とある魔術の叛逆者 (オキシドール大魔神)
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不幸 hard_luck.

 上条詩菜(かみじょうしいな)のお腹に、新たな命が一つ宿った。その事実に詩菜はもちろん、夫である上条刀夜(かみじょうとうや)もたいそう喜んだ。

 順調に出産予定日を迎えたが、一つのトラブルが発生した。

 生まれた赤ちゃんが、泣かなかった。赤ちゃんは泣くことで肺呼吸を始めるため、泣かないということは呼吸をしていないことを意味している。

 もっとも、産婦人科医らにとっては、この手のトラブルは頻繁ではないにせよ珍しくもない。

 冷静かつ迅速な対応の結果、赤ちゃんは数時間後には無事に詩菜の腕に抱かれた。トラブルはあったにせよ、無事に赤ちゃんを抱くことができた夫婦は幸せの絶頂だった。

 ……しかし、その幸せは長くは続かなかった。

 赤ちゃん――当麻(とうま)と名付けられた――は、生後からわずか三ヶ月で病気を患った。

 もっとも、病気を患ったこと自体は不運だとしても、これも別段珍しいケースではない。

 本当の悲劇の始まりは、その後だった。

 当麻は、医療ミスにより意識不明の重体に陥った。何とか生き延びて退院するころには、生後から換算して一年と二ヶ月も後のことだった。

 最初の誕生日を病院で迎えた当麻の不運は、退院後も続いた。

 詩菜が当麻を乗せたベビーカーを押して街を歩けば、上から鉄骨が降ってきた。

 刀夜が運転する車で買い物に行けば、車上荒らしに遭い、後ろから衝突された。

 一家でピクニックに行けば、通り魔に襲われた。

 その都度、軽い入退院を繰り返した。

 外出すると災いが降りかかると判断した夫婦は、息子を連れての外出は極力控えた。

 それでも、理不尽は止まらなかった。

 二歳になった当麻は、母乳と離乳食からシフトして幼児食を食べるようになった。詩菜手作りの幼児食を食べて、当麻は倒れた。幼児食に使われた食材の一つに劇薬が混入されていたためだった。

 当麻は二ヶ月ほどの入院を強いられ、詩菜は病院に泊まり込んだ。

 それは不幸中の幸いだったかもしれない。なぜなら、隣人の煙草の不始末による火事で住んでいた賃貸マンションの一室が燃えたからだ。

 刀夜は仕事で、当然ながら当麻と詩菜は病院に居たため無事だった。

 もしも当麻が入院していなかったら、当麻と詩菜は火事に巻き込まれていたかもしれない。そんな風に、夫婦はポジティブに考えるよう努めた。

 やがて、当麻は無事に退院した。

 刀夜は、妻と息子を迎えるため新たな借家を借りていたが、そこでも悲劇は起きた。

 刀夜が仕事中の上条家に、窓を割って不審者が侵入した。

 まず、息子を守ろうとした詩菜が、しかし何もできずにロープで縛られた。不審者はその後、怯えて動けなくなっていた当麻を捕まえて暴力を浴びせた。顔面の原形が分からなくなるほど、当麻はボコボコにされた。

 口をガムテープで塞がれた詩菜は、一部始終を泣きながら見ることしかできなかった。

 不審者の凶行は、それで終わらなかった。

 詩菜を、強姦(レイプ)した。

 その間に、窓の割れた音を不審に思った近隣住民の通報でやってきた警察により不審者は現行犯逮捕されたが、詩菜の局部からは白い液体が垂れ出ていた。

 悲劇は完了してしまっていた。

 当麻は入院、妊娠まではしなかった詩菜もメンタルクリニックに通う羽目になった。

 それだけの悲劇があっても、詩菜も当麻も何とか壊れなかった。何とか踏ん張った。

 心配になった刀夜は、もう一度オートロックがあるマンションに住もうと考えた。

 宅配などの業者を装うなどオートロックでも一〇〇パーセント安全なわけではないが、ただの無防備な借家とオートロックがあるマンションを天秤にかければ、安全なのは当然後者だ。

 そもそも、一〇〇パーセントの安全などこの世の中には存在しないし、『たられば』を言い出せばきりがない。

 安全度、実際に守り切れるかどうかはともかく、刀夜はできることなら家族と四六時中一緒にいて『守れる状況』にいたかった。

 だが、働かないとお金がない。お金がないと、生活できない。

 守る守らない以前の問題。結局、刀夜は働くことしかできなかった。

 そうして刀夜は、出張先の海外でテロ事件に巻き込まれ死亡した。

 その訃報は、詩菜と当麻にとって今までのどの不幸よりも堪えた。

 それでも、詩菜は折れなかった。

 幼い当麻の心のダメージは計り知れない。ここで自分が折れれば、おそらく当麻も壊れてしまう。そう思ったから、詩菜は踏ん張った。その母親を見て、当麻も踏ん張れた。

 そんな母子を、一笑に付すように、嘲笑うかのように、不幸は止まらなかった。

 当麻に降りかかった理不尽の数々が近所で広まり、当麻は疫病神のレッテルを貼られた。

 近所の人間達は当麻を蔑み、陰湿な暴力を振るって排除しようとした。

 たとえば、当麻に向かって自動車が突っ込んできたら、周囲にいる人物は否応なく巻き込まれる。

 巻き込まれた側はたまったものではないだろうが、当麻に過失があるわけでもない。

 巻き込まれたくないのなら関わらなければいいだけなのに、人間達は関わらないのではなく、積極的に排除する動きを見せた。

 両親以外で当麻と普通に接してくれたのは、従妹の竜神乙姫(たつがみおとひめ)だけだった。彼女だけは、理不尽に巻き込まれようと『だって、おにーちゃんのせいじゃないじゃん』と当然のことを言って、当麻に懐き続けた。

 しかし、彼女の両親がそれを認めなかった。無理矢理二人を引き離し、会わせないようにした。

 母親以外のたった一人の味方を失った当麻は、さらに意気消沈した。詩菜もさすがに限界を迎え、体調を崩して入院した。

 詩菜が横たわっているベッドの側で、当麻はふと呟いた。

 

「ぼく、めいわくだよね。死んだほうがいい?」

 

 その瞬間。

 息子にこんなことを言わせてしまったのがあまりにも情けなくて、詩菜は涙を流した。

 

「……ごめんなさいっ。……本当にごめんなさい……っ!迷惑なんかじゃないっ。私は、当麻さんが大好きなの……っ」

 

 詩菜は息子を抱きしめて、謝った。

 そして、心の中で誓った。

 理不尽なんかには絶対に負けない。屈しはしない。

 母子の絆は、逆に深まったのかもしれなかった。

 

2

 

 しかし、ついに決定的な出来事が起こった。

 ある日、学園都市から『上条当麻の不運について調べたい』という旨の文書が届いた。

 学園都市とは、東京西部を一気に開発して作り出された街。

 『記憶術』や『暗記術』という名目で超能力研究、即ち『脳の開発』を行っている上、あらゆる科学技術が最先端。それがどれほどのものかと言えば、『外』より数十年ほど文明が進んでいるレベル。

 そんな学園都市で調査すれば何か分かるかもしれない。

 もちろん、当麻を研究材料の一環として見ているだけの可能性は高い。

 だから、本音を言えば預けたくない。できれば己の手で守りたい。

 しかし実際問題、現状では当麻を十分に守れているとは言い難い。命だけは何とか繋ぎ止めているだけだ。本当は、藁にも縋らなければいけない。

 悩んだ末、詩菜は当麻を学園都市に預けることにした。車が故障していたので、学園都市近く行きのバスで当麻を連れて行った。

 その道中、バスジャックが起きた。

 拳銃を持つバスジャック犯はバス内を徘徊し、詩菜らの目の前で止まった。

 

「そのガキ、気に入らねぇな」

 

 一人ぐらい殺しても問題ねぇか、とバスジャック犯は銃口を当麻に突き付けた。

 気に入らないからとりあえず殺す。

 今までのどの理不尽よりも、理不尽だった。

 

「当麻さんっ!」

 

 詩菜は当麻を庇うように両手を広げて立って、直後に銃声が響いて、倒れた。

 その直後、その隙をついた勇敢な若者がバスジャック犯を取り押さえて、凶行はそこで終わった。

 だけど、当麻にとっては、やっぱり手遅れで。

 倒れた詩菜から広がる血だまりを見て、当麻は発狂した。

 

「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 当麻はバス内を震わせるような慟哭をあげて、やがて気絶した。

 

3

 

 上条当麻が目を覚ましてから最初に視界に入ったのは、病院の個室の天井だった。

 

「ん、どうやら目を覚ましたようだね」

 

 穏やかな声は横合いから。

 上条は首だけを向ける。

 そこに居たのは、カエルのような顔をした白衣を着ているおじいさんだった。

 上条は、バスでの出来事をゆっくりと思い出して、質問した。

 

「おかあさんは?」

 

「……すまない。僕の未熟な腕では、死者を蘇らせることはできないんだ」

 

 医者は渋い顔で謝罪した。

 

「おかあさんは死んだの?」

 

 医者は無言で、首を縦に振った。

 

「……じゃあ、ぼくも殺して」

 

 病院に上条と彼の母親が搬送されてきた時、母親は既に息を引き取っていた。

 肉体的には無傷の上条をひとまず引き取り、その際、これまで上条が受けてきた理不尽を知った。その境遇から、彼の気持ちと言いたいことは推測できる。

 その上で医者は、はっきりとした口調で答えた。

 

「それは、できない。僕には、絶対にできない。なぜなら、僕は医者だからだ。人を助けたいから医者になった。その対極の行為にある殺人など、僕には死んでもできない」

 

 上条はまっすぐと、しかし感情が死んでいる瞳で医者を見つめながら、

 

「ぼくは、生きていたってみんなにめいわくをかけるだけなんだ。だから、殺してよ。()()()()()()よ」

 

 医者の推測した通りの発言だった。推測した通りだったのが、とても悲しかった。

 年端もいかないどころではない、生まれてからわずか五年の子供が『生きているだけで迷惑がかかるから殺してほしい』なんて考えを思い浮かべられてしまうのが悲しかった。

 上条当麻にとっては、生きていること自体がこの上なく辛いのかもしれない。

 だけど。

 

「何と言われようと、僕にはできない。『死』は救いではない。少なくとも僕はそう考えている」

 

「……」

 

 上条当麻は無言になった。

 視線を下げて、ただ暗く深く、意気消沈していった。

 医者はその様子を見て、かける言葉が見つからなかった。医者にできるのは自殺の防止くらいだった。

 

 

 

 上条当麻をどう立ち直らせるか。

 悩んでいる医者の下へ、一本の電話があった。

 

4

 

「こんばんは」

 

 消灯後、ベッド上の上条の目の前に『人間』が投影された。膝まで届く長い銀髪に緑の手術衣を着ている『人間』の投影は逆さまだった。逆さまなのに、長い銀髪は床に向かって落ちておらず、水中にいる時のように揺蕩っていた。

 目の前の不可思議な光景に、絶望に満たされて思考もままならない上条は特別な反応はしない。

 もっとも、思考を巡らせたところで上条では、いいや、上条に限らず誰であろうとも、その現象を正しく説明するのは不可能だろう。

 

「こんばんは」

 

 ただただ単純に、何の考えもなく、挨拶は口をついて出た。

 

「さて、私がここに現れた理由だが、結論から言うと君の力が欲しいためだ」

 

 思考停止していた上条でも、さすがに当然の疑問が浮かんだ。

 

「ぼくの力がほしいって何?」

 

「君の右手には、幻想殺し(イマジンブレイカー)という力が宿っている。それが異能の力であるならば、神様の奇跡(システム)でさえ打ち消せる貴重な代物だ」 

 

 困惑から上条の眉がハの字になる。目の前の人間の言っている意味が理解できない。

 

「よくわからないけど、ぼくは死にたいんだ。だから、えっと」

 

 上条の様子を察した人間は、自らの名を名乗った。

 

「アレイスターだ」

 

「あれいすたーがぼくを殺してよ」

 

「君が死にたいと思うのは『皆に迷惑をかけて辛いから』だったな」

 

 なぜそれを知っているのかは疑問だが、そんなのはどうでもいいと言えばどうでもいい。

 上条は疑問をスルーして、端的に答える。

 

「うん」

 

「ならば言わせてもらおう。君が死ぬのは、私にとってはこれ以上ない迷惑だ」

 

「……え?」

 

「私は君の力が欲しい。だから君に死なれると迷惑という話だ。それに、君が死ねば従妹の竜神乙姫も悲しむだろう」

 

 何で乙姫のことを知っているのかなどの疑問は、虚を衝かれたことで抜け落ちていた。

 

「それにだ。『殺人はいけないこと』というのは分かるかな」

 

「うん……」

 

「では、そのいけない殺人を私にさせるのは、迷惑ではないのかね」

 

「あ……」

 

 盲点を突かれて、上条は呆然とする。

 

「自殺もまた同様だ。自分で自分を殺す……それもまた人が人を殺すことに変わりはない。であれば、それはいけないことなのは分かるだろう」

 

 まだ幼い上条は、何も言えない。

 

「私に限らず他人に君を殺させるのも、自殺しようとしても、人殺しである以上はいけないことだ。君が死ぬのは私にとっては迷惑だし、竜神乙姫は悲しむだろう。であれば、君は死ぬべきではない」

 

「なら……なら、どうすればいいの?生きても死んでもめいわくになるなら、ぼくはどうすればいいの?」

 

「死ねばそこで終わりだ。つまり、迷惑をかけたらかけたままで終わる。だが、生きていれば挽回できる」

 

「ばんかい?」

 

「失敗を君自身で取り戻せばいいということだ。そもそも、程度こそあれ迷惑をかけないなど誰しも不可能だ。生きていようが死のうが、ね。大事なのは、迷惑をかけないことではない。世のため人のため、何より自分自身のために、両親が産んでくれたことに感謝し、限られた人生をできるだけ笑って生きていくことだろう」

 

 両親が産んでくれたことに感謝し……という言葉が上条の心に響く。父も母も、たくさんの愛情を注いでくれた。自分を守ろうとしてくれた。それなのに『死にたい』というのは、天国の両親が悲しむのではないか。

 

「……わかった。ぼく、がんばって生きてみる」

 

 ようやく出た上条の前向きな発言にアレイスターは微笑して、

 

「私も無責任ではない。君に術を与えよう。その身に降りかかる不運を軽減はできないが、撥ね退ける強さを得ることは可能だ」

 

 強くなって、不運に負けないようにする。

 というのが何となく分かった上条は、

 

「……わかった!」

 

 こうして、上条当麻はアレイスターが敷いたレールの上を歩み始める。

 それは幸福なのか。はたまた不幸なのか。

 決めるのは、上条当麻自身だ




自分は基本ハッピーエンド主義者です。
そのためキャラ退場もあまり好きではありませんが、今回は上条に『強くなる』という動機を強く持たせるために、刀夜と詩菜のキャラ退場を含めて徹底的に理不尽な目に遭ってもらいました。


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学園都市 PSI-missing.

 学園都市は能力を宿す学生が主な街である。総人口二三〇万人のうち一八〇万人とおよそ八割弱を学生が占めているくらいだ。

 能力は無能力者(レベル0)から超能力者(レベル5)と六段階あり、無能力者はスプーンを曲げることすらできない。

 低能力者(レベル1)は、ようやくスプーンを曲げられる程度の力。

 異能力者(レベル2)は、低能力者を少し強くした程度の力。

 強能力者(レベル3)は、日常では便利だと感じられる程度の力。

 大能力者(レベル4)は、軍隊において戦術的価値を得られるほどの力。

 超能力者は、軍隊と対等に戦えるほどの力――と定義されている。

 能力者の六割は無能力者で、逆に超能力者は七人しかいない。

 超能力者の七人のうちの一人、『超電磁砲(レールガン)』の異名を持つ御坂美琴(みさかみこと)は名門常盤台(ときわだい)中学の生徒で、才色兼備の少女である。

 そんな彼女のDNAマップを利用して、『量産型能力者(レディオノイズ)計画』なるものが画策された。

 水面下で進んだこの計画の内容は、御坂美琴のクローンを量産すること。軍隊と対等に戦える人間を自由自在に量産できれば、世界情勢がどうなるかなど言うまでもない。

 しかし、事はそう上手く運ばなかった。

 実際に生み出されたクローン――便宜上『妹達(シスターズ)』と呼称された――は、オリジナルの御坂美琴の万分の一にも満たない程度の力しか有さなかった。

 しかしながら、劣化コピーでしかないとはいえ、せっかく量産したクローンだ。

 莫大なお金だってかかっている。

 そう簡単に『今回の計画は失敗でした。次頑張りましょう』とは割り切れない。

 何とか有効活用できないか。

 計画を進めてきた研究者らは考えて、『量産能力者計画』でも利用した世界最高峰のスーパーコンピューター『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』を使って、さらなる計画を企てた。

 七人しかいない超能力者の中でも頂点とされている『一方通行(アクセラレータ)』。

 彼が二万体の妹達を殺害することで絶対能力者(レベル6)になれるという計算が、『樹形図の設計者』によって弾き出された。

 こうして計画されたのが『絶対能力進化(レベル6シフト)実験』。

 一方通行による妹達の虐殺が始まるきっかけだった。

 

2

 

 某日某所。二一時五八分。

 廃屋の屋上で、一方通行と妹達の一人――ミサカ一九一一号は向かい合っていた。

 

「第一九一一次実験開始時刻まで、残り一分と二八秒です。準備はよろしいでしょうか、とミサ」

 

「いちいちうっせェンだよ。ンな半端な時間の報告いらねェ」

 

 黒のTシャツに灰色のズボンというシンプルな格好の一方通行は、両手をポケットに突っ込みながら首をゆっくりと回していた。

 やがてその回転を止め、ぼーっと空を眺める。

 雲はちらほらあるが、夜空に瞬く星も見える。快晴とは言い難いが、まあ普通の晴れだ。

 などとどうでもいいことを考えていた一方通行が、ふと視線を妹達の方へ戻す。

 いつの間にか彼女の前に、黒いスーツに身を包んだツンツン頭の少年が立っていた。

 

「誰だ、オマエ」

 

「妹達を殺しているのが気に食わない。実験から手を引いてほしい」

 

 少年は一方通行の質問には答えないどころか、生意気なことを言った。

 この実験に割り込んでいること、発言内容からして只者ではないと判断したうえで一方通行は答える。

 

「オマエに指図される筋合いはねェな」

 

 一方通行だって、好き好んで二万体のクローンを殺しているわけではない。こんなの作業でだるいし、時間だってかかる。

 それでも、絶対能力者になるためには、今のところこの方法しかない。

 これは、必要悪なのだ。

 

「自ら実験を降りないのなら、ぶっ飛ばすまでだ」

 

 鋭い眼光は、それが虚勢ではないのを物語っている。

 だが、そんなことでおめおめ引き下がるような一方通行ではない。

 

「オマエ、誰に喧嘩売ってンのか分かってンのか?」

 

「学園都市の子供たちの中で最強の一方通行。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一方通行を嘲るような発言をした少年――上条当麻は一方通行までの数メートルの距離を一歩で詰める。

 通常の人間ではありえない挙動だが、学園都市においてこの程度の現象は不思議でも何でもない。肉体強化系はもちろん、並の能力者なら使い方一つで起こせる。それっぽい予備動作やモーション、兆候らしいもの(たとえば、筋肉が異常に隆起するなど)がなかったのが多少特異ではあったが、強力な能力者なら不可能ではない。

 だから一方通行は、殊更に驚愕はしなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あ、がァ?」

 

 殴られたことによる激痛も相当だったが、それ以上に驚きの方が大きかった。

 一方通行は『ベクトル操作』――体表面に触れた運動量、熱量、光、電気量などのあらゆる種類の『向き』を自在に操る――という能力を宿している。デフォルトは反射に設定してあり、それは常時展開されているため不意打ちはもちろん、動体視力とか反射神経とかそういう問題すらクリアされている。

 あらゆる攻撃は一方通行には届かず、それどころかすべて相手に跳ね返る。……はずなのに、今のこの状況は何だ?

 困惑する一方通行へ、接近した上条の右拳が振るわれる。側頭部を殴られ脳を揺さぶられた一方通行は為す術もなく横に倒れ、止めと言わんばかりに腹部に蹴りが叩き込まれる。

 

「もう分かっただろ。俺とお前の間にある絶対的な実力差を。妹達は俺が匿う。実験を続けたければ俺と相対することになるが、お前では俺には勝てない。となると、お前は実験を続行できない。どっちみち実験は進まないから、お前には自主的に実験を降りてほしい」

 

 一方通行にとっては腹が立つ言い分だったが、内容は事実であり真実であろう。あっという間に叩き伏せられ、反撃どころか起き上がることすらできない現状がそれを指し示している。

 少年の靴のつま先部分がわずかに破損していることから、反射が機能してないわけではないようだが……。無意識に能力を切ってしまったとかでなく、機能しているうえで攻撃が通っている方が厄介だし、機能していようが何だろうが、痛めつけによってそもそも体が動かないのだからどうしようもない。

 ……実験はもう進まない。

 

「待ってください。勝手に話を進められても困ります、とミサカ一九一一号はサブマシンガンを少年に向けて突き付けます」

 

 上条は振り返りもせず、両手を挙げて、

 

「銃口を突き付けている理由は分かる。お前たちは学習装置(テスタメント)によって、『自分達は実験動物である』と脳に刷り込まれているからな。実験中止は存在意義を奪われる……そう考えているんだろう」

 

「……あなた、一体どこまで……」

 

「だけど、少し考えろ。これまで一方通行に惨敗し続けたお前たちが、その一方通行を圧倒した俺に勝てると思うのか?」

 

 大体、と上条は振り返りながら続けて、

 

「存在意義なんて他人に決められるものじゃない。自分で決めるものだ。こんなくだらない実験は絶対に中止に追い込ませてもらう」

 

 そして、上条の姿が一九一一号の視界から消える。

 一九一一号は一瞬戸惑い――上に跳んだと気付いた時には、大ジャンプから高速降下した上条が一九一一号の背後を取っていた。一九一一号が振り返る間もなく、上条が彼女の肩に左手を置いた。

 そのアクションの意味は分からなかった。

 痛みはなかった。

 

「一体、何を……?」

 

 疑問を感じたところで、一九一一号の全身から力が抜け膝から崩れ落ちる。意識がだんだん薄れていく。

 

「お前は連れていく。じゃあな、一方通行」

 

 上条は一九一一号を肩で抱え、その場を後にした。

 

3

 

 某日、『絶対能力進化実験』の中止が決定した。

 実験の要となる一方通行は何者かによって倒され、妹達の一九一一号も行方不明。

 極めつけに『樹形図の設計者』も破壊され、実験続行は困難だと判断されたためだ。

 実験中止により、存在意義がなくなった一九一二から二〇〇〇〇号までの妹達は、学園都市の一部の人間や学園都市の協力機関によって、新たな居場所が作られた。

 しかし、忘れてはならない。

 学園都市に巣食う闇は、まだ蔓延っていることを。

 



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御坂美琴 A_certain_scientific_railgun.

 御坂美琴(みさかみこと)

 学園都市内でも名門と言われる常盤台(ときわだい)中学に一年生として通うお嬢様。

 『電撃使い(エレクトロマスター)』として最高峰の彼女は、単に電撃を操るだけでなく、磁力操作をはじめとして電磁気が絡む事柄なら大抵のことはできる。

 極め付けとして、電気が流れる物体であれば弾にして射出する『超電磁砲(レールガン)』という強力な技がある。

 基本的な身体能力も高く、武力としては申し分ない。

 能力のレベルが高いことは、演算の力に優れている証左でもある。

 つまり、頭脳の程も申し分ない。

 顔もスタイルも中学一年生女子としては平均を上回っており、文武両道、眉目秀麗という言葉にふさわしいだろう。

 あえて欠点を挙げるとすれば、少々血の気が多いことと、一つの事に没頭すると周りが見えなくなってしまうところだろうか。

 そんな彼女の日課の一つに、漫画雑誌の立ち読みというのがあった。

 九月九日の放課後、コンビニでいつものように立ち読みをしていた時だった。

 

(……ん?)

 

 常盤台中学の制服であるプリーツスカートのポケットの中のスマートフォンが音を鳴らしたので取り出して見れば、画面に表示されていたのは非通知だった。

 連絡先に登録されてない番号でも少し警戒するのに、非通知なんてものは怪しさ満点だった。

 こういう類のものは、『対応すること』自体が情報を抜かれることにつながる――たとえば、電話に出た時点でこの電話番号はアクティブなものと分かるなど――ので、相手にしないのが定石(セオリー)ではあるのだが、

 

(ま、出てみますか)

 

 御坂は能力の性質上、電子機械への干渉なども得意だ。その気になれば逆探知も不可能ではない。もっとも、仮に座標を割り出せたとしても公衆電話の可能性や、モバイルで使い捨てなど空振りする場合もあるが、組織が拠点を設けて無差別に行っているのなら、その組織を潰せる。

 あるいは、また別の可能性だとしたら。

 御坂は通話ボタンを押して耳に当てる。

 

『はじめまして、御坂美琴さん』

 

(私のことを知っていてピンポイントに、か)

 

 御坂美琴という人物像を知っていて、その上で何らかの目的をもってコンタクトをしてくるという可能性。

 超能力者は学園都市に七人しかいないためか、御坂は超能力者に認定されてから良くも悪くも有名になった。

 街を歩けば握手を求められることもあれば、研究者から研究したいとスカウトされるなど、まあ様々だ。

 

「で、どんな意図があって私にコンタクトを?私のことを知っているのなら、どんなことができるかもわかるわよね?」

 

『逆探知のことを言っているのなら、してもらっても構わない。こちらは君にアポイントを取りたいだけなんだ』

 

 ボイスチェンジャーなどを使っている風には聞こえない。

 低い声質を真に受けるなら、おそらく中学生以上の少年。

 

「あっそ。話が早くて助かるわね。じゃあさっさと落ち合いましょうか」

 

 ぶっちゃけちまちました牽制合戦より、直接ぶつかり合った方が楽だ。

 武力の衝突なら、よほど搦め手を使われない限り負けない自信がある。

 後ろめたい人種なら、人気の少ないところに案内してくるだろう。

 そうなったら、ある程度は暴れやすくなる。

 仮にあえて人がいる場所に案内されたとしても、それはそれで向こうも暴れられないはずだ。

 

『こちらとしても、話が早くて助かるよ。では――』

 

 そうして案内された場所は、どこにでもある公園だった。

 一〇分ほどで到着すると、無邪気に遊んでいる子供達とは別に、ツンツン頭の少年がベンチに座っていた。

 

「アンタが電話の主さん?」

 

「その通りだ」

 

 少年は言いながら、両手を頭の高さに上げる。

 武器などは持っていません、あなたに危害を加えるつもりはありませんアピールだ。

 警戒しつつも、御坂もベンチに腰掛ける。

 

「まずは、ここまで来てくれてありがとう。早速だが、これを見てほしい」

 

 少年は、カバーがついてない黒いスマホを渡してくる。

 動画が再生されていた。

 その動画には、

 

「何よ、これは……」

 

 どこかの病院で、御坂と同じ姿をした少女が看護服を着用して仕事をしている姿が映っていた。

 

「そこに至るまで、いろいろと話さないといけないことがある」

 

 少年は語る。

 御坂美琴が幼少期に提供したDNAマップを利用し彼女のクローンを量産して、学園都市の戦力を格段に引き上げる『量産能力者(レディオノイズ)計画』になるものが画策されたこと。

 しかし、生まれたクローン『妹達(シスターズ)』は、オリジナルである御坂美琴の万分の一にも満たない力しか得られなかったこと。

 当初の計画が失敗してしまったため、カバーするために『絶対能力進化(レベル6シフト)実験』が画策されたこと。

 その実験は、『一方通行(アクセラレータ)が妹達をすべて殺すことで絶対能力者(レベル6)になる』というもので、その実験のためにおよそ二〇〇〇人弱の妹達が葬られてしまったこと。

 その実験は、少年が一方通行を撃破したことで中止され、残りの妹達は学園都市の一部の施設と外の協力機関に預けられたこと。

 少年がその実験の研究機関を全て潰して回り、その過程で二万の妹達が暴走した時の安全装置であった最終信号(ラストオーダー)を発見・保護して学園都市の病院に預けたこと。

 少年は追加で、一方通行を撃破する動画も見せてくれた。

 

「――ここまでの話は、ここ数ヶ月で起こったことだ。正直、動画含め今の話の大半が作り話ではない証明はできない。証明できるのは、今も学園都市の病院にいる妹達と最終信号だけだ」

 

 少年は、おそらく病院の住所が書かれたメモを渡しながら、

 

「ただまあ、わざわざ君に連絡を取ってこんな作り話をするメリットなどないことだけは言っておく」

 

「……そうね」

 

 メモを受け取りながら、御坂は思う。

 少年の言う通り、証明の材料はないが嘘を吐くメリットもない。

 動画がフェイクのようには見えないし、メモに書かれた病院に行けば妹達の存在は証明されるだろう。

 突き詰めれば、学園都市では他人に変身できる能力者もいるから『妹達は変身した誰か』という可能性もなくはないが、そこまでするメリットなどなおさらないだろう。

 

「この話をした理由は大きく二つ。一つは、君の中での無用な混乱を招くため。何も知らずにいきなりどこかで妹達に遭遇したら混乱するし、それを調べようとしてヘタに闇に関わるのは本意ではないだろう。もう一つは、君にこの話をするのが筋だと思ったからだ」

 

 聞きたいことはたくさんあった。

 学園都市の水面下で行われていた暗い計画や実験を知っている情報力。

 学園都市最強であろう一方通行を難なく倒す武力。

 そんな規格外の人間が、わざわざ接触してきて気を遣うような素振りを見せていること。

 だが、一番聞きたいのは、

 

「……一連の出来事は、私が提供したDNAマップが原因ってワケ?」

 

 思わず口に出たことに嫌悪感があった。

 だって、こんなことを聞くのは卑怯だ。

 『私が悪いの!?』と逆切れじみた問い質しをして否定してもらおうとする心の動きと変わらない。

 今後二度とこのような事例を失くすために原因を究明しようとしているわけではなく、罪悪感から逃れたいだけだ。

 そんな御坂の心情を見透かしているのか、いないのか、少年の返答はこうだった。

 

「客観的な事実だけを追えば、おそらくそうだろうな。毛髪に唾液、血液など君のDNAを非公式に入手する手段はいくらでもあるから、君が仮にDNAマップを提供していなくてもクローンは量産されて一方通行のために転用された可能性はあるが、現実はそうじゃない。既に入手しているDNAマップをあえて使わない理由はないだろう」

 

 とはいえ、と少年は続けて、

 

「あくまで個人的な感想としては、君に非はないし、罪悪感を抱く必要性は薄い。君が善意から提供したDNAマップから端を発したとしても、利用した奴らが悪いに決まっている」

 

 現実を叩きつけられた。

 だけど、批判はなかった。

 それだけで、少しだけ救われた気がした。

 

「なんかごめん。それと、何て言っていいか分からないというか、ふさわしい言葉じゃないかもしれないけど、ありがと」

 

 少年は少し怪訝な顔をしたが、そこを拘泥する必要もないと考えたのか、何に対して?など聞き返しては来なかった。

 

「俺の話は大体終わった。さっき渡したメモは妹達がいる病院の住所。学園都市の中にはそこにしかいないが、出掛けたりしている個体もいるそうだ」

 

「え?」

 

「言いたいことは分かるよ。クローンは国際法に触れるから存在が明るみに出るだけで危険なのに、そんな簡単に出歩いていいのかって話だろ。彼女達の安全面を考慮するなら、しない方がいいには決まっている。だけど、研究者たちの都合で勝手に生み出されて、殺されて、助かっても自由はない。……そんなの、酷すぎるだろ」

 

「……」

 

「完全に自由にしているわけじゃない。制限は設けている。出歩く妹達はローテーションで一人ずつだ。君と妹達の一体が同じ時間に違う場所にいるのが確認される確率は高くはないし、確認されたとしても『双子です』という言い訳はできる」

 

「……それもそうね」

 

 そもそも原因は自分にある以上、この件に関して強く言えないし、まだ現実感も伴っていない。

 まずは、病院に行っていろいろ確認してからだ。

 

「受け付けで『妹に会いに来ました』といえばわかるように話はつけてある。あとは君に任せるよ。じゃあ、俺はこれで」

 

 少年は立ち上がって、どこかへ去ろうとする。

 

「ちょっと待って。結局、アンタが何者かは教えてくれない?」

 

 駄目で元々な質問だった。

 ただ、このまま別れるのだけはなんとなく釈然としなかったから、何らかのアクションをするしかなかった。

 少年は、立ち上がったまま数秒沈黙したのち、

 

「本来、君と俺はこれ以上かかわるべきじゃない。かかわった場合、多分、君の方がデメリットは大きいだろう。それでも知りたいか?」

 

「即断られるかもと思ったけど、意外な返答ね。かかわった場合デメリットが大きいのは、アンタの方じゃないの?私は、知りたいに決まってる。私とのコンタクト方法からしてアンタは表の人間ではないだろうし、裏でどんなことをしているかも知らない。けど、アンタは妹達を救ってくれた。私から見たらアンタが悪人には見えないし、仮に悪人だとしても私が監視できる」

 

 仮に悪人だとした場合、情報力でも武力でも劣っているので、実際問題監視が可能かは分からない。

 それでも、完全フリーにしておくよりはいいだろう。

 少年は、またしても数秒沈黙したのち、

 

「まあ、妹達の説明を対面でした時点であんまり変わらないか。妹達のことをさらに独自で調べたりして闇に関わったりしてもだしな」

 

 少年は、さっきとは違うスマホを取り出して操作をした。

 直後に、御坂のスマホが着信音を鳴らす。

 『ゲコ太』というキャラクターのスマホケースをつけているスマホを取り出す。

 電話番号が表示されていた。

 

「これが俺の電話番号。交換条件じゃないが、妹達のことについて独自には調べないでくれ。疑問が出てきたら俺に連絡すること。もっとも、ここまで説明した以上のことは俺も知らないが」

 

 条件を持ち出す前に実質電話番号を教えたのは、信頼してもらおうとしているのか、いざとなったら変えればいいと思っているのかは分からないが、ここで欲張って彼の背景を深追いすると逃げられるかもしれない。

 まず妹達を直接見ないと始まらないこともいろいろあるが、その辺をごねても同様だ。

 だからここは、

 

「分かったわ。いろいろ話してくれてありがと。最後に、名前だけ聞いていいかしら?電話帳には電話番号とか通称とかじゃなくて、きっちり登録したい派なのよね」

 

「分かったよ。俺は上条当麻。漢字は上下に条件、妥当に亜麻色だ」

 

「ご丁寧にどうも」

 

 御坂は数秒で登録を終えたあと、メモを見て住所を打ち込んで、

 

「じゃあ、私はこのまま病院に行ってくる。また連絡するから!」

 

 言うが早いか、御坂は上条に背を向けて走り去っていった。

 

 

 

 

 

(何をやっているんだ、俺は……)

 

 公園のベンチの前で、上条は立ち尽くしていた。

 御坂美琴になぜ連絡先を教えようと思ったのか。

 お互いに、表と裏の人間が関わりあうことはデメリットの方が多いだろう。

 そもそも、直接御坂とコンタクトを取る必要があったのか。

 可能性として、妹達のことを御坂に教えずに彼女が何も知らないまま妹達と接触したら、暗部の魔の手が御坂に伸びていたかもしれないし、芋蔓式に()()()()の素性も明かされたかもしれない。

 妹達のことを正しく伝えるのは、一連の事件に深くかかわった上条がふさわしいだろう。

 リスクケアとしては、悪手ではない。

 だが、最善ではないかもしれない。

 初めから代理を立てた方が総合的なリスクは少ないし、百歩譲って直接コンタクトを取るのはいいとして、連絡先まで教えなくてもよかったはずだ。

 妹達のことだって、話した以上のことは本当に知らないのに、だ。

 合理的理由を追求した場合に矛盾が生じるなら、残る理由はおそらくこれしかない。

 

(適当な理由をつけて、俺は御坂美琴と関わりたいと思ってしまった)

 

 それが何に由来するものなのか、正確なところは分からない。

 困っている人のためにDNAマップを提供できる性根や、低能力者から超能力者まで成り上がった努力家な部分を含む人間性と、容姿や頭脳、両親に恵まれ順風満帆な人生を歩んでいる彼女に憧れてしまったのかもしれない。

 だとしたら、甘えもいいところだ。

 無意識に、光の人間と関わりたいと思ってしまったのか。

 自分は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のに。

 上条は、己の額に手を当てながら、

 

(だが、今更中途半端は許されない)

 

 上条にプライベートな連絡先はないが、連絡先を変えるのはあまり得策とは言えない。

 ビジネス上の連絡先に変更を伝える手間はあるし、その手間を抜きにしても連絡先の変更は関係者にいらぬ憶測を抱かせるからだ。

 もちろん、それこそ御坂本人にも。

 だから、

 

(かかわった事実や抱いた感情は覆せない。だったら、俺がやるべきはひとつ)

 

 もしも、彼女が上条に関わったことで不利益がもたらされたら、その不利益から彼女を守ること。

 闇に引きずり込んで手元に置けたら楽だが、そんなのは彼女の人生を束縛することになる。

 そんな安易な道を選ばずに、裏から彼女の光の世界を守り続ける。

 そうする責任がある。

 一度決めたら、上条は妥協を許さない。

 できる限り、ではなく、何が何でも守り通す。

 決意した上条は、公園を後にした。

 



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ローマ正教とイギリス清教 complication.

 九月某日。現地時間にて二一時三〇分。

 ローマのとある協会の長椅子に、赤いジャケットに赤いズボンの赤づくめの男が座っていた。

 時間も時間なので、教会にいる人間は彼一人。

 彼は祈っているわけではなく、聖書を読んでいた。

 

「遅くなって済まない」

 

 そんな彼に声をかけたのは、純白のスーツにグレーのネクタイの老紳士だった。

 

「そんなフォーマルな格好してくるからだろう。目立つ格好は辞めた方がいいと再三言っているが」

 

 声をかけた老紳士は、実はローマ教皇だった。

 つまり、二〇億人もの信徒を抱えるローマ正教のトップだ。

 そんな彼に、遅れてきたとはいえ軽口を叩いた。

 それを咎めない時点で、少なくともローマ教皇と赤づくめの男の立場は同等以上だった。

 

「どこで誰が見ているか分からない。それに仕事の話をする以上、いい加減は許されない」

 

「一応、密会なんだがな。前提は無視するし、こちらの忠告も聞かない。極めつけに形だけの謝罪など、不遜より嘆かわしい」

 

 赤づくめの男は、パン!と聖書を勢いよく閉じた。

 彼は苛立ちを隠しもせず、

 

「で、話というのは?」

 

 先を促されたローマ教皇は、赤づくめの男の横に腰掛けつつ、

 

「前方のヴェント。彼女から学園都市への攻撃命令を許可する書類のサインを強制された。何がどうなっている。右方のフィアンマ」

 

 フィアンマ。

 イタリア語で火を意味する言葉で呼称された男は、軽くため息をついて、

 

「俺様に問い詰められても。本人に聞いた方が早いだろう」

 

「当然、聞き返した。科学を潰したい、だそうだ。貴様が命令を下したのだろう?」

 

 フィアンマと呼ばれる男は嘆息しつつ首を左右に振りながら、

 

「決めつけも大概だな。そんな話は今が初耳だ。であれば、彼女の独断専行に他ならない」

 

「それを諌めるのも、貴様の仕事だろう」

 

「会話にならんな」

 

 呆れた様子のフィアンマは、会話を打ち切って立ち上がる。

 

「待て!話は終わ」

 

「黙れ」

 

 いよいよフィアンマは、ローマ教皇に対して命令形で遮った。

 

「そちらから呼び出しておいて遅刻、密会だというのに目立つ格好をしてくる。何度も注意しているのに、だ。形だけの謝罪に、身勝手極まりない決めつけ。一体どれだけ俺様の機嫌を損なえば気が済む?」

 

 ローマ教皇側に少なからず非があるとはいえ、あまりにも不遜な言い分だった。

 対して、ローマ教皇も怯まずに、

 

「ヴェントと貴様は同じ『神の右席(かみのうせき)』のメンバーだろう。そして『神の右席』のリーダーは貴様なのだろう?であれば、部下の強硬を止めるのも勤めなはずだ」

 

 食い下がるローマ教皇に、フィアンマはもはやだるそうに答える。

 

「お前は何も話を聞いていないな。この話は初耳で、ヴェントの独断専行だと言ったはずだ。逆に聞きたい。俺様にどうやって止めろと?」

 

「今からでも止められるはずだ」

 

「止められんよ。お前が書類にサインした事実は覆せんし、独断専行をするようなやつが俺様の命令を聞くはずもない」

 

 そこまで言われて、さしものローマ教皇も押し黙る。

 ヴェントもフィアンマに負けず劣らずの不遜を備える。

 フィアンマの命令を素直に聞くとは限らないし、仮に実力で止められたとしても、それはただの仲間割れで戦力の喪失につながるだけだ。

 フィアンマは、二の句が継げない様子のローマ教皇を見て無言で立ち去ろうとする。

 

「待て!学園都市の人間は異教を信仰しているのではなく、主を知らないだけなのだ!こんな強引なやり方が許されていいわけがない!」

 

 顔には立派な白ひげを蓄えているおじいちゃんが何か喚いているが、フィアンマはもはや振り返りすらせず帰路の歩を進める。

 教会の扉を開けて、外に出る。

 何を言っても無駄だと悟ったのか、年甲斐もなく走って追いかけてくるまではなかった。

 

 

 

 学園都市へ潜入せよ。

 イギリス清教から下されたその命令は、当時一二歳の土御門元春(つちみかどもとはる)にしては荷が重かった。

 しかしながら、彼以上に潜入に長けた人材がいなかった上、その命令を承知しなければ魔術と科学のバランスが大きく崩れるかもしれないというのが笑えない状況だった。

 もっとも、笑えなかったのは土御門元春だけでなく、彼に『家族』としての名義を貸すためだけに卜部(うらべ)芦屋(あしや)の性を捨てさせられた美秋(びしゅ)冬頭(とうず)もかもしれないが。

 たったの数十年で、世界三大宗派さえも無視できない存在になった学園都市に潜入することは並大抵ではない。

 そこで提案されたのが、義理の家族を設ける策だった。スパイが義理とはいえ家族を設けるなどあり得ないと思わせるために……。

 そんな誤魔化しなどすっぱり綺麗に通用するとも思えなかったが、それすらやらない丸腰も危険と判断した土御門は、舞夏(まいか)という少女を義理の家族として設けることに決めた。

 ただし、それで仮に潜入が成功したところで、大きな問題がもう一つある。

 

『潜入に成功したとして学園都市の能力開発を受ければ、オレは魔術師として終わるぞ』

 

 当時から換算して十数年前、とある魔術師が学園都市で能力開発を受けた後に魔術を行使した際、身体の至る所の血管が破裂するという事象があった。

 サンプルがその一件だけなので詳しい理屈や条件は不明だが、魔術を行使する度に血管が破裂するようでは、魔術師としてはまともに機能しないだろう。

 しかも、これは少なくともの話であって理屈や条件が分かっていない以上、最悪の場合、魔術を行使した途端即死すらあり得る。

 学園都市では、子供は能力開発を義務付けられている。

 これに対し、イギリス清教の清教派の最大主教(アークビショップ)、ローラ=スチュアートの回答はこうだった。

 

『裏社会に潜入すれば、そもそも開発とやらを受けなくても済むでしょう?あるいは受けたフリくらいできけるはずよ』

 

 所詮、現場には出ない上の命令などこんなものだ。

 逆らったところで意味はないし、魔術師としてギリギリでも生き残れるのなら、そのルートを辿るのを目指すしかないだろう。

 土御門は一週間で準備を整え、学園都市の潜入を決行した。

 結果、予想通り、交渉材料に成り得るような弱みを掴む前に潜入など看破された。

 雨が降りしきる学園都市の路地裏を、追っ手から逃げるために走っていた土御門の前に現れたのは、ツンツン頭の少年だった。

 

『アンタ、結構強そうだな。若い割に学園都市に潜入してくるだけありそうだ』

 

 随分と上から目線だが、現にこうして立ち塞がられている手前、強気な発言はできない。

 

『オレみたいな若造がこんな大役をやる羽目になってしまうくらい人材不足なだけさ。もっとも、潜入者を捕まえるエージェントとして派遣されたのも、オレと同い年くらいの若造だとは思わなかったが。お互い苦労するな』

 

『こんな泥にまみれた裏稼業の人材なんて不足していた方がいいさ。でも、俺は俺の野望のために何があっても誰を利用してでも邁進するつもりだ。そのための準備の一つとして、アンタは俺達の傘下に入ってもらう』

 

 学園都市の暗部ではない裏稼業の人材や世界とのパイプとしてスカウトされる……というのは願ったり叶ったりの展開ではある。

 だが、逆にトントン拍子過ぎて怖いところもある。罠の可能性も否めない。

 この雨なら、得意の黒ノ式(くろのしき)も十二分に活かせる。

 ツンツン頭が人材不足で派遣されたのなら、突破口は開けるかもしれない。

 

『ま、捕まって殺されるよりは願ったり叶ったりの展開だな』

 

 ひとまず、素直に従うふりをしてどうするかを画策し始めたところで、

 

『忠告しておくが、こちらには心理を読み取る能力者がいる。策謀は通用しないぞ』

 

 背を向け歩き出すツンツン頭の少年を、土御門は攻撃できなかった。

 彼が発言と共に一瞬だけ放った威圧感が、半端ではなかったからだ。

 

(もしかしたらオレは、とんでもない奴らに目をつけられたのかもしれないな……)

 

 路地裏の奥へと消えていく少年に、土御門は無言でついていく。

 やがて、土御門の背中も路地裏の奥へと消え、路地裏には雨音だけが残った。

 ――これが、土御門元春が上条勢力に入った経緯だった。

 

 

 

 ウォータールー駅から徒歩一〇分の距離にある、(セント)ジョージ大聖堂。

 その奥の奥で、黄金の長髪にベージュ服の修道女が、クラシックな黒電話で定期連絡を受けていた。

 

『――ってなわけで、「妹達」が世界中にばらまかれたわけだにゃー』

 

 電話の相手、土御門元春はふざけた口調で、ここ最近学園都市内であった大きな事件とその後の経過について報告していた。

 イギリス人の、しかも上司に対してなのに、英語ではなくあえての日本語で。

 土御門は生粋の日本人だがイギリス清教に所属する魔術師で、英語が話せないわけではない。

 つまり、この話し方は本当にただの悪ふざけでしかない。

 

「それは、何か意味がありけるのかしら?それともただの成り行き?」

 

 対して、報告を受けているローラ=スチュアートはそこに怒る事もないどころか、いい加減な古語が混じった日本語で聞き返した。

 こんなことになっているのは、土御門がおふざけでローラにいい加減な日本語を教えたからなのだが、ローラはそれを知る由もないし、本人は存外この話し方を気に入っているので、こうして日本語でやり取りしているわけだ。

 

『どうだろうにゃー。私見だが、成り行きなんじゃないか?学園都市のテクノロジーの一つである妹達を、意図して学園都市外に出すメリットがないですたい』

 

 土御門の報告によると妹達とやらの実力は、魔術は扱えるけど本職ではない人よりは強いが、本職が魔術師の人間にはまず勝てない程度らしい。

 数が数なので束になられたら多少のごり押しは効くかもしれないが、世界各国に万遍なく散らばっているらしいので、その懸念も基本的にはない。

 

「学園都市のアキレス腱にはなり得るのかしら?」

 

『国際法に違反しているのは事実で、それを明るみにすれば学園都市を叩く材料になるかもしれないが、明るみにした方法は追及されるだろうし、トカゲの尻尾きりでのらりくらりと言い逃れられる可能性もあるんだにゃー』

 

「学園都市はいざとなれば、協力機関や妹達を見捨てると言いたいの?」

 

『可能性はあるんだぜい』

 

 土御門の報告からすると、学園都市は戦力を増やすためだけに国際法に抵触してでもクローンを大量に生み出し、しかし期待通りの結果にならなかったので非人道的な実験に転用したことになる。そんな道徳観や倫理観なら、見捨てる可能性は大いにあるだろう。

 そして、道徳観や倫理観よりも己の欲求を優先する輩がこの世界では一番強い。

 さすがに、たかだか数十年で長い歴史がある魔術世界と比肩するまでになっただけはある。

 

「なら、上条当麻のアキレス腱には?」

 

『カミやんの性格上、間違いなくなる』

 

 即答だった。

 今回だけでなく、これまでに土御門からもたらされた情報からすると、確かにそうだろう。

 上条当麻は、異能ならば問答無用で無効化する『幻想殺し』を右手に宿している。

 さらに彼は、魔術も扱う。

 『肉体強化』、『大ダメージの無効化』、『宿り木』。

 土御門の情報によると、それらを使いこなす上条当麻は化け物レベルの強さらしいが、そこまでして強さを求めているのは、復讐と救世に由来する。

 親しい人どころか、赤の他人の犠牲すら許容できない精神性。

 本人の武力がどれだけ高かろうが、周りに弱みがありすぎる。

 

「上条勢力に何か動きは?」

 

『大きな動きは特に。時間的に今回の報告はここまでかにゃー』

 

「そうね。では、また次回の定期連絡で」

 

 土御門元春は、潜入前こそ乗り気ではなかったが、なんだかんだ魔術師として健在のまま潜入に成功しているし、定期連絡もきっちりこなしている。

 上条当麻および、彼が率いる勢力の武力自体は脅威だが、『救世にこだわる』という致命的な弱点がある以上、総合的にはいくらでもどうとでもなるだろう。

 ただし、今回に限らずこれまでの土御門の報告からして最先端テクノロジーと並外れた倫理観を備え、たった数十年で世界に台頭するまでに至った学園都市を中心とした科学サイドそのものは軽視できない。

 同じ魔術サイドを見ても、同盟を組みつつある世界三大宗派のローマ正教とロシア成教も一筋縄ではないだろう。

 何より、人数だけなら上条勢力を上回り、魔術師や『原石(げんせき)』――魔術を習得したわけでも、学園都市で能力開発を受けたわけでもないにもかかわらず、自然に異能を宿し扱う者――を抱える上里勢力(かみさとせいりょく)も、ダークホースとなり得る。

 

(まったく、面倒な世の中……)

 

 嘆息しつつも、ローラは次なる一手を思案する。

 

 

 

 

 学園都市は闇を抱えている。

 そんな学園都市に、上条勢力は承知の上ではあるが、イギリス清教からの魔術師がいる。

 そんなことを知る由もないローマ正教は、学園都市を叩き潰そうとしている。

 その他、大小さまざまな勢力や団体にも思惑があって、活動している。

 群雄割拠の世界がこれからどうなっていくのかを見据えられている者は、現時点で何人いるだろうか。

 

 

 

 そして、迎える九月九日の深夜。

 ローマ正教『神の右席』前方のヴェントが、単騎で学園都市を襲撃する事件が発生する。

 情報統制もあって世間一般にこそ知られることはなくなるのだが、水面下では多大な影響を及ぼしたであろう、世紀の大事件が。

 



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