水平の彼方 (#Ext)
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追憶編
00/Harekaze




晴風の航海は後悔の連続だった。




 

 

「隣、いいですか?」

 

 そう聞かれて振り返ると見知った顔があった。

 情報調査隊所属、航洋艦御蔵艦長の福内典子がそこに立っていた。

 

「晴風を?」

「晴風を一目見ておこうと思いまして」

 

 教官の古庄薫は目の前の艦、晴風を見上げた。

 10番パースに繋がれている晴風は、二つ右に繋がれている武蔵とはまた違う威圧感を与えていた。

  武蔵ほど大きな砲塔を持つわけではない。武蔵は46センチ砲────永遠に破られることのない世界最大の主砲────を背負い式に三基搭載している。晴風の主砲は、二基と標準よりも多いもののたかが5インチ単装砲である。

 しかし晴風は、武蔵のように圧倒的な力強さを感じさせるのではなく、見る者にあらゆる無駄が削ぎ落とされ、機能的に鋭く洗練された、どこか冷徹な印象を与えるのだ。

 艦橋に配置された六角形型のフェーズドアレイレーダー、その特徴的な外見は世界最強の水上艦艇の証であり、常に電子の眼で持って遙か彼方の上空、宇宙空間まで見守っている。

 

 古庄は、自分の持つ疑問 ────そして恐らく教員全員が思っている疑問、その解をここに見つけに来た。

 

 晴風は新たに教育艦になり、自分の担当クラスになる。

 ()()()三隻しか建造されていない最新鋭イージス航洋艦が。就役したての高性能艦をいきなり教育隊に回すとなれば、軍事に関する素人でも上層部の正気を疑うだろう。

 

 福内は現役のブルーマーメイド、それも艦長。

 教員の自分には知らされていない情報を掴んでいるしれない。そんな期待を込めて聞いた。

 

「何故晴風が、最新鋭イージス航洋艦が、教育艦に降ろされたか知っていますか?」

 

 

 福内はその質問に答えなかった。

 

 目の前の晴風をどこか慈しむように見つめていた。そこに彼女の影を、失ってしまった人の影を見た。踏み込んではいけない一線を越えてしまったのだろうか。

 しかし、知らなければならない。重大なことなら尚更。晴風クルーは私の教え子だ。

 

 

 福内は躊躇いがちに口を開いた。

 

「私は二年前晴風の航海長でした」

 

 初耳だった。

 

「ニ年前晴風に配属された私達は、最新鋭艦に配属されたことで浮ついていました。最強という言葉は晴風の為にあるのだと思っていましたし、実際に晴風は無敵でした。だから私達なら何だってできると酔ってしまったんです」

 

 それが驕りを生んだ。そう福内は言った。

 そして視線を晴風から自分の方に戻した。

 

「晴風は極めて攻撃的な艦だと思いませんか」

「えっ……」

 

 困惑。晴風はイージス艦。であるから、当然味方の艦隊を守ることに特化した艦であり、攻撃的という言葉と対極にあるような艦ではないか。

 

「ブルーマーメイドの任務は、主に防衛出動、海上警備行動、水難救助の三種です」

「ええ」

 

 それは海洋女子学校の入学試験でも出るくらいの基礎的な内容だ。だが、今までの話と何の関係があるというのか。

 

「ブルーマーメイドが標準採用している弁天型、そして後継艦の木曽型は、三種の任務をくまなく遂行出来るように設計されています」

 

 教員艦にも使われている弁天型は、極めて使い勝手がいい艦である。

 三胴船型の恩恵である広大な甲板に、いずれの任務にも対応し得る多用途ヘリ。VLSは晴風に比べれば控えめな32セルであるが、充分な打撃力を備えている。

 後部の巨大なミッション・ベイには、平時は戦術執行部隊の30人と全員分のスキッパー、非常時には状況に応じた豊富なモジュールのいずれかを搭載できる。

 

「でも、晴風が想定しているのは、防衛出動のみ。つまり、晴風の存在は、悪意を持った、それも国家規模の敵勢力が攻撃してくることを()()()()()()()

 

 福内は指揮者のように大仰に手を広げ、肩を竦めた。

 

「そんな攻撃を誰がするっていうんです? この平和なご時世に」

「それは……、そうかもしれません……」

 

 冷戦の長く続いた対立によって、膨張した軍事費は各国の財政を蝕んだ。東側諸国の盟主たるソ連は、産業構造の転換が遅れ、経済は停滞し、火の車状態であった。

 やがてソ連は内部から崩壊し、西側諸国の共通の敵は消え、各国の財政各国は調和と協調の道を歩んでいる。戦争も軍備も莫大な金が掛かるものだ。この経済不況の中、わざわざ戦争の火種を生もうとする国はいなかった。

 

 

「結局、晴風は強さの象徴でしかなかった。実際は何も出来なかった。気づいたのは目の前で幾多の人が喪われてからでした」

 

 笑っちゃうぐらい愚かですよね。彼女はそう自嘲した。

 川崎オーシャン号沈没事故。フェリーが小笠原沖で沈没した事件。近海にいた航洋艦晴風は、急行し、懸命な救助を行ったものの、乗客の約半数の384人が死亡した。近年稀に見る大惨事となった事件。原因は急速に発達した低気圧の暴風雨と、船長の経験不足が重なった結果と言われている。

 だが、こう言われているのも事実だ。救難隊がもう少し早く突入していれば、犠牲者はかなり減ったのではないか……。

 

 

「人を守るのに七億円の対空ミサイルなんて要らなかったんです」

 

 

 強ければ何だってできるのだろうか。否。

 戦闘能力と救難能力無論別物である。

 だが、それは晴風にとって意味のないことだった。都合の良い言い訳のようにしか聞こえなかった。

 従来艦と隔絶し、圧倒的な力を守る性能に特化させた晴風は、盲目的に誰でも守れると思わせる力があった。

 約1500kmを一瞬にして見守る多目的レーダー。新調されて、より直感的に素早く操作できるシステム群と、味方の全ての艦艇、航空機の得た多層的な情報を結合し、瞬時に最適解を弾き出す戦術情報処理装置。共同交戦能力を持つ対空、対艦複数の任務に対応した300km以上の射程を持つ極超音速ミサイル。

 これらは全て従来の艦艇である弁天型、一世代前のイージス航洋艦夕雲型では持ち得なかったものだ。

 

 

 

 だけど無敵の盾のその力は、実際には無意味で、無駄で無理だった。

 

 曰く、

 晴風は、人々の平穏を守るために戦う守護神らしい。

 晴風は、味方をどんな絶望的な状況でも守り抜くために生まれたらしい。

  

 

 

 ────守れてないじゃないか。

 

 

 

 

 

 

「これが……、晴風クラス」

 

 晴風クラスの名簿を眺める。その名前の隣には全員分の詳細な成績が記されていた。

 総合成績は全体的に悪い。平均を下回っている。

 解答欄を一つずつズラした宗谷ましろはともかく、艦長の岬明乃でさえペーパーテストはなかなか酷い有様だ。

 

「だけど……」

 

 晴風クラスはただ成績が悪いだけのクラスではなかった。

 

「全員とも実技試験はトップクラスね」

 

 艦長の岬明乃は入試のB型演習────想定される現実的な状況に対しどのように対応するかを見る試験、で素早く適確な判断を下し、味方艦隊の被害一切出さずに任務終了した。

 恐るべきは、敵への反撃を決断した速さである。

 一種のTRPGのように数多の選択肢が用意されているB型演習では、取るべき行動を決断できず時間切れになる受験生も少なくない。

 そもそも、たかが中学生に実務的な対応を問うということ自体が無茶であり、ここ20年でAを出したのはたった5人、その内の二人は現校長の娘、宗谷真霜と宗谷真冬である。

 そんな中で岬明乃は、圧倒的な成績、前代未聞の評定A+を叩き出した。

 複雑な状況設定、刻一刻と更新されていく情報、限られた時間で正確な状況をできる限り把握し、最もベターな結果を掴み取る。その能力は、危機的な状況と常に対峙し続ける現場で上級士官が一番必要とされる力だ。教官達が凄まじい素質を持つ学生が受けてきた、と色めき立つのも仕方ないことだ。

 

 一方、副長の宗谷ましろは艦長の岬とは対照的だった。砲雷科で志願した彼女は、B型演習で優柔不断、前例主義気味で柔軟な対応に難ありとされたものの、攻撃決定後は圧巻の一言だった。

 A型演習、図上演習とも呼ばれる戦闘シュミレーターを使用した戦術眼を問う試験で、絶望的な運のなさで敵がクリティカル攻撃を連発する中、敵を全滅させ学年ニ位。今年の学年首席、知名もえかの成績が異常に高いだけで、例年なら大差をつけて学年一位を狙える成績である。

 流石宗谷家のご令嬢と言うべきだろうか、『来島の巴御前』こと武装勢力を単艦で壊滅させた宗谷真雪、現校長の血を引いているだけはある。

 

 機関長の柳原麻侖は必要部品を余らせたにも関わらず、機関を動かすという離れ業をやってのけて教官達を唖然とさせ、船務長の納沙幸子は情報オリンピック中学生の部で全国準優勝を果たしていて、プログラミングのスペシャリストだ。

 砲術長の立石志摩は、実際に必要とされる技術かはともかく、十数キロ先から一撃で的に命中させ、水雷長の西崎芽依は、数十発の敵ミサイル飽和攻撃を最も効率的に、それもイージスシステムが下した判断とほぼ同様に迎撃管制をした。

 どのような脳の使い方をすればそのような芸当ができるか定かではないが、間違いなく人間業ではない。

 教官達の間では人型のFCSだ、人間イージスだと噂される始末である。無理もない。

 

 恐らくペーパーテストの関係上、武蔵に配属されなかった、化け物のような卓越した実務能力を持つ人材が晴風に集結している。

 

 戦艦である武蔵は強さの象徴に過ぎず、先鋭化し過ぎた現代の戦闘に最適化された晴風こそが、実務的な生徒が配属されるのに望ましいという固定観念があるからだろうか。

 

 そうだとすれば、大層の皮肉だと思った。

 そして古庄も、無意識に常識として思い込んでいた一人だった。 

 

 

 突出した性能に裏打ちされた強さと、目の届く範囲ですら守れない弱さを内包し、自己矛盾に苛まれた晴風。

 晴風の生徒達は、晴風の新たな希望の風となるだろうか、それとも……。

 

 

 どうか彼女達の航海に平穏があらんことを。

 そう願ってやまない古庄だった。

 

 

 

 

 

 

『こちら、川崎商店街船現在────』

 

『避難の進行度は約40%』

 

『傾斜角30°を越えました。もう持ちません!』

 

『──────総員離艦、繰り返す、総員離艦』

 

 

 爆発。

 その瞬間、視界が真っ白に漂白された。

 

 

『待って、あの中にまだたくさんの人が────』

 

『目の前の命さえ守れないような力なんて要らなかったのに』

 

『最強なんでしょ、どうして、どうして……』

 

 

 

 全てを救えるわけがない。

 そう知っていた。

 

 だけど、諦めるわけにはいかなかった。

   

 

 

 ──────最強だから

 

 





彼女は救えなくて、守れなくて。
目の前で海底に沈んでいく仲間達をただ眺めているだけしか出来なかった。

それでも彼女は、あの日誓った約束を、二度と戻らない過去を、否定しないために生きている。
孤独の航海の果てに、肯定できる未来があると信じた。


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01/Blue Marmeid



水平線の彼方に、あの日望んだものが在ると信じてる。



 

 

 林の中を手を繋いだ二人の少女が駆け抜ける。

 息を切らしながら駆け抜けた林の先には、見渡す限りの大海原が広がっていた。

 

「もうすぐ通るよ! もかちゃん!」

「うん」

 

 

「わぁーー」

 

 胸に大きな感動が沸き上がって、目が離せない。

 圧倒的な威容を見せつけるその巨艦は、近づくにつれ次第に大きくなって、

 

「来たぁ!」

 

 ついに二人の横に差し掛かる。

 青いニ本のストライプが走る船体に、三基の大きな砲塔。大和型超大型打撃艦一番艦大和。

 その巨艦は、日光を反射して照り輝く海と鮮やかなコントラストをなして、いたく幻想的に見えた。

 

「おーい! おーーーい!」

「すごいね。みけちゃん!」

 

 精一杯手を上げて、振る。

 

「おーーーい!」

 

 こちらに気づいたのか、艦首の乗組員がひらひらと帽子を振った。

 

「あっ、手振ってくれた!」

 

 視界に入りきらないくらい大きなあの艦を、思うがままに操るブルーマーメイドは、

 とてもカッコよくて、

 絶対にブルーマーメイドになりたい、って思ったんだ。

 

「もかちゃん、わたしたち、ぜったい、ぜぇーったい、ブルーマーメイドになろうね!」

「うん」

 

 衝動的に手を握り合った二人は、あの誓いの言葉を放った。

 

「海に生き」

「海を護り」

「海を征く」

「「それがブルーマーメイド!」」

 

 あの時の記憶は、未だ鮮明に思い出せる。

 あの時は、無邪気に私も人を救えるって信じてたんだ。

 

 

 

 

 

 

「すごい、すごーい! もかちゃん武蔵だよー! しかも艦長ー!」

 

 大和型超大型直接教育艦二番艦武蔵。

 老朽化しミサイルが登場した今、最早骨董品とも言える戦艦だが、大和型だけは幾度に渡る近代化により、まだ一線級の戦力を保持している。

そして……

 

「武蔵ってあのレールガンが搭載された唯一の戦艦だよね!」

「そうね」

 

 明乃は武蔵の甲板上で主砲を見上げる。

 前部主砲二基は、換装されていない後部主砲と違い、RCS(レーダー反射断面積)を意識したとひと目で分かる非常に角張った形をしている。艦橋付近には、砲撃用に調整された、射撃管制用レーダーFCS-4Cが装備されていて、時代の相違が甚だしいのに奇妙に調和している。

 

「大和型超大型打撃艦。長年続いた東側諸国との対立の中、切り札として建造され、ソ連崩壊を機に明確な敵国が消滅し、日本海軍が解体されからも、他級戦艦が退役する中、大和型だけは象徴としてブルーマーメイドに有り続けた」

 

 明乃は登校する前にちらりと見た記事を、脳裏から引っ張り出しながら続けた。

 

「ミサイルのコスト高騰に対する設備研究課の解答が、大和型に搭載するレールガンとGPS/INS誘導の延伸砲弾がセットになった対地攻撃モジュールの開発だった。

 当然ながらレールガンという新技術、それに伴う大容量電源に開発は難航した。しかし、実用化した暁には水平線の向こう遙か彼方から一方的に狙撃し、アメリカの開発したあの海上要塞の装甲さえ貫通出来るという圧倒的な海上機動打撃力を、巡航ミサイルより安く利用出来るのだ。

 これは、『プロの海賊』が蔓延る東南アジア諸島地域の平定を見据えたブルーマーメイドには、あまりにも魅力的だった」

 

 つい先月地上での射撃実験が終了し、数週間の改修を経て搭載されたばかりでピカピカの新装備であるそれは、太陽光を反射し鈍く輝いていた。

 

「そして新たな力を手に入れた武蔵は、再び大怪獣(リヴァイアサン)として復活を遂げた。

 でしょ、もかちゃん」

 

「よく知ってるね、みけちゃん」

「えへへ、前にネットニュースで見たのを覚えてただけ」

「でもみけちゃんもすごいじゃない。最新鋭イージス航洋艦の艦長さんでしょう」

 

 明乃は手元のボードに軽く目を走らせる。

 そこには晴風クルーの名簿、性能諸元、簡素な設計図等。艦長が頭に叩き込まねばならない最低限のことが書かれている。

 

「陽炎型イージス航洋艦三番艦晴風。

 全長172m、全幅21.0m、基本排水量6700t、最大速力37kt。武装は、62口径5インチ単装砲2基と高性能20mm機関砲2基、VLSは前部64セル後部32セル。艦載機なし」

 

 手前の弁天型が動き出し、晴風の姿があらわになる。

 

 武蔵が最強の矛だとすれば、晴風は最強の盾だ。およそ50年前の冷戦において、ミサイルの飽和攻撃に対抗する為にアメリカで開発された本システムは、半世紀経った今も世界一の守護者であり続けている。

 

 城郭のような高い艦橋には、イージス艦のトレードマークとも言える、六角形の多機能レーダーAN/SPY-6が装備されている。そのレーダーは全周1500kmを一瞬の内に走査し、(最も水平線の影響で水上艦はその限りでないが……)500近くの目標を追尾出来る。

 

 量子コンピューターの高い演算能力に支えられた戦術情報処理装置は、対空戦闘、対水上戦闘、対潜戦闘、対地戦闘に関するありとあらゆる索敵システム、武器システムを統合、連結し、一元管理している。そして敵の位置関係、脅威度を識別、攻撃目標の割り振りまで、熟達したクルーが時間をかけて行っていたそれを、全て一瞬の内に自動で行ってしまうのだ。

 これは空、水上、海中からの同時立体攻撃と、オケアン70演習────90秒以内に100発ものミサイルを着弾させることを目標とした────以来悩まされてきた飽和攻撃に対して有効な対処を可能とした。

 この晴風の高度な演算力は、まるまる艦隊一つ分の情報処理を肩代わりすることさえ出来る。

 

「私はね、晴風は人を救えるみけちゃんにぴったりの船だと思うな」

「でも何で、私が最新鋭艦に配属されたんだろう」

 

 もえかは、声のトーンを落として言った。

 

「実は最近知ったんだけど、晴風は三年前に就役した直後、横須賀所属の第ニ保安即応艦隊の司令部が置かれていたの」

「えっ……」

 

 強制執行課保安即応艦隊一桁台は、大規模海上犯罪が起こった際に真っ先に緊急出動が掛かる実働部隊である。文字通り海難救助が主任務の救難課と異なり、武装したテロリストの鎮圧が主任務となる。

 

「なのに何故か、晴風が教育艦に回り、陽炎型より性能が低いはずの木曽型が代わりに司令部になった」

 

 木曽型は近年になって国際ブルーマーメイドで標準採用された、改インディペンデンス級の後継である航洋艦であるが、艦隊指揮能力や長期作戦遂行能力等一部強化が図られたものの、弁天の拡張型という域を出ていない。

 

「だから、晴風は『訳あり』かもしれない」

「訳あり?」

「何らかの致命的な欠陥があって、それが大きな事故に繋がったとか」

 

 

 

 

 

 

 なんで晴風なんだろう……。ましろは訝しんだ。入試の問題は殆ど解けたが、数科目で解答欄の一つずつズラして数百点吹っ飛ばした自分が最新鋭艦に乗れるほど、海女の偏差値は低かっただろうか。

 無論違う。

 ブルーマーメイドは女性の花形の職業で、将来も安定であることから、この不景気によりますます入試の倍率が上がっている。

 ということは、実技試験が良かった?

 

「宗谷さん」

 

 沼に嵌まりかけていた思考を断ち切って、落ちていた視線を上げる。そこには黒髪の少女がいた。

 

「久しぶりだね、元気出して。宗谷さんが艦長じゃないなんて何かの間違いだよ。成績トップクラスなのに」

「そうかな」

 

 ましろには優秀な姉が二人もいる。片やブルーマーメイドの最高責任者である、安全監督室の室長たる宗谷真霜。もう一人は、根性注入と称して尻を揉む迷惑極まりない性癖があるものの、文武両道で武蔵の艦長を務め、現在弁天の艦長の宗谷真冬。

 周囲に期待されて育ったましろは、持ち前の不運が祟りいつも大事な時に実力を発揮できずに終わってしまう。その時、どうしても二人の立派な姉と自分を比べずにはいられないのだ。

 だからこそ艦長という役職には強い渇望があった。自分の本当の実力を示してやるのだ、と。

 全く難儀な性格だとましろは自嘲した。

 

「あーーっ! 一緒の船なんだーー!」

 

 甲高い声を上げて教室に入って来たのは、入学式直前に残橋から自分を突き落としたあいつだった。よりにもよって同じ船だったとは。

 ついてない。本当についてない。

 

「もしかして縁があるのかなぁ?」

「絶対ない」

 

 えへへと苦笑する彼女を見て、お気楽な奴だ、と思った。

 馴れ合うつもりは毛頭ない。何故ならそれは、船員に妥協と甘さを生む原因となり、結果として大事故への引き金を引くことに繋がるからだ。

 

「私、岬明乃。二人は?」

「宗谷さん、知り合い?」

 

 黒髪の彼女が尋ねてきた。

 

「知らない。知らないったら知らない」

「宗谷さん……宗谷ましろさん? 副長さんだよね」

 

 明乃は軽く頷いて、黒髪の少女の方に向き直った。

 

「あなたは?」

「私は機関助手の……」

「黒木ひろみさん?」

「あぁ、うん……」

「よろしくね!」

 

 明るい声で挨拶をする彼女を横目で見て、

 岬明乃……。そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

「晴風クラス、全員揃ったか」

 

 入ってきた先生に対する宗谷ましろの第一印象は厳しそうな先生というものだった。入室と同時に、騒がしかった教室も一瞬にして水を打ったように静まり返り、小気味よい緊張感が辺りに満ちる。

 

「艦長」

「はい」

 

 艦長……!? あいつが? 

 

「起立」

 

 立ち上がりながら声の出どころをちらりと見る。教室の端の席に立つ彼女の髪は、橙色のツインテール、そして髪を束ねる黄色のリボン。あいつだ、間違いない。

 事実を再確認して、再び衝撃が自分の身を襲った。

 あいつは、私より成績が高いのか? 

 いかにも楽観的でそそっかしそうなあいつが?

 これまで培ってきた自分の価値観が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく気がした。

 

 

 

 

 

 

「指導教官の古庄です」

 

 首を左右に振って、生徒達を見渡した。数えると三十人。全員揃っている。

 

「今日から皆さんは高校生となって海洋実習に出ることとなります。辛いこともあるでしょうが、『穏やかな海は良い船乗りを育てない』という本校の指導方針によるものです」

 

 ここまでは、謂わば決まり文句である。毎年どの艦でもどの教官でも言うことだ。そしてこの後は艦にまつわる言葉を贈ることになっている。

 

 あなた達が人々の盾となれるように、と続けようとして違和感を感じた。

 

 人々を惨禍や厄災から守るのが盾とするならば、盾は晴風でなく、むしろ……。

 

「先生……?」

 

 思考はそこで中断させられた。

 いきなり止まった私の言葉に、皆不思議そうな顔をしていた。

 

「仲間と助け合い、厳しい天候にも耐え、荒い波を乗り越えた時に、あなた達は一段と成長しているはずです。えーー、丘に戻った時、立派な船乗りになったあなた達と会えることを楽しみにしています」

 

 無難な言葉を紡いで終わった。

 

 

 

 

 

 

「あの! 古庄教官」

 

 教室での説明を終え、振り返ると艦長の岬が言いにくそうな顔で立っていた。

 

「なに? 岬さん」

「あの……どうして私が艦長なのでしょう? その……私は、艦長のなれるほどの成績では……」

 

 なるほど確かに、岬は筆記試験の成績が悪かった。実技試験の成績は公表されないから、疑念を抱くのも無理はない。

 だが、筆記試験で高成績を修めることに意味があるのだろうか、と考えてしまう私は教員失格だろうか。

 カタログスペックが本当に実地で使えるかに直結しないのと同様に、たかが筆記試験如きで実務能力が測れるわけがない。

 私は教官だから、現場の些細なミスでいとも簡単に命が失われることを理解している。だが、きっと分かっていないのだ。

 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという。

 しかし本当の意味で歴史に学ぶことできない。

 目の前で人の命が手の隙間から零れ落ちていく絶望を経験せずに、知ったかぶりでそれを語るのは、侮辱以上の何物でもないのではないか。

 ()()()()()が教えているのだ。

 

「では聞くけど。あなたの理想の艦長とは?」

 

 だから古庄は苦し紛れに論点をズラすことにした。

 全く自分が嫌になる。

 

「船の中のお父さん……みたいな。あの、海の仲間は家族なので」

 

 彼女のたどたどしかった物言いは、言葉を重ねるにつれてしっかりと芯を持ったものに変わっていった。

 

「では、そうなればいいわ」

 

 明乃の姿が眩しく見えて目を細めた。私が大人になる道中で荒波に揉まれる内に、いつの間にか何処かへ置いてきてしまった純粋な願いを持っていた。

 そして同時に壊れやすいとも思った。 

 それでも、彼女の理想が叶えられるとすれば、それは素晴らしいことだと思ったのだ。

 

 





あの日の誓いを絶対に忘れませんように。




 お気に入り、とても励みになります。ありがとうございます。
 実は、かなり悪戦苦闘しながら文を書いています(主に日常描写)。様々な作品の描写を参考にさせてもらっているため、気をつけてはいますが、極端に似ている部分があるかもしれません。見つけたら感想等でご指摘お願いします。
 これからも明乃達の絶望、苦悩、そして希望。彼女達の戦いを通じた粗削りの感情の発露を描ければと思います。今後とも水平の彼方をよろしくお願いします。


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02/Peace



いつも失ってから気付くんだ。



 

 

「スローガンを決めるわよ」

 

 チャットアプリで、友達登録をしている艦長仲間の高橋千華から連絡が来たのは今日の朝だった。今、千華から呼び出されて学食のテーブルに集まっているのは、艦長の三人だ。

 そのうちの一人は千華である。

 

「いきなりですか?」

 

 二人目の榊原つむぎは千華の突破的な行動には慣れたのか、お茶を飲みながら平然と受け流している。

 

 そして三人目、晴風の艦長の明乃は、最近になってやっと艦長という役職に実感が沸いてきた。

 いまだ何故艦長を任されたかは分からないが、それでも職務をこなす過程で晴風のみんなと一番仲良くなれた自信がある。

 

 思えば、この半年はあっと言う間だった。

 晴風に乗って対空戦闘訓練をして、定期試験前はせめて艦長らしい成績を取ろうと、もかちゃんに勉強を教えてもらい、海難救助訓練の時は教官の福内先生に意味深な助言を貰って、息を付く間もなく次の定期試験が来た。

 

 その過程で掛け替えのない友達もできた。

 実技演習で一位を取った晴風に突っかかってきた天津風艦長の高橋千華と、晴風のお嬢様な水測員の万里小路楓との格ゲーバトルから始まった他艦との交流は、面白そうだと乗っかった時津風副長の長澤君津によって時津風も巻き込み、結果として晴風と天津風、時津風の交流は、艦に流れる陽気な気質もあるのか長く続いている。

 晴風クルーは、半年間順調に技術と経験を積み上げていた。

 

「チーム戦が終わったでしょ。最近三艦で艦隊を組むのが増えてきたことだし、ちょうどいいんじゃない?」

 

 一週間に開催された横須賀総合海洋演習、通称チーム戦。そこで晴風、天津風、時津風はタッグを組み見事優勝をもぎ取った。 

 

「じゃあ、ちーちゃんの案は?」

「よくぞ聞いてくれたわ。それは────世界一の艦隊よ」

「はぁ、私の平穏が……」

 

 千華の言葉につむぎが肩を落とす。

 

「じゃあつむぎは何がいいと思うのよ」

「平穏の艦隊」

「平穏……の艦隊!?」

 

 千華は衝撃を受けたように固まった。

 それを見て、つむぎが明乃に振った。

 

「岬さんはどうですか?」

「海の仲間を守れる艦隊がいいな」

「うーん、見事にバラバラね」

 

 明乃が何かを思いついたように手を打った。

 

「そうだ、世界一海の仲間の平穏を守れる艦隊にすればいいんじゃないかな」

「何その、とりあえず全部詰め込みました、みたいな」

「まぁ、他に折衷案がないんだから……」

「しょうがないわね」

「じゃあそれに決定で」

 

 二人は不承不承頷いた。

 それでも確かに、私達の艦隊のスローガンに他ならなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 薄暗い、少し不気味な戦闘情報室で話を切り出したのは、ダーツが得意な射管員、小笠原光だ。

 

「私達戦いに出るらしいよ」

「……どこに?」

「フィリピン」

 

 聞き手の輪投げが得意な射撃員、日置はあまり驚いた様子でない。

 

 日置は、近々ブルーマーメイドがフィリピンに投入されることは薄々勘付いていた。

 日本のシーレーンはフィリピン近海を通っている。シーレーンは海に囲まれ、ほぼ全ての資源を自給できない日本にとって、本当の意味での生命線だから、あんだけきな臭くなっていれば鎮圧部隊が派遣されるのは時間の問題だろう。

 ただ、自分達までもがその内に入っていたのは流石に想定外だった。

 

「人魚見習いに実戦の雰囲気を味わせたいんだとさ」

 

 罰ゲームで飲み物を買って来た美千留が皮肉げに言う。

 

「へー」

 

 光は、美千留から炭酸ジュースを受け取り、キャップを開ける。

 しゅわしゅわと小気味よい音。

 ペットボトルを傾け、口いっぱいに含み、飲み干す。喉を爽快な液体が突き抜ける。

 

「でも、」

 

 そして、色鮮やかに光る無数のボタンが付いている壁を軽く叩きながら言った。

 

「こいつを押す機会はないでしょ」

 

 

────誰もがそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

「貴方達は、第33任務部隊を編成し、フィリピン近海で作戦行動に入ってもらいます」

 

 突然の呼び出しを受けた岬明乃が、第5会議室に着くと、既に二人の先客がいた。最近艦隊を組むことが多い、つむぎと千華だ。数分後、PCと紙束を抱えた古庄教官が入室し、手早く説明の準備を整えた。

 

 始まったのはやはり、フィリピンに関する話題だった。

 

「最近のフィリピン情勢が予断を許さないものに成っていることは、知ってのとおりだと思います。数年前発足したフェルディナンド政権は、前政権までの方針を一転、極端な親米路線を取りアメリカ軍を国内に招き入れ、イスラム過激派への弾圧を強めました」

 

 そう言って、古庄教官はプロジェクターにフィリピンの地図を映す。

 

「反政府勢力であるミンダナオ独立解放戦線はこれに反発、ミンダナオ特別自治区で武装蜂起が発生、内戦は急速に拡大。今フィリピンは、破壊と混沌のさなかにあります」

 

 地図上のフィリピン中部を、内戦地域を表す赤い染みが広がっていく。

 

「そんな中、日本の貨物船『臨海丸』が解放戦線側のミサイル艇に攻撃を受け、轟沈されました。海上安全整備局は、シーレーンに対する重大な危機と認定、保安即応艦隊による鎮圧を決定しました」

 

 艦隊の針路を示す青い矢印が伸び、いくつかの港に✗印がついた。

 

「攻撃目標はダバオ、セブ、バタンガス。参加兵力は、第一、第二保安即応艦隊の計8隻に加え、

補給艦数隻と学生艦10隻。横須賀女子海洋学校からは、晴風クラス、時津風クラス、天津風クラス、間宮クラスが参加します。詳細は配布資料を参照のこと。質問は?」

 

 明乃が手を上げる。

 

「敵の水上戦力は?」

「ゲパルト級、ペガサス級が主なミサイル艇15隻とオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート4隻、ソヴレメンヌイ級ミサイル航洋艦2隻です」

「わかりました」

 

 東側、西側が入り混じっているが、概ね旧式だ。

 損害が出ることは考えにくい。そう結論づけた。

 

「他には?」

 

 古庄教官は、周りをぐるりと見渡して、

 

「ないみたいね。それでは解散」

 

 

 

 

 

 

「はぁ、心配です」

 

 ミーティングが終わった後、艦長三人でお茶でも、と食堂まで来ていた。

 今日の夕方にかけて物資の積載をし、明日早朝には出港する。顔を合わせる最後の機会だ。

 

「なーに心配してんのよ。フィリピン沖まで行って帰って来るだけでしょ」

「……そうだよね」

 

 明乃はぎこちなく頷く。脳裏にこびりつく言いようのない不安を頭を振って掻き消した。

 

「出てきてせいぜいミサイル艇数隻と旧式の防空航洋艦でしょ。ブルマー本隊どころか、私達相手でも鎧袖一触じゃない」

 

 そうだ。危険性なんてあるはずがない。

 解放戦線の艦艇と今回派遣されるブルーマーメイドの弁天型や木曽型には、幼児とプロレスラー並の性能差がある。

 

「両方ともに充分な攻撃はできる。だけど片方はほぼ完璧に攻撃を防げるけど、もう片方はほとんど防げない」

「要は、『我々には対空ミサイルがある』『彼らにはない』ってとこかしらね」

「マキシム機関銃の有名な一説ですね」

 

 原文は、機関銃の凄惨な殺傷力を表した一文で、初舞台となったシャンガニの戦闘ではわずか四挺で約百倍の敵、5000人を撃退したというから驚きだ。これはそれまで主流だった突撃戦術を過去の遺物へと変えた。

 つまり機関銃は戦場を変え戦術を変えた。

 

 明乃は、同様に対空ミサイルもまた、戦術の転換を表す象徴的な兵器だと思う。

 以前、防御は攻撃を耐える事に重きを置いていた。戦艦は自艦の主砲と同サイズの口径の砲弾を耐えられる装甲を持っていたし、戦車も同様だった。

 しかし次第に攻撃力がインフレするにつれ、攻撃力がアンバランスに肥大化したことで、それに釣り合う装甲を持てなくなってしまった。

 だから攻撃そのものを撃ち落としたり逸らしたりし、いわば攻撃を攻撃するように防御は変化したのだ。アクティブ防御システムである。

 艦艇ならスタンダードミサイルやESSM(発展型シースパロー)、車両ならアイアンフィストやクイックキルというように。

 

 広大な後部甲板のミッション・パッケージに、SeaRAM一基、VLS32セルを増設する対空戦モジュールを搭載した木曽型は、一時的に対空要塞と役割を変え、一方的なワンサイドゲームを展開するだろう。

 明乃達にとっては、期末試験前のいつもより少し長い、ただの航海訓練になるはずだ。

 

「でも地対艦ミサイルが出てきたら……」

「最近東南アジアの闇市場に流通しているっていう?」

 

 かつて東側諸国は、資金不足から西側諸国に対抗し得る水上戦力の整備を諦めた。ソ連一国で、イギリス、アメリカ、日本の海洋先進国家達に対し海軍力で対抗すること自体が無茶である。

 艦隊の火力が足りないならば、陸上から支援して補えばいい。そこで生まれたのが、沿岸部に大量に配備された長距離地対艦ミサイル群である。

 この時代のソ連軍は、『攻撃は最大の防御』という言葉通り、西側に比べ攻撃に重心が偏っていた。ゆえに強力な対艦ミサイルが多数生まれたのである。

 冷戦終結と同時に明確な敵が消え去った東側諸国は、これらを大幅に削減し、予算的な都合で本格的な艦艇を保有出来ない中小国に大量に売払われ、接近阻止戦略の礎となっている。

 

「確かに無駄にデカくて速いP-700シリーズが出てきたら厄介ね」

 

 ムムッと腕を組みながら千華は眉間にシワを寄せる。

 

 P-700シリーズを一言で表そうとすれば、『究極の対艦ミサイル』となる。最も、『()()()()()()()()』と注釈をつけなければならないが、今でも十二分に通用する兵器である。

 何故究極なのか。それはバーゲンセールのようにこれでもかと詰め込まれた高機能にある。

 まず速度がマッハ2.5、同時期に西側で運用されていたハープーンがマッハ0.85であると考えればかなり高速である。

 射程は600kmと西側の長距離対艦ミサイルトマホークを優に超える。

 

 だが注目すべき点は、スペックではない。スペックを最大限引き出すための複雑なソフト面である。

 対艦ミサイルというのは、発射前に敵を発見し、飛行中動く敵を捕捉し続けなければならない。

 敵の位置が何処で、自分の位置が何処か。 

 命中を期すためには前衛観測が不可欠である。

 だが水上戦力が低いソ連は前衛観測が困難だった。だから自律捜索のために高高度を飛ぶ編隊長ミサイルと隠密性のために低空を飛行する他僚機に分け、多数の偵察衛星を運用することで代替した。

 この凝りすぎた誘導システムによって大型化、高騰化し、量を揃えられなかった為見放されることになるのだが、しかし質の面では御影石(墓石)という愛称にふさわしい凶悪な性能を誇っている。

 

「超音速対艦ミサイルを持っているというのは、現代の海賊のステイタスと聞きますし」

「何とも夢がない話ね。……まぁ私達には女神の加護があるから大丈夫よ。ね、つむぎ」

「そう……ですよね」

 

 イージス、またの名をアイギス。

 ギリシャ神話の最高神、全知全能のゼウスが娘の女神アテナに与えた盾。それはあらゆる邪悪と厄災を打ち払う。その名の通り、イージス艦は艦隊に迫るあらゆる厄災を払うために造られた。

 

 晴風艦長の明乃は誰よりも晴風の力を理解している。

 対空訓練でS判定が下りるのは性能上当然のことで、正直どんな悲観的に考えても晴風の盾を破られる気がしなかった。驕っている訳でも何でもなくて、誰だろうと同じような判断を下すに違いない。

 超音速対艦ミサイル(   P-700   )は確かに脅威だし、飽和攻撃も本来なら警戒すべきことだ。しかし晴風は対空戦闘を主目的として設計されている関係上、多機能を売りにしている弁天型とは本当に格が違う。

 

 

────なのに、何故だか嫌な予感が拭えないのだ。

 

 

「ぱっぱと片付けて、帰って来たらみんなでパーティしましょ」

「マロンちゃんに言っておくね。つーちゃんも?」

 

 明乃は、嫌な予感を払拭するために、明るい雰囲気を出そうと試みた。

 

「わかりました。きみちゃんに伝えていておきます」

 

 そこで席を立ち、別れた。

 

 なんとなく振り返ったその時、二人の後ろ姿が薄れた気がした。

 

「えっ……」

 

 目をこすってもう一度見た。その時には二人は視界から消え去っていた。

 

 

────その約束が果たされることが永遠にないなんて、その時の私は知りもしなかったのだ。

 

 





みんなで夢を追いかけたかっただけなのに。




 今回は平穏回でした。後三話ほどで追憶編が終了し、原作本編に入る予定です。


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03/Fake


正義の御旗の下にそれを肯定した。



 

 

「合流地点まで後3時間」

「わかった。周囲の警戒を続けて」

 

 明乃の座るCICの艦長卓の前方には、3面の広角ディスプレイがある。

 かつて唯のホワイトボードだったそれらは、自艦のレーダー、友軍とのデータリンク、人工衛星からの偵察によって得られた全ての作戦に必要な情報を自動で集約し、一目で戦域全貌を把握することを可能にする。

 

 それこそが現代戦闘の本質だと明乃は思う。

 現代戦闘の凄まじさを象徴するのは、砲弾に変わる新兵器ミサイルでもなければ、巡航速度でさえ音速を越えるステルス戦闘機でもない。

 戦闘形態が短期決戦型に変化し、瞬きする間に数百メートル接近してくる数百単位の敵ユニットに対して、これまた数百の味方ユニットを管制し、効率的な迎撃を可能にする支援システム群だ。

 

 明乃は、手元に目を戻す。そこには支援システムの成果たる、リアルタイムで更新される友軍の戦況が映されている。

 昨日早朝の作戦開始から予定通り順調に戦況は推移していて、解放戦線の港湾、艦艇はほぼ全滅、こちらの被害はゼロ。これでフィリピン近海の制海権は完全にこちらの手に落ちた。

 当然の結果だ、そう思う。

 性能差を考えれば、この作戦はパーフェクトゲームでなければ、到底成功とは言えない。

 

 現在第1任務部隊群は、武装勢力の地上掃討を担当するアメリカ軍と連動した対地支援攻撃を、弾薬切れにより一時中断し合流地点に東進している。そして合流地点で弾薬と燃料の補給を受け次第、フィリピン沖に舞い戻り、発展型へと更新が始まった旧式トマホークの『在庫処分』を継続することになるのだ。

 

「海上安全監督室から入電」

「読み上げて」

 

「第33任務部隊晴風は、司令部機能を天津風に移行し、単艦でフィリピン沖150海里まで進出。対地支援攻撃を実施せよ」

 

 その瞬間、艦長卓のディスプレイに作戦概要が提示される。

 

「晴風が……!?」

 

 明乃は電信員の八木鶫に聞き返した。

 

「通信ではそのように」

 

 困惑した表情の八木が頷く。

 

 変だ。

 晴風は一応対地攻撃にも対応した対艦ミサイルを積んでいるものの、最小限のたった4発しかない。それもまだ実戦配備はされておらず、まだ開発段階の物だ。つまり畑違いもいいところだ。

 

「変だな……。アメリカ空軍は何をしている」

 

 副長の宗谷ましろが怪訝な声を上げる。

 それはCIC要員全員の心の内を代弁していた。

 

 対地支援攻撃、すなわち火力支援は、味方の陸上部隊の侵攻を阻む敵を大火力によって瞬時に制圧し、機動部隊による電撃的な侵攻を補助する目的がある。高速を持って混乱の内に敵を制圧する現代の戦闘は、これ無しでは成り立たないと言っていい。

 火力支援に含まれる近接航空支援は、電話一本で駆けつけるピザの出前のように、極めて素早く即応し、適切な場所に瞬間的な高火力を投射できる。

 即応、適切、瞬間的、高火力。現代戦のキーワードがこれでもかと揃った近接航空支援は、全ユニットの有機的な結合を図り、常に最善手を打ち続けなければならない戦場に置いて必要不可欠なものであった。

 その概念の産み親たるアメリカ軍は、第5空軍傘下第47戦闘航空団、F-16を40機、充分な空爆用航空戦力を配置していたはずだ。

 少なくとも、わざわざ補給部隊に配置されている晴風が手伝わなくていいほどには。

 

 

「なるほど……」

 

 CICの隅で手持ちのタブレットと格闘していた船務長の納沙幸子が顔を上げた。

 船務科は主に情報、電測、通信業務を行う。つまり艦の内外から得られた情報を取捨選択し、取りうるオプションを提示することが求められる。

 納沙は船務長でありながら、情報員を掛け持ちしている情報収集のプロだ。

 

「理由がわかりました」

 

 そう言って、タブレットをこちら向きに掲げた。

 

「第1任務部隊群は17式SSM(17式艦対艦誘導弾)、トマホークともに残弾0発。近接航空支援は既に飽和しており、米軍第47戦闘航空団はオーバーワーク気味です。なけなしに向かわせた3機も、強固な対空ミサイル陣地を前に被撃墜を出し後退中です」

 

「強固な対空ミサイル陣地?」

 

 疑問が浮かぶ。ただの武装組織如きがそんな物を持っているのか……?

 

「なんでも最新型のイスラエル製中SAM(中距離地対空ミサイル)が確認されたとか」

「なんでそんな物があるんだ……」

 

 ましろがため息をつく。

 そりゃそうだ。ただのテロリストだと思っていた輩が最新の装備で武装していたとなれば、ため息の一つや二つつきたくなる。

 

「まぁまぁ、あるものを考えても仕方ないし──」

「つまり、晴風の持つ極超音速ミサイルなら防空網を破れるんじゃないかと?」

「そのようです」

 

 幸子が頷く。

 

「じゃあさ、」

 

 水雷長の西崎芽衣が小さく手を挙げる。

 

「『あれ』を撃つの?」

「そうなるね」

 

 『あれ』とは晴風が持つ切り札、必殺の長槍だ。

 正式名称はX-SSM3。極超音速対艦ミサイル。スクラムジェットエンジンにより音速の五倍近い隔絶した高速で、防空網を障子のように喰い破り、一撃で戦艦を沈ませる程の凶悪な火力を叩きつけ、敵を一片も残さず葬り去る兵器。

 

 対艦ミサイルは開発費用を抑える為、ファミリー化が推し進められている。X-SSM3も例に漏れず、空対艦ミサイルのASM3(改)をベースに艦載用に改造されたものだ。Xがつくのはまだ正式採用となっておらず、開発段階であることを示す。

 だが正式採用されても、17式SSM全てが置き換わるわけではない。何故ならこれは凄まじく高価で、まともに量を揃えられないからだ。

 だからハイローミックスのハイを担当することになり、配備先は高性能艦に限られる。しかし質は折り紙付きだ。

 

 グングニル────北欧神話の主神、戦争と死の神オーディンの持つ槍────と裏では呼ばれているそれは、神話通り決して的を射損なうことなく、放つ者に必ず勝利をもたらす。あくまで非公式ではあるが、言いやすさの関係から大抵は愛称で呼ばれているのだ。

 これらの点を踏まえれば、確かに晴風に支援要請が来るのも無理はない?

 

「攻撃準備」

 

「配置つけます」

「了解」

 

 ましろはそれを聞いてから、赤色に灯るボタンの蓋を開ける。そこに配置警報と書いてあることを確認して押し込んだ。

 

「総員、対地戦闘用意。総員、対地戦闘用意」

 

 鈍い鐘の警報音がなり響き、艦内の蛍光灯が白色から赤色の物に切り替わる。禍々しく紅く染まった廊下は否が応でも戦闘になるという事実を晴風クルーに突きつけた。

 午後の当直のために寝ていたクルーは、艦内で最も重大な意味を持つ電子音に飛び起きて、細い廊下を慌ただしく疾走する。

 

 間もなく艦内のあちこちからクルーが揃った、と報告がましろに入る。

 

「各部用意よし」

 

「しろちゃん!」

「艦長」

 

 明乃はスカートのポケットからカードを取り出す。その薄いプラスチックの一片は艦長と副長が持つ一対のカードキーであり、艦の中で攻撃火器の使用を決定できる立場にあることを示す証である。

 ましろは、右手で飾り気のない銀色の板を強く握りしめ、明乃の方を見る。

 明乃が頷く。

 次の瞬間、二人は揃ってカードを溝に挿し込み手前に引いた。

 

 ピッと電子音がすると同時に、艦長卓のディスプレイの一部、灰色に表示されていたタブが黄色に点灯する。

 眠りについていた晴風の魔物の心臓に火が灯った合図だ。

 

「タマちゃん、攻撃を」

 

「ん、グングニル、発射弾数四発、攻撃始め!」

「グングニル、ナンバー001〜004、スタンバイ」

 

 射撃管制員の光は、手前の青いインターフェイスに触れた。そしてキーボードを使い次々とミサイルに目標の距離と方位を入力し、オプションを設定する。今回はなしだ。

 エンターキーを勢いよく叩くと、VLSセルを示すランプの四つが、信号機のように赤色から黄色、黄色から緑色に変わった。

 

「グングニル、001〜004、レディー」

「Fire!」

 

 撃て、光は小さく呟いてからその発射ボタンを押し込んだ。

 明乃がなんとなく見やったCIC前面の広角端末では、監視カメラによって、今、まさにミサイルが発射される瞬間を捉えていた。

 電気信号がVLSに伝達され、前部甲板で警報音が鳴り、次々と四枚のハッチが開放される。

 次の瞬間にランチャーから勢いよく炎が吹き出した。カメラの視界が赤い炎と白い煙に覆われた時、その内からオーディンの白い槍が空へ飛び出し、遥かに彼方へ消え去った。

 

 明乃は別のディスプレイに目を映す。そこには、順調に目標に向けて飛行するミサイルのアイコンが映されていた。

 

「作戦終了。針路2−6−5。第33任務隊に合流します」

 

 

 

 

 

 

「吐かなかったな」

 

 眺めたのは艦長用のタブレット。その地図上にある赤い点。攻撃目標だ。偵察部隊の情報によるとそこには五百人規模の敵兵がいるらしい。

 

 五百。五百だ。

 このたった直径1センチの1点には、五百人分の命が乗っている。

 

 こんなにも簡単に、蚊を叩き落とすように数百人の命を握り潰すのだ。

 

 実感がわかなかった。

 コンピューターゲームの数ある敵NPCを倒すように、その命令は淡々と遂行された。

 

 

 怖かった。

 

 

 何も感じないのが怖い。

 罪悪感を覚えないことが怖い。

 自分が変わっていくのが怖い。

 

「ばーん」

 

 手で拳銃の形を作り、見えない誰かを撃った。

 

 ヒーローになりたいと思ってた。

 だから、悪は倒されなければならない。

 

 人を救えるようになれると信じてた。

 だけど、真逆のことをしている。

 

 物語のように敵も味方も友達になって、大円団のハッピーエンドが待ってると漠然と思っていた。それは違った。

 

 

「わからないな」

 

 

 わからなかった。

 悲しい。正しい。正しい……?

 

 虚空に向かって手を伸ばした。

 全てを純白の下に晒しだす白色灯が酷く鬱陶しかった。

 

 これが正義なのか。

 正義は虐殺を肯定するのか。

 それでも進まねばならないのか。

 

 

「わからないよ」

 

 

 CICの扉を開ける。

 明乃の影を希薄な青色光に溶かし込んだ。

 前面の大型ディスプレイにはもうすぐ着弾するミサイルが映っていた。

 

「命中まで3、2、1」

 

 惨状をしっかりと目に焼き付けるために、目を見開いた。でも、そんなものは見えないとも分かってた。

 

「ゼロ。マークインターセプト」

 

 ミサイルを示すアイコンが点滅して消えた。

 数百人分の点が呆気なく消えた。

 それだけだった。

 

 





その正義はフェイクだ。



 更新遅れてすみません。
 ですがゆっくり書いた分、戦闘描写と感情描写は上手く書けたかなと思います。

 感想、評価、お気に入りありがとうございます。
 本話の執筆で沼まった際、大変励みになりました!

 次回は04/Lost(今度こそ!)です。


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