Pと青羽とアイドルと (パンド)
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『なんや、まーたやっとるわって感じです』

奈緒にしょうもないボケを見せてツッコミ入れて欲しい


 

「青羽美咲さん。俺と、結婚を前提にお付き合いして貰えませんか?」

 

 

 男プロデューサー、一世一代の大勝負であった。

 就職難を乗り越え765プロダクションに採用され早6年、765ASのプロデュースで大きな成果を挙げ、今や『39プロジェクト』の総合責任者及び765 プロライブ劇場(シアター)──通称シアターの支配人となった彼は、満を待して想い人へと告白した。

 そして彼の想い人であるところの、シアター事務員を務める女性──青羽美咲は、彼からの告白を受け、困ったような笑みを浮かべると。

 

「いつもごめんなさいプロデューサーさん。今は仕事が楽しくて……恋愛とか、そういうのはちょっと」

「──そう、ですよね。アハハハ」

「あ、私このみさんに呼ばれてて、失礼しまーす」

 

 撃沈。

 まさにそう呼ぶ他ない結果に、プロデューサーは乾いた笑いを浮かべる。

 こうして、プロデューサーの恋は終わった。

 長年の想いは潰え、彼の業績は悪化の一途を辿り、その煽りを受けたシアターの経営も──「まてまてまて、なんやおかしいことになってません?!」

 

「どうしたんだ奈緒、急におかしな声を上げて」

「いやいや、おかしいのはプロデューサーさんの方ですって」

 

 なんてツッコミを入れたのは、入れずにはいられなかったのは、縦ロールのサイドテールが印象的な大阪からやってきた17歳アイドル──横山奈緒であった。

 先ほどから事務室のソファーでスマホをいじっていた奈緒は、耐えかねた様子で立ち上がると、プロデューサーへビシッと指を刺し。

 

「だいたいなんやねん一世一代の大勝負って、週に一度の定例行事と間違えてるやろ!!」

「そんなとこにまでツッコミを入れようとするんじゃない!! それに、流石に週一で告白はしてない……はずだ」

「そこは自信持って答えてくださいよ……」

 

 向けていた指が腕ごとヘロヘロ落ちていく。

 と、まぁ。

 このやり取りから察せられるように、プロデューサーが美咲に告白をしたのはこれが初めてでもなんでもなく、アイドル達からしてみれば。

 

「なんや、まーたやっとるわって感じです」

「なにがだ?」

「プロデューサーさんの告白芸が」

「人の告白を一発芸みたいに言うな、俺は本気なんだから」

「一発屋の芸人さんも本気やったと思いますけど。いうてこんだけしょっちゅう告白してたら、真剣味が感じられませんて」

「馬鹿な……溢れんばかりの青羽さんへの愛情が、裏目に出たっていうのか……」

「アカン普通に気色が悪い」

 

 まさかの指摘にワナワナと震えるプロデューサー、その姿に思わず身震いしてしまう奈緒であった。

 そしてやや経って、心が帰ってきたらしいプロデューサーはデスクの上から一枚のファイルを取り出し、ジト目でこちらを見る奈緒へ手渡すと。

 

「そういえば奈緒、これ次の仕事の資料な。明後日の午後一に打ち合わせをしたいから、今日明日で読み込んでおいてくれ」

「次の仕事ですか?」

「ああ、●▲区に新しい商店街ができるだろ? あそこのレポート、先方さんから元気でよく食べる子が欲しいって頼まれてな」

 

 その商店街のことは、奈緒も知っている。

 以前にもプロデューサーを含めた、自身の所属するユニットで話題に出たことがあったし、彼女は個人的にも気にしていたからだ。

 曰く、昭和の空気が味わえる商店街。

 東京都中から、あの独特の雰囲気を残したいという人達が集まり参加しているプロジェクトであり、大きな注目を集めている話題の場所だ。

 そんな場所だから、きっとこの仕事も相当苦労して持ってきたことも、奈緒はなんとなく察していた。

 

「えと、このお仕事……ほんまに私でいいんです?」

「当たり前だろ? 言ってたじゃないか、こういう場所でレポートができたら最高に楽しそうだって」

 

 確かに言った。

 奈緒は、確かにプロデューサーの前でそう言った。

 けどそれはあくまで皆んなとの会話の中で発した単なる願望であって、よくある例え話であって、現実になるとは思ってもみなかった。

 それなのに。

 

「お、覚えててくれたんですね。あん時のこと」

「まぁ、俺は奈緒のプロデューサーだからな」

「……はぁ、プロデューサーさんのそういうとこ、なんやズルイと思います」

 

 普段はあんな感じのくせに、本当に自分たちのことをよく見てくれている。

 そういうプロデューサーだから、彼女たちは安心して一緒に仕事ができるのだが。

 

「ありがとうございます、プロデューサーさん。まぁ美咲さんとのことも、陰ながら応援してますわ」

「おう、いつか青羽さんの承諾を得てみせる。待ってて下さい青羽さん、今行きます!!」

「1日に2度もフラれに行かんといてくださいよ、また日を改めればええやん」

 

 本人も満更じゃなさそうやし。と、心の中で付け足す。

 プロデューサーは毎度撃沈しているので知らないだろうが、立ち去る時の美咲を見る限り、脈なしとも思えないというのが彼女の評価であった。

 

「そういえばプロデューサーさん、1個気になることがあったんやけど。なんで美咲さんのことは、名前で呼ばへんの?」

「おいおい奈緒、俺がお付き合いもしていない女性を、名前で呼ぶような礼を失した男に見えるのか?」

「いてこますぞ、言ってる側から私を名前で呼んでますやん!! どんだけ美咲さんは特別やねん」

 

 妙なところで距離を保つ人だ。

 なにかしらの拘りがあるのかも知れないが、今の奈緒にはよくわからない。

 

「ははは、青羽さんの好きなところなら100個は余裕で言えるさ」

「ほんまですか〜? そんな大口叩いて、実際に言えてる人見たことないわ〜」

 

 すると、それを聞いたプロデューサーはスッと立ち上がり、冷蔵庫からお茶とプリンを取り出した。

 

「プロデューサーさん、このプリン思い切り『茜ちゃん』って書いてあるんやけど」

「大丈夫だ、今日のスケジュール的にどうせこの後麗花がきてプリンを食べていくところまでは読めてる」

「その理屈のどの辺に大丈夫があるんです?」

「そして茜がくる前に新しいプリンを用意すればなんの問題もない」

「なるほど、せやったら確かに──いや、そもそもなんでいきなりプリンやねん。ステーキやあるまいし」

 

 プロデューサーの意図が読めない奈緒がそうツッコミを入れると、待ってましたと言わんばかりに。

 

「そりゃあ青羽さんの好きなところを100個に絞るとなったら時間が必要だからな、まぁプリンでも食べながら聞いていってくれ」

「…………はい?」

「まず最初に────」

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「で、どうなのよ美咲ちゃん。実のところは」

 

 事務室のドア。

 その隙間からはプロデューサーのプロデューサーによるプロデューサーのための、青羽美咲の好きにならざるを得ない箇所100選が垂れ流しになっており、当の青羽美咲とシアター最年長アイドルにして自称セクシーお姉さん──馬場このみは入るに入れない状況になっていた。

 無論、このみとしては入っても全く構わないのだが。むしろ美咲の手を引いて乱入しようかなどと考えていたのだが。

 どうしようかと思いつつ、とりあえず顔を真っ赤にしてしまった歳下の事務員へ率直に質問してみることにした。

 

「プロデューサーさんのことは……えと、その……好きなんですけど」

「……けど?」

「私の好きは、頼りになるお兄さんって感じの好きで……たぶん、プロデューサーさんが私に言ってくれてる好きとは、違うのかなあって」

「なるほどね、これは先が思いやられるわ」

 

 どうやら、プロデューサーの恋の成就は当分先になりそうである。

 そう話を締めくくったこのみが見ている先で「あーこれ本気で100個言う流れや」と気がついた奈緒が、プロデューサーから逃げようとしていた。

 ちなみに茜はプロデューサーが買い足したプリンも全て麗花に食べられた。

 

 

 

 




始終こんなノリの話です、続きは思いついたら書きます


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『どんな作戦なのかな〜♪ 可奈とっても気になるな〜』

可奈は少しぽよってしてるくらいが可愛いと思う


 

 

 

「さて、可奈──いや矢吹君。なぜここに呼ばれたのか、もちろん分かっているね?」

「あのぅ、プロデューサーさん。練習用のマイクを一本ダメにしちゃったことなら、ちゃんと謝ろうって思ってて」

「……それは初耳だが」

「ご、ごめんなさーーい!!!!」

 

 そう言ってぺこりと頭を下げたのは、オレンジの髪から飛び出すアホ毛が眩しい14歳──矢吹可奈である。

 彼女はこの日シアターに来るなり、プロデューサーからの呼び出し(ラブコール)を受け、とりあえず姿勢を正すように言われたので従ったところで、そこから上記の会話に繋がるのだが……自主トレ中に壊してしまったマイクの件でなければ、いったい自分はなんの話をされているのだろう。と、可奈の頭にハテナマークが満ちていく。

 

「……はぁ。いや、マイクのことはいいよ可奈。言っちゃなんだけど消耗品でもあるわけだし、それだけ一生懸命練習したって証拠でもある。可奈が歌の自主トレを頑張っているのは、俺もよく知ってるから」 

「プ、プロデューサーさん……」

 

 矢吹可奈は、自分が音痴であることを誰よりも理解している。

 でもそれと同じくらい、可奈は誰よりも歌を歌うのが好きなのだ。

 だから自分もいつかは、765ASが誇る蒼の歌姫──如月千早にも負けないくらい素敵な歌を歌うのだと、可奈はそれだけの意気込みをもって自主トレに臨んでいた。

 プロデューサーとて、それを分かっているからこそマイクの件については特に触れようとはしなかった。

 プロデューサーからの間接的な信頼の言葉に、可奈は(いた)く感動し。

 

「だがそれとコレとは話が別だ矢吹くん、コレに見覚えがないとは言わせないからな?」 

 

 そんな可奈へ、プロデューサーは一枚の紙を見せつけた。

 A4サイズの紙だ。

 モノクロで、なにやら表と数字が印刷されている紙だった。

 可奈は内容を確かめようと紙に顔を近づけ、一番上の文字を読み上げる。

 

「え〜っと、765プロ定期検──ああぁああああああっ!! な、なんでプロデューサーさんがこれを持ってるんですか?!」

「青羽さんに借りた」

「美咲さーーん?!」

 

 読み上げてる途中で真実に気がついた可奈は、必死な顔でプロデューサーから紙を奪い取ろうとするが、彼女とプロデューサーとでは20cm以上背丈に差があり、彼が手を挙げてしまえばもう届かない。

 

「侵害です、プライバシーの侵害ですよ!!」

「俺の方こそ心外だよ。こっちは心配してるってのに」

「うぅ、プロデューサーさんのいじわる……」

 

 765プロ定期検査。

 と、表の一番上にはそう記されていた。

 早い話が健康診断の結果である。

 月に一度行われているそれは、アイドル達の体調を管理する上でも大事なバロメーターとなってくるのだが。

 

「矢吹くん、先日テレビ局の方からいただいたシュークリームは美味しかったかね?」

「あぅ……ち、違うんです。すごく美味しくて、自分でメーカーさんから取り寄せたりとかなんて絶対してないですっ」

「語るに落ちてるぞ」

「あっ、嵌めましたねプロデューサーさん!! 自業自得だって言いたいんですか?!」

「いいや、自分で掘った穴に埋まっただけの自掘自埋だ」

 

 矢吹可奈は、食べたものが身に付きやすい体質だった。

 付きやすいと言っても、可奈のそれは一般人と比べてそう逸脱したものではなかったけれど、他のアイドル達と比べたときにやや目立つレベルであるのも事実だ。

 しかし例え14歳であっても、まだまだ子供だとしても、可奈だって女の子なのだ。

 いくらHPにプロフィールとして色んな数値を載せているとはいえ、男性であるプロデューサーに紙媒体で見られるのは普通に恥ずかしい。

 

「あのな、俺だって見て見ぬフリを、できることならしたいさ」

 

 プロデューサーだって、好き好んでこんな小芝居をしているわけではない。

 確かに仕事の性質上、彼女達のプロフィールと睨めっこすることもしばしばあるが、こうして本人に直接言うことは極めて稀だ。

 

「来月のライブ、志保とステージに立つって決めたんだろ?」

「……はい」

 

 来月の、ライブ。

 可奈はそのステージに、厳しくも優しい、仲間であると同時に親友でもある北沢志保と一緒に出演する予定だった。

 そのために、お揃いの衣装まで用意してもらったのだ。今からお腹周りを多少緩くしてもらうこともできるだろう、けれど。

 

「じゃあ、どうすればいいかは分かるよな」

「私痩せます!! ダイエット頑張ります!! でも、やれるのかな……」

 

 いつになく自信のない可奈の声に、プロデューサーは腕を組むと。

 

「それについては俺も協力しようと思ってる」

「プロデューサーさんが、ですか? でも──」

「あぁ、前回の褒めて頑張らせよう作戦は失敗だった。それは認めよう」

 

 前回、というのは以前だいたい似たような流れで可奈のダイエットに協力していたプロデューサーによる、少しでもお菓子を我慢したら可奈を褒め倒してモチベーションを維持させようという作戦のことを指していた。

 これに関しては一定の成果を挙げたものの、可奈がプロデューサーの見ているところでしかお菓子を我慢できなくなった辺りで中止となった。

 同じ轍は踏むまいと、今回プロデューサーは新たな策を用意していたのである。

 

「題して『褒めてダメなら引いてみろ作戦』だ!!」

「わ〜、どんな作戦なのかな〜♪ 可奈とっても気になるな〜♪」

「うむ、早い話が前回の逆をいく作戦だ」

 

 前回の逆。 

 つまりダイエットを頑張ったら褒めるのではなく、引いていく。

 痩せられなかった日数に応じて、可奈に対してプロデューサーが他人行儀になっていく。そういう作戦である。

 

「あっ、それで最初あんな話し方だったんですね」

「その通りだ矢吹くん、厳しい作戦になるが着いて来られるかな?」

「イエッサーです、プロデューサーさん!! 矢吹可奈、頑張るぞ〜♪ やる気倍増〜♪」

 

 こうして、可奈とプロデューサーの一ヶ月に及ぶダイエット作戦が始まった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 2週間後。

 

「おはようございまーす。今日はお団子を作ってみたんだけど、よかったら──って、可奈ちゃん?! どうしたの? 大丈夫?」

「春香さぁん、大丈夫じゃないかもです……うぅ、お団子とプロデューサーさん、どっちをとったら……」

 

 頭のリボンがトレードマーク。

 765プロダクションのセンターオブセンター、天海春香は困惑していた。

 彼女はお菓子作りが趣味で、今日もこうして黒糖を使った新作団子を、シアターの子達にも食べてもらおうと持って来たのだ。

 そう、持って来たのはいいのだけれど。

 いつもなら、真っ先に反応して、美味しい美味しいとお菓子を食べて幸せそうな顔をしてくれる矢吹可奈が、今日に限ってひどく悩ましい声を出している。

 というより、机に突っ伏していた。

 すると、横から。

 

「あー、アカンて春香。可奈な、今ダイエット中やねん。次のライブまで頑張るいうてたわ」

「あちゃー、そうなんだ……でも奈緒ちゃん、それとプロデューサーさんと、なにか関係してるの?」

「それなんやけどな」

 

 可奈の隣で台本を読み込んでいた横山奈緒は、春香にことのあらましを、可奈とプロデューサーが行なっているダイエット作戦の内容を伝えると、最後に一言。

 

「ちなみに一昨日やったかな、呼び方が『矢吹さん』になってたわ」

「す、 すごい徹底ぶりなんだね……プロデューサーさんらしいけど」

「見てるこっちも辛いでほんま。なぁ可奈、アメちゃん一個くらいならええんちゃう? 我慢のし過ぎもよくないで」

「私も奈緒ちゃんに賛成かなぁ。要は食べたぶんだけ動けばいいんだよ、シアターの周りで走り込みとか。私でよければ付き合うよ?」

 

 言いながら、アメを差し出す奈緒に、お団子を勧めてくる春香。

 そんな二人の優しい言葉が心に響いたらしく、可奈はヨロヨロと顔を上げると。

 

「あ、ありがとうございます、春香さん、奈緒さん。そうですよね、動けばいいんですもんね!! よーし、じゃあいただき──」

「矢吹さん?」

「ませーん!! すみませーん〜♪」

 

 お団子が口に入る直前、部屋に入って来たプロデューサーの声が可奈の手に突き刺さった。

 

「歌っても誤魔化せないですよ矢吹さん」

「うわ、ついに敬語になってもうた。しかもなんや刺々しい感じまでしとるし」

「元は役者畑の人だからね、プロデューサーさん。ある程度は演技だと思うけど、結構頑固なところあるから……」

 

 奈緒は半ば呆れたような目でプロデューサーに視線をやる。まさかここまで徹底するとは思っていなかった。

 対照的に、春香はなにかを思い出すような目線で二人のやりとりを眺める。

 そして、プロデューサーに敬語で(たしな)められた可奈は、今までで一番距離のある接し方をされてしまった上に、今日までの流れですでにダメージを負っていた矢吹可奈は。

 矢吹可奈の、涙腺は。

 

「うぅ………ひぐっ……ごめんなざい〜〜」

「あっ」

「あー」

「えっ」

 

 呆気なく、決壊してしまった。

 上から順に奈緒、春香、プロデューサーの三者三様の反応である。

 春香は可奈を優しく抱きしめ背中をさすり、奈緒は咎めるような視線をプロデューサーに向けた。

 

「流石にやり過ぎとちゃいます?」 

「……あ、あぁ。いや、まさか可奈がここまでショックを受けるとは」

 

 やや呆然とした表情を見せるプロデューサーに、奈緒はやれやれと言いたげな顔で。

 

「可奈、言うてましたよ。『私の歌を認めてくれたプロデューサーさんの期待に応えたいんです』って、だから他人行儀にされてもめげずに頑張るって」

「…………」

 

 奈緒の言葉に、奈緒が伝えた可奈の言葉に、プロデューサーの脳裏へ可奈との思い出が走馬灯のように過ぎる。

 初めて出会ったときのこと。

 初めて彼女の歌を聞いたときのこと。

 彼女の夢を教えてもらったときのこと。

 可奈の笑顔が、頭の中に現れては消え、また現れては消える。

 その繰り返しの中で、プロデューサーは。

 

「悪い奈緒、それに春香も、世話かけたな」

「ま、今度クレープ奢ってくださいね、それでチャラにしときます」

「ふふ、じゃあ今度4人でお出かけですね、プロデューサーさん?」

「あぁ、約束だ」

 

 そして、春香にしがみ付いていた可奈へとプロデューサーは優しく語りかける。

 

「可奈、俺が悪かった。可奈の気持ちを考えずに、間違ったやり方を選んでしまった。ごめんな」

「プロデューザーざん……私のこと、嫌いになってませんか?」

「なるわけないだろ? 俺は可奈のプロデューサーなんだから」

 

 プロデューサーにそう言われ感極まった可奈は、彼の鳩尾あたりにしがみ付き。

 

「私頑張りますからっ、歌もアイドルもダイエットも。全部、全部頑張りますから〜〜」

「知ってる、知ってるよ。可奈が頑張り屋なのは、俺がよーく知ってる……知っている、はずだったのにな」

「私も、痩せられなくてごめんなざい〜〜」

「俺の方こそ、辛い思いをさせてすまなかった」

「プロデューサーさんっ」

「可奈っ」

 

 互いに呼び合い、抱擁を交わす二人。

 雨降って地固まる。

 気持ちのすれ違いはあったけれど、こうして可奈のダイエット騒動は幕を──

 

 

「それはそうと、ダイエットの時間よ──可奈」

 

 黒髪の少女であった。

 やや癖のある長い黒髪に、意志の強そうな瞳が特徴の、スタイルの良い少女だった。

 彼女は可奈の同僚で、ライバルで、仲間で、親友で、次のライブの共演相手で。

 名前を、北沢志保といった。

 

「し、志保ちゃん……どうして」

「話は美咲さんから聞かせてもらったわ。可奈とプロデューサーさんが最近妙な空気になっていたのは知っていたけど、まさか衣装が入らなくなっていたなんて……ね」

 

 ゾッと、可奈の背筋に冷たい予感が走る。

 志保は笑っていた。

 口に微笑みをたたえ、可奈に向かって笑いかけていた。

 けれど、その目はちっとも笑っておらず。

 

「可奈。私、とても楽しみにしているのよ、あなたとのライブ。だから私にも協力させて、大丈夫絶対衣装が着られるようになるまで絞ってあげるから」

「あわわわっ」

 

 これは不味いやつだ。

 これは本気で人を扱くときの志保だ。

 可奈の頭に警鐘が鳴り響き、彼女は助けを求めるべくプロデューサーへ縋り付くような視線を送る。

 そして、志保もまたプロデューサーへ向き直ると。

 

「プロデューサーさん。可奈のこと、お借りします」

「あぁ、あとは志保に任せるよ。頑張ってこい可奈!!」

「プ、プロデューサーさんの薄情者〜〜!!」

「まずは軽くシアターの周りを5周……いえ10周はしなきゃダメね。それから腹筋運動をして、そのあとは──」

 

 

 2週間後。

 プロデューサーは無事にライブを終えた可奈にお詫びのスイーツを用意し、それを他のアイドルにも見られたせいで財布が寒くなるのだが、これが本当の自業自得であった。

 

 

 

 




気がついたら奈緒が出てる不思議


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『あのね静香ちゃん──ヒニンってどういう意味なの?』

未来は知らなくて静香は知っている、そういう風潮、あると思います


 

 

 プロデューサーは追跡していた。

 ターゲットの移動した痕跡を探してシアター内を歩き回り、その足取りを掴んで今度はシアターの外にある生垣までやって来た。

 彼の読みに間違いがなければ、ターゲットはこの辺りにいるはずで。

 

(おっ、いたいた……やっぱりここか)

 

 幸先がいい。

 もう少し探し回る覚悟はしていたプロデューサーだったが、無事にターゲットの目視に成功。

 ここまで来てうっかり見つかることのないよう息を潜める。

 手に持った網の射程範囲をもう一度頭に思い浮かべ、狙いを定めるプロデューサー。

 一歩、また一歩と距離を縮めて、そして。

 

(3、2、1──今だっ!!)

 

「シャーーーーっ!!!!」

「あだだだだっ!!」

 

 プロデューサーの振った網は空を切り、ターゲット──もとい子猫の逆襲に遭うのであった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「──と、まぁそんなわけで失敗したんだ」

「ふふっ、それは大変でしたね……はい、消毒終わり。絆創膏貼りますね」

「あぁ、ありがとう風花。悪いなわざわざ」

「気にしないでください、こぶんちゃんのこと、手伝いに行けなくて申し訳なく思っていたんです……言い出しっぺは私なのに」

 

 シアター組トップクラスのスタイルの持ち主──豊川風花はそう言って、プロデューサーの顔にできた引っ掻き傷へ絆創膏を貼っていく。

 

「でも正直、風花が言ってくれなかったら誰も気がつかなかったろうしな、それだけでも十分だ」

「もう、プロデューサーさん。ダメですよ〜、もうちょっと私達を頼ってくれないと」

「……そうかもな、次は誰かに手伝ってもらうとするよ」

 

 にしても。と、プロデューサーはため息を吐き。

 

「こぶんもいつの間にか成長していたんだなぁ……避妊手術なんて、考えてもいなかった」

 

 そう、避妊手術である。

 なお今回手術を受けるのは、元気と探検欲に定評のある小学生アイドル──大神環が拾ってきた、子猫の『こぶん』だ。

 飼い主は環だが、監督者はプロデューサーであり、この場合手術を受けさせる義務は彼に発生する。

 そういう事情があったので、彼は網を片手にこぶん捕獲作戦を実行していたのだった。

 

「飼い猫さんはだいたい生後6〜8ヶ月で手術を受けますから、タイミング的には少し遅いくらいなんですけどね」

「へぇ、それもやっぱり理由があるのか?」

「最初の発情期がその時期に来るんですよ、なのでその前に行うのが通例なんです」

「なるほど……なら、やっぱり早めに捕まえないとだな」

 

 確かこぶんは、もうそろそろ1歳になるはずだ。拾われてきた際に診てくれた獣医師が出した年齢から計算すると、少なくとも10ヶ月は過ぎている。

 問題は、プロデューサーがあまりこぶんに──というより、動物全般に好かれにくい体質であることだ。

 

「環がいてくれたら話は早かったんだが」

「帰省中ですもんね、環ちゃん。香川でしたっけ?」

「あぁ、お祖母さんの家に行ってくるそうだ。帰りは手術の翌日だったかな」

 

 なので飼い主の助力は願えず、自分でどうにかするしかないのである。

 他にも数名、こぶんを確実に捕まえられれであろうアイドルに心当たりはあるものの、こういう日に限って揃いに揃ってオフなのだ。

 病院には今週末、つまり4日後に連れていく手筈なので、手術前の絶食時間を加味すると今日明日で捕まえたいというのが風花の弁だった。

 

「でも避妊手術のこと、環ちゃんにはどう説明するか迷っちゃいますね……」

「それとなく(ぼか)すさ、それよりも次は成功させないとだ。また失敗したとなると、時間的にも流石に不味い」

「私も、レッスンが終わったら手伝います。ダメとは言わないでくださいね?」

 

 念を押すように言われたプロデューサーは、肩をすくめると。

 

「……分かったよ、よろしく頼む」

「はいっ、よろしく頼まれました♪」

 

 風花はレッスンに向かい、プロデューサーは捕獲作戦第2弾の前に事務仕事を全て片付けようと、ウィンドウを立ち上げた。

 すると、そんなプロデューサーの前に、シアター組のセンターを務める少女──春日未来が廊下から顔を覗かせた。

 未来はプロデューサーへ近寄ると、いつものように元気な声で話しかける。

 

「ねぇねぇプロデューサーさん、さっき風花さんと話してたことなんですけど──」

「ん? あぁ、未来か。悪い、今少し立て込んでて……急ぎの話か?」

「うーん、急ぎじゃないんですけど。プロデューサーさんが忙しいなら静香ちゃんに聞こうかな……? お疲れさまですプロデューサーさん!!」

「あっ、おい未来。行ってしまった……」

 

 そう言うなり、スタスタと歩き去ってしまう未来。

 今思えば、この時ちゃんと未来の話を聞いていれば、あんな事にはならなかったのだろうと、プロデューサーは過去の自分の迂闊さを呪うのだった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 765プロライブ劇場は大きく分けて6つのブロックに分かれている。

 そのうち、平常時のアイドル達が過ごしているのは事務室か楽屋のどちらかであり、春日未来はその例に漏れず楽屋にて人を待っていた。

 すると程なく控え室へ、一人の少女がやって来る。

 

「あーっ、待ってたよ静香ちゃん!!」

「ちょ、ちょっと未来っ。急に飛びついてこないでよ、ビックリするじゃない、もうっ」

 

 腰まで伸ばした長髪に、凛とした佇まいのアイドル──最上静香は、自身の腰に抱きついてきた未来を引き剥がし、椅子に座らせると。

 

「全く、未来も少しは落ち着きというものをね──」

「え〜、でも静香ちゃんだっていつも大声出してるよね?」

「そ れ は !! 未来が突拍子もないこと言い出すからでしょ!!」

 

 言ってるそばから大声の静香であったが、未来は意に介さず温めていた質問をぶつけにかかる。

 

「でね、私静香ちゃんに聞きたいことがあって、本当はプロデューサーさんに聞こうとしたんだけど忙しそうだったから」

「私に? 別に聞くのは構わないけれど、どんな話なの?」

 

 本来聞こうとしていた相手がプロデューサーとなると……演技関係の話だろうか? と静香は予想した。

 あのプロデューサーは元役者で、こと演技の話になると非常に頼りになる人だ。

 もっとも、普段の行いというか美咲へのアプローチのせいで人としての評価はプラマイマイナス時々プラスなのだが。

 しかし歌のことなら兎も角、静香はあまり演技を得手とはしていない。

 ならば自分よりも適任者がいるのでは──なんて、そこまで思考を伸ばした静香に、春日未来は純粋な声でこう聞いた。

 

 

「あのね静香ちゃん──ヒニンってどういう意味なの?」

「んぶはぉ!!!!」

「静香ちゃん?!」

 

 静香は、盛大に咽せた。

 動揺して、普段ならあり得ない声を出してしまった。

 それに釣られて、未来も驚いた表情を見せる。

 けれど静香はそんなことは一切気にせず、未来の口から出た衝撃の言葉にひたすら混乱していた。

 

(ヒ、ニン? えっ、ヒニン? ヒニンって、避妊のことよね……? なんで未来がそんなこと……ま、まさか)

 

 まさか、そういう相手がいるのかと、静香の思考が飛躍する。

 それこそまさかであるのだが、今の静香は完全に冷静さを欠いていた。

 

「だ、ダメよ未来っ。貴女まだ14歳なのよ?! それなのに……早すぎるわ!!」

「お、落ち着いて静香ちゃん。私よく分からないけど、ヒニンって大人がすることなの?」

 

 大人がするというか、場合によってはしないというか。

 しかし未来の返事を聞く限り、そもそも彼女にはその手の知識がまるで無いように思えてきた。

 別に静香だって詳しいわけではないけれど、保健の授業で習った程度の知識でしかないけれど、未来のそれは自分以下だ。

 

「あのね未来。学校の、その……保健の授業で、そういう話は習っていないの?」

「う〜ん、聞いたことないかも。でも静香ちゃんは知ってるんだよね?」

「うっ、えっと、私は……」

 

 そう切り返されて、静香の顔が赤くなっていく。

 流石に、ここで知らないとシラを切るのは難しいか。いかに未来が細かいことを気にしない性格とはいえ、ここまでの話の流れで静香がヒニンの意味を理解していないとは思っていまい。

 というかだ、同じ学校に通っているはずなのに、なぜ未来は習ってないのだ。と静香は心の中でぼやく。

 クラスによって授業の進行度が違うことはあるだろうけれど、それにしたって遅い気がする。

 ……まぁ、ここで保健の先生への不満を募らせって仕方がない。静香はそう思うことにした。

 

「だいたい未来ったら、なんで急にそんなことを聞こうと思ったのよ」

 

 そもそもだ、なぜ未来は急にこんなことを尋ねてきたのか、そこを逆に聞くことで彼女は話の矛先を逸らそうとした。

 それが、すべての始まりだった。

 そして未来は、時に残酷なまでに純粋な少女は、混じり気のない邪気のない表情で、言うべきことを言う。

 

 

「え〜っとね、風花さんとプロデューサーさんが話してたんだ。ヒニンがどうとか、失敗したとか言ってたよ?」

 

 最上静香の、時が止まった。

 頭が、未来の言葉を理解しようとし、それを心が拒絶する。

 

(プロデューサーと、風花さんが……?? 嘘よ、なんで……そんな……)

 

 風花さん、豊川風花。

 元看護師で、笑顔が素敵で、夕焼けみたいに包み込んでくれる歌声が眩しい女性で。

 彼女とプロデューサーが避妊について話していて、そして失敗という言葉が出てきて。

 静香は頭の中がグチャグチャになってしまいそうだった。

 

「プロデューサーさんってなんでも出来る人だし、失敗したって言ってたのが気になって──静香ちゃん?」

 

 急に赤くなったと思ったら、今度は青ざめてしまった静香を見て、未来は心配そうに顔を覗きこむ。

 けれど、今の静香にはそれに答える余裕すらなかった。

 

(だって、だってプロデューサーさん、あんなに青羽さんが好きだって言ってて……)

 

 ところ構わず告白して、いつものようにフラれて、それでも好きだと公言し続けて。

 美咲だって、よく見れば満更でもない雰囲気で。

 なんとなく、あの二人はいつか付き合い始めるんだろうなと、静香はそう思っていた。

 もしそうなったら、お祝いの一つでも用意しようかなんて、考えていたのに。

 それなのに、なぜ風花と。

 いや、そもそも。

 なぜ、アイドルと。

 プロデューサーとアイドルが、そういうこと(・・・・・・)になったら、どうなるのか分からないはずがないのに。

 765プロは、このシアターはどうなってしまうのか。

 そして、自分自身は。

 

「……未来は、ここで待っててくれる?」

「静香ちゃん、どうしたの? 私も一緒にいるよ?」

「ありがとう未来、でも大丈夫。私が行くわ」

 

 静香は一人、事務所へ向かった。

 いつだって隣にいてくれる優しい親友に、今から自分がしようとしていることを、見られたくなかったから。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 プロデューサーと初めて会ったとき、なんだか掴みどころのない人だなと、静香は思った。

 表情はよく動くし、口調だって場面によって変わるけれど──それが本心なのかが掴めない。

 面接を終えて、正式にシアター所属のアイドルとなった後もその印象は変わらず、この人は自分のどういうところを評価して選んだのか、よく分からなかった。

 だけど、だからこそ。

 最上静香は、あの日のことを生涯忘れないだろう。

 

「……プロデューサー。今、お時間大丈夫ですか?」

「あぁ、静香か。ちょうど一区切りついたところだよ、どうした?」

「未来から聞きました……その、風花さんとのこと」

 

 いつになく真剣な声で話す静香に、プロデューサーはなんのことかと考えたが、先ほど交わした未来との会話を思い出すと。

 

「あー、あれか。やっぱり未来には聞かれてたんだな」 

「なら、本当なんですか? プロデューサーが、えっと……失敗したって」

「あぁ。あまり知られると恥ずかしいから、風花と2人でこっそり終わらせるつもりだったんだが……」

 

 なにせいい年した大人が、子猫を捕まえようとして顔を引っ掻かれましたなんて、あまり吹聴したい話でもない。

 しかしこうして知られてしまった以上、この話がシアターに広まるのも時間の問題か。と、プロデューサーは年少組からの『なんでこぶんを捕まえようとしたのか?』なんて質問にどう答えたものか考えようとして──目の前の静香が、プルプルと震えていることに気がついた。

 

「──んですか」

「静香?」

「どうしてなんですか?!」

 

 静香は、気がつけば大声をあげていた。

 自分の勘違いだと思っていたかったのに、そう信じていたのに、決定的な言葉をプロデューサーから聞いてしまった。

 

「言ってくれたじゃないですか、プロデューサー。私のこと、誰もが認めるアイドルにしてみせるって」

 

 そして、父親にも絶対認めさせると。

 あの日、プロデューサーと共に父親と、今後のアイドル活動について話した、あの日のことを、静香は今でもはっきりと覚えている。

 

『最上さん、私はプロとして娘さんを──静香を、765プロに採用しました』

『この子には、アイドルとして成功する器があります』

『確かにそれは、貴方の望んだ彼女の将来ではないかも知れません』

『ですが私はプロデューサーとして、静香の将来に嘘をつきたくない』

「この子はなりますよ最上さん、誰もが認めるアイドルになる。私がしてみせます」

 

 嬉しかった。

 そこまで、自分のことを買ってくれているのだと知って、知ることができて。

 この人になら任せて良いのかも知れないと思えたのだ。

 自分の夢を。

 最上静香の夢を。

 

「嬉しかったのに、本当に嬉しかったのに……プロデューサーとなら、どこへでも行けるって思ったのにっ。どうして、こんなこと!!」

「待て、待ってくれ静香、さっきから一体なんの話を──」

 

 この期に及んで白々しい。

 はっきり言わなきゃ分からないのなら、言ってやると、静香は羞恥心を捨てた。

 

 

「──だから、風花さんと避妊に失敗したって話です!!!!」

 

 たっぷり。

 5秒ほど沈黙して、やがてプロデューサーはゆっくりと口を開いた。

 

「静香」

「なんですか、今さら──」

「猫の話な」

「…………え?」

「うん、猫の話。シアターで面倒見てるこぶんっているだろ? 環が連れてきた子猫、そろそろ避妊手術を受けさせないとって風花に言われたんで、俺が捕まえようとしてたんだよ……まぁ、ご存知の通り失敗したんだけどな」

 

 そこまで一息に説明して、プロデューサーは静香の様子を伺った。

 すると怒りで赤く染まっていた顔が、今度は拾い直した羞恥の赤に塗り替えられていく。

 猫。

 猫の話。

 子猫の、避妊手術の話。

 なるほど、つまりあれだ。

 自分の勘違いだったわけだ。

 勝手に勘違いをして、思い違いをして、プロデューサーに詰め寄って、勢いに任せてとんでもないことを──

 

「いやぁ、でも嬉しいよ。静香がそんな風に思ってくれてたなん──あだただだだっ!!」

「〜〜〜〜〜〜ッ!!!!」

 

 それ以上言わせるものかと、静香のヘッドロックが炸裂した。

 

「ちょ、静香っ。極まってる、バッチリ極まってる!!」

「ふーっ!! ふーーっ!!!!」

「猫かお前は!!」

 

 アイドルの照れ隠しで昇天していられるかと、必死に抜け出すプロデューサー。

 彼は静香の肩を抑えると、彼女が落ち着くのを待った。

 そして、十数秒が経過して。

 一見平静を取り戻したように見える静香は無言で、プロデューサーが壁に立てかけておいた網を掴み。

 

「……すみませんでしたプロデューサー。こぶんちゃんを捕まえてきます、私のことは探さないでください」

「いや、そんな家出少女の書き置きみたいに言わなくても……別に気にしてないって、むしろ広まる前に誤解が解けて良か──」

「行ってきます!!」

「あーおい、静香。行ってしまった……」

 

 さっきも似たようなやり取りがあったなぁとデジャヴを感じつつ、プロデューサーは事務作業へ戻ることにした。

 暫くすれば、静香も元に戻るだろう。

 これで本当に静香がこぶんを捕まえてくれたのなら助かるが、もし無理だったら風花も含めた3人で捕獲作戦でも練るかと、プロデューサーはその光景を思い浮かべて小さく笑った。

 

 一方その頃。

 楽屋で静香の帰りを待っていた未来に、静香と似たような話を聞かされ、似たような誤解をしたアイドル達が、必死の形相でプロデューサーのもとへ向かっていたのだが、今の彼にはそんなこと知る由もないのであった。

 

 

 

 




多分先頭に琴葉がいる


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『そ、そうかな……私、凄い……??』

名前だけクロス


 

 

 

 その日、箱崎星梨花が事務室のドアを開けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

 彼女はスタンダードな箱入り娘のお嬢様であり、それゆえに世間に疎くシアターで周囲を驚かせたりすることもあったが、流石にこれは光景の方が普通ではないと思った。

 

「えっと……これはジャスミン、隣のがシトロネラで、こっちはアニシード、かな……?」

「お〜、的中ですな〜」

「すげーよ可憐!! オレ1個も分からなかったのに……」

「あ、ありがとう……昴ちゃん、美也さん。これなら頑張れる気がする……!」

 

 ソファーの真ん中に座っていたのは全体的にゴージャスで派手な格好をした人見知りアイドル──篠宮可憐だ。

 彼女はなぜか目隠しをしており、手に取った瓶の匂いを嗅いでは、その元になった物の名前を挙げていく。

 その右隣でウェーブのかかった茶髪に太眉がチャームポイント──宮尾美也が、湯飲みを片手に可憐のことを見守っており。

 左隣ではボーイッシュな外見とは裏腹に声がカワイイと評判の永吉昴がはしゃいでいた。

 

「あの、皆さん。なにをしているんですか?」

 

 星梨花がそう尋ねると、真っ先に反応したのは昴だ。

 

「お、星梨花。なぁ星梨花もこっち来いよ、可憐の利きアロマ凄いんだぜ?」

「ふふふ、昴ちゃんはすっかり可憐ちゃんに魅せられてしまってますね〜」

 

 こぞって自分を持ち上げる2人に可憐は顔を真っ赤に染めて、星梨花へ事情を説明しようとする。

 

「え、えっとね星梨花ちゃん。これは──」

 

 なお、目隠しは付けたままだった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「楓の部屋、ですか……?」

「あぁ。名前は聞いたことあるよな。346プロさんとこの番組だし」

「は、はい。高垣楓さんが司会をされてるトーク番組、ですよね……」

 

 楓の部屋。

 というのは346プロダクションに所属する、ミステリアスなオッドアイが特徴で、お茶目な駄洒落でお茶の間を凍らせるのが特技の歌姫系アイドル──高垣楓の冠番組である。

 毎回ゲストを呼び、語らいながら進む一見和やかな番組であるが、ときおり飛び道具のように楓のしょうもないジョークが炸裂するので注意が必要だ。

 

「それでだな、今回その楓の部屋から可憐をゲストに呼びたいとオファーがあった。喜べ可憐、本人直々の招待ってやつだぞ」

「え……えええぇ?! わ、私がですか……? 翼ちゃんと茜ちゃんじゃなくて?」

「ほら、前にNステで共演したときに、アロマの話をしていたろ? それで興味を持ってくれたらしい」

 

 確かに、以前『りるきゃん』として国民的音楽番組で共演した際、彼女がアロマの話題に反応してくれたことを可憐は覚えていた。

 てっきり緊張していた自分に気を遣ってくれただけなんだと思っていたのに、まさか自分の冠番組に招待してくれるなんて。

 そう思うと、可憐の胸がぽわぽわと暖かくなった。

 

「なんでも、先方のディレクターが利きアロマの企画を考えているらしくてな、いいアピールの機会だと思わないか?」

 

 訂正、可憐はその発言ですっかり肝を冷やしてしまった。

 

「利きアロマ……ば、番組の中で? む、無理ですよプロデューサーさんっ。スタジオでなんて絶対無理ですぅ……」

「そんなことはないと思うが……可憐ならやれるよ、アロマには自信があるんだろ?」

 

 落ち着いた場所でなら兎も角、スタジオでカメラに囲まれてしかもあの高垣楓の目の前で利きアロマ? 無理だ、可憐は本番でNGを連発する自分の姿を想像し、頭がクラクラしてくるのを感じながら、プロデューサーへ訴えかける。

 

「だ、だって……も、もし失敗したら、『口だけアロマスキー』とか『年中鼻詰まり』とか、そんな……へ、変なあだ名がお茶の間に広がるんですよ……っ?!」

「ネガティブ発言だけやけに流暢だな……でも考え過ぎだよ、本番は俺も着いていくし、横で見てるから」

「で、でも……」

 

 それでもやっぱり、可憐は失敗が怖かった。

 失敗して、こいつのアロマへの想いはこんなものなのかと思われることが。

 周りに迷惑をかけてしまうことが。

 そしてなにより、プロデューサーからの期待を裏切ってしまうことが、怖い。

 こんな自分に目をかけてくれた彼の期待に応えられないことが、可憐にとってはなによりも恐ろしい。

 

「うーむ、なら仕方ない。か」 

「プ、プロデューサーさん……?」

 

 やけにあっさりとした、彼らしくもない引き際に、可憐は嫌な予感がした。

 そして大抵の場合、そういう予感は当たる物だ。

 

「よし、あとは頼んだぞ、2人とも」

「はい〜、お任せあれ〜」

「オレたちがコーチングするから、頑張ろうな!! 可憐!!」

 

 プロデューサーの言葉に返事を返す、二つの声。

 いつの間に入ってきたのか、可憐が振り向くとそこには声の主──もとい、美也と昴がアロマの瓶を手に立っていた。

 

「美也さん、昴ちゃん……? あ、あの、プロデューサーさん。これは……」

「いやまぁ、なんだ。可憐がこういうこと言いだすのは正直読めていたからな、事前に助っ人を依頼していたのだ!!」

 

 つまり彼女たちが助っ人で、これからなにが始まるのだろうと可憐は小首を傾げる。

 

「そーいうこと。やろうぜ可憐、利きアロマ」

「安心して下さい〜、可憐ちゃん。可憐ちゃんが自信を持てるようになるまで、私たちがお手伝いしますよ〜」

 

 ニッと男勝りな笑みを浮かべた昴がそう言って、菩薩のように穏やかな笑顔をした美也がそれに続く。

 あぁ、助っ人って、こういうことかと可憐はようやく合点がいった。

 つまり2人と利きアロマの特訓をすることで、可憐に自信を持ってもらおうというのがプロデューサーの策であり。

 ついでに言うならば。

 

(こ、断れない……っ)

 

 こんな笑顔を向けられて、それを無下にできるほど篠宮可憐の心は強くなかった。

 

「じゃあ俺は営業に行ってくるよ、また後でな可憐」

「プ、プロデューサーさん……待ってください、私まだ心の準備が──」

 

 退室するプロデューサーへ手を伸ばそうとした可憐と、そんな彼女の肩をガッチリ抑える2組の手。

 

「ではでは〜、早速始めましょう〜」

「とりあえず可憐は目隠しな?」

「あ、あわわ……っ」

 

 そんなわけで、宮尾美也と永吉昴による、可憐の利きアロマレッスンが始まった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 で、今現在。

 

「最後の二つは……フランキンセンスと、パルマローザだと思う」

「す、凄いです可憐さん!! また全問正解です、こんなに沢山アロマがあるのに、一回も外さないなんて凄いです!!」

「そ、そうかな……私、凄い……??」

「これならスタジオでやっても大丈夫なんじゃないか? もう50問くらい連続正解してるんだしさ」

 

 星梨花と昴の両名から絶賛され、可憐は満更でもない風に笑う。

 あれから星梨花も交えた4人で利きアロマの続きをしていたのだが、正解に次ぐ正解、ズバリ的中を連発した可憐の心には、プロデューサーの目論見とおり自信が芽生えようとしていた。

 可憐としても、まさか1問も間違えないとは思っておらず、もしかして自分の鼻は凄いんじゃないかという気持ちすらあった。

 

 そんな可憐に。

 

「ふふふ〜、では可憐ちゃん。この匂いがなんだか当ててもらえますか〜?」

「う、うん。いいよ……美也さん、今なら外す気がしません……!!」

「えっ、美也それって……まぁ、可憐がいいなら良いんだけどさ」

 

 フンスと鼻を鳴らす可憐は、側から見ても天狗になり始めていたけれど、元がネガティブなのだしこのくらいが丁度いいのかなと、昴はあえて止めなかった。

 そして、美也はある物(・・・)を可憐の膝に乗せた。

 当然、可憐は困惑した。さっきまでずっとアロマの匂いを嗅いでいて、実際これは利きアロマの練習なのに……感触からして、これは衣服だろうか。

 

「あ、あの……美也さん、これって……」

「今の可憐ちゃんなら、当てられるかと思いまして〜」

 

 この服が誰のものかを当てて欲しいということらしい。

 とはいえ、このシアターに出入りしている人の数は10や20ではきかない、流石にその中から正解を導き出すのは難しい。

 

「……か、可憐さん。頑張ってください!! 可憐さんなら当てられますよね……??」

「せ、星梨花ちゃんまで……」

 

 戸惑う可憐の背中を押したのは、星梨花の声援だった。

 ここまで言われて引き下がれるだろうか、いや無理だ。少なくとも自分には、この純粋無垢な期待を裏切れない。

 可憐は覚悟を決めて、その匂いを嗅いだ。

 

(あれ……なんだろうこの匂い。知ってる、私はこの匂いを知っている……)

 

 例えるのなら、苦味を抑えたコーヒーのような。干し草のベッドのような、自分を大きく包み込んでくれる、そんな匂い。

 スーッと、大きく鼻から匂いを吸い込み、肺へと貯める。

 その匂いが鼻を通るたびに、胸がドキドキしてくるのを可憐は感じた。

 

「……あ、えっと……なんだろう、パッとなんの匂いかは出てこないんだけど……私、好きだな、この匂い」

「…………」

「…………」

「おお〜、流石可憐ちゃんですね〜」

 

 可憐の率直な感想に、昴と星梨花は顔を赤くしてしまった。なにせ、嗅いでるものが物だったから。そんな2人とは対照的に、どこまでもマイペースな美也。

 

「けど、これ誰の──」

 

 服なのかな、と可憐が言おうとしたその時。

 

「ただいまー。お、どうだ可憐、特訓の成果は…………」

 

 営業から帰ってきた彼は、プロデューサーは、シアターを出た時よりもメンバーが増えていることだとか、昴と星梨花が顔を赤く染めていることだとか、美也がいつも通りいい笑顔をしているだとか。

 そんな些細なことより。

 

「なにを、してるんだ……? 可憐?」

「…………え?」  

 

 ハラリと、まるでタイミングを計っていたかの如く、可憐の目隠しが解けて。

 彼女は見た。

 というかさっきまで嗅いでいたそれを。

 思い切り目視してしまった。

 それは、男物の上着で。

 更に言うなら、このシアターに普段から出入りしている男性は1人だけで。

 最悪なことに、その張本人が目の前にいた。

 早い話が、可憐が匂いを嗅いでいたのはプロデューサーのコートだった。

 

「あ、うあ……プ、プロデューサーさん。えと、これ……えぇ?! ちちちちち、違うんです、その……!!」

「おおお落ち着け可憐、なんとなく察したから!! ちょっと驚いただけだから!!」

 

 断片的な情報から正解を導き出すスキルは、アイドルの魅力を引き出す上でも重要になってくる、その点において今日のプロデューサーは最高に冴えていた。

 目隠しをしていた可憐が、昼から気温も上がったしと置いていった自分のコートを嗅いでいる、つまり決して何かに目覚めた可憐が自分の意思で嗅いでいたわけではない!! 証明終了(Q.E.D.)!!

 が、仮にプロデューサーが答えに辿り着いたところで、可憐のパニックが収まるわけでもなく。

 

「──────あぅ」

「か、可憐ーーーーッ!!!!」

 

 篠宮可憐の意識は、プロデューサーに抱き抱えられた辺りで途絶えてしまった。

 せめてもの救いは、彼女が本番での利きアロマに成功したことだろう。

 

 

 本人曰く──あれと比べれば天国です、とのこと。

 

 

 

 




美也は仕掛けられる側ではなく、仕掛ける側だと思います


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