異伝・時のオカリナ 時の勇者ボクっ娘説 (ほいれんで・くー)
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大人時代 水の神殿
プロローグ 叫ぶルト姫


 熱い。

 

 ハイラル全土を、目に見えない炎が包んでいる。膨大な魔力と熱量を持つ、どこまでも(くら)い炎が燃え盛っている。炎は生きとし生ける者を一切の仮借(かしゃく)なく責め苛む。それは死の大火山(デスマウンテン)から流れ落ちる溶岩よりも熱く、決して弱まることはない。燃え盛る炎は、黄金の三大神が創り給うた世界を、塵一つ残さず焼き尽くさんとする。

 

 まるで、お前たちはこの世にいらないと呪詛を飛ばしているように、炎は流れる。

 

 七年前、突如としてこのハイラルに大魔王ガノンドロフが出現した。聖地を手中に収めた魔王は、緑豊かなハイラル王国を魔物溢れる暗黒の世界へと変えた。壮大なる王城は崩れ落ち、繁栄を極めた城下町は燃え落ちた。為す術なく逃げ惑う人々は暴虐の軍勢に殺戮されて、平原と街道は血の海と化した。

 

 この世に漂う怨念と、野晒しにされた骸骨は、炎に焼かれて新たに魔物となった。人々の血と涙を吸い漆黒の悪意を受けた土は、人型を纏って呻き声を上げるようになった。人はもはや大地の主人ではなく、死者と魔物がそれにとってかわった。

 

 だが、まだ人間は滅んでいない。

 

 業火に苦しめられながらも、人々はなおも戦い続けている。森に、山に、水に、人々は陣列を組んで戦っている。彼らは剣を取り槍を構え、昂然と胸を張って叫ぶ。「このまま終わるわけにはいかない」 たとえ魔王がこれ以上に火勢を強め、炎を拡げたとしても、人々はまだ倒れない。

 

 なぜなら、彼らには希望があるからだ。暁闇(ぎょうあん)を貫く一筋の流星のごとき希望を、彼らは固く胸の内に秘めている。この世界を焼き滅ぼさんとする炎を消し去り、一陣の涼風をもたらす存在が現れるのを、彼らは待ち望んでいる。

 

 そう、勇者の出現を、彼らは待っているのだ。

 

 いつからだろうか、このような(ゴシップ)が出回るようになった。長き眠りから覚めた勇者は、いつか必ずこの暗黒のハイラルに降臨する。緑衣に身を纏い、聖なる剣を振るうかの者は、小さな妖精を連れ、妙なる音曲を奏でつつ大地を駆け巡り、この世のありとあらゆる邪悪を斬り払うであろう。魔王を討滅し、このハイラルにふたたび光をもたらすであろう……

 

 噂は人々に勇気を与え、絶望的な戦いを継続する活力をもたらした。

 

 しかしながら、すでに七年が経過していた。魔王の攻勢は日に日に強まっている。死者は増え、墓地は拡がり、嘆きの声は強くなるばかりだった。

 

 いったい、いつになったら勇者は来てくれるのだ? こんなに苦しんでいるのに、こんなに追い詰められているのに、勇者は一向に来てくれる気配がない。長き眠りに就いているらしいが、だとすれば勇者という奴は相当なねぼすけのようだ……

 

 そんな不平とも愚痴ともつかない言葉のすぐそばを、青い燐光を引き連れた、緑色の小柄な影が走り去っていく。

 

 人々は、愚かにもそれに気付かない。

 

 

☆☆☆

 

 

 ゾーラの姫君(プリンセス)であるルトは一人、水の神殿の中を進んでいた。

 

 青みがかった美しい白い肌、豊かな胸にくびれた腰……それは水の民に特有の繊細なる艶姿(あですがた)だった。彼女の手足のヒレは優雅に波打ち、暗い水中を怖れることなく掻き分けていった。その凛としつつも慈愛に満ちた目つきは使命感に燃えていた。

 

 ルトは神殿の内奥へと、石造りの通路をゆっくりと、しかし着実に泳ぎ進んでいった。彼女は言った。

 

「進まねば……奥へ、奥へ……」

 

 神殿内部は静かだった。だが、言いようのない緊張感を孕んでいた。ハイラルの水瓶(みずがめ)と謳われるハイリア湖の底に位置するこの神殿は、元々は水の神を祀るために建立された。それが今では魔物の巣窟となり、死の罠と化していた。鋭い刃を持つ二枚貝、シェルブレード。金属の外殻に身を包み、無数の棘を有したウニ型のモンスター、スパイク。耳障りな音を立てて水面を飛び跳ねる巨大甲殻類、青テクタイト……魔物は神殿内に跋扈していた。

 

 ルトはたった一人でそれらに立ち向かい、あるいは倒し、あるいは躱して、神殿の奥へ奥へと突き進んだ。魔物に遅れを取るほど彼女は弱くなかった。むしろ、ルトは強かった。彼女は強い魔力を持ち、自在に水を操ることができた。しかし、彼女に(とも)はいなかった。高貴な身として生まれながら、彼女はいまやたった一人だった。

 

 供も、兵も、民も、父たる王も、もういない。彼らは皆、ゾーラの里で氷漬けになっている。

 

 七年前にハイラルに出現した大魔王ガノンドロフは配下の軍勢を走らせ、ハイラル王国軍を壊滅させた。魔王は街と村々を焼き、無辜(むこ)なる民を殺戮してその威容を誇示すると、諸種族に服従を迫った。従えば良し、逆らえば赤子と言えども容赦せず絶滅させる。魔王はその絶大なる力で以て、暗黒のハイラルに絶対支配を打ち立てんとした。

 

 水の民たるゾーラ族は、これに敢然と反抗した。寛大にして鷹揚なるキングゾーラ、ド・ボン十六世は、降伏を勧告する魔王の使者に対し玉座の上からただ一言、「拒否するゾラ」と答えた。降伏を主張する元老院の一派も、王の決意を目の当たりにして意見を翻した。ゾーラ族の男たちは手に手に武器を持って参集し、女たちは家事を投げ打って、薬を調合し包帯を縫うようになった。

 

 ゾーラ族は善戦した。魔王の軍勢よりも遥かに兵力は少なかったが、彼らは地形を上手く利用した。流れ早く水冷たきゾーラ川を防衛線として、彼らは水中から神出鬼没の遊撃戦を行い、寸土といえども明け渡すことはなかった。彼らの士気は高く、その戦意は燃えるようだった。故郷である里を、愛する妻と子を、恋人を、決して奴らの思うとおりにはさせない。王と姫君をお守りし、ゾーラ族の栄光を輝かせるのだと、彼らは誓いを立てていた。

 

 その頃、まだ背丈も低く、声も高かった幼きルトは、戦乱の最中にあって初めて、誇り高きゾーラの姫君(プリンセス)としての自覚を持つに至った。

 

 キングゾーラの思し召しにより、玉座の間は戦いで傷ついた者たちのために開放されていた。玉座の間で、ルトは女官たちと共に負傷者の治療に当たった。ゾーラの戦士たちはどれだけ深手を負っていても恨み言一つ漏らさず、回復すればまた戦いの場へ赴き、回復しなければ従容(しょうよう)として死に就いた。

 

 死にゆく戦士たちは口々に言った。「姫様、どうかこの戦いを生き延びて、また父王陛下と共に平和な里をお治めになってください」

 

 若きゾーラの男たちの、青く熱い血に手を触れたルトは、王族としての愛に目覚めた。

 

 この者たちの犠牲と死を無駄にしてはならない! 敵を退け、ゾーラの里に平和と繁栄を取り戻し、民たちがふたたび笑顔を浮かべられるようにしなければならない!

 

 幼き心は気高き大志へ……ルトは変わった。それまで少しばかりワガママで、ともすれば(生まれついての身分ゆえ仕方のないことでもあったが)尊大とも言えるような性格をしていた彼女は、成長しようとする意欲に満ち溢れるようになった。

 

 たまにサボっていた勉強や礼儀作法のレッスンも、ルトは欠かすことがなくなり、むしろ熱心に学ぶようになった。戦士たちからは戦いの方法を学び、王からは民を統べる術を教わって、彼女は急速に、そして豊かに、身も心も大きくなっていった。

 

 数年が経ち、ルトは見違えるようになっていた。背が伸び、胸が膨らみ、ヒレが長く伸びた。彼女は自ら陣頭に立って敵を迎え撃ち、戦果を挙げることもしばしばだった。キングゾーラはそんなルトを見て「亡きクイーンゾーラの生き写し」と喜んだ。民や戦士たちも、ルトをより一層崇拝するようになった。

 

 そんなルトであったが、未だに一つだけ、幼い頃より変わらない部分もあった。激務を終えて深夜にただ一人寝台で横になり、豊かな胸の上で両手を組んで彼女が思うことは、ただ一つだった。

 

 あの森から来た緑の少年、妖精を連れたあの男の子、自分の婚約者(フィアンセ)たるリンクは、いったい、いつになったら自分の元へもう一度やって来てくれるのだろうか?

 

 まだ彼女が小さい頃、ゾーラ族の守り神であるジャブジャブ様がおかしくなってしまったことがあった。ジャブジャブ様のお食事係を務めていたルトは、食事と一緒に飲み込まれ、その拍子に亡き母君から託された「ゾーラのサファイア」をどこかに落としてしまった。

 

 魔物が(うごめ)く暗い体内を、ルトは当てどもなく歩き回り、必死になって母の形見を探した。あれは、ゾーラの王族のエンゲージリング。将来夫となる者に授けよと言われた、大切な宝物。あれを見つけない限りはここから出られない。だが、どうしても見つけることができない……

 

 一縷の望みを託して、ルトは救援を乞う手紙をビン詰めにして出した。ジャブジャブ様のピンク色をした消化管にビンを押し込んで……彼女自身、助けが来るとは思っていなかったが、しかしほどなくして、それは来た。

 

 その助けに来た人物は、あまり頼もしい外見をしていなかった。それは、ルトとさほど年齢の差がない、緑衣を纏った少年で、背丈は低く、まるで女の子のように白い肌をしていた。頭には帽子を被っていて、そこから覗く金髪は春の午後の日差しのような柔らかさだった。半ズボンから伸びる脚は、ゾーラ族にも劣らぬくらいにぴちぴちとしていた。少年は青い燐光を放つ妖精を連れていて、その右手には木で出来た盾を持ち、左手には小振りな剣を持っていた。

 

 とても、この窮地を救ってくれるような存在には見えなかった。幾分か落胆を覚えた幼きルトは、リンクと名乗る少年ににべもない態度を取ってしまった。

 

「助けにきた……? そのようなことをいった覚えはない! それに、い、いまはかえれぬ……そのほうこそ、さっさとかえれ! よいな!」

 

 それが少し後ろめたくて、ろくに足元も確認しないで歩き出したら、彼女はぽっかりと開いた穴に落ちてしまった。

 

 それでもリンクは追ってきてくれた。それだけではなく、その小さな体には見合わないほどの勇気を出して、無数の魔物を追い払い、ついにはジャブジャブ様の奥深くに寄生していた巨大な魔物(バリネード)も討ち滅ぼしてくれた。

 

 すべてが終わって、ゾーラの泉の澄んだ水面に二人きりで浮かんでいる時、ルトはリンクに言った。

 

「そなた! 思ったより……カッコよかったぞ。チョッピリな……ま、助けてもらったのだから何か礼をしてやっても良い」

 

 生まれて初めて覚える、言い知れぬ高揚感を胸の内に秘めて、ルトはリンクに言った。

 

「なにが望みじゃ、言うてみよ!」

 

 リンクは、戦っている時の勇敢な姿とはまるで違って、どこかもじもじとしながら答えた。

 

「あ、あの……その……水の精霊石がほしい……」

 

 ルトは頷いた。

 

「よかろう! そなたにわらわのイチバン大切な、ゾーラのサファイアをさずける!」

 

 将来夫となる者に授けよ、と亡きルトの母は言った。なるほど、この少年ならば夫とするに相応しい。幼心に彼女はそう思った。ひたむきで、真っ直ぐで、勇気がある。ちょっと優しすぎるようなところもあるが……王族としての一生を共に過ごしていくのに、これほどの者はいないだろう。

 

 幼いルトには分かっていなかったが、王族が伴侶を得るのは、すなわち後継者を儲けるためでもある。つがいとなって自分たち二人の血を受け継ぐ子を残し、育て、新たな王にしなければならないのだ。大きくなって、女官から「赤ちゃんはどこから来るのか」ということの真実を聞いた時、ルトが最初に思ったことは「はたしてただのハイリア人とゾーラ族との間で、子をなすことができるのだろうか?」という疑問だった。

 

 敵の軍勢と戦うという多忙な日々を送りつつ、ルトは過去の記録を密かに当たって、ゾーラ族とただのハイリア人との間で子どもが産まれたことがないか調べたりもした。結果、前例はないことが判明した。

 

 それでも彼女は諦めなかった。前例がなくとも、可能性が消えたわけではない。不可能であると断言するには早いのだ。

 

 それに、誓いは絶対である。ルトはリンクにエンゲージリングを授け、リンクはそれを受け取った。はたしてリンクがその意味をちゃんと理解したのかどうかは定かではないが(あの時リンクはよく分かっていないような顔をしていた)、あれから数年の時が経っている。彼も大きくなって、婚約というものを理解しただろう。

 

 それなのに、リンクは来ない。これだけゾーラの里が危機に立っていて、魔王の軍勢の暴戻(ぼうれい)に何とか抗っているのに、リンクはいつまで経ってもやって来ない。いったいどこで何をしているのだろうか? 寝台に横になり、柔らかなクッションに顔を埋めながら、ルトはよく呟いた。

 

「こんなに長い間わらわを放っておくとは、リンクもヒドい男じゃゾラ……」

 

 まさか、魔王に殺されてしまったのか? いや、そのようなことがあるはずがない。あれほどの勇気を持っていて、自分が唯一無二の夫と見込んだ男が、魔王如きに殺されるはずがない。きっとどこか別の場所で、一生懸命戦っているのだろう。優しくて、すぐに他人を助けてしまうような性格をしているのだから……

 

 でも、早く来て欲しい。夜ごと、高鳴る胸を抑えながら、ルトは眠りに就くのだった。

 

 そんなルトの状況が一変したのは、王国が滅亡し魔王が出現してから七年が経過した時であった。

 

 それまでも魔王ガノンドロフは、苛烈な攻勢を行いながらも、どこか余力を残しているようだった。伝え聞くところでは、魔王はハイラル城跡地に巨大な城(ガノン城)を新たに普請(ふしん)し、その一室に籠っているとのことで、自ら軍勢を率いて各種族を討伐に赴くというようなことはしていなかった。その意図をはかりかねつつ、ルトは日々の防戦に努めていたのだが、魔王はついに行動を起こした。

 

 ハイリア湖に配置した部隊から、「湖の水位が急速に低下している」との通報を受けた時には、もう手遅れだった。それまで一兵たりとも敵の侵入を許さなかったゾーラの里を、突然邪悪な魔力が包んだ。見る間に、里の空気は冷気を帯びて、ありとあらゆる部分が凍り付いた。無数の氷柱が垂れ下がり、あるいは地面から立ち昇った。

 

 その時、ルトはキングゾーラの傍らにいた。キングゾーラが呻き声を上げると同時に、瞬く間にその玉体が赤い氷に覆われていった。

 

「父上!」

 

 叫ぶルトに、キングゾーラは些かも表情を変えずに言った。

 

「余のかわいいルト姫よ、もはやこれまでのようゾラ……どうかそなただけは落ち延びてくれい……ゾラ……」

 

 ルトは一瞬逡巡し、それから走り出した。逃げて、再起を図らねばならない。しかしどこへ、そしてどうやって? 女官たちも、戦士たちも、民たちも、次々に氷へ飲み込まれていく。彼女は、冷気に含まれる悪しき魔力の波動を感じ取った。おそらく、この里と繋がっているハイリア湖に、魔王が何かをしたのだろう。一挙にゾーラの里を凍り付かせて、ゾーラ族を一網打尽に葬り去る心算であるらしい。

 

 もう少しで氷に飲み込まれそうになったルトを助けたのは、シークと名乗る青年だった。シークはルトを連れて、今にも氷に閉ざされそうになっている秘密の抜け道を通ると、彼女をハイリア湖へと導いた。

 

 頭部に白い布を巻き、忍び装束に身を包んだシークは、その赤い目でルトを見つめつつ言った。

 

「ゾーラの里を襲った異常事態の元凶は、水の神殿にいる」

 

 ルトはそれを聞いて、単身神殿に向かい、敵を討つことにした。最初、そんな彼女をシークは引き止めた、だが、押し問答の末、ついにシークはルトの熱意に負けたようだった。そして、彼は彼女にあることを教えた。

 

「必ず勇者がやってきて、水の神殿を悪しき者たちの手から解放するだろう」

 

 勇者とは、まさか? ある予感を覚えたルトがシークに問いかけようとした時、すでにその姿は消えていた。

 

 こうして、ルトはたった一人で水の神殿に乗り込んだのだった。

 

 水は邪悪な魔力を含んでいて、彼女の肌に刺すような鋭い痛みを与えてきた。それでも、彼女に恐怖はなかった。そのかわりに、熱い使命感が彼女のうちにあった。民を救い、里を救うという使命感、それが彼女に力を与えてくれた。

 

 それに、遠からずここへ勇者が来てくれる。勇者とは間違いない、リンクだ。シークはそう言わなかったが、彼女には分かった。あの少年、将来を誓い合ったあの人間の男の子が、きっとやって来てくれる。そのことが、ルトに勇気を与えてくれた。どんな敵に遭遇しても、どんな目に遭っても、自分は決して挫けない。リンクが、自分に会いに来てくれるのだから。

 

 愛情深くなり、より大いなる慈愛の心を持つようになった。だが、恋心は消えていない。

 

 最後に会ってから七年が経っている。リンクは、どれだけ立派な青年になったのだろう? ルトは想像を巡らせた。自分が大きく成長したように、彼もきっと雄々しく、美しく、凛々しくなっているに違いない。長年に渡って眠れぬ夜を過ごさせた、愛しくて憎い彼。スラリと伸びた高い背に、筋肉を纏った分厚い胸板。笑顔を浮かべて、その両腕で優しく抱きとめてくれるだろうか……?

 

 ルトの脳内で、声が再生された。それは低い、うっとりとするような、しかしどこかに激情を隠した声だった。

 

「ルト、遅くなった。待たせてすまない。これからはずっと一緒だ」

 

 そう言ってくれるだろうか? いや、はにかみ屋の彼のことだ、自分からはそんなことを言わないかもしれない。仕方ない、こちらからリードしてあげるべきだろう。会ったらまず最初にどんな言葉を投げかけようか……

 

「『リンク、遅かったじゃないかゾラ!』……いや、これはなんというか乱暴な印象がある……『リンク、会いたかったゾラ!』……これもなんというか、慎みに欠けるような……うーむ……」

 

 淡い妄想を巡らせ、少しばかり緩んだ表情を浮かべつつ、ルトが耳障りな金属音を立てて向かって来るスパイク三体を瞬殺したその時だった。優れた彼女の聴覚が、何かの音を察知した。

 

「これは……」

 

 何かが水中へ飛び込む音だった。その音の大きさから考えるに、おそらく人間一人が飛び込んだのだろう。何か重い物でも持っているのか、それは深度を急速に増していた。それは真っ直ぐにこちらへ向かっているようだった。

 

 ルトは、声をあげた。

 

「……リンク。リンクじゃな!」

 

 間違いない、リンクだ。ルトは直感した。ほどなくして、ここへ来るだろう。ちょうど小部屋に辿り着いていた彼女は、急いで身づくろいをした。

 

 どんな格好でリンクを迎えるべきだろうか? 色々とああでもないこうでもないとポーズを取り、考えあぐねた結果、彼女は腰に手をやり、悠然と構えることにした。王族らしい、気品ある雰囲気を醸し出すには、これが最適だ。

 

 リンクと思しき者が水中を進んでくる音が、なおも続いていた。どんどんこちらへ近づいてくる。この広大な水の神殿で、迷うことなく真っ先に自分の元へやって来るとは、やはりリンクと自分は心が通じ合っているのに違いない。ルトはほくそ笑んだ。

 

 ついにその者は通路の角を曲がって、ルトのいる小部屋に入った。ルトは見た。彼女が目にしたのは、ゾーラ族謹製の青い耐水スーツに身を包み、背中に長剣と盾を背負った、幾分小柄な青年の姿だった。その頭には青い帽子を被っていて、すぐそばに青い妖精が飛んでいた。

 

 その人物は、彼女を見るなり驚きの表情を浮かべ、叫んだ。

 

「あっ!? き、君は、もしかしてルト……? ルトじゃない!?」

 

 妖精の力によるものだろうか、その声は陸上の時と響きも変わらず、明瞭にルトの耳に届いた。

 

 だからこそ、彼女は少しばかり違和感を覚えた。

 

 あれ? ちょっと声が高くないゾラ? まるで女の子みたいな……

 

 だが、ルトはすぐさま気を取り直した。ゾーラ族とは違って、ハイリア人の大人の男性は少し声が高いのかもしれない。彼女はゆったりと微笑みながら口を開いた。

 

「おお、そなた……もしやリンク……? リンクじゃな!」

 

 言葉を受けても未だに呆然としているリンクに対して、ルトは大きな胸をさらに張って、高らかに名乗り上げた。

 

「わらわじゃ! そなたの婚約者(フィアンセ)……ゾーラの姫君(プリンセス)、ルトじゃ!」

 

 続けてルトは、ニヤリと笑みを浮かべて言った。

 

「七年前の二人だけの約束、全て覚えておるぞ。七年もわらわを放っておくとは、そなたもヒドい男じゃゾラ……」

 

 彼女がそう言い終わるのを待つまでもなく、突然リンクは履いているヘビーブーツの音もけたたましく駆け寄って来ると、ルトに飛びつくようにして抱きついた。

 

「ルト! 久しぶりだね! 会いたかったよ!」

 

 ルトは驚いて声をあげた。

 

「ゾ、ゾラッ!? リ、リンク!?」

 

 思いがけぬリンクの行動に、ルトは密かに赤面した。これは、想像以上の展開だ。まさかリンクが自分から抱きしめてくるとは。リンクは、あたかも小さな子どもが母親に甘えるように、ルトに抱きついて頭をすり寄せていた。水中なので思うようにならないようではあったが、とにかくリンクはそうしていた。妖精が喜びの舞いをするように、二人の周りを飛び回っていた。

 

 感極まったように、リンクが言葉を漏らした。

 

「本当に久しぶりだね、ルト……七年も会えなくてゴメンね……」

 

 ルトの胸中に、温かな愛情が満ち溢れた。

 

「リンク……」

 

 愛しい人、七年も待ち続けた人、眠れぬ夜を過ごさせた人、その人が今、自分の腕の中にいる。自分に抱きついて、言葉を投げかけてくれている。

 

 それにしてもと、ルトは抱きしめ返しながら思った。リンクは思ったよりも大きくならなかったようだ。流石にあれから背は伸びたとは言え、あまり高いとは言えないし、腕もそれほど太くない。顔つきだって雄々しく凛々しいというよりは可愛くなっているし、それに今自分に押し付けている胸だって柔らかすぎる……

 

「うん?」

 

 柔らかい? そんな馬鹿な。ルトはもう一度感触を確かめた。むにゅっとした、もにっとした感触だった。うん、やはり柔らかい。異様に柔らかい。耐水スーツに圧迫こそされているが、柔らかさを隠し切れていない。大きくて豊かな起伏が、青い服の一枚下に息づいているのを確かに感じる。

 

「いや、そんな、まさかゾラ」

 

 いや、あり得ない、そんなことは。そうだ、戦う者の嗜みとして、胸に緩衝材か何かを入れているだけかもしれない。胸部への致命的一撃を避けるような、そんなクッションか何かを……

 

 ルトは、ともすれば声が震えそうになるのをなんとか抑えつつ、リンクに問いかけた。

 

「リ、リンクよ、そなた、そなたはなにか、胸に何かを詰めているのかゾラ?」

 

 リンクは意外そうな声を上げた。

 

「えっ? 胸? 別に、何も詰めてないよ?」

 

 その声はやはり高かった。まさか、いやそんな。ルトは勇気を振り絞って再度口を開いた。魔物の軍勢を相手にする時でも、これほどの勇気は要らなかったのに……

 

「し、しかし……それならば、その胸の柔らかいものはいったい……?」

 

 そう訊かれたリンクは、ルトの顔を見た。心なしか表情を赤らめているようにも見えた。

 

「そ、それは……言わなくても分かるでしょ。ボクの、お、お、おっぱ……ううん、胸だよ」

 

 おっぱい? 胸? 人間の男性がそんなものを持つ? いや、図鑑にも本にもそんなことは書いてなかった。そう、ルトはかつて徹底的に調べ上げたのだ、ハイリア人の男性の体の仕組みについて……だから、ここから論理的に帰結することはただ一つだった。しかし……

 

 ルトはまじまじとリンクの顔を見つめた。長い耳、透き通るような白い肌。ぱっちりと開いたつぶらな目、輝く青い瞳、豊かな睫毛。すっと通った小振りな鼻、艶やかな桃色の唇。不思議そうな表情をする、可愛らしい顔。

 

 そう、()()()()()()()可愛らしい顔……

 

 水の神殿全域に響き渡るような大きな声で、ルトは絶叫した。

 

「七年間ぶりに再会したフィアンセが女の子になっていたゾラぁあああっ!?」




(たぶん)続きます。次回もお楽しみに。


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水の神殿に二人は笑う

「もとからボクは女の子だよ!」

 

 驚愕と衝撃に襲われて魂の奥底から絶叫するルトに対して、リンクはその愛らしい唇をやや尖らせて答えた。

 

 それでもなおルトの興奮は冷めなかった。ルトは言った。

 

「ちょ、ちょっと待って欲しいゾラ」

 

 抱きしめるのをやめて彼女は一歩下がると、少し離れたところからリンクの姿を改めて眺めた。自分よりも少しだけ低い身長、狭い肩幅、白いタイツを纏ったほっそりとした手足、細い腰……確かに、女の子のように見える。知らない人が見れば、剣と盾をはじめとした物々しい装備のせいで勘違いしてしまうかもしれないが……

 

 呆然とした心持ちのままに、ルトはなんとなくその優美な手をリンクの胸元へ伸ばした。そして、おもむろに服の上から、彼女はじっくりとリンクの胸を揉んだ。ルトの白魚のような指先が胸に沈み込んだ。

 

 その途端、リンクが素っ頓狂な声を上げた。

 

「きゃあ! いきなり何するの!?」

 

 ルトは言った。

 

「う、うむ、すまん……」

 

 顔を真っ赤にしているリンクを余所(よそ)に、ルトは自分の手を見つめた。やはり柔らかかった。服と水圧で圧迫されているが、やはりむちっとしたような、ふにゅっとしたような心地良い感触があった。疑いようもなく女の子の柔らかさだった。男の筋肉ではこうはいかないだろう。

 

 ブクブクと、ルトの口から泡と共に言葉が漏れ出た。

 

「や、やっぱり、女の子ゾラ……正真正銘ハイリア人の女の子ゾラ……」

 

 彼女は改めてリンクを見た。身を守るように体に手を回していて、ルトを睨んでいるリンクは、ただの女の子ではなかった。素晴らしい美少女だった。幾分か中性的な雰囲気を醸し出しているが、健康で気力と体力に満ち溢れた、可愛らしい十代の女の子だった。何度も何度も見返して、ようやくルトは納得し始めていた。

 

 それに、見た目だけではなかった。ルトの鼻は、リンクから女の子のにおいを感じ取っていた。水の民であるゾーラ族は水中での嗅覚に優れている。リンクからは、ゾーラ族の女性と似たような芳香が漂っていた。甘く、軽やかで、ほっと安心するような、そんな香りがした。

 

 なおもしげしげと全身を眺めるルトに、リンクはむっとしたような顔をして、両手を腰にやってから言った。

 

「……もしかして、ボクのことを今まで男の子だと思ってた?」

 

 男の子と間違われて喜ぶ女の子などいない。ルトは神妙に頷いた。

 

「うむ……その、なんじゃ……今の今まで男の子だと思っていた……ゾラ。リンクよ、念のため確認するが、昔は男の子だったが大きくなるにつれて女の子に変わったとか、そういうことはないかゾラ? なんというか、こう、長き眠りから覚めたら突然女の子の体に変わっていたとか……ゾラ……」

 

 そう問いかけるルトの言葉はだんだんと尻すぼみになり、そして途切れた。魚類(ぎょるい)でもあるまいに、ただのハイリア人にそんなことがあるわけがないのは彼女自身よく分かっていた。その上、言うにつれてリンクの目つきがどんどん物言いたげなふうになっていったのを見たからでもあった。

 

 しばらく、沈黙が辺りを包んだ。痛いほどの静寂の中、遠くから微かにスパイクやテクタイトなどの魔物が蠢く音だけが伝わってきた。

 

 ややあって、リンクが大きな溜息をついた。ボコっと大きな気泡が生まれ、ゆるゆると上昇していった。

 

「ボクは生まれた時から女の子だよ。ルトと初めて出会った時も女の子だったし、たぶんこのまま一生、性別は変わらないと思うよ」

 

 そこまで言ってから、リンクは少し俯いて内股になり、もじもじとし始めた。

 

「……それともルトは、ボクが男の子じゃないとイヤ?」

 

 大きな声でルトは即答した。

 

「そんなことはないゾラ!」

 

 そして彼女は、今度は自分からリンクを力強く抱きしめた。

 

 リンクが声をあげた。

 

「ル、ルト!?」

 

 ルトは言った。

 

「リンクが女の子であろうと、わらわは一向に構わぬ! リンクはわらわが『ゾーラのサファイア』を授けた、たった一人の婚約者(フィアンセ)じゃ! イヤなわけがなかろう!」

 

 たしかに、衝撃の事実を目の当たりにして驚いた。だが、それが何だというのか? 幼い頃、ジャブジャブ様のおなかの中でリンクが身を挺して危機から救ってくれた時に感じた恋心は、決して偽りのものではない。いや、その時リンクが女の子であると知っていたら果たして恋心を抱いたかどうかまでは断言できないが、しかしそんなことはどうでも良い。

 

 愛してしまったのだから、仕方ないではないか。愛してしまったのだから、一生愛し続けたいではないか。

 

 ルトは言った。

 

「また会えて嬉しいゾラ。できればこのような場所ではなく、平和なゾーラの里で会いたかったが……」

「ルト……」

 

 リンクはうっとりとしたような声を上げて、ルトを抱く両腕に力を込めた。ルトは、こうして抱きしめていても、リンクへの愛情が冷めることなく、むしろそれまで以上に心の中で熱く強く燃え上がるのを感じていた。

 

 リンクは、やっぱり自分のもとに来てくれた。それもあの時と同じように、自分がもっとも助けを必要としている状況で。陸に棲む者でありながら、死の罠と化したこの水底深き神殿に、リンクは駆け付けてくれたのだ。

 

「ま、まあ、これからの二人の一生を考えると、少し問題は増えはしたゾラが……」

 

 ルトがそう言うと、リンクは少し首を傾げた。

 

「うん? どういうこと?」

 

 ルトは答えた。

 

「い、いや……なんでもないゾラ」

 

 激しい愛情の渦に飲まれながら、ルトは王族としての使命について冷静に思考を巡らせていた。どうやって子どもを残したものか? ゾーラ族の女とただのハイリア人の男との間で子が生まれたことはない。ましてや、女同士で子どもを作るとなると……オスがいて、メスがいる。その間に子どもが生まれる。それが神々の作り給うた万物の法則だ。それに、第一……

 

「どちらの(がわ)にも突っ込むものがないゾラ……」

 

 リンクが言った。

 

「えっ、なになに? 突っ込む? どういうこと?」

「な、なんでもないゾラ!」

 

 不思議そうなリンクの声を聞いて、ルトは慌てて首を振った。そうだ、そんなことは後になってから考えれば良いことだ。広いハイラル、きっとどうにかする方法があるはずだ。生やすなり、つけるなり、そのための魔法とか、薬とか……たぶん。

 

 今は他に、やるべきことがある。意を決してルトは抱き合うのをやめると、リンクをその大きな瞳で見つめて言った。

 

「リンク、このままそなたへの愛を語りたいところであったが、状況はそれを許さぬ。そなたも見たであろう? 凍り付いたゾーラの里を」

 

 雰囲気が変わったのを悟って、リンクも真剣な表情を浮かべた。

 

「うん、見たよ。酷い光景だった。あんなに綺麗だった里が、分厚い氷に覆われて……泉にも氷が浮かんでた」

 

 これまでの経緯についてリンクは話した。ゾーラ川から漂ってくるただならぬ冷気を感じた()()は、ガノンドロフの手下共の熾烈な攻撃を退けつつ、苦労して川を遡り、ゾーラの里に到達した。里は余すところなく氷に包まれていて、ゾーラ族の誰一人とも出会うことはできなかった。赤い氷に覆われたキングゾーラに心を痛めつつ、その脇を抜けて泉へ行くと、氷の浮かぶ水面の遠くに洞窟が見えた。

 

「その洞窟を探索したら、いま履いてるヘビーブーツを見つけたの。それから、赤い氷を溶かす青い炎を見つけたから、キングゾーラだけは助けることができたよ。このゾーラの服も、キングゾーラからもらったの」

 

 さりげなく語られたリンクの言葉に、ルトは大きく目を見開いた。

 

「なんと! 父上を助けてくれたのか! リンク、本当に感謝するゾラ……ところで、この神殿にわらわがいると、どうやって知ったのじゃ?」

 

 リンクは軽く頷いてから答えた。

 

「うん、氷の洞窟でシークに教えてもらったんだよ。ルトは里を襲った元凶を討つために、水の神殿に向かったって。だから大急ぎでここに来たんだ。ルトが先に進みすぎていたら困るな、なんて思ってたんだけど、追いつけて良かったよ……」

 

 話を聞きながらルトは考えた。あのシークという青年には大層助けられた。いつか礼を言わねばなるまい。しかし、それにしても何という足の速さだろう。わらわをここに導き、その足でまた氷の洞窟に向かってリンクに会ったというのだろうか。謎多きシーカー族ならばそれも可能なのかもしれないが、まるで、()()()()使()()()()()()()()素早さだ。だが……

 

 とりとめのない考えを強いて打ち切って、ルトはリンクに対し決然と口を開いた。

 

「リンク、わらわはみんなを救いたい。ゾーラの里を救いたいゾラ! そなた、協力してたもれ。そなたの妻……いや、夫か? どう言ったら良いのじゃ……まあとにかく、生涯添い遂げることになるわらわの頼みじゃ! リンク、わらわと共に、神殿の魔物を倒すのじゃ!」

 

 ルトの決心のほどを目の当たりにして、リンクはしっかりと頷いた。

 

「もちろん! 一緒にこの神殿を攻略して、魔物を倒そう!」

 

 気負ったふうでも、ことさらに勇気を奮い立たせて言っているふうでもない。リンクはごく自然体だ。やはり自分の目に狂いはなかったとルトは思った。ルトは言った。

 

「良いか。この神殿には水の高さを変える場所が三つある。それを上手く使うのじゃ。まずはこの部屋の上に行くとしよう」

 

 リンクは言った。

 

「ルトと一緒なら何も怖くないよ。じゃあ、行こう!」

 

 こうして、二人は、決意も新たに水の神殿を進み始めたのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 その名に恥じず、水の神殿は水を用いた複雑精緻なギミックが用いられている。中央の空間に巨大な塔が聳え立つ神殿は、地下一階から地上三階に階層が分かれており、無数の仕掛けと扉、スイッチと鍵、魔物と罠がギッシリと詰まっている。それらを突破するにはルトが言ったように、水位をいちいち調整しなければならない。

 

 上へ上へと泳ぎ、やがてルトとリンクの二人は水面から顔を出した。ここには水が張られていなかった。しばらく進むと、壁に石板がはめ込まれているのが見えた。それには聖三角(トライフォース)の紋章と、謎めいた文言が刻まれていた。

 

 リンクが石板の前に立ち、刻まれているものを読み上げた。

 

「なになに……『深き水底に眠る道を開かんとする者は、王家に伝わる歌を唱えよ』だって」

 

 ルトは言った。

 

「ふむ……リンクよ、何か心当たりはあるゾラ?」

「もちろん! きっとあの歌だよ」

 

 そう言うとリンクは腰のポーチから小さな青い楽器を取り出した。怪しく、それでいて聖浄な光を放つそれの名は「時のオカリナ」といった。それはハイラル王家に伝わる秘宝であった。

 

 リンクはそっと吹き口に唇を当てると、すっと(まぶた)を閉じて歌を奏でようとした。その姿は不思議なまでに(なま)めかしく、まるで別人のような美しさを持っていた。それを見たルトは、知らず知らず自分の心臓が高鳴るのを感じた。

 

 いったいどのような曲なのだろうか。ルトが期待しつつもそれを待っていると、集中力を高めたリンクがいよいよ吹き口に息吹を吹き込んだ。

 

 次の瞬間、「ぼひゅっ」という、曰く形容しがたい間抜けな音がした。

 

 リンクが戸惑ったように言った。

 

「あ、あれ?」

 

 オカリナの開いた穴から水が噴き出した。さきほどまで水の中にいたせいで、オカリナの内部にも水が溜まっていたのだった。

 

 水の滴るオカリナを手にしたリンクはルトを見ると、はにかむような笑みを浮かべた。

 

「ごめんごめん、今のなしね! では気を取り直して、もう一回……」

 

 リンクは演奏を始めた。その音色は美しかった。天から降り注ぐ温かい雨のように静かで、猛き心を持つ戦士たちをも鎮めるような、そんな響きだった。何より、それを奏でているリンクの顔がどこまでも穏やかだった。その青い目はどこか遠い世界を思い出しているような、寂々として澄んだ色を纏っていた。

 

 ルトは、「ゼルダの子守唄」というその曲名こそ知らなかったが、陶然とした面持ちでリンクの演奏を聴いていた。とうの昔に忘れてしまったはずの母の温もり、あの胸の中の心地良さ、それがまざまざと蘇る思いがした。

 

 やがて曲が終わると、今度は打って変わって粗野な轟音が室内に鳴り響いた。大量の水が一気に抜ける耳障りな音だった。二人が泳いできた通路の水が急速に消えていった。数秒経ってようやく音が止むと、神殿はまたそれまでの静寂を取り戻していた。

 

 時のオカリナをポーチに戻すと、リンクは先ほどまでの神々しいまでの表情をパッと切り替えて、年頃の少女らしい明るい笑顔を浮かべた。

 

「なるほど、こうやって水位を切り替えるんだね。すごく大掛かりな仕掛けだなぁ。みずうみ研究所の博士に教えてあげたらきっと喜ぶだろうね……って、ルト、どうしたの?」

 

 まどろみにも似た余韻を、未だにルトはうっとりと楽しんでいたが、リンクの呼びかけに気を取り直した。

 

「ぞ、ゾラ!? あ、ああ、リンク。わらわは大丈夫じゃ。ところでリンク、その歌はいったい……」

 

 リンクは答えた。

 

「この歌は『ゼルダの子守唄』だよ。王家に伝わる大切な歌なんだって。ほら、ゾーラの里の入口の滝を開くのにもこの歌が必要でしょ? てっきりルトは知ってるものかと思ったけど……」

 

 ルトは言った。

 

「い、いや、知らなかったゾラ……里にリンク以外にハイリア人の使者が訪ねてくることは絶えて久しかったのでな……」

 

 歩きながらルトは、一人考えに耽っていた。どうやらあの曲は、リンクにとって非常に思い出深いものらしい。曲を奏でている時のリンクの顔は優しさに満ち溢れていた。きっと、曲を教わった時のことを思い出していたのだろう。「ゼルダの子守唄」と言ったか、ならば、リンクはゼルダ姫のことを思っていたのかもしれない。魔王降臨以来、七年間にわたり行方を眩ませている、ハイラルの王女のことを……

 

 リンクにあんな顔をさせるなんて、ゼルダ姫が羨ましいゾラ。リンクの横顔を見ながら、ルトは心の内に湧いた微かな嫉妬の念を押し殺した。

 

 なに、これから自分で、リンクが新しい表情を浮かべるようにすれば良いだけだ。

 

 リンクのブーツの音と、ヒタヒタというルトの足音が鳴った。リンクが言った。

 

「ボク、これまでにもいくつか神殿に行ったことがあるけど、どこもすごく入り組んでるんだよね。どうして神殿はこんなに、来る人を拒むように建てられてるんだろう。時の神殿は全然そんなことないのに」

 

 ルトは考えつつ、言った。

 

「ふむ……神殿は神々と精霊を祀る聖所であると同時に、邪悪なる者共から世界を守るための要塞であるとも言うゾラ。このような仕組みになっているのは致し方のないことなのかもしれぬ」

 

 リンクは納得したような声をあげた。

 

「へー、要塞かぁ。確かに難攻不落だよね。今までにも何回か死にそうな目に遭ったし。正直、ハイラル城の警備と比べたらね……」

 

 会話しつつ、二人は歩を進めていった。やがて、二人は一つの扉の前に行きついた。何の変哲もない扉であるが、しかしリンクは真剣な顔つきになって、背中の長剣をスラリと抜いた。

 

「この扉の向こう……たぶん魔物がいる。ルト、ボクがやっつけるから、君は離れないで」

 

 リンクと同様に、ルトもただならぬ気配を感じ取っていた。こういう「いかにも無害」という顔をしている扉こそ、仄暗い悪意を秘めているものである。ルトは言った。

 

「魔物くらい、わらわにとっては大したものではない。じゃが、リンクがそう言うのならば、わらわは観戦に徹するとしよう」

 

 頷いて、リンクは言った。

 

「それじゃ、開けるよ……」

 

 扉を開けて、二人は部屋の中に入った。間を置かず、けたたましい金属音が響いた。ルトが見ると、部屋の中央から何体ものウニ型の魔物、スパイクが針を逆立たせて押し寄せてきた。黒々とした魔物の大群は、音響も相まって凄まじいまでの迫力を有していた。背後の扉はいつの間にか鉄格子で厳重に封鎖されており、出ることはできなかった。

 

 ルトは叫んだ。

 

「リンク、気を付けるのじゃ!」

 

 魔物がいるとは予想していたが、流石にこんなにどっさりいるとは思わなかった。水の中ならばルトは無敵と言っても良い。魔法と泳ぎで体格と膂力(りょりょく)を補えるからである。だが、種族としての仕方のない特性ゆえに、彼女は地上戦をやや不得手としている。

 

 はたして、リンクはどのように対処をするのだろうか? 固唾を飲んで見守るルトだったが、当の本人たるリンクは、至極落ち着いたものだった。

 

「なんだ、スパイクかぁ。水の中にいる時は面倒くさい敵だけど、今は地上にいるもんね!」

 

 そう言うなり、リンクは動いた。彼女は何かを地面に叩きつけるように勢い良く片手を振り下ろすと、さらに全身をひねってから、気迫に満ちた掛け声を発した。

 

「はぁっ! でぇやぁああっ!」

 

 膨大な魔力が放出されるのと同時に、紅蓮の炎が急速に、リンクを中心として半球状に拡がった。これこそリンクが大妖精から授けられた、敵対者を一切の容赦なく灰燼に帰す大魔法、「ディンの炎」であった。リンクの目前にまで迫っていたスパイクの大群は、突如として繰り出された強力無比なる炎熱攻撃を避けることも防ぐこともできず、次々と爆発四散していった。

 

 リンクは満足げな声をあげた。

 

「ふう、これでおしまい! やっぱり『ディンの炎』は気持ちイイね……って、あら。宝箱が」

 

 敵が一掃されると、燐光を纏って部屋の中央に宝箱が出現した。きっと、この神殿を攻略するのに重要なものが入っているのに違いなかった。

 

 一仕事を終えたリンクは晴れやかな笑顔を浮かべつつ、ぐいっと(ひたい)の汗を拭った。そして、自分の背後にいるルトへ顔を向けて、リンクは声を掛けようとした。

 

「ルト、全部やっつけたよ! さっそく宝箱を開けてみようよ……って、あ」

 

 リンクは固まった。そこには、変わらずルトが立っていた。しかし、彼女は少しばかり焦げていた。火傷は負っていないようだったが、優美な青白い肌のところどころに(すす)がついていた。その口元には笑みが浮かんでいるが、半眼に開かれた目はジトっとしていて、まったく笑っていなかった。どうやらルトは、ディンの炎の直撃を受けたようだった。

 

 ルトは言った。

 

「リンクよ……そなた、大切な婚約者(フィアンセ)を焼き魚定食にするつもりかゾラ……」

 

 リンクは即座に答えた。

 

「ご、ごめんなさい、ルト! 巻き込んじゃった! ボク、誰かと一緒に戦うなんてあまりやったことがなくて……!」

 

 一生懸命、身振り手振りまでして謝意を表してくるリンクに、ルトは軽く溜息をついた。彼女自身はとっさに魔力で障壁を展開したため、まったくダメージはなかった。だが、まともに直撃していれば高貴な玉の肌に痕が残ったかもしれない。何というか、大人になって体も魔力も成長したのに、精神性はあまり子どもの頃と変わっていないみたいゾラ。ルトはそう思った。

 

 それでも、ルトはすぐに気を取り直した。そもそも、彼女はそれほど怒ってはいなかった。むしろ、こういう無茶をするところもたまらなく愛おしく感じられた。ゾーラの姫君(プリンセス)は愛情深かった。

 

 落ち込んだ顔をしたまま、リンクが言った。

 

「本当にごめんね……」

 

 しょんぼりとしているリンクの頭を優しく撫でて、ルトは微笑みかけながら言った。 

 

「ふふ、実は全然怒ってないゾラ。さあ、その宝箱を開けて、先に進もうではないか」

 

 リンクは晴れやかな表情に戻った。

 

「……う、うん!」

 

 その後、宝箱を開けて、その中に入っていたダンジョンマップを奇妙なポーズを取りつつ頭上に掲げるリンクを見て、ルトは苦笑いを浮かべた。

 

 

☆☆☆

 

 

 ダンジョンマップを手に入れた二人は、素晴らしいスピードで神殿を突き進んでいった。

 

 広大かつ複雑な水の神殿ではあったが、リンクには神殿攻略のための勘とでもいうようなものがあった。彼女には次に向かうべき場所を即座に見抜く力があった。必要以外の戦闘を避け、最小限の労力で目標を達成すると、疲れも知らずに、彼女はまた次の場所へ赴いた。

 

 のみならず、リンクはこれまでに行った場所、手に入れた小さなカギ、解いた仕掛けについてメモを残し、迷った時にはそれを材料にして思考を組み立てることまで出来た。ルトはその堂に入った探索ぶりに感嘆の念を深くした。先ほどリンクの精神性を子どものままと感じたが、それは決して未熟であることを意味せず、子どものように純粋で先入観に囚われない考えが可能なのだと、ルトは思った。

 

 ルトも傍観していたわけではなかった。彼女は水流のわずかな変化から敵が接近するのを察知することができた。また彼女は、隠し部屋や見えない通路のありかをいち早く見つけ出したりもした。激流が渦巻く水中で、竜の石像が咥えるスイッチを作動させなければならない部屋では、ルトはリンクに代わってそれをなしたりもした。

 

 コンパスを手に入れてからは、攻略のスピードはますます増した。二人は水位を下げ、あるいは上げ、互いに意見を交わしあい、背中を預け合って戦いながら、奥へ奥へと順調に進んでいった。

 

 そんな二人だったが、今は何とも奇妙なことになっていた。

 

 リンクがうんざりしたような声をあげた。

 

「うう……ベトベトだぁ……気持ち悪い……」

 

 ルトも声をあげた。

 

「むうう……あの魔物、高貴なるわらわの体を粘液まみれにするとは……」

 

 二人の体はヌルヌルとした白い液体に余すところなく覆われていた。おまけにリンクはゾーラの服を着ておらず、白いタイツとシャツだけを身に纏っていた。その白い肌には濡れた衣類がぴったりとはり付いていた。耐水スーツに圧迫されていた胸は、今や大きな膨らみとなってシャツを押し上げていた。

 

 ルトは、ぽつりと呟くように言った。

 

「……リンク、そなた、ノーブラなのかゾラ……」

 

 リンクは言った。

 

「えっ、なになに? ノーブラ? なんのこと?」

 

 首を傾げるリンクに、ルトは本日何度目かの溜息をついた。

 

 こんなことになったのも、すべてはある魔物に丸呑みにされたのが原因だった。不埒な所業をしでかしたその魔物はすでにリンクによってやっつけられていたが、二人が与えられた不快感と屈辱感はなかなか消えなかった。

 

 リンクが言った。

 

「まさか、フックショットが刺さったら引き寄せられるなんて……」

 

 ルトが言った。

 

「すまなかったな、リンクよ……」

 

 その部屋はなかなか難しい仕掛けが施されていて、スイッチを操作して石像を動かし、順番に足場を渡っていかなければならなかった。甲殻類の魔物テクタイトの妨害を退けつつ、二人は何とかそこを突破することができた。だが、事件はその後に起きた。

 

 一足先に扉の前に立ったルトの頭上から、見るもおぞましい黄褐色の巨大な魔物が降ってきたのだった。ルトは悲鳴をあげた。

 

「キャー! なんじゃこのチクワー! いや、イソギンチャクー!」

 

 リンクは叫んだ。

 

「ライクライク!? ルト、危ない!」

 

 リンクがそう言う(いとま)もあればこそ、ライクライクという名の巨大な円筒形をした魔物は上部に具えた口部をわななかせ、ルトを一挙に丸呑みにした。魔物はもっちゅ、もっちゅという嫌に耳に残る咀嚼音を発しながら、飲み込んだゾーラの姫君の清らかな肉体を貪っているようだった。

 

「この、よくも!」

 

 リンクは激情に駆られた。だがその一方で、彼女は冷静に採るべき戦法を考えた。ここは、まず敵の動きを止めなければならない。そうでないと、攻撃した時に中にいるルトごと斬ってしまうかもしれない。

 

 リンクはこれまでの神殿攻略でさんざん世話になってきたフックショットのポインタをライクライクに合わせると、グリップを握り込んで穂先を発射した。このアイテムならば敵を麻痺させることができる。彼女はそう考えた。

 

 狙い違わずフックショットはライクライクに直撃し、魔物は怯んで一瞬動きを止めた。

 

 次の瞬間、リンクの体はグンと勢い良く、魔物の体に向かって引き寄せられた。

 

 リンクは驚いた。

 

「えっ、えっ!? なんで!?」

 

 リンクは知らないことだったが、ライクライクはどういうわけか、フックショットを引き寄せる体構造を有していたのだった。おまけにその魔物はルトを呑み込んで興奮していたのか、すぐに麻痺から立ち直ると、予期せずに引き寄せられた衝撃で尻もちをついていたリンクをまたもや丸呑みにした。

 

「きゃあああっ!?」

 

 かくして二人はライクライクの中で一緒にもみくちゃにされたのだった。

 

「リンク、リンク! 手が、手が当たってるゾラ!」

「ルトの手だって当たってる、当たってるよぉ!」

 

 ライクライクの中で具体的に何が起こったのか、それは分からない。結果的に、リンクもルトもベトベトの粘液まみれにされ、おまけにリンクに至っては魔物の邪悪な蠕動運動によってゾーラの服を剥ぎ取られ、半裸に近い姿にされてしまった。

 

 ややあって、二人はぷっと吐き出された。ルトはぐったりとして、床に倒れたまま動かなかった。一方リンクは怒りの形相も凄まじく、背負った聖なる長剣(マスターソード)を引き抜くや、あられもない姿のままでライクライクを斬り刻んだ。瞬時の間に無数の斬撃を受けた魔物はドロドロに溶けて消え去った。

 

 奇妙な戦いが終わった後、二人は無言で互いの体を洗った。幸い、水ならばいくらでもあった。やがて、ぽつぽつと、二人は会話を始めた。ルトは言った。

 

「……まさか、魔物の体内でリンクと一緒にもみくちゃになるとは……貴重と言えば貴重な体験だったかもしれないゾラが……」

 

 リンクが言った。

 

「ゾーラの服が無事で良かった。キングゾーラからもらった大切な服だから……でも、なんできれいに畳まれたまま出て来たんだろう……?」

 

 リンクの言葉に、ルトが首を傾げた。

 

「なに? 服がどうしたゾラ?」

「ほら、あれ」

 

 リンクが指さす先には、ゾーラの服があった。ゾーラの服は、魔物から吐き出されたはずなのになぜか粘液に覆われていなかった。一流の洗濯屋がアイロンがけをしてから丁寧に畳んだように、新品同様の姿でそれはそこにあった。

 

 ルトは感心したように言った。

 

「本当ゾラ。ピシッとしてるゾラ」

 

 リンクが言った。

 

「ね? おかしいでしょ?」

 

 ルトとリンクは顔を見合わせた。数秒見つめ合った後、二人は笑い始めた。

 

「ふふ……ふふふ……あははは!」

「ふふ! あはは!」

 

 窮地を脱した解放感か、それともそれまでの戦闘のストレスの反動か。二人は涙が出るほどに笑い転げた。そして、ルトは笑いながら、こんなに楽しく誰かと一緒に笑うなど久しぶりであることに気付いた。

 

 リンクよ、やはりそなたはわらわの伴侶となるべき者じゃ……

 

 ひとしきり笑い合った後、リンクはすっくと立ち上がって服のそばに歩み寄った。さっと手早くそれを身に纏うと、彼女は床に座るルトにむかって手を伸ばした。

 

「行こうか。この先、マップによると大きな部屋があるの。たぶん、何か強い敵(中ボス)がいると思う」

 

 ルトはリンクの手を取って、言った。

 

「今度はさっきの敵ではないと良いが。超巨大ライクライクとかうんざりするゾラ」

 

 扉にかかった鍵を開けて、二人は強敵の待つと思われる部屋へ足を踏み入れた。




 次回はお待ちかね、ダークリンク戦です。乞うご期待!


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対決・ダークリンク

「これは……意外ゾラ。神殿の中にこのような部屋があるとは」

「確かに、この部屋……ううん、部屋っていえるのかな? どこまでも続いていそうなくらい広い空間だね。不思議……」

 

 リンクとルトは部屋を見回し、それぞれが感じた印象を口々に言った。二人がライクライクを退け、粘液まみれになった体を清めた後、強敵との対決の予感を覚えつつ意を決して入ったその部屋は、なんとも奇妙なものだった。

 

 部屋の中には乳白色の薄靄(うすもや)が垂れこめていた。視界はあまり良くなかった。足元の床は石畳ではなく、くるぶしが浸るほどの水が張られた浅瀬となっていた。浅瀬は見渡す限りどこまでも広がっており、マップによれば壁があるとされる場所にも、なんらそれらしきものは認められなかった。

 

 部屋の中央と思しき場所には砂で出来た小島があり、一本の枯れた木があたかも幽霊のような陰気さを纏いつつ、項垂(うなだ)れるように生えていた。

 

 これまでリンクとルトが攻略してきた、暗い石造りの神殿の内部にしては、場違いなほどに幻想的で美しいとさえ言える情景だった。それでも二人は部屋の中で、何か別のことを、何か異常なものを、感じつつあった。

 

 しばらく周囲を観察していたルトは、ふとあることに気が付いた。真剣な面持ちで、彼女はリンクに向かって口を開いた。

 

「リンクよ、そなた、感じぬか? 最初、この部屋に入ってきた時には感じなかったが……次第に何かの気配が増してきていることを。気配というよりも、これは何かの……」

 

 そこまで言ってから、ルトは一旦考えを纏めるために言葉を切った。リンクもまた、可憐な顔立ちに緊張感を漲らせながら答えた。

 

「うん、ルト。これは殺気だよ。ボクたちに刃を突き立て、殺してやろうという、強い殺気。青テクタイトとかスパイクみたいなただの魔物がここまでの殺気を抱くことはないから……きっとこの部屋には何かが潜んでいるね。強い何かが」

 

 二人は即座に身構えた。ルトは両手を差し出し、魔法と体術をすぐに繰り出すことができる体勢を取った。対してリンクは背中の聖なる長剣(マスターソード)をすらりと引き抜き、ハイリアの盾を構え、体の重心をやや下げて、敵が現れたならば即座に斬りかかることができる姿勢を取った。

 

 互いに互いの背中を守るように、二人は戦闘態勢を取った。ルトは、これがいわゆる「背中を預け合う仲」なのだろうかと思った。最大の弱点である背中を互いに守り、背中の仲間を守るために眼前の敵を倒す……

 

 そこまで考えてから、ルトの口から思わず言葉が漏れた。

 

「愛する者たちは正面から抱き合って愛を伝えるのに、共に戦う者たちは背中合わせで信頼と思いを寄せ合うものなのかゾラ……ふふっ。なかなか面白いものゾラ」

 

 そんなルトの言葉に対して、背後のリンクがくすくすと小さく笑う声が聞こえてきた。

 

「ふふふ……ルトって面白い考え方をするね! そっか、背中合わせって信頼の形なんだね。それなら、ボク達にもピッタリな戦い方だと思うよ!」

 

 無邪気なリンクの声に、ルトの顔にも笑顔が浮かんだ。

 

「そうじゃな、これは確かにわらわたちにとってお似合いの『陣形』ゾラ! たった二人ではあるが、これならば魔物の群れが幾千、幾万と押し寄せてきても必ずや勝利を収めることができるであろう……婚約者(フィアンセ)同士が背中を預けあっておるのだから!」

 

 リンクは答えた。

 

「そうだね! ボクたちならどんな敵にもきっと負けない!……でも、流石に幾万はちょっと厳しいかな、あはは……」

 

 乾いた笑い声を飲み込むと、リンクは勢い良く聖なる長剣(マスターソード)を空気を切り裂くように振り回した。そして、天高くそれを掲げると、部屋中に響き渡るほどの大きな声で叫んだ。

 

「さあ、どこからでもかかって来い! ボク達がいつでも相手になってやる!」

 

 リンクは凛とした立ち姿を堂々と披露した。漲る自信と共に張られた二つの胸は、ゾーラの服で圧迫されているにもかかわらず、大きく膨らんでいた。

 

 そんな彼女が発した挑戦的な掛け声に返ってきたのは、しかし、空虚なまでの静寂だった。水滴が垂れる音すら一つもしなかった。

 

 ルトが言った。

 

「……しーんとしてるゾラ」

 

 リンクもまた言った。

 

「……うん。しーんとしてるね」

 

 しばらく二人の間を沈黙が包んだ。リンクは、大見得(おおみえ)を切った挙句に何も反応を得られなかったことに顔を赤くしていた。ルトは、そんなリンクを可愛いらしく思いつつ、慰める意図も込めて、彼女にある提案をした。

 

「の、のうリンク。もう少しこの空間を歩き回って、情報を得ても良いのではないかと思うのじゃが……ほら、わらわたちの正面に見えている、あの異国風の意匠と屋根を有している建物、あそこまで行ってみないかゾラ?」

 

 それを聞くとリンクは、すぐに気を取り直した。彼女はルトに向けていつもの明るい顔を向けた。

 

「うん、そうしてみるのが良さそうだね。他にすることもないし。でも、あそこに何か罠でも仕掛けられてて、二人同時にそれにハマっちゃったら大変だから、ここはボクだけが行くよ。ルトはそこで待っててね。ナビィ、念のためにルトの(そば)にいてあげて」

 

 言うなりリンクは、ちゃぷちゃぷという水音を立てながら、軽やかな足取りで正面の建物へ向けて走っていった。ルトはそれを固唾を飲んで見守っていた。いつ敵の襲撃が来てもおかしくはない。だが、リンクが中央の小島に到達し、それを通り過ぎても、また、正面の異国風の建造物に辿り着いても、結局襲撃はなかった。

 

 リンクは言った。

 

「なーんにも異常ないよー! 扉には鉄格子が下されてて、開けることはできないみたい!」

 

 ルトは言った。

 

「そうか……ならばリンクよ、一度こちらへ戻ってくるのじゃ。またそなたと一緒にこの部屋の謎について考えたいゾラ」

「はーい! すぐ行くねー!」

 

 溌溂としたリンクの大きな声を聞きつつ、ルトは考えに耽っていた。いったい、まったく仕掛けもなければ敵もいない部屋などというものがあり得るのだろうか? ここまでリンクと共に踏破してきた部屋は、どれも必ず悪意に満ちた仕掛けが施され、あるいは敵が待ち受けていた。であるならば、この謎の部屋もそうあって然るべきなのだが……

 

 それに、この空間全体を満たしている強い殺気……と、そこまで考えを進めた段階で、ルトはある奇妙なことに気づき、そして愕然とした。

 

 殺気が、移動している!?

 

 さきほどまで感じていた殺気は、いわば体全体を押し包むような、茫漠とした殺気だった。それが今や何か塊のようになり、ある一点から強烈に殺意の波動を送ってきている。そのようにルトには思われた。

 

 その一点とは? ルトは素早く視線を巡らし、そしてそれに気づくや、叫んだ。

 

「リンク! そなたの足元じゃ! 足元に敵がいるゾラ!」

 

 ルトの声が終わるのを待つまでもなく、リンクは高く遠く跳躍した。彼女が()んだ先は木の生えた小島だった。しかし、元居た場所の水面には何もいなかった。

 

 だが、今やリンクもはっきりと認識していた。彼女は素早く思考を巡らせた。まだ殺気はボクの足元から感じられる。つまり、敵がボクの足元にいる! いや、足元というよりも……

 

 リンクがさらに推論を先に進めようとする前に、見えざる敵は動いた。突如として悪しき魔力の波動が空間の中で渦巻いた。魔力と共にその敵はリンクの影の中で揺らめき、やがて影と一体化して人の形の姿を取ると、おもむろに水面から起き上がった。

 

 敵は、最初からリンクの影の中にいたのだった。その姿を見て、ルトは呻くように言った。

 

「なんと……リンクにそっくりゾラ……」

 

 その魔物はリンクの影そのものだった。左手には剣を持ち、右手には盾を持っている。その容姿も、顔立ちも、リンクそのままだった。ただ一つ、本当のリンクが持っている夏空のように澄み渡った蒼い瞳は、爛々と邪悪に輝く赤い目となっていた。

 

 突然、ルトの右斜め上方から、幼い少女の声が響いた。

 

「リンク! それはリンクの影から生み出された魔物、ダークリンクだよ! 自分自身に打ち勝って!」

 

 その声の主は、さきほどからルトの周りを警戒するように飛び回っていた、リンクの相棒である妖精のナビィだった。ルトは驚愕のままにナビィに対して言った。

 

「ナビィ、そなた、喋れたのかゾラ!? わらわはてっきり、きっとこの七年間で色々あって、何も喋らないように性格が変わってしまったのかと思っていたが……」

 

 ナビィはどことなく戸惑うようにぎこちない飛行をしつつ、ルトに答えた。

 

「いや、あのね、ここまでリンクとルトがすごく楽しそうにおしゃべりしてたから、なんだか間に挟まりづらくて……それに二人ともすごい勢いで探索を効率良く進めるから、ナビィの出番もビミョーになくて……今やっと『ここで喋っても良いかな』と思ったから、つい……」

 

 ルトは言った。

 

「そ、それは、すまなかったゾラ……ああ、今はそれどころではない! 今はリンクのことが優先だったゾラ! リンク!」

 

 ルトが慌てつつも視線をリンクへ戻すと、彼女は何ら異常なく、その場に静かに立っていた。ルトとナビィの会話を聞いてもいなかったのか、リンクは全身に戦意を充溢させて、ついに目の前に出現した敵と対峙していた。

 

 リンクと魔物は互いに一足一刀(いっそくいっとう)の間合いを保っていた。リンクが持つ聖なる長剣(マスターソード)が霊妙な輝きの白い刃を誇示しているのに対し、魔物の剣は形こそ聖剣に酷似すれど、この世の影という影を寄せ集め乱雑に凝縮させたような、極度に禍々しい波動を放っていた。

 

 しばらくリンクと魔物は睨み合いを続けた。空間内部の冷涼な空気が殺意と熱気を含み、今や肌に玉の汗を浮かばせるまでになっていた。

 

 剣による斬り合いで最も重要な段階、それがこのにらみ合いである。この時にどれだけ相手を観察し、相手のことを知ることができたかによって、勝敗が決すると言っても過言ではない。それゆえ、リンクはなかなか動かなかった。彼女はよく見ていた。敵の(すき)を窺い、体の流れを見て、剣先の動く方向を予測する……

 

 にらみ合いは、それほど長く続かなかった。先に斬り込んだのはリンクのほうだった。

 

「でやぁああああっ!!」

 

 リンクは剣を上段に振りかぶるや、間合いの内へ一気に踏み込んで、ダークリンクへ鋭く左上から右下にかけての袈裟懸けを斬りつけた。

 

 しかし魔物は、完全にそれを防いだ。剣と剣がぶつかり合う、耳を貫く金属音を煩わしく感じながら、リンクはこの敵が容易ならざる実力を有していることを知った。カカリコ村で()()()から教え込まれた剣技は、並の敵ならば初太刀で葬り去ることができるのに……

 

 だが、戦闘中にそのような感傷に浸り続けるほど、リンクは未熟ではなかった。彼女はさらに斬撃を放った。一閃、また一閃、一太刀ごとに力強く踏み込み、前へ前へとひたすらに進み、圧倒的剣戟(けんげき)で以て敵を震駭(しんがい)せしめ、正面から粉砕する。小柄で華奢な女性の肉体を持つリンクにはふさわしくないほどに激しく猛烈な戦術、それこそが彼女の剣であり、これまで多くの強敵を斬り捨ててきた最強無敗の剣術なのだった。

 

 それでも、敵はそのすべてに対応していた。あるいは受け流し、あるいは剣の腹で弾き、あるいは正面から盾で受け止めて、ダークリンクは暴風の如き斬撃をすべて防いでいた。

 

 リンクはなおも猛攻の手を休めなかった。息をまったく切らしていないところに、彼女がそれまでに積み上げてきた高い技量が示されていた。だが、魔物もまた、彼女に劣らぬ実力を有していることがほどなくして示された。

 

「ふんっ! はあっ! でぇやあっ!……っと、おっとっと!」

 

 リンクは体勢を崩し、倒れそうになるのを必死に(こら)えた。堪えつつ、彼女は心の中で毒づいた。

 

 この魔物、生意気にも足をひっかけてきた!

 

 あの瞬間、ダークリンクは突然動きを変えた。それまでは防戦一方だったのに対し、今度はリンクの斬撃を体全体で避けて、次にすっと体を右方向にスライドさせると、その足先でリンクの足をひっかけて重心をずらしたのだった。

 

 それならば、次に来るのは……

 

「リンク、気を付けるゾラ!」

 

 ルトの声に混じって、何かが空を斬り裂く音を、リンクの長い耳は聞き取っていた。どうやら魔物は、こちらの背後を取って一刀のもとに斬り捨てるつもりらしい。ならば、とるべき手段は一つしかない。

 

 リンクは叫んだ。

 

「そんな動きは読めてるよ! 食らえ!」

 

 リンクは不完全な体勢から、突如として回転斬りを放った。日頃の弛まぬ鍛錬の賜物であるその攻撃は、ダークリンクにとって予想外だったのだろう。青い魔力炎を帯びた聖剣から放たれた不意打ちは、確かに魔物へ斬撃を浴びせた。

 

「やった! リンク、上手いゾラ!」

「流石はリンクだね!」

 

 それを見ていたルトとナビィは快哉(かいさい)を叫んだが、すぐに何かに気づいたような顔になって、大きな声で口々に話し始めた。

 

「そうゾラ! こんなところでぼんやりと戦いを傍観しているわけにはいかないゾラ! はようリンクに加勢しなければ!」

「そうだった! ナビィもリンクのお手伝いをしなきゃ!」

 

 するとそんな二人に対して、リンクが大きな声で答えた。

 

「二人とも、手出しは無用だよ! この魔物は、ボクが一人でやっつける!」

 

 ダークリンクは、すでに斬撃から立ち直り、元の通り悠然と剣を構えてリンクの前に立っていた。不完全な体勢から放たれた回転斬りは魔物にダメージを与えたが、リンクにとっては歯がゆいことに、その傷は浅かった。

 

 倒すならば、正面からだ。こちらの持てるありとあらゆる技術と道具を使って、自分の影を斬り捨てなければならない。

 

 リンクは、敵から視線を逸らさないまま、ルトとナビィの二人に向かって話しかけた。

 

「ナビィは言ったよね、『自分自身に打ち勝って』って。インパさんにも言われたよ、『敵を倒すのは容易い、だが、自分に打ち勝つのは難しい』と。ボクは、ここでこの黒い自分自身と戦って打ち勝つ! それが、もっとボクを成長させてくれると思うんだ! だから、ここはボクだけで戦うよ! 二人はそこで見てて!」

 

 戦いに加わろうと両手の中に魔力を集中させていたルト姫だったが、決意に満ちたリンクの言葉を聞いて術を解いた。そして、腕組みをしつつ、その端麗な顔のどこかに笑みを浮かべて、呟くように言った。

 

「……ふふ、七年前はどこか臆病だったリンクが、ここまで強く美しくなるとは……流石はわらわが唯一無二の婚約者(フィアンセ)として見込んだ男……じゃない、女の子ゾラ。あそこまで決意が固いなら、わらわが手出しをするのは無粋の極みというもの。ここでリンクがどのように戦ってあの影の魔物を倒すのか、とくと拝見させてもらうことにするゾラ……」

 

 リンクは再び猛烈な勢いで戦い始めた。魔物は初め、その動きに完璧に追従しているようだったが、次第に押され気味になってきた。一閃、また一閃と聖剣による斬撃がダークリンクには刻まれていくのに対し、リンクの方は傷一つ負っていなかった。ルトは息を呑んだ。優勢どころではない、これは、圧倒していると言っても良い。

 

 ルトの近くをふわふわと飛んでいるナビィが言った。

 

「リンク、すごいよ! 戦いの最中なのにどんどん成長していく!」

 

 ルトはそれを聞いて、考えた。ダークリンクがリンクのコピーであるならば、両者は同等の実力を持つはずだ。現に、最初に戦った時には互いに完全に拮抗していて、リンクが不意打ちの回転斬りを放つまでは有効打が出なかった。

 

 しかし、リンクは戦いの最中に成長することができる。一太刀を振るう度にリンクの剣術はより正確さと鋭さを増し、斬撃はより威力を高めるのだろう。その類まれなる学習能力こそが、まさにリンクを剣術の天才、勇者と呼ぶにふさわしい存在にしている。だが……

 

 一抹の不安を覚えたルトはやや表情を曇らせつつ、ナビィに対して口を開いた。

 

「ナビィよ。あのダークリンクは、リンクの姿形だけでなく、能力までコピーしていると見て間違いはないだろうか?」

 

 ナビィはシュンシュンと音を立てて激しく上下に動き、肯定の意志を示した。

 

「そうだと思うよ! でも、今はリンクに圧倒されているみたい。倒されるのも時間の問題だね……!」

 

 しかし、ルトの不安は的中した。次第にリンクの斬撃が通らなくなり、それに対してダークリンクの攻撃がより正確になってきた。まるで、ダークリンク自身も成長しているかのようだった。

 

 やや押され気味だったリンクがようやくのことで相手の隙を見出し、刺し貫く勢いで剣を突き出したその時、それは起きた。

 

 ダークリンクは剣を避けると、リンクの聖なる長剣(マスターソード)の上に立った。リンクは、その時影の魔物が薄く笑いを浮かべているのを確かに見た。リンクが剣を振り払うと、ダークリンクは軽やかにジャンプして、リンクから距離を取った。

 

 一連の流れを見たルトは、低い声で言った。

 

「うむ……やはり、恐れていたことが起きてしまったゾラ。ダークリンクがリンクの容姿と能力をコピーしているのならば、リンクの高い学習能力をも身に着けているのではないかとわらわは予想していたのだが……不安は的中したようだゾラ」

 

 それを聞いたナビィが慌てふためいて、ルトの周りを目まぐるしく飛び回った。

 

「そんな! じゃあ、このままだとリンクはどうなるの?」

 

 ルトはさらに険しい表情を浮かべ、今でも果敢に影の魔物へ斬り込んでいく婚約者(フィアンセ)を見つつ、口を開いた。

 

「両者の技量はこのまま平行線を辿ったままであろう。ゆえに、剣術では決着がつかないかもしれないゾラ。いや、魔物の体力が無尽蔵であるのに対して、リンクの体力は、いかに鍛え上げられているとはいえど、やはり有限。いずれはリンクの体力が先に尽きてしまう……」

 

 ナビィはおろおろとした声を上げた。

 

「じゃあ、リンクは負けちゃうの!?」

 

 ルトは首を左右に振った。そして表情を改めると、今度は気品に溢れつつもどこか不敵とも言える笑みを浮かべた。

 

「その程度で負けてしまうほどにリンクがやわな人物であったなら、あの時ジャブジャブ様のお腹でわらわを助けられたはずがない。なに、心配はいらないゾラ。リンクには学習能力の他に、臨機応変の才能がある。状況に応じてアイテムを使いこなすリンクならば、きっとこの状況も必ずや打開するであろう……ゾラ」

 

 冷静に紡がれるルトの言葉を聞いて、ナビィも落ち着きを取り戻したようだった。

 

「……そう、そうだよね! リンクはそうやっていつも勝ってきたもん! ナビィたちがリンクを信じてあげなきゃ! リンクー! がんばってー!」

 

 ルトもまた言った。

 

「リンクよ、頑張れゾラ! アイテムを有効に使うのじゃ!」

 

 ナビィと、それに続いて声援を送り始めたルトの声を聞いて、リンクは考え方を変えたようだった。リンクは聖剣を鞘に戻した。彼女はより大きく、長い、大雑把な剣を装備袋から取り出すと、それを両手で持って構えた。

 

 ルトとナビィはそんな光景を視界に収めつつ、会話を続けた。ルトはナビィに尋ねた。

 

「あれは……なにゾラ? 随分と立派な造りの刀剣であるが……?」

 

 ナビィは答えた。

 

「あれは『巨人のナイフ』だよ! ゴロンシティのチュウゴロンさんが作ってくれたの! すごい斬れ味なんだって!」

 

 ルトは納得したように頷いた。

 

「そうか、技量で伯仲(はくちゅう)しているのならば、道具の性能差で圧倒すれば良い話ゾラ。リンクはよく考えているようじゃ。両手剣では細かな動きはできないが、リーチの差を活かすことができれば敵に対して一方的に戦えるはずゾラ」

 

 ルトの予想通りだった。巨人のナイフを装備したリンクは、長いリーチを存分に活かして、ダークリンクの剣が届かない距離から、暴風のような勢いの巨大な斬撃を幾度も見舞い始めた。

 

 しかもリンクは、ただ巨人のナイフを振り回しているのではなく、しっかりとした技術の上でそれを扱っていた。彼女はダークリンクが斬撃を回避して間合いを詰め、懐に飛び込もうとするのをことごとく阻止していた。

 

 だが、打ち合うこと二十数合が続いて、それの終末は呆気なく訪れた。

 

 リンクが悲痛な叫びをあげた。

 

「ああっ!?」

 

 バキンッという、嫌に耳に残る鋭い金属音を立てて、巨人のナイフは無残に折れてしまった。リンクの手元に残ったのは、(つか)と根元に近い刃の一部分だけだった。これではニンジン一本すら切れないであろう。

 

 リンクはがっくりと項垂(うなだ)れた。

 

「……折れた、『巨人のナイフ』が折れた……せっかくカカリコ村で美味しいものを食べるのも我慢してコツコツと貯めた二百ルピーが、一瞬で全部パアになっちゃった……うう……」

 

 そんなリンクを、ダークリンクはどこか嘲笑するように見(おろ)していた。リンクを見て、ルトはいたたまれない気持ちになった。彼女はリンクに向かって叫んだ。

 

「リンク、しっかりするゾラ! 剣ならまた新しいのをわらわが()うてやる! 美味しいものも腹がはち切れるくらい食べさせてやるゾラ! だから、今は目の前の敵に集中するゾラ!」

 

 その言葉を聞いた途端、リンクはすぐに体勢を立て直すと、今度はポーチから何やら銀色に輝くハンマーを取り出した。

 

 リンクはハンマーを担いで突撃した。

 

「次はこのメガトンハンマーで……でやぁああっ!! 二百ルピーの仇ぃいい!!」

 

 小さな体のどこにそのような力が秘められているのだろうか、リンクが振るうハンマーは岩も砕けよとばかりにダークリンクに向かって振り下ろされた。あるいはそれには、二百ルピーという大金が無に帰したことに対する怒りも含まれていたかもしれない。

 

 ハンマーによる攻撃を予想していなかったのだろう。影の魔物は対処できず、一撃、二撃、三撃と攻撃を受けて、ついにその足元がふらつき始めた。

 

 リンクは叫びながらハンマーを振るい続けた。

 

「二百ルピーの仇! 二百ルピーの仇! 生クリームたっぷりのフルーツケーキの仇! 極上ケモノ肉のステーキの仇!」

 

 そして、四回目に振るわれたハンマーが決定打となった。ダークリンクは横薙ぎに振るわれたハンマーを剣で防ごうとした。だが、剣はそれまでの度重なる打ち合いですでにダメージが蓄積していたのであろう。ハンマーの威力に抗しきれず、ついに折れてしまった。

 

 リンクはそれを見逃さなかった。

 

「今が……チャンス!」

 

 彼女は身を捻るようにして屈みこむと、裂帛の気合いと共に、全身から真っ赤な魔力を放出させた。熱された水が瞬時に沸騰し、水面が一斉に爆ぜたような音を立てた。それは、ここに来る前にスパイクの群れを壊滅させたあの大魔法、「ディンの炎」だった。

 

 リンクを中心として急速に広がる円形の炎の渦は、(あやま)たずダークリンクを直撃し、見る見るうちに炎上させた。紅蓮の炎に巻かれたダークリンクは水面を転げまわり、懸命に火を消そうとしたが、しかし魔力で出来た火を単なる水で消すことはできなかった。

 

 ようやく火を消したダークリンクが起き上がった時、そこにはかつての影の魔物の力強い姿はなかった。魔物の服はボロボロになり、剣は折れていた。魔物は苦しそうに肩で息をしていた。

 

 決着の時が来たようだった。リンクは短く、目の前の相手に言った。

 

「行くよ!」

 

 彼女はメガトンハンマーをしまうと、背中の長剣を引き抜いた。強力な魔物は、聖剣の力で討ち滅ぼさなければならない。折れた剣を振りかぶり、なおも立ち向かって最後の一撃を放ってこようとするダークリンクに対して、リンクは、その胴を抜くようにして素早い横一閃の斬撃を見舞った。

 

 二人はすれ違った。直後、ダークリンクは剣を投げ出した。魔物はしばらくそのまま佇立していたが、やがてゆらゆらと揺らめくと、最後には水辺に倒れ込んだ。水飛沫があがった。

 

 ルトとナビィが喜びの声を上げた。

 

「おお、流石はリンク! 強敵をよくぞ討ち果たしたゾラ!」

「リンク、すごいすごい! 自分に打ち勝つことができたね!」

 

 二人の声をどこか遠くに聞きながら、リンクはあおむけに倒れたままの影の魔物に対して、呟くように言った。

 

「君は、強敵だったね。君が勝っていてもおかしくなかったかもしれない。でも、ボクにはやることがある。守らなければならない約束があるんだ……」

 

 そう言いつつ、リンクはしゃがみ込んで、討ち果たした魔物の顔をもう一度見ようとした。彼女はそうすることで、自分自身を乗り越えたという実感を得たかった。また、たとえそれが魔物であっても、そうすることが自らの剣で討ち果たした者に対するせめてもの礼だと、彼女は考えていた。

 

 魔物の死に顔は、案外綺麗だった。まるで眠っているようだった。化粧を施せば自分そっくりになるかもしれない。リンクはそう思った。

 

 その時、突然、魔物の目が開いた。赤い瞳が怪しく輝いていた。

 

 リンクは声をあげた。

 

「えっ!?」

 

 リンクは反射的に剣を振りかぶろうとした。だが次の瞬間、彼女の動きは止められていた。

 

 リンクは苦痛の声を漏らした。

 

「い、痛い! このっ……! 胸を掴むなぁっ!」

 

 魔物はその右手でリンクの大きな胸を鷲掴みにしていた。瀕死であるはずなのに、魔物は力いっぱい、じっくりと味わうかのようにリンクの胸を掴んできた。それのみか、今度は左腕まで伸ばしてきて、リンクの残された片方の胸も揉み始めた。

 

 リンクは顔をゆがめた。

 

「いた、痛いっ! このっ、なんでボクの胸ばっかり……!」

 

 羞恥に顔を赤らめつつ、同時にリンクは呻いた。魔物が手に込める力は次第に強まり、今ではあたかも胸部をもぎ取ろうとするかのような力で、無遠慮に揉みしだいてきた。リンクが身に纏っているゾーラの服は上着がはだけてしまった。その下に着ていたシャツのボタンも外れてしまった。

 

 今やリンクの豊かでハリのある瑞々しい大きな胸が、外気に素肌を晒していた。その事実を認識して、リンクはますます顔を赤らめた。だがそれよりも彼女は、このままでは本当に胸を失ってしまうかもしれないと恐れていた。それほどまでにダークリンクの胸の揉み方には殺意がこもっていた。

 

「ぐぅ……うぅ……この……」

 

 次第に、リンクの中で怒りの感情が芽生えた。なぜ、やられっぱなしでいなければならないのか? さっきの戦いではこっちが勝ったのに! 敗者の悪あがきにこれ以上付き合ってはいられない!

 

「そっちがその気なら……こうしてやる!」

 

 リンクは、反撃とばかりにダークリンクの胸へと手を伸ばした。そして、自分とまったく同じはずのその大きな胸を、両手で揉みしだこうとした。

 

 揉み千切(ちぎ)ってやる。いや、さすがに千切るのはなんだか怖いし、可哀想だから、千切れそうになるくらい力を込めて揉んでやる……

 

 そう思ったリンクだったが、その次には意外そうな声をあげていた。

 

「……あれ? ない?」

 

 そこには、何もなかった。リンクが手を伸ばした先には、平坦な胸しかなかった。わずかに膨らんではいるが、リンクのそれをデスマウンテンとするならば、魔物のそれはハイラルのどこにでもある小さな丘でしかなかった。

 

 わきわきと手を動かして、リンクはしばらくその微々たる膨らみを揉んだ。いや、揉むというより、彼女は撫でまわした。ふと見ると、ダークリンクは無表情のまま、リンクを見つめていた。相変わらずその両手はリンクの胸を掴んでいたが、力の限り握るようなことはもうしていなかった。

 

 リンクは、思わず口を開いていた。

 

「あ、あのね。毎日よく運動をして、ロンロン牛乳を飲んで、夜更かしをしないでよく寝たら、胸は大きくなるよ? そんな話を聞いたことがある。ボクの場合は、七年の眠りから目覚めたら勝手に大きくなっていたから、本当にそうかは分からないけど……でも、たぶん、効果があると思う……うん、きっと……その……」

 

 次第に、リンクの言葉は要領を得なくなっていった。突然、ダークリンクの両目から涙が零れ落ちた。それと同時に、見る見るうちに魔物の影が薄くなっていった。やがて、魔物はその場から完全に消え去った。

 

 呆然としながら、リンクは言った。

 

「あっ、消えた……」

 

 姿形、学習能力、剣の技量まで完全にコピーしていたのに、なんで胸だけは小さかったんだろう? リンクは、場違いなほどに益体もないことについて考えていた。

 

 魔物が消滅したのと同時に、空間を満たしていた薄靄が晴れた。木の生えた小島も、足元の浅瀬も消え去った。今では何の変哲もない石造りの部屋が、そこにあった。

 

 ルトとナビィがリンクのもとへ駆け寄ってきた。

 

「リンク! 大丈夫かゾラ!? あやつに何かされなかったかゾラ!?」

「リンク、ケガしてない?」

 

 リンクは、花の咲いたような笑顔を浮かべて、二人に答えた。

 

「うん、大丈夫だよ! 怪我も大したことないし、ロンロン牛乳でも飲めばすぐに回復すると思う。さあ、先に進もう! 魔物を倒したら、あの扉に下りてた鉄格子が解除されるのが見えたの。きっとあの中に何か便利なアイテムが入ってるはずだよ」

 

 ここでリンクは、ルトの奇妙な表情に気が付いた。ルトの顔は微妙に赤らんでいて、どことなく視線を逸らしがちだった。

 

「どうしたの、ルト?」

 

 怪訝な顔を浮かべるリンクに、ルトの方から言葉を発した。

 

「うむ、リンクよ、早くあの部屋へ行こうではないか。だが、その前に、その……服をちゃんと着直してくれぬか? そなたの大きな胸が、さっきからわらわの視界に飛び込んで来て、その、いろいろと困るゾラ……」

 

 リンクは自分の服を見渡した。服は、先ほどのダークリンクとの最後の掴み合いを終えた時のままだった。

 

「あっ!」

 

 長い耳の先端まで真っ赤にして、リンクはそそくさと服を着た。そんなリンクに対して、ルトは呆れたように言った。

 

「この神殿の敵を討ち果たしたら、まずリンクには胸当て(ブラジャー)を買ってやらねばなるまい……わらわの大切な婚約者をいつまでもノーブラにしておくわけにはいかんゾラ……」

 

 リンクとルトの二人がその扉を開けたのは、それから三分後のことだった。

 

 

☆☆☆

 

 

「デ・デ・デ・デーン! ロングフックをみつけた! フックショットが性能アップ! 長さがなんと二倍になった!」

 

 おそらくファンファーレだと思われる曲を口で再現しつつ、リンクは奇妙なポーズを取って、宝箱の中から出てきたものを両手で高々と掲げた。その顔には無邪気な笑みが浮かんでいた。笑みからは、彼女がアイテムを得たことを心の底から喜んでいるのが窺い知れた。

 

 ルトが口を開いた。

 

「リンク、その、なんじゃ……いや、やっぱりやめておくゾラ……」

 

 ルトは、突っ込みを入れないでおいた。あれだけの激戦を制した後だから、リンクは心身ともに疲労しているらしい。でなければ、このような奇矯(ききょう)な振る舞いはしないはずだ。

 

 いくら強いとは言っても、リンクはまだ十代のハイリア人の女の子だ。しばらく休息をしてから、再度神殿の攻略にかかるべきだろう。そう考えたルトは、未だにポーズを取り続けているリンクに歩み寄ると、穏やかに語りかけた。

 

「リンクよ、さぞかしそのロングフックとかいうアイテムをさっそく使ってみたいであろう。しかし、今はしばし休憩を取ろうではないかゾラ。わらわが見るに、そなたはかなり疲労しているようじゃ。なに、ここまで来たら神殿の最奥まではもうすぐゾラ。焦らずとも良い」

 

 ルトの言葉に、リンクは我に返ったようだった。そして、恥ずかしさをごまかすように少しだけ目を伏せると、彼女は同意するように軽く頷いた。

 

「……そうだね。ルトの言うとおり、ボク、ちょっと疲れてるかもしれない。少し横になって休むよ。この部屋にいれば敵も防げるし……」

 

 リンクは床に腰を下すと横になり、上着を緩めて楽な姿勢を取った。

 

 すると、今度はルトが床に腰を下した。そして、リンクにぴったりと寄り添うように寝そべると、ルトは背後から抱きかかえるようにしてリンクの腰に腕を回した。

 

 突然の行動に戸惑いを覚えるリンクだったが、抗議の声は上げなかった。

 

 しばらく、二人は無言で抱き合った。まるで、失われた時間を少しでも取り戻そうとするかのようだった。

 

 やがて、ルトが優しい声音でリンクに話しかけた。

 

「……どうじゃ、温かいであろう? 疲労を癒すには、その者の体温を上げてやるのが一番ゾラ。だからこうして抱き合っておれば、わらわの体温でそなたを温めることができて、そなたの疲労も直に癒えるはずゾラ」

 

 リンクはうっとりとしたような声をあげた。

 

「ありがとう、ルト。うん、すごくあったかい……」

 

 ルトは言った。

 

「ふふ、紛れもなきゾーラの姫君(プリンセス)の清らかなぬくもりゾラ。存分に味わうが良い……」

 

 ルトの体は、その透き通るような青白い肌に反して、とても温かく柔らかだった。リンクはまどろみの世界へ落ちかけていたが、ふとルトから発せられた言葉に、意識をやや取り戻した。

 

「……わらわは、ただひたすらゾーラの里と父上、そして民たちのことを考えて今日まで生きてきたゾラ。もちろんリンク、そなたのことを忘れたことなど一日たりとてなかったが、とにかく、わらわはただ、わらわたちゾーラ族が再び平和に暮らせる日が来ることを祈って、戦ってきたゾラ」

 

 そこまで言うと、ルトはリンクの腰に回した両手に、やや力を込めた。

 

「……ならばリンクよ、そなたは何のために戦う? わらわはそれを知りたい。そなたがその身に余るほど大きく重い聖剣を背負い、ハイラル全土を駆け巡り、魔王の軍勢と戦い続けているのは、なぜなのか。どういう理由なのか。それをわらわは知りたいゾラ」

 

 そう問われたリンクは、しばらく何も答えなかった。しかしその沈黙の時間が、考えを纏めるために必要であることを、ルトは承知していた。

 

 ややあって、リンクは短く答えた。

 

「うん、理由か……そうだね……『約束したから』かな。あの日、あの時、お城で……」

 

 ルトは、その言葉で察した。その約束をした相手とは、つまり……

 

 突然、リンクが跳ねるようにして床から起き上がった。ルトは驚いて声をあげた。

 

「な、なんじゃリンク!? どうしたゾラ!?」

 

 ルトは、立ち上がったリンクの顔を見た。その顔には強い緊張感が漲っていた。リンクは、やや低い調子の声で言った。

 

「……ねえ、ルト、何か聞こえない? ドーンとか、ズゴーンとかいう、すごい水音というか、破壊音というか、そんな音がこっちにまで迫ってきているのが聞こえない?」

「なんと!?」

 

 ルトは床に耳をつけた。確かにリンクの言うように、大きな水音と共に破壊音が連続しているのが聞こえた。そして、それはこの部屋へと真っ直ぐに向かってきているようだった。

 

 リンクは、ルトの手を取りながら言った。

 

「すぐにこの部屋を出よう。音の正体を見定めないと……」

 

 ルトは頷いた。

 

「うむ。なにか、尋常ではないことが神殿の中で起こっている……」

 

 だがルトのその言葉は、最後まで続けられることがなかった。

 

 その時、部屋全体に大きな衝撃が走り、轟音が鳴り響いた。

 

 衝撃と轟音の次には、さらに大きな衝撃がその部屋を襲った。見る間に、大きな亀裂が幾筋も壁に走った。そして、その亀裂から水が漏れ出てきた。数回の呼吸を挟んだ後には、広がった亀裂は一つの穴となってしまった。

 

 穿(うが)たれた穴から入ってきたのは、水だった。しかし、その水は、ただの水ではなかった。呆然として、リンクとルトはそれを見ていた。

 

 やがて二人は、ほぼ同時に叫んだ。

 

「水が……生きてる!?」

「この水は、動いている! 意志を持った水ゾラ!」

 

 水は生きていた。水はあたかも触手のような形を纏い、部屋の中をまさぐろうとしていた。

 

 やがて、おぞましいまでに耳障りな音を立てて、何かが水の触手の中を移動して来た。

 

 その何かは、無数の赤い血管を纏った、白い肉塊だった。肉塊はリンクとルトの姿を認めると、喜悦に悶えるように体を震わせた。

 

 それは、獲物を前にした肉食獣の舌なめずりと酷似していた。




 大魔王ガノンドロフ「貧乳萌え」

 ようやくダークリンク戦が書けましたよ……次でモーファを撃破する予定です。乞うご期待!


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対決・水棲核細胞モーファ

 その巨大な魔物の正式な名は、「水棲核細胞 モーファ」という。それは形なき単なる水が、大魔王ガノンドロフから分け与えられた膨大な魔力によって生き物のように欲望と意志を持ち、邪悪なる魔術を行使するようになった存在である。それが、本来ならば水の精霊を(まつ)る厳かにして聖なる水の神殿を支配し、魔物が跋扈する死の巣窟となさしめたのだった。

 

 モーファこそ、ゾーラの里を氷漬けにした元凶であった。ゾーラ川を最終防衛線として徹底抗戦を続けるゾーラ族を一網打尽に葬り去るために、大魔王は手ずからモーファを生み出し育てた。モーファこそは大魔王の秘匿戦力であった。リンクとルトという小さな二人を滅ぼすために、モーファは身を潜めていた神殿の内奥から巨大な身体を蠢かせ、狭い通路を破壊しつつ驀進し、この狭い一室に突如として姿を現したのだった。

 

 無論、リンクもルトも、轟然たる衝撃と破壊音を伴って突如として眼前に現れたこの敵の正体について、詳細を知っているわけではなかった。しかし彼女たちは直感的に、この敵こそがこれまで目指していた最終目標であることを察していた。

 

 夥しいまでに赤い血管を浮かび上がらせた白い肉塊を目撃したルトが、リンクに向かって叫んだ。

 

「リンク! 気をつけるゾラ! これは、ただの水ではない! この水は、この水こそが、わらわのゾーラの里を……!」

 

 豊かな魔法の才能を持つルトは、モーファから発せられる魔力の波動を受けて、それが里を襲撃した魔法と同質のものであると感じた。彼女はこの敵こそがゾーラの里を氷漬けにした諸悪の根源であると、即座に見抜いた。

 

 つまり、この(モーファ)を倒せばゾーラの里は救われる! そのように確信したルトに、リンクもまた可憐ながらも気迫のこもった声で答えた。

 

「ルト、きっとこの敵が水の神殿の支配者だよ! ナビィ、こいつの弱点は何!?」

 

 リンクの声を受けて、妖精は青い燐光を振りまきながら、今は壁から首をもたげてあたかも彼女たちを観察するようにしている水の触手の周りを飛び回った。ナビィは言った。

 

「リンク、ルト! (モーファ)の弱点は、この白い肉塊だよ! これが核になって、水を自由自在に操っているみたい! なんとかして核を引き抜いて叩けば、きっと倒せるはず……!」

 

 だが(モーファ)は、ナビィが分析結果をすべて述べる前に行動を起こした。自身の核が収められている触手の他に、新たに幾本もの触手を生み出して、(モーファ)は部屋の外から一斉に攻撃を開始した。

 

 大地震に見舞われたかのように部屋が揺れた。見る間にすべての壁に亀裂が入った。数秒も経たずして、そこから奔流のように邪悪な意志を有した水が突入してきた。

 

 突然、リンクが声を上げた。

 

「うわっ!?」

「リンク!? どうしたゾラ!?」

 

 悲鳴に近いその声にルトが振り返ると、リンクは、いつの間にか背後の壁を突き破って侵入した触手に捕らえられていた。その触手は核が入っているものと比べれば見るからに細く、いかにも弱々しいものだったが、それでも秘められている力は相当なもののようだった。見る見るうちに触手はリンクの全身を締め上げて、空中へと持ち上げていった。

 

 リンクは呻き声をあげた。

 

「ぐっ……苦しいっ……! この、やめろぉ……!」

 

 リンクの顔は苦痛に歪み、頬には赤みが差していた。ほっそりとした四肢は力づくで押さえつけられ、同時に、大きな胸には呼吸を停止させるべく幾重にも触手が巻きついていた。弄ぶかのようにリンクを締め付ける(モーファ)の水の魔手は、彼女の大きな胸を強調させて、少女が有する優美な体の線をあらわにしていた。

 

 ルトは思わず叫んでいた。

 

「リンク!」

 

 さらに触手がリンクの脚の間に入り込み、締め上げようとしたその瞬間、ルトは高貴なる青い血が流れる自身の血管の一本が、音を立てて切れたのを聞いたような気がした。彼女は低い声で言った。

 

「この……絶対に許さんゾラ!」

 

 両手に装着された先祖伝来の魔具である黄金の水龍のウロコに、瞬間的にルトは魔力を流し込んだ。間を置かず発動された水魔法は鋭い刃となり、リンクを固縛していた触手を斬り刻んだ。途端にリンクは宙から落下した。だが、リンクは軽やかに受け身を打った。

 

「無事か、リンク!?」

「ありがとう、ルト! 今度はもう油断しないよ!」

 

 気遣うルトの声に、リンクは元気に答えた。すでに彼女は背中の聖なる長剣(マスターソード)を引き抜いていて、油断のない目つきで四周を警戒していた。

 

 一方で、敵はどことなく悠然とした構えだった。バラバラにされた触手はすぐに再生し、彼女ら二人を遠巻きにしていた。白い肉塊の核は、うぞうぞという聞くだにおぞましい音を立てながら部屋の入口付近に陣取って、新たな攻め手を考えているようだった。

 

 ルトは言った。

 

「……やはりナビィの言うように、あの核を攻撃しなければならないゾラ……」

 

 リンクが、探るように近寄ってきた触手を一刀両断すると、おもむろに口を開いた。

 

「核を引きずり出すのは、たぶん簡単だと思う。さっき手に入れたロングフックを核に撃ち込めば、きっと……」

 

 ルトは答えた。

 

「うむ。じゃが……」

 

 ルトは、常に冷静な彼女としては珍しいことに、歯噛みをした。核を攻撃する。それが勝利の絶対的な条件であるのは間違いない。だがこの状況、この場所は、いかにも自分たちにとって分が悪い。(モーファ)は、瓶の中のカニをいたぶるオクタロックのように、いつでも好きな時に好きなように攻撃ができる。それに対して、こちらは自分から動くことができず、ただ防戦に専念するしかない。

 

 今すぐにでもこの部屋から脱出し、どこか広い場所、ロングフックの性能を活かすことができ、触手による攻撃から自由に身をかわせるところへ移動しなければならない。だが、この部屋には入口の他に逃げ場はない。今は敵が陣取っている入口の他には……

 

 そのように冷や汗をかきつつ考えを巡らせるルトに、リンクが隣から声をかけた。その声音は、意外なまでに明るかった。

 

「ルト、ボクに考えがあるの。もっと広い場所に行けば、きっと戦いがやりやすくなるはず。まずはこの部屋から出よう!」

 

 その声には、確信の念が込められていた。ルトは、リンクが自身と同じ考えを抱いていることを嬉しく思うのと同時に、その手段をいかにして得るのかという疑問を新たにした。

 

「わらわもそなたと同じことを思っておったゾラ、リンク! じゃが、どのようにしてここから抜け出る?」

 

 ルトの言葉にリンクは微笑みを浮かべた。戦いの最中とは思えぬほど、その笑顔は穏やかだった。

 

「少し時間を稼いで。大丈夫、抜け道ならさっき見つけたよ。宝箱の後ろにある青いブロック、あれをどかせばきっとここから出られる。マップの通りならね」

 

 リンクには、この先やらなければならないことがすべて見えているようだった。ルトも口元を緩めると、(モーファ)の核に向かって構えを取った。

 

「分かった。ではそなたに任せるゾラ」

 

 言うなり、彼女は水魔法を核に向けて放った。金属の外殻を有するスパイクや、硬い二枚の貝殻に身を包んだシェルブレードをも一刀両断する威力を持つ、ルトが最も得意とするその魔法は、しかしあまり効果がなかった。水の刃は、やはり水に対しては効力を発揮しないようだった。

 

 そうではありながら、(モーファ)はルトの魔法を防ぐかのように触手をよじらせた。水に込められたルトの魔力が核本体に干渉し、微小ながらもダメージを与えたようだった。ルトはその光景を見てほくそ笑んだ。これならば、しばらく時間が稼げる。リンクはこの間に、必ず突破口を開くであろう……

 

 その時、ルトの背後から清らかな音曲の音が聞こえてきた。その調べは荘重にして、悠久の時の流れを感じさせるものだった。それは、リンクの持つ時のオカリナによって奏でられていた。

 

 なぜ、この時にオカリナを? だが、ルトはすぐにその疑問を飲み込んだ。リンクがすることに間違いはない。今は、時間稼ぎに専念するべきだ。

 

 事実、その通りだった。ルトが三度目になる魔法を放った直後、リンクの声が響き渡った。

 

「ルト! ブロックが消えたよ! ここから逃げ出そう!」

 

 ルトは大きな声で答えた。

 

「分かったゾラ!」

 

 ルトは最大出力で、部屋全体に向けて魔法を放った。地上において発動したならば街一つを容易く水没させるであろうその魔法は、もともと触手の攻撃によってダメージを受けていた壁を完全に崩壊させた。それに乗じて、ルトはリンクと共に、床に開いた脱出口へ向けて身を躍らせていた。

 

 下の階層へと通じる脱出口を塞いでいたのは、「時のブロック」だった。それはリンクが「時の歌」を演奏したことによって消滅したのだった。二人はしばらくの間、居心地の悪い浮遊感を味わい、そして大きな水飛沫を上げて着水した。

 

 そこは水路だった。岩肌がむき出しになった水路の中を、水が凄まじい勢いで流れていた。所々には大きな渦が逆巻いていた。もし渦に飲み込まれれば、いくらゾーラの服を着ているとはいえ、決して無事には済まないだろう。

 

 ルトは、リンクが激しい水の流れの中でポーチを探っているのを見た。

 

「……ごぼっ……ヘビィブーツを……!」

 

 大きな水音の中聞こえてきたリンクの声に、ルトの体は自然と動いていた。流れに逆らって泳ぐと、彼女はリンクの小柄な体を抱きかかえ、そのまま水路を進み始めた。

 

 リンクはすぐさまルトに身を委ねた。この場合そうすることが一番であることを、彼女は知っていた。リンクは言った。

 

「ルト! ありがとう!」

 

 ルトは自信に満ちた口調で答えた。

 

「この程度の水流、ゾーラの姫君(プリンセス)であるわらわにはいかほどのこともない! ここはしばし、わらわに任せよ!」

 

 透き通るように白く美しい四肢のヒレを優雅に動かしつつ、ルトは水中を泳ぎ進んだ。だが、それは気力と体力を著しく消耗させる行為だった。

 

 リンクには強がってああ言ってしまったが、ここを泳ぐのはなかなか難しい。ルトは眉間に皺を寄せた。ゾーラ族一番の泳ぎ手でも、無事に泳ぎ切れるか分からないくらい、ここの水の流れは激しいゾラ……

 

 ルトが、もう何個目になるか分からない渦を避けた時、ナビィが叫んだ。

 

「大変! 後ろに触手が!」

 

 ルトが振り向くと、後方二十メートルのあたりに、邪悪な魔力を纏ったあの水の塊がいた。白い核を収めた触手をのたうち回らせ、水路を破壊しながら、魔物は彼女ら二人に追いすがってきた。部屋を破壊して時間を稼いだつもりだったが、どうやら(モーファ)はあの触手を使って、あまり時間もかけずに瓦礫を取り除いてしまったようだった。

 

 ルトは苦々しく思った。

 

「忌々しい……! 厄介な時に現れてくれたものゾラ……!」

 

 その上、さらに状況が悪化した。ナビィが再度、今度はより絶望の色を深くして叫んだ。

 

「わぁっ!? この先にもっと大きな渦があるよ! 水路一杯に広がってる!」

 

 思わずルトの口から声が漏れた。

 

「ゾラッ!?」

 

 ルトの心臓は早鐘を打った。水路一杯の渦、それはつまり、もう逃げ場がないことを意味している。まさに「峠の上のモリブリン、坂の下のスタルフォス」だ。もし渦に飲まれたら、自分は助かるかもしれないが、リンクはきっと溺れてしまう。それならばいっそのこと後方に向きを変えて、(モーファ)に戦いを挑むか? いや、そんなことをしても勝算はゼロに近い……

 

 この絶体絶命な状況を救ったのは、リンクだった。それまでじっと沈黙していた彼女は、突然鋭い声を上げた。

 

「ルト! 一瞬で良いから止まって!」

 

 ルトは答えた。

 

「何……!? いや、分かったゾラ!」

 

 不可解な言葉に対して一瞬浮かんだ疑念を打ち消すと、ルトは全力をかけて流れに逆らい始めた。ヒレを動かし、さらには魔法まで発動して、ルトはリンクを抱いたまま激流の中で一点に留まり続けた。

 

 これは、苦しいゾラ。ルトは表情を歪めた。ただでさえ消耗しているスタミナ(がんばり)が急速に失われていくのを、彼女は感じた。

 

 このままでは、数秒ももたないかもしれぬ。冷たい危惧の念を覚えたその時、ルトは自分の腰にリンクの右腕が回されるのを感じた。その次の瞬間には、彼女の体は猛烈な勢いで空中へ向けて飛びあがっていた。

 

 見ると、リンクは左手に何かを持っていた。それはつい先ほど手に入れたばかりの、ロングフックだった。発射されたフックは天井の開口部のさらに奥へと撃ち込まれており、伸びきったチェーンが耳障りな音を立てて巻き上げられていった。

 

 ほどなくして二人は、水路から脱出して上層へと到達した。ルトとリンクは床に横たわって、荒い息を吐いた。しばらく、ぜいぜいという呼吸の音だけがあたりにこだました。

 

 リンクは自分に身を委ねながらも、冷静に考えを巡らせていたようだ。濡れた子犬が水を振り払うようにブルブルと体を震わせるリンクを見上げながら、ルトはそう思った。おそらく水路に落ちた時にはすでに、どこから上層へ抜け出ることができるか見通しを立てていたに違いない。

 

 思わず、ルトの顔に笑みが浮かんだ。彼女は言った。

 

「リンク、流石じゃな!……して、これからどうする?」

 

 ルトの言葉に柔らかな眼差しを返しつつ、リンクは答えた。

 

「目指すのは神殿の最深部! ここに来た時にはまだロングフックがなかったから行けなかったけど、今なら行けるはず! そこならきっと、あの触手の魔物も倒せるよ!」

 

 ルトは考えた。広い場所なら、ロングフックの長い射程を活かせるだろう。触手から核を引きずりにはもってこいだ。彼女は頷きつつ、答えた。

 

「うむ、そうじゃな。では、行こうか」

 

 それに、神殿の最深部で戦うのは、他にもっと重要な意味がある。彼女はそう思った。そここそ、神殿の最も聖なる場所だ。そこは精霊と神が身を休める至聖所である。ならば、この神殿が死の罠と化した今、そこはいわば敵の本陣となっているはず。そこで(モーファ)を討てば、おそらく、いやきっと、敵は立ち直ることなく完全に消滅するだろう……

 

「ゾラッ!?」

 

 立ち上がろうとしたルトは、しかしながらがっくりと床にへたり込んでしまった。どうしても手足に力が入らなかった。リンクが心配そうな顔をして、声をかけてきた。

 

「ルト!? 大丈夫!?」

 

 ルトは力のない声で答えた。

 

「すまない、リンクよ……先ほどの水路で力を使い果たしてしまったようじゃ……」

 

 情けないことだと、ルトは俯いた。これからがいよいよ決戦だというのに、自分の体が言うことを聞いてくれない。これまで生きてきた中でずっと忠実に命令に従ってくれていた肉体が、ここに来て反逆するとは……

 

 すると、リンクがこともなげに言った。

 

「歩けないんだね? なら、ボクがルトを運ぶよ! これから先は水の中を通らないといけないこともないし。さっき水路で泳いでもらったお礼だよ」

 

 驚いて、ルトは高い声をあげた。

 

「なんと!? いや、しかし……」

 

 ルトはほんのりと顔を赤らめた。子どものゾーラでもあるまいに、大人になってから誰かに運んでもらうなど、恥ずかしい。王族とはいえ自分の脚で歩き、自分のヒレで泳ぐのが、ゾーラ族の伝統である。だが、そんなことに拘泥している場合ではないのもたしかかもしれない……

 

 リンクはなおも言った。

 

「ねっ、ルト? 早く行こうよ」

 

 澄んだ蒼い目で優しく見つめてくるリンクに、ルトは頬を染めつつ、俯きがちに言った。

 

「よ、良かろう……そなたに、わらわを運ぶ名誉を与える……ゾラ」

 

 リンクはどこか嬉しそうに言った。

 

「そう来なくっちゃ! じゃあ、行こう!」

 

 ルトは手足のヒレを折り畳むと、美しい姿勢で端座した。そんな彼女を、リンクは軽々と頭上に持ち上げて、肩車のようにした。こんなに小さな体のどこにそれだけの膂力(りょりょく)があるのか、ルトには俄かには信じられない思いだった。

 

 暗い神殿の中を、二人は進んでいった。幸いなことに、敵の姿はあまり見えなかった。

 

 リンクのブーツが石畳を踏む音だけが響いていた。ルトが、ひそやかに言葉を紡いだ。

 

「……こうしていると、昔のことを思い出すゾラ。七年前、ジャブジャブ様のお腹の中で、そなたはこうしてまだ幼かったわらわを運んでくれた。そう、あの頃のわらわは、幼かった……わがままで、怖がりなのに意地っ張りで……」

 

 リンクが言った。

 

「……そうだね。ボクはルトを運んで、泡の敵に投げつけたり、スイッチの代わりになってもらったり、投げて段差の上に行ってもらったりしたね。そのたびにルトは、顔を真っ赤にして怒ったっけ。考えてみればすごいことをしてたなぁ。でもね……」

 

 リンクの声は沈みがちだった。気遣うように、ルトは声をかけた。

 

「どうしたのじゃ、リンク」

 

 リンクは答えた。

 

「ルトにとっては七年前のことでも、ボクにとってはつい最近のことなんだ。七年間、ボクは眠っていたから……」

「リンク……」

 

 ルトは、それ以上問いを投げかけなかった。リンクは、自分が想像もできないほど数奇な運命の渦中にいるらしい。七年もの間眠りを強要されるなど、とても尋常なことではない。同じ時代に生まれ、同じ時の流れの中で生きるはずだったのに、どうやらハイラルの神々はリンクにそれを許さなかったようだ。

 

 七年間の眠りは、リンクにとっては一瞬だったかもしれない。それでも、その一瞬の間に、自分とリンクとの隔たりは決して埋めることができないほどに広がってしまったのだろうか?

 

 思いを巡らせるルトの下で、リンクが呟くように言った。

 

「『時は移り、人も移る……それは水の流れにも似て、決してとどまる事はない……』」

 

 不思議なほどに詩的な情感がこもった言葉だった。ルトは思わず問いを発していた。

 

「それは、何ゾラ?」

 

 リンクは静かに答えた。

 

「氷の洞窟で、シークが言っていたの。意味はよく分からなかったけど……でも、たしかにルトは変わったね。ボクが寝てた間に、ルトは大きくなった。強くなって、それ以上に優しくなった……」

 

 シークとは、(モーファ)の魔法によって氷に覆われ始めたゾーラの里からルトを救出してくれた、あの若者だろう。一度しか顔を合わせていないが、なるほど彼ならばそのように謎めいた言葉を残しても不思議ではない。ルトはそう思った。

 

 リンクを置き去りにして、時間は水の流れのように過ぎ去っていく。それを恐れてはならないと、シークは言いたかったのだろうか? だが、ルトの女性としての直感は、何か別の、単なる助言以上の意味をその言葉の裏に感じ取っていた。

 

 それは「人間の力ではどうすることもできない時の流れを嘆くな、恐れるな」とリンクをただ叱咤するだけの言葉ではない。むしろ、時の流れに取り残された彼女を思いやるような、仄かな優しさを秘めている言葉ではないだろうか? そのようにルトには思われた。

 

 知らず知らずのうちに、ルトの口は開いていた。

 

「リンク、シークが言うように、人は変わるものゾラ。わらわたちは変わりながら生き続け、そしてひとたび変われば決してもとに戻ることはない。じゃが……」

 

 ルトの言葉を、リンクは静かに聞いていた。ルトはさらに言った。

 

「いつまでも変わらぬものもこの世には存在する。それは無論、人の心の中にもある。時の流れに決して屈することのない、美しく輝くものが、その人の心の中にいつまでも残っている。リンクよ、わらわはそなたと共にこの神殿を歩いて、そのことを改めて知ることができた。それだからこそ、わらわはそなたを愛しているし、これからも愛し続けるであろう」

「その、いつまでも変わらないものって何? ボクにもそれがあるのかな?」

 

 リンクの問いに対して、ルトは短く答えるだけに留めた。

 

「今は分からなくとも、きっとそなたはそれに気づくであろう。だから、安心するが良い」

 

 いつの間にかリンクの声は、持ち前の明るさを取り戻していた。

 

「……うん! ルトがそう言うなら、きっとそうだね!」

 

 

☆☆☆

 

 

 あるいはロングフックを駆使し、あるいはスイッチを押して、リンクとルトはさらに先へと進んだ。不可解なことに、あの触手を操る(モーファ)は追って来なかった。

 

 リンクが言った。

 

「撒いたのかな?」

 

 ルトは首を左右に振った。

 

「いや、そうではあるまい。この神殿は奴の巣と言っても良いゾラ。わらわたちを見失うことはあり得ぬはず」

 

 リンクは表情を固くした。

 

「じゃあ、やっぱり……」

 

 ルトはわずかに頷いた。

 

「うむ、リンクの考えている通りであろう」

 

 待ち伏せされている。ならば、それを承知で打ち破るまで。

 

 いつ間にか、二人は坂道のふもとに差し掛かっていた。坂の上には大きな扉があった。そこが、目指す神殿の最奥部であるのは間違いなかった。

 

 坂の途中には三か所、左右に移動するトゲトゲが設けられていた。金属音を立てて、罠は休むことなく動き続けていた。普通に坂を登れば、トゲに捉えられ切り裂かれてしまうだろう。そう考えたルトは、リンクに声をかけた。

 

「リンクよ、わらわをおろすのじゃ。わらわを運んだままではトゲをかわし切れまい。それに、もう体力は回復したし……ゾラッ!?」

 

 ルトは悲鳴をあげた。リンクが思いもよらないことをし始めたからだった。

 

「でぇやぁあああっ!!」

 

 ルトを担いだままリンクは全力で駆け始めたのだった。二人分の重量があるにもかかわらず、リンクは軽やかに坂道を駆けあがり、終わりのほうでは流石にやや勢いに衰えを見せたが、結局はトゲに捉えられることもなく坂を登り切ってしまった。

 

 駆け終えると、リンクは扉の前でルトを肩からおろした。ルトは溜息まじりに言った。

 

「ふう……リンクよ、そなたはやっぱり変わっておらぬな……大人しいようでいて突然見せる無茶苦茶な行動とか……最後は坂の上へと投げられるのではないかとヒヤヒヤしたゾラ……」

 

 リンクは答えた。

 

「えへへ、そうかな? ボクってそんなに向こう見ずかな……あっ!」

 

 口元を緩めていたリンクが、突然大きな声を上げた。

 

「見て、扉に鍵がかかってる! どうしよう、ここに来るまでに鍵の入った宝箱とかあったっけ? 見落としたのかな……」

 

 リンクの言うように、扉には大きな錠前が下がっていた。いかにも落胆した様子を見せるリンクに、ルトは不敵な笑みを浮かべた。

 

「案ずるでない。鍵ならばわらわが持っておるゾラ。ほら、ここに」

 

 ルトは、その豊かな胸の谷間から、もったいぶった手つきで大きな青い鍵(ボス部屋の鍵)を取り出した。彼女はリンクにそれを手渡した。鍵はぴったりと鍵穴に差し込まれた。錠前は音を立てて床に落下した。

 

 ルトが言った。

 

「ゾーラの姫君(プリンセス)が父母から受け継ぐものは二つある。一つは、婚約者に授けるゾーラのサファイア。もう一つが、この水の神殿の最奥部の鍵。それというのも、ゾーラの姫君(プリンセス)が水の神殿の巫女の役割を兼ねているからじゃ。さあ、いよいよ決戦ゾラ。リンクよ、覚悟は良いか?」

 

 リンクは力強く頷いた。

 

「もちろん! さあ、行こう!」

 

 扉を開けて、二人は中へ入った。

 

 その部屋は広かった。四つの正方形の足場を浮かべた巨大なプールが中央部に広がっており、満々と水を(たた)えていた。水は異様なほどに澄み切っており、さざ波一つ立てていなかった。

 

 不気味なことに、部屋の壁にはびっしりとトゲが植えられていた。トゲの先端は非常に鋭かった。これでもかと言わんばかりに、トゲは部屋の主の悪意を示していた。

 

 リンクは聖なる長剣(マスターソード)を背中の鞘から引き抜くと、凛とした声を張り上げた。

 

「さあ、隠れていないで出てこい! お前がここにいるのは分かってるぞ!」

 

 リンクの声が部屋全体に響きわたった。数秒の間を置いて、それは現れた。ざわざわとプールの水が揺らめき、やがて不自然な形を取って盛り上がると、一本の巨大なゼリー状の触手がおもむろに水の中から突き出てきた。プールの水そのものが(モーファ)本体だった。

 

 ほどなくして、プールの底から何かが浮かび上がってきた。それは、赤い血管を纏った白い肉塊だった。肉塊は伸ばされた触手の中へと移動した。核が出現したのを確認するや、リンクとルトは顔を見合わせて、頷いた。リンクは言った。

 

「出たね。じゃあ、これまでに決めた作戦の通りに」

 

 ルトも言った。

 

「うむ、そなたの立てた作戦ならば間違いあるまい。では、行こうか!」

 

 二人が会話を終えると同時に、(モーファ)は襲い掛かった。敵は触手を何本も伸ばして、まずはルトを捕捉しようとした。どうやら敵は、陸上では動きが遅いゾーラ族から始末するつもりのようだった。

 

 (モーファ)の動きを見るや、ルトは迷うことなく即座にプールの中へ飛び込んだ。

 

「ほれ! わらわはこっちじゃ! 捕まえてみよ!」

 

 声を上げて挑発しつつ、ルトは白い体を輝かせて、プールの中を自由自在に泳ぎ回った。(モーファ)は、まさか自分の中にルトが自ら飛び込んでくるとは思わなかったのであろう。一瞬、動きを止めた。

 

 それを見逃すリンクではなかった。彼女はロングフックを取り出すと冷静にポインターを合わせて、核に向かってフックを撃ち込んだ。

 

「そこだ!」

 

 そうリンクが叫んだ時には、すでにロングフックの穂先が核に突き刺さっていた。なす術もなく、核は触手の中から引きずり出された。見る間に核はリンクの手元へと引き寄せられ、びちゃりという嫌に耳に残る音を立てて床に落下した。広い場所ならばロングフックの性能を活かすことができるという目論見は、ものの見事に的中した。

 

 ビチビチと跳ねながら、核は必死になってプールの中へと戻ろうとした。リンクはそれを逃さなかった。閃光のごとき速さと鋭さで以て聖なる長剣(マスターソード)が振るわれ、核は赤黒い血飛沫を上げて切り刻まれていった。

 

「えいっ! やあっ! このっ!」

 

 勇ましい掛け声と共に、リンクは剣を振るい続けた。彼女の剣技は洗練されていた。(モーファ)は甚大なダメージを負っていたが、それでもなおしぶとく生存していた。リザルフォスやスタルフォスといった通常の魔物ならばもう二回は死んでいるはずの斬撃を受けても、なかなか核は崩壊しなかった。

 

 だんだんリンクは焦れてきた。彼女がとどめを刺そうと、剣を突き立てようとしたその瞬間だった。

 

 核が分裂した。リンクは驚いて声をあげた。

 

「えっ!?」

 

 彼女の目の前で、一個の巨大な核はちょうど半分の大きさの二個の核になった。それぞれが突然の事態に困惑するリンクの左右をすり抜けて、プールの水の中へと戻ってしまった。

 

 ルトも、水の中からそれを目撃していた。(モーファ)の本体である水は大魔王譲りの邪悪な魔力を帯びており、彼女の痛覚神経は焼きつくような痛みを訴えていた。だが、それを忘れてしまうほどに事態は急変した。

 

 リンクがルトに向かって叫んだ。

 

「ルト! 敵が分裂した! ボクは片方を叩くから、ルトはもう片方をなんとかして!」

 

 ルトは戸惑ったような声をあげた。

 

「ちょっ、なんとかしてって言っても……いや、分かったゾラ! わらわが片方をなんとかする!」

 

 本当は速戦速攻を決めるはずだった。引き抜いた核を部屋の四隅のいずれかに追い詰め、戻る間もなく斬り伏せて討滅する。それが当初の作戦だった。それならばルトが(モーファ)の本体の中を泳ぎ回る時間が短くて済む上、リンクが余計な危険に身を晒す必要もない。二人はそう考えたのだった。

 

 やはり戦いとはままならぬものゾラ。そう感じながら、ルトは懸命にヒレを動かして泳ぎ続けた。半分になった核の片方が、猛烈なスピードでルトを追いかけてきた。だが、彼女の泳ぐスピードはそれをさらに上回った。

 

 気高い意志を紫色の瞳に宿らせて、ルトは叫んだ。

 

「水の中なら誰にも負けんゾラ!」

 

 しかし一方で、彼女は焦ってもいた。予想以上に体力と魔力の消耗が激しかった。彼女は自身の魔力を体の表面に纏わせて、水から受けるダメージを軽減させていた。しかし、そのようなことを長時間続けるわけにはいかなかった。

 

 ルトは言った。

 

「ここは……やはり、リンクが立てた作戦に立ち返るべきゾラ」

 

 先ほどリンクは、二人それぞれが二つの核のそれぞれを「なんとかしよう」と言った。だがそれは、貴重な戦力を分散することになる。ここはむしろ多少の危険を冒してでも、一方の核を無視し、もう一方の核を優先的に撃破するほうが良いだろう。各個撃破は戦術の基本だ。

 

 問題は、この考えをどうやってリンクに伝えるかだが……しかし、ルトには確信があった。

 

 ルトは水中で急旋回を打つと、ぴったりと後方に追従していた核に対して水魔法を放った。水中を伝わる波動は巨大な衝撃となって核を襲い、水面の上へと跳ね上げさせた。

 

「リンク!」

 

 叫ぶまでもなく、リンクはロングフックの照準をすでに定めていた。まるで、そこから核が出てくるのをあらかじめ分かっていたかのようだった。ルトが伝えるまでもなく、リンクは彼女の考えを察していたのだった。

 

 ロングフックの穂先は(あやま)たず命中した。引き寄せられた核は瞬時にリンクに斬り刻まれた。

 

 リンクは言った。

 

「今度こそ、トドメだ!」

 

 裂帛の気合いと共に振り下ろされた長剣は、今度こそ核の命脈を絶った。核は呻き声を上げると、それまでに負わせられた無数の傷口から血液を噴出させ、醜く爆ぜた。

 

 爆発して飛び散った核の残骸を浴びながらも、リンクはそれに気を取られることなく、もう片方の行方を探った。リンクは言った。

 

「もう一個の核は、いったいどこに……!?」

 

 ナビィがリンクの隣で叫んだ。

 

「リンク、ルトが!」

 

 それを見て、リンクの背筋に冷たいものが走った。

 

「ぐ、ぐうぅ……油断したゾラ……」

 

 素早く巡らせた視線の先で、ルトが触手に捕らえられていた。核は触手の中にあった。核は赤紫の魔力の波動を送って、ルトを責め苛んでいた。白く美しいゾーラの姫君(プリンセス)の全身に触手は巻きついて、じわじわと絞め殺そうとするかのように力を強めていた。

 

 悲鳴に近い声で、リンクはルトの名を呼んだ。

 

「ルト!」

 

 そんな彼女に睨み返すような眼差しを送りつつ、ルトは強い意志が込められた声を発した。

 

「リンク、わらわに構うな! 今が絶好の機会、早く核を討て!」

 

 その言葉が終わった瞬間だった。触手は大きく振りかぶると、ルトを壁に向けて放り投げた。ルトがトゲに突き刺さろうとするその瞬間、今度は逆に、リンクのロングフックが核を引き寄せていた。

 

 音を立てて、白い肉塊が転がった。白刃が振るわれた。血飛沫が飛び散った。

 

 今のリンクは、何も感じていなかった。高揚する戦意も、燃えるような憎悪もなかった。今はただ爬虫類のような目をして、彼女は無様に眼前に転がる核を斬り刻むだけだった。

 

 苦痛を堪えかねたように、核が呻き声を上げた。リンクは、それでも手を休めなかった。核は斬撃に耐えきれず、ついにその場から逃げ出した。最後の力を振り絞って水中へと逃走すると、核はじっと水底に身を潜めて動かなくなった。しばし身を休めて、再度の攻撃の機会を窺おうとするようだった。

 

 リンクは冷たく呟いた。

 

「逃がすか」

 

 即座にリンクはプールの中へと身を躍らせた。電流でも流されているかのような激烈な痺れが彼女の全身を襲った。だが、彼女はそれを意に介することなく、プールの中央へと泳ぎ進んだ。そして、下に核がいることを確認すると、彼女はヘビィブーツを履き、身を沈めた。

 

 ほどなくして、リンクはプールの底へと降り立った。水中へ追撃してくるとは予想していなかったのか、核は一瞬戸惑うような素振りを見せた。だが、やがて気を取り直したように身を蠢かすと、核はリンクへ向かってまっしぐらに突進した。

 

 リンクはそれを正面から見つめていた。もうロングフックを用いる必要はなかった。至近距離から、一刀の下に斬り捨てるだけだった。彼女の瞳にはただ、驀進してくる白い肉塊だけが映っていた。

 

 殺意など要らない。ただ技術だけが、勝敗を決するだろう。

 

 急速に両者の距離が縮まった。核が剣の間合いに入った。瞬時にリンクは剣を振るった。しかし、剣はただ水を斬るだけに終わった。

 

 邪悪な魔力に耐えながらリンクと共に水中へ入っていたナビィが、悲鳴を上げた。

 

「リンク!」

 

 核は、またもや分裂したのだった。しかも今度は、無数の小さな核へと分裂した。もはや断片とすら呼べないほどに微細に分かれた核は、小魚の大群が泳ぐように音を立ててリンクのすぐそばを通り抜けた。通り抜けると、核の群れは散開し、今度は彼女を包囲するようにして、一斉に突撃した。

 

 ナビィがさらに大きな声で叫んだ。

 

「リンク、敵が来るよ! 一度水中から出よう! このままじゃやられちゃう!」

 

 だが、リンクは動かなかった。彼女はじっと、ある瞬間を待ち受けていた。

 

 ここに来るまでに何度か実戦で練習を積んだ。ルトに怒られたこともあったけど、今度は彼女のことを気にする必要はない。思う存分、魔力を込めてぶつけてやる……

 

 そう、ルトのかわりに、この敵を倒すんだ!

 

 そのように思った瞬間、リンクの心の中に怒りが満ち溢れた。どこまでも純粋で、清らかな怒りの情動だった。怒りは彼女の体内で膨大な魔力へと変換され、間を置くことなく爆発的に放出された。

 

 魔力は熱となり、火となり、炎の渦となって、瞬間的に彼女の周囲の水を蒸発させた。ディンの炎、最大出力(マックスパワー)。それはデスマウンテンの火山の溶岩すら凌駕する、大地を生み出す原初の炎熱だった。

 

 大爆発が起こった。無数の核はひとつ残らずそれに巻き込まれて、塵一つ残すことなくこの世から消滅した。

 

 プールの中の水が、急速に消滅していった。リンクはヘビィブーツを脱ぐと壁面に向かって泳ぎ、急いでよじ登った。彼女が登り終えた直後、水は完全に消えた。プールの底には彼女の戦果を言祝(ことほ)ぐように「ハートの器」が残されたが、リンクはそれに目もくれなかった。

 

 プールから出るや、リンクは叫んだ。

 

「ルト! 大丈夫!?」

 

 その声は、悲痛の色を濃密に帯びていた。

 

 リンクの心の中には、泣き出したいくらいの焦燥感だけが満ち溢れていた。あの勢いでトゲに突き刺さったら、きっとただでは済まない。もしかしたら、もうルトは……

 

「おお、リンク!」

 

 だが、ルトは無事だった。彼女は、ちょうど壁のトゲとトゲの間に挟まるようにして座り込んでいた。

 

 ルトは、なんということはないというふうに言った。

 

「よくぞ見事に敵を討ち果たした! それでこそ、わらわの唯一無二の婚約者(フィアンセ)じゃ。それにしてもなんという爆発、この神殿ごと吹っ飛ばすつもりだったかゾラ? まったく、そんなにも大切な婚約者(フィアンセ)を焼き魚定食にしたいのか……」

 

 リンクの両目から、涙が溢れ出た。

 

「ルト……! 良かった、本当に無事で良かった……」

 

 リンクを安心させるように、ルトは軽口を叩き続けた。

 

「でも、そなたに食べられるのも悪くないかもしれないゾラ。愛する人の体の一部になって生き続けるというのも、なかなか乙なものかもしれぬ……」

 

 リンクは知る由もなかったが、ルトは投げられた直後、最後の魔力を使って水の障壁を生み出していた。ルトはトゲに衝突したが、障壁がクッションとなって彼女を完全に守ったのだった。

 

 リンクは非難するように言った。

 

「もう……本当に心配したんだからね……ボクはてっきり、ルトが死んじゃったかもしれないと思って……」

 

 なおもぽろぽろと涙を流して無事を喜ぶリンクに、ルトは慈愛のこもった眼差しを向けつつ、口を開いた。

 

「王族というものは、最後の最後までわが身を大切にするものゾラ。それは単に命を惜しむからではない。民を守り、愛し抜くために、たった一つしかない命を惜しむからなのじゃ。わらわが愛するそなたを置いて、先に死ぬわけがなかろう……さて、リンクよ、あれを見よ」

 

 ルトは、ある一点を指で示した。そこには聖浄なる光が立ち昇っていた。まるで、リンクとルトを呼んでいるかのように、光はゆらゆらと揺らめいていた。

 

 リンクは涙を拭うと、ルトの手を取った。彼女は言った。

 

「……あの光の中に入れば、ボクたちは『賢者の間』へと導かれることになると思う」

 

 ルトは、リンクの目を真っ直ぐに見つめた。

 

「ふむ、『賢者の間』とな……それはつまり、わらわが賢者として迎え入れられるということか? けっこうなことゾラ。さしずめ、わらわは水の賢者といったところか……」

 

 リンクは無言で頷いた。しばらく、沈黙が二人の間を満たした。

 

 ややあって、リンクが静かに口を開いた。

 

「ルト。賢者として覚醒すれば、もう普通の生活には戻れない。人とは違う空間と時間の中で、ガノンドロフを倒してハイラルに平和を取り戻すために、祈りを捧げ続けなければならない……それはボクと同じように、時の流れに取り残されるということ。ルトは、それでも良いの?」

 

 ルトは、穏やかに微笑んだ。

 

「リンクよ、ここに来るまでに、わらわは言ったな。『時の流れに決して屈することのない、美しく輝くものが、その人の心の中にいつまでも残っている』と。わらわにも、もちろんそれがある。それがあると分かっているから、わらわは迷うことなく賢者となって、そなたの力になるゾラ」

 

 温かな言葉だった。リンクの目に、またもや涙が滲んだ。

 

「ルトの中にあるそれは、なに?」

 

 床から立ち上がると、ルトは優雅に腰に手を当てた。そして、彼女はどことなく妖艶にも見える表情を浮かべた。それはまさに、誇り高きゾーラの姫君(プリンセス)だけが持ち得る、気品ある姿だった。

 

 ルトは言った。

 

「決まっておろう。それはそなたへの、永遠の愛よ!」

 

 そう言うなり、ルトは床にへたり込んでしまった。

 

「……すまないリンクよ。そなたにもう一度、わらわを運ぶ名誉を与える。あの光の中へ連れて行ってたもれ。もう体力も魔力も尽き果てて、すっからかんゾラ……」

 

 リンクは笑った。笑ってから、彼女は言った。

 

「分かった、分かったよ。最後の最後まで、ボクがゾーラの姫君(プリンセス)をエスコートしてあげるね!」

 

 リンクはルトを横抱きにして抱きかかえた。そして、光の中へしずしずと歩みを進めていった。

 

 やがて二人は、数え切れないほどの黄金色の光の粒子となって、宙へと昇っていった。

 

 瞬きほどの時間の後には、リンクとルトの姿は水の神殿から完全に消えていた。




 これにて水の神殿編はおしまいです。次からはリンクの子ども時代に話を移そうと思っています。

 モーファ、可能な限り君を強化してみたけど、やっぱりどこか弱いままだったよ……


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子ども時代 コキリの森
コキリの少女、リンク


 時は平穏のうちに過ぎている、今のところは。

 

 神々が創りたまいし光り輝くハイラルの大地を、燃やし尽くさんばかりに覆った紅蓮の戦火が()んで、およそ十年になる。兵乱によって打ち(こぼ)たれた城塞は既に再建され、劫略(ごうりゃく)に遭った町と村は日々の生産を再開した。傷ついた人々は忘れることのできない暗い過去に何とか折り合いをつけて、かつて荒れ野で我が身を焼いた日の光を、今は素直な心で浴びていた。

 

 各地の反乱勢力を討滅し、あるいは屈服させ、帰順させたハイラル王とその軍勢は、今やハイラル全土に絶対的な支配を確立するに至った。ハイリア人以外の異種族である山のゴロン族、川のゾーラ族は言うに及ばず、砂漠のゲルドの民すらも、ハイラル王国の強大さにあえて逆らおうとするものではなかった。街道を脅かす野盗は消え去り、魔物たちも姿を見せなくなった。

 

 圧倒的な支配は、圧倒的な繁栄を実現した。ハイラル王国は、空前の発展期を迎えていた。重い荷物で車軸と車輪を軋ませた荷馬車が道を行き交う。城下町の市場には柔らかな日差しが降り注ぎ、高価で珍奇な品物が溢れている。田畑はよく耕され、牛馬家禽は肥え太り、工場(こうば)から響く槌の音が止むことはない。

 

 世間に満ち満ちた物質的な充足感は、人々をしてこう語らせた。「あの統一戦争も必要なことだったのだ、この繁栄のためならば。山火事の後に却って草木が生い茂るが如く、戦火とそれによる荒廃もまた、繁栄の礎となったのだ」 過去に起きた巨大な不幸の正当化は、さしたる困難もなく行われた。「終わってみれば、戦争も悪くなかった」と、人々は臆面もなく言い合った。

 

 さらに、人々の中でもとりわけ豊かで、さらに富を望む者たちは、こう言うのだった。「悪くないどころではない。戦争とは、善いものなのだ。繁栄をもたらすもののみ、善きものと呼ぶことができるのだから。絶大なる繁栄をもたらした戦争を、なぜ悪と言うことができるのか」

 

 であるからこそ、つい先ごろ、ゲルド族の王が砂漠より()でてハイラル王国に臣従を申し出た時、富める人々は「ああ」と溜息を漏らしたのだった。それは次なる戦争の機会が失われ、更なる繁栄の可能性が消え去ったことを意味したからである。

 

 存外、あのガノンドロフという男も、大したことがない。魁偉(かいい)と言えるその見た目に反して、性格はごく臆病なのだろう。「狂猛にして冷酷なる黒き砂漠の民の王」などと、とんだ誇張だ。不満と恨みの念が込められた噂話(ゴシップ)が、王城と城下町に飛び交った。

 

 だが、まあ良い。すぐに人々は気を取り直した。王国は健在だ。戦火の中にお生まれになられた王女様も、今では大きくなられた。ガノンドロフも、今ではハイラル王の一臣下に過ぎない。王国はこれからも発展し続けるだろう、神々の手によってではなく、他ならぬ人間の手によって……

 

 ハイラル王国は今や、肥満していた。服をはち切れさせんばかりに膨張し、大量の食物を喰らい、消費しきれないほど栄養を溜め込んでいる。それは、不遜なる肥満体だった。暖衣飽食を貪り、大地の富を収奪して、それを輝かしき人間の功業であると(うそぶ)いている。

 

 決して失くしてはならぬはずの、神々への崇敬の念を忘れ果てて。

 

 そのぶ厚い脂肪の下で、病魔の芽が徐々に根を張りつつあることに、人々はいつ気づくのだろうか? 細胞を侵し内臓を腐らせ、ついには全身を崩壊させる病毒が、黒い殺意を密かに(たかぶ)らせていることに、人々はまったく気がついていない。夢中になって佳肴(かこう)と美酒を貪っていた人間が、その翌日に突如として病気となり、瞬く間に命を落とすことなどざらにあるというのに、愚かにも王国の人間は、そのことにまったく思いを馳せない。

 

 それでも、肉体というものは病魔に抗う力を本来的に有している。肉体は抵抗をする。肉体は荒く呼吸し、筋肉を緊張させ熱を生み、病を追い払おうとする。神々は、為す術もなく病気にやられるほど脆弱に人間の肉体を作ったわけではない。このハイラルの大地もまた、免疫力とでも言うべきものをしっかりと有している。

 

 体を癒す知恵と、苦痛に立ち向かう勇気があれば、病魔の力にも対抗できるのだ。

 

 その免疫力の一つは、王城の中庭にあった。中庭に、幼気(いたいけ)な蒼い瞳を知性によって鋭く輝かせ、不安と使命感がないまぜになった心地を抑えつつ、黒い病魔を見つめる一人の少女がいた。

 

 王国一の人形細工師でも、これほどまでに可憐な少女を造形することは不可能であろう。少女は、聖浄なる光の束を思わせる金色の髪に、生まれながらにして持つ深い知性を窺わせる、幼いながらも落ち着いた顔立ちを有していた。その身を包む衣装は気品のある紫色を基調としていて、装身具はすべて黄金で造られている。

 

 このハイラルにおいて最も古く高貴なる血を引くその少女の名は、ゼルダといった。

 

 王女ゼルダは、ある存在の来訪を待ち望んでいた。彼女が夜ごとに見る夢の通りであるならば、それは森から来るはずだった。内に豊かな生命を育み、外からの一切の侵入を拒む、昼なお暗い深き森から、ゼルダの助けとなって王国を救ってくれる存在はやってくるはずだった。

 

 しかし、そのように確信をしつつも、ゼルダは最近、焦りを覚えていた。森からの勇者は未だにやってこない。今ではあまり人々から頼りにされることもなくなった神々にも、彼女は懸命に祈っているが、待望している存在はなかなか来ない。

 

 ある日、ゼルダはついに耐えかねて、乳母に対して一つの問いを口にした。

 

「ねえ、インパ。どれほど待ち望んでもそれがなかなかやって来ない時、どういうふうにして過ごせば良いのでしょうか? わたし、あの男が城に来てからというもの、不安ばかりが募って、胸が塞がる思いがします」

 

 いつも真面目な態度を崩さず、真剣な眼差しをしている乳母は、端的に答えた。

 

「私たちに幸運をもたらすものはただ神々のみですが、私たちはその時がいつ来るのか、知ることはできません。そのことを我がシーカー族のことわざでは、こう言います。『果報は寝て待て』と。決して焦ってはなりません」

 

 ゼルダは、困った顔をした。

 

「でも、いつも寝ているわけにもいかないでしょう?」

 

 乳母は、ほんのわずかに表情を緩めた。

 

「では、遠乗りをなさってはいかがでしょう。平原の澄んだ空気を吸い込まれれば、乱れた心も多少は落ち着くでしょう。あるいは、あの()()()()などをなさっては」

 

 聡い王女は、意味ありげな抑揚で発音された()()()()という言葉に、少々バツの悪そうな顔をした。

 

「まあインパ、あなたには隠し事はできないのね。それならば、わたしの焦りがどれほどのものか、あなたにもよく分かるでしょう。それに、寝ることなんて、今のわたしにはとてもできないわ。最近は、寝ても()()()ばかり見てしまうし……」

 

 それはハイラルが黒雲に覆われ、漆黒の闇に没するという夢だった。ゼルダはその夢を、毎夜のように見ていた。それはいまだ幼い彼女の精神にとって、著しい消耗を強いるものだった。

 

 その黒雲が森からの一筋の光によって切り裂かれ、そしてその光が妖精を連れた人の姿へと変わるという、ある種の明るさを感じさせる夢の続きがなかったならば、ゼルダは何かの病気になっていたかもしれない。

 

 乳母は、安心させるように微笑んだ。

 

「それならば子守唄を奏でましょう。私はゼルダ様の乳母ですから、ゼルダ様を容易に眠りへ導くことができます。夢すらも見ないほどの、深い眠りへ(いざな)いましょう。さあ、御寝所へ……」

 

 ゼルダは素直にその言葉に従った。この上もなく滑らかで清潔な絹の寝台に横になり、乳母が奏でる、耳に慣れ魂すらも安らかにさせる音曲を耳にしながら、彼女はすでに半ば眠りに落ちつつある自分を意識しつつ、とりとめのない思考を巡らせていた。

 

 今頃、森からの使者は何をしているのかしら? もしかして、いまのわたしと同じように、ベッドで寝ているのかしら? もし、わたしと同じように黒い夢を見て、暗い予感に慄いているのに、それでも眠ることができるのなら、その人はきっと、とてつもない勇気を持っているのでしょう。そう、昔話によれば、()()()()()()()()()()()()()()()()とされているし……

 

 その日も、その次の日も、またその次の日も、ゼルダは乳母に助けられて、辛抱強く使者の訪れを待った。

 

 王女の焦燥に満ちた内面とは対照的に、時は、時の望むままに、平穏のうちに過ぎていくのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 深い森が、ハイラルの東部一帯に広がっている。天与の恵みである日の光すら飲み込むその森を、ハイリア人たちは大いに恐れていた。そこにひとたび足を踏み入れれば、二度と外に出ることはできない。領地を追われた者、戦に敗れた者、戦を逃れようとした者、あるいは単なる密猟者……目的の如何を問わず、森に侵入した者たちは皆、例外なく帰ってこなかった。

 

 ハイリア人たちは、その森を魑魅魍魎(ちみもうりょう)が蠢く魔性の地であると見なしている。だが、実のところはそうではない。

 

 森はあらゆる侵入者を拒むが、それは生命を育むという重大な使命を帯びているがためだった。森が損なわれれば、ハイラルの生命も傷つく。何であれ汚さずにはいられない人間を森に入れるわけにはいかない。そうすることによってのみ、森を守り、外の世界をも守ることができるのだった。

 

 森を守護する聖木であるデクの樹は、ただ一つの例外を除いて、これまでずっとそのようにしてきた。巨大な樹木を容れ物とする人格は、老人のような賢明さと、深い愛情を有していた。彼は森を守る者であり、かつ森そのものであるとも言えた。

 

 その神聖な森にはデクの樹の他に、コキリ族という、小さな者たちの種族が暮らしていた。コキリ族たちはみな、十歳ほどの少年少女の姿形をしていた。デクの樹に守護されて、彼らは苦しみを知らず、恐怖を知らず、日々ただ楽しみだけを味わって生きていた。

 

 彼らはまた、自分だけの妖精を持っていた。小さなコキリ族の、小さな手のひらにも収まるほどの大きさの妖精は、球形の光を放ち、淡い燐光を振りまいて飛び回る。妖精は自らのパートナーと決して離れることはない。この世が終わりを迎えるその瞬間まで、コキリ族は妖精と共にあるだろう。

 

 だが、たった一人だけ、妖精を持たないコキリ族の少女がいた。

 

 コキリ族が住む家が立ち並ぶ、コキリの森、その中央にある広場は今、喚声に満たされていた。少年と少女が性別によって分かれてそれぞれ二つのグループを作り、四十歩ほどの空間を挟んで対立していた。どうやら、男の子と女の子とが喧嘩をしているようだった。

 

 男の子は全員、先が尖った緑の長い帽子を(かぶ)り、これまた緑色のシャツと短ズボンを身に纏っていた。女の子は、男の子よりも薄い緑色のシャツとスカートを着ていて、頭には同じ色のヘッドスカーフを巻いていた。緑で統一された集団は、ちょっと離れたところから見ると森に見事に溶け込んでいて、容易に個々を判別することはできなかった。

 

 喧嘩とは言っても、ハイリア人のそれのような、険悪な雰囲気ではなかった。彼らは一様に興奮し、顔を紅潮させているが、敵意はなかった。確かに、この騒ぎが起こった当初は敵意に近いものがあったかもしれないが、純粋な精神を持つコキリ族たちは、それを大きくすることがなかった。

 

 むしろ、彼らは期待と楽しみとで胸を一杯にしていた。それが、彼らの声をことさらに大きくさせていたのだった。

 

 しばらく声の応酬が続いた。声に合わせるように、妖精たちが青い燐光を発しながら乱舞していた。数分が経って、女の子のグループから少女が一人、小柄な体に見合わぬ堂々とした足取りで、前へ進み出た。

 

 少女は、元気に溢れていた。その元気が、少女をより美しい存在としていた。

 

 それと同時に男の子のグループからも、他より一回り背が大きい少年が、地面を踏み鳴らして前へ出てきた。少年は少しばかり、ひねくれたような顔をしていた。二人は、それぞれのグループの代表者であるようだった。

 

 代表の少女は、他の女の子たちと、少し異なる格好をしていた。少女の服装は、男の子と同じものだった。その顔つきは可愛らしさと凛々しさを兼ね備えていて、澄んだ蒼い目は晴れ渡る青空にも似ていた。なにより、帽子から零れる金髪がひときわ印象的だった。彼女の髪は、刈り入れを待つ穀物畑の豊かな穂の波のようだった。

 

 不思議なことに、少女は妖精を連れていなかった。あるべきものがそこにないという不完全さは、幼い者たちにとって揶揄の対象となる。だが、見たところ少女には、そのことで気後れしているような様子はなかった。

 

 グループの女の子たちから、少女に向かって盛んに喚声が飛んだ。それらはみな、励ましの言葉だった。

 

「リンク、思いっきりやっちゃってー!」

「手加減しないで良いよ! ミドにはここでちょっと思い知らせてやらなきゃ!」

「一撃で倒しちゃってー! 男の子より女の子のほうが強いってこと、見せてやって!」

 

 リンクと呼ばれた少女は声援を背中に向けて、苦笑いをした。みんな、かなり怒ってるな。リンクは腕まくりをしつつ、そう思った。()()がここで負けたら、みんなガッカリするだろうな。男の子と女の子の喧嘩の勝ち負けは、これまでのところ十対十だ。ここで勝ち越したら、きっとみんな、とても喜んでくれるだろう……

 

 発端は、いつものとおり大したことではなかった。花畑で、二人の女の子が花の環を作って遊んでいたところに、男の子たち数人が虫取り遊びのためにやってきて、場所の取り合いになったのだった。売り言葉に買い言葉が連続し、少年と少女たちは仲間を呼び集め、ついにはこのような状況に至ったのだった。

 

 みんないつも、こういう時はボクに戦わせようとするなぁ。なんでなんだろ? 毎度のことにリンクは小さな溜息をつきつつ、それでも戦いを前にして興奮をしてもいた。

 

 まあ、いいか。ボク、戦うのが好きだし。それになにより、相手が相手だ。負けるわけにはいかない。リンクは薄く笑みを浮かべた。

 

 その時、男の子のグループから発せられる声も、リンクの長い耳に響いてきた。女の子たちのそれと比べて、それにはどこかなおざりな調子が混ざっていた。

 

「ミドのアニキ、カッコ悪いところを見せないでくださいよー」

「アニキはこれまで、リンクには四連敗中じゃないですか。今度こそ気合い入れてくださーい」

「アニキの好きな喧嘩です。男、見せてください」

 

 ミドと呼ばれた代表者はそれまでリンクを睨みつけていた。だが声援を聞いて、明らかにグループが自分に期待していないことに気づくと、ミドはそばかすの浮いた顔を振り向かせ、表情を赤らめて怒鳴った。

 

「オマエら! オイラが()()()()なんかに負けるわけがないだろ! もっと大きな声を出せよナ! そりゃ、これまで連敗しているけど……それは何かの間違いだったんだ。今度こそオイラが勝つに決まってる!」

 

 ミドは向き直すと、今度はリンクに向かって声を上げた。

 

「おい、妖精なし! ()()()()いつもいつも女の子に味方しやがって! ヒーロー(勇者)気取りもいい加減にしろ! 今日こそ決着をつけてやる! 勝負だ!」

 

 またか、とリンクは思った。なぜかミドは、リンクのことを男の子だと思い込んでいた。最初の頃、リンクは男だと言われるたびに訂正をしていたが、いつまで経ってもミドはそれを直さなかった。周りの子どもたちもあえてミドに教えようとはしなかった。リンク自身も、いつしか訂正をしなくなっていた。

 

 ミドがボクを男の子だと思いたいのなら、そう思えば良いじゃないか。特に損するわけでもないし。彼女はそう思うようになった。

 

 ミドがまた言った。

 

「おい、何をぼんやりしているんダ! グズグズしていると日が暮れちまうゾ!」

 

 挑発するミドの声に、リンクも応えて声を発した。それは少年のものとも少女のものともとれる、高く澄みわたった、耳に心地良い声だった。

 

「ミド! 正々堂々勝負しろ! それで、負けたら男の子を代表して女の子たちに謝れ!」

 

 ミドも声を張りあげた。

 

「じゃあ、オマエが負けたら逆立ちして広場を三周しろヨ! 途中で泣いてもうやめにしてくれって言っても、絶対に聞いてやらないからナ!」

 

 互いに戦意が高まり、頂点へ向かっていった。両者のそれがぴったりとぶつかった瞬間、二人は同時に同じ言葉を口にした。

 

「勝負だ!」

 

 そう言うや否や、リンクは腰のポーチに向かって手を伸ばすと素早く蓋を開け、中から一つの道具を取り出した。

 

 それは、パチンコだった。硬く乾いたデクの棒をY字に加工し、柔らかな蔓草を紐として結び付けてあった。それはリンクが自ら素材を厳選し、入念に手作りした一品だった。コキリ族のほぼ全員が、護身用も兼ねたアクセサリーとして、このような手作りのパチンコを持っていた。

 

 見ると、ミドもパチンコを手にし、早くも弾を紐に乗せて引き絞ろうとしていた。

 

 弾は合計で二十発、それで早撃ち勝負をする。被弾した数が多い方が負け。それが喧嘩のルールだった。無論、怪我を負わせるリスクを避けるため、弾は硬いデクのタネではなく、潰れると青紫の果汁を撒き散らす、小さなモリブドウの実を使うことになっていた。

 

 ほぼ同時にパチンコを構えた二人だったが、先に弾を発射したのはミドだった。

 

「食らえ!」

「なんの!」

 

 リンクは勢い良く前転すると、その弾を回避した。弾は後方へ飛び去り、一人の女の子に命中して悲鳴を上げさせた。

 

「ああ!? 昨日お洗濯したばかりだったのに!」

 

 たちまち非難の声が巻き起こった。

 

「ミド、サイテー!」

「モリブドウの汁は落ちづらいのよー!」

 

 ミドは抗弁した。

 

「うるさい! ケンカに流れ弾はつきものダロ……って、うわっ!?」

 

 女の子たちの口による攻撃に気を取られていたミドの胸に、バシッという音と共に鮮烈な青い染みが花開いた。前転から起き上がったリンクが素早く照準して、ミドに初弾を送り込んだのだった。

 

 会心の一撃だ。リンクは笑みを浮かべた。彼女の顔は輝いていた。リンクは言った。

 

「よし! まずはボクが先制したよ! 続けて、食らえ!」

 

 ミドも言った。

 

「なんの、まだまだこれからダ!」

 

 その後数分間にわたって、リンクとミドとの間で熾烈な撃ち合いが続いた。ミドのパチンコはリンクのそれよりも大きく、頑丈で、威力のある弾を放つことができたが、残念なことに彼の狙いは正確さを欠いていた。彼の妖精が狙いをアシストしているのにもかかわらず、ミドは興奮しているせいでつい力み過ぎてしまい、なかなか弾を当てることができなかった。

 

 ミドは悔しそうな声をあげた。

 

「くそぉ、ちょこまかと動き回って……オイ、オマエ! 避けるなんて卑怯だゾ!」

 

 リンクは言った。

 

「突っ立ったままじゃないとパチンコが打てないミドの方が悪いんだよー! ほら、まだまだいくよ!」

 

 一方のリンクは、的確にミドへ向かって弾を送り込み、命中弾を増やしていた。パートナーである妖精がいないのに、リンクはミドへの注目を絶やさず、あるいは前転し、あるいは横っ飛びをし、さらには軽やかにバック宙までして飛んでくる弾を回避し、かつ命中の確信が持てる時だけ、適度に弾を発射した。

 

 やがて、双方ともに弾を撃ち尽くした。審判役であるものしり兄弟が前に出てきて、息を切らしている二人に近づき、服を点々と染めている被弾の痕を数え上げていった。

 

 ほどなくして、結果が明らかになった。審判役が言った。

 

「リンクは十六発を当てて、ミドは二発。リンクの勝利だ! 圧勝だ!」

 

 審判の声に、双方のグループがどよめいた。男の子たちは溜息をこぼし、女の子たちは歓声を上げた。女の子たちは口々に言った。

 

「やっぱりリンクの勝ちだったネ! ミドじゃリンクの相手にもならないヨ!」

「リンクは私たちのヒーロー(勇者)だネ! これでお花畑も自由に使えるようになるワ」

「リンク、お菓子をあげるね。どんぐりで焼いたクッキーだよ! 私たちの代わりに戦ってくれたお礼!」

 

 駆け寄ってきた女の子たちに囲まれて、リンクは祝福の言葉を浴びせられていた。

 

 一方のミドたちは、どんよりとした雰囲気だった。男の子たちは沈んだ声で言った。

 

「あーあ、やっぱりミドのアニキ、負けちゃったか」

「まあ予想したとおりだったナー」

「リンクの方がケンカが上手いもんナ。妖精はいないけど、すごくパチンコの腕が良いし……あれ? じゃあ、妖精がいるのに弾を当てられないミドのアニキは、もしかしてものすごく弱い……?」

 

 黙って男の子たちの言葉を聞いていたミドだったが、次第に彼の肩が震えてきた。それは恥辱のためというよりは、むしろ怒りのためだった。このままおめおめと家に逃げ帰るわけにはいかない。あの妖精なしに一泡吹かせるまでは、なんとしても喧嘩を()めるわけにはいかない……

 

 ミドはパチンコを再度取り出すと、リンクに向かって叫んだ。

 

「おい、オマエ! もう一度勝負だ! 今度は一発だけ、それも実弾(デクのタネ)だぞ! 当然受けて立つよナ!? 勝ち逃げは卑怯者のすることだもんナ!」

 

 周囲の少年少女たちが、一斉に息を吞む音が聞こえた。相手に傷を負わせることができるデクのタネでの撃ち合い、それはデクの樹サマによって固く禁じられている。一発であろうと、決して喧嘩にそれを用いてはならないのだ。

 

 だが、リンクはこともなげに答えた。

 

「いいよ、ミド。もう一度勝負してあげる」

 

 ちょっと、やめた方がいいんじゃない? という周りの声を左手で軽く制して、リンクは一度しまったパチンコを取り出すと、弾を紐の上に乗せた。

 

 十五歩の距離をとって、二人は再度対峙した。先ほどまでとは打って変わり、静寂が辺りを包んでいた。リンクもミドもパチンコを構え、じっと狙いをつけた。

 

 リンクは、ミドがこれまでとは違って、非常に集中していることに気づいた。きっと今度は、正確に弾が飛んでくるだろう。だが、狙いが正確である分だけ、避けるのも簡単になる。

 

 でも、ボクが避けたらなぁ……リンクは背後を意識した。そこにはまだ、大勢の女の子たちが立っていた。ボクが弾を避けたら、女の子たちに当たる……

 

 高い梢に生えている木の葉が枝から離れ、地面に舞い落ちるほどの時間が流れた。

 

 その時、突然、広場の外から女の子の大きな声が響いてきた。

 

「みんな、何をしているの! またケンカ!?」

 

 その瞬間、リンクもミドも弾を発射した。リンクの弾の方が飛翔速度が早く、ミドの眉間に命中した。あっと叫んでミドは手を伸ばした。だが、その眉間にデクのタネは食い込んでいなかった。そのかわりに、大きな紫色の染みができていた。リンクの弾は、モリブドウの実だったのだ。

 

 対して、ミドの放った弾はリンクの右目のすぐ上に当たった。それは正真正銘の、デクのタネだった。眼球に弾が当たったかと思ったリンクは、反射的に右目へと手を伸ばした。

 

 その時、リンクの中に奇妙な考えが浮かんだ。「右目を撃たれたのなら、もう使い物にならない右目を守るよりも、残った左目を守るために、左目のほうに手を伸ばすべきなんじゃないかな」と、彼女は思った。特に理由はないが、それがなんだか正しいように思われたので、リンクは左目を手で覆った。

 

 勝負は相討ちに終わったが、周りの慌てている子どもたちは、もはやその結果について注目していなかった。子どもたちは叫んだ。

 

「サリアだ! サリアが帰ってきた!」

「迷いの森に薬草とキノコを採りに行ってたのに、もう帰ってきたの!?」

「逃げろ、逃げろ! またお説教をされるぞ!」

「デクの樹サマに言いつけられるぞ! 逃げろ逃げろ!」

 

 蜘蛛の子を散らすように、少年と少女たちは逃げ出した。そんな中でミドは、どこか申し訳なさそうな顔をしつつ、それでも態度と口調は変えないでリンクに言った。

 

「やい、なんでオマエ、デクのタネを使わなかったんだ! そういうオマエのイイ子ちゃんぶるところが、オイラは大嫌いなんだ! 次はちゃんとデクのタネを使えよ!」

 

 そう言い捨てて、ミドはいずこへともなく、ガニ股で歩き去っていった。

 

 後に残されたのは、リンクだけだった。その右目の上は腫れあがり、瞼が垂れ下がっていた。彼女の視界はおかしなことになっていた。

 

 どうやら目は無事みたい。リンクがほっと胸を撫で下ろした時、彼女の背後から、聞き慣れた声が響いた。

 

「さあ、リンク。何が起こったのか説明して。アタシがいない間、またミドと喧嘩をしたんでしょう? その理由はなに?」

「サリア……」

 

 そう言って、リンクは振り向いた。そこには、腰に手をやっている女の子が、怒ったような、それでいて心配しているような表情を浮かべて立っていた。女の子はリンクよりもやや背が高く、スカートではなく短ズボンを履いていた。

 

 その女の子、サリアは、リンクの顔を見るなり驚きの声を上げた。

 

「あら大変、リンク! 顔にケガしてる! 早く治療しないと……ちょうど、薬草を採ってきたところで助かったわ……」

 

 リンクはすかさず言った。

 

「じゃあ、ボクのケガに免じて今回はお説教はなし?」

 

 サリアは大きな声で言った。

 

「お説教よりも先にケガの手当て! 手当てをしたらお説教だヨ! さあ、こっちに顔を向けて。綺麗な目が傷ついてなくて良かった……」

 

 サリアは慣れた手つきでリンクに治療を施した。その間、リンクは先ほどまでのことを説明した。

 

「お花畑を女の子と男の子のどっちが使うのかでケンカになって、いつもどおりボクとミドが代表で戦うことになったの。最初はルールを守ってモリブドウの実で撃ち合いをしていたんだけど……ミドはボクに負けたのが相当悔しかったみたいで、次はデクのタネで撃ち合おうと言ったんだ」

 

 サリアは言った。

 

「それで、リンクはデクのタネを使ったの?」

 

 リンクは無邪気な声で答えた。

 

「ううん。ミドにケガをさせたくなかったから、モリブドウの実を使ったよ。えらいでしょ?」

 

 サリアは怒ったように言った。

 

「もう、リンク! ちっともえらくないワ! 最初からそんな勝負は断れば良かったのよ! リンクはいつもそうやって無茶ばかりして……この間もアタシのために花を摘もうとして高い崖に登っちゃうし……あの時はハラハラした……はい、薬草を貼り終えたわ。明日の朝には元通りになっているはずよ」

 

 リンクはサリアを改めて見つめた。いつも優しくて、色んなことを教えてくれるサリアは、リンクにとっては良き友人であり、また姉のような存在とも言えた。争いを好まない優しい性格をしているサリアは、たとえルールに則っている喧嘩であっても、決して容認しない。今もまた、サリアは日頃の温かな思いやりに満ちた顔を厳しくして、咎めるようにリンクを見つめていた。

 

 申し訳ない気持ちが、突然リンクの心の中で溢れた。自然と、リンクの口は動いていた。

 

「サリア、ごめんなさい。次からはもっと気を付けるよ」

 

 存外素直に発せられた謝罪の言葉に、サリアは毒気を抜かれたようだった。次の瞬間には、彼女はいつものような優しい顔つきに戻り、リンクを労るように言葉をかけた。

 

「リンク、アナタは女の子なのヨ。もっと自分を大事にして。アナタ、やろうと思えばミドのデクのタネを避けられたんでしょう? でもそれをしなかったのは、流れ弾が誰かに当たるかもしれないと考えたから。そうじゃない?」

 

 リンクは申し訳なさをごまかすように、頭をポリポリとかいた。

 

「サリアはボクのこと、なんでもお見通しなんだね。そうだよ、サリアの言う通りだよ。誰かがケガするくらいなら、ボクがケガしたほうが良いと思ったの。ほら、ボク、痛いのはぜんぜん平気だし。それに()()()()だし……」

 

 サリアは呆れたように大きな溜息をついた。

 

「リンク、アナタはそれでいいかもしれないけど、アナタが傷ついたら悲しむ人がいるのよ。デクの樹サマも、アタシも、リンクがケガしたら悲しむわ。将来リンクのところに来てくれる妖精だって、きっと悲しむはずよ。それに、そういう無茶なことばかりしてたら、きっといつか大ケガをしちゃうワ。もう危ないことをしちゃダメだからね。分かった?」

 

 リンクは明るい笑顔を浮かべ、勢い良く首を縦に振った。

 

「うん、分かったよ! これからは気をつけてケンカをするね! ボク、ミドはあんまり好きじゃないけど、ミドと戦うのは好きだし!」

 

 再度、大きな吐息がサリアの口から漏れた。

 

「リンク……アナタ、全然分かっていないじゃない! 良い? アナタは女の子なのよ……」

 

 その後、さらにお説教が一時間も続いた。やがて日が没する時が来て、森の鳥たちが帰巣を喜ぶ歌を歌い始めた頃、ようやくリンクはサリアから解放された。彼女は自分の家の梯子をのぼった。

 

「たくさん怒られちゃったな……今日は疲れたから、もう寝ることにしようっと……」

 

 リンクはついに気づかなかった。喧嘩の始まりから彼女が家に帰るまで、すべてを上空から見ていた青い光があったことに……

 

 その青い光がデクの樹サマのほうへ高速で飛び去るのを見た者は、誰もいなかった。

 

 

☆☆☆

 

 

 不満そうな声が次々とあがった。

 

「ミドのアニキぃ、もう帰りましょうよぉ。そろそろ日が沈んでしまうヨぉ」

「ああ、お腹減った……まだやるんですか」

 

 ミドは憤然として答えた。

 

「ナンダ、オマエたち! オイラはまだまだやるぞ! ほら、さっさとデクのタネをひろってこい!」

 

 サリアがリンクに説教を垂れているちょうどその頃、ミドは二人の子分を引き連れて、迷いの森の入口から少し奥へ行ったところにある、射撃練習場に来ていた。高い木の太い枝に吊るされた木製の標的板には、何発ものデクのタネが撃ち込まれて食い込んでいたが、中心部に命中しているのは二、三発程度でしかなかった。

 

 一向に帰る気配を見せないミドに対して、子分たちは口々に不平を漏らした。

 

「そりゃ妖精なしのリンクにまた負けたのは悔しかったと思うケド、なにもオイラたちまでつき合わせることないじゃないか」

「もう遅いし、そろそろ帰らないとミドのアニキ、またサリアとデクの樹サマに叱られるゼ。夜になっても迷いの森にいたのがバレたら、一番キツイおしおきをされてしまう」

 

 ミドは言った。

 

「それなら見てろ! 連続で三発的の中心に当てたら、今日はもう帰ることにする! それまで付き合え!」

 

 諦めたように男の子たちは言った。

 

「はいはい……」

 

 結局、彼らが帰るまでにもう半時間はかかった。すでに日は沈んでいた。苛立ち、集中力を欠いているミドに三発連続で弾を当てることなどできるわけはなかったのだが、子分たちがついに無言になったのを見て、流石のミドも諦めることにしたのだった。

 

「クソ! 面白くネェ!」

 

 暗くなってしまった森の中を歩きながら、ミドは毒づいた。リンク、あの妖精なし。あの少年の顔がどうしてもチラつく。サリアととても親しく、デクの樹サマから特別に目をかけられている、あの()()()

 

 どうして妖精がいないのに、アイツはあれほどまでにみんなから愛されているのだろう。自分のほうが体は大きいし、男らしいし、子分は多いし、立派な妖精だっているのに……

 

 幼いミドは、自分の内面を正確に分析することができなかった。彼がリンクに対して抱いている感情は単純に、嫉妬そのものだった。リンクの綺麗な顔立ち、軽やかな身のこなし、花が咲いたような笑顔。時折見せる、()()()()()()()可愛さ。彼にとってはその全てが恨めしく、そして羨ましかった。憎いはずなのに、どうしても心のどこかでリンクに惹かれている……

 

 その奇妙な心情を、ミドは単なる苛立ちとしか思えなかった。

 

「クソ! なんでアイツばっかり!」

 

 ミドは苛立ちを紛らわせるように、力任せに小石を蹴った。ちょうど良いポイントを蹴られた小石は、思いのほか勢い良く急角度を描いて飛んでいき、高い木の梢のほうに当たった。

 

 その瞬間、身の毛もよだつような、恐ろしい鳴き声が聞こえた。

 

「グギャオ!!」

 

 そして数秒後、鳴き声を聞いて呆然と立ち竦むミドたち三人の前に、何か黒くて大きなものが降ってきて、地響きと共に轟音を立てた。

 

 すでに周囲は暗闇に包まれており、それが何であるかはっきりとは分からなかったが、ただ大きな赤い単眼だけが光っているのが見てとれた。赤い単眼の中には、奇妙な紋様が不気味に光っていた。

 

 それは、言った。

 

「グギギ……オマエらか……オレの体に石を蹴り込んだのは……()しからんヤツラだ、喰ってやるゾ、小さな妖精ドモ……」

 

 そのおどろおどろしい声を聞いた途端、三人は絶叫し、一斉に逃げ出した。

 

「ウワァアアア!! バ、バケモノだぁあああ!!」

 

 腰を抜かしたり転んだりしなかったのは、奇跡とも言えた。三人は脇目も振らずコキリの森へと逃げ帰った。

 

 ミドは別れ際、子分たちに念を押した。

 

「いいかオマエら、あそこであったことを誰にも言うなヨ! 特にサリアには言うんじゃないゾ! 分かったナ!」

 

 日没後まで迷いの森にいるのは、重大なルール違反である。それに、泣き喚きながら無様に逃げ帰ってきたことをサリアに知られるのは、いかにもカッコ悪い。幸いなことに、子分たちもすぐに同意してくれた。

 

 夜、寝る頃には、ミドの心も落ち着いていた。あれはたぶん、森の獣か何かだったのだろう。歳をとったオオカミかクマかは、人間の言葉を喋るとサリアから聞いたことがある。ただの獣なのに、バケモノと勘違いをして逃げ帰るとは……やはり誰にも知られるわけにはいかない。

 

 ミドは独り言ちた。

 

「あのことはもう、忘れることにするか……」

 

 ミドの考えは間違っていた。それはハイラルの平穏な日々を崩壊させるために黒き砂漠の民の王が放った、最初の一撃だった。

 

 尤も、仮にミドがそのことをデクの樹サマに伝えようとしたところで、すべては手遅れだったのだが……




 2021年6月16日をもって、「ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D」は発売から10周年を迎えました。実にめでたいことです! 任天堂さん、そろそろ別のハードでも時オカがプレイできるように取り計らってくだされ……(できればSwitch版として、リブートするような形で……)

 次回もお楽しみに!


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