郡千景と粘着質な愛の話 (イナバの書き置き)
しおりを挟む

郡千景と告白の話

ドロッとしたお話。


「あなたが好きです!付き合って下さい!」

 

「えっ──」

 

 馬鹿だ。

 馬鹿以下の大馬鹿者だ。

 雰囲気も何もあったもんじゃない。

 僕は全身隈無く痣だらけ、鼻血とか色んな液体で顔面も滅茶苦茶だ。

 母さんが折角買ってくれたシャツはあちこち毟られて、ボタンも全部何処かに行ってしまった。

 こんなボロ雑巾から告白されたって、彼女も困るだろうに。

 

「私に、言ってるの?」

 

「他に誰がいるんだよ」

 

 なるべくカッコつけて返事をしたつもりだけど、喉から漏れたのは呻きに近い濁った声だった。しかもつっけんどんな物言いだ。

 情けないったらありゃしない。

 ほれ見ろ、彼女もドン引きしてるじゃないか。焦げ茶の瞳が潤んできてる。

 怖いと思うけど、もう少しだけ我慢して欲しい。言うだけ言ったら消えるから。

 

「本当に、本当に私が良いの?」

 

「君がいいんだ」

 

 そうやって卑下するのは彼女の悪い所だと思う。

 そりゃあ両親揃って()()()()じゃ自信を持てないかもしれないけど、僕は君が好きなんだ。

 誰が何と言ったって、この気持ちは止められない。

 君の笑顔を見る為なら、何だってやれる──と思う。

 多分思い上がりだけど。

 

「アイツらさ、君の事を嗤うんだよ。売女だなんだって、バカみたいに騒ぐんだぜ」

 

「だからってそんな事をしなくても──!」

 

「ゴメン、僕バカだからさ。君の我慢も、何もかも無駄にしちゃった──」

 

 馬鹿だ。下策中の下策だ。

 彼女は何年も耐えてきたのに。

 キミは「やり返さない」って言う、何より辛い戦いを1人でしていたのに。

 思わず手が出てしまった。我慢ならなかった。

 その結果が()()だ。

 上級生も下級生も、見知った顔から殴る蹴るの私刑(リンチ)を受けて、逃げ出した訳である。

 村八分にされてる子の味方をしたらどうなるかなんて、誰だって分かる筈だ。でもやっちゃったんだからしょうがない。

 

 しかもその勢いで告白とか、滑稽過ぎて笑っちゃうぜ。ヤケクソにも程がある。

 これは振られたな。間違いない。

 けど、やっぱりこの気持ちだけは伝えておきたい。偽る事なんて出来ない、本当の気持ちだから。

 

「こんな情けないヤツだけど……もし、もし君が受け入れてくれたら嬉しい」

 

「私、が……」

 

 よし、言った。言ってやった。

 もう何の悔いも無いぞ。明日行方不明になるであろう僕の机と一緒に未練もどっか行っちまえ。

 後はそう、キミが『ごめんなさい』とでも言ってくれれば全部終わりだ。

 迷惑を掛けるのも最後にしよう。

 それでいいだろ、ねぇ──郡さん。

 

「私は──!」

 

 

 

■■■

 

 

 

「あなたが好きです」

 

 あまりにも直球過ぎる告白だった。

 忘れもしない、3年前の事だ。

 白いシャツを血で斑に染めたあなたは臆面もなく、思うがままに言葉を紡いだ。

 

 好き。

 

 そう、好きだと言ってくれたのだ。

 その日、私は生まれて初めて好意をぶつけられた。

 ただひたすら暴力に耐え、停滞する日々に射し込んだ光だった。

 

 好き。

 

 その言葉はどんな娯楽よりも快楽をもたらした。

 あなたの好意はどんなクスリよりも依存性があった。

 抜け出せる筈も無い。

 あなたも嫌な顔はしなかったから甘えられるだけ甘えて、依存出来るだけ依存した。

 

 そうして3ヶ月もすれば、彼がいない生活に耐えられなくなっていた。

 朝起きてあなたがいなければ、気分が沈んだ。

 夜あなたが家に帰ってしまうと、孤独感に打ちのめされた。

 重ねた手のひらが離れる度に、身を裂かれるような苦痛を感じた。

 

 幸いだったのは、この関係について誰も干渉してこなかった事だ。

 私は元から村八分に近い状況にあった訳だし、そこに1人増えたからと言って何も変わりやしない。

 何処へ行っても二人きり。

 ずっと二人ぼっちで、支え合う。

 

 互いの傷を舐め合って、停滞と廃退の沼に沈む。

 それに何よりの愉悦を感じた私は、きっと狂ってる。

 狂ってるけど、堪らない。

 

 だから。

 

 だから、この「好き」を妨げるなら──

 

 

 

 

 

 そんな世界、滅んでしまえ。

 

 

 

■■■

 

 

 

 午前4時。

 

 がちゃり、と無造作に扉が開かれる。

 それなりに大きな音が立ったが、郡千景は気に止めなかった。部屋の主は、この程度の音で目を覚ます事はない。

「彼」の生活をよく理解しているからこその大胆な犯行であった。

 

「……ふ」

 

 もう手慣れたものである。

 千景が生まれ育った村を出てから3年、「彼」の部屋に忍び込むのは日常的な行為と化していた。

 鍵を渡されているから不法侵入ではない、と当人は力説しているがどう見ても不審者である。

 

(私は悪くないわ。私を1人にする、あなたが悪い──)

 

 布団にくるまれ、穏やかな寝息を立てる少年を見下ろしながら千景は自己正当化を図った。

 

「ふ、ふふ……」

 

 思わず笑みが漏れる。

 ただそこにいる、健康でいてくれる事が千景にとって何よりの幸福だ。

 千景はこの()()()()()()()()()()()()()に於いて、健やかでいる事は何より素晴らしい事だと考えている。

 だってそれは「彼」が千景を見ている時間が増える事なのだから。

 

「あなたがいれば……あなただけいれば、私は戦える」

 

 誰もが自分を否定する中で、唯一自分を肯定してくれた少年に対して千景は執着した。それはもう粘着質に、ベッタリとくっ付き続けた。

 独占欲である。

 心の奥底に根付いた「それ」は、少年からの愛を栄養として1分1秒毎に肥大化し千景の心を占拠した。

 

 例え「彼」の親であっても、「彼」と会話している事に悲しさを感じた。「彼」が景色を眺めているだけでも寂しさを感じた。

 自分だけを見て欲しい。自分だけに声を聞かせて欲しい。

 もっともっとと底無し沼のように渇望は増え続け、その他一切合切を千景の中から追い出した。親も地域の人々も、最早千景の眼中にはない。

 何を言われても、何をされても意に介する事は無い。少年が隣にいるなら千景は無敵だった。

 

 が、飽くまで無敵なのは千景だけである。「彼」は少女に一途なだけの一般人だ。非力で、思いだけが先走る凡人だった。

 その一途さが裏目に出たのか、少年は千景がいない所で暴力を振るわれる事となった。

 それに気付かぬ千景では無かったが、彼女は努めて知らない振りをした。

 

『大丈夫!何でもないから、心配しないで!』

 

 少年は強がっていた。カッコつけていた。

 止せば良いのに千景を心配させまいと、千景と同じように1人で戦う事を決めたのだ──千景()()の為に。

 捻れに捻れた承認欲求を、彼の強がりは最大限満たしたのだ。

 

 当然「彼」を気遣う気持ちは存在した。耐える事の苦痛を、千景はよく知っているのだ。

 故に千景は少年の監視と言う形で自身の愛を表現した。

 毒を喰らわば皿まで。「彼」の強がりをいつでも、どこでも心行くまで味わう。

 

 ──大丈夫。あなたの格好いい所は、私が全部見ているもの。

 

 盗聴、盗撮、ストーキング。狂気的な思考の下で千景の行動は過激化を続けた。

 大社の職員は皆勇者への盗聴を警戒しているが、よもや勇者()盗聴しているなどとは思うまい。

 

 ──「彼」が私の側にいられないなら、私が彼の側に行く。

 

 誰一人として気付かない。

 そして誰も知らない「彼」の姿を自分だけが知っている。優越感が千景を満たし、愛となって零れ落ちるのだ。

 千景が心の底から笑顔になれるのはその時だけ。

 ただ1人の好意が、千景をどうしようもない程歪ませる。

 

「──愛してるわ」

 

 郡千景は自分から溢れ出る愛の沼に沈んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と昼食の話

一口サイズの粘着質を目指しています。


 勇者と巫女だけが集められた特別学校と言えど、義務教育は普通の学校と同じように行われる。

 いつバーテックスが襲来してくるのか分からなくとも、所属するのは皆子供なのだ。

 大社の人間(大人)とて、年端も行かぬ少女を道具として扱う程腐ってはいない。

 通常の授業に加えて勇者としての訓練を課されているが、それは致し方無い事だろう。

 過労で倒れたりしないようにコントロールするのが大社の役目だ、と千景は割り切っていた。

 

 トントン、とボールペンがノートを叩く。

 新学期の初めにはバーテックスと自衛隊の交戦記録を見せられ、勇者達の必要性を説かれる。もう何度も見聞きした事だった。

 バーテックスが何者で、何故人類が虐殺されるのか、誰も知らない。

 ただ土地神が人類に味方し、その加護を受けた少女達が勇者として戦うと言う結果だけが存在する。

 

(……暇、ね)

 

 郡千景にとって、この時間は退屈以外の何物でも無かった。

 別にこの授業を軽視している訳では無い。千景は自分と「彼」が生きる世界を守る事に異存は無い。

 ただ、同じ事を何度も繰り返すのに飽きただけだった。

 傲りが慢心を生む。油断が死を招く。だから基礎を繰り返す事の重要性も、良く理解している。

 

 だが、変化を伴わない日常は停滞を生む。停滞は時を経る毎に慢性的に蔓延り、人々から戦う意思を奪う。

 それを千景は危惧しているのだ。

 

 3年前から千景達は1度もバーテックスと戦っていない。

 土地神の集合体『神樹』が四国を囲う結界()を張っており、バーテックスの侵入を阻んでいるのだから必然だった。

 だがもし、()()()()()()()()()()()()()()()()勇者は想定通りに戦えるのか。

 

(……弛んでいるんじゃないかしら)

 

 自分も含めて、少し生温いのではないかと千景は危惧している。

 勇者達の後ろには四国の民がいて、千景の後ろには「彼」がいるのだ。

 だから負けられない。負ければ彼らは喰い尽くされる。

 それは何としても避けねばならない事態だ。

 訓練をどれだけ重ねても、千景の中の不安は拭えなかった。

 

 ──もし、万が一の場合があったらどうする。彼が喰われるような事があったら私は生きていけない。

 

 自分が死ぬより、「彼」が死ぬ事を千景は恐れている。

 文字通り「生き甲斐」なのだ。少年が死んだら千景は後を追うだろう。

 だから負けない。2人で笑う為なら千景は何度だって無敵になる。

 

 が、他の勇者はどうだろうか。

 各々戦う理由は持っていても、それが行動に表れているとは千景には思えない。

 友好を深める事も大切だ。しかし、それに重きを置くあまり他が疎かになっていないか。

 そんな焦りが千景の中で燻り続け、徐々に苛立ちへと変化を始めていた。

 

 

 

■■■

 

 

 

 昼食は勇者全員で取る。

 食事と言う人間に不可欠な時間を共有し、チームワークを高めるためだ。乃木さんが提案し、皆で合意した取り決めだった。

 

「さて、と。今日も──」

 

 皆がセルフサービスを取りに行くのを横目に、私は風呂敷包みを広げる。

 中には小さな弁当箱があった。蓋を開ければ肉じゃがに、キャベツの塩昆布和え。蓮根と人参のきんぴらも添えてある。

 昨日の残り物に新しく1品加えた、いかにも家庭的な弁当だ。

 

「──完璧ね」

 

 少食な私に合わせ、量もやや少なめである。

 やはり「彼」が作る料理に間違いは無い。

 言葉を介さずとも必要とする物を理解している。これぞ意思疏通の究極系、以心伝心と言うものだろう。

 そうして料理を口に運んでいると、目の前に誰かがトレーを置いた。

 

「訓練の後のご飯は美味しい!」

 

「えぇ、そうね」

 

 屈託の無い笑顔で少女──高嶋友奈が席に着く。

 トレーに載せられたのは肉うどん。

 私以外の勇者は皆セルフサービスのうどんを持ってくるから、結果だけ見れば仲間外れと言う事になる。

 

 高嶋さんは私の数少ない友人だ。そして世界で2番目に「郡千景」を認めてくれた人間だ。

()()()に1人を除いていなかった、他者を慮る優しさを持つ彼女は私にとって好ましい物だった。

 

「ぐんちゃんは今日もお弁当?」

 

「ええ」

 

「わぁ、いいなあ!彼氏さん料理上手なんだねぇ」

 

 こうやって褒められると嬉しくなってしまうが、これも3年間で幾度となく繰り返されたやり取りだ。

 こうして高嶋さんと話すのはとても楽しい。

 私には無い「明るさ」と、「優しさ」を持っている。率直に言って羨ましい。

 

「美味しそうだね!ちょっと味見してみても良いかな?」

 

「ふふっ、いくら高嶋さんでもそれはダメよ。この肉じゃがは私のもの」

 

「あーっ、良いなぁ……」

 

 高嶋さんは私にとって恩人だ。

「彼」以外と上手く話せず、勇者達の輪に馴染めなかった私の手を引いてくれたのは高嶋さん。

 納得のいく訓練が出来ず、落ち込んでいた私を励ましてくれたのも高嶋さん。

 高嶋さんには返しても返しきれない位、恩がある。

 けど。

 だけど、許せない。

 

『私、高嶋友奈って言います!よろしくね、──くん!』

 

『──ッ!?』

 

 忘れもしない。

 初めて私達が会った()()()の事。

 よりにもよって私の目の前で、高嶋さんは「彼」と握手した。

 知らずとは言え、私だけの聖域を汚した。

 私と「彼」の間に割って入った。

 それがどれだけ憎しみを掻き立てたか。

 

『……?どうかした?』

 

『いえ。何でもないわ』

 

 その日はずっと、同じ布団で寝る時も「彼」と手を重ねた。危うく爪を立てそうになるほどきつく、隙間なく、触れ合った。

 高嶋さんの温もりを、私のそれで上書きする。

「彼」の1番は私だ。

 私でなければいけない。

 そうでなければ私の存在意義が無い。

 

「彼」がいるから自分でいられる。

「彼」を感じるから抑えられる。

 握手したのが高嶋さんで良かった。

 もし他の誰かだったら──

 

 

 

「──殺してたかも」

 

「何か言った?ぐんちゃん」

 

「いいえ、何も」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と肯定の話

ゆゆゆ杯としてはこの話で終わりですがまだ続きます。


 本当に偶々だった。

 ただその日に偶然条件が整って、偶然僕が耐えきれなくなった。

 それだけの話だと思う。

 

 「その日」も僕は部屋に籠ってゲームをしていた。所謂格ゲーと言うヤツで、様々な作品のキャラクターがコラボする夢みたいなゲームだった。

 自分で言うのも恥ずかしいけど当時の僕は中々やり込んでいて、宿題が終わればランキング戦に挑んでいたものだった。特にあの頃は「Cシャドウ」と言うプレイヤー、──まあ郡さんだったんだけど、が頂点に君臨していて躍起になって越えようとしていた。

 

 ゲームは良い。

 自分の部屋に籠ってイヤホンを着けて、ゲーム画面に集中していれば外界との接触を絶てる。

 こうやって熱中している間は、成績だとか喧嘩だとか嫌な事を忘れられる。

 郡さんの事もそうだ。

 同級生達の悪意に満ちた虐めも、教員やお巡りさんを含めた一切の大人達の傍観も、見て見ぬ振りが出来た。

 僕は「アイツら」とは違う。

 僕は郡さんを虐めたりはしない。

 これは僕なりの戦いなんだって、自分に言い訳していた。

 けど「その日」は、普段より一層閉じ籠らなきゃいけない理由があった。

 

『全く……郡さんは早く何処か行ってしまわないかしら……』

 

『えぇ、まあ、そうですねぇ』

 

 近所の──誰だったかな。

 まあ別に誰でも良いけど、誰かの母親が家に来て母さんと話していた。

 母さんはお茶に菓子まで出して、その人を接待していた。

 止めて欲しかった。帰って欲しかった。

 何が悲しくて好きな女の子の悪口を聞かなきゃいけないんだ。

 兎も角目も耳も全部塞いでしまいたかったから、自分の部屋で布団まで被ってゲームをしていた。

 

 いや、違う。

 本当に嫌だったのは郡さんの悪口だけじゃない。

 ただ保身を考えて悪口に付き合う親が嫌いだった。

 頭では理解しているんだ。村八分にされた人に味方する事がどういう結果を招くか。そしてこの村で生きていくには彼らに同調するしかない事も。

 だけどそれが1人の人間として本当に正しい行為なのか。僕はそう思いたくない。郡さんを生け贄にしてのうのうと生きるなんて、僕には出来ない。

 だからもしこれが正しいって言うなら、そんな正しさは欲しくない。間違ったままでいたい。

 

 それだけじゃない。

 この理不尽を認識しているのに、ただ見ているだけな自分が何より嫌いだった。

 これだけ扱き下ろしておきながら、僕は母さんと何も変わらない。

 我が身可愛さに縮こまっているだけの腑抜けが僕だった。

 そこまで分かっていながら、1歩踏み出す事さえ躊躇っているのもまた僕だった。

 

 そうして今日も情けなさにべそをかきながら、罵詈雑言の嵐が過ぎ去るのを待つ──筈だった。

 

 

 

『そうねぇ……家の子は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って言ってたけど……』

 

『まあ、そうなんですねぇ』

 

 頭が真っ白になった。

 「生まれて来なかった方が幸せだった」?

 何で、どうしてそんな酷い事が言えるんだ。

 テレビでも漫画でも口を揃えて命の尊さを説くのに、何で郡さんはダメなんだ。

 郡さんが何をしたって言うんだ。

 確かに彼女の親はろくでなしだ。誰も郡さんの事を見ちゃいない。

 だけど郡さんは関係ないだろ。

 一体何の権利があって、彼女が生きる事を否定するんだ──!

 

 空白になった思考が怒りの赤に染められて、気が付けば家を飛び出していた。

 田んぼを抜けて民家を掠めて、自分でも訳の分からない衝動のままに足を動かし続けた。

 何かが完全に吹っ切れていた。

 

「あはは、あは────」

 

 もう立場なんて知った事か。

 母さんの考えも、何もかも投げ捨てて走ってやろう。

 今大切なのは郡さんだ。

 他の事なんて考えずに、ただ前だけを見て真っ直ぐ──

 

「──走れ!」

 

 言葉にしたら気分が軽くなった。

 そうだ。この程度じゃ遅すぎる。

 今まで立ち止まっていた分、スピードを上げろ。

 自分の意思でどこまでも、ずっと。ずっと。

 

 

 

 例えどれだけ浅はかで、短絡的で、愚かでも構わない。

 だけど僕は僕の全てを賭けて、郡さんを肯定してみせる。

 誰に憚る事なく「生まれてきて良かった」って、言わせてみせる。

 だから、先ずは告白する所から始めよう。

 

 

 

■■■

 

 

 

 私が許せない物は色々ある。

 「彼」と手を繋いだ高嶋さん然り、「彼」を虐げた村の人達然り。

 心が狭すぎる、と思う時もあるが性分だから仕方ない。

 1度解放されたらこの思い()は止まらない。私は「恋は盲目」という言葉に全身を侵されている。

 彼以外は目に入らない。

 

 けど。

 けど、1番許せないものを挙げるとしたら──それは私自身になる。

 

 

 

 世界が食い荒らされた次の日の、午前中の事だ。

 

「郡様には私どもが用意した施設にて訓練を行ってもらいます。必要な措置は此方で行いますので、もしご要望がございましたらお申し付け下さい」

 

 此方の反論を許さない、固い言葉だった。

 仕方ない事だった。あの化け物を倒せるのは「勇者」とやらだけらしいのだから。

 数少ない戦力を逃す訳にはいかないんだろうな、とどこか他人事のように私は考えていた。

 

「郡さ──千景。大丈夫?」

 

「ええ。私は平気……」

 

 言うだけ言ってその場を去った大社の職員と入れ替わりに、「彼」がひょっこりと顔を出した。

 先ずその顔を見て安堵した。

 初陣と言う事もあって武器を闇雲に振るうだけだった私は、あなたの安否を失念していた。

 化け物が全滅してからやっとその事に気付いたけれど、誰に聞いても返事すら無かったから心配していたのだ。

 

「何だかよく分からないけど、凄い事になっちゃったね……」

 

「まあ……正直実感が湧かないわ」

 

 体がふわふわして、思考も宙ぶらりんだった。

 まるで自分が自分じゃないみたい。

 だって、昨日までは命を賭けた戦いに身を投じるなんて考えもしなかった。

 今日、明日も、ずっと2人でこの腐った村を生きていくと思っていたのに何なんだろう、これは。

 夢でも、見ているのかもしれない。

 視界も何だかぐらぐらする。疲れているのかな。

 

 

「ごめんなさい。少し疲れてしまって……。横になっても良いかしら」

 

「うん。きっとこれから大変だと思うから、今の内に寝ておきなよ」

 

 彼の手をそっと握る。

 言葉にするのも億劫だったけど、あなたに隣にいて欲しかった。

 一夜で狂ってしまった世界でも、あなたがいるなら正気でいられる。

 

「隣に……ずっと隣にいて……」

 

「大丈夫。何処かに行ったりはしない」

 

「うん……ありがとう……」

 

 ──あなたの両親が殺されたのにも気付かずに、私は温かい腕を抱き締めて眠りに就いた。

 

 

 

 あなたが苦しいのにも気付けず、甘えた。

 苦しかっただろう。泣きたかっただろう。だけど私の為に、ずっと泣かなかった。

 

 これが私の罪だ。決して許される事の無い大罪だ。

 罪には罰を。それは人間が生きる限り不変のルールに違いない。私だって逃れられないのだから、きっとそうだ。

 どうやって贖えばいいのか分からないけど、私は償い続けなければならない。

 それが終わるまで、私は自分を許せない。肯定なんて、出来る訳ない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と相談の話

ゆゆゆ杯お疲れ様でした。
どの作品も素晴らしい物だったと思います。
私も追い付けるよう一層精進していきたいです。


「やあ、遅くなって申し訳ない」

 

「いえ、全然大丈夫です──お久し振りですね、乃木さん」

 

 四国地方は香川県丸亀市。

 小綺麗なカフェの片隅で、やけに弱々しい微笑を少年が浮かべた。

 若葉の記憶では最後に会ったのは2ヶ月程前だったが、あの頃の溌剌とした印象は何処にも無い。

 何かに打ちのめされ、疲れ果てた「彼」の姿がそこにはあった。

 

「その、いい加減敬語は止めてくれないか。千景や友奈とは普通に話すんだろう?」

 

「いや、まあそうですけど……」

 

「だったら良いじゃないか」

 

「彼」は3年前から、ずっと若葉に対して畏まった態度を取っていた。

 その癖若葉には敬語を用いない事を要求し、気楽に接する事を望んだ。

 少年は自分と若葉の間に越える事の出来ない線を引いているのだ。

 

(やはり怖がられているのか……?)

 

 思い当たる節はそれなりにある。

 決して曲がらない意志の強さと勇者の力は、時として恐怖の権化足り得るのだ。

 若葉自身もその性質を理解しているからこそ、こうして気を揉んでいるのである。

 

「尊敬してるんですよ、ホントに」

 

「私達をか?」

 

「はい。友奈や土居さんには押し切られましたけど、やっぱり簡単に変えられるもんじゃないです」

 

 皆凄いなぁ、と呟いて「彼」はまた俯いた。

 何か様子がおかしい。今日の昼に急に呼び出した事と言い、どうにも若葉の知る「彼」らしくない行動が目立つ。

 

(聞いてみる、しかないか──)

 

 この弱りきった様子の少年を見るに、余程思い詰めているのだろう。

「彼」は何か重大な問題を抱えているに違いない、と若葉は判断した。

 

「それで、どうして今日は私()()を呼び出したんだ」

 

 何故若葉()なのか。

 物言いがキツいだとか、正論過ぎるだとか言われる自分よりかは適任がいるだろう、と若葉は思った。

 千景の事にしろ、「彼」自身の事にしろ、相談するならば先ず友奈ではないのか。

 それが無理だとしても、ひなたや杏ではなく何故若葉を選んだのか。

 そのような意味が籠った問いを受け、少年の表情は苦々しげに歪んだ。

 

 しまった。地雷だったか──

 

 若葉慌てて謝罪しようとするより一瞬早く、少年の口が開いた。

 

「──この前、チームとしては初陣だったんですよね?」

 

「え?ああ……」

 

「千景はどうでしたか」

 

「勇敢だった」

 

 即答。

 3日前、四国に結界が張られて以来3年ぶりにバーテックスとの戦闘があった。

 その際先陣を切ったのは他の誰でもない、千景だ。

 友奈よりも、若葉よりも速く斬り込むその姿は誰よりも勇ましく、また誰よりも冷静だった。

 当初戦えなかった杏のカバーも完璧にこなし、正に獅子奮迅の働きを見せたのである。

 これを勇敢と言わずして何と言うのか。少なくとも若葉には他の言葉が見当たらなかった。

 だと言うのに──「彼」は喜んでいるとも悲しんでいるともつかない、曖昧な表情をしていた。

 

「嬉しくないのか?」

 

「正直に言えば、まあ」

 

「何故?」

 

 若葉の中には隠しきれないバーテックスへの憎悪がある。

 友を奪い、土地を奪い、文明を奪ったバーテックスを討ち果たす事。

 それが若葉が自身に課した使命であり、勇者として戦う意味である。

 それは「彼」も同じで、千景の戦いぶりを喜びこそすれ悲しむ事は無いと若葉は思っていた。

 だからこそ分からない。何故──

 

「今回は無事だった。でも、次もそうとは限らないでしょう?」

 

「そうだ。だが、それは千景も理解している筈だ。君は千景の事を信頼出来ないのか?」

 

 落ち着け、と若葉の脳内で自分が叫んでいるが、口を衝いて出たのは詰るような言葉だった。

「彼」は千景と付き合っているのに、千景を信じられないのか。

 少なくとも若葉にはそう言う風に聞こえたのである。

 穏やかな陽射しが注ぐカフェテリアに、一触即発の雰囲気が作り上げられていた。

 

「信頼はしています。ただ、堪らなく怖い」

 

「怖い?」

 

「もし千景が怪我をしたら。もし千景が死んだら。もし千景が憎たらしいアイツらに食い散らかされたら。『もしも』が際限無く湧いてくるんですよ」

 

 だから()()無しじゃ眠れないんです、と少年は懐から錠剤の詰まった小瓶を取り出した。

 

(睡眠薬、か──)

 

「3年前からお世話になってるんですけどね、最近は特に酷いんです。夜中に何度も起きて、その度に吐いちゃうんですよ」

 

 やけに弱々しいのはそれが原因か、と若葉は1人ごちた。

「彼」は千景を思いすぎる余りに体調を崩しているのだ。

 だとするなら、どうにかして「彼」を安心させなければならない。若葉は1人の友人として少年の身を案じていた。

 

「……分かった、千景の事は私がしっかり見ておこう。元々リーダーとしての役目がある。安心して任せて欲しい」

 

「良かった。ありがとうございます……!」

 

 恐らく、気休めにしかならない。

 結局「彼」自身の問題だから、他人が何か言ってどうにかなる話ではない。

 だがこうして呼び掛ける事にも何か意味がある筈だ、と若葉は信じる事にした。

 精神の専門医等ではないのだから、自分に出来る事をするしかないのだ。

 

「それと、薬に頼り過ぎるのは止めた方が良いと思うぞ。依存したら抜け出すのは難しいと聞く」

 

「それは無理です」

 

 即答だった。

 思わず呆けた表情をする若葉に、少年はやつれた笑みを浮かべながら自らの秘密をぶちまけた。

 

「天恐なんです、ステージ2の」

 

「な……!?」

 

 天空恐怖症候群(天恐)

 上空から襲来したバーテックスに対する恐怖が引き起こす精神的な病が、少年を蝕んでいた。

 最も軽いステージ1では空に対して嫌悪感を抱く程度だが、ステージ2となれば話は違う。

 日常生活においてフラッシュバックが発生し、精神が不安定になる。彼らは入院等の措置を受ける事は出来ず、人によっては外出する事すら不可能になるのだ。

 よもやその単語が「彼」の口から出てくるとは思いもしなかった。

 この3年間、若葉は全く気付く事なく空の下で交流を続けて来たのだ。

 

「親がバーテックスにムシャムシャされちゃって、それ以来なんです」

 

「千景はこの事を知っているのか……?」

 

「言ってませんよ」

 

「どうしてだ!?」

 

「アイツにこれ以上負担は掛けられませんから」

 

 当然のように少年は言い切った。

 愕然とする若葉を無視して、「彼」は言葉を紡ぐ。

 

「千景は勇者として戦うだけでも大分無理をしています。協調とか、そう言うの苦手だと思うんで」

 

「でも、千景はどうにか馴染もうと頑張っているんでしょう?だったら僕も頑張らなきゃ」

 

 

 

「──千景より先に、挫ける訳にはいきませんよ」

 

 まあいつまで保つか分かりませんけど、と照れ臭そうに少年は付け足した。

 梃子でも動かない、鋼の決意がそこにはあった。

 自らの全てを擲ってでも愛する人の為に戦う、漢の魂がそこにはあった。

 どうやら説得は無意味らしい。

 

「……分かった。だがな、もう駄目だと思ったら誰かに相談するんだぞ。私に言えないならひなたでも誰でも良いから、兎に角は無茶はするな」

 

「はい、無理の無い程度に頑張ります!」

 

 既に限界が近いのではないか、と感じたが若葉は敢えて何も言わなかった。

「彼」を、千景の為に戦いに挑む1人の戦士を尊重したからだった。

 

 

 

 

 

「……ところで、どうして私に相談したんだ?」

 

「土居さんとか、うっかり喋っちゃいそうじゃん?」

 

「ああ、まあ。そうだな……と言うか敬語じゃなくて良いのか」

 

「あーッ!ちょっ、待って!待ってください!今の聞かなかった事にして下さい!」

 

 

 

■■■

 

 

 

 イヤホンから、2人の楽しそうな会話が聞こえる。

 

『フ、フフ……。なんだ、普通に話せるじゃないか』

 

『ちょっと!止めてくださいよホントに!恥ずかしいんですから!』

 

 聞いていた。

 郡千景()は何もかも聞いていた。

 あなたが外出時に持ち出したポシェットには盗聴器を付けていたのだから、当然の事だった。

 

 普段だったら私の為に戦うあなたを一層好きになっただろう。

 普段だったらあなたと歓談する乃木さんに嫉妬しただろう。

 だけど、今は何も感じなかった。

 ただ深い悲しみが私を襲って、絶望の汚泥でのたうち回った。

 

 天恐。あなたが。ステージ2の。

 言葉の羅列をゆっくりと咀嚼して、改めて絶望する。

 母を蝕んだのと同じ、残虐の爪痕があなたにも刻まれていた。

 

 どうして相談してくれなかったの?

 どうして1人で背負い込んでしまうの?

 格好付けるだとか、そう言う領域では済まないのに。

 いや、違う。

 そうじゃない。

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 ──どうして私は3年間の間、気付く事すら出来なかったの?

 

 あなたが隠していたから?

 勇者としての訓練で忙しかったから?

 そんなの言い訳にはならない。

 思い当たる節は幾らでもあった。

 持病は無いって言ってたのに、あなたは寝る前に錠剤を飲んでいた。

 時々、空を睨んで微動だにしない時があった。

 なのに私は、それを何とも思っていなかった。

 

「ごめんなさい」

 

 結局私は3年前から何も変わっていない。

 何が勇者だ。何が守るだ。

 あなたに甘えて、依存して、ただ自分の欲望を優先して、その結果がこれ。

 あなたが必死に戦っているのに、私は何をしているの?

 

「ごめんなさい」

 

 私があなたを苦しめているの?

 あなたを愛する事は、あなたを傷付けることなの?

 だとすれば私はどうしたら良いの?

 どうしたら──



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と歪みの話

 軋む。

 私の心が軋んで、捻れて、破断する。

 ヒビが入った部分を愛で塗り固めただけの「それ」が、引きちぎれてボトリと落ちた。

 ただ痛くて、悲しくて、泣きたくなった。

 

 

■■■

 

 

 

 その日、私は自失していた。

 

「……千景。これはもう決まった事なんだ。お前の気持ちは分かるが諦めてくれないか?」

 

「い、嫌……」

 

 四国外への環境調査及び残存人類の捜索。

 それが私達に下された命令だった。

 暫くはバーテックスの攻勢が沈静化するだとか、大気状態が改善しているだとか、そんな些事は耳に入ってこなかった。

 

 私と「あなた」が会えなくなる。

 

 それだけが重要な事実だった。

 そこからはどうなったのかよく憶えていない。

 ただ呆然としたままその日の訓練を終え、気が付けばあなたとベッドに入っていた。

 

 

 

 午前0時。

 

 そっと、抱えるようにしてあなたの頭を抱き締める。

 穏やかな寝息が胸を擽る度にあなたの生を感じて、安堵する。

 天恐が重篤化した()の現状を知っているからこそ、こうして同じベッドで眠れるだけでも奇跡に近い。あなたに触れる事の幸せを噛み締める。

 

 けれど。

 けれど、まだ足りない。

 どれだけ逃げても現実は変わらない。1週間後には2人は引き離される運命にある。

 だったら──!

 

 両手を頭から喉仏へとなぞるように移す。インドア気質のあなたらしい、白い首筋を包んで──軽く締め付けた。決して痕は残さないよう、細心の注意を払ってじわじわと力を加える。

 

「こんな事して許されるなんて思ってない。でも──」

 

 ──怖いの。

 ポツリと漏れた本音を無かった事にして、あなたの感触を馴染ませる。

 我ながら猟奇的な趣味だと思う。

 まさか自分が恋人の首を絞めて喜ぶ人間だとは、3年前まで思いもしなかった。だけど、こうでもしないと自分でいられなかった。あなたの健康を、生活を、五感全てで感じて初めて心の底から安心出来る。

 そんな異常性に気付いてしまえば後は早かった。気が付けば、あなたの首を緩やかに締め付ける事が私の日常になっていた。

 

「ふふ……」

 

 少し強くして、また緩めて。

 呼吸が乱れる度に背筋がゾクゾクする。

 あなたが生きている。あなたが呼吸をしている。その事実を何度でも手のひらに塗り込む。

 そしてあなたが私に言えない戦いを続けている現実も、改めて認識する。

 蕩けた思考が救いの無い寝室に引き戻される。

 

「ごめんなさい」

 

 何度謝っても私の罪が晴れる事は無い。

 バーテックスが襲来した「あの日」、私があなたの側にいればこんな事にはならなかった。

 あなたの苦しみに気付けていればこんな事にはならなかった。

 全ては過去の事で、何もかもが遅すぎた。

 

「私、は……あなたの優しさに、つけ込んで……」

 

 声が潤む。首にかけた手に力が篭る。

 聞く人がいない懺悔に何の意味も無いと分かっていても、止められなかった。

 むしろ誰も聞いていないからこそ、自分の醜い部分を吐き出せるのかもしれない。

 羞恥を捨て、あなたにすがって言葉を紡ぐ。

 

「……付け込んで、何も返せなかった」

 

 そう、私はあなたの優しさに付け込んだのだ。

 私はあなたから沢山貰った。

 手作りの料理。一緒に遊ぶゲームの楽しさ。繋いだ手の温かさ。全部全部、あなたがくれた物だった。

 すっからかんの私の心に、あなたが愛を注いでくれた。燃料切れの「郡千景」と言うロボットを、人間に作り替えてくれた。

 告白してくれたあの日から、あなたが私の生きる意味になった。

 

 だけど、私はあなたに何をあげられたのだろうか。支えになれただろうか。

 ずっと甘えてきた。3年前から、そして今もあなたの優しさに浸り続けている。満たされている筈なのに、もっともっとと求め続けている。

 不思議だった。他の人と比べて明らかにおかしいって分かっているのに、全く止められなかった。

その内に疑問に思う事もなくなって薬物依存者みたいに考える事を放棄していたけど、ようやくその理由が分かった。

 

「だって、壊れてしまったから」

 

 あなたに告白されたあの日、私の心は壊れてしまったのだ。

 ロボットになりきる事で何とか保ってきた「私」は、人間になる過程で1度バラバラに砕け散り、あなたの愛を接着剤にして作り替えられた。

 でも、私は「底」を何処かに失くしてしまったらしい。

 どれだけ注がれても、底が抜けているなら意味が無い。

 そうして無意味に流れ落ちるあなたの愛を、私は自分の愛だと錯覚していた。

 私はあなたに愛を与えられたと思っていたけど、実際はあなたのそれを掬って、飲み干してその気になっているだけだ。

 

「きっと、私に出会ってしまったのがあなたの不幸」

 

 私じゃなかったらこんな事にはならなかった。

 高嶋さんだったら、笑顔の絶えない素敵な関係が築けただろう。

 乃木さんだったら、互いに誠実なパートナーになっただろう。

 土居さんや伊予島さんでも、きっと──

 

「でも、あなたの隣にいるのは私」

 

 私はこの現実以外認めない。

 今更愛を捨ててロボットに戻るなんて、そんなの許容出来る訳がない。

 もう『あの頃』には戻れない。

 私もあなたも、腐臭と思い出が詰まったあの村から離れてしまった。想像以上に遠くに来てしまったのだ。

 

「あなたの隣にいて良いのは私だけ」

 

 あなたと私自身に呪詛を唱える。

 あなたの温もりを知ってしまった。

 あなたの優しさを知ってしまった。

 だからどれ程浅はかでも、短絡的でも、愚かでもこの沼に沈み続けたい。

 

 

 

「あなたの」愛で、窒息したい────。

 

 

 

■■■

 

 

 

 遠征の日、いつも通り「一番乗り」を目指して瀬戸大橋記念公園へとやって来た土居球子は、自らの判断を呪う事となった。

 

「んん?また若葉が一番乗り……って千景?」

 

「おはよう。土居さん」

 

 千景だった。

 集合とあれば時間ギリギリに来る事が多い千景が、この日に限って誰よりも早かった。

 そして──異様だった。

 緩慢な動きで球子の方に向いた千景は、酷く歪んだ微笑を浮かべている。

 

「な、なあ」

 

「……何?」

 

「大丈夫なのか?」

 

 髪は一切手入れをしていないのか艶を失い、目元には隈が出来ていた。

 まるで徹夜でもしたかのような様相で、しかし瞳だけは暗い情念を宿している。

 球子は言葉にし難い恐怖を感じた。

 これは千景じゃない。千景の皮を被った『何か』だ、と思わずにはいられなかった。

 

「大丈夫よ。ええ、私は大丈夫──」

 

「ち、千景……?」

 

「土居さん、私は大丈夫。誰が、なんと言おうと、大丈夫よ」

 

「ひ──」

 

 悲鳴を漏らした球子を他所に、千景は「大丈夫」と呟き続けた。

 機械のように。

 ロボットのように。

 




ひょっとしたら加筆するかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

僕とどうしようもない話

『勇者様と巫女様による調査の結果、諏訪地域の無事が確認されました────』

 

「……どこまで本当なんだか」

 

 調子の良い言葉を垂れ流し続けるテレビから目を背け、1人の食卓に着く。

 ありとあらゆる情報媒体で喧伝される「事実」。

 そこに脚色はあるだろうが、きっと全部が嘘じゃない。人々が四国に閉じ込められても希望を失わないのは、他の地域も奮闘していると信じているからだ。そうじゃなければ千景達の戦いは全部無意味になってしまう訳で、僕もそれを信じるしかない。

 もし嘘だったら勇者も、四国の人達も、皆報われない。あまりに救いが無さすぎる。

 

「会いたいなぁ……」

 

 寂しかった。まさかほんの何日か千景がいないだけで、こんなに1人である事への恐怖を感じるとは思いもしなかった。

 千景と勇者達が諏訪の調査から戻ってきたのは2日程前の事だが、未だ会話すら出来ていない。

 どうも持ち帰った情報は大気の状態や残存人類の調査等多岐にわたるため、勇者達は揃って大社に缶詰めらしい。

 仕方無いとは思うが感情が納得するかと言えばそれはまた別の話で、僕は行き場の無い苛立ちを燻らせたままテレビと睨み合っていた。

 

「どうなるんだろ、四国」

 

 そうだ。

 四国はこれからどうなるんだ。

 生活必需品の生産が四国内だけで賄える訳ないし、備蓄だってどれくらい保つのか分からない。

 神樹様の加護とやらで守られているからと言って、いつまでも守勢に徹するのは無理な話だ。

 それに、打開の目処が立たなければ人々の不満が溜まる。既に3年分の「それ」があるのだから、いつ爆発したっておかしくない。表面上は穏やかでも、破滅はすぐそこまで近付いているに違いない。

 もし人類が自らの手で終止符を打つ事になったら、それ以上に間抜けな終わり方は無いだろう。

 これまた誰も報われない。

 

「──負けないだろ」

 

 ──?

 いや、おかしいな。

 どうして僕は()()()()()()を前提にしてるんだ。

 諏訪は無事だってテレビでは言っていた。千景達も必死になって戦っている。なのにどうしてこんな馬鹿げた事を考えているんだ。

 勇者は勝ち、バーテックスは消える。これが僕達の未来の筈だ。

 

「四国は負けない。絶対に負けない」

 

 そうだ。負けるもんか。

 現に3年間四国は戦ってきたじゃないか。これからだってやっていけるさ。

 何を卑屈になっているんだ僕は。()()()()()()悪い癖だ。

 すぐネガティブな思考に陥って、馬鹿みたいに震えるだけになるなんてカッコ悪いにも程がある。

 

「千景は負けない。何があっても、千景だけは負ける筈が無い」

 

 そうだ。千景が負けるだなんて、そんなふざけた事を一瞬でも考えた自分が恥ずかしい。冗談でも性質が悪すぎる。

 付き合ってるんだろ?

 彼氏なんだろ?

 だったら彼女を信じなくてどうするんだよ。

 でも。

 でも────

 

「……僕は、勝てる?」

 

 他の誰が勝てても、僕は勝てないんじゃないのか。

 最初ステージ1だった天恐は、去年ステージ2に悪化した。いくら薬で抑え込んでも、ただそこにあるだけの「空」が怖い。

 皆が前に進んでいるのに、僕は後退していた。

 

「……僕は、勝てない?」

 

 神樹様が健在の限りバーテックスが降ってくるなんて有り得ないのに、想像するだけで吐きそうになる。

 父さんや母さんがそうだったように、千景も食い殺されるんじゃないのか。

 想像するだけで怖気が走った。

 千景が、アイツらに。

 母さんみたいに、内臓をぶちまけて──?

 

「……僕は、負ける?」

 

 僕だけ千景を信じられない?

「あなたがいるなら負けない」って、千景は言った。確かに言った。

 言ったのに、なんで僕は信じられないんだ。

 どうして。おかしい。そんな筈は無い。

 そんなの僕じゃない。僕は千景を信じられる。()()()()()()()()()。そうじゃなかったら僕が此処にいる意味が無い。

 

「僕じゃない……!こんなの僕じゃない……!」

 

 気が付けば薬瓶を手に取っていた。

 薬があれば、すぐに落ち着く。

 普段の僕に戻れる。千景を信じられる自分に戻れるんだ。

 なのに、なのに────

 

「ち、畜生……!こんな時に……!」

 

 手の震えが止まらない。

 上手く力が入らなくて、瓶の蓋すら開けられない。畜生。なんで肝心な時に僕の体はマトモに動かないんだ。

 どれだけ自分を詰っても、蓋を上手く開けられない。それどころか瓶そのものを取り落としてしまう。

 

「僕、は!っ負けたく、ない!嫌だ!うぅ……嫌だぁ!」

 

 白熱した頭が思考を奪って、呼吸のリズムすらおかしくする。

 過呼吸だ、と脳で理解していても「正しい自分」に戻れない。

 早く、はやく薬をのまないと。

 

「嫌、だ。嫌だ嫌だ嫌だ!いやだぁ……いやだよぉ……!」

 

 苦しくて。

 どんどん、弱くなって。

 なのに蓋は開かなくて。

 視界がぐらぐらして、気持ちわるい。

 ちがう。もっと、もっと大切なことがあるはずなのに何をしてるんだ。

 

「……?」

 

 あれ?おかしいな。

 なんで床に寝っ転がってるんだ。

 これじゃあ風邪引いちゃうよな。

 千景にも迷惑をかけてしまう。

 そうだ、千景だ。

 こんな所で寝てる場合じゃない。早く起きないと。

 でも、なんだか、とっても眠くて────

 

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

「────あ」

 

「……起きたのね」

 

 焦げ茶色の瞳が此方を覗き込んでいた。

 普段通りの、憂いを湛えた優しい千景の瞳だった。

 

 ……あれ?どうしてベッドで寝てるんだっけか。

 確か今日は千景が四国に戻ってきて2日目で、テレビを見ていて、それで────それで?

 

「えっと……」

 

「あなた、リビングで倒れてたのよ。私がいなかったらどうなってたか……」

 

 そうだった。

 パニックになって倒れたんだった。

 だとすれば千景がベッドまで運んでくれた訳か。

 勇者の勤めで疲れているだろうに、千景に手間をかけさせるとは情けない。

 

「ごめんね。迷惑掛けたでしょ」

 

「……別に。それより、この瓶なんだけど」

 

「それは──」

 

「薬よね、天恐の」

 

 反論を許さない、固い口調だった。

 言い訳なんて聞きたくない、と言いたいんだろう。

 まあ確かに彼氏がこんな隠し事をしていれば責めたくなるのも当然か。

 

「知ってたんだ」

 

「ええ、もちろん。私はあなたの事なら大体知ってるつもりよ」

 

「そっか……」

 

 僕程度の浅知恵はお見通しらしい。

 だとすれば、ずっと知ってて知らない振りをしてくれてた事になる。

 ……すっごい申し訳ないなぁ。

 

「ごめんね、強がりに付き合わせちゃって」

 

「……私は嬉しかったわ。3年前から、私1人の為に戦ってくれるのはあなただけだから」

 

 100人中99人に馬鹿にされても、君が肯定してくれるならきっとそれが正解だ。こうして君が喜んでくれたなら、僕の自滅行為も少しは報われた気がする。

 これなら、もう一踏ん張りやれるかな。

 

「ならさ。ついでにもうちょっとの間見なかった振りしててくれない?」

 

「それは嫌。このままじゃあなたが保たない」

 

「だけど──!」

 

「もっと自分の事を考えて。私はこれ以上弱ったあなたを見たくないの」

 

 取り付く島も無い、直球で適切な拒否が返ってきた。

 確かに、誰がどう見たって千景の方が正しい。君は心の底から僕の心身を案じてくれている。

 だけど、僕にも意地がある。出来る事なんて殆ど無いと思うけど、何もせずに見ているだけなのは嫌だ。

 

「諏訪の勇者と力を合わせればバーテックスも殲滅出来るって大社の人から聞いたんだ。そしたらこの狭っ苦しい四国から出て、何処へでも好きな所に行けるようになる。千景がアイツら(両親)に縛られる必要も無くなる。そうだよな?」

 

「──」

 

「つまり後もうちょっとじゃないか!だったら僕がへばる訳にはいかないだろ。頼むから、支えさせてくれよ──!」

 

 何も出来ないのは、3年前を思い出すから嫌だ。

 千景が虐められている時も、バーテックスが襲ってきた時も僕はずっと無力だった。ただ逃げ惑って、震えているだけだった。

 だから、「ただそこにいる」のが堪らなく怖い。

 

 そしてそれ以上に、千景に何もしてやれないのがもっと怖い。

 ずっと痛みに耐えていた。生まれてからずっと誰にも愛されていなかった。

 もう一生分苦しんだのに、まだ勇者の過酷な使命に耐え続けている。

 それを見ていて、否定しようとして、なのに何も出来ないのが何より許せない。

 

「それとも、千景は僕を信じられないの……?」

 

「いいえ、それだけは有り得ない」

 

 即答だった。一瞬の迷いすらなかった。だけど千景は泣きそうな表情をしていて、深い諦感を茶色の瞳に浮かべていた。

 ……何でだ。やっと勝ち目が見えてきたのに、どうしてそんな顔を──

 

「──けど、けどもう無意味なの。私達の戦いは全部無駄だったの」

 

 

 

 

 

 

 

 

「────諏訪は壊滅したわ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と慚愧の話

たった1つ譲れない大切なモノがあるとして、それを自らの手で傷付けてしまったら、と言う話。

※少しグロテスクな表現があります。


 僕の朝は早い。

 例え四国の外が壊滅しようがバーテックスが跳梁跋扈しようが、午前5時には起床し着替えを終えた上でキッチンに立つ。

 それが己に課した使命なのだ。

 

「昨日の残り何があったっけか……」

 

 脳内で献立を組み立てつつ、無地のエプロンを着用し石鹸を用いて念入りに手を洗う。

 清潔であるのは料理に於いて何より重要だ。例え僅かな埃でも、混入すれば料理の品格を落とし、食事の楽しみを潰す。

 故に身嗜みを整え、衛生環境を整える。僕の数少ない拘りだった。

 

「……クソが」

 

 冷蔵庫の中身を物色し、その悲惨さに思わず罵倒が漏れた。

 

(いくら昨日()()()()があったからって、作り置きし忘れるとか……!)

 

 そう、無いのだ。

 昨日余分に作った筈の、なすの煮浸しが無い。煮卵も唐揚げも、何も入っていなかった。

()()()()を上手く受け止められない内に、誤って棄ててしまったのだろう。

 失策だった。普通はこんな事しないだろう。それだけ千景の話は衝撃的だったのだ。

 

「もう四国(ここ)以外に人間、残ってないんだよな」

 

 口に出してみて、改めて絶望を直視する。

 千景が語る所によれば、既に諏訪は壊滅していたらしい。街にはバーテックスの卵が産み付けられ、生存者の痕跡も発見出来なかった。

 もはや打つ手無し。万策尽きたのだと、千景はそう言って泣いていた。

 

 やるせない、とはこう言う事なのだろうか。

 この3年間に意味は無かった。千景の戦いも、勇者の戦いも、何もかも。

 千景は見た。そして絶望した。

 徹底的に破壊された建築物を。食い尽くされ骨の山となった人々を。諏訪に遺された勇者の遺品と植物の種を。

 結界外で見た地獄が脳内にこびりついて離れないのだと言う。

 

『次は私達が()()()()のかしら』

 

『え……?』

 

『私もあなたも、忌々しいバーテックスの餌食になるしかない……!』

 

 震える声でそう告げた千景に、何も言葉を掛けてやる事が出来なかった。

 ただ千景が落ち着くのを待って夕飯を食べさせて、寝かし付けた。千景の慟哭があまりに切実だったから頭が冷えただけで、本当は僕も混乱していた。

 千景はちょっと口下手で、独りを好む難しいヤツだけど決して折れない人間だ。「耐える」事に関しては誰よりも強い彼女があれほど取り乱していたのならば、僕が思っていた以上に人類は行き詰まっているらしい。

 そんな訳で兎に角千景を落ち着かせる事だけを優先した結果、誤って全部廃棄してしまったようだ。我ながら情けない。

 

 ──やっぱり打つ手なし、かな。

 

 手作り弁当が何の役に立つのか。飾り立てた偽りの激励が何の役に立つのか。今勇者達に必要なのは気力を奮い立たせる希望なのに、僕は何一つ与える事が出来ない。

 改めて、自らの無力さを痛感した一夜だった。

 しかしどれだけ無力だとしても、止まる事だけは許されない。一瞬一瞬に全てを懸けて、自分に出来る事が何なのか。四国に生きる全ての人類はそれを考えなければいけない。

 それが僕達の使命だ。諏訪から、沖縄から、旭川から引き継いだバトンなんだ。彼ら彼女らの献身に背く事だけはあってはならない。

 

「……良し」

 

 例えそれが朝食の余り物を弁当に流用する事だとしても、だ。

 綺麗に風呂敷で包まれた弁当箱に達成感を抱きつつ壁掛け時計を見れば、丁度6時を指し示している。

 そろそろ、千景が起きてくる頃だろう。彼女はどれだけ夜更かしをしても時間には間に合わせる。

 そう言う人間だって、僕は思ってた。

 

 

 

 ──思って、いたんだ。

 事態は想像よりずっと深刻だった。千景が幾ら我慢強い子だからと言って、何時までだって耐えられる訳じゃないのに。

 「千景ならきっと大丈夫」。そんな思い込みが彼女を追い詰めるだなんて、能天気な僕は思いもしなかったんだ。

 

 

 

■■■

 

 

 

「──て」

 

 誰かが、布団を揺さぶっている。

 一体誰だろう。いや、別に誰でも良い。

 誰でも良いけど私の睡眠を、現実逃避を妨げないで欲しい。

 

「千──きて」

 

 布団を被っている間は辛い現実を直視せずにいられる。人1人が背負うには重すぎる荷物を降ろしたままでいられる。

 諏訪の壊滅はあまりに衝撃的な事実だった。四国の人々が逆転の芽を信じたのも、勇者達の心の支えだったのも諏訪が健在だったからこそだ。

「他の人達も苦しい思いをしているし、互いに励まし合えば頑張れる」

 そう思い込んで来たから、皆3年間もやってこれた。安易な逃げに走らず、苦難に満ちた今日を生きる決意を固められたのだ。

 

 ──その結果がこれ?

 

 白鳥歌野。諏訪唯一の勇者はバーテックスに敗れた。住民は1人残らず食い尽くされて、遺されたのは鍬と野菜の種だけだった。

 私達(四国)にバトンを繋いだから勝ち?

 馬鹿馬鹿しい。生き残らなければ、大切な人を守り抜けなければそれは負けだ。

 

「千景!お──て!」

 

 沖縄、旭川、そして諏訪。皆死力を尽くして戦ったのに、報われる事は無かった。次は四国(私達)の番に違いない。私を含めて5人の勇者がいるから何なのか。

 私も、高嶋さんも、皆死ぬ。当然だけどあなたも死ぬ。

 この3年間で得た全てを喪って、生きた証の1つも残せずに消えるしかないのだろう。

 行き場の無い怒りと諦念がドロドロと渦を巻く。

 

 ──何も無い私に希望を与えて、後からそれを奪うのがそんなに楽しいか。

 

 私を勇者としての役目に縛り付ける神樹に、祈ろうとは思わない。

 だけど、もし本当に「神様」がいるのだったら教えて欲しい。

 

 

 

 ──どうして私は生まれてきたの?

 

 

 

「──あ」

 

 パチリ、とまるで映像が切り替わったかのような突拍子さを伴って私は目を覚ました。

 

「あ、やっと起きたんだ。もう7時半だよ?」

 

「え?……そう」

 

 心配そうな表情をしたあなたが、私を覗き込んでいる。

 当然の事だった。まだ遠征から戻ってきて2日しか経っていないし、バーテックス襲来に関する神託は無い。

 あなたが死ぬなんて、そんな事ある筈がなかった。

 

「ひょっとして体調悪いの?それなら連絡しておこうか」

 

「……別に、平気」

 

「なら良いんだけど。寝坊なんて珍しいね」

 

「私だって、それくらいするわ。……諏訪まで行ってきた訳だし」

 

「……そっか」

 

 しまった、と思った時にはもう遅かった。口を衝いて出たのは想像以上に棘のある言葉で、表情を歪ませるには充分過ぎる一撃だった。

 ただ心配してくれただけなのに、あなたを責めたって何の意味も無い。

 しかも虫の居所の悪さを恋人にぶつけるなんて、控え目に言っても最低だ。

 だと言うのに──

 

「あなたは、まだ諦めないの?」

 

「……うん。まだ出来る事があるって、信じたい」

 

「バーテックスと戦うのは私で、あなたじゃないのに?」

 

「そう、だね。応援する事しか出来ないけど……」

 

 卑怯だ、と私自身も感じている。

 そもそもからして、私とあなたでは戦場が違う。私があなたの苦しみを背負う事は出来ないし、あなたも私の使命を代わる事は出来ない。

 自分に出来る事をする。

 そうしなければ腐って死んでいくだけなのだから、全く以てその通りだ。

 なのに、何故か湧き上がる苛立ちを抑えられない。

 

「シャワー、浴びてくるわ」

 

「ああ、うん……」

 

 1度スッキリすれば、このネガティブ思考からも離れられるはず。

 苦しげな表情をしたあなたの横を通り抜けて、バスルームへと足を向けた。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 食卓を重い沈黙が支配する。

 結論から言ってしまえば、シャワーを浴びても何も変わらなかった。

 正体不明、解説不能の苛立ちは鎮火するどころかむしろ勢いを増し、些細な事にすら怒鳴り散らしたくなってしまう。

 今だって、ほら──

 

「ぁ、ごめん」

 

「……別に」

 

 対面のあなたは、視線が合っただけで縮こまってしまう。

 悪いのは私だ。自分の感情を処理出来ずに嫌な雰囲気をばらまいている私が全部悪い。

 だから()()()()()()()()()()()()()腹が立つ。

 バーテックスが襲ってきたあの日と同じだ。

 

「最近、どうなの?」

 

「何が?」

 

「だから、他の勇者と上手くやれてるのかって」

 

「……何が、言いたいの?」

 

 「故郷の人達」は私が勇者に選ばれた途端に媚び諂った。「その日」の朝まで私を人間としてすら見ていなかった癖に、夜には畏れていた。崇めて、祭り上げて、神格化した。

 いっそ清々しい位の手のひら返しに当時は困惑したものだが──

 

「他意なんてあるもんか!勇者はチームで戦うものって言ったのは千景だろ!心配しちゃいけないのかよ……!」

 

「……ふぅん」

 

 馬鹿らしい。

 私は私だ。郡千景以上に成れはしないし、それ以下に落ちる事も無い。

 私が見て欲しいのはありのままの「自分」だ。

 表情だとか、言葉だとか、上っ面だけ読み取って、それで何の意味がある。

 大事なのは心。

 私とあなたの意思が疎通出来ている事。私とあなたが向き合って見つめ合う事。それだけが大切なのに。

 

 そう、あなたは私をしっかりと見ていれば良い。

 あなたに隠す事なんて何も無い。

 刻まれた傷も、痛め付けられた心も、あなたになら全て見て欲しい。

 なのに、あなたは彼らと同じように顔色を伺っている。私の機嫌を損ねないか、私が誰かに危害を加えないか。

 そんな表面的な情報じゃなくて「私」を見て。

 「私」だけを見て。

 「私」以外を見ないで。

 

「ふ、ふふ……」

 

「千景……?」

 

 ふと気付いたら、あなたの頬に両手を添えていた。顔を此方に向けさせ、そのままがっちりと固定する。

 あなたの黒い瞳を覗き込む。

 「私」の目を見て。

 「私」の心を見て。

 奥底まで、隅から隅まで全部見て。

 「私」もあなたを見るから。

 「私」があなたを守るから。

 

「……本当に、綺麗な瞳」

 

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 1面に赤い花が咲き誇る。

 彼岸花の絨毯に、あなたと私の2人だけ。

 

「……本当に、いいの?」

 

 掌のそれを見つめながら、私は彼に問うた。

 蛋白石(オパール)、と言ったっけ。

 表面に私の顔が写る程の光沢を湛えたそれを、彼は一言の挨拶も無しに、そっけなく私に贈ってくれた。

 

 正直、少しむっと思う気持ちが無いわけではなかったけれど。

 そんなの比にならないくらいに、ただただとても、嬉しかった。

 だってこれはあなたから貰った、2度目のカタチあるプレゼント。

 イヤーマフの次がコレなんて、一足飛びにも程がある。

 そんな不意打ちを食らったら、こちらは泣くしかない。

 掌が滑る程泣くなんて、流石に自分でも引いてしまう。

 彼も変わらず無言のままで、きっと困っているのだろう。

 大丈夫、もう、泣き止むから。

 

「……ふふ、ごめんなさい。少し、幸せ過ぎたみたい」

 

 ほら、やっぱり心配そうな顔してる。

 いつだってあなたの態度は変わらない。

 私もあなたも充分過ぎる位頑張った。

 だからもう休んでいい筈なのに、いつも気を揉み過ぎるのだ。

 原因は私のせいだ、そんな事は分かっている。

 でもだからこそ、これからは私があなたを助けなくっちゃ。

 これが手元にあるって事は、きっとあなたもそんな未来を望んでくれてる筈だから。

 

「ねえ、これ、嵌めてもいい?」

 

 あなたは静かに頷いた。

 私はそれを見届けると、一呼吸置いて左手を開く。

 ああ、私の人生に、こんな瞬間が来るなんて。

 「神様」とやら、ごめんなさい。

 あの質問は撤回します。

 だって答えは、もう出てたもの。

 この薬指の輝きが、私が生きる意味の証。

 

「本当に、本当にありがとう。私今、とってもしあわ───」

 

 ぼとり。

 左足の甲の上に、何かが落ちる感触がした。

 すぐに下を見てみれば、白い「何か」が紅い床に転がっていた。

 拾い上げてみると、それは異常に柔らかく、不快な感触が手から伝わる。

 私は顔を顰めながらもソレの正体を確かめようと、近くに持ってきたのだが───

 

 次の瞬間、()()と目があってしまった。

 

 息をのみ後ずさる私。

 手から溢れ落ちる目玉。

 何か。何か異常な事が起こっている。

 早くあなたを連れて逃げないと。助けると、そう決めたばかりなのに。

 咄嗟に辺りを見渡すが、あなたの姿はどこにもない。

 ついさっきまですぐそこに、確かに立っていた筈なのに!

 

「う、あ……!」

 

 声にならない悲鳴と共に駆け出そうとして、私はすぐにつまづいた。

 肘から顔まですっかり濡れて、手を床に着くのもままならない。

 なんでこんなに滑るのよ、そう叫ぼうとした矢先、私はふと気がついた。

 

 確か床の色は、こんな暗い赤じゃなかったような。

 

 血の気が引く。

 息が苦しい。

 彼は今どこ?

 分かりきったその答えに、気づかないフリをしたかった。

 でも世界はいつだって、私にそれを許してくれない。

 

「……ち……かげ……」

 

 足下から、あなたの濁った呻き声が聞こえる。

 嘘だ、信じたくない。だけどこれは現実だ。

 もはや見るまでもない。

 この惨劇の首謀者は。

 彼を傷つけ足蹴にしたのは。

 彼から目玉(指輪)を受け取ったのは。

 

 他でもない、この私だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

乃木若葉と慚愧の話

※原作の3倍位大社が酷いです。
※千景が原作とは真反対の主張をするシーンがあります。


 「如何なる経緯で凶行に走ったのか」

 「何故『彼』を傷付けたのか」

千景の心が壊れる可能性を承知でそれらを問い質すと、大社の神官は言った。

 

原因が分からなければ、勇者には復帰させられない。

たった5人しかいない勇者が戦場で同士討ちなど冗談では済まない。

 「切り札」の弊害が引き起こした可能性が排除出来ない以上、1人「潰して」でも原因究明を優先するのが当然だ、と。

そう言ったのだ。

 

理解出来なかった。

納得出来なかった。

何故そんな冷酷な事が言えるのか。

何故千景を人として扱いすらしないのか。

激昂して、掴みかかって、だけどそれまでだった。

 

『何か?』

 

『何か、だと……!?』

 

神官は私を見ていなかった。

勇者(わたし)を見ていても、乃木若葉(わたし)は見ていなかった。

四国を守る為だったら勇者も道具として使い潰す。そういう意思が無機質な瞳から透けて見えた。

いつから「そう」扱われていたのか。

或いは最初から「そう」だったのか。

どちらにせよ今ハッキリしているのは、()()()()に千景を任せたら躊躇なく尋問するだろう、と言う事だ。根拠など無いが、確信めいた予感があった。

既に崩壊しかかっている友人(千景)の自我を完膚無きまでに叩き壊して、その対価として勇者システムを強化する。

そんな行為受け入れられる訳がない。是が非でも防がねばならないのだ。

だから──

 

 

 

■■■

 

 

 

「千景──」

 

昏い、夕暮れの光が射し込む部屋で乃木若葉(わたし)は千景と相対していた。

千景が彼女の自室に軟禁される生活が始まって、今日で3日になる。

変身用の端末も大葉刈も没収されたその影は、私が思っていたよりずっと小さかった。

勇者と言う重い責務を降ろした、等身大の千景だった。

 

「元気か?」

 

「そう見える?」

 

鈍った思考から絞り出した渾身の挨拶は、冷めた目で私を見据える千景によってにべもなく切り捨てられた。

 

「……いや、すまない」

 

「別に謝らなくても良いわ。で、何の用?」

 

「千景の凶行は切り札(精霊)を使用した弊害の可能性があるから、現在処分は保留されている」

 

「……それで?」

 

「結果は聴取の内容次第で決まるんだ。もし千景が勇者に復帰したいのなら、包み隠さず正直に答えて欲しい」

 

私には時間も、対策を考える余裕も残されていなかった。

神官による、聴取の名を借りた尋問を止めるならこのタイミングしかなかったのだ。

ひなたか、もしくは杏であれば何か良い案が出たに違いない。

乃木若葉(わたし)が尋問を担当する事だって、無い筈だったのだ。

 

「正直に答えたって……勇者に戻れるとは思えないわ。その気も無いし」

 

「何故だ」

 

「……何故?あなた分からないの?」

 

心底不思議そうに千景は言った。

何故。何故だと?

 「不幸な事故」の可能性がある。戦力を減らす理由もない。

そして他ならぬ大社が()()()()()()()勇者として復帰させる用意がある、と宣言しているのだ。

そこまで知りながら何故そう思うのか、逆に聞きたい位だ。

 

「あなたは何故『彼』が私達と同じ宿舎で生活出来たか知ってる?」

 

「それが何か──」

 

「答えて」

 

私達勇者は、親族を含む一切の同居を許されていない。しかし何故か「彼」だけはそれを許されていた。

 

──何故?

 

明確な答えは、何も出てこなかった。

そうだ。おかしいのだ。

親族ではない。大社の関係者でもない。況してや勇者等ではありもしない「彼」が何故当然のように此処にいたのか。

その答えを千景は知っている。

そして何もかも知っているからこそ、諦観しているのだ。

ただぼんやりと窓の外を眺めて、暗橙色の光に身を任せている。

 

「人質よ」

 

「人質、だと?」

 

唐突に、思いもよらない言葉が千景から放たれた。

人質?彼が。

誰の?千景の。

ゆっくりと言葉の意味を咀嚼して、飲み込んで、そしてようやく理解する。

 

「まさか!大社がそんな事する筈──」

 

「なら説明出来るの?」

 

「ぐ……!」

 

私の知る大社の職員は皆「善い人」だった。

ひなたも、安芸さんも、他の人だってそうだ。

非情に徹する事はあるだろう。

綺麗事だけで四国の全てを統制きれる等とは私も思っていなかった。

だが非道に手を染める事はないと、そう信じていた。

なのに、これでは────

 

「大社は最初から私の不安定さを見抜いていた。協調性の欠如、劣悪な家庭環境、故郷で行われていた愚行、何もかも」

 

初耳だった。

普段の様子から「何か」あるのだろう、とは思っていたが千景に巣食う物は想像以上に根深いらしい。

 

「例え訓練させても勇者として戦う事を拒むかもしれない。ストレスに耐えかねて問題を起こすかもしれない。そんな見えている地雷を無力化する為に、大社は『彼』を選んだ」

 

「大社は『彼』を手元に置きつつ、いざと言うときに私への脅しに使うつもりだったんでしょう。『言う事を聞かなかったらコイツがどうなるか分かっているんだろうな?』って」

 

笑えば良いのか、泣けば良いのか。

最早どんな顔をしてこの話を聞けば良いのかすら分からない。

ただ途方に暮れたまま独白を受け止めるばかりで、肯定も反論も出来やしない。

 

「実際効果は絶大だったわ。身近に大切な存在があって、それが脅かされているとすればどんな怠け者でも服従せざるを得ない」

 

もう無理だ、と悟った。

全て投げ出して、妄想に逃避してしまいたいとさえ思った。

何も気付けなかった。「千景の事を良く見ておいて欲しい」と言う「彼」との約束など何1つ果たせていないのだ。

消えてなくなってしまいたかった。

 

「そして当の人質は何を言われずとも勝手に爆弾(わたし)のメンテナンスをやってくれるオマケ付き」

 

勇者であれば強い精神(こころ)が身に付く。理由もなく、ただ漠然とそんな風に思っていた。

だが違う。そんな都合の良い事がある訳がない。

私も民衆と同様に無力だった。

今日の理不尽に咽び泣き、明日に救いを求めて止まぬ1人の人間だったのだ。

こうして言い訳の理由を探さなければ自分を失ってしまいそうな位、現実は苛酷だった。

 

「要するに『彼』に期待された役目は精神安定剤────」

 

 

 

「兼、人質」

 

斜陽に照らされた千景は、悔しげに顔を歪めていた。

それは屈しかけた表情だった。

諦めたくないけど()()()()()()()()()、ギリギリのラインで踏み留まっている人間の苦しみだった。

しかしそれは同時に泣いているようにも見えて、私も俯くしかなかった。

この3年間、千景が泣いた所を見た事が無かった。どんなに苦しい時も、辛い時も、千景はただ耐え続けた。

きっと、千景の涙はもう枯れ果てているのだ。この残酷過ぎる世界を生きるには不必要な機能を、当人すら知らぬ内に削ぎ落としてしまったのだろう。

だから心で泣くしかない。自分の罪を、救いのない現状を、全てを嘆いて涙の沼に沈んでいるのだ。

 

「ハッキリ言って反吐が出るわ。ただ今日を生きているだけの『彼』に不条理な役目を押し付けて、しかも当人はそれを知らないときた」

 

「でも、もう終わり。人質が機能するのは、私が『彼』に危害を加えない前提があればこそ。それが崩れれば──」

 

「大社は千景を切り捨てる、と言う事か」

 

「そうね」

 

笑顔と共に千景は肯定した。

最早勇者などどうでも良い、とすら言い出しそうな位なげやりな、憑き物の落ちた笑みだった。

それを見て、私は初めて千景の真意を垣間見た気がした。

 

千景は勇者になどなりたくなかったのだ。

ただ愛する人と2人きりで、停滞する日常を寄り添って生きていられれば、それで良かったのだろう。

なのに世界がそれを許さなかった。頼みもしないのに背負わされた義務と責任(勇者)は、彼女を取り返しの付かないレベルまで歪めてしまった。

千景から「彼」を奪い、平穏を奪い、生きる意味を奪い去ったその罪は重い。

そして──

 

 

 

「私も同罪だな……」

 

それは勇者のリーダーである私とて例外ではないのだ。

 

 

■■■

 

 

 

同時刻、大社が所有する病院の非常階段にて、不退転の決意を持った少年少女が睨み合っていた。

 

「退いてよ、友奈」

 

「ううん、退かない。何があっても、絶対に」

 

 「彼」には会わなければいけない少女がいた。

己の行いに絶望し、全てを諦めようとしている少女の手をしかと握ってやらねばならぬと、その為なら友人に手を上げる覚悟すら決めているのだ。

 

「今行かなきゃいけないんだ。千景を1人にしておける訳ないって、友奈だって分かるだろ……!」

 

「分かるよ!分かるけど、今は自分の体を大事にしなきゃダメだよ……!」

 

それは友奈も同じだった。

己の状態を省みず、全てを擲って走り出さんとする少年を止めねばならぬと、その為なら勇者の力をも行使する覚悟を決めているのだ。

 

「お医者さんにも安静にするようにって言われてたよね。今からでも全然遅くないから、ね──?」

 

「そんな場合じゃないんだ!千景が、千景が──!」

 

思い遣るから、優しさがすれ違うのか。

最初から平行線だから、譲り合う余地が無いのか。

そんな事誰にも分からない。しかしこの場に於いて分かっているのは──

 

「──もう良い!何が何でも押し通るからな!」

 

「絶対に、通さないから──!」

 

 

 

 

 

どちらにしてもあまりに不毛な喧嘩である、という事だけだった。




次回、「郡千景と勇者の話(上)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と勇者の話(上)

お久し振りです。


 

「やっぱり、切り札を過剰に使用したのが原因と見て間違いない……と思う」

「そっかぁ……」

 

 マジか、と空虚な呟きが本の山脈を通り抜ける。

「ひょっとしたら」程度の発想に裏付けが取れてしまった、そんな状況に対して土居球子が出来たのは曖昧な表情で佇む事だけだった。

 

『ゲーム的には切り札って代償がツキモノなんじゃねーの?大丈夫か?』

 

 調査遠征から帰還した直後に球子が発した、この言葉が全ての発端である。

 それは調査遠征以前から「切り札」を頻繁に使用する千景に対して、球子が言い放った冗談だった。

 何の意味も無い賑やかし──そして、共に戦う仲間(郡千景)に恐怖を感じてしまった自分を振り払う為の切欠になる筈だったのだ。

 それが一体どうしてこんな事になってしまったのか。

 普段は元気溌剌とした様子を見せる球子も、流石に困惑を隠せていない。

 

「つまり────アレか、千景は切り札の使いすぎで可笑しくなっちまったって事で、良いんだよな?」

「そうだと思うけど……ううん、素人の考えだから断言は出来ないよ」

「いや、でもそうだとすると辻褄が合ってくるんだ」

「え──?」

 

 この結論が出てしまった以上、球子は己の迂闊さを認めるしかなかった。

 そうだ、認めたくはないが()()()()()()のだ。

 なぜなら────

 

「遠征前の千景が可笑しかったのも、戻ってきてからタマの体調がヘンなのも『切り札』のせいなら納得がいく」

 

 別に怪我をした訳ではない。

 病気にかかった訳でもない。

 病院の検査でも異常はない。

 だがしかし言葉に出来ず、解消する事も出来ない「違和感」を遠征から帰還した球子は抱えていた。

 

『……千景?笑って……るのか?』

『そう、そうかしら。土居さんにはそう見える?』

『見えるって……千景、何かおかしいぞ』

 

 そして何より異常だったのが千景だ。

 元から影のある、あまり笑わない人間だった彼女が四国に帰還した瞬間に浮かべていた()()()()

「もう全部終わりだ」と言わんばかりの悲壮感と、心の底からの安堵をない混ぜにした泣き笑いともつかぬ()()()()を球子だけが知っていた。

 だからこそこうして杏と共に文献を漁っていたのだが、最早全てが遅すぎたとしか言いようが無い。

 せめて「彼」が健在であればまだ希望はあったかもしれないが、事は起きてしまったのだ。

「彼」が傷付き千景が壊れてしまった以上、今の2人に出来る事は殆ど残されていない。

 

「せめて、アイツが動けたらな」

「流石に目を抉られたなら無理だと思うよ……」

「ダメ、なのかな」

「……ううん、大社に掛け合って処分を遅延出来たらまだチャンスはあるよ」

「……やるか」

 

 勇者という存在は、大社の行動に口出し出来るような立場にない。

 だが、もうどうにもならないと頭の片隅で理解しつつも2人はまだ諦めきれずにいる。

 勇者として、千景の友人として、ここで引き下がりたくは無いと魂が叫んでいるのだ。

 

「こう言う時って神様に──神樹様に祈れば良いのかな」

「……私にも、分からないよ」

 

 本の山を掻き分け、夕陽のオレンジ色にぎらつく街へと杏と球子は踏み出した。

 対象すら定まらぬ祈りが、香川の空に溶けていった。

 

 

 

■■■

 

 

 

 少年は関節を極められ、その全身を非常階段の錆びた鉄に押し付けられていた。

 完全無欠に、完敗だった。

 

「ぐっ、ぃ……」

「決着、付いたね」

 

 最初から分かりきっていた話だ。

 右目を喪失し手摺に掴まらねば満足に歩く事も出来ない程衰弱した少年が、勇者としての訓練を積み確固たる意志を持つ友奈に敵う筈も無い。

 現にこうして組み伏せられているのだから、いくら少年が鈍感でも己の無力さを悟らずにはいられなかった。

 

「ちく、しょう……!」

「もう止めようよ。充分過ぎる位キミは頑張ったから、1度休もう?」

 

 あくまでも少女の声音は優しく、少年を傷付ける事は無い。

 否、傷付ける必要など何処にも存在しないのだ。

 だって、少年は頑張ったから。

 両親を喪い、故郷を捨て、目を抉り取られてもなお少年は不安定な千景の支えであり続けようとしていた。

 ──その姿勢は尊重しているが、もう少年は()()だろう。

 

「ふざ、けんな……!」

「ふざけてない」

 

 拍子抜けする位あっさりと少年を制圧してから、友奈はその事実に気付いた。

 少年の行動は無理無茶無謀を重ねて、とどめに無軌道だったのだ。

 千景の為に尽くそうとする心に、身体が付いてきていない。

 拳を握る事も、地を踏み締める事も今の少年には何より難儀な行動だと言うのに、それでも彼は動き出してしまった。

 だから高嶋友奈は揺るがない。

 罵倒されようが、恨まれようが、絶対に揺るがない。

 少年の友人として、千景の友人として、彼の無謀を許す訳にはいかない。

 

 

 

「今頑張らなきゃ、いつ頑張るんだよ……!」

 

 ──だが、少年も揺るがない。

 全てを擲って、千景の下に走る理由がある。

 例えそれがどれ程無様でも、情けなくても、不可能に見えても少年は走らなければいけない。

 

「3年だ」

「え?」

「この3年間、僕は千景に何もしてやれなかった」

 

 それは後悔だ。

 空虚な時間を過ごしてしまった少年の、心の底からの悔恨だ。

 

「付き合い始めた時も、バーテックスに襲われた時も、こっちに来てからもずっとそうだ」

 

 それは怒りだ。

 無力なまま変われなかった少年の、心の底からの激憤だ。

 

「皆、誰もが戦っていた。千景だって戦っていた。なのに、僕は一体何だ」

 

 

 

 

 

「何なんだよ!」

 

 悲壮なまでの絶叫が、非常階段を駆け抜ける。

 世界中の誰が許しても、少年自身が己を許せないのだ。

 

「今までだって、ずっと支えになっていたんじゃないの?」

「それは違うよ友奈。これまでの行為は全部僕の自己満足だ」

 

 何が「信頼している」だ。

 何が「心配しちゃいけないのかよ」だ。

 結局少年は、3年前から何も変わっちゃいないのだ。

 自分の我が儘で大切な人(千景)を振り回しているだけだ。

 だからこそ千景を見送るしか出来ない自分が、苦悩に気付く事が出来なかった自分が殺したい程憎い。

 ──だが、事の本質はそこではない。

 

「結構前に誕生日プレゼントを一緒に選びに行ってくれた事、あったろ?」

「うん、イヤーマフだよね。ぐんちゃんも喜んでくれたって……」

()()()()()()()()んだよ、千景は」

「────!?」

 

 そう、千景は無欲だった。

 いや、既に欲しいモノを手に入れて満足していたと言うのが正しいのかもしれない。

 少女が望んだのは少年と共にある事、ただ()()()()

 その「それだけ」がひたすらに少年を苦しめている。

 

「その千景が初めて欲しいって言ったんだよ、友奈」

「何を、言ってるの?」

「この3年間で、初めて千景が何かを欲しいって言ったんだ」

 

 友奈の困惑も、少年の耳には届かない。

 欲しいから、あげた。

 望んだから、捧げた。

 無力な少年にとって唯一千景に対して「してやれる」行為がそれだった。

 

「──でも、そのせいで千景は自分を責めている。悪いのは僕なのに」

 

 少年の愛が、今の事態を生んだ。

 少年の愛が、千景を傷付けた。

 善かれと思って受け入れた凶行が、2人を絶望のドン底へと突き落としたのだ。

 

「今この瞬間が、罪を償える最後の機会なんだ。もう千景の心はどうにもならない位壊れてしまったのかもしれないけど、最後の一欠片だけは僕に守らせてくれよ、ねぇ──頼むよ」

 

 少年は床に頭を擦り付けて懇願した。

 現実として、友奈をどうにかしなければ千景に辿り着くなど夢のまた夢なのだが、今の少年が力で敵う筈も無い。

 だから、此処に至ってまでちっぽけなプライドにすがる意味などありはしない。

 泣き落としでも何でも、使える物は全て使って少年は友奈を越えねばならないのだ。

 

「……」

 

 友奈は動けなかった。

 少年の気持ちも痛い位に分かるから。

 それでも少年を止めねばならないから。

 どうすれば良いのか、何が最善の選択肢なのか、友奈には分からなかった。

 

 

 

■■■

 

 

 

 沈黙が、斜陽に照らされた部屋を支配している。

 自業自得だった。チームのリーダーである私が、仲間の異常を真っ先に見抜いて然るべき私が招いた事態だった。

 相互に深い猜疑心が根付いた今、大社と千景が関係を修復する事など不可能だろう。

 

 最早事態は取り返しの付かない方向に転がり出している。

「彼」でも、ひなたでも、誰でもいいから教えてくれ。

 どうすれば良い。

 私はどうすれば良いんだ。

 そしてそう、千景は────

 

「千景は、どうしたい?」

「私?」

 

 千景はどうしたいのか。

 どうすれば良かったのか。

 解決策など何処にも存在しないが、それでも求めずにはいられない。

 

「そうね……どうしようかしら」

 

 何とも情けない、すがるような問いを受けた千景は曖昧な笑みを浮かべた。

 

「強いて言うなら、3年前に帰りたい。私と『彼』だけがいて、2人だけで完結していたあの頃に」

「……それは」

「彼処で停滞したままだったら、こんな思いをしなくて済んだのに」

「それは、私達のせいか……?」

 

 原因を考えるとすれば、間違いなくそうだ。

 大社が千景を見出ださなければ、千景は勇者の使命に潰される事は無かったかもしれない。

 私がちゃんと千景を気遣えていたら、凶行を止められていたかもしれない。

 何もかも、私達が悪いのだ。

 だと言うのに────

 

「ふ、ふふ……!」

「何で笑うんだ、千景」

「乃木さんは何も分かってないのね」

 

 千景は笑った。

 心底可笑しそうに、笑うのだ。

 

「『彼』を傷付けたのは私。『彼』を追い詰めたのは私。天恐に気付けなかったのは私。無理をさせていたのは私。結局私は3年前から何1つ変われない、自分の事しか考えられない人間のままだった」

 

「ねぇ乃木さん、私が『彼』と出会わなければこんな事にはならなかったのよ」

 

 

 

 

 

「この意味────分かるかしら」




投稿までにこれほど間隔が空いた事を謹んで御詫び申し上げます。

理由としましてはやはりプロットを立てず出たとこ勝負な執筆(?)スタイルが原因だと思います。
なるべく早期に次回を投稿出来るよう尽力致しますので、応援頂けるとありがたいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と勇者の話(下)

色々と悩みましたけど、これが私の答えです。
楽しんで頂けたらありがたいです。



 千景は勇者で、僕はただの人間だ。

 

 

 千景が苦しんでいる時に、何の力にもなってやれないのが1番苦しかった。

 彼女の隣で苦境を見ているのに、其処から1歩も踏み出せやしない自分が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

 抱き止める事も、手を握ってやる事すら出来ない自分に憎悪すらした。

 

 

 千景は勇者で、僕はただの人間だ。

 

 

 どうあっても覆せない事実と言うモノがこの世の中には存在する。

「うどんは美味しい」だとか「蕎麦派に未来を与えてはいけない」だとかそんなバカらしい事実から、「人は死ぬ」みたいに哲学的な──()()事実まで、人間1人の手には余る程度には多種多様だ。

 そしてそれは、僕の場合「千景の心を救う事は出来ない」となる。

 目を背けたくても、起点が僕の心の中なんだから逃げ場なんてありはしない。

 塵となり、埃となって堆く積み上がった3年間の無力が今になって襲い来るのだ。

 

 

 千景は勇者で、僕はただの人間だ。

 

 

 ──いや、それすらある種の保身なのかもしれない。

 結局僕は役立たずのままだった。

 だって、バーテックスが初めて襲来したあの時から今に至るまで、僕が何をしてきたか考えてもみろ。

 ()()()()()()()じゃないか。

 天恐を患った事が一体何の言い訳になる。

 儚く笑う千景が何れ程壮絶な運命に立ち向かっているのか知りながら、何故僕はもっと彼女を労らなかった。

 

 ──今までは自惚れだと考えていたが、事此処に至って最早疑う余地等存在しない。

 千景は僕「だけ」の為に戦っている。

 こんな、こんな何一つとして褒められる所もない、自分の制御すらマトモに出来ない人間の為に郡千景は命を懸けているんだ。

 

「お願いだから、大人しくして……!」

「嫌だ……!」

 

 

 友奈は勇者で、僕はただの人間だ。

 

 

 そして、大切な者の為に戦う姿勢なら僕を押さえ付ける友奈だって変わらない。

 此方はうつ伏せなので表情を窺う事は出来ないけれど、声だけでも彼女の決意は伝わってくる。

 友奈は友達(千景)が──いや、これ以上誰1人として傷付く事の無いように心を殺しているんだ。

 

「分かって……ううん、分からなくても良いから今だけは止まってよ……!」

 

 本当は誰より傍にいたいだろうに、千景を守る為にこんな下らない人間を止めに来ている。

 バーテックスに振るう為の拳を、後悔を抱えながらも分からず屋に向けている。

 そして自分を悪役に貶めてでも他者を守ろうとする精神の、何と尊い事か!

 

 

 友奈は勇者で、僕はただの人間だ。

 

 

 訓練の時も、壁外遠征の時も千景を支えたのは友奈だ。

 傍にいたのは友奈だ。

 手を握ってやったのは友奈だ。

 卑怯で、卑屈で、結局役立たずの僕とは断じて違う。

 

 皆は勇者で、僕はただの人間だ。

 

 土居さんだって、伊予島さんだって、上里さんだって、乃木さんだって己の使命を胸に刻んで運命と戦っている。

 いや、彼女達だけではない。

 大社の職員だって、全国から四国に逃げ延びた人だって、元から四国に住んでいた人だって誰もが今日を必死に戦っている(生きている)んだ。

 僕とは違う。

 

 

 

 

 

「──分かってる」

「?」

 

 ────でも

 

「分かってるさ、そんな事」

「何が──」

 

 ────それでも、だ。

 

「僕のやろうとしている事が余計に千景を傷付けるかもしれないって!乃木さんとか、友奈とか、皆の思いを裏切る事になるかもしれないって!それ位いくら僕でも分かる!」

「だったら────」

「それでも何も出来ないのに比べればずっとマシだ!」

 

 それでも無力なままの自分から抜け出そうとすらしないのは、絶対に嫌なんだ。

 そうとも、もう沢山だ。

 だって大葉刈を背負った千景の背中を見送るのも、涙を流す事すら出来ずに歪な表情を浮かべる千景に声の1つだってかけられないのも、もう充分過ぎる位に見てきたんだから。

 

「何も出来ないなんて事無い!昔からキミは優しいよ。ぐんちゃんの為にずっと頑張ってた……!」

「……ありがとう」

 

 確かに、友奈の言う通りかもしれない。

 僕の()は、3年前からずっと千景だけだった。

 千景の為に何か出来ないか、何かしてやれないかとずっと考えていた。

 結局何も出来ちゃいないが、この3年間に嘘偽りは1つも無い。

 

 ──だけど、今重要なのは其処じゃない。

 

「友奈、3年前から僕は何にも変わっちゃいないんだよ。この意味が分かる?」

「……う、ううん?」

 

 そりゃ、友奈だって首を傾げるだろう。

 だけど、この真実は友奈には絶対に分からない。

 誰よりも他者の機微に聡くて、誰よりも他者を思いやれる彼女だからこそ理解出来ない事がこの世界には存在するんだ。

 

 

 

 

 

「僕は────()鹿()だ」

 

「え────?」

 

 僕の阿呆みたいな言葉が直撃した友奈は、のしかかった姿勢そのままにポカンと口を開けて固まった。

 直接見えずとも、彼女の混乱がバッチリ伝わってくる。

 うん、こんな事で友奈の表情を崩してしまうのはなんて言うか──状況に対して不適切だと思うけれど、やっぱり友奈に険しい表情は似合わないと思う。

 ────それはそれとして。

 

「深く考えるのが苦手で、すぐ頭に血が上って、他人の気持ちを察するのが苦手な今世紀最大クラスの大馬鹿者だ」

「いや、それは……違うんじゃないかな」

 

 3年前、千景に告白した時もそうだった。

 あの時の僕は全身隈無く痣だらけ、鼻血とか色んな液体で顔面も滅茶苦茶だ。

 ついでに母さんが折角買ってくれたシャツはあちこち毟られて、ボタンも全部何処かに行ってしまった。

 ワイルドなんて言葉じゃ流石に誤魔化しが利かない、控え目に言って満身創痍のボロ雑巾から告白されたら彼女も困っただろう。

 

『アイツらさ、君の事を嗤うんだよ。売女だなんだって、バカみたいに騒ぐんだぜ』

『だからってそんな事をしなくても──!』

『ゴメン、僕バカだからさ。君の我慢も、何もかも無駄にしちゃった──』

 

 あの時の事は、今でも鮮明に思い出せる。

 僕は千景の忍耐を無に帰してしまった最低野郎だ。

 カッとなって喧嘩を売った学校の連中にボコボコにされた挙げ句、その足で告白に赴くような馬鹿野郎なんだ。

 これは絶対不変の真実であり、友奈が何を言った所で撤回も訂正もしたりはしない。

 

「僕が馬鹿野郎なのは今も昔も変わらない。あれやこれやと下らない事で悩んで、それで誰かに迷惑を掛けてしまうのもずっとずっと変わらない」

 

 ──だけど。

 

「だけど、目ン玉抉られて漸く自分が馬鹿だって事を思い出したよ」

「──!」

 

 だけど、千景が僕の瞳を望んだ時にやっと気付くとはあまりにも失態が過ぎる。

 芋虫よりも、ナマケモノよりも断然遅い。

 変わった世界に押し流されて、天恐に脅かされて自分を見失っていたとしても言い逃れは到底不可能だ。

 

 ああそうだ。僕はどうしようもない馬鹿だ。

 馬鹿なんだから────何も考えずに突っ走れ!

 

「だから、僕は僕のやり方で3年間を取り戻す」

 

 ウジウジするのだって、もう止めだ。

 結局、足りない頭で無理に畏まったって物事が解決する事は決してないんだから。

 だけど、あの頃と違う所が1つだけ────

 

「思いだけが先走るのも、強がってカッコつけるのも今日で最後だ!」

 

「そうだろ──────」

 

 

 

 

 

()()()()()

 

 ──今の僕にはその為の力が存在する、ただそれだけだった。

 

 

 

■■■

 

 

 

「ヒナちゃん……!?」

「友奈、さん────」

 

 少年の叫びに驚愕した友奈が振り向いた、その視線の先。

 はったりでも冗談でも無く、上里ひなたは其処にいた。

 悲壮感すら滲む程の決意に満ちた瞳で、踊り場から2人を見下ろしていた。

 

(どうして此処に……!?)

 

 高嶋友奈は知っている。

 ひなたが千景の処分を保留してもらう為に、大社と必死に渡り合っている事を。

 その交渉があまり芳しくない事も、何がどうあれ千景に()()()()が2度と与えられない事も、友奈の洞察力は全て見抜いていた。

 

 そしてだからこそ、勇者など辞めてしまえば良いと友奈は思ったのだ。

「勇者」は千景を望まぬ苦境に縛り付け、少年をただひたすらに追い詰めるだけだった。

 互いを想って苦しんだ果てに、千景は危うく少年を殺しかける所まで行ってしまったのだ。

 もし勇者である事が少年と千景自身を傷付ける呪いだとするならば、そんなモノは必要ない。

 

 2人の分まで戦うと、高嶋友奈は己に誓った。

 他者の苦難を背負う事がどれだけ辛い事か知らない訳ではなかったが、それでも友奈は()()を選んだのだ。

 それで2人が救われるなら、命を落とさずに済むなら、何だってするつもりだった。

 

「今です!」

「っああああああああ!」

 

 ────故に、それを阻もうとするひなたに気を取られた。

()()()()()()()()のだ。

 ガクン、と視界が揺らいだ次の瞬間友奈は非常階段の冷たい鉄床に投げ出されていた。

 

(──どうして!?)

 

 友奈が振り返ったその一瞬で、勝負は決していたのだ。

 1度は簡単に制圧出来た経験が彼女の油断を招いたのか、少年の底力が少女の見積りより残されていたのか。

 判別は付けられなかったが、極められた関節を全く無視して少年は友奈を跳ね除けたのだった。

 

 

 

 ────そして

 

「使って下さい!」

 

 黄色い夕陽を背負ったひなたが、野球選手がするかのように()()を投げる。

 片手に収まる程度の大きさで、板のような薄さで、友奈にはあまりにも見覚えがある()()

 

「待っ────」

 

 止める間など無かった。

 涙で歪んだ視界に映る少年が、遂に愚直さしかない己を思い出した少年が、()()を────「勇者システム」を両手で受け止め、溢れだした光の中に消えていく。

 

「待って──────!」

 

 何故。どうして。

 そんな疑問より先に友奈の体が跳ね起きる。

 言うまでもなく、少年は凡人だ。

 今四国に生きる殆ど全ての人間と同じで、罷り間違っても勇者の適性は無い。

 それなのに、何故か端末は起動した。

 残酷な事に、その機能を発揮してしまった。

 

(────!?)

 

 声にならない悲鳴を上げながら、友奈は少年を包み込む眩い光に飛び掛かった。

 そう、今此処で少年が変身してしまうなら、その前に端末を叩き落とすしかない。

 少年を勇者にするつもりなど友奈には毛頭ないのだ。

 

 勇者に変身した事で「もし」や「万が一」が少年に発生してしまったら、友奈は2度と千景に顔向け出来なくなる。

 友人の大切な人が死地に踏み込むのを、見過ごす事になる。

 それは、ダメだ。

 如何なる手段を用いてでも、絶対に阻止しなければいけない。

 

「ダメ──────!」

 

 故に、一切の躊躇を捨てて友奈は手を伸ばす。

 一瞬が何倍にも引き延ばされた、停滞した時間を掻き分けて────

 

「西暦最後の勇者である貴方に、最初で最期の神託が下りました」

 

「心して聞いて下さい」

 

 光が、紅い彼岸花となって舞い落ちる。

 伸ばした友奈の手を少年の五指が受け止め、絡め取り敢、繋がり合う。

 

「目も眩む程鮮やかに、燃え尽きて見せよ──」

 

 

 

 

 

「委細承知」

 

 

 

夢を抱いて、もう1度笑顔の君を見る為に。

もう誰一人として、泣かせない為に。

彼岸花の勇者が、夕陽を裂いて降り立った。




○■■■■/彼岸花の勇者
本来なら何の資格も持たないし、仮に変身したって何の役にも立たない。
しかし神樹は、いつだって人類を信じて見守っている。
少年の少女を助けたい心だって、迷い悩む姿だってしっかり見守っている。
故に()()()()()()()を払えば、力を貸し与える事だってやぶさかではないのだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と少年の話(上)

すぐ更新するとか言って1週間以上待たせてる無能がこの辺にいるらしいっすよ。


 今、高嶋友奈の前には紛うことなく()()が立っていた。

 概ね千景のそれを踏襲しつつ、少年に合わせて有り合わせの布地を無理矢理縫い合わせたような、急場凌ぎと表現するしかない勇者装束を纏った少年が其処にいるのだ。

 

「どうして────?」

 

 受け止められていた。

 完全無欠に受け止められていた。

 ほんのちょっとでもつつかれたら倒れてしまいそうな程ボロボロな少年が、確かに友奈と手を重ねたのだ。

 現に友奈のガントレットに覆われた五指は、少年の指抜きグローブを嵌めたそれと絡み合っている。

 どうあっても否定しようのない現実だが────それ故に恨めしい。

 

「なんで、変身しちゃったの……?」

 

 友奈の問い掛けはあまりにも悲痛で、切実だった。

 今にも決壊しそうな己をギリギリの所で抑え、決意と使命感だけを支えに両足を突っ張る悲壮な少女の姿が其処にある。

 絶対に、この場で膝を折る訳にはいかないのだ。

 なぜなら────

 

「勇者に変身するって事は、バーテックスと戦わなきゃいけないって事なんだよ?」

「分かってる」

「ううん、分かってない。キミはぐんちゃんの気持ちを分かってないよ」

 

 勇者に変身する事が何を意味するのか、少年は理解していない。

 仮にだ。

 仮に少年が千景の心を救って、千景が少年と共に再び歩み出せたとしよう。

 だがその先にあるのは残酷過ぎる現実である。

 実際に変身してしまった以上、人類を守る為なら恐らく()()()し得る大社が少年を放っておくとは到底思えないのだ。

 

「……死んじゃうよ、これじゃ」

 

 激しさを増す戦いの中にマトモな訓練を受けていない少年が今更参戦した所で、待ち受けているのは当たり前のような「死」だ。

 況してや片目が見えないというハンデを抱えた人間を戦わせるなんて、友奈は大社の正気を疑いすらした。

 これでは重傷者に貧弱な武器だけ持たせて戦地へ送り込むようなモノだ。

 それは少年に「死ね」と言っているに等しい。

 そして言葉通りに少年が死ねば誰が悲しむのか、この場に集った3人こそよく理解しているだろうに──

 

「ぐんちゃんを悲しませるつもりなの?」

「僕は死なないし、千景も助ける。その為に僕は此処にいるって、友奈も分かってる筈だ」

「キミこそ……!ぐんちゃんを勇者に縛り付ける事が1番良くないって、『勇者』が全部悪いってどうして分からないの!?」

 

 千景は勇者などと言うおぞましい役目に呪い殺されるべきではない。

 それが友奈の偽らざる本音であり、己に立てた誓いだ。

 勇者が優しい千景を狂わせた。

 勇者が千景の忍耐を越えさせた。

 勇者が少年に無茶を強いた。

 それが友奈にとっての全てなのだ。

 今や友奈にとって勇者は忌むべき名ですらある。

 なるべく遠ざけて、2人の記憶からも消してしまえば良いと考えるのはそんなに可笑しい事なのだろうか。

 

「分かってるよ、全部」

「だったら────!」

「でも、過去は消せない」

「そんな事っ……!」

「あの村で起こっていたクソみたいな村八分も、バーテックスが襲ってきたあの日も、この3年間も絶対に消えたりはしない」

「──────っ!」

 

 あまりにも無情で残酷な答えに、友奈の喉からは細い悲鳴が漏れる。

 

「何で……!?何で、そんな事……!?」

 

 気ただ垂れ下がるばかりだった友奈の左手が少年の襟を掴む。

 理解不能だった。

 例え苦しくても、忌まわしき記憶は消さないと。

 逃れる事すら拒絶すると。

 誰よりも逃げる権利を持つ少年が言うのだ。

 何故そんな事を言うのかと、友奈は具体性を欠いた問い掛けを吐き出していた。

 

「──だって、そうじゃなければ今の僕は此処にいないんだ」

 

 それでも、少年の決意は微塵も揺るがない。

 絡めた手から力が抜ける事も無い。

 鉄の床を踏み締めた両足が崩れ落ちる事など、万が一にも有り得ない。

 それだけの理由を、命を賭けられる動機を少年は得たのだ。

 

「今なら分かる。千景に告白したあの一瞬も、ただひたすら悩み続けたこの3年間も、全て今日この日の為にあったんだ」

「勇者として戦う為に……?」

「違う。千景を助ける為だ」

 

 少年にとって、千景は文字通り自分の全てだ。

 親と家、即ち共に生きる者と帰るべき場所を喪った少年に最後に残されたのが千景だった。

 それだけならまだ良かったのだが、世界は少年に無力感を刻む事に対して一切余念が無かった。

 実際は、せめて千景だけは人の悪意や星屑から守りたい────そう思って、しかし逆に彼女によって守られているだけだったのだ。

 

 戦いに赴く千景の背中を見送り、無事を祈るだけの日々がどれだけ苦しかったか!

 高々日光の射す場所に出る程度の事すら躊躇ってしまう己に、何度毒づいたか!

 折れそうになった。

 潰れそうになった。

 消えてしまいたくなった。

 

「やっと千景の隣に立って、手を握ってやれるようになったんだ。だからこの3年間は絶対に不要なんかじゃない」

 

 ────けれど、無駄じゃなかった。

 苦しみ抜いた意味があった。

 少年の苦悩と苦闘は、今此処で「勇者」として結実しているのだ。

 だからその過程は決して否定してはいけない。

 否定してしまったら、2度と前には進めない。

 

「別に千景が嫌だって言うんならそれで良いよ。逃げたいならどうにか四国の中を逃げ回ってもみせる。死にたいって言うなら絶対に止めるし」

「──そう、なんだ」

「でも、何もせずに流されるのは嫌だ。千景が悲しんでいるのはもっと嫌だ」

「──そうだね」

「そりゃこんな時代だし、いつだって笑っていられる訳じゃないけど……千景には心の底から笑って欲しい」

 

 分かる。

 今の友奈には、少年の言う事が痛い位に分かる。

 千景に笑顔でいて欲しいと願うのは、友奈もまた同じだ。

 無論、千景の全てを知っている訳ではない。

 何やら暗い過去がある事も、少年への異様なまでの執着も断片的にしか把握していない。

 だが、それが何なのだ。

 友奈と千景は友達だ。

 千景がどう思っているかは分からないが、少なくとも友奈はそう信じている。

 

「キミの気持ちは分かるよ。分かるけど……!」

 

 だが、友達の大切な人が引き起こした無謀を諌める事がよもやこんなに辛いとは、友奈は思いもしなかったのだ。

 友達の為なら揺らぐ事なんて有り得ないと、全てを甘く見積もっていた────いや、決してそれだけではない。

 

(ううん、分からないのは──私。私は、私の心が分からないんだ)

 

 友奈は迷っていた。

 止めるべきなのか、背中を押すべきなのか。

 きっとどちらも正解で、どちらも間違っている。

 そしてだからこそ友奈は、その中から「どちらか」を選ばなければいけない。

 今の友奈は中途半端なのだ。

 左手で繋がって、右手で襟を掴んでいるけれどそれじゃ何も始まらない。

 自分だけの答えを選んで、それを実行に移さなければいけない。

 分かっているけど、未だ中学生の少女にはそれが何より難しい。

 

「──友奈」

 

 もう強行突破はしない。

 友達に拳を振ったりもしない。

 既に()()()少年はただ一言、少女に語りかける事を選んだ。

 

「僕は千景を助けたい」

 

 キミはどうしたい────?

 日暮れの冷たい風を背負った少年は、そう続けた。

「すべき」で行動した友奈とは、対照的な言葉だ。

 

「何を、したいか……」

「そうだよ。友奈は何をしたくて、今此処に立ってるんだよ。勇者の使命感とか、そう言うの堅苦しいのじゃないだろ。それが聞きたい」

 

 今大切なのは何をしたいかであり、何をすべきなのかではないと少年は暗に宣っている。

 成る程、強ち間違った事を言っている訳ではない。

 どちらも正解である選択肢から敢えて片方を選ぶとするならば、その明暗を分けるのは回答者のエゴであり、結局は個人の感性だ。

 

 だがしたい事だけやって生きていける程、この世界は簡単ではない。

 皆、秩序を保つ為に己を律して「やりたい事」ではなく「やるべき事」を優先している。

 単純な欲求に身を委ねるのはただの馬鹿者なのだ。

 

()()千景の笑顔がみたい。()()千景を助けたい。最初から最後まで、僕は全部自分の我が儘を押し通す為に此処にいる」

 

 ────そして、少年は馬鹿野郎だった。

 考えて、ひたすらに考えて、その果てに自分の欲求に従った空前絶後の超大馬鹿野郎なのだ。

 何年間も無意識で封じ込めてきた、本来の自分を思い出しただけでもある。

 

「私は、勇者で──」

「それ以前に中学生だ。僕も友奈もまだまだ、その……ガキなんだよ、ガキ。子供(キッズ)だ」

「……もう若者(ユース)だと思うけど」

「良いんだよ別に!ちょっと位誤差だろ!」

 

 少年の言葉は詭弁だ。

「子供だから」が通じる程この世界は甘くない。

 星屑は老若男女等しく食い尽くすし、手段を選んでいては人間は滅んでしまう。

 故にこそ誰もが勇者を受け入れた。

 年端も行かぬ少女達を戦わせる事を、当然のように受容した。

 そうでなければ皆死んでしまうから。

 そうでなければ誰かに覚えていてもらう事すら出来なくなるから。

 

「んでその子供が全人類の運命背負って戦ってんだから、ちょっと位我が儘言ったって許されるだろ?多分だけど」

「そう、なのかな」

「誰が許さなくても僕が許す。少なくとも千景に関係する事なら絶対許す」

「……あんまり甘やかすと、ぐんちゃんがサボり魔になるよ」

「なれば良いんだよそんなの。寧ろ遅すぎたまである」

 

 しかし、その正論が気に食わない。

 乃木若葉が、伊予島杏が、土居球子が、高嶋友奈が、郡千景が大人達の理屈に押し込められて戦わされるのが許せない。

 半ば無理矢理象徴として祭り上げられ、人類の運命を勝手に背負わされたのが受け入れ難い。

 結局の所はそれだ。

 少年が選んで、友奈が()()()論理がそれなのだ。

 

「戦う理由は自分で決めるんだよ、友奈!」

「───そっか」

 

 だからこそ、少年は行く。

 千景を助ける為に、千景の望みを聞きに行く。

 逃げたいのなら、手を引いて一緒に逃げ出そう。

 戦いたいなら隣で一緒に戦おう。

 他の誰でもない、郡千景が()()を望むなら少年は躊躇いなく行動に移す。

 ここ数年で失われていた行動力が、少年本来の取り柄だった。

 

「なら、私も行く」

「そっか」

 

 そして「友奈が何をしたいか」も、当の昔に決まっていた。

 最初から──少年を止めようとした時から、この一点において友奈がブレた事は無い。

 

 

 

「ぐんちゃんを助けに行くよ」

 

 

 

■■■

 

 

 

 今更律儀に階段を降りる必要など無い。

 鉄の床を蹴って手摺を飛び越した少年少女が、日暮れの街へと駆け出していく。

 

「────行きました、か」

 

 勇者としての能力を存分に発揮した2人が瞬く間に視界から消え失せるのを、上里ひなたはただ受け入れた。

 安堵するべきなのか、悲しむべきなのか分からないが、何にせよ既にひなたの役目は終わったのだ。

 それら全てを確認して──ひなたはその場に崩れ落ちた。

 

「あぁ、若葉ちゃん……私は、どうすれば良かったんですかね……?」

 

 全く以て彼女らしくない弱音を、聞く者はいない。

 こんな時、普段だったら眩しすぎる程の実直さをぶつけてくれる筈の幼馴染みは隣にいないのだ。

 

「ごめんなさい……!本当にごめんなさい、千景さん……!」

 

 懺悔が。

 懺悔がひなたには必要だ。

 上里ひなたは間違いなく郡千景を裏切ったのだ。

 何故なら──────

 

 

 

 

「彼は、もう保たない────」

 

 少年の命は、今この瞬間も神樹に捧げられているのだから。




多分次が最終回です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

郡千景と少年の話(下)

1年以上放置した上にまだ最終話じゃないんです。
本当に申し訳ない。


 よくよく考えてみれば、中々に幸せな人生だったのではないか。

 そう思う瞬間が、今でも時々ある。

 それは訓練が終わってヘトヘトになりながら自室に戻ってきたらあなたが待ってくれていたとか、何て事はない休日を1日中あなたと一緒にだらだらしていられたとか、一見すると他愛もない一時の話だ。

 しかしそのどれもが私にとっては──叶うのならば、額縁に入れて飾っておきたい位に忘れられない思い出。

 そして思い出が積み重なる度に私はその原点を思い起こす。

 

 あれは、そう。

 確か私とあなたが付き合い始めてから丁度1週間が経ったある土曜日──あなたの家でテレビゲームをしている最中、私はこう切り出されたのだ。

 

『……あの、さ。郡さんちょっといい?』

『何、かしら』

 

 何とも馬鹿馬鹿しい話ではあるけれど、あの当時の私はあなたに対する警戒が解けていなくて、然程村の人達と態度を変えていなかった。

 でも、仕方無いと思う。

 だって、あの頃の私はまだ誰からも愛された経験もなければ価値が認められた経験もなくて、自分が告白されるだなんて想像すらしていなかったのだから。

 もしされるにしても罰ゲームか新たな虐めへの導入でしかなないのだから結局裏切られるのではないかと怯えていて──刺々しくもあなたの顔色を窺う、酷く矛盾した表情をしていた訳だ。

 そんな私に向かって、あなたは言う。

 

『あ、あの、目茶苦茶急で申し訳無いんだけどさ。き、ききき今日、家で夕飯食べてかない?』

『えっ』

『あっ、いやっ、郡さんが都合が悪いなら別にいいんだ。別に無理しなくて良いから。ゲームの攻略教えて欲しいだけだし、うん』

 

 勿論嘘。

 本当は、私の健康を心配していたのだ。

 何しろ当時の私の朝食は専らコンビニのパンとかカップ麺とか精々その程度だったから、せめて1週間に1度マトモなご飯を食べさせる位はしたって良いだろうが──後で聞いたところ、そんな感じの事を考えていたらしい。

 まぁ女の子を家に誘った経験が無いあなたの話し方はやたら片言だし、目線は泳いでいるし、挙げ句コントローラーを持つ手放はプルプル震えてるしで思い返してみれば兎に角不審だったけれど。

 しかもあの頃のあなたはまだ料理がそこまで得意ではなかったから、慣れないハンバーグ作りに手を出して半分位焦がしてしまう始末。

 フライパンと四苦八苦するあなたを見て「何をしているんだろうこの人は」と思ったのを今でもわたしは覚えている。

 

『美味しい……』

『そうだよな大して料理しないヤツがいきなりハンバーグなんて作ろうとしても上手く行く訳────え?』

『美味しいの、本当に』

『マジで……?めっちゃ焦げてるよこれ……?』

 

 しかし。

 半分位焦げてたって、玉葱の微塵切りが全然上手く行ってなくたって、丁度冷蔵庫がすっからかんで味噌汁の具が豆腐しかなくたって、私にとって久方振りの「誰か」と食べる食事は想像を絶するほどに美味しかった。

 其処には真心があって、優しさがあって、きっと「愛」があった。

 私は料理のいろはなんて分からないけれど──「私のために」作ってくれた料理が、不味い筈があるものか。

 

『いや泣いてるじゃん絶対無理してるじゃん止めようお腹壊すかもしれないから!』

『いや……嫌よ。完食するまでは死んでもこのテーブルから離れないわ』

『そんなに!?てか郡さんそんなキャラじゃなかったよね!?』

『何だって良いじゃない。それより食べる事に集中したいのだけれど』

『えぇ……まぁ良いや……』

 

 涙まで出てきてしまったのは、ちょっと大袈裟だったかもしれないけれど。

 ぐしぐしと涙を拭いながらフォークを持ち直す私におろおろするあなたは、ちょっと面白かったかもしれない。

 そうしてやいのやいの騒ぎながらご飯を食べて、お風呂に入って、突き合わせた布団から顔とゲーム機だけ出して夜更かしをしたあの日。

 寝落ちして突っ伏すあなたを見詰めながら、私は思った。

 

『……これって、幸せ?』

 

 あの時は疑問系だったけれど、今なら嘘偽りなく幸せだったと断言出来る。

 無心になってハンバーグを口に運ぶ私と、怪訝そうな顔で消えていくハンバーグを見ているあなたがいれば、それだけでもう十分過ぎる位に満たされていたのだ。

 ただそれだけで良かったのに。

 だと言うのに────

 

 

 

どうして私は、それ以上を望んでしまったの?

 

 

 

■■■

 

 

 

 友奈の前だと言うのに、思わず舌打ちが漏れた。

 

「……っ!友奈!」

「……どうしたの?」

「ごめん、ちょっとヤバいかも」

 

 勝手に足が止まる。

 止めるべきではないと理解しているにも関わらず、羽のように軽かった筈の筋肉は運動を拒否し、痛みと共にひきつる。

 常人のそれに戻るどころか、鉛をくくりつけられたかのように民家の屋根を踏み締めた足が鈍重になり──跳躍しようとした瞬間に姿勢を崩し、勢いのまま見知らぬマンションの屋上に受け身も取れぬまま突っ込んでしまう。

 

「いっ、たぁ……!」

「だ、大丈夫!?頭とか打ってない!?」

「それは、まぁ、大丈夫なんだけど」

 

 ちょっと大袈裟な位に溜まっていた土埃を巻き上げながらゴロゴロと転がってしまったけれど、実際はそれほどでもない。

 受け身すら取れず全身で突っ込んだのに、不思議と鈍い衝撃が体を駆け抜けた程度で済んでいる。

 慌てて引き返してきた友奈の支えがあれば、よろめきながらではあるけれど直ぐに立ち上がる事すら可能だった。

 成る程、これが勇者。

 千景が得た力の正体。

 病み上がり(?)の僕ですらこんなに肉体が強化されるのだから、どうりであの恐ろしい星屑達に立ち向かえる筈だ。

 だが────()()()

 

「……何か、ヤバそう」

「や、やっぱり目の治療もキチンと終わってないのに脱け出してくるなんて無茶だったんじゃ……!」

「いや、そっちじゃなくて、何か、こう……」

「こう?」

「ごめん、上手く表現できないんだけど体の中がヤバい感じがする」

 

 そう、とてつもなくヤバい。

 何がどうまずいのかは具体的には分からないが、今のところ理由だってまるで分からないが、兎に角まずい。

 車でなら数十分、勇者の脚力を以てなら僅か10分程度の距離にある千景の部屋に行くのすら不可能だと勘が告げているのだ。

 まぁ、大概の場合自分の勘は信用ならないのだが──今回の場合は、恐らく信用しても良い。

 

(……良くない勘ばっかり当たるんだよな)

 

 よくよく考えてみれば、昔からずっとそうだった。

 何か嫌な予感が気がするな、と思って周囲を探してみれば大体の場合は千景の上着や下履きとかが捨てられていた。

 何かこれヤバそうだな、と思って千景の家に行ってみれば父親が振るった酒瓶で頭を怪我していた事もあった。

 挙げ句嫌な話を聞く羽目になるんじゃ、と思って部屋に引き篭っていれば「千景は生まれてこない方が良かった」なんて畜生以下の世間話を聞かされる羽目になったのだから、悪い方面での勘の良さはほぼ間違いない。

 虫の知らせと言うヤツか、或いは巫女の適性でもあるんじゃないかと勘繰ってしまった事すらある。

 

 しかし、今更そんな事で止められるような僕ではない。

 自分で言うのも中々気恥ずかしい話ではあるが、頑固さなら誰にだって──それこそ堅物で一本筋の通った乃木さんや優しさの中に尋常じゃない位硬い芯を持つ友奈にだって負けない自信がある。

 行くと言ったら是が非でも行くし、何事も為せば成るのだ。

 

「……よし、ちょっと休んだし行くか」

「だ、ダメだよ!何か変だし、一旦落ち着こう?」

「……そんなに、変かな?」

「うん。言われてみれば、なんだけど。今の──くん、どこがおかしいよ。顔色とかじゃなくて……何だろう、私も上手く言葉に出来ないんだど、やっぱり何か変」

 

 とは言え──友奈の言う事も尤もか。

 再び踏み出そうとした1歩目で肩を掴まれた僕は、屋上から飛び出すのを思い止まる。

 そう、千景の下へと辿り着くのが最優先ではあるが、初めての変身によってどのような影響があるかなんて専門知識を持たない僕には分かったものではない。

 況してや変身者が男、それも神器すら持たないごくありふれた中学生なのだから大社──上里さんだって何が起こるかなんて想像もつかない筈だ。

 勿論此方とて手足の1本や2本位は端から覚悟しているが、いきなり全身が破裂したって何ら不思議ではないのである。

 

(……まぁ、友奈が言うんなら変なんだろうな)

 

 それに、友奈の言葉は僕の勘より遥かに当てになる。

 基本的に彼女の言う事は正しく、時と場合によってオブラートに包んだりするが何れも正鵠を射ているのだ。

 気遣いの達人、善性の化身。

 誰よりも優しく、誰よりも思い遣りに満ちた友奈の観察眼は、当人すら気付いていない「何か」を易々と見抜く。

 だから僕は千景の友人である高嶋友奈を信じているのだ──初めて出会った時から今に至るまで、ずっと。

 

「……ちょっと、気になる事があって。変身解いてみてくれないかな」

「……?分かった。あ、でも解き方分からん」

「えっ、ヒナちゃんから聞いてなかったの?」

「そんな暇無かったし……」

「そっか……」

 

 何はともあれ、友奈の言う通り変身を解いてみなければ何も分からない。

 渡した端末を彼女がポチポチと弄れば視界が眩い光に覆われ、あっという間に鈍重な肉体が戻ってくる。

 怪我人云々を差し引いても、先程までの軽さがまるで嘘みたいだ。

 翼をもがれた鳥はきっとこのような気分を味わうのだろう──そんな調子の良い事を考えながら、着心地の悪い病衣を整えたのだが。

 

「ううん、見た感じではおかしなところはないかな……」

「友奈、友奈」

「……なに?」

「今回は緊急事態だから()()だしめっちゃ助かるんだけどさ。そうやって直ぐ肌とか触りに行くの、勇者と上里さんだけにしときなよ。誤解する人絶対出てくるから」

「……?うん」

 

 分かってるのか、分かってないのか、頭の上にハテナを浮かべる友奈。

 日頃から乃木さんとかにマッサージをしているからなのだろうが、彼女は遠慮なく腕やら足やらを触っていく。

 ついでに自分でも何か妙な部分はないかとあちこちを触ってみるが、これと言って異常は見当たらない。

 この屋上に留まる羽目になった直接の原因──何の前触れもなく激痛を訴えた右足もまた同じ。

 病衣の裾を捲り上げれば、其処にはいつも通り不健康気味な青白いふくらはぎがあるだけだ。

 

(──まぁ、まぁ。そうだよな)

 

 当たり前と言えば、当たり前。

 直接外傷を受けた訳でもないのだから、例え体に何かしらの異常が発生していたとしても目に見える形で表出しないのだって当然だ。

 後はまぁ、眼帯の下で空っぽの眼窩がズキズキと痛みを発する程度。

 再び勇者に変身したところで、即座に目立った問題は起こらない筈だろう。

 負荷とは目に見えぬ所で蓄積し、ふと気付いた時には取り返しのつかないダメージに成り果てるものなのだから。

 

 ────どうする?

 

 それ故に、何の具体性もない戯言が脳内で反芻される。

 いや、本当はどうするも何もない。

 今僕がやるべき事は千景の下まで辿り着いて、自暴自棄になるのを止めさせること。

 基本は言葉で、どうにもならないなら実力行使で大社から逃げる。

 その結果として千景が勇者を辞める事になろうが、四国の外に逃避して僕が野垂れ死ぬ事になろうがそれで千景の気持ちが軽くなるなら万々歳。

 信用して勇者システムを託してくれた上里さんには悪いけれど、やはり僕にとっては千景が幸福であるのが一番大切なのだ。

 ただ、その為には──辿り着けなければ元も子もない。

 

「友奈」

「ん」

「頼みがある」

「いいよ」

「まだ何も言ってないけど良いの?」

「良いよ。『友達』だもん」

 

 其処に籠められた意味の深さを、僕はよく知らない。

 いや、そもそもからして僕は友奈を呼び捨てにするのが許される程度には仲が良い筈なのに、彼女の事を何にも知らないのだ。

 四国に来るまでの苦難も、「上手く自分を出せない」と苦笑する裏で抱えている苦悩も、何もかも。

 それでも、やりたい事が一致しているならば。

 或いは、踏み出せなかった一歩を共に踏み出そうと思ったならば──何だって成し遂げられる。

 

「なせば大抵なんとかなる、だよ?」

「……だな!」

 

 絶対に辿り着いて見せる。

()()()()()()()()()()()を握り潰しながら、そう決意を固めた。

 

 

■■■

 

 

 

 もう自分でも、何を考えているのか分からない。

 何の為に生まれて、何の為に生きて、そして今何の為に生かされているのかすら分からない。

 だって、そうでしょう。

 自分の存在価値を認められないばかりか、漸く得た理解者を傷付ける愚か者に一体何の価値があると言うのだろう。

 また誰かを傷付ける前に消えて失くなってしまいたい、それが今の率直な欲求だった。

 

 ──だと言うのに、状況はそれすら許さない。

 

 勇者がどれだけ貴重な存在かは勿論よく理解している。

 既に滅ぼされてしまった地域には各々1人しかいなかったし、神樹の直接的な影響下にある四国ですらたった5人。

 そんな替えの利かない戦力を、言ってしまえば「高々子供1人」の為にみすみす捨てるのは勿体無いにも程がある──概ねこんな感じだろうか。

 3年間に及ぶ大社の教育の賜物として、ごく一般的な物の見方として容易く予想出来る結論だ。

 

 だからこの部屋には、()()()使()()()()()()()()が一切存在しない。

 部屋の角や家具は大袈裟な位に保護され頭を打っても衝撃を殺される。

 食事は毎食外から届けられて、終われば箸やフォークも回収される。

 窓は当然開けられないし、監視カメラが設置されているから少しでも不審な動きをすれば外の職員が入ってくる。

 例えるなら、見てくれだけ整えた監獄と言ったところか。

 

「無意味な事を……」

「そうだな……千景をこんな所に閉じ込めるのは間違っている」

 

 私の呟きを拾った乃木さんの表情は見るからに疲れていたけれど、奥底に微かな希望を見出だそうとしているのがありありと分かった。

 大方「無意味な事」を、私が他人を無闇に傷付けたりはしないと解釈したのだろう。

 本当に純粋で、疑う事を知らなくて────妬ましい。

 

「────」

「……千景?」

「……いえ、何でもないわ。何でもないの」

 

 嘘、嘘。

 全部嘘だ。

 何でもないなんて、有り得ない。

 他人を無闇に傷付けたりはしない?

 そんな訳があるか。

 私は今でもあなたを傷付けた故郷の人達を根絶やしにしてやりたいし、あなたを傷付けた自分を殺したい。

 それに、本当は乃木さんが羨ましくて、妬ましくて仕方がない。

 だって乃木さんは私が持っていないものを全部持っている。

 愚直な程に真っ直ぐな性格も、どれだけ強い衝撃を受けても決して折れない心も、不器用だけど誰にでも分かる優しさも、私には備わっていない資質だから。

 私が乃木さんだったら良かったのに──あまりに酷い事だけれど、そう思わずにはいられなかった。

 

「……何?」

「……千景」

 

 だと言うのに、乃木さんは真っ直ぐに此方を見詰めていて。

 真っ直ぐ過ぎる言葉で私の心を突いてくる。

 

「それは、嘘だろう」

「……」

「それ位流石の私でも分かる。私の言葉に何か不満を感じて、けれど言葉にするのは憚られたから適当に誤魔化そうとした。違うか?」

「……違わ、ない」

 

 図星。

 ふつり、と心の中で得体の知れない「何か」がさざめくのが分かった。

 

「だが……すまない。分からないんだ、本当に。自分の発言の何が正しくなかったのか、何が人を傷つけてしまったのか、上手く読み取れない」

「……っ」

「普段はひなたがフォローしてくれるが……やはり、私1人では上手くいかないな」

 

 何だろう、この感覚は。

 何だろう、この感情は。

 どろどろと渦巻いていて、ぐらぐらと煮え滾っていて、それでいて切なくて。

 口に出してしまったら、どうなるのだろう。

 

「教えてくれないか、私に何を思ったのか」

「……ぅ、ぁ」

「それがどんなに醜くても、残酷でも構わない。私は千景を知りたい。何か──力になりたいんだ」

 

 此方を見詰める乃木さんの瞳は、やはり何処までも真っ直ぐだった。

 信用している、信頼しているからこそ相手の事を知りたいと思う気持ち。

 寄り添いたいという思い遣りと、励ましたいという純粋な善意。

 純粋で、純粋で──思考が煮え蕩けていくのを感じる。

 

(──同じだ)

 

 あなたの目を抉ってしまったあの時と。

 諦めないあなたの姿が眩しくて、羨ましくて、妬ましくて、独り占めしたくて、欲しくなったあの時と。

 どうしようもない位むかむかしていて、思ってもいない事が口を衝いて出そうになって、込み上げる衝動が抑えられなくなっていく。

 でも、多分──今回は()()()()()

 

「黙って」

「……千景?」

「お願い……お願いだから。少し静かにして」

「ど、どうしたんだ。また私が何か傷付けるような事を──」

「いいから黙って!」

 

 両耳を手で覆って、音を遮断する。

 目を閉じながら俯いて、何も映らないようにする。

 そう、考えたらダメだ。

 見ても声を聞いてもいけない。

 何かの拍子に実直で人気者な乃木さんとひねくれ者で嫌われ者の私を比較したら、その瞬間に心の中の「何か」が爆発してしまう。

 爆発したら何をしでかすかは、私自身にも分からない。

 

 ──どうして?

 

 一体何時からこんな癇癪持ちになってしまったのだろうか。

 こんなのは絶対におかしい、何かが間違ってる。

 だって、ちょっと前まではもう少し理性的だったのに。

 四国の外に希望がないと知った時だって、自棄になって彼に当たってしまったけれど危害を加えようだなんて思いもしなかったのに。

 得体の知れない感情に混じって、ふつふつと疑問が湧いてくる。

 でも、今最優先にすべきはこの場から離れること。

 弾かれるように立ち上がって、倒れた椅子に構わず宛がわれた寝室へと逃げ込もうとして──追い縋って来た乃木さんに肩を掴まれる。

 

「……っ、離して!離してよ!」

「嫌だ!」

「この……ッ、分からず屋!」

「分からず屋なのは千景の方だろう!?」

 

 取っ組み合いの喧嘩、とは言うけれど。

 大して鍛えていない私が鍛練を欠かさない乃木さんに力勝負で勝てる筈がない。

 あっという間にバランスを崩して、組み敷かれて。

 耳を塞いでいた両手は否応なしに引き剥がされ、生の声を聞かされる。

 ならば、と瞳を閉じようとして────頬を伝う涙が、視界に映り込んだ。

 

「……乃木さん、泣いてるの?」

「うる、さい……っ、泣いてなどいるものか……っ!」

「……泣いてるじゃない」

「泣いてない……っ!」

 

 私の両腕を掴んでいるから涙は拭えないし、ちょっと鼻声だし。

 あまりにも無理矢理過ぎる強がりだ。

 でも──()()乃木さんが泣くなんて思いもしなかった。

 

「……どうして?」

 

 どうして泣くのだろう。

 乃木さんが泣くような事なんて、何一つとしてない筈なのに。

 私が原因だとしても、此処に至るまで様々な形で迷惑をかけ続けた挙げ句会話すら勝手に打ち切って逃げ出そうとした者に向ける感情は「怒り」だろう。

 それなのに、涙を流す意味は何?

 怒っているとも悲しんでいるとも違う、苦し気な表情の意味は何?

 分からなくて、分からなくて──疑問が勝手に口に出てしまっていた。

 

「……どうして、だと?」

 

 けれど、それが乃木さんの感情を刺激してしまったらしい。

 苦痛一色の顔を一瞬ぽかんと呆けさせた乃木さんは、凍り付いたまま暫し視線だけを左右に揺らして────勢い良く襟首を掴んで。

 そして。

 

 

 

「私達は、仲間だろう!?」

 

 

 

 思考が、途切れた。

 

「千景は私が気に食わないのかもしれないが!」

 

 いや、そんな、まさか。

 ()()

 

「私達は勇者で!」

 

 私も、乃木さんも同じ勇者で。

 

「共に過ごしてきた3年間は事実で!」

 

 折り合いは良くなかったけれど、曲がりなりにも3年間一緒にやってきたのは否定しようもない現実で。

 

()()だろう!」

「そう、なの?」

「そうだ!私と千景は友達だ!何なら今から手を繋いで大社に殴り込みをかけてやっても良い!」

 

 其処はあまりピンと来ないけれど。

 もし、これが。

 この関係性が「友達」だと言うのなら。

 私に「友達」と呼ばれるだけの価値があるのなら。

 

「頼っても、良いの……?」

「当たり前だ!普段は千景の方がストッパーをやっていたんだから、少し位私にも荷物を背負わせろ……いいや、我が儘の1つや2つぶつけてみろ!」

 

 どうやら私と乃木さんは、友達らしい。

 乃木さんは羨ましくて、妬ましくて、暑苦しいけれど。

 私は卑屈で、陰気で、何一つとして優れていないけれど。

 それでもどうやら友達であるらしいのだ。

 

「ねぇ、乃木さん?」

 

 だとするならば。

 今、私がするべき事は──いや、したい事は。

 今、私が望む()()()()は。

 

「何だ?」

「お願いが……あるの」

「ああ────」

 

 私は太陽のように眩しい乃木さんへと、手を伸ばして。

 頼みの中身すら聞かない内に、乃木さんは力強く頷いて。

 

 

 

「任せろ」

 

 

 

 烏の黒い羽根が、私の視界を覆い尽くした。




次回、正真正銘最終回。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。