孤独な悠者 (寄す処の空)
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第一章 終わりと始まり
プロローグ


 僕にはお父さんとお母さんがいた。

 かっこいいお父さんと優しいお母さん。

 何も思い出せないけど、きっと楽しかったはずだ。

 

 それからしばらくして、母は僕らの元からいなくなった。

 ある日、突然。

 母は僕を強く抱きしめると、ごめんねごめんねとただひたすらに謝り続けた。

 母がなぜ謝るのか分からないまま、どうしてこんなにも肩がぶしょびしょに濡れているのかもわからないまま。 

 母は僕たちの前から、この家から姿を消した。

 父はひどく悲しい顔をしていたが、止めようとはしなかった。

 

 それからは父と二人の生活だった。

 父の笑顔が一度も戻ることはなく、向けられるのは虚ろな微笑み。

 子供ながらに親の笑顔が嘘のものであることくらいは分かる。

 それがどうしてなのかはわからないまま。

 本当の父は母が出ていった瞬間どこかへ消えてしまった。

 

 数年後、朝早くに僕は家の端にある小部屋へと連れていかれ、何かの陣の上に座らされる。

 連れてくる間父は何も言わず、僕もまた何も言わなかった。

 それから父は何かを淡々と呟き始めた。

 ただ静かに鎮座する僕には目もくれずに黙々と。

 目を合わせようとしない父を不思議に思ったが、父の頬を流れる涙がその一線を越えるのを拒ませた。

 何に拘束されるでもなく、逃げ出そうと思えばきっと簡単にこの場から離れることが出来ただろう。

 だが僕は逃げるでも父に話しかけるでもなく、ただ静かにこの場に留まった。

 足元にある文字が光始めることに気づくも、一歩も動きはしなかった。

 

 やがてその発光が強くなると同時に正面にいた父が突然こちらをばっと向く。

 顔のほとんどが涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった父が。

 そんな父の顔を見て、僕はきっと笑っていたと思う。

 こんな見るに堪えない父を僕は初めてみて、それでいてどこか可笑しかった。

 

 手を伸ばす父と、その手をもう片方の手で抑える父。

 そんな父を見ても僕は何もしなかった。

 何もしないことが正しいと分かっていたかのように、何もしないことが間違っていると分かっているのに。

 

 僕はもう一度、ただ小さく微笑んだ。

 

 

 父と母と生活した日々はきっと楽しかったと思う。

 母の顔なんてほとんど思い出せなくて、父はほとんど笑わない人だった。

 どこに遊びに行くでもなく見慣れた土地でただのうのうと過ごす日々。

 そんな日々が僕はきっとたまらなく好きだった。

 

 

 

 暗い、暗い世界。

 僕の中から父と母との楽しい、楽しかった日々は全て無くなっていた。

 

 何も思い出せなかった。

 

 

 

 ■ □ ■

「おーい、聞こえてるー?」

 

 暗闇のなか、誰かの声が聞こえてくる。

 聞いたことのない、高い声だ。

 

「ちょっとー聞いてるのー?」

 

 今度は体に何かが触れた。

 小さくてか細い手。

 いきなり体に触れ揺さぶる手だったが、不思議と悪い気はしなかった。

 無理やりどこかに連れていく気だろうか。

 それならそれでいい。

 もう少しだけ、この心地の良い感覚を堪能させてほしい。

 

「おーきーろー!」

 

 その声で意識がはっきりとする。

 がばっと起き上がり周囲を見渡した。

 広がるのは一面草原の大地。

 のどか、というのが酷く似合う光景で木がそこらに生える以外には麓にある街らしきもの以外これといった建物は無かった。

 

 ひとしきり見渡したのち、目の前の女の子を見る。

 突然起き上がったことに驚いているのか、ぽかんと開けた口が塞がっていなかった。

 

「ごめん、驚かせちゃったね」

 

 ぽかんとしていた少女だが発っせられた言葉が自分に向けられたものだと気づくとようやく我に返り少年の方を見る。

 少年の言葉に返事をすることは無く、立ち上がると少年の周りを一周し、うんと頷くとまた先ほどの位置に座りなおした。

 

「あの、えっと……」

 

 座りなおすだけで何も言葉を発さない少女を不思議に思いもう一度声をかけようとする。

 それに気づいたのか少女はもう一度丁寧に座りなおすとこほんと言いながら右手を伸ばしてきた。

 小さくてか細い手。

 そんな手には不釣り合いなほどに満面の笑みで。

 

「私は、君の友達だよ!」

 

 訳の分からないことを自信満々に言ってのけた。

 

 



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第一話 友達

『私は君の友達だよ』

 

 この言葉を聞いた時、この子は不思議な子なんだろうなと思った。

 だが彼女の目に嘘はなく、真剣にこの言葉を発したというのが見て分かる。

 そうなればなおのことおかしな子になるわけだが、とてもじゃないが友達欲しさにキャッキャする年頃には見えない。

 何か深い意味があるのだろうか。

 

「ごめん、もう一度言ってもらえるかな?」

 

「今日から私は君の友達になるの!」

 

「ごめんやっぱりもう一回聞いても分からなかった」

 

「嘘嘘。あ、嘘じゃないんだよ?ごめんね、ちょっと戸惑ってる君が面白くて」

 

 そういうと彼女は背後からおもむろに一冊の本を取り出してそれを差し出してきた。

 どうやら遊ばれていたようだ。

 その本は黒っぽい色をしており、厚くも無ければ薄くもない至って普通の本だった。

 使い古されているのか本の角はボロボロになっており、圧をかければ壊れてしまうようなもろさを感じた。

 そんな本を受け取ると躊躇いもせずに中を開く。

 

『来るべき勇者へ』

 

 一ページ目には本のタイトルなのかそんなことが書いてあった。

 よく見ると右下にNo.5と書いてある。

 何の番号なのかは分からないがこんなに古いものとなると五冊目とかそのあたりではないだろうか。

 

「単刀直入に言うとね、君はこの世界を救うための勇者ってわけ」

 

 淡々と話し始める彼女の言葉に小首を傾げると彼女は苦笑し、本を取り上げると中をぺらぺらとめくった。

 

「この本はね、私の一族で代々伝えられてきたものなの。まだ全部は見せられないんだけど、この本にはあなたのこととこの世界のことが色々書かれていてね。勿論いきなり信じろなんて言っても無理があることは分かってるんだけど」

 

 ほら、と再び中身を開いて見せてくる彼女の本を受け取った。

 

 ────この世界が危機に陥りしとき、一人の勇者が現れる────

 

 彼の名前は────

 

「ヒビヤ・プレイスト」

 

 自分で口にした名前がひどく心に残る。

 今まで自分の名前を知らなかったかのようにその名前をひたすらに連呼していた。

 姓はプレイスト、名がヒビヤ。

 姓のプレイストという名だけが、ずっと彼の心の中をぐるぐると回っていた。

 

「はい!これでおしまいね」

 

「あっ」

 

「別に君の名前がなんだとか信用して欲しいとか今更そういうのは無いの」

 

「僕が君を怪しいと思って君に剣を向けたらどうするの?」

 

「剣なんて持ってないでしょ?」

 

「言葉の綾だよ」

 

 一見敵対するような言葉に彼女は身構えるが、当の本人は言葉とは裏腹に依然として行動を起こす様子はなかった。

 そんな彼に一瞬恐怖を覚えるが何もされないならそれに越したことはない。

 

「どうも君相手だと調子が狂うね」

 

 そう言って汗をぬぐうようなモーションを取る彼女に苦笑いする。

 

「君の話し方にもほんのちょっとだけ悪いところあると思うよ」

 

「それは分かってるよもう。……分かった、もう回りくどい言い方はやめるから」

 

「うん」

 

 素直に返事をするヒビヤにため息をつくと突然手を横にばっと広げる。

 最初に突飛な発言をしたときと同様、彼女はまた自信ありげにその手を広げていた。

 

「私のこと(ふう)って呼んでみて」

 

「それが君の名前なの?」

 

「そう。呼んでくれたら、私が君の武器になるから」

 

「そういうのが回りくどいって言うんじゃ────」

 

「良いからほら、呼んでみて」

 

 どうぞ!っと言わんばかりにもう一度ばっと手を広げる。

 そんな彼女を不思議そうに見るが段々と恥ずかしそうな顔をする彼女に気づき、すぐにその名を呼んだ。

 

「……フー」

 

 その名を口にした直後、彼女の体は風に包まれ消えてしまう。

 次の瞬間その風はヒビヤの右手へと収まり、小さな金属音を奏でていた。

 刀身は長く、彼の背丈とは大差ないように見える。

 

『握り心地はどう?』

 

「うわっ」

 

 突如として現れた剣をカチャカチャと弄っていると先ほどの彼女の声が不自然な形で聞こえてくる。

 聴覚というよりは、脳に直接語り掛けてくるようなそういう感覚だ。

 

『ちょっとは驚いてくれた?』

 

「かなり」

 

『それは良かった。試しに少し振ってみたら?見た目に比べて遥かに軽いはずだから、触ったことない人でも振り回すくらいは出来ると思うけど』

 

 彼女に言われるなり、握ったこともない剣を無作法に振り回してみる。

 彼女の言う通り彼の背丈ほどあるその剣は物理現象を無視するようにぶんぶんと空を切っていく。

 重量としては短剣を握っているのと大差なかった。

 

『私は君が来るのをずっと待ってたの。さっきの本と合わせて少しは信用してくれた?』

 

「なぁフー。君は人間なのかい?」

 

 ヒビヤの言葉が風と共に草原を駆けていく。

 先ほどまで饒舌だったのが嘘のように彼女は言葉を発さなくなってしまった。

 まるで剣に溶けて無くなってしまったかのように。

 

「僕だって無視はしなかったのに、それはひどくない?」

 

『……じゃあヒビヤ、君には私が人間に見える?』

 

「そりゃ見えないよ。人が剣になるなんて聞いたことないからね」

 

 右手に収まる剣を見つめながら容赦のない言葉をぶつける。

 脳に直接言葉が届くせいで無意識か、彼女の言葉にならない声がヒビヤには届いていた。

 

 こんなことを言えばきっと傷つくだろうというのはおおよそ予想は出来ていた。

 それでも嘘はつけない、嘘をつけばそれまでだ。

 不気味だ、なんて口にしなかっただけマシというものだろう。

 

「でも、君はきっと人間なんだろうね。この沈黙を人以外が作り出したのだとしたらそれこそ異常だよ。……こんなに意気揚々と話してるけど、僕だってここがどこだか分からないんだ。本当は怖い。それこそ、君が人か人じゃないかなんて関係ないくらいに。だからほら、よくわからないけど、これからよろしくね。友達、なんでしょ」

 

 右手に握られた剣に話しかける。

 剣に話しかけるなんて不思議な感覚だが、ヒビヤの目にはしっかりと彼女の姿が映っていた。

 自分のことばかり考えていたが、もしあの本が本当だとすれば彼女も立派な犠牲者のようなものだ。

 ある日突然初めて会う人にこんな説明をして身柄を明け渡して。

 そんなの常人が出来る技ではなかった。

 

『君の言う通り私は人間だよ。少なくとも私はそう思ってる。君が来るのをずっと待ってた女の子。少しロマンチックじゃない?』

 

「ロマンチックなんて言葉が君の口から出てくるとは」

 

『私だって乙女なんだからね!?』

 

 彼女の大きな声が脳内に響く。

 初めて聞くそんな声にどこか安心感を覚えた。

 

『そろそろ元に戻してくれる?』

 

「あ、ごめん。……どうやって?」

 

『普通に解除って言ってくれたら元に戻れるよ』

 

「終わりはあっさりなんだね」

 

『そんなものよ』

 

 解除と呟くとまた一瞬風のようになった後元の姿に戻った。

 心地よい風と共に金色の髪が宙を舞う。

 太陽に彼女の髪が透き通り、乱反射する光に思わず顔を覆う。

 顔を覆うヒビヤをどうしたの?と何食わぬ顔で見てくる姿はどこか晴れやかだった。

 

『きゃあああああああ!!!』

 

『助けてくれ……!誰か……!!』

 

「……っ!」

 

 突然聞こえてきた何かに思わず耳を塞ぐ。

 しかしその声はヒビヤのガードを無意味とし直接脳へと届けられていた。

 先ほど彼女が行ったように、されどあの時の心地よさは微塵も感じられなかった。

 

「君、何か聞こえない?」

 

「えっ?別になにも」

 

 どうやら彼女には聞こえていないらしい。

 だが気のせいなんてものでは片付けられないほどにその声はヒビヤの耳を侵食していく。

 急いでその声の発生源を探してみるが、周囲を見渡してもあるのは麓にある小さな街だけ。

 小さな街。

 

 ″ドガァァァン!!″

 

 麓の街を見ていたヒビヤの目には外壁が音を立てて崩れいく光景が映っていた。

 そう簡単に崩れるはずのない分厚い壁をいともたやすく。

 ここからではうまく視認できないが、壊れた壁からぞろぞろと街の中に生き物が押し寄せていた。

 

 地獄絵図だ。

 

「うそ……」

 

 隣にいる彼女が口を押えて絶句している。

 ここに彼女が居るということはおそらくあの街に彼女の住処があるのだろう。

 もしかしたら家族もいるのかもしれない。

 家族。

 

「……行かなくちゃ」

 

「ちょっと待って!」

 

 一人で走って行こうとする彼女の腕を勢いよく引っ張る。

 ぐんと引っ張られ少しよろける彼女の右手には先ほどまで無かった短剣が握り締められていた。

 彼女の表情は怒りと恐怖で歪んでおり、先ほどまでのおちゃらけた雰囲気はすっかり消え去っている。

 

「どいてよ!」

 

「あの中を一人で行くつもり?正気じゃないよ?」

 

「行くしかないでしょ!あの街は私の街なの!!いつもだったらもう少し後なのに……!」

 

「後って何の話?あの街に君以外に戦える人はいないの?」

 

「いるよ!いるけど……!今あの街にいる人達だけじゃすぐに限界が来ちゃう!」

 

「いつもは他に人がいるの?その人たちはどこにいるんだよ」

 

「いつもの遠征に行ってるの、だから戻らない。私が戻らないとあの街は」

 

「君一人戻っただけで何が変わるって言うんだよ」

 

「それでも戻らなきゃでしょ!」

 

「こんな震えてる君を一人行かせられるわけがないでしょ!ちょっとはこっちを見てよ!」

 

 引っ張り続ける彼女を一度こっちに無理やり引く。

 こちらを向いた彼女は一瞬目を合わせるとすぐにその顔を伏せてしまった。

 ほんの一瞬だが、彼女の目には涙が溜まっていた。

 

 

 自分でも分かっているのだ、彼に言われずとも自分が役立たずなことなんて。

 今まで剣の鍛錬は物心ついた頃から欠かさなかった。

 だがどれだけ剣を振ろうとも、才が無いことには限界はすぐにやってくる。

 彼女に至ってはその限界が来るのがあまりにも早すぎた。

 

 彼女の目にはあの街にぞろぞろと入っていった魔物が何なのかおおよそ検討はついている。

 無論親玉を除けばそこまで強い魔物ではない。

 だが彼女はその強いわけではない魔物にてこずってしまうのだ。

 一対一なら勝機はあるかもしれない。

 だがあの数に囲まれて太刀打ちできるなど、そんな甘いことを彼女は考えていなかった。

 自分の力量は自分が一番わかっている。

 

「じゃあ、どうしろって言うの。ここでただずっと見てろっていうの……?」

 

「そうは言ってないだろ。ついさっき君は言ったじゃないか。僕の武器に、剣になってくれるって。君が剣になって、僕が戦えば良いじゃないか」

 

「それは……出来ないの」

 

「どうして?僕はそのために──」

 

「ごめん!」

 

 突然勢いよく腕を振り払われ慌ててもう一度腕を掴もうとする。

 だが次の瞬間ヒビヤの視線がガクンと下に落ちた。

 目の前には何やら鮮やかな色の気が漂っている。 

 それが何なのか分からないが、手を伸ばそうにも体は動かず、思考だけが加速していく。

 完全に力が抜けきった頃、最後に瞼がゆっくりと閉じていった。

 

 どこからかごめんという声が聞こえてきた気がした。

 

 

 □ ■ □

 

 街の一角、多数の魔物が一人の少女を囲みその姿を舐めるように見ていた。

 この街に入ってから小一時間が過ぎてやっと見つけた一匹の餌だ。

 そろそろ苛立つ頃だったがタイミングとしてはちょうどいい。

 魔物と言えど知能はそれなりにあり、当然格下の相手を甚振る術を各々持ち合わせている。

 小さな(つるぎ)を一本だけ握る少女に臆することなど無かった。

 

 じりじりと下がりながら牽制をする彼女をあざ笑うかのようにウルフが遠吠えをし間を詰める。

 その度に街のあちらこちらから新たな魔物がやってくる。

 背中を向けて逃げたとしても時間の問題だ。

 街の中にいる戦える者は既に住民の命を最優先とし住民の避難場所へと移動している。

 頼みの綱は遠征に出ている者たちだが、戻ってくる気配がないことに加えそれまで持ち堪えることが出来ないことは本人が一番分かっていた。

 

 それに。

 

 

 ″グオオォォオオォオ!!″

 

「あんなの、勝てるわけが無いじゃない……」

 

 彼女の目には遠く、地面を揺らしながら街を蹂躙する巨体の姿がしっかりと映っていた。

 仮にもし目の前のこの魔物たちをどうにか出来たとして、自分が本当にやろうと思っていたことが出来るはずもない。

 あの怪物を相手に時間稼ぎ。

 良くて一歩だ。

 

「ワオォォォォン!」

 

「うるさい!!」

 

 再度遠吠えをするウルフに服のポケットを触り何かを取り出そうとする。

 だが先ほどそれを使ってしまったことを思い出すと慌てて短剣を構えた。

 

「本当はこういう時に使うようにってマキナに貰ったのに。……ごめんなさい、ヒビヤ」

 

 唇を強く噛むとポケットに入った空の瓶を群れの中央へと投げる。

 宙を舞う瓶が地面に当たる音と共に、目の前のウルフが駆けだす。

 一気に距離を詰めてくるウルフの姿を彼女は必死に追った。

 いくら知能があると言えど所詮は魔物。

 集団戦法なんていう概念はこいつらにはない。

 

 遠くから飛び込んでくるウルフの狙いを予想し、その場から下がり到達地点に短剣を持っていく。

 狙い通りに彼女の短剣はウルフの顔面を突き刺し、合わせて目一杯振るとその顔面を二つに切り刻んだ。

 彼女の横を通り過ぎるウルフの返り血を浴び片目が塞がる。

 まずは一匹、次の魔物は────

 

「あっ」

 

 前しか見ていなかった彼女の後頭部目掛けて後ろから鈍器が振り下ろされる。

 全てが全力である彼女に一体一体の音を聞く能力なんて持ち合わせていなかった。

 魔物に集団戦法という能はない。

 だがらといって勝てるわけではなかった。

 

「うっ!」

 

 急いで受け身の体勢になるが当然間に合うわけもなく殴られ壁へと吹き飛ばされる。

 頭を強打し体を打ち付け、全身の痛みと吐き気眩暈が彼女の意識を奪っていった。

 今自分がどうなっているのか、武器を握っているのかどうかすらわからない。

 

 彼女に死を想像する一瞬すら与えることは無かった。

 そんな彼女に容赦なくとどめの一撃が振り下ろされる。

 

 

 

 

「フー!」

 

 

 

 

 



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第二話 全ての始まり

 虚ろな視界の中、青一色だけが眼前を埋め尽くす。

 地が震え硝煙が立ち込めているが、虚ろな彼の体はまだそれを感じ取ることが出来ない。

 

 少し前目が覚めた時はこんなだっただろうか。

 少し前まで何をしていたっけ。

 少し前。

 記憶が何もない。

 記憶が無いことが不思議なのかもわからない。

 これ以上考えてはいけない気がする。

 怖い。怖い。怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわい

 

 何が怖いんだろうか、なんで怖がる必要があるんだ。

 そんなことならいっそ────

 

 

 

『私は君の友達だよ』

 

「フー!」

 

 体をがばっと起こす。

 先ほどまで虚ろだった感覚は消え記憶が鮮明に蘇る。

 地には草原が広がり丘の麓には大きな壁に囲まれた小さな街が一つ。

 その外壁も一方が大きく破壊されており、今はいないが先ほどまで多くの魔物が侵入していたこともよく覚えている。

 そして彼女があの後何をしたのかも。

 

「なんだったんだろう、さっきの青いの」

 

 突然目の前に青いオーラのようなものが漂い、それを見た直後に気を失ってしまった。

 おそらくあの青色の何かによって気を失ってしまったのだろう。

 

 それは置いておいて、この場でヒビヤの気を失わせたこと。

 その直前に彼女が口にしていた言葉を鑑みるに彼女は今頃あの街の中にいるのだろう。

 

 あの子一人だけであの街をどうにか出来る力があるのだろうか。

 あるのだとしたらあんなに震えているはずがない。

 あの子は無理も承知で一人で。

 

「……行かなくちゃ」

 

 そう言って踏み出した一歩がそこで止まる。

 

 おかしいな、と頭で思い自分の足元を見て小さく笑う。

 彼女のことを馬鹿に出来ないくらい足が震えていた、手が震えていた。

 変な汗が出る、呼吸が上がる。

 だからなんだ、見えた生物はどれも小さいじゃないか。

 彼女がいれば武器だって手に入る、彼女がいれば。

 

「そうじゃ、ないだろ」

 

 彼女がいなくなったらまた一人ぼっちだ。

 暗い世界のなかで一人ぼっち、何をしたらいいのかもわからない。

 そんなの死んでるのと変わらないじゃないか。

 今死ねば楽になれるのかもしれない。

 じゃあさっきの子はどうする。

 

「無視できるわけ無い」

 

 震える膝をばんっと叩き勢いよく丘を駆けおりていく。

 途中足が縺れ丘を転げ落ちていくがそれでも良かった。

 

 前に進んでいる、もう誰にも止められない。

 死にたいなんて思わない、まだ彼女を助けられてないのだから。

 死ぬのなんていつでもできるじゃないか。

 でも彼女を守れるのは今だけで、自分だけなのだから。

 

 

「フーーー!!!」

 

 破壊された壁から無理やり街の中に侵入し転げながら彼女の名を何度も大声で呼ぶ。

 無様に転げ砂まみれになってもなんでもいい。

 場所なんて分からなくていい、声だけ聞こえれば彼女は。

 必ず来る。

 

 

 

 

『なんで、来たの。それに……』

 

「助けに来て何が悪いの。友達、なんでしょ」

 

 右手に握られた太刀を強く握りしめる。

 ヒビヤのそんな姿を目にした彼女はそれより先の言葉をつづけることが出来なかった。

 

『……ありがとう』

 

「どういたしましてっ!」

 

 彼女の言葉を聞いた後ヒビヤは正面に太刀を構える。

 嗅覚の良い魔物がいるのかたまたまか、ヒビヤの位置はすぐにばれてしまい一瞬で周囲を魔物に囲まれていた。

 だがヒビヤに臆する様子は無く、じっと周りを見回している。

 

「どうしたらいい?」

 

『出来るだけ多くの魔物の相手をして引き付けて時間を稼いで欲しい。遠征の人たちが戻ってくる時間を稼いでもらえたら』

 

「それはまた難しい話だね」

 

『大丈夫、もう少ししたら戻ってくるから』

 

「そうなの?じゃあ頑張ってみる」

 

 彼女からの話を聞き終えると手に握られている太刀を無作法に振り回し周りの魔物を牽制する。

 ヒビヤに剣を振った記憶はない。

 だが野生の勘というものだろうか、武器を手にし敵と相対した時にやることはなんとなく分かっていた。

 時間をかけろというのであれば幾分か楽だ。

 

「サポートは任せたよ」

 

『……うん』

 

「大丈夫?」

 

『まだ、大丈夫。ちゃんと最後まで頑張るから』

 

「無理、しないでね」

 

『大丈夫だよ。ありがとう』

 

 真面目な場面だからか彼女から先ほどの元気は感じられない。

 もし一人の時に何かダメージを負っているのだとすればそう悠長にはしていられなかった。

 

『ヒビヤ、剣を握ったことは?勿論対人、対魔物を想定して』

 

「対人も対魔物も、ましてや剣を握った記憶も無いよ。ごめん」

 

『謝らなくて大丈夫だよ。分かってたけど一応確認でね。でも──大丈夫』

 

「大丈夫って、またそれは買い被りすぎだよ」

 

『そんなことないよ。私がサポートする、だからヒビヤは前だけを見て』

 

「分かった」

 

 会話が終わるのと同時に痺れを切らしたウルフが群れの中から飛び出してくる。

 牽制が効かないと判断したヒビヤは剣を振るのをやめ一歩下がりそっと構えなおす。

 その行動にちっぽけな頭脳が反応したのかウルフの行動が一瞬鈍り、その無防備な体にそっと剣を下した。

 

『前方回避!』

 

 彼女の声を聞くと瞬時に前方へ飛び込む。

 その背後ゴブリン二体が手に握る棍棒を振り下ろしていた。

 うち一つには微かに赤い跡がついている。

 

「フー」

 

『気にしないで。集中』

 

 ヒビヤの言いたいことに気づいたのかたまたまか、彼の言わんとすることを遮る。

 彼女が剣になっている状態のとき身に何が起きているのかを知らない。

 もしも身を削って変身しているのだとしたら。

 

『前二体来るよ!』

 

「っ!」

 

 振り下ろされた棍棒を瞬時にかわし、棍棒もろともゴブリンを切り落とす。

 もし、仮にもしこのゴブリンがやったのだとしたら仇は取った。

 ならそれでいいじゃないか。

 今この場で戦えるのは自分だけ。

 邪心なんて必要ない。

 

 

 ゴブリン二体が倒れたことで一瞬怯んだ魔物達だったが、すぐに目の前の敵を睨みつけ同時に一歩を踏み出す。

 自棄か作戦か一斉に飛び掛かってくる魔物の数は十を優に超えていた。

 だがヒビヤは動揺することなく武器を構え、彼女もまた焦ることなく現状把握に徹する。

 

 彼女は最初からヒビヤが戦えることを知っていた。

 それも全部あの本(・・・)に書いてあったから。

 最初こそ内容を疑ってはいたが、どれもこれも当てはまる今となっては疑いようがない。

「ほらやっぱり」と心の中で賞賛の声をあげる。

 

 だからこそここにヒビヤが来てしまったことが一番の不安要素だった。

 これから先のことがいくつも本には書いてあった。

 いつどこに行くだとか、色々。

 だが今回のことが本に書かれていた記憶は無かった。

 

 本の内容は何度も何度も破れるくらい、破れてしまうくらいに読んでいた。

 だからこそ見間違い、見落としなんてあり得るはずがない。

 

 

 もしあの本の筋書きとは違うルートを通っていたとしたら。

 そんなの怖くて想像もできない。

 

「街の人達に被害は出てないってことでいいのかな。今のところ魔物達の血以外に見当たらないし」

 

『私が入った時も見当たらなかったから多分大丈夫だと思う。手際が良いからね。無理はしないで堅実に、出来ることと出来ないことの区別は完璧な人達だから』

 

「信頼してるんだね」

 

『ずっと前からここにいるからね』

 

「そっか」

 

 彼女が信頼している人たちなのだ。

 それだけでヒビヤも少しは気が楽になる。

 早く助けに来てほしいという気持ちも事実ではあるが。

 

「……ん?」

 

『どうしたのヒビヤ』

 

「ごめん、ちょっとだけ静かに」

 

 何かが聞こえてくる。

 彼女の声ではないが、頭の中に直接響くような。

 だがノイズがかかっているみたいでうまく聞き取ることが出来ない。

 

 ──────たす……け…て………

 

 今度はしっかりと聞こえてきた。

 間違いない、これは子供の声だ。

 

「誰かが呼んでる。行かないと」

 

『行かないとって、どこに?それに周りにはまだ』

 

「誰かが助けてって」

 

 魔物に背を向け石造りの街を駆け抜けていく。

 走り出すと共に魔物が後ろから追いかけてくるが振り返ることは無かった。

 声がどこからしたのかは分からないが、一歩踏み出せば自然と歩が進んでいく。

 彼女の切羽詰まった声と共に背後に剣を振り、その度に危なかった、どうしたのと心配の声が聞こえるが今はそんなことは気にしてはいられない。

 あれは間違いなく助けを求める声だった。

 この街に入って初めての。

 

 徐々に声が鮮明に聞こえ、その音が大きくなっていく。

 その声が鼓膜を震わせたとき、目の前の光景を一瞬目にした瞬間一度物陰に隠れた。

 後ろから追ってきていた魔物は亡骸を除き姿を現さない。

 だがその目の前の一瞬を受け止めるには一度深呼吸が必要だった。

 

「……フー、あれが親玉?」

 

『恐らく、ね』

 

「分からないんだけどさ、あれは──────」

 

『今の私たちじゃ厳しいね』

 

「そっか。……そっか」

 

 足が震えていないことを確認するともう一度その姿を確認するべく上を見上げる。

 首が痛くなるくらいのその化け物を見て、変な笑いが出ていた。

 

 太陽に照らされた鱗が背後で転がる死体の色と同じように煌めいている。

 鋭い牙、目を合わせることさえ拒まれる眼光。

 寒いわけでも無いのにその顔面からは白い息が漏れていた。

 

「解除」

 

『えっ────』

 

 小さく呟くと彼女の姿が元に戻っていく。

 同時に、血に濡れた頭部が露わになった。

 やはり合流前にあの魔物に殴られたのかもしれない。

 流れる血の量から見てもとても平気とは思えなかった。

 見ているだけでかなり痛々しい。

 

「体、大丈夫?」

 

「うん、まだ大丈夫」

 

「まだ、ね。……致命傷とかじゃないよね」

 

「多分ね」

 

 ここで敢えて安心する言葉を選ばないということはそういうことなのだろう。

 彼女が今ここで冗談を言うような人間でないことは分かっている。

 例えこの場を凌げたとしても彼女の身体の方が時間の問題かもしれない。

 一刻も早く外に出た者たちに戻ってきてもらわなければ。

 

「それより、どうして私を元に戻したの」

 

「あの子、助けないとだから。僕一人で行かないと」

 

「行くなら私も一緒に」

 

「そんな状態で連れていけるわけないじゃん」

 

「……戻さなきゃバレなかったのに」

 

「それに、もし僕が倒れたりしたら君は一生剣のままじゃないか」

 

「それは!」

 

 最後の言葉と共にばっと振り向く彼女から慌てて視線を逸らす。

 言い終わった後、自分の言葉が失言で会ったことに気づいた。

 勿論冗談半分で言ったのだが、彼女がこのような場で冗談を言うような人間ではないことは分かっていたのに。

 もし彼女が同じようなことを言っていたとしたら、恐らく同じようにしていただろう。

 きっと自分なら口に出してしまっていたかもしれない。

 

「大丈夫、絶対死なないから」

 

「………信じてる」

 

 彼女の声を後ろに目の前の怪物、龍をもう一度見上げる。

 獲物を目の前にしてとどめの一手をいつまでも出さずにいる。

 あの距離なら煮るなり焼くなり、それこそ食うなりいくらでもできるはずだ。

 それなのにいつまでもあの状態が続いていた。

 どう動いたらいいのか──────

 

「たすけて!!」

 

「っ!」

 

 少女の声がもう一度響く。

 そうだ、動いてからじゃもう遅い。

 

 物陰から意を決して飛び出すと龍の背後から少女の救出を狙う。

 足音を消すことなく走り出したためすぐに存在に気づいた龍がヒビヤの方を振り向くが、俊敏性では上回っているため潰されないようにその股下を潜り抜け少女を抱き上げる。

 

「えいっ!」

 

 どんっという鈍く軽い音が隣の生物から聞こえる。

 同時に地に落ちた岩石がごろんと音を立てて転がった。

 頭上にいる龍が方向転換するのが分かる。

 投げたのはきっと────

 

「フー!」

 

 少女を片手で抱き慌てて彼女の名を呼ぶ。

 次の瞬間には薙ぎ払った尾が転がっている死体もろとも家屋を薙ぎ払っていた。

 

「何やってるのさ!」

 

『ヒビヤ後ろ!』

 

「うっ」

 

 ヒビヤが反射で少女を抱きしめた瞬間背中に激痛が走る。

 どちらが空か分からない中微かに視界に入ったのは、翼を開く龍の姿。

 次の瞬間には新たな衝撃と共に視界が瓦礫に包まれ視覚聴覚共に機能を失っていた。

 痛いのか熱いのか。

 

「はっ………は……ぁ……」

 

 呼吸がうまくできない。

 視界は相も変わらず真っ暗だ。

 思考が停止しかけているのがまだ自分でも理解できた。

 あぁ、さっきの子。

 

「お兄ちゃん!」

 

 あぁ、なんだ。

 

「聞こえるじゃんか」

 

 少女の体を覆っていた腕から力が抜け、だらりとその場に落ちる。

 彼の名を呼ぶ声がもう一つ響くが、その声は彼はおろか誰の耳にも届くことは無かった。

 崩れ落ちた瓦礫の中、剣が一つ寂しげに転がっていた。

 

 

 

 

 



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第三話 ソルジャー

「ヒール!」

 

 転がる少年の体を淡い緑が包み込む。

 杖を翳す女性は少年の懐にいる少女を抱き寄せるともう一度杖を翳し呪文を唱えた。

 

「お兄ちゃん!」

 

「離れろ。これくらい軽傷だ」

 

 少女を隣の男が代わりに抱える。

 女性が魔法の詠唱を終了しよしっと呟くと隣の男が水筒を取り出しそれを逆さにした。

 

「ごほっ、ごほっ!」

「起きろ朝だ」

 

 冷水が降り注ぎ意識がはっきりとする。

 咳き込むのと同時に口から残っていた血が飛び散る。

 少し血の臭いが残っているが、体の痛みが消え呼吸が楽になったことに驚くと自然と体を起こした。

 

「っと」

 

「駄目ですよ、傷は治っても流れた血は元に戻せないの」

 

 体を起こした勢いで倒れそうになるヒビヤを女性がそっと抱き寄せた。

 ふわっと香ってくる優しい匂いと、ほどよい弾力が彼の体を包み込む。

 何の効力もないその行為が彼の疲労をさらに回復させていった。

 

 違う、そうじゃない。

 彼女の姿が、彼女は──────

 

「フー!」

 

 回転速度の戻らない頭が絞り出した答えを思い切り叫ぶ。

 自分の体なんて制御できないため背後の女性へ大きく体重をかけるが、今はそんなこと気にしていられなかった。

 だがヒビヤの求めていた答えは右手には無く、虚が広げた手のひらにただ残る。

 止まりかけていた思考が無駄に加速し、彼に最悪の事態を想像させていた。

 あの瓦礫の中に。

 

「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう」

 

 大柄な男に抱かれた少女がこの場に不釣り合いな笑顔でお礼を言う。

 君のせいで、なんて言えるわけがない。

 

「お兄ちゃん、さっきの大きな剣は?大きいかっこいいの」

 

「……剣?そんなのあるわけ」

 

 大きな剣。

 

「っ解除!フ────!」

 

 少女の言葉で蘇った記憶をそのままもう一度叫ぶ。

 願うように握りこんだ手の中には先ほどの剣がしっかりと納められていた。

 カチャリという音に心臓が呼応する。

 

「解除」

 

 呟くと風に包まれ、血と涙でぐしゃぐしゃになった彼女がちょこんとその場に座っていた。

 

「ヒビヤ!無事!?」

 

「すみません、この子も、治してもらえませんか?」

 

「ちょっと待ってね」

 

 彼女の言葉を遮って体重を預け切っている女性に眼下から要求する。

 すぐに女性は手を翳すと、淡い緑色が彼女の体を包み込んだ。

 そんなことも気にせず彼女はヒビヤの体を周囲から見回している。

 

「この子もさっき治療したから大丈夫よ。あなたも大丈夫?結構深いみたいだけど」

 

「私は大丈夫です、それよりもヒビヤは」

 

「俺も大丈夫だよ、どこも痛くないから。ありがとうございます、すみませんこんな状態で」

 

「大丈夫よ。もう少し休んでて」

 

 女性の言葉に甘えるように体重を預けると、今まで気にしていなかった周りの状況を確認する。

 大勢の武器を手にした人たちを見渡すとこれが彼女が言っていた遠征に出ていた人達だと納得する。

 数はざっと五十を超えており、みなこちらを厳しいような優しいような目で見つめていた。

 

 ″グオオォォオオオオ!!″

 

 龍の咆哮が街を抜け外にまで響き渡る。

 ここでまったりしている時間は今は無いのだ。

 どうしようかと考えあぐねていると先ほどの大柄な男が目の前に来た。

 

「俺はヒュースだ、この街の長って言ったらじじいみたいだが一応一番偉いってことになってる。さっきはこいつを助けてくれて助かった。だが今はそうも言ってられない。中はどうなってる」

 

 ヒュースが優しい口調かつ子供扱いをしない面持ちで話しかける。

 彼の言う通り外は安全でも中はとてもそうは言っていられない。

 男性ばかりこちらにいるということは中に家族がいるものも少なくはないだろう。

 心配なのに何も言ってこないというのは身を案じてというところだろうか。

 その葛藤を考えるとむしろこちらが申し訳ない気持ちになってくる。

 

「僕が通った道に住民らしき姿は一つもなかった。この街のシステム通りちゃんと避難できているんだと思う。だけどああやって龍はいるし魔物も町中を跋扈しているはず。時間はそんなにないかも」

 

「住民は大丈夫なんだな?」

 

「僕が通ったところだけだけどね」

 

「お前が通った、か。分かった。……おい」

 

 ヒビヤから目を離したヒュースは治療を終えたばかりの彼女の方を見る。

 その目は子供に向けるにしてはかなり厳しい目つきだった。

 

「これでいいのか?聞いた話とは違うが」

 

「……ごめんなさい。始まったばかりなのに」

 

「いんや。良いんじゃないか?ここの連中に指示通り家族を皆殺しにしろってか?そりゃ難しい質問だよ。それに俺は人に指示されるのが大嫌いなんだよ」

 

 大きな手で彼女の頭を掴むと乱暴に揺する。

 その手を放すともう一度ヒビヤの方を向き深く頭を下げていた。

 

「俺には選ぶ意思がなかった、だがお前は選び俺の娘を助けてくれた、死ぬはずだった娘を。……ありがとう」

 

「え、あ、はい。その、良かったです」

 

 話を上手く理解出来ていないのか変な返事の仕方になるがそれを見てヒュースは笑っていた。

 やがて後ろにいる集団の中央へと行き状況説明をし武器を掲げ大声を出すともう一度こちらへ戻ってくる。

 

「行けるか?」

 

「大丈夫ですよ。だいぶ楽になりました」

 

「無理しなくていいのよ?」

 

「無理しないでね」

 

「はは、みんな優しいな」

 

 預け切っていた体重を自分に戻すとよっこいしょと立ち上がる。

 一瞬立ち眩みでよろけるが、頭を振り意識を集中すると楽になった。

 すーっと体の中を何かが駆け巡る感覚に襲われるが、どこか心地が良かった。

 

 

「それじゃ、最後までよろしくね」

 

「無理、しないでね」

 

「こんなとこで死ねないよ。よろしくね、フー」

 

「うん!」

 

 そよ風に包まれると右手に太刀が握られる。

 一振りすると先ほどの感覚が蘇ってきた。

 

「行けます」

 

「よし」

 

 頷くとヒュースを先頭に一斉に走り出す。

 よく見れば女性の姿もちらほらと窺えた。

 各々自分の得意とする武器を握っている。

 ほとんどが剣だと思っていたが案外そういうわけでもなさそうだった。

 

「先頭のやつまで案内してくれ」

 

「分かりました」 

 

 ヒュースの隣を走ると、彼の指示でヒビヤの周りを何人かの戦士が囲む。

 道中敵に出くわした際に排除してくれるようだ。

 ヒビヤとしても無意味な戦闘をしなくていいという点では甘えるほかない。

 

 

 最初はこうまで魔物に侵攻されていたため戦士たちの腕を疑っていた節もあったのだが、ヒビヤの行く手を阻む障害を退ける姿は強者そのものだった。

 全ての魔物の急所を的確に押さえ、適材適所各々の仕事を完璧にこなしている。

 個々での戦闘ではなく全員で戦っているのだ。

 その連携能力にヒビヤは声も出ずにいた。

 

「周りは気にするな、親玉だけでいい」

 

「分かりました、移動しているかもしれませんが飛んでいないのであればそう遠くはないと思います」

 

「分かった」

 

 走る速度をさらに上げ、先ほどの地点へと駆けていく。

 この人たちは住民の隠れ家を知っているのかもしれないが肝心のヒビヤはそれを知らない。

 もし既に近くまで行っているのだとしたらそう悠長にはしていられなかった。

 

 曲がり角を曲がった先に突如魔物の群れが現れる。

 あまりの数に一瞬ヒビヤの足が止まるが、その先をヒュースが駆け抜けていき一瞬にしてすべてを葬り去っていた。

 動きを目で追うことが出来ない。

 光ったり燃えたり剣を抜いたり蹴り飛ばしたり。

 一瞬にして地には亡骸のみが静かに転がっていた。

 

「行くぞ」

 

「は、はい!」

 

 停止していた体をもう一度動かすと先ほど少女と出会った場所を通過していく。

 地には先ほどの龍の移動した痕跡がしっかり残っており、そのあとを追うとあっさり親玉と出くわした。

 

「おい、あいつか?」

 

「親玉かどうかは分かりませんが恐らくその可能性が高いと思います」

 

「そうか」

 

 一言呟くと突然片足を振り上げ地面をだんっと踏む。

 その勢いに負け地面がべこんと凹むとヒュースの体を色鮮やかな気が覆いつくした。

 綺麗だと思うのと同時にその異様な状態に唖然とする。

 

「僕も、行きますか?」

 

「いや、俺一人で十分だ。助かった」

 

 鞘に剣をしまった状態で道の中央を龍目掛けて歩いていく。

 すぐに龍はその存在に気づき、無防備な姿に一瞬硬直したがすぐさまもう一度背を向け代わりに尾を振り回した。

 脇に並ぶ家屋をなぎ倒しながら家もろともヒュースへと襲い掛かる。

 だがなぜだろうか。

 彼を心配する必要はないとどこか直感していた。

 

 やがてヒュースの、剣を振り終えたモーションと共に龍の尾が切り離された状態で壁へと吹き飛んでいく。

 まるで彼を避けるかのように壊れた家々も周囲へ広がっていた。

 

「これが、あの人の力」

 

「人の街をばかばかと壊しやがって、分かってんだろうな」

 

 尾を切り落とされた龍は一瞬怯みつつも男に近づきその大きな手で叩き潰そうと振り下ろす。

 しかしその手は男に触れることなく刻まれ、ぼとぼとと周りに落ちていった。

 切り刻まれる腕から溢れる血が男に降り注ぐ。

 その中で血にまみれてなお余裕そうな彼は狂気のそれだった。

 

「あの人ってそんなに強いの」

 

『あんなもんじゃないよ、もっと強い』

 

「恐ろしいね」

 

 その後も龍の攻撃を完璧に往なしつつ、その体を切り刻んでいく。

 あの鱗に覆われていた表皮を無かったもののように扱っていた。

 

「なあフー、僕も混ざった方がいいかい?」

 

『邪魔になるよきっと』

 

「だよね、ならいいんだ。別に僕も混ざりたいわけじゃない」

 

 あのなかに入ろうなんて冗談でも思わない。

 ただここで何もしないのはどうなのかと彼女に聞いたのだが、彼女に止められるのならいよいよお役御免だ。

 これで心置きなくこの場に留まることが出来る。

 

 龍が咆哮しヒビヤは耳を塞ぐがヒュースは気にもせず切り刻む。

 次の瞬間大きく羽ばたくと、先ほどまで背を向けていたヒュースが反転しこちらを向いた。

 背後には翼を広げ全長が三、四倍ほどになった龍がいる。

 よく見るとその龍の口には赤い炎のようなものが漏れ出ていた。

 

「あれ」

 

「逃げろ!」

 

 気づけばヒュースに担がれ龍から離れるように駆けだしていた。

 体が大きく揺れ剣を落としそうになるが何とか握り締め状況を把握する。

 

『だめ!これじゃ逃げられない!』

 

 彼女の切羽詰まった声が木霊する。

 相手が何をしてくるのかは分からないが直感で危険だってことは分かる。

 だからってどうしたら。

 

「お前魔法は使えないのか!」

 

「魔法?えーっと」

 

『今はまだ無理よ!』

 

「無理だって」

 

「無理だってってお前」

 

 ちっ、と舌打ちをすると担いでいたヒビヤを後ろに投げ庇うように剣を構える。

 おそらくこれから放たれるであろう攻撃を受け止める気なのだろう。

 

『ヒビヤ、剣を構えて』

 

「何かあるの?」

 

『一か八か。でもヒュースさんばかりに頼ってもいられないでしょ』

 

「分かった、教えて」

 

『恐らくこれからあの龍が放つのはブレス。あれがブレスを放つタイミングで剣を振って、風をイメージしながら』

 

「それはまた難しいことを言うんだね」

 

『大丈夫、君なら出来るから』

 

 彼女の言うことを信じるのはアホらしいが彼に戸惑いは無かった。

 彼女が言うことは正しい、誰よりも彼女がこの剣に詳しいのだから。

 

 言われた通り風を想像しながらそっと剣を振ってみる。

 気のせいかもしれないがふわっと、風が吹いたような気がした。

 

『来るよ!』

 

 彼女の張った声が響く。

 同時に龍の口からは彼女の予想通りブレスが放たれていた。

 前方で仁王立ちするヒュースの脇を通りさらに前に出る。

 驚愕の声が背後から聞こえてくるが今はそんなの気にしていられなかった。

 

「風、風」

 

 一人言のように呟くと肩の力を抜き、そっと剣を一振りする。

 すると放たれたブレスは彼の眼前で何かに包まれ、空気中で霧散し心地よい暖かさだけが残った。

 右手に握られた剣を見ると、剣の周りを微かに風が包み込んでいる。

 

「すごいな」

 

『ヒビヤのおかげだよ』

 

「いや、すごいよ」

 

『そう?まあ、ありがと』

 

 再度放たれたブレスに対し同じように剣を振ると先ほどと同じようにブレスが散っていった。

 火の粉が宙を舞う中、もう一度剣を振ると遠くへと飛んでいく。

 

「お前、それ」

 

「なんか、出来ちゃうみたいです」

 

 へへっとどこか自慢げに笑うヒビヤに苦笑する。

 その場違いな笑みがどこか可笑しかった。

 

 その頭上でさらに飛翔し旋回する龍を見上げる。

 龍は先ほどと同様口内に炎を溜め込むと、器用にその炎を球体へと変形させていく。

 その行動の訳を知らない彼女は何も指示を出せずにいた。

 

「ヒュースさん、あれ」

 

「下がってろ少年。……これが俺たちのやり方だ」

 

 剣を構えるヒビヤの脇を、新たに一本剣を抜刀したヒュースが通過していく。

 その姿に言葉が出ずにいた。

 上空では炎を溜め終えた龍がこちらに火球を放っていた。

 

「マキナっ!!」

 

凍える霧(フリーズミスト)

 

 頭上から新たな女性の声が響き、吹雪が宙を舞うと放たれた火球は途端に無へと消え去っていた。

 新たな敵の出現に矛先を切り替える龍だったが、それよりも早く頭上には新たな魔法が放たれている。

 

氷柱(アイシクル)!」

 

 頭上に出現した鋭利なつららが刺し潰すように龍に襲い掛かる。

 空高くを飛翔していた龍はその高度を落とすと、その姿をあざ笑うかのようにヒュースの猛撃が襲い掛かった。

 地に近づけば彼のテリトリーだ。

 

 ″グオオォォォォオオ″

 

 猛攻をくらってもなお龍はその生気を失っていなかった。

 負けてはいないはずだが、こうもしぶといと終わりがいつまでも見えてこない。

 新たな魔法が放たれる様子もなく、勢いよく飛翔した龍は射程外となり、隣に戻ってきたヒュースは舌打ちをしていた。

 

 こちらを睨みつけるように見下ろす龍に剣を握り締める。

 だが、その龍はもう一度大きくはばたくと、そのまま遠くへと飛んで行ってしまった。

 

「あれ、終わったの?」

 

『そうみたい、とりあえず親玉はね』

 

 彼女の一言と同時にヒュースが納刀する。

 緊張から解き放たれたヒビヤは深呼吸すると体に蓄積されていた疲れを直に感じる。

 アドレナリンとはこうも仕事をするものかと。

 

「それじゃあ、早くみんなと合流して他のを──て、あ……れ──」

 

 自分の視界が不自然な挙動をしていることに気づく。

 慌てて正そうと体を動かすが、自分が何をどう動かしているのか分からずにいた。

 

「……ちょっと、頑張りすぎたかな」

 

 解除、と呟き剣を放り投げる。

 すぐさま剣が風に包まれ元の姿へと形を変える。

 だが彼女の笑顔を見る前にヒビヤは静かに地面へと突っ伏した。

 

 

 

 



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第二章 最南端の街リープウィル
第一話 初めの一歩


 どれくらい寝ていただろう。

 長い、長い夢だった。

 女の子に急に友達になろうなんて言われて、その女の子が剣になったりもして。

 戦ったことなんて無いのに魔物を次々に倒していって、ムキになったりもして。

 自分のことも周りのことも何も分かっちゃいないけど、どこか楽しかったような気がした。

 

 終わってしまえば呆気ないものだ。

 

「終わって、欲しくないなぁ」

 

「あ、やっと起きた。三日ぐらい寝てたよ、ヒビヤ」

 

「っ!!!」

 

 突然の声にがばっと起き上がるとそこには夢に出てきた剣になる少女がいた。

 驚かせてしまったのか声をかけてきたのは向こうなのにベッドから距離を取られている。

 気づけばそこは地面ではなく、周囲を見渡せば誰かの家であることが見て取れた。

 

「夢、じゃない?」

 

「いくらなんでも見すぎよ、おはよう」

 

「おはよう」

 

 そういうと腰に手を当て小さくため息をついていた。

 この子の言ったことが嘘じゃないとすると、あの日から三日も寝ていたことになる。

 三日も寝ているなんて病気じゃないかと思うが別段異常はなく特に悪いところもなかった。

 

 その三日前の記憶だがさっきは夢なんて言っていたがしっかりと残っている。

 間に空白の時間があるわけだがヒビヤにとっては昨日のようなものだ。

 

 それはさておき、ドラゴンを無事倒した後そのまま気を失った。

 やはり、血が足りなかったのだろう。

 こうして無事生きてここにいるということは他の魔物も倒せたということだろうか。

 

「ねえ、ここはどこなのフー」

 

「え、あっちょ────」

 

 何気なく発した言葉に少女の体は変異し、剣となって彼の右手に納まる。

 彼女の名を呼んだらこうなってしまうことをすっかり忘れていた。

 

「ごめん、解除」

 

 慌てて彼女の姿を元に戻すと、どこか怒っているのか頬をぷくっと膨らませていた。

 怒っている風に見せていてちょっと可愛い。

 

「これ、君に怒られたときとか使えそうだね」

 

「絶対やめてよ」

 

「うそうそ、冗談だって」

 

 ははっと笑い誤魔化す。

 冗談にしてはかなり卑怯なことを言ってしまったのかもしれない。

 

「そういえば、まだ本当の名前聞いてなかったね。さっきのが名前じゃないのなら本当の名前は?」

 

「そっか、色々あって言ってなかったんだっけ。ごめんね大事なところすっ飛ばしちゃって。私はフィリア。姓はないよ。私も小さい頃の記憶が無いの。気づけばヒュースさんに引き取られていて、そのまま。だから生まれた場所も分からなければ本当の親の顔も分からない。まあ私はもう慣れっこだけどね」

 

 そういう彼女の表情に影は何一つなかった。

 本当に彼女はその状況を飲み込んでいて、それが彼女の日常なのだ。

 心配なんてする必要もないのだろう。

 

 しかし両親共に顔も名前も分からないとは。

 代々受け継がれてきたその本とやらに写真と名前くらい刻んでおけばよかったというのに。

 

 話が終わり、ベッドに手をついて立ち上がる。

 地に足をついた瞬間眩暈と共に体がふっと揺れ慌てたフィリアに支えられていた。

 

「大丈夫?」

 

「ごめんね、大丈夫。ちょっと寝すぎちゃったかな。かっこ悪いよね、こんなところ見せて」

 

「そんなことないよ、ヒビヤは……うん、すごいや」

 

「すごいって。……ねえ、フィリア?ここはどこかな。フィリアの家?」

 

「さっきも言ったでしょ、私はヒュースさんにお世話になってるの。だからここはシーボルトさんの家」

 

「シーボルト?あ、ヒュースさんの」

 

「そそ。ヒビヤが助けた女の子がメルン・シーボルト。で、回復魔法をかけてくれたのがエレゼン・シーボルト」

 

「みんな家族だったんだね」

 

「自己紹介とかする時間も無かったからね」

 

 ヒュース・シーボルト、ヒュース。

 ヒュースの剣の腕は初めてみたヒビヤには衝撃的なものだった。

 あれを忘れろと言われても無理な話だ。

 あれは常人が為せる業ではなかった。

 次元が違う。

 

「後でお礼言わないとだね」

 

「そうだね。────フィリア、僕これから頑張るから。だからこれからもよろしくね」

 

「急に何よ改まって」

 

「いや、なんでもないよ」

 

 フィリアと出会うまでの記憶は何も残っていない。

 でも、今自身にはやらなければならないことがあって、それをサポートしてくれる友達がいる。

 一瞬投げだそうとしたものを、意味のあるものにできるのだとしたら。

 それもちょっとは良いものなのかもしれない。

 

「いっぱい迷惑かけるかもだけど、それでも良かったら」

 

「そんなのお互い様よ、よろしくね」

 

「……ありがとう」

 

 彼女の快い言葉に自然と笑みがこぼれる。

 それを見たフィリアもワンテンポ遅れて屈託のない笑顔を見せてくれた。

 その笑顔がなぜかひどく印象に残っていた。

 

 

 

 ■ □ ■

 ヒビヤがこの街に来てから一ヶ月、無くした記憶を取り戻すべく歴史や文化などを徹底的に勉強した。

 過去にそれらを学んだことがあれば、同じワードから記憶が蘇るかもしれないと考えたからだ。

 

 というのは建前で、記憶が戻らないことなどフィリアには分かっていた。

 理由は例の本に書いてあるから。

 ということは例え過去に勉学に励んでいたとしても今はすっからかんの状態ということになる。

 歴史の深くを知らないにしても最低限一般常識は叩きこんでおく必要があった。

 何も知らない人間に世界など救えるわけが無い。

 

 当然ヒビヤにはその本当の事実は伝えていなかった。

 勿論嘘をつくことに対して後ろめたさが無かったわけでは無いがこうするしか無かったのだ。

 これ以上内容を崩すわけにはいかないのだから。

 

「ヒビヤが熱心なおかげで予定よりも早く勉強の時間は終わりそうだね。記憶は戻らなかったけど、知識はついたわけだし」

 

「まあ、そうだね」

 

「次は戦闘訓練かな?ヒビヤも十分強いと思うけど魔法はまだ使えないみたいだし。それに、剣もヒュースさんが教えてくれるみたいだよ?」

 

「ヒュースさんが!?」

 

「う、うん。昔から誰かに剣教えてみたかったらしいけど子供は娘一人だし弟子とか取ったことないみたいで。それでだって」

 

「そっか、ヒュースさんに剣を」

 

 ヒュースに剣を教えてもらえるという言葉に自然と気持ちが高揚していた。

 あの剣を、この手で。

 

「……本当は、ヒビヤの方が強いんだけどね」

 

「ん?なんか言った?」

 

「何でもないよ。そして、魔法を教えてくれるのがマキナさん」

 

「あぁ、あの時の魔法使ってた人。……シーボルト家って何人家族?」

 

 ここ一ヶ月この家で暮らしていたわけだが特にそれらしき人物はおろか見慣れない人が家を出入りする姿は一切見当たらなかった。

 どこか別の家で生活をしているのだろうか。

 

「あ、そっかヒビヤはあれ以来なんだもんね。マキナさんはメルンちゃんに魔法を教えるために来た先生でシーボルト家の人じゃないよ」

 

「メルンちゃん魔法教わってたの?!全然知らなかった……」

 

「まあ家の前とかじゃないしね、ヒビヤもそんな家出てないから見たことなかったのかも」

 

「僕が混ざっても大丈夫なの?邪魔はしたくないんだけど」

 

「二人相手でも大丈夫だって」

 

「……鬼とかじゃないよね」

 

「そんなんじゃないよ」

 

 一瞬頭に浮かんだのはヒュースのような人だったが先日聞いた女性らしき声を思い出して慌てて頭を振った。

 

「その人ね、ヒビヤのこと気に入ってるんだって」

 

 ……自信が無くなってきた。

 しかしなぜシーボルト家に住んでいるのに一度も顔を合わせることが無かったのか。

 一度くらい家に来るでもこちらから会いに行くでもあればよかったものを。

 

「メルンちゃんって魔法使えるの?」

 

「私は見たことないけど先生がいるんだし使えるんじゃない?親もあの二人だしね」

 

 確かに剣一筋な父親は置いておいて母親はあのエレゼンだ。

 魔法が使えてもなんらおかしいことはない。

 それに両親共に本職が戦闘員だとしたらメルンも将来負けず劣らずになるのかもしれない。

 

 

 ヒュースのことで一つ新しい発見があった。

 それはあんないかつい顔をしておいてかなりの親ばかだということだ。

 

 食事中は毎日ほとんどメルンの自慢話。

 エレゼン曰くヒビヤが食卓に加わったことでさらにエスカレートしたとか。

 生まれたばかりの頃の話も日常茶飯事だ。

 あんなに強面で弱みなんて見せない人だと思っていたのに感情が高ぶっては一人で涙を流しながら話している。

 かなり情緒不安定だと最初は思っていたが、皆がこれが普通と扱う姿を見て自然と慣れてしまった。

 慣れとは恐ろしいものである。

 

 

 その日の夜もいつも通りヒュースの娘自慢を聞きながら夕食を食べいつも通り外に出て剣を振る。

 一人で外に出ると室内が騒がしかったせいかひどく静寂を感じた。

 この街は昼間は賑わっているが夜はがらっと変わりこの通りである。

 

「もう一ヶ月か」

 

 敷地を囲う小さな岩に腰かけ一人で呟く。

 この世界に来てからひと月が経過していた。

 それ以前の記憶は相変らず蘇ることは無く、ヒビヤにはここで生活したひと月の記憶しか残っていない。

 以前の記憶らしきものを夢で見ることはあるようだが、起きたら忘れていることが常であり、その日は決まって涙を流している。

 訳が分からないというのが本音だが気にしても仕方がないためあまり気にしないことにしていた。

 

「どうだ、ここでの生活は。楽しいか?」

 

「ヒュースさん」

 

 家の方からヒュースが一人で出てくる。

 ヒュースが家の中とは裏腹一人のときは紳士のように接してくるのもここで剣を振っていて学んだこと。

 初めはお酒か何かのせいかと思っていたがそういうわけではないらしい。

 実に変わった人である。

 

「俺は昔から戦いしかして来なかったからお前がどうとかいう話は正直あんま良く分からん。フィリアが話してくれることも少なくは無かったが頭を使うと疲れる性分でな、あんま入ってないんだわ」

 

「それはまた大変ですね……」

 

 一瞬バカなんだろうかなんて思ってしまったが仕方がない。

 だって筋肉でバカなんだから。

 そんなこと本人に言ったら怒られそうだから勿論内緒である。

 

「そうだヒュースさん、明日からそのよろしくお願いします」

 

「おう。俺は厳しいぞ?ってもお前に剣を教えるなんざ訳の分からない話なんだけどな」

 

「どういうことですか?」

 

「いや、なんでもねえよ。まあしっかり学んでいくこったな」

 

「はい!」

 

 オーバーなほどに元気な返事にヒュースが照れくさそうに頬を掻く。

 バカだなんだと馬鹿にはしていたがヒュースの剣には本当に尊敬しているのだ。

 だからこそヒビヤも楽しみで仕方が無かった。

 

「あーそうだ、稽古中はフィリアを使うのは禁止な。いざというときにあいつがいない可能性も考えておけ」

 

「はい!」

 

「まあなんだ、楽しんでいこうぜ」

 

「よろしくお願いします!」

 

「それじゃ」

 

 背を向けながら手を振るヒュースに立ち上がり軽く会釈する。

 勉学においてはあれだが戦闘においてはスペシャリストだ。

 ヒビヤが机に向かっている間にもヒュースは何度か狩りにでていた。

 街の周囲の偵察と、他にも何かやることがあるらしい。

 

 毎度大量の獲物を持って帰ってくるがその体に新しい傷は一切作ってこなかった。

 エレゼンがいるとは言えど毎度無傷というのはさすがとしか言いようがない。

 ヒュースに剣を教わるというのは願ったり叶ったりである。

 

 ヒュースの戦闘スタイルを思い出しながら物思いに耽っていると今度は小さな女の子、メルンが一人家から出てきた。

 周囲をきょろきょろとしヒビヤと目が合うと小走りにこちらへやってくる。

 なんだか今日は忙しい。

 

 メルンは今八歳らしい。

 五歳の頃からマキナに魔法を教わっているようだが、あまり詳しくは話をしないので詳細は不明である。

 

 魔法には大きく分けて初級、中級、上級、聖級、絶級、最後に禁忌という階級がある。

 初級から絶級に関しては順を追って体内を巡るマナや創造力を発達させ、時には才能も含めた能力値で扱うことのできる階級が決まる。

 なので誰しも初めから上級や聖級魔法を使うことは出来ず、またたいていの人間は初級から順を追えば上級までの魔法は使うことが可能になる。

 

 大して禁忌魔法というのは、簡単に言ってしまえばだれでも使うことが出来る。

 だがそれは文字通り禁忌。

 使ったから捕まるとかそういう話では無いが、使った者の末路は死、ということだけが書物に記されていた。

 禁忌魔法ということでヒビヤが手に取った書物にそれ以上の詳しい話は一切記されていなかった。

 もっと大きな街に行けばきっと詳しく知ることが出来るだろうとフィリアが言っていたので、さすが禁忌という名が付くだけはあるということだろう。

 

 ちなみにたいていの人間が魔法を使えるといったが、その例外に入るのがヒュースだった。

 以前一度だけ『メルンが使えるなら俺も使えるさ』と言って魔法の詠唱を始めたところ終わった後も何も起こることは無かった。

 その時にエレゼンが『ヒュースは使えない人なの』と言っていたので恐らくそういうことなのだろう。

 どうして使えない人間がいるのかその仕組みをぜひ知りたいところだったがエレゼンもそこまでは分からないらしい。

 魔法の先生ならもしかしたら分かるのかもしれない。

 

「明日からよろしくね、お兄ちゃん」

 

 満面の笑みで手を握られる。

 この一ヶ月、勉強で疲れた時はこの笑顔によく癒されたものだ。

 母親によく似ている。

 

「よろしくは僕の方だよ。メルンちゃんの方が先輩なんだから、色々教えてね」

 

 頭を優しくなでるとくすぐったそうにしながら笑っていた。

 こんな小さい子でも魔法を使えると考えるとどこか不思議に思えた。

 

「それじゃ、そろそろ戻ろっか」

 

「……もうちょっとだけお兄ちゃんといたい」

 

「そう?」

 

 そう言われるとさすがに戻ることもできないため上げた腰をもう一度下す。

 すると無言でメルンがひょいと膝の上に乗ってきた。

 その体を滑り落ちないように慌てて抱きかかえる。

 

 メルンにはこの家で生活するようになってから、言わば最初からひどく懐かれていた。

 エレゼンに聞いても命の恩人だからの一点張りで理由はあまり分からない。

 フィリアに聞いても同じ回答のためそうなのかと納得する他なかった。

 

「お兄ちゃん、どこにも行かないでね?」

 

「え?」

 

「私も、フィリアから話聞いたことあるから」

 

「あー、本のこと」

 

 メルンが心配そうに聞いてくるが彼は気の利いた回答を出来ずにいた。

 なんせ実感が無いというのが本音で、この街にいたらどうとか離れた先に何が待ってるとか何一つとして分からないのだ。

 その気持ちがばれないように作り笑いをしメルンの頭を撫でる。

 こんな小さい子までこの世界のことを、こんな他人の人生を心配しないといけないだなんて酷な話だ。

 

「大丈夫だよ、僕はまだここにいるつもりだから。だから、これからよろしくね?」

 

「うん!」

 

 ヒビヤの言葉に嬉しそうに頷く。

 何とも無責任なことを言っているという自覚はあるのだが、メルンは子供なのだからこれくらいで大丈夫だろう。

 ヒュースにばれたら怒られてしまうかもしれない。

 

「そろそろ戻ろっか」

 

「もうちょっとー」

 

「また明日来よう、ね?」

 

「絶対だよ?」

 

「もちろんさ」

 

 もう一度頭を撫でる。

 メルンの髪の毛はさらさらで気持ちがいい。

 ヒビヤの髪はくせ毛なのでこの触り心地が結構好きだった。

 

 メルンを先に家へと帰し、後を追うように家へと戻る。

 その時、ふと思った。

 

 子供達(メルンちゃん)はいつから戦場に駆り出されるのだろう、と。

 

 

 

 

 

 



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第二話 剣と魔法

 いよいよ剣と魔法の稽古初日。

 今まで日の出と共に起きていた生活リズムを変え、メルンが起きるタイミングに合わせて起床する。

 とはいってもメルンが起きる時間もかなり早い方なので特に以前と変わりはなかった。

 変わったことと言えば皆で朝食を囲むことが出来るくらいだろうか。

 

 寝巻から動きやすい格好に着替え朝の食卓に顔を出すとヒュース以外の全員が明るく迎え入れてくれる。

 メルンが隣の椅子をニコニコしながらばんばん叩く姿を見てなぜ彼が朝からああも機嫌が悪いのかがなんとなく分かった。

 たった一ヶ月しか共に暮らしていないのになんで分かってしまうのか。

 そしてそれが良いことでないならなおさらだ。

 自分の分の朝食が置いてあることに喜びを感じるが、それ以上にここらを漂う殺気が気持ちを落ち着かせてくれない。

 

「たくさん食べてね」

 

「ありがとうございます」

 

 ここに来てからもう一ヶ月を経過しているが、なんだかんだでヒビヤがエレゼンの作る朝食を食べるのは初めてだった。

 理由は単に朝家を出るのが早すぎるからで、最初はエレゼンも『よかったら作ろうか?』なんて言ってくれたが申し訳なさから断っていた。

 ヒビヤは早寝をしているがエレゼンは夜遅くまで仕事をしているのだ。

 さらに起きる時間を早くしてしまっては負担が大きくなってしまう。

 

 そのため朝食には困っていたのだが、それに気づいた優しい街の人達がヒビヤに朝食を与えていた。

 朝早い近所の人や鍛冶屋の奥さん、本屋で働いている店員さんにそれに気づいてから朝早く起きるようになったお母さま方。

 その理由は的確だったり口実だったり、とにかくヒビヤに断るという道を断つものばかりで有難く頂いていた。

 最初は一口いかがという感じだったが最終的には一人二人じゃ食べきれない量を抱える始末。

 この街の人達は皆優しいのだ。

 

 手を合わせ食べ物の神様に祈りをささげる。

 ああ、神様どうか。

 

 この目の前の男を────「お前、夜だけでなく朝まで娘を盗るつもりか?」

 

「え?」

 

 祈りを邪魔するように我慢の限界だったのかヒュースが言葉を発する。

 いきなり何を言っているのか分からず固まってしまっていた。

 予想していたよりもはるかに頓智気なことを言う。

 三秒固まってその犯罪臭い言い方に顔をしかめた。

 

「お前が来てからメルンはずっとお前にしか行かないんだよ、どうしてだ!まだ俺には朝のひと時があったってのに……それさえも奪うのかお前は!」

 

 ヒュースの暴走は止まらない。

 何かすごい勘違いをしている気がするが今はそんなことを言っても通じないのだろう、それがヒュースだ。

 たった一ヶ月なのにここまで理解できちゃうんだから。

 これだけで済めばいいのだが。

 

「パパうるさい」

 

「うそ、ちょっとメルン冷たくない?」

 

「私はずっとお兄ちゃんといるの。パパは黙ってて」

 

 メルンが鋭利なナイフでズバッとヒュースを切り捨てる。

 どれだけ戦いに優れた人間でも愛娘からの攻撃には一切の耐性がないようでへなへなとその場に崩れ落ちていた。

 ああやってしまった、ああ。

 3、2、

 

「おいヒビヤ」

 

「早いよ」

 

 キッと矛先がヒビヤへと向く。

 

「面倒事は嫌です」

 

「決闘だ」

 

「だから面倒事は────「いいからさっさと外に出ろ」

 

 そう言って勢いよく立ち上がると服の襟を掴み引きずっていく。

 もう手遅れだ。

 服が伸びるだなんだ言っても一切の聞く耳を持たない、この人は本当に大人なのだろうか。

 こうなるのは割と最初から分かっていたのだ。

 理由までは流石に当てられなかったけれど。

 

「あのー、朝ご飯あるんですけど」

 

「そんなの後で食えばいい」

 

「……エレゼンさーん」

 

「私の作ったご飯は冷めても美味しいわよっ」

 

「いや、そういうことじゃ」

 

 頼みの綱が一瞬でちぎれてしまった。

 八方塞がり、もう逃げ道はない。

 彼の決死の抗議も虚しく。朝食を背に家から放り出された。

 

 

 その光景をいきなりの出来事で全く話に入れていなかったフィリアは憐れんで見ていた。

 彼女は彼女でメルンにちやほやされているヒビヤが嫌なのだ。

 

 

 

「あー、お腹空いたなぁ」

 

 庭に座り込み悪態をつく。

 せめてこれくらいの抗議は続けてもいいだろう、どうせ聞いてはいないのだから。

 

 シーボルト家の庭は家の4,5倍の大きさがある。

 そもそも家のサイズがけた違いのため庭のサイズもそれ相応のサイズだった。

 これが街の当主というものか。

 

 なんて感心も今じゃしていられない。

 何せ空腹の状態で放り出されたのだ、それも食卓を目の前にして。

 こんな無慈悲で悲惨な行為をほかに知っているだろうか。

 これが当主でよく今までもってきたものだ。

 拷問で犯罪だ。

 食べ物の恨みは大きいんだぞ。

 

「ほら、剣を抜け」

 

「剣って、フィリアは中にいるでしょう」

 

「ちげーよあいつは使うな」

 

「じゃあどうやって」

 

「うるせぇ行くぞ」

 

 いつにもまして人の話を聞かないヒュースが剣を抜刀し踏み込み走ってくる。

 剣の稽古の時間でも無いし剣を握らせないなんてどういう性根をしているんだろうと純粋に思った。

 尊敬よりもそっちの方に大きく傾きつつある。

 

 おまけに先ほどの踏み込みで庭の床が凹んだ。

 その怪奇現象にヒビヤの表情まで歪む。

 見たことはあったがどうしてそれを今発動する。

 おかしいおかしいおか────

 

「って本気で剣抜く人がいますか!!」

 

 目の前まで来たヒュースに慌てて腰につけてあった短刀二本で応戦する。

 この前買い物に出た時に武器屋で買ったもので正直扱いには慣れていないが剣が無いときの代用品として持っていた。

 急なときのためにと買ったわけだが勿論こんなときのためではない。

 

 ヒュースが振り下ろした剣に二本を重ねてガードする。

 うち一本が砕けるのを目の当たりにし、再度顔がゆがむのをヒュースが楽しそうに見ていた。

 

「本気で殺す気だこの人」

 

「当たり前だ。心配するな、埋葬する骨が無くなるくらい粉々にしてやるから心配するな」

 

「そんなこと誰も心配してないですよ!」

 

 目の前で目をぎらつかせている人にため息をつくがそんな余裕などあるはずもない。

 だがなんだろう、冷静になるとこちらも阿保になってしまいそうなこの空気は。

 一見真剣な決闘を装っているがこの状況のどこにそんな雰囲気がある。

 誰かが笑ってくれないとこっちが吹き出しそうだ。

 

「おい小僧、これを使え!」

 

 声のする方を見ると先日お世話になった鍛冶屋のおっさんことアッシュが長剣を庭に投げ入れていた。

 目の前に鞘ごと突き刺さり、ちょうど柄が上に向いている。

 人の庭に穴を開けているわけだがこれは大丈夫なんだろうか。

 

「これ、貰ってもいいんですか?」

 

「構わん、昔使ってたやつだ。手入れはしてある、お前さんまだ一本も持っていないんだろ?」

 

「そうですね」

 

「ならタダでくれてやる」

 

 アッシュの優しい笑顔に甘え、剣を抜く。

 剣は柄に多少の傷がついていることを除けば新品と大差なかった。

 光沢が酷く眩しい。

 

「油断は禁物だヒビヤ」

 

「……っ!」

 

 背後から聞こえた声に反射で伏せると先ほどまで頭があった位置を剣先が掠める。

 ヒュンという寿命を縮める音が頭上を通過していた。

 

 素早く体勢を立て直し一度深く深呼吸をする。

 相手は本気だがまだ自分は本気を出せていない。

 いつまでも冗談だと舐めていては今度こそ殺される。

 なんでそこまで、なんて考えるのもそろそろやめにすることにした。

 

 

 もう一度剣を構えヒュースを睨みつける。

 その顔を見て彼はようやくその余裕そうな顔を歪めた。

 元々ヒュースはこの顔が見たくて──

 

「やっと、ましな顔になったじゃねえか」

 

「何を言っているのか僕にはわかりませんよ」

 

「娘は返してもらう」

 

「またそうやって」

 

 訳の分からないことを口にしながらヒュースが距離を一気に詰める。

 その速さに一瞬体が硬直するもすぐに応戦するため踏み込むが、目の前に杖を持った女の子が立ちふさがったため慌ててブレーキをかけた。

 このタイミングで間に入ってくるとは、それに女の子が。

 

「ヒュースさん、それくらいにしてください」

 

 すっと間に杖を入れると、首をぐわんと動かしヒュースを睨みつける。

 その眼光は子供とは思えないほどに鋭利なものだった。

 

「嫌だってこいつがメルンを──「朝は私がもらうって、昨日決めましたよね?」

 

 少女が一歩前に出ると同時にヒュースが一歩下がる。

 何の話をしているのかさっぱりだが、異様な空気が立ち込めているのだけは分かった。

 

「まさかとは思いますが、まだご飯を食べていないとか言わないですよね?いや、食べるのを邪魔したとかでしたら論外ですよ論外。魔法使は食事が大切なんですよ?それにヒビヤ君は今日が初日なんですから」

 

 その言葉でようやく気付く。

 この目の前にいる女の子はただの女の子ではなくマキナだと。

 まさかこんな小さな子が以前サポートをしてくれた魔法使だとは。

 背丈だけで言えばフィリアよりも小さく見えた。

 

「いやまさかね、朝のウォーミングアップだよウォーミングアップ。可愛い子には旅をさせろってね」

 

「何を言っているのかさっぱりですがあなたが嘘をついてることだけは分かりますよあなた馬鹿ですからね。要するに、あなたは初日からやらかしたわけですね。私との約束をこうもあっさりと破って」

 

「はいそうです。どうもすみませんでした」

 

 これ以上は無意味であると気づいたのか先ほどまでの抗議とは打って変わって頭を垂れていた。

 ここまで素直な人間なら少しはこちらにも気を遣うことはできないのだろうか。

 

 そんな頭上で杖を構え、マキナは口を開いていた。

 

「無限なる雫よ、汝を(もち)て我が眼前の悪しきを滅せよ」

 

「ちょっと待てそれは」

 

 杖の先をヒュースに向け詠唱をする。

 彼女の持つ杖の周りを紋が彩り、やがて先端へと集中していた。

 

鉄砲水(フラッシュフラッド)

 

 少女の翳した杖の先から弾丸のような水が生み出される。

 その魔法は目の前にいるヒュースにゼロ距離で放たれていた。

 その魔法に慌てたヒュースが剣を重ねると、瞬時に勢いを失いヒュースの体へと降り注いだ。

 ダメージは無く、ただずぶ濡れになるだけに留まっている。

 

「あれ、もしかして魔法ってそんなに強くないですか?」

 

 戦闘から離脱したヒビヤが傍まで来ていたエレゼンにそっと聞く。

 剣と重なるだけで威力を失うとなれば当然剣よりも弱いのではと考えるのが普通だ。

 

 正直な話ヒビヤは魔法を会得するのが密かに楽しみではあった。

 戦闘スタイルの大きな変化は勿論、魔法というものに触れたことが無いヒビヤにとっては新鮮なものである。

 それが必要のないものだと教わる前に分かってしまうというのは良いことでもあるがひどく落胆させるものであった。

 それが表情に出ていたのかエレゼンは小さく笑うと頭をぽんぽんと叩く。

 

「違うわ。あれはヒュースが魔法を切ったの。そうね、普通の人間が同じことをしたのなら剣もろとも頭に風穴くらいは開いているかしら」

 

 ふふっと笑いながらそんな物騒なことを言ってのける。

 夢や理想が崩壊することは免れたが、同時にひどく恐怖を植え付けられたような気がした。

 

「斬れた理由はそうね、そういう能力があるっていうこととマキナが放つ魔法を詠唱で把握していたというのが大きいかもね。それでもそう簡単に出来るものでは無いから真似しようとは思わない方がいいわ」

 

 すっとしゃがんだエレゼンは口の前に人差し指を立てにこっと笑う。

 何の合図かは分からないがそんな神業をやろうだなんてそんなこと微塵も思わなかった。

 確かに今後役に立ちそうな技ではあるがそれとこれとは別の話である。

 やるなと言われたらやりたくなるなんてそんなの幻想だ。

 

「それでは早くご飯を食べさせてください。午前中は私の時間なんですから」

 

「すみませんでした」

 

 エレゼンと話している間に二人の方も終わったようでずぶ濡れのヒュースが心までどぶったみたいに歩いてきた。

 あのヒュースをここまでにするとは。

 戦闘という場面以外でも相当な実力者だと伺えた。

 

 なんて考えていると不機嫌そうなヒュースが家では無くこちらに向かってくる。

 まだ何かするのではないかと身構えるとエレゼンが手で制して立ち塞がっていた。

 

「ご飯が不味くなっちゃうわ」

 

「いやエレゼン、お前さっき冷えても美味しいって」

 

「温かい方が美味しいに決まってるじゃない。今日の夕ご飯はヒュースが当番ね」

 

「え、ちょっ、エレゼンさーん?!」

 

 よろしくねーと手を振りながら家に戻るエレゼンにすっかり取り残されたヒュースは、思い出したかのようにヒビヤの方を見るときーっと子供のように睨みつけ足早に家の方へと消えていった。

 なんだろう、とりあえずこれ以上尊敬できない人間になるのだけはやめてほしいというのがヒビヤの率直な感想だった。

 

「ぶぇあっくしょん!!」

 

 なんで自分がボコられたのにあの人の方が可哀そうなんだ。

 

 

 

 

 

「それで、君がヒビヤ君かな?」

 

 ローブについた砂を軽く払うとヒビヤの前で顔を覗き込むように話しかけてきた。

 だが背丈は当然ヒビヤの方が高く、どこか自分が大人びているということをアピールしているようにも見えた。

 無意識なのかもしれないが日頃やっているせいで身についてしまったものなのかもしれない。

 近くに来れば来るほど小さいことが分かる。

 前言撤回、フィリアどころかメルンと同じくらいだった。

 ということは、メルンは同年代の子に魔法を教わっているということになる。

 

「ん、待てよ」

 

 確かにこの子は前回の戦いに参加していた、ヒュースやエレゼンが言っていたのだから。

 それにその時限りではあるが確かにこの声で魔法を詠唱しているのも耳で聞いている。

 つまり、同年代と思われるメルンも戦いに参加できるということだ。

 

 その事実にヒビヤは戸惑いを隠せないでいた。

 勉学はしっかりと行った、だがどの書にもいつから戦いに狩りだされるかなんて書いてはいなかった。

 

 もしかしたら地方によって違うのかもしれない、子供は一切関与しない街もあるかもしれない。

 だがこの際他の街なんてどうでもよかった。

 この街は、リープウィルは。

 子供を戦闘に狩りだすのだ。

 

 

 

「聞いていますか?」

 

 考え事で俯いていた顔にまた更に下から見上げてくる。

 ちょうど懐に収まるくらいでかなり顔が近かった。

 

「すみません、ちょっと考え事で」

 

「やっぱりお腹が空いて頭が回らないんですね。まったく、あの人は初日から一体何をしているんですか」

 

 もうっ、と怒る姿はメルンと大差なかった。

 一度目に付くとそういうことばかり考えてしまうのは悪いところなのかもしれない。

 

「どうですか、魔法は。面白いでしょう?」

 

「あ、はい。さっき何が起こったのかはエレゼンに説明してもらいました。魔法ってほんとにすごいんですね」

 

「あれは初級魔法ですけどね。でも大体魔物と対峙するときは初級中級が基本ですから。基本、大事ですよ」

 

 ニコニコしながら魔法についてを簡単に説明してくる。

 どうしてこういう話を笑顔で言えるのだろうか。

 魔法を使える人達は皆笑いながらこういう話を。

 寒気がしてきた。

 

「魔法は良いですよ、攻撃魔法だけが魔法というわけでは無いですから」

 

「というと?」

 

「まあそうですね。回復したり相手を足止めしたり地形を変えたり。自分で下さない手も多くありますから。まあ、物騒な話はもう少ししてからですかね」

 

 そう言って背後に隠してあった杖を再び取り出した。

 その先を何故こっちに向けているのかと思うが本能がそれを察していた。

 きっとこれはこういう人達には絶対に言ってはいけない質問だったのだ。

 

「この名は陰と陽を結ぶもの、陰を地に陽はわが手に!『磁気場(マグネティックゾーン)』」

 

 杖が向けられた瞬間上から何かに押しつぶされるような感覚に襲われる。

 それが地に引っ張られているということに気づくのもすぐだったが、とにかく身動きがまるでとれなかった。

 重い、という感覚で合っているのだろうか。

 

 

「お……おも……重い、って!」

 

 無理やり地面から立ち上がろうとすると魔法が解けたのか一気に軽くなった。

 ヒュースとは違い良識のある人なのだろう。

 どうせなら一言あってからやってほしかったものだが。

 

「魔法ってすごいですね。奥が深いというか可能性を感じ──どうしたんですか?」

 

「……やっぱり効かないのね」

 

「え?なんですか?」

 

「何でもないです。ほら、早くご飯食べに行って来てください」

 

「あ、はい」

 

 言われた通りに一度家に戻ることにする。

 お腹は空いているのだが時間も時間なのでご飯は後でいいだろう。

 少なくとも責められるのはヒュースであってヒビヤではない。

 ご飯は大切だと言われたがもっと大切な時間を食われてしまったのだ、少しくらい無理をしてもいいだろう。

 今日はヒビヤにとって大切で楽しみにしていた一日なのだから。

 

 

 

 

 家に入っていくヒビヤをマキナは興味深く見つめていた。

 他の皆が家に入っていったのを確認すると、先ほど使った魔法をもう一度唱える。

 そこに足元に転がる石ころを投げ入れると勢いよくその石は地にめり込んでいた。

 

「やっぱりちゃんと発動はしていますよね」

 

 小さくつぶやくと拳を握り締め、そして脱力する。

 

「まあ、ヒュースよりはまだましですかね、魔法は教えていないでしょうし」

 

 もう一度彼が入っていった扉を見つめ、これから受け持つ生徒に対し小さくため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 家に入りエレゼンに食事の件を伝えた後、自室のある二階へと上がり一度部屋へと戻った。

 服装はそのままでいいのだが、短刀が一本粉々にされてしまったのでストックしていたものを足す。

 街の中で襲われるなんてことは普通無いが、念には念を。

 実際今朝ヒビヤはここ近郊で一番の猛獣に襲われたわけなのだから。

 

「そうだ、この短刀」

 

 折れた短刀はヒビヤが買ったものだ。

 後でヒュースに新しいものを買ってもらおう。

 

 短刀を腰に携え、あまり長く待たせてはいけないと思い玄関へ向かうと、エレゼンが杖とローブを手にして立っていた。

 

「これ、魔法使いになるなら必要でしょう?」

 

 杖は必要かもしれないけれど、ローブはいるのだろうか。

 心の中で考えているとエレゼンが小さく笑っていた。

 

「職業はまず形からよ」

 

「あれ、声に出てました?」

 

「ううん、そんな顔をしてただけ」

 

 その言葉に甘え、杖を受け取る。

 杖を手にするとローブはエレゼンが着せてくれた。

 サイズは丈が腿あたりまで。

 少し動きにくい気がするがこんなものなのだろうか。

 マキナがどんなものを着ていたのか確認しておくべきだった。

 

「ありがとうございます。大切に使わせていただきますね」

 

「行ってらっしゃい。気を付けてね」

 

「家の前ですよ?」

 

 常套文句ならいいのだがエレゼンが言うと冗談に聞こえない。

 一体何をするのだろうか。

 

「それでも、よ」

 

 エレゼンが優しく微笑む。

 こんなに信じられない笑顔がほかにあるか。

 

 

 

 

 

「ヒビヤ」

 

 扉に手をかけたタイミングでふっとフィリアの声がした。

 エレゼンと代わるように玄関にきたようだ。

 彼女はしっかりと朝食を済ませたのだろうか。

 

「どうしたの?」

 

「別にどうってわけじゃないけど、私は何したらいいのかなーって。朝も昼も稽古でしょ?」

 

「そうみたいだね。今日はヒュースの方はどうなるか分かんないけど」

 

 どこか所在なさげにもじもじしているフィリアを見ていると、やっと何が言いたいのかが理解できた。

 いままでヒビヤが彼女を振り回していたせいで突然暇になってしまいどうしようということだろう。

 確かにここ一ヶ月は風呂と寝るとき以外はほとんど一緒にいたようなものだ。

 何から何までお世話になり自分の時間というものをほとんど与えられなかったのかもしれない。

 そう考えるとかなり申し訳ないことをしていたことに今更になって気づいた。

 

「ごめんね、気づけなくて。フィリアの好きなことでいいんだよ、今までありがとね」

 

「うん」

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

 そう言って扉を開け、そして何事も無く閉まる。

 玄関には扉の音だけが鳴り響き、そのあとは静寂が包み込んだ。

 そんな中一人宙ぶらりんな状態で立ち尽くす。

 

「……そういうこと、行って欲しかったわけじゃないのに」

 

 その言葉は誰にも届かなかった。

 

 

 

 

 



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第三話 小さな先生

 外に出ると既に二人が何か話をしていた。

 始まる前のミーティングと言ったところだろうか。

 

「あ、来ましたね」

 

「お待たせしました、遅れてすみません」

 

「いいえ、まだ時間にはなってないですから気にしないでください。それに全部ヒュースが悪いんですから」

 

「ははは……」

 

 この場にいないのに可哀そうなものだ。

 まあそう言われても仕方がないことを彼はしたわけなのだが。

 

 

「それでは、これから魔法の授業を始めます」

 

「あれ、今日はここでやるんですか?」

 

「はい、これからは毎日ここのお庭を使わせていただきます。前まではあなたに感づかれないためにちょっと離れてただけなので。お勉強の邪魔をするわけにはいきませんし」

 

「そういうわけがあったんですね。全然気づかなかったです」

 

 わざわざ気を遣ってひと月だけ場所を変えてもらっていたようだ。

 なんだか申し訳ない気持ちになる。

 

 そんな彼はお構いなしでマキナはポケットから小さな銃のようなものを取り出すと空に向かってそれを撃った。

 空高くまで飛んでいくとパンっと乾いた音が鳴り空気に溶け込んでいった。

 

「今のは?」

 

「これから魔法を使う合図です。周りの人たちに迷惑をかけるかもしれませんので」

 

 エレゼンと同じようなことを言うためこれから何が始まるのだろう、と不安が募る。

 爆発やら風穴やら、とにかく危険が及ぶのだけはごめんだ。

 

「今までこの街にいたのなら一度くらいは目にしませんでしたか?」

 

「あぁ、その、基本建物の中にいたので。お勉強とか、色々ありましたし」

 

 少し片言な口調にマキナが不思議そうな顔をしていたが気づかないふりをした。

 ここで外に出ていましたと言ってヒュースにでもチクられたらまた面倒事が増えそうだ。

 気づいたとしても詮索はしないでくれと祈るしかなかった。

 

 

 

 

 この一ヶ月、勉強だけに使った日々では無かった。

 そもそもヒビヤがここにいる理由は本を読むためでもお勉強をするためでもない。

 集中と言っても一切戦闘から離れるほど聞き分けは良くなかった。

 勉強が行き詰まったり飽きたときには気付かれないように街の外に出ていた。

 街の住人の何人かに見られてはいたが、皆隠してくれていたのだろう。

 優しい人たちだ。

 

 一度ヒュースが街の外へ出るのに同行しようとしたら断られてしまった。

 だからこそこそ出るしかないのだ。

 

 

「それより、ヒビヤ君は魔法のことは少しは知っていますか?」

 

「はい。一応ですけど勉強の際に一通りは」

 

 

 ──── 魔法 ────

 

 攻撃魔法を主として回復、状態異常、空間変化の魔法などがある。

 

 先ほどマキナが使用した相手を押しつぶすような魔法は恐らく空間変化魔法だろう。

 

 攻撃魔法には属性として火、水、土、氷、風、雷、そして聖と闇がある。

 死属性の魔法というものもあるらしいが、扱った本の中にはほとんど情報が載っていなかった。

 死属性というものが危険なのか、一般の本にはそのワード以外記載がないのだ。

 もっと本を買っていればそんなものに出会えたかもしれないが、何せ二人ともお金が無い。

 ヒビヤがお金なんて持っているわけが無いし、自分の勉強用にフィリアの財布を軽くするなんてもってのほか。

 詳しい勉強は自分がお金を稼げるようになってからだ。

 

 ただ分かったことは、死属性魔法は禁忌だということ。

 だからそう簡単には教えてくれないのだ。

 

 

 他には回復魔法、別名生属性魔法。

 状態異常や空間変化魔法、別名無属性魔法。

 

 生属性魔法は状態異常や体の傷などを治す後衛中の後衛魔法。

 ただ人によって使える魔法の種類に限りがあったり、逆に無制限にどの種類も使える人もいるため攻防一貫の人もいるらしい。

 剣士で魔法が使える者もいるようなので生まれ持っての才能かその後の努力が関係しているのだろう。

 エレゼンも攻撃魔法を使えるのかもしれない。

 

 無属性魔法。

 相手にかけるものが多いので攻撃魔法と捉えてもいいが、魔法で直接攻撃できるものはほとんどない。

 仲間をサポートする魔法や、敵を状態異常にするものが主。

 その他には地形を変化させたり空間をいじったり。

 ここにも禁忌魔法と言われるものが多くあるらしい。

 

 直接攻撃できるものが少ないと言っても戦闘ではこちらの方が重宝される場面も多いのかもしれない。

 先ほどマキナが使用した魔法はここぞという場面で活躍するものだと身をもって思い知った。

 あれが厄介なことくらい戦闘においてニュービーなヒビヤにも良く分かっていた。

 あの使い方も一つの例であって他にも色々な使い方があるのだろう。

 

 

 

「ちゃんと勉強しているんですね。そういう一般的な説明とかあまり得意では無いので安心しました。それでは、いくつか質問をしようと思います」

 

「難しいのは無しですよ?本しか読んでないんですから」

 

「分かっていますよ。では、行きます」

 

「はい、先生」

 

「先生かぁ。……悪くないね」

 

 質問はどこえやら照れたように頬をぽりぽりと書いている。

 外見のせいか先生と呼ばれることが無かったのだろうか。

 確かにメルンと同年代と考えると彼女も先生と呼んでいなかったのかもしれない。

 今の仕草も子供らしいものであったし。

 

「それともやっぱり、マキナちゃんとかの方が良いのでしょうか」

 

「ん、なんでちゃんが付くんですか?」

 

 

 その疑問にはてなが浮かぶ。

 メルンは嫌がっているように見えなかったので悪い言葉というわけでは無いだろうが、何か不味いことを言ったのだろうか。

 記憶が無い以上言葉には注意して発言しているつもりだがどこかでやってしまったのかもしれない。

 だが少し考えてもその答えにはたどり着かなかった。

 

 とメルンの方を見ると首を横にぶんぶん振っている。

 ひたすら頭を振っておりさながら何かの儀式のようだった。

 全く分からない。

 

「いえ、マキナちゃんが年下なので年相応の呼び方の方が良いのかと。同い年なのに呼び方に統一性が無かったのが良くなかったんですかね」

 

 ごめんなさい、とメルンにするように頭に手を伸ばすとその手を思い切りはたかれた。

 マキナの方を見ると顔を真っ赤にしてこちらを見ている。

 頭を撫でられるのは嫌いだったのだろうか。

 マキナに対してはいまいちコミュニケーションがうまくいかない。

 

 なんてことを考えているとマキナの杖の先がこちらへと向いていた。

 

「私は……もう、成人です!」

 

「──へぁ?」

 

 一瞬時が止まった気がした。

 そこで思い出したかのようにシンキングタイムに入る。

 成人とは何か、すぐに答えは出た。

 成人とは成人、つまり大人のことであり一応本には16と書いてあった。

 マキナが成人?一体何の冗談を言っているのだろうか。

 何かを試されているのか、それとも妄言を言われているのか。

 年上なんて有り得ない、それとも自分が────

 

「あれ、僕何歳なんだろ。……って」

 

「無限なる雫よ、汝を以て我が眼前の……ん、むぐぅ!」

 

 本気で詠唱をしているマキナの口を後ろから抑える。

 唱えるというくらいだから喋られ無くなればおさまるものだと願うしかない。

 ふんふん言っているがこんなところで風穴なんてごめんだ。

 

「んー!んー!……むぅ」

 

 ようやく諦めたのか大人しくなったので手を離す。

 瞬間すごい勢いで逃げてしまった。

 これはあれだろうか、嫌われてしまったという。

 まだ一日目だというのに。

 

 

 クイックイッ

 

「ん?」

 

 メルンに服の袖を引っ張られ振り向く。

 何故かすごい真剣な面持ちだった。

 これはお説教────

 

「あのね……実はマキナさん、小人(ホビット)なんだ」

 

 

 その言葉が、ヒビヤの疑問を全て解決させた。

 

 

 

 

 ■ □ ■

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 

「そんなに謝らないでください、慣れていますので。分かってもらえただけで」

 

「すみません、小さくて可愛かったもので」

 

「……やっぱり謝ってください」

 

「申し訳ございませんでした」

 

 

 メルンに言われたとき、再び無のシンキングタイムが始まっていた。

 小人についてはちゃんと勉強していた、本にそういったものも勿論載っていたから。

 だがこんなに早くお目にかかれるとは思ってもいなかった。

 それにホビットは小人族とはまた話が違う。

 この世界においてある種族は変異種という形で背が小さい者が生まれてくるのだ。

 当然それは稀ではあるが当たり前のことであり外見的特徴以外他の者と大した差は無いというものだった。

 つまり背が小さいというだけで、ホビットと決めつけるものが何もない。

 じゃあどの種族なのだろうかと思うが体毛なんていう明らかな差は無く帽子も被っていれば髪の長いマキナは完全に他の特徴を隠しきっていた。

 そのために被っていたり髪を伸ばしていたりそういうわけでは無いのは分かっているがそれ以外知らないヒビヤにとっては当然お手上げだ。

 事前に説明があればよかったものを。

 

 だがこれで彼女の姿が小さいことも十分納得がいった。

 ということは。

 

「マキナさんは今何歳ですか?」

 

「女性に歳を聞くのは……なんて冗談も今はいりませんね。25は超えました、詳しくは秘密です。またいつかもっと仲が良くなったら教えますよ」

 

「なんですかそれ」

 

「女の子には秘密の一つや二つ、あってもいいんですよ」

 

 ふんふんと何故か上機嫌な彼女は先ほど怒っていたことをすっかり忘れているようだった。

 先生は年上。

 そうちゃんと脳内に刻んでおいた。

 そりゃあちゃん付けも嫌がるわけだ。

 

 

「むっ」

 

 マキナのことを考えているとまた服の袖を引っ張られていた。

 今度はどこか不機嫌に見える。

 

「私も大人」

 

「え?でもメルンちゃんは二人とも人族でしょ?人族にホビットは」

 

 勉強した本に載っていなかっただけだろうか。

 だがそんなに重要なことなのかとも思う。

 もしかして隠し子とか。

 だが父親がヒュースだ。

 まさかそんなことは。

 

「ちーがーうー!」

 

「わわっ、どうしたのメルンちゃん」

 

「私も『ちゃん』はいらない!」

 

 頬を膨らませてぷんぷんと言っている。

 そうかこれがこの歳相応の子の反応なのか。

 だとすればマキナを一緒にするのは確かに失礼な気がしてきた。

 

「ヒビヤ君もまだまだですね」

 

「え?」

 

 背伸びしながら言うマキナの意味がさっぱり分からなかった。

 

 

 

 魔法の授業は一体いつから始まるのだろうか。

 



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第四話 隠された力

「ありがとうございました」

 

 ヒビヤは荷物をまとめるともう一度深々とおじぎをし家へと向かっていった。

 初日の授業は昼前十時頃から始まり夕方に終了した。

 

 途中で一度ヒュースが『俺の番だから返せ』なんて言ってきたが、疲れていたメルンを彼に預け授業は続行となった。

 まあ今日に関しては彼が文句を資格など当然あるわけがなく、マキナが杖を向けると娘を抱えて大人しく去っていった。

 と言っても今日だけのことで明日からはちゃんと半日で交代するとのことだ。

 ヒビヤにとっても魔法と剣両方を使えることがベストであり、二人も勿論そこは理解しているため異論はない。

 

 

 そんなことは置いておいて、マキナはこの男の異常性をほんの一日で大まかに把握していた。

 

 ヒビヤ・プレイスト────彼は異常だった。

 

 

 今日一日、たった半日だけでその片鱗が露わとなったのだ。

 勿論そんなこと言われずとも分かっていた話ではあるがこんな生徒を受け持ったことも周りにいたことも一度としてない。

 まだ魔法使として生きていけないことは当たり前なのだが、魔法の素質なんてそんな甘い言葉で片付けられるものでは無かった。

 お世辞の一つくらい吐き捨てられたら良かったのだがそんな言葉もおこがましい。

 フィリアに勇者だなんだと語られても現実主義の彼女は当然信用なんてしていなかったが、今日その身で感じたものがすべてを物語っている。

 自分の体を信じたくなくなったのはこれが初めてだ。

 

 まず体内のマナの量がおかしい。

 マナとは体内にある魔力の総量だ。

 多ければ多いほど魔法はばんばん打てるし威力も当然上がる。

 こればかりは生まれ持っての才能に準ずるところがあるので十分納得できるものではあった。

 だが。

 

「彼の魔法は人の放つものじゃない」

 

 杖を掲げ、空に向かって簡単な水魔法を放つ。

 マナを極限まで絞るが、普段なら十分発動するはずの魔法。

 だがそれは杖の先を湿らせただけで、とても魔法とは言えない代物となった。

 

「周りのマナが無くなってる」

 

 もう一度先ほどよりも多くのマナを加え魔法を発動する。

 今度はしっかりと放つことが出来たがそのサイズに思わず乾いた笑いが零れてしまった。

 

 魔法は体内のマナと同時に空気中のマナを取り込み発動することが出来る。

 杖にはその空気中のマナをより吸収する役割などがあったりするが、それがまったく仕事をしていなかった。

 つまりここらのマナは全て彼によって吸い尽くされてしまったのだ。

 それも杖も持たない状態で。

 

「もしかしたら、魔法を使うロジック自体私達とは違うのかもしれない。……どうしたらいいのかな」

 

 フィリアやヒュース、そして自身で考えて導き出した答え、ここで彼に施すべきものは彼に戦場に立てるほどの実力をつけること。

 彼女も勿論何度も戦場というものは経験してきた。

 今後彼がそのような場に行くのであれば、今、この時がとても大切になるのだろう。

 記憶が無くなってさえいなければもっと別の場所があったのだろうがそうも言ってはいられない。

 ということは、勿論こんなこと予想もしていなかったわけだが彼に悪影響を与えることなんてあっていいはずがなかった。

 

 外で悩みに悩むその姿はとてもその容姿に似合わない姿だった。

 こんな顔をするのはヒュースだけだと自分で安心していたというのに。

 

 

 

 ■ □ ■

 初日の魔法の授業は無事に終わった。

 正直に言うと、魔法はヒビヤにとって気持ち悪いの一点張りだった。

 

 魔法の詠唱を始めるとまず、体内にどろどろの血液を想像させる、エネルギーの塊が生まれる。

 さらに詠唱を続けるとそのエネルギーの塊が自分が魔法を放出したいと思う部位に集まる。

 

 足からでも頭からでも魔法を放つことができるわけだが、当然指先というのが妥当なためそこに集まる。

 そして詠唱が終わり、最後にその魔法の名前を言えばポンッだ。

 まるで指先に穴が開いたようにそこまで溜まりに溜まっていたエネルギーが勢いよく放出される。

 その感覚がそれはそれは気持ち悪い。

 不思議でとにかく気持ち悪いので先生に聞くと『慣れればいいんですよ』と言われた。

 

 相談した僕が馬鹿だったと先生に対して不覚にも思ってしまうような回答だ。

 

 今日は事前に詠唱だけ覚えていた魔法と落とし穴の魔法を教わった。

 ヒビヤが先生にあーだこーだ教わっている間に、メルンがどんどん色んな魔法を唱えていたのがさすが先輩と言ったところだろう。

 メルンの方がずっと魔法をやっていたし、そろそろ基本の中級魔法を制覇できるほどの実力を持っているとか。

 やはりあの二人を親に持つだけあって、元から才能もあったのではないだろうか。

 

 それに加えて本人のやる気だ。 

 自ずと成果もついてくるのが当然というものだ。

 

 

 その日の夜、夕食にマキナを招待した。

 理由は『これからヒビヤ君も魔法を習うんだから、その初日祝いで』ということらしい。

 発案者は勿論エレゼン。

 ただ皆でご飯が食べたかっただけのようだがマキナに拒否されないようにするために一応理由をつけたのだろう。

 隅っこで震えてる男がいるわけだが、一同それに気づかないふりをしていた。

 今日一日もっとも可哀そうなのはやはりこの人だろう。

 

 今日はご飯がいつもよりもおいしく感じられた。

 勿論いつもが微妙なわけでも今回が特別豪華なわけでも無い。

 魔法でエネルギーを使いすぎたせいだろうか。

 

「あの、マキナさ──」

 

 ふいにヒビヤがマキナに声をかけるがすぐに固まる。

 視界いっぱい、目を輝かせてご飯に手を伸ばしがつがつ食べている者がいる。

 美味しい美味しいととにかく止まらず誰かと競っているのだろうかというくらいだ。

 こんな良い食べっぷりを見たことがあるだろうか。

 子供でもこんな姿見たことが無い。

 

「そういえばマキナさんはどこから来たんですか?」

 

「むっ?」

 

 頬にリスのように食べ物を溜めて反応した。

 実年齢はともかく、やっぱり精神年齢は容姿相応なのかもしれない。

 そんな誰も取ったりしないというのに。

 鼻を押さえたらどうなるのかやってみたくなるくらいだ。

 

ぼうひてひば(どうしていま)?」

 

「あ、食べ終わってからでも大丈夫です」

 

 そういうとマキナは嬉しそうに頷き再び手を伸ばし食べ始める。

 含んでいたものを飲み込んでからという意味だったのだがどうやら伝わらなかったらしい。

 

 顔が幼く見える分、本当に無邪気なちびっこにしか見えない。

 みんながこの顔を見て不自然に思わないのが不思議だった。

 

「それでヒビヤ君、どうしてそんなことをいきなり?」

 

「いえ、マキナさんが何も気にせず夕食を食べに来てくれたのでもしかしてこの街にお家が無いのかなーと思いまして。長く滞在することを考えていないとなるともしかしたら冒険者だったのかなと」

 

「なかなか鋭いですね。流石です」

 

「へへ、そうですかね」

 

 マキナに褒められ頬を緩める。

 先生に褒められるというのは率直に嬉しいものだ。

 

「ヒビヤ君の推測通り、私は中央大陸にいました。メルンに魔法を教えるためというのが七割、魔物討伐が二割、後はヒビヤ君が来るかもしれないからってところですかね」

 

「僕ですか?」

 

「そうです。フィリアの持っているヒビヤ君の情報ですが、多少なりとも中央の方にも広まっていましたから。ほとんどの人が妄言だ何だと言っていて私もそちら側の人間だったのですが、まあ次いでという形ですかね。他の用件と合っていたのでちょうどよかったんですよ」

 

「随分と曖昧なんですね」

 

「動機なんてそんなものですよ。冒険者はこんなものです。冒険をするために生きているんですから」

 

 どこか懐かしむように話してくれた。

 マキナにも楽しかったと思い出すような冒険の日々があったのだろう。

 今度もっと詳しく聞きたいものだ。

 

 

 夕食後いつものように部屋に戻り軽装に着替えエレゼンに一声かけ外に出る。

 赤々と輝く月の下、家の明かりに照らされながら外へ出る。

 今日は剣を持たずに手ぶらで来ていた。

 別に素振りをしないというわけではない。

 

「地の精霊よ、我に力を与えたまえ『地の造形(アースクリエイト)・ブレイド』」

 

 造形系統の初級魔法だ。

 その属性を自由な形へと変えることが出来る。

 

 手を下に向け、軽く手を開くと土で造られた剣が握られる。

 瞬間、右手の方に重心がぐわんとずれた。

 

「おもっ!」

 

 すぐに手を離し、自分が何を握ろうとしていたのかを確認する。

 それは自分の背丈の二倍ほどもあるとんでもないサイズの長剣だった。

 流石にこんなに大きいものは振れないし何の稽古にもならない。

 

 昼にもマキナに言われたが、ヒビヤの課題は魔力量を調節することだ。

 調節せずに無意識に発動するとこんな望んでもないものが生まれてしまう。

 今日は仕方なくいつもの剣を振ることにした。

 

 剣を取りに玄関へと向かう。

 扉を開けると目の前にメルン……ではなくマキナがいた。

 ちっちゃいから間違えたわけでは無い。

 

「今日はもう帰るんですか?せっかくなら泊まって行くのはどうでしょう。皆歓迎しますよ」

 

「それはエレゼンにも言われたのでお言葉に甘えて泊まることにしました」

 

「じゃあなんで外に?何か忘れ物でもしましたか?」

 

「ちょっとヒビヤ君と話がしたかったので」

 

 その言葉に身構えるとマキナは小さく笑っていた。

 

「説教じゃないですよ?」

 

 その言葉を信じていいのか警戒するのをやめた。

 その前の笑いは一体なんだったのだろうか。

 

「あちらに座りましょう」

 

 昨日ヒビヤが座った石を指差す。

 その時のことを思い出し、時期的にかなり冷えていたことを思い出し手の平を翳す。

 冷たい石で驚く姿も見てみたいが、自分が知っていてそれをやるのは少し卑怯な気がした。

 

「あれ、こんな時期なのに暖かい」

 

 さりげなくの予定だったがあっさりばれてしまった。

 流石先生だ。

 

「冷たいといけないので暖めておきました」

 

「さっきまで座っていたのですか?」

 

「いえ、今温風を送りましたので」

 

 そう言うと、マキナが不思議そうな表情で見てきた。

 どこか眉を顰めるような顔はやはり説教なのではないかと匂わせる。

 隠すならもう少しうまく隠してはもらえないだろうか。

 

「ねぇヒビヤ君、ひとついいですか?」

 

「はい、なんでしょうか」

 

「今、魔法の詠唱しました?」

 

 



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第五話 異変

 太陽が部屋の中を照らし目を覚ます。

 昨夜に色々なことがあって夜はあまり眠れなかった。

 

 あの後急遽魔法の授業が入った。

 と言っても、どうして詠唱無しで魔法が放てたのか、というものだ。

 結論から言うとマキナには出来ず、ヒビヤにだけ出来ることが分かった。

 無詠唱だ。

 

 大まかに説明すると、放ちたい魔法を思い浮かべるとその魔法のエネルギーのようなものが体内に発生し、それを詠唱の時と同じように体の一部に集中させると放てる、というわけだ。

 つまり体にエネルギーを発生させ、それを一部に集中させるという詠唱が担っていた仕事を全て感覚のみですることが出来たのだ。

 なので詠唱したことのない、感覚の分からない魔法は無詠唱することが出来ない。

 しかし一度でも詠唱に成功すれば忘れない限り簡単に発動することができる。

 用は暗記だ。

 

 その方法をマキナに説明したが、何度試してみても彼女は無詠唱をすることは出来なかった。

 あの時の彼女の顔を忘れることはないだろう。

 ほんの一瞬だったが、表情に影が差しヒビヤのことをなんとも言えぬ目で見ていた。

 あれは怒りか嫉妬かそれとも哀れみか。

 それを一瞬でおさめられたのは彼女の人となりなのだろう。

 勿論彼女の気持ちを理解できない魔法使などこの世にはいない。

 それは記憶のないヒビヤにも分かることだった。

 

 だが、マキナには出来ないと分かった今、自分だけが出来るという高揚感が押し寄せた。

 それと同時に急速に不安が押し寄せてくる。

 何に対する不安なのかは自分でも分からない。

 結局それが元で、続きをしようとするマキナを放って一人家へ、部屋へと逃げ帰った。

 そのままなかなか寝付けず、気づけば朝に。

 どれくらい寝てどれくらい起きていたのかも分からない。

 

 本当はマキナの方がダメージを受けているだろう、そんなことは容易に想像できた。

 だが逃げたのはヒビヤの方だ。

 

「何をしてるんだ僕は……!」

 

 自分の右手を左手で抑え込もうとする。

 震える右手が収まることはなく、その手を掲げると口を開こうとする。

 

 だがその口は発する呪文を別のものへと変えていた。

 

砂の壁(サンドウォール)

 

「きゃっ」

 

 不自然に空いていた扉の向こうへと魔法を放つ。

 どうやら開けてから時間はそう経っていないようで、簡単に犯人を捕まえることが出来た。

 だがそんなことはどうでもいい。

 本当に詠唱が必要無くなってしまったということに、ヒビヤはため息を吐いた。

 

「どうしたのフィリア」

 

 声をかけるが返事が返ってこない。

 確かにそこに人はいるはずなのだが、ばれていないと言いたいのだろうか。

 それとも別人だと勘違いすると思っているのか。

 ひと月ずっといた人の声くらい覚えるのが自然だ。

 

「なに、覗きにでも来たの?」

 

「ち、違うよ!」

 

「冗談だよ。……散歩、付き合ってくれない?」

 

「えっ?う、うん」

 

 最後に短刀を身に着け、魔法を解除してその処理をする。

 

 

 彼女がここに居てくれて良かった。

 出なければ何の魔法を放っていたのか、考えたくはなかった。

 

 

 

 □ ■ □

 今朝、フィリアは覗きが目的でヒビヤの部屋に来たわけでは無かった。

 彼女は昨夜、ヒビヤが逃げ込むように部屋へと入っていくのを目にしていた。

 魔法の音なんて夜に使えば余計周りに聞こえてくる。

 当然フィリアもそれには気付いていた。

 そんな非常事態の後に駆け込むヒビヤ。

 気にならないわけが無い。

 

 当然夜に押し掛けるわけにはいかないと思い朝伺いに行くと鉢合わせしたわけだ。

 魔法が退路を閉じたわけだが、詠唱が聞こえなかった。

 それだけでなんとなく、察しがついた。

 

 

 

 そんなこんなで散歩と言われ今に至る。

 ここで断るわけには行かないので当然フィリアもついていっていた。

 まだ早朝もいいところだ。

 一体どこに連れていくのだろう。

 

「ねえフィリア。僕、これからどうしたらいいのかな」

 

 しばらく歩いていると唐突に変なことを言い出した。

 こういうとき何と声をかけるのが正解なのだろうか。

 察しが良いせいで彼がどういう意味でその言葉を口にしたのかがなんとなく分かってしまう。

 表情を見ればそれは確信に変わる。

 彼の表情は悲しいような、虚ろなものだった。

 

「何をそんな、人生終わった人みたいなこと言ってるの」

 

 ははは、っと笑い飛ばしてみる。

 ちゃんと笑えているだろうか、嫌なやつになってはいないだろうか。

 

 確かに彼の登場は本の内容とは逸脱するものだった。

 だがフィリアたちがやろうとしていることはまだ変わらない。

 彼を戦場に立てるほどに成長させることがこの家の、この街の住人の役目だ。

 それを彼に伝えたら一体どんな顔をするだろう。

 こんな道具同然の扱いを知ったら彼は。

 自分たちが虐げられるのなんて当然だった。

 

 だがそれで済めばいい。

 もし彼の記憶が元に戻る、あるいは今のまま力だけが戻りこちらに牙を向いたとしたら。

 

 

 その時彼はこの街全員の天敵となるだろう。

 力のないフィリアは当然そうなってしまえば真っ先に殺される、または天敵の武器(・・・・・)になってしまう。

 

 だがそんな力のない彼女は、彼の抑制を担当しなければならないのだ。

 重大な任が、彼女には課せられていた。

 

「ごめんね、こんな朝早くに連れ出して」

 

「そんなことないよ。ヒビヤも大丈夫?昨日なんかあったみたいだけど」

 

「そのことなんだけどさ。実は──フー!」

 

「えっ」

 

 名を呼ばれ彼女の姿が剣へと変わる。

 いきなりのことで動揺が隠せなかった。

 だが一瞬でフィリアが想像したようなものでは無いことが分かる。

 

 

「良い反応するんだね。……勇者君」

 

「あなたは誰ですか」

 

 飛んできたナイフを振り払ったヒビヤは姿の見えない敵を睨みつけていた。

 同時にフィリアも突然現れた声に集中する。

 が、どこにも姿は無くどこからする声なのかもわからない。

 少なくともこんなに容易に街の中に入っている時点で魔物ではない。

 当然門番もさぼっているわけでは無いためどういうルートで入ってきたのか。

 暗殺されたというなら、相当の手練れだ。

 

「ここだよ、ここ」

 

 上を見上げていると、真正面から声が聞こえてきた。

 気づけば正面に男が立っている。

 黒の服に黒のズボン。

 顔はフードで隠れており姿を明かす気は無いようだ。

 

 それよりもなぜ目の前にいて気づかなかった。

 こちらには目が四つもあるというのに。

 

「遅いよ」

 

 男の振りかぶった右足がヒビヤの脇腹にめり込む。

 咄嗟に防御体勢に入るが間に合わずその攻撃をもろにくらい地を転げていた。

 

「ヒビヤ!」

 

 慌てて声をかける。

 転げる彼の体を黒く濁った何かが覆っていた。

 今のフィリアはただの剣。

 気の利いたことは言えないがそれが良いものでは無いことくらい分かっている。

 

「……うるさい」

 

 体を起こしたヒビヤがふっと声を発していた。

 その声にフィリアが怯える。

 今の声は誰に向けたものなのか。

 思考の加速が止まらない。

 

「に、逃げようよ!」

 

「うるさい、うるさいうるさいうるさい!」

 

「どうしたの、ねえ」

 

「うるさいって言ってるだろ!」

 

「きゃっ!」

 

 彼の振り払った手から放たれた風にフィリアが転げる。

 その時に初めて気づいた、自分の体が元に戻っていることに。

 いつ解除されたのかが分からない。

 

 

 不味い、そのワードだけが思考を埋め尽くす。

 こんな状況想定にあるわけがなかった。

 何が起きているのか一から十まで全て分からない。

 ヒビヤの身に何が起きた、この人は誰だ。

 分からない分からない分からない分からない。

 

 

「なになに、仲間割れ?そんなの俺に見せないでくれよー」

 

 対してその男はニタニタ笑っている。

 恐らく原因はこの男だ、こんな男が来るなんて知らない。

 だがこの男が最悪な状況を加速させているだろうことは予想できた。

 このままじゃ危険すぎる。

 

「ヒビヤ!」

 

「死ね」

 

 ヒビヤの翳した手から魔法が発動される。

 幸い矛先は男の方に向いており、具現化した氷塊が勢いよく放たれていた。

 詠唱も無しに放たれた魔法に意表をつかれ防御体勢に入った男の体を切り刻む。

 氷塊の速度は目で追えるものでは無かった。

 

「畜生、聞いてねえぞこんな能力……!」

 

「逃げるな!」

 

「あーもうやめだ、またな勇者」

 

 男が何かを呟くとヒビヤの周りを覆っていた暗闇が消滅する。

 瞬間彼は糸が切れたように地へと突っ伏していた。

 

「それとそこのじょーちゃん」

 

 男の視線がフィリアの方を向く。

 目が合った途端肩がびくっと恐怖で震えていた。

 

「お前は早急に殺す、歯車は狂った。もうお前は用済みなんだよ」

 

 その言葉にどくんっと心臓が鳴る。

 今殺されない理由は背後にいるヒュースのおかげだろう。

 一体あの男が何者なのかをフィリアは知らない。

 本の内容とずれた場合のことなんて、聞いたことも無かった。

 

「ヒュースさん」

 

「悪い、遅くなった」

 

「ヒュースさん、あの男の人が」

 

 と指差す先、もうその姿は無くなっていた。

 その先をヒュースは鋭い目つきで睨みつける。

 

「大体は分かってる。そいつが誰なのかは……分からねえな」

 

 そこまで言ったヒュースが、向こうで眠るように転がるヒビヤを見つめる。

 今のヒュースが嘘をついていたのなんてフィリアにも分かっていた。

 だが今それを追求するよりもヒビヤが先だ。

 

「こりゃだめだな、完全にやられちまってる」

 

 ヒュースが彼の体を持ち上げおぶる。

 担がれているヒビヤの表情を見ると眠っているのか目を閉じていた。

 

「ヒュースさん、あの」

 

「分かってるよ、俺だってお前の話を聞き流してたわけじゃない。こいつがそーなったときは、そん時はそん時だ。ちゃんと対処はする。まあ、お前を取られちゃ面倒事は増えるがな」

 

 能天気なのかそんなことを言いながら家へと向かっていた。

 心配するべきはヒビヤもそうだがさっきの男だ。

 自分が狙われているということに恐怖を覚えたのは事実だが、それは二の次。

 あの男は一体誰なのか。

 この世界を良いものに変えるために今までの人生を費やしてきた。

 それだというのに、また新たな障害が立ちがはだかるというのか。

 

 それがただただ、怖かった。



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第六話 真実を明かすとき

 真っ白の世界。

 自分が立っているのか座っているのか。

 浮遊しているのかと言われたらそうではない気がする。

 ここは自分の世界なのだろうか。

 

 頭の中で誰かが叫んでいる、泣いている。

 誰かと戦っている。

 何の記憶なのだろうか、無くしたものなのか。

 ここが何なのか、そこが何なのか彼には分からない。

 

 何も、分からない。

 

 

 

「……っ!はあ、はあ、っくはあ」

 

 体を勢いよく起こす。

 どうやら夢だったようで気づけば寝室にいた。

 そう自覚する頃には夢の記憶も全てどこかへ消えてしまっていた。

 

「あ、ヒビヤ」

 

 隣から声が聞こえ、振り向くとそこにはフィリアがいた。

 今は朝ではない。それはヒビヤにも分かっていた。

 それもそのはず、ちゃんと朝フィリアを散歩兼悩み相談に誘った記憶がある。

 だが、その先がぽっかりと無くなっており気づけばここで横たわっていた。

 何か無理をするようなことをしただろうか。

 

 それともまた、記憶が無くなってしまったのか。

 

「調子どう?」

 

「分からない。どこも何ともない、はず。何があったの?」

 

「やっぱり、覚えてないんだ」

 

「やっぱりって何、何か知ってるの!」

 

「いいの、思い出さないで。それ以上聞かないで」

 

 フィリアの冷たい声と素っ気ない態度が彼に突き刺さる。

 何かしたんだろうか、そんなワードが頭に浮かんでいた。

 だが人のことだけを考えていられるほど彼の頭も落ち着いているわけがない。

 

「ねえフィリア、これだけ教えてよ」

 

「……何?」

 

「僕は、フィリアに何か悪いこととかしてない?」

 

「……教えない」

 

「じゃあ、なんかしたんだね」

 

「教えない!」

 

 質問を続けるヒビヤを振り払うように言う。

 怒鳴られたって無視されたって意味が分からなければ納得のしようが無い。

 だが彼女が何もしていない人間に対してあんなに怒るだろうか。

 冗談なら冗談なりのテンションを弁えているのが彼女だ。

 こんなの消去法で答えが分かってしまう。

 

 じゃあ何をした。

 その記憶がヒビヤには無かった。

 記憶が無いから謝らないわけでは無いが、原因を知らずに謝るというのは話が違う。

 

 だったら、他にその場にいた人はいないだろうか。

 街の外なら分からないが中なら住人の一人くらいいてもいいだろう。

 ここで寝ているということは運んだ人がいるはずだ。

 

 そもそも、何があってヒビヤはここで寝ていたのか。

 体のどこを見ても外傷がない。

 魔力枯渇だろうか。

 今はぴんぴんしているがエレゼンかマキナなんかが処置をしてくれたのかもしれない。

 となれば原因を知っているのも二人のどちらかも。

 

「……ん?」

 

 ふとフィリアと目が合う。

 途端彼女は目を逸らした。

 その一瞬の表情を見逃さなかった。

 

「僕のこと、怖がってる?」

 

「……質問は、一つじゃなかったの?」

 

「っ!」

 

 バンっとベッドを叩く。

 瞬間俯いていたフィリアもびくっと顔を上げた。

 分かっている、彼女は悪くない。

 そんなこと分かっている。

 分かっているんだ、それでも。

 

「教えない教えないって、教えてくれなきゃ分かんないじゃないか!分かんないんだよ……何も、何も!また記憶が無くなって、でも知ってる人がいて、でも教えてくれなくて。隠すんだったらもうちょっと上手く隠してくれよばれてるんだよ!なんなんだよフィリアは器用なはずだろ……そうだ、そうやってわざと、そうやって記憶のない僕を笑って楽しいか!どうせ僕の気持ちなんて分からないよ、また記憶が無くなったってことがどれだけ怖いか、人のことを本だか何だか知らないけど全部知った気になって、僕のこと怖がってなんなんだよ、僕からしたら君みたいな人が一番怖いんだよ!なあ、文句があるなら言ってくれよ、知らないんだから、言ってくれなきゃ分かんないじゃないか!」

 

「そ、それは」

 

「なんだよ聞こえないよ!」

 

 

 

 

「うるせえなぁおい」

 

「なんだよ!──あ」

 

 新しい声に扉の方を見るとヒュースが壁に寄りかかり睨みつけていた。

 その怒りが身に染みてくる。

 昨日のあんな喧嘩とは大違いのものだ。

 その目はしっかりと、ヒビヤを捉えている。

 

「まずその腐った面を下げやがれ」

 

「……どうしてヒュースさんに」

 

「俺にじゃねえ、フィリアにだ」

 

「えっ?」

 

 ヒュースの言葉で隣を見る。

 

「……あっ」

 

 フィリアは声に出さないように、静かに涙をぼろぼろ零しながら泣いていた。

 恐らくヒビヤが怒鳴ったからだろう。

 少し冷静になってみればそれでもなお隠すように泣く彼女の嗚咽が微かに漏れているのも分かった。

 だが謝れと言われても内容が分からないんじゃはい分かりましたとは言えないのも事実だ。

 

「お前が知ってるかは知らねえが、こいつにも子供の頃の記憶がねえんだ。それは俺らみたいな歳食ったやつが忘れるそれとは別でな、こいつにもぽっかり穴が開いてるんだよ。てめえと同じだなんて言う気はこいつも俺もねえがそれだけはその少ねえ頭に入れとけ。────それとフィリア、俺はもう一抜けだ」

 

「え……?」

 

 泣いているフィリアに突然声がかかり顔を上げる。

 彼女に向けられた目はヒビヤに向けたものとは全くの別物だったが、内容はきっと同じなのだろう、そう感じさせるものだった。

 

「もう俺はこいつに一切の隠し事はしない、元々俺はそういうのが得意じゃねえんだ。それにこいつの気持ちが分からねえほど人間やめてるつもりはねえ。それはお前も同じだろ?」

 

「だけど、それを言ったら!」

 

「今の俺らに絆なんてものは微塵もねえよ、壊すなら今壊せ。こいつが牙を向くなら俺は正面から受け止めるさ。それだけのことを俺らはした、それだけだ。子供一人不幸にして掴む平和なんて、俺は嫌だね。てことでヒビヤ、お前は今すぐ居間に来い、家族会議だ。来ないなんて言わせねえぞ?お前も今日から立派なシーボルト家の一員だ」

 

 似合わないようなことを口走りながらヒビヤに笑顔を向ける。

 一体この人は何の話をしているのだろうか。

 隠し事というのは先ほどの無くなった記憶のことか別件か。

 行けば分かるというのであればヒュースに呼ばれたからと言って行かないわけにもいかない。

 それに彼の口調からいつものふざけた感じが抜けていることもなんとなくヒビヤは感じ取っていた。

 

「後フィリア、お前もだ。欠席したら尻ひっぱたくぞ」

 

 そんな言葉を残して部屋を後にする。

 ヒュースの言葉に従うのは癪だが、気持ちとは裏腹に歩は一直線に進もうとしていた。

 だがそれも束の間フィリアの手が袖を掴んでくる。

 

「……ごめん、な、さい」

 

「え?あ、いや」

 

「ごめん、なさい!」

 

 謝りながら勢いよく上げた顔は涙でびしょぬれになっていた。

 今でも目からは大粒の涙がボロボロと零れており止まる気配が無い。

 そんな状況にヒビヤは何も言えないでいた。

 

「えっと、その、後で、ね?」

 

「私、ずっと酷いことしてたの……!友達とか言って、ヒビヤを利用して、道具みたいに使って、ヒビヤの言う通り本の通りに行くことを必死に考えてた……!私に記憶が無いのなんかどうでもいいの、そんなの言い訳になるわけがない。でも、これだけは嘘じゃないから、だからお願い、友達は、友達だけは、やめないで……!お願い……!」

 

 ヒビヤの両袖を掴み縋るように泣きつく。

 その声は半分以上が聞き取れるものではなくて、ヒビヤも内容なんてほとんど聞いちゃいなかった。

 ただどうして彼女がこんなに泣かなければいけないのか、自分だけが損な目に合っている、そういうわけでは無いのだろうかと考えさせられる。

 意味が分からなかった。

 

 慰めの言葉なんて当然かけられるわけがない。

 下で話を聞くまでは、何も言うことが出来なかった。

 許す許さない、謝る謝らないの話では無い。

 彼女の行動が意味が分からないのではない、彼女をあんなにして、自分もこんなにかき回されて。

 一体この世界は何なんだろうとそんなことを考えていた。

 

「ごめんフィリア、僕先に下に行ってるから。ちゃんと聞いたよ、でも今は何も言えない。フィリアも来てね、君に全部を言わせようなんてそんなことはもう考えてないから、でもほらヒュースに尻叩かれるのは嫌でしょ?」

 

 フィリアを置いて部屋を先に出ていく。

 階段を下りながら、さっきの彼女の表情を思い出す。

 これからは彼女の本当の顔を見れるのかなと、そんなことを考えていた。

 

 

 

 ■ □ ■

 ヒビヤが降りてきてから少ししてヒュースの言う家族会議とやらが始まった。

 メンバーはこの家に住むメルン以外の住人とマキナだ。

 フィリアも目が張れていたり赤かったりと何をしていたのかはバレバレの状態ではあったが、出来る限り整えたようですぐに降りてきた。

 メルンがいないのは決して家族では無いからというわけでは無く、この話に一切関与していないからだ。

 

 後に明かされることになるわけだが、この街にいる住人全員がこの話を知り黙秘し関わっていたということだ。

 それはフィリアの命令であり、そこを崩してはならないとされている。

 

 だがメルンだけは本当に一切のことを知らない。

 どういうわけか両親がそうするべきという答えに至ったのだろう。

 勿論その二人以外そのことを知らなかったわけで、フィリアもそれを聞いたときは心底驚いていた。

 元々歪な関係を続けていたということになる。

 つまり二人はメルンにも街の皆にも今までずっと嘘をついていたのだ。

 なんともまあ器用なことで。

 

「それでだ、遠回しの話なんてのは嫌いだから率直に話を進めていくわけだが良いよな?謝りてえ奴は最後にしてくれ話が延びるのは面倒だ」

 

「ごめんなさい、ヒビヤ君」

 

「ちょ、おいエレゼン」

 

 ヒュースの話の束の間エレゼンが立ち上がる。

 急いで止めに入ろうとするが彼女の厳しい目がヒュースを椅子へと座らせていた。

 

「ふざけて言っているわけじゃないわ、私が心の底から思っていることを少しだけ話させて。皆を悪者にしたいわけじゃないけれど今から卑怯なことを言うね。私は元々この話に乗り気じゃなかった。勿論フィリアの話を疑わなかったからこそ、この話を一番最初に聞いた中央の時からよ。子供を盾になんて私には出来るものじゃなかった。それはこんな身なりのヒュースも同じ。夫を守ろうなんてお門違いかもしれないけれど嘘じゃないわ。だからヒビヤ君、もしあなたがこの街を出ていくというのなら私もついていく。ヒュースが来ないなら私一人でも行くわ。これだけは覚えていて、どんなことをしても、私はあなたの味方よ」

 

 エレゼンの真剣な眼差しがヒビヤにだけ注がれる。

 彼女が先行して話をしてしまったため言っていることの意味がいまいち理解できないがそれはこの後聞くことが出来るのだろう。

 疑心暗鬼なヒビヤに最後の言葉を十分に信じろという方が無理な話だが、エレゼンにとってはそれで十分なようだ。

 いつもおっとりしているだけの彼女からは想像もできないような姿。

 気持ちだけはしっかりとヒビヤに伝わっていた。

 

「お前ほんと、そういうのやめてくれよな。場の調子が狂うっての。で、他になんか言いたい奴は?いないならはじ──「私が全部話します。その責務が、私にはあるので」

 

 ヒュースの話を遮ったのはフィリアだった。

 その言葉を聞いてゆっくりとヒュースが席に着く。

 当然と言えば当然なのだろう、事の発端は彼女なのだから。

 それが分かっているのかヒュースは何も言わずに座っていた。

 一度深呼吸してからフィリアはヒビヤの目をじっと見て、その目を離さず語った。

 

 

 

 

 

 

 そして話が終わった後、ヒビヤはこの家からいなくなっていた。

 フィリアを携え、街の外へと。

 

「良いのかエレゼン、あいつ出てったぞ」

 

「どうでしょう。次会うときにこちらに剣を向けるならあなたを盾にする、それだけよ」

 

「お前話違くねえか?なんで端から俺が敵なんだよ」

 

「じゃああなたもヒビヤ君につくの?」

 

「それは……あいつが望むなら、何だってするよ」

 

「ふふ、あなたの口からそんな言葉が出るなんて」

 

「うるせえ」

 

「でも、それだけのことを私たちはした。償うのは当然のことよ」

 

「まあ、そうだな」

 

 ヒュースの冗談にエレゼンが真顔で返し、それを見るだけのマキナが所在なさげにもじもじしている。

 すっかり自分が発言するタイミングを失い、一人何もできずにいた。

 エレゼンのようなことを思わないわけでもない、彼女も立派な大人だ。

 だが自分が彼に対してどんな気持ちを抱いていたのか。

 

 嫉妬。

 魔法に関して言えばその言葉が真っ先に当てはまった。

 自分の今まで積み上げてきたものが一瞬で崩された気分だ。

 生まれなんて知ったことではない。

 ただそれだけが、マキナのプライドというものを確実に傷つけていた。

 

 だが彼の境遇を改めて聞きそれが真実であると知った今、本当にうらやましいなんて言えるのだろうかと考える。

 彼になれたら良かった、そんな言葉を簡単に口走ってはいけないことくらい当然理解していた。

 

 

 

 この世界を救うため、そんな曖昧なことのためにここに呼ばれたこと。

 人為的に記憶を失った彼に失う前と同等の実力を取り戻させるために用意されたこのリープウィルという街。

 この街の住人のメルン以外が予め彼の存在と出現を認知していたこと。

 これからの彼の行動にもちゃんとシナリオがあったこと。

 

 そんな話を聞かされて正気でいられる方がおかしいというものだ。

 人生を勝手に決められただけでなく周りにはそのグルしかいない。

 心底寒気のする話だ。

 

 

 

 だが一番彼に衝撃を与えたのは、こんなに用意周到だったシナリオを知らなかったにしろ自分の手で初めから狂わせてしまったことだ。

 

 

 記述によると街を魔物が襲い、ヒビヤが街に近づかない状態でフィリアが魔物と交戦、そして死亡。

 その亡骸(ともだち)は武器であることだけが唯一、その存在をこの世に証明する手段になること。

 そして友を殺した魔物への復讐心でヒビヤが動くようになること。

 

 この話が真実となっていた場合当然フィリアは死んでいることになる。

 またヒュース達遠征組の街への到着が遅かったことも考えるとメルンや街の人々も死んでいた可能性があったのだ。

 そのシナリオを崩さないために、メルンが怖がって逃げないようにそれを秘密にしていたのだとしたら、そんな悲しい話があるだろうか。

 あの時街にいた人たちは自分が死ぬことを理解していて、それでも街にいたということなのだろうか。

 訳の分からない、世界を救うなんていう曖昧な理由のために命を投げ出そうとしていた者達が。

 

 だが、そんなことのために、それでも必死に考え意を決して身を投げた者達の想いを無駄にしたのはヒビヤの方だ。

 彼は街に駆けつけ死ぬはずだったフィリアを助け死ななければならないメルンを救ってしまった。

 街の外へ放り出されたときの彼らの表情が酷く歪んでいたのはそういうわけだったのだ。

 街の住人を助け喜んでいた人もいた、だがそれは本当の喜びだったのか。

 きっと心の底から喜んでいたものではなかったのかもしれない。

 

 朝早く街を歩いていたときに貰った食物は一体どういう気持ちでくれたのだろう。

 助けてくれてありがとうなんてそんな言葉を心から信じていた自分が馬鹿馬鹿しい。

 本当はお前のせいで、なんて。

 

 考えればきりがない、自分のしてしまった過ちの大きさを。

 だがそんなこと考えなければどうでもよかった、自分には関係ない話だと切り捨ててしまえば。

 しかしそうも言っていられないところまでヒビヤは手を出してしまったのだ。

 その本のシナリオという、自分に生きる意味を与えてくれた代物を、自らの手で壊してしまったのだから。

 

 

 

 

 彼を陥れていた内容のほとんどをフィリアは話した。

 シナリオから外れてしまった、関係者が秘密を暴露した。

 不審人物の接触。

 それだけあればもうこだわる必要もないだろう。

 軌道修正ができるなんてそんなことを考えた日もあったが、ここで自決したところできっと変わらないことも理解していた。

 フィリアも自分が積み上げてきたものを一瞬で壊されたわけだが、エレゼンの言う通り話してしまえばどこかすっきりしている自分がいた。

 拠り所を失ったわけだが、なんとかなるさと思えば楽になる。

 隠し事なんて、ガラじゃなかったんだ。

 

 そしてその話を聞いて彼はフィリアの名を呼び、家を飛び出した。

 彼女を携えどこに行くのか、そんなこと誰にも聞く資格はなかった。

 

 

 ■ □ ■

 街の外、鬱蒼と茂る草原が日の光に照らされ輝いていた。

 そよ風に揺られ、心地よい音が耳をくすぐる。

 そんな中ヒビヤとフィリアは街を見下ろすように腰かけていた。

 

 そこは彼と彼女が初めて出会った場。

 どういうわけかヒビヤはそこに彼女を連れてきていた。

 ここに立てば最初に戻れる、そんなことがあったら幸せな話だがそんなの幻想だ。

 

 彼女の拘束は既に解かれており、元の姿に戻っている。

 フィリアはちらちらと様子を伺うようにヒビヤを見るが、その変化のない表情に戸惑いを隠せないでいた。

 とても怒っているようには見えないが、何を考えているのか一切読み取ることが出来ない。

 唖然というのが正解なのだろうか、あの話の中に怒らないポイントがあるはずがない。

 あまりの量にそうなってしまうのであれば理解が出来た。

 

 もしくは呆れて物も言えないのか、絶望しているのか。

 彼の腰につけてある短刀が日の光に反射している。

 彼が牙を向いたら受け入れよう、そんなことを考えていた。

 

 だが、フィリアの予想は盛大に外れることになる。

 

「戦うよ。だって、それしか道が無いんだから。もう僕は勇者じゃないのかもしれない、何の力も持ってないのかもしれない。でも、こんな僕のために今まで頑張ってきた人たちがいて、死ぬはずだった人が生き残ってその生を喜んで、或いは僕を恨むんだったら僕はその人たちのために戦うよ。世界を救うなんて漠然とした話理解もできないけど、皆がそのために頑張ってきたなら、僕にはそれを果たす責務があるんだから」

 

 意を決したように話す彼の表情は言葉とは裏腹に起伏が見えなかった。

 どこか諦めてしまっているように見えるのは気のせいだろうか。

 

「だから、さ。もう嘘はつかないでね。皆のこと、嫌いになりたくないからさ」

 

 微かに笑い話す彼を見て表情を読み取るのをやめた。

 この笑顔は感情とは裏腹に無理に出したものだ。

 今の彼は自分を陥れたもの全てに恐怖を抱いている。

 当たり前のことだった、それを彼ならもしかしたらなんて考えていた自分がいたのだ。

 さっき話したばかりなのに、まだ彼を特別扱いしていた。

 彼だってただの人間なのに。

 

「ごめんなさい、ヒビヤ。謝っても謝っても謝り切れないしそんな簡単に許してもらうつもりもない。私たちはそれくらい最低なことをした。だから本当のことを言って。もしこんなのうんざりだって言うなら構わないから。私に君を止める資格は──「フィリア」

 

 俯いて言葉を羅列するフィリアの顔を持ち上げ目を合わせる。

 そこで彼は初めて満面の笑みを浮かべた。

 

「僕たち、友達なんでしょ?そんな簡単に裏切ったりしないよ」

 

「だって……だって……!私たちは、それくらいヒビヤに、悪いことを……!」

 

「もういいって、そんなに謝らないでよ。僕が発端だけど今じゃフィリアと僕は似た者同士。お互い支え合っていこうよ。ほら笑って。僕は笑顔の方が好きだな」

 

「ちょ、ヒビヤ、そんな顔押さえないでよ」

 

「ははっ、ブサイクー」

 

「ちょっとっ!」

 

 フィリアも負けじとヒビヤの顔を両手で挟む。

 お互いに曲がった顔を見て笑っていた。

 似た者同士、その言葉がフィリアには酷くしっくりきていた。

 二人でなら、どんなことも乗り越えられる、そう感じさせてくれるものだった。

 

 

 ひとしきり笑った後、街の方へと歩みを進めていた。

 

「ねえフィリア、さっき隠してたこと、教えてくれる?あれはまた別だよね」

 

「分かった。でも私も確証は無いの。想定外のことだったから」

 

 えっとね、と話を切り出そうとしたところで中断された。

 門を通るタイミングですぐに異変に気付く。

 ついさっきまでいた門番の人がそこにはおらず、加えて人のいる気配がしない。

 また何か企んでいるのかとフィリアの方を見るが彼女は首を振っていた。

 その彼女の了承を得て剣を握り、周りを警戒する。

 

「どうなってるんだ……?」

 

 つい先ほどまで賑わっていた街がすっかりその気を失っている。

 明らかに異常としか言いようが無い。

 

「おぉ、ヒュースんとこの坊主じゃねえか!」

 

 声のする方に勢いよく剣を向けるとそこには先日剣をくれた鍛冶屋のおじさんがいた。

 ヒビヤの向ける剣に驚いてか、おじさんも敵意をこちらに向ける。

 どうもこの街はいまぴりついているらしい。

 

「何が起こってるんですか?」

 

「え?ああ、坊主は無関係か。なら良いんだ、悪い」

 

 質問に答えることなく武器を納めるおじさんを見てこちらも構えを解く。

 もしかしたら事の犯人を疑われていたのかもしれない。

 そのことに少し傷つくが、雑念だとすぐに振り払った。

 

「それで、一体何が」

 

「ああ悪い、それが、ヒュースんとこの嬢ちゃんがいなくなったらしいんだ」

 

 

 

 

 



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第七話 交錯

「家出ぐらいの小さいもんなら良いんだが、あいつ曰くどうもその可能性が低いとか」

 

「メルンが?!」

 

 おじさんの口から突然メルンが出たことに驚きを隠せない。

 メルンが失踪?そんなこと有り得るはずがない。

 家にはヒュース達がいたはずだ。

 会議をしていたときは間違いなく部屋にいて、ばれずに家を出るなんてそんな簡単に出来るはずがない。

 ヒュースの早とちりだったら、と願いたいところだがそんなことでこの街が大騒ぎになるのもおかしな話だ。

 一体いつ──

 

「……フィリア、僕がいないときに何かあったんだよね」

 

『うん』

 

「それの続き、なんてことは」

 

『無いことは無い、と思う』

 

「おい、誰と喋ってるんだ?」

 

「ごめんおじさん!ありがとう!」

 

「お、ちょ待てよ!」

 

 おじさんの制止を振り切り街を駆けていく。

 こんなところでくすぶっている間に関係の無いメルンが襲われたかもしれない。

 自分の知らない存在だというのならなおさらだ。

 もっと早く全てを終わらせていたらこんなことには。

 

「フィリア、目星はついてる?この際その人の特徴なんかは後回しでいい、居場所さえ分かれば他には」

 

『特徴はとにかく黒一色で顔とかは全然分からない。特殊なアイテムとか魔法でマーキングしてない限り後を追うのも簡単じゃないと思う』

 

「マキナかエレゼンが使ってる可能性は」

 

『可能性はあるけど街の皆がこんなに探してるってことは解除されたっていうのもあり得ると思う』

 

「くそ!」

 

 走りながらメルンを探す方法を考えるが一向にいい案が思いつかない。

 いっそ犯人なんてどうでもいい、メルンさえ分かれば良いのだ。

 どこに……どこに……!

 

「ねえフィリア、外じゃなくてこの街の人の仕業ってことは無いの?」

 

『ヒビヤが疑いたい気持ちは分かるけどそれだけは絶対にない。この街の人は悪事は働かない。もし犯人を絞り出そうとするなら、最初に名前があがるのはヒビヤだと思う』

 

「そっか。なら良いんだ、さっきの理由が分かったのとだいぶ人を絞れるから」

 

 ついさっき武器屋のおじさんが構えた理由が分かった。

 それに対して恨むつもりはない。

 多少傷ついたにしろそれまでだ。

 この問題が解決したら、それで良いじゃないか。

 

『あ、別にヒビヤを疑ってるわけじゃないからね』

 

「分かってるよ。僕も別に街の人を疑ったわけじゃない。気持ちは一緒だよ」

 

 フィリアの不安そうな声に苦笑いする。

 気まずい空気はあれっきりのつもりだけどなかなかそうはいかないようだ。

 早く解決して元に戻したかった。

 

「外から人が来たんだとしたら、一体メルンを攫って何をするつもりなんだろう。またこの街の人に失礼なことを言うけど、こんな端っこにある小さな街を襲って何か良いことでもあるの?」

 

端っこだから(・・・・・・)、だよ』

 

「え?」

 

 フィリアの言葉に再び疑問符を浮かべる。

 彼女が断定するように言うその言葉の意味がさっぱり分からなかった。

 端にある街を潰して何が楽しいというのだろう。

 見たところ金目のものがあるわけでもこの土地を有したからと言って何か特別良いことがあるとも思えない。

 だとしたらなぜ。

 

『読んだでしょ?この世界は平たい一枚の地図みたいな形をしているの。先はどこまでも続いていると言われてるけど、領域を超えたらこちらには戻ってこれない』

 

 フィリアの言葉が何を意味するのかは分からないが、確かにこの世界の形を説明する書物を読んだ記憶はある。

 この世界はどこまでも続いているけれど、ある一定のところまで行くとあちらとこちらとを分ける壁があるということ。

 壁というのは岩石などで出来たものではなく、実際は濃霧のようなものらしい。

 

 そしてこの世界にいる魔物は全てその壁の向こうから生まれてくるということ。

 つまり地図で言うと端から魔物は生まれてくるということだ。

 そしてフィリアが言った通りその領域より向こうに行ったものは二度とこちらに戻ってくることはできない。

 書物にあった話だが、昔罪人を使いそれを確かめたと記されていた。

 つまり実話だ。

 

 それでも世界の端は大半が海であり、陸続きになっているところは四か所しかない。

 それが最北端、最南端、最東端、最西端。

 最南端はここである。

 そして、既に最北端の街は崩壊したという話だった。

 

「でも、それとこれと何が関係あるの?」

 

『ヒビヤはさ、こんな世界の端にリープウィルっていう街がある理由、知ってる?』

 

「立地は当然悪いだろうし……何か深い理由でもあるの?」

 

『この街はね、生まれたばかりの魔物を倒すために作られた街なの』

 

「どういうこと?」

 

『ここは陸続きの数少ない街でしょ?だからね、この街が無くなると壁から出現した魔物が全て中央に行っちゃうの。全部抑えられてるってわけじゃないんだけどさ』

 

「じゃあ中央にはあまり魔物はいないのわけか」

 

『そういうわけでもないよ。空を飛ぶのなんかはなかなか捕まえられないし、迷宮っていうのもあるからさ』

 

「迷宮?」

 

 聞いたことのない単語に驚く。

 かなりの書物を漁っていたがそのような単語は一度も目にしなかった。

 中央にはそういうものがあるのか。

 

『各地にぽつぽつとあるの。魔物が多くいる場所、それが迷宮。山とかに多いけど平地にもぽつんとあったりするよ、こんな街の近くにもね』

 

「リープウィルにもあるんだ」

 

『そう。そういうところで育った魔物も出たりするから全部ってわけには行かないんだ』

 

 元々は壁から魔物が生まれたわけだが、それが成長して世界中に広がり各々の土地に根を生やしたということだろう。

 限界はあるわけだが壁からの魔物を素通りさせるよりは無論ここで処理した方が良いに決まっている。

 それに壁に近ければ近いほど成長していない魔物と戦えるわけで、それがこの街がこんなところにある理由だとか。

 全て昔多くの書物を読んだフィリアの知識だそうだ。

 

 そんな魔物の話をしながら街の中を駆けていく。

 住民は危険な可能性も鑑み既に避難させているということだ。

 道理で街中静かで走りやすいわけで。

 それでも一向にメルンの手がかりは掴めないが、足を止めるわけにもいかない。

 まさかもう街の外になんて。

 

「そうだ、そんなことがどうしてこの街が狙われる理由になるの?普通に考えて良いことだと思うんだけど」

 

『それが狙われる理由。逆に考えてみて、この街が無くなったらどうなる?』

 

「魔物が中央に侵攻していく」

 

『そう。中央を荒らしたい人にはうってつけってわけ』

 

「荒らしたいって、そんなのどこがいいんだよ」

 

『それは私にも分からないよ。そういうことを考えるのは、私達じゃ考えないようなことをする人なんだから』

 

 当たり前のようなことを言うが、全くのその通りだ。

 普通の人では考えないこと。

 これじゃあますますメルンが危ない。

 メルンを攫って何が出来るのかは分からないが人質という使い方意外だった場合彼女の身はかなりの危険に晒されていることになる。

 早く見つけなければ。

 

 

 

『たす……けて……』

 

「……っ!」

 

 声が聞こえた。

 頭に直接響くような、一月前にもあったものだ。

 一体どういうシステムで出来ているのだろうか。

 メルンがそんな魔法を覚えているとも考えにくい。

 それにいくら声がしたってその声の発信源が分からない。

 もっと万能になってくれないものかとイライラしていた。

 

 

『助けて、お兄ちゃん!』

 

「メルン、どこだよ!」

 

 メルンの声なのは分かっている。

 分かっているのに。

 ならどこだ。

 どこなんだ。

 メルンが助けを求めてる、叫んでいるなら危険だ。

 犯人は近くにいるんだろうか、それさえも分からない。

 何も分からないことがさらにヒビヤを焦らせていた。

 

『ヒビヤ、あれ!』

 

 混乱している頭にフィリアの声が響く。

 その声に顔を上げると、上空をドラゴンが飛んでいた。

 体には無数の傷があり、その傷跡から以前の龍であることがすぐに分かる。

 どうしてまたこんなタイミングで。

 間が悪いとしか言いようが無い。

 

『ヒビヤ、ブレス!』

 

 上空を旋回していたドラゴンが即座にブレスを放つ。

 今日は地に降りて戦う気はないらしい。

 だが今のヒビヤは以前のままではない。

 空だろうが地だろうがそんなものは関係なかった。

 

「邪魔を……するな!!」

 

 放たれたブレスに手を翳し凍えるような霧を上空に発動する。

 その魔法を放つや否や新たな魔法を唱え次々と龍へと飛ばしていた。

 魔力量の調整なんてそんなことに頭を割いているほど落ち着いてなどいない。

 予想だにしない攻撃に宙に浮いたドラゴンは避けきれずどんどん高度を下げていた。

 

「落ちろ、『氷柱(アイシクル)』!」

 

 空に手を翳すと、大きな氷柱がドラゴンの頭上へと発生する。

 本当は獲物を突き刺す魔法だったが、そのサイズは氷塊と大差なかった。

 のしかかるように襲い掛かる魔法に成す術もなく押しつぶされるように地に近づいていく。

 が、地面に触れる直前で氷柱が粉々に砕けてしまった。

 砕けたものが吹雪のように宙を舞う。

 

『ヒビヤ、大丈夫?』

 

「うっ!……ごめん、僕また」

 

『大丈夫、私はここにいるよ。それよりも、前見て』

 

 フィリアの言葉で飛びかけていた意識を取り戻し正面を見る。

 未だに目の前が吹雪いているが、その先に誰かがいる気配がするのは確かだった。

 それを確かめようと右手に魔力を込めるが何故か集まらない。

 そこで思い出したように剣を振ると吹雪が全てさらわれ二人の人影が露わになる。

 

 片方は見たことのない、頭に角をつけコートを着た男。

 その男に、メルンが担がれていた。

 

 

 

「おい、メルンを離せ」

 

 その声に後ろを振り返る。

 そこでヒビヤの思考が一瞬停止した。

 

「ヒュースさん、なの?」

 

 そこにいたのは紛れもないヒュース本人だ。

 だがいつもと様子は違く、彼の周りを禍々しい気が立ち込めている。

 それに加えて彼の放つ殺気で肌がぴりついていた。

 その光景に、不思議と頬が緩むのが分かる。

 

 前の一件が茶番であることは当然理解していたが、彼が本気を出すとこうなるというのを初めて知った。

 不謹慎かもしれないが、その姿を見れたことでヒビヤは初めて心からヒュースを師として信じることが出来た気がした。

 

 無論疑っていたわけでは無い。

 だが本気を出していないことは当然理解していたため、その本気を知ることが出来たことにどこか高揚感を覚えていた。

 

 

「この子を斬ってくれたのは君かい?」

 

 メルンを担ぐ男が先ほどヒビヤが落としたドラゴンに目を向けている。

 お前というのはヒビヤではなくヒュースだ。

 先ほどの交戦を見ていないのか真っ先にヒュースを見ていた。

 そして切り落とされた後の肉で覆われた部分をじっと見ている。

 怒っているのかどうなのか表情は分からないが、ヒュースと同じく気の抜けない空気感を作り出している。

 

「だからなんだ、この街に入ってきたのはそいつだろ。お前ら龍族の価値観を人族に押し付けるな、虫唾が走る。はっそれになんだその恰好、お前今からサーカスにでも行くのか?子守りに来たなら帰ってくれてめえの居場所はねえんだよ」

 

 ヒュースは全く怯む様子を見せず、依然として敵意を男に向ける。

 それよりもヒュースの言葉が正しければこの目の前の男は龍族ということになる。

 もう一度見ても頭に角が生えていることを除けばなんら人と変わりはなかった。

 これがほんとに龍族なのだろうか。

 

「そうだね、それはこちらに非があったのかもしれない」

 

「よくもまあそんな思ってもないことを吐けるな。だが残念ながらてめえの質問に答える気はねえ、早くメルンを返せ」

 

「分かった、取引だ。この子には手を出さないでくれ。そうしたら返してやろう」

 

「お前のペットなんざ興味ねえよ」

 

 そういうと龍族の男はため息を吐き、メルンを離した。

 拘束の解けたメルンは転びそうになりながらこちらに駆けてくる。

 

「お兄ちゃん!」

 

 そのままダイブするように飛びつかれあっさりと倒されてしまった。

 何故か力が入らなかった。

 そんな重いなんてわけが無いのに。

 

「そこの坊や」

 

 メルンを抱きかかえつつ自身に向けられた声に反応する。

 酷く緊張感の無い声に自然と気が抜けていくのを実感した。

 

「なんですか?」

 

「……またな」

 

「え?ちょ──」

 

 唐突の言葉に慌てて聞き返そうとするが言葉が出る前に目の前に翳された手のひらに構える。

 その手には火の玉が発生し、ヒビヤに向かって放たれていた。

 

 二つの意味で前触れのない攻撃。

 この人も無詠唱を。

 火の玉自体の速度は大したことはない。

 こんなもの止められないなど思っていなかった。

 

 空いている左手を翳し魔力を込める。

 が、魔力が一切集まらない。

 何度も試みるが集まるどころか体内に魔力の欠片も感じ取ることが出来なかった。

 まずい。

 

「解除!」

 

 剣を出来るだけ遠くに放り投げ、抱いていたメルンを背後に隠す。

 ついさっき魔法を放てなかったというのに何故またそれに賭けたのだろう。

 何故か分からない、何が起きているのかさっぱりだ。

 どうやって防ぐ、メルンはこれ以上離せない。

 サイズはそれほど大きくないが威力の検討がつかなかった。

 

 腰につけてある短刀に手を伸ばす。

 斬れるか?

 前にエレゼンが言っていたあの技だ。

 だが原理なんて知らないことに加えこれが魔法なのかも怪しいところだ。

 

 そう考えあぐねている間に気づけば目の前まで火の玉が来ていた。

 思わず目を閉じる。

 すると、強風と共に何かが弾ける音が響いていた。

 

「こういう時は、ちゃんと守るんだな」

 

「うるせえ、こいつがこうなったのは全部俺のせいだ。だがお前にとやかく言われるつもりはねえ。子守りもできねえお前にはな」

 

 目の前にはヒュースがいた。

 それなりに距離があったはずなのにここまで一瞬で。

 有り得ない。

 この人は本当に人間なのだろうか。

 

 凍てつくような剣を構え、背に庇うヒュースの姿を見る。

 これから先、この背を追うことになるのだ。

 自分が子供だからだろうか。

 わくわくが止まらなかった。

 

 そんなことを考えながらヒビヤは地に突っ伏していた。

 魔法の使用過多によるマナの枯渇。

 そんな記憶、ヒビヤには当然なかった。



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第八話 不安

 何か酷い夢を見た気がする。

 だが何も思い出せない、そもそも今自分は起きているのだろうか。

 この頃からだろうか、夜を誰かに支配されるようになったのは。

 別に何も変わっちゃいない、何も問題はない。

 誰に危害を加えるでも肉体に影響があるわけでもない。

 

 でも何故だろうか。

 夜が、怖い。

 

 

 

 目を開けると、そこには木の天井があった。

 天井なんて気にしたのは二度目だから、なぜかその感覚が酷く懐かしい。

 もうすっかり見慣れたもののはずなのに。

 

 

「フィリア、今って、何時?」

 

 いつも隣にいた彼女の名を呼ぶが返事が返ってこない。

 そうか、朝は叩き起こされる時くらいだ。

 自分で起きたことなんて数回ほどしかないが今日はその一回になったのかもしれない。

 だが何故だろう、頭がくらくらして体が重い。

 

 

 ああそうか、今は朝じゃないんだ。

 じゃあなんだろう、この誰かいるような感覚は。

 

「ん?」

 

 突然布団がもぞっと動き反射で飛び起きそうになるがやはり体がついて来ない。

 仕方なく布団を捲り覗くとそこには女の子の姿があった。

 

「どうしたのメルン。……メルンちゃん?」

 

「すぅー、すぅー」

 

 いつからここにいたのかすっかり熟睡していた。

 実に無防備な姿である。

 こんなところヒュースに見られたらしばらく動けない体にされそうである。

 想像しただけで寒気がした。

 

 メルンの部屋に連れて行ってあげようか迷うが、絶えず体を駆け巡る虚脱感に諦めろと促されているような気がする。

 その感覚にため息を吐くと捲れた布団を元に戻し、意識を集中して体を起こす。

 なんとか起き上がるが、立ち上がればさらに体が重く感じる。

 

 だるい。

 動くことさえやめたくなりそうだ。

 初めて重力に対して苛立ちを覚える。

 もう一度寝てしまおうかと考える。

 よく考えたら急いで起きる必要なんて無かったのにどうして腰を上げているのだろうか。

 

 窓の外を見るとすっかり暗くなっており、若干明かりがついている辺りまだ就寝の時間では無いのかもしれない。

 居間に行けば誰かいるだろうか。

 別に寂しいわけでは無い、現にこの部屋にいるだけで一人ぼっちにはならない。

 だがどうしてか。

 みんなの顔が見たかった。

 

 ゆっくりドアへと歩みを進め気づかれないように開けて閉める。

 ここは二階だ、まだ階段がある。

 一段ずつ降りるのが懸命だろう。

 

「なんか、一気に老けた気分」

 

 一人で冗談をつぶやき、階段へ一歩踏み出そうとする。

 

「待って」

 

「わっ」

 

 瞬間後ろから誰かに抱きしめられていた。

 背丈と声で分かるがメルンだろう。

 

「起こしちゃったね、ごめん」

 

「ううん、お母さんに見守っててって言われたから」

 

「エレゼンさんにか。てことは、もしかしてずっと起きてたのか?」

 

「眠たくて寝ちゃった」

 

「そっか」

 

 布団での奇怪な挙動を見られていたらと思うと少し恥ずかしい。

 今も自由自在に動くわけでは無いのでどっちにしろ大差は無いわけだが。

 

 そのまま肩を貸してくれるというメルンに甘え階段を降りていく。

 壁を伝っていくよりもこの方が楽なのでとても助かっていた。

 それでもやはり足元がおぼつかない。

 かなり体重をかけているはずなので酷く申し訳なかった。

 

 肩を借りた状態でリビングに行くとフィリア、マキナ、それにシーボルト夫妻が夕食を囲んで座っていた。

 今できたばかりなのかまだ手を付けている様子はない。

 

「やっと来たかヒビヤ。早く席につけ、飯が冷めちまう」

 

「私の作ったご飯は冷めても美味しいのよ?」

 

「いやエレゼン、そういうことじゃないんだ」

 

 そんな冗談を言いながら暖かく迎え入れてくれた。

 目が覚めて少し経てば自分が何故こんなことになっているのか思い出していた。

 

 魔力枯渇。

 穴の空いた記憶の方は一向に補填されないが魔法はそれなりに放っていた。

 魔力量なんかは適当に込めていただろうしきっと調整せずに全力で打ち込んでいたのだろう。

 そんなことをすれば当然こうなるのは目に見えていた。

 

「お前のこと待ってたわけじゃねえからな?ただ、男一人で食うのはつまんないだけだ」

 

「でもヒュースさん、さっきまで『俺のせいでヒビヤが』なんて嘆いてたじゃないですか」

 

「うるせえチビ」

 

「私はチビではありません。小人族(ホビット)の中では大きい方です」

 

「そうかよ」

 

 むすっとした顔でマキナがヒュースを睨んでいる。

 だが、どうやら今日はこれ以上の喧嘩にはならないらしい。

 

「それとヒビヤ君」

 

「はい?」

 

「これから私、この家の住人になることになりました」

 

「そうなんですか。……理由を聞いても?」

 

「皆さんが許可してくださったので、宿代も浮くし何よりご飯が美味しいので」

 

 そう言いながら目の前の食べ物に目をきらつかせている。

 もしかしたらヒュースよりもお預けを食らってストレスが溜まっているかもしれない。

 どれぐらい待っていたのだろうか。

 

「そしてもうひとつ」

 

 こほん、と間を置くような咳ばらいをする。

 なんだろうと少し真剣に構えるとマキナは不自然な笑みを浮かべていた。

 

「私も、負けませんから」

 

 どういう意味なのかさっぱり理解できないでいたが、それでいいのかマキナは優しく微笑んでいた。

 訳を聞くのは恐らく無粋だろうと躊躇する。

 

 その後席に着くとすぐに夕食は始まった。 

 少し冷えてしまっているようで皆が結構待っていてくれたことが伺える。

 その優しさが酷く染みていた。

 

 

 本当に、自分の体を一体何が襲っているのだろうか。

 食べる速度が今日はメルン以上に遅いというのに、その手が涙のせいで止まってしまった。

 

 その姿を見て誰も取り乱す様子はなく、皆不自然なほどに落ち着いた顔をしている。

 ここで泣くのが分かっていたかのようなその態度にヒビヤは必死でその涙を食い止めようとした。

 それを見てヒュースが笑っている。

 

「泣きたい時くらい泣けよ、子供なんか誰だってそうだ」

 

「うるさい……」

 

「良いんですよ、気にしなくて。誰も責めたりしませんから」

 

「なんで、子ども扱いするんだよ……」

 

「別に子供扱いしているわけではありませんよ。ただ、あなたがそうしていても罰は当たりませんよという話です」

 

 ごめんなさい、とマキナがヒビヤの頭を撫でる。

 その意味がヒビヤには分からない。

 皆がこんなに優しい理由も自分がこうなる理由も分からない。

 甘えて良いのだろうか、そうなる資格はあるのだろうか。

 罰が当たらないなら、少しくらいは。

 

 まだ自分も子供なんだなと初めて実感していた。

 

 

 ひとしきり泣いた後、皆で食事を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

「ご馳走様です」

 

 食事を終え、皿を片付けストレッチをする。

 食事のおかげか魔力が少し体に戻り、虚脱感が薄れたような気がした。

 現に先ほどまでののろさは無くなりしっかり体が動くようになっている。

 

「ちょっと行ってきますね」

 

「こんな時間にどこに行くんですか」

 

「素振りですよ。魔法は厳しいので」

 

「おいおい今日くらい休めよ」

 

 立てかけてある剣に手を伸ばそうとするが止められる。

 ヒュースがこんなことを言うのは珍しい。

 何か心境の変化でもあったのだろうか。

 

「体も動くようになったので大丈夫です。それに、休んでなんていられないですから」

 

「倒れても知らねえぞ」

 

「その時はまた運んでくださいね」

 

 半ば強引に剣を取ると納得していないようなヒュースをすり抜け玄関へと向かう。

 いつもは重さなんて気にしない剣が多少気になる辺り完全回復では無いようだ。

 きっと一日寝れば元通りになるのだろう。 

 ここで運動をすればきっとぐっすりだ。

 

 バタンッ。

 

 

 扉を閉めた乾いた音が響く。

 気づけば玄関の近くに全員が集まっていた。

 

「泣きじゃくってやる気が無くなる方に賭けたが外れたか」

 

「あの子はそういうタイプじゃないでしょう」

 

「んなこた分かってるよ、一応な」

 

「変な方に走ったりしなければ良いんですけどね。まあ、責任は私たちにあるんですけれど」

 

「気が触れないことを祈るしかないな。今のあいつにはなんか憑いてやがる。エレゼンが治せないほどのな」

 

「言わなくていいんですか?本人に」

 

「考えてるところだよ。ただ、不安を抱えたまま生きるってのがどれだけ辛いか考えるとな」

 

「でもあれって私達だけじゃなくて本人にも」

 

「だから考えてんだよ。分かんねえから、今はうちの神官様のご指示待ちだ」

 

 大人三人が不穏な空気を流す。

 ヒュースの言う通り既にエレゼンが一度解呪を試みた。

 相手を呪う魔法や術の類は多くあるため、それを解く方法も当然存在する。

 一番簡単なのは術者本人を殺すことだが遠くに行ってしまってはそれも厳しい話だ。

 時間が経てば解けるものもあるが、簡単に解呪出来ないとなるとその線も薄い。

 この街で一番のプリーストに頼んでこれなのだから、既にお手上げ状態だ。

 

 三人がお互い考えこんでいるとそれを見計らってかメルンがヒュースの隣に立っていた。

 そこで何か思いついたのかヒュースがメルンの頭をぽんと叩く。

 

「メルン、あいつのこと見守ってくれないか」

 

「任せて、お父さん」

 

 父の頼みを快く受け、軽く支度をした後外へと出ていく。

 ヒュースはその背をただ、祈るように見つめることしか出来なかった。

 

 その後ろ、ずっと傍にいたフィリアでさえもその場から動けずにいた。



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第九話 大好きとだいきらい 死にたいとしにたくない

小説の内容を編集した際や小言等、前書きに記載することがあります。
よろしくお願いいたします。
 
今回は、全話の誤字脱字のみを編集させて頂きました。
内容の改変等は一切ございません。

それでは本編をどうぞっ

ちなみに今回は全てメルンの視点でお送りさせて頂きます。


 夜の街、外はとても暗い。

 街を照らすのは空にある月と夜の店、そして微かな家の明かり。

 シーボルト家はお兄ちゃんとマキナさんが余った魔力で作る電気で明るくなっているけれど、魔法を使わない家は火の光のみのため外にほとんど明かりが漏れることは無い。

 だから真夜中の街は誰でも心細くなるくらいに静かだ。

 そんななかで一人、剣を振る人がいた。

 

 それがお兄ちゃん。

 ほんのひと月前に、フィリアの持っている本の通りにここに来たお兄ちゃん。

 内容は私が小さいせいか、誰もちゃんとは教えてくれない。

 

 聞いたら教えてくれるのだろうか。

 それでも二人が話さないと言うのなら、二人にも、フィリアやマキナにだって聞くつもりはない。

 

 初めて会った時はフィリアを連れていた。

 剣になれるとは聞いていたけれど目にしたのは初めてだった。

 

 最初はたまに来る悪党の一人かと思っていた。

 街に来る見覚えのない人はほとんどがそうだったから。

 けれど、お兄ちゃんは違った。

 

 お兄ちゃんだけが、私を救ってくれた。

 私のことなんて知らないはずなのに、ドラゴンから私を守ってくれた。

 その身を危険に晒したとしても。

 

 

 少し前いつも街の皆が遠征に行く日の朝、何故かお父さんが泣いていた。

 お母さんに抱きしめられた。

 状況が全然理解できないでいた、いつもなら小言のようにあれを忘れないようにこれはどーだあーだとそんな話しかしないで出ていくのに。

 でも、二人が出て行って、マキナさんも遠征について行って一日中何も無くなったその日、全てを知った。

 

 リビングに一つの本が置いてあった。

 見たこともない、タイトルなんて書かれていない白い本が。

 開いてみると、驚くなんてそんな言葉では言い表せられないような内容がそこにはびっしりと刻まれていた。

 

 恐怖、それが一番近かったかもしれない。

 生まれた時から今までの行動がびっしりと、そこには刻まれていたのだ。

 最初は二人がつけた日記か何かかと思ったが、ただ文字だけがびっしりと刻まれており味気なんてどこにもない。

 それにその本の最後のページには、ほんのちょっと先の未来のことが刻まれていた。

 

 

『リープウィル襲撃の戦乱に巻き込まれ死亡』

 

 それまで書いてあった他愛のない内容から打って変わって、最後の一ページの最後の行に、静かにそう刻まれていた。

 

 その文字を見て改めて最初のページへと戻る。

 

 この本は勇者がこの世界を救うために作られたシナリオ。

 この本の通りに生きれば世界は救われる。

 

 そんな内容が、もっと難しい言葉で書かれていた。

 

 少し前、家を出ていった二人の顔を思い出す。

 もう半分くらい思い出せないでいるが、その表情のわけがようやく理解できた。

 

 別に二人を恨んだりなんてしない、ここまで明かしてはいけないと二人にも記述されていたのかもしれないから。

 こんな最後なら生まれなきゃ良かった、そんなことも考えなかった。

 生まれることも、決められていたのかもしれないから。

 

 だから誰も恨んだりはしなかった、最後に笑ってあげれらなかった、それだけが少し心残りだったかもしれない。

 このタイミングで本を見せて私が逃げたらどうするんだろうと一瞬考えたが、きっとこの本には最初から見透かされていたのだろう。

 この本を今見たところで、私が逃げ出さないことを。

 

 両親がどんな思いで今日私にお別れをしたのか、その気持ちを分かったなんて軽々しく言うつもりはない。

 でも、そういった苦労を、この本の中に書かれている通りのシナリオを辿るということをずっと続けてきた両親を前に裏切ることなんて出来なかった。

 

 だからその戦乱の当日、思い切って外に出てやった。

 逃げるつもりはない、でもどうせならシナリオに一切狂いが無いように、思う存分殺されてやろうと思った。

 

 しばらくして、地鳴りと共に龍が来た。

 魔物と聞いていたからもう少し小さいものかと思っていたが随分と贅沢な。

 これなら痛い思いをせずに、一思いに殺して貰えるだろうか、そんなことを考えていた。

 

 怖くはなかった、痛くないなら心配することなんて何もない。

 こう思うのは普通だろうか異常だろうか、そんなのどうでもいい。

 何を思ったって、未来は変わらないんだから。

 この世界のために命を捨てる、そんなこと考えたらちょっとは笑えてきたのかもしれない。

 見ず知らずの勇者なんかのために命を────

 

「たす──けて」

 

 おかしいな、思ってもいない言葉が出てくる。

 無意識のそれに思わずははっと乾いた笑いが零れた。

 死にたくない、お父さんとお母さんとさよならなんてしたくない生きたいどうして私なの私が生きてて何が悪いのこの世界なんて知らない勇者なんて知らないお父さんもお母さんも知らない勇者なら私くらい助けてよ私を救ってよ皆を救ってよ助けてよ!!

 

 思っても無い言葉が、感情が、次々と頭の中を蠢く。

 意味なんて無いのに、考える必要なんて無いのに、どの道もう死ぬのに。 

 どうしてこんなこと今更になって。

 意味なんて無いって分かっているのに、一度生まれてしまえば止まることなんて無かった。

 

 

「助けて!!」

 

 

 叫ぶだけで助けなんて無いと思っていた。

 だから叫んだ、叫ぶだけはただだもの。

 

 けれど、助けは来た。

 勇者は本当にいたのだ。

 本当は願っちゃいけないその願いを、どうせ無理だと思っていたその救いが。

 今目の前に確かに存在していた。

 

 

 結局彼に、お兄ちゃんに救われてしまった。

 外に出たとき、そこにはお父さんとお母さんがいた。

 

 合わせる顔が無かった。

 でも、お父さんとお母さんは笑顔だった、戦乱の後もずっと変わらずいつも通りだった。

 

 あの時私を抱えたお父さんは今まで見たことが無いくらいの酷く難しい顔をして、本当に小さい声でごめんなと呟いて、一粒だけ、涙を流していた。

 結局私は、私たちはお兄ちゃんに救われた。

 救われてしまったのだ。

 

 

 それから今まで、お兄ちゃんは至って普通だった。

 すごい力に目覚めるとか見たことない技を使うとかそんなのはどうでも良かった。

 見た目は本当に普通のお兄ちゃん。

 勇者だなんて言われてもとても信じられはしなかった。

 こんな普通な人のために命を捨てるところだったのだ。

 

 でも、そんな普通が大好きだった。

 この上ないくらい、彼のことが、お兄ちゃんのことが大好きだった。

 普段は普通なのに、何かが起こるとお兄ちゃんはちゃんと勇者になる。

 今日もお兄ちゃんは私を助けようとしてくれた。

 そんなこと抜きにして、私はお兄ちゃんが好きだった。

 お兄ちゃんが好きで好きで、同時にそんなお兄ちゃんが嫌いだった。

 

 ずっと見ていれば、自ずとそのヒビヤという存在を嫌でも知ることになる。

 彼のその心意のようなものが、嫌いだった。

 

 

 人のためなら自分はどうでもいいと思っていること。

 

 

 もしかしたらそんなこと思っていないかもしれない、勘違いかもしれない。

 でも、そう見えるだけで、そんなお兄ちゃんが私は嫌い。

 初めて会った時も、その片鱗は感じていた。

 

 私が助けを呼んだのが悪かったのだ、私がいなければ、こんなことにはなっていなかったかもしれない。

 いつも目に映るのは、とにかく無理をする姿だけ。

 そこに私がいることが、本来存在するはずのない人物がそこに組み込まれていることが堪らなく嫌だった。

 

 一度死んじゃおうかと考えた。

 でも一人では決められないからと、お父さんに相談した。

 そうしたらお母さんを呼ばれた。

 そしてお母さんに思い切りはたかれた。

 そして二人に思い切り抱きしめられた。

 

 もう二度と、あんな思いはしたくないと。

 シナリオなんて関係ない、あの時の自分たちを一生許さないと。

 どんなことがあっても、メルンは死なせないと。

 

 だから二度とそんなことは言わないでくれと。

 

 そう言われてしまったら、もう死にたいだなんて口が裂けても言えそうにない。

 もしかしたら最初からその言葉が欲しくて言ったのかもしれない。

 まあそんなのは今となっては分からないことだけれども。

 

 

 お兄ちゃんに助けてもらう時いつも嬉しかった。

 そんな私が嫌いだった。

 お兄ちゃんの顔を見ると安心する。

 そんな私が大嫌いだ。

 

 それと同じだけ、不安が募る。

 その顔が、いつか見れなくなっちゃうんじゃないかって。

 それは、お兄ちゃんがいつか中央に行ってしまうからではない。

 いつか、無理をして死んじゃうんじゃないか、って。

 それが私のせいで。

 存在するはずのない、メルンという人物のせいで。

 

 

 だから私は決めた。

 もっと強くなって、お兄ちゃんを守れるようになる。

 それは戦うのでもお母さんと同じ立ち位置でもいい。

 とにかく、お兄ちゃんを守れるようになりたい。

 

 さっき、みんながリビングに集まっていた理由はお兄ちゃん以外みんな知っている。

 お兄ちゃんがベッドに送られた理由も。

 

 お兄ちゃんはベッドに連れて行かれた後、ひどくうなされていた。

 表では魔力の枯渇、実際もそうだったけれど、まだ他になにかあるんじゃないかと思っている。

 マキナさんに魔力が無くなったらこうなるのかと聞いたら首を横に振った。

 ただ、『分からない』と。

 

 その後も、人の名前だろうか、羅列していくのをちゃんと耳にしていた。

 そういえばお兄ちゃんがここに来る前何をしていたのか、そんなことを考えたことも一度もなかった。

 お兄ちゃん自身に記憶が無いのだから当然聞けるわけが無いのだが、きっとどこかでここと同じような生活をしていたはずだ。

 

 一度考えてしまえば自然と情はそちらへと向く。

 そんな生活があったというのに、その記憶を消し去って知らない土地に飛ばされるというのがどういうことなのか。

 考えれば考えるほど怖くて仕方が無かった。

 

 そうやって悩んでいる間にベッドで眠ってしまい、起きた時にはお兄ちゃんがいなくなっていた。

 すぐに物音で外にいることが分かったがあのほんの一瞬の感情を、私は一生忘れない。

 だから私はお兄ちゃんを一人にはしない。

 絶対に。

 

 

 

 

 □ ■ □

「あっ」

 

 お兄ちゃんの声で我に返ると、剣を落としている姿が目に入った。

 いままで一度も落としたことなんてないのに。

 気付けば自然と体が動いていた。

 

「癒しの光よ、彼の者にほんのひと時の安らぎを『ファーストエイド』」

 

 手を掲げ、詠唱する。

 今日は魔法の授業がなかったので、魔力量に余裕はあった。

 発生した魔法はお兄ちゃんを包み、手のひらやいつ付いたのか分からないような傷を癒していく。

 けれど、呼吸の方は一向に落ち着かなかった。

 

「メルンちゃんか、ありがとう」

 

 身を隠していたが、ばれてしまったので小走りでお兄ちゃんの元へ向かう。

 見守るということに失敗はしたが、近くにいれば無茶はしないだろう。

 

「なんで私って分かったんですか?お母さんやマキナさんかもしれないのに」

 

「うーん。なんとなく、ふわふわしてたから?」

 

「褒めてますかー?」

 

「そりゃあもちろん。ありがとね」

 

「どういたしまして」

 

 お兄ちゃんは落とした剣を木陰に置き、休憩するか、と言って石に座った。

 毎回同じ石に座っている気がする。

 実はお気に入りなのかもしれない。

 そう思いつつ、静かに隣の石に腰を下ろした。

 その石には確かに暖かさがあった。

 

 

「……お兄ちゃん、魔法使った?」

 

「冷たい石に座りたくはないだろ」

 

 冗談のように言う。

 こういう所が私は────

 

「……どうせ自分のは冷たいくせに」

 

「ん、何か言ったか?」

 

「なんでも」

 

 ……こういうお兄ちゃんが私は嫌いだった。

 全てが善意だというのは分かっている。

 それでも、だ。

 

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

 

「ん、どうした?」

 

「お兄ちゃん、ずっと、無理してない?」

 

「無理、とは」

 

「自分の命を大切にしてますか、ってこと」

 

 そこまで言うと、お兄ちゃんは驚いたような顔をしていた。

 

 自分でも変なことを言っているのは分かっている。

 分かっているけれど、お兄ちゃんはきっと分かっていないから。

 

「いきなりどうしたんだよ。そりゃあ、自分の命は大切にしてるよ。死にたいとか思ったことないし」

 

 言った後に一瞬表情が曇ったけれど、今はそういうことを聞いてるんじゃない。

 

「じゃあ、私達と、自分のは?」

 

「どうしたの急に」

 

「答えて」

 

「難しい質問するんだね……でもそりゃあ、メルンちゃん達って答えるだろうね。だってほら、メルンちゃんも、きっとそう答えるんじゃない?」

 

「……違う」

 

「あり、違った?まあそうだよね、やっぱり自分の命は大事だもんね。その気持ちも分かるつもりだよ?」

 

「違う!」

 

 ばっと立ち上がる私を困ったような顔で見てくる。

 困らせているのは分かっている、私でさえ理解できないこの感情を人に分かってもらおうなんてそんなこと思っちゃいない。

 

 私のそれは本気じゃない、でもお兄ちゃんのそれは本気だ。

 隣に並びたい、同じことを考えられるようになりたい。

 だから少しで良いから、ほんの少しで良いから怖いって、死にたくないって、泣いて欲しかった。

 そうしたら少しでも近くにいけるのに。

 

「……お兄ちゃんなんて嫌い」

 

「え?」

 

「お兄ちゃんなんて嫌い!」

 

「え、ちょ、何かしたかな?あの、ごめん、ちゃんと聞くから、話してくれると──」

 

「私はお兄ちゃんにいなくなって欲しくない……だから、泣いてよ、泣いて泣いて泣いて、悲しい顔して、死にたくないってさぁ……!」

 

「ちょっと、どうしたんだってメルンちゃん」

 

「わだしのごと、ごどもあづかいしないで!」

 

 星の見える空の下。

 結局私はただ、お兄ちゃんの変わりに泣くことしかできなかった。

 結局、私だけがこうやって泣くんだ。

 

 

 

 

 



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