【完結】ダイ大短編集 (あきまさ)
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ハドラー超魔生物化~竜の騎士親子との戦いまで
One of a kind(ミスト・ハドラー)


ハドラーが超魔生物と化した後、竜の騎士親子が乗り込む前の話。
使徒との戦いが近づき意気込むハドラーがミストバーンと語り合う。


 月明かりが夜の世界を照らす頃、大魔王の腹心の部下が、かつて魔王を名乗った男の居室を訪れた。

 主のバーンが部下のハドラーに名酒を下賜するとのことで、ミストバーンが届けに赴いたのだ。

 人並み以上に酒を好むハドラーは、目に喜色を浮かべながら受け取った。

「おお、ありがたい。この酒は確か――」

 言葉が不自然に途切れる。ハドラーは一瞬瞼を閉じた。すぐに目を開けたものの、眉間には皺が刻み込まれている。

「……ハドラー!?」

 ハドラーは顔をしかめているだけだが、御下賜品に触れている指は震えている。それを見ればどれほどの苦痛を味わっているか、ミストバーンにも容易に想像がつく。

 息詰まる沈黙の後、ミストバーンは口を開いた。

「改造の反動か」

「……だろうな」

 返答までに間があった。痛みの波が過ぎるのを待ったのだろう。

 無言の視線に、案ずるなと言いたげにハドラーは相好を崩す。

 激痛に苛まれ、不安や焦りを抱かないはずがない。それでも彼は不敵な笑みを浮かべている。

 

 

 ハドラーが腰を下ろしたのは部屋の中央の仰々しい椅子ではない。部屋の隅にある簡素な丸い椅子だった。

 向かい側にもう一つ椅子があり、ミストバーンが座っている。両者に挟まれたテーブルは儚げな照明に照らされ、薄らと光を反射している。

 ハドラーの前には彫刻の施されたグラスがあり、酒が並々と注がれている。

 ミストバーンの方は酒や食事を必要としない体質のため、何も置かれていない。

 ハドラーはこのタイミングでミストバーンを前に一人だけ飲む気は無かったのだが、鋭い眼光とともに「……飲め!」の二字で押し通されたのである。

 強引な態度にやや困惑したハドラーだが、「大魔王様が『激戦が近いのだから、英気を養うように』と仰せだ」とミストバーンから補足されたため、あっさり納得した。

 中身を味わってみたハドラーは吐息を漏らした。

「なるほど。力が湧いてくるようだ」

 かぐわしい液体は、味が優れているだけでなく、生命力を増幅させるらしい。ハドラーは勝利を祝して飲むつもりだったが、バーンから戦闘前に飲むよう勧められたのも頷ける。

「大魔王様には、本当によくしていただいている……」

 鈍い痛みが和らぎ、ハドラーはしみじみと呟いた。

 表情から苦痛の色が薄れたのを、ミストバーンは感情を窺わせない目で凝視している。黒い霧の中に浮かぶ光は温度を感じさせないが、見つめられてもハドラーは動じない。

 

 

「元の体を捨てたはずだが、嗜好は残っているものだな」

 冗談めかした口調に対し、ミストバーンの方は真剣に応じた。

「捨てる、か。……私には真似できんな」

 ハドラーが捨てた物を欲しがる魔族はいくらでもいるだろうが、彼は表情で未練はないと告げている。

 感嘆とも憂慮ともつかぬミストバーンの声音に、ハドラーは冷静な面持ちで頷く。

「ああ。立場が違うからな」

 一回の戦いに全てをぶつけ、敵に打ち勝つことができれば、この身がどうなろうと構わない。たとえその場で命を喪おうと悔いはない。そのような捨て身の覚悟は爆発的な力を生むが、己の未来をも粉々に砕きかねない。

 一戦に集中すればいい者と、長い間戦い続けねばならない者とでは、必要とされる心構えは異なってくる。

 大魔王の腹心の部下たるミストバーンは、主を危険に晒す選択は取れない。

 ハドラーは、「真似できない」という言葉はそういった違いから生まれたと解釈したのだ。

 特に相手から訂正もされなかったため、言葉を続ける。

「以前のオレならば考えもしなかっただろう」

 せっかく与えられた地位や長い寿命が約束された体を、ただの意地で捨てるなどとんでもないと首を横に振っただろう。

「……あの頃は、美味いはずの酒を飲んでも味がしなかった」

 いつ自分の地位を奪われるかと常に怯え警戒している状態では、酒や料理の味など分からない。

 落ちるところまで落ち、腹をくくって、ようやく自分を押し潰しかけていた世界が色彩を取り戻した。

「オレは……奴らの宿敵に相応しい戦士になれただろうか」

 静かな問いは、話し相手ではなく己に向けたかのようだ。

 手ごたえはあるが、まだだ、もっとと己を駆り立てる声がする。おそらく命が尽きる時までやむことはないだろう。

 その声は決して忌まわしいものではない。

 敵手に相応しくなりたい。己がどこまでいけるか知りたい。そういった衝動から生まれたのだから。

 

 

 肯定の代わりに小さく頷いた後、ミストバーンは口を開きかけた。

 喋ろうとして、動きが止まる。自分でも意外だったのか、ミストバーンの眼光が明滅した。

 尊敬に値する。

 その一言で済むのに、違和感がそれを押し留めたのだ。

 鍛え強くなった者に敬意を抱いたことは数え切れない。逆に、他人の力を当てにして自ら動こうとしない連中に嫌悪を感じたことも。

 それらを口にする時は、湧き上がる感情にまかせて言葉をぶつけてきた。

 尤も、主である大魔王バーンに対しては、言葉にしきれず、伝えきれてもいない。

 出会った時すでに最強の力を身につけていたが、そこに至るまでにどれほどの鍛錬と死闘を重ねたか。筆舌に尽くしがたい苦難を乗り越え、夥しい流血と屍の果てに辿りついた境地のはず。

 器なしにはろくに力も振るえない影など、彼は一顧だにしないはずだった。

 何もかもが違う――違いすぎる相手が己の能力を必要としたことに、天命を感じずにはいられなかった。

 遥かな高みにいる者が地を這う存在に手を差し伸べた衝撃は計り知れない。

 その瞬間の、初めて陽光に照らされたかのごとき感覚は、今もなお鮮明に心に焼き付いている。

 迸る感情を全て言葉に変換し、表現しきることは不可能に近い。

 主という特殊すぎる例を除けば、思ったことをそのまま告げたことは何度もある。

 部下や仲間の戦いぶりを称賛して。

 あるいは、敵の健闘に敬意を表して。

 ハドラーに対してもそうすればいい。立派な戦士であることに疑問の余地は無い。

 今までと何ら変わらない行為だ。

 

 

 気が遠くなるほどの年月の中で出会った戦士達と、目の前の男は何か違うのか、見定めようとするかのように眼光が細くなる。

 彼ほどの実力者は少ないが、いないわけではない。現在ではアバンの使徒達がそうだ。

 同じ陣営に限定するとほぼいなくなるが、それだけでは理由にならない。竜の騎士バランもそうだったのだから。

 対等な立場と言うならば死神がいる。敬意と表現するには違和感があるが、大魔王相手に堂々と振る舞う度胸に感心したのは事実だ。

 違いがどこにあるかを探してミストバーンは深緑の面に視線を向けた。

 ハドラーはゆったりと腕を組み、視線を受け止める。

 かつては不気味がっていた相手の無に近い表情と沈黙を、今はごく自然に受け入れている。

 その姿を目にしたミストバーンの脳裏に浮かび上がったのは、大魔王に謁見する前の会話だった。

 ハドラーが保身ばかり考えていた頃は、ミストバーンに向ける視線や声音には恐れと不信が混ざっていた。

 秘めている力も、大魔王からの信頼も上。なおかつ表情や台詞から考えを読めない相手とくれば、疎むのも当たり前だろう。

 ミストバーンだけではない。

 恐ろしい主に、処刑をほのめかす死神。ろくに団結せず、いつ牙を剥いてもおかしくない仲間や部下。凄まじい速度で強くなり、己を脅かす使徒達。

 誰も彼もが恐怖の対象だった。

 声にこめられた感情が精神面の弱さを象徴していた。

 だが、謁見前、背を向けて語る彼の声には今までにない力強さがあった。

 処刑される可能性もあるというのに満足げで、以前の彼からは考えられない変化だった。

(初めてだ)

 肉体の強さを殺してしまうほど心に脆さがあったというのに、強化された身体をも上回る勢いで精神の強さを得て、真の戦士となった男は。

 

 

 かつて怯え疎む気持ちが見え隠れしていた声が、全く別の感情を湛えている。

 それだけでも驚くには十分だが、さらなる衝撃が影を襲った。

『お前には、その沈黙の仮面の下に流れる熱い魂を感じずにはいられん』

 魂が認められる日がこようとは夢にも思わなかった。

 忌み嫌っていた能力を認められただけで充分だ。それ以上何を望むのだろう。そう考え、全く期待していなかった。

 そもそもそんな日が来る可能性など、意識すらしなかったと言う方が正しい。

『おかげで最後に格好がついた……ありがとう!』

 感謝にしても同様だ。

 力を貸すのも借りるのも戦力の都合にすぎず、魔王軍の勝利のためという目的でつながっているだけの関係。少しでも弱みを見せれば容赦なく食いちぎられる、暗く血塗られた世界。棘のついた鎖のごとき禍々しい『絆』で結ばれている集団。

 そこに感謝の念が入り込むとは予想だにしなかった。

 軽い気持ちでの発言ならばないわけではない。だが、処刑されるかもしれない時に、心の底から告げる者がいると誰が想像できただろう。

(……初めてだった)

 熱い魂と評されたことも。真摯に礼を述べられたことも。

 おそらくは二度とないだろう。

 ハドラーの言葉を聞いた時、苦しみに似た何かが暗黒闘気の身を走った。不快ではない感情が心を明るく濁らせた。

 苦痛に限りなく近く、遠くもある感覚を味わうことは今までなかった。

 

 

 いつも通り、敬意を払う、の一言で片付けられない理由。

 それは相手の心境の変化に――そこから発せられた言葉にあるのか。

 ミストバーンの眼光が翳り、深く、深く、己の心を探ろうとする。

 どう語れば、心情を伝えることができるのか。

 不死身の体を捨て、大幅に力を増した肉体をも凌駕するほど心が強くなった、比類なき戦士に。

 生涯聞くことなどないと思っていた言葉をかけてきた、唯一の相手に。

 言葉を探すミストバーンに合せるように、ハドラーもまた思索に耽る。

 居心地の悪くない沈黙が流れてゆく。

 

 

 やがてミストバーンは黙考を一旦打ち切った。

「難しいな……相応しい言葉を見つけるのは」

 ハドラーは軽く目を見開いた。沈黙を常とする男が、何かを語ろうとして長い間言葉を探していたのが意外だった。

 珍しいものを見たような反応にミストバーンは気づいていないのか、テーブルの酒瓶と杯に視線を向けて呟く。

「酒に酔うことができれば、舌も滑らかに動くかもしれんが」

 酔って饒舌になったミストバーンの姿を想像してみたハドラーは微苦笑を浮かべた。

「無理に喋ることもなかろう。そこまで拘らずとも十分ではないか?」

「こればかりは、出来る限り伝えたいのだ」

 ハドラーの瞳が興味を示すようにわずかに動く。そうまでして語りたい内容が気になったが、ここで追及する気はない。

 再びグラスを持ち上げ傾けると、血のように深い色の液体が喉を滑り落ちていく。

「……戦いの後は、この酒の味も変わるだろうな」

 軽く杯を揺らしたハドラーに、ミストバーンが淡々と言葉を紡ぐ。

「バーン様は仰っていた。『勝利の美酒は喩えようもなく味わい深い』と」

 ハドラーは無言で続きを促す。

 一瞬の空白の後、ミストバーンは声に力を込めて言葉を発した。

「聞かせてくれ。その味を」

 本来持っていた身体を捨ててまで得た力で、宿敵に勝利した時の感慨を。

 高みへ上ったという実感が、目に映る世界をどう彩るかを。

「……ああ」

 言外に含まれた意味を悟り、ハドラーは愉快そうに笑う。

 戦い、勝て。

 そう言っている。

 もちろん「大魔王の敵を倒せ」という意図があっての言葉だが、それだけではない気がした。

 大魔王のため。

 魔王軍のため。

 そして――。

「フッ……」

 戦う相手は、恐ろしい速度で成長し続ける勇者達。いくら意気込もうと勝利が確定するわけではない。

 力及ばず命を落とす可能性を踏まえたうえで、ハドラーは答えた。

「鮮明に伝わるよう心がけよう。ミストバーンよ」

 軽く杯を掲げてみせ、にやりと笑う。

 ミストバーンはしばし黙った後、立ち上がる。そのまま背を向け歩み去ろうとしたが、わずかに振り返り言葉をかける。

「杯を乾す暁には、私も言葉を用意しておこう。……ハドラー」

「ほう。影の男が何を語るか、楽しみにしておく」

 歩み去るミストバーンの表情はハドラーには見えないが、微かに笑っている気がした。



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L'impeto Oscuro(ミスト・ハドラー)

ハドラーが超魔生物と化した後、竜の騎士親子が乗り込む前の話。
ハドラーがミストバーンと手合わせする。


 鈍い音が弾けた。

 生じさせたのは、人に非ざる者二名。

 片方は深緑の肌に堂々たる偉丈夫。片方は闇の霧を青白い衣装で包んだ者。

 同じ陣営に属する彼らが戦っているのは、前者の「調整」のためだ。

 

 

 ハドラーは超魔生物化の改造を終え、宿敵である勇者ダイと一戦を交えたばかりだ。

 まだ馴染んでいない可能性を踏まえ、実戦形式の組手で体を慣らすことを大魔王が提案したのだ。

 あくまで提案であって、強制ではない。発言者たるバーンはハドラーの仕上がりに満足げな表情をしている。

「余の目には、動きに違和感は見られなかった」

「はっ」

 バーンの言葉に、ハドラーも否やはない。

 技術者として見ればザボエラは非常に優れており、ほぼ完璧な状態に仕上げている。現時点で修正点らしい修正点は残していない。

 戦闘中の心身の感覚、傷の回復など、改造された本人も全く問題を感じなかった。

 座して待つだけでも責められるいわれはないが、ハドラーは提案を受け入れた。

 彼としては、より馴染ませることができればありがたい。己の力を高める願ってもいない好機だ。

 以前の彼ならば、手に入れた力に酔いしれるだけで終わっただろう。何のリスクも無く強くなったならば、磨きをかけようとは考えなかったかもしれない。

 今の彼が出した答えは違う。

 全てを捨てて得た強さを高めたい。

「その意気やよし」

 目に純粋なまでの貪欲さを宿す戦士に、大魔王は鷹揚に笑った。

 相手役としてバーンが指名したのが、ハドラーの代わりに軍の指揮を執ることとなったミストバーンだった。

 全力の戦闘でなくとも、今のハドラーの相手が務まりそうな者など限られている。

 ミストバーンは主からの命令に無言で従った。傍から見れば、快く引き受けたとも、仕事が一つ増えただけとも取れる、内心のわからぬ態度だった。

 

 

「はぁっ!」

 空気が唸り、重い音が響く。

 生身でくらえば胃液を吐きそうな蹴りにも、ミストバーンは後退しただけだ。

 来い、と言いたげに視線を合わせる彼に立ち向かうべく、ハドラーは虚空を蹴った。

 銀色の髪の煌めきが、流星のごとく尾を引く。

 再度、重い音が生じた。

 ハドラーが指を組み合わせ、拳を作って叩きつけたのだ。

 重力の軛を忘れたかのような加速からの、体全体を使い、重さをのせた打撃。

 単純だが力のこもった一撃は男の腰のあたりに突き刺さり、空に漂っていた影が地に引かれる。

 そのまま落ちることをよしとせず、ミストバーンは空中で体勢を立て直し、反撃に転じる。

 

 

 生じる音に金属の甲高い響きが混じり始める。

 単純な打撃から、各々の得物を活かした攻撃へと移ったのだ。

 両手の爪を伸ばした剣術。右腕に仕込まれた剣と体術を組み合わせた闘法。

 どちらも我流だが、描く軌跡は無駄が無い。

 元々違和感なくかみ合い動いていた、ハドラーの体の歯車。

 無言で力をぶつけ合ううちに、それらがいっそう滑らかに時を刻み始める。

 闇との激突に触発されたのか、戦士の奥底に眠っていた何かが目覚める。

 ハドラーは大魔王から復活する度に強くなる肉体を与えられていた。超魔生物と化して失われたと思っていたが、特性は残っていた。

 彼を死の淵から蘇らせた暗黒闘気も。

 ハドラー自身も気づかぬほど静かに、血液のように全身を巡り、新たな肉体を武器の如く研ぎ澄ませていく。

 彼自身の、より強くなりたいという闘志に応えて。

 瞳に燃える炎が勢いを増し、それを目にしたミストバーンは拳に力を込める。

 血塗られた争いから生まれ、どす黒い闘気で構成された彼の身体は、闘争を本能とする。戦いに心身を燃やすことを欲している。

 それを阻むのも彼の体だ。

 積み上げた力で戦っている実感を得られない。

 戦うために存在するような体でありながら、戦いを重ねて得られるのは虚しさだけだった。

 主と出会えなければ、己の能力も戦いも歩みも全てが無意味という諦念に心が塗り潰されていたかもしれない。

 影には成しえぬ所業に挑むのが目の前の戦士だ。

 心から認めた宿敵との戦いに力を尽くし、刹那に全てを懸けること。

 それは、魔界最強の存在である主にすらできないかもしれない。

 王であるがゆえに。

 すでに頂点に立っているために。

(お前は……!)

 ミストバーンの眼が眩しさに耐えるように細められる。

 高みを目指し、強くなること。

 大魔王から与えられた、滅びから遠い肉体を捨てること。

 一人の戦士として戦いに臨み、ほんの一瞬に全ての力をぶつけること。

 彼には不可能なことを成し遂げる男の姿に、平静ではいられない。

 

 

 両者の意志に呼応したかのように、全身から力が、闘気が、噴き上がる。

 暗黒闘気と魔炎気。

 黒き霧と、紅き闇。

 双方の勢いは激しく、相手を押し流さんとする。

 弦楽器が音を奏でるように、激しく、優雅に空気を震わせる。

 両者の響きは拮抗していた。

 

 

 協奏曲はやがて終わりを迎えた。

「世話を掛けるな、ミストバーン」

「かまわぬ。お前がさらに強くなれば、大魔王さまもますますお喜びになる」

「さらに、強く……」

 半ば独り言に近い呟きをハドラーが漏らすと、切り込むような返答が彼の耳に飛び込んできた。

「強靭な肉体を……大魔王様から与えられた不滅の体を捨てたのだ。満足し、歩みを止めるには早いだろう」

 ミストバーン眼光は鋭く、声は圧力すら感じさせる。

 時が凍ったかのような沈黙が二人の間に訪れる。

 決めつけるような口ぶりのミストバーンに対し、ハドラーは気分を害さなかった。

 台詞の内容は、ハドラーがさらに上へゆけると告げているのだから。

 ハドラーはかつての己を振り返らずにはいられなかった。

 立場に拘泥していた頃ならば、同じ陣営の者が強くなることを歓迎できなかっただろう。

 いつ上回ってくるか。どれほど己の地位を脅かすのか。そんなことばかり意識していた。

 侮っていた相手に気づかされ、己を見つめ直して、認める気になれた。

 己より強い者が大勢いると。

 彼らの領域に辿りつきたいのだと。

 目の前の男は、ずっと前から強者を認めてきた。

 敵であっても、強くなりたいという意思があれば、その想いだけは肯定するだろう。

(オレに対してもそうだった)

 惨めな姿を目にしても蔑まず、引き受ける理由の薄い頼みを聞いて、魔王軍最強の戦士になれると激励さえしたのだ。

 自分に同じことが可能か考えてみると、すぐに答えは出た。

 隙を見せれば喰われる弱肉強食の世界で、妬まず、疎まず、相手が強くなっていく事実を歓迎し、称賛することはできるのか。

 以前の彼ならば間違いなく不可能だ。覚悟を決めた現在であっても、全てを抵抗なく受け入れられるとは言い切れない。

(お前は……!)

 ハドラーの眼が熱さを堪えるかのように細められる。

 自分には困難なことをやってきた相手の姿に、平静ではいられない。

 

 

「まだまだ止まるつもりなどない。大魔王さまのためにもな」

 ハドラーが口の端を持ち上げながら告げると、ミストバーンの眼光がわずかに細くなった。霧の下の表情は、おそらくはハドラーと同じだろう。

「ならば、その果てにあるものを見せてみろ」

 命令じみた台詞にもハドラーは動じなかった。

 ミストバーンの傲岸な口調の奥に見え隠れするのは、願いに近い感情かもしれない。

 地位や名誉、報酬といった見返りは期待できないのに、時間稼ぎに協力した理由。

 大魔王が強力な戦士を欲しているという前提があっての行動なのは言うまでもない。

 もし、主の満足以外にも理由があるならば。

(オレは、知りたい。オレがどこまでゆけるのか)

 そう思っているのは、自分だけではないのかもしれない。

 ハドラーは口元を綻ばせたまま、決意を込めて言葉を贈る。

「オレが今歩んでいる道は、お前の助けもあって拓けたのだ。……見届けるがいい。同じ道を歩むのだから」

「……同じ……」

 間をおいて放たれた声からは圧力が薄れていた。遠くに思いを馳せるような呟きだった。

 ミストバーンは肯定するでもなく、否定するでもなく、黙り込む。

 再び沈黙を纏った男に背を向け、ハドラーは歩き出した。

 背に当たる視線ににじむ感情が何色なのか、知ることはできなかった。



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玻璃(バーン・キルバーン)

ハドラーが超魔生物と化した後、竜の騎士親子が乗り込む前の話。
ミストバーンについてバーンとキルバーンが語る。


 魔の気配の満ちる空間に、複数の影がある。

 大魔王バーンの傍らには腹心のミストバーンではなく、死神キルバーンが佇んでいる。

 超魔生物への改造、ダイとの交戦を経たハドラーは自室に控え、ミストバーンも席を外している。

 短時間とはいえ死神と二人きりなど心胆を寒からしめる状況だが、怖気づく大魔王ではない。

 悠然たる面持ちを崩さぬまま、バーンは口を開いた。

「随分と態度が違うな」

 大魔王の呟きが指しているのは、謁見前のキルバーンとミストバーンとのやりとりだった。

 今までキルバーンはハドラーを軽視し、それを隠そうともしなかった。反応を楽しみ、玩具のように扱っていた。

 軽い刺激を求める程度の気持ちで、ハドラーの処刑を唱えてもおかしくはない。

 仮に彼が命を絶たれても、心を痛めるどころか大いに笑い、すぐに忘れてしまうだろう。

 そんな男が今回、ハドラーを露骨に馬鹿にする真似はせず、ミストバーンに心配しないよう告げたのだ。

 他にも、ハドラーの顔を立てるという名目で戦闘において手出しを控えたり、海に落ちた彼の様子をミストバーンに見に行かせたりしている。

 常の死神からは想像できない行動だ。

 

 

 常識的に考えれば、キルバーンがミストバーンに配慮するのは何もおかしな話ではない。

 長い時間を共に過ごす人物との関係が険悪になるのは、誰もが避けたい事態だろう。

 相手を気遣う優しさの持ち主でなくても、自分が快適に過ごすため、敵を作らないよう立ち回るのは自然な行動だ。

 あくまで、普通ならば。

 死神は、例外だった。

 彼の姿勢は、暗殺者として送り込まれたという特殊な立場以上に、性格が大きい。

 彼は、他人からの好悪の念には拘泥しない。誰からどう思われようと気にせずにいる。

 茶化すような態度を取るのは、敵だけでなく、同じ陣営の者に対しても当てはまる。

 己より遥かに強大な力を持つ相手の前で、ふてぶてしく笑っていられる性根の持ち主である。

 不興を買い攻撃を受ける可能性も踏まえながら、彼は恐怖を知らぬように振る舞い続ける。薄氷の上でステップを踏むかのごとき行為を、死ぬまでやめないだろう。

「似合わんことをするものだ」

 バーンが指摘したのは、飄々としているキルバーンらしからぬ行動を取ったからだ。ハドラーの扱いを一変させ、ミストバーンに配慮している様子なのが、常の印象と似つかわしくない。

 バーンの言葉にキルバーンは額に手を当て、嘆息してみせた。

「魔界一の紳士に何たる言い草。元々気遣いのできる男ですよ、ボクは」

 前半部分はわざとらしく嘆いたものの、後半はやや真面目なトーンになった。

 キルバーンの台詞も全くのでたらめではない。

 他人の心情を読み取る観察眼。周囲の感情や注目をコントロールする立ち回り。脅威を察して捌いていく技術は、『死神』として生きていくために欠かせない。

 己が楽しみながらも、相手が本気で排除にかからぬ程度に抑える。一線を越えぬよう、茶化す範囲で留めておく。その境界を見極める目を、からかう以外の用途に発揮しただけの話だ。

 敵意を恐れぬ死神とて、闇雲に喧嘩を売り歩くことはしない。己にとって煩わしい事態に発展しない程度には空気を読み、場合によっては取り成すこともある。

 時折周囲のバランスを調整するような振る舞いを見せるのは事実。

「……いつもそうする気にならないってだけです」

 バランスを取ることがあっても、それ以上の行動には出ないのも確かだ。

 相手の望む言動を察知する能力はあっても、その通りに動いて良好な関係を築くつもりはない。

 どれほど疎まれ憎まれようと、痛痒を感じない。周囲から好かれようと望むことも、そのために積極的に行動することもない。

 そんなキルバーンがミストバーンには気遣いを見せる。

 支障なく過ごすだけならば不要なはずの行動を取っている。

「機嫌を損ねたくないようだな」

「そりゃそうですよ。ミストは唯一友人と呼べる相手ですし」

 さらりとした口調は本気で言っているか疑わしい。

 ミストバーンを唯一の友人と言いながらも、別の相手に関心を抱くことを不快に感じている様子はない。友達を取られるという子供じみた不安を抱えてはいない。

「疎ましくはないのか?」

「わかってるくせに、心配要らないことくらい。新しく宝物を手に入れたって、持ってるものを軽く感じる性格じゃないでしょう」

 遠慮なく言い返したキルバーンは、声を潜めた。

「……それで苦しむことになってもね」

 

 

 死神は手を伸ばし、己の隣の空いた空間を指し示した。

「誰にどんな感情を抱こうと、彼がいる場所はここだ」

 大魔王の傍ら。

 死神と対になるかのような位置。

 ミストバーンが立つ場所は変わらない。ずっと昔から続いてきて、これからも永遠にそのままだ。

「ふ……」

 大魔王は笑みを刻んだ。声ににじむ余裕と確信は死神と同じ。

 キルバーンは伸ばした指の先へちらりと視線を向けて、静かに呟く。

「ボクのやることが似合わないと仰いますけど、楽しみを優先しているだけですよ」

 訪れる結末を考えれば、友人にはあまり入れ込まぬよう勧めるべきかもしれない。

 彼が望んでいない結末へ向かう可能性が顔を覗かせている。

 ハドラーは高みを目指す戦士となったことで、過酷な戦いに臨むことになる。無惨に命を絶たれてしまう可能性は低くはない。

 大魔王のハドラーに対する認識を考えれば、駒として切り捨てる未来もありうる。ミストバーンが主君の決定に逆らうはずもなく、心を痛めながらも見殺しにするだろう。

 対象を目映く感じるほど、光は炎と化して己を焼く。

 大魔王の腹心という立場で他者に情を抱くのは諸刃の剣。火種に触れようとするような行為だが、死神は警告しない。

「カッとなって無茶をするなら止めますけどね。そうじゃないなら――」

 続く言葉の代わりに、横へ伸ばしていた手を下ろす。

 何も考えず猛火に突っ込むような、周囲が見えていない無謀な突撃ならば制止する。

 だが、心を焼かれることになろうと、輝きを見出し、望んで手を伸ばすのならば本人の意思に任せる。

 ミストバーンが感情に従った結果、死神との友情が形成されたように。

 

 

 キルバーンの肩に乗っている小人も真面目な表情をしている。無邪気な笑みを引っ込めて、主人の心を覗くように仮面を見上げる。

 何らかの道や信念に己を捧げる生き方。強い感情に彩られた表情。

 死神はそれらを他の相手でも楽しんでいるが、内容は異なる。

 普段は尊重しようとは露ほどにも思わず、弄び、憤懣や絶望を味わうだけだ。

 友人に関しては違う。心の動きを眺め、時には背を押す。

「その結果どうなろうと、楽しめる」

 酷薄な言葉は、水晶細工を扱うかのように柔らかい口調だった。



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so sweet(親衛騎団・ハドラー・ミスト)

ハドラーが超魔生物と化した後、竜の騎士親子が乗り込む前の話。
己の見方を改めようとするハドラーとミストバーンの会話。


 どんな流れで出たかは分からないが、その一言は通りすがった足を留めさせるのに十分だった。

「可愛いキミが謝れば許すに決まってるって」

 台詞自体は何らおかしくない。

 場所と、相手が問題だった。

 魔王軍の幹部達が集う地で、大魔王バーンの腹心の部下に使うには相応しくない表現だ。

 「主君にとって可愛い部下であるキミが」と補足すればさほど違和感はない。

 違和感を抱くのは、そのままの意味で言っている場合だろう。小動物にでも向けるような調子で。

 敵に対し降伏すら許さず命を奪おうとしたり、元弟子を玩具のように葬ろうとしたりする男なのだ。一般人どころか魔王軍の面々であっても、言い出す者はまずいないはずだった。

 発言者であるキルバーンの口調に含みはない。軽い挨拶のように口にしただけだ。

 言われた側のミストバーンも、そのまま会話を続けている。

 気にするような空気でもないが、聞き慣れない単語に親衛騎団の一員――ヒムは首を傾げた。

 ハドラーの居室へと移動する最中だったため、歩みを再開しつつ仲間達へ話を振る。

「男ならカッコいいって言われる方が嬉しいもんじゃないのか?」

「決めつけるべきではないでしょう。そもそも、我々が性別を持ち出すのはおかしな話です」

 真っ先に口を開いたのはアルビナスだ。冷たい声には感情がこもっていないように聞こえる。

「戦いの駒である私達には理解できないでしょう」

 突き放すような言い方に機嫌を損ねることもなく、ヒムは他の仲間へと視線を移す。

「実は嬉しかったりするのかね。フェンブレンはどう思う?」

「ど――」

 どうでもいい。心の底からどうでもいい。

 本音が口から出そうになり、かろうじて飲み込む。仲間から話を振られて切り捨てるのも気が引ける。

「どうだろうな。わからん」

「うむ。作られて間もない我々には判断する材料がない」

 無難な答えを絞り出し、シグマが同調したことに安堵しかけたフェンブレンはぎょっとした。

 ヒムが主に駆け寄りながら大声を出したからだ。

「じゃあハドラー様に訊いてみるか。ハドラー様ー!」

 やめてくれというフェンブレンの願いもむなしく、ヒムは元気よく質問をぶつけた。

「ハドラー様は可愛いって言われたら嬉しいですか!?」

「待て。何の話だ?」

 突然すぎる質問の意図が全く読めず、ハドラーの表情が固まった。

 ヒムからの説明と仲間の補足で事情を把握すると苦笑が漏れた。中途半端な形の笑みには、部下の突飛な行動への驚きと楽しむ気持ちが入り混じっている。

「やっぱりカッコいいって言われる方がいいですか」

「バーン様に恥をかかせぬ程度には見苦しくないよう振る舞いたいが……」

 ハドラーの苦笑が深くなった。

 胸に去来したのはつい最近までの己の姿。

 大物ぶろうとすればするほど内側の脆さをさらけ出すこととなり、逆効果だった。

 見栄を張ろうとして失敗する様の、なんと滑稽だったことか。

 中身が追い付いていないのに上辺を取り繕おうとしても虚しいだけだ。

 気を取り直して、好奇心を瞳に浮かべている部下に尋ね返す。

「何故気になったんだ?」

「ハドラー様から聞いた話と可愛いって言葉が結びつかなかったので。実は全然オレの想像と違うのかなー……こう、正面からガンガン殴り合うのが好きなのかと思ってました」

「貴方がそうだからといって、他の方も同じとは限らないでしょう」

 ヒムの台詞にアルビナスが冷静に返す中、ハドラーはわずかに苦い表情をしていた。

 

 

 親衛騎団とのやり取りから間もなく、ハドラーとミストバーンが会話する機会が訪れた。

 椅子に座り、報告や連絡を行う間、喋る割合はハドラーが圧倒的に多い。

 用件が済んだ後、ミストバーンはハドラーのもの言いたげな表情に気づいた。相手の言葉を促すように視線をぴたりと据える。

 ハドラーが部下達とのやりとりをかいつまんで説明すると、納得した様子で答える。

「あいつからそう言われるのにはもう慣れた」

 慣れると言うからには何度も言われてきたことになる。

 意外な内容だったため返答が思いつかず、ハドラーは黙っている。

「私の反応が面白いらしい。困ったものだ」

 困っている気配皆無の口ぶりに、説得力は欠片もない。

 本人に仲の良さをアピールする意図や自覚はないのだろうが、聞いている方は反応に困る。

 再びハドラーは沈黙を選んだ。追及すべき事柄ではないと判断したのだ。

 自分が混ざりたいとは思わないが、恩のある相手が楽しい一時を過ごすのは良いことだ。

 

 

 質問と応答は終わったが、ミストバーンはまだ席を立たない。

 他愛のない話題だったはずが、ハドラーの面から笑みが消えているためだ。己の半生を振り返るような遠い目で虚空を見つめた後、対話の相手に目を向け直す。

 表情のわずかな変化が、空気を張り詰めさせる。

「……どうした?」

 ミストバーンが問う声にも重みが加わった。真剣な眼差しがぶつかり合い、火花を散らす。

「オレは何も見ていなかったのだと思ってな」

 ミストバーンとキルバーン。二人の親しげな様子は目にしたが、当時心にもたらされたのは恐怖だけ。

 己を監視し、失態を報告する存在が増えたと憂鬱になるだけだった。自分の地位や権力を崩す未来しか頭に浮かばなかった。

「オレがお前を疎んでいたことは前も言ったな」

 かつてハドラーがミストバーンに抱いていた印象は、お世辞にもいいものとは言えなかった。

 不気味で底知れない。何を考えているか分からない。

 己を脅かす存在の一つだった。

 時間稼ぎを頼む際も、彼の人格を信頼したのではなく、現れた相手に縋りついただけ。機会を与えてくれるならば誰でもよかった。

 だが、改造される最中、己と周囲の今までの行動を振り返り、認識が変わっていった。

 真意が知れない状態から、誠意を感じるようになった。冷酷な男だと思っていたが、情があることを知った。

 抱いていた印象と見つめ直した結果とで大幅にズレが生じたのだ。

「勝てなかったのも当たり前だ。ろくに見ようとしていなかったのだから」

 対象がミストバーンに限った話ではない。

 他の団長達とも向き合っていれば、離反を招くこともなかった。

 ハドラー個人の話にとどまらず、魔王軍が敗北を繰り返さずに済んだだろう。

「ヒムの言葉で思ったよ。偏った見方を改めたつもりでも、違うかもしれない。……いや、確実に歪みは残っているだろう」

 いくら覚悟を固めたからとて、一息に全て変われるものではない。

 捨てたつもりの怯懦や猜疑心は残っているだろう。

 まだ偏っているのであれば、正さなければならない。

 重要でありながら見えていない側面があるかもしれないのだ。

 闇の奥に届かんばかりの眼光が霧の貌に向けられる。重りを乗せられたかのようにミストバーンの視線が若干下に傾き、不思議そうな声が転がり出た。

「これ以上知る必要があるのか……?」

「姿をまともに見なければ、勝利は掴めまい」

 敵も、自分自身も。

「仲間のことも」

 知ろうとしているのは、戦闘に直接関わる要素――備えている能力や攻撃方法だけではない。

 

 

 ミストバーンは答えない。

 普段口数が少ない男だが、今回の沈黙は不自然なほどに長い。

 話題が転換した時のハドラーと似たような空気を漂わせている。

「呆れたか。使徒のような言い草だと」

 ハドラーは己の言動を振り返りながら呟く。

 アバンの使徒を、あるべき姿を教えてくれた相手として認めている自分と違い、ミストバーンにとっては憎らしい敵。

 敵対している者達と似たようなことを言い出しては、不愉快だと感じてもおかしくない。

 魔王軍の気風を考えれば生ぬるいと嘲笑されそうな考えだ。ハドラー自身、情やつながりといった概念をくだらないと見なしてきた。

 あるいは、大魔王からの信厚き己と同列に扱うなと、プライドを傷つけられ怒ったかもしれない。

 腹に力を込めて返答を待つハドラーの前で、ミストバーンはようやく口を開いた。

「……いっそバーンの使徒と名乗ってみるか?」

「ぶはっ!?」

 ハドラーの口から声と息が噴き出て変な音を立てた。拒絶を覚悟しただけに、反動が大きい。

 影の面を凝視すると、ミストバーンの眼の光がちらちらと揺れている。

 表情のわかりづらい容貌の持ち主だが、ハドラーの反応に満足げだ。笑いを堪えるように口元を掌で覆っている。

「仲間呼ばわりするなと一蹴するかと思ったぞ。ミストバーン」

「力をあてにするだけならばそうしただろう」

 一瞬、ミストバーンの眼光が鋭くなった。盾として使い潰すための方便に耳を傾けるほど寛容ではない。

 そっけない返答だが、ハドラーは笑みを浮かべた。

 ミストバーンは、ハドラーは違うと――都合よく仲間という言葉を持ち出したわけではないと判断したことになる。

 少しは信頼されるようになったと受け取ってもいいのかどうか考えながら、しみじみと呟く。

「しかし、お前がそんなことを言うとは……」 

 敵に倣おうとしているかのような発言だ。言い出したのがミストバーンでなければ、冗談と受け取られず、忠誠心が足りないと責める者も現れかねない。

 機嫌がよくなければこんな台詞は飛び出さないだろう。

「気分を害さなくて何よりだ。一つ、知ることができた」

 一歩間違えれば不敬だと咎められるような軽口を叩くとは思いもしなかった。

 彼を疎んでいた頃ならば、目にする機会がないか、見ても混乱するだけで終わっただろう。大魔王のお気に入りであることを見せつけているのかと、卑屈な捉え方をしたかもしれない。処刑されかねない己との違いに打ちのめされ、惨めさを噛み締める展開もありえた。

 

 

 ささやかな内容とはいえ人物像を修正できたため、前進したと言える。

 立ち上がろうとしたハドラーに、ミストバーンは注意を促すように指を一本立ててみせる。

 訂正を求めるのか。それとも、付け加えるべき事柄があるのか。

 何かを理解した気になったのは早すぎたかもしれない。

 座り直し、耳を傾ける姿勢を取ったハドラーに、ミストバーンは淡々と告げる。

「よほどのことがない限り不快には思わん」

「そうか」

 発言を受け入れる基準が、想定よりも遥かに甘かったのか。

 再度認識を改めようとしたハドラーに、ミストバーンは付け足した。

「今のお前の言葉ならばな」

「……また一つ、か」

 許容範囲が広いのか狭いのか、判別しづらい。

 新たに判明した情報に、修正を急ぐハドラーだった。



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原作前・魔界の話
In■■nity(ミスト)


原作開始前、魔界でバーンに仕えるミストバーンの話。
自分と同じ存在に出会った彼は……。


 大魔王の傍らに立つ男がふと顔を上げた。

 彼の名はミストバーン。大魔王に長年仕える腹心の部下だ。

 言葉をかけられたわけでもないのに反応を示した彼に、対になるように立っていた男は視線を向ける。黒ずくめの衣装を身にまとう彼はキルバーン。死神の異名を持つ男だ。

「侵入者? 気配は感じないけど」

「……呼ばれたような気がした」

 答えを聞いたキルバーンは目を丸くした。彼には聞こえなかったらしく、不思議そうに首をかしげる。

「誰に?」

 今度の質問にはミストバーンは首を横に振った。わからないと示したあと、主の方に顔を向ける。

 大魔王バーンは鷹揚に頷き、ミストバーンも了解したと言うように視線を下方へ落とす。

 それだけで意志の疎通を行う主従に呆れるキルバーンを残し、ミストバーンはその場を離れた。

 何者かが招いているような感覚は強くなっていく。源を探ろうとするまでもなく、足は勝手に進んでいく。

 

 

 接近する者の気配を察知したかのように、華やかな宮殿の一角に闇がにじんだ。

 にじんだだけで、それから何も起こらない。近づいてきた生物を呑みこもうとする不穏な兆候はない。

 見る者に違和感を抱かせるが、それだけだ。照明の効いた室内に夜を切り取って貼りつけたようなちぐはぐさを感じさせるばかりで、何かを主張するわけでもない。排除したいほど場違いだと思わせないのは、静穏を保っているためかもしれない。

 黒い霧に向かって、ミストバーンは正体を問うた。

「何者だ?」

 他人が見れば訝しみそうな光景だが、本人は真面目だ。炎や氷ですらない何かに意思があることを感じ取っている。

 返答は、尋ねた者の内側に直接響いた。

『わたしは、おまえだ』

 答えになっていない答えがミストバーンの心に広がり、沁み込んでいく。

 わけのわからないことを、と切り捨ててもおかしくない内容だが、ミストバーンには心当たりがある。

 自身の正体を鑑みれば、目の前の存在が何者か、『それ』が何故そう答えたのか、どちらも理解できる。

 ミストバーン――ミストと同じ無数のどす黒い思念から生まれた存在だとすれば、自分と相手を同一とみなしても不思議ではない。発生源も、身を構成する闘気も、誰でもあって誰でもないからだ。

 誕生の仕方が他者と異なっているからこそ、起こり得る現象だ。

 彼は疑問を抱くことなく答えを受け止めた。

 暗い感情はいつの世もなくなることはなく、戦いも際限なく起こる。自分以外に暗黒闘気の集合体が現れてもおかしくない。

 

 

 起こった現象と正体に納得はしたものの、ミストバーンはその場に留まっている。

 彼は不機嫌そうに眼の光を細めて舌打ちした。

 彼の本来の姿と違い、『それ』は人の体に近い形をなしていない。どこからどこまでが『それ』なのかすら判別できない。虚無が無理に姿を現わせばこうなるかもしれない。

 目らしき部分はないのに、空虚な眼が彼を見つめているのがわかる。

 害意は無い。悪意も殺気も感じられない。

 それなのに、ミストバーンの心に嫌悪感が湧き上がる。

 彼の内心を知らぬのか、同類と呼べる存在は戸惑いを伝えてくるばかりだ。

『わたしには、わからない』

 何をするために生まれ、こうしてこの場に存在しているのか。

 ミストバーンは、素朴な疑問に答える気にはなれなかった。

 黒い靄を観察したところ彼ほどの力はない。

 他者の身体を乗っ取り操ることはできず、暗黒闘気を使って戦うこともできない。

『この世界に住んでいても、光を求めるものがいるようだ。……なぜだ?』

「必要としているからだろう」

 彼自身はそうでもないが、主が焦がれ欲しているのだから、そう答えた。

 

 

 わずかな間、誰でもない者は思考に浸った。体質が近いためかミストバーンの心を部分的に読みとったらしく、吟味している。

『どうすれば、わたしも……』

 その後に続く内容は混然としていて読みとれない。

 ただ、彼を羨んでいることは感じられた。

 ミストバーンの眼が細められる。

 相手が悪意をぶつけてくるわけでもないのに、無性に気に障る。苛立ちのままに彼は口を開いた。

「お前が私より使えるようになれば、あの御方は必要とするかもしれん」

 消耗しない身体でも疲れきるほど彷徨った果てに、能力を得るかもしれない。

 新たな“彼”に忠誠心があり、より役に立つならば、大魔王が選ぶのは。

 役目に必要とされるのは一人だけ。

「だから……」

 ミストバーンの眼がギラリと光った。

 掌から黒い波動が噴き出し、刃を形成する。彼が手を大きく振るうと霧が裂かれ、実体を持たない者が苦しげに悶えた。

「私以外の“私”は要らん」

 声は、眼光は、感情で滾っている。

 身をよじるかのように揺れ動く霞に幾度も攻撃を叩きつけ、生命を削り落とそうとする。

 動揺と恐怖、混乱に襲われている相手にミストバーンは宣告した。

「バーン様にお仕えするのは……この私だ!」

 同種と呼べる存在に対しての冷酷な仕打ちに、躊躇いはない。

 今まで大魔王のために繰り広げた戦いは数え切れない。これから起こるであろう戦いも同じく、無限に近いはずだ。どれほど強大な敵を相手にするか、どれほど多くの生命を奪うか、見当もつかない。その中には大切な存在も含まれるかもしれない。心身ともに激しい苦痛を味わうかもしれない。

 それらも全て、切り捨てることができる。

 悲壮と呼ぶには晴れやかな表情で、彼は先のことを想った。

 主が存在するならば、闘志が尽きることはない。

 

 

 姿が薄れつつある相手は恐怖を感じたように後ずさった。親しみを覚えて招いたはずなのに、今は遠ざかろうとしている。

『おそろしい』

 自分と主以外の全てを敵に回してもかまわないという意思。世界より個人を優先する思想。

 それほど重きを置くならば、たった一人の魔族がいなくなるだけで生きる意味すら感じなくなるだろう。

 出会いによって執着が芽生えた。

 大魔王と出会わなければ、生き延びることへの執念も弱かったかもしれない。

 やるべきことがあるから消滅するわけにはいかない。誰かのために勝利しなければならない。そのような想いは、仕えるまではなかったものだ。

 消えかけながらも暗黒闘気の塊は意識を伝えようとしてきた。

『どうして、そこまで』

 果てなき想いは狂気に近い。

 答えぬまま、ミストバーンは爪の剣を一閃した。

 

 

 主の元に戻った彼は、何事もなかったかのように同じ位置に立った。

 その姿から何をしたかは読みとれなかった。



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怒りの日(ミスト・キル・バーン)

原作開始前、魔界での大魔王達の話。
戦闘メイン。


 魔界を統べる者の住まう宮殿を目指し、魔物と魔族、竜の軍勢が雲霞のごとく攻めよせる。

 世界の終焉を告げるかのように、圧倒的な数と力をもって迫りくる。

 数える気にもならない大軍を迎え撃つのはたったの二名。

 王の名を冠し、対となる存在。主を守る者と、敵の命を狩る者。

 虚空に立っていた彼らは降下し、音もなく地に足をつけた。軍記から抜け出したような敵勢を見ても動じていない。

 押し寄せる軍勢を眺める死神の眼がきらりと光った。獲物を前にした狩人のように。

 肩の近くに浮かんでいる使い魔、一つ目の小人が大群を指差し、軽く上下に振りながら手を横に動かしていく。

「いーち、にーい、さーん……えーと、たくさん!」

 よくやった、と言うように死神は使い魔の頭をなでた。小人は目を細め、嬉しそうに顔をほころばせるが、非力な彼を戦力として計算することはできない。

 大軍は止まらない。少数が相手だと悟っても容赦するはずがない。数が少なければ蹴散らし踏み躙るだけだ。

 つぶらな瞳を不安に曇らせ、小人は主人の背後に隠れた。

「キルバーン、どうなの?」

 恐る恐る放たれた言葉への返答は、明るく無情なものだった。

「ざっと見た感じ、千匹以上いるね」

 散歩中のように気軽な口調で呟いたキルバーンは大げさに肩をすくめた。

「軍が別の戦いに回されてるからって……二人だと、ねえ?」

 困った困ったと嘆いてみせたものの、敗北の予感を抱いている様子はない。単に面倒だと言いたげである。

「それじゃ、そろそろ行こうか」

 意味ありげに目くばせした先には眼を炯々と光らせる友の姿があった。互いに傍らに立つ者の強さを確信しているのか、死地に赴く悲壮さは感じられない。

 沈黙している影は無言で爪を伸ばした。こすれる音とともに剣の形をとり、空を切り裂く。

 死神も鎌をくるりと回した後に柄を強く握り、固い地を蹴った。

 二人は勢いよく斜面を駆け降り、大軍へと突進した。

 

 

 爪の剣が、鈍く光る鎌が、地をこすり悲鳴のような音を立て、大地に傷を刻みつつ迫る。

 ある一点に達した瞬間銀光が翻り、各々の武器が振り上げられた。

 目にも止まらぬ速度で跳ね上がった刃が魔物達の首を切り飛ばす。鮮やかな切断面を見せた胴体はわずかな停滞の後にどうと倒れ伏し、液体を迸らせながら落下した頭部はごろりと転がった。

 あっけないとさえ言える動作に皆の反応は一瞬遅れた。虫を叩き潰すよりも自然な呼吸で生命を絶ち切ったのが信じられなかった。経験した戦いの数も、屠った生命の数も、桁が違う。

 鮮烈であるはずなのに実感の湧かない殺戮劇の幕開け。戸惑った敵に切っ先が突き刺さり、抉った。

 影と死神の疾走は止まらず、敵のまっただ中へ切り込んでいく。

 爪の双剣が身体を紙のように易々と切り裂き、鎌が首を草のように薙ぎ、はねていく。

 噴き出した鮮血が手を下した者の身体を染めるより早く彼らは動き、無造作に生命を刈り続ける。返り血を浴びるより先にさらなる犠牲を求め刃を振るう。

 一方的な殺戮に大地が血の色に染まった。断末魔が木霊し苦痛の声が大気を揺り動かす。終焉を告げるはずの軍勢は、逆に、己の終焉を迎え命を散らしていく。

 地獄がこの世に現れたような光景。その中で死を振りまき続ける二名の姿は静謐ささえ感じさせた。

 突き出された剣や槍、爪が時折青白い衣を引き裂くが、内の影には何ら痛痒を与えていない。ただの武器で霧を傷つけることはかなわず、無数の穴が開いた衣はしゅうしゅうと音を立ててふさがっていく。

 死神も切られ、突かれ、撃たれるが、体を揺らすだけで痛みは感じないかのように戦闘を続行している。亡者が動いているような、不死身と思える戦いぶりだ。

「でもねぇ」

 キルバーンは小さく舌打ちした。

 いくら個々の強さは比べ物にならないとはいえ、数が違いすぎる。このままでは消耗し、戦えなくなるだろう。

「ボクはミストとは違う。あんなにタフじゃないもの」

 使い魔が出ていれば大きく頷いたことだろう。

 ミストバーンの方は全く疲労を感じないかのように剣を振るい続けているが、キルバーンの身体からは血が流れている。

 不死身を自称しているものの、影と違って何の打撃も受けないわけではない。

 攻撃を加えられれば傷つき、損傷が重なれば動きも鈍る。そうなれば確実に破壊されてしまう。

 

 

 喉を鳴らしたキルバーンは強く地面を蹴り、中空へと駆け上がった。

 彼は高らかに手を掲げる。

「ショーダウン!」

 その一言が鍵となったように荒れた地面に紋章が現れた。トランプを象った四種のマークが浮き上がり、眩い輝きを放つ。

 轟音とともに地獄の業火が立ち上り、魔物たちを焼いた。絶叫すら呑みこまれ、押しつぶされ、焼かれていく。炎が消える頃には生命の気配は完全に途絶え、消し炭と化した物体が幾つも転がっていた。

 顔をしかめたくなるようなにおいが漂う中、キルバーンは奇術師のような身振りで手を動かし、パチリと指を鳴らした。別の罠が作動し、無数の杭が地面から突き出し敵の身体を穿った。肉を貫く耳障りな音が響き、獲物を串刺しにしていく。

「元々こっちの方が得意だからねェ」

 真っ向から力をぶつけて戦うやり方は好まない。その気になれば正面対決でもかなりの強さを発揮するだろうが、そのような戦い方には興味を持っていない。

 この周辺には複数の敵を巻きこみ生命を奪う数々の罠があらかじめ仕込まれていた。

 下ごしらえしていた料理を完成させるかのように手が振るわれる。ばたばたとなぎ倒された魔物の上に無慈悲な攻撃が降り注ぐ。ただでさえ乱れ切っていた足並みは完全に崩壊している。

 ミストバーンが生じた空間に走りこみ、爪を収めた。

 魔物達が殺到するが、影が指揮者のごとく指を小さく動かすと彼らの動きが止まった。凄まじい圧力が彼らの身体を締め付け、砕いた。

 漆黒の陣に捕らわれた者達は虫のようにもがき、動きを止めていく。

 ぐん、と片手が強く握りこまれ、次に勢いよく開かれた。

 指から無数の糸が放出され、そこらに転がる死体に結びついた。

 何体もの骸が悪魔に魅入られた者のように不自然な動きで立ち上がり、得物を構える。

 傀儡はかつての仲間に向かって剣を振るい、武器を突き立てた。

 魔影は片手で複数の僕を操りながらもう片方の手を剣と化し力任せになぎ払う。

 片手に人形、片手に剣。

 作業と見なすには優雅な動作で敵対者に死を見せていく。

 淡々と敵を屠る影と違い、死神は楽しそうだ。

 二人の息の合った攻撃に、敵は瞬く間に数を減らしていく。

「アハハハハァ!」

 朗らかな笑い声が断末魔を超えて響き渡る。戦場に不釣り合いな、子供の無邪気さを感じさせる声音が敵の背を凍らせた。

 

 

 残された魔族たちが魔法を放つと死神は地に降り立った。得物を手に疾走する彼らに死神が宣告した。

「神々の祝福」

 どこからともなく発生した煙が魔族たちを包み込んだが、阻むことはかなわない。

「オレたちを祝福する神など……存在するものか!」

 怒りとも悲しみともつかない叫びが空気を震わせた。男の言葉に従うように魔界の空は暗黒に閉ざされている。光無き空だけが血で血を洗う戦いを見守っている。

 身をかわしたキルバーンに追撃を浴びせようとした男たちが胸をおさえ、喉をかきむしって倒れ伏した。表情は苦痛と恐怖に染まり、残酷な死神を見上げている。

 がくりと頭を垂れた彼らは身を震わせていたが、鎌が心臓を貫き命の灯を消した。

 とどめを刺して苦痛の時を終わらせたキルバーンは身を震わせて己の手を見つめた。

「いるかもしれないよ。機械仕掛けの神なら、ね」

 呟く彼の肩にぴょこんと飛び乗った使い魔がうんうんと頷いてみせる。

 

 

 ふとミストバーンが上方を振り仰いだ。友の視線を追ったキルバーンが口笛を吹く。

「さあ、魔界の神のお出ましだ」

 空気が変わる。立ちこめる何かが色を変える。

 先ほどまでとは質の異なる厳かな雰囲気が戦場を支配した。

 ミストバーンとキルバーンが退き、道を作る。

 その中央に、焼き尽くす者の名を持つ魔族が姿を現した。

 焼き尽くす対象は魔界の空を遮る世界と、その道を阻む者達。

 闘いの音に誘われるかのように集う彼らへ、王が宣告した。

「永遠の安息を与えてやろう」

 巨大な柱と化した、浄化の炎が立ち上った。



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final messenger(バーン・ミスト)

原作開始前、魔界でのバーンとミストバーンの話。
戦闘メイン。


 偽りの光が空にある不毛の地、魔界。

 雷鳴がとどろき、宮殿を照らした。その主は老人だが、皺の一本一本から威厳と余裕が溢れている。

 彼は玉座にてかすかな溜息を吐いた。傍らに立つ影が要望に応えようと動きかけるが、大魔王は何も語らない。

 手に握られているのはチェスの駒。彼は盤上に目をやり、叩きつける。

 チェックメイト。

 しかし大魔王の表情は物憂げだ。

 彼を苦しめているのは、退屈という病だ。

 忠実なる部下、ミストバーンは困ったように眼光を明滅させた。主の命令ならば何でも実行するつもりだが、心の内に巣食う敵を抹殺することはできない。

 バーンは気だるげに再び息を吐いたが、眼に明るい輝きが灯る。

 軽く手をかざすと映像が映し出された。

 魔族が魔物を率いて城へと進撃している。

 その狙いは大魔王の首。弱肉強食の理に従い、大魔王の代わりに豊かな生活を手に入れようとしたのだろう。

 部下からも報告がもたらされ、バーンは不敵な笑みを浮かべた。

「来客をもてなさねばなるまい」

 ミストバーンは無言で頷いた。主が命を落とす心配は毛ほどもしていない。来襲する軍勢では不可能だと見抜いている。仮に危機が迫っても自分が盾となって守り抜くと誓っている。

 

 

 大魔王の軍勢が迎え撃ち、両者が競り合う中、空気が重みを増した。

 敵軍の前方に大魔王が姿を現したのだ。

 なかなか決着がつかないことに業を煮やした様子もなく、どこか嬉しそうに。

 大魔王の配下は速やかに後退し、場を譲った。直々に応対しようという主の意を酌んだのだ。

 バーンの指先に小さな灯が宿る。凄まじい速度で城門へと進む魔物達へ、爪ほどの大きさの、ちっぽけな火の球がいくつか飛んだ。ちろちろと頼りなく輝くそれが揺らいだ直後、轟音と共に巨大な火柱を形成した。

 あっという間に体を焼かれ上空へと吹き飛ばされる味方の姿に驚愕したように進撃の勢いが鈍るが、戦意は失われていない。それを見たバーンは笑みを漏らし、手を動かして挑発してみせた。

 弾かれたように放たれた閃熱呪文がバーンへと迫るが、ミストバーンが素早く主の前方に飛び出し、己の体で受け止めた。闇の衣が翻り、増幅された閃熱呪文は術者へと跳ね返り、焼き尽くした。

 ならば直接攻撃あるのみ、と周囲の魔物達が己の爪や武器で斬りかかったが、瞬時に伸びた鋼鉄の爪が彼らの全身を穿った。

 一瞬で集団を蜂の巣にしてもミストバーンの動きは止まらない。すぐさま爪を縮め、軽く跳ぶ。生じた空間に飛来したのは圧縮された暗黒闘気の弾丸。直撃した魔物は凄まじい衝撃に断末魔を上げすことすらできず絶命した。

 大魔王へ飛びかからんとした魔物の動きが止まり、逆に味方の魔物の首を切り落とす。空中に浮かぶミストバーンの手から暗黒の糸が伸び、魔物の四肢を絡め取っている。敵を傀儡として操ることのできる、暗黒闘気の扱いに長けたミストバーンにこそ可能な技だ。同士討ちに混乱しかけたのもつかの間、裏切り者が斬られ、崩れ落ちる。

 

 

 生じた綻びを縫うようにミストバーンは優雅に降り立った。怒りと怯えの綯い交ぜになった表情で攻撃しかけた魔物達の動きが止まる。その全身は漆黒の網に絡め取られていた。軽くミストバーンが拳を握っただけで獲物を締め上げてゆく。それだけでも十分に殺傷力があるが、容赦ない死の宣告が大魔王から下された。

「とくと見よ、これが余のメラゾーマだ」

 先ほどの火炎呪文とは比べ物にならぬ膨大な魔力と熱に魔物達の顔から血の気が失せた。彼らを統制する魔族達も流石に強張った表情をしている。

 魔界の頂点に立つ大魔王が得意とする呪文。古より、その優雅な姿と想像を絶する威力から畏怖と敬意を込めて異なる名で呼ばれていた。

 カイザーフェニックスと。

 腕に纏わりついた紅蓮があっという間に不死鳥の姿を形成し、身動きのとれない雑魚へと飛来した。悲鳴を上げる暇すらなくある者は炭と化して砕け、またある者は灰となって散った。

 あまりの威力に呆然とする敵へ、ミストバーンが躍りかかった。伸ばされた爪が剣を形成し、敵の強靭な体を易々と切り裂いていく。舞うように斬り込んだミストバーンは軽やかに動き、敵を次々と屠っていく。

「消耗を待つつもりなら無駄だと言っておこう。余の部下は疲れを知らぬぞ?」

 余裕たっぷりの大魔王の言葉に魔族達は顔を見合わせ、頷き合った。

 部下である魔物は所詮消耗品。相手の力を少しでも削げるならばと思い率いてきたが、準備運動にしかならないと思い知らされた。

 ならば駒が残っているうちにと、魔族達は戦闘態勢を取った。

 数に物を言わせ、押し包むように攻めてくる相手にバーンは余裕を崩さない。ミストバーンが複数を相手に渡り合っているのを興味深げに見守っている。

 

 

 ふと、バーンは何かに気づいたように空を見上げ、ポンと手を打った。

「おお、名残惜しいが別れの時が近づいておる」

 そのまま部下達に別の場所へ向かうよう指示したため、彼とミストバーンだけが残ることとなった。

 まるで脅威と認識していない態度に憤りつつ魔族達が襲いかかろうとしたが、バーンは無造作に指で得物を挟み、止めてしまった。軽く手を振って吹き飛ばしつつ、腹心の名を呼ぶ。ミストバーンは大魔王の続く言葉を待つ。

「そろそろ招かれざる客にお引き取り願おう」

 主の真意を悟り、ミストバーンの眼が凄絶な光を放った。ギラリと燃え上がる眼光が敵の心臓を射抜く。同時に不気味な鳴動が起こる。ミストバーンの全身から今までとは比べ物にならぬほどの鬼気が噴き上がる。

「許す」

 ただ一言。

 それをきっかけに首飾りが砕け散り、ミストバーンの素顔が露になる。白銀の髪が揺れる。閉ざされた双眸と、口元に浮かんだ笑みが謎めいた迫力を生み出していた。

 一見整った顔立ちの青年が、激戦をくぐりぬけてきたはずの魔族達を黙らせ、委縮させる。

 

 

 怯えを振り切るように地を蹴り、突進した魔族の眼が見開かれる。彼の予想をはるかに超える速度でミストバーンが掌圧を繰り出したのだ。ただそれだけで後方に吹き飛ばされ、叩きつけられる。

 大魔王をも超える強さに思わず固まった彼らにカイザーフェニックスが襲いかかる。かろうじて横っとびに地に身を投げ出すようにして回避したが、ミストバーンの掌が視認できぬほど高速で動き、火の鳥を弾いた。あまりの速度に掌から炎が上がる様は不死鳥の羽ばたきによく似ていた。正確に跳ね返された火の鳥をかろうじてマホカンタで反射したものの、完全には防げずに焼かれる。

 さらに大魔王の両手から無数の爆裂呪文が放たれた。魔力で形成した障壁によってひたすら耐え続けるしかない魔族達は恐怖に顔を引きつらせた。

 爆裂呪文の嵐の中、平然と歩を進めるミストバーン。その顔には傷一つついていない。大魔王の爆裂呪文の一つ一つが極大爆裂呪文級であるというのに、全く気にも留めずに歩み寄ってくる。

 残った魔物達が悲鳴と絶叫をまき散らしつつ斃れていくのと対照的な、あまりにも非現実的な光景だった。

「バーン様の気晴らしになったのだ。光栄に思い、そして死ね」

 魔族の剣がまるで薄い木の板か何かのようにへし折られ、捩じ切られる。鎧も握り潰され、砕かれる。

 絶対に抗えぬ理不尽な存在。

 人生の最後に現れる、冥界からの使者のような。

 

 

 魔族達が全員倒されたのはその直後だった。

 再び玉座に戻ったバーンは優雅に酒を嗜んでいた。

 グラスを手に取り、香りを楽しむ表情から、先程の戦闘を食前の軽い運動程度にしか考えていないことが読み取れる。

「……多少は楽しめたのだがな」

 ミストバーンは沈黙で応えた。

 主の好きなこと。それは鍛え上げ身につけた力で相手を圧倒すること。

 魔界の頂点に立ち、その力が知られ渡っても挑む魔族はいる。

 期待をもって応じたものの、ある程度退屈がまぎれただけだ。

 許可を与えたとはいえ、極限まで追い込まれて封印を解いたわけではない。

 大魔王と忠実な影が揃っていれば、どんな敵であろうと脅威にはなり得ない。

 最強の主従を阻む者が現れるのは遥か先だった。



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本編の合間
L'Oscurita dell'Ignoto(ミスト・ハドラー)


バルジ島の戦いでヒュンケルに倒されたハドラーをミストバーンが復活させる話。


 鬼岩城の一室を雷光が照らした。

 室内を歩むのは、影を織ったような人物だけだ。

 親衛隊のガーゴイル達を追い出し、寝台に横たわる人物へと近づく男の名はミストバーン。魔影参謀の肩書を持つ、魔王軍幹部だ。

 視線の先には、胸から血を流しぴくりとも動かない魔族。

 魔王軍を率いるハドラーはヒュンケルに倒され、運び込まれたのだ。

 苦悶の形相を浮かべて事切れた男を目にしても、ミストバーンに動揺は見られない。

 まるで傷んだ道具を観察するかのように 驚愕も哀惜も存在しない眼差しで見下ろす。

 事実、彼にとって、目の前の男は道具でしかなかった。

 そこそこ役に立ち、「修復」できるため長持ちする道具。

 ただの駒でしかない相手に対して、視線や声に熱が宿ることはないはずだった。

「……フン」

 低い声にこもった熱は、心地よいものではない。

 にじみ出る感情は、敬意と呼ぶにはあまりに暗いものだった。

 息絶えた魔族を見下ろす影の姿は、どす黒い炎を思わせる。

 

 

 心臓を貫かれ敗北したものの、ハドラーの実力は確かだ。

 恵まれた身体能力と魔力は、魔王を名乗り世を席巻しただけのことはある。

 単純なスペックの高さだけでなく、それを扱うセンスを備えている。一芸に特化した者にはさすがに劣るものの、格闘と魔法、両方を操る技術に秀でている。

 大抵の魔族が羨むであろう肉体と、戦闘における感覚を併せ持っているのが、ハドラーという男だった。

 現在の彼は、それらを十全に活かしているとは言いがたい。

 実力が高いのは事実だが、それが仇となっている。多くの相手に優位に立てるからこそ、敵を侮りがちだ。彼より力が劣るはずの敵につけ入る隙を与え、予想外の反撃に狼狽し、追い詰められてしまう。

 そのような心構えでは、いくら力で上回っていようと苦戦は免れない。

 今の彼は、死しても力を増して復活できる特性をも備えているが、大幅な強化にはつながらないだろう。

 戦いに臨む姿勢が変わらなければ、多少力が増したところで効果は薄い。

 増幅された力に溺れ、心の脆さが露呈する可能性すら十分にあった。

 ミストバーンの観察と思考は続く。 

 ハドラーは実力に相応しい誇りと地位を備えているが、それらがかえって本人の力を削いでいる。

 プライドや地位が高いからといって悪影響を及ぼすとは限らない。窮地において爆発力を生むなど、良い方向に作用することもあるだろう。

 ただ、現在のハドラーには毒になっている。

「……」

 見下ろす者の口から深い溜息が吐き出される。

 ハドラーの姿勢が変わらないままだとどうなるか、想定してみたのだ。

 見通しは明るくない。

 常人では及びもつかない領域へ行けるのに、至ることなく終わってしまうかもしれない。高みを目指すどころか、ずるずると堕ちていく結末も十分考えられる。光る素質を腐らせ、覇気や闘志を錆びつかせて。

「せっかく……」

 ミストバーンは呻きに近い声を漏らした。

 ゆっくりと指が動き、強く強く握られる。

 ハドラーのような、強靭な体や豊かな素質を望む者はいくらでもいる。

 彼らの中には、今のハドラーの戦いぶりを見て歯噛みする者もいるかもしれない。

 彼らは怒り、苛立ちながら、羨み、焦がれることだろう。

 持たざる者の思念が乗り移ったかのように、ミストバーンの眼光が一瞬燃え上がった。

 魔王軍の幹部らしからぬ眼差しを見る者は、誰もいない。

 

 

 ミストバーンは冷たい金属に覆われた手を差し出した。

 ハドラーの胸の傷に向けて掌をかざし、想いを巡らせる。

 精神面の脆さをある程度抑え込むだけでも、この男は強者となれるはずだ。

(もし、完全に克服すれば……)

 続く言葉の代わりに、空気がざわめいた。

 ハドラーがどんな道を歩むにせよ、今影のなすべきことは一つ。

 主の命に従い、復活させること。

「死の安穏すらお前を阻むことはできん」

 詠唱するかのように朗々と響く声。それは、神託を告げる口調に似て厳かだった。

 瘴気がミストバーンの全身から立ち上る。

 手に力が入り、指がピンと伸ばされる。

「闘い続けろ……!」

 掌の中央から暗黒の糸が伸びる。凝集した闇が、傷口に吸い込まれるかのように滴り落ちる。

 人形師が傀儡に糸を付けるのと似ているが、気味の悪さは比較にならない。

 屍に暗黒の力を注ぎ込む光景はおぞましく、邪神に生贄を捧げようとしているかのようだ。

 黒い雫はじわじわと死せる肉体の内部に広がってゆく。暗黒闘気が体の隅々まで行き渡り、死の淵から引きずり戻そうとする。

 音にならぬ音が響いた。

 ハドラーの胸の内で鼓動が刻まれ、指がぴくりと動く。

 四肢が震え、酸素を求めるかのように口が開閉した。

「カハ……ッ!」

 ハドラーが生命を取り戻しても、掌と体をつなぐ糸はつながったままだ。細い帯が不気味にうねり、途切れることなく力を送り込み続ける。

 

 

 意識を取り戻したハドラーと会話しながら、ミストバーンは闇の衣の裏で観察していた。

 ハドラーの目の中には恐れが潜んでいる。

 どれほど強くなるのか未知数の、アバンの使徒達への恐怖がちらついている。

 怯えるのは、同じ陣営の者に対してもだ。

 底知れぬ力を持つ主君、大魔王バーンに対する畏怖を湛えている。

 己の地位を揺るがす、竜騎将バランのことも恐れているだろう。

 目の前の相手――ミストバーンも例外ではない。

 能力も、思想も、主の名を冠する理由も未知の相手を疎んでいる。ハドラーが隠そうとしても、隠しきれるものではない。得体のしれない生物に向ける眼差しがどんなものか、ミストバーンはよく知っている。

 ハドラーを観察した結果、魔王として世に覇を唱えようとした意気は感じられない。

 そう結論づけようとしたミストバーンだが、一旦答えを保留することに決めた。

 死してもなお戦う運命を告げられた時、ハドラーは笑みを浮かべてみせたのだから。

「のぞむところよ……!」

 過酷な道を喜ぶかのような台詞に、ミストバーンは評価を改める。

 ハドラーの心には、彼を戦士たらしめる何かが残っている。

 現状では権力欲や保身を望む意思に追いやられ、心の隅で燻っているだけだが、火が点く可能性もある。

 もし彼が驕りを捨て、真の戦士となったならば。

(その時は――)

 ハドラーがどれほど強くなるのか、未知数だ。

 その姿を目にして、自らの心に湧き上がる感情はどう変化するのか。

 それもまた、未知数だった。



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The Greatest Jubilee(バーン・ミスト・キル)

鬼岩城が破壊された直後の話。
主の身体を預かった時のことをミストバーンが回顧する。


 ミストバーン。

 魔王軍の幹部にして、大魔王の右腕。

 闇の具現化したようなその姿は異様、その力は異才。

 誰もが脅威と見なす男は、無力な存在であるかのように平伏していた。己の失態を主君に報告するために。

「私がダイの剣の力を見抜くことができなかったばかりに……鬼岩城を破壊されてしまいました」

 声も震えている。恐怖を抑えかねるかのように。

「そう気に病むな。ミストバーン」

 応じたのは、ミストバーンが忠誠を捧げる相手――大魔王バーンだ。

「あれは玩具の一つ。ハドラーの改造が完了し、勇者達の被った痛手も踏まえれば悪くはない。……よほどのことがなければお前に罰を与えはせんよ」

 穏やかな声に責める調子はない。

 寛大な言葉に対し、ミストバーンの緊張は解けないままだ。その理由を知っていながら、死神キルバーンと使い魔の小人は茶化すように笑いかける。

「可愛がられてるんだね、ミストってば」

「よかったね、キャハハッ!」

 二人の朗らかな声とは対照的な呻き声が、黒い霧の奥から響く。

「……それだけでは、ありません」

 彼は躊躇うように言葉を切ってから、覚悟を決めて告げる。

「私は……許可無しにあの力を使おうと……!」

 大魔王の目が細まり、ミストバーンは怯えたようにびくりと身を震わせる。

「ちゃんと報告するなんて律儀だねー」

「ねー」

 死神と小人は感心したように囁き合った。

 大魔王が口を開く前に、キルバーンは背を向ける。

 ミストのしょげる姿をのんびり眺めるのも面白そうだが、当人は見られたくないだろう。

 気の合う友人の心情には配慮し、尊重するつもりだ。仕事と趣味の邪魔にならない範囲で。

 

 

 さほど時間が経たぬうちにミストバーンはキルバーンの前に姿を現した。

 主従の間でどんな会話が交わされたのか、死神が知る由もない。

 理不尽な罰や繰り言めいた説教などはなかっただろうとキルバーンは見ていた。

 彼らの関係に今更そんなものは必要ない。

 恐怖が抜けないのか、どこか頼りない足取りの友人に、キルバーンは呆れ混じりに呟く。

「……大変だね」

 同僚の生活に改めて思いを馳せて、浮かんだ感想はそれだった。

 主の言葉に従い、戦闘を繰り返す日々。

 影の男は、強敵との戦いに楽しみを見出す性格ではない。戦闘の最中、殺意と憎悪を燃え立たせることはあっても、歓喜や高揚に浸っているようには見えない。主の敵を排除したことで達成感を得ても、己を高めることなどに喜びを見出してはいないだろう。

 戦闘以外ではどうかというと、やはり娯楽に欠ける。

 酒や食事は口にしない。

 入浴や睡眠も必要ない。

 大魔王の傍から長く離れることもない。

 唯一気晴らしになりそうな会話すら制限されている。

「窮屈じゃない?」

 死神が何の気なしに尋ねると、真面目な答えが返ってきた。

「彷徨うだけの自由とは、比べ物にならん」

 興味をそそられたのか、死神は沈黙したまま視線を向ける。

 

 

 問いかけるような目に触発されたのか、大魔王の影は己の過去を振り返る。

 かつて、彼は自由だった。

 様々な姿になれる。だが、誇りとともに自らの名を告げる何者かにはなれない。

 どんな場所にも行ける。だが、留まりたいと思える場所には辿りつけない。

 無限に広がる世界も、無数の選択肢も、彼にとっては大差ない。どこへ赴こうと、誰の体を乗っ取ろうと、満たされはしないのだから。

 忌まわしい能力を使うだけの一本道。永劫の闇に閉ざされているそれは、牢獄に等しかった。

 主と出会い、囚われたのではない。

 逆だ。

 自分でも肯定できなかった能力を認められたことで、心を縛る鎖が断ち切られ、解放された。

 諦念と虚無感から成り立つ檻が砕かれたのだ。

「あの方と出会い、創生されたのかもしれん」

「キミが?」

「世界が」

 目に映るものを一変させた、あまりに大きな存在を一言で表現するならば、『世界』になるだろう。

 身に熱をもたらす太陽。進むべき道を照らす光。魂を安らげる闇。体を支える大地。心に溜まった澱を吹き飛ばす風。それらを包括する全てだと。

 彼の中で世界は一度滅び、作り直されたようなものだ。

 記憶を辿る彼は、邂逅を思い起こしたあとも追憶を続ける。

 生まれ落ちてから初めて、嫌悪感を抱かず能力を使った時の光景が浮かび上がる。

 

 

 人の形を成した暗黒が、青白い衣を纏った人物に近づく。

 両目を閉ざした青年は、彫像のように、立ったまま身動き一つしない。

 影と青年を見守るのは、後者によく似た姿の男だ。ほぼ同じ容貌でありながら印象が大きく異なるのは、角の有無や衣装だけでなく、苛烈な眼光を湛えているからだろう。

 男が観察する前で、黒い手がそろそろと、静止した体に伸ばされる。敬虔な信徒が神聖な神殿に足を踏み入れるかのような、畏れすら感じさせる所作だった。

 音もなく、闇が体に浸透した。

 白と黒が絡み、混じり合い、融けてゆく。

 夢のように幻想的で、悪夢のようにおぞましい光景は、やがて終わりを迎えた。

 最強の器を得た影は、慣れないかのように右手を持ち上げ、軽く壁に向ける。

 轟音が響き、静謐な空気が破られた。

 壁に大穴を開けた影は、しまったと言いたげな顔をして、恐る恐る主の様子を窺う。

「素晴らしいな。ミストよ」

 大魔王は、機嫌を害してはいない。それどころか、封印を施す表情は満足げだ。外見が老いるまでしばらくかかるが、中身はすでに弱体化しているという事実を感じさせないほどに。

「守り抜いて見せます。あなた様のお力で」

 決意のにじむ宣言に、大魔王は冷静に答える。

「お前のものだ。……そのように振る舞え。最強の戦士として」

「しかし、この体は――」

 ミストは言い淀んだ。

 信頼されて預けられた力を我が物顔で振るいたくはない。誰の物かという自覚を失った瞬間に、かつて浴びせられた侮蔑に相応しい存在に堕ちてしまうだろう。

 頷ききれない部下に、大魔王は薄く笑う。

「余の言葉に従えぬか?」

「ッ! そんな、滅相もないっ……!」

 慌てて否定したミストに、大魔王は鷹揚に言葉を紡ぐ。

「忘れはしまい。己の役目を」

「ええ、それは勿論」

 彼の役目。それは、任された肉体を管理し、いざという時はその力を活用し、主を守ること。

「己の力ではないと主張すれば正体に勘付く輩も現れよう。余の体を預かりながら大したものではないように振る舞うのは……謙虚ではなく傲慢と知れ」

 天地魔界において最強という誇りを、部下に穢されてはたまらない。

 秘密を守るため、そして自負を保つために、相応の態度を取ってもらわねばならない。

「は……はっ!」

 己こそが最強だという顔をしなければならない――そう自分に言い聞かせる部下に、大魔王は命令を下した。

「今後は必要が無ければ沈黙してもらう」

「は――」

 答えかけたミストはばつが悪そうに口をつぐんだ。

 慣れるまで時間がかかりそうだな、と呟く主の前で、ミストは口元に手を当ててこくりと頷く。

「お前は余の影となるのだ。よいな?」

 大魔王の真の姿を覆い隠し、守る者。影のように常に傍に控え、共に在る者に。

 ミストは無言でひざまずいた。目に歓喜の光を浮かべながら。

 

 

 地位も、名誉も、最初から不要。

 戦闘に手ごたえを感じずともかまわない。もはや戦うたびに虚しさを抱くことはないのだから。

 さらなる制限が課されようと、理不尽な命令が与えられようと、喜んで実行するだろう。

 偉大なる主の言葉に従おうと決めたのだ。

 彼にとって新たな世界が創られた時から。

「いずれ新たな世界が創造されるだろう」

 かつては彼の目に映る世界が変わっただけだった。

 今度の変革は世界全体に及ぶ。地上も魔界も巻き込み、全てを塗り替えるだろう。

 友人の言葉に、キルバーンは祝杯を上げる仕草をした。

「かつてキミに訪れた、記念すべき日に」

「いずれ顕現する、偉大なる祝祭に」

 返答は、祝福するような声音だった。



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Graceful Assassin(ハドラー・アルビナス)

バーンから逃げ延び潜伏しているハドラーとアルビナスの話。


 胸を食い荒らす痛みが喉をせり上がり、黒みがかった血の塊となって男の口から吐き出された。

 彼の全身は焼かれているかのように熱を帯び、激痛が意識を蝕んでいく。

 視界が暗くなる。

「ハドラー様!」

 よろめいた男の体を支えたのは駒の女王アルビナスだった。

 ここ数日で彼――ハドラーの境遇は驚くほど変わっていた。

 竜の騎士親子との戦いで消耗した身に追い打ちをかけるかのように、驚愕の事実が告げられた。彼の胸には大魔王によって恐ろしい爆弾が埋め込まれていたのだ。

 地上を与えるという言葉が嘘だったと知らされ、全てを捨てて臨んだ戦いも汚され、心身ともに打ちのめされているところにとどめが来た。

 引きずり出された黒の核晶を、爆破されたのだ。力を貸してくれた人物の手によって。

 大爆発から生き延びたものの、彼の受難は終わらない。

 かろうじて命をつないだ彼に、長くは生きられないという無慈悲な宣告が下される。

 さらには勇者達を逃したため大魔王から処刑されそうになり、部下の犠牲によって逃げ延びた。

 彼と部下の親衛騎団は、今は洞穴に潜伏している。

 やっと一息つくことができたが、このまま時を過ごすわけにはいかない。身を隠している間にも、ハドラーの命は、時間は、確実に擦り減っている。

 残りわずかな生命ならば成すべきことは一つ。勇者ダイとの全てを賭けた一騎打ちしかない。

 使徒達とともに闘えないことはハドラー自身が一番知っている。彼らの師、アバンを奪ってしまったのだから。

「決着をつけるまでは……死にきれん」

 汗のにじむ、切迫した表情。己に言い聞かせるような声音。どれも見聞きするアルビナスの心を抉るもので、彼女の顔がゆがむ。

 ハドラーは口内に溜まった血を吐き出した。慎重に歩き出そうとするが、力が入らない。アルビナスはふらつく彼の体を横たえ、目を伏せる。

 

 

 ハドラーの唇が動き、かすれた音を吐き出した。

「熱い、な」

 うわ言のように囁かれた言葉を強調するかのように、ハドラーの頬を汗が伝った。呼吸は荒く、脈も速い。両目が力なく閉じられ、面には疲労と苦痛が色濃く漂っている。

 アルビナスは途方に暮れた。

 彼女は駒。戦いの道具。 

 戦う術ならば生まれた時から知っているが、苦しみを和らげる方法はわからない。傷ついた者を癒す役割も機能も持たない。

 何もできない。何をすればいいか分からない。

 敵へ浴びせる閃熱が跳ね返ったかのような焦慮が、アルビナスの精神を焼く。見ていることしかできない我が身が恨めしく、彼女は唇を噛みしめる。

 できることを探し、アルビナスは一つの結論に辿り着いた。

 熱いならば冷ませば良い。

 手足を展開した彼女はハドラーの傍にしゃがみこんだ。

 主の顔を両手ではさみ、ひたいとひたいをそっと触れ合わせる。

 ハドラーの表情が、少し安らかになった。

「よかった……」

 ほっとした彼女が微笑んだ瞬間、ハドラーの目が開いた。

 彼は何が起こっているのか分からず、目を瞬かせる。

「ア……アルビナス?」

 声も呆然としている。完全に虚を突かれたようだ。

 アルビナスは慌てて顔を離した。ハドラーが尋ねる前に口を開き、早口で説明する。

「あ、熱そうでしたので、冷やせればと」

「掌を当てればよかったのではないか?」

 冷静な指摘に反論の余地はない。

 涼しげな表情を保ったまま内心頭を抱えている彼女に、ハドラーは苦笑した。幾らか苦痛が引いたため、身を起こしてフォローする。

「あまり気に病むな。その心が有難い」

 アルビナスは居心地悪そうに視線を彷徨わせるしかなかった。

 

 

 ハドラーは再び身を休めることにした。彼の姿を見つめるアルビナスの眼差しは険しい。

 吐血に発熱、激痛。黒の核晶を引きちぎられた痕は惨たらしく、消え去れという願望を込めて彼女は視線を浴びせ続ける。胸の傷は無くなるどころか、見れば見るほど痛々しさが増すばかりだ。

 無意識のうちに、彼女の口から呟きが漏れる。

「代われるものならば――」

 唱えても虚しいだけだと分かっていながら、口にしてしまう。

 たとえ勇者達に勝ったとしても、ハドラーに残された時間は少ない。

 その先は無い。

 そこまで考え、アルビナスは胸を押さえた。禁呪法で作られた身は痛みを感じないはずなのに、胸の奥に何かが刺さった。

「……そんなはずありませんね」

 駒に感情などない。あるとすれば、生み出した主への忠誠心くらいのものだろう。

 この苦しみはきっと、主君の力になれないことから生じている。

 役に立てず、道具の役割を全うしていないためだ。

「それだけ。ただそれだけのこと」

 繰り返し呟く。言い聞かせればその通りになると信じているかのように。

 

 目を覚ましたハドラーは、アルビナスの表情が暗いことに気づき、口を開いた。

「……すまない」

「何故、謝るのです」

「生まれたばかりで死ぬことになるのだから」

 彼が死ねばアルビナスも生きてはいられないのだから、沈痛な面持ちになるのは当然だ。ハドラーはそう解釈したのだが、アルビナスは首肯しなかった。

「お前は、何故……」

 同じ境遇のヒムやシグマが吹っ切れたような表情をしている中、彼女だけが辛そうな顔をしている理由。

 ヒムにとってのヒュンケル、シグマにとってのポップのようなライバルとなる存在がいないためかとも考えたが、どうも外れているようだ。

 確かなのは、彼の体調を気遣っていることのみ。

 思えば、魔軍司令として六大団長を率いていた頃は身を案じられることなどなかった。彼自身、心には権力欲や保身しかなかったのだから、他者に気遣いを要求できるはずもない。

 今は仲間達がいる。すでに命を落としたブロックやフェンブレン。

 ヒム、シグマ。そして――。

 彼女の憂いを少しでも取り除きたい。

 そう思い、ハドラーはアルビナスに告げた。

「お前はオレの右腕だ」

 おそらく、彼女が悩んでいる原因を解消することはできないだろう。だから、気持ちを素直に伝えた。

 心の全てを表現できたわけではないが、最大限に感情をこめたつもりだった。

 アルビナスは口を開け、しばらくしてから微笑んだ。

「……私は、何を悩んでいたのでしょう」

 ハドラーを守る使命。それだけは絶対に変わらない。

「共に行こう、女王よ。我らは一心同体なのだから」

「ええ」

 正体の分からぬ苦しみも全て刃に換えて、戦い抜く。

 改めて抱いた決意とともに、彼女は頷いた。



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if
L'Eminenza Oscura(ミスト・ハドラー)


ハドラーとミストバーンの二人で竜の騎士親子を迎え撃ったら。


 閃光が走り、剣戟の音が響く。

 大魔王と戦おうとする者達の中で、直接刃を浴びせるべく乗り込んだのは二名。

 ダイとバラン――竜の騎士親子の迎撃に動いたのも二名。

 本来、勇者達と戦うのは一人だけのはずだった。

 自らを超魔生物へと改造したハドラーだ。

 彼は己に残された時間が少ないことを悟り、単身で親子を迎え撃つつもりだった。

 その計画に異を唱えたのが、主である大魔王バーンだ。

「その覚悟は好ましいがな。力を引き出す方法は、己を死地に追いやるだけではなかろう」

 薄く笑うバーンは、傍らに控える影に視線を向ける。

「お前も戦え」

 主からの命令に、ミストバーンは微かに頷いた。

 ハドラーの目に鋭い光がよぎる。

 近いうちに己の命が終わるという予感を抱き、最後の戦いだと覚悟を決めていた。

 あらゆる力を振り絞るために一人で立ち向かうつもりだった。

 ざわめいた心を見抜いたかのように、大魔王は厳かに告げる。

「お前の望みはこやつも把握しておる。水を差す真似はせんよ」

「ミストはバラン君の相手をするってことですね?」

 確認するキルバーンに何も言わず、ミストバーンは進み出る。

 神々の創り出した戦闘生物と戦うことになろうと、動揺はない。強大な敵を倒せと主から命じられた回数など覚えていない。

 沈黙が降り、ハドラーの面に思案の色が漂う。

 ハドラーが何よりも願っているのは、宿敵と認めた使徒――勇者ダイとの決戦だ。

 親子との対決を待ち望んでいたが、一対一の形に持ち込めるならばその方が望ましい。

 音もなく歩み距離を詰める影の男に、ハドラーは告げた。眼差しに炎を宿しながら。

「頼む」

 全てを懸けた決闘が、何者にも邪魔されないように。

 勝利であれ敗北であれ、悔いなき結末を迎えられるように。

 絞り出すかのような声に、ミストバーンの足が止まる。

 いらえは短い。

「……任せろ」

 答えを聞いたハドラーは瞼を閉ざした。

 

 

 一足先にハドラーが退室した後、重苦しい空気を吹き飛ばすかのようにキルバーンは拍手した。

「いーい仲間になったじゃない」

「正義の使徒どものようなことを言うな」

 呆れながら呟いたミストバーンは、次の瞬間目を見開いた。

 バーンが笑みを頬に載せたまま口を開いたためだ。

「許可を与えておく」

「……!」

 何の、と問う必要はない。

 竜の騎士が相手となれば、苦戦は必至だ。

 隠された力を使う必要に迫られるかもしれない。

 だが、霧の下の素顔を見せることは戒められていた。

 ハドラーに見られてもかまわないのか。

 疑問を口にせず無言で見つめるミストバーンに対し、大魔王は笑みを消した。真剣な眼差しを向け、重々しく呟く。

「使わずに済むならば、それに越したことはない」

「かしこまりました」

 戦いを優勢に進め、勝利すれば、禁じられた力を使う必要もない。

 ミストバーンは深く頷いた。

 

 

「勇者ダイとの一対一の……正々堂々たる戦いか」

 感慨深げな呟きが、廊下に響いて消えてゆく。

 ミストバーンがバランを止めきれず、横やりが入る可能性も高いが、ハドラーは言及しなかった。

 目前に迫る戦いを見据えるかのように、鋭い眼差しで虚空を睨む。

 間違いなく命がけの激戦となるが、ハドラーは待ちきれないかのように身を震わせる。

 彼は己の言葉を面白がるように相好を崩した。

「言うことが変わりすぎだな。まったく」

 声は己への呆れを含んでいるが、目に躍る光はどこか楽しげだ。

 ミストバーンはハドラーの双眸を観察する。

 己の力に確かな自信を持つ者の眼差し。

 様々な強者を認めつつ、高みを見据える戦士の眼。

「……変わるものだな」

 しみじみとした呟きは、発言したミストバーン本人にも向けられているかもしれない。

 今までは、鍛え強くなる者の目を見て己との隔絶を感じていた。

 遠さを肯定できるようになったのは主と出会ってからだ。己を支えるものがあって、受け止めることができた。

 輝きを宿した目は、これまでと同じく敬意と羨望を掻き立てるが、それだけではない。

「眩しいが……悪くはない」

 隔たり以外の感覚もあるのは、己の魂を認め、対等な視線を向ける相手だからかもしれない。

 彼の言葉が何を指しているか知らぬハドラーは、自分なりの考えを答えた。

「眩しい、か。命が燃え尽きようとする今……最も生きていると実感している気がする」

 死を予感しながらも落ち着いている声音に、厳しい語調で台詞が返される。

「勝利すれば今少し猶予が生まれるだろう。その間にさらなる輝きを燃え立たせるがいい」

 力のこもった声にハドラーがわずかに目を見開くが、ミストバーンはそれ以上口を開かなかった。

 

 

 竜の騎士二人が敵というありえない状況だが、ハドラーとミストバーン、両名の戦意に陰りはなかった。

 遥かに増していたと言えるかもしれない。

 元々ダイとの戦いに闘志を燃やしていたハドラーは当然のことと言えるが、ミストバーンの方は当人にも予想外だった。

 同じ目的で戦うのは軍団長時代にも経験したものの、ここまで高揚したことはない。

 尤も、共闘に魂を震わせるのは影だけではない。

 竜の騎士バランもそうだ。

 我が子を守るため、刃に己の意志を載せる。

「邪魔をするなっ!」

 裂帛の気合が闘気と化して迸り、影の体に叩きつけられるが、退かせることはできない。

 威圧だけで終わるはずもなく、ほぼ同時にバランは剣を手に疾駆し、叩きつけた。乱暴な動作に見えるが、太刀筋の鋭さは戦闘兵器に相応しい。

 敵対する者の心を凍りつかせる斬撃は、金属製の籠手に阻まれる。

 甲高い音が響き、ギリギリと押し合い、両者は後方へ飛んだ。

 一旦距離を取った二人の間を今度は呪文が走る。

 放ったのはバランだ。

 光が走り、影の身を叩こうとする。

 威力を抑え、素早く繰り出された術をミストバーンは手で払いのけた。

 弾く。弾く。

 明後日の方向へ逸らされた呪文が床を穿ち壁を抉る。

 合間を縫って強烈な一撃が滑るように近づくと、ミストバーンは突き出していた手を横にずらした。

 生じた空間へ入り込んだ魔法は一瞬姿を消し、威力を増して撃ち出された。

 常識を外れた反撃にもバランは怯まず、気合の声とともに剣を振るう。

 竜闘気を纏った刃が光と熱を打ち破り、騎士はそのまま影へと駆ける。

「はぁっ!」

 衣がわずかに裂けたが、血も流れず、身も揺るがない。

 不確かな感覚だけがバランの手に残った。影を貫こうとするかのように。霧に殴りかかるかのように。

 ミストバーンは爪の双剣に闘気を込める。腕を交差させるかのように振り下ろし、躱された刹那、右に身を捻って横殴りの一撃を繰り出す。

 力任せの攻撃をものともせず、バランは一閃を弾き、相手の腕を跳ね上げた。

 胴へと剣を突き出したが、今度の手ごたえは固い。

 左の掌で受け止めたミストバーンは、そのまま暗黒闘気を噴出させる。

 暗黒が、竜闘気をも飲み込むかのように広がっていく。

 闇が光を覆い、喰らい尽くそうとする。

 

 

 怒りや憎しみに駆られていないのに、闇が深化している。感情が渦巻き、混沌とした力へと変わる。

 理由は術者たるミストバーンにも分からないが、追究する気は起きない。

 勝利を求める意思が、戦うために生まれた体を衝き動かす。それだけ分かっていれば十分だ。

 今最も重要なのは、この手で勝利を掴むこと。

 敬愛する主のために。

 尊敬すべき戦士であり、己の魂を認めた相手とともに。

 黒き光が集束する。

 闇の奔流が、目映い闘気とぶつかり合う。

 

 

 一旦距離を取ったバランの目が見開かれ、視線が一点を指した。

 ミストバーンも動きを止めた。

 ハドラーの胸に光るのは、黒の核晶。

(な……何故ッ!?)

 混乱しつつ、彼は答えを導き出そうとする。

 誰が仕掛けたか。

 超魔生物に改造したザボエラにも可能かもしれないが、直接手を下すことはないと踏んでいた。

 ザボエラの人格を信頼しているのではない。

 部下の体に細工を施し、捨て駒に作り替える程度のことは上機嫌でやってのけるだろう。

 今回は、仕掛ける対象も内容も、危険度は比べ物にならない。

 狙いに気づかれ背かれようと脅威ではない部下の一人ではなく、実力も立場も上の相手。

 一歩間違えれば自分も巻きこまれる規模の爆弾。

 己へのリスクを避けようとする性格ゆえに、危険な要素を組み合わせる発想は浮かびにくいだろう。

 気づいても対処せず、自分がやったのではない、責められるべきは己ではないとうそぶく程度だ。

 恐ろしい爆弾を埋め込んだのは、他でもない。

 彼の主、大魔王バーンだ。

 共闘を命じた真意。

 素顔を晒す許可を与えた理由。

 それらがつながり、ミストバーンの眼光が翳る。

 戦況は優位とは言えない。己の役目は定まっていて、避けられない。

 異変に気づきちらりと視線を向けるハドラーの姿を見、ミストバーンの指が曲げられる。

 これからなすことは影にとって珍しくはない。

 敬意を抱いた相手を葬るのは、彼にとってはありふれた行為だ。

 敵だけでなく、障害と化した味方をも切り捨ててきた。

 気が遠くなるほど繰り返してきた行為に、今さら躊躇を覚えるはずがない。

 展開は、変わらない。

 

 星が墜ちる。

 星を墜とす。

 

 己の掌を見下ろす彼の表情は影に隠れている。

 その身を構成するどす黒い霧が、いっそう濁った。

 闇が光を覆い、喰らい尽くそうとしていた。



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Dignified eagle(ハドラー・バーン・ミスト・キル)

大魔王初戦でポップ達を逃がしたハドラーがバーンと対峙する。
二種の展開に分岐。


 勇者一行がかろうじて大魔王から逃れた時、反逆者が大魔王を追い詰めていた。

 大魔王が勇者との戦いで使用した光魔の杖。それは莫大な破壊力を発揮するが、代償として消耗を早める諸刃の剣であった。

 一番の部下のミストバーンは親衛騎団のヒムとシグマ、ブロックを、キルバーンは女王アルビナスを牽制しているため動けない。大魔王は光魔の杖を使用したことにより消耗しており、大将同士の一騎打ちでは死の淵から蘇ったハドラーの方が有利だ。

 大魔王に刃を向けているというのに、ハドラーの心に恐怖はほとんどなかった。魔軍司令時代にあれほど恐れ続け、超魔生物と化した後も器の違いを知らされたというのに。

 相手が消耗しているからではない。

 どうしても譲れぬものがある。それだけだ。

 処分されかけたことに憤ったのではない。一時は処刑されることも覚悟したのだから。

 最も望み、大魔王も認めたはずの戦いを汚されたことが許せなかった。

 全ての力をアバンの使徒にぶつけるまでは、己が死ぬわけにも、彼らを殺させるわけにもいかない。

 邪魔する者は、誰であろうとも斬る。

 全身から放つ魔炎気を練り上げる。銀の髪が逆立つ。

 ハドラーは剣に闘気をこめて地を蹴った。

 渾身の必殺技、超魔爆炎覇。

 大魔王と元魔王の視線が交差する。

 どちらも空の王者のごとく鋭い、苛烈な双眸。

 疾駆するハドラーの眼には二つの未来が映っている。

 この場を切り抜け、勇者達との最後の戦いに挑むか。

 大魔王に敗れ、生命ごと望みを絶たれるか。

 

 

【right eye】

 

 

 光魔の杖による防御は間に合わない。

 覇者の剣に切り裂かれた大魔王は目を見開き、膝をついた。首をはねるため振り下ろされた刃をかろうじてかわす。

「……ッ!」

 ハドラーは背に冷たいものが走るのを感じた。

 あと一撃で命を奪えるはずなのに、大魔王の口元には笑みさえ浮かんでいる。

 とどめを刺そうとするより早くバーンは口を開いた。

「認めよう、遊びすぎておったことを。まさか日に二度も許可を与えることになるとは、な」

 ミストバーンが弾かれたように顔を上げ、主の惨状に息を呑んだ。眼光に鬼気が宿り、膨れ上がる怒気と殺意に空気が震える。

「バーン様!」

「許す」

 ミストバーンは瞬時に陣を解き、主の元へと飛んだ。無防備になった隙にシグマとブロック、ヒムが攻撃を仕掛けるがミストバーンは全く顧みない。

 甲高い音とともに、覇者の剣を受け止める。首にかけられた装飾品で。

 美しく輝くそれはピシピシとひび割れ、真っ二つに砕け散った。

 今再び、ミストバーンの封印が解かれた。

 腰まで届こうかという白銀の髪に、生命の活動を感じさせない整った相貌。一見ただの人間のようだが、放たれる力は先程とは比べ物にならない。閉ざされた瞼の裏では激怒の炎が燃えているだろう。

「許さぬ……!」

 ハドラーにとって譲れぬものがダイとの闘いの決着であるならば、ミストバーンにとっては大魔王への忠誠がそれにあたる。

 ハドラーの表情がかすかに歪む。

 かつては魂を認めた。誠意を感じ、感謝の言葉を述べたこともあった。

 しかし、もう道は隔たってしまった。ミストバーンの答えを聞いた時から。

 答える前の沈黙と眼の光に葛藤を感じた気がしたのは、錯覚だったのか。確かめる機会は永遠に失われ、二度と戻らない。

 ミストバーンが拳を握りしめ、一歩踏み出した。繰り出された拳を剣で受けるが、外見からは想像も出来ぬ膂力に圧される。暗黒闘気もろくにこめていないというのに、凄まじい力だ。攻撃も殴る蹴るといった単純なもの。それなのに自身もダイも、大魔王さえ敵わないような強さだ。

 それでも退くわけにはいかない。斬りつけるが、掌で受け流される。

 体勢を立て直し斬りこむと、切っ先が頬に突き刺さった。

 傷一つつかない。それどころか、オリハルコンでできた剣が欠けた。

 超魔爆炎覇を放っても、絶対的な防御は破れなかった。剣が半ばから折れ飛び、切っ先が地に突き刺さる。反撃の拳が叩きこまれ、苦痛に一瞬呼吸が止まる。

 親衛騎団は必死にキルバーンと大魔王を抑えている。もっとも、大魔王は超魔爆炎覇の傷を癒すため後方で回復に専念している。大魔王に参戦されたら勝ち目など無くなるため今のうちにミストバーンを倒さねばならない。部下の忠誠に、奮戦に、応えねばならない。

 ハドラーはミストバーンを真っ直ぐ見つめた。

 全身からエネルギーが噴き上がる。燃やすのはただの闘気ではない、己の生命そのもの。命を維持する力をも使い、倒すつもりだ。

 ミストバーンの表情が変わる。いかなる攻撃も通さぬはずの体が震えた。

「受けよ、このオレの生命を振り絞った一撃を!」

 ミストバーンは命を懸けた攻撃を避けようとはしなかった。

 拳を強く、強く握り、高速で払う。視認できぬ速度の掌撃は炎をも巻き上げ、優雅な翼を思わせた。

 渾身の一撃を弾かれ、体勢を崩されたハドラーへ手刀が迫る。

 致命のタイミングに反応できない。

 死を覚悟したハドラーの眼が見開かれた。

 ブロックの巨大な体が弾け、中から細見の兵が飛び出したのだ。考えられぬ速さで動き、主と入れ替わる。

「何ッ!?」

 ハドラーと親衛騎団は無数の欠片に包まれ、遠くへ移動していた。キャスリングと呼ばれる、城兵の駒から作られた彼だからこそ使える能力。

 恐ろしい威力の手刀が直撃したためブロックは胸を砕かれたが、その顔には笑みが浮かんでいた。主と仲間を逃がすことができたという満ち足りた想いで。

 部下の名を叫ぶハドラーの声が響くと同時に、ブロックは爆発した。

 邪魔者はいなくなったと確信した大魔王は宣言した。

「行くぞ……皆の者よ。世界に破滅をもたらすために」

 背を向け、歩み去る主。それに従うキルバーン。ミストバーンはすぐには動かず、静かに立ち尽くしていた。

 

 

【left eye】

 

 

「……お前は」

 ハドラーが苦い顔をする。

 覇者の剣は受け止められていた。金属に包まれ、鋭い爪を備えた手で。

 立ちふさがったのは魔王軍最後の幹部、ミストバーン。

 足止めしている相手を放って陣を解き、主の前に飛び込んだため背に攻撃を受けている。シグマの爆裂呪文やヒムの拳をまともに食らい、焦げた青白い衣が煙を上げていた。

 そのような状態で渾身の一撃を完全に防ぐことは難しい。押され、体勢を崩したところにハドラーの追撃が迫る。

 かろうじて拳で跳ね上げたが、一度攻勢に入ったハドラーは止まらない。勝機を逃すまいと続けざまに剣を振るう。

 主に加勢しようと拘束から解放されたヒム達が疾走するが、大魔王が軽く掌を差し伸べると弾き飛ばされた。光魔の杖に莫大な魔力を吸われたため、強烈な闘気を叩きつけるハドラー相手だと不利だが、親衛騎団級の相手ならば対処は容易い。

 それでもヒム達は諦めない。アルビナスとキルバーンも膠着状態から脱したため向かい合い、互いに攻撃を放つ。

 大魔王がハドラーとミストバーンの戦いに加わらないよう親衛騎団が注意を引くなか、覇者の剣と爪の刃が激突する音が何度も響き渡り、空気を痛いほど震わせる。

 危うい均衡が崩れる瞬間が訪れた。

 流星のように燃え上がる力に圧され、後退したミストバーンへとハドラーが得物を叩きつける。

「超魔爆炎覇!」

「ぐ……!」

 まともに袈裟切りを浴びた魔影参謀の身体がぐらりと揺れた。切り裂かれた個所から黒い霧が散り、姿を隠す幕が薄れ、わずかに開いた口を映す。

 よろめき、地に膝をついた相手を見下ろすハドラーの表情は硬い。強敵を撃破するという達成感や喜びはどこにも見当たらなかった。

 ミストバーンの口が小さく動く。

「バーン、様」

 囁きはかすれていたが、主の耳には届いた。

「許す」

 どこか苦々しげな声に、魔王軍の幹部が怯えたように身を震わせた。その手が動き、赤い珠のついた首飾りを掴む。

 ハドラーが目を見開く。

 もはや勝負は決していたはずだった。

 だが、ミストバーンには隠された力がある。黒の核晶を爆発させるために見せた姿が何を意味するのか見当もつかないが、奥の手を使われる前に倒さねばならない。

 振り下ろされた剣は首飾りで止められた。

 ガラスの砕けるような透明な音が耳を震わせ、消える。亀裂が生じ、美しき装飾品は真っ二つに割れた。

 今再び、ミストバーンの封印が解かれた。

 

 

 閉ざされた双眸が面に据えられただけで、息苦しくなるような圧力がハドラーを襲う。

 人間の青年かと見紛うほど肌の色は薄く、尖った耳が魔族であると証明している。長い髪や整った相貌はハドラーも一度目にしている。この状態になれば、力は比べ物にならないことが感じられる。

 立ち上がる動きは滑らかで、己の勝利をいささかも疑っていない。

 相対した二人の間に重い沈黙が流れる。

 片や恥も外聞も捨てて時間稼ぎを頼み、相手の誠意を感じ、率直な感謝の言葉を述べた男。片や時間稼ぎを引き受け、相手の身を案じ、生き延びることを心から願っていた男。

 勇者達の言葉を借りて表現するならば、絆があったかもしれない。

 しかしすでに失われ、道は隔たってしまった。

 片方が主への忠誠を優先し、相手を切り捨てることを選んだ瞬間に。

 ハドラーにとって譲れぬものがダイとの闘いの決着であるならば、ミストバーンにとっては大魔王への忠誠がそれにあたる。

 最上とするものが違うため、刃を向け合うこととなった。

 鈍く光る掌を突きつけると掌圧が巨躯を軽々と吹き飛ばした。暗黒闘気を使っているわけでもないのに恐ろしい強さだ。余裕さえ感じさせる物腰で歩み寄る青年から膨大な殺気が吹きつける。

 繰り出された刃を受け流し、拳を叩きこむ。腕で防御したが、重い衝撃に剛腕が痺れた。外見からは考えられない膂力だ。

 殴る蹴るといった単純な攻撃も、大魔王をも超えるであろう力を発揮されれば脅威となる。

 闘志は衰えず反撃を浴びせるが、刃が身体を抉ったはずなのに血は出なかった。重傷を負うどころか、かすり傷一つついていない。諦めずに幾度も切りつけるが、オリハルコン製の得物が傷むばかりだ。

 いかなる武器も通じないかのように。

 ハドラーはいったん距離を取り、呪文を放った。

 爆裂呪文をばら撒き、煙を縫うようにして敵の身体に鎖を巻きつけ、さらに撃ちこみ続ける。拘束を解きながら両腕を広げ、魔力を高めながら手を組み合わせ、前方に突き出す。

 閃熱系の極大呪文が叩きつけられ、轟音と閃光が生じた。

 防御に集中せず食らえば、いかなる魔族もただでは済まない。

「嘘、だろ?」

 兵士の口から呟きがこぼれた。

 巻き起こった煙の中から足を踏み出す青年は、無傷だった。

 強く地を蹴り、一瞬で距離を詰めて殴りつける。

「が……!」

「ハドラー様ッ!」

 血塊が口からこぼれ、悲痛な叫びが金属戦士たちの口から迸った。ヒムやアルビナス、シグマが動こうとするが、大魔王と死神が不敵に笑い行く手を阻む。

 大魔王は最高の機動力を誇る駒を相手にしようとはせず、ブロックを見据えている。

「女王はいいんですか?」

「城兵から生まれたならばキャスリングの能力を持っているかもしれん」

「な~るほど。何度も逃げられたら示しつきませんからねェ」

 キャスリングとは、王と己の位置を入れ替える城兵特有の能力だ。主の危機を救えぬよう破壊するつもりだと知って、キルバーンは納得したように手を叩いた。

 いかに消耗しているといえど大魔王が相手では――そこに死神も加われば、厳しい戦いとなる。主の加勢どころか猛攻をしのぐことさえ難しい。

 白銀の戦士達は地に倒れ、主であるハドラーも苦戦を強いられていた。

 弾丸――否、砲弾のように凶悪な破壊力をもって叩きつけられる拳を捌き、剣で突くが、攻撃は一切通じない。

 とうとう覇者の剣の刀身が半ばから折れ飛び、切っ先が地に突き刺さった。

 生じた隙を見逃さず、ミストバーンは肘を胸部に叩きこんだ。呼吸とくぐもった声が絞り出され、顔が苦悶にゆがむ。青年は動きを止めることなく流れるように身体を捌き、体重を乗せた膝蹴りを食らわせた。

 最強の金属さえ容易く砕くであろう容赦のない一撃が突き刺さり、たくましい体躯を吹き飛ばした。

「かは……っ!」

 口から溢れる血を拭い、精彩を欠いた動きながらも体勢を立て直したハドラーへ凍てつく宣告が届く。

「早く、死んでくれ」

 ハドラーは何も言わずに声の主を見つめた。

 整った面は風の無い日の湖面のように静まり返り、感情を覗くことはできない。言葉を交わした過去など存在しないかのように、表情は透明だ。

 堂々たる体格がぐらりと揺れ、先ほどとは逆にハドラーが地に膝をついた。

 ほんの数度打撃を受けただけで身体は悲鳴を上げている。埋め込まれた黒の核晶によって生命を蝕まれ、血肉と化していたそれを抜きだされたことで肉体は限界を迎えつつある。体中から軋む音が聞こえるようだ。

 キルバーンは耳を澄ませるような仕草をしてから指を軽く弾いた。

「楽にしてあげようか?」

 苦しむ者にとどめを刺す瞬間は何物にも代えがたいと思っている死神の台詞に、ハドラーは俯いた。

 肯定ととったキルバーンが一歩一歩足音を立てて近づき、これ見よがしに鎌を光らせる。

 鎌を振りかざした刹那、たくましい腕が振り抜かれた。

 剣は折れているはずなのに胴体を深々と切り裂かれ、仮面の隙間から呻きが漏れる。

 大魔王の目が興味深げに光り、感嘆ともとれる声が吐き出された。

「生命の剣か」

 己の生命力を燃やし、武器と化した。生命を削った代償は重く、滅びへと大きく近づいてしまうが、ここで殺されては元も子もないと判断したのだろう。

 後退したキルバーンは破れた服をつまんでぼやいた。

「死にぞこないのくせに……油断も隙もあったもんじゃない」

「お前から言われるとは光栄だ」

 立ち上がることも難しい状態にありながら、ハドラーは口の端に笑みを浮かべてみせた。両眼から光は失われておらず、表情にも闘志が満ちている。

 それは部下である親衛騎団も同様だった。震えながらも身を起こそうとする。完膚なきまでに破壊されたブロックは動かないままだが、アルビナスとシグマ、ヒムが立ち上がった。

「ハドラー様をお守りするために……!」

 気高き女王が四肢を展開し、閃熱の力を手に集める。

「我々親衛騎団は一心同体」

 疾風の騎士が半ばから折れた槍を持ち、構える。

「負けるわけにゃ、いかねえんだよ!」

 気迫みなぎる叫びとともに兵士が拳に熱を集中させる。

 部下たちの勇姿にハドラーは顔をゆがめた。力が蘇ったかのように立ち上がり、生命の剣を向ける。

 もはや逃げることもできない。だからこそ最後の力を振り絞り、戦おうとしている。己の生き方を変えた者たちに恥じないように。

 死神の後ろに立っているミストバーンが単純な疑問をぶつけた。

「諦めんのか」

「お前ならば、戦いを止めるのか?」

 笑みに乗せて吐き出された答えに青年は沈黙で応じた。唇がわずかに動いたが、何を呟いたのかハドラーには聞き取れなかった。

 表情にさざ波が立ったのも一瞬のことで、読みとる前に消えてしまい、元に戻っている。

 後方に控えている大魔王に申し出る。

「私にお任せを」

 わずかな沈黙の後、大魔王は微かに笑みをのぞかせ、頷いた。

 主の承諾を得たミストバーンは友のそばを通り過ぎ、前に出た。

「私が……殺す」

 固い決意の秘められた宣言にキルバーンは降参するように両手を上げた。

「わかったよ。大切な親友(キミ)の言うことだもの。尊重してあげる」

「やさし~」

 愉快そうにほくそ笑んだ死神に使い魔がパチパチと手を叩く。

 無邪気な言葉に反応を見せないままミストバーンは掌をかざし、再び戦闘態勢を取った。

 

 

 ややあって、弾んだ声が響いた。

「終わったね」

 返事は無い。

「戦いたくなかった? ハドラー君と」

「……バーン様に反逆した者の末路は一つだ」

 言葉とは裏腹に、どこにも侮蔑の見当たらない口調だった。



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Blood&Darkness(ミスト・ハドラー)

ハドラーが生きたままダイ側につき、ミストが相手をする。


 咳き込むと、口を押さえた掌に血が付いた。

 ひび割れた床に血だまりができている。

 そこに映るのは、精悍な面。

 深緑の肌には黒い痣が広がっている。全身を絡め取るかのごとく伸びる黒い紋様が、今にも男を呑み込みそうだ。

 男の名はハドラー。

 以前地上を席巻した魔王として、最近まで魔軍司令を務めていた魔族として、多くの者の記憶に刻まれている。

 彼は、残された時間を宿敵である勇者ダイとの戦いに費やすはずだった。

 運命を変えたのは、大勇者アバンの帰還。

 アバンはダイとハドラーが決闘する少し前に姿を現し、ぶつかりあう宿命を変えた。

 彼がもたらしたのは、延命術。ハドラーの朽ちゆく肉体をこの世に留める方法だった。

 尤も、奇跡的な回復は望めない。得られる時間はごくわずかだ。

 それでも、彼にとっては十分だった。

 ダイ達と共闘した後に一騎打ちができるだけの猶予が与えられたのだから。

 ハドラーとて勇者への加勢を即決したわけではない。アバンが死んでいなかったとはいえ、何度も使徒達と戦いを繰り広げてきた。今更味方するのかと責められても反論はできない。誰に言われずとも、彼自身が一番わかっている。

 だが、アバン本人からも共に闘おうと手を差し出されては、断れるはずもない。消耗につけ込むような形で命を奪ったことを悔やんでいたのだから。

 最終的に加勢を決めたのは、最後の戦いに最高の形で挑むため。

 大魔王の陣営がいかなる手段で横槍を入れてくるかわかったものではない。直接妨害せずとも、両者の激突の傍らで地上に魔手を伸ばすかもしれない。世界の行く末を案じながらでは、心優しい少年も力を出し切れないだろう。

 憂いを拭ってから、生涯の敵との決着を。

 それがハドラーの決断だった。

 勇者と戦う。

 その願いは、いびつな形で叶うこととなる。

 血のこびりついた唇が動く。

「戦わねば。我が主――バーンさまのために」 

 男の額には黒い霧が集い、双眸のような光を湛えていた。

 

 

 男は、ハドラーであってハドラーではない。

 肉体は紛れもなくハドラーのものだが、表に出ているのは別人の意識だ。

「今、状況は」

 声に焦りをにじませつつ、主の座す方角を仰ぎ見る。身を案じるかのように。

 この状況で大魔王バーンを主と呼び、戦おうとする人物は、ミストバーン――ミスト以外いない。

 大魔王の陣営と勇者一行の衝突は混沌とした状況を招いた。

 戦いの場は分かれ、ハドラーがミストの相手を務めた。

 激突の果てに後者が勝者となった。精神をねじ伏せ、肉体を乗っ取ることで。

 彼は体の動かし方を確かめるように、右手を目の高さまで持ち上げる。五指から闇が立ち上り、炎のように揺らめいた。

 崩壊が迫っている身でありながら、奥底から力が湧き上がる。

 蘇生させる際に与えた暗黒闘気の影響か、この器は本体とよく馴染む。暗黒の力が増幅される。形無き体を構成する闇がより深く、濃密になったかのようだ。

 全力を出せば勇者一行を仕留めることも可能だろう。

 拳に力がこもり、強く握られる。

「……長くはもたんな」

 主の役に立てるという歓喜と安堵。磨き抜かれた武器のごとき体を手に入れた高揚。

 沸き立つ心とは裏腹に、事実を確認する声は静かだった。

 全ての力を出し尽くす。その負荷にこの肉体は耐えられない。ただでさえ少ない残り時間を削り取られ、無残な崩壊を迎えるだろう。

 滅びの刻は近い。早いか遅いかの違いだけで、その差も微々たるものだ。次に主の体を預かるまでは到底もたない。自らの手で鍛え上げたスペアを入手するまでの、仮初の器に過ぎない。

「ならば――」

 やるべきことは決まっている。

 壊れるまで力を引き出し、限界を超えて酷使する。駒として、道具として、使い潰す。

 力を存分に振るえる肉体は貴重だが、温存はしない。適合したからこそ、最大限に活用しなければならない。

 冷酷な決断に些かの躊躇もない。

 忠誠を優先し、信頼を向けた相手を切り捨てることを選んだ。今までも、これからも、取る行動は変わらない。

 決意を示すかのように眼差しが鋭くなり、前方を見据える。

 温存を考えて勝てる敵ではない。

 それを気づかせたのは、他ならぬハドラーだった。

 彼は、ミストの能力を知る前に憑依され、そのまま魂の潰し合いという異様な戦場に引きずり込まれた。虚をつかれ、大幅に不利な状況に陥ったにも関わらず、激しい抵抗を見せた。

 抵抗どころか、圧倒していたとすら言えるかもしれない。

 勝敗を分けた要因は何だったのか、勝者たるミストも未だに理解できていない。

 理解できたのはただ一つ。

 捨てねば勝てぬという事実のみ。

 使徒に感化され、強くなった男の戦いぶりから、そう悟った。

 

 

 ミストの狙い――意識を塗りつぶして傀儡にする――を知ったとき、ハドラーの精神に波が広がった。

 波紋は内にいる者を揺さぶり、かつて投げかけられた問いを想起させた。

『おまえにとっても……オレはやはり駒にすぎなかったのかッ!?』

 本来ならば、影にとって即答できる質問だった。

 どんな人物だろうと、忠誠を捧げ、数千年の間守り抜いてきた主とは比べるまでもない。重さがまるで違うのだから、天秤にかけるという発想自体浮かばない。

 敬意は敬意。忠誠は忠誠。尊敬すべき戦士であることと、切り捨てるべき道具であることは両立する。

 ハドラーに問われた時も、「そうだ」の一言で片づくはずだった。

 ほんの一瞬、返答が遅れたのは、彼にとっても予想外だった。

 “処分”しようとしているのだから、否定の余地はない。駒ではないと答えては己の行動と矛盾する。主に背き、信念を裏切ることになる。

 「その通りだ」と答えて終わるはずだったが、そうならなかった。

 己の見方を問われているとわかっていても、主の意思をもって答えとした。

 即座に肯定しきれなかった理由は相手に伝わっていないが、明かす気もなかった。

 全てを懸けた願いを踏みにじっておきながら理解を求めるなど、虫のいい話だろう。

 

 

 引きずられるように視線が落ちる。

 床の血だまりに映る顔を見て、苦痛は伝わらないはずの面がゆがんだ。

 肉体の持ち主は生きている。

 影が肉体を手放せば、双眸が虚空を見つめるだろう。

 だが、その瞳はもう何も映さない。焔のごとき闘志も宿さない。

 彼が全ての力を注いで、魂を消し去ったのだ。

 一時的に封じるにはあまりにも苛烈で、焼き滅ぼされてしまいそうだったから。

 相克の際の熱量を思い出したミストの脳裏に、ある単語がよぎる。

「熱い魂……か」

 二度と聞くことのない言葉を、噛みしめるように呟く。

「それはお前にこそ相応しい言葉だろうな。……ハドラー」

 微かに俯いて発せられた台詞は、賛辞にしては静かだった。

 他の方法で葬ったならば、別の言葉を用いて、率直に敬意を表しただろう。

 称賛以外の感情が声にこもったのは、魂を消して人形にしたからに他ならない。

 血だまりを踏みしめると、映る顔が消えた。

 口の端から流れる血を拭い、彼は歩き出した。



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Lord of the Castle(バーン・短め)

鬼眼王バーンが竜魔人ダイに勝利した時、何を告げるか。


 巨大な爪が少年の腹部を抉った。

 声も出さず落下した少年は動かない。

 異形の持ち主は高らかに笑いかけたが、思い直して再度手を振り上げた。表情を引き締め、相手の胸に爪を突き立てる。奇跡が起きぬように。

 彼は勝つためだけに全てを捨てた。油断も当然含まれる。

 爪を回転させて傷口を抉ると、少年の血飛沫が床に飛び散った。相手の命が完全に尽きたのを確認し、男はようやく勝利を噛みしめる。

 虚空に怪物の笑い声が響き渡った。

 笑いの衝動が収まると、彼は少年に視線を落とした。

「さらばだ……! 竜の騎士、ダイ」

 敗者に向けるものとは思えぬほど、重々しい声だった。

 彼の名はバーン。大魔王の肩書を抱く者。

 大魔王バーンと勇者ダイ。彼らは対極の立場でありながら、心は最も近かった。選んだ道も似通っていた。勝利のために封じた力を使う点も。本来の体を捨てる覚悟を決めた点も。

 たとえ敗れようと、相手の意志は尊敬に値した。

 おそらく勇者が勝ったとしても、大魔王に同じ言葉を贈っただろう。

 

 

 男は静かな言葉を残して、少年の遺体に背を向ける。

 これから何をするのか。

 決まっている。

 魔獣となったのだから、恐怖で三界を支配するのみ。

 怪物が暁を背に地上へと舞い降りる。

 勇者の帰還を信じ、待っていた者達から絶望の叫びが迸る。

 悲痛な表情で大魔道士の少年が極大消滅呪文を放った。怪物――鬼眼王の右手に直撃し、手首から先を消し飛ばす。

 それでも鬼眼王は止まらない。陸戦騎の槍も大勇者の剣も全く問題にならない。人々を虫けらのごとく蹴散らし、踏みつぶしながら思う。

 もう肉体を分離し、秘法で若さを保つことはできない。

 美しい城の主ではいられない。

 酒も飲めない。

 チェスもできない。

 恐怖を与える以外に他者と関わることもない。

 地上を破壊し、魔界に太陽をもたらすことは不可能となった。

 永遠の命も娯楽も長年の悲願も失われた。

 残されたのは、絶対の孤独。

「それもまた良し」

 何よりも許せず、耐えがたいのは、逃走と敗北。

 利を考えるならば竜魔人と化したダイと戦わず、魔界に撤退すればよかった。しばらく待ってさえいれば邪魔者は全て消える。それから改めて計画をやり直せばよい。本来の体も捨てずに済むのだから。

 彼は逃げられなかった。竜魔人と化したダイからではなく、大魔王たる彼自身から。

 矜持を守るため。己を裏切らぬために。

 力が正義と信じて生きてきた。

 神から示された、神の支配を覆すことも可能な、単純だが美しい真理。

 己に跳ね返った時投げ出しては、今までの己の生き様をも否定することになる。自身の背負う大魔王という肩書も。

「悔いはせぬ」

 魔獣と化した彼の新たなる城。それは贅を尽した宮殿でも堅牢な城塞でもない。

 それはこの世界だ。敵う者も、臣下も、誰一人として存在しない住処。

 

 

 気づけば動く者は誰もいなくなっていた。

 彼は朝日に照らされながら笑っていた。

 いつまでも。

 いつまでも。



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その他
Tendi la mano(マァム・アバン・ラーハルト・ミスト)


バーンに肉体を返還した後、仮の器でミストが戦う。


「お返しいたします。あなた様の肉体を」

 最強の肉体を主に返却した影はその場にいる者達、陸戦騎ラーハルト、大勇者アバン、武闘家マァムを睥睨した。

 長年守り続けてきた秘密が白日の下に晒され、数千年の間預かってきた身体を返した。背負ってきた役職名は以前の名――ミストに戻り、沈黙の仮面も剥がれ落ちた。

 大魔王の全盛期の肉体という最高の器を返したことで、最大の武器は失われた。

 それでも彼は戦いをやめるわけにはいかない。アバンが張った結界により、部屋からの撤退は不可能となった。

 何より、心の柱が逃亡を許さない。

 この場の敵を始末し、一刻も早く主の元へ向かわねばならない。

 大魔王の計画の邪魔はさせない。主が夢を叶える瞬間を見届けることが、彼の望みでもあるのだから。

「来たれ」

 黒い手を伸ばすと、空間が捻じ曲げられるような感覚とともに一つの体が出現した。身体を返還した時のために用意していた予備の器だ。

 屈強な体躯の肌の色や、尖った耳から魔族だとわかる。瞼は閉ざされ、眠りに落ちているかのように安らかな表情だ。

 アバンが攻撃するより早く無数の帯を伸ばし、体内に潜り込んでいく。

 さほど時間がたたないうちに額に装飾品のような黒い影が現れた。短時間で憑依が完了したのだ。抵抗なく乗っ取るためにあらかじめ意識を絶っていたのだろう。

 ミストが手に力を込め、解き放つ。

 三人がそれぞれの武器を構え、迎え撃った。

 

 

 魔族は強かった。

 膂力や敏捷性など身体能力はもちろんのこと、魔力も高い。繰り出される技も、呪文も、暗黒闘気も、強力だ。

 それでも三人にはわかる。ミストバーンには遠く及ばないと。

 秘薬や呪法を用いて寿命を延ばしただけで、凍れる時間の秘法のようにあらゆる干渉を受け付けぬ術をかけたわけではない。

 暗黒闘気も完全には発揮できない。

 並の相手ならばともかく、地上の戦士たちの中でも手練の三人では厳しい戦いを強いられることとなった。

 ラーハルトは敏捷性が極めて高く、残像を生みだすほどの速さで移動、攻撃することができる。マァムは生物が相手ならば一撃必殺となる閃華裂光拳を繰り出せるため隙を見せるわけにはいかない。アバンは直接的な戦闘力は他の二人に劣るものの、仲間の動きを把握して的確に援護する。

 ラーハルトが超人的な速度で撹乱しつつ槍を突き出し、マァムが作り出した隙をついてアバンが攻める。

 陸戦騎の槍が魔族の身体を、大勇者の闘気が内側の本体を抉り切り裂く。

 一度に相手をしなければ勝てたかもしれないが、高い実力を誇る戦士が巧みな連携によって攻めてくるのだ。今の身体を捨てて新たな器に入ろうとしても、その隙を見逃しはしないだろう。

 防戦一方のミストの表情に焦りが募る。

「そこだっ!」

 閃光が走り、得物が魔族の右腕を貫き壁に縫いとめた。何らかの術がかけられているのか、左手で掴んでも抜けない。傷口が広がるのも気にせず右腕を動かそうとするが、果たせない。

 動きを封じられたミストへ、ラーハルトが冷然たる口調で告げた。

「しょせん借り物の強さだ」

「……その通りだ」

 否定しないミストにマァムは憐憫の眼差しを向け、アバンは穏やかに告げる。

「終わりだ」

 滅びが近づいていることを悟ったミストが無言で目を細める。

 このままでは葬られてしまう。虫のように踏みつぶされ消えてしまう。

 “改心”すれば、今までの思想を捨てると誓えば、生き延びることができるかもしれない。正義の名の下に戦う者達は、真情の込められた言葉を聞けば、罪を重ねた相手であっても許すだろう。

 

 

「……フン」

 ミストの答えは決まっている。

 主を裏切る真似などできるはずがない。己の存在する理由を否定して生きながらえても、自ら死を選ぶようなものだ。

 主と出会うまでは生きている実感を抱くこともなかった。

 己から切り離せない能力を忌み嫌いながら、永遠の闇の中を彷徨うのだろう。

 そう思っていた時に、言葉がかけられた。

『お前は余に仕える天命を持って生まれてきた』

 疎んでいた身体に意味があったことを知った日から世界が変わった。

 生きる理由を、誇りを、全てを与えられた。

 主と出会う前と後では、同じはずの長い時間もまったく異なっていた。

 その中で様々な強者と出会い、名を魂に刻んできた。

 

 

 ミストは右腕の付け根に手をかけた。

「私はあの男のように捨てることはできん」

 次の瞬間、マァムが手で口を覆った。

 彼が腕を握りつぶすようにして引きちぎったためだ。鮮血が噴き出し床を青く染める。

 ミストは壁に残された右腕に目もくれず、口元を血に染めながら笑う。部屋に張られた結界の影響か、再生速度は低下している。片腕を失ったまま戦おうとしているのだ。

「自分の腕を……!」

「私のものではない」

 ミストは冷静に返す。

 借り物でしかないと知っているからこそ、それに相応しい戦い方を選んだ。このままでは勝てないと悟ったのだから。

 自分の身体を持たぬ彼は、ハドラーのように生まれ持った身体を捨て、長く生きられる命を捨てて、強くなることはできない。

 預かってきた身体は絶対に守りぬかねばならない。勝利より、己の生命より優先すべきもの。

 それを捨てるなんてとんでもない、と言うだろう。

 今入っている身体も他人のものにすぎない。

 だが、ミストは覚悟を決めた眼差しで宣言した。

「私も捨てよう」

 魔族の全身から陽炎のように暗黒闘気が立ち上った。闘志も殺気も先ほどまでとは比べ物にならない。

 魔獣のような眼光が三人を射すくめる。殺気をほとばしらせながら襲いかかる姿は、野生の獣そのものだ。今の彼は手足をもがれようと、敵の喉笛を噛みちぎって殺そうとするだろう。

 

 

「ううっ!」

 吹き飛ばされ、叩きつけられたマァムが身を起こしながら尋ねた。

「どうしてそこまでして戦うの? バーンはあなたが滅んでも涙一つ流さないのに」

 激高するかと思いきや、ミストの返事は静かだった。

「それでいい」

 大魔王は、部下が役に立たなければ容赦なく切り捨てる。

 必要とされているのは能力だということも、知っている。

 もし彼がここで滅びても顧みることはない。心を痛めはしないだろう。

「それでいい!」

 自分の消滅が王の歩みを止める方が耐え難い。

 主が影に囚われるようなことがあってはならない。

 大魔王は振り返らず、眩しい光に照らされた道を進んでいく。それが影の望みでもあるのだから。

「私は……あのお方の道具なのだ」

 報酬や見返りを求めはしない。地位も名誉も最初からどうでもよかった。

 役に立つ存在であればいい。

 必要とされる存在でありたい。

 主の傍にあること。

 大魔王の影であること。

 それだけが望みだった。

 そのために、捨てた。

 体面を繕うことも忘れ、なりふり構わず勝ちに行く。

 すでに忌まわしい身体を晒した。今さら見栄に拘泥するのは滑稽だ。

 力を温存するという考えも捨てた。生命を擲つ覚悟がなければ、勝利し、生き延び、主の元へ赴くことはできない。

 

 

 捨て身の攻撃を繰り出すミストの気迫にマァムは呑まれ、ラーハルトも表情を緊迫したものに変えたが、アバンは冷静に空の技を放っていく。

 その中の一撃が、防御が疎かになっているミストに叩き込まれた。

「ぐっ!」

 苦痛の声が弾けた。

 本体を抉られ、もはや立っているだけでやっとだとわかる。

 倒れる力もなくしたかのように、今にも消えそうな呼吸を繰り返す彼はひたすら惨たらしく、目をそむけたくなる姿だった。

 息を吐き出すたびに血が口からこぼれ落ちる。

 蒼い血液が全身を染め上げ、滴り落ちた液体は床に染みを作っている。体中が切り裂かれ、突かれ、刻まれた布のようになっている。魔族の強靭な生命力を考えても生きているのが不思議なほどの傷だ。

 壮絶な眼光だけが生命の火がまだ消えていないことを示していた。

 ミストの意識は徐々に闇に沈みつつあった。己の身を削って暗黒闘気を使い続けたため、身体を操ることも難しくなっている。

 彼が現在考えているのはたった一つ。暗黒闘気の相性を極限まで高めた理想の器のことだった。

 その身体に入ればミストバーンに匹敵する暗黒闘気を振るい、もっと有利に戦いを進めることができる。

 時機を見計らったかのように登場する男は姿を見せない。

 ならばこの器で勝利を掴むしかない。

 なおも戦うミストへマァムが声を震わせながら問いかけた。

「どうして……?」

 少女の哀れみの眼も、問う声も、影には届かない。

 その先に安楽が無くてもかまわない。血塗られた道だろうと、どれほど深い闇の中だろうと、進んでいくことができる。

 全力を振り絞っても勝ち目の無い絶望的な戦い。

 食らいついているのは精神力のなせる業かもしれないが、それも終わりを迎えようとしている。

 

 

 最後の力を振り絞り、攻撃を繰り出そうとした影の意識に何かが引っかかった。

 千切れかけの不完全なものとはいえ、暗黒闘気の網に身体を捕えられたアバンは顔をこわばらせた。

 致命的な隙に鋭い爪が突き出される。

 その動きがわずかに鈍った。

 ほんの一瞬にも満たない間、あれほどみなぎっていた殺意が――あらゆる表情が抜け落ちた。

 敵を貫くため伸ばされていた指が曲がる。

 何かを掴もうとするかのように。

 

 

 アバンが振り返ると、そこには白銀の輝きを帯びた兵士と使徒の長兄がいた。

 ミストの口が動く。

 名を呟いた瞬間、空の技が彼の心臓を貫き、生命の火を消した。

 仮初めの器は唇にかすかな笑みを刻み、手を伸ばしかけたまま立っていた。



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doll(ヒュンケル・ミスト)

ヒュンケルと彼を乗っ取ろうとするミストが内部で戦いを繰り広げる。


 勇者一行の戦いは大詰めを迎えていた。

 最強の肉体を返し、真の姿を現したミストは傷つき疲弊した青年の背後に移動し、黒い手を伸ばした。

 幾本もの帯が若者の体に潜り込み、影の姿が消える。

 魂の回廊を進みながらミストは語る。

 体を返した時に備え、命を救い技を教えたことを。己の傀儡にするつもりであることを。

 黒い手が魂を掴み握りつぶそうとした刹那、金色の光が弾けた。

「なっ……!?」

 ヒュンケルは驚愕とともに周囲を見回した。

 最後に選ばれるのは自分だという予感を抱いたため、光の闘気を溜めていたはずだった。

 だが、光と闇の激突の後、どことも知れぬ空間に立っている。

 壁や天井は限りなく遠いように見える。白と黒が混じり合い形成された色の中に、時おり銀色の煌めきが映る。流動する模様は現実のものとは思えない。

 ミストと同様に魂の回廊に入り込んでしまったようだが、自分の中に自分がいるという想像を超えた現象だ。

 己の身体を眺めると、ボロボロになった現在の姿ではなく、友から託された鎧を身にまとい戦える状態になっている。二度と戦えぬはずの身体は軽く、力がみなぎってくる。

「どういうことだ?」

 掌を見つめながら問いかけると、答えはどこからともなく響いてきた。

「この空間はおそらく魂の狭間。それゆえ己の思い描く姿になったのだろう」

 目の前の空間が扉の形に歪み、そこから一人の人物が現れた。

 黒い霧が人に近い形を取り、青白い衣を身にまとっている。鈍く輝く金属に包まれた拳は、感覚を確かめるように固く握りこまれている。

 真の姿ではなく闇の衣をまとった状態のミスト――ミストバーンだ。

 魂の中の世界であるため、本人が最もイメージしやすい姿をとることになったらしい。強さも実際の身体と同じはずだ。封印を解除する機会は限られていたため、普段の力で戦うようだ。

 多くの魂を砕いてきたミストだが、このような現象は今までになかった。

 何を意味するかはわかる。

 決着をつける時がきたのだ。

 

 

 戦いを始める前に、ヒュンケルは闇の師を見つめながら静かに言葉を紡ぐ。

「オレはお前のおかげで生き延びることができた。利用するためだったとはいえ、恩がある」

 ミストバーンは無言で弟子の言葉を聞いている。反応は特に示さないが、真剣に耳を傾けている。

「だが、お前を倒さねばならない。こういう時語る言葉をオレは持たん。だから戦士として、弟子として、戦う」

 紫の瞳に闘志が燃え上がり、周囲の空気があっという間に張り詰める。

 得物を構え、ヒュンケルは咆哮するように叫んだ。

「ミストバーン! お前に救われた生命、お前から教わった技、仲間と出会いによって得た新たなる力……その全てをもってお前を倒す!」

 ミストバーンも眼に闘志を燃え立たせ、手を掲げた。掌を弟子に向け、殺気を立ち上らせる。

 両者の姿を見ている者がいれば、よく似ていると思ったかもしれない。

 以前と違い、ミストバーンは無理だと告げようとはしなかった。今の弟子には己を倒すだけの力があると見抜いている。

「よかろう。ならば私も全力で戦うのみ!」

 直後、光と闇が重なった。

 

 

 戦いはなかなか決着がつかなかった。

 槍で攻めかかると、爪で形成された剣――デストリンガーブレードがそれを食い止め火花を散らした。鎧に仕込まれた武器で攻撃すればミストバーンも爪を伸ばし、武器を破壊しつつ刺そうとする。

 弟子はある時は暗黒闘気を使い、またある時は光の闘気を放ち、相手の闘気技を破ろうとする。師もそれに応じて回避、防御、反撃を行い追い詰める。

 あふれる光に身を焼かれても闇でできた手に力を込める。

 攻撃し、攻撃され、互いにどれほどの傷を負わせたのか、戦いがどれほどの間続いたのかわからない。

 次第にヒュンケルは劣勢になっていく。

 魔界の闇を体現したかのように世界が暗く染まり、心までも沈めていく。

 ヒュンケルの脳裏に絶望がよぎった瞬間、声が響いた。

「ヒュンケル!」

 聞こえるはずのない声に、ヒュンケルは目を見開いた。

 声の主は、かつて心の底から憎み、殺そうとした相手。窮地を切り拓くきっかけを与え続けた存在。

 ヒュンケルの唇が動き、問いが吐き出される。

「先生……あなたにとってオレは何ですか?」

「決まっているでしょう。誇りです……!」

 光が弾け、奔流となって押し寄せる。かつて彼の命を救い、理想の器へと育て上げた闇の師へ。

 

 

 影が倒れた。

 瓦礫にもたれかかるようにして横たわったミストバーンの黒い霧が薄れ、衣の輪郭さえも霞んでいく。

 空間の端から黄金に染まり、徐々に中心へと迫る。

 戦いが終わったことを悟り、ヒュンケルは静かに問うた。

「お前にとって、オレは道具にすぎなかったのか?」

 ミストバーンの眼光がわずかに細められたものの、答えはゆるぎない。

「そうだ。……バーン様にとって、私がそうであるように」

 ヒュンケルがわずかに目を見開いた。

 ミストにとって、大魔王の道具という言葉はある種の称賛でもある。

 役に立つもの。誰かに必要とされるもの。

 唯一無二の道具、最高の武器として。

 ヒュンケルの体を手に入れようとしたのも全ては主のため。傍らで働き、共に在るため。

 主がミストを自分の影としたように、ミストはヒュンケルを一部どころか己そのものにしようとした。最も近い、決して切り離せぬ存在へと。

 ヒュンケルは瞼を閉ざし、己の歩んできた道のりを振り返った。今まで出会った人々、体験したことの全てを思い描き、目を開く。

「……オレはお前が疎ましかった」

 闇の道を歩んでいた時期の象徴であり、暗い過去の具現化した存在。

 抹殺すべき悪の化身だと。

 そう思わなければ過去が追いつき、身も心も絡めとる気がした。再び闇に囚われることが怖かった。

「だが、お前がいなければ今のオレは存在しない」

 ミストバーンがいなければ数々の戦いを生き延びることも、ダイ達と出会うことも、父の死の真相を知ることも、アバンと再会することもできなかった。

「……ありがとう」

 人形にするために生かしたのだとしても、罪や痛苦を背負うことになっても、人として生きている。

 

 

 己を超えた弟子を見つめていたミストバーンが息を呑む。

 彼の眼に一瞬だけ、弟子の姿と重なるようにして堂々たる体躯の戦士が映ったためだ。

 彼は、弟子がハドラーの生み出した兵士によって育てられたことを思い出した。

 その影響を考えかけたものの、ただの幻だろうとすぐに打ち消す。

 姿が薄れる中、ミストは項垂れた。

 何よりも耐え難いのはこれ以上主の力になれないこと。恩に報いるためには、与えられたものを少しでも返すには、まだまだ働かねばならないというのに、今にも消えんばかりだ。

 次第に意識が遠のく中、光の彼方に誰かの姿が見えた。

 ミストは光へと手を伸ばした。中心に見えた人影へと。

 最後の力を振り絞り、呟く。

 生きる理由を与えてくれた相手。数千年にわたって仕え続けてきた、敬愛する主の名を。

 ミストの身体を金色が包み込んだ。太陽を思わせる光が揺らめき、消えゆく師へヒュンケルは別れを告げた。

「さらばだ、ミストバーン。……もう一人の我が師よ」

 

 

 ここに、闇の師弟の戦いが終わった。



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Battle of “V”(ダイ・バーン・ミスト・キル)

竜魔人ダイがバーン達を圧倒する。


 雷鳴が轟いた。

 最も強大な魔力を持つ大魔王と、肉体の強さにおいては大魔王をも上回る男。二名は険しい表情で敵を見つめている。大魔王の手には持ち主の魔力を吸って力に換える得物が握られ、霧の名を持つ男は封印を解いた状態で前方に掌を向けている。

 主従が余裕を失くす相手は、かつて魔王を名乗った魔族でも、離反した竜の騎士でもない。

 黒い髪の少年たった一人に全力をもって立ち向かおうとしている。

 少年の髪は逆立ち、巨大化した竜の紋章が額に浮かんでいる。殺気に満ちた眼差しを見て、年相応の笑顔を思い出す者はいないだろう。

 化物が咆哮を上げた。

 声には荒れ狂う感情が込められていた。怒りや敵を滅ぼす意思だけでなく、彼の仲間が聞けば心を痛めるような。

 仲間達は少し離れた場所に倒れている。

 生きているのか死んでいるのかわからない。ピクリとも動かず、青ざめた顔をしている。

 仲間の命が尽きたかもしれない恐怖。これ以上仲間を傷つけられるわけにはいかないという決意。

 それらが引き金となり、魔獣を誕生させた。

 少年が紋章の力を解放するまで、大魔王と側近には傲慢とさえ呼べる余裕が漂っていた。二人が本気を出せば一行を全滅させることなど造作も無い。ほんの少し力を見せるだけで戦いの趨勢は決まる。その計算は覆らないはずだった。

 父が命を落とした際に紋章を受け継いでいなければ。大切な者の危機にそれが目覚めなければ。様々なものを捨てる覚悟で力を解放しなければ。大魔王が勝利して、戦いは終わっただろう。

 

 

 地を蹴り大魔王に肉迫する少年の前に青年が飛び込み、腕で受け止めた。最強の金属すら無造作にねじきる膂力の持ち主でさえ、踏みとどまるだけで精一杯だ。

 じりじりと押される部下に大魔王が鋭い声を飛ばした。

「ミストバーン!」

「はっ!」

 横に跳び、生じた空間を不死鳥が通過する。高温の火炎が直撃しても、化物は揺るぎもしなかった。

 ミストバーンの拳を止め、少年は殴り返す。今のミストバーンには通じないことも関係ないかのように猛然と襲いかかる。

「ダイ……!」

 低い声はどちらのものか。

 封印を解いたミストバーンが近距離で戦い、バーンが後方から援護する。この布陣が通じない相手など、数千年の歳月の中で一人もいなかった。

 それが、全く通用しない。

 ダイはこのままでは埒が明かないと判断し、先に倒す標的をバーンに定めた。ミストバーンは相手にせず大魔王を狙う。

 ミストバーンは阻止すべく動き、主に近づけさせまいと闘う。大魔王もある時は杖を振るい、ある時は魔法を叩きつける。

 数え切れぬ爆裂呪文が、衝撃の壁が、高速で迫る中、ダイは怯まず前進する。

 床が大きく抉れ、壁や柱に亀裂が生じ、天井から破片が降り注ぐ。

 

 

 ダイがバーンに突進する。

 ミストバーンが立ちはだかる。

「誓った……約束した!」

 己を奮い立たせるようにミストバーンが叫んだ。

 主を守り抜くという不変の信念。主の肉体を預かり戦うという誇らしい使命。

 己に誓い、主と約束したものは、あっけなく踏みにじられようとしている。

 主従が敵にしてきたように。

 現実を拒絶するかのように腕を振るい、全力で叩きつける。魔界最強の男の身体を使い、渾身の力で殴打すれば、どんな敵であろうと倒れるはずだった。

 拳が腹部に直撃し、小さな体が壁に叩きつけられた。床に落下した少年に大量の瓦礫が崩れ落ち埋もれてしまっても、油断はできない。

 

 

 ミストバーンは主の判断を窺うように振り返る。

 どれほど攻撃を食らおうと傷つかないが、彼では今のダイを倒すことはできない。拳撃を浴びせる程度では決定打には遠い。

 危険でも、確実にとどめをさすためには、攻撃手段や威力が増した真大魔王が戦った方がよいかもしれない。

 ミストバーンが無傷でも、万一本体である大魔王が倒されてしまっては何の意味も無い。

 たとえ不老の時が減っても、ここでダイを殺しそこねて命を失うよりは良い。

 無論、部下として絶対に大魔王を殺させはしないという意気込みがある。

 しかし、今襲い来るのはそういった意地で済ませることはできない存在だ。

 バーンの目が鋭く光り、小さく頷く。

 それだけで意図を察したミストバーンの両目が開いた。肌が褐色に染まっていく。

 彼が大魔王へと手を伸ばし、身体が一つになろうとした瞬間、金色の風が青年の至近距離に現れた。

 頬に拳がめりこむのと、固い物がぶつかりあった音が響くのと、長身が真横に吹き飛ぶのは、ほぼ同時だった。

 人形のように手足がバラバラの方向を向いたまま宙を舞い、受け身すらとれず無様に運動が止まる。

 怖ろしい速度で壁に激突した男の背から幾筋もの巨大な亀裂が走る。先ほどの少年と同じ状況に陥った彼の面には幾筋も血が流れていた。

「ぐ……!」

 異なる口から同じ呻き声が漏れる。

 光魔の杖で一方的な攻撃を受け流している大魔王の面には焦りがあった。

 オリハルコンでできた剣さえも易々とへし折った刃を、ダイは素手で掴み、力任せに押しのけようとする。

 

 

 すぐに破れることは明白な、ほんの一瞬の均衡。それを狙っていたかのように空間にすっと切れ目が入った。

 覗くのは、鎌の先端。

 今まで姿を隠していた死神が、滑り落りるように穴からするりと身を出した。得物を振りかぶり、振り下ろしたのだ。

 ダイがバーンを滅ぼすことにのみ意識と力を向けている今ならば、暗殺成功の確率も上がると踏んだのだろう。

 本来の任務は名の通りバーンを殺すことだが、この場でダイを始末する方が真の主の益になると判断した。仮に主君の封印が解けたとしても、地上を手に入れようとする際にダイは最大の障害になる。

 ここで手傷を与えてある程度弱らせ、一連の攻防で負傷している主従と潰し合ってくれれば最良だ。

 直後、彼は目論見の甘さを思い知らされた。

 無防備な背中に突き立てられた刃は澄んだ音を立てて折れた。

 噴き上げる竜闘気は最強の武器にも防具にもなることを、忘れていたわけではない。少年の肉体が予想を遥かに上回る強化を果たしていただけだ。

 獣が乱入者に視線を向けた。

 恐怖を知らぬはずの心が凍りつくのを感じ、反射的に身を引こうとした死神の動きが止まる。

 少年が腕を掴んでいる。言葉こそ発さないものの、意思が明確に伝わってくる。

 邪魔するな。

 ダイが無造作に捻ると、黒装束に包まれた腕は音を立てて千切れた。

「返してよ、ボクの――」

 返答の代わりに腕が投げ返され、よろめいたところに手刀による突きが見舞われる。

「貴様……!」

 親友の窮地を見たミストバーンがもどかしげに身を起こし、顔から血を流しながら立ち上がった。

 素手の一撃は容易く胴を貫いた。滑らかに少年の手が動く。

 死神の身体がずれ、大きな断面を生み出した。血液を撒き散らしながら男が崩れ落ちる。

 

 

 死神の乱入によって体を返還する時間が生まれた。

 ミストバーンの体が光を放って消えると同時に、大魔王もまた光に包まれ姿を変える。

 全盛期の力を取り戻した大魔王がかろうじてダイの一撃を捌いた。一方、ミストは黒い手を伸ばし、注意を引くように宣言する。

「魂を砕く!」

 暴走する竜の騎士を乗っ取るなど可能だとは思えないが、わずかでも隙を作り出せば、少しでも動きを鈍らせれば、主が攻撃できる。

 闇で織られた帯が何本も少年に突き刺さり、身体が揺れる。ミストはそのまま中に入り込もうとするが、果たせない。

 生み出せた時間は儚いものだった。

 ダイが腕を振るっただけで霧状の体の大半が消し飛んだ。竜闘気を纏わせた爪で裂くという単純な一撃が、形の無い身をごっそりと削り取っていった。

「ミスト……!」

 体が九割近く消失した状態で、存在の維持などできるはずもない。

 部下の消滅に注意を向ける暇もなく、大魔王は拳を握り攻撃態勢をとった。

 バーンが見据えるのはただ一人。倒れ伏す勇者の仲間達は映っていない。

 ダイが見据えるのもただ一人。『焼き尽くす者』の名を冠する存在は残り一名。

 二人の心境を慮る者はおらず、彼らも内心を吐露することはしない。

 どちらかが息絶えるまで、両者はひたすら拳を振るい続けた。



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Battle of “D”s(ダイ・バーン・ミスト)

竜魔人ダイがバーン、ミストバーンと戦う。
強大な力を持つ相手に対し、ミストバーンは……。


「バーン様、お下がりくださいッ!」

 鋭い声が空気を切り裂いた。

 臣下が主君に向けるには乱暴な声音だが、浴びた側は非礼だと腹を立てる様子はない。

 言葉をぶつけられたのは魔界に君臨する男、大魔王バーン。警告を発したのは、バーンを庇うように立つ青年だ。ミストバーンという名の男は、隠された素顔を露にしている。沈黙で覆われていた内心までも面に晒して。

 代謝の止まっている顔に汗が伝うはずもないのに、頬を手の甲で拭う。主君の方は片手を差し出すようにして身構えている。

 どちらの顔にも緊張がみなぎっている。緊張どころか、己を奮い立たせるような切迫した色が漂っているかもしれない。

 この主従に敵う者など天地魔界に存在しないはずだった。

 敵を遥かな高みから見下すはずの二人は、挑戦者の顔をしている。

 主従の前にいるのは、竜の騎士の全ての力を解放した存在なのだから。

 両手に宿っていた竜の紋章は額で合わさり、輝きを放っている。髪は逆立ち、放たれる竜闘気の激しさを伝えている。

 小さな子供の身に宿り、放出される力はあり得ぬ大きさだった。

 片鱗を披露しただけで、魔界最強の組み合わせが言葉を失うほど。

 悪魔のように冷酷な二人が、悪魔と対峙した人間の顔をするほどに。

 

 

 光魔の杖はすでに砕かれ、破片が散らばっている。

 残骸を踏み壊しながら、竜の騎士ダイは突進した。

 彼の標的は大魔王一人。

 当初は攻撃を阻むミストバーンから倒そうとしたのだが、攻撃を浴びせても通じないため、バーンに狙いを絞ったのだ。

 ミストバーンは、大魔王へと突き進む少年の前に割り込み、拳を握りこむ。

 恐ろしい膂力から放たれる拳撃は、魔界の強者であろうとまともに受け止めることもできぬはずだった。

 ダイは手の端で軽く止め、反撃の手刀を見舞う。頬の上部を掠めた一撃は、時を止める秘法がかけられていなければ耳をざっくりと削ったかもしれない。

 体勢を崩したミストバーンの頬に拳が叩き込まれた。

「ぐっ!」

 呻きとも吐息ともつかぬ音が口から漏れるが、攻撃の手は緩まない。

 続けざまに拳の雨が浴びせられる。頬や顎に拳が的確に打ち込まれるたびに重い音が響く。衝撃に体が揺れ、反撃もままならない。

「この……!」

 猛攻の隙間をかいくぐり、ミストバーンがダイの顔へと手を突き出す。

 伸ばされた指の先にあるのは少年の双眸。

 眼球を抉ろうとする指に動じるでもなく、ダイは素早く己の手を動かした。

 伸ばされた指を掴み、己の後方に思い切り引く。

 倒れこむように近づく相手の顔面へ紫電一閃、かちあげる形で拳をくらわせる。

 ふわりと体が浮いた青年に影が差す。追撃に移ったダイが、上方へ跳んだのだ。

 天から地へ。

 鈍い音が響き、斜め下に吹き飛んだ体は壁と床の境界に激突し、瓦礫に埋もれた。

 ダイはそれに目もくれず大魔王へと再び視線を定めた。方向を変えた彼の背に切れ切れの声が届く。

「待、て……!」

 ミストバーンは指を引っ掛けるようにして少年の足首を掴み、床に倒そうとする。

 なりふり構わず、動きを封じようとしている。

 ダイは煩わしげな表情を浮かべたものの、視線を動かさない。

 狙うはバーンの首ただ一つ。

 

 

 殺意に満ちた視線を向けられても、バーンは目を逸らさない。

 胸中に去来する想いを言葉にせずに、怪物の殺気を受け止める。

 彼は逃げようとしない。逃げることは許されない。

 彼が今まで貫いてきた、残酷で単純で美しいルールがそう定めている。

 弱者を踏みにじってきた男へと、裁きの代行者のごとき存在が襲い掛かる。

 ミストバーンの指を振り払い、ダイが跳んだ。大魔王が魔法で応じるが、痛痒を与えているようには見えない。ダイを倒すどころか、身を守ることに集中しても、長くはもたないだろう。

 立ち上がったミストバーンは体勢を整える間もなく疾駆する。

 本能に従い、必死に手を伸ばす。

 ダイの背後から掴みかかり、引き離そうとする姿からは「武」も「技」も感じられない。

 青年のがむしゃらな行動にダイもバーンも同時に動いた。

 ダイが振り向きざまの裏拳を見舞おうとした刹那、火の鳥が彼を飲み込んだ。

 大魔王が最も得意とする火炎呪文。

 それも、有効打には程遠い。

 予想はした事態ではあるものの、大魔王の頬を汗が落ちる。バーンは素早く動いて距離を取り、魔獣と部下の殴り合いに巻き込まれぬようにする。

 冷静に戦局を見極めようとすればするほど、もたらされる情報は敗北を予感させるものばかり。

 拳が肉体に叩きつけられる音。床が砕け、空間までもが潰されるような圧力。悪夢じみた恐ろしい光景は、地上に破滅をもたらそうとした魔族を呑み込むまで消えることはないだろう。

 

 

 大魔王すら足手まといになる、異常な状況。

 ミストバーンの面に浮かぶ色は、魔王軍最強の座に相応しくないものばかりだ。

 混乱。

 焦り。

 そして、恐怖。

「バ……」

 何を言おうとしたのか、自身でも分からない。

 知らぬうちに声が震えていた。

 最強が、軋む。

 最強が、揺らぐ。

 彼は現実を、眼前の光景を否定するように歯を食いしばる。

 彼は傷一つ負っていない。それは何の救いにもならない。

 本体が命を落とした場合、秘法のかけられた分身体がどうなるか分からない。

 どのような状態になろうと、誇りと使命そのものであるこの体は、真の姿よりも遥かに忌まわしいものとなるだろう。永劫に償えぬ罪過の象徴として。

 自身が無傷でも主が倒されれば意味がない。数千年の戦いも全て意味がなくなる。

 床が砕けんばかりに踏みしめ、拳を握り締める。

「負けぬ……負けるわけにはいかぬッ! この――」

 言葉がぷつりと途切れる。

 この身に代えてもとは言えない。使っている肉体は主のものなのだから。

 捧げられる材料を探すように彼は唇を噛んだ。

 やがて吐き出されたのは、直前までの語調に反して静かな声だった。

「魂に、懸けて」

 魂などでは敵は殺せない。

 彼の主が常々口にしてきた事実だ。

 それを承知の上で彼は宣言した。価値を見出す者がここにいなくとも。

 

 

 短い宣告が、発した本人の心に火を点ける。

 熱を宿さぬはずのミストバーンの体を、何かが燃やしている。

「オオオオォォッ!」

 咆哮が迸る。

 端正な面差しにみなぎるのは獣のごとき殺気。

 余計な感情を全て削ぎ落とした兵器とも呼ぶべき姿は、勇者とよく似ていた。

 拳と拳がぶつかり合った衝撃で床に、壁に、亀裂が生じ、大きく揺れる。

 化物と化物の激突に周囲が崩れていった。

 原初の竜の闘いのように。



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原作後
逆行~冒険の途中~(ポップ一人称)


ダイが戻ってこないため、ポップは過去を変える決意を固める。
※閉鎖したサイトに掲載していた一発ネタです。


「……よし」

 世界の片隅に、忘れ去られたようにひっそりとたたずむ遺跡の最深部。

 床に描かれた七色の魔法陣を前に、おれは力強く頷いた。

 色んな書物を漁って、あちこちの遺跡に潜って、世界中歩き回った成果がこれだ。

 この魔法陣には術者の精神を飛ばす効果がある。

 ……過去の自分自身へと。

 意識だけが体から抜き出されて、過去のおれの中に入り込んで、上書きしてしまうらしい。

 そうなれば、変えられる。大魔王との戦いの結末を。

 

『ポップ……』

 マァム達の心配そうな顔が心に浮かぶ。

 皆はおれがやろうとしていることを知ったら止めるだろうか。

 こんなこと、普通なら絶対に試さない。

 今の体や昔の自分の精神はどうなるのか。過去の出来事が変わったら、今の世界にどんな影響があるのか。疑問も不安も尽きない。

 それでもおれが過去を変えるなんて無茶をしようとしているのは、親友――ダイが見つからないからだ。

 地上を滅ぼそうとしたバーンを倒した直後にあいつはいなくなっちまった。黒の核晶の爆発から世界を守るため、人形を抱えて飛んでいった。

 一緒に飛んだおれを蹴落として!

 もちろんおれ達は捜したよ。ずっとずっと捜してきた。

 でもどんなに捜し回っても、手がかり一つ見つからない。

 やがて剣の宝玉の光が消えて……。

「くそっ!」

 思わず悪罵の声が漏れた。

 光が失われたのを目撃した時の、血の凍るような感覚が蘇る。あの瞬間味わった感情は、何年経とうと忘れないだろう。

 認められるかよ。

 おまえが地上の平和な姿を見られないままなんて。

 

 勇者が悪いヤツらをやっつけて、脅威は『全部』いなくなりました。

 めでたしめでたし。

 そんな結末変えてやる。

 さぞかし大変だろうが、何もせずにいるなんて自分自身が許せない。

「……いけねえ。冷静に、冷静に」

 無意識のうちに拳に力がこもっていた。指を解いて、頭を冷やすために深呼吸する。

 いつ頃まで遡るかハッキリしないのが厄介だった。

 確定しているのは、「最も変えたい出来事の前『には』戻れる」ことだけだ。細かく指定することはできないようになっている。

 もしかすると赤ん坊の頃にまで戻っちまうかもしれない。戦闘の最中だったら咄嗟に対処できず大怪我するかもしれない。怪我どころか命を落とすことだって考えられる。

 それ以前に、時の流れに巻き込まれて精神がバラバラになるかも……。

 起こりうることを追究していくと、無謀な行動を思いとどまらせようとする声が聞こえてくる。

 戻る先は本当に同じ過去なのか。全然違う流れになった時に対処できるのか。

 もっと悪い結果になるかもしれないのに、一度は掴んだ平和を捨てるのか。

 思い通りの結末にならなかったらまたやり直すのか。

 ……あいつはこんなやり方を望まないんじゃないか?

 おれは頭を振って問いかける声を追い出した。

 やるべきかどうか散々悩んだ。皆で作った流れを、おれ一人の気持ちで捻じ曲げるなんて許されるのかと思った。

 それでも、待ちくたびれたんだ。

「ダイ。今、会いに行くからな」

 なるべく心を落ち着かせる。息を吸い込み、宣言する。

「行くぜ」

 ダイたちとの冒険が、再び始まる。

 

 力を解き放った途端、意識が遠くなった。

 世界が白くなって、全身が浮遊感に包まれる。指先から手首へ、腕へ、冷気が這い上がり、感覚がなくなっていく。体が泡になって消えていくような、頼りない心地がした。

 空の向こうに飛んで行ってしまいそうで、体がないにも関わらず必死にもがこうとする。

 どれくらい時間が経ったのか分からない。

 いつの間にか目の前は真っ暗になっている。あの世に来ちまったのかと焦って瞬きすると……瞬き?

 光が、色彩が、戻っている。自分の手が見える。

 体が、ある。

 足で地面を踏みしめる感触もする。

 慎重に視線を動かして、おれは息を呑んだ。黒い髪と青い眼が視界に入ったためだ。

 懐かしい懐かしい、もう一度見たかった親友の顔。

「ダイ……!」

 涙が溢れそうになるのをこらえる。

 ……駄目だ。今は感傷に浸ってる場合じゃない。状況の把握に努めないと。

 もうダイと出会った後なのか。

 先生にマァム、ヒュンケルもいる。戦ってる真っ最中じゃないみたいだ。

 冒険の途中ならどのあたりなんだ?

 バーンやミストバーンの秘密がわかってるからそれを活かして――。

「ん?」

 そう言えばダイは上半身裸だ。どことなく安心したように笑ってる。

「大魔王バーンは……倒れた……!」

 いきなり終わりかけてんじゃねえか!

 

 変わった状況への対応とか色々考えてたのはなんだったんだ……。

 ってことはこの後キルバーンが登場するから黒の核晶を作動させる前に小人の方を、ああでも戦い終わったばっかで体にはろくに力が残ってねえし下手に呪文ぶつけようとすると人形が……頭を使わねえと!

「少々お待ちを……!」

 げっ、もうきやがった!

 得意げに語りやがって、こうなりゃやることは一つ!

「祝福の――」

「でええぇぇい!」

 台詞の途中で攻撃! 種明かしの空気無視!

 バーンの裏拳くらっても原型留めてた頭をくらえ!

「こドゥバッ!?」

 腰のあたりに頭から突っ込むと人形は派手に吹っ飛んだ。巻き込まれた小人――キルバーン本人は……当たり所が悪かったのか一発で気絶した。

 何とか爆発は阻止できた。あ、焦った……!

 事前に対応を考えていたはずなのに慌てちまった。冷静なつもりでいたけど、気づかないうちに精神的に追い詰められていたのかもしれない。

「こんな頭の使い方、ありかよ」

 自分でもどうかと思うが、そうするしかなかった。勇者の無事は全てに優先するんだよ!

 皆すっかり驚いてる。ってか若干ヒいた顔してる。マァム……そんな顔しないでくれ……。

 できればおれだって鮮やかに対処したかったさ、新しく編み出した呪文とかで。ほとんど力を使い果たしてなければなあ……。

 ダイも戸惑った目でおれを見ている。

「ポップ、どうしたんだよ?」

 なんか……キルバーンの正体とか説明すんの、面倒くさくなっちまった。

 こ、これで冒険終了か?

 

「……いや」

 違う。

 ダイが地上からいなくなる可能性はまだ残っている。

 魔界の住人が侵略することは十分考えられる。

 たとえ魔族が攻めてこなくても、何もしなくていいわけじゃない。

 地上のみんなの心が一つになったとはいえ、いつまで効果が続くか分からないんだ。

 ダイに……すごく強いと分かってる相手に石を投げたり暴言吐いたりする馬鹿野郎はさすがにいないだろう。

 ただ、過剰にビクビクしたり機嫌取ったりする連中は出てくる。戦いに利用しようとする悪党だって現れないとは限らない。

 受け入れる奴の方が多くても、自分の存在が火種になるならダイは去ることを考えるだろう。

 人間全体の意識を変えるのはとてつもなく困難だ。強力な呪文を習得するよりずっと……もしかしたら大魔王を倒すことより難しいかもしれない。

 それでも……やらなきゃ。変えていくんだ。

 

 ダイが安心して暮らせるようになるまで、おれたちの冒険は終わらない。



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最終話 Destati(ダイ一人称・短め)

原作後。
ダイに何者かが呼びかける中、幾つもの懐かしい姿が彼の前に現れる。


 気がついたら花畑に立っていた。

 おれはどうしてこんなところにいるんだろう。たしか黒の核晶の爆発に巻き込まれて、目の前も頭の中も真っ白になったんだ。

 おれ、どこか遠いところへ来ちゃったのかな。

 あたり一面に花が咲いていてきれいだ。踏みしめているのは硬い感触じゃない。まるで雲みたいにふわふわしている。

 風が吹いてて気持ちいい。夢を見ている気分だ。

 ……夢。

 戦う必要のない世界。

 おれの予想を裏付けるように、遠くに父さんと母さん、ハドラーも見える。後ろにいるのは親衛騎団だ。

 再会できたことが嬉しくて走り出したけど、なかなか進めない。見えない壁に邪魔されているみたいだ。

 みんなに近づこうとするおれに、どこからともなく声が聞こえた。

『ダイよ。おまえは地上に戻りたいか』

 戻る?

 父さんや母さんとまた別れるのは辛いけど、やっぱり地上に戻りたい。

 おれが頷くと、声は続けた。

『そのためには長く辛い戦いに勝たねばならぬ。それでも良いのか』

 どういうことだろう。大魔王は倒したけれどまだ戦いは終わらないなんて。

 もしかして魔界のヴェルザーの封印が解けるのか。

 混乱したおれに、声は淡々と説明していく。

『ヴェルザーではない。魔界の第三勢力とでも言うべき存在が地上を狙い、攻め込もうとしている。奴を止めねば、おまえが望んだ地上の平和とやらはすぐに破られる』

 

 

「だったら……」

 戦うと言いかけたおれの目の前に、ぶうんと音がして映像が映し出された。ヒムたちがデルムリン島で生活している様子だった。楽しそうだけど、おれの心はずしんと重くなった。

 ヒムも、クロコダインも、人間が好きになって、大魔王を倒すために戦ってくれた。

『見よ。誰が平和を守るために戦ったかも忘れ、異質な存在を排除する。人の(サガ)はそう変わらん』

 大魔王を倒したのに。せっかくみんなの心が一つになったのに。やっぱりおれの居場所はないのかもしれない。

 そう思ったとき、おれの名を呼ぶ声が聞こえた。

「ダイ! 帰ってこいよぉっ!」

「ポップ!」

 最高の友達の姿が映される。

 あいつは頑張っている。おれが帰ってくると信じて、全力で。他のみんなだって。

 だったらおれが諦めるわけにはいかない。

 

 

 おれは顔を上げ、はっきり告げた。

「おれは地上が、みんなが好きだ。守るために戦う」

 今まで眠っている時みたいに力が入らなかった体に、力がわきあがる。気がつけば金色の光が全身からあふれている。

 声はしばらく黙っていたけど、静かに呟いた。

『ダイよ……太陽の子よ。おまえならば変えられるかもしれん』

 いつの間にか父さんとハドラーがすぐ近くにいた。母さんも微笑みを浮かべて立っている。

 ハドラーが手を差し出したから、反射的に握った。

 父さんはおれの肩に手を置いてくれた。

 最後に母さんがおれを抱きしめてくれた。

 触れたところから、温かいものが流れ込んでくる。

 体がすごく熱くなって、頭の奥で光が弾けた。

 

 

 おれが目を開けると、あたりはひどく暗かった。

 洞窟の中にいるみたいだ。

 全身を瞳のような丸い球体が包んでいる。今まで意識を失っていたおれを守ってくれていたらしい。

 球体が割れた。

 そろそろと手足を動かしてみる。怪我はないみたいだ。

 外に出ると、空には光があったけど、とても弱い。

 もしかして、ここが魔界なのかな。

 見回しても緑なんて見つからない。暗い色ばかりで、荒れ果てた大地とマグマが広がっている。あまりにも地上と違いすぎる光景に、心が締め付けられたみたいに苦しくなった。

 必要なものは、きっと地上と同じ。

(おまえならば変えられるかもしれん)

 さっきの言葉は、このことを言っていたんだろうか。

 地上を狙うやつを止めても、この状況を変えないと戦いは終わらない。時間がたてばきっと他の魔族や竜が地上を狙うだろうから。

 第三勢力。魔界に住む人たち。地上のみんな。

 今はまだどうしたらいいのかわからないけど――。

 おれはよどんだ空を見上げた。

 絶対帰るんだ。

 そしてみんなで、竜族や魔族も一緒に暮らそう。

 

 

 バーン。おまえが何よりも望んだ太陽の下で。

 

 

 完




この話を最終話とさせていただきます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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