『生きるためには喰うしか無かった』 (ブラウン・ブラウン)
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第1話【遠くにいった貴方へ 遠くにいるアナタヘ】

初めての物書きなので、お手柔らかにお願いします。
オリ小説だと思って楽しんでください。


《2018年9月 長野》

 

 

 ザーッと雨が降る。冷たい雨。

 空は黒い雲で覆われていて、昼間だというのに肌寒く感じる。

 

 辺りには瓦礫や木材の残骸が散らばっており、人の気配はない。文明が崩壊してしまったかのように、無事な建物はなくすべて破壊されてしまっている。

 

 今からおよそ3年前、バーテックスと呼ばれる白き異形の怪物が空から降りそそいできた。その怪物は瞬く間に世界中に出現し、人類が築きあげてきた全てを蹂躙し破壊の限りを尽くしていった。

 この地は土地神様による結界のおかげで今日まで無事にすんでいた。しかし、その結界も先程粉々に破れ去ってしまった。

 

 

 

 聞こえてくるのは、私の荒い呼吸音と降りしきる雨音、それと握りこぶしから出る微かな軋む音だけ。3年前のあの日からの日々を少し思い出すだけで全身に力が入り、怒りで身体が震えてしまう。

 

 雨は私の体を冷やし、白くなってしまった髪からは雨水が、返り血(・・・)で真っ赤に染まった右腕からは赤い水滴が落ちていく。興奮した体を冷やすにはちょうどいい。足元の土はびちゃびちゃになり、ぬかるんでいる。

 

 自分が汚れるのも気にせず私は跪いて、仲が良かった2人の遺体を体全体で抱きしめる。

 

 一人は全身血だらけで、左腕がナニカに食い千切られたかのように失われている。美しかった緑がかった髪の毛には、べっとりと付いた血が固まってどす黒い色となっている。相棒の鞭を勇ましく振るっていた右腕は、あらぬ方向に折れてしまっている。

 彼女の名は白鳥歌野。私の憧れだった人。

 

 もう一人は胸から大量の血が出ていて、貫かれたような穴ができている。ちょうど人の腕が入りそうな大きさだ。目は、可愛らしい彼女には似合わないほど大きく開かれ、驚いた表情をしている。

 彼女の名は藤森水都。私が殺してしまった人(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 冷たい雨は二人から生者の温もりを奪い、先ほどまで生きていた証を流していく。

 私はそれに抗うように、無意味だと知りながらも温もりが冷めないよう強く抱きしめる。

 

 

 

『こんなところにいたらソーコールド! 風邪引かないうちに中に入りましょ、(ともり)さん』

 

──そんな声はもう、聞こえてこない。

 

 

 

 2人と過ごした、かけがえのないこの数ヶ月の日々を振り返ると涙がとまらない…………とまらないはずなのに、それなのになぜか涙が一滴も出てこない。

 

 

「あ、れ……?」

 

 

 いや、それ以前に思い出せない。今日以前の記憶が不鮮明になってしまっている。思い出そうにも、まるで霧のような白いモヤがかかってしまう。自分の記憶が自分のものではないような感覚。どうして。疑問が頭を駆け巡る。

 

 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして

   どうして、どうして、どうして、どうして、───

 

 

 

 そして私は思い至る。

 

 いつかこうなることくらい分かっていた。分かっていたけれども、それでも、この記憶(思い出)だけは、と思っていたのに……。

 

 

 

 

 

 

──ああ、この記憶(思い出)も白く染まっちゃったんだ……

 

 

 

 

『記憶が人を形作る』

 

 以前読んだ本にこんな言葉が書かれていたのを覚えている。とても難しい本だったから、苦労して読んだし内容は全く覚えていないけど、なぜかその言葉だけ印象に残っている。 その言葉を見た時、確かにそうだな、と思った。記憶は生きてきた証で、思い出は生きてきた成果だ。

 

 それならば今の私はどうだろうか。楽しかった記憶にはモヤがかかり、今まで過ごしてきた日々の記憶も虫食い状態。確かだと言えるのは、ほんの数時間前からの記憶しかない。

 今となってはもう、大切にしていたという妹の事も思い出せない。

 

 記憶喪失、だったらまだよかった。記憶がまっさらになってゼロからまた始めることができるから。昔の記憶に囚われなくていいから。

 でも違う。記憶障害ではあるがこれは全くの別物。今の私はマイナスの状態。まるで私という入れ物に絶望だけを詰め込んだかのように楽しかった記憶は抜け落ち、つらい記憶、悲しい記憶のみが残っている。ゼロというスタート位置に立つことすら許されていない。

 

 こんな状態で本当に私は人間だと、生きていると言えるだろうか。

 

 

 

──あの子の言っていた事はやっぱり本当だった。

 目を逸らして認めないようにしてきたけど、結局のところ逸らしようの無い事実だった。

 この地に来る前、私を見て「バケモノ」と指差し泣き叫んだ少女の言葉を振り返る。楽しい記憶は無くなるのに、こういう忘れたい記憶だけは鮮明に覚えている。全く理不尽極まりない事だ。

 

「認めたく、なかったなぁ」

 

 

 

 それから自分の体を見てみる。

 総攻撃があったのにも関わらず、ほとんど傷のない体。

 元が栗色だったとは想像もつかないほど白くなった髪。

 磁器のように白く硬質化した四肢。足元に落ちている石に腕を振るえば、真っ二つに切断できるほどの硬度。

 そして体の隅々には、バーテックスを想起させる小さな赤いひし形状の紋様が薄く散りばめられている。

 

 確かにこれはバケモノだ。

 声にならない乾いた笑い声が漏れてしまう。あきれた。こんな状態なのにまだ自分は人間だと思っていたのか。どこからどう見ても、この惨劇を起こしたバーテックスそのものではないか。

 みんなを守りたくて、2人を守りたくて禁忌の力に手を出し続けたのに、結局誰も守れず、あまつさえその力で友達を殺してしまった。

 

 

 

 2人は私を人として触れてくれたけど、所詮私は、自称『勇者』なバケモノだった。

 

 

 

 どうしようもない、どうにもならない感情が心を埋め尽くす。後悔の念、自責の念が私を押しつぶす。どうしてあの時、あの時ああすれば、そんな過ぎ去った可能性を嘆き続ける。

 

 そして今回の総攻撃で取り入れ、浄化し切れなかった大量の白き悪意が、心の奥底に沈めてきた怨嗟の感情を湧きあがらせた。

 

 

 

 

 

 

──私はただ、生きたかった。

 平和で自由に穏やかに、なんの脅威にも晒される事なく生きたかった。

 叶うのならば2人と、恐らくは大切だったという妹とも一緒に生きたかった。

 

 

 歌野には、農業王になるという夢があった。

 水都には、歌野が作った野菜を世界中に届ける宅配屋になるという夢があった。

 

 戦いに行く前にご飯をごちそうしてくれた秋子さんには、食堂を開くという夢があった。

 緊張している私にアメ玉をくれた幹太くんには、パイロットになるという夢があった。

 みんなのまとめ役の竹造おじさんには、孫の顔を見るという夢があった。

 

 

 出発前のみんなの笑顔が忘れられない……。

 

「頑張って!」「負けないで!」

 

 そう応援してくれたみんなの期待にも応えることができなかった。守るって約束したのに、誰一人守れなかった。

 みんなみんな、夢をたくさん持っていた。こんなところで死んでいいような人ではなかった。まだあと何十年も生きるべき人たちだった。

 

 

 

 そんなみんなを殺したのはバーテックス。これは揺るぎない事実だ。絶対に許せない。

 

 

 

――でも、今のこの状況をつくったのは……?

 

 

 

 

 

 

 

『もう少し待て、きっと状況は好転する』

 

 そう言って、結局私たちを囮に使ったアイツらだって悪なはずだ。

 

 きっと、バーテックスが1体も来ない安全なところで私達が疲弊していく様を想像して楽しんでいたのだろう。いや、そうに違いない。そうでなければ増援の1人や2人は送ってきたっていいはずだ。

 こっちは毎日生きるのに必死で、いつ死んでしまうか分からない状況だったっていうのに、なんの支援もしてこない。どうせアイツらは暖かい部屋でおいしいものをたらふく食べながら、片手間に私たちの対応をしていたのだろう。

 最後の電話の時に慌てていたのも、せっかくの楽しみがなくなるのを感じて焦ったからに違いない。

 

 

 

──悪意が体に浸透していく……。

 

 

 

 もしかしたら、実はアイツらは「勇者」ではないのかもしれない。私と同じく「勇者」の名をかたっている『勇者』なのかもしれない。いや、きっとそうだ。そうに違いない。

 本当の「勇者」ならば、歌野のように強く逞しく尊い存在なはずだ。困っている人がいたら自分のことなど顧みず我先にと助けに動く、そんな性格の持ち主を「勇者」と呼ぶはずだ。こんな私だって、誰かを守ろうと今まで必死に行動してきたつもりだ。結果はとてもひどいものになったが、それでも私なりに頑張ってきた。

 

 そんな自称『勇者』な(バケモノ)よりも劣った醜い性格。アイツらと自分を比べると、実は私も「勇者」なのでは、だなんてありえない妄想まで思い浮かべてしまう。アイツらは「勇者」なんかではない。『勇者』ですらない。たぶん『勇者』という皮をかぶった悪魔か何かなのだろう。

 

 

 

──思考が白く染まり、疑惑が確信へと変貌していく。

 

 

 考えることに夢中になっていると、どこかからか不快な音が聞こえてきた。来たな、と思い顔をあげてみると案の定、今までどこにいたのか、バーテックスが私を中心に集まってきていた。私の中の悪意に引き寄せられているかのように、奇妙な鳴き声をあげながらユラユラと近づいてくる。

 

 

 

 こんなひどい目に合わされたとしても、きっと二人はアイツら(・・・・)を許してしまうだろう。二人はとても優しく、温かな心の持ち主だったから。

 

 でも私には無理だ。到底許すことはできない。許せるわけがない。

 私にはもう、あなた達しかいなかったから。あなた達はこんなところで死んで良いような人間ではなかったから。 もっと……もっと二人と一緒に居たかったから……。

 

 

 

 ついに私の体から悪意が吹きこぼれる。真っ白くも体にまとわりつくような重々しい悪意。

 それに反応してバーテックスが急接近してきた。ごちそうにありつく獣のように一目散に、私たち三人目がけて突進してくる。はたから見れば、バーテックスの融合シーンに見える速度でこちらに向かって来る。

 

 そして何十人も喰ってきたであろうその白く巨大な口を開けて、私に喰らいつく。噛み殺される、と思いきや、そのまま溶けるように私の体に吸収されていった。

 途端、理解するよりも早く濃密な悪意の塊がうねりを上げて侵入し、体中に行き渡り私の魂にまで到達。そのまま私の存在を飲み込むように脳内にねじ込んで侵食してきた。

 

 

「--ーーーッッ!!」

 

 痛い痛い痛い痛い痛い。視界がフラッシュバックし、体の全細胞が悲鳴を上げる。脳内が掻き乱され存在が消えそうになる。鼻血が、目からは血涙が流れてきた。立っているのかどうなっているのか分からなくなる。叫び声をあげながら、のたうち回りたくなる。

 でも声は出さない。転げまわらない。奥歯が折れるほど噛み締め声が漏れるのを堪える。頭を地面に打ち付け、転がりたい気持ちを堪える。奥歯なんてどうなったっていい。噛み締めろ。どうせ折れてもすぐに再生する。

 今はとにかく耐えろ。私は耐えなければならない。この痛みは、今までの私の罪に対する罰であるし、なにより歌野たちのほうが辛く苦しく、泣き叫びたいほど痛かったはずだから。

 

 

 

 今日の記憶は決して忘れないだろう。私の絶望に染まった不確かな記憶の中で、一番最悪の出来事だから。

 また、1つ気づいたことがある。どうやらコイツらは絶望がお好みらしい。嫌なことを考えれば考えるほどコイツらは私たちに貪りつき、進化の度が深くなっていく感覚が実感として流れてくる。

 それは好都合だ。何せ私の中には絶望しか詰まっていない。そして私はアイツらに復讐する力が欲しい。絶望を与える代わりに協力してもらう。とてもwin‐winな関係だ。

 

 と、思いながらまた気づく。コイツらに仲間意識を持ってしまっているあたり、私の中の人間性はすでに完全に消え去ってしまったのだろう。本来は悲しむべきところなのに、何も感じなくなってしまった。

 いや、むしろそれが心地が良いとさえ感じてしまう。流石は(バケモノ)、人間とは考えることが違う。

 

 

 私を核とし、バーテックスが詰め寄り、融合。そして進化していっている状況で私は狂ったような、否、狂った甲高い笑い声をあげる。そしてーーー

 

 

 

 

 

「私はアイツらをッ!」

 

 そして私は高らかに叫ぶ。たっぷりと恨みを込めたこの声が、許しがたい敵が住んでいるところにまで届くように。

 

 

 

「私たちを騙した『勇者』乃木若葉をッ!」

 

──ごめんね、水都。痛い思いさせちゃって。あの時、私を助けに来てくれて、ありがとう。

 

 

 

「私たちを見捨てた、四国の連中をッ!!」

 

──ごめんね、歌野。 こんな(バケモノ)を、人として接してくれて、ありがとう。

 

 

 

「絶対に許さないッッ!!!」

 

──仇は、取るから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから私は、この3年間の地獄の日々を思い返す。アイツらに特大の絶望を贈るために、じっくりゆっくり時間をかけて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ここは長野。神に愛され、そしてその神に見捨てられた地。

 かつてこの地には、1人の「巫女」と、1人の「勇者」と、1人の「勇者」になりたかったバケモノがいた。



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第1章【非日常の日常化】
第2話【当たり前の最終日】


読んでくださりありがとうございます。
妹の明は小学2年生です。


《2015年7月30日 山奥》

 

「ほら、そろそろ着くから起きるんだ、二人とも」

 

 夏の日差しに温められた車内でうたた寝していた私は、運転するお父さんの呼び声で目が覚めた。パーキングエリアで早めのお昼を食べた後、車に揺られているうちにどうやら寝てしまったようだ。

 でも起きたばっかであんまり理解が追い付かないな、どこ向かってるんだっけ?

 

(ともり)(あかり)を起こしてあげて。おばあちゃん家着くぞ」

 

 そこでようやく意識がはっきりした。そうだ、私たちは東京の家から埼玉県のおばあちゃん家に向かってたんだ。

 よくテレビとかでやってるポツンと一軒家、そんな感じの山奥におじいちゃんとおばあちゃんは2人だけで住んでいる。

 

 誰にも邪魔されず広大な土地で思いっきりバドミントンの練習をする。

それが毎夏ここに泊まりに遊びに来る目的の1つだ。

おじいちゃんは元プロのバドミントン選手で、70歳近いのに老いなんてないかのように私をボコボコにする。毎年圧倒的に負けてしまうけど、生き生きとしたおじいちゃんとやるのはとても楽しい。

 後はおばあちゃんの料理が食べたいとか、かわいい妹がはしゃぐ姿が見たいとかそんな理由だ。

 

 

「バドミントンクラブ部長として、みんなに情けないところは見せられないしね」

 

 そう、何を隠そう私は部長なのだ。名前の響きがかっこいい、という自分でも少々アホっぽい理由で手をあげたらそうなった。

 あの時のみんなの驚いた表情はとても面白かった。まあそうだよね、6年生の中で1番下手なのに立候補するなんて……。

 理由を正直に言ってみると、みんな笑って承認してくれた。それにしてもなぜか心配する声が多かった。私ってそんなにアホな子じゃない……よね?

 

 そんなわけで部長になったからには、せめてみんなと同じくらいには上手にならないと。

 今夏のこの山での秘密の特訓にはそんな思いも持参してきた。

 

 

「っとと、そんなこと考えてる場合じゃないね。ほら明、起きて」

 

「ん、、、ぅん~? ふぁ~。ついたの? ともちゃん」

 

「うん着いたよ、しっかり起きてね」

 

 隣にある肩をゆすると、むにゃむにゃと言いながら明が起きた。

 私とお揃いの茶色がかった黒髪のショートカットを触りながら茶色のクリっとしたかわいい目をこすっている。以前、なんでその髪型なの? と聞いてみたら、「ともちゃんと一緒がいいの」と言ってくれたのをふと思い出し、にやけてしまう。

 

 

 

 ガタガタと険しい山道を抜けてようやくおばあちゃん家に着いた。この家は森に囲まれて大きな畑もあるところだ。

 毎年夏のお泊りから帰る時ここの野菜をくれるんだけど、スーパーなんかの野菜とは比べ物にならないくらいみずみずしくっておいしい。

 

 畑の奥には、今はもう機能していないが昔この建物は神社で、おばあちゃんはそこのアルバイト巫女さんだった。たまたま訪れたおじいちゃんがおばあちゃんに一目ぼれして、そのまま結婚する流れになったらしい。

 あまりに通い詰めたせいで神主さんとも仲良くなり、神社がなくなる際には神社ごと買い取ってしまうほどになった。

 今では使いやすいように神社をリフォームして、そこに2人は住んでいる。

 

 

 

「おお~来たか」

 

「久しぶりー、おじいちゃん!」

 

 駐車場に行っている最中、年相応の白髪頭で涼しげに青い甚平を着たおじいちゃんが顔を出してきた。私たちは一旦降りて、駐車する父さんを置き去りにして玄関にいるおじいちゃんのもとに駆け寄った。

 

「遠かったろう? 疲れてないか?」

 

「車の中でたっぷり寝たから大丈夫! 明もぐっすりだったんだよ」

 

「よくねたー」

 

「おお~そうかそうか。寝る子は育つ、いいことだ。ほらほら、こんなとこだと暑いだろう。婆さんが涼しい部屋を用意して今か今かと待っていたぞ。」

 

「すずしいへやッ! わーい!」

 

「ちょ、ちょっと明。待ちなさーい!」

 

 

 夢中で走り出す明を追いかけ私たちは玄関で靴を脱ぎ捨て、おばあちゃんの待つ部屋へ向かう。床は木で作られているので、足の裏がヒヤッとして気持ちいい。

 扉を開けると、

 

「おや、よく来たね、灯ちゃん明ちゃん、いらっしゃい」

 

 丸メガネをかけたおばあちゃんが赤い浴衣姿で、せんべいを片手に優しい声で出迎えてくれた。

 青い甚平と赤い浴衣と。一風変わっているけれどいつ来ても変わらない光景を見て、なんだかようやく私の夏が始まった感じがしてきた。

 

「長旅だったでしょう? 疲れてない?」

 

「もう、それさっきおじいちゃんにも聞かれたよー。大丈夫だって」

 

「あらあら。じゃあ、お腹はすいてない?」

 

「すいた~! もーペコペコ。あかり、おにくたべたい!」

 

「そう言うと思って、晩御飯はから揚げでーす! 今日は灯ちゃんの誕生日だから、腕によりをかけて作るから期待してね」

 

「「やったーー!!」」

 

「ふふっ、楽しみにしててね」

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 それからしばらくの間私たちは、おばあちゃんが出してくれたおせんべいを食べ、この1年間にあった出来事を話しながらゴロゴロしていた。

 

「そういえば最近地震多いけど、ここら辺は大丈夫なの?」

 

「すっごいんだよー。グラグラ〜グラグラ〜」

 

「ここの山はしっかりとした土地だし、建物もリフォームしてあるから倒れる心配も無いし、大丈夫よ」

 

「でも気をつけてね、ここにはあんまり人こないんだから、何かあってもすぐには助けが来ないんだからね」

 

「心配ありがとね」

 

「なにかあったら あかりがおそらをとんで たすけにきてあげる!」

 

「まぁ! それはとても楽しみだわ。明ちゃんが来てくれるなら百人力ね」

 

 最近頻発している大規模な地震のことを話題にしていると、誰かが扉を開けて入ってきた。

 

「おう、ここにいたか2人とも。お袋も久しぶり、ただいま」

 

「お疲れさま、お父さん。遅かったね」

 

「おつかれー」

 

「父さんと少し玄関で話しててな。2人とも大きくなったなぁ、って言ってたぞ」

 

「お帰り朝暁(あさとし)。喉乾いてないかい? お茶入れようか」

 

「ああ、お願いする。暑くて喉カラカラなんだよ」

 

「待っててね、今準備するわ」

 

 お父さんが開けた扉の上にある壁掛け時計を見て、あることに気づいた。

 

「あっ、もうこんな時間。それじゃあそろそろ私、夕ごはんまでバドミントンしたいんだけど、おじいちゃんどこにいるか知ってる?」

 

「えーっと……」

 

「さっき、畑に行くって言ってたぞ」

 

「オッケー、じゃあ行ってくるね。明はどうする? お姉ちゃんと一緒に行く?」

 

「あついのヤー。ここにいるー」

 

「分かった、じゃ行ってくるね」

 

「熱中症に気を付けるんだぞ」

 

「わかってるってー。行ってきまーす」

 

「いってらっしゃーい」

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 少しギシギシと鳴る廊下を渡って玄関まで行き、脱ぎ捨てられた明の靴を整えて、靴を履いて扉を開ける。

 来る時よりもさらに強くなった夏のギラギラした日差しに照らされた青い広大な土地が、目の前に広がる。

 木々に風に揺られざわめき、一種の楽器の演奏のように聞こえてきた。木の隙間からタヌキがひょっこり現れてきそうな自然感がそこら中に漂っている。

 

 わざわざ運動用に着替えた半袖シャツの隙間から吹く風が心地いい。耳を澄まさずともセミの大合唱が聞こえてくる。

 東京の空気がおいしくないとは言わないが、ここの空気を知ってしまうと、あれ? もしかして東京まずい? だなんて思えてしまう。

 ありふれた言い方だが、本当に自然は心を洗い流してくれる。

 清い空気を肺に入れ、体には今日こそ勝つぞと気合を入れてラケット片手に畑へ向かって歩き出す。

 

 

 

 しばらくすると鍬を振るっているおじいちゃんが見えてきた。あれ、なんか見覚え無い鍬振るっているな。

 

「おーい、おじいちゃん。鍬新しくしたのー?」

 

「おおぉ、灯ちゃん。そうなんだよ。この前、蔵に泥棒が入ってな、まぁすぐに捕まえたんだが。盗られるものなんて何もないと思ってはいたんだがな、泥棒の話によるとこの神社にはまだ神具があったらしく。金が無く神具を溶かして売るつもりだったらしくてな」

 

「そんなことがあったの!?」

 

 どうやら私がいなかった間に大事件があったらしい。

 

「そ、それでどうなったの?」

 

「それが既に溶かされてしまっててな」

 

「ええっ、溶かされちゃったの!?」

 

「ああ、それで原型がなくなったとはいえ捨てるってのもなんだから、もう一度溶かして鍬にしたんだ」

 

「ほえ~、そんな事件があったんだ……」

 

「前のは古びてて使いにくかったしな。そうして出来上がったコイツの名前はカネアキだ!」

 

「カネアキってまんまじゃん……」

 

 鍬だから金に秋でカネアキって……。いつも通りの壊滅的なネーミングセンスだなぁ。

 

「いい名前だろう」

 

「ぅん~。んー、まぁそんなことはいいんだよ。ほら、バドミントン一緒にやろう?」

 

「そんなことって……、まぁ灯ちゃんがいいならいいんだけどな。えーっとバドミントンか、ちょっと待っててな」

 

「はーい」

 

「去年に比べてどれくらい灯ちゃんが強くなったのか楽しみだな」

 

「ふふん、去年の私とは訳が違うよ。今年こそ勝つ!」

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 それから畑仕事を中断してくれたおじいちゃんと3時間ほどバドミントンしていると夕飯の時間になった。

 

「2人ともー、そろそろごはんですよ~」

 

 おばあちゃんがわざわざ私たちを呼びにきてくれた。

 

「おや、もうそんな時間か。それじゃ灯ちゃん、ご飯食べに帰ろうか」

 

「ちょ、ちょっと……はぁ、はぁ……もうちょっと待って……」

 

「ほほぅ、去年は座り込んでたのに今年はふらふらしながらもちゃんと立っている。ちゃんと成長しているな、若さの為せる力だ」

 

「そういうおじいちゃんは……老いの為せる力?」

 

「はっはっは。まだまだ若いもんには負けていられんのでな」

 

 今日も一試合も勝てなかった。私も強くなったはずなんだけどなー。

 おじいちゃんは年を取るたびに強くなっている、そんな気さえしてくるほどの強さ。バトル漫画ではないけれど、強すぎてなんだか楽しくなってくる。

 けれどもそろそろ動かないと。お腹の虫の訴えに応えるべく疲れた体をどうにか動かし歩き出す。

 

 

 

 家に着き手を洗い、火照った体に冷たい水を浴びせる。じわーっと体に例えようもない感覚が染み渡ってくる。この瞬間が、生きてるって感じがして気持ちいい。

 

 汗もしっかりタオルで拭いて湿った服を洗濯かごの中に入れ、来るときに着ていた服に着替え直してから部屋の中に入る。

 すると中から涼しい風に乗ってとても香ばしい唐揚げの香りとサクサクとおいしそうな音が聞こえてきた。

 見ると、明が温かそうな唐揚げをほおばっていた。

 

「ともちゃん、これおいし〜よ!」

 

「あー! 明もう食べてる!」

 

「心配しなくても灯ちゃんの分もたっぷりあるわよ」

 

「よしっ、も―お腹ペコペコなんだよ。おじいちゃんにコテンパンにされてさ、超疲れた」

 

「ふふっ、お疲れ様」

 

「おや? 婆さん、朝暁(あさとし)はどこに行ったんだ?」

 

「朝暁なら(ゆう)さんを迎えに駅に向かいましたよ。2人の分はまた後で揚げるから気にせず食べてくださいね」

 

「もうそんな時間なんだ。となると、お父さんとお母さんが来るのはあと2時間後くらいかな。そんなに待ってらんないし、いっただきまーす!」

 

 大きな唐揚げと、焼き鳥やポテトがのっている皿に手を伸ばす。テーブルの奥にはおじいちゃんが丹精込めて作った畑の野菜が山盛りに積まれている。それらに舌鼓を打ちながらみんなでワイワイと食事を楽しんだ。

 途中、明が勢い良く食べ過ぎてのどに詰まらせてしまったりすることもあって大騒ぎになった。

 

 

「2人が帰ってきたら、みんなでケーキを食べましょうね。灯ちゃん用にプレゼントもあるわよ」

 

「やったー! ありがとうおじいちゃん、おばあちゃん! あーあー、お父さん達早く帰ってこないかなー」

 

 プレゼントやケーキに胸を膨らませながら、お父さん達が帰ってきたらみんなで持ってきた花火をやりたいな、明日は明と一緒に森に行って川遊びしたいな、そんなことを考えていた。

 

 にぎやかな雰囲気に包まれて、今年の夏のおばあちゃん家での1日目がゆるやかに過ぎようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 美味しい食事、心地いい部屋、おじいちゃんとの練習、おばあちゃんの笑顔、お父さんの声、お母さんの温もり、幸せな誕生日。

 

 永遠に続くものだと思っていた。当たり前だと、そう認識していた。無くなるなんて、考えたこともなかった。

 

 

 今となってはもう、遥か彼方の遠い記憶。ここが私の幸せの最期。

 毎年の光景、いつも通りの日々だった。だけどその日常が何よりも大切なものだったなんて、今更になって気づくなんてね。

 もう、取り返しがつくわけがないのに。



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第3話【なくなる時は一瞬で】

「「「ごちそうさまでした!」」」

 

「はい、お粗末様でした」

 

「ふぃ~おなかいっぱい。もうたべられないよ~」

 

「じゃあ明の分のケーキは私が食べちゃおっかなー。もともと私の誕生日ケーキなんだし」

 

「ダメ―! あかりのケーキ!」

 

「うわあ!」

 

「ふふっ、2人とも本当に仲良いわね」

 

 夕飯を食べ終わった私たちは、もうすぐ到着するだろうケーキに心を躍らせていた。明は、自分のケーキは取らせない、と私に覆いかぶさってきた。

 

「わっはっは。デザートは別腹というやつか、明ちゃん」

 

「べつばら……? うーん、よくわかんないけどそう! べつばら!」

 

「それでは食べ終わったことだし、食後のお茶でも淹れてきましょうか」

 

「あ、おばあちゃん。私も手伝うよ」

 

「おや、それならお願いしようかね」

 

「これからしばらく泊めてもらうんだから、これくらいはね」

 

 

 そう言って明をお腹の上からどけて立ち上がろうとした瞬間。

 

 

 

──凄まじい地響きとともに地面がうねりを打った。

 

「じ、地震!? っと、うわっ!」

 

 ちょうど立ち上がろうとした矢先の揺れで、体を支えきれずに尻もちをついてしまった。

 

「こいつぁ大きいぞ!」

 

「あわわわわ……」

 

「明ちゃんしっかり! 2人も早く机の下に隠れて! お爺さんは玄関を!」

 

「ああ分かっとる!」

 

「気を付けて、おじいちゃん!」

 

 もし建物が歪んで外に出れなくなったら困る、と玄関の扉を開けに向かってもらう。ふらつきながら行くおじいちゃんに背を向けて私たちは机の下にもぐった。

 6人で同時に食べても大丈夫なようにと大きな机を用意していたので、3人入ったくらいじゃそこまで狭く感じなかった。

 揺れは10秒か20秒か、そのくらい続いた。

 

「いやー、今までで一番強い地震だったね。明、大丈夫だった?」

 

「うう~。ちょっときもちわるい……」

 

「何か落ちてくるかもしれないから、2人ともまだここにいてね」

 

「うん分かった。おじいちゃんは大丈夫だったかな?」

 

 

 外に出ていったおじいちゃんが心配になり、頭を玄関のほうへ向ける。

 

「おじいちゃーん大丈夫?」

 

「ああ、こっちも大丈夫だ。しっかしすごい……ん? なんだあれは?」

 

 よかった、おじいちゃんも無事だったみたい。あれだけの大きな地震で誰も怪我をしなかったのは運が良かった。

 しかし、何を見つけたんだろ?

 

「星が、動いている……? いや、降ってきているぞ!」

 

  突然のおじいちゃんの真剣な声にみんなして驚く。降ってくるって何が?

 

「何だこいつらはッ! ぐっ、ぐおおおおぉぉ!!」

 

 おじいちゃんの悲鳴が響き渡った。え、何? 何が起きてるの? 襲われてるの? 何に?

 地震から間もない非常事態に頭が混乱してしまう。隣を見れば明も同様に目を回している。

 

 そんな中、いち早く混乱から抜け出したおばあちゃんが机の下から飛び出た。

 

「2人はここに隠れてて! お婆ちゃんはお爺さんを見てくるから」

 

「ちょっ、おばあちゃん!」

 

 私の呼び止める声にも応じず、一目散に玄関に向かっていった。

 

 と、そこへ。

 

 

 

──轟音とともに白いバケモノが屋根を食い破って突入してきた。

 

 

 それは、今まで見たことのない生き物だった。

 いや、これは生き物と言えるのだろうか。

 私の何倍もある大きさ。人を丸呑みできるほどの巨大な口。目や耳などの器官は見受けられず、例えるならば深海生物のような、そんな造形。

 普通に考えれば地を這いずり回っていそうな見た目だけど、物理法則を無視してふわふわと宙に浮かんでいる。

 本能的に、私たちとは住む世界が違うバケモノだと感じ取れた。

 

 咄嗟におばあちゃんへと手が伸びる。

 

「に、逃げて! おばあ」

 

 

 『べちゃ』

 

 

「ぁちゃん……」

 

 

 あっという間の出来事だった。瞬きしていたら見逃してしまっていたような一瞬の光景だった。

 空からやってきたバケモノはそのまま地面に突っ込んで、たまたまその下にいたおばあちゃんを押しつぶした。

 

「ーーあっ」

 

 と同時に、生暖かい何かが頬に飛び散ってきた。空中で止まっていた手を動かし拭ってみると、赤い液体。鼻に近づけると錆びた鉄の臭いがした。

 同様の液体が先ほどまでおばあちゃんがいたところから中心に流れている。じわりじわりと赤の面積が広がっていく。

 あちこちの地面に、さっきまではなかったシミができている。

 

 ”血”。そう認識するのにあまり時間は経たなかった。

 

 

 

「ともちゃん、どうなって」

 

「駄目! 顔を上げちゃ駄目!」

 

 伏せていた顔をあげようとする明の頭を無理やり下げさせ手で口を覆い、気づかれないよう小声で鋭く注意する。

 バケモノは近くに誰かいるのは分かっていても、どこにいるかまでは分かっていない様子だった。

 

 ゲームの中でも見たことのないような光景を目にし、混乱が極まって逆に落ち着いてきてしまった。もちろん本当は全く落ち着いていないけど、この極限の状態を使って状況の把握に努める。

 現実離れした出来事で、今起こったことも理解が曖昧になっている。この状況下ではむしろありがたい。

 今きちんと理解してしまったら、私は使い物にならなくなってしまうだろうから。

 

 

 壁ごと天井が壊されたおかげで、ここからでも外の様子が見えるようになっていた。

 机の下から顔を出し空を見上げると、目の前にもいるバケモノが夥しい数で空から降ってきていた。机がなかったら上から丸見えだったことを想像し冷汗が流れる。

 

 とにかく今はこの状況からどうにか脱出しないと。顔を引っ込めて打開策を練る。

 まずは目の前にいるこのバケモノの注意をどうにか逸らして、それから……。

 

 

 

 前を向いて作戦を考えていると、視界の端に腕を捉えた。

 

「えっ、腕?」

 

 このバケモノには腕もあるのか? そう思いよく見ると、遠くにいるバケモノの口に腕が咥えられていただけだった。

 ただその腕は少ししわができた筋肉のあるたくましい腕で。

 着られている服はとても見覚えのある服で。

 

 

 

 

──あれはおじいちゃんの腕だ。

 

 

 急いで外に意識を向けると、バケモノが一匹、誰かにのしかかっているのが見えた。血だまりも認識できる。

 下にいるのは恐らくーー。

 

 

 その瞬間、私の中のナニカが弾けた。

 

 

「そこからどけッーー!!」

 

 状況を知らない明を置いて机から飛び出し、外に向かって走る。武器も何も持たず、おじいちゃんを救いたいという想いだけで無我夢中で走り抜ける。

 

「と、ともちゃんどこいくの!?」

 

 普段聞かない姉の怒号に体を委縮させているのだろう、とても頼りない声。けど、この状況で不安になっている明の質問にも答えている時間は私にはなかった。

 

 ただこの胸に湧き上がる激情に身を任せ、目の前にいるバケモノに体当たりをする。

 

 

「ぐはぁっ」

 

 硬い。まるで鉄の塊。ぶつかった反動で、逆に私の脳が震える。勢いよくぶつかったのに、バケモノはぴくりともしていなかった。

 そしてバケモノは、蚊を払うよりも無造作に私を弾き飛ばした。

 

 凄まじく重い衝撃。体験したことはないけど、まるでトラックに轢かれた時みたいな痛み。

 弾き飛ばされた私は、近くにあった物置小屋まで飛ばされ、小屋を破壊し大の字で倒れる結果になった。

 

「ふあっ、ふあっあっ」

 

 ショックで呼吸しようにも、胸が痛く肺にうまく酸素が入っていかずに過呼吸になりかける。

 背中がじんわり熱い。倒れた拍子に壊れた木材が刺さったのだろうか。頭からも少し血が流れているのが感じる。

 

 もう少し当たり所が悪かったら死んでいた。その事実が興奮していた私を冷静にさせた。

 

 

 何をやっているんだ私は。武器も持たずに明を置き去りにして特攻だなんて。あの時の約束を忘れるだなんて、大切な約束なのに。妹を守らなくて、何が姉だ!

 

 

 痛みで悲鳴を上げる体を無理やり動かす。何か武器はないか。じゃないと守ることができない。

 小屋の中を見渡すと一振りの鍬を見つけた。昼間、おじいちゃんが見せてくれた神器製の鍬。それに手を伸ばして藁にもすがる思いで祈る。

 

 

──私はあまり神様を信じていないけど神様、今だけは。家族を守りたいんです。私にあのバケモノを倒すだけの力を貸してください。

 

 

 神に祈りながら握ると、ドクンと体が反応し血が勢い良く体を駆け巡った。

 吹き飛ばされた時とは違う息苦しさ。体の構造が変わっていっているかのように熱くなる。

 風邪やインフルの時とは違う、自分の存在の根底からこみあげてくる熱。

 そして感じたことのない力が胸の奥底から湧き上がってきた。

 

 

 

 何分にも感じた体の変化が終わり、気が付くと私は立ち上がっていた。

 胸の痛みが引いていて、体も軽くなっている。暴れていた心も落ち着きを取り戻していた。

 何だかよく分からないけど、今はそんなことより早くみんなを助けに行かないと。

 

 まずは一番危険な状態のおじいちゃんを助け出さないと。そのためには、アイツを排除しなきゃ。

 

「待ってて、おじいちゃんッ!」

 

 鍬を右手に小屋を飛び出し、先ほど吹き飛ばしてくれたバケモノに斬りかかる。すると体当たりした時には鉄の塊だと思わせたあの硬さが嘘だったかのようにすんなりと刃が通った。

 衝撃を覚悟していたから驚いたけど、そのままフルスイングして真っ二つに切断する。

 

「おじいちゃん大丈夫!?」

 

 バケモノを切り伏せておじいちゃんに駆け寄る。敵を倒した達成感なんて少しもなかった。

 おじいちゃんは血だまりに仰向けで横たわっていた。右の肺の辺りから食い千切られていて、既に眼はこの世に焦点が向けられていない。

 足元の液体はまだほんのり温かく、それが私には命が流れ落ちているように思えた。

 

「待っててね 今入れ直すからっ……」

 

 地面の液体を掬いあげおじいちゃんに入れ直す。出ちゃったんならまた入れ直せばいいんだ。

 できるだけ多くすくえるよう、土も削って元通りにする。

 

「まったくもう……おじいちゃんたら こんなに出しちゃって……」

 

 だけど命は私の両手からもおじいちゃんからもこぼれ落ちて、戻ってくることはなかった。

 

 

「あ、ああ……お、おじいちゃん……おじい、ちゃん……うっ、うわぁぁぁ!」

 

 こみあがってくる涙と吐き気を強引に飲み込み、叫び声をあげて明のいる方へ体を向ける。

 意識を保っていられているのが信じられないほどの絶不調。でもまだ倒れられない。まだ明が残っている。せめて明だけでも助け出さないと。

 

 そう思い、一歩踏み出そうとしたその時、

 

「うわーーたすけて!! ともちゃん!!」

 

 積み重なる不安に耐えきれなくなったのか、目を開けてしまった明は目の前にいたバケモノに驚いて、隠れていた場所から出てきてしまった。

 その声に反応して近くにいたバケモノが大きく口を開けて彼女をかみ砕こうと迫る。

 

「いい加減に、しろッ!!」

 

 これ以上家族を殺されてたまるか。地面を踏み切って、こっちに走ってくる明へと駆け出す。

 そのままぶつかるように左手で明を抱きとめ、反動で右手をスイングし、バケモノの左頬に鍬をぶちかました。鍬はそのままバケモノの顔をそぎ落とし活動を停止させた。

 

 2人の荒い息が夜の山に響き渡る。

 

「はぁ、はぁ、無事で良かった……」

 

「うう〜こわかったよ〜。ってイタ! ともちゃん せなかにき、ささってるよ!?」

 

「あーうん大丈夫。こんなのかすり傷よ」

 

 木のささくれで手を引っ掻いてしまった明はさらに混乱を深めていく。落ち着いてもらえるよう、できるだけ優しい声で語りかける。

 

「でももうちょっと待っててね。お姉ちゃんが全部終わらせてくるから」

 

「えっ!? やだまっていかないで! もう、ひとりにしないでよ……」

 

「大丈夫! 今度は必ずお姉ちゃんが守るから」

 

 そう言って、カラ元気でも無事をアピールする。本音を言えば全然大丈夫じゃないし、かすり傷でもない。

 今にも悲しみで、痛みで足が止まってしまいそうになる。でも弱音は吐けない。

 だって妹の前だから。この子が今頼れるのはもう私しかいないんだから。だから俯かない。虚勢を張ってでも前を向く。

 

「心配しないの! お姉ちゃんは強いんだから」

 

 頭をなでて落ち着かせる。昔からやっているおまじないみたいなもの。これをやってあげると明は大抵泣き止んでくれる。

 今回は笑顔は見せてくれないものの、いつものように涙をこらえてくれた。

 

「じゃ,行ってくるね」

 

「ぅん……」

 

 何とか了解してくれた明に感謝し、この場にいるバケモノを排除するため走り出す。

 まだあと4匹もいる。恐怖に負けそうになる自分を奮い立たせて、私は鍬を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 それから数分後、とりあえずこの付近のバケモノは掃討することができた。

 明のもとへ帰ると、小さく体育座りをしていた。

 

「あ、ともちゃん……」

 

「ただいま、明」

 

「……ねえ、ともちゃん。おじいちゃんとおばあちゃんは……?」

 

「……っ、それは……」

 

 

 こういう時、何て言えばいいのだろうか。今まで身内の不幸にあわなかったため、初めてのことでどうすればいいか分からない。

 

「もしかして……あのしろいのに、たべられ、ちゃったの……?」

 

 か細い声で、そう呟いた。

 

「……うん、そう……。2人ともアイツらに……食べられちゃったんだ……」

 

 私がそう教えると、頭を抱え込んで泣き出してしまった。右手の鍬を放り捨てて、膝をつき抱きしめる。

 

「ごめんね、ごめんね……! 間に合わなくってごめんね! 明のことは絶対絶対、お姉ちゃんが守ってみせるから……!」

 

「ううっ……、ともちゃんっ……」

 

 くぐもった大きな声で泣いている。死の概念をなんとなく理解している明は、おじいちゃんとおばあちゃんの名前を呼びながら涙を流していた。

 

 

 こんなに泣いている明を見るのはいつぶりだろうか。幼稚園の時、髪の色が茶色で不良だ、と同級生にいじめられた時以来だと思う。その時から、明は他人に対してあまり積極的な性格ではなくなってしまった。

 小学校に上がってからは、私が気にかけたり先生の協力もあったりして、いじめの勢いはしぼんでいった。それでも未だに以前のように積極的な性格は元通りになっていない。

 

 そんなことに想いを馳せながら私はしばらくの間、背中をさすって明の涙を受け止めた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 時計が近くにないので分からないけど、10分ほど経っただろうか。明は泣き疲れて私の胸を枕代わりに寝てしまった。

 度重なる不安や緊張も影響しているのだろう。ぐっすりと眠って当分起きそうもない。

 そっと明を抱き上げて、できるだけ柔らかいところを探しそこに寝かせる。

 

 

 まだ明は2人の遺体を見ていない。あんなひどいのを、まだ幼い明に見せるわけにはいかない。

 

──今のうちにお墓を作っておこう。

 

 そう思い、重い体をのそりと動かす。

 放り捨てた鍬を手に取って、まずはおばあちゃんがいる家の中へと歩みを進めた。




この子のメイン武器は今のところ鍬の予定。


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第4話【望んだ明日の景色は遠く】

読んでくださり、ありがとうございます。
こんな感じでオリ展開が続いていきます。


 少し歩くと、壊れ果てて原形をとどめていない玄関にたどり着いた。壁も天井も無事なところはほとんど残っていない。数分前まではここでみんなで楽しくおしゃべりしてたのに、ずいぶん前のことのように感じてしまう。

 壁があった部分をまたいで部屋に入る。先ほどから、風に乗って強烈な血の臭いが鼻の奥を刺してくる。見渡せば、あの時飛び散った血が床に点在していた。

 

 現実を直視するのが怖くなってきた。思わず引き返そうとする足をぐっとこらえて先に進む。進むにつれて刺激臭が強くなってきた。

 けど、ここで帰るわけにはいかない。私は目的があってここにきているのだから。

 

 

 部屋に入ってみると、切り捨てておいた白い残骸がいつの間にか消えて無くなっていた。

 片付ける手間が省けた、なんて意味のないことを思いながら靴の裏を「赤」で濡らしていく。ぴちゃりぴちゃりと音を立てながら近づく。床は「赤」で満たされていた。

 

 部屋の中央にあるおばあちゃんは、すでに人の形を保っておらず、家族であっても識別できないほど変わり果てていた。

 

 

 

 

 

 

──吐いた。

 

 

 胃が心臓のように波を打つ。あまりの吐き気に体を支えきれず四つん這いになる。マグマが出ているかのように喉奥から灼熱感があふれてくる。

 吐いてしまった。おばあちゃんが丹精込めて作ってくれた最後の夕食を吐き出してしまった。

 

「ごめん、ね おばあ、ちゃん……ごめんなさい……」

 

 応えてくれる人のいない謝罪を重ねる。目からは涙がぼろぼろと零れてくる。明がいなくてよかった、こんな弱い姿は見せたくないから。

 

 吐き気に苦しみながら、おばあちゃんの最期を思い出す。あの瞬間、一瞬だけおばあちゃんと目が合った。おばあちゃんはこちらを心配する目をしていた。自分に危機が迫っているというのに、後ろを向いて私たちの身を案じてくれていた。

 あの目が今も脳裏に焼き付いている。あんなに優しいおばあちゃんを、私は助けることができなかった……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 しばらくして、吐き気が治まってきたので立ち上がる。吐いてしまったので、少し空腹感があるが、そんなことは気にしていられない。

 

 早くお墓を造ってあげないと。その一心で私は動き出した。

 

 まず、辺りのがれきを左手で払いのけ、右手に持った鍬を勢いよく地面に突き立てた。けれどもあまり深く入らない。血がしみ込んでいて硬く重くなっているからだ。自分の腕力だけでは大変なので、湧き上がる謎の力を使って土を掘り返す。

 そうして柔らかくなった土を、おばあちゃんのところへ持っていき、上からそっと被せていく。大体被せ終わったら、別のところにある土も同じようにしていく。全体がこんもりと小山ができるくらいに被せられたら、簡易的だがお墓の完成だ。

 

 本当はちゃんといたお墓を造ってあげたいが、またいつあのバケモノがここを襲いに来るか分からない。その時に2人が野晒しの状態でいたら、今度こそ跡形もなく喰い尽くされてしまうかもしれない。そんな可能性がある状況で2人を放ってなんていられない。

 

 それと、おばあちゃんのお墓の右側には少し空間を取っておいてある。そこはおじいちゃんが眠る予定の場所だ。せめて隣同士であれば少しは2人も落ち着いて眠れるだろう、そう思ってその場所を確保しておいた。

 

「次はおじいちゃんを迎えに行かないと……」

 

 精神を消耗し、少しふらつきながらもおじいちゃんがいる場所へ歩みを進める。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 外で待っているおじいちゃんに会いに、玄関から出ていく。壁を飛び越えたほうが早いけど、私にとってまだここは家だからちゃんと玄関から出たかった。

 外は、夜とはいえ夏の気候なので、まとわりつくような重く暑い空気が漂っていた。精神が削れている今にこの気候はかなりしんどい。

 力が補正されているので、そこまで疲れてはいないが汗は出る。おかげで髪の毛から汗が顔に伝ってきて気持ち悪い。腕で強引に汗をぬぐいながら、この後の手順を整える。

 

 思い出したくもないが、おじいちゃんは確か腕をもがれていたはずだ。どこに行ったか分からないけど、それもちゃんと取り返してお墓に入れてあげないと。

 

 

 遠くから見ればゾンビが歩いてるように思えるほどフラフラしながら歩いていると、右足にナニカがぶつかりこけてしまった。こけるなんて思ってもみなかったので、受け身も取れず顔からぶつかってしまった。

 

「痛てて……、こんなところになんかあったっけ?」

 

 昼間に来たときは出っ張ったものなどなかったはずなのに何だろう。こけた拍子に右目に土が入って開けられないので、倒れた状態で足で探るも引っかかるものがない。無事な左目で左側を見てみても何もない。

 不思議に思い、右目に入った土を取ってから右側にも顔を向けると、目の前にこけた原因が転がっていた。

 

 それは「腕」だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

──吐いた。

 

 

 突発的な嘔吐だったが、なんとか顔を下に下げることができ、腕にかけてしまうことは避けられた。

 さっきので吐いていたのに出し足りないのか、まだ口から出てくる。 一日に私は何回吐けばいいのだろう、悲しくなってきた。

 出ると言っても胃液が大半で、喉が熱くなり軽い炎症が起きそうになる。胃がキリキリと悲鳴を上げ、息が苦しくなってきた。

 

 先ほど見た時は一瞬であまり気にしなかったが、今見るととても不気味に思えてくる。人体から切り離されたものはこうも恐ろしく感じてしまうのか。本やテレビで見て想像していたものとはまるで違う。

 

 

 

 

 何度かえずいた後、口元をぬぐって起き上がる。鏡で見たら青白い顔をしているに違いない。今までの人生でほとんど吐いたことがなかったから、立て続けの嘔吐に精神と体力がかなり削られてしまった。

 

 それから地面に落ちてある右腕を汚れてないか確認した後、恐る恐る持ち上げ、近くにいたおじいちゃんのお腹部分に乗せる。腕は思っていたよりもずっと軽かった。

 

「またバドミントン、したかったよ……」

 

 死者に対して、未練を語りかける。数時間前には元気に動いていたおじいちゃんを見て、涙が頬を伝わってきた。

 

「勝ち逃げなんて、ずるいよ……おじいちゃん……」

 

 また明日も一緒に遊べると思っていた。散々遊んで、また来年も、なんて思っていた。それなのに、こんなにあっさりいなくなってしまうなんて。

 あともう少し早く着いていたら……、あったかもしれない可能性のことをどうしても考えてしまう。

 

「ごめんなさい……」

 

 最後にそう呟き、おじいちゃんの遺体を抱き上げ、おばあちゃんのいる場所へ連れていく。

 たどり着いたらゆっくり地面に下ろして、先ほどと同じ手順でお墓を造っていく。

 

 普通だったら疲れて動けないくらい動いているはずなのに、まだ動けている。これも鍬から、というより元神器から流れ込んできた力の影響なのだろうか。

 

「そういえばカネアキ、だっけ」

 

 今思い出しても変な名前が付けられている。でも、それすらもおじいちゃんの面白いところだった。思い出し泣き笑いをしながら私は作業を進めた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 そうして2つのお墓が完成した。気が付いたらかなり時間がかかってしまった。どの位経ったのだろう、がれきの中を漁ってみると、壁掛け時計を発見できた。時刻は2時少し前。さすがにそろそろ眠らないと動けなくなってきた。

 

「おじいちゃんのカネアキ、ちょっとの間借りていくね」

 

 おじいちゃんのお墓の前で語りかける。今はこの不思議な力だけがアイツらに有効な攻撃手段だ、これを手放すわけにはいかない。それにこれはおじいちゃんの遺品。持っているだけで2人を近くに感じられる、そんな気がするのだ。

 

「絶対に明は私が守るから」

 

 お墓の前で2人に誓う。後で明と一緒にまた来よう、そう思ってその場から離れた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 近くにバケモノがいないことを確認し、明がいるところまで歩いていく。明はまだすやすや眠ったままだった。無事だったことに安堵し、隣に静かに腰を下ろして寝転ぶ。掛け布団なんていらないこの季節で助かった。

 目をつぶって今日の出来事を振り返る。いつもの癖、寝る前にこうやって今日の振り返りと明日の予定を考えるのが私の日課。

 

 それにしても今日はいろんなことがありすぎた。楽しみにしていたおばあちゃん家・よく分からないバケモノ・訳の分からない力・それから……人生初の死体。人が死んでいるのを初めて見た、それもあんなひどい殺され方……。

 

 いや、このことを考えるのはやめよう。少し想起しただけで涙が出てきてしまった。

 

 さっきまでの楽しかった時間は遠い昔のようで、楽しみにしていた明日の時間ははるか彼方へと消え去ってしまった。

 

 できることなら目が覚めた時、今日あった悲しい出来事が全て夢でありますように。そんなありもしない可能性を願って、私は泥のように眠った。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「ーーぇ、--ちゃん! ねぇ、ともちゃん! ってうわっ!」

 

 体を揺さぶられ、何事かと飛び起きたら明が転げ落ちていた。

 

「何、してんの、明?」

 

「なにって、ともちゃんおこしてたんだよー! なかなかおきないから、しんぱいしちゃったじゃん」

 

 あきれた表情で聞くと、明はむくれ顔をして反論してきた。

 

「嘘、そんなに寝てた?」

 

「だからそういってるじゃん!」

 

 外からは太陽の光が流れ込んでいた。枕元に置いておいた壁掛け時計を見てみると6時、睡眠時間は4時間といったところか。

 ちなみに、明はその2倍以上寝ていた。私はもう少し寝ていたいが、明はもう目覚めている。この様子だと二度寝は許してくれないだろう。

 

 朝ごはんは数袋のお菓子とペットボトルの飲み物だけ。料理をしようにもコンロは壊れているし、後の食材は地面に落ちたりして汚れてしまっていた。

 風呂も壊れてて入れなかったので水浴びだけ。洋服はいろいろ汚れてしまったので持ってきた着替えに着替えた。

 

「明はよく寝れた?」

 

「うん、よくねれたよ。そ、それでね、ともちゃん。きのうのことって」

 

「うん分かってる。ちょっと私についてきて」

 

「う、うん」

 

 できるだけ柔らかいところを選んだとはいえ、いつも寝ているベッドではない場所で寝たため、体が固まってしまった。筋肉痛はないものの、立ち上がって体を回すとバキバキと音が鳴る。

 一通り体を伸ばした後、お墓に明を連れて外に出た。

 

 

 

 

 

 空を見上げると、太陽は昨日の惨劇なんて気にしないかのように燦々と照っている。雲一つない青空、絶好の運動日和だ。

 本来だったらみんなで外で遊んでいる、そんな天気。陰鬱な気分すらも吹き飛ばしてくれそうな気温。汗をかいた私たちに、おばあちゃんが冷たい麦茶を持ってきてくれる。そんな光景が頭に思い浮かぶ。

 

 さて、そろそろ現実逃避をやめて明に説明しなければ。

 

「明、あのね」

 

「うん」

 

「おじいちゃんとおばあちゃんはね、あのバケモノに食べられちゃったの」

 

「うん……」

 

「だからね、2人とはもう会えないの」

 

「……うん……」

 

「お姉ちゃんも会いたいんだけどね、もう、会えないの」

 

「…………ぅん……」

 

 話していくにつれて声が小さく涙声になっていく。

 

「でもね、ずっと会えないっていうのも寂しいから、昨日お墓を造ったの」

 

「おはか……?」

 

 壁をまたげばすぐのところを、昨日同様わざわざ玄関を通って中に入る。本来の入り口はここなのだから。

 そして、昨夜造ったお墓の前にたどり着く。別の場所の土も混ぜ込んでおいたためか、そこまで血の臭いはしなくなっていた。

 

「この下にね、2人が眠っているんだ。だからここで2人にお祈りしよう。私たちは元気ですって、安心して眠ってねって」

 

「う、うん」

 

 直接目の当たりにしてないからか、あまり実感が湧いていないようだ。食べられたことと死んだことがしっかりと結びついていないのかもしれない。

 それならその方がいい。曖昧になったままの方が現実を直視せずに済むから。

 それでも感覚としてなにか分かるのだろう、明は目を閉じてすすり泣いていた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 2人に感謝とお別れの祈りを捧げてから、私たちは玄関から外に出た。

 

「多分ここにはしばらく来れないだろうから、お別れ言っとこっか」

 

「これなくなっちゃうの? なんで?」

 

「んー、もしかしたらだし、なんとなくだけどね」

 

 はぐらかしてはいるが、半ば確信していた。あの夜、空を見上げてみた時のバケモノの数は数え切れるものではなかったから。もしかしたらまだ倒されずに残っている個体がいるかもしれない。

 そうなったらうかつに外には出れなくなるだろうし、警察や自衛隊も出動されるだろう。そうしたらこんな山奥の家には中々来れなくなってしまう。

 

「へんなの」

 

「ほら文句言ってないで、お世話になりました、って」

 

「おせわに、なりました……?」

 

「何で疑問形なのよ」

 

 とりあえずこの家にもお別れの言葉は言えた。さっき思ったことは杞憂で、すぐにまた来れるようになればいいんだけど。

 

「そういえば、おかあさんとおとうさんはどこ?」

 

「明は見かけてないの?」

 

「うん、こっちにはいなかったよ」

 

「じゃあ多分、麓の村にいるんでしょ。ほら、昨日は地震すごかったし」

 

「そっかー。それじゃあすぐにあいにいこうよ!」

 

「そうだね。きっと明が寂しくて泣いていないか心配してるよ」

 

「な、ないてないもん!」

 

「ちょっと、先行かないの! あんまり動くとすぐお腹減っちゃうよ」

 

 ぷりぷりと怒って先に行ってしまった明に追いかけ、左手で手をつないで歩き出す。

 少々邪魔になるが右手にはカネアキを握りしめている。リュックにしまってもいいんだけど、ひとまず手で持つことにした。

 

 

 

 きっと大丈夫。お母さんもお父さんも避難して、体に怪我もなく、今頃私たちを心配して夜も眠れず慌てているに違いない。そう、だからきっと、大丈夫……。



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第5話【黒焦げの願い事】

お気に入り登録ありがとうございます。
感想・評価くださると、とても嬉しいです。糧になります。

2人ともメンタル強すぎですが、あんまり気にしないでください。


《2015年7月31日 山中》

 

 あれから私たちは、車で来た道をひたすら歩いて下っていた。道順はあまり覚えていないけど、たぶん道のりに沿って進んでいけばそのうち麓まで下りられるだろう、という甘い考えの下。

 道は普段からデコボコしているのに加えて、昨日の地震で木が倒れていたり大きな石が転がっていたりと歩きづらくなっている。

 ゆっくり足もとを確認しながら歩いているので、お昼時になったけどまだ少ししか進めていない。

 

「そういえば ともちゃんのもってるそれ、なんなのー?」

 

「ああこれ? これはね、鍬」

 

「くわ?」

 

「そう、畑を耕すときとかに使う道具でコレはおじいちゃんの。カネアキって言うんだって」

 

「カネアキ! すごくいいなまえ! つよそー!」

 

「え。あ、そう?」

 

 なんでそんなテンション高いのよ……。こっちはセンスないね、って言われると思っていたから「私が付けたんじゃないよ!?」って言おうと準備してたのに……。

 

「ともちゃん、カネアキさわらせてさわらせて!」

 

「あー、明のセンスはおじいちゃん似だったのか……。いいよ、はい。気を付けてね」

 

「やったー! うんしょっと、うおー……おもたい……」

 

「まぁ金属でできてるからね、そりゃ重たいよ。ってちょっと明! うまく持てないからって振り回さないの!」

 

「うわ~ めがまわる~」

 

「止まって! まったく、危ないでしょ。はい、もう没収。遊び時間は終了です」

 

「あ~ めがまわったよ~。でもおもしろかったー」

 

 少々危ない遊びだったけど、楽しかったのなら何よりだ。

 

「でも、なんでそんなおもたいもの もってきたの?」

 

 目が回ってふらふらしている明はもっともなことを聞いてきた。確かに畑を耕す道具は今は必要ない。けど、

 

「これはね、すっごく強い武器になるんだ」

 

 そう、これはすごく強い武器、というより、すごく強くしてくれる(・・・・・)武器。

 この鍬を握っているときにだけ、あの不思議な力が体の中に流れ込んでくる。それを使えば走るのが速くなったり、痛みや疲れがあまり感じなくなったりと超人的な力を身に付けることができる。

 今はまだ慣れてなくて全然使いこなせてないけど……。

 

 そして手を離すと、いつも通りの人並みの力を持った私に戻る。つまり、これが無いと私はあのバケモノに太刀打ちできない。あれ、そういえば……、

 

「明はカネアキ握ったとき、何か感じなかった?」

 

「ん? なにかって?」

 

「何かって、えーっと。なんか体の中から湧き上がってくる熱い力、みたいな?」

 

「なにそれ? なんにもなかったよ?」

 

 私の曖昧な表現に明は呆れた表情を浮かべていた。説明が下手な私も悪い、がそんなことより重要なのは『何もなかった』こと。

 私には流れてきて明には流れてこない。つまりはこの不思議な力は人を選んでいるのかもしれない。

 

 明と私は何が違うんだろう。

 性別は同じだけど、年齢・性格・体力なんかは異なっている。一定以上の年齢、なんてのは1番ありそうだ。

 でもそうしたら世界中が超人だらけになっちゃうか。「人類の突然変異」みたいな感じで大ニュースになってしまう。

 

 とにかく私だけってことはないだろうから、私なんかより腕っぷしのある人たちをいっぱい集めて一斉掃討すれば、アイツらなんかすぐに片付くだろう。

 そうすればすぐにまた平穏な日々は戻って──。

 

 

「ねえってば!」

 

「へ? どうしたの?」

 

「どうしたじゃないよー。なんどもはなしかけてるのに」

 

「ごめんごめん、ちょっと考え事してた。で、何の話?」

 

「えっとね、つかれました!」

 

「あー、もう12時近くなるもんね。まだ先は長いけど、ちょっと休憩しよっか」

 

「さんせーい!」

 

 考えていたら明に怒られてしまった。

 リュックに手を伸ばし、入れておいた壁掛け時計を取り出して見てみると、2本の針が真上を指そうとしていた。

 時間が分からないと不便だろうと思い、家にあった1番小さな壁掛け時計を持ってきたんだけど、持ち歩くにはちょっと……。

 でもあの家には目覚まし時計すらなくて、泣く泣くこれを選ぶしかなかった。

 にしてもこの時計、大きくて重くて邪魔。まあ実際のところはカネアキを触っているから重くはないんだけど。こんなことなら家に腕時計置いてくるんじゃなかった……。

 

 

 少し歩いた先にあった倒れた木に腰かけて、リュックを肩から降ろす。

 このリュック、実は誕生日プレゼントとしてもらう予定だったものだ。今朝、出発する前に家の中を探してみたら、袋に包まれた状態のこれを発見した。

 いろんなものが壊れ汚れている中で、このリュックは何の被害にもあっていなかった。見つけた時は2人からの温かな愛情を感じ、しばらくの間動くことができなかった。

 それから私はお墓の前に行って2人にお礼を言い、大切に使うと約束して今に至る。

 泊まるために持ってきたものよりも一回り大きい、ベージュ色の可愛らしいリュック。2人とも私の趣味がよく分かってる。

 

 

 リュックから取り出すのはチョコレートとおせんべい。お菓子類は泊まりに来るときにたくさん買っておいたんだけど、全部お父さんの車の中に置いてきてしまった。だからもともと家にあったのしか持ってこれなかった。

 

 

 明が私と半分に分けたチョコレートに夢中になっている間に、もう少し考察を進めておこう。

 

 次のテーマは「この力は何なのか」だ。

 最初は元々が神器だったんだし、神様の力かと思ってた。

 だけど神器側から考えて、勝手に溶かされボコボコに叩かれ挙げ句の果てに別の形に変えられた神様は、果たして力を貸してくれるのだろうか。

 私だったら力なんて貸したくない。むしろ祟るくらいだ。

 

 なので一番ありそうだと思うのは、この不思議な力の正体はおじいちゃんとおばあちゃんが力を貸してくれているものだと思っている。

 非科学的なことだけどそれ以外に理由が思いつかないし、何より私がそう思いたい。

 離れていてもいつもそばにいて力を貸してくれている。そう思ったほうがなんだか力が湧いてくる。

 

 

 

 視線を感じたので顔をあげてみると、考え事をしていてほとんど食べられてない私のチョコレートを明がジーッと見ていた。

 何やら欲しそうな眼をしていたので、もう半分こしてあげた。

 

「もう、食いしん坊さんめ」

 

「はやくたべない ともちゃんがわるいんだよー」

 

「ははっ、何だそりゃ」

 

 

 考察するのは一旦やめて、つかの間の休息なんだし明との会話に花を咲かせることにした。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「さあて、続き進むよ」

 

「うへー、もうすこしやすもうよ……」

 

「泣き言言わないの、ほら立って立って」

 

 食べて一息ついたためか、とても眠そうにしている明の手を握って再出発しようとする。

 今の進捗は3分の1といったところか。なかなか進まないな。

 

「ほーら、ちゃんとシャキッとして」

 

「ん~ねむい……」

 

 目をこすりながらトボトボとついてくる。このペースじゃ今日中に着くのはちょっと無理そうだな……。

 

「んもー、しょうがない子だなあ。ちょっと待ってて」

 

 背負っていたリュックを前に持ってきて、右手のカネアキをその中にうまく入れて、っと……。

 

「こっち来なー。お姉ちゃんがおんぶしてあげる」

 

「うん……おんぶ、する……」

 

 ゆっくりと背中に乗った明を背負いあげ、体を弾ませてバランスを整える。バドミントンで毎日鍛えてるから、力を借りなくったってこれくらいはできるんだから。

 

「寝ちゃってもいいからね」

 

「ん……」

 

「ってもう目つむってるし……」

 

 言うよりも早く寝る準備をしていた。普段歩かない山道だし、しょうがないか。

 

「さあてと、今度こそ出発しますか!」

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 1人気合を入れて歩いていく。起こさないようにするため走ったりはできないけど、それでもさっきまでとは段違いに速い。これなら今日中に下りられるかも?

 

 

 数十分歩いていると、道に大きな岩が落ちているのが見えた。

 

「うわー、大きな岩。上から落ちてきたのかな? 気を付けよう」

 

 西遊記で孫悟空が封じ込まれていた岩くらいの大きさ。この下にも孫悟空がいて、私たちのことを助けてくれないかなー。でも、そしたらブタとカッパも集めないといけないな。

 

 そんな他愛もない昔話のことを思い出しながら近づいてみると、地面に「赤黒い血」の跡がにじんでいた。

 

「えっ!? 誰かいるの!?」

 

「……ん~?」

 

「あ、明!? 何でもないから寝てていいよ!?」

 

「んー……」

 

 大きな声を出したせいで明が起きかけてしまった。ゆっくり素早く慌てて近寄る。

 

 

 

──岩の下には、少女の遺体が上半身だけうつ伏せに出ていた。

 

 顔だちを見るに中学生くらいの女の子。こんな暑い日なのに巫女の服を着ている。

 全く知らない子、だからなのだろうか。死体を見ているのに、昨日ほど気持ち悪くは感じない。

 そばには、ひび割れたお面とお花の文様が小さく入った綺麗な白い服が転がっていた。

 

「白い花だ、これはえっと……」

 

 暇なときに読んでいた花言葉事典に似たような花が載っていたような……。

 

「確か、スノードロップ……だっけ?」

 

 そうスノードロップ、印象的な花言葉だったから何となく覚えていた。

 花言葉は「希望」とか「慰め」とかなんだけど、確か状況で意味がまた別のに変わるんだったよね……って、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 

 いったい何のために彼女はここにやってきたのだろうか。この先を進んだとしても、あるのはおじいちゃん家しかない。

 おじいちゃんの知り合いなんだろうか。いや、おばあちゃんは以前裁縫の先生をやっていたから、そのお弟子さんかもしれない。

 おばあちゃんは元巫女さんだったから、会うときは巫女姿って決めてたのかな。そうじゃないと普通着ない。

 

 落ちている服に手を伸ばす。それにしても、この白い服は素晴らしい完成度だ。素人の私でさえ神々しさを感じる。

 なぜだか無性に自分のものにしたい欲求が湧いてくるが、それをぐっと堪える。これは彼女の遺作なのだから勝手に盗ってはいけない。

 

 屈んで明が落ちないように工夫して手を合わせ黙とうし、彼女に背を向ける。埋葬してあげたい気もするけど、可哀そうだがそんな時間は私たちには無い。

 名残惜しい気持ちを静めて、私は静かにその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 最初から数えて3分の2くらいは歩いただろうか、進めど進めど木ばっかで進んでいる気がしてこない。

 

 彼女と別れてからしばらくして、明が目を覚ました。今は元気に走り回って、少し先を歩いている。

 水筒に入れてきた水も、この暑さの影響で既にすべて飲みきってしまい、喉はもうカラカラ。

 

「はやくしないと、おいてっちゃうよー!」

 

 先にいる明がこっちに向かって叫んでいる。まったく、寝て元気になったからってあんなにはしゃいじゃって。

 私はもう眠い。こっちは睡眠時間たったの4時間なんだよ、普段だったら昼寝案件。私も誰かの背中の上で寝ていたい……。

 

「ともちゃーん!」

 

 そんな私の事情なんぞ気にもしない明は、大声で何か聞いてきた。こちらも気は進まないが大声で返答する。

 

「どうしたのー、なんか見つけたー?」

 

「あのね、みずのおとがするよー?」

 

「水?」

 

 言われて耳を澄ましてみると、確かに川のせせらぎの音が右側から聞こえてくる。

 右側は崖ではなく、少々キツイ傾斜の坂のようになっていた。これならなんとか降りられる。木々の隙間から覗くと、うっすらと川の存在が確認できた。

 川、つまりは水がある。これでようやく喉の渇きを癒せる。

 

「明、これ頼んだ!」

 

 居ても立っても居られなかったので、明のところまで駆け寄り、カネアキと2人分の水筒以外の荷物を預けてそのまま坂まで跳んでいく。カネアキを補助道具に、颯爽と駆け下りていく。

 

「やったああ!」

 

水が飲める喜びで、なんだか変に陽気になってしまう。早く飲んで調子を取り戻さないと。

 

 

 

 滑り落ちるように降りたので、時間もかかることなく川に到着した。川はとても澄んでいて、何もしなくてもそのまま飲めそうな色をしている。

 急いで川に口をつけゴクゴクと飲む。喉が潤い、体と脳にじんわりと浸透していく。ぼんやりとしていた体の機能が回復していく感覚が伝わってきた。

 コップで言えば3杯ほどの量を一気に飲み干し顔を上げる。

 

「プハー 生き返る〜」

 

 お酒を飲んだ後のお父さんみたいな感想が口から出てしまう。荷物もないので大きくグーンと体を伸ばす。動いてなかった筋肉が引っ張られて気持ちいい。

 それから澄み切った空気を取り込もうと鼻で深呼吸する。

 

 

 すると、鼻に異臭が飛び込んできた。思わず顔をしかめる。魚を焼きすぎた時みたいな焦げた臭い。おかしいな、ここは山なのにどこから臭うんだろう。

 水を汲むため屈んで水筒の蓋を開けながら見回すと、右奥に「黒い物体」が見えた。

 

「えっ」

 

 

 それは大きな塊だった。それは本来あるべき向きとは逆さまになってそこに存在していた。上から落ちてきたのだろう、所々がへこんでしまっている。

 落下した時に爆発したのか、ガラスは飛び散り本体は黒焦げになっている。

 近くには、大きな岩がいくつも転がっていた。

 

「う、そ……」

 

 かろうじて焦げきっていないナンバープレートを読む。

 

 そして理解してしまう。

 

 

 

 

 

 

──あれはお父さんの車だ。

 

 

 

 

 ゴトン

 

 手から滑り落ちた水筒が、音を立てて転がった。




不穏に終わらせがち、人死にがち。
スノードロップ、諸説ありますがシチュエーションで別の花言葉になる面白い花です。泣けるほど暇だったら調べてみてください。最後らへんに少し関わってきます。


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第6話【決めて逃げて やらかして】

いつも読んでくださりありがとうございます。

主人公の勘違いにより、勇者服が裁縫好きの女の子の作品になってしまった。
でも普通だったら、あんな服着ないと思ったので勇者服は着ない事にしました。勇者服なんていう高防御の服は甘え。


「なんで……こんなところに……」

 

 見れば分かる、あれは昨日も乗ってきたお父さんの車。あんな強い地震があったんだから、麓の避難所に避難してたりするんじゃないの……。

 

 あまりの衝撃に力が抜け、言葉が出てこない。

 顔から血の気がどんどん無くなっていき身震いする。

 頭が重力に負け、下に下がる。手から落ちた水筒が目に入るも焦点が合わない。

 今度はお父さんとお母さんも──

 

 いや、まだ分からない。まだ死……って決まったわけじゃない。

 そうだ、きっとガソリンが切れたとかなんかして乗り捨てただけかもしれない。それでちょうどそこに上から岩が落ちてきて、今みたいにまるで2人が中にいるように見える感じになってしまった。

 

 うん、そうきっと、そう、そうに違いない。状況を考えれば、走行中に崖から落ちてきた岩に巻き込まれたようにも見えるけど、きっとそうじゃない。そんなわけない。

 だ、だって私の両親だよ? そう簡単にやられるような、やわな人たちじゃないもの。うん、うん、そう。絶対そう。

 

 心の中で何度も自分を励まし頷きながら、何かを求める幽霊のようにふらふらと確かめに近寄る。

 と、視界が急降下した。

 

「うべっ」

 

 なんてことない。理由は単純で、足もとの水筒を踏んで転んでしまった。ここ最近、転んでばっかり。

 転んだ拍子に触れた河原の石は、なんだか油のようなべたつく感じがして気持ち悪い。

 

 こんなとこでつまづいてる場合じゃない。もう少しで分かるんだ、2人はちゃんと避難してるんだって。やっぱり私の考えは合ってて、逃げ遅れてなんかいないんだって。

 

 ほら、もう少しで中が見える。これで──、

 

 

 

「と、ともちゃん!!」

 

「ッ!!」

 

 想定してなかった明の叫びに心臓が飛び跳ねる。まさか見られ

 

「ともちゃん! ねえどこ!?」

 

 小さく、しかし確かな芯を持った緊迫感のある呼び声。何か問題が起きたのだろう。すぐに行かなくちゃ。でも……。

 

 中を確かめたい気持ちと明を心配する気持ちがせめぎあう。考えすぎて足が止まる。

 事態が急展開しすぎて混乱してきた。やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、どうすればいいのか分からない。

 あの緊迫した声は、明に危険が迫っている可能性が高い。けど真実を確認したい。

 もしかしたらまだ中にいて、助けを求めているかもしれないのに。でも明は……。

 

 

 

 

『いい? もうどうしたらいいのか分からないー! って困った時はまず深呼吸をするの。それから自分が何をしたいのか、何を大切にしたいかを言葉にするの。

 そうすれば悩んでいたことも全部すっきりして、あなたが本当にやりたい事ができるようになるわ。大事なことだから忘れちゃだめよ、灯』

 

 

 昔、明がいじめられていた頃、家族として姉として、どうすればいいのか一人で悩んでいたらお母さんが教えてくれた心の落ち着かせ方。

 それがふと、頭をよぎった。どこか遠い場所から語りかけてくるかのように、頭の中にじんわりと温かく浸み込んでくる。

 

 そうだ、慌ててちゃだめだ。いつも気にしているのに、この数日の出来事ですっかり忘れてしまった。

 

 私のやりたい事、大切にしている事、しなければならない事。そんなの──。

 

 

 今は一つしかない。

 

 

 

 

「まず、落としたものを拾って状況確認。明の下へ行き、問題を撃退し安全を確認した後、そのまま山を下りる」

 

 一つ一つ、頭の中だけでなく言葉にして整理する。

 

「そして全部が終わった後、また2人に会いにここに来る! これが私の最適解!」

 

 認めてしまった。会いに来る、つまりは2人はこの場にいるということ。

 助けを求めている可能性(幻想)からも、無事だという可能性(幻想)からも背を向けた判断。

 でも現実から目を背けている場合じゃない。状況がそう物語っているのだから、認めなければならない。

 

 夢を見ていいのは寝ているときだけ。起きて生きている私たちは、夢の世界には行けない。

 

 祖父母に加えて、立て続けに両親までも失ってしまった。深い喪失感に包まれるけど、先ほどから大量に湧いてくるアドレナリンとバケモノに対する復讐心で無理やり抑え込む。

 

 

 

 私は勢いよく踵を返し、水筒とカネアキを手に取って、声のするほうへ駆け寄る。

 

「どうしたの!?」

 

 木々の隙間から明に声をかけると、私を見つけて喜んだのもつかの間、口に指をあてながら私を非難するような怒った目をして、無言で左側を指さしていた。

 そちらに顔を向けると、遠くのほうに昨夜の白いバケモノがいた。

 

 確かにこの状況で大声を出したら怒られるな。

 幸い、目的が無く行動しているのか、ふらふらとしているので、まだ私たちの存在には気づいていなさそう。

 一匹だけかと思ったら、後ろから何体かついてきていた。

 

「やっぱりまだいたか」

 

 一体何体いるのだろうか。数を数えようと見つめていたら、急にこちらに顔を向けてきた。

 

「うわっ」

 

 急に向くなよ……。ちょっとびっくりしちゃったじゃん。

 後、気のせいかもしれないが目が合った気がした。眼なんて機能してなさそうなのに、気持ち悪い。

 それからアイツらは、待ち人を見つけたかのようにニヤリと薄気味悪い笑顔を浮かべてた、ように見えた。

 あまりの不気味な雰囲気に思わず顔をそむけてしまう。

 

 とにかく、多分気づかれちゃったんだから早くアイツらが来る前に上に上がらないと。

 

 

「今行くね!」

 

 火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか、来た時くらいスムーズに崖を登ることができた。

 顔にビシビシと葉っぱがぶつかってきてイラつく。

 それにしても事が起きる前に水分補給ができてよかった。あんな状態じゃうまく戦えない。

 

「明!」

 

「ともちゃん!」

 

 2人にして抱き合う。あっという間に合流することができた。

 横目で見てみると、まだアイツらはこちらに到達してないけどかなり近くなっていた。

 

「やっぱり気づかれてたか」

 

「どうするの!? しろいのこっちにきてるよ!?」

 

「すぐにここから逃げるよ!」

 

 ここで戦ってもいいけど、こんな狭い場所じゃどこから新たな敵が来るか分からない。囲まれたら大変だし、明を守り切れるかも怪しい。

 それに私の水筒は補充できなかったけど、明のはもう少しある。この場所を離れてもまだ大丈夫。

 

 荷物を前に持ってきて明をおんぶして逃げる準備をする。

 一旦林の中に隠れてやり過ごそう。

 

「ちょっと揺れるけど我慢してね!」

 

「うん!」

 

 地面を踏みしめて横へ跳び、林へと入る。

 木が障害物になってアイツらが進めなくなるのが1番いいけどどうだろうか。

 アイツらは、人間の走る速度よりは早いけど強化されている私には追い付けない。

 木々が流れるように過ぎていているのを目の端でとらえながら、隠れられる場所を探す。といってもそう簡単には見つからない。

 

「後ろどんな感じ!?」

 

「うんーと、うわ! きてるよ!」

 

 バキバキと木をなぎ倒しながら向かって来る音が聞こえてきた。

 残念、さすがに防げないか。

 こういう時に後ろにも目があるとホント便利だ。1人だったらとても焦ってしまう。

 縦横無尽に駆けているので、帰り道がだんだん不安になってきた。これで道に迷ったりしてしまったらシャレにならない。

 私は明を落とさないように、そして迷わないように林の中を逃げ回った。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 3分くらい経っただろうか。後ろを確認してもらうと、もう追ってきていなかったため足を止めて近くの丸太に腰かける。

 

「はー、びっくりしたー」

 

「早めに気づいてくれてありがとうね」

 

「えへへっ。ともちゃんもすごくはやかったね。ジェットコースターみたいだったよ!」

 

「ふふーん、お姉ちゃんが本気出せばこんなもんよ」

 

「かぜがもうビューンて、きもちよかったー」

 

「落ち着いたらまたやってあげるね」

 

「やったー! それにしても……あついね……」

 

 そこら辺に落ちていた大きな葉っぱを団扇代わりにしてあおぐ。生ぬるい風が吹いてきて、涼しくはないけど無いよりはましだ。

 追っかけられるというのに慣れていないから、数分しか走っていないのに緊張で冷や汗が止まらない。

 本当に早めに気づけて良かった。いくら心を落ち着かせることができたとしても、間に合わないんじゃ意味がない。

 息を整えるために水を飲もうと水筒に手が伸びるも、手が止まる。そういえば水無いんだった……。

 

 水筒を取ろうと動いたのが明にバレないよう、そのまま直線状にあったリュックの中を適当に漁る。

 漁りながら、考える。

 この後どうしようかと。

 

 なにせ迷っちゃったからね。

 

 気を付けてはいたのに、持ち前の方向音痴がこんな時に発揮されてしまい、どうやら来た道を少し戻ってきてしまったような……?

 

 まあいいや。全然よくないけど。

 自分のやらかしの反省は一旦後回しにしよう。じゃないと話が進まない。

 

 時計を取り出し見てみても、もう暗くなるまでに山は下り切れなさそうな時間になっていた。道に迷っていなかったとしても、この時間からじゃ、さっきみたいなことが何度もあったら危険だ。

 今日のところはここら辺までにして、明日早起きして午前中に下り切ってしまおう。

 後は明にばれないようにうまく話をしていこう。

 

「明。今日はここらへんで降りるのやめとこっか。暗くなったら危ないし、疲れたでしょ?」

 

「えー、まだあかるいし、だいじょうぶだよ?」

 

 すぐに賛成がくると思ってたのに予想外の展開。

 

「もしかして……まよっちゃったの?」

 

「な、なんでそう思ったの」

 

「だってさっきからソワソワしてるんだもん」

 

「うっ……はい、迷いました……」

 

「もー、ともちゃんはダメだな~」

 

「と、とにかく! そういうことだから今日はもう休憩!」

 

 横に座っている明からジト目を向けられる。こういう時に抜けてるから、アホな子に思われちゃうんだよね……。

 

「ほ、ほら! 暗くなる前に、寝る準備するよ!」

 

「は~い」

 

 話題をそらそうと大きな声を上げて宣言する。まだ不満な様子だが、渋々納得してくれたようだ。

 

 まあ、準備すると言ってもやるのは私だけ。分かれて作業したら危ないからね。

 やることは寝床づくり。これは簡単で、力任せにカネアキで地面を掘っていくだけの作業。

 本来土を耕すためのものなので、土をすくいにくいが使いやすい。

 完成形は、大きな落とし穴みたいな感じになった。

 本当は洞窟みたいな天然のところがあれば楽だったんだけど、ちょっと探したくらいじゃ良物件は見つからなかった。

 

 最後に、掘った穴の上に、落ちている葉っぱ付きの枝を格子状に重ね合わせれば大体完成。

 これなら上からでも私たちがいることが簡単にはバレないだろう。

 中に入って見てみると、本当に落とし穴に落ちた人みたいになってしまって面白かった。

 

「よしっ、完成!」

 

「いえ~い!」

 

 明にも、床に敷く柔らかいものを集めてきてもらった。葉っぱとかで寝心地は良くないけど仕方ない。

 暑さも相まって2人とも汗だくになってしまった。農作業の大変さが身に染みて理解できる労働だった。これは腰曲がっちゃうよ……。

 

 空はだんだんと暗くなり、少しだけ暑さが和らいできた。これならなんとか寝られそうだ。

 

「水浴びは明日にして、今日のところはもう寝よっか」

 

「まだねむたくないよぅ」

 

「明がしっかり寝ないと、明日また私がおんぶすることになっちゃうから寝てください」

 

「んむ〜……。はーい」

 

 今度もまた渋々といった感じで横になって目をつぶってくれた。

 

 しばらくして寝息が聞こえてきた。

 私も横になりながら空を見上げると、星が出ているのが見えた。一瞬ビクッとしてしまった。あれが全部バケモノだったらどうしよう。そんなことを想像してしまった。

 そんなことはあるはずない、と頭では分かっているのに緊張してしまう。深呼吸をしてもなかなか落ち着かない。

 星が少し怖い、なんて嫌な感情が生まれちゃったな……。初めての感情に戸惑ってしまう。

 

 そういえば野宿は初めてだな、そんなことを思いながら私も目を閉じた。




地味に天恐発症(レベル0)
次で1章終わります。


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第7話【夏の思い出にさようなら】

いつも読んでくださりありがとうございます。
今話は短いです。


《2015年8月1日 山中》

 

──朝になった。

 希望の朝 なんてとても言えないが、とにかく夜が明けた。

 朝になったと言ってもまだ5時の手前で、今は明と2人で日の出を見ている。

 

 昨夜は7時くらいに日が沈み、照明がないため暗く特段やることもなかったので、穴の中2人で横になりながら夕食代わりにお菓子をつまみながら過ごしていた。

 30分くらい食事に費やした後は、疲れていたからすぐに寝てしまった。

 

 いつもは食べてすぐに横になったら叱られてしまうけど、私たちにはもう叱ってくれるような人はいない。

 結局、明には2人のことは伝えていない。伝えられるような状況でもないし、私自身まだ完全には整理がついていなかったから。

 なので、崖下であった出来事については適当にはぐらかしておいた。明もそこまで興味が無かったのか、追及してこなかったから助かった。

 

 ただ、いつもはしないのに昨夜は寝るときに抱き着いてきた。家族の直感で、私に元気がないことを察してくれたのだろうか。

 残された最後の家族の温かみに包まれて、過剰なまでに張り詰めていた私の緊張がゆっくりと解きほぐされていくのを感じた。

 もしかしたら寝ぼけて抱き着いただけかもしれないけど、それでも私の心は救われたんだ。

 

 

 

 一晩しっかり寝て頭がすっきりしたおかげで、道に迷っているこの現状を打破する策を思いついた。

 方法は簡単で、高い木に登って見下ろしてみる、というものだ。

 昨日、バケモノたちが木をなぎ倒しながら追ってきてくれたので、木がたくさん倒れている方に進めば元の場所に戻れるのでは、という考えだ。

 

 朝ごはんを食べた後、早速やってみると案の定、木が一面に倒れている方角があった。これならもう迷わずに下山できそう。

 ちなみに食料はとうとう朝ごはんでほとんどなくなって、リュックに入っている荷物はずいぶんと軽くなってしまった。

 

 

「それじゃ、そろそろ行こっか」

 

「うん!」

 

 夜明け前にはもう出発準備はできていたが、明が「ひのでみたい!」と言うので夜明けを待っていた。

 初めて見た日の出に目を輝かせながら、口がずっと開いたまま感動している明の顔はとても子供らしくかわいいものだった。

 

 降り注ぐ暖かな光。この光であの邪悪な存在も浄化されて、消えてなくなればいいのに。

 太陽を横目に見つつ、日の出が見れてご機嫌な明を背中に乗せて出発する。

 今日は最初からおんぶスタート。今日中に下り切らないと、お腹がすいて動けなくなってしまう。

 それに2日間も山を下りていないので、下の状況がとても気になってきた。ほかの人はどうしているのか、この力を持っている人は他にどれだけいるのか、警察や国は何をしているのか。

 

 携帯も一応持っているけど、この山は"県外"と表示されてしまうので使い物にならない。もしもの時のためにと電源を切っているので正確には分からないけど、充電もしてなかったからほとんど残っていないと思う。

 

 

 

 しっかしまぁ、おんぶって速いね。最初からやればよかったって思うほどスムーズに下山できている。昨日は探り探りな点もあったけど、今の私に迷いはない。

 明も心置きなくジェットコースター灯を満喫している。落とさないようにしないといけないから、あまり暴れないでほしいんだけど……。

 

 それにしても、私の心がすごく落ち着いている。いや、普段と比べれば落ち着いてはいないけど、たくさん遺体を見た後とは思えないほど凪っている。

 ちょっと不気味に思えるほどの冷静さ。慣れ、なんだろうか。もしそうだとしたらイヤだな。こんなことに慣れたくはない。死体慣れ、文字にするだけでも嫌悪を感じてしまう。

 こういうのは心理カウンセラーに相談すればいいのかな。でも、『もしかしたら死体慣れしてるかもなんですけど』なんて言ったらかなりヤバいやつになってしまう。アホと言われる私でもそれはできない。

 

 ほかに可能性を考えると多分、この力の影響なのだろう。そうであってほしい、ヤバいやつにはなりたくない。

 何の意味があってこうなってるのか分からないけど、もしそうなら私以外にも同じ症状の人がいるはず。

 

 早く人と会いたい。一抹の不安を胸に抱きながら、私たちは颯爽と山を下っていった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 2,3時間ほどで麓の舗装されている道まで下りてくることができた。

 途中で1回バケモノに遭遇しかけたけど、木に隠れてなんとかやり過ごせた。もし見つかってたら大幅タイムロスになっていたのから本当に良かった。

 

 さっきまでは、揺さぶられ過ぎたせいで明が気持ち悪くなってしまったので休憩をとっていた。ゴメンね……喜ばれちゃったからお姉ちゃん調子に乗っちゃった……。

 

 私たちが今いるここら辺には清流が流れているので、水分補給がてらに周囲を気にしながら代わりばんこに水浴びを実行している。

 一緒に入ろ? と誘われたけど、1人は入ってもう1人は警備役ということにした。

 もともとこの道は私たち家族以外利用する人はまずいないんだけど、それでも人の目が気になる。

 ましてや今は何が起こるか分からない。あーあ、お風呂はゆっくり入りたい派なのにリラックスできないなんて辛すぎる。

 

 結局のところ私の警戒は杞憂で、何も起こらなかったし誰も来なかった。脱いだ服をビニール袋に入れてタオルできちんと髪を拭いて新しい服を着たら、きれいさっぱりな2人の少女の出来上がり。

 

 "明と一緒に川遊び"。想定していたものとは状況も内容もかなり違うものになったけど、とても気分転換になる楽しいものだった。

 

 

 

 一通り済んだので時計を見ると、10時過ぎになっていた。

 

「スッキリしたし、そろそろ出発するよー」

 

「りょーかいでーすっ! おっひる♪ おっひる♪」

 

 どうやら頭の中はすでにお昼のことでいっぱいみたいだった。まぁもう町も遠くにうっすらと見えているし、すぐに昼ご飯にありつくことができるだろう。

 

「あ」

 

「ん?」

 

「マズイ、どうしよう」

 

 大変なことに気づいてしまった。

 

「どしたの、ともちゃん」

 

「お金……持ってきてないや」

 

「えっ」

 

 先ほどまでルンルンだった明が急に固まる。

 

「財布持ってきてない……」

 

「えーー! そ、それじゃ、ごはんは……」

 

「ちょっと、厳しい、かも……」

 

「そ、そんな~~!」

 

 ヤバイ、完全に忘れてた。こんなことになるなんて思ってなかったから、財布も自分ちに置いてきたまんまだし。

 今からおばあちゃんちに戻るには時間がかかりすぎるし……。

 

「ま、まぁ、なんとかなる、でしょ……」

 

「む~、おひるたのしみにしてたのに~。どーするのー」

 

 幸先が不安になり、明がむくれてしまった。

 でもほら、私たち子どもだし「お金ないです!」って言ったら恵んでくれたり……しないかなぁ……。優しい人がいるのを祈るばかりだ。

 

「ホントともちゃんってダメだよねー」

 

「うぅっ、面目ない……」

 

 姉ポイントがまた1つ減ってしまった。姉としての威厳がどんどん減っていく……。なんとかおいしい食べ物を見つけて挽回しないと。

 

「な、なんとかなるよ。お姉ちゃんにまかせなさい」

 

「たよりないなー」

 

 声が少し上ずってしまった。落ち着いて、落ち着いて……。

 

「さぁ、ごはん探しに出発するよー」

 

「おー」

 

 ちょっと落ち込んだ明より少し先を歩き出していく。一刻も早く町に行かないと。優しい人がいますように。

 

 夏の思い出がいっぱい詰まった山を背にして、私たちは新たな地へと歩みを進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時、私たちは想像もしていなかった。たった2日しか経っていないのに、世界がこんなにも変わってしまっているなんて。




たった2日しか経ってないのに、1章が終わりました。

もはや のわゆ もどきのオリ小説……


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第2章【私はあなたの「勇者」になる】
第8話【人肌の温もりを求めて】


遅くなりました。いつも読んでいただきありがとうございます。
更新してない時も読んでくださる人がいてとてもうれしいです。


《2015年8月1日 町中》

 

 目的地がうっすらと見えていたのでさすがに迷うこともなく、麓の町に着くことができた。

 都会の街並みとはまるで違う、”町”という表現がよく似合う場所。

 よくここにはトイレ休憩の時に立ち寄るから、なんとなくの大まかな地図は頭に入っている。

 

 ここまで来るのに大変だった……。でもようやく人がいる町に着けた。

 これで助けを呼べるはず。お腹も満たすことができるはず。

 はずなんだけど……

 

「だれも……いなさそうだね……」

 

「そう、だね……」

 

 はぐれないように手をつないで入り口付近にまで来たけど、人の気配が全く感じられない。

 お昼時なのにここまで感じられないなんて、ちょっとおかしい。

 もともとそんなに人が多いような町じゃないんだけど、ここまでじゃなかった気がする。

 

 少し歩いてキョロキョロしてみる。

 

「いないねー」

 

「とりあえず、どこか建物に入ってみようか」

 

「そーしよー」

 

 立ち止まっていても何も始まらないので、ひとまず建物を探してみることにした。

 

 今日はそこまで暑い日じゃないので、この町にはのどかな風が吹いている。

 気持ちよくなるほどの青い空。こんな日には、外でサッカーでもしている子がいてもよさそうなのにな……。

 

 

 

 少し歩いていると、だんだんと建物が見えてきた。

 ようやく見つけた、と思ったものの、それは壊れ果てていた。

 鉄球クレーン車にぶつけられたような壁の壊れ方。屋根もなく瓦が地面に散乱している。

 おばあちゃんの家と同じように破壊の限りを尽くされていた。

 

「ボロボロの家……」

 

「じしんでこわれちゃったのかな?」

 

 明はまだこの状況の原因が分かっていない様子だった。

 それにしても嫌な予感が当たってしまった。やっぱりここにもあのバケモノは来ていたんだ。

 となると、家の中の人はもしかしたらもう……

 

「でも、ともちゃん! たてものみつけたよ!」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 急いで家に向かおうとする明の手を慌てて握りなおす。

 

「どうしたの? はやくいこうよ」

 

「え、えっとね……」

 

 こてんと首をかしげる明。

 なんて言えばいいんだろう。『死体があるかもしれないから行っちゃダメ』だなんてとても言えないけど。でも、どうにかしないと駆け出しちゃいそうだし……。

 

「そうだ。お姉ちゃんが先に見てくるよ」

 

「? なんで?」

 

「何でって、ええっと……」

 

「あ、わかった!」

 

 ん? 何が分かったんだろう?

 

「あかりよりもさきにいって、おいしいものたべようっておもってるんでしょ~。ふふーん、そのてにはのらないよーだっ」

 

「ああ、ちょっと!」

 

 掴んだ私の手を振り切って、トテテテテッと走り出していく明。

 なんだかとんでもない勘違いをしちゃっているみたい……。

 止める方法は思いつかないけど、とにかく今は追いかけないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 ボロボロの家は壁も壊れていて、中に入らなくても外から家の内情を知ることができる状態にあった。

 だから、

 

「うわああああ!!」

 

 先に内部を見てしまった明の口から叫び声が上がった。

 

「ひと! ひ、ひとがたおれてるよ! まっか!」

 

「お、落ち着いて明」

 

 予感していた通りの結果を目の当たりにしてしまったようで、青白い顔をして大慌てでこっちに走ってきた。

 

「ひ、ひ、ひと! ひと!」

 

 取り乱しながら私の手をぐいぐい引いてくる。

 引かれるままに家の近くまで来ると、そこには"赤い"模様が、かろうじて残っている壁一面に散らばっていた。

 床に倒れているのは1人だけ。男の人だった。

 晩酌をしていたのだろうか、床には空き缶が3本ほど転がっているのが見えた。

 明を追うのに必死で気が付かなかったけど、この家一帯にはツン、と鼻を刺す血の臭いが充満していた。

 

「ねえ! たすけてあげないと!」

 

 明は非常事態だとは認識しているけど、死んでいるとは認識していなくって、救急車を呼んで、と私に助けを求めてくる。

 けれど、なかなか動こうとしない私に業を煮やした明は、恐る恐るといった感じで死体に近づいていった。

 

「だ、だいじょうぶ……ですか……?」

 

 腰が引けている、ゆっくりとした足取り。震える口からわずかに絞り出された声は、少し涙声になっている。

 

「明、行っちゃダメなの。あのね、その人はもう……」

 

「ダメってなん、ってうわっ!」

 

 私の静止する声に反応して振り向こうとした明は、足がもつれてこけてしまった。

 

「いたっ! うっ……ぁ……」

 

 受け身も取れずに地面に向かって倒れてしまった。血がたっぷり浸み込んだ赤黒い地面に。

 

「ちょ、大丈夫!?」

 

 急いで近づき声をかけるも応答がない。起き上がらせて少し揺さぶっても目覚めない。

 青白い顔で、腕が力なくぷらんと垂れている。

 頭を打った様子はなかったから多分、むせかえるほどの悪臭が立ち込めている地面に近づいちゃったから、その臭いに耐え切れず気絶してしまったんだろう。

 

「もー、びっくりした……」

 

 この町には大きな病院はなかったはずだから、頭を打ってたりしていたら大変だった。

 明には悪いけど、ここで気絶してくれていたほうがやりやすい。目覚めた後のことを考えると大変だけど、今は説明の手間が省けたのでよかった。

 

 私もこんなとこにいても気持ちが悪いだけなので、振動が伝わらないよう優しく抱き上げ、一旦外に出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 臭いがあまりしてこないところまで下がり、近くにあった丸石に腰かけた。

 明はうなされているようで、時折なにか呟いている。

 

 せっかく苦労して山を下りてきたのに、望んでいた景色とは程遠い実情に思わずため息が出る。

 

 

 

 それにしても、なんで私はこんなにも他人感覚なんだろう。

 死体を見て怖い、と思った。悲しい、とも思った。でも、それだけ。

 明のように大きく取り乱したりはしない。どうして。

 人の死を悲しめないなんて、そんなことあっていいはずがないのに。

 どこか他人感覚。自分の周りで起きたことだという実感があまり湧いてこない。

 

 こんなことは今までなかった。はっきりと分かる。この症状が出てきてのは確実にあの時からだ。

 鍬を握ったあの時、体の何かが変わっていくのを感じた。その時、体だけではなく心にまで何か変化があったんだと思う。

 そうじゃなければ納得がいかない。ほかに考えられるのはやっぱり慣れだけど、それだけじゃ納得できない。

 

──死に対して動揺しないなんて、”生”物じゃないんだから。

 

 

 

 

 

 ぐぅ~。

 

 自分の心身に不安がっていると、お腹が空腹を訴えてきた。

 そういえば何も食べていない。そもそも食料を探してここに来たのに何も食べずにボーっとしてしまっていた。

 

「お腹、空いたな……」

 

 ひとまず考えるのは後。優先しなきゃいけないのは食料確保なんだから。

 

 ここら一帯は周りには障害物がほとんどないためバケモノたちが来たとしてもすぐに発見できるだろう。

 そう思って横にいる明を見る。明はまだ眠っていて、少し離れたとしてもしばらく起きそうになかった。

 

「ちょっとだけ待っててね。ごはん調達してくるから」

 

 私はリュックと護身用にカネアキだけを持ち、ほかの荷物を明に託してさっきいた家へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 依然として血の臭いが漂う家に戻ってきた。

 もしかしたらこの先も似たような家が続くかもしれない。今のうちにこの匂いにも慣れておかないと。

 

「お邪魔します」

 

 倒れている人に礼をしてから家に上がる。死んでいるとはいえ、家に上がらせてもらうんだから礼儀はきちんとしないと。

 

 地面には、食器棚から飛び出たと思われる皿がたくさん割れていて、素足で踏んだらとても痛い感じになっている。

 地震の影響でいろんなものが倒れてしまっていて、歩くのだけでも難しい。

 

 ちびちびと家の中を散策していると、冷蔵庫を発見した。

 何かないかと期待して扉を開けるも、中にあったのは缶ビールが4本だけ。

 思わず力強く扉を閉めてしまった。

 

 

 

 1人暮らしの様だから、アレがあると思うんだけど……。

 キョロキョロすると、お目当てのものがありそうな棚を見つけた。

 これもまた床に寝ていたので、近くのものをどかして起き上がらせて中を開ける。

 すると案の定、棚の中には保存食や乾麺がたくさん入っていた。

 この人は防災意識が高いのか、きちんと防災リュックも用意されていて、中にはクッキーやインスタント食品、乾パンなどが入っていた。

 近くには2切れの食パンも収納されていた。賞味期限を見てみると1日切れている。

 

「まあ、1日ぐらい平気でしょ」

 

 お腹が空いているのですぐにぺろりと食べきった。お腹いっぱいにはならないけど多少の足しにはなった。

 明の分も取っておこうかと思ったけど、賞味期限は切れてるしクッキーとかもあるから、いいってことで。

 

 

 

 よし、これでひとまずこの家でできることはこれくらいだろう。

 タオルとかも欲しいけど、さすがに大人の男の人のものはいらない。

 

 入り口まで戻ってきて、男の人にもう一度礼を言ってから外に出る。

 

「これ、お借りします。お邪魔しました」

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 外に出ると、太陽がさんさんとしていて少し晴れやかな気分になった。

 家の中も日差しが入っていたが、陰鬱な空気のせいであまり感じなかったから気持ちいい。

 

 明はまだ眠っていた。明に持たせるつもりで持ってきた防災リュックは、どうやら持ってはくれないようだ。

 私はリュック2つを前に回し、間にカネアキを差して明をおんぶする。

 以前よりも1つ荷物が増えたのでさらに視界が悪くなり、足もとが見えず不安になる。

 カネアキが肩に触れているから重くはないけれど、とても動きづらい。

 

 準備ができたので歩き出す。

 たぶんこの町には生き残った人はいないだろう、そんな気がする。

 だからここにとどまらないで、次の場所に行って人を探したほうが効率がいいはず。

 

 この町を出ようと歩いていると、たくさん家がある所に着いた。どうやらあの家は町はずれのところにあったみたい。

 どの家も無残に破壊されていて、中をちらと見ると、男性、女性、親子、子供、老夫婦、みんな倒れていた。

 思わず目を背けてしまう。

 

 申し訳なく思うも、その中から女性が住んでいる家を探して中に入り、タオルなどを調達する。

 その家の中には、私や明くらいの女の子もいた。

 同年代の子が倒れているのは、この異常な心も強く揺さぶられ、吐いてしまった。

 

 私もああなってしまうかも知れない。同年代の子のその光景は、私の心の、小さくなってしまった恐怖心を大きくさせるのに十分なものだった。

 

 途端に恐怖を感じだす。封印されていた心の封が弱まる。

 怖い、怖い、死ぬのが怖い。

 ここ最近生きている人と会っていない。死をとても身近に感じてしまう。

 みんな、体が冷たくなっている。

 

 だれか、生きている人はいないの……。

 

 おぼつかない足取りで、私は温もりを求め次の場所へと向かった。

 




小2の女の子が、死体を見つけた時のリアクションとか難しすぎました。考えつかなかったので気絶させました。


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第9話【生き抜くための悪手】

いつも読んでいただきありがとうございます。
頭ハッピーセットなんで、深く考えずに思いつきで書いてるため変なところあっても見逃してください。


 どれくらいまで歩いただろうか。少しばかりの恐怖心が芽生えたせいで、今朝よりも足取りが遅く重くなっている。

 止まったら足が震えてしまいそうで、そんな自分を見るのが怖いから止まることができずに歩き続けている。

 

 

 

 少し時間が経ったおかげで、さっきよりも冷静になってきた。

 今振り返ってみて、さっきまでの自分はおかしかった。

 亡くなった人の家の中を物色して、中の荷物を無断で持ち出すなんて。あの人にも家族がいるはずなのに、生前の痕跡を盗んでしまった。

 その後に立ち寄った彼女の家に行かなかったら、もしかしたらずっとあのままだったかもしれない。

 そんな恐ろしいこと、考えただけでも身震いしてしまう。

 

 なんであんなことをしてしまったんだろう。

 あんな人間離れした思考回路。

 結果的に考えてみれば、あんな状況であっても冷静に物事を判断することができていた。

 いつもの私だったら、確実に恐怖で足が動かなくなっていたはず。

 だからその点を考えてみれば、存外プラスとも捉えられなくもないかもだけど、あんなの不気味すぎる。

 人の死を悼めない人間などにはなりたくない。

 この原因があの謎の力の影響なんだったら、こんな力もう二度と使いたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……けど。

 

 あれがあったから、あのバケモノから、明を守ることができた。

 あれがあったから、家族の死にも、心が壊れずにいられた。

 あれがあったから、飢えることなく、食料を確保することができた。

 

 人でなしのような手段ではあるけど、今の私にとって生きる手段でもあるように思える。

 

 

 

 

 

 

 ……だったら。

 

 もしそうなんだったら、恐れているだけじゃなくて、しっかりと使えるようにしておいたほうが良いんじゃないのかな……。

 

 私はさっき、地獄を見てきた。町の人がことごとく殺されているという地獄。

 もう楽観視なんてしていられない。これは少なくとも日本中、最悪世界中で起きていることだと考えたほうが良いかもしれない。

 こんなにもたやすく人の命が失われてしまうことが、この地域だけなんてあるはずがないんだから。

 

 この地獄を切り抜ける手段を、私は他に思いつかない。

 あまり手を出したくない手段だけど、生き残るため、守りきるためには使わなければいけない。

 

 

 

 

 

 頼りなかった足取りが、徐々に芯を持った歩みに変わってきた。

 まだ恐怖はある。だけどそれよりも優先しなきゃいけないことができた。

 体は震えてはいるけど、怯えているだけではいられない。

 しっかり先を見て行動しないと。お父さんとお母さんに約束したんだ、明は絶対守るって。

 

 

 

 決意を新たにして、意識を外に切り替えると、空はだんだんと暗くなっていた。

 焼けるように赤い夕日がゆっくりと沈み、地平線が茜色に染まっていく。

 

 ”落ち込んだ時は空を見上げよう” 何かのテレビで言っていたのを思い出す。

 明にも見せてあげたら少しは気持ちが楽になるかも。

 善は急げ、早くしないと夕日が沈んでしまう。

 

 

「ねえねえ、明。夕日がとってもきれいだよ」

 

 背中を揺さぶって起こそうと試みる。

 

「……ぅ……。ぅん~」

 

「起きた? 前見てほら、すっごいよー」

 

「ん~? なに、まえってって……うわ~!」

 

「きれいでしょ」

 

「うん、きれーだね~!」

 

「いやー、こんなきれいな夕日見たことないよ」

 

「あかりも!」

 

 もっと気落ちしているかと思っていたけど、絶景効果のおかげなのか多少落ち着いているように見えた。

 寝起きにこんなこと聞きたくないけど、これからの私たちにとってこの質問はとても重要なもの。だから……、

 

 

「明、大丈夫? 何があったか覚えてる?」

 

「えっと……」

 

「明は家の中に入ったら倒れちゃったんだよ」

 

「…………ぁ、そうだ! あのひとは?!」

 

「あの人はね、ダメだったんだ」

 

「ダメってどういう」

 

「死んじゃってたんだ」

 

「しん…………うそ」

 

「嘘じゃないよ」

 

「っぁ……」

 

「あの白いのに襲われたみたいでね、間に合わなかったんだ」

 

「…………」

 

「でもね、あの人、うれしかったと思うよ」

 

「……どう、して?」

 

「だってあんな所にいたんじゃ中々発見してもらえないでしょ。あそこに独りぼっちは寂しいじゃん。それを明が見つけてあげたんだよ」

 

「……そうなの、かな………」

 

「きっとそうだよ。明のおかげであの人は独りぼっちじゃなくなったんだよ」

 

「………そっか……そうだといいな……」

 

「それにね、なにも住民があの人だけじゃなかったんだよ」

 

「? どーゆうこと?」

 

「あの町には生きてる人がいてね、このリュックを分けてくれたんだ」

 

「えーー! なんでおこしてくれなかったのー!」

 

 よし、うまく話題転換ができた。

 

「ぐっすりだったからねー。起こすのも悪いかな、と思って」

 

「そんなのいいのに~。どんなひとだった!?」

 

「明くらいのかわいい女の子だったよ。みきちゃんていうんだって」

 

「みきちゃんか~。あいたかったなー」

 

「用事があるからっていうから別れたけど、またいつか会えるよ」

 

「あったら、いっぱいあそびたいな~」

 

 

 その場その場のアドリブでなんとか誤魔化しきれた。……ふぅ。

 ショックからもある程度立ち直らせることができて、暗い話題からも変えることができた。なかなかの成果だと思う。

 

 もちろん、このリュックはあの男の人のものだし、あの町には生き残りなんていなかった。

 みきちゃんのことだって、家の荷物に書いてあったのを覚えていただけ。声すら聴いたこともない。

 嘘はつきたくないけど、今回は仕方がない。

 

 そして、私はもう1つ嘘をつかなきゃいけない。

 

 

「あ、それとね」

 

「ん?」

 

「みきちゃんがお母さんたちと会ったらしくてね」

 

「っ! それでそれで!?」

 

「ちょっと、背中で暴れないの。えっと、伝言を預かったらしくて、『しばらく会えなくなるけど、お姉ちゃんと2人で協力して頑張って』だったかな」

 

「どゆこと?」

 

「よく分からないけど、お母さんたちもやらなきゃいけないことがあるんじゃないかな」

 

「えー、はやくあいたいのに~」

 

「仕方ないよ、お母さんは警察の人なんだから。こんな時こそ一番働かないと」

 

 

 この嘘をつけば、お母さんたちにしばらく会えなくても納得できるだけの理由になるだろう。

 実際生きていたらそうなっていたはず。だからそんなに嘘はついていない。

 違うのは生きているか、そうでないか。

 

 

「それまでお姉ちゃんがしっかり明の面倒見てあげるからね」

 

「え~ ともちゃんじゃ たよりないよ~」

 

「なにを~」

 

 いつの間にか、落ち込んでいた空気も少し和らぎ、いつものにぎやかさが顔を出してきた。

 

「ほらほら、遊んでる場合じゃないよ。暗くなったんだから、早く寝る場所探すよ」

 

「りょーかいしましたー!」

 

 

 後ろを振り返ると、暗く澄んだ空が一面と広がっていた。

 地平線に沈んでいく夕日を見て、世界が今日の終わりを告げているのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 けど、私の世界はまだ沈まない。

 明が寝たのを確認し、寝床からのっそりと立ち上がる。

 幾分眠たいけれど、この作業は時間がかかって日中にはできないから仕方がない。

 

 今最優先されるのは、自分の研究。

 自分のことを知らないと勝てないぞ、みたいな名言もあった気がするし。

 

 半袖だから、夜風が吹くと少し肌寒く感じる。

 体を動かす前にしっかり準備運動をして体を温めないと。

 

 ホントは鍬じゃなくて、ラケットを振っているはずだったんだけどな……。

 カネアキを握ってそんなことを考えてしまった。

 これからしばらくの間はコレが相棒になるんだから、しっかりしないと。

 

 ひらけた場所に出て、目を閉じ呼吸を整える。

 そしてあの力をひねり出す。イメージは体の中に眠る力を引っ張り出して纏う感じ。深呼吸するときにも似ている。

 

 まずは、全力でジャンプしてみよう。

 脚力がどれだけあるか分かるだけで、ピンチの時の行動が変わってくる。

 足が速いんだったら、障害物がなくてもアイツらから走って逃げれるし、もしすごい跳躍ができるんだったら、それはそれで作戦も変わってくる。

 

 気合を込めるため靴ひもを結びなおして、跳ぶ。

 

 跳んだんだけど……

 

 

 

「うぉわわわあああ!! ちょ、ちょっと跳び過ぎ!?」

 

 跳べて自分の身長くらいかと思ってたのにこれって!?

 自分どころか一軒家だって軽々飛び越えられるほどのジャンプ力。

 

 あっ、待ってこれ……。

 

 

 

「着地の仕方分っかん、ない……!」

 

 普通こんなに人間は跳ばないんだよっ!

 足から!? でもこんな高さじゃ足折れるんじゃでも他に、あっ間に合わ!?

 

 

 

「痛~~~!! ……………くない……?」

 

 重量感のある音とともに、着地点から波紋状に土ぼこりが舞う。

 下手な着地のせいで足から全身に伝うような痺れはあるけど、全然痛みは感じない。

 垂直跳びのおかげでキチンと両足で着地できた。たぶん両足じゃなくても平気だったと思うけど。

 

 

「と、とにかく、脚力は上々ってことで……」

 

 結果は無事だったけど、一歩間違えれば大ケガの可能性もあったかもしれない行為に、心臓がバクバクいっている。

 ものすごいスピードで血が体中を駆け巡って、寒さなんて感じないほど火照ってしまった。

 たった1回の跳躍でここまで取り乱すなんて、予行練習やってよかった……。

 

 

「次は力を試したいんだけど、何かに当てたらうるさいしな……」

 

 跳躍力があんなだったんで、自分の攻撃力も気になる所だけど、今何かに力をぶつけたら衝撃音で明が目を覚ましちゃう。

 ホントは試したいけど、ここは……。

 

 

「重いものを持ち上げるってことで」

 

 ひとまず左手をカネアキで塞いで、右手だけで試してみる。

 

 最初は石ころ、余裕。

 そこら辺のガレキを持ち上げても楽々。

 大きいガレキは掴みにくいけど、これも問題なし。

 

「何でも持ち上がっちゃうねー」

 

 最後は何にしようかと探していると、壁一面がそのまま落ちているのを発見した。

 

「これ持ち上がったら、さすがにゴリラだよね……」

 

 もし片手で持ち上がってしまった時の心の持ち様が心配なので、カネアキを後ろに回して両手で持ち上げてみる。

 

「よいしょっと…………うわぁ……」

 

 軽々とはいかないけど、持ち上げることができてしまった。

 女の子が壁を持ち上げている、なんだこれ。

 こんな所、部員に見つかったら『ゴリラ部長』って言われるに決まってる。

 

 ジャンプ力はトランポリン並み、腕力はゴリラ並みという女の子にとって悲しいことが分かって、心にダメージが入る。

 こんな事実、知りたくなかった……。他人がこんなだったら大笑いするのに、自分だったら全く笑えない。

 こんな力、人の域を超えている。『超人』そんな肩書が頭から離れない。

 

 

「でもでも。カネアキを離したら、ほら!」

 

 私は自分が普通の女の子だと証明するように、カネアキを手放してもう1度挑戦する。

 

「ほら、ほらほらほら!」

 

 これでもし持ち上がっちゃったら私は……。

 なんてのは杞憂で、期待通り1ミリも持ち上がらなかった。

 

「ほら見て、私は普通の女の子!」

 

 あまりのうれしさに、ついはしゃいじゃう。誰もいないのに語りかけるような口調になってしまう。

 

「アレもコレも全部あの力のせい! 私は悪くない!」

 

 自分が異常者でないことが再確認できて気分がノった私は、その後も何回かいろいろな方法で自分の力の限界を図っていった。

 

 私の夜はしばらくの間続いた。

 




安定の 姉妹の情緒不安定と進行の遅さに、驚きを隠せない……。


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第10話【投じられた一石】

いつも読んでいただきありがとうございます。
なんとか10話目まで来ましたが、作中時間では3日も経ってないって、なんだこの9割オリ小説……。


《2015年8月2日 夕方》

 

 

 左腕に付けたオレンジ色の腕時計を見ると、あと一時間もしないうちに日が沈み始めるような、そんな時間になっていた。

 この腕時計は、名の知らない誰かの家に入ったときにいただいたもの。長い間リュックの肥やしになっていた私の壁掛け時計は、これでやっと処分することができた。

 何の変哲もないアナログ時計。腕時計をつける習慣がなかったから、手首に少し違和感を覚える。

 

 しかし、もう夕方か……。

 ここ最近、日が経つのが早い。

 集中していると時間が経つのは早く感じるというけど、1日が早いことは中々ない。

 こんだけ早く感じてしまうと、今までの生活がどれだけ集中していなかったかが露わになっている気分で、少し恥ずかしい。

 

 でもしょうがない。今は1分1秒がカギを握るときなんだから。

 

 

「はあ~、ようやく着いた」

 

「やっとだ~。もう うごきたくないよー」

 

 目的地に着いた感動で、2人して地面にへたり込む。

 私たちは今、3つ目の街に来ている。やっと町ではなく、街らしい外観の所に来れた。

 

 

 

 

 昨日の夜、私はあの後も何十分か続けた力のテストのおかげで、大体の体の使い方が分かるようになった。

 つい集中しすぎて寝るのが遅くなってしまい、朝は明に叩き起こされるところから今日が始まった。

 

 目覚めた後、さっそく次の場所へ行ったんだけど、2つ目の町も最初と同じく誰も生き残った人はいなかった。

 見渡せば無残な姿になった人々が見えてしまう、そんな見覚えのある景色が広がっていた。

 私は昨日も見た光景だったから覚悟はできていたけど、明には少し厳しいものだった。

 

 初めて、死んでいると分かって見る遺体。気絶こそしなかったものの、明の顔は青ざめ震えていた。

 涙をこらえるように私の手を力いっぱい握りしめるその右手は、幼い明に似つかわしい小さな手で、白く変色してしまっていた。

 

 明の様子を見て、もう限界だと判断した私は、町の探索を中断して逃げ去るように第2の町から跳び去った。

 幸い、食料などもまだ十分に余裕があったから、ためらうことなく去ることができた。

 

 

 

 それから明のことを気遣いながら歩き続けて、今ようやく第3の街に到着できた。

 

 1日に2度も地獄の中に明を入れるのはためらわれるけど、あと少しで暗くなるからこのままだとまた野宿になってしまう。そっちも私たちにとって負担が大きい。

 それにもう1つ、私たちにとってもっと重要な理由もある。

 それらを加味して、無理にでも今日中にこの街に入りたかった。

 

 

「それじゃ行こっか」

 

「ええーー。もうちょっと やすもうよー」

 

「文句言わないの。ほらほら立って、そんな時間ないよ」

 

「…………やだ」

 

「やだって、このままじゃ今日も野宿になっちゃうよ? 昨日寝るとき背中痛いって言ってたじゃん」

 

「うぅ……それもヤ」

 

「そうでしょ。疲れてるのも行きたくないのも分かるけど、目つぶってていいから行こ?」

 

「それだったら…………うん」

 

「よし、体調は大丈夫?」

 

「……よくわかんない」

 

「しんどくなったらちゃんと言うんだよ」

 

「うん……」

 

 

 そう言って、明は私に向かって手を伸ばしてきた。約束通りにしっかり手を握って連れていく。

 今までと同じく足場が悪いから、慎重に進まないと明がこけちゃう。

 

 ここは見晴らしがあまり良くないから、おんぶで運んであげることはできない。

 ガレキの影から突然敵が出てくるかもしれないから迎撃準備はしっかりしておかないと。

 

 周囲を警戒しながら、私たちは恐る恐る新天地に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 ”72時間”。

 

 これは、災害で救出を待つ人の生死を分けるタイムリミット、と言われている。

 飲まず食わずで人間が耐えられる限界なのだとか。

 あと数時間もすれば、アイツらが私たちの前に現れてから72時間が経過してしまう。

 

 時間的にも体力的にも、今日回れるのはこの街が最後。

 つまり、この街にもし生き残りがいなかったら、これから先生き残っている人に出会える可能性がぐっと低くなってしまう、ということ。

 

 今日、無理にでも歩き続けてこの街に来たかった理由はコレ。

 昨日のテストで分かった自分の身体能力。これがあれば救助を待っている人を助けられるかもしれない。

 そう思ったら急がずにはいられなかった。

 

 

 

「ちょっと、はやいよ」

 

「ああ、ゴメン」

 

 手をグイっと引かれて怒られてしまった。

 明のことを考えずに進んでしまった。けれども、はやる気持ちを抑えきれない。

 

 なにせ辺りは進めど進めど今まで通りの光景。

 いや、少し違うか。1つ変わったことがある。

 ここ数日の夏の気温の影響で、ナニカが腐ったような臭いが薄っすらと感じ取れるようになった。

 その腐った臭いに釣られてか、数匹のハエが辺りを飛んでいるのが見える。

 

 ブンブンと聞こえてくる羽音にイライラがつのっていく。

 明も目を閉じているせいで余計に強く聞こえるみたいで、しかめっ面で左耳を抑えていた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 街の中心に行けば行くほどこの音は大きさを増してきて、同じくらい人の残骸の数も増してきた。

 視界に入れるのも嫌になってきたので上の方に視線をやると、奥の方にそこそこ有名なデパートがそびえ立っているのが見えた。

 ところどころヒビが入ったりと壊れてはいるものの、さすがに最近できた建物なだけあって、ほかの建物よりも丈夫に造られている。

 

 デパートだったら雨風も防げるだろうし、いろいろな道具も、布団だってあるに違いない。

 よし、今日の休む場所はあそこにしよう。あそこだったらバケモノに急に襲われる心配もなさそうだ。

 

 さっそく明にもあの建物の存在を教えてあげなくっちゃ。そうすれば少しは元気を出してくれるはず。

 

 

「ほら見て明! あそこに……」

 

「…………」

 

「あ、明? どうしたの? 急に立ち止まって、お腹でも痛くなっちゃった?」

 

 無言で立ち止まり、俯いている。何度呼び掛けてもなかなか応答してくれない。

 

「大丈夫?」

 

「…………」

 

 下を向いているから、どんな表情なのか分からない。

 

「ねえ、ホントに大丈夫?」

 

 

 そしてようやく明の口が開かれる。そこから発せられたのは、聞き取ることも困難なほどのか細い声だった。

 

「…………ゃだよ」

 

「えっ」

 

「もう、やだよぅ……こんなとこ……」

 

 顔をあげた明の顔には涙が流れていた。

 

「へんなにおいするし、むしもとんでるし……きもちわるいのばっか。もうやだよ……」

 

 しゃくりあげ、すすり泣いている。

 私はどうすることもできず、ただ抱きしめてあげることしかできない。

 

「おうちに、かえりたいよぅ……」

 

 あふれる涙を抑えきれず、地面に悲しみの跡を作っていく。

 

 明には全然余裕はなかった。思っていたよりも取り乱さないから、平気なんだと思ってた。

 でもそんなことは全くなかった。

 昨日の私と同じ。ただ目まぐるしく変化する状況にうまくついていけていないだけだった。

 

 そんなことにも気づけず”守る”だなんて。

 肉体だけじゃなく心も守らなきゃいけないのに、蔑ろにしていた。

 

「そうだよね、こんなの嫌だよね。ごめんね、気づけなくって……」

 

「うぅっ…………うわああぁぁんんん!!」

 

 

 ただただ泣く。堰を切ったように涙を流し声を上げる。

 涙を流すのにつれて私を抱きしめる力が強くなってくる。

 それに応じて私も腕を回してぎゅっと抱き寄せる。

 抱きしめてわかる明の幼さ。

 こんなにか弱い体で大丈夫なわけなかったのに……。

 

 力の限りに泣いている。

 涙が私の肩にまで伝わってきた。明の目から流れた涙は温かかった。

 時折呼吸が苦しくなってむせている。

 もう二度とこんな風にさせちゃいけない。明の心を守ってあげないと。明の平穏を守ってあげないと。

 

 

 

 

 

──だから。

 

 

 

 ヒュン。

 

 風を切る音がした。

 

 

「危ない!!」

 

「え?」

 

 突然前から飛んできた何か。それは明目がけて飛んできているように思えた。

 とっさに体が動き、右手のカネアキで叩き落とす。

 鈍い金属音が鳴り響く。

 地面に落ちたソレを見ると、小さな石ころだった。

 

「なに!? なんなのともちゃん!?」

 

 突然の事態に、泣くことも忘れて狼狽えている。

 

「なんで石がって、えっ……?」

 

 

 自然に落ちてきた物なんだったら上から下に移動するはず。

 なのにこの石は”前”から飛んできた。ちょうど目の前にあるガレキの山の辺りから。

 ということは……、

 

「誰!? 誰かいるのっ!?」

 

 前から来たんだったら、誰かが意図してやった行動、なはず。

 

 

 

「うるさいんだよお前たち」

 

 ガレキの奥で何かが動いた。

 

「お前たちのせいで母さんが死んだらどうすんだよ!」

 

 

 そう怒鳴り散らしながら私たちの前に出てきたのは、薄汚れた服を着た一人の少年だった。




10話で3日、最終話まで内部時間で後3年1か月ほどで1125日。
10話で3日のペースでいくと3750話。
毎日更新しても10年ちょっと。
現在、大体週1更新なので ×7=26250日=約72年……。
このままだと完結まで後72年かかります。
 
 
……これからもよろしくお願いします。


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第11話【巡り会えた生命】

いつも読んでいただきありがとうございます。
72年分をどれだけ縮められるか、頑張っていきます。


 久しぶりに見る、生きた人間。

 私ぐらいの年齢の男の子。でも背丈は私よりも小さそうで、服は元の色が分からなくなるほど大部分に乾いた血が赤黒く染みついたものを着ている。

 黒くツンツンと尖った髪は、初対面の人にもきつく当たる彼の性格を表しているようだった。

 

 待ちに待った瞬間のはずなのに、全く喜べる状況じゃなさそう。

 会ったこともない人にあからさまに敵意を持たれていることに、思考が停止する。

 

「え、えっと」

 

「ここで騒ぐんだったら出てってくれ。じゃないとアイツらがここに来ちまう」

 

「あ、アイツら?」

 

「は? 知らないのか? あの白いバケモノのことだよ」

 

「いや、それは知ってるけ」

 

 

 

──ドンッ!!

 

 

 言い終わらないうちに、突如として衝撃音が街に響いた。車が衝突したような破壊音。後からガレキが崩れるのが聞こえる。

 音の発生源を探すと、遠くにバケモノがいるのが目に入った。

 

「ほら、お前たちが騒ぐから来ちゃったじゃねーか。 って、は? ちょ、ちょっと待ってくれよ……。あの方角って、くそっ!」

 

「ちょっと待ってよ、どこ行くの!」

 

 

 全く会話が成立していないのに、彼は音のした方に走っていってしまった。

 バケモノがいる方に行くなんて、彼も力を持っている人なのかな。

 よく分からないけど、あの必死な形相。きっと大事なことがあるに違いない。

 先ほど、母さんって単語が聞こえたし。

 

『母さん』

 

 その単語だけで胸の奥が痛くなる。染みるような切なさが湧き出てくる。

 

 でも今はそんな感傷に浸っている時間もない。こうしている間にも彼はどんどん遠く離れていく。

 せっかく見つけた待望の生き残り。そうやすやすと逃がすわけにはいかない。聞きたいこといっぱいあるんだから。

 それに、彼が誰かを助けようとしているんだったら、人として私も協力しないと。

 

「明、私たちも行くよ」

 

「えあ? う、うん」

 

「荷物は邪魔になるから、一旦ここに置いていくよ」

 

 戸惑う明を連れて彼を追っかける。

 どうやら力は使えないようで、彼は普通の子供の速度で走っていた。

 自分のスピードと比べるとひどく遅く感じてしまう。

 カネアキの柄を強く握りしめ、体内に眠る力を少しだけ開放する。

 体中に薄く力が浸透していく。発熱しているのか、ほんのり体が温かい。

 

 その温かみを纏った状態で地面を踏みしめ、彼の下へと走り出す。

 小学生ではありえないほどの速度で、数秒もしないうちに彼に追いつくことができた。

 

 

「ねえ、今は一体どういう状況なの?」

 

「うわ! 走るの速いなお前……。って、お前たちに関係ないだろ」

 

「いいから、早く。時間ないんでしょ」

 

「…………オレの母さんがあそこにいるんだ」

 

「あそこって、バケモノがいる所? なんでそんなとこにいるのよ」

 

「ああ、母さんは足を怪我……岩に挟まれてて動けないんだ。だからオレが助けに行かないと」

 

「助けにって、戦えるの?」

 

「そんなわけないだろ、あんなバケモノ相手に。オレにできることなんて、せいぜいアイツらの注意をそらせるくらいだよ。でも助けられるのはオレしかいないんだから行かないと」

 

「じゃあバケモノ相手は私にやらせて」

 

「は? 何言ってんだお前?」

 

「大丈夫、私は戦えるから」

 

「戦えるって、どういうことだよ」

 

「説明は後。それと岩ってどのくらいのなの?」

 

「こっちの質問には答えないのにそっちは質問するのかよ……。んと、子供じゃ何人いたってダメなくらいだ。せめて大人が数人いれば……」

 

「オッケー。それじゃ私が岩を持ち上げるから、その間に救出して。そしたら私は追ってこないようにアイツらを倒しておく。きっとこの状況でそれが最適解だと思うから」

 

「…………ホント何言ってるか分かんねえけど勝手にしろ。オレは母さんを助ける、それだけだ。こうなったのも、もともとお前たちのせいなんだからな」

 

「あっ、救出したら一旦明をそっちに預けてもいい? 多分そっちの方が安全だと思うんだけど」

 

「わかったよー」

 

「ちょっと勝手に話を進めるな、オレは分かってねえ!」

 

「じゃ、そういうことで。明も頑張ってね」

 

「おい!」

 

 

 今まで漠然とただ歩き続ける毎日だったから、やることが明確になって少々浮かれているのが自分でもわかる。だから少々扱いが適当になってしまっても許してほしい。

 しかも、ようやく私が人を救えるかもしれない機会。今度は確実に救ってみせる。

 それに明は未だに人が怖いと思っているのに、1人にすることを認めてくれた。

 その頑張りにも応えるような活躍をしないと。

 

「さあ私が選んだこの選択、最適解にしないとね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 ガレキの山の中を進んでいく。

 ここら一帯はアイツらが破壊したガレキで体を隠せるから、今のところバレずに進めている。

 

「あそこだ」

 

 彼が指を差した方向には、一軒の家があった。

 と言ってもそれは屋根から崩れていて、家らしきものがあるとしか認識できない。

 

「母さん!」

 

 中に入ると、1人の女性が倒れているのが目に入った。

 眠っているようで、目元は閉じられている。

 足元には聞いていた通り大きな岩が乗っかっていた。

 

「うわぁ いたそう……」

 

「これをどかせばいいんだよね」

 

「だからどかすって、どうすんだよ」

 

「どうするって こうするのっ」

 

 昨日と同じやり方をしようと、両手で岩に手をかける。

 

「バカやめとけ。それはオレたちじゃどうすることもできないやつだ。それに下手に動かすと母さんに響く」

 

「痛いと思うけど、少しの間辛抱してくださいね」

 

 聞こえてないだろうけどこのあと襲ってくる痛みに先に謝っておく。

 足腰に力を入れて集中する。体の力を全開放、活力が一気にこみあげてきた。

 できるだけ痛まないよう、一気に持ち上げる。

 

「よいしょっ!」

 

「うっ ああああ!!」

 

 動かした時の痛みで彼の母親が起きてしまった。痛みに悶えているその声もあまり力がないように思えた。

 

「だからやめろっ……て…… 嘘、だろ。なんで持ち上がんだよ……」

 

「ほら、ぼーっとしてないで今のうちに早く助け出して!」

 

「……あ、ああそうだな。母さん大丈夫か!?」

 

「ぁー、はぁーはぁー。 ま、まこ、と?」

 

「そうだよオレだよ。今助けるかんな」

 

「明も手伝ってあげて」

 

「うん!」

 

 

 そして母親を引っ張り出した彼はそのまま自分の背中に担いだ。

 

「だい、じょう、ぶ、なの……?」

 

「大丈夫さ。だてにサッカー部で足腰鍛えてないからな。母さん一人ぐらい余裕だぜ」

 

「ごめん、ね……」

 

 息も絶え絶えな母親はそのまま気絶してしまった。

 

「ねえ どこに逃げるつもりなの?」

 

「あのでかいデパートがあるだろ? そこにみんな集まってるんだ」

 

「えっ! みんなって、ほかにも生きている人がいるの!?」

 

「ああ、みんなあそこに避難している」

 

「そう! そうなの、よかったぁ」

 

「だから早く行こうぜ」

 

「いや、さっきも言った通り私は周囲のバケモノを一掃してからそっちに向かうよ」

 

「何言ってんだよ危ないって。お前も一緒に来いよ」

 

「バケモノが近くにいたらそのうち見つかっちゃうでしょ。それにデパートに人がいるなんてアイツらにばれたら元も子もないし」

 

「それはまぁ、そうだけど」

 

「大丈夫、私にはこれがあるから」

 

「なんだそりゃ? 鍬、か?」

 

「そう鍬。私の武器。さっきの見てたでしょ。私って強いんだから。安心して先に行って」

 

「ともちゃんはすごいんだよー。クルマみたいにビューンてはやいんだー」

 

「ほらね、明もこう言ってるでしょ」

 

「そ、そうなのか……。信じられねえけど、ここんとこ信じられないことしか起きてないからな。信じるしかないか……。死ぬなよな」

 

「ん、任せて。そっちは明を頼んだよ」

 

「たのまれましたー」

 

「ああ分かった」

 

「じゃまた後で」

 

 

 話が一息ついたので彼と明はデパートに、そして私はその反対方向へと二手に分かれた。

 

 やっとこの力で人を助けることができた、その喜びに胸が弾む。

 今ならなんだってできちゃいそう、そんな高揚感に心が温かく包まれる。

 しかもまだほかにも生き残りがいる! それもあの口調だとたくさんいそう。

 今までの苦労が報われたような気がして、肩がすごく軽く感じる。

 

 今の私の気分は最高、誰にも止められない。

 右手にカネアキを握り締めてアイツらを探しに駆け回る。

 

 

 と、突然ガレキの影からバケモノが飛び出してきた。

 そんなところから来るとは思わなくってびっくりしたけど、走り幅跳びの要領でうまく跳び越えられた。

 ぶつかると思ったけど、急な事態にも力の調整ができた。

 昨日の練習が活きている。練習の成果が目に見えてわかるのはやっぱりうれしい。

 

 喜んでいると、ぞろぞろと物陰からたくさんのバケモノが湧いてきた。

 たくさんのバケモノに囲まれて少し不安になるけど、でも今の私ならきっと大丈夫。

 この調子で思いっきり暴れてやる。

 

 

「さあバケモノたち。私の最適解、通させてもらうよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「はぁーはぁー、あ~疲れた」

 

 地面にだらしなく大の字で寝転がる。

 運動会の後のように体中が疲れ、呼吸がうまく落ち着かない。

 息を整えようとするも、肩での呼吸がなかなか治まらない。

 

 何分かかったんだろうか、なんとか目に見える範囲のバケモノを倒し切ることができた。

 それにしても……、

 

「いや~ まさか無傷で終わるとはね」

 

 あの大軍。多少のけがは覚悟していたのに、結局バケモノの強靭な攻撃は1つとして私に届くことはなかった。

 この力、やっぱり目を見張るものがある。

 アイツらを翻弄できるこの力の正体も気になる所だけど……。

 

「早く明に会って褒めてもらおう」

 

 だんだん落ち着きを取り戻せてきた。思考も安定してきている。

 よし、いつまでも寝転がっていないで立ち上がろう。

 

「えーっと、デパートだっけか」

 

 待ちに待った生きている人たち。

 早くこの現状も知りたいし、何より話がしたい。

 期待でまた落ち着かなくなってきた。

 

 想像を膨らませながら、私はデパートに近づいていった。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 入り口に着くと、彼がきょろきょろ辺りを見渡していた。

 何してんだろ?

 

「おーい、何してんの?」

 

「あっ! 無事だったのか!」

 

 なんと私の心配をしてくれていたようだった。

 さっきからうすうす思っていたけど、ちょっと口調は悪いけどやっぱりこの人はいい人みたい。

 

「大丈夫だって言ったでしょ。それより無事でよかった」

 

「お前が言うのかよそのセリフ……」

 

「あれ? 明と君のお母さんは?」

 

「お前の妹はもう中に入ってる。母さんは今医者に診てもらっているところだ」

 

「そうなんだ。みんな助かってよかったね」

 

「全部お前たちのおかげだ。最初 石投げてゴメンだったな」

 

「そうだよ! いきなり投げてくるなんて。びっくりしたんだから」

 

「だからゴメンて。疲れてんだろ、ほら中に入りなよ」

 

「も~疲れたよ。ここ最近ずっと地べたで寝てたし」

 

「それじゃ朗報だ。ここにはベッドもあるぞ」

 

「ホントに!? よし早くいくよ!」

 

「ちょ、落ち着けって」

 

 後ろで制止してくる声が聞こえるけど、そんなの構っていられない。

 ようやく気持ちよく眠れる! 今までで一番うれしいことかも。

 ワクワク気分でこれから新たな拠点になりそうなデパートに入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 最初目にした時は、なんだこいつらと思った。

 バケモノがうじゃうじゃいるような世界で、あんなに大声で泣いているなんて。ただの自殺志願者かと思った。

 実際こんな世界になってからは、そういうことをする人も見たことがあったから、またやっているのか、といつもだったら特に気にはしなかった。

 ただあの時は母さんの近くだったから、やるんだったらよそでやってほしいと、ここではやめてほしいとそう思って近づいたんだ。

 

 だからアイツらに近づいてああ言ったんだ。厳しい言葉を言えば去ってくれると思ったから。

 そしたらアイツらは何も知らない様子でこちらを見てきて。

 ひとまず静かにしてもらおうと思っていたら、ガレキが崩れる音が聞こえてきて。

 

 それで遠くにバケモノがいるのが見えて、一瞬体が石のように固まって動けなくなってしまった。

 あそこには母さんがいる。

 母さんに危険が迫っていることが分かって、頭の中が真っ白になってとても焦ったんだ。

 

 母さんを守りに行かないと。

 2年前、父さんと病室で約束したんだ。『ボクが……いやオレが母さんを守るから。だから安心して』って。

 

 オレは母さんを守らなきゃいけない。

 だからアイツらのことは置いて母さんの下に走ったんだ。

 それなのに、先に走っていたはずのオレに追いついてきたときはすごくびっくりした。

 しかも戦えるだのよくわかんないことを言ってきて、本当に混乱した。日本人同士なんだからちゃんと日本語をしゃべってくれ、そう言いたいほどだった。

 

 

 でも実際アイツが言っていたことは全部本当で、あんな重たい岩を一人で持ち上げて、あのバケモノ相手に互角以上に戦っていた。

 しかも武器はなんか鍬みたいの。あんな細い柄のもので戦うなんて正気じゃない。

 チラと後ろを振り返ったとき、折れやしないかと肝をひやひやさせられたものだった。

 

 

 それでなんとか逃げ切ることができて、母さんを医者に届けてアイツを探そうと思ったら もう後ろにいて。

 そしたらアイツは笑って『無事でよかった』なんて言って。

 全部こっちのセリフなのに、オレは素直にお礼が言えなくって話をごまかしてしまった。

 

 けど本当に感謝している。

 母さんを助けてくれてありがとう。

 照れくさくてまだ言えないけど いつかお前に言えたらいい、そう思った。

 

 

 そういや、まだ名前聞いてなかったな。




惚れません(確定事項)
この世界はそんなに優しく無いんですよ。


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第12話【3日ぶりの呼吸】

 デパート”(あさひ)”。

 関東圏ではそこそこ名の知れたデパートで、地下1階・地上8階の全9階建ての縦長のオレンジ色の建物。

 普通のデパートと同じく服やおもちゃ、雑貨や食料品などが置いてある。少し珍しいのが家具も売っているというところだ。

 この建物は去年できたばかりの新しい店舗で、開店セールで地元の人の長い行列ができています、とテレビで放送されていたのをぼんやりと覚えている。

 

 けれど、今回の大地震で少し壁にヒビが入ってるところがあったりと、昨年できた建物としては新品感が削れてしまっている。

 それでも、入り口に立って見ても全く壊れそうな雰囲気はしなく、これなら問題ないなと思える感じだった。

 

「さあベッドの場所まで連れてって!」

 

「だから待てって」

 

「待ってられないん……っぐぺ!」

 

「お前何してんだよ……」

 

「おおおお痛たたた~頭打った……。ううっ、なんで自動ドアなのに開かないの!?」

 

 痛みで涙目になっている私を見て、彼は「そういえば」と言わんばかりの顔をして説明してくれた。

 

「今朝から急に電気が止まってな。今はデパートの屋上にあるソーラーパネルで自家発電した電気を使っていると思うんだ。だから余計なところには電気を回さないようにするって言っていた気がする」

 

「そういう大事なことはもっと早く言ってよ。おかげで頭打っちゃったじゃん」

 

「悪い悪い」

 

「たんこぶできちゃったらどうしてくれるのよ」

 

「はっ、なーに言ってんだ。あのバケモノ相手に大暴れできる奴が、こんな程度でケガするかよ」

 

「ほほう、君にも私お手製のたんこぶ作ってあげようか」

 

「ちょ悪かった、冗談だって。だからその手をやめてくれ」

 

「まったく、次からはちゃんと教えてよね」

 

「こんなとこで殺されたんじゃ生き残った意味が……」

 

「そこうるさい。 で、気がするってどういうこと? 君ってあんなり人の話聞かない人なの?」

 

「ちげーよ。今朝は、っていうかここ3日は毎日一日中母さんのところに行ってたからな。早く行きたいのに朝の集会がなかなか終わらないもんだからイライラして聞いてなかった」

 

「へー、集会なんてしてるんだ」

 

「まあ出れてるのはそんなにいないけどな」

 

 

 そう言う彼の言葉には覇気はなく、悔しそうな悲しそうな、そんな目をしていた。

 

「頭がおかしくなっちまったり病んでる人もいて、そういうのは別のスペースに隔離してんだ」

 

「そうなんだ……」

 

「ああ」

 

 想像していたよりも楽観的ではなさそうな話に思わず言葉が詰まってしまう。

 

「ほら。そんなとこで突っ立ってないで、中入るんだろ」

 

「う、うん」

 

 暗くなってしまった雰囲気を払うかのように、彼は明るい表情をしていた。

 

「ここのドアは手動になったんだ。ここにこうやって、と……」

 

 ほんの少し開いているドアの隙間に指を突っ込んで力ずくで開けようとしている。

 

「あーダメだ固い。任せた」

 

「ええ! もうちょっと頑張りなよー。まったく……」

 

 最初っからやる気がないのか、はたまた本当に固いのか、彼はすぐに音を上げた。

 交代して私が開けてみると、思っていたよりも簡単に開けられた。

 全然固くないんだけど……。

 

「おお~さすがのばか力だな。するする開いちまった」

 

「ま、またそう言って! 私が強いんじゃなくて、あなたが弱いだけ!」

 

「ははは、そうカッカすんなって」

 

 まったく彼は私を何だと思っているのか。

 力を使わなくても開いたんだから本当は彼も開けられたはず。

 それなのに無理だと言って私にやらせたのは多分、暗くなった雰囲気を和らげようとする彼の気遣いなんだと思う。

 一見言葉遣いも悪いからガラの悪そうな人に見えるけど、気遣いもしっかりできて本当は優しい性格ということが感じられる。

 そんなくだらないやりとりをしているうちに、さっきまでの暗い空気は跡形もなく消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 中に入ると、1階には化粧品とアクセサリー売り場と喫茶店が入っていた。もちろん客なんていなく、最小限の照明で薄暗くてがらんとした様子だった。

 さっき説明があった通りエスカレーターの電気も止まっていて、生活には便利なものだけど非常事態には無駄なものになってしまうのが、少し寂しく感じられた。

 明は2階にいるというのでエスカレーターに足を置いたんだけど、止まっているから上る時なんだか気持ち悪く思えてしまう。

 

 コツコツ、とスニーカーの音だけが暗い建物内に溶けていく。

 

「ねえ、ホントに人いるの?」

 

「おう、いるぞ」

 

 少し不安になって前を歩く彼に聞いてみると、上半身だけをこちらに向けながらそう答えた。

 彼の手には私たちのリュックがある。あんだけ私の力をバカにしていたのに、重いだろうから持つ、と言ってくれたのだ。

 ありがたく持ってもらったら本当に重かったらしく、目を見開いて「こんなん持ってたのか!?」と言われてしまった。

 水とかがたくさん入っているから実際結構重たい。

 

 すると、

 

「音がするよ。誰か来たみたい」

 

 静かな空間に聞こえてきた知らない声。

 顔を見上げると2階の奥の方から光が漏れているのが見えた。

 

「マコトくんかな?」

「まだ帰ってなかったのか」

「それでね、ともちゃんすごいんだよ!」

「どれ、私が見てこようか」

 

 見知らぬ声に交じる最愛の声。

 階段を登り切るよりも先に誰かが上からこちらを見てきた。

 

 深緑色の作業服姿をした、ほっそりとしている老年の男の人。髪はぼさぼさで白くなっている。

 この人のことを何も知らないけど、”管理人”という名前がぴたりとあてはまりそうな人だ。

 

「君は確かマコトくんだね? 後ろの子は……」

 

「はいそうです。そんでこいつは外で見つけてきました」

 

 そう言って彼は私をおじいさんの前に誘導した。

 

「えっと、初めまして。岩波灯と言います」

 

「ともり……ああ君が”ともちゃん”か。なるほどよく来たね」

 

「あの、明は……妹はどこにいますか?」

 

「妹さんならあそこだよ」

 

 そう指さす先には知らない人に囲まれている明の姿があった。

 

「明!」

 

「ーー! ともちゃん!」

 

 私を見つけた明は、そのまま勢いよく私のお腹に突っ込んできた。

 

「おかえり~ともちゃん」

 

「はいはい、ただいま」

 

「き、ささってない? だいじょうぶ?」

 

「ふふっ、大丈夫。無傷でアイツら倒してやったよ」

 

「すごーい!」

 

 前回は背中に木が突き刺さっていたのを覚えていたようで、しきりに背中部分をペタペタと触って気にしている。

 尻もちをついた状態で明をかわいがっていると、女性が近づいてきた。

 

「君がその子のお姉ちゃん?」

 

「はいそうです。あなたは……?」

 

「私は蛍井(ほたるい) (すず)。このデパートで受付をしていたの」

 

 チェックの黒のワンピースの上からロイヤルブルーのジャケットを着て、黒の花のブローチを胸に付けた20代くらいの女性はそう名乗った。

 とても可愛らしいお姉さんなので、お客さんからは人気の受付さんなんだろうと推測できた。

 蛍井さんの後にもまた1人こっちにやってきた。

 

「あ、私は岩波灯と言います」

 

「よろしくね、灯ちゃん」

 

「こんばんは、僕は布川(ぬのかわ) (ひかる)。このデパートでリーダーみたいなものをやらせてもらっている者だ」

 

「よろしくお願いします」

 

「はは、そんな固くならないでいいからね」

 

 若手の社長みたいな雰囲気を持った爽やかな人。明るい茶髪の頭なのに遊んでいるように見えないところがすごいと思う。

 ていうか、こんな状況でもリーダーなんているんだ。

 

 

「ここにいる布川さんたちが、このデパートの主要な人だぜ」

 

 後ろにいた彼が前に来て、私たちに教えてくれた。

 

「そういえば自己紹介がまだだったな。オレは天宮(あまみや) (まこと)。小学5年だ」

 

「年下だったんだね、私は6年生だよ。よろしくねマコト」

 

「1個上だったのかよ、ぜんぜん見えないな……。よろしくな岩波」

 

 握手代わりに、手を取って起こしてもらう。

 その反動で、腰に巻き付いていた明が床にころんと転がった。

 

「それでこっちが明」

 

「よろしくな」

 

「う、うん……」

 

 明はマコトの手を取ることなく、ささっと私の後ろに隠れてしまった。

 

「ゴメンね。ちょっと人見知りなの」

 

「そうなのか」

 

「ちょっといいかな岩波君」

 

「あ、はい」

 

 おじいさんが話しかけてきた。職業を聞いてないけど、胸に社員証っぽいのが見えるから本当にこのデパートの管理人とかなんだと思う。

 名前すら聞いていないけど、管理人さんって呼ぶことにしよう。

 

「君たちは外から来た、とマコト君から聞いたんだが本当かい?」

 

「はいそうです。山の方からここまで来ました」

 

「山の方から? ここから一番近い山となると、結構遠いと思うのだが……」

 

「はい、頑張って歩いてきました」

 

 管理人さんは私の言葉に目を見開いていた。実際、子供が歩いて来れるような距離じゃないだろうし。私よく頑張ったと思う。

 

「ちょっと待った。君たち外から来たのかい!?」

 

 そこに布川さんが割り込んできた。みんな知っていると思ったけど彼は知らなかったみたい。

 

「ええそうですけど」

 

「それはよかった。僕たちはあの夜からろくに外に出られていないんだ。外はどんな感じになっているんだい?」

 

「そうね私も聞きたいわ。やっぱり……ここと似たような感じなのかしら?」

 

「ええっと……」

 

 どうしようか。明の前で外の話はあんまりしたくないんだけど……。

 言い淀んでいると、先に布川さんが提案してきた。

 

「ああすまない。歩いてきたのなら疲れているだろう。お互い聞きたいこともあるとは思うが明日にしようか」

 

 私が言葉に詰まったのは疲れているせいだと勘違いしたみたい。

 詰まった理由はそうじゃないんだけど、一旦落ち着きたいし、お言葉に甘えさせてもらうことにしよう。

 

「ありがとうございます。もう足が辛くって」

 

「じゃあオレが連れてくよ」

 

「よろしく頼んだよ、マコト君」

 

「じゃあ岩波行こうぜ」

 

「オッケー、それじゃ行くよ明。知ってた? なんとここにはベッドがあるんだってさ」

 

「ホント!? ぃやったー!」

 

 両手を上にあげて喜んでいる。さっきの私と同じくらいのはしゃぎ具合。

 明もここ最近は寝るというより気絶が多かったから、ちゃんと寝れるのがうれしいみたい。

 

「それじゃ灯ちゃん、また明日ね」

 

「はい。おやすみなさい蛍井さん」

 

「鈴でいいわよ」

 

「はい、鈴さん」

 

 3人とも聞きたいことがたくさんあるだろうに、私たちの体調を気づかってくれるなんてありがたい。

 さっきはとっさに疲れていると言ったけど、意識してみると本当に疲れていて、なんだか眠たくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 ふかふかのベッドをご所望の私たちを連れて行った場所は、デパートの7階・家具売り場だった。

 

「うわ~いっぱいだねー」

 

「ホント。ここに住めそうなくらいだよ」

 

「ここにベッドがあるのはみんな知ってんだけど、7階ってことでみんなめんどくさがってな。使ってる人はほとんどいないんだ」

 

「寝る場所は重要なのにね」

 

「ねー」

 

 喋りながら歩いていくと奥にベッドを見つけた。1つだけじゃなくて何個かあって、どれもふかふかしていて寝心地がよさそうだった。

 

「ダ~イブ!」

 

「あ~気持ちいい~」

 

「気に入ってくれてよかったよ」

 

「最っ高だよ。ありがとう」

 

「そんじゃあ、オレは母さんのところに行くからな。ゆっくり休めよ」

 

「ん、分かった。また明日ね」

 

「朝には誰かが来ると思うから」

 

「オッケー」

 

 

 それだけ言ってマコトは帰っていった。足音が次第に遠くなっていく。

 場所を言ってくれれば自分たちで行けるのに、わざわざ7階まで付き合ってくれるなんて本当に人が良い。

 

 それにしてもこのベッド、とっても気持ちいい。

 家で使っているのなんか目じゃないくらいで、値段を見たら「なるほど」と納得できてしまうほどの値段だった。

 こんなに良いもの、誰も見ている人がいないからって私たちが使っていいものなのだろうか。

 非常事態とはいえ、後から請求されたらさすがに私じゃ払えない金額だし。

 

「ねえ、明はどう思……って寝てるし」

 

 よほど疲れていたのか、ベッドにダイブした格好ですやすやと眠っていた。

 うつ伏せじゃ苦しいだろうに。そんなこともお構いなしな明の様子に、なんだか悩んでいたことがどうでもよくなってしまった。

 

「まったくもう、世話が焼ける妹だなぁ」

 

 うつ伏せになっているのをそっと抱き上げて表にしてあげる。

 どのベッドで寝ようか決まらなかったけど、ちょうど明が寝ているのがダブルベッドだったからそこで寝ることにした。

 

 

 ごろんと転がって天井を見る。

 この前見たみたいに上を見ても星がなくって、どこかホッとする自分がいる。

 ここ数日間感じることのなかった安心感。

 肩の荷が軽くなった感じがするし、縮こまっていた体もほぐれていく。

 まるで3日間ぶりに呼吸をしたかのような心の解放感。

 

 こんな気持ちいいのを2人じめだなんて、贅沢すぎる。

 私も寝ようと目を閉じると、目の端から温かい涙が流れてきた。

 

──お母さんたちにも味わってほしかったな。

 

 薄れゆく意識の中で最後に思ったのは、今は亡き家族のことだった。




なんか人いっぱい出てきて、取り扱いに困ってます。
そんなに出さない予定ですが。(オリを増やされてもね……)


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第13話【冷えた右手が 私に不安を訴える】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 

《2015年8月3日 デパート旭》

 

 

 窓から差し込む暖かな日差しが、夢の世界にいる私を現実の世界へと呼び起こした。

 

「んんっ~~」

 

 ベッドから上半身だけ起き上がらせて伸びをする。

 起き上がる時に突いた手がどんどんベッドに沈んでいったので起き上がるのが大変だった。

 1つあくびをして目をこすりながら腕時計を見てみると、短い針は6時を指していた。

 寝る環境というものはとても重要で、一度も目覚めることなく寝続けることができた。

 ここのところ睡眠が浅く、夜に何度も起きていたので今は頭がとてもすっきりしている。

 

 隣にいる明もすやすやと気持ちよさそうに寝ている。

 明も寝てるし二度寝を考えたけど、頭が目覚めちゃって寝れそうにないや。

 「安心」。それがこの空間に満ちているのを感じる。

 昨日のこの時間帯では考えもつかなかった展開。マコトと出会って、一緒に戦って、安息地と生きている人たちを見つけて。

 昨日の私が知ったら驚くだろうなー。明日の私はこんなにも落ち着いた空間にいるだなんて。

 

 もう一度寝転がり、眠っている明の頬をつついてみる。

 このベッドよりも柔らかくって弾力のあるモチモチとしたほっぺ。むにゃむにゃと言いつつも起きる気配は感じられない。

 かわいらしい反応を見てこっちまで笑顔になってくる。

 そんなことをしていると、だんだんと実感が湧いてきた。

 

 ああ 私たちは助かったんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 しばらくそのままゴロゴロした後、誰かがいつ来てもいいようにと着替えをすることにした。

 リュックの中のボディシートで軽く体を拭いてスッキリしてから着替える。

 昨日は何も食べずに寝てしまったからとてもお腹が空いているけど、勝手に自分だけ食べるのはなんか違うと思うから食べずにいる。

 ここの人はどんな食べ物を食べてるんだろう。朝や昼間の時間帯は何をしているのだろう。疑問がたくさん湧いてくる。

 

「あ、そうだ」

 

 この後始まるだろう現状報告会。それに出るのは私だけにしてほしいと事前に頼んでおこう。

 いや、それだと明も聞きたいって怒り出すか。じゃ、大まかな所だけ明も参加して詳細なところは私だけにしてもらえるようにしてもらおう。

 明がいる前で悲惨な話をしたくはないし、あの子には常に笑顔でいてもらいたいからね。

 

 よし、そうと決まれば下に行って誰かいないか見てこよう。

 ちょっとの間だったら、迎えの人も来ることないでしょ。

 もし来ちゃってたらトイレに行ってたとでも言えばいいんだし。

 

 そろりそろりと音をたてないように下りのエスカレーターのところまで行く。

 下に行く段に一歩踏み出した時。ふと、ある疑問が頭に浮かんだ。

 そういえば、この上の階って何があるんだろう。

 気になったので横に書いてあるフロアマップを見てみると、8階はレストランなどの食事が取れる所になっていた。

 

「へーレストランか。あ! このお店行きたかったんだよねー」

 

 店舗一覧を見ていると、前テレビでやっていた和菓子屋さんが入っているのを見つけた。

 今行ってもその和菓子は食べられないけど、どんなお店なのか雰囲気だけでも気になるな。

 よく考えてみれば迎えの人が来たときにさっきのこと言えばいいんだし、先にこっちを見に行くことにしよう。

 

 さっきまで立てていた予定を変更し、今来た道をUターンして反対側の上りエスカレーターに行くことにした。

 昨日はこの階も暗くって何がどこにあるかいまいちわからなかったけど、窓から差す太陽のおかげで迷わずに歩ける。

 

 あの店は入って右側にあったよね。あそこのわらび餅ホントおいしそうだったよなー。

 そんなことを思って上り切ると、待っていたのは凄まじいほどの陰鬱な空気だった。

 

「っな……」

 

 声を出すのもためらわれるくらいにどんよりとしている。むわっとくる湿った空気が肌にまとわりつくようで気持ち悪い。

 今は朝のはずなのに、まるで夜かと思わせられるように空間が暗い。

 こんなに暗いなんてまさかこの階には窓はないの? と思い、窓を探してみる。

 すると、すぐに窓は見つけられたんだけど、なぜか全ての窓にカーテンやテープなどが貼られていて、外が見えないようになっていた。

 

「これじゃ暗いはずだよ……なんのためにこんなの」

 

 謎の空気の原因はコレか。こんなにびっちり閉じられていたらそりゃ変な空気になるはずだよ。夏なんだから、締め切ってたら変な虫が出てきそうだ。

 布川さんたちはなんでこの階の窓だけ封鎖しているんだろう。

 もしかしたら、昨日マコトは『7階は面倒だからほとんどだれも行かない』って言ってたから、さらに上のここまで手が回らなかったのかも。

 多分そうだろうな。こんな空気は体に悪いし、デパートでの初仕事ってことでさっさと開けて空気の入れ替えをしよう。

 

 それにしても、窓にテープを張るだなんて台風の時ぐらいしか見たことないんだけどな。

 ここって夏に台風がたくさん来るようなところじゃないのに、テープまみれにしちゃって。これじゃお客さんが来た時びっくりされちゃうよ。

 

 さてと、どこから始めようか。

 最初は行きたかったお店からやっていこうかな。

 せっかく来れたのに楽しむにも楽しめない感じだから、急いで窓に近づいてテープを剥がそうとした。

 

 とその時。

 

 

「何してるのアナタ」

 

 

──腕を、掴まれた。

 

 どこからともなく現れた腕。掴まれた箇所からは、人間の手とは思えないほどに冷たく感じる。

 その根元をたどってみると女性の姿があった。まだ若そうのに、覇気がなくとても老いているように見える。

 目元にかかるほど長く伸びた髪の隙間から覗ける、赤く充血した目。

 その目は焦点が合っていない虚ろな目で、見ているだけで生気を吸い取られそうな恐ろしさを感じる。

 

「ねえアナタ何してるの」

 

 再度発せられた、気味が悪いくらい抑揚のない声。

 時間が経つにつれてギリギリと握力が強くなってきて怖い。

 何なのか分からないけど、とにかく早く答えないとヤバい。

 

「ええっと、暗いから窓を開けて明るくしようかな、なんて……」

 

 女性の迫力に押されて語尾になるにつれて声がしぼんでしまった。

 無理に明るく言ってみたんだけど、どうだろう。なんか怒ってるっぽいし逆効果だったかもしれない。

 っていうか右腕そろそろ本当に痛い。

 

「あの、腕痛いんで離してもらっても……」

「アナタ何馬鹿なこと言ってんのッ!!?」

 

 私の発言なんぞないかのように、突然の叫びとともに女性が掴みかかってきた。

 

「窓を開けるなんて馬鹿なこと言わないで!! アイツらが、あ、あの子が……ああああ……」

 

 そう言って、女性は自分の頭を抱えてしゃがみこんでしまった。

 私は剣幕に押されてしまって、すぐにはその場から動けなかった。

 

 

 しかし事態は休む間もなく進行していく。

 

 

 突如として現れてきた、背中に突き刺さる無数の気配。

 急いで振り返ると 今までどこにいたのか、何人もの人が私のことを見つめていた。

 店の陰から、入り口から、隣の店から、遠くの店から。男性女性子供と様々な人が私を見ていた。

 そして彼らは、これだけの人数がいるにもかかわらず誰も何も言わないで、先ほどの女性と同じくただただ虚ろな目を私に向けてきている。

 彼らの目には感情が乗っていないのに、なぜだか私にはその目に私を非難する感情が混ざっている気がして……

 

「うわぁああああ!!」

 

 

 私は逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 私は今、壁の隅で座り込んで震えている。

 どうやってここまで来たのかは思い出せない。

 気づいたら7階の隅にいて、視界には明がいるのが見える。

 エスカレーターを下りた記憶がない。頭が真っ白になっていた。

 思い出すだけで鳥肌が立ってくる。

 

 あんなのがいるなんて聞いてない。

 一体何なのあの人たち。あんな死人みたいな目をして。幽霊かと思った。

 あの人に握られた右腕がまだズキズキと痛む。

 窓を開けようとしただけであんなに怒るなんて正気じゃないよ。普通暗かったら明るくしようとするじゃん。

 何があったらあそこまで空虚な目ができるんだろう。

 

 あっ、正気じゃない。……もしかしてマコトが言っていた、頭がおかしくなった人ってあの人たちのこと?

 だとするなら意味分かんないあの言動にも納得がいくけど、もしそうなんだったらもっと早く教えてほしかった。

 待ってるように言われていたのに勝手に動いた私も悪いけど、ひとこと言っておいてくれてもいいじゃん。

 バケモノも怖いけど、人から来る憎悪の感情もとっても怖かった。

 

 あの人たちをあの状態でほったらかしにしているなんて、本当に大丈夫なんだろうか。布川さんは知っているのか。それとも知ってて放置しているのか。

 なんだか少し不安になってきた。このデパートの現状を知っているわけじゃないから何とも言えないけど、ここは本当に安全な場所なんだろうか。

 もしあれがここで起きたナニカが原因であんな風になったのだとしたら、ここにはもういられなくなる。

 

 とにかくしっかりと話し合わないと。

 ブツブツと声に出しながらやることを決めて立ち上がってみると、目の前に鈴さんが立っていた。

 

「うわっ!」

 

「ごめんごめん。なんか考え込んでるみたいだったから、そっとしたほうが良いのかなって思って」

 

「いや、大丈夫です、いきなりで驚いただけなので。こちらこそすみません」

 

「いいのよ、今のは私が悪かったんだし」

 

 あーびっくりした。さっきから驚かされてばかりだ。

 今何時なんだろう。時間を確認していなかったので見ると、7時をとうに過ぎていた。

 ずいぶん長く考えていたみたい。

 

 

「で、朝食に迎えに来たんだけど明ちゃんはどこにいるの?」

 

「こっちで多分まだ寝てます……」

 

「ねぼすけだねぇ」

 

 

 私たちは私たちで食料をキチっと用意してあるけど、ここを去るかもしれない可能性が出てきた以上、食料の存在は明かさないほうが良いと思うから黙っていることにする。

 案の定明はまだ眠ったままだった。

 鈴さんが来たんだし起こそうと思ったけど、その前に……

 

「あの、この後の話し合いでは明にあまり詳しい話は聞かせたくないんですけど、それでも大丈夫ですか?」

 

「あー、まぁあまり楽しい話にはならなさそうだしね。分かったわ。いい頃合いになったら明ちゃん連れて別の場所に移動するよ」

 

「ありがとうございます。助かります」

 

「いいのよ。しっかりとしたお姉さんね、灯ちゃんは。ホントに小学生?」

 

「はい、一応部長をやってます」

 

「へー部長! すごいじゃん! 会社に入ってからだとなかなかなれない役職だよ。何部なの?」

 

「バドミントンです。部長なのに下手っぴですけど」

 

「バドミントンか~ 懐かしいな。授業でやったなー」

 

「うん~? おはよう ともちゃん」

 

「あ、ようやく起きた。おはよう明」

 

「おはよう明ちゃん」

 

「あ、すずちゃんだぁ」

 

「もう少し待ってくれますか。すぐ支度しますので」

 

「いいのよそんな慌てなくって。そんなに急いでないから」

 

「ほら明しっかりして」

 

 

 鈴さんを待たせるわけにもいかないので、起きたばっかの明の体を拭いて急いで着替えさせて準備させる。

 私の手際に感動した鈴さんは、朝食の場所である1階に連れて行ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 朝食は1階の喫茶店でとることになっていた。

 私たちは最終組で、昨日はいなかった人たちも含めて多くの人が集まっていた。

 

「やあ2人ともおはよう。待っていたよ、眠れたかい?」

 

「おはようございます。とてもよく眠れました」

 

「ばっちりだよー」

 

 喫茶店の奥のスペースにいる布川さんが声をかけてくれた。

 2つのテーブルをくっつけて長くなったテーブルの周りには、マコトも含めて昨日の夜に出会ったメンバーが座っていた。

 

「2人の席はこっちだよ」

 

 そう呼ばれたので奥に行って用意された席に座る。

 

「おはよう岩波」

 

「それじゃどっちか分かんないじゃん、マコト」

 

「どっちもいんだからいいだろ別に」

 

「まあそうだけどね。おはよう」

 

 席順は子供と大人に分かれて座っている。私から見て右に明、左にマコトがいる。対面には布川さん、その右に鈴さん、左に管理人さんという配置だ。

 先に座った鈴さんが布川さんにみみうちをした。私を見ながら頷いて指で〇を作ったから、さっきのことを言ってくれたんだと思う。

 私たちが席に着くと、彼が朝食の音頭を取ってくれた。

 

「賞味期限が近いものから食べないといけないからね。朝からパンだけどご飯派だったら勘弁してくれ。それじゃ、お互い積もる話もあるだろうがまずは食事といこうか」

 

 




この話で話し合いが終わってる予定だったんだけどな……


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第14話【星が刻んだ心の病】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 朝食はイチゴのコッペパンと卵のサンドウィッチ、それと牛乳だった。

 ここはデパートなので在庫の食品もたくさんあるだろうから、しばらくは食べ物に困ることはなさそう。

 明は牛乳が苦手だから私にあげると言ってきたから、背が伸びないよと言い聞かせて無理矢理飲ませた。

 しかめっ面をこちらに向けてきたけど、出されたものはきちんと食べないとね。飲めてエラいと褒めておいた。

 

 

 

 早々と食べ終わった私たちは、15人ほどいた他の人たちが喫茶店から出て行くのを待ってから、ようやく待ちに待った話し合いを始めることとなった。

 

「さてと、それじゃ始めようか。と言っても何から始めていこうか……」

 

「灯ちゃんたちからじゃなくて、まずは私たちのことからがいいんじゃない?」

 

「それもそうだな。人に質問するときにはまず自分から、っていうし」

 

「では私からいこうか。まだ自己紹介もしていないしね」

 

 どうしようか悩んでいると、管理人さんが小さく手をあげ自分を推薦してきた。

 

「では大俵(おおたわら)さんお願いします」

 

「はい了解しました。私は大俵(おおたわら) 鉄次(てつじ)と言ってね、昨年からこのデパートの警備員をしているんだ。あの夜も出勤していてね、外から来る人を相手をしているうちに気が付いたら今のような状況になったという流れだ」

 

「大俵さんにはデパートの管理や電気系統の整備をしてもらっているんだ」

 

「学生時代にちょっとかじっていてね。何事も勉強しておくものだとこの年になってやっと理解したよ」

 

 白髪頭の大俵さんは管理人ではなくって警備員さんだった。

 

「それじゃ次は僕が話そう。僕がここに来たのは鈴の迎えのためだ。よく迷子になるから夜勤の時だけでも迎えに行ってくれ、って彼女の母親に頼まれててさ」

 

「何年経っても道だけは覚えられないのよね。いつも感謝してるわ」

 

「あの~」

 

「ん? どうしたの?」

 

「お2人は付き合ってるんですか?」

 

 いくらアホと言われても私だって一介の女子。恋愛のにおいがちょっとでもすれば聞いてみたくなるのが性なのだ。

 名字も違うし、こんなに仲がよさそうで迎え付きなんて、とっても気になる……。

 

「あはは! 残念だけど違うわ。光とはいとこなの。彼氏にするにはちょっと頼りないかな」

 

「頼りなくて悪かったな」

 

「今だってこんな立派な服着てリーダー感出してるけど、本当は正義感が強いだけで人をまとめるなんて初めてなのよ」

 

「そうなんですか。見た目だとなんか若社長みたいに見えてました」

 

「よかったね光。リーダーするならまずは服装から作戦、成功してんじゃん」

 

「もういいだろこの話は」

 

 さすがに自分の話は恥ずかしいらしく、早々に切り上げられてしまった。

 

 

「で、話を戻すぞ」

 

「あ、はい。お願いします」

 

「そんで、このデパートに着いて鈴と会ったらすぐに地震とバーテックスが来て、2人でなんとか隠れながら一夜を過ごしたんだ」

 

「バーテックス? って何ですか?」

 

「あの白いバケモノのことだよ。僕らの中ではそう呼んでいるんだ。ここにいた理系っぽい人が命名してね、なんでも「頂点」という意味らしい」

 

「頂点……」

 

「食物連鎖における人よりも上の存在だからだそうだ。その人は上位種に喰われるのは自然の摂理だ、と言って自ら喰われに行ってしまったからもういないんだけどね」

 

「そんな人もいるんですか」

 

「ちょっと、そういう話はしないでって言ったでしょ」

 

「あ、ああそうだったな。それで次の日の早朝に大俵さんと出会って、それからはその場で居合わせた人たちと一緒にこの建物でなんとかやっていくことにしたんだ」

 

「昨日の停電には焦ったがね。ソーラーパネルがあって本当に良かったと思うよ」

 

 そうしみじみと語る大俵さん。

 

「それから、無理にでもみんなを集めて状況確認がてらに集会をしたり、食料のチェックをしたりして今に至るというのがこちらの状況だ」

 

「ざっと説明したけど、他に何か聞きたい事ある?」

 

「えっとですね……」

 

「なんでもいいんだよ?」

 

 

 大体の今までの流れは分かった。今朝の朝食の雰囲気からして、みんなが頑張ってきたことは見ているだけで十分に伝わってくる。

 それに、とても信用するに足りる人たちだとも思う。

 この人たちは大人で私たちは子供なんだから、頼るのが一番いいんだと思う。

 でも私が知りたい一番重要な事がまだ分かってない。この不安を払底しなければ全幅の信頼は寄せられない。

 

 

「8階の人たち、あれは何なんですか?」

 

「──! 8階に行ったのかい!?」

 

「はい。今朝行ってびっくりしました」

 

「もしかして、今朝あんな所にいたのって」

 

「ちょっと心を落ち着かせていました」

 

「そういうことだったの。納得がいったわ」

 

「別に隠そうと思っていたわけじゃないんだ。ただややこしくなるから後で説明しようと思って」

 

 すまなさそうにそう言う布川さんは、次のように説明してくれた。

 

「あの人たちは病人でね、隔離をしているんだ」

 

「病人……何の病気なんですか?」

 

「ここの医者が言うには心の病らしい。彼らは空が怖いんだ」

 

「症状がひどい人は外の景色を見ることも怖がっているの」

 

「言うなれば『天空恐怖症候群』といったところか」

 

「それって……」

 

 空が怖い。

 それって外で寝た時私も思ったことだ。

 私の場合は怖いというより、星を見ているとどんどん近づいてきてる感じがして緊張して安息しにくいという程度で、あんな風にはならない。

 今は私は大丈夫だけど、この感覚がひどくなった人がああいう人たちってことか。

 

「じゃあ原因はそのバーテックスということなんですね?」

 

「そういうことね」

 

「そうですか、よかった~。ここにいたらあんな風になっちゃうのかと思ってどうしようか考えていたんですよー」

 

「何考えてんだ。変になった人もいるって昨日言っただろ」

 

 と、隣のマコトがあきれた様子でこっちを見てくる。

 そりゃあ良い人そうに見える鈴さんたちがするわけないって思うけどさ……。

 

「そうだけどさ~あんななんて普通思わないじゃん。人体実験でもしてるのかと思ってすごく怖かったんだから!」

 

「ズルーい! あかり うえいってないよ!」

 

「まあ朝だったからね、しょうがないよ」

 

「ともちゃんだけズルい! あかりもいきたい!」

 

「あーうん……」

 

 一安心したところに明の猛抗議。

 こうなった明は頑固だからなー。連れて行かないといじけちゃうし。

 連れてってもしょうがないんだけど、どうしたものか。

 悩んでいると鈴さんが救いの手を差し伸べてくれた。

 

「じゃあデザート食べ終わったら行きましょ。明ちゃん、下においしいアイスがあるのよ」

 

「わ~アイス!」

 

 アイス。その言葉に釣られた明は、鈴さんと一緒に下の階に下りていった。

 明の中ではもうすっかり良い人判定みたい。

 ここを出るときに鈴さんが目配せしていたから、気を使ってくれたんだろう。

 ありがたい。これで気にせず話ができるし時間稼ぎもできる。

 

 

「それじゃ、今度は私たちについて話しますね」

 

「頼むよ。今は少しでも情報が欲しいからね」

 

「えっと、まず簡潔に言うと状況はこことほぼ変わりません。私たちが通ってきた町は2つとも全滅でした」

 

「想定はしていたがやっぱりそうか……」

 

「最初の夜で……私たちは両親と祖父母を亡くしたので行く当てもなくふらふらと歩いて……ここに流れ着きました」

 

「死んだって……そっ そんなことオレ聞いてねえぞ!?」

 

「ゴメンね。まだ話してなかった」

 

「そのことは明ちゃんは知っているのかい?」

 

「いえ。すぐに伝えるのは無理だと思ったので、両親は仕事で忙しいことにしています。警察をしているので」

 

「すまないことを聞いたね……」

 

「大丈夫です。なので明がもし聞いてきたりしたらなんとか誤魔化しておいてくれると助かります」

 

「ああ、任せてくれ」

 

「ここまで来るのにご飯はどうしてきたんだ?」

 

「あの、言いにくいんですが……いろんな家に入って調達していました」

 

「灯ちゃん、こんな事態だから気に病むことはないよ」

 

「でも結構な距離だろう? ここに来るまでバーテックスには遭遇しなかったのか?」

 

「あ、いえ……」

 

 ついに来た。私の力を説明する時間。

 これだけ人がいるんだから1人や2人いてもおかしくないから知っているかもだけど、緊張する。

 

「私には……その、戦う力があるんです」

 

「ん? どういうことだ?」

 

「私は不思議な力でバーテックスを倒すことができるんです。その力で初日と昨日は生き延びてきました」

 

「信じられない話だけど本当だぜ 布川さん。岩波はバカみたいに強いんだ」

 

「真君も知っているのか」

 

「昨日はそれで母さんを助けてもらったんだ」

 

「そういえば容体はどうだったの?」

 

 医者に診てもらっているのは聞いたんだけど、その後どうなったんだろう。

 まさか間に合わなかったり、してないよね?

 

「足をやられちまってて、これからは車いす生活になりそうなんだ。けど命に別状はないんだ。ありがとな」

 

「そうなんだ。もう少し早く来れればよかったんだけど……」

 

「いいんだよ。布川さんたちも無理だったんだから」

 

「僕たちも頑張ったんだけどね。この状況で外に出る勇気のある人がほとんどいなくってね……申し訳なかったよ」

 

「それにしても、あの大岩をどうやったんだい?」

 

「えっと、持ち上げてどかしました」

 

「あれを持ち上げた! それはすごいな。ぜひともその力を使っているところを見てみたいんだが」

 

「いいですけど、ここには他に同じ人はいないんですか?」

 

「いや、聞いたことがないね。明日にでもみんなに聞いてみようか」

 

「あ、あとさっきの自分から喰われに行った人の話なんですけど、ほかにどんな人がいたんですか?」

 

「そうだね、他にはこの状況に諦めてしまった人、真君みたいに助けに行って失敗してしまった人、ストレスでここを出てしまった人とかがいたね」

 

「普段とは違う環境だからストレスが溜まってしまうとなかなか大変なんだよな」

 

「そうなんですね。ストレスか……」

 

「岩波が戦えるって分かれば、みんな少しは希望持てるんじゃないか?」

 

「確かにそれはいいかもしれないな。しびれを切らして戦いに行ってしまう人も抑えられるだろうし」

 

「わ、私が希望に……?」

 

 思ってもみなかった提案に、自分の力の重大性に少しビビってしまう。

 確かに戦えるって今だとすごい責任重大な仕事だ。

 

 不意にのしかかった希望という役目に驚いていると、何かに気づいたのかマコトは後ろを振り返った。

 

「おっ、どうやら実演するのはまた今度になりそうだぞ」

 

 そう言って指さすのはエスカレーターの方。

 見ると明と鈴さんが戻ってきていた。

 

 

「チョコアイスおいしかったよ~!」

 

「それはよかったね」

 

「話は終わった?」

 

「まあ一段落ついたところだ。すごいことが分かったから後で教えるよ」

 

「それは楽しみだね」

 

「そうだ明。マコトのお母さん命に別状ないって」

 

「しってるよー。さっきおいしゃさまと したであったもん。チョコがおいしいよって おしえてくれたんだー」

 

「へー私も後で挨拶しておこうかな。早く元気になると良いね」

 

「……っああ。車いすは初めてだから付き添いが必要になってるだろうけどな」

 

「ん?」

 

 なんだか元気ないみたい。やっぱりマコトもいない時に話せばよかったかな。

 

「それじゃ8階に行きましょうか。何とか逸らそうと頑張ったんだけど、明ちゃんずっと覚えてて……」

 

「いこー!」

 

「ホントに行くの!?」

 

「まああの人たちも下手なことをしなければ大丈夫だと思うし、いいんじゃないか」

 

「下手なこと……」

 

 窓を開けるとか、だよね……。

 

「では私たちも行こうか。彼らに出した食事のごみを回収しないといけないしね」

 

 

 大俵さんの一言で、私たちはあのちょっと怖い8階に行くことになった。

 今回は6人だから心細くはないけど、やっぱりあんまり行きたくないな……。

 話し合いのおかげで、考えていた不安は結果として見当違いだということが分かって心がすっきりした。

 

 ……すっきりしたはずなんだけど。

 階段を上るたび、8階に近づいていくたびに不安とは似て異なる感覚が強くなってくる。

 なんだろう、嫌な予感がする。

 



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第15話【胸の虚ろが騒ぎだす】

いつも読んでいただきありがとうございます。
 
高評価していただきありがとうございます。


 もう二度と来るもんかと思った場所に、たった数時間後に行く羽目になるとはね……。

 

 今朝の出来事を振り返りながら先頭を行く布川さんたちについていく。

 明の軽い足取りとは対照的に、私の足取りは重い。現に私は最後尾にいる。

 

「灯ちゃん平気? 朝何かあったみたいだったけど、やめとく?」

 

「あ、いえ。大丈夫です」

 

 少し遅れていることに気づいた鈴さんが、顔だけこっちに向けて気にかけてくれた。

 話すほどの内容でもないので気持ちだけもらっておく。

 そうだよ。もともとは窓を開けようとした私が悪いんだし、そんなビクビクしてないで謝る言葉でも考えておかないと。

 事情を知らなかったと言えば許してくれるだろう。

 また心配されても困るので少し早歩きして追いついていく。

 

 朝とはいえ、8月の気温で階段を上っているから思いのほか汗をかいてきた。

 本来だったらクーラーが効いていて涼しいはずだけど、今はそんな贅沢はなかなかできない。

 おでこにじんわりとにじみ出てきた汗をハンカチで拭う。

 そういえば今から行く8階もとっても暑かったなー。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか8階に着いていた。

 

「あかり もうつかれた……」

 

「最初あんなに飛ばすからだよ」

 

 初めは意気揚々と先陣を切っていたのに、早々にバテて今や最後尾にいる。

 さすがにおんぶもしたくないので自力で上ってもらったけど、この様子じゃもうしばらく休憩が必要そう。

 

 

「皆さん。朝食のごみを回収しに来ました」

 

 暗い部屋に響き渡る布川さんの声。

 その声に応じて1人また1人と物陰から現れてきた。

 中には中学生や小学生くらいの子もいて、布川さんの周りに群がり始めた。

 

「ごみの片づけまで、いつもありがとうございます」

「今日もおいしかったです」

「ねえねえ、おれプリン食べたい!」

「分かった分かった。また今度な」

 

 ワイワイと騒ぐ子供たちに囲まれている布川さんはなんだか楽しそうだ。

 遠くで見守っている大人も穏やかそうに見つめている。

 でも、ここにいる人はみんな病気にかかっているんだよね……。

 よく見てみると、壁の隅にうずくまったままの人もいた。

 

「よし。じゃあ僕は一旦ごみを捨てに行ってくるよ」

 

「あ、オレも手伝います」

 

「じゃあ二人で行ってくる」

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

 パンやおにぎりの包装のごみを袋に詰め終わった布川さんとマコトは、そう言って下の階に降りていった。

 2人を見送った鈴さんはこちらに振り向いて、これからやることについて説明してくれた。

 

「それじゃ、私たちはここの人たちとお話しして待ってよっか」

 

 話をすることによって暗い部屋で溜まったマイナスな空気を発散させよう、ということなんだとか。

 話をすることで心の整理と鎮静化を狙っているらしい。カウンセリングみたいなものか。

 私も困った時は口に出すようにしているし、とてもいい方法だと思う。

 

「灯ちゃんたちは子供たちの方をお願い」

 

「分かりました」

 

 大俵さんと鈴さんは何回かやっているみたいで、スムーズに話しかけていた。

 明は同学年の子と話すのはしんどいと思うけど、かといって1人で放っておくわけにもいかない。後ろにうまく隠していくことにしよう。

 

「明~。コッチ来てー」

 

「なに~?」

 

 無くなった体力も元通りになって、元気にこちらにやって来ようとしていた。

 

 

──……え?

 

「?」

 

 どこかからか驚くような声がしたから振り向いたんだけど、誰もいないし……。

 

「気のせい、かな?」

 

「ともちゃん なにするのー?」

 

「ああうん。ちょっとこの子たちとお話ししようと思って。明は後ろにいてていいからね」

 

「わかったー」

 

 そう言って明はつかず離れずの距離でしゃがみ込み、話を聞く態勢をとった。

 って言っても、何を話したらいいんだろうか。ひとまず当たり障りのないところからにしよう。

 

「ええっと、みんなは布川さんが好きなの?」

 

「もちろん!」「すきだよー」「おいしいものくれるし」「かっこいいもんな!」

 

 明ぐらいの年の子が3.4人元気よく答えてくれた。

 疑うわけではないけど、表情を見てもハツラツとしていて嘘は言ってなさそう。

 

「そうなんだ。おいしいものって例えば何もらったの?」

 

「えーっとね、きのうはアイスくれたんだ!」

「コイツはんぶんこ っていったのにおれより多く食べたんだよ!」

「ぼーっとしてるそっちがわるいんだよ」

「なんだと―!」

 

 軽い気持ちで質問したけど、どうやら昨日の言い争いを思い出させてしまったようで、目の前でかわいらしい喧嘩が始まった。

 周りの大人たちを見てもこんなに元気ではないし、もしかしたら子供は平気だけど親が天空恐怖症候群になったからしょうがなくここにいる、という子もいるのかもしれない。

 目の前で繰り広げられているじゃれ合いにほっこりしていると、女の子が私の腕をつついて質問してきた。

 

「ねえねえ、おねえさん」

 

「ん? どうしたの?」

 

「あの人だいじょうぶなの?」

 

 指さす方向は私の真後ろ。そこには明しかいない。

 きっとこの子は少し離れたところにいる明を気にかけてくれたんだろう。

 

「ああ、あの子は妹なの。ちょっと人見知りでね……」

 

 そう言いながら明の方を向いてみると、明のほかに誰かがいるのが見えた。

 

 

 

 それは女の人だった。

 しかも知らない女性ではない。今朝会ったばかりの、あの腕をつかんできた女性だった。

 途端に嫌な気配がしてきた。体から変な汗が湧き出てくる。

 一体何をしに? 何で明を?

 私が混乱していると、その女性は両手を大きく広げて……

 

「もう『(あおい)』心配したじゃない~!」

 

 明に抱き着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「……っは?」

 

 あまりの訳の分からなさに、声帯が震えない声が出てしまった。

 明も混乱しているようで、首をきょろきょろと動かしている。

 しかし女性は、私たちの混乱など気にも留めない素振りで話し続ける。

 

「急に家から飛び出したと思ったらずっと連絡も入れないで! 誰かに誘拐されたのかと思ってお母さん心配したじゃない! 今までどこほっつき歩いてたの! でもよかった……『葵』が無事で本当によかったぁ」

 

 そう言って明を自分の胸元にギュッと抱きしめる女。

 本当に安堵しているのか、目からは涙がぽろぽろとこぼれ落ちている。

 な、なんなんだこの人は!?

 人の妹に勝手に抱き着いて、完全に人違いなのに気づいていないんだろうか。

 

「ちょっ、ちょっとすみません!」

 

「あの少し静かにしてもらえない? ようやく会えてうれしいんだから」

 

「私はその子の姉です! その子の名前は明であなたの娘の葵じゃありません!」

 

「『葵』の姉……? 私は『葵』しか産んでないわよ?」

 

「だから明なんですってば!」

 

「……ああそういうこと。あなたがこの数日『葵』のお世話をしてくれていたのね」

 

「え?」

 

「確かに『葵』はかわいいし、お姉さんぶりたい気も分かるけど」

 

「ち、違います!」

 

「いいのよ照れなくて。『葵』と遊んでくれてありがとね」

 

 か、会話が成立しない……。

 完全に狂っている。この人は多分ここにいる人の中で一番ヤバい人だ。

 こっちを見ているはずなのに、黒目もこっちに向いているのに全く目が合う気がしない。

 今まで見たどの黒よりも暗い色の黒目をしている。見つめていたら吸い込まれてしまいそうだ。

 

「『葵』から聞いているかもしれないけど、私の名前は皆神(みながみ) (うた)。『葵』のお姉さんなら私の子も同然よね。お母さんって呼んでもいいのよ?」

 

「結構です! 絶対に呼びませんし、私たちの名字は岩波です」

 

「あら~名字も似ているのね。それは『葵』にも親近感もわくわね。あなたのお名前は?」

 

「……灯です」

 

「灯ちゃん! これからも『葵』のことよろしくね」

 

 ダメだ。この人はダメだ。

 やっぱり明をここに連れてきちゃいけなかったんだ。なんか嫌な予感はしていたけど、まさかこんな風になっちゃうなんて。

 近くにいる子たちも口をぽかんと開けて、大人も何事かとこちらに注意を寄せている。

 

「さあ『葵』こっちに来てお母さんと話しましょ?」

 

 そう言って女が立ちあがるスキを突いて明が包囲網から脱出した。

 

「あら?」

 

「ともちゃん なんなのこのひと!?」

 

 泣きながら私の胸に飛び込んできた。

 訳の分からない恐怖に体が震えてしまっている。

 ギュッと抱きしめ、大丈夫大丈夫と言い聞かせながら頭をなでてあげるもなかなかおさまらない。

 この様子を見てもまだ分からないのか。そう思いを込めて相手を睨みつける。

 しかし何を勘違いしたのか、女はこの状況にも関わらずニコリと笑ってこう言い放った。

 

「そんなに灯ちゃんとの別れが寂しいの? 全くしょうがないわね、せっかくできた友達なんだし。いいわよ、お母さんはここにいるからもう少し遊んできていいわよ」

 

 そう言って私たちに手を振る。

 もうなんなんだこの人……。

 病人にこんなこと言っちゃいけないんだろうけど、気味が悪い。

 この子は岩波 明なのに、皆神(みながみ) (あおい)と間違われるなんて。間違われる葵ちゃんもかわいそうだ。

 

 もう限界だ。ここから離れよう。

 ここにいるだけでどんどん状況が悪くなってる気がする。

 子供たちも置き去りにしてしまうけど仕方ない。

 鈴さんが心配そうな眼をしてこちらを見ているのを視界の端に捉えた。鈴さんも驚いた表情をしている。

 軽く会釈をしてから私は明を抱きかかえながらそそくさとエスカレーターの方へ逃げた。

 

 背中にはまだ、どす黒い視線が向けられていた。

 




かなりメンドイ女が出てきました。
こんな展開になる予定は全くなかったのに……。


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第16話【虚空を走る幻影の我が子】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 走る走る走る。

 階段から転げ落ちていくように移動する。

 明の手を引いて、なおかつカネアキをベッドのところに置いてきたまんまだから本当の意味での全速力じゃないけど、無我夢中で逃げ出す。

 本当はもっと遠くに行きたいけど、私たちにとって今一番落ち着ける場所は7階だからそこに避難した。

 

「はーっ、はーっ、はーっ」

 

 一目散に荷物を置いてあるベッドに転がり込む。

 それからまたあの女が追ってきても大丈夫なようにと、リュックに差しておいたカネアキを取り出して構える。

 鍬を人に向けるなんて、おじいちゃんに怒られてしまうけどなりふり構っていられない。

 明を背中に回して正面からではすぐには見えないように隠しておく。

 私も明も、特に明は急に抱き着かれたせいで気が動転している。

 カネアキを握る腕が、体の震えと同期してふるふると揺れている。

 

 その時、静まりかえっている7階に階段を下りてくる足音が響いた。

 だんだんと近づいてくるその音に共鳴するように、緊張で腕が震える。

 腰にしがみついている明もさらに力を強くして服の裾を握った。

 

 そしてその足音が止んだ時、恐る恐る薄目で足音の主の顔を見てみると、鈴さんだった。

 

「2人ともー、大丈夫ー?」

 

「す、鈴さんでしたかぁ~」

 

 どっと肩の荷が下りた気がした。

 硬直していた体から力が抜け、思わずベッドの上にへなへなとへたり込む。

 

「ゴメンねすぐに助けに行けなくって。私たちもあの人があんなに元気にしゃべるなんて思ってなかったからびっくりしちゃった」

 

「い、いえ……。あの人は前からあんな風なんですか?」

 

「……ううん、今回だけ。私がデパートにあの人、皆神さんを連れてきたんだけど、最初に会ったときはずっとぼーっとしてて話なんて全然通じなくって」

 

「あの後だとぼーっとしていたなんて考えられませんね」

 

「そうね。とにかく話もできなかったから名前を聞いたのもさっきが初めてなのよ」

 

「そうだったんですか」

 

 あの人が静かにしている姿を一瞬たりとも想像できない。それほどまでにインパクトのある女性だった。

 

「それであの、「葵」のこととか知りませんか?」

 

「うーん。これは想像になっちゃうけど、ここまで来るときにはぐれたか、皆神さんは天恐……天空恐怖症候群のことね、を発症しているから亡くなった娘さんか。そんなとこじゃないかな」

 

「そうですよね……」

 

 やっぱりそういう感じなのか。あそこまでになるとなると、明にすごく似ているんだろう。

 ちらと後ろの明を見ようとしたけどそこにはおらず、前に振り返ると鈴さんに抱き着いていた。

 

「もうヤダあの人~」

 

「そうね、怖かったよねー」

 

 よしよしと背中をなでる鈴さん。なんかずいぶん手馴れている様子だ。

 

「鈴さんて、子供の扱い慣れているみたいですけど」

 

「ああこれね。昔、私にも妹がいたのよ。交通事故で亡くなっちゃったんだけどね」

 

「えっと、すみません……」

 

「いいのよ。何年も前の話だから今更気にしないわ。でも私も姉だったから、小さい子を見るとついついお姉さんぶりたくなっちゃうの」

 

「でも私は……」

 

「見てれば分かるわ、本当のお姉ちゃんなんでしょ」

 

「はい」

 

 そして鈴さんは優しい表情で、どこか妹に語りかけるお姉さんのように優しく言った。

 

「妹を亡くした時はね、小さい子を見るたびに妹なんじゃないかって探したものよ。もしかしたら今の皆神さんもそうなんじゃないかな」

 

「……」

 

「天恐を発症している人たちはね、身内や他の誰かがバーテックスに殺される場面にあっている人が多いの。自分に近しければ近しい存在ほど、発症の可能性と深度が高くなる」

 

「それがさっき言ってた天恐のことですか」

 

「そう。だから、あの人にもちゃんと理由があって明ちゃんと娘さんを重ねていると思うの。だからすぐには無理かもしれないけど少しずつでいいから分かってあげてほしいな」

 

「……はい」

 

 言ってることは分かる。自分は体験したことはないけど、たぶんそうだろうなとはうすうす思っていた。

 あの時、腕を掴んできたのは自分の子を失ったときの記憶を思い出したくないから。

 さっきのは、わが子に似ている明を見つけてテンションが上がったから。

 

 理由も分かる……分かるけど、それでもあの人のそばには明を近寄らせたくないという気持ちが強い。

 あの執着心はとても怖い。

 大丈夫だろうけど、明をどこかへ連れ去ってしまいそうな、そんな気がしてしまう。

 

 理解はしたけど、積極的に関わらない方針で行こう。

 

「まあ、8階の人たちは下にはほとんど降りてこないから大丈夫だろうけどね」

 

 そう言ってこの話題を締めた鈴さんは明を体からうまく外して立ち上がった。

 っていうか、ずいぶん明は鈴さんに懐いているな。

 年上の大人の女性の友達ができたのは姉としても喜ばしいことなんだけど、頼られる頻度が落ちてしまいそうで少しだけ寂しい気もする。

 

「どう、少しは落ち着いてくれたかな?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「ありがとね~」

 

「それじゃ、今日の作業に移ろっか……と言いたいところだけど、なにぶん2人は初めてだし、もう少しゆっくりしていたいでしょ? だからもう少ししたらまた迎えにくるから待っててね」

 

「作業って……?」

 

「そんなに大変なことじゃないから心配しないで。このデパートの整理とかそんな感じよ」

 

「それなら明もできるね」

 

「がんばるぞー!」

 

「じゃ、また後で」

 

「ありがとうございました」

 

 下に降りていく鈴さんを見送って、私たちも荷物の整理をすることにした。

 

「鈴さんかっこいいね」

 

「ともちゃんもかっこいいよ?」

 

「ありがと。私たちも荷物整理しよっか」

 

「あっ、ともちゃんコレみてみてー!」

 

「ん? なになに……ってこれ」

 

「うん なつやすみのしゅくだい」

 

「別に持ってこなくていいのに……」

 

「? しゅくだいは やらないといけないんだよ?」

 

「…………そう、ね」

 

 こんな非日常に囲まれてもなお、明の日常は続いていた。

 出す相手もいない宿題を、この凄惨な世界でもやろうとしている。

 明の日常はまだ守られている。その嬉しさに目頭が熱くなった。

 

「そう、だね……しっかりやって、先生やお友達に自慢しなきゃね……」

 

「うん! ……あれ? ともちゃん なんでないてるの?」

 

「うん……ちょっと、嬉しくなっちゃってね」

 

「ふーん、へんなの」

 

 そう言って自分の荷物整理に戻る明。

 私も涙を拭いて荷物整理をする。

 

 明の日常がいつまでも続いてほしい。

 そう願わずにはいられなかった。

 



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第17話【鍬を持ち歩く不思議な少女】

いつも読んでいただきありがとうございます。
評価・感想ほんと励みになります。感謝です。



「それでねー、これは かんじれんしゅ―ちょー なの」

 

 整理が一通り終わったので、明にどんな宿題が夏休みに出ているのかを聞いてみると、絵日記と九九の練習プリント、そして漢字練習帳だった。

 幼稚園でのいじめの件があって、それの影響でまだ怖いからと去年まではほとんど学校に行っていなかったため、今年に出された2年生用の漢字練習帳と、自主的に買った1年生用の漢字練習帳と2冊用意してある。

 パラパラとめくってみると、2年生でもう習うんだという漢字が結構あってびっくりした。

 同級生と比べて人の2倍頑張らないといけないけど、明は要領は悪くない子だからきっと大丈夫だろう。

 ちなみに当然私にも夏休みの宿題は出されていたけど、夏は宿題を気にせず遊んでいたいから最初の1週間で一気に終わらせたからもうやることがない。

 

 そういえば、ここ最近は朝の日課の素振りをやっていなかったな。

 バドミントンクラブで出された、毎日100回の素振り。確認の方法もないし、面倒だから別にやらないよっていう子も実際結構いる。

 けど私はあまり上手じゃないから出された課題はしっかりやろうと、毎朝その課題よりも少し多めに素振りをしていたのだ。

 ようやく落ち着ける場所に来れたんだし、今日からまた素振りを始めよっか。

 と思ったんだけど……。

 

「ラケット持ってきてないんだよね……」

 

 さすがに逃げるのに役に立たないだろうと思っておばあちゃん家に置いてきてしまったのだ。

 

「なにさがしてるのー?」

 

「いやね、素振りをしようと思ったんだけどラケットが無くて」

 

「ん~。じゃこれでいいじゃん!」

 

「いやこれは……」

 

 獲物を見つけたと言わんばかりにズバッとリュックに手を突っ込み取り出したのは、カネアキ。

 そう、鍬だった。

 

「どこの世界に朝から鍬で素振りしてる女の子がいるのよ」

 

「やってみてー!」

 

「あの、ちょっと……聞いてる?」

 

 一瞬のうちに、もう決定事項だという感じに期待のまなざしを向けられてしまい、引くに引けない状況に陥ってしまった。

 まあ形も棒がついててその先端は広がってて同じ振るうものだし、間違っていないっちゃいないけどさ。

 ここまで期待されてやらずに終わるのもどうかと思ってしまったので、しぶしぶ立ち上がり、明を危ないから少し遠ざけてからバドミントンの要領で振るってみる。

 

 するとどうだろうか。

 まず、体が軽い。意識はしていないけど、あの力がほんの薄っすらと体に流れ込んできてとても振りやすい。

 さらに音もよくなっている。力のおかげで、自分の体に込められている無駄な力の場所が分かり、振るうたびにフォームが矯正されていく。

 自分の下手の原因の一部が手に取るようにわかり、恥ずかしさと嬉しさが両立している。

 

「すごいよ明! とっても振りやすい」

 

「だからいったでしょー!」

 

 自分のことのように自慢している。

 これはラケットよりも重たいから、これを振り続けていれば練習効率が上がりそう。

 そんなとてつもなくのん気なことを考えていると、

 

「えっと、どういう状況なの?」

 

 鈴さんが戸惑い顔でこちらを向いているのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「いやえっと、朝の日課を……」

 

「へー。最近の小学生は朝はラジオ体操じゃなくて鍬を振るようになってたんだ」

 

「あの、違くて。その、ラケットの代わりに……」

 

 しどろもどろに話す私を見て、鈴さんはからかいながらも察してくれたようだった。

 

「まあなんとなくそうだろうとは思っていたけど、よそから見たらすごい光景よ?」

 

「は、はい。気を付けます……」

 

 変なところを見られてしまって恥ずかしい。これからは気を付けないと。

 

「それじゃ、準備はできた?」

 

「あ、はい。大丈夫です」

 

「なら行こっか」

 

 少し強引目に話を変えてくれた鈴さんに連れられて私たちは玄関口の1階に行くことになった。

 

 

 

 1階には布川さんと大俵さん、それともう1人男の人が待っていた。

 

「お、来たね」

 

「こんにちは。一体私たちは何をすればいいんですか?」

 

「灯ちゃんと明ちゃんはやってもらうことが違うの。本当は一緒に食品の管理とかをしてもらう予定だったんだけどね」

 

「岩波君の話が本当なら、もう少し奥まで探索ができるんじゃないかと思ってね。もちろん無理にとは言わないけど」

 

 先ほどまでの服装とは違い、運動用の軽い服に着替えている布川さんは少し期待を込めた風にそう言った。

 

「その間、明ちゃんにはこっちに残ってもらって真くんや大俵さんたちにここの案内をしてもらおうと思っているんだけど、どうかな?」

 

「はい私はいいです」

 

「あかりもいいよー」

 

 私もここでじっとしているよりも、外に出て少しでも情報を集めたいと思っていたからちょうどいい。

 

「それはよかった。それじゃ出発する前に、朝言っていた力というのを見せてくれないかな?」

 

「はい。大俵さん、ええっとじゃあ、ここらへんになにか硬いものとか重たいものってありますか?」

 

「うーんそうだね……」

 

「あ、あれとかちょうどよさそうですね」

 

 私が指さすはデパートの入り口にある石像。このデパートを創った創業者みたいな人の像がある。

 こんな像を造るなんてよっぽど見栄っ張りな人なんだな、と思いながら背中に背負ってある鍬、カネアキを取り出す。

 

「では今からこの石像を持ち上げますね」

 

「持ち上げるってこれをかい……? ちょっと重すぎると思うんだが」

 

「平気ですよ多分」

 

「ともちゃん がんばれー」

 

「おっけー! それじゃよいしょっと!」

 

 下の方に手を回して全身に力を巡らせて持ち上げる。

 けど思っていたよりもずっと重たいな。見栄っ張りな像に釣られて見栄を張っちゃったかも。

 それでも何とか少し浮かすことができた。

 

「うわー……」

 

 鈴さんが口に手を当てて驚いている。ほかの2人も同じようなリアクション。

 その中で唯一明だけが子の光景を見てはしゃいでいる。

 っていうか危ないからこっちに来ないでほしい。

 

「これは、信じざるを得ないね……」

 

「これだったらバーテックスにも対抗できるかもしれない」

 

「もういいですよね。ふぅ、重かった」

 

「すごいじゃない灯ちゃん!」

 

「でもこの力はこの鍬を持っているときにしか使えないんですよ」

 

「だからか。鍬を持ち歩いている女の子なんて変だなって思ってたんだよ」

 

「そ、そんなこと思ってたんですか!?」

 

「そりゃそうよ灯ちゃん」

 

「ううぅ。と、ともかく! この力があればいろんなところに行けると思います!」

 

「そうだな。今まではもう少し大人数で行ってたんだが、あまり大人数で行っても危険が高まるだけだからね。今回は僕、鈴と岩波君の3人で行こうか」

 

「そうですね。彼女がいるなら僕たちは必要ないでしょう」

 

 ずっと黙っていた男の人がそう言った。多分この人が今までの外の探索担当の人だったんだろう。

 

「はい。任せてください」

 

「うん頼んだよ」

 

「さて、それじゃそろそろ出発しようか」

 

「では妹さんは私のところに来てください」

 

「はーい」

 

 大俵さんに呼ばれる明。

 今までだと、ここで私と別れたくないと駄々をこねていた。

 けどこの数日で明も成長して、なんとか自分なりに人と付き合えるよう努力しているみたい。

 それでもまだ少し不安なのか、ちらちらと私の方を見ている。

 

「明がんばってね」

 

「うん!」

 

 目線の高さまでしゃがみ手を握って応援する。

 それに応えるように明も強く手を握り返す。

 

「行ってきます」

 

 こうして私たちは太陽がサンサンと照っているお昼前の暑い中、なぜだか安全地帯になっているデパートを飛び出して周辺の探索に出かけた。

 水筒もばっちり持ったし、頼れる仲間も増えたし準備万端。

 半日ぶりの外だけど、すごく久しぶりに感じる。

 

 

 

 そこで私たちは知ることとなる。

 どうして人が密集している、アイツらにとっての理想的な狩場であるはずのここが、安全地帯のような異常な状態になっているのかを。



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第18話【流れ星のようにあっけない生命】

いつも読んでいただきありがとうございます。
評価・感想ほんと力になります。感謝です。


 電気が通っていない自動ドアを通って一歩外に出る。

 光り輝く太陽の眩しさに、思わずおでこに手をあてて目を細めてしまう。

 ミンミン ジージーとけたたましく自分の命の主張をする虫たち。ほとんどいなくなった人間に代わって大々的に存在証明をしている。

 虫なんかは小さいからバーテックスにぱくりと食べられてしまいそうなイメージだけど、この様子だとそんなことはないみたい。

 

 ほかにもハトかカラスだろうか、遠くの空には鳥が飛んでいるのが見える。

 鳥だって目の前でチラチラされたらウザったいだろうに、バーテックスには食べられていない。

 人以外の生物に攻撃していないということから、奴らの目的は人類を絶滅させる というものなのかもしれない。

 

 その仮説に何だかいやな気持ちになる。

 私たちは何もしていないのに。何も悪いことはしていないのに。なんで絶滅させられなきゃいけないの。

 見渡す限りのガレキの山のせいでそんな考えても仕方のないことを思ってしまう。

 

 人間の作った文明や施設だけを破壊していくバーテックスに対する敵意が増幅していく。

 それは私だけではなく、前を歩く鈴さんと布川さんも同様だった。

 

「何度見ても外の景色はひどいわね……」

 

「ほんと、イヤになるよ……」

 

 コソコソと物陰に隠れながら話す2人に話しかける。

 

「わざわざ外に出てきて私たちは何をするんですか?」

 

「そういえばまだ説明をしていなかったね。これから僕たちは、今まで岩波君がやってきたことと同じく家の中に入って食料集めなんかをする」

 

「食料集めって、まだまだ在庫大丈夫なんじゃないんですか?」

 

「今はまだ大丈夫でも、この生活がいつまで続くか分からないでしょ。その時のために今のうちに用意しておこうって事よ」

 

「期限が短いものとかもあるしな」

 

「そっか。いくらデパートとはいっても結構人いますもんね」

 

「そういうこと。でも今回は灯ちゃんがいるから、それに加えて情報収集もするよ。今までは対抗手段が無かったから近くしか調べられなかったからね」

 

「君に頼る形になってしまい申し訳なく思うよ」

 

「いえっ気にしないでください。そのための私なんですから」

 

「そう言ってくれると助かるよ。今までは有志数人でやっていたんだ。そう言えばペラ君に今日のことを伝えるのを忘れていたな」

 

「ペラ君、ですか?」

 

 ペラ君。”ペ”から始まる漢字はないと思うから、名前的には日本人じゃなさそう。それともキラキラネームかな?

 

「ペラっていうのはあだ名だよ。本人がそう呼んでほしいんだって。ペラペラのペラらしいよ」

 

 不思議がっている私を見て訳を教えてくれた。

 ペラペラか。私は頭の中ですごく背の高いひょろ長の男性を想像する。すぐに病気にかかりそうな気がするあだ名だと思う。

 

「なんかすごく病弱そうな人を思い浮かべました」

 

「ははっ、多分帰ったらすぐに出会えると思うから楽しみにしててね」

 

「はい分かりました」

 

「さあ話も一段落ついたし、そろそろおしゃべりは終わりにして作業に取り組もうか」

 

「それじゃ、まずはあの建物に入ろっか」

 

 10メートルほど先の建物を指さす鈴さん。

 ついに始まる私の初仕事。今までもやってきた内容だけど気は抜けない。

 頑張っておいしい食べ物を見つけて、それから2人をバーテックスから守らないと。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 あの襲撃の日は夜の時間帯だったから、どこの家にも家族みんなが揃っている家が多かった。だから家に入ると大体の確率で人の死に遭遇する。

 一番多かったのはリビングで亡くなっている人だった。

 1人暮らしの人も少しいて、こういう時は1人で死んじゃうから寂しいなと思った。

 私が麻痺しているのか、この世界が麻痺しているのか、もうあまり”気持ち悪い”という感情は湧いて来なくなってきている。

 一人一人丁寧に黙とうをしてから家を漁らせてもらい、今回は3軒回って十分な量の食材と道具を手に入れられた。

 

「こうやってコソコソと行動しているけど、実はあの日以来僕たちはデパート付近ではバーテックスにほとんど遭遇していないんだよね」

 

「えっそうなんですか?」

 

「ああ。なんでなのかは分からないけど、おかげで今日まで無事に生き延びられている。岩波君たちが来たタイミングもちょうど良かった」

 

「あの日はね、バーテックスを見かけないからもういなくなったんじゃないか、っていう人たちが調査に出かけようとしていた時だったのよ」

 

「じゃあ私たちが来なかったら……」

 

「外に出た人は殺されていただろうね。真くんやそのお母さんも」

 

 たまたま運がよかった。だから生き残った。

 そんな一言が生死を左右する世界になってしまったのだと、今の話を聞いて改めて理解する。

 確かにあの量のバーテックスを相手には普通の人間じゃどうしようもない。

 

「僕たちもこんなところにじっとしていないで、バッグがいっぱいになったんだから少し探索してから帰ろうか」

 

「どこにするの光?」

 

「そうだな……少し遠いがあっちとかはどうだ?」

 

 昨日マコトと会った場所らへんを提案される。

 昨日であそこら一帯は全滅させたから遭遇する危険性も低いだろうから良いと思う。

 私も鈴さんも反対する理由が無かったから、すんなりと行き先が決まった。

 

 

 

 気が付かないうちに蚊に吸われていた首をいじりながら歩く。

 外に出てから、腐った肉のような臭いが昨日よりも強く感じられた。

 

「そろそろ一か所にまとめておかないと虫とか臭いがデパートの方まで来てしまうな……」

 

 かすかに聞こえるブンブンという羽音に顔をしかめながら布川さんはそう呟いた。

 昨日は薄暗かったからよく分からなかったけど、明るい今見てみるとまた違った景色。

 自転車が転がっていたり、横断歩道を渡った先の家の庭には犬が鎖につながれていたり。気づかなかったことがたくさんある。

 

 特に犬には目を引かれた。

 犬には詳しくないから分からないけど、秋田犬とかそこらだろうか。何も食べていないみたいでとても衰弱している。

 

「ペットは残念だけど置き去りになるんだ。吠えられたら居場所がバレちゃうかもしれないし、ただでさえ厳しいのにエサの手間までかかってしまうからね」

 

 じっと犬を見つめていた私を気にかけ先んじて教えてくれた。

 私はペットを飼ったこともないから愛着も湧かないし、私たちが生き延びるためには仕方がない犠牲なのだとも思う。

 それでもせめて自由にだけはさせてやりたい。こんな世界になったことに彼らにも罪は無いんだから。

 

「じゃあ鎖だけでも外してきてもいいですか?」

 

「そのくらいだったら大丈夫だろうね」

 

「ではちょっと行ってきますね」

 

 ただの自己満足に過ぎない行動だけど、それでも自分が満足するんだったらいいんだと思う。

 ただでさえストレスが溜まるっていうのに、こんなところで後悔なんてしていられない。

 

 右と左をよく見て、来るはずもない車を警戒してから横断歩道を渡る。

 日頃の癖はどんな時にでも出るものなんだと、少し笑みがこぼれた。

 犬に近づこうとすると、犬もこちらに気づいたのか 重い体を持ち上げてのっそりと震えながらも立ち上がった。

 犬から生きようとする生命の鼓動を感じられ、思わず歩み寄る足が速くなる。

 不審者が来たと思った犬が私に向かって吠えたその時、

 

 

──視界の左側から悠々とした態度でバーテックスが現れた。

 

 

 距離にして約3メートル。浮いているから地面をこする接近音もしなかった。

 油断した。完全に警戒を怠っていた。驚きで一瞬体が動かなくなる。

 心臓が1メートルくらいの大きさになったかのようにドクンドクンとうるさく鳴る。

 

「灯ちゃん!!」

 

 痛烈なその呼び声に、ハッと飛んでいた意識が体の中に戻る。

 ビビッて硬直する体に鞭を打ってなんとか体を動かしていく。

 右手にずっと握っていたカネアキから力をもらって奴に向かって飛び出す。

 鍬から流れ込んでくる熱い力。その爆発的な力で一瞬にして接近し攻撃。

 その白い体に肉をそぎ落とすようにカネアキを振り下ろす。色も相まって、豆腐みたいな感触が鍬越しに伝わってきた。

 幸いバーテックスがこちらに気づくのと同時に先制攻撃できた。

 

 しかし動揺してから踏み込みが浅く、まだ敵は生きている。胴体の一割ほどしか削げなかった。

 私の存在に気づいたバーテックスは、道の電信柱など辺りを攻撃しながら突進してくる。

 けれど力を引き出すことによってさっきよりも頭が冷静になった私は、今度は距離感を間違えることなく斬り倒すことができた。

 手ごたえのない感触の代わりに、ドシンと電信柱の倒れる音が地面に響き渡る。

 

「はぁー、びっくりした」

 

 揺らめいた感情と呼吸を整えつつ辺りを警戒するけど、近くには他の敵はいなさそう。

 

「岩波君大丈夫かい!?」

「灯ちゃん大丈夫!?」

 

 慌てた様子で2人が駆けつけてくれた。

 

「はい。少し驚きましたけど倒せました」

 

「す、すごいな岩波君は……。車で突撃してもバーテックスは何ともなかったのに、こうもあっさりと……」

 

 スライスされたバーテックスを見て驚愕を隠せないみたい。

 っていうか今の私の力って車以上のパワーを持っているんだ。……バーテックス特効でうまくダメージが入ったってことにしておこう。

 

「ケガはない?」

 

「はい平気です。でも……」

 

 後ろを振り返る。

 そこにはさっきまで犬小屋があった。

 そして今はそこに電信柱が倒れ込んでいる。

 下からは赤い液体がにじみ出ていた。生命がこぼれ落ちていた。

 

 まったく関係のない命が一瞬のうちに消え去ってしまった。

 放っておいたままでもきっとあの犬は長くは生きられなかったと思う。それほどまでの衰弱っぷりだった。

 けど、それでもまだ生きられたはずだった。

 

 あと少し手を伸ばすのが早ければ。一撃で仕留められていたら。

 目の前で潰えた命に、思わずにはいられない。

 涙は出ない。涙が出るほどあの犬との思い出はない。けれど心は締め付けられる。

 

「……行きましょう。灯ちゃん」

 

 そっと肩に手を寄せて歩き出そうと促してくれる。

 ……そうだ。私は、私たちは立ち止まってはいられない。

 そして敵も立ち止まってはくれない。

 こんな世界になった以上、こういうことはよくあることだと割り切らなくっちゃいけない。

 きっと世界中でも同じことが起きている。厳しいけど、これが今の現実。

 

 そしてきっと、あんな風に理不尽に命を奪われないようにするのが、私がこの力を手にした役目なんだと思う。

 私がみんなを守らないと。

 悲しい記憶を背負って誓いを新たに、私たちは探索を続けることにした。

 




 
この話の序盤に書いた、人以外の動物は無事だったっていうやつ合っていますかね?
どこかでそんな話を聞いた覚えがあったので書きましたが、もしかしたら誰かの作品の設定だったかもです。
公式と創作物の内容が混ざりがち。


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第19話【平和を捏造する白き包囲網】

いつも読んでいただきありがとうございます。
曜日感覚バグって投稿していませんでした。原因は……漫画200冊買った事でしょうかね。


 あんなことがあった後だけど、あれから私たちはお昼ご飯を取った。

 出発する前は、お昼くらいになったら帰ろうっていう話をしていたんだけど、まだ時間がかかりそうだったから今さっき調達した食料をもぐもぐと食べた。

 さすがに家の中を使うのは はばかられたので、日陰になっている場所を探して外でひっそりと昼食を取った。

 

 お昼に食べたのは消費期限が2日切れていた食パン。少し不安だったけど変な色になっているところも無かったから、たぶん大丈夫なはず。

 私は別に焼かなくても何もつけなくても食パンは食べられるから気にならなかったけど、2人は味がしない食パンに水分を吸われて悪戦苦闘していた。

 日差しもけっこう暑いからアイスも食べたかったんだけど、探しに行ったどの家も電線が切れていて冷凍庫を開けたら どろっどろの液体状になった元アイスしか無かった。

 そのまま飲みほしたけど、やっぱりアイスはおいしかった。

 

 

 

 お昼ご飯をすませて、今私たちはある実験をやってみようとしている。

 それは”無線通信による情報収集”だ。

 簡単に言えば、ラジオを聞いてみよう、ということ。

 大地震なんかの非常事態にラジオはすごく活躍した、とよく聞いていたから結構可能性はあるのではと期待している。

 これが成功すれば、人々はどこに固まって避難しているか・政府はどんなことをしているのか・安全な場所はどこかなんかを知ることができるに違いない。

 できれば近いところに安全な場所があると移動が楽だな、そんなことを妄想してしまう。

 

 これから使うラジオは、家の中を漁っているときに見つけた手回しラジオだ。

 それを布川さんに渡して、今私たちは古びたビルの階段を上っている。

 私はラジオなんて聞いたことが無いから、やり方なんて分からない。布川さんはやったことがあると言うので任せることにした。

 

 入り口の扉には鍵がかかっていたけど、そんなものは私の力の前には無いものも同然だった。

 少し後ろに下がってもらい、勢いをつけて鍵のかかった扉を蹴飛ばす。普通では鳴らない金属の破壊音とともに扉は奥にあった壁まで吹き飛んでいった。

 思った以上に力が出力されてしまい、音も壮大に出てしまった。

 恐る恐る振り返ってみると、私が起こしたあまりの衝撃に待機していた2人は少し引いていて、少し心が傷ついた。

 

 

『やっぱ電波って上に行けば行くほどよく反応しそうですよね』

 

『いや~どうだろう。そんなに変わらないんじゃないかな……』

 

『でもでも、電波悪い時とかって携帯を上に向けて振ったりしますよね?』

 

『それはよくやっちゃうね』

 

 と、このような私のてきとうな提案により、屋上で実験をすることに決まった。

 もし見当違いだとしても、高いところから見渡すのは情報収集の手段としてもいい方法だと思うから一石二鳥を狙ってみた。

 ……そういうことにしてほしい。

 

 このビルはコンクリートでできた5階建てで、今は全て空き部屋になっている。

 コツコツと階段を上る冷めた足音と、ウィーンウィーンと波のある手回しラジオの音が階段の中で響き渡る。

 このハンドルを回す音が私は結構好きで、家では意味がないのに、学校からもらった非常用の手回し発電機をずっとくるくる回して遊んでいたことを思い出した。

 その時にラジオのやり方も一緒に学んでおけばよかったな。

 

 屋上につながる扉には、そんなに厳重にする必要があるのか、と思うほど生意気にも南京錠がついていたので、カネアキを肩に担いで両手でもぎ取ってから扉を開けた。

 鉄製だったからさすがに固かったけど、だんだんこの力も体になじんできたようでスムーズに開けられた。

 

「灯ちゃんのそれ、なんかもう……すごいわね」

 

「僕たちだけじゃここまでスムーズに行かなかったな」

 

「光じゃできないもんね。軟弱だし」

 

「軟弱どうこうの話じゃないよ。南京錠を破壊できる男なんて漫画の世界だけだろ……」

 

「灯ちゃんが良い子でよかったね」

 

「本当に強かで良い子だよ」

 

「ちょっと! 私の力がすごいのは、あくまで”力”のおかげなんですからね!」

 

「ハハ、分かってるよ」

 

 楽しそうに話す布川さんから、漫画の住人扱いされてしまった。

 私は”力”が使えるだけのただの小学生なので、しっかり文句を言ってから次の作業の催促をする。

 

「屋上に来ましたよ。早速やってみましょうよ」

 

「ああそうだな。それじゃやってみようか」

 

 屋上にある柵のところに腰かけ、昼食後からずっとやっていた手回し発電をやめてラジオのアンテナを伸ばしていく。

 音量のバーを最大にしてから、ボタンを押したり周波数を合わせる所をジコジコとやっている。

 

 けれど、いつまで経っても砂嵐のような雑音しか流れてこない。

 ジジジッと一瞬だけまともな音が入ったと思ったんだけど、本当にそれも一瞬でそれからその音が聞こえることはなかった。

 試しに上に向かって振ってみたりもしてくれたんだけど、結局のところ何も変化は見られなかった。

 

「くそっダメだな。妨害電波が出ているのか、それとも電波塔が破壊されたのか。どちらにしろこの調子じゃ何も聞こえないな」

 

「そっかー、無線って電波塔が大事なんだっけ」

 

「あのバーテックスが妨害電波を出してそうな気もするけどな」

 

「えっとそれはつまり……」

 

「ラジオは使えないってことになるね」

 

「そ、そんな……」

 

「ラジオが使えないとなると、コレの使い道は懐中電灯としての役割だけになるかな」

 

「ほかにも携帯の充電だってできるじゃない」

 

「電話もメールも使えないのにかい? まあカメラ代わりにはなるが」

 

「あ、そっか」

 

 ラジオはいいアイデアだと思ったのにまさか使えないなんて。

 災害時に大活躍した、というあのテレビの内容は何だったのか。

 

 ……けれどまだ想定内。

 もし使えなかったとしても無駄にならないようにと、わざわざ暑い思いをしてまで屋上まで上ってきたんだから。

 とりあえず次の行動に。高いところから街を見渡してみよう。

 

「っけどまだ情報は得られます。ほら、ここから見渡してみましょうよ」

 

「そうだね、落ち込んでばかりもいられない。じゃ僕はこっち方面を見るよ」

 

「それなら私はこっちにしよ」

 

 三手に分かれて街を見下ろしてみる。

 と言っても5階程度の高さじゃ普通にやってもそんなに情報は集まらないので、” 力”を使って感覚器官を強化してみる。

 主に目と耳を中心に強化してみると、さっきよりも感じられる世界が濃くなった感じがした。

 おぼろげに見えていた遠くの景色は、眼鏡をかけたかのようにはっきりと。耳は近くにいる2人の息遣いまで聞こえるほどになった。

 初めての感覚に少し酔いそうになるけど、そこは深呼吸をして体の調子を整える。

 

 そして改めて見る上からの景色。

 地上からではどうなっているのか分かりにくかった道が、上からだとはっきり見える。

 時間が余った時なんかはここにきて周辺の地図を独自に作るのもアリかもしれない。

 多分デパートには地図はあると思うけど、この現状とデパートの地図じゃ風景は様変わりしているから、作り直した方が良いかも。

 

 

 この力を使えるのが私だけじゃなかったら、見張り役を何人かで交代しながらここでバーテックスの動向を監視することができたんだけどなあ。

 出発する前に布川さんから、「朝みんなに聞いて回ってみたけど君みたいな人は見つけられなかったよ」と言われたので望みは薄い。

 あと残っている確認方法は、私のカネアキを握ってもらうことだけど、武器は1つしかないから発見できてもどうしようもない。

 

 壊れた街をみて顔をしかめていると、強化された私の耳がある音を拾った。

 それはかすかに聞こえた破壊音。

 見ると、遠くの方で建物が壊されるのが確認できた。

 土煙の中から現れたのはバーテックス。それも3体。

 

「鈴さん布川さん。あそこ見えますか? あの場所にバーテックスがいます」

 

「なんだって。んーよく見えないなー」

 

「灯ちゃん目が良いね」

 

「今3体いて、まっすぐ直進してます」

 

「どっち方面に行っているんだい?」

 

「えっとあっちの方向です」

 

「あっちって……、デパートの方じゃないか!」

 

「大変! すぐに戻ってみんなに知らせないと!」

 

「あっ! でも今右にずれていきました」

 

「そうみたいだね。なんとなくだけど見えてきたよ」

 

「私にもようやく見えた」

 

 いつの間にか迫っていた脅威が離れていくことに、ほっと一安心する。

 けどあの方向の急転換。なんだかおかしい。

 

「あっ、また来たよ。今度は左から」

 

「でもまた逸れていったな」

 

「なんか……変だね」

 

「変ですね」

 

「まあいいじゃないか。今危険が迫っているわけでもないんだし」

 

「そうですけど……んー、ちょっと気になるのでもう少し上から見てきますね」

 

「上からって……どうやって?」

 

 疑問詞を頭に浮かべている鈴さんに実演して説明する。

 力に慣れた今の私ならきっとできるはず。

 

「ちょっと跳んできます!」

 

「跳ぶってどういうッ……うわぁすごい!」

 

「へー、人間てあんなにジャンプできるんだな……」

 

 そう、やったことはただのジャンプ。

 力を発揮することでそのジャンプは凄まじい高さまで跳べるようになり、別のビルの屋上まで走り幅跳びすることができた。

 それからもっと高いビルに跳び移ってを繰り返して街を一望する。

 さらに広く見渡すことができるようになって、ここからでもデパートの奥の景色まで見えるようになった。

 

 そして見つけた白い影。

 ばらけてはいるが私の視界で全部で10体のバーテックスを発見できた。

 その数の多さにぎょっとするも、今度は慌てずにしっかりと注視する。

 しばらく見つめていると、そのどれもが一定の距離デパートに近づくと道を逸れて近づかないようにしているのが分かった。

 これがデパートの付近が安全な理由。不可解に安全地帯となっている訳だった。

 

 けど、私は安堵しない。むしろ不安に包まれる。

 今朝、布川さんは言っていた。『バーテックスと命名した人は”自ら”喰われに行った』と。

 つまり、自分から近づかなければ襲われないということ。

 けどこうも考えられる。

 

 ”近づいてくるまで待っている”。

 

 もしかして私たちが平和だと思っていたこの空間は、アイツらに作られたまやかしなんじゃないか。

 言ってみれば私たちはアイツらに飼われていると言ってもいい状況にいる。

 餌も与えない。面倒も見ない。ただそこにいるだけ。

 一体いつ限界を迎えて喰われに来るのかを楽しんでいるように思えた。

 

 この考えは偏見で、実はあそこには結界のようなものがあってバーテックスは近づけないようになっている。

 ……そう思いたいのはやまやまだけど、今までの経験上、問題を先送りにしたり楽観視はしないことにした。

 

──私たちは、私たちの平和を壊した存在が作り上げた偽りの平和の中で暮らしている。

 

 今回の調査で発覚した、信じがたい光景だった。

 




大俵さんの名前を、鉄→鉄次に変えました。
理由は、まあ活動報告②に書いた感じです。格下げですね。

無線の所テキトーなんで、違ってもこの世界はそうなんだと飲み込んでください。


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第20話【頭も心もペラッペラ】

いつも読んでいただきありがとうございます。 
気づいたらもう20話目なんですね。そんな書いた気がしないんですが……


「と、とりあえず2人の下に戻ろう」

 

 想定外の光景に思わず後ずさりしてしまう。

 新たな疑惑が浮上してきて頭を抱えたくなるけど、ここで立ち止まっていてもしょうがない。目的も告げずに跳び出したから2人も心配しているだろうし。

 

 見てしまった、見たくなかった光景から背を向けて、来る時と同じ手順でビルから降りようと1歩踏み出す。

 ……だけど次の1歩が踏み出せない。上るのに夢中で気づいていなかったけどこのビル思ったよりもすごく高い。

 この体のことなんだからきっと無事に下りられるんだろうけど、下りるというより落ちる感じがして足が震えてしまう。

 下から吹いてくる風に恐怖心が煽られる。調子に乗って高いところに来てしまったことに後悔の念がわいてくる。

 

 でも、こう二の足を踏んでいる間にも2人にまた危険が迫っているかもしれない。

 あの犬のような理不尽はもう嫌なんだ。

 その決意が私の心を奮い立たせて、2歩目を踏み出す勇気となった。

 

 

 

 ヒモ無しのバンジージャンプのような体験を何回か繰り返すと、ようやく2人の下にたどり着くことができた。

 2人は屋上から既に下りていて、ビルの駐車場で私を待ってくれていた。

 

「ああやっと帰ってきた。上で何してきたの?」

 

 心配した様子で慌てて近づく鈴さんに、私はにこやかな笑顔で嘘を吐いた(・・・・・)

 

「もしかしたら上に登ったらデパートにあるソーラーパネルが見えるんじゃないかと思って。私実際に見るの初めてで、すごい大きいんですねアレ」

 

「なあに? そんなものを見に行ってたの? ソーラーパネルなんて屋上に行けばいつでも見られるのに」

 

「それはそうなんですけど、あまり近くだと大きさって分かりにくいじゃないですか」

 

「うんー、まあそうだけど」

 

 しっかりしてるけど そういうところは年相応なのね、とつぶやく鈴さんに心の中で謝罪する。

 嘘を吐いたことは申し訳ないけど、決定的な確証もないしただの私の勝手な仮説を伝えて2人をむやみに不安にさせても仕方ない。

 さっき見た光景はもっと真実だと確信できるようになってから伝えることにしよう。

 

「私も見たいものは見れましたし、どうしますか? そろそろ帰りますか?」

 

「そうだね。昼前くらいには帰ると言ったのに結構過ぎてしまっているしね。みんな心配しているかもしれないから今日は終わりにしようか」

 

「私ももう足が疲れたし帰りたいわ」

 

「それじゃ気をつけて帰ろうか」

 

「そうですね。しっかり気を付けないと」

 

 リュックいっぱいの荷物と私だけが知っている疑惑の真実を持って、私たちは帰り支度を始めた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 私たちが出会ったあのバーテックスはどうやら はぐれだったようで、私の仮説通り1体のバーテックスにも遭遇することなく無事にデパートの玄関近くまで来ることができた。

 さすがに仮説に慢心して注意を怠り危険な目に合う なんてことはしたくなかったから、気を張り続けたせいで精神が削られてもうヘトヘトになっちゃった。

 

 まだ空は明るい時間だけど、デパートに着いた後はもう晩ごはんの準備をすることになっている。

 バーテックスにどんな感覚器官が備わっているのか、は何度対面してもよく分からない。

 見た目から推測してみても、目は付いてるようにも見えるけど眼球はないし、耳もなさそう。

 でも視力が無いとも聴力が無いとも言い難い。私的には、ほかに人間には無い特別な器官が有ってもおかしくないと思っている。

 だから念を込めて、夜は電気を点けずに早めに就寝しよう、というのがここでのルールになっている。

 

 幸い今は夏だから日も長いし慌ててやることではないけど、明るいうちに夕食をすましておきたい、というのが布川さんたちの意見だ。

 お風呂──シャワーなんて贅沢なものはないからバケツに水を入れてタオルで洗うとか、ボディシートで拭くとか──の時間もあるし私もその方が良いと思う。

 お風呂の時間は、男性と女性で階層を分けていて、更に人数を半分にして交代制を採っているから、万が一の覗きの心配もないらしい。

 昨日はお風呂に入らずに寝てしまったから、今から夜の時間が楽しみだ。

 

 

 お風呂に思いをはせていると、玄関から男の人が出てくるのが見えた。

 20代前半くらいで、ひょろりとした背の高いカカシのような身体に、赤よりのオレンジ色の頭に似合ったチャラそうな顔。

 黒いシャツに白のデニムパンツ姿と、少し頼りのないホストみたいな感じの人だ。

 

「あっ帰ってきた! 遅いじゃないですか布川さん! 俺を置いていくなんてひどいっすよ」

 

「すまないね。朝姿が見えなかったから忘れていたよ」

 

「そんな~。こちとら楽しみに待ってたんすよ~」

 

 ひょうひょうとした様子で話す男の人。

 身振り手振りとオーバーリアクションを組み合わせて話すこの人の話し方はうっとうしいというか騒がしい。

 

「んで? そこの女の子は誰なんです? まさか布川さん、蛍井さんがいるってのに拉致ってきたんすか?」

 

「そんなことするわけないだろう。この子は昨日うちにやってきた子でね、もう1人いるんだが、これからの僕たちのキーマンになるかもしれない子だ」

 

 そう言うと、布川さんは私をその男性の前に出るように促した。

 キーマンって大層な名前で言われるとちょっと恥ずかしい……。

 

「は、はじめまして。岩波 灯です」

 

「ああヨロシク! 若くて元気な子は周りを元気にする力を持っているからね。大歓迎だよ」

 

 そう言ってこちらに手を伸ばし握手を求めてきた。

 

「それじゃこちらも自己紹介をしようか。頭も心もペラッペラ! 平らで薄いと書いて(たいらの) (はく)。平均以下の薄情な人間さ。ペラって呼んでほしいっすねキーマンちゃん」

 

「ええと、キーマンっていうのはちょっと恥ずかしいんですけど……。よ、よろしくお願いしますペラさん」

 

 こちらも出された手をしっかり握って挨拶をした。

 

「すぐ会えるかもね、って灯ちゃんと話してたけど まさか帰ると同時に会えるとは思ってなかったわ」

 

「そりゃ置いてかれたんですからね、待ち伏せっすよ」

 

「おっ待ち伏せしてたってことは疲れてないんだろう? 荷物を運ぶの手伝ってもらえるかい?」

 

「外のぶん 中で働けってことですね。りょーかいしました!」

 

 この細い腕のどこにそんな力があるのか、ペラさんは軽々と私たちの荷物を持ってデパートの中に入っていった。

 

 ペラさん。

 なかなかあそこまで自虐的な自己紹介は見たことが無かったからびっくりした。

 自分であのあだ名を付けたんだとしたら中々にメンタルが強い。

 見た目通りの軽そうな人だけど、2人も信頼しているみたいだし少なくとも悪い人じゃなさそう。

 

「ペラ君は岩波君が来る前までの3日間、調査メンバーとして一緒に外に調査に行っていたんだ」

 

 ペラさんがいた方を向いて布川さんが語り始めた。

 

「彼はあんな感じだから大雑把な性格に見えるけど、実はとっても慎重派でね。数日前バーテックスと偶然出会ってしまった時も彼のおかげで生き延びることができたんだ」

 

「へー、見えないですね」

 

「だろう? 自分では薄情だ、とか言っているけど僕はそんなことはないと思う。少し命知らずなところはあるけどね」

 

「ほーらっ。こんなとこでしゃべってても仕方ないでしょ。夕食の支度だってあるんだしさっさと帰りましょ」

 

「んああそうだな」

 

「キーマンちゃんもしっかりね」

 

「鈴さんまでそれで呼ぶんですか!?」

 

「ふふっ冗談よ灯ちゃん。にしてもすごい個性的なあだ名を付けられちゃったね」

 

「これからあれで呼ばれるのかと思うと なかなかちょっと……」

 

「本当にいやだったら、そこらへんふらふらしてると思うから変えてもらいなよ」

 

「いえ、大丈夫です。初めてのタイプのあだ名だったからびっくりしただけなので」

 

 私たちはペラさんの後を追うようにデパートの入り口を通っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 調査から帰った私たちは、ひとまず荷物をしまう作業に取り掛かった。

 今回手に入れたものは常温で置いておけるものが多かったから、食料保存エリアの地下1階にしまっておいた。

 見つけた中には冷凍食品も有って──例に漏れず解凍されてしまっていたけど──それは同じく地下1階の冷凍庫に入れた。

 二度冷凍すると味が落ちちゃうとか聞いたことあるけど、そんなこと言ってられないよね。

 

 ソーラーパネルで作った電気は、主に冷蔵庫&冷凍庫と料理をするときに使っている。

 そんな大層な料理はしていないけど、このデパートにはたくさんの家電もあるから電気さえあれば色々使える。

 7階にあった冷蔵庫を地下まで運ぶのは男数人がかりでも大変な作業だった、とペラさんと布川さんがしみじみと話していた。

 エレベーターを使ったらよかったんじゃないか、と質問したら『さすがにその時は使ったよ』と笑われてしまった。

 

 結局ラジオとしては使えなかった手回しラジオは2階にしまった。

 2階は”使えるもの置き場”にするんだそう。まだ整理が全然終わっていないらしい。

 

 

 途中、白衣を着た女医さんに会った。

 ずいぶんと年を取ったおばあちゃん先生だけど、少しも腰は曲がってなく とてもキビキビ動いていた。

 マコトのお母さんの件でお礼を言われたので、コッチも今朝明がお世話になったみたいだったからお礼を言っておいた。

 今、明は7階にいるという情報をもらって女医さんとはその場で別れた。

 

 

 

 今日の夕食の時に、私の力の説明を軽くみんなにする予定になっている。

 生きる希望を失くしてしまっている人に少しでも元気になってもらいたいから、今から緊張している。変なこと言わないように気をつけないと。

 私のほかに同じ力を持っている人がいなかったのは残念だけど、まあ仕方ない。

 

 その発表があるので今夜の夕食は少し豪華にいこう、と料理が作れる場所に電力の供給が行われている。

 このデパートには主婦の方もたくさんいるから料理の出来の心配はいらない。

 

 今夜はおいしいものが食べられることを明にも知らせてあげようと、ただいまを伝えに7階に向かった。

 




ペラくんをデパート編の最後の1文字キャラにしたい。
次話の投稿の前くらいまでに、活動報告のところで、暫定的なフロアマップと軽いキャラ一覧を作っておこうと思ってます。

当初の予定だと そろそろ3章の中盤とかの感じだったんですけど、2章すら終わらないとは……。(こんな長くなる予定ではなかった)
完結させたいとは思っているので、これからもよろしくお願いします。


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第21話【生きる希望をみんなのもとへ】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 真上にあった太陽がだんだんと傾き、むんわりと肌にまとわりついていた空気も少し落ち着いてきた。

 今は夏だから5時を過ぎてもまだ外は明るい。これが冬だったらすでに暗くなっているから、1秒でも時間が欲しい今はこの季節がありがたい。

 代わりにすごく暑くて、汗で身体がべとべとになっちゃうけど。

 

 どこかで鳴いているセミの鳴き声をBGMにして、私は明がいる7階に向かって階段を上っている。

 上には8階を除いて人があまりいないからセミの声がよく聞こえる。

 

 セミの鳴き声。たったこれだけの些細でありふれたものなのに、なんだかいつもの夏を感じとってしまう。

 これに風鈴の音も追加されれば、おばあちゃん家の軒下で毎年スイカを食べていた今まで通りの夏の風景がだんだんと形作られていく。

 どこまで遠くに飛ばせるか、スイカの種の飛ばしっこ。勢いよくかぶりついたおかげで、べとべとになった手と口。汁が地面に垂れて、足もとにやってきたアリたち。

 思い出すだけで、ちょっとの間つらい現実から目を背けられる。

 

 明と2人で追いかけっこをして、喉が渇いたからとおじいちゃんの畑にあるスイカをこっそり食べて、内緒にしてたんだけどすぐにばれちゃって。

 嘘を吐いて隠したから絶対怒られると思っていたのに、そんな私たちを叱るのでもなく優しく注意してもう1つスイカを冷蔵庫から取り出して振る舞ってくれた。

 

 そんな懐かしさに浸っていると、いつの間にかもう6階に着いていた。

 あと1階分だ、とそう思い最後のエスカレーターに足をかけた時、

 

「お、足音がするから誰かと思ったら岩波じゃん」

 

 マコトがひょっこりと7階から顔を出した。

 

「聞いたぜ。外行ってたんだってな。お疲れ」

 

「うんただいま。マコトはどうしてここに?」

 

「いやー、なにしてんのかなって見に来てみたらお前の妹に捕まっちゃってな。勉強教えてたんだ」

 

「明が自分から! そうなんだ」

 

「まったく、九九とか久しぶりにやったぜ」

 

「一人で勉強できるか心配してたんだよー。ありがとね」

 

 朝の段階では まさか離れて行動するとは思っていなかったから、一人きりにしちゃって不安だった。

 このデパートには来たばかりだから頼れる人もほとんどいないし、というか家族以外あまり明と親しい人はいないしでどうしてるのかと心配してたから本当によかった。

 それにしても、最初出会ったときは想像できないほど親切なマコトの姿に思わず笑いそうになっちゃう。

 

「ともちゃん おかえり~」

 

「ん。ただいま明」

 

 話し声を聞きつけて明がやってきた。

 

「勉強してたんだって? エライじゃん」

 

「うん! マコくんとしてた! マコくんおしえるのうまいんだー」

 

「へ~そうなんだ。よかったね!」

 

「うん!」

 

「"マコ"じゃなくて"真"だって言ったんだけどな、何度言っても"マコ"って言われてよ」

 

「すっかり懐かれちゃったみたいだね。あだ名まで付けてもらっちゃって」

 

「あだ名なんて付けられたことなかったから ちょっと、な……」

 

 頬を掻いて少し照れくさそうに話すマコト。

 そんな彼の様子を見て笑顔になる私たち2人だった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 ずっと入り口でしゃべっているのもアレだから、奥に行ってさっきまで明が勉強していたテーブルのそばに腰を下ろした。

 テーブルの上にはやりかけの九九のプリントと、それを練習したノートが置かれている。ノートにはびっしりと計算式が書かれていた。

 しっかりやってるじゃん と感心してから、今日の外での調査について──犬やビルの上で見た光景なんかは抜きにして──2人に話していると、ある大事なことを思い出した。

 

「あっそうだ」

 

「ん? 何かあったか? 急に立って」

 

「もう少しでご飯だよ、って言われてたんだった」

 

「ちょ、そういう大事なことはしっかり覚えてろよな」

 

「ごめんごめん」

 

「きょうのごはんなんなのー?」

 

 しばらく聞いていなかった、いつもの夕食を尋ねる言葉で明が聞いてきた。

 ご飯ついでに思い出したけど、そういえば私たちが持っている食料の存在を伝えていない。

 入手方法はここと同じだし、別にやましいことは無いんだから、鈴さんたちに言って私たちの分はそれから食べると伝えておかないと。

 食べかけも残っているから、早く食べないとこの暑さで腐っちゃうかもしれない。

 

「今日は豪華にするみたいだよ。バーテックスへの対抗手段が見つかった記念ってことでお祝いするんだって」

 

「ごうかなのー!? おなかすいてきたー!」

 

 きゅ〜〜。

 明の気分に合わせるかのように、明の小さなお腹がかわいらしく空腹を訴えた。

 

「おい岩波、それって……」

 

「うん私のこと。みんなにも私の力を知ってもらっておいた方が良いと思ってね、私からお願いしたんだ。でもそしたらみんなの前で話さないといけなくなっちゃって、今からもうすんごく緊張してるの」

 

「お前が言い出したことならオレはいいんだけどさ。実際お前の力はすごいしな」

 

「私もこの暗い空気をなんとかしたいと思ったからね。困った時は自分が今できることをがんばる。今の私にとって多分これが私の最適解だと思うから」

 

「そっか。じゃあそのスピーチだっけ? 頑張れよ」

 

「うん やってみる」

 

「ねえまだ~? 2人とも~はやくいこーよー!」

 

 待ちきれなくなった明が階段下から急かしてくる。

 明を待たせるわけにも、他のみんなを待たせるわけにもいかないから、私たちは駆け足で1階まで下りていった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 階段を駆け下りて1階に到着すると、もうすでにあらかた食事の準備は完了していた。

 あとは皿の配膳だけのようで、老若男女問わずいろんな人が慌ただしく動いていた。

 

 見ていると後ろからチン、という音と共にエレベーターがやってきた。エレベーターも今日は稼働しているみたいで、中からは大きな鍋に入ったカレーが運ばれてきた。

 鼻から胃まで突き抜ける、出来立てのカレー特有のあの香ばしい香り。見れば近くにいる人もその匂いに笑みを浮かべていた。

 それに加えてテーブルの上にはナンも置いてあった。これは今日の調査で見つけてきた、冷凍庫に入っていたナンだ。

 流石にこのデパートの人数分はなかったから半分に切ったり、新たに作ったりしてなんとか人数分を確保したみたい。

 ナンを作る作業とか、考えただけでも面白そうな作業。

 

 周りを見渡すと、ここには今朝 朝ごはんを食べた時と同じようなメンバーに加えて、遠くの方に8階で会った子たちもいた。

 彼らはどこか落ち着かない様子で、ソワソワと盛りに1階の入り口の方に目をやっていた。多分外の世界が近いから警戒しているんだと思う。

 

 動いている人がたくさんいる中で、何をしたらいいか分からなくって3人してボーッと突っ立っていたら、ちょうど皿を置き終えた布川さんが私たちのことを見つけてくれた。

 

「おっ、ちょうどいい時に来たね。そろそろ呼びに行こうと思っていたんだよ」

 

「すみません。もっと早く来たほうが良かったですよね」

 

「いやぁ大丈夫だよ。それよりもほら、座って座って。みんなの席はこっちだよ」

 

「ありがとうございます」

 

「カレーなのか! オレの大好物だ」

 

「ごはんー!」

 

 夕食を待ちきれない明に手を引かれてマコトも自分の席に向かって行った。

 

「岩波君に説明してもらうのは夕食の前にしようと思っているんだ。そのほうがより食事を楽しめるからね」

 

「はい分かりました。頑張ります」

 

「ハハッそんな肩肘張らなくっても大丈夫だよ。ただみんなに(希望)の存在を説明するだけなんだから」

 

「こんな大人数の前で立つのは初めてでして……」

 

「もし失敗したって誰も笑わないさ。さてと、準備が終わる頃だからそろそろ行こうか」

 

「は、はい」

 

 ずっと考えていたけど、こういうことは初めてだからコレというものが思いつかないまま時間が来てしまった。心臓の音がやけにうるさい。

 ぶっつけ本番は得意じゃないからしたくなかったんだけど仕方ない。こういうものは自分の気持ちをまっすぐ伝えればいいんだから……多分。

 

 明の方を見れば、私の緊張なんて知らん顔でただただ目の前のカレーに夢中になって目を輝かせている。

 自分から言いだしたことだからどうしようもないんだけど、いいなぁ 私もあんな風に何も考えずご飯に夢中になっていたかったなぁ。




あと1話くらいで2章終わり予定。


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第22話【夜空を美しいと思える日まで】

いつも読んでいただきありがとうございます。
 
なんか異常に読まれていると思ったら赤バーになってたし、ランキングにも載ってて私が見れた範囲では86位だしと……。
クソビビりました。ありがとう以外の言葉が存在しません。


 喫茶店の椅子に加えて、インフォメーションセンターの椅子や別の階にある休憩用の椅子まで持ってきて全員が席に座っている状態だ。

 椅子は用意できたけどテーブルまでは無理だったから、商品ケースをテーブル代わりにしたり、バッグが陳列されていた棚を使ったりと思い思いの方法で代用している。

 けれどみんなひと固まりにはなっているので、話す分には不便はなさそう。

 

 最初は食事をする場所をレストランがある8階にしようとしたんだけど、エレベーターがあるとはいえ調理場所から遠いし、あそこは住民スペースだからということで止めになった。

 結果、実際では考えられないような光景が出来上がることとなった。

 

 もし今デパートに人が入ってきたらびっくりするだろうなー。

 緊張のあまりそんな現実逃避をしていると、私を近いところに置いてみんなが集まっている前の方で、私よりも先にまず布川さんが話し始めた。

 マイクは使わない。自分の声で私たちの心に直接届かせるつもりだ。

 

「えー、とりあえず みんな今日は集まってくれてありがとう。8階の皆さんもありがとうございます。楽しい食事の前に申し訳ないけど、僕から1つ大事な話があるので聞いてほしい」

 

 これまでまとめ上げてきた実績のおかげか、はたまた突然出された今までの質素なものとは違う豪華な料理に戸惑っていたのか、みんな文句ひとつ言わずに彼の方に意識をやった。

 

「僕たちは4日前のあの夜から、アイツらバーテックスに虐げられてきた。家族を亡くした者、友達を亡くした者、家族同然のペットと離れ離れになった者、色々いるだろう。

 僕たちの力ではアイツらの暴力に対抗することができず、こうして外の世界にも出ることができず孤立状態となった」

 

 話し始めたのは、私の知らないこのデパートの最初の出来事。

 

「初めてここで迎えた朝なんかはみんな混乱してて大変だった。突然襲ってきた非日常に、みんな我を忘れてケンカばかり起こって。そのままケンカ別れになってしまった人も数多くいた。家族を置き去りにしてい るから、とここを出て行った人もいた。……すぐに戻ってくると言っていたんだけどね。

 皮肉にも”頂点”という名前を付けられたアイツらは、逃げようとする僕らを襲い、2回派遣した調査隊も未だ多くの人が帰ってきていない。

 最初の頃は僕たちも今の倍ほどの人数がいたのに、この4日間でこんなにも少なくなってしまった。結果として、僕たちはここで形ばかりの籠城をすることとなった」

 

 話が進むにつれて暗い空気が1階に広がってくる。中にはその時の光景を思い出したのか、涙を流している人もいた。

 

「そしてさらに悪いことに、今日の調査では無線が使えないことが判明した。これにより僕たちが外の情報を得るのはさらに難しくなってしまった」

 

 今日得た新たな情報に一帯にどよめきが広がる。話が理解できていない幼い子の顔にも不安の表情が浮かんでいる。

 

「まだここには食料もあるからしばらくの間はやっていけるとはいえ、情報が得られないことは深刻だ。

 先が見えない現状。常に危険にさらされる命。

 正直言って僕は、心のどこかでは もう助からないものだと思っていたんだ」

 

 そこで一度大きく空気を吸って、

 

「──”だけど もう違う”」

 

 今までの絶望した発言を否定し、

 

「僕は昨日、ある少女と出会ったんだ」

 

 希望()のことを話し始めた。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「その少女は、僕たちが諦めていた真君のお母さんを救出し、彼の笑顔を取り戻してくれた。

 みんなも知っているだろう、彼が必死に訴えていたことを。そしてその訴えを、僕たちは見て見ぬふりをしてきたことを。

 実際僕たちではどうすることもできなかった。

 しかし、彼女は僕たちが諦めていたその願いを、自分の命を危険にさらしてまで聞き入れ助け出してくれた」

 

 心当たりがあるようで、特に男の人は苦い顔をしていた。

 

「見かけた人もいるかと思うが、まずはその少女をみんなに紹介しよう」

 

 こちらを振り向いて手招きで私を呼んでいる。

 

 ……いや、事実しか言っていないんだけど、なんか場が温められ過ぎじゃない?

 単にこんな子が見つかったからこれからよろしくね、くらいの感じかと思ったら全然違った。

 注目の的になって動きづらい。鍬を持つ右手にも力が入ってしまう。

 カチコチになりながらも、静かにそばに寄って挨拶する。

 

「ーーっぁ こ、こんにちは。岩波 灯です……」

 

「どうやって助け出したのかみんな疑問に思っていると思うが、岩波君はこの鍬を使ってバーテックスと戦うことができるんだ。

 信じられないと思うが、真君のお母さんのあの現状を見た人だったら理解できるんじゃないかと思う。

 今朝、何か力が急に湧いてきたりしたことはないか、と質問しただろう? その理由は彼女に有ってね、彼女はあの日に戦う力を得たらしいんだ」

 

「えっと、私はあの日、山奥のおばあちゃんの家にいてこの鍬を手にしました。

 これはおじいちゃんが使っていた農作業で使っていた鍬で、鉄製なんですけど元々は神社にあった神器を鋳直したものなんです。

 なぜだか分からないんですけど、これを握ったときにドクンって体が熱くなっていく感じがして……気づいたらあの硬いバーテックスを切り倒せるくらいの力を得ていました」

 

 心を落ち着かせながら、ひとまず流れを一つ一つ説明していく。

 思い出さないといけないから、家族が亡くなる瞬間が脳裏にチラついて、また涙が出そうになるけど頑張ってこらえる。

 

 周囲からは驚き半分、疑い半分といった反応だった。

 

「分かりやすく力の説明するために、みんなこれを見てほしい」

 

 そう言って布川さんは、今朝私が持ち上げた石像を指差した。

 それから彼に、少し貸してほしいと言われたのでカネアキを手渡す。

 

「もちろん僕がこの鍬を持っても……うぐぐぐっっ……ふぅ、こんな石像は当然持ち上がらない。

 けれど彼女がやると……ほらこんな風に持ち上がってしまうんだ。いやー、何度見てもすごい光景だね」

 

 布川さんが私にやらせたことは簡単で、今朝の焼き増しだった。

 ただの力持ちでは説明できない単純明快なこの実演の効果は絶大で、疑っていた人は身を乗り出す勢いでこちらを凝視している。

 ダメ押しで、カネアキを振るって銅像の胴体を切り落とす。

 キンと甲高い金属音の後に、周囲にどよめきの声が広がった。

 

「こ、こんな感じです……。この力で昨日まで妹と2人で生き延びてきました。

 でもこんなすごい力があっても、私は家族を救うことが、できません、でした……。

 私の目の前で、あと数メートルの距離でおじいちゃんとおばあちゃんはアイツらに殺されました。

 それからも行く場所行く場所みんな亡くなっていて、何のためにこの力があるのか分からなかったんです」

 

「だからここで生きている人と会ったとき、本当にうれしかったんです!

 ”もうこれ以上誰も失いたくない”って強く思えたんです」

 

 全体を見渡しながらしゃべっていると、こちらに手を振る明の姿が見えた。

 かわいらしいその笑顔に緊張がゆるやかに解けていくのを感じる。

 小さく手を振り返してから、頭に思い浮かんだありのままの気持ちを言葉にしていく。

 

「けれどここにいる人たちは、これからバーテックスと戦っていかなきゃいけないっていうのに、どこか暗い顔をして俯いている人ばかりで。

 確かにバーテックスは恐ろしい存在です。強いです。怖いです。

 でも、それでも! 残された私たちが戦うことを諦めてしまっては、アイツらに殺された人がかわいそうだと、報われないと思うんです。

 私もアイツらが怖いです。1人だけこんなすごい力を持っているっていうのに、夜空を見るだけで星が落ちてくるんじゃないかって不安になります」

 

 誰にも言ってこなかった私の天恐の話に、8階の人たちの私を見る目が変わった。

 

「でも私たちは夜空の美しさを知っています!

 星の輝きがきれいなことを覚えています!

 アイツらを倒し切ることができれば、私たちの日常は帰ってきて夜空を見上げてきれいだと、美しいと思える日が来ると信じています!

 私もアイツらを全滅させるために頑張ります。

 でも私1人きりじゃ絶対アイツらには勝てません。

 ですから皆さんも、アイツらなんかに負けないで私たちの夜空を取り戻すために一緒に協力くださいッ!」

 

 頭を下げてお願いする。出過ぎたことを言ってしまったけど後悔はない。

 

──静寂が1階を包み込む。

 

 最初に聞こえたのはマコトの声だった。

 

「オレはもちろん協力するぜ。母さんを助けてもらった借りもあるしな!」

 

 彼の宣言を皮切りに、続々と声が上がってきた。

 

「やられっぱなしじゃいられないよな!」

「あいつのためにも……俺も戦うぞ!」

「あのバケモノどもに一矢報いてやるわ!」

 

 どこか暗く冷ややかだったこの空間が、心に火が灯った人たちの熱気で暑く盛り上がってきた。

 

「皆さんありがとうございます!」

 

「それじゃ、みんなの気合も高まってきたところで! バーテックスと戦っていくためにもまずはお腹いっぱいになって力を付けるとしようか! 乾杯!」

 

「「「乾杯!!」」」

 

 みんなの熱情に乗っかった布川さんの音頭とともに、久しぶりににぎやかな夕食が始まった。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 夕食が始まったので、私も明とマコトが待っている席に座る。

 

「ふぅー、人前で話すのはやっぱり疲れるよぉ~」

 

「おかえり! ともちゃん」

 

「ただいま~」

 

「あのねあのね、いまのともちゃん”ゆうしゃさま”みたいだったよっ!」

 

「勇者? ってどゆこと?」

 

「それって魔物とかと戦う勇者のことか?」

 

「うん! テレビでよくともちゃんみたいに みんなのまえで おはなししてるもん!」

 

「まぁアニメとかだとよくやってるけどな……」

 

「明ってテレビっ子だからそういうのもよく見てるんだよね。王子様よりもヒーローに憧れているんだ」

 

 興奮気味に話す明。何はともあれ、明も気持ちが盛り上がってくれているようでよかった。

 そんな状態に水を差すのも悪いから、明の要望に応えてみることにする。

 

「じゃ私はこれから”勇者”ってことになるね。”勇者”灯をこれからよろしく」

 

「やったー! ともちゃんが ゆうしゃさまになったー!」

 

「ずいぶんと適当だなー」

 

「悪いやつらと戦っていくんだし、間違ってはいないでしょ?」

 

「まあ、確かにそうだな」

 

「って明! 危ないよ!」

 

 嬉しそうに体全体で表現するから、手が当たってジュースが倒れるのを寸前で食い止める。

 そんなアクシデントを混ぜつつも、私たちの夕食もにぎやかに進んでいった。

 

 

 そうだ。これからは私はみんなを、明を守る戦士──勇者になるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ああ……今思い返せば、この時が一番希望に満ちあふれていたなぁ……。

 




お気に入り登録・評価・感想ホント感謝です。なかなか話が進まない本作ですが、この評価に追いつけるくらい頑張ります。


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第3章【希望の中でさえ 絶望は滲み出す】
第23話【まずは一歩 これからの一歩】


いつも読んでいただきありがとうございます。
3章スタートです。「しみ出す」ではなく「にじみ出す」です。


《2015年8月6日 デパート旭》

 

 久しぶりにひんやりとした空気がデパート内に流れる。

 電気を点けていないから部屋の中も少し薄暗い。その薄暗さがこの建物の涼しさを加速させる。

 空にかかっている黒い雲のせいで、時計が無かったら今が何時なのか分からなくなる。

 

 静まりかえった部屋。

 耳を澄ましてみると、雨が壁に優しくぶつかる音だけがかすかに聞こえてくる。

 さすがのセミたちも、この雨の前には大合唱も鳴りを潜めているみたい。

 平和が壊されてから初の雨。

 

 一息つこうと、荷物を投げ出してごろんとベッドの上で寝転ぶ。

 やわらかい生地のベッドに、体にまとわりついていた疲れが沈みこんでいく感じがする。

 ふうっとため息をついて天井を見上げる。

 

 

──あの夜から3日経った。

 

 

 あの頑張ろう宣言の後、盛り上がる熱狂の中、私は私にとって人生2度目のナンをおいしくいただいた。

 明はナン自体見るのが初めてだったから、突っ込み過ぎて指にまでべったりとカレーが付いてしまった。

 しかもそれに気づかずに元気に動き回るもんだから、指から飛び跳ねて私の服にカレーが付いてしまった。

 

 幸いといっては何だけど、この時着ていたのは自分のではなく、見知らぬ誰かの家からいただいた服だったからそんなにショックはなかった。

 落とすのも洗剤を使うのはもったいないと思ったから、拭き取るだけの簡単な処置で済ました。

 だから今もあの時着ていた服にはカレーのシミがうっすらと付いている。

 

 そんなこんながあって、ようやく食べ終わって顔を上げてみたら、なんと私の周りにはたくさんの人が集まっていた。予想外だったから、もし食べ終わってなかったらびっくりして吹き出してたかもしれない。

 なんでも、さっき私が言ったことで生きる気力が湧いたからお礼がしたいんだそうで。

 自分ではそんな大したことを言った覚えはないし、本音を言えば緊張しすぎて何を言ってたか覚えてないしで、あまり実感はわかなかったんだけど、みんなの勢いがすごくって質問責めにあい、その後1時間くらい拘束されてしまった。

 助けた私、その妹の明、そして助けられたマコト。確かに興味が湧くには十分すぎるメンバーだった。

 大の大人たちがこんな小さな私に興味を持って感謝を伝えてくるのは少し照れくさかったり恥ずかしかったり。

 

 なんとか明と一緒に好意の包囲網から抜け出して、お腹もいっぱいになったしお風呂にしようかと話した。

 まあ、お風呂と言っても体を拭いたりするだけで湯船とかがあるわけでは無いけど。

 

 途中、質問コーナーの影響で大勢の人が予定の1時間遅れで進行することになってしまったので、大慌てでみんなを誘導している布川さんの姿を見つけた。

 その様子はなんだか、ホテルに着いた修学旅行生を案内する先生みたいで面白かった。

 

 女性のお風呂の階、生活フロアである3階に向かってみると、もう彼女らの中で私のことを「勇者」呼びするということが浸透しているみたいで、「勇者ちゃん」と呼ばれてしまった。

 流石に恥ずかしいから全力でやめてもらうように言ったけど、みんなやめてくれるかな……。

 

 でもなんで勇者呼びされたんだろうかと考えていると、同じくお風呂をしにきた鈴さんが、明のせいだと教えてくれた。

 私も自分のことで手一杯だったから気づかなかったけど、質問責めにあっているときにポロっと漏らしたんだとか。

 

 鈴さんに後から聞いた話で、あの夜はみんな極度の深夜テンションだったからあまり気にしないでと言われた。

 バーテックスの脅威に怯えながら普段と違う生活をしていたら寝不足になっていて、そんな時に現れたバーテックスと戦える私の存在。確かにおかしくなるには十分な条件だ。

 まあ私はクラスの子と比べても早寝な方だから、深夜テンションなんて経験したことないんだけど。

 深夜テンションの恐ろしさを知った瞬間だった。お父さんがいつも早く寝ろ、と言っていたのにはこんな理由があったんだ。これからも気をつけて早寝しよう……。

 

 そんな話をしながらお風呂に入ってベッドで寝たのがあの日の話。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 そして次の日からは、本格的にこれからどう生活していくかについて話し合うことになった。

 と言っても、私はまだ12歳。生活力も知恵もない。

 現状誇れるものと言ったら、今や大人以上になった身体能力とやけに肝が座った心くらい。どちらも恐らく力の影響によるものだと思う。

 

 ということなので、その日は大体一日中どうするかについて考えて終わった。それが一昨日の出来事。

 

 そして昨日の午前中の話し合いで、ようやくこれからやることがいくつか決まった。

 その1つが、さっきも私がやってきた"掃除"。

 これは普段私たちがやってきた普通の掃除とは違って、"死体の掃除"だ。

 

 事の発端は、外を出たときに何度も感じた悪臭だった。

 言い方はすごく悪くなっちゃうけど、死体があちらこちらに転がっているせいで、臭いもすごいし変な虫も出る。

 私は山の生活も少しかじっているから絶対にイヤというほどではないけどやっぱり気持ち悪いし、一番みんなから要望が多かったのもこれだった。

 

 だからまず一番に取り組むことにしたんだけど、これがそう簡単にはいかなかった。

 問題は山積みで、人一人を持ち上げられるだけの力・惨状に耐えられる精神力・ガレキの撤去・バーテックスが来ないかの監視など、数えればきりがないくらい。

 最終的には、みんなの遺体を一か所にまとめてお墓をつくろうという計画だ。

 

 この中で一番難航したのは、バーテックスの監視をどうするか。

 高いところに登るのは私として、その場所からどうやって下の人に伝えるかが論点だった。

 携帯電話はうまく繋がらないし、大声を出したり旗を振ったりしたら、バーテックスにも私たちの存在を教えてしまうことになるかもしれないしで試行錯誤した。

 

 結果、ペラさんが提案した、携帯電話の旧式である"糸電話"を使うことにした。

 彼がいうには、糸電話のギネス記録があって240mくらいの記録だからいけるんじゃないか、とのこと。

 なんでそんなことを知っているのかを尋ねたら、一般常識っすよ〜って楽しそうに言ってたけど絶対違うと思う。

 

 屋上まで届く長い糸が見つからなかったから同じ糸だしいいだろうと釣り糸にして、それを紙コップにセロハンテープで貼り付けて作成。

 屋上から1階に片方のコップを垂らしてピンと張る。これをしないと下まで音が伝わらないと教えてもらった。

 学校で似たようなことを教わった気がするんだけど……ダメだ思い出せない。寝てたのかな……?

 

 試しにこんにちはと言ってみると、まあまあの音質でこんにちはと返ってきた。

 あれだけみんなで必死に考えていたことが簡単に解決されて、ちょっと拍子抜けって感じ。

 他の問題は、刺激的なモノを見ることになるから立候補制と力持ちそうな人に集まってもらって、それを交代交代にローテーションしていくことになった。

 

 下で働いてるみんなには申し訳ないけど、その日は一日中屋上からバーテックスの動きを監視するという比較的ラクな作業をして終わった。

 結局バーテックスは1体もこちらを襲ってくることはなかった。

 

 

 

 そして今日。

 昨日も1日フルでやったけど一部分しか終わらなかったからさっきも続きをしてきた。

 

 昨日とは違い、今日は私もしっかり働いた。昨日の様子からして、以前私が立てた仮説"バーテックスは私たちで遊んでいる"が強くなったから。

 それに私の速さだったら声を聞いてからでも十分間に合うことに気が付いたから、今日は軍手をしっかりはめてガレキをたくさん持ち上げた。

 

 うすうす思っていたけど、この作業は私にうってつけだと思う。

 超パワーに図太い精神。それと以前の倍以上に膨れあがった体力。

 今の私だったらブラック企業にだって耐えられると思う。

 

 一番よく働いてたんだけど、降ってきた雨のせいで作業は午前で中断となってしまった。

 

 だから今こうしてダラリとベッドに沈むことができている。

 体力は余っているけど普段使わない筋肉を動かしたからもう疲れた。

 

 けどこの疲れもどこか嬉しい。

 だってみんなが頑張った成果なんだから。嫌なんて感情は湧かない。

 

 まだまだやらなきゃいけないことはいっぱいある。

 けどまずは一歩。

 未来への、復興のための一歩が踏み出せた。

 この調子で頑張っていこう。

 

 でも今はちょっと休ませて……。



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第24話【そぞろ雨 次の季節の不安とともに】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 遠くからかすかに聞こえる物音。

 私の脳はその物音を 睡眠を遮る雑音として捉え、今まで続いていたリズムを途切れ途切れに切り離していく。

 

──そろそろ起きないと。

 

 眠りの底らへんでふよふよと漂っていた体が、徐々に浮かんでいく感覚がやってきた。

 さっきまでの場所の感覚がどうも名残惜しくて、手足をバタつかせてみても一向に元いた所には戻れなくって──

 

 

「とーもーちゃーん!」

 

「ぅぶへっ」

 

 急激に夢の世界から押し戻された私の口から空気が漏れる。

 突如として上からのしかかってきたものにお腹を圧迫され、喉からは変なところに唾が入ってむせる。

 息を押し出された状態での咳はつらい、とてもつらい。

 

 涙目になりながらも、私に攻撃してきたモノの正体を確かめようと目を開けてみると、それは明だった。

 

「ケホケホっ! ヤバいむせた……。あ、明……?」

 

「うん! おはよー!」

 

「あーうん……おはよー」

 

 起き掛けにタックルされた私の気持ちなんて気にも留めない様子のにこやかな笑顔。

 こんな笑顔の子を叱るのも躊躇われたから、次から気を付けてねと軽く注意するだけに止めておく。

 あー無理矢理起こされたからちょっと頭痛い。

 そんなに寝てた気はしないけど、どのくらい寝てたんだろう?

 

「明、今何時?」

 

「えっとねー、2じ」

 

「わぁもうそんな時間か」

 

 見事にしっかり昼寝を決め込んで、1時間半も寝ちゃっていたみたいだ。

 そのおかげで体の疲れもかなり取れて、肩を回してもダルさを感じない。

 回復力もかなり強化されているみたいで、この調子だとどんな疲れも1回寝れば全回復しそう。

 

「うんうん、よし! 復活!」

 

 まだ少しぽやっとしている顔を両手でぺちんとはさんで眠気を弾き飛ばす。

 ひんやりとする手に寝ぼけた顔の熱が吸収されていく。

 さっき出てきた涙もきちんと拭いて視界をすっきりさせる。

 気合を込めたところで、起こしてくれた張本人の方を見て、

 

「そういや明は何しに来たの? 明もお昼寝?」

 

「ううん。けしゴムとりにきたの。かん字のおべんきょうしてるんだー。ねてばっかの ともちゃんとはちがうんだよー」

 

「ね、寝てばっかじゃないよ。お姉ちゃんだって、ちゃんと働いてますー」

 

 ちょっと困った妹の認識に、姉としてしっかり訂正を入れておく。

 

 

 私たちが外で掃除/埋葬の作業をやっている間、その他の人たちが何もやっていなかったわけじゃない。

 8階の人たちはまだ心理的に8階を移動したくないそうだから その階だけの清掃を頼んだ。

 他の動ける人たちは、デパート内の掃き掃除だったり資材の点検だったりをしてもらった。

 

 そして私や明くらいの小さな子たちは”勉強”をしていた。

 

 私たちのスローガンは『夜空を楽しめる 平和な世界を取り戻そう』。

 その一歩として、子供たちには少しでも軽くでもいいから学生という日常を与えてあげよう という親心の下、勉強をしようという流れができた。

 幸いここはデパート。本屋も入っているから勉強する教材には困らない。

 辞書も単語帳も、よく分からないけど赤本?なんかもある。赤い本とか読みにくそう……。

 それとも手のマメが潰れるまで勉強させられて、白い紙が血で赤く染まるくらいの呪いの本っていう意味なのかな……。怖。

 

 私たち子供にとっては、喜ばしいのか喜ばしくないのかよく分からないその勉強の流れは、意外にもすんなりと浸透していった。

 基本的にここにいる子は親子でそろっている人がほとんどで、大体の子が自分の親に勉強を教えてもらっている。

 

 そしてこの流れは明にはぴったりで、今は勉強に励んでいる。

 髪の色が茶色だから、という偏見のせいで、今まで学校に行けていなかっただけで、元々うちの明はできる子なんだ。

 同世代からの偏見がほとんどないこのデパートでの勉強のおかげで、始めたばっかなのにもう1年生の漢字をマスターしようとしている。

 

 さすがにここまで覚えが良いと、明の頭が良いのに加えて、教わっている先生が優秀なのではという可能性がふと頭に思い浮かんだ。

 

「そう言えば明は勉強誰に教えてもらっているの? マコトがいるのは知ってるけど」

 

 日常的な会話なのに、どうしてか明は少し目を泳がせて、

 

「え、えーっとね……ないしょ!」

 

 と、まさかの回答拒否の意を示してきた。

 

「なんで内緒なのよ。明がお世話になってるならお礼もしたいし、気になるでしょ」

 

「ダーメ! ないしょなものは ないしょなの!」

 

「え~どうしてよ」

 

 腕で大きくバツ印を作られてしまった。

 明を教えている人に私の勉強も見てもらえれば、少しは頭がよくなると思ったのに。なぜだか内緒にされちゃった。

 今までこんなことはなかったのに。んー何でだろう。

 

 ……あっそうか! さては明、かっこいいお兄さんか誰かに教わっているんだな。それで、そのことを私に知られるのが恥ずかしいから内緒にしていると。

 一瞬目も泳いでいるように見えたし絶対そうだ。

 は~、そりゃ勉強も捗るわけだ。うちのクラスにも、先生がかっこいいからっていう理由で勉強頑張っている子いたし。

 

「あーうんうん分かったよ。なるほど、そう言うことなら大丈夫だね」

 

「?」

 

 私の納得したことに、首をかしげてよく分からないといった表情でこちらを見てきているけど、きっと照れ隠しだろう。

 あんま根掘り葉掘り聞くとかえって怒られそうだから、これ以上の詮索は今日のところはしないでおこう。

 

 

 ちなみに私はその勉強の流れに入っていない。

 なにせ唯一バーテックスと戦える存在なんだから、勉強よりもやらなきゃいけないことがある。

 ここだけの話、勉強がちょっと苦手な私にとっては、ほんの少しうれしいことでもある。

 とはいえ仕方ないと言えば仕方ないんだけど、全部無事に終わった後のみんなとの学力差に今から震えが止まらない。

 中学生の勉強はさらに難しいっていうし、ちゃんとついていけるのかな……。

 

 考えていると何だか恐ろしくなってきたから、私も自分の仕事をしに行こう……。

 

「それじゃ私もそろそろ行くから。明もお勉強しっかりね」

 

「うん! ばいば~い」

 

 先に下りていった明に手を振ってから、私も次の作業の準備を始めた。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 下の階に降りると、もう既に作業に取り掛かっている初老の男性がいた。

 段ボールを一定の大きさにハサミで切断して窓にあてがっている。

 

「遅くなりました」

 

「おお来てくれたか! なかなか来ないから心配していたよ」

 

「すみません。ちょっと昼寝をしちゃいまして……」

 

「結構きつい仕事だったからね。仕方ないよ。寝てるところ起こしちゃって悪いね」

 

「いえ! 私も手伝いたいですし、気にしないでください」

 

「じゃさっそくだけど、これをあそこに貼ってきてくれ。この段ボールと一緒にね」

 

「はい分かりました」

 

 指さす先は、ガラスのない窓から風に吹かれた雨がデパート内に入り込んでしまっていた。

 

 午後の作業はコレ。簡単に言うと、雨漏り修理。

 特に割れた窓ガラスを塞ぐ作業だ。

 今まで雨が降ってきていなかったから、虫も少し入ってくるけどそのままにしている方がかえって風通しの良い穴として使えていた。

 けど今やご覧の通り、雨が侵入してくる格好の通り道になってしまったから、急いで塞がないと床が水浸しになっちゃう。

 

 窓の大きさに合うように段ボールを切って、危なくないようにタオルを一枚あてて、その上から段ボールを被せて、っと。

 周りをガムテープで風で飛ばされないようにしっかり固定して。そして最後に、すぐに取り外せるようにガムテープの端をくるりと折り返してっと、

 

「よし、1枚目完成!」

 

「いい感じだね。だけどここではそれが最後の1枚だ。1階が終わっていなくて人手が欲しいと言っていたから、そっちをお願いしてもいいかな?」

 

「あっはい分かりました」

 

 どうやら本当に遅れて来ちゃったみたい。

 

「私はもう年だからすぐに疲れちゃうけど、君は本当に元気な子だね。私もあの夜、君から元気を分けてもらったうちの1人でね、応援しているよ岩波さん」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「頑張ってくださいね」

 

 あの日から誰かを手伝うたびに、似たような励ましの言葉をかけられるようになった。

 面と向かって応援されるのはやっぱり照れる。かといって手紙をもらっても、それはそれでとても困っちゃうんだけど。

 

 

 

 1階に行ってみると、何人もの人たちがせわしなく窓ガラスの修繕に勤しんでいた。

 この階はデパートの1階ということもあり、大きいガラスの壁がたくさんあってそれの多くが割れていたから大変な状況になっている。

 こんな状況なのに、よくもまあ寝ていられたなと自分で自分を叱りたくなるけど、そんなことより早く参加しなきゃ。

 

「私も手伝います」

 

「ありがとう! って誰かと思ったら岩波ちゃんじゃない」

 

「はい。遅くなりました。今上の階もやってきて、後はこの階だけです」

 

「そうなの。じゃ岩波ちゃんも来てくれたことだし、みんな! 最後のひと踏ん張りがんばろー!」

 

「「おお~!」」

 

 私が来るとみんなの作業の勢いが増すのも最近の傾向だ。

 必死にお願いしたおかげで呼ばれはしなくなったものの、本当に物語の「勇者」みたいな扱い方に未だ慣れないところがある。

 クラブの部長をやっていなかったら今頃今以上にてんてこ舞いだった。

 

 そう思うと、クラブでの思い出が一瞬フラッシュバックされる。

 

 そんなに頼りにならないことは分かっているだろうに、楽しそうに『部長』『部長』と何かと声をかけてきた後輩たち。

 その様子を見て、笑いながらも助けてくれたクラスのみんな。

 対戦成績だって6年生では1番下なのに、面白がって団体戦で大将のポジションを任命してくる先生。

 みんな、元気にしてるかな……。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 みんなの協力もあって、それから何時間かかけてすべての窓を塞ぐ段ボールの壁が完成した。

 これで今度からの雨はこれを使えばすぐに雨風を防げるようになる。

 後から遅れて参加した私でも疲れたんだから、最初からやっていた人は床に倒れて寝転がってしまっている。

 けど今回はそんなに強い雨でもなかったからよかった。

 

 これから先、季節は”秋”。

 台風だって来るかもしれないし、今はまだ夏で暑いけどこれからは段々と寒くなってくる。

 ボーっとしてる暇なんてない。頑張らないと。




寝たら大体元気になる子。


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第25話【世界はまた1つズレていく】

いつも読んでいただきありがとうございます。
もしなんか喋り方とか前と違うなと感じても、最新話が公式設定ですので、こうだったかもと鵜呑みしてください。(作者の記憶力不足)


《2015年8月6→10日 外》

 

「さあ、今日からまた外の探索を始めていこうか」

 

 数日間に及ぶ店外清掃も一旦区切りがついたので、そろそろ閉じこもっているだけじゃなく外にも出て行かないと。

 今日の天気は晴れ。ここ数日間の空はずっと晴れで作業も順調に終わらせることができた。

 連日の作業のおかげでみんなの一体感が強まって、少しずつだけど下を向いている人が少なくなってきた。

 

 そして今日。

 今日からようやく今までできなかったことができるようになるんだ。これでさらに探索がしやすくなる。

 人類の足なんかよりもずっと文明的で効率的でいい感じでナイスなヤツ。そう、自転車。

 

 これまでは道路にガレキの塊が落ちていたり街路樹が倒れていたりで、人の足と比べても大差が無かったから使ってこなかったけどもう違う。

 わざわざといっては何だけど、かなりの時間をかけてまでガレキの除去作業に力を入れたんだ。きれいになった道をしっかり使わないと。

 自転車だったら小回りもきいて急なバーテックスの襲撃にも対応できるはず。

 

 とても言い方が悪いんだけど、今なら自転車は盗み放題だから、途中で邪魔になったら乗り捨てて別のやつに乗ればいいだけだからすっごく便利な乗り物だ。

 家の敷地内にある自転車に鍵をかける人はあまりいないと思うけど、もしカギがかかってても家の中に大抵合鍵があるだろうし最悪引き千切ればいい。……なんだか最近思考が野蛮になってきてる気がする。

 ベルもついているから、あらかじめ鳴らし方を決めていれば危険があったりしたら遠くにいても知らせられるし、もう乗らない手が見つからない。

 

 といっても自転車はまだ用意していない。まずみんなでどこかの家に寄ってから自転車を調達してくる流れになっている。

 今回の探索メンバーは前回と同じくデパート内で1番外での経験がある布川さんと鈴さん、それとペラさんだ。

 リーダー的存在の人が外の危険な世界に行くのはまずいんじゃないかと思うけど、本人曰く、先頭に立つ人が最前線で戦うことでみんなをやる気にさせられるんだそう。

 何だか小難しいことを言っていたけど、つまりみんなを危険な目に遭わせたくないってことかな?

 

 ペラさんは私が来る前からずっと布川さんたちと一緒に外で活動していたというから、実績もバッチリ。

 『自分も外に行きたい』という人も何人かいたんだけど、行きたいという欲求よりも外に対する忌避の感情が上回ってみんな辞退していた。

 慣れていない場所に出て来られても危ないだけだし、私としては辞退してくれてよかった。

 結果、外での経験が1番豊富な4人で出かけることになった。

 

 ちなみに私は自転車には乗らない……というより、乗れない。

 家から小学校は自転車に乗って登校しちゃダメだったし、友達の家に行くのだって歩いて行けたから、自転車に乗る必要が無かった。

 だからもうすぐ中学生になるけど、自転車に乗れない私は間違っていない。

 まあ別に? 今の私は自転車程度に乗らなくったって、むしろ走ったほうが断然速いまであるし?

 仲間外れで寂しいなんて……ないし。

 

 

 

 今日も元気よくデパートのみんなに行ってきますをして、近くの空き家に入っていく。

 もともとこの家は掃除をしているときから目を付けていた場所だから、幾分きれいな状態にしてある。

 

「私これがいい!」

 

「じゃボクはコレにしましょっかね」

 

「2人とも、そんなはしゃぐ場面じゃないだろう……」

 

 この家の庭に置いてあった自転車を見て、競争のように自分のものを主張している2人。

 結果、鈴さんは赤、ペラさんは紫、布川さんは黒の自転車に乗ることになった。

 この家は5人家族だったから、あともう2台自転車があったんだけど、1台はママチャリでもう1台は気持ち悪いほど小さなタイヤをしているやつだったので除外された。あれを乗るのは、乗れないけど外では恥ずかしくって乗りたくない。

 

 空気圧を確かめて自分用に各々サドルの高さを調節してから自転車にまたがる。ありきたりの普通のサドル。

 私のお父さんは自転車に凝っていたから変なサドルをよく買ってきた。中でも1番嫌だったのがすんごく細いサドル。初めて乗った自転車がそのサドルだったんだけど、お尻の骨が変に圧迫されてすごく痛い目に遭った。私が自転車に乗らない理由はその時のトラウマも影響している。

 

 普通だったら横一列に並んで走っていたら危ないけど、今は車も走っていないからやりたい放題。

 私はその後を、時には前に出たりしてぴょんぴょんと跳びながらついていく。

 やっぱり自転車は速いもので、この前来た場所は歩いて数十分もしたのに早くも着いてしまった。前回はかなり警戒していたのもあるけど、それにしたって文明の利器はすごいと思う。

 

 そしてその先をさらに進んでいくと、ちょっとした商店街みたいな感じになっていた。

 

 ところどころにシャッターが閉まっていて、あと20年もしたらシャッター街になりそうな本当にちょっとした商店街。

 大きな道の真ん中には中くらいの木が一定の間隔で植えられている。そしてその周りを椅子で囲んであって、木陰でホッと一息つけるように設計されている。

 この場所に来たことはないけど、こんなに誰もいなくひっそりをしているのを見ると、なんだか寂しさを覚えてしまう。

 

「光、ここで合ってるんだっけ?」

 

「ああ。今日の目的地はここ コマドリ商店街だ」

 

「こんだけ店があるんだったら、まだ生きている人もいるかもしれないっすね」

 

「そうかもしれないですね! 手分けして探す……ってのは危ないですもんね……」

 

「旭にあったマップでなんとなく見てきただけで、さすがに初めてくるところだからね。

ベルでの合図は決めたけど、商店街に路地裏はつきものだし、どこからひょっこり飛び出してくるか分からない。最初は固まって行動しようか」

 

「近くにバーテックスがいたら2回、遠くに見つけたら1回でしたっけ?」

 

「ああそうだ。遠くで見つけて余裕がありそうだったら鳴らさずに教えてくれていいからね」

 

「オッケーです」

 

 合図の確認も終わったから、まずは右側に沿ってお店を見て回る。さすがに自転車からは降りた。ゆっくり回りたいからね。

 まず始めに、テレビで見たことのある昔ながらのお肉屋さんやお魚屋さんを見つけた。

 初めて見るものだったからワクワクしながら近づいたんだけど、冷えてない中、長時間太陽に照らされていたせいで変な臭いがプンプンしていた。

 

 果物屋を見てみても、ほとんどの果物が黒くなったり茶色くなったりとどれもこれも腐ってしまっていた。

 一部大丈夫そうな見た目をしている果物もあったんだけど、他の果物が腐っている中でコレが本当に大丈夫な食べ物なのかがちょっと不安だったので、やめておくことにした。

 

 そのあと八百屋さんも見つけたけど、やっぱりどれもダメになっていて、この調子だともう自分で育てていくしか新鮮な野菜を食べることはできないんじゃないかと思えてきた。

 ほかの3人も同意見だったから、八百屋さんや果物屋に置いてあった植物の種を持って帰ることになった。

 

 そこまで商店街は長いわけでもなかったから、一度休憩がてらにベンチに座って盗ってきた種たちを眺めているんだけど……、

 

「これって持って帰ってもいいけどさ、私農業やったことないから作れないよ?」

 

「ボクもやったことないですね」

 

「あっ、私おじいちゃんの手伝いでほんの少しならやったことあります」

 

「確か大俵さんも農業の経験があると言っていたよ」

 

「それじゃ帰ったら聞いてみますね」

 

「灯ちゃんが土いじってる姿、すっごく似合いそう」

 

「なにせ常時持っているのが鍬なんすからね。そりゃもう適正抜群っすよ」

 

「でも灯ちゃん、農業部じゃなくてバドミントン部らしいのよ」

 

「えっ蛍井さん、岩波ちゃん鍬部じゃないんすか!?」

 

「そんな部活はありません!」

 

 ペラさんのとんちんかんな発言にびっくりして思わず席から立ちあがってしまった。

 それにしても鍬部って……そんな宗教染みた部活誰も入らないよ……。

 でも実際、今は朝の素振りもラケットではなくこのカネアキでやっているから鍬部といえば鍬部なのかな……?

 自分が所属しているクラブが何なのかだんだん分からなくなってきた。

 

 せっかく立ち上がったので、後ろにある中くらいの木に寄っかかってみることにする。

 近くで立ってみるとよりよく分かる、この木の大きさ。街の長い歴史を眺めて生きてきたことが伝わってくる。

 この木も太陽の温もりを持っていて、寄りかかるとほんのり温かくって気持ちいい……。

 

──グラッ。

 

 ……グラ?

 

「ふーっ全く。大体ですね……ってちょっとま、ううわあぁ!」

 

「ええっ! 大丈夫灯ちゃん!?」

 

「び、ビビった……」

 

「痛ててて……何が起きたのさ?」

 

「岩波君」

 

「な、なんですか」

 

 大きな音が聞こえた気がしたんだけど、よく分かんないし耳がキーンてなっててよく聞こえない。

 かなり驚いた様子でゆっくり丁寧に、1つ1つ言葉を紡いでいった。

 

「……そんなに、怒っていたのかい?」

 

「ケホケホッ土煙が……。怒るって私がですか? いや全然ですけど?」

 

「いや、しかしだね……」

 

「えっ?」

 

 顔を向けている先をだどってみると、そこにはさっきまで寄りかかっていた木が倒れているのが見えた。

 しかも途中からとかじゃなくって、根元からゴッソリ土付きで。

 根っこもむき出しになっていて、へーこうなっていたんだ なんて見当違いのことを思い浮かべてしまう。

 

「ってえ! 何ですかコレ!?」

 

「あんま調子に乗ってるとこうなるわよ、っていう見せしめっすか……気を付けるっす」

 

「いやいや私じゃないですって!」

 

「今のはどう見ても灯ちゃんがやったように見えたけど」

 

「偶々ですって、偶然木が寿命を迎えたんですって! そんなしょうもないことでキレませんよ」

 

 いやうん違うよね……。そんな短気じゃないし。

 さすがに不思議過ぎたから、木に近寄ってまじまじと見てみると1つ気になることを見つけた。

 

「この木……枯れてません? ほら乾燥してますし」

 

「あっホントだ。よく見たら葉っぱも枯れてるのね」

 

「ホントっすね。でも今は夏ですよ? こんな状態になるのなんてそれこそ12月とかくらいになんないとじゃないですか」

 

「変ねー」

 

 みんな集まって枯葉を眺めるけど全く理由が思いつかない。

 ペラさんの言う通り今は8月。普通だったら濃い緑色のはずなのに、この木は触れただけですぐにボロボロに砕けちゃう葉っぱしかついていない。

 気になってさらに辺りを見渡してみると、さっきまでは気が付かなかったけど他の木も似たような感じで、大部分の葉っぱが既に散っていた。

 

「なんか不気味、ですね」

 

「そう、だね。今は8月だっていうのになんでなんだ?」

 

「……ほ、ほらさ! もうここでの用事は大体済んだんだし、もうここから出てもいいんじゃない?」

 

「そうだな。じっとしているのももったいないし、そろそろ次に行こうか」

 

「はい賛成! さすが光分かってる」

 

 勢いよく小刻みに肩を震わせながらそう宣言する鈴さんの決定で私たちは早々にここから出ることになった。

 

 

 それにしても変な所だったな……。

 夏なのに植物が枯れるなんて、人が手を加えない限り早々起きそうもないことなのに。それも全ての木がなんて。

 ……変なの。




【独自設定】(今に始まったことではない)

神樹が結界を張る時に、周囲の生命力とか自然エネルギーとかも吸い取って結界を張ったのではないか、と思ったのでこういう感じにしました。
なので結界がある限りエネルギーを吸われ続けているので、結界外の自然は死に続けます。


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独自設定紹介と解説 1話〜25話まで

・藤森水都の殺害

……第1話にて登場。

 

 多分ゆゆゆ二次創作史上初の原作キャラを殺害した作品。

 最初期の予定ではこんな風になる予定じゃなかったが、しかしかなり早い段階でこの運命が決まってしまった。

 彼女の生きている姿が出るのは、長野が舞台の最終章の予定。というか原作キャラがその章にしか出て来ない予定でもある。

 殺害者はオリジナル主人公の岩波 灯。この子がやりました。死因は胸部貫通による失血死。

 

 作者は、のわゆの世界線で2番目に好きなのが長野組だと供述しているのに、なぜこのようなことになったのか。

 藤森水都ファンの人には大変申し訳なく思っている。

 

 

 

・北海道、長野、四国、沖縄以外に勇者がいる

……第3話にて登場。

 

 よくある?設定。

 作者が方言が分からないので関東らへんの出身の子にした。

 本作では今のところ舞台は埼玉になっているが、それも関東らへんで山がありそうなのは埼玉じゃね? という作者の圧倒的偏見によるもので、それ以外に意図は無い。

 最初期では、富士山の山頂からスタートの予定だった。主人公たちを、下山までの数日間、社会から切り離すため&富士山には神エネルギーがたくさんありそう。ということだったが没案となった。

 

 

 

・結界外が舞台

……第3話にて登場。

 

 この小説を書こうと思ったきっかけ。

 逆になんで結界外が舞台の作品が増えないのかが不思議なくらいの魅力を持った場所だと思っている。

 『のわゆ』の10話11話、わずかの『うひみ』の描写が参考文献。

 

 本作では主人公という”勇者”がいるため、外の世界の人たちの心の状態も原作よりは緩和されている。

 しかし環境面では、結界のある原作よりもハードモードになっている。というか、結界があって仲間もいるなんてヌルゲーでは?(んなわけあるか)

 

 しかし主人公には勇者の力がある。

 これは結界を張るよりも勇者を任命する方が、神様の残りHP的に楽だったということにしている。

 結界を張ってそれを維持させるよりも、勇者を任命してそれを維持させる方が楽だったということにもしている。

 力を与えている神様の名前も決まっていない。

 花言葉なんかよりも何倍も神様が日本にいて、決めるとかさすがに無理でした。

 

 

 

・武器設定が異質

……第3話にて登場。

 

 原作の生大刀や大葉刈のようなしっかりとした名前のあるものではなく、そういう名前がついていた神器を溶かして打ちなおすという外道な行いをすることにより、何でもありになった。

 作者が神器に疎いことが最大の理由である。

 結構これ応用が利くのではと思っている。

 今出ているのは、主人公が持っている鍬(くわ)/カネアキ。

 もう1つ出そうと思っている。多分40話とか50話くらいになるかも……。がんばれ。

 

 

 

・太陽が存在している

……第4話にて登場。

 

 『うひみ』の世界では、結界の外は太陽が消失していてずっと夜となっているが、本作を書き始める時には作者は知らなかった情報なので、本作では太陽が存在する。

 次にゆゆゆの作品を書くときは参考にしたい。

 

 

 

・専属巫女の死亡

……第5話にて登場。

 

 無知な状態で世界を開拓していってもらいたいので、退場してもらった。

 本来だったら、『うひみ』にモブのモブとして登場していた可能性を持っていた、名無しの女の子。

 

 妹の明は年齢的に神樹のお好みに合わないと思ったので(おばあちゃんは論外)、山の麓の大社支部みたいなところにいた女の子をお好みの年齢に合わせて手配した。

 主人公を東郷さん的なハイブリッド型にすることも考えたが、主人公にそんな特別な設定は付けたくなかったので、無しにした。

 

 彼女が持っていた、本来主人公が着るはずだった勇者服のモチーフは”スノードロップ”。良い感じの花言葉がついている。ぜひ調べてみてほしい。

 しかしそれも主人公の勘違いで、彼女が頑張って作った手芸の作品に成り下がってしまった。

 

 彼女の退場により、主人公が頭を回さないといけない機会が爆増した。

 おかげで全勇者の中で誰よりも無知な子が出来上がった。

 普段は頭は悪いが、自分の力やバーテックスのこととなるとかなりの的中率をみせる主人公。

 これからもがんばれ。

 

 

 

・勇者服を着ない

……第5話にて登場。

 

 勇者服を着るのは甘えだと思ったので着させなかった。

 なので原作の若葉や歌野よりもダメージを直に受ける。

 もしバーテックスに噛みつかれでもしたら、普通の一般人よりかは耐えられるけど、余裕で大惨事になる。

 しかも結界がある原作に比べて、本作は結界外なのでまともな医療設備もないためスーパー大惨事。がんばれ。

 

 でもこの判断は作者は間違っていないと思っている。

 だって普通に考えて、着てくださいと頼まれでもしない限りあんな服着ないでしょ。

 

 

 

・勇者の力を引き出すと、異様に冷静になっていく

……第8話にて登場。

 

 勇者は仲間が死んでも戦わなければいけない存在だから神樹が何かやってるでしょ、という考えで設定した。

 普通は友達が殺されたらあんなすぐには立ち直れません。絶対なんか脳に細工されている。

 簡単に言うと『切り札』を使った後の穢れみたいなもの。力を使っていない状態だったり、我に返ることができれば元に戻る。けれど、だんだん我に返ることが出来なくなっていく。

 

 

 

・動物が生きている

……18話にて登場。

 

 もしかしたら公式設定かもしれない設定。

 主人公に、人間以外が死ぬシーンを見せたいがために付けた設定。これと言って意味は無い。

 

 

 

・無線が繋がらない

……第19話にて登場。

 

 他との連絡手段を断ちたいと思った時にまず思い浮かんだのが、バーテックスによる妨害電波でした。

 実際出してそうな見た目していると思う。

 そう簡単に楽はさせない。

 

 原作では無線で若葉と歌野が会話をしていたけど、あれは無線のように見えるが、実は四国と長野の神様同士のテレパシーのやり合いなんじゃないかと作者は思っている。

 

 

 

・結界外の自然の滅亡

……第25話にて登場。

 

 結界を張る時に、周囲のエネルギーを吸収して張ったのではないかと思い、もしそうなら結界ないところ死んでるよね、ということで設定した。

 つまり、結界がある限り結界外の世界では植物は枯れ、新たな植物はほとんどできず、自然は荒れて、寒暖差が異常になる、などといった現象が起こってくる。

 記録的な豪雨などの悪天候も起こりやすくなる。

 

 

 



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第26話【抜き取られた生気の行方】

いつも読んでいただきありがとうございます。
仕事場で書くのが思いの外、はかどることに気が付きました今日この頃です。


 トボトボと、4人とも自転車にも乗らないで歩いていく。

 歩いて行くのは、もはや見慣れた壊れた街。

 次なる目的地に向かって歩いているけど、先ほどの異様な光景にみんな少し口数が少なくなってる気がする。

 みんなさっきのことを考えているんだろう。私もその一人だ。

 

 あれは一体何だったんだろう。

 触れただけで、ちょっと押しただけであんな人よりも大きな木が倒れるなんて。

 倒したまんまの状態で逃げるように出てきちゃったけど怒られないかな、大丈夫だよね?

 

 倒れるときに触れた感じがとても軽かった。いや、普通に木としての重量感はあったけど、地に根を張っているみたいなずっしりとしたのは無かった。

 中身が空洞のような軽さ。きっと枯れていたんだと思う。

 

 木が枯れるのでパッと思いつくのはシロアリとかが代表的だけど、私はそんなにシロアリについて詳しくはないけど、でもそういう感じじゃなさそうだった。

 一部分だけがやられているんじゃなくって、なんだか全体から生気が失われているみたいで、表面を触ってもカラッカラの乾燥状態、葉っぱも触れただけで粉々になるくらいだった。

 しかもそれが1か所だけじゃなくって木全体。しかも目に入った木は全部だなんて。いくら何でもちょっと不気味な感じがする。

 

 

 今までの普通じゃないおかしな現象は、私たちの敵であるバーテックスを除いてほとんどが私関連のことだった。

 だから私含めて、きっと見つかるだろう”力”を持った人たちにだけ変わったことが起きているんだと思っていたんだけど、もしかして違うのかな?

 ……でも違うって言われたって何も分かんない。前提から違うとか?

 

 うーん……、頭がそこまでよろしくない私にはムズカシイなぁ。

 

 でも全然へこたれない。

 だって今の私には頼れる仲間がいるんだから。しかもたっくさん。

 私1人の頼りない頭じゃ思いつかないんだったら他の人にも相談してみんなで考えてみないと。そのための仲間なんだから。

 

 と思ったので善は急げみたいな感じで、まずは前を歩いているペラさんに話しかけてみよう。糸電話のギネス記録を知っていたりと変わった知識を持ってるから、面白い意見が聞けるかも。

 

 

「あのぉペラさん、ペラさんはさっきのアレどう思いますか?」

 

「ん? さっきのって、岩波ちゃんがぶん殴ったあの木のことっすか?」

 

「だからぁそれは違いますって。で、どうなんですか?」

 

「そうですね……まず分かるのは当たり前のことっすけど、自然に起きたことじゃないってことですね。確実に人の手なりなんなりが加わっています。

 あれを”枯れた”と表現するとしますと、いくつかやり方があります。けど、どれもこれも何か月も時間がかかる作業でしかもあんな風にはならないっす」

 

「やっぱりそうですよね、あんなの普通じゃありえませんって」

 

 私の相槌を受けて、ペラさんは指を1本ピンと立てて、

 

「一応枯らす方法を紹介しておくと、まず思いつくのは、木の幹に穴を開けて除草剤を入れる方法。あ、除草剤っていうのは雑草を枯らすための薬のことで」

 

「いやいや、除草剤くらい小学生でも分かりますって」

 

「ああ、そうなんすか。あとはロープを幹に巻きつけたり表面の皮を剥いでみたりといろいろあるけど、半年とか何年もかかったりするんで、一般的には木が邪魔なら切り倒すのがいいです」

 

「でもそんな跡なんてなかったですよね」

 

「そうなんすよ。しかも、もしボクたちが痕跡を見つけられなかっただけだとしても、あの木があった場所は商店街。管理している人もいるから気が付かないわけがないんす」

 

「そう、ですよね……」

 

「あと思いつく可能性としては……」

 

「可能性としては?」

 

「岩波ちゃんっすかね」

 

「え。わ、私ですか? ってまだ言うんですか!?」

 

 何度同じやり取りを繰り返すんだー、と思っていると少し慌てた様子で手を横にブンブン振り、からかいではない新たな意見を言ってくれた。

 

「いやいやそうじゃなくって。岩波ちゃんて、作業中に何度も見せてもらったけどすんごい力使えますよね。人間重機みたいな感じで。

 以前言ってた言葉は確か、その力は自分の体の中から湧き上がってくる、でしたっすよね?」

 

「はいそうですけど、それがどうかしたんですか?」

 

「いやー普通に考えておかしいんすよ。元々岩波ちゃんにはその力は無かったのに、何故か力は岩波ちゃんの中から流れてきている。力の出所が無いんすよ」

 

「確か、灯ちゃんが鍬を握ったらそうなったんだよね?」

 

 こちらの話に興味を持った鈴さんも話し合いに参加してきた。1人で考えているのも飽きちゃったんだろう。

 ちなみに布川さんは、さっきからずっと必死に地図とにらめっこしている。次の目的地を探してくれているんだけど、なんでも地図音痴なんだとか。

 サポートしていた鈴さんがこっちに来ちゃったから、今はちょっと進んでは立ち止まって、ちょっと経ったらまた進んでを繰り返している。

 

「そうです。あ、そういえばコレただの鉄製じゃないんですよ。おじいちゃんが言ってたんですけど、どこかの神様が持っていた神器を溶かして作ったやつらしいんです。ホントばちが当たっちゃいそうですけど」

 

「へぇー神、神っすか……。うーん、……岩波ちゃん、ちょっとボクの手を握ってから力を使おうとしてみてくれますか? あ、もちろん握るのはお手柔らかにお願いするっす」

 

「いいですけど、ペラさんの中の私ってどんな生物なんですか……私は普通の女の子ですよ」

 

 へらへらと笑いながら手を差し出してくるペラさんの提案に、不思議に思いながらも右手を差し出す。

 言われた通りに軽くその手を握ってから、体の中心に呼びかけて力を引き出していく。

 さすがに力を手に入れてから何日も経っているから、力加減はパーフェクトにバッチリだ。……まあもしミスってもペラさんならいっか。

 

「この後私は何をすればいいんですか?」

 

「……いや、もう確認できました」

 

「いったい何の実験だったの?」

 

「蛍井さんも見ましたでしょう、さっきの枯れた木。ボクは岩波ちゃんの話を聞く前まで、岩波ちゃんが力を使ったからあの木が枯れたんじゃないかって思ってたんすよ」

 

「えっと、どういうこと?」

 

「つまり、岩波ちゃんの力の正体は周囲からエネルギー、今回の場合は生命エネルギーを巻き上げたものなんじゃないのかってことです。でも違いましたね。だってボク元気っすもん」

 

 ハハハと1人愉快そうに笑っている。

 でもこの人笑っているけど、とんでもないことをしようとしていたんじゃない。

 だってもしペラさんの仮説が正しかったら、私がペラさんから生命エネルギーだかを吸い取っていたかもってことだよね。

 そんな危険なことを勝手にやろうとしていたなんて、これはいくら何でも抗議しなきゃ。

 

「ちょ、そういう大事なことは早く言ってくださいよ!」

 

「そうよ、危ないじゃない!」

 

 勢いよく2人で言っても、当の本人は素知らぬ顔で笑っている。

 あと、急に私たちが大きな声を出したから話に参加していない布川さんがビクッってしていた。

 

「違うってなんとなく確信していたんで大丈夫っすよ。あんまり信じられないけど、多分その力は神様とかそこらへん由来のものだと思います」

 

「なんとなくって……。あ、ペラさんもそう思いますか」

 

「はい、じゃないと力の出所が分からないですから。現代日本ではありえないファンタジーな考えですけど、それが一番無難なんで」

 

「それじゃ、私や光みたいな人は神様に選ばれなかったってこと?」

 

「たぶんそうなんじゃないかと。これで岩波ちゃんの称号は”勇者から””神に愛された勇者”に上書き保存っすね」

 

「な、なに勝手に合わせてるんですか! それここ以外で言わないでくださいよ!」

 

 合わせてはいけないものと合わせてはいけないものが合体されてしまった。

 今の勇者だけでも恥ずかしいのに、そんなのが広まっちゃったらもう外に出られなくなる……。

 

「かっこいいじゃないっすか、ねえ蛍井さん」

 

「うん、うん、そ、そうだね…………っぷははは! あーダメおかしい。ごめんね灯ちゃん面白くって……」

 

「謝るくらいなら笑わないでくださいよ……」

 

 名誉そうな不名誉な称号に大笑いされた。

 自分じゃなかったら私も100%笑ってたけど、自分のこととなると笑い声じゃなく冷汗しか出て来ない。お願いだから広まんないでよ……。

 

「あーお腹痛い。ねえねえ光聞いてた? 今の話」

 

「んよし着いた! って、ん? どうしたんだみんな」

 

 呼びかけに応じた布川さんは目を白黒させている。本当に真剣に地図と戦っていたみたいでこの状況について来れていない。聞かれてなさそうで良かったぁ。

 そんな何も知らない布川さんに対して、あろうことか喋り出そうとする鈴さんを後ろから抑え込む。

 これ以上被害を拡大させるわけにはいかない。少し抵抗されたけど、話しかけるのをやめてくれた。後でもう一度2人にちゃんと口止めしておかないと。

 

「んまあいいや。さて、みんなお待たせしてしまってすまなかったね。なにぶん地図は得意ではないもんでさ。でもようやく着いた」

 

「男の人は地図が得意だって言うんだけどねー」

 

「地図が苦手な男が目の前にいるの知ってるだろう」

 

「2人とも。目的地に着いたんですし、ちゃっちゃと中を確認して帰りましょうよ。ここは安全ではないんですから」

 

「ペラ君の言うことももっともだな。じゃ入ろうか」

 

 長くなりそうなところをペラさんがぶった切ってくれたので、私たちは次の目的地に入っていった。

 その場所は、デパート旭からさほど離れていないビルの2階にあるお店、カラオケ店だ。



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第27話【ただいまのその先】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 カラオケ。

 少年少女だけではなく幅広い年齢層から人気の楽しい遊び。

 どれだけ大声を出しても、言っちゃえば楽器を鳴らしたって誰にも迷惑が掛からない特別な場所。

 いつも遊ぶ時よりもずっと狭い空間で友達と遊ぶ、ということが人気の理由かもしれない。仲いい人ほど一緒にくっついていたいという気持ちはよく分かる。

 

 私もたまに後輩ちゃんたちと一緒に学校帰り行ったことがあるけど、タイミングが合わないのか、なかなか歌うことができない。

 最初の頃はみんなと一緒に歌ってたんだけど、だんだん『先輩はマイクよりもジュースの方が似合いますよ!』とか言われてマイクの代わりにジュースを持たされるようになった。

 おいしいからチビチビ味を楽しみながら飲んで、飲み終わってさあ歌おうと思ったら『コレもおいしそうですよ!』とマイクに手が届くよりも先に、別のおいしそうなジュースを後輩ちゃんが持ってきてくれる。

 わぁおいしそう! と思ってまたジュースを飲んで、だいたいそれの繰り返し。

 そして、そんなこんなをしているうちに帰る時間になっちゃって歌えない、という感じだ。

 

 だから私にとって、カラオケというものは身近な存在だけど、ちょっと遠い存在みたいなもの。

 けど別に歌わなくっても後輩ちゃんたちとのお話も楽しいし、歌を聴くのも飲み物もおいしいから今の距離感が心地いい。

 そんなことを友達に喋ったら、それはカラオケじゃない、って言われちゃったけど……。

 

 

 そんな懐かしい記憶を思い出しながら、ところどころ剥げてきている青い看板を掲げたカラオケ屋さんを見つめる。

 なかなか年季が入ってそうなお店だな。第一印象はそんな感じで、可もなく不可もなくな評価を勝手に押し付けていく。

 先陣を切った鈴さんに続いてぞろぞろと入っていく。

 

 

「外観はちょっとアレだったけど、やっぱり中は大丈夫みたいね。まああんな巨体がこんな狭い店の中には入り切らないか」

 

「完全貸し切り状態。今なら歌い放題だな」

 

「電気無いんで、歌ってもBGM無しでテンション上がんないっすけどね。飲み物も飲み放題ですよ」

 

「あ! これこれ。私のおススメなんです。へー、なかなか無いのにこんなところにあるんだー」

 

 ドリンクバーの列の一番端っこにある私のお気に入りの飲み物を指差す。

 このカラオケ屋さんは年代物のお店だからところどころがかすれたりしている。特にメロンソーダとか色がはげ落ちちゃってる。

 けどこの飲み物のボタンは、ほかの押しボタンと比べて、ひときわ新品感がある。まるで誰も押したことが無いみたいに。

 

「……バナナおしるこ? え、なんすかコレ」

 

「とんでもない組み合わせね。罰ゲーム用なんじゃない?」

 

「違いますよ! れっきとした飲み物ですって」

 

「これが、か……。なんで混ぜちゃったんだ」

 

「私も最初は、なんだこれは? って思ったんですけど飲んでみたらおいしいんですよー。ぜひぜひ」

 

 以前、後輩ちゃんが持ってきてくれた珍品を紹介してみたけど、みんな難しい顔をしている。

 

「わ、私は遠慮しとこうかな……」

 

「僕もやめておくよ……」

 

「いやーこれはないですね」

 

「えーホントにおいしいのに」

 

 私の主張空しくあっけなく振られてしまったので、仕方なく私1人分のコップだけ用意して注ぎ込むことにする。

 小豆色に染まった液体と小豆のつぶつぶがコップに注ぎ込まれているのを眺めている間に、3人は各部屋の中を見まわって、いないとは思いつつも人がいないかの確認をしている。

 それから部屋の内側から大声を出して、外に漏れていないかのチェックをしているのを横目で見ながら、コップ一杯にたまり切ったドリンクを飲み干す。

 

「少し古びているから心配だったけど、これならみんな使えそうね」

 

 今日ここに来ることにしたのは、デパート旭のみんなのため。

 私たちの中にも家族を失った人は大勢いる。いくらあの日から何日も経過したからと言っても、まだたった数日前のこと。

 自分を名前を呼ぶあの人の声、手を握ったときに感じたあの人の温もり、話しているときに見せるあの人のくしゃっと笑った顔。どれもこれも忘れるにはあまりにも短すぎる。

 

 最近の私たちのがんばりに影響されて、少しずつ前を向こうとする人が増えてきたけど、まだまだ頑張れない人はいっぱいいる。

 しかも私たちは今、ほぼ他人同士の関係性で一緒の共同生活をしている途中だ。

 悲しいことだけど、中には自暴自棄になってマイナス発言ばかりを繰り返したり、なんだかずっと一人でぶつぶつ言ってる気味の悪い人がいる。

 親しい人の死を悲しみたいのに、うるさいから迷惑だ、泣くんだったら出ていけと怒鳴ってきたりする人もいる。

 うちの明だって普段は明るく振る舞っているけど、夜一緒に寝るときはあの日見たおじいちゃんおばあちゃんのことを思い出して涙を浮かべることもしばしばだ。

 

 そういうストレスがなにかと溜まってしまう環境にいるせいか、少し体調が悪くなってきた人が出始めてきた。

 今と違う環境でリフレッシュしたい、大きな声を出して発散させたい。

 そんな願いを聞いた私たちはすぐさま行動に移した。周辺のことが載っているマップを広げると、近くにカラオケ屋さんがあることが判明し今に至る。

 

「思っていたよりもスペースも部屋数も多いし、安全面を考えないとだけどかなりの人数が入るな」

 

「けど連れてくる頻度も考えないとですね。なんならボク、あっちじゃなくてここで暮らしたいくらいっすもん」

 

「確かに子供だったら勝手に来ちゃうかもしれないわね。口も軽いだろうから大勢連れてきちゃうかも」

 

「その辺もしっかり考えないとな」

 

 厨房でコップを洗っていると、そんな話が聞こえてきた。おいしかったから2杯も飲んじゃった。

 

「あれ? 灯ちゃんは?」

 

「おーい岩波君どこだい」

 

「あ、はーいこっちでーす」

 

「こっちにいたの。どう、おいしかった?」

 

「はい! 大満足です」

 

「それはよかったわね。私はいらないけど。さ、みんなも待ってることだしそろそろ帰りましょ」

 

「もう1杯くらい飲みたいですけど、また次の時にします」

 

 みんなを連れてくるときは私の同行が必須条件なんだからその時にまた飲もう。

 久しぶりに味わったお気に入りの味を噛みしめて、私たちはカラオケ屋さんを出て帰路に就いた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「せっかくカラオケに行ったんだし、1曲くらい歌っておけばよかったなー」

 

「そんな悠長なことをやっている時間は無いのは分かってるだろう」

 

「それは分かってるけど、でもここ最近は忙しかったから中々行けてなかったのよねー」

 

「皆さんて普段何やってるんですか?」

 

 そこまで急いではいないから、自転車には乗らずにひきながら歩いている。

 そういえばこんだけ一緒にいるのに3人の普段の様子をあまり知らない。

 ええっと鈴さんは確か、デパートの受付だっけ?

 

「私はあのデパートの受付をやっているの。最初に会った時に話したっけ?

 まだ入社1年目で覚えることが多くってね、受付だからフロアの説明とかしないといけないから細かいところを覚えに休日返上でよく旭に来て。大変だったなぁ」

 

 そう言ってどこか遠い目をしている鈴さん。

 大人は宿題とかが無さそうだから、私たち子供と比べて楽だと思ってたけど休みの日にも働かないといけないのか。

 早く大人になりたいと思ってたけど、休みの日くらいぼーっとしていたいからもう少し子供のままでいいかも。

 

「僕は保険会社で営業をしているよ。いろんなとこを受けたんだけど、たまたま受かったのがそこだけだったんだ。僕も保険には興味が無かったから最初の頃は覚えることがいっぱいだったよ」

 

「ボクはお2人とは違って普通の大学生っすね。コンビニでバイトしながら演劇のサークルに入ってます。けっこう楽しいっすよ」

 

「演劇なんてやってるんですか!? それにペラさんがまじめに働いている所なんてあんまり想像できない……」

 

「わあすごい言われようっすね。コンビニにはいろんな客が来ますから、それを見ているだけですごく人の勉強になるんすよ」

 

「あー確かに、私はお客様よ! みたいな人もいるの?」

 

「そんな人はさすがに……と言いたいところなんですけど、これが意外といるんですよ」

 

「えーテレビみたいじゃない。じゃ、じゃあさ、強盗は来る? 有り金全部よこせ―みたいなやつ」

 

「いやー、それはまだ来てないですね。ていうか蛍井さんてなんかアレですね、考え方が子供っぽいっていうか」

 

「ハハハッ、子供だってさ鈴」

 

「ちょ笑わないでよ! いいでしょ想像するくらい。ねえ灯ちゃん」

 

「わ、私ですか!?」

 

 唐突の不利に言葉がつっかえる。

 私から見てもちょっと子供っぽいなとは思ったけど、でも私だって一度は聞いてみたい質問でもあるしな……。 

 

「えーっと、そうですね……あっ、見えてきました。そろそろ着きますよ」

 

 うまく言葉が思いつかなかったから、ちょっと強引だけど話題を変えることにした。

 本当にデパートが見えてきたんだし間違ったことは言っていない。

 

「そこは、そんなことないですよって言って欲しかったところよ灯ちゃん」

 

「小学生の岩波君にまではぐらかされたってことはそういうことだな」

 

「そんなはずないわよ、ね?」

 

「お、誰か出てきたみたいですよ」

 

 言われた通り入り口の方に注目していると、確かに誰か出てきていた。

 見てみると、最初に出てきたのは明。その後ろから少し遅れてマコトが出迎えてくれた。

 

「おかえりーともちゃん! 上からみえたからきたよー!」

 

「はーいただいま。いるの私だけじゃないんだけどね」

 

「みんなおかえり。何か収穫あったんですか?」

 

「ああ真君。ちゃんとカラオケボックス使えそうだったよ」

 

「それはよかったです。これで少しは空気が良くなるといいんだが」

 

 今回のカラオケの件を提案してきたマコトが安堵の表情を浮かべている。

 マコトは荒い言葉遣いとはあまり想像できないけど、親世代の人に人気で、そういう愚痴を聞く機会が豊富だった。

 多分反抗期の息子みたいで可愛いく見えるんだと思う。

 私だったら自分の子がこんな子だったら大変で嫌なので、親はみんなすごいと思う。

 

 そんな話をしていると、もう1人こっちにくる人影があった。

 誰だろうと思っていると、

 

「『葵』〜、そんなに急ぐと転んじゃうわよ〜」

 

「な、どうして……?」

 

 ここで1番聞きたくない声と共に、降りて来るはずのないあの人が入り口から現れた。




テキトーにバナナおしるこってパッと思いついたのを書いてみました。
試しに調べてみると本当に存在しててビビりました。しかもちょっとおいしそう。


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第28話【痺れを切らした白い悪魔は来店する】

遅くなりました。いつも読んでいただきありがとうございます。


 人とのつながりで大事なのは、血がつながっているとか一緒に過ごしてきた時間の長さ、とかじゃなくって”関係線”の太さなんだと私は思っている。

 関係性ともちょっと違う関係線。

 

 血が繋がっていたって家族を大事にしない人はたくさんいるし、逆に血がつながっていなくっても仲のいい家族がたくさんいるということはよくテレビで見たことがある。

 まったく血がつながっていないのに、地元から遠く離れた場所の食堂にいるおばちゃんを”お母さん”だの”お袋”だのと呼んだりしたり、ただとても仲がいいってだけで”兄弟”だと自称したりする。

 初めて会った人なのに、ほんの一言二言話しただけで、まるで何年も一緒だったかのようにはっちゃけたりする。

 だから血のつながりなんて、人とのつながりを表すのにはあまりピッタリじゃないと思う。

 

 それに意地悪なことを言うんだったら、輸血をした人は一体どうなるのか。

 血を重要なものとして見るんだったら、他の血が混ざっちゃう輸血なんかは、そう見る人たちにとってはあまり良くないものになってしまう。

 多分その人たちにとっては、そういうことじゃなくて血というのは魂みたいなものだ、とか言うんだと思うけど、でも私は結局は同じことだと思っている。

 

 

 関係性だってそう。

 ひとくくりに”友達”と言ったって、表面上の友達、友達と言えるのか自信が持てない友達、まるで家族のように笑い合える友達、と一言では言い尽くせない関係がある。

 特に女の子にとって、関係性の把握はとても重要なことだ。誰と誰がどうなっているのか、がとても大事になってくるし私自身も気になるところ。

 間違って踏み込んじゃったりすると面倒なことになるから、毎日が情報戦で結構疲れる。

 

 でも私たちが日々戦っているこの関係性はとても曖昧で目に見えないものだ。具体的ではないものでつながっている感じで揺蕩っていて、風が吹けばあっという間にぷつりと切れてしまいそうな代物。

 

 

 だから私は自分の解釈として、その関係性に”太さ”を付け加えることにした。それが関係線。

 過ごしてきた時間とか、相手を想っている熱量とか、その人を気にかけたい気持ちとかそういうものを全部ひっくるめた、総合的に判断したその人に対する心持ち。

 ”愛”という言葉は使うべき時に使いたいからあまり多用はしたくないけど、でもそんな感じ。その人をどれだけ愛しているか。

 そしてその上からラベルみたいな要領で、関係性を貼り付ける。こうすればちょっとやそっとのことでは揺らがない関係線の出来上がり。

 イメージとしては矢印みたいなものだと思うと理解しやすい。

 これに慣れてくれば、喋り方とか接し方とかで大体の関係線の太さが分かってくるようになる。

 

 つながりの太さは想いの丈の大きさ。それが強ければ強いほど相手を信じられるし、その時の感情を分かち合いたいと思っている証拠になる。

 

 

 

──だから。

 

「あっ、おかあさん(・・・・・)! おそいよー」

 

 明からあの人に向けられる関係線の太さを感じた時、私は目の前で起こっていることが何なのか、しばらくの間理解ができなかった。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「仲のいい灯ちゃんに会いたい気持ちも分かるけど、あんまり急ぐと転んで危ないでしょう」

 

「だいじょーぶだよ」

 

「そう? お母さん心配だわぁ」

 

「皆神さん、その、外に出てて大丈夫なんですか?」

 

 恐る恐るといった様子で、固まっている私に代わって鈴さんがそう尋ねてくれた。鈴さんは私が皆神さんのことをよく思ってないのは、あの場に居合わせていたから知っている。でも、

 

「そうですよ皆神さん。どうしたんですか?」

 

「どうしたって、子供がいるところに親がいるのは別におかしなことではないですよね」

 

「確かに、皆神さんからしてみれば明ちゃんは娘さんみたいなものっすよね」

 

 居合わせていない組の布川さんとペラさんは、のん気にあの人とおしゃべりしている。

 

「空の下ですけど、体調は大丈夫なんですか?」

 

「ええ。この子といると気分が悪いのが少し治まるのよ」

 

「おおそうなんですか! 子供はいろんな力を与えてくれるって言いますしね。天恐にだって対抗できるかもしれないですね、なあ岩波君」

 

「えあ、あはい……そうですね……」

 

「2人ともちょっとこっちに来て」

 

 話を振られても今はうまく答えられない。

 見かねた鈴さんが、布川さんとペラさんを引っ張って事情を2人に説明してくれているのが思考の片隅に捉えられた。

 

「ど、どうして明はあの人と一緒にいるの……?」

 

 私は振られた話には答えずに、傍にいる明に慎重に尋ねた。

 

「あの人って、おかあさんのこと?」

 

「明。 あの人はお母さんじゃないでしょ」

 

「で、でもそうよんでほしいって……」

 

「呼んでほしいって……」

 

 もう訳が分からない。こんなひどい呼び方を明に強要しているなんて本当に頭がおかしい。

 明は見ていないから知らないだろうけど、よりにもよってお母さんだなんて……。

 

「皆神さん。あなた私の妹に何吹き込んでるんですか!」

 

「何って、お母さんをお母さんと呼ばせて何がいけないの?」

 

「は、は~!?」

 

 思わず頭を抱えてしまう。

 あーもうだめだ。あたまおかしい人には何を言っても通じないって言うことがよーく分かった。

 この人が何を考えていて何のために行動しているのか、鈴さんにも言われたから理解してあげようと思ったけどやっぱり無理だ。

 この人と一緒にいたらこっちまで訳が分からなくなりそうになる。

 今わかることは、この人と明を同じ空間にいさせてはいけないってことだけ。でもそれで十分だ。

 

 

「明ほら早く帰ろう」

 

「え、でも……」

 

「灯ちゃん、明と遊びたい気持ちは分かるけど、明は今お勉強中だからまた後にしてくれる?」

 

「勉強中って、まさか明この人に教わってるの?」

 

「そうだよ? マコくんといっしょに おべんきょうしててね、すんごく分かりやすいんだ~」

 

「マコトもいてなんでこんなことになってんのよ……」

 

 私の荒れる気持ちなんて露も知らない様子であっけらかんとそう答えた。

 てっきり教わっているのはマコトだと思っていたのに、まさかマコトも一緒になってこの人に学んでいるとは。

 よく話を聞かないでマコトだと勘違いしてしまったあの時に戻って止めてあげたい。

 

「とにかく今は──」

「危ない!!」

 

 突然の男の人の大きな声に驚くのもつかの間、横から来る軽い衝撃。

 立った状態の私はその衝撃に思わず尻もちをついてしまう。更に手の突きどころが悪くて、刺さらなかったけど小石が手のひらに食い込んだ。

 

「痛っ。今度は何!?」

 

「う、うぅあ……」

 

 すぐ右側から聞こえる布川さんのうめき声。どうやら私を突き飛ばしてくれたのは布川さんみたいだった。

 

 そしてすぐに目の前に広がる白い影。

 不可思議に宙を浮遊していて、その大きな口のようなものをカチカチを噛み合わせて音を鳴らしている異形のバケモノ。

 音もなく接近していたそれは、私たち人類の天敵ともいえる存在・バーテックスだった。

 

 混沌としたこの場に、更に白の色が加わった。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「光! 大丈夫!?」

 

 必死な表情で駆け寄る鈴さんを守るように鍬/カネアキをバーテックスに向かって慌てて構える。

 どうして、よりにもよってこんな時に。目の前のことに集中しすぎた。警戒を怠ってしまった。

 私たちがいるのは仮初の安全地帯なだけであって、いつこのようなことが起きるか分からないって分かっていたのに……!

 

 小規模のパニック状態に陥り、いろんな感情が生み出されていくのを、力を開放することによって強引に抑え込む。

 頭の中で絡み合っていた糸がどんどんほぐれていくかのように、思考が次第にクリアになっていく。

 

 まずは一番重要な現状の把握から始めよう。

 私をかばって吹き飛ばされた布川さんは、一目見たところ致命的なケガは負ってはなさそう。

 でもバーテックスにぶつかった右側の腕からは血が出ていて、操り人形みたいに変な方向を向いてしまっている。

 

「ペラさん! 鈴さんと一緒に布川さんを担いで逃げてください!」

 

 目の前にいるバーテックスは全部で4体。

 私1人だったらそこまで難しい数じゃないけど、今は勝手が違う。

 まず戦い始める前にみんなを避難させないと。

 

 そう思いペラさんに指示するも、一向に動くような気配がない。立ちすくんだ状態でただバーテックスを見上げていた。

 

「あのペラさん聞こえてますか!?」

 

「……あぁやっぱり、そう(・・)なのかよ……」

 

 バーテックスを睨みつけながらゆっくりと横歩きでペラさんに近づき肩を揺するも、返ってきたのはか細い声で呟かれる独り言。

 そして私の揺さぶりに何の抵抗も踏ん張りもしなかったペラさんは、揺さぶりに従ってそのまま崩れるように座り込んでしまった。

 

「ああもう、天恐持ちじゃないんじゃなかったの!?」

 

 戦力になると思っていた人が動けなくなってしまって、つい口調が荒くなってしまう。

 それに加えて、天恐持ちの皆神さんは当然のようにうずくまっていた。

 

「ああぁ! 頭が、い、痛い……ううぉえ……」

 

 さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、頭を押さえながら嘔吐を繰り返している。

 そんな背中をオロオロとした様子で擦る明。

 そんな人のことなんて気にしないで早く逃げてほしいという悪い感情が思わず出てしまう。

 

 そうこうしている間にもバーテックスはユラユラとこちらに近づいてきている。

 

 前方には4体のバーテックス。

 意識が朦朧としている布川さんと、涙ながらに必死に呼びかける鈴さん。なぜだか急に行動不能になったペラさんに天恐持ちの皆神さん。

 そして私の妹、明。

 致命的なまでに私以外の戦力が足りない。

 

 更に極めつきに悪いのが、私たちが今いる場所。

 そう、さっきまで私たちはデパートの入り口付近で話していた。だから私がこの場から逃げてしまうと、今度はデパートのみんなに危険が及んでしまう可能性がある。

 もしかしたら騒ぎを聞きつけてデパートから出てきてしまうかもしれない。そうなったらもう最悪だ。

 

 逃げることも、出来れば避けることさえも躊躇われるこの戦局。

 正しい選択をしないと大惨事になってしまう。

 鍬/カネアキを握る力が自然と強くなるのを感じた。

 



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第29話【追憶するのは懐かしきあの頃】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 ゆらゆら。ゆらゆら。

 壁際にネズミを追い詰めたネコのように、余裕な笑みを浮かべて近寄ってくるバーテックス。

 多分このバーテックスを作った人は、かなり意地の悪い人なんだと思う。怪物みたいに、というか怪物なんだけど、それくらい強いくせに音も立てて来ないなんて。音を出してくれる分ゴジラの方がまだ親切だ。

 

 幸いなことと言えば、そんな怪物からの奇襲を受けているのに、今日亡くなった人は今のところいないということ。

 最初の一撃でみんなやられていた可能性もあったのに、布川さんのおかげでその最悪の結末は阻止できている。布川さんには本当に感謝しかない。ありがとうございます。

 そんな布川さんも、私をかばってケガをしてしまっている。

 早く助けに行かないといけないのに、突然降りかかってきた悪夢に恐怖なのか武者震いなのか、心の震えがさっきから止まらない。守らなきゃいけないという責任感も影響しているんだと思う。

 さっきまでは殺伐としながらも比較的平和な世界にいたもんだから、何度も味わっているけど急な世界観の変更に体も心もついていけていない。

 

 一分一秒が戦況を左右するこの状況で私はふと、ある日の山中でのおじいちゃんとの会話を思い出していた──。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 あれはおじいちゃんに連れられて、山からの景色を眺めに行った帰り道。

 仲良く手をつないで歩いているのは幼い頃の私と、まだ髪を黒く白髪染めしていた頃のおじいちゃん。

 この日はおじいちゃんの家でのんびりゴロゴロしていた私を、いいものを見せてあげるとおじいちゃんが連れだしてくれた日。明はその頃はまだ幼過ぎて歩けなかったから、おばあちゃんと一緒に家で待っていた。

 得意げなおじいちゃんと、未だ興奮冷めやらぬ感じの私が楽しそうにお話ししている。

 

「どうだい、おじいちゃんのお気に入りの場所は」

 

「すんっごくきれいだったよ!」

 

「そうかそうか楽しんでくれたか。おじいちゃんもな、畑仕事で少し疲れたなと思った時は、あの場所に行って休憩しているんだ」

 

「灯もまた行きたい!」

 

「気に入ってくれてうれしいよ。でも一人で見に来ちゃいけないぞ。山は危ないからな」

 

「それくらい分かってるよー。でもさーおじいちゃん」

 

「ん? どうしたんだい」

 

「危ないって、この山ってクマとかが出たりするってこと?」

 

「いやいや、そんなに奥に行かなきゃ大丈夫だよ。普通に暮らしている分には危ないことは無いぞ。危ないって言うのは、迷子になったりしてしまうってことだ」

 

「まあもし会っちゃっても死んだふりしてればダイジョーブだもんね」

 

「それがね、灯ちゃん。死んだふりっていうのは実は意味が無いんだよ」

 

「ええっ嘘! そうなの!?」

 

 眼を見開いて驚いている。この時は今までの自分が信じてきた常識が壊されて、本当に驚いたなあ……。

 

「実際にはクマと出会った時は、音を立てずにゆっくり後ろに下がるのがいいんだ。背中を見せたり急に動いたりすると、クマは驚いて逆に襲ってきてしまうんだよ」

 

「え~死んだふりやりたいよ~。明と一緒に練習したのに~」

 

「残念だけど、練習の成果は出せそうにないなあ」

 

「……おじいちゃんは見たかった?」

 

「ん? そりゃ灯ちゃんのだったらなんだって見たいさ」

 

「じゃ今やってあげる! たくさん練習したんだから、ちゃんと見ててね」

 

「お、おう。別に今じゃなくても家に帰ってからで……」

 

「うわあぁあ~やられた~」

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「あの時の景色きれいだったなあ……」

 

 懐かしき思い出の走馬灯に、焦っていた心が落ち着いていく。力の奔流では取り除けない、はやる気持ちが沈んでいく。

 

 よく走馬灯と言うと、死にそうになった際に自分の記憶を探って困難を打開しようとするに見れる、みたいな話を聞く。

 今のはそれにちょっと近かったような気がするけど、得られた知識は”死んだふりはしてはいけない”ということ。それと私の演技力がとても低いということだけ。

 もし今のが走馬灯だったら、あっけなさ過ぎて悲しくなっちゃう。

 

 だからきっと今のは走馬灯なんかじゃないんだと思う。

 ということはつまり私の体は魂は、まだこんなことじゃ死ぬなんて微塵も思っていないってこと。

 私がまだ諦めていないのに、私が諦めてちゃいけない。

 

「もう一回見に行くためにも頑張らないと!」

 

 ひとまず状況をもう一度確認しよう。

 後ろにはたくさんの守らなきゃいけない人たちがいて、前には平和を脅かす怪物バーテックスが4体。

 せっかく得られた知識だけど、ここでも死んだふりはできなさそう。

 やってもいいけど、成功しても後ろのみんなが襲われるだけ。失敗したら無防備な私まで食べられてしまう。完全に意味のない行動になっちゃう。

 眼を見合わせてゆっくり下がってもただ状況が悪くなるだけ。

 

 ということなので、この現状を打破するためにまず私がやらなきゃいけないのは……、

 

「痛いと思いますけど、歯ァ食いしばってください!」

 

 ペラさんに右ストレートを喰らわせてあげることだった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 完全に上の空の状態だったペラさんは、私の繰り出したパンチで手加減はしたんだけど面白いくらい吹き飛んでいった。

 吹き飛ばされたペラさんは、咳込みながら何が起きたのか分からない様子で目を白黒させている。

 

「あっ、勢い余ってグーで殴っちゃった。ビンタでもよかったじゃん」

 

「ブッ、ゲホゲホッ……な、なにするん……」

 

「ボーっとしてたんで、喰らいたくないって言ってた私の力ぶつけさせてもらいましたよ。……想像以上にいいの入っちゃいましたけど……」

 

 鍬以外でも自分の体だったら力の影響の範囲内ということは、もうずいぶん前に検証済みだ。骨が折れていないか少し心配になるけど、ともあれ……、

 

「しっかりしてくださいよ! 見てください、布川さんが私をかばってケガをしているんです。人手が足りないんです」

 

「…………」

 

「ここのバーテックスは私に任せてもらって大丈夫なので、ペラさんはあそこの2人と明を連れて早く逃げてください!」

 

 早口で事の要件を伝えると、

 

「……そうか、岩波ちゃんは……まだ……」

 

 そう小声で何やら呟いた後、ふらふらした様子だけれども立ち上がってくれた。

 

「そうか、いや、そうっすか。ボクがやらないといけないってことっすね?」

 

「はい、お願いします!」

 

 さっきまで失われていた眼の光も色を取り戻していて、ここにあらずだった意識もはっきりしている。

 どうやら目を覚ましてくれたみたい。

 

「年下の女の子に殴られてもボサッとしてたままじゃ怒られちゃいますしね」

 

「力を強くし過ぎた反省は後でしますんで」

 

「いえ大丈夫っすよ。目覚めにはちょうどいい衝撃でした」

 

 そう言い残すと、ペラさんは駆け足で布川さんと鈴さんのもとへ駆けつけていった。

 

「明もペラさんの後を付いていってね」

 

「う、うん! がんばってね」

 

 と同時に私は、あの4体のバーテックスの目の前を横切って走り抜けた。ようやく動いてくれたペラさんを狙わせないためだ。

 企み通りバーテックス4体とも私についてきてくれた。遠くではペラさんが明の手を引いて鈴さんと会話しているのが見えた。

 

 と言ってもこの場から遠くに行ったわけじゃない。

 だってここにはもう1人守らなきゃいけない人がいるから。

 

 人の持ち運び方とか知らないからちょっと雑になっちゃうけど、うずくまっている皆神さんを横から左腕で抱きかかえる。

 抱き上げるとき、呻き声が聞こえたような気がしたけど、後ろから追従してくるバーテックスの圧と私の走る音に掻き消えた。

 

「私の腕に吐くなんてこと、しないでくださいよね!」

 

 私のトップスピードは今やバーテックスよりも速くなったけど、ペラさんたちが逃げるまでは付かず離れずの距離を維持している。

 理由はもちろん、私たち以外に興味を持たせないため。

 跳んだり跳ねたりを繰り返しているせいで、皆神さんがさっきよりも苦しそうにしているけど、今現状でできる最適解がこれだと思うから耐えてほしい。

 嫌な人だとは思うけど、だからと言って心配しないということにはつながらないから。

 

 チラと後ろを振り返ってみると、布川さんが両脇を大人2人に支えられる形で一歩ずつ歩いているのが見えた。

 意識を失った人を運ぶのは想像以上に大変だから、意識があるようで本当によかった。

 明は鈴さんと手をつないで歩いている。それもあってか、先ほど見た時よりも鈴さんも落ち着きを取り戻しているように見える。

 

 バーテックスがデパートに着くよりも、私がバーテックスにたどり着くほうが早くなる距離までみんなから離れたので、一気にトップスピードに乗ってバーテックスを突き放す。

 二手に分かれられたら面倒だと思っていたけど、私を脅威だと思ってくれたのか、4体とも迷わず私を追いかけてきた。

 

 戦いに巻き込まれない場所に皆神さんをそっと置いた後、今度はバーテックスに向かって走っていく。

 私が離れた途端、皆神さんの吐き気がすごいことになっているのが聞こえてしまった。

 すぐに終わらせてお医者さんのいるところまで連れていくので待っててほしい。

 守るべき対象と言う足枷が外れた今、私はアイツらなんかには負けない。

 

 そう意気込んでいると、空から更に何体かのバーテックスが落ちてきた。

 そんな奇襲の仕方もあるのか、とびっくりしていると最終的に6体のバーテックスが追加された。

 計10体。

 1体1体が巨大なため、かなりの威圧感がある。

 

 マコトの母親を助けるときは、合計すれば今よりもう少し倒したと思うけど、今回は一度に8体。今までに経験したことのない数だ。

 これを切り抜ければ、布川さんはケガをしてしまったけど、最適なハッピーエンドを迎えられる。

 気合十分に私は跳び出した。



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第30話【角のように硬質化したもの】

いつも読んでいただきありがとうございます。

30話です。ここまで読んでくれている人は相当な物好きだと思います。
感謝。


 常人ではありえない速度で加速した私は、今までのようにバーテックスの群れの方に突っ込んでいった。

 その特攻を阻止しようと、バーテックスがその凶悪な大口を大きく開いて、私を噛み砕こうと眼前に立ちふさがる。

 子供の頃に頭の中で想像していたクマよりも大きい体躯を前に、立ち止まることなくそのまま右手の鍬/カネアキを振り下ろして一刀両断。

 バーテックスは抵抗する間もなく形容し難い鳴き声を上げ、白い粒子となって天高くへと昇っていった。

 

 以前に一度だけ、バーテックスを倒した時に出てくるこの白い粒子がどこに行っているのか追ってみたことがある。

 速い速度で上昇していく粒子を追うのは大変だった。

 結論から言うと、まるで風船のように自力じゃたどり着かないところまで昇っていっている、ということが分かっただけだった。

 人の魂も、天高くに昇っていって天国に行ってくつろいでいるという話をよくテレビで聞く。

 ということは、バーテックスもどこかに行っているのかな。どちらかと言うと、天じゃなくって地面に沈んでそのまま地獄に行って欲しい。

 

 そんなことを思っていると、後ろから2体目が襲ってきた。と同時に前からも2体。合計3体による挟み撃ち攻撃を喰らった。

 

「まずはこっちから!!」

 

 一瞬の逡巡の後、1体少ない後ろのバーテックスから対処することにする。

 本当は海外映画みたいに、上に跳んで華麗にかわしてバーテックスがお互いにぶつかっちゃう、みたいなことをやりたいんだけど、まだ練習不足でぶっつけ本番じゃさすがにできない。

 こんなふざけた想像をしているけど、手はしっかり動いてて2体、3体と次々に斬り倒していく。

 バーテックスとの戦闘の経験値も十分に溜まってきたから、思っていたよりも心に余裕を持てている。目の前のことだけじゃなくて周りにも目が行くようになった。

 

──だからこの違和感に気づけた。

 

 バーテックスの数が異様に少ない。囲まれると思っていたからそれ用の行動も考えていたのに、すぐそばにいるのは前にいた2体のうちの残りの1体だけ。

 皆神さんのところに行ったのか、と彼女の方を見てみてもバーテックスの姿はない。

 うずくまっているからまだ吐いているのかと思ったけど、ピクリともしない。どうやら気絶しているみたい。下手なことをされない分、気絶してくれているほうが安心する。

 とりあえず目の前まで接近してきている最後の1体にカネアキを当てがって斬り飛ばす。

 ってか鍬って斬るための道具じゃないんだけどね。本来は畑の土を耕すときに使うものだし。

 今も”斬ってる”って思いながら使っているけど、どちらかと言ったら”尖がったもので素早く押しつぶしたから結果として千切れた”が正しいと思う。

 

 最後の1体が天に昇っていくのを確認した後で、呼吸を整え落ち着いて周囲を見渡す。

 けれでも、やっぱり1体も見つからない。

 

「あと6体もいるんだよ!? あんなデカいの見落とすわけ……」

 

 キョロキョロしていると、影を見つけた。

 地面に大きな丸い影が映っている。でも影ができるような障害物は何もない。

 

「っていうことは……」

 

 上にいるはず。空を見上げると、思っていた通りバーテックスはいたんだけど、そこには異様な光景があった。

 バーテックス同士がお互いを喰い合っている。複数の個体が一箇所にまとまり、粘土を集めるように変形していく。

 突然のバケモノたちの異変に、しばしの間呆気にとられてしまった。

 

「なに、あれ……。気持ち悪」

 

 笑顔を作って余裕を見せようとするも、頬が引きつってしまう。

 口では軽く言ってみたものの、本能は危険信号を鳴らしっぱなしだ。

 集合体が徐々に形になっていくにつれて、圧がどんどん膨れ上がってくる。さっきまでのバーテックスが屑みたいに思えてくるほどの存在感。

 これは今すぐ倒さないと大変なことになる、それだけは確かに本能で感じ取った。

 

「けどあんな高いところじゃ届きにくい!」

 

 1回の跳躍じゃギリギリ届かない場所にいるバーテックスを倒すため、助走をつけて思いっきり壁に向かってジャンプ。

 不安になるくらい高く宙を舞った私は、隣の建物の3階近くの壁をキックしてさらにもう一段階高く跳んでいく。

 この壁キックは、力を手に入れるずっと前から練習していたから脳内イメージは出来上がっている。読んでいたマンガに壁を走っているシーンがあって、カッコ良かったから何度も練習したんだ。

 あの時は全然できなかったから、今思っていた通りの動きができてすごく気持ちいい。

 

 私がバーテックスの固まりに向かっている最中にも、集合体はその形を変化させていく。

 いや、変化じゃない。存在そのものの格みたいなものが変化……進化していっている。あれはもうさっきまでのバーテックスとは似て非なる別次元の生物だ。

 最初の生命が地球に誕生してから、およそ38億年。単細胞生物から今の私たち人間になるまで38億年もかかったのだ。

 その38億年分の神秘をバーテックスは今、私の目の前でたった数十秒で終わらせようとしている。

 

 現在、その進化率はだいたい30%と言ったところ。

 その進化の特徴として目に飛び込んでくるのは、赤色の鋭い角のようなもの。あの角からは殺意しか感じられない。

 白が主体だったさっきまでと比べて、今度は赤色が目立つようになった。

 まだ完全に進化していないうちに倒し切らないと。このままじゃ勝てなくなる。

 

「やあああ!!」

 

 カネアキの射程圏内まで近づき大きく振りかぶって──、

 

「かっったい!!?」

 

 錆びた金属音のような鈍い音が響き、角のあまりの固さに鍬が弾かれてしまった。

 腕にビリビリと反動が跳ね返ってくる。その痛みに顔をしかめていると、今度は赤い角が動きを見せた。

 無造作に行われた薙ぎ払い。

 眼で追える速度だったから、なんとか鍬を間に挟んで1クッション入れられた。

 けれど足の踏ん張りがきかない空中だったから、そのまま流れるように壁の方へ吹き飛ばされてしまった。

 

「うがっ!!」

 

 幸いなことに飛ばされた先はコンクリートの壁じゃなくって、窓ガラスだったから大惨事になることは無かった。

 床を何回かバウンドしたのち停止する。

 痛む体をなんとか起こして自分の体を見てみると、防げたと思っていた左腕に青くあざが大きく出来上がっていた。

 動かそうとしても痛くて全く動かせない。振動を与えるだけでヅキヅキ痛む。

 

「いててて、ガラスも刺さってるじゃん。しかも服もビリビリだし……」

 

 今日来ていた服は切り傷が入り、体のいたるところに小さなガラス片が突き刺さっていた。

 抜いても大丈夫そうだったから1本1本抜きながら、アイツに勝つ方法を考える。

 

 

 今アイツは私にしか興味がないから、作戦を考えている時間はあるはず。でも早くしないと進化が終わっちゃう。

 戦いの途中で進化だなんて、マンガだったらこのまま勝ちで終わるけど、負けるわけにはいかない。

 振り下ろしてみた感じ、一筋縄じゃあの角を叩き斬るのは今のままじゃできなさそう。少なくても、左腕が使えないんじゃ話にならない。

 だから取れる攻撃手段は、まだ進化していない部分に限られる。

 

「それしか、ないね。よしっ」

 

 今一度鍬をしっかり握って、入ってきた窓から跳び出す。

 進化したバーテックス、進化体は一歩もその場から動いていなかった。

 

 進化率約50%。その残りの50%を狙っていく。

 しかし当然何もしないで待っていてはくれない。風を切る音が聞こえてくるより早く、赤い刺突が飛んできた。

 でもそれは想定内。やってくる角めがけて上から鍬を振り下ろす。今回は攻撃目的じゃないからスピードは関係ない。

 その反動を活かして自分の体を持ち上げ、すれすれのところで攻撃を回避することに成功する。

 

「今度こそ倒されろぉ―!」

 

 伸びきった角はすぐには帰ってこない。今がチャンス。

 角が頭とするなら、足の方の未進化部分を斬りつけた。赤い角とは違い、サクッと斬れ落ちる。

 

「これで第一段階クリア! それでこれから……」

 

 どうしようか、と考えようとしたとき、白い部分と同時に赤い角の部分も同じように白い粒子となって分解され始めていた。

 

「な、うれしいけどどうして……?」

 

 3階近くの高さにいたところから地面に降り立って、勝利の原因を考える。

 合計6体が合体したんだから、半分斬ってももう半分が襲ってくると思ったのに倒せちゃった。

 ……もしかしたら6体が合体して1体の進化体になろうとしていたから、1体判定だったのかも。

 

 今回は進化するところから戦い始められたからよかったけど、最初から進化体で来られたらどうしよう。

 私の力じゃ、進化体には全く通じないことは身に染みて分かった。

 硬い。硬すぎる。バーテックスと戦って、私は強いと思っていたけどとんだ勘違いだった。

 拮抗はできても、その先の勝利に手が届かない。

 

 ……まあ一旦考えるのは後にしよう。

 派手に戦ったから他のバーテックスが来てもおかしくないし、こんな体じゃまともに戦えるかも怪しい。

 アドレナリンの賞味期限が切れて全身ズキズキと痛い。しかもデパートからは離れているし、帰るのも面倒。

 このまま倒れて寝てしまいたいけど、皆神さんも連れて行かないとだし仕方ない。歩くか。

 

「ふぅー。えーっと、どこにいるんだっけ」

 

 ふらふらになりながら探すと、倒れている皆神さんを見つけた。やっぱり気絶していた。

 

「うわぁ口汚れてんじゃん……」

 

 このままでは持っていけないので、ちょうど破けている服を千切ってハンカチもどきを作る。

 それで口を拭いてあげて、そのままごみはポイする。咎める人もいないんだし良いでしょ。

 

「よいしょっと。コッチもケガ人なんですからね」

 

 返答がないのは分かっているけど、それでも言わずにはいられない。

 左腕が使えないので、ここに来た時と同じように右腕で抱えて持っている。鍬は”カネアキ持ち歩き用紐”に括り付けた。

 

 勝ちとは素直に言いにくいものだった。

 みんなには進化体のことは言えないな。ただでさえみんな不安なのに、それを煽ってしまっては元も子もない。

 腕はこけたことにしようか。バーテックスにやられたことにしたんじゃ心配されちゃうだろうし。

 うまい言い訳を考えながら、私はデパート旭に帰っていった。

 

 



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第31話【粘ついた脂っこい視線】

いつも読んでいただきありがとうございます。
 
読み込みが浅く、「角のように硬質化して隆起したもの」は10体以上のバーテックスの合体によってできるものだと前話を書いているときに気が付きました。
変更として、6体にした代わりに中途半端な進化にして、隆起をさせないことにしました。
滅多に出て来ない原作キャラだったのに……


 えっちらおっちら皆神さんを運んで、ようやくデパートまでたどり着いた。

 入り口を通り過ぎて1階にきたんだけど、誰もいない。誰か見に出てきちゃってるんじゃないかって心配だったけど、この様子じゃ杞憂だったみたい。

 私が安心していると、エスカレーターの付近に誰かが近づいてくる音が耳に入ってきた。

 外も暗くなってきてココも電気がついていないから、誰が来ているのか逆光になってよく見えない。

 下から2階の方を覗き込んで、私たちの帰宅を知らせてみる。

 

「今なにか物音がしたような……」

 

「ただいま帰りましたー。あっ! その声、もしかして大俵さんですか? 私です岩波です」

 

「おおっ岩波さんか! よかった、誰が来たのかとビクビクしたよ。1人なのかい?」

 

「いえ、皆神さんも一緒です」

 

「皆神さん? うーん、確か8階にいる人たちの中にそんな名前の人がいたような……。どうして彼女が外にいたんだい?」

 

「ええっと、説明すると長くなるんですけど、その前に皆神さんを運ぶの手伝っていただけませんか?」

 

「ああ分かったよ。 ? 運ぶ?」

 

 頭の上に疑問符を浮かべながら大俵さんがエスカレーターを下りてきた。

 

「運ぶって、まるで荷物みたいな言い方……って岩波さん頭大丈夫なのかい!?」

 

「ええっ!? なにどうしたんですか?」

 

 急にどたどたと血相を変えて駆け下りてきた。びっくりして後ずさりしてしまう。

 

「なにって、頭から血が出てるじゃないか!? 気が付かなかったのかい? 早くお医者さんのところに……」

 

「血? ああ、そういえばそうでしたね」

 

「そういえばって……」

 

 進化体に吹き飛ばされたときに出来たんだっけ? あんまり覚えてないや。

 ホントは私が一番慌てたほうがいいんだろうけど、慌てている人を見ていると、どうしても冷静な対応になってしまう。

 そんな私を見て大俵さんも落ち着いてきたのか、一つ深呼吸をして慌てた様子を取り払った。

 

「まったく、なんというかすごい子だね岩波さんは。蛍井さんから戦っていると聞いていたんだけど、その様子じゃもう終わったみたいだね」

 

「はい。ちょっとケガしちゃいましたけど、ちゃんと倒してきました。鈴さんたちはどこにいますか? 先に来てると思うんですけど」

 

「ああ、今お医者さんに診てもらっているところだよ。君たちも診てもらった方が良い、ほら私も左側を持つから」

 

 大俵さんに言われて、荷物みたいに持っていた皆神さんを持ち直して2人で肩を貸す持ち方にする。

 皆神さんの苦悶の表情もいくらか和らいだ気がする。私の持ち方じゃ呼吸とか苦しそうだったから、持ってくれる人が増えてよかった。

 

 お医者さんがいる医務室は、外から来た人がケガをしていた時にすぐ行けるようにと1階にある。

 医務室、と言っても、エレベーター前にある休憩場所を少し改造しただけのところで、デパート中の医療薬とかテープとかを置いてあるだけの、悪く言ってしまえば物置みたいなところだ。一応上の階からベッドを何個か持ってきているからそこで寝ることもできる。

 幸いにもこのデパートには、小さな個人病院で働いていたお婆ちゃん先生がいるから、軽いケガとかなら治療してもらえる。と言ってもいつもは私たちと同じ階で暮らしているから、治療してもらいたいんだったらわざわざ呼びに行かないといけないんだけど。

 

 学校の保健室じゃないんだから間仕切りなんていらないでしょ、という意見があったおかげで、遠くからでもすぐに3人がいるのが見えた。布川さんはベッドに横たわっている。

 向こうも、私たちの足音に気づいて顔を上げた。私の姿を見て一安心したみたい。

 

「灯ちゃん! よかった無事だったのね!」

 

「はい、なんとか頑張ってきまし──うわっ!」

 

 言い終わらないうちに、鈴さんがガバっと抱き着いてきた。片腕が皆神さんで埋まっているのに突撃してくるもんだから、こらえきれずに尻もちをついてしまった。

 結果、大俵さんは全身を支えなければならなくなり、大俵さんも予想してなかったから、そのまま皆神さんと一緒に倒れ込んでしまった。倒れた拍子で皆神さんは頭を床にぶつけてしまった。痛そう。

 

「みなさんなにやってるんですか……」

 

 ペラさんがあきれた様子でこっちを見てくる。そのそばにはお医者さんもいて、お医者さんは私の顔を見た途端早足で近づいてきて、

 

「ちょっとアナタ! 頭から血が出てるじゃないの。そんなところでふざけてないで早くこちらに来なさい! それからそちらの人もこっちに連れてきて」

 

 怒られてしまった。

 怖かったので、未だ抱き着いてくる鈴さんを手早く引き剥がしてお医者さんについていく。

 慣れた手つきで顔に付いている血を拭き取ってテーピングしてくれた。

 

「あーあー、ガラスがこんなにたくさん……」

 

 私が思っていたよりもガラス片は刺さっていたみたいで、取り除くお医者さんの顔は眉間にしわが寄っていた。

 私はプチプチとピンセットで抜かれているときに、アドレナリンってすごいなー、と思っていた。痛みもそんなになかったから気が付かなかった。

 

 傷口の手当としては、男性2人を追い出してから皮膚薬を全身に塗りたくってもらった。今回のキズは通常だったら縫うレベルのキズらしいんだけど、私の摩訶不思議な体は、縫うには一歩及ばないくらいまで抑えられているんだとか。

 力様様だ、と正体がよく分からないものに感謝をしておく。

 

「いい? 次からはケガをしたらすぐにここに来るんだよ? 頑張らなきゃいけない時だってのは分かっているけどね、アナタが倒れたらみんなが心配するんだから。しっかり覚えておくんだよ」

 

 今回は大目に見てやる、と言外に伝えてきた。次遅れたら本気で怒られそうな雰囲気を醸し出しているので、ちゃんとここに来るようにと心に刻んでおく。

 

 先に倒れていた布川さんも命に別状はなかったものの、体の多くの場所が打撲、右腕が粉砕骨折・右の肋骨も折れていてとかなりの大ケガを負ってしまっていた。

 こんなに重症なのに、布川さんはうっすらとではあるけど意識も回復していて『ミイラ男になっちゃったよ』と少し元気が無いもののいつも通りの笑顔を見せてくれた。

 

 皆神さんは精神的なものが原因なので、頭のたんこぶにシップを貼っただけで特にケガもしていなかった。

 

 

 

「さっきまで、誰かほかに出て行った人がいないか確認に回ろうと話していたところなんだよ」

 

「誰かがいないとかになってたらシャレにならないっすからね」

 

「さすがに外に出る馬鹿な人はいないと思うけどね……」

 

 そう言いながら皆神さんの方を見やる鈴さん。彼女のことも問題だけど、今はそれよりみんなの無事を確認したい。

 

「私も一緒に回りたいです」

 

「ちょっと、アナタはもう少しここで休んでからにしなさい。そんなケガ人をうろうろさせるわけにはいかないよ」

 

 行く意思を見せた途端、お医者さんから待ったがかかった。た、確かに……と思ったけどじっとなんてしてられない。少々大げさでも、なんとか行かせてもらえるように説得しないと。

 

「ほ、ほら! 私って丈夫ですし、ちょっと上に行くだけで大暴れするわけでもないですし、回復力もすごいんですよ。こんなケガなんて大したこと……はありますけど、今行かないと気になって気になって治るものも治りませんよ」

 

 お願い、こんな稚拙な言い訳だけど見逃して……。

 

「……終わったらすぐにここにくるんだよ。この2人は私が診ておくから」

 

「はい! ありがとうございます」

 

 どうせ何言っても行っちゃうんでしょ、と半ば投げやりな様子のお医者さん。

 ドクターストップをなんとかストップしてもらい、私たちはみんなの無事を確認しに行くことになった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 まず女性が生活している3階に着くと、なにやらみんな忙しそうにしている。何かあったんだろうか。

 不思議に思っていると、鈴さんと同じ制服を着た若い女性が鈴さんに話しかけてきた。

 

「おっ来た来た。こっちこっち~」

 

「どうだった?」

 

「えっとね。1人だけ見当たらなくって、8階にいた皆神さんなんだけど。今みんなで手分けして探しているんだけど全然見つからなくってさ。鈴見なかった?」

 

 8階の人は、男性と女性で分けて把握している。

 

「ああそれなら大丈夫よ。皆神さんなら今医務室にいるわ」

 

「おお~さすが鈴。よかった~これでやっと休めるよー。どこにもいないからすごく焦ったんだよ、どこにいたの?」

 

「ええっと、少し長くなると思うからそれはまた後でもいい? もう少しで終わるから」

 

「おっけー全然いいよ。んじゃ待ってるから頑張ってね鈴」

 

「ん、ありがとねリーダー」

 

「うへぇ、その役割まだ私納得してないんだけど」

 

 かなりいやそうな顔に見送られながら、4階に続くエスカレーターを上り始めた。

 

 

「同僚さん、ですか?」

 

「そう、大体いつも一緒に受付の仕事してるの」

 

「リーダーってどういう意味なんですか? ここのリーダーって布川さんじゃなかったでしたっけ?」

 

「ほら、このデパートもけっこう人数いるじゃない? 男女で分けても人数が多いから女性でのリーダーを決めたのよ。光はこのデパートのリーダー、彼女は女性のリーダー」

 

「あ~なるほど」

 

 私が納得している後ろでは、ペラさんと大俵さんが驚いた顔をしていた。

 

「そんなんあるんですか? こっちなんもないですよ。あっそれじゃ今立候補したら即決ってことっすか?」

 

「言うのは何だけど、平くんは無理じゃないかな……」

 

「えっ大俵さん知ってました? リーダー制度」

 

「いやいや私も初耳だよ」

 

「作ってみると意外とやりやすいわよ。……と着いたわ」

 

 

 上りついた4階は、3階に比べて統率感もなく雑多な雰囲気を感じられた。

 

「どうだったかい? みんないたかな?」

 

 その中で体ががっちりしてそうな人に話しかける。

 

「んあ? ああさっきのじいさんか。それがよ、1人足りないみたいなんだわ」

 

「ほう?」

 

「最初は全然気が付かなかったんだけどさ、ほらいつも隅っこでなんかぶつぶつ言ってるキモイ奴いるじゃんか。アイツがいないんだよ」

 

「ああ、あの彼か。確かに……ここにはいないようだね」

 

 その人物に心当たりがある様子の大俵さん。

 でも私たちもどこに行ったか見ていないとなると、危惧していたことが現実味を帯びてしまう。

 一体どこに、まさか外に出てるんじゃ……? そんな嫌な未来が頭をよぎり冷汗が流れる。

 

「トイレに行ってるとかってないんですか?」

 

「いや、トイレもちゃんと見たけど誰も入ってなかったぞ」

 

「むーそうですか……」

 

 とにかく私たちも探しに行こうと動いたその時、後ろから荒い息遣いが聞こえてきた。

 

「あ、あの、ちょっとそこいいですかぁ? はぁはぁ」

 

 汗だくでエスカレーターを上ってきたのは、件の男だ。30代くらいの見た目をしている。豊満な体からにじみ出ている脂汗がテカっていて、確かに不快感を覚える。

 直感的に、この人はニートなんだなと思えてしまった。だってニートの人って太ってるイメージあるし。

 

「あっお前! 今までどこにいたんだよ、散々探したんだぞ。まったく手間かけさせやがって」

 

「い、いやちょっとトイレに行っててね……へへ」

 

「んなわけないだろ。こっちはわざわざトイレの中まで探したんだ、嘘を吐くんじゃねえ」

 

「そ、そんなことはないよ。入れ違いに、なったん、じゃ、ないかな。っへへ」

 

 脂肪の詰まったくぐもった声で、誰が聞いても嘘だと分かるような発言を残して、太った人はそそくさと壁の隅に行った。そしてぶつぶつと独り言を始めた。なんにもないところでニヤニヤ笑ってる。

 

 少し見ていると、彼も顔を上げてこちらを見てきた。脂っこそうなベタベタした目つき。不気味に思えたからすぐに顔を逸らす。心臓に悪い顔だ。

 

「うわぁ、確かにあれはちょっとないわね。かなり気持ち悪いわ」

 

「確実に親のスネ噛み千切ってますね」

 

「岩波さんはああいう大人にはなっちゃいけないよ」

 

「さすがにあれにはなりませんよ……」

 

 各々彼に対するマイナスイメージを口にしてから、結局のところ誰も欠けることが無かったことに安堵する。

 

「まあこれでみんな無事ってことが分かりましたし、よかったですね」

 

「灯ちゃんが守ってくれたおかげよ。あの時私何もできなかったんだから」

 

「それを言うならボクもですよ。いやーあんだけ平気そうなこと言っておいて、いざとなったらこの様なんてホントカッコつかないっすね」

 

「いやいや! 私が変なだけで普通はああいう反応になりますよ」

 

「次は頑張るんで期待して欲しいっす」

 

「もちろんですよ」

 

 謝られてもこっちも困る。いつもお世話になってるのはこっちなんだから、非常時くらいは手伝わせてほしい。

 あの時のペラさんの様子はちょっと気になるところだけど、まあ聞かなくてもいいでしょ。ダメだったところを追及するみたいで意地悪いし。

 明ともお話したいところだけど、その前に……

 

「それじゃ、みんなの無事も確認できたところですし、私戻りますね」

 

「早く帰らないと怒られちゃうもんね」

 

 お医者さんの言いつけは守らないと、次から治してもらえなくなったら困るからね。

 出来るだけ怒られたくないので、少し早足で私はお医者さんのところへ向かった。

 



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第32話【名も無きニートの主人公論】

いつも読んでいただきありがとうございます。
年明けました。よろしくお願いします。

今回は視点を変えてみました。


《2015年8月10→?日 デパートのどこか》

 

 

ーー俺はこの世界の主人公なんだ。

 

 そのはずなのに、なんで俺はこんな目に合っているんだ?

 

 

 

 政治家のクソおやじと料理人のババアから産まれた天才的な俺は、当然頭も天才的で小学校ではいつも学年のトップに君臨していた。

 テストなんていつも満点。俺にとっちゃ授業を寝ながら聞いてても解けるくらいの楽勝な内容だった。

 中学生になっても、ほんの少し今までよりも教科書を見れば簡単に解けていた。

 クラスの連中は、頭良いねと事あるごとに俺を褒めまくった。それに「天才だからな」と返すのが俺の楽しみだった。

 一部のやつらは、「家で勉強してるだけだよ」とか言っていたがそんなことするわけないだろ。

 お前らとは違って、俺は天才なんだから。

 

 

 けど高校受験の時、あろうことか高校の分際で俺を落としやがったんだ。

 私立のトップ校に行く予定が、二流の高校に行くはめになってしまった。

 落ちた当日はクソおやじから殴る蹴るの暴力を食らい、私の人生の汚点だと罵られた。ババアは何も言わず、ただ俺を侮蔑の目で睨んでいた。

 落ちたとはいえ行かないなんてありえないと、強引に行かさせた高校では勉強なんてする気が起きるわけもなく、イヤホンをして携帯でゲームばかりしていた。

 隠れてコソコソなんてしない。同級生に止められようと先生に注意されようと、そんなのはお構いなしでゲームをし続けた。

 

 そんな時、俺はあることに気づいた。

 

 

 

ーー俺は”神”に愛されているんだと。

 

 

 

 携帯でゲームをしていると、欲しいキャラのガチャを引けば必ず手に入っていることに気がついた。

 石を何百個か砕くだけで思い通りになる世界。俺にはクソおやじの魔法のカードがあるから石の数なんて数えたことがない。

 もし神に愛されていないんだったら、望むものが思い通りに手に入ることなんて起きるはずがない。

 つまり俺は神に愛されている。

 

 

 そして神に愛されるのは一体どんな人間だろうか。

 

 そう、”主人公”だ。

 マンガを読んでいれば分かるだろう、アイツらの望みは何でも叶う。

 欲しいものを手に入れ、良い女を手に入れ、大金持ちになってハッピーエンド。

 大抵の主人公がそうだ。

 

 となると、欲しいものが必ず手に入っている俺も”主人公”ってわけだ。

 そのことに気づいてからは、外に出るなんて愚かなことはやめて、家の中で自分が主人公のこの世界のストーリーを考えることに夢中になった。

 宇宙人が攻めてくるのか、隕石が落ちてくるのか、怪獣が現れるのか。俺が主人公なんだから日常系のストーリーなんてありえない、ゴリッゴリのバトルものに決まっている。

 マンガを読み漁って毎日毎日イメージトレーニングをした。

 

 でも何年経っても物語は始まらなくって……。

 

 

 

 

 

 そうして俺の修行編が20数年続いてきて、豊かさの象徴である脂肪が全身に定着して膨れ上がってきた頃、ようやく待ちわびた物語が始まった。

 空から押し寄せる怪物、逃げ惑う民衆、泣き叫ぶガキども。

 やっと第1話が始まったと興奮したね。

 どんな風に登場してやろうか。どの女を助けて惚れさせてやろうか。考えるだけでワクワクした。

 

 だがすぐに行動してはダメだ。はやる気持ちを押さえなくては。せっかく何十年も経ったのだから最初は完璧にしたい。

 一旦情報収集をしようと思って、ひとまずは何もしないで流れに身を置くことにした。

 

 

 

 数日経って、そろそろ動き出そうとしていた時、アイツがやって来た。

 

 アイツのせいで俺の計画は台無しになった。

 怪物と対抗できる力を持って暴れまわり、ちやほやされているガキ。

 俺がいるにも関わらず、「勇者」などと呼ばれてもてはやされている。

 心底腹が立って、どういう物語なのかこの先の展開が読めなくなった。

 

 

 

 そんな時、ある漫画を思い出した。

 イメージトレーニングをしているときに読んだ、1冊の漫画。当時は気に喰わなくってその場でバラバラに引き裂いてゴミにしてやった、俺の主人公論を否定するような作品。

 主人公AがBに殺されて、Bが主人公になるという主人公が交代する内容が書いてあるもの。

 当時は主人公を殺されるシーンを見て、自分を殺されたような気がしてBが許せなかった。

 なんで俺たちの主人公を殺してBが主人公をしているのか。

 殺す理由が分からなくって、作者宛てにクレームを入れまくって脅しまくった。

 

 その結果、作者を自殺させることに成功した。

 あの時は、みんなを苦しめる諸悪の根源を討ち取った気がしてスカッとしたね。

 

 けど今なら分かる。なぜBがAを殺す展開にしたのか。

 今となっては不可能なことだが、作者には謝ってやりたくなるほどに納得した。

 

 今の俺の状況とそっくりだ。

 Bは許せなかったんだよな。

 自分が主人公のはずなのに、なぜかAが主人公づらしてんだもんな。

 許せるわけないよな。分からせるしかないよな。自分が本当の主人公なんだって。

 

 

 俺は頭がいいから、アイツを観察していて分かったことがある。

 アイツが戦う時はいつもあの鍬を持っている。

 俺の見立てが正しければ、あの道具は主人公にしか使うことの許されない専用装備なはずだ。

 つまりアイツは俺が見つけるよりも早く、勝手に俺の道具を使っているということ。なぜなら本当の主人公は俺なんだから。

 そしてそれを取り上げればアイツは力が使えなくなり、その力は俺に譲渡されるはず。

 

 返せ。それは俺のものだ。

 この世界の主人公である俺にしか使うことの許されないものだ。

 お前はただのガキなんだから引っ込んでろ。

 

 それにもう1つ分かったことがある。

 あのバケモノが合体したやつ。

 あれにはアイツは敵わない。

 

 なんか予感を感じたから外に出歩いてみてみたら、アイツがブッ飛ばされるところに遭遇した。

 最終的には倒されてしまったが、アイツの攻撃は全くバケモノには通用していなかった。

 

 コレだ。コレだよ。コレコレ。

 コレは使える。

 これでようやくアイツを排除する目途が立った。

 

 さあ主人公交代のお時間だ。

 

ーーさあ、今度こそ俺の物語を始めよう。

 



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第33話【たった1ページで終わる薄っぺらな人生】

いつも読んでいただきありがとうございます。
 
今回も別視点。平 薄(ペラさん)です。


《2015年8月10→?日 デパート内・男子トイレ》

 

 夜。

 トイレの電気も点いていなく、各自に配られたハンディライトを使わなければ、道を歩くのもはばかられるほどの暗さ。今夜は新月。月明りもなく世界は闇に包まれている。

 ぴちょんぴちょんと、どこかからか雨漏りしている音が聞こえる。その水しぶきの音も夜の涼しさを演出している。

 

 そんな中、ボクはトイレの床に座り込んで便座に寄りかかっていた。

 

「はあ、はあ……ううぉええ…………」

 

 頭の中で点滅するのは、白。膨大な質量を持った巨大な白き異形。

 デパート前で遭遇したあのバーテックスが、頭から離れない。

 いくら吐いても込み上がってくる嘔吐感。喉を覆っていた粘膜は、とうに便器の中に吐き出されて炎症を起こしている。

 先ほど食べた夕食はとっくに吐き出し切ってしまい、もう腹の中には何もない。それなのにまた気分が悪くなって、唾液だけが口から流れ落ちる。

 

「まだ、大丈夫なはず…っす……」

 

 左手を胸に、右手を顔に当てて自分の安否を確かめる。

 眼を開けるのも億劫になるほど重たいまぶたを指で持ち上げる。しかし、指を話した途端すぐに元の虚ろなまなざしに戻ってしまう。

 何度やっても結果は変わらないので諦めて、今度は口元に手をあてる。

 

「大丈夫。まだちゃんと笑えてる、はず……」

 

 むにっと指で強引に笑顔を作り、誰もいない空間に向かって笑って見せる。

 しかしそれも悲しいほどに不自然な笑みで、どんな人が見てもとても笑っているとは思ってもらえないような、ひきつった表情になってしまった。

 なんとか修正しようとしても、頬が小刻みに震えるだけで何も変わらない、薄っぺらな笑み。

 そんな自分の様子を見て、口から乾いた笑い声がこぼれる。

 

「はっ、こんなんじゃあの人たちに叱られるなぁ」

 

 顔を触りながら自分を嘲笑していると、顔からパキッと何かが割れるような音がした。不思議に思っていると、顔から固形状のものが転がってきた。

 見てみると、それは人間の皮膚のように見えた。質量がないのか、重さは少しも感じない。と視認した途端、それは幻のように霧散していった。

 

「とうとうこんな幻覚まで、笑えない」

 

 精神が壊れてきている。それが幻覚とはいえ、とうとう目に見えて分かるようになってきた。

 いや、何を今更。壊れているのは元からか。

 

 ずっと昔、まだ子供だった頃。その時からすでに自分は壊れていた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 ”平 博”。

 確か自分は最初そう名付けられた。

 人と分け隔てなく接してみんなを博愛し、たくさんの物事を知り博識になってみんなの役に立つ。この名前にはそんな意味が込められていた気がする。 

 

 しかし小学生の時に名前を矯正された。

 理由は単純で、それは自分が出来損ないだったからだ。

 

 自分の両親は2人とも名のある役者だった。

 ドラマにもたまに出るくらいには実力もあって、出会いも共演したドラマがきっかけだったらしい。

 それからしばらく経って子供、つまり自分を授かったけど、両親は慎重な人で、無事に出産出来てしっかりとした子供に成長するまで世間には公表しなかった。

 

 両親は当然のように自分にも役者の仕事に就けさせたかったようで、自分が幼い頃から演技の練習をたくさんさせられた。

 この役者の世界で1番を目指すお前は、他の世界の1番を知らなければならない、と無駄に分厚いギネスブックを覚えるようにも言われた。

 今から考えると、あんな幼い子供が演技なんて、よほどの天才でしかできないものだったと思う。

 しかし、両親の求めるところはとても高く、いくらやっても自分はそこまで持っていくことができなかった。

 両親曰く、”表現が薄っぺらい”のだとか。今の名前もここから付けられている。

 知り合いに裁判官がいるとかなんとかで、普通はこんな理由では通らないはずの改名申請が通り、今はこっちの名前が正式名称になっている。

 

 結果として、自分は世間には両親の子として認定される事なく今日まで生きてきた。

 

 

 それでも自分は両親に認められたくて、薄っぺらいと言われても練習をし続けた。その頃にはもう両親も見限っていて、練習に付き合ってくれなくなっていた。

 自分には才能がないと言われ、それでも練習しようとすると無駄だと殴られる日々に、心がだんだんついて来なくなってきた。

 そんなときだっただろうか、小学校帰りの通学路を歩いていると、道端に1冊の漫画が落ちているのに気が付いた。なんだろうと思い近づいてみると、それはとある長編ものの漫画だった。

 以前読んでいた漫画だったから久しぶりに読んでみるか、とページをめくってみると、そこには自分の知らないとある少年が描かれていた。

 

 最初のページは地下に作られた牢屋のシーンから始まっていた。そのキャラクターはそこに捕まっていて、奴隷としていつもひどい仕打ちを受けていた。

 見ているこっちが痛くなるほどの拷問。立ち読みをしている自分も少し引いてしまった。

 しかし、その少年はずっと笑っていた。

 

 痛めつけられるのが好きなのではない。ただ悲観していないくてヘラヘラとずっと笑って、苦しいのを耐えているだけだった。

 どれだけ殴られても馬鹿にされても、いやな顔一つせずただただずっと笑っていた。奴隷の身分で人生のどん底のはずなのに、それでもきっと明るい未来が来ると信じて、痛い時も苦しい時も笑っているようなやつだった。

 今となっては何年も前のことだから、その少年の名前はもう忘れてしまった。だけど、とても共感の出来る好きなキャラクターだった。

 

 今の自分にどこか似ているような気さえした。

 へたくそに笑う彼を見て、自分も笑えば苦しくなくなるのかと思った。そういえばもうずいぶんと笑っていない。

 自分の表情を鈴に確認できるようにと、普段から持ち歩いている手鏡を取り出して、それに向かってにっこりと笑いかけてみた。

 

 

「はは、コレじゃこいつのこと笑えないじゃん……」

 

 鏡の中にいたのは、少年よりもひどい顔をした自分。10人中何人が、この顔を笑顔と捉えてくれるだろうか。

 でもなんでだろう。少しだけ心が軽くなったような、そんな気がしてきた。

 

「はははっ、あははははっ!」

 

 やっぱり彼と自分は似た者同士だったみたいだ。笑っているだけでつらい気持ちも我慢できる。

 彼は自分のことを”ボク”と言っていた。かれに倣って自分も……”ボク”もそうしよう。ボクは彼で、彼はボクなんだから。どんなに辛くっても”ボク”なら乗り切れる。

 

 これなら少なくとも笑っている演技ならできる、そう思って両親に見せに行った。

 相変わらずの罵声に加え、気味が悪いと言われてしまったけど、いつもよりも心が痛くない、苦しくない……感じがする。

 やっぱり笑顔はすごいものだ。笑っているだけで元気づけられる。

 

 その時からボクは笑いの仮面をつけるようになった。

 

 

 

 急に笑い出すようになったボクを見て、クラスのみんなは最初は戸惑っていたけどすぐに慣れてくれた……らどれだけよかったことか。

 実際は両親と同じような反応をされた。気持ち悪い・何を考えているのか分からない・不気味だからこっちに来ないで。

 常識的に考えたらみんなの反応は普通だと思う。でもボクにはもうこれしか無かった。

 だからどれだけ悪口を言われても笑い続けた。

 

 それから何年続けても、みんなの反応もボクの演技力も変わらなかった。

 辛くないはずなのに、なんだか呼吸が苦しくなってきて、一度笑うのをやめようとしたことがあった。

 仮面をイメージしていたから、顔から剥がす感じで笑いを取り払おうとしたとき、どうしようもないほどの恐怖がボクを包み込んだ。

 

 ダメだ。これは取れない。取っちゃあいけない。一度つけた面はもう外せない。外してしまったら、次こそもう自分が分からなくなってしまう。どんな恐怖が押し寄せてきた。

 

「何、なんだよ、今の……ははっ。ま、まあ大丈夫……っすね」

 

 こんな時でも仮面は機能していて、へたくそな笑い声が口からこぼれ落ちた。

 この仮面のせいで嘘を吐くときは、漫画の彼の喋り方になるようになってしまった。お調子者のような、人を心配させないような、そんなへらへらとした喋り方。ボクにお似合いの喋り方だ。

 辛い苦しい、そんな弱音は全て仮面に吸収され、笑顔となって世界に放出される。

 外したら自分が保てなくなる。だからボクは仮面をつける。ヒビ割れた自分の顔も隠せない薄っぺらな仮面で、今日も涙を流しながら笑う。

 苦しいと、その一言さえ言えぬままに。

 

 

 

 

 

 そしてその仮面も、世界が壊れた衝撃でとうとう壊れてしまった。

 岩波ちゃんの存在のおかげで、なんとか最後のひとかけらを落とさず保てていたけど、先日のバーテックス襲来で限界を迎えた。

 バラバラになった最後のひとかけらが手から顔から零れ落ちる。

 つけ直そうと思っても、かけらは粉末状になりトイレの奥底に消えていってしまった。

 

「ああっ! 俺の大事な……ってアレ? ”ボク”って”自分”のこと”俺”って言ってたっけ”私”?」

 

 ボク……? 自分……? ……ああ、もう分からない。何も、分からない。幼い頃からの演技のし過ぎで、いろんな役の記憶が混ざり■■という存在が分からなくなっていたようだ。

 ■■が立っている地面が、絶望の泉に沈んでいく。

 

 もう■■が何なのか分からない。

 どういう話し方をしていて、どんなことを喋って、どんな友達がいたのか。何も分からない。

 けどもういい。どうせ思い出したって意味のないことなのだから。覚えているモノがあった世界は全て壊れてしまったんだから。

 

 ■■の人生は奪われてばかりだった。

 与えるべきであるはずの親から奪われた。

 娯楽を奪われ、努力を奪われ、愛を奪われた。

 おかげでこんなにも薄っぺらな人間が出来上がってしまった。

 なにが『薄』だ。

 違う。そんなんじゃない。■■の名前はそんなんじゃない。

 勝手に期待して勝手に取り上げて。

 ■■の名前は『薄』じゃない、「博」だ!

 たくさん勉強して「博」識になって世界を「平」和にできるくらい立派な人になってほしいと、そう願われたはずなのになんで……

 

 仮面が無くなった■■はもう笑えない。残ったのはあまりにも空虚すぎる存在だけ。仮面が取り外された今、世界を自分の目で確認する。

 まず思い浮かんだのは、どうしてみんな生きていられるんだろう、ということ。

 元の世界だって死にたくなるような世界だったのに、今のこれは地獄以外の何物でもない。

 

「つらい……くるしい……いたい……」

 

 あぁやっと声に出せる。待望の瞬間だ。何年ぶりだろうか、自分の気持ちを言葉に出来たのは。

 

「もうつらいだろ……こんなせかい」

 

 今度は解放された■■が、みんなを解放してあげないと。ここにいてもただつらいだけだ。

 

 とそこまで思った途端、男子トイレの入り口が開く音が聞こえてきた。

 

「うおぉ夜のトイレは暗えな」

 

 どこかで聞き覚えのある声だ。多分バーテックスが襲来してきた時、男子の階層をまとめていた男の声だろう。

 トイレの水を流して扉を開ける。これで仮面は完全に消え去った。

 

「いやーホント暗いですよね」

 

「んあぁそうだな」

 

「ボクは大丈夫っすけど気をつけてくださいね〜」

 

 そう言ってトイレを出て急いでさっきまでいた■■のスペースに戻る。

 と同時にビニール袋に嘔吐する。

 

「おぅえええ……か、っぺ。まだ、まだもう少し続けないと……」

 

 みんなを救う手段が見つかるまでは、まだ演じ続けなくては。

 仮面のない笑顔というものは気持ちが悪すぎる。ちゃんと笑えているだろうか。

 必死にもがいているみんなを心配させるわけにはいかない。

 こんな世界は苦しいだけだ。早くみんなを解放してあげないと。

 みんなを救う手段が見つかったら、そのときは……。

 



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第34話【備えても備えても、憂いはやってくる】

いつも読んでいただきありがとうございます。
そろそろこの章を終わらせないと、終わらない。


《2015年8月10→9月1日 デパート内》

 

 

 9月1日。

 いわゆる防災の日って言うやつだ。

 何十年か前に大地震があったからこれからは気を付けよう、と制定されたこの日は、いつもだったら長いようであっという間だった私たちの希望・夏休みが終わって渋々学校に行っている頃だ。

 学校に行って久しぶりに会えた友達とおしゃべりして、面倒だけど防災ずきんを被って校庭まで避難して、教室に帰って先生から非常食をもらってさようなら。

 私の家はしっかり防災セットを用意しているから、この日はいつも決まって夕食は非常食になる。最近の非常食は中々おいしいもので、レトルトになっているハンバーグなんかは普通に作るよりもソースがおいしかったり柔らかかったりするから大好きだ。これだったら毎日でも食べられるのでは? と毎年思ってしまう。

 

 そして今日は、そんな毎日非常食のような生活が始まってから丸1か月が過ぎた記念日でもある。

 1か月以上ある夏休みよりも長く感じた1か月間。本当にいろいろなことがあった。

 デパートを見つけるまでは他に生きている人はいないんじゃないかって心配だったし、デパートを見つけてからも以前よりもバーテックスを遭遇する機会が増えて大変だった。

 それに食料問題もそうだ。初めは私と明の二人分を確保すればよかっただけだったけど、今や多くの人を養わなければならなくなった、って言うと少し変だけど、でもそういう感じだ。

 

 そしてその食料問題も徐々に厳しいものになってきた。

 最初の頃から危惧はしていたんだけど、おいしいものは期限が切れるのも早くって、だんだんと今まで通りのおいしいものが食べられなくなってきた。

 卵かけご飯にも使っていた卵の賞味期限は2週間くらいで、加熱処理をしても1か月くらいしかもたないらしい。一人暮らしの女性がマメ知識として教えてくれた。

 パンなんて持って1週間だ。冷凍すればもう少しもつけど、そんなことをしていたら数少ない冷凍庫がすぐにいっぱいになってしまう。だからもう、私が好きなフレンチトーストはしばらく食べられなくなると思う。

 期限が切れた牛乳を捨てるのは、どこに捨てるかという臭いの面とたくさんあるのにもったいないという、もったいない精神の面の両方で心苦しかった。

 いくら飲めそうと言っても、医療が破綻している今、サルモネラ菌とかノロウイルスとかよく分からないそこら辺の菌でお腹を壊しちゃったらどうすることもできない。最悪そのまま死んでしまう。

 結果として1,2週間くらいで冷蔵庫の中身がガラリと変わってしまった。

 

 しかし、この問題も実は最近になってほんの少しだけ改善……て言っちゃいけないんだけど、とにかく流れが変わってきた。

 理由は悲しいことに、8階の人たちによる……”自殺”だ。

 

 と言っても8階の人全員じゃなくて、もともと症状がすごく悪かった人だけ。

 病人なだけに、何度もお話をしに行ったりとみんなして気にかけてはいたんだけど、日が経つにつれて表情が虚ろになっていって、異変を感じた時にはもう8階の窓から飛び降りてしまっていた後だった。

 今では8階の人は、私が来た時から6割くらいにまで減ってしまった。もともと8階にいた人の母数が多かっただけに、寂しさとやり切れなさを感じる。

 

 だんだんと自殺の名所のようになってきた8階。

 私たちじゃ症状はどうすることもできないけど、このまま8階にいるんじゃ気分も下がりっぱなしになってしまうと、8階にいた人たちを私たちと同じ生活スペースで暮らしてもらうことにした。

 皮肉にも、症状がひどい人が中心に亡くなっていったから、動くのも無理だという人はいなかった。

 

 そして本来、症状のひどさから考えれば自殺しててもおかしくないレベルにいる皆神さんは、残念ながら健在だ。

 その証拠に、今も私の目の前で明と話している。

 

「それでは、宿題を持ってきてくれますか?」

 

「はーい先生!」

 

「へーい」

 

 先ほどから行われているのは、今日が9月1日ということで疑似的な始業式みたいなもの。今から夏休みの宿題が回収されようとしている。

 

 バーテックス襲来騒動の後、明やマコトに皆神さんのことを根掘り葉掘りと聞いてみた。

 いつもの様子からじゃ想像できないことだけど、皆神さんはここに来る前まで小学校の教師をやっていたらしく、少し前から2人は教わっていて勉強を教えるのが上手いんだとか。

 最初の頃は他の子供も皆神さんと一緒に勉強していたんだけど、時間が経つにつれて勉強をやったってもう意味がない、とやらない子が出てきて、今や明とマコトの2人しか勉強をしていないらしい。

 私が知っていた時点では、親たちも勉強させた方が良いと言っていたんだけど、いつの間にか変わっていたみたい。

 

 そのことを聞いて閃いた私は、すぐさま皆神さんの元に行って直談判してきた。

 内容はもちろん”明のお母さん呼び”について。

 最初のあの邂逅、あれから私も考えたんだ。皆神さんは自分の娘と明を重ね合わせている、と鈴さんが推測していた。名前は確か ”葵ちゃん”だったと思う。

 結局答えは出なかったんだけど、ようやくいいアイデアが出た。

 勉強を教えているんだったら、先生呼びに変えさせればいい、と。皆神さんの認識を、娘の学校で教師をやることになった母、に変えさせれば問題は無くなる。

 少し無理がある設定かと思ったけど、想像していたよりもすんなりと受け入れてくれた。

 おかげ様で私の気苦労も少しは解消された。

 

「っていうかマコトも夏休みの宿題なんて持ってきてたんだ」

 

「そんなわけないだろ。皆神センセーがわざわざ自分で手作りしたものをオレに持ってきたんだ」

 

「うわぁ、そりゃ災難だったね……」

 

「夏休みの宿題は最終日に一気にやる派だからさ、昨日は大変だったー」

 

「へー、私は夏休みが終わってからやる派。始業式でみんなにどれだけ時間かかったとか、早く終わらす裏技とか聞いてからやるんだ」

 

「嘘だろ? せめて夏休みの間にはやっとこうぜ」

 

 あきれた様子で突っ込んでくるマコトだけど、ちゃんと宿題をやるタイプの人だとは思わなかった。

 いや、今回は明に付き合ってくれた、っていうのも大きいのかな。

 

「次は避難訓練をしましょうか。宿題は後で先生が丸付けをしておきますね」

 

「避難訓練て何すんだろうな」

 

「さあ。ま、外には出ないだろうし頑張って付き合ってあげてね」

 

「おう」

 

 学校ごっこで楽しんでいる皆神さんに連れられて、2人はどこかに避難訓練をしに行った。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 皆神さんという憂いが減っても、まだまだ私たちには障害が残っている。

 目下の問題は、あの進化体。

 さっきの皆神さんじゃないけど、実は私も布川さんたちと、もしここに大量のバーテックスが押し寄せてきた時の避難場所を計画している。進化体のことは誰にも伝えていない。

 ここはバーテックスによって作られた箱庭みたいなもの。いつ壊れるか分からない平和に安心はしていられない。

 

 いろいろあって以前よりも人数が減ったから、このデパートくらいの収容量が無くったってなんとかなる。

 幸い長期滞在は厳しいけど短期間だったら避難できそうな場所は見つけられた。食料を探しているときに鈴さんが偶然見つけてくれた。

 食料を冷やすために冷蔵庫は必要だけど、それ以外は大して重要じゃない。と、私みたいに生きるためには割り切れていない人もやっぱりいる。と言うかそっちの方が多いくらい。

 だから最近は、食料を探してくると題して使っていないものをそっちに運ぶ作業を主にしている。

 もちろんご飯も探していないわけじゃないけど、運ぶのが中心だからなかなか見つからない。そろそろちゃんと食料のほうも探さないと。

 

「やることいっぱいだなー。政府が食料配給とかしてくれないかなー」

 

 一人ごちていると、前から歩いてくる布川さんと出会った。

 

「ああこんなところに。ちょうど呼びに行こうと思っていたんだよ」

 

「どうかしました?」

 

 首をかしげると興奮気味に、

 

「いやね、ようやく避難ルートが完成したんだ」

 

「おお、ついにですか! 見たいです!」

 

「1回のいつもの場所にある。ついてきてくれ」

 

 タイムリーな話題が飛び込んできた。

 いつもの場所と言うのは保健室のことで、あの日以来、会議場所として利用させてもらっている。

 

 憂いに対する備えがまた一つできたと、ウキウキ気分で布川さんと一緒に歩いていると、男の人がこちらに向かって走ってきた。確か、当番制でやっている外の監視係の人だと思う。

 

「急にどうしたんだ、そんなに慌てて」

 

 驚く私たちをよそに、その彼は息切れをしたかすれた声でこう言った。

 

「た、大変です!! バーテックスが大量にこちらにやってきています!」

 

 

 

 ”備えあれば憂いなし”。けれど、訪れる憂いが一つとは限らない。

 



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第35話【ほら、憂いがやってきた】

いつも読んでいただきありがとうございます。
ちょっと短いです。


 

ーーある日の記憶がよみがえるーー

 

 

『やあ岩波君、ちょっと今いいかな?』

 

『はい、いいですよ……って布川さんじゃないですか。もう歩いたりして大丈夫なんですか?』

 

『まあね、杖を突けば何とかって感じかな』

 

 確かこの日は、あのバーテックスの襲撃の日からしばらく経って、布川さんのケガも少し落ち着いてきたときだったと思う。

 マコトを入れたいつもの3人で昼食を食べた帰り道、声をかけられたから後ろを振り返ってみると、松葉杖をついている布川さんが立っていた。

 

『いや僕のことはいいんだ。それよりも話というのは、次の探索のことなんだけど、どうかな」

 

『あーそうですね……ここ最近はバーテックスも見かけてないですし、そろそろ私も探索に戻りますよ』

 

『うん、そうしてくれると助かるよ』

 

 今までは、私が一日の大半をデパートの屋上からバーテックスの動きを見張つことに費やしていたけど、ここ数日はめっきり見かけなくなってきた。

 あそこまで近くに接近されたから、すぐに次のバーテックスが来るかもって待機してたけど、そろそろずっと私が見張っているより外に出て行った方が効率が良くなるころかもしれない。

 

『そうなると、屋上の見張りを誰かに頼まないといけなくなるけど……』

 

『うーん、理想としては、あんまり外に抵抗がない人とかで当番制に見張ってもらうとかが良いですよね』

 

『うんそうだね。実は岩波君もそう言うんじゃないかと思って、もう何人かとは話がついていてね。やってもいいと言ってくれているんだ』

 

『あっそうなんですか!』

 

 告げられた朗報に思わず顔がほころぶ。自分で言っては何だけど、見張りはヒマだし危ないし疲れるしで誰もやりたがらないと思っていたから一安心だ。

 それにしても、自分だって重傷だったのにもう次のことを考えているなんて本当に手が早い。

 

『これで岩波君も気兼ねなく探索しやすくなるだろう。そろそろ食料も探しに行かないとだしね』

 

『赤ちゃん用のおむつとかも数が少なくなってきましたし、早めに行かないとですね』

 

 次の探索のときに必要なものをみんなに聞きに回ったら、子育てママさん達から山ほど足りないものを頼まれた。最初は頭で覚えられると思っていたんだけど、あまりの注文の量に不出来な私の頭は悲鳴を上げて、メモを取らざるを得なくなった。

 オムツ一つをとってもかなりの量と細かい指定に、メモを取るのが大変だった。

 

『あっそうだ。探索しに行くのはいいんですけど、これから当番制になるんですよね。それだったら、私がいるときにバーテックスがここに来た時の連絡手段も決めといたほうが良くないですか?』

 

 私1人が見張っているんだったら、屋上から飛び降りてそのまま倒しに向かったり外から窓を伝ってみんなに知らせたりできるけど、これは普通だったらできない手段。

 あらかじめ決めておかないと、もしもの時にうまく避難できない。

 

 布川さんもその重要性に気が付いた様子で、真剣に考えてくれた。

 

『あー確かにそうだね。んー、それじゃあこういうのはどうかな。────』

 

『────ああそれだったら一発でヤバいって分かりますね! 大賛成です!』

 

『携帯が使えたらもっと楽だったんだけどね。よし、それじゃあ決まったんなら早速セットしてこようか』

 

『はいっ私も手伝いますよ』

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

ーーそして現在。

 

 

 つい先ほどまで静かだったデパート旭内に、けたたましい警戒音が鳴り響く。

 誰もが聞き覚えのある、懐かしさすら覚えるかもしれないこの警告音。しかし決して聞き慣れることはなく、私たちの心を一瞬で身構えさせるこの音。

 防犯ブザーの甲高い音が響き渡る。

 その音は次第にどんどん音量が上がっていき、身に迫ってきている危機を聴覚的に理解させられる。

 

 仕組みはいたって簡単。デパートの各階の壁に、いくつか防犯ブザーを括り付けておくだけ。それを屋上から大声で危険を伝えられた、8階にいるもう一人の見張りの人が、走って階段を下りながら引っこ抜く。

 そうしていけば、私がどこにいても聞こえて他のみんなにも危ないことが伝わるという寸法。

 これが布川さんの考えた方法だ。

 

 防犯ブザーは百均にもあるしどこにでもあったから、調達は簡単だった。

 

 

「現在正面入り口の方から6体のバーテックスが来ています!」

 

「わ、分かりましたすぐ行きます!」

 

「岩波君、みんなにはデパート内に居てもらえるように言っておいてくれ。下手に外に出られると収拾がつかなくなる」

 

「了解しました!」

 

 息も絶え絶えになりながらも伝えに来てくれた見張りの人に心の中で感謝してから、背中に背負っている鍬/カネアキに手を伸ばす。

 一気に力が流れてきて、体の感覚を過敏にさせれば、女性も男性もいろいろ混ざり合った悲鳴が遠くから耳に入ってきた。

 嫌な予感が頭をよぎる。

 急がなきゃ!

 

「そ、それと!」

 

 飛び出そうと一歩踏み出した途端に声をかけられて、つんのめりそうになった。

 

「まだ何かあるんですか?」

 

 尋ねると見張りの人は、確かな情報ではないんですが、と前置きをした上で、

 

「バーテックスに追いかけられている人が1人いたようなんです」

 

「本当かい!?」

 

「見間違いかもしれないんですが……さすがに外に出る理由もありませんし……」

 

「けどもし本当だったら大変だ。岩波君は先に行っててくれ。僕も後から追いかけるから」

 

「分かってます。では」

 

 今度こそ会話を切り上げて、正面玄関に向かって飛んでいく。

 せめてあと1日、あと1日バーテックスが来るのが遅かったら、みんなにようやく完成した避難ルートを伝えることができていたのに!

 けどこんなことに文句を言っても仕方ない。アイツらは存在自体が文句しかない存在なんだから。

 

 6体か。

 報告には、進化体のような変な姿をしたバーテックスは言われてなかったし、この数だったらすぐ終わる。

 さっさと終わらせよう。そう思い、私は正面玄関に向かっていった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 正面玄関にたどり着くと、そこには外に避難しようとしている人が数人集まっていた。我先にと押しあっている。

 防犯ブザーを設置するときに、もしこれが鳴った時は外に出ないでくださいと伝えてはいたんだけど、こんな非常事態だ、忘れちゃうこともあるかもしれない。

 私だって小学校にいた頃は、避難訓練のとき、先生の指示も聞かないで自分だけ先に逃げたほうが生き延びられるんじゃないかと思っていたし。

 

「みなさん外に出ないで中で待っていてください! ここは私が行きます!」

 

 後ろから大声で呼びかけてみれば、私の存在に気づいてくれた数人が踏みとどまり、それに気がついた数人がまた踏みとどまってくれた。

 

「本当に大丈夫なのか?」

 

「これってアイツらが来たんだろ? 死にたくないんだよ」

 

「大丈夫です。私がみなさんを守りますから」

 

 両腕を広げて大丈夫だと主張する。そうすると、少し落ち着いてくれて逃げるのをやめてくれた。

 驚くほどにすぐみんな冷静になってくれた。もしかしたら、私の声にも力が乗っかって説得力を強めているのかもしれない。

 それなら好都合と、入り口に固まっていた人によけてもらって私が通れる道を作ってもらった。

 

「ありがとうございます。では行ってきま──」

 

 視界の隅に何か動くものがあった、気がした。

 ソレが何かが分かる前に、ソレは新たな動きを見せた。

 

「うわっ!」

 

 何か人間大のサイズのものが私の右腕に力強くぶつかってきて、予測していない衝撃に、踏みとどまることができずに軽く吹き飛んだ。

 

「い、痛った……」

 

 驚きで頭の中が真っ白になる。

 

「よしよしよし! ようやく奪い返してやったぞ! ふへへへ」

 

 かろうじて聞こえてきたのは、汚らしい男の人の声。

 見ると、いつぞやの変態が私を見下ろして立っていた。私のことをジロジロ見ていた太った男。

 その男の手には、鍬が握られていた。

 

「ってあれ?」

 

 自分の右手を開け閉めする。けれど、いつもは返ってくる固い感触が返ってこない。

 そして目の前には、私の鍬によく似たものがある。

 

「え?」

 

 突然のことに理解が追いつかない。

 私しか使えないのに、他の人が持っていても意味がないのに。

 仲間であるはずの人間に、守るべき対象に、武器を奪われた。

 



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第36話【生の熱が冷めていく】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 男の人の高笑いする声が聞こえる。

 のどの奥が詰まっているような、くぐもった笑い声。息継ぎのたびに首元についた脂肪がたるみ弾み震えるのが見える。

 目の前にいるその男は、空を見上げて楽しそうに笑っている。何がそんなに楽しいのか、私には分からない。私から武器を奪ってみんなを危険な目に遭わせているのに、どうしてそんなに笑顔でいられるのか。

 

 ここにいる誰も彼もがこの異常な光景に驚き動けない。私も普段振るわれない人間からの暴力に、思わず体が固まる。バーテックスからは何度かぶっ飛ばされた事もぶっ飛ばした事もあるけど、今回は違う。

 自分で言うのもなんだけど、もともと私はただの小学生で、ケンカなんて一度もしたことのないどこにでもいる女の子なのだ。未知の生物バーテックスよりも、見慣れた『人間』という生物の方が戦いたくないしずっと怖い。

 

 それに加えて体、特に地面とぶつかった左半身が痛い。

 あの男の人に体当たりをされた後に鍬が奪われたから、直接当たった右側は大丈夫だけど、左側は力の守りのない素の状態で傷を負ってしまった。たぶん血は出てないと思うけど、地面とこすった摩擦熱で肘がジクジク熱い。

 

 みんなが動けないでいる中、いち早く硬直から解き放たれた一人の女性が歩き出した。黒いスーツ姿に同じく黒のメガネをかけたツリ目の女性。睨まれたらこっちがひるんでしまいそうな鋭い顔つきの彼女は、その見た目に違わず堂々とした態度で男のもとへ向かい、詰め寄って食いかかった。

 こんな状況ですごい、と感心の気持ちを持った反面、あまり刺激しないでよと祈るような気持ちにもなった。

 

「ちょっとアナタ! こんな幼い女の子を突き飛ばすなんて頭おかしいんじゃないの!?」

 

 近すぎではと思うほどの近さで、こちらの想定を超える口の荒っぽさをしていて、頭がおかしい人にそんな口調で大丈夫か、と心配と不安の眼差しを向ける私たち。

 それに対し男は、

 

「へへへ、これでようやくプロローグだぁ……始まるぞぉ」

 

「ねえちょっと聞こえないの!?」

 

 けれども男の意識は上の空。耳元で注意されていてうるさいくらいのはずなのに、それには無反応で自分だけの世界と会話している。

 ぶつぶつとギリギリ聞き取れない音量で発せられるその声は、こちらにはハッキリと聞こえないのに、無性に不快にさせられる。

 

 と、私が床に倒れ込んでいると、大丈夫かと近くにいた人が手を差し伸べてくれた。私もボーっとしてないで早く鍬を取り返さないと。そう思い、その手を掴んで立ち上がろうとしたのと男が動いたのが同時だった。

 

「ちょっと何か言ったらどうなの!」

 

「ううう、うるせえーー!」

 

「きゃっ…あ゛っ」

 

 肩を掴んで食いかかる女性を男は力任せに振り払った。ブクブクと太っている見た目の割に力があった男によって、女性はバランスを崩しよろめく。

 そんな女性めがけて、男は自身の両手を一つにして力任せに斜めに振り下ろした。

 手には私の鍬が握られているままだった。

 

 すり鉢で食べ物をすりつぶすときのような鈍い音が、風を切る音とともに一つ鳴った。

 その音が鳴ると、目の前で元気に怒鳴っていた女性に、なにやら黒いものがついているのが見えた。

 

──瞬きをする。

 

 一度閉じた目で今一度注目すると、女性の胸の辺りから鍬が生えて……いや、刺さっていた。

 深く深く体に突き刺さった鍬は、確実に心の臓にまで到達しているに違いないと思えるほどのものだった。

 

──瞬きをする。

 

 生命という支えを失った女性は、振り抜かれる鍬と同じ軌道を描いて地面に沈んだ。

 声を出す間もなく、ひどく興奮した様子の男によって女性は殺された。

 そしてそれを見ていた私たちの周りには、あの日おじいちゃんの家で見た光景に酷似した赤いしぶきが散りばめられた。

 熱い。頬に熱を感じ拭ってみれば、手に広がる赤い液体。私の頬にまで飛び散ってきていた。

 倒れた女性の胸から引き抜かれた鍬の刃には、朱肉のように赤い血がてらてらと光り、艶めかしいほどにたっぷりと付着していた。

 

「うるっせぇんだよ見て分かんねえか? 今はオープニングなんだよオープニング。お前あれだろ、映画館で上映始まってからノコノコと来るタイプだろ。

こっちは盛り上がってるってのに、お前みたいなやつらがいるせいでホントテンション下がんだよなぁ。死ねよ」

 

 今までのどこかビクビクしていた態度とは一変、男は自分に酔ったような喋り方になった。

 そう吐き捨てた男の手には、私の大切なおじいちゃんの鍬が握られている。私の鍬で、人が、殺された。

 恐怖で体が動かない。けれど、こうしている間にも女性の胸に空いた割れ目からは、出てはいけないものが流れていっている。

 今すぐ塞がないと、と思う心と、塞いだってもう手遅れだ、という経験則がせめぎ合う。

 頬に飛び散ってきた赤い液体から、最初に感じた熱がどんどん冷めていくのを感じる。

 それはどこか、女性が死に近づいていっているのと同じように感じられて吐き気がした。

 

「はぁー、ゲームじゃ何万と斬ってきたけど現実はこんなものか。経験値も表示されないしつまんねーの」

 

 男は自分のしでかしたことなど全く気にしていないのか、落胆したように手を開閉している。

 この人は狂っている。行動理由は分からないけど、これだけは確かだ。

 私の心臓の音がやけにうるさい。心臓が2つになったのかと思うほど速く鼓動する。今は鍬を奪われているから、心を落ち着かせようにも方法が無い。

 

 どうにかこの人から逃げないと。ここにいるみんなコイツに殺される。

 まだ男は自分の世界に浸っていて、私たちのことを忘れている。逃げるなら今だ。今しかない。

 音をたてないよう姿勢を低くして静かに男から距離を取ろうとする。けれど手足が震え思うように進まない。なんとか腕に力を込めて震えを止め、一歩一歩後退していく。

 と、後ろに下がるため地面に手をついたとき、スルッと支えにしていた腕がなくなった。

 

「なっ!?」

 

 支えを無くした体はそのまま尻もちをつき、その音で男の注意を引き寄せてしまった。

 なんで急に。そう思って見てみると、さっき頬を拭って手についた液体で滑ってしまったことが分かった。

 ツイてない。忌々しく感じていると、男は先ほどとは一変して嬉々とした様子で私たちの方に近づいてきた。

 

「おお、おいお前。お前だよお前」

 

 男と目が合う。えっ、私?

 

「そうだよお前しかいないだろ。いいか? これからの主人公は俺なんだからな。勘違いするんじゃねぇぞ」

 

 勘違い? 何を勘違いしているの?

 

「ああ、そういや『勇者』なんて言われてたっけか。そうか、これからは俺が『勇者』になるのか。うん……最っ高の響きだなぁ『勇者』。俺にピッタリだ」

 

 頷きとともに震える脂肪。

 

「本当は俺からコイツを盗んだお前は、真っ先に殺しておくべきなんだけど」

 

 そう言い私を指さす。その動作で感覚的に刃物で刺されたように感じ、腹の底が冷える。

 

「主人公には一度敵対した敵でも許す度量が必要だからなぁ。今回は見逃してやるよ。よかったなぁ『偽物』」

 

 盗んだ? 偽物? 最初から最後まで少しもわからない。

 私が混乱していると、言い切って満足したのか、男は「英雄譚を始めるぞー!」と声を荒らげてデパートの外に出て行った。

 

 何もわからない。わからない。あの男の人が怖い。怖い、けど!

 少なくとも私はあの鍬がないと何もできない。誰も守れない。取り返さなくちゃ。

 亡くなった彼女のことをほったらかしにするのは申し訳ないけど、この場にいるみんなには、上の階に行って布川さんの指示に従ってもらうように頼んで、外に出て行った男の後を追って私も外に出る。

 声が震えているよ、って言われちゃったけど、笑ってごまかす。今は無力な私だけど、みんなを不安にさせちゃみんなも困っちゃう。

 そういや、バドミントンの大会のときもクラブの子を励ましたら同じこと言われたなぁ。先輩、声震えてますよって。

 今は怖くても動かなきゃいけない時。頑張ろう。絶対に取り返さないと、みんなを明を守れない。

 

 

 でももしかして、よく分からなかったけどもしかしたら。あの人のあの自信の有り様、もしかするかもしれない。

 散々試してダメだったから諦めていたけど、もしかしたらあの男も私と同じ力を持ってる人なのかも……しれない……。

 あの人は見たこともないし、とてもじゃないけどおじいちゃん達やあの神社と関わりがあったとは思えない。

 でも、そんなわけがないと分かってはいても、淡い、淡すぎる希望を見てしまう。

 こんな世界で、見ていい希望ではないことは分かっているのに。

 

 



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第37話【壊れた希望】

いつも読んでいただきありがとうございます。
昨日から17連勤が始まりました。ヤバい。
短いです。


 あの人も私と同じ"勇者"みたいな力を持っている。それで私に代わって今バーテックスと戦っている。

 そんな幻想に縋りつきたくなるほど、今の状況は混乱に満ちている。

 デパートには布川さんがいるから、避難的なものに関してはまだ大丈夫だと思う。けど避難といっても、バラバラの階層にいるみんなを一箇所にまとめておくとかそれくらいしかできなく、本当に避難をするには避難先の確保もちゃんとはできていないから厳しい。

 でも一応デパートがバーテックスの体当たりによって壊される可能性もあるから、きっと今ごろみんなは2階とか3階らへんに行こうとしている途中なはず。

 

 けど、もしデパートが攻撃されて外に出ることになった時、1階の凄惨な現場を見てみんな混乱すると思う。あの場にいた人たちにお願いはしてきたけど、たぶん誰もやっていないと思う。

 ううぅ、思い出しただけでちょっと気持ち悪くなってきた。走っているときの吐き気は、出てこようとしているものまで揺さぶられて通常よりも強い吐き気になる。

 口元を手で押さえながら走る。

 けれどもその足の遅さに焦燥感が募っていく。

 この1か月、ほとんどの場面で私は、常に力を使っている状態で行動してきた。鍬を振るう時も飛び跳ねるときも、そして走る時も。

 もうあの速さに体が慣れてしまった。いま私は全速力で走っているけど、あの速さを知っているからもはや歩いているようにまで感じてしまう。この差に焦りが湧いてくる。

 こんなのちょっとした中毒症状みたいで、笑えてくる。

 まあいい、たとえ毒だって。平和な世界を取り戻すまでの毒、甘んじて受け入れてやる。だから──

 

「返してっ」 

 

 そんなに多くない自前の体力がだいぶ減ってきたところで、ようやくあの男の背中を捉えた。男の前方5メートルくらいの所にはバーテックスがいて、相対している状態だった。

 バーテックスと会う前に男から取り返したかったけど、これじゃ無理だ。今出て行っても最悪バーテックス・男対私の2対1で攻撃されてしまう。

 仕方なく近くの建物の陰に隠れて様子見をする。

 

「おい白いの! 俺が来たからにはもうお前らはお終いだぜ。ふへへへ」

 

「    」

 

「はっ、ビビッて何も言えないのか」

 

 会話になるわけないのに、男は悠々たる面持ちで肩に担いだ私の鍬を左右にブンブンと振り回しながら、歩いてバーテックスに近寄っていく。

 早く逃げて。そう思っていると、遠くの視界の端に白い影を捉えた。

 脳内に警戒音が鳴り響く。目を凝らしてみると、男が向き合っている右方向からデパートに向かってバーテックスが進んでいるのが見えた。その数は3体。

 そのバーテックスたちは男に注意を向けることなく、デパートの方角へ進んでいった。私の時だったら、これくらい離れていても私の存在が危険だと判断されて襲ってこられた。

 つまりあの男の人はバーテックスにとって取るにならない一般人だということが、敵の行動から分かってしまった。

 

 早く取り返さないと、私も明もデパートのみんなも殺されてしまう。

 最悪あの男は殺されちゃっても、鍬さえ手に入ればこっちのもの。いや、むしろ時間短縮のため…………

 

「んーじゃまずはお前からだ!」

 

 越えてはいけない一線に私の思考が至りそうになった時、男がバーテックスに向かって鍬を振り下ろした。

 無駄なことはやめて逃げて。そう思いながら見ていると、

 

──バキッ。

 

 鍬が、折れた。

 

 

 

 え?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「ちょ! 嘘でしょ!?」

 

 隠れていることも忘れるほどの衝撃に、思わず大きな声が出る。

 わ、私の鍬が……根本からボッキリ……。鍬の鉄の部分と木の境目の所から、それはもう見事なまでにボッキリと折れてしまった。

 

「は、はあ!? 話が違うじゃねえかよ!」

 

 この展開は男も想定外だったようで、ぶつけようのない怒りを露わにしている。バーテックスに攻撃されたわけでもない、ただ単にバーテックスに突き刺そうとしたらその衝撃で折れたのだ。さながら高いところから落とした皿のようにあっけないほどあっさりと。

 幾度となく使ってきたけど、壊れる予兆も何もなかった。と言うことは、と言うことは……なんなんだろう。だってアレで何体もバーテックスを斬ってきたのに、そんな……。

 想定していた最悪を最悪が乗り越えてきた。

 

「あっ、おいお前! これどうなってんだよ!」

 

 先程の私の叫びで私の存在に気づいたようで、手で待っている鍬の刃と私を交互に見ながら怒鳴ってきた。

 

「壊れちまったじゃねえかよ! どうすんだこれ、なんとかしろ!」

 

「そ、そんなの知らないですよ! 勝手に人のものを持っていくから!」

 

 売り言葉に買い言葉。容疑者と被害者。ケンカの発端になるには十分すぎる内容と組み合わせだ。

 ただ一つ忘れてはいけないことがあった。ここは今どこで何を目の前にしていたのか、それをこの時の私たちはすっかり忘れていた。

 

「これじゃ使いもんにならねぇだろ!」

 

「勝手に使わないで……あっ」

 

「ああ!?」

 

 後ろにいる私を見ていた男は気がつかなかった。

 私が男の後ろを指差した時にはすでに、バーテックスがその大口を開けて今にも噛み砕こうとしていた。

 そして男が振り返る。その時に上がった罵声は、はたしてバーテックスの口の外で発せられた声なのか、それとも口の中での声なのか、見ていた私にも判断することはできなかった。

 

 幸いと言っていいのだろうか、壊れた鍬はバーテックスの口の中に入ることなく、外に落下した。

 

 血は飛び散ってこなかった。バーテックスが男を全身丸ごと口に含んでいったから。けれど、歯のように見える部分の隙間から大量の血が滴り落ちていて、それで、あぁ噛み潰されたのだと理解できた。

 もともと不気味に笑っているように見えるバーテックスの口元が赤く染まり、本当にコイツらは化け物なのだということを改めて認識させられた。

 

 そして次にバーテックスは私の存在に気づく。それを察知した私は翻って相手よりも先に全力で駆け出す。

 

 バーテックスとの命を賭けた、主に私の命しか賭けられていない命がけの鬼ごっこが始まった。



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第38話【星屑との鬼ごっこ(前半)】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 鬼ごっこ。

 誰でも一度ならず何度もやったことのある遊び。私も休み時間によく遊んだもので、体力ないながらも男の子の中に混ざって校庭を駆け回った思い出がある。

 氷鬼とか高鬼とか、私の好きなやつだとバナナ鬼とか色々ある定番の遊び。本当の鬼ごっこだと、追いかけられている人は鬼にタッチされたら鬼が交代になって、タッチされた人は今度は追いかける側になるけど、私が今やらされている鬼ごっこは全然違う。

 鬼ごっこでいうタッチをされたら噛み砕かれて死んでしまうし、追いかける側にもなれない。バーテックスにとっては遊び感覚なのかもしれないけど、わたしには全く割りに合わない死活問題な話だ。

 

 どちらかというと、隠れ鬼に近いかもしれない。

 まあ、今回の鬼は隠れる時間もくれないんだけど!

 

「ああっもう!!」

 

 後ろにいるバーテックスが動くよりも先に逃げ出す。さっきまで走ってきて疲れている足を必死に動かしてみるけど、やっぱり遅く感じる。今追いかけられているのも走って逃げなきゃいけないのも、全部全部あの男のせいだ。

 恨み言を心の中で叫びながら、バーテックスとの距離感を掴むため後ろを振り返る。追ってきているのはあの男を食べた1体だけ。うん、大ピンチ。

 でも数秒で追いつかれるような距離じゃなかったから一安心……とは言えないから半安心。

 

 男を見ていた時に隠れていた建物の陰に逃げ込むけど、視界からも外れてないからすぐに見つかってしまう。

 息つく暇もなく次の建物へ、今度は家の中に逃げ込んでみる。超非常事態だから申し訳ないという感情もなく、そこら辺に落ちていた石を正面の窓ガラスに目がけて投げつける。

 割れる盛大な音とともに、大きな窓ガラスに穴が開いた。初めて聞くガラスが割れる音に、鳴らした張本人の私がビックリする。

 驚きのあまり手を胸に当てると、石を持った時に手に付いた土が少量服に付いてしまう。けどそんな小さな汚れも気にならないくらい、逃走中の私の体は全身汚れていて今更だなと感想を抱いた。

 

 割れた破片に気を付けながら、けれど最速を意識して家の中に逃げ込む。見渡してみると、入った家は以前食料調達に来たことのある家だと分かった。

 この家はファッション好きの女の子が住んでいたみたいで、可愛らしい服から実用的な服までたくさんあった。今着ているスキニージーンズもこの家のもので、本来の持ち主ではないのになぜだか帰ってきたような感覚が湧いてきた。

 と感傷に浸っている暇もなく、足元にバーテックスの巨大な影が伸びてくる。ぞくりと寒気を感じるよりも早く走り出して、さっき使った石を今一度拾い正面に見える窓に向かって投げつける。

 窓の前に置いてある机の上に乗って今割った窓に飛び込む、と同時にバーテックスが家の中に侵入してきた。

 開けられた穴が小さくって、飛び込んだ時に腕に切り傷がたくさんできてしまった。切れた時は紙で切ったみたいに一瞬の違和感しか無かったけど、後からじわじわと血とともに痛みが襲ってくる。

 以前までの私だったら取り乱していたけど、私だってこの1ヶ月で強くなった。力のない状態では過去最高の痛みだけど、この程度じゃ私の足は止められない。

 

「痛ったい……けど! この調子でいけば何とかなる、かも!」

 

 家の影をうまく利用していき徐々にバーテックスとの距離を離していく。ここら辺は住宅の密集地で助かった。しかもここら一帯は何度も探索してきた。地の利もこっちにある。

 バーテックスの視界がどうなっているのか分からないけど、これで一瞬だけどバーテックスから身を隠せたはず。このままグルッと回ってまずは壊れた鍬のところまで行こう。

 何の足しにもならないかもだけどバーテックスから逃げのびるのはさすがに体力的にも無理だし、もしできるんだったらもっと人類は生き残っている。

 

 慣れないアクロバティックな鬼ごっこに呼吸が苦しくなってきた。自分の呼吸がやけにうるさく聞こえて集中が途切れてくる。体育で1000メートルを走った時みたいにもうヘトヘト。

 けどおかげでようやく遠くに鍬が落ちているのが見えてきた。このままいけばやっと鬼ごっこが終わらせられるかもしれない。

 

 後ろを振り向いても追ってきている様子もない。小道を縫うように走ってきたし、どうやら撒けたみたい。

 最後のひと踏ん張り。傷だらけの腕を必死に振るって真っ二つになった希望に手を伸ばす。

 

「お願いおじいちゃん! 力を貸して!」

 

 これでもし鍬に触っても力が湧いて来なかったらゲームオーバー、私は食われてしまうだろう。

 緊張のあまり乾いた口から何とか絞ってつばを飲み込もうとするも、変なところに入ってしまい、盛大にむせた。

 

「ごぼっごほ! っんなんでこんな時に」

 

 体力も無くおぼつかなくなっていた足取りに咳が加わって、体がふらつき思わずよろける。涙目にもなり視界がぼやけてきた。

 一旦咳を落ち着かせようと、鍬を目前にして休憩することにした。

 

「あとちょっとなのに……」

 

 隔靴掻痒な気持ちでいると、突如後ろから大きな破壊音がし、一拍おいてさっきまで私が立っていた場所をバーテックスが通過していった。

 突進の風で不安定の体は宙に浮き、吹き飛ばされる。

 

「げほっ、さっきまでいなかったのにどうして…っぐあ痛っ!?」

 

 土煙と涙でにじむ目をこすって見てみれば、私が障壁として利用してきた家を破壊して最短距離でバーテックスがやってきたことが分かった。周囲にはガラス片やガレキが飛び散っている。

 強烈な痛みを足に感じ見ると、空から飛んできた屋根瓦が右足首に落ちてきたのがわかった。痺れるような鋭い痛みが足から全身を駆け巡る。

 

「そんなの、反則でしょ」

 

 必死で逃げてきたことも腕に傷を作ってまで走り回ったことも、バーテックス相手には全く意味のないものだった。

 あまりのバケモノっぷりにもう冷や汗すら流れてこない。迷路をぶち抜かれた気分だ。

 しかもバーテックスの立ち位置は私と鍬の真ん中。完全に振り出しに戻ってしまった。いや、さっきに比べて体力がなくなった分より最悪が深まった。

 それに足もやられて満足に動けそうにもない。打つ手なしのどん詰まりだ。

 



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第39話【星屑との鬼ごっこ(後半)】

いつも読んでいただきありがとうございます。


 無表情の白い能面のような顔が目の前に現れる。でかい図体とは裏腹に、理に反してその体は宙を浮いている。

 口は何でも食べてしまいそうなほど大きく、車でさえも一噛みで粉々にできそうな破壊的な形をしている。それを見ているだけで、数十秒先の自分の運命を容易に予想できてしまう。

 

 ” 私 岩波灯は足に落ちてきた屋根瓦で身動きが取れず、迫りくるバーテックスに何の抵抗もできずに周囲のガレキとともに噛み殺された。そして唯一バーテックスと戦える存在がいなくなったことにより、デパートで私の帰りを待っているみんなも救いの手が届くことはなく、無情にも全滅してしまった。”

 

 と、そこまで想像して頭を振る。その勢い余って振った振動で右足が強烈に痛み、顔が苦痛でゆがむ。

 

「くっ、そんなことは……させない」

 

 そんなの、最初に鍬を壊されてからずっと思っていたこと。そんな未来を回避したくてさっきまで逃げ続けてきたんだ。ここで諦めてしまったら意味がない。

 弱ってきた心を何度も何度も強くそう思い奮い立たせる。

 バーテックスは勝ちを確信したのか、先ほどとは打って変わってゆらゆらとゆっくりとした動作で近づいてきている。

 腹立たしいほど余裕そうな態度にひと睨みしてから、まずは一歩、今より良い未来に行こうと足に落ちた瓦をどけようと慎重に触れる。

 

「痛いのは分かってる。来ると分かってる痛みなんて、予防接種みたいなもの……!」

 

 肺いっぱいに空気を飲み込んで、来る痛みに備えて奥歯を噛みしめる。

 優柔不断な性格を押し殺して、間髪入れずに一気に屋根瓦を足から持ち上げた。

 

「んんんんんぁがっ!」

 

 痛い痛い痛い。先ほどとは比べ物にならない激痛が駆け巡り、痛みで目がチカチカする。

 痛い痛い熱い。潰れていた箇所が心臓になったかのようにドクンドクンと脈拍して全身の意識がそこに集中する。

 痛い熱い熱い。鈍くなっていた血流が、障害物がなくなったことにより一気に体中に巡っていって体が熱くなってくる。

 熱い熱い熱い。つぶされたところを見れば、落ちてきた時に壊れた屋根瓦の破片で傷つけられた足からたくさんの血が流れていた。

 何かにつぶされたときは、乗っかっているものを動かしてはいけないって前にニュースで見たことがあった気がするけど……

 

「はぁはぁ……これで、まず一歩………」

 

 あとのことは今は関係ない。今は動けないことが一番ダメなことで、ひとまずこれで動けるようになった。

 一応の抵抗として、持ち上げていた屋根瓦をバーテックスの方に向かって投げてみるも、腕の力も無ければ距離も遠くしゃがみ込んでいるせいもあって手前で落下した。

 そんなことをバーテックスは気に留めるはずも無く、何事もなく突き進んでくる。

 

 バーテックスに壁は意味がない。宙に浮けて全てを破壊できる。この記憶は右足の痛みとともに体に刻み込んだ。次は失敗しない。

 なんとかもう一回どこかに隠れて再挑戦しよう。痛む足をかばうように左足を起点にして立ち上がる。

 けど立ち上がろうとすればするほど、頭からは血の気が引いてくる。どうやらこの極限な状況に頭も参ってきているみたい。

 

「もうあと二十踏ん張りくらいしないといけないんだから、しっかりしろ私……」

 

 こんこんと頭を叩きながら、頭で体を支えるようにして立ち上がる。けれどこの時すでにバーテックスとの距離はもう3メートルくらいしかない。

 足つきも少しおぼろ気で意識も薄まってきたような気がする。たくさん遊んだ日の夜11時くらいの眠気が襲ってきた。

 

 視界が薄まり、音が良く聞こえてくる。さっきからうるさい自分の心臓の音が聞こえる。

 その音に混ざって、人の足音が聞こえる。しっかりと規則性があって走っているような足音。

 

 ……足音?

 

「えっ?」

 

 私はふらふらしていてバーテックスはふわふわしている。つまり足音ということは──

 

「──おらあぁ!!」

 

 覇気のある、どこか聞き覚えのある声がしたかと思えば次の瞬間、地面をこする音とともにバーテックスと地面の間から硬そうなものが私の足もとに転がってきた。

 それは金属特有の光り方をしていて、投げた時に取れたのか、折れたようなちぎれ方をした小さな木の棒と一緒に転がってきた、今一番欲しかったもの。

 心臓が、鼓動が加速する。

 

「早く! 岩波!」

 

 その声が聞こえるのと同時に転がってきたもの──鍬に手を伸ばす。

 バーテックスは突然の異物に焦ったのか、ゆったりとしていたその速度を一気に加速、大口を開いて突進してきた。

 けど残念。私の方がちょっと速い。

 

 

 勇者の力が得られる確信はなかった。そこにはただ投げてくれた人──マコトへの信頼があった。

 触れた瞬間、惚けていた意識が覚醒し足の痛みが軽くなっていく。そのうれしさに思わず口角が異常なほど上がる。多分今、鏡を見たらバーテックスとどっこいくらいのひどい笑みをしていると思う。

 おぼつかなかった左足で地面を踏みしめて、跳ぶ。

 木の棒がなくなって本来の鍬としての役割を終えたカネアキの、木と鉄のつなぎ目だったところを掴む。まるで私の腕が鍬になったかの如く、その腕を振るってバーテックスを切り裂いた。

 バーテックスはそのまま縦に真っ二つとなり、空気に溶けるように消えていった。

 

 長らく苦戦していた脅威は断ち切れた。

 一息つくと、今回のMVPのマコトが駆け寄ってきた。

 

「なに武器ほっぽりだしてんだよ! オレが来てなかったらヤバかったじゃんか!」

 

「いやーちょっとね……うん、いろいろあったんだよ。でもありがと助かった」

 

「まあ無事なら良……くないな!? 足大丈夫か、血も出てるし黒くなってるぞ?」

 

 言われてみれば、青を通り越して黒く変色していた。

 

「これはまあ多分平気。で、マコトはどうしてここに? みんなはどうしたの?」

 

 少し強がって尋ねると、マコトは取り乱した様子で、

 

「んああそうだ! 岩波早く来てくれ、デパートがヤバいんだ!」

 

 そう告げた。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 マコトを背負い、全速力でデパートに駆けつけた私が見たものは、倒壊しかけているデパート旭と、その周りを悠々と飛び回っている何十体ものバーテックスの姿だった。

 



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第40話【幸せはガレキに埋まり、地獄だけが積み上がる】

いつも読んでいただきありがとうございます。
今日でなんとか1周年となりました。感謝。
1年間、大体毎週更新しても作中時間が1ヶ月しか進まないとは、絶望的な進行速度だと思いました。


「…そん、な……」

 

──かすれた誰かの声が聞こえる。

 私の声だ。

 荒々しく息をついていた口から出てきたのは、声というよりも息に近いような頼りない声だった。か細すぎるその声は、辺りに満ちる破壊音にかき消されて、もしかしたら後ろにいるマコトにすらも聞こえなかったかもしれない。

 走っていた足がだんだんとゆっくりとなって、次第に歩きへと失速していく。現実という重りを付けられたような足はやがて完全に動かなくなり、息が思考が、呼吸が停止する。

 

 必死に走ってきた。本来ならありったけの酸素が必要なはず。さっきまでみたいに大きく息を吸って、空気中の酸素をかき集めなきゃいけない。

 けれどこの時の私は、呼吸がどうでもよくなるくらい目の前の光景に意識がとらわれていた。

 

 

 倒壊しかけた、いや、もはや倒壊していると言っても間違いじゃないかもしれない。

 外からだというのに4階から5階に繋がる階段が見えてしまっているし、壁面には数えるのがバカらしいほどのヒビも入っている。

 1階だったはずの階層は完全につぶれていて、2階すらも危うい状態だ。

 内部はバーテックスが突っ込んだ跡がたくさんできていて、デパートがまるでジェンガのように穴だらけになっている。

 屋上についていた大きな「旭」の文字が入った看板は今、盛大な音とともに落下してきた。

 

 バーテックスが何体かこっちの方角に向かっていたのは見えていた。

 一体でもヤバい存在だから急いで来なきゃって思っていた。その時は鍬を奪われていたからどうしようもなかったけど、でもこんなのって……。

 

 そして、否が応でも見えてしまう。私の強化されている眼が、背けたくなるほどの惨状を脳裏にまで焼きつけた。

 

 つぶれてしまった元1階。もはやガレキしか残っていないその場所には、死体となってしまったたくさんの人たちの体の一部が、ガレキの隙間から見え隠れしていた。

 折れてはいけない方向に曲がった足。4回くらい折れている腕。上から降ってきたガレキにつぶれたそれらが、力なく埋まっていた。

 そしてそれらをバーテックスが喰らっている。何体も何体も集まって、おいしそうに食べるわけでも不味そうに食べるわけでもなく、無感動にねちゃねちゃと音を立てて喰っている。

 

 「なにぉ、ーーっげほ! げほ!」

 

 何をしているんだ、そう叫ぼうとした喉と肺には酸素がもう残っていなかった。

 ようやく呼吸を忘れていたことを思い出し、我に返る。

 過呼吸みたいになっていると、背中に乗っていたマコトにバンバンと背中を叩かれた。

 

「な、何やってんだよ岩波! 早く!」

 

「……っうん!」

 

 マコトに急かされるまで動けないなんて、私は一体何のためにここに来たんだ。

 

「よしっ、しっかり掴まっててよ!」

 

「おう!」

 

 今一度強く握り締められた肩からマコトの存在を感じる。私は一人じゃない。その感覚から気合と勇気をもらって、生存者を見つけるべくバーテックスが集うガレキの山に向かった。

 マコトを背負っているとはいえ、油断さえしなければこのサイズのバーテックスはホコリを払うくらいの気持ちで戦える。たくさん集合されて進化体にならないようにさえ注意していれば、数もそこまで問題じゃない。

 ひとまず食事をしているバーテックスを退治して、その場所にマコトを下ろす。1人より2人、探し人には数で勝負だ。

 

「マコトも布川さんとかがどこにいるか知らないんだよね?」

 

「ああ。最後に見たのはデパートの中で、オレはバーテックスが突っ込んで来たから岩波に知らせてくるって飛び出てきたから、後のことはわからない」

 

 オレは1週間アイツらをかいくぐってこれたからいけると思ったんだ、と少し自慢げに話すマコト。すごい無茶をするな、とその様子に呆れながら、近づいてくるバーテックスを倒して手が空いたらガレキをどけての捜索を開始する。

 

「明は確か、皆神さんと一緒にいたはず!」

 

「ってことは一人じゃないんだな!」

 

「多分ね!」

 

 ガレキの下から次々と出てくる見知った死体への悲しみを少しでも吹き飛ばそうと、2人とも大声を出してカラ元気を生産する。

 毎朝おはようと声をかけてくれたおじいさん。内緒よ、といつも私の食事だけみんなよりも少し多く盛ってくれたおばさん。糸電話を作る時協力してくれたお兄さんもいれば、今日に至るまで一切口をきいてくれなかったおじさんもいた。

 みんな、私が間抜けなせいで亡くなってしまった。でもここで落ち込んでいたら、まだ助けられる命すらも落としてしまう。

 ガレキの山の中には生存者は見当たらないということで、その周辺の捜索に移る。ガレキの山よりも生存者がいる期待大だ。まだ明は見つからない。

 

「お、おい! 大俵さんが!」

 

 先に周辺を探していたマコトから声がかかった。進化体になりそうな集団を倒してから向かうと、そこには血だまりにうつ伏せで倒れた大俵さんがいた。すでに命が尽きていることが分かるほどの出血量。言っているそばから、また知り合いが亡くなってしまった。

 けれど、バーテックスに食われた人たちみたいにひどい外傷が見当たらない。腕も足も頭もしっかりついている。

 

「えっじゃあなんで大俵さん……」

 

 頭の中で何かが引っかかり近づこうにも、次々と襲いかかってくるバーテックスが邪魔で手があかない。蚊柱のごとく私たちに集ってくる。

 

「また誰かいた! あれは……」

 

 私の手が塞がっている間にマコトは次の人影を見つけたみたいで、戦っている私にもわかるように指をさして教えてくれた。

 その方角に目をやると、まずひしゃげた車いすが見え、その近くに男性と女性がうつ伏せに倒れていた。男性は布川さんで、女性の方は……、

 

「かあ、さん……?」

 

 マコトのお母さんだった。2人とも大量に出血している。

 

「母さん!!」

 

 必死の形相で母親に駆け寄るマコトを見ながら、私はその場にたたずんでいた。

 泣きじゃくるマコトを見ながら思考を巡らせる。おかしい。この2人にも目立った外傷がない。それなのに大量に出血している。大俵さんと同じ状態だ。一体どこから出血しているんだろう。

 

「母さん! 母さん!」

 

得体の知れない嫌な予感がする。急いで私も駆け寄って布川さんの体をひっくり返し出血箇所を確認してみれば、その出どころはお腹からだった。

 

「っ! そんなこと……」

 

 あるはずがない。だってこの位置じゃバーテックスには攻撃できない。こんな"点"の攻撃はアイツらにはできない。こんな “刃物で刺した” みたいな傷口には――

 

「おっ、戻ってたんすね。心配したっすよ」

 

「――っ」

 

 この惨状に合わない、まるで晴れた日の散歩途中のようなテンションで、ペラさんが現れた。その右手にはてらてらと紅く光る包丁が握られている。

 

「いや~なかなか戻ってこないから死んじゃったかと思いましたよ」

 

「……ペラ、さん? 生きてた、んですか。良かった、です。それ、何持っているんですか……?」

 

 生存者の存在に笑顔を向けたいけど、この違和感に引きつった笑みしかできない。

 

「何って包丁っすよー。これで今みんなを救っている最中なんです」

 

「……救う? 殺すじゃなくってこれが救う、ですか? こ、この2人も……大俵さんだって」

 

「はい! 他の皆さんも嘘の避難経路を伝えて救っておきました。本当はうまくバーテックスと鉢合わせするように仕向けといたんですけど、建物が崩れてみんなつぶれたんで、何もしなくても結果は変わらなかったっぽいですけどね」

 

 救う。それは危ない状況から命がある状態で助け出すこと。決して人を殺してできるようなことじゃない。

 

「何で、って顔してますね。じゃあ逆に聞きますよ、この一ヶ月生きてて楽しかったっすか? 目に見える死がいつ襲ってくるかわからない。計算しようと思えばすぐに目に分かってしまう生活限界。もう諦めましょうよ、生きるのを諦めちゃいけない世界は一ヶ月前に終わったんすよ」

 

「さあ岩波ちゃんも死んで一緒にこの地獄から抜け出しましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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《2018年9月 長野》

 

 

──この時にちゃんと殺されておけば、マコトが死ぬこともあの子が死ぬことも、明が死ぬこともなかったかもしれない。そしてここにいる2人が笑って生きていられる世界が、あったかもしれない。

 

 でも私は生きてしまった。今思い返せば、この後も何度も死ぬチャンスは訪れてきた。

 けれど、私はその全てに生き残ってしまった。

 

──この3年間、私は一体何をしてきたんだろう。

 

 枯れ果て荒れ果てた長野の地で一人そう思う。

 はじまりはあんなに人数がいたのかと、私の記憶ながら驚いた。過去の私はあんなに笑えていたのかと、自分のことながら驚いた。

 みんなみんな、私がダメなばっかりに死んでしまった。

 

──なら。

 

 私が殺したようなものなのなら、せめて私が元凶を殺さないと。あの世でみんなに顔向けができない。私だってこのままじゃ死んでも死に切れない。

 まあ私はみんなと同じ天国には行けないけど。

 

 

 体にまとわりつく白いモノに意識を向ける。ゆっくりだけど、だんだんと私の感覚器官とバーテックスの白い組織とがリンクしてきた。

 後は自分で好きなようにするだけ。

 時間はかかってしまうけど、最低でもここにいる全てのバーテックスと融合してからじゃ無いと。

 万が一アイツらを誰も殺せず私がやられたなんてことになったら、私が私を許せないし歌野たちも報われない。今は力を貯める時。

 

 

──そうだ。

 ここまでバーテックスの力を手に入れているんだから、進化体のバーテックスみたいに自分の体の形を変化させられるかもしれない。

 んー、どんなのがいいんだろう?

 怪獣とか巨大ロボットには詳しくないからイメージがしにくい。

 かといって今まで見てきたバーテックスの形になるのもつまらない。バーテックスは強いけど、あの強さとあのフォルムとが関連しているようにはあまり思えない。つまり強さのイメージがしにくい。

 

 もっともな形に意味のあるモノ、やっぱり動物とかがいいんじゃないかな。

 動物。強いやつといえばライオンとかゾウとかワニとか?

 いっそのこと巨人ってのも悪くない。同じ人間の姿だったらアイツらも戦いにくいでしょ。……私もそうだったし。

 

 でもやっぱりこの四国の連中に対する恨みは、私だけのものじゃない。本当の「勇者」だった歌野の要素も加えるべきだ。

 歌野の武器は鞭だった。一振りするだけで何体ものバーテックスをまとめて倒せてしまうすごい武器だった。

 ということは、次の私の姿には、とっても強い鞭のような部分があるといいのか。

 けど、たった一振りなんかで殺してやらない。四国には苦しんで苦しんで苦しんで死んでもらわないと。最低でも私たちの倍は痛い目にあってもらおう。

 このバーテックスと融合している体は大きいし力加減が難しそうだから、なぶるよりもじわじわと、例えば毒みたいなもので苦しんでもらおう。

 

 となると、鞭っぽい部分を持った毒を出せる強い動物ってことになる。ハチ、は鞭っぽくないし、毒ヘビ、もなんか違う。

 

 

 

 

 

 

──あっ閃いた。

 

 白い暗闇の中でニヤッと笑う。バーテックスの無表情より一層不気味でおぞましく。

 鞭っぽくて毒があって、おまけに私の武器で戦法だった "突き刺す" 要素が入っている動物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(サソリ)』これにしよう。

 

 

 

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第41話【矢のようなものを発生させたもの】

 口が渇く。

 口中を舌で探っても唾の一つも見つけることができずに、ただゴクリと乾いた空気を飲み込むだけとなった。

 一瞬、また一瞬だ。あっという間にまた、私を取り囲む世界の様子が一変してしまった。

 その場その場での私が考えられる最適解を選んで進んできたけど、もしかしたら選んできたつもりなだけだったのかもしれない。そんなことを思ってしまうほど今のこの状況についていけていない。

 今朝まではペラさんも普通だった……ように見えた。けどそれも私だけだったのかもしれない。みんなが笑っているから大丈夫だと勝手に決めつけていた。

 

「でも今まで、今日までなんとかやってこられたじゃないですか!? なんでそんな、急に……」

 

「ボクもですね…いや、主張するんだからこういう場合は俺の方が良いですかね? 俺もですね、最初は岩波ちゃんもいるしもしかしたらって思ってたんだけど」

 

 肩をすくめて私の方を指差し、

 

「目の前で布川さんは瀕死になり、いつもはほとんどケガ無く戦えるはずの岩波ちゃんも、何があったのかボロボロになって帰ってきた」

 

 先日のバーテックス襲撃のことを言っているんだろう。確かにあのときは進化体が来たせいで大ケガを負った。

 

「1ヶ月、たった1ヶ月っすよ? もう生活にガタが来ている。本当に、”なんとか”っすね」

 

「──ッ」

 

 ペラさんの言うことは正論だ。最初の頃はよかったけど、最近は食べ物も質素なものになってきて不満な表情をする人も増えて来たし、ケンカしているのを見かけたこともある。

 けど、それでもみんな必死に生きていた。……生きて、いたんだ。

 

「だったら……こんなこと言いたくないですけど……生きていくのが無理って思ったのなら、他の人たちみたいに勝手に一人で死んだらよかったじゃないですか! どうしてまだ頑張っている人まで!」

 

 別の拠点も用意していく予定だったし、ゆくゆくはさらに遠くに行って生活区域を広げる準備もしていたのに。

 確かに世界は変わってしまったけど、諦めなければ変わってしまった世界を変えられたかもしれなかったのに。

 

「自分を偽って笑っていられる時間は終わったんすよ。俺の人生は奪われてばかりだった。もうこれ以上、世界に大切なものを奪われたくない。──だったらもう、自分から手放すか先に奪うしかないじゃないですか」

 

「……奪われたくないから、私はずっと戦ってきました」

 

 諦めた表情を浮かべる彼に、自分の行動理由を告げる。

 

「そうですね、でも、まあ…………ん? 何だあれは……」

 

 と言うと、ペラさんは私の方から目をそらして別の方角に意識を向けた。

 こんな時にどこを向いているのか、もしかして生存者でもいたのか、と苛立ちとわずかな期待を胸に私もそちらの方に眼だけ向けて確認する。

 

 その方角に何があるのかを認識するよりも先に、ぶわっと嫌な気配が私を狙っているのを感じた。本能が、勇者としての力が私に動け、と命令する。ヤバい、何かは分からないけどこのままここにいたら、死ぬ。

 レーザーポインターを体に当てられた時のような、それの数十倍の嫌な緊張が体を包み込む。

 本能に言われるがままに、この場から退避しようと足に力を入れ踏み込もうとするも、足もとに広がっていた血だまりに足を取られたのか、体勢が崩れる。

 

「な、ん……!」

 

 滑ったことに目を見開くと、一瞬だけど何か白くて大きなものがこちらに飛んできているのが分かった。驚いている間もなく私の左側に鋭い風を感じ、その突風に崩れた体ごと吹き飛ばされた。風切り音と何かが着弾した音で耳がいっぱいになる。

 

「ぐうあぁ…………こ、これって、もしかして…………っ!」

 

 結局別の所から来るのか、と半ば確信しながら上体を起こすと、左の頬に痛みが走る。顔を拭えば手には血が付き、今の風で切り裂かれたことが分かった。それに加えて肩、こっちは大した痛みはないものの、飛ばされたときに地面に打ち付けて鈍い痛みが染みてきている。

 

「でもあのままだったら頭ごと吹き飛ばされてた……」

 

 肩を押さえながら、この傷をつくってくれたものが飛んできた方角を見やる。

 

 そこには案の定、異形な姿のバーテックスの進化体が佇んでいた。もとのバーテックスからは考えられないような異常な進化を遂げている。

 まず目につくのは、笑えないくらい大きく、そして大量についている白磁の色をしたトゲのようなもの。それがハリセンボンのように360度全方向についている。

 そしてその中心から縦軸に伸びた、青色の胴体のようなもの。あれが本体なのだろうか。ちょうど6時を指し示しているみたいに、すらりと宙に浮いている。

 

「んで、飛んできたのがこれ、か」

 

 地面には、あの進化体にある無数のトゲの一つが突き刺さっている。ということはあの進化体はトゲで覆われているだけでなく、それを矢のように飛ばすことができる。あれだけ矢が大きければ近距離だろうと関係ないから、あの進化体は攻も防も完璧な存在だ。

 

「ハハハッ! こんなバケモノがいたんすね、あの日のケガの理由がようやくわかりました! さぁ俺にもお迎え、岩波ちゃんにもお迎えがきましたよ。

 岩波ちゃんをどうすればいいか考えていましたけど、これでみんな仲良く、命の危険も食料の心配も何もない平和な場所に行けますよ」

 

 待ってましたと言わんばかりに表情を明るくさせ、今度は私の後ろにいるマコトに声をかけた。

 

「マコト君もほら! 死ななきゃもうお母さんには会えないんだよ。お母さんがいないこんなつらい現実に生きている意味はあるのかい?」

 

「──! ……オ、オレは……」

 

「マコ──危ない!」

 

 話し終えるのを待ってくれるわけもなく、進化体の矢が私たち目がけて飛んで来た。

 マコトの手を取ってその場から跳躍するも、2発3発と私たちを仕留めようと矢を飛ばしてくる。ただ平面に逃げるだけでなく、マコトがいるから控えめではあるけど建物の壁を利用したりと立体的に躱していく。

 矢の破壊力には目を見張るものがあるけど、矢は一度撃ったらその矢を回収しないと次の矢が再装填されないらしく、しばらく逃げていると進化体は玉切れになった。

 わずかばかりのクールタイムが始まった。

 

「よし、これで少しの間は……!」

 

 ゆっくりと自動で本体らしき青い物体に戻っていく矢の一つに、その白磁の色とは別に赤い色が付着していた。ぽたりぽたりとその矢の先端から鮮やかな血が滴り落ちる。

 避けそこなったのか。急いで自分の体をチェックするも痛みはなく、頬の傷は痛いがそれ以外に新たにできた傷も見当たらない。マコトに聞いても同じ返答が返ってきた。

 だったら誰の?

 

「……ごふっ」

 

 どこかで小さな呻き声が聞こえた。

 なんてことはない。少し冷静になればすぐにわかることだった。

 バーテックスも、今やペラさんも私たちの敵になっているが、バーテックスに関しては標的は私たちだけではなく人類が敵なのだ。

 私たちの方に攻撃が飛んできたのなら、当然彼の方にも──、

 

「あ、あぁ……」

 

 上半身に大きな風穴を開けたペラさんが倒れ伏していた。ちょうど肋骨部分、生きていくのに大事なものが詰まった箇所が全て貫かれている。

 測らずともわかる、命の鼓動の停止。また軽々しく人の命が消え果てた。

 これで私が知っている生存者は、私とマコトだけ。明と鈴さんが見当たらないけど、2人とも生きているのだろうか。

 

 不安を振り払って進化体に立ち向かおうとするも、どこか身に力が入らない。

 『こんなつらい現実に生きている意味があるのか』

 ペラさんから最期に突き付けられたこの問いが、私の心に巣食った。

 




進化体の硬さがイマイチつかめないです。
のわゆの ”巨大な蛇のような姿のもの” はノーマル状態で斬れているけど、アレは斬れる前提のやつだから斬れただけで、アイツだけが特別軟らかかったのか……。


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第42話【狂わなければ正気ではいられない】

いつも読んでいただきありがとうございます。
今回は時間軸を少し戻して明側です。


 

──時間は少し巻き戻り、デパート旭に ”矢のようなものを発生させたもの” やバーテックスが襲来してくる直前まで遡る。

 

 

 

『さあ行こー!』

 

『ええそうね。行きましょう、 ”葵” 』

 

 今日は9月1日。白いバケモノが襲ってきた日から1ヶ月という節目と、もともとの防災の日を掛け合わせて、今一度緊張感をもってこの世界を生きていこうという流れになった。

 それで私はこの子…… ”葵” とこのデパートの避難ルートを巡ってみるという体で、これから探検をしに行く。

 

 元気な声とともに、私たちは動き出す。

 今日はいろんな人が動くからとの理由で、エレベーターとエスカレーターに電気が通っている。そのためこれらを使えば普段は階段を上るのが面倒で行かない上の階にも自由に行動できる日だ。

 以前はところどころ床に散らばっていた石のかけらも、皆さんが隙間時間を見つけては撤去してくれたおかげでスムーズに進むことができる。

 

『さいしょは7かいから!」

 

『ふふふっ。そうね、上の階から探検して行きましょう』

 

 もうこの子は今日がどんな日なのかを忘れている。こんなところもまた………… ”葵” にそっくりだ。

 一瞬暗くなってしまった幻想を、頭を振って払いのける。

 忘れなければ、狂わなければ。この世界で生きていけない。

 

 少々混雑しているエレベーターに乗っかってまずは7階へ。8階は天空恐怖症候群の末期と思われる人たちしかいない空間だから、探検には適していない。私も天空恐怖症候群を発症しているけれど、あそこの人たちの仲間入りはまだしていない。

 探検、といってもこのい1ヶ月ずっと暮らしてきた場所。7階から順々に見て回っていくけれど、さすがにもう目新しいものはそうそう見つからない。

 

『みて! すごいよコレ!』

 

 けれど、隣からかけられる楽しげな声。こんなにも楽しんでいるこの子を見て、うれしくならないはずもない。

 いつもは周囲が静かで少しピリピリしているのもあって声を大きく出すのがはばかられる空気が出ているから、久しぶりの周囲がざわざわしている環境に堪えていた元気を解放している。6階、5階、4階へとどんどん下がっていっても、その表情は依然として変わらなくはしゃいでいる。

 

 そして3階に行こうとエスカレーターに乗ろうとしたとき、それは聞こえてきた。

 

『バーテックスが来たぞーー! あの白いやつが襲って来たぞーー!!』

 

『えっ……』

 

『バー……ってと、ともちゃん……』

 

 ガシャンガシャンと壁に取り付けられたベルが鳴り、店内放送用のスピーカーから最悪の知らせが舞い降りてきた。

 スピーカーから聞こえてくるのは、聞いたことのない知らない男の人の声。いつも放送している布川とかいう男ではない。

 言っていることは本当なのか、それとも今日が今日だから避難訓練の一種なのか。半信半疑に恐る恐る窓の方に足を向かわせる。

 ”外を見る”という私にとってきつい動作のため、目を細めて見てみれば、遠くの方に一瞬白い何かが通ったように見えた。

 はっきり見えなくても分かる、絶対的な不快感。途端、呼吸が荒くなる。体から血液が噴出してしまうくらい、心臓が加速する。

 

『こういう時はこのあとどうするかも伝えなきゃいけないでしょう……!』

 

 きっと先に情報を得た人が、独自の善意で知らせてくれているのだろう。けれどこの場合は悪手だ。危険なことが起きた、だから何をするか、どこに避難をすればいいか。それを伝えてもらわなければいたずらに不安と混乱を招くだけだ。

 現に……、

 

『ど、どうしよう! エレベーターずっと上に行っちゃってるよ!?』

 

 表示を見れば、8階の番号が点灯している。この状況から考えられることは……、

 

『やっぱり、満員よね……』

 

 案の定、8階や7階から乗り込んできた人でいっぱいいっぱいになっていて、乗り込むスペースもない。

 

『だったら……こっちから行きましょう!』

 

 未だおどおどしているこの子の手を取ってエスカレーターの方へ向かう。

 けれどここは4階・男性の生活スペースの階。私たちがエスカレーターに行きたいようにここの人も同様で、女子供な私たちは我先にと逃げる男性に押し退けられて、なかなか逃げることができない。

 

『ここの男はほんっとうに……!』

 

 結局私たちがこの階を出られたのは、この階の全ての人が出終わった後だった。

 エスカレーターを下りていった先に待っていたのは、3階・女性の生活スペースにいた女性たちが駆け下りていっている姿だった。彼女たちも先ほどの彼らに弾かれてしまった組のようで、その決死の姿に同性の私たちもまた入ることができない。

 女性たちの群れの最後尾について3階から下りていく。その間にも、下の階から不安を煽る得体の知れない声のような音が聞こえてくる。この声は人間が出しているものなのだろうか。

 と、ここでようやく店内放送が再びかかる。今度はさっきとは別の人だ。

 

『みなさーん。今なら正面玄関から逃げられるっすよー。逃げてくださーい』

 

 平常時なら気が抜けるような間延びした男の声。緊迫した空気を和らげようとしているのか、はたまた煽っているのか分からない。

 それにこの人が言っていることも少し信じがたい。さっき4階で見た時は一瞬だったけど、ちょうど正面からこちら側に来ているように見えた。

 

『こんな時にウソ、なんてことはないわよね……?』

 

 さきほどの放送に一抹の不安を抱きながらも、最初の放送からずいぶん遅れてなんとか2階まで下りてくることができた。

 

 

 そのとき、信頼していたコンクリート製の地面が割れた。

 

『なっ……!!』

 

 突如として襲ってきた浮遊感。足場という絶対的な信頼を置いていたものが無くなり、一気に気が動転する。

 

『あ、 ”明” ちゃん!』

 

 視界の端にあの子を捉えた。とっさに手を伸ばすも、その手が届く前に1階に落下する。

 

『あ……うぅ……』

 

 いくら、たった1階分の落下。死ぬ確率は高くないとはいえ打ち付けた体に激痛が走る。そして鼓膜が破れるほどの轟音が発生する。

 土煙が晴れるのをしばし待つと、そばには ”明” ちゃんも倒れているのが分かった。たが、私とは違って何か軟らかいものが下敷きになっていて無事のようだった。

 

『 ”明” ちゃん大丈夫?』

 

『うっ……いたいよぉ……』

 

 痛む体を起き上がらせて、 ”明” ちゃんを起こしてあげる。

 一体何が。そう思い辺りを見渡すと、そこには白が広がっていた。

 

 最初は霧かと思った。なぜならそれほどまでに多かったから。

 次に雲かと思った。なぜならそれは悠々と青空に浮かんでいたから。

 三度見ればさすがに理解する。あれは、というよりこれはバーテックスの群れだ。今でも夢に出る、この悪夢が始まった7月30日に見た数に匹敵するほどの数。

 空の下という環境も相まって吐き気がする。

 

『あっ』

 

 軽く口から空気が漏れた。

 それは雲の一部、群れの一部のバーテックスと目が合ってしまったから。

 最悪中のわずかな幸いか、 ”明” ちゃんのことは恐らく角度的に認識されていなく、また気づかれたバーテックスも1体だけだった。

 

 考える前に体が動いた。

 両手を横に広げて自分を大きく見せる。後ろの ”明” ちゃんに気が付かれないように。

 吐き気も怖さも公開も全て飲み込んで立ちふさがる。

 

 当然のようにバーテックスは私の左半身にかぶりついて噛み千切り、宙に浮いた私を払うように首らしきものを振って、私をつまみ喰いして去っていった。

 

 喉が破裂するような声。赤子の泣き声よりもけたたましい絶叫を張り上げる。

 痛みで息を吸うのを忘れ、空気の出ない喉が灼ける。声の代わりに嘔吐物が口から飛び出す。

 地面の上をじたばたともがき苦しみ、右手で左側を確認する。

 ない、ない、ない。

 そこには腕の形をした赤い熱があるばかりで、あってほしい実体がない。

 果てしない激痛の中、右側を確認してみれば……、

 

『……ぇ』

 

 私の飛び散った血で顔に赤い斑点ができあがった ”明” ちゃんが何もケガがない状態で無事にいた。

 呆然とした ”明” ちゃんはフラフラと四つん這いになってこちらに寄ってくる。

 

『なんで……』

 

 困惑した ”明” ちゃんを見ていると、忘れられないあの日の記憶がフラッシュバックした……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 "葵" はとっても元気な ”男の子” だった。

 夫が早くに亡くなり、女手一つで育てていくにはパワフル過ぎるくらいの元気な男の子だった。

 葵という名前は希望や優しさなどの意味があるから夫と一緒に考えてつけた名前だけれど、当の葵本人には嫌われていた。

 幼稚園で「葵ちゃん」という女の子と同じクラスになってから、同級生から「葵ちゃん」と呼ばれるようになってしまった。

 小学校に入るとその動きはさらに勢いを増し、一部の生徒から ”女っぽい名前をしていて男らしくない” といじめを受けていたらしい。

 葵は優しい子だったからやり返すことはなかったけど、毎日どこかをケガして帰ってくる葵に私は何もしてあげられなかった。

 

 そしてあの日。夕食を食べながら思い切って葵にいじめられていることについて聞いてみた。

 

『葵なんて……こんな名前つけてほしくなかった!』

 

 そこで少し口論になって葵が家を出ようと玄関を開けた時、白が空から降ってきた。

 

『お母さん!』

 

 家の中に入って逃げようとする葵の右手を、私は掴むことができなかった。私が伸ばした右手は空を切り、葵は空から降ってきたバーテックスによって嚙み潰された。

 ……そこからどうやって生き残ったのかは覚えていない。私が覚えているのは、泣きそうな顔をした葵が私に助けを求めてきた事と、私の手が届かなかったことだけだ。

 

 

 

 

 

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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 泣きそうな ”明” ちゃんの頬に手を伸ばす。

 

「ごめんね ”葵” 、助けてあげられなくって……。ありがとうね ”明” ちゃん、私を助けてくれて……』

 

『左、手……何で』

 

『ずっと ”葵” って呼んでごめんね……呼ばせてくれて、ありがとね……』

 

 頬に当てている右手に ”明” ちゃんの両手が重なる。私の左側よりもずっとずっと温かい手。

 

『お母さんって呼ばせちゃってごめんね……呼んでくれて、ありがとね……』

 

 あの日と同じ泣いた顔。けれど今度は手が届いた。

 血液とともに意識が薄れていく。

 最後にこれだけは。

 

『静かにじっとしているのよ……あのバケモノが来ちゃうからね』

 

 泣きながら『イヤだ』と首を振る”明”ちゃん。

 けれど、 ”葵” と同じ目には遭って欲しくないという私の思いは伝わっているはず。

 

 ”葵” 、今行くから。

 

 

 

 ”明” ちゃんの泣く声は、聞こえなかった。

 




次でこの章を終わらせたい。


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第43話【弱い私の無謀な誓いは、白い闇へと呑まれていった】

 いつも読んでいただきありがとうございます。


 ペラさんの上半身に突き刺さった矢が、ぬるりと引き抜かれていく。

 今まで見てきた黒く変色した血液とは違う鮮やかな色をしたそれは、絵の具の付いた筆を勢いよく振り下ろしたかのようにびしゃりと、辺り一面に飛び散っていた。

 否が応でも、あの日のことを思い出す。初めて自分の無力を感じた、バーテックスが襲ってきたあの夜のこと。

 あの日も私は同じように、目の前にいた人のことを守ることができなかった。

 

 いったいこれで、死体を見るのは何回目なんだろう。物語にだってこんなに人が目の前で亡くなる展開はそうそうないと思う。

 現状のあまりの呆気なさに、体に力が入らない。

 この数十日間デパートでやれるだけのことはしてきた。少なくとも、やろうとはしたし頑張った。そう、頑張ったんだ。

 

 

 そしてこの結果。

 結局のところ、「勇者」と もてはやされても私は子供で人間。バケモノには勝てないんだ。

 どれだけ努力をしても、アイツらにとっては小細工でしかなく何の意味も持ってはいなかったんじゃないか、そんな無力感に苛まれる。

 

 『つらい現実に生きている意味はあるのかい?』

 

 彼の言葉がこだまする。

 鼓膜は進化体が矢を回収していく音を拾っているけど、その全てが上の空だ。いつの間にか、逃げる足も止まっている。

 命を抜き取った矢と抜き取られた体とを交互に見やるばかりで、一向に頭が働かない。

 他の矢が白い中、あの一本だけが赤く染まっていて、泣きたくなるほどの存在感を放っている。

 

「ーーー! ーー!」

 

 誰かが叫んでいるのが聞こえる。けれどその声も、辺りの騒音と曇った脳のせいでよく聞き取れない。

 崩れ行くガレキの音も、どこかからか聞こえる誰かの声も、ひどくゆっくりとくぐもった音に聞こえる。そしてそのくぐもった音は、やがて私の脳みその働きまでも曇らせる。

 

「ーー!」

 

 腕に新たな感覚が伝わってきた。手首の辺りが掴まれている。顔を向ければ、私よりも数歩先に逃げているマコトだった。どうやら私は担いでいたマコトを無事に地面に下ろしていたみたい。

 

「さっきから何ぼーっとしてんだよ! 早く逃げるぞ!」

 

「ーーぁ」

 

「んああもう! 行くぞ!」

 

 その言葉も言い終わらぬ間に、私は腕を引っ張られる。つんのめりそうになる体を動かして、進化体から逃げるようにマコトと一緒に走りだした。

 

「ちゃんと走らないと追いつかれるぞ!」

 

「う、うん」

 

 ただ逃げることだけ考えているマコトと、ちょっと思うところのある私。そんな二人がつながって走っているもんだから、足並みが揃わない。

 話している声も震えていて、自分の弱さが嫌になる。

 

「ね、ねえマコト」

 

「なんだよ!?」

 

 だって少し、ほんの少しだけだけど、「もういいんじゃないか」って思ってしまったから。

 だから彼の言葉を一緒に聞いたマコトの意見が聞きたくなった。

 マコトは今、辛くないのか。

 

「マコトはさ……さっきのペラさんが言ってたこと、どう思っ……」

 

 ぴちゃりと顔に液体が一滴かかる。

 一瞬「血っ……!?」と身を強張らせるも、それは杞憂だった。

 

 マコトは泣いていた。

 愚問だった。辛くないわけがない。だってマコトはあの日の私のように目の前で家族の死を見ているんだから。

 泣いた顔、食いしばった歯。けれど、その表情は絶望に満ちてはいなかった。

 

「オレはっ! あの日、母さんがガレキの中に取り残されたあの日に、『生きて』って言われたんだ!」

 

 食いしばられた口から語られたのは、私と出会う前の話だった。

 

「『お母さんはもう駄目だから、マコトだけでも逃げて生きて』って言われたんだ! だからオレは母さんのために、母さんがいな……いなくっても生きなくちゃいけないんだ!」

 

「ーーっ!!」

 

 私とは違う、芯と決意のある言葉。その強さに頭の中の曇が晴れていく。 

 まだ顔に残るマコトの涙を手で拭い取り、おぼつかなかった足取りに力を籠める。

 ……そうだ。私にはまだ明が、明だけが残っている。明だけは守りきらなくちゃ……。私だって言葉はないけど家族から明を託されているんだから。

 

「……そうだよね。うん、ありがとう!」

 

 気づけば迷いは消えていて、前を向く覚悟も決まっていた。

 

「私も明を探さないと。マコト、手伝って!」

 

「おう、もちろん!」

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 ガレキを持ち上げる。いない。ガレキを持ち上げる。いない。

 

「どこにいるの明!?」

「誰かい生きてる!?」

 

 返答は返ってこない。

 

「くっ……」

 

 ガレキの隙間を覗くも、そこにも誰の姿もない。

 早くしないと。それと明と生存者の捜索とともに、同時進行で分析もしないと。

 

 進化体と2回対面して分かったことが2つある。

 1つ目は、進化体は、通常見かけるサイズのバーテックスよりも移動速度が遅い、ということ。

 と言っても、私以外の人にとっては普通に速いし何なら追いつかれてしまう。けれど何体ものバーテックスが集まっているぶん、速度という面からは合体のデメリットとして捉えられる。

 それを上回りすぎる攻撃力と防御力で、そんなのは欠点になりえないのだけれど。

 

 でもそのデメリットのおかげで、すごく体感的に時間がかかったけど、建物の陰を使いつぶして少しの時間だけ進化体を撒くことができた。けれど進化体、というかバーテックス全般はどうやら私の位置がぼんやりと分かるようで、今撒いたとしてもすぐに追いつかれてしまいそうだ。

 

 2つ目は、どう足掻いても今の私の力では、進化体を倒すことは不可能に近い、ということ。

 単体だったらどうとでもなるのに、合体した時の力の上げ方が異常すぎる。漫画とかだったら、複数いる敵が合体するのはよくある展開ではあるけれど、こっちは1人。

 せめてあと1人この力を使える人がいれば力の合わせようもあるんだけど、泣き言は言っていられない。

 ……でももし、そんな人が見つかったらどうやってやればいいんだろう?

 私の鍬はもう刃の部分しかないし、もう一人の勇者の武器と武器を打ち合わせて共鳴、みたいのだったらいいんだけど。

 ……いや、今は考えてもしょうがない。仮定のことを考えるよりも手を動かさないと。

 

「おい! 蛍井さんがいたぞ!」

 

「ホント!?」

 

 思考が横道に逸れようとしていたところにマコトから朗報が入る。その場から文字通り一っ飛びで声の方に飛んでいく。

 

「生きてる!?」

 

「……多分生きてる。血も出てないみたいだからどこか打って気絶したんじゃないか?」

 

「生きてる……! よかったぁ」

 

 諦めなくて、その言葉は口に出さずに安堵の気持ちを噛みしめる。

 

 とその時、ガラッ、という音がかすかに聞こえた。

 

「──聞こえた。誰か、いる」

 

「えっ?」

 

 強化された聴力を持つ私にしか聞き取れなかった僅かな音を頼りに、音の発生源付近の捜索をしていると、

 

「見つけた……っ!」

 

 耳を塞いでうずくまっている明と、

 

「皆神さん……」

 

 その隣に亡くなっている皆神さんがいた。彼女の左半身は食い千切られていて無くなっている。しかしなぜだろう。激痛だったはずだろうに、皆神さんはなぜかとても安らかな表情をしていた。

 

「って今はそれよりも、明っ! こっちに来て!」

 

「っわ!!」

 

「なに!?」

 

 耳を塞いでいた明の腕を掴むと過剰なほどに驚かれ、こっちまで驚いてしまった。

 

「と、ともちゃん……ともちゃん」

 

「ゴメン遅くなった……って毎回言ってる気がするね。ははっ」

 

 顔を上げた明の顔は涙でびしょびしょになっていた。けれどもその泣き声が全くと言っていいほど聞こえなかったあたり、明もバーテックスに見つからないように努力をしていたんだろう。

 もっと早く来ることができれば、明にこんなに悲しい思いをさせずに済んだかもしれない。後悔の念で、空笑いになってしまった。

 

「あ、あのね ともちゃん……お母さんがね……」

 

「ゴメン、ゆっくり話している時間は無いの。早くしないと……「岩波!」」

 

「ッ来た!」

 

 マコとの知らせと悪寒が同時に来た。進化体がそばに来ている。

 

「行くよ!!」

 

「ああっ まって! お母さんが……」

 

「明じっとしてて! マコトどっちから!?」

 

「左からだ!」

 

 なぜかすんなりと行動してくれない明を無理矢理腕で持って、マコトのところまで駆け寄る。

 

「鈴さんは背中に乗せて、マコトは左でいいよね」

 

「なんでもいいから早く!」

 

 背中に鈴さん、右腕に明、そして左腕にマコトを担いで、進化体が来る逆方向へと走り出す。

 

「みんな舌噛まないようにね!」

 

 重量的にも手数的にもこれが精いっぱい。

 これ以上人が追加されたら運び方を新たに考えなくちゃいけないし、無理だった場合にどうしようもなくなってしまう。

 

 だから──、

 

 

「た す ぇ て……」 

 

 声が聞こえた、気がした。

 

 それは本当に聞こえたのかもしれないし、もしかしたら幻聴だったのかもしれない。この高性能な耳も聞き間違えることだってあるかもしれない。

 

 だから私はその助けを求める声を、

 

 

 

──聞こえなかったことにした。

 

 

 

 聞こえなかったことにして私たちは、いや、私はまだ誰かが生きている土地から自分勝手に逃げだした。

 

 

 

 あれだけ守ると言ったのに。

 

 




 これでこの章も終わりです。長かった……
 次の章→断章→そして、ついに原作キャラが登場の終章、という流れでやっていく予定です。これまでよりもサラサラと進行していけるはず……

 次の章で、もう1人オリ勇者を出す予定です。(これで主要なオリキャラは最後かな?)


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第4章【狂気による正気の支配】
第44話【終わらない悲劇の感想戦】


いつも読んでいただきありがとうございます。
第4章スタートです。
今更ですが、原作ゆゆゆとは違い、この作品では結界外でも朝には太陽は昇り、夜には月が昇ります(原作では太陽は昇らなく、ずっと暗いまま)。


 力を発動しているのにもかかわらず、心が体が、足が重い。

 この重さに足が止まって沈んでしまいそうになるけど、腕と背中に感じる3人分の命の重さが、私の歩みを止めなかった。

 沼を歩いているかのように足が思うように上がらない。けれど視界に見える世界の移り変わり的に、走る速度は落ちていないから実際にはちゃんと足は上がっているんだろう。

 

 しかし足にナニカがまとわりついているような気がしてならない。それでいてナニカに追われているような気もする。

 足にしがみついて「戻れ」「助けて」と叫んでいる。亡霊が追っかけてくるような感じがする。この場にいないすべての人の声が聞こえる気がする。

 

 それらを必死に振り切ろうと、私は無我夢中で行先も方角も考えずにただ走り続けた。

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ、ぜぇ……かはっ……」

 

 ボロボロになった住居にたどり着いた。この家に住んでいた人はうまくバーテックスから逃げられたのか、ありがたいことに家の中には死体はなかった。

 どれだけの時間走っていたのだろう。3人をそっと床に下ろしてからへたりと地面に膝をつく。

 鈴さんは未だ意識は戻らず、明は泣き疲れ、マコトは疲れから3人とも今は眠っている。結構揺れたのに目覚めないところを見るに、みんな疲れたのだろう、私も疲れたよ。

 体力配分を考えずに、ただひたすら力尽きるまで走り続けた。

 力に目覚めてから自分の体力の限界も変わってしまったから、ペース配分が分からなかったのもある。けれど一番は、ただ何も考えずに走っていたかったから。ひたすら走っていれば、余計なことを考えずに済むと思ったから。

 おかげで、もう完全に後戻りできる距離ではなくなり足の重りもなくなったけど、代わりにあの場所にあった命に対する諦念が生まれた。

 

 私は何をした? 何をしていた?

 

 

──私のしたこと?

 

 ただ逃げただけ。

 

  ──何ができた?

 

   何もできなかった。

 

    ──力がなかった?

 

     こんな誰も守れない力なんて、無いようなものだ。

 

      ──なんで生きているの?

 

       ……それでも、それでも私には守りたいものがあるから。

 

 

 そばに寝転ぶ明の頬をなでる。生きている温かさが手のひらからじんわりと伝わってきて、その温かさに自然と頬が緩む。

 けれどすぐに現実のことを思い出し、顔が引き締まる。のんきでいるにはこの世界は不釣り合いだ。

 

 今回の戦い……とも呼べない逃走劇の中で、1つだけ確かなことがある。

 

 

 

──私は「勇者」たり得なかった。

 

 みんなの期待する、希望の「勇者」たり得なかったのだ。

 

 失意のまま床に転がる。

 一応ここは廃屋の中。すぐには見つからないだろう。

 ちょっとだけ眠ろう。寝れば少しは気分もよくなるはず。これからのことも起きた後で考えよう。

 もう9月。まだギリギリ暖かい格好をしなくても寝られる気温だけど、この先に待っている季節は秋、そして冬。

 こんな風に無造作に寝られるのも今だけだ。でもこの疲れ切った体には、それがありがたかった。

 何がおきてもいいようにと、少々冷たくて危険だけど、枕代わりに鍬の刃を頭の下に敷いて、私は眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「…………ん……」

 

 日の光が、閉じたまぶたをこじ開ける。おぼろげな意識のままに頭の下の鍬の刃に手をかけ、周囲に目を配る。

 さすがに、一番警戒しなければいけない役割の私が、昨日の今日ですやすやと熟睡できるわけもなく、寝ざめは良いというかほとんど眠れなかった。

 太陽も、寝ていることは怠惰だと言わんばかりにサンサンと輝いている。

 正直あまり疲れはとれていない。けれどこの疲れが、昨日のことは嘘じゃなかったということを証明している。

 

 周囲の無事を確認してから空を見上げれば、昨日と変わらないような空だけど、昨日とはまるっきり明確に変わってしまった空がそこにはあった。建物の中から見るのとは違う、窓枠も無いどこまでも見える空。

 久しぶりの感覚、約1カ月ぶりの感覚だ。住居なし、情報なし、この先の見通しなし。

 これじゃ1カ月前に逆戻り。けれど何もかもが逆戻りっていうわけでもない。

 守りたいものが増えた。多くのものを取りこぼした私の手に残った、3人の命。

 

 その3人がいる方を見てみれば、3人いるはずのところに2人しかいなかった。

 

「え……マコト? どこに……」

「おっ、起きたか岩波」

「っ!」

 

 不安に駆られたのもつかの間、突如後ろからマコトが声をかけてきた。

 

「……おはよう。良い朝だね」

 

 と皮肉めいて挨拶すれば、マコトも同じ気持ちだったんだろう、苦笑いで「そうだな」と返された。

 

「どこに行ってたの? 動くなら声かけてくれなきゃ、心配するじゃん」

 

「ホントすぐ近くだったし、ほら岩波も疲れてると思ったからさ。いいかなって。それよりも、ほい」

 

「ん?」

 

 何かを持ったマコトの手が差し伸べられる。よく分からずに受け取って見れば、それは缶詰だった。

 

「これ……!」

 

「オレもさっき起きてさ、周り見渡したらこんなのを見つけて。ほらあそこに」

 

 指さす先には小さな棚があり、中にはまだ缶詰が数個残っていた。

 この家の人が買っておいた備蓄だろう。私が持っているのはサンマの蒲焼きで、マコトのはサバの味噌煮だった。

 

「私そっちがいい!」

 

「ん? ああ、どっちでもいいぜ。あと割り箸もどーぞ」

 

「ありがと」

 

 私はサンマよりサバ派なので交換してもらい、割り箸を引っ張って2つに分裂させ、さっそく開缶する。

 

「まずは腹ごしらえをしなきゃだもんね!」

 

 身体の汚れ、手の汚れ、そんなのは気にしていられない。パンパンと払って手に汚れがついていなかったら多分大丈夫だ。

 疲れた体に昨日から何も食べていないというのもあって、箸は素早く動いてすぐに食べ終わってしまった。最後にきちんと味噌煮の味噌を食べることも忘れない。

 ちょっとしょっぱいけど、この世界での食料は貴重なのだから。

 

「ごちそうさまでした! お腹いっぱい!」

 

 ”ごはんが足りないとお腹が思っても、お腹いっぱいと声に出せばだんだんとそんな気がしてくる” 。これはダイエット中だった担任の先生から教えてもらったことだ。将来一人暮らしをしたときにも使える危険な魔法の言葉なのだとも教わった。

 最初聞いたときはそんなわけないと思っていたけど、これが思ったよりも使える。

 

──そして無理にでもテンションを上げないと、自責と後悔で潰れそうになる。

 

「…………なんの、におい……?」

 

「あっ……、明おはよう」

 

「………………おはよぅ」

 

 缶詰の臭いに釣られてか、はたまた騒がしい声──この場合は私の声か──によってか、寝ていた明が目覚めた。

 

「明も一緒に食べようよ。マコトが見つけてきてくれたんだよ」

 

「………………うん食べる」

 

「だってよマコト」

 

「オレかよ!? ったく……ほいよ」

 

「ありがと……」

 

 1テンポ遅い返答に、マコトと行われる私とは違うスムーズな返答。

 実は、明との仲がほんの少し悪くなっている──というか、一方的に避けられている(怒られてる?)。説明も無しにこんなところまで来たことに怒っているのか、はたまたただ単にお腹が空いているからなのか、イマイチよく分からない。

 明も一度寝たら大抵のことは忘れるのにまだ少しむくれているってことは、かなり怒っているんだろう。

 でも怒っている人に対してはしばらくそっとして、落ち着いたときにじっくり話し合う、っていうのが私流の怒っている人への対処法なので、もう1,2日は深くは聞かないでおく。

 

 今はマコトに明を任せて、私は鈴さんの様子を見に行くことにしよう。

 鈴さんは眠っていた私たちとは違い、衝撃によって意識を飛ばしていたっぽいけど大丈夫だろうか。

 

 体を翻して鈴さんの方を見やれば、すでに鈴さんは目を覚ましていた。

 仰向けに寝ていた体を上半身だけ起こし、右手を頭に当てて苦悶の表情を浮かべている。

 

「鈴さん! 大丈夫ですか、記憶とかはっきりしていますか?」

 

「ああ、灯ちゃん……もう少し音量下げてくれる? 頭が痛くって、すごく響くのよ……」

 

「ああっすみません。気が回らなくって」

 

「えっとそれで、ここは……何で外にいるんだっけ? 確か……白い……」

 

 記憶が混濁している様子。つまり私が告げなければいけない。

 私の無力を、生き残ることができたことを、そして生き残ることができなかったことを。

 

「はい。バーテックスがデパートを攻めてきました。生き残っているのは、ここにいる私たちだけです。ごめんなさい」

 

「……ああ、そんな感じだったわ、だんだん思い出してきた。……って、え? だって灯ちゃんはバーテックスと……それに私たちだけって」

 

「進化体が、現れたんです。もちろん警戒はしていたんですが、妨害に遭ってしまって……」

 

 ちゃんとうまく説明できている気がしない。起こった事実と結果の謝罪をしなければいけないのに、どこか我が身可愛さな言い方になってしまっている。

 

「私の力は進化体には通用しなくって……それでみんな、みんな死んじゃって……」

 

「…………」

 

「まだ生きていた鈴さんと明とマコトを連れて…………ここまで逃げてきました」

 

「…………そんな……わけ……だって、みんなで考えていたじゃない!? これからのこととか、避難ルートとか!」

 

 鈴さんは私と違って、現実が分からないほど頭が悪い人ではない。

 

「そ、そうよ! ここにはいないってだけで、他の人は別のところにいるんでしょ!? ね!?」

 

 肩を掴まれ揺さぶられる私は、私には、

 

「ごめんなさい」

 

 謝ることしかできなかった。

 

「…………灯ちゃん……じゃあ他の人は…ひ、光は…………!」

 

「……ごめんなさい。守れなくて、ごめんなさい」

 

「──あああっ……そんなっ……!!」

 

 止まらないあふれ出す涙。声の限り上げられる悲鳴。絶望を孕んだ声にならない嗚咽。

 

 私たちの新天地での目覚めは、際限のない悲しみから幕を開けた。

 



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第45話【意味のある一歩が欲しい】

「…………」

 

 泣いている人に、どう話しかければいいのか。

 

『ごめんなさい』『大丈夫ですから』

 

 謝罪も勇気づけも、多分この場では意味を持たないと思う。ましてや"私"が"大丈夫"だなんて。

 こういう時のために学校で国語の授業があったのだと今更ながら理解し、自分の不勉強が悔やまれる。

 

『あの人たちの分まで生きないと──』

 

 頭をひねってみても、どこにでもある漫画の受け売りのようなセリフしか出てこない。

 勇気づけられない。勇気を、希望を与えることができない。

 

「────行かなく、ちゃ」

 

「え?」

 

 寝ていた姿勢から鈴さんがおもむろに立ち上がる。

 

「え、待っ! 鈴さんどこ行こうっていうんです!?」

 

「……? だって、まだ助けを待っているかもしれないじゃない……?」

 

「そ、それは……」

 

 いる。

 いや、いた。

 そして、もういない。

 

 進化体がいる場所に行くなんて、そんなの……死にに行くのと同じじゃないか。

 

「……っ、あれからもう半日以上が経ちました。私が……私が探したんです!」

 

 鈴さんの目の前に立ち塞がる。けれど私はこの後言うことを考えると、鈴さんの顔を直視することはできなかった。

 

「鈴さんも知っていますよね、本気出した時の私の五感のすごさ。その私が必死に本気で探したんですよ!

 だからもう ダメ なんですよ……」

 

「……っ」

 

 ああ、自分が嫌になる。

 

「そ、そうよね……灯ちゃんがいたんだものね。じゃあそうなの、か……」

 

 デパートに戻ろうとしていた足が止まる。私の偽りの言葉は、かろうじて鈴さんを止めるだけの力を持っていたみたいだ。

 

「……うん、ごめんね!

 ちょっと気が動転してたみたい。少し向こうで、ていうのも危ないか。じゃあここでもう少し休ませてもらうわね。頭の整理をしたいし……」

 

 頭を抑えつつも笑顔を浮かべて、鈴さんは元いた場所にまで戻ってくれた。

 ……あのままだったら鈴さんまともそうじゃなかったし危ないところだった。

 

「少し休んだら私もこれから……うん、これからね。これからについて考えるから、先にマコト君とお話し進めてていいわよ」

 

「いえ、そしたらそれまで待ってますよ。私達だけじゃ絶対良い案浮かばないと思いますし。っと、マコト」

 

 振り返ってマコトに声をかければ以心伝心、言うより先に缶詰めが投げられてきた。

 

「よっと、ありがと! だから鈴さん。それまでの間、これでも食べて元気出してください。食べなきゃこの先、生きていけませんからね」

 

「この先……そうね、いただくわ」

 

 私は嘘を吐くとき、人の顔は見れない性格だ。だからこの時も私は鈴さんの顔を見ることはできなかった。

 

 缶詰めと割り箸を鈴さんにも手渡して、一旦鈴さんから離れる。1人で考える時間もとっても大切だ。

 マコトに一つ感謝を告げて、若干不機嫌そうな明と一緒に鈴さんを待っている間、軽い雑談なんかをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────

 

 

 

 結果から言って、鈴さんが加わった話し合いでも何も解決策は思いつかなかった。みんなで話し合っても当然といえば当然だけど、それでも少しは気落ちするものだ。

 

 決まったことといえば、今私たちがいる場所と、これからの超大まかな予定だけだ。

 

 廃屋を漁っていると、どうやらこの場所が神奈川だと言うことがわかった。なんとあのデパートから2県も離れていたらしい。がむしゃらにうねうねと走ったとはいえ、よく体力が持ったものだ。

 次に大まかな予定。これは単純。今までは引きこもっていて失敗したのだから、今度はこもらずに行動を起こそうというものだ。……引きこもる建物も無くなったし、ね。

 最初の私と明の2人だけの日々を踏襲する形だ。あの時と違うことは、幾ばくかの敵の情報と幾ばくかの生活と生存の知恵。

 これらを駆使して生きていかなければならない。

 

 西に行こう。正確に行けば南西に行こう。

 もしもの時のために、と週に2回手回し発電機で充電しておいたスマートフォンの電源をつけ──と言ってももう充電が15%くらいしかなく、鈴さんは持って来忘れたため唯一のスマホ──、コンパスを起動させて進行方向を決める。

 これからの時期、寒くなる。行く先にあてがないのだから、出来るだけ暖かい地域に向かってみよう。日本が完全に縦長だったらすぐに下に行けばいいけど、地味に西に曲がって伸びているから面倒な国だ。

 

 朝方ということもあり、すでに若干寒かったから、廃屋の中を漁って長袖パーカーを手に入れておいた。

 きっとこれから何年かは、自分でお金を払って服を買う、なんていう機会は訪れることはないんだろう。自分のお小遣いを越えた服が着られる世界になったことに、何とも言えない感情が湧いてくる。

 

「忘れ物ないかー?」

 

「大丈~夫ー」

 

 昨日、夕ご飯を食べていなかった私たちは缶詰め1個でお腹がいっぱいになるわけもなく、2個3個と缶詰めを開けていった。

 結果、それほど備蓄されていなかった食料はあと1食分となった。この場所にいてももうご飯もないので、最後の1食をそこらへんに転がっていたリュックに詰めて、この廃屋から出て行く。

 

 おばあちゃんたちから受け取った誕生日プレゼントのリュックは、デパートに置いてきたままだ。

 他の物は別にいいけど、あれだけは駄目だ。バーテックスは人間には攻撃してくるけど、わざわざリュックに攻撃するなんて訳の分からないことはしないはずだから、無事なはず。

 いつか取りに帰らないといけない。デパートのみんなのお墓も用意してあげたいし。

 

 ただそれをする前にまずは生きなければ。

 

「周りに注意しながら慎重に行きましょう」

 

 バーテックスが来た時のために少しでも体力を残しておきたいから、今回はみんなで徒歩で行動する。

 この一歩が前進できる一歩でありますように。上げた足がそのまま下りて無意味な足踏みにならないように。

 そう願いながら私は一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

──2週間が経過した。

 

 日にち感覚を忘れないために紙に正の字を書いているから、たぶん合っていると思う。

 ついでに、たまにではあるけど、日記を書いてみることにした。後で見返した時に自分は何かやっていたのだと、無意味な時間を過ごしていたわけではないのだと思うために。

 

 と言いつつも、この1週間では何も進展しなかった。

 けれど、何もなかったと記すと虚無を感じてしまうので、些細な事をここに記しておこう。そう思いながら鉛筆でさらさらと書いていく。

 

 まず、明とは移動中に和解することができた。

 なんでも、明はあの皆神さんに助けてもらっていたらしい。あの皆神さんに、だ。最初にそのことを言われたときは、皆神さんは本当に自分の子だと思い込んでいたんだな、とその狂気に関心すら覚えてしまったくらいだ。

 けれど話を聞いているとどうやら本気で思い込んではいなく、わざと呼んでいて、しかも明もわざと呼んでいたらしい。訳が分からない。ここらへんはもう、そうなんだ、と理解するしかなかった。

 よく分からないなりに理解すると、なんやかんやで皆神さんも明のことを大切に思ってくれていたってことなんだと思う。正確なことは当の本人に聞いてみないと分からないから、あの世に行ったら聞いてみよう。

 もともとみんなのお墓は作るつもりだったけど、明の命の恩人とあれば、余計に作りに行かなければならない理由が増えた。

 

「あー、ともちゃん何書いてるの?」

 

「ん? 日記よ日記。明も書いてみる?」

 

「んー、やっぱいい!」

 

「そ。私はもう少し書いてるから先にご飯食べてて良いよ」

 

「ん。そうするー!」

 

 私の提案を即却下して、今日手に入れた食料を配っているマコトのもとへ走っていった。だんだんとマコトのポジションが給仕係になってきている。

 もう日も落ちて夕飯時だ。

 

「おーい、食事の準備できたぞ」

 

「マコくん、ともちゃんまだニッキ? 書くから先どうぞって」

 

「そうなのか? んじゃ先に食べてるぞー。はいこれ蛍井さんの分です」

 

「ありがとう。灯ちゃんも早めに切り上げて一緒に食べましょ?」

 

「はーい了解ですー」

 

 たくさん歩いて疲れているだろうに、みんな笑顔を絶やさないで食事をしている。

 けれど私は知っている。

 上げていた視線を日記に戻し、再び書き始める。

 

 マコトは夜になると泣いていることを。

 初めて気が付いたのは、確か3日目の夜だった。その日は眠りが浅かったのか、寝ている途中に何かの声がして目が覚めた。

 聞きなじみのない音だったから飛び起きかけたけど、すぐにマコトの声だと分かった。

 みんなを起こさないように声を殺しながら、「お母さん」と涙に濡れたかすれた声でそう言っていた。

 

 気丈に振る舞っている人も、痛みを負っていること。このことは忘れてはいけない。

 もしかしたら鈴さんも、私には分からないところで悲しみを吐き出してるのかもしれない。

 私は力の影響で変に心が強化されている節がある。落ち込んでも先に進むように、力によって何かされている気がする。

 気をつけないと。

 

 力に危険性について、今後の自分宛てに記してから日記をぱたんと閉じる。

 リュックに日記をしまって、3人の待つ場所へ合流しに行った。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

──3週間が経過した。

 問題が2つ生じた。

 

 1つ、スマホが壊れた。

 

 原因はバーテックスと遭遇して戦った際に、パーカーのポケットから落下したから。しかもちょうど飛び上がった時だったから、高いところから真っ逆さまにガッシャン。粉々に壊れた。

 これで唯一のスマホが壊れて、コンパスのアプリが使えなくなった。

 道の行き先を確認しようにも電柱は大体が宙を舞うバーテックスによって倒されて、付いている看板はあらぬ方向を差していて使い物にならない。

 100均に入って方位磁石を万引きしてみても、変な磁力が飛んでいるのかぐるぐると回ってこっちも使い物にならなかった。

 今は壊れた看板を頼りに大まかに西に進んでいる。

 

 

 もう1つ、食料問題だ。

 

 バーテックスに遭遇するとその日1日と次の日の半分が警戒の日となり、ろくに食料探しに行けないのだ。

 デパートにいた時は警戒の目がたくさんあったから何とかなったけど、この人数に年齢層。大人1人と小学生が3人だ。警戒してもし足りない。

 

 食料が足りない→お腹が空く→食料を探そうにも力が出ない→食料が足りない、の繰り返しがそのうち起きそうな気がしてならない。

 スーパーでじっとしてみてもいいんだけど、暖房もストーブもない冬は厳しい。一刻も早く少しでも暖かい地域に行きたい私たちは、行動するしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──4週間が経過した。

 

 私たちはとある場所にたどり着いた。

 大阪府にある梅田駅。

 そこで見た光景を、私は生涯忘れることはないだろう。

 




なんと次は原作キャラが登場です。


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第46話【ここで生きた彼女は、確かにここで生きていた】

いつも読んでいただきありがとうございます。遅くなりました。
ゆゆゆ3期良かった!
方言とか何も知らないので、この世界では方言は存在しないということで。
 
今回、とある少女の日記が出てきますが、内容は省略してあります(削る部分が一つもなく抜粋するにはあまりにも無作法で、全文を書いては違反になりそうだったので)。
のわゆを買って読んでください。



《2015年10月上旬 大阪府 梅田駅前》

 

 

 荒廃した道なき道を歩いて歩いて、時には隠れるなんかもして、歩き続けた長かった1か月。

 普段であれば車で半日、歩いて行ったって1週間もあればたどり着ける距離。それを迷いに迷って1か月もかけてしまった。

 

「ずいぶんと歩いてきたわね」

 

 ふうっ、と肩で息を吐く鈴さん。

 

「やっとここまで来ましたね」

 

「これで目標の半分ってところか」

 

「え~もう明歩きたくないよ~」

 

 その隣で同じように息を吐く私、マコト、そして明。明なんかしゃがみ込んでいる。

 1か月たった今も、みんな傷も負っていなく無事だ。強いて言えば、寝不足なくらい。特に鈴さんが、マコトと明の分も受け持って見回りや夜の見張りをしてくれることがあるから、目の下のクマがすごいことになっている。お化粧品もないからクマ丸見えだ。

 私は力のおかげか、あまり長い間寝なくても大丈夫な感じの体になってきた。バーテックスと戦わなければいけない今にとっては、意識を飛ばしている時間が短くなるからちょっとありがたい変化だ。長時間寝なくても良いなんて、平和になった世界での期末試験の前日の一夜漬けにも使えそうだ。

 

 そんな私たちは、冬がもたらす寒波から逃げるために西に向かっている。目的地:九州地方までの道のりをただひたすらに歩いている。

 今日はその目標の半分の地点にある、大阪府にある大きな駅:梅田駅に来た。

 なぜこの場所に来たのか。というのも鈴さんの話では、この梅田駅周辺には大きな地下街があるらしく、地下だったらバーテックスにも見つかりにくいだろうから生存者がいるのでは、と考えたからだ。

 

 ここまで来る途中に、大阪城に立ち寄ってみたんだけど、生存者は見つけられなかった。お城はあくまで地面を歩く人間に対しての防御力があるだけで、宙を舞うバーテックスからの攻撃にはその防御力は何の意味も持っていなかった。大砲が撃ち込まれたかのような大きな穴が天守閣の部分にいくつも出来ていて、遠くから見ても これは駄目だ、と思わせられるようなひどいものだった。

 

 だからこそ、この梅田駅の地下には人が生きていてほしい。

 

「まずはいつも通り私が先行していくんで、後からついてきてください」

 

「明ちゃんのことは任せてね」

 

「よろしくお願いします」

 

 探索の時は、鈴さんに明の目を塞いでもらっている。そこらに転がっている死体に目を向けさせないのと、明が勝手にどこかへ行かないようにするためだ。

 そんな鈴さんもグロいのに慣れていなく すぐに気持ち悪くなってしまうから、鈴さんもあまり探索には参加させずに、この中でこの環境に慣れている2人─私とマコトが主に探索をしている。

 

 

 駅周辺はかなり壊されていたけど、地下へとつながる階段はなんとか残されていた。ゆっくりと下に降りていく。

 

「誰か生きていてほしいな」

 

「そう……ってこれ」

 

 階段を降りている途中に、人の手で作られた棚やテーブルの山が見えた。普通ではあり得ない人工物感……バリケード?

 

「ってことは、ここに人はいたんだ!」

 

 人の痕跡があって急激に期待が高まる。しかもちょうど運良く人が通れそうな穴が空いてあってラッキーだ。

 

「ちょ、灯ちゃん! それって……」

 

「そこで待っててください! 一旦中に入ってこちら側から崩していきますので!」

 

「あっ……」

 

 何か鈴さんが言おうとしていたみたいだけど、そんなことより今はこっちだ。ぴょいと隙間から中に飛び込んでバリケードの裏側に立つ。さすがにただ力任せに壊したらどこにいるか分からないバーテックスを呼びかねないから、一つずつ静かに素早くバリケードを解体していく。

 学校でやった防災訓練の時にバリケードの作り方を教わったから、崩していくのにあまり時間はかからなかった。

 

「出来ました! 先に進みましょう」

 

「ともちゃん早ーい!」

 

「明も学校の授業をしっかり受けていれば出来るようになるよ」

 

「すご〜!」

 

「えぇ……今の小学生ってみんなあんなことできるの?」

 

「いや……少なくともオレの学校ではそんな変な授業やってないですよ」

 

「2人とも早く行くよー」

 

 学校で教わったことを実践できた時は、勉強を頑張ってきた甲斐を感じられるから気分がいい。

 バリケードを突破して、私たちはさらに下へと降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 地下の空間は、地上ほど損壊していないものの少なからず壁や床にヒビが入っており、どこかからかバーテックスが侵入した痕が残っていた。

 階段を降りたすぐのところにあった紙の地図を広げて歩いていく。

 バリケードがあったようにここにもペットボトルやお弁当のごみなどが散乱していて、やはりここには人が、しかもごみの量的に数十人くらいの人がいたことが分かった。

 

「誰かいますかー?」

 

 けれど、生存者の声は返ってこない。

 4人で付かず離れずの距離でトイレの中や店の中をくまなく探すこと1時間弱。明も目を塞がれた探索にはもう慣れていて、見えないことを楽しんでいるような声が聞こえてきた。

 

 しばらく地下を進んでいくと、広場のような開けた空間に出た。地図には、ここには中央に噴水があってみんなの憩いの場だと書かれている。

 けれど、その中央には噴水よりも目を引く、死体の山が出来上がっていた。

 

「なっ……!」

 

「うっ!」

 

「えっ!? なになに!?」

 

 山と表現するに十分なほどの人数。いくらなんでもこの量は気持ちが悪くなる。

 さらにその吐き気を助長させるのは、その山の内容だ。

 

「なんで……服が……」

 

 その山の中央に行くに従って、服を着ている人が減っていっている。山の中心にいる人なんか、下着すら着ていないように見える。

 

「……もしかしたら、寒さ対策かもしれないわね。バリケードを使っていたのなら外に出て服の調達なんてできなかったと思うし……」

 

「ああ、だから異様に着てる人といない人がいるのか」

 

「……ごめん2人とも、私ちょっと……っ」

 

 この光景に鈴さんは目を閉じしゃがみ込んでしまう。目を隠されている明は、何が起きているのか分からず混乱している。それでも何か良くないが起きていることは察して、大人しくしている。

 

「鈴さんたちはそこで待っててください。マコト、行こう」

 

「っ。ああ」

 

「ごめんね……」

 

 動けなくなった2人を置いて、山の近場から手がかりを探してみる。

 すると、床に一冊のノートが落ちていることが分かった。

 中を開けてみると、そこには女の子の筆跡でこの中に閉じこもってからの日記が書かれていた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「ひどい……」

 

 読み終わってすぐに出た感想は、それだった。嘆き、苦しみ、孤独、怨嗟、飢餓、自棄。およそ負の感情と呼ばれるもの全てが詰まったような、読んでいるこちらまで苦しくなる日記だった。

 

「こんなことって」

 

 あんまりだ、悲しすぎる。頬を伝う涙が止まらない。

 いつぶりの涙だろうか。流れた熱い涙が冷たい空気によってすぐに冷やされる。

 日記から感じた彼女の悲しみ、不安。けれど一番私の心を打ったのは、彼女の妹に対する愛情だった。日記の半分以上が妹を心配する文章で綴られている。

 どれだけ苦しい状況にいても妹を慮って、自分が死する時も妹と共に在った彼女。

 

 この日記を書いた彼女はどこにいるのだろう。

 妹を愛し、この日記の最後まで懸命に生きた彼女はどこにいるのだろう。

 見つけてあげなくては。いくらなんでも悲しすぎる。

 

 日記を丁寧にパタンと閉じて、それらしき人影を探す。

 人の死体が敷き詰められた床の中から探すのは至難の業だったが、マコトと手分けして探すことで見つけることができた。

 

──彼女は、彼女たちはそこにいた。

 

 2人の遺体。少し小さめのシルエットは日記に書いてあった妹だろう。その子を胸に抱き寄せるかたちで、彼女はそこで長い眠りについていた。

 頬は栄養不足からか痩せこけており、着ている服も泥にまみれてボロボロだ。他の人とは違って彼女が服を着たままでいるのは子供だからなのか、それとも服を剥ぎ取る人も亡くなったのか、それは分からない。

 ただ彼女たちの死体が非情に扱われなかったことが、どうしようもなくありがたかった。

 

「……こんにちは」

 

 気づけば私は彼女たちに話しかけていた。

 そばまで寄って膝をつき、この季節にはふさわしくない半袖でむき出しになった腕に触れる。

 そこから伝わってくる温度は、ただただ冷たかった。

 

「ごめんなさい。間に合わなくって」

 

 こんなに苦しんでいたあなた達を助けられなくて。

 

「日記に書いてくれないから、あなたの名前も妹さんのことも分からないけど、あなたの妹を想う気持ちは確かに伝わりました」

 

 伝えたい気持ちが溢れてくる。

 

「私にも大切な妹がいて。私も妹が生きていてくれているから、こんな世界でもなんとか生きてみようって思えてるんです」

 

 きっとこの2人も素敵な姉妹だったんだろう。生きている時に会いたかった。

 

「あなた達が生きていた頃のあなたと会うことはできなかったけど、あなた達がここで生きていたという事実は、私たちがずっと覚えています」

 

 自分の事のように共感してしまう。家族を一番に大事にしていた彼女の事を。

 

「だから安心して眠ってください」

 

 ここは安心できる世界ではないけれど、気掛かりを残して逝ってほしくはないから。

 

 一方的ではあるけれど、言いたい事は言えたつもりだ。最後に彼女たちに向けて黙祷を捧げる。

 

「オレ達だけじゃなくて他にも生きようと戦っていた人はいたんだな」

 

「……そうだね」

 

 隣で私と同じように手を合わせていたマコトがそう呟いた。

 その言葉で、悲しみしかなかった空間にほんの少しの光が差す。

 

 結果として、私は彼女たちの救出にも間に合うことができなかった。

 けれど、彼女の日記を見て、明確に助けを求めている人がいたことを再確認できた。

 この場で起きたことはひどく陰惨なものだとは分かっている。だからこその救いが必要だ。

 

 何ができるかは分からない。だって何もできなかったから。

 でも、みんなの不安を煽るあのバーテックスは排除できる。物理的な不安は拭い去ることができる。

 正直悔しいけど進化体には勝てない。だけど、逃げる時間くらいは稼ぐことができる。死の直接的原因を遠ざけることはできる。

 

 倒さなきゃ。生かさなきゃ。

 でないとこの力を持っている意味がない。

 この力がもし神から与えられたものなのならば、きっとこのためのものだ。

 

 力の使い道を再確認して、彼女たちのもとから立ち上がる。

 

「よし。鈴さんお待たせしました。あとはもう少し奥の方を見てからここを出ましょうか。……鈴さん?」

 

「……ぁ? 灯ちゃん、何か言った?」

 

「いや、もう少し奥を見たら出ましょう、と。……顔色悪そうに見えますけど大丈夫ですか?」

 

「ええ……大丈夫よ。ごめんね、ちょっと考え事してて」

 

「体調が悪かったらちゃんと言ってくださいね」

 

「そう、ね」

 

 暗い部屋のせいか、鈴さんの顔が青白いように見える。本人は大丈夫と言っているけどちょっと心配だ。

 でも大量の死を見てしまったら当然のことか。もうこの地下はかなり探したから、生存者はいないと思う。早くこんなところから出よう。

 

 

 あの光景を見た後だから、みんな口数も少なくなり重い空気が漂う。

 何かこの空気を緩和させられるものはないか。そう思い帰り道を進みながら辺りを見渡していると、良さそうなモノを見つけた。

 

「ちょっと先行ってて」

 

「お、おう」

 

 1人道を外れて──と言っても目につく距離だけど──そのモノを手に取ってマコト達の元へ帰る。

 

「何持ってきたんだ?」

 

「内緒。後で上に上がったら見せるね」

 

 これさえあれば、きっと気分も元に戻るはず。

 右手に持ったモノに期待を込めながら、彼女達のいる地下を後にした。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 暗い地下に長い間いたから、少し日が落ちたとはいえ外の光が眩しい。日もだんだんと傾いて、後少しもすれば日が沈んでしまいそうだ。

 

「で、上に来たぞ。何持ってきたんだ? 早くしないと日が沈むぞ」

 

「まーまー、そんな急かさないで。はい、まずは鈴さんに」

 

「……? 灯ちゃん何これ?」

 

「紙ですよ手紙。はいこれ鉛筆です」

 

「手紙? こんなものいつの間に……」

 

「帰り道に岩波が勝手に行動して持ってきたんですけど、蛍井さん見てなかったんですか?」

 

「ああ、考え事してて気が付かなかったかも」

 

「マジですか」

 

 ぼんやり気味な鈴さんに、帰り道に寄った文房具屋で売っていたピンク色のレターセットを手渡す。マコトには同じ物の色違いで緑色のを、私と明はオレンジ色のを配った。

 

「これに将来の自分、そうですね……バーテックスがいなくなっても街が元通りになるのに結構時間かかるだろうから……10年。10年後の平和な世界を生きている自分に向けて手紙書きましょうよ!」

 

「ってなんでそんな突拍子もないことを」

 

「だってここ最近ずっとこんな街しか見てないじゃん。だからたまには元通りになった街のことを思っても良いかなって。さっきのあの子だって元通りの世界のことを考えていたし」

 

「悪くはないけど……手紙かぁ」

 

「ね、鈴さん。ずっと暗い気分でいるのも疲れますし、たまには楽しいことを考えましょうよ!」

 

 外に出てきてもまだ顔色悪いし、楽しいことを考えて気分をリフレッシュして元気になってほしい。

 

「…………そう、ね。……10年後だと2人はもう働いているかもしれないわね」

 

「そっか! 何の仕事してるんだろう私」

 

「その力があったらなんでもできそうだな」

 

「確かにそうね」

 

「ともちゃんオリンピックに出てよー」

 

「ええ!?」

 

「そしたら何個金メダルが取れるんだろうな」

 

「陸上にウェイトリフティング、泳げるなら水泳もいけそうね」

 

「ちょちょっと! 私のことはいいですから、自分達の将来のことを考えてください」

 

「はいはい」

 

「将来、ね……」

 

 各人に手渡して少し将来に頭を悩ませていれば、もう夕暮れだ。

 寝床の家を確保して簡易的な夕食を食べながら、将来の自分への手紙を書いていく。

 明は手紙を広げて絵を描いている。あれは10年後の自分が見た時にどう思うんだろう。マコトはうんうんと頭を悩ましていて、鈴さんも筆が進んでいなさそうだった。

 

 ひとまず暗い気分は変えられたな。

 食べ終わると明が眠たそうにしていて、私も今日は色々あってちょっと眠たかったから、手紙も途中に寝ることにした。

 素敵な将来が来てほしい、そう思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

──次の日、目覚めると鈴さんが首を吊って亡くなっていた。

 

 鈴さんの近くには「ごめんね」と、昨日みんなそれぞれで書いていた手紙に鉛筆で、宛先もわからない謝罪文が刻み込まれていた。

 読んだこっちが泣きたくなるほど弱々しい字で、そう書いてあった。

 未来に向けた文章を書いたはずなのに、鈴さんの手紙にはその4文字しか書かれていなかった。

 

 助けたかった人を見殺しにして、助けた人を救えなかった。

 守ると言って見捨てて逃げて、守れたと思った人が自殺をしてしまった。

 

 地下にいた彼女の前で、誰かを助けたいと思った。けれど私にはその助け方が分かっていないのかもしれない。

 2か月間共に過ごした鈴さんにさえ、何もしてあげられなかったんだから。

 




原作キャラ登場(死亡済み)。
今回入った地下への入り口は、若葉達のとは別の入り口です。
 
若葉達とは違って、灯は生存者が全くいないとは考えていません。1ヶ月間生き残れたという実績があると思っているので。


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第47話【人生は1枚の絵だと思っていた】

いつも読んでいただきありがとうございます。大変遅くなりました。
前半は「蛍井 鈴の独白」でお送りします。


 

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 人生は1枚の絵だと思っていた。

 大きな、どこまでも大きな白い紙があって、そこに「経験」という名の色を塗っていく。

 楽しいことがあったら赤系で、悲しいことがあったら青系で、嫌なことがあったら黒系で、病気になったら紫のような色を塗っていく。

 恋をしたときに赤で染めた場所も、いつしかその鮮やかだった赤は色あせて友愛のオレンジ色に変わったり。悲しい青は、それを上回る赤色で塗りつぶして楽しいものに変えたりする。

 重ね塗りをすることは大切だけど、かといって下に塗った色も大切な思い出だ。

 こうして様々な色を塗り重ねていくことが人生であり、人生を豊かにするものだと思っていた。

 

 

 

 この考えが突如として崩れ去る。

 2か月前のあの日。2015年7月30日。私の世界にいくつもの白い刃が突き刺さった。

 

 いつものようにあのデパートの受付でしていた月末のことだった。

 夜の10時過ぎ。私が夜勤の時は迎えに来てくれる光と一緒に帰っていると、きらりと夜空に流れ星が流れたような気がした。

 

「あっ、流れ星」

 

「ん? 本当か?」

 

「ふふーん、見逃すとはなんてもったいない。……あっ、また流れたよ」

 

「どこだどこだ」

 

 見逃した光への慈悲と言わんばかりに、ふたたび夜空に流れてくれた星も見逃すとは。この注意力のない光にもう1回だけ流れてー、と思うと2つ3つ4つ5つとたくさんの白い星が夜空に動いているのが見えた。

 

「ほらほら、あそこに見えるでしょ。それにあそことあそこと……あれと…………あれ?」

 

 動いている星が多すぎではないだろうか。今日は流星群が降るだなんて情報は、天気予報ではやってなかったと思うし……。

 でも、それじゃあこの動いている白い星っぽいのは何なのだろう。

 

「ああ、あれか、ようやく見つけた。たしかに流れ星っぽい……いや、というよりなんかUFOみたいな動きじゃないか?」

 

「んん~?」

 

 たしかに言われてみれば、流れ星みたいに直線的な動きをしていない。そして流れ星のように遠くへ行くのではなく……白い星はこちらに近づいてきているように思えた。

 

 そして、ソレと目が合った、気がした。

 

「っ! な、なんかおかしくない? 隕石? こっちに近づいてきて、る……!」

 

 その白い星の影はみるみるうちに近づいてきて、その正体を確認できる距離まで接近してきた。

 断じて隕石などではない、白い楕円形の球体に趣味の悪い赤い文様のお面をつけたような異形な物体。そのお面には、顔の半分以上もある歯が生えていて……あ、口が開いた。

 口が開いた隙間からは、唾液のようなものが糸を引いているのが見えて……、

 

「に、逃げよう!」

 

 どちらから声をかけたかは覚えていない。ただあのバケモノに見つからないように必死で逃げ続けて、気が付いたら私の職場であるデパート旭に逃げ込んでいた。

 

 これが私の、のちにバーテックスと名付けられる白いバケモノとの初遭遇だった。

 

 私の白い大きな世界は、突如降り注いでいた白いバケモノによって喰い荒らされビリビリに破かれて、まるでジグソーパズルのようになってしまった。

 そしてこのジグソーパズルも、大半のピースがバーテックスによって喰われてしまい、元の絵がどんなだったのか思い出すことが出来なくなるほどになった。

 もう、元の世界には戻らない。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 そして、1か月前のあの日。世界は再び切り裂かれた。

 

 世界が食い荒らされてからもなんとか残った紙片をつなぎ合わせて、歪ながらもどうにか精神を保っていられた。

 そこに灯ちゃんが来てからは、世界に希望を感じられた。

 あの恐ろしいバーテックスにも負けない強さを持った女の子。あの子の前で弱音を吐いたら不安にさせてしまう。

 きっと彼女は大丈夫、と言ってくれるだろうけど心配はかけたくないから、彼女の前ではできるお姉さん像に見えるように心がけた。

 

 けれどそれもダメだった。

 帰る場所も職場も友人も知り合いも食料も仮初めの安全も出来つつあった非日常な日常も、そして光も失った。

 別に恋愛感情を抱いていたわけではなかった。ただ光はずっと私のそばにいてくれる存在だと思っていた。小さい頃から一緒にいて私の世界を彩ってくれた、文字通りこの世界での「光」だった。

 「光」を失ってはもう暗くて絵が描けない。どんな色を使っても、暗くて全部が黒に見える。

 嫌な黒。つらい黒。残った僅かな私の世界が、黒で塗りつぶされていく。

 

 最後に残った「灯ちゃん」というおぼろげな光源も、私の心を照らし切るには至らなかった。

 さっき見た梅田駅の、惨憺たる有様。

 もう、ダメだ。

 この先に希望が欲しかった。「光」が無くても生きていけるような希望が欲しかった。

 灯ちゃんから未来の自分宛の手紙をもらったとき、私は何も書けなかった。白いはずの紙が、私には真っ黒に見えてしまった。

 そのとき『ああ、死のう』って自然とその考えに至った。

 

 思ってしまったらもう死ぬしか考えられなくなって。3人を起こさないようにこっそり抜け出してロープを用意して準備する。

 やり方はよく分かっている。この1か月間で調べる時間は十分にあった。

 首を吊る輪ができたとき、3人に対して申し訳なさがこみ上げてきた。でも私にはもう出来ることがない。生きることもできない。だったらもう謝るしかなかった。

 大人なのに子供を残して先立つこと。大人として希望を示せなかったこと。デパートのみんなを守れずに私だけが生き残ってしまったこと。

 もらった手紙に謝罪の言葉を書いていく。「光」を失ったこの目では、うまく文字をかけているかが見えない。情けなく手も震えている。

 

 『ごめんね』。

 

 黒く染まったこの目でも、バーテックスだけは異様に白く映って、思わずその光源に飛びつきたくなることがあった。そうなる前に自分の手で終わらせよう。

 願わくは、あの世で私の世界に色が戻ってきますように。「光」に照らされますように。

 

「ぅ……ぁぁ、かっ……」

 

 締まる首と共に、視界が漆黒に染まっていく。

 目の端から徐々に漆黒が侵食してきて……。本当の意味で黒く塗りつぶされたとき、私の思考と視界は何も映さなくなった。

 もう、何も見えない。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 ぷらんと中に浮かんだ鈴さんの前で立ちすくむ。

 

「す、鈴さん……?」

 

 返事は返ってこない。

 

「なに してるんですか……」

 

 ……返事は返ってこない。

 

「お、おい! 早く降ろさないと!」

 

 マコトは、近くにあった倒れている台を持ってきてロープを外そうと苦心している。

 

「ううっクソ! 解けない!」

 

「……。……どいて。私がやるよ」

 

 マコトを押し退け、鍬の刃を使って吊り下がっているロープを切断する。ドサッと上から落ちてきた鈴さんの体はやけに重たかった。昨日の冷たい夜風の影響か、鈴さんの体はひどく冷たくなっていた。

 力づくで首に残ったロープを引きちぎりながら考える。

 どうして鈴さんが? 昨日もいつも通りだったのに。ちょっと気になることはあったけど、こんなことになるなんて……。

 お前には何も守れない。世界にそう言われているような気がしてくる。事実、2か月前のあの日から救いたいと思った命はほとんど取りこぼしてきた。

 この力はなんのために? この手は何のために? 誰かを救うために神様が、おじいちゃんが授けてくれたものじゃないのか。

 

 ああ……私は「勇者」たり得ない。

 助けたい者を助けられず、助けた者にも希望を見せることが出来ない。

 結局私の手に残ったのは、私の妹と私が直接命を助けたマコトだけ。……彼が助けたかったお母さんの命も私は取りこぼしてしまった。

 亡くなった鈴さんに涙を流しながら声をかける2人を見て不安に駆られる。

 この2人のことを私は守っていけるのだろうか。

 

 ふと、あることを思い出す。

 そういえば昨日の見張りは鈴さんからだっただろうか。

 昨日は私だったから、きっとそうに違いない。

 交代しに来なかったから私は朝まで寝ていたのか。……おかげでよく眠れたな。

 

──見張っていてくれなきゃ、私たちが死んじゃうじゃん。

 

「……っ!」

 

 ……ああ、最近人の死が軽く感じる。

 人の死を見過ぎたせいか、この力に心が侵食されているせいか、それとも元々こういう人間だったのか。

 悲しむ時間がどんどん減っていっている気がする。達観しているといえば聞こえはいいが、無関心になっていると言えるかもしれない。

 鈴さんの遺体が近くにあるというのに、悲しみに溺れることが出来ない。悲しみ半分で周囲の警戒半分といったところだ。もしかしたら悲しみは半分もないかもしれない。

 こんな唐突に死んでしまうのだから、殺されるのはもっと唐突になるだろうから。

 

「……行動するのは明日にしよう。今日は、鈴さんとここにいよう」

 

 かといって私も鈴さんの喪失は、胸に穴が開いた気分になる。2か月前から一番頼りにさせてもらっていた人だ。悲しくないわけがない。

 

「なんで……! ねぇなんでうごかないの、ともちゃん」

 

「……なんでだろうね。私にも分からないよ」

 

 どうして何も相談してくれなかったのか。どうして『ごめんね』と言って亡くなったのか。

 死ぬことは『ごめんね』だけじゃ受け入れられないよ、鈴さん。

 

 この日は何もしなかった。

 それぞれが鈴さんの死を受け入れられるように思い思いの行動をとり、朝が終わり昼になって、昼も終わって夜になったところで床に就いた。

 はじめはなかなか寝付けていなかった2人も、泣き疲れたのか、次第に寝息が聞こえてきた。

 

 私はもう、寝ることはやめた。

 鈴さんがいなくなって見張りができる人が私しかいなくなったことが理由の1つだ。明はもとより、マコトにはこれ以上精神的負担はかけられない。

 2つ目は、この体ならずっと起き続けていられると思ったからだ。この中で私だけが非日常の非日常を生きている。逸脱した世界での異物だ。もうなりふり構ってはいられない。

 私は生きて生かさなくちゃいけないから。

 

 3つ目は……これが一番大きな理由、夜が怖いから。

 私の家族が亡くなったのも夜だった。バーテックスが襲ってきたのも夜だった。そして私が寝ていて鈴さんが亡くなったのも夜だった。

 夜は私の大切なものを奪う。

 明けない夜はないけれど、夜は必ずやってくる。

 空を見上げれば、浮かぶ星がバーテックスに見える時がある。そのまま私のとこまで落ちてきて、明とマコトを喰らっていく。そんな妄想が頭の中を走る。

 頭を振ればその妄想は霧散するけど、時間が経つとまたよみがえってくる。

 

 なかなか休まらないけど、程よい緊張感と捉えれば悪くはないだろう。

 頼れる大人がいなくなって、とうとう私たちは、子供だけで生きていくことになった。

 

 夜はまだ明けない。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 次の日。

 目覚めた2人を引き連れて、中断していた移動を再開させた。

 会話はかなり少なくなっている。

 鈴さんのお墓を造り、手を合わせてから出発した。

 願わくは、このお墓は壊されないでほしい。

 

 

 

 また次の日。

 鈴さんがいなくなった影響の大きさを感じる。

 より慎重に行動しなくては。

 

 

 

 また次の日。

 少し会話の量が戻ってきた。カラ元気でも会話をすれば心が和らぐ。

 その代わり、2人の食欲が減ってきているように感じる。

 気のせいだろうか。

 

 

 

 別の日。

 やっぱり以前よりも減っている。ちゃんと食べないと、ただでさえ栄養が足りていないのに……。

 私の体はこの極限状態にも少しずつ慣れてきて、2人よりもさらに少ない食事で大丈夫になってきた。

 この、何が何でも戦えるようにしようとする力の在り方に、少し薄気味悪さを感じた。

 

 

 

 別の日。

 明が倒れた。熱がひどい。

 本格的な冬の寒さに、弱っていた体が負けたんだろう。マコトも顔色が良くない。

 

「ど、どうしよう! 病院に……っ」

 

 こんな世界で病院なんてやっているわけがない。

 でも薬を飲ませてもあまり効果はないし、私じゃどうすることもできない。

 無意味だと頭では分かっていながらも、近くにあったやや大きい病院まで2人を背負ってやってきた。

 

「……ははっ。何やってるんだろう。医者なんているわけないのに」

 

 気が動転して訳が分からない行動をとってしまった。

 正面玄関で2人を降ろし、座り込む。

 

「このまま2人も……」

 

 と嫌なことが頭をよぎりそうになった時、病院中から足音が聞こえてきた。

 

「…………え?」

 

 まさか本当に人が?

 その足音はどんどん近づいてきて、その正体を私たちの前に現した。

 

「──はあはあ、っ大丈夫ですか!?」

 

 その足音の人物は、女の子だった。私くらいの年齢の女の子で、こちらを心配そうな目で見ている。

 走ってここまで来たせいで息切れをしている彼女の姿は、異様に白かった。

 肌には粉をまぶしているのか白くなっていて、着ている服も白色で統一されており、髪まで白く染まっている。

 

 久しぶりに会った生存者。それは異様なまでに白で統一されている女の子だった。

 




第4章本格スタートです。


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第48話【ようこそ白糸病院へ】

いつも読んでいただきありがとうございます。
きっと最後の重役持ちオリジナルキャラの登場です。


「──はあはあ、っ大丈夫ですか!?」

 

 誰もいない廃病院だと思っていたところから、見知らぬ女の子が飛び出してきた。

 

「…………だ、だれ……?」

 

 誰だ? 想定外の突然の来訪者にうまく言葉が出て来ない。まさか本当に病院に人がいるなんて。

 生存者だ。ここ何週間も探しても見つからなかった生存者。しかも私と同じくらいの年齢の女の子。大人じゃない。

 一人で来たみたいだけど、一人で生き残っているのだろうか? そんなわけはないと思いつつも、彼女のほかに足音は──今のところ聞こえない。

 

「わっ…アタシと同じくらいの子だ……。えっと、大丈夫、じゃないよね……? 大丈夫だった?」

 

「えっ、あ。ああ、いや……。ええっと、あなたは一体……?」

 

 思ってもみなかった遭遇に、いつも以上に言葉がうまく出て来ない。

 

「アタシは……って、そんなことより! 後ろの2人ぐったりしてるじゃん! 見るに体調悪いんでしょ。ほら早く。アタシもどっちか肩貸すから、アイツらに見つかる前に中に入って」

 

「は、はぃ……?」

 

 そう言った彼女は、「じゃあアタシはこっちの男の子の方を持つから、そっちお願い」とこちらが何かするよりも早くマコトを背負って病院の中に入っていってしまった。

 

「ちょ、待ってください!」

 

 急いで私も立ち上がって明を背負い、彼女の後を追う。何をされてもすぐに対応できるように、強く鍬を握りしめた。

 

 開きっぱなしの自動ドアから中に入ると、そこは外の建物と比べてあまり損壊が進んでいない不思議な空間だった。他の建物は半分ほどが倒壊、残りの半分も大々的にヒビが入っていたりと破壊の傷跡が見られるものがほとんどだった。

 けれどこの病院は、びっくりするほど損壊がない。いや、普通にあることはあるんだけど、想像以上に無事な状態だ。

 外観が無機質な冷たい白一色で塗られていた壁とは異なり、病院の中の壁には可愛らしいクマやウサギの絵が描かれていて、外とのギャップに少しの違和感を覚える。

 

「3階に運ぼうか。ついてきて」

 

 白一色といえば彼女もそうだ。白のダッフルコートに身を包み、下にはこれまた白のパンツと靴を履いている。フードを目深に被り、露出の少ない肌も白く塗られているため、遠目から見たら雪だるまに見えなくもない。

 ファッション……なのだろうか。流行には疎いからよく分からない。

 

 デパート旭と同じように動かないエスカレーターを上っていくと、3階は患者さんが入院するエリアになっていた。

 

「んーと、確かこの部屋はまだ空いていたよね。君、こっちのベッドにその女の子寝かせてくれる? これからこっちの子と一緒に ”治療” するからさ」

 

 その中の一室、4つベッドがある病室に通され、明を寝かせるように言われた。従う理由はないけれど、逆らう理由もないし言うとおりにする。

 それに彼女は治療と言った。この病院の医者には見えない年齢だけど、一体何をするんだろう。

 ベッドにそっと寝かせると、明が苦しそうに熱に浮かされていた。顔も赤くなっていて額には汗が浮かんでいる。

 ティッシュを取り出して汗を拭いてあげると、白い彼女から声をかけられた。

 

「んーと、2人ともただの風邪だけ? それとも他の病気とかにもかかってる?」

 

「えっと、たぶん風邪だけだと思います。ここのところ食欲がなかったみたいで、きっとそれで免疫力が落ちて……」

 

「あーよくあるやつだね。ウチにもいるよそういう人。んじゃ、元気取り戻すためにチャチャっとやりますか」

 

「チャチャっと、って……ええっ!?」

 

 やるぞーと言った彼女の右手にはいつの間に握ったのか、少し、という言葉では大きすぎる注射器が握られていて、その針をマコトの腕に突き刺そうとしていた。注射器の中には見たこともないような透明なのに発光している謎の液体が入っていた。

 確実におかしい。……敵か?

 鍬を強く握りしめ、今にも突き刺そうとする彼女に一瞬で近づき、首元に刃を向けて威嚇する。

 

「──っ」

 

「か、勝手に私の仲間に手を出さないでください。何を打とうとしているんですか。風邪の治療にそんな変な薬液、使わないですよね?」

 

 突如向けられた刃物に、彼女は目を白黒させている。そのまま両手を上にあげて無抵抗アピールをしてきた。

 

「わっわぁ~、すごい。今どうやって動いたの?」

 

「答えてください!」

 

「ごめんごめん、また悪い癖出ちゃったな……分かったから刃向けるのやめてもらえる? さすがに刃物は怖い」

 

 注射器をポイと布団の上に投げたのを確認したので、彼女の首を解放する。けれど力は発動させたままだ。またいつ何をするか分からない。

 

「病人をほったらかしにしているのは医者志望としてはアレだけど、たしかにまずは説明が必要だったね。あー、また父さんに怒られる……」

 

 ぶつぶつ言いながら彼女はマコトのベッドに腰かけた。私も明のベッドに座ることを勧められたけど、彼女に対する物理的な安全面の観点からお断りさせてもらった。

 

「んーと、まずは名前か。アタシは白糸 陽。太陽の陽ね。ここのみんなからは陽ちゃんって呼ばれてるよ。君は?」

 

「私は岩波 灯です」

 

「岩波ちゃん……もしかしてそっちの子は?」

 

「……妹です」

 

「それじゃあ灯ちゃんて呼ぶね。よろしく」

 

 先ほど刃物を向けた相手だと分かっているのか、彼女…白糸 陽は笑顔で握手を求めてきた。鍬を右から左に移して握手に応じる。

 

「よろしくお願いします……」

 

「よしっ。次は……これの説明か。これはね、魔法の注射器なんだよ」

 

 魔法の注射器。

 普通だったらまず組み合わさらないだろう2単語で呼ばれたソレを私に見せるように構えて説明を続けた。

 

「魔法……ですか」

 

「そう! っていっても正確にはちょっと違うんだけどね。どこから話そうかなー。

 んと、まずここ、アタシの父さんの病院なんだけど、父さんは ”ゴッドハンド” って言われるくらいすごいお医者さんでね」

 

「ゴッド、ハンド……」

 

「そう。で、みんなから言われるもんだから父さんも自意識がちょっと過剰になっちゃって、『神が使う道具なんだから神様の力が備わっているものじゃないと駄目だろう』って言いだしちゃって。夜中に近所の神社に忍び込んで宝物殿から1つ神具を盗ってきちゃったんだよ」

 

「──……」

 

 なんてバカなお父さんなんだろう……って言いたいけど、おじいちゃん……。ここにも同類がいたよ……。心の中で頭を抱える。

 語りかけるように鍬を握っても、おじいちゃんの声が返ってくることはなかった。

 

「それをどうにかして注射針にしたものがこれなんだ。まあ、ちゃんとしたものじゃないから結局現場では使えなかったんだけどね」

 

「そう、ですか……」

 

「んで、話は飛んであの日。白いアイツらが降ってきた時、アタシは病院にいたんだけど何かに呼ばれるような気がしてウロウロしてたらこの注射器が光ってて。何だろうって触ったら変な力? みたいなのが流れてきたんだよ」

 

「そ、それって! なんか身体の奥が熱くなって身体が別のものになっていくような感じでしたか!?」

 

「う、うん、そうだけど……。え、なに知ってるの? 経験者?」

 

「は、はい! 私もこの鍬を触ったときに」

 

「それ何かと思ったら鍬だったんだ……。柄がないから全然分からなかった」

 

 まさかまさかの私と同じ力の持ち主だった。

 デパートでは私以外はいないって判断したけど、まさかこんなところにいたなんて……!

 少々疑心暗鬼だった心も、この事実一つできれいに吹き飛んだ。

 

「私の場合はこの鍬でバーテックスを斬ったり切り刻んだりできるんですけど、白糸さんはその注射器でどうやって戦ってるんですか!?」

 

「ええっ……急に元気になるじゃん……。それにバーテックス? って白いアイツらのこと?」

 

「あ、そうです。私たちのグループではそう呼んでました。…………もうみんな死んじゃったんですけど」

 

「あー、うん。まあ名前付いてる方が呼びやすいし、アタシたちもそう呼ぼうかな。んで、戦った、アイツらと? すごいね灯ちゃん。怖くないの?」

 

「怖くなくはないですけど、私たちにはほら、力がありますから。なんとか」

 

「いや、アタシはバーテックスとは戦えないよ? そんなスーパーマンじゃないんだから無理だよ」

 

「ええ!?」

 

 戦えないのに力を感じたことがある……ってどういうこと?

 

「んー…………あぁ、わかったかも」

 

「なんです白糸さん」

 

「陽ちゃんでいいよ。んとね、さっきの続きなんだけど、この注射器はたぶん灯ちゃんの言う力を人に与える力を持ってるんじゃないかな。灯ちゃん、腕貸してもらえる?」

 

「腕ですか? ってことは刺すんですよね、いいですよ」

 

「はーい。じゃあ……チクッと」

 

 ぷすりと刺されたところから透明に輝く液体が流れ込んでくる。

 白く塗られた白糸さん……陽ちゃんさんの手が気になったので聞いてみる。

 

「その手なんで白く塗っているんですか?」

 

「これ? 少しでもバーテックスに、人間じゃなくってお仲間に見えるかなって思ったから白く塗ってるの。だからほら、白コーデ」

 

「なるほど」

 

「……よし。注射終わり。どう? 体の調子は?」

 

 言われた通りに体を触ってみると、傷が無くなっていた。

 疲労感もかなり取れ、少し眠気も冷めてきた。

 

「これって……!」

 

「この液体は人の傷とか疲れとか空腹とかを全部解決するスーパー栄養剤みたいらしいんだよね。だからアタシたちは今までずっとここで暮らせてたんだ」

 

 ……なんて能力。革命だ。

 今までの私たちの苦労が、この注射器一本ですべて解決されてしまった。そりゃ、こんなところにずっと籠っていても大丈夫なわけだ。だって外に出る必要が無いんだから。

 

 そう言った陽ちゃんさんはその場でくるりと一回転し、注射器を見せびらかすようにしてこう言った。

 

「ようこそ、白糸病院へ。ここはこんな地獄に咲く一輪の奇跡の花みたいな場所だよ」




また新たな神器を生み出してしまった……。
武器が注射器って良いなって思います。


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第49話【あなたと希望を見たいから】

 グーパー、グーパー。あらためて治療された腕を動かしてみる。

 ひねってねじって動かして……何の問題もない。液体が入ってきたことによる違和感もないし普通に動く。

 かすり傷程度だったとはいえ、傷跡もきれいさっぱり無くなっている。注射痕の辺りからは、なにやらうっすらと神聖さすら感じられる。

 絆創膏を貼らなくても、痕から液体が漏れ出てくる心配もなさそう。刺した瞬間に回復しているから大丈夫なんだろうか。

 

「あ。ゆっくりしていって、って言ったけど、別にずっといてもいいからねー。部屋数にはまだ少し余裕あるし」

 

「は、はい……」

 

 まだ驚きがおさまらない。同じ勇者であってもここまで違うのか。戦闘に特化している私と回復に特化している陽ちゃんさん。前衛と後衛で役割分担されているみたいで興味深い。この力を私たちに与えた? 存在は一体何を考えているんだろうか。

 にしても……戦闘に特化、ねえ。自分で言ってなんだが、とてもじゃないが今の私には笑えない話だ。

 

「それじゃ、この注射がすごいって理解してもらえたところで、今度こそ、この2人の治療始めていい?」

 

「はい! お願いします」

 

「はいよー」

 

 なんにせよ、回復能力があるんだったら大歓迎だ。さっきは突然だったから止めちゃったけど、今度は効果もわかったし安心して見ていられる。

 

「それじゃまずはこっちの男の子から……。はーい、プスー……っと。はいオッケー。いやー、この注射器だとアルコール綿で患部を消毒しなくてもなんかきれいになるから便利なんだよねー。そんなに資源があるわけじゃないし助かるんだー」

 

 とてもスムーズな様子で注射を打っていく。その動きは、平和な頃インフルエンザの予防接種をしてくれた看護師さんくらいに手慣れた手際だった。

 

「そんな簡単に……ずいぶん手馴れているんですね」

 

 打たれたマコトは、荒くつらそうな呼吸から少しずつ落ち着いた呼吸へと変化していった。拭いてもすぐに出てきたおでこの汗の出の勢いも落ち着きを取り戻しつつある。

 

「まあ、お父さんの……院長の娘としていつかこの病院を継がなきゃいけないからね。基本的な治療のやり方とかは多少身に付けているつもりだよ。それにこの注射器は他の注射器よりもなんか打ちやすいんだよねー。少なくとも練習キットのやつじゃ比べものにならないくらい」

 

 と話をしながら、続けて明にも同じように注射を打つと、明の真っ赤になっていた顔もわずかな赤みを残して高熱と共に徐々に引いていった。

 

「万能注射器だけど、さすがに一発打って『はい完治』って言えるほど超万能じゃないから、もう何回か打たないと完治ってわけにはいかないんだ。それに過剰に打ち過ぎるのもよくないから、今日の治療はここまで!」

 

「それでもすごいですよ! って、そういえばまだ言ってなかった。二人を助けてくれてありがとうございます」

 

「医者は患者を助けるのが仕事だからね。灯ちゃんは……」

 

「私はさっき診てもらったところくらいなんで大丈夫です。助けてもらった私が言うのもなんですが、無駄遣いしないようにしてくださいね」

 

「それに関しては大丈夫、心配いらないよ。なんかよく分かんないんだけど、どれだけ使ってもすぐ補充されるんだよね。ほら」

 

 見せられたメモリを読んでみれば、たしかに治療の前と今とで値が変わっていないことが読み取れる。薄く発光する透明な液体で注射器の中が満たされていた。

 

「本当だ……」

 

「だから、どれだけ使っても大丈夫なんだよ。すごいでしょ」

 

 ……すごすぎる。私の力は今のバーテックスが蔓延っている世界でしか有用じゃないけど、陽ちゃんさんのはいつのどの世界でだって超強力な力になる。

 生きていくための食料、死なないための回復。それがこんなにも簡単に、そして無尽蔵に行えるなんて、まるで神の所業だ。

 

「……陽ちゃんさんって、勇者って言うより救世主って感じですね」

 

 ふと思ったことをポロッと口にすれば、しかしそれはすぐに否定された。

 

「救世主だなんてそんな、仰々しいよ。アタシはただの中学一年生。それに、それを言ったら灯ちゃんのほうがよっぽど勇者っぽいじゃない。あの白い……バーテックスがたくさんいる外を、二人も抱えてここまで来たんだから。…………少なくとも私には……」

 

「? 陽ちゃんさん?」

 

「……っ、ううん。この話はまた後で! ささ、治療も済んだし、2人はこの部屋で休んでもらって、次はこの病院を案内するよ」

 

「そう、ですね。二人の容態がちょっと心配ですけど……よろしくお願いします」

 

「大丈夫! バーテックスが現れてからの死亡率は…………、あー、この注射器のせいでの死亡率はゼロなんだから」

 

「?」

 

 なにやら含みがあるような言い方に聞こえたけど……。

 

「っよし! それじゃ行こっか。まずはこのフロアから」

 

「は、はい」

 

 いまだ若干の困惑状態な私の手を取って、陽ちゃんさんと私は新しい拠点になりそうな、白糸病院の中を巡ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「んま、と言ってもウチの病院は他の病院よりも少し小さいくらいで、大して物珍しいところはないんだけどね」

 

 と、意気揚々と出発した矢先に、案内はあまり意味がないことを告げられた。

 今は先ほどいた3階から降りてきて、1階にいる。

 

「1階部分は外来で来た人向けに外科内科小児科とか基本的なものが揃ってて。あ、奥の方に行けばレストランもあるよ。……今は営業してないけど」

 

 営業しても食べるものが外から入ってこないからねー、とバーテックスが現れてからの世界ではありふれた閉店理由を教えてもらった。

 

「ここのカレーは特に美味しくって、お昼時にはお客さんでいつも満席だったんだけどねー」

 

「私たちもこの数ヶ月で何回かレトルトのカレーを食べたんですけど、やっぱりお店のカレーとは全然おいしさが違いますよね」

 

「あ~話してたらお腹空いてきたー。……どうしようかな。いつもよりも少し早いけど、お腹も空いたし一発決めちゃおうかな」

 

 そう言うや否や、肩から下げたポシェットから先ほどの注射器を取り出して、自分の腕に注射をし始めた。

 今陽ちゃんさんが打っている液体には、回復効果以外にもお腹を満たす効果があると言っていた。つまり、これが彼女の、と言うかこの場所での──、

 

「──ふぅ。一応これでお腹いっぱいにはなるんだけど、口に入れて歯を動かしたりしてないから食べた感じがしないんだよねー」

 

「ここではこうやって食事を?」

 

「そ。でも手軽にお腹いっぱいになるけど、やっぱりカレーとかハンバーグーとかオムライスーとか、そういうものを食べてお腹いっぱいになりたいって思っちゃうんだよねー」

 

 こんな世界じゃそんな贅沢は言ってられないけどさ、と少し陰りのある苦笑いを浮かべる陽ちゃんさん。

 たしかにすぐに食事がすんでかつ栄養バランスも完璧とくればひどく魅力的だけど、それと引き換えに食の楽しみが無くなってしまうのは考えものだ。

 それを恐らくバーテックスが現れてからの数か月間ずっとやってきた陽ちゃんさんのことを思うと、何とも言えない気持ちになる。

 食事の面だけを考えてみると、私たちは結構恵まれていたのかもしれない。

 いつだったか、デパートで食べたナンのことがふと頭の中をよぎった。

 あれは、とてもおいしく──楽しい食事だった。

 

 1階を見終え、2階へ。電気の止まったエスカレーターを上って移動していく。

 

「2階部分は外来 + 手術室とかがあるフロアになってて。それ以降の3階から一番上の5階までが患者さんが入院する病棟になってるよ」

 

「ということは、他にも生存者が?」

 

「いるよー。見に行く?」

 

「ぜひお願いします!」

 

 やっぱり生存者は他にもいたんだ。陽ちゃんさんの言葉の雰囲気的に良そうな感じはしていたからとても喜ばしい。

 

 エスカレーターに戻り3階へ上っていくと、入院病棟にたどり着いた。

 入り口のプレートには301、302、303……と、書かれていて、その下には数名の名前が記されていた。

 

「ん~じゃあ適当に……、303号室にしようか。こっち」

 

 きょろきょろとフロアを見渡している私の腕を引き、303号室まで連れていかれた。

 

 閉められていた入り口のドアを開けると、その部屋には4つベッドがあり、そのうちの2つに人が寝転がっていた。

 中年の男性と若めの男性。中年の男性は眠っていたが、若い男性の方は私たちの──具体的には見知らぬ人物であろう私のほうを見て驚いた顔をしている。

 

「お邪魔しまーす」

 

「──っと、そうか。もう夕食の時間に……。ええっと、白糸ちゃん? そっちの女の子は……?」

 

「こんばんはーオガタさん。こちら、さっきウチに来た灯ちゃんです」

 

「ええっ、ちょ……。こ、こんばんは……」

 

「あ、どうも……。え? さっき来たって、どういうこと? ……もしかして、助けが来たのか!?」

 

「いえ、灯ちゃんとあと二人が来ただけで……」

 

「っ……まぁ、そうだよな……。悪い、ええっと灯ちゃん?だっけ? ここは良いところだし、ここには白糸ちゃんの魔法もあって安全だからゆっくりしていきなー」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 目に見えて落ち込まれたことにより、若干の申し訳なさが込み上げてくる。

 でも、そりゃそうだ。今まで見てない人物が子供の姿とはいえ急に現れたんだから、助けが来たんだって勘違いされても仕方がない。

 

「あ、夕食はもう少し待っててくださいねー。今、灯ちゃんを案内している途中なんで」

 

「あいよー。じゃそれまで、もう一眠りでもしていようかね……」

 

「ええっ!? 私は後回しでいいですよ」

 

「いいのいいの。向かいのマスダさんはー、今は寝てるから今度でいっか……よし。それじゃ次の部屋行ってみよー」

 

「ええっ……し、失礼しましたー」

 

「んー」

 

 一人先に行ってしまった陽ちゃんさんを追うように病室を後にする。

 人を待たせている、ということが分かった以上あんまりゆっくりはしていられない。テキパキと見て回って、早く夕食の時間にしてもらわなくては。

 

 

 

 その後も同じように、病室に入っては挨拶をして、二言三言会話をしたら次の病室に行く、を繰り返した。

 患者さんは20代から60代くらいまでの人が多く、皆がベッドの上でゴロゴロと生活をしていた。

 けれど入院しているのにも関わらず、具合の悪そうな人や怪我をしている人は誰もいなかった。皆が皆健康体で、活力に満ち溢れているような様子だった。

 十中八九あの注射の影響だろう。あの回復力の注射を毎日受けていたら、そりゃどんな怪我でも治るに違いない。

 

 3階と4階が終わり、5階の挨拶回りをしていると、前から6.70代ほどの女性が話しかけてきた。

 

「あーいたいた、やっと見つけた。陽ちゃん探したわよ」

 

「マキノさん。どうしたんですー?」

 

「この前お薦めしてくれた本を読み終えちゃってね。次の本が読みたいなぁと思って」

 

「分かりました。それなら後で持っていきますねー」

 

「お願いねぇ。それと……」

 

 と言いながら私の方を一瞥し、

 

「隣の子、もしかして院長先生が連れてきた子? やっと帰ってきたの?」

 

「あー、違います。彼女はまた別でして……」

 

「あらそうなの? ごめんなさいねぇ。えっと、隣の……」

 

「岩波灯です」

 

「岩波さん。陽ちゃんのことよろしくねぇ。この子、院長先生がいなくなってから塞ぎ込んじゃってて心配で心配で……」

 

 いなくなった? 院長先生って陽ちゃんさんのお父さんのことだよね? 

 ってことは……。

 言葉にされなくても、これまでの経験則的に大体の内容が察せてしまった。

 

「っ、マキノさんいいですってホント、大丈夫ですから」

 

「あらそう? 陽ちゃんがそういうならいいのだけれど。それじゃおばちゃんは帰ろうかしら。本、お願いねぇ〜」

 

「はーい分かりましたー。…………ふぅ」

 

 おそらく自身の病室を帰っていくマキノさんを見送った陽ちゃんさんは、ひとつ大きなため息を吐いた。

 

「あー、もしかしたら気づいてるかもだけど、さ」

 

 頭をかきながら私の方へ体を向け、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「今マキノさんが言ってたように、お父さんここにはいなくってさ。……出ていっちゃったんだよね。

 化け物が現れて三日目だっけかな。最初は大混乱だった病院内もほんの少し落ち着いてきた頃、お父さん『自宅で動けずに助けを待っている人がいるかもしれない』とか言って、医療道具と他のお医者さん数人を連れてここから出ていっちゃったんだ」

 

「外には化け物がいっぱいいて危険だ、やめて、って言っても全然聞いてくれなくて。それから……今日になってもお父さんはまだ帰ってきてないんだ」

 

 さっきまでの元気な陽ちゃんさんはそこになく、その顔からは悲しみの感情がうかがい知れた。

 

「探しに行きたくても私にはお父さんが残した患者さんがいてみんなを助けられるのは私だけだし、なによりあんな人喰いの化け物がいる外になんて怖くて行けるわけがない。

 だから少しでも時間が空いたら窓からお父さんが帰って来ないかを見ていて……そうしていたら灯ちゃんを見かけたんだ」

 

「そう、だったんですね」

 

「お父さんじゃなかったけど、灯ちゃんと出会えてよかったよ。ここにはわたしたちみたいな子供はいないからね。……みんな我慢だけの生活に耐えきれなくなって、……死んじゃったんだ。ひどいよね、ここ病院なのにさ」

 

 そう言いながらチラと注射器に目をやる。

 お腹も減らなく傷も治る……だけど、その先に希望がない。どれだけ生き長らえられても、その先に希望がなくては人は生きていけない。

 私はその希望の重要さを痛いほど知っている。

 だから、

 

「……ってごめんね、急に暗い話して」

 

「……あの、」

 

「ん? どうしたの灯ちゃん」

 

「私と一緒に、あの化け物を倒しませんか?」

 

 ここにいる人たちに、なにより彼女に希望を持ってほしいから。

 気づけば私は彼女に向かって右手を差し出していた。



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第50話【地の底に堕ちた私が、あなたの袖を引いていく】

いつも読んでいただきありがとうございます。
2周年です。おめでとうございますありがとうございます。(自己完結)
周年なのでたまには。評価感想よろしくお願いします。


 もし、私が2人いたら。

 あの時。あの時。あの時。

 もし、私が2人いたら。

 そうしたらどれだけの人を救えていただろうか。

 今一歩届かないこの手を、誰に届けることが出来たんじゃないか。手からこぼれ落ちる命を、すくい取ることが出来たんじゃないか。

 

「私と一緒に、あの化け物を倒しませんか?」

 

 これは、そんな積もりに積もった後悔を少しでも減らすための第一歩。

 一人じゃ無理でも、きっと二人なら。仲間がいるなら、私はまだ戦っていける。

 

 そう思って差し出した手は、

 

「え……無理に、決まってるじゃん…………」

 

 掴まれることは無かった。

 欲しかった握手の代わりに差し出されたのは、私を見る陽ちゃんさんの『無理解』が乗った表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「っ……。ど……どうして、ですか?」

 

 息が詰まる。

 正直、断られることはまったく考えてなかった。

 私たちが戦わなくちゃいけないことくらい、バーテックスとまともに戦える力を持つ者だったらすぐに分かることだ。

 戦わなければ、本当にみんな死んでしまう。

 それなのに。

 

「いや、戦うって……。灯ちゃんまさか知らないの? アイツらバケモノなんだよ?」

 

「いや知ってますって! でも私たちなら戦えるじゃないですか!」

 

「戦えるって……ああ、さっき言ってたやつのこと? たしかにその、なんだっけ。鍬?の刃で切った張ったが出来るんだったら、それはすごいことだけど。でもそんなこと出来ないじゃん」

 

「本当に出来るんですよ! 注射器でみんなを回復できるみたいに、私はバーテックスを倒す力が!」

 

 まさかそこの段階から疑われているなんて。

 デパートのときみたいにまた実演したら分かってくれるだろうか。

 

「……ここで話すのもなんだし、ちょっと移動しよっか」

 

 口元に一本指を立てながら告げられたセリフにハッとする。

 そういえば、ここは病院だった。

 

「すみません、興奮しちゃいました」

 

 熱くなった思考がすーっと緩やかに、けれど確かに落ち着きを取り戻していく。

 落ち着かなければ何事もうまくいかない。ここが正念場なんだ、しっかりしろ。

 

「次から気を付けてね。それじゃあ……うん。来た道戻ることになるけど、レストランで座りながら話そっか」

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「……仮に」

 

「……はい」

 

 場所は変わってレストラン。誰もいないし誰も来ない(来ても何もない)この場所は、わざわざ連れてくるだけあって話し合いの場に適している。

 その一席に座り、陽ちゃんさんは落ち着いた様子で話し始めた。

 

「仮にもし灯ちゃんがそんなことが出来るとして。そして病室で話したことが本当だったとして」

 

「はい」

 

「まず、アタシにはその、灯ちゃんの言うようなスーパーパワーはこれっぽっちも感じないんだよね」

 

「でもそれは注射器に力が移ったってことになったじゃないですか」

 

「うん。でもということは、戦うにしても私はこの体一つで戦わなくちゃいけないんだよ」

 

「あっ……」

 

 ……そう、か。

 完全に忘れていた。そっか、陽ちゃんさんは強くないのか。

 つい、私が二人いる、って考えてたから気にしていなかった。

 

「二つ目。アタシはあのバーテックスたちの一体一体に区別がつかないから分かんないけど、アイツら何体いると思う?」

 

「ええっと……た、たくさん、ですかね……」

 

「うん、アタシもそう思う。少なくとも一向に助けが来ないあたり、ここら辺だけにバーテックスがいるってわけじゃないと思うの」

 

「そう、ですね。とりあえず埼玉の方にもたくさんいました」

 

 初日に山の上で見た、バーテックスが空から降ってくる光景が脳裏をよぎる。続けて川、山中、街。どこに行ってもバーテックスは姿を現してきた。

 

「仮に日本中にいるとするでしょ? それを私たち二人だけで倒し切るなんて、流石に現実的じゃないかなって思うんだよね」

 

「そう、ですね。でも、今回私がここに来たじゃないですか。それと同じようにまた力を持った人と会え、る……かのうせい、だって」

 

 自分の意見の荒唐無稽さに、最後まで言い切ることさえも出来ない。

 そりゃ私だって信じてきた。信じてきたからここまでやってくることが出来た。

 どこにいるかもわからない同じ力を持つ人。逆に今回会うことが出来たことが奇跡なんだ。

 

「うん確かにその可能性もある。けど、ごめんね。灯ちゃんは探しに行きたいかもしれないけど、アタシはここを動くつもりはないし、もし死ぬときはここで死ぬってもう決めてるから」

 

 非現実的な可能性にも目をやり、そのうえで話し合ってくれる。

 それに比べて私は、ただの勢い任せの考えなしで、彼女を説得できるだけの言葉がない。

 

「ここはお父さんの病院だから。小さい頃から何度も遊びに来ては、病院内は静かにしろ、って看護師さんに怒られて。患者さんの病室に勝手に入って遊びに行ったこともたっくさんある。すぐに見つかって怒られたけどね」

 

 懐かしそうに愛しそうに、思い出の日々が口から紡がれていく。

 

「今ここにいる患者さんだって、ほとんどが見知ったお父さんの患者さんだから。娘のアタシが最後まで一緒にいなきゃいけないし一緒にいたい」

 

「……」

 

「だから私が戦って、もし死んじゃうようなことにはなりたくないんだ。ごめんね……」

 

 返す言葉が見つからない。

 陽ちゃんさんなりに真剣に考えて出してくれた結論。頭ごなしに無理というのではなく、しっかりとした理由も携えての解答。

 どうすることもできない。

 ただひたすらに陽ちゃんさんは正しいことを言っている。体は強化されていない、敵の数も正体も不明で無数、そして守らなければいけないものもある。

 こんな彼女を戦場に出す理由を、出さなければいけない理由を私は思いつくことが、………………。

 

 

 

 あ。

 

 あ、あ。……あ。

 

 ……っあぁ。思いついてしまった。

 なんともまぁ悪質で悪辣で、人の心がないようなアイデアか。そこら辺の犯罪者よりもよっぽど腐った考えだ。

 本当に自分が嫌になる。

 

 ……そういえば、私はすでに人を見殺しにしているんだった。

 ならもう、戻れない。

 

「………………じ、じゃあ」

 

「うん?」

 

 これから彼女に非情なことを告げる。

 

「じゃあ、お父さんを見殺しにするんですか?」

 

 どうか、どうか許してください。

 

「言ってましたよね、お父さんまだ見つかってないって。まだ生きてるかもしれないじゃないですか。私たちの助けを待ってるかもしれないじゃないですか。

 それなのに……探しに行かないってことですか?」

 

「そ、そういうわけ、じゃ……」

 

 みるみるうちに青ざめていく。ああ、そんな震えた声を出さないで。

 

「それに! ずっとここにいてもすぐアイツらはやってきます。デパートのみんなもそうだった、お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも! マコトのお母さんだって!

 ……みんなみんなバーテックスに殺されました」

 

 胸の内側からこみあげてくる黒い熱が、私を突き動かす。

 

「目の前で喰い千切られる胴体。跡形も残らない遺体。助けてと伸ばされた手は掴めない! ……こんな気持ちを陽ちゃんさんには味わってほしくないんですよ…………」

 

 気づけば椅子から立っていて、目からは涙がこぼれ落ちていた。

 涙、感情、人の証。こんなことを陽ちゃんさんに告げてもなお、私の心は私に存在を訴えかけていた。

 

「だから、守りたいものがあるなら一緒に戦ってください。お父さんのことを助けたいなら一緒に戦ってください」

 

 病院の外の世界を知っている私が一番よく分かっている。

 絶対にお父さんは生きていない。

 それが分かっていてなお、私は再び右手を差し出した。

 

「…………」

 

 私だって守らないといけないから。家族みんなから託された、明の命。そしてその家族を奪ったバーテックスに復讐しなくてはならない。

 

「ぅ、だよね…………」

 

 弱弱しいかすれた声が聞こえる。

 

「そう、だよね…………生きてる、よね……」

 

 ふらふらと陽ちゃんさんが立ちあがる。

 

「きっと生きていると思います」

 

「そうだよね。うんそうだよ、お父さん昔から身体だけは丈夫だからきっと大丈夫だよ、うん!」

 

 その元気強いセリフとは裏腹な震える手が差し伸べられる。

 その手をギュッと掴み、震えが治まるよう左手も使って包み込む。

 

「一緒にここで生き延びましょう。そして大切なものをバーテックスから守りましょう」

 

「そうだね、よろしく灯ちゃん」

 

 ここに『勇者』と「勇者」の共同戦線が張られた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 これが私の罪。許されざる大罪。

 私が関わらなければ、彼女は少なくともあんな悲惨な最期を遂げることは無かったのだから。

 

 

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あと数話ほどでタイトル回収話が来そう。
そして恐らく全80話も行かずに完結できそうなので、最後までお付き合いよろしくお願いします。


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独自設定紹介と解説 26話〜50話まで

・バーテックスの進化は邪魔することにより、不完全な進化にできる

……第30話にて登場。

 

 原作ではバーテックス10体以上集まると「角のように硬質化して隆起したもの」に進化したが、本作では6体に減らすことにより「角のように硬質化したもの」と弱体化した。隆起がしなくなった。

 当初から弱体化させる予定だった。理由としては、あの若葉が最初に見た時に無理だ、と思わされたとあり、ど素人の灯では勝負にならないと判断したため弱体化。

 

 作者の原作の読み込みの甘さで、進化に必要なバーテックスの数に違いが出たものの、結果オーライの形となった。

 

 

 

・勇者以外の人が持つと、神器はただの道具になる

……37話にて登場。

 

 唯一頼りになる武器を壊したいがために導入した設定。

 神樹にみそめられた(目をつけられた)少女が神器を持つことで勇者の力を発動できる。

 → 勇者はガソリンで、神器は自動車という考え

  → 動いていない自動車とか、ただの鉄の塊だよなあ

 と、いう思考回路で、勇者が持っていない時の神器の耐久力は並の道具レベルにしました。

 なので、自動車をぶつけても平気な硬さのバーテックスにぶつけた結果、柄が壊れました。

 

 

 

・オリジナル主人公のスコーピオンバーテックス化

……40話にて登場。

 

 この作品を書こうと思ったきっかけ。

 多くのファンから恨まれているスコーピオンを理解するにはどうすればいいかと思い、掘り下げてみた(掘られる予定のない空間を掘っている)。

 また『のわゆ』にて、通常の進化体とスコーピオン以降のバーテックスとの違いである「御霊」がどうやってできたのかの記載がなかった。

 →「切り札」が通用しなくなるくらいの強化ができる「御霊」には必ず何かある。そう思い考えた結果、この作品が生まれた。

 

 スコーピオンと同様に、主人公のことも恨んでほしい。

 

 詳細は、現段階ではまだ投稿していない本編で描写をする予定なので、ここでは簡単に。

 あのスコーピオンの姿は、主人公が考案したデザイン。

 特徴として、

・バーテックスに包まれたことによる、進化体級の硬さ。

・歌野の武器:藤蔓をモチーフにした、しなる強靭な尻尾。

・西暦四国勇者に恨みを持っているため、出来るだけ苦しんでもらうための毒。

・■■■■■■■■■■■■■■■■。

 以上四つの理由から、デザインを蠍に決めた。

 

 当初はこの作品がここまで書き終わるのに時間がかかるとは思っていなかったので、一作品に一バーテックスの素となった勇者について書いていく。十二作のシリーズものにしようかと思っていた。

 ……さすがに無理がある。

 

 

 

・バーテックスは白色が若干認識しにくい

……47話にて登場。

 

 明言してはいないため、読んでいても分かりにくい設定。

 白い体をしているバーテックスがあんなにいたら、白いものとお互いの体の色とでこんがらがるのでは、という淡い期待からこの設定が生まれた。……淡すぎる。

 他の建物と比べて病院があまり壊れていないのも、この設定のおかげ。

 この設定にうっすらと気が付いた白糸陽(陽ちゃんさん)は、白色ではなかった外壁に白色のペンキを塗ったり、自身の肌や服を白一色で統一させたりすることで、今日までなんとかバーテックスの目をかいくぐってきた。

 

 

 

・注射器型の神器

……48話にて登場。

 

 魔改造されてしまった神器その2。これまたどこかの神器を叩いて伸ばして、注射器の針の形にしたもの。あくまで注射針が神器なのであって、注射器が神器なのではない。

 これは通常の神器と比べて特殊な神器。完全に非戦闘用のもの。

 大きさは、通常の注射器と同じか少し大きいくらいのサイズ。

 

 能力は、回復力と生命力を生み出す液を出すことが出来る。

 この液を体内に取り込むことによって、傷は癒え、空腹は無くなり、のども潤うという生き残るために特化したもの。

 もともとの神器を叩いたり延ばしたりされているため、本体の能力に比べて弱体化をしている。

 本来であれば、一口飲むだけで一般人は完全回復。そして勇者には及ばないものの一時的な肉体強化をさせることができ、一般人数人がかりであれば、星屑に勝てはしないがいい勝負ができるほどの力を与えることができた。

 

 7月30日にバーテックスが来たとき、バーテックスを倒すための神器は出てきたが、襲われた一般人に対しての手当てが何もないことに疑問を抱いた。

 回復させる人がいなければ、極論勇者しか生き残ることが出来ない世界が生まれてしまい本末転倒と考え、この神器を設定した。

 

 



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第51話【地獄での地獄のレッスン】

いつも読んでいただきありがとうございます。
前話の「独自設定紹介と解説 26話〜50話まで」で紹介し忘れていた設定を一つ、昨日追加しました。
47話から続いている設定のやつです。明言してなかったものを解説しているので、よかったら見返してみてください。

区切りが良かったので少し短いです。


 

《2015年11月中旬 白糸病院から少し離れた場所》

 

──私は彼女を騙した。

 

 生きているわけもない、とびっきりの幻想をエサにして、私は彼女の協力を求めた。

 協力していく以外私たちに道がないとはいえ、ひどいことをした。

 謝ってももう取り返しはつかない。だって謝るよりもずっと前からもう、取り返しはつかないんだから。

 

 だから。

 せめてもの償いとして、今ある彼女の大切なものを守れるように、私が助けないと。

 今度こそ守るんだ。今度こそ……今度こそ。

 

「と、灯ちゃん……いたよ? 言ってた、野良? ってやつ」

 

「ほかにはいませんか?」

 

「たぶん……いないと思う」

 

「……分かりました。じゃあ今から私がやってみせるんで、ここで見ていてください」

 

「オ、オッケー」

 

 建物の影から少し顔を出していて見れば、陽ちゃんさんの言う通り、一体のバーテックスを確認できた。

 再度私も周囲の確認をするも、ほかのバーテックスは見当たらない。絶好のチャンスだ。

 

「じゃあ行きますよ」

 

 バーテックスは私の存在に気が付くことなく、建物に隠れた私たちの横を通り過ぎていく。

 せっかくの野良だ。仲間を呼ばれるわけにはいかない。

 完全に通り過ぎて行ってから、そっと地面から跳躍し、宙に浮かぶバーテックスの背中に斬りかかる。

 

 サクリ、といつもの手ごたえが元鍬の刃ごしに伝わってくるのと同時に、バーテックスの体はきれいに切断された。

 

「うわあぁ、すごい……。あんなにあっさり……」

 

 着地の時も音を立てずに。静音をなるべく心がけて地面に降り立つ。

 

「それでこれが……へぇ~……」

 

 バーテックスが星状のチリとなって天へと消えていくのを、呆けた様子で眺める陽ちゃんさんのもとへ静かに駆け戻る。

 

「っと、こんな感じです」

 

「なんか……灯ちゃんてすごいんだね! あんなぴょーんって行って一発でザクッって。アタシびっくりしちゃったよ」

 

「これくらいしか私は出来ませんから……って、ここに長くいるとほかのバーテックスがさっきのチリを見てくるかもしれません。話は移動してからで」

 

「そうだった! じゃあちょっとまた、お背中失礼して……」

 

「はいどうぞ」

 

 ここまで来た時と同じように、私の背中に陽ちゃんさんに乗ってもらって白糸病院まで走っていく。

 

 これが、陽ちゃんさん強化トレーニング実践編一日目の様子である。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 陽ちゃんさんと悪魔のような契約を結んでから数日。私は彼女との連携方法について頭を悩ませていた。

 あの脅……話し合いでも出たし、あの後もう一度確認したから確かなことなんだけど、どうやら本当に彼女は自身を強化できないらしい。

 これは彼女が回復特化なだけで普通は身体強化されるのか、彼女は回復特化で私はたまたま身体特化なのか、参考例が2人しかいないから判断はできない。

 

 けどこれはかなり困った問題だ。

 宙を舞うバーテックスと戦うんだったら強化されてないとまず届かない。となると……、

 

「メインで一緒に戦えないなら、やっぱりサポートに回ってもらうしかないよね……」

 

 バーテックスを倒す作業を分担したかったけど、しょうがない。メインは私だ頑張ろう。

 彼女には近くの建物とかに隠れてもらって、私が傷を負ったり疲れたりした時の休憩場所になってもらえれば……、

 

「……そういえば、あの液体って……」

 

 彼女の武器である注射器……の中にあるあの白く輝く液体。人間に使えば超回復アイテムだけど、あれってもしかしてバーテックスに打ち込めば攻撃になるんじゃない?

 

「となると……!」

 

 話は変わってくる。

 飛べないなら叩き落せばいい。

 私一人が一撃で倒さなくても、バーテックスを地面にたたき落としてトドメを刺してもらえばいいんだ。そうすれば強化されていない体でも問題ない。彼女のいる付近に落とせば移動する時間も短縮できる。

 思い描いていた共闘とは少し違うけど、これができたらすごく気が楽になりそうだ。

 バーテックスは集団で襲ってくるから、一体に二撃以上はかけている時間があまりない。つまり一撃で倒し切ることが重要になってくる。

 その点、もし一撃で倒し切れなくてもなんとかなるこの案は、余計な緊張をしなくて済むようになる。これは精神的にすごい助かるお話だ。

 

 メイン攻撃は私。トドメと回復役として陽ちゃんさん。うん、悪くない組み合わせだと思う。

 

「よし! この案で話をしてみよう」

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「……っていうの、どうですか?」

 

 早速提案しようと彼女を探すと、いつものように病室を回っている途中だった。作業中だった彼女を呼び止め、以前も使ったレストランまで来てもらい、先の案を話してみた。

 

「わ、わかった……。頑張ってみるよ」

 

 緊張した様子はありつつも、前回の問題点を改善した案に賛同してくれた。

 

「よしっ。それじゃあ早いうちに練習して……」

 

「でも、さ……」

 

 善は急げじゃないけど、早いに越したことは無い。そう思い立ち上がろうとしたとき、困った顔を向けて呼び止められた。

 

「アタシそのバーテックス? ってやつ遠目からしか見たことないんだよね。いや、人を食べてるのはここから見たことあるからヤバいってのは知ってるんだけど、そんな感じで」

 

「? はい」

 

「その……アイツらのこと全然知らないっていうか……怖いっていうか……。不安で、さ。

 だからまずはバーテックスのこととか教えてほしいんだよね」

 

 ……そうか。考えてみればそうだ。

 戦える力がないんだったら、知ろうとなんて思わない、か。知ったってどうにもならないんだから、知ろうとするなんてただ自分の命を危険にさらすだけの行為だ。特にバーテックス相手では。

 

「もちろんです! そうですよねすみません、頭が回らなくて」

 

「いや、こっちもごめんね。ずっと籠ってばっかだったから、なんの情報も持ってなくって」

 

 申し訳なさそうな顔に申し訳なさを感じる。ここ最近バーテックスのことになると思考が短絡的になりがちだ。戦ったことがないんだから、すぐに戦えるわけもないのに。

 良くない癖だ、気を付けないと。

 

「教えてもらうのだけど、アタシはもう少し仕事が残っているから、それが終わってからでもいい?」

 

「はい! 大丈夫です。それまでうまく説明できるよう考えておきますね」

 

「よろしく灯ちゃん」

 

 レストランから去っていく陽ちゃんさんを見送ってから、自室に戻ってノートに知っていることをまとめてみる。

 まだ二人は目を覚ましていない。陽ちゃんさんが言うには、だいぶ体も元気になってきたからもうすぐ目を覚ますそうだ。

 二人の早い目覚めを祈りながら、授業用のノートの作成に勤しんだ。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 そのあと、何回かに分けて私の知っているバーテックスの全てを陽ちゃんさんに教え込んだ。と言っても私も分からないことだらけだからはっきりとしたことは言えなかったけど、有意義な時間になったと思う。

 そして今日、初の実践となり、冒頭のシーンに戻る。

 

 

「いつもの癖で灯ちゃんにも白くなってもらったけど、実際効果あると思う?」

 

 背負っている背中越しに陽ちゃんさんが話しかけてきた。

 出発前、いつも外出時は体を白くしている、と彼女が言っていたため、今日は私も体を白く塗ってもらった。白い服なんて持っていなかったから病院の白衣を貸してもらい、粉で肌と髪の毛を白くしてもらった。

 

「うーん、でもバーテックスも白いですし、一瞬のカモフラージュくらいにはなるんじゃないですかね。まあ、バーテックスに視力があるかは分からないんですけど」

 

「目っぽいのあるしある気がするんだけどなあ」

 

「まあこんな簡単にできることですから、効果があるかないか分からない以上やらない手はないですよ」

 

 こんな民間療法みたいな策だけど、分からない以上やらずにはいられない。打てる手はすべて打たないと。

 

「今日は見てもらうだけでしたけど、明日からは一緒にやりましょうね」

 

「いやぁ、出来るか不安だけど……早くお父さんを見つけないといけないし、頑張るよ」

 

「……はい、頑張りましょう」

 

 回された腕に力が込められ、そのぶん私の心が締め付けられる。

 明日のレッスンも慎重にやらないと。彼女は初めてなんだから、出来ない前提の行動をとらないと、最悪彼女が死んでしまう。

 これ以上大切な人の死を見てしまったら、この締め付けに耐えられなくなってしまう。

 

 緊張と覚悟を胸に、もう二人の私の大切な人が待つ白糸病院に駆けていった。

 



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第52話【聖水に浮かぶ白き分水嶺】

いつも読んでいただきありがとうございます。
新趣味に手を出したり、人の誕生日プレゼントを作ってたりしたら遅くなりました。
そして学期末ゆえまた次の更新が遅くなりそう……。


 白糸病院に帰還する。

 まだここに来て一週間も経っていない。この場所に慣れていないのか、いまだに外から帰ってきた、という実感が湧いてこない。

 

「……ただいま」

 

 返事はない。

 ここは家ではないと、デパートではないのだと、無言の返答が教えてくる。

 少し寂しい気がして、そしてそれを振り切って中に入る。

 

 階段と化したエスカレーターを上り、二人が寝ている病室に向かう。

 上っている最中、なにやら向こう側から声のような音が聞こえてきた。

 

「──……。──」

 

 病室から聞こえてきている気がする。私たちの病室に尋ねてくるような人は陽ちゃんさんぐらいだし、その彼女は今私の隣にいる。ということは……、

 

「もしかして……」

 

 一応静かにドアをスライドしてみれば、上半身を軽く起こした状態の二人がいた。

 

「あ、ともちゃんだ!」

 

「ん? お、ホントだ。なあ岩波、ここがどこだか……」

 

 陽ちゃんさんが見ているのもお構いなしに、私は二人のもとに駆け寄った。

 

「よかった……二人とも生きてた……」

 

 ベッドの上にいる明を抱き寄せる。ここに来たときは心もとなかった心音も、今は健康なリズムを奏でている。いや、急に抱き着かれてびっくりしたのか、心音が速くなってきた。

 

「死んじゃうかと思ったんだからね……」

 

「ははっ、大げさだなー」

 

「大げさじゃないよ! 二人とも熱が出て意識を失って、何日間も寝ていたんだよ!」

 

「何日も!? は~そりゃあ……」

 

「く、くるしいよ……ともちゃ……」」

 

「あ! ごめんごめん!」

 

 興奮のあまり締めすぎてしまった。

 私がアワアワしていると、遅れて陽ちゃんさんが病室に入ってきた。

 

「灯ちゃんが急に走り出したと思ったら、2人とも起きたんだ。調子はどう?」

 

「あ、すみません置いてっちゃって」

 

「ん? 誰なんだ? この人」

 

「だれー?」

 

「ああ二人とも、この人は……」

 

「白糸陽。この病院の……まあ医者みたいなもんだね、よろしく!」

 

「やっぱ見た感じ通り、病院だったのか……オレは天宮マコト。よろしく」

 

 上半身をさらに起こして握手する二人。

 

「それでこっちの子が……」

 

「あ……えっと」

 

「明、ほら挨拶して」

 

「あ、いわなみ……明です……」

 

「うん、よろしくねー」

 

 明の人見知りスキルが全力発動。それ以上話すこともなく、明は私を呼んで私の陰に隠れてしまった。

 

「すみません、初めて会う人で緊張してるみたいで……」

 

「大丈夫大丈夫、そういうの患者さんで慣れてるから」

 

「なあ、岩波」

 

「ん?」

 

 今度は明に抱き着かれながら、マコトのほうを向く。

 

「えっと、それで結局ここはどこなんだ? オレとしては……ええと、白糸さん? がいるっていうのですごく驚いてるんだけど」

 

「そうだ、そうなんだよ! ここには他にも生きている人がいてね!」

 

「おお! 本当か!?」

 

「それからこちらにいる彼女はなんと、私と同じ力を持ってるんだよ!」

 

「まじか! 寝てる間に色々起こり過ぎだろ……」

 

 ここに来た初日の私のように頭を抱えるマコト。反応は大きくないものの、明も興味を示している。

 

「それじゃ、2人が熱を出して寝ちゃったところから順を追って説明するね。えっと、二人が熱を出して倒れたから私が背負って……」

 

 それから時間をかけて、今に至るまでの奇跡の軌跡を話していった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「……それで、さっきまで私が戦闘の仕方を見せてて、明日本番って感じなんだ」

 

「……は~。なんというか、すごいな」

 

「でしょ」

 

「正直一気に情報が来て、頭が追いついていない」

 

「はは~よろしくね。灯ちゃんのもとで頑張ってまーす」

 

「それでその注射器でオレたちを助けてくれた、と」

 

「そうだよ。この注射器を使えば誰でも……ってそうだ! みんなの回診に行ってこないと。時間は……もうこんな時間!? 話し込んじゃってた。ゴメン三人とも、アタシここで抜けるね」

 

「あ、はーい。行ってらっしゃい」

 

「行ってきまーす!」

 

 広げていた荷物をすぐさま片付けて大急ぎで陽ちゃんさんは部屋を出て行った。けれどドアは静かに閉めたし廊下も走っている音が聞こえてこないところからも、彼女の病院に対する丁寧な姿勢を感じる。

 

「なんか、大変そうな人だな」

 

「うん、今はこの病院は彼女一人で回しているみたいなものだからね」

 

「それで……」

 

 彼女がいなくなってしばらくして、マコトが真剣な顔をして私を見てきた。

 

「彼女……白糸さんは大丈夫なのか?」

 

「……っていうと?」

 

「悪い人じゃないかってこと。デパートにいた人だって全員が善人ってわけじゃなかっただろ? ……仲間だと思っていたら裏切られたこともあったし」

 

 頭をよぎるのは何人かの人……そして、訳の分からなかった男の人と、ペラさん。

 

「……そうだね。でも、彼女はきっと大丈夫。なんかそんな気がするんだ」

 

「気がする……って曖昧な。まあオレは勘が良くないから岩波をあてにするしかないけど」

 

「それに……最悪私の方が戦ったら強いし」

 

「ともちゃんつよいもんねー」

 

「ねー」

 

 人を疑いたくないってのもあるけど、彼女からは悪意みたいなものは感じられない。本当にただ相手のことを気遣う優しい女の子って感じで、私みたいに変に企んでいるような気配がない。

 可能性として、私以上に性悪で気が付かなかっただけってのもあるけど、それはさすがに疑り過ぎな気がする。

 

「うん、だからきっと大丈夫」

 

「わかったわかった。じゃあそれはいいとして、あとは……そうだ。オレはまだ体がだるくて動き回るとかはできないけど、この先どうするんだ?」

 

「彼女と一緒にどうするかってことだよね」

 

「ん」

 

「まず戦い方だけど、やっぱり彼女は回復ができるから、私が先頭に立って戦って、疲れたりケガをしたりしたら後ろにいる彼女に回復してもらうっていう方法を取ろうと思ってる。あとは私の討ち漏らしを処理してもらうつもり」

 

 いくら考えてもこのやり方がベストだ。リスクも少ないし、安心感も高い。

 

「それでこれからなんだけど、今までは防衛戦っていうか、籠城戦って感じだったじゃん?」

 

「まあバーテックスがどこからやってくるか分からないしな。その言い方だと、やりかた変えるのか?」

 

「うん。でさ、マコトは7月30日の夜のこと、覚えてるよね?」

 

「今生きている人で覚えていない人のほうがいないだろ」

 

「じゃあさ、あの日以降でバーテックスが空から降ってくるの見たこと、ある?」

 

「それは……ある? いや、ない……か? うん、ないかもな」

 

「そうなんだよ。としたら、もしかしたらあの日以降バーテックスの数は増えてない、とかないかなって思ってさ」

 

「明もみてなーい」

 

「でしょ。だからしばらくはここで彼女と一緒に戦い続けて、ここら辺のバーテックスをだいぶ倒したかなってなったら少しずつ陣地を広げていくっていう、陣取りゲームの方向でどうって思うんだ」

 

 希望が詰まった理想論ではある。けれど、ないとは言い切れないと思う。有ると無いとの中間点。

 でも……今この方向に切り替えないと、もとの平和を取り戻すっていう大目標は一向に叶わない。

 

「それが合ってるのかは分からないけど……本格的にアイツらをどうにかできるんだったら、良いんじゃないか? 食料面も白糸さんのおかげで気にしなくていいし、ケガも病気もしてもこうして治るし……ってそう考えると白糸さんすごいな!」

 

「本当にすごいよね、あの注射器。この世界の救世主って感じだよね」

 

「ともちゃんだってまけてないよー。ともちゃんは、ゆうしゃだもん!」

 

 ……『勇者』。今の私は明の想像する「勇者」たりえているんだろうか。……いや、たとえ「勇者」ではなく自称勇者な『勇者』であったとしても、そう振る舞わなければ。私はみんなの希望なんだから。

 

「よーし、私は『勇者』。彼女は「救世主」として頑張っていくぞー!」

 

「おー!」

 

「なんか壮大になってきたなー」

 

 仲間である陽ちゃんさんを騙しているという申し訳なさに包まれながら、私たちは頑張る宣言をした。

 

 のちに回診が終わって戻ってきた陽ちゃんさんに、病院では静かに、と怒られてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

《2015年11月中旬 白糸病院から少し離れた場所》

 

 

「それじゃあ、やっていきますよ」

 

 目標の野良バーテックスを捉えながら、手に刃をセットする。

 

「オッケー……」

 

 少し緊張した様子の陽ちゃんさんも、私に倣って自身の武器・注射器を構える。

 今日はバーテックス討伐実践の日。

 昨日同様、周囲の警戒を最大限にして見つけた野良のバーテックスを目前にして、建物の陰で最終確認をする。

 

「私がアイツを叩き落すので、動けなくなっているところをお願いします」

 

「これでブスーッってやればいいんだよね」

 

 こちらに見せてくる注射器の中の液体が、キラリと光った。

 

「はい、それでアイツを倒せるはずです」

 

「よし……や、やってやるぞ……」

 

 今日の実践が成功すれば、バーテックスでも上手くいけば倒せる敵だって分かってもらえる。

 余分な緊張も解けるに違いない。

 

「では、行きます」

 

 建物の陰から飛び出し、明後日の方角を向いているバーテックス目がけて、勢いをつけて飛び跳ねる。

 バーテックスがこちらの動きに気が付くよりも早く、大きく右手を振り上げて、がら空きの白い背中に突き刺した。鉄のように硬い感触とゴムのように柔らかい感触という、矛盾ともいえる不気味な感触が、刃越しに右腕に伝わってくる。

 

 しかし、今回の目的はこのまま断ち切ることではない。

 ほんのわずかに力を緩め、振りかぶった時の遠心力を使って陽ちゃんさんのいるところの近くへと振り落とした。

 飛ばされたバーテックスは抵抗できるわけもなく、数回転したのちに地面へと落下していった。

 そのデカい体躯に見合う衝撃が地面に激突し、数本の亀裂が入った。

 

 手ごたえあり、力加減も切断一歩手前で完璧だ。

 

「今です!」

 

 私が声をかけるのと同時に、隠れていた陽ちゃんさんが飛び出した。落ちてきた衝撃にもひるむことなく直進してくる。

 構えは不格好。両手で注射器を握り、腕を伸ばした状態でバーテックスへと突っ込んでいく無防備な姿は、戦闘慣れしている私にとってはハラハラものだった。

 

「やああああああ!!」

 

 ブスッ。

 気合の入った声と共に刺さった注射器の針は、予想どおりバーテックスの硬い皮膚を貫通した。

 けれど、これは注射器。刀や鎌と違って、もうひと手順踏まなければならない。

 

「続けてー-こう!」

 

 注射器の押し子の部分を押し、中の透明な液体をバーテックスに打ち込む。

 と、次の瞬間。バーテックスは一瞬身体を膨張させた後、風船が割れるように内側から弾け飛んだ。

 

「うわっ!」

「よしっ!」

 

 弾けたバーテックスは、そのまま白い光となって空へと消えていった。

 思わず空中でガッツポーズをとってしまう。

 弾けると思っていなかった彼女は、驚いて尻もちをついてしまっていた。

 

「やった……。これで、この力でお父さんを……」

 

 地面に降りた私は「やりましたね!」と声をかけたいところを我慢して、周囲の警戒に当たった。経験から、良い時ほどその良いものよりも一回り大きな良くないものが来ることは分かっている。

 しばらくキョロキョロするも異常なし。どうやら今日のところは杞憂で終わった……いや、なにか嫌な感じがする。けど、そこまで強い嫌な感じじゃない。

 

「近くにもう一匹くらい野良バーテックスがいるかも。探しに行きましょう」

 

「オッケー。一回やってだいぶやり方分かったし、次も任せてよ」

 

「わかりました」

 

 動きながら周囲を捜索していると、やはり一匹野良バーテックスが徘徊していた。普段はあまりお目にかかれない野良バーテックスが一日に二匹も。練習したいときに現れてくれるなんて、なんて”幸運”なんだ。

 

「それじゃ、さっき見たいに行きますよ」

 

「了解!」

 

 再び浮遊しているバーテックスめがけて跳躍。

 倒し切らないように、それでいて致命傷であるように。中途半端に振りかぶって、その白い胴体に鍬を振り下ろす。

 ザクッと鍬が刺し込まれる音が……ん? ちょっとさっきより切込みが浅いかも? 手加減しすぎたかも!?

 

「うぅりゃ! すみません! もしかしたら浅かったかもです!」

 

「大丈夫! 頑張ってみる!」

 

 さっきと同様に下にたたき落とし、そのもとに陽ちゃんさんが向かっていく。致命傷とはいかなかったものの大ダメージではあるから、すぐさま攻撃はされないと思うけど……。

 不安に包まれる中、注射器がバーテックスに突き刺さった。後は中の液体を注入すれば……。

 

「よし! これで押し込めば……うわぁ!」

 

「陽ちゃんさん!」

 

 一瞬バーテックスが陽ちゃんさんに牙を剝き、襲いかかろうとした。すぐさま駆け付けようにも、空中で身動きが取れない。

 やってしまった。

 そう思ったのもつかの間、バーテックスの体が膨張しはじけ飛んだ。

 

「あっぶな~! もう少しで食べられてた……。セーフ!」

 

「大丈夫ですか!?」

 

 待ち遠しい自由落下の時間を終え、彼女のもとへ駆け寄る。自身の手を心臓にあててびっくりしているものの、齧られたりしてはなさそうだ。

 

「すみません! 危険な目に遭わせてしまって」

 

「いや~怖かったけど、これくらい経験しておかないと。灯ちゃんは普段見ている景色なんだし。襲われる恐怖も経験できてよかったよ」

 

 私のやらかしをフォローするとともに経験値になったと言ってくれた。

 注射器の注入が間に合って本当によかった。そう思い彼女の手にある注射器を見てみると、さっきまでと様子が変わっていた。

 

「それ、なんです? その白いの」

 

「ん? あ、本当だ。あー多分打ち込んだ時にグワーッってされたもんだから、びっくりして押し子の部分を間違えて引いちゃったんだろうね。ほら、きっとこれバーテックスの一部だよ」

 

「ええっ!?」

 

 見ると確かに、バーテックス色をした小さいものが浮かんでいた。

 

「それ、大丈夫なんですか?」

 

「他のところに入ったんなら大変だけど、この液体の中なんだし大丈夫でしょ。だってこの液体を打ち込んでアイツら倒してるんだよ?」

 

「ま、まあそうです、ね」

 

「液体の中にいるんだから、時間が経ったら溶けて消えるでしょ。他の注射器に変えることもできないんだし、このくらいの大きさなら打ち込むのにも影響しないし、ね」

 

「まあ問題なく出るんだったら大丈夫、ですかね?」

 

「そうそう、気にしすぎだって。それより、アタシが戦えるようになったってことの方が重要でしょ」

 

 少し不安は残るけど、彼女の言う通り気にし過ぎなのかもしれない。バーテックスを中に入れたって、その中にある液体を使ってバーテックスを倒しているんだから心配ないか。

 

「そうですね。早く帰って今日の成果をみんなに知らせましょう」

 

「うんうん、そうしようー!」

 

 ひと悶着ありつつも、無事私たちの戦闘訓練は終わることができた。当初の目的である、陽ちゃんさんを戦えるようにすることもできた。

 やけに元気な陽ちゃんさんとともに、帰るべき病院へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 これまでも致命的な選択肢は何度もあった。

 それでもこの日のこの私の選択。ここが”分岐点”だった。

 ここから先は始まりだ。終わった世界での旅が終わって、世界を終わらせる旅が始まる。

 

 この日、私はまた間違えた。

 

 

 

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ここから、この作品の起承転結の「転」に入ります。


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第53話【濁りが足に絡みつく】

いつも読んでいただきありがとうございます。
 
ここから灯は下へ下へと転げ落ちます。
今回は白糸陽視点からスタートしていきます。ちょい短めです。


《2015年11月下旬 白糸病院》

 

〈白糸陽 視点〉

 

 

──最初に異変に気が付いたのは、患者と一番触れ合っているアタシだった。

 

「んー? なんだか最近みんなの治りが悪いような……?」

 

 手に持つ注射器を手慰みに回しながら、ここ最近になって回復が悪くなった患者さんたちのことを思う。

 

 きっかけは患者の咳だ。

 その人はもともと喘息持ちで、肺炎のような症状を発症したためバーテックス襲来の日よりも少し前に、この白糸病院に入院してきた。

 そしてあの日、この奇跡の注射器をゲットしたあの日から、限られた薬での治療をやめて注射器での治療をするようになった。

 この注射器の効果のおかげで日に日に調子も改善していき、つい最近まで完治に近い状態まで回復していた。……回復していたはずだった。

 

「ごほっ……! あー、なんだか最近ちょっと喉の調子が良くないんだよなぁ。もう冬の季節だからかねぇ」

 

 病室に入ると、ちょうど件の患者さんが咳をしていた。

 

「失礼しまーす。ホント最近寒いですよねー乾燥もしちゃいますし。加湿器とかあればいいんですけど……アタシ作の手作りペットボトル加湿器で我慢してください」

 

「んまー陽ちゃんの頼みじゃあ、おじさん断れねぇなぁ」

 

「ははっありがとうございます」

 

 たしかに冬で空気が乾燥してはいる。十一月ももう終わりを告げようとしている、冬の時期。喘息持ちの人にとっては大変な季節ではある。

 けれど、たぶんこれが原因ではない気がする。

 

「それじゃ早速、お昼の分の注射していきますよー。腕出してくださーい」

 

 そう言って私が取り出すのは、いつもの奇跡の注射器。透明で少し輝いていて、大抵の症状や傷なら治すことのできる奇跡の注射だ。

 ……けれど、今この液体は薄くはあるけれど、白く濁ってしまっている。

 

 この濁りが始まったきっかけははっきり分かっている。

 あの日、初めてバーテックスを倒すことができたあの日。転んでしまい間違ってバーテックスの破片を注射器の中に入れてしまったあの日。

 あの日から液体が濁り始めてしまった。

 

「今日はいつもよりも少し多く注射しておきますから、我慢してくださいね」

 

 濁った液体は以前よりも治癒能力が低くなっていて、ちょっと見た目も悪い。

 灯ちゃんは、中の液体は聖水のようなものだから時間が経てば消えるって言ってたけど、数日経っても全然消える気配もないし小さくもなっていない。灯ちゃんの言うことを疑っている訳じゃないけど、どうなっているんだろう?

 しかもちゃんと計ってないから違うかもだけど、たぶんこの濁りは日に日に濃くなっている気もする。

 濁りが進むたびに液体の治癒能力も落ちていっている気もするし、もしこのまま濁り切ってしまったらどうなるんだろう?

 

「はい終わりましたよー。それじゃあまた来ますね」

 

 ゆっくり丁寧に腕から注射器を抜く。今日注射したのは以前の1.3倍の量になっている。

 効き目が薄くなってきているぶん多めに注射しないと効き目が悪くなってしまう。オーバードーズにならないかが心配だけどどうなんだろう? 奇跡の注射器とはいえ不安がないと言えば嘘になるけど、前例もないものだし緊急事態だから仕方がないと割り切ろう。

 最悪オーバードーズになって依存症状になったとしても、ここは病院で院長はお父さんだ。きっと治療の解決方法を見つけ出してくれるはず。

 

 何より一番重要なことは、ここにいる患者さんたちをお父さんを見つけて帰ってくるまで無事に生き延びさせること。

 アタシは今、お父さんから患者さんを預かっている。お父さんの娘として、この病院の院長の娘として、一度預かった命には責任を持たなければならない。

 アタシがみんなを守っていかなくちゃ。

 

「そのためには……と」

 

 周囲を振り返り、誰も見ている人がいないことを確認してから、自分の左腕に注射針を刺す。

 

「今灯ちゃんも来て調子もいいんだし、アタシが倒れるわけにはいかないから、ね」

 

 そう一人ごちながら、さっきの患者さんに注射した倍の量を自分に注射していく。

 別に特段体調が悪いわけでもけがをしている訳でもない。けれど、ここ最近は灯ちゃんが来てバーテックスのことを教えてもらったり、戦い方まで教えてもらったりと、自分からは何も行動してこなかったアタシの4か月間と比べると激動の日々だった。

 肉体的にも疲労は溜まっているし、きっと精神的にも疲れているに違いない。もともと運動はあまり得意ではないアタシにとっては、いつ倒れてしまってもおかしくない状況にある。

 

 だからこれは、その予防接種のようなものだ。気絶に対する予防接種。

 注射器の取り扱いを知っているのも、この注射器の力を使えるのもアタシしかいない。アタシが倒れたらみんな餓死してしまう。お父さんから預かっている命が台無しになってしまう。

 それだけは避けなければいけない。

 

「それに、一応のオーバードーズの影響もチェックできるし」

 

 試せることは試して、出来ることは無理をしてでもやっていこう。

 

 昼食という名の過剰な接種を終えて、アタシは次の患者さんが待つ病室まで歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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《2015年11月下旬 白糸病院》

 

〈岩波灯 視点〉

 

 

 最近、ほぼ治りかかっていた二人の容態が芳しくないような、そんな感じがする。

 

『なんかちょっと、体がダルい……かも?』

 

『きっと、ずっと身体も動かさずに病院のベッドの上にいるから体が鈍ってるんだろ。走り回ろうにも病院内は走っちゃいけないしな』

 

『そうなのかな~』

 

『オレも全然動いてないからなー。体が重いぜ……』

 

 なんてことをついこの間まで話していたと思ったら、

 

「あー、オレ37.1度……最近体がだるいと思っていたら、また風邪か……?」

 

「明は37.2度になってる。……風邪なのかな? 何でだろう、毎回注射してもらっているのに」

 

 マコトと明が発熱をした。微熱だけど、ずっと体がだるいと言ってきてのコレだから少し心配になる。

 

「ようやく動けるようになってきたと思ったらこれかよ……」

 

「なんか体がぽかぽかするよ~」

 

「明も熱あるんだから暴れない! とりあえず二人とも安静にして寝ててね。解熱剤と、あとマスクがあるかどうか聞いてくるから」

 

「おー、妹は俺が見ておくから頼むわ」

 

「よろしく!」

 

 病室を出て、どこにいるか分からないけど陽ちゃんさんを探しに行く。

 

 にしても、本当に何でだろう。毎食注射を……というか、いまや毎食が注射になっているんだけど、なんにしても毎回あの回復薬を打ってもらっているのに発熱なんて……。

 あの回復力を知っているからこそ、この発熱の症状に違和感を抱いてしまう。

 もしかして、あの注射でも対処できないほどの変なウイルスでも取り込んでしまったんだろうか……。

 

「とりあえず私も罹ったら大変だし……って私、この体質的に病気に罹るのかな?」

 

 明に言わせれば『勇者体質』。おそらくバーテックスと戦えるように神様かなんだかが変えてくれた私の体質。

 もうこの体質にも慣れてきて、かなり前から睡眠を必要としていない。きっと眠っている間に襲われることを心配した神様からの配慮なんだろう。実際のところ、寝ようと思えば寝ることは出来るけど、実際に寝ているときに取り返しのつかないことがあったから、それが怖くてもう簡単には寝ることが出来ない体になってしまった。

 

 この体質を考えれば、ウイルスなんていう身体的に悪影響の塊は受けつけないんじゃないか?

 ……なんて考えたけど、同じ「勇者」である彼女の薬が効かない今、この体質が発揮されるかどうかもちょっと怪しい。

 やっぱり人間、慢心せずにきちんと風邪対策をしよう。

 

「……あっ、陽ちゃんさん!」

 

「ん?」

 

 などと考え事をしていたら、ちょうど前から歩いてきた彼女と出会えた。

 

「どうしたの灯ちゃん?」

 

「この病院、解熱剤とかありますか?」

 

「そりゃ病院だからあるけど……もしかして、誰か熱あるの?」

 

「ちょっと前からマコトと明がだるいって言ってたじゃないですか。それでさっき熱を測ったら微熱があって」

 

「そう……」

 

「……?」

 

 あまり反応が良くないけど、どうしたんだろう。

 

「どうしたんです?」

 

「えっと、ね……」

 

「はい」

 

「ん~うん。これを見てくれる?」

 

 と言って突き出されたのは、いつもの注射器だった。

 

「って注射器じゃないですか。これが……あれ?」

 

「そう。なんか最近、正確に言うとアタシがバーテックスを初めて倒したあの日、ちょっと注射器の中に入れちゃったじゃない? それからちょっとずつなんだけど、液体が白く濁ってきてるんだよね」

 

「あっ本当だ。たしかに前見たときよりちょっとだけど白くなってますね。……って、あれ? これって……」

 

 一瞬言葉が詰まった。

 液体が白くなっていることもびっくりだけど、そんなことよりもこれは……、

 

「気づいた? なんかこのバーテックスの肉片、大きくなってる気がするんだけど?」

 



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