小さな約束 (ろんろま)
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1.プロローグ

 眠る。眠る。

 ただひたすらに眠る。

 悠久にも思える長い時間の中で、私はただ一人そこで微睡んでいる。

 

 

 ーー目覚めよ。目覚めよ、勇敢なる魂よ。

 

 

 声が聞こえた。

 恐らく女性のものだ。

 ただその声はひどくぼんやりとしていて、聞き取りづらい。

 

 何重にも張られた布越しのような。それとも遥か彼方から喋っているような。そんな声だった。

 

 だがどうでもいい。私の眠りを邪魔しないでほしい。

 ただひたすらに眠たいのだ、私は。

 

 

 ーー高貴なるハイリアの地。古き歴史より紡がれし厄災が、其れを貶めようとしています。

 

 

 ハイリアの地。

 頭の片隅がちり、と痺れた。どこかで聞いたような覚えがある。

 

 眠りに傾いていた思考が声に意識を向け出す。すると、ほっとしたような、小さく息を吐いた気配がした。

 

 この声の主だろう。そんなにも話を聞いて欲しかったのか。

 悪いことをしてしまった、という罪悪感が覚醒を促す。鉛のように重たい瞼に力を込め、目を開いた。

 

 ……真っ白な空間である。

 

 空も、海も、大地もない。一体なんの冗談なのだこれは。

 

 

 ーーああ、怯えないでください。勇敢なる魂。勇気ある魂と似て異なる者よ。

 ーー我は女神ハイリアの古き盟友。時の彼方に埋もれし、古の遺物。

 ーーどうか我が盟友の地を救って欲しい。

 

 

 少し待って欲しい。情報量が多くて頭の中身が整理しきれない。

 この声の主は恐らく女性。勇敢なる魂は恐らく私のことを指している。そして私にハイリアの大地を救えと言っている。

 

 どうしてそんな大役を私などに申し付けるのか、全く理解が及ばない。

 私はただの。

 

 ……ただの?

 

 ……私は、誰であっただろうか。

 今更ながらに気づく。私は私自身の情報を喪失していた。

 

 男なのか、女なのか。人間なのか、それ以外なのか。

 皆目見当もつかない。

 

 だが、少なくとも声の主の言うような大役……『勇者』とも呼べるようなそんな重荷を背負える程の者ではなかったはずだ。

 それだけは確信がある。

 

 

 ーー勇敢なる魂よ。

 ーー今の貴方は、多くのことを忘れていることでしょう。

 ーーしかしここでその全てを取り戻すには、時間が足りない。

 

 

 ーー探すのです。

 ーーハイリアの地を。古の女神の創り上げた箱庭を。

 ーーそこに、貴方の生きた証はある。

 

 

 あまりにも突然すぎて文句も出ない。

 わけのわからない空間に呼び出されたと思ったら大役を与えられ、あまつさえ必要な情報は自分で探せと来た。

 

 例えば声の主が一国の王で、私が国王陛下直属の近衛でもそれは内心顔を顰めるだろう。

 

 眠っているところを突然呼び出されて用事を申し付けられるとは、とんだ無茶振りである。

 

 ああ、しかし。今の自分にできることはきっとそれしかないのだ、きっと。

 

 良いだろう。

 この女神の盟友を名乗る誰かの口車に乗ろうとも。

 

 私は私が誰か知る権利があり、その為には記憶を取り戻さねばならない。声の主の言葉を信じるなら、彼女の言うように動くしかない。

 

 

 ーーありがとう、勇敢なる魂よ。

 

 

 礼を言われるようなことではない。お互いの利益を考えた上での取引だ。

 ……貴女は随分と急いでいるようであったが、そういえば姿は見せないのか。仮にも頼み事をする相手にそれは少しばかりどうかと思うぞ。

 

 できることなら姿を見せてほしい。

 

 私は貴方の頼みを引き受けるのだ。そのくらいは譲歩してもらっても良いのではないのだろうか。

 

 

 ーー我は忘れられし遺物。この姿を象った証、まして名など。遥か時の彼方に消え去っている。

 

 

 その声色はどこか寂しそうだった。

 

 それはつまり……見せられないということなのだろうか。悲しいことである。

 彼女は女神ハイリアの盟友と名乗った。おそらく神、もしくはそれに連なる精霊なのだろう。

 そんな存在が私のようなものに頼み事をしているのに、その彼女のことを覚えているものはないのか。

 

 ……それは、あんまりではないだろうか。

 

 

 ーー構わない。ヒトは、成長し巣立つもの。我はハイリアの役に立てれば、それで良い。

 

 

 …………。

 

 決めた。

 ハイリアの地を助ける大役を受ける代わりに、報酬を要求する。

 

 

 ーー報酬?

 

 

 そうだ。取引の内容として、私に課せられたものはあまりに大きすぎる。報酬がなければ到底釣り合わない。

 自分の記憶も勿論大切であるが、それはそれ。

 別途の要求程度、しても良いだろう?

 

 

 ーー口にするがいい。叶えられるかは、程度による。

 

 

 困ったような声色に、小さく笑いを零した。そんな大それたことではない。

 

 私は、貴女について知りたい。

 

 自分探しの旅のついでだ。

 ハイリアの地で貴女の情報を探そう。そうして見つけた暁には、答え合わせをしてほしいのだ。

 

 

 ーー無謀。我は古の遺物。時は流れすぎた。ハイリアの地の創造主であるハイリアはともかく、我が存在証明など不可能。

 

 

 何事もやってみなければわからない。

 それに貴方の盟友の地であるのならば、時の彼方に埋もれた遺物でも証はきっと残っているに違いない。

 

 大切な友達というものは、忘れられないものだと私は思う。

 

 

 ーー……時間が、ない。戯言に付き合うことはできない。

 ーー勇敢なる魂よ。貴方をハイリアの地へと送ります。

 ーー……我が名を見つけることなど不要。どうか我が友の為にその力を振るいたまえ。

 

 

 ……意識が遠のいていく。

 ただでさえ遠かった声が離れていく。

 

 ああ、けれど忘れない。

 

 私はきっと貴方を見つけようではないか。

 

 

 これは私と貴方の約束だ。

 

 

 交わす相手の姿もわからないけれど、小指を空へと突き立てて。

 意識の落ちる寸前。確かに誰かが触れる気配がした。

 

 



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