割れたガラス玉 (灯家ぷろふぁち)
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割れたガラス玉

 海浜に面したとある都市の郊外に、どこにでもありそうな一軒家があった。

 住人は車椅子に座った男が一人と、そしてやや細めな長身が特徴と言える、見目麗しい女が一人である。

 その家の書斎と思われる場所で、今日も男は机に向かい、その上に置かれたPCのキーボードを叩きつつ、時折その脇にある文書に目を通し、必要と思われる紙にはサインの記入や判を押すといった作業を繰り返していた。

「提督、少しお休みになられては?」

 そう言って女が机の片隅にコーヒーの淹れられたカップを置いた。男は女の方を見て苦笑いしつつ、言う。

「俺はもう『提督』じゃないぞ、龍田」

 だが、龍田と呼ばれた女は頷かなかった。

「お言葉かもしれませんけど、私にとっての提督は貴方だけですから……」

 微笑みを浮かべつつ、のんびりとした口調でそう返答する龍田。提督と呼ばれた男はそれを聞いた後、無言で車椅子の向きを龍田の方へと向かせ、そしてコーヒーカップを手に取って、まずは一口、その中身を飲み込んだ。

「そうは言われても、なあ。今の俺はただの予備役だぞ。この体だから前線に出る事も出来ない訳でな?」

 ソーサーにカップを戻しつつ、提督がそう言った途端、龍田の顔に微妙な影が差した。

 提督は一旦龍田から視線を外し、少しの間考えていたが、再び龍田の事を見つめ直すと、こう言った。

「それよりも、龍田の事だ。君は体に何の問題も無いんだ。だからいつまでもこんな所にいる必要も無い。そろそろ第一線への復帰も考えてはくれないか?」

 更に暗い表情になった龍田は緩やかに首を横に振り、

「私は、戻るつもりはありません。提督のお体が心配ですから」

 とだけ言う。しかし、提督は首を傾げつつ、更にこう聞く。

「……別に、そこまで心配してもらわなくても良いんだよ? むしろ俺が心配しているのは龍田の事なんだからね。正式に復帰した方が君の為にもなると思うし、俺が一言言えば受け入れる態勢は向こうも整えてはいるんだ。どうだろう?」

 途端、龍田は崩れ落ちるように床へと座り、提督の大腿部にすがりつくような姿勢で、

「何でそんな事言うの!? 貴方だって自分の体が悪い事ぐらい分かっているでしょう!? 誰かがそばにいないと……私は世話をする相手として不十分なのかしら!? だったら、どこが悪かったか、言って!! 直すから!!」

 と、絞り出すように言った。その声、実に悲痛。龍田は提督を真っ直ぐに見つめていたが、内心では彼の表情に少しばかり恐怖感を覚えていた。

 実はこの男、その目つきが常人と比べると少しばかりまともじゃない。視線そのものは龍田の方を向いてはいるが、どうも焦点が合っていないのである。だからなのか全体的にその目は虚ろに見える。彼が車椅子の生活を続けざるを得ない事と関係があるのだろうか。

 一見、普通に仕事をしているようには見えるが、はっきり言ってその思考能力も劣化しつつあるような気がしてならない。そんな人間を放ったらかしにして良い訳がないのだ。そんな龍田の不安をよそに、

「いやいや、そう言っている訳じゃない。俺はこんななりでも一人でやってけるからさ、安心して鎮守府に戻りな?」

 と、提督は呑気にこんな事を言っている。

「言わないで! 私、貴方がいつかいなくなるんじゃないかって、不安で……!」

「何も不安に感じる事なんてないだろ? 俺はいつでもここに居るから、会いたくなった時にでもここに来てくれれば良いからさ。それに、あの鎮守府が居づらいと言うのなら、転属の推薦状を書こう。新しい場所でやり直せば良いじゃないか」

 微笑みながら提督は言うが、龍田はもう一度首を横に振る。

「もう、私はやり直す事なんて出来ないの。だから……」

 不思議そうに提督は言う。

「そんな事は、無いだろう?」

 それを聞いた龍田は心の中で叫ぶ。

(無いなんて事は、無い……! そんな事も分からなくなって来ているなんて……!)

 以前の彼ならその程度の事ぐらいすぐに分かったはずだ。だが、もはやそうではない。

「大体、あの事故は君のせいじゃないじゃないか」

「そんな事言わないでっ!!」

 なんでこの人は自分を否定するような事を言えてしまうのか。ますます苦しくなった龍田は、

「お願いっ……! ここに居させてっ……!」

 と、そう叫ぶように言って、ボロボロと涙をこぼしながら提督にすがりつく。

「大丈夫、大丈夫だよ」

 微妙に焦点が合ったか合わないかのような相変わらずの目つきと、そして呑気な声と共に、提督は龍田の頭を撫でる。

 事故の後遺症であろうか、かつての頭脳の明晰さはもはや今の彼には無い。寛容さが残っているのが救いであろう。

 

 提督が、壊れていく。龍田はその事が、とても悲しかった。

 

 

 提督が車椅子生活を送るようになった原因、それは艦娘の訓練中に彼を襲った不慮の事故である。それは提督のみならず、誰にとっても不運な出来事であった。

 

 艦娘は洋上でだけではなく、陸上での実弾演習を行う事もある。その日の訓練内容は命中精度の向上を主な目的としたもので、走りながら標的に向かって発砲し、可能な限り多くの弾丸を命中させるというものであった。

 そして、その途中で不測の事態が起こった。直接の原因は分からないものの、走りながら発砲を行っていた艦娘の一人が何らかの拍子でつまづき、そのまま転倒してしまったのである。そんな彼女に慌てて駆け寄ろうとした提督の腰の部分を一発の弾丸が貫いた。撃ったのは龍田である。その時の彼女は自分でも何をやったのか分かっていなかったのか、青白い顔をしたままただ立ち尽くしているだけであった。

 周囲が騒然とする中、血塗れで意識を失ったかのような状態になった提督は病院へ緊急搬送され、一命は取り留めた。しかし、龍田の放った弾丸によって脊髄を損傷しており、二度と歩けるようにはならないだろうと診断された。

 

 そして、この事態に大いに動揺し、猛烈に怒ったのが提督の部下であった艦娘達である。提督の命が助かったという連絡を受けた彼女達は安堵したが、直後にその怒りの矛先が龍田に向かった。

 

 

「……何で?」

 鎮守府のとある会議室で、天龍が椅子に座り、腕を組み、足も組み、人差し指で自身の二の腕をトントンと叩きながら、対面の椅子に座って震えている龍田に険しい顔を向けている。その周囲を天龍同様の険しい顔をした艦娘達がズラリと囲んでいた。

「え?」

 すっかり怯えた表情でそう聞き返す龍田。天龍は苛立ちを隠さずにこう聞いた。

「龍田が提督撃ったんだよなあ? 何でそんな事したんだ?」

「え、と。それは、そういう、予定、だったから……」

 龍田はそう答える。実際、何も起こらなければ、彼女は然るべきタイミングで然るべき方向へと発砲をした事になるはずであった。問題は当初の想定に反し、その弾丸の軌道上に提督が居たという事である。

「予定通りだったら提督が居ても撃つんだ、お前は?」

「そ、そんな事は……」

 天龍はあの状況なら射撃を中止すべきだったと考えている。それは他の艦娘も同様であった。だから天龍は更に問う。

「じゃあ何で撃とうと思ったの? その根拠何?」

「そ、それは……」

「説明して? 然るべき理由があったから龍田は提督がいるのにその方向に撃ったんだよな? その理由を教えて?」

「そ、れは……な、何となく……」

 いかにも龍田らしくない漠然とした回答に天龍は思わず怒鳴り声を上げる。

「何となくで人一人殺しかけたんだお前は!? なあっ!?」

 それに対して龍田は、

「ち、違うの……」

 と小さな声で答えるのが精一杯であった。しかし天龍がこの程度で納得するはずもない。

「違うんなら『撃っても安全だった』って言い切れるだけの明確な証拠があるんだよなあ? それ見せて? 無理ならそこに至る思考ってのがちゃんとあったんだろ? それをきちんと論理立てて説明して?」

 天龍の詰問は更に続く。

「そもそもさあ、そういう時ってシナリオに沿ってちゃんと訓練が進んでるかどうか頭ん中でだけでもチェックするもんなんじゃねえの? 何でお前が独断で提督の居る方向に撃つって話になる訳?」

「そ、それは……焦っちゃってたし……」

「へええぇ〜。お前って焦ったら訓練でもすぐ実弾で人撃つんだ?」

「そ、そんな事は無いっ!!」

「無いんだ? じゃあ確認の手順すっ飛ばして提督が病院に運ばれた理由はどう説明するんだ?」

「え、と。その……」

「…………」

「それは、その……」

「何で周りに撃って良いかどうかぐらい聞かなかったんだよ?」

「…………」

「……説明しろよ。こっちは原因を知りたいんだから」

 重苦しく、殺気だった雰囲気がその場を支配する中、龍田は俯いて黙ったままだ。

「いいからさっさと説明しろって言ってんだよおっ!!」

 とうとう我慢しきれなくなった天龍は立ち上がって龍田に近づき、その胸倉を掴んで彼女を吊し上げた。

「て、天龍ちゃん、苦しい……」

「苦しい……? 人死なせかけといて良く言うなあ!?」

 誰も、止めようとはしない。あるのは龍田に対する極めて冷たい侮蔑の視線のみだ。

「じゃあ、もっと遡ろうか。あそこで一人転んだよな? あの時点で変だって思わなかったのか?」

「それは、その……おかしいとは、思ったけど……射撃中止の指示は出てなかったし」

 龍田がそう言うと、一瞬だけ意外そうな表情をした天龍は、龍田の横で彼女と同様の射撃を行う予定だった艦娘がこの場にいた事もあり、その艦娘に聞いた。

「だってよ。そうだったのか?」

「……いいえ、違いますね」

 そうその艦娘は答える。

「!?」

「提督はあの子が転んだのを見てすぐに射撃中止の指示を出しました。それからあの子の所へ走って行ったんですが、何故か龍田さんは射撃を継続してて……」

 と、不審そうに言う。また、その艦娘は、自分が撃つのを止めたのに龍田さんはそれにも気づかなかったみたいで、と付け加え、首を捻った。

「そ、んな……」

 そう言いながら青ざめる龍田をよそに、

「それって記録ある?」

 と聞く天龍。

「あります。無線のボイスレコーダーは全部正常に動いてましたから、それをチェックして頂ければよろしいかと」

 と、その艦娘は返答した。理由は不明なものの、提督の指示が龍田の耳に届いていなかった事だけは確かなようだ。それを聞いた天龍は龍田に向き直り、

「やっちまったなあ、おい。勘違いで人殺しかけるなんてよお」

 と、すっかり軽蔑しきったかのような表情で、龍田に言った。

「ち、違うの……」

 と龍田は言うが、天龍は彼女に対する糾弾を止めようとしない。

「何も違っちゃいねえぜ? 龍田が提督を死なせかけたって事実はな。あれは大戦前だったか、お前仲間の潜水艦沈めたよなあ?」

「そ、それは言わないで……」

「ほおん、それも言っちゃダメなんだあ? 前科持ちが? 無実の人間半殺しにしたってのに? 勘違いでそんな事しておいて優しくしろとでも!? いいご身分だなあ、おい、龍田あ!! テメエのポカで潜水艦沈めた時と何も変わってねえじゃねえかあ!! なああ!?」

 実際には、第四十三号潜水艦が龍田と衝突した原因は、演習の際、仮想敵であった潜水艦母艦・見島を追尾する事のみに潜水艦側が意識を集中させてしまっていた為、見島に後続していた龍田に気付かなかったという事にもあるので、単純に龍田だけの責任とは言い切れない。

「そういやあ美保関で神通と那珂と葦を大破させて蕨も沈めて……あれって直接の原因お前だったよなあ?」

 その場にいた神通と那珂は途端に苦い表情を浮かべて顔を背けた。これ自体も、演習時に龍田が神通に探照灯を浴びせた所、攻撃の機会を失ったと判定された神通がそれ以上の直進を断念して旋回したものの、そのやり方がまずく事故に至ったという側面が大きく、それ以前に訓練内容に無理があったという事もあり、起こるべくして起こった事故ではあったのかも知れない。ただし、龍田が神通に向かって探照灯を浴びせた時間が長く、それが神通の操船ミスに繋がった可能性は否定出来ない。

 ともかく、単独で何かしらのミスをする事は少ないものの、何かしらの形で龍田がこれらの大事故に絡んでいたのは確かであり、薄々ながらも「コイツは呪われているんじゃないか」と、疑念を抱く艦娘も少なくなかったのである。

 そして、艦娘になってからはこれである。

「ご、ごめんなさい……」

 ようやく天龍の手から解放された龍田は、もはや嗚咽しながらそう言うが、天龍は見下しきった目で、

「謝る相手が違えだろ。ここにいるヤツらじゃなくて提督じゃねえの?」

 と言った後、周囲を見渡して、

「で、どうするよコイツ? まあ、死んで詫びるってのは今更考え方が古いよな?」

 と聞いた。その内の一人が、

「憲兵さんの取り調べが終わるまでは外出禁止程度で良いんじゃないですか? 最終的な判断下せる人は今入院中ですし」

 と答えた。

「だとよ。だからお前はこのまま。勝手に敷地から出るんじゃねえぞ」

 と、思い切り龍田に顔を近づけて通告した後、

「それと、俺の部屋に来たりすんなよ? ここまで薄気味悪い奴と同じ空間にいるとかヘドが出るからな」

 と言い、他の艦娘と共に乱暴な足音を伴いながら会議室を出て行った。そして、その後に残されたのは、ひたすら号泣するばかりの龍田だけであった。

 

 その後、提督が退院するまで、周囲の冷たい視線に耐えるしかないという、龍田にとって実に辛い日々が続いた。一度、天龍と会話をしようと試みた事があったものの、その途端、

「話しかけんな。身内をうっかり狙撃するような奴に関わりたくねえからよ」

 と言われてしまい、その後は無視されるようになった。

 鎮守府の皆が敬愛する提督から歩行する能力を奪い、そのせいで密かに人望のあるあの天龍さえ激怒させた。そんな龍田の擁護をしようとする艦娘など、もはやこの鎮守府には居なかった。

 

 

(自分に味方は居ないと思い込んでるのか……。確かに、あの鎮守府はもしかしたらそうかも知れんが、俺も信用してくれなくなっているなんて……)

 提督は暗い気分のままそう思った。彼が退院後、最後に鎮守府に出向いたあの日、車椅子に座った状態で、自分は艦隊司令の立場を退いて予備役に下がる旨を鎮守府のメンバーに伝えた所、その際の彼女達の表情は非常に悲しげであった。しかし、その次に龍田が「自分も予備役に下がって提督のお世話をさせて欲しい」と言い出した途端、周囲は彼女に対して一斉に冷えた視線を向け、白けた雰囲気を醸し出し、そして舌打ちの音さえも聞こえた。その状況を見て、自分が入院中に龍田がどれだけ苦しい思いをしていたかに想到してしまった事もあり、内心で寒々とした気持ちにさせられた事をよく覚えている。

 元々分かりづらい部分ではあったが、姉の天龍から受け継いでいると言える龍田の気質として、虚勢を張りたがるというものがある。しかし、姉と大きく異なり、内面ではその実、非常に怯えが激しく、精神的な余裕もさほど無い。だから天龍が気丈と評される事はあっても、龍田の場合はそうはならない。むしろ怯えを刺激された場合、あるレベルを越えれば、その精神は一気に破綻しかねないという危うさを備えていた。

 数々の事故に遭遇した事で元々彼女の精神が蝕まれていた事は否定出来ないが、提督の一件が致命的であった事もまた否定出来ない。

 

 確かに自分は事故で脊髄を破壊され、今後二度と歩けるようにはなるまい。だからと言って、それが龍田を自分の元に縛り付ける理由になるとは思っていない。

 あの事故は別に龍田にだけ原因があるのではなく、むしろ自分の軽率さがあったからこそ発生したと提督は感じている。

 彼が主導する形で訓練内容を策定するに当たって、安全性の確保に漏れがあった事もまた事実であろう。無線の指示が龍田にのみ届かなかった件については、彼女の使用していた周波数に混信が発生していたらしく、提督の指示を聞き取る事は困難であったろう事が、事故後に行われたボイスレコーダーの解析から判明し、とにかく運が悪かったとしか言いようがない。あるいは、無線の変調方式や使用する周波数の割り当てについて、提督がもう少し念入りに検討をしていれば、避けられた可能性はある。それらを踏まえれば、やはり自分が原因となり、起こるべくして起こった事故であったと考えざるを得ないと言うのが提督の正直な思いである。だから、生活そのものは車椅子に座ったままである事を強いられるものの、別に龍田にここまで献身的になってもらう必要など無いのである。

 なのに、今の龍田はまるで提督の奴隷のようだ。自分の一言二言に恐怖し、まるで媚びるかのように顔色を伺う。鎮守府にいた頃にはありえないような変貌ぶりである。しかも、これは決して他者から強いられている訳ではなく、龍田本人が自主的に行っているという点にやるせなさがある。

 自分と異なり、真っ当な将来があるはずなのに、もはや彼女の視界にそれは映らない。

 

(そう言えば、今朝はまたうなされていたみたいだな……)

 龍田は毎日のように悪夢を見るようになっているのである。演技をしているだけで、実際には思考能力も観察眼も全く衰えていない提督が、彼女の顔を一目見れば、そこにはやつれと不安があるのはよく分かる。もはや満足に睡眠も取れていまい。このままいけば龍田までもが完全に健康を害してしまうのは時間の問題である。その原因は自分にあるし、だからこそ正式に軍に復帰してもらい、今回の事態の原因である自分と距離を置けば、ある程度改善も期待出来るのではないかと考えてはいる。

 が、龍田にそんな話をした所で返ってくるのはつい先程のような激しい拒絶反応だ。もはや何度も繰り返されてきたやりとりであり、彼女は自分がいなければ提督が完全に壊れてしまうと、そう思い込んでしまっているのである。自分が予備役の立場でありながら、軍の書類を普通に処理出来ているのを見れば、その思考能力に異常など無い事もすぐに気付きそうなものだが、残念ながらそうではない。

 

 だから提督は無知になった振りをする。これが無力な自分が龍田に与える事の出来る、せめてもの生きがいであり、行う事の出来る贖罪である。

 すがり付いてくる龍田を見て、無様だな、とは思う。彼女をこの世の誰よりも不憫だとも感じている。が、提督がその事を口にする事は決して無い。これ以上龍田を追い詰めてどうしろと言うのか。

「まあ、落ち着いてくれ。とりあえず、腹が減ってしまったよ。何か、作ってくれるか?」

 提督がそう言った途端、気力を僅かながら取り戻した龍田は、

「分かったわ! 何が良いっ!?」

 と、聞いて来た。

「龍田の作るものなら何でも良いよ。君の作る物は美味しいからね」

「うん、うん、だったら、滋養に良い物を作るわね?」

 明らかな空元気と、虚ろな目でそう言う龍田は速やかにキッチンへと向かう。

 提督の一件で一度精神に破綻をきたし、現状を見た限りでは正式な軍への復帰も望み薄な龍田は果たして今後どうなるのか、そんな事などもはや提督は考えるのも嫌になっていた。

 前を向いて生きて欲しいのだが、そうさせる方策はいささかも見出せないのは非常に辛い所だ。しかもこの現状は龍田にばかり責任があるのではなく、むしろ自分が負わなければならない側面が大きいにも関わらずである。

 自分は捨てられるかもしれないという、そんな恐怖感にひたすら駆られ続けている、まるで忠実な下僕のような境遇さえ否定してしまえば、もはや彼女をどうやって生きて行かせれば良いのか分からない。

 焦点の合わないような目つきをやめてその後ろ姿を眺めていた提督は、今度はそれに代わって非常に暗い目つきをしながら彼女から視線を背けた。

 

 

 龍田が、壊れていく。提督はその事が、とても、とても哀しかったのである。



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