうして、俺のやるべきことは終わった。

 

 後は、全て『ヤツ』に任せるのみである。

 

 

 ここより遥か遠く、すでに魔族の砲撃地点付近へと迫っていた土煙を見て、俺達は勝利を確信した。

 

 



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42話「決着とパンツ」

「……これは」

 

 開けた森のその奥に、男の呟きが溶けて消える。

 

「どういう、事だ?」

 

 

 

 

 

 

 敵のレーザー攻撃をかい潜り、途中で襲ってきた護衛の巨大魔族どもをなぎ倒し、なんとか魔法発射地点まで到達したカール。

 

 そこに合ったのは、ちょっとした家より大きい『固定砲台』の……()()であった。

 

「もう、砲台は壊れてるな。俺以外の誰かが、此処を襲ったのか?」

 

 カールは、怪訝そうに顔を顰めた。周囲を見渡しても、自分以外に動いているものはいない。

 

 一面はカールに切り捨てられた魔族の血で染まり、生き残った個体は這々の体で逃げ出した後だ。

 

 しかし、やっとたどり着いたその『目標物』は……もう破壊されている。

 

「もしや俺やアルデバラン以外に、魔族を倒そうとしている者が居たのかも」

 

 そうとしか考えられない。少なくとも、自分以外の誰かがこの砲台をぶっ壊したのは確実だ。

 

 カールは、誰も居なくなった発射地点で内部から破壊された砲台の残骸を拾い上げ、その場で立ち尽くす事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……一応、周囲を調べよう」

 

 魔族の気配がなくなった砲台付近。

 

 やることが無くなったカールは、少しでも敵の情報になるものが残ってないか調べていくことにした。

 

 もしかしたら、これをやった誰かの痕跡を見つけられるかもしれない。せっかくここまで来たのだ、何かしらの情報は持ち帰らないと。

 

 

「砲台は、爆破により破壊されている。恐らく、やったのは魔術師」

 

 

 砲台の破片は熱で歪み、焼き切れていた。

 

 少なくともこれは、戦士職による破壊ではない。殴打や斬撃ではなく、爆炎により破壊されている。

 

 魔術師の仕業と見るのが妥当だろう。

 

 

「いやにデカい砲台だ。だが、砲台の破片に制御盤の様なモノがついている……」

 

 

 カールは、弾けとんだ鉄の塊の一部を手に取った。恐らくは、砲台の一部だろう。

 

 そしてカールはその太い鉄塊に、細かなボタンが付けられた『小さな板』が溶接されていることに気がついた。

 

 

「む、人間語だと!?」

 

 

 しかも驚くべきことに、その板にはなんと人間語が書かれていた。

 

 

「『砲撃』と記されたボタンも付いている。間違いない、これが砲台の制御装置だ。まさか、この砲台を制御していたのは人間なのか?」

 

 

 カールがこの場所に来るまでに斬った敵は、間違いなく魔族だった。

 

 しかし敵が持ち出してきた兵器は、人間の手によるもの。

 

 まさか、魔族と手を組んだ人間が居るのだろうか。だとすれば、生かしてはおけない。

 

 

「……これはドワーフ? いや、ゴブリンか」

 

 

 その砲台の破片を調べていくと、潰れた死体が埋もれていた。

 

 そのグロテスクな光景にカールは目を背ける。

 

 砲身に潰されたせいで損傷が激しいが、これは恐らく噂に聞いた魔族の代表『ゴブリン』だろう。

 

 

「ゴブリンは手先が器用で、伝説によれば人間語を理解するとか」

 

 

 カールは、この街で調べた勇者伝説の情報を反芻した。ゴブリンと言えば悪知恵が働く、比較的人に近い種族の魔物だ。

 

 もしかしたら人間ではなく、こいつが砲台を制御していたのかもしれない。

 

 

「む。黒いレース、ピンク色のリボンがあしらわれた透け透け」

 

 

 そしてカールは、瓦礫の隙間から女性ものの下着(パンツ)を拾い上げた。

 

 それは、恐らく使用済みである。

 

 

「周囲に、ゴブリンと巨猿魔族以外の骸は見当たらないな。ここに来る道中、ゴブリンを見かけなかったことを考えるに、人間ではなくこのゴブリンが砲台を制御していたと考えるのが妥当か?」

 

 

 よく調べてみれば、ゴブリンの骸は砲台周辺にいくつか転がっていた。

 

 少なくとも複数のゴブリンが、砲台付近に居たらしい。普通に考えるなら、このゴブリンが大砲の操り手だったのだろう。

 

 

「む、これは絹製か。そこそこ、高級な素材……。身に付けていた女性は身分が高い人なのだろうか」

 

 

 カールは周囲を見渡しながら、拾い上げたパンツの肌触りを確かめた。

 

 それは、どうやら絹で出来ていた。

 

 

「む。少し離れた広場で、夜営をしていた形跡がある。ゴブリンどものモノだろうか」

 

 

 周囲を軽く見回ると、明らかに何者が飯を食っていた形跡があった。

 

 そして、拙く汚い食器や乱雑に扱われている武器が積み上げられていた。

 

 恐らくは、敵の夜営の跡だろう。

 

 

「微かに薫る香水の香り……。控えめで涼やかな印象を受ける。この下着の持ち主は、きっと清楚な人なのだろう」

 

 

 カールはパンツをクンクン嗅いだ。

 

 花の香りのような、良い臭いがした。

 

 

「おお、魔法陣。俺は魔法に詳しくないが、街に戻れば沢山専門家がいるだろう。持ち帰ろう」

 

 

 取り敢えず砲台を爆破される前の形に戻してみよう。そう考えて砲台をパズルの如く組み立てると、その外壁に大きな魔法陣が浮かび上がった。

 

 きっと、この砲台の核となる魔法陣だ。これも持ち帰るとしよう。

 

 

「パンツは俺のポケットで良いか。破片は、俺の上着にくるんで……」

 

 

 周辺の事は、かなり調べられた。襲撃は空振りに終わったが、それなりの情報は手に入れることが出来た。

 

 あとはこの情報を持ち帰って、マイカ達と相談しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「下着ばっかり調べてんじゃないわよこのエロカール!!」

「もげろっぱ!!」

 

 マイカの拳が、カールを空高く吹き飛ばした。

 

 奇妙なことに、敵はカールが到着した時には既に壊滅していたらしい。

 

 カール以外にも、魔族の砲撃を止めようとした存在が居る様子だ。

 

「……砲台は既に破壊されていた、か。つまり我々以外に、魔王に仇なす者がいるのだな」

「多分な。会ってないから分からないが」

「もしかしたら、我らの知らぬ勇者かもしれん。女神様に確かめねば」

 

 アルデバランはまた深く考え込み始めた。

 

 敵の戦略兵器を生身で2回も相殺した化け物、アルデバラン。彼女が女神と話すことが出来たなら、是非情報を共有してもらいたいものだ。

 

 カールの女神はちと胡散臭いからな。アルデバランの女神の意見も聞きたい。

 

「……とにかく。敵は壊滅した、と言う事で良いの?」

「その様子ですわね。まぁ、また同じように攻撃してきても私が弾き返して差し上げますわ」

「あー、それよ! イリーネ、何なのアレ。あんなの使えるなら、最初から使いなさいよぉ!」

 

 無駄に死ぬ覚悟決めちゃったじゃない、とサクラはポカポカ殴ってきた。

 

 や、すまんすまん。俺もギリギリで習得したんだ。

 

「それは私も気になる。イリーネ、あれは何なのだ」

「ユウマさんの持ってきた論文に書かれていた魔法ですわ。それは彼の父親が、生涯をかけて研究した魔法です」

「ふむ。してその魔法の名は?」

筋肉天国(マッスルミュージカル)と言うそうですわ」

 

 

 ────!?

 

 

 む、何処かから息を呑む音がしたな。まぁ良いか。

 

「何だその戯けた名前は」

「え、格好良いではありませんか。どうやら古代の闘技場で、魔法を封じ戦うために用いられた魔法だそうです。なので、そんな名前なのだとか」

「へー」

 

 

 ────え、ちょっと待て。あれは、そんな名前では!

 

 

 頭の中で、爺さんの焦った声がする。

 

 まぁ気にすんな爺さん、どうせなら皆に自慢できる方がいいだろ? 任せとけ。

 

 ここは俺がセンス溢れる、格好良い名前を定着させてやるから。

 

 

 ────いや、ちょっ。

 

 

「ほう……元々は防御魔法ではないのだな。成る程、それであんなにチグハグな性能なのか」

「チグハグ?」

「ああ。これはなんて非効率的な術式だと、驚いたものよ。防御魔法とは、とても言えない」

 

 

 ────なんじゃと!? 貴様もわしの魔法の素晴らしさを理解せんか!?

 

 

 アルデバランの言い種に、爺さんが頭の中でキレた。

 

 まぁ落ち着きなよ、まずは聞こうじゃないか

 

「この結界が遮断するのは魔力のみ。魔法で射出された質量の有る物体────、つまり火矢や石弾などは防げんだろ」

「あー」

「しかもそれを防ぐための物理障壁は、自らの対魔法結界のせいで展開できないと来た。純粋な魔力砲に対してしか効果の無い魔法なぞ、防御魔法と言えなくないか?」

 

 言われてみればそうだ。

 

 例えば結界の外から巨大な岩を投げつけられたら、防御魔法も迎撃できず詰むな。

 

 魔法で作った炎はどうなんだろう? 消えないのだろうか?

 

 ……炎を纏った飛来物体、つまり火矢とかは防げなさそうだ。魔法で着火されようと、もう燃えてしまっているモノはそのままな気がする。

 

 

 ────そんなもん、筋肉でどうとでも出来ようが!

 

 せやな。

 

 

「今回は外からの攻撃に対して使用しましたが、恐らくこの魔法は本来は敵ごと閉じ込めるものです」

「……ふむ」

「敵と自分を魔法の使えないフィールドに押し留め、そして近接戦で勝つ。それが、理想の使い方でしょう」

「成る程、魔術師相手の戦いでカールの援護として使うのか。それは……その使い方なら、この上なく有用だろう」

 

 え? カールに頼らず自分で近接戦するつもりなんじゃが。

 

「外からの物理攻撃に弱いが、中に閉じ込めさえすれば魔術師を完封。確かに良き魔法かもしれん」

「そうでしょう?」

「……ただ、私には扱えそうにないな。どれだけ、多属性が関与してるんだコレ。しかもこの魔力の要求量……」

 

 ブツブツとぼやきながら、アルデバランは論文を読み始めた。

 

 勇者たるアルデバランをもってしても、筋肉天国(マッスルミュージカル)は習得出来ないらしい。

 

 そもそも超難度って言ってたもんな。ポンポン初めから成功するのは、俺くらいか。

 

「アル、私達の主力は貴女です。魔法を封じる結界など習得しても、むしろ首を絞める機会の方が多いのでは」

「それもそうだな、イノン」

 

 仲間のイケメンに諭されて、アルデバランはポイと論文を投げ捨てた。爺さんが怒るからもっと丁寧に扱って。

 

「……今回は助けられたな、礼を言うぞイリーネ」

「何を仰いますか。アルデバラン、貴女が砲撃を相殺して時間を稼いでくれたからこそですわ」

「私は勇者だから、それくらい出来て当然だ」

 

 論文を拾おうとして屈む俺に向き合ったアルデバランは、やがて赤いマントを翻して立ち上がった。

 

「魔王は、我らのすぐ傍まで迫ってきている。きっと、イリーネの力を借りることがあるやもしれん」

 

 それは、確かに感じた。魔王軍という脅威が、つい先ほどまで俺達を殺そうと巨大なレーザーで攻撃を仕掛けてきたのだから。

 

「お前は信用できる。また会おう、イリーネ」

「……ええ。また会いましょうアルデバラン」

 

 そう答えると、魔炎の勇者はニヒ、と格好の良い笑みを浮かべた。

 

 花が咲いたような、まぶしい笑顔だ。アルデバランはこんな顔も出来るのか。

 

 俺は思わず、その邪気の無い顔に見惚れてしまった。

 

 澄みきった空の下で不敵に笑う彼女は、まさしく冒険譚の英雄の様だった。

 

 

 

「……よし。では行くぞお前ら!」

 

 

 アルデバランは、背後の仲間に向けて号令した。

 

 そんな彼女の背後では、魔砲撃により雲が吹き飛ばされ、まっすぐ抜けた青空が俺達を見下ろしていた。

 

 

 

 

「この腐れ発情レズメイド!! 今度と言う今度は許しませんからね!!」

「ひ、ひえええー!! 魔が差したんです、堪忍やぁ~!!」

「やかましい!! やかましい!! もう最期かと、お姉様に抱き付きに行こうとしたのに!!」

 

 

 そして突き抜けた青空の下、ウサギ同士がSMプレイに興じており。

 

 

「……ご、ごくっ」

「どうだ、ラジッカとやら。何か分かるか」

「このパンツの持ち主は相当なスケベ女だな。エロエロだ」

「そんなにか。そんなにエロエロなのか」

「ああ、間違いない。エロエロのムチムチのプリプリだ」

「ふ、ふわあああ」

 

 

 アルデバランパーティーの男衆は、カール(スケベ)と混じって拾った下着を吟味していた。

 

 

 

 

 

「出発だって言ってるだろ、この発情バカども!!」

「前が見えねぇ……」

「ごめんなさい……」

 

 馬鹿どもは速やかにアルデバランに折檻された。

 

 うん。やっぱり俺達のパーティよりキャラが濃いな、アルデバランのパーティ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後の話。

 

 俺達カールパーティーは、事の次第をガリウスに報告した。

 

 

 この街から逃げ去る予定だったが、後ろ髪を引かれたので残って魔王軍を迎撃した事。

 

 そしてその結果、ユウリの祖父の魔法がこの街を救った事。

 

 

「……はぁー! 大手柄であるなカール一行よ、また助けられてしまった」

「いえ。この地を守ったのは私たちではなく、アルデバランとユウリの一族ですわ。私はその、最後の美味しいところを取ったに過ぎません」

「ええイリーネの言う通り、俺達は何もしていません」

 

 実際にカールは何もしていない。

 

「ところで、イリーネ殿。是非、貴女が街を魔族の暴威から救ったという魔法を教えていただけないか」

「ええ、勿論ですわ」

 

 ガリウスは『筋肉天国』の話題になると驚嘆し、是非にとユウリの祖父の論文を求めた。

 

 その論文に書かれた内容を読むと、ガリウスはうーむと唸り声をあげた。

 

 

「成る程、これは……。魔法使いとしては受け入れがたい内容であるな」

「そうなのですか?」

「恐ろしすぎるではないか。敵がこれを発動した瞬間、自分はひ弱な無能に成り下がるのだぞ? この魔法の価値に気付けるほど賢い者は、何としてもこれを『役に立たぬ魔法』として世に出さぬように画策するだろうな」

 

 ガリウスは、興味深そうにユウリの祖父の論文を見た。

 

 成程、この魔法が世に出なかったのはそんな背景があったかもしれないのか。

 

「面白いな、実に面白い。この技術、王宮の牢獄に設置しても良いかもしれん。しかし敵に使われると、王宮の護衛をまるごと無力化されてしまうかもしれんのか……。迂闊に広めるわけにはいかんな」

「あの、ガリウス様?」

「良し決めた。この魔法は有用ではあるが、世に出さぬ方が良きだろう。イリーネ、その魔法は『禁呪』に指定する。今この瞬間から、この論文は国家機密である。ゆめ、人に漏らさぬよう」

「へぇあ!?」

 

 え、国家機密ってマジっすか!?

 

「うむ。大変危険な魔法ゆえ、これは王家の管理としよう。ユウリ殿、貴殿の祖父ソウマ氏の名は、偉大なる魔法使いとして王家に代々伝わることになろう」

「……伝説のネタ魔導師が、本物の大魔導師になった」

 

 え、えー。

 

 確かに俺好みで凄い魔法だけど、国家機密扱いとかマジかそれ。

 

 つまり、好き勝手にガンガン使えないって事?

 

「では、諸君らの活躍と魔王軍の脅威、しかと理解した。私から早急に王へ伝えるとしよう」

「あ、ありがとうございます」

「あのような巨大な魔砲撃を目にしては、敵の存在を疑いようもない。安心したまえ、国は君達を全力で支援すると誓おう」

 

 という訳で、俺達はついに国家公認の勇者へと昇格することが出来た。

 

 『筋肉天国』を封じられたのは痛いが、ガリウス様と知り合えていた事自体は望外の幸運だったのかもしれない。

 

「路銀も用意しておこう。ヴェルムンドの令嬢が居るのであれば、大金の管理も手に余らんだろう」

「ええ。閣下からの御恩情、大切に使わせていただきますわ」

 

 こうして、俺達のヨウィンでの戦いは、幕を下ろした。そして次なる戦いに向け、しばし体を休める事とした。

 

 ついでに、謝礼と路銀としてガリウス様から目も眩むほどの大金を手渡され、マイカの目がキラキラに輝いた。

 



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43話「それは平凡で、何処にでもいる普通の男」

「……居たぞ!! 奴等だ!」

 

 

 

 

 

 

 ヨウィンでの決戦から、一夜が明けた。

 

 王弟ガリウスに報告を終えた俺達は、ユウリの家に戻って小さな宴を催した。

 

 ユウリの祖父の功績が認められた事。無事に、絶体絶命の危機を乗り越えることができた事。

 

 祝うべき事は沢山有った。

 

 

「あんな状況でなお、芸を披露するなど正気ではないだろう」

「何を言う。私に出来ることは、それ以外何もないのだぞ?」

「威張って言える事ではない」

 

 

 ユウリ父娘は、酒で少し顔を赤らめて愚痴りあっていた。ユウリは酔うと理屈っぽくなる様子で、くどくどと父親に説教を始めた。

 

 

「マイカ……レヴ……。むにゃむにゃ」

「はいはい」

 

 

 カールは相変わらず酒に弱く、マイカやレヴを誉め倒して気絶した。そして自ら誉め倒したマイカとレヴに、優しく介抱されている。

 

 

「お帰りなせぇ、お嬢。無事なお姿を見れて何よりです」

「そうねぇ。つくづく、私は悪運強いみたい」

 

 

 サクラは飲み方を弁えているらしく、マスターと大人びた雰囲気でグラスを交わしていた。

 

 流石は夜の嬢王、酒の扱いはお手の物みたいだ。

 

 

「明日はどう致しましょうか。旅支度は整っているので、すぐに出発も出来ますが」

「うーん。ガリウス様のご厚意で資金には困らないし、ちょっと良い武器を買ってみない?」

「賛成よぉ。貴族と高級品の集う街ヨウィン、ここ程技術レベルの高い街はなかなか無いもの」

 

 明日はどうするか相談すれば、マイカが新しい武器を買いたいと言い出した。

 

 俺やサクラは新しく杖を買ったけど、彼女の弓は据え置きだ。資金に余裕があるなら、彼女だっていい武器が買いたいだろう。

 

 それを悟ったのか、サクラは反対をしなかった。

 

「私も、剣を買ってみたい……」

「おやレヴ、貴女は剣も扱いますの?」

「父に習ったけど、実際に扱った事はない……。でも、刃物が有った方がやっぱり近接戦闘は有利になる。カールに習いながら、身に付ける」

 

 レヴちゃんは、剣を欲しがった。

 

 うんうん、分かるぞレヴちゃん。剣にはロマンが有るよな。

 

 それに、愛しのカールと二人きりの時間も作れそうだし。

 

「今までは無駄遣い出来なかったから言い出さなかった、けど……」

「レヴなら、きっと上手く使いこなせるでしょう。賛成いたしますわ」

「そうね。レヴ、頑張りなさいよ」

 

 マイカの許可も降り、レヴちゃんは嬉しそうに『やった』と呟いた。

 

 よしよし、可愛いなぁこの娘は。

 

「じゃあ、明日は街を歩いて買い物ですね」

「では、出発は明後日にしましょうか。次の目的地については、カールから女神様に確認してもらいましょう」

「うーん、でもあの女神様はあんまり当てにならないような」

 

 そんなこんなで俺達はヨウィンにもう一泊だけ滞在し、街をブラリと見聞する予定となった。

 

 なった、のだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アイツだ! あの胸の大きなお嬢様風の女!」

「見つけたぞ! 本物の精霊魔術師だ!」

「新たな勇者伝説の幕開けだ!」

 

 俺達が街へ出ると、周囲にどよめきが走った。

 

 どうやら街中に、俺達の噂が広がっているらしい。

 

「精霊の声が聞こえたって、本当かい!?」

「あの、強大な魔法結界は何なんだい!? 術式を書いて論文にしてくれないかな!」

 

 昨日のあの巨大な魔力砲撃は、街の住人みんなが知るところであった。死の覚悟を固めた者も多かったという。

 

 しかし、街は守られた。あの魔法攻撃を見事防いだ者は誰かと、探りに来た人間が見た者は『筋肉天国を発動する俺』の姿だったという。

 

 その後、ガリウスのアナウンスで『勇者と精霊術師が魔族を撃退した』という情報が知れ渡ってさあ大変。

 

「勇者、勇者だって?」

「まさか、俺達は今新たな伝説をこの目にしたというのか!?」

 

 ガリウスとしては、勇者伝説に詳しいこの街を研究が拠点にして魔王軍対策を練るつもりらしい。だから敢えて情報規制をせず、事実をそのまま周知したのだそうだ。

 

 だが、そんな噂が立ってしまうと……

 

「お嬢ちゃん、髪の毛をちょっと毟らせてもらって良いかな! その、1本の髪の毛でどれだけ研究が捗るか……。お願いだ、後生だ!!」

「血! 血液! わしは精霊術師の血液が欲しいのお!! 大丈夫、痛いのは一瞬じゃ! 完璧な治癒魔法で癒してやるからのぉ!」

 

 俺は、この街の住人にとって格好の実験動物(モルモット)と認識されてしまったらしい。

 

 街ゆく研究者は俺を見て、目の色を変えて話しかけてきた。

 

「カール! た、助けてくださいまし!」

「おいお前ら、イリーネに危害を加えるな! 俺が相手になるぞ!」

「出たぞ勇者だ! 最高級の研究素材だ!」

「科学の発展には犠牲がつきものデース、あの勇者を釜茹でにして成分を抽出してしまいまショー!」

「何だこの連中!?」

 

 獲物を狩るような目で、カールを見てハァハァする研究者。

 

 コイツらの頭はどうなっているんだ。魔王と戦うって時に勇者を釜茹でにして何になるんだろう。

 

「こいつら、目が本気よぉ? 一旦逃げ出さない?」

「賛成ですわ! 正直言って怖いですもの!」

「うーん。ユウリって、実はかなりまともな研究者だったのですわね」

「そうだな……」

 

 波のように押し寄せてくる、マッドサイエンティストの群れ。

 

 罪のない町の人間をぶっ飛ばすわけにはいかない。しかし、このままでは命に関わる。

 

「私達で足止めするわぁ! 貴方達は、とっとと逃げなさいな!」

「ヘイ了解です、お嬢」

「……あっち。人が少ない」

「すまん、恩に着るぜ!」

 

 俺とカールは迫りくるキチガイどもから逃れるべく、仲間に足止めをして貰っている間に全力で逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、はぁ。どこまで追ってくるのでしょうか」

 

 数分後、路地裏。

 

 俺はカールの指示で小さな木箱に隠れ、何とか研究者の目をやり過ごしていた。

 

『イリーネ、俺が奴らを引き付けるからお前はここに隠れておけ。俺1人なら、いざとなれば撒けるからな』

『カール、ありがとうございます』

 

 飛び込んだ空の木箱の中で、こっそりと周囲の様子をうかがってみる。

 

 研究者共の大半はカールに付いて行った。しかしまだ何人かは、俺を探して路地の周囲をうろうろとしていた。

 

 いつまで隠れていれば良いのだろう。まさか、夜になるまで此処にいないといけないのだろうか。

 

 

「くそ、見失ってしまった。どんな筋繊維をしているのか知りたいだけなのに」

「ちょっとくらい科学の発展に協力してくれたっていいじゃないデスか」

「コーホー。コーホー、毒ガスに耐性はあるのかな? コーホー……」

 

 

 恐ろしい会話が聞こえてくる。やはりあの連中、正気を失っている様だ。

 

 自分たちがずっと研究してきた本物の『勇者』を目の前にして、理性のタガが外れてしまっているのかもしれない。

 

 

「ちょっと内臓を分けて貰うだけなのに、なんとケチ臭い勇者どもだ」

「生きたまま標本を作るデース」

 

 

 冗談じゃない、内臓を取られてたまるものか。なんとしても、ユウリの屋敷に生きて戻らねば。

 

 

 ……。

 

 いや、待てよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うおぁっ!?」

「おい、どうし……、うーわっ!?」

 

 そうだ、そうだ。

 

 よく考えたら、俺にはこれがあるじゃないか。

 

「ふ、不審者だ。本物の不審者がいるぞ、通報しないと」

「いや待て、そんなことをしていたら勇者を見失ってしまう」

「そうだそうだ、ここは街の治安よりも自分の研究を優先せねば」

 

 俺は堂々と街を闊歩する。

 

 変にコソコソしていると怪しまれるからな。こういうのは堂々としている方が怪しまれにくいのだ。

 

「えっ、何アレ。目を合わせないようにしよう」

「この前歩いていたウサギ怪人の仲間か? 関わらないでおこう」

 

 仮面を持ち歩いていてよかった。やはり、いつでもお洒落できるように気を使わないとな。

 

 流石に鎧は屋敷に置いてきたが、空いた木箱に体を突っ込めば代用できる。

 

 これで簡易版猿仮面の完成だ。鎧じゃなく木箱から手足を生やしているのも、パンクでイカす感じだぜ。

 

「きっと、可哀そうな人なんだろう。そっとしておこう」

「人に迷惑をかけている訳じゃねぇ。優しくしてやれ」

 

 

 さぁ、このままユウリの屋敷に帰るか。

 

 仮面を付けるだけで正体を隠せる、こんな簡単な事に気付かなかったなんて笑えて来るぜ。

 

 後は、仲間に俺のこの仮面姿を見られぬ様に気を付けねばな。それさえ気を付ければ、他に気にする事なんて────

 

 

 

 

 

「もしもし、そこの猿の仮面。少し話を聞かせてくれないか」

「あうー?」

 

 あ、警備(ガード)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそ、危なかった……」

 

 研究者共に目を付けられなくなったのは良いが、今度は警備(ガード)に追われるようになってしまった。

 

 くそう、何で俺ばっかりこんな目に。

 

「ここは……街の郊外か。こんなところまで逃げてきてしまったか」

 

 無我夢中で逃げ回って何とか警備を撒いたが、ユウリの家からかなり遠くの場所に来てしまった。

 

 ここからどうやって屋敷に戻ろう。

 

「うーん……。やはり、夜の闇に紛れて帰還するしかないか」

 

 こうなってしまえば仕方がない、安全第一で考えねば。

 

 夜までここに潜伏して、闇に紛れてこっそり帰る。それが、一番安全だ。

 

 後はこのまま、この木箱の中に潜伏して────

 

 

 

「ふぅ、酷ぇ目に遭ったぜ……。お?」

「む?」

 

 

 その場にどさりと腰を下ろすと、近くから聞いたことのあるボヤき声が聞こえてきた。

 

 思わずそっちの方向を向いて、俺は表情を凍りつかせた。

 

 

「あ、猿仮面じゃねぇか」

「……げ、カール」

「げって何だよ」

 

 

 どうやらよりによって、仲間のリーダーに遭遇してしまったみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだな猿。お前、何でこの街に居るんだよ」

「ん、ああまぁ。野暮用」

 

 あっちゃー。これはどうすっかなぁ。

 

 カールもどうやら俺と同じように、研究者から逃げてここに辿り着いたらしい。人気の少ない方へと移動してきた結果、同じ場所に着いた様だ。

 

「にしても猿、以前に増してエキセントリックな出で立ちだな。何で木箱から手足出してんだ?」

「どうだ、お洒落だろ?」

「相変わらずだな、安心したぜ」

 

 俺のイカした姿を見て、カールは曖昧な笑みを浮かべた。

 

 なんだその微妙な顔。どうやらコイツ、俺のお洒落を理解していないな。

 

「……なぁ、猿。実はお前の事を探してたんだ、会えてよかった」

「何だと? 俺に何の用だ」

「ん、まぁ色々とな。前回、お礼も言えてなかったし」

 

 あん? お礼だと?

 

 俺、猿仮面の時になんかカールにお礼言われることしたっけか。

 

「サクラ、俺の仲間になったんだ」

「ああ、お嬢様か。元気にやってるかい?」

「元気にやってるよ。そんで、お前の魔族との戦いぶりも聞いた」

 

 カールはそう言うと、俺に真っすぐ拳を突き出した。

 

「お前が時間を稼いでくれてなけりゃ、俺は魔族に食われて死んでいただろう。ありがとな、猿」

「……ありゃ、自分の身に降りかかる火の粉を払っただけだ。そもそも魔族の群れを追い払ったのはテメェだろカール、そのお前に礼を言われる筋合いはねぇ」

「それでも受け取ってくれ」

 

 カールは真っすぐ俺を見つめて、視線を外そうとしない。

 

 こうなると、この男は頑固だ。俺は根負けして、奴と拳を合わせた。

 

「あいあい、これで良いか」

「ああ」

 

 そう言うとカールはニッカリと笑った。

 

 まったく、無邪気な男である。

 

「なぁ、猿。お前への用事ってのは、これだけじゃなくてだな」

「まだ何かあるのか?」

「……少し失礼な事かもしれねぇが。確かめておかないといけない事があるんだ」

 

 そう言うと、カールは少し真剣な顔になり。

 

「お前の手、綺麗だよな」

「あ?」

 

 付き合わせた俺の拳を、カールはそのまま握って持ち上げた。

 

「なぁ猿。お前は小人族だから声も高いって言ってたけど」

「そ、それがどうしたよ」

「……小人族だとしても、声が妙に高い。それに手だって、こんなに綺麗だし」

 

 カールは真剣な目で、俺の手を凝視している。

 

 む、何だコイツ。何が言いたい────

 

「もしかして猿仮面、お前女か?」

「……」

 

 ……。

 

「は、何をバカげたことを。そんな訳ねーだろ」

「俺の知ってる猿仮面は、女扱いなんてされたらブチ切れる奴なんだが。そんな引き攣った声で誤魔化したりしない」

「ば、お前、何言って」

 

 何だコイツ、本当にカールか!? 俺の知ってるカールはもっとアホで無能だぞ!?

 

 嘘だろ、何で今日に限ってそんなに鋭いんだよお前。まさか、俺の正体を探る気かコイツ!?

 

「……やっぱり、そうなんだな猿仮面。その男口調も、演技の一環なのか」

「い、いや。違────」

「もう、誤魔化さなくてもいい」

 

 お、おいおいおい。

 

 やべぇよやべぇよ、完全に油断してたよ。コイツの事だから絶対に俺の正体に気付かないと思ってたわ。

 

 ど、どうする! どうすればここから誤魔化せる? 俺は由緒正しきヴェルムンド家の令嬢イリーネ、風俗で働いていたなんて醜態を世に知らされるわけには────

 

「安心しろ、これ以上何も探るつもりはない。俺はお前を信用している、だからこれ以上の誤魔化しは不要だ」

「……」

「ただ、お前に渡したいものがある。黙って受け取って欲しい」

 

 あふん。

 

 これ、まさか正体バレてる感じか?

 

 カールは俺の体面に気を使って気付かないふりをしている感じで、本当は俺の中身がイリーネだって気が付いている系のヤツか!?

 

 もしそうだったらどうしよう。カールは信用できるし黙ってもらえるなら放置で良いのか? それとも、ここで正直に全部話して土下座で黙ってもらえるよう頼み込むのが筋なのか!?

 

 俺は、どうしたら────

 

「これ、お前のだろ?」

 

 

 

 

 カールは俺に女モノのパンツを手渡した。

 

 それは黒いレース、ピンク色のリボンがあしらわれた透け透けだ。

 

 

 

 

「……」

「あんな巨大な砲台を壊せる魔術師なんて、そうはいない。猿、今回もお前が力を貸してくれたんだろ」

「……」

 

 

 

 パンツは絹の肌触り。ほんのりいい臭いがした。

 

 

 

 

「ていっ!!」

「あぶっ!!」

 

 とりあえず、カールの顔面にパンツを投げ返しておく。

 

 要らんわ、そんなもん。

 

「え、猿仮面。どうし……」

「違うから」

「何が違うんだ?」

「俺は何もしてねーっつってんだよ!! アホか!!」

 

 成程この野郎、そういう勘違いか!!

 

 あの砲台をぶっ壊したのが俺だと思ってやがったのか。それで女物の下着が落ちてたから、俺を女と勘違いした訳ね。

 

「その下着も俺のじゃない、要らん。てか何で持ち歩いてんだよお前」

「いつ、お前に会えるか分からんからな。会って返そうと思ってた」

「残念だがハズレ、それは別の誰かのだ」

 

 ふん、と鼻息荒くして俺はカールの妄言を一蹴する。

 

 まったく、何考えてんだコイツ。

 

「……じゃあこれは預かっておくが、良いんだな?」

「いやだから。本当に俺のじゃねーから」

「そっか」

 

 カールはそう言うと、何かを察したような顔になってパンツを自らの懐にしまった。

 

 てめー、まだ勘違いしてねぇだろうな。

 

「ま、じゃあそう言う事にしておくよ。ところでだな、猿仮面」

「何だよ」

「事情があってしばらく、街に帰れなくてな。旅用に買った酒が有るんだが、ちょっと付き合わねぇか」

 

 そういうと、カールは酒と小瓶を取り出した。

 

 おいおい、酒に弱いお前がそんなもん持ち歩いて大丈夫か。

 

「……ふん。酔っぱらっても送っていく気はねぇぞ」

「おう、サクラ特製の酔い覚ましがあるから平気だ。俺が潰れそうになったら、この薬瓶を口に突っ込んでくれりゃあ良い」

「便利なもん持ってんだな」

 

 カールは、そう言うと懐から妙なマークの薬瓶を取り出した。よくみると、サクラ家の家紋が付いている。

 

 ……サクラの奴、そんな良いモンをカールに渡してたのか。

 

 いやまぁ、カールには必須品だけど。

 

 

「またお前と一杯やりたかったんだ」

「……ま、俺も暇をしてたしな。少し付き合ってやるよ」

 

 

 俺はカールに手渡された小瓶を受け取り、カールが自分で買ったという酒を煽いだ。

 

 それはアルコールのひどく薄い、甘いジュースのような味付けの酒だった。

 

「ん、飲みやすいな」

「これなら、そんなに酔わねぇんだ」

 

 成程、酒の弱いこの男なりに考えていたようだ。

 

 いつもいつも潰れるわけにはいかないと、自分用に弱い酒を用意しておいたらしい。

 

「まぁ聞いてくれよ猿仮面、これは俺の仲間の話なんだがな」

「はいはい」

 

 そして始まる、仲間自慢。カールが勝手に喋ってくれるならボロは出まい、俺は聞き役に徹しよう。

 

 

 ────その日。

 

 結局俺は、夜になるまでカールと飲み明かした。

 

 

「サクラの妖艶な雰囲気には時折ドキリとするんだがな! やっぱり色気で言うとイリーネでな!!」

「だはははは!!」

 

 

 カール青年も久々に、男同士のゲスい話で盛り上がることが出来て嬉しそうだ。

 

 パーティは女所帯で、唯一の同性は二回りほど年上のマスターのみ。

 

 きっとカールは、同性の友人に飢えていたのかもしれない。

 

 

「レヴが最近、反抗期と言うか。髪を撫でようとすると、プイと何処かに行ってしまうんだ」

「照れてんだろ、そりゃ」

「マイカはいつも、レヴの髪を撫でてるのに」

「その二人はもう、姉妹みたいなもんじゃねぇの?」

 

 

 こうやってサシで話していると、俺達を導く女神に選ばれた男カールは。

 

 

「怖ぇよな、魔族って奴は本当に。何でこんなやべぇ奴らと戦わないといけないんだって、たまに考える事がある」

「……そんなすげぇ力貰っといて、何を言う」

「怖ぇもんは怖ぇんだよ。悪いかこの野郎」

 

 

 

 ……清々しいほどに、何処にでもいる一般人だった。

 

 

 

「そんで、何よりもさ」

 

 

 そんな普通の男、カールは。

 

 

「守れなかったらどうしようって、ずっとずうっと怖いんだ」

「ん」

「俺がヘマをやらかしたら。どれだけの人が犠牲になるんだろって考えると頭が狂いそうになる」

 

 

 普通の人ではとても背負い込み切れないモノを、背負わされていた。

 

 

「今回だって、アルデバランやイリーネが居なければみんな死んでた。俺一人じゃ、結局何もできなかった」

「おいカール。何だってお前は、そんなに自分に自信がないんだ」

「自信がないとかじゃない、事実なんだよ」

 

 

 とうとう空になった酒の瓶を転がして。

 

 少し頬に赤みを帯びたカールは一人、静かにその場で俯いた。

 

 

「何で俺なんだろうなぁ」

 

 

 

 ポツリと零れるように、その呟きは大地に溶け。

 

 しかしてその問いに、答える声は無かった。

 

 



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44話「さらば占少女! ヨウィン旅立ちの日」

 深夜。

 

 ほろ酔いカールとの宴も開き、こっそりと夜闇に紛れた俺は、なんとか誰にも見つからずにユウリの屋敷まで帰ることが出来た。

 

 時折松明の日が揺れる程度の夜の街では、人間の顔を判別するなど不可能に近い。通りにちょくちょく人の気配はあったものの、何とか俺が手配中の実験動物精霊術師(イリーネ)だとバレずに済んだ様だ。

 

「ただいまですわ~、と」

 

 既に静かになった屋敷に、こっそりと忍び込む。

 

 みんな、もう寝てしまったのだろうか? 鍵を開けておいてくれたのは助かるが部屋の明かりは落ちており、居間に人の気配はない。

 

 うん、こうなればもう俺も部屋に戻ろう。

 

 誰も起こさないように、抜き足差し足忍び足で。

 

 

 

 

 

 

「……ふわぁ。やっと、戻って来たんだねイリーネ」

「あら」

 

 

 

 なるべく音を出さないように移動したつもりだったが、廊下を歩いていると部屋の扉が開いて話しかけられた。

 

 見れば、それは眠そうな目をしたパジャマ姿のユウリだった。

 

「ユウリ。貴女まだ、起きていましたの?」

「また父が深夜に演奏していたのでね、注意してきたところさ。それより無事に戻ってこれたようで何よりだよ、イリーネ」

「ええ、どうも」

 

 幼女からねぎらいの言葉を貰い、何とも言えぬ徒労感に襲われる。

 

 俺はどうして、守った街の住人から内臓を狙われなければならないんだ。

 

「ふふふ。安心したまえ、あんなのはほんの一部の過激派さ。この街の研究者の大半は、良識的で善良だよ」

「そう願いたいですわ」

「イリーネが逃げた後、ガリウス氏が騒ぎを聞きつけてあの連中を一喝してくれた様だ。明日は、もう狙われないんじゃないかな?」

「あら、それは助かりますわね」

 

 おお、流石はガリウスさんだ。フォローが早い。

 

「とはいっても、明日には出発するんだろう? 行先は何処なんだい?」

「……さぁ、分かりません。ですが、きっと女神様からカールに指令が来ると思います」

「そうかい。寂しくなるね」

 

 ユウリは少し目を伏せて、俺の服の袖をクイクイと引っ張った。

 

「少し、話をしないかい」

「ええ、構いません事よ」

 

 ふむ、こんな時間にどうしたのだろう。

 

 何か内密の話でもあるんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君が旅に出る前に、いくつかの恩を清算しておこうと思ってね」

「世話になったのは私達の方でしょう。屋敷に住まわせていただいて、学者に伝手まで用意して貰って」

「そんな程度の事じゃ、この恩はとても返しきれないさ」

 

 ユウリは意味深な顔でそう言うと、何やらゴソゴソと部屋の箪笥をあさり始めた。何かをくれる様だ。

 

 ふーむ? 俺って、ユウリにそんな大層な貸しを作ったっけ。

 

 街中に連れ出されてマゾヒズムに付き合わされた事くらいじゃないか、でっかい貸し。

 

「祖父の無念を晴らしてくれてありがとう。ボク自身、祖父の事を父のようなネタ魔導師としか見ていなかった。あの魔法が、そんなに凄いものだとは思わなかった」

「ああ、その件ですか。……貴女の祖父は、偉大なお方でした」

「違いない」

 

 ユウリは祖父の論文を胸に抱き、目を閉じて思いを馳せている。

 

 ただヤツは、マゾヒストの変態でもあるけど。そこはユウリも同じ穴の狢なので黙っておこう。

 

「ほら、君に渡そうと思っていたアイテムだ。これは認識阻害のブローチと言って、主に顔を見られたくない時に用いるアウトローな一品」

「……まぁ。これは、どういうものですの?」

「装備した者の、顔や声が印象に残りにくくなる効果がある。気休め程度だがね」

 

 犯罪者御用達の一品で、ブラックな市場でこっそり手に入れたものだとユウリは続けた。

 

 ちょっと待て、これ大丈夫か? 怪しい品物な気がするけど。

 

「何か犯罪行為をする時に有用なモノだ。是非役立ててくれたまえ」

「ちょっと待ってくださいまし。ユウリ、どうして貴女はこんなものを持っているのです? まさか何か犯罪行為を……」

「いや、ただの露出……、ん、ゲフンゲフン。すまないが、詳細は黙秘させてもらうよ」

「……」

 

 あ、ふーん。

 

 これ、ユウリの露出プレイ用のアイテムかよ。そんなことしてたのかこの変態幼女。

 

「猿仮面に変装する時に、セットで付けておくといい。より、正体を悟られにくくなるはずさ」

「……おお。確かに、それは役に立ちますわね」

「ガリウス卿から、資金援助はたっぷり貰ったのだろう? ボクから出来る援助は、こういうのの方が良いかと思ってね」

 

 成程、そういう使い道をしろと言う事ね。

 

 一応髪型とかは変えているけど、猿仮面は声も髪の色もイリーネと一緒なのだ。賢い人間が見たら、きっと一発で看破されてしまう。

 

 こういった小細工は、本当に助かる。

 

「意外とワルですのね、貴女」

「ふ、研究者は強かでないとやっていけないのさ」

 

 いや、露出性癖と研究は関係ないだろ。

 

「して、もう一つ聞いておこう。今も君はお嬢様口調だけど……。イリーネ、君の地は男口調の方だね?」

「ええ、そうですわ。お気づきになられましたか」

「比べてみると、今の君の方が演技っぽいからね。男口調の方は、殆ど演技を感じなかったけど」

 

 ユウリはそう言うと、ニッコリと悪戯な顔を浮かべた。

 

「君は貴族の令嬢として、今も相応しい仮面を身に着けている。しかし、その本性は粗野でバカな男口調の女の子」

「誰が、馬鹿ですか」

「そうやって生きていて、息苦しくならないかい? 本当の自分を出して、受け入れて貰いたいとは思わないのかい」

「ああ、そのことですの」

 

 ユウリは俺をからかうつもりなのか、はたまた諭すつもりなのか。

 

 しかして、その答えは……。

 

「答えはNOですわ。これがまた、全く息苦しくありませんの」

「……へぇ?」

「育ててくれた両親への恩義を背負い、令嬢として相応しい行いをする。それは、私自身とうの昔に受け入れた覚悟ですから」

「覚悟、か」

「自分の好きなように気の赴くまま、生きていけるほど世の中は簡単ではありませんわ。自分で背負うべきことは背負って、そして前に歩んでいくことが人生です。何か重荷を背負わされたとしても、ブゥブゥ文句を言って投げ出すような人間にはなりたくありません」

 

 確かに、男口調のまま地を出して生きていけたら最高だ。

 

 だけど、そんな事をしたら沢山の人に迷惑が掛かってしまう。

 

 俺は不義理な人間にはなりたくない。きちんと努力して適切な『令嬢としての仮面』を身に着ける事を選んだのは、他ならぬ自分自身だ。

 

「私はイリーネ。イリーネ・フォン・ヴェルムンド。ヴェルムンド家の令嬢であり、漢を目指す修行中の男です」

「……あ、そうなんだ。あの口調でもしやと思ったが、君の精神的な性別は」

「心は男よりですわね。まぁ、些細な事ですわ」

 

 ユウリには色々バレたし、もう会う事もないだろう。

 

 なのでもう全部隠さず、ぶっちゃけてしまった。妹以外にぶっちゃけたのは、これが初めてだ。

 

「そっか。道理で、父に裸を見られても動じなかったのだね」

「ええ」

「てっきりボクと同じく、裸を見られて興奮するタイプかと」

「その誤解、最後の最後に解けて何よりです」

 

 そんな誤解してやがったのかこの幼女。俺は見られて喜ぶ趣味なんざない。

 

 あーでも、いつかムキムキに鍛え上がった体を人前で披露してみたい欲望はあるかも。ボディビルダーみたいなノリなら、ちょっとやってみたい。

 

「あー」

「どうしましたか、ユウリ」

「じゃあイリーネは、女の子が好きなのか?」

「むー。どうなんでしょうね、今の所誰かに恋をしたことなどありませんから分からないです。でも、どちらかと言えば女の子の方が好きかも?」

「……」

 

 そーなのよなぁ。ぶっちゃけ可愛いなぁと思った子は何人もいたし、実家のメイドのサラとかまさに『理想のお姉さん』って感じで前世の俺の好みど真ん中なんだけど。

 

 女に生まれたせいか、風呂場でサラの裸体を見てもあんまりドキドキしなかったのだ。『わー、肌綺麗』とかそんな感想しか湧いてこなかった。

 

 だからと言って男相手はどうかと言えば、やはり抵抗を感じる。社交界でちょくちょく声をかけられたけど『うーん、筋肉ねぇな』と言う感想しか湧いてこなかった。

 

 いつかは親の顔立てて男と婚約する羽目になるんだろうが、暫くはお断りしたい。

 

「少なくとも、男よりはマシと言った感覚でしょうか」

「そっか、そういやイリーネはカールに興味無さそうだったか」

「無論、彼を剣士としては信頼しています。異性として好みかという話では論外ですが」

 

 本人の居らんところで扱き下ろしてすまんな、カール。

 

 でも実際、そんな感じなんだ。

 

「じゃあさ、イリーネ」

 

 俺の答えを聞いたユウリは、何かを決心した顔になり。

 

 俺が腰かけていたベッドの隣に、ちょこんと座り直してきた。

 

 

「────ボクと、キスをしてみないかい?」

「はい?」

 

 

 そして、少し声を震わせながら。

 

 そんな爆弾発言を、落としたのだった。

 

「え、その、ユウリ?」

「まぁちょっと、そういうのに興味もあって。イリーネなら優しくしてくれそうだし」

 

 そう言いながら、はにかんで笑う白髪の少女。

 

 少し緊張しているのか、ユウリには珍しく固めの笑顔だ。

 

「い、いえ、その。ユウリも、そっちの趣味だったりするんですの!?」

「さぁどうだろうね。でも何となく……今、イリーネと口づけを交わしてみたくなった」

 

 どくん、どくん、と鼓動が早くなる。

 

 おい、俺は何で焦っているんだ? 幼女にキスをせがまれたくらいで、何をテンパる事がある?

 

 落ち着け、大人の余裕を見せろ。きっとユウリは俺をからかっているんだ。

 

 まんまと、乗せられてはいけない。

 

「ユウリ、そう言うのは本当に好きな人ができてから」

「女の子同士だし、こんなのノーカウントだよ。ただの、感謝の気持ちのキスさ。それともイリーネは、ボクとキスするのが嫌なのかい?」

「そ、そんなことは、有りませんけれど」

 

 クスクス、と妖艶な笑みてユウリは俺を見上げた。

 

 え、何この娘。何か怖い。

 

「……それに、イリーネになら。何処までされても、ボクは怒ったりしないよ」

「……」

 

 待て待て待て、落ち着け。

 

 雰囲気に飲まれるな、一旦冷静になれ。

 

 何だこの状況、何でいきなり俺はロリ幼女から百合を迫られているんだ!?

 

 ユウリは何を考えている? もしかして本当に、この娘はそっちの気がある娘なのか!?

 

 

 

 はぁ、はぁと息遣いが荒くなる。

 

 二人きりのユウリの私室、少し眼の潤んだ白髪の少女は遠慮がちに俺の掌を握ってきて。

 

 

 

「……ボクじゃだめかな?」

 

 

 

 そんないじらしい台詞を、囁くようにぶつけてきた。

 

 ど、どうする。

 

 

 俺は。

 

 俺は、俺は、俺は────

 

 

 

 

 ……。雰囲気に流されてユウリと見つめ合うと、何やら彼女の表情から大きな欺瞞を感じた。

 

 これは……何かを誤魔化している奴の顔だ。

 

 

 

「……ねぇ、ユウリ。何か隠してません?」

「え、何を言うんだい。ボクの一世一代の決心を、そんな風に言われるのは心外だな……。ここはやはり責任を取って」

「ちょっと、そこの論文を拝借」

「あっ」

 

 

 ユウリがチラチラ見ていた、机の上にある論文を手に取ってみる。

 

 その表題とはすなわち『精霊術師の魔力組成』と題されていて。

 

 

 

 

 

 ────結論から言うと精霊術師の毛髪には、精霊が好む魔力素が混入している可能性が高い。また、その体液には強烈に精霊を魅了する効果があると思われるが、いずれも推測に過ぎず────

 

 

 

 

 

「……この論文は何ですの?」

「関係ないさ、イリーネ。もうボクは、覚悟を決めている。今からベッド上で欲望のまま、ボクの幼い肢体を好きにしたまえ!」

「誰がするかぁ!!」

 

 キャピ、と悪戯な笑みを浮かべてベッドにダイヴするマッドサイエンティスト。

 

 この幼女、自らの研究の為に貞操を差し出しやがったな。よく見たら、ちょっとユウリの目がグルグルしているマッドモードだし。

 

「ユウリ貴様、俺の身体から検体(サンプル)を回収する為だろ! お前まで、俺の身体を狙ってたんだな!」

「ち、違う誤解だ! その、ベッド上でくんずほぐれつしたら沢山のサンプルが集まるとは考えただけさ!」

「まぁ恩もあるし、髪の毛くらいならユウリに譲っても構わんが。だが、その、この論文に書かれている……」

 

 

 ────精霊術者が女性であれば、●●にまさる検体(サンプル)はなく────

 

 

「なんちゅーものを回収しようとしてんだこの変態幼女!!」

「あ痛ぁ!」

 

 なんとこの幼女、俺をベッドに誘ってとても貴族令嬢の口には出せないような物体を回収するつもりだったらしい。

 

 そんなの研究されたなんてことになったら、ヴェルムンド家に凄まじい悪評がばら撒かれる。

 

「……そこをなんとか、絞り出せないかなイリーネ? ホラ、ボクを好きにして良いから」

「そこに直れ、ユウリィ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 げ ん こ つ ! ! !

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おはよ、イリーネ。あら、寝不足かしら?」

「ええ。昨夜は夜闇に紛れてこそこそと帰ってきましたので、少し疲れておりますの」

「まぁそうよね。出発までまだ時間あるし、もう少し休んでおく?」

「いえ、結構ですわ」

 

 ふぅ。無駄に疲れた一夜だった。

 

 ゲンコツ一発で気絶したユウリを、ベッド上に放置して俺は自室へと戻った。

 

 ありとあらゆる研究者が、俺の肉体を狙っていやがる。

 

 このまま、この街に居たら命に関わる。ドイツもコイツも、研究の為とあらば何をするか分からない。

 

「じゃ、下に降りてらっしゃい。もうカールが、女神から次の行先を告げられたらしいから」

「次の行先、ねぇ。女神を本当に信用してよいモノやら」

「現状、女神様以外に情報源も無いんだし。とりあえず、話を聞きに降りましょう」

 

 サクラ曰く、女神のお告げがあったのでもう次の行先は決まってしまった様だ。

 

 女神の『魔族が~に居る』という情報はそこそこあてになる。まぁ、従っておくのが無難か。

 

「ただ次の街は、こっから割と遠いみたいよ。確か湾岸都市って言ってたかしら」

「まさか湾岸都市アナト? あらまぁ、それは随分と遠出ですわね。ヨウィンからですと、1か月はかかりますわよ」

 

 その都市名を聞いて、思わず目を見開く。

 

 女神の示した次の行先は『湾岸都市アナト』。

 

 アナトは国の最東端の街で、西側ヨウィンからは正反対の位置。

 

 そして製塩業と漁業で潤う、国一番の海鮮の産地でもある。観光業も発達しており、美しい町並みが旅人を出迎えると聞く。

 

 生涯に一度は行ってみたかった水の都、アナト。

 

 そんな素晴らしい街に行けて嬉しいが、本当にアナトに行くのであれば国を横断する大移動となる。

 

 旅慣れていない俺やサクラが、そんな長旅できるだろうか心配だ。

 

「慣れぬ旅路で体調を崩して、間に合わなくなったりしなければ良いのですが」

「それが、向こうには半年以内に着けば問題ないそうよぉ。しばらくは魔族の襲撃もないそうで」

「え、そうなんですの?」

 

 半年以内? それならば、余裕だ。

 

 いろんな街で数泊観光しながら向かっても、全然間に合うだろう。俺やサクラが疲れたらその都度、休めば良い話だ。

 

「ま、急ぐ旅路ではないって事ねぇ。だからもうちょい、ここヨウィンでノンビリするのもアリかもしれないケド」

「私としては、いつ実験動物(モルモット)として拉致されるか分からないので可及的速やかに出発したいですわ」

「ま、そうねぇ」

 

 だがヨウィンでの滞在は論外だ。ユウリまで俺の身体を狙っているのである、この街に俺の安住はない。

 

「では、話を聞きに行きましょうイリーネ」

「ええ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、ヨウィン最後の夜は終わりを告げた。

 

 俺達一行は頭にたんこぶを作ったユウリと別れを交わし、仕方ないので数本髪の毛を譲ってこの街を後にする。

 

警備(ガード)に捕まったって知るものか! 俺は奴等の血液を採取するんだ!」

「内臓をヨコセ!!」

「出やがりましたわね、このマッドサイエンティスト!」

 

 ガリウスの呼び掛けの甲斐なく、結局俺達は翌日も研究者に追い回された。仕方ないので逃げるように、俺達パーティーは街の外へと駆け抜ける。

 

「もう二度とこの街はごめんですわ!」

「全くだ、こんちくしょう!」

 

 こうして、俺達は慌ただしくも賑やかに、新たな旅路を踏み出したのだった。

 

 次なる街は────湾岸都市。

 



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45話「ご立派ァ!! 新たなる街レッサル」

「あら、もう到着ですの?」

「まぁ、隣町だし……」

 

 魔法都市ヨウィンを出発して1日、俺達は早くも隣接都市であるゴウィンへと到着した。

 

 レーウィンからゴウィンまで合わせて、ウィン領と呼ばれるウィン侯爵の管理区域だ。

 

 そしてこのゴウィンこそ、ウィン領の端。ここを抜けると別の貴族の領となるので、俺は完全に土地勘が無くなる。

 

「まだ明るいし、先に進めない事もないと思うけど」

「でも、そうなると野宿よね」

 

 さて、どうしてこの辺の街の名前には、全てウィンが付いているのだろうか。

 

 実は貴族は長期間管理している土地に自分の名前を付ける事があり、ウィン領もその例に則っているのだ。

 

 伯爵、侯爵クラスの上級貴族になると複数の村を領地として任されることが多い。その全ての街が誰の領土なのかを分かりやすくするために、施政者が自らの名前を街に冠する。

 

 そして格の低い貴族が上級貴族に任ぜられる形で各都市を管理する。俺の実家ヴェルムンドも、ウィン侯爵の任命の下で都市を治めている。

 

 つまりこの辺はまるごと、ウィン侯爵の領土なのだ。俺は以前に式典でウィン侯爵に会ったことあるけど、見た目は気の良いお爺ちゃんって感じだった。

 

「ここを出発したら、次の街まで結構距離がある。今日は日も沈んできているし、ここで一泊して英気を養おう」

「それがよろしいですわね」

 

 因みに、ヴェルムンド家はウィン領のサンウィンという都市を任されている。

 

 そんなサンウィンの長たるヴェルムンド伯爵に、平民のカールは直に路銀の無心に来た訳だ。パパンが温厚で見る目がある人間だったからよかったものの、貴族によっては無礼打ちされてもおかしくない。

 

 そもそも、ヴェルムンド家は伯爵の家系。実は結構な大貴族である。

 

 まぁ、凄いのは家としての格だけだが。サンウィンには目立った財政基盤や特産品、技術などは無い。当然経済規模は小さく、位のわりに金も権力もない。

 

 軍人貴族が過去の栄光で高い位を維持しているものの、その実はその辺の貴族と変わらない権勢という感じである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「北回りで行くか、南回りで行くか」

「どちらからでもそんなに距離は変わらなそうですが」

 

 ゴウィンの街で宿屋を借りた俺達は、今後の進路について話し合った。

 

 国の中央には険しい山岳地帯があり、まっすぐアナトを目指すのは難しいのだ。山岳は道も整備されておらず、方角も分かり辛く、凶悪な魔物がウヨウヨ彷徨いている危険な場所だ。

 

 なので俺達は、北と南どちらかに回り道してアナトを目指すべきであり。

 

「私は北回りでいいと思うけど。街が多いし」

「マイカは北が良いんだな」

 

 北回り……、つまり首都ペディアを経由して湾岸都市を目指すルート。商業の発展している都市を多く経由する事になり、道中で物品に困ることは無いだろう。

 

 ただ、首都近郊は物価がバカ高い。ガリウス様からかなりの額の援助を貰ったが、向こうの物価はこの辺の倍以上もある。正直、手持ちで足りるかは分からない。

 

 まぁそうなれば、物価の高い首都で稼げば良いだけの話であるが。

 

「でも、北回りだと悪党族の出没地域を経由する事になるわよぉ? あいつら、本気でヤバい連中だから近づきたくないわぁ」

「金のあるところ賊有り、商業都市の辺りだと盗賊に襲われるリスクは高くなる。カールの旦那が寝てるところを不意打ちされたら最悪全滅だぜ」

 

 それよりも問題となるのは、今サクラの言った通り盗賊の問題だろう。悪党族、と言われる野盗の集団が周辺の商業都市を荒らしまわっているという噂はよく聞く。

 

 遠くウィン領まで悪党族が来たことはないが、これから旅をするのであれば警戒しておかねばなるまい。

 

「でも、南回りは魔物が多い。道も整備されていないし、都市も少ない……」

「襲われるのが盗賊になるか、魔物になるかって話ね。南回りは都市が少ないから野宿の回数も増える、その方が危なくない?」

 

 一方、南回りルートでネックになるのは、その開発度の低さだ。

 

 魔物もあまり退治されておらず、道もあやふやで都市が少ない。田園都市が多く、足りない物資も出てくるだろう。

 

 旅慣れていない俺やサクラには、厳しい道のりとなるに違いない。

 

「イリーネはどう思う?」

「貴族的なことを言わせてもらいますと、北回りして盗賊を退治したいところですが」

「あー、イリーネはそうなるのね」

 

 魔物がある程度沸くのは、仕方ない。

 

 しかし盗賊が出没するのを、見逃しておきたくない。もし襲ってきたら、この俺の筋肉で四つ折りにしてやる。

 

「……イリーネの言うことは、さておき。私、北回りして故郷に寄りたい」

「あら、レヴ」

「まだ、家族が死んだことを親戚に報告できてない。お墓も建てられてないし」

 

 ……そっか。レヴちゃんって、カールに拾われた事を親戚の誰にも報告できてないのか。

 

 なら、元々の親類に会いに行くべきだろう。

 

祖父()ぃの家が、レッサルにある」

「レッサルか。なら、北回りだな」

「うーん、そういう事情なら仕方ないわねぇ。ま、危険さはどっちもどっちか」

 

 死んだ家族の事を出されたら、反対もできない。

 

 マイカも俺も北回り派だし、サクラもそれ以上反対はしなかった。

 

「悪党族は残虐非道。よくよく警戒しながら進みましょ」

「安心しろ、俺が返り討ちにしてやるからさ」

「カールが起きてるなら、負ける心配はしてないわ。夜襲に備えて、寝ずの番を立てましょ」

 

 と言う訳で、俺達は北沿いの……首都を経由するルートでアナトを目指すことにした。

 

 首都近辺になると賊は出なくなるらしいが、各地に点在する商業都市周囲ではいつ襲われるか分かったものではない。

 

 警戒を怠らず、用心せねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お父は、かなり有名な冒険者。どんな状況だろうと戦えるように、基本は無手で戦うスタイルの戦士だった」

 

 ゴウィンを出発した俺達は、レヴちゃんの希望通りレッサルを目指すことにした。

 

「お父とお母の他にも、兄のレイタル、従者のカイン、飼い狼のラズーと一緒に各地を旅して回っていた」

「へぇ」

 

 道中、俺はレヴの話をポツポツと聞いていた。

 

 彼女はどんな人生を歩み、どんな旅をしてきたか。仲良くなった今なら、レヴちゃんは拒まず教えてくれた。

 

「お父は、色んな場所に出向いて『普通の冒険者の手には余る』依頼を片付けていく事を生業にしてた。……お母は魔術師で、そんなお父のサポートをしていた」

「皆に頼られていた冒険者なのですわね」

「そう……」

 

 聞けば、レヴの父はかなり凄腕の拳士だったらしい。自分より大きな熊の魔物相手に、素手で殴り勝ったと言う。

 

 きっと、かなりの筋肉レベルを持つ豪傑だったのだろう。

 

「従者まで居たのねぇ」

「……うん。お父の事をカインは『アニキ』って呼んで従ってた。昔、命を救われたとか」

「慕われてたんですね、お父様」

「うん……。カインが、お父がいかに凄かったかを私に教えてくれた人」 

 

 レヴの父は人望があり、多くの人間に慕われていた。そのうちの一人がカインと呼ばれる従者だった。

 

 彼は幼少のレヴ兄妹を、依頼などで親のいない間世話していたという。

 

 きっとレヴの父親自慢は、カインからの受け売りが多いのだろう。

 

「兄ぃは、私の3つ上。お父とカインの弟子で、将来有望な拳士だった」

「なるほど」

「去年辺りから、お父の依頼についていくようになった。役に立ってる兄ぃを見て、正直羨ましかった……」

「そんな歳で依頼に……。優秀だったんですね」

「ラズーは狼。魔物とか盗賊とかが近付いてくると吠えてくれる偉い奴」

「おお、成る程。そういう役割なのですか」

 

 そんなレヴの一家は、大所帯でウィン領を旅していて。

 

「……みんな、みんな。私を庇って死んじゃったけど」

 

 あのマントヒヒ顔の魔族に出くわしてしまい、殺された。

 

「近接拳士と、あの魔物は相性最悪でしょうねぇ。精霊砲に耐える化け物を、素手で仕留めるのは不可能だわぁ」

「でも、私が逃げ出す時間は稼いでくれた。カインも、兄ぃも、ラズーも、全員私だけは逃げろ、って」

 

 辛い事を思い出させてしまった。

 

 レヴは末の娘、きっと全員から愛されていたのだ。それこそ、命を懸けてでも守りたいと。

 

 そして、レヴだけが生き残った。

 

「遺骨も、遺品も無いけど。せめて、墓だけは立てて供養したい」

「そうだな。レヴの家族の勇敢な最期、お前の祖父さんに報告しねぇとな」

「……ん。レッサルに着いたら、紹介する。祖父ぃの家に泊まりに行こう」

 

 レッサルまでは、数日かかる。

 

 旅の途中、俺はレヴに格闘の手解きを受けながらずっと家族の話を聞かせて貰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道中、悪党族の襲撃はなかった。

 

 旅すること3日、俺達は無事にレヴの故郷レッサルへと到着した。

 

「……ん、何もない街だけど」

「のどかな場所ですわ」

 

 レッサルは、普通の田園都市だった。

 

 俺の実家のあるサンウィンや、この前まで滞在していたヨウィンに比べるとのんびりした雰囲気の街である。

 

「でも、立派な建物も見えますわね」

「……あれは、大聖堂。この街は、女神マクロの信仰都市だから」

 

 ふむ、この街は女神マクロの信徒か。カールの主神ではない奴だな。

 

 女神を信仰し聖堂を有する村は、少なくない。特に信心深い村は、大聖堂と呼ばれる宿泊施設や祈祷像を備えた大掛かりな施設を村の運営費で経営している。

 

 旅人は安い値段で大聖堂に泊まれるが、雑魚寝部屋に寝具を渡されて放り込まれるだけなのでサービスは悪い。

 

「祖父ぃは、あんまり信心深くなかった。聖堂の連中が、女神の為だの村の為だの言ってガンガン金を毟ったから」

「あの規模の大聖堂は、維持に相当費用が掛かるわねぇ。よく分かんない石像まで建てられてるし、この規模の村で維持するのはそもそも無謀じゃない?」

「うん、無謀。あの石像は知らない……。前は無かった、またお金を使って建てたんだと思う」

 

 信仰のために無駄金を注ぎ込むって、何か馬鹿みたいだ。

 

 この村の住人が納得してるなら気にしないけど、俺は身の丈にあった聖堂にしとけと思うなぁ。

 

「……取り敢えず、祖父ぃの家に行こう」

「だな。まずは、挨拶だ」

 

 田舎村には不釣り合いに豪華な聖堂。

 

 それに少しばかりの薄気味悪さを感じながら、俺はレヴの案内のもとで街を進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あん? あんたら、誰?」

 

 レヴの案内した家から顔を出したのは、若い青年だった。

 

 彼はレヴを見て怪訝な顔をしているし、レヴもぱちくりと青年を見て驚いている。

 

「……私は、この屋敷の親族の者。この家の主、ジャレイは私の祖父ぃだ。貴方は、祖父ぃとどういう関係?」

「ジャレイ? 誰だそれは」

「この家は、祖父ぃの家でしょ? 貴方は間借りしてるんじゃないの?」

 

 レヴは祖父の家から出てきた初対面の人にテンパりながらも、冷静に応対している。

 

 だが、どこか話が噛み合っていない様子だ。これは、まさか。

 

「……あぁ、そう言うことか。お嬢ちゃん、俺は去年この家を購入したんだよ」

「購入……?」

「ここは、俺が買うまで売家だったんだ。君の言うジャレイさんと言うのは、前の住人の事ではないかな」

 

 その青年は少し申し訳なさそうな顔になりつつ、言葉を続けた。

 

「権利書を見せてもいいよ、ここはもう俺の家なのさ。前の住人についてはよく知らないんだ、悪いね」

 

 その顔に、嘘を言っている様子はない。

 

 彼は、まぎれもなくこの家の所有者なのだろう。

 

「……そうか」

「この街では、大聖堂が村役場を兼ねている。この家の前の住人について聞きたいなら、ソコに行ってみると言い」

「……丁寧に、どうもありがとう」

 

 そこで会話が途切れ、青年はバタンと扉を閉めた。

 

 静寂が、俺達を包む。

 

 レヴの祖父は、何処かに引っ越してしまったのか。せっかくはるばると祖父に会いに来たのに、レヴは誰にも会えぬ事となるのか。

 

 

「……行きましょうか」

「うん……」

 

 

 少し嫌な予感を感じながらも、俺達はレヴの案内に従って大聖堂まで足を動かし続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャレイ氏は、昨年の夏に亡くなっています」

 

 大聖堂で住人録を照合して貰い、俺達はレヴの祖父の死を知った。

 

「死因は病死。出歩く姿を見かけなくなり不審に思った近所の住民が、屋敷内で死亡しているジャレイ氏を発見したと記録されています。当時肺炎が流行っており、ジャレイ氏も肺炎であったそうで」

「……そう、ですか」

 

 レヴの祖父は引っ越したわけでも、旅に出た訳でもない。ただ、流行り病で命を落とした、それだけだった。

 

「……その。遺品と、遺骨はどうなりましたか?」

「身寄りのない死者の場合、遺品は大聖堂が接収し市場に売却されている筈です。遺骨は、恐らく共同墓地に埋葬されたかと思われます」

「……待て」

 

 身寄りのない死体、という言葉を聞いてレヴが目を吊り上げた。

 

 その眼には、少し怒りがこもっている。

 

「それはおかしい。父はこの街の出身だし、この街で冒険者登録をした。だから大聖堂は、父の存在を知ってたはずだ」

「……」

 

 どうやら、大聖堂はジャレイ氏の身内に連絡を行わず勝手に財産を整理したらしい。

 

 レヴも怒って当然だ。

 

「祖父ぃが死んだなら、冒険者ギルドを通じて父に連絡を取ることもできただろう。なのに、父は何度かギルドに立ち寄ったが、祖父ぃの死の連絡なんてなかった」

「ええ、そうでしょう。大聖堂では、街の外の冒険者にまで死者の連絡はしておりませんので」

「……祖父ぃに身寄りは有った。私の一族の墓はある、そこに祖父ぃは入るべきだった!! 祖父ぃが死んでたなんて話を聞いたら父はこの街に飛んで帰ってきた!!」

 

 淡々とした態度の職員に、レヴの語気が荒くなっていく。

 

 いかん、このままじゃ喧嘩になる。権力側と事を構えるのは、あまりよろしくない。

 

「レヴさん、落ち着いて……」

「でも、確かにおかしい話ね。死者が出たなら、遺族に一報入れるのが普通では?」

「法改正がありまして、入れずとも良いという事になったのです。ギルド間での言伝には金がかかります、我々もボランティアで仕事をしているわけではありませんので」

 

 レヴの怒気を飄々と受け流しながら、職員は話を続けた。

 

「死者が出た際、3日以内に身元引受が無い場合は大聖堂がその資産を接収します。それが、今のレッサルのルールです」

「え、3日!? 冒険者は、3日くらい依頼で家を空けるでしょうに」

「規則は規則ですので」

 

 なんてことだ。なんて町だ。

 

 人の死をなんだと思っているのか。それはつまり、人が死んだらそれを遺族に周知せず、3日過ぎればその遺産だけ没収するぞと言ってるようなものではないか。

 

「……で、その没収した財産は何に使ってるのよ。アンタらの酒代になってんじゃないでしょうねぇ」

「我々を愚弄するおつもりですか。聖堂の資金は、余さず『ゴリッパ』様の像の建立に当てているのです。我々は贅沢など、するはずがないでしょう」

「『ゴリッパ』様?」

 

 あん? なんだその初めて聞いたワード。

 

「先代の、この街の司教様ですよ。その偉大さを讃えるために、息子であるコリッパ様が巨費を投じて建築しているのです」

「あ、あの作りかけの大きな石像の事!?」

 

 ……え、あれって司教の石像だったのか? 女神の石像じゃなくて?

 

 司教を信仰してどうするんだ、アホなのかこの街は。

 

「ゴリッパ様は偉大な指導者であらせられました。コリッパ様は父君に心服し、その死後も石像を建立して讃え続けているのです。ああ、何と素晴らしき親子愛」

「……そんなモノの為に、私の実家や、思い出は売り払われたのか」

「そんなモノ、だと? 子供だからと言って、あまり無礼な発言をするなら逮捕しますよ」

 

 職員の声が、少しいら立ちを帯びた。

 

 そんなに大事なのか、そのゴリッパ様とやらが。

 

「……もう、良い。行こうか、みんな」

「レヴ、よろしいのですか」

「もう、何を言っても手遅れ。せめて、祖父ぃの眠っている場所に行って祈りたい」

「そうですか」

 

 これ以上、いくら話しても平行線だ。そう感じたのだろう、レヴは悔しげな顔をしながらも職員に背を向けた。

 

「おや、墓を参るにせよ荷物は置いて行かれないのですか?」

「荷物、だ?」

「あなた方は旅人なのでしょう? 祖父が死んだのであれば、泊まる場所もないでしょうに。今のうちに宿泊登録をしておけば、荷物は預かりますよ」

 

 ……ああ、そっか。

 

 大聖堂は、宿泊施設も兼ねてるんだっけか。

 

「……」

「悪いな、ちょっとこの場所に泊まる気にはならねぇ。金に余裕があるから、宿を取ることにする」

 

 そのあまりに空気の読めていない職員の言葉に、カールが割って入る。

 

 当り前だ、レヴが今どんな気持ちでいると思ってんだ。誰が、こんな場所で寝泊まりするか。

 

「残念ですが宿など、この街にありませんよ?」

「……は?」

「この街に訪れる旅人など数が知れてますからね、宿は廃止し全員大聖堂に宿泊する事が義務付けられています」

「な、なんだそりゃ」

「お1人様一泊500G、ここでお支払いください。野宿は治安維持の観点から、逮捕拘留となるのでご注意を」

 

 ……超ボッタクリ価格。

 

 ビビるわ、なんてアコギな事やってんだコイツら! ヨウィンで最高の宿借りても、500Gは行かないぞ!?

 

 大聖堂で雑魚寝させてもらうだけなのに、なんでそんな額払わねぇといけないんだ。

 

「……その額なら、その辺の村の家に金払って泊めてくれって頼んだ方が良くねぇか。大聖堂って、格安で宿を取らせてくれる施設じゃなかったのかよ」

「このレッサルで、大聖堂以外が宿屋に相当する行為を行えば厳罰です。いくら払おうと、誰も泊めてくれないでしょうね」 

「そのお金はあの石像に行くのですわね?」

「これも、大聖堂の維持の為。レッサルには、この大聖堂が必要不可欠なのです」

 

 ……。

 

「今日中に、この街を出よう」

「外には悪党族がうろついています、非常に危険です。泊まって行きなさい、僅かな資金を惜しんで命まで奪われても知りませんよ」

「……」

 

 その職員の態度に、そろそろ俺の腹も据えかねてきた。

 

 大聖堂とは、民を守る施設じゃなかったのか。

 

 こんな詐欺恐喝まがいの、遺産泥棒をする組織の何が必要不可欠か。

 

 

 

 

「……行こう」

「レヴ……」

「落ち着いて、イリーネ。私は、怒ってないから……」

 

 随分と、俺は怖い顔をしていただろうか。

 

 俺が固く拳を握りしめている事に気付いたレヴは、哀し気な笑顔で俺の手を握りしめてこう言った。

 

「怒ってくれてありがと……」

「……」

 

 レヴは、そう言って静かに佇む。

 

 ああ。いつの間にか、俺がレヴちゃんに宥められてしまっているじゃないか。

 

 情けないことこの上ない。

 

「俺はこう見えて強いからな、野宿でも怖かねぇ。いくぞみんな」

「本当に、お泊りにならないので?」

「その100分の1の値段なら考えてやってもいいかもね。本来、大聖堂はそんな値段で寝床を提供する施設よ」

「この街は、大聖堂こそ象徴なのです。他の街と一緒にしないでください」

 

 ああ、その通り。

 

 他の街で真面目に信仰やってる人と、こんな連中を一緒にしちゃ迷惑だ。

 

「賊に襲われても知りませんよ、本当に良いのですね」

「……本来は、施政者たるお前らが賊退治するべきでしょぉ? あんなのに金を使う前に」

「あの石像さえ完成すれば、全てが上手くいくのだ。ゴリッパ様が、街を守ってくださる」

 

 この街の、大聖堂を運営している連中は。

 

 間違いなく、気が狂っていやがる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここ、か」

「……そう、共同墓地」

 

 聖堂の裏の野山。

 

 ほとんど整備されていない獣道を進むと、乱雑に組み上げられた石が立ち並ぶ『墓地』へと到着した。

 

「祖父ぃも可哀想に。誰にも看取られず、こんな場所に埋葬されて」

「レヴ……」

「……最後に会った時は、大層元気だったのに。こんなことなら、去年にも顔を出しとくべきだった」

 

 レヴは、その小汚い墓石の前に屈んで座る。

 

 そして、何かを懐かしむ様に拝みだした。

 

「祖父ぃ。遅くなってごめんなさい。貴方の冥福を、孫のレヴが祈ります……」

 

 

 ────年端も行かぬ少女(レヴ)の祈りが、山風となって墓標を吹き抜ける。

 

 その祈りは、きっと彼女の祖父に届いただろう。

 

 

「……ねぇ、カール」

「どうしたレヴ」

「……私」

 

 

 こちらに振り向かぬまま、レヴは肩を震わせた。

 

 ぽたり、と地面に雫が零れ。

 

 

「私、本当に独りになっちゃった……」

 

 

 

 少女はそう言って静かに、嗚咽を零した。

 



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46話「これは、いけない」

 その日。

 

 俺達は日が暮れる前に、レッサルの街の外へ出た。

 

「レヴ、家族の墓はどうするんだ?」

「……カインの実家に報告に行って、その近くに作らせてもらう。レッサルには、もう戻りたくない」

「従者さんの実家か。じゃあ道中、ソコにも寄った方が良いな」

「……ううん。カインは遠く北部の異民族の出。アナトに行くにしても凄い遠回りになるから、全部終わった後に私が一人で行く」

 

 レヴは、レッサルにご両親と兄の墓を作らないつもりらしい。

 

 いくら故郷とは言え、あんな対応をされたらそうなるのも頷ける。血は繋がらないが家族の様な関係だったカイン氏の実家近くに、建立する方が良いだろう。

 

 もう二度とレッサルに来たくない、か。そりゃあそうだ。

 

「いや。レヴ、お前はもう俺の家族みたいなもんだ。全部終わった後、一緒に行こう」

「……、ありがとカール」

 

 そんな彼女を見るに見かねたのか、珍しくカールが気を利かせてレヴを抱き締めた。

 

 少し目をパチクリさせながら、やがてレヴは礼を言ってカールの胸に体を預ける。

 

 恋敵のマイカも、今日ばかりは肩をすくめて二人の様子を見守るばかりであった。

 

「……納得できませんわ。あそこの統治者は何を考えているのでしょう。民を守るどころか、自らの父親の像を建立するために財産を巻き上げているなんて。御国は、どう思われる事やら」

「イリーネも落ち着きなさいよ」

「落ち着いていられますか!! あれが、貴族のする事ですの!? あのいかれた大聖堂を運営しているのは、あの地の貴族でしょう?」

「……まぁ役所を兼ねてるって言ってたし、そうなんでしょうけどぉ」

「あの地の貴族に、誇りは有るんでしょうか。民は守る者と、その偉大なる先代様とやらから教わってないのでしょうか」

 

 俺はと言えば、レヴちゃんに宥められてなんとか平静を取り繕っているものの、まだカッカと頭が煮立っていた。

 

 貴族のする事じゃない。自らの権威をかさに、民の財産を召し上げて私欲を満たすなど正気の沙汰ではない。

 

 もういっそサンウィンの父に報告しに戻って、実家の軍勢を借りて討伐を────。いや、そんなことをしても民が犠牲になるだけだ。

 

 ……ガリウス様がいる。そうだ、ガリウス様は首都に戻ると言っていた。

 

 俺達も、いずれ首都を経由する。そこでガリウス様に奏上し、レッサルの貴族を懲戒して貰うのが良い。

 

「イリーネも冷静になりなさい。あんなのにいちいち腹を立てていたら、この先旅してらんないわよ」

「どういう意味ですか、マイカさん」

「大前提として、イリーネの実家が清廉潔白すぎるのよ。道端は綺麗で、夜の治安も良く賊も居ない。貴女の父君にアポを取る時も、賄賂の素振りを見せただけで睨まれた。どんな怪物が統治してるのかってビビったわよ」

 

 そんなの、当り前だ。うちのパパンは収賄に厳しいし、治安の維持にかなり力を入れていた。

 

 真面目な民が暮らしやすい街、それがサンウィンの掲げる標語だ。豊かでなくとも、安全で平和で笑顔溢れる街づくりを目指している。

 

「でもね。普通はこうなの」

「……普通、とは」

「さっき、貴女が見た光景よイリーネ」

 

 そういうマイカは、少し諦めたような顔をして。

 

「力のない平民は、ほとんどの場合貴族の食い物にされる。貴族は民を守る者じゃなく、民を貪る者よ」

「そんな、そんな事はありませんわ!! では何故、貴族はその地位にあるというのです!」

「……皆が、貴女みたいな貴族だったらどれだけ良いのかしらね。かなりの貴族は、魔法が使える自分を特別な存在だと思ってて、平民は自分の下僕だと信じているわよ」

 

 ……そんな事はない。そう、信じたい。

 

 だって、少なくとも俺の交流していた貴族たちは、みんな真面目そうで素直な人達ばかりだ。

 

「次の街は、少しはマシな連中が治めていることを祈りやしょう。これだから、権力者ってのは嫌いなんだ」

「やるせないわねぇ」

 

 だが、マイカの意見は皆の共通見解の様で。

 

 俺は、初めて出会った時にレヴが貴族(おれ)を大層嫌っていた意味の一端を理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ストップ」

「どうした、マイカ?」

 

 空が赤みを帯び始めて、そろそろ野宿の準備をするかと話し始めていたころ。

 

 マイカが、遠くの道を指さしてみんなを制止した。

 

「……向こうから複数人が歩いてくるわ。隠れましょう」

「む、賊か?」

「かもしれないわ」

 

 流石は哨戒役のマイカ、この暗い景観の中でよく見つけたものだ。

 

 まだ怒りと悲哀が収まってない俺と違い、彼女はとうとっくに冷静らしい。俺も切り替えないと。

 

「……おお、アレか。よくあんな遠くの連中が見えるな」

「悪党族ならどうする? やり過ごす?」

「もし賊であれば退治しましょう。私が一撃で消し飛ばして差し上げますわ」

 

 杖で強化された俺の精霊砲なら、人間の賊如きゴミクズも同然。

 

 本音を言うと殴り合いたいけど、近接戦は仲間を危険な目に遭わせうるしな。遠距離からドカーンの方が、安全だし強い。

 

「まずは俺が話を聞いてからだ。普通の旅人かもしれないしな」

「……そうですわね」

 

 だがカールは、杖を構える俺を制止した。

 

 まずはカール一人で、接触するつもりらしい。

 

「私も、追従いたしますわカール。敵に魔導師が居れば、私が封殺いたします」

「わかった。俺の傍を離れるなイリーネ」

「二人とも、油断して殺されたりしないでよぉ? 悪党族は恐ろしく残忍よ」

「ああ、気を付ける」

 

 そう答えたカールは剣の柄に手を置きながら、ゆっくり遠く先の集団へと歩んだ。

 

 そのカールの3歩後ろを、俺は追従する。

 

「……ふむ。賊の様だ」

「誰か捕まってますわね」

 

 物陰に隠れながら近づいて見れば、その集団は半裸の女性を縄で縛って笑っていた。

 

 髭顔の男どもは面白半分に女性を蹴飛ばしたり、鞭で打ったりしている。

 

「ボロボロですが、あの女性が身に着けているのは修道服でしょうか。もしかしたら、あの大聖堂の関係者かもしれません」

「う、やる気なくなるなぁ。だが、見捨てる訳にはいかん」

「無論です、虐げられている民を救うは貴族の役割」

 

 あの腹の立つ大聖堂の一味だったとしても、賊に虐げられているのであれば救う。それが、ノブレス・オブリージュ。

 

「私が先に、彼らに接触しますわ。まずはあの女性を解放しないと」

「どうするつもりだ」

「奴らの気を引きますの。若い貴族令嬢(わたし)など、おそらく賊にとって格好の獲物。餌に食いついている間に、貴方が颯爽とあの女性を救って差し上げてくださいな」

 

 そんな俺の提案に、カールは逡巡する。か弱い俺を危険な目に遭わせることに躊躇いがあるらしい。

 

 だが安心しろ、俺は隠れマッスルなんだ。むしろ、近接戦がしたいくらいなんだ。

 

「……わかった、2秒でカタを付ける」

「焦らなくとも結構、護身術くらいは嗜んでいますのよ? 安全に、優雅に、賊をせん滅いたしましょう」

「む」

 

 カールの顔にはまだ躊躇いが見えるが、そろそろ腹をくくってくれ。

 

 いつもお前ひとりにおんぶ抱っこされてる訳にはいかないんだ。仲間も、信用してほしい。

 

「前もって、身体強化の魔法をかけておきます。この状態ならば、チンピラ如きに遅れは取りませんわ」

「そうか……。くれぐれも、油断しないでくれよイリーネ」

「ええ、無論」

 

 心配性なカールのケツを叩いて、俺は不敵に笑う。

 

 こう見えて、レーウィンで一度チンピラと殴り合ったこともあるんだ。あまり、見くびらないで貰いたい。

 

「では、餌は餌らしくなるとしましょうか。この服はお気に入りなので、持っていてくださいカール」

「……ん?」

 

 俺はそう言うと、鎧と衣服をその場で抜いてインナーだけになった。ついでに体に土を塗して、軽く傷をつけておく。

 

「ちょ……、何してんだ!?」

「貴族令嬢が一人旅してるなんて、怪しすぎるでしょう。賊に襲われ、命からがら逃げだした状態を装いますわ」

「あ、そういう……。あのさ、脱ぐことに躊躇いとかないのイリーネは?」

「いえ、これインナーですし。脱いだうちには入りませんわよ」

 

 カールは俺から目を背けて頬を赤くしているが、そんな反応をされても困る。

 

 だって俺は、今もちゃんと黒い半袖のタイツを身に着けている。ビキニアーマーのインナーだ。

 

 これは別に下着じゃないので、貴族としての品位はセーフの筈。

 

「じゃ、話しかけに行きますわ。後はお願いしますね、カール」

「……お、おう」

 

 さて、と。

 

 後は俺の演技力がどこまで通用するか、試させてもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ、そこの、お方」

 

 道端の草むらから、ヨロヨロと。

 

 息絶え絶えを装いながら、貴族令嬢(俺)は負傷した腕を抑えて集団の前に転がり込んだ。

 

「あん、なんだお前」

「近くで、野盗に襲われまして……。うっ、傷が」

「おいおい、怪我してんのか」

 

 インナー姿で倒れ込む俺を、興味深そうに眺める男たち。

 

 普通の冒険者であれば、心配して声をかけてくれそうな場面であるが。

 

「へぇ、良い胸してんねぇ」

「顔も良いぜ、コイツはついてる!」

 

 いたいけな少女が助けを求めているというのに、男どもは下卑た笑みを浮かべるのみであった。

 

 見た目通り、コイツらは賊で間違いなさそうだ。

 

「その、どうか傷薬を……わけて、くださいまし……」

「傷薬、ねぇ? 分けてやってもいいけど」

「まぁ、人にモノを頼むには態度ってもんがあるよなぁ?」

 

 おお、釣れた釣れた。

 

 男達は、俺に完全に目を奪われている。コソっと、道端を移動して縛られた女性のところに行ったカールに気付いていない。

 

「実家に戻れば、資金はたくさんありますわ……。お金ならいくらでも、払いますので」

「あっはっは! そいつは魅力的だねぇお嬢ちゃん」

「幾ら貰えるのかは知らねぇけど、そもそも俺達は街に入れねぇんだわ。残念だなぁ」

 

 男達は互いに目線を交わし、そしてニンマリと助平な笑みを浮かべた。

 

 考えていることが分かりやすい連中だ。

 

「金より、体で払えって言ってんだよ嬢ちゃん」

「貴族の女か、こんな上物が手に入るとはツイてるぜぇ」

「何を言って……、貴方達まさか!」

 

 カールは忍び移動をしたまま、不意打ちで後ろの見張り一人を気絶させた。グッジョブ。

 

 俺はカールが殴るタイミングに合わせ『貴方達まさか!』と叫んで、音で気付かれないよう援護しておいた。

 

 ふむ、やはり俺って役者の才能あるな。

 

「へっへっへ。まずは、その邪魔なタイツを脱いでもらおうか」

「足腰立たなくしてやるぜ」

「この下衆……、貴方達も野盗ですのね! いまに、御国が貴方達を皆殺しにしますわよ!」

「おお、そりゃあ怖い怖い」

 

 俺がノリノリでくっ殺プレイに興じている間に、カールは無事縛られていた女性を救出した。

 

 結構手際良いなぁ、カール。こういう修羅場では、普通に優秀なのよなあの男。

 

 普段は無能ラッキースケベだけど。

 

「今度は、俺が最初って約束だよな。よし嬢ちゃん、足開けや」

「……では、近くに来てくださいまし」

「お、偉く従順じゃねえか。利口な女は好きだぜ……」

 

 さて、これでもう人質の心配はない。

 

 俺は野盗の男の要求通り、男の前で股関節を思い切り開いて────

 

 

「令嬢奥義、三角締め!」

「くぺっ!?」

 

 

 股に近づいてきたアホの首を、一瞬で締め落した。

 

 ふ、人間は頸動脈を塞がれると数秒で失神する様に出来ているのだ。

 

「な、なんだ!? 股に挟まれた首がゴキって言ったぞ!?」

「大丈夫か、オイ……! ダメだ、意識がねぇ!」

 

 ……あ、首まで折っちゃった? やべぇ、死んで無いよな。

 

「このメス、何しやがった!」

「ちくしょう、なんて股関節してやがるんだ!」

「ふふふ、茶番はここまでですわ!!」

 

 ま、まぁサクラが居るし何とかしてくれるだろ。

 

 それより今は、自分の役目を完遂せねば。

 

「私はヴェルムンド家が跡取りイリーネ・フォン・ヴェルムンド」

「ぐ、よくも仲間をやりやがったなクソアマ!」

「全裸で縛り付けられてぇのか、この股関節野郎!」

「野盗に困り苦しむ民を救うため、貴方達に正義の鉄槌を下す者です」

 

 俺の太ももに挟まれて失神した馬鹿を蹴飛ばして。

 

「お覚悟を!」

 

 動揺する野盗共に向けて一喝、レヴに教わった近接戦の構えを取る。

 

「ぐ、最初から演技だったって事か!?」

「上等だ、汚ぇ真似をしやがって! 誰に歯向かったか教えてやらぁ────」

 

 悪党どもに囲まれて一人、俺は不敵な笑みを浮かべ手をクイクイした。カンフー映画のワンシーンみたいだ、テンション上がる。

 

 まぁでも、俺の見せ場はもう終わりなのだが。だって、

 

 

「ホイ、と。お疲れ様、イリーネ」

「ええ」

 

 その背後には、険しい顔のカールが剣を抜いて立っていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「首が折れた男が最重傷ねぇ。内出血が酷い、治療が遅れたら死んでたわぁ」

「う、すみません」

 

 野盗共はみな確保され、マイカによって縛られた。

 

 盗賊を生け捕りにした時は、近くの警備(ガード)の詰め所に連行するとお金がもらえる。

 

 資金源として、コイツらは警備に突き出してやろう。

 

「カールが助けた女性の方はどう?」

「まだ気絶してるみたい。全身痣だらけだったし、きっとひどい扱いを受けていたのよ」

「……男の風上にも置けねぇ」

 

 ボロボロの修道服を身に着けた女性は、憔悴した表情で眠っていた。

 

 可哀そうに、きっと女性として辱めを受けたに違いない。

 

「こいつら、最低の連中みたいね」

「イリーネにも下品な事をほざいていたしな。死にかけたとして、自業自得だ」

 

 ん、まぁそう考えておくか。

 

 ちょっと力加減間違ったのはノーカンで。

 

「……レヴにはすまんが、レッサルに戻ろう。コイツらを突き出すのと、シスターさんを保護してもらう必要がある」

「ん。賛成……」

 

 カールの提案に、レヴは頷いた。

 

 ここは、レッサルを出て半日ほどの道。次の街へ着くにはまだ数日かかるだろう。

 

 それにこの修道女さんは、レッサルの大聖堂の関係者かもしれない。一旦引き返すのが無難だろう。

 

「もう、暗くなってる。移動するなら早くしないと」

「本当、治安が悪いんですわね。まったく、レッサルの貴族は何をやっているのだか」

 

 こうして、俺達は2度と戻るまいと思っていたレッサルにとんぼ返りする羽目なったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぁ、本当にこれでいいのか?」

 

 カールは納得のいかなさそうな顔で、俺へと話しかけてきた。

 

「普通、逆じゃないか?」

「何をおっしゃいますか」

 

 何故ならカールの背には、気を失った修道女が背負われており。

 

「ひぃぃ、揺らさないでくれぇ」

「お助けぇ……」

 

 俺の背後には、縄で引き摺られている複数の賊が悲鳴をあげていたからである。

 

 貴族令嬢(おれ)一人だけ、明らかに異常な量の荷物を運ばされている形だ。

 

「やっぱり、俺が賊を引き摺るよ。どう考えても重いだろ、そっちの方が」

「いえいえ。いざという時、カールが身軽に動けないと厳しいでしょう? 魔法で身体を強化しておりますので、これくらいお茶の子さいさいですわ」

「……イリーネの魔法、便利」

 

 捕らえた賊どもは、俺の腹に縄を括って引き摺る事にした。4~5人を肩に抱えると、俺の体格では落っことしそうになるからだ。

 

 賊は簀巻きになっているので、引き摺られても怪我は負わない筈。摩擦力も働いて、良い感じの負荷になる。

 

 ふふ、丁度良い筋トレの重りゲットだぜ。

 

「じゃ、早く戻ってしまいましょ。そんでレッサル付近でテントを張って一泊休もう」

「はぁ。レッサルさえまともなら、街で宿を借りれたのですがねぇ」

 

 まったく。あの地を治めている連中に、ノブレス・オブリージュはあるのだろうか。

 

 貴族なら貴族らしく、筋トレに励んで健全な精神を手に入れろってんだ。

 

「日が落ちたら大概の街は門を閉める。夜間に村に入れないのは仕方ないよ、イリーネ」

「……結構、街のすぐ外で野宿することは多い。宿代が無い時とか、夜間に目的地に着いた時とか」

「街付近だと襲われた時にすぐ助けを乞えるので、野営しても比較的安全なのよ。尤も、レッサルの連中が助けになるかは微妙だけどね」

 

 うん、夜間に門を閉じるのは別に良い。ウチも確かそうしてたし。

 

 問題は、宿を撤廃して旅人から搾取しまくってるとこだ。それさえなければ、今夜は屋根のある家で眠れたというのに。野営は、見張りも要るし寝心地が悪いしで、やはり不便だ。

 

 ユウリ邸のベッドが恋しい。

 

「今日はカールの旦那の番ですが、お疲れでしょう。今夜は俺が、代わりに賊が抜け出さないか見張りをしておきまさぁ。お嬢らは休んでてくだせぇ」

 

 そんな俺達の疲労を察したのか、マスターがそんな事を言い出した。

 

「……マスター、良いの? 昨日も番してくれたのに」

「ふ、大人を舐めちゃいけねぇ。1日や2日徹夜するくらい、どうってこたぁねぇさ。それに元々俺は、夜に働く人種ですぜ」

 

 む、そういうものだろうか。いや、いくら大人でも寝ないのは辛いだろ。

 

 前々からそんな気がしてたけど、マスターって割と損する性格をしている気がする。

 

「いや、マスター。今日はむしろ、賊が全員で不意打ちしてきても勝てる俺が見張っておくべきだろう」

「旦那……」

「料理に洗濯にと、マスターには世話になりっぱなしだ。こう言う時くらい、頼ってくれ」

「む……」

 

 だが、マスター1人に無理をさせるのはよろしくない。

 

 今夜は元々の当番だったカールが、寝ずの番を買ってでた。

 

「こう言うのは、基本順番通りやるべき……」

「そうね。マスターに倒れられても困るし、休めるときに休みましょ」

 

 蜂起した賊への対応を、近接戦闘出来ない女子やマスターに任せる訳にはいくまい。

 

 やはり、今夜はカールに任せるべきだろう。

 

「男の戦闘員、もう一人くらい欲しいですわね」

「道中で傭兵を雇ってみても良いかもな」

 

 ただその理屈で行けば、今後も賊を捕らえた時は毎日カールが番をする羽目になる。

 

 レヴちゃんや俺でもチンピラ程度なら何とか出来るが……。カールの他にもう一人くらい、しっかりした近接戦闘員が欲しいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

「ん、ん~」

「ふわぁ。おはよ、イリーネ」

 

 サクラと並んで雑魚寝していた俺は、太陽光に照らされ目を覚ます。

 

 赤い朝焼けが、温かく寝袋に包まれた俺を囲う。

 

「良く寝ましたわ。昨晩は、賊共は暴れなかったみたいですね」

「マイカの縛り、かなり正確だったし。あんな縛りされたら脱出は無理よぉ、ウチの店に居たらエースになってたわね」

「何のエースかは、聞かない事にしますわ」

 

 ふむ、そういや賊を縛ったのはマイカか。

 

 能力の高い彼女の仕事ならばこそ、大丈夫だったのだろう。

 

「他のみんなは、もう起きてるみたいかしらね」

「そうですわね。そろそろレッサルの門も開くでしょうし、身支度を整えましょうか」

 

 心地よい朝日に欠伸で答えながら、俺はすぅと一回深呼吸し周囲を見渡して────

 

 

 

 

 

 

「……」

「……ちっ」

 

 

 

 

 

 

 レヴとマイカが潰れる直前のカエルみたいな目をして、遠くを見ているのに気が付いた。

 

「……」

 

 どうしたんだろう、2人はすこぶる機嫌が悪そうだ。またカールが、何かやらかしたのだろうか。

 

「あ、あの。レヴさん、マイカさん、どうかなさいましたか……?」

「……あれ」

「ん……」

 

 朝一番でホラー染みた表情をしている二人に、恐る恐る話しかけると淡泊な返事が返ってきた。

 

 マイカの言葉と共に指さされた方向を見ると、

 

 

 

 

 

「カール様、格好が良いですー! きゃあー!」

「え、あ、そうかな? えっと、その?」

 

 

 

 半裸の修道女に抱き着かれ、デレデレとしているカールがいた。

 

 ……あっ。

 

「わ、すっごい! よく鍛えられてるんですね、腕太ーい」

「ま、まぁ毎日素振りは欠かさないかな?」

「カールさんは努力家なんですね! 尊敬しますー」

 

 修道女はニコニコしながらカールの腕に抱き着いており。

 

 抱き着かれたカールは、それはもうデレデレしていた。

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 なるほど、カールはあの女の子にとって命の恩人。そりゃあ、褒められるだろう。

 

 あのシスターちゃんが夜に目を覚まし、寝ずの番をしているカールに話しかけたと言ったところか。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 

 いかん。カールは、俺達が起きていることに気が付いていない。

 

 幼馴染と娘的存在に、だらしなく鼻の下を伸ばしているシーンを見られている自覚がない。

 

 

 

「ねぇ、カールさん♪ ちょっと、もたれてみてもいいですか?」

「あ、えっと、どうしたの?」

「少し、心細いのです。そのたくましい胸板を、少し貸してくれれば結構なので……」

 

 

 

 ああ、LOVE勢の顔が般若のようになっていく。

 

 これはいけない。

 

 



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47話「奴隷♂オークション」

「どうも初めまして、勇敢な冒険者のみなさん♪」

 

 その女性は、ニコニコと満面の笑みを浮かべ。

 

 カールの腕に抱き付きながら、俺達と挨拶を交わした。

 

「私は諸国を旅するシスター、イリューと申します。よろしくお願いしまーす!」

 

 その顔に、悪意や謀略は感じない。

 

 修道女はただ嬉しそうに、カールに頬擦りして照れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 デレデレ。もう、カールはデレっデレであった。

 

 やはりカールも男の子、かわいい女の子に誉められたら悪い気はしないらしい。

 

「……カール。寝ずの番、お疲れさま」

「おう、おはようレヴ。あっははは、それがイリューさんと一晩中話をしてて、一夜があっという間だったよ」

「ふーん……」

 

 レヴが声をかけると、カールは機嫌良さそうに笑って返した。

 

 この男、相変わらず危機察知能力が低い。

 

「おはよ、サクラにイリーネ。何かマイカ達、機嫌悪くねぇ?」

「あ、ええっと。機嫌は悪いと思いますわ?」

 

 お前のせいでな。

 

 朝っぱらから好きな男が女にデレデレしてる姿を見せられて、気分が良い訳ないだろう。

 

「……成る程! 貴女が、イリーネさんですね!」

「え? ええ、その通りですわ」

「昨夜は、どうもありがとうございました!!」

「わぷっ!?」

 

 その不和の張本人たるシスターは、俺の名を聞くと目を輝かせて抱き付いてきた。

 

 ……うお、胸でかっ!?

 

「貴女とカールさんが、私を助けてくれたんですよね? うふふ、見た目によらずイリーネさんは勇敢なんですね♪」

「え、あ、いえ。私は貴族として当然の事を……」

「魔導杖をお持ちと言うことは、イリーネさんは魔術師なんですか? なのに賊の一人を仕留めたとか! 凄いです!」

「そ、その、大したことでは無いですわ」

 

 そのシスターは俺の胸に飛び込んでくると、尻尾を振る犬の如くじゃれついてきた。

 

 な、なるほど。さっきまでカールはこんな状態だったのか。

 

 邪気は感じないけど、振りほどくのも悪い気がする。

 

「……カール、あの人が離れてちょっと残念そう?」

「そ、そんな事はないぞ!」

「……じー」

 

 そんな俺達の様子を、何とも言えぬ顔で眺めているカール。

 

 絶対、シスターさんのおっぱい堪能してただろ。

 

「イリーネさんは、どんな魔法が使えるんですか? やっぱり、攻撃魔法ですか?」

「え、ええ。そんな感じです」

「成る程! それとそれと、イリーネさんって好きな人とか居るんですか!?」

「え、えええ!?」

 

 グイグイくる。

 

 俺が、この修道女さんから感じた印象はそれだった。

 

 結構悲惨な目に合わされてた筈なのに、この元気は何だ。存外にメンタル強いのか、この娘。

 

 

「はいはい、イリーネも困ってるでしょぉ? 一旦ご飯にするわよ」

「きゃー♪」

「た、助かりましたわ」

 

 

 助けた少女のあまりのコミュ力にタジタジしていると、サクラが女の子を引き離してくれた。

 

 抱き付かれても別に悪い気はしないのだが、圧の強い人間は得意ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やー、焦りましたよ。もういきなりガバッ!! と襲われましたね」

「……仲間は居なかったの? 一人旅?」

「そうですそうです、一人旅なんです。ちょっと仲間と喧嘩別れ? みたいなノリで前の街でパーティー解散しまして」

 

 修道女イリューから話を聞くと、なんとこの娘は一人旅をしていたそうだ。

 

 悪党族の話は聞いていたけど、実際襲われることはないだろうと高を括っていたらしい。

 

 危機意識大丈夫か。

 

「やー、マジで襲われるんですね。あのままだと私、アジトとかに拉致されて汚い欲望の捌け口に……」

「ああ、危ないところだったぞ。次から気を付けてだな」

「きゃー! 可愛いってのも本当に困りモノですよね、えへへ♪」

「ダメだこの娘、メンタル超強い」

 

 襲われて拉致される寸前だったのに、なんだこの余裕。

 

 マイカの裁縫道具を借りて修道服をなんとか縫い合わせたものの、まだ彼女の服は穴だらけだというのに。

 

「たった一人で何処へ行くつもりでしたの?」

「レッサルですよ。あそこの大聖堂って有名じゃないですか。私はパーティー解散しましたし、冒険者辞めて雇ってもらおうかと思って」

「……あぁ。だったら、ここの大聖堂はやめといた方が良いわよ」

 

 イリューの旅の目的は、レッサルの大聖堂で就職する事だそうだ。

 

 それはまた……、運が悪いというか。

 

「何でですか?」

「ここの大聖堂は、ただの腐れ貴族の搾取組織だ」

「……えー」

 

 わざわざ大聖堂へ就職するため旅してきたイリューには悪いが、敢えて伝えておこう。

 

 あの町の聖堂はカスであると。

 

「とりあえず私らは、賊どもを引き渡し次第この街から去るつもりよ。イリューはどうする?」

「そうですね。一度、自分の目で大聖堂を見てきます。貴殿方の言うように、腐っているのかどうかも含めて」

「じゃ、お別れね。村の中は宿の営業が禁止されてて、大聖堂で宿泊するには500Gかかるけど大丈夫?」

「えっ、何それは」

 

 がびーん、とイリューはショックを受けた顔をした。

 

 そうだよな。常識的に考えて頭おかしいよな。

 

「そんな大金持ってないです……」

「マジでここの連中腐ってるぞ。悪いことは言わねぇ、早いところレッサルを去った方が良い」

 

 まぁ、大聖堂を自分の目で確かめたいなら好きにすればいい。

 

 常識的な人間なら、すぐそのヤバさに気が付くだろう。

 

「その話が本当なら、私の行く当てが……。ここの大聖堂で土下座でも何でもして、なんとか雇ってもらうつもりだったのに」

「……他に当てはないのか?」

「もともと根無し草の冒険者でしたからね。孤児なので親戚もないです」

 

 儚げな表情で、うるうると俺達を見つめてくる修道女。

 

 うーむ、流石に放ってはおけんか。

 

「なぁ、イリュー。俺達が警備(ガード)に賊を突き出している間に、大聖堂を見てきたらどうだ。それで見切りをつけたなら、俺達と一緒に別の街に行くか?」

「良いんですか!?」

 

 カールも同じ気持ちだったようで、イリューを旅に誘う事にした。

 

「是非お願いします、もう襲われるのはこりごりです!」

「そりゃそうだよな。よし、じゃあ街の入り口で待ち合わせようか」

「分っかりました!!」

 

 イリューは二つ返事で、カールの提案に乗ってきた。

 

 危険な魔王討伐の旅に同行させるつもりはないが、他の街へと送り届けるくらいはしてやっても良いだろう。

 

 

 

「……結局、そうなるのね」

「まーた女の子が増えたわね」

 

 

 

 うん。俺は何も見ていない。俺やサクラの加入に好意的だったマイカですら舌打ちしてるけど、俺には関係ない。

 

 このパーティの男女比がエラいことになってきたのも気にしない。俺を男と換算したらセーフ。

 

「カール。後ろから刺されても知りませんわよ?」

「え、何の話?」

 

 俺やサクラと違い、カールに露骨に好意的なのが彼女らの琴線に触れてるんだろうな。

 

 カールに興味のない俺やサクラが、上手く人間関係をケアしていかねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うわっ。生け捕りにしたのか、賊を」

「うわっ、て何だよ」

 

 俺達が警備の詰め所に簀巻きの賊を連れて行くと、何故か渋い顔をされた。

 

 お前らの代わりに討伐してやったのに、何だその顔。

 

「いや、まぁ賊の身柄は預かるけども。何でわざわざ、レッサルに連行してくるかなぁ」

「ここが一番近かったからだが。不都合でもあるのか?」

「お前ら、ウチの街に軍事力が無いことを知らんのか?」

 

 警備の人は苦虫を噛み潰したように、舌打ちした。

 

「アホのお上が、争いのためのお金は無駄だとかホザいて軍事費を削り切ったんだよ。レッサルには賊を収監する牢屋もなければ、他の街に移送するだけの人手も器具もない」

「……え、では治安維持はどうしているのです」

「今代の領主に変わってからは、治安維持なんて何もしてないぞ。頭がおかしくなるぜ、まったく」

 

 ……アホだ。正真正銘の、アホ貴族だ。

 

「ここは確かに警備の詰め所だった場所だが、今は警備の役目自体無くなってる。俺の仕事は単なる門番だよ、夜になると門を閉める役目」

「……警備のいない街って、犯罪を起こし放題では?」

「悪人は報告すれば、コリッパの私兵団が捕らえてはくれる。ただ、コリッパの機嫌次第で釈放されたり、惨殺されたりするから法に価値がない」

 

 思った以上に世紀末だった。

 

 施政者の機嫌次第で有罪にも無罪にもなるとか、話にならん。

 

「民が悪さをするのも、みな信心が足らぬため。コリッパは民の信心を高めるために、優秀な統治者だった前領主の像を立て以前の栄華を取り戻そうと画策しているらしい」

「いや、民が悪さするなら取り締まれよ」

「よくそれで、今まで街を保てていましたわね」

「いや、先代のゴリッパ様も宗教に偏執していたが、最低限の政務は全部やってたんだ。だが2年前にゴリッパ様が病死してから、治安は荒れ果てて移住者だらけになり、資金は足りず大聖堂も大赤字になった」

 

 あー。ヤツの父親は一応、最低限の施政者としての仕事はしてたのか。

 

 ここまでひどくなったのは、ドラ息子が後を継いでからって事なのね。

 

「ゴリッパ様の統治には不満は無かったが、息子のコリッパは施政者の器じゃない。父が死んでから、半ば病んでるよアイツ」

「……」

「父の時代は全て上手くいっていたからこそ、今もなお父親にすがろうとしている。その妄執の果てが、馬鹿でかいゴリッパ様の巨大石像って訳さ」

 

 そう苦々し気に吐き捨てる門番は、心底『コリッパ』を嫌っている様に見えた。

 

「俺も近々、レッサルを出ていくつもりだ。ウィン領に暮らしている兄を頼って、住居が確保できれば移り住む」

「……その方が、よろしいでしょう」

「だが、他に伝手の無い貧しい奴はここレッサルで暮らすしかない。……アイツさえマトモなら、こんな思いはしなくて済むんだがな」

 

 まともな指導者だった父ゴリッパとやらは、息子の教育に失敗した。

 

 そのドラ息子の暴走で、多くの民が苦しんでいる。それがこの街、レッサルの現状だ。

 

「レッサルは、終わった街さ。今までは自警団が必死で治安を保っていたみたいだが、それも先日解散させられちまった」

「自警団が、解散した?」

警備(ガード)が居なくなった直後は治安が悪化してな、一時期はスラム街並の治安だった。その有様を見て、正義感の有る街の若い男連中が自警団を組織したんだ」

「……いい連中じゃないか。それが、どうして解散した?」

「それも、コリッパだよ。住人から寄付金を貰って運営してた自警団を『営利組織』だと言い出してな……、普通の商社と同じ扱いにして重税を課したんだ。もとより赤字でギリギリ運営していた自警団は、そんな税金を払いきれず解散。夜逃げしようとしたところをコリッパの私兵団に捕らえられて、メンバーは全員奴隷落ちだそうだ」

「何だよソレは!! 胸糞悪い!」

 

 あぁ。

 

 聞けば聞くほど、腐っていやがる。もう猿仮面被って、コリッパの屋敷を焼き討ちしてやろうか。

 

「今日、街内で自警団メンバーは競りに掛けられるそうだぞ。金に余裕があるなら、解放してやってくれないか」

「……金に余裕はあるけど、流石にそんな無駄遣いは出来ないわよ。そもそも、私達の金がコリッパとやらの懐に入るのが我慢ならないわ」

「だよな。言ってみただけだ」

 

 アホみたいな巨費を投じて、遠目からも分かる程デカい石像を建てるコリッパ。

 

 本気で精霊砲を大聖堂にぶっ放した方が、全て上手くいくんじゃないだろうか。

 

「……どうする?」

「見るに堪えん、さっさと街を出よう。関わり合いになりたくない」

「何とか、出来ませんの? その自警団の方々が、気の毒すぎますわ」

「この地の法は、コリッパだ。いくらイリーネが貴族とは言え、ここで揉め事を起こしたりしたら……。最悪犯罪者として、指名手配される」

 

 う、それはマズい。

 

 犯罪者になれば実家に迷惑をかけてしまうし、今後の旅も苦しくなる。焼き討ちは、流石にまずいか。

 

「私達に出来ることは無いわ、我慢しなさいイリーネ。それにまぁ、何とかなるんじゃない?」

「サクラさん、何とかって何ですの」

「何とかは何とか、よぉ。貴方達は感じないかしら?」

 

 そのあまりの『やるせなさ』に地団太を踏んでいると、サクラは何故か楽しそうな顔で街の中を見ていた。

 

 ……何を見ているんだ?

 

「ねぇ皆、敢えて競りとやらを見に行かない? 私の勘が正しければ、面白いものが見えるわよぉ?」

「面白いもの?」

 

 戸惑った声を出したカールに、サクラは小さくウィンクした。

 

「きっと、スッとするわよぉ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────コリッパ、討つべし!」

 

 サクラの言葉が気になったので、街の中心の広場がよく見える丘へ行くと。

 

 奴隷売り場では民衆の怒号と罵声が飛び交い、私兵団との大乱戦が勃発していた。

 

「あの男を引き摺り降ろせ!!」

「自警団の連中を救え!!!」

「今までの恨みを晴らしてやるんだ!!」

 

 ああ、これは。

 

 ついに起こるべくして、コリッパに対する反乱が起こったのだ。

 

 

「ね、面白いでしょぉ?」

「……サクラ、何故これが分かったんだ?」

「戦争の間際には、特有のピリピリした空気が民を覆うの。昨夜から今日に掛けて一気に空気が張り詰めてたからそろそろかなぁ、ってね」

 

 

 成程、年がら年中ドンパチやってたサクラだからこそ感じ取れるものが有ったらしい。

 

 サクラはレッサルの民が蜂起するのを、肌で予感していたようだ。

 

「あ、奴隷の人達が解放されましたわ」

「そして戦線に加わったわね。これ、もう勝負あったわ」

 

 やがて捕らえられていた自警団メンバーは、蜂起した民衆により解放され、武器を貰い立ち上がった。

 

 自警団メンバーは戦線に加わるや否や、私兵団とやらをビシバシなぎ倒し、舞台上で顔を青くしている派手な服を着た男────おそらくコリッパ目掛けて咆哮している。

 

「練度が段違いね。そもそも、私兵団に勝ち目は薄そう」

「……あの自警団、多分もともと警備(ガード)出身だと思う。動きがプロのそれ」

「あーね、そりゃ私兵団程度じゃ勝ち目ないわ」

 

 2年間、民衆は我慢したのだ。

 

 貴族には向かえば、どんな目に遭うか分からない。魔法で焼き払われても文句は言えない。

 

 だが、今日とうとう堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 

「あ、コリッパが何やら詠唱を始めましたわ。火属性の魔法ですわね」

「この距離から聞こえるの、イリーネ」

「いえ、精霊が集っているのが見えただけですわ」

 

 ふむ。かなりショボい魔法だな、魔法使いとしてもかなりのヘッポコだぞコリッパとやらは。

 

 ……あー、一応やっとくか。

 

 

「……喝采せよ(プラウディツ)喝采せよ(プラウディツ)

「あ、それって」

 

 

 そう、筋肉天国(マッスルミュ-ジカル)の詠唱だ。あの広場に、魔法無効の結界を展開してやろう。

 

 コリッパのよわよわ魔法とはいえ、誰か火傷したら可哀想だ。

 

「ま、そのくらいの援護ならバレないか」

「これで、正真正銘勝ち目ゼロになったわね」

 

 蜂起した住人により、コリッパは誅殺される。

 

 この街は貴族不在となり、じきに近隣の貴族家から代理の統治者が派遣されてくるだろう。

 

「────古代闘技場よ(アンティーク)いざ咲き誇れ(コロッセオ)

「わ。やっぱり綺麗な魔法」

「うし。これで、もうこの街でやる事はないな。イリューとの待ち合わせ通り、街の入り口に行くか」

 

 俺は丘の上から、突如として魔法が使えなくなって目を白黒させているコリッパを一瞥し、やがて視線を外した。

 

 あの男がどうなろうと、知った事ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうこの街でやる事はない。後は、イリューと合流して街を去るのみ。

 

 ……その、ハズだった。

 

「わ、わあああ!! カールさん、カールさん!」

「お、おお。イリュー、どうした?」

「大聖堂に行ったら何か凄いことになってて、そこら中で火の手が上がってて!! 私も『大聖堂の関係者か!!』って斬りかかられそうになって」

「……ああ、ご愁傷様」

 

 俺達と別れたイリューは、1人で大聖堂に行って、関係者と勘違いされ襲われたらしい。

 

 そして命からがら、逃げ延びたのだとか。

 

「何ですかこの街!! ヤバいですよ、マジヤバです!!」

「ま、まぁそうだな。レッサルはヤバい街だ」

「こんな街で暮らしていけません! 私は、逃げさせてもらいます!!」

 

 イリューは、早くもレッサルに見切りをつけたらしい。

 

 うん、その気持ちはよくわかる。よりによってクーデター起きた日に見学に行ったわけだからな。

 

「しかも、しかも!! カールさん、アレ見てください」

「アレ?」

「アレですよ、アレ!!」

 

 イリューはテンパった表情のまま、街の外を指さした。

 

 そこには……

 

「……げ、アレって」

「悪党族?」

 

 見るからにガラの悪そうな連中が、平野を駆けて数百人単位で接近してきていたのだった。

 

 昨日捕らえた賊と、同じようなファッションだ。

 

「これはきっとアレです、私達が賊を輸送したのを見られてたんです!」

「あー、仲間を取り戻しに攻めてきたわけね。レッサルがろくに軍備されてないのを良いことに」

「ど、どどどどうしましょう!? あ、あんな大勢力、どうすれば良いのでしょう!? 既に街は大混乱なのに、賊まで攻めてきてしまったらもう……」

 

 イリューはアワアワしながら、左右へ首を振って目を回している。

 

 まぁ、賊の本隊が攻めてきたわけだからなぁ。そりゃあ、ビビるだろう。

 

「つまりあの連中は、俺達の撒いた種って事か。じゃあ、俺達でケリを付けてやらねぇとな」

「カール、どうします? 筋肉天国(マッスルミュージカル)を解除すれば、精霊砲を使えるようになりますが」

「ん、別に大丈夫。あのくらいなら────」

 

 徐々にレッサルへと距離を詰めてきている、百を超える悪党の群れを前に。

 

 

「俺一人で十分だ」

 

 

 カールはそう言って不敵に笑い、ゆっくりと剣を抜いた。

 



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48話「馬鹿野郎、俺は勝つぞお前」

 きっとそれは、イリューからすれば目を疑う光景だっただろう。

 

 数百メートルは先から迫り来る、賊の群れ。

 

 そんな暴徒相手にカールは剣を低く構えて、思いきり大地を蹴って翔んだ。

 

 

「────はえ?」

「とおぉっ!!!」

 

 

 カールのその人外染みた跳躍に、イリューが間の抜けた声を溢す。

 

 掛け声と共に一閃。

 

 一息に賊の正面へと躍り出たカールは、しなるよう剣を振り抜いて円状に斬撃を飛ばした。

 

這蛇飛斬(ちばしり)!」

 

 突然の襲撃に反応しきれなかった賊は、技の餌食となってしまう。

 

 地を這うように四散するカールの『広がる斬撃』は、数秒の間に敵の膝から下を切り刻んだ。

 

 足を失った賊は、何が起きたのかも分からぬままその場に倒れ伏した。

 

 そして自らが足先から血が吹き出している事に気付き、悲痛な叫び声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今のは、何ですの?」

「カールお得意の加減技ね。前にレーウィンでチンピラをヤった時も、あの技を使ってたわ」

 

 周囲に花開くように散る、地を這う斬撃。

 

 見たことのない技の美しさに、俺は感嘆した。

 

「……膝より下を狙うから、死人が出にくい技」

「ただ2発目以降だと、倒れた負傷者を細切れにしちゃうのよ。だから初撃限定ね」

「そもそもあの技、飛べばかわせるし……。初見殺し技」

 

 ふむ、成る程。

 

 確かに飛んだだけで避けられるのであれば、とんだ初見殺し技だ。

 

「でも、あれで半分くらい仕留めましたわ」

「あれだけ減れば、あとは肉弾戦で十分でしょ」

 

 あの技をとっさの判断で避けた者、そもそも斬撃の範囲外に居た者。

 

 それらを前にしてカールは剣を納めて、拳を握った。

 

「勇者ってのは女神様により滅茶苦茶に強化されてるみたい。だから殴り合いでも、アイツはそうそう負けないの」

 

 そのマイカの言葉の直後、蹴りあげられた賊が宙を舞う。

 

 うむ、やっぱり戦闘に関してカールは凄い。

 

 流石は選ばれし勇者、本当に1人で何とかしてしまいそうだ。

 

「それが心配でも、あるんだけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────大丈夫、自分は強い。

 

 

 青年カールは、賊を相手に大立回りしながら、それを確かめていた。

 

 

 ────自分は、選ばれた勇者だ。自信を持て。

 

 

 レーウィンでカールは、大きな犠牲を出した。

 

 酒に飲まれ、意識を失い、サクラの家族の大半を助けられなかった。

 

 

 ────戦えば、勝てる。これが、俺の役割だ。

 

 

 ヨウィンでの決戦、カールは何も出来なかった。

 

 3射目を撃たれる前に砲台を潰したかったが、下を守る魔物に妨げられて砲撃を許してしまった。

 

 街が助かって良かった。

 

 民が笑顔になるのは、素晴らしい。

 

 

 ……でも。そこに、カールは関わってなかった。

 

 

 

 

 握った拳が、賊の鳩尾を撃ち抜く。

 

 数メートルは吹き飛んで、賊は動かなくなる。

 

 

 今、クーデターで混乱の極地に遭ったレッサルを守っているのは誰でもない。

 

 カール自身だ。

 

 

「どうした、オラァ!! かかってこい!!」

 

 

 猛々しく、青年は叫んだ。

 

 普段は3枚目なお気楽男カールも、戦闘している時だけは荒々しい口調となる。

 

 それは、必死で自らを鼓舞しているからなのかもしれない。

 

 

「悪党どもめ、覚悟しやがれ! 苦しめた民に、泣いて詫びろ!」

 

 

 その速度は、並の戦士ではとらえきれない。

 

 元々身体能力の高いカールが、女神直々に身体強化(バフ)を授けられているのだ。

 

 普通の身体強化魔法とは比べ物にならない、圧倒的な身体能力(バフ)量。それは、人と魔族の差を無くしてしまう、勇者にのみ許された力。

 

 存在からして、勇者とは人間を超越した怪物なのだ。そこに、神から直々に『絶対切断』の異能まで付与されている。

 

 人間の身で彼にタイマンで勝てる存在など、恐らくこの世に存在しない。

 

 

 

 

 

「……む!」

 

 

 

 

 

 だが、一つ落とし穴があるとすれば。

 

 カールに与えられた加護はその全てが『攻撃力』に偏重しており、彼自身の耐久力はか弱い人間のそれと変わらぬという事だろう。

 

「傷……?」

 

 突如カールを、鈍い激痛が襲った。咄嗟に腕を引き、カールはその場を飛び退いた。

 

 カールが自らの腕を見れば、タラリ、腕から血が垂れていた。

 

「誰だ!」

 

 いつの間にか、カールは斬られていたらしい。上腕に数センチの、深い傷が出来ている。

 

 腕の腱は無事で有る事を確認しながら、カールは歯ぎしりして周囲を見渡した。

 

「剣アニキ!!」

「おお、やるじゃねえか!!」

「……」

 

 凍てつくような目線が、カールを貫く。

 

 カールが斬りかかられた方向には、無言で短剣を構える黒髪で寡黙な剣士がそこに居た。

 

 

 

「ち、よくもやりやがったな」

 

 少し反応が遅ければ、カールは腕を切り落とされていただろう。

 

 それほどに、その剣士の一撃は速く鋭かった。

 

「……」

「まずはお前から相手にしてやる!」

 

 この剣士を放置するのは不味い。カールの直感が、そう告げていた。

 

 その佇まいは静かで、その構えは軽やか。並の剣士で無いことは、明らかだ。

 

 この男に隙を見せれば、いつ首を飛ばされてもおかしくない。恐らくこの男こそ、賊の最強兵士であろう。

 

 

 だからカールは油断なく、あらゆる敵の動きを想定しながら一歩賊へと踏み込んで。

 

 

「────あ?」

「……」

 

 

 大地を蹴ろうとしたその瞬間に、敵の短剣が自らの心臓に突き立てられているのに気が付いた。

 

 ……無拍子。

 

 寡黙な剣士は何の予備動作もなく、カールの懐に飛び込んで、ただ胸元に剣を添えたのだ。

 

 

「こ、この────」

「……」

 

 

 このまま大地を蹴れば、その短剣は深々とカールの心臓を抉るだろう。

 

 カールは踏み込みかけた軸足を何とか止めて、後ろへと倒れ込んだ。急な方向転換を行ったおかげで、賊の短剣が胸を穿つ事はなかった。

 

 しかしカールには、バランスを取る余裕がない。

 

 大地を蹴ろうとした軸足は明後日の方向にかっとび、カールは後頭部から地面に頭を打ち付けてしまう。

 

「痛っ────」

「……」

 

 その隙を、剣士が逃す筈がなかった。

 

 

「……覚悟」

「ぐっ!?」

 

 

 頭を打ち付け目を白黒とさせているカールの首元目掛け、剣士はその短剣を振り下ろした。

 

 カールは剣士に馬乗りされ、ゆっくり短剣が首筋を目掛けて伸びていく。

 

 後は、勇者の頚をかっ切れば剣士の勝利であった。

 

 

 

「させません、のことよ!」

「む……」

 

 

 しかし、そう簡単にはいかない。何せカールの背後にも、沢山仲間が待機しているのだ。

 

 既のところで、カールの苦戦を察知した仲間の貴族令嬢(イリーネ)がドロップキックで割って入った。

 

 少女の体格とはいえ、人間一人の体重を乗せたキックが直撃すれば吹っ飛ばされる。

 

 剣士は、キックを避けようとカールから飛び退かざるを得なかった。

 

 

「徒党を組んでいるのはそちらです、卑怯とは言いませんわよね!」

「イ、イリーネ! すまん、助かった」

 

 

 カールは九死に一生を得た。あのままでは彼は、首のない死体となっていただろう。

 

 駆けつけてきた貴族令嬢に礼を言いつつ、カールは即座に立ち上がった。

 

 

「……くそっ!」

 

 しかし、カールの顔は暗い。

 

 『自分一人で十分』だと大言壮語しておきながら、この体たらくなのだ。

 

 

「今度はこっちの番だ!!」

 

 

 カールは安堵のため息より先に、自分への不甲斐なさで激高していた。

 

 強さこそが自分の価値だというのに、魔王どころか賊に殺されかけてどうするというのだ。

 

 不甲斐なさと焦りを怒号に変えて、カールは再び剣を握りしめた。

 

 次は、油断しない。次こそは、敵を皆殺しにしてやると。

 

 

 

「……カール、『動』が過ぎますわよ?」

「えっ……」

 

 

 

 そんなカールの、不安定な気持ちを見抜いたのか。

 

 令嬢は敵を真っすぐ見据えたまま振り向かず、優しくカールを諫めた。

 

「貴方は優しい人。きっと戦闘にのめり込むために、そうやって自分を鼓舞しているのでしょう?」

「あ、いや」

「ですが、その激しい『動』も過ぎれば毒となる」

 

 イリーネの声色は、やわらかだ。

 

 カール自身の切羽詰まった感情を包み込むような、優しい言葉だ。

 

 

「貴方の後ろには、沢山仲間がいましてよ。自分だけで何でもしようとしてはいけません」

「だ、だが」

「カール、貴方の命は貴方一人のものではないのです。貴方が倒れれば、仲間全体に危機が及びます」

 

 説教をするのではなく、あくまで諭すように。

 

 イリーネは淡々と、カールへ言葉を続けた。

 

「仲間を大切に思うのであれば、仲間が傷つかぬ様に最適と思える指示を出してください。それが、リーダーとしての素養ですわよ」

「それは……」

「貴方は私達の核なのです。もっと仲間を頼っていれば、心に余裕もできるでしょう? どうか感情に飲まれず、冷静に有ってくださいな」

「む……」

 

 聡明な令嬢に諭されて、カールの激しい感情は少し収まった。

 

 そうだ、落ち着け。先程までのカールは、感情に飲まれ暴走しかかっていた。

 

「……いや、分かった。イリーネ、ありがと」

「どういたしまして、ですわ」

 

 次こそは冷静に。次こそは、確実に。

 

 敵の剣士の、息の根を止めねばならぬ。

 

 

 こうして幾分かの冷静さを取り戻したカールは、再び剣士へと目線をやり、

 

 

 

 

「────え」

 

 

 

 

 その剣士が既に、仲間(イリーネ)の目前に肉薄している光景を見た。

 

「……魔法使いから、先に潰す」

「えっ……?」

 

 気がついたら、剣士はソコに居た。

 

 賊を真っすぐ見据え警戒していた筈のイリーネですら、その踏み込みに反応できていない。

 

 咄嗟に腕を十字に組んで急所を守ろうとしたイリーネだったが、それよりも剣士の斬り込みの方が早かった。

 

 

「ぐ、防御を────」

「遅い」

 

 

 ああ、何という失策。カールは、引っ張り出してしまったのだ。

 

 本来のパーティの形であれば後衛で安全に魔法を行使する筈の魔法職(イリーネ)を、自らの窮地で最前線に呼び出してしまった。

 

 最初からパーティで応戦していれば起こらなかった、その歪な陣形のせいで────

 

 

 

 

 

 ────ざくり、と鈍い音が戦場に響き。

 

 

 

 

 

 そしてカールは、黒髪の剣士の短剣が、イリーネの頸元を弾き飛ばす瞬間を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドサ、と無機質な音がする。ぴちゃぴちゃと、残酷な水垂れ音がカールの足元を濡らす。

 

 噴水のごとく血飛沫を振り撒いて、首の角度がおかしくなった貴族令嬢は、前のめりに大地に身を投げ出した。

 

 その目からは、どんどん光が失われていった。

 

 

「……イリーネッ!!!」

 

 

 倒れ伏したイリーネの首は、前半分が吹き飛んでいた。

 

 コポコポと不気味な飛沫音が、首の皮一枚繋がっている令嬢の口腔内から聞こえてきた。

 

 

「……次は、お前」

「て、てめぇぇぇっ!!!」

 

 

 魔法使いを仕留める時は喉を潰す。これが、この世界における基本戦術だ。剣士は、その基本を忠実に守ったに過ぎない。

 

 

「ああ、ああああああっ!!」

 

 

 一度は冷静になったカールだが、仲間の死で再び激昂してしまった。

 

 イリーネが殺されたのだ。自分の不甲斐なさのせいで、大事な仲間を失ってしまった。

 

 それはこの男にとって、まさしく身を裂かれるより辛い出来事だ。

 

 

 そうなってしまったカールの剣に、キレはない。

 

 ただ怒りに任せて剣を振るだけの、チンピラだ。

 

 超一流の技術を持ったこの賊の剣士に、勝ち目はないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロックオンだぜ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、何もかもどうでも良い。

 

 この剣士を殺す。勇者の力を使って、周囲の賊を巻き込んで、惨殺空間を作り上げてやる。

 

 

 そんな醜悪な憎悪に飲み込まれかけたカールは、底抜けに陽気なその声を聞いた。

 

 

「ファイアッ!」

「「「「ヤー!!」」」

 

 

 その野太い掛け声と共に、賊の立っていた場所に弓矢が降り注いだ。

 

 これは堪らじ、と寡黙な剣士は舌打ちしてカール達から距離を取った。

 

 

 

 

「お前ら行くぞ! あの冒険者を救え!」

「街の恩人を、死なせてたまるモノかよ!!」

 

 

 

 その陽気な声は次第に数を増し、湧き上がるような叫びと共に肉薄してくる。

 

 呆然とカールは、矢の飛んできた方向へと振り返り、ソレを見た。

 

 

「うおおおおおおおっ!!!」

 

 

 それは、いつの間なのだろう。

 

 その聞き慣れぬ鬨の声に困惑し、カールが周囲を見渡すと。

 

 カールの背後から、多くの地鳴りと共に頼もしき軍勢が迫って来ていたのだ。

 

 

 

 

「冒険者よ、よく持ちこたえてくれた!! レッサル自警団、ここに見参!」

「てめーら、悪党族を根絶やしにするぞ!! 全員突撃ぃ!!」

「「「おおおおおおおっ!!!!」」」

 

 

 

 

 

 

 重装備で身を固めた戦士達が、雄叫びを上げながら戦場に突進する。

 

 それは、コリッパの悪政が無ければ今もレッサルの治安を守っていた筈の歴戦の戦士。

 

 即ちつい先ほど、奴隷市場から解放されたばかりの自警団メンバーであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだイリーネは間に合う、処置をするわぁ!! カール、周囲を固めなさい!」

「サクラ!」

「もう、もう!! 本当にこの娘は、無茶ばっかり!!」

 

 間も無く半狂乱になりながら、もう一人の貴族である茶髪令嬢がイリーネの前に滑り込んで来た。

 

 外傷の専門、回復魔法のスペシャリストであるサクラだ。

 

「マスターとイリューは助手をなさい、包帯と消毒取って!!」

「あいよ、お嬢」

「わ、わっかりました! 死なないでイリーネさーん!」

 

 サクラはテキパキと周囲に指示を出しながら、荷物を広げイリーネの治療を始めた。

 

 カールは言われた通り、その周囲に賊が近づかぬ様に威嚇する。

 

「……間に合ったわね。まったく、感謝してよ? 賊に向かって飛び出した瞬間から、こうなる気がして自警団呼びに行ったのよ」

「マイカ、お前か! す、すまん、本当に恩に着る」

 

 この、早すぎる救援の仕立て人はマイカだった。

 

 マイカはカールが自信満々に飛び出したのを見て、少し不安がよぎり一人レッサルの街へと敵襲を知らせに行ったのだ。

 

「うん、大丈夫。イリーネ、何とかなりそうよぉ」

「そうか、良かった。……だがマイカ、どうして俺が失敗すると分かったんだ?」

「イキってる時のカールは大体失敗するモンよ。幼馴染みは、何でも知ってるの」

 

 そう言うとマイカは、ゲシッとカールのケツを蹴っ飛ばした。

 

 カールは決して弱い人間ではない。戦闘力は、順当に人類最強クラスだ。

 

 だが、彼の精神面は平凡そのもの。調子に乗れば失敗するし、油断すればやられてしまう。

 

 カールは根っから優しいだけのお人好しで、お世辞にも戦闘向けの性格ではない。それを、彼の幼馴染(マイカ)はよくよく知っていた。

 

 

 

 

「手配犯の『静剣レイ』がいるぞ! 大物だ!」

「奴に接近戦を挑むな! 遠くから矢で射殺せ!」

 

 

 

 カールが苦戦した剣士は、このあたりでは名前の知れた賊らしい。

 

 自警団たちは彼に接近戦を挑もうとせず、ひたすら弓矢での遠距離戦に徹していた。

 

「……っ」

「絶対に近付けさせるな! 矢の嵐をお見舞いしろ!」

 

 あの恐ろしい剣士も、間髪入れず遠巻きに射られ続けるのは堪えるらしい。苦虫をかみつぶす様な顔で、剣士は矢を嫌ってどんどん撤退していく。

 

 

「あの人たちは賢いわね。自分より格上に対する戦い方をわきまえてるわ」

「む」

「あんたは、あの剣士の賊に正面から挑み過ぎ。あの剣士よりアンタの方が身体能力は上なんだから、近距離は逃げに徹しなさいよ。離れて距離を取って、飛ぶ斬撃とかで遠巻きにチマチマ戦えば良いのに。そういう戦い方をしてくれたなら、私も弓で援護できたし」

 

 そう。

 

 よく観察すれば気付けたのだが、あの剣士の賊は飛び道具を携帯していないのだ。彼は己の剣技のみで戦う剣士崩れの賊である。

 

 だから正面からでなければ、カールでも勝てる相手なのだ。

 

「ま、いい経験になったでしょ。次からは、もう少し考えて行動なさい」

「……むぅ」

 

 対魔族に特化した剣術ではなく、対人間に特化した剣術を用いる賊。如何に勇者と言えど、接近戦では分が悪かった。

 

 ただ、カールの敗因はそこであった。

 

 

 

 

「……旗色が悪い。退くぞ」

「ちくしょう!! 次はお前ら皆殺しにしてやるからな!!」

 

 

 

 やがて賊たちは悔しそうに、戦場から背を向けて走り出した。

 

 レッサル自警団の戦いは、実に見事なものだった。領主の支援もなく装備もボロボロのまま、レッサルを守り続けた彼らの実力は本物なのだ。

 

 自警団は敵の強みを封殺する見事な指揮で、賊を撃退した。

 

 

「深追いするな! 俺達では、静剣レイは捕らえられん!」

「逃げ遅れた賊を討伐しろ、少しでも敵の戦力を減らせ!」

「勝ち戦だ、鬨の声を上げろ!!」

 

 

 自警団が到着し、まもなく賊は鎮圧された。

 

 その間に無事イリーネの治療は終わり、すぅすぅと静かな寝息を立てて令嬢はサクラの膝枕で眠っていた。

 

「はぁ……キモが冷えたわぁ」

「お嬢、お疲れです」

 

 こうして、レッサル防衛線は防衛側の大勝利に終わった。

 

 カールにとっては望んだ活躍は出来なかったものの、『だからこそ』得るものの大きい戦いだった。

 

 選ばれた勇者カールとて、まだ若く青い。降って湧いた勇者の力に溺れ、周囲が見えなくなっていたのかもしれない。

 

 自分には頼れる仲間がいる。自分には勝てない相手でも、誰かの力を借りれば倒せる。

 

 そんな当たり前の事を気づかせてくれたのは、やはり彼の仲間であった。

 

 

 

 

 

 

 

「……おい。そういや、レヴは何処に行った?」

 

 

 

 

 

 戦勝に安堵の息を漏らしたカールは、ふと違和感に気付いた。

 

 周囲に、レヴがいないのだ。

 

「誰か、レヴを見なかったか?」

「え、知らないわよ。私は自警団呼びに行ってたし」

「さっきまで、近くに居たわよぉ?」

 

 パーティの最年少、そしてカール以外の唯一の近接戦闘員レヴ。

 

 そんな彼女を、今回の戦闘で一度も顔を見せていない。カールの知るレヴであれば、自警団と一緒に参戦して賊を討伐する筈だ。

 

 見当たらないのは、どう考えてもおかしい。

 

「まさか攫われてないだろうな! おーい、レヴ!!」

 

 不安になったカールは、周囲へと呼びかけた。たまたま目に見えるところに居ないだけかもしれない、実はすぐ傍に居るのかもしれない、そう考えて。

 

「レヴ、レヴ……、っと。居たわカール、あそこよ」

「あそこ?」

「ほら、街の入り口付近」

 

 こういう時は、目の良いマイカの仕事が早い。

 

 見れば遠くレッサルの入り口付近に、ぼんやりと立っている見慣れた少女がいた。

 

「あの娘、一歩も動いてないみたいね」

「む、そうか。……流石のレヴも、殺し合いが怖かったのかな?」

「人間同士で殺し合った事は無かったのかもしれないわね」

 

 カールは見当たらなかった仲間の少女を見つけ、安堵した。

 

 そうか、戦場に居なかったのは参加しなかったからか。怖かったのであれば仕方ない、彼女はまだ親の庇護の下で生きる年齢の少女なのだ。

 

 誰が、それを責められようか。

 

「俺が迎えに行ってくるよ」

「お願いね」

 

 

 

 カールはなるべく、優しく声を掛けようと考えた。

 

 一人だけ、賊との戦闘に参加しなかった。レヴにとって、それはきっと負い目に他ならない。

 

 大丈夫だよ、怖かったんだな。そんな言葉を用意して、カールはレヴの立っている場所にゆっくりと駆けていき────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────どうして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カールは、すぐに気付いた。レヴの瞳が、壊れそうなほど繊細に潤んでいたことに。

 

「おい、レヴ……?」

「……何で、どうして」

 

 近づいてくる愛しい人(カール)に目もくれず、少女(レヴ)は逃げ行く賊を見つめて放心していた。

 

 ポタポタと地面に涙の雫を落としながら、レヴは何かを探すように手を伸ばして呟いた。

 

 

 

 

 

「……()ぃ」

 

 

 

 

 

 レヴの伸ばしたその掌の先では、『静剣レイ』が賊を纏めて山の奥へと駆けて行った。

 

 



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49話「レッサル自警団」

 ……。

 

 ここ、は?

 

「あらイリーネ、おはよう」

「サクラさん……?」

 

 随分と長い時間、眠っていた気がする。

 

 サクラに声をかけられて重たい体を起こすと、俺は見慣れぬ室内の簡素なベッドで寝かされていた。

 

「……ああ。そうでしたわね、私……。やられてしまったのでしたっけ」

「そうよ。あとちょっと遅れてたら、失血で死んでたんだから」

 

 ゲシッ、と。サクラは半目で怒ったまま、俺の頭をチョップした。

 

 顔を上げれば、サクラの目元にはクマが出来ており、随分と疲れて眠そうな顔をしていた。もしかしたら彼女は、俺を付きっきりで看病してくれていたのかもしれない。

 

「サクラさんが、助けてくださったんですね。ありがとうございますわ」

「ええ、どういたしまして」

 

 開口一番に礼を言う。これで、サクラに命を救われたのは2度目だ。

 

 返しきれない恩が出来てしまった。

 

「ねぇイリーネ。寝起きに悪いんだけど、貴女には幾つかお説教があるわ。聞きなさい」

「は、はい」

 

 その恩人たるサクラは、かなり怒っている様子だった。

 

 いつものおっとり口調じゃなく、不機嫌そうなツンケン口調である。

 

 彼女のお説教の内容は、何となく想像がつくが。

 

「まず、最初に。魔法使いが最前線に出ないの!」

「痛っ」

 

 びし、とサクラは俺にデコピンする。

 

 それはまさしく、ド正論だった。

 

「え、ですがあのままだと彼は……」

「貴女は魔法使いでしょ、だったら魔法で援護なさいよ! 貴女自身が飛び出してドロップキックする理由は何もないわよね!?」

「あうー」

 

 返す言葉もない。

 

 俺は魔法の精密なコントロールが苦手で、カールを巻き込む可能性があったのも理由の1つだが……。

 

 でも確かに、少なからず接近戦をしてみたいという俺自身の欲望に負けた結果でもあった。

 

 巻き込むのが怖いなら、土魔法とか水魔法とか比較的攻撃性の低い魔法で援護すりゃ良い話だし。

 

「それだけじゃないわ。貴女、身体強化の魔法も使えたわよね」

「……使えましたわね」

 

 まぁ、男のロマンだからな。

 

「じゃあ、何でそれを発動してから突っ込まないの!? 何の為の強化魔法なの、本当に馬鹿なの!?」

「あうっ」

 

 サクラの2発目のデコピンが、俺の額を襲う。

 

 まさに、返す言葉もない。

 

 身体強化は戦闘が始まった瞬間、まず最初に詠唱しておくものだ。確かに俺は、それを怠った。

 

 実のところ、筋肉天国(マッスルミュージカル)を発動していたから詠唱出来なかったというのも大きいが。

 

「すみません、サクラさん。私は2重詠唱の技術を持っておりませんの。あの時は、筋肉天国(マッスルミュージカル)の発動で手一杯でしたわ」

「……むぅ」

「カールがやられそうになって慌てて飛び出しましたので、自身への強化(バフ)を忘れていました。振り返れば、実に恥ずべきミスですわ」

 

 全く俺としたことが情けない。

 

 発動出来るものを発動しないでいて、頚を斬られましたじゃ話にならない。

 

「まぁ、この2つは百歩譲りましょう。百歩よ、百歩! 物凄く譲ったからね!」

「は、はい」

「では最後の質問。貴女の右腕にはまってる……」

 

 む、右腕?

 

「そのブレスレットは何? 触ったら、滅茶苦茶に体が重くなったんだけど」

「……あっ」

 

 あっ。

 

「……それ、ヨウィンで見かけた運動不足解消グッズじゃない? 身体強化魔法を逆にして、擬似的な重力負荷をかける魔道具」

「あー、えっと。その」

「まさかとは思うけど。自らに身体強化(バフ)をかけるどころか、逆に身体負荷(デバフ)したまま、戦場に駆け付けた訳じゃないわよね?」

 

 そう問い詰めるサクラの顔は、般若の如く歪んでいた。

 

 ち、ちゃうねん。これはその、ちゃうねん。

 

「こ、これはですね。貴族として美を保つために、ヨウィンで買った後にずっと付けていまして、その」

「はい」

「体の一部みたいになってたから、すっかり忘れてましたわ♪」

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

「この、この、この!! あんたって馬鹿は!!」

「ご、ごめんなさいですわ! 本当にすっかり忘れてましたの!」

 

 サクラはガシガシと頭を叩いてくる。

 

 四六時中付けていたからか最近は負荷にも慣れてきて、殆どアクセサリーみたいなノリだったから忘れていた。そうだ、そういや俺って重力修行してたんだった。

 

「えっと、外しましたわ。おお、体が軽い」

「その状態で戦えおバカ!」

 

 久しぶりにブレスレットを外してみると、体が羽の様に軽かった。

 

 ピョンピョン飛んでみると、跳躍力は増している実感がある。確かにこの状態で戦えば、結果はまた違ったかもしれない。

 

「……本当に、心配したんだから」

「あ、その。ごめんなさい」

 

 やがて怒り疲れたのか。

 

 目を閉じたサクラは、俺に向かって前のめりにもたれ掛かってきた。

 

「ちょっとベッドを、譲りなさいよ。休むから」

「……ええ、わかりましたわ」

 

 俺はサクラをベッド上に寝かせベッドから立ち上がると、サクラはそのまま眠り始めた。

 

 相当に、疲労していた様子だ。

 

 

「本当に、バカ……」

 

 

 むぅ、胸が痛い。

 

 サクラには、無駄な心配をかけてしまった。男として、情けないことこの上ない。

 

 正直なところ、俺は実戦を舐めていた。

 

 勝てると思っていた。喧嘩なんてロクにしたことの無い、ただの貴族令嬢たる俺が。

 

 これまで殺しと喧嘩の世界で生きてきた賊を相手に、負ける訳はないと思い上がっていたんだ。

 

「……またレヴさんに稽古、つけていただかなければなりませんわね」

 

 俺と入れ替わるようにベッド上で、すぅすぅと寝息を立てる親友(サクラ)にシーツを掛けて。

 

 寝ていた部屋の扉を開き、俺は他の仲間の姿を探す事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、イリーネさん! 目が覚められたのですね、よかった!」

 

 廊下を歩くと、すぐに見覚えのある顔が見つかった。

 

 出会ったばかりのシスター、イリューだ。

 

「イリューさん、おはようございますわ」

「もう体は大丈夫なんですか?」

「ええ、サクラさんのお陰です」

 

 俺は肩を回し、快復をアピールした。

 

 もうサクラには、足を向けて眠れない。

 

「カールさん達はどちらでしょうか? 回復を告げに行きたいのですが」

「あ、えっと。カールさんは、その……事情があって折檻中でして。時間を置いた方がいいかもしれません」

「あっ」

 

 折檻、て。また何かやったのか、あの男。

 

「その事情なんですが……」

「言わずとも大体想像はつきますわ。いつもの事なので、とりあえずその場に案内してくださいませんか?」

「アレ、いつもの事なんですか!?」

 

 がびーん、とショックを受けるイリュー。

 

 うん、君は被害に遭ってなさそうだけど……。カールは息を吐くようにラッキースケベを起こす変態なんだ。

 

 被害者はレヴかマイカか、どっちかだろう。

 

「あの部屋の中です。えぇー、あの光景が日常茶飯事ってどういうコトなのでしょう」

「やれやれ。部屋に入りますわよ、カール────」

 

 軽くノックした後、俺はイリューの示した部屋の扉を開いて……

 

 

 

 

 

「むむぅー」

 

 

 

 

 

 何故かマイカが、部屋の中央で宙づりに縛られプラプラしていた。

 

 ……思考が真っ白になったので、とりあえず扉を閉めた。

 

 

 

 

 

「仮にも女の子に、あんな扱いをするのはどうかと思うんですが。アレがいつもの光景なんです?」

「待ってくださいまし全然状況が分からなくなりましたわ」

 

 え、何アレ。なんでマイカが吊られてるの?

 

 そのポジションはカールでしょ? もしかして、何かの罰ゲームとか?

 

「ま、まぁ。見間違いかもしれませんわ」

「いや、見間違いじゃなかったですけど」

 

 俺はもう一度ノックして、扉をゆっくり開いた。

 

 うん、きっと見間違えだ。吊られているのはカールの筈だ……。

 

 

 

 

「むぅむぅ」

 

 

 

 

 ダメだ、やっぱりマイカだアレ。

 

「ま、マイカさん!? どうされたんですの?」

 

 マイカが吊りあげられているのはどう考えてもおかしいだろ。一体何が有ったって言うんだ。

 

「お、起きたかイリーネ。良かった、怪我は無いか」

「カールも居たんですのね。……ちょっと、何でカールではなくマイカさんが縛られてるんですの!?」

「まぁ落ち着けイリーネ、アレは自業自得だ。……俺じゃなく、って何?」

 

 カールはいたって落ち着いた表情で俺を出迎えた。

 

 この野郎、なんてヤツだ。幼馴染の女の子が吊りあげられているのに、救いもせずのほほんと────

 

「その女の子、カードでイカサマやりまくって荒稼ぎしたんだよ」

「で、そのイカサマをお頭に見破られてお縄に着いたワケ」

「アンタらは街を救ってくれた恩人パーティだからな。あの娘も逮捕せず、1日宙づりで勘弁してやるって話になったのよ」

「むぅぅ」

 

 何やってんだ、マイカ。

 

「お前らのリーダーは凄いな、よく見破ったもんだ。マイカが看破されて窮地に陥った姿なんざ初めて見たぜ」

「おいおい、イカサマを黙認してたわけじゃねーよなカールの旦那」

「馬鹿言え、俺はヤツの幼馴染だぞ? これまであの悪魔(マイカ)に、どれだけカードで巻き上げられたと思ってる。一番の被害者に向かってなんて口の利き方だ」

「ご愁傷さまだな。今のうちに胸くらい触ってもバチは当たらないんじゃねぇか?」

「そこまでやると絶対報復される。怖いからヤダ」

 

 マイカは結構、お金にがめつい。

 

 おそらく小銭稼ぎのつもりで自警団メンバーにカードで勝負を挑んだのだろう。その結果が、お縄(アレ)だという事か。

 

「まぁ、傷も癒えたみたいで良かったよイリーネ。ごめん、俺が不甲斐ないせいで」

「や、やめてくださいまし。頭なんて下げないでください、私のミスですわ。むしろ、足を引っ張って申し訳ありませんでした」

「いや、俺が……」

 

 カールは俺の顔を見ると、真面目な顔になって頭を下げてきた。

 

 身体負荷(デバフ)状態で戦場に突進していった俺が悪いのに、そんな顔で謝られると居た堪れなくなる。

 

「カールの旦那はよくやってくれたよ。俺達が駆けつけるまで、あの『静剣』率いる賊を相手して、半分以上やっつけたんだ。そのお陰で、俺達も楽に勝てた」

「ああ、アンタらは街の英雄さ。誇っていい」

 

 そう言うと、筋肉質な自警団のオッサンは豪快にカールの肩を抱いた。

 

「生まれ変わったレッサルの英雄に、乾杯! お嬢ちゃんは、酒は飲める口かい?」

「え、私でしょうか。飲めなくはないですが、その」

「ほう、じゃあ飲め飲め! コリッパの屋敷にあったクソ旨ぇワインだ、楽しく飲んでやらなきゃ勿体ねぇ」

 

 ふむ、オッサン達は宴会をしているらしい。

 

 賊とコリッパへの戦勝祝い、と言ったところだろうか。

 

「光栄ですが、酔ってしまうより先に『お頭さん』にご挨拶をさせていただこうかと思いますわ。窮地を助けていただいたあなた方は、まさしく命の恩人。酒精を浴びる前に謝辞を申し上げたいのです」

「……ほう、真面目だねぇ」

「なぁ、さっきから随分堅苦しい口調だが。もしかしてお嬢ちゃん、貴族か?」

 

 ピシリ、と空気が変わる。

 

 人懐っこい笑顔を浮かべていたオッサンが、急に鋭い目つきになって聞いてきた。

 

 ふむ、その問いに対する答えは決まっている。

 

「ええ、貴族ですわ。私はイリーネ・フォン・ヴェルムンド、ヴェルムンド家の長女にしてカールの仲間」

 

 俺は、この家名に恥じることは何もない。いついかなる場でも、俺はヴェルムンド家に生まれたことを誇りに思っているからだ。

 

 しかし、俺が貴族だと気付いて周囲の見る目が変わった。視線に、露骨な嫌悪感を感じる。

 

 ……そっかぁ、平民ってこんなに貴族が嫌いなものなのかぁ。

 

「ま、待ってくれ。イリーネは貴族だが、この娘は悪い娘じゃない!」

「……まぁ、旦那がそう言うのなら」

「この前も水浴びを覗いてしまったが、笑顔で許してくれた優しい子なんだ!」

 

 そのフォローの仕方はどうなんだ、カール。

 

「え、嬢ちゃん覗かれたの?」

「ただの事故ですので、笑って水に流しましたわ。私はイリーネ・フォン・ヴェルムンド、悪意無き行動に悪意を持って返すことはないのです」

「ほーう、懐が深ぇのな」

 

 カールの微妙な擁護のせいで、俺を見る目が変な感じになった。

 

 おいやめろ、エロい目で見るな男ども。

 

「なぁカール、デカかったか?」

「え、何が」

「そりゃおっぱいだよ。貴族様の生乳なんて早々拝めるもんじゃないぜ」

 

 む、卑猥な表情。カールに顔を赤らめて話しかけているその兵士は、俺を妙な目で見ている様だ。

 

 やっぱりそういう方向に行くよな、男の会話って。

 

「身体見られても気にしないならさぁ、此処で脱いでくれよ!」

「お、おい! 酔い過ぎだぞお前」

 

 その兵士は貴族が嫌いなのか、発情してるのかはわからんが妙に攻撃的な口調で命令してくる。

 

 いくらこの街の貴族に嫌な思いをしたとはいえ、これは……。

 

「コルセットだの何だので誤魔化してるだけで、意外とたれ乳がっかりおっぱいじゃねぇのか? 見せろよ貴族様!」

 

 どうだろう。流石に、怒っても構わんよな俺。

 

「見るだけでいいなんて。そんなシャイな事を言わずに、もっと甘美な事をしてあげましょうか」

「お、良いのか!! うっひょぉ、話が分かるじゃん!」

 

 ニコニコと、余所行き用の作り笑顔で俺はその兵士に近づいた。

 

 俺が内心キレてるのに気付いたのか、カールの額に冷や汗が滲んでいる。

 

「令嬢奥義、三角締め!!」

「くぺっ!!!」

 

 俺はそのまま油断している男に組みついて、足で首を三角締めにしてやった。

 

 悪意無きセクハラは許すが、こういう露骨なのはNGだ。

 

 人間はこのように、頸動脈を圧迫されると数秒で意識を失ってしまう弱点がある……。

 

「オ、オイ!! 今ゴキって言ったぞ!!」

「メディック、メディッーク!!」

「……あら?」

 

 ん、(力加減を)間違えたかな?

 

 おかしいな。この間ミスって盗賊の首をへし折った時より、かなり弱く締めたぞ今。

 

 そりゃあもう、腫物を触るように────

 

「首が折れてるぅ!!」

「な、なんて股関節だ!! 貴族の股関節は伊達じゃねぇ!!」

「ええええええ!?」

 

 ……そういやさっきから、妙に体が軽い。

 

 そっか、あのブレスレッド外して身体能力があがってんだっけか俺。

 

「ご、ごごごめんなさいですわ! やり過ぎました!!」

「サ、サクラを呼んできてくれ! 彼女なら治せるはずだ!!」

「でも何か幸せそうな顔してるぞコイツ!」

 

 首をへし折られた哀れな酔っ払いは、何故か鼻血を出して恍惚としていた。

 

 いかん、鼻腔まで出血が上がって来たらしい。

 

「え、えっとえっと。まず、首を元の角度に戻してみましょうか」

「ちょっとイリュー、詳しくないなら触らない方が……。もっかい、ゴキっといったよ今!?」

「はわわ」

 

 俺がテンパってる間に、ひっそりとイリューがセクハラ野郎にとどめを刺す。

 

 あ、男が白目を剥いてガクガクし始めた。これはヤバい。

 

「落ち着け、冷静になれ! 取り敢えず冷静に、もう一度頚を折られた角度に戻すんだ」

「違うそうじゃない、それやったら次こそ死ぬぞコイツ!」

「傷薬だ、傷薬持ってこい! そんで誰か、聖堂で回復魔法の使い手がいないか聞いてきてくれ!」

「馬鹿野郎、聖堂は昨日焼き討ちしただろ!?」

 

 流石にヤバいのを悟ったのか、俺以外の人もテンパり始めた。

 

 阿鼻叫喚、収拾が付きそうにない。

 

 

 

 

 

「あーもう!! 寝てたのに何よ、急患は何処よぉ!」

「さ、サクラさん!」

 

 

 

 

 

 ……この後もう一回、スゴく説教された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーネ、取り敢えず自警団のリーダーに会いに行こうぜ」

「おお、了解しましたわ」

「宴会なんかより、そっちの方が優先事項だ」

 

 無事にサクラの治療が終わり、場が落ち着いた後。

 

 俺はカールに手を引かれ、そっと宴会を抜け出した。

 

「すまん、実はイリーネが寝てる間に決まったんだが。俺達は暫くこの町、レッサルに滞在することになった」

「滞在、ですか? 1泊するのではなく、滞在しますのね」

「事情が変わってな。あの賊を打倒するまで、自警団に力を貸す事になったんだ」

「……おお! それは素晴らしいお考えですわ。力を持つ者は、弱き者を守る義務がある。自警団と共闘するのであれば、比較的安全でもありましょう」

 

 聞けばどうやら、カールは自警団にあの賊を討つ協力を申し出たらしい。

 

 それを聞いて自警団は手を打って喜び、宴会でカールをもてなしたそうだ。

 

 なるほど、あの宴会はそれか。

 

「何でそんな事になったかは、後で詳しく話すよ。今は、自警団の長に顔を通しておこう」

「承りましたわ」

 

 賊を討ち、民を救うは貴族の本懐。

 

 これぞまさしく、ノブレス・オブリージュ。

 

「じゃあ入るぞ」

 

 そして、カールは屋敷の一番奥の部屋の前で立ち止まった。

 

 カールは俺の手を引いたまま、少し緊張した面持ちで一番奥の部屋に入り────

 

 

「貴族美女発見っ!! 乳、尻、フトモモォ!!!」

「俺の仲間に手を出すなっつってんだろ、このタコォ!!!」

 

 

 間髪入れず突っ込んできた、小柄な男の顔面を蹴飛ばした。

 

 え、何今の。

 

「いてぇこの野郎! ちょっと胸に顔を埋めようとしただけだろうが!」

「俺の仲間にそんなことしてみろ、細切れにするぞエロチビ!」

「チビで悪いか、エロで悪いか!」

「エロは悪いだろうがよ!」

 

 カールに蹴飛ばされたその男(少年?)は、忌々しそうな顔で立ち上がった。

 

 その手をワキワキと、卑猥に動かしながら。

 

「あの、カール。彼は一体……」

「こいつが、あの自警団のリーダーだそうだ。全く、世も末だぜ」

 

 カールの心底呆れた口調が、その人物の全てを物語っていた。

 

 コイツは……、やべぇ奴だ。

 

「おっす、おっぱい貴族ちゃん! 初めまして、性交してください!」

「えっ、あの」

 

 この町の領主も頭がおかしいが、この町の自警団まで頭がおかしかったのか。

 

 レッサルはもうダメだな。

 

「イリーネ、コイツの顔は覚えたな? いきなりコイツが近付いてきたら、迷わず蹴り飛ばすんだぞ」

「そ、その為に顔見せをしたんですのね……」

 

 カールが最優先で、俺に目通りさせた意味がわかった。こいつは、町一番の危険人物に他ならない。

 

 俺がかつて遭遇したことの無い変態に戦慄している最中、目の前の男は「ふむ、蹴り飛ばされるも一興」と小さく呟いていた。

 



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50話「自警団の野望」

 ────昔の話をしよう。

 

 

 

 かつてレッサルと言う都市は、目立った特徴のない普通の集落街であった。

 

 温暖な気候であり食料の自給自足は出来たが、特産品と呼べるほどのものはなかった。

 

 冒険者が旅や依頼の中継地点として行き来し、たまに泊まりに来る程度。レッサルは、そんな普通の街であった。

 

 

「俺の代で、レッサルを生まれ変わらせてやる」

 

 

 しかし、平凡な街『レッサル』の領主となった若き『ゴリッパ』は野心を抱いた。

 

 彼が領主を継いだのは、まだ20歳に満たぬ頃。若く青いゴリッパは、保守的にならず自分の治めるこの街をより豊かなものにしようとした。

 

 

「街に何か一つ特徴が欲しい。特産品を開発できないだろうか」

 

 

 レッサルの土地は肥沃とは言い難く、取れる農作物は凡庸なものだ。特別な技術がある訳でもなく、珍しい動植物が生息している訳でもない。

 

 そう簡単に、特産品を生み出せるなら苦労はなかった。

 

 

「街をもっと発展させるために、旅人が滞在しやすくすればよいのでは」

 

 

 ならば交易都市として、さまざまな商人が持ち寄られるような街にしようとゴリッパは考えた。

 

 その為には、安い宿泊施設を用意する必要があると考えた。

 

 

「聖堂を作ろう。安く寝泊まりできる施設があれば、より旅人も滞在しやすくなる筈だ。信仰で、民を統制できるのも良い」

 

 

 そう閃いたゴリッパは、レッサルに新たに聖堂を建築する事を画策した。

 

 地元の大工に工事を依頼すれば経済も回り、旅人が増えれば商売の機会も増える。それは決して悪い案ではないように思えた。

 

 

「ん、待てよ」

 

 

 そこでゴリッパは、更にもう一計を案じた。

 

 どうせ作るのなら聖堂ではなく、大聖堂にしてみてはどうかと。

 

 

「大聖堂は金がかかるが……」

 

 

 大聖堂の建築や維持にはコストがかかる。しかし、先代からの貯えでギリギリ手が出ない訳ではない。

 

 大聖堂を建築すれば、街が発展し旅人が増えても宿泊に困らない。しかも、信仰目当てに巡礼に来る聖職者の旅人も期待できるようになる。

 

 

「大聖堂を建築すれば、レッサルに宗教都市という特徴が出来る。公共事業で市民に税金を還元出来て、かつ街の発展にも繋がるではないか」

 

 

 タイミングの良いことに、ゴリッパが決断したその年、民衆は不作で苦しんでいた。

 

 そんな折に公共事業で給与が貰えるとなれば、住民からは大きな反対は出なかった。

 

「よし決めた、レッサルに大聖堂を作ろう。これを、俺の一生をかけた事業にしよう」

 

 若きゴリッパは、何もない町レッサルの領主として、そう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10年の月日が経って、やがて大聖堂は完成した。

 

 その間にゴリッパは、各地のマクロ教団に連絡を取って頭を下げ、司祭クラスの人物を呼び寄せる事に成功した。

 

 

「貴方のような熱心な信徒をもって、マクロ様もお喜びでしょう」

「わざわざこのような田舎に、司祭どのが来ていただけるとは望外の喜びです」

 

 

 レッサルの大聖堂はその名に恥じぬ、立派な造りだった。

 

 それを見てゴリッパの本気を感じ取った女神マクロの教団は、レッサルを信仰都市として認定した。

 

 

「今後は、定期的にレッサルへ修験者が訪れましょう」

「それは僥倖です。各地の信徒たちから話を聞けるのが楽しみでなりません」

 

 

 それは、若き日のゴリッパの狙い通りの展開だった。この日からレッサルは何の変哲もない地方街ではなく、女神教団の中核都市として様々な人に周知されるようになった。

 

 

 

 

 

 

 信徒が集い寄付が集まり、レッサルの大聖堂の運営はひとまず順調だった。

 

 当てが外れたのは、あまり冒険者の旅人は増えなかった事だろうか。

 

 安く泊まれる施設が出来たとはいえ、レッサル周囲に旅の目的となりうるものは存在しない。各地の信徒が巡礼として泊まりに来るだけで、商業の発展には繋がらなかった。

 

 更に修験者とは、自らを律するものだ。余計な贅沢をせず、清廉に生きる存在。

 

 遠くからレッサルに立ち寄ったとして、あまりお金を落としてくれなかったのである。

 

 

「街は少し赤字に傾いてはいるが、人の流通は増えた。ここから次の一手を打てばよい」

 

 

 しかしゴリッパは、メゲなかった。10年かけて各地の旅人から、レッサルでも作れそうな特産品の情報を集めていた。

 

 また、マクロ教の大聖堂が有る事を利用して定期的にミサを開催し、旅人からの寄付を募った。

 

 

「レッサルは、女神マクロ様の御導き通りに」

 

 

 この頃になると、ゴリッパ自身もかなり深いマクロ教の信徒になっていた。

 

 元々は街の発展のために利用する為に入信したようなものだったが、10年も教義を聞いていればそうなるのも仕方ない。

 

 街中にも信徒が増えて、レッサルはまさしく『マクロ教の信仰都市』と言う立ち位置になっていた。

 

 

「ゴリッパ様。今年も信徒から、たくさんの寄付が届きました」

「うむ。ありがたい事だ、マクロ様を信仰して本当に良かった」

 

 

 しかしいくら信仰に染まろうと、ゴリッパはあくまで『街の指導者』だった。

 

 宗教に入れ込むようなことはせず、大聖堂を利用して街をより良くすることだけを考え続けた。

 

 

「あと10年もあれば、もっとレッサルは発展できる。レッサルが大きくなれば、マクロ教も世に広がる。そしてみんなが、笑顔で暮らせる街になるのだ」

 

 

 ゴリッパは、既にレッサルの特産品となりうる商品に目星をつけていた。それはつまり、宗教画や女神像と言った文芸品である。

 

 彼はもう周辺都市で、腕の良い画家や彫刻家に声をかけていた。

 

 彼らを招聘して富豪の信徒に文芸品を売りつけることが出来るようになれば、大聖堂を黒字で運営できるようになる。そうなれば、レッサルの発展は成った様なもの。

 

 20歳で領主となった頃の『目標』が、もうすぐ現実のものになろうとしている。ゴリッパは、実に幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 惜しむらくは。

 

 レッサル周辺で肺炎が流行し、志半ばでゴリッパが急逝してしまった事だろう。

 

 彼は偉大な指導者だった。それは、レッサルの住人の多くが認めるところだ。

 

 まだ、齢は30後半。あまりに若すぎる、惜しまれる死であった。

 

 たった一代でレッサルの規模を倍近くに拡大し、宗教都市として不動の地位を築き上げ、民衆からの不満も出さずに統治し続けたその功績はまさしく『偉人』と言えた。

 

 

 

「父上? どうして話さないのです、父上」

 

 

 

 裏を返せばレッサルの街の栄華は、この一人の偉人によって支えられていたのだ。

 

 非常に残念なことに、まだ父親から何の手ほどきも受けていない『凡人』たる息子は、

 

 

「私は今から、何をすればいいのです? 父上」

 

 

 引き継いだ仕事を何もかも放り出し、大聖堂で女神像を拝むことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その息子は、純粋で素直な性格だった。

 

 マクロ教の教義を愛し、盲信していた。

 

 だからだろうか。息子コリッパが父親の死から立ち直り、街の指導者として最初に行った政策が誰でもわかる程トンチンカンなものだったのは。

 

 

「罪を犯した者と、まず話をしなさい。会話をすれば、彼が何故罪を起こしたかを理解できます。そして彼が罪を起こす理由がなくなれば、きっと善良な一市民に戻れるでしょう」

 

 

 これは、マクロ教義の1項である。施政者に向けたページであり、犯罪を抑制する為にはどうしたらいいかを記したモノであった。

 

 だがドラ息子はこの言葉を拡大解釈し、

 

 

「つまり、罪人が相手でも話し合いをして解決すれば、武力なんていらないんだ」

 

 

 と結論したのである。そして、レッサルの持つすべての戦力の放棄を宣言したのだ。

 

 『考え直せ、そんなことをしたら大変なことになる』という周囲の反対を押し切って、彼はこの政策を強行した。

 

 こうしてコリッパは自警団を懲戒し、街の住人は犯罪者に対して『対話する事』が街に義務付けられた。

 

 

 

 まもなく、街は犯罪者であふれかえった。

 

 民度は下がり、衛生状態は悪化し、ますます肺炎が蔓延り始めた。

 

 コリッパが後を継いでから、目に見えてレッサルは衰退を始めた。

 

 

「どうして俺の代になってから、急に疫病が流行り出したんだ。街の衰退は全部、疫病が悪いに違いない」

 

 

 疫病のせいで巡礼が減り、大聖堂は一気に赤字に傾いた。

 

 そのせいで民衆は不況にあえぎ、盗難が頻発するようになった。

 

 それが、コリッパの目に見えているレッサルの現状だった。疫病対策として『治安を維持する重要性』に、彼はとうとう気付かなかった。

 

 

「疫病で、死者が多数出ています。このままではレッサルは……」

「うるさいな、今考えている」

 

 

 自警団すらいない街レッサル。ほんの1年前までは周囲でも有数の発展都市だったその影はない。

 

 にっちもさっちもいかなくなったコリッパは、とうとう施政者として下策に踏み切った。

 

 

「死者の資産を、全て没収しろ。それを国庫に当てて、赤字を補填する」

 

 

 家族が居る者であろうとお構いなし。

 

 誰か死者が出るたびに、コリッパは『3日以内に届け出なければ遺産没収』と言う告知に踏み切った。

 

 

「召し上げた資産は速攻で売り払え。それで、黒字になる」

 

 

 こうして、レッサルで疫病が治まるまでしばらくの間、コリッパは多くの民の資産を徴収した。

 

 その結果民心は離れ、レッサルの家を捨てて旅に出る者が増え始めた。

 

 しかしコリッパはそれを喜び、旅に出た者の家を徴収して売り家としたという。

 

 

 

 

「民の間で、信仰が足りないんだ」

 

 

 

 疫病が治まった後のレッサルは、そりゃあ酷いものだった。

 

 住民は半数ほどに減り、治安は劣悪でスラム並、大聖堂ですら盗みに入られる始末。

 

 これらは全て、信心の無い民が悪いんだとコリッパは考えた。

 

 

 

「民にマクロ教の素晴らしさを伝えないと。そうすればきっと、レッサルは以前のような栄華を取り戻すに違いない」

 

 

 レッサルの税収は、ほとんどなくなっていた。

 

 真面目に税金を納めていた市民の大半は街を捨て、残ったのは粗野で民度の低い犯罪者崩れが多かったからである。

 

 

「今は国庫が潤っている。金に余裕はある」

 

 

 しかし、レッサルの資産そのものはかなり余裕があった。『真面目に税金を納めていた市民』が死に、そして徴収した大量の資金があったからだ。

 

 その目もくらむような大金を見て、コリッパは気が大きくなった。それが、ごく短期的な資金であると彼は気づけなかった。

 

 

「この金で大きな父上の石像を建てれば、民衆も目を覚ますに違いない」

 

 

 あくまでレッサルは、押収により一時的に国庫が潤ったに過ぎない。

 

 民は逃げ出してしまったから定期的な収入は見込めないのに、コリッパは莫大な予算をかけて石像の建築に踏み切った。

 

 

「コリッパ様、来月のお支払いは如何しましょう?」

「あん?」

 

 

 その結果、まったく金が足らずコリッパは躍起になって金策に走る羽目になった。

 

 何とかお金を搾り取ろうと、聖堂の宿泊料を引き上げて民間の宿を禁止した。その結果、宿泊業を営んでいたものは街を離れざるを得なくなった。

 

 悪いことに、この頃になると最早コリッパを止めようとする者すらおらず、彼の周囲は市民を虐げて旨い汁を吸っている私兵のみになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「俺達には金がない。転居するだけの資金がない」

「レッサルで生きていくしか、道がない」

 

 

 

 

 しかし、民衆の中にも『まとも』な感性を持った人間は残っていた。

 

 何らかの理由で街を離れられない者、レッサルに先祖代々住んでいたので離れたくない者など、良識的な人間は現状を酷く憂いていた。

 

 

「だったら、俺達でレッサルを立て直そう」

 

 

 こうして、スラム街染みた民度だったレッサルから犯罪者を叩き出す仕事を始めたのが自警団だ。

 

 その若きリーダー『リョウガ』は、凄まじいカリスマを発揮し多くの仲間を集って、レッサルの住民を守るために自主的に警邏を始めた。

 

 

「リョウガ、助けてくれ! また悪党族が……」

「おお、待ってろ! 今部隊を招集する」

 

 

 彼らは公的組織ではなくあくまで自警団。彼らのフットワークは軽く、迅速に問題の解決に向かった。

 

 間もなくそんな彼らに感謝し、支援する者が現れ始めた。自警団は多くの人間から差し入れを貰い、民衆から根強い支持を集め始めた。

 

 スラム染みた民度だったレッサルの街は、彼らの活躍により徐々に正常な状態に戻り始める。

 

 自分たちの街を守るため。いや、取り戻すため。

 

 自警団は給料もないまま、民衆からの支援だけで半年以上もの間、身を粉にして働き続けた。

 

 

「レッサルは俺達が守る!」

 

 

 そんな彼らに、民衆は『英雄(ヒーロー)』の姿を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何であいつら、邪魔をするの」

 

 その、彼らの懸命な活動による成果は。

 

「俺、犯罪者相手にも対話しろって言ったよね。討伐なんてしたら、マクロ様の教えに反する事になる。それではますます、信心が下がっちゃうじゃん」

 

 既にコリッパなんかよりはるかに大きな影響力を持ち始めた自警団。

 

 そんな彼らは、残念ながらコリッパの目に『不快な敵』と映ったようだった。

 

「この宗教都市レッサルで、マクロ様の教えに反する事なんて許されない。自警団を何とかしないと、このレッサルが滅びてしまう」

 

 こうしてコリッパは、自警団を滅ぼす決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────と、言うのがこの街の現状でさぁ。そこから先は、俺達も目で見た通り」

「コリッパが自警団を潰そうと奇襲した結果、民衆が蜂起してコリッパ達が滅ぼされちゃったって訳だな」

「呆れてものも言えませんわ」

 

 自警団の『お頭』リョウガに謁見した後。俺とカールは再び、宴会の席に戻った。

 

 そこでレッサル自警団のメンバーから、今までの街の話を事細かに聞くことが出来た。

 

「アイツさえいなければ、レッサルがこんなになる事はなかった。コリッパには、相応の報いを受けて貰わねば気が済まん」

「もうこの街に大聖堂は必要ない。俺達の街レッサルは、以前のような平凡で普通の街に戻るんだ」

 

 『偉人』だったゴリッパを失ったこの街に、大聖堂は無用の長物でしかない。

 

 コリッパの悪行の象徴だった大聖堂は焼き討ちされ、コリッパと共に甘い汁を吸い続けたマクロ教団はレッサルを追い出された。

 

「大変でしたのね」

「ああ、だがこれからは……リョウガがこの街を仕切ってくれる。貴族様に頼らない、自治都市レッサルとしてな」

「それは……きっと、いばらの道ですわ」

 

 コリッパが失脚して、この街の統治者は居なくなった。そしてしばらくは、あのエロチビ(おかしら)とやらが街の指揮を執るのだろう。

 

 しかし、この地を納めている大貴族がそんな事を許すはずがない。

 

「まもなく、この地の伯爵・侯爵クラスの貴族がこの地を訪れるでしょう。そして、場合によっては戦闘になります」

「構うもんか、リョウガの指揮があれば負けっこない」

「俺達は、貴族の統治なんか願い下げだ」

「……魔法使いを侮ってはいけません。特に、上級貴族の用いる魔法は超強力なものが多いです。どうか熱くならず、賢明な判断をお勧めしますわ」

 

 俺は自警団の連中に、それとなく貴族への恭順を勧めておいた。

 

 血気盛んで、この街を守り続けた実績と実力のある自警団。彼らを失うのは勿体ないと思ったからだ。

 

「ほーう? 貴族様の魔法とやらがそんなに凄いなら、コリッパは何故負けたんだ?」

「遠目から見ても、彼の魔法はへっぽこぴーですわ。あんなもの、魔法と呼べません」

「じゃあ、アンタはスゲェ魔法が使えるのか」

「……貴方達の施政者よりは、マシな魔法が使えますわ。私より魔法達者な人だって居ますし」

 

 チラリ、とアルデバランが放った焔神覇王(アルドブレイク)という魔法が頭をよぎる。

 

 あれは、完全に俺の『精霊砲』を上回る火力を持っていた。そして、魔法の習熟度が既にカンストしている俺では、一生かけても彼女に勝てるようになる見込みはない。

 

 アルデバランが存在する限り、俺が世界一の魔法使いになれる日は来ないだろう。

 

「見たい見たい、見せてくれよ嬢ちゃん。そんなに言うなら、俺達のド肝を抜けるような魔法を撃ってくれるんだよな!」

「なぁ、試しに俺に向けて撃ってくれよ。で、俺が耐えられるかどうか賭けをしないか?」

「だははは! お前、俺達の中で一番硬いじゃないか。そりゃあちょっと可哀想だぜ」

 

 しかし自警団の面々は、どれだけ諭してもニヤニヤと笑って貴族を舐めたままだ。

 

 畜生、俺の話を本気で聞いていないな。

 

「……実際に魔法を、撃ってみた方が良いでしょうかカール? このまま貴族と争っては、被害が大きくなるだけでしょう」

「そうだな。みんなも、マジの魔法使いがどんな火力してるか知った方がいいだろう」

「お、良いね! じゃあ撃ってみてくれよ!」

 

 本音を言えば、魔法を誇示するような真似はしたくない。これは、俺がたまたま持っていた才能であって努力して身につけたモノではないからだ。

 

 だがソレでこの勇士たちに警告が促せるなら、俺は敢えてこの力を振るおう。

 

「じゃ、場所を変えるか」

「室内では危ないって事ね。これは期待できるな、オイ」

「もし俺が耐えられたらさ、胸揉んで良いかお嬢ちゃん」

「……どうぞ、ご自由に」

 

 青銅の鎧に身を包んで調子に乗っている戦士を連れて、俺は屋敷の外に出た。

 

 そしてガヤガヤ談笑しながら付いてくる兵士達の先頭で、小さなため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっぱい貴族ちゃんのスカートが爆風で靡くと聞いて!!」

「出たな変態!!」

 

 とりあえず街の外まで歩いて行くと、それを見咎めた『自警団の主』リョウガが嬉しそうな顔で付いて来た。

 

 曰く、『平均的な魔法使いの火力を知っておきたい』だそうだ。

 

「で、アイツはなんでイリーネちゃんの前に立ってるの? 巻き込まれるぞ?」

「お頭、聞いてくれ! 俺がその貴族ちゃんの魔法に耐えたら、胸触っていいらしいんだ!」

「う、うあー。お前、そんな賭けしたのかよ」

 

 ニヤニヤ顔で、俺の数メートル前に仁王立ちする鎧男。

 

 そんな彼を、リョウガは少し苦々しげに見ていた。

 

「どうしたんすか、羨ましいんでしょお頭」

「いや、その、まぁ。ちゃんと治療術師、待機してるか? 死んでも知らんぞ?」

「……え、お頭? なんすかソレ」

 

 意外な事に。

 

 自警団の長たるエロチビは、魔法を『明確な脅威』として捉えているらしかった。

 

「大丈夫だよな、手加減してくれるんだよな? アイツは調子乗りだけど、悪い奴じゃないんだ」

「無論ですわよ」

 

 割と真面目な顔で、リョウガは俺に頭を下げた。

 

 言われるまでもなく、俺はあの男に魔法を当てるつもりはない。当たったら消し炭だもん、サクラでも治せんわ。

 

「え、ちょっと不安になってきた。お頭、そんなにやべぇの?」

「良かったな。イリーネたん、死なん程度に手加減してくれるらしいぞ」

「え、死? だってコリッパは、全然……」

 

 狙うは遠く、地平の彼方。

 

 周囲に人影が無いのを確認し、俺は静かに詠唱を始めた。

 

 

 

「────炎の精霊、風神炎破」

 

 

 

 それは実に久しぶりの『精霊砲』の詠唱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男が、へたりと腰を落とす。

 

 青銅鎧の戦士は静かに背後へと振り返り、ジョォっと金属の中に放水音を響き渡らせた。

 

 

「……これマジ?」

「ふぅ。お粗末様ですわ」

 

 

 その男の背後には、数百メートルに及ぶ巨大なクレーターが形成されている。

 

 これが人類最強の火力を持つ魔法として、長きにわたりヴェルムンド家に伝承されてきた秘奥。

 

 一息に数百人を焼き殺す、魔法世界における戦場の生きた大量殺戮兵器。

 

 それこそが、俺達「攻撃魔導師」なのだ。

 

 

「えぇ……、聞いていたより数十倍くらいやべぇんだが。こりゃ、うかうか貴族様を敵に回せねぇなぁ」

「でしょう? 無駄な殺生は避けるべきです、この地を統括する貴族には逆らわぬが賢明ですわ。彼がよほどの無茶を言う場合は、私も力になりますので」

 

 

 自信満々に『俺の魔法を耐えてやる』と息巻いていた男は、腰が砕けて立ち上がれない。

 

 そんな彼を嬉々として応援していた戦士たちも、皆顔を真っ青にして口をつぐんでいた。

 

 

「……マジかよ。これが、本物の魔法使い……」

「平民は、一生貴族に勝てねぇのか。ちくしょう」

 

 

 そのあまりの火力を前にして、戦士たちはひどくショックを受けたようだ。

 

 どちらかと言えば、貴族との戦力差に絶望したようにも見えるが。

 

 

「馬鹿か、お前ら。貴族とか関係なく、そもそもレッサルみたいな小都市が国に勝てっこねぇんだよ。そもそも、逆らうなんて選択肢はねぇんだっつの」

「……それじゃ、おかしら。せっかくコリッパをやっつけたってのに、俺達はまた貴族の奴隷になるんですかい?」

「それじゃあ、つまんねえ」

 

 

 リョウガだけは、国に逆らうつもりはなさそうだ。いや、逆らえないのに気付いているというべきか。

 

 彼がこの組織のリーダーになった理由が、何となくわかった気がした。

 

 

「ま、安心しろよ皆。俺はもうこの地の統括貴族、ブリュー辺境伯に宛てた書物を用意してる」

「……書類?」

「コリッパの所業を纏めたものだよ。辺境伯としても今のレッサルの状況が好ましいとは思えない、馬鹿の経営で無駄に領地を荒らされるのは迷惑なはずだ」

 

 そう言うとリョウガは、何やら豪勢な封筒を自慢げに取り出した。

 

「『俺達はあくまで自衛のために立ち上がっただけで、ブリュー辺境伯に逆らうつもりはありません』『我々は辺境伯に心服しています、新たなご下知をお待ちしています』といった内容だな。後は、向こうの音沙汰を待てばいい」

「……むむ」

「上手くやれば、このレッサルが辺境伯直営の領地になるやもしれん。そうなれば、復興費は湯水の様に沸いてくるだろう。そうでなくとも、反逆の意を示していない限り討伐部隊は組まれないはずだ」

 

 ……俺が、説得するまでもなかった。

 

 リョウガは、既に辺境伯と和解するべく行動を開始していたらしい。

 

「後は、辺境伯の心象次第だな。少しでも心証をよくするために、俺達は有能であることを示さねぇといけない」

「心証を良くしてどうするんです」

「レッサルは、代々コリッパの一族が統治してきた。それを、いきなり他所の貴族が派遣されてきても上手く収められるとは限らねぇ。だから貴族の補佐として、その地区のまとめ役がつくことが多い」

 

 そこまで言うと、リョウガはニヤリと獰猛な笑みを浮かべて笑った。

 

「俺が、その貴族の補佐になってやる。それが、レッサルの復興にとって一番近道だ」

「お、おお」

「復興費は貴族様から恵んでもらい、その実権は俺達が握ってより過ごしやすいレッサルを取り戻す。その為には、お前らの働きが必要だ」

「おお、おお!」

「てめぇら。まだ、俺について来てくれるな?」

「おおおおおおおっ!!」

 

 リョウガの演説を聞いて、自警団たちは元気を取り戻した。

 

 レッサルの街をスラム街から立て直しただけはある、流石のカリスマだ。

 

「その方針であれば、私も賛成いたします。微力ながら、お力添えも致しますわ」

「そうか! あんな凄い魔法が使えるイリーネたんが味方なら百人力だぜ!」

「ひゃっほう!! 凄いぜお頭、これでレッサルを取り戻せる!」

 

 士気高く雄たけびを上げる戦士たちを前に、ドヤ顔でポーズを決める『お頭』。

 

 傍目に見ると馬鹿の集まりだが、彼らには実力も実績も備わっている。

 

 着任した貴族の補佐役は、街の長的な人物が選ばれることの多い役職だ。それに民衆にとってのヒーローであるリョウガを取り込めば、新しく赴任してきた貴族からしても統治がしやすくなるメリットがある。

 

 彼が今絵に書いた『餅』は、実現の可能性が極めて高い現実的なものだ。

 

「とはいえ、その為には領主様の機嫌を稼いでおかねばならない。つまりだ、皆」

「ヘイ、お頭」

「俺達はブリュー様が到着するより先に、指名手配犯を討ってその首をブリュー様に捧げようと思う。恭順の意を示す手土産として、まずは戦果を挙げるんだ」

 

 そしてリョウガは、天高く指さしてカッコつけながら宣言した。

 

 

 

「俺達は、指名手配犯『静剣レイ』の首を獲る!!」

 

 

 

 その高らかな宣言を感心しながら聞いていた俺とは対照的に、カールの顔が少し曇っていた。

 

 



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51話「堕ちた兄、失った妹」

「……」

 

 

 少女は一人、夜空を見上げる。

 

 届かぬ(ひと)に手を伸ばし、掴もうとして空を切る。

 

 

「……兄ぃ」

 

 

 あそこにいたのは、家族だった。

 

 仲間(イリーネ)を斬り、賊をまとめ、町を荒らそうとしたその男は血を分けた兄だった。

 

 

「……生きて、いた」

 

 

 死んだと思っていた。助かるはずが無いと諦めていた。

 

 

『レヴ、先に行け……』

『レヴちゃん、ここは僕達に任せて逃げるんだ!!』

 

 

 自分を庇い、怪物の前に立ち塞がった家族たち。

 

 

『……レッサルの、祖父ぃを頼れ。達者でな、レヴ』

『兄ぃ……』

 

 

 その命を懸けた時間稼ぎを、無駄にするわけには行かない。

 

 少女は走った。遮二無二走った。

 

 怪物は追ってこなかった。何か(かぞく)を補食しているのかもしれない。

 

 おぞましい、考えたくない。

 

 だから走る。魔族(アレ)から逃げ出そうと、現実から目を背けようと、少女は延々と走り続けた。

 

 

 

 

 ────やがて、力尽きて。息を乱し涙を溢し、少女が地面に座り込んだその瞬間。

 

 周囲の闇に、無数の『目』が浮かび上がった。

 

 

 不幸なことに、彼女が必死で走り込んで行った先は。

 

 

「ウォオォヴォっ!!」

 

 

 魔族の群れの本隊が待機する、デッドゾーンだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レヴさんのお兄様……、なのですか?」

「ああ、間違いないらしい」

 

 その夜。

 

 カールは俺達を集めて会議を開いた。

 

 場所は自警団のアジト、俺達に与えられた大部屋だ。

 

「静剣のレイ……、昨日の襲撃における敵のリーダーの事ですかい」

「ああ。奴の剣筋、容姿、言動全てが兄で間違いないそうだ。だな、レヴ?」

「……ん」

 

 それは、また頭の痛くなる話だった。

 

 レヴの兄が奇跡的に生き残っていた。それ自体は、とても喜ばしい事なのだが……。

 

「兄ぃが、悪党族に身を落としていたなんて……」

「……」

 

 レヴは、大層に落ち込んでいた。

 

 実の兄が生きていて、イリューの服を剥ぎ鞭で打って笑っていた連中の仲間になったのだ。

 

 思うところが無いはずがない。

 

「な、何か事情があるのかもしれませんわ。きっと、やむにやまれぬ事情が」

「事情が有ったから、何だって言うのよ」

 

 消え入りそうな表情のレヴを何とか慰めようと声をかけたが、すぐさまサクラが俺の言葉に割り込んだ。

 

「事情すらなく悪党になるような人間なんて居ないわよ。悪党になんかならない方が、ずっと生きやすいんだから」

「サクラさん……」

「事情があろうと無かろうと、自分の罪に向き合わないといけない。悪党になったからには、因果応報を受けるまで図太く生きるべきなのよぉ。いつか来るその報いで、より惨めになるためにね」

 

 同じ、悪党だったサクラが言うと重みが違う。

 

 それは彼女なりの、ギャングの死生観なのかもしれない。

 

「とはいえ彼の事情もなんとなく予想はつきますがねぇ、お嬢。賊に堕ちざるを得なかった理由は、それなりに同情できるものかもしれませんぜ」

「……それは、俺もそう思う。以前までのレッサルの状況、コリッパの市政、そしてレヴの祖父の末路。命からがら此処に落ち延びた兄貴が、この地の施政者や民に怨みを持つなって方が難しい」

「成程、それで賊に堕ちたのでしょうか」

 

 レイはきっと妹のレヴの様に絶望したのだ。

 

 身寄りを失い、故郷は醜く変貌し、施政者には強い恨みしか抱けない状況。

 

 何もかも失った彼には、最早『復讐』しかなすべきことが無かったのかもしれない。

 

「妹が俺達に保護されていると知れば、きっとレイも大人しく投降するだろう。話を聞いている限り、レヴは兄貴から命懸けで庇われるほど大切にされていた筈だ」

「その可能性は高そうですわね」

「そして頭を失った賊を一気に攻め滅ぼす。レヴの兄貴は、俺達が何とかして庇う。この方針でどうだ」

「……ま、良いんじゃない」

 

 カールの作戦は、体の隅々に縄目くっきりなマイカも賛成した。

 

 彼女が反対しなかったのであれば、それなりに成功率は高いのだろう。

 

「ただ、上手くいかなかったときのことも覚悟しておきなさいよ。例えば、レヴの兄が投降に応じなかった時とか」

「……ふむ」

「カール……、と言うよりこの場合はイリーネかしらね。貴女、合図があればレヴの兄を消し炭にする覚悟はある?」

 

 少し試すような目で、マイカは俺を見てくる。

 

 ……俺が、レヴの兄を殺せるか、か。

 

「それは、その。それが、民を守るのに必要なのであれば」

「良い返事ね。イリーネの性分からして、その言葉が出るならやってくれるでしょ」

「そんな事には、させない……」

 

 正直な事を言えば、仲間の家族を手に掛けるなんてまっぴらごめんだ。

 

 しかし、それでカールや皆が窮地に陥るのであれば……。俺は、躊躇ってはいけない。

 

 

「────ねぇ、少しお伺いしてもいいですか?」

 

 

 そんなこんなで話が纏まりかけていた時。

 

 無邪気な声で、修道女がカールに質問を投げかけた。

 

「どうした、イリュー」

「いえ、その。少し空気が読めてないのは承知で、ご質問いたしますが」

 

 彼女は昼間と打って変わって、修道女らしい真面目な顔でカールに問うた。

 

 

 

「レヴさんの兄『だけ』を救う理由は何ですか?」

「……」

 

 

 

 それは、まさしく。

 

 俺達と出会って間もないイリューだからこそ、投げかけられた疑問なのだろう。

 

「レヴさんの兄の他にも、きっとやむにやまれる事情で賊に堕ちた人も多いのではないでしょうか」

「……む、む」

「もしカールさんがレヴの兄(レイ)さんのみを救いたいのであれば。それは正義ではなく、私情ではありませんか?」

 

 その言葉に、カールは口をつぐんで押し黙った。

 

 イリューの言葉は正鵠を射ている。レイが、レヴの兄だから俺達は救いたいと思ったのだ。

 

 レイがその辺の、俺達に何の関係のない賊ならば救おうと考えたりしなかっただろう。

 

 それは正義なのではなく、私情に他ならない。

 

「アンタ、その言葉で何が言いたいわけ?」

「空気を悪くしたならすみません。ただ、ソコをどう考えているのかが大変興味ありますので」

 

 イリューは大層真面目な顔で、カールを覗き込んでいた。

 

 彼女なりに、そこは絶対に確認しないといけない事らしかった。

 

「……ああ、そうかもしれないな」

「カール」

「俺は、私情で兄貴(レイ)を救いたいと思った。俺はレヴに、哀しい顔をしてほしくないんだ」

「そうですか」

 

 カールはあっさりとそれを認めた。

 

 その答えを、イリューはどう感じたのだろうか。

 

 

「本当、修道女ってのは馬鹿ねぇ」

「……どういう意味でしょうか、サクラさん」

「正義って言葉、どういう意味か知らないでしょ」

 

 

 その問答を聞いたサクラは、呆れた表情のまま頬杖をついた。

 

 彼女にとっては、馬鹿らしい話みたいだ。

 

「正義とは、誰からも認められる正しい行いで────」

「その正しさとは、個人の主義思想に依るモノよ」

「む……」

 

 そう言うと、サクラはふん、と鼻息を鳴らして腕を組みなおす。

 

 流し目で修道女を見たまま、彼女は言葉を続けた。

 

「10人いれば10通りの正義がある。何なら悪党にだって、正義は有るわよぉ?」

「それはっ。悪党の正義なんか、正義と呼べるものでは……」

「むしろ法の規律が無い分、悪党の方がその辺うるさいくらい。ある程度は空気を読まないと、敵もろとも共倒れになる世界だし」

 

 確かに、悪党の正義は俺達の正義とはかけ離れているだろう。

 

 しかしギャングやヤクザの方が、仁義だの人情だのにうるさいイメージはある。それはきっと、ギャングの世界では最低限の『マナー』を守らないと、無法地帯になるからだ。

 

 それも、彼らにとっての正義と言えるのかもしれない。

 

 

「思想が変われば正義が変わる。でもね、いつだって正義の根幹にあるものは変わらない」

「根幹、ですか」

「ええ。何時だって、正義の根幹にあるものは……」

 

 サクラの茶髪が、軽く揺れる。

 

 艶のある唇を、自分の指でなぞって。

 

「いつだって熾烈なまでの、何かを『守りたい』っていう強い感情なんだから」

 

 彼女は、そう言葉を締め括った。

 

「正義ってのは、私情に根付くもんなのよ。正義と私情を区別するなんて、ナンセンスだわ」

「むむむ……」

 

 その意見を聞き、今度はイリューが押し黙った。

 

 サクラの言葉にも、一理あると感じたらしい。

 

「マイカはどう考える?」

「正義だの私情だの考えるのは馬鹿らしい、そこはどうでも良いわ。ただレヴの兄って言う剣士、見るからに強いじゃない。降伏を促して仲間にするのは大賛成よ? 状況的に、主導権握れそうだし」

「ああ、お前に倫理観とか無かったな」

「どういう意味よ!!」

 

 マイカはいつものマイカだった。

 

「イリーネ、お前はどう思う?」

「……そうですわね。本来であれば賊に堕ちた悪党なぞ、討伐の対象でしかないと考えていましたけれど」

 

 カールは、俺にも意見を求めてきた。

 

 その問いに対する答えは決まっていた。

 

「それは、私が愚かだったかもしれませんわ。民を脅かす者は容赦すべきではありませんが、一方的に討つのではなく、まず事情を確認するべきでしょう」

 

 悪党に堕ちた側の心情も、思いやる余地はある。

 

 特に、今回みたいな『施政者のせいで根は善良でも堕ちざるを得ない』ケースなら尚更だ。

 

 貴族のせいで民が悪党に染まったのであれば、貴族が彼らを救うべきである。

 

「そうですわよね、賊にも家族はいらっしゃるのですわ。悪党族の中に救える人間がいるのであれば、話し合いで解決策を模索して救いたいものです」

「……そっか」

「多分だけど、マクロ教の教えって本来そんな感じの意味よね。民が悪に走ったならただ罰するだけでなく、政策を見直せよって話」

 

 ふーん。それを聞くと、教え自体は悪くないよなマクロ教。

 

「……じゃあ、それとなくリョウガに頼んでみるか。あの様子だと、レイを捕らえたらすぐに首を飛ばすぞアイツ」

「そうですね。首は功績の象徴として重要ですが、いくらでも代用が効きます。コリッパの私兵の首のどれかを、貴族である私が『レイだ』と偽証すれば一発ですわ」

「おお、意外。イリーネって、そう言う裏工作は嫌いだと思ってたわ」

「嫌いですわよ。でも、レヴさんの方が大切です」

 

 うん、とりあえずレヴの兄を救う手立ては見えてきた。

 

 後は自警団と擦り合わせを行い、生け捕りにする手筈を整えるのみ。

 

 レヴの姿を見せれば、きっと降伏してくれる。生け捕りは、そんなに難しい話ではない筈だ。

 

「じゃ、リョウガの所に行くか。イリーネも、ついてきてくれ」

「偽証担当ですものね」

 

 後は自警団を上手く説得できるか否か。

 

 そこに、全てがかかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうお前ら、何の用だ?」

「ちと頼みが有ってな。今、忙しいか?」 

「仕事はいくらでもあるが、今は休憩中さ。別に話くらい聞いてやるぞ」

 

 部屋を出てリョウガの執務室へ行くと、彼は部屋の隅に座り込んで休んでいた。

 

 言葉通り、休憩中らしい。

 

「そんな所で何してんだ、リョウガ? 部屋の隅の方が落ち着くのか?」

「ああいや、野暮用だよ。大した用事じゃねぇ」

 

 そう言うと、彼はゆっくり立ち上がりこっちを向いた。

 

 よし、時間があるなら話をさせてもらうとしよう────

 

 

 

「……? それ、髪の毛ですか?」

「目ざといな。ああ、妹のモノさ」

 

 

 

 俺はふと、気になるものが見えて口に出してしまった。

 

 それは、リョウガが先程まで座り込んでいた場所にあった、長い毛髪が纏められたモノだった。

 

「これは、俺の妹の遺物(かたみ)だ。絶対に触れないでくれ、俺の逆鱗みたいなもんだから」

遺物(かたみ)……。では、妹さんは」

「死んだよ。殺されちまった」

 

 そっか。レッサルの今までの状況を考えれば、そんな事もあるか。

 

 疫病が流行し、治安も乱れ、悪党がのさばっていたんだ。そりゃ、死人くらい────

 

 

 

「妹は、あの野郎……。『静剣レイ』に殺されたんだ」

「えっ」

 

 

 

 ……。

 

 えっ。

 

 

「実はレイ────お前らと戦ったあの男は、妹の仇なのさ。本音を言うと、今すぐにでもあの糞野郎をぶち殺してやりてぇ。だが憎たらしい事に、ヤツはすこぶる強ぇんだ」

「……そ、そうですわね」

「今の戦力で無理に仕留めようとすれば、きっと大勢の犠牲が出る。自警団の皆を、俺のエゴで犠牲にする訳にはいかねぇ。だから俺は、ずっとずっと堪えてきた」

 

 

 ぷるぷる、とリョウガは肩を震わせた。

 

 その顔に、昼間に見せたひょうきんなエロチビの雰囲気はない。

 

 それはまさに復讐に取り付かれた、悪鬼の様な表情であった。

 

「だがよ。先の戦いでお前らの力を見て、歓喜したぜ。やっと、時が来たと」

「時、ですか」

「おうとも。あの男を殺す、その時だ」

 

 

 ……。

 

 …………。

 

「お前たちの力添えがあれば、俺はやっと『レイ』を殺せるんだ。今から、奴の断末魔の声を聴くのが楽しみでたまらない」

「お、おう」

「はっ、笑えるよな。レッサルの為、皆の為、貴族に気に入られる為。いろんなお題目を掲げはしたが、結局のところ『復讐』こそが俺を突き動かしていた動機って訳よ。情けねぇ」

 

 そう言ってリョウガは、自嘲的に笑った。

 

「でも安心してくれ、俺ぁ恨み骨髄で判断を誤るような不細工な真似はしないからよ」

「そ、そうか」

「今の今までずっと、耐えてきた。レイを殺せるかもと思ったタイミングでも、被害の大きさを鑑みて堪えてきた。今更それを台無しにするようなことは絶対にない」

 

 半分泣きそうな顔で、リョウガは優しく部屋の隅に置いてあった妹の髪を撫でた。

 

「もうちょっとだ。もうちょっとだけ待ってくれよ、サヨリ……」

 

 そう言って遺物を愛おしむように撫でるリョウガを前に。

 

 

「それで? 話ってなんなんだ、お二人さん」

「あ、えっと、そのだな」

 

 

 俺もカールも、とてもじゃないが「レイを助けたいんだぜ」と言い出すことは出来なかった。

 

 

 



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52話「修道女は見た!!」

少し百合っぽいシーンがあります。苦手な方はご注意ください。


 静剣レイは、自警団の長『リョウガ』の妹の仇だった。

 

 どうやらレヴちゃんの兄は、外道に落ちていたらしい。女子供まで手にかけるとは、戦士としての誇りはなくなっている様だ。

 

「イリーネを切り飛ばした訳だし、ヤツが女相手でも容赦しないのは分かってたけど」

「あれを、説得するのは困難ですわね」

 

 リョウガの目は本気だった。生半可な気持ちでレイを殺すと宣言したわけではないらしい。

 

 本気で、妹の仇(レイ)を恨み憎んでいた。

 

「……俺達だけで、レイを取り押さえる必要があるな」

「しかし、私達がレヴのお兄様を庇ったら、自警団と敵対することになりますわ。リョウガさんには、いつか納得いただかないと」

「そのまま連れて逃げるって選択もアリだぞ。俺達は根なし草の旅人、レッサルに固執する必要はない」

 

 ふむ、レイを引き入れたらすぐレッサルから逃げ出すのか。それも、選択肢にはなるだろう。

 

 リョウガにはまた折を見て、レヴの事情も話した上で交渉してみるのも手かもしれない。

 

 さてさて、どうするのが正解か。

 

「ま、みんなと相談してゆっくり考えようか。今日はもう遅い、寝るとしよう」

「そうですわね」

 

 今は、まだレイと話すら出来ていない状態。これからの方針など、いくらでも変化する。

 

 この時点であれこれ話しても仕方がない。レイが降伏してから、話を進めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『にしても、男女で部屋分けてくれ、かぁ、そりゃ考えてなかったぜ、すまねぇな』

『貴族令嬢には、色々とあるのですわ』

 

 とりあえず、昨晩はリョウガとそう言う話をするに留まった。

 

 何か『話がある』と言った手前、何も交渉しなければ隠し事があると思われるからだ。

 

『俺は、スケベな事故をよく起こしてしまうのでな。部屋を分けないと、大変なことになると思う』

『自覚はあったのですわね』

 

 カールと同室で寝たりなんかしたら、翌朝は女子全員が「偶然」カールの布団に潜り込んでそう。

 

『羨ましい体質してんなお前。……ちょっと俺にもコツ教えてくれない?』

『カールみたいなのは、1人居れば十分ですわ』

 

 ラッキースケベ体質にコツも何もないと思う。コイツがそういう星の下に生まれただけだ。

 

『俺はむしろ、迷惑きわまりない体質なのだが。意図せぬところで、女性陣からの評価が下がってしまう』

『あん? 嫌なら対策しろよ』

『簡単に出来たら苦労しねーよ』

『いや、簡単に対策できるぞ。ゴニョゴニョ……』

 

 と、こんなバカみたいな話をした後。

 

 俺達はもう一室用意して貰って、男女に別れて就寝する事になったのだった。

 

『本当に、そんなんで対策出来るのか?』

『まぁやってみろ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

「起きろ! 起床時刻だぞ!」

「ふわっ!?」

 

 カーン、と大きな鐘の音が鳴り。

 

 大部屋に小さな寝袋を敷き詰めて眠っていた俺達は、まさしく叩き起こされた。

 

「ふわぁ、あ。びっくりしましたわ」

「おはよ、イリーネ。今のは何かしら?」

「もー。寝不足なのに、何よぉ」

 

 窓を見ればまだ暗く、かすかに朝焼けが道を照らす程度だった。

 

 どうやら、自警団にとっての朝はこの時刻らしい。

 

「おう客人、良い朝だな。お前らはもうちょっとゆっくり寝てて良いぞ、朝食の時間になったら呼びに来てやるから」

「あら、リョウガさん」

 

 部屋の外から、昨日のエロチビの声が聞こえてきた。

 

 どうやら、今のは俺達に向けた起床の合図では無いらしい。

 

「ふわぁ。なら、もう一寝入りしようかしらぁ」

「リョウガさん達は、今から何をなさいますの?」

「朝の訓練だ。客人は興味も無いだろう」

「……訓練、ですか」

 

 ふむふむ、ほうほう。

 

「私も参加いたしますわ!」

「……えっ?」

 

 やっぱり、朝練してるんだ。あの練度だもの、当然だよな。

 

 是非とも学びたい。戦闘のプロフェッショナルから、きっちりとした格闘術を。

 

 今レヴちゃんはそれどころじゃないので、代わりに誰かから徒手空拳を教えてもらいたかったんだ。

 

「整いました!」

「うわ、着替えはやっ! 参加するって……、何に?」

「訓練ですわ! 是非とも、是非ともお願い申し上げます」

「え、ああ、まぁ良いけど。女の子がいた方がテンション上がるし」

 

 俺は即座に、いつものビキニアーマー+令嬢服を装備して部屋から飛び出した。

 

「でも防具とか付けてないと危ないぜ? 実はあまり予備の防具が……。あ、よく見たら着てんのか」

「ええ、ビキニアーマーですの」

 

 俺はビキニアーマーを服の下に装備しているので、遠目だと武装しているように見えにくい。

 

 防具を隠している形になるので、この方が有利だとレヴちゃんに教わった。

 

「ま、まぁそれなら良いか。みんなもうそろそろ外に集合してると思うから、イリーネたんも待っててくれ」

「了解ですわ」

 

 よし、許可を貰えたぞ。

 

 貴族が平民の兵士に混じって訓練するのは少し風聞が悪いが、そんな事より『きちんとした戦闘技術』を学ぶ方が今の俺には重要だ。

 

 名誉に拘って死んでしまいました、なんて本末転倒である。

 

「よろしくお願いしますわ、リョウガ様!」

「あんまり無茶はしないでくれよ」

 

 いくら戦闘慣れしている猛者相手とはいえ、レヴの兄に何もできずに瞬殺されたのには堪えた。

 

 せめて打ち合えるくらいにはなりたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────う、うおおおお!!」

「守りが浅いですわ!!」

 

 強打、一撃。

 

「いけえええええ!!!」

「ぬおおおおおっ!!!」

 

 男は、俺の拳を防ごうと唸り声をあげる。

 

 しかし現実は非情だ。盾を構えた兵士に向けて振りぬいた俺の拳は、相手の防御を弾き飛ばして鳩尾を穿った。

 

「がはぁ!」

「小隊長!!」

「力こそ正義! 良い時代になったものですわ」

 

 朝の訓練は、いきなり戦闘訓練から始まった。

 

 日によって訓練メニューは変わるらしいが、今日は『奇襲で寝起きを襲われた』想定での訓練らしい。ろくに準備運動もしないまま、自警団は2組に分かれて模擬戦闘を開始した。

 

 飛び入り参加の俺も、その一組に組み込まれる事になった。

 

「馬鹿な……ありえん。こんな小娘のどこにそんな力が……」

「次は貴方ですわ、おーほっほっほ!!」

 

 正直、最初は基本通り、拳法の型とかを教えて貰えた方が嬉しいと考えていたのだけれど。

 

 こういう『ほぼ実戦』みたいな戦闘訓練の方を先にやった方が、実は良い気がするな。『戦場で何をしなければならないのか、何を取得すべきなのか』が理解しやすい。

 

 まずは自分の長所と短所を知って、戦場でどう生かすかを考えねばならない。

 

「馬鹿かオラ、相手は魔法使いだぞ? 身体強化魔法くらい知っとけボンクラども!」

「お、お頭!! 俺達一体どうしたら!!」

「イリーネたん、パワーだけは規格外だが動きは素人だ! 搦め手を使え、巨大な魔獣と戦っているつもりで対処しろ!」

 

 訓練の最中、俺があまりに暴れすぎたせいか「今から全員でイリーネを討伐する」とリョウガは方針を変えた。

 

 対『近接型』魔導士との良い訓練になると思ったらしい。

 

 今現在、俺は一人で自警団全員と真っ向勝負している。

 

「縄をかけてイリーネを捕縛しろ!! 全身がんじがらめにするんだ!」

「駄目です!! 縄が引きちぎられました!」

「何たるパワーだ!! 本物の貴族って奴はこんなに強いのか!」

 

 あの手この手を使って、俺を捕らえようとする自警団。その連携の良さと練度の高さには目を見張るものがあった。

 

 しかし、哀しいかな。俺の自慢の筋肉には及ばない。

 

 あの重力ブレスレットは、非常に効果的だった。こうして今、ブレスレットを外しただけで凄まじいパワーを発揮できている。

 

 この上で身体強化までかけたら、どうなるか想像もつかない。

 

「弓隊構えろ、矢の嵐を降らせい!! ちゃんと矢じりを粘土にした奴と確認してな」

「ガッテン! あの貴族女を射殺せぇ!!」

「ふふ、甘いですわ!」

 

 前衛部隊が急に後退し、間髪入れずに俺目がけて無数の矢が降り注ぐ。少しずつタイミングをずらしながら、途切れぬ様に工夫されて。

 

 しかし、その行動は読んでいた。静剣レイ相手に有効であった『遠距離攻撃で相手の強みに付き合わない』戦略。近接戦でかなわじとならば、その手で来るしか無いだろう。

 

 だが、

 

 

土の壁(アースリグ)

 

 

 魔法使いなら、矢なんて簡単に防げてしまう。

 

 そして、その後退こそ俺の待っていたもの。彼らは魔法使い相手に、距離を取ってどうしようというのだ。

 

「あっはっは、近接戦を嫌ったようですが……。魔法使いの本領は、遠距離戦にありましてよ!!」

「ま、まずい!!」

「土弾連打、本物の遠距離攻撃を見せて差し上げますわ────」

 

 土の壁で周囲に余裕が出来たので、俺は悠々と詠唱を始める。

 

 サクラにしっかり教わりなおした、土魔法の中級呪文。広範囲をガトリングガンの様に打ち抜くこの魔法は、殺さずに集団をせん滅するのに非常に長けた呪文で……

 

 

 

 

「っと! チェックメイトだ、イリーネたん」

「あっ」

 

 

 

 

 俺が『土の壁』を発動した瞬間に全力疾走で距離を詰めていたらしいリョウガが、壁を乗り越えて詠唱中の俺を取り押さえた。

 

 しまった、余裕ぶっこき過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思いがけず良い訓練になったよ、イリーネたん。ありがとうな」

「むむむむ……」

 

 こうして朝の訓練が終了し、俺は朝食を取りながらリョウガ達と戦闘の振り返りを行った。

 

「今回はたまたまイリーネたんが遠距離攻撃も使えたからこそ、その隙に付け込ませて貰った。もしイリーネたんが近接特化だったらこんな嵌め手は通じ無かったろうな」

「敢えて私に防御呪文を使わせて、視界を封じられた状況で遠距離呪文を誘ったのですね。……勉強になりましたわ」

「相手が自分にとって都合の良い行動を取った時には、その裏の意図を読んだ方がいいイリーネたん。魔法使い相手に距離を取る意味は、何を誘っているのかってな」

 

 俺は見事に、リョウガに足元をすくわれた形だ。

 

 初見殺しのような戦略だが、戦場ではそれで十分なのだろう。初見殺しだろうと何だろうと、一度殺した敵は二度と生き返る事はないのだから。

 

「俺達もいい経験になった。こんなパワーごり押し型の敵なんざ滅多に戦えない」

「動きは素人だったけどな。なぁイリーネたんって、もしかして」

「ええ、お考えの通りです。実は最近旅に出たばかりで、実戦経験が殆どありませんの。出来ればきちんとした戦闘技法……特に、格闘術を身に着けたいのですわ」

「確かにな。ちょっとヒヤヒヤする動きが多かった、受け身やガードくらいはしっかり覚えとかないと」

 

 リョウガはそう言うと、うんうんと納得した。

 

「イリーネたん、今後も良ければ俺達と訓練しねぇか? 格闘術も俺達で良ければ、指導する」

「感謝いたします。私としても、貴方達のような精鋭に手ほどき頂けるのは望外の喜びです」

「その代わり、俺達に対魔法使い戦の練習もさせてくれ。いつ、賊に魔法使いが混じらないとも限らねぇし」

「勿論ですわ」

 

 こうして、俺の訓練参加は認められた。

 

 自警団からしても俺との訓練はメリットになりうるらしく、Win-Winな結果だ。

 

「イリーネたんは、午後も訓練に付き合ってくれるか?」

「ええ、宜しくお願い申し上げます」

「なら、先に水浴びに行っててくれ。俺達は、飯の後片付けに掃除洗濯と雑用があるから」

「雑用ですか。でしたら是非、私もお手伝いを────」

「その気持ちはありがてぇんだがな、俺達の一緒のスケジュールで行動すると一緒に水浴びして貰う事になるぞ。朝と夜、訓練の後は水浴びで汗を流すのが規則になってる。清潔を保てば疫病が減るって話だからな」

 

 ……成程。以前疫病で街が被害を受けたからか、この街の人間は清潔にはうるさいらしい。

 

 貴族令嬢として、無駄に男に肌を晒すのは好ましくない。

 

「……ならば、お言葉に甘えるとしましょう。確かに、殿方に肌を晒すのには抵抗がありますわ」

「もともとお前らは客人なんだ、気にしないでくれ」

 

 ただ雑務をやって貰うのは抵抗があるな、今度何かお返しできないか考えておこう。

 

 俺はそんなことを考えながら、リョウガに一礼して風呂場に向かう事にした。

 

「水は申し訳ないが、自分で井戸からくみ上げて欲しい。あと薪を使って良いのは夜だけだ、朝は水で流すだけで我慢してくれ」

「ふふふ。私は水魔法も火魔法も扱えましてよ?」

「……おお、やるな。自分で湯を出す分には構わん、好きにしてくれ」

 

 本格的な戦闘訓練に参加するのは初めてだ。

 

 今までは、空いてる時にレヴちゃんやカールから軽い手ほどきを受けた程度。1日間かけてみっちり修行したことはない。

 

 俺はこれからの生活に胸を躍らせながら、風呂場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風呂場は、簡素な石造りの小屋だった。床は地面をセメントで舗装したモノで、屋外に水が流れるような原始的な排水機構だった。

 

 桶も汚く設備はボロっちぃものだったが、広さだけは貴族の風呂にも劣らぬ大きさだった。きっと、本来は10人単位で利用するものなのだろう。

 

「ふぅ、覗こうと思えば覗けるのが気になりますが……」

 

 排水口からは、外の様子が伺える。逆に外からも、浴室の様子が見れるはずだ。

 

 その気になれば、女性の風呂を覗くことも出来るだろう。

 

「まぁ、今までは男所帯だから気にすることもなかったのでしょうね」

 

 覗かれた時はその時だ。

 

 カールは自分からそういうスケベはやらないし、マスターもそんな事はしないだろう。

 

 そして今の時間、兵士さんは雑務をしている筈。俺を覗く人間などいない。

 

 だから、大丈夫────

 

 

 

 

 

 ガラガラ。

 

 

 

 

「えっ」

「っ!?」

 

 

 俺の身は安全なはずだ。

 

 そう信じて湯浴みを楽しんでいたら、突如として浴場の扉が開け放たれた。

 

 誰かが入って来たらしい。

 

「何者ですか!」

「あ、違……」

 

 ……しまった。カールは自分から覗きはしないが、こういう風にウッカリで入浴中に突入してくる奴だった。

 

 俺としたことが油断したか。よし、水を引っかけてやろう────

 

 

 

 

 

「私、私よイリーネ」

「あれ、サクラさん?」

 

 

 

 

 ……おろ?

 

「すみません、てっきりカールかと思いましたの」

「風呂場があると聞いて、水浴びに来たのよ。カールには声をかけてるから、乱入してくることは無いはずよぉ」

「それは良かったですわ」

「まさかイリーネが入浴中とはねぇ。汗でも流していたのかしら?」

 

 湯煙の中、顔を覗かせたのは気心の知れた貴族令嬢(サクラ)だった。

 

 顔を見合わせ、思わず吹き出してしまう。俺は少し、警戒しすぎだったようだ。

 

 聞くと、彼女は寝起きでボサボサになった茶髪を整えるついでに、水浴びで目を覚ます目論見だったらしい。

 

「せっかくですので、お湯を張った浴槽を楽しんでは如何です」

「ありがと、イリーネ。いつでもお湯を出せるのは羨ましいわぁ。次からも、湯浴みは貴女を誘って良いかしら」

「ええ、何時でもお付き合いします」

 

 カールと言えど、いつもいつも風呂を覗くわけではないらしい。

 

 艶のある肌、引き締まった尻。サクラは胸以外、完璧なプロポーションをしていた。

 

 綺麗なもんだ。サクラが湯浴みに入ってくるなら、むしろ俺のラッキースケベと言えた。

 

「自警団の訓練って、危なくないのよね? 怪我とかしないでよぉ?」

「みな、安全に気を使っておりましたわ。それに私自身気を付けております、もうサクラさんには怒られたくありませんもの」

「お願いよ?」

 

 せっかくの機会なので、俺はサクラと洗いっこしながら親睦を深めた。

 

 裸の付き合いというのは、人間関係の潤滑油なのだ。

 

「もう、何処を触ってますの」

「治療の確認よ。傷跡が残ったりしてないかしらぁ?」

「なら頸を確認してくださいまし。そこは胸ですわ」

 

 何だかんだ、彼女とは馬が合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日。

 

 俺は自警団と1日訓練を行った。

 

『お疲れ様、貴族の嬢ちゃんにしてはガッツあるじゃねぇか!』

『イリーネたんはやる女だと、俺も思ってたよ!』

『一緒に風呂に入ろうぜ!』

 

 最初こそ貴族である俺を嫌悪してた彼らだったが、共に汗を流し飯を食うことで距離が近くなれた。

 

 1日の訓練を通して、彼らと打ち解けることが出来た様に思える。

 

『また明日、よろしくな』

『ええ、リョウガ様』

 

 リョウガと挨拶を交わし、俺は自警団と別れた。

 

 心地好い疲労感に包まれながら、飲む水の味は格別だ。

 

 今日は実に、良い日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、イリーネ」

「ありがとうございます、マイカさん」

 

 部屋に戻ると、マイカとカールが駄弁っていた。

 

 レヴは静かに、部屋の隅で考え事をしている様子だ。

 

「話し合いに参加せず、訓練に飛び出して申し訳ありませんでしたわ」

「良いの良いの。貴女の事だから自警団の人と仲良くやったんでしょ、イリーネ?」

「ええ、少し彼らの事が分かった気がしましたわ」

「私はイカサマでトチっちゃったし、サクラは悪党よりの貴族で相性悪そうだし。貴女に顔繋いで貰ってた方が、助かるのよ」

 

 俺が朝一番に訓練に参加すると宣言した時、マイカは2つ返事で『頑張ってね』と言ってくれた。

 

 自警団との繋がりを重視して、俺を派遣した様だ。

 

「方針はどうなりましたの?」

「とりあえず、リョウガにレヴの事情は伏せる事にしたわ。彼には悪いけど、説得するより無言で連れ出す方が楽よ」

「……左様ですか」

「そして、レヴの兄……、レイが説得に応じなかった場合。その時は自警団に協力して、彼を討つ。それはレヴも、納得してくれたわ」

「大丈夫。きっと、投降してくれる……」

 

 ふむ。なるべく、そうなって欲しくは無いが。

 

 レヴの目の前で、彼女の肉親を手にかけるような真似はしたくない。

 

「周囲の地形は把握したぜ。俺とマイカは今日、レヴの案内で周辺を探索してたのさ」

「サクラは、マスターと一緒に医療資源を集めにいったみたい。さっきアジト内で見かけたから、もう帰ってると思うわ」

 

 俺が訓練に参加している間、皆それぞれ動いてくれていたようだ。

 

 俺一人だけ、勝手に訓練に参加して申し訳ない気がしてきた。

 

「気にしないで、顔繋ぎ役は必要よ。それに元々、イリーネはこのパーティーの外交担当だし」

「……え、そうでしたの?」

「レーウィンで各貴族への交渉、ガリウス様との会談、前からその辺はイリーネに任せてたでしょ? 貴族の真骨頂といえば腹芸じゃない、外交はイリーネが適任なのよ」

 

 そういや、その辺は普通に任されてたな。

 

「では、今後も彼らとの顔繋ぎは任されましたわ。明日以降も、訓練に参加するように要請されておりますので」

「おっけー」

 

 ふむ、そう言う話なら遠慮は不要か。

 

 俺は俺の役目のため、訓練を続けさせてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の、夕暮れ。

 

「……ふむ。確かにリョウガの言う通り、今日は変な事故が起きないな」

 

 選ばれし勇者は、何とも言えぬ顔でそう呟いていた。

 

「もしかしてアレ、本当に効果があるのか? おまじないみたいなモノだと思っていたが……」

 

 何と勇者はこの日、何もラッキースケベを起こさなかったのだ。

 

 それもこれも、昨晩にリョウガから聞いた『ラッキースケベ対策』を実行に移してからである。

 

 まだ短い期間ではあるものの、本日のカールはパーティーの女性陣に何も迷惑をかけなかった。

 

「何だか少しモヤモヤとするが、この対策は続けていこう。女性陣に愛想を尽かされる前に、この体質を克服しないとな」

 

 リョウガから聞いた対策は、現時点では有効であるように思えた。

 

 その方法は少し納得がいかないものだったが、効果があるなら仕方ない。

 

 

 

 

 ────風呂場の前に、カールは立つ。

 

 

 

「さて、風呂を浴びるか」

 

 カールはゴクリと唾を飲む。

 

 今までのカールであれば、何も考えず扉を開けたかもしれない。

 

 或いは女性が着替えている可能性を考えてノックし、その勢いで扉を倒したりしたかもしれない。

 

 だが、今のカールは違った。

 

 

 

 

「女の子が入っている可能性を信じろ……」

 

 

 

 そう。

 

 カールは今までと違い『ラッキースケベを期待して』扉を開け放ったのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カールが何をトチ狂ってこんな事をしたのか?

 

 それは、昨晩のリョウガとの会話に有った。

 

『スケベな幸運ってのは、望む者には与えられないんだよ。女神様は、そういう風に世界を作ってるに違いない』

『望む者……?』

『お前は、要するに今までスケベな幸運なんて望んでなかったんだろ? だからそう言うことが起こるのさ』

 

 リョウガは、カールの耳元でそう呟いた。

 

『裏を返せば、お前がそう言うスケベを望めば良い。そうすれば、女神はお前に幸運を与えなくなる』

『スケベを、望むだと?』

『風呂に入る前に期待するんだ、うっかり中に女の子が入ってるんじゃないかって。部屋に入る前に妄想するんだ、着替えている美女がいるんじゃないかって』

『そ、そんなの変態じゃねーか!』

『だが、常日頃そう言うことを考えている俺は……。一度も、そう言った幸運に出くわしたことはない』

 

 それは奇想天外な方法だった。

 

 カール自身がラッキースケベを望めば、逆にラッキースケベが起きなくなると言うのだ。

 

 その冗談みたいな対策を────

 

 

『やるだけやってみろよ。効果がなければやめれば良い、頭で考えるだけなら簡単だろ?』

『確かに、考えるだけなら』

 

 

 カールはこの日、試してみた。

 

 その結果、一度も期待したようなラッキースケベは起こらなかったのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなスケベ心満載のカールによって、浴室の扉が開け放たれた。

 

 そして全裸のカールが、堂々と風呂場に侵入(はい)る。

 

「……?」

「む、誰か居たのか」

 

 しかしすぐ、カールは湯煙の中の人影に気が付いた。どうやら、彼は誰かの風呂中に乱入してしまったらしい。

 

「……ふむ、すまない。間違えた」

 

 しまった。とうとう、ラッキースケベを起こしてしまった。

 

 当然の話だ。ラッキースケベが起きるように期待して行動したら、そりゃ発生率は上がるだろう。何でそんな当たり前の事が分からなかったんだ。

 

「先に入っている人間がいるとは知らなかったんだ。許してくれ」

 

 今日はたまたま、ラッキースケベが起こらなかっただけ。リョウガの対策はデタラメだったんだ。

 

 カールは自分の過ちを恥じ、先に入っていた人物に声を掛けて────

 

 

 

 

 

 

「いやいや、気にすることはありませんぜ。男同士じゃねぇですか、旦那」

「マス♂️ター……」

 

 

 

 

 

 

 湯煙の中から出てきた、ダンディな厳つい全裸男性と目が合った。

 

「旦那も、湯浴ですかい」

「ああ。マスターが良ければ、ご一緒しても良いかな……?」

「喜んで」

 

 幸いにも、風呂場にいたのは男であるマスターだった。セーフである。

 

 カールはホッと溜め息をついて、マスターの隣に座った。

 

「この時間しか、湯は使えねぇそうで。明日も、時間を間違えねぇようにしないといけませんね」

「そう、だな」

 

 マスターは、意外にも筋肉質な体つきをしていた。

 

 至るところに小さな傷があり、その出で立ちは歴戦の戦士を思わせる。

 

 太い腕、はち切れん大胸筋、毛深いケツ、たくましい足。ただのバーのマスターにしては、随分と体を作り込んでいる。

 

「マスター、良い身体してるな」

「そうですかい? 照れますね」

「結構、鍛えてる?」

「ええ。魔族にゃあ手も足も出ませんでしたが、チンピラ風情に遅れは取りたくないんでさぁ」

 

 ニヤリ、とクールな笑みを浮かべるダンディ。

 

 ここは風呂場だ。蒸せるほど濃い男の香りが、周囲を包み込んでいる。

 

 

 ────男が二人きり、密室、高湿度。何も起こらない筈はなく。

 

 

「……失礼ながら。中々、ご立派なものをお持ちで」

「ふ、男の象徴の事ですかい? これでもまぁ、夜の町の男。それなりにヒィヒィ言わせてきましたぜ」

「それも分かる気がする。まさに、凄い迫力だ……っ」

「よしてください、恥ずかしい」

 

 

 ……ラッキースケベを期待して風呂場に入って、逆にオッサンの裸を見ることになり、変なテンションになったカール。

 

 そして下ネタ耐性が死ぬほど高く、思春期丸出しなカールの言動を温かく包み込むマスター。

 

 

 

 そんな、二人の逢瀬は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はわっ! はわわわわわわわわっ!!?」

 

 

 

 たまたま近くを歩いていた修道女に、排水口から覗かれた。

 

「カールさんは、アレ? カールさんとマスターさんが、あれれれ?」

 

 

 

 

 

 

 

 この日。カールは久し振りに、誰にもラッキースケベを起こさずに済み。

 

 

「……ぽえー」

「イリューさん、どうされたのかしら?」

「散歩から帰ってきてから、ずっとあんな感じよ」

 

 

 その代わりに一人の修道女が、妙なラッキー(?)に見舞われた。

 

 




凄まじいホモシーンがあります。苦手な方はご注意ください。


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53話「ハーレム系勇者が実は同性愛者だった件」

 魔族の跋扈する死地。

 

 襲われたレヴが遮二無二逃げ出したその先は、不幸にも魔族の本隊の待機する場所だった。

 

 

「……」

 

 

 闇の中、無数の赤き瞳が煌めく。獣の咆哮が、周囲をひしめく。

 

 

 ……間もなく、レヴは生きる事を諦めた。どうあがいても、自分は助からぬ事を知った。

 

 

 そして無様に逃げる事をせず、その場に無言で座り込んで、小さく祈りを捧げ始めた。

 

 

 ────せめて、自分と愛する家族の死後は、安らかなものでありますようにと。

 

 

 その小さな祈りに、どれ程の効果があったかは分からない。

 

 ……間もなく魔族は、迷い込んだ人間の存在に気付いた。

 

 地面に座り、祈りを捧げる少女を見て腹を空かせた。

 

 

「ヴォッヴぉッッヴおオオォッ!」

 

 

 餌だ。これは、降って沸いた幸運(エサ)だ。

 

 魔族は舌なめずりをしながら、レヴの座るその場所へと歩み寄った。

 

 近付いてくる獣の気配を感じてなお、少女は祈るのみであった。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

 その時、不思議な事が起こった。

 

 魔族を、心地好い歌声が包み込んだのだ。

 

 それを、レヴは迎えに来た天使の讃美歌と信じて疑わなかった。

 

 

 

 そして彼女が祈りを捧げる事、数十分。まだ、魔族がレヴに接触する気配がない。

 

(まだだろうか)

 

 いつになれば食われるのかと、レヴは目を開いて周囲を見渡した。

 

 もう十分以上に祈りを込めた。

 

 後は無様に食されるのみ。そう考え、少女はゆっくり目を開き。

 

 

 

 ────周囲には、何も居なくなっていた事実を知った。

 

 

「えっ」

 

 あれだけ恐ろしかった化け物は、無抵抗に座り込んだレヴを放置して消えたのだ。

 

 物音もなく、静かに。

 

「……えっ?」

 

 

 

 こうしてレヴは生き残った。

 

 年端のいかぬ少女は一人、何もない荒野に置いてきぼりにされた。

 

 これは実に、少女がカールに出会う数か月以上も前の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 照り付ける赤い朝日が、少女に朝を告げる。

 

 鳴り響くやかましい銅鑼の音に反応して、隣で寝ていた貴族令嬢が飛び起きる気配を感じた。

 

「……ふぅ」

 

 コシコシ、と目を擦り。

 

 少女は一人、兄の顔を浮かべて焦燥感に胸を焦がれる。

 

 

「……兄ぃ」

 

 

 彼は今、何をしているのだろうか。

 

 私は今、何をするべきなのだろうか。

 

 

 何をするにも、手が付かなかった。

 

 思い出すのは、暖かかった兄の掌。

 

 レヴは兄の姿を見てから、ずっと彼に頭を撫でられる瞬間を夢想していた。

 

 そう、それは以前のように。

 

 

 

 ……貴族令嬢は素早く着替え、訓練のために出ていった。

 

 他の仲間は欠伸をして、もう一眠りをする様子だ。

 

 しかし少女が寝床に入っても、兄の事で頭が一杯になるだけ。

 

 レヴも寝巻きから着替え、普段着となり部屋を出る。

 

 

 ────身体でも、動かそう。兄に、別れた後も努力していたことを示さねばならないから。

 

 きっとまた、兄と会える。小さな妹はそう信じていた。

 

 むしろ今、レヴにそれ以外の事を考える余裕は無かった。

 

 少女はいつもの服に着替え、ゆっくりと部屋を出て廊下を歩き────

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうです!? 私の胸では、魅力がありませんか!?」

「ちょ、ちょ、イリュー?」

「男同士も素晴らしいとは思いますが、非生産的です! ほら、ほら、女性は素晴らしいですよ?」

「当たってる! さっきから胸が────」

「当てております!」

「どうしたのさお前!!」

 

 ……巨乳にデレデレしているカールを見た。

 

 

 

 

「カール。何、してるの……?」

「あ、ちょ、レヴ! これは違う、これはイリューが……」

「カールさんを誘惑しているのです!!」

「……そう。ふーん」

 

 イリューの胸はでかい。

 

 その豊満さは、あのイリーネをも凌ぐ勢いだ。

 

「何故だイリュー! 何故突然にこんなことを!」

「私、知ってるんですからね! カールさんが風呂場でイヤらしいことをしていたの!」

「えっ。カール、何それ……」

「記憶にないんだけど!?」

 

 レヴは静かに憤慨する。人がシリアスな物思いに耽っているいうのに、この男は何をラブコメしているんだ。

 

 少女は、想い人の頬をつねった。

 

「痛ててて!? 誤解だレヴ、俺は珍しく昨日、何もイヤらしいことを────」

「普段はもっとイヤらしいのですか!?」

「変態。……変態カール」

()(かい)だぁ!!」

 

 

 

 

 兄の事しか考えられないと思ったが、カールのパーティーは騒がしい。

 

 気が付けばレヴも、いつものノリに戻されつつあった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この娘、すっごく可愛くないですか!! わぁ、頬を膨らましてる!!」

「……ちょ、触るな」

「凄い、ふにふにです! 妹にしたい!!」

 

 やがて傷心していた少女は、修道女に捕まった。

 

「これはヤキモチって奴ですね! へー成程、レヴちゃんってそう言う!! はあああああぁん、これが萌えって奴なのでしょうか!」

「うざ……、この人尋常じゃなくうざ……」

「このジト目が可愛いです~!! ぐっへっへっへ」

 

 イリューと言う修道女は、可愛いモノには目がなかった。

 

 彼女は嬉々として、目がどんよりしている少女を抱き締めていた。

 

「あー、イリュー?」

「はぁはぁ、レヴさん可愛い、レヴさん可愛い!」

「……身の危険を感じるから、離れ……ろっ!」

 

 イリューは興味の移り変わりが激しく、周囲が見えなくなる悪癖が有った。

 

 彼女はそれで何度も痛い目を見たが、一向に直る気配はなかった。きっと、それは彼女生来の気質も関連しているのだ。

 

 かつてイリューの親友からすら、『知り合いの中で一番ヤベー女』と評されたほどである。

 

「レヴちゃん可愛い、ハァハァ。このまま食べてしまおうかと、邪な念が沸いてきてしまいそうです」

「……ひぃ!! 助けてカール、本気だこの女」

 

 ダバー、と瞳を輝かせ涎を垂らして発情シスターはレヴを抱きしめる。

 

 犯罪的な絵面だ。イリューがもし男なら、いますぐカールは殴り飛ばしていただろう。

 

「はいはいストップだ、イリュー。そもそもお前、当初の目的を忘れていないか」

「はっ!! そうでした、私はカールさんを注意しに来たのでした。聞いてくださいカールさん、同性愛なんて非生産的ですよ!」

「どの口がそれを言う」

 

 イリューはカールにすら突っ込まれた。

 

「同性愛って、何? カール」

「分からん。俺には身に覚えがないのだが」

「昨晩、風呂場でマスターさんとドスケベしていたでしょ! 見たんですよ私!」

「何それ怖い」

 

 きっと修道女は、何か勘違いをしているのだ。

 

 そう考えたカールは、自らの潔白を示す為にこう宣言した。

 

「カール、詳細が聞きたい」

「じゃあ、マスターに聞いて見ろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、俺が呼ばれた訳ですかい」

「……そう」

「割とどうでも良いわぁ」

 

 結局イリーネ以外の全員が、食堂へと集った。

 

 サクラからすれば究極にどうでも良い話題だが、若干2名ほどにとっては死活問題なのだ。

 

「じゃあ、答えてあげなさいマスター」

「ヘイ、お嬢」

「……では改めて。昨日の夜、カールとお風呂で何が有ったの?」

 

 サクラは寝ぼけ眼を擦って欠伸をしているが、他の女子たちの瞳は真剣だ。

 

「お話ししやしょう。それは昨日の夕暮れ、俺は一人で風呂に入っていやした。すると、目を血走らせた旦那が乱入してきて『一緒にどうかな』と言うではありませんか。男同士断る理由もねぇと乗ったんでさ」

「それで?」

「しかし、どうも旦那の様子がおかしい。普段は興奮する様を見せねぇ旦那が、鼻息荒くして俺の男の象徴(マスター砲)に興味津々でしてね。俺としても、どうしたものかなぁと」

「マスター!!?」

「やっぱり!?」

 

 昨晩の風呂場での出来事は、マスターから見ても少し妙な言動に感じたらしい。

 

 と言うか実際に変だった。

 

「言われてみれば……そっか。コイツって」

「……おいマイカ。何だよ、神妙な顔をして」

「カールって、酒に酔って女の子を誉めはすれど、女の子自体に興味を示した事って無かったような。むしろ、男友達とばかり連んで……」

「やっぱり……っ」

「待てえぃ!!」

 

 マイカは顔を青ざめながら、そんな事を呟いた。

 

 実はそれは、カールがマイカに振られる(?)前の駆け出し冒険者時代の話だ。

 

 当時のカールはマイカに一途だった為、他の女性と仲良くする気がなかったのだ。

 

「……旦那ぁ。すみやせんが、俺は女が好きでして」

「違う誤解だ、これは罠だ! マイカの仕組んだ罠なんだ!!」

「別に隠さなくても良いのよ? 私は理解があるわ、カール」

「違いますよ!? と言うかマイカ、お前はからかってるだけだろ!!」

 

 マイカは顔を青ざめさせてはいるが、幼馴染みの彼には分かった。

 

 アレは全て分かった上で、面白いから乗っかっている性悪の顔だ。

 

「……カールぅ」ウルウル

「ほら、レヴが本気にしてるから!! 腹黒畜生なお前と違って、レヴはまだ純粋なんだから!!」

「誰が腹黒畜生よ」

 

 一方でレヴは大分本気にしていた。

 

 少し泣きそうになりながら、カールの衣服を掴んで寄りかかった。

 

「で? カールがそうで、何か問題でもあるのかしらぁ?」

「……む」

「女所帯なんだから、リーダーがそういう方が安心ってモノじゃない?」

 

 サクラは、本気で興味が無さそうだ。

 

 カールを落とせれば、勇者の玉の輿に乗ってお家再興は出来るかもしれない。かつてそんな戦略を練ってはいた彼女だったが、

 

『付け入る隙は無さそうねぇ』

 

 いざパーティーに入ると、既にマイカとレヴと彼の奪い合いが発生していた。

 

 今さら自分が寄りかかっても、勝ちの目は薄そうだ。ならパーティーの和を保つ方が良い。 

 

 そう考えてイリーネ同様、サクラは様子見をしていた。

 

「そうね、何の問題もないわね。カールが男に興味があるとして、困るのはマスターだけだし」

「なら、カールの性癖の話はこの辺にしときましょ? そっとしてあげるのが一番よぉ」

「……カールぅ」

「おかしい、どれだけ否定しても誤解が広がって収まらない。俺の言葉の信頼度が低すぎる」

 

 面倒になったサクラにより適当に話題を流され、カールは少し涙目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ちくしょう。

 

 その日の夕暮れ、カールは憤慨していた。

 

 それは数分前の出来事。彼が部屋で休んでいたら、なんと健気な少女(レヴ)が顔を赤く乗り込んできて、

 

 

『……恥ずかしいけど触って良いよ』

 

 

 と誘惑するではないか。

 

 これは、可愛いレヴの姿を見たかった修道女による策略だった。 

 

 

『……っ』

 

 

 プルプルと震える少女を前に、カールは困った。

 

 拒否して帰してしまえば疑惑が深まるし、かといって仲間に手を出すわけにはいかない。

 

 困り果てたカールの取った行動は、

 

 

『無理する必要ないんだよ、レヴ』

『えっ、あ────』

 

 

 取り敢えずノリで少女を抱き締めて。

 

 

『続きはもっと大人になってからな?』

『続き……っ!?』

 

 

 頭を撫でながら、適当な口説き文句をほざいて。

 

 

『じゃあな、レヴ』

『あ、えと……』

 

 

 特に用事は無かったが、部屋にいるのは居たたまれないので何となく外に出たのだった。

 

 部屋には、頭が沸騰しかけているレヴだけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 レヴちゃんに無駄に恥を掻かせてしまった。カールだって大人なのだ、それくらいの事は分かる。

 

 きっと心優しく真面目なレヴは、自分の身を犠牲にしてまで俺の性癖を矯正しようとしたのだろう。

 

 それもこれも、全てマイカのせいだ。

 

 あの女は知っているはずなのだ。カールがちゃんと、女に興味がある事を。

 

 実はカールは少年の折、村の男衆と覗きを画策した事があった。

 

 しかしそれは、幼馴染の行動を知り尽くしたマイカ自身の罠で防がれ、適切な懲罰を加えられた。

 

 それはまさにカールにとっては黒歴史。

 

 とても自分の口からそんな事を言い出せなかったが、これは立派にカールが『女性に興味がある』証拠だろう。

 

 

「確かこの時間、マイカは風呂場に行くと言ってたよな」

 

 

 この時カールは、少し黒い感情に飲まれていた。

 

「ここは一丁、乱入してやろうか!」

 

 サクラとマスターは、食堂で歓談していた。レヴは、今別れてきたばかり。

 

 イリューはさっき部屋の扉の前ですれ違ったし、今風呂場に入っている可能性があるのはマイカだけである。

 

 他の女性陣の裸体を見るのは申し訳ない。だが、幼馴染みで性悪なマイカが相手なら話は別だ。

 

 もし何か文句を言ってきても「俺はソッチだから問題ないんじゃないか」と言い返してやろう。

 

「たまにはやり返してやらんと、俺の沽券にかかわる」

 

 カールは進む。鼻息荒く、マイカが入浴しているだろう風呂場へ。

 

 リョウガに『自分からエロを望み、受け入れろ』と謎の助言を受け取った影響もあってか、今の彼は積極的だった。

 

 

 ……果たしてマイカは、どんな反応をするだろうか。

 

 流石に照れるのか。それとも、無言でキレるのか。はたまた、想像だにしない恐ろしい復讐をされるのか。

 

 その先にどんな恐ろしい結末が待っていようと関係ない。カールだって男なのだ。

 

 男の子には意地がある。美少女幼馴染の入浴する風呂場へと、突入しなければならない時期がある。

 

 それが、今なのだ。

 

 

 

「たのもーう!」

 

 

 

 カールは風呂場を開け放つ。

 

 湯舟に、動揺する人の気配。しめた、マイカはやはり入浴中だったのだ。

 

「おや、誰か入っていたのか。気が付かなかったぜ」

「……」

 

 白々しい発言をしながら、カールは湯舟へと進む。

 

 カールは同性愛者ではないのだ。このように、立派に異性に興味がある人間なのだ。

 

 勇者は声高に、幼馴染にそう教えてやろうとして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「騒がしいな、風呂くらいゆっくり浸からせろい」

「リョウ♂ガ……」

 

 

 

 

 

 

 

 湯舟の中から、自警団のリーダーである男が姿を現した。

 

 どうやらカールの悪だくみは、失敗に終わったようだった。

 

「お前も風呂か?」

「ああ。良ければ一緒に入ってもいいかな……?」

「ん? 好きにしろよ、そのくらい」

 

 カールは少しガッカリしながらも、リョウガの湯を借りて体を清め始める事にした。

 

 せっかく服を脱いだので、このまま風呂を浴びてしまおうと考えたのだ。

 

「俺は団長特権で、1人風呂を浴びれるんだ。この時間の風呂は、俺専用だぜ?」

「そうなのか」

「外にその旨の看板を出していたが。見落としたのか、そそっかしい奴め」

 

 湯舟に浸かり、髪を濡らしたリョウガがジト目でカールを見る。

 

 マイカを覗こうとするあまり、勇者は不注意になっていたらしい。

 

「……なぁ、リョウガ。お前って、髪が濡れると印象変わるな」

「あん?」

 

 そしてカールは、とある事実に気が付く。

 

 生意気盛りな少年のような見た目をしたリョウガは、風呂場だとどう見ても色っぽいのだ。

 

「リョウガ、やっぱ鍛えてるんだな。良い筋肉をしている」

「だろ? まぁ、小柄な体躯を生かすには瞬発力が必須でな」

 

 

 ニヤリ、と自慢げな笑みを浮かべるショタ。

 

 

 

 ここは風呂場だ。蒸せるほど濃い男の香りが、周囲を包み込んでいる。

 

 

 

 

 

 ────男が二人きり、密室、高湿度。何も起こらない筈はなく。

 

 

 

「にしても風呂に乱入してくれてちょうど良かった。俺ぁ後で、カールには話をしに行こうと思ってたんだ」

「俺に、話?」

「そうだ、出来れば二人っきりでな」

 

 湯舟に浸かったカールに、リョウガは囁くような声で話しかける。

 

 二人きり、誰にも聞かれたくない相談が有るらしい。

 

「この風呂場には、俺たち以外誰もいない。ここで聞こうか、リョウガ」

「ああ、そうさせて貰うぜ」

 

 見つめ合う、勇者と英雄。

 

 肌と肌が触れ合う距離、吐息が煙となって肌をくすぐり。

 

 

 

 

「なぁ、カール」

「なんだ、リョウガ」

 

 

 

 英雄は、猛禽類の様に獰猛な目でこう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前らの仲間の『レヴ』って言ったか。あの女が『静剣』の関係者と言う情報は、マジなのか?」

 

 

 ……そして、風呂場を静寂が包み込んだ。

 

 



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54話「俺は自警団団長の、リョウガだぞ……」

「……」

 

 ポチャン、と水音が風呂場に響く。

 

 リョウガとカールは向かい合ったまま、静かな湯舟の中で互いに黙り込んだ。

 

「なぁ、リョウガ。どこで聞いたんだ、そんな情報」

「詮索するより先に答えてくれよ、どうなんだ」

「それは……」

 

 静剣レイが、レヴの兄である事実は伏せる手筈だ。

 

 だから誰も、その情報を自警団に漏らす筈がない。

 

 カールは仲間を信用している、彼女らは全員口が硬い筈────

 

 

 

 

 いや。イリューが居たか。

 

 彼女とはまだ付き合いが浅すぎて人柄が掴めていない。しかし、何となく口は軽そうな印象がある。

 

 イリュー自身、カールパーティーに肩入れする理由もない。もしかして、彼女が漏らしたのかもしれない。

 

 

「……ああ、隠していてすまん。本当は、情報共有するつもりだったんだが」

「一昨日だろ、それ。だがうっかり俺が熱くなっちまって、話すに話せなくなったって所か?」

「そうだ。お前が本気でレイを怨んでいたのは伝わったからな」

 

 

 何にせよ、リョウガは何処かでレヴの情報を掴んでいたらしい。これ以上は、隠す方が印象が悪かろう。

 

 カールは諦めて、全てをリョウガに打ち明けることにした。

 

 

「静剣レイは、レヴの兄だそうだ」

「そんな所だろうな。……で、その事実を隠してどうするつもりだった?」

「実際に、そのレイと話して決めるつもりだった。取りつく島もないときは、お前らと協力してレイを討ってただろうな」

「ったく。逆に言えば、保護してこっそり逃げ出す可能性も有ったってことじゃねーか」

 

 

 リョウガは不快げに喉を鳴らし、ジトリとカールを睨み付けた。

 

 居心地の悪い静寂が、カールを包む。

 

 

「それより、リョウガはそれを何処から聞いたんだ?」

「誰からも聞いてねえよ? カマかけただけだ」

「……」

「お前が一番、パーティーで腹芸が下手そうだったからな。教えてくれてありがとよ」

 

 

 今度は、カールが絶句する番だった。

 

 言われてみれば、確かにカールが1番表情に出やすいかもしれない。

 

 腹芸の達人である貴族2人とその付き人、無表情系少女、腹黒性悪とうっかり勇者のパーティー。カマかけを狙うなら、そりゃあカールだ。

 

 

「あの娘が、このレッサルの出身だって話を聞いてな。どことなく顔立ちも似ているし、様子もおかしいし。もしかしたらと思った」

「……」

 

 カールは、やらかしたことを悟って顔を青ざめさせた。今の感じだと上手くすっとぼければ、十分に誤魔化せていたに違いない。

 

 レヴはこの男にとって、妹の仇の身内だ。知られてしまったからには、衝突は避けられないかもしれない。

 

 

「はっはっは、落ち込むな落ち込むな。こういうのも経験だ、修行しろい」

 

 

 しかし、リョウガはそんなに機嫌が悪くなさそうだ。

 

 カールが意外そうな目でリョウガを覗き込むと、彼は笑って話を続けた。

 

「まぁ聞け。俺がレイを殺してぇのは本当だが、それ以上に仲間を殺されたくない想いの方が強い」

「リョウガ?」

「あの娘が兄妹だって言うなら、レイに投降を促せるんじゃねぇか? その自信があるなら協力してやるぜ。あの男が降れば、悪党族なぞ一網打尽に出来る」

 

 リョウガはそう言うと、腕を組んで何かを噛み殺した。

 

「俺はヤツに恨み骨髄。だが感情優先で殺しにかかり、無駄に被害を増やすつもりはねぇ」

「む、良いのか」

「レイを殺せて仲間を大勢失うなら、レイを殺せずとも誰も死なない方が良い。俺は死んだ人間より、生きた人間の方がよっぽど大切なのさ。辺境伯様に取り入るのも、要は『悪党族を下した』って功績さえあれば良いんだ。細かい首はどうでもいい」

 

 ……それは、リーダーの顔だった。

 

 私情より、集団を優先できる英雄の思考。

 

 

「俺ぁもう、誰かが死んで誰かが泣く顔を見るのはごめんだ」

 

 

 リョウガはカールが想像していたより、数倍はデカい人物の様だった。

 

 まだ若いだろうに、自警団のリーダーを任されるだけの事はある。リョウガは間違いなく、英雄と呼ばれるにたる人間だった。

 

「……分かった、協力しよう。レヴにも話をして、静剣を説得させて見せる」

「ああ、頼んだぜ」

 

 こうして、カールとリョウガは風呂場での会談を終えた。

 

「じゃあ明日にでも、俺の部屋に仲間全員を呼んでくれカール。具体的な手筈を打ち合わせしよう」

「ああ」

 

 そう言うとリョウガは、カールに背を向け立ちあがった。

 

 

「……」

 

 

 しかし、その男の肩は少しばかり震えていて。

 

 

 それは気のせいなのだろうか。やがて彼が出て行ったあとで風呂場の外の扉から、微かな嗚咽が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アホボケとんま。まんまと釣られてペラペラ話してるんじゃないわよ!!」

「ごごごめんなさいい!!」

 

 マイカに締めあげられるカールを見て、俺は思わずため息を零した。

 

 風呂上がりの彼から話を聞くに、リョウガにレヴちゃんの事を知られたらしい。

 

「あまり責めないであげてくださいな、マイカさん。あの男、かなり切れ者ですわよ」

「分かってるわよ、そんな事は! リョウガはヘラヘラしたエロチビに見えて、存外抜け目ないわ。だから警戒しとけって話!」

 

 初日にイカサマがバレて吊るし上げられたマイカが言うと説得力が違うぜ。

 

「でもまぁ、隠し事が無くなってスッキリした感じだし結果オーライじゃないかしら? 元々のプランだと、あの男を出し抜かないといけなかったわけだし」

「むー、そうだけどさぁ」

「……兄ぃ、捕まって殺されたりしない?」

「多分しないと思うぞ。ヤツの言い方だと、罪は償ってもらうが殺しはしないって感じだった」

 

 ふむ。それならば、レイさえ投降すれは比較的穏便に済みそうだ。

 

「後はどうやって、レイに接触するかですが」

「レヴを連れて、奴らの拠点に急襲をかけるってのはどうだ」

「拠点の場所が判明しているならありですね」

「その辺の手筈は、明日リョウガと考えましょ」

 

 まぁ確かに、俺達だけで話をしても始まらないか。

 

 明日、朝練の後にでもリョウガに時間を作って貰おう。

 

「じゃ、今日は解散。各自、明日に備えて寝ましょ」

「おう」

 

 既に陽は落ちていて、暗くなっている。これ以上、話をする事もないだろう。

 

 俺達は男女部屋に別れ、就寝する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────カツン。

 

 ────カツン。

 

 

 

 

 

 その日は少し、寝苦しい夜だった。

 

 妙に湿度が高く、ムシムシとしていた。

 

 

「……何の音でしょうか」

 

 

 誰かの足音に引っ張られ、俺は真夜中に目を覚ました。

 

 外を見ても、夜空に星が浮かんでいる時間だ。

 

 

「……」

 

 

 起き上がって周囲を見渡すと、俺の隣でサクラは寝息を立てており。

 

 イリューは不気味な笑みを浮かべて半脱ぎで鼻提灯を揺らし、マイカはお行儀よく隅に丸まって眠っている。

 

 

 ────そして、レヴがいない。

 

 

「……もしや、出かけた?」

 

 

 レヴの寝ていた筈の寝袋は空で、部屋のどこを見ても彼女の姿はない。

 

 そして今の足音だ、もしかして彼女は外に出て行ったのかも。

 

 ただのトイレであれば問題ないが、今の不安定な精神状態のレヴを一人にするのは少し怖い。

 

 

 ……少し、追ってみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下に出ると、既に彼女は見えなくなっていた。

 

 まずはトイレへと進んでみたが、そこにレヴは居なかった。

 

 やはり、外に出て行ったらしい。

 

「……こんな時間に、何処へ?」

 

 考えろ。俺がレヴなら、何処に行く?

 

 訓練所で一人訓練か? それとも、食堂でつまみ食いか?

 

 ……いや、レヴはそんな食いしん坊ではない。むしろ可能性が高いのは、

 

 

「……墓地に行ってるのかも」

 

 

 きっと彼女は眠れないのだ。

 

 不安に押しつぶされそうで、どうしていいか分からなくて、死んだ祖父のいる墓地に向かった可能性はある。

 

 そう考えて俺は、身支度を整えて深夜の墓地へと向かう事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリーネの予想は、当たらずも遠からず。

 

 確かに、レヴは色々な感情に潰されそうで眠れなかった。そんな彼女が向かった先は、夜空の見える丘であった。

 

 

 

 ────レヴ、見ろ。綺麗だろ

 

 ────うん……

 

 

 

 そこは、兄との思い出の場所。

 

 幼き日に、兄に連れられ深夜に抜け出して星を見に来た丘。

 

 

「兄ぃ……」

 

 

 ここに来れば、懐かしい感情が溢れてくる。

 

 兄が隣で寝そべって、夜空を指さしているような錯覚にとらわれる。

 

 なのでレッサルに来て以来、レヴは眠れなくなるとここに来るようになっていた。

 

 

 

 

 街は静寂に包まれている。

 

 動くものは何もない。ただ静かに、星だけがこの場を彩っている。

 

 改めてレヴがこの街を見渡すと、随分様変わりしてしまっていた。街道は崩れ、建物はところどころ半壊し、廃墟だらけになっていた。

 

 よくもまぁ、数年でここまでひどくなったものである。

 

 

 ただ、この丘は変わらなかった。

 

 街を一望できるこの丘だけは、兄との思い出のまま変わらぬ姿をしていた。

 

 夜風に吹かれ、レヴは微睡む。暖かな感情が、レヴの寂寥を癒す。

 

 ああ。早く兄に、会いたい────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 その時誰かの、息を飲む音が聞こえた。

 

 近くに人がいる。暴漢なら襲われるかもしれない。

 

 こんな時間に出歩いているなんて、ろくな連中では無いだろう。警戒するに越したことはない。

 

 

 少女は丘の上で腰を上げ、近付いてくる何かと向き合い……。

 

 

 

「え────」

 

 

 

 夜闇の中、目を見開いた『静剣レイ』と目が合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 声が出ない。

 

 声が出せない。

 

 会いたくて会いたくてたまらなかった、生き別れの兄がそこに居た。

 

「アニキ、どうしたんです。……っと、街の住人!」

「ち、先手必勝。殺せ────」

「……待て!」

 

 レヴを見て剣を抜いた部下を、レイが制止する。

 

 兄の額には脂汗が浮かび、凄まじい形相でレヴを睨みつけている。

 

「……兄ぃ?」

「────っ!」

 

 恐る恐る声をかけると、レイは絶句して剣を落とした。

 

 この反応、やはり見間違いや似ている人物ではない。正真正銘の、レヴの兄『レイタル』だ。

 

「あ、え? 妹、さん……?」

「やめろ、殺すな。彼女だけは殺さないでくれ、頼む……」

「で、でもアニキ! この街の住人は!」

「分かってる、分かってるんだ! でも、レヴだけは────」

 

 ポロポロと涙を溢れさせながら、レイは恐る恐る妹に近づいて行く。

 

 レヴは、抵抗しない。お互いに見つめ合ったまま、彼らは静かに抱き合った。

 

「あ、あ、あぁ……、レヴ」

「……兄ぃ」

 

 久々に触れた兄の身体は暖かかった。

 

 賊に身を落としてもなお、優しい目でレイはレヴを抱きしめた。

 

「……アニキ。落ち着いてくだせぇ、この街はもう」

「分かっている。だがこうして、レヴの顔を見ると」

「……」

 

 部下の男と話をしながらも、レイは妹を抱き締めて離さない。

 

 大粒の涙を流しながら、兄は静かに妹を抱き続けた。

 

「……兄ぃ、生きてたんだね」

「ああ、カインのお陰だ……」

 

 カイン。それはレイやレヴの兄貴分に当たる人。彼も、レヴにとっては肉親の様なものだったが、

 

「カインは、生きてる?」

「死んだ。……見殺しにされちまった」

「……そう」

 

 カインは死んでいた。あの闘いを生き残ったのは、兄のレイだけらしい。

 

 今や彼だけが唯一の、レヴの肉親だ。

 

「アニキ。もうそろそろ」

「ああ。……レヴ、ごめんな。助けられなくて」

「……?」

「この街に居るってことは、そう言うことなんだろう……。父や母も、ここに居るのか?」

「兄ぃ? 何を言ってる?」

 

 しかし先程から、兄の言動が少し妙であった。

 

 父も母も、目の前で食べられたではないか。

 

「父ぅ、食われたよ……?」

「そうか……。いや、何でもない」

「兄ぃ、大丈夫?」

 

 要領を得ない兄の言葉に、レヴは疑問符を浮かべた。

 

 だが、今のレヴは兄に会えた事で舞い上がりそれどころではない。

 

「ねぇ兄ぃ、私ね。今、カールって言う冒険者と旅をしてるの」

「……冒険者? どう言うことだ」

「……魔族から命からがら逃げ延びた後、カールに拾われた。そして、祖父ぃに報告にレッサルまで来たんだけど」

 

 妹は珍しく饒舌に話し、レイを真っ直ぐ見つめて。

 

「兄ぃ、どうして悪党族に? 話を聞いたよ、この町の住民を殺したって」

「……レヴ、何を言っている。生き延びた? あの魔族の大群の中を?」

「……うん。生き延びてないと、此処に居ない」

 

 兄に、悪党に堕ちた理由を問う。

 

 

 

 

 

「まて、レヴ! お前は────生きているのか?」

「生きていないと、此処に居ない。兄ぃ、さっきから何を言ってる?」

 

 ザワ、と周囲の賊もざわめいた。

 

 彼等は意外なものを見た様な、そんな目でレヴを見つめている。

 

 

「生きているなら、この町から出るぞ。こんな場所に居ちゃいけない」

「……どう言うこと?」

「四の五の言ってる時間はない。一刻も早く、レッサルを脱出するんだ」

 

 レイは真剣な瞳になり、レヴの前に向き合った。

 

「よく聞けレヴ、この町はもうとっくに滅んでる」

「……何? どう言うこと?」

「この町はもう、死者の暮らす町なんだ。死人が何食わぬ顔で、生者の様に動いているあの世とこの世の繋ぎ目の空間」

 

 タラリ、と額に汗が浮かぶ。

 

 レイは、鬼気迫る顔で廃墟の街並みを指差して言った。

 

 

「この街には、死人しか居ない────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜の墓地には、誰もいなかった。

 

 レヴちゃんは此処に来ると思ったが、当てが外れた。

 

「むー、もしかしたらもう戻ってるかも」

 

 やれやれ、無駄骨だったか。レヴは一体何処に行ってしまったのだ。

 

 闇雲に探すのもよくない。1度部屋に帰って見て、まだレヴが帰っていなければ皆を起こして捜索しよう。

 

 そう考えて墓地を去ろうとし、俺は墓石に蹴躓いた。

 

「おっと」

 

 幸い倒れずにすんだが、危ないところだった。

 

 深夜に蹴躓いて頭を打って死ぬとか洒落になってない。

 

 

 

「────火の精霊よ」

 

 

 

 うん、灯をともそう。

 

 これで周囲が明るくなった。もう転倒する心配はない。

 

 さっき蹴り倒してしまった墓石も元に戻して、一応拝んでおこう。

 

「先程は失礼致しましたわ、墓石の主さん」

 

 しっかり真心を込めて、墓に祈る。

 

 蹴ったこちらが悪いのだ、しっかり誠意を示さねば。

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 火の魔法が、墓を照らして。

 

 揺らめく炎に影を成し、墓石に字が浮かび上がった。

 

 

 

「……えっ?」

 

 

 

 夜風が、墓地を吹き抜ける。

 

 気持ち悪いほどの静寂が、夜の町全体を包み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 ────それは、偉大なるレッサルの勇者

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は見てしまった。

 

 墓石の主に祈るため、その名を読んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────民衆の守護者に殉じた英雄

 

 

 

 

 

 

 息苦しい動悸が止まらない。得も知れぬ恐怖が、俺の身を包む。

 

 これはたちの悪い悪戯なのだろうか。何故こんなものが此処にある?

 

 だって、比較的新しいこの墓に刻まれた、その名は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────自警団の主リョウガ、此処に眠る

 

 

 

 



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55話「邂逅、冥府の化け物」

 ────死者は二度と笑わない。

 

 ────いざ冥府の門は開かれた。

 

 ────大切なものを取り込まれる前に、戦士よ立ち上がれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この街には伝承がある」

 

 (レイ)(レヴ)の手を引いて、真っ暗な夜道を駆けていた。

 

「……伝承?」

「ああ。……ここはかつて、冥府への門が設置された地だそうだ。神話の時代、レッサルに来れば死んだ直後の者と会話することが出来たという」

「……聞いたこと無い」

 

 兄の話を聞いて、レヴは首をかしげた。

 

 地元の伝説などに興味無かったレヴは、今までそんな話を聞いたことが無かった。

 

「……ああ、レッサルがマクロ教に改宗して歴史書から消された話だ。女神マクロには関係ない伝説らしいからな」

「信じられない。……自警団の人も、村の人も、みんな生きてたよ?」

「ああ、この街の周囲でだけ彼らは生きて話せるんだ」

 

 兄はそんな妹に、噛み砕いて説明を続けた。

 

「この街の中に居る限り、彼等は生者として動き続ける」

 

 

 曰く、この街は呪われており「死者が死者として自覚を持たぬ」村になったらしい。

 

 太古の昔、死者が現世の友や家族と別れを告げる為の場所だったレッサル。何故か現代になって、突然にその性質が蘇ったのだそうだ。 

 

「理由は分からない。だが、そうとしか考えられないのだ」

「……どうして?」

「レッサル付近では、首を撥ね飛ばし殺した者であっても、次の日に元気に戦場に姿を見せるのだ。伝承の事を考えれば、それが一番しっくり来る」

 

 

 ……話を聞いて、レヴは困惑した。

 

 とても信じられる内容では無い。兄は、誰かに騙されているのではなかろうか。

 

 そう、疑いすらした。

 

 

「ところで、兄ぃ。どうして兄ぃはこんな夜中に、此処に?」

「囚われた仲間の救出だよ。数日前に仲間が下手をやって捕まって、レッサルに運び込まれたんだ」

「……」

 

 レイは仲間が捕まった、と言った。その仲間とやらに、レヴは心当たりがあった。

 

 数日前、イリューに卑劣な行為をした賊をレッサルに連行したのはカール達に他ならない。

 

 まさか兄の言う『仲間』とは、イリューを辱め笑っていたあの連中の事だろうか。

 

「この街で死ぬと、恐らく取り込まれることになる。そうなる前に、助けたかった」

「……その人達に、心当たりがあるよ。兄ぃ、そいつらは悪い奴」

「……ああ、悪い奴らさ」

 

 レイはそう言うと、僅かに顔を顰めた。

 

「知っての通り、俺は悪党族に身を寄せている」

「何故……」

「他に行き場がなかったからだ。何せこの街に見捨てられたからな」

 

 妹の純粋な目でまっすぐ見据えられ、レイは居心地悪そうにそっぽを向いた。

 

 奴等が悪い連中だという事は、彼も理解しているらしい。

 

「……でも」

「一応、話しておこうか。カインの最期を」

 

 問いただそうとするレヴの言葉を遮って。

 

 レイは半ば吐き出す様に、憎々し気に街を見つめ話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────命からがら、と言うのはまさにこの事だろう。

 

 レイとカインの二人は、重傷を負いつつも奮戦し、辛く魔族の群れから逃げ出した。

 

 

『レイ坊ちゃん、もう大丈夫っすよ』

『……無理に喋る必要はない。カイン、良いから俺の背中に』

『これでも師匠っすからね。坊ちゃんに背負われるなんて無様、晒すわけにいかないっす』

 

 

 疲労困憊で、歩くのも困難。服は血でぬかるみ、カインに至っては足を引きずっている。

 

 そんなボロボロの状態の二人は、医療器具もないので治療も出来ぬまま歩き続けた。

 

 地図を失い、食料も水もなく、よろよろと街を求めて歩き続けた。

 

 

『坊ちゃん。アレを……』

『おおっ!』

 

 

 そんな彼らは、幸運にも彼方地平の先に見覚えのある景色を見た。

 

 それは、レイタルの故郷『レッサル』のある平原だ。

 

 

『あそこまで歩けば、助かるっす』

『1週間もあれば、故郷に辿り着ける』

 

 

 その景色はどれだけ二人に希望を与えただろう。

 

 道も分からずさ迷っていた彼らに、明確なゴールが出来たのだ。

 

 

『歩けるか、カイン』

『勿論っス』

 

 

 二人は俄然やる気を出して、レッサル目指して歩き始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『おい、カイン』

『大丈夫っすよ、坊ちゃん』

 

 歩き始めて数日、レイタルの兄貴分カインが高熱を出した。

 

 見れば腕の付け根、魔族に噛まれた部分が赤く化膿していた。

 

『これは、重症だ……。カイン、何処かで休まないと』

『いえいえ歩きましょう』

『……でも!』

 

 痛々しく腫れあがった腕を見て、レイは動揺した。このままでは、カインが死んでしまうかもしれないと。

 

 しかし顔色の悪いカインは、笑顔を作ってレイタルを諭した。

 

『こりゃあ、放っておけば悪くなる一方っス。むしろ俺は、助かるために歩き続けないといけないんス』

『……カイン』

『確かレッサルには、でかい聖堂があるって話じゃないですか。治癒術師だって常駐してるんでしょう? ますます、レッサルに急ぐ理由が出来たって話です』

 

 もう何日持つか分からない。

 

 そんなカインが命懸けでレッサルへ急行を提案したのだ。

 

『……なら、急ぐぞカイン』

『ええ、坊ちゃん』

 

 ここで躊躇っている時間はない。

 

 レイタルは覚悟を決め、足早にレッサルを目指した。

 

 

 

 ────食料は無い。

 

 空腹で腹と背がくっつきそうだ。

 

 

 ────照り付ける陽が憎い。

 

 喉がカラカラで目は霞み、油断すれば倒れ込みそうになる。

 

 

 ────足が棒の様だ。

 

 極度の疲労と脱水で、何度も足が悲鳴を上げた。

 

 

『カイン、カイン!!』

 

 道半ば、ついにカインが倒れた。

 

 呼吸も浅くなり、全身が燃えるように熱く、皮膚はカラカラに乾いている。

 

『くそ、お前を死なせない……』

 

 レイタルは、意識を失ったカインを背負って歩き続けた。

 

 このままではマズイ。顔に死相が浮かんでいる。

 

 最後に水場に巡り合えたのは2日前。脱水だけでも死ぬ可能性がある。

 

 カインは、本当に限界なのだ。

 

 

『皆死んで、お前だけが唯一生き残った肉親なんだ……っ!』

 

 

 ……自分自身も、とっくに限界だろうに。

 

 家族想いのレイタルは、気力を振り絞り寝ずのまま歩き続けた。

 

 その先に、レッサルの都市を見据えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2日後。

 

 身も心も限界だったレイタルは、重い足を引き摺りながらとうとうレッサルの街に到着した。

 

『助けて、くれ……』

 

 枯れ果てた声を張り上げ、レイタルは叫んだ。

 

『カインが死にそうなんだ。誰か、助けて────』

 

 

 ……しかし、その声は誰にも届かなかった。

 

 道行く人々は、誰もレイに手を貸そうとしない。

 

 

『く、そ……』

 

 

 この街に人情は無いのか。こんなに冷たい街だったか。

 

 激高する気力も起きず、レイは助けを諦めて大聖堂に向かっていった。

 

 高熱のカインを背に背負ったまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『料金は20000Gになります』

『……は?』

 

 それが、治療を求めたカインに告げられた言葉だ。

 

『そんなバカげた法外な────』

『では、お引取ください』

 

 ボッタクリも良い所である。大聖堂とは本来、ヒーラーに掛かれぬような貧困者を救う施設の筈だ。

 

 そんな額なら、その辺の医者の方がよっぽど良心的な額を提示する。

 

『このレッサルの土地に、医療機関はここにしかありませんよ。どうします』

『……っ!!』

 

 聞けば町医者や民間のヒーラーはみな出て行ったという。

 

 医療を貴族が独占し、収入源とする。それが、今のレッサルの政策だそうだ。

 

 レイタルはふざけた話だと思った。だが、

 

『他の街に行く時間は無い!! その値段でいい、カインを救ってくれ!!』

『では料金を』

『後で払う! 何としても用意する、だから!』

 

 それでも大聖堂に頼み込んだ。カインを、唯一の肉親を救ってくれと。

 

『────即金ですよ。そのように言って、踏み倒されたら大赤字です』

『今は用意が出来ない』

『ならば申し訳ありません。お金を用意して、出直してきてください』

 

 その言葉に、レイタルは言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

 

『祖父ぃは何処だ!! 何処に行った!!』

『ああ、この家の人かい? たしか先月、肺炎で亡くなったよ』

『何……』

 

 レイタルは、必死で金策に走った。

 

『ほら、良い防具だろう!! これを買ってくれ!!』

『……100Gかね』

『そんな筈はない!! 鍛冶都市アナトで買った最新鋭の────』

『この街でそんな高級品、仕入れてもだれも買わん。買って欲しけりゃその額だね』

 

 大事な武器防具を手放しながら、街中を走り回った。

 

『誰か、助けてくれ! 本当に、このままじゃ本当にカインが死んでしまう!!』

 

 しかし、20000Gなんて大金を手に入れる手段は無かった。

 

 何処へ行っても、カインは鼻で笑われあしらわれた。

 

『お金を貸してくれ!! 何としても返すから!!』

 

 とうとうレイタルは、カインを抱きしめながら大聖堂の前に座り込んで絶叫した。

 

『奴隷に堕ちたって良い、やれと言うなら靴だって舐めるから!!』

 

 道行く人に懇願するように語り掛けた。

 

『俺に、家族を救う金を貸してくれ!!』

 

 掠れた声で、重傷者を抱きしめ、男は叫び続けた。

 

『カインを助けて────』

 

 

 

 

 

 その悲痛な少年の叫びは。

 

 その日の夕暮れ、抱きしめていた男が冷たくなるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────』

 

 カインは見捨てられた。

 

 せっかく間に合ったのに、彼が息のあるままレッサルにたどり着いたのに。

 

 街の誰も彼を救おうとせず、カインは見殺しにされた。

 

 

『────』

 

 

 カインの死を悟った瞬間、レイタルの心が折れた。

 

 彼自身も、とっくに限界だったのだ。レイタルは、家族の後を追うように弱って行った。

 

 

『死体が二つ。邪魔ですね、街の外に捨てましょう』

 

 

 ほとんど動けなくなったレイタルを見て、大聖堂の職員はそう言った。

 

 そしてカインとレイタルを台車に乗せ、街の外の死体置き場に放り出した。

 

 

 カインと同様に、レイタルも街に見捨てられたのだ。

 

 

『……』

 

 

 カインは魔族に殺されたのではない。

 

 レイタルは、魔族に依って死ぬのではない。

 

『……ふぐっ』

 

 カインは、レイタルは。レッサルに、殺されたのだ。

 

『ちくしょう……』

 

 掠れた嗚咽が、平野に溶け消え。

 

『ちくしょぉぉぉぉぉぉ……』

 

 恨みに染まった手をレッサルの門に伸ばして。

 

 やがて、レイタルは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』

 

 次に彼が目を覚ましたのは、簡素なテントの中だった。

 

『……?』

 

 生きている。

 

 見ればレイタルの身体には、簡素であるが治療が施されており。

 

 誰がやったのか、体を拭いた後すらあった。

 

『……もしや、誰かに救われたのか』

 

 レイタルは、ゆっくりと体を起こした。

 

 空腹で死にそうではあったが、倒れる直前よりかは活力がある気がした。

 

 ────見れば、近くに桶と湿らした布が有った。

 

『そうか、水を含ませてくれたのか』

 

 どうやらレイタルは、誰かに命を救われたらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

『起きたかい、兄さん』

『……貴女が』

 

 目を覚ましたレイタルがテントを出ると、近くに女がいた。

 

『……俺の命を救ってくれたのは貴女か。礼を言う』

『礼なんか要らないっつー話。ワシがアンタを助けたのは、お前を利用しようって下心有ってのこと』

『ああ、なら何でも言ってくれ。俺に出来る事なら、何でも力になろう』

 

 その女の年齢は、良く分からない。喋りは古風な気もするが、若々しく美しい見た目をしていた。

 

『ん、じゃあお前はワシの部下ね』

『部下……?』

『そ。まぁ、周りを見てきなよ』

 

 ニシシシシ、と女は困惑するレイタルに悪戯な笑みを浮かべ。

 

『お前さんが、何に拾われたか分かる筈さ』

『む……?』

 

 そう言って、テントの中に姿を消した。

 

 

 

 

 

『ひゃっははは! 酒だ、肉だ!!』

『女を出して良いか? ちょっとムラムラしてきたぜ!!』

『さっきヤった直後だろう。まったくお前は!!』

 

 

 周囲には、見るに堪えない光景が広がっていた。

 

 

『お、兄ちゃん起きたのか』

『ちゃんと強いんだろうな? ボスはお前が役に立つから、拾ったと言ってたぞ』

『お前等、一体……!』

『ああ、何も聞いてねぇのか。俺達は、この世に蔓延る悪の代名詞』

 

 粗暴で、荒々しい男たちは愉快げに名乗りを上げた。

 

『────人呼んで、悪党族さ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はその日から悪党族に身を寄せた」

「……」

「俺は思った。その場で悪党族を一網打尽にして、レッサルの守衛に突き出す義理があるのだろうかと。命の恩人たる彼らへの恩義を通し、悪に堕ちる事はそんなに悪いことなのかと」

 

 レイはソコまで語ると、静かに街の外壁を指さした。

 

「話はここまでだ。脱出するぞ、皆」

「……待って。まだ、カールが街の中に」

「後で、必ず接触する機会を作り出す。俺を信じろレヴ、まずは仲間とお前の脱出を優先したい」

 

 レイは気を張り詰めながら、周囲を警戒している。

 

 その間に部下がテキパキと、縄の脱出路を作り上げていく。

 

「ここの外壁は、朽ちて亀裂があるんでさ。ソコにこうして鍵爪をひっかける、と」

「門を通らすとも、行き来できる道となる。さぁレヴ、行け!」

「え、えっと」

 

 レヴは迷った。

 

 最愛の兄に再会できたのは嬉しい。しかし、悪党族に身を寄せる事になるのはどうなのだ。

 

 それに、街にはカール達が残っている。レヴは、彼らと離れたくない。

 

「……兄ぃ。私、その」

「何を逡巡している? 早くしろ、この街では何が起きるか分からん」

「でも、やっぱり私、カールと……」

「後から何とかする。今は早く脱出するんだ、この街の『夜』はヤバいんだ!」

「あ、その」

 

 そういってレイタルは妹を急かす。

 

 その鬼気迫る表情に、なかば流されるようにレヴは頷いた。

 

「よし行け! さっきから嫌な予感がするんだ。最悪、冥府の魔物が出てくるかもしれんぞ!」

「う、うん……」

 

 果たして、レイタルの嫌な予感は正しかった。

 

 それは、レヴが脱出用の縄に足を駆けた直後。

 

 恐ろしい妖気と共に、怪物が悪党族の前に姿を現したのだから。

 

 

「……ぐ、来たぞ!!」

「な、なんだアレは!!」

 

 

 ノソリ、ノソリと無言で歩く『化け物』。

 

 それはレイ達を見つけると、足を速めて真っ直ぐ近づいてくる。

 

 

「くそ、お前らは早く行け! 俺が足止めするから────」

「────ムキャアアア……」

 

 

 やがてその化け物は、這い寄るようにレイタル達の前に姿を現した。

 

「……ひっ!?」

「な、何だ!?」

「キッキッキ……」

 

 

 暗闇の中で、賊どもは見た。

 

 

 ────ボロボロの、軽装な皮鎧。

 

 不気味に笑う、猿の顔面を持つ不審者。

 

 異様な高い声色で、謎のポージングを取って迫りくる『異形の生命体(おさるさん)』。

 

 

「宵闇からレッサルの街を守る守護神、小人族の……『猿仮面』見参!!」

「ウワアーーーーー」

 

 

 現れた怪物のあまりの怪しさと不審さに、レイは思わず叫び声をあげた。

 




???「治安の悪い街で、貴族令嬢が夜に出歩くのは危ないな……。せや!」


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56話「貴族令嬢の悲劇! 攫われたお嬢様」

 ……俺が墓地で謎のリョウガの墓(?)を見つけた後。

 

 リョウガに事情を聞くためアジトへ戻るべく歩いていたら、何と壁の方から声がするではないか。

 

 こんな時間に怪しいなと様子を見に行けば、不審な連中が壁際で何かをしていた。

 

 ……恐らく、壁に縄を掛けて登っているようだ。まさかこいつら、賊か!

 

 

「宵闇からレッサルの街を守る守護神、小人族の……『猿仮面』見参!!」

 

 

 この街は治安が悪いから猿仮面を被ってきて正解だった。

 

 今の俺の勇ましい姿なら、賊もビビって降伏する筈である。

 

 俺は意気揚々と名乗りを上げて、賊の前に姿を表した。

 

 

「……お前ら逃げるぞ! あんな怪しい奴を相手にしていられない!」

「何ておぞましい姿なんだ……。極めてなにか生命に対する侮辱を感じる……」

「何だ? 本当に……その、アレは何だ!?」

 

 敵に動揺が広がる。いい感じだ。

 

 しかし気になったのは、敵の中で指示を出している人間の声に聞き覚えがあった事だ。

 

「落ち着け! 俺に従え……っ!」

「は、はいアニキ!」

 

 暗くてよく見えないが、敵はどうやら『静剣レイ』らしい。

 

 む、しまったな。奴はカールにすら勝てる猛者。

 

 いかに俺と言えど、あの男を相手にして100%勝てる自信がない。ここは、深追いしない方が良いか……?

 

「あ、いつかのカッコいい仮面の人……」

「って、レヴちゃん!?」

 

 

 まさかの静剣レイの出没にどうしようか困っていたら、レヴちゃんが集団に混じっているのが見えてしまった。

 

 くそ、レイの奴め。

 

 まさかレヴちゃんを連れ出す気か。しまった、その展開は考えていなかった。

 

 

「何故そんなところにいるんだ、少女よ! 彼等は賊だぞ!」

「え、あ、その……」

 

 

 こうなればやむを得ない。多少無茶は承知で、レイを止めるしかない!

 

「待ってくれ妹。今あの仮面を見て何だって」

「え、カッコいい……」

「ウワアーーーー!!?」

 

 レイは妹から俺の感想を聞いて何やら驚愕していたが、そんな事はどうでも良い。

 

 ここで、レイを捕まえてレヴちゃんを取り戻す!

 

「おいそこの不審な男!! 今すぐその美を理解している幼女を解放するんだ! さもなくば夜道で猿に気を付けなくてはならなくなるぞ!」

「……」

 

 レイタルは凄く色々突っ込みたそうな顔をした。しかし、何とか噛み殺して黙り込んだ。

 

 よし、取り敢えず増援を呼ぼう。カールがくれば、きっと何とかなる。

 

「みんな起きてくれ、大変だ!! 悪党族が街に入り込んでいるぞ!!」

「む、仲間を呼んだか……!!」

「しかも幼女誘拐まで行っている、ロリコン悪党族だ! 今すぐ此処に来てくれ!!」

 

 俺はとりあえず絶叫して仲間を呼び、速やかに肉体強化呪文の詠唱を始めた。

 

 油断は無し、本気の戦闘態勢だ。俺は一人でレイを倒せないまでも、時間稼ぎをせねばならない。

 

「脱出を速めろ!! アレは俺が何とかする……っ!」

「兄ぃ、気を付けて。その人滅茶苦茶強かったはず……」

「え、人!? 人なのか、アレ」

 

 そりゃあ、どこからどう見ても人だろ。

 

 

「ふっ!!」

 

 

 間も無くレイは闇に紛れ、斬撃を放って来た。

 

 それはやはり早く、鋭く、正確無比な攻撃。

 

筋肉防御(バリア)

「何だそれは!」

 

 きっと、奴は首筋を狙ってくる。

 

 俺は攻撃の気配を感じた直後に、両腕で首と頭を覆った。これで、致命打は貰わない筈。

 

 果たしてレイは、やはり俺の首を狙ってきた。それも、

 

「背後か────」

 

 闇に乗じて、俺の背後に回ってから。しまった、バリアの裏を突かれたか。

 

 俺は咄嗟に振り向いて、回し蹴りを放った。蹴りはレイには避けられたが、敵の攻撃を凌ぐにはそれで十分。

 

 敵は蹴りを嫌って、後ろに跳躍して距離をとった。

 

 ふむ、身体能力(きんにく)はやはり重要だ。奴の攻撃に対して、見てから反応できている!

 

「つ、強いぞこの不審者! 何てフィジカルだ……」

「ふはははは! 俺は地獄からの使者『猿仮面』! 格闘技世界チャンピオンだ!」

「地獄だと……? まさかここの門は、冥府ではなく地獄へと続いているのか……っ!?」

 

 ノリで名乗った適当な称号に、レイは異様に戦慄していた。

 

 何でそんなに過剰反応してるんだろう。中二病なんだろうか。

 

 

「おーい、何事だ!」

「む、来たか!」

 

 

 間も無く、深夜のレッサルに人の声が響いて来た。どうやら、すぐ近くに人が居たらしい。

 

 俺の叫びを聞いて、村の住人らしき人々が近寄ってきたではないか。

 

 

「……くそ、お前ら脱出はまだか!」

「あと少しです、アニキ……」

「ふははは! タイムリミットの様だな、賊ども」

 

 

 俺一人なら厳しいが、皆で力を合わせればきっとレイを捕らえられる。

 

 レヴちゃんを連れていかれる訳にはいかない。

 

 俺は味方の到着に歓喜し、レイを相手に『ウキイイイィ』と咆哮して。

 

 

 

 

 

 

「怪しい奴だ!」

「ウッキャアア!?」

 

 

 

 

 駆け付けてきた村人に、顔面をぶん殴られた。

 

 痛ってぇ!!?

 

「何をする!」

「怪しい奴がいると、声がしてきてみたが……ここまで怪しいとは思わなかった! みんな、袋叩きにしろ!」

「ち、違う! 俺じゃない、俺は怪しくない!」

 

 何と村人は、俺を賊と誤認して殴りかかってきた様だ。

 

 しまった、この辺りに灯りが無いことを忘れていた。

 

 夜の闇が深すぎて、村人からしたらどちらが怪しいのか分からないらしい。

 

「……行くぞ、皆」

「ほら、あそこ! あそこに賊が入り込んでるから!」

「貴様こそ賊だろう! 何をどうしたらそこまで怪しくなれるんだ貴様!」

「待て、邪魔をするな! 悪党族に逃げられる!」

 

 レイは今の状況を好機と見たのか、速やかに撤退を続けた。

 

 レヴちゃんの姿も見えなくなっており、賊はもう殆ど壁の外に出たらしい。

 

 ぐ、どうする! ここは火魔法を使って周囲を照らし、村人に正しい状況を認識してもらうべきか?

 

 いや、詠唱する暇がない。こんな状況で呪文なんて唱えても、殴りかかられるだけだ。

 

「こんちくしょおおおお!! 猿連打(ラッシュ)!」

「うわっ、こいつ腕をぶん回し始めたぞ!」

「猿の奇行種に違いない!」

 

 まずは威嚇で、村人から距離を取り。

 

「吹き抜ける一陣の空。春風(ウィンド)!」

「む、何だ! こいつ魔法を使うぞ!」

 

 詠唱が短く殺傷力も低い風魔法で、周囲を吹き飛ばして一旦冷静にさせる。

 

 距離も離れたし、力の差も分かっただろう。

 

 よし、これで話を聞いてくれる筈────

 

「魔法使いだ! 殺せ!」

「殺られる前にやるぞ!」

 

 村人は、逆にヒートアップした。

 

 ちくしょう、どうしてこんな事に。俺はただ、レヴちゃんを取り返したかっただけなのに。

 

 

「ぬおおおおお! こうなりゃ自棄だ、やってやるぞ! 空翔肉輝(そらかけるにくのきらめき)!」

「な、何だ!? アイツ、急に手足をバタバタさせ……」

「おい、浮いてないか!?」

 

 それは、まさに奇跡。

 

 自棄になって風魔法で周囲を守りつつ思いっきり地団駄を踏んだら、何と、フワフワ俺の体が浮き始めた。

 

 おお、風魔法にこんな使い方があったのか。

 

「アイキャンフラーイ!!」

「おお、浮いている……見苦しくバタバタしながら、浮いているぞあの男!」

「不審者だ! 空飛ぶ不審者だ!!」

 

 これは良い。空中に離脱できれば、奴等に殴られずに済む。

 

 このまま壁を越えて、悪党族を追撃してやる!!

 

「待てや悪党、滅べや賊! 今宵の猿は天をも駆ける斉天大聖の化身なり!」

「ウワアーーーー!!!」

 

 ジタバタと壁を越えて浮き上がる事で、俺は再びレイの姿を捉えた。

 

 奴も、俺が空を飛んで追撃してくるとは思わなかったらしい。物凄い叫び声を上げて、レイは驚いていた。

 

「アレは本当に人なのか!?」

「化け物の類いじゃないのか!?」

「あのカッコ良いお猿さんの声、何処かで聞いたことある様な……?」

 

 む、レヴちゃんを発見。何やら戦慄している兄の隣で、可愛らしく座っている。

 

 逃してなるものか、俺は何としてもレヴちゃんを保護する。それが、カールの仲間たる俺の使命!

 

 

 

「打ち落とせー!」

「ウッキャアアアアアア!!」

 

 

 

 その時、背後から石が飛んできて俺の頭に直撃した。

 

 痛ってぇ!!?

 

「街の外に逃がすなー!」

「石をぶつけろー!」

「ちょ、待てみんな! 本当に俺は怪しい者じゃ無いんだ!」

「むしろ怪しくない所を教えてやがれ!」

 

 村の皆は、俺への攻撃を諦めない。石をぶつけて、俺を叩き落とす目論見のようだ。

 

 くそ、仲間を呼んだのが完全に裏目った。こんな深夜だと同士討ちになってしまう可能性もあるのか。

 

 1つ賢くなったぜ。

 

「ぬわぁぁぁ!! 魔法の制御が!」

「……俺たちも石をぶつけるぞ!」

「前からも来たぁ!?」

 

 俺が石をぶつけられているのに気付いて、悪党族どもも石を投げ始める。

 

 ぐ、流石にこれじゃ魔法の維持が出来ない! このままでは……

 

「ムキィイィイ!!?」

「落ちたぞ!」

 

 地上にまっ逆さまだ。やべ、この高さは死ねる。

 

 

「ぬおおお5点着地ぃ!!」

「む、この猿野郎、受け身を取りやがった!」

 

 

 幸いにも落ちた先は何もない土で、うまく受け身をとれたので助かった。

 

 しかし、脛の骨は折れたっぽい。まずい、このまま本当に袋叩きにされてしまう。

 

「今がチャンスだ! なます切りにしろ!」

「怪物を打ち倒せ!」

「くそ、南無三!」

 

 万事休すか。かくなる上は仮面を取って、女性であることをアピールして────

 

「……って、猿仮面!? 何やってんだお前!?」

「む、その声は!」

 

 迫り来る暴威に怯えて丸まっていたら、見知った声がする。

 

 顔を上げると、村人に混じってカールがいた。ようやく到着したらしい。

 

「みんな落ち着け! この不審者は見た目ほど有害な生物ではない! むしろ、街にとって益虫の類いだ!」

「益虫だと!? こんな怪しくて頭がおかしそうな生物が、何の役に立つというんだ!」

「……よく考えろ! 本当の不審者なら、ここまで怪しく身を作らない! 完全無欠、徹底的に怪しいことこそ猿仮面が不審者ではない証拠! 逆に!」

「え、ああ、そうなのか……? そういうモノなのか……?」

 

 カールが俺と村人の間に割って入り、皆を説得してくれている。

 

 助かった。だが、こんなに悠長にしている時間はない!

 

「聞けカール! 少女レヴが、悪党族に連れ去られたんだ!」

「……なんだと?」

「何とか俺一人で足止めをしようと頑張ったが、村の連中に邪魔をされてしまって逃した。すまんがカール、お前が追撃してくれないか!」

 

 ひとまず、カールにレヴちゃんが連れ去られた事を話しておく。

 

 早く追ってくれカール、このままじゃレヴちゃんが……!

 

「……みんな! 俺に続け、仲間を救出するぞ!」

「そ、そんな変態の言うことを信じられるものか! きっと騙されている!」

「……なら、俺一人で追撃する! サクラ、猿仮面を保護してやってくれ」

「わ、分かったわぁ」

 

 ぬっと、闇の中からサクラの声が聞こえてきた。

 

 暗くてわからなかったが、カールのすぐ傍にサクラも居たらしい。

 

 街の外へ走っていったカールと入れ替わりに、サクラが俺の前に歩いて来た。

 

「……お猿さん、久しぶり」

「ああ久し振りだ、お嬢。すまねぇな、ドジっちまったぜ」

「貴女は年がら年中ドジってるでしょうに」

 

 間もなく温かな癒しの魔法により、折れた足は治されていった。

 

 ……ふいー、助かったぜ。

 

「まったく、夜中にやってくれる」

「あら、リョウガ。遅い到着ねぇ」

 

 サクラが俺を庇いながら手当てをしている間に、とうとう自警団の長が場に姿を現した。

 

 リョウガが両翼に部下を引き連れて、出動してきたのだ。

 

「みんな聞け。今警備から報告があってな、俺達が捕らえていた賊が逃がされていたそうだ。どうやらその猿型変態の言うことは、本当っぽいぜ」

「え、じゃあ本当に悪党族が侵入を……?」

 

 リョウガの報告で、ひとまず俺への疑いが晴れる。

 

 そうだよ、俺は不審者でも何でもないんだ。

 

「そもそもこんな目立つ奴、悪党族に居たら絶対覚えてるだろ。俺は、こんな奴見たことねぇがな」

「お頭の言うことは尤もだ、こんな怪しい奴忘れるはずがねぇ」

「じゃあ本当にこいつは、悪党族ではなくただの不審者?」

 

 何にせよ、これで自警団の信用が得られた! 後はこいつらに力を借りられれば────

 

「おい、自警団! すまんがお前達も追撃してくれ、少女が拐われたんだ!」

「……おう、その話も聞いている。だが悪いな」

 

 少し街の外壁に目をやって。リョウガは、ゆっくり首を振った。

 

「こんな暗闇の中、敵を追っても仕方ねぇだろ。奴等に待ち伏せされてる可能性もある」

「……おい! じゃあ、少女レヴを見捨てるってのか」

「見捨てやしねぇよ。あの娘はしばらく大丈夫の筈だ、身内の賊が守るだろうさ」

 

 ……むぅ。確かにレイは、レヴちゃんを大事にしてそうだった。

 

 賊の内部は分からないが、レヴちゃんが今すぐ酷い目に合う可能性は低いか……?

 

「た、た、大変ですー!」

「お、どうしたんだイリューちゃん。そんなに慌てて」

 

 遅れて、マイカやイリューが現場に駆けつけてきた。イリューはワタワタと焦っていて、マイカも少し険しい顔をしている。

 

 俺の知らぬところで、何があったのかもしれない。

 

「カールは何処!?」

「落ち着きなさいマイカ、今賊の追撃に出てるわぁ」

「……本当に賊が来てたのね。なら、非常に不味いことになったわ」

 

 イリューは「どうしましょ、どうしましょ」とパニックになっているし、マイカの顔は冷静でありながら額に汗を浮かべていた。

 

 ふむ、どうやらかなり悪い事態が発生したらしい。一体何が────

 

「レヴさんが居なくなってるんですー! き、きっと賊に拉致されちゃって!!」

「……ああ、その様だ。レヴが賊に連れていかれている姿を、そこの不審者が見たそうだ」

「それだけじゃないのよ」

 

 ああ、レヴちゃんが拉致されたのを焦ってたのか。

 

 まぁそれに関してはカールの追撃結果待ちかな。自警団は追ってくれないみたいだし……。

 

 

 

 

「イリーネの姿も見えないの!」

「何だと!? イリーネたんの姿が!?」

 

 

 

 

 ……。

 

「そ、そいつは不味いぜ! 悪党族は、俺達と同じく貴族に恨みのある連中が多い……っ!」

「そうよね。イリーネも拐われたとしたら、今頃……!」

 

 あ、うん。

 

 そっか、そうなるのか。

 

「顔色……、いや仮面色悪いわよぉ? お猿さん?」

「な、何でもないぞお嬢」

 

 え、どうしよう。無駄に心配をかけるのは良くない。

 

 イリーネは無事だと伝えるため、ここで仮面を取るべきだろうか。

 

 でも、それをやっちゃったら俺の尊厳が。色街でバイトをしていたこととか、色々知られてしまう。

 

「イリーネたんも拐われたのだとしたら、相当酷い目に合わされるぜ」

「ああわわわわわ! どどどどうしましょうー!?」

 

 れれれ冷静になれ。まだ、チャンスはある。

 

 そうだ、明日の朝に合流すれば良いんだ。

 

 適当なタイミングでしれっと、「実は隠れてましたわオーホッホ」と言って現れれば問題はない。

 

「みんな安心してくれ! 俺も力を貸すから、一緒に賊から仲間を取り戻そうではないか!」

「くそ、イリーネたんを取り戻すには力が必要……! こんな不審者でも味方にするしか無いのか」

「なんて怪しい力を手に入れちまったんだ、俺達は。天国のお袋に顔向けできねぇ」

 

 額に冷や汗を浮かべながら、俺は調子の良いことを言って誤魔化した。

 

 う、うん。きっと何とかなるだろ!

 

「……」

「……」 

 

 ……なんかサクラ主従から冷たい目線を感じる気がする。

 

 



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57話「猿仮面は見た!!」

「俺は流離いの最強拳法家、猿仮面。ある日幼馴染と川の下の土手へ遊びに行った俺は、黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した。その取引を見るのに夢中になってしまい、俺は背後から近づいてくるもう一人の仲間に気づかなかった。不意打ちで昏倒させられた俺はその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら……顔面が猿になっていた!!」

「……」

 

 翌日の朝。

 

 誤解は解けた筈なのに何故か監視され続けていた俺は、結局イリーネに戻るタイミングが無く、猿姿で自己紹介をさせられていた。

 

「俺が生きているとバレたら、周りの人間にも被害が及ぶ。俺は本名を捨て『猿仮面』と名乗り、黒づくめの男を追っているんだ」

「前、なんか名乗ってなかったかしらぁ? ドビーだかホビーだか」

「おう、偽名だ!」

 

 前にどういう設定を名乗ったか忘れてしまったので、とりあえず新しい言い訳を並べてみた。

 

 この言い訳ならば俺が猿の仮面を被っていても違和感なく、自然な事のように思えるだろう。

 

「……あー。えっと、どう反応すればいいんだコレ」

「好きに反応すればいいと思うわよぉ?」

「分かった。……まぁ、そのなんだ。お前が徹頭徹尾に秘密主義なのは理解したよ。悪い奴じゃないとカールが保証するってなら、もう好きにしてくれ」

 

 リョウガは呆れきった様な表情で、俺にどっかに行けと手を振った。

 

 よし、見逃して貰えた様だ。やったぜ。

 

「で、次。カール、どうだった」

「……追えなかった。暗すぎて、奴等の痕跡すら見つけられなかった」

「だろうな。だからこそ、敵も深夜に侵入してきた訳だし」

 

 そう言うとカールは、悔しげな顔で拳を握りしめる。

 

 昨晩のカールの追撃は空振りに終わっていた。彼は明け方ごろに疲れた顔で帰ってきて、「駄目だった」と告げた。

 

「イリーネまで拐われていたとは……、クソ! 何としても追うべきだった」

「あんまり心配をしない方が良いわよぉ? あの娘の事ですもの、きっと上手く(?)やってるわぁ」

「サクラ……」

 

 落ち込んだカールを、サクラが慰めている。

 

 俺をそんなに信用してくれているなんて、照れるぜサクラ。

 

「終わったことは仕方ないわ。切り替えましょ」

「そうだな! 俺の筋肉もそう言ってるぞ!」

「あんたには言ってないわよ。もう既に切り替わってるでしょ、あんた」

 

 暗い雰囲気になりかけた所を、マイカが割って入った。

 

「ねぇリョウガ。敵のアジトの場所、分かってるの?」

「分かってたら苦労しねーよ。大まかな方向だけだな」

「捜索は?」

「毎日やってるさ。大体空振ってるけど」

 

 ……この大陸は広い。

 

 敵のアジトの場所は、まだ突き止められて無いらしい。今すぐ、レヴちゃんを助けに向かうのは難しそうだ。

 

「それに多分、複数の拠点があるんだ。奴等の撤退方向はいつも一緒って訳じゃない」

「ふむ」

「そのうちの1つを見つけ出して急襲しても、そこにイリーネたんやレヴたんが居るとは限らないぜ」

 

 まぁイリーネはどの拠点にも居ないんだけど。

 

 そっか、敵の拠点は1つとは限らないのか。

 

「すまんリョウガ。レヴやイリーネが拐われる事になるとは思わなかった」

「……まあな」

「だが、その。お前からは怨みも有ろうが……、どうか賊を倒す際になるべくレヴを傷つけない様に」

「分かってるよ」

 

 ふん、とリョウガはカールの言葉に機嫌悪そうな鼻息を吐いた。

 

「……妹が。サヨリが生きてりゃ、丁度レヴたんくらいの年頃なんだ」

「……」

「知らず知らず、重ねちゃってたのかねぇ? 少なくとも俺は、あっさりレヴたんを見捨てるつもりはねぇよ」

 

 ……。

 

 それを聞いて少し安心した、が。

 

「……おかしら、落ち着いて。大丈夫ですから」

「……っ」

 

 やはりと言うべきか。それは決して、彼の本心そのものでは無いらしい。

 

 色々なものを噛み殺しての、発言なのだろう。

 

「サヨリはな、可愛い奴だった。……小さな頃は、俺と結婚するんだって言って聞かなくてな」

「兄妹仲が、良かったんだな」

「妹が生きてりゃ今頃、サヨリは俺のお嫁さんだったのに……、うぅ……」

「お前はマジに受け止めたのか」

「今頃兄妹水入らず、イチャイチャの新婚生活……」

「こいつ、猿仮面より危険な思考してないか?」

 

 俺より危険って、どういうことだカール。

 

「うおおーん、うおおおおーん!」

「あー、始まった。おかしら、おかしら落ち着いてくだせぇ」

「おい、リョウガを部屋に案内しろ。サヨリさんの髪をスーハーさせて落ち着かせるんだ」

 

 ……。

 

「こうなりゃ、暫く話し合いは出来なくなるんだ。カールの旦那、悪いけど一旦席を外して貰えるか?」

「……みたいだな」

 

 ま、まぁリョウガにも大きな心の傷があるのだろう。あまり触れないでおいてやろう。

 

 ……よし、このまま訓練所でトレーニングでもするか。適当なタイミングで一人になって、『賊に捕まったが逃げ出した』的な事を言ってイリーネとして合流すればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は流離いの最強拳法家、猿仮面。今日は自警団の訓練が休みなんで、訓練所を勝手に使ってしこたま(筋トレを)やり始めたんや。

 

 腕立て伏せをしながら塩漬けした鶏肉をつまみ、スクワットで限界まで尻肉を痛め付けたせいで、ケツの筋肉がヒクヒクしている。

 

 あぁー、たまらねぇぜ。しばらく(筋トレを)やりまくってからストレッチをするともう気が狂う程気持ちええんじゃ。

 

 やはり、純粋な筋トレは最高や。

 

「あら」

「む、マイカか」

 

 そんな俺の筋肉とのデート中に、話しかけてくる声があった。

 

 顔を上げて見れば、幼馴染みにツンデレ発症中の猫目美乳少女がそこにいた。

 

 ウホッ、いいマイカ。

 

「イリーネ、こんな所で何やってるの?」

「そりゃあ、トレーニングだよ」

 

 マイカの問いに、俺は機嫌よく返答する。

 

 久しぶりに猿仮面を被ったが、これは良いものだ。これでコソコソせず堂々といつものトレーニングメニューがこなせる。

 

 イリーネ姿で筋肉トレーニングをフンフンするのは、やはり貞淑さにかけるからな────

 

 

 ……。

 

 

「いや、少女マイカよ。俺は、イリーネでは」

「イリーネ、こんな所で何やってるの?」

 

 ……。

 

 あれれー、おかしいな。マイカったら、人の名前を間違えて覚えるなんて。

 

 仕方ない、もう一度自己紹介しておくか。

 

「俺は流離いの最強拳法家、猿仮面。ある日幼馴染と川の下の土手へ遊びに行った俺は、黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した。その取引を見るのに────」

「こんな所で何やってるの? ねぇイリーネ?」

「……」

 

 ……。

 

「あの、マイカさん。言い訳をしても宜しいですか?」

「どうぞ」

 

 あかん、バレてる。何故、俺の完璧でクールな変装が……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、ソレはイリーネなりの変装のつもりだったのね」

 

 バレてしまっては仕方が無いので、俺はマイカに全てを白状した。

 

 レーウィンで情報収集の為、色町でバイトをしていた事。そんな噂が広まれば貴族令嬢としておしまいなので、別人を名乗った事。

 

「これが意外とバレないもので、貴族令嬢として貞淑さに欠ける行動をする時はこの仮面を使っていたのですわ」

「……普段と言動が違い過ぎて、確かにすぐ気付かなかったけども。先入観を利用した見事な変装であるとは言えるかもしれないけども……っ!」

 

 マイカは難しい顔をして俺の話を聞いていた。

 

 流石はマイカだ。仮面を被っているのに、見ただけでよく俺だと気付けたな。

 

「気付くに決まってるでしょ。明るいところで見たら、あんた骨格は女性だし声や髪はイリーネだし、言動以外全てが本人じゃない」

「……」

「むしろカールが気付いてないのが理解不能よ。イリーネがいなくなって、その代わりに殆ど同じ背格好の猿仮面が現れて」

 

 そっかぁ。カールやサクラを上手く騙せてたから自信持ってたけど、普通は気付くか。

 

「……自警団の方々や、カール達にはまだバレて居ないっぽいですわ」

「自警団の連中はまだ付き合い浅いしね。リョウガとかは、じきに気付く気がするけど」

「どうか、その。皆に内緒の方向でお願い出来ませんか? 心配はかけぬよう、折を見て『脱出してきた』と合流するつもりでしたの」

「……うーん。まぁ、別に私は良いけども……。何にせよ、貴女が無事で良かったわ」

 

 マイカは若干呆れ顔だ。

 

 ……しょうもないことに付き合わせてごめんなさい。

 

「と言うか、何でイリーネは昨晩出掛けたの?」

「レヴさんが居なくなったのに気付いたからですわ。何処に行ったのか、探そうかと」

「ああ、そう言うこと。レヴったら、兄との思い出の場所に夜な夜な出掛けてたみたいよ? 多分そこで、侵入してきた本物の兄と出会ったんでしょうね」

 

 成る程、そっか。レヴちゃんは、墓場ではなく他の思い出の場所が────

 

 

 

 

 

 

 

 ────自警団の主リョウガ、此処に眠る

 

 

 

 

 

 

 

 ……あっ。

 

「あの、マイカさん。そう言えば、少し気になることがありましたわ」

「気になること?」

「その、実は。昨晩、私はレヴちゃんを探しに墓場に行ったのですが……」

 

 何か忘れてる気がしたが、思い出した。

 

 そうだ、あの墓の事をリョウガに聞いてない。

 

「……リョウガの墓? 何でそんなもんが?」

「比較的新しいお墓でしたわ。同姓同名の方でしょうか?」

「リョウガの墓……。ん、待って確かレッサルって」

 

 マイカは俺の話を聞いた瞬間、酷く真面目な顔になった。

 

 どうしたんだろう。

 

「それ、もうリョウガ本人に話した?」

「いえ、後で聞くつもりでしたが」

「……ちょっと時間を頂戴。考えを纏めるわ」

 

 無論、今すぐ聞きに行くつもりはない。

 

 妹さんの件で取り乱しているリョウガに、今問いただすのは難しいだろう。

 

 後でゆっくり事情を聞くとしよう。

 

「……あー。イリーネ、それ結構ヤバい情報かもしれないわ」

「え、そうなんですの?」

「ええ。まだ確信は無いんだけど……」

 

 俺の話を聞いたマイカは、少し考え込む素振りを見せた。

 

 確かに生きている人間の墓があるなんて変な話だが、そんなに悩むことかな? 生前に墓を作っておいたとか、そんな話じゃないの?

 

「お願いイリーネ。その話、私に預からせてくれない?」

「……? 別に構いませんが」

「それと、その話は他言無用。私以外、誰にも話してないわよね?」

「はい、まだ誰にも」

「良かった。じゃあ、絶対に内緒よ」

 

 マイカはそう言うと、俺の手を握り締めた。

 

「イリーネが見た墓とやらに行ってくるわ。話の全容が分かれば、追って報告する」

「お願いしますわ」

 

 そう言うと、彼女は足早に墓地へ向かって歩いていった。

 

 うーん? 何でマイカはそんなに過剰反応しているんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────昼頃。

 

 この時刻になると、自警団メンバーも食事の為に食堂へ向かい出す筈。

 

 うむ、そろそろ動くか。

 

 

「おい、不審者。食事の時間だ、食堂の場所は分かるか?」

「勿論だウッキ。だがその前に、水で汗を流すウキ」

「そうか、お前は午前中訓練していたんだったな。よし、なら浴びてこい」

 

 そう、頭脳派な俺は気付いていた。この言い訳を使えば、俺は一人になって風呂を浴びられると。

 

 一人きりになれるという事は、イリーネに戻るチャンスだという事。

 

 よし、この機を逃すな。とっととイリーネに戻ってしまおう。

 

 

 

 

 

 

 俺の描くシナリオはこうだ。

 

 

 

 ────清楚で美しい貴族令嬢イリーネは、命辛々に悪党族から逃げ出した。

 

 そして何とかレッサルに戻ってきたは良いが、夜通し歩いたせいで全身が汚れてしまっていた。

 

 仕方なく先に水浴びをしようと風呂場を借りていたところ、猿姿の男が乱入してきたので魔法で吹っ飛ばした。

 

 哀れ猿仮面は町の外まで吹っ飛んでしまって、行方知れずになった────

 

 

 

 というプランだ。

 

 俺がイリーネに戻ると猿仮面が居なくなるからな。この案なら、猿が居なくなるという不自然も誤魔化せるというもんだ。

 

 

「さて、周囲に誰もいないかな」

 

 

 風呂場を外から見渡して、誰もいない事を確認。

 

 うん、これならば。

 

 

猿仮面(オレ)の代わりに吹っ飛ばすモノが要るな……、土人形でも作るか」

 

 

 ただ爆発させるだけでは、裏工作として物足りない。

 

 爆発と同時に人形でもぶっ飛ばして、多くの人間に猿仮面が街の外まで吹っ飛んだ事実を見せてやろう。

 

 

 さてさて、土魔法は(イリア)の十八番だが、俺にだって少しくらい……。

 

 

 

 

「……あわわ! 不審者と遭遇してしまいました!!」

「およ、イリュー?」

 

 

 

 

 土人形を作るため風呂場の周囲を見渡していたら、ボサボサ頭の修道女とバッタリ出くわした。

 

 出で立ちを見るに、髪を漉きに来たのかな?

 

 何とまぁタイミングが悪い。が……、逆に言えば裏工作をする前で助かったかも。

 

「えっと、その、不審者さん。私、今から水を浴びたいんですが」

「ふ、構わんぞ。俺に気にせず、好きに行水すると良い」

「え、いや。ソコに居られると覗かれてしまうんですが……。出て行ってくれません?」

 

 おや、イリューも気付いていたのか。この風呂場が、覗き放題だという事実に。

 

 ふーむ、これは困ったな。ここを追いだされてしまったら、イリーネと入れ替わるタイミングが無くなってしまう。

 

「……安心しろ、覗きなんて卑劣な真似はしない。俺がそんな人間に見えるか?」

「不審者が何を言ってるんですか」

 

 しかし、イリューの説得は無理そうだ。

 

 この修道女、俺を不審者と信じ込んでいる。

 

 

「────実は俺も、水を浴びたいと思っていたな。お前の次に風呂に入りたいんだが、覗かれるのが嫌なら先風呂を俺に譲らんか」

「えー……」

 

 仕方ない、強硬手段だ。イリューより先に風呂に入ってしまえ。

 

 そして俺が風呂場に入った瞬間に変装を解除し、中から精霊砲か何かで爆発だけさせよう。

 

 土人形を作る暇がないが、そこはもう諦める。マイカかマスターに『空飛ぶ猿仮面を見た』とでも口裏を合わせて貰えばいい。

 

 

「覗かれるのは嫌ですが、こんな不審者に一番風呂は譲りたくないです……。神よ、私はどうすれば」

「風呂を譲る事すらできないなんて、強欲な女だウキ。それでも聖職者か」

「失礼な! まだ何処の教会にも属してませんけど、一応聖職者のつもりですよ! そのうち内定貰います!!」

「……本当に自称聖職者だった」

 

 

 お前、何処の教会にも所属してなかったんかい。じゃあ修道服着ただけの一般人じゃねーか。

 

「はっ! 神からお告げがありました、そんな邪な猿なんぞぶっ殺してしまえと」

「随分好戦的な神様だなオイ。宗派どこだよ」

「私だけが信じる神様ですよ。私を信用しなくて構いません、私の信じる神様を信用してください」

「何てインチキ臭い宗教」

 

 シュッシュ、と俺に向かってシャドーボクシングを始める修道女(バカ)

 

 大丈夫かな、この人。うすうす気づいてたけど、イリューって割と頭おかしくない?

 

「オイオイ止めておきなお嬢ちゃん。この百戦錬磨の猿仮面に向かってそんな拳が通用するとでも?」

「ふ、命乞いですか。さてはこの私の凄まじい拳捌きにビビってますね?」

「オ、オイ危ないぞ、あんまりフラフラするな。嬢ちゃんの後ろには、薪割り用の斧が……」

 

 テンションが上がって来たのか、徐々に激しくシャドーボクシングを始めたイリュー。

 

 その体幹はフラフラで、拳に引っ張られて重心が不安定。見ていて転けないか、実にヒヤヒヤする。

 

 

「ビビったのであれば大人しく降参して、私に一番風呂を譲りなさい! 乙女の水浴び場から去るが良いです!! 猿だけに!!」

「……わ、分かった分かった。出ていくよ、もう」

 

 むう、作戦失敗か。

 

 イリューに譲る気配はない。別の機会を待って、イリーネに入れ替わろう。

 

 

「ふっふっふ! イリューちゃん大勝利……ってきゃあ!?」

「ってオイ!」

 

 

 あ、足を滑らしてコケた。だから言ったのに。

 

 この辺の地面は排水路も兼ねてるから、湿っている場所が多々あって危ないのだ────

 

 

 

 

 

 ────イリューが、もんどり打って風呂場にぶつかる。

 

 ────立てかけられていた斧が、勢いよく跳ねる。

 

 

 

「……あっ!?」

 

 俺が反応したときには、もう遅かった。

 

 イリューのバカは、勢いよく斧の取っ手を踏みつけて弾き飛ばしてしまったのだ。

 

 

「あうう~」

「イリュー、危なっ────」

 

 

 それは、何とも間の悪い偶然。

 

 昨晩で薪が切れていて、たまたま今朝に新しい薪が割られていた直後だった。

 

 薪割り当番が物臭で、午後からも作業をするから斧を出しっぱなしにしていた。

 

 その全ての悪い偶然が重なって。

 

 

「────」

 

 

 イリューの顔面が、振ってきた斧にカチ割られたのだった。

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 あまりの事態に、頭が凍り付く。

 

 先程までドヤ顔で拳を振るっていたイリューの顔面に、鉄の塊が無機質に突き刺さっている。

 

 ────即死。あんなの、助かる見込みは無い。

 

「え、あ、えっと。サクラ、を呼ばなきゃ────」

 

 非現実的すぎるその光景に、俺は一瞬フリーズしかけて。

 

 だがそれでも、まだイリューには助かる見込みがあるかもしれないと、俺は斧を引き抜いてサクラの下に運ぼうとして。

 

 

 

 

 

 ────めきょ。

 

 

 

 

 

 奇妙な音を、イリューの顔から聞いた。

 

「……?」

 

 めきょめきょ、ごきゅごきゅ。

 

 そんな、聞いたこともないおぞましい擬音が、腕に抱いたイリューから聞こえてくる。

 

 痛烈に嫌な予感を感じながらも、俺はその音のする方向へと振り向いた。

 

 

 

 

「ひっ!?」

 

 

 

 イリューの顔面が蠢いていた。

 

 肉が、骨が、眼球が、ウネウネと蠢きながら傷跡を塞いでいっていた。

 

 

「ひ、ひいぃ!?」

 

 

 斧に割られた顔面の骨は、アメーバの様にグネグネしながらくっ付いた。

 

 抉れた顔面の肉は、逆再生でも見るかのように修復されて皮膚が覆った。

 

 飛び散った血飛沫は、初めからそんなもの無かったかのように煙となって消え去った。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 そのあまりにおぞましく、理解不能な光景に絶句してイリューを取り落とす。

 

 なんだ、ソレは。今、俺は何を見たのだ。

 

 

「……あ、痛っ!?」

 

 

 地面に落ちたイリューは、そんな声を出して。

 

 ぶつけた後頭部を抑えながら、ゆっくりと起き上がった。

 

 

「……こけてしまいました……、うぅ。格好つけたのに恥ずかしいです」

「え、あ、イリュー。その、大丈夫、か?」

「ええ、軽く頭を打っただけですよ。貴方に心配される謂れなんてありません、不審者さん」

 

 

 その態度は、まさに先程までと何も変わらぬイリューのモノ。

 

 彼女はさっき起きた出来事に気付いていないかのように、そう言って俺をシッシと手で追い払った。

 

 



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58話「悪党族の『手土産』」

「……あらら、ほんとに有るじゃない」

 

 昇ったお日様に照らされて、墓石が怪しく輝く。

 

 イリーネから得た情報を確かめるべく、マイカは一人で共同墓地に来ていた。

 

「ごめんなさい。ちょっと罰当たりかもだけど……」

 

 確かにソコに、墓が有った。

 

 情報の通り『自警団長リョウガの墓』が、何も供えられぬままに墓地の一角を占領していた。

 

「確かめさせてもらうわよ」

 

 そう言うと誰もいない墓地で、彼女は小さなスコップを手に持った。

 

 

 

 

 

 

「……棺が納められている。本当に、リョウガの墓みたいね」

 

 無論、流石のマイカと言えど墓を暴いたりはしない。

 

 彼女はただ、墓石の前に小さな穴を掘って棺が埋まっているのを確認しただけだ。

 

 ……生前に何かの理由で墓を作っていただけなら、棺まで埋葬する必要はない。

 

 間違いなく『この墓場は本物』だ。少なくとも『誰か』の死体が埋葬されていた。

 

 マイカは、そう結論付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁお嬢。前もって自分に回復術をかけておいて、怪我した瞬間に全回復とかできる?」

「そんな便利な魔法が有ってたまりますか」

 

 イリューの良く分からない復活を見てから、俺は混乱の極致にあった。

 

 あまりに非現実的な光景だったので、自分の正気を疑ってしまったくらいだ。

 

 自分ではとても抱えきれなかったので、俺はすぐさま回復魔法に詳しいサクラに相談に行った。

 

「……そうねぇ。古代魔法にそのような効果の魔法具があった。そんな記述をヨウィンで読んだくらいねぇ」

「そ、そうなのか。その魔法具はどんなモンなんだ?」

「詳しい資料が無いから何とも。花飾りの形をしているらしいけど、現存してる実物がないから『空想上のアイテム』の可能性もあるわ」

 

 ……ふむ。要するに眉唾なアイテムで、実在するのであれば『王家クラス』でないと知らない超貴重品と言う事か。

 

 だが、イリューがそれを何処かで入手していて身に着けていた可能性はあるかも。だとすれば、あの光景は説明できる。

 

 イリューってもしかして、かなりのお偉いさん……? 

 

「何でそんな話を急に?」

「いや、まぁ」

 

 いきなり変な質問をぶつけたからか、サクラは俺を不審な目で見ている。

 

 さて、どう誤魔化したもんか。さっき俺が見た光景を話してしまえば、頭の病気を疑われるかもしれん。

 

 でも、実際に見てしまったし。

 

「致命傷を受けた瞬間に、全回復する人が居たみたいな噂を聞いてな?」

「……へぇ? 興味があるわね、その噂」

 

 ここは俺が見た訳じゃなく、そういう噂を聞いたというだけに留めておこう。

 

 これなら、俺の正気を疑われないはず。

 

「それが事実なら、本当にその魔法具を持っていたのか、はたまた全く新しい治癒魔法か」

「もし、それが実現できるなら相当強力な魔法使いだよな」

「そうね。本当に、その術者が回復術師なら最高峰の術師でしょう」

 

 即座に致命傷を回復できる技術、と聞いてサクラは興味を示した。

 

 彼女の専門分野だもんな、そりゃあ興味もあろう。

 

「まぁ大概の場合、そう言った噂のオチはしょうもないけどねぇ」

「……オチ?」

「そう。前に伝記で読んだことあるわ、『即座にあらゆる兵士を回復させる最強の治癒術師』の冒険譚」

 

 ふぅ、とサクラは遠い目をした。

 

 ふむ、俺はそんな奴の話を聞いたことが無いが。

 

「へぇ、そんな凄い奴が居たんだな。そんな奴が居るなら、是非とも仲間にしたいもんだ」

「やめておいた方が良いわよぉ? この伝記にはオチがあるの」

「……おいおい。じゃあ勿体ぶらずに教えてくれよ、そのオチってのは何だ?」

 

 俺が尋ねると、サクラは悪戯っぽく笑って答えてくれた。

 

 

 

「なんとその魔法使いは回復術師じゃなく、死霊術師でした。彼は部下の兵士を皆殺しにして、自分の従順な手駒にして冒険をしていたのです」

「……えっ」

「彼が使っていたのは回復魔法ではなく『死体の修復魔法』でしかなかったのです。それがバレた彼は、国に指名手配されて失踪、今もなお大陸のどこかで死体を弄んでいると聞きます。おしまい」

 

 

 ……。

 

「嫌な気分になるジョークはやめてくれよ、お嬢」

「ジョークじゃないわぁ。本当に伝記に書いてあった話よ? 創作や都市伝説の類かもしれないけどね」

「そうであってほしいもんだ」

 

 おいおい勘弁してくれ。もしそうなら『イリューはとっくに死んでいて誰かに操られている』事になるが。

 

 しかし、イリューと話しても『操られた人間』なんて印象は受けなかったぞ。彼女は間違いなく、一人の人間として生きている感じだった。

 

「ま、噂は噂でしかないわ。深く考えない事ねぇ」

「そう、だな」

 

 俺はサクラに諭されて、一度考えるのを止めた。

 

 ……リョウガの墓。蘇生したイリューに、死霊術師の噂。

 

 俺は今、何か重大な事を見落としている気がする。イリューの件も、後でマイカに相談した方がいいだろうか。

 

 聡明な彼女なら、きっと俺の中のモヤモヤしたモノに答えを出してくれる気がする。マイカはとても頼りになる女性だ。

 

「まぁ何だ、相談に乗ってくれてありがとサクラお嬢」

「ええ、また何時でも来なさい」

 

 よし、難しい事はマイカに任せよう。

 

 俺が今やるべきことは、イリーネに戻る算段を立て直すのみだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……猿か」

「おう、カール」

 

 イリーネに戻る作戦を練るために部屋に戻ったら、カールが暗い顔で真ん中に座っていた。

 

 うわ、怖っ。

 

「どうしたんだお前」

「何か、メシが喉を通らなくてな」

「おいおい、しっかり食えよ。悪党族の根城が分かった時に、すぐに戦えないと話にならねぇぞ」

 

 見れば、カールはかなりやつれていた。頬はこけ、目も落ち窪んでいる。

 

 大事な仲間を二人も攫われたのだ。仲間想いの彼からしたら、今は凄く辛い状況なのだろう。

 

「それは分かってるんだがな。今、レヴやイリーネがどんな目に遭ってるかと思うと、気が気でなくて」

「心配なのは分かるよ、俺だって(レヴちゃんは)気がかりだ。だが、それでいざという時に戦えなきゃ本末転倒だぜ」

 

 彼がこうなっている原因の半分は、変装している俺である。

 

 ぐぬぬ、責任感じるなぁ。もう、ここでカールにだけ正体明かそうかな。

 

「レヴやイリーネは、とても魅力的な娘だ。悪党族の兄がついているレヴはともかく、貴族であるイリーネが何もされていないとは考えにくい」

「もしかしたら、少女レヴが静剣レイを通じて上手く庇ってるかもしれんぞ」

「そうだったらどれほど良いだろうな。でも、もし彼女が汚されていたらと思うと……」

 

 カールはそう言うと、メソメソ泣き始めた。

 

 う、うわぁ。これは良くない。

 

「……俺が不甲斐ないばっかりに」

「お前の責任じゃねぇだろ、カール」

「俺がもっと早く現場に駆けつけていれば。俺があの時、賊に追いつけていれば────」

 

 ……カールは落ち込むと、自分をけなす癖があるらしい。

 

 うん。前からそんな気がしていたけど、カールって結構内向的な性格だな。

 

「……うん、よし」

「何が、よしだよ猿」

「立てカール、ちょっと面貸せ」

 

 彼がこうなった原因は、俺にある。

 

 ここは俺が一肌脱いで、元気づけてやろう。

 

「……何をするんだ?」

「決まってるだろ」

 

 カールの肩を抱いて無理やり立たせ、俺はその手を引っ張る。

 

 彼は怪訝な顔をしているが、抵抗せずついて来てくれた。

 

 

「カール。今から夕日を背景に、殴り合おうぜ!!」

「……は?」

 

 

 よっしゃ!! じゃあちょっと、青春するとしますか!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猿跳蹴(サッチッチー)!」

「ぐ。ふざけた名前なのに蹴りは鋭い!」

 

 そして俺は、カールを訓練所に連行して組み手を始めた。

 

 

 

『くよくよしている暇が有れば、己を高めて決戦に備えるべきではないのか軟弱者!!』

『────っ!! い、一理あるな猿仮面!!』

『身体を動かせば、クヨクヨした感情なぞ吹っ飛ぶ。そして腹も減る、飯も食える!! まさに良い事づくめだ!!』

 

 

 

 と、そんな感じに俺は、カールに筋肉式説得術を行った。

 

 悩んでいる時は体を動かした方がいい。気分が間違いなく前向きになれる。

 

猿連打(ラッシュ)!」

「うおおおお!! こんな怪しい奴に負けて堪るか!!」

 

 

 無論カールには、剣を置いて素手で戦って貰っている。

 

 彼には『絶対切断』の異能が有るので、剣ありで戦ったら俺が細切れにされてしまうのだ。

 

「もうちょっと普通の格好しろやぁ!! 毎回庇うの大変なんだぞお前ぇ!!」

「痛ったぁ!! よくもやったなこんちくしょう!!」

 

 しかし、素手でもカールはかなり強かった。

 

 どうやら勇者は、女神様の加護でえげつない倍率の身体強化が施されているらしい。

 

 俺が使用している身体強化魔法の倍率は1.2~1.3倍。これは、実家でバーベル(妹産)上げしながら検証したから、割と正確な数字だろう。

 

 だが恐らく、カールに施された身体強化の倍率は俺なんかの比ではない。

 

 以前聞いた話だが、カールは女神様に選ばれる前は重くて持てなかった大剣を、片手で軽々持ち上げられるようになったそうだ。

 

 この情報だけで少なくとも、2倍以上のバフはかかっていそうである。

 

「全力全開、猿パンチ!!」

「甘いぞぉぉぉぉ!!」

 

 つまり、カールは力勝負では負ける相手。

 

 現に俺は今、身体強化状態の全力パンチが受け止められ、そのまま力押しされている。

 

 

 勝てないのは、分かってはいたけど。

 

 それでもマッスルで負けるのだけは、無茶苦茶悔しいな。

 

「うおおおお、身体持ってくれよ!! 身体強化(けぇおうけん)、3倍だぁぁぁぁ!!」 

「む、重ね掛けか」

 

 常道であれば、力で勝てない相手には技で勝つべきだろう。

 

 だが、俺はいかなる相手であっても力で勝つことを諦めたくない。その敵がたとえ、女神に選ばれた勇者であっても!!

 

「これが、俺の全力だぁ!!」

「ぐ、流石に馬鹿力……」

 

 よし、なんとか押し留めたぞ。

 

 カールとは基礎筋肉量が違うのだ。強化魔法を重ね掛けをすれば、俺は勇者の身体能力に引けを取らない!

 

 

「食らえや、このモテモテ野郎ぉ!!」

「負けて堪るか、不審者野郎ぉ!!」

 

 

 ここから先は、意地のぶつかり合いだ。敵は選ばれた勇者と言えど、筋肉は譲れない。

 

 俺は筋肉だけは、どんな奴にも負けたくないのだ────

 

 

 

 

 

 

 

「……あら。アイツら、何やってるのかしら」

 

 やがて日暮れ前、マイカが自警団アジトに戻ってきて。

 

「マイカさん、お帰りなせぇ」

「あの二人、喧嘩でもしてるの?」

「いいや? アレが青春だって、馬鹿みたぁい」

 

 そんな男臭い3文ドラマのような殴り合いは、俺の『夕暮れを背景に殴り合いたい』と言う願望により陽が沈むまで行われたのだった。

 

 更に念のため、俺やカールが怪我をした時の為にサクラ主従に待機して貰った。

 

 長い時間付き合わせて申し訳ない。

 

「……まぁ、でもちょっとマシな顔色になってるわねカール」

「そうねぇ」

 

 日暮れを合図に、その日のカールとの訓練は終了した。

 

 心なしか、汗だくのカールの目に力が戻っている気もする。良きかな、良きかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようし集まったな、お前ら。今からレヴたんイリーネたん奪還会議を行う」

「よっしゃあ!」

 

 夕食の後。俺達カールパーティーは再びリョウガの部屋に召集された。

 

「朝は取り乱してすまなかったな。まぁ安心しろ、俺達にはレヴたんを害するつもりはない」

「………ああ、信じるさ」

 

 リョウガにとって『肉親の仇』の身内であるレヴ。

 

 そんなレヴが、向こうに拐われた。もしかしたら兄の説得に応じて、悪党族に下ってしまったかもしれない。

 

 だと言うのに、リョウガはレヴを害さないと宣言した。これは彼なりの漢気なのだろう。

 

「……まず俺達は、敵のアジトを特定しないとならん。今日も探索を進めていたが、やはり成果は芳しくない」

「まぁすぐ分かるような場所に、アジトを作らないわよねぇ。奴等、指名手配されてる訳だし」

「その通り。なので明日から、捜索につぎ込む兵力を増やすつもりだ。無論、お前らにも協力してもらいたい」

 

 ふむふむ、明日から俺達もアジト探索に参加するのか。

 

 レヴちゃんを助け出す為に自警団は動いてくれているんだ、協力しない理由は無いな。

 

「俺達の仲間の話なんだ、無論協力するさ」

「おう、頼んだぜ。自警団としても、出来ればお前達が居る間に悪党族と決着を付けたいんだ」

 

 カールは乗り気だった。明日と言わず今からでも、カールはすっ飛んでいきそうだ。

 

 俺との殴り愛(せいしゅん)で、いくらか前向きになってくれたらしい。

 

「で、だ。意気揚々としてるとこ悪いが、敢えて嫌な話をさせてもらう」

「……何だ?」

「怒るなよ? 敵は悪党族だ、今イリーネたんやレヴたんがどうなっているかは分からん。はっきり言うと、酷い目に遭わされた挙げ句もう殺されてる可能性もある」

「……」

「そうなった場合を想定して、冷静に対処できるようシミュレーションしておけ。それはあり得る未来だ、間違っても感情に飲まれて暴走するな」

 

 ……リョウガは、随分と厳しいことを言った。

 

 レヴちゃんが酷い目に遭わされて、殺されている可能性もある。確かに、それは事実だろう。

 

 もしそうなっていた時、果たして俺は冷静で要られるだろうか?

 

「……そんな事、考えたくもねぇ」

「考えておけ。イメージしておけ、想定しておけ。お前がこのパーティーの頭張ってると言うなら、それはお前の仕事だ」

 

 思わずカールは顔をしかめたが、リョウガは止まらない。

 

 ビシ、と自警団の主はきつい目付きでカールを指差して話を続けた。

 

「甘えるな。リーダーを名乗る人間が、自分の感情を御せずしてどうする」

「だ、だが……っ!」

「……それがどんだけ辛いかは、知ってるけどよ。今お前の隣に居る仲間が大切なら、ちゃんとしろ」

 

 

 

 ────その言葉には説得力が有った。

 

 何せ俺達は、ちゃんと見たのだ。リョウガがどんなに苦しい思いをしても、それを堪えてリーダーとして振る舞い続けてきた姿を。

 

 悪意や嫌がらせをもって、彼はそんな事を言い出したのではない。組織のリーダーを買って出た先達として、リョウガはカールに助言しているのだ。

 

「……お前には敵わねぇな、分かった。やっておく」

「頼んだぜ」

 

 それはきっと、カールにとってこの上なく辛い事だ。

 

 だがカールは逃げ出さず、その可能性に向き合うことを決めた。

 

「いつまでも、そんな汚れ仕事をマイカに任せる訳にはいかねぇからな」

「ん、まぁね。そう言う所は私が引き受けてたけど、そろそろカールは自立して良いかもね」

 

 もし何の対策も立てぬままその最悪の想定が的中していたとしたら、指揮官はマイカになっていただろう。

 

 このパーティーにおいてそんな一番冷徹で苦しいその仕事を、マイカは一人で背負い続けてきた。

 

「本来は、リーダーのカールの仕事だもんね」

 

 ……知らず、俺もマイカに助けられていたんだろうな。

 

 

 

「ひえー、遅刻ですー。ご飯食べてましたぁー」

「これで今日の議題は終わり。明日の朝にもう一度来てくれ、探索する場所の指示を出す」

「ありがとうリョウガ。じゃあ、今日はこれで解散だな」

「ひえー。来た瞬間に会議が終わりました、くすん」

 

 こうして、カールはリーダーとしての覚悟を固めた。

 

 リョウガは、組織の長としてはかなり理想に近い能力を持っている。彼から色々と刺激を受けて、カールも一回りでかい人間になって貰いたいもんだ。

 

「それとカールに猿、お前らかなり汗臭いぞ。ちゃんと風呂に入っとけよ」

「ああ、今から入るつもりだ。猿仮面、一緒にどうだ?」

「実は俺、お湯を浴びると体が女に変化する体質なんだ。だから一人で風呂に入らせてくれ」

「……あくまで仮面を取るつもりはねぇのな、お前。分かったよもう」

「あ、1番風呂は私が貰いますね。最初に風呂に入るのは、常にこのイリューです!」

 

 ふぅ、危ない危ない。

 

 風呂に入る時に今度こそイリーネと入れ替わるつもりなのだ、カールと一緒に風呂に入る訳にはいかない。イリューは先に入るみたいだし、一番最後に入ろうかな。

 

「にしても、レヴやイリーネが殺されていた場合を想定しておく、か。……もし静剣レイが二人を殺していた時、俺はどう行動すべきかかね? 即座に斬りかかってしまう気がする」

「敵が許せねぇことをした時こそ、冷静に場を見据えるんだ。より確実に『敵を潰す』為にな」

「おっふろー、おっふろー……、あ痛。ごめんなさい、ぶつかってしまいました」

「……痛い」

 

 カールは汗臭いまま、リョウガと話を続けている。まだ話は長くかかりそうだ。

 

 一方で強欲修道女イリューは、風呂と聞いて我先にと走りだした。そしてその勢いのまま、廊下で人にぶつかっている。

 

 ……ちょっと、落ち着きが無さすぎる。言動もかなり幼いよなぁ、イリュー。

 

「後が閊えてるしね、私達もイリューと一緒にお風呂戴いちゃいますか」

「そうねぇ。じゃあ、女性陣で先にお風呂貰うわぁ。覗かないでよ?」

「おう、行ってこい」

「……たんこぶ出来た」

「はわわ! ごめんなさいレヴさん、大丈夫ですか!」

 

 イリューはあの性格で冒険者やってて苦労しなかったのだろうか。俺はそんなに気にしないが、結構腹を立てる人も多い気がするぞ。

 

 そういや、彼女の前のパーティは仲違いで解散したって言ってたっけ。

 

 彼女自身も、パーティ解散の原因の一人なのかもしれない。

 

「あ、カール。ただいま……」

「おーい、サクラさん! 風呂に入る前に、レヴちゃんのたんこぶ見て貰えませんか?」

「あ、分かったわぁ。……その、えっと」

「別に、かすり傷だから大丈夫……」

 

 女性陣が先に風呂に入ってくれるなら都合良い。カールとリョウガ辺りも、議論したまま一緒に風呂浴びてもらえないかな。

 

 そしたら、俺は一人で悠々と湯船に────

 

「……あれ、みんな何で固まってるの?」

「…………」

 

 …………。

 

 

 おかしいな。レヴちゃんが、普通にリョウガの部屋に入ってきたぞ?

 

「えっ。あ、レヴちゃん、無事だったのか」

「……うん。無事に帰ってきたよ」

「あらあら。……本人、みたいねぇ」

 

 サクラは困惑しながらも、レヴちゃんを撫でて本人か確かめていた。

 

 よ、良かったけども。何で戻ってこれてるの?

 

「兄ぃに帰りたいって言ったら帰してくれた」

「えぇ……」

 

 ……それで良いのか静剣レイ。

 

「後これ、お土産。悪党族饅頭……」

「悪党族饅頭」

 

 微妙な空気の中、レヴは袋から『悪こそ華』と銘された謎の包みを取り出した。

 

 ……悪党族の静剣レイ、礼儀作法もしっかりしてるとは侮れない。

 

 



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59話「レッサル決戦 序章」

 レヴちゃんが帰還して、本人確認が行われている頃。

 

「おお、甘いです。意外と美味しいです」

「躊躇なく口にしたぞ、この女」

 

 イリューは悪党族饅頭の包みを広げ、中に入った饅頭を貪っていた。

 

 迷いが無さすぎる。この不用心さが、悪党族に捕らわれる原因となったに違いない。

 

「……私は外傷専門だからね。毒の対処とか知らないわよぉ?」

「だよな、普通に考えて毒入りだよなそれ」

「兄ぃがそんな事するかな……? でも、確かにその可能性も……」

 

 周囲の心配をものともせず、イリューは饅頭を美味しそうに食べている。少なくとも速効性の毒は入っていないらしい。

 

 だが、ゆっくり効くタイプの毒を饅頭に混ぜてある可能性は十分に有るだろう。

 

 なのでイリュー以外は、悪党族饅頭に手をつける素振りを見せなかった。

 

「あれ、皆さん要らないんですか? 私が全部食べちゃいますよ」

「持って帰った私が言うのもアレだけど……。イリュー、大丈夫? 体に違和感とかない?」

「きゃああ! レヴさんが私を心配してくれてます! 可愛い!!」

「……うわ、ウザ」

 

 饅頭のカスで口を汚し、フヒフヒ鼻を膨らませてレヴに抱きつくイリュー。

 

 やりたい放題かこの女。

 

「心配しなくてもホラ、普通のお饅頭ですよー」

「……じゃあ、全部食べれば?」

「はいな、言われずとも! もぐもぐ……。うっ!?」

 

 やがて、イリューが饅頭の1つを口にした瞬間。

 

 突然に彼女は口を押さえて、苦しみ始めた。

 

「……どした、イリュー。大丈夫か?」

「唐辛子……。唐辛子が、饅頭の中にギッシリ……はひぃぃいい!?」

「おお、流石は悪党族」

 

 案の定。饅頭には毒?が仕掛けられていたみたいだ。

 

 イリューが吐き出した饅頭からは、真っ赤な唐辛子が山盛り顔を覗かせていた。

 

「あー。そう言う悪戯は、兄ぃ結構好き……」

「唐辛子入りの饅頭か。何て悪い連中だ」

「はひー!! はひぃぃぃ!!」

 

 悪党族からの土産を、迂闊に食べないで良かった。

 

 やはり慎重に行動する事が大切な様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……アホは置いておいて。皆に、報告がある……」

「報告?」

「明日、悪党族から再度襲撃があるらしい」

「むっ」

 

 イリューが口を腫らしてのたうち回っている間に、レヴちゃんから大事な話が出た。

 

「襲撃だと!?」

「うん。と言っても見せ掛けだけの襲撃らしいけど」

「……見せ掛けだけ?」

 

 曰く、明日になると悪党族が攻撃してくるそうだ。

 

 見せ掛けだけ、とはどういう事なのか。

 

「……兄ぃは、そこでカールを投降させろって言った」

「は? 何で俺が悪党族に下らなきゃならん」

「……よく分かんない。レッサルは死人だらけとか、とても危ない街だとか? 色々言ってた……」

 

 ……カールが悪党族に下る、なぁ。

 

 こいつの性格的に、絶対にあり得んと思うが。

 

「……兄ぃは、カールと敵対するつもりは無いんだって」

「で? ……殺されたくなければ俺に、悪党族の配下になれってか?」

「多分。……ただ、兄ぃはその、騙されてる気がする」

「騙されてる?」

 

 少し申し訳無さそうに、レヴちゃんは話を続けた。

 

「……兄ぃの言ってる事、とても事実とは思えなかった。レッサルはもう滅んでいて、レッサルに今住んでいる人は皆死人だとか」

「……何だ、そりゃ。滅茶苦茶じゃねぇか」

「でも、兄ぃは本気だった。本気でそう思い込んでいそうだった……」

 

 ……レッサルに住んでいる人は、皆が死人?

 

 そんなバカな話が、あるか?

 

「危ない薬でもやってんじゃねぇか、静剣は」

「で? それを俺達に伝えてどうしたいんだ?」

「兄ぃは、西門前に迎えに来ると言ってた。ソコで、兄ぃを捕らえたい」

 

 レヴちゃんは、真っ直ぐリョウガを見つめて頭を下げた。

 

「レヴちゃん、良いのか?」

「……うん。どんな事情があるにしろ、兄ぃを悪党族に置いたままに出来ない。だから私は、兄ぃを捕らえて助けたい」

 

 レヴちゃんは、兄の話を全く信じていない様子だ。

 

 カールを連れ出しに来た兄を、逆に捕らえるつもりらしい。

 

「よくぞ知らせてくれた。……ふむ、じゃあそこでレイを生け捕りにしよう」

「……その後は、私から説得する」

「頼んだぜ、レヴちゃん」

 

 こうして、レヴは再び俺達の下に帰ってきた。

 

 勝負の日は明日。そこで俺達は静剣レイを捕らえ、悪党族を一網打尽にする。

 

 レイが、説得に応じてくれると良いが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで結局、敵のアジト捜索計画はお流れになった。

 

 予想外の状況だが、レヴちゃんも帰ってきて実に良い流れだ。後は明日、レイを何とかして捕らえれば万事解決と言えるだろう。

 

 だが、ここに大きな落とし穴が潜んでいた。

 

「イリーネ……? 居なかったよ、こっちには」

「えっ」

「……捕まってない、はず。捕まってたら、絶対に兄ぃの部隊と合流する筈だもん」

 

 俺が悪党族に捕らわれていないことを、レヴちゃんに暴露されたからだ。

 

 やばいですわ。

 

「じゃあ、イリーネは何処に行ったと言うんだ?」

「悪党族じゃなく、案外レッサル内のチンピラに監禁されてるかも知れん。街を探してみるか」

「そうねぇ」

「そうかもねぇ」

「お前らなんかやる気無いな」

 

 このままだと、無駄にイリーネを探す労力を使わせることになる。

 

 その挙げ句、猿仮面の正体が俺だとバレたら大顰蹙だろう。

 

 

「……あの、マイカさん、その」

「はいはい。協力したげるから」

 

 

 流石に俺の手に余る状況になったので、マイカの力を借りて解決することにした。

 

 彼女に任せておけば、きっと上手いことやってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日の朝一番、猿仮面は不思議な躍りをしながらリョウガの部屋にやってきた。

 

「おうおう、俺は誰にも縛られない猿だ! だから俺は、1人で悪党族のアジトを捜索するんだぜ!」

「……お、おお。好きにしろ」

 

 なんと猿仮面は、たった一人で悪党族のアジトを探すというのだ。

 

 イリーネ捜索とレイ捕縛の準備をしていたリョウガは微妙な顔をしたが、まぁ猿のする事だしと気にしなかった。

 

「今日の猿仮面、何か雰囲気違ったな」

「昨日より怪しく無いよな……。あんなに怪しく無いなんて、あの猿仮面は怪しくないか?」

「何だ、結局怪しいんじゃねぇか。ならいつも通りじゃね?」

 

 と、猿仮面は普段より怪しくなかった事を不審がられたが、そのせいで怪しまれて事なきを得た。

 

「何か女拾ったぞ! ホラ」

「あ、イリーネ!?」

 

 そして速やかに、猿仮面は目を回し気絶している貴族令嬢(イリーネ)を回収した。

 

 彼女はどうやら、山の中で眠っていたらしい。

 

「イリーネたん! 無事だったのか!」

「ふふ、俺にかかればこんなものよ。では俺は引き続き、悪党族のアジトの探索を行うぜ! じゃあな!」

「……お、おお。頑張ってくれ」

 

 そう言うと猿仮面は、再び街の外に去っていった。

 

 そんな猿の後を追うものは居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりですわ」

「久しぶり、じゃない。イリーネ、今まで何処に行ってたんだ」

「それが……」

 

 3日ぶりに姿を見せた俺は、集まった皆の前で事情を話した。

 

 何故、俺が今まで失踪していたのか。それは、

 

「実は私、レヴさんが連れ去られるのを見て、悪党族を追いかけていたのです」

「何と」

 

 実は俺は捕まったのではなく、自主的に悪党族を追っていたのだ!

 

「ですが……森の中で敵を見失い、道に迷ってしまい。今まで森の中で遭難しておりました」

「おお、そうだったのか」

「土地勘の無いところで、一人になるのは良くないぞ。気を付けろ、イリーネたん」

「面目次第もありませんわ」

 

 と、まぁこんな感じに。

 

 俺はマイカの用意した完璧な言い訳で、無事イリーネへと戻ることが出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……2度とあの仮面を被るのは御免よ。これっきりにしてよね、イリーネ」

「恩に着ますわ」

 

 ネタバラしすると、先程まで猿仮面を被っていたのはマイカだ。

 

 俺が拐われていない説明も、居なくなっていた理由も納得のいくもの。流石はマイカ、完璧なプランだ。

 

「じゃあ、今から私はレイをケチョンケチョンにする罠を仕掛けてくるわ」

「……程々になさってくださいね」

 

 マイカは今から、悪党族対策の罠を仕掛けにいくらしい。

 

 ……忙しそうだが、1つ耳に入れておかねばならぬ事がある。

 

「あの。マイカさん、もう一つ内密な話があるのですが」

「……何? まだあるの?」

「イリューさんの件ですわ」

 

 そう、俺が見たイリューの冒涜的な治癒だ。

 

 あれは一体、何だったのか。サクラにそれとなく聞いてみたが、そんな回復魔術はかなり希少だと言う話だったが。

 

「……イリューが死にかけて、勝手に治癒した?」

「えぇ。私も目を疑ったのですが」

「む……」

 

 俺の話を聞いて、マイカは再び考え込んだ。

 

「周囲に人影はなかったのね?」

「ええ。私とイリューさんだけでしたわ、それはしっかり確認しました」

「……何か、見落としてる気がするわね」

 

 マイカは深く考え込むと、耳をピクピク動かす癖があるらしい。

 

 彼女は暫く無言で、思案を続けていた。

 

「その、前に相談したリョウガさんのお墓の件もありますし」

「ああ、リョウガの墓ね。……アレについては、もうちょい時間を頂戴」

「分かりました。しかし死人が復活する、と言うのはあり得るのでしょうか」

「そうね。私は魔法に詳しくないし、回復魔法の専門家に聞かなきゃ分からないけど」

 

 マイカは俺の疑問に、きっぱりとこう答えた。

 

「どんな勇者伝説を読んでも、死人が生き返ったなんて話は見なかったわね。そんな逸話を書いてるの、宗教書くらいじゃない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、作戦をおさらいするぞ」

 

 レヴちゃんが教えてくれた襲撃時刻の直前。

 

 俺達は最後のブリーフィングを行っていた。

 

「まずカール達は、悪党族に投降する振りをする。悪党族に向かってカールを先頭に、ゆっくり歩いていく」

「敵意が無いことを示すために、剣は抜かないでおくんだったな」

「そして、出来るだけ近付いた後……レイを拳で昏倒させる」

 

 そう言ってリョウガは、カールに縄を渡した。

 

「それは、勝手に絡み付く魔法が掛けられた縄だ。不意をついてレイを昏倒させた後、これで身動きを封じろ」

「……分かった」

「その直後、周囲に隠れていた俺達が一斉に悪党族を捕縛する。上手く奇襲出来れば、一網打尽に出来るだろう」

 

 俺達の作戦はシンプルな奇襲だった。

 

 それは下手に大掛かりな事をせず、周囲に自警団を伏せておいて賊を包囲するというもの。

 

「この作戦の肝は、カールがレイを昏倒させられるかにかかってる」

「……ああ」

「一応、イリーネたんも自分に身体強化(バフ)をかけておいてくれ。カールが失敗(トチ)った時は、フォロー頼んだ」

「分かりましたわ」

 

 リョウガは敢えて、かなり単純な作戦を提案した。

 

 それはあまり大掛かりな事をしてしまうと、小回りが効きにくくなるかららしい。

 

「敵も、盲目的にカール達を信用しないと思う。おそらく半信半疑で、投降に応じてくるだろう」

「だろうな」

「その際に、想定外の事がありそうなら作戦を変える。全員、俺の指揮に従ってくれ」

 

 つまりこれは、リョウガの判断能力と指揮能力を信頼しての策だ。

 

 敵が何をしようとして来ても、即座に対応できる体制で静剣レイを迎え撃つ。

 

 その為に、策をとことんシンプルな形にした。

 

「この作戦に嵌ってくれれば楽なんだがな」

「そうなる見込みも、結構高いと思ってるぜ?」

 

 リョウガは、案外楽観的に事を考えているようだ。

 

 悪党族は基本的に馬鹿の集まりだから、作戦勝ちしやすいのだとか。

 

「もうそろそろ、約束の時間だな」

「……うん」

 

 レヴちゃんの話を信じるのであれば、まもなく悪党族が姿を見せる頃。

 

 後は俺達が、上手くレイを騙しきるのみ。

 

「……おかしら! 見えましたぜ、悪党族が!」

「おうし、全員配置に着け! 陽動部隊、迎撃に当たる振りをしろ! 奴らに罠を悟られるな!」

「承知です!」

 

 ちょうど、見張りからの報告が来た。

 

 俺達の出番の様だ。

 

「レヴ、行くぞ」

「うん、カール」

 

 ここでレイを捕らえて全てを終わらる。

 

 このレッサルの街に、平和を取り戻す。

 

「レッサル自警団、出撃! ここで全てを終わらせるぞ!」

「「おう!」」

 

 

 ……だが、何なのだろう。何か、違和感がある。

 

 大切な事を見落としている様な、感覚。

 

 凄く不吉な事が起こりそうな、この嫌な予感は一体────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄ぃ!! ……約束通り、カールを説得して連れてきたよ!」

「……おお、レヴ。上手くやったのか」

 

 街の外に出ると、見覚えのある顔が俺達を出迎えた。

 

 それは数日前に俺の首を跳ね飛ばした男、『静剣レイ』率いる盗賊部隊だ。

 

「正直、説得が上手くいくとは思わなかった。……よくやったな、レヴ」

「……だって、レッサルは危ないんでしょ?」

「ああ、その町は本当に危険だ。その町に住み続ければ、いつか取り込まれ死者と区別できなくなる」

 

 俺達の姿を見て、レイは頬を綻ばせた。

 

 そして両手を上げながら投降する俺達を意外そうに眺めていた。

 

「……お前がカールか。あの時は、悪かったな」

「いや。お前にも、事情があったのだろう」

 

 カールとレイは遠くから言葉を交わし合い、会釈を交わす。

 

 ……まだ、俺達が不意打ちを企てていることには気づいていなさそうだ。

 

「よく理解して、下ってくれた。歓迎するぜ」

「悪党に歓迎されたくはねぇんだが」

「まぁそう言うな」

 

 少しづつ、歩いて行く。

 

 敵意を見せず、表情を隠し、平静を装いながら。

 

「レヴちゃんの頼みじゃ無ければ、お前らに投降なんてするモノか」

「……おお。妹を大事にしてくれているらしいな、ありがたい」

「当り前だ。レヴちゃんは、大事な俺の仲間だ」

 

 カールとレイの対話は続く。

 

 その背後から俺やマイカ、サクラにイリューが後に続いている。

 

「安心しろよ。悪党に堕ちた俺と違って、お前らはお日様の下を歩ける人間だ」

「……」

「一生悪党族に入れなんて言うつもりはない。この地を抜けたなら、何処なりへと好きに行くといいさ」

 

 レイとの距離は、後20歩ほど。ハッキリと、お互いの顔が目視できる距離。

 

 カールが全力で踏み込めば、一瞬で詰められる距離。だが、確実にレイを昏倒させるのであればもう少し接近する必要がある。

 

「おっと、ストップ。悪いが、念のためその辺で武器を捨ててはくれないか。カール、お前の強さはよく把握している」

「何だ、案外信用されねぇのな」

「何事も安全第一、俺達からしてもお前の剣は怖いのさ。納得してくれ」

 

 そう促され、俺達は武器を置くことにした。

 

 元々、カールは素手でレイを昏倒させる予定だ。武器を置く事自体は、何ら問題がない。

 

「捨てたぞ」

「後ろの奴らも、一応捨ててくれ。特に魔法使いはな」

「この杖、とても高いのですけれど。丁重に扱ってくださるんですわよね?」

「ああ、丁寧に運ばせるさ」

 

 カールの奇襲の邪魔をするわけにはいかない。それに俺は、杖なしでも十分な威力の魔法を使える。

 

 なのでカールに倣って、俺も杖を捨てようとして────

 

 

 

 

「……あ、イリーネちょい待って」

「マイカさん?」

 

 むんずと、マイカにその手を掴まれた。

 

「カールもストップ、ちょいと待って。時間を頂戴、1分……いや30秒でいいから」

「ど、どうしたマイカ?」

「ごめん、すぐ結論を出すから」

 

 何やら彼女は、俺に杖を捨てるなと言いたいらしい。

 

 この土壇場で、一体どうしたというんだろう。

 

「おい、カール。何をやっている?」

「すまない、レイ。俺の仲間の一人が、急にゴネだしてな」

「おいおい、パーティ内の意見の統一くらいやっておいてくれ」

 

 マイカの目が、どこか遠くを見つめている。

 

 それはレイでもカールでもない、彼女は何か、ずっと遠くを見つめていた。

 

「と、なると。……だから、で……」

「……おい、早くしろ。おまえら、おとなしく投降するのかしないのか」

「む……うん、そっか。よし、決めたわ」

 

 やがて、ポンとマイカは手を打った。何やら、彼女の中で結論が出たらしい。

 

「カール、こっちに戻ってきなさい。アンタはイリーネを護衛して」

「おい、マイカ?」

「イリーネは今すぐ、あの……何とかいう、魔法無効空間を作って。ここらをスポッと覆えるくらいのサイズ」

筋肉天国(マッスルミュージカル)の事ですか?」

「そう、それ。早く、今すぐに!!」

「え、あ、はい!!」

 

 何だかよく分からないけど、俺は筋肉祭りを執り行わねばならないらしい。

 

 まぁ、俺はあの魔法大好きなんで構わないけども。身体強化が解けてしまうのが痛いが。

 

 

喝采せよ(プラウディツ)喝采せよ(プラウディツ)────」

「お、おい! そこの魔法使い、一体どういうつもりだ……! すぐに、その詠唱をやめろ!」

「これは、別に敵対的な呪文じゃないわよ? ただ、魔法を使えなくするだけの呪文」

「そんな訳の分からん呪文が有るか! 攻撃魔法だろう、それ以上続けるなら全員で攻撃するぞ!」

 

 まぁそうなるよな、目の前で魔法使いが良く分からん呪文を詠唱し始めたら敵対行為にしか見えないよな!

 

 マイカの剣幕に押されて詠唱始めちゃったけど、これって本当に大丈夫なのか?

 

「マイカ、お前何を考えている!?」

「カールは黙って私に従いなさい。多分、もうすぐ静剣が突っ込んでくるわよ」

「そりゃあそうだろうなぁ! 何でいきなり喧嘩売ってんだよ、説明しろよ!」

 

 カールは喚きながらも、きちんと俺の前に立って護衛についてくれた。

 

 理由も聞かされずに従うとは、マイカとカールの力関係は歴然らしい。

 

「……攻撃を開始する。全員矢を放て、あの女を止めろ」

「おうさ! あの女をぶっ殺して犯してやるぜ!」

「上物揃いで、ムラムラしてたんだ! やったぜ!」

 

 レイの号令と共に、無数の矢が飛んでくる。このままでは、俺は矢で針鼠にされるだろう。

 

 カールはすぐに剣を拾い、俺に降り注ぐ矢を捌き始めた。

 

土の壁(アースリグ)

「ナイスよ、サクラ!」

 

 まもなく、サクラの援護で俺の目の前に土の壁が形成される。

 

 これで、矢に対する盾が出来た。

 

「……そりゃどうも。で、マイカ、これはどういう了見かしらぁ?」

「まぁ、見てればすぐわかるわ」

さあ(ソゥ)ここに血湧き肉踊る(ザグレーテスト)武人の宴(パーリィ)その開催の宣言を(イズオープンドナウ)

 

 

 そう言うとマイカは、目の前を真っすぐ指さして。

 

 

 

「────罠を張ってたのは、お互い様みたい」

 

 その言葉と同時に、マイカはレヴの頬を張り飛ばした。

 

 

 

「……は?」

「囲まれてるわ。この周囲一帯に、凄まじい数の悪党族が潜んでいる。もうちょっと進んでたら、一網打尽にされてたわね」

 

 間髪入れず、マイカはレヴちゃんの腹に蹴りを入れた。レヴは不意打ちを食らって、思わず倒れ込んでしまう。

 

 ────唖然。そのマイカの行動に、誰も反応が出来ない。

 

「大人しくしてもらうわよ」

「マイ、カ────」

 

 レヴが、腹を押さえ苦しんでいる今が好機。

 

 カールが貰った捕縛縄を使い、マイカはレヴを拘束しようとして、

 

 

 

「……私を舐めすぎ」

 

 

 

 ()()()()()をしていたレヴに、逆に放り投げられた。

 

 

「……っ痛ぁい!! くっ、カール、フォローを! イリーネを守って!」

「守るって、はぁ!? イリーネを誰から────」

「まだ分かんないの!? その子が……」

 

 レヴの実力を、マイカは把握していなかった。

 

 レヴとマイカは付き合いこそ長いモノの、一緒に実戦を行った経験が無いのだ。

 

 『戦闘』に関しては素人のマイカは、レヴの戦闘能力を過小評価しすぎていた。

 

「カール、ごめん」

「がっ!?」

 

 それは、最小限の動きで無駄なく振るわれた手刀。それは、鮮やかにカールの後頭部に吸い込まれる。

 

 パーティーでカール以外の唯一の近接戦闘職レヴ、彼女は比較対象がカールなので実力を過小評価されていたが……。

 

「ちょ速……!」

「ぐ、お嬢! 俺の後ろに!」

 

 彼女は、その辺の冒険者パーティーの前衛職よりよっぽど強い『超優秀』な拳士なのだ。

 

 いきなり仲間割れが起こり混乱の極致に合ったカールが、戦闘巧者のレヴの攻撃に反応できるはずもない。

 

「レヴ、貴女まさか!!」

「……口下手な私じゃ、説得は無理だったから。ごめん、絶対に悪いようにはしないから」

「────古代闘技場よ(アンティーク)、ごぉっ!? あ、あ、あ……」

 

 こうしてカールの護衛を振り切ったレヴは、詠唱中で無防備な俺の背後に回って喉を締めあげた。

 

 脳に血がいかず、目の前がブラックアウトしかける。

 

 詠唱の最後の節は途切れ不発に終わり、そして魔法の維持に失敗した。

 

 ああ、しまった。

 

「皆、動かないで。兄ぃの言う事を聞いて」

「……あぁ、そういうコト。私達、レヴの掌の上で転がされてたって事かしらぁ?」

「ごめん、後でいっぱい謝る……」

 

 そのままレヴは、静かに俺の喉元に冷たいモノを突き付けた。

 

 それは、この前に皆におねだりして、ヨウィンで買って貰ったばかりの『レヴの剣』。

 

「イリーネを殺されたくなければ、おとなしく投降して……っ!」

 

 レヴちゃんは、泣き出しそうな声で。

 

 声を震わせながら、懇願するように俺達に向かってそう叫んだ。

 

 

 

「……」

 

 

 その剣を握る、少女の手は震えていた。

 

 



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60話「レッサル決戦 前哨戦」

「イリーネを殺されたくなければ、おとなしく投降して……っ!」

 

 レヴちゃんの声が、周囲に響く。

 

 昨夜は悪党族が襲撃に合わせて、『兄を捕らえてくれ』と懇願した少女レヴ。

 

 俺はそんな彼女に首筋を掴まれ、動脈のすぐ傍に剣を当てられていた。

 

 

「……おい、レヴ。これは、一体」

「……」

 

 

 後頭部を押さえながら、カールが言葉を失って立ち尽くしている。

 

 ……裏切り。

 

 レヴちゃんは俺達を裏切って、悪党族と組み罠をかけたのだ。

 

「このままじゃ、皆が、危ないの……っ!」

「レヴちゃん、落ち着いてくださいまし」

「後で何でもするから、今は私に従って……」

 

 一体どんな事情が有って、彼女がこんな行動に出たかは分からない。

 

 けれど、レヴちゃんは本気なのは分かった。それだけは、振り向かずとも理解できた。

 

 

 ああ、そうか。ブリーフィングの時、俺が感じた違和感の正体が分かった。

 

 俺は無意識にその考えを除外していたが、レヴちゃんからずっと『嘘をついてる』気配が有ったのだ────

 

 

「……少し、予定と違ったが。何にせよ、おとなしく投降してもらうぞカール達」

「静剣レイ……」

「妹との約束だ、お前らには手出ししない。黙って武器を捨て、旗下に降れ」

 

 

 どうやらこの兄妹、打ち合わせ済みだったらしい。

 

 レヴちゃんは俺達の安全の保証を条件に、悪党族に全員の身柄を売り飛ばしたらしい。

 

「考え直してくださいレヴちゃん、相手は悪党族ですわ」

「……兄ぃは、信用できるから。それに、レッサルは本当に危険なの」

「何が危険だと言うのです」

「あそこは、半分『冥府』みたいなモノ。生者は取り込まれ、死人になり未来永劫あそこで暮らすことになる」

「……そんな与太話を信じたのですか!? まるで現実味の無い───」

「だって!! 実際に見せられたもん!」

 

 レヴちゃんの声が、一際大きくなる。

 

「レッサルで死んだ賊の仲間は、翌日に帰ってくるんだって……。『俺は死んでいない』と思い込んで」

「そんな馬鹿な……」

「実際に、兄ぃはソイツを目の前で殺したの。……そしたら!」

 

 ガクガクと、レヴちゃんは怯えた声を出す。

 

 その言葉には、嘘はなかった。

 

「男はその場で勝手に、傷が治っちゃったの。その男の人は、殺された事にすら気付いてなかった……」

「……む」

「本当だった! レッサルが死人の街ってのは、本当の話なんだ……!」

 

 え、それは俺も見たぞ。

 

 頭に斧突き刺さったイリューが、勝手修復されてキモかったやつ。

 

 ……あれってまさか、そう言うことなのか?

 

「馬鹿ね、レヴ。死人が生き返るなんて、ある筈無いじゃない」

「マイカは実際に見てないから、そんな事を言えるんだ……」

「ええ、見てないわ」

 

 しかし、そのレヴちゃんの恐怖をマイカは斬って捨てた。

 

 聡明な少女は、なお悲しい目をしたまま、レヴを見つめ話を続ける。

 

「レヴ、落ち着きなさい。死人が生き返るなんて、絶対にあり得ない」

「……うん。私じゃどうせ、皆を説得出来ない事は分かってた。だから、私は────」

 

 マイカの説得にも応じず、意固地に俺を拘束し続けるレヴ。

 

 しかしそんなレヴからは、痛いくらいの葛藤が伝わって来た。

 

 この娘は今も、悩み続けているらしい。

 

「死者蘇生。それは、太古の昔から人類が求め続け、今なお実現することの無い奇跡」

「マイカ、だから……」

「そんなものを目の前で実演してみせるのは、決まって詐欺師だけ」

 

 二人の話し合いは、平行線だ。その間に無数の悪党族どもが、ニタニタ笑って俺達を包囲している。

 

 ……ああ、囲まれた。

 

「当ててあげるわ、レヴ。悪党族のリーダーは、魔法使いね?」

「……え」

「それも、攻撃魔法があまり得意ではない魔術師。恐らくは『癒者(ヒーラー)』を名乗っている。違うかしら?」

 

 しかし、武装した敵に囲まれてなお、マイカは毅然とした態度を崩さない。

 

 彼女は静かに、弓矢を手に携えたまま言葉を続けた。

 

「そして、これだけの数の賊だもの。今日は、貴方達のボスも出撃してきている。違う?」

「マイカ、何を言ってる……? 何でそれを、知ってる?」

「……レヴ、よく聞きなさい」

 

 レヴの呆けた質問を無視して、マイカは静かに祈った。

 

 そしてマイカはつがえた矢を、無拍子に賊に向かって放った。

 

 

「なっ、マイカ……っ!!」

「見て、レヴ」

 

 

 そのあまりにも急に放たれた矢に、賊は反応出来ず打ち抜かれた。

 

 明確な敵対意思。マイカに頭を射抜かれて、大きく仰け反った賊は────

 

「……」

「えっ」

 

 打ち抜かれた事に気づかぬまま、剣を携えて立ったままであった。

 

 

「えっ、何これ……」

「まだ分からない?」

 

 マイカは、射られた敵が死なないのを見て一切の動揺もなく。

 

 哀れな少女レヴに向かって、こう告げた。

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

『……へぇ? 頭の良いのがいるもんだねぇ』

 

 何処から、女の声がする。

 

 それは底冷えするような、冷徹さとおぞましさを孕んだ声であった。

 

 

『ニシシシシッ』

「ボ、ボス!」

 

 

 声はすれど、姿は見せず。

 

 それはまるで俺達の頭に直接語りかけているかの様に、残響を持っていた。

 

「……兄ぃ!? え、これは、一体!?」

「騙されるな……! そんな筈はない。ソイツは『取り込まれた』奴なだけ」

 

 騙されたのかと、レヴちゃんは困惑して兄を見つめていた。

 

 静剣レイも額に汗を浮かべながら、マイカを鬼の形相で睨み付けている。

 

 そんな筈はない、と。

 

『おおとも、その女は嘘つきさ。そう言う風に言えば、私の子分を騙せると踏んだ訳だ。騙されるんじゃないよ?』

「……勿論だ! 俺は、あんな女に騙されない」

 

 向こうのボスとやらに声を掛けられ、再び目に闘志を宿らせるレイ。

 

 ……随分と、向こうのボスを信用しているらしい。

 

「レヴ、選びなさい。貴女は私達を信じるのか、あの胡散臭い声を信じるのか、どっち」

「え、わ……。私、は」

「貴女の兄は騙されているわ。……助けるには、どうすべきか分かるわね」

 

 だが、マイカの本命はレイの説得じゃない。

 

 今までずっと、共に旅して来たレヴちゃんの説得だ。

 

「……あ、嘘。じゃあ私、騙され────」

「それは今は良いから。分かってくれたわね?」

「え、あ。……」

 

 レヴは背後の兄へと振り向き、一瞬の躊躇を見せた後。

 

 

「……ごめん。マイカを信じる」

「そう。じゃ、今すぐイリーネを護衛なさい」

 

 

 レヴちゃんは説得に応じてくれた。よし、これでようやく振り出しに戻った。

 

「レヴ、何を言っている!?」

「ごめん兄ぃ、でもマイカはこういう時に絶対間違えない……!」

 

 やはりレヴちゃんは、俺達の仲間だった。

 

 彼女は俺の首に当てていた剣を離し、悠々と実の兄に向けて構えを取った。

 

 ……心優しき兄妹は、此処に決裂した。

 

 

『馬鹿言っちゃいけない。レヴとやら、お前は仲間が大切なんだろう?』

「……大事さ。だから私は……!」

『その女は勘違いしているのさ。仲間の間違いを正してやりなさい、皆の命を救いたいんだろ?』

 

 敵のボスとやらの声は、まだ未練がましくレヴちゃんを説得している。

 

 だが、もうレヴちゃんが揺らぐことは無いだろう。この娘は、結構頑固なんだ。

 

 マイカを信じると決めたからには、貫き通すはず。

 

 

「……あっまさか。レヴ、耳を塞ぎなさい!」

「えっ? 私、は」

『そうだ、それでいい』

 

 その胡散臭い声を聴いたレヴちゃんの、瞳から光が消えて。

 

「えっ……」

「ごめん、イリーネ」

 

 ────再び、レヴちゃんの剣が俺の首筋に当てられた。

 

「ちょ、レヴさん!?」

「私は、皆を、守らなきゃいけないの」

 

 明らかに、レヴちゃんの様子がおかしい。

 

 先ほどまでの様に動揺した様子はなく、迷いのない手つきで俺の後ろ手を捻じりあげている。

 

「……だって私は、皆が、大好きだから」

「レヴさん……っ」

 

 彼女はまるでうわごとを呟いているかのような、感情の無い声を出していた。

 

 これは、まさか。

 

「……成程ね、レッサルが死者の村だなんて与太話をレヴが信じる訳だわ。あんた、レヴの精神(こころ)に何をしたの」

『何もしとらんぞ。キヒヒヒヒッ』

 

 これは、この女────悪党族のボスの仕業か。

 

 さてはこの女、レヴちゃんを操りやがったな。レヴちゃんの仲間を大事に思う心に付け込んで、人の心を弄びやがったな!!

 

 

『さぁさぁ、人質がどうなっても良いのかい? 今のレヴちゃんは、迷わず女の首を掻き切るよう? 大人しく投降しなさぁい』

「……くそ、イリーネを離せ!!」

『剣を捨てて大人しく降れば、解放してやるとも。さぁ、おとなしくすると良い』

 

 カールは歯ぎしりしながら、感情の無くなったレヴを睨みつけている。この状況は、非常にまずい。

 

 このまま降伏すれば、皆がレヴちゃんの様に洗脳されてしまうだろう。だが、俺が人質になってしまったせいでカールは自由に身動きが取れない。

 

 ……今、足を引っ張っているのは、この俺だ!!

 

「カール! 私をお見捨てくださいまし!」

「イリーネ、何を言ってるんだ!」

「足手まといになるのは、まっぴらと申し上げているのですわ!! カール、良いから早く血路を開いて脱出を!!」

「……そんな事、出来る訳が無いだろ……っ!」

 

 カールは、目を血走らせて迷っていた。良いから早く決断しろ、この優柔不断男。

 

 俺だって死ぬのは怖いが、自分の死に仲間を巻き込む方がよっぽど怖い。ここで賊に降伏して生きながらえても、その先にあるのは『悪党族の傀儡』と言う最悪の未来のみ。

 

 ならばここは、俺を見捨てて皆に脱出して貰うのが上策────

 

 

「あ、そう? イリーネありがとう」

「えっ」

 

 

 ズドーン、と。

 

 マイカはお礼の言葉と共に、俺達の周囲に集まりつつあった悪党族を爆発四散させた。

 

 

「爆発罠を起動させたわ、今がチャンスよ! 皆、イリーネを見捨てて脱出するわ!」

「え、ちょ、マイカァァ!?」

 

 

 

 ……。

 

 

「さっさと走れ、カール!! そしてさようならイリーネ、骨は拾うから!!」

「え、でも……マイカさん!? 本気でイリーネを見捨てる気かしらぁ!?」

「必要な犠牲よ!」

 

 

 ……あれ。今俺、躊躇いなくマイカに見捨てられた?

 

 

『……うわぁ』

「……マジかよあの女」

 

 これには、静剣レイも悪党族のボスも呆れ声だ。

 

 いやまぁ、見捨てて良いんだけどさぁ。

 

「もうマイカ、お前は本当に……!! そういう所だぞお前!」

「今はイリーネを見捨てる以外に、活路は無いでしょ!! それに、本人が良いって言ってるのよ!」

「ええ、ああ、はい。私は勿論、構いませんわ……」

「見ろ、イリーネが若干ションボリしてるぞ!!」

「気のせいよ!」

 

 ……。

 

 別にションボリしてないし。俺、ショックとか受けてないし。

 

「逃がすな、追え! 奴らは脅威だ!」

『キッヒッヒッヒ、本当に良いのかい。お前らが逃げるというのであれば、今からこの貴族の女を拷問に掛けるぞ……』

「私は嫌な思いをしないから、お好きにどうぞ!!」

『マジかこの女』

 

 ……。

 

「なぁ、貴族の女。お前って、本当にアイツらの仲間なのか?」

「私は、そう、信じておりますとも。多分、きっと、彼らは私の仲間ですわ」

「自信がなくなって来てるじゃないか」

 

 これはきっとアレだ、マイカなりの思いやりなんだ。

 

 俺に人質としての価値がない様に思い込ませることで、本当に拷問などを受けないようにする策なんだ。

 

 流石はマイカだぜ。

 

『……。じゃあ言った手前、一応拷問しておくかの。覚悟は良いか、イリーネとやら』

「えっ」

 

 ……あ、結局拷問されるんだ?

 

 マジで? 何されるの、俺。

 

『そーれ、ルシャルカ・ルシャルカ……』

「……」

 

 

 

 怨むぞ、マイカ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で、悪党族の囲みを破ったカール達。

 

「つまり、敵のボスは死霊術師だと思われるわ。あと、精神系統の魔法も使えるっぽい」

「死霊術師、ですか?」

「そう。だって他に可能性がないもの」

 

 悪党族から逃げながら、マイカは敵のボスの正体について言及していた。

 

「レヴの言う『死者が甦った』ってのは、死人を操って生き返ったように見せかけただけね」

「……何て非人道的な」

「何が恐ろしいって、操っている死者にまるで意思を持っているかのように行動させている事よ。並の術者じゃ、そうはいかないでしょ」

「……熟練の死霊術師は、死者の人格すら再現するというわぁ。それを見せて、レヴや静剣レイの認知を歪めつつ、洗脳したってところかしらぁ?」

「だと思う。だから、イリーネの魔法無効化結界さえ発動できれば敵の大半は『死体』に返った筈だったの」

 

 マイカが看破した悪党族の正体、それは一人の死霊術師による『死者の軍隊』だった。

 

 あの女は死者に生者の如く振舞わせ、兵士として使役し、一大勢力を築き上げたのだ。

 

「だったら猶更、イリーネを見捨ててどうすんだよマイカ!」

「……イリーネが殺されたら、一生怨むわよ」

「その心配は要らないわ。だって洗脳されているとはいえ、イリーネを拘束しているのはレヴよ。あの子にどんな強烈な催眠が掛かろうと、イリーネを傷つける事なんて無い筈」

「……そうか」

 

 マイカは、優しいレヴを信用していた。人見知りが激しく、仲間にはとことん甘い幼い戦士レヴのその性格を。

 

 ちょっと認知を歪められたくらいで、彼女が仲間を殺すはずがない。

 

「今は引いて、自警団と合流して策を練るわよ。敵の数が多すぎる、このまま正面衝突すれば分が悪いわ」

「しかも、敵の大半が不死の兵士と来たものだしねぇ?」

「厄介極まりねぇ」

 

 そしてマイカは、もう一つやらなきゃならない事を口に出す。

 

「それと、イリュー。さっきから黙ってるけど、貴女」

「……えっ? わ、私がどうかしましたか」

「ごめんなさい。悪いけど今は、戦力じゃない貴女を護衛する余裕がないの。いったんレッサルの街に帰って隠れていて頂戴」

「……そう、ですか。分かりました、よろしくお願いします!」

 

 ────イリューはマイカの指示を聞き、素直に街の門へ向かって走って行った。

 

 イリューもまた、イリーネの報告によると致命傷が勝手に治癒した存在。つまり、彼女は『死者』。

 

 兵士と同様に『死者』である彼女がパーティにいるのは、危険以外の何物でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リョウガ、リョウガはどこ!?」

「……おう、ここだ。随分旗色が悪いな」

 

 マイカ達は、そのまま自警団の潜伏していた街近辺の森に駆け込んだ。

 

 リョウガは、マイカ達が逃げ延びてく方向を予想していたらしい。駆け込んだその場所に、彼は待ち構えていた。

 

「……悪い、賊がこの数で攻めて来るとは思っていなかった。悪党族の全兵力が集まってねぇか、アレ。奴ら、本気でレッサルを取りにきてやがるな」

「で、どうする? まずは、イリーネを取り戻す策が欲しい所なんだけど」

「つっても、まず戦力差がなぁ。まともに戦うとしたら、このまま森に潜んでゲリラ戦法するしかねぇんじゃねぇの?」

 

 合流したリョウガは、かなり顔を青くしていた。賊がここまでの戦力を動かしてくるのが、完全に想定外だったようだ。

 

 無理もない。レッサルの自警団なんて、総勢でも100名に満たない小勢力だ。

 

 一方で、今街の外にいる悪党族は優に1000人を超えているだろう。リョウガがどんな指揮をしようと、そもそも勝負にならない戦力差である。

 

「奴ら、何が目的だ? このレッサルに、兵を総動員してまで占領するメリットはねぇぞ」

「……わかんないわよ、そんなの。……何とかして、イリーネさえ解放できれば」

 

 歯軋りをして、賊の屯する方を睨むマイカ。彼女とて、嬉々としてイリーネを見捨てたわけではない。

 

 見捨てざるを得なかったから、見捨てたにすぎない。それほどまでに、兵力の差が酷すぎるのだ。

 

「俺が突っ込んで、何とか……」

「向こうには静剣レイが居るのよ? 前の二の舞にならないと断言できるの?」

 

 この戦力差でまともに戦うのであれば、リョウガの言うようにゲリラ戦を徹底するしかないだろう。

 

 カールが無双できれば話が早いのだが、敵にも静剣レイのような猛者が潜んでおり成功率は高いとは言えない。

 

 完全に、手詰まりの状態だった。

 

 

『さぁて、お前達。今から、高慢ちきな貴族に罰を受けて貰おうじゃないか』

「……この声」

『ワシらから搾り取った金で贅沢三昧、傲岸不遜に振る舞っていた貴族の令嬢。その末路は仲間に見捨てられ、拷問の果てに絶望に果てる。因果応報、とはこの事よのぉ』

 

 

 やがて、邪悪な声が再び耳に響いた。

 

 それは頭に直接語りかけてくる様な、残響を持った気味の悪い声。

 

「……おい、まさかアイツ!」

『人間が壊れるところを、奴等に見せてやろうではないか。さあ、嗤えや嗤え仲間達、キヒヒヒヒッ』

 

 声は、不吉な言葉を吐いた。

 

 喜色を帯びた声色で、何かを壊して楽しむ童の様に笑っていた。

 

 

「あの女! イリーネに、何をするつもりだ!」

『────心の扉。開け、割れろ、砕けて、潰せ。汝の恐れるは、何処?』

「……呪文?」

 

 

 やがて、歌うような女の『詠唱』と共に。

 

 

 ────アアアァァァァッ!!!

 

 

 よく見知った少女の絶叫が、遥か先の敵の陣から響いてきた。

 

「……イリーネ」

「あ、あの女……」

 

 どうやら悪党族のボス、不気味な声で笑う女はとうとうイリーネを拷問にかけたらしい。

 

 

 ────あ、あ、あぁ!! 死にたく、死にたくない! こんな、何もできないままで死にたくないぃぃ!!!

 

 

 普段の気っ風は何処へやら。

 

 森に響くイリーネの絶叫は、まるで年頃の少女のようで。

 

 

『面白い魔法だろう? 過去に経験した最もつらい出来事が、この女の目の前で再現されているのだ』

「……トラウマを、刺激する魔法……」

『実に、無様な良い声で鳴いとるのう。このまま半日も放置すれば、物言わぬ廃人の出来上がりよ。お前達、本当に仲間を見捨てて良いのかえ?』

 

 

 その賊の首領の言葉に、サクラは目を見開く。医療系統に通じた彼女は、その恐ろしい魔法について聞いたことがあった。

 

 それはこれ以上の苦痛は存在しないと言われる、最も残酷な拷問のひとつ。

 

 

 ……人のトラウマを強引にこじ開けて、精神を引き裂く『精神魔法の禁呪』だ。

 

 

 それを数分受けただけでも人格が歪み、一時間も受ければ狂人となり、半日ほどで意識を持たぬ廃人と化す。

 

 この史上最悪の魔法は悪辣すぎるがゆえに、長らく法規で禁じられ伝承されなかった筈。

 

 

「……なんて、惨い事を」

「おいリョウガ! 何か、何か手は!?」

「ちょっと待て、今考えてる!」

 

 

 このままでは、イリーネの心が砕けるのは時間の問題。サクラに体は治せても、心までは治せない。

 

 イリーネを救うために、明確なタイムリミットが設けられてしまった。

 

 

 ────イヤァァァァァ!! 筋肉が、筋肉が萎むゥゥゥ!!!

 

 

 森に響く悲痛な声。

 

 仲間だった少女の極限の絶叫が、カール達の焦燥感を募らせていく。

 

「これ以上は、まずい! こうなれば、やっぱり俺一人で突っ込んで……」

「馬鹿、そんなの敵の思うつぼよ!」

「だったらどうしろって言うんだ!! 今、刻一刻とイリーネが壊されて行ってるんだぞ!!」

 

 仲間大好き人間のカールは、イリーネの叫びで胸が張り裂けそうになっていた。

 

 代われるならば今すぐに代わりたい。彼は本気で、今すぐイリーネの下に駆けだそうとしていた。

 

 

 

 ────骨と皮だけはイヤァァァァァ!!! こうなれば、よし!! フン・ハー!! フン・ハー!!

 

 

 

「……カール。お前、囮になる覚悟はあるか?」

「リョウガ!?」

 

 そんな放っておいても駆けだしそうな様子のカールを見て、リョウガは決断した。

 

「お前を捨て駒にする。お前が最大戦力なのは、前に戦った敵さんも承知の筈だ。絶対に食いついてくる」

「……それで」

「自警団は迂回して、横やりからイリーネたんを奪還する。彼女さえ居れば一発逆転、あの凄まじい魔法があれば賊を丸ごと消し飛ばすことも可能だ」

 

 前にイリーネが見せた、広範囲殲滅魔法。それしか勝ち筋がないと悟り、リョウガは全兵力を使っての賭けに出た。

 

 そもそも範囲攻撃を使える攻撃魔法使いは、軍隊の天敵だ。

 

 だからこそ、敵のボスはレヴちゃんに命じて真っ先にイリーネを拘束させたのだろう。

 

「カール。お前は正面から突っ込んで、出来るだけ敵を引き付けろ。静剣レイを釣り出せたら大戦果だ」

「ちょっと! それでカールが死んじゃったら!」

「この男の他に、真っ正面から切り込んで囮を張れる奴がいるのかよ? ……仲間を助けたいんだろ、命張れやカール」

 

 幼馴染の心配をよそに、リョウガはカールを真っすぐに見据える。

 

 一方でカールは、そのリョウガの無茶な作戦を聞き、満足げに笑って頷いた。

 

「分かった。上手くやって、イリーネを救ってやってくれリョウガ」

「おう」

 

 カールとしては願ってもない話だ。仲間さえ救えるのであれば、自分がどんな危険に見舞われようとも怖くない。

 

「しくじるなよ」

「そっちこそ」

 

 レッサルを守るべく、自警団をまとめ上げたカリスマ『リョウガ』。

 

 女神に選ばれ、魔族を幾度も撃退してきた勇者『カール』。

 

 

 

 二人の『英雄』が今、手を握り合った。

 



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61話「レッサル決戦 友との誓い」

 戦場を、疾風が駆ける。

 

 魔族を屠る為の大剣を携えた勇者は、咆哮と共に反転し、賊の正面から斬り込んだ。

 

 

「イリーネを、返しやがれぇ!!!」

 

 

 勇者の身体能力と、カールの剣技。それらが組み合わさり、男は英雄になる。

 

 カールは四方八方へ斬撃を飛ばしながら、イリーネの声のする方へ向かって無人の野を進むが如く疾走していた。

 

 囮を任されたカールだったが、彼は自分を捨て駒とは考えていない。あわよくば、自力でイリーネを助けるつもりですらいた。

 

 

「叩き潰してやる、俺の行く手を阻むものはあるか!?」

「くそ、アニキを呼んでこい! あんなの手がつけられん!!」

「邪魔をしないなら押し通らせてもらう!」

 

 

 退路のことなど気にしていない。

 

 彼はただ、仲間(イリーネ)の声のする方へ誘われる様に斬り進んでいった。

 

 

『ほう、想像以上』

「ボス!! ダメです、もう持ちません!」

『こりゃあ大物が釣れたねぇ、良き哉良き哉』

 

 

 そんな勢いで迫ってくるカールを、無視する訳にはいかない。

 

 賊は、慌ててカールを止めるべく増援を向かわせた。

 

 

「……止まれ」

「出たな、レヴちゃんの兄貴。一発ぶん殴るが、文句言うなよ」

 

 

 その中には、当然。前に一度カールを仕留めたことのある、静剣レイの姿もあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うお、カールってあんなに凄まじかったのかよ」

「仲間の事になると、アイツは普段以上の力を発揮するわ。油断しきってた前の戦いを、カールの実力と思わないで」

 

 そのカールの異常な健闘ぶりに、リョウガは目を丸くして驚いた。

 

 前回の戦闘でリョウガが見たのは、10人強の賊を相手に負傷しながらも1人で持ちこたえるカールの姿である。

 

 カールがそれなりの剣士だとは思っていたが、ここまでの一騎当千の勇士とは考えていなかった。

 

 

「で、私達はどうするのかしら?」

「あ、ああ。俺達は森沿いに迂回して、奇襲を掛けるつもりだ。イリーネたんを救い出して、即撤退する」

 

 そう言うと、リョウガは森の奥を指差した。

 

 リョウガ率いる奇襲部隊は敵と交戦せず、あくまでイリーネの救出に専念する方針だ。

 

 土地勘のある彼らだからこその作戦。

 

 幸いと言えるか、今もなおイリーネの叫び声が響いてくれている。そのお陰で、視界の悪い森の中でもイリーネの位置の同定は容易だった。

 

 

「イリーネの心が壊れる前に、助け出さないと」

「ああ」

 

 

 彼女の火力さえ手に入れば、賊との人数差をひっくり返す事も可能。と言うか、勝ち筋があるとしたらこれ位しかない。

 

「敵の洗脳を解除する事は、可能か?」

「……一応、解除する魔法は知ってるわぁ。あんまり得意じゃないから、ちょっと時間は貰うけど?」

「よし。敵の手に落ちたイリーネたんは、もう洗脳されてると見た方がいい。助け出したら、まずサクラに診て貰うとしよう」

 

 暗い森を駆けながら、リョウガはさくさくと作戦を練り上げていく。

 

「弓兵は援護だ。突入地点の左右に居る敵を攻撃し続けてくれ」

「了解、だけど左右を攻撃するの?」

「ああ、突入地点を陣形的に孤立させるんだ。そうすれば、俺達が突っこんでも退路を絶たれないだろ?」

 

 敵がカールに引き付けられているお陰で、イリーネの守りが手薄になっている。

 

 彼はまさに、囮としての役割を十全にまっとうしていた。

 

「全員が揃って、配置についてから作戦開始だ。腹を括れ、正念場だぞ」

「……了解です、おかしら!」

 

 カールの働きに、応えなければならない。

 

 リョウガ率いる自警団は、士気高く突撃の準備を進めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自警団が突入の準備を進めている最中、カールも敵の本陣に斬り込んでいた。

 

「こっちだ、静剣」

「……逃げるな!」

 

 前回の教訓を生かし、彼は決してレイの間合いに近付かず戦っていた。

 

 カールから近寄られなければ、レイは身体能力で勝るカールに追い付けるもない。

 

「アニキ、このままじゃ奴に囲みを突破されます!」

「……っ!」

 

 マイカに教えられた通りに、カールは『レイに攻めさせる』戦い方を徹底した。

 

 飛ぶ斬撃で牽制しながら踏み込まず、レイが得意な近接戦に付き合わない。

 

「……敵は俺とまともに斬り合おうとしない。ボス、このままでは」

『やれやれ、不甲斐ないねぇ』

 

 レイはカウンター型の剣士だ。

 

 彼は攻められてこそ真価を発揮する剣士であり、逃げる敵を追うのに向いてはいない。

 

 囮のはずのカールは、最早イリーネを奪還する目前まで攻め込んでいた。

 

『……もうちっと、手札を切ってやるか。レイ、何とか持ちこたえるんだよ』

「恩に着る、ボス」

 

 囚われたイリーネは最早、目の前。

 

 破竹のごとく進撃しているカールを止められる者は、賊にいない。

 

 そんなカールの快進撃は、

 

 

 

「────」

「む」

 

 

 

 肌色の悪い小柄な剣士によって、とうとう行く手を遮られた。

 

 構や体捌きから尋常ならざる使い手と感じたカールは、地面を蹴って距離を取る。

 

 落ち着いて見渡せば、その近くには異様な体躯の斧使い、筋骨粒々の拳法家など明らかに『レベルの違う』賊が姿を見せていた。

 

 

『ソイツらは過去の名うての豪傑よ。異国の大将軍に、伝説の拳法家、そして最年少の剣術大会優勝者だ。どうだ、素晴らしい()()()()()()だろう?』

「……趣味が悪いったらねぇ」

『もうすぐ、お前もコレの仲間になるんだ。先輩には、仲良くしておけよぅ?』

 

 彼らは、かつて名を上げた『勇士』であった。

 

 武名でその名を各地に轟かせ、悪党族に挑み、そして敗北した男達。

 

 そんな彼らが生涯を捧げた『武』は、今や悪党族のボスのコレクションとして扱われている。

 

 その行いの醜悪さに、カールは顔を顰めた。

 

「おお、我らが幹部が動いたぞ!」

「あの剣士も、もうおしまいだぜ!」

 

 この『豪傑の死体』こそが悪党族のとっておきだった。静剣レイで対応が出来ない現状、切らざるを得なかった最後の切り札。

 

 しかし、賊も好きで出し惜しみをしていたわけではない。この死体は、十年以上前のものも混じっていた。

 

 そんな年月が経った死体は、どれだけ死霊術師が丁寧に手入れをしても、少しずつ腐ってしまう。

 

 

「……退けぇ!」

 

 カールは乾坤一擲、『豪傑の死体』に斬り込んだ。

 

 随分前に死した少年剣士は、芸術的な剣さばきでカールの一撃を受け流そうとする。

 

 ……しかし。

 

「らああっ!!」

 

 

 その剣技のキレは、生前の彼とはほど遠い。

 

 腐って満足に動けなくなっていた『死体』は、そのままカールに両断されてしまった。

 

 

「……あれ?」

 

 

 少年の死体を斬った瞬間、カールは見た。

 

 胴体を切り捨てられ、力なく剣を取り落とした少年を。

 

 何処か、安堵した表情で地面に崩れ落ちたその目を。

 

 

 

 

 ────やっと解放される。

 

 

 

 

 一撃の下に胴を両断された剣士の血肉は、地面に溶けた。

 

 熟練の死体使いといえど、これ以上『損傷した過去の英雄』を維持するのは難しかったらしい。

 

 

「……そうか、そうだよな。ずっと、解放されたかったんだよな」

 

 

 背後から、静剣レイが迫り来ている。

 

 前には、死した豪傑が構えている。

 

 

「なら、遠慮はしない」

 

 

 この死体は全盛期なら、どれほどの猛者だったろうか。

 

 生前であれば、彼らのうちのどの1人にもカールは勝てなかったに違いない。

 

「……」

 

 鈍く、遅い彼らの技。

 

 それは、彼らの生涯をかけ研鑽した『武芸』に対するこの上ない侮辱に感じた。

 

 カールは静かに息を吐いて、迫りくる剣閃を迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作戦を成功させるカギはスピードだ。早期決戦、早期撤退を心掛けろ」

 

 カールが敵陣を深く斬り込んだ事により、リョウガは気付かれる事なくイリーネの捕らえられている付近まで侵入できていた。

 

「カールが敵を完全に引き付けている。今以上のチャンスは無い、突入するぞ」

「了解でさぁ!」

 

 そして、リョウガは部隊を少数の突入部隊と弓による援護部隊に分けた。

 

 援護部隊の役割は『退路の確保』と『敵の分断』。

 

「カールパーティで、突入部隊に混じれそうなやつは居るか?」

「ゴメン、私は遠距離専門よ。と言うか、弓兵だし」

「ウチでしっかり近接戦が出来るの、レヴさんかカールだけじゃないかしらぁ? イリーネはまだ素人っぽいし」

「そっか、なら俺達の援護に回ってくれ」

 

 マイカ、サクラ、マスターの3名は援護班に配属されることになった。

 

 突入部隊はリョウガを中心に、自警団の中でも腕利きが集められた。

 

「カールの奴、スゲェな。もう目の前に来てやがる」

「誤射しないようにしないとね。場合によっては、こっちに合流して貰おうかしら」

 

 彼らが突入する予定の場所から数十メートルの位置まで、カールは切り込んでいる。

 

 流石に賊の守りが厚く、そこから先へは攻めあぐねている様子だが。

 

 

「……あの女魔術師。アイツがボスじゃない?」

「良く見えるな、マイカ。……確かに、指示を出してるっぽいが」

 

 

 マイカはイリーネの近くに、不気味な女魔術師がいる事に気が付いた。

 

 頭を抱え半狂乱に暴れているイリーネの近くで、女は杖をかざしてせせら笑っている。

 

「あわよくば、あの女を殺してみよう。だが、深追いする気はない」

「そうね、イリーネの奪還が最優先よ」

 

 ボスかもしれない、といったレベルの推測に命を懸けるつもりはない。

 

 リョウガは、目の前であえぎ苦しんでいるイリーネを真っ正面に見据えた。

 

「よし、作戦開始」

 

 

 その号令と共に、無数の矢が悪党族の本陣に降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リョウガ達は、放たれた矢と共に駆けだした。

 

 彼が定めた目標は、数分以内の戦場からの撤退だ。捕らえられたイリーネに『昏睡薬』を打ち込んで無力化し、サクラの下へと運んで森の奥へと逃げる。

 

「待ってろ、イリーネたん」

 

 突然の弓矢の奇襲に、賊は混乱の極致となる。

 

 その隙をついて、練度の高い自警団メンバーが突入口を確保した。

 

 そしてリョウガは、とうとうイリーネの目前へと肉薄した。

 

「……」

 

 チャキ、と剣の鍔鳴り。

 

 リョウガが踏み込もうとした刹那、小柄な少女の一撃がリョウガの頬を掠める。

 

「そっか、お前が居たよな」

「……ここは、通さない」

 

 間一髪、その一撃を避けて敵に向き直る。

 

 するとあえぎ苦しむイリーネを背に、寡黙な少女レヴが立ちはだかっていた。

 

「なあレヴたん、言っても無駄だと思うけど。悪党の親玉がイリーネたんを拷問してるみたいだが、助けようとしないのか?」

「嘘つき。今、イリーネはレッサルに呪われている。ボスは、呪いを解こうと頑張ってくれている……」

「そういう認識にされてんのね」

 

 少女は、随分と認知を歪められていた。これが悪党族のやり口という奴か、説得は難しそうだ。

 

 ハッキリ言ってレヴは強い。静剣レイには劣るものの、近接戦闘に関してはかなりのレベルである。

 

「あの娘は、俺が相手をする。お前らはイリーネたんの確保を!」

「ガッテン!」

 

 イリーネを拘束するには、複数名の力が必要だ。以前の訓練で、彼女がかなりのパワー型で有る事は分かっていた。

 

 抵抗されないように昏睡薬を打ち込んで無力化し、複数人で担いで走らないとスムーズに撤退できない。

 

「……イリーネは、渡さない!!」

「渡してもらうぜ、イリーネたんを壊される前にな」

 

 リョウガは、短剣を構えてレヴへと飛び掛かった。

 

 彼の戦闘術は、身軽な体躯を生かしたヒットアンドアウェイである。

 

 猛者揃いの自警団で団長を張っているだけあり、彼の戦闘の腕もまた一流と呼ぶにふさわしかった。

 

 

「ほい、目つぶし」

「────ケホっ!?」

 

 

 それだけではない。1対1の正統な戦闘訓練を仕込まれたレヴとは違い、リョウガは嵌め手だろうと汚い手だろうと勝つためには何でもやる。

 

 リョウガはいきなり『目に刺激の強い薬草の乾燥粉末』を投げ付けて、レヴの視界を奪い、

 

「あーらよっと!!」

 

 

 その勢いのまま少女の鳩尾に激しい蹴りを入れ、数メートルほど吹っ飛ばした。

 

 

「イリーネたんの確保は!?」

「出来てます、おかしら」

「よし、撤退!」

 

 

 実に手際よく、事は進んだ。

 

 本音を言えばここでレヴも奪還したいところだが、まずはイリーネの奪還を優先した。彼女さえ取り戻せれば、どうとでもなるからだ。

 

 

 腹を押さえながら、蹲るレヴ。

 

 そんな少女を尻目に、仲間の確保した退路で悠々と逃げ出すリョウガ。

 

 彼の立てた作戦は、完璧に成功した────

 

 

 

 

『ああ、それは困るねぇ』

 

 

 

 

 ────様に、思えた。

 

 

 ソイツは、今までどこに隠れていたのだろう。

 

 不気味なほど目に光の無い女が、いつの間にかリョウガを背後から抱き締めていた。

 

 

『ふぅん、良いねぇ。おまえも良い駒になりそうだ』

「……なんだ、お前っ!」

『あの貴族令嬢は、確かに脅威だったねぇ。でもあの小娘はもう無理だ、立ち直れない程の精神外傷を負ったはずさ。わざわざ使い物にならないゴミを回収しに来て、ご苦労さんだねぇ』

 

 

 言葉から生気を感じない。

 

 抱きしめられた背筋が凍る。

 

 この女からはまるで、人間の気配を感じない。

 

 

『それと、お前は見誤ったよ』

 

 

 リョウガの身体は、金縛りにあったように動かない。

 

 彼は今、魔術師に触られたのだ。どんな魔法をかけられていたとしてもおかしくない。

 

「お、おかしら!!」

「俺に構うな、先に行け!! イリーネたんを撤退させろ!」

 

 

 リョウガは、自身の撤退を諦めた。

 

 イリーネさえ無事なら、彼女を軸にマイカが上手い作戦を立ててくれる。

 

 自警団団長として、敵に囚われてしまうのは不甲斐ないが、それでも十分な戦果だ。

 

「俺なんざどうなっても構わん、お前等は悪党族を滅ぼすことに専念しろ────」

『そりゃ、無理な話だと思うよぅ?』

 

 リョウガの指示通り、自警団メンバーは撤退を始めた。

 

 彼らは何度も、躊躇うかのようにリョウガへと振り返りながら。

 

 

『やっぱり気付いてなかったねぇ』

「……何をだ、悪党族」

『アンタが、この街でもっとも重要な人物さ。そこまで切り込んできている剣士や、大魔法が使える貴族令嬢なんかよりずっとずっと怖い奴』

 

 

 その理由を、悪党族のボスは察していた。

 

 

『自警団団長、リョウガ。チンピラ上がりの男や馬鹿の集まりである自警団が、一個の軍隊として成立しているのはお前が居たからに他ならない。私がこの場で最も恐れていたのは、貴族令嬢でも剣士でもなく、お前さぁ』

「……そりゃあ、随分と買いかぶられたもんだな」

『買いかぶり? とんでもおない、正当な評価だよ。貴族の代わりに、捕まってくれてありがとうねぇ。おまえは、念入りに念入りに────』

 

 悪党族のボスは喜色満面。

 

 リョウガの頭にゆっくりと手をかけて。

 

 

『壊してあげるから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は? リョウガが捕まった!?」

「イリーネさんの確保を最優先しろって、自分は囮になって、そのまま」

「ば、ば、馬っ鹿じゃないのアイツ!」

 

 無事にイリーネを確保して逃げ出してきた自警団の話を聞き、マイカは色を失った。

 

 イリーネの代わりに、自警団の団長リョウガが捕らえられたというのだ。

 

「イリーネは私に見せて頂戴、すぐに治療を始めるわぁ」

「……サクラ。イリーネが動けるようになるまで、どれくらい時間がかかる?」

「昏睡させられてるから、半日は目を覚まさないと思うわよぉ?」

「そうよね。……」

 

 マイカはリョウガが捕らえられたという方向を見つめながら、静かにため息を吐いた。

 

「……無理ね。彼を再奪還する方法が見つからない、少なくともイリーネが目を覚ますまでは」

「じゃあ、撤退するしかないんじゃ」

「そうなると、もうリョウガは助からないでしょうね。彼は失われるわ」

 

 イリーネを見捨てる時ですら躊躇いの無かったマイカだったが、ここ一瞬の逡巡を見せた。

 

 速攻で見捨てるに違いないと思っていたサクラは、このマイカの躊躇いが意外だった。

 

「この娘は即座に見捨てた癖に、リョウガに随分と肩入れしているのねぇ」

「だってイリーネの時は助ける手立てがいくらでもあったけど、彼はもう無理よ。彼を見捨てるって事は、レッサルを見捨てるのに等しい。そりゃ躊躇くらいするわ」

 

 しかし、躊躇したのは一瞬のみ。

 

 マイカは、すぐその場の全員に撤退を通達した。

 

「何故助からないの? 後でイリーネと一緒にリョウガを奪還すれば……」

「アイツの豆腐メンタルじゃ、イリーネが受けた拷問に耐えられるわけないでしょ」

 

 マイカ自身も既に弓を纏め、撤退の準備を始めている。

 

 珍しく、マイカの表情には後悔の念も混じっていた。

 

「私の責任で、リョウガを見捨てるわ。全員ついてきなさい」

 

 

 ……そのマイカの宣言の直後。

 

 捕らえられたリョウガから発せられた慟哭が、戦場全体に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああああああああぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 それは、悲痛な叫び声。

 

 何かを失い、その絶望に染まった悲哀の絶叫。

 

「そっか。リョウガは、妹さんを失った時のトラウマを……」

 

 サクラはマイカの言葉の意味を理解した。

 

 敵の魔法は、トラウマを呼び起こす魔法だ。リョウガほど辛いトラウマを持っている人間ならば、即座に廃人にされてしまうだろう。

 

「……違うわ」

「えっ?」

 

 だが。

 

 マイカの考えは、サクラの考えとは大きく異なっていた。

 

 

「いや、リョウガと会った時からずっと気になってたんだけど」

「……何を?」

「アイツのさ……」

 

 

 それは、きっと、

 

 『彼女』が誰よりも大きな『トラウマ』を抱えている証拠であった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……死ぬはずがない。

 

 

「ああああ、あああぁぁ!! そんなはずがない!!」

 

 

 ……あの、兄が死ぬはずがない。

 

 

「兄さんが、兄さんが死ぬはずがない!!」

 

 

 少女には受け入れられなかった。

 

 自分の敬愛する兄が、自警団をまとめ上げてレッサルを立て直しつつあった兄が、志半ばで殺されるはずがない。

 

「────死んでない!! 兄さんは死んでない!!」

 

 

 そんな、兄を誰より尊敬していた少女の取った行動は。

 

 兄が殺されたという事実を無かったことにするため、自身の心の平穏を守るため。

 

 

『……サヨリさん? どうしたんです、ここは自警団のアジトですぜ』

『お兄さんの件は、残念でしたが。残った遺品は、もう全部お渡ししたはずで────』

 

 

 彼女は髪を切り落とし、そのまま「いつものように」自警団のアジトに向かって。

 

 

『何を言っている?』

『へ?』

 

 

 かつての兄の部下の前で、こう宣言した。

 

『俺が、リョウガだぞ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その時のサヨリさんは、放っとくと壊れてしまいそうで。最初は仕方なく、話を合わせていたんですが」

「……彼女、思った以上にリーダーとしての素養が高かったってところ?」

「はい」

 

 そう。

 

 リョウガの妹のサヨリは、殺されていなかった。

 

 サヨリは、兄リョウガの死を受け止めきれずに『自分が死んだことにした』だけだ。

 

「俺達自警団はリーダーを失って途方に暮れていたところに、これ以上無い代役が現れたんです。それは俺達にとって、願ってもない話でした」

「自警団は、レッサルに必須の存在。ここで統率を欠く訳にはいかなかった」

 

 こうしてサヨリは、自警団の面々にも認められ2代目の団長『リョウガ』になった。

 

 皮肉なことに、彼女は死んだ兄よりずっと理知的だった。

 

 自警団を組織したのは、兄のリョウガだった。しかし実際に自警団そのものをまとめ上げ、一流の部隊として発展させたのはサヨリの能力あってこそだった。

 

 だから自警団員は、サヨリをリョウガとして敬い続けた。

 

 

「────ただし。その幻想は、たった今砕かれたでしょうけどね」

「……」

「彼女が今、見せられている光景。それは、想像に難くない」

 

 こうして奇跡的なバランスで、かろうじて保っていたサヨリの『精神的均衡』は崩れ去った。

 

 彼女だけは、敵の『トラウマを抉る』魔法を食らってはいけなかったのだ。

 

「『自警団の団長リョウガ』は、もう二度と戻ってこないわ」

「……」

 

 マイカが悲痛な声で、そう宣言した。その理由は、

 

「きっとあの娘、自分がリョウガじゃない事を思い出してしまったもの」

 

 兄を失った妹の、優しい幻想が今破壊されたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『女だったのか。まぁ、でも有用な駒にはかわりあるまい』

 

 ほんの数十秒で、リョウガは意識を喪った。

 

 気を失った訳でも、失神したわけでもない。

 

 耐えきれぬ『苦痛』を前に、精神を壊されたのだ。

 

『お前はしばらく、生きた駒として働いてもらおう』

 

 これが、悪党族のやり口だ。

 

 精神的な拷問で心を折ってから、自分に都合の良い駒へと洗脳する。

 

 こうして、自警団の主は壊された。

 

 これによりレッサルの希望は潰え、再び街は混乱の極致に陥る事となる。

 

 リョウガ亡きレッサルには、滅びの道しか先にないのだから。

 

 

『新しいコレクションだ、キヒヒヒヒッ』

 

 

 魔術師の女は生気の無い目をリョウガ(サヨリ)に向けて笑った。

 

 壊れて微動だにしなくなった『レッサルの英雄』を、愛おしむ様に抱きしめようとして────

 

 

 

 

「何やら無様な事になってるな、リョウガ」

 

 

 突如として飛んできた斬撃に、思わず飛びのかされた。

 

 魔術師の頬に、先鋭な切れ込みが入って血が垂れた。

 

 

『……あり? 何で、お前が此処まで来てんのさ? だって、私のコレクションが……』

「ああ。お前の放った刺客なら、もう全員大地に返した」

 

 

 ブン、と剣士は剣を振る。

 

 その大剣にこびり付いた腐った血肉が、大地へと弾け飛んで消える。

 

 

『レイ、レイは何処だ!?』

「一度負けた相手には、もう負けねぇよ。さっき一発、ぶん殴って気絶させた」

 

 

 魔術師は、言葉を失った。

 

 そんな馬鹿な話も無いだろう。彼に向けて放った『歴代の英雄』は、それぞれ一騎当千の化け物だ。

 

 静剣レイだって周囲に敵なしと恐れられた、バリバリの全盛期の剣豪である。

 

 そんな、人傑のオールスターを相手に戦ってきたその青年は、傷一つ負っていない。

 

 

 

「……流石だなリョウガ、イリーネは約束通り取り戻してくれてんだな」

『お前、お前は一体何者だ』

「あん?」

 

 

 返り血で全身を朱く染め上げて、なお目に戦意を爛々と輝かせるその男は、

 

 

「そこで寝てるリョウガの友達(ダチ)だよ」

 

 

 そう言い、魔術師に向けて大剣を構えた。

 

 



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62話「レッサル決戦 裏切りの剣士」

 悪党族のボス、魔術師の女。

 

 彼女を剣の間合いに捉え、カールは剣を低く構えた。

 

「覚悟は出来てるよな」

『冗談じゃない』

 

 それは、魔術師からしたらまさに悪夢だったろう。

 

 たった一人の特攻で防衛線を全て突破され、チェックメイトをかけられたのだ。

 

 結果としてカールの突撃は囮ではなく、主攻となった。

 

『私のコレクションが、全滅とは。……うう、心が痛い。これが人間のやることか』

「へぇ? 人間らしさを説いてくるなんて思わなかったぜ、この外道」

 

 カールの後ろには、なお大量の賊が恐る恐る構えている。

 

 しかし、彼らに何が出来ようか。目の前の男は、文字通り『一騎当千』。

 

 どれだけ雑魚をカールにけしかけても、勝てる見込みは薄い。

 

『ああ、恨めしや。貴様を呪ってやるぞ、カール』

「呪えるものなら呪ってみろ、俺はもう女神に祝されてるんだ。貴様のような外道の呪、何も怖くはない」

『全く、恨めしい』

 

 そう言うと、カールは静かに目を伏せて。

 

 悪党族のボスを相手に、覚悟を決めた。

 

 

 

「────斬る」

 

 

 

 やがて女は、頭から一刀両断された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生暖かい、血が噴き出す。

 

 力を失った体躯は、草木を朱く染めて血に伏せる。

 

「……終わったか」

 

 悪党族の親玉は、今叩き斬った。

 

 これで、マイカの言うことが事実であれば、悪党族の大半は死体に戻って土に帰る筈である。

 

「……?」

 

 しかし、周囲を見渡しても何も変化がない。

 

 賊は賊のまま、頭領が切り捨てられた事に動揺してはいるが、その場で立って動いている。

 

 とはいえ、勝ちは勝ちだ。カールは剣を仕舞い、周囲の賊を睨め付けながらリョウガの下へ向かおうとして。

 

 

『身体をヨコセ……っ!』

「っ!?」

 

 不快な声が頭に響き、カールは再びその場を飛びのいた。 

 

 ……慌てて周囲を見渡すが、誰もいない。切り捨てた女の死体が、足元に転がっているのみである。

 

「貴様、どこだ!? まだ生きているのか────」

『キーッヒヒヒヒ、そう簡単に滅ぶものかい』

 

 魔術師の身体は、間違いなく切り捨てた筈だ。

 

 しかし、魔術師の『気配』そのものはまだ周囲から感じた。

 

 ……あの女は、まだ死んでいない。

 

 

『そろそろ体の替え時だったのさ。実に良いその肉体、もらい受けるぞ……』

「何だと?」

 

 

 彼女の言い草は、まるで『身体を奪い続けてずっと生きてきた』かのような口ぶりだった。

 

 嫌な予感がする。このままこの場所にいれば、取り返しがつかなくなる。

 

 カールは咄嗟に場を離れようとして、

 

 

「っ!!」

 

 

 ドス黒い黒煙が大地から立ち上り、カールを丸ごと包み込んだ。

 

 たとえようのない不快感が、カールの体を蝕み始める。それはまるで、体を誰か別の存在に動かされている様な────

 

 

「貴様、まさか……!!」

『もう遅い、もう逃れられない。キヒヒヒヒっ!』

 

 

 殺された相手の肉体を、乗っ取る。この魔術師は、そうやって今までずっと生きてきた。

 

 理屈は、なんてことはない。死霊術師は、死んだ自分を『生前に予めかけておいた』死霊術で操っているのだ。

 

 不死を得た稀代の天才ネクロマンサーの死霊術は、年月を経るごとに深く強く洗練されていき、1人で『悪の一大勢力』を築き上げるに至った。

 

 その、呪いのような死霊術を正面から受けたカールは……

 

 

「む、何ともないぞ?」

『っ!』

 

 

 煙が見えない壁のようなものに弾かれ、事なきを得ていた。

 

 

『……何だ、これは。何故、身体を奪えない……』

「ふむ。どうやら、お前のそれは俺に効かないらしいな」

『貴様、本当に何者だ? これでは、お前はもうすでに()()()()()()()()()()()ような────』

 

 その怨執の籠った声は、カールに向けて罵声を浴びせた後。

 

「あ? 俺が誰に取り憑かれてるだって?」

『……いかん、このままでは本当に消えてしまう。やむを得ん……』

 

 何やらか細い声になり、静かにカールの周囲から消えていった。

 

 ……どうやら賊は、カールに取り憑くのに失敗し逃げ出したらしい。

 

 

「逃げたか、あの野郎。殺しても死なねぇなら、どうすれば……」

「馬鹿ね、イリーネの魔法で一発じゃない」

「うわぁ!? マ、マイカ?」

 

 

 斬ってもなお、相手に乗り移って存在を保とうとする化け物。

 

 そんな怪物を倒すにはどうすればいいか、カールは途方に暮れていた折に突然話しかけられた。

 

「お、お前等。良かった、無事だったか」

「カールこそ、よくやったわ」

 

 見れば、それはカールの進撃を見て合流すべく引き返してきた自警団とマイカ達だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リョウガはどう?」

「……心身喪失状態ねぇ。命に別状は無いけど、その」

「快復の目処はつかない、かしら?」

 

 サクラは、リョウガを診察して難しい顔をした。

 

 どんなに揺すっても、腕をつねっても、リョウガは身動ぎ1つしない。

 

 彼女はもはや、生きていく上で最低限の反射を認めるのみであった。

 

「こっちは……、イリーネは昏睡してるだけなのね?」

「何故か、ほぼ精神はノーダメージみたい。結構長時間、禁呪を食らったはずなんだけどぉ」

「流石イリーネ、心が強いんだな」

 

 一方でサクラに洗脳されて無さそうと太鼓判を押されたイリーネは、ムニャムニャと笑って「弾ける肉厚……」と謎寝言を言っていた。

 

「イリーネはともかく、リョウガの状態はかなり悪い訳ね」

「心を壊されれば、人は死んだのと変わらないわ。あの魔法が禁呪に指定されたのも、納得よぉ」

「愚痴っても仕方ねぇ。……リョウガの事は、後でゆっくり考えよう」

 

 そこで話を切ると、マイカはリョウガをおぶって立った。

 

「私がリョウガを背負うから、自警団は先行して道を確保してくれない?」

「ああ、承ろう」

「カール、アンタは私達の後ろを護衛しなさい。まだ、賊が遠巻きにこっちを見てる」

「俺が居る限り近づいては来ないだろうがな。よし、任された」

 

 こうしてカールを殿に、全員で悠々とレッサルに帰還した。

 

 自警団が先行し、その後ろにマイカ、サクラとイリーネを背負ったマスターが追従する形だ。

 

「どこかに、レヴが見当たらないか?」

「リョウガが突っ込んだ時にいたみたいだけど……、見失ったわね。焦らなくても良いわ、イリーネさえ目覚めれば正気に戻せると思うから」

 

 これで、残す目標はレヴの保護だけ。

 

 本音を言えば今すぐ探し出したいところだが、今は退路の確保が優先だろう。

 

 カールは周囲に気を配りながら、撤退する仲間を見守り続けた。

 

 

「……ん」

「あら、リョウガ?」

 

 

 

 5分ほど歩いたころだろうか。

 

 マイカの背中から、小さなうめき声が上がった。

 

「ちょっと皆、ストップ。リョウガが今……」

「え、もう意識が戻ったのぉ?」

 

 モゾモゾ、とリョウガがうめき声と共に動き始めたのだ。

 

 マイカはリョウガを地面に降ろし、座らせてみた。

 

「……あんた、大丈夫? 無事?」

「うー、イテテ。頭が割れそうだ」

「もう喋れるようになったの?」

 

 地面に降ろされたリョウガは、頭を押さえ呻いている。

 

 しかし、はっきりと意識は戻っている様子だった。

 

「すまんな皆、心配かけた。キッツい魔法だぜ、まったく」

「お、おかしら……、大丈夫ですかい?」

「何とかな。これでもお前らの団長だぞ、リョウガ様をなめんじゃねぇ」

 

 その言葉に、サクラは小さく息を飲んだ。

 

 ……今の彼女は、サヨリではなく『リョウガ』のままの様だ。兄を失った記憶を持たぬサヨリ、つまり偽物のリョウガ。

 

「もう大丈夫だ。立って歩ける」

「禁呪に指定されてる魔法を食らったのよぉ、無茶しちゃいけないわ」

「へ、禁呪だぁ? 大したことなかったぜ、あんな魔法」

 

 リョウガはそう言うと、ふらつく様子もなく立ち上がった。

 

 足取りはしっかりしている。リョウガは本当に、復活したらしい。

 

「おお、流石だなリョウガ。もう復活するとは」

「カールか、お前こそ流石だぜ。あんな強い奴らを次々と……、完全に計算外だったぜ、良い意味で」

「そっちこそ、しっかり約束守ってくれてありがとうな」

「約束? ああ、アレか。俺は約束は守る男なんだ」

 

 ニシシ、と笑い合うリョウガとカール。

 

 心の奥まで『リョウガ』に染まり切った少女は、まるで男同士の様にカールと手を組み交わした。

 

 

「……ねぇ、リョウガ。本当に貴方、大丈夫?」

「何がだよ、お嬢ちゃん」

 

 

 サクラは、心配げにリョウガの手を握る。

 

 精神的にかなり重症で、快復の見込みは薄かったリョウガ。その彼女がこの短時間で復活できた理由は、おそらく『再びサヨリだったことを忘れた』から。

 

 もし、再び彼女がサヨリだった事を思い出してしまえば、再び彼女は心神喪失状態になるだろう。

 

「イリーネはともかく、貴女は重症だった筈よ。大人しく誰かに背負われていた方が良いわ」

「あら、マイカ」

 

 その意見に同調して、マイカも口を挟んだ。

 

 彼女が人の心配をするなんて珍しい、とカールは目を見開いた。

 

「俺の方が重症だった、だぁ? 普通に考えて、今も寝てるイリーネの方が重症だろ」

「馬鹿、リョウガの方が重症だったってサクラに聞いたわ。ほら、背負ってあげるからこっちに来なさい」

 

 そう言うと、マイカはニヤリと笑って縄を取り出した。

 

「縛り上げて引き摺られたくなかったら、おとなしくしなさい」

「お、おいおい荒っぽいな」

「縄で縛られるのはお嫌い? 見たところアンタ、人を縄で縛る方が好きそうだもんね」

「やめてくれ、俺にはどっちの趣味もない」

 

 怖めの笑顔のまま、マイカはリョウガを縛り上げようとゆっくり近づいていく。

 

 マイカが本気な事を悟ったリョウガは、冷や汗を垂らしながら後ずさりして────

 

 

 

『ちっ、縛られる訳にはいかん』

「逃げるな!」

 

 

 

 そのままマイカに近づかれるのを嫌ったリョウガは、背後に大きく跳躍した。

 

 間髪入れずにマイカは縄を投げたが、躱されてしまった。

 

「……カール、リョウガを取り押さえなさい!」

「お、おい! これって一体」

 

 カールは、まだ状況を飲み込めていない。

 

 しかし、リョウガから邪悪な気配が漂っていることには気が付いた。

 

「……まさか、リョウガは」

「ええ、乗っ取られてるわ」

 

 マイカのその言葉を聞いて、全員が戦闘体制に入る。

 

 一方でリョウガ(?)は、ポリポリと頭をかいた後に呆れるように笑った。

 

『何処で気付いた?』

「リョウガは、私やイリーネを『たん』付けして呼ぶの。あと、イリーネはアンタの指示で昏倒させてるんだから、今も寝てて当然でしょ」

『む……』

「最後に、その娘は私を縛り上げた時に『女の子を縛るのが大好き』って公言してたわ」

『……気持ち悪い奴だな、コイツ』

「実の兄の言動を模してるだけなんだろうけどね」

 

 マイカは、先程カールが『悪党族のボス』を斬った瞬間を遠目で見ていて、ある程度予測していたのだ。

 

 人に乗り移れると宣言した『ボス』がカールへの憑依に失敗した後、何処に向かうかを。

 

 一番近くに有って、かつ乗っ取りたくなる優れた身体は……リョウガしかいない。

 

「リョウガを、解放しろ……!!」

『解放しろったって、もう廃人だよコイツ。放っておいても衰弱するだけさ、私が使ってやった方が有効活用さね』

「それ以上……、それ以上その娘の人生を無茶苦茶にするな! 悪党族!!」

『そんなの知ったこっちゃ無いよ』

 

 友達が乗っ取られた事を知り、カールは激怒した。

 

 鬼のような形相でボスに乗り移られた『リョウガ』を睨み付けている。

 

「殺してやるぞ……っ!!」

『おお、こわいこわい。お前にはどうも勝てる気がせん』

 

 今すぐにでも斬りかかりたい。

 

 しかし、リョウガごと斬るわけにはいかない。

 

 そうこう葛藤している間に、ボスの女は仲間に向けて宣言した。

 

 

『皆の衆、安心しろ! 私はまだ生きているぞ』

「これは……ボスの声!?」

 

 

 それと同時に、先程斬られた筈のボスの肉体が再構成される。

 

 起き上がった頭領の姿を見た悪党族は、歓喜に包まれた。

 

『今死んだのは私の偽物だったのさ。トリックだよ』

「流石ボスだぜ!!」

 

 あの目の死んだ女は、みるみると修復され先程と変わらず立っている。

 

 

「……死霊術。さてはあの女、自分の死体を操ったわね」

 

 

 ……あの女性も、今のリョウガの様な『被害者』だったのかもしれない。

 

『さぁて、私はいったん引かせてもらおう。少し、怪我も負ったしね』

「……てめぇ! 逃げる気か!」

『逃げさせてもらうさ。本当はお前らを傀儡にして持って帰るつもりだったが……、今回は許してやろう』

 

 リョウガの姿を借りたボスは、自嘲気味に笑いながらカールに背を向けた。

 

『今回の戦果は、この女の肉体だけで妥協しとくよ』

「……逃がすと思うか!」

『ああ、思うね』

 

 即座にカールは、逃げるリョウガを追った。

 

 彼女に斬りかかる事は出来ない。しかし、取り押さえることは出来る筈────!

 

『お前が居ない状況で、お前の大切なお仲間が無事にお家に帰れるとでも?』

「……」

 

 そのボスの捨て台詞と同時に、周囲の賊が咆哮した。

 

 賊どもの皆が目の光を失い、獣のごとく奇声を上げて剣を構える。

 

『ほらお行き、私の可愛い下僕たち。一人でも多く、奴らを殺すんだよ』

「ぐ、カール! この数は────」

 

 女は、物量作戦に出たのだ。

 

 死した兵で有ることを強みに、賊達を突進させた。カールに殺されることをも厭わず。

 

 

「ちょ、きゃああ!! 誰か、助けてぇっ!!」

「お嬢ぉ!! この、離れやがれ!」

 

 

 カール一人ならば、賊の群れなど切り分けて突き進めよう。

 

 だが彼の仲間は、カールが居なければ満足に撤退すら出来まい。

 

「……みんな、俺の後ろに来い! 自警団、悪いが非戦闘員(みんな)の周囲を固めてくれ」

「分かった! カールの旦那を援護するぞ!」

 

 カールは、ボスの追撃を諦めざるを得なかった。

 

 高笑いして立ち去るリョウガを見送りながら、悪党族に強襲されている仲間をレッサルまで撤退させるため、カールは殿の役目を強いられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぜぇ、ぜぇ」

「旦那、味方は大方離脱出来ました!」

「そうか、はぁ、はぁ」

 

 荒れ狂う敵の中を、必死で切り裂いて。

 

 一人、最前線に残り続けたカールと自警団の精鋭は、とうとう仲間を戦場から撤退させることに成功した。

 

「……旦那も、撤退を! 流石に、もう限界でしょう」

「ああ、正直やべぇ」

 

 戦闘の負担は、カールに集中していた。

 

 賊のボスからして、カールは何としても殺したい存在だ。彼の死体を利用できれば、さぞかし有用に違いない。

 

 だからボスの支配を受けた雑兵は、みな命を捨ててカールに斬りかかったのだ。

 

「でも、お前らが先に逃げてくれ。奴等の狙いは俺だ」

「ですが旦那!」

「心配は要らねえ。俺の仲間のために今まで戦ってくれてありがとう、自警団。最後くらい、俺に命を張らせてくれ」

「……」

 

 敵は大軍だ。しかも、殺しても殺しても蘇ってくると来た。

 

 今カールが撤退すれば、少なからず自警団に犠牲者が出るだろう。命を恐れず突っ込んでくる敵と言うのは、本当に恐ろしいのだ。

 

 

「……恩に着る。カールの旦那の心意気を無駄にするな! 迅速に撤退せよ、自警団!」

「おお、早く行け」

 

 カールを先に逃がしたら犠牲が出る。それを悟っていたらしく、自警団も意地を張りはしなかった。

 

「何から何まで、本当にすまねぇ。カールの旦那」

「良いってことよ」

 

 こうして、とうとう戦場にカールが一人残された。

 

 自警団さえ戦場を離脱できれば、心残りなくカールも撤退できるのだ。

 

 これが、最後のひと踏ん張り。

 

「……しゃあ! かかってこい!」

 

 

 勇者は一人、多くの死者の群れに囲まれて、無為に剣を振り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけ、人を斬っただろう。

 

 どれだけ、血を浴びただろう。

 

「ぐ、ぐ!」

 

 カールの体力は無限ではない。彼は朝からずっと、休みなく無数の賊を斬り続けれたのだ。

 

 斬っても斬っても、敵は蘇り続ける。まさに、終わりのない戦い。

 

「がぁぁぁ!!」

 

 周囲には人っ子一人いなくなった。

 

 カールは一人、賊を撒きながら森の中へと逃げ込んだ。

 

 これ以上戦えない。今のカールは、正真正銘に限界だった。

 

「このまま、レッサルに逃げ込んだら……街に被害が出るよなぁ、クソ!!」

 

 死体を斬れど、すぐに修復され。

 

 2度斬って、3度斬って、それでもなお賊は立ち上がってくる。

 

 最早今のカールに出来るのは、時間稼ぎのみだった。半日も経てば、きっとイリーネが目を覚ましてくれる。

 

 そうすれば、彼女の『魔法無効化結界』が全てを終わらせてくれるはず。

 

 それまで、彼はただひたすらに『敵を斬り続ける』のみ。

 

 

『あっはっは。随分ヘバっているねぇ』

「……貴様!!」

 

 

 鉛のように重たい剣を振り回し、彼は再び血に染まる。

 

 しかし、いくら戦えど終わりは見えず。限界を迎えつつあったカールに、再び邪悪な声が囁いた。

 

「貴様、何処にいる! 姿を見せろ!!」

『おお、怖い怖い。お前の探し物を届けに来てやったのに、酷い態度だ』

「何だと……!」

 

 やがて、森の奥からゆっくりと『リョウガ』が姿を現した。

 

 憎き敵の姿にカールは全身の力を奮い立たせるが、そのボスの隣に立っている少女の姿を見て色を失った。

 

『この娘を見ろ、お前の仲間だろう?』

「……レヴ!!」

 

 リョウガは……、『ボス』は、レヴの首筋に剣を押し当てた状態で姿を見せたのだった。

 

『お前は仲間を随分大事にしている様だが……。どうだ、この娘は大事な仲間であってるかい?』

「貴様……。貴様っ!」

『この娘はそこそこの良い剣士らしいし、あまり殺したくはないけれど。私は別に、この娘を死体にして操ってもそんなに損はしないんだ』

 

 

 ────ザクリ、と剣がレヴの喉元に突き立てられる。

 

 刃半分ほど、レヴの華奢な皮膚に剣がめり込んだ。

 

 

『キッヒヒヒヒ、あと一押しすれば頸動脈が切り裂かれるねぇ。ドクンドクンと、刃に触れそうになって脈打っている』

「や、やめろ! やめろっ!!」

『ほう、嫌かい? ならその場で剣を捨てて、殺されな。そうしたら、これ以上この娘に手出しはしないよ』

 

 

 そう言うと、リョウガは悪辣な笑みを浮かべてスリスリと剣を擦る。まるで弦楽器でも奏でているかの如く。

 

 剣が動くたび、レヴの首筋の血肉が裂けて、小さく血飛沫が舞い散る。

 

『どうするんだい? この娘が死ぬかお前が死ぬか、2つに1つだねぇ』

「……う、あ」

 

 ボスはこの瞬間を待っていたのだ。

 

 カールが疲弊しきって録に戦えなくなった、この瞬間を。

 

 

「……」

 

 

 ここで、カールがレヴを無視して撤退するとどうなるだろう。

 

 レヴは殺されるかもしれないが、自分だけなら逃げ切れるはずだ。

 

 カールは女神に祝福された勇者。彼の死は、人類にとって取り返しのつかない事態としか言えない。

 

 

『さぁ、選べ剣士』

 

 

 カールがレヴの代わりに殺されたとして、どうなる?

 

 レヴが本当に殺されずに済むかなんてわからない。結局、レヴも殺されるかもしれない。

 

 そうなれば、カールは完全に無駄死である。

 

 

 ────こんなチンケな人質作戦に、乗る必要はない。いや、乗ってはいけない。

 

 ────マイカならどうする。迷わず、レヴを見捨てる筈だ。

 

 ────それに、俺の死体を利用されたらどうする。他の仲間にまで、迷惑をかける事になる。

 

 

「俺は」

『おう』

 

 無表情な顔で、レヴがカールを見つめている。

 

 彼女を救う手立てはない。人類の為、皆の為、カールは死んでやるわけにはいかない。

 

「俺は────」

 

 

 

 

 

 

 

 

「────剣を捨てよう」

 

 

 

 

 ……カールは、その冷酷な答えを選べなかった。

 

「俺がレヴを、見捨てられる訳が無い」

『キッヒッヒヒヒヒヒイイ!!』

 

 愚かな選択であることは気付いていた。

 

 レヴを見捨ててでも、生きて帰るのが正解だとカールは分かっていた。

 

「殺すなら殺せ。一生怨んでやる」

『好きに怨め、私は生まれてこの方、怨まれた報いを受けたためしがない』

 

 だけど。その答えを選べないのが、カールという男の限界なのだ。

 

 大事な仲間と、ちっぽけな自分。その命の重さを比べるべくもない。

 

 

 カールは、誰よりも仲間を愛する男なのだ。

 

 

『グヒヒヒヒ。また、新しいコレクションをゲット……』

 

 

 カールは大人しく剣を捨てた。

 

 四方八方の賊が、大挙として押し寄せる。

 

「ああ、志半ば」

 

 勇者は、何も持たぬ右手を天にかざして目を閉ざす。

 

「申し訳ありません、女神様────」

 

 しばらく声を聴くことのできなかった、女神に懺悔を捧げた。

 

 

 

 

 

 

「……お?」

 

 しかし、いつまでたってもカールが斬りかかられることは無かった。

 

 不思議に思って目を見開くと、何処からともなく飛んできた弓矢が賊を射抜いていたのだ。

 

「こ、こ、こんのぉぉぉぉ!!! 馬カぁールぅ!!!」

 

 それと同時に、凄まじい張り手がカールの頬を襲う。

 

 凄まじい怒気をはらんだその叫び声に、彼は聞き覚えがあった。

 

「……は? マイカ!?」

「あんな相手が、約束なんか守るわけないでしょう!! 素直に剣を捨てる馬鹿があるか、不意を突いてレヴを助ける手段を考えろ大間抜け!!」

「ちょ、お前!!! 何でここに戻ってきやがった!!」

 

 

 それは、確かに撤退したはずのマイカだった。

 

 このツンデレ幼馴染は、カールが心配の余りこっそり撤退せずに隠れていたのだろうか。

 

「俺は、お前らを逃がす為に死ぬほど頑張ったんだぞ!! 何でここに戻ってきた、アホマイカ!!」

「今のあんたに言われたくないわ、この単細胞!!」

 

 周囲の賊はなんのその。張り飛ばされたマイカとカールは、その場で大げんかを始めてしまった。

 

『……お、何か知らんがもう一人傀儡が増えた様じゃの』

「お生憎様。私はあんたに降参する気なんて欠片もないわ」

『そこの剣士は、もう体力も限界だぞ? お前ひとりで、何が出来る』

「そうね、カールを逃がしてレヴを取り戻すくらいはできるんじゃないかしら」

『あ?』

 

 マイカは憮然とリョウガに立ち向かい、不敵に笑う。

 

 その姿には、虚勢やハッタリを感じない。

 

「お、おま、マイカ。この状況を何とか出来んのか」

「私って言うか、実質サクラの手柄なんだけどね」

 

 そう言うと、マイカはカールの手を取って走り出す。

 

「ほら、早く逃げるわよ」

「おい、マイカ!! 馬鹿、俺が逃げたらレヴが────」

「殺されるって? そうはならないから安心なさい」

 

 格好を付けて何をするかと思えば、マイカはカールを引っ張って逃げだすだけ。

 

 ボスは無駄に警戒してしまったと、ガッカリしながら叫んだ。

 

『良いのかい!! 本当に、今からこの娘を殺すよ!』

「殺せないわ」

『本当にやらないとでも思っているのか!? きひひひ、死霊術師にとって死体は────』

「そうじゃない」

 

 リョウガは、最後までその言葉を話せなかった。

 

 それは、決してマイカに台詞を遮られたからではない。

 

「ウチの回復魔術師は優秀でね」

『────痛っ!? な、誰だ!?』

 

 リョウガ────悪党族のボスは、背後から襲われて大きく吹き飛ばされたからだ。

 

 

 そして、振り向いた悪党族のボスが見たモノは。

 

 

 

「……」

『レイ……?』 

 

 

 怒髪天を突き、首に傷を負った妹を抱きしめる『静剣レイ』の姿であった。

 

「な、何でアイツが!」

「アンタにやられて気絶してたのを、サクラが見つけたの」

 

 その剣士は無言のまま、恐ろしい気迫でリョウガを睨む。

 

 その眼に、一切の曇りは無い。

 

「言ってたでしょ? サクラ、ちょっと時間が有れば洗脳を解除できるって」

「あっ」

 

 

 それは、久方ぶりに正気を取り戻した『レヴの兄』の姿であった。

 

 



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63話「レッサル決戦 最後の参戦者」

 その剣士は、漆黒の羽織に身を包んでいた。

 

 その衣装は手元の動きを悟らせぬため、夜闇に紛れて見つからぬため、出血しても目立たぬように。

 

「……」

 

 寡黙な黒い剣士は、妹を手に抱いて無数の死体に囲まれ立っていた。

 

 何より大切な宝物を、誰にも奪われることのないように。

 

 

『勘違いするなレイ。ここにいるリョウガは今や、我らに下ったのだ。自警団の長は捨て置いて、お前はカールとかいう剣士を追え!』

「……」

 

 ボスは当初、レイが攻撃したのは『自分がリョウガの姿をしているから』だと考えた。

 

 自分の『古代魔法』による洗脳が解けているなど、想像だにしていない。彼の扱う洗脳の古代魔法を知っている者など、そうそう居ないのだから。

 

 学術都市で古代回復魔法をキッチリ習得していた回復術師(サクラ)の存在など、想定だにしていなかった。

 

 

『さぁ、行けレイ』

「黙れ」

 

 レイの心は、自分が縛っている。

 

 何が起きようと、自分が話した内容は素直に信じる筈なのだ。

 

 

『嘘じゃない、本当さ。ほら、よく私の目を見て────』

「黙れと言っている」

 

 

 しかし、レイはその見苦しい言い分を一蹴し、静かに剣をリョウガに向けて構えた。

 

 

 

 

 

「……妹に剣を向けた奴の言葉なぞ、聞く耳を持たん」

 

 

 

 

 その強い意志のこもった瞳を見て、ボスは『洗脳が解けてしまった事実』を悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静剣レイ。

 

 彼は、『国で一番有名な冒険者』の一人息子として生を受けた。

 

 その冒険者とは、誰よりも鮮やかな剣技で名を馳せた伝説の剣豪『グラッド』、そしてその妻『フィオーレ』夫妻。

 

 その名を聞けば盗賊は恐れおののき、兵士は畏敬を抱き、権力者は苦虫を噛み潰した様な顔になった。

 

 

『おお、勇者様の末裔だ……』

『何と凛々しい……』

 

 

 この夫妻が民衆から絶大な支持を受けていたのには、もうひとつ理由があった。

 

 彼らはそれぞれ、数百年前の『勇者』の血を引く冒険者だったのだ。

 

 先祖返りのように、かつての勇者を彷彿させる能力を持って生まれた『平民』たる彼らは、民衆にとっての希望であった。

 

 そして、夫妻も民衆の期待に応えた。例え依頼料が安くとも、彼らは真に困っている者を助け続けた。

 

 

『レイ、お前もきっと俺達の様に強い剣士に育つだろう』

『……そう、なってやる』

『いい返事だ』

 

 

 そんな両親の背中は、幼いレイにはとても大きく映った。

 

 

『ならばレイ。決して、その力の振るい方を間違うなよ』

『ああ……言われるまでもない』

 

 

 父親に剣の手ほどきを受けていた時、レイはこう誓った。

 

 

『……俺の剣は、悪を挫く為に振るう』

 

 

 

 ────その誓いは、いつしか幼い日の記憶として過去のものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────」

 

 レイは、胸の中で眠る(レヴ)の顔を見た。

 

 顔は青ざめ、首には深い切痕があり、息苦しそうに肩を揺らしている。

 

『ち、奴らに何かされたな? 仕方あるまい、それでは……』

「────」

 

 レイは、自分が持っている短剣を見た。

 

 父親から一人前の証として贈られたその剣は、民の血で赤黒く染まっている。

 

『全員でかかれ、再教育だ』

「「ヴォォォ!!!」」

 

 

 死体となった兵士達が、再び咆哮を上げる。

 

 先ほどのカールと同じように、レイを物量作戦で討ち取るつもりのようだ。

 

 

「────ああ、汚れたな」

 

 

 黒い剣士は自らの体躯を、四肢を呪った。

 

 彼の身は逃れえぬ『醜悪な楔』を打ち付けられ、両親に顔向けできなくなった。

 

 

「汚れて、汚れて、腕が腐り落ちそうだ。こんな手で、妹を抱きしめているのか俺は」

 

 

 彼の周りには、賊が殺到している。

 

 だというのに、レイはいつまでも呆然と自分の手を見つめたまま。

 

 

 

「……すまん、父」

 

 

 

 そう言ってレイは、襲い来る賊と賊の間の隙間をすり抜けるように滑った。

 

 レイは、自分が悪党族の衣装を身に付けている事を利用して、軍団に溶け込んだ。

 

 突如として目標を見失った賊は、混乱して互いに斬り合いになっている。

 

 

『馬鹿者、何をやっている!』

 

 

 目立たず、敵陣の懐へと潜り込んだ剣士。

 

 近接戦闘のスペシャリストに、こうなってしまえば敵うべくもない。

 

『何処だレイは何処に────』

 

 

 やがて、賊のそこかしこから血飛沫が飛んで。

 

 剣士による、制圧が始まった。

 

 

 

 

 

 

「待ってろレヴ」

 

 妹は、きっと賊のボスに何かをされている。

 

 彼女を治すには、サクラという回復術師の元に届けるしかない。

 

 

『まだレイは見つからないのか! この無能ども!!』

 

 

 背後から、ボスの怒声が響いている。

 

 かつて自分を救ってくれた……、自分を救ってくれたと『信じていた』女の声。

 

「レッサルで見捨てられ、悪党に利用され」

 

 静剣の刃に、もはや正義はない。

 

 レイは何もかも堕ちぶれた、外道の一人。

 

「レヴに知られたら、嫌われるだろうな……」

 

 だから何だというのだ。外道に落ちようと、悪に染まろうと、レイは妹だけは助けて見せるつもりだ。

 

 敵陣の中を切り分けて、兄は妹を抱き進む。

 

 無数の賊は、目に光の無いまま剣を振るう。

 

「……」

 

 

 

 数十の賊の首を飛ばし、やがてレイは囲みを抜けた。

 

 こうなれば話は早い。ひたすら、レッサルを目指して駆け抜けるのみ。

 

 

『囲みを突破された!? ……おのれ、恩知らずめ!!』

 

 

 

 苦しそうに喉を掻く妹。

 

 傷口を放っておけば、細菌が入って重傷となってしまうかもしれない。

 

 腐っても、ここはレイの故郷。彼は土地勘のある森の中を、太陽の方角を頼りにまっすぐ駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて森を抜けて、静剣はレッサルへと辿り着いた。

 

 荒廃してボロボロになった城門が、レイの前に聳え立っている。

 

「……門を開けてくれ!」

「げぇぇえ!! 静剣が、静剣が出やがったぞ!」

「落ち着け、お前たちと敵対する意思は無い!! お前らの仲間を連れてきた!」

 

 

 そう言うと、レイは静かに妹を門の前に横たわらせた。

 

 自分が、レッサルの住人から歓迎されないことは重々承知だった。レイだって、レッサルの人に思うところが無い訳ではない。

 

「カールと言う男の仲間の女だ。丁重に扱え」

「カールの旦那の? ……確かにその娘、旦那と一緒に居たような」

「この娘は洗脳を受けている。まず、カール陣営の回復術師に見てもらってくれ」

 

 そう言い終えると、レイは再び立ち上がった。

 

「もうここに用はない、俺は去る。後は任せた」

「えっ? お、おいお前!」

 

 これで、彼の『兄』としての責務は果たした。

 

 妹は、もう自分の居場所を見つけている。そこに、悪党たる自分が入り込む余地はない。

 

「……あの女と、決着を付けてくる」

 

 レイは、名残惜しそうに妹を一瞥し。

 

 血濡れた剣を握りしめ、再び森の中へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あなたは、死霊術師に操られていたのよ』

 

 マイカ────レヴの仲間の少女は、そう言った。

 

『俺は、俺は……! 何てことを』

『後悔は後にしなさい。今、まだあなたの妹が賊に捕らえられているのよ』

『……っ!』

 

 正気に戻ったレイに、マイカは手短に情報を伝えた。

 

『……殺してやる。あの女、俺の剣のサビにしてやるっ!!』

『だめよ。……あの魔術師は、殺されても死なない。殺した相手に、乗り移れるそうよ』

『何?』

 

 マイカは、レイに『レヴを奪還して戻ってくる事』だけを頼んだ。

 

 何故なら、レイは元々賊に洗脳されていた身である。せっかく味方になったレイが返り討ちにされ、再度洗脳されたくなかったからだ。

 

『レヴさえ戻ってくれば、後はどうにでもなるわ』

『……承知した。妹は、俺に任せてくれ』

 

 そして、レイは律儀にその約束を果たした。

 

 敵陣にたった一人で切り込んで、レヴを奪還しレッサルへと運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これで、家族への義理は果たした。

 

 後に残った仕事は、『ボスに落とし前を付けさせる』のみである。

 

 

 レイは森に身を潜め、息を殺した。

 

 目的はただ一つ。悪党族のボス────つまり、今は『リョウガ』の首である。

 

 

 ────聞けば、悪党族のボスはカールに乗り移れなかった際『このままでは消えてしまう』と言ったらしい。

 

 

 そう、ボスを殺す方法はちゃんとあるのだ。

 

 それは奴に気付かれぬまま首を狩り、そして捕捉される前に撤退する事。

 

 そうすれば、ボスの周りに生者が居ない限り『ボスは誰にも憑依できずに死んでしまう』だろう。

 

「木の上から奇襲をかけて殺し、そのまま木々を渡って逃げよう」

 

 レイのこの作戦は罪のない少女(リョウガ)を殺すことを意味している。

 

 しかし、この他に悪党族を滅ぼす手段などないだろう。

 

 

 ────元々、リョウガを名乗る少女の心は壊れているのだ。

 

 他ならぬ、レイ自身が彼女の兄を切り殺した事によって。

 

 

「俺の剣は、もう既に汚れきっている」

 

 

 そんな残酷な役回りを、カール達の手に委ねるわけにはいかなかった。

 

 無実の人間を斬るなんて言う外道を背負うのは、自分一人で十分なのだ。

 

 何故なら、今のレイには誇りも誉も残っていないのだから。

 

 

「これ以上汚れたとて、何も変わりはしない」

 

 

 こうして、レイは森に潜む暗殺者と化した。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 探す事、数刻。

 

 レイは木々の陰に潜んだまま賊に見つかる事なく、とうとうリョウガの姿を捕らえた。

 

 

『あの恩知らずめ、本当に散々だ』

 

 ボスは大層に不機嫌だった。

 

 意味もなく近くの兵士の首を斬り飛ばしては再生し、悦に浸っていた。

 

 よく見れば、賊の兵共は皆肌の色がくすんでいて生気がない。よくもまぁ、アレを生きていると認識していたものだ。

 

 きっと、それを含めて認知を歪まされていたのだろう。

 

『こうなれば、全員でレッサルを襲撃してやる。魔力はまだまだ余裕が有るんだ、私を舐めたアイツらに地獄を見せてやろう』

 

 ボスは随分と物騒な言葉を口にしていた。

 

 悪党族が本気でレッサルを襲撃したら、甚大な被害が出るだろう。

 

 あのカールという剣士を以てしても、物量差で最後には敗北するに違いない。

 

 

 やはり、リョウガを殺すしかほかに道は無い。

 

 

 

『キッヒヒヒヒヒ!! ほら、お前達行くんだよ────』

 

 

 

 リョウガは、自分に気が付いていない。

 

 今が最大の好機だ。レイは木陰に身を潜めたまま、しっかりと剣を握りしめて。

 

 

 

「……オラぁ!!」

 

 

 剣の間合いにリョウガが入った瞬間。彼は猛然と、その短剣を振りぬいた。

 

 

『キヒヒ、そろそろ来る頃だと思っていたよ』

「むっ!」

 

 その彼がリョウガに向けて踏み込んだ瞬間、待っていましたと言わないばかりに雑兵が密集する。

 

 どうやら、読まれていたらしい。

 

『お前自身が前に語っていたじゃないか。自分が一番得意な戦闘スタイルは暗殺だと』

「……ボス」

『敢えて、お前が斬り込みやすい隙を用意しておいたのさ。私は、お前の事を何でも知ってるんだよレイ』

 

 魔術師はニタニタと嫌らしい笑みを浮かべ、賊に囲まれたレイを侮蔑した。

 

『貴様を人形にする時に、全て聞き出していたからねぇ』

「……貴様!!」

 

 そう。洗脳を受けるときに、レイの手札は全て包抜けにされていたのだ。

 

 流石に悪党族を此処まで大きくした女、その用意周到さには舌を巻くほかない。

 

「貴様を殺しに来たぞ、ボス」

『悲しいねぇ、さっきまでは、あんなに忠誠を尽くしてくれていたのに』

「貴様の傀儡に成り下がっていた、この身を引き裂いてやりたいくらいだ」

『そんな勿体ない。まだまだ、私が利用してあげるというのに』

 

 奇襲が失敗に終わっても、レイはまだ平然としていた。

 

 悪党族の雑兵がいくら集まっても、レイに敵うはずがないのだから。

 

『なぁ、レイ、こっちに来なよ。もう一度、人を殺して蹂躙して、好きに気ままに生きていこうじゃないか』

「ああ、その通り。俺も、今から貴様を殺して蹂躙してやろうと思うんだ」

『寂しい事を言うなよ、私達は仲間だったろう?』

「今の俺がまだ、貴様の仲間と思っているのか?」

 

 レイの手札は全てバレている。

 

 だとしても、それは勝負を諦める理由にはならない。

 

「改めて宣言しよう。ここで貴様を殺して、悪党族に終焉を突き付けてやる」

『じゃあ、こちらも宣言しよう。数分後には、貴様は再び私に頭を下げて忠誠を乞うているだろう』

 

 

 

 

 こうして、男と巨悪が退治する。

 

 互いがその誇りをかける、命懸けの勝負が今────

 

 

 

「合意と見て、よろしいですね?」

 

 

 

 ────幕を切った!!!

 

 

「……え?」

「ただいまの勝負は、この私が見届け人としてジャッジさせていただきますわ!!」

 

 互いに啖呵を切り合った瞬間、意気揚々とした声が戦場に響き渡った。

 

 レイが突然の『何者かの乱入』に困惑して周囲を見渡すと、戦場にいつの間にか一人の少女が颯爽と駆けつけて来ていた。

 

 

『……えっ。お前、何?』

「……えっ? 何なんだ、あんた」

「私は、流離いの真剣勝負見届け人。正々堂々の勝負を司る者!!」

 

 レイは、ソイツに見覚えがあった。

 

 彼女は、確かレヴに拘束されていたカールパーティの貴族の女────

 

「その勝負、私が戦うに相応しい決戦の舞台を整えて差し上げましょう!!」

「あ?」

「それは、古代より伝わる伝統の決戦方法。魔法なんて無粋なものに頼らず、己の肉体のみで覇を競う漢の祭典」

 

 

 彼女は、そう口上すると不敵な笑みを浮かべて。

 

 何かに祈るように、天に向けその腕を掲げてその魔法を叫んだ。

 

 

 

古代闘技場よ(アンティーク)いざ咲き誇れ(コロッセオ)!!!」

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 彼女の周囲から蒼く美しい結界が、音もなく湧き上がった。

 

 

 



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64話「レッサル決戦 決着」

「イリーネ! 目が覚めたのね」

 

 暖かなサクラの笑顔が、寝起きの俺を出迎える。

 

 微睡みの中、気付いたら俺は柔らかなベッドの上で横になっていた。

 

「ほわぁ。サクラさん、おはようございますわ」

「気分はどう? ……悪夢を見たりしてないかしら?」

「え、悪夢ですか?」

 

 妙に身体が重い。まるで、過負荷をかけすぎた筋トレの後の寝起きのようだ。

 

 それに何だか、とても長い時間眠っていた気がする。

 

 そう、それは深い闇の中をさ迷っていたような嫌な眠り。

 

「そうですわね。何だか、とても嫌な夢を見ていた、様な?」

「……そう。頭は痛くない? 吐き気はある?」

「……えっと」

 

 親友は、随分と心配そうだ。

 

 ……何の夢を見たんだっけ。俺は確か、全身がヒョロヒョロガリガリに痩せ細る夢を見ていた気がする。

 

 とんでもない悪夢だった。俺の自慢の筋繊維が悲鳴を上げていて、胸が張り裂けそうだった。

 

「大丈夫ですわ。今は、もう何も」

「良かった。貴女、あのまま心を壊されていても不思議じゃなかったのよぉ? こうして平然と話が出来ているのが不思議なくらい」

 

 サクラはいつものように心配げな顔で、俺の目を覗き込んだ。

 

 ……心を壊される?

 

 

 

「……あっ!! そうですわ、悪党族!!」

「あらあら、さっきまで寝惚けてた訳?」

「悪党族はどうなりましたか、サクラさん! 私、レヴさんに捕まって────」

「レヴは無事よ、静剣が取り戻してくれたから。カールもマイカも、このレッサルに戻って来てるわよ」

「……そうですか」

 

 ここで漸く、俺は全てを思い出した。

 

 そうだ、俺ってばレヴちゃんに拘束されて拷問されてたんだった。

 

「私、足を引っ張ってしまいましたわね」

「仕方ないわよ。仲間だと思ってた娘に不意討ちされたんだから」

 

 ……。

 

 いや、俺は人の嘘を見抜くのは得意な筈だった。レヴちゃんが嘘をついている気配に気が付いていれば、あんな事にはならなかった。

 

 普段とレヴちゃんの違いに気付けなかった、俺の責任だ。

 

「それより、イリーネはもう動けるかしら?」

「え? まぁ、恐らく」

 

 サクラにそう聞かれ、俺は手をグッパと開いて握る。

 

 少し寝起きでフラつくけれど、体に力は入る様だ。

 

 念のため全身の筋肉を躍動させて、異常がないことを確認した。

 

筋肉(からだ)に問題ありませんわ」

「……そう。本当は、もうちょっと安静にしてもらいたいんだけど」

「ふむ、その口ぶり。私に何か仕事があるのですね?」

「ええ」

 

 俺はサクラの手を借りて立ち上がり、彼女を促されるまま歩いていく。

 

「マイカに、会いに行くわよ」

「分かりました」

 

 俺達の参謀長からの呼び出しらしい。

 

 ……どうやら、俺にしか出来ない仕事がある様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、言う感じで。

 

 俺は、マイカに指示されるまま森の中で、

 

古代闘技場よ(アンティーク)いざ咲き誇れ(コロッセオ)!!!」

 

 筋肉天国(マッスルミュージカル)を開演したのだった。

 

「……何だコレは!?」

『────』

 

 むふぅ。実に心地よい。

 

 この結界の中の、魔法も何も使えず身体1つになった解放感は実にグレートだ。

 

『これ、は────』

「……奴は、苦しんでいるのか?」

「聞きなさい、静剣レイ。この私の魔法の中で、奴は誰かに憑りつくことは出来ませんわ」

 

 無事に周囲に筋肉の祭典を展開した後、俺はドヤ顔で腕を組んだ。

 

 後の仕事は、この結界を維持するだけである。

 

「周囲一体に、魔法を無効にする結界を張りましたの。これで奴は、死霊術も洗脳魔法も使えない」

『馬鹿な? そんな、こんな魔法を私は知らない────』

「貴方がここから逃げ出す為には、正々堂々の肉体戦しかありません。覚悟はよろしくて?」

 

 悪党族のボスは、言葉が震えるほど動揺していた。まるで、何の前触れもなくいきなり手札全てを奪われたかのような狼狽ぶりだ。

 

 

 

 

 

 ────見える。

 

 俺にははっきりと、リョウガに憑依している『何か』が揺らぎ始めたのが見えた。

 

 どうやら死霊術とは、人間の『魂を操る魔法』らしい。

 

「……そうか。なら、俺はこのままリョウガを殺せば良いのか?」

「やめてください。これ以上、まだあの娘を傷つけるつもりですか」

 

 レイの方は少し困惑しているが、闘志は全く消えていない。それどころか、殺気まで放っている始末だ。

 

 何のために、俺が筋肉祭を開催したと思っている。

 

「簡単に人を殺す覚悟を決めないでくださいまし。人を殺さない覚悟も出来ない人が」

「……では、どうすれば良い」

「リョウガ────いや、サヨリさんの精神(こころ)を呼び起こしてください。それで、あの巨悪は身体から弾き出される筈」

 

 死霊術の原理が見えてきた。どうやらソレは、精神魔法とセットで使う魔術体系の様だ。

 

 おそらく死霊術は、魂と肉体の『接着剤』の役割を果たしている。人間の魂を、人間の体にくっ付ける魔法だ。

 

 そして精神魔法は、その魂の『コントローラー』。一度死んで無意識になった人間の『魂』を操っているのだ。

 

 

 ────周囲を見渡すと、先程まで剣を構えて威圧していた賊達が棒立ちになってポカンと口を開け立っていた。

 

 『死霊術』が純粋に死体を動かすだけの魔法なら、筋肉天国の中で周囲の賊は立っていられないハズである。

 

「心だと? そんなの、一体どうやって」

「もう、私が奴の死霊術の効果は打ち消しております。今のサヨリさんなら、心が戻ってくれば身体を取り戻せる筈ですわ」

「だから、どうしろと────」

 

 今、サヨリの心は死んでいる。だから、『死霊術』という接着剤を失った状態でも、悪党族のボスに肉体を支配されたまま。

 

 その哀しき少女の心を呼び起こす事さえ出来れば、おそらくボスの魂は肉体から弾き出される。

 

「それくらい、貴方が考えなさい。静剣レイ」

「……なっ」

 

 だが、俺達はサヨリのことを何も知らない。

 

 本物のリョウガも知らないし、レッサルに来たのだって今回が初めてだ。

 

 俺達が話したのは、『リョウガに扮した妹のサヨリ』だけなのだから。

 

 たまたまレッサルの立ち寄った外様である俺達では、きっとリョウガを救えない。

 

「心が壊れたサヨリさんを救う。それは、貴方が背負うべき責務でしょう」

「……っ!」

 

 だから、俺がしてやれるのはここまで。ここから先は、レイという男を信じるのみ。

 

 今回の俺は脇役だ。筋肉天国(マッスルミュージカル)で肉の感謝祭を展開し、レイのサポートに徹する。

 

 ……そもそも、俺よりレイのが強いしな。

 

『来るな。待て、これはどういうことだ、なぜ私の死霊術が』

「そうだな。俺が為すべきは、あの娘を殺す事なんかじゃなかった」

 

 まだ狼狽したままの巨悪に向かい、レイはその手の剣を構えた。

 

 やるべきことは、定まったらしい。

 

 

「この穢れた腕に流れる、誇り高き血に賭けて。あの少女を救うと、約束しよう」

 

 

 その瞳に、もう迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

『おい、私のかわいい配下達よ! 何故棒立ちしている!!』

 

 一方で魔術師は、必死の形相で棒立ちしている死者に呼びかけていた。

 

『貴様らがそうして体を動かせているのは、私のお陰だぞ! 私が死んだら、お前らは物言わぬ死体に戻るんだ』

 

 悪党族のボス本人は、魔術師ではあるが最低限は近接戦闘をこなせる。しかも、今のその肉体は日々過酷な訓練を重ねている『サヨリ』の物だ。

 

 レイの斬撃を躱し、逃げ惑う程度の動きは出来るだろう。だが、死者兵の味方なしにレイに勝てると己惚れはしなかった。

 

『死霊術のサポートがなくとも、体を動かす事くらいは出来るだろう。まだこの世界に存在したければ、私を守れっ……!!』

 

 ボスはそう言って、配下の死体にレイへの攻撃を命じた。

 

 貴族の女が展開したこの『蒼色の結界』こそが、死霊術を使えなくなった原因と予想はつく。なのでボスは、死者に時間稼ぎをさせて結界内部から脱出しようと目論んだのだ。

 

『……どうした! 何故誰も動かない』

「当たり前だ、お前の魔法はもう解けている」

『霊が肉体に憑依さえしていれば、魔法の影響が無くなれど動ける筈だ。魔法と霊魂は別物なんだぞ!!』

「そんな事を言ってるんじゃない」

 

 しかし、周囲の賊はぼんやりとリョウガを眺めれど、棒立ちしたまま動かない。

 

 中には自らの首を落としたり、明後日の方向を向いて何処かに祈りを捧げだす者も居る始末である。

 

「あの者たちの中に、貴様に従ってこの世に留まろうなんてモノ好きは一人もいない」

『……っ!』

 

 自分の死を辱められ、死後も好き勝手に利用され。それでなお、この世に留まりたいと思うはずもない。

 

 彼に利用された死体たちは、今のうちに滅んでしまいたいと、そう考えるのが道理だった。

 

 

 

「────さて、自警団の長リョウガの妹。お前に伝えねばならんことがある」

 

 

 

 逃げる賊を追いながら、剣士は言葉を紡いだ。

 

「お前の兄を殺したのは俺だ」

『貴様、何を言う』

「だが、おそらく俺は────一度リョウガに敗れている」

 

 それは、まるで罪を告白しているかのように。

 

 レイは、吐き出すようにサヨリに告げた。

 

 

「俺はリョウガと、正々堂々の勝負を行った。部下を後ろに待機させての、一騎打ちだ」

『……』

「リョウガの剣は早かった。自警団の長を任されるに足る、すさまじい剣技だった」

 

 そこまで言うと、静剣は何かを思い出すように目を閉じた。

 

「はっきり言おう。未熟な俺では今一歩、奴の技に及ばなかった」

 

 

 

 

 

 

 

 その日、レイは自警団と相対した。

 

 自警団の長は、小柄ながら美しい剣技で賊をバッタバッタとなぎ倒していた。あの相手ができるのはレイしかおらず、ボスの命令でレイはリョウガの前に躍り出た。

 

『へぇ、賊の中にも気骨があるのがいるじゃねぇか。その技を持っていて、そんな場所で何してやがる』

 

 リョウガは、獰猛な男だった。

 

 レイの剣を受けて一歩も引かず、切り返して互角に打ち合っていた。

 

 レッサルの荒くれ者の総大将で、喧嘩一本でその地位に就いた男リョウガ。彼の戦闘能力は、群を抜いていたのだ。

 

 それは、英雄に幼いころから鍛えられ続けた剣士にとってまさに好敵手であった。

 

 

『俺と同年代だろ、お前? いいな、気に入った。お前の性根を叩き直して、俺の部下にしてやるよ』

『悪いが、貴様に捕まるつもりはない。俺は、ボスの元に戻らねばならん』

『俺がやるといったら、それは絶対だ。お前に拒否権はない』

 

 

 この時、レイは殺し合いをしているというのに少し楽しかった。

 

 戦う喜びというものは、こういうものなのかと胸を躍らせた。

 

『捕らえてやるぞ、静剣』

『やれるものならやってみろ、自警団』

 

 剣士としてエリート教育を受けてきた自分は、間違いなく同世代で最強だと思っていた。

 

 まだ経験不足で両親や兄貴分カインには劣るものの、そこら辺の冒険者に比べればはるかに強いという自負もあった。

 

『上手いな!』

『お前は、早い……』

 

 だが、目の前の男リョウガはどうだ。自分と互角以上に打ち合っているではないか。

 

 誰にも師事せぬままに、これだけの剣技を習得したのだとすればまさに神童。

 

 少しばかりの嫉妬と、自分の限界以上を引き出されている高揚感。

 

 レイは、賊に落ちてから久方ぶりに笑った。

 

 

 

 しかしその決着は、よく覚えていない。

 

 

『な、何だと!?』

 

 

 ただレイは、血塗れで剣を握り。

 

 自分に背を向けたリョウガを、後ろから刺殺したのは覚えている。

 

 

 なぜ、真剣勝負でリョウガは自分に背を向けたのか。

 

 無我夢中で戦い勝利したと思っていたが、あの決着には不可解な点が多い。

 

 

 

 

 ───全てを知った今なら分かる。きっと、レイは負けたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞こえているか、リョウガの妹。お前の兄は強かった」

『貴様、その記憶まで───』

「宣言通り、俺を生け捕りとしたのだろう。奴は俺にとどめを刺さなかった」

 

 少しばかり悔しそうに、レイはそのまま話を続けた。

 

「そのせいなのだろう。意識がなくなった俺は、ボスに操られリョウガを討った」

『……』

「勇敢なるレッサルの英雄リョウガ、その妹のサヨリ。俺の首が欲しければ、くれてやるから目を覚ませ」

 

 その言葉に嘘はない。

 

 もしサヨリが欲すれば、レイは本当に首を差し出すだろう。

 

「貴様が殺すべき仇は、お前の兄を奪った根本は、今お前の中にある。サヨリよ、貴様があの勇敢な兄の姿を思うなら立ち上がって見せろ」

『お前、それ以上は「……」』

「お前が目を覚まし、身体に巣食う悪魔を追い払え。そうすれば、ついにお前は仇を討てる」

『やめろ、やめ「……あ、う」』

 

 

 ───その時、かすかにサヨリの口が動いた。

 

「どうした! 俺の首が欲しくないのか! 実の兄を殺した俺が、憎くはないのか!!」

『やめ「……な、い」』

「そうだ、口を開け! お前の望みはなんだ、貴様の執念はなんだ!!」

『や「……わけ、ない」』

「その言葉を口に出して見せろ!!」

『「憎くない訳が無いっ!!!」』

 

 

 サヨリの顔に、憎悪が宿る。

 

 発する言葉が飄々としたボスの念話から、荒々しい少女の声へと変貌する。

 

 

 

「……あな、たが! 居なければ……っ!!」

「ああ。俺がいなければ、貴様の兄は死ななかった」

 

 

 

 闇が、晴れていく。

 

 サヨリを覆っていたドス黒い霧が、弾かれる様に体を離れていく。

 

 

「こちらに来い、勇士の妹。貴様に、この首をくれてやる」

「……うるさい!」

 

 レイは、安堵の表情を浮かべた。

 

 サヨリの為に彼にできる事は、その勇敢な死に様を伝えてやることくらいだった。

 

 これで、妹は再び意識を持った。

 

 

「貴様の首をとっても、兄さんが喜ばないことくらいわかってるんだ!!」

「……兄が喜ばずとも、貴様の気は晴れよう」

「馬鹿にするな!!」

 

 

 怒りと、怨恨と。その全てを噛み締めて妹は叫ぶ。

 

 

「偉大なる勇士リョウガの妹は、私怨で人を殺したりしない!」

「……」

「だけど、約束通り───」

 

 しかしどれだけの激情に飲まれても、サヨリは自警団の英雄のままだった。

 

 

「お前は自警団の部下にして性根を叩き直してやる!! 今この瞬間から私に従え、静剣レイ!!」

「……了解した。以後、俺は貴様の部下として在ろう」

 

 

 こうして、剣士と少女は和解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こんなはずでは……』

 

 一方で悪党のその御霊は、虚空をさまよって逃げ出していた。

 

『ああ、このままでは消えてしまう。しかし、この結界の中では誰にも憑りつけない』

 

 誰の中に入っても、あっさりと弾き出される。

 

 意識のない人間を探し出そうにも、周囲には死体しかいない。

 

『うくくく。こうなれば、虫や動物に憑くほかない。屈辱的だが、死ぬよりかは……』

 

 最終手段として、ボスは地中に眠る虫に憑く事に決めた。

 

 ほとぼりが冷めるまで潜伏して、再度復活しようと考えたのだ。

 

 

 まぁ、しかし。そんな甘い考えを、冷徹非情な参謀(マイカ)が見逃す訳もなかった。

 

 

「イリーネ、その煙みたいなのはまだ見えてる?」

「はい、そこに見えますわ」

「ふぅん、まだ滅されてないのね。人間の魂って、精霊とは違うの?」

「近いようですが、少し性質が違うようです」

 

 

 その悪霊の御霊の前に、二人の少女が立ち塞がった。

 

 マイカと、イリーネだ。

 

 

「惨めな姿ね、悪党族の親玉さん。止めを刺しに来たわよ」

『貴様達、なぜ私が見える!?』

「……見えるのは、私だけですわ。これでも、精霊に愛された人間ですの」

 

 

 マイカには、悪党族のボスの姿を検知出来ない。

 

 しかし、イリーネははっきりとその姿をとらえていた。

 

「貴女の精神魔法って、文字通り精神(こころ)を引き裂くんですってね。恐ろしい魔法もあったものよ」

『……私から魔法を奪っておいて、よくもそんな口を!』

「じゃあ、これはちょっとした実験なんだけど。精神を引き裂かれるのと、精神を切り裂かれるの、どっちが辛いのかしらね?」

 

 そのマイカの言葉に、ボスはポカンとする。

 

 何を言っているんだ、とでも言いたげに。

 

 

「本当にたまたま偶然なんだけど」

 

 

 マイカは、ニタニタと残酷な笑みを浮かべながら、その悪霊に語り掛けた。

 

 

「私、斬れるものなら何でも斬れる奴が知り合いにいるのよ」

 

 

 

 

 

 ───一閃。

 

 

 

 虚空を、勇者の剣が両断する。

 

『がああああああっ!!!』

「……すごい声で、叫んでいますわ」

「へぇ、やっぱり痛いのね」

 

 

 悪党の背後からのそりと、勇者カールが姿を見せた。

 

 休養も取れて元気十分、彼は自慢の大剣をボスの魂に向けて再び構える。

 

 

「俺にも、なんか薄ぼんやりと見える。これだろ、イリーネが見えているの」

「ええ、そこですわ」

『ああああああああっ!!』

 

 どうやら、カールにもうっすらとした『黒い霧』が見えているらしい。

 

 この女ほど薄汚れた魂なら、霊感のある人間は目視できるのかもしれない。

 

「リョウガが……いや、サヨリが、今までどれだけ苦しんでいたと思う? あんな優しい心を持った奴が、何で苦しまなければならなかった!?」

『やめてくれ、もうやめてくれ! 私が溶ける、私が私でなくなる、身が引き裂かれる!』

「あの娘だけじゃない。お前、どれだけ多くの人間を不幸にしてきた?」

『痛い! 痛い痛い痛い痛い、痛ったい!!』

「そして最後。お前、俺の仲間───レヴとイリーネに何をした!!?」

 

 勇者は、決して剣を休めない。

 

 豪速で振るわれたその剣が、黒い煙を四散させていく。

 

 

 

「冥途で女神に裁かれて、この世から失せろ!!」

 

 

 

 その叫びと共に、大剣が霧を払って。

 

『───ぁ』

 

 悪党族を組織し、ありとあらゆる人間を不幸に叩き落した巨悪は、

 

 

「……消えましたわ」

「そっか」

 

 

 この日、ようやくこの世から滅び去った。

 



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65話「静剣レイの慟哭」

 肌寒い朝風が、レッサルの郊外を吹ける。

 

「……」

「……」

 

 

 全てが終わり、巨悪が堕ちた後。

 

 悪党族の雑兵の肉体は、半日も持たずに朽ちていった。

 

『ありがとう、ありがとう』

『解放してくれて、ありがとう』

 

 彼らは嗄れた声で礼を述べて、方々へ立ち去った。

 

 死の間際まで神に祈る者、景色の良い死に場所を探しに行く者、その末期は様々であった。

 

 

「レイ、貴方────」

「……あぁ」

 

 

 そう。人の骸は、放っておけばすぐに朽ちてしまうのだ。

 

 そして死者となり、その御霊は女神の下へと導かれ行く。

 

 これまでその身体を維持できていたのは、死霊術の恩恵に他ならない。

 

 

「……俺はもう、少し疲れた」

「そうですか」

 

 

 ……物言わぬ骸に囲まれて、剣士は独り言ちた。

 

 死した魂は、女神によって救済される。それが、人間として生きた者の定め。

 

 

「────だがこれも、報いと言う奴なのだろう」

「……」

 

 

 死霊術を受ければ、死者であろうと生きているかのように動け、話が出来る。

 

 だから、例え()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして彼らと同じく、悪党族に堕ちボスに従っていた静剣レイは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ヨイショ、ヨイショ」

「せめて服くらい着てはどうですの」

「……俺もそう思うのだ。是非、進言してくれないか」

 

 『自警団』と記された赤ふんどし姿で、延々とレッサル郊外に穴を掘っていた。

 

「……ヨイショ、ヨイショ」

「ちなみに、それは何をしていますの?」

「墓地作りだ。奴に利用された憐れな骸を、眠らせてやる為のな」

「ああ、成る程」

 

 静剣レイ。

 

 悪党に心を操られ外道を成したその男は今、一人の少女の下僕であった。

 

「あの。私やサクラさんが土魔法を使えば一瞬で終わるのですが……やりましょうか?」

「俺としてはお願いしたいのだが。長が……」

「ダメです」

 

 爽やかな汗を流し、一人で粛々と穴を堀り続ける男。

 

 そのすぐ傍には、作業全体を指揮する女が立っていた。

 

「貴族のせいで悪党に堕ちたかもしれない人達のお墓です。それを魔法で作るなんてとんでもない」

「……はあ」

「イリーネさんを悪く言うつもりはありませんけど、私達はやっぱり魔法使いが嫌いなんです。ならせめて、お墓くらい手作業で作ってあげたいじゃないですか」

 

 その少女は、ショートカットの黒髪を手拭いで纏めて。

 

 照りつける太陽の中、自警団を指揮してレッサルの復興作業を進めていた。

 

「後、その格好は純粋な私怨」

「……私怨には飲まれないんじゃなかったのか」

「私怨で人は殺さないだけ。良いから働け、静剣」

 

 言われてみれば、何故リョウガ────サヨリを女性と気付かなかったのか。

 

 胸は皆無であるが、声や顔はボーイッシュな少女そのもの。

 

 正体を知ってしまえば、もう少女にしか見えない。

 

「では、私に何か手伝うことは?」

「そうですね。お客様に手伝わせるのはなんですが、外壁の修繕などお願い出来ればありがたいです」

「心得ました」

 

 自警団には、飯に寝床に世話になった。ここは、俺も手伝っておくとしよう。

 

 それに今回の戦闘で、俺はずっと寝っぱなしだった。俺も手伝っておかないと『役立たず』の烙印を押されてしまうかもしれない。

 

 

 

「……兄ぃ」

 

 

 

 そして同じく、今回の戦闘で『あんまり役に立たなかった仲間』のレヴちゃんは遠巻きにレイを見つめていた。

 

 話しかけようとして、話しかけられない。そんな雰囲気だった。

 

「……妹には、嫌われてしまったみたいだな。まあ、これまでの俺の所業を思えば無理もない」

「いえ。純粋に『実の兄が赤ふんどしで穴掘りしている』から話しかけられないのでは」

 

 レヴちゃんは思春期真っ只中の内気少女である。

 

 そんな多感な年頃の彼女に、半裸赤褌の兄貴は辛いだろう。

 

 よし。ここはパーティーの外交担当たる俺が、軽快なトークで場を盛り上げてレヴちゃんに話しかけやすくしてやろう。

 

「……にしてもレイ、良い身体をしていますわね貴方」

「む、どうしたいきなり」

「かなり、鍛え込んでいると見ましたわ。出来れば後で、格闘技術の指導をお願いしたく思いますの」

 

 男を褒めるときは筋肉を褒めろ、これは俺の格言だ。筋肉を褒められて気分を害する奴は居ない。

 

 それに実際、筋肉マイスターの俺から見ればレイの肉体は素晴らしい。純粋に剣術に必要な筋肉のみを鍛えてあるその肉体は、まさに芸術だ。

 

 カールもそこそこ鍛え上がっているのだが、レイの肉質はレベルが違う。素朴で純粋な、筋肉美がそこにあった。

 

「……俺はまだ、修行中の身だ。それでも良ければ」

「よろしくお願いしますわ。敵がどんな猛者であろうと、一太刀に首を飛ばされない程度には鍛えて頂きたいです」

「……ああ、善処する。それが、貴様への贖罪になるのならば」

 

 レイは、1度俺をぶっ殺しかけているのを気にしている様子だ。

 

 あんなの、油断した俺が悪いんだから気にしなくていいのに。

 

「……しかし、お前。その、イリーネと言ったか」

「ええ」

「……お前も、相当に鍛えているだろう。お前の首を飛ばす時、スッパリ両断するつもりだった。思った以上に肉厚があって、首を残されたがな」

「笑えませんわね、そのお世辞は。……まぁ、貴族令嬢として美を保つ程度には、トレーニングもしておりますわ」

 

 ふむ、コイツそんなに殺意高かったのか。

 

 いやぁ鍛えていて本当に良かった、筋トレのお陰で命を救われた。

 

 やはり、筋トレに勝る健康法は存在しないのだろう。

 

「美を保つ程度だと? ……その肉体、一流の女戦士に見えるが」

「……やめてくださいな、煽てても何も出ませんわよ」

「服の上からは分かり辛いが、なかなか引き締まっている。筋肉が偏重しておらず、全体のボディバランスも良い」

「あらやだ、おほほ」

 

 えっ何? コイツすっごい誉めてくるんだけと。

 

 もしかして口説かれてる系? 俺の筋肉にも春が来た?

 

「もう、そんな誉められましても困りますわ、おほほほ。いやもう、でも、分かってくださいます? 貴族であっても自己研鑽は必要ですし、それなりの努力はもう、おほほほ」

「……ああ、後は正しい身体の使い方を学べば優秀な戦士(ソルジャー)になれよう。見た目に分かりにくいが、貴様の肉体はほぼ完成している」

 

 ベタ誉めですやん。これ口説かれてるのか? いや、だとしても嬉しいな。

 

 そうなんだよ、結構これでも努力してるんだよ。お前に首飛ばされたり魔族に苦戦したりと、肉弾戦は負け続きで自信を失いかけてたけど。

 

 俺の肉体、割と鍛えあげてるから強いはずだよな。

 

「ええ、ではご指導の程をよろしくお願いしますわ、おほほほほ。それよりレイさん、何かして欲しいことはあります? 後で紅茶でも淹れましょうか」

「……? いや、特に喉は渇いていないが」

「あらやだ、そうでしたか、やだオホホ」

 

 レイ級の剣士に『肉体が完成している』なんて言って貰えたら、そりゃあ自信になる。

 

 おお、俺の全身の筋肉も喜んでいるぞ。喜びの舞い(ビルドアップ)でもやろうか。

 

 ふふふ、今日は良い日になりそうだ。さっさと壁の修繕を終わらせて、レイに鍛えてもらおう。

 

「では、後程お時間をいただきに参りますわレイさん。楽しみにしておりますわよ」

「ああ、委細承知した」

 

 ウキウキ鼻唄を鳴らしながら、俺はレイと別れた。

 

 何か忘れてる気もするが、どうでもいいや。

 

 よし。依頼されたレッサルの外壁、今まで以上に強力に作り直してやるぜ。

 

 出血大サービス、魔法の大安売り。魔力が尽きちゃうかもしれないけど気にしない。

 

 魔法なんて飾りなんですよ。偉い人にはそれが分からんのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……カール。さっき兄ぃが、露骨にイリーネ口説いてた」

「何ぃ!? おいゴラァ、ちょっと面貸せや静剣」

「えっ」

 

 ……何か俺の背後が騒がしいけど、気にしないでおこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これより、訓練を行う」

 

 夕刻。墓地作りや外壁補修も一段落した頃、俺は約束どおりレイに呼ばれ訓練してもらう事になった。

 

 近接戦闘のスペシャリストの指導だ、この機会にみっちり鍛えてもらおう。

 

「よろしくお願いしますわ!」

「よろしく頼むぜ、静剣」

「……」

 

 レイの剣技の凄さはよく知るところ。静剣レイと訓練する旨を伝えたら、カールやレヴちゃんも参加すると言い出した。

 

 善き哉、善き哉。みんなで一緒に強くなろう。

 

「……ねぇ。兄ぃは何でまだ赤ふん────」

「カール。貴様は自分なりの剣術をもう持っているな?」

「あぁ、我流だがな」

「ならば実戦あるのみ。乱取りをしながら、貴様の剣の改善点を見つけていこう」

 

 既にある程度強いカールは、実戦訓練を重ねるらしい。

 

 良いなぁ、俺も早くその段階に進みたいぜ。

 

「イリーネ。お前はまだまだ体捌きが未熟だ、しばらくは型稽古を続けろ」

「……了解ですわ」

「今から俺の流派の徒手型を4つ教える。……これは我が一族の秘伝なので、なるべく他に伝授しないでくれ」

「おお……、そんな貴重なモノを」

 

 俺は、何かレイの一族の秘伝流派的なものを教えてもらえるらしい。

 

 え、マジで。良いの?

 

「……兄ぃ。何それ、私まだ習ってな────」

「この型はある程度身体が出来てないと難しい。しかし、貴様なら耐えうるだろう」

「分かりました! 是非、よろしくお願いします」

 

 おお。本当に、何か凄いのを教えてもらえるみたいだ。

 

 これで、俺も戦士を名乗れる感じになるのだろうか。

 

「そして最後にレヴ」

「……むすー」

「何を膨れている……」

 

 最後に、静剣はレヴちゃんに向き合った。

 

「お前とは、今まで通りやるか。型合わせ、基礎鍛練、そして最後に組手だ。父が居ないので、総括は俺とやろう」

「……ぶー」

「何故そんなに機嫌が悪い」

 

 ……さっきから、露骨に無視してたからではないだろうか。

 

 多分、都合が悪かったら流したんだろうけど。

 

「……兄ぃ。イリーネが習う型、私知らない」

「お前にはまだ早い」

「父ぅも、兄ぃもいつもそればっかり。私だって……」

「身体が出来てない間から強力な型を身に付けてしまうと、それに頼って無茶をするようになる。レヴ、貴様の体格ではまだ扱えん」

 

 ……レヴちゃんは、そう言われると何も言い返せないらしい。彼女は黙り込んで、ムスッと頬を膨らませた。

 

 ふむ、レヴちゃんは兄とこう言う感じの関係だったんだな。師弟とまではいかないが、上下関係は有るらしい。

 

「じゃあ、最後に1つ。何で兄ぃは赤ふん────」

「よし、では稽古を始めよう」

 

 レヴちゃんの質問は再び流され、少女は頬を膨らませる。

 

 でもレヴちゃん。彼が赤ふんどしなのは、遠巻きに訓練を眺めて微笑んでいる団長(サヨリ)の仕業だと察してあげよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、日は暮れて。

 

「カール様、イリーネ様、レヴ様。訓練お疲れ様でした、ここにタオルをご用意しております」

「お。サンキュー、リョウガ。……じゃなくて、サヨリちゃんか」

 

 自警団の団長リョウガ改め、サヨリ。

 

 彼女は何が面白いのか、ずっと俺達とレイの訓練に張り付いていた。

 

「サヨリさんは、訓練に参加されなくて良かったんですか?」

「私は今更、新たな流派を習得する理由もないですし。後、本来指揮官は後方で指示を出すものですから」

 

 亡き兄さんの後を追って、今までは最前線に出張ってましたけどネ。

 

 彼女は照れたように、そう笑った。

 

「やっぱり私は、兄さんほど強くは在れなかった。『リョウガ』という化けの皮がはがれた今、きっと私は戦士たり得ないでしょう」

「……だけど、貴女は兄とは違う強さを持っていた。個人としての武は兄が優れれど、軍団としての武は貴女が優れていた。そう、自警団の方からお聞きしましたわ」

「まさか、兄さんはきっと両方を私以上にこなしていましたよ。……私に流れる兄さんの血が、私に力を貸してくれただけです」

 

 ……そこには今までのリョウガとは全然違う、柔和な笑みを浮かべた少女がそこにいた。

 

 これがきっと、サヨリ本来の『地』なのだろう。

 

「皆さんに感謝を。貴方達のお陰で、レッサルは守られました」

「……私は、その礼を受け取れませんわね。むしろ、貴女に救われた身です」

「いえ、イリーネ様。貴女がいなければ、あの悪党を滅ぼす事は叶いませんでした。それに、」

 

 サヨリは、目一杯の笑顔を浮かべてカールに向き合い、

 

「……私も、カール様に救われたんです。おあいこですよ」

 

 はにかみながら、カールにタオルを手渡した。

 

 ……その目には、何処か熱烈なモノを感じる。

 

 あ、そっかぁ。

 

「……」

 

 レヴちゃんもサヨリの熱烈視線に気付いた様で、やや目付きが険しくなった。

 

 そういやカール、たった一人で悪党族に切り込んでサヨリを助けたんだもんな。そりゃフラグくらい立つわ。

 

 ……まぁ、普段の奴のエロバカっぷりを知れば、そのフラグはへし折れるだろうけど。

 

「もう風呂場は開いております。良ければこのままご利用ください」

「お、サンキュー」

 

 そして案の定、カールはサヨリの熱烈視線に全く気付いていない。

 

 安定感あるな。流石、幼馴染みの気持ちを曲解して勝手にフラレた奴は違うぜ。

 

「イリーネ達が、先に入ってくれ。後で、俺と静剣が最後に湯を貰う」

「……いえいえ。私は後からでも新鮮な湯を出せますので、カールさんこそお先にどうぞ」

「……む、良いのか?」

「なるべく新しい湯の方が良いでしょう。こう言う時、魔術師は後回しで良いのですわ」

 

 ……うん、これで良いのだ。

 

 適当にこじつけたけど、本当はサヨリとカールを二人きりにしたら、レヴちゃんの目付きが怖くなるんだ。

 

「じゃあ、行くか静剣」

「レイで構わん」

 

 俺の説得を受けて、男二人は風呂場へと歩いていった。

 

 ……男同士、二人きり、密室。良いなぁ、きっと馬鹿話で盛り上がるんだろうなぁ。

 

 男子の馬鹿なノリは、久しく体験していない。サクラの店でバイトしてた時以来だろうか。

 

 また、ああいうノリで騒ぎたいモノだ。

 

「赤ふんどし姿の兄ぃは、見たくなかった……」

「見ないふりをして差し上げましょう。それに、男子はそう言うノリ結構好きですわよ?」

「……兄ぃは、糞真面目だから」

 

 まぁ、それは確かにそんな気がする。

 

「貴方の兄は、あんまり騒ぐタイプでは無いのですね」

「うん。多分、カールと二人でお風呂しても、事務的な事しか言わないんじゃないかな」

「……そんなものですか」

 

 まー、確かにそうか。いくら男二人とはいえ、カールとレイが馬鹿話で盛り上がるとは考えにくいか。

 

 下手したら、風呂でずっと無言とかありそう。

 

「ま、それも青春ですわ」

「……青春?」

 

 風呂場で盛り上がったかどうか、後でカールに聞いてみよう。

 

 女の前では格好つけてるだけで、レイも実は結構砕けた性格かもしれないし。

 

 もしそうなら、猿仮面を被って飲みに誘っても良いかもしれない。

 

「レヴさん。私達は部屋で、湯浴みの準備をしておきましょうか」

「……うん」

 

 まぁ、何にせよ。

 

 カールに同年代の男友達が出来たのは良いことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その一方、風呂場にて。

 

「……おい、今何て言った、静剣」

「聞こえなかったのか、カール」

 

 全裸の男は二人、浴槽で目を吊り上げて睨み合っていた。

 

 一触即発。その時浴槽では、二人が敵対していた時のような緊迫感が漂っていた。

 

「ならばもう一度、言ってやろう」

「何ぃ!?」

 

 静剣と呼ばれた男は目を伏せて。

 

 何かを決意した顔になり、再びハッキリ宣言をした。

 

 

 

 

 

「覗きをするぞ、カールッ!!」

「アホか貴様ッ!!」

 

 

 

 

 

 ……風呂場では、イリーネの想像を遥かに超えた馬鹿話が展開されていた。

 

「まぁ、聞けカール。話の枕も聞かずに怒鳴られては、進まない」

「そんな話を進める気は無いんだが。お前ぶっ殺すよ? 俺の仲間を覗くとか言い出したらくびり殺すよ?」

 

 大真面目な顔で、最低な計画を語ろうとするレイ。

 

 実の妹も風呂に入るというのに、こいつは何を考えているのだろうか。レヴが聞いたら、絶縁でも食らうんじゃないか。

 

「無論、貴様の仲間を覗くつもりはない。妹も混じってるし、悪いしな」

「……当たり前だ」

 

 静剣レイが仲間に手出しをする気がないと知り、いったん怒りを収めるカール。

 

 彼の表情からは、呆れが強くなってきた。

 

「俺の仲間を覗かないなら、誰覗くんだよ。男にでも興味あるのか、お前」

「無論、サヨリだ」

「……それも大概悪いだろ」  

 

 レイは、どうやらサヨリを覗く心積もりらしい。

 

 彼は、サヨリに相当負い目が有る筈だが、それを気にしないのか。

 

「……俺は、あの女に忠誠を誓った。それが、贖罪になるならと」

「おう、そう聞いたぜ」

「だからと言って……あの辱しめはどうなんだ」

「……ん。まぁ」

 

 静剣は、風呂場で静かに涙を溢した。

 

 実の妹の前で、赤ふんどし姿を強要される事。それは、一応クールな感じの兄貴だったレイにとって耐え難い恥辱だったのだ。

 

「……だが今後一生、俺が奴に尽くさねばならぬのは事実」

「まぁ、そうだな」

「ならばせめて……奴の風呂を覗くのさ」

「そこが分からない」

 

 カールは、この時悟った。

 

 レイは、結構なアホだと。

 

「そんな馬鹿なことに俺を誘うな。女の身体を盗み見るなんて、人間の風上にも置けない」

「妙だな。貴様は、新たに女の仲間が入る度に全裸を確認していると聞いたが」

「……してません」

 

 確かに、(自分から確認は)していない。

 

「それに、もうサヨリとも一緒に風呂に入ったと聞いたぞ」

「……」

「俺は生まれてこの方覗きなどしたことがない。なので貴様に、その手腕をご教授願いたかったのだが」

「勝手に人を覗きのプロにしないでくれ」

 

 どうやら今夜が覗きデビュー戦のレイは、その道のプロに指導してもらいたい様子だった。

 

 ……カールは、頭が痛くなった。

 

「それに、貴様にもメリットがある」

「……何だよ」

「恐らく、これで貴様のラッキースケベ体質は良くなるぞ」

「何ぃ!?」

 

 しかし、続けて出てきたレイの言葉に、カールは興味を示した。

 

「女の身体を意図的に覗く。そんな男に、今後ラッキーが起こるはずもない」

「……いや、でも」

「それにサヨリ自身が今日、冗談混じりに自警団の仲間に笑ってこう言った。『私を覗いても構わないが、バレないようにしろ』と」

「……っ!!」

「そう。あの女、覗かれるのを気にしないタイプなんだ」

 

 ここで、衝撃の新事実。

 

 何と、サヨリは自警団に覗きOKを宣言していたというのだ。

 

「どうだ、カール。やらないか」

「いや、待て、でも」

「あの女自身が構わないと言っていたんだ。俺自身も軽い怨みがある、お前は妙な呪いが解ける」

「うぐ、うぐぐぐぐ」

「ここで攻めずして、何が男だ。覚悟を決めろ、戦士カール」

 

 静剣による迫真の説得で、カールの心が揺らいだ。

 

 カールだって男の子。女性の体に興味がない筈がない。

 

 

「奴は、一番最後に風呂を浴びるつもりだ」

「……」

「今夜、日没後。作戦を開始するぞ」

 

 

 そう言って差し出されたレイの手を、

 

「そこまで言われたら……行くしかねぇか」

「ふ、分かってくれたか」

 

 カールは、悩みながら握り返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 

 闇がレッサルを覆い、出歩く者もなく、静寂が場を包む中。

 

 浴槽に火が焚かれ、女が一人入っていった。

 

 

「────行ったぞ、カール」

「────ああ、確認した」

 

 

 アホが二人、男部屋からサヨリの様相を確認する。

 

 ……彼女は間違いなく、この深夜に湯浴みを開始した様子だ。

 

「ではマスター、後は頼みます」

「若ぇですなぁ、旦那」

 

 二人は既に、マスターと口裏は合わせていた。

 

 これで、男二人のアリバイは証明される。

 

「……作戦開始」

 

 やがてレイとカール、二人の剣士は夜闇に紛れて出陣した。

 

 

 

「……サヨリの胸は、皆無だった。以前風呂で見た時は、完全に男だと思っていた」

「そうか。服の上から見てもそんな感じだな」

「だから、俺は愚かにも下を確認していなかったんだっ!」

「な、何て愚かなんだ、貴様は」

 

 最低な会話を続けながら、二人は無駄に洗練された動きで浴場に忍び寄っていく。

 

 カールもレイも、一流の剣士だ。その練度は、そこらにいる一般的な覗きと比べ物にならない。

 

 彼らは、訓練された変態なのだ。

 

「間も無く目標地点に到達する」

「周囲の警戒を怠るな。しっかりと、足音を消して慎重に忍び寄れ」

 

 やがて、彼らは浴場の目の前に到達した。

 

 目標は目の前だ。カールはいよいよ、風呂場の排水口の傍へと近付こうとして────

 

 

 

 

 

「今夜は~こんなにも~月が綺麗ですから~」

「……っ!」

 

 

 

 謎にハイテンションな女の声を聞き、咄嗟に身を伏せた。

 

「ニャンニャンニャンニャン、お月さまニャン♪ 猫も歩けば棒に当たるぅ」

 

 それは、カールには聞き覚えの有る声だった。

 

 そう、それはパーティーで一人戦場を離脱した修道女……。

 

 

「カールっ! あの女は誰だ!?」

「イリューだ! くそ、最も行動が読みにくい奴が出てきやがった」

 

 小声で、カールとレイは叫び合う。そこに、目がイッてる頭のおかしい修道女が居たからだ。

 

 何故、あの女は深夜に一人で歌を歌っているのか。

 

 何故、月に猫が居るのか。

 

 お月さまニャンって何なのか。

 

 

 ────全てが、常人の理解の範疇を逸脱している!!

 

 

「見かけないと思ったら、こんな所で奇行に走っていたとは!」

「……あのキャラの濃さ、お前の仲間だな! くそ、どうしてくれる!」

「別に俺の仲間はキャラ濃くねーよ! アイツが群を抜いて濃いだけだ」

「……そんな事はどうでも良い! カール、どうするつもりだ、この状況!」

「むっ……」

「あの女の目的は何だ? 何でこんな時間に彷徨いている?」

「分からん。イリューだけは、全てが何も分からん」

 

 楽しげに唄う修道女を尻目に、カールとレイは口論する。

 

 綿密に練った計画を、理解できぬ奇行でぶち壊されたのだ。それはもう、ヘイトも溜まろう。

 

「落ち着け、冷静になれカール。ここは潜伏し、奴が立ち去るのを見守るんだ……」

「そんな事をしたら、目標が風呂から上がるぞ! 目の前に、裸体が有るんだぞ!」

「悔しいが、耐えるしかない。ここは、雌伏の時なんだ」

 

 しかし、修道女は歌をやめる気配がない。

 

 実に楽しげに、イリューは月夜の下で舞い踊る。何かの儀式なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「……もう、限界だ。これ以上は……」

「ああ。流石に、サヨリもそろそろ風呂からあがるだろう」

「ちくしょう、イリューめ。……とうしてあんなにも、風呂場は遠い────」

 

 やがて、数十分が経ち。イリューはまだ、気持ちよく歌い続けていて。

 

 修道女に場を離れるつもりが無いことを、二人の男は悟った。

 

 

「悔しいぞ、レイ……」

「帰ろう。帰れば、また来られるから」

 

 

 ここで見つかってしまえば、女性陣からの評価が終わる。

 

 二人の戦士は涙を飲んで、再戦を誓い立ち去った。

 

 

 思えば、これがカールにとって初めての「スケベへの敗北」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くしゅっ。カール様、まだかな……?」

 

 

 そして。

 

 部下(レイ)に命じカールに自らを覗かせる策略を練ってた知将(サヨリ)は、

 

 

「……くしゅっ」

 

 

 いつまでも現れぬ覗き犯を待ち続け、軽い風邪を引いたという。

 

 



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66話「復活した悪魔」

「ふぅ。地面がデコボコで歩きにくいですねぇ」

 

 満月の浮かぶ、漆黒の夜空の下。修道女は一人、荒野を歩いていた。

 

「……まさか、あんな夜遅くにカールさん達と出くわすなんて。咄嗟に歌で誤魔化したけど、怪しまれちゃったかなぁ」

 

 深夜に出歩いたところを見られ苦しい誤魔化し方をしたイリューは、明日問い詰められたらどうしようと辟易した。

 

 彼女は別に、頭パッパラパーだから奇行に及んだわけではない。ただ、誰にも知られずこの場所に来る必要があっただけ。

 

 その場所とは、昨日にレイとサヨリが斬り合い悪党族のボスを滅ぼすに至った決着の場だった。

 

「ああ、居た居た」

 

 イリューは、何かを見つけ屈み込む。

 

 彼女が手を伸ばしたその先には、微かな魂の煌めきが有った。

 

「……久しぶり。私と別れた後も、頑張ってたんですね」

 

 その、小さな魂の残滓を手で包み。修道女は、空に祈りを捧げた。

 

 

「────お疲れさま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええっ!? カール様、もうすぐ旅立っちゃうんですか?」

「あ、ああ。言ってなかったっけ?」

 

 翌朝。俺達がレッサルをいつ発つかの相談をしていたら、サヨリが血相を変えて割り込んできた。

 

 彼女は、俺達が暫くレッサルに滞在するもんだと思っていたらしい。

 

「復興が一段落して、魔法使い(イリーネ)達の力が要らなくなれば発とうと思ってる。月末までに、湾岸都市アナトを目指さないといけなくてな」

「アナト……、それはまた遠くに」

「不眠不休で歩き詰めでも、アナトまで一週間はかかるわ。道中休むことを考えたら、そろそろ出発しないとね」

 

 そう、それは女神が指定した次の目的地。恐らく、そこで再び魔族との戦いがある筈だ。

 

 まだ日にちに余裕があるとは言え、旅の途中で体調を崩さないとも限らない。レッサルの復興が済めば、なるべく早めに出発しておきたい。

 

 俺達が遅れたら、たくさんの犠牲が出るかもしれないのだ。

 

「……カール様ぁ。では、後はどのくらい滞在を……?」

「とりあえず、旅の準備を整えたら出発だから……2日くらい?」

「えー……」

 

 サヨリは、見捨てられた子犬のような表情でカールを見つめている。

 

 ……もしかして、俺達に着いてきたいのだろうか。サヨリ、どう見てもカールに惚の字だし。

 

 

「……。そうですか、では必要な物があれば言ってくださいね。貴方達はレッサルの恩人、出来る限りの援助は致します」

「おお、ありがとうな」

 

 

 だけど、レッサルにサヨリという存在は必要だ。

 

 この街を取り仕切り、悪党族との戦いの後始末をつけ、この地の貴族と交渉する。そんな大仕事が、彼女の肩に乗っている。

 

 レッサルの指導者たる彼女が、俺達に追従するわけにはいかないだろう。

 

「……」

「ん、どうした?」

「いえ、何も」

 

 

 ただ、彼女なりに苦渋の選択だった様で。

 

 サヨリは物凄く名残惜しそうに、潤んだ瞳でカールを見詰めていた。

 

 

 

 

「……ね、だから焦る必要とか無いのよ」

「……ん、マイカの言う通りだった」

 

 そして、背後から聞こえてくる女子組の黒い会話は聞き流すことにした。

 

 そっか、それでマイカは動かなかったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法使いは、便利屋だ。

 

 俺とサクラは、今日もレッサル周囲の土木作業をするために駆り出されていた。まぁ、自警団には世話になったしそれは全然かまわない。

 

「いやあ、悪党族は強敵でしたね! ですが私達にかかれば何のその!」

 

 ただ奴は、何をやっているのだろうか。

 

 俺が黙々と土魔法で外壁を補修している中、市民を集めて弦楽器を引きながら演説をしている女が居た。

 

「カールさんがバッタバッタと敵を薙ぎ倒し、イリーネさんが魔法で大地を焼き尽くし、マイカさんの弓が眉間を射抜き、私の拳が大地を割り!」

 

 ……修道女イリュー。

 

 今回の戦いには参加していない筈の彼女は、まるでその場で見てきたかの如く俺達と悪党族の戦いを吟んじていた。

 

「私達のあまりの強さに絶望した悪党族は、一人、また一人と恭順を誓った! 正義の心が悪を砕き、闇夜に光をもたらしたのです! べべん!!」

「おおー、良いぞ」

 

 その周囲には、今回の大襲撃の詳細を知りたかったレッサル民が集って大騒ぎ。

 

 騒ぎの中心たるイリューは、大量のおひねりを投げられご満悦の表情だった。

 

「さあさ御立合い! 向かい来る悪党は静剣と呼ばれし悪逆非道の剣士レイ、相対するはこの私! 私とレイが拳と剣を交える事数合、我が必殺の『刃砕き』が静剣の業物を打ち砕いた! 狼狽する静剣を見て好機と見たか、間髪入れずに弓兵マイカの弓がレイの腕を射抜き、魔術師イリーネの魔導が大地を焼く!」

「ほうほう」

「そして仕上げは我らが大将、大剣使いのカール! 彼は燃え盛る火炎の中に勇敢に飛び込み、その大剣で旋風を起こし炎ごと悪を断った! 静剣はカールの凄まじい剛力を見て『これは敵わぬ』と膝を突き頭を下げる。こうして、レイは我らに恭順を誓う運びとなった!」

 

 ……イリューに凄く突っ込みたい。

 

 お前は何も見ていないだろ、話を勝手に作るな。ちゃっかり自分の活躍シーンを盛り込んでんじゃねぇよ。

 

「不甲斐ない部下の姿を見て、激高した悪党族の親玉はとうとう戦場に姿を現した! それは怪物を思わせる巨漢、身長は7尺に及び両手には大斧を持ち、その形相は悪鬼の如く!」

「おおー」

「しかし正義の心は砕けない、カール率いる我らがパーティは再び大地を蹴って────」

 

 イリューのせいで、悪党族のボスが勝手に大男に改変されている。女だったやん、嘘ばっかりやん。

 

 でも、周りの民衆は凄く楽しそうに聞き入ってるし……。娯楽としては、ありなのか?

 

 

「……あの娘、話の内容はともかくとして他人を楽しませるの上手いわねぇ」

「吟遊詩人として、食っていけそうですわね」

 

 少なくとも、修道女のやる事では無いな。

 

 よくて詩人、悪くて詐欺師だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カールさん、カールさん! 愚民を騙して路銀を巻き上げましたよ、誉めてください」

「それは誉めたくない」

 

 夕刻、イリューはたんまり資金を携えてアジトに戻ってきた。

 

 彼女は朝からずっと、あの場所で弾き語りをしてきたらしい。それなりの額のお捻りを貰えた様だ。

 

「イリューは良い子ね。よしよし、明日も頑張りなさいよ」

「わーいマイカさんに誉められた!」

「……こいつら」

 

 どうやら、アレは彼女なりの金策だったらしい。

 

 間も無く出発する俺達のために、路銀を集めてくれた様だ。

 

「話の内容は無茶苦茶だったけどねぇ」

「戦いの詳細をカールに聞いてみては? 正しい情報を伝えないと、嘘つきになりますわ」

「馬鹿言わないでください、民衆は正しい話より面白い話を信じるんですよ。だから、私の話が正しい歴史になるのです」

「うおう、たち悪い」

 

 あと、イリューの無茶苦茶な弾き語りは確信犯だったらしい。

 

 それで自分の活躍を盛り込んでやがったのか。

 

「……と、言うか。イリューって私達に付いて来るの?」

「ほえ?」

「もうレッサルの治安は安定してきたし、無理に私達に付いて来ずここで暮らすのも良いんじゃない?」

「いえいえ、ここの聖堂は爆発四散したので就職先がありませんし。よろしければこのまま、カールさんの旅に追従したいと思ってるのですが」

 

 いや、修道女辞めて吟遊詩人になれよ。絶対、そっちの方が向いてるぞ。

 

「あと、カールさんに付いてった方が旨い汁を吸えそうですし♪」

「……」

 

 ……成る程。

 

「ま、聖堂のある集落までは追従しても構わないが」

「私達の旅は危険だから、途中で別れてもらう事になるわよ? それで良いなら」

「あらまぁ。それなら、カールさんの活躍譚がある程度溜まってから別れますよ」

「お前もう詩人になれよ」

 

 こいつ、カールの活躍を飯のタネにする気満々じゃねぇか。

 

 やっぱり修道女では無いのでは……?

 

「そう言うことなら、ついてきて良いわよ。……こうやって、路銀を稼いでくる限りは」

「わーい」

 

 でもまぁ、資金に余裕ができるのは良いことだ。

 

 イリューにはマスター同様、裏方として働いてもらうとするか。

 

「……」

 

 

 

 ……まぁ、少し引っ掛かる事はあるけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、イリューが勝手に蘇生したのは何だったんですの?」

「……分かんないわ。てっきりあの娘も死体なのかと思ってたけど」

 

 その夜、俺はこっそりマイカに質問しにいった。

 

 イリューのアレは、結局何だったのかと。

 

「消去法で考えるなら、蘇生のマジックアイテムかしら?」

「ああ、あの伝説の……『即死を一度だけ無効にする花飾り』でしたっけ」

「アレに近いモノを持ってたか、はたまた似たような術式を知ってたか。昨日、イリューにその事を聞いてみたけど『ほええ?』って反応だったわ」

「ふむ、自覚は無いのですね」

 

 ……分からないな。だが、ボスが滅んでなお動いているイリューは、少なくとも死人では無い。

 

「イリーネの見間違えとか、白昼夢とか?」

「うーん」

 

 その可能性もあるかもしれない。

 

 あの時は確か、猿仮面からイリーネに戻ろうとして色々焦っていた時だ。それで、何かを見間違えたのかも。

 

「ま、何にせよ。あの娘が死人で無いなら、気にする必要は無いわ」

「……そうですか」

 

 どうやらマイカは、実害がないなら気にしないつもりの様子だ。

 

 まぁ、俺が見間違えた可能性も十分にあるし。でも、確かに見たと思ったんだがなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふふ」

 

 修道女は、夜に微笑む。

 

「大丈夫、大丈夫。安心してくださいな」

 

 彼女は今日も、夜道を行く。

 

 暗き大地に身を屈め、愛おしい何かをかき集めていた。

 

「仲間に手を出したのが、あの勇者の逆鱗だったみたいですね。偽善者たらしくて、実にそそります」

 

 

 修道女の瞳が妖しく輝き、優しい声色で何かに語りかけた。

 

 その指先には、弱り萎んだ微かな御霊がこびりついていた。

 

「そろそろ、意識も戻りましたか?」

『……あ、あ』

「良かったですね、たまたま私が居て」

 

 それは魂の残沫。

 

 間も無く大気に溶け消え、二度と戻らぬ筈だった悪党の御霊。

 

『わたし、は……』

「ひとまずは、もう十分です。これからは、私と共に参りましょう」

『あ、あああ。そうか、私は、敗れ……』

「あれは相手が悪かったですねぇ。女神の寵愛を受けた勇者相手に、物量で押しても勝てっこありませんよ」

 

 その悪党の魂は、弱々しくイリューの掌で揺らめいている。

 

 今の悪党は、修道女の保護なくして存在できない。

 

「では、貴女の真名をください」

『……私の、名』

「ええ、貴女の名前です。貴女を回収して差し上げますから」

 

 見知らぬ修道女に真名を聞かれ、悪党は幾ばくか躊躇ったあと。

 

 やがてその怨霊は、思い出したかのように修道女に問うた。

 

『おお、おおおお。お前は、いや貴女様はまさか』

「あらあら、私の顔を忘れていたのですか?」

『何とお久しゅう、お久しゅう。ああ無論、貴女になら────』

 

 

 

 その魂は歓喜の声をあげ、懇願するかの如くその『名』を叫んだ。

 

『我が名は威龍(いりゅう)、人類に仇なし混乱を招く弔悪……』

「その名、確かに承りました」

『光栄です、光栄でございます』

 

 威龍と名乗ったその御霊は、大きくその魂を震わせて。

 

 やがて吸い込まれるように修道女の中へと消え去った。

 

「……ふふ」

 

 深夜の大地に、静寂が戻る。

 

 仕事を終えた修道服の女は、微かな憎悪を瞳に宿して立ち上がった。

 

 

 

 ────その彼女の姿は、とても人間とは言えない。

 

 イリューの華奢な体躯に鱗が浮かび、瞳は爬虫類の如く獰猛に光っている。

 

「これで少し、戻りました」

 

 それは本当に、たまたま偶然の出来事であった。

 

 決してイリューという存在は、カールに接触するつもりでレッサルに足を運んだのではない。

 

 

 彼女は()()()()()()()()()()を回収するべく、レッサルへ足を運んだだけだった。

 

 

 『威龍』、それは過去の大災害の名前である。

 

 それは太古の昔、現代よりずっと強力な魔術師や剣士が跋扈する『古代』と呼ばれる時代の、当時の勇者によりやっと封じられた悪龍の忌み名。

 

 数年前にとある事情で、現代に蘇った『太古の悪魔』。

 

 

「でも、私に対するあの油断……。上手くやれば不意打ちで、勇者を殺せるかもしれませんねぇ」

 

 

 今回の戦いは、イリューにとって想定外の大戦果であった。

 

 何せ上手く自らの正体を隠したまま、『勇者の旅仲間』の地位に就けたのだから。

 

「……ああ♪」

 

 勇者は、その仲間は、誰も彼女の正体に気付いていない。

 

 人の嘘を見分けるのが得意な貴族令嬢(イリーネ)ですら、その『年季の入った虚言』を見破ることが出来ていない。

 

 

「カールさんが良い人で、本当に良かった……♪」

 

 

 

 修道女、イリュー。

 

 悪党族のボスに再会する為、レッサルでわざわざ賊に捕らえられた『偽物の犠牲者』。

 

 

 その正体は、彼が倒すべき目標の────

 

 

「勇者を騙して、殺して、利用してやりましょう」

 

 

 ────今代の魔王、である。

 



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67話「人類への憎しみ」

 その魔族の女は、人間を憎悪する。

 

 裏切られ、虐げられ、侮蔑され、蹂躙されたその記憶が消えぬ悪意に火を灯す。

 

 やがて長きに渡る呪縛から解き放たれ、女は自由を手に入れた。

 

 

「───復讐を」

 

 

 その目に宿るのは、純粋な憎悪。

 

 自分を苦しめ、虐げてきた人間への反逆の決意。

 

 彼女の体躯に刻まれた、屈辱の傷痕が熱を帯びる。

 

 

「人間どもに、裁きの鉄槌を────」

 

 

 その怨嗟は、ゆっくり夜闇に溶けて消える。

 

 

 

「やはり近代も、勇者が現れた」

 

 

 ……この世界には、太古の昔から変わらぬ法則があった。

 

 それは魔族により人類が危機に陥った時、神々により勇者が選別され現れると言うもの。

 

 

「勇者は実に厄介です。それぞれが、一人で魔族を全滅させられるだけの能力を授けられている」

 

 

 勇者は強い。彼らは、言わば『神による自治の代行者』なのだ。

 

 その能力の根元は、世界の創造主たる女神に起因する。

 

 『正義なぞ関係ない』女神達は、いついかなる時であっても自らの眷属である───無条件に人間の味方をするのだ。

 

 

「しかし、近代の勇者はたった二人……」

 

 

 ただ女神は、少しづつ力を失っている。

 

 度重なる人間の愚かな後始末に奔走し、その神性を失いつつある。

 

 数百年前には10人近く居た勇者が、今や2人しか選別されていない。

 

 それも、どいつもこいつも太古の時代とは比べ物にならぬ『か弱い』勇者。

 

 アルデバランにせよ、カールにせよ。どちらも、かつてイリューの知る勇者の誰よりも弱い戦士であった。

 

 

「とうとう、女神も年貢の納め時という訳ですね」

 

 

 勝ち目はある。十分に勝てる。

 

 かつてと比べ勇者は、数も少なく貧弱な存在。

 

 一方でイリューは魔王として、刻一刻と『全盛期の力』を取り戻しつつある。

 

 

「勝てる勝負です。ミスさえしなければ、絶対に、確実に」

 

 

 魔王少女は自らの勝利を疑わない。

 

 ただ、あとはくだらないミスを犯さぬようにするばかりだ。

 

 そんな、修道女の皮をかぶった太古の魔王は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

 

 顔面を蒼白にして、勇者にソレを突き付けられていた。

 

 

「か、カールさん。何で、そんなものを!?」

「くくく、イリュー。これは、つまりだな」

 

 カールの動作一つ一つが、イリューの平常心を奪う。

 

 なぜなら、カールが今手に持っているのは、今『イリューが魔王として』動いていた時の証拠品であるからだ。

 

 

 ────まだ、イリューはカールに勝てない。彼女の力は、今は勇者に及ばない。

 

 イリューは、自らの心臓を鷲掴みにされているような錯覚に陥った。

 

 

「あ、う、あ……」

 

 

 それは明朝、皆が一斉に荷造りを始めたタイミング。

 

「おお、こんな物が有った」

 

 カールはおもむろに、自らのカバンからソレを取り出したのだ。

 

「か、カールさん。それは、一体!?」

「え、まぁ……」

 

 勇者は意味深な笑顔を浮かべて、魔王を嗤う。

 

 まるで、イリューの正体に気付いているとでも言いたげに───

 

 

「これは、誰かのパンツだ」

「まだそれ捨ててなかったんですの!?」

 

 

 彼がヨウィンで収穫した、女モノのパンツを握りしめていた。

 

 

「あ、あ、あ……」

「ほら。女物のパンツがカバンから出てきて、イリューもドン引きしてるじゃない。いい加減捨てなさいよソレ」

「いや、でもコレ。何か重要なアイテムのような気がしてな」

 

 

 それは思い出したくもない、忌まわしい記憶だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()イリューが、苦肉の策で用意した『古代砲撃兵器』で学術都市を焼き払おうとしたときの記憶。

 

 

『え、嘘、砲撃が防がれたんですけど!? ゴブリンさん、どうしましょ!?』

『ヴぁー』

『えっと、えっと、えっと。と、とりあえずもう一発!! まさか現代に、この砲撃を防げる魔導師がいるなんて……』

 

 作戦決行の日。

 

 イリューが意気揚々と放った古代兵器の砲撃は、迎撃されてあっさり掻き消えた。

 

 実際はアルデバランが必死こいて迎撃した訳だが、イリューからすれば容易く対応されたように見えた。

 

『ま、まずいですよ。いや、でも、諦める訳には』

『ヴァッ!!』

『ですが私の魔力も心もとないし、ここは魔石を使って……そーれ!』

 

 イリューは諦めず、とっておきの魔石を投入してもう一発砲撃を放つ。

 

 だが、やはりヨウィンの街に砲撃は届かない。炎の魔術に迎撃され、やはり砲撃は掻き消されてしまった。

 

 どうやら、ヨウィンにはそれなりの魔法迎撃機構が構成されている様子だ。

 

『流石は学術都市、防衛技術もそれなりと言うことですか』

 

 イリューは、ここで考えた。

 

 今の攻撃力で足りないなら、もっと火力を上げればいいやと。

 

『よし、規定量の三倍くらい魔石を突っ込んじゃいますよ! 大盤振る舞いです!』

『ヴぁ!?』

『大丈夫、大丈夫! きっと上手くいきます、多分!』

 

 こうして、イリューは砲台に基準以上の魔石を無理やり詰め込んで。

 

『この火力はさすがに迎撃できまい!! 撃てー!!』

『……ヴぁー』

 

 額から汗をダラダラ流すゴブリンを尻目に、アホみたいな超火力砲をぶち込んで───

 

 

 

『あれぇ!?』

『ヴァッ!?』

 

 やはり、ヨウィンの地面からせり上がった謎の防壁により防ぎきられてしまった。

 

『え、何アレやばくないです? 現代の魔法技術にしては、防衛能力高すぎない?』

『ヴぁ、ヴぁー!!』

『え、ウッソぉ!? 勇者の一人、突っ込んできてるんですか!?』

 

 そして、そこでイリューはようやく『こっちに全速力で勇者(カール)が突っ込んできている』事実に気が付いた。

 

『え、ヤバヤバヤバ!! とりあえず、じゃあその勇者に向けて砲撃を───』

『……ヴぁ』

『え、何ですかゴブリンさ───』

 

 もう数十秒で、カールがこの場に到達する。

 

 近づかれたら、殺されるだろう。焦った彼女は、砲台の標的を変えようとして……

 

 

『ヴぁー!!』

『ひぎゃん!!』

 

 

 変なところを弄ったからか、魔石を詰め込みすぎたのか。

 

 古代兵器である魔力砲は、木っ端みじんに自壊したのだった。

 

『……あっ』

 

 用法用量は守りましょう。

 

 設計の想定以上の威力の砲撃を撃たされた古代兵器は、最早ガバガバに壊れていたのだ。

 

『……せ、戦略的撤退ぃぃぃ!!』

 

 

 

 

 こうして、イリューは森の奥深くへと逃げ出した。

 

『ちくしょう勇者どもめ、覚えていてください────』

 

 数ヵ月かかりで丹念に準備された魔王主導のヨウィン砲撃作戦は、失敗に終わった。

 

 

『……あれ? 私のパンツは……?』

 

 

 そして、古代兵器が爆発四散した際に至近距離にいたイリューは一度爆死しており。

 

 彼女が自分を再生する際にパンツがずり落ちたのだが、ソレに気が付いたのはイリューが安全な場所まで逃げ延びた後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇跡的に、きれいに焼け残った修道女のパンツ。

 

 それは、絹製で使用済の花の薫りがするパンツだ。

 

「あ、わ、それ、わ」

「そんなにドン引きしないでくれよ、イリュー。勇者の勘が言ってるんだ、コレは何となくキーアイテムだって」

 

 実際、確かにそれは魔王特効(精神ダメージ)を持っているアイテムだ。

 

「まさか、一人でクンクンしたりしてないでしょうね」

「してねぇよ!! 本当に、純粋に重要アイテムと思って保管してるだけなんだって」

「……カール。前から思っていたが、お前の頭は大丈夫か?」

「そんな真面目な顔で心配しないでくれ、レイ」

 

 勇者特有の超直感で、彼はそのパンツの重要性を理解していた。

 

 しかし、端から見ると頭がおかしい事この上ないだろう。

 

「さ、流石に気持ち悪いので、それは捨ててはどうでしょう」

「えー」

 

 イリューとしても、たまったものでなかった。

 

 何らかの魔術で検証されて、その下着がイリューの物だとばれたらごまかすのは難しい。

 

 と言うかそもそも、自らの下着をキーアイテムとして確保されるのはイヤだ。

 

「……いや、その布地は割と高級品だ。捨てるのは勿体ない、洗ってサヨリにプレゼントしてはどうか」

「兄ぃ。……サヨリも、男から使用済みパンツをプレゼントされたら困ると思う」

「そう言うものか……」

 

 イリューのパンツは、女性への贈呈品(プレゼント)にされかけた。

 

「だが、これを持っていると何故かフツフツ闘志が湧いて来るんだよなぁ。こう『絶対に魔王を倒す!』的な勇気が」

「そんなアホな」

 

 そしてパンツに潜む魔王の気配を、勇者は敏感に感じ取っていた。

 

「その下着を手に持って最終決戦とかやめてよ? 私達の活躍が後世に語られる際、あんたは『下着の勇者』とか呼ばれる羽目になるわ」

「……そうだよな。やっぱ、これを懐に偲ばせて戦うのはダメか」

「そのつもりだったんですか」

 

 勇者が自らの下着を構えて最終決戦に出向く光景を想像し、イリューは目が死んだ。

 

 イリューが数百年前に自身が体験した最終決戦は、もっと熱く激しいシリアスな感じであった。出来れば、最終決戦はそんな感じの空気を維持したい。

 

「……まぁ、もういいや。取り敢えず、これはもうちょい俺が管理しておく」

「いえ、別に止めはしませんけど」

「誰のかも分かんない下着を、大事に保管する勇者。こんなの後世に残せないわ」

 

 しかし、残念ながらカールにパンツを手放すつもりがないらしい。単に彼がエロいだけの可能性もある。

 

 カールの仲間の表情は微妙だが、激怒して捨てようとするほどの気概は無かった。

 

 こうなるとイリューとしても、激しく非難すれば疑われてしまうから強く言えない。

 

 

「まぁ、見とけマイカ。確かにこれは馬鹿に見えるかもしれないが」

「馬鹿そのものでしょ」 

「いつか、この下着を持っていた事で窮地を脱する事になる。そんな気がするんだ、信じてくれ」

「……そんなもんで脱せられる窮地に、陥りたくありませんわ」 

 

 勇者は、妙に具体的な未来予想を語った。イリューは、本当にそんな機会が訪れたらどうしようかと涙した。

 

「よし、これで荷造りは完了だ! サヨリに挨拶して、明日朝一番に旅立つぞ!」

「そのパンツは置いていきなさいよ」

 

 こうして、勇者は知らず知らずに『魔王特効アイテム』を得たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、人間はクソです」

 

 そして、魔王の『人間に対する憎悪』が高まった。

 



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68話「再会を約して、新たなる街へ」

「レイ……お前が欲しい」

「……カール」

 

 それは荷造りを終えて、サヨリに挨拶に行った折。

 

「俺達には、お前が必要なんだ」

「……乞われても困る。俺の肉体はサヨリのモノなんだ」

「……でも!」

 

 俺達パーティーは、目が死にかかってるサヨリを前に、頭を下げて懇願していた。

 

 レイを、俺達の旅に連れていかせてくれと。

 

「お願いだ、サヨリ。この通り!」

「あの、カール様。そんな、いきなり頭を下げられても」

「頼むサヨリ! どうか……レイを俺にくれないか!」

 

 ……真剣な表情で、サヨリを見つめるカール。

 

 想い人に見つめられた若きレッサルの指導者は、特に照れる様子もなく明後日の方向を向いてぼやく事しか出来なかった。

 

 

「……何だかスゴく嫌です、この状況」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔王……ですか。そんなのが、本当に」

「ああ、嘘でもなんでもない。実際、俺達は何度も魔族と矛を交えた」

 

 出発の前日、俺達カールパーティーはサヨリに今までの旅の事を伝えた。

 

 レーウィンで戦った猿の化け物、ヨウィンでやり合った砲撃戦。

 

 その奇想天外な話を、サヨリはふんふんと真面目に聞いていた。

 

「……与太話と思いたいのですが」

「嘘じゃない! 信じてくれ、サヨリ!」

「無論、信じますとも。カール様が、わざわざこんなつまらないジョークを時間かけて話に来るとは思えませんし」

 

 幸いにも、サヨリは俺達の話を疑わずに信じてくれた。

 

 後は、レイを借り受けることが出来るかどうかである。

 

「俺だけでは、皆を守りきれるかどうか分からない」

 

 魔族は、俺達の想像を遥かに凌駕する化け物揃い。

 

 戦力はいくらあっても足りない。まして、俺達パーティーには圧倒的に「近接戦闘要員」が不足している。

 

 カールが突っ込んでしまえば、後は俺(筋肉)とレヴちゃん(ロリ)しかまともに戦えないのだ。

 

 俺もレヴちゃんもそこそこ戦えるとは言え、静剣────レイには大きく劣るだろう。

 

「だから、俺にレイをください!!」

「土下座しないでくださいカール様。本当に、もう、何かアレに見えますので」

 

 だから、カールは静剣レイを仲間に加えさせてくれとサヨリに頼み込んでいた。

 

 その静剣は、やはり赤ふんどし姿でサヨリの傍らに控えている。

 

「あーあ、それ私が言われてみたかったヤツ……」

「……む、今何か言ったかサヨリ」

「言ってない、お前は黙ってろ」

 

 レッサルは、まだ不安定。静剣レイの手助けが必要な場面も多かろう。

 

 だが、そこを曲げて頼むのだ。どうか、魔王を倒すために力を貸してくれと。

 

「まぁ、こんなので良ければ援助し(さしあげ)ますけど」

「良いのか、サヨリ!」

「ええ、まぁ。その代わり……」

 

 しかし、サヨリは躊躇う様子もなく許可をくれた。

 

 ずいぶんあっさり許してもらえたので、意外そうにカールは彼女を見つめる。

 

「カール様の使命が全て終わったら、またレッサルに遊びに来てくださいね」

「……ああ、約束する!」

「いっぱい、お話聞かせてください」

 

 そう言って笑うサヨリは、少し拗ねている様にも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、付近の悪党族は滅んだみたいですし。何とかなると思います、というか何とかします」

「頼もしい」

 

 サヨリ曰く、別にレイが居なくともレッサルはどうとでもなるとの事だった。

 

「元々、そこの赤ふんどしが敵に回ってもやりくり出来てましたから」

「そういや、そうか」

 

 今まで賊が出没している様な状況でも、サヨリ率いる自警団が居れば何とかなったのだ。

 

 賊が滅んだ今、レッサル周囲に脅威はほぼ無くなっている。自警団の面々が生き残っている今、レイの存在は過剰戦力と言える。

 

「むしろ、レイが居ない方が楽っちゃ楽ですね。一応ソイツ、お尋ね者ですし」

「……そういえば賞金首か、レイ」

「貴族様がレイの顔を知っていたら、誤魔化すのが面倒です。バレたら彼、即処刑ですし」

 

 すっかり忘れてた。そうだ、レイって賞金出てる悪党じゃん。

 

 辺境伯様がレイの顔知ってたら不味いのか。

 

「確かに、誤魔化せない可能性もありますわね」

「まぁ、別人だの奴隷身分だので誤魔化すつもりではいましたけど……、彼を連れていきたいならどうぞご自由に」

「……だ、そうだぞレイ」

「ふむ」

 

 レイはサヨリの言葉を聞き、真面目な顔になった。

 

 俺達についてくるべきか考えている様子だ。

 

「……貴様らには、返しきれぬ恩や償うべき咎がある。サヨリの許可があるならば、力になろう」

「よっしゃ!」

 

 サヨリが許すならと、レイは二つ返事で旅の同行に了承してくれた。

 

 これで近接戦闘員不足、男女比とか諸々の問題も全て解決する。

 

「良かったですわね、レヴさん。お兄様がついてきてくださりますよ」

「……それよりまず、赤ふんどしをやめて欲しい」

「……俺も好きでこの姿をしている訳ではない」

 

 そして、レヴちゃんもどことなく嬉しそうだ。

 

 もう会えないと思っていた兄との再会。嬉しくない筈もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レッサル滞在の最終日の夜。

 

「おやややや、イリーネさん。こんな夜に、どうされました?」

「散歩ですわ。今夜で、レッサルの街の見納めですから」

 

 外でこそトレ(こそこそトレーニング)を終えた俺は、アジトに帰ると玄関でイリューに遭遇した。

 

 まだ起きていたのか。

 

「一人歩きは危ないですよ、ぷんぷん!」

「そうですわね。以後、気を付けますわ」

「次から散歩する時は誘ってください! 私が護衛してあげますよ!」

「それはありがたいですわ」

 

 ……うん。普通に俺の方が強いと思うけど、取り敢えず感謝しとこう。

 

 イリューってそもそも、戦闘出来るんだろうか? 前は冒険者パーティーに所属してたとか言ってたけど。

 

「そして上手くイリーネさんを護衛できたら、ご実家のヴェルムンド家から護衛料をせしめます! がっぽり!」

「……さっきの感謝返してくださる?」

「ヴェルムンド家といえば、かなりの名家。報酬には期待がかかります♪」

 

 まぁ名家だけど資産はショボいぞ。

 

 慎ましく清廉潔白に生きてる一族だからな、ヴェルムンド家。軍事貴族の名残で、私兵団の装備とかは充実してるけど。

 

「にしても、私の実家を知ってらっしゃるのですね。ウィン領を離れたら、中々知ってる人は居ないのですが」

「え、まぁ。貴女のご先祖の、割と有名な逸話を知ってまして……」

 

 イリューはそう言うと、何かを懐かしむような顔になった。俺の家の昔話を、聞いたことがあるらしい。

 

「邪悪なる龍を払った、精霊使いの勇者。それが、ヴェルムンド家の始祖では?」

「おお、よく知ってますわね」

 

 どうやらイリューは、本当にうちのご先祖について知ってるらしい。

 

 そう、俺の家はそう言うことになっている。

 

 勇者の血筋といえば耳触りは良いが、数百年前の勇者の血なんざそこら中に混ざりきってる訳で珍しくもなんともない。

 

 そして今、『勇者の末裔』を名乗れるのは直系の子孫だけである。うちは残念ながら直系ではなく、勇者の末裔は名乗れない。

 

「ただし、分家ですわ」

「あれ、本家じゃないのですか」

「分家の私達一族が、一番出世していますの。曾祖父の活躍で」

 

 そうなのだ。『軍神』と呼ばれた曾祖父ヴェルムンド卿が異民族との戦争で大活躍したので、今の俺達の地位がある。

 

 一方で勇者の末裔を名乗る本家ヴェルムンド家は、うちと違ってその戦争での武功が少ないから木っ端貴族だったりする。

 

「じゃあ、ほぼ本家では?」

「『軍神』ヴェルムンド卿を始祖とするなら、本家名乗れますわね」

 

 まあ、規模的には実質本家みたいなモンかもしれない。勇者を始祖とするから分家になるだけで。

 

「まぁ、イリーネさんも勇者の血筋には変わりありません」

「血筋なのは、その通りでしょうね」

 

 現代の貴族は、辿れば大体勇者の血に行き着くらしいけど。

 

「あのですね。私、()()()()とでも言うのですか……。何となく、イリーネさんからオーラを感じますよ! 勇者のオーラ的な♪」

「おほほほ、それは照れますわね。いつか、カールさんと肩を並べて戦えれば良いのですが」

「きっと出来ますよ。うん、きっと」

 

 イリューは純粋な笑みを浮かべ、俺の頬を撫でた。

 

「私も、微力ながら力になりますよ!」

 

 優しい笑みを浮かべ、イリューは笑う。

 

「……。ええ、どうも」

「はい!」

 

 しかしその言葉には、どこかモヤモヤとした感情が乗っているように聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 とうとう、レッサルを旅立つ時が来た。

 

「カール様によく従い、忠義を尽くしなさい。そして全てが終わったら、このレッサルに帰ってきなさい」

 

 サヨリは、自分より年上だろうレイに向かって訓示を示していた。

 

「貴方は賊に騙され、罪のない人々の命を脅かした。貴方のしたことは決して許されない」

「……」

「でも、ここレッサルはお前の故郷です。お前が悪に染まらぬ限り、絶対に私は民を見捨てない」

 

 そう説教垂れるサヨリには、カリスマが有った。

 

 彼女がリョウガを名乗っていた時と変わらぬ、心強さと求心力があった。

 

「……」

 

 レイも、年下からの訓示と言うのに閉口して素直に聞き入っている。

 

 サヨリの言葉は荒くれ者のサクラのカリスマとは違う、父母のように包み込む安心感を持っていた。

 

「以前の、お前に酷い仕打ちをしたレッサルは滅びました。これからは、誰もが胸を張って故郷だと自慢できるレッサルになる」

「……それは、素晴らしいな」

「そこがお前の、静剣レイの新たなる故郷。……旅の途中であろうと困ったことがあれば、妹連れて何時でも帰っていらっしゃい」

 

 ……でかい。人間としての器があまりに大きい。

 

 その小柄で年下の少女の言葉に、皆が感服して聞き入っていた。

 

 そうか、これが。これが自警団の長にして民衆の『英雄』の器か。

 

「……ああ。いつか、帰ってこよう」

「ええ、引き続き自警団で性根を叩きなおしてやります」

 

 そう言うと、サヨリは含み笑いをしてレイから顔をそむけた。

 

 自らの最愛の兄の『仇』にすら、この態度。彼女は本心から、レイを愛すべき民として扱っている。

 

「そしてカール様とそのご一行。この度は、このレッサルに多大な貢献をしていただき感謝の念に堪えません」

「いや、俺達は仲間の為に動いただけだ。こっちこそ、宿に飯と世話になった」

「その程度では、とても返せない恩です。盛大に歓待しますので、カール様もまた遊びに来てくださいね。約束しましたよ」

 

 そう言うと、カールはサヨリとしっかり握手を交わした。

 

「……」

 

 それ以上の言葉を、二人はかわそうとしない。ただ眼だけで、静かに見つめ合っている。

 

 今回、カールとサヨリは肩を並べ共に戦った。きっと、何かしら通じ合うものが出来たのだろう。

 

「本当に名残惜しいですが。そろそろ、引き留めるのも悪いでしょうか」

「そんなことは無いが……」

「また会える日を信じて、ここでお別れです。ご武運を祈っていますよ、カール様」

 

 やがて数十秒見つめ合った後、サヨリは手を離し手さげ袋を取り出した。

 

「……餞別です。一応、私の手縫いなんです」

「え? お、おおありがとう」

 

 サヨリはそれをカールに手渡し、そのまま、

 

 

「あっ!!」

 

 

 チュっと、カールの頬にキスをかました。

 

「あああっ!!!」

「え、え、ええ?」

「私の気持ちを込めた贈り物、大事にしてくださいね」

 

 その暴挙にマイカやレヴは憤怒の表情を浮かべているが、サヨリはどこ吹く風でカールの頬を撫でた。

 

 ……ほう、完璧な奇襲攻撃。中々やりますね。

 

「え、あ、その」

「またレッサルに帰ってきたときに返事を聞かせてくださいね。……ずっと待ってますから」

「え、えええ!?」

 

 流石の朴念仁も、こんなに真っ正面からの好意には反応するらしい。

 

 これは強いな、流石サヨリ。少なくとも、一緒に旅してるのにずっとウダウダしている二人に大きく水をあけたぞ。

 

「「……」」

 

 二人は何かを言いたそうにして、何も言えなさそうだった。

 

 そうだよね、何も言えないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒュー、モテますな旦那。これで何時でも、レッサルに永住できますねぇ」

「ま、マスター。からかわないでくれ」

 

 一応、カールからしてみれば生まれて初めての女子からの告白だったらしい。

 

 カールは顔を真っ赤にして、ぎこちなくサヨリと別れた。

 

「どうするんですの? どうしますの?」

「あ、あんまり弄らないでくれイリーネ……」

「いい娘じゃない、気風が良いわぁ。貰っときなさいな、私だって部下に欲しいくらいよぉ」

 

 道中、こんなに愉快なものは無いので、俺とサクラの二人で囲んでカールを弄り倒していた。

 

 まぁ、半分くらい『二人』に対する焚き付けも兼ねていたが。

 

「そう言えば、団長……サヨリは夜遅くまで起きて何かを縫っていた。貴様への贈り物だったか」

「兄ぃ。何で止めなかったの、ソレ」

「え、止める必要が有ったのか……?」

 

 新たに旅の仲間になった『静剣』レイは事態を全く呑み込めていない様子だった。

 

 妹の想い人とか、マイカの好意とか察している様子はない。レイは結構、そう言う心の機微に弱いのかもしれない。

 

「何を貰ったんですか? 防具とか? それとも服?」

「おお、そう言えば開けてなかった」

 

 イリューに問われ、貰った袋の中身を取り出すカール。

 

 キスの衝撃で中身を確認し忘れていたが、せっかくなら彼女の前で開けてお礼を言うべきだったかもしれない。

 

「え、っと。これは……」

「……わあ」

 

 魔王(イリュー)勇者(カール)は二人で袋を覗き込み、感嘆の声を上げる。

 

 一体何が入っていたのかと俺も覗き込んでみると、

 

 

「赤ふんどし?」

「……赤ふんどしですね」

「……えー」

 

 

 そこには、レイが着させられていたモノより立派な装飾の赤ふんどしが折りたたまれて鎮座していた。

 

「え、嫌がらせ? 俺、ひょっとしてサヨリに嫌われてた?」

「あの態度で、そんなことは無いと思いますが」

「……いや、純粋に好意だろう。確かサヨリは、言っていた」

 

 カールが手渡された赤ふんどしに困惑していると、レイが真面目な顔で解説を始めた。

 

「サヨリは、赤ふんどしを着た男の人に興奮すると」

「え、まさかの性癖!?」

 

 

 ……レイがさせられていたあの姿は、単なる辱めではなくサヨリの性癖によるものだったらしい。

 

「お、女の子って赤ふんどし好きなの?」

「え、全然……」

「分かりませんわ、私はそれほど……」

 

 筋肉質な男の赤ふんどしなら、まぁ……? でも別に、特別赤ふんどしに思い入れは無いかなぁ。

 

「サヨリと結婚したら、基本は赤ふんどしスタイルになるかもね」

「変態的ですね♪」

「……。大分イヤだな、それは」

 

 残念ながら、サヨリ手縫いの赤ふんどしは大きくカールの好感度を下げた。

 

 彼女、案外と天然なのか……?

 

 ……もしかして、サヨリの兄リョウガは赤ふんどしを手渡されても喜ぶキャラだったのだろうか。

 

「妹よ。やはり異性に下着を贈るのは、アリだったのでは無いか……?」

「兄ぃ……」

 

 

 サヨリの意外な趣味に戦慄しているその裏で、静かに『静剣』が妹にビンタされていた。

 



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69話「寄り道、首都ペディア」

 レッサルを旅出ってから、数日が経った。

 

 俺達はやがて目前に、巨大な城壁に囲まれた大都市を捉えた。

 

「やはり、首都に寄るのですね」

「おう、彼処なら何でも揃うからな」

 

 俺達の最終目的地は、湾岸都市アナト。国の最西端に位置する、漁業や製塩が盛んな港都市だ。

 

 そこは俺の故郷であるウィン領からは、国の端と端の正反対側。

 

 なので国の中央に位置する首都ペディアを、道中で経由する事になる。

 

「どうせ中央を通るなら、装備を揃えに数日滞在してみるべきね」

「私、首都なんて初めてですわ! 1度行ってみたいと思っていましたが」

 

 ペディアはこの国でもっとも技術レベルが高く、商業も発展している都市。

 

 地方ではお目に掛かれないような高価な武具防具が揃い、美味甘食に溢れ、先進的な技術や工芸品が集う街だ。

 

 正直、一度来てみたかった。

 

「ペディアは初めてか、イリーネは箱入り娘だったんだな。サクラは来たことあるか?」

「……私も、初めてねぇ」

 

 首都の物価は高いが、俺達にはまぁまぁ資金に余裕があった。

 

 王弟ガリウス様の援助金はまだ残ってるし、レッサルでサヨリから路銀を工面してもらったし、イリューが詩人をやって稼いできた金もある。

 

 最悪、首都付近で依頼をこなせば大概のモノは買えるだろう。

 

「ちなみに、どんな町ですの?」

「俺もあまり長期滞在したこと無いんだが……、まぁ何か派手だな」

 

 カールは何かイヤな事を思い出したのか、頭が痛そうな素振りを見せた。

 

「宿が高すぎてなぁ。首都まで依頼人を護衛して送ったあと、1日観光しただけで依頼金が吹っ飛んだ」

「そんな凄い物価なんですね」

「どの宿も、レッサルの大聖堂並の値段だったな。無論、サービスは半端なく行き届いてたが」

 

 ……そんなに高いのか。

 

 いくら余裕があるとはいえ、この人数で寝泊まりしたら一瞬で資金が枯渇しそうだ。

 

「でしたら首都に滞在する期間は、短くしたほうが良さそうですわね」

「あら、そうでもないわよ?」

 

 じゃあ無駄に観光とか出来ないなーとションボリしていたら、マイカが呆れた顔で手を振った。

 

「カールが馬鹿なだけで、場所を選べば首都の物価はちょい割高って程度よ。普通の街の宿の1割増しくらい」

「あら、そうですの?」

「首都は、区画分けされてるわ。つまり、城壁に囲まれた最奥の『貴族エリア』と、城壁の外で繁栄している『平民エリア』に別れてるの」

 

 貴族と平民で居住区が分かれてるのね。

 

 そういや、そんな噂を聞いたことが有るな。首都は権威主義で、貴族と平民は厳格に区別されているのだとか。

 

「貴族エリアに入るには、特別な許可証が居るの。雇われた従者などの平民は、その許可証を持って貴族エリア内で活動できる」

「……はあ」

「で、『雇われ冒険者』として許可証を貰ったカールは、滅多に入れないからって『貴族街』を観光したのよ。貴族街の宿なんか、バカ高いに決まってるじゃない」

「一泊くらいなら、と思ったんだよ……」

 

 ああ、成る程。そりゃ高いわ。

 

 と言うか、平民が良く貴族エリアの宿に泊まれたな。

 

「貴族エリアの宿は、むしろ平民向けよ。貴族相手に商売する大商人とかが、主に利用するから」

「ああ、成程」

「外の貴族が利用する事もあるけど、大体は親交のある貴族(ゆうじん)に招かれて泊めてもらえるもの」

 

 ……つまり、首都にコネが無い場合はその宿を利用するしかないのね。

 

 貴族同士のつながりって大事だ。

 

「首都に聖堂は有るんですか?」

「……普通に聖堂も、ある。それも、各宗派のモノが」

「我らが女神様の聖堂なら、無料で泊めてくれるかもね。えっとカール、名前なんだっけ?」

「女神セファ様な」

 

 あの胡散臭い女神か。あの女神の聖堂もあるのね。

 

 なら一度参拝して、セファとやらの神話を聞くのもいいかもしれない。

 

 言ってみれば、俺達の一応の上司だしな。どんな神様なのか知っておいて損はない。

 

「女神セファって、あんまり勇者史に名前出てこなかったのよねぇ」

「ん、ずっと古代の時代にチラッと記述あった」

「恐らく、マイナーな女神なのでしょうね」

 

 信徒は割と居るらしいけど、セファ教がこの国の主流派で無いのは確かだ。

 

 歴史はソコソコ古いらしいが……。

 

「イリューは、女神とか詳しいの?」

「え? あ、はい。まぁそれなりに」

「女神セファ様ってどんな神様?」

「あー、えー。セファ、セファ……ってどんな神様でしたっけ」

 

 本職である修道女ですら、あんまり把握していない女神。本当にあの女神を信用して大丈夫なのか?

 

 ……そもそも、カールは何でそんなマイナーな女神の信仰を始めたんだ? 元々、セファ教の家だったとかなのかな。

 

「カールは、前からセファ様を信仰してらっしゃったのですか?」

「……正直、そんなにたくさん女神様かいらっしゃるとは知らなくて。純粋に『女神』そのものを信仰してたんだ」

「てか、それが多数派よね。女神のこまかい種類とか殆んどの人は知らないと思うわ」

 

 ……まぁ、俺も知らんかったな。そっか、カールはセファ教ってより純粋に女神全体を信仰してたのね。

 

「一般人の認識としては……、この国の最大宗派ってマクロ教よね。だから女神って言えば、マクロ様のイメージあるわ」

「……マクロ教、ですか」

 

 何処かで聞いたことあるな、その名前。最大宗派だし、小耳に挟んだことがあるのかも。

 

 うちの実家はそんなに宗教に力入れてなかったからなぁ。

 

「レッサルを牛耳ってた宗教団体だよな、確か。あんまり良いイメージ無いなぁ」

「マクロ教が悪いってより、単にコリッパが悪かったんだろうけど」

 

 あ、そうだ。

 

 レッサルの大聖堂、あれは確か『マクロ教』だった。

 

「あと言ってないけど多分、アルデバランもマクロ教よね。あのマントの刺繍……」

「ああ、神聖文字でALDEBARANって書かれてたな。神聖文字を使うのはマクロ教だよな」

「そうなんですの?」

 

 よく分からんが、そういうことらしい。

 

 じゃあ、レッサルで悪いことしてたマクロ教団の勇者が、アルデバラン?

 

「つまりカールは『誰も知らないマイナー女神』に選ばれた勇者で、アルデバランは『最大宗派の女神』に選ばれた勇者って訳ね」

「……その言い方やめてくれない? セファ様傷つくぞ」

「でも、修道女すら知らない女神って……」

 

 まあそれは、単にイリューがアホなだけかもしれないけと。

 

「……俺は正直、マクロ教団が許せん。俺が聖堂で『カインを助けてくれ』と懇願した時の連中の、氷のように冷徹な目が忘れられん」

「レイ……」

「もし女神マクロが実在するなら、恨み節は尽きん。……是非、そのアルデバランとやらと話してみたいものだ」

 

 そう言うレイの表情には、鬼気迫るモノがあった。

 

 ……揉め事はやめてくれよ。アルデバラン本人は、そんなに悪いやつじゃ無いし。

 

「ウチの女神様と向こうの女神は仲が悪いからなぁ。多分、あんまり話す機会はないぞ?」

「……それなら、構わん。無理にとは言わん」

 

 レイはあまり話を広げようとせず、そのまま静かに黙り込んだ。

 

 まだ、彼自身にも飲み込みきれない感情が残っているらしい。

 

「まあ、そもそも宗教団体って基本クソですからねぇ。教義をいかに曲解して、信者から金をむしりとるか年中考えてる連中ですよ♪」

「おい修道女」

「本当に心優しくて信心深い人は、お布施を払って巡礼するだけに留まります。教団に入閣する様な人は、基本金目当ての亡者です」

 

 ベラベラと偉そうに、イリューが口を挟む。

 

 じゃあ、聖堂に就職しようとしているお前は何なんだ。

 

「口先で民を納得させて、不満なく金を巻き上げるシステム。宗教の仕組みを作り上げた人は天才ですねぇ」

「お前やっぱ詐欺師になれよ」

 

 やっぱりイリューは、修道女に向いていないような。

 

 彼女の言う通り教団が詐欺師集団なら、これ以上ない適正を持っているような。

 

「まぁ、何にせよ女神セファの聖堂を訪ねるのは必要ね。教団が普段悪どいことして稼いでるなら、その分け前を貰わないと」

「おいマイカ……」

「カールは、セファ様とやらのご指令を受けて動いてるんだもの。正当な報酬じゃない」

 

 そんな、教団=悪みたいに決めつけなくても。

 

 きっと、真面目に経営してる教団もあるだろうに。

 

「じゃあ、まずは平民エリアで聖堂探しねぇ。首都は物価高いし、今回は聖堂で宿泊しても良いかも」

「一応、男女で分けてはくれるんですわよね?」

「……うん、ちゃんと男女別。その代わり、他の利用者もごっちゃの大部屋で雑魚寝になる」

 

 大部屋で雑魚寝か。

 

 ……筋トレどうしようかな。夜にこっそり抜けるか?

 

「俺は、それで良いと思う。一度、セファ様の教会で祈ってみたかったんだ」

「まぁ、好きにすれば?」

 

 と言うか、カールはセファ教の勇者なのに一度も参拝してなかったのか。

 

 ……まぁ、セファ教の教会自体が少ないんだろうなぁ。

 

「……そろそろ、夜になる。今日は休んで、明日の日中に首都ぺディアに入ろう」

「だな、今からぺディアまで歩くと到着は深夜だ」

 

 首都での方針も決まり、今夜はここで野宿することになった。

 

 ……筋トレは、レイに日中しごいて貰えば良いか。

 

 レイの言う徒手空拳の型稽古と言えば、フンフンと鍛えていてもそんなに怪しまれまい。

 

「じゃあ、寝仕度ね」

 

 にしても、楽しみだ。首都は、どんな街なのだろうか。

 

 ユウリ達の暮らす『学術都市ヨウィン』より遥かに発展しているのだろう。きっと面白いものも沢山あるはず。

 

 貴族として屋敷に籠っていては決して見ること叶わなかった、未知との出会い。

 

「おやすみなさい、カール」

「ああ」

 

 何だか、ワクワクして寝付けないな。遠足前の気分に似ている。

 

 もし目が覚めてしまったら、今夜の見張りのレヴちゃんと話でもしようか。

 

 ああ、楽しみだ────

 

 

 

 

 ────Zzz

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふわぁ」

 

 おお、朝だ。よく寝たぞ。

 

 寝付けないかと思っていたが、案外寝れるもんだな。この体も、まだ若いからだろう。

 

「……」

 

 今日はいよいよ、首都入りの日だ。

 

 田舎者に見られないよう、たまには貴族然とした優雅な服装に着替えてみようか。

 

 いや、変にお洒落する方が田舎者っぽいか?

 

「……」

「マイカさん、おはようございます」

「……」

 

 その辺を尋ねてみようと、隣に寝てたマイカに話しかけてみる。

 

 しかし、返ってきた反応は無言だった。

 

「……マイカさん?」

「……」

 

 ふむ、反応がない。

 

 またカールが何かやらかしたな。他を当たろう。

 

「サクラさん、サクラさん」

「ああ、おはようイリーネ。愉快なことになってるわよぉ?」

「あぁ成る程、愉快なことになってたのですね」

 

 おお、良かった。サクラの言い方だと、あんまりヤバい事態にはなっていないらしい。

 

 さてさて、あの男は一体何をやらかしたのかね。

 

 

 

「……斬る」

「待て待て待て待て!!」

 

 

 

 ふと見れば、静剣は刃を抜いてカールと鍔ぜり合いしていた。

 

 朝っぱらから殺し合いとは物騒だなぁ。

 

「……ぽ。……ぽっ、ぽ」

 

 レヴちゃんは、真っ赤な両頬を押さえて左右へと首を振っている。

 

 ふむふむ、レイがブチ切れてるのはレヴちゃん関連か。

 

「これはつまり?」

「レヴが、カールに告白したみたいよぉ?」

「ヤバい事態になってましたわ」

 

 これはレヴちゃん、サヨリのキスに触発されたか。

 

 聞けば昨夜に、彼女はカールに告白したらしい。

 

 そして朝、同じ寝袋にベッドイン♪しているところを兄に見られたのだとか。

 

「ヤったんですの?」

本人(カール)いわく、こっそり潜り込まれただけみたいだけど」

「まぁ、それはレイもブチ切れますわ」

 

 マイカが無反応な理由もわかった。

 

 彼女は今、再起動中なのだろう。

 

「きぃぃ!! そう簡単にレヴちゃんは渡しませんよ、これで勝ったと思わない事です!」

「イリューさんはどういう立場ですの」

 

 レイとカールが切り結んでいる真横で、ハンカチを噛みしめて悔しがっている修道女。

 

 アレはよく分からないので無視しよう。

 

「俺に勝たぬ限り、妹は渡さん────」

「そんな気はしてたけど、結構お前シスコンよりだよな!?」

 

 ……。

 

 さて、誰も準備してないし朝ごはんの支度でもしておくか。

 

 



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70話「首都シュト修羅シュラバー」

 その日の朝食は無言だった。

 

 俺が並べた干し肉と、マスターが作った野草のスープを、皆が無言で食した。

 

「……」

 

 

 と、言うのも。

 

 明らかに機嫌が悪そうなレイが、カールに向け重圧を放っていたからだ。

 

 まったく。加入早々でパーティーの空気を悪くするとは、レイはいけない奴だなぁ。

 

「……ご馳走さま」

 

 ただ一人、機嫌良さそうなレヴちゃんは、カールの隣にチョコンと座り上目遣いで見上げていた。

 

 何処か、マイカに向けて勝ち誇っている雰囲気もある。

 

「カール……♪」

「お、おう」

 

 何せ彼女はやったのだ。ついに朴念神カールに、正面から思いを伝えたのだ。

 

 流石の彼も、言葉で思いを告げられたら理解するに違いない。

 

 そして、そのままレヴちゃんは夜の寵愛を────

 

 

「……ロリコンが居ますわ」

「ロリコンが居るわねぇ」

「違うっ!!」

 

 

 でもなぁ。いくら両想いったって、レヴちゃんに手を出すのはまだ早いと思うなぁ。

 

 前世基準だと投獄されるだろ。13歳って。

 

「で、結局のところ。昨夜、どうだったんだ?」

「……何があったかなんて、言えない」

「『何もなかった』と、証言して欲しいなレヴ!!」

 

 カールの腕を掴み、意味深で妖艶な笑みを浮かべる13歳。この場で最年少の少女が、一番大人びた表情してやがる。

 

 はてさて、実際のところはどうなのだろう。カールの性格的に、手は出してなさそうだが……。

 

 ……奴も、男だ。もしかしてヤった上で誤魔化してる可能性もあるか?

 

「本当かしらぁ?」

「信じてくれ、俺はその、本当に」

「ならカールさん、お手を拝借ですわ」

「え? あ、ああ」

 

 しどろもどろで誤魔化しているカールの、その掌を掴んでみる。

 

 さてさて、試してやるか。

 

「はい」

 

 そのまま俺は、カールの手をむんずと自慢の胸に押し当ててみた。

 

 どうだデカいだろう。

 

 

「……ほあああああ!!?」

「ふむ、顔真っ赤」

 

 いきなり俺の胸を掴まされたカールは、大声で叫んで手を振り払った。

 

 その後、真っ赤になって自分の手と俺の顔を交互に眺めて硬直している。ふむ、この反応……

 

「カールは、童貞(シロ)ですわね」

「何処触らせてるんだイリィネェェェ!!!」

 

 一皮むけた男の反応ではないな。やはり、レヴちゃんが意味深に悪ノリしているだけだろう。

 

「はぁ。イリーネ、慎みとか持ちなさいよぉ……」

「別に胸くらい構わないでしょう。サクラさんだって、ふざけて触ってくるではありませんの」

「私は同性よ。それに、治療の確認の為だしぃ」

 

 カールに胸を掴ませた事で、サクラが非難がましい目で見てきた。

 

 ……まぁ、確かに少し慎みが足りなかったかな。ちと暴走かもしれん。

 

「イリーネ。あまりカールを誘惑しないで……」

「あ、ハイ」

 

 久しぶりに、レヴちゃんから睨まれた。

 

 そういや初めて会った時も、こんな感じで言われたっけ。

 

「触っていいなら俺も胸触らせてもらいますぜ、イリーネのお嬢。誰にでも胸を触らせてる女、なんて噂が立っても良いんですかい?」

「あ、その」

「仲間内の悪ノリにしろ、一線はある。イリーネのお嬢は魅力的なんだ、男も理性が無限にある訳じゃない。気軽に、人に肌を触れさせるべきではねぇです」

 

 そして、マスターからガチ寄りの説教が入る。

 

 ……うーん、これは結構本気で怒られてるな。

 

「申し訳ありませんでしたわ」

「分かればよろしい。……改めて、貴方って箱入りお嬢様なのねぇ」

 

 まぁ、確かに社交界含めてパパンに死ぬほど守られてた感じはする。

 

 別に胸触らせるくらいどってことないが、ここは素直に反省しておこう。

 

「それはそれとして、私もイリーネさんのおっぱい触りたいです!!」

「お前今の話聞いてた?」

 

 イリューは何も話を聞いていなかったのか、ワキワキ手を動かして俺に近づいてきた。

 

 何だコイツ。

 

「同性ならセーフです!」

「殿方の前はアウトよぉ。ほら、カールを見なさい」

 

 サクラは相変わらず行動が読めないイリューに、背後で未だに顔を赤くしているカールを指さした。

 

「イリーネが胸を揉まれるのを期待して、ガン見してるわよぉ?」

「おお、エロ猿発見です!! 確かにアレは駄目ですね、やめときましょう」

「ガ、ガガガン見してねぇよ!?」

 

 アイツ本当にエロいなぁ。まぁ、胸触らせた俺が言う事じゃねぇけど。

 

「まぁまぁ、カールの旦那も若いんだ。期待しちまうくらい、許してやってくだせぇ」

「でも、ほら。あそこの静剣レイなんか、イリーネさんの胸に全く反応してないです!」

「……カールを殺す」

「徒に女性を性的に見ないで、硬派を貫くその姿。カールさんは、もっとレイを見習うべきですね!」

「殺意込めてカールさんを凝視するのが、健全と言えるのでしょうか……」

 

 アイツは妹を取られて赫怒しているから、俺の胸に目が行っていないだけでは。

 

 まぁ、そもそもレイはあんまりスケベじゃなさそうだけども。

 

「で、だ。結局、カールとレヴちゃんはくっつくんですかい?」

「ちょ、ちょっと待ってほしい。それはまだ、結論が……」

「むー」

 

 必死でお茶を濁そうとするカールに、不満げな表情のレヴちゃん。

 

 良いから私と付き合えよ、と言った表情だ。レヴちゃんはマイカの気持ちを知っているから、焦っているのかもしれない。

 

「もうすぐ首都に付きますし、そこでデートして決めればいいんじゃないですの?」

「おお、首都デート……」

 

 首都デート、と言う単語にレヴちゃんは乗り気になった。

 

 カールに向けて鼻息荒く、期待した視線を送っている。あれは、断れまい。

 

「わ、分かった。首都でデートしよう」

「……やった♪」

 

 カールの言葉を聞いて、頬を緩める少女。

 

 まぁ、俺としてはカールが誰とくっつこうと知った事ではないが。

 

 

「……」

 

 

 さっきから、マイカが無言を貫いているのが怖い。ここに来てなお動かないとは、何か策略でもあるのだろうか。

 

 冷静沈着、冷徹非情に目的を達成する彼女。そんな彼女が本気を出せば、きっと想像だにしない手段でカールの心をかっさらっていくに違いない。

 

 しかし、マイカはレヴちゃんと仲が良い。妹分のような関係ですらある。

 

 同じ男を取り合っているとはいえ、問答無用で奪っていいモノか逡巡しているのかもしれない。

 

「じゃあ行こ、カール。首都ぺディアに……」

「え、あ、ああ」

 

 仲良し少女2人の、男の取り合い。

 

 レヴちゃんを優しく握るカールの手を、マイカは無表情に見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の昼過ぎ、俺達は首都の門をくぐった。

 

 話に聞いていた通り、この国の首都は活気と栄華に満ちていた。

 

 門の周囲には強固なレンガの外壁が、色鮮やかに塗装されている。

 

 そして門を潜れば、四方に広がる近代造りの建築物の数々。

 

 街路はしっかり整備され、下水道が隙間なく配置してあり、何処を見ても祭りの日のような人混みになっている。

 

 ここが、首都ぺディア。

 

「入り口付近には宿屋が多いわ。旅人はこの辺で、宿を見繕うのだけれど」

「ふむ、成程」

「私達は聖堂に泊まる予定だから、この場所に用はないわ。さっさと奥へと進みましょ」

 

 表情の固いマイカ曰く、入り口の付近には宿屋が多く営業しているようで、旅人はまずここで拠点を見繕うのだとか。

 

 奥に行くとそれぞれ信仰エリア、鍛冶エリア、食事エリア、物販エリア、兵士エリアと細かく居住分けされている。

 

 そして街のその最奥に、『ペディア城』が建築されており。街の中に城壁で囲まれた第二の『城門』が有るのだとか。

 

「ペディア城の城壁の中が、貴族エリアなんだ。あの中に、大物貴族たちの居住区が有る。基本的に、王族ばっかりらしい」

「……では私みたいな伯爵家では、入れませんわね」

 

 街の奥を見ると、豪華で荘厳な石造りの城がそびえたっているのが見える。

 

 あれが、ペディア城。王の住む、この国の権威の象徴。

 

「ガリウス様に挨拶をと思ったけど、許可証がいるし厳しいかな」

「面会は無理でしょうね。手紙くらいなら、許されるんじゃないかしらぁ?」

「……冒険者からの手紙が、ガリウス様に届くかも微妙ですわ。まぁ、無理して面会する必要もないでしょう」

 

 あっちは何か凄い議会の議長さんで、今代の王様の直弟。俺達木っ端冒険者が、そう簡単に会えるわけがない。

 

「信仰エリアって、あの辺?」

「いかにもっていう感じの服装の連中ねぇ。全員修道服を着てまぁ」

 

 なので俺達は面会を求めず、ペディアに数日滞在して装備を整えるだけにした。

 

 具体的には、俺やカール、レヴちゃんの鎧など防具の新調である。

 

「レッサルで結構、防具も傷んでしまいましたからね」

「斬りまくったから、剣も研いでもらわなきゃなぁ」

 

 俺のビキニアーマーは、もう傷だらけになっていた。レイに首を飛ばされた時の衝撃で、仕込まれた鉄網もズタズタになっている。

 

 もともとレーウィンで買った、あまり品質のよくない防具だ。そろそろ、換え時だろう。

 

「鎧なら3日もあれば、出来るでしょ」

 

 鎧を購入する場合、既存品を調整して貰うだけなら数日で済む。

 

 その数日間だけ首都を観光し、仕上がり次第湾岸都市に向けて出発するのだ。

 

 女神様の期限まであと10日強もある。ここで数日滞在しても、余裕で間に合うだろう。

 

「……カール♪」

「あー、その」

 

 つまり、その数日間はカールはレヴちゃんとデートし放題。

 

 この色男は小動物系少女を侍らせて、たっぷり首都の街を観光するのだ。

 

 うら……いやらしいですわ。

 

「にしても、セファ教の聖堂ってどこかしらねぇ?」

「右見ても左見ても、マクロ教の建物ばっかり。やはり、最大宗派は違いますわ」

 

 このエリアには色んな宗派の聖堂が集まる、と聞いていたが右を見ても左を見てもマクロ教の施設ばかりだ。

 

 セファのセの字も見当たらない。やはり、セファはマイナーな神様に違いない。

 

「ああ、ここはマクロ教の区域なのさ。宗派が違う施設が隣接してると争いが耐えないからね」

「あら、そうなんですの」

「宗教エリアの中でも、宗派毎にこまかく区域分けされているよ。セファ教の人は……確か、東奥の区画だったかね」

 

 と思ったが、単に宗教エリアの入り口にマクロ教の区画が配置されていただけだった。

 

 セファ教信者の区画も、ちゃんとあるらしい。通りすがりの優しそうなおじさんに、そう教えてもらった。

 

「他の宗派の人に言うのは微妙だけど、君達にマクロ様のご加護のあらんことを」

「貴方のご厚意に、感謝いたしますわ」

 

 さてさて、場所は分かった。いよいよ我らが主女神の聖堂に向かおう。

 

「セファ様の聖堂……、か」

「どんな人が出てくるんでしょう」

 

 司教も、あのフワフワ間延びした感じで話しかけてくるんだろうか。

 

 ので~、です~とか媚び媚びした口調で、偉そうに色々説教してくるのだろうか。

 

 やだなぁ、殺意沸いたらどうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お会いできて光栄です、勇者様。貴方の事は子細、我が神より聞き及んでおります」

「えっ、あ、どうも」

 

 その聖堂は、古いながらしっかり手入れされた建物だった。

 

 外壁に蔦が巻き付き放題になっているが、本館はきっちり清掃されており。

 

 くすんだ石作りの、落ち着いた雰囲気の聖堂であった。

 

「当方は当聖堂を取り仕切っております、アルドレイ・ミーシャと申します。以後、お見知りおきを」

「めっちゃカッチリした人が出てきたぞオイ」

 

 その聖堂の門戸をたたいてみると、ビシっとしたスーツ調の服を着た女性が俺達を出迎えてくれた。

 

 ……これが、セファ教の方なのだろうか。

 

「貴女は、カールが勇者って知ってるんですか?」

「我が女神より神託を賜っております。まもなく、女神様に力を託された勇者がこの教会を訪れると」

「はえー」

 

 なるほど、あの神様は俺たちが此処に寄ることを見通していたのか。

 

「カール様達が此処を訪れたなら、最大限の助力をせよと仰せつかっています。残念ながら当聖堂は裕福とは言えず、あまり資金面での援助はできませんが」

「い、いえいえとんでもない。ただ、宿泊をさせていただきたいな、とは」

「無論、喜んで。皆々様に個室をご用意することはできませんが、この聖堂の施設でよろしければ何でも自由にご利用ください」

 

 ハキハキと受け答えをする、司教らしき女性。何となく、仕事ができそうなオーラが漂っている。

 

 セファ教って、もっと間延びしたイメージだったけどな。女神的に。

 

「では、ご案内します。幸い今は誰も宿泊者がいないので、宿舎はカール様の貸し切りになりますよ」

 

 まぁ、話が早いのは助かるけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───その日は、聖堂に荷物を預けて防具屋を回って一日が終わった。

 

 俺たちはそれぞれ体に合う防具を選び、調整を依頼した。

 

「へぇ、いいじゃない」

 

 聖堂の宿舎は、思ったより快適そうだった。

 

 それは前もって聞いていた『大広間の雑魚寝』ではなく、ベッドが十数個ほど並べられた部屋でそれぞれ小さなカーテンで仕切りが出来るようになっていた。

 

 荷物は聖堂内部の鍵付き倉庫でまとめて預かってもらえるし、希望すれば朝食にパンとスープを出してもらえるそうだ。

 

 俺たちは無料で良いそうだが、別に普通の旅人としてきても30Gで済むらしい。レッサルの聖堂の十倍以上安い。

 

「当聖堂はマクロ教と同じ値段で、よりサービスを良くしてるんですよ。宿泊者にベッドが付くなんてサービス、向こうはやってませんからね」

「ほう」

「そうすれば、宗派にこだわらない冒険者はセファ教の聖堂を利用するようになるでしょう? そういう人を少しずつ取り込んで、信者を増やしていくのです」

 

 この微妙な待遇の良さは、信者を増やすための戦略らしい。

 

 何やら、マイナー宗派の司教はマイナーなりに色々考えている様だ。

 

 

「じゃあ、明日はいよいよ……」

「わ、わかったわかった。二人で出かけよう、レヴ」

「うん……」

 

 

 こうして、俺たちの首都での1日目は終わった。

 

 防具が完成するのは、3日後だそうだ。つまりあと2日間、俺たちは首都を観光することができる。

 

 俺は、カールとレヴちゃんのデートの邪魔なんて野暮をするつもりはない。二人にはしっかり楽しんできてもらいたい。

 

 となると、静剣を誘って訓練に明け暮れるか。はたまた、サクラを誘って街を回ってみるか。

 

 サクラも首都は初めてといっていたな。ならば、マイカあたりも誘って案内してもらうのもありか。

 

 マイカは放っておくと、カール達の邪魔をしそうな気もするし。

 

 そんなことをボンヤリ考えながら、俺は聖堂のベッドの中で微睡に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いこ、カール♪」

「わかった、わかった」

 

 朝一番。

 

 幼女と勇者は、華やかな首都ペディアの街道へと出発した。

 

「いってらっしゃいませ」

「ちゃんとエスコートしなさいよぉ」

「妹に何かしたら斬る」

 

 その微笑ましい光景を、俺たちは笑って見送った。

 

 若干、妹に絡みすぎてビンタを貰った(レイ)は、不貞腐れた顔をしていたが。

 

「さて、私たちはどうする? 一緒に物販エリアでも回らないかしらぁ?」

「良いですわね。では、準備しましょうか」

 

 俺から声をかけるまでもなく、サクラが俺をウインドウショッピングに誘ってくれた。

 

 誘われたからには断る理由もない。友人と気楽に店を回るのも悪くない。

 

「レイにマイカ、貴方たちはどうする?」

「……無論、カール達の追跡を───」

「あ、私たちと一緒に来るんですわね? 賢明ですわ」

 

 レイは迷わずストーキングしようとしたので、むんずと首根っこを捕まえておく。

 

 この野郎、行かせるか。

 

「解せぬ」

「はいはい、シスコンも度が過ぎると嫌われますわよ。では、マイカさんはどうされます?」

「……どうしようか」

「あら、予定がないのね? なら、一緒に来なさいよぉ」

 

 マイカは、特にやることはない様子。よかった、マイカまで2人をストーキングとか言い出したらどうしようかと思った。

 

 流石に彼女は、理性的だ。

 

「ねぇ、私どうすればいいと思う?」

「いや、だから。私達と一緒に街を回りましょ?」

「……その、だから」

 

 このまま皆でウインドウショッピングというのも悪くない。旅の良い思い出になるだろう。

 

 それで、デートから戻ってきたカール達を、夜にからかうのだ。きっと楽しい1日になる。

 

 

 

 

「……このままじゃ、カール取られちゃうかもしれないんだけど!! 私、どうすればいいかなぁ!?」

「えぇ……?」

 

 

 突如マイカは、見たこともないほど取り乱しながら俺の肩を抱いてゆすり始めた。

 

 ……えぇ?

 

「ちょ、マイ、かさん、ゆすら、ないで、ですわ!!」

「ど、どうしようどうしよう! まさかレヴが、えええ!?」

「お、落ち着きなさいよぉ。貴女らしくない」

 

 テンパっている。尋常じゃなく、マイカはテンパっている。

 

 昨日から口数が少なかったのは、まだ再起動を終えていなかったかららしい。

 

「こ、こここのままじゃカールが!! レヴとくっついちゃうわ!!」

「……ええ、まぁそうなるだろうけど。告白したもの勝ちよねぇ」

「何か、作戦があって黙ってたんじゃありませんの? マイカさんの事ですから、あえて行動しなかったのかと」

「あんな状況から、私はどうすれば良かったのよ!?」

 

 ……追い告白でも、すればよかったのでは?

 

「無理、無理無理無理!! 私から告白とか、無理!!」

「……どうしてですの?」

「無理なの!! だってそんなの、そんなのってぇ!!」

 

 

 ……。

 

「じゃあ、おとなしく引っ込むしかないんじゃない?」

「い、いやよ!」

「少なくとも、レヴちゃんは正々堂々告白したみたいですけど」

「……。うあーん、やられたぁ!!」

 

 マイカはそう叫ぶと涙目になって、その場で頭を抱えて崩れ落ちた。

 

 ……おう、つまり。

 

 

「……マイカさんって、かなり恋愛下手?」

幼女(レヴ)に完全敗北する程度には下手っぴねぇ」

「うるさいわよ。分かってるわよ!! 10年かけても進展しなかったんだもん、そんな急に距離を詰めるとかできないわよ!!」

 

 ───そういや、マイカがカールを容易く落とすことができるなら、とっくに決着はついてるか。

 

「……それに、今から私に告白されても迷惑に決まってるもん……。レヴとアイツ、仲良いし……」

「いじけちゃいましたわ」

「……うぅ。ずっと前からアイツを助けてやってたのに。小さなころからずっと一緒だったのに。私に勇気がないばっかりに」

 

 やがてマイカは涙声になり、その場にうずくまってスンスン泣き始めた。

 

 ……う、うわぁ。

 

「サクラさん、どうしましょう……?」

「どうしたもこうしたもないわよぉ」

 

 お互いに見合って、困り顔になる。

 

 まぁ、二人の女が一人の男を好いたら、どっちかがこの結末になるのは分かりきっていたけども。

 

「……あの。差し出がましいようですが、マイカさんは今からでもカールさんたちを追いかけるべきですわ」

「へ?」

 

 さて。俺はレヴちゃんと大事な友人であるが、同じくマイカも仲間であり大切な人間だ。

 

 ここで俺がとるべき道は、コレだろう。

 

「貴女も、告白なさいマイカさん。レヴさんが勇気を示した今、貴女が勇気を示さぬ限り勝ち目はありません」

「イリー、ネ……」

「ここで黙って泣きべそをかいていたら、きっと一生後悔しますわよ。たとえ選ばれなかったとしても、思いを告げると告げないとでは大違いですわ」

 

 レヴちゃんにとっては都合が悪いかもしれないけど、ここでマイカに発破をかけないときっと彼女は後悔するだろう。

 

 そして軋轢が生まれ、パーティの不和のもとになる。

 

 ここは、マイカにも告白させて正々堂々カールに2人から選ばせた方が良い。

 

「行きなさい、何をボンヤリしているんですかマイカさん!」

「え、は、はい!!」

「即断即決の貴女らしくない。今、覚悟を決めねばいつ決めるのです!!」

 

 俺の怒声に、マイカはハッとした顔になる。

 

 おお、いつものスイッチの入ったマイカの顔だ。

 

「……ありがと、イリーネ」

「どういたしまして、ですわ」

「行ってくる。フラれた時は、良い酒を買ってくるから付き合ってよね」

「よろこんで、ですわ」

 

 こうしてマイカは決意に満ちた顔になり、颯爽と聖堂の外へと駆け出して行った。

 

 うむ、良きかな。

 

「……行ったわねぇ」

「いやはや、若いですねぇ。俺も、青春時代の青臭い感情を思い出しちまいましたぜ」

「居たのですね、マスター」

 

 いつのまにか、サクラの後ろに控えていたオッサンがシミジミと青春を語っていた。

 

 もう、食事の後片付けが終わったらしい。

 

「私たちは普通に観光でもしましょうか。行きましょイリーネ、レイ」

「……俺も、カールを追いかけたいのだが」

「両手に花の首都デートですわよ? 静剣レイ、男ならエスコートして見せなさいな」

「……む。いや、そこにマスターが居るのでは」

「マスターは年代が違いすぎるじゃない」

 

 こうして、俺はサクラ達と共に町へ繰り出すことになった。

 

 マイカは、きっとカールに追いつくだろう。そして、覚悟を決めてちゃんと告白するに違いない。

 

 その結末は、夜にたっぷり聞いてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ───この時は、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ってくれ!!」

 

 背後から、強く抱きしめられる。

 

「一回しか言わないから聞いてくれ!!」

 

 俺は目を白黒させ、ゆっくりと振り向いて。

 

「俺が本当に好きなのは───」

 

 見慣れたカールの、真っ赤な顔を後ろ目に捉えた。

 

 

 

 

「───お前なんだ!!」

 

 

 

 

 街中、人が大量に行き来する商店通りのど真ん中。

 

 俺は突然背後からカールに抱きしめられて、愛の告白を受けていた。

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 そんな俺を、見知った顔2名が裏路地から壮絶な目線で見つめてくる。

 

 俺はパーティ崩壊の危機を、肌で感じ取っていた。

 

 



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71話「迷走する勇者」

「……なぁレヴ、何処行きたい?」

「カールが連れてってくれる所」

「うーん。……そ、そうだな、食事エリアで軽いモノを摘まみながらブラつくのはどうだ?」

「うん……、楽しそう」

 

 その日。少年は、生まれてはじめてのデートをノープランで敢行していた。

 

 ノープランなのは仕方ない。彼は昨日告白され、下調べの時間もないままデートに駆り出されたのだ。

 

 冒険者をやっていたカールとて、首都に来たのは僅か数回。それも、依頼で来ただけで滞在したのは一泊のみ。

 

 彼に、首都を案内できるほどの土地勘は無い。

 

「……カール、見て。大道芸人が集ってる」

「おお、そうそう。首都では、芸人がああやって路上で小金稼ぎすることもあるんだ」

「……あのおじさん、火を吹いてる。魔法使いかな?」

「あれは、口に酒を含んでるんだろうな。どうだ、少し見物していかないか」

 

 だから彼に出来る事は、その場その場で面白いものを発見し、楽しい時間を作り上げる他ない。

 

 路傍の芸人や商店の菓子など、カールは童貞なりに目につく楽しいものを必死で探しまくっていた。

 

「……ボールの上で逆立ちしてる。あのバランス感覚、タダ者ではない」

「お、おいおい。逆立ちしたまま剣を丸飲みし始めたぞアイツ」

「……片手立ちになって、バランス崩しちゃうかも」

 

 存外に、芸人のショーは楽しめた。

 

 人を楽しませて飯を食っているだけはある、見ごたえのある芸だった。

 

「小腹が空いたな、飯にしようか」

「……うん」

 

 芸人のショーが終わると、程よくお腹が空く時間になった。

 

 しかし、飯と言ってもカールが洒落た店を知ってるはずもなく。

 

 2人はパッと見で綺麗そうな、庶民向けの軽食屋に行き当たりばったりに飛び込んだ。

 

「……」

「……」

 

 さて、繰り返すがカールは童貞である。

 

 女性とデートなど、したことがない。

 

 厳密には、マイカとデートをしたことが何度かあるのだが……。

 

『はいカール、次はこれを買いなさい』

『とほほ』

『カードでの負け分よ、しっかり払ってね』

 

 カールがカードで負けた分何かを奢ると言う、デートと呼んで良いのかよく分からない搾取であった。

 

 マイカはそのお出掛けをデートとカウントしているが、カール目線ではタカりにしか見えていない。

 

『次はあの店を回るわ』

『……はーい、好きにしてくれ』

 

 あとマイカは事前にキッチリプランを立ててくるタイプであり、カールが事前に計画を立てる必要もなかった。

 

 だから、本当の意味でカール主導のデートは人生初である。

 

 

 

 ────何をすれば良いんだ!?

 

 

 

 カールは、柄にも無くテンパっていた。

 

 いつも気安く会話を交わす相手だった、妹のような少女レヴ。

 

 そんな彼女に、カールは何故か『緊張して上手く喋れない』。

 

 

 旅の仲間の、妹のような少女。

 

 人生で初デートの相手。

 

 

 その両方の側面を併せ持つレヴに、カールはどう接して良いか分からないのだ。

 

「美味しいけど、高いねこの店……」

「首都は何でも高いもんだ。むしろ、良心的だよここは」

 

 カールは、出されたほんのり甘くて弾力のあるパンを噛みしめる。

 

 それは確かに、レッサルやヨウィンで食べた普通のパンとは違う『美味しい』パンであった。きっと、何か高品質な小麦で作られたモノなのだろう。

 

 ……ただし、その値段は倍近いが。

 

「金銭に余裕はある、あまり気にするな。マイカに、カードのイカサマ分を賠償してもらうつもりだし」

「……ああ、そんな話も合ったね」

 

 そして、カールはレッサルで露見した『マイカのイカサマ』で弱みを握っている状態である。

 

 これまでカールは、散々に毟られ続けてきたのだ。その分を、請求する権利が彼にはある。

 

 いつもならば財布の紐が固いマイカも、ソレを釣り合いに出されたら折れてくれるに違いない。

 

「……カールは、マイカとどれくらいの付き合いになるの?」

「え? まぁそうだな、物心有る時からずっと一緒だったが」

 

 小動物少女は、前から気になっていたことをカールに尋ねた。何でもない風を装って、彼とマイカとの過去の話を。

 

 二人はどんな関係だったのだろうか。本当に一度も、付き合ったことはないのか。

 

 帰ってきたカールの返答は、

 

「何だろうな。マイカとは性格も、頭の良さも、倫理観も何もかも違う奴なんだが」

「……」

「もう一人の自分、って言うべきか。マイカとは一緒にいるのが当然って感覚なんだ。家族より、相棒に近い関係な気がするなぁ」

 

 ……明確な、幼馴染との惚気であった。

 

「……ふーん」

「お、レヴ。この先に、歌い手ショーの露店が有るらしいぞ。見に行かないか」

「……。うん、行く」

 

 自分から聞いた事であるので、レヴは文句も言えない。

 

 しかし、その回答は少女を不快な気分にさせるのに充分であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハロー、エブリワン! 今日も一獲千金を求めて、夢見る少女が華やか舞台に上ってくるぞ!」

 

 歌い手の露店は、随分とにぎわっていた。

 

 路上に設置されたベンチには収まり切らず、立ち見の客であふれかえり。

 

「今日も大入り満員ありがとう! では、さっそく今日のショーを始めようか!」

 

 その舞台上に上がるのは、小太りの意地悪そうな男性だった。

 

 

「へぇー。入場料、取られないんだな。首都は太っ腹だ」

「……カール。この舞台、あんまり面白くない、かも」

「え、どういうことだレヴ。来たことあるのか?」

 

 

 レヴは、舞台を見て少し顔を顰めた。

 

 純朴な少年カールはこの大きな舞台をタダで見られる事に驚いていたが、小動物少女は見た瞬間にこの舞台が『汚らわしいもの』だと気付いた。

 

「い、一番! 東の村の、アリーシャです!!」

 

 やがて舞台に上がったのは、みすぼらしい服装の少女。

 

 カールの想像していた、華やかな歌い手の衣装とは程遠い。

 

「母が、病に苦しんでいます。どうか、どうか私にお恵み下さい!!」

 

 半ば懇願するように少女はそう叫ぶと、舞台の上に小さな籠を置いた。

 

 頭上に疑問符を浮かべていたカールは、やがて絶句する。

 

 

「あ、あのー空ぁ~!! 収穫の~祝いぃ~」

 

 

 何と少女は、歌いながら服を脱ぎ始めたのだから。

 

 何かに耐えるように、歌う村娘は舞台上で肌を晒し続ける。

 

 それに呼応して、客席から雨の様に小銭が降り注いだ。

 

 

「なっ────」

「見世物ショーだね、これ……。借金まみれの人を舞台に上げて、お捻りを稼がせるショー。稼ぎが悪いとその場で奴隷に落とされるから、皆必死で客に媚を売ってる」

「……」

「……どうする? このまま見たい?」

「胸糞悪い。ごめんレヴ、変なところに連れて来て」

 

 やっぱり知らなかったのか、とレヴは鼻を鳴らした。

 

 カールはきっと、純粋な歌のショーと勘違いしていたに違いない。知っていれば少なくとも、デート中の女性を連れて来る場所ではない。

 

 

「行こうか」

「うん」

 

 

 こうして楽しいはずのデートは、最悪の空気へと変わってしまった。

 

 レヴの顔が、密かに曇ったのをカールは見逃さなかった。

 

 

「さぁて、2番目の出場者はこちら!! パーティに内緒で多額の借金を背負ってしまった少女リューちゃん(仮名)! 一獲千金を目論んで、彼女はこの舞台に立ってくれたぁ!!」

「はーい!! 皆さんこんにちは、ヤケクソ系新人アイドルのリューです!!」

「リューちゃん、その怪しげな衣装は何かな? というか、何で顔を隠しているの?」

「実は私の正体は魔王なんです! 正体を隠す為、顔出しはNGです」

「これはこれは、とんでもない新人が現れたもんだ」

 

 醜い笑い声が響く中、カールはレヴの手を引いて客席から立ち去った。

 

 ……彼自身、嫌なものを見て冷静ではいられなかった。

 

「では皆さん聞いてください!! この場で即興で作り上げて歌います!! 『私は☆MA・王』」

「良いぞー!!」

 

 ……結局。

 

 カールの人生の初デートは、失敗に終わったと言えるだろう。

 

 カールは、いつものようにレヴに接して会話した。

 

 レヴも、普段と変わらない距離感でしかカールと話せなかった。

 

 それはつまり、デートと銘打たずカールと二人で出かけても、きっと今日の行動は何も変わらなかった。

 

「ごめん、レヴ」

「ねぇ、カール。さっきの参加者の声、何処かで聞いたような」

「え? わ、悪い。気分が悪くて見てなかったよ」 

「そ、そっか……」

 

 首都デートを楽しみにしていただろうレヴに申し訳ない。

 

 カールは、心の中でひっそり落ち込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、カール」

 

 見世物舞台から出てから、レヴは意を決して想い人に話しかけた。

 

「……私とお出掛け、つまらない?」

「……なっ、そんな事は無いぞ!」

「そう。……本当に?」

 

 朝から、カールは難しい顔をしていた。

 

 聞けば、彼はデートなどしたことないと言っていた。だから、緊張しているのだと思った。

 

「私ね。……今日、一度も、カールの笑顔を見てない」

「……」

 

 レヴにそう言われ、勇者はハッとなった。

 

 確かに。カールは朝から、一度も笑っていなかった。

 

「……」

「ち、違うんだレヴ」

 

 口ではそう言えど、何が違うのか。

 

 確かにカールは、朝から何も楽しんではいなかった。

 

 デートをするのに夢中で、真剣になりすぎて。レヴとの会話を楽しんだり、笑ったりしていなかった。

 

「ねぇ、カール」

「……何だ、レヴ」

「カールは、私をどう思ってる?」

 

 

 少女は、少し諦めた顔でカールに問うた。

 

「私を見て、可愛いと思ってくれる?」

「……勿論だ! レヴは世界で誰より可愛くて」

「じゃあ、結婚したい……?」

 

 少女の口から出てきたその言葉に、カールは口を開いたまま絶句した。

 

「いや、そう言うのはまだ、早いというか」

「だよね。……うん、でも私はカールが結婚してくれたらすごく嬉しいよ?」

「……」

「私は、カールが好きだから。カール以外、何も目に入らないから。だから、カールが結婚してくれたら、すごく嬉しい」

 

 やがて、その少女の声は少しずつ湿り気を帯びてきた。

 

「カール。……カールは、私をそういう目で見てないよね?」

「……いや、それは」

「カールは私の事、大事にしてくれてる。仲間として、家族として、愛してくれてる。それは知ってるよ」

 

 まぁ、薄々と少女自身も気付いていたことだ。

 

 カールには、少女趣味がない。まだまだ発育途中の彼女では、カールの恋愛対象になり得ない。

 

「……私を大切に思って、愛してくれてるから。今日のデートも、断らなかったんだよね」

 

 その言葉に、カールは押し黙った。

 

 押し黙るしかなかった。

 

 

 ────恐ろしいほどに、レヴはカールの心情を読み当てていたからだ。

 

 

 

 家族を失って独りになったレヴを、放っておけなかった。

 

 家族愛を求め、自分を慕ってくるレヴを、心底可愛いと愛した。

 

 

 しかしそれは、カールにとって紛れもなく『恋愛感情ではない』。

 

 家族に向ける、仲間に向ける愛情だった。

 

 

「カール、お願い。どうか、嘘をつかないで」

「……レヴ」

「私は、私は────同情や、責任感で付き合ってほしくない。私を見て、好きになってほしい」

 

 絞り出すようにそう言うと、レヴはカールに抱き付いて、

 

 

「私を、本当に好きになってくれるなら。このまま、私にキスをして」

「────」

「それが出来ないなら。……ちゃんと、決着を付けて」

 

 

 そう、懇願した。

 

 

「……」

 

 

 その瞳は真っ直ぐに、カールを見つめる。

 

 小さくても、レヴは女性だ。

 

 カールなんかよりずっとずっと、恋愛をしていた。

 

「……俺は」

 

 レヴの体温を、感じる。

 

 カールの理性が、グラリと揺れた。

 

 

 ……可愛い、のかもしれない。

 

 レヴを、異性として見れるかもしれない。

 

 

 そう感じるほどに、今の彼女の顔からは幼さが消え、『大人の女性』であるかのような雰囲気を纏っていた。

 

 

 カールは決断しなければならない。

 

 レヴはもう、ありったけの勇気を振り絞ってくれている。

 

 ここで答えずして、何が男か。

 

 

 カールは悩みもがき、考え抜いて、そして────

 

 

 

 

 

 

 

「カールッ!!」

「……マイカ!?」

 

 

 その、答えを出す直前。

 

 彼とは切っても切れぬ幼馴染み。

 

 マイカが、この場に姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅん。やっぱり、マイカも来たの」

「あ、や、えっと」

 

 レヴは、マイカが現れても動揺しなかった。

 

 むしろ『そろそろ現れるんだろうな』と予想していたかの様な態度だ。

 

「……マイカ。今ね、私、カールにプロポーズしたよ」

「え、え」

「マイカは。……貴女は、どうする?」

 

 何故この場にマイカが、と目を見開いているカールとは対照的に。

 

 その少女は、落ち着いた声で恋敵に尋ねた。

 

「……」

 

 幼馴染みが見た景色は、互いに向き合ってキスをする間近の友人(レヴ)想い人(カール)

 

 二人は、マイカの想定よりずっと関係が進んだ様子だ。

 

「……その。レヴ、少しカールを貸してくれないかな」

「いや。絶対に、いや」

 

 マイカはこの場に、カールに告白する為に来た。

 

 イリーネに背中を押され、十分に覚悟は決まっていた。マイカは今日、10年越しの想いをカールに告げに来た。

 

 だからこそ、レヴは拒否した。

 

「私はもう、出せる勇気全部出したもん」

「……レヴ」

「ここで引き下がれる訳ない。……私が先に、告白したんだから」

 

 何となく。女の勘で、レヴは気が付いていた。

 

 ここで、マイカとカールを二人にしたら、自分は負けると。

 

「……マイカ。今さらやってきて、二人きりになれるなんて、そんな虫の良い話を期待しないで」

 

 そう言うと、庇うようにレヴはカールを抱き締めた。

 

 その目に涙を浮かべながら。

 

「……ああ、そう」

 

 

 取られたくない。負けたくない。

 

 ……それは、当然だ。

 

 レヴの気持ちを考えれば、デートの真っ最中に他の女が割り込んできたのだから、譲る理由がない。

 

「おい、マイカ。一体何の話だ」

「貴方の話してんのよ、カール」

「マイカ……?」

 

 これは、ウダウダしていた自分が悪い。

 

 サヨリに先を越され、レヴも後を追い。

 

 そんな中でマイカだけは、ぼんやり『傍観していた』のだから。

 

 

 

 

「言うのが遅くなって、ごめんカール」

 

 

 マイカはこれが、最後のチャンスだと気付いた。

 

 他人のデートに割り込んで、男に告白しようとしているのだ。

 

 相手が気心しれたレヴで無ければ、即座に張り飛ばされておしまいだっただろう。

 

 

 

「……昔から、好きだったよ」

 

 

 

 

 マイカの口から、その言葉が出たあと。

 

 彼女は口を固く閉じて、二人に背を向け立ち去った。

 

 

「────えっ」

 

 

 

 

 

 

 カールが、再び呆ける。

 

 マイカは返答も聞かぬまま、その隙をついて歩き去ってしまった。

 

 

 ……彼女の勇気的に、これがもう精一杯だった。

 

 

「……」

「え、ちょ。マイカ?」

 

 

 無言で立ち去った幼馴染みの、背を見て戸惑う。

 

 カールは自分が何を言われたか理解するのに、しばらく時間を要した。

 

「……勝手なヤツ」

「レ、レヴ。今のは一体……」

「……自分で考えれば?」

 

 カールからすれば、とうの昔にフラレた筈の相手だ。

 

 そのマイカが、おもむろに告白してきた。

 

 それも、レヴとのデート中に。

 

 

 普段は悪魔的で、倫理観の欠如した女の子。

 

 やる時には誰よりも頼りになる、冷徹非情の目的達成マシン。

 

 そんなマイカが、こんなタイミングで告白してきた事実。

 

 

「……やはり、策略か」

「これはひどい」

 

 

 マイカはそんな普段の行いから、策略を疑われた。

 

「カール。いくらなんでも、それはひどい」

「え、違うの?」

「違うよ……」

 

 ジト目で年下の少女に睨まれる、童貞。

 

 しかし、レヴも彼が何度幼馴染みから『ハニートラップ』を食らったかを知れば、いくらか意見は変わるかもしれない。

 

「……前から、マイカはカールが好きだったよ」

「そんなバカな。俺、昔にフラレたぞ」

「はぁ。マイカの事だから、意地を張ったとかじゃないのソレ」

 

 カールには、中々その話を受け入れられなかった。

 

 むしろ、マイカに好かれてるなんて、そんな馬鹿な話があるかと思った。

 

「なぁ。……好いている相手を嵌めて、カードで借金漬けにするとかある?」

「……だって、マイカだよ?」

「……成る程。そう言うこともあるか」

 

 カールは、その言葉に腑に落ちた顔になった。

 

 レヴは、何故自分がマイカの気持ちを解説しているのか分からないと言う顔をしていた。

 

「……」

「で。どうするの、カール」

「……ああ」

 

 レヴに促され、やがてカールは思案を始めた。

 

 

 

 

 ……少年(カール)は、少女(レヴ)の顔を覗き込む。

 

 それはくりくりと丸い目が可愛らしい、年端もいかぬ幼い顔だ。

 

 しかし、その表情は真剣で。何処か、大人びた雰囲気をも併せ持っている。

 

 いや。少なくとも、恋愛に関してはレヴの方がカールより精神的に年上なのは間違いないだろう。

 

 

 レヴと、付き合った未来を想像してみる。

 

 決して、悪いことにはならない。

 

 きっと、彼女は献身的にカールを支え続けるだろう。今は見た目が対象外であろうと、年を重ね成長すればきっと美人になるに違いない。

 

 そんな、自分には勿体無いほどの娘が、真正面から想いを告げて来たのだ。断る理由があろうか。

 

 

 

 先程の、悲壮な顔で想いを告げて、立ち去った幼馴染み(マイカ)の顔を思い出す。

 

 

 

 かつての、自分の想い人マイカ。

 

 フラレたと思っていた。しかし、本当は両想いだった。

 

 ……生まれた時からずっと隣にいてくれた、かけがえのない人。

 

 

 

 

「……レヴ」

「うん」

 

 

 

 そして、カールは決断した。

 

 少年は、優しく少女の肩を手繰り寄せて、

 

 

「……ごめんな」

「うん」

 

 

 そのまま抱き締めた。

 

「レヴの言う通りだった。今日の俺、凄くレヴに失礼なデートしてたよな」

「……それでも、私は嬉しかったよ」

「俺はレヴを愛してる、その言葉に嘘はない。今後、この言葉を嘘にするつもりもない。だけど」

 

 カールの腕の中で、レヴは悟った。

 

 自らの、その恋の終わりを。

 

「……ごめん。レヴを、そういう風に見たことはなかった」

「知ってた。気付いてたよ、カール」

 

 カールは、レヴを家族のように思っていた。

 

 身寄りがなくなった少女(レヴ)が、成長するまでずっと面倒を見る覚悟はあった。

 

 でも、それは。異性に向ける愛情とは言えない。

 

「……私じゃ、駄目だったんだね。カール」

「いや、その」

「もう良いよ。スッキリしたし、うん」

 

 カールの腕の中、顔を上げぬまま少女は涙を浮かべ笑った。

 

 自分に出来ることは、全てやった。その上で、フラレた。

 

 レヴに泣き出したい衝動はあれど、後悔は無かった。

 

 

「……で?」

「へ? で、とは」

「……で? マイカはどうするの」

 

 

 どうせフラれるのならば、最後まで良い女で居よう。

 

 そう考えたレヴは、色々な感情を飲み込みながら、マイカの立ち去った方向を指差した。

 

「私なら、マイカを追える」

「……っ!」

 

 そう、パーティーの斥候役はマイカ一人ではない。

 

 冒険者として有名だった両親から様々な指導を受けたレヴもまた、斥候として最低限の技術を持っていた。

 

「アレを追うなら、最後まで付き合うけど?」

「……良いのか、それで」

「良いよ。だって、私」

 

 少女は、カールの腕を離れる。

 

 レヴはもう二度と、その腕の中に『異性として』包まれることはないだろう。

 

「カールが、大好きだもん」

 

 それでも。

 

 少年は、少女の憧れの人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……居た」

「マ、マイカ!」

 

 間も無く、マイカは見つかった。

 

 フラれると思い込んでいた幼馴染みは、人気の少ない路地で一人寂しく泣いていた。

 

「……え? 二人とも、何でここに」

「話がある、ちょっと来い」

 

 レヴの案内のもと、カールは幼馴染みの前に辿り着いた。

 

 ここからは、少年が勇気を見せる番である。

 

「……イヤよ、来ないで」

「良いからこっち来い」

「イヤ、聞きたくない」

 

 カールが歩みよると、マイカは後退る。

 

 その情けない鬼ごっこを、レヴは黙って見続けた。

 

「……っ!!」

「あ、逃げるな!」

 

 マイカは恋愛下手だ。

 

 なまじ他の事が何でも出来るので、恋愛は彼女にとって最大のコンプレックスだ。

 

 プライドの高いマイカは、恋愛での危機に直面すれば遮二無二逃げる悪癖が有った。

 

「カール、追って!」

「おうとも!」

 

 いつものように逃げる、幼馴染み。

 

 男を見せる為、追う勇者。

 

「……」

 

 マイカは、その無駄に高い知能を存分に使って離脱を試みていた。

 

 正直なところ。もしレヴとカールが付き合っていたら、自分の口からどんな罵詈雑言が飛び出すか予想できなかったからだ。

 

 自分の品性が疑われるような、酷い言葉を大事な仲間に言ってしまうかもしれない。

 

 今はまだ、マイカには失恋を受け止められるだけの余裕が持てない。

 

 だからこその、逃走だった。

 

 

「……クソ、見失った!」

「カール、あっち……」

 

 

 土地勘が無いとは思えない程、正確に裏道を利用したマイカの逃走劇。

 

 もう、四の五の言っていられない。

 

 カールは勇者としての力を解放し、多少路地がぶっ壊れようが気にせず地面を蹴って、

 

 

「……待ってくれ!!」

 

 

 マイカを、背後から全力で抱き締めた。

 

「一回しか言わないから聞いてくれ!!」

 

 

 温かい、幼馴染みの体温。

 

 カールは燃え上がる羞恥心を押さえ込み、目を閉じたまま大声で叫ぶ。

 

 ここで、全てに終止符を打つために。

 

 

「俺が本当に好きなのは───お前なんだ!!」

 

 

 

 

「……はい?」

 

 帰ってきた声は、困惑だった。

 

 それはマイカらしからぬ、落ち着いた声色と口調の。

 

「……ん?」

「あ、あの」

 

 イヤな予感がする。

 

 何か、取り返しのつかないことを仕出かした気がする。

 

 額に脂汗をにじませて、カールは恐る恐る目を開けた。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 そして、目をぱちくりさせる仲間の貴族令嬢と目が合う。

 

 

 何と言う事でしょう。

 

 地面を蹴る力配分を誤ったカールは、裏路地を飛び出して偶然そこを歩いていた女性(イリーネ)に告白してしまったのでした。

 

 朴念神、ここに極まれり。

 

 

 



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72話「何処までも真っすぐに!!」

「どうすりゃいいんだ……」

 

 ────夜。

 

 カールは一人、首都の安いバーの酒に浸って泣いていた。

 

 

「マイカにレヴ、怒っただろうなぁ」

 

 

 彼の今日のやらかしは、過去最大級であった。今までコツコツ積み上げてきた彼の信頼は、脆く崩れ去っただろう。

 

 告白してきた女性の前で、別の女性に告白を見せつけるってどんな鬼畜だ。

 

「……うぅ」

 

 今までの旅の中でで手にした経験、友情、絆、そして何より信頼できるパーティーメンバー……。

 

 それを今の彼が得ることは殆ど不可能と言ってよかった。

 

「……まさか、イリーネがあそこまで嫌がるなんて」

 

 

 告白相手を間違えた時点で、大顰蹙。

 

 そしてその告白した相手と言うのが、よりにもよってパーティー屈指の常識人イリーネだ。

 

 

 ……彼の告白を受けたあと。

 

 イリーネは真顔になって「戦略的撤退ですわ!」と叫び何処かへ全力疾走してしまった。

 

 その場に残ったのは、虚空を抱き締める勇者と、彼を凄まじい顔で睨み付ける2人の恋する乙女。

 

 

 ……と、頭が痛そうにその場を眺めるサクラ達であった。

 

 

「……あー。これは、その」

「ふん!」

 

 告白した直後にわざわざ呼び止められ、別の女性への熱い告白を見せつけられたマイカは勇者の右頬を張り飛ばし。

 

「レヴ、違うんだ」

「……これは、無い」

 

 てっきり幼馴染みに告白しにいくものと思い込んでいたレヴは、結局は貴族のおっぱいに転んだ勇者の左頬をビンタした。

 

 

「……行きましょ。レヴ」

「……うん、マイカ。付き合う」

 

 

 顔の両側に大きな紅葉を咲かせた勇者を捨て置き、二人の乙女は夜の町に消えた。

 

 今日はきっと、遅くまで帰ってこないに違いない。

 

「なぁ、サクラよ。……やはりカールは、頭がおかしいのではないのか?」

「そうねぇ。擁護する気も起きないわねぇ」

「カールの旦那……」

 

 そんな仲間の罵倒を、カールは口をパクパクさせながら聞き流すことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お客さん、ちょっと飲み過ぎじゃないですか?」

「うぅ、俺はダメなんだ。もはや酒に溺れないと、生きていけない」

「もー、ちゃんと帰れるんですか? もし酔い潰れたなら、外に放り出して責任持ちませんからね」

 

 そしてカールは、居たたまれなくなって仲間の前から逃げ出した。

 

 責めるようなサクラの視線に耐えられなかった。

 

 ただでさえ告白する相手を間違えた上、あまつ告白した相手から思った以上に拒絶されたこと。

 

 カールのメンタルは、ボロボロだった。

 

「宿に帰りたくない……。パーティの皆が待ってる部屋に行きたくない」

「はぁ。厄介な客が来たものですね」

 

 帰ったらどんな目に遭うのだろうか。

 

 マイカから、レヴから、イリーネから。どんな言葉を投げかけられるのだろう。

 

 彼は一人、涙をテーブルに垂らし呻いていた。

 

「ヘイ、ママ。そんな馬鹿に構ってないで、俺に濃い蒸留酒のおススメを頼む」

「あ、了解です。ただいま」

「うぅ~、俺は駄目な奴だぁ」

 

 カールは、1人バーのカウンターで酔い潰れる。

 

 元々酒に弱い彼が、自分の限界を超えて飲んだのだ。耐えられるはずもない。

 

 後のカールに出来るは、何もかもを酒に任せて眠るように意識を手放す事だけ────

 

 

 

「おらカール。飲め」

「おごごご!?」

 

 

 

 そんな酔っ払いの口に、小さな瓶が突っ込まれた。

 

 苦味、甘み、酸味などが混ざり合ったえげつない味のソレは、カールを飛び起きさせるのに十分な刺激だった。

 

「おげぇええ!! おげ、おげぇぇぇ!!」

「おお、流石サクラの薬。よく効くなぁ」

「な、なんっ……おげえええ!!」

 

 それは、カール自身が手持ち袋に忍ばせていた秘薬。

 

 酔い潰れたとき様にとサクラから手渡されていた、酔い覚ましの薬であった。

 

「ちょ、だ、誰だ!! いきなり他人の口にこんな不味いモノを────」

「俺だよ、このクソボケ」

 

 いきなり何てモノを飲ませるんだ。俺に喧嘩でも売ってるのか。

 

 飛び起きたカールは、その薬を飲ませた下手人を睨みつけ……

 

「……うわっ!! お前かよ、脅かすな」

「別に脅かしていないが」

 

 目前に見覚えのある、猿の仮面を被った奇人と目が合ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、だ。カール、何でこんなところで酔い潰れてやがる。仲間はどうした」

「……仲間」

 

 カールはすわ敵襲かと慌てたが、隣に座ったのが気心の知れた正体不明の不審者であったので、落ち着きを取り戻した。

 

「……仲間、仲間。うぅ、俺は、俺はぁぁ!!!」

「いちいち泣くなうっとおしい。良いから早く、手短に状況を説明しろ」

「俺は、ダメなやつだぁぁ!!」

 

 落ち着きを取り戻した彼は、猿の奇人の前で再び泣き出してしまった。

 

 メンタルの弱いカールは、仲間全員から信用を失った(と思われる)状況に、酒抜きでは耐えられないのだ。

 

「どーでも良いから早く説明しろぉぉぉ!! 今日有ったことを詳細に!! 正確に!!」

「ちょ、揺らすな猿仮面、気持ち悪くなる!」

「結局、何だったんだよお前!」

 

 そして何故か、猿仮面はいつもよりも興奮気味であった。

 

 何やら、自分も当事者であるかのような口ぶりで、語気も荒くカールに状況の説明を促し続けた。

 

「わ、分かった。長くなるが良いか」

「おう」

 

 そのあまりの剣幕に押され、カールは口を割る。

 

 この日、彼がやらかした失敗の数々を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……前々からそんな気がしていたが、この日俺は確信した。

 

「アホだろお前」

「返す言葉もねぇ……」

 

 カールは、相当なアホである。

 

「何で後ろから抱きついて、顔も確認せずに告白すんの? 人と話す時は目と目を見て、って習わなかった?」

「……はい」

「挙げ句、失敗に気付いたら何ですぐ否定しないの? その場で間違えましたと、どうして言えないの?」

「頭が、真っ白になって」

 

 俺はクドクドと、この無能勇者に説教を始めた。

 

 酒の席での説教ほどたちの悪いものはないが、被害者である俺には言う権利があるはずだ。

 

 こいつのせいで、俺まで命の危機に陥っただろうが!!

 

「たはー、そんな事があったのですね。はいどうぞ、ご注文の火酒です」

「おお、ありがとうママ」

「どうりで悪い酔い方をしていると思いました。それは……、自業自得ですねぇ」

 

 バーのママから火酒を受け取り、俺はグイと喉に流し込む。

 

 焼けるような濃いアルコール分が、鼻の奥にツンと染みる。

 

「で、何でこんなところで飲んでんだよカールは」

「え? だって、宿に帰りたくなくて」

「誤解を解くなら早い方がいいだろ、今すぐ帰って関わった全員に頭下げてこい。ちゃんと、酔いを覚ましてからな」

 

 しかし、カールの話を聞いて俺は少し安心した。

 

 あの突然の告白が、勘違いだと分かったからだ。

 

 マジでカールが俺に告白してきたならパーティー崩壊どころではない。

 

 受けようが受けまいが俺は、マイカやレヴから怨まれるだろう。

 

「そうですよ。貴方が間違えて告白した娘も、今頃『どう返事しようか』と悶々としているかもしれませんよ」

「……そうか、そうだよなぁ」

 

 バーのママも呆れ顔で、カールに帰宅を促す。このアホの相手が面倒だからか、早く帰ってもらいたそうだ。

 

 まぁ、間違えて告白された娘は今此処に居るけどな。

 

「まず最初に土下座すべきは、間違えたその娘でしょう。他の二人には、その後で頭を下げましょう」

「……はい」

「例えばその娘もお客さんを好きで、貴方からの告白に好意的な返事を考えていたらどうします?」

「そ、それは」

 

 考えてません。

 

「好きだと言われたから想いを返そうとしたのに、『ごめんなさい、実は告白相手を間違えました』と言われたら……。私なら一生のトラウマになりますね」

「……」

「だから、一刻も早くそのイリーネさんとやらに謝罪しにいきなさい。こんなところで飲んだくれている事自体、相当なクズ行為ですよ」

 

 ひどく真っ当な説教を受けて、カールは頭を抱え突っ伏した。

 

 まぁ誤解を解く暇がなかったのは、全力でその場から逃げ出した俺も悪いけど。

 

 ……あの時は、路地裏から死の気配を感じたんだ。

 

「……イリーネが、俺を好きだったら。本当のクズだな俺」

「そうそう。なので、お代払ってさっさと帰ってください」

 

 さて、此処まで言われたら流石のカールも立ち上がるだろう。

 

 このまま、俺達の借りた聖堂の大部屋に戻ってくるはずだ。

 

 後は何食わぬ顔でカールを許し、マイカやレヴに事情を説明すれば全て解決────

 

 

 

 

「待て。イリーネが好いてくれてたら、死ぬほど嬉しいぞ俺……」

「……は?」

 

 

 

 カールはそんな有り得ない仮定を呟くと、頬を真っ赤に染め上げて硬直した。

 

 ……は?

 

「え、イヤ待て。俺はマイカが好きだった、筈」

「……はい? お客さーん?」

「……。…………。あれ、あれ!? 俺、かなりイリーネも好きだぞ!?」

 

 …………。

 

 おい、お前はマイカ一筋じゃなかったのか。

 

「おいカール。お前、何言ってんの?」

「いや。……いや、あり得ないけど、もしイリーネが俺を好いてくれてたら……。何だこれ、幸せがヤバい」

「おやおや、お客さーん。二股っすか?」

 

 安心しろ馬鹿、好いてない。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。自分の気持ちを整理させてくれ」

「……」

 

 そんな世迷い言をほざき始めたカールは、そのまま目をぐるぐるさせて考え込み始めた。

 

「イリーネは、旅の仲間で、優しくて、気高くて……。身一つで、こんな危険な旅についてきてくれて」

「……」

「マイカは、幼馴染みで、冷たくて非常識で……。でも、いつだって俺の一番の味方で」

 

 何故か俺がカールの事を好きな前提で、自分の気持ちを比べ始めるアホカール。

 

 何でお前が選ぶ側になってんだ、自惚れてんじゃねーぞこの野郎。

 

 そんな素振り今まで見せた事ないだろ。

 

「……私から仮定しといて何ですが、告白が受け入れられる可能性はあるんですか? アプローチとかありました?」

「……。イリーネは昨日も、自分から胸を触らせて来て……」

「貴方、意外とモテるのですね。それは普通に脈ありそう」

 

 ……そんな素振り、見せてたかもしれん。

 

 いや、それは単なる童貞判別のつもりだったんだが……。そうか、アプローチにも見えるなソレ。 

 

「胸お触りOKはかなり好感度高いですよ……」

「マジか……。可能性、あるのか」

 

 無いです。

 

「つまり、お客さんはイリーネさんも好きなんですね?」

「……ああ。多分」

「だったら話は簡単じゃないですか。お客さん、貴方はイリーネさんに返事を聞きに行けば良いんですよ」

「……え」

「そんで、上手くいけばそのままハッピー。フラれたなら予定通り『告白を間違えました』と謝るんです。これぞ、必勝法ではありませんか」

 

 バーのママさんは、そんな事をドヤ顔で提案した。

 

 告白ミスを逆手にとった、両対応の作戦と言う訳か。

 

「なぁ、ママ。でもそれは、かなり不義理じゃないか? 想った相手と別人に告白した挙げ句、上手くいったらそのまま付き合うって」

「そうでもないですよ、お客さんが本当にイリーネさんを好きなら両想いです。それにこの方法なら、件のイリーネさんはどう転んでも傷付きませんし」

「……成る程。イリーネを、傷付けない……」

 

 ママの提案は、成る程、カールの立場からすると確かに悪くない。

 

 (イリーネ)の気持ちを聞いたあと、フラレてもそのままマイカに告白しにいける。それは、告白する側にとってかなり有利な話だ。

 

 ────でもそれって、女を複数引っかけてキープしている最低男のムーヴじゃないか?

 

「……俺は、嫌いだなその作戦。相手への誠意もないし、筋が通ってない気がする」

「私は、今出来る最高の方法だと思いますけど? 最初の告白は間違いでも、くっついてしまえば本物になりますよ」

「……うぅ。俺は、俺は」

 

 

 カールは、俺達の意見を聞いて苦悩していた。

 

 彼自身、今提案された手段に躊躇いを感じている様子だ。

 

「俺は、万が一にもイリーネを傷つけたくない……」

「なら、私の言った通りにすべきですよ」

「でも、そんなの男らしくない……」

「そうだな、そんな選択をするヤツは漢とは言えないな」

「……」

 

 そこまで言うと、カールは押し黙って思案し始めた。

 

 

 

 ……この男は、どうするのだろう。

 

 そしてもし、ママの言った通りの行動をしたら、俺はどうしよう。

 

 

 ママの提案は、絶対に間違った選択ではない。

 

 一見カールに都合が良いように思えるが、それは(イリーネ)を傷つけないためと言う行動だし。

 

 ただ、何となく俺が嫌いなだけだ。その、スケコマシのような立ち回り方が。

 

 

 

 ────もし、カールがそんな行動を取ったとして。俺は、今までの様にこの男を信頼し続けることが出来るだろうか。

 

 

 

 

「ウシ、決めた。俺は、イリーネに返事を聞きに行く」

「まぁ、それが無難と思いますよ」

 

 やがて、カールは顔を上げ。

 

 思い立ったように、財布から金をテーブルの上に置いた。

 

「これで足りるか」

「……ちょっと多いですけど、それはまぁ相談料という事で貰っておきますね」

「構わない」

「毎度ありー」

 

 ……カールはどうやら、ママの意見を選んだようだ。

 

 それは、カールにとっても俺にとっても、都合の良い行動だ。

 

 ママの言う通り、一番無難な手段と言えるだろう。

 

「そっか。俺はちょっぴり残念だな」

「む」

「上手く言えないが、俺はそう言うの、好きじゃないかも」

 

 店を出たカールを追って、俺もテーブルに火酒のお代を置いて席を立った。

 

 ……カールが俺の寝床に来るのであれば、先に帰っておかないと。

 

「まぁ、でもそれがお前の選んだ道なんだな」

「ああ、違う違う。誤解するな、俺を見くびるなよ猿」

 

 俺は、ちょっと皮肉気味にカールを詰った。少しばかり、この男への失望が混じっていたかもしれない。

 

 だが、そんな俺の態度を見てカールは憤慨した様子だった。

 

「誤解?」

「俺は今からイリーネに全部話したあと、土下座して気持ちを聞く。そしたら、誰も傷つけない」

 

 カールは、真顔でそんな意味不明の事を言い切った。

 

「……はい?」

「イリーネに、俺の処遇を任せようと思うんだ。俺が今日、マイカに告白するつもりで間違えて告白したこと。俺はマイカが好きだけど、イリーネも好きな事。全部全部隠さず、説明するつもりだ」

「……」

「その上でイリーネに気持ちを聞いて、どうするか決める。これならイリーネがもし俺を好いてくれてでも、彼女を傷つけずに済むだろう。そして何より、これが彼女に一番誠実な行動の筈だ」

 

 その言葉に、俺は呆気にとられてしまった。

 

 カールは本気だ。本気で、そんな馬鹿な事を言い出していた。

 

「ママの案は、どう考えてもイリーネに不誠実だしな。イリーネは俺達に対して何時だって誠実で居てくれた、俺はそんな彼女の心を裏切る事なんてできない」

「……二股は、不誠実じゃねーのかよ」

「ああ、その通り。だから軽蔑されるかもしれない。俺はもう、イリーネに信頼して貰えなくなるかもしれない」

 

 ……何て、不器用な男だ。

 

 恋愛なんてある程度は駆け引きだというのに、この男はただ真っすぐ突進する事しか知らないのか。

 

「だとしても、俺はイリーネを裏切りたくない」

 

 まぁ、でも。

 

 

 ────その決断は、これ以上無く俺好みかもしれんな。

 

「オッケー、お前の気持ちは分かった。実に気に入った、力を貸すぜ親友」

「お、おうサンキュー。と言っても、今回ばかりは俺一人で決着を付けなきゃならん話だが」

 

 俺は仮面の中で笑みを浮かべ、カールの肩を叩いた。

 

 ああ、何だ。やっぱりコイツは、良い奴だ。

 

「そうかもしれんが、一度落ち着け。イリーネの話が片付いても、レヴやマイカへの対応はどうする? ソコを決めておかないと、またこんがらがるぞお前」

「む……」

 

 カールが本当にママの言った通りやるなら、マイカ達の件を完全に放置して成り行きに任せるつもりだったが。

 

 コイツが此処まで漢を見せたんだ、誤解を解く手助けをしてやろうじゃないか。

 

「確かに、レヴやマイカをどうするかはまだ……。だが、一度イリーネの気持ちを確認しに行かないと」

「そんなの後回しでいいよ」

「いや良くねぇよ! 今も、部屋でイリーネは頭を悩ませてるかもしれないんだぞ。まずは、それを解決してからだな────」

 

 俺の制止も聞かず、カールはまっすぐ聖堂の方向へ歩き出す。

 

 本当に猪突猛進だな、この男の恋愛は。

 

 

 

 

「ほい、見ろよカール」

「んあ?」

 

 

 

 

 仕方が無いので、俺はカールの正面に回り込んで仮面をずらした。

 

 このままじゃあ、話が進まないと思ったから。

 

 

「……おほん。貴方がそこまで誠意を示したのであれば、私も隠し事はヤメにしますわ」

「イリーネ……?」

「もう大丈夫ですから。イリーネの誤解など解く必要は無いのです」

 

 

 

 ……これでとうとう、カールに正体を明かしてしまった。

 

 だが、悔いはない。だってこの男は、何処までも俺に誠実であろうとしたのだ。

 

 

 

「いままで騙していてごめんなさい。私は、立場上入りにくい場所で活動する時にはこうして仮面を被っていたのですわ」

「ああ、成程。そうだったのか」

「貴方が仰るほど、私は誠実では無かったのです。……ですが始祖に誓って、もう二度と私は貴方に不誠実をいたしません」

 

 ソコまで言うと、俺は仮面を再び被りなおした。

 

 ここは道端、人通りもある。猿仮面の素顔を、カール以外に見られる訳にはいかない。

 

 

「と、いう訳だ」

「そっかそっか、成程あっはっは」

「まぁ、これで最初の問題は解決、と。次はマイカとレヴをどうするかだが……」

「あーっはっはっはー」

 

 

 再び猿仮面になった俺は、俺の正体に得心して大笑いしているカールの肩を抱く。

 

 ちょっと驚いた様子だが、そこまでカールは混乱はしてなさそうだ。もしかしたら、薄々感づいていたのかもしれない。

 

 猿仮面(オレ)の正体が、イリーネだという事に────

 

 

 

 

 

 

「ごめんそれは流せないわぁ!!?」

「カール!?」

 

 

 

 

 直後、カールは出た店の壁に激しく顔面を打ち付けた。

 

 

「猿が、イリーネ!? 猿がイリーネって何!? え、イリーネがイリーネじゃなくて猿仮面なのか!!?」

「お、おーい?」

「何事ですか一体……うわぁ!! お客さんが店を壊してる!!?」

 

 

 顔を血塗れにしながら、幾度もバーの壁に顔を打ち付けて絶叫するカール。

 

 そんな彼の奇行を、俺は呆然と眺める事しか出来なかった。

 

「飲み込みきれねぇ、消化できねぇよ!! 重たいよ、重たすぎるんだよ畜生!!!」

「え、え!? そんな強いお酒飲ませてませんけど!?」

 

 ……。

 

 どうやらカールは、精神崩壊してしまったらしい。

 

 夜のバーの前で絶叫しながら頭を打ち付けるカールは、その通りの誰よりもたちの悪い酔っ払いに見えた。



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73話「ひとつの恋の結末」

「……」

「おーい。大丈夫かお前、目がヤバいぞ」

「……脳が震えてる」

 

 俺とママの説得で、何とかカールは頭を壁に打ち付けるのをやめてくれた。

 

 しかしカールの脳はまだ振動中らしいので、俺は人気のないベンチまで彼を搬送した。

 

 因みにバーのママさんには謝って、俺が魔法で壁を補修しておいた。

 

「イリーネ……なんだよな。お前」

「ああ」

 

 改めて、カールは俺の仮面を凝視する。

 

 まだ、受け入れられていないらしい。

 

「でもカール。俺はあまり夜のお店に出入りしていると、公言されたくない」

「はぁ」

「だから、この姿の時は今まで通り猿仮面と呼んでくれ」

 

 未だに表情がドンヨリしているカールに、俺は釘を刺しておいた。

 

 あんまり、貴族令嬢イリーネさんが夜のバーに出入りしていると知られたくないのだ。

 

「……。…………あの、イリーネさん」

「いやだから、猿仮面と呼べと」

「何時から、猿仮面の中身はイリーネさんだったのでしょうか」

「最初からずっと猿仮面は俺だよ」

 

 まぁ、マイカもレッサルの時に一瞬なったけど。

 

「……では、その。えっと、男同士の猥談とかに付き合ってくれた、猿仮面の中身は、えっと」

「イリーネはもう、尋常じゃなくエロい! だったか? あの時は反応に困ったぞ」

「エーヴゥッ!!!」

「吐いた!?」

 

 カールは会話の最中に突然吐き出した。

 

 それは、もがき苦しむ悪霊の様な表情だった。

 

「ま、まぁ気にすんな。男ってのはそう言うもんさ」

「……死にたい」

 

 どうやら、俺に色々聞かれてたのがショックな様子だ。

 

 そんなに気にすることないのに。

 

「なぁイリ……。いや、猿仮面」

「どした?」

「今日はその、悪かった。間違えて告白した件」

「あー、事情聞いたしもう良いよ。悪意は無いんだろ?」

「……おう」

 

 カールは既にノックアウト寸前だが、それでも話を続ける様だ。

 

 謝らねばならぬと言う、男の意地だろう。

 

「俺さ、マイカにフラレたあともずっと好きだった。……未練がましいなとは思ってたが」

「フラレた訳じゃねぇだろ、話聞いてると。多分、冒険者がイヤだっただけだぞ」

「……そうだったのかな。あの後酒の席で、散々に煽られたけど」

 

 そう言うと、ふぅとカールは息を吐き出した。

 

「で、だ。さっき言った通りだが、その」

「おう」

「俺は最近イリーネも、気になり始めていて」

「ごめんなさいですわ」

「エーヴッ!!」

 

 どうやら、カールは宣言通り最初のプランを実行するらしい。

 

 俺に全部話した上で、告白して気持ちを聞くと。

 

「……ですよね」

「これもまた内緒にしていただきたいですが、私は殿方より女性を愛するタイプですわ。将来的には、親の決めた相手に嫁ぐ事になるとは思いますが」

 

 カールは真剣な様子なので、俺もお嬢様口調で真面目に返答する。

 

 もう、この男に隠し事はなしだ。それが、筋を通したカールに対する礼儀ってもんだ。

 

「あ、じゃあボディタッチとかあんまり怒らないのってもしかして」

「はい、本当に気にしてないのですわ。と言うか……」

「ん?」

「俺は敬語調よりも、猿仮面モードの方が素だぜ?」

 

 そこまで言うと、カールは目を丸くして驚いた素振りだった。

 

「え、そっちが素? てっきり、変装のために性格をガッツリ変えてるんだと」

「それもあるけどな。父様に恥を掻かせないように、貴族としての礼儀作法を身に付けた理想型(そとづら)がイリーネって訳なのよ。実際、妹と2人で会話する時はこの口調なんだ」

 

 まぁ、あの敬語調モードは猫被りと言われても仕方ないくらい被ってる。

 

 貴族令嬢なんて、誰もそんなもんだけど。

 

「……また脳が震えてきた。ちょっとミステリアスで天然な令嬢イリーネは一体何処に行った……」

「ふふふ、まさに理想のお嬢様だったろ? あんなの現実に居る訳が……お前今、天然って言った?」

「生真面目おっとり天然お嬢様が……」

「お前今、天然って言った?」

 

 誰が天然じゃい。

 

「……。あれ? お前って確か魔族と正面から殴り勝ってなかったっけ?」

「おう。あの時は死ぬかと思ったがな」

「マジか。……色々とマジか貴族令嬢」

「そう誉めるな」

 

 貴族令嬢が巨大マントヒヒに近接戦で殴り勝つ。今思い返しても、奇跡だったなぁアレ。

 

 今なら、杖あり精霊砲である程度屠れると思うけど。

 

「はっはっは、幻滅したかな? ま、女に夢を見すぎるなよと言ういい経験になったろ」

「いや。……何か逆に見直したわお前」

「そっか」

 

 正直嫌われるんじゃないかと怖かったけど、カールはむしろ感心した顔になって誉めてくれた。

 

 ……それは良かったんだが、何を見直したんだろう。

 

「イリーネはポーカーフェイスで真意が読みにくいことが多かったけど……、今やっとお前を理解できた気がする」

「おう。告白を断った後で何だが、これからも仲良くしようぜ」

「……ああ。と言うか、何故かフラレた気がしない」

 

 そう答えるカールの顔は微妙だった。いや、しっかりフラれてんぞお前。

 

「これからも、二人きりの時はこの口調で良いか? この方が気楽なんだ」

「良いけど……。イリーネの姿でその口調? 似合わねぇ……」

 

 まぁ、あの姿の時は徹底的に清楚で通してたしな。

 

「変な感じなら、今まで通り敬語で統一するが」

「……その方が助かる。今、何かイリーネのイメージが分離して宙に浮いてる感覚でな。何が言いたいのかわからんが、不思議な気分なんだ」

「了解、なら今まで通りやるか」

 

 カールがそう言うなら仕方ない。多分、まだ俺とイリーネを同一視できていないんだろう。

 

「じゃあ、改めて。マイカとレヴをどうするか」

「おう。……まぁそれも、真っ直ぐ行くしかないと思うが」

「猪突猛進だな、本当に」

 

 どうやらカールは、力技でマイカ達に突撃するつもりらしい。

 

 放っておいたら、この男は何処までも突っ走るだろう。俺相手にはそれで良いと思うが、あの二人にはどうだろうか。

 

「……まぁ、聞け。つまりだな」

「む。……それで良いのか?」

「その方が、丸く収まるだろ。それに、誰にも嘘を付かずに済むからな」

 

 俺は、カールにある作戦を耳打ちした。

 

 多分、今日の事を全て暴露するよりその方がいいと思ったから。

 

「後はカール、お前がしっかり決断することだな。マイカもレヴも良い子だ、決して不誠実な事をしないように」

「……おう。分かった、猿仮面」

 

 さぁて、後はこいつ次第か。俺にこれ以上、協力出来る事は無かろう。

 

 では帰るとするか。俺達の仲間の待つ聖堂へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……木っ端微塵にフラレた?」

 

 聖堂の寝床では、マイカが飲んだくれていた。

 

 マイカは呆れ顔のサクラに愚痴を聞いてもらいながら、既に眠っているレヴの隣のベッドで酒を煽っていた。

 

 俺とカールが2人並んで戻ってきたのを見て、無言で耳を塞いだのが印象的だった。

 

「つまり、イリーネは告白を断ったのねぇ?」

「ええ。その、カールさんは決して悪い人ではないのですが、私の立場上それは難しいのですわ」

「……ぷっ。あははははは!! カール、フラレてやんの!!」

 

 早いところ、誤解を解いてあげよう。まず第一声で、俺はカールの告白を断ったことを告げた。

 

 すると酒が入って変なテンションになっているのか、マイカは普段見せないような高笑いをしてカールの肩を叩いた。

 

「やーいやーい、振られ虫!! あはははは!!」

「……そう言う訳だ。今日は、何か色々とすまんかったなマイカ」

「もう良いわよ、別に。カールごときに泣かされるとは思わなかったけど!!」

「……うぐっ」

 

 酒に浸かってある程度吹っ切れたのか、マイカは少し元気を取り戻していた。カールが振られたのを知って、気力が回復したのかもしれない。

 

「フラれた者同士、アンタもこの酒飲んで良いわよ。……ヒクッ」

「……ああ、ご相伴にあずかるよマイカ」

「いや、そろそろ止めておきなさいな。明日、地獄を見るわよぉ?」

 

 ジト目で酔っ払いを宥めるサクラ。いつの間にか、保護者みたいな立ち位置になっていた。

 

「……カール」

「分かってるよ、イリーネ」

 

 俺が目配せすると、カールは黙って頷いた。

 

 先ほど、俺がカールに耳打ちした内容はこうだ。

 

 

 

『今日起きた事を全部、正直に話して謝るのはやめた方がいい』

『……何でだ?』

『結局、それって二股になるだろ。お前は本心からイリーネ(オレ)に告白したんだから、フラレて次にって告白はマイカも良い気分にならん』

 

 それは、俺の……第三者の立場から率直に感じた事だ。

 

 あの娘も好きだけど、お前も好き。そんな告白をされて、マイカが良い気分になる筈もない。

 

『きっちり心を整理して「俺はマイカだけが好きだ」と断言できる様になってから告れ。お前の方からな』

『……ふむ』

 

 だから、カールは自分の心に折り合いをつけるべきだ。

 

 自分の心にケジメを付けれたら、きっと後腐れなくマイカと付き合えるはず。

 

『今はお前もマイカも不安定。全部正直に言ったら、マイカは付き合えたとしても何処かで彼女に「イリーネと天秤にかけられた」ってしこりが残る』

『……それは、たしかに』

『俺としても、マイカとは仲良くやりたいんだ。変な感情のもつれを残されたくない』

 

 俺はそう言って、カールの肩を叩いた。

 

『女を幸せにするなら、いつだって全力で。脇目を振って走っちゃいかん』

『だな、その通りだ』

『応援はしてやるぜ、親友』

『……おう、サンキュー』

 

 

 

 

 

 

 

 俺の忠告通り、その日カールはマイカに想いを告げなかった。

 

「……マイカの奴、酔い潰れたか」

「では、御開きですわね。後始末はお任せください」

「強めに解毒は掛けておくけど。ま、明日は二日酔いでしょうねぇ」

 

 だが、いつかきっと、彼の口から告白する日が来るだろう。

 

 その日までどうか、待っていてやってくれマイカ。

 

「じゃ、おやすみ」

「おやすみ、ですわ」

 

 さて、俺にはもうひと仕事残っている。それは、サクラだ。

 

 猿仮面の正体は、カールにもマイカにもバレてしまった。マスターだって、最初から気付いていた。

 

 俺の正体を、一番仲の良いサクラにだけ黙っておくのも不義理だろう。

 

「サクラさん、寝る前に一つ大事な話がありますの」

「どうしたの、イリーネ。改まって」

 

 少し息を吸うと、俺は意を決し、震える手を抑え込んでサクラに全てを告白した!!

 

「あの、サクラさん。今まで隠していたのですが実は、猿仮面の正体は私だったのですわ」

「そうよねぇ。じゃあ、おやすみ」

「あれ?」

 

 

 

 ……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

「頭が痛い」

「……うっぷ」

 

 爽やかな日の照り付ける中、カールLove女子組が地獄の様な顔色で嘔吐していた。

 

「だから言ったのに」

殿方(カール)にはとてもお見せ出来ない姿ですわね」

 

 サクラの解毒むなしく、二人は二日酔いで死にかかっている様だ。

 

 一体どれだけの酒を飲んだのだろう。

 

「私以外の回復術師に診て貰った方がいいかもねぇ。内科は専門外なのよ、私」

「死ぬ……。吐き気止めと頭痛薬を頂戴……」

「私は初級の奴しか作れないわぁ。ゲロマズで効果も薄いけど、ソレで良ければ」

 

 実に、酷い光景だ。

 

 この姿は乙女の秘密として、墓場まで持って行ってやろう。

 

「……おうい、イリーネ達。そろそろ朝の訓練を始めたいんだが、入って良いか」

「少し時間をくださいまし。今は、乙女が花を咲かせている(ゲロっている)最中ですわ」

「……花? 朝から花を?」

 

 扉の外でレイが朝練を誘いに来たが、暗喩を使って誤魔化しておいた。

 

 俺は着替え終わってるので入られても構わないんだが、レイもゲロゲロの妹を見たくないだろう。

 

「聖堂の庭に集合しましょう。すぐ伺いますわ」

「……何だか分からないが了解した。外で、お前たちを待とう」

 

 レヴちゃん、今日の訓練参加は無理だな。

 

 俺が代わりに、謝っておこう。ほんのちょっと、この惨状は俺にも責任がない訳では無いし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱ、マイカは二日酔いか」

「ええ、今日は一日休まれるそうですわ」

 

 朝の訓練は、つつがなく終わった。

 

 今朝はレヴちゃんが居ないので、何時もよりミッチリ扱いてもらった。

 

「……妹が、迷惑をかけたようだな。二日酔いで休むとは、全く情けない」

「失恋ですもの、仕方ありませんわ。レイ、貴方にはそういう経験が無くて?」

「……む。すまない、色恋には疎くてな。そういう経験はない」

「お前格好いいから、モテそうなのに」

 

 レイは、昨夜の顛末を聞いてあきれ顔だった。

 

 彼は妹を溺愛しつつも、当たりは厳しいらしい。

 

「……そもそも、妹にも恋愛はまだ早い」

「恋に早いも遅いもありませんわよ」

「いーや。まだ、早い……」

 

 しかし、やはりシスコンである。もうとっくに女の子ですよ、レヴちゃんは。

 

「なぁイリーネ」

「何ですか、カール」

「今日ちょっとデートしねぇ?」

 

 ……と、朝練が終わって油断していたところにカールから誘われた。

 

 ふむ、それはどういう了見だ。

 

「気持ちを整理するのに付き合ってくれ。応援、してくれるんだろ?」

「……はぁ。いや、それはどうですの?」

「良いから付き合えよ、デートっても首都を遊び歩くだけだ。本当はマイカ誘うつもりだったんだが、アイツ今日は死んでるしな」

「むー。ま、まぁ特に用事はありませんが」

 

 それはカールにしては珍しく、グイグイ押してくる誘い方だった。

 

 ……今までは、もうちょっと遠慮したり引いたりしてた様な。

 

「ほう、カール。なんだか随分と押しが強くなったな」

「昨日、あんまりイリーネに緊張する必要がないと分かったんだ。気さくで良い奴だよ、イリーネは」

「……気さく、か。確かにイリーネは貴族にしては、この上なく気さくだが」

 

 どうやらカールは、猿仮面の正体が俺と知って遠慮は要らんと判断したらしい。

 

 女を誘うと言うより、男友達を誘うノリになった様だ。それならまぁ、良いか。

 

「では遊びに行きますか」

「おう。じゃあ留守は任せるぞレイ」

「……ああ」

 

 こうして、カールは首都で女を取っ替え引っ替えしながら連日のデートに勤しむのであった。

 



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74話「魔王滅亡の危機」

「イリーネ、お前って何が好きなんだ?」

「そうですわね。お裁縫に音楽鑑賞、辺りでしょうか」

「へー。うん、イメージ通りだわ。で、猫を被らないと?」

「筋トレ」

「わあ」

 

 カールとの首都デート。

 

 それは別に手をつないだり腕を組んだりとイチャイチャな感じでは無く、適当に駄弁りながら街を歩くだけのデートだった。

 

「筋トレが趣味って。……いや確かに、貴族にしては妙に体力あるなとは思ってたけど」

「今度一緒に如何です? カール、貴方の筋肉はまだまだ引き締まる余裕がありましてよ」

「ああ、うん。考えておくよ」

 

 見てる限りカールには、まったく緊張や動揺などがない。

 

 少なくとも、好きな女性と出かけている男の態度ではなさそうだ。

 

「何かだんだんと、イリーネの事が分かってきた」

「それは上々です」

「うん、今日は付き合ってくれてサンキュー」

 

 いきなり誘ってきて何だと思ったが、俺は少しずつカールがやりたかった事を理解し始めた。

 

 カールが恋をしたのは、俺の外面(イリーネ)だ。だからイリーネの中身を猿仮面(オレ)で上書きする事により、心に整理を付けようとしているらしい。

 

 俺を男友達枠とみなせるようになれば、カールは胸を張ってマイカに告白しに行けるのだ。

 

「昨日は確かこの辺に……、居た! ほら、大道芸人だ」

「あら、路上のパフォーマーですか」

「イリーネはああいうの見たことあるか?」

「いえ、有りませんわ。家に芸人を呼ぶことはありましたが」

「かなり凄かったぜ、ちょっと見ていこうや」

 

 それと、奴は俺をデートの練習台にしている節もある。

 

 昨日の話を聞くに、レヴちゃんとのデートは割と失敗だったらしい。だから経験値を積み、マイカでリベンジを挑みたいのだろう。

 

 まったくしょうがない奴だ。俺で良ければ、好きに練習台にしてくれ。

 

「ほら、適当に摘まめるもの買ってきたぜ。パンサンドだそうだ」

「……まぁ」

「ショーを見ながら昼食を取った方が楽しいし、時間に余裕もできる。前に入った店は堅苦しくて、あんまり会話も弾まなかったんだ」

「それは、下調べをしておくべきでしたわね。……ま、こういう気軽な食事も嫌いではありませんわ」

「お前には堅苦しいのより、こっちの方が合ってるだろ?」

 

 ふむふむ、そうでもないんだが。堅苦しいお店は結構慣れてるぞ、パーティとか会食で。

 

 だが、気楽な空気は嫌いじゃない。

 

「やー、3回転くらいしましたわ、あの男」

「良くあんなに体を捻って、バランスを崩さないもんだ」

 

 俺とカールは街の壁にもたれながら、のんびりと大道芸人たちのショーを観覧した。

 

 思っていたよりはずっと、楽しい時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、カール。あそこに人だかりができていますわ」

「……ああ、あっちはいかない方がいい」

 

 ショーが終わった後。適当に露店をぶらつこうと歩いていたら、俺は物凄い人だかりを見つけた。

 

 何やら、イベントが開催されているらしい。

 

「カール、顔を顰めてどうしたのです」

「あそこ、奴隷の見世物ショーをやる場なんだよ。昨日、うっかり間違えてレヴを連れ込んじゃってな」

「……見世物ショー、ですか。成程、それはあまり見たくありませんわね」

 

 えげつない活気なので何かと興味を持ってしまったが、ソコはあまり愉快な場所ではないそうだ。

 

 ……人間の痴態を見るためにあそこまで多くの客が集まるとは、首都の人間の品性はどうなっているんだ。

 

「でも、確かに凄い活気だ。昨日と比べても、凄い人数が集まっている」

「たかだ奴隷のショーに、あそこまで人が集まるモノでしょうか」

「いや、分からん。……ひょっとして、今日は別の催しをやっているのか?」

 

 カールが言うには、昨日よりも遥かに多くの人が集まっているらしい。

 

 本当に、ただの奴隷ショーなのか?

 

「おい、今から何が始まるんだ?」

 

 カールも疑問に感じたようで、集まった客の一人に話しかけた。

 

「何って、そんな事も知らないでこの場に来たのですか貴方は。歌姫のショーですよ」

「おお? 昨日は奴隷のショーをやっていたが」

「あそこの舞台は日替わりなのです。今日は、歌姫ショーの日です」

「なんと!」

 

 聞くとどうやら、今日は奴隷ショーが開催されているわけではないらしい。

 

 歌姫、か。……アイドルみたいなものだろうか?

 

「今日は凄い方が来ておりますので、貴方たちも聞いて行ったらどうですか? 立ち聞きならお金も取られませんよ」

「ふーむ。趣味が音楽鑑賞のイリーネさん、どうするよ」

「それは表の趣味ですわ。ですが……ちょっと興味はありますわね」

 

 どうせやる事も決まってないのだ。悪趣味なショーじゃないのであれば、観覧するのもいいかもしれない。

 

 目の前の男はかなりワクワクとしているし、本当に面白いものが見られるのかも。

 

「おお、現れましたよ。伝説のトップスタァが!」

「む、よく見えないが……。何だ、あの怪しい出で立ち!?」

 

 やがて、客席は大きな歓声に包まれ誰かが舞台上に姿を現した。

 

 俺は何も見えなかったが、背の高いカールには見えたようで驚愕の声を上げていた。

 

「……何だ? 猿仮面の新種か……?」

「うおおおおおお!!!」

 

 どうやら、そのアイドルは相当に奇抜な格好をしているらしい。

 

「カール、カール。おんぶですわ」

「おっとと。落ちるなよイリーネ」

 

 何だ何だ、俺も見たい。

 

 どんな奴が歌姫としてショーに現れたんだ……?

 

 

『みんな、私の為に集まってくれてありがとうございまーす!! 人類を滅ぼす系アイドル、魔王のリューちゃんでーす!!』

「「ジーク! ハイル!! ジーク! 魔王!!」」

『愚劣な人間どもよ、よくぞこの私の前に集まりました! これより、我が活動の為に資金を投げ入れるが良いです!!』

「「お任せください!! 魔王様!!」」

 

 

 カールの肩の上から見えた、舞台のアイドルは。

 

 怪しい鬼みたいな被り物を被った、魔王を名乗る不審者だった。

 

 

『では今日も人類征服に協力してくれる貴様らに、慈悲を下賜してさしあげます!』

「「うおおおおおっ!!!」」

『では聞いてください、私のファーストナンバー!! 私は☆MA王!!』

 

 

 その変態の宣言と共に、不思議なメロディが舞台を包みこむ。

 

 その意味不明な言動、頭の悪いステージ演出、常軌を逸した観客の盛り上がり。

 

 俺とカールだけが、その場から完全に置いてきぼりを食らっていた。

 

「……理解に苦しみますわ」

「……何? あの、そのえっと。アレは、何?」

「ご存じ、ないのですか!!?」

 

 そのあまりにキテレツな舞台に呆けていると、何やら興奮した口調のさっきの男が解説してくれた。

 

「彼女こそ、奴隷落ち目前からチャンスを掴み、スターの座を駆け上がっている超時空シンデレラ、リューちゃんです!」

『キラーン!!!』

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流星魔法が 貴方に向かって急降下 WowWow

 

 星を切り裂く一撃が 心を捉えて離さない

 

 これでもう誰も私には敵いません 何故なら何故なら

 

 ────私はMA☆王だからです!!(ずどーん)

 

 貴方に拒否権は無い 逆らう事は許しません

 

 恋の奴隷はきっと幸せ 忠誠こそが愛なのです♪

 

 

 私はMA☆王(ジーク・ハイル!!)

 私はMA☆王(ジーク・MA☆王!!)

 

 

 さぁ、今こそ人類を焼き滅ぼす時だ(どどーん)

 

 その心臓を私に捧げなさい よく味わって食べちゃいます

 

 そう既に あなたのハートは私のモノ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……理解に苦しみますわ」

「……何? あの、そのえっと。アレは、何?」

 

 その曲が終わると、凄まじい歓声と怒号が飛び交った。

 

 俺とカールだけは徹頭徹尾、真顔だった。

 

「おいおい、大丈夫かよあの娘。今、本当に魔王が復活したかもってピリピリしてる時だろ?」

「ああ。行政が魔族の存在を周知した今だからこそ魔王を名乗る。こいつはとんだじゃじゃ馬だぜ」

「本場でも滅多にお目にかかれない、反骨心の塊みたいな(ニュービー)だ。あんなFunKyな『本物』に、次に出会えるのは何時になるか」

 

 意味がわからないが、周囲の反応からはあのリューちゃんが凄まじい人気を誇っているのは理解した。

 

 売れるために魔王を名乗る、て。正気かよあのアイドル。

 

「……イリーネ。一応、アイツ魔王らしいんだが……。倒しとくべきか?」

「馬鹿、本物な訳が無いでしょう」

 

 理解の外にある首都の民達の言動に、カールは混乱し剣に手をかけていた。

 

 やめなさい、あれは単なる頭のおかしい小娘だ。

 

「しかしあの声、何処かで聞いた事の有るような……」

「そ、そうか? いやでも、うーん」

 

 ただ、どっかで聞いたことあるんだよな、アイツの声。

 

『ではお待ちかねセカンドナンバー、いっちゃいましょう!』

「……イリーネ、どうする。まだ聞いていくか?」

「いえ、もうお腹いっぱいですわ」

 

 どこで聞いたか少し気になるが、それ以上にアイツの歌は頭が痛い。

 

 その奇人が次の曲を歌い始めたので、俺達はその場を離れることにした。

 

 これ以上付き合っていたら、こっちの頭もおかしくなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきの事は深く考えないでおきましょう」

「……だな」

 

 ライブ会場を離れ、俺とカールは疲れた顔でベンチに腰かけた。

 

 ふぅ、あんなに奇っ怪な輩が大人気なんて世も末だな。

 

「一瞬、アイツの中身は猿仮面かと思ったよ。あんなに怪しいやつ、何人もいるもんなんだな」

「どういう意味ですの。私はあんなに怪しい格好をしたりしませんわ」

「えっ。そこも素だったの?」

 

 そこも素、ってどういう意味だこの野郎。

 

「あーいや、何でもない。話を変えよう」

「……カール?」

 

 まさか、カールには猿仮面があの変人と同じように見えているのか?

 

 だとしたら、許してはおけんが。あの仮面は、格好良いし可愛いだろ!

 

「あの仮面はとってもキュートなのですわ。ぷりちーでコミカルで、それでいて────」

「そ、それより! 前々から聞きたかったんだけと。お前とサクラってデキてるの?」

「……ゲホッ!?」

 

 いきなり凄い所をぶっ込んできたなコイツ!!

 

「だ、大丈夫かイリーネ!? いきなりむせて」

「何とんでもないこと言い出しますの!?」

「お前って女の子好きなんだろ? 妙に仲が良いしもしかしたらって」

「サクラさんとは友人ですわ! そこに一片の曇りもありません」

 

 そのあまりにアレな話題チョイスに、強めのチョップで突っ込みを入れておく。

 

 変なこと言うな、人間関係ぶっ壊す気かコイツ。

 

「と言うか、それを言うならマスターでしょう。あの二人、いつみても一緒にいますもの」

「マスターとサクラは無いだろ。親子みたいな関係だぞ、あの二人」

「少なくとも男女でしょうに……、女同士より全然あると思いますわ」

「……そうかなぁ? 時折マイカがお前ら見て『百合の波動を感じる……』って興奮してたけど」

「えっ? マイカさん、そんなキャラでしたっけ?」

「アイツ結構変態だぞ。仲良くなるまでは隠すけど」

 

 ……。マイカの意外な一面を知った。

 

 あの娘、俺とサクラをカップリングして興奮してたのかよ。

 

「で、本当のところは?」

「だから違うと言ってるでしょう。じゃあ、逆に聞きますけど」

「おう」

「貴方とレイがデキているかどうか、ここで熱く論じられたらどんな気分になります?」

「ごめん俺が悪かった」

 

 何を想像したのか、カールは吐きそうな顔で頭を抱えた。

 

 赤ふんどしのイケメンと朴念仁勇者のカップリング……。うん、俺も想像しただけで吐きそう。

 

「私とサクラさんは友人。いえ、親友ですわね」

「まぁ、そんなところか」

 

 そんな俺の言葉に納得したのか、それ以上カールからの追及は無かった。

 

 まったく。カールはもう少し、人間関係の機微を理解しなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日のデートは、つつがなく終わった。

 

 結局プランもないまま街をブラついただけだったが、割と楽しかった。

 

 (カール)を隣に連れているので、堂々と筋トレグッズを見て回れたのが一番の収穫だった。

 

「うふふふ。このバネを使って背筋を効率的に……素晴らしいギプスですわ」

「さっきのギプス、まだ着けてるの? 痛くない?」

「体が引き締まって気持ちが良いですわ。サクラさんに自慢しましょう」

「……イリーネもちょっと変態気味だなぁ」

 

 特に思わず衝動買いしてしまった、大リーグボール養成ギプスもどき。これは良いものだ。

 

 重力修行とはまた違った負荷がかかって、筋肉も喜んでいる。しばらく着ておこう。

 

「じゃあもう帰るか。マイカ達も、そろそろ復活するだろうし」

「分かりましたわ」

 

 今日は楽しかった。素の状態で、カールと遊べて良かった。

 

 これまで俺は、猫を被っている分カール達から一歩引いて付き合っていたように思う。今日ほど、素の自分のままカールと向き合ったのは初めてかもしれん。

 

 これで今までより、1段階くらいカールと仲良くなれた気がする。

 

 今日は結構、収穫が大きかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────た、助けてください!!」

「待てゴラァ!!」

 

 

 

 

 

 日も暮れ始め、俺達が帰路についたその瞬間。

 

 か細い女性の悲鳴と共に、カールが何かに押し倒された。

 

「逃げてんじゃねぇぞ売女がぁ!! てめぇいくら借金背負ってると思ってんだ!」

「も、もう十分返せるんじゃないんですか!? 凄いお客さんでしたよ今日!?」

「まだまだ足りねぇわアホンダラ!! そう簡単に逃げられると思うなや!!」

 

 見れば、柄の悪そうな男達が路地裏から迫って来ており。

 

 何かに押し倒されたカールを見下ろし、気炎を吐いている。

 

「ひ、ひえええぇ……。お、お助けぇ」

「き、君は」

 

 そんな彼等に怯えるように、その娘はカールに抱きついていた。

 

 顔を鬼のマスクで隠し、涙声で勇者に助けを乞うその女は……。

 

 

「君は、さっきのアイドルの!!」

「ほえ?」

 

 

 何と、つい先ほど舞台で歓声を浴びていた歌姫(アイドル)だったのだ!!

 

「おう兄ちゃん、お前このガキの知り合いか」

「えっ!? それは、その」

「はい、この人は私の知り合いです!! 旅の連れなんです、ですよね? ね!?」

「えええ!?」

 

 そのアイドルはカールの曖昧な反応を好機と見たのか、強引に旅の仲間と言いだして巻き込んできた。

 

 ……一体どういう状況だ? まぁ、助けを求めて来るなら手を貸すのはやぶさかじゃないが。

 

「ちょ、ちょっとタンマ!! 一体どういう状況なんだ、その、リューさん?」

「じ、実は私そいつらに騙されて借金を背負ってしまいまして……。でもそれは、ライブでお金を稼いで全額返済できたはずなのに!!」

「お前みたいな良い金蔓、逃がすわけがねぇだろ!!」

 

 ああ、そう言えばこの娘『奴隷落ち寸前からチャンスをつかんだアイドル』だって言ってたなぁ。このいかにも悪そうな連中が、借金元だったって事か。

 

「借金の利子は俺達が決められるんだ。その売女には元金の100倍は稼いでもらうからな!!」

「お、横暴です! 返すべきお金は返しました、もう私は自由の筈です!」

「じゃかましい!! 明日も歌で稼ぐんだよお前は、逆らうとブチ殺すぞアホんだら!!」

「ひ、ひえーーん!!」

 

 そのあまりに高圧的で筋の通っていない言い分に、俺は少しイラっとした。

 

 聞けば、借金はちゃんと返済してるじゃないかこの娘。

 

「ぐすん、ぐすん、このままじゃ私の夢が……。人類を滅亡させる目標が……」

「お前は一生、俺達の下僕として俺達に尽くせや!! 骨の髄までしゃぶってやるけんのぉ!!」

「いやです!! た、助けて────」

 

 ふむ。よし、俺は決めたぞ。

 

 チラリとカールと目配せを交わし、奴の意思を確認する。うん、心は同じらしい。

 

 カールはそのアイドルちゃんを抱きかかえ、ゆっくり立ち上がった。

 

「……この娘の身柄は俺が預かる。おまえらには仁義が足りない」

「ああ? なんだ兄ぃちゃん、儂らの事バカにしよんか?」

「馬鹿にしていない、正確な評価だ。お前たちは────」

 

 

 

 ────キィィィン、と金切り音が響く。

 

 カールと、チンピラ共の間の地面に大きな亀裂が開く。

 

 

 

 

「────お前たちは、全員纏めても俺より弱い」

「ん、な!?」

 

 いつの間にやら。

 

 カールは自らの短剣を抜き放ち、地面を斬ったのだ。

 

「こらこらカール。道を壊してはいけませんわよ」

「お前なら直せるだろ? イリーネ」

「ええ、直せますけども」

 

 あまりに早すぎるカールの剣に、威勢を保ちつつもたじろいでいるチンピラ。

 

 ここは、俺が駄目押しで脅すとするか。

 

「ああ、そうですわね。直せるなら、もっと派手に壊しても良いのでしたわ」

「あ?」

「おっほほ、ではご覧あそばせ」

 

 賊が唖然と見守る中、俺は優雅な動きで地面に手を置き。

 

 

 

「ふんはぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

 そのまま浸透撃で、路地を爆発四散させた。

 

「……え?」

「私に掴まれた者は、皆このように粉微塵になりますの。誰か、お相手してくださる?」

 

 ふっ。これぞ、俺が最近やっと習得した『静剣直伝』の徒手空拳。

 

 静かなる打撃、マッスルボンバーだ。

 

「な、何だこの女!? 魔法使いか!?」

「あの妙に儀礼がかった所作、貴族だ! 間違いねぇ、こいつ魔法使いだ!!」

 

 俺が触れただけで地面が吹き飛んだのを見て、チンピラは顔を青くした。

 

 流石首都の人間、貴族(まほうつかい)の恐ろしさをよくよく知っているらしい。

 

「逃げろ、貴族にはかなわねぇ!!」

「ちきしょう、覚えてやがれよ腐れ売女!!」

 

 ……でも、俺まだ何にも魔法使ってないぞい。今のは、単なる徒手空拳……。

 

「あ、ありがとうございましたぁぁぁぁ!! も、もうだめかと思ったぁぁぁ!!!」

「お、おう。ちょ、抱き着かないでリューさん……」

「びえええええん!!!」

 

 そして逃げていくチンピラを尻目に、また新たなる女性とフラグを建てて抱き着かれているカール。

 

 アイツもう死ねばいいんじゃないかな。

 

「怪我はないか? 痛いところがあれば、仲間に治してもらうが」

「はい、大丈夫ですぅぅぅ。……ふぅ、落ち着きましたぁ」

 

 幸いにも、その娘は大した怪我もない様子だった。

 

 良かった良かった。アイドルは、顔が命だからな。

 

 コイツは顔を隠してるけど。

 

「ありがとうございました、カールさん」

「おう、良いって事よ。……あれ? 俺、名前言ったっけ?」

「ほえ?」

 

 見るからに怪しいその謎アイドルは、カールの名前を知っているようだった。

 

 ……カール、アイドルと知り合いだったのか?

 

「ああ。もしかして、さっきの私達の会話を聞いていたのですか?」

「あ、そっか。改めて、俺はカールだ。よろしくな」

「ほええ?」

 

 カールが自己紹介したら、そのアイドルさんは変な声を出して首をかしげている。

 

 どうしたんだろう。

 

「なぁリューさん。今夜、何時あいつらが襲ってくるか分かんないからな。良ければ今日は、俺達の泊まっている聖堂で一緒に寝ないか?」

「旅は道連れ、世は情けですわ。今晩は一緒いたしましょう?」

「……えーっと。あれ? 気付かれてない?」

「何がだ?」

 

 まぁ細かい事は気にせず行こう。

 

 多少強引だが、俺達はそのアイドルの身の安全の為、聖堂までついて来て貰う事にした。

 

「……いえ、まぁ行きますけど。私もそこに帰るつもりでしたし」

「あん?」

 

 そんなこんなで、俺とカールは首都一番の人気歌姫と仲良くなることが出来たのだった。

 

 大人気アイドルを連れて帰ったら、みんな驚くかなぁ。



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75話「再会、紅の英雄」

 時は戻って、カール達が首都ペディアに到着したその日。

 

「では、一旦解散。それぞれ、自分に見合った装備を調達しましょう」

「はーい、ですわ」

 

 全員が聖堂に荷物を置いた後。

 

 来る魔族との戦闘に向けて、各々は装備を整えに街へ繰り出す事になった。

 

「イリューはどうするの?」

「そうですね。ちょっと路銀でも稼いでこようかと思うのですが」

「せっかくなら、就職活動でもしたら? もしかしたら、良い勤め先が見つかるかもよぉ?」

「はい。なら私は、そんな感じで街をブラついてきます!」

「頑張ってくだせぇ、イリュー嬢ちゃん」

 

 しかしイリューは戦力ではないので、装備を整える必要は無い。

 

 そんな彼女はサクラ主従に促され、仕事を探しに街へと繰り出したのだった。

 

 実際イリューの戦闘力は貧弱であり、魔王との戦いにおいて役に立たないだろう。

 

 ……本当に仲間だったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むむ、何やら路地裏に怪しいお店がありますね」

 

 無論、イリューに就職するつもりは無かった。何せ彼女は魔王なのだ。

 

 今カールの旅に追従しているのは、弱点を探りあわよくば不意打ちする為。

 

 彼女は単に、遊びに街に繰り出しただけだ。

 

「おお、何やら楽しそうなお店です! 少し遊んでいきましょう」

 

 悲しいかな、今のイリューに攻撃手段はない。

 

 彼女はイリーネより膨大な魔力を所持しているが、攻撃魔法の適性がない。

 

 だから、勇者であるカールを確実に殺すために雌伏しているだけ。

 

「丁!! 今度こそ丁です!!」

「おいお嬢ちゃん、良いのか? もう有り金全部突っ込んだろ?」

「この一回が当たれば、すべて取り戻せるんです!」

 

 そんな彼女は、あわよくば楽してお金を稼ごうとチンピラの経営する賭博場で豪遊し……

 

 

「おかしいです!! イカサマです!! 5回連続で外れるだなんて、何かやってるに違いありません───」

「じゃかましい!! 現に外れとるやろがい!!」

 

 

 稼ぐどころか、熱くなりすぎて逆に多額の借金を背負う羽目になったのであった。

 

「アンタ性格はアレだが見た目は悪くないのう。良い稼ぎ口斡旋しちゃるからついてこいや」

「やめっ……やめてください! エッチなことをさせる気ですね!? 私が何をしたと言うのです!」

「借金」

 

 チンピラ共は慣れた手つきでイリューを拘束した。

 

 実際彼等は、普段からこうしてバカな小娘を風俗に落としている。

 

「もう頭に来ましたよ、人間め……」

「何だこいつ?」

「この私をコケにしたこと、冥府で悔やむがいいです。勇者にバレる危険もあるが仕方ない、貴様らは皆殺しにしてやりましょう」

「あ? やんのか小娘がぁ!!!」

 

 

 賭場で借金を背負ったなんて話になれば、きっとイリューは見捨てられてしまう。マイカとかは、間違いなく。

 

 こうなればすべてをうやむやにするしかない。

 

 魔王イリューは自らの龍の因子を覚醒させ、獰猛な瞳でチンピラを睨んだ。

 

 

「少し早いですが、貴様らの生命に終焉を───」

「上等じゃコラァ!!」

 

 

 曲がりなりにも、かつて世界を恐怖に陥れた魔王『威龍』。

 

 そんな彼女が賭場で負けたことにより、ついに本気となって人類に牙を剥いた。

 

 

 

「失せろ、人間ども」

「うおおおおおお!!!」

 

 

 

 しかしその力の大半は封じられ、イリューが世界をめぐり取り戻そうとしている最中である。

 

 というか、ぶっちゃけた話。

 

 イリューがかつての力を取り戻していればいざ知らず、今のイリューの戦闘能力は見た目通りでしかない。

 

 

 

 

 数分後、魔王(イリュー)人間(チンピラ)にボコボコにされ奴隷になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして古の大厄災『威龍』は人類に敗北した(数百年ぶり2回目)。

 

 敗北した彼女に待っていたのは、かつてない屈辱だった。

 

「お前に稼ぐチャンスをやる」

「覚えてろー、人間どもー、ぐすんぐすん」

「ちょうど今日、奴隷どもの博覧会が開かれるんだ。そこで上手にアピールできれば、良い人に買って貰えるかもしれんぞ」

「お捻りが貰えれば、それを返済金にしてやってもいいぞ」

「……ぐすん、ぐすん。舞台?」

 

 そう。敗北して縄目についた魔王は、人類どもに屈辱的な舞台で晒し者にされてしまうと言うのである。

 

 その話を聞いた魔王は────

 

 

 

「それは良いですね……舞台かぁ」

「あん?」

 

 

 

 舞台に上がって注目を浴びると言うシチュエーションに、目を光らせた。

 

 魔王様は、とても目立ちたがりなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリューの舞台は、信じられないほどの大盛況となった。

 

 彼女の持ち前の芸人スキルがすさまじかったのか、歌を聞いた皆が多額のお捻りを投げ入れたのだ。

 

 イリューはたちまち人気者となり、彼女の負け分は僅か1日で完済となった。

 

「今日の稼ぎはどんなものです、人間。これで私も解放されるでしょう」

「馬鹿を言え、利子ってものを知らんのか。後、舞台を使う手数料など込みで、まだ半分も行ってない」

「そんな馬鹿な!? 今日のお捻りだけで、私の借金の倍は払えるはずですよ!?」

 

 しかし、チンピラがこんな金の成る木を逃すはずがない。

 

 イリューは何かと理由をつけられ解放して貰えず、引き続き奴隷生活を続けさせられる事になった。

 

 

 

 因みに彼女の頼れる仲間達は、当時カールがイリーネに誤爆告白したせいで全員大パニックになっており、イリューの事なぞコロッと忘れていた。

 

 サクラとマスターだけは彼女が帰っていないのに気付いたが、就職が上手く行ったのだろうと考え気にしなかった。

 

 結局イリューは、翌日カールとイリーネに見つかって助け出されるまで、ずっとチンピラどもの言いなりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リューさんって、歳はおいくつくらいですの?」

「え? あーっと。4~500歳くらい?」

「あ、そう言えば魔王って設定だったなお前。……その設定、大丈夫なのか?」

「一応、バレても大丈夫なように顔を隠しているので」

 

 帰り道、二人はまったくイリューの正体に気付く様子が無かった。

 

 何せ天然(イリーネ)朴念仁(カール)のコンビだ。気付けるはずもない。

 

「いやでも魔王が復活したのは本当だぞ。だから、結構シャレになってない」

「冗談でも、そう言うのはやめておくべきですわ」

「ご、ごめんなさい」

 

 魔王は、勇者に魔王と名乗った事を怒られた。

 

「そういえば気になったのですが、魔王が復活したというのはもう周知されていますの?」

「ああ、観客がそんなこと言ってたな」

「えっと。私もチンピラさんに聞いただけなんですが、ガリウスという方が民に警告して回っているようです。魔王が復活したから注意しろと」

「ああ、ガリウス様ですか」

「成程。それを利用しようと、アンタもそんな馬鹿な設定を作ったのね」

 

 実はイリューは深く考えていないかったが、ややこしいことになるので黙って首肯した。

 

「あのお方、仕事が早いですのね。リタ様もご壮健でしょうか」

「懐かしいな、ガリウス様の娘さんか。……あのお転婆が落ち着いているといいが」

「え、貴方達王族と知り合いなんですか!?」

「まぁ少しな」

 

 勇者が王族とコネを形成している事を知り、イリューは少し焦った。それは、魔族対策に国軍が動くことを意味しているからだ。

 

 平和ボケしているとは言え、この国の軍隊が丸ごと敵に回ると面倒くさい。魔族は人間に比べ強力無比といえど、勇者には蹴散らされる程度の戦力でしかない。

 

 勇者以外の人類でも、上位陣であれば十分に太刀打ちできるだろう。現に勇者でなく戦闘訓練すら受けていなかったイリーネですら、魔族を撃破している。

 

 魔族の群れをけしかけても勇者を殺せない以上、魔王イリューが力を取り戻すのが現在の急務だ。しかし、国軍に協力されてしまえばそれも難しくなる。

 

「ガリウス様はしっかり対策を練ってくださっているらしいな。ありがたい」

「あのお方は、見るからに優秀そうですもの」

「はわわ」

 

 のんびり旅を続けている間に、だんだんと魔族が詰み始めている事にイリューはようやく気付いた。

 

 こうなっては仕方がない。破れかぶれではあるが、イチかバチかカールを闇討ちする事を視野に入れるべきか────

 

 

 

 

 

 

「……む。懐かしい顔だな。貴様らも首都に来ていたのか」

「お?」

 

 

 絶体絶命の窮地を助けて貰った恩人(カール)の暗殺計画を練っていたイリューは、いきなりかけられた声に反応しビクリと振り返った。

 

「あ、貴女は」

「ふん」

 

 イリューの表情筋が、思わず引き攣った。

 

 何せそこには、お人好しカールなんかより恐ろしい存在が仁王立ちしていたのだから。

 

「久しぶりですわね! お元気でしたか?」

「どわー! いきなり抱き着いてくるな」

「おほほ、私ったら。ごきげんよう、ヨウィンではお世話になりましたわ」

 

 それは全身を赤で染めた、魔炎の勇者。

 

 おそらく、ある意味でカールよりずっと『勇者らしい』今代の魔王討伐のキーパーソン。

 

「おう、アルデバラン。相変わらずちっこいなお前」

「よう、カール。相変わらず情けないな、貴様」

 

 勇者、アルデバランとその一行が偶然カールの横を通りかかったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カールとデートの帰り道、随分と懐かしい顔に出会った。

 

 それは、学術都市ヨウィンで会った時と変わらぬ出で立ちの、赤髪の勇者少女だ。

 

「貴様らは、こんなところで何をしている? 他の仲間はどうした」

「今日はイリーネとデートでな。他の仲間は、セファ様の聖堂で休んでいるよ」

「はっ!! 色恋にうつつを抜かしているとは、やはり貴様は情けない」

 

 相も変わらず、彼女はカールとは相性が悪い様子で。

 

 数週ぶりに出会うなり、皮肉を交えてお互いに睨みあうのだった。

 

「そう言うお前等こそ、勢ぞろいで何をしている」

「魔王を名乗る奴が、民を扇動していると情報を受けてな。事実を確かめに来た」

「へぇー」

 

 ふむふむ。何か心当たりあるなぁ、ソレ。

 

「もし本物であれば、始末を付けねばならない。民を洗脳し、国家に仇なす前に」

「あー、確かに本物ならヤバいな」

「ひ、ひえええ」

 

 話題の張本人である歌姫ちゃんは、大層びびりながら俺の後ろに隠れた。

 

 魔王なんか名乗るから、こう言う事になる。

 

「ちなみにソイツは、どんな風貌なんだ?」

「鬼の様な仮面を被り、リズミカルな音楽を得意とする、女性だと聞いたぞ」

「へぇー」

 

 カールも察したらしく、かなり適当に相槌を打っていた。

 

 さて、どうしてくれよう。

 

「そんな事より姉……イリーネさんとデートとか妄言が聞こえてきたんですけど」

「あ? 何だウサギ野郎」

「デートってどういうあれですか、ちょっと会ってない間にどういう感じになってるんですか、ちょっと顔剥いで良いですか」

「何だこの危ない奴!?」

 

 何やらウサギの仮面がカールに絡んでいるが、他のアルデバランパーティの面々は俺の背後の歌姫をキツい目で睨みつけていた。

 

 さてさて。ま、コイツが魔王じゃないのは確定的に明らかだし、庇ってやるか。

 

「ところで、ですがイリーネ様。貴女の後ろに隠れてらっしゃる方も紹介していただけますか?」

「ええ、よろしくてよ。彼女は、リューさんと言うらしいですわ」

「……なんか鬼みたいな仮面被ってるな。怪しくないか、ソイツ」

 

 アルデバランの得ていた情報の通り、リューちゃんは鬼の仮面を被って魔王を名乗り民を扇動していた。

 

 そこは、事実だ。

 

「アルデバラン。貴女のおっしゃる通り、彼女は魔王を名乗って歌姫としてお金を稼いでいたそうですわ」

「む、本当か」

「ええ、その歌は私も聞かせていただきました。何と言うか、筆舌に尽くしがたかったですわ」

 

 本当に、意味不明だった。久しぶりに、真顔で歌を聞いた気がする。

 

 俺の言葉を聞いて俺の背中でリューが、ビクリと肩を震わせた。怖がっているのだ。

 

「ですが、私は彼女が危険な存在ではないと知っております。ご安心ください、アルデバラン」

「ほう。それはどういうことだ」

「何故なら彼女は、この地の無法者に奴隷として囚われていたのですわ。その芸を見込まれたのか借金漬けにされ、利用されていたところを私達で救い出したのです」

「……ふむ?」

 

 俺の言葉を聞いて、アルデバランは眉をひそめた。

 

 うんうん、そのままゆっくり話を聞いてくれ。

 

「成程。確かに、その娘が奴隷商人の主催するショーに出ていたとの情報がありました」

「彼女はお金を稼ぐため、民衆の気を引くためにそんな壮大な嘘を吐いたのです。手っ取り早く注目されるしか、彼女に生きる道はなかったのでしょう」

「……だからといって、魔王を名乗るか? 本当にそいつが魔王で、民を洗脳していた可能性は無いか?」

「それも、無いと思いますわ」

 

 俺の背中で震えている歌姫の背を、優しくさすってやる。

 

 安心しろ、ここは俺に任せておけ。

 

「本当に魔王に与するものが、わざわざ公の場で魔王を名乗る意味がないでしょう」

「……む」

 

 まぁ、当たり前の話だ。

 

「民を扇動したいのであれば、適当な神でも宗派でも名乗った方がよっぽど警戒されにくいですわ。魔王が本当に『魔王だ』と名乗ってライブをしたというのであれば、どれだけ底抜けのアホなのでしょう」

「ほえ?」

「……い、言われてみれば確かにそうだ」

 

 そう。この娘が本当に国家転覆を企んでいるなら、魔王を名乗るなんて危ない橋を渡るはずがない。

 

「それはむしろ、多少国家に睨まれようが何が何でも名前を売りたい『奴隷』の行動でしょう」

「まぁ、それは我々も考えておりました。本当に魔族に与する者であれば、どれだけ頭が抜けているんだと」

「ええ、私も同意見ですわ。この時期にそんな不謹慎な手段で名前を売ったことについては、しっかりお説教をいたしましたが」

「……」

 

 俺の弁解を聞いて、アルデバラン達も疑念の目が覚めてきた。

 

 まぁ、常識的に考えて魔王が魔王を名乗らんだろ。

 

「それに、彼女に刻まれた奴隷紋は本物でしたわ。彼女が魔王であれば、街ゆく無法者に敗北した最弱の魔王と言う事になりますが」

「……」

「それが事実なら、弱すぎるな……。そんな雑魚が魔王を名乗れる筈もないか」

「頭が超絶悪くて戦闘もできない魔王(笑)ねえ。確かに、そこまで残念な奴が存在するとは思えん」

「その通り。なので、彼女が真に魔王に与するものでないのは明白ですわ」

 

 ソコまで言うと、ようやくアルデバラン達は納得の顔になった。

 

 ふふ、どうだ俺の見事な弁舌は。お嬢様たるもの、知的でクールに事を解決することが出来るのだ。

 

「疑念が晴れたようでよかったですわ。リュー、貴女ももう疑われるような真似をしてはいけませんよ」

「……ソウ、デスネ」

「あれ? 何か目が死んでません?」

 

 急にどうしたんだろう。アルデバランが怖かったのだろうか。

 

「じゃあその女は不問でいいや」

「アリガトウゴザイマス」

「それで? 貴様らも首都に来たって事は、まもなくここに災厄が訪れる事は把握してるんだよな?」

「え?」

 

 アルデバランは、さも当たり前のようにとんでもないことを言い出した。

 

 首都に……災厄!?

 

「……まさか、また貴様らの女神は何も言って無いのか?」

「お、俺達は湾岸都市アナトに向かえと言われた。多分そこで、襲撃があるんだと思うが」

「首都に寄ったのは、その通り道ですわ」

「ふむ」

 

 ちょっと待て、それマジ? 首都に災厄がって、まさか魔族の襲撃……。

 

「私が聞いたのは、数週間後に首都へ魔王軍が侵攻してくるという話だ」

「……その話は聞いておりませんでした。数週間後、ですか」

「ああ。まだまだ先だが、早めに首都に来て情報を集めている最中だ。貴様らも何か知ってるんじゃないかと期待したが」

「……ごめんなさい、何も存じ上げませんわ」

「いや、構わん。貴様らは貴様らで、何か別の用があるみたいだからな」

 

 そう言うアルデバランの顔に、嘘はなかった。

 

 首都進攻は、捨て置けない情報だ。やはり、アルデバランの女神様の方が有能なのでは?

 

「わ、私達も首都に残るべきでしょうか」

「いや、私達は湾岸都市アナトで何が起こるか知らんからな。そちらの女神がアナトを目指せと言うのであれば、従うべきだろう」

 

 俺の提案に対し、アルデバランは鼻を鳴らして答えた。

 

「首都は我々に任せて、貴様は貴様の責務を果たせカール」

「……おう」

「おそらく敵は、2方面作戦でも仕掛けてくるのであろう。宗派的に我々が共闘するのは好ましくないからな、別れて戦えるならそれに越したことは無い」

「ああ、そうだな。じゃあ、遠慮なく首都はお前たちに任せる」

 

 そうか、俺達が此処に残るとアナトを見捨てる事になるのか。

 

 ……首都も心配だが、ここには頼りになるアルデバランが出張ってくれている。ここは、彼女を信頼し任せるのが得策か。

 

「我々は、来週までにアナトに来いと言われておりました。首都への襲撃が数週間後なのであれば、アナトでの襲撃が片付いた後そちらに救援に向かえるかもしれませんわ」

「いや結構だ。我々で十分」

「……ヨウィンでは、イリーネの力なしではどうしようもなかった癖に」

「何か言ったか、ヨウィンで全く役に立たなかった勇者よ」

 

 バチバチ、と視線で火花を散らし合う二人。

 

 これこれ、喧嘩すんな。

 

「まぁ、だが……そうだな。貴様らの知り合いが、もう少ししたら首都を訪ねて来るそうだ」

「俺達の知り合い?」

「寝ぼけた顔をした占い娘よ。なので、アナトでの仕事が終わったら首都に戻って来るのは良いかもしれん。あの娘、貴様に会いたがっていたぞ」

 

 ……寝ぼけた顔の、占い少女。

 

 俺の頭に、ドMなボクっ娘の笑顔が浮かび上がった。

 

「……ああ、ユウリか。アルデバラン、お前どこかでユウリに会ったのか?」

「修行で立ち寄った火山都市サイコロで、偶然な。話を聞くと、王弟ガリウスに呼ばれて予知魔法を披露するそうだ」

「成程、魔王軍対策か。ガリウス様、かなり本気らしいな」

 

 ユウリか、懐かしいな。あの娘はまだ元気にしているだろうか。

 

 また、父親に対する心労で胃を痛めていないと良いけど。

 

「じゃあ、結局首都には戻ってきた方が良いですね」

「個人的には、貴様らにはユウリを護衛してほしい。私にとっても、ユウリは友人だからな」

「は、別にお前が護衛で、俺が魔王を倒してやっても構わねぇぞ」

「つまらん冗談だな、貴様にはちと荷が勝ちすぎであろう」

 

 一瞬、勇者二人の視線が交差する。

 

 その言葉を皮切りに、アルデバランとカールは互いに背を向けた。

 

「じゃあな、しくじるなよ」

「貴様こそ、よく仲間を守るがいい」

 

 言うべきことは言った、交わすべき情報は交わした。

 

 だからもうこれ以上慣れ合うつもりはない、という事らしい。

 

「おいお前話は終わってませんよ。イリーネさんとデートって、そんなお前、今まで誰にも靡かなかったイリーネさんをこの野郎」

「なぁ、誰かこのウサギ引き剥がしてくれねぇ? ウザい」

「だーれがウザいですか!! 私はウサギですよ!!」

「ど、どうどう。1号、よければ私がベッドでお慰めいたしますのでここはお引き取りを」

「離せこの淫乱レズメイド!!」

 

 むしろ、凄い勢いで喧嘩を売りに来ている奴まで居る。

 

 あー、俺としては二人に共闘してほしいんだけどなぁ。この関係じゃあ厳しいのかなぁ。

 

「では、またどこかでお会いしましょう勇者カール。そして、フロイライン」

「ま、またねカールさん、イリーネさん!」

「ちぇー、こっそりあの娘狙ってたのに」

 

 他のアルデバランの仲間は、割かし好意的だけど。

 

「あの男のタマ袋をカチ割る仕事が私には────」

「すまんなカール、そこのウサギは年中発情期でな」

「ウサギってそんなもんだろ。じゃあなアルデバラン」

 

 最終的に、アルデバランが杖でウサギを強打して気絶させ連れ去った。何ともまぁ、何時会っても嵐みたいな連中である。

 

 そんなこんなで、少しグダグダしつつ俺達はアルデバランと別れたのであった。

 

 



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76話「いよいよ決戦! 水の都の危機を救え」

 ────夜、聖堂。

 

 

「な、何ですってー!?」

「そ、そんな馬鹿な!?」

「……」

 

 俺達はアイドルに仮面をとるよう促してみると、ソコには見知った修道女が居た。

 

 なんと……大人気アイドルリューちゃんの正体はイリューだったのだ。

 

「……本当に気付いてなかったんですね」

「いや、首から下は修道服だったじゃないこの娘。声と服で気付きなさいよ」

「あららイリュー、大変だったのねぇ。昨晩、ちゃんと探しに行くべきだったかしらぁ?」

 

 そうか、そうか。そう言えばレッサルでも妙に芸達者だったなイリュー。

 

 彗星のごとく現れた人気歌姫の正体。言われてみれは納得だ。

 

「それより、みんな聞いてくれ。伝えておきたい事がある」

「あら、どうしたの」

「アルデバランに会った」

 

 イリューの正体には驚いたが、今ソレはそんなに重要な情報じゃない。

 

 俺達にはもっと、共有すべき大事な話がある。

 

「……その顔、あんまり良くない知らせがあるのね?」

「ああ、まもなく首都が襲撃されるそうだ」

「……あらまぁ」

 

 そしてカールは、アルデバランと交わした話を皆に説明した。

 

 首都が襲われるのは数週間後であること、アナトについてはアルデバランは何も知らないとのこと、ユウリがもうすぐ此処に来ること。

 

「だから俺達は、アナトを守った後に首都に戻ってこないといけない」

「……ん、了解よ。何だかんだ、あの娘とまた共闘する事になりそうね」

「お互い不本意だが、仕方ない」

 

 見た感じカールは、アルデバランに苦手意識を持っている。信仰する女神の影響なのかもしれない。

 

 でも、戦力的に考えると最強の後衛(アルデバラン)最強の前衛(カール)の相性が悪いはずがないのだが。

 

 こんな非常時に、神同士で争うなよな。

 

「……俺達は、まずアナトへ向かうんだな」

「ああ。明日、武器を受け取ったらアナトに向かって出発するぞ」

 

 そしてとうとう、明日。俺達は新たな街へと向かって旅立つ。

 

「アナトに着く前に別れるつもりだったけど、首都が襲われるならイリューも着いて来た方が良いかしら?」

「そうですね、お供します」

「確かに、首都からは避難してた方が良いな」

 

 どうやら、まだイリューは俺達に着いてくるらしい。

 

「まぁ、いざとなれば私も闘いますよ! 修道女パンチで!」

「無茶すんなよ」

 

 イリューは無駄に強気だが、彼女は口だけのか弱い少女だ。

 

 もしも魔族と戦うことになるのなら、守ってやらねばならない。

 

「皆、寝る前に荷造りをしとけよ」

「……はーい」

 

 この日は聖堂の司教さんに挨拶をして、荷造りを行った後に床についた。

 

 首都ぺディアは滞在こそ短かったが、中々に楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で。あんた何ちゃっかりアイツとデートしてんのよイリーネ」

「そりゃあ、誘われたからですわ。友達として遊びに行こうと言われたのであれば、断る理由もありませんので」

「……ズルい」

「いや。あんたらが二日酔いじゃなければ、一緒に誘われてたと思うわよぉ?」

 

 因みにその夜。俺はカールとデートした件で微妙に槍玉に挙げられて。

 

「私が奴隷落ちして苦労している間に……」

「……イリューは、自業自得」

「わ、私は助けてあげましたでしょう?」

「おお、そうでしたそうでした」

 

 助けたアホの子から、感謝のキスを頂いたのでした。

 

 ……。ちょっとヘイト買っちゃったかな、注意しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 新たな装備を受け取った俺達は、アナトへ向かって出発した。

 

「おお、良い感じ!」

「……その鎧、格好いいわね。勇者みたい」

「本当に勇者だよ!」

 

 カールは以前と比べ、ゴツゴツした肩当ての付いた勇者っぽい装備になり。

 

「イリーネさんは、その。それ魔法使いの装備……ですか?」

「ええ、ほら杖を持っているでしょう」

 

 俺はビキニアーマーを服の下に仕込むスタイルのまま、鋼で出来た手甲と膝当てを買ってもらった。

 

 今までは見た目は貴族令嬢だったが、これで大分戦士よりになった。

 

 因みに夢だったフルプレート鎧は、徒手空拳と相性が悪いのでレイ(ししょう)に却下された。ちくしょう。

 

「そもそも魔術師はローブを着るものだ。魔力の伝導が良いし、ローブ内に魔道具を仕込めるからな」

 

 フルプレートは重い武器を振りかぶる重戦士だからこそ有用なのであって、拳で戦う戦士には無用の長物らしい。

 

 実際、レイは軽装備で強いし。

 

「……そもそも、魔法使いは極力前に出るな。詠唱するより殴る方が早い距離でだけ、教えた技を使え」

「えー……、ですわ」

「そもそも武術は、魔力が無い者の為の技術だ。魔力が使えたならば、遠くから魔法を詠唱した方が仲間の役に立つ」

 

 とまぁ、これ以上無いド正論を受けてしまったのでおとなしく従った。

 

 ……戦士と殴り合いがしたいと言うのは、思い上がりなのかなぁ。

 

「だけど過去には魔法戦士と称された、武技と魔法を扱う者も居たらしいわ」

「おお! それですわ!」

「……なら、まずは基本の武術を修めろ。今のイリーネの技は、素人に毛が生えた程度にすぎない」

 

 マイカの話によると、過去に魔法を使って近接戦闘するタイプは結構いたらしい。おお、俺の目指す先が見えたかもしれん。

 

「……魔法戦士は、どちらかと言えば魔法の適性もあった戦士がなるものだ。昔は今より、魔法使いは多かったそうだし」

「あ、それは聞いた事がありますわ」

 

 それはパパンも言っていた。

 

 近年は魔法の素養を持つ者が減り、まともに魔術を行使できるのは一握りの貴族のみだ。平民の大半は、魔力すら持っていない。

 

 だけど昔は、人口の3-4割に魔法の適性があったという。

 

「このままだと、数百年後に魔法の使い手は居なくなるかもしれない。だから、貴族の血を繋いでいく事は大切なんだって教わりました」

「へー。じゃあ魔法に関しては、昔の人の方が凄かったのかな」

「過去の魔術師はスケールが違いますからねぇ。トップクラスの使い手だと、砲撃で大陸割れるらしいですし」

 

 それは流石に眉唾な話と思うが。

 

「……古代の勇者伝説は作家により脚色されていて、実際は今の方がレベルが高いんじゃないかって言ってる人もいたよ」

「まぁ、流石に誇張は入っているでしょう」

 

 そんなヤベー奴が居たら、魔王とか瞬殺できただろうしな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「足運びが甘い。股を開き過ぎだ、重心が揺れているぞイリーネ」

「……はい、ですわ!」

「お前の筋力は十分にある。あとは、動かし方を体に刻みつけろ」

 

 道中も俺は、レイにみっちり教えを請うた。

 

 何せ、俺の魔法技術はカンスト済なのだ。ここから成長できる余地があるとすれば、魔法戦士になるくらいしかない。

 

 俺が鍛えるべきは、魔法ではなく格闘術なのだ。

 

「……にしても、その歳で既に魔導を極めているのか」

「魔導は技術で極めるものではなく、いかに精霊と仲良くなれるかがミソですわ。……こういう言い方は嫌いですが、私は運が良かった。魔術は才能が全てですの」

「……まぁ、それは事実だろう。魔法の行使は上手くなれど、魔力量や魔力の質は生まれ持つしかない」

 

 幸いにも俺は人類でトップクラスの魔力量を持った上で、精霊に溺愛されている。

 

 これがどれだけ幸運な事なのか実感できないが、持たぬものからしたら嫉妬を抑えられないだろう。

 

「イリーネ。お前に魔法の才能は有れど、武術の才能は凡人だ」

「……う。ちょっとそんな気はしていましたが、やっぱりですか」

「全体的に反応が鈍い。だから、俺の攻撃を避けきれずガードするしかなくなっている」

「むぅ」

 

 レイ曰く、俺は反射神経があまりよろしくないそうだ。

 

 攻撃に対する反応がワンテンポ遅れているので、その場でのガードするしか手段がなくなる。

 

 それは、一撃が致命傷になる猛者との戦いでは、凄まじい弱点となる。

 

「先手必勝だ、イリーネ。お前が敵の接近を許してしまった場合、先制攻撃で黙らせるしかない。受けに回ると、一瞬で持っていかれるぞ」

「……」

「お前に教えた4つの型は、当てさえすれば一撃必殺。……後々、お前に向かってくる相手に当てる修行も取り入れていく」

 

 全体的に反応が鈍い、かぁ。そういや、前レイに斬り飛ばされた時も反応が遅れたからだもんなぁ。

 

 身体強化魔法でも、反応速度は上がらんし。体の動きが早くなるから、遅れてもガードできるようになるけど。

 

「では、残りの時間は型稽古だ。それぞれ、100回素振りしておけ」

「はいですわ」

「さっき教えた通り、股を開き過ぎないように注意しろ。重心が乱れていたら、最初からやり直しだ」

 

 ちなみに、有り難いことにレイの修業はかなりスパルタだ。

 

 ここ数日で、かなり鍛え込まれた実感がある。彼に頼んで良かった。

 

「……兄ぃ、そろそろ、休憩……」

「馬鹿を言うな、お前は今から俺と組み手だ。お前、基礎をサボっていただろ? 体幹の筋力が十分に成長していないぞ」

「うえええええ……」

 

 スパルタ過ぎて、実妹は死んだ眼になっているけど。

 

 溺愛しつつも甘やかさない、良い関係の兄妹らしい。

 

「えい、や、とぉ!! ですわ!!」

「……兄ぃの鬼ぃ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浸透掌(マッスルボンバー)!!」

「イリーネ、貴様はソレが好きだな。……気に入ったのか?」

「すっごい気に入りましたわ!!」

「そうか」

 

 首都を出発し、女神により指定された3日前。割と余裕をもって、俺達はアナトに到着した。

 

 レイに教わっている4つの型はまだ全て習得しきれていないが、そのうちの『浸透掌』は結構モノになってきた。

 

 この技は、前世で言う中国拳法のアレと酷似していた。相手にゆっくり掌を当てて、一瞬だけ全身の筋力を込め一気に衝撃を加える打撃技。

 

 地面に当てると1m弱の穴が開く威力で、鎧を貫通する特性を持っている。まぁ、大概の相手なら1発でノックアウトだ。

 

「まぁ、確かにその技は貴様と相性がいいかもしれない。ソレは敵の技を避けきれず、取っ組み合う形になった時に絶大な威力を誇る技だ」

「おお」

「……得意技は有って損がない、馴染むならよく極めておけ。ただ、他の型の研鑽も怠るな」

 

 レイも、この浸透掌だけは合格点をくれた。

 

 今後、この型を用いた実戦訓練を導入していくことになるらしい。

 

「……ただし」

「何ですの?」

「勝手に変な技名に変えるな。我が一族の秘伝技だ、浸透掌は」

 

 ……。マッスルボンバー、格好いいのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「すげぇ! 街中に水路が張り巡らされてる」

「おお、流石水の都」

 

 湾岸都市アナト。

 

 潮のぶつかり合う海に面したこの街は、古くより貿易や製塩・漁業の中核都市としてこの国を牽引してきた。

 

 特色すべきは、街の中に張り巡らされた水路だ。

 

「……船が行き来してる」

「あ、魚ですわ!」

 

 これこそアナトが水の都と呼ばれる由縁。昔の水魔導師が集って地形を弄り、今の街の形を作り上げたそうだ。

 

 故に、この街は水魔法使いの聖地としても扱われている。

 

「借りボート屋……? 船を借りられるのか、この街」

「ええ。この街、商品を運搬するのにボートが便利なの」

 

 この街で商品の運搬は、主にボートを介して行われている。

 

 何せアナトの道は狭く細い。そして、高低差も急だ。

 

 それは、元々海岸だった場所を無理矢理都市に変えた弊害なのだとか。

 

「陸上を移動するより、水路を渡った方が色々とスムーズなのよね」

「お洒落なもんだなぁ」

 

 キラキラと光を反射する水路、活気溢れる商人達。雰囲気の良い街だ。

 

 一生に一度は訪れたい、人気の観光地というのも納得だ。

 

「セファ様の指定した日まで、3日ある。それまで俺達は、宿を取って情報収集だ」

「今は、平和そのものって感じねぇ」

「……ふむ、地形の把握が必要だな。この街は入り組んでいて、乱戦になると危ない」

 

 途中でかなり道草食った割には、余裕のある到着となった。

 

 後は、事前に魔族の気配を察知できるかどうかだ。

 

「宿を取ったら、各自別れて情報収集だ」

「……了解」

「分かりましたわ!」

「ただしイリーネ、アレは封印しろ。言わずとも分かるな?」

「……えー、ですわ」

「アレを使うとややこしくなるんだよ!! 良いから返事!」

「は、はいですわ」

 

 久々に猿仮面になって遊ぼうと思ったら、カールに釘を差された。

 

 ……駄目なのかぁ。楽しいのに。

 

「じゃあさっさと、寝床を────」

「大変だ!! みな、話を聞いてくれ」

 

 

 

 そんなこんなで、俺達が宿を探し始めた折。

 

 今潜ったばかりのアナトの入り口から、野太い叫び声が聞こえてきた。

 

 

「え?」

「あ、アイツは塩売りのビョンキだ!」

「何があった、凄い怪我をしてるぞ」

 

 のどかで平和だったアナトの街に、突如現れた血塗れの男。

 

 彼は肩を押さえながら、皆の中央に座り込んで涙混じりに絶叫した。

 

「魔族だ。中央の連中が言ってた通り、本当に魔王が現れやがった!!」

「……は?」

「製塩地区は全滅だ!! 俺以外、皆、皆が殺されちまった!!」

 

 血反吐を撒き散らしながら、一大事を伝えるべく叫び続ける男。

 

 優しいサクラは、そんな彼に早くも駆け寄って行った。

 

「……落ち着け、何があったかゆっくり説明しろ」

「あ、ああ。俺は、いつものように塩造りに行ってだな。そしたら、そしたらアイツらが攻めて来て」

「アイツらってのは、本当に魔族なのか?」

「ああ。間違いない、禍々しい獣と龍が混じった様な顔付きで、馬鹿みたいにデカかった。そして守衛どもを鎧袖一触、惨殺して回ったのさ」

 

 心底怯えた表情で、今あったことを話し続ける男。

 

 ……俺達はどうやら、街で情報収集する必要は無くなった様だ。

 

「な、なんだよその化け物は」

「そいつは……魔王を名乗った! これから人類を滅ぼしてやると、そう言ったんだ!!」

 

 

 そのあまりの剣幕に押され、ザワザワとどよめきが広がる。

 

 だが、俺達パーティに動揺はなかった。むしろカールは、来るべき時が来たかと戦意を高ぶらせていた。

 

 どうやらこれが、俺達が女神セファに任された仕事らしい。

 

 

 

 

「……えっ」

 

 

 

 ただ、彼女だけは覚悟が固まっていなかったのか。

 

 イリューは1人、素っ頓狂な声を上げて目を丸くしていた。



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77話「トラウマ、降臨」

「……ここだ」

「うっ。……無惨なもんだな」

 

 俺達のアナト到着と同時に、飛んできた急報。

 

 その製塩職人の案内で、俺達を含めた冒険者や警備は襲撃場所へと訪れた。

 

「……死屍累々」

「何て、酷い」

 

 海岸沿いに建設された製塩施設は無惨に破壊され、波は赤黒く血に染まっていた。

 

 そして見渡す限りに、屍の山が積み上がっていた。

 

「お、おお。おっ母ぁ! おっ母ぁが息してねぇ!」

「嘘だ、どうして! 誰がこんな残酷なことを!!」

 

 阿鼻叫喚が、海岸に響き渡った。

 

 被害者の遺族らしき人々は、涙ながらに死体に駆け寄って慟哭していた。

 

 

 

「……敵は群れをなしていた。一際でっけぇ、獣みたいな顔の奴が指揮を執っていた」

「武器は? ソイツはどんな方法で、人を殺した?」

「手だ。手1つで、皆の顔を握り潰した」

 

 塩職人は、青ざめた顔で話を続けた。

 

 見れば確かに、しばしば顔の潰れた遺体が転がっていた。

 

「ちっちゃい雑魚みたいな魔族は、剣を使ってた」

「剣を?」

「ああ、剣だ。手に持って振り回してた」

 

 その男の話を纏めると、こうだ。

 

 

 彼は何時ものように、塩を作りに海岸へと向かっていった。

 

 しかし、彼はうっかり弁当を家に忘れてきた事に気付いて、途中で取りに戻ったと言う。

 

 いつもより遅れること半刻ほど、職場に辿り着いた彼はまさに襲われている最中の仲間を見たのだとか。

 

 

「皆は囲まれて、一網打尽だった。俺ぁ、怖くてその場で叫んじまった」

「……」

「したら、魔族どもは俺に気付いて矢を射ってきた。ハリネズミみたいになりながらも、これは知らせなきゃなんねぇって必死に逃げ出した」

 

 男はそこまで言い終わると、フラフラしながら倒れている老人の遺体の傍に歩み寄った。

 

 そして、その老人の胸に手を置き、嗚咽して泣き始めた。家族なのだろうか。

 

 

 ……ふむ。

 

 この男は嘘を言っていない。今の話が、彼の見聞きした全てだ。

 

 

「道具を使う魔族……」

「恐らく、ゴブリンだろう。デカい奴はオークかもしれない」

 

 剣や弓を扱う魔族。それは、比較的人に近い形をした魔族だと推測できる。

 

 ゴブリンが敵に居ることは、分かっていた。ヨウィンで固定砲台付近に、死体が転がっていたからだ。

 

「ゴブリンと戦う時に気を付ける事、調べてるかマイカ」

「そうね。文献には戦闘力に乏しいって書いてあったけど……、ゴブリンは魔族には珍しい『統率されて行動してくる』敵だそうよ」

「……知能も高く、軍団として行動できる。動物というより、人間寄りの魔族」

 

 ゴブリンは太古より存在した魔族の代表格で、人を襲って繁殖する厄介な魔族だ。

 

 魔族の癖に、人間の遺伝子が混ざっているせいか知能は高い。中には、魔法を扱うゴブリンまで居るらしい。

 

「この地の領主様に連絡して、応援を寄越してもらおう」

「冒険者を集めろ。都心は何としても守るんだ」

 

 警備(ガード)の人々は、慌ただしく駆け回っていた。

 

 今回は人気の少ない製塩地区が襲撃されたが、次に魔族に襲われるのが都心であれば被害は凄まじい事になる。

 

 皆が、顔を真っ青にしていた。

 

 

「……俺達で良ければ力になりましょう」

「おお、心強い!」

 

 俺たちは警備に名乗り出て、共同戦線を張ることにした。

 

 勝手に応戦するより、地元の軍と共同戦線を張った方が戦いやすいことをレッサルで学んだからだ。

 

「俺も力を貸すぜ」

「アナトを守るぞ、テメェら!!」

 

 俺たち以外にも、冒険者は次々名乗りを上げていく。これで、それなりの戦力は確保できた。

 

 ……後は、魔族との決戦に備えるのみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冒険者の方々は、この宿舎をご利用ください」

 

 最終的に、アナトを守ろうと名乗りを上げた冒険者は100名近くに上った。

 

 主に、アナト土着の冒険者達らしい。地元愛が強い。

 

 彼らは、警備の用意した宿に滞在して出番を待つこととなった。

 

「魔族と遭遇したら、ご助力願います」

「……分かった」

 

 魔族の捜索には、土地勘のある警備や冒険者が当たるそうだ。

 

 俺達は、出撃までしっかり休んでいてほしいとの話。

 

「あ、あの。私は、申し訳ないんですけど」

「ああ、イリューは町中に隠れていてくれ。絶対守って見せるから」

 

 俺達パーティーは、イリュー以外決戦に全員参加だ。

 

 敵に魔王の姿も有る。ならばここが、最終決戦になる可能性が高い。

 

 女神様の言っていた期限を鑑みるに、恐らく決戦は3日後となるだろう。

 

「そ、そわそわ……」

「落ち着きなさいカール。……また、力みすぎてポカをやらかしますわよ」

「そ、そうか」

 

 逆に言えば、3日間は安全ということだ。

 

 俺達は来る決戦に備え、静かに覚悟を決めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔王って何なんでしょうか」

 

 一方で、勇者一行と別れた今代の魔王様はと言えば。

 

「……ゴブリンさん達が、先走っちゃった? でも、あの子達は結構素直だしなぁ」

 

 魔王襲撃の報に、首を傾げていた。

 

 自分以外に魔王はいない筈だし、アナト襲撃の命令なんて出していない。

 

「もしかして、私達以外にも魔族が生き残っていたのでしょうか。そして、私達が決起した事を知って、立ち上がってくれたのかも!」

 

 とは言え、人類が危機に晒される展開はドンと来いだ。

 

 何処の誰の仕業か知らないけれど、人類虐殺グッジョブである。

 

「ただ、その魔族さんが非友好的だと困るなぁ。どっちが真の魔王か勝負! みたいな魔族だったらどうしよう」

 

 問題は、その魔族の方と手を取り合えるかどうか。イリューも、それなりの同胞を束ねている身である。

 

 一度、向こうの自称魔王と話をする必要があるだろう。

 

「いざとなれば、魔王の位とか譲って付き従いましょう」

 

 何にせよ、まずはコンタクトを取る事が不可欠だ。

 

 と言う訳で、イリューも街の外を探索することにした。自分が殺されるかも、なんて心配はしていない。

 

 何せイリューは自己治癒能力を持っており、ぶっちゃけ不死身であった。

 

「私はMA☆王! ヘーイヘーイ!!」

 

 彼女自身が望まぬ限り、基本的にイリューが死ぬことは無い。なので、魔王イリューを倒すには封印する以外の方法がない。

 

 それだけ聞くと強そうであるが、彼女は封印に対する耐性を全く持っていないので、一般人による奴隷契約すら回避できなかったりもする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早速イリューは街を抜け出し、魔族が撤退していったという方へ向かっていった。

 

 できれば、この街の警備や冒険者たちと戦闘になる前に『自称魔王』と共同戦線の密約を取り付けたいものである。

 

「あら、きれい」

 

 アナトの郊外は、のどかな平原が広がっていた。

 

 しばしば山や林があるモノの、整備された広い道が通った開けた大地だ。

 

 こんな広々した所で一体、どこに魔族が隠れる場所があったのやら。

 

「やはり山の中、ですかね?」

 

 アナト郊外に、隠れられる場所は少ない。

 

 多量の魔族が潜伏できる場所があるとすれば、山の中にこっそり拠点を作っているくらいしか考えにくい。

 

 もっとも、山自体もそんなに多くないので、冒険者が総当たりで探せばすぐにアジトは見つかりそうである。

 

「おや、この辺にも住居は有るんですね。もしかしたら、魔族の目撃情報があるかも」

 

 そして、街を出て平原よりの郊外に、しばしば小屋のような建築物が見られた。

 

 イリューは知らないが、これは商人たちの森林資源の保管場所だったりする。

 

「もしもーし」

 

 なので、中には誰も住んでいる筈がない。商品の備蓄がされているだけだ。

 

 しかしイリューは、誰か住んでいるものと思いその小屋を窓から覗き込んだ。

 

「誰か中にいませんかー……?」

 

 

 

 そんな彼女が、窓の外から見たものは。

 

 

『……うっ、うっ』

『オラ良い声で泣け』

 

 

 ガラの悪い男たちが、女子供をいたぶりながら宴会を楽しむ姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 イリューは声を潜め、小屋の中の様子をうかがう事にした。

 

 中では、機嫌が良さげな大柄な男を中心に男どもが下卑た顔で囚われていたのであろう女性を凌辱していた。

 

『大成功ですな、フーガー兄貴』

『アイツらのビビりようったら、笑えたぜ』

『まったく、王家もありがたいお触れを出してくれたもんだ。今だったら、何をやっても魔族の仕業に出来ちまうぜ』

 

 話を聞いていると、どうやらこの男たちは野盗であるらしかった。

 

 魔族襲来の報がアナトに来て、今なら盗賊行為をしても魔族の仕業に出来ると考えたらしい。

 

『この小屋の持ち主は殺したから、此処に調査の手が伸びることは無い。ほとぼりが冷めるまで潜伏して、悠々と帰還するぞ』

『ガッテンです』

 

 そして彼らは製塩地区で殺した男の持っていた鍵を奪い、倉庫小屋を占領した。ついでに、製塩地区にいた若い女性を攫って楽しんでいた最中だった。

 

『見ろよ、この大量の塩! このアナトが暫く塩造り出来なくなれば、値段はかなりつり上がるぞ』

『これでもう、一生安泰ですね俺達!!』

 

 塩を奪い、塩職人を殺して値段を吊り上げる。

 

 鬼畜の所業とはこのことだ。彼らに、情や道徳は存在しないらしい。

 

 ……しかし。

 

 

「まぁコレ、魔族(わたし)にとって好都合なのは変わりないんですねどね」

 

 

 ここで彼らが魔族を名乗り暴れてくれたら、これ以上無い陽動になる。国軍をくぎ付けにすることもできるかもしれない。

 

 自称魔王が生き残った同胞で無かったのは残念だが、少なくとも悪い事ではない。

 

 魔王として、この件に関わる必要は無いだろう。イリューは、そう判断した。

 

「……帰るとしますか」

 

 この魔族を騙る連中が、捕まろうと逃げ遂せようと知った事ではない。

 

 魔族にとって、人間同士が争ってくれるだけでありがたい。

 

 

 

 ……そう、思った。

 

 

 

『何でもしますから、その子だけは』

『おう。じゃあ床が汚れているから、舌でなめとって掃除しろ』

『は、はい』

 

 

 小屋の中からは、聞くに堪えない声が続いている。

 

 

『お母さん、お母さん!』

『騒ぐなこのガキ。生皮剥ぐぞ!』

『やめて、その子に酷い事をしないで』

 

 

 イリューとて、女性である。

 

 それがどれだけ、囚われた女性にとってつらい事であるか想像に難くない。

 

 何ならつい最近、彼女自身も似たような目に遭っていたくらいだ。

 

 

『噛みつきやがったな、クソガキ!』

『お母さんに酷い事しないで!!』

『やめて、お願い、やめて!!』

 

 

 ……イリューは、人類を憎んでいた。

 

 悪魔の様に残酷で、傲慢で、猟奇的なヒトが怖くて仕方なかった。

 

 いつ裏切るか分からないその狡猾さが、気持ち悪くてならなかった。

 

 だから、イリューは血の繋がった同胞を守るため、人類を駆逐するべく立ち上がった。

 

 

 戦争だから、イリューは人類を殺し続ける。

 

 そんな魔王の心の根底にあるものは、

 

 

 

 

 

「そこまでですよ!! この悪党ども!!!」

「……あ!?」

 

 

 

 

 魔族(よわいもの)を守りたいだけの、歪み切った優しさであった。

 

「何者だ貴様!」

「ふ、旅を続けて東西南北。信じる神は無けれど修道女を名乗り、戦う力は無けれど天下を望み、この身一つで大地に立つ。我が名はイリュー!!!」

 

 彼女は、ハッキリ言って頭の良い魔族ではない。

 

 その時々の感情を優先し、目先の事だけに囚われ、何度も何度も痛い目を見てきた筋金入りの馬鹿。

 

「そこで泣いている者を、助けに来ました!!」

 

 苦しみ、悲しみ、歪みきったイリューの心の根底にあるものは……、子供じみた汚れ無き善性であった。

 

 ……未だ力が戻っていない彼女(バカ)は、勝てる見込みもないままにその小屋へと殴り込んだのだった。

 

 

 

「へっへっへ、貴方がたのアジトは見つけました。まもなくこの小屋には警備と冒険者さんが大挙として押し寄せますよ」

「……ちっ!! もう見つかったか、畜生」

 

 

 イリューはバカなりに、ハッタリを利かせた。

 

 本当は通報する時間とかなかったので、ここが盗賊のアジトで有る事を知っているのはイリューしかいない。

 

 なので、誰もこの場には駆け付けない。

 

 

「今すぐ私達に降伏しなさい!! 今なら、悪いようにはしませんよ!」

「馬鹿言え、あれだけ殺しておいて何ともなしに済むはずが有るか!」

 

 だが、イリューは見るに堪えなかったのだ。

 

 罪のない人が、ただ力に蹂躙されている様は『彼女にとって無視できないトラウマ』であったから。

 

「どうやら、力の差をわからせる必要があるみたいですね。……必殺☆聖女ブラスター!!!」

「な、なんだ!?」

 

 彼女は、その親子を助けることにした。その結果イリューは魔王であることがばれる事すら、厭うつもりは無かった。

 

 力のほとんどを封印され、かつての一部の能力しか使えない彼女であるが……。

 

「……火薬だ!!」

 

 魔力はしっかり持っているので、魔道具を起動させることはできるのだ。

 

 何かの役に立つかもと、レッサルの武器庫でくすねてきた魔導式の爆弾。イリューはそれを倉庫の壁に向かって投擲し、

 

「聖女ボンバァァァ!!!」

「こいつ正気か!? 家が崩れるぞオイ!!」

 

 ……盗賊どもが根城にしていた倉庫を、爆散させたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あとは、私が時間を稼いでおきます!! 貴方たちは町に戻って、応援を呼んできてください!!」

「え、ええ。ありがとうございます」

 

 幸いにも、その爆風が人質を傷つけることはなかった。

 

 これは、本当に幸いだった。イリューは何の考えもなしに爆発物を起動したので、運が悪ければ人質もろとも爆死もあり得た。ここら辺が、彼女の頭の悪い由縁である。

 

 しかし助けられたのは事実、母親は子を抱えながら礼を言って走り去った。

 

「このクソアマ!! ブチ殺してやろうか!!」

「へっへーんだ! そんな脅し文句、怖くも何ともありませんよーだ!」

 

 逃げ行く親子を守るように、賊どもに立ち塞がるイリュー。

 

 その姿は実際、聖女っぽくはあった。

 

「あ、アニキ、怖ぇよ。あの女、ヤバい物もってましたぜ。ドッカーンって」

「ビビってんじゃねぇ、この世界はビビったらおしまいなんだよ!! あのアマにどう落とし前付けるか考えやがれ新入り!!」

 

 イリューが持っていた爆弾は1つだけ。もう同じ手は使えない。

 

 しかし、あの大爆発は賊を動揺させるのに十分だったらしい。

 

「お、俺はどうすれば……」

「強がりでも何でもいいから、堂々としてろボンクラ!」

「よくみれば可愛いじゃねぇか、アイツ。『げへへ、いい顔してやがる』とか言っとけばいいんだよ!」

 

 あとは虚勢でもハッタリでも何でも駆使して、時間を稼げばいいだけだ。

 

 あんな大きな爆発音が、聞こえないはずがない。きっとじきに、この地の警備が駆けつけてきてくれるはず。

 

「人質は居て損がない。あの女を確保するぞ!!」

「ヘイ、フーガー兄貴!」

 

 盗賊の中でひと際大柄で、残忍そうな男が号令をかける。

 

 おそらく彼が、この盗賊団のリーダーに違いない。

 

「調子に乗って俺達をコケにしたこと、後悔させてやるからよぉ!!」

 

 

 フーガーと名乗ったその男は、残忍な笑みを浮かべてイリューに肉薄した。

 

 

 

 

 

 

 実はこのフーガーという男は、名の知れた悪党であった。

 

 『100人殺し』の異名を持ち、民を虐げることを何とも思わず、残虐と暴虐の限りを尽くしてきた本物の悪党である。

 

 常軌を逸した怪力で知られ、彼と正面からぶつかり合ったらどんな人間でも粉微塵にされてしまう。

 

 

 そんな彼が最も好む『殺害方法』が、握殺だ。

 

 その自慢の怪力で被害者の顔面を掴み、断末魔を聞きながら顔を握り潰す。その瞬間に、彼はこの上ない快感を感じていた。

 

 彼にとって、イリューは人質だ。殺すわけにはいかない。

 

 だが、もし警備が人質を無視して攻め込んできたのであれば、イリューの顔を握り潰すつもりだった。

 

 

「……捕まえたぁ」

「ぎゃあああ!! やめ、やめてください!!」

 

 

 

 抵抗むなしく、イリューはあっさりと捕らえられた。

 

 所詮今の彼女は、か弱い女性の筋力しかない。怪力無双で知られる悪党に勝てるはずもない。

 

「さて、ズラかるぞお前ら。そろそろ、警備の連中がここにきてもおかしくない」

「顔が、顔がああああああ!!」

「ヘイ」

 

 ミシミシ、と顔の骨が不思議な音を立てている。

 

 捕まったイリューは、苦痛で絶叫するしかない。

 

「それ以上でかい声を出したら、顎から砕く」

「……ひっ!」

 

 

 死なないとはいえ、痛いのは怖い。

 

 治るとはいえ、骨を砕かれるのは辛い。

 

 先ほどの勇気はどこやら、イリューは恐怖で表情を凍り付かせた。

 

「塩は持ったな? じゃあ、出発を───」

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そんな大悪党フーガーにも弱点はあった。

 

 いや、それは弱点というべきか、トラウマというべきか。

 

 

「……見つけたわ!!」

 

 

 この町の、爆発への反応は早かった。

 

 いや正確には、爆発音を聞きつけたとある冒険者パーティが『異常なスピードで』反応して駆けつけたのであった。

 

 

「イ、イリュー! 何でアイツが此処に……!」

「いけませんわ、捕まっております!! あいつらは魔族……ではなく、賊!?」

 

 

 それは、魔族との決戦を今か今かと待ち続け、この上なく戦意の高ぶった『勇者』の一行。

 

 

 そして、フーガーにとって……。

 

 

「あ、あ、あ」

「あら、確かあいつ。レーウィンで暴れてたチンピラじゃない」

「100人殺しのフーガー。ソミーの、元用心棒やってた奴じゃねぇですかい」

 

 

 ネコ目の悪魔(マイカ)は、どうしようもない精神的外傷(トラウマ)の対象だった。

 

 

「ぎゃああああああああああ!! あ、悪魔女ぁぁぁぁ!!!!」

「うわぁぁ!? 兄貴が股間抑えてメスの顔になっちまった!」

「げへへ、良い顔してやがるぜ」

「今じゃねえんだよボンクラ!」

 

 

 マイカの登場で、盗賊は阿鼻叫喚に陥った。



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78話「イリュー覚醒!! 魔王降臨で大パニック!?」

「ひ、ひえええぇ」

 

 数分後。

 

 アナトを襲撃した盗賊どもは、見るも無残な姿で壊滅した。

 

「おろ、おろろろろろ……」

「サクラさん、しっかりなさって! 貴女が倒れたら、誰も治せませんのよ!」

 

 流石は勇者パーティというべきか、賊の殲滅に数分とかからなかった。

 

 カールだけでも十分強いのに、静剣レイまで加われば盗賊ごときに太刀打ち出来ようはずがない。

 

 トドメにマイカの残虐ファイトで、賊どもの戦意を奪い降伏させた。

 

「……に、人間性を疑う」

「兄ぃ、落ち着いて。マイカはいつもあんなもん」

 

 白目を剥いてビクビク痙攣している敵の首領フーガー。その隣には小悪魔的笑顔を浮かべて死体を蹴っ飛ばすマイカの姿があった。

 

 賊として戦ったことのある彼ですら、マイカの行いにはドン引きだった。

 

「何よ、皆して。全員皆殺しにするより、戦意を砕いて降伏させる方が人道的じゃない」

「その戦意の砕き方がなぁ!? お前、本当に一回バチ当たった方が良いぞ」

 

 ……そう言って笑うマイカの手には、ドス黒く血濡れた金槌が握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「賊の首魁の睾丸を、100回以上砕いた? わざわざ回復術使って?」

「見せしめよ。ああいう手合いは、親玉が降伏したらおとなしくなるの」

「……付き合わされてるサクラが可哀そうだった」

 

 遅れて、爆発の様子を見に来たアナトの警備達がその場にやってきて事情を聞き始めた。

 

 その中には、イリューが助けた親子の姿もあった。きちんと、保護されたようだ。

 

「……間違いない。こいつは、賞金首のフーガーだ」

「略奪を魔族のせいにする為に、正体を騙ったのか。ふてぇ野郎だ」

「でも何でコイツ、白目剥いてダブルピースしてるんだ?」

 

 賊の一味は、フーガー共々大人しく連行されていった。

 

 カール達に勝ち目がないのを悟り、逆らった者にはどんな仕打ちが待っているかを知って、皆従順だった。

 

 ただ一人、首魁のフーガーは再起不能な感じだった。

 

「イリュー、お前は何でこんなところに!!」

「……ぞ、賊を誰より先に発見してお手柄を、と思いまして?」

「このお馬鹿!! もう少しで殺されるところだったんですわよ!!」

 

 そして人類の敵たる魔王様は、仲間に心配をかけた罪でお説教を食らった。

 

 もう少しカール達が駆けつけるのが遅かったら、イリューは殺されていたのだ。まあ、生き返るんだけども。

 

「あまり心配をかけさせないでくださいな。貴女も、大事な仲間ですのよ」

「……ごめんなさい」

 

 不意を突いてカールを殺す為に、仲間になったイリュー。

 

 そんな彼女がここまで心配されてしまうと、居心地が悪いことこの上なかった。

 

「でも私、泣いている人を見捨てられなくて」

「……そりゃあ、まぁ仕方ないけどよ」

 

 ポツリ、と零した魔王の言い訳にカールはため息を吐く。

 

「そういう時は俺を呼べ。何時だって助けに来てやるから」

「……私だって、誰かの助けになるくらいできます! 力はなくとも、心だけは負けません!」

「じゃあ、お前がピンチになった時だ。そん時くらいは俺を呼べ」

 

 カールはため息をついて、あんまり反省する素振りを見せないイリューの髪を撫でた。

 

「お前が助けを求めて来たら、いつだって助けに行ってやるからよ」

 

 いつかは雌雄を決し戦わねばならない相手、勇者カール。

 

「……」

「約束だぜ」

「……はい」

 

 そんなカールからかけられた温かい言葉に、イリューはひそかに唇を噛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は、どうするべきなのでしょう」

 

 イリューはその日の晩、宿のベッドの上で悩んだ。

 

「カールさんは、誠実な人間です。……信じてみても、良いのでしょうか」

 

 少なからずカール達と旅をして、イリューは感じていた。

 

 彼らは、決して傲慢で悪辣で残虐な『人間』のイメージではない。マイカ以外。

 

「でも、もう私達は何度も人間を襲っている。駆逐されない為に、生き残るために、私達は人間を侵略した」

 

 イリューにとって、人間は恐怖の対象だった。

 

 平気で信頼を裏切り、残虐非道に欲望を満たし、弱者に対して何処までも冷酷な存在だ。

 

 彼女はそれを、身をもって知っていた。だからこそ、人間を殺すことを躊躇わなかった。

 

「でも、優しい人もいる。それも、知っています」

 

 しかしイリューとて、人間全員が残虐で傲慢ではない事は知っている。

 

 彼女と心を交わし、親交を深めた人類だって居たのだから。

 

 

 

「……でも、そんなのは一部で。人間の殆どが、嘘をついて裏切って、そして────」

 

 

 

 イリューはカールを信じてみようとして、何かを思い出してしまった。

 

「……ひっ」

 

 修道女は一人、恐怖に震えて体を抱く。

 

 彼女自身に色濃く刻まれた『虐待』の記憶が、人間に対する憎悪を燃え上がらせる。

 

「ああ。今、助けてくださいよカールさん」

 

 植え付けられた恐怖で、イリューの唇が震えて止まらない。

 

 人間の冷酷で残忍な瞳が暗闇に浮かびあがって、ケラケラ彼女を嘲笑していた。

 

「私はどうすれば良いんですか、人間を信じればいいんですか? それとも」

 

 その声は、夜闇に消えゆき。

 

「人間を信じるのは、やはり愚かなんですか?」

 

 ……結局今夜も、イリューはカールを殺す踏ん切りがつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、大聖堂に?」

 

 次の日の朝。

 

 イリューは寝不足のまま、カールが興奮して話すのを聞いた。

 

「久しぶりに昨夜、女神様が夢に出てきてくださったんだ!! 今回の呼び出しにあの盗賊騒ぎは関係なくて、ただ勇者の力を強くしてくれる儀式をする為だって」

「力を強く?」

「ああ。よく分からないが、その儀式をするにはアナトの大聖堂に来なければならなかったらしい」

 

 カールの話を纏めると、今回の呼び出しは襲撃に対する対応ではなく純粋にカールのパワーアップイベントらしい。

 

 女神セファも、首都で魔王と決戦になる事は予知していたそうだ。

 

 なので決戦前にカールを勇者として強化するべく、自らの本殿のあるアナトに呼び出したとか。

 

「日数制限があったのは、引き返して首都に間に合うようにするためだってさ」

「成程ね。アナトに魔族が来るとか、そういう話じゃなかったワケ」

 

 セファ教の大聖堂は、水の都アナトにおける宗教の支柱。

 

 どうやらアナトは、この国で唯一『女神セファを崇める宗教都市』でもあるらしかった。

 

「あのマイナー女神様にも、ちゃんと大聖堂があるのですわね」

「せっかくの大聖堂だし、イリューも来いよ。アナトが襲撃されないなら、ここで就職しても良いんじゃないか?」

「……そうですね」

 

 そのカールの提案に、イリューは逡巡した。

 

 大聖堂に行けば、おそらく彼女の正体はバレるだろう。

 

 何故ならイリューと女神セファは、面識があるからだ。もし、セファが地上に降臨していればジ・エンド。

 

 彼女は魔王として即座に捕らえられ、封印されるだろう。

 

 

 

「……では、着いて行っても良いですか?」

「おお、俺からも紹介するぜ」

 

 

 

 しかし、彼女はそれを承知でカールに付いて行くことにした。

 

 それはイリューにとって、かなり苦渋の決断でもあった。

 

 

 

 ────もし、話し合いで解決が出来れば。

 

 ────もし、魔族がこれ以上虐げられずに済むのであれば。

 

 

 

 現状でイリューに、カールと戦って勝てる戦力も策も無い。

 

 のんびり力を取り戻そうと旅をしている間に、勇者達はどんどんと強くなっていく。

 

 そしてイリューには、カールを不意打ちで殺せるだけの覚悟もなかった。

 

 であれば、話し合いで解決する道を模索するしかない。

 

 

 

 ────もし、それで私が窮地に陥ったら。

 

 

『お前が助けを求めて来たら、いつだって助けに行ってやるからよ』

 

 

 そんな事を言ってのけたカールは、一体どんな行動を取ってくれるのだろうか。

 

 やはり、魔王であれば話は別で即座に切り殺されるのだろうか。

 

 それとも、

 

「……真摯にお願いすれば、話くらいは聞いてもらえるのでしょうか?」

「あん? 何かいったかイリュー?」

「いえ、何も」

 

 ……イリューは少しだけ、何処までもお人好しなカールを信じてみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の昼。

 

 俺達は鼻息の荒いカールに先導され、女神セファの大聖堂へと向かった。

 

「わぁ……」

 

 それは、水の都で一等見晴らしの良い丘の上に建てられていた。

 

 真っ白な大理石で舗装された道。その先に、球面を基調とした独特の建築様式の聖堂があった。

 

「おお、凄い。レッサルの大聖堂よりでかくて、古い」

「なんかすごい石像がいっぱいですわ」

 

 その入り口には、小鳥を肩に乗せたいくつかの戦士の像が、俺達を出迎えるように立っていた。

 

 そして水路で彩られた大聖堂の入り口には、華やかな噴水が設置されていた。

 

「……あら、これは」

 

 その大聖堂の石像に刻まれた名前を見て、マイカはある事に気付いた。

 

「勇者像ね。多分、歴代のセファ教の勇者が彫刻されてるわ」

「へぇー。じゃあ魔王を倒した後、カールも此処に飾られちゃうのかしらぁ?」

 

 どうやら、ここに立っているのは歴代の勇者様の像らしい。

 

 なるほど、どいつもこいつも精悍な顔つきをしている。

 

「……あら?」

 

 ────そして俺は、その中で一際筋骨隆々な男の像に目を奪われた。

 

 

「……え?」

 

 

 その筋肉モリモリマッチョなその勇者像は、拳を突き出す格好良いポーズを取っていた。

 

 良い筋肉だ。だがしかし、俺が突っ込みたかったのはそこでは無く……。

 

 

「え、このお方って」

「ペニー・ド・セファール卿。現王家の開祖ねぇ」

「そうですよね、今の王家の始祖様ですわよね!?」

 

 

 飾られていたのがまさかの、王家の始祖様だったからだ。

 

 え、王家は元々女神セファの勇者だったの!?

 

「そう言えば、リタ様もガリウス様もセファールって姓ね。セファ教から名字を取ったのかしらぁ?」

「王家御用達の宗派かよ!! じゃあ何で、今のセファ教はこんなに廃れてるんだ?」

「それが『宗教と政治が関わるのは良くないから』って、初代様がまったくセファ教を布教しなかったらしいわ。で、民衆に人気なマクロ教が天下取っちゃった訳ね」

 

 衝撃の事実に、目を剥いて驚いてしまった。

 

 この国の王家は、あの女神に侵略されていたというのだ。

 

 流石、歴史だけはある古宗派。もしかしてあの女神、かなり凄い神だったのか?

 

「この人は雷魔帝イゲル、最古の勇者の1人ね。第一次対魔決戦で、魔王を討った張本人。史上最強の雷魔術師で、世界中の何処にでも雷を落とせたらしいわ」

「…こっちは、微笑みの勇者ユリィ。活躍したのは確か、第二次か第三次決戦のどっちか。……目立った戦果は上げてないけど、誰よりも優しかった勇者だった」

「で、最後のは土龍騎士ファレヴェロね。この人は四次決戦に参戦したんだけど、単独行動してたせいで全然情報が無くて地味な勇者よ。ただ土を鎧に変えて闘い、防御力は歴代でピカイチだった」

「へぇ、勉強になりますわ」

 

 ヨウィンで勇者伝説を勉強してきた二人の解説を聞きながら、大聖堂の門へと近づいて行く。

 

 石造の合間には、不自然な更地が幾つか開いていた。もしかしたらこの更地のどこかに、カールの像を建立するのかもしれない。

 

「お、俺の石像が飾られるのか。ちょっとドキドキするな」

「魔王に勝てれば、ですけどね」

 

 その荘厳で立派な勇者像を見て、カールはテンションが上がっていた。

 

 その気持ちは分かるが、ちょっと落ち着け。

 

「じゃあ、入りますわよ」

「ああ」

 

 

 

 カールは緊張した面持ちで、ゆっくりと大聖堂の扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくぞ参りましたのです、勇者カールよ~」

 

 

 

 

 

 

 大聖堂の扉を開けると、やはり奴が居た。

 

 少し胡散臭い、おっとり口調のふくよかな女神様が。

 

「苦しゅうない、近うよるのです~」

 

 再び女神は、地上へと降臨したらしい。

 

 そんな自らの主女神様を見て幸せそうに、聖堂職員の全員が女神を囲って平伏していた。

 

 

「お、お久しぶりです!! 女神様!」

「ええ、久しぶりなのです。……いろいろと経験を積んだようですね」

 

 その様子を見て、慌ててカールは平伏した。

 

 ……正直まだ信用しきれてはいないが、周囲に合わせて俺も平伏しておく。

 

「よくぞここまで辿りつきましたね。勇者としての力も、だいぶ使いこなせてきているのです~」

「も、勿体ない言葉……」

 

 ニコニコと笑う女神は、どこか面白がっている表情をしていた。

 

 ……その笑顔にカールは見惚れ、呆ける。

 

「では、こちらに来るのですカール。夢で話した通り、儀式を始めましょう」

「は、はい!!」

 

 

 だが俺は、その笑顔の裏にどうしようもない胡散臭さを感じていた。

 

 ……嫌な予感がした。

 

 とてもとても、嫌な予感が。

 

 

 

 

 

 

 

「では、カール。紹介したい者が居るのです」

「……紹介、ですか」

「貴方もこちらに来るのです、ノワール~」

 

 その女神の言葉を聞いて、大聖堂で平伏していた者の一人が立ち上がった。

 

 そして、設置された祭壇らしきモノの上に上がり、カールと肩を並べた。

 

「……?」

 

 ……ソイツの歳は俺達とそう変わらない、精悍な顔つきの男だった。

 

「初めまして、お会いできて光栄です勇者カールさん。俺はノワールと言います」

「は、はぁ。はじめ、ましてノワールさん」

 

 カールは顔に疑問符を浮かべながらも、挨拶を返す。

 

 ……ノワールと言われたその男は、快活な笑みを浮かべてそのままカールと握手を交わした。

 

「それではカール。手を出しなさい~」

「は、はい。女神様、何をなさるおつもりでしょうか」

「ああ。一度、貴方に貸した力を返してもらうのですよ~」

 

 

 女神が、カールに差し出された手を取ったその瞬間。

 

 ふっ、とカールを覆っていた『何か』が消えた。

 

「へ?」

「いままでよく頑張ってくれたのです、カール。貴方のおかげで随分と、勇者の力は『育ってくれました』」

 

 カール自身も気が付いたらしい。

 

 自分にとって大切な何かが、無くなってしまったことに。

 

「え、あの。女神、さま?」

「カール。貴方にお願いがあるのです、貴方にしか出来ない事が」

「は、はい」

 

 ……ああ、そっか。分かった。

 

 この女神が何故、こんなにも胡散臭いのか。

 

 それは────

 

 

「貴方の全てを、このノワールに譲って欲しいのです」

「え……?」

 

 

 ────この女神、最初からカールの事なんかまったく気にかけてやがらなかったんだ。

 

「どういう、ことですか女神様」

「そこにいるノワールは、魔術の才能に優れ深く私を信仰し、人類の為なら命もいとわない人間です」

「……あ、あの」

「そしてカール。貴方は剣の才能に優れ、誰よりも優しかった」

 

 カールの顔が、少しずつ青ざめていく。

 

 何を言われているのか理解できぬまま。

 

「そんな貴方たち二人が『一人の勇者』になれば、さぞかし強いはずなのです~」

 

 やがて女神様は、得意気にそんな事をのたまった。

 

 その言葉に俺達は全員、呆気に取られる。

 

 何を、言いたいんだこの女神は。

 

 

「ノワール。手を出しなさい」

「光栄です、女神様」

 

 

 やがて、ノワールと呼ばれた男は女神の手を取って『何か』を渡された。

 

 それはきっと、今までカールの中に在ったものだろう。

 

 

 ────今。ノワールと呼ばれたこの男が、勇者の力を継承した。

 

 

「カール、私の言っている意味が分かりますか」

「え、あ……」

「今、このノワールが貴方の育てた力を受け取りました。今この瞬間から、彼こそが真の勇者なのです。しかし……」

 

 女神は冷酷な顔で、カールを見つめて笑って言った。

 

「彼には勇者としての経験も記憶もない」

「……」

「だからカール。どうせなら貴方の『記憶と経験』も、ノワールに譲ってください。貴方はノワールと人格が統合され、真の勇者になるのですよ」

 

 

 ……嗚呼。

 

 こいつは悪神だ。アルデバランの奴が言っていた通り。

 

 女神セファは人間の味方の振りをした、悪魔みたいな存在だ────

 

 

「それをしたら、俺はどうなるんです……?」

「貴方の身体は廃人になります。けれど貴方という存在は、ちゃんとノワールの中で生き続けるのですよ」

「で、ですが」

「聞き分けてください、カール。魔王という存在は、常に化け物染みた実力を持っています。正直な話、貴方だけの力では心もとない」

 

 どくん、どくん。

 

 俺の胸が早鐘を売っている。あの女神は、カールを殺すつもりだ。

 

 カールを殺して、あのノワールとかいう青年と合体させ、魔王との戦いに挑ませるつもりだ。

 

「ノワールも受け入れてくれました。貴方という存在が精神に侵入り、自らが別人格になってしまう事を」

「……」

「彼の身体は魔力に溢れて強靭で、間違いなく今のカールより強いのです。そんな体に勇者としての経験と技量を持った貴方が入れば、まさに鬼に金棒」

「そ、そうなの、ですか」

「ええ、そうなのです~」

 

 それがどういう意味を持っているか、あの女神は気付いているのか?

 

 カールがこの世から居なくなるんだぞ。馬鹿でお人好しで、誰よりも優しいカールという男がこの世から────

 

「駄目よ。ダメに決まってるでしょこのクソ女神!!!」

 

 俺がキレるより早く、マイカが絶叫した。

 

 カールがこの世から居なくなる。そんな話を、彼女が受け入れられるはずもない。

 

「そうですわカール、何を考えているのですか!! 要は、貴方だけ記憶と人格を抜かれて廃人になるという話じゃないですか!!」

「外野は黙っているのです~、決断するのはこの男なのですよ~」

「これが黙っていられるか!!」

 

 俺やマイカだけじゃない。

 

「……そんな人を馬鹿にした話があるかっ!!」

「……カールを、……返せっ!!」

 

 パーティの全員がその場で立ち上がり、激高していた。

 

「……だから、決めるのはこの男だと言っているのです」

「ふざけんな!!」

 

 いい加減、我慢の限界が来たらしい。

 

 その言葉と同時にマイカは女神に向かって駆けだして、

 

「……壁!?」

「そうなのです。今、私の周囲には勇者として祝福を与えた者以外は入れなくしているのです」

 

 何かにぶち当たり、弾き飛ばされた。

 

 よく見ればうっすらと、祭壇の周囲に魔術の障壁が形成されていた。

 

「っこの!! 中に入れなさい!」

「勇者としての能力の受け渡しの儀式。これほど無防備な瞬間もないですからね、障壁を張らせてもらったのですよ」

「カール!! アンタも何棒立ちしているの、早くこっちに戻ってらっしゃい!!」

 

 見たことのない魔術だ。

 

 魔術師として何とか解除できないか調べてみるも、見たことのない術式でわけがわからない。

 

 女神の技術とかなのだろうか。

 

「ねぇ、カール。貴方は今、勇者としての経験と記憶だけを持った凡人なのです」

「……」

「まったくの、無駄ですよね? 貴方が、勇者としての力の振るい方を知っていることは。今、その知識が必要な存在はノワールの方なのです」

「……女神様。聞いていいですか」

「何ですか。カール」

 

 カールは思いつめた顔をしていた。

 

 まさか、自分が勇者としての力を奪われ、あげく廃人にさせられようとは想像だにしていなかったらしい。

 

 ……しかし。

 

「俺は最初から、誰かに力を受け継がせるための勇者だったんですか」

「えぇ。貴方は剣のセンスは良いですが、身体能力や魔力に光ったところはなかった。しかし、自己犠牲を厭わないその魂はこれ以上ない適任でした」

「そっか。だから、俺なんかが選ばれたんですね」

 

 カールは何故か、女神の顔を真摯に見つめたままだった。

 

 その顔は、どこか悲哀に満ちつつも。

 

 納得した、と言った諦めの表情であった。

 

「ずっと疑問だったんです。何で俺なんかが、って」

「貴方の魂の高潔さに、敬意を示しての選出なのですよ~」

 

 そして。

 

 カールはゆっくり、女神の下にかしずづいた。

 

「……あのバカ、まさか!! やめなさい、あんた自分が何をしようとしてるか分かってるの!?」

「みんな、今まで一緒に旅してくれてありがとな。すっごい助かったよ」

「カール。……この大馬鹿、あんた、あんたぁ!!」

 

 やがて、カールは何かを決意した顔になった。

 

 その男が何を口に出すつもりか、容易に想像がついた。

 

「カールさん、おやめなさい!! 貴方……っ!!」

「セファ様。俺なんかで良ければ、どうか世界の平和のためにお使いください」

「馬鹿、バカぁぁぁぁ!!」

 

 ───言った。

 

 カールは、女神に向かってはっきりと自ら死んでも構わないと宣言してしまった。

 

「ありがとう。貴方ならそう言ってくれると思っていましたよ、カール。何せ……」

 

 その言葉を聞いて、にんまりとほほ笑む悪魔(めがみ)

 

 ソイツは、目を細めてカールの頬を撫でながら、

 

「そう言ってくれるであろう人を、最初の勇者に選んだのですから~」

 

 

 そんな、ふざけたことを宣った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 女神の障壁が、俺とカールを隔てる。

 

 俺達の悲鳴に近い叫びは、カールに届くことはない。

 

 

 

 

「カールさん。どうして、そこまでするのです」

 

 その時、イリューだけが落ち着いた声を出していた。

 

 半狂乱になってカールを思いとどまらせようとしている俺達と違い、彼女だけは冷静だった。

 

「私がピンチになっちゃったとき、呼んだら助けに来てくれるんじゃなかったんですか?」

「悪いイリュー、その約束は守れないや」

「……ですね。やっぱり人間は嘘吐きです」

 

 そうだ。俺たちは半狂乱だった。

 

 カールのバカが本気で、人類のために死ぬことすら厭わないのを知っているから。

 

 今この瞬間を逃せば、二度と彼に会えなくなると悟っていたから。

 

 だから、気づくのが遅れてしまった。

 

「……」

 

 女神の前に傅いて、祈りをささげる二人の男。

 

「ああ」

 

 女神セファの障壁の中、誰にも邪魔できぬはずのその祭壇の上に───

 

「やっぱり、人間ってクソです」

 

 

 

 顔を伏せた()()()が、いつの間にか立っていた。

 

 

「へ? お前、何でこの中に入れて……」

 

 女神は、その乱入者の存在に目を丸くする。

 

 イリューは、まるで女神の構築した壁なんて存在しないかのように、当たり前のように女神の壇上に上ったのだ。

 

「……ああ、美味しそう」

 

 止める暇もなかった。

 

 割り込む余裕なんて無かった。

 

 イリューはそのまま、スタスタと()()()()()()の背後へ歩いて、

 

 

 

「がペッ!?」

 

 

 

 ───背後から、勇者ノワールを頚をねじ切り。

 

「イタダキマス」

 

 ボリボリと、骨ごと食い始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

「────っ!!?」

 

 

 

 

 

 

 大聖堂に、勇者の血が滴る。

 

 女神から与えられる神聖なる力が、ムシャムシャとイリューの中へと消化されていく。

 

「……」

 

 無言だ。まだ誰も、その光景を受け入れられていないらしい。

 

 行動は奇天烈だが、優しく愉快な修道女だったイリュー。

 

 しかしそんな彼女は、勇者ノワールを頭から丸齧りにして殺してしまった。

 

「え、あ、あー!?」

 

 血濡れて脳髄をすする修道女に、女神すら動揺を隠せない。

 

 ただクチュクチュと、粘っこい水音が聖堂に響き続けた。

 

「……な、何をしているのです!!」

「……」

「お前、何者……!? まさか魔族の……、でもそんな気配なんか!」

「んふ? ……うふふ。さて、どうでしょうか」

 

 やがて。

 

 やっと声を絞り出した女神が、目を吊り上げてイリューを睨み付けた。

 

「お前、魔族なのですね。どうして、何故魔族が私の結界の中に……?」

「……嗚呼。やっぱり私に気づいてなかったんですね、女神セファ」

 

 その言葉に、失望を露にする血濡れの修道女。

 

 いや、それは失望なんて生易しいものではない。明確な『人類に対する絶望』が、その瞳には籠っていた。

 

「貴女はもっと、自分の勇者に興味を持ってはどうです」

「は、はいー?」

 

 ボリボリと、勇者の頚を咀嚼するのを止めず。

 

 修道女は頬に血を零し、無表情に女神を見据えた。

 

「ああ、懐かしい」

「……?」

「貴女に選ばれて、魔を払うべく奮闘したのは何年前の話でしたっけか」

「……へ? あ、いや。ま、まさか貴女は」

 

 やがて何かを思い出し、女神は息を飲んだ。

 

 イリューと女神セファは、知己である。

 

 それも、知り合ってから数百年になる古い関係だ。

 

「嘘なのです。で、でもー、え、嘘?」

「何が、でしょうか?」

 

 数百年前。イリューはセファと出会った。

 

 そして、イリューはセファから『力』を授かった。その代償して全人類を救うべく、身を贄にして戦う覚悟を誓った。

 

 そう。つまりイリューは、生まれつき魔族だった訳ではない。

 

 魔族に堕ちざるをえなかった、人間の成れの果て。

 

「貴女は、勇者。勇者、ユリィ……なのですかー?」

 

 びちゃん、と音が響き。

 

 イリューはもう食べるのに満足したのか、髄液の無くなった頭蓋を床に打ち捨てた。

 

「もう、その名で私を呼ばないでください」

 

 その修道女は、言葉に何の感情も載せないまま。

 

 かつて自分の崇拝した女神に、『何か神聖な力を纏った』十字架で斬りかかった。

 

「これからは魔王ユリィ、と。そう呼んでください」

 

 

 

 

 ───絶対切断。

 

 それは、神がカールに与えたとっておきの権能。

 

 敵が切れるものであれば、どんなものでも両断できる『セファ自身の持つ最強の能力』。

 

 その、今代の勇者に与えられるべき超常の力は、

 

 

「ああああああああっ!!?」

「ふふふ。やっぱり女神の力なら、貴女も斬れるんですねぇ」

 

 勇者を補食した、魔王の手に渡ってしまった。

 

 その結果、女神セファは自ら渡した力で胴体を真っ二つに両断される事になり。

 

 

「身が、私が、裂ける!? ああぁあ!?」

「……」

「何でなのです? あ、やだ、消えたくない……」

 

 その悪神は、涙声で取り乱しながら。

 

 上半身だけでもがき苦しみ、カールに向かって手を伸ばして────

 

「誰か助けっ……」

 

 自らを祭る大聖堂で、光の粒子となって消え去った。

 

 

 

 

「女神様が、堕ちた────」

 

 

 

 

 これは、過去の大戦を含めても初めての、

 

「魔王だ。本物の魔王がセファ様を殺した!!」

「うわぁぁあ!!? セファ様ぁあ!?」

 

 魔王が直に女神を殺した瞬間だった。

 



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79話「堕ちた聖女は、憎悪に飲まれ」

 俺の目の前で、悪神は死んだ。

 

 いや、殺された。仲間だと思っていた、魔族(イリュー)の手によって。

 

「……イ、リュー?」

「はい、何でしょうか」

 

 血濡れた聖女は、神を殺した十字架を手に嗤っている。

 

 その瞳は妖しく、悲しく光っていて。

 

「勇者では無くなった、カールさん?」

 

 彼女は似合ってもない傲慢な態度で、その場に君臨していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どういう、事だ? お前はイリュー……なのか?」

「そうですよ、カールさん」

「魔王? 魔王って何だ? 何で、どうして女神様を……?」

 

 俺は自分の手が、震えているのがわかった。

 

 起きてはならないことが起きてしまった、そんな実感があった。

 

「俺達を、裏切ったのか? いや、騙していたのか!? イリュー……!」

「そう、ですね。私は最初から、貴方を殺すために近付きました」

 

 くすり、とイリューは妖艶な笑みを浮かべた。

 

 いや。彼女の名乗ったとおり、魔王ユリィと呼ぶべきなのだろうか。

 

「改めて、こんにちは元勇者パーティーの皆さん。私は今代の『魔王』、そして邪悪なる龍の力を継ぎし堕ちた勇者」

「……お前っ」

「そのイリュー、と言うのは私の仮の名前です。本名とはいえ勇者(ユリィ)と名乗ったら、色々とうるさい人が多いから」

 

 すっ、と。

 

 魔王ユリィが十字架を振ると、彼女の服が新品のごとく洗浄された。

 

 損傷すら修復している? 時間に干渉しているのだろうか。

 

 ……だとすれば、現代では再現できそうにない魔術だ。イリューはその複雑な術式を、詠唱すらせず起動して見せた。

 

「うん、魔術が使えるようになっています。私の封印は、ほぼ解除されたみたい」

「……封印?」

「ええ。実は私、力の殆どを封じられていたんです。……憎き人間に、ね」

 

 改めて、イリュー────魔王ユリィと相対して気付いた。

 

 恐ろしい魔力量だ。彼女の内面に、凄まじい魔力が内包されている。

 

「ひっ!?」

「ど、どうしたのイリーネ」

「何ですの、これは。精霊が……、イリューを狂信していますわ……」

 

 彼女の周囲に魔力が漏れでたその瞬間、この聖堂に町中の精霊が集い始めた。

 

 集まってきた精霊のその数は、アルデバランの比ではない。魔王を名乗るだけあって、イリューは次元が違う。

 

 今よりずっと魔術が発展していた古代の勇者、その魔力は絶大の言葉に尽きる。

 

 

 ────測りきれない。俺の精霊に愛された目を持ってしても、彼女の魔力が膨大すぎてどれ程なのか分からない。

 

 

「……何でだ、イリュー。お前、ずっと俺達を騙してたのか?」

「ええ」

「一緒に飯食って笑いあってた時間、あれは全部嘘だったってのかよ!?」

「……ええ」

 

 やがて。

 

 カールは少しずつ激昂し、イリュー……魔王ユリィへと詰め寄った。

 

「俺は、俺は……。お前を信じて……っ!!! ちくしょう!」

「私もですよ、カールさん」

 

 今のカールは、勇者ではない。

 

 勇者としての力を失った、ただの冒険者だ。そんな彼が不用意に魔王に近付いたら、殺されても不思議ではない。

 

 

 ────しかし。ユリィはカールに胸ぐらを捕まれてなお、抵抗すらせず。

 

「……っ!」

「私だって貴方を、信じてみたかった……」

 

 魔王は険しい表情のまま、ポロポロと泣いていた。

 

 

 

「……ねぇ、カールさん。勇者とは、どんな存在か知っていますか?」

 

 やがて、ユリィは静かに語り出した。

 

 

「へ?」

「人類にとって勇者とは、何なのでしょう。それを考えたことはありますか?」

 

 女神を殺し、勇者の力を強奪した魔王。

 

 しかし何故なのだろう。今の彼女の目は、

 

「少し、昔話をしましょう。カールさん」

 

 どうして、あんなにも悲しげなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────約400年前、第2次魔族決戦。それはイリューがユリィと名乗り、勇者として戦っていた時代の話だ。

 

 彼女は勇者のみで構成されたパーティー内で、後方支援に徹する地味な役割の勇者だった。

 

 

『威龍が出たぞ! 魔王軍の幹部だ!!』

『すぐ援護します、皆さん頑張ってください!』

 

 

 当時の勇者達は、誰をとっても現代の勇者(カール)なんかより遥かに強力であった。

 

 昔は女神の存在が身近で、人々の信仰心も強く、大地に魔力が飽和していたからである。

 

 そんな時代でユリィは、間違いなく当時最高の『支援魔術師』であった。

 

『よし、頚を落としたぞ!』

『よっしゃ! 威龍討伐だぜ!!』

 

 王国軍が束になってもかなわず、長きにわたり火山都市を苦しめていた災厄『威龍』。

 

 魔王軍幹部でもあったその龍は、勇者達の強襲によりあっさり撃破されてしまう。

 

 この戦いをきっかけに、勇者たちはその実力を知らしめ祭り上げられていくことになるのだが……。

 

『……きゃっ!?』

『どうした、ユリィ!?』

 

 

 威龍を討伐したその際。

 

 ユリィだけが、龍が死ぬ直前にその呪いを受けた。

 

 

『あれ? 何ともありません』

『……何だったんだ?』

『イタチの最後っ屁だろ』

 

 

 不幸にも、ユリィがその呪いを受けた直後、自らの異変に気付けなかった。

 

 彼女が自らの身に起きた悲劇を知るのは、何年か経ってからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがてユリィは、勇者としての役割を無事全うした。

 

 彼女は長い戦いの果て、仲間と共に当時の魔王軍を撃退して魔王討伐に成功した。

 

『……』

『ど、どうですか?』

 

 大戦果を上げた勇者一行は国を上げて歓待され、それぞれ貴族として優雅に暮らしていた。

 

 しかし、ユリィは何故か成長が止まり、どれだけ食べても太らず、何日食べずともへっちゃらであった。

 

 最初はそう言う体質かと考えていたユリィも、うっかり指を切った時に自然に再生したのを見て流石に異常だと気付いた。

 

 そしてユリィは、当時の仲間だった回復術師に相談した。

 

『……ユリィ。お前、龍になってるぞ』

『……え?』

 

 回復術師に告げられた異常の名は、邪龍の呪い。

 

 それは、自らを殺した相手に取り憑き体を奪い取る能力であった。

 

『ぐ、すまん。オレでは、この呪いは解除できそうにない』

『……』

『だが、このまま放っておけば……。ユリィ、お前は身体を龍に乗っ取られる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その話を聞いた彼女は、各地を奔走して呪いを解く手段を探し求めた。

 

 しかし、解呪する方法は何処にも見つからなかった。

 

『ユリィ、まだ大丈夫なのか?』

『ええ。もうほとんど、呪いは進行していません』

 

 しかし解呪できずとも、ユリィは龍の呪いの進行をほぼ完ぺきに抑えていた。

 

 呪いを抑える様な解呪魔法こそ、彼女の本領だ。

 

 ユリィは独力のみで、龍の呪いを克服しつつあった。

 

 

『……龍の寿命と再生力を持ちながら、心は人間のまま』

 

 

 結局、当時の技術をもってしても邪龍の呪いを解く手段はなかった。

 

 その結果、ユリィは不老不死の『魔族の身体を持つ人間』として生き続ける羽目となった。

 

 

 

『……なぁユリィ。こう言う事をお前に頼むのは酷なんだが』

『はい』

『この国を、オレ達の血族を、人類を。どうか、守ってくれ』

 

 

 

 数十年後。

 

 魔王を撃退し、世界を守った勇者は皆息を引き取った。

 

 それぞれが大往生で、幸せな人生を歩んでいた。

 

 

『はい。どうか、お任せください……』

 

 

 

 しかし、ユリィは。

 

 呪われた修道女だけは、死ぬことを許されず一人取り残された。

 

『みんなが取り戻した平和は、私が守り抜いて見せます』

 

 共に魔族と戦った仲間の遺言を律儀に守り、ユリィは国のために働き続ける事を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勇者の生き残り。

 

 生きた伝説。

 

 魔族決戦から100年後。ユリィは、当時の国家の最高権力者の一人であった。

 

『恵まれぬ子の為に、修道院を。信仰を広めるために、聖堂を』

 

 仲間の死後もユリィは、セファ教団のトップ、教皇として国政に携わり続けた。

 

 彼女の政策は、常に弱い民を守るための方策ばかりであった。

 

 魔族との戦争の無くなった世界で、軍事費は不要。一人でも餓死する民を減らすべきだと、ユリィは民の慰廡を主張し続けた。

 

 

 事実、周辺に戦争を起こしそうな国は居なかった。何せ現役の勇者ユリィを擁する当時の帝国ペディアこそ、最強の国とみなされていたからだ。

 

 ただしぺディアで、帝国貴族の内輪もめは絶えなかった。この国で軍備が必要とすれば、それは国外ではなく国内の敵に対してのもの。

 

 ぺディアは強大な国家であるがゆえに、権力闘争も激しかった。ユリィは、それが不満で悩みの種であった。

 

 

 

 ある日、ユリィはある権力者の貴族の邸宅に呼ばれた。

 

 それは、当時の枢機卿────つまりユリィの腹心に当たる貴族であった。

 

『ユリィ様、内密にご報告と提案があるのです』

 

 枢機卿のその真剣な顔に、何か大事でもあったのかとユリィは身構えた。

 

 しかし、彼が続けた言葉はユリィにとって耳を疑う内容であった。

 

 

 

『ユリィ様。どうか貴女に、教皇の位を退いていただきたい』

 

 

 

 ユリィの政策は、確かに民衆の助けになった。彼女の、民からの支持はすさまじいモノが有った。

 

 しかし、実際に国政を回すのは貴族だ。いくら民衆に慕われても、権力には結びつかない。

 

『貴女の政策は、教団にとって癌なのです』

 

 民に利益を還元するのは、単なる無駄遣いだ。

 

 いかに自分達の権勢を高め、軍事力を強めるかが貴族にとって何より重要。

 

 枢機卿の意見をまとめると、そう言うことであった。

 

『何をバカな! 民に尽くしてこその、施政でしょう!!』

『民が国に尽くすのですよ。ユリィ様の功績は素晴らしいですが、流石に無駄金が多すぎる』

 

 その枢機卿には野望があった。

 

 いずれ、国家の王位を簒奪して覇者とならんとする欲があった。

 

『ユリィ様。貴女が居ては、私は王になれないのです』

 

 

 

 この日、セファ教団のクーデターによりユリィは捕らえられた。

 

 彼女は元より攻撃魔法、体術の類は使えない。後方支援を専門とする、仲間と共に戦ってこその勇者なのだ。

 

 

『離してください!! 貴方達、何をしているか分かっているのですか!!』

『ええ、承知しておりますよユリィ様』

 

 

 そしてユリィは、教団によって魔術を封印され、地下牢に幽閉された。

 

 これが、長い長いユリィの絶望の始まりであった。

 

 

 

 

 

 ユリィは対外的に、龍の呪いを克服し天に帰ったという事になった。

 

 セファ教団の枢機卿がそう発表したので、誰もそれを疑わなかった。

 

 民衆は悲しみつつも、偉大な勇者だったユリィの死を悼んだ。

 

 

『……やめて、ください』

 

 

 しかし、現実は奴隷であった。

 

 ユリィ本人はその能力の殆どを封じられ、教会の地下牢で虐げられ続けた。

 

 

『もう解放してください……』

 

 

 ユリィは、何をしても死なない。

 

 食事を与えずとも生き続け、激しく傷つけても勝手に再生し、何時まで経っても老いることなく美しくあり続ける『聖女』。

 

 そんな便利な彼女は、長きに渡り屈辱的な扱いを受け続ける羽目になった。

 

 

『まさか、あのユリィ様がこんな所におられたとは。本当に何をしても構わないので?』

『ええ。ご自由に、お楽しみください』

 

 彼女の肉体は、主に教団から貴族への接待に使われた。

 

 面白半分に、普通の娼婦ではとても耐えきれないような要求を実行され続けた。

 

 しかしユリィは、自らの呪いのせいで決して死ぬことはなかった。

 

『素晴らしい、実に良いモノだこれは』

 

 やがて枢機卿だった男は成り上がり、王座こそ得られなかったがこの国最高位の貴族爵位を得て。

 

『代々子孫に受け継がせよう。この、最高の接待道具を』

 

 メンテナンスの要らない壊れぬペット(ユリィ)を、いつまでも地下に幽閉し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 微笑みの聖女と呼ばれ、民衆に慕われた過去。

 

 呪いにより修復され、休む暇なく体を弄ばれ続ける日々。

 

 ユリィの心が壊れるまで、そう長い時間はかからなかった。

 

 

『……これは、一体。何故、私は捕らえられている』

 

 

 ユリィが囚われてから、数十年後。

 

 彼女の頭に、聞きなれぬ声が響いてきた。

 

『おい、貴様。お前は何故捕まっている?』

『……』

 

 最初ユリィは、自分の気が狂ったのだと思った。

 

 とうとう幻聴が聞こえ始めたかと、自嘲した。

 

 しかし、

 

『やっと、貴様の身体を奪ってやろうと復活したというに……』

『……ああ、貴方でしたか』

 

 その響いてくる声の正体を、ユリィはやがて察した。

 

 魔力が使えなくなったせいで、龍の呪いへの対抗魔法なんぞ数十年もメンテナンスしていない。

 

 この声は、邪龍の声だ。どうやら、威龍の封印が自壊してしまったらしい。

 

『奪いたいならどうぞ奪ってください。私の代わりに、苦しみを味わってください』

『あん?』

 

 どうでもいい、些末な事だとユリィは思った。

 

 自らの肉体を乗っ取りたいなら、どうぞ乗っ取ればいい。

 

『私も貴方も、囚われの奴隷なんですから』

 

 やがて龍も、自らが抜け出せぬ永遠の牢獄に囚われていることを知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間とは、ここまで残虐になれるのか。

 

 人間とは、ここまで非道に落ちられるのか。

 

『ゴブリンの生き残りを見つけてきたぞ。アレと交配させてみよう』

『聖女は子供を産むのだろうか』

 

 好奇心混じりに、ユリィは魔族と子を作らされた。

 

 抵抗も出来ぬまま、彼女はゴブリンを出産した。

 

『産んだ産んだ』

『どれほどの体格差まで、子供が産めるのだろう』

『試してみよう』

 

 その時々の貴族の当主によって、ユリィの扱いは大きく変わった。

 

 ひたすらに凌辱するもの。面白半分に実験を繰り返す者。

 

 恐ろしい怪物として虐待する者、積極的に関わってこない者。

 

『……おお、ユリィの腹が割けたわ。でかすぎると入らぬのだな』

 

 だがどんな当主であろうと、ユリィに取っては地獄だった。

 

 何せ彼女の世話役として任命された使用人は、皆彼女で『楽しみ続けた』のだから。

 

 

 

 

 

 

 何十年の時が経っただろう。

 

 何百年が、過ぎ去っただろう。

 

 ユリィが民衆に慕われ、勇者として生きていた時代はいつだっただろう。

 

 

『どうして誰も、助けに来てくれないのですか』

 

 

 心が壊れてなお、ユリィはずっと助けを待ち続けた。

 

 いつか心ある人が彼女の窮地に気付いて、助けに来てくれると信じていた。

 

 

 ────二百年ほど経って、ユリィがとある人物の相手をさせられるまでは。

 

 

『王よ、こちらでございます』

『ほほう!!本当に、彼女があの伝説の勇者か』

 

 王と呼ばれた男が、ある日ユリィの部屋に入って来た。

 

 なるほど、その男は豪勢な衣装に身を包んだ『いかにも王様』な男だった。

 

『……封印は絶対なのだろうな』

『無論でございます』

『では、私も少し楽しませてもらおうか。父から話を聞いて、いつか手籠めにしてみたいと思っていたのだ』

 

 

 ……国王。

 

 その下卑た顔をしている男は、そう名乗った。

 

『にしても無様な女よ。余計な事をせず、静かに暮らしていれば良かったものの』

『ははは』

 

 何故国の王が、ここにいるのか。

 

 何故、王様は自分を助けてくれないのか。

 

 ユリィは久しぶりに口を開き、その男に助けを乞うてみた。

 

『ははは、何を戯けたことを』

『たす、けて……』

『貴女は国にとって重たすぎるのだ。だから代々、我が王家は貴女の存在を黙認してきた』

『え、あ……』

『魔王のいない世界で、勇者は無用の長物。……さぁ股を開け、元勇者の性奴隷よ』

 

 ユリィの存在は、国家公認だった。

 

 国王のその言葉で、彼女は何時まで経っても助けが来ることが無いと知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 囚われのユリィは、ある日久しぶりに良い知らせを聞いた。

 

 実は、不老不死と思われていた彼女とて、永遠に死なない訳ではなかったのだ。

 

 1万年とも言われる龍の寿命を全うすれば、呪いは消えて天に帰ることが出来る。

 

『それは、本当なのですか』

『無論だ、元勇者の女よ』

 

 それは、檻の中で威龍から聞かされたことだった。

 

 何時までも終わらぬ苦痛に果てがあると知って、ユリィは嬉し涙を流した。

 

 それが1万年という途方もない年月であったとしても、『ゴールがあること』は彼女を勇気づけた。

 

『……私が貴女に取り憑いたばかりに、すまぬ』

『……いえ。悪いのは貴方なんかより人類の方です』

 

 脳に響くその声は、よくよくユリィを慰めた。

 

『貴女以外に取り憑くことが出来れば……』

『それは、無理なのでしょう?』

『ああ、私が誰かに乗り移れるのは死んだ時だけだ』

 

 百年以上を共に過ごし、威龍とユリィは友人となっていた。

 

 虐げられ、弄ばれ続けたユリィにとって威龍との会話は唯一の癒しであった。

 

『……ユリィ、貴女の凄まじい魔力を得たことで私は実質的に不死となった』

『そうですか』

『そのせいで、もう私は死ねん。……すまないねぇ』

 

 そして威龍もまた、深くユリィに同情した。

 

 かつて自分を滅ぼした勇者の一行であるユリィと、無二の親友であるかのような関係になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ねぇ、威龍。貴方だけでも、外に出てみませんか』

 

 ユリィはある日、龍にそう提案した。

 

『いったいどうやって。そんなことが出来るのかい』

『ええ。放出された男性の精には、かすかに魔力が宿ってるんです。それを、バレないようにちょっとずつ溜め続けてきましたから』

 

 それは、百年かけてコツコツと魔力をへそくりしてきたユリィの、最後の手段であった。

 

『威龍さん。貴方は、私の使い魔になってもらいます。そうすれば、貴女は私と魔術的に繋がったまま他の誰かに取り憑けるようになる』

『……分かった、受けよう。これより貴女は私の主だ、ユリィ』

『ありがとう。ふふふ、私は攻撃魔法は苦手ですけど……』

 

 

 呪いの移譲。魔力操作。

 

 そういった魔法のエキスパートであるユリィだからこそ、出来たその神業。

 

『呪術は、ある意味で私もエキスパートなんです』

 

 

 

 その夜。

 

 いつものようにユリィを弄びに来た男の一人に、ユリィは威龍を取り憑かせた。

 

 

『ん? なんだ、変な違和感が』

『やりすぎて病気貰ったんじゃねぇの』

 

 その男は、半年もしないうちに威龍に精神を乗っ取られる事になった。

 

 男の肉体を乗っ取った威龍は、そのままユリィの為に各地を奔走する事になる。

 

『さようなら、私の半身』

 

 こうして、長い時を一緒に在った『威龍』はユリィと別れた。

 

 威龍はいつかユリィを救い出すことを誓って。

 

 ユリィは、そんな威龍にとある命令を授けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

『人類に、災厄を。思いつく限りの非道を以て、人を殺して回ってください』

 

 

 

 

 

 

 その命令は、とっくに正気を失っていた聖女の呪詛であった。

 

 この頃のユリィは、既に人類に対する憎悪以外何も感じられなくなっていた。

 

『復讐を。勇者を使い捨てにして、暴虐の限りを尽くす人類に天罰を』

 

 威龍はその言葉を忠実に守り、いつかユリィを奪還できるだけの戦力をかき集めながら、史上最悪の盗賊団『悪党族』を組織して人類に牙を剥くことになる。

 

 

 

『人類を滅ぼしてしまえ────』

 

 

 

 

 こうして。

 

 いつしかユリィは魔王になった。

 

 

 

 



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80話「死亡跳躍」

 ユリィが人間に捕まって、数百年。

 

 それは、屈辱と絶望にまみれた地獄の年月であった。

 

『おお……』

 

 それでも、彼女は生き続けた。

 

 いつかくる終わりの日を信じて、その苦痛に耐え続けた。

 

『なんと、なんと美しいんだ』

 

 

 しかし。彼女が考えていたよりずっと早く、その地獄は幕を引く事になる。

 

 それは、ユリィが囚われてから400年ほど経っての出来事。

 

 

『ああユリィ。私と結婚してくれないか』

『……え』

 

 

 

 代々、ユリィを拘束して受け継いできた貴族の末裔。

 

 その子孫の一人が、ユリィに恋をしたのである。

 

 

『貴女のような美しい人を、こんな目に合わせるなんて』

 

 

 その男は、有り体に言えばボンクラであった。

 

 貴族としての礼儀作法を身に付けず、ただ民からむしり取った金を浪費し、享楽的に日々を生きるダメ貴族の典型。

 

『ああ、美しいよユリィ』

 

 そんな彼は何度もユリィを手籠めにし続ける中、いつしか彼女に惚れ込んでしまった。

 

 屈辱を堪え忍ぶ聖女の姿に、得も知れぬ興奮を抱いたらしい。

 

 

 

『駄目ですって!! 落ち着いてください、あの女は魔族ですよ!』

『そんな筈があるか、どう見ても人間じゃないか』

 

 その男は、親にも内緒でユリィを妻にすると決めた。

 

 彼は何度も何度も彼女の囚われた檻に出向いては、ユリィを連れ出そうとした。

 

『いやああぁっ!?』

『これもダメか! くそ、ここの封印はどうなっているんだ!?』

 

 しかし、ユリィを捕らえた魔法陣がそれを許さない。

 

 無理にユリィを地下牢の外へと連れ出そうとすれば、耐え難い苦痛が襲ってくる仕組みになっていた。

 

『ほら、この女を解放することは不可能なんですって』

『ぐぬぬ、いやしかし。何か方法が……』

 

 

 その男の執念を見て、修道女は歪んだ笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

『ええ、そうです』

 

 ユリィはその男に、上目遣いで頼み込んだ。

 

『サイコロ水晶に、百合草の粉末。黄灰の煮込み、魔力の通る蔦と鴉のスープ。これだけあれば、封印が解けるのだな?』

『ええ』

 

 彼女は400年、この魔法陣と共にあった。当然、その魔法陣の解析はとっくの昔に済んでいた。

 

 ユリィは封印を解く方法を、何度頭に思い描いただろう。

 

『ここから出してもらえれば、貴方の婚約を受けましょう。私は、一生涯貴方に尽くします』

『嬉しいぞ、ユリィ』

 

 ユリィは男に、封印を解くための素材を集めさせた。

 

 そして、監視の無い夜伽の瞬間を狙ってそれを決行した。

 

 

『闇よ闇よ、その帳は幕開けん』

 

 

 ユリィを優しい光が包み込む。

 

 長年彼女を苦しめ続けた魔法陣が、ついに音を立てて崩れ去っていく。

 

 

『今、囚われの聖女に解放を────』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────ユリィ?』

 

 その日。

 

 400年以上に渡り、ユリィを苦しめ続けたその貴族の一族は滅んだ。

 

『ユリィ、これは一体』

『くすくす。念のため、この家には全滅していただきましたの』

 

 この屋敷に囚われていたのは、ユリィだけではない。

 

 本来飼育するのは違法な筈の、魔族達が地下に幽閉されていた。

 

『もうこれで、追手は来ませんよ』

 

 自由になったユリィは、それら魔族を解放して回った。そして魔族と共に貴族を皆殺しにし、家を焼き払ったのだ。

 

 囚われていた魔族は皆、ユリィの命令によく従った。ユリィを群れの王と認め、臣従していた。

 

 何故なら、その魔物達は……

 

『見てください、貴方。このゴブリンは、50年前に私が産んだ仔です』

『う、あ』

『こんなに立派に育って、母は嬉しいです。ああ、この仔は私の20年前に私の相手をして……』

 

 ユリィ自ら産んだ、血族であったからである。

 

 ふざけ混じりに魔族と交配させられていたユリィは、何度も魔族を出産した。

 

 最初はおぞましかった魔族も、体を重ねるうちに仲間意識が芽生えてきて。

 

 ユリィが人間へ憎悪を抱くようになってからは、いつしか魔族達に深い愛情を注ぐようになっていた。

 

『見てください、この愛くるしい目を』

『ヴぉおぉ……』

 

 既にユリィは、正気ではない。

 

 愛おしい目でゴブリンを愛でるユリィに、男は恐怖した。

 

 とんでもない化け物を、解放してしまったのだと男は実感した。

 

『ねぇ、貴方。これから何処へ行きます? さあ、愛の逃避行ですよ』

『ユ、ユリィ』

『あ。この仔達も、一緒に行って良いですよね? 大事な大事な、私の子供ですもの』

 

 ユリィは、自らを解放した男に笑みを向けた。

 

 いくら人間が憎いとはいえ、この男は別だ。

 

 数百年ぶりに自分に愛を向けてくれた男性と、ユリィは添い遂げるつもりだった。

 

『皆で幸せな家庭を築きましょう』

 

 ……しかし。

 

 残念ながらユリィを解放した男に、そこまでの度量はなかった。

 

 

『うわあああ!! た、助けてぇ!!』

『えっ』

 

 

 恐怖心に囚われた男は、すぐさま逃げ出した。

 

 彼はユリィを、か弱い乙女と勘違いしていた。美しく気高く、おとなしい傀儡と勘違いしていたのだ。

 

 しかしユリィは、囚われていたこの聖女は────

 

 

『……ふぅん』

 

 

 人類に対する憎悪に染まった、化け物なのだ。

 

 

『貴方も、嘘をつくのですね』

 

 

 ……やがて男は、逃げ切れずユリィに捕まった。

 

 その屋敷で秘密裏に飼われていた魔族達に囲まれ、惨殺された。

 

『ああ』

 

 一度は愛するつもりだったその男の血を啜りながら、ユリィは嘆息した。

 

 その目に、色濃い失望を浮かべて。

 

『やっぱり、人間ってクソです』

 

 

 

 こうして。

 

 数百年の時を経て、魔王は再び世に放たれたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そして久し振りに外に出てみたら、魔族はもうほとんど絶滅の危機に瀕していました」

「……」

「私が囚われている間に、何度も魔族は立ち上がって、その度に人類(ゆうしゃ)に打ち倒されて来たからです」

 

 ユリィが復活した後。

 

 彼女は魔族達の住む領域を探し、保護してもらおうとした。

 

 しかし、もうとっくの昔に魔族領なんてものは無く、魔族の大半は人間に滅ぼされていた。

 

「魔族と人間は敵同士。このまま人間の住む世界をあの仔達と放浪していても、いつか討伐されるだけでした」

 

 ユリィは考えた。どうすれば、自分の仔や夫である魔族達を守れるかと。

 

 彼女の仲間の大半であるゴブリンは、ひ弱な魔族だ。まともな戦力として大型魔族であるコング(さるがお)、トロールなどは数体しかいない。

 

 ちょっと強い冒険者パーティーであれば、ユリィ達を全滅させることができるだろう。

 

「だけど、私は気付いたんです」

 

 そんな折、とある冒険者パーティーにゴブリンを引き連れている所を見つかり。

 

「今の時代の冒険者さん、ものすごく弱いって」

 

 殺されるかもしれないと、全力で支援(バフ)を行い必死の抵抗を仕掛けた結果。

 

 冒険者達はひ弱なゴブリンにすら手も足も出ず、袋叩きに殺されてしまったのだ。

 

「私が守ってあげながら闘えば、きっと人間を滅ぼせる」

 

 これなら何とかなると考えたユリィは、解放されて数年間、仲間を増やすことに専念した。

 

 大型の魔物も何とかして受け入れ、せっせと仔を設けた。

 

 魔族同士でも仔を生ませ、いつしかその軍勢はすさまじい数となった。

 

「そして、やっと。やっと人を滅ぼせるだけの戦力が整ったのに────」

 

 静かな森に隠れながら、兵数を整える事数年。

 

 そろそろ人類を滅ぼせると、ユリィがいよいよ侵略を開始した瞬間。

 

 

『これは、勇者の気配?』

 

 

 ────人類の窮地を敏感に察した女神により、勇者が世に現れたのだ。

 

 

 

 

「これは生存戦争なんですよ、カールさん」

 

 ユリィは、敵意を目に浮かべカールを睨んだ。

 

「私達は死にたくない、封印されたくない。あんなに辛い思いを、もう二度としたくない」

「……」

「だから、戦います。私は私の自由のために、魔族みんなの命のために、人間に復讐するために」

 

 カールに胸ぐらを掴まれたまま、修道女は暗い嘲笑を浮かべた。

 

 その瞳には『もう人間には期待しない』という覚悟が、はっきり浮かんでいた。

 

「ねぇカールさん。私は、悪ですか?」

「……それ、は」

「あんな屈辱を受けて、復讐したいと思うのは滅ぼされるべき業なのですか?」

 

 ユリィを掴んでいたカールの、その手が離れる。

 

 カールの表情には、確かな迷いが浮かんでいた。

 

 彼女に何か声をかけようとして、声をかけられない。そんな顔で、カールは黙り込んだ。

 

「違うんだ、イリュー。人間は、全員が全員そんな悪魔みたいな奴じゃない……」

「……へぇ?」

「確かに、悪いやつは居る。でも、それだけじゃなくて……、お前らを受け入れてくれる優しい奴はちゃんと……」

 

 カールは絞り出すような声で、言い訳がましくユリィを説得しようとする。

 

 しかしそんな薄っぺらい言葉で、彼女の心が収まるはずはなかった。

 

「少なくとも、400年。私は、そんな優しい人間には出会えませんでしたよ」

「……でも! 少なくとも、ここには居るぞ! 俺だってイリューの力になりたいし、ここに居る俺の仲間は……」

「では、そこにいるマイカさんはどうです」

「あれも、特殊な例だ!!」

 

 どさくさでマイカは、腐れ貴族と同じ扱いを受けた。

 

「ちょっと待てカール、今のは聞き捨て────」

「それに、レヴさんにレイさん。そこのお二人の気持ちはどうです?」

「……」

「聞きましたよ? 貴方のご両親の最期……。本当に、私を受け入れて許してくれるのですか?」

 

 その言葉に、拳士少女はブルリと肩を震わせた。

 

 ────そうだ。レヴちゃんのご両親は、家族は、魔族の群れに殺されてしまったのだ。

 

「そうか。お前が……、父ぅや、母ぁを」

「ええ、よく覚えていますよ」

 

 ユリィの話には同情できる部分も有った。

 

 しかし、それ以上に……、愛すべき家族を奪われた彼女には、恨みの方が深かった。

 

「何故。何故もともと人間だったくせに、父ぅを母ぁを殺した!!」

「今の私は、魔族ですよ? 人間なんて食料なんです」

「……っ!!」

「年の割にはしっかり鍛えられてて、食べごたえが有りましたねぇ。貴方のお父さん」

「……きさ、ま────っ!!」

 

 激怒という言葉も生温い。

 

 家族の直接の仇を見たレヴは、死んだ女神の残した結界に張り付いて怒鳴った。

 

「返せ!! 父ぅや、母ぁや、カインを返せ!!」

「……ふふ。そう思うなら、私を殺しに来てください」

「殺す……!! 殺してやるっ!!」

「レ、レヴ……」

 

 我を忘れるとはこの事か。

 

 普段は大人しい彼女が感情をむき出しに絶叫している姿は、ひたすらに痛ましかった。

 

「見ましたか、カールさん」

「……」

「誰だって復讐心は、簡単に抑えられない。だったらもう」

 

 ……そんな、少女に憎悪に満ちた目で見つめられたユリィはニタリと嗤って。

 

「殺し合うしかないじゃないですか」

 

 そう、カールの説得を切って捨てた。

 

 

 

 

「……1つ、聞かせてくれ魔王」

 

 そして、同じく親を殺された男がゆっくりと口を開いた。

 

「何ですか、レイさん」

「……見事なものだな、見事に貴様に騙された。お前は見事に俺達の仲間として溶け込み、不意討ちするその直前まで敵意を匂わせなかった」

「……くす」

「だが、教えてくれ」

 

 静剣レイは、レヴちゃんと違って冷静だった。

 

 内心は腸が煮えくり返っているだろうに。

 

 彼は冷静に、そして冷酷に。ユリィを既に『敵』と割り切って、話を続けた。

 

 

 

 

「────魔王本人が、何故わざわざ『私はMA☆王』と歌ったのだ……?」

「今はその話は、置いておきましょう。さてカールさん」

 

 ユリィはレイの質問を流した。

 

「カールさんの言う通り、優しい人も居るでしょう。しかし、悪魔のような人も間違いなく居る」

「……でも」

「平行線なんですよ、この手の話し合いは。どっちにも譲れない主張があって、抑えきれない感情があって、そうなったらもう戦争するしかないんです」

 

 魔王ユリィは十字架を手に握り、顔を凍り付かせているカールに付きつけた。

 

「これから、やっと私の復讐が始まるんです。今まで受けた仕打ちの報いを、人類に突き付けねばならない」

「……無差別に、人間に復讐しなきゃダメなのか? 直接の仇……例の貴族を滅ぼしただけじゃ、気が済まないのか?」

「ええ。確かに私や魔族さん達を苦しめてきた、にっくき貴族の血族は誅殺しました」

 

 それでも、カールは対話を諦めない。

 

 ここで説得しないと、どれだけ悲惨な結末が待っているか分からないから。

 

「じゃあ、それで……」

「ですがまだ、現王家……。私が囚われているのを知りながら、ずっと黙殺してきたこの国に対する復讐はまだ終わっていません」

 

 みしり、と聖堂の床に亀裂が走る。

 

 怒りで魔力が漏れ出たのだろうか。純粋な魔力が、物理に影響を及ぼす瞬間なんて初めて見た。

 

 

「分かりますか? 私の復讐の相手は、この国そのものなんですよ」

「……イリュー」

「400年前、私達勇者が命を懸けて守り抜いた筈の国。そんな功労者の筈の私に対する仕打ちが、あれですか。利用するだけ利用して、用が済めばポイですか!!」

 

 

 修道女の顔が憤怒に歪んだ。悲哀、屈辱、絶望、それらの感情全てが表情にこもっていた。

 

 彼女の言い分は、真っ当だ。アレだけの目に遭えば、誰だって人類を恨むし復讐心も芽生える。

 

 ……ただ、ひとつ突っ込むなら。

 

「次の私達の目標は、首都。いよいよ皆で、王家に復讐をするのです。奴等こそ、まだ生きている私達の直接の仇」

「あ、あの」

「あの連中が生きている限り、私の心は休まらない。400年越しに、きっちりと落とし前をつけて────」

「当時の王家ペトフィ家はクーデターで滅んでますわよ? 現王家はセファール家ですわ」

「ほえ?」

 

 そうなのだ。

 

 ユリィを虐げていただろう当時の王家は、色々あってもう滅んでいるのである。

 

 100年前の魔族決戦のゴタゴタでクーデターが起きたそうだが……まぁ、詳しくは忘れた。

 

「えっ? 滅……。え?」

「100年前の闘いで、この国はセファール王家にとって替わられてますわ。なので、その……」

「あ、あれ? じゃあ当時の王家はどうなったんです?」

「えっと、確かもう一般貴族に格落ちになって……。血族が途絶えたんじゃなかったでしたっけ」

「そうそう、旧王家がクーデターの神輿にならないようにお家断絶になったのよねぇ」

「はえ?」

 

 国名こそ変わっていないが、100年前を機に制度とか法令とか一新されてほぼ別国家になってるんだよなこの国。

 

 ……それでも、まだこの国はユリィの復讐対象なのだろうか。

 

「や、山に籠ってたから知りませんでした……。そんな事になってたんですね」

「そもそも、入り口で話してたじゃない。現王家の始祖、セファール様の像があるって」

「……聞いてませんでした」

 

 やはり、ユリィは知らなかったらしい。

 

 しばらく潜伏生活を送っていると、時世に疎くなるから仕方ないか。

 

「自分の仇の話くらい聞いておきなさいよぉ」

「……だってこの聖堂の入り口、私の像が飾ってあったんですもの!!」

 

 ……ああ。確かに、微笑みの勇者ユリィ像も有ったな。

 

 それがどうかしたのか?

 

「アレ、結構私に似ててビビってたんですよ!?」

「言われてみれば、似てるなアレ」

「あそこで気付かれたらどう言い繕おうとか、そんなんで頭一杯でした。他のオッサン勇者の話とか聞いてる場合じゃなかったです……」

 

 入り口に置いてあったユリィ像を思い出してみる。

 

 髪型といい、顔付きといい、イリューそのものであった。

 

「似てるとは思ってたけど、修道女さんなんて髪型も衣装も似たり寄ったりだしねぇ」

「ぶっちゃけ気にしなかったわ」

「……そんなに似てるのか。ちょっと並んでみてくれないかイリュー」

「え、あ、はい……。いや、やりませんよ!?」

 

 カールに手を引かれて結界の外に出されかけ、ユリィはハッと手を振り払った。

 

「ああ、別に無理にとは言わん。ただ一旦、気持ちを落ち着けて話をだな」

「落ち着ける筈がありますか!!」

 

 ……どうやらカールは、話題を変えて一旦ユリィを落ち着けようと画策しているらしい。

 

「……まったく狡猾な! 口車に乗せて私を結界の外に出すつもりだったんでしょう!」

「え!? や、その」

「やはり人間は嘘つきです! 卑怯で狡猾!!」

「すまん、そこまで考えてなかった……。と言うか、全盛期の力が戻ってるならお前の方が強いんじゃ無いのか? 結界から出て何か困るのか?」

「はい残念!! 私は全盛期でも、アンデット成仏させる系の攻撃しか出来ませーん!! 人間相手には何も出来ないので、イリーネさんとかレイさんに普通に負けちゃいまーす!!」

「……」

 

 ……。

 

「はっ!? 今、言わなくていいことを言った気がします」

「そうだな」

「また口が滑りました……、本当に人間は卑怯です!」

「え、今のは自爆では」

 

 

 ……成る程。イリューは昔からイリューだったんだな。

 

 そら、当時の枢機卿とやらに簡単に騙されて捕まるわ。

 

「もうこれ以上私は何もしゃべりません!! ふーん!!」

「……何とか、俺達と和解できないか」

「和解は必要ないです。もう、私の意思は変わりません。人間って最低です!!」

 

 見るからに人の好いイリューは、何度も何度も騙されて痛い目を見たのだろう。

 

 ……おそらくもう、口先で何とか言いくるめるのは無理だ。

 

「……ですが。私にだって感情はあります。本音を言うと、貴方達と殺し合いなんてしたくない」

「イリュー?」

「カールさん、貴方はもう勇者ではなくなりました。……遠く、出来れば大陸の外に逃げてください」

 

 イリューはそっぽを向いたまま、カールに背を向けてそう呟いた。

 

「貴方達の中に昔馴染みの末裔も居ますし、出来れば死んでほしくありません。この大陸を私たち魔族に譲っていただけるなら、深追いして世界征服しようだなんて思っていませんから」

「そ、それは」

「丁度、ここは湾岸都市。船を借りて、どこか遠くの大陸に移住していただけませんかカールさん」

 

 その言葉には、真摯な感情が載っていた。

 

 いや、そもそも最初からイリューには、人を騙そうとする気配なんてほとんどなかった。

 

 もしかしなくても、イリューが俺達の仲間をやっていた時に、嘘なんてほとんど────

 

「私本人は、とっても弱いですけど」

「……」

「これでも私、『史上最高峰の支援術師』と当時謳われた勇者なんですよ。私の仲間達は、支援さえすれば勇者だって殺せるレベルに能力が跳ね上がります」

 

 この言葉にも、嘘はない。

 

 イリューは、本当に最高峰の支援術師なのだろう。

 

「勇者の力を失った貴方では、どうあがいても殺されるだけです」

「そうかも、しれないが」

「無駄に命を散らす必要はありません。先程の、貴方が死を覚悟したときの仲間の顔を思い出してください。貴方はまだ、死にたいと口に出せますか」

 

 そう言ってカールを諭すイリューは、本当に聖女の様だった。

 

 いや、実際。彼女はれっきとした、心優しい聖女だった。

 

 人類が彼女を裏切り、魔王にしてしまっただけ。

 

「……では、私はもう行きます。本当の仲間(まぞく)が待っている場所へ」

「イリュー? な、何を」

「この時代では再現できないでしょうが、私の時代には転移魔法なんてものもあったんですよ? ほら、こんな感じに」

 

 ユリィが十字架を軽く振ったその瞬間、巨大な魔法陣が床に浮かび上がった。

 

 ……見たことのないくらい、巨大な魔法陣だ。

 

「さようなら、カールさん。出来れば、貴方が賢い選択をしてくれることを願っています」

「待て! イリュー!!」

「そして、レイさんレヴさん。……ごめんなさい、ね」

 

 ほろり、と涙を浮かべ。修道女は、やがて光に包まれていく。

 

「……待て。行く前に、最後に聞かせろ」

「何です、レイさん」

 

 その、色々な感情が混じった謝罪を受けて、レイが再びユリィに問うた。

 

「何故お前は『私はMA☆王』と……?」

「いやですから! それは置いておきましょうって」

 

 静剣レイ的に、ソレは凄く気になるところだった様だ。

 

「何のメリットもなくないか……?」

「兄ぃ、違う。今はその質問するタイミングじゃない」

「ああもう! そう言うド天然なところ、あの人にそっくり……!!」

「あの人?」

「もういいです、質問には答えません、私はもう何もっ────きゃっ!?」

 

 レイの天然がさく裂して慌てたのだろうか。

 

「あっ」

 

 魔王は修道服の裾を踏み、その場で思いっきり転倒した。

 

「あうあう……」

「イリュー! 危なっ────」

 

 

 

 そしてそのまま、放り投げた十字架が顔面に直撃した。

 

 

 修道女の顔が潰れてグロ画像になり、だくだくと血が噴き出し始める。

 

「え、あっ」

「あっ……」

 

 しかし、転移魔法はしっかり発動したみたいで。

 

 魔王様は死亡しながら、仲間たちの下へと死亡跳躍(デスルーラ)していった。



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81話「アナト防衛戦」

 ……イリューが居なくなった後、聖堂は静寂に包まれた。

 

 誰も何も、言葉を発することが出来ない。俺も、カールも、皆が無言だった。

 

「……」

 

 元勇者(カール)は黙りこくったまま、勇者になった死体(ノワール)を抱え結界の外に出た。

 

「……」

 

 その時、聖堂にいた誰もが予感していた。

 

 

 ────人類にとってこれ以上ない危機が、迫りつつあるのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうするカール」

 

 

 その日の晩。

 

 俺たちは宿に戻って、その話を始めた。

 

「……船を借りて逃げるのか、イリューを止めに首都に戻るのかって話だよな?」

「避難する、って言い方にしなさい。もうカールには、化け物に立ち向かう義務も能力も無くなったんだから」

 

 マイカは、冷静な顔でカールを見つめていた。

 

 カールは勇者としての加護を失い、凡人となった。

 

 そんな彼に出来ることなど、殆ど何もない。

 

「……逃げるべきですわね、貴方達は。後は、私にお任せください」

「イリーネ……」

 

 自分から言い出しにくいだろうと思い、俺はカールに向かって提案した。

 

 とっとと安全な場所に避難しろと。

 

「ノブレス・オブリージュ。民に危機が迫った時に、矢面に立つべきは我々貴族です」

「イリーネ。貴女は……行くのね?」 

「無論です。勇者アルデバランに本日の情報をお伝えし、彼女と共に戦う役目は私がやりますわ」 

 

 勇者としての加護を失った以上、彼は俺にとって守るべき民の一人にすぎない。

 

 いや、それだけではない。奴は大事な、俺の戦友だ。

 

「お、俺だけ逃げるだなんて……っ」

「カールさんだけではありませんわ。私以外全員、海を渡って逃げるべきでしょう」

「……え?」

 

 俺は続けて、他の仲間全員にそう促した。

 

 何故なら、ここに居る面子は俺以外『この危険な大陸に留まる理由がない』からだ。

 

 幸か不幸か、俺達カールパーティで身寄りがあるのは俺だけ。

 

 レヴちゃん兄妹も、カールマイカのコンビも、親を失って根無し草。サクラも魔族の襲撃で拠点を失っており、守るべきものは残っていない。

 

「この国を守るのは、軍事貴族たる私にお任せあれ。……全てを終わらせたあと、またお会いしましょう」

「……イリーネは。それで、良いの?」

「無論。それがお役目ですもの」

 

 一人旅は寂しいが、もう旅の作法はある程度分かった。

 

 おそらく、首都くらいまでなら女一人旅で何とかなるはずだ。

 

「いや、私もイリーネと首都に行くわよぉ?」

「サクラさん?」

 

 バシッと、俺の肩に軽いチョップが入る。

 

 見れば、呆れた目で親友(サクラ)が俺を見つめていた。

 

「貴族は、矢面に立つもんなんでしょ?」

「ですが、貴女はもう領地も……」

「馬鹿にしないで。レーウィンは今奴らに預けてるだけで、あそこは私の領地よ。あの街を守るためなら、何だってやるんだから」

 

 ……サクラはそうきっぱり言った。もう、戦う覚悟を決めているらしい。

 

「それに……魔族どもには私の大事な家族(ファミリー)に手を出した落とし前。きっちりつけさせてもらわないと」

 

 サクラの目に、迷いはない。

 

 死を覚悟してなお乗り越えた者の瞳。……相変わらず強いな、サクラは。

 

「悪いわね、マスター。もう少し、私に付き合いなさい」

「ええ、お嬢。死出の旅路まで、いつまでも付き纏わせていただきやす」

 

 マスターも、サクラがそう言うのを分かっていたようで。

 

 クスクスとダンディな笑みを浮かべて、死地へ向かうことを了承してくれた。

 

「……頼もしい事、この上ありませんわ」

「天然な貴女を一人で行かすのは、ちょっと心配だしねぇ」

 

 彼女を危険に晒したくはないが、心強いのも確かだ。

 

 この旅の途中で、俺は何度サクラに助けられたか分からない。

 

「……そうだな。すまんレヴ、俺もその二人に付き合って首都へ行こうと思う」

「……兄ぃ!?」

 

 そして一緒に首都に来てくれるのは、サクラ達だけじゃなかった。

 

 なんと静剣レイも、俺に付き合ってくれると宣言した。

 

「宜しいんですか、レイさん」

「ああ。今より俺は、貴様を守る盾となろう。それで、先の貴様への業に対する贖罪としたい」

 

 ……レイは、俺を殺しかけたことをまだ気にしていたらしい。

 

 そんなん気にする必要ないのに。

 

「レヴ、お前はカールと共に海を渡れ。その男は、一応信用に足る」

「え、でも……」

「俺は殺人者だ。魔族から逃げ延びて、のうのうと暮らせる身分ではない。サヨリとの盟約もある、俺は残って戦う」

「……そうですか。では、力をお借りしますわレイさん」

「ああ、任された」

 

 だが、彼が残ってくれるなら文字通り千人力だ。

 

 この男は勇者状態のカールですら仕留めたことのある猛者。俺に出せる最大火力はやはり精霊砲であり、その詠唱中を守ってくれる前衛が居るに越したことはない。

 

「じゃ、決まりね。私とカールはレヴを連れてこの大陸から逃げる。あんた達は、首都で決戦に参加する」

「ええ、アルデバランさんのパーティに混ぜて貰うつもりですわ。以前、カールさんに何かあったら頼って来いとお言葉もいただいていましたし」

「そう。……頑張ってね、死ぬんじゃないわよ」

 

 こうして俺達の方針は決まった。

 

 まもなく、首都に魔族の群れが攻めて来る。それまでに、俺達はアルデバランと合流して今日得た情報を伝えねばならない。

 

 イリューのこと、魔王の特性、弱点などその全てを。

 

「……なあ、イリーネ。イリューを……殺すつもりか?」

「呪いの関係で、殺せないでしょう。なので、封印する術を探すつもりですわ」

「そっか。イリーネ達が勝っても、またイリューは封印されるのか」

「ええ。彼女自身の言っていた通り、これは『生存戦争』ですもの」

 

 カールは、イリューに同情し何とか助けられないか考えているらしい。

 

 ……俺だって、内心はそうだ。彼女の立場になったら、同じように人類を滅ぼそうと画策してしまうかもしれない。

 

 でも、

 

「……本当に、殺しあうしか無いのか」

「そうね。もう、どっちかが譲歩出来る段階では無くなってるし」

「向こうが覚悟を決めたのであれば、こちらも応えるしかありませんわ」

 

 もうイリューは人間を殺しすぎたし、人間はイリューを裏切りすぎた。

 

 和解の道は、もう取れない。それに、

 

「それにあの娘、一度も『正義』という言葉を使いませんでしたわ」

「……」

「これは正義の鉄槌ではなく、生き残るための戦争。そう明言することで────私達が戦う道を選んだその時、心が痛まないように配慮したのでしょう」

 

 イリュー自身が、その同情を嫌ったのだ。

 

 彼女は俺達にただ憎しみをぶつけたいんじゃない。

 

 虐待を受ける中でいつしか大事なものになってしまった『魔族』を守るため、生き残るために戦っているに過ぎない。

 

「これはどちらが正しいとか、どちらが正義だとか、そんな下らない理由の殺し合いじゃない。だから、話し合いでは止まれません」

「……」

「あの娘は、本当に……優しすぎますわ」

 

 イリューがもう少し狡猾な魔王なら、俺たちの同情に付け込んだ策を使ってきたかもしれない。

 

 あるいは、散々に詰って喚いて罵倒して、戦意を挫いてきたかもしれない。

 

 しかし彼女はこれ以上なく正々堂々、宣戦布告をしてきた。襲撃場所すら明言して。

 

「あれほどの覚悟を持った彼女に、これ以上同情を向けるのは侮辱に等しいです」

 

 お人好しの心優しい魔王。

 

 それが、今回の人類が倒すべき相手。

 

 勝っても負けても……かつてないほど、後味の悪い決着になるだろう。

 

「そっか。……よし」

「どうしたのよ、カール」

 

 そんなできれば戦いたくない、俺達の敵を想ったのか。

 

「俺も、首都へ行く!」

「馬鹿かアンタは」

 

 ……カールは、俺達と共に首都を目指すと宣言した。

 

 え、何ゆえ。

 

「えっと、それはどういう了見ですの」

「綺麗事かもしれんが、俺はイリューを止めたい」

「……」

 

 またカールの悪い病気が始まったか。

 

「……それは、仰る通りただの綺麗事ですわ。絵に描いた餅を食べるようなもの」

「ああ。でもその綺麗事に、俺は命を懸けたい」

「カール、あのねぇ」

 

 カールはあまりにもまっすぐな瞳で、カールはそう言った。

 

 その、猪突猛進な考えは嫌いじゃないのだが……。

 

「カールさん、その。今回は、相手が悪すぎますわ」

「……」

「いつもの正義感に当てられてるんでしょ。おい馬鹿ール、アンタが居なけりゃ海越えた先で誰が私とレヴを守るのよ」

 

 マイカは心底呆れた顔で、ゲシゲシとカールの足を蹴った。

 

 だが、彼の表情は小揺るぎもしない。

 

「マイカ一人いれば、レヴの護衛は十分だろ」

「か弱い女の子が2人で、知らない大陸に移住しろってんの!?」

「か弱い女の子は、賊の睾丸を叩き潰さない」

 

 カールはもう、俺たちについてくることを決めたらしい。

 

 ……だが、勇者の加護を失ったカールは普通の冒険者程度の腕しかない。

 

 あまり言いたくないが、足手まといにしかならないだろう。一体どう言えば、納得してくれるだろうか。

 

「どうしてそこまでして、ついてこようと思いましたの?」

「俺は、イリューともう一度話がしたいんだ」

「はぁ。話って、どんな話を?」

「和平の道を。ガリウスさんに頼み込んで、魔族領を復活させてもらうとか」

 

 ……魔族領の復活、て。またそんな無茶苦茶な。

 

「いやそんなの、国が受け入れられるわけないでしょ。人類の天敵の為に何で土地用意しないといけないのよ」

「ええ。おそらく、賛同を得るのは難しいでしょう」

「でも、このままじゃあんまりじゃないか」

 

 カールの話は要領を得ない。やはりコイツ、何も考えていないらしい。

 

 うーん。ほんと、そう言うのは俺大好きなんだが。

 

 今はちょっと違うなぁ。

 

「……そもそも、どうやって話をするつもりだ?」

「彼女の言葉を信じるのなら、イリュー本人はこの上なく弱い。おそらく、常に護衛の魔族と一緒に行動するはずだ」

「でしょうね」

「つまり、強力そうな魔族が居れば魔王を見つける手掛かりになる。そこに、俺一人で突っ込む」

「成る程。魔族のエサ一丁あがりって訳ね、この馬鹿」

 

 護衛の強そうな魔物を探すってところまではいい線言ってると思うが、一人で突っ込んじゃいかんでしょ。

 

「カール、流石に無茶だ」

「……そうか」

「呆れた。そこまでアンタがイリューに入れ込む理由って何よ」

「そんなもん決まってる」

 

 いつも以上に、俺達に食い下がるカール。

 

 それはただ、青臭すぎる正義感だけから来る行動なのか────

 

 

「まだ仲間だろ、アイツ」

「……」

 

 

 それとも、この男の持つ譲れない信条から来るモノなのか。

 

「もう破っちまった約束だけど。俺は、アイツがピンチになった時は助けにいかなきゃならねぇんだ」

「いや、あのね」

「あの時アイツ、助けを求めてた。どうにかしてくれって、心で叫んでたんだ」

 

 そのまま、カールは言葉を続けた。

 

「アイツが勇者ノワールを殺し、毅然とした態度で宣戦布告を仕掛けてきたあの瞬間」

 

 彼は見たのだ。イリューの泣き出しそうな瞳の奥に隠れた、どうしようもない後悔を。

 

「だれか私を止めてください、って。俺に向かって叫んでたように見えた」

 

 そんな目で見つめられては、逃げ出すわけにはいかない。

 

 イリューは、ほんの一時とはいえカールの仲間だったのだから。

 

「ここで行かなきゃ男じゃねえ」

 

 それは、単なるカールの妄想かもしれない。

 

 ただの思い込みで、イリューは本当にさっさと俺達に逃げてほしいのかもしれない。

 

 でも、少しでもイリューが助けを求めている可能性があるなら───

 

 

「俺はイリューを助ける」

 

 

 ……とまぁ、それがカールの真意であった。

 

「……マイカさん、幼馴染でしょう? カールさんの説得をお願いしますわ」

「無理。こうなったらコイツ、テコでも動かないから」

「おう、よくわかってくれてるじゃないか。さすがは俺の幼馴染だぜ」

 

 ニカニカと吹っ切れた顔で笑う元勇者。

 

 あー。そうか、こういう男だから勇者に選ばれたんだよな、このバカ。

 

「……カールと兄ぃが残るなら、私も残りたい。もう、独りぼっちはイヤ」

「となると、私一人だけ船を借りて逃げ出すと。……そんなこと出来るかぁ!!」

「そうなるわよねぇ」

 

 マイカは頭を抱えて、グビリと酒を煽った。飲まなきゃやってられないらしい。

 

「じゃあ、結局は……」

「全員で首都にとんぼ返り、ですか。はぁ、私一人で折り返す覚悟、無駄になってしまいましたわ」

 

 俺もマイカにあてられて、キツめの蒸留酒を一杯頂く。

 

 ああもう、この男は本当にどうしようもない。

 

「ま、死なない限りは蘇生してあげるわぁ。後々お金取るけど」

「え、有料!?」

「だって、もうあなた勇者でも何でもないし。無理言ってついてきて仕事増やしてるんだから、それくらい当然よねぇ」

「俺の取り立てはきついですぜ、カールの旦那。借金の返済はお早めに」

「久々にギャングらしいところを見ましたわ」

 

 もしかして俺の治療費とかも、後々請求されるのだろうか。

 

 まぁサクラのことだし、うちの実家の規模で払える額にしてくれるだろうけど。

 

「ま、いざとなれば俺なんざ使い捨ててくれて構わねぇ。イリーネとレイをアルデバランの元まで届ける護衛とでも思ってくれ」

「その二人より弱っちいアンタが、何を護衛するのよ」

「……捨て駒? そういうの得意だろマイカ」

「イリューさんから、自分の命を軽く見るなと説教されたのをお忘れですかカール」

 

 こうして、その日俺達はイリューと戦う覚悟を決めた。

 

 

 各自軽く酒を嗜んだ後、朝一番から出発できるよう荷造りを終えた。

 

 そして首都まで旅する鋭気を養うべく、寝ようとしたその時────

 

 

 

「ヴぼぉぉヴぉっ!!」

 

 

 

 どこかで聞いたことのある、おぞましい獣の咆哮が街に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、またコングさんたちどっか行っちゃったんですか」

 

 イリューが死にながら帰還した後。

 

 慌て気味な仲間のゴブリンたちから、イリューは報告を受けていた。

 

「コングさんたちは、私を主と認めてくれていないんでしょうか」

「キー」

「そうだと良いのですが……」

 

 イリーネと肉弾戦をする羽目になったマントヒヒ顔の巨大な魔族。

 

 彼らは、あまり魔王ユリィの命令に従わず動いていた。

 

 その理由は、

 

「武功を急いで先駆けって、昔の軍人さんみたいですねぇ。……あんまり無茶しないでくれると良いんですけど」

「ギッギィー」

 

 彼らは非常に短気で好戦的な生物だ。そして、人類に対する憎悪も人(?)一倍である。

 

 体の大きい彼らは雁字搦めに捕らえられていた経緯があり、ユリィやゴブリンなど小柄な魔族と比べてはるかに自由が少なく食事もショボかった。

 

 その積年の恨みを晴らすべく、勝手に行動して街を襲うことが多々あった。

 

 ユリィも彼らの深い恨みを理解しており、勝手な行動をたしなめつつも強く注意することはなかった。

 

「で、次はどの町に向かったんです。さすがにもう勇者とカチ合って、壊滅させられるようなことはないと思いたいんですが」

「ギギギ……」

「えっ」

 

 しかし先日、運悪く彼らはカールの滞在するレーウィンを襲撃し、返り討ちにあって半分以下の数に減った。

 

 流石にユリィはコングをしっかり叱り、今後は勝手な出撃は控えるよう命令した。

 

 だというのに、これである。

 

「……よりによって、アナトですか!?」

「ききぃ?」

「いえ、まぁその。……まぁ、それも運命です」

 

 しかしコングは性懲りもなく、勝手に出撃して人間の街を襲いに行ったという。

 

 その先は……つい先ほどまでユリィもいた『湾岸都市アナト』。

 

 こんなタイミングで襲撃されてしまっては、カール一行も海を越えて逃げ出す暇はなかったに違いない。

 

 一瞬、ユリィは迷った。今から急いでコングを止めにいけば、襲撃までに間に合うかも知れなかったからだ。

 

 ……だが。

 

「私には、もうカールさん達を……助けに行く理由も資格もない」

「……」

「だって、敵対しちゃったんですから」

 

 ユリィには、人類を守る義理がない。そして、今のカール達ならコングでも十分勝てるはずである。

 

 現状あそこに居てコングを倒しうる存在は、イリーネくらいだ。

 

 静剣レイは、体格差のありすぎるコング相手には無力。現に前は、命からがら逃げだす事しかできなかった。

 

 勇者カールはその力を失い、ただの冒険者になっている。

 

 おそらく、今までイリューと共に旅していた彼らは……全滅するだろう。

 

「数体はイリーネさんに持っていかれるかもしれませんが。……まぁ、あの町なら壊滅させられるでしょうね」

 

 ユリィは躊躇う素振りを見せた後。

 

 静かに顔を伏せて、心配そうに自分を見上げるゴブリンの頭を撫でた。

 

「コングさんは、やんちゃですね」

「……きぃ、きぃ」

「貴方達ゴブリンさんはこんなにお利巧なのに。また、あの子たちにお説教しないといけません」

 

 

 

 ───その表情は、慈愛と母性に溢れた聖女の顔であった。



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82話「勇者がいなくなったパーティー」

 けたたましい獣声が、夜の湾岸都市を切り裂いて。

 

 俺達は再び、アイツと邂逅した。

 

「ヴゥうヴォぉッ!!!」

「ヴぁっ!! ヴぅぉっ!!」

 

 ああ、聞きたくもない獣声。

 

 俺はかつてたった一匹を相手にして、何とか勝ちを拾ったその化け物。

 

 そのマントヒヒ顔で、巨躯を軽やかに操り疾走する魔族どもが……。

 

 

「……化け物だ」

「うわあああっ!! 魔族だ、本当に魔族が攻めてきたぞぉぉっ!!」

 

 

 俺達の寝るアナトに向かって、群れをなし疾走してきたのであった。

 

「おいおい。イリューの奴、逃げろって言っといて殺意が高すぎるだろ」

「……今日中に逃げろって事だった、のかも」

「あるいは……私達の話を盗み聞きしていたのやもしれませんわ。私達が戦う決意を固めたからこそ、イリューさんも襲撃を決意した」

「その方が自然ねぇ。古代魔法の使い手だし、そういう技術もあるのかしらぁ?」

「ドサクサで俺達に盗聴魔法を仕掛けて立ち去ったとすれば、相当強かですぜあの女。俺達と居た時のポヤポヤした態度は、爪を隠してたって事になりますなぁ」

 

 イリューはかなり過大評価された。

 

「なら、盗聴対策が必要ね」

「次から、会議の時は盗聴対策に筋肉天国(マッスルミュージカル)を発動するとしましょう」

「……だな。だけど今はそれよりも」

 

 だが、今は盗聴されていたかなどどうでもいい。状況の把握が最優先だ。

 

 俺達は急いで街の入り口付近へと駆け出した。

 

「逃げろぉぉぉ!! 足の続く限り遠くに走れ!!」

「馬鹿者、船を出せ! 水路を使って逃げるんだ!」

 

 街門付近では、アナト市民が大混乱でごった返していた。

 

 叫ぶ者、喚く者、喧嘩する者、見渡す限りの地獄絵図が広がっていた。

 

「……奴らですわ」

 

 そして平野の方を見れば、アナトの郊外に黒光りする獣の群れが雄叫びと共に迫ってきていた。

 

 ……ああ、なつかしの怨敵。

 

「まだ、距離がありますわね。挨拶代わりに『精霊砲(エレメンタルバスター)』を1発ぶちまけます」

「頼む、イリーネ」

 

 俺は心を研ぎ澄まし、悠然と杖を握りしめた。

 

 かつて俺の精霊砲は、奴等の強靭な肉体を撃ち抜くに至らなかった。

 

 しかし、今の俺は違う。ヨウィンで杖を作り、精霊砲の火力が跳ね上がっている。

 

 精霊が見えるようになって、よりこの魔法への理解も深まった。

 

 

 

 つまり、俺は以前の俺じゃない。

 

 

 

 

 

「────炎の精霊、風神炎破」

 

 久々の、我が家の伝統芸。古代より伝承され現存する、現代最強の攻撃魔法。

 

 勇者を失った俺達パーティに出せる最大火力を、お目に見せよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 詠唱はつつがなく完遂した。

 

「……当たった!」

 

 そして俺の先制精霊砲(エレメンタルバスター)は、見事に魔族の群れへと命中した。

 

 爆音とともに夜闇が精霊の光で吹き飛ばされ、数百メートルにおよぶ爆炎が魔族を包み込んだ。

 

「おお、凄まじい!」

「いえ、駄目ですわ」

 

 撃ち終えた後、俺は溜め息をついた。……あれは、ダメだ。

 

「……む」

 

 俺の砲撃は、当たりはした。おそらく、何体かは仕留めただろう。

 

 

 ……だが。

 

「魔族ども、ぶっ飛ばされてもピンピンしてるわよ」

「……おそらく、爆心地以外の奴には耐えられましたわね。奴等の肉体は凄まじく強靭、爆風程度では死なないみたいですわ」

 

 俺の全魔力の約半分を使ってぶっぱなした精霊砲。その戦果は、おそらく数体の敵を屠ったに留まった。

 

 ……魔族の数はまだまだ唸るほど居る。

 

「……イリーネ、今の砲撃は何発撃てる?」

「後1発。……それで、魔力切れになりますわ」

「そうか」

 

 杖で威力上がった筈だし、結構行けると思ったんだけどなぁ。

 

 これじゃ、大した被害は期待できん。

 

「これじゃあ、どうしようもねぇですぜ」

「どうする。諦めて逃げるか」

「今から船を借りられないでしょう。ここで迎撃する他ありませんわ」

「……だな。イリーネ、精霊砲は魔力効率が悪いから封印しておけ」

 

 ……レイは、俺にそう忠告してきた。精霊砲は消費魔力に対して、戦果が少なすぎる。

 

 俺も、同じ意見だ。

 

「具体的にどうするつもりぃ?」

「……俺が、奴等の目を引く。その隙に、イリーネが何とか急所を探し仕留めてくれ」

「急所?」

 

 静剣レイはそう言うと、短剣を手に俺達の正面に立った。

 

 どうやら、囮役をやってくれるらしい。

 

「生物である以上、奴等もどこかに急所は有るだろう。少なくとも前に邂逅した時、目潰しは有効だった」

「ふむ」

「それで敵が苦しんでいるうちに、何とかして魔族を仕留めてくれ。魔法は分からん、手段はイリーネに任せる」

「……」

 

 ……魔族の急所を突く、か。そもそも急所が何処か分からんけど、それしかなさそうだ。

 

 精霊砲以外の魔法で魔族を仕留められなければ、勝ち目はない。

 

「なるべく魔力消費の少ない魔法で、仕留めなさい。貴女が魔力切れ起こしたら終わりよ、イリーネ」

「私も、土魔法で色々やってみるわぁ。ただイリーネに比べて魔力は貧弱だから、あまり期待しないでよね」

 

 サクラも、協力してくれるらしい。

 

 前の決戦の時は、彼女の罠のおかげで勝てた部分も大きかった。

 

「じゃあ、頼んだぞイリーネ」

「えっと……」

 

 

 さて。ご注文は魔力消費が少なくてそこそこ火力の有る、攻撃魔法。

 

 ……この前教科書を読み直したけど、そんなの有ったかな?

 

「……後ろは、私が守る。イリーネは、安心して魔法を唱えて」

「俺も体くらいは張りましょうかい。お嬢、どこまでもお守りいたしやす」

 

 俺とサクラの周囲を、パーティの皆が固めてくれる。

 

 この期待に応えて、何とか良い感じの魔術を思い出さねば。

 

 

 

 まず火力と言えば火魔法だが……。アイツら爆風に耐えたってことは火に強そうだし、やめておこう。

 

 水だと碌な火力にならん。水の最大魔法は洪水を起こせるらしいが……俺には水弾を打ち出すくらいしか出来ない。

 

 風魔法使えば空を飛べるようになるけど……。上を取っても魔法を多重起動できないから、敵を見下ろしながら魔法撃てないんだよなぁ。

 

 土は……俺もサクラと同じ事しか出来ない。何なら土魔法限定だと、サクラの方が巧者まである。

 

 ……あれ? 俺ってばアイツに効きそうな魔法、精霊砲しか持ってないような。

 

「私は目潰しでもしとく。アイツらの眼球、矢で針山にしてやるわ」

「……全員で一丸にならないと勝てないぞ、覚悟は決まったか」 

「各自できる事をしっかりやる事。……仕留めるのは、イリーネに任せたわよぉ?」

 

 回りの仲間は着々と、奴等を撹乱する準備を進めていた。

 

 俺は一人、ぽかんとその様子を眺めるのみであった。

 

 

 ……ちょいと待って。俺、どうすりゃいいの?

 

 

 

「よし……」

 

 そして。

 

 先ほどからずっと黙りこくっていたカールが、ようやく口を開いた。

 

「俺も、イリーネと一緒に仕留める役をやらせてもらおう」

「……カール?」

 

 この男は、何を考えているのか。

 

 既に勇者ではなくなり、何処にでもいる普通の冒険者に戻ったその男は不敵な笑みを浮かべ。

 

 

 

 

「────行くぜ魔族ども」

 

 俺達が制止する暇もなく。

 

 たった一人、魔族の群れに突っ込んでいった。

 

「ちょ、カール!? あのバカ何を!!」

「……危険ですわ、せめてもうちょっと肩を並べて────」

 

 囮役を務める筈だったレイが呆然としている。

 

 自分よりも遥か先に、馬鹿が単騎で突っ込んでいったからだ。アイツ、自分が勇者の力を失ったって気付いてるよな?

 

 それは、どう考えても無謀な突進だった。

 

「かかってこいやぁ!」

「ぅおヴぉ!?」

 

 しかし、俺達は信じられない光景を目にする。

 

 

「ヴぉぁ────」

 

 

 魔族は突っ込んできた矮小な人間(カール)を見て、獰猛な笑みを浮かべた。飛んで火にいる夏の虫とでも思ったのだろう。

 

 そして魔族は、巨大な体躯を支えていた4足歩行の、その前足を振り上げて────

 

「秘剣」

 

 カールに向かって叩きつけようとした瞬間。

 

 既に元勇者は、魔族が振り上げた足に剣を突き立て、勢いよく宙へ跳んでいた。

 

魔物薙(マハラギ)

 

 思わず『あっ』と嘆声が漏れる。

 

 敵の力で空中に放り出されたその男は、空中で何回転もしながら大剣を振るい────

 

「チェストぉ!!!」

 

 頭蓋を一刀両断した。

 

 

 

「ヴぉヴぉヴぉヴぉヴぉ!!」

 

 しかし、カールに息をつく暇はない。

 

 彼が魔族から剣を引き抜く最中、同胞を仕留められ激怒した魔族がカールに飛び掛かった。

 

「ふん」

 

 それを見たカールは、その場でぐるぐると回転しながら大剣を振り上げ────

 

顎刈(アギト)

 

 重力を乗せてカールに叩きつけられたその拳を。

 

 彼は大剣で回りながら車輪の様に駆け上がり、魔族の首の下から脳天まで力づくに割いてしまった。

 

 

 それは、御伽噺に出てくるようなありえない剣術。

 

 創作の世界でしか伝承されていなかった、魔族狩りの流派。

 

 

 

「まだまだ行くぜ」

「ヴぉ、ヴぁ……?」

 

 

 

 瞬く間に2体。カールは、何の支援も受けていない普通の冒険者の肉体で魔族を屠った。

 

 貴族(おれ)があんな苦労し命懸けで倒した、アイツを。

 

「ちょっと、どういう事よぉアレ!? カール、勇者の力を失ったんじゃ……」

「……見誤っていた。そうか、アレがあの男の本領か」

 

 レイは、呆然とカールの無双を見守って感嘆していた。

 

 ……待て。カールって、何処にでもいる平凡な冒険者じゃなかったか。

 

 平凡な冒険者が、何であの化け物を圧倒出来るんだよ。

 

「レイさん。どうしてカールさん、勇者の力を抜きに魔族を圧倒しているか分かりますの?」

「ああ、あの動きは対魔族の最適解を示している様なものだ。体の使い方が上手すぎる。なるほど、全身をバネに……あんな動きがあるのか」

 

 カールが突っ込んで、魔族の進撃は止まった。

 

 彼の危険さを理解したらしく、周囲の魔族はジリジリとカールから距離を取っている。

 

 ……いや。この魔族どもはかつてこの男に蹂躙され、壊滅させられたのを思い出したのかもしれない。

 

 

「そうよねぇ。本当にカールがただの凡人なら、女神もわざわざカールの剣術を真勇者に継承しようとしないわよねぇ」

「そ、そうですわね」

「完璧に理詰めされた型だ。あの動き、自分より大きく獰猛な生物を相手にする為に特化した剣術……」

 

 ……そうだ。確かアイツは、もともと魔族を殺すために特化した型を身に付けていてのだ。

 

 幼少の憧れを形にするべく、かつての勇者の剣を模倣して身に付けた。

 

「アレ、師匠もなしにカールが一人で造り上げた動きらしいわよ。本だけ読んで」

「それが本当なら、凄まじい剣才だぞあの男」

 

 人間や小さな魔物相手には真価を発揮できず、平凡な冒険者止まりだった男カール。

 

 そんな彼は、本来の想定敵(まぞく)を相手にこれ以上ないほど元気に立ち回っている。

 

 

 魔族を殺し、人類を守る為だけの剣。それが、彼の剣術の本質だった。

 

 既に世界に殆ど魔族が居なくなり、対魔族の流派は廃れた。

 

 皮肉なことに、ずっと前に廃れどんな道場の門を叩いても学ぶことが出来なかったその技術を、もっとも精密に描写して後世に伝えていたのは『御伽噺』だった。

 

 勇者の英雄譚に出てくる描写が、現在唯一残された『対魔族剣』の資料。カールはそれを徹底的に研究し、技へと昇華した。

 

 

 そう。カールこそ現在唯一の『古流対魔剣』の使い手なのである。

 

 

 単純な勇者としてのスペックなら、ノワールがカールを圧倒している。

 

 しかしカールの身に着けた剣術は、奇跡と言っていいほど稀少で効果的であった。

 

 だからこそ女神セファは悩み、両取りしようという暴挙に出た。

 

 つまりカールもまた、使い捨て要員ではなく立派な勇者候補だったのだ。

 

 女神が魔族と戦う勇者を選ぶにあたって、彼はノワールの次の第2候補に挙がってくる人傑であった。

 

 

 

「一瞬でも、あの方を足手まといと考えたのが恥ずかしい。カールが、私達を守るための戦いで弱かったことなんて一度もなかったというのに」

「……ふ、負けてられんな。イリーネ」

「ええ」

 

 よし、と俺は両頬を叩いて気合を入れる。

 

 カールが強いとはいえ、肉体的にはただの凡人。貴族である俺の方が、色々と恵まれている筈。

 

「俺も、迎え撃つ。あの男だけにいい格好はさせん」

「ええ、カールだけを孤立させません」

 

 幸いにも、魔族は困惑して立ち止まっている。今が好機。

 

 そして俺達はカールと肩を並べ、魔物狩りに参戦した。

 

 

 ……因みに。

 

 

 

浸透掌(マッスルボンバー)!!」

「ヴぉヴぁぉ!!?」

 

 特に有用な魔法を思いつかなかったので、身体強化してマッスルボンバーしたら滅茶滅茶効いた。

 

 どうやら、この魔族は体皮が異常に強靭らしい。つまり、常時重装の鎧を身に着けたような生物だったのだ。

 

 そのせいか、浸透掌(よろいどおし)で脳天を殴ると楽に仕留めることが出来たのだ。流石は静剣の秘拳、すげぇわこの技。

 

 身体強化ならほとんど魔力消費もしないし、ご注文通りの仕事は出来るだろう。

 

「……すげぇなイリーネは、結局素手かよ!!」

「カールこそ、魔力もないのに素晴らしいですわ!」

 

 俺はレイに隙をカバーして貰いながら、マイカやサクラがかく乱した魔族を仕留める事に注力し。

 

 カールは縦横無尽に、俺達に近づく魔族をどんどんと仕留めていった。

 

「うっ! く、この」

「イリーネ、一旦下がりなさい! 腕を処置するわぁ!」

 

 戦闘中、俺は2回ほど反応がうっかり遅れて骨をへし折られたが、即座にサクラに治して貰って戦線復帰できた。

 

 やはり後衛に回復術師がいると安定するなぁ。高火力の魔法アタッカー(アルデバラン)も欲しい所だが……居ないものはしょうがない。

 

「おお、魔族の連中引いて行くぞ!」

「ふ、ふぅ。良かった、何とかなりましたわね」

 

 ……結局レーウィンの時の苦戦が嘘みたいに、俺達は魔族を圧倒した。

 

 いや。あの時も、カールさえいれば楽勝だった。

 

 この男は……、カールは、強い。

 

「それ、レイに習ってる技か。良いな、凄い便利じゃねーか」

浸透掌(マッスルボンバー)は私の一番のお気に入りですわ。……この技があれば、あの時ももう少し苦戦せずに済んだのですが」

「え? あ、そうか猿仮面だったか。……まだ受け入れきれてねぇなぁ、俺」

 

 一方で、俺は少しくらい強くなったのだろうか。

 

 この旅を通して、何か成長しただろうか。

 

 ……俺は、勇者の力を抜きにしたカールにも追い付いていない。もっともっと精進せねば。

 

「兄ィ。……私もあの技使いたい。まっするぼんばー」

「……違う。断じてそんなダサい名前ではないっ!」

「……え、格好良いよ……?」

 

 そんな俺達の後ろでは、妹が兄に技のおねだりをしていた。

 

 



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83話「姉妹再会」

 紅き髪の英雄、アルデバラン。

 

 彼女の一日は、仲間に布団から叩き出されるところから始まる。

 

「もー! 起きてくださいリーダー!」

「ぅあー」

「まーたですか。今日は朝練するって言い出したの、アルデバランさんでしたのに」

 

 彼女は低血圧気味で、朝は起きられずよく死んでいる。

 

 本人も何とかしたいらしいが、どうしようもないそうだ。

 

「良いんですかリーダー。このまま起きなければ、変態レズメイドに襲わせますよ」

「え、良いんですか」

「……」

 

 どれだけ声をかけても反応がない。イリア────イリーネの妹にしてメイドの主たる少女は溜め息をついた。

 

 勇者アルデバラン一行は、もうすぐ魔族との決戦が迫っている。

 

 少しでも、鍛練をしておかねばならない。

 

「でもでも、私にはお嬢様という人が……。確かにアルデバランさんも愛くるしいですけど、イリア様は全てが完成していますし……」

「うー。もうちょいと寝かせろ……」

「あぁ! 可愛い、寝惚けてるアルデバランさん可愛い! このままだと、私の理性が……」

「リーダー。貞操の危機ですよ、早く起きないと知りませんからねー」

 

 イリアはメイドが猛っているのを見て溜め息を吐く。

 

 メイドは躊躇いつつも、鼻息荒くアルデバランに馬乗りになる。

 

「これって良いんですか? でもお嬢様のご命令だし……♪」

「うー」

「さ、先っちょだけなら。そ、そーっと、そーっと服を……」

「早く起きないとやべぇですよリーダー。もう、本当にお嫁にいけなくなりますよ」

 

 とうとう、何も命令していないのにメイドはアルデバランの服を脱がしにかかった。

 

 念のため部屋の花瓶(メイド撲殺用)を手に持ちながら、妹は嘆息した。

 

 

「ふひっ、ふっひひ!!」

「あー、リーダーが襲われてます」

「だ、大丈夫やから! 先っちょだけやから、ひっひひ!」

 

 

 本格的に駄メイドがアウトな行為を始めたので、イリアは花瓶を高く持ち上げて────

 

 

 

 

 

「────危機!!」

「どわぁ!?」

 

 

 アルデバランが飛び起き、メイドは吹っ飛ばされた。

 

「まあ危機でしたね、リーダー。お目覚めはどうですか」

「……最悪の夢見だ」

「ち、ちちち違うんです! 私は本当はこんな事したくなかったのですがお嬢様の命令でぇ……」

「……」

「堪忍やぁ~!!」

 

 メイドは俊敏に土下座の体勢を作った。

 

 妹は迷わず主に罪を擦り付けた従者(サラ)をジトッとした目で睨んだ。

 

「皆を集めてくれ、イリア」

「あ、はい。……どうかしました?」

「嫌な予感がする。何か、取り返しのつかない事態が起きたような」

 

 しかし、アルデバランの様子がおかしい。

 

 どうやら、彼女の言う危機とは自分の貞操の事ではなかったらしい。

 

「……っ」

 

 こんなに真剣なアルデバランの顔は久し振りだ。

 

 イリアは、静かに唾を飲んだ。

 

「……女神様に、話を聞きに行く」

「……分かりました」

 

 勇者は、短く指示をだすと。

 

 紅の外套を纒い、仲間と共に教会へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死んだそうだ」

「は、死……?」

 

 

 彼女は少し肩をよろめかせ、少年魔導師に肩を借りながら教会から出てきた。

 

 その目には、かなりの疲れが見えた。

 

 

「セファの勇者が殺され、その力を奪われたらしい」

「は?」

「あの男。しくじりおったな……っ!!」

 

 

 吐き捨てるように、アルデバランはそう言った。

 

「……え。え?」

 

 勇者の、死。

 

 その言葉を聞いた妹は、目の前が真っ白になった。

 

 

 ────なら、勇者の仲間……姉のイリーネはどうなった!?

 

 

「仲間は? リーダー! 勇者の……、セファの勇者のパーティーメンバーはどうなりましたか!?」

「落ち着け、イリア」

「お姉様は!? どうです、どうなったんですかアルデバラン!!」

 

 悲痛な声で、勇者へと詰め寄る妹。

 

 しかし、アルデバランは黙って首を振るばかりであった。

 

「まだカールが殺され、力を奪われた事しか分からない」

「じゃ、じゃあ姉様は無事なんですね!?」

「……無事な、可能性も残っておろう」

 

 英雄は、そう言ってイリアを抱き締めた。

 

「今は深く考えるな。姉が生きていることだけを信じて、待て」

「……」

「イリーネは強き女だ。カールが殺されようと、きっと一人で脱出しておろう」

 

 その言葉を、妹はじっと噛み締めた。

 

 姉は、確かに強い。

 

 魔法を使えば、一族きっての天才。体を使えば、筋肉モリモリマッチョマンの変態。

 

 でも、そんな姉であっても────あの恐ろしい魔族に勝てるかどうかは疑問が残る。

 

「きっと、イリーネが生きているなら首都の私達を頼って来る」

「……そうですね」

「だから、待て」

 

 ……イリアに今出来ることは、何もない。

 

 妹は静かに、アルデバランの胸のうちで嗚咽をこぼした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……深夜。

 

「姉様……」

 

 イリアは、姉に渡したペンダントに思いを馳せた。

 

 ……いつの間にか、使えなくなった追跡魔法。

 

 ヨウィンを旅立った辺りから、姉に持たせたお守りに追跡魔法が反応しなくなった。

 

 どうやら、魔力の補充が切れたらしい。1年くらいは持つように作ったはずだったが、どこか失敗したようだ。

 

「姉様は、今どちらに居ますか。ここまで、頑張って逃げてこられているのでしょうか」

「……お嬢様。そろそろ寝ないと」

「サラは部屋に帰ってください。……少し、一人にしてください」

 

 カール、と呼ばれた勇者を思い出す。

 

 思い返しても随分と、頼りない男だった。アルデバランのようなカリスマも心強さも、彼からは感じなかった。

 

 あの男が殺されたと聞いて、普通に負けたんだろうなと思った。

 

「……姉様の、性格なら」

 

 しかしイリアは、姉の性格をよく知っている。

 

 あの女性は、仲間を殺されてのうのう逃げ出す気質ではない。

 

「きっとカールが殺されたその時、激昂して、魔族に殴りかかって────」

 

 

 アルデバランは待てと言った。

 

 姉が逃げてくるのを信じて、待てと命じた。

 

 だけど。

 

「あの姉様が、逃げてくるわけないではないですか……っ」

 

 妹だからこそ、分かるのだ。

 

 姉ならばきっと仇討ちで突っ込むか、最後まで仲間を逃がすために殿を務める。

 

 ……ここまで逃げおおせる事が叶う筈も無かろう。

 

「姉様……」

 

 追跡出来なくなった、ペンダント。

 

 殺されて役目を果たせなくなった勇者。

 

「やはり、無茶だったのですよ……」

「やめろ、それは無茶だ!!」

 

 

 

 少女はここにはいない姉の笑顔を想い、月明かりの下で目を閉じた。

 

 

 

 

 

「大丈夫だ。道に迷った時は、高所から偵察するのが常套!!」

「だからって何故猿仮面を被る!?」

「だってこんな見苦しくバタバタ足を動かしている姿、貴族として見せられるか!」

 

 ……。

 

 突然に周囲が騒がしくなったので少女が目を開けると、猿の怪人がフワフワ宙に浮いていた。

 

「ウワァァァァァァ!! お前だったのかイリーネェ!?」

「……お、おおー!? 凄い、イケてるムーヴ……?」

「……レヴ!?」

 

 その猿はバタバタと手足でもがきながら、少しずつ空へと旅立っていく。

 

 深夜の街道で、謎の挙動を繰り広げる仮面の不審者。出来ることなら一生関わらずにいたい相手。

 

 しかしそれは、実姉だった。

 

「……」

「おい猿、誰かに見られてるぞ。……ほら、あそこの女の子」

「この仮面を被っているからには市民の目など気にならんなぁ!!」

「……あれ? あの娘、見たことあるような」

 

 姉の近くには、姉の仲間たちが勢揃いで猿仮面の奇行を諌めていた。

 

 ……生きていた。生きている筈の無かった姉は、無事に首都に辿り着いていた────

 

 

「あの娘、こっちに走ってくるわよぉ?」

「あっ。思い出した、あの娘は確か……」

 

 

 (イリア)は走り出す。

 

 メイドの制止も聞かず、暗い夜道を駆け出した。

 

 ただ一直線、無事に首都ぺディアまで辿り着いてくれた姉に向かって────

 

 

 

 

 

 

 

「何をよそ様に迷惑かけてるんですかこの愚姉がぁ!!!」

「ぐえー!」

「猿仮面が蹴っ飛ばされたぁ!?」

 

 そして、迷わずドロップキックをかました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正座です、姉様」

「……い、イリア? ですの?」

 

 姉は公道で、妹に正座させられた。

 

「何してるんですか、姉様」

「え、あ。暗くて道が分からなくなったので、飛んで偵察をと」

「流石は姉様、風魔法の応用でそんな技まで身に付けてらっしゃったのですね」

「え、えへへですわ♪」

「ただ、凄い風が吹き荒れてましたけど。風とはいえ、暴風になれば被害も出ます。周りの迷惑とか考えなかったのですか、姉様」

 

 ガチ説教。

 

 年上の筈のイリーネは、実妹から正論でぶん殴られていた。

 

「貴族としての、矜持と体裁はどうしたのです。ヴェルムンドの家門に泥を塗るおつもりですか」

「……あ、いえ。その」

「姉様、私は悲しいです。貴女を自慢の姉と信じて日々研鑽を重ねていたと言うのに」

 

 いたたまれない。

 

 自分より年下の妹に、クドクドお説教される姿は悲哀に満ちていた。

 

「い、イリア様そろそろ……」

「……そうですね」

 

 空気を読めるマイカがそれとなく助け船を出すまで、妹による愛の説教が続いた。

 

「ふ、ふぅ。肩が凝りましたわ」

「それと、そろそろその猿仮面取ってください。気味が悪いです」

「……気味が悪い!?」

 

 ガーン、と姉は愛妹に仮面を馬鹿にされショックを受けた。

 

 イリーネは、妹ならこの仮面のセンスを理解してくれると信じていた様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナトで魔族を撃退して、数日後。

 

 夕暮れの間際、俺達は襲われたりすることなく首都にたどり着いた。

 

「あれ、道これで合ってましたっけ」

「暗くて分かんないわ」

 

 以前お世話になったセファの教会に泊まろうと考えたが、街中を移動している間に日が暮れてしまった。

 

 だもんで道に迷ってしまい、空から偵察しようとしてみたら……。

 

「何をよそ様に迷惑かけてるんですかこの愚姉がぁ!!!」

 

 何と妹に蹴っ飛ばされてしまった。

 

「とりあえず、リーダーの下へ案内します」

「リーダー?」

「私が世話になっているパーティのリーダー、アルデバラン氏です」

「え、アルデバランさん!?」

 

 話を聞けば、何と妹はアルデバランのパーティの世話になっているという。

 

 どういう経緯でそうなったんだ……。そもそもイリアの奴、何で首都に居るんだ……?

 

 

「……何だ。生きてたのか、不細工」

「俺が死ぬ訳ねーだろ、チビ」

 

 久しぶりに再会したカールとアルデバランは、やはり互いに塩対応だった。

 

 カールの女神は死んだと言うのに、相変わらず二人の相性が悪い。

 

 もう仲良くすりゃ良いのに。

 

「しかし、見れば分かるぞ。────貴様、失ってるな?」

「……ああ」

「勇者だった頃に感じた、沸き上がる力がない。……力を奪われた、と言うのは真だった様だな」

「もう知っていたか。……今夜は、その話をしに来た」

 

 そして、勇者アルデバランはカールを見て察したらしい。

 

 彼の中に、勇者の力はもうないという事に。

 

「実はアナトで────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてカールは、ざっとアナトで起きたことを話した。

 

 女神が殺されたこと。

 

 イリューが魔王だったこと。

 

 勇者の力が食われ、奪われたこと。

 

「……貴様らの女神はアホなのか? 魔王を目前にして気付かず、むざむざ殺されたのか?」

「女神セファ様は、人類を救うために苦心してくださったんだ。侮辱するな」

「その結果がそれであろう。……はぁ、セファには女神としての力はあれど、女神としての器は無い。その評は的確だったらしい」

 

 アルデバランは始終を聞き、頭を抱えた。

 

 ……カールめ、殺されかけたのにまだセファをまだ狂信してるのか。コイツこそアホだろ。

 

「……それで?」

「アルデバラン。カールが女神セファの加護を失った以上、もう敵対する理由もないはずですわ」

「むむ」

「我らも、人類を守るために立ち上がった身。貴方の陣営に加えていただきたいのです」

 

 アルデバランと一番仲の良い俺が、俺達の合流を頼み込んでみる。

 

 ……俺の話を聞いたアルデバランは、少し困ったような顔になった。

 

「どうするんだ、大将」

「……仲間が多い方が良いんじゃない、アル?」

 

 彼女の仲間は、割と乗り気っぽい。

 

 ただ、いつものウサギ野郎がいないな。あの野郎は何か反対しそうな気がするが。

 

「私も、イリーネを仲間に加えることには異存無い」

「私は……ですか」

「貴様の腕は知っている、強力な魔法の使い手は何人いても困らん。その上、貴様は精霊術師と来ている」

 

 アルデバランは、結構俺の事を評価してくれているらしい。

 

 まぁ、精霊砲撃てる貴族ってだけで人類最高峰だしな。目の前の勇者(アルデバラン)を除けば、俺が人類最強の攻撃魔法使いな気はする。

 

 才能が全てな魔法が凄くても自慢にもならんけど。

 

「……それはどうも、ですわ」

「だがな……」

 

 しかし、アルデバランの口ぶりから想像はつくが。

 

 彼女は多分、俺の他の仲間を歓迎していない。

 

「そこの、サクラ・テンドーとかいう貴族」

「私? 私がどうかしたかしらぁ?」

「……あの後、貴様の家の手の者とやり合ってな。正直、貴様の家とはかなり確執があるぞ私」

「へ?」

 

 ……え?

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。私の家の者って誰? レーウィンの実家はもう……」

「ゴウキ・テンドーとか名乗ってる酒臭いオヤジだったが。火山都市で結構な目に遭わされた」

「何やってるのお父様!!?」

 

 サクラは、顔を真っ赤にして突っ込んだ。

 

 ……行方不明のサクラのお父さん、そんなところにいたのか。

 

「具体的には何があったんだ」

「旅人の足元を見て火魔石の値段を釣り上げておったから、成敗した」

「ちょ、殺してないでしょうね! もしお父様に何かあったら────」

「そしたら、ゴウキとかいうのに惚れられて求婚された。あれは困った」

「……」

 

 ……。

 

「私の火魔法に愛を感じたらしい」

「それは……何と言うか」

「あの酒臭い息で付け回されて困ったから、黙って逃げてるのだ。もうテンドー家と関わりたくない」

「……つまりサクラ、アルデバランが新しいママになるってこと?」

「冗談じゃないわぁ!!?」

 

 何とまぁ、それは。ご愁傷様です。

 

親父(おや)っさん、いい歳して何やってんですかい……」

「縁切りよ。今の話が本当なら、お父様とは縁切りよぉ!」

「見た感じ嘘をついていませんわ、アルデバランさん」

「冷静に分析しないでよイリーネ!!」

 

 そっか。そんな経緯があるならそりゃ難色示すわ。

 

「そもそも、足手まといを守る余裕はない。サクラからは大した魔力を感じん、どうせ大した腕では無かろ」

「まぁ。サクラさんほどの回復術師は稀少だと思いますわよ? 素晴らしい腕をお持ちですわ」

「何、回復術師だと? ……ふむ、であれば話は変わるが」

「何度も何度も、彼女には致命傷を治していただきましたわ。少なくとも、私が見た中では一番の名医です」

 

 俺からの紹介を聞いて、うーむと唸るアルデバラン。

 

 マジでサクラは超優秀な回復役だと思う。外傷専門とは言え、体半分吹き飛んでも治せるのは彼女くらいのモンだろ。

 

「そう、か。であれば、仲間に加わってもらいたい。今までウチの回復担当はキチョウ一人だったからな、彼がやられた場合どうしようもなくなるのだ」

「……まぁ、良いけど」

「後、貴様の父親が来たときは説得してくれ。マジで迷惑なのだ」

「ええ、息の根を止めてでも」

 

 少しサクラの目が死んだが、これでアルデバランに仲間と認めて貰えた。

 

 後は……。

 

「だが、他の連中はどうだ? イリーネから見て使える奴は居るか」

「そこのレイさんとレヴさんは素晴らしく優秀な剣士、拳士ですわ」

 

 近接戦闘で優秀な二人も紹介。この二人は、まぁ余裕で合格だろ。

 

「そうか。剣術は分からん、イノンどう見る?」

「はいはい、お任せくださいアル」

 

 アルデバランは見ただけでは剣士の強さは分からないようで、仲間に力を測って貰う様だ。

 

 ヌっと英雄の背後から出てきたのは、金髪サラサラで王子様みたいな風貌の剣士。糸目って言ってもいいくらい目が細いのが気になるが。

 

「……ほう、隙がありませんね。特に兄の方の完成度は素晴らしい……、しかしその剣は血濡れていると見ました」

 

 金髪細目の剣士は、ニコニコとレイ達を見てそう評した。

 

 ふむ。ヤサ男系だなコイツ、あんまり筋肉はなさそうだ。強いのかこの男?

 

「……そう言う貴様は、貴族の剣士か? ふむ、正統派の魔法剣と見た」

「ええ。イノン・フォン・マッキューンと申します。マッキューン派道場の師範代を務めております」

「……そうか」

 

 レイはそのヤサ男を見て、驚いたように目を細めた。何か感じるものがあったらしい。

 

 うーん。筋肉的にはレイの圧勝の筈なんだが……。

 

 このレイの反応見るに、金髪サラサラ君強いっぽいな。

 

「この二人は十分に戦力になりますよ。私が保証します、アル」

「そうか」

 

 そのサラサラ君の太鼓判で、レヴレイ兄妹は合格。

 

 で、残るは……。

 

「マイカさんは、素晴らしい戦略眼の持ち主で」

「知っている、ヨウィンで見た。要は貴様らの司令塔であろう」

「……や、そんな大それたもんじゃ」

「コヤツは敵に回すと厄介で、味方にして損の少ないタイプである」

 

 マイカの凄さは説明しづらかったが、アルデバランはなんとなく理解してくれていたらしい。

 

 ……敵に回すと厄介なのは確かだろうなぁ。

 

「まぁ、コイツはそんな感じだ」

「が、私は貴様が敵に回る可能性を考えておるぞマイカ。貴様、少し行動理念が偏っておるだろう。考えや信念の違いであっさり敵に回りかねん危さがある」

「む」

「勇者の力を失った男と、仲良く里帰りしたらどうだ。その男の隣にいる限り、大きくは道を違えんだろう」

 

 ジトリ、とアルデバランがマイカを睨んだ。

 

 嫌な予感がする。実は、なんとなく前から感じていた。この二人、相性が悪いんじゃないかと。

 

「私だってそうしたいんだけどね。カールの馬鹿が戦うって聞かないんだもん」

「ああ、俺は戦う」

「成程、貴様に引っ付いておるのかカール。勇者の力を失った貴様に何が出来る、とっとと田舎に帰れ」

「何が出来るだと? そうだな、イリューを……魔王を助ける事くらいは出来るさ」

 

 ……その言葉を聞き、アルデバランはカッと目を見開いた。

 

「貴様。魔王に与するか」

「イリュー……、魔王を名乗ったあの娘は、間違いなく俺の仲間だ。だから助ける」

「それは、我々との敵対宣言ととっても良いのか。私達は、魔王を倒す者だぞ」

「じゃあよ。俺達は、イリューを滅ぼしたらそれでオッケーなのか? ずっと死ねないあの娘を、また封印して何千何万年も苦しめるのが正解なのか!?」

「その女は、人類の滅亡を目標にして攻めて来るのだろう!! 滅ぼさねば、私達が滅ぼされるぞ!」

「そのイリューさえ救えたら、全員救えるってわかんないのか! もし手を取り合うことが出来たら……」

 

 カールの寝言を聞いて、アルデバランは激高する。

 

 ああ、本当にこの男はまっすぐで大馬鹿だ。そんな話を聞いて仲間に入れて貰えるはずが無いだろうに。

 

「絵空事。綺麗事。夢物語」

「それのどこが悪い」

「人類が亡ぶかどうかの瀬戸際に、絵空事を口ずさみ魔王に手を差し伸べる阿呆が悪くないとでも思うか」

 

 バシっと。

 

 俺が反応する隙も無いまま、アルデバランはカールに杖を向けた。

 

「……っ!」

「おっと、動かないでくださいね」

 

 咄嗟にカールを庇おうと剣に手を置いたレイは、金髪サラサラに回り込まれて首に手を回されていた。

 

 え、はやっ。金髪君、やっぱり強かった。

 

「今一度、問おう。カール、貴様は私の敵か」

「俺はイリューの仲間だ。それ以上でも以下でもない」

「あくまで魔王に与するものだと、そう言うのであるな」

「仲間を助ける。俺にあるのはその信条のみ」

 

 そのまま、チリチリと炎が杖先に揺らめき始める。

 

 アルデバランの奴、カールを焼く気だ。ちょ、どうする。今から筋肉天国を発動するか────

 

 

 

 

「────気に入ったっ!!!」

「……は?」

 

 

 

 

 そのまま、バーンと炎が弾けて花丸模様が虚空に浮かんだ。

 

 ……はい?

 

「考えは違えど、貴様の愛は確かに感じたぞカール。私の幕下に入る事を許そう」

「え、はい?」

「はっはっは!! 何だ、それが貴様の根っこか。はっはっは、ナヨナヨした頼りないボンクラかと思うたが……なかなかどうして男の子ではないか。いや、見直した!!」

 

 

 先ほどまでの剣幕が嘘のように。

 

 アルデバランは大笑いしながらカールの肩を抱いた。

 

「え、あのーアルデバランさん? 本当に、カールさんも仲間でよろしいのですか?」

「無論である。……正直なところ、私の意見もカールよりだからな」

「え」

「救えるものには手を差し伸べるのがマクロ教!! 和解の道が無ければ滅ぼさざるを得ないが────最初から和解の道を諦めるなど愚の骨頂!!」

 

 何とまさかの、アルデバランはカールよりの意見を持っていた。

 

 ……和解の道を諦めない、か。確かに、それが出来れば最上だが……。

 

「やれるだけやって見せよ、カール! その道は貴様に任せる!」

「お、おお!」

「私は人類を守るため、決死の覚悟で魔王を滅ぼす。しかし、その前に────貴様と魔王が話をする機会を作ってやる。どう生かすかは貴様次第だ」

 

 いや。そうだな、諦めないのも大事だ。

 

 俺だってイリューを救いたい。彼女と幸せに手を取り合って生きていける道があるなら────

 

「……ねぇ、アルデバランって結構馬鹿なの?」

「リーダーは割と馬鹿ですよ」

「思い付きで安請け合いして苦労するタイプですよ」

 

 背後で盛大に仲間からディスられているが、俺はアルデバランの意見を聞いて思い直した。

 

 そうだな。最初から和解を諦めてかかるのも良くないな。

 

「よし、では貴様ら全員を私の仲間として認める。明日より朝練に参加せよ!!」

「おお!!」

「打倒魔王、そして救え魔王!! 神聖アルデバランパーティ、結成である!!」

 

 そのアルデバランの掛け声とともに、俺は大きく手を突き上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、どうして(イリア)は貴方の仲間に?」

「む? ああ、それだがな」

 

 

 そしてその後、妹はその場で正座させられ、姉から長時間説教を食らう事となった。

 

 



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84話「昼下がりのお茶会」

「いや、何でだ!?」

 

 アルデバラン達と合流した翌朝。

 

 俺達はアルデバランの指示通り、首都郊外の開けた平原へ集合した。その理由は勿論、魔王との決戦に備え朝練をするため。

 

 しかし、俺達はアルデバランパーティと肩を並べて戦った経験がヨウィンの時しかない。お互いに、誰がどんなことを出来るのかよくわかっていない。

 

 だから、まずは互いの実力を知るべく模擬戦をしようという流れになったのだが……。

 

「一体何をやっておるのだ!!!」

 

 ────朝の平原に、アルデバランの怒号が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 模擬戦は、大将(カール、アルデバラン)が討ち取られたら負けという簡易な集団戦ルールで始まった。即死するような攻撃は当然ナシ、後筋肉天国(マッスルミュージカル)も『禁術』なのでナシとなった。

 

 アレが決まれば、アルデバランを封じれるのでかなり有利にはなるだろうが……。

 

 ただ詠唱時間が長すぎるので、アリでも使わなかった気がする。詠唱を始めたのを見てから、アルデバランに焼かれただろう。

 

 

 

 そして模擬戦の、1戦目の流れはこうだ。

 

 

 

「まずは正々堂々、どうです?」

「……ふん」

 

 

 まず篭手調べとばかりに、金髪サラサラ君(仮)が一人だけ出てきた。そしてレイを見つめ、指をクイクイと挑発した。

 

 それに応じ、レイも独り前に出た。

 

「では、尋常に」

「……」

 

 このような一対一の試合は、貴族剣術においてよく見られる。

 

 戦場で複数人を相手取る実践剣より、タイマンの優雅な勝負を重視するのが貴族だからな。レイの奴、相手の土俵で戦って大丈夫だろうか。

 

 

「っ!」

「はい、そこまで」

 

 案の定というべきか、金髪君は普通に強かった。数合の打ち合いの末、レイは鮮やかに額を打ち据えられた。

 

 金髪君(イノン)は魔法剣を名乗るだけあり、炎の斬撃や稲妻の歩法などトリッキーな技を使った。

 

 冒険者ではまず扱えない剣だ。流石に初見で、レイも対応しきれなかったらしい。

 

 レイという前衛を失った俺達は、そのまま苦しい形で追い詰められた。

 

 前にナンパしてきた中年のオッサン槍使いがレヴちゃんを仕留め、(イリア)は土魔法でマイカ達も身動きを封じた。

 

 仲間はほぼ全滅し、カールは丸裸。

 

 カールは剣を振るって抵抗を試みるが、討ち取られるのは時間の問題で────

 

 

 

「えっ」

「やりましたわー!!」

 

 

 

 

 そんなタイミングで、俺は真っすぐアルデバランの方へ突っ込んだ。

 

 マイカの指示通り身を屈め近づき、不意打ちで取り押さえて勝利した。

 

「……いつの間に」

「ごめんなさいね、アルデバランさん」

 

 向こうのパーティは全員、俺が突っ込んでくるとは思わなかったらしい。完全にノーマークで助かった。

 

「……しまったな、足元をすくわれた」

「素晴らしい勇気です。まさか貴女が前に出て来るとは」

 

 完全に楽勝ムードだった彼らは、苦笑いをして肩をすくめた。

 

 ふっ、俺のスーパープレーが炸裂してしまったか。

 

 

 

 

 

 そして2戦目。

 

 

「……そこだっ!!」

「ぐ!」

 

 

 今度は乱戦の中で、レイが金髪君(イノン)を仕留めた。持ち前の鋭い切込みでピタリと金髪の首筋に短剣を当て、行動不能にした。

 

 レイは魔法剣(イノン)が技の合間にこっそり詠唱していると気付いたようで、その詠唱のスキを突いたらしい。強い。

 

炎塵灰(アルダクト)!!」

「ほんぎゃあ!!!」

 

 一方で俺は調子に乗ってもう一度突撃したが、アルデバランの魔法の雨に肉弾戦では対応出来ずやられてしまった。流石に二度目は、敵も備えていた様だ。

 

 その後、カール達はレイを中心に切り込んでアルデバランパーティを追い詰めたが……。アルデバラン本人の火魔法にカールが巻き込まれて敗北した。

 

 魔法火力の差で負けたな。俺が無駄死にしてなければもっと良い線行っていたかもしれない。

 

 

 

 そしてある程度互いの手の内が分かった状態で、最終戦。

 

 突出して討ち取られるのは良くないから肩を並べろと師匠(レイ)に助言され、俺はレイの隣でレヴちゃんにフォローして貰いながら戦う作戦とした。

 

「大丈夫。イリーネは、私が守る……」

「頼りにしていますわ、レヴさん」

 

 技が未熟な俺はレヴちゃんにフォローして貰い、隙を作って最強技のマッスルボンバーを叩き込む事に専念する。

 

 カールと、アルデバランの因縁。二人の勇者の、意地のぶつかり合い。

 

 ……そして、いよいよ決戦の火蓋は切られた。

 

「行きますわ!!」

「……お前が相手か、おっぱいちゃん!」

 

 俺では金髪には勝てない。なので、俺はセクハラ中年の戦士の前へ出て相手取った。

 

 槍を構えて威風堂々、長髭の男は自在に槍を回し風を切る。

 

 彼の後ろには(イリア)が控えていた。おそらく援護の土魔法が飛んでくる、足元に気を付け引っ掛けられないようにしよう。

 

「……」

「ふぅ」

 

 レイはと言えば、再び金髪剣士の前へと躍り出て睨み合っていた。

 

 互いに出方をうかがっている様だ。あそこは、レイを信じて任せよう。

 

「我が必殺の奥義、見せて差し上げますわ!!」

「勇ましいねぇ! ……そういう強気な女は大好きだぜ!」

 

 咆哮と共に俺は拳を構える。

 

 ここまでの戦績は、1勝1敗。この模擬戦の結果で、俺達の因縁に決着がつく────

 

 

 

「って、いや何でだ!?」

 

 

 

 と、盛り上がってきた最中にアルデバランが大声を上げて突っ込んだ。

 

 今良い所なのに、何を怒っているんだろう。

 

「……アル?」

「何故、そっちのイリーネは徹頭徹尾、突っ込んでくるんだ!? 一戦目は奇策かと思ったが、さっきから完全に戦士として運用してるじゃないか!! 勿体ない!!!」

 

 ……。そう言えばそうだな。

 

「ぐ、何てパワー……」

「隙ありですわ、食らえ、浸透掌(マッスルボンバ-)!!!」

「くそっ!! 腕が!」

「ほらぁ!! おかしいだろ、また魔法じゃなくて肉弾戦してる!!」

 

 言われてみれば至極もっとも。

 

 俺ってば、最近肉弾戦の修行し過ぎて魔法使いの本分を忘れていた気がする。

 

 いや、そもそも俺の本分は筋肉使いじゃないか。じゃあ、これで正しいな。

 

「ちゃんと精霊砲を押し返す準備してたんだぞ、こっちは!!」

「そちらに妹もいるのに、そんな危ない魔法使えませんわ」

「変なところで常識的な……っ!!」

 

 そんな事言っても、この模擬戦であんまり魔法使いたくないし。

 

 大前提として、俺やアルデバランが全力で撃ち合ったら凄い被害になる。だから暗黙の了解として、彼女は初級~中級の魔法しか使っていない。

 

 だったら最初から魔法は捨てて、肉弾戦した方が役に立てそうだもん。

 

 そもそも魔法使いとしての立ち回りとか、知らんよ俺は。

 

「そう言えば今まで、イリーネは先陣で戦士やってたような」

「確かに、あんまり魔法使いしてるところ見たことないな。ヨウィンの時くらいじゃないか」

「普段からそのスタイルだったのか!?」

 

 ……そうだっけ?

 

「むぅ。もしやとは思うたが、まさかイリーネは……」

「ええ。リーダー、姉様は割とアホなんです」

「前々よりイリアを見て『もしかしたらイリーネも……』と思っておったが」

「え、それどういう意味ですかリーダー。弁明の内容によってはウサギ百烈拳かましますよ」

 

 妹は無駄にアルデバランに食って掛かった。

 

「ですが、ラジッカと互角にやり合えている時点で戦士としても優秀ですね。貴族と言えど普段から鍛えていれば、身体強化を用い十分に戦士として運用は……でも、アレ? イリーネ嬢、身体強化使ってます?」

「……あ、忘れてましたわ」

「そのパワー素かよ!?」

 

 そうだそうだ、何か忘れてると思った。

 

 ちょい待ってくれ、詠唱するから。

 

「……詠唱完了。これが、フルパワー☆イリーネ様ですわ!!」 

「げぇー!! さらに威圧感が……」

「おいイノン!! あれは魔術師として正しいのか!?」

「あそこまでパワー特化な方は初めて見ますね」

 

 ふははは! 久しぶりのフルパワーだ。

 

 漲る。実に漲るぅ!!

 

「この私のフルパワー形態を見て生きて帰った者はいません……。くくく、御覚悟を」

「何か物騒な事を言ってるぞ!」

 

 そのまま俺は高笑いと共に、中年槍使い目掛けて真っ直ぐ突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……総括!!」

「わー」

 

 模擬戦が終わった後、俺達は互いに意見交換会を行った。

 

 誰の動きがどうだったとか、こうした方が戦術的に良いとかそんな感じの。

 

「イリーネは周りが見えず、戦線から突出する悪癖がある。勇猛なのは構わんが、足並みをそろえる重要性を学べ」

「はいですわ」

 

 最終戦、俺はラジッカ(おっさん)を撃破してそのままアルデバランに詰め寄ったが、イリアに背後から不意打ちされて負けた。

 

 一気に勝負を決めようと気がはやった。まさか妹が、中級クラスの攻撃魔法を習得しているとは思わなかった。

 

 旅に出る前は、金属加工くらいしかできなかった筈なのに。妹も成長しているという事か。

 

「イリーネは後ろ寄りに配置する。自分も魔法アタッカーとして参戦出来て、かつ後衛職の護衛も兼ねた戦士としての運用だ」

「ガッテンですわ」

 

 俺はアルデバランパーティで、後衛の最前列という微妙な位置に落ち着いた。

 

 遊撃に近い動きが求められそうだ。

 

 

 

 こうして、俺達の編成が固まった。

 

 最前列は、カールと金髪(イノン)、レイ。

 

 その少し後ろに、中年(ラジッカ)とレヴちゃん。

 

 後衛として、前よりに俺とマイカ。

 

 最後尾に、アルデバラン、サクラ、回復(キチョウ)(イリア)

 

 

 これが、新たなる勇者パーティ────カール・アルデバラン混合軍だ。

 

 カールパーティでは手薄だった前衛が補強され、俺が魔法職として力を発揮できる良い布陣だと思う。

 

 マイカと並んで戦うのは、何だか新鮮だ。困った時は彼女にすぐ相談できるのはありがたい。

 

 

 

 

「よし、では朝練はここまで」

 

 一人一人に総括が行われ、終わった頃には時間は昼過ぎになっていた。

 

 可哀想に妹に連行されてきたメイド(サラ)さんが、簡素なサンドウィッチを用意してくれていた。

 

 彼女が、アルデバランパーティーの家事担当らしい。屋敷から出て以来、ずっとパーティの雑用をやらされ続けていたようだ。完全に契約外労働である。

 

 それもこれも、イリアが家を飛び出した尻拭いだ。妹の横暴で振り回して申し訳ないと謝ると、サラは『これが仕事ですので』と笑顔で返事をしてくれた。

 

 実に、人間の出来た女性だ。妹も見習ってもらいたい。

 

 

 

 

 

 

「あ、そうそう。今夜、国軍に挨拶に行くぞ」

「……国軍?」

 

 久し振りに実家のメイドの料理を楽しんでいる最中、アルデバランはそんな事を言い出した。

 

 ……アルデバランも、国と繋がりがあるらしい。

 

「ああ、現在ガリウス様の主導で魔族討伐隊が編成されている」

「おお、なんと」

「我々と共に国を守るべく立ち上がった兵士達だ。顔を合わせておいて損はない」

 

 聞けば、ガリウス様はヨウィンで既にアルデバランパーティーとも接触していた様だ。

 

 

 

 

 ヨウィンでの、決戦の後。ガリウスはアルデバランと話をし、巨大な砲撃の詳細を聞いた。

 

 王弟ガリウスは既に地上に2人の勇者が存在することを知り、魔族襲撃がいよいよ現実味を帯びたと考えた。

 

 ここで動かなければ一生後悔するだろう。彼は自身の持つ権限全てを使って、急速に軍備を整え始めた。

 

「すぐさま軍を召集せよ。急いで首都に、精鋭を配置するのだ」

「……御意」

 

 これが、結構危ない橋であった。

 

 普通なら、王の弟が急に軍備拡張を始めればクーデターを疑われる。何なら、そのまま内戦に発展してもおかしくない。

 

 事実、かなりの臣下はガリウスを急遽招集するよう提案した。

 

 しかし、国王のガリウスへの信頼はとても厚かった。

 

「彼のやる事は、我が命と思え。弟ガリウスが、真の忠臣である事を私は疑わない」

 

 王はそう命じ、弟ガリウスが説明に来るのを悠然と待った。

 

 この王の英断のお陰でガリウスに邪魔は入らず、非常にスムーズに軍備が整ったのだそうだ。

 

 かくして、それなりの軍勢が首都に集結する事となり。

 

 仕事を終えてガリウスの報告を聞いた王は一言、「大義であった」とガリウスを労ったと言う。

 

 

 

 

 

 そんな経緯で急遽集められた「ぺディア国軍」。

 

 まだその練度は、お世辞にも高いとは言いがたい。頭数は揃ったものの、まだ平和ボケした貴族達が慌てて駆けつけただけに過ぎない。

 

 なので、今現在は訓練所を増設し、必死で練度を高めている最中なのだそうだ。

 

 

「……とはいえ、一部に精鋭も混じってる。国王の親衛隊は今でも苛烈な訓練が施され、かなりの精鋭だとか」

「へぇー」

「私達の強力な味方だ。……まだ要請してから一月も経っていないのに、軍の形を整えてくれたガリウス様には頭が下がる」

 

 魔族の数は多かった。

 

 いくらカールやアルデバランが超人とはいえ、たった2人で街を守り切るのは困難。

 

 俺達も協力するとはいえ、頭数はどうしても必要になってくる。

 

「国に出来る事は、全てしてもらった。後は我々が応えるのみ」

「……おう」

「我々は国軍の先陣を切る。そして我々が討ち漏らした魔族を、軍にカバーしてもらう。これが一番被害が少ないだろう」

 

 軍の主な仕事は、民を守ること。魔族の討伐は勇者に任せる方針だそうだ。

 

 ……実際、人類最強と扱われていた俺の精霊砲ですら大した戦果にならなかったからなぁ。俺より弱い貴族が徒党を組んでも、魔族を撃退するのは厳しいだろう。

 

 一方でアルデバランが魔法をぶっ放せば、相当な範囲をせん滅できる。そのアルデバランを護衛するのが、俺たちの役目だ。

 

「まずは、新たな仲間に乾杯。私達も親睦も深めよう」

「今まで喧嘩してましたからね」

「セファの女神が消えた今、人類を守れるのは私達のみ。過去の因縁は忘れ、盃を交わそうではないか」

 

 紅い英雄はそういうと、カールに向けてグラスを掲げた。

 

「見事魔王を救って見せよ、ボンクラ」

「お前に言われるまでもねーよ、チビ」

 

 二人は互いにグラスをカチリと鳴らし、注がれた紅茶をグイと飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フロイライン、イリーネ。お隣、失礼してもよろしいですか」

「あら、ご遠慮なさらず」

 

 昼食は、そのまま親睦会になった。

 

 マイカはいつもの様にカードで勝負を吹っ掛け、中年のおっさんから搾り取っている。

 

 マスターはメイドのサラと、使用人談義で盛り上がっていて。

 

 サクラはキチョウと名乗っていた、童顔ショタと話し込んでいた。

 

「一度あなたと話をしてみたかったのです」

「おや、光栄ですわ」

「ふ、貴女のことはイリアからよく聞いていましたよ。とても、素敵な方だと」

「お恥ずかしい。あの子は少し、物事を大げさにいう癖があるのですわ」

 

 こうしてみると、アルデバランパーティって結構乙女ゲーしてるな。金髪王子に中年イケオジに童顔ショタ。

 

 全員がアルデバランを取り合ってたりしたら面白いんだが。少なくともショタ君は、アルデバランを時々呆けて見つめている気がする。

 

 そして。貴族同士だからか、金髪糸目の乙女ゲー王子様担当イノンが俺の隣に腰掛け話しかけてきた。

 

 俺もパーティの外交担当。ここは、親睦を深めるとするか。

 

 マッキューン道場の師範代とか言ってたなこいつ。マッキューン家ってどっかで聞いたことある。

 

 聞き覚えのある家は、大体大貴族。俺は詳しいんだ。

 

「今日の戦いぶりは見事でした。かなり鍛えてらっしゃるので?」

「ええ、貴族としての嗜み程度には」

 

 ……えーっと。どこで聞いたんだっけなぁ。

 

 道場開いてるってことは、剣術の名門だろ? てことは、ヴェルムンド家と同じく軍事貴族?

 

 貴族剣術とはいえ、名字で流派を名乗れるってことはかなりの腕のご先祖が居た訳で。

 

 思い出せ、どこで聞いたっけ……。

 

「実に意外でしたよ。ヴェルムンド家といえば魔術の名門ですからね」

「魔術師とはいえ、体こそ資本ですから」

「その言、大いに同意ですよ」

 

 

 ……、あ!!!

 

 そうだ、思い出した。

 

 

「───体を鍛えていなかったせいで都落ち、なんてもう御免ですもの」

「おやおや。ひょっとして、根に持っていらっしゃるので?」

 

 

 コイツ……。マッキューン家って、確かウチの仇敵やんけ!!

 

 ギラリ、と糸目の奥の瞳に嘲笑が混じる。

 

 俺にはわかる。コイツ……親睦を深めに来たわけではない。

 

 因縁のある俺達の家の関係を知ってて、牽制しに来てやがる……。

 

 

 

 

 ───数十年前、俺の祖父が当主の時代。

 

 平和になって軍事貴族が権威を失う中、軍閥の人間に唯一残された権力の席である『王宮親衛隊長』の地位を決める争いが起こった。

 

 その席を争ったのが、ヴェルムンド家とマッキューン家。

 

 魔法のヴェルムンド、剣術のマッキューン。その当主同士の実力は、互角だった。

 

 なのでどちらが親衛隊長の席にふさわしいかを、国王の前の決闘で決める事になった。

 

 

 

「貴女の祖父は正々堂々の勝負で負けた、そこを恨まれても困りますよ」

「正々堂々、ですか。正々堂々であれば何故、魔法禁止ルールの決闘になったのでしょうね」

「それは、当時の選定官に聞いてもらわないと存じかねます」

 

 

 

 

 その勝負は、魔法も剣もありの1対1の決闘が当初予定されていた。

 

 しかし、なぜか決闘前日にルールが改正され魔法が禁止の決闘になった。

 

 魔術師が剣だけで、剣士と決闘。そんなもん、ヴェルムンドに勝てるはずがない。

 

 こうして祖父は首都を追われ、今の田舎町の領主として飛ばされたのだった。

 

 聞けば、どうやらマッキューン家は謀略が大好きな一族で、その選定官に多額の賄賂を贈った可能性があるのだとか。

 

 子供心に、ふざけた話だと憤慨した記憶がある。

 

 

「私は祖父を誇りに思っていますわ。何せ、祖父こそ正々堂々で清廉で、誰にも恥じることなく決闘をやり遂げたのですから」

「ええ、素晴らしいお方であったとお聞きしますよ。とっても、ね」

 

 (騙しやすくて)素晴らしかったという、若干裏の意味が聞こえた気がした。

 

 俺は他人の顔を見れば大体言いたいことの想像がつく。多分、マジでそう言ってるコイツ。

 

 この野郎、喧嘩売りに来たのか? お、いくらでも買うぞオラァ。

 

「しかし、鍛えてはいらっしゃいますが。……貴女は、魔法使いに専念した方が良いと思われます」

「おや、それはどうして」

「フロイライン、貴女が傷つくところを見たくないのですよ。今日の模擬戦でも、危ない場面が多々ありました。何度冷や汗をかいたことか(お前、近接戦の才能ねーから引っ込んでろや)」

 

 ……。

 

「ふふふ、ご心配には及びませんわ。頼れる仲間が近くにいますもの(うっせーほっとけや)」

「なるべく無茶をなさならいでくださいね。魔法使いは、近接では勝てぬものです(いいから引っ込めって言ってんだよ)」

「ご心配ありがとうございます、気を付けますわ(お前には関係ねぇよ)」

 

 何だこいつ、ものすごく口が悪いぞ。

 

 さてはイノン・マッキューンめ、今回の魔族との決戦で権力バランスが変わることを恐れてやがるな。

 

 マッキューン家の剣術はすごいが、魔術はヘッポコ。そして、集団戦では貴族剣術より高火力な魔術師の方が有用。

 

 ヴェルムンド家の俺の方が活躍すると、コイツら的にはおいしくないのか。

 

「それよりマッキューン様。私も、少し心配なことが」

「おや、どのような」

「1対1での試合の多い貴族剣術、邪魔が入らなければとても強いと存じますが……。もしや、マッキューン流は乱戦は苦手なのでは?」

 

 俺は心配そうな顔を作って金髪君を見上げてやった。

 

 ……一瞬。ピクリと、ヤツの眉毛がつり上がった。

 

「レイさんは、非常に腕の良いお方でした。今日はまんまとしてやられましたよ」

「ええ、あの方は本当に頼りになりますの」

 

 そう、結局今日の模擬戦で金髪君がレイに勝ったのは一回だけだった。

 

 1対1、邪魔の入らぬ状況では強い。それが貴族剣術。

 

 裏を返せば、彼の流派は目の前の相手に集中しすぎるきらいがある。

 

 

 ……イノンは乱戦の中レイと相対したが、隙を付かれマイカの弓に仕留められてしまっていた。事実上の敗北である。

 

「レイさんは視野がものすごく広いのですわ、何処から攻めても反応されますの(お前と違ってな)」

「是非とも見習いたいものですね。平民の剣に華麗さは無けれど、その実用性には目を見張るものがある(泥臭い平民剣と貴族の剣術は違うんだよ)」

「ええ、素晴らしく有用です。私も習っておりますわ(その平民に負けたのは誰だよ)」

 

 ニコニコ。

 

 俺達はお互いに穏やかな笑みを浮かべ、サラの入れてくれた紅茶を口に含んだ。

 

「実に楽しい。貴女との会話はよく弾む、イリーネ嬢」

「私も、とても楽しいですわ。私達、相性が良いのかもしれませんわね」

 

 上辺の会話は、穏やか。

 

 しかし、ヤツの額にはハッキリ血管が浮き出ていた。多分、俺の額にも浮かんでると思う。

 

 イリアの奴、今までよくコイツと喧嘩しなかったな。性格超悪いぞ、このクソ金髪。

 

 ……あの娘は爛漫だから、気づかなかったのやもしれんが。

 

「おっほっほっほ」

「はっはっはっは」

 

 ミシミシと空気が凍り付く中、俺とイノン・マッキューンはお互いの紅茶を飲みほした。

 

 あー、なんて不味いお茶の席だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーネが……。金髪イケメンとあんなに楽しそうに」

「ドンマイドンマイ、あんたには高嶺の花だったのよ」

「そうか? 何か近寄りがたいくらい険悪に見えるんだが」

 

 一方、遠目で談笑する二人の様子を見ていたカールの脳が破壊されていた。

 

 貴族同士の会話には、通訳が必須なのだ。



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85話「決戦の前触れ」

 あまり楽しくなかった昼食会の後。

 

 俺達は午後もアルデバラン達としっかり訓練を行い、空に赤みが差すまで体を鍛えた。

 

 1日通して見たところ、やはりアルデバランパーティーで金髪君は強さが頭ひとつ抜けている様だった。

 

 アルデバランパーティーでは、金髪(イノン)中年槍(ラジッカ)(イリア)の順番で戦力っぽい。

 

 その遥か上に、アルデバラン本人が居るのだけど。

 

「よし、これから顔合わせである」

「おう」

 

 訓練の後は、いよいよ国軍との顔合わせだ。

 

 俺達は教会(アルデバランの借りたマクロ教会)に戻って水浴びして身を清め、ヨウィンで用意していた礼服へと着替えた。

 

 流石のアルデバランも、しっかり正装だ。その辺の常識は、カールよりあるらしい。

 

「では、ついてまいれ」

 

 そして彼女の案内で、俺達は首都ペディアの最奥にある鉄城門を潜り、貴族エリアへと足を踏み入れた。

 

 貴族である俺も、まだこのエリアに入ったことは無い。

 

「……アルデバランさん。我々はどこへ向かっているのですか」

「王宮へ向かっている。そこで、ガリウス様や国軍大将達が出迎えてくれる手筈となっている」

「お、王宮か……」

 

 聞けば今夜、アルデバランはガリウス様に呼び出しを受けていたらしい。

 

 国軍の顔合わせという名目なので、彼女のパーティーメンバーも全員参加しろとのお達しだった。

 

 俺達は急遽参加になったが、アルデバランのパーティーメンバー扱いなので問題はないだろうとの事。

 

 ただし、ガリウス様にしっかりアナトでの出来事を報告しろとアルデバランに言われた。

 

 あー。それ、多分俺の役目になるよなぁ。

 

 ……王族に挨拶をせにゃならんのか。胃が痛い。

 

「……国軍大将、ね。ひょっとして、ガリウス様の他にも大貴族な方々と顔合わせする感じか?」

「ええ、かなりの数の貴族が参加する予定だそうです」

「うげ……」

 

 そして、今回はガリウス様だけでなくそれなりの数の貴族も参加する模様。

 

 ヨウィンでやった予習が役に立てば良いが。

 

「ふふ、緊張は不要ですよ。その大将軍には私の父上、ロメロ・マッキューンが任ぜられたそうです。つまり、私の身内みたいなものです」

「それは、それは。ご就任おめでとうございますわ」

 

 成程。国軍大将に任じられたのは、今もなお親衛隊の長を務めるマッキューン家の当主か。

 

 面白くはないが、妥当な人選だな。

 

「祝辞はやめてください、イリーネ嬢。私と父は、それはそれは不仲ですので」

「……不仲なんですの?」

「ええ。まぁ、ね」

 

 金髪はただでさえ細い目をさらに細め、クックッと不気味な笑みを浮かべた。

 

「今から父上がどんな顔をするか楽しみです。あの人は以前『魔王なんぞいるハズがない』と叫んで、私を勘当してくれましたからね……」

「あー」

「アルの言うこと、一切信じてくれなかったもんね……」

 

 ほう、つまり金髪父は頭の固い人なのか。

 

 昔気質の武家貴族は、割とポンポン勘当すると聞く。

 

 イノンほどの剣士を勘当するあたり、かなり激しい気性の貴族なんだろうな。

 

「イリーネの親父さんとはえらい違いだ」

「おや。ではヴェルムンド家は、どのような対応を受けたので?」

「ヴェルムンド伯爵はちゃんと信じてくれたぞ。しかも、路銀くれるだけじゃなく娘のイリーネまで旅に付けてくれた」

「……それは、羨ましい限りです」

 

 まぁパパンのソレは、俺の嘘見抜き能力を信用しての話ではあったが。

 

 勘当といえば、イリアはどうなるんだろう。無断で家出してるから、イリアこそ勘当されても不思議じゃない。

 

「イリアは結局、まだお父様に何も言っていませんの?」

「う……」

 

 マッキューン家の話はともかく、貴族令嬢が家出して勝手に冒険者やるのはかなりマズい。

 

 パパンはクソ優しいが、普通なら勘当モノだ。実際、パパンがイリアにどんな裁定を下しているかわからない。

 

 俺も妹が平民落ちするところなんて見たくない。

 

「私も口添えいたしますから、せめて手紙はお書きなさい。それが筋ですわ、イリア」

「わ、わかりました」

「後、サラにはしっかり謝ること。自らの勝手で従者に迷惑をかけるなんて、貴族失格です」

「……うぐぐ。わ、分かりました」

 

 それに自分一人で出ていくならともかく、旅に出てからの身の回りの世話に平民のサラに任せているのがいただけない。

 

 まだ若く自分の結婚適齢期もあるだろうに、サラの人生を何だと思っているのか。

 

「イリーネお嬢様。私はどこまでもイリア様にお仕えできる事に、無上の喜びを感じておりますよ」

「ああ、サラありがとう。貴女が居てくれて、妹は本当に助かっていたでしょう」

 

 サラは優しいからこう言ってくれてるけど、それに甘えちゃいかんよ。

 

「うー、うー……」

「何を唸っているのです、イリア」

「いえ、その、何というか。猫をかぶりやがってと言いますか……」

「……?」

 

 説教を受けた妹は、何とも微妙な表情をしていた。

 

 コラ、しっかり反省しなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勇者一行の、ご入場!」

 

 

 王宮に入った後、俺達は案内の兵士に大広間へと連れられた。

 

 その扉を開くと、きらびやかなパーティー会場にいくつものテーブルが並べられ、既に豪華絢爛な料理が用意されている。

 

「勇者様に、礼」

 

 そして号令と共に、華美な衣装に身を包んだ貴族が一斉に貴族礼を俺達へと向けた。慌てて礼を返しておく。

 

 あ、これガチのヤツだ。

 

「全員、平伏!!」

「ははーっ!!」

 

 パーティーの詳細を聞いておらずど呆気にとられていると、大広間の前に設置された舞台の兵士が再び一喝した。

 

 それに従い使用人達が、その場で四つん這いになって最敬礼を始めた。

 

 パーティーに参加している貴族達も、速やかに片膝をついて屈みこんだ。

 

 これ、遅れたらヤバい奴だ。俺は周囲のメンバーに目配せした後、同じようにその場で片膝を付いて頭を伏せた。

 

 

 平民は土下座、貴族は片膝ついて頭を下げるのが所謂『最敬礼』に当たる。

 

 しまったな、これを事前にカール達に教えておくべきだった。

 

 ……お、良かった。空気を読んでカールもちゃんと平伏してる。

 

 他の面々も、スムーズに最敬礼に移行している様だ。

 

 

「国王の、おなり!!」

 

 

 そして、遂に来た。

 

 俺達の中にはヴェルムンド家の令嬢、マッキューン家の師範代などかなりの面々がそろっている。

 

 そんな俺達が最敬礼を求められるほどの相手となると、王族くらいしかいない。

 

 ガリウス様かと思ったが……まさかの、国王のお出ましか。

 

 

「全員、傾聴せよ!!」

 

 

 ───この国の最高権力者が、この場に現れる。

 

 

 

 

 

 

 

「……顔を上げ」

 

 緊張でほんのり額に汗を浮かべている間に、頭を上げる許しが下りた。

 

 恐る恐る顔を上げると、ガリウス様を背後に従える白髪交じりの壮年が腕を組んで座っていた。

 

 あれが、国王。

 

「……ガリウス」

「はっ」

 

 国王は、静かにガリウスの名を呼んで目を閉じた。

 

 ───その言葉を受け、ガリウス様が俺達の前へと一歩進んだ。

 

「勇者アルデバランよ、よくぞ参った。勇者殿のこの度の参戦、痛み入る」

「……光栄、です」

「そして、勇者カールも此処に来るとは思わなかった。まだ評せていなくて申し訳ないが、ヨウィンでの貴殿らの功績は測りようもない」

 

 王族のオーラが半端ない。あのアルデバランですら、若干緊張して声が上ずっている。

 

 ガリウス様だけでも、結構オーラあったからな。

 

「我らペディア帝国は、貴殿らを歓迎する」

「光栄にございます」

「……本日は、我らが誇る精強なペディア軍を諸君らにお披露目したく会を設けさせてもらった」

 

 ガリウス様はそう言うと、パチリと指を鳴らした。

 

 それと同時に、使用人達が銅鑼の前に立つ。

 

「我らが誇る、武勇に優れた猛者達を紹介しよう。……王よ」

「うむ」

 

 国王はガリウスの言葉を受けて立ち上がり。

 

 彼が片手をあげるや、壮大な銅鑼の音が大広間に響き渡った。

 

「ペディア3将よ、参れ!!」

「……ペディア3将?」

 

 お、おお。将軍は、3人もいるのか!

 

 聞いたことがある。この国には戦争時、それぞれ役割の違う3人の猛将を『ペディア3将』と任じ国防に当たらせたらしい。

 

 前回は異民族との戦争の時に設置され、『剣士』と『魔法使い』、『軍略家』がそれぞれ任じられたとか。

 

 3将は互いに苦境を支え合い、弱点を補いあって異民族を撃退したと聞く。

 

 因みにその戦いに下っ端として参加し、武功をあげ伯爵位を得たのが元祖ヴェルムンド卿である。

 

「戦略と外交の専門家、リチュアート侯爵だ」

「よ、よ、よろしく」

 

 ガリウスの紹介と共にペコリ、髪の長い女性が深々と礼をした。ふむ、今回も居るのね軍略家。

 

 ちょっと幸薄そうな雰囲気だが、頭のよさそうな女性である。

 

「魔法剣の達人、マッキューン伯爵」

「ご紹介どうも、です」

 

 次に立ち上がったのは、胡散臭い笑顔を浮かべた金髪糸目のヒゲ貴族。

 

 ああ、老けてはいるが顔がそっくりだ。間違いない、コイツが金髪(イノン)の父親。

 

「上級魔法のプロ、ヴェルムンド伯爵」

「ははは、よろしく」

 

 

 ……。

 

「以上3名が、貴殿ら勇者と共に剣を取り魔を砕く帝国の『刃』である」

「お、おおお?」

「今宵は大いに食べ、飲み、親睦を深めてほしい」

 

 

 国王は、そんな挨拶と共に杯を掲げた。

 

 それとほぼ同時に、俺達も使用人から酒の入ったグラスを手渡される。

 

「───我らが勇者に、乾杯!!」

 

 その掛け声と共に、場の全員が王と同じように杯を掲げる。

 

 この国における最高権力者たちの宴が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し無視出来ない名前があったが、俺はまずガリウス様の席へと挨拶に伺った。

 

 アナトでの1件を、報告するためだ。

 

「ほう……そのような」

 

 俺はつまびらかに、数日前の出来事を報告した。

 

 仲間と思っていたイリューが魔王だったこと。

 

 イリューに、勇者としての力を奪われてしまったこと。

 

「魔王と旅していたとは気付かず、お恥ずかしい限りですわ」

「いや、よくぞ報告してくれた。勇者ユリィ、か。さっそく文献を探させよう」

 

 報告を聞いたガリウスは、渋い顔をしていた。

 

 俺達が魔王を取り逃がしたから怒っているのだろうか。

 

 ────いや、違う。ガリウス様はイリューの過去の話を聞いて、やり場のない怒りを感じているのだ。

 

「……辛い経験をしたな」

「ええ、本当に辛かったでしょう。彼女という存在を作り上げたのは、我々人類と言えましょう」

「いや、貴殿らの話だ。……それは紛れなく、前王家が残した負の遺産である。王家が、迷惑をかけた」

 

 ガリウスはそう言って、俺達に謝った。

 

 

 

 

 その後、俺達は知りうる情報を全てガリウスに伝えた。

 

 

 魔王の正体が、セファ教の勇者であったこと。

 

 彼女は、攻撃魔法を使えない支援魔術師であること。

 

 そして、ユリィは誰よりも優しい女性であったこと。

 

「イリーネ・ヴェルムンド。あまり悩むな」

「……はい」

「ユリィ様……。いや魔王ユリィは、魔族と共に有る事を選んだ。いくら偉大な先人勇者であり、彼女が被害者であったとしても、それが彼女の選択」

 

 ガリウス様は、俺を見つめたまま静かに首を振った。

 

「魔王ユリィには、人類と争わずに済む道があった。魔族を見捨て、再び人間に歩み寄り、共に生きる選択肢も取れた」

「……」

「しかし彼女は、魔族を見捨てなかった。そして、人類が滅ぶことを良しとした。ならば……」

 

 ガリウスは、あえて非情な目で俺へ忠告した。

 

「人類を餌とする魔族を、我々は受け入れるわけにいかぬ」

「……仰る通りです」

「ユリィは、わざわざ人類を滅ぼす道を選んだのだ。ならば同情も不要、全力で迎え撃つのみ」

 

 ガリウスの意見は、徹底抗戦だった。

 

 それは現実的で、国を守るためには最善の手段であるといえた。

 

「貴殿の奮闘に期待する。イリーネ・フォン・ヴェルムンド」

「ありがとうございます」

「では、貴殿も3将と顔を合わせて参れ。特にヴェルムンド伯爵は、貴殿に会いたがっていたぞ」

「は、はい」

 

 こうして、俺はガリウス様への報告を終えた。

 

 礼をした後、そのまま自分の席へと戻った。

 

 父の待っている、その席に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリアには困ったものさ。姉にべったりだからもしやとは思っていたが……本当に追いかけて行ってしまうとは」

「ええ、私も驚きましたわ。まさか、黙って家を出ていたなんて」

 

 父は相変わらず、困ったような笑みを浮かべて笑っていた。

 

 俺が家を出た時と何も変わらぬ、優しい顔がそこにあった。

 

「……あう」

 

 父の隣には、縮こまって顔を伏せているイリアが座っている。

 

 流石にばつが悪いようだ。

 

「その、父様。私は……」

「はっはっは、流石の僕も怒ってるよイリア。君を捜索するのにどれだけ手間暇が掛かったと思ってるんだい?」

「う、うぅ」

「それなりの処分は覚悟しておくことだね。だが安心しなさい、僕が君を見捨てることはないから」

 

 どうやら、イリアはキツめのお説教を受けたらしい。

 

 まぁ、それは仕方ない。俺だって、説教したくなるくらいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 にしても、ヴェルムンド大将軍か。父も出世したものである。

 

 改めて父に詳細を聞いたところ、有力貴族とは言えないパパンが3大将軍に任じられた理由は『純粋な我が家の軍事力』らしい。

 

 魔族復活の報をカールから聞いて以来、父はコツコツ軍備を拡張し続けていたのだそうだ。そのお陰で、父はそれなりの軍勢を動かせるようになっていた。

 

 そして軍事貴族は数あれど、上級魔法『精霊砲』を扱えるのは一握り。そしてパパンもしっかり精霊砲を扱える最高水準の攻撃魔導師。

 

 かつての武家の名門というのも加味され、総合的に父は一躍『大将軍』に抜擢されたのだそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

「あのマッキューン家も、大将軍だそうですね。我が家とは少し軋轢がありますが」

「昔の小競り合いなんか気にしちゃいけないよ。ふふ、僕らの家系は権力争いするより田舎でのんびりが性に合ってる」

「マッキューン様は妥当な任命ですが、お父様はかなりの大抜擢です。やっかみは買われませんか?」

「買うだろうねぇ。まったく、憂鬱な限りさ」

 

 父は嫉妬の話題になると、頭が痛そうな顔になった。

 

 実は父も大将軍の大任を受けた時、やっかみを恐れて断ろうと思ったらしい。自分の家では他の家を牽引するだけの権勢が無いので、もっと大貴族にやって貰いたいと。

 

 しかし、ガリウス様から他の貴族軍の惨状を聞いて引き受けることを決意したそうだ。

 

「まともな手勢を連れてきたのが、僕らだけなんだそうだ。他の貴族は訓練度の低い百余の小勢が精いっぱい。武装すらせず単身駆け付けただけの家まである」

「それは……、何と言うか」

 

 それもそのはず。

 

 まともに軍隊と呼べるだけの戦力を以て参上したのは、我がヴェルムンド家くらいだったというのだ。

 

「……それで、今までよく領地を守っていけましたわね」

「殆どの街が平和を謳歌していたのさ。自分の領地の治安を維持できる兵が居れば良かった」

 

 父はガリウス様の召集に呼応し、千人程を率いて首都へ到着したと言う。前の戦争では殆どの家が数千単位で兵を率いていたので、ヴェルムンド家の規模を考えれば妥当な兵数だろう。

 

 しかし前回の戦争で異民族の討伐が終わり、数十年も平和な時代が続いていた。そんな中で、たった半月で兵をかき集める事が出来た家は少なかった。

 

「大半の家が、自分の家の警邏部隊を引き抜いて連れてきたらしい。それでやっと、その人数だそうだ」

「まぁ、咄嗟に言われても兵は出せませんわね」

 

 父はカールから魔王復活の話を聞いていたお陰で、他の家より準備期間が長く取れた。

 

 だから、ガリウスの呼び掛けに応じて首都へ参上した家で最大勢力になったそうだ。

 

「正直、大人数を率いて戦うなんて僕のガラじゃあないんだけどね。ガリウス様に期待されたら、断れないよ」

「ええ、そうですわね」

「本当はイリーネ達にも、僕の軍に合流してほしいんだけど。偉大な勇者パーティを引き抜くわけにはいかない」

 

 父はそう言うと目を細め、ゴシゴシと俺とイリアの頭を撫でた。

 

「活躍しろとは言わない。死なないで帰ってきてくれ、二人とも」

「……ええ、分かりましたわ」

 

 そうか、パパンもこの場で戦うのか。

 

 これは……負けられないな。俺達が下手を打てば、父まで死んでしまう可能性があるのだから。

 

「では、他の家にも挨拶参りに行こうか。まずは、揉めたくない相手……。マッキューン家あたりからかな」

「そうですわね────」

 

 俺はカールやアルデバランと共に、先陣を切って戦う。

 

 俺の後ろには守るべき民や、大事な家族がいる。

 

 こうして決意も新たに家族の絆を確かめ合った俺達は、マッキューン父子に挨拶に行くべく席を立って────

 

 

 

「────ご注進!! ご注進!!」

 

 

 兵士の怒号がパーティ会場に木霊し、ビクリと立ち止まった。

 

 

「む、何事」

「どうか、外を! 窓の外をご覧になってください!!」

 

 兵士は額に汗を流し、大声で国王に向けて騒ぎ立てている。

 

 窓の外を見ろ。その兵士の言葉に倣って窓際へと歩き、街の方向を見ると────

 

 

 

 

 

 

 

 ────巨大な人影が、夜の闇に包まれた空に映し出されていた。

 

 

 

 

 

「あれは、何だ……?」

「空が、闇に食われたのか!」

 

 パーティ会場に動揺が広がる。正体不明の闇が、街を覆ったのだから無理もない。

 

「……精霊、が」

 

 他の皆には見えていない様子だが、俺には何が起きているかよく見えた。

 

 精霊だ。ありえない数の精霊が、楽し気に闇を形作り夜空を彩っている。

 

 つまりアレは人為的な、魔術によるモノ。

 

 

「あっ」

 

 

 その言葉は、誰が漏らしたのだろう。

 

 やがて、その感嘆を皮切りに人影は色づいて行き、

 

 

 

 

『くすくす……』

 

 

 

 

 徐々に輪郭がはっきりとして、夜空に見覚えのある女性の姿を映し出した。

 

 女は嗤う。悪戯な笑みを浮かべ、声を町中に反響させながら。

 

 その、空に映し出された女性は────

 

 

 

 

「……イリュー!! あいつ!」

「む、まさかアレが────」

 

 

 

 今代の魔王。

 

 堕ちた微笑みの聖女、ユリィその人であった。

 

 

 

 

『こんにちは、人類の皆さん。夜分遅くに、失礼しますね』

 

 その透き通るような声は、スピーカー越しに聞くように遠くから聞こえてきた。

 

『私は魔王。魔王ユリィと申します、以後お見知りおきください』

 

 彼女はただ淡々と、夜空から街を見下ろして話を続ける。

 

 その眼には、しっかりとした敵意が込められていた。

 

 

『早速ですが、本題です。ああ、残念です皆さん』

 

 

 芝居がかった口調で、いつかの弾き語りでもしているかの如く大げさなポーズを取りながら。

 

 ユリィは、祈るように首都全体に向けて宣言した。

 

 

 

 

 

『本日より3日後の夜明け。それを機に、私たち魔王軍は首都を侵略します』

 

 

 

 

 

 ……それは、宣戦布告。

 

 なんとユリィは、堂々と俺達に向けて侵略する日時を示したのであった。

 

「何だって!!」

「3日後、だと。もう殆ど時間がないでは無いか!!」

「待て、迂闊に信じるな! 敵の言う事だぞ」

 

 パーティに参加していた貴族たちが大騒ぎをする中、俺は彼女の顔を見て確信した。

 

 違う、嘘じゃない。イリューは、こんなところで嘘を吐く女ではない。

 

 

『逃げてください、命の惜しい皆さん。私達は、逃げるものを追いはしません』

 

 そんな狂乱はどこ吹く風、彼女はそのまま演説を続けた。

 

 

 

 

『3日間の猶予を与えます。3日後に首都に残っている者は、全員敵対者とみなして皆殺しにします』

 

『命乞いも聞きません。降伏も恭順も不要です』

 

『人類よ、貴方達は私達の餌なのです。だから、逃げてください』

 

 

 

 そのユリィのいきなりすぎる演説は、民の動揺を誘うには十分だった。

 

 徐々に町の外が騒がしくなり、道端で怒号が飛び交い始めている。

 

 このままでは、大パニックだ。

 

 

『ああ、それとこれは……私を良く知る人に向けての言葉です。聞こえていますかー、カールさん』

「……俺?」

 

 避難勧告を終えた後、ユリィは思い出したかのように話を続けた。

 

『私は、貴方に謝らなくてはいけません。ごめんなさい、私は嘘をついていました』

「嘘……?」

『私は攻撃魔法を使えないと、前にそう言いましたね。ごめんなさい、どうやらそれは嘘みたいです』

 

 くすくす。

 

 修道女は含み笑いを浮かべたまま、ゆるりと片手を掲げた。

 

『いやぁ、知らなかったです。勇者の力って、魔法に乗るんですね』

「……?」

『では、貴方達の居る首都の東部────、ペヂュ山をご覧ください』

 

 ……。勇者の力が、魔法に乗る?

 

 それは、どういう意味だ。ユリィは、何を言って────

 

 

 

 

 

 

『……滅せよ魂魄。浄化せよ』

 

 

 

 

 

 

 

 そのユリィの短い詠唱と共に。

 

 首都の東に聳え立っていた山が、凄まじい勢いで切り裂かれ無残に吹き飛んだ。

 

 

 

『凄いでしょう? これ、ただの呪霊退散の初級魔法なんですよ』

「……え」

『絶対切断の能力を乗せただけで、この威力。くすくす、攻撃力がないという私唯一の弱点が無くなっちゃいました』

 

 

 ……その言葉を聞いて、俺は絶句した。

 

 初級魔法に、『絶対切断』が乗る?

 

 どんな悪夢だそれは。つまり、彼女はただの支援術師ではなく最強の攻撃魔法使いへとクラスチェンジしたってことか?

 

 あの弱かったイリューはもう、切り裂けぬものは何もない攻撃力最強の魔法を連発する不死の化け物に変貌したというのか?

 

 

『正直、凄い能力過ぎてまだ完全に扱えてないのですけど。それでも、この威力です』

「……」

『断言します。貴方達人類に勝ち目はありません。どんな奇策を以てしても、私に勝てる事はあり得ません』

 

 ユリィはそこまで言うと、静かに目を伏せた。

 

 そして、

 

 

『だから、どうか逃げてください』

 

 

 

 そう、締めくくった。

 

 

 

 

「……あ、その、イリュー……」

「ちょ、ストップ!! 目を開けてイリュー!」

 

 そこまでは、まぁ良かったのだが。

 

『……あれ?』

『ぎぃ!!』

 

 彼女は自分で言っていた通り、まだ絶対切断の能力を扱えていなかったらしい。

 

 先ほど山を吹き飛ばした折。彼女は能力の制御を誤り、

 

 

 

『きゃあああああ!? スカートが!!』

『ぎ、ぎい』

 

 

 

 ユリィは綺麗にスカートがずり落ちて、パンツ丸出しになっていた。

 

 その光景は、首都の夜空に放送されていた。

 

『ちょ、服! 私の服持って来てください』

「あ、良かった気付いたぞイリュー」

『それと一旦映像ストップです!! それ止めてください、ゴブリンさん!!』

 

 大慌てでパンツを隠し、しゃがみ込む元勇者様。

 

 彼女の言っていたことはかなりヤバいのに、こうも締まらないのはイリューらしいと言うかなんというか。

 

『止め方が分からない? 映像水晶に詳しい映ゴブさんは?』

『ぎー』

『今日に限って休暇ですか!! あうあう、間が悪い……。ですが休暇は権利ですし……』

 

 どうやら魔王軍は、思ったより休暇を取りやすい環境らしい。

 

『多分そこのボタンです!! 適当に押してください』

『ぎっぎー』

 

 ゴブリンの返事と共に、やがて夜空に星が戻って映像が切れる。

 

 どうやら、放送事故でユリィの番組は終了らしい。

 

 

 

「……あれ、また付いた」

『あー。もう、何でいつもいつも失敗するんでしょうか』

 

 

 

 

 ……と思ったら、再び夜空に映像が映し出された。

 

 ユリィの尻がドアップで。

 

「え」

『ほら、映像が止まっているうちに着替えるので早く持って来てください。まだ、避難勧告が済んでません』

 

 どうやら、撮影担当のゴブリンが押したのはズーム切り替えボタンだった様だ。

 

 首都の夜空に、修道女の尻がプリプリ映し出されている様は圧巻だった。

 

『きゃ!! もー、今はエッチな事しちゃだめですよ!!』

『ぎぃ♪』

 

 あ、ゴブリンの悪戯でパンツがズレて半ケツ見えた。

 

『うーわー、服ガッツリ切れちゃってますね。また縫い直さないと……』

「ぎー?」

『魔法で直せますけど、再生は繊維が痛むんですよ。時間がある時は、手縫いの方が良いんです』

 

 イリューの半尻がドアップで放送され続ける。

 

 いつしか、街中で聞こえていたパニック怒号も聞こえなくなり、首都の皆がその尻を夜空に見上げていた。

 

『はい、着替えました。では放送再開しましょう』

『……ぎ』

『えっ』

 

 やがて、2着目の修道服に着替えたイリューが元の位置へと立った後。

 

『ちょっとぉぉぉ!? 放送切れてなかったってどういうことですか!?』

『ぎぎぃい』

『いやあああ!?』

 

 彼女は、自らの生尻が放送されていた事を知って大絶叫し────

 

 

 

『今から3日後!! 私たち魔王軍の侵略が始まりますよ!! 怖い人は逃げてくださいね!!』

『ぎっぎぎー!』

『はいではこれで言うべきこと終わり!! 終了です、解散!!!』

 

 

 涙目のユリィが絶叫し、やがて夜空から影が霧散して。

 

 その魔王による直々の放送は、唐突に終わった。

 

 

 

「……王よ、何故笑っているのです」

「ふむ、大変良い尻であった」

 

 

 

 そして王は、満足そうに寝言を言った。



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86話「決戦間際、イリーネの憂慮」

 ────尻魔王。

 

 ────すっとこ美尻。

 

 ────プリケツおばさん。

 

 

 深夜の街中に、そんな怒号が溢れかえっていた。

 

 魔王による衝撃的すぎる宣戦布告を受け、一時は皆が黙って夜空を見上げていたものの、ちゃんと街中はパニックになってはいた。

 

 真面目に「いや、やばくね」と慌てている者、悪戯だろうとタカを括っている者、魔王親衛隊を名乗りプリケツを旗印に掲げ崇拝し始める者。

 

 民衆はどう混乱すればよいのか分からず、混乱している様子だった。

 

「……で、だ。実際の所、魔王の脅威はどれほどなのだ。リチュワート侯爵?」

「……あうう。ちょ、ちょっと計り知れないです」

 

 当然、懇親会は中止。

 

 王命により即座に緊急会議が開かれ、俺達はそのまま流れで参加する形になった。

 

「では、恐れながらこの私、イリーネ・ヴェルムンドが申し上げますわ」

 

 実際に魔族と戦った、俺達だから分かることもある。俺は王の問いに答えるべく、立ち上がった。

 

 本来はカールが報告する方が適切な気がするが、変なポカやらかされても困るし。

 

 

「王よ。少なくとも私の精霊砲で、山をああも無惨に斬り飛ばすことは不可能です」

「ふむ」

「それ程の火力を、彼女は初級魔法として発動しています。中級魔法などに乗せると更に広範囲に影響を及ぼせると思われ……、現状ユリィは『歩く戦略兵器』と称すべき化け物と考えて問題ないかと思いますわ」

「そうか、それ程か」

 

 そう。

 

 イリューの放送はグダグダに終わって危機感が薄れてしまったが、開示された情報は無茶苦茶にヤバい。

 

 例えば、遠距離狙撃系の魔法……ヨウィンを襲った光線系の魔法に絶対切断を乗せられるとする。それだけでも結構ヤバい。

 

 撃たれる前に相手の砲撃の軌道が分かってないと、俺の筋肉天国では守り切れないからだ。

 

「イリーネ・ヴェルムンド。貴殿がヨウィンで習得したという『禁呪』で、その対処は可能か」

「……不可能ではありませんが、厳しいかと存じますわ」

 

 国王は、俺の筋肉天国を少しぼかして言い方で聞いてきた。

 

 筋肉天国は、一応『国家機密』なのでおおっぴらに発言できないのだ。

 

「『禁呪』? 国王、その『禁呪』とやらは我々には開示できない情報でしょうか」

「うむ。無論、国軍3将には伝える予定であるが……この場の全員に知られる訳にはいかぬ」

 

 ざわざわ、と貴族達に同様が広がる。一介の辺境貴族の小娘である俺が『国家機密』を知っていることに動揺しているらしい。

 

 ヴェルムンド家はそれほど信用されているのか、と言う驚きだろう。

 

 知りたければ、精霊が見えるようになって来い。現在進行形でこの会議場には筋肉天国が発動しているぞ。

 

 ユリィの盗聴魔法対策で。

 

「イリーネ嬢、どう厳しいか述べて見よ。それは、我々のバックアップで解決が可能か」

「『禁呪』には当然有効範囲……、つまり射程がありますわ。その射程はおそらく、敵の射出系魔法には届かない」

「成程」

 

 筋肉天国は、敵を結界内で封じ込める事で真価を発揮する。ヨウィンの時みたいに防御魔法代わりに使えない事もないが、流石に首都全体を覆えるほどの結界は維持できないのだ。

 

 そしてぶっちゃけ、筋肉天国の射程は短い。恐らく中級魔法と同等の射程。

 

 調べた事ないが、感覚的に発動できる範囲は100mも無いと思う。一度発動さえすれば、その場を離れても保持できるっぽいけど。

 

 魔王の攻撃魔法の射程が分からんが、山を消し飛ばせる時点で100mは有るだろう。

 

 なので俺の筋肉天国の範囲外から魔法を連打されたら、打つ手がないのだ。

 

「────つまり、イリーネ嬢を『禁呪』の射程内まで護衛出来れば何とかなる訳ですな」

「む、それは。魔族の群れの中を、イリーネに先行させるというのか」

「不可能ではありますまい。敵の魔法の雨の中を潜って魔王を仕留めるよりは、勝算がある」

「イリーネは魔術師ですよ、乱戦の中で戦えるはずがない。最後方に設置して守られるのが筋でしょう、それで死んだら無駄死にだ!!」

 

 マッキューン父が俺を先行させる作戦を提案し、パパンが怒り気味に食って掛かった。

 

 あのオッサン、禁呪を物凄い攻撃魔法と勘違いしてるな? そんな強引に近付いて発動しても意味ないぞ。

 

「無論、貴重な戦力を無駄死にさせるつもりはありません。イリーネ殿をきっちりと我々が守り通せば」

「我々魔術師は繊細でね。少しの集中の乱れが、魔法の暴発に繋がるのです。……護衛されてる状況とは言え、周囲を敵に囲まれている状況下でイリーネが戦えるものか!!」

「それこそ、集中して貰うしかないでしょう。我々は戦場に立つのですよ」

「娘はまだ、15を過ぎたばかりの少女だ!」

 

 

 ……。

 

 守られるどころか、毎回1番に突っ込んでいってるのをパパンが知ったら卒倒するかな。

 

「お父様、落ち着いてください。もしその作戦を取るのでしたら、イリーネは十全にこなして見せますわ」

「イリーネ……っ!」

「ただ、私も父と同じ意見でその作戦には反対です。……魔族は恐ろしく強い、国軍の皆様の協力があろうと私を護衛し続けたまま敵中へ切り込むのは困難であると愚考します」

 

 そもそも。本当にそれをやったとしら、国軍が蹴散らされて終わりだよね。

 

 イノン・カール・レイが俺の周りに張り付いてくれて、ワンチャンあるくらい? でもその場合、アルデバランの護衛戦力が居なくなってしまう。

 

 しかも、せっかく発動したとしてユリィが筋肉天国の範囲外まで歩いたらそれで終わり。あれは、ただ魔法を無力化する結界を張るだけなのだから。

 

 つまり、危険を冒してまでソレをやる価値は薄い。カールやレイが魔王を仕留めて無力化した後、トドメとして筋肉天国で封殺するやり方のが良い。

 

「ああ、私も厳しいと思いますよ父上。以前トロールと言う魔族と手合わせしましたが……、アレはまさしく化け物でした」

「ほう、詳しく申せ」

「身体能力に差がありすぎたのです。何気ないこん棒のひと薙ぎが、早すぎて回避不能の一撃必殺。負けじと電撃剣の神髄を以て首に斬りかかりましたが……戦果は数センチの小さな傷がついただけでした」

「……何、我が家の奥義を以て首を落とせなかったのですか」

「結局、アルの魔法か落とし穴で窒息させるくらいしかトロールは仕留められていません。生物としての出来が違い過ぎる、あんな悪夢みたいな闘いは初めてです」

 

 トロール? その魔族とはまだ戦ったことが無いが……、ゴブリンの上位種だっけ。アルデバランはそんなのとやり合ったのか。

 

 早すぎて回避不能の1撃必殺とか、反射神経の鈍い俺と相性悪すぎる。怖いなぁ、近寄らないようにしよ。

 

「では、どうするべきだ。無策で挑んでも、勝ち目は薄いぞ」

「暗殺者を放って、昏倒させるのはどうだ」

「いやいや、防衛戦は奇策に頼らず堅実に守った方が────」

「今から土魔術師を動員して、城外に堀をだな」

 

 わーわー、と。

 

 その場の貴族たちが喧々囂々と議論する中、俺は黙って考え込んでいた。

 

 実際、どうすればよい? どうすれば、イリューからこの街を守り抜くことが出来る?

 

 アルデバランに全て任せて、俺は彼女の護衛に専念するべきか?

 

「王よ、ここは私にお任せくださいませんか」

「む、マッキューン伯爵」

 

 そんな中、1人。金髪の髭が立ち上がって、王に一礼した。

 

 また、マッキューン父だ。

 

「先の様子や魔王ユリィの報告を聞くに、一番有効と思われる戦略は『騙し討ち』かと思われます」

「ほう?」

「和平を申し出ましょう。わざわざ避難勧告をするほどの魔王です、戦闘を避けられるなら避けようとするでしょう。国内の一等地を魔族の領地として差し出すと言えば、乗ってくる可能性が高い」

 

 ……彼は、自信満々にそんな卑怯な手を奏上した。

 

「どんな魔獣でも昏倒する秘薬を一服盛って、魔王ユリィを仕留めます。そして頭を失った魔族を、討伐すれば良いでしょう」

「ふむ」

「この任には、元勇者のカールを当たらせると良いかと存じます。彼は先程の放送でも名前があった程、ユリィから高い信頼を得ていると思われます。彼が上手くやれば、魔王は封殺できる」

 

 騙し討ちによる、ユリィの討伐。

 

 それは、それは────。きっと、成功する公算は高い。

 

 カールは、割とユリィから好かれていたように思う。それは、何となく感じていた。

 

「この策は、どうでしょうか」

「きちんとやれば、成功するでしょうね。共に旅をしてきた私が宣言します、その戦略ならユリィを騙せる」

 

 マイカも同じ意見の様だ。

 

 卑怯な手ではあるが、有効な手でもある。イリューはお人好しで、馬鹿で、騙されやすい。

 

 

 それで騙され続けた結果、彼女は魔王を名乗るまで追い詰められたのだから。

 

 

「ふむ。カール君、君はそれをやり遂げる自信があるか」

「……俺は」

 

 まぁ、その大前提として。

 

「断固として拒否します。そんな手段を取るつもりはない」

「……む」

「どうしてもやるというなら、俺以外の人間が勝手にやってください」

 

 『カールがそんな事をする人間ではない』という、彼の誠実さがあってこその信用なのだけれども。

 

「おい、君……。今は人類の存亡の時だぞ」

「ごめんなさい、俺にはできません」

「ふぅむ」

 

 にべもない。

 

 カールは迷う様子すらなく、大貴族からの命令をあっさり断った。

 

「誰ぞ、カールを説得できる者はおらんか。今は、つまらない子供の意地に踊らされている場合ではない」

「金か? 金ならば巨万の成功報酬を約束するぞ」

「おい、少年。君が上手くやれさえすれば、死なずに済む人間が何人いるか」

「相手は人類を滅ぼす魔王だぞ。何を、躊躇う必要がある」

 

 周囲の貴族がこぞって窘めるも、カールはツンとそっぽを向いてしまう。

 

 まぁ、予想通り。この男が、そんな姑息な手に乗る筈も無かろう。

 

「私も、カールには無理かと思いますわ。この男は誠実で、嘘をつかず、真っすぐ生きてきた男。……彼に嘘なんて吐かせても失敗するでしょう」

「確かに魔王ユリィは、カールの言葉を信じると思います。……それは、この男が『こういう奴』だからって意味でもあります。ま、説得は無理でしょうね」

「うーむ」

 

 まぁ、俺からしたら美徳なんだが。

 

 周りの貴族の苦虫をかみつぶしたような顔を見るに、カールは結構ヘイト買っちゃったんじゃないか?

 

「では、どうするんだ。正面からやり合うのか」

「馬鹿、あんな化け物と正面切って戦っても消し飛ばされるだけだ」

「カール以外の者……別の者を使者に立て、やはり騙し討ちを」

 

 唯一良さそうだった作戦もカール自身に却下され、再び会議は混沌となる。

 

 これ以上粘っても、良い意見は出てこなさそうだ。

 

「……もう、夜も遅い。各自、明日の朝までにそれぞれ戦略を練って来い」

「……御意」

 

 やがて、行き詰まったのを察した王がそう命令を出し。

 

 今から3日後の夜明けに向けての戦略を、それぞれ練ってくるように言い渡された。

 

 

「朝に再び、会議を始める」

 

 

 こうして、激動過ぎる首都での一日は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お部屋を用意致しました。各自ごゆるりとお寛ぎください」

 

 その日俺達アルデバランパーティは、王宮に宿泊する事を許された。

 

 俺達の全員がお付きのメイドを与えられ、個室を用意された。

 

「明日の朝一番からの会議だ。平民エリアからのんびり来られる方が迷惑なのだろう」

「……凄い。豪華な部屋」

 

 どうやら案内された部屋は、国賓を宿泊させる用らしい。

 

 窓から首都が一望できる、我が国の工芸品で統一された良い部屋だった。

 

「まぁ、各自ゆっくり休んでおけ。難しい事を考えるのは貴族共の仕事よ」

「はーい」

「私達は、いつもどおり魔族を倒す事のみを考える」

 

 勇者アルデバランはそう言うと、さっさと自分の部屋に入ってイビキをかき始めた。

 

 実に豪胆というか、彼女らしい。

 

「まったく。カールは本当にカールね」

「これ以上、イリューを騙すような真似が出来るか」

「どうどう。……ま、それが貴方の信念ですものね」

「ああ、気分悪い。俺はもう寝る」

 

 カールは、貴族の怨みを買ったにも関わらずビビること無く、むしろプリプリ怒りながら部屋に入った。

 

 その辺の豪胆さは、勇者の必須スキルなのかもしれない。

 

「じゃあおやすみなさい、イリーネ」

「ええ、サクラさん」

 

 そしてサクラと別れ、俺は一人になり。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 部屋に戻らず、静かに廊下に設置された椅子から、月を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直なところ、まだ俺はユリィ……、いや仲間のイリューと戦うことにまだ悩んでいた。

 

 イリューは、何故わざわざ宣戦布告してきたのか。

 

 きっと、戦略的な意味なんて無いだろう。彼女は本当に、戦いたくない人に逃げて欲しかっただけに違いない。

 

 つまり。

 

 

「……俺達が、首都に来てしまったからなんだろうな」

 

 

 イリューは夜空から、カールに向けて話をした。

 

 つまり、彼女は俺達が逃げることを選ばず、徹底抗戦を決めた事を知っていたわけで。

 

 

 ────そして彼女は、わざわざ俺達が首都入りしたその日に演説を行ったのだ。

 

 

 もしかしたら、あの放送は……。民衆に向けたのみならず、『俺達』にも向けたものだったのかもしれない。

 

 

 ……どうか逃げてくれ。私に貴方達を殺させないでくれ。

 

 

 そう言いたかったのかもしれない。

 

 

 

「……勝てるのでしょうか」

 

 人類は、魔族に勝てるのか。

 

 かつて何人も居た勇者は減り、今回は1人しか参戦していない。

 

 そして魔王はかつての勇者で、カールの力をも吸収してしまっている。

 

 恐らくかつてない程、人類側の戦力に乏しい戦いとなるだろう。

 

 

「……勝って、良いのでしょうか」

 

 

 しかし、カールは負けない。

 

 あの男は仲間の命が懸かった戦いで、負けるとは思えない。

 

 きっと窮地であろうと奮起して、イリューを倒してしまう可能性が高い。

 

 

 

 

 きっと、イリューは降伏しないだろう。彼女もまた、魔族全体の命を背負っているのだから。

 

 俺達人間と、人間を餌にする魔族。この両者に、和解はあり得ない。

 

 俺達は魔族を殺し、虐げすぎた。魔族は俺達を、殺しすぎた。

 

 決着をつけるにはもう、どちらかが滅ぶまでやりあうしかないのだ。

 

 

 つまりそれは、この戦いの決着は俺達がイリューを再び封印し、無限の苦痛を与えることを意味する。

 

 

「迷う必要などない……のです。ガリウス様も仰っていた通り、イリューは私たち人類を攻め滅ぼす道を選んだ」

 

 

 ……同情は不要。これは生き残るための戦いだ。

 

 イリューだってその覚悟で攻めてくるんだし、俺にだって家族……『父』や『イリア』を殺される訳にはいかない。

 

 なのに、なぜ俺は……。

 

 

 

 

 

 

「ふむ、難しい顔をしているね。イリーネ」

 

 

 

 

 

 

 そんな、いつまでも廊下で佇む俺に声をかけてくる奴がいた。

 

 見られていたのか、恥ずかしい。考え事なら、部屋に入ってからするべきだったか。

 

 

「君は存外にバカなんだから、一人で悩まず誰かに話したまえよ」

「……バカ? 今、私のことをバカって言いましたか?」

「ああ、言ったとも」

 

 

 そのあまりに不遜な言い回しに、思わず振り向いた。

 

 この、超絶美少女である俺に向かってバカとはいい度胸だ。どこの誰だ、この文武両道パーフェクトお嬢様である俺にそんな口を利く奴は……。

 

 

 

 

「……あ」

「やあ、久しぶり」

 

 

 

 振り向いた先には、小柄な少女が居た。

 

 寝ぼけた瞳に、短い白髪。王宮という高貴な場だというのに、寝癖が直っていない。

 

 それを誤魔化すためか頭にすっぽり占い師のようなフードを被り、ソイツは悪戯っぽい目で微笑みをこぼしている。

 

 

「貴女、は」

「ボクは『時代の観測者』改め『歴史を調和する者』」

 

 それは、数週間ぶりの再会。少し会っていなかっただけなのだが、随分久し振りに感じてしまう。

 

「……」

「非才な身なれど、ガリウス様に要請され国の危機に助力すべく参上した」

 

 彼女は別れた時と変わらぬ服装、表情でそこに立っていた。

 

 そうか、前にアルデバランが言っていたな。彼女も首都に向かっていると。

 

「さぁ、悩みがあるなら話したまえ。それを解決するのが、ボクの仕事さ」

 

 

 

 ヨウィンに生まれた天才、頼れる占魔術師。

 

 俺は、ユウリと再会した。



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87話「開戦、最後の戦い」

「……上を見上げてごらんよ、イリーネ」

「空、ですか」

 

 満天の星空の下。俺は、少女に促されて夜空を眺めていた。

 

「素晴らしい、実に素晴らしい。雲ひとつ無い満点の夜空じゃないか。首都の空が、こんなにも綺麗だとは思わなかった」

「……そうですわね」

「太古の時代、星の並びから精霊使いは未来を予知したと言う。星と星とを線で繋げ星座を作り、その星座の位置や見え方から明日の天気を言い当てた」

 

 久しぶりに会ったユウリは、得意げな顔でうんちくを語ってくれた。

 

 学者は人に解説をするのが大好きな生き物、だったっけか。

 

「つまり夜空の下というのは、占い師にとっての聖域なのさ」

「成程」

「じゃ、話してごらん。君がボクと別れてから何があって、どんな経験をしたか」

「……ええ」

 

 ユウリの吸い込まれるような瞳に促され、気付けば俺は。

 

「貴女と別れた後なのですが────」

 

 自分より年下の少女に、吐き出すかのように今までの話をぶちまけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────驚いた、あの勇者ユリィか。二次魔族戦役の英雄の」

「流石に、ご存じでしたので」

「夜空に映った彼女は『魔王ユリィ』と名乗ったのでもしやとは思ったが。……ご本人とは」

 

 ユウリは、勇者としてのユリィをよく知っている様子だった。流石、学術都市の天才少女。

 

 いや、俺がよく知らなかっただけで、彼女はかなり高名な人間なのかもしれない。

 

「そんなに凄い方ですの?」

「彼女自身に主だった戦果はない。彼女が支援術師という役職であるがゆえに、目立つ活躍は伝承されなかった」

「ふむ。では、それほど有名な勇者ではないのですね」

「バカを言いたまえ、超有名人さ」

 

 ユウリは少し文句を言いたげな顔で、俺に食って掛かった。

 

「彼女が活躍した2次魔族戦役は、戦争としての規模が他の戦役と比べて大きいのだよ。国中のありとあらゆる場所に魔族が現れ、ひっきりなしに大暴れしていた」

「……それは、考えたくない惨状ですわね」

「人類史上最大の戦争と言われている。戦死者数も、被害区域も、規模も、他の時代とは比べ物にならない」

 

 そしてユウリは、分かりやすく彼女────イリューが勇者ユリィとして活躍していた頃の解説をしてくれた。

 

 その時代は、人類と魔族の争いが最も苛烈な時期であり、人類は今よりはるかに強力無比な戦闘技法を身に着けていたという。

 

 魔法一つとっても、現代では人類最強の攻撃手段と呼ばれる『精霊砲』クラスの魔術もその辺の野良魔導士がガンガン使っていたそうだ。

 

「この時代の戦闘は、剣技も魔法も派手で見栄えが良い。なので、劇場で演目されるのは第二次戦役である事が多い。無論、二次戦役勇者の一人であるユリィの名も良く周知されているのさ」

「劇……、ですか。ユウリさんもそういったものを見るのですね」

「父が父でね、たまに劇場に連れていかれたものだ。大概は父の公演のついでではあったが」

 

 そうか、ユリィではなくて第二次戦役そのものが有名なのか。

 

 どうやらヨウィンではその二次戦役の戦記本がヒットしていた関係で、ユリィがどのような勇者でどんな戦い方をしたかも細かく伝わっているという。

 

 前世での、三国志時代の武将だけ妙に知名度が高いようなもんだな。

 

「確かに勇者ユリィに、攻撃力はなかっただろう。死霊系の相手には無二の強さを発揮したそうだが、基本彼女は後方支援専門だ」

「はぁ」

「だが、彼女を戦果が乏しい無名勇者だなんて馬鹿にしちゃいけない、人類史上最も激しい戦争で『勇者』を名乗っていたのだよ、ユリィは」

「……」

「おまけに、今代の勇者の能力も吸収し弱点が無くなってしまった。勘違いするなイリーネ、君は彼女を倒していいか迷っていられる状況じゃない」

 

 ユウリは真剣な表情で俺を叱咤した。

 

「人類は今、死に物狂いで万に一つのチャンスをモノにして、僅かに勝てる可能性があるかどうかな状況なんだ。勝ってしまっていいか、なんて悩みをする贅沢がどこにある」

 

 ……甘く考えていた。彼女の言う通り、ユリィがそんな凄まじい魔術師であるなら『倒していいか』なんて迷っている余裕はない。

 

 俺は勝つために迷いを捨てて、全てをかけて戦わないと勝てないのだ。

 

「シンプルに考えるといいさ。君の守りたいものは何だい」

「……守りたいもの」

「イリーネが今思い浮かべたモノを、失いたくないなら。死に物狂いで気張りたまえ、それだけだよ」

 

 そのユウリの言葉に、俺は目を閉じて大事なものを思い浮かべ始める。

 

 にこり、と悪戯な笑みを浮かべる妹。くたびれた顔で、紅茶に付き合ってくれる父。それを見守る、サラを始めとした実家のメイド達。

 

 旅で出来た無二の親友、サクラ。気の置けない友人カール。共に賊と戦ったレヴ、マイカ。

 

 拳法の師匠レイ、いつも旨い飯を用意してくれるマスター。

 

 レッサルで助けてもらったサヨリ。ヨウィンで奇跡を運んできた中年、ユウマ。

 

 おしゃまな王族、リタ。その父にして王の弟ガリウス様。

 

 

 ────そして最後に、目の前に座っている眠たげな少女ユウリ。

 

 

 ああ、俺には失いたくないものがこんなに沢山あるじゃないか。

 

 

「……ありがとうございます。少し、悩みは吹っ切れましたわ」

「そうかい、それは上々」

 

 迷っている場合ではなかった。

 

 ユリィは、全てを懸けて俺達人類に勝負を挑んできた。

 

 彼女が勝てば、今俺が思い浮かべた人達はみんな死んでしまう。

 

 ────負けられない。負けたくない。

 

 彼女がカールの説得に応じない時は……、この俺が全てを以てイリューを討つ。

 

「それで。こっちからもお伺いしたいのですが、今回の決戦の結末はどう予知されてますか」

「む」

 

 覚悟の決まった俺はさっそく、ユウリに予知を聞いておくことにした。

 

 どうせ明日聞くことになるのだろうが、早めに知っておきたい。

 

「今の時点での占いは当てにならないよ。ボクの魔法は1日先を見通すのが限度だからね、3日も先の話は当たるも八卦当たらぬも八卦さ」

「それでも、やっていただけません?」

「まぁ、良いけど。どうせ今日はもう寝るし、魔力を温存する意味もないだろう」

 

 そういうと、ユウリはゴニョニョ呪文を唱え始めた。 

 

 ……俺も習おうかな、これ。本来、精霊術師である俺が一番出来なきゃダメな奴だよね予知魔法。

 

「……うーむ、これはまた」

「何が見えますの? あ、その、良ければその呪文教えてくれません?」

「お、成程。精霊に好かれているイリーネの方が、予知魔法の適性は高いはずだね。君も唱えてみたまえ」

 

 ユウリは悩むそぶりもなく俺に予知魔法を教えてくれた。

 

 流石学者、太っ腹。普通、魔法を習おうとしたら結構な代金とられるのに。

 

「えっと。爆ぜろ世界、駆けろ時空、輝けサンシャインエレガント……?」

「そうそう」

 

 呪文の意味はよく分からんが、格好いい気がする。

 

 俺はそのまま、ユウリのいう通りに魔法を詠唱していくと────

 

 

 

 

 

 ────おもむろに。

 

 俺の目の前の景色が、暗転した────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『びえええええええええええー!!!!』

『お、おーい、イリュー?』

 

 

 

 

 

 見ればカールの前に、全裸で号泣しているイリューがしゃがみ込んでいた。

 

 ……。

 

『裸? ああ、服は再生出来ないのか、魔王』

『皆ぁ!! 私の可愛い子供たちが焼け焦げて!! 魔族が全滅しちゃいました!!』

『首を垂れて降伏せよ。さもなくば、貴様を永劫の地獄に閉じ込めてやる』

『あ、ああああ!! あんまりです、あんまりです、こんな。私を理解してくれた、唯一の家族が……。う、うわあああああああ!!!』

 

 イリューの周囲は煤だらけで焼け焦げており、炭化した魔族の死体が大量に転がっている。

 

 どうやら、アルデバランの最大魔法がイリュー達に直撃したらしい。それで周囲の魔族は全滅、死ねないイリューだけが焼け残ったというところだろうか。

 

『お、お、おおおぉ、殺してください。もういっそ、殺して、殺してぇ』

『うぅ。罪悪感で胸が張り裂けそうに痛いのですが……』

『な、何とかならないかな、アル』

『阿呆、喧嘩を売ってきたのはその女よ。自業自得である』

 

 カールの背後から、俺やアルデバランなど今回の勇者パーティが続々と集ってきた。

 

 全員が、『殺してください』と慟哭している魔王様に同情の視線を向けている。

 

『……この女を再び封印する。術式を組むから、しばし魔王を抑えておれ』

『え、説得は? 今こそ、彼女の説得を』

『私とて、出来るのであればしたいさ』

 

 問答無用にイリューを封印しようとするアルデバランに、俺が食って掛かった。

 

 映像で他人視点で見る自分というのは、違和感しかないな。

 

『見よ』

『うっ、うっ。怨んでやる、人類。我が子の仇、私の夫の仇、家族の仇っ────』

『……説得は、無為である』

 

 アルデバランは、そう言って。

 

 悲しげな瞳のまま、怨嗟の眼差しを向けるユリィにゆっくりと杖を向けた。

 

『おのれ人類ぃぃぃぃぃぃぃ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 ────そして、世界が暗転する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────っ!!!」

「戻って来たかい」

 

 ……。ふぅ。

 

「どんな未来が見えた」

「人類が、勝ちましたわ。そして、ユリィが封印を」

「ふむ、ボクと見た景色は同じの様だ」

 

 今のが、3日後の世界。

 

 そうか、人類が勝つのか。それは、良かったが。

 

 

 ────やっぱり無茶苦茶辛いぞ、あの状況!!

 

 マジ泣きだったよ、本気で人類恨んでたよあの娘。そりゃそーだ、家族を皆殺しにされたんだもんな。

 

 ……。あの結末で、本当に良いのか?

 

 

「イリーネ。3日前の時点での予知魔法の的中率は、1割以下なんだ」

「1割?」

「そう。だから今日見た未来は全く当てにならないと思っておきたまえ」

 

 ……そうか、ユウリも言ってたもんな。未来になればなるほど精度が下がるって。

 

 今のは確定した未来ではなく、可能性のある未来の一つと言ったところなのだろうか。

 

「だがしかし、人類に勝利の目はあると分かった。今日はそれを喜んでおこう」

「……喜べませんわよ、あんな」

「なら立場を入れ換えて考えてみるといい。君は一人生き残って、大事な人の死体に囲まれながら慟哭しているとしたら気分はどうさ? それよりはマシだろう」

 

 ユウリは、ふぅと一息ついて俺に背を向け立ち上がった。

 

 まぁ、それはその通りだが。

 

「もっと正確で、ある程度当てになる予知が出てから悩めばいい。現状でいろいろと考えても取り越し苦労さ」

「……そう、ですわね」

 

 ユウリはそう言って、少し考えこむ素振りを見せつつ俺に向かって小さく会釈した。

 

「そろそろ夜も深い。また明日、イリーネ」 

「ええ、おやすみ」

 

 つまり考えすぎるな、という事か。ユウリ自身、さっきの光景を見て少し悩みが生じているのかもしれないな。

 

 まぁ、確かにまだ不確定の要素が多すぎる。今日はゆっくりと休もう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

「ユウリか。久しいな」

「うん、君も相変わらず壮健で」

 

 ユウリはガリウス様から紹介を受け、屈指の予知魔術師として会議に参加する手筈となった。

 

 そんな訳で、会議前の朝食の場で俺達とユウリは顔合わせとなった。

 

「へぇ、アルデバラン。君、恋人でもできたかい?」

「は? 急に何を言い出す」

「ふふふ、こう見えて人を占い見透かすのが得意でね。君から恋の匂いがするんだ。でもまだ恋人……ではないみたいだね、好きな男でもできたってところか?」

「おいユウリ、妙な事を言うな」

 

 幼女は勇者相手に怖気づくことなく爆弾発言をかましていく。いい性格をしているぜ。

 

 にしてもアルデバラン、好きな相手が居るのか。

 

「えっ。アル、その、好きな人って!?」

「へぇ、それは私も興味ありますね」

「リーダーに春の予感!!」

「やかましい貴様ら、事実無根だ引っ込め」

 

 食いついた仲間たちを杖で撃退する紅の勇者。

 

 ……その顔には、微かな欺瞞と火照りが浮かんでいる。

 

 

「あら、本当に好きな人がいるのですわね。彼女、嘘をついていますわ」

「へー、イリーネが断言したなら確定ね」

「くっくっく。姉様の前で嘘はつけないんですよリーダー」

「あーもーこいつら!!」

 

 楽しい会話には、楽しく乗っておく。

 

 勇者とはいえ年頃の少女、恋に落ちても不思議はない。

 

「因みに、少し魔力を使えばお相手も当てて見せられるよ。えーっと、呪文は」

「やめろユウリ、私から近々告げる。妙にかき回すな」

「おっと、それは失礼。すまないねアルデバラン、君が恋するなんて意外過ぎてからかってしまった」

「迷惑な話だ。私が人を好いて何が悪い」

 

 まぁ、何も悪いことはないな。

 

「大丈夫ですわよアルデバランさん、勇者だって恋をするものです。ウチのカールも……ねぇ」

「あー、あれは酷かったわね」

「……割と、心の傷」

「その件は御免なさいって!」

 

 つい最近、自身の恋でパーティの輪を大いに乱した勇者だっているしな。

 

「え、何ですかそれ詳しく聞かしてください。姉様も関わってる感じですか」

「コイツ、公衆の面前でイリーネに告白してフラれてんの」

「何それ超面白い話じゃないですか、紅茶の肴になるので詳しく聞かせてください」

「イリア、人の失敗談を笑うものではありませんわ」

「あ、そうなのね。俺の告白、イリーネの中では失敗談扱いなのね」

 

 失敗談以外の何物でもないわ。告白相手すら間違えてるくせに。

 

「恋したものは仕方ないが、今の大事に色恋に囚われるわけにはいかない」

「ま、そうですわね」

「今日もこれから会議に訓練である。まぁつまり、今は私は動くつもりはないのだ。パーティの輪を乱してもいかんしな」

「うっ……」

 

 ジトっと、カールを見て皮肉を言った後。

 

 アルデバランは、とんでもない発言を落とした。

 

 

「この戦いが終わったら、私は告白するのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまぁ、俺の前世ではこれ以上ない死亡フラグを立ててしまいやがったアルデバランだったが。

 

 周囲からはロマンチックだの素敵だの色々言われて、機嫌よく会議場へと向かっていった。

 

 

 まぁ、こちらの世界では特に死亡フラグでも何でもないセリフだ。

 

 あまり気にし過ぎないようにしよう。

 

 

 

 因みに、その日の会議もあんまり実りある結論は出なかった。

 

 とりあえず土魔術師を動員して堀を作ったり、首都の店から弓矢などの武具を徴収したり、破格の報酬で冒険者を集ったり。

 

 色々やれることはやったものの、魔王に対する決定的な一手は思いつかぬままだった。

 

「では、ユウリどの。本日の時点の、予知を」

「承りました」

 

 会議の最後に、ユウリは色々と今日動いた結果どう未来が変わったのかを知るために予知魔法を使った。

 

 その結果、

 

 

 

 

『びえええええええええええー!!!!』

 

 

 

 

 それは俺が見た景色と変わらない様子だった。

 

 ……やっぱり、人類が勝つ可能性の方が高いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま、何も変わること無く決戦の前夜。

 

 俺は、結局悩み続けていた。

 

 

 あの後、俺は魔力にものを言わせて予知魔法を何度も使った。

 

 その全てで、イリューは号泣して封印されていた。

 

 

『24時間以内の未来であれば、予知の的中率は非常に高い。ほぼ100%当たる未来です』

『では、人類の勝利は確定だな!』

 

 ユウリは最後の会議の日も人類の勝利を予知し、貴族達は歓声を上げた。

 

 カールは苦虫を噛み潰したような顔だったが、大体の人間は喜色満面だった。

 

 まだ戦う前だと言うのに、祝杯を上げようとする者までいた。

 

『ですが、予知魔法も外れることはあります』

『100%ではないのか?』

『ほぼ100%です。現に』

 

 しかし、その気の抜けた貴族達をユウリは諌めた。

 

『ヨウィンでボクは、人類の敗北を予知しました。……その予知は、勇者の活躍によって覆された』

『む』

『精霊や勇者など超常の……大きすぎる力が絡む時。予知魔法は正確さを失っている可能性がある』

 

 自分の学説は絶対に正しいと、断言する筈の学者であるユウリ。

 

 しかし彼女は自らが間違っている可能性を明言し、そして牽制した。

 

『今まで、ボクの予知はほぼ100%の的中率を誇っております。しかし、今回の結果を決して盲信されませぬよう』

 

 ……ユウリの予知魔法が間違っている可能性がある。

 

 その言葉を、ほとんどの貴族は『気を抜くなという少女なりの発破』だと理解した。

 

 

 しかし、占ったユウリ本人だけは────

 

 

 

 ────おそらく、この予知は当てにならない。

 

 

 そう、確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の会議は早く終わり、国軍や勇者は夜明けに備えた。

 

 3日後の夜明け。それが、魔王の指定した『攻撃時間』。

 

「襲撃の日時まで明言する当たり、よほどの間抜けなのか」

「それとも、余裕か」

 

 敵が全戦力を以て攻撃してくることは、予知魔法で確定している。

 

 これは奇策や陽動ではない、正真正銘の宣戦布告なのだ。

 

「どうするつもりだ、カール」

「どうもこうもない、俺はやるべきことをやるだけだ。ただアルデバラン、絶対に俺にイリューと話をさせろ」

「……」

「予知でお前は、問答無用にイリューを封印しやがったと聞く。それを本当にやったら、お前も切り捨てる」

「まったく、厄介な性分よな貴様」

 

 まだ暗い空を見上げ、勇者と元勇者は平原に立つ。

 

 そんな彼らを囲むように、俺達仲間が武器を構え。

 

 首都に急遽集った国軍が、いよいよ強力な布陣を以て平野に配備される。

 

 

 

「まもなく、夜明けです」

「……来るか」

 

 

 

 まばゆい白光が、草原を赤く染める。

 

 兵士の報告と同時に、夜闇が割け赤焼けに彩られる。

 

「決戦の時は来た」

 

 その陣頭で、ガリウス様は宣言した。

 

「今日この場に立つ貴様らは、一人残らず勇者である。魔族の暴威を防ぎ、退けることが出来れば我々は平和を守れる」

「おおっ!!」

「命を惜しむな、ここが人類の最終防衛線ぞ。既に予知にて我らの勝利は確定しておる、臆することはない!!」

 

 今回の『総司令官』として指揮を振るう事になったガリウス様。

 

 自らの総大将の鼓舞に士気は高揚し、兵士たちにやる気が充実している。

 

 

 

「我らの戦いは、後世に長く語り継がれる英雄譚となろう! 者ども、心して戦えぇ!!!」

 

 

 

 平原に光が満ちる頃。

 

 兵士たちの咆哮が、国全体に木霊したという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その、3時間後。

 

 

 

 

『人類どもよ、待たせましたね!!!』

 

 ついに、魔王は平原に姿を見せた。

 

 空にはすでに日が昇っており、兵士たちは小腹がすいてきたのでモグモグ食事をとり始めていた。

 

「あ、やっと来たぞ魔族ども」

『まぁ、何というかごめんなさい人類!!』

 

 魔王の周囲には、かつて見たえげつない数の魔族が群れを成して立っており。

 

 正真正銘、出し惜しみなしの全戦力でイリューが此処へ駆けつけてきたことを伺わせた。

 

 

 

 

 

『────めっちゃ寝坊しました!!!』

 

 

 

 

 その言葉を皮切りに、魔族と人類の決戦の幕は切って落とされた。



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88話「イリューのスペシャルライブ イン 戦場」

 歴史とは、勝者が紡ぐものである。

 

 これまでの人類史において、魔族は人間にことごとく敗れ去ってきた。

 

 やがてその魔族の殆どが滅び、今日に至っては僅かばかりの残党が残るのみとなった。

 

「これまでの歴史とは、すなわち人類史を意味します」

 

 かつて人間の少女だったユリィもまた、勝利した人類側の勇者であった。

 

 凡庸な修道女だったユリィは女神に選ばれ、勇者としての恩恵を以て人類を勝利に導いた。

 

「しかし、これからの歴史とは────魔族の歴史を意味するのです」

 

 そして魔王となった勇者は、かつて自分たちが守った街『首都ペディア』を目前に捉え祈る。

 

 その瞳にはどんな感情が宿っているのだろうか。

 

「行きましょう皆、魔族の時代の到来です。ついに人類を滅ぼす日が来たのです」

 

 魔王ユリィはかつて自分を捕らえ凌辱し、魔族を虐げた人類どもの巣窟を前にして、

 

 

「願わくば人類。汝らの、死後に冥福の有らんことを」

 

 

 その、死後の幸せを祈るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくもまぁ、こんなに集めたものだ」

「げんなりする程の数だ」

 

 魔族たちが姿を現した後。俺達は、敵のそのあまりの数に辟易した。

 

 魔族、魔族、魔族。

 

 大地を見渡す限り一面に、凄まじい数の敵がワラワラと湧き出ている様子だった。

 

「勇者アルデバラン殿が一息に吹き飛ばせるとはいえ……、この数の死体の処理が面倒だな」

「魔族の死体が大地を汚染したりしないだろうか」

「国費を投じる必要があるな。魔族の死体が、ちゃんと売れる素材になってくれればよいが」

 

 国軍に所属する貴族達は、そのおびただしい魔族を前にあまり恐れる様子がなかった。

 

 勝てるかどうかより、むしろ戦いに勝った後の戦後処理をどうするか心配していた。

 

 俺からしたら、眩暈がするほど恐ろしい化け物の群れなのだが……。

 

 恐らく彼らは魔族と戦った経験がないので、あれがどれだけ恐ろしい戦力であるかを理解していない。

 

「アル、どうする? もう少し引き付ける?」

「いや、前進する。少しでも首都から離れた場所で戦闘をした方が、街に被害が少ない」

「了解だ」

 

 あれだけの数の魔族が一斉に襲ってきたら、流石のアルデバランと言えど討ち漏らしも出るだろう。

 

 あいつらの相手は、国軍では荷が重い。できれば、パパンにはあんまり危険な目に遭って欲しくない。

 

 アルデバランの判断に従い、俺達アルデバランパーティは国軍の先陣を切って前進を開始した。

 

「予知の内容は、覚えていますわねアルデバラン」

「ああ。私が焔神覇王(アルドブレイク)で、魔族の大半を焼き払ったのだったな」

 

 昨晩も、俺とユウリの見た予知は変わらぬ結果だった。

 

 

 それは焔神覇王────アルデバランの持つ最大呪文が魔族の群れに直撃し、群れの大半が消し飛んでしまうというもの。

 

 そして魔法が直撃した爆心地に行くと、全裸で泣き叫ぶイリューが居て、それを囲むように魔族の死体が倒れ伏しており。

 

 イリューは人類への憎悪を絶叫し、やがて封印されてしまうという結果だった。

 

 

「あの魔法の射程はちと短い、しっかり護衛を頼む」

「任せとけ赤チビ。……待ってろよ、イリュー」

 

 このまま予知通りに展開が進むなら、決着は一瞬。

 

 アルデバランを、呪文の射程内まで護衛できれば人類の勝利である。

 

 後は、カールが彼女をうまく説得できるかに全てがかかっている。

 

 

「……ただ、ユウリさんのあの言葉も気になりますわ」

「予知魔法を当てにするな、か。自分の研究に自信のある彼女らしくない言葉ではあったが」

「大きな力が絡む時、予知魔法は当てにならない可能性がある。……誰より予知魔法を知り尽くしている彼女がそういったのです、予知が外れることも計算に入れておきましょう」

「であるな」

 

 

 そして一つの懸念事項が、ユウリの言った『予知が外れる可能性』。

 

 彼女の言う通り、ヨウィンでユウリの予知は一度外れてしまっている。

 

 もし今回も外れるにしろ、具体的にどう予知が外れるかはわからない。その結果、人類が負けてしまうに至る可能性も考慮せねばならない。

 

 人類の敗北があり得るとすれば────アルデバランが魔法を放つ前に仕留められてしまうとかだろうか。

 

 そうなれば人類は一転して窮地に立つ。勇者の存在なしに、人類は魔王に勝てる筈もない。

 

「全員でアルを守れば、絶対に負けることはないよ」

「ああ、私は負けん」

 

 しかし、そんな不安要素を恐れて動かないのは愚の骨頂。

 

 紅の勇者は自信満々に、悠然と魔族に向かって進み続けた。

 

「私こそ、真の勇者であるからな」

 

 そう言って杖を構えるアルデバランは、かつてのカールの様に頼もしい何かを持っていた。

 

 本気の彼女と肩を並べて戦うのは、ヨウィンの時に続いてこれで2回目。しかし、この安心感はどうした事だろう。

 

 勇者特有の、カリスマとかなんだろうか。

 

「ゴブリンが突っ込んできているわよ!! みんな、応戦準備!」

「我々が突出したのを見て、迷わず攻めてきましたね。その勇猛さが仇とならねば良いのですが」

 

 前進し始めた俺達を見て、敵のゴブリンどもが迅速に接近してきた。

 

 いよいよ、本格的な戦闘が始まる。始まってしまう。

 

 

 

 ────ゴブリンと戦うのは初めてだ。しかし、彼らは伝承によるとそんなに強くない。

 

 流石に人間よりかは筋力も強く強靭らしいが、俺達の敵にはなり得まい。

 

 

「まずは挨拶代わりである」

 

 

 奇声を上げて突進してくる、小柄な魔族の軍隊。

 

 しかし統率はきちんと取られ、整列して突っ込んでくるその様はまさに『格好の標的』であった。

 

「アルの周囲を固めるよ! カールさん達、イノン、弓矢を弾き飛ばす準備を!」

「行きますわ、身体強化────これが、スーパー☆イリーネ様ですわ!!」

「蜘蛛の子一匹通すんじゃねぇぞ」

 

 彼らの弓矢でうっかり勇者を仕留められないよう、俺達は全力でアルデバランの周囲を固め。

 

 

「────(えん)(えん)(えん)(えん)。我に集いし火の化身ども、その残酷なる裁きを下せ」

 

 

 

 偉大なる勇者が、その奥義を以て。

 

 

 

「惨劇の幕よいざ開かれん。────焔神覇王(アルドブレイク)!!」

 

 

 

 

 目を焼き尽くされないほどの極光で、その勇敢だった魔族を無慈悲に包み込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、あれが勇者の火炎魔法」

「素晴らしい! 実に、実に凄まじい威力だ」

 

 アルデバランの本気の火力を見た貴族たちは、喝采を上げて喜んだ。

 

 彼女の魔法は、桁が違う。首都前の台地には、アイスが雑にくり貫かれたような大きな溝が入っていた。

 

 これが、彼女の神髄。

 

 俺の放つ精霊砲は、数百メートルのクレーターを形成する超ド級の攻撃魔法だが……アルデバランのそれは『クレーターすら形成しない』のだ。

 

 ただ無慈悲に極光がレーザーとなって、大地をくり貫くのである。

 

 アルデバラン曰く『魔力を無造作にぶっ放すのではなく、収束させて撃つことで火力を桁違いに高めている』らしい。

 

 

 

 なので、アルデバランの放った魔法の後には塵一つ残らない。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 そう、塵一つ残らないはずである。

 

 おかしい。何か、妙だぞ。

 

「おい、イリーネ」

「何ですの」

「これは、貴様の見た予知と一致している光景か?」

 

 そうだ。おかしい。

 

 俺の見た予知では、魔族の死体が黒焦げになっていた。

 

 アルデバランの本気の魔法が直撃したというのに、敵の大半が塵にならず『原形をとどめて死んでいた』。

 

 

 もし彼女の炎神覇王が直撃したというなら、そんな無様で残酷な結末にはなりえないのではないか?

 

 

「……。え?」

「効いておらんな」

 

 

 

 

 やがて、土煙は晴れて。

 

 彼女の放った魔法が直撃した『ゴブリンの尖兵』達は、何事もなかったかのように再び進軍し始めた。

 

 俺達に向かって真っすぐに。

 

「……ピンピンしてやがるぞ!! こっちに向かって来た」

「避けやがったのか?」

 

 何か特殊な魔法で、アルデバランの炎魔法は外れてしまったのだろうか。

 

 ……いや、違う。

 

 よく見れば、彼らゴブリンの装備はボロボロになっており、アルデバランの攻撃が当たったことは間違いないだろう。

 

 奴らは、なんと勇者の最大魔法を受けて耐えきったのだ。

 

 

「少し退くぞ、不測の事態が起きておる! 何かしらの手段で、私の魔法が防がれた」

「バカな、大将の魔法が直撃したんだぞ!?」

 

 

 アルデバランは、国軍たちと合流すべく後退を始めた。敵に何かカラクリがあるなら、それを暴いてから戦わないと分が悪い。

 

「ギィィィィィィ!!」

「うわ、もう来た!!」

 

 しかし、時すでに遅し。

 

 ゴブリンは意気揚々と突進し、既に近接戦の間合いへと足を踏み入れていた。

 

 

「アル。殿は私にお任せください」

「……」

 

 

 即座にレイ・イノンの剣士二人が応戦し、後衛が逃げる時間を稼ぐ。カールは動かない。

 

 ゴブリンは小型の魔物なので、巨大殺し(ジャイアントキラー)のカールは後ろで二人を援護するつもりの様だ。

 

 

 

 ────疾走。

 

 

 

 

 やがて、犇めく魔族兵の先陣を切って。

 

 漆黒の身体で片眼のゴブリンが、風を切るようにレイに肉薄した。

 

 

「ぎぎゃ」

「……っ」

 

 凄まじい勢いの突進だったが、レイの反応が間に合った。

 

 静剣は剣の背でそのゴブリンの突進をいなし、そのままカウンターで首筋へと短剣を吸い込ませた。

 

 師匠お得意の『後の先』だ。

 

 

「ぎぃ」

「む」

 

 

 しかしその一撃は空を切る。

 

 あまりに速い。そのゴブリンは、突進の一撃を防がれるや否やすぐさま反転して距離をとった。

 

 その場には、剣を空振って隙だらけの剣士だけが残された。

 

 

「ぎぎぃ!」

「ぎぃぎぃ」

「……ぎっ」

 

 

 その隙を、周囲の魔族が逃がす筈もない。

 

 先ほどの黒光りゴブリンの号令で、四方から仲間が襲い掛かってきて────

 

 

 

「……はぁっ!!」

「ぎぃ!」

 

 

 しかし敵に囲まれても、流石は静剣。

 

 牙を躱し剣を避け、レイは2重3重の致命の一撃を完全にいなし切った。

 

 そのままゴブリンの1匹を蹴り飛ばして囲みを破り、レイは俺達の元へと飛び退いた。

 

 

「……兄ィ!!」

「来るなレヴ、駆けろ!! これは……こいつらは、凄まじい速度だぞ」

 

 しかし、師匠と言えど無傷では済まなかったらしい。

 

 彼はその右肩から血が噴き出し、ダラリと腕を垂らしている。

 

 レイは利き腕をやられた様だ、あの一瞬で。

 

 

「いったん退いてくださいレイ、後は私が引き受けます」

「すまん、が、無理をするな……!」

 

 これは何の冗談だ。

 

 ゴブリンとは、強くない魔物ではなかったのか?

 

 あの超大型の魔物に囲まれてもロクにケガを負わなかったレイが、一瞬交戦しただけで戦闘不能に追い込まれただと?

 

「く、やはり動きが早すぎ────、ぐあっ?」

「ち、イノン!!」

「……畜生、何だこの俊敏さ!?」

 

 そして自信満々にゴブリンに向かっていった金髪糸目も、速攻で足をへし折られて地面に倒れ伏した。

 

 人類の誇る最強の前衛二人が、一瞬で無力化されてしまった。

 

 ちょっと待て、何が起こっている。ゴブリンの動きが速すぎて、目で追えな────

 

 

「イリーネ、前ぇ!!」

「へ? うおおおお!!?」

 

 

 油断してたら、さっきの真っ黒ゴブリンが俺の目の前で剣を振り下ろしていた。

 

 濁り切った殺意の視線が、俺の首筋をとらえて離さない。

 

 嘘だろ、何でもうこんなトコまで切り込んで来てんだ!?

 

筋肉返し(マッスルリベンジ)!!」

「ギィぁ!!」

 

 咄嗟にレイに教わっていた型『筋肉返し』で、敵の斬撃を躱して拳を構える。

 

 この技はさっきも師匠(レイ)がやっていた『攻撃を受け流した勢いを利用し、そのまま切り返す』レイの流派の基本の型だ。本来は剣でやるらしいが、徒手空拳でも応用が利くと教えられた。

 

 レイ曰く『一番よく使って、一番有効な技』だそうだ。反射神経が鈍い俺にはあまり向いていないそうだが。

 

「……それはダメだ、イリーネ!!」

「────あ」

 

 何度も何度も、この型は体に染み込むまで繰り返させられた。

 

 その結果、俺はほぼ無意識にこの動きを選択してしまっていた。

 

 

 これを教えてくれた師匠ですら、仕留められてしまったというのに。

 

 

 まだ型が未熟な俺の返し技では遅すぎた。

 

 渾身の、俺の筋肉による裏拳はやはりゴブリンを捉えることはなく。

 

 

 むしろ、その隙にド密着までゴブリンに接近されて────

 

 

「ギャァァァ!!」

「ひ、ひぃ!?」

 

 

 地面に引きずり落されて、そのまま腕をへし折られた。

 

 激痛が体全体を駆け巡り、一瞬意識に空白ができる。

 

 

「神槍」

 

 

 アカン、死んだ。一瞬、走馬灯が目の前を過った。

 

 しかし、悪運の強い事に俺はまだ息があるようで、

 

「ラジッカナイスです、畜生! 姉様、姉様意識はありますか!!」

「……イリア?」

「このままじゃ全滅だ、早く逃げるぞ!!」

 

 気付けば俺は、中年のオッサンに背負われていた。

 

 俺は、どうやらこのオッサンに庇われて九死に一生を得たらしい。

 

「……腕だけね。良かった、命に別状はないわぁ」

「サクラさん……っ。状況は?」

「今、カールが必死で時間稼ぎしてくれてるわぁ。あの男、魔族相手なら小柄な敵でも関係なく強いのねぇ」

 

 ……くそ。油断した。

 

 馬鹿か、俺は。ゴブリンが強くない魔物だなんて、それは『当時の』話でしかないだろうに。

 

 人類を滅ぼしに来た魔族の、その先陣だぞ。正面から戦えば勝てるだなんて、どうしてそんな甘えた考えを持っていたんだ。

 

「アル、もう一発『焔神覇王』を撃つ?」

「いや。……奴ら、火魔法に対する完全な防御を準備しておる様子だ」

「……」

 

 アルデバランは、魔炎の勇者。

 

 彼女の使う魔法は、火魔法のみ。

 

 流石のユリィも、それを知って何の対策もしないわけがなかった。

 

「何だコレ、どうしてこうなった? 大将の魔法で、魔族は蹴散らせるんじゃなかったのか」

「……ええ、朝の時点でも予知魔法はそうでしたわ」

「ユウリの言う通り、予知が当てにならなかったのかしらぁ」

 

 しかし、不可解が過ぎる。

 

 予知が外れる可能性は考えていた。しかし、こうも完全に外れるとは思っていなかった。

 

 そもそも、あの予知の映像もおかしかった。アルデバランの最大魔法を直撃した割には、敵の死体の損傷も少なく地形もあまり変わっていなかったような。

 

 ……もしかして。あの予知は、何らかの細工をされていた?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……思い出せ。

 

 ユリィは、イリューは予知魔法について詳しい知識を持っているのか?

 

 彼女は後方支援を専門とする勇者だ、もし知っているなら何かしらの『細工』は出来るんじゃないか?

 

 俺が精霊魔術師であることは、もう彼女に話した。確かその時、イリューは何と言っていた?

 

 

 

 

『貴女のご先祖の、割と有名な逸話を知ってまして……』

 

 

 

 

 ……そうだ。

 

『邪悪なる龍を払った、精霊使いの勇者。それが、ヴェルムンド家の始祖では?』

 

 イリューは、俺のご先祖の事を知っていた。

 

 そう、邪悪なる龍を払った精霊使いと言っていた。まさかそれって、威龍の事ではないのか。

 

 まさか、じゃあ俺の初代様は……ユリィの仲間だったのか!?

 

「────恐らくあの予知魔法は、対策されていましたわ」

「何?」

「そうでした、私の遠い祖先で精霊術師ヴェルムンドは、当時の彼女のパーティメンバー……。魔王ユリィが予知魔法を知らない訳がありません!!」

 

 

 太古の昔、第二次魔族決戦の折。

 

 俺の実家の初代様は、仲間としてユリィと共に魔族と戦っていたのだ。

 

 

 ならば、予知魔法についても知らぬはずはない。魔王が俺を『ヴェルムンドの末裔の精霊術師』と知って、対策も立てていない筈がない。

 

 ────あの予知は、おそらくイリューによって見せられた『偽の未来予知』である可能性が高い……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────」

 

 俺が、あの予知魔法が偽である可能性に気付いて顔を青ざめていたその時。

 

 耳をすませば、静かで優し気な歌声が戦場に響いていることに気が付いた。

 

 

「……歌?」

「何だ、この声……」

 

 

 

 その声には聞き覚えがあった。

 

 いつか、彼女の歌声を首都のステージで聞いたことがあったからだ。

 

 

「……歌ってやがる、イリュー」

「待ってください、これは────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────貴方の為に歌いましょう。

 

 

 ────愛しいあなたを歌いましょう。

 

 

 ────私はここで歌っています。

 

 

 ────顔を上げ声を上げ、天高く歌声が響くように。

 

 

 ────腕を上げ瞳を上げ、ここで貴方を見守っています。

 

 

 ────どうか、その手で栄光を掴んでください。

 

 

 ────願わくば貴方の振り上げた手が、

 

 

 ────祝福に変わりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響いてきたその歌声は、言霊を帯びていた。

 

 イリューはただ、意味もなく歌っているのではない。これは祝詞だ。

 

 修道女である彼女は、歌に魔法を乗せて味方全体を支援しているのだ。

 

 

「いけませんわ!! これは────こんな強力な大規模支援魔術、ありえません」

「……まこと、凄まじい支援(バフ)だ。信じられん」

 

 俺だけではなく、アルデバランもこの歌の意味を理解したらしい。

 

 こんなデタラメな支援魔法があってたまるか。

 

 肉体が極限に研ぎ澄まされ、あらゆる魔法に対する耐性を得て、無尽蔵のスタミナを付与し、極限の反射神経を得る。

 

 これは、おかしい。こんなのまるで────

 

「……あのゴブリンの一体一体は、勇者に匹敵する身体能力に達していますわ────」

 

 

 

 

 こんなの、勇者の群れだ。

 

 この平野に、見渡す限り犇めいている百鬼夜行な魔族ども。

 

 こいつらは『絶対切断』の異能こそ持たないもの、全員が勇者状態のカールと同等の身体能力を付与されていた。

 

 

「こんなの、こんなの勝負になるわけがない……」

「うろたえるな、所詮はゴブリンだ! 首を落とせば死ぬる、1匹ずつ確実に対処せよ!」

 

 アルデバランは、弱気になりかけた俺達を叱咤する。

 

 ああ、そうだ。勇者と言えど、首を落とされれば死ぬ。

 

 現にゴブリンを引き付けて時間稼ぎしているカールは、既に数匹仕留めることに成功している様だ。

 

 

「まずは目の前のゴブリンを……」

 

 

 カールが時間を稼いでいる間に、レイの治療が終わった。

 

 レイだって、速度に慣れればきっとゴブリンを倒すことができる戦士だ。

 

 ここから、ゴブリンを押し返して一時撤退を……。

 

 

 

 

「ヴォッヴぉッッヴおオオォッ!」

「ブモォオォオオオオオオ!!!」

「ぎゃぎぎぎゃぁ!!!」

 

 

 

 

 ……それは、悪夢のような光景で。

 

 俺達がゴブリンに苦戦しながら後退し続けている間に、後詰として大型の魔族どもが殺到してきていた。

 

 

「そうか。このゴブリン達はあくまで尖兵」

 

 無論、大型の魔族たちも凄まじく強化されているだろう。

 

 現に迫り来ている猿顔の化け物は、以前戦った時とは比べ物にならない程の俊敏さで俺達との距離を詰めてきていた。

 

 ゴブリンですら勇者クラスの身体能力になるというのに、あの化け物が強化されたらどうなるんだ?

 

「ついに、本隊のお出ましか」

 

 

 そして、まともに相対するのもおこがましい程の『怪物』が、俺達人類の防衛線に突っ込んできた。

 

 

 

 

 

 ……嗚呼。ユウリの言ったとおりだった。

 

 人類は、死に物狂いで万に一つのチャンスをモノにして、僅かに勝てる可能性があるかどうかな状況だった。

 

 予知魔法を盲信して、余裕をぶっこいて何も有効な手立てを用意していなかった時点で、人類は負けていたのだ。

 

 

 俺は、ただ茫然と迫りくる『死』を前に立っている事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石は知恵ゴブさんの立てた戦略……、ドンピシャですね」

「ギィ」

 

 魔王は(うた)の合間、そう言って自らの傍に控える老いたゴブリンを褒めた。

 

 ユリィは、自身の頭がよくないことをある程度自覚していた。

 

 だから、戦う戦略を練るにあたってゴブリンの知恵者によく相談していたのだった。

 

「予知魔法を誤魔化すのは大事です、よく気が付いてくれました」

「ギッギギ」

 

 ゴブリンは比較的知恵の回る種族だ。

 

 ユリィは彼に従い、人類に勝つために様々な工夫を凝らしていた。

 

 

 そう。人類の何よりの武器は、凶悪な知恵。

 

 ゴブリンも賢いと言えど、人類の狡猾さにはかなわない。

 

 だからこそ、その知恵を極限に有効活用できる『予知魔法』だけは邪魔しなければならなかったのだ。

 

 

「後は、トコトン火魔法に対する耐性を高めれば……もう負ける要素は無いんですね?」

「ギィ♪」

「ええ、私もそう思います。ですが────」

 

 

 知恵ゴブと呼ばれたその魔族は、素晴らしく綿密な戦略を練っていた。

 

 魔炎の勇者はその名の通り、火魔法しか使えない存在。

 

 いかに強力な火魔法と言えど、火耐性を極限に高めてしまえば無用の長物になる。

 

 しかも万が一、敵の『魔炎』が火耐性を貫通する可能性を考え、決死のゴブリン突撃部隊を先行させる慎重さだ。

 

 

 彼の戦略は、見事に的中した。

 

 勇者の『火魔法は』魔王の付与した『火耐性』を突破できず。

 

 敵の前衛達は、ユリィにより強化されたゴブリンの雑兵にすら対処できていない。

 

 

 魔族の勝利は目の前だ。

 

 

「────ですが私。実は今、勇者アルデバランより危険視してる人がいるんです」

「……ギィ?」

「下手をすればその人こそ、敵で一番厄介な戦力かもしれません。……乱戦で仕留められていれば良いのですが」

 

 

 だというのに。

 

 魔王ユリィは、まだ少し不安げな顔をしたままであった。

 

 

 

 

 ……そして魔族にとって悪い事に、その不安は間もなく的中してしまう。

 

 

 

「ギィギィ!!!」

「……む、やっぱり来ましたか」

 

 

 それは、突然だった。

 

 今まで優勢だったゴブリン達の進撃が止まり、逆に人類に蹴散らされ始めたのだ。

 

 

 凄まじい轟音とともに、決死の覚悟で突進したゴブリン兵達が空高く吹き飛ばされ絶命していく。

 

 同時に進撃していた大型の魔族たちも、混乱して足並みが乱れ始めている。

 

 

「……いけませんね、アレは。少し下げて仕切りなおす方が良いかも」

「ギ、ギギギィ?」

「ああ、本当に敵に回すと厄介なんです」

 

 

 

 魔王ユリィは、何かを思い出すように目を閉じて。

 

 どこか懐かしそうにその『歌声』を聞きながら、ゆっくり呟いた。

 

 

「────精霊術師って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方の為に歌いましょう────」

「イ、イリーネ!?」

 

 このままでは、終われない。

 

「愛しいあなたを歌いましょう────」

「これは……、何だ!? 体が、すごく軽くなって」

「……そ、そんな事まで出来るのか、精霊術師」

 

 このまま死ぬ訳にはいかない。

 

 俺には守りたいものが、まだまだ沢山ある。

 

 俺だって、ここで死にたくなんかない。

 

「私はここで歌っています────」

 

 気付けば俺は、歌いだしていた。

 

 イリューの歌声に共鳴するように、胸に手を抱いて高らかに。

 

 周囲に集う精霊に、調律をとってもらいながら。

 

 

 

 だって、気が付いたのだ。

 

 この支援魔法は、ユリィの使っているその魔法は、俺に物凄く相性が良いと。

 

 呪文さえわかればどんな魔法ですら発動できる『精霊術師』が、この魔法を使えない訳がないと。

 

 

 

 ────ああ、思い浮かぶようだ。

 

 間違いない。

 

 この歌の名前は、この魔法の名前は。

 

 

 

精霊の祝福(エコー・スピリット)────」

 

 

 

 

 そしてこの魔法を謳い上げた瞬間、突如カールは一息にゴブリンを数体吹き飛ばした。

 

 それだけじゃない、レイやイノン、レヴちゃんに中年、いや────

 

 

 この場に集った、少女の歌声が聞こえる範囲にいた国軍の全員が、この魔法で勇者張りの身体能力を付与された。

 

 

 

 

 

 こうして、人類と魔族の戦争は第2フェーズへと移行した。

 

 



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89話「決着!! 堕ちた修道女は何を思う」

 人類と魔族の、怨恨の歴史は深い。その軋轢は、両種族がこの世に生まれた時から存在した。

 

 捕食者と、餌の関係。

 

 両者の生物としての格は、魔族の方が上だった。食物連鎖において、人は魔族に食べられる位置にいた。

 

 より長寿で、より強大で、より数の少ない魔族が人間を食べる。

 

 それは何処にでも見られる、普通の自然界の食物連鎖だった。

 

 

 なので昔から、人は魔族を恐れ生活をしていた。

 

 蛙が蛇を恐れるように。蛇が鷹を恐れるように。人間は魔族を恐れて生きた。

 

 それが本来、あるべき姿だったのかもしれない。

 

 

 

 しかし、人間は知恵をつけた。

 

 言語を操り、知識の共有を行い、人は恐ろしく狡猾になった。

 

 やがて知恵の力は、魔族と人間の力関係を引っくり返してしまった。

 

 

 人類はその知恵を以て武器を作り、魔法を操り、戦術を練った。

 

 敵を研究し、その弱点を調べ、反撃を行った。

 

 その結果、魔族は一転して人間に襲われる側になった。

 

 

 

 

 魔族は人間を食べないと、生きていけない。

 

 人間は魔族を食べずとも、生きていけるのに。

 

 

 ならば、人はおとなしく食されるべきなのだ。

 

 それが、自然な世界の理ではないのか。

 

 

 そんな魔族達の恨み節を尻目に、人類は発展していった。

 

 

 無論魔族だって黙ってはいない。何度も何度も魔族は立ち上がり、人類に対し反撃を試みた。

 

 しかしその度々に、魔族は打ち破られてしまった。

 

 

 やがて魔族は悟った。

 

 人類は特別なのだ。外敵もおらず、地上の全てを支配することの出来る種族だったのだ。

 

 人類の天敵である魔族は、人類に蹂躙される運命だったのだ。

 

 

 

 

「……じゃあ。私は、どうやって皆を守れば良いんですか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────吐き気が、する。

 

 身体中の臓器という臓器が、ゾワゾワとうねっている。

 

 ただ声を出すだけで、口から真水を吐き出しているかの如し。立っているのもやっとだ。

 

 俺は両膝をついて座り込みながら、その唄を歌い上げ続けた。

 

 

 

「────む、いかん。魔力が尽くぞイリーネ、あまり無茶をするな」

「……ですがここで、歌わなければ……っ」

「……ああ、そうだな。すまん、後は私に任せろ」

 

 ああ、何て魔法だよこれは。

 

 流石は、古代の勇者。流石は、魔族を統べる王。なんでこんな魔法を使って、平然としていられるんだ。

 

 声の届く範囲の味方全員を勇者にする支援(バフ)。俺程度の魔術師が、そんな馬鹿げた魔法を使って何ともなく済む筈がなかった。

 

 支援魔法1つ詠唱しただけで、人類最高峰の魔術師であるはずの俺の魔力が空っぽだ。

 

 

「姉様! 姉様に魔力の欠乏症状が……っ!! このままでは!」

「イリア、私は……大丈夫ですわ」

 

 イリアも俺が魔力切れを起こした事に気付き、焦った声を出した。

 

 ────内心、俺だって焦っている。

 

 魔法使いにとって、魔力切れは割と洒落にならない事態なのだ。

 

 何がどうヤバイかというと。魔力が尽きてなお魔法を使い続けたら、精神(たましい)を消費してしまうのがヤバい。

 

 まぁ、つまり……このまま暫くこの魔法を続けたら、俺は廃人になっちゃうって話である。

 

 

 

 デメリットはそれだけじゃない。

 

 

 一度失われた魂は、二度と戻らないのだ。

 

 

 

 魔力とは、魂に宿るもの。

 

 つまり魔力切れを起こしたまま魔法を使えば、最大魔力もごっそり減る。

 

 最悪、二度と魔法が使えなくなるかもしれない。

 

 なので、魔法使いにとって魔力切れは洒落にならないくらいヤバイのである。

 

 

 

 

 

 

 尤も。俺は筋肉があれば生きていけるので、魔法が使えなくなろうが関係ないがな!!

 

 魔王との戦いが終わった後、魔法を使わざるを得ないケースとかそんなにないだろうし。今こそ、俺の無駄な魔法の才能の使い際でしょ。

 

 

 もう二度と魔法が使えなくなっても良いと言う覚悟。

 

 俺の全てを使って支援してやるから、頑張れ人類ィ!

 

 

「イリーネが気張っておる内に、決着をつける!! 各員、私を守れ!!」

「アルデバラン!? あんた、まだ何が手があるのね?」

「無論、詠唱の時間が必要だから退いたまでの事。敵の突撃が緩んだ今こそ好機」

 

 俺が歌っている後ろで、アルデバランは自信満々にその杖を天に掲げた。

 

 ……彼女の火魔法はさっき打ち破られた筈だが、まだ何か手がある様子だ。さすが勇者だぜ。

 

 

「火山都市での修行が無駄にならずに済んで良かった」

 

 

 すぅ、と紅髪の勇者(アルデバラン)は目を細めた。

 

 

 照りつける日を浴びて颯爽、ゆっくりと風に髪を靡かせながら、

 

 

 

「炎獄を、見せてやろう」

 

 

 

 全てを終わらせるその宣言を、魔族に突き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリーネさんの魔力では、いつまでもあの魔法を続けられるとは思いません。少し時間をおいて、再突撃しましょう」

「ぎぃー」

 

 魔王ユリィは、自分の支援魔法が完璧に真似られ苦笑していた。

 

 ユリィは、精霊術師の恐ろしさはよく知っていた。過去の自らが勇者側で参戦した『二次魔族決戦』において、最強の勇者は精霊術師ヴェルムンドであったのだから。

 

 たった一人で魔王を打ち破った最強の勇者の末裔、イリーネ・ヴェルムンド。彼女なら何かしらやってくるという予感はあった。

 

 

「……ふふ、数百年ぶりに友人に再会した気分ですよ」

 

 今代勇者のカールパーティには、彼女に縁のある人物が多かった。

 

 ユリィは少しの間とはいえ、彼らと旅をするのはとても楽しかった。

 

 それは、まるで。

 

 彼女が絶望に染まる前、無垢で純粋で人類を守るために戦っていた『勇者ユリィ時代』の時の様で。

 

 

「───皆との約束、破っちゃったな」

 

 

 その子孫の行く末を任された不死の勇者ユリィ。

 

 彼女は今、人類を滅ぼすべく最終決戦に身を投じている。

 

 

「でも。……もう、覚悟は決めましたから」

 

 

 彼女はそう言って、再び高らかに歌を吟じ始めた。

 

 ユリィを信じ、魔族の将来のため、命をとして戦う仲間たちの援護となるように。

 

 

 

 ───しかし。

 

 その、『少し後退してイリーネの魔力切れを待つ』という選択が魔族にとって致命傷になる事に、ユリィは気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヨウィンの時のアルと思ってもらっては困りますよ。今の彼女は、あの時より一回りも二回りも強い」

 

 なぜか自分の事の様に、ドヤ顔でアルデバランの自慢をする金髪(イノン)

 

 彼はゴブリンに折られた足をサクラに治してもらい、もう戦線に復帰していた。

 

「予想出来たもんね。火魔法を徹底的に対策される可能性」

「ああ、むしろその方が自然よな。太古の支援魔術師のトップが、耐火魔法を知らぬ訳もない」

 

 実はアルデバランも、自身が火魔法しか使えないことに危惧を抱いていた。

 

 火魔法は他のどんな属性より攻撃力に優れているが、対策が多く弱点も多いピーキーな属性なのである。

 

 水魔法にはめっぽう弱いし、火耐性を付与されたらダメージは激減する。

 

 なので、彼女は修行の為に火山地帯を経て、首都に来たのだ。

 

 

「魔族とて、生物なのだ」

 

 

 アルデバランは火属性の魔法使いだ。

 

 それ以外の魔法の適性はなく、火の他に攻撃手段は持たない。

 

 

 ならば、火を以て───

 

 

 

「炎獄の檻、終焉の世界」

 

 

 勇者は、残酷に無慈悲に魔族達を焼き付くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはユリィからすれば、青天の霹靂だろう。

 

 突然に世界が暗くなり、ボウボウとそこかしこで燃え始めたのだ。

 

「へ? これって火の殲滅魔法?」

「ぎぎー?」

 

 ユリィは、ぱちくりと目を瞬かせた。

 

 想像を絶するほど広範囲に火魔法が発動し、流石に困惑したらしい。

 

「……でも、これじゃ私の支援(バフ)で耐えられますよね?」

「ぎぃぎぃ」

 

 自分の修道服が燃えないよう、ユリィは水を頭から被る。

 

 流石は魔炎の勇者、その火魔法の範囲は絶大の一言であった。魔王軍のほぼ全軍が、一瞬でその火魔法の範囲に飲まれてしまった。

 

 それもその筈、アルデバランは『収束して』ではなく『限界まで引き伸ばして』火魔法を撃ったのだから。

 

「……まぁ、無駄に魔力を消費してもらえる分には構いませんけど」

 

 ユリィの歌により、魔族全体には耐火のバフが掛けられていた。

 

 こんな薄まった火魔法では、火傷すら負う筈がない。

 

 ……ならば、何故アルデバランはこんな魔法を発動した?

 

 

「……ぐぇ」

「え、知恵ゴブさん!?」

 

 

 その疑問は、間も無く周囲の魔族がバタバタ倒れ始めてからやっと解けた。

 

 やがてユリィ自身も、言い様のない圧迫感に襲われて立っていられなくなった。

 

 周囲を見渡しても、皆が口や喉を押さえてもがき苦しんでおり。

 

 ここでやっと、ユリィは勇者アルデバランの狙いを悟った。

 

 

「────いけない! 窒息……っ」

 

 

 そう。

 

 勇者アルデバランはあり得ない広範囲を永続的に焼き尽くすことにより、火の中の魔族を窒息させる作戦に出たのだ。

 

 いくら火に耐性があろうと、息が出来ねば死んでしまう。そして燃え盛る炎の中では、十分な酸素が得られる筈もない。

 

 そのアルデバランの『酸素を奪いつくす』奥義は、瞬く間に魔族の大半を行動不能に追い込んだのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アルデバランを守れ! 彼女を守り抜けば、この戦は人類の勝利だ!」

 

 魔族の大半が、火の海に沈んで。

 

 アルデバランの目論み通り、魔族はバタバタと地面に倒れ付した。

 

「ぎ、ぎぎぎっ!!」

「うぎぃぃぃ!!」

 

 その事態の深刻さを悟った前衛のゴブリン達は、死に物狂いで俺達に突っ込んできた。

 

 火の中で比較的外側に居た魔族は、慌てて脱出して俺達の元へ突っ込んできた。

 

「……斬る!!」

 

 しかしゴブリンは、俺の支援を受けたカール達や国軍を前に、なす術なく撃退されていった。

 

 魂を削ってまで、詠唱を続けた甲斐がある。

 

「だいぶ弱らせておるぞ! 確実に息の根を止めるのであれば……もう10分ほど稼いでくれ!」

「おうよ、大将!」

「……イリーネ、まだ持つかしらぁ?」

「ふふふ、持たせて見せますとも……っ」

 

 あと10分か。長いな、畜生。

 

 さっきから完全に魔力切れてて、結構魂を消費してそうなんだよな。

 

 この感じだと10分はギリギリ持つけど……、多分二度と魔法は使えなくなってそう。

 

 あと、若干後遺症とか残るかもしれん。くそぉ。

 

「……イリーネ、これ飲みなさい」

「はむ、む……?」

「気休めだけど、後々のダメージはマシになる筈よぉ。……ごめんなさい、これくらいしか出来なくて」

「十分ですわ、サクラさん」

 

 ちょっと後の事が心配になっていたら、サクラが何か薬を渡してくれた。

 

 苦い、けどちょっと楽になった気がする。流石、親友だぜ。

 

「……長きに渡る、人類と魔族の因縁に決着をつける。ここで人類が勝って、2度と魔族なんてモノが襲ってこないように徹底的に!」

「ええ、リーダー」

「各自、気張れ! 最終決戦ぞ!」

 

 アルデバランのその宣言により、俺達人類は咆哮した。

 

 勝つんだ。魔族全てを滅ぼし、平和な未来を掴み取るんだ。

 

 それが、魔族達により殺された人類への手向け。

 

 それが、全てを賭して攻めてきたユリィへの礼儀。

 

 

 

「魔族を、全員焼き尽くせ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 その、アルデバランの絶叫に応えるように。

 

 彼女の作り上げた『炎の檻』から、何かが投げ出されて俺達の前へと落ちてきた。

 

「……む!?」

 

 ぐしゃり、と嫌な音を立てつつ血塗れで立ち上がったソレは、やがてヨロヨロと立ち上がった。

 

 ……その女は、俺達のよく見知った顔だった。

 

 

 

「……やめ、ろ」

「貴様、魔王……」

 

 

 

 イリューだ。

 

 何かに放り投げられた様に、イリューは焼けてボロ切れになった修道服を身に纏い、転がるようにして俺達の前へと現れたのだった。

 

 

「出たぞ、敵の親玉だ! 潰せ!」

「やめろ、勇者……」

 

 

 これは、イリュー渾身の機転であった。

 

 近くにいた大型魔物に頼み、彼女は自分だけ勇者の元へと投げ飛ばしてもらったのだ。

 

 墜落死しても、生き残れる彼女だからこそ出来る移動法。

 

 無事に再生したイリューは、そのあられない姿を隠しもせず、呪詛の如く叫んでアルデバランに突撃してきた。

 

 

「その魔法をやめろぉぉぉぉぉ!!!」

「マッキューン魔法剣……っ!!」

「リーダーには近付けさせませんよ! ウサギ二百連爪!!」

 

 

 アルデバランの号令に従って、すぐさまイリューに攻撃が向けられた。

 

 そのどれもが、当代一流の戦士たる勇者パーティーによる一撃。

 

「兄ぃ……っ!」

「俺達は、護衛に集中だレヴ」

 

 運動能力の無いイリューでは、それを避けようもなく。

 

 あっという間に、イリューを肉片へと姿を変えてしまった。

 

「やめろ、勇者ぁ……」

「ソイツは不死である! 油断するな、魔族を滅ぼすまで永遠に仕留め続けろ!」

「了解です、アル」

 

 しかし、イリューは再生する。

 

 どんなに重傷を負おうと、どんなにボロボロにされようと、イリューの傷は癒えて立ち上がる。

 

 

 

「……もう、これ以上! 私の家族を殺さないでください!!」

「あの女に、初級魔法を詠唱させるな! 再生したらすぐさま潰せ!!」

「魔王を殺せぇぇ!!!」

 

 

 

 ……もう、炎の檻の中で動いている魔族は殆んどいない。

 

 魔族の皆が酸欠で、失神してしまっている。

 

 このままでは、イリュー以外の全ての魔族が死に絶えるだろう。

 

 

 ああ、黒焦げの死体だらけのあの光景。

 

 結局、あの未来は変わってなかったらしい。

 

 

 

「私達は存在しちゃ駄目なんですか!」

 

 それでも、イリューは立ち上がる。

 

「お前ら人類は今までずっと、ずっと、好き勝手してきたでしょう!」 

 

 その背に、大切な家族を背負っているから。

 

 その肩に、大事な子孫を乗せているから。

 

「だったら1度くらい、私達に譲れ人類ぃ……!!」

「譲る道理などない!!」

 

 しかし。

 

 ユリィは初級魔法を詠唱する暇すら無いまま、人間の戦士に殺され続けた。

 

 何度立ち上がろうと、呪文を詠唱しようとしても、即座に顔面を叩き潰された。

 

 

 ここに、魔族は。

 

 再び、人類に敗北しようとしていた。

 

 

 

「痛い……」

 

 

 決して、ユリィには痛みがない訳ではない。

 

 どんなに痛くても、耐えて耐えて立ち上がっていただけだ。

 

 

「怖い……」

 

 

 自分より大きな男から、顔面に向かって凶器をぶちまけられる。

 

 それが、怖くない訳がない。恐ろしくない筈がない。

 

 

「辛い……っ!!」

 

 

 イリューは、もはや服すら着ていない。再生を繰り返すうち、ボロボロに脱げてしまった。

 

 血反吐が全身にこびりついて、泥にまみれて、それでなおイリューは立っていた。

 

 

 ここで立ち上がらないと、後ろの魔族全員が死に絶えてしまうから────

 

 

 

 

 

 

「辛いなら、疾く楽になれ」

 

 

 

 半ば狂乱し、勇者に右腕を突きつけて詠唱を始める魔王。

 

 その直後、静剣により彼女の首が飛ばされて前のめりに崩れ落ちる。

 

 

 ユリィはすぐさま首から顔が生え、再生の最中から呪文を口ずさんだ。

 

 その瞬間に、マイカの放った矢が喉笛を串刺しにする。

 

 

 それでも諦めず、ユリィは矢を引き抜いて詠唱を続けようとして。

 

 突き出したその右腕を、足を、体幹を、全てイノンに細切れにされる。

 

 

 

 何度、激痛で身をよじっただろう。

 

 どれだけ、辛く痛く苦しい思いをしただろう。

 

 

 魔王ユリィの声はかすれ。

 

 細切れになった体は、ボトボトと土に塗れて赤黒く蠢く。

 

 

 

「今です、再生すらできないように────」

「……了解よぉ」

 

 

 

 細切れになった肉の塊を、サクラは土魔法で分断して覆った。

 

 それにどれだけの効果があるかはわからない。しかし、やらぬよりは良いだろう。

 

 

 

「……哀れな女よ」

 

 

 アルデバランは、目の前に投げ出されたユリィの右腕を悲し気に見た。

 

 魔王は、必死だ。家族を守るため、仲間を守るため、命がけでこんな突撃をかましていた。

 

「おい、見ろよ! やっぱり、肉体を分断したら再生しないぞ、魔王!」

「本当です! 蠢くだけで、体がくっつきません!」

 

 その挙句、この様な無様を晒している。

 

 アルデバランとて同情の念が、湧かない訳はなかった。

 

 

 だが、それはそれ。

 

 勇者として、人類として、アルデバランは手を抜くわけにはいかない。

 

 

 魔族を皆殺しにして、人類の平和を守り。ユリィの説得は、カールに任せる。

 

 そこまでが、彼女の仕事なのだ。

 

 

 

 

「……ねぇ、勇者さん」

 

 

 

 アルデバランは気を引き締めて、その炎獄を維持し続けた。

 

 流石の魔族と言えど、窒息したら死ぬ。あともう少し頑張れば、魔族を全滅させられる。

 

 そうすれば、彼女の勇者としての仕事は終わりで────

 

 

 

 

「私が龍の呪いを受けた所って……右腕なんですよ」

 

 

 

 その、最後の一仕事。

 

 アルデバランが、その使命を終える最後の瞬間に。

 

 

 ────魔王の牙が、勇者へと届いた。

 

 

 

 

 

 魔王の右腕を切り飛ばしたのが、マズかった。

 

 その斬り飛ばした右腕を放置して、魔王の体幹をがんじがらめに封印したのがマズかった。

 

 

 彼女が400年前、龍に傷を受けた部位は右腕なのだ。

 

 彼女の肉体の再生は、ありとあらゆる状況下で、()()()()()に行われていたのだ。

 

 その秘密を、アルデバランは知らなかった。

 

 だから、斬り飛ばされた右腕からイリューが再生した事に気付くのが遅れてしまった。

 

 

「……へ?」

「イタダキマス」

 

 

 勇者の目前に、打ち捨てられた右腕が。

 

 勇者を殺す、魔王へと変貌を遂げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ、魔法が?」

「あ、アル? どうした、の」

 

 首都前の平原を燃やし尽くしていたその魔法は、こと切れた様に消え去った。

 

 その場の全員が、イリューの肉塊を押さえつけるのに必死で、状況を理解するのが数秒遅れた。

 

 

「……やった」

 

 

 歓喜の声が、静かに響き。

 

 ボタボタと、虚ろな水音が戦場に伝い。

 

 

「やりましたよ、やりました私……」

 

 

 

 俺達は、ソレを見た。

 

 

 

 

 頭部を失った赤いローブの死体は、細切れに刻まれており。

 

 虚ろな目をした紅髪の勇者の生首が、魔王にすすられているその光景を。

 

 

 

 

 

 

「見ましたか、人類!! どうだ、これで────!!」

 

 

 

 

 狂喜乱舞し、勇者の脳を齧るイリューの姿は非現実的で。

 

 無垢な子供のように楽しげに、子を抱く母のように優しげに、彼女は笑っていた。

 

「……」

 

 誰しもが、絶句する。

 

 その場にいた全員が、呆ける事しか出来ず。

 

 俺は唄うのをやめ、全身の力が抜けその場にへたり込んだ。

 

 

 

 

「魔族の────勝利です!!」

 

 

 

 

 その日。

 

 人類は、魔族に敗北した。



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90話「魔王と勇者」

「……君の名前を教えてほしい」

「ああ、私か?」

 

 その日。幼き少年と少女は出会った。

 

「私はアル。火を操る魔術師だ」

「……魔術師。ということは、アルは貴族だったの?」

「はっはっは! 残念ながら、私の身分は平民なんだ。親に娘と認めてもらえなくてね」

 

 その少女は、紅の髪を輝かせて爛々と、少年の手を取った。

 

「じゃあ、遊ぼう。名を交わしたからには、もう友達さ」

「え、あ。僕と、友達で良いの?」

「何を遠慮する事がある。この身一つで家を出たからな、知り合いが一人もいない。だから────」

 

 少年は頬を染め。

 

 少女は快活に笑う。

 

「私と、友になってくれ」

 

 

 その日。

 

 二人は、生涯の友となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の目の前で、全てが終わった。

 

 イリューが、魔王ユリィが、人類の英雄アルデバランを食い殺してしまった。

 

 

 どれだけ目を擦っても、頬をつねっても、目は覚めない。

 

 これは、夢ではない。

 

 

 勇者(アルデバラン)を失っては、人類が魔族に勝つ方法はない。

 

 勇者の力抜きに、目前で息を吹き返し始めた魔族の群れに対処する手段はない。

 

 

「ごきゅ、こきゅ、はぁ。流石は勇者、良い魔力です」

「ア、アル……」

「……恨まないでくださいね。これも、戦争なんです」

 

 イリューは妖艶な笑みを浮かべ、頬に勇者の返り血を滴らせた。

 

 やがてポトリと、満足したようにアルデバランの生首を地面に落とし。

 

 

「私達の、魔族の勝利です」

 

 

 そう宣言した。

 

 

 

 

 

 二の句も告げない。

 

 何も、言葉を発する事が出来ない。

 

「では皆さん。私達はこれから、勝利の祝宴を開こうと思うのです」

「イ、リュー」

「幸いにも、目の前にはたくさんのご馳走が転がっています。『逃げてください』と警告した上で残った方々なので、食われても本望でしょう」

「あ、あ、あ────」

 

 勇者アルデバランが死んだ。カールは力を失った。

 

 これで、人類の擁した勇者はすべて居なくなった。

 

 

「さて、素敵な宴を始めましょうか」

 

 

 魔王が生き残り、勇者は死に。

 

 絶望が、人類を包み込んだ。

 

「……負け戦ですか。やれやれ」

「おや、まだ戦意を失っていないのですね」

 

 しかし、なお覇気を失っていない者も居て。

 

 金髪(イノン)は顔を青ざめさせながらも、剣を取りイリューへと突き付けた。

 

「ええ、これでも貴族でして。ここで私が奮戦し、皆さんの逃げる時間を稼ぐ、なんてのは如何です?」

「あら、素敵。私、そういうのは好きですよ?」

「ノブレスオブリージュ、なんて言いましてね。……生き残った仲間の為、せいぜい足掻かせていただきますよ」

 

 

 ……。

 

 そうだ、俺も貴族だ。

 

 あの男の言う通り、ただ呆けているわけにはいかない。

 

 この場にいる人間を一人でも多く生き残らせるため、この身が朽ちるまで戦わねば。

 

「私、も、戦いますわ────」

「……ダメです! 姉様、落ち着いてください」

「イリーネ嬢、無茶をなさらないで。貴女はもう、動ける身体ではありません」

 

 俺も立ち上がろうとして見たが、凄まじい倦怠感と眩暈に襲われ、その場に崩れ落ちた。

 

 ぐ、魔力切れってこんなにキツイのか。

 

「ああ、イリーネは退け」

「カール……」

「俺も時間を稼ぐ。みんな、なるべく遠くに逃げろ」

 

 そんな俺の前を塞ぐように。

 

 カールや、レイ、レヴちゃんなど前衛職の皆が集まって剣をとった。

 

「後は任せた、イリーネ」

「そんな、ですが……」

「良いから行け!」

 

 

 直後。俺は問答無用にマスターに背負われ、カール達と引き離された。

 

 隣で一緒に逃げているのはサクラにイリア、回復(キチョウ)など後衛組。

 

「じきに気絶してる魔族が目を覚ます! それまでに、少しでも遠くに────」

「くす、くす。どこまで逃げれますかね、人間の足で」

 

 くそ。

 

 俺はもう満足に走ることも出来ない。

 

 多分、二度と魔法なんて使えない。

 

 こんな状況で逃げ出したって、何になる!

 

「……さあ皆。そろそろ目を覚ましてください」

「来るぞ!」

「人類に、鬱憤を晴らしましょう。屈辱を注ぎましょう」

 

 しかし、どんなに嘆いても俺は何も出来ない。

 

 動けぬ体を運ばれて、遠くへ遠くへと逃げるのみ。

 

「誰一人、この場から逃がすな! 人類を駆逐してください!!」

「させねーよ!!」

 

 ────俺はこんなにも、無力だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間もなく、魔族たちは進撃を再開した。

 

 窒息して重症な魔族もいた様子だが、半分以上はピンピンとして俺たちに襲いかかってきた。

 

 

 俺の支援魔法も打ち切られてしまった今、人類はひたすらに蹂躙されるだけであった。

 

 

「ヴェルムンド伯爵が……討ち取られたそうです!」

「……父様!!」

 

 

 一人でも多くの、民を逃がす。

 

 その為に国軍は勇敢に立ち向かい、そして散っていった。

 

 

「……ここまでくれば、流石に安全でしょう」

「う、うん」

 

 俺達は、そんな彼らの奮戦を尻目に何処までも逃げていた。

 

 戦場を後に、延々と走り続けていた。

 

 

「……魔王の捨て身の特攻に、してやられましたね」

「まさか、腕から再生するなんて。……僕が少しでもアルの方を見ていれば」

「最後列のアルデバランさんの護衛役は、私でしたわ。私がしっかりしていれば……」

「イリーネは、詠唱してたでしょ。貴女の責任じゃないわ」

 

 何が、魔王を救うだ。

 

 何が、和平を諦めないだ。

 

 

 それ以前の話だ────魔族は、人間なんかより圧倒的に強いんじゃないか。

 

「ふ、く、ぐ……」

 

 涙が溢れでる。

 

 悔しい。情けない。

 

 ユウリ自身が当てにならないと宣言していた予知魔法を信じ、何の対策も取っていなかった自分が恥ずかしい。

 

 何の根拠もなく、人類が勝つに決まっていると思い込んでいた自分が憎い────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですね。油断しすぎましたね、人類」

「……っ!!」

 

 声にならぬ慟哭を上げていると、聞き覚えのある声が聞こえてきて。

 

「逃がさない、と言ったでしょう? 勇者パーティーたる貴女達を放置するのは、禍根の種にしかなりません」

「い、イリュー!」

「……貴女を殺しに来ましたよ、イリーネさん。精霊術師を、放置するつもりは有りませんので」

 

 ……転移魔法。

 

 いつのまにか、敵の親玉である修道女が俺達の目前に立っていたのであった。

 

 

 

「……姉様は殺させません! この、イリアが相手になりますよ!」

「あら、可愛らしい妹さん。大丈夫です、貴女もちゃんとあの世に送って差し上げますので」

 

 イリューは、一人転移してきた様子だった。

 

 俺達程度、護衛も要らないという事なのだろうか。それとも、転移は一人しかできないという制限でもあるのか。

 

「……おや。やっぱりイリーネさん、相当無茶をしたみたいですね。もう、魔力無いじゃないですか」

「そうですわね。少し、無茶が過ぎた様ですわ」

「これは、放置しても2度と魔法を使えなさそうです。わざわざ殺しに来ることは無かったかもしれません」

「そう思うなら、見逃していただきたいものですわ」

「……それは出来ませんよ。これも、戦争ですので」

 

 ああ、濃密な死の気配。

 

 魔王イリューが俺に手を向けた瞬間に、全身の身の毛がよだった。

 

 これは……本当に、殺されるな。

 

「何か遺言は有りますか、イリーネさん」

「……和解は、もう無理なんですのね」

「ええ。人類と魔族の遺恨は深すぎるのです」

 

 イリューの目が、暗く潤う。

 

 かつて共に旅をして笑い合った仲間が……、俺に明確な殺意を向けている。

 

 それは、ひどく非現実的で。

 

「さようなら、イリーネさん」

 

 俺を庇い前に立っている(イリア)ごと、魔王は吹き飛ばすつもりで魔法を唱え────

 

 

 

「ねぇ、イリュー」

「何ですかサクラさん。邪魔しないでください」

「……貴女、泣いてるじゃない」

 

 

 その親友の言葉に、俺は顔を上げた。

 

 見上げれば、俺を殺そうとしているイリューは大粒の涙を溢していた。

 

 

「悲願だったんでしょ、魔族の勝利。喜びなさいよ」

「……うるさいですね」

「本当にバカね、貴女。結局、どっちに転んでも幸せになんかなれないんじゃない」

 

 ポロポロと、イリューは俺を殺すべく泣いていた。

 

 優しい優しいその修道女は、元仲間である俺を殺そうとして泣いていた。

 

「魔族が勝っても、人類が勝っても、貴女はそうやって悲しむのでしょ?」

「……違う。私はただ、魔族の勝利だけを願って」

「それで、仲良くなった人を殺して傷付いちゃう。……やはり貴女、魔王の器じゃないわ」

 

 そのサクラの言葉に、魔王は唾を飲んだ。

 

 イリューは、何か野望があって魔王を名乗った訳じゃない。

 

 魔族達に慕われて、魔王の座についただけの『責任感』だけに動かされてきた存在。

 

「結局、どうやっても貴女は幸せになれないのよ」

「何を、何を偉そうに! 戦争に負けて、殺されようとしている癖に!」

「そうね、負けは認めるわ。でも、どうせ負けるなら勝者には笑っていてほしいじゃない」

 

 サクラは、魔王イリューに殺気を叩きつけられてなお、毅然とした態度を崩さなかった。

 

「勝った貴女が苦しんで泣いてるなんて、これ以上ない敗者への侮辱ではないかしらぁ?」

「……っ」

 

 それは、自棄になったのか。

 

 それとも、心の底から怒っているのか。

 

 サクラは、イリューを正面から見据えてそう言い放った。

 

 

「……もう良いです。やっぱり、貴女から殺します」

「どうぞ。ただし、大人しく殺されるつもりなんて無いんだから」

 

 サクラの言葉に、かなりカチンときたらしい。

 

 イリューは目を吊り上げて、サクラに向かい手を掲げた。

 

「駄目です、サクラさ……」

「やめろ、お嬢!」

「一足先に行ってるわ。じゃあね、イリーネ」

 

 やめろ。殺さないでくれ。

 

 その人は、俺にとって大事な親友で。

 

「やめて、やめてぇっ!」

「……滅せよ魂魄」

 

 イリューの詠唱に逆らうようにサクラは杖を振り上げ殴りかかるが、それでも間に合う筈なんか無く。

 

「その魂を、浄化せよ────」

 

 その魔法は、サクラを庇ったマスターごと、二人の体躯を引き裂いた。

 

 

 

「……」

 

 

 

 どこで、俺は間違えたのだろう。

 

 目の前に、大事な人の死体が転がっている。

 

 どうしてこんな事になったのだろう。

 

 目の前でイリューが、目を腫らして泣いている。

 

 

「次は、貴女です……っ」

 

 

 そして、魔王は。

 

 ゆっくりと俺に向けて、その手を開いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────を刻む者の、道標よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺自身も死を覚悟した、その瞬間。

 

 聞いたことのない詠唱が、背から聞こえてきた。

 

 

「ふん、回復魔法のつもりですか? どんな魔法でも、死者を甦らせることは出来ませんよ」

「─────過ぎ行く季節、黄昏の永眠、流れを受けてなお進め」

「……キチョウ、さん?」

 

 

 それはアルデバランパーティーの、回復役の男の子だ。

 

 彼は何かを決した顔になり、ゆっくりと詠唱を続けていた。

 

 

「ねぇ、魔王イリューとやら。最期にひとつ、聞いてもよろしいですか」

「……何です、人類」

「私達は……勇者パーティーは、強かったですか?」

 

 その詠唱にあっけを取られていると、(イリア)が突然イリューに語りかけた。

 

「何ですか、その質問」

「ふ、もう少しで魔族全滅って所まで魔族を追い詰めましたからね。結構、強かったんじゃないですか私達」

「……随分と自惚れてますね」

 

 何のつもりなのか。

 

 イリアは何かを企んでいる顔で、イリューに会話を促す。

 

「ごめんなさい、貴女達は弱かったと思います。はっきり言いましょう、魔王が私みたいなヘッポコじゃなければ瞬殺だった」

「それは、負け惜しみではなく?」

「は? 負けてませんが? そうですね、魔法による窒息には足を掬われかけましたが……それだけです」

 

 イリューはそう言うと、少し考え込んだ。

 

 弱い。魔王は俺達を、はっきりそう評した。

 

 それは、とても……とても悔しい言葉だった。

 

「勇者アルデバランは、はっきり言って弱かった。火魔法には欠点が多く、対策もとりやすい。その一芸しか持っていない時点で、勇者としては過去最低の実力でしょう」

「……なっ」

「パーティーのメンバーも、かなり残念です。単独で支援を受けたゴブリンにすら勝てない戦士────私達の時代ならせいぜい一兵卒程度の腕の方が、平気で勇者の護衛として抜擢されている始末」

 

 それは、最も激しい戦争の時代を経験した彼女が言うと説得力があった。

 

 きっと、彼女の時代に魔王と戦った者は、もっともっと強かったのだ。

 

「唯一まともな戦力と言える精霊術師(イリーネ)さんも、圧倒的に魔力が少ない。この時代だから仕方ないとはいえ、私達の時代の魔術師の平均未満ですよ」

「……世界最高峰の魔術師と、これでも称されたのですが」

「あらま。ちょっと幽閉されている間に、随分と魔術は衰退したみたいですね。嘆かわしい」

 

 そこまで言うと、イリューは小さく肩を竦めた。

 

 ……魔力が少ない、なんて人生で初めて言われたな。みんな、俺のことを天才だ天才だと持て囃してくれたから。

 

「なかなか厳しいご意見の様で。私達、結構イケてるつもりだったんですがね」

「何処からそんな自信が……。私みたいに、宣戦布告して攻撃する日時まで指定する魔王に負けておいて」

「そんなことしなきゃ良かったじゃないですか」

「しないと、逃げたい人が逃げられないでしょう」

 

 そうか。やはりイリューは、戦略や策謀ではなく本気で避難勧告したかっただけか、アレ。

 

 

「────因みに。まだ私達は負けてませんよ、って言ったら怒ります?」

「……いえ、呆れます」

 

 

 そこまでイリアが言い終えると。

 

「……?」

 

 地面から沸き上がった優しく暖かな光が、俺達を包み込んだ。

 

 

「……さっきの、男の子の詠唱ですか。これが何だって言うんです」

「何だと思います?」

「私を封印するつもりですか? 今さら私を封じたところで、何も状況は変わりませんし」

 

 イリューはとっさに、その光から飛び退いた。

 

 身の危険を予感し、距離をとったらしい。

 

「そう簡単に封じられるつもりも有りませんので」

「……まさか、そんな無粋な真似はしませんよ」

 

 ……やがて、その光は。

 

 眩い独特の光の波をなし、俺達全員を閉じ込めるように固まった。

 

 

「何です、それ。私も、こんな魔法見たこと無いです」

「……アルは、弱くない」

「これは、かなり特異な属性? むむ、新たに発見された魔法形態でしょうか」

「お前に何が分かる。アルは、勇者アルデバランは弱くなんかない!!」

 

 詠唱を終えて。

 

 今まで黙って話を聞いていた男の子(キチョウ)が、憤怒して魔王に怒鳴った。

 

「……え。これ、は」

「アルは、アルデバランは────っ!!!」

 

 そして、イリューは気付く。

 

 ノーマークだったその男の子の詠唱した、魔法の特異性に。

 

「これは、まさか────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、二人の幼き日の話。

 

「……どうか、私の話を聞いてください」

「……え」

 

 家出した貴族の少女は、少年と仲良くなった。

 

 牧歌的な田舎町で、二人は姉弟のように親密に遊び回った。

 

 

 やがて二人が成長し、一人立ちする年齢になった頃。

 

 

「貴方に、勇者となって貰いたい」

 

 

 女神を名乗る存在が、二人の前に現れた。

 

「間もなく、人類にとって乗り越えがたい苦難がやってきます」

「……それは、本当か!?」

「本当ですとも。このまま手をこまねいていれば、地上は魔族の支配する事になるでしょう」

 

 その女神は、マクロと名乗り。

 

 これから魔王が復活し、その魔王により人類は滅ぼされる可能性を語った。

 

「どうか、力を貸してください。貴方なら、きっと世界を救える」

「で、でも」

「大丈夫。私も、貴方を導きましょう」

 

 そして、女神は二人の説得に成功し。

 

「では、手を出してください」

 

 ()()に、自身の加護と勇者の力を授けた。

 

 

 

 

「スゴいなキチョウ! まさか、お前が勇者に選ばれるとは!」

「ぼ、僕なんかが無理だよ! やっぱり今からでも、断って別の人に」

「アホを抜かせ! 女神様が吟味に吟味を重ねて、お前に行き着いたのだぞ」

 

 貴族の少女アルは、幼馴染みが勇者に選ばれた事に歓喜して。

 

 その背中を支えようと、共に旅に出ることを宣言した。

 

「キチョウ、お前の能力は凄まじい。だが、お前そのものは大した戦力にならん」

「うぐぅ」

「だからこそ女神様は、私と一緒に居る時に姿を見せたのだろう。私が、お前を守れるようにな」

 

 そう。

 

「安心せよ。勇者の影武者は、私がやる」

「……そんな、危険な!」

「まあまあ、私も勇者とか名乗ってみたいのだ」

 

 だから、彼女は勇者を名乗った。

 

「私は今日から、名前を変えよう」

「え、どうして?」

「なに、勇者たるものカッコ良い名前を持っていないとな。それだけである」

 

 その女の子は、少しばかり派手好きで。

 

「アルデバラン。今日から私は、勇者アルデバランだ」

「……あ、何か格好良い。それに、その名前なら今まで通りアルって呼べるもんね」

「ああ。これからは、私を勇者と思って接しろよキチョウ」

 

 世界の危機を知り、自ら危険な立場になることも恐れない勇敢さと、火魔法の才能を持っていただけの、

 

「今日から私は、お前の後に続く者(アルデバラン)だ」

 

 ────何処にでも居る、普通の女の子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妙だと思ったんです! あの娘は勇者にしては弱かった、いや弱すぎた!」

「アルは弱くなんかない! アルは何の加護も受けていないのに、お前達を全滅させかけたんだ!」

「ではやはり、勇者は……」

 

 イリューも、その致命的な事実に気付いた。

 

 勇者はまだ死んでいない。人類と魔族の戦争に、決着は付いていない。

 

 その、事実に。

 

「お前達の戦略は見たぞ、魔王」

「ぐ、この! 滅せよ魂魄────」

「もう、遅い。今さら何をしても、詠唱は終わっている」

 

 アルデバランは、勇者では無かった。

 

 彼女は幼馴染みに代わり、勇者としての危険も重責も全てを背負っていただけの、ただの少女だったのだ。

 

 

 いつだったか、女神セファはこう言った。

 

 勇者とは、チートでずるっこ。普通に考えて負ける筈のない力を渡された者であると。

 

 

 それは、カールの絶対切断のように。

 

 それは、ユリィの最強の支援魔法のように。

 

 たった一人で、戦況を覆してしまえるだけの圧倒的な「能力」。

 

 

 

「────また、会おう。魔王」

「……この、人類、人類ぃぃぃっ!!!」

 

 

 

 勇者キチョウが、女神から授けられたその能力とは、

 

 

 

 

時の跳躍(ターンオーバー)

 

 

 

 

 1度だけ、時を巻き戻せる魔法であった。

 

 

 



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91話「ラストチャンス」

 ────そこから先のことを、俺はよく覚えていない。

 

 その少年キチョウが発動した暖かな光の魔術に飲み込まれ、意識が暗転し。

 

 気付いた時には俺は、王宮の会議室の席に座って父と杯を交わしていた。

 

 

「……え?」

「む? どうしたんだい、イリーネ」

 

 

 『討ち取られた』と、そう聞いていた父は目の前で機嫌よくワインを呷っている。

 

 その隣にはイリアは座っていて、眉をひそめ自らの手に持った紅茶を睨みつけていた。

 

「え、あ……? これ、は」

「落ち着いてください、姉様。後で、イリアが説明いたしますので」

「……。はいですわ」

「では姉様、例の魔法を発動してください。盗聴対策です」

 

 チラリ、と周囲を見渡してみる。

 

 国王やガリウス様は、機嫌よく国軍の貴族と談笑しており。

 

 アルデバランやその仲間達は、少し戸惑った目で少年────勇者キチョウに話しかけていた。

 

 

「……そうですわね。少し、席を外しますわ」

「お願いします、姉様」

 

 

 間違いない、これは昨日だ。

 

 これは昨日の、魔族決戦の勝利を祈る壮行会だ。

 

 ああ、つまり。あの少年の魔法とは……。

 

 

「あら、イリーネ。どこに行くの?」

「……少し、席を外しますわ」

「もしかして、体調がよくないの? 少し見てあげようかしらぁ……わぷっ」

 

 

 俺が退室しかけているのを、サクラに気付かれ声を掛けられた。

 

 ────どうやらサクラは、昨日の彼女らしい。

 

「……あら? イリーネ?」

「すみません。少し……少しこのままでいさせてくださいな」

 

 何かが、こみあげてきて止まらない。

 

 俺はその場で、思わず親友(サクラ)を胸に抱きしめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────成程。本当に……()()()のだな、貴様ら」

「ごめん、ごめんよ、アル……。僕が、僕が頼りないばっかりに、うえええぇん!!」

「引っ付くなうっとおしい!! しゃんとしろ、勇者だろ貴様!!」

 

 いよいよ明日が決戦、英気を養おうという壮行会のタイミングで告げられた「明日の敗報」は、周囲の貴族を動揺させるのに十分だった。

 

 人類はあと一歩まで魔族を追い詰めるも、魔王に敗れ全滅しかける。

 

 予知魔法は対策され、まったく人類に都合の良い光景を見せられていただけ。

 

 そんな報告が、突如としてなされたのだから。

 

「……アルデバラン殿。その話は本当なのか」

「明日の私は殺されたらしい、私は明日のことを知らない。だが、キチョウが……本当の勇者が言うなら間違いないだろう」

「ふむ」

 

 聞けばアルデバランは勇者でもなんでもなく、一般人らしい。

 

 魔力がある理由は彼女はとある貴族の隠し子で、親に認知してもらえず生きていたからなのだそうだ。

 

 だから彼女は魔法の使える冒険者として生活していたらしい。

 

「アルデバラン……、いえ少女アルはある()()()()の隠し子だそうですよ、父上」

「そうですか。まったく、悪い貴族もいたものですね」

「……本当ですよ」

 

 かなりジト目で、金髪(イノン)が自分の父親を見つめている。すごく、含みのある言い方だ。

 

 おい、とある貴族ってまさか。

 

「そう、リーダーはマッキューン家の隠し子だそうです。リーダーは世界の危機を知って、まず自分の実家……マッキューン家を頼った様で。でも信用に値しないと一蹴されたとか」

「うーわ」

「でもそんな中、嫡男であるイノンだけがリーダーの話を信じ、仲間に加わってくれたそうです。それで、勘当されちゃったみたいですけど」

 

 へー。なんだ、嫌味な奴と思っていたがイノンも良いところあるじゃん。

 

 身分も立場も捨てて誰かを信じるって、なかなか出来る事ではない。

 

「あんまり感心しなくていいですよ、姉様。イノンは、『私にはわかる、間違いない! アルは、私の妹です!!』『アルが、あんな可愛い娘が嘘をつくはずがない』とか気持ち悪いことを言って家出したそうです。ただのシスコンですね」

「聞こえてますよー、イリアさん」

 

 ……。あ、そっか。じゃあアルデバランは金髪(イノン)の妹になるのか!

 

 すげぇ、全然似てねぇ。

 

「父上が認知さえしてくれれば、私はアルにお兄ちゃんと呼んでもらえるのに。……嘆かわしい」

「誰がそんな呼び方するか!! 恥ずかしいわ」

 

 ……嘆かわしいのは、お前もじゃねイノン。

 

「姉様。姉様が望むなら私は今後『お姉ちゃん』と呼びますが」

「やめなさい」

 

 見ればイリアは、ニヤニヤ笑っていた。俺はまさかイノンと同じ扱いをされたのだろうか。

 

 俺もシスコン気味な自覚はあるが、そんな呼び方をされて喜ぶ趣味はない。制裁として妹の頬を揉んでおく。

 

「で、中年(ラジッカ)はリーダーの冒険者仲間でふね。実質育ての親みたいなもんらしいでふ」

「あら、成程」

 

 じゃあアルデバランパーティは、アルデバランの幼馴染(キチョウ)(イノン)父親(ラジッカ)で構成されていた訳か。

 

 めっちゃ仲良さそう。

 

「本物の勇者がキチョウだって秘密も、その4人しか知らない筈だったんです。秘密を共有する人数が増えるほど、その管理は難しくなるからって」

「ふむ」

「私も教えてもらえたのは、最終決戦間際でした」

 

 まぁ、その秘密はアルデバランパーティの核だもんな。

 

 徹底的に秘密を管理するのは、まぁ納得だ。

 

「で、確認なのですが。勇者と言えど、1回しか時間は戻せないのですね」

「正確には、明日までに時空魔法を使うだけの魔力が回復しないのだとか。かなり特殊な属性なので、えげつないくらい魔力を消費するそうです」

「はえー」

 

 ……時間が巻き戻っても、魔力は回復しないのね。

 

 俺の身体は完全に、魔力切れを起こす前の状態に戻ってるっぽいけど。筋肉天国、あっさり発動出来たし。

 

 術者は回復しないとか、そういう縛りがあるんだろうか。

 

「つまり明日が正真正銘、最後のチャンスです。つっても、リーダーが獄炎魔法で窒息させて私達が魔王を取り押さえたら勝ちですがね」

「……確かに。しっかり腕に注意しておけば、問題はないでしょう」

 

 そうだな、アルデバランの奴勇者でもないのに魔王に勝ちかけたからな。

 

 今度は気を付けて、腕を斬り飛ばさないようにするか斬り飛ばした後に腕を封じ込めればいい話だ。

 

「時間旅行ねぇ、私も体験してみたかったわぁ。私ってば死んじゃったのよね、情けない」

「もう、あんな背筋が凍るような場面はこりごりですわ」

「……サクラ様、ごめんなさい。貴女に命懸けで時間を稼ぐように要請したのは私です」

「あら、そうだったの?」

 

 えっ。

 

「そもそも私達が逃げていたのは、安全に時空魔法を発動するためです。なのに目の前に魔王が出てきて、勇者(キチョウ)が凄くパニクってまして。それで私はキチョウを落ち着かしてましたし、姉様はなんか放心してました。なのでその場で時間が稼げそうなのがサクラ様しか居なかったんです」

 

 そうか、マイカも『カールが残るなら』と殿に残ってたもんな。

 

 俺がボーっとしてたせいで、あの場で動けたのはサクラだけだったのか。

 

「私はこっそりサクラ様に『少しでも時間を稼いでくれれば、何とかします』と耳打ちさせていただきました。そして貴女は……見事にその役目を果たしました」

「へぇ。ま、お役に立てたなら良かったわぁ」

「貴女は最期まで勇敢でした。……感謝の言葉もありません」

 

 ……。

 

「きゃ、無言で抱き着かないでよイリーネ」

「……っ」

「はぁ。貴女、存外に泣き虫なのねぇ」

 

 サクラを抱きしめる手に力が入る。

 

 また俺は、サクラに守られてしまった訳か。

 

 何度、彼女に救われれば気が済むんだ俺は。

 

 

 

「……そんな事より、明日の話をしようか」

「ユウリさん?」

 

 いつの間にか、寝ぼけ顔のロリ少女が俺達の隣に座っていた。

 

 居たのかお前。

 

「さっき、本物の勇者君から話を聞いたよ。とても興味深い話じゃないか、時空魔法なんて素敵なものをボクに黙っているとはアルデバランも水臭い」

「秘密の保持が何より大事でしたからね。その当時、私も知らされてませんでしたし」

「ちょっと離れていれば戦争の後、勇者君にたっぷり研究に付き合ってもらう許可をもらった。ふふふ、腕が鳴るよ」

 

 そういって、ユウリは怪しい目を揺らして涎を垂らしていた。ああこれは、ちょっとアカン時のユウリだな。

 

 ……おそらく、ユウリは勇者の時空魔法を知って暴走していたのだろう。それで今は離れとけと言われてしまったのだろうか。

 

「姉様、まもなく会議が再開される見通しだそうです。明日の作戦の練り直しですね」

「そうですか。ではユウリさんも」

「ボクは研究室にこもっているよ、クフフフ。ほら、奴の髪の毛をどさくさに紛れて毟り取ってやったのさ。それとホラ、さっき回収したイリーネ君の飲みかけの水も────」

「ふん」

「アッアッ返したまえ」

 

 ……。コイツ何も変わってねぇ。

 

「姉様。返したらコイツ、おとなしく研究室にこもってるんじゃないですか?」

「……。そうですわね」

「フヒー」

 

 妹にそう言われたので仕方なく飲みかけの水を渡してやると、ユウリは変な声を上げてスゴスゴ退席していった。

 

 あー、研究者ってやつは本当に……。

 

「イリーネ、お前たちも早く来い! お前たちにも、明日のことを聞かせてもらうぞ!」

「あ、はいですわ!」

「了解です、リーダー!」

 

 ユウリが気持ち悪い笑みを浮かべて退出した後、俺達はアルデバランに呼ばれた。

 

 こうして、一度は何もかもを失いかけた筈の人類は、最後の一度だけチャンスを得たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────翌日。

 

 夜明け前、俺達はやはり首都の前の平原に陣地を敷いて彼女を待った。

 

「魔王は寝坊してくるから、もっとゆっくり集合でよかったのですが」

「兵士達は魔族が夜明けと同時に攻めてくると聞いてますからね。いまさら集合時間を変えられても、困惑するだけでしょう」

 

 イリューが遅刻してくるという情報は、兵士には伏せることにした。

 

 敵を甘く見て油断を生むから、というガリウス様の判断だった。

 

「で、だ。カール、お前は本当にやるのか?」

「ああ。……話を聞くに決着が付いた後だと、説得は無理っぽいしな。開戦前に俺が一人で、イリューを説得に行く」

「……殺される可能性だってありますのよ」

「そこはアレだ。その時はその時だ」

 

 そして昨日の会議の結果、何とカールは開戦前にイリューに話をしに行くことになった。

 

 奴は『イリューが寝坊したので、改めて開戦時刻を設定するための使者』という名目で彼女に近づくつもりらしい。

 

 確かに、その名目ならイリューは話を聞いてくれそうだ。

 

「もしカールの説得が空振りに終わっても、体よく開戦時刻を指定できれば『開戦と同時に獄炎魔法』なんて凄まじい手も使えますしね。やって損はないんじゃないでしょうか」

「確かにそれが、一番被害の少ない手段でしょう」

 

 真面目一辺倒のカールも、不意打ちや騙す目的ではなく『イリューと和平するべく説得する』使者なら喜んでと引き受けた。

 

 カールがその説得に失敗したとしても、建前通り開戦時刻を設定するだけでほぼ人類の勝利となる作戦だ。本当に、貴族って連中は悪知恵が働くなぁ。

 

「もう間もなく夜明けだ」

「さて、魔族の連中はやっぱり来てないな……」

 

 ……。イリューとの戦いで、俺は分かった。

 

 アイツは、魔族が勝っても幸せになんかなっていなかった。

 

 本当に彼女を救う道があるとすれば、カールの説得が上手くいくことのみ。

 

「もし、イリューがカールの説得に応じなければ」

 

 だからもう、俺ももう躊躇わない。

 

 力づくで、無理やりに、魔族を制圧する。

 

 ……どう転んだって幸せになれない奴より、俺達の未来を守ることを優先する。

 

「その時は、私が皆殺しにするだけだ」

「……しかし、イリュー本人は脱出してくる可能性が高いです。彼女は絶対切断の異能を得た化け物、決して油断なさらないでください」

「うむ」

「いざとなれば、魔力をすべて失う覚悟で支援魔法を使うつもりです。誰一人死なずに、この危機を乗り切るために」

 

 そう。今回の戦いの勝利の鍵は、いかにイリューを無力化できるかにかかっている。

 

 前は、彼女が何かしら詠唱する前にレイが首を斬り飛ばす事が出来た。そのお陰で、そのままイリューを封じ込めることに成功した。

 

 しかし、アレは俺の支援魔法があってこその状況。もしレイの反応が遅れイリューの魔法が先に俺達を襲っていたら、細切れにされていただろう。

 

 もう、油断はしない。俺達に出来る全力を以て彼女を迎え撃つ。

 

 アルデバランが獄炎魔法を発動したら、ほぼ同時に俺も支援魔法を唱えるくらいでちょうど良い。

 

 

 

「……なぁイリーネ」

「なんです、アルデバランさん」

「奴らは……遅刻してくるのではなかったのか?」

 

 

 

 ふと、アルデバランはそんなことを言い出した。

 

 そう、魔族は今日決戦に遅刻する。それは、彼女の言い分を信じるなら『何の戦略もない寝坊』。

 

 だから、カールはその寝坊を理由に交渉を────

 

 

 

「……もう魔族が、来ている」

「えっ」

 

 

 アルデバランのその言葉に、俺は地平線を見上げた。

 

 ……おかしい、こんな筈はない。だって、昨日は確かにイリューが遅刻していて、

 

 

 

1()()()()ですね』

 

 

 

 朝焼けの赤みが空を照り付ける中、魔王の声がゆっくりと首都に響いた。

 

『ええ、実に驚きましたよ。あんな隠し玉があるとは思いませんでした』

 

 ドクン、と胸が早鐘を撃つ。

 

 彼女は何を言っているんだ。イリューの目線だと、彼女とは3日前に演説したきりで。

 

『まぁでも、割り込みが間に合ってよかった。ああ、ごめんなさいね人類』

 

 

 

 ……そして俺はふと気づいた。

 

 魔族が、敵の布陣が前回と大きく異なっている。

 

 

 前回は地平を覆いつくさんばかり、イリューを中心に密集した陣形をとっていた。

 

 しかし今日の魔族は、明らかに疎だ。決して密集せず、かなり広範囲に薄く伸ばした様な陣形を敷いている。

 

 

 これは、まさか。

 

 

『目の前でそんな魔法を発動したら、干渉するに決まってるじゃないですか『時の勇者』さん。私、攻撃魔法は使えませんけど……攻撃魔法以外なら大体なんだってできるんですよ』

 

 

 ……ヤバい。

 

 イリューの奴、アイツも記憶を保持してやがる!

 

「おい、キチョウ! これは一体どういうことだ!」

「そんな、嘘? 僕、魔王を一緒に過去に飛ばしてなんかないよ!」

「……イリューは何かしらの方法で便乗したのでしょうね、貴方の魔法に。史上最強の支援魔術師の名前は伊達ではなかったという事でしょう」

 

 昨日の話し合いの、大前提が崩れ去った。

 

 魔王も、前回の情報を知っている。

 

 アルデバランのとっておきが、窒息させる獄炎魔法であることも知っている!

 

「……因みにアルデバラン、あの獄炎魔法以外にも魔族を全滅させる素敵な必殺技とかないの?」

「そんな便利なもんがいくつもあってたまるか! あの魔法だって、習得にすごく苦労したんだからな!」

「ですわよね」

 

 ああ、これはマズい。

 

 イリューは、獄炎魔法の対策としてかなり広い陣形をとったのだ。

 

 アルデバランの獄炎魔法では、とても全体をカバーしきれない布陣をしたのだ。

 

 

 

『では、今度こそ。貴方達に絶望を教えて差し上げましょう』

「ぐ、どうする! 何とかできないのか!」

『全軍突撃を。安心してください魔族さんたち、勇者の炎魔法は私達に通じないと歴史が証明しているのです』

 

 その号令と共に、ゆっくりと魔族たちが前進を始めた。

 

 恐ろしい唸り声をあげて、無数の化け物が俺達へと迫ってくる。

 

「力押しじゃあ、絶対に勝てないわよぉ!?」

「……どうする。一か八か、薄くなった敵の中央を突破してイリューを討つか」

「そんな事出来るわけありませんわ!!」

 

 ああ、どうすればいい。レイはまだ知らないのだ、あの支援を受けた魔族たちの恐ろしさを。

 

 中央突破なんて夢のまた夢。このまま奮戦し、何とか民衆が避難する時間を稼ぐしか────

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうい、聞け!! イリュー!!」

「……って、カールさん!?」

 

 

 

 

 

 

 その、突撃を開始した魔族の真正面に立つ男一人いた。

 

 それは、良くも悪くも真っすぐで猪突猛進な、俺達のリーダー。

 

 

「イリュー!! 戦いを始める前に、お前と話がしたい!!」

『何ですか、人類。命乞いなら聞きませんよ』

「話をするだけだ!! どうだ、度数の弱いリンゴ酒も持ってきたぞ!」

 

 

 カールは、酒瓶を片手に笑顔を振りまいて、疾走する魔族たちの前に座り込んだのであった。

 

「……あのバカ、何やってるのよ!?」

『拒否します。貴方達と話し合う事なんてもう何もない』

「そこを何とか! 一杯だけでも付き合え、イリュー!」

『私はユリィです。その名前は、貴方達に名乗っただけの偽名』

「なんでもいいさ! 俺は、猿仮面と名乗る怪しい奴とだって飲んだことがあるんだ」

 

 それは、豪胆なのか阿呆なのか。

 

 彼は、足を止める気配のない魔族たちの真正面で一人、イリューに向かって呼びかけを続けた。

 

『まぁいい、何を言われようとその要求には付き合いません。魔族さんたち、その男を縊り殺してください』

「おい、良いのかイリュー。そんなことを言うなら、俺にだって考えがあるんだぞ」

『あら、脅迫ですか。話し合いと称して高圧的、まったく人類はこれだから』

 

 しかし、カールは何故そんなに強気に出られるのか。

 

 今、人類は全滅するかどうかの瀬戸際なのだ。イリューの言うまま突撃されてしまえば、きっと俺達は力負けして滅ぼされてしまう。

 

 時間を巻き戻せるのは一回こっきりだし、そのせっかくの時間渡航も魔王に察知されてしまった。

 

 俺達は何とか頭を下げ、イリューに交渉の舞台に上がってもらうしか生き残る道は────

 

 

 

 

「お前がそのまま話を聞いてくれないなら……俺はこれを頭に被って戦う」

『ちょっと待ってください話をしましょう』

 

 

 

 

 カールは、何故か懐からパンツを取り出した。

 

 ……。

 

 

『……あの? カールさん?』

「おお、俺と話をしてくれる気になったのか?」

『あ、いや。交渉を受け付ける気はないんですが……何を言い出すのです?』

「ふ、そんなこと言って良いのか、イリュー。このままお前が攻撃を続けたら……、どうなるよ?」

 

 いや、何言ってんのアイツ。そのパンツまだ持ってたの?

 

 お前が頭にパンツを被って、何が生まれるの? バカなの?

 

『ど、どうなると言うのです』

「この戦いは、尻魔王VSパンツ勇者の戦いとして後世に語り継がれるんだ」

『ちょっとぉぉぉぉ!?』

 

 ……。確かに、それはちょっと嫌だな。

 

『やめてください! いや、やめろ人類!!』

「……気付いたんだ。何で俺、こんなにこのパンツが気になっていたのか」

『その下着を顔に近づけないでください! ぶっ殺しますよ!』

「ふ。このパンツは……お前のものだったんだな、イリュー」

『凄いタイミングでそんなしょうもない事実に気付かないでください!! 何これ、何ですかこれ!?』

「お前がこのまま話を聞いてくれないなら、俺は本当にこのパンツを頭に被る。お前と話をするためなら、何だってやってやる!!」

『この男、本当にやりかねないから面倒臭い!!』

 

 

 

 ……。

 

 どうしよう。俺は今、きっとゴミを見る目になっている気がする。

 

 

 

 

「……返事がないようだな。残念だ」

『分かった、分かりました!』

 

 幾ばくかの静寂の後。

 

 仲間達の白い目線をモノともせず、勇者カールはそのパンツを被ろうとして、

 

『1杯だけですよ、付き合うのは!!』

「おお、本当か!!」

『本当に付き合うので、今すぐそのパンツを地面に置いてください。いや置け』

 

 とうとう、魔王はカールの()()な懇願の下に折れたのであった。

 

「……アイツ、本当に勇者だな。俺には真似できん」

「恥ずかしい……。アイツの幼馴染みである事が心底恥ずかしい……っ!!」

「でも、割とファインプレーなのが腹立たしいですわ」

 

 こうして、人類は一枚のパンツで九死に一生を得た。

 

 




や人糞


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92話「人魔会談」

(中略)

 

 こうして、第六次魔族決戦は最終局面を迎えた。

 

 その決戦の日、勇者カールは魔王軍の前に一人座り込んで、黒色の布を掲げたという。

 

「すわ、何事か」

「敵の策略か」

 

 魔族どもはその勇者の行動をいぶかしんだが、魔王ユリィだけはカールに敵意がないことを悟り全軍を停止させた。

 

 その黒い布は、どうやら魔王と勇者の友情の証であったらしい。それを見て、魔王は勇者が和睦の使者として一人訪れたと気付いたのだ。

 

「魔王よ、酒を持ってきた」

「ようし、一杯付き合おう」

 

 勇者カールの呼びかけを魔王ユリィは快諾し、二人は席に着いた。

 

 最終決戦の間際、魔族の王と人族の勇者が酒を酌み交わしたのは実に史上初の事であった。

 

 この故事より、黒い布を掲げた使者を送ることが『和平のサイン』として各国に周知されていくことになる。

 

 因みに現在なお、一部の研究者が「勇者が掲げたのは黒い布ではなく、黒パンツだったのでは無いか」という過激な主張を続けているが、その主張に何の根拠も存在しないことを明記しておく。

 

 

 ────アイク・ヴェルムンド著『魔族と人類の歴史』より抜粋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で。何の話ですかカールさん」

「まぁまぁ、まずは座れよイリュー。久しぶりだな」

 

 その小さな酒宴は、草原に小さな敷布を敷いただけの簡単な席で行われた。

 

 その酒宴会場の周囲には、殺気を撒き散らす魔族達がひしめいていた。

 

「とりあえず、返してもらいますよパンツ。……本当に、何なんですか貴方」

「ああ悪かった、返す返す。……ところで、どうやって脱げたんだそれ」

「それは、私が砲台に魔力詰めすぎて爆発した際に……。いや、そんなのどうでもいいです」

「はっはっは! あの時のって、イリューの自滅だったのかよ。本当にお前らしいな」

 

 しかし、凶悪な魔族に囲まれようとカールは物怖じする様子は無かった。

 

 気軽に、十年来の友人に会いに来たかのような雰囲気で、カールはイリューの足元にパンツを置いて酒を注いだ。

 

「ほら」

「……どうも」

 

 イリューは杯を受け取り、カールに酒を注ぎ返した。

 

 そしてここに、史上初の『決戦前の宴席』が開催された。

 

「……では、いただきます」

「待て待て、まずは乾杯だろう」

「……ま、そうですね」

 

 イリューは、急いで酒を飲み干そうとした。

 

 彼女は、本当に『付き合う』だけのつもりの様子だ。

 

「では、さっさと乾杯しましょう」

「……ああ。魔族と人類の戦いで、少しでも犠牲が少なくなることを祈って」

「そうですね」

 

 カールは、早く茶番を終わらせたいイリューを前にしてそう言うと。

 

「「乾杯」」

 

 静かに杯を酌み交わし、チビリと酒を飲んだ。

 

 

 

 

 

「では私は飲み干しました、これにて」

「おいおい、俺はまだ途中だろう。一杯は付き合うといったじゃないか」

「カールさんの一杯に付き合うなんて言ってません、私の一杯です」

 

 やはりイリューは、早々に席を立とうとした。

 

 彼女は、今から殺し合いをする相手と仲良くすればするほど、辛くなることに気付いていた。

 

「……頼む、話を聞いてくれ」

「嫌です。人類には、もう何度も何度も騙されました」

「俺はお前を騙す気なんてない。嘘を吐くつもりもない」

 

 イリューも一度は信用しかけた男、カール。

 

 彼は、確かに嘘をつかない男であった。それは、イリュー自身も良く知っていた。

 

 だから。イリューはもう少しだけ、カールの話に付き合うことにした。

 

「……手短に、どうぞ」

「和平を結ぼう。お互いに停戦して、戦いをやめよう」

「その提案に、魔族はどんな利益があるのですか」

「誰も死なずに済む。これ以上の、利益があるか」

 

 カールは、真っ直ぐな目でそう言った。

 

 その目に、イリューを嵌めようなどと言う淀んだ気配は欠片もなかった。

 

「俺達が譲歩する、領土を分けよう。その中にいる限り、絶対に人間が手出ししない魔族だけの領土だ」

「……」

「魔族は魔族で、人間は人間で。しっかり住み分けて、互いに干渉しない。俺達は、不可侵条約を結ぶのさ」

 

 カールが口に出したこの提案は、決してカールだけが言っている話ではない。

 

 それは国王に『許諾』されていた話だ。

 

 もし獄炎魔法が失敗し、人類が負けそうになった時。カールは、その条件で魔族に和睦交渉する事を会議で許可されていた。

 

 反対意見も多かったが、それを押し切って王は『旧魔族領』と呼ばれる地区の一部を魔族に返還する約束をした。

 

 ────もしそこで、魔族の反乱がおきたとして。この首都前で決戦するより、よほど被害が少ないだろうという政治的な理由もあった。

 

「そんなの、絵空事ですね」

「絵空事なんかじゃない。そして、それが実現すればイリュー、お前は泣かずに済むだろ」

 

 カールは、本気でイリューを説得しにかかった。

 

 ここでイリューが(はい)と言えば、本当に和平は実現するのだ。

 

「お前が望んでいるのは、殺戮なんかじゃない。魔族の安全と平和だろう? イリュー」

「……その通りです」

「じゃあ。この話、受けてくれないか」

 

 カールは、『人類が負けそうな』現状を千載一遇の好機と考えていた。

 

 今は、まさしく獄炎魔法を使う前から失敗し、人類が負けそうになっているタイミングだ。

 

 それは国王が魔族の領土を認めるという、対等な条件での和平が成立する唯一無二の機会でもあった。

 

「そして、改めて友達になろう、イリュー」

「……カールさん」

「和平が成立すれば殺し合う必要もない。戦う理由もない。だったら、俺達はまたこうやって酒を酌み交わせる筈だ」

 

 ごくり、とイリューの喉が揺れた。

 

 彼女とて、それが実現したらどれだけ素晴らしいかと夢想した和平。それが、現実のものになりつつある。

 

「俺だけじゃない。俺達の仲間みんなを誘ってさ。また、楽しい宴会をしようぜ」

「……」

「またお前の、嘘っぱちだらけの歌を吟じてくれよ。あれ、結構好きだったんだ」

 

 その光景を、イリューは頭に思い描いた。

 

 一度は敵対し、殺し合うはずだったカール達。

 

 そんな彼らと、再び楽しく話が出来たらどれだけ幸せか。

 

「なあ、お願いだイリュー」

 

 カールは、静かに魔王に手を差し伸べた。

 

「俺の手を、取ってくれ」

 

 ……もしイリューが、覚悟を決めて。

 

 その勇者の手を握れば、きっとその光景は実現するだろう。

 

 そう、きっと素晴らしい未来が待っている筈だ。

 

 イリューが魔王としてではなく、カール達の友人として笑い合う未来が────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい」

「……」

 

 

 パシン、と。

 

 その手は、魔王に振り払われた。

 

「本当に、そうなればどれだけ素晴らしいでしょうか」

「……そうなるよ。俺が絶対、そうして見せる」

「カールさんは、嘘をついていません。そんなの、よくわかってます」

 

 ポツリ、ポツリと声を振り絞り。

 

「でも、やっぱり人類を信用できません」

 

 イリューは、魔王は、きっぱりとカールを拒絶した。

 

「イリュー……」

「そんな話を飲まなくても、このまま押しきれば魔族は勝てるんです」

「でも、戦わなくても済む道があるなら」

「魔族は、もう勝つ寸前なんですよ? 騙されるリスクを負ってまで、勝利を捨てる意味は何ですか?」

 

 彼女自身に刻みつけられた『人類へのトラウマ』がそう決断させた。

 

 イリューは、もう嫌という程『騙された』を繰り返したのだ。

 

 こんな大一番で、魔族全員の命運を肩に乗せた状況で、人類を信用する事なんてできなかった。

 

「カールさんに騙すつもりがなくても、貴方も騙されている可能性だってある」

「そんなことはない! 今の国王は信用できる、きっと嘘なんか吐かない」

「信じられませんよ。私はもう、裏切られるのは嫌なんです」

 

 ここに、交渉は決裂した。

 

 もとより、説得なんて不可能な話だったのだ。

 

 イリューは心優しい人間だった。

 

 そんな彼女が『戦う』と決めるまでに、どれだけの苦難と覚悟を乗り越えてきたか。

 

 イリューはたった一度の話し合いでその矛が収まるような、半端な覚悟で決戦を選択したわけではない。

 

「……俺は、まだお前のことを仲間と思っている」

「私は、貴方を敵と思っています」

「そうか……。それが、お前の答えなのか。どうあっても変わらないのか」

「ええ、変わりませんとも」

 

 ────仲間だった少女からの拒絶。

 

 それは、底抜けのお人好しであるカールにとってはこれ以上なく辛い事で。

 

「そうか。じゃあ……」

「じゃあ、何です」

「お前は、俺の敵だ。イリュー」

 

 カールは、顔を真っ青にしながらその言葉をイリューに呟いた。

 

「お前はもう、仲間じゃない」

「最初から、私はカールさんの仲間なんかじゃなかった」

 

 それは彼自身が決めていた事。

 

 イリューが説得に応じなかった時。どうやっても、イリューを止められないと悟った時。

 

 カールは仲間の為、イリューを『殺す』と決めていた。

 

「俺は今から、お前を殺す」

「私は最初から、貴方を殺すつもりで近づきました」

「……残念だ」

 

 互いに真正面に向かい合って、勇者と魔王は言葉を交わした。

 

 その眼に、確かな敵意を宿らせながら。

 

 

「……じゃあ、俺は戻る。お前らは、半刻ほど経ってから攻撃を再開してくれ」

「へぇ? カールさんが戻るまでの間、私達に攻撃を待てと?」

「そりゃあ、卑怯だろうからな」

 

 カールはそう言うと目線を外し、膝を立て立ち上がった。

 

 自ら持ってきたリンゴ酒の空瓶と杯を拾い、シッシと魔族に道を開けるよう手を振った。

 

「次に会う時は、お前を殺す時だ」

「……随分と、慢心していますね」

 

 イリューは、嗤った。

 

 カールは、敵の中で最高戦力の一人だ。

 

 イリーネを護衛していた戦士の中では、頭一つ抜けて強力な存在。

 

()を、生かして返す理由があるのですか?」

「おいおい。……それは流石に卑怯だと思ったが」

「実は私、カールさんの腕をとても高く評価しているんです。……ここで、仕留めておきたいと思うくらいには」

 

 そもそもイリューは、カールの言葉通り『酒に一杯付き合って、講和の話まで聞いた』。

 

 彼女としてはこれ以上なくカールに譲歩したし、付き合ったつもりなのだ。

 

 そして、彼が引き返すのを待ってやる約束なんてしていない。

 

「私としては、たった一人で敵陣に乗り込んでおいて『こんな事態』を想定していない貴方が悪いと思うんですけど」

「違う、そうじゃない」

 

 イリューは、ここでカールを殺すつもりだった。

 

 先程、互いにはっきりと敵対宣言をしたことで、カールを殺す『心の負担』が随分と減った。

 

 今のタイミングならば、比較的心穏やかにカールを殺せるだろう。

 

「ごめんなさいカールさん、せめて貴方は美味しくいただきますので。じゃあ皆、ここで彼を────」

()()()()()()()()、イリュー」

 

 

 

 直後。

 

 大剣が、イリューの首を両断した。

 

 

「……っ!?」

「流石に卑怯だと思ったんだよ、俺は」

 

 

 速い、あまりにも速い。

 

 彼の動きは、魔族を狩ることだけに特化している。

 

 魔族にどれだけ囲まれようが、その間を縫って芸術的に斬擊は振るわれた。

 

 ゴブリンに囲まれ、トロールに突進され、その全てを蹴散らして。

 

 カールは、イリューの首を斬り飛ばした。

 

 

「『講和』を建前に魔王(イリュー)の目の前に来させてもらって、そこから斬りかかるなんて卑怯だろ」

 

 

 カールは、何故魔族の群れの中で豪胆にリラックスしていたのか。

 

 それは、自信があっただけに他ならない。

 

 

「……げほっ! み、皆さん、カールを殺して下さ────」

「でも、お前達が此処で始めたいっていうなら仕方ねぇ」

 

 

 そう。

 

 カールは魔族に囲まれようと、自分ならば悠々立ち回れると言う自信があっただけ。

 

 

「ここでおっぱじめようぜ、魔族ども!!」

「……!」

 

 

 その言葉に、周囲の魔族は圧倒された。

 

 自分より遥かに弱いはずの『人間』の放つその凄みに、恐怖で委縮させられた。

 

 

 

 その男は、自分の背丈ほどの大剣を構え。

 

 少しずつ再生していく魔王イリューを、射殺すような目で睨み。

 

 腰には空いた酒瓶を、肩には2つの杯を垂らして。

 

 全身に魔族の返り血を浴び、漆黒の布切れを肘に巻き付け。

 

 

「あれっ……?」

「遅い」

 

 

 首が再生したイリューが支援魔法(うた)を吟じる暇もなく、切り飛ばした。

 

 

「お前の支援魔法さえなければ、人類でも魔族といい勝負できるらしくてな。俺の仲間が到着するまで、ここでお前を封じさせてもらうぜイリュー!!」

「ぐ、カールさん、貴様……っ!!」

 

 誰もカールを止められない。

 

 イリューを救おうと割って入った魔族は、そのままカールの剣の餌食になるだけ。

 

 これは、確かに卑怯だ。だから、カールは帰ろうとしたのだ。

 

 しかし魔族(イリュー)は『カールを安全な場所まで逃がさない』という最悪の愚策をとってしまった────

 

 

 

「何でちゃっかり、私のパンツを腕に巻き付けてるんですか!?」

「……さあ、かかってこい!」

 

 

 そしていつの間にか、返して貰った筈のパンツがカールの腕に巻き付いている事に気付き、思わずイリューは絶叫した。



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93話「何処までもバカな男」

投稿日を間違えてました、すみません


「最終決戦だ! カールに続け!!」

 

 そのアルデバランの咆哮と共に、俺達は全力でイリュー達の元へと突撃を開始した。

 

「敵の薄すぎる布陣を逆手にとれ!!」

「勇者カールが、イリューを押さえつけている間に潰せ────」

 

 俺達は、死に物狂いでカールの元へと駆け出した。

 

 まさに、値千金の大立回りだ。あの男は、イリューの恐ろしすぎるあの支援魔法を食い止めている。

 

「今しかない! 今を逃せば人類に勝機はない」

 

 そのカールの命懸けの行動を、無駄にするわけにはいかない。

 

 俺は全身に筋力強化を重ね掛けして、矢のようにまっすぐ駆けていった。

 

「……あのイリーネって貴族令嬢は何者なんだ!? 人間の走る速度じゃないぞ」

「ふふふふふ! どうですか、私の姉様は走るゴリラなんです!」

「そりゃゴリラだって走るんじゃないか……?」

 

 その突撃する人類の先頭は、俺だった。

 

 人類最高峰の魔術師(オレ)が全力で、人類最高峰の筋肉(オレ)を強化しているのだ。

 

 今の俺に追いつけられる人間なぞ、いる筈もない。

 

「良い、許す! 今回ばかりは先陣を切って突っ走れイリーネ!」

「カールを……、いや人類(わたしたち)の未来をつないで!!」

「がってんですわ!」

 

 1秒でも早く、1瞬でも速く、俺達は彼処にたどり着かねばならない。

 

 カールが魔族に殺される前に、この勝機をモノにしなければならない。

 

「すごいわカール。あの男、全然余裕で押してるわぁ。イリーネを突出させず慎重に進んでも……」

「バカ言いなさい、如何に剣術が凄かろうがカールは人間なの! 1発でも貰えばお陀仏なんだから!」

 

 以前は突出することを怒られた俺だったが、今回ばかりは勝手が違った。

 

 今この瞬間は、どれだけ速く彼のもとにたどり着けるかが人類の勝利のカギになっているからだ。

 

 

「────ああ、鍛えていた甲斐があった」

 

 

 俺の口から、零れたのは安堵だった。

 

 俺がもし筋肉に妥協し、適当な鍛え方をしていたら。

 

 俺がもし、トレーニングを志さず単なる聡明で美人な貴族令嬢であったとしたら。

 

 この瞬間、誰よりも先陣を切って友人(カール)の元へと駆けて行くことが出来なかった。

 

 

「イリーネ、敵が突っ込んできているぞ」

「フン!」

 

 

 両腕を、顔の前でクロスして。

 

 俺はイリューを守るべく回り込んできたゴブリン共を、筋肉タックルで一蹴した。

 

 弱い。イリューの加護を受けてさえいなければ、ゴブリンは人間に毛が生えた程度の戦闘力しかない!

 

「これが筋肉突撃(マッスルトレイン)ですわ!」

「力押しにもほどがあるでしょお!?」

 

 俺がゴブリンを吹き飛ばした背後で、国軍と魔族の戦闘が始まった。

 

 どうやら、俺以外はゴブリンに足止めされてしまったらしい。

 

「そのままお前だけでも突っ走れイリーネ! 私達もすぐ追いかける!」

 

 後ろで大きな火柱が上がり、ゴブリンが吹き飛んでいく。あの様子ならアルデバラン達も、すぐに追いついてくれそうだ。

 

 よし、ならば俺一人だけでも先行し、カールと合流しよう。

 

「……行っけぇ姉様!!」

 

 遠く、妹の金切り声に背を押され。

 

 俺は全身を筋肉の鎧に変えて、猪突猛進にカールとイリューの元へと突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この、どうして、何で!! どうして私の邪魔をするんです!」

「邪魔するに決まってんだろ!」

 

 やがて、その二人の声が聞こえてきた。

 

 

 ────開けた丘の上。無数の魔族が手出しを躊躇うなか、勇者と魔王は斬り合っていた。

 

 

 泣きそうになりながら叫び、切り倒されるイリュー。

 

 泣きそうな目をして、彼女を切り飛ばすカール。

 

 二人は、お互いに泣きながら戦っていた。

 

「────もうやめてください! いい加減、に……っ!!」

「これがお前の選択だイリュー!!」

 

 ザシュ、と真っ赤な血飛沫が戦場にまき散らされて。

 

 カールは肩で息をしながら、狼狽する魔族たちの真ん中に立ち尽くしていた。

 

「これが戦争だ。これが殺し合いだ。こうなることが分かっていたんだろうイリュー!」

「違います、こんな事があってはダメなんです!」

「この分からずや! 魔族が絶対に勝てる保証だぁ? そんなもの、この俺が居る限りあり得なかったんだよ!」

 

 あの二人は、つい10日ほど前に共に肩を並べ、飯を食っていた。

 

 お調子者のイリューをみんなで囲んで、楽しく酒を飲んでいた。

 

「これが戦争をするってことだ、イリューっ!!」

「────違う!!」

 

 あんなにも仲良さそうにしていた二人が、斬り合っている姿を見て思わず、俺の目頭が熱くなってきた。

 

 どうして俺達は争っている?  

 

 どうして、俺はイリューを倒さなければならない!?

 

「いい加減にカールさん────」

「うおおおおおお!!」

 

 再び大地に、血飛沫が散って。

 

 カールが、悪鬼の表情で修道女の首を斬り飛ばした。

 

「────っこの!!」

「何度再生しても、同じだ!」

 

 その隙をついて、やはり周囲の魔族達はカールへと飛び掛かる。

 

 しかし、それは無謀な突撃。カールは眉ひとつ動かさず、襲いかかる魔族の肉体を刻み、

 

 

「俺を倒せる奴が居るものかぁぁっ!!!」

 

 

 再び、首の再生を終えたイリューに大剣を突き付けた。

 

 そして、また場は硬直する。

 

「いい加減、諦めろイリュー。何度やっても、同じことの繰り返しだ」

「……何でですか」

 

 強い。強すぎる。

 

 これが、カール。魔力も肉体も大したことない癖に、剣術一本で勇者に選ばれた傑物。

 

「ここで負けましたと言え!! 人類に降伏しますと宣言しろイリュー!」

「そんなの言えるわけがない! 私達はまだ負けてない!!」

「諦めて降伏してくれ! 俺はもう、これ以上戦いたくない!」

「うるさい!! そもそもカールさんが!」

「だったら、俺はまだ戦争を続けないといけないじゃないか!!」

 

 その二人の斬り合いを、終わらせねばならない。

 

 俺が駆けつけ、カールに仲間が来たことを知らせ、魔族に敗北を突きつけなければならない。

 

 だから、走る。俺は、もう目と鼻の先に居る二人に割って入るよう大地を踏み締めて─────

 

「────だから、そもそも私を斬る前にパンツ返してって言ってるでしょう!!」

「そんなことを言うから! 戦争がなくならないんだろ!」

 

 ……ズデッと、そのまま俺はコケた。

 

「戦争関係有りません!! これじゃ結局、パンツ勇者で伝承されちゃうじゃないですか!!」

「悲しいが、これが戦争なんだ」

「絶対違いますぅぅぅぅ!!」

 

 さっきから何を言い合ってるかと思えばそれか。

 

 パンツを返せ云々で喧嘩してたのか。

 

「まずはそのパンツを解放してから話をしましょう。ほら、ね、カールさん?」

「……どうして分かってくれないんだ、イリュー」

「いやそれ私の台詞ですからね!?」

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どっせい!!」

「ぶべら!?」

「ほええええ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、どうだイリュー!! もう俺の仲間が到着したぜ」

「今その仲間に蹴っ飛ばされてませんでしたか」

 

 何やってんだこの男、さっきから真剣に何を話しているかと思えば。

 

 話聞いてもらったなら返してやれよ、そのパンツ。

 

「……カールさん、よく持ちこたえてくれました。が、もう少し真面目にやってください」

「えー。真面目に戦争をやってたけど」

「どの口がそう言いますか! 私のパンツ振り回しといて!」

 

 せっかく、最終決戦って気持ちで走ってきたのに、色々台無しだわ。

 

 何でこの男、パンツが関わると急にアホになるんだろう。俺も男の時、こんな感じだったっけ?

 

「……イリーネ、よくこれを見てくれ」

「だから、パンツを触らないでください!」

「ほーれほーれ」

「あっ、あっ」

 

 カールは言い訳がましくパンツを手に取り、左右に振った。すると、それにつられてイリューも左右へと体を揺らした。

 

 猫じゃらしに遊ばれてる猫みたい。

 

「そして隙あり」

「ぎゃあああ!!」

 

 そのイリューが左右に揺れている隙をついて、カールはイリューを斬り飛ばしてしまった。

 

 再び、地面に血飛沫が舞った。

 

 ……。ビクビクとイリューの体が震えながら、再生していく。

 

「どうだ、実際有効だろう」

「この外道勇者!!」

 

 

 これは酷い。妙にカールが優勢を保っていると思ったら、パンツの力で優勢だったのか。

 

 マジでパンツ勇者で伝承されてしまうぞこれ。イリューの名誉のためにも、歴史を改ざんしてやる必要があるかもしれん。

 

「イリーネ、これは戦争なんだ。戦力で負けている俺達は、勝つためどんな手段も選んじゃいられない」

「……その通りなんですが。その通りなんですがね?」

「ふ、ふ、ふええええーーん!!! いい加減パンツ返して下さいよぉ!!」

 

 実際、俺達に勝ち目があるとすれば、このままイリューを封印してしまうという卑怯な手しか残ってないわけだけど。

 

 それにしたってこれは酷い。人間のやることじゃねぇ。

 

「それに、何だ。このパンツには、言いしれない魅力があるんだ」

「……さて! 我々人類の勝利の為、ここで滅んでいただきますわイリューさん!」

「このしっとりとした肌触りが……」

 

 言い訳のつもりなのか、カールが妙なことを口走りだしたので俺は無視してイリューと向き合った。

 

 カールはストレスでおかしくなっているんだろう。イリューと殺し合うの、一番嫌がってたのはカールだしな。

 

「身に着けていると、勇気とやる気が湧き出て来るようで」

「この! 人類になんか負けて堪るものですか!」

「アルデバランさんの獄炎魔法を警戒して、広く陣取りすぎましたね。もう間もなく、私達の仲間が此処に到着いたしますわ」

 

 俺の背後では、既にいくつもの火柱が上がっていた。

 

 アルデバランの火魔法だ。イリューの支援(バフ)が無ければ、彼女の魔法も十分通じるらしい。

 

「私達は、負けない! 負けるわけにはいかないんです!!」

「受けて立ちますわ。負けられないのは私達だって同じですから!」

 

 俺とイリューの想いが交差して、魔族と俺の拳が向かい合った。

 

 イリューを守るべく、魔族の勝利をもたらすべく、決死の覚悟で突っ込んでくる小柄なゴブリン。

 

「────先手必勝」

「ぎぃぃ!?」

 

 俺の浸透掌が、ゴブリンの顔面を砕いた。平原にまた一つ、魔族の死体が積み上げられた。

 

「よ、は、とぉ! ですわ」

「ぎぎぃぎぃ!」

 

 俺は師匠(レイ)に教わった型通り忠実に、魔族を粉砕していく。

 

 隣で剣を構える勇者(カール)を援護するために。

 

 

「げヴぉぉぉヲぉ!」

 

 

 遂に、一際デカい猿顔の魔族が突進してきた。確か、コングと呼ばれた奴らだ。

 

 それは俺が初めて出会い、初めて仕留めたまごうことなき化け物。

 

「いつまでも、弱いままの私ではありません!」

 

 その跳躍は、殴打は、トラウマとして暫く俺の夢に出てきた。

 

 俺は圧倒的な暴力を前に何もできなかった無力さを、ずっと背負って修行してきた。

 

「でいやぁ!!」

 

 その怪物の殺人的な殴打を、俺は師匠直伝の歩法で受け流し、

 

「脳天を揺らして差し上げますわ!」

 

 猿顔の頭蓋にゆるりと手を当てて、浸透掌(マッスルボンバー)を叩きつけてやった。

 

「ぐぉぉオ?」

 

 脳を揺らされたその魔族は、呻き声をあげる。

 

 その隙を逃す気はない。間髪入れず足を思い切り蹴飛ばして、魔族の体勢を崩す。

 

 頭から地面に叩きつけられた魔族は、やがてピクリとも動かなくなった。

 

 

「……そんな、そんな! 私達が負けるなんて────」

「よそ見していていいのか?」

 

 

 俺がたった一人で魔族を圧倒したのを見て、イリューの顔色が変わった。

 

 まさか俺が、ここまでやるとは思っていなかったらしい。

 

 カールの剣先を喉元に突きつけられ、イリューは放心して立ち尽くしてしまった。

 

 

「あんなに準備したのに。あんなに努力したのに」

「……時間切れだ、イリュー」

 

 

 遠くの魔族は必死に此処に駆けつけてきているが、もう遅い。

 

 とうとう、俺達の時間稼ぎは完遂した。

 

「私達は、負け────」

「よくぞ粘った、貴様ら」

 

 やがて俺の背中から、頼れる声が聞こえてきた。

 

「……見事な動きだった、イリーネ」

「……ここからは、私達も」

 

 それはクールな師匠と、姉弟子の声。

 

「さぁて、年貢の納め時かしらぁ?」

「ふ、落とし前の時間ですな」

 

 それは、親友とその従者の声。

 

「さっさと封じるわよ。おい勇者、やっておしまい」

「なんで命令口調なのさ……」

 

 猫目の悪魔は、勇者に封印をけしかけて。

 

「は、はは。無事でよかった」

「どうです。姉様は、存外パワフルでしょう?」

 

 父と妹の、安堵の声も聞こえて来た。

 

 

「他の魔族はもう間に合わん。貴様に歌わせる暇なんぞ作らぬ」

「ああ、あああああっ」

「人類の勝ちだ、魔王よ」

 

 

 そして。

 

 紅の髪を靡かせた勇者が、魔王に勝利を宣言した。

 

 

 

 

「どう、して。私達が、負ける理由なんて」

「そうだな。貴様らは強かった。だが一つ、人類が貴様らに勝っていたものがあった」

 

 アルデバランに杖を突き付けられ、イリューはその場にへたり込んだ。

 

 周囲に、イリューを守れる魔族は居ない。彼女が何かしら魔法を唱えようと、すぐにカールが斬り飛ばせる位置にいる。

 

 ここに、人類と魔族の勝負は決した。

 

「皮肉な話だ。貴様らの敗因が分かるか?」

「それ、は────」

 

 アルデバランは、勝ち誇り。

 

 凄まじい魔力を練り上げて、優しい目でイリューを諭した。

 

「結束の力だとか、そんな月並みな事でも言いたいのですか?」

「ああ、その通り。つまり『愛』さ」

 

 射殺すような目でアルデバランを見つめるイリュー。

 

 そして、その魔王ユリィを憐憫の目で見下ろすアルデバラン。

 

「『愛』? 何ですかそれは、ふざけているんですか」

「ふざけてなんかいない。……もう少しだけ、貴様には私達を信じて欲しかった」

「え、魔族の敗因ってパンツだろ」

 

 余計な事を言ったカールの顔面が、俺の筋肉(マッスル)パンチで窪んだ。

 

「本当に、和解の道はあったんだ。信じて貰えないのも無理はないと思ったが、それでも信じて欲しかった」

「あれ? あれれ? 実際『パンツ』が敗因な気がしてきました……」

「前が見えねぇ」

 

 アルデバランが良い事を言っている裏で、ユリィは割と混乱していた。

 

「私達は、互いを信じあった。私を信じてくれたガリウス様。そのガリウス様を信じた国王」

「……待て待て落ち着きましょう私。敗因パンツは不味いでしょう」

「みんなの力が一つになって、魔族を……貴様らを凌駕したんだ」

「ここは彼女の言う通り、愛に負けたって話の方がマシなのでは」

「貴様の敗因は『愛』だ! 魔王ユリィ!!」

「……な、成程!! 認めるしかありませんね、その敗因!!!」

 

 勇者アルデバランの説得で、イリューは自らの非を認めた。

 

 魔族は、人間の愛の力に敗北したのだ。決してパンツが敗因ではない。

 

「ふふ、一旦負けは認めましょう。それで、私をどうするつもりですか? ……そうやすやすと封印されるつもりはありませんよ」

「そうか」

「私が粘っている間に、遠くのみんなが駆けつけて来てくれるかもしれません。……私は最期まで諦めない」

 

 周囲を包囲され、剣や杖を突き付けられてもなおイリューの目は折れていない。

 

 どんな責め苦でも耐えてやる、そんな表情だった。

 

「キチョウ、やってしまおう」

「うん。……先に謝っておくよ魔王、ごめん」

「は、何をしようって言うんですか」

 

 そんな彼女を、勇者キチョウは憐みの目で見据えるのみだった。

 

 その眼には恨みも怒りもなく、ただただ悲しい色だけが浮かんでいた。

 

「次元の果て。時空の亀裂、汝の暗闇」

「……また、時の魔法ですか。いや、これは……」

「開け、異次元の箱庭。『次元幽閉(トランス)』」

 

 彼の、その無機質な詠唱と共に。

 

 イリューの前の空間が歪み、ひび割れ、そして亀裂の隙間から漆黒の空間が顔を覗かせた。

 

 

 これは、一体。

 

「僕に与えられた能力が、『時の跳躍』だけと思った? 僕は女神様から、『時空魔法』を授かったんだよ」

「……え」

「僕が開いたのは、次元の狭間。この先には、時間の概念の無い虚空空間が広がるのみ」

「え。……え?」

「この先は光も空気もない、虚無だけで形成された世界。この世界の、裏側のようなもの」

 

 その空間を覗き見て、俺の精神(こころ)が凍り付いた。

 

 怖い。恐ろしい。

 

 そこにあるのは死なんかよりもっと残酷で、もっとおぞましい『虚無』だ。

 

「君を此処に封印する。普通の封印では、君に抵抗されるだろうし」

「何です、これ。こんな魔法、私、知らな」

「時空魔法の適性がない限り、この空間から脱出出来ない。つまり、君は一生をこの空間で過ごすんだ」

 

 そう告げられたイリューの、瞳に光が消えた。

 

「わた、し。此処に放り込まれるんですか」

「この中には、空気も水も何もない。おそらく普通の人間であれば、窒息で即死する」

「え、でも、私は」

「そして死ねない君は……きっと、この中で一生窒息死をし続けるんだ」

 

 魔王イリューの顔が、真っ青になっていく。

 

 これから自分がどんな恐ろしい目に遭うかを理解してしまったらしい。

 

「貴様が選択したのだ。人類と和解しないと」

「い、いや。いやです、そんな」

「最期まで魔族の勝利を諦めんのだろう? だったら貴様には、この中に入って貰う」

 

 これから彼女は、無限に死に続ける。

 

 この世で最も苦しい死に方の一つと言われる窒息死を、数えきれない回数繰り返し続ける事になる。

 

「最期の通告だ、魔王ユリィ」

「ひ、ひ……っ」

「人類に頭を垂れろ! さもなくば、永遠の苦痛を味わえ」

「い、いや……っ!! 私は、私は!!」

 

 アルデバランはその恐ろしい選択を、イリューに迫った。

 

 無論、アルデバランだってそんな残酷な事をしたい筈はない。

 

 流石に降伏してくれるだろう。彼女はそう、心の奥底で願っていた。

 

「……あ、あ」

「さあ誓え。人類に恭順を! そして受け入れよ、魔族の敗北を!」

「わた、しは────」

 

 断れば、自分は永遠の地獄に放り込まれる。

 

 永劫に、助けは来ない。

 

「さあ言え、言ってくれ。人類に降伏すると!!」

 

 そんな状況に、耐えられるはずがない。

 

 普通に考えれば、降伏する他に選択肢は無い────

 

 

 

「貴女は、どれだけ魔族(わたしたち)が辛い目に遭ってきたか知っていますか」

 

 イリューはポツリと、そんなことを呟いた。

 

「皆、思いは一つなんです。人類に復讐してやる、あの連中にだけは思い知らせてやらなきゃならないと」

「……」

「今、此処に向かってきてくれている子達も皆、思いは同じなんです」

 

 その眼からハラハラ涙をこぼし。

 

 唇を真っ青にしながらも、イリューは言葉を止めなかった。

 

「ピンチになったから降伏なんて選択肢は、あの子たちに無いんですよ。お前等に頭を下げるくらいなら死を選ぶ、それが総意なんです」

「い、イリュー」

「まだ諦めてない子がいるのに、私が諦めるわけにはいかないんです。最期の一匹になろうとも、貴様ら人類に地獄を見せると誓って此処にいるんです」

 

 それがイリューの答えだった。

 

 いや、魔族全体の……総意だった。

 

「怖いです。そんな場所に封じ込められたくなんかないです。でも、でも」

「やめろ、その先を言うなイリュー」

「大将である私を守るため、死んじゃったゴブリンさん達。殺されたコングさん達。そんな仲間の無念をふいにして、私一人降伏する訳にはいかないんです」

 

 魔王は、イリューは、何処までも優しかった。

 

 自分に付き従い、信じてくれた仲間を裏切って降伏するなんて道を選べるはずがなかった。

 

「ああ、ああ。怖い、怖い、怖いです」

「じゃあ、諦めて降伏をせよ」

「でも……」

 

 だからイリューは泣き腫らした目で勇者キチョウを睨みつけ、

 

「誰が貴様らに降伏なんてするものですか。人類」

「……」

 

 そう、言ってのけた。

 

「……その覚悟、受け取った」

「最期まで、抵抗はさせて貰いますけどね……」

「キチョウ。……やるぞ」

 

 俺は、その様を呆然と眺める事しか出来なかった。

 

 文字通り命懸けで、アルデバランに殴りかかるイリュー。

 

 その直後、イリューは金髪(イノン)の一撃で吹き飛ばされ、その胴体を掴まれて。

 

「開け、次元よ────」

「これで、終わりです」

 

 

 

 イノンの手によって、イリューは次元の狭間へと投げ込まれた。

 

 

「あうっ! まだ、私は……」

「しぶといな」

 

 しかしギリギリで再生が間に合ったのか、イリューは亀裂の間に挟まってしぶとく生きていた。

 

 両腕でしっかり亀裂を挟み込んで落ちないように藻掻いていた。

 

「嫌だ、いやです、落ちたくない! まだ私、魔族の皆を幸せにできていない!!」

 

 しかし彼女は、かなり強い力で次元の狭間に吸い込まれようとしている。

 

 あと一押しすれば、きっと二度とと戻ってこれなくなるだろう。

 

「────イノン。後は私がやる、引っ込んでいろ」

「アルに、そんな汚れ仕事をさせるわけには」

「私が始めた事だ。黙って見てろ」

 

 必死で藻掻くイリューに、アルデバランは杖を振りかざした。

 

 トドメを刺すつもりのようだ。

 

「炎の精霊、塵よ舞え」

「諦めない。諦めてたまるものですか!」

 

 必死で首を左右に振り、涙目で叫ぶイリュー。

 

 そんな彼女は、遠くを見つめながら呪詛を絶叫していた。

 

「その灼熱の吐息を、奴にまぶせ」

「私を信じてくれている子がいる限り、私は────」

 

 そんな魔王を、無機質に、無表情に見据えるアルデバラン。

 

 その眼には先程の、同情や憐憫の感情はない。

 

 ただ、冷酷に敵を見据える瞳だった。

 

 

 

「滅びよ、魔族」

 

 

 

 そして爆炎が、イリューを包みこんだ。

 

 そしてゆっくりと、亀裂を掴むイリューの右腕の力が緩まった。

 

「……ぁす、……て……」

 

 やがて、次元の亀裂を掴む手が開き。

 

 魔王は黒焦げになりながら。

 

「だぇ、か────」

 

 次元の狭間へと、吸い込まれるように落ちていった。

 

 

 

 

「助けを求めるのが遅いんだよ!!」

「え、ちょっと!?」

 

 

 

 

 そして、あっという暇もなく。

 

 カールが迷わず、落ちたイリューを追ってその狭間へと飛び込んでしまった。

 

 俺の目の前で、カールまで虚空へと消えていく。

 

「ちょ!? あのバカ飛び込んだぞ!?」

「……筋肉潜航(マッスルダイブ)!! でりゃあああ!!!」

「あ、姉様ぁ!?」

 

 間髪入れず俺も亀裂に顔を突っ込み、カールの足を筋肉で掴んでやった。

 

 アホかコイツは。馬鹿なのかこの男は!!

 

 さっきの説明聞いてたのか!? その中は宇宙空間みたいなもんだぞ、飛び込んだら窒息するぞって!

 

「イリーネまで上半身突っ込んだ!! 何か、藻掻いているぞ」

「────」

「え、何聞こえない! 何か言ってるの、イリーネ!!」

 

 くそ、叫んでるのに声が出ない。そうか、真空なのか此処。

 

 カールの足は何とか、捕まえた。でもこのままだと引きずり込まれるから、誰か俺を引っ張てくれ!!

 

 息が出来なくて力が入らんっ!!

 

「とりあえずイリーネを引っ張るぞ! 力を貸せ、皆!」

「姉様の馬鹿、あんぽんたん! ふ、ふぎぃぃぃぃ!!」

「す、凄い重さだ。特殊な引力でもかかってるのか?」

 

 息が出来ない、苦しい! このままだとマジで窒息して力が抜ける!

 

 しかも、凄い力でなんか吸い寄せられてる。このままじゃマジで落ちる!

 

 早く、早く!

 

「……俺に任せろ! はっ!!」

 

 するとやがて、股間に凄い筋肉を感じ、

 

「……ぷはぁ!! はぁ、はぁ」

「おお、イリーネ。やはりカールの足を掴んでおったか」

「ええ。早くこの馬鹿を釣り上げますわよ」

 

 数秒後、俺は凄い力で引っこ抜かれて地上へと戻ってきた。

 

 師匠(レイ)が俺の両足を抱え込み、引き抜いてくれたらしい。流石師匠のマッスルだ。

 

「……がっほ、ごっほ! すまん、助かった」

「あほバカール!! あんた何やってんのよ!」

「だって、だってよ!」

 

 同様にして、レイがカールを引き抜く。

 

 レイを仲間にしといて本当に良かったぞ。あのマッスルがないと俺達は死んでいた。

 

 やはり筋肉は鍛えねばならんな。

 

 

 

「……ひくっ、ひくっ」

「コイツは、見捨てられんだろう」

 

 そして、最後に。

 

 カール自身が腕に抱いた、イリューを亀裂から引き抜いたのであった。

 

「……おいこの愚か者。その女は、自ら封印される道を選んだのだぞ」

「そうかもな」

 

 イリューはボロボロ泣きながら、その場に蹲って動かない。

 

 よほど、怖い思いをした様だ。

 

「ソコをどけ、再度その女を亀裂に放り込む。次は飛び込むなんて馬鹿な真似をするでないぞ」

「退かない」

「おいカール、貴様……」

 

 そんなイリューを庇うように。

 

 カールはその手に剣を握りながら、アルデバランに相対した。

 

「子供のような駄々をこねるな。早く、決着を付けるぞ」

「駄目だ。コイツが助けを呼んだら、俺は助けに行く。そう言う約束をしたからな」

「は?」

「俺はもう……約束を違えねぇ」

 

 ああ。コイツは本当にもう。

 

 何がしたいのか、何を考えているのか、全く分からない。

 

 いやきっと、何も考えていないんだろう。

 

「俺はイリューを助ける」

「その女は人類の敵だぞ」

「ああ、もう俺の仲間でもなければ味方でもない。敵だ」

「イリューは、その女は人類への降伏を拒んだ。となれば、私達はソイツを滅ぼす他にない」

「うるせぇ!!」

 

 イリューは泣きながら、カールを見上げている。

 

 その目には、困惑と動揺と、何かの期待が浮かんでいて。

 

「人類の敵だろうと! 俺の仲間でなかろうと! 助けてと言われたからには、手を差しのべるに決まってる」

 

 それは、お人好し過ぎることを理由に最初の勇者に選ばれた男。

 

「イリューを封印したければ、俺が相手だ」

 

 愚かな勇者カールは、そうきっぱりと言い放ったのだった。




次回最終話
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最終話「筋肉を抱いて、未来へ」

 その少女は、かつて勇者だった。

 

 人類を守るため、身を粉にして戦った。

 

 

 彼女はただ、優しかったから。

 

 助けを求める人々の力になりたかったから。

 

 少女は苦難の末に、仲間と共に魔王を打ち破った。

 

 

 しかしその少女は、奴隷となった。

 

 かつて助けを求めた人々は、助けを必要としなくなっていた。

 

 少女に救われた事を忘れ、人類は少女を虐げた。

 

 

 少女は、助けを求める人々に手を差し伸べた。

 

 しかし、その少女が助けを求めた時、誰もが手を振り払ってあざ笑った。

 

 

 辛かった。

 

 苦しかった。

 

 誰も、助けてくれない。

 

 少女が振りまいた優しさは、ドス黒い悪意となって返ってきた。

 

 ────少女の人生は、何だったのだろう。

 

 ────何のため、一生懸命に戦ったんだろう。

 

 

 

「もう、人類なんて信じない」

 

 

 

 そして少女は、魔王になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……カールさん」

 

 そこには漆黒の世界が広がっていた。

 

 イリューが放り出された空間は、息もできず、目も見えず、冷たくて何もない。

 

 ただ、膨大な虚無の空間がイリューを苦しめるためだけに存在していた。

 

 死ぬことも許されず、誰かとしゃべることも、何かを見ることも、息をすることすら許されず、永遠を生きる。

 

 そんな苦痛に耐えられるはずがない。

 

「私、わた、し」

「……怖かったろ。もう大丈夫だ」

 

 全てに絶望し、無限の生き地獄に落とされかけた直後。

 

 彼女の伸ばした手を、掴む存在が居た。

 

 

「やっと、助けを求めてくれたな」

 

 

 どれだけその手を待ってきたことだろう。

 

 どのくらいの年月、さし伸ばされる手を渇望しただろう。

 

「俺でよければ力を貸すぜ、イリュー」

 

 ユリィが地獄に落とされるその直前、最後の最後に手を差し伸べてくれたのは。

 

 自ら救いを拒絶した筈の、カールだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユリィは思った。自分はどうすればよいのだろう、と。

 

 お人好しのカールは、自分を庇い立ってくれている。

 

 その背中は隙だらけだ。殴っても、魔法を唱えても、カールを楽に殺すことが出来るだろう。

 

 自分は魔王だ、魔族の為ならなんだってする。しなきゃいけない。

 

 だからユリィは、勇者のその背を魔法で切り裂かなければならない。

 

「何で助けてくれるのですか。だって、もう私は仲間じゃないんでしょう」

 

 魔王は震える声で、勇者にそう問うた。

 

 カールを殺すより前に、疑問がわき上がったのだ。

 

 わからない。助けられる理由がない。

 

 救い出してほしかった時、どれだけ待っても助けてもらえなかったのに。

 

 何故、絶対に誰も助けてくれないだろう今、その手は差し伸ばされたのか。

 

「イリュー。勇者ってのは、助けを求める者をみんな救うんだぜ。仲間しか救わねぇみたいな、ケチな存在じゃない」

 

 カールは、迷わずそう言った。

 

 その彼の笑顔に、イリューはかつての仲間たちの姿を幻視した。

 

「それはお前も一緒だったんじゃないのか? 勇者の大先輩ユリィさん」

 

 目の前の男は、かつてのユリィの仲間と比べて弱くとも。

 

 その心は、誰かを守りたいという精神は、ずっと人類に受け継がれてきた。

 

 彼女の目の前にいるのは、間違いなくかつてユリィが勇者として力を合わせ戦った『仲間』と同じだった。

 

「……馬鹿者、そやつは倒すべき者だ。人類の敵、諸悪の根源よ」

「俺はそうは思わねぇな。ちょっと辛い目に遭い過ぎてパニック起こしただけの、優しい奴にしか見えない」

 

 人類にも、優しい人間は残っていた。

 

 そんな事には気づいていた。

 

「もう一度聞くぜ、イリュー。和平を結ばないか」

「この馬鹿者! 今更そんな話が通ると思うか、後はその女を封印して魔族を滅ぼせば良いだけなんだぞ」

「お前が改めて、戦いたくないというのなら。この俺が、全力で守ってやる」

「……」

 

 だけど、どうしても────ユリィにはソレが受け入れられなかった。

 

 優しい人間なんかほんの一握りしかおらず、人類の大半はおぞましく残虐な性格で。

 

 話し合いで解決なんか、絶対に出来ないのだ。

 

「俺は頼ってくれた奴を絶対に見捨てねぇ」

 

 そのユリィの心の弱さこそが、今回の戦争の引き金なのだ。

 

 

「────そっか。私、パニックになってたんですか」

 

 

 その時ふっと、ユリィの顔から憑き物が落ちた。

 

 

 人類へのトラウマ。自分を虐げた者たちへの憎悪。

 

 苦痛を受ける事への恐怖、滅ぼされることに対する怯え、辱められることへの悔しさ。

 

 それらが全て混ざり合って、ユリィは正常な判断が出来なくなっていた。

 

「そっか。あの時カールさんの手を握っていれば本当に……」

 

 魔族と人類の怨恨は根強い。

 

 彼女の仲間はみんな、人類を滅ぼすことに積極的だった。

 

 しかし、目の前の漢────カールは本気で戦争を止めに来てくれていたのだ。

 

 そうでなければ、今になってなおイリューを庇ったりするものか。

 

 

 ユリィが彼を信じ、仲間を根強く説得すれば、戦争は起こらなかったかもしれない。

 

 彼らに賛同し指揮を執り、今回の戦争の引き金を引いたのは、間違いなくユリィ本人だ。

 

 

 

「私の妄執のせいで、みんな……死んじゃったんですね」

 

 

 ユリィは周囲を見渡して。

 

 物言わぬ骸となった愛すべき魔族たちへと目をやった。

 

「私が、皆を不幸にしていたんですね」

「おい、イリュー?」

 

 ポロポロと、目を見開いて涙をこぼす。イリューは、ついに自覚してしまった。

 

 自分が生んで育てた仔が、人類に殺されたのは。

 

 自分と契り、子を生した魔族が死んだのは。

 

「私が、皆を殺した」

 

 復讐に取りつかれ、恐怖に支配され、冷静な判断をできなくなった自分の責任であると。

 

 誰よりも優しい聖女は、久々に誰かに救われて、正気に戻った。

 

 

 

 

「うああ、ああああぁっ!? じゃあ私のせいで、皆が、皆が!」

「おい、イリュー!?」

 

 

 そして彼女は、魔王ではなくなった。

 

 誰よりも心優しい、聖女に戻ってしまった。

 

「私は何を? 何で? どうしてこんな────」

 

 その慟哭は、誰のせいだろう。

 

 イリューは正気に戻ってはいけなかった。

 

 誰よりも優しかった彼女は、気が狂ってしまっていたからこそ戦えた。

 

 狂気に脳を焼かれていたからこそ、敵を殺せたのだ。

 

 生存競争。生き残るため殺す。そう言った建前を振りかざし、自らの復讐心を満たしていたことを自覚した彼女に、もう戦う意欲は残っていなかった。

 

 

「……成程。肉体を殺せぬから、心を殺したかカール」

「ど、どうしたイリュー。突然、そんな金切り声を……」

 

 

 何が起こったのかわからぬカールは目を白黒とさせて、何となく『察した』アルデバランは大きく嘆息した。

 

 お人好しのカールは魔王ユリィを救うつもりで、もっとも残酷な手段をとってしまったのだ。

 

「確かにもう、この女は人類の敵にはなりえん」

「う、うぅ、うヴぉっ……」

 

 愛した家族(まぞく)の死体が、イリューを守るように囲んで転がっている。

 

 そんな状況で、正気に戻された『聖女』の心境はいかなるものか。

 

 胃の中が空になるまで、イリューは血反吐を吐いて泣き喚いていた。

 

「だって憎かったんです! だって辛かったんです!」

 

 聖女は目を閉じて、冷たくなった小ゴブリンの手を握りしめ叫ぶ。

 

「あんな事されて恨まない訳ないじゃないですか! 殺したくなるに決まってるじゃないですか!」

 

 その体躯は、血で塗れて。その金髪はドス黒く凝血して。

 

「でも、堪えてさえおけば、この仔達は死んで無い」

 

 少女は力なく、大事な家族の死体に抱き着いて泣き伏した。

 

 

 

 

 

 

 

「────もう、見るに堪えません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな、彼女を見かねたのか。

 

 貴族令嬢が、ゆっくりとイリューの元へと近寄った。

 

 

「イリーネ……?」

「少し、お時間を頂けますか」

 

 

 その眼に浮かぶのは、不思議な表情だった。

 

 ただ憐れんでいるというより、優し気に諭すようにその眼は透き通っていた。

 

 

 

 

「……イリューさん。いえ、聖女ユリィ」

「あ、う……?」

 

 

 

 

 そして令嬢は、聖女に微笑みかけた。

 

 かつての、聖女の本当の名を呼んで。

 

 

 

「辛かったですわね。これから貴女は、どうされたいですか」

「どう、するって」

「まだ、人類を殺したいのか。それともただ、静かに隠れて生きたいのか?」

 

 

 

 その言葉に、聖女は呆ける。

 

 今の彼女には、もう大それた野望も目標もなかった。

 

 ただ、後悔と悲哀だけがユリィに渦巻いていた。

 

 

 

「死にたい、です」

「……」

「もう、封印されるのは嫌。でも」

 

 既に、尽きてしまったのだ。彼女の、イリューの生きる活力が。

 

「私も、普通に死にたい。私一人、いつまでもこの世界に縛り付けられたくない」

 

 

 聖女は、事切れた様な表情で。

 

 涙と血に塗れ、静かにそう零した。

 

 

「ん。では、その身に宿る呪いを解きましょう」

「……」

 

 

 するとイリーネは、何でもない事の様にそう言った。

 

 数百年にわたりイリューを苦しめ続けた、威龍の呪い。それを、消し去ってあげると。

 

 

 

 

「……いや。この私に出来ないのにどうやって解く気です?」

「ふふ、まぁ見ていてくださいまし」

「今この世界で、一番の解呪術者は私ですよ。……なんなら、過去の人類史全部ひっくるめても私が最優の術者な自信があるんですけど」

 

 

 その言葉に、ユリィは少し業腹して目を吊り上げた。

 

 呪いを解けるのであれば、最初からやっている。呪魔法の何も知らない現代魔術師が、何を言うのだと。

 

 

「ま、精霊術者って結構デタラメなんですの。貴女もご存じと思いますが」

「ええ、知ってますとも。貴女よりずっと強力な、遠い御先祖の精霊術師でも呪いを解けませんでしたがね」

「……それは、申し訳ありませんでした」

 

 イリーネはその言葉に小さく謝って。

 

「でも、今ならばなんとかして見せます」

「……出来るものなら、どうぞ」

「きっと出来ますとも」

 

 そのまま、令嬢は魔王の肩にゆっくりと視線を寄せた。

 

「私一人ではなく、貴女とずっとともに居た精霊の力も借りますので」

「精霊?」

「ええ」

 

 イリーネに見えたモノ。

 

 それは、ずっと心配そうに彼女に取り憑いていた小さな精霊たち。

 

「ずっと、貴女に引っ付いて力を貸し続けていた魂みたいですよ」

「ずっと?」

「7体ほど、居るでしょうか」

「……へ」

 

 その精霊たちの数にイリューは驚愕し、息を飲んだ。

 

「それは貴女が魔族に落ちようと、貴女が人類へ復讐しようと。ずっと、貴女に力を貸し続けていた精霊です」

「嘘でしょう。そんなハズはない。私は、皆を裏切りましたし」

「ユリィをよほど、心配していたのでしょう。よほど、愛されていたのでしょう」

 

 そのユリィの守護霊の様な精霊が、ついに精霊術師(イリーネ)に接触したのだ。

 

 彼らの主である、聖女ユリィの為に。

 

「『彼女が望むなら、解放してやってくれ』と仰ってます」

「それは、まさか────」

「彼らは、貴女が裏切ったとは考えていません。むしろ、貴女を皆が裏切ったのだと理解しています」

 

 その7つの魂は。

 

 きっと、いや間違いなく。

 

「皆。そこにいるの、ですか?」

「ええ。貴女の肩で、笑っておりますよ」

 

 ────かつての、彼女の仲間達の魂なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その精霊の1体が、俺に突然に話しかけていた。

 

 そろそろ、ユリィを解放してやってくれと。

 

 その精霊は野良精霊にしては妙に魔力が濃く、何者だと思っていたが……。何と過去のユリィの仲間達、つまり勇者の魂であったというのだ。

 

 話を聞くと、彼らは割と人類には激おこで、割と真面目にユリィが人類を滅ぼす為に力を貸していたらしい。だから、今まで俺の前に姿を見せなかったのだとか。

 

 かつての仲間があんな目に逢えば、そりゃあ怒るわな。

 

 

 

 

 ────ユリィさえ解放してくれれば、我らの魂も救われる。

 

 

 

 

 その精霊はそう言い、ユリィが死を望んだのを聞いて先程の提案をしてきた。彼ら曰く、ちゃんと呪いを解く手段は存在したという。

 

 ただしその導きによると、呪いを解くには物凄く魔力を食うことになるらしい。

 

 俺は二度と魔法を使えなくなるっぽいが、まぁそれは別に構わん。

 

「では、お願いします。皆の言う事なら、私は信じられます」

「承りましたわ」

 

 

 俺は自信満々にそう言い切って、精霊たちに具体的な方法を教えてもらい始めた。

 

 ふむふむ、詠唱は歌なのね? そしてユリィ本人やアルデバランや勇者キチョウ、サクラにイノンにも協力してもらえ、か。

 

 成程、別に俺一人で呪文を唱えなくても良い訳だ。

 

 全員の魔力を合わせれば、俺の魔力切れは回避できるのね。

 

 

「お、おい。イリュー……」

「カールさん、ありがとうございます。最後の最後に私、貴方に引き戻して貰えたみたい」 

 

 俺が詳細を聞いている間に、カールはイリューにおずおずと話しかけた。

 

 彼には、一抹の不安があったのだ。

 

 

「お前、呪いが解けたら、その、もしかして」

「即死するでしょうね。龍の身体だからこそ400年も生きてるわけで、いまさら人に戻ったら体は朽ち果てるでしょう」

「っ!!」

「変化系の呪いはどんなに見た目若々しくとも、解呪されたら実年齢に戻っちゃうんです。400歳のお婆ちゃんの死体が、此処に転がるわけですね」

 

 

 そう言うユリィの顔に、悲壮感はまるでなかった。

 

 むしろ、やっと『念願』が叶う瞬間であるかのような。

 

 

「やっと、戻れる。やっと、解放される────」

 

 想像を絶する時を生きた彼女の、心の底からの願いは『死』だった。

 

 

 その顔を見て、カールはユリィに『死なないでくれ』という言葉をかけることは出来なかった。

 

 

 

「ねぇ、最後のワガママを言っていいですか」

「何だ、聖女」

「私の骸は、魔族のみんなと共に。私と最後まで一緒にいてくれた、家族なので」

「ああ、承った」

 

 

 アルデバランもわざわざ彼女を地獄に叩き落としたいわけではない。ユリィが死ねるのであれば、それに越したことはない。

 

 遠い未来に次元の狭間がうっかり開いて、魔王復活なんて可能性がゼロになるのだから。

 

 

「ありがとう、皆さん。私なんかと一緒に、旅をしてくれて」

「……ん。強かったわよアンタ、イリュー」

「本当、もう戦いたくないわぁ」

「レヴさん、レイさんは、その。申し訳ありませんでした」

「……」

「……俺の両親は、戦いの末に死んだ。そこに転がっている貴様の仲間と同じだ、謝る必要はない」

 

 俺が話を聞いている間に、一人一人、イリューに別れを告げていく。

 

 それは共に旅した仲間として。命を懸けて戦った強敵として。

 

「古の聖女よ、貴様の無念は決して忘れん。以後、貴様の様な存在が出ぬ事を私が保証しよう」

「……ありがとう。貴女は、勇者でもないのにとても強かったですよ」

「ふふ。女神に選ばれずとも、自分が勇者だと思えば勇者である。だから、私は勇者なのだ」

「そうですね。確かに、貴女が私の知る勇者の在り方として一番近かった」

 

 アルデバランはその言葉に、少し嬉しそうな顔をした。

 

 まぁ、確かに一番勇者してたなアルデバランは。

 

「……カールさん。私は貴方を信じられなかったけど、貴方は私を最後まで信じてくれた」

「本当に逝くんだな、イリュー……」

 

 そして。

 

 イリューは、改めてカールに向き合った。

 

「もうちょっとくらい、お前と楽しくバカやって旅をしていたかった」

「そうですね。貴方達との旅は、私も昔に戻ったみたいで楽しかったです」

「せめて最期にお前と酒を酌み交わせてよかった。……戦う前のあの一杯が、別れ酒になったな」

「……もう少し、味わって飲むべきでしたね。すごく美味しかったですけど、もしかしてあれっていいお酒なんですか?」

「バカ野郎。冒険者なりにかなり奮発して、凄ぇ良いのを用意したんだぞ」

 

 タラ、と透明な涙がカールの目からあふれ出す。

 

「お前、本当に死んじまうんだな」

「……はい。出来れば返してほしかったけど、もうそのパンツも差し上げます。形見にでもしてください」

「う、うぅ、イリュー……」

 

 カールは形見のパンツを本人の前で握りしめて大泣きし始めた。

 

 ユリィは少し嫌な顔をした。

 

 

「よし。では皆さん、準備が整いました」

「……そうですか。やっと、終われるんですね」

 

 

 やがて。

 

 令嬢イリーネが立ち上がり、最期の刻を告げた。

 

 

「心の準備は宜しいですか、イリューさん」

「ええ、とっくに」

 

 厳かな雰囲気で覚悟を問うイリーネは、ユリィを迎えに来た天使の様。

 

「……死者との会話、それが精霊術師の真骨頂なのですね」

「ええ。その死者が精霊化していないと、お話出来ませんけども」

「ではもし私が精霊になったら、貴女に取り憑いてあげますよ。お喋りできた方が、楽しそうなので」

「それは、楽しそうですわね」

 

 軽口を叩いているような口ぶりで、二人は笑いあって。

 

「では、彼女を送りましょう」

 

 

 イリーネが口火を切り、厳かに詠唱が始まった。

 

 

 

 

 

 

「「────貴女の為に歌いましょう」」

 

「「────貴女の道を開きましょう」」

 

 

 

 キラキラと、眩い白光が修道女の体躯を包みだす。

 

 血に汚れ、ボロボロになったその肉体を美しく染め上げていく。

 

 

 

「「────貴女の苦も、貴女の善も、全て等しく平等」」

 

「「────貴女の罪は裁かれる。しかし、貴女の徳は我らに安寧を与えたもう」」

 

「「そして願わくば貴女のその徳を以て────」」

 

 

 意味も分からぬまま、皆がイリーネの唄を追唱する。

 

 しかし、間違いなくその暖かな光はイリューを救うものだと、その場にいた皆が感じていた。

 

 

 

 

「あ、私、消え────」

「「我々は、貴女の旅路の多からんことを願う────」」

 

 

 

 

 そして、魔王は霧散した。

 

 身にまとっていたボロボロの修道服だけを残して、ユリィはこの世から消え去った。

 

「終わった、のか?」

「その様ですわ」

 

 同時に、彼女に取り憑いていた精霊たちが光の粒子となって溶け消えた。

 

 きっと、大気に帰ったのだろう。

 

「……消滅、か。成程、死ねぬユリィの呪いを解くには、存在ごと消すしか無かったのだな」

「え? じゃあ、アイツは……消えたのか。じゃあ、生まれ変わったりとかは……」

「出来ないでしょう。でも、永遠に生きるよりはマシかと」

「……ん、なんだかなぁ」

 

 カールは少し納得のいっていない表情だったが、俺だって同じ気持ちだ。

 

 しかし、イリューの事を何より大事に思っているだろう精霊達が頼み込んできた訳で。

 

 きっと、これが彼女にとって一番幸せな結末なんだと思う。

 

 

「よし。これで魔王は滅び、人類は勝利した。勝鬨をあげるぞ」

「あ、おお!!」

「勝鬨を上げるのは、この場の全員だな。誰一人かけてもこの結末には辿り着けんかったから」

「……そうですわね」

 

 イリューが消滅したのを確認し、アルデバランは空に杖を掲げる。

 

 ……そして、厳かな声で彼女は叫んだ。

 

 

「我々の、勝利である!!」

「「おおっ!」」

 

 

 こうして。

 

 俺の、長いようであっという間だった『魔王討伐の旅』は終わりを迎えたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここから先は、後日談のようなものだ。

 

 

 イリューと言う切り札を失った魔族達は、みな逃げてしまった。

 

 おそらく、今後は野生の魔物として生きることになるのだろう。そして討伐依頼という形で、各地で冒険者を動員することになりそうだ。

 

 その討伐の際、今後も俺達の力を借りたいとガリウス様はおっしゃった。

 

 

 そして。今回の戦争における俺とイリアの姉妹の戦果は、ヴェルムンド家に寄与する事になった。

 

 父ヴェルムンド伯爵の命令により俺達は動いたという扱いで、父自身も手早く要請に応じ軍を率いて駆けつけたことを評価され、我が家の爵位が侯爵に上がった。

 

 給料が増えるのは喜ばしい。さらに領地も増やして貰えるって話だったが、それは父が固辞した。

 

 人手も足りないし、どうしても手に余るとの判断だった。俺達の街の政務を、おろそかには出来ない。

 

「爵位は上がったが、権勢は変わらずそのまま。それくらいの地位が性に合ってるのさ、僕らは」

 

 父は権力に全く興味がない様子で、戦争が終わると褒賞をすべて兵士に分け与えて早々に領地に戻ってしまった。

 

 俺とイリアを、王宮に残して。

 

 

「今ほど、引く手数多な状況はないからね。今のうちに良い婚約者を見繕ってきなさい、うちの爵位も上がったので相手の家柄も気にしなくていい、まさにより取り見取りさ」

 

 

 3か月後に迎えにくるよ。父はそう言うとお目付け役としてサラを残し、ニヤリと笑って去っていった。

 

 要は3か月やるから、婚約者見つけるついでに有力貴族と顔つなげって話らしい。

 

 ウゴゴゴゴ。まぁ俺は年齢的に、今の内に婚約者を見繕っとかないと厳しいんだけども。

 

 結婚したくねぇー。

 

 

 

 

「む、静剣レイとな」

「ああ」

 

 因みに戦後、レイは自らの出自を隠さず明かした。

 

 自らが指名手配犯であることをガリウスに告げた。

 

「事情は分かった。……そうか、悪党族も魔族が原因であったか」

「ああ」

「────嘆かわしい。つまりは、巡って王家の責である」

 

 その場で処刑されるリスクもあってハラハラしたが、ガリウス様にレイを捕らえようとする気配がなかった。

 

 どうやら後で聞くと、内々で取引が済んでいたらしい。レイが指名手配犯だと気付いたガリウス様の方から、話を持って行ったそうだ。

 

 レッサルに帰ってからサヨリに迷惑を掛けぬようにと、レイは今回の功績で恩赦を貰えた。

 

「カール。また、レッサルに遊びに来てほしい」

「もちろん、ちょこちょこ顔を出すよ」

 

 そして、レヴとレイは仲良く故郷に帰った。レイの過去の行いから、流石に二人を貴族として取り立てることは出来なかったらしい。

 

 ただ二人は不満げな様子もなく、笑って故郷に帰って行った。

 

「うん、待ってる。……ねぇカール、少し目を閉じて」

「あん?」

 

 レヴちゃんが、カールとの別れ際にキスをしてひと悶着あったが。

 

 

「ふっふっふ、あーっはっはっはっはっは!!」

 

 

 次にサクラ。彼女は個人で爵位をもらい、国から正式にレーウィンの管理者として任じられた。今後は『テンドー家のサクラ』ではなく、『サクラのテンドー家』となる。

 

 つまりサクラは、家出した父親も追い出せる立場になったとのこと。それを、悪人みたいな高笑いで俺に自慢してきたのが印象的だった。

 

 ……そういや、悪人だったっけ。

 

「国に領地と兵士を保証してもらえたら、私達の天下よ。あの腐れギャングどもを、私の領土から追い出してやれるわ」

「……」

 

 彼女はテンドー家の当主として、これから街を切り盛りしていくそうだ。マスターは、彼女の腹心として今後も付き従うらしい。

 

 後サクラは俺達の領地の治安の良さに感心(ドン引き)し、参考にしたいから留学生を派遣したいとの話も出た。

 

 俺達ヴェルムンド家とテンドー家はもともと親交がなかったが、今後は彼女とよく付き合っていくことになるだろう。

 

 

 

「────助けてくれイリーネ!」

「……」

 

 とまぁ、ウチもテンドー家もかなり出世した訳だが、一番出世したのは間違いなく彼女だろう。

 

 今代の勇者にして炎魔法の達人、アルデバラン。

 

「そのドレス、よく似合ってますわよ」

「あいつら人を着せ替え人形にして、3時間も部屋にすし詰めにするんだぞ!? どれが一番似合うかって」

「貴女自身に任せたら、その、アレですからねぇ」

 

 勇者としての功績を認められ、平民から大物貴族になるというシンデレラストーリーを成し遂げたアルデバランは、貴族生活(シンデレラ)に辟易していた。

 

 もともと平民として自由に生きてきた彼女にとって、スケジュールが分単位で刻まれるのはかなり辛いらしい。

 

「で? そんなにおめかしして、誰に会いに行くんです?」

「むぐっ」

 

 俺の突っ込みに、紅の勇者は顔を真っ赤に染め上げる。

 

 先日、アルデバランはめでたく幼馴染キチョウからプロポースを受けたそうだ。

 

 まあ、あの子はどう見てもアルデバランLOVEって感じだったしな。アルデバラン自身に好きな人が居ると聞いて、彼女が誰かに告白する前に奇襲をかけたらしい。

 

 その直後、なんとマッキューン家から正式に婚約要請が来たからさあ大変。なんとあの変態兄貴、アルデバラン相手に求婚しやがったのだ。

 

『形だけの結婚ですよ。愚かな父親が認知しやがらないので、僕と結婚してアルをマッキューン家に戻すのです』

 

 なんてニヤニヤしながら言い出したもんだからさあ大変。幼馴染キチョウと実兄イノンの喧嘩が勃発しアルデバランはパニックになったそうだ。

 

 で、父親代わりの中年槍使い(ラジッカ)はと言うとゲラゲラ笑って様子を見るだけらしい。

 

「モテモテですわね」

「勘弁してくれ!!」

 

 二人から求婚され、対応に困った彼女はとりあえず二人と距離をとって時間を稼いでいる。

 

 その関係で、暇な俺の部屋によく遊びに来るのだ。

 

「そういうお前だって、毎日求婚を受けているそうじゃないか。求婚をあと腐れなく処理する方法があるなら教えてほしいんだが」

「そんな方法ありませんわよ」

 

 そう。

 

 アルデバランの微笑ましい三角関係は、あまり他人ごとではない。

 

 俺やイリアにも、鬼の様に求婚(プロポーズ)がやってくるのだ。

 

「じゃあお前はどうやって断っているのだ?」

「別に断ってるわけじゃありませんわ。先延ばしにしているだけですの」

 

 俺は王族からの覚えもめでたく、凄まじい魔力を有し、勇者の仲間として活躍した貴族令嬢。

 

 ついでに、俺はかなり見目麗しい。だもんで、割と本気の奴や駄目元の奴からえげつない数のラブレターを頂く羽目になっていた。

 

「よく納得してくれるな。イリーネの歳なら、決断しろと言われないのか?」

「ああ。私に力比べて勝てる殿方とだけ結婚すると、条件を付けておりますの。なぜか今のところ、全滅なのですが」

「……」

「そしたら体を鍛えて出直してくると、皆さん納得いただいております」

 

 手紙くれた連中の前で、俺は猫を被りながらこう言った。

 

『旅をする中で気付いたのですが、やはり逞しい殿方が好ましいですわ。せめて、私に腕相撲で勝てる程度に鍛えている方でないと』

『ようし、では僕が相手になりましょう。こう見えても、我が家は剣を生業としていて────』

 

 そして俺は身体強化魔法を使うまでもなく、全員をマッスルで一刀両断した。鍛えていてよかったぜ。

 

 それで、女子に力比べで負け流石に恥ずかしいのか皆一様に『鍛えなおしてくるからもう一回』と言って帰って行った。

 

 さてさて、果たして俺に勝てる筋肉は現れるのか。

 

 

「さては結婚する気ないな?」

「いえいえ、本当に私に勝てる方なら前向きに検討しますわ」

 

 

 実際、これは嘘じゃない。

 

 俺のトレーニングを受け入れてついて来てくれる奴じゃないと、結婚したくないし。俺の相手がより取り見取りなら、出来るだけ良い相手を選びたいものだ。

 

「だが3か月たって婚約者が見つかってなければ、家に帰して貰えないかもしれんぞ」

「う……」

「とりあえず、一番ましなのを見繕ってみてはどうだ。イノンに聞くと、アイツでもお前に力比べ勝てる自信ないらしいぞ」

「まぁ、あの方程度の筋肉には負ける気がしませんわ」

「国最強の剣士に向かって……」

 

 国最強、ねぇ。

 

 普通に対人はレイ、対魔族はカールのが強いと思うがな。

 

「……あ、そうですわ」

「どうした?」

 

 結婚相手探しに頭を悩ませていた俺は、その時ふと妙案を思い付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カールさん、カールさん」

「お?」

 

 思い立ったが吉日。

 

 俺はすぐさま、カールの部屋へと歩いて行った。

 

「カールさん、今日は休日ですわよね」

「急にどうした? あ、今部屋に誰もいないから、いつもの口調で良いぞ」

「あ、そう? いや、ちっと頼みがあって」

 

 今回大活躍だったカールは、新設された王都騎士団の団長に取り立てられた。

 

 魔族退治のスペシャリストとして先陣に立ち、野良魔族を仕留める役目だ。

 

 しっかり爵位まで貰っており、コイツも大出世枠の一人である。

 

 そして参謀という形でマイカを騎士団に入れ、現在は幼馴染コンビで国防を担っている。

 

「俺に筋肉で勝てる奴と婚約するって話にしてるだろ?」

「そうらしいな」

「いやさ、それで万一俺のマッスルに勝てる奴が現れなかった時だけど」

「おう」

「お前をとりあえず『俺の婚約者』って事にしていい?」

「ちょ!?」

 

 そんな一応貴族で超強いカールを婚約者に指名しとけば、かなり丸く収まる気がする。

 

 さっき、そう思いついた。

 

「分かってる分かってる。俺にいい感じに見合う奴が現れたらすぐ解消するから」

「俺の立場がマズいだろそれ!」

「お前んとこにも縁談が来て苦労してるって聞いたぞ? ここは、互いに婚約した事にすれば縁談来なくなってウィンウィンだろ」

「でも、お前と婚約とかマイカが聞いたらどうなるか」

「無論、事情は話す話す」

 

 カールはどうせマイカと結婚する事が確定している。

 

 だからマイカに説明しとけば、彼自身の恋愛に迷惑は掛からない。

 

 大してデメリットないし、ちっと名義貸ししてほしい。

 

「うーん、ちゃんとマイカに説明してくれるならアリか? 確かに縁談は困ってたし」

「だろ? じゃ、そう言うことで頼むぜ」

「……。因みにイリーネ、俺とちょっと腕相撲してみない?」

「おい」

 

 ……この馬鹿、まさか俺に変な感情まだ引きずってんじゃねーだろうな。

 

「違う違う、婚約の話で思い出したんだけど。俺の筋肉って、そもそもイリーネに勝てるのかなって」

「ふむ。そっか、そう言えばお前と純粋に力比べはしてなかったな」

 

 そうかなんだ、カールは単純に筋肉比べがしたかったのか。

 

 そういう話ならよくわかる。俺も自分の筋肉がいかに優れているか、人と競ってみたいという稚拙な欲望を持っているからな。

 

「ふっふっふ、こう見えて俺も結構鍛えているんだ。騎士団入りしてからは、かなり肉体を虐めているぞ」

「それは楽しみだ。正直、俺と張り合える筋肉は今のところ師匠(レイ)しか見たことがなくて」

 

 俺とカールは向き合って腕をまくり、台上に腕を置いて組み合う。

 

「ようし、かかってこいカール」

「吠え面かかせてやるぜ、イリーネ」

 

 そして、渾身の力を込めて互いに押し合った。

 

 

 

 

「……うおぉぉぉ!」

「……っ!!」

 

 

 

 

 動かない。

 

 この男、マジか。いつの間にこれほどの筋力を……っ!

 

「ぐ、ぐ、ぐ……」

「ふ、ぬ、ぬ……」

 

 しかし、厳しいのはカールも同じらしい。

 

 奴も本気で力を込めている様子だが、俺を組み伏せるには至っていない。

 

「────っ!!」

「お、お────!」

 

 汗がタラリと俺の額を伝う。

 

 流石は今代の勇者。流石は、たった一人で魔族を圧倒する男。

 

 その筋力は伊達ではなかった。

 

 

 

 ……そして。

 

 

「どりゃあああぁ!!」

「アッーーーー」

 

 

 筋力は互角でも、持久力はずっと旅を続けてきたカールに分があったらしい。

 

 数分以上競い合い、やがてスタミナが切れたころ、俺はカールに敗北してしまった。

 

「……嘘だろ? 俺が、負けた────?」

「よっしゃ。よっしゃ、よっしゃああああああ!!」

 

 カールは気持ち悪いほど喜んでいた。一方で俺は茫然自失状態。

 

 嘘だろ、この俺が?

 

 ぐぬぬ、ぐぬぬぬぬ。

 

「まだだ。まだ俺は身体強化魔法を使っていない」

「それ使われたら勝てないけどよ。でも……素の筋肉は俺の勝ちのようですなぁイリーネ」

「ふ、ふぬぬぬぬぬ」

 

 だめだ、めっちゃ悔しい。この野郎、マジか。

 

 いつの間に、俺に匹敵するほどのパワーを身に付けやがった。

 

「これで大手を振って『婚約』受けてやるよイリーネ。あー、気持ちいい」

「ま、前はそこまで鍛えてなかっただろお前! いつの間にそんなマッスラーになった!?」

「騎士団入ってから、マジで虐めまくってんだわ。お前に勝つのを目標に」

「……いや、確かにめっちゃ鍛えあがってたけども」

 

 そっか、俺が求婚の処理や顔つなぎの宴会に時間をとられている間に、コイツはみっちり鍛えていたという事か。

 

 筋肉が努力がものを言う。今のコイツの筋肉は、確かにすさまじかった。

 

 こうなれば、俺も同じ密度で筋トレをせねば……。

 

「……で? イリーネの婚約者って、俺はどうすりゃいいの」

「貴方はどうもしなくても構いませんわ。今後プロポーズしてくる相手に『イリーネと婚約した』旨を説明していただくだけで結構」

「お? どうした、口調戻ってるぞ」

「こちらの方で声明は出しておきますので、お気になさらず。……つーん」

「っくっくっく、成程。怒るとお前、その口調に戻るのね」

 

 別に怒ってないし。胸に滲む悔しみをちょっと誤魔化してるだけだし。

 

「まぁ、俺にリベンジしたければいつでもかかってきな。受けて立ってやる」

「……無論、すぐに伺いますとも」

「まったく、イリーネも大変ね」

 

 あー。くっそぉ、いつの間にカールの奴こんなに筋肉質になってたんだ。

 

 今日からメニュー見直して、求婚者の相手をしなくてよくなった分を更にハードスケジュールに……。

 

 ……。あれ、いま誰かいなかったか?

 

「そっかそっか。成程、イリーネに腕相撲で勝ったのねカール」

「……あれ? マイカ、お前いつからそこに?」

 

 ……。

 

「婚約。へー成程、イリーネと婚約したのねー」

「あ、その。ちょっと話を聞いてくださいましマイカさん?」

「良かったじゃないカール、念願かなってってところかしら? 最近妙にトレーニングに励んでいると思ったら、成程ふーんそう言う狙い……」

「ちょいと落ち着けマイカ」

 

 マイカは瞳の光を消し、静かにうんうん頷いている。

 

 あ、これはアカン奴や。

 

「……う、う、う。裏切り者ぉ! カールなんてもう知らない!」

「ちょ、ちょっと待てぇ!!」

 

 

 直後、マイカは全力疾走して部屋から消えた。

 

 そして本気で逃げるマイカを、レヴちゃんなしに追いかけることが出来る筈もなく。

 

 俺達は数日かかりでマイカを探し出し、事情を説明する羽目になったのは別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────よし、頚を落としたぞ!」

 

 そして。

 

 消えた筈の修道女は、突然に『目を覚ました』。

 

「よっしゃ! 威龍討伐だぜ!!」

「怪我人はいないな? ……おいユリィ、どうした」

 

 呆然と。

 

 彼女はその光景を見つめていた。

 

 これは夢か、走馬灯か。

 

 目の前に、かつて信じ共に戦った仲間の顔があったからだ。

 

「おい、ちょっとユリィを診てくれないか。呼びかけても反応しないんだ」

「ん? 催眠でもかけられたか、どれ」

 

 魔法剣士がユリィの顔を覗き込み、回復術師が彼女の顔に手を当てて詠唱する。

 

 やがて修道女はその光景が夢でないと、自分の体に走った痛みで気が付いた。

 

「あ、右手……」

 

 その時、苦し紛れに放たれた龍の鱗が、彼女の右腕を傷つけたのだ。

 

「……何だったんだ?」

「イタチの最後っ屁だろ」

 

 

 ……その傷には、よく見れば小さな小さな呪いが乗っていた。

 

 数年単位の時を経て作用する、非常に弱くて気付きにくい呪いが。

 

 

「……おかしいな、ユリィは何ともない。健康そのものだぞ」

「にしては様子がおかしくないか」

 

 消せる。

 

 今の彼女なら、いともたやすくその呪いを消し去ることが出来る。

 

 そうか、彼女────イリーネの言っていた『呪いを消せる』とはこういう事か。

 

 時の魔法を利用した、『呪いを受ける直前』への転移。

 

「う、あ……」

「ちょ、ユリィ!?」

 

 

 ポロポロと、修道女はその場で大泣きし始めて。

 

 混乱した彼女のパーティメンバーは、何とか彼女を落ち着かせようと抱きしめたり慰めた。

 

 

 

「ごめん、なさい。もう、大丈夫、です」

「本当にどうしたユリィ、様子がおかしすぎる。何か、変な呪文をもらったんじゃないか」

「ちがうんです。ただ、ちょっと、夢を見ていたみたいで」

 

 やがて泣き止むと、イリューは儚い笑顔になり。

 

 心配そうに彼女を囲む仲間たちに、こう告げた。

 

「長く、辛く、苦しく、そしてちょっぴり優しい夢を見たみたいです」

「そっか、白昼夢ってやつなのかな。……まぁ無理すんな、今日はもう休め」

「ええ。明日からやることがいっぱいです」

 

 そう。

 

 今ならば、この時代ならば。

 

 まだ、魔族と人間の『怨恨』は取り返しがつく筈である。

 

「早く戦争を、止めましょう」

「ん? ああ、そうだな」

「そのためにはまずクーデターですかね。王様ぶっ殺しましょう」

「……ん!? ユリィ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ────それは、もしかしたら有り得た世界。

 

 ()()()魔族になる事を選んだユリィが、魔王を食べその座を乗っ取って、人類と講和を結んだ。

 

 そして人類と魔族は、互いに条約を結んで共存して繁栄し続けた。

 

 そんな世界も、あったかもしれない。

 




これにて本作は、いったん完結となります。ここまで長い話数をお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
いつも優しい読者様に誤字報告をいただいたり、たくさん感想を書いていただけて、作者としては無上の喜びでした。私の作品では過去最大の文字数と更新頻度で正直かなりしんどかったですが、同時に書いている側としてはこれ以上なく楽しくやらせていただきました。

そして、今作もいろいろと相談に乗っていただきました師匠や弟子諸兄にもお礼を申し上げます。色々とご助言いただきありがとうございました。

それでは、毎度のことになりますが少し自分語りをさせていただこうと思います。くだらない話も多いですので、興味のない方はお飛ばし頂ければ幸いです。

まず、お気づきの方もいると思いますが本作は過去作のサブヒロイン、現地主人公モノと世界観を共通しております。

私は本来、新規の読者様を置いてきぼりにするのはよろしくないと考えていまして、なるべく過去作のキャラは出したくありませんでした。そして、出来るだけ過去作を読んでおらずとも話が通じるように書いたつもりです。

じゃあそもそも過去作のキャラを出すなよと。そう突っ込まれる読者様もいるかもしれません。

私は、その突込みはまさにその通りと考えています。一つの作品は、その作品だけで完結しなければなりません。タイトルの違う話のキャラを持ってきて色々話を動かすのは、正直ダメだと私は思います。

では何で、ユリィが出てくるんだよと。実は白状しますとこの作品、途中からプロットのない状態で書き続けていたのです。

私の職場は、コロナ下で一時的に凄く暇になりました。なので序盤は時間に余裕があったのですが、徐々に仕事の忙しさが普段通りに戻ってきて、趣味の小説にかまける余裕がなくなってしまったのです。

具体的にはレッサルに入ったあたりから忙しくなり、その日のノリとテンションで展開を書いております。タイムスケジュール管理不足は、作者としての不出来をお詫びするしかありません。

さて忙しくてストーリーを考える暇がない、じゃあどうするんだと。

……私は元々用意していたサブヒロイン外伝『ユリィルート』のプロットを再利用する形に致しました。なので、ユリィが出ざるを得なかったんですね。

このユリィルート、展開を練ったがいいが文字に起こすとサブヒロイン本編の文字数を超えかねないとのことでお蔵入りしていたモノです。いつか別に全く新話として書こうと思っていたのですが、今回使わせていただきました。

そして、最終話が遅れた理由ですが。それは投稿前日の夜、

「師匠、最終話の展開はこうこうこういう感じで」
「ボツ」
「……」ブリュリュリュリュ

と直前で師匠にボツを食らったのが原因です。なので本最終話は、1日で書き上げたので矛盾点があればこっそり改稿するかもしれません。

そんなストーリーに妥協のないお師匠ナマクラ様ですが、はい。

素晴らしい事になんと、皆様ご存じかもしれませんが先日、日間ランキング1位を達成されました。

流石ですお師匠。私も連載が終わりましたので、しばらくご拝読させていただきます。皆様もチェックしてみてはいかがでしょう。

では最後になりますが、皆様コロナ下で大変不便な思いをされていると思います。しかし、わずかでも皆様の慰みになるような作品をかけるよう今後も精進するつもりです。

今後は短編をメインに、ちょくちょく投稿は続けていく所存です。よろしければ、たまに覗いていただけると幸いです。

この度はご精読ありがとうございました。できればまた、どこかでお会いしましょう。


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