不死鳥たちの航跡 (雨守学)
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1話

命というものは、儚いからこそ、尊く、厳かに美しいのだ。

 

――トーマス・マン

 

 

 

 

 

 

「時々思うのです。今でもあの島に居たら、どうなっていたのだろうって」

 

吹雪さんは、窓の外に遠く見える、小さな島を見つめた。

 

「後悔しているのですか?」

 

「いいえ、後悔なんてありません。最愛の人と同じ時間を過ごすことが出来ましたから」

 

老いた細い指にはもうはめられないのか、指輪はネックレスにして首に掛けられていた。

 

「ただ、心配になるのです。あの島にいる皆が、何を思い、どうして生きているのか……。――いえ、生きているという表現は間違っているのかもしれません。死が無ければ、生もありませんから……」

 

そう言うと、吹雪さんは近くにあった写真たてを手にし、まるで語り掛けるようにして、見つめた。

 

「――そう言えば、正式に決定したそうですね。島への出向」

 

「はい、まだ日程は確定していませんが、近日中にも」

 

「そうですか。夢だって言ってましたものね。おめでとうございます」

 

「吹雪さんのお陰です。こうしてお会い頂いて、色々と勉強になって……」

 

「それは違いますよ。貴方の熱意、気持ちがそうさせたのです。貴方は私と出会わずとも、きっとあの島への切符を手にしたでしょう」

 

「そうでしょうか」

 

「そうですよ。それに、貴方には不思議と、魅かれるものがあります。きっとそれは、貴方の優しさや想いが、目に見えるほどに溢れているから――そして、あの島の艦娘達には、それが必要なのだと思います。貴方が必要なのだと思います」

 

その言葉の一つ一つに、彼女の想いが乗せられているように思えた。

そしてそれは、まるで――。

だけれどそれは、彼女に残された時間が短い事を知っているから思えるようであって――。

 

「あの島の艦娘たちは、死を恐れている。吹雪さん、貴女はどうして、人であることを――死を受けいれることが出来たのですか?」

 

初夏の風が、病室内に吹き付けて、吹雪さんの白い前髪を揺らした。

その合間から見えた表情は、とても穏やかで、今まで見て来たどんな表情よりも、優しさに――幸福に包まれていた。

 

「愛です。愛があったから、私は死を受け入れることが出来たのです」

 

司令官に貰ったという指輪が、首下で輝く。

それはまるで、命の輝きのようで――何度も何度も、チラリチラリと、彼女の胸の中で輝いていた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「吹雪さんが亡くなった」

 

上官に呼び出され、開口一番にそう聞かされた。

 

「昨日、君が訪ねたその夜に、容体が急変したそうだ。そして、今朝ほど……。残念だよ……」

 

「……そうですか」

 

覚悟していたことであった。

吹雪さんには伝えられていなかったが、もう永くなかったのだ。

それでも、彼女は何かを悟ったかのように、いつも自分の死後の事を語っていた。

 

『私が死んでも、世界は回り続ける。命の灯、なんて言いますけれど、案外そうなのかもしれません。あっけなく消えてしまう灯は、消えるまでは大切に扱いますが、消えてしまえばそれまでです。そんなものなのです。命なんてものは……』

 

「吹雪さんは君に期待していたようだね。こんなものを遺していた」

 

上官は俺に、一冊のノートを手渡した。

 

「あの島の艦娘たちの特徴や性格――吹雪さんしか知らないような事を書いているようだ。君が島へ行くと聞いたものだから、何かの役に立ちたいと、書き起こしたものなのだと思うよ」

 

中にはびっしりと艦娘の事が書かれていた。

ページが進むに連れ、文字が震えて行く。

俺の頬には、自然と涙があふれていた。

 

「雨宮、ここまでされたらやるしかないぞ。君は成しえなくてはならない。戦後70年負の遺産『艦娘』の『人化』を――」

 

「――はい」

 

その三日後、俺の島出向への日程が決まった。

 

 

 

出向当日。

見送りは、上官ただ一人であった。

 

「メディアに嗅ぎつかれてはいかんからね。我々が艦娘の『人化』を『促している』と、報道されると厄介だ」

 

「承知しております」

 

「くれぐれも『ハニートラップ』には気を付ける様に。尤も、君には通じないだろうがね」

 

上官は大いに笑うと、俺の肩をポンと叩いた。

 

「頼んだぞ」

 

「はい」

 

上官は、姿が見えなくなるまで、手を振って見送ってくれた。

 

 

 

島へは小さな船で向かう。

船頭は、戦後からずっと、あの島への行き来を仕事にしている、重さんだ。

この重さん、海軍の人間でないのにもかかわらず、唯一、自由に本部へ出入りできる様な人であった。

 

「慎二、とうとうてめぇが乗って来たか。あの生意気なクソガキが、よくもまぁ成長したもんだな」

 

「重さんは変わらないな。俺があの島に行く時、もう死んでるもんだと思っていたが。元気そうでがっかりだよ」

 

「クソガキが。俺はあと100年は生きるんだ。てめぇより長生きしてやるよ」

 

「その意気だ、重さん」

 

「ケッ、なーにがその意気だ。バカヤロウ。さっさと乗りやがれってんだ」

 

口では悪態をつくものの、重さんはどこか、いつもより嬉しそうに、笑って見せた。

 

 

 

船は、真っすぐと島を目指した。

 

「あの島では、出向してきた男を「提督」だったり「司令官」と呼ぶんだ。えれぇ出世だな、慎二」

 

「どうかな。あの島への出向を志願するような奴なんてのは、頭のおかしい奴か、下半身でしゃべるような奴しかいないらしい。出世というより、島流しにでもしたつもりなのではないかな」

 

「だが、昔と違って、出向への条件は厳しくなっている。ここ数年は、志願しても『適性試験』を通るような人材はいなかったと聞くぜ。誇っていいんじゃねぇのか」

 

「珍しいね。重さんが褒めるなんて」

 

「嬉しいんだよ。久々に期待できるような奴が出向になってよ。てめぇ以前はてんで駄目だ。『ハニートラップ』に引っかかって通報されるわ、艦娘が言うことを聞かないと泣きついてくるわ……」

 

重さんは思い出す様に目を瞑ると、大きくため息をついた。

 

「あの島の艦娘は、出向してきた海軍の人間を追い出そうとするらしいが、そんなに強力なのか?」

 

「まあ、そうさな。艦娘が言うことを聞かないってのは……まあ、よくはねぇがいいとして、『ハニートラップ』は強力だと思うぜ。艦娘とは言え、見てくれは人間そのものだ。『不老』であることや――などを除けば、性行為も出来るし、人間と変わらねぇ。特にあの島には、陸奥、鹿島、大和――人間でいうところの艶冶(えんや)な艦娘が残っている。そいつらが『ハニートラップ』を仕掛けるものだから、大抵の男は引っかかっちまう。いざ手に掛けようとした時、青葉が現場をキャッチ。通報って訳だ」

 

「女性を出向させる案は無かったのか」

 

「あるにはあった。だが、そもそも出向したがる奴が居ないのと、島から出すのに一番有効な『娶り(めとり)』には、やはり男が必要だったんだ」

 

『娶り』。

言葉の通り、妻として迎える事だ。

 

「あの島の艦娘たちは、島から出ることを恐れている。故に、自ら出て行こうなどとは考えねぇ。だからこその『娶り』だ。吹雪さんも言っていただろう。死を恐れないためには、愛が必要だと」

 

「艦娘を惚れさせて、島から出させるって訳か」

 

「ただ、その為に人生を捨てる奴はいないし、婚活気分で出向した男は、全員やられて帰ってきている」

 

「なるほどな」

 

だからこそ、『ハニートラップ』に引っかかりやすいのだろう。

艦娘の誘惑を都合のいい方に考えるものだから――。

目的と一致しているから――。

 

「一隻出せば上等。そう言われている。だが慎二、てめぇは違うんだろ?」

 

「あぁ」

 

島が近づくにつれ、俺の心に秘めていた思いが、熱くなって行くのを感じた。

 

「あの島の艦娘を全員、島の外に出す。『娶り』でなく、彼女たちが自ら、島を出たいと思えるようにしてみせる」

 

俺の決意に、重さんは複雑な表情を見せた。

それは、俺の決意が無謀なものであると思ったからではない。

俺の事情を知っていたからであった。

 

「慎二……気負うなよ……」

 

「フッ、そんなんじゃないさ。俺がそうしたいと思っただけだ。ソレは関係ない」

 

「だと良いがな」

 

そこから島に到着するまで、重さんは何も話さなかった。

 

 

 

島に到着し、荷物を降ろす。

 

「寮は、あの道をまっすぐ進んだあの建物だ。その隣の家が、てめぇの家だ」

 

「いい家だ」

 

「荷物はそこのリアカーを使え。欲しいもんがあったら、電話で申請してくれ。持ってくるから。島から出られるのは週に一日だけだが、出歩けるのは海軍本部内だけだ。情報漏洩対策の為だと聞いている」

 

「分かったよ」

 

「それと、これ、あいつらに渡しといてくれ。生活支給品と、寄付された衣服などが入っている」

 

重さんは、段ボールを重たそうに抱えると、リアカーに乗せた。

 

「これを向こうまでもっていくのに、毎回大変だったんだ。慎二、てめぇが居て助かったよ」

 

だからあんなに喜んでいたのか……。

 

「寄付か」

 

「時々送ってくるんだ。艦娘を支援したいって奴らが。あいつらも、これを楽しみにしているようだ」

 

艦娘を支援したい、か。

そういう奴らは、たいていが艦娘の『人化』に反対しているような奴らだ。

『人化』は、艦娘の持つ『不老』を取り除き、命を与える。

つまり、死を与えるのと同じだと、あいつらは言う。

殺害と同じだと、あいつらは言うのだ。

そう言った声は大きくないものの、一度「殺害」だなんて使われた日には、海軍や国は非難されてしまう。

だからこそ、上官はメディアの目を気にしていたのだ。

とは言え、艦娘を『人化』せずに人間と生活させることは出来ない。

それはそれで、人間は恐れているのだ。

人であらざるモノを社会に受け入れられない、と。

どうも矛盾している。

 

「さて、そろそろ行くか。慎二、期待してるぜ」

 

「あぁ、ありがとう、重さん」

 

「おう」

 

重さんの船を見送り、俺はリアカーを引いて、寮を目指した。

 

 

 

島について驚いた事は、田畑が広がっていることであった。

艦娘たちは、支給品以外にも、自給自足を目指し生活しているらしい。

『不老』でも、飯を食わないと『活動が停止する』との事であるが、一体どんな原理なのか、俺には分かっていない。

 

「ありゃ、風力発電か。あっちは太陽光発電?」

 

島へは電気が送られているようだが、なるほど、この島のほとんどは人が住めるような平地が少ないと聞く。

故に、こう言った設備がある訳か。

 

「あ……」

 

女の子の声。

振り向くと、金髪の小さな女の子が、驚いた表情で俺を見つめていた。

艦娘だ。

 

「お前は確か……。皐月……だったか」

 

吹雪さんのノートを取り出して確かめようとした時、皐月は逃げるようにして寮の方へと走って行ってしまった。

 

 

 

「ふぅ……やっと着いた。重さんはこんなことを毎回やっていたのか……」

 

寮の正門をくぐると、そこには二隻の艦娘が俺を待ち構えていた。

黒髪にメガネ。

銀髪にツインテール。

どちらも驚いた表情を見せた後、すぐに表情を戻した。

 

「大淀に、鹿島……で、合ってたかな」

 

「よくご存じで」

 

答えたのは大淀だ。

 

「貴方が新しい方ですね」

 

「雨宮慎二だ。よろしく」

 

俺が手を差し伸べても、どちらも反応してくれなかった。

まるで見定めるかのような瞳で、俺を見ているだけだった。

敵意丸出しって感じだ。

 

「歓迎されていないのは知っている。お前たちが何をやって来たのかもな」

 

「手を出して来たのはそちらです。私たちはそれを通報したまでですよ」

 

「何の話だ? 俺はそんな話はしていないのだがな。それとも、そのことについて、何か後ろめたい事でもあるのか?」

 

そう返してやると、鹿島はムッとした表情を見せた。

 

「雨宮さん、喧嘩をしにこの島へ来たのなら、お引き取り願いたいものですが?」

 

表情を歪める鹿島と違い、大淀は表情を変えず、強気だ。

 

「お引き取り願うのはそちらの方だぜ。我が物顔で使っているこの島は、国のものだ。お前たちのものじゃない」

 

「だったら追い返してはどうでしょう? 尤も、それが出来ないから貴方がここにいるのでしょうが」

 

「その通りだ。だから俺がここにいる。むしろ、俺が居て助かったのはお前たちの方だ。海外では艦娘を強制的に『人化』し、『人化』に抵抗する艦娘は『解体』するとしている。この国も同じ選択をする準備はあるんだぜ」

 

「そんな脅しが通用するとでも?」

 

「脅しかどうか確かめてみろよ。ここ数年、この島に海軍の人間が来なかったのは、なんの為だと思う? その計画の準備をしていたからだ。だが、内部には、その計画に反対する人間もいてな。そこで俺だ。俺がその最後の砦だ。俺で駄目なら、国は計画を遂行する。そういう約束になった。ちなみに計画を具体的に説明すると、お前たちの所有権を海外へ移転させ、強制的に『人化』もしくは『解体』させることになっている」

 

「そんなこと……」

 

俺は大淀の目をじっと見つめた。

大淀の視線が、俺から離れる。

俺の言っていることを信じた証拠であった。

 

「安心しろ。俺はお前たちがこの島を出さえすれば、どっちに転んだっていいと思っている。だから、この件で脅しはしない。お前たちは俺を追い出してもいいし、無視したって良い。どちらにせよ、俺はお前たちを島から出す事に全力を尽くすつもりだ。正々堂々とな」

 

ふと、寮の方から視線を感じた。

見てみると、寮の中で、艦娘たちが俺たちのやり取りを覗き込んでいた。

俺はそいつらに聞こえる様に、大声で言ってやった。

 

「雨宮慎二だ! お前たちの司令官? 提督? になる男だ。よろしくな!」

 

笑顔を見せてやると、皆は逃げるようにして、部屋のカーテンを閉めてしまった。

 

「それで、どちらが案内を?」

 

 

 

案内は大淀がしてくれることになった。

 

「寮は基本、艦娘が使う場所です。立ち入りはご遠慮ください」

 

「あぁ、分かった」

 

「では、島の案内をいたします」

 

あんなことがあったのに、大淀は平生と島を案内してくれた。

「仕事」となると、個人的な感情を挟まない様に考えているのだろうか。

もしくは、怒り過ぎて、心を殺しているのか……。

 

「以上です。貴方の家は、あの奥に見えるものがそうです。中に家電などのマニュアルがあるそうなので、それを読んでください。食事はご自分でお作り下さい。材料は備蓄庫に野菜などがありますので、そちらをどうぞ」

 

「ありがとう」

 

「では、私はこれで……」

 

「待て、大淀。俺になにか出来ることはないか?」

 

そう言うと、大淀は仕事モードを抜けたためか、或いは怒りが爆発したのか、俺を睨み付けて、言った。

 

「ありません。私たちは、今までそうして生きてきましたから。貴方ごときに助けられるほど、柔じゃありません」

 

その瞳に、虚栄はなかった。

 

「そうか。じゃあ、寮の奴らに伝えてくれないか? 俺の家はいつでも出入り自由だってな」

 

「はい?」

 

「荒らすもよし、遊びに来るもよしだ。あの家には入ったことが無いのだろう? お前のさっきの台詞『中にマニュアルがあるそうなので』ってのは、あの家の中に何があるのか知らないが故に出たものだ。違うか?」

 

大淀は不服そうに「許可されていませんので……」と返した。

 

「あの家に興味がある奴も、少なからずいると思うんだ。許可は俺が出すから、ぜひ来てくれと伝えてくれ。とにかく、交流がしたいんだ。こっちは寮に行けないからな。待ってると伝えてくれ」

 

大淀は分からないというような表情を見せた後、やはり嫌そうな顔を見せた。

 

「これはお前に与えられた『仕事』だ。お前は仕事となれば、どんなに個人的な事情があれど、しっかりやり遂げる奴だと俺は見ている。違うか?」

 

大淀は答えなかった。

 

「とにかく、頼んだぜ」

 

冷たい視線を送る大淀を後に、俺は家へと向かった。

 

 

 

その日の夜。

飯を食おうと備蓄庫に行ってみると、そこには何もなかった。

ふと寮の方を見てみると、大量の食材が積まれているリアカーがあり、その前に大淀が立っていた。

門を指す大淀。

その先には「艦娘以外立ち入り禁止」の張り紙。

大淀がほくそ笑む。

 

「にゃろぉ……。やりやがったな……」

 

結局その日は、持ってきていたカップ麺で腹を満たした。

とは言え、この調子だと、二日ほどで食材が尽きてしまう。

なるほど、飯を食えない状況は考えていなかった。

 

 

 

翌朝。

あてがわれた家は物凄く快適であった。

とても広いし、設備も充実している。

……飯が無いこと以外は。

 

「ん……」

 

庭に出てみると、なんとも綺麗な朝日が出迎えてくれた。

真正面に望める海は、キラキラと光っていて、俺の眠気を一気に飛ばしてくれた。

 

「さて……どうしたもんかな……」

 

重さんに連絡して、食材を持ってきてもらってもいいが、あれだけ大口を叩いてしまった以上、昨日の今日でってのはな……。

畑からくすねることも考えたが、人としてどうなんだって感じだし……。

 

「仕方ない。サバイバルだ」

 

倉庫に眠っていた釣竿を持って、家を飛び出した。

 

 

 

海へと向かう途中、寮を覗いてみると、数隻の艦娘達が体操をしていた。

 

「よう、おはよう。早起きだな」

 

そう声をかけてやると、皆一斉に寮の方へと逃げて行ってしまった。

残って俺を睨み付けたのは、鹿島であった。

 

「なんですか……?」

 

「何って、あいさつだ。おはようって」

 

「皆が怖がっています……。早くどこかへ行ってください……」

 

「何もとって食おうって訳じゃないんだ。怖がる必要はない」

 

そう言って視線を寮に向けると、鹿島は隠す様に目の前に立ちふさがった。

 

「貴方たち人間は死神です……。死を与える存在……。恐れるのも分かるでしょう……?」

 

「なるほど、死神か。上手いこと言うな。死神は生死を司る神だ。命を与え、死を与える俺たちは、確かに死神かもな」

 

へらへらと笑う俺が気に食わないのか、鹿島の表情は、徐々に怒りに満ちて行った。

 

「分かったらさっさと立ち去ってください……」

 

「皆へ声をかける事くらい、させて欲しいものだが」

 

「駄目です……」

 

「どうしてもか?」

 

鹿島は答えない。

代わりに、鋭い瞳が、俺を睨み付けていた。

 

「……分かったよ」

 

そう言って立ち去ろうとすると、鹿島は肩の力を抜いて、安心した様子を見せた。

 

「なんてな。おーい! お前たち!」

 

「な……!」

 

俺の声かけに、寮の中から、何事かと顔を出す艦娘が数隻いた。

 

「大淀から聞いたと思うが、いつでも俺の家に遊びにきてくれていいんだぜ! あの家の中に入ったことないだろう? 興味ある奴もいると思うんだ! だから――っ!?」

 

話の途中で、俺は鹿島によって突き飛ばされた。

押した力は強くないものの、咄嗟の事にバランスを崩し、持っていた釣竿を下敷きに、俺は地面に倒れ込んだ。

腕に痛みが走る。

見てみると、釣り針か何かで引っ掻いたのか、軽く出血をしていた。

 

「いてて……」

 

「あ……」

 

怪我を見た鹿島の顔が、一気に青ざめる。

 

「ご、ごめんなさい……。私……怪我させるつもりは――」

「――何事ですか!」

 

怒鳴りこんで来たのは、大淀であった。

 

「こんな朝早くから何を騒いでいるのですか!? って、やっぱり貴方ですか……。一体何の用で……」

 

大淀は俺の腕の怪我を見ると、鹿島と同じように青ざめた。

 

「血が……」

 

その表情は、まるで大けがでも目撃したかのようなものであった。

 

「大淀。ちょうど良かった。お前、皆にちゃんと言ってくれたか? 俺の家に来ていいって事」

 

そう問いかけても、大淀は返事をしなかった。

というよりも、俺の声が聞こえていないようであった。

 

「大淀?」

 

俺の怪我を見つめたまま、動かない大淀。

青ざめていた顔は、さらに深刻なものになって行き、唇が小さく震え始めた。

 

「お、おい……どうした? 大丈夫か?」

 

「大淀さん……?」

 

「はっ……はっ……」

 

呼吸が荒くなって行き、冷や汗をかき始めた。

震える体、瞳孔の動き……。

この症状は……。

 

「もしかして、PTSDか……!?」

 

俺は怪我した腕を見た。

おそらく、トリガーは血。

なにか「血」に関係する強いトラウマがあるのだろう。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

「大淀さん!」

 

「大淀、落ち着け。大丈夫だ。いいか、俺の声に合わせて深呼吸をするんだ。大きく息を吸って……。1,2,3……」

 

大淀は俺の合図に従い、息を吸った。

 

「ゆっくり吐いて……1,2……もっとゆっくりだ……」

 

「は……はっ……はっ……」

 

「よし、もう一度だ。大きく吸って……1,2,3……」

 

繰り返してゆく内に、大淀の呼吸は、徐々に深くなっていった。

背中をさすって、声をかけてやる。

 

「大丈夫、大丈夫だ……。大したことじゃない……。ほら、海を見ろ。遠くに客船が見えるか? あれは海外から来ている客船でな――」

 

大淀が落ち着くまで、俺は語り掛け続けた。

 

「気分はどうだ?」

 

「……はい。もう大丈夫です……」

 

「そうか。悪かったな……。鹿島、大淀を寮へ連れて行ってやってくれ。汗を拭いてやって、水分補給させるんだ。あまり一人にさせず、どんな話題でもいいから、語り掛けてやってくれ」

 

「は、はい。大淀さん……」

 

鹿島は大淀を連れ、寮へと戻っていった。

艦娘達が心配そうに、それに寄り添う。

 

「…………」

 

 

 

傷の手当てをするために家へ戻る。

救急箱を探していると、大きな風呂敷包みを持った一隻の艦娘が俺を訪ねて来た。

 

「お前は……」

 

「鳳翔と申します。傷の手当てに参りました」

 

 

 

縁側に座り、鳳翔の手当てを受けた。

大した怪我ではなかったが、包帯を巻くなど、少し大げさに手当てをしてくれた。

 

「悪いな。手当てをしてもらったうえ、握り飯まで頂いてしまって……」

 

「いえ。食材を隠されてしまったようでしたので、お腹が空いているかと思いまして。釣り竿を持っていたのも、その為かなと」

 

吹雪さんのノートに書いてあった通り、鳳翔は、どんな些細な事にも気を遣える艦娘のようだ。

 

「しかし、良かったのか? 大淀に何を言われるのか、分からねぇぜ」

 

「私は人間も艦娘も差別はしません。どちらかが困っていれば、平等に助けたいと思っています。大淀さん達も、私の性格をよく分かってくれていますから、何も言いません」

 

今の発言が正しければ、鳳翔はこの島で、かなりの信頼を置かれている存在なのだろう。

そうでなければ、人間に傾いた時点で、鳳翔は孤立してしまう。

もしくは――。

 

「『ハニートラップ』じゃないか。そう思ってはいませんか?」

 

何もかも見透かした瞳が、俺を見つめていた。

だが、悪意はなく、イヤな感じは一切なかった。

 

「もしそうだとしても、私に貴方を落とすことは出来ないでしょう。女としても魅力もそうですが、大淀さん達に臆さないその性格は、とても強い信念がある証拠ですから、今までほど簡単にはいかないでしょうね」

 

褒められているのか、それとも警戒されているのか分からず、俺はどう返すことも出来なかった。

 

「それにしても、先ほどの対応を見ていましたが、とってもスムーズでしたね。医療関係のお仕事をされていたとか?」

 

「いや、この島に来る前、少しだけああいった症状の事について調べていただけだ。対応があっているのか自信は無かったが、何となってよかった」

 

「調べていたということは、そう言った症状が発症する可能性を見越していたという事ですか?」

 

「無くはないだろうとは思っていた。死を恐れる艦娘の中には、きっと何かショックなことがあって、死を恐れている可能性もあるだろうな、と。俺がその扉を開けてしまう可能性も……。実際、そうなってしまった。大淀には悪い事をした……」

 

俯く俺に、鳳翔はそっと、背中をさすって慰めてくれた。

 

「大淀がああなってしまったことは、過去にもあるのか?」

 

「えぇ、何度か……。血を見ると、動悸が起こるようで……。きっと、あの事がトラウマになっているのだと思います」

 

「あの事?」

 

「はい……。もうどれくらい経ったのか……。とにかく、昔の話です……」

 

鳳翔は目を瞑ると、一つ一つを思い出すかのようにして、語り始めた。

 

 

 

 

 

 

もうずっと昔の事です。

この島に、一人の男が出向してきました。

 

「佐久間肇(はじめ)だ。よろしく」

 

その頃はまだ、今のように人間を敵視している艦娘は少なかったので、歓迎されていたのを覚えています。

島を出る為の準備をしている艦娘もいれば、運命の人がやって来るのを待ち望んでいる艦娘もいたくらいです。

 

「大淀です。貴方の身の回りの事は、私にお任せください」

 

「大淀か。よろしくな」

 

「よろしくお願いいたします。提督」

 

二人が固い握手をしていた光景は、今でも時々思い出されるくらい、印象に残っています。

 

 

 

佐久間さんは艦娘からよく好かれる存在でした。

あの頃は、まだこの家はありませんでしたから、佐久間さんも同じように寮に住んでいました。

彼の部屋にはいつも、艦娘が絶えず訪れていて、誰もいない状況の方が珍しいくらいでした。

 

 

 

艦娘からの人気も然ることながら、彼は自分の仕事をきっちりこなしていました。

この島の艦娘がここまで少なくなったのは、佐久間さんが説得し、世に送り込んだからなのです。

数が減って行くことは寂しい事でしたが、誰も佐久間さんを恨んだりしなかったのは、島を出て行く艦娘達の表情が、残された私達にも希望を持たせるほどに――魅力的なほどに、輝いていたからでしょう。

そんな彼の事を、大淀さんは尊敬していました。

彼がそうするように、彼女も艦娘の『人化』を進めるため、色々と努力していたくらいです。

大淀さんは気が付いていなかったようですが、彼に対する尊敬は、やがて恋心に変わっていたように思います。

 

 

 

佐久間さんが出向してきてから10年経ったある日の事です。

家が完成し、佐久間さんは寮から出て行くことになりました。

 

「新築なのに、なんだか古臭い家に仕上がったな」

 

「趣があっていいじゃないですか。それに、落ち着けそうでいい感じ。あの子たちもいませんし。私のような口うるさい艦娘もいませんよ」

 

「フッ、逆に落ち着けなさそうだ」

 

それが、佐久間さんの最期の言葉になろうとは、誰も思っていませんでした。

 

 

 

その日の夜、大きな嵐が島を襲いました。

木々はなぎ倒され、高い波が堤防に打ち寄せていました。

 

「皆、食堂に集まってください! 窓からは離れる様に!」

 

皆怖がっていました。

こんな時、佐久間さんがいてくれたらと誰もが思いました。

けれど、彼は家に居て、身動きは取れないでしょうから、私たちはじっと、嵐が過ぎるのを待ちました。

 

 

 

その翌日。

私達は無事、嵐を乗り切りました。

空は嘘みたいに澄み切っていて、雲一つありませんでした。

 

「提督の様子を見てきます」

 

そう言って飛び出していったのは、大淀さんでした。

 

「大淀さん、提督の事、好き過ぎでしょ」

 

「次に島を出るのは、大淀さんだったりして」

 

そんな話をしていると、遠くで、大淀さんの悲鳴が聞こえてきました。

向かってみると、倒れた木の下で、大淀さんが座り込んでいました。

 

「大淀さん?」

 

そこにあった光景は――。

 

 

 

 

 

 

思い出したくない光景だったのか、鳳翔はハッと目を開けて、祈るように手を胸に当てた。

 

「そこに、彼を語れるものは、一切ありませんでした……。それほどに、損傷が激しくて……。おそらく、私たちを心配して、寮に向かう途中だったのではないかと……」

 

「それで大淀は……」

 

「えぇ……。誰よりも彼を尊敬していた彼女には、とても辛い光景だったのでしょう……」

 

鳳翔自身にもそうだったのだろう。

祈る手は、小さく震えていた。

 

「その事件は、私達艦娘に大きな影響を与えました。死と言うものがどれほど恐ろしいものなのか、どれだけ残酷な事なのかを知りました……。島に来る人間を恐れ始めたのは、その頃からです……。最初はただ恐ろしいだけでした。けれど、やがてその気持ちを人間にぶつけるようになり……今に至るのです……」

 

そこまで言うと、鳳翔は祈る手を降ろし、大きく息を吐いた。

 

「大淀さんがムキになっているのは、きっと佐久間さんの事があったからなんだと思います。人間との関わりを持つことを恐れているのです。佐久間さんを失った時のような絶望を彼女は恐れているのです……」

 

俺は、何も言えなかった。

まさか『そこまで深刻だったとは、思っていなかった』からだ。

『予想を超えていた』からだ。

 

「こんな話をしたのは、貴方が初めてです。どうして私がこの話をしたのか、分かりますか?」

 

鳳翔は唐突に、そう言った。

 

「いや……」

 

「では、こう言ったら分かりますか……?」

 

それは、あまりにも唐突な事であったが、理解するには十分な言葉であった。

 

「貴方は、佐久間さんの息子ではありませんか……?」

 

 

 

潮風が、鳳翔の前髪を揺らす。

その額には、うっすらと汗がにじんでいた。

 

「昨日、貴方がご挨拶に来た時から、気になっていました。佐久間さんにあまりにも似ていると……」

 

俺は何も答えなかった。

鳳翔は続ける。

 

「きっと、寮の皆もそう思った事でしょう。驚いた表情を見せていましたから……」

 

俺はふと、大淀と鹿島が驚いていたことを思い出した。

 

「一番驚いたのは大淀さんでしょう。しかし、そんな訳ないと、すぐに見抜いていた様子でした。彼は亡くなっていますし、息子や、年の離れた兄弟がいることも聞いたことがありません……。彼が出向してきてからの10年間、ただの一度だって島を出たことも、誰かと連絡を取ったこともありませんでしたから、家族はいないはずです……。ただ……貴方を佐久間さんの息子だと思うのに、心当たりが一つだけあるのです……」

 

鳳翔は思い出すかのようにして、空を見上げた。

 

「あれは、皆が寝静まった夜の事でした……」

 

 

 

 

 

 

その日、珍しく寝付けなかった私は、何と無しに海辺を歩くことにしたのです。

大きな月が出ていて、とても静かな夜でした。

しばらく歩いていると、流木に腰掛ける佐久間さんを見つけました。

こんな時間に何をしているのだろうと思い、私は、気づかれぬようそっと近づいて、様子を見てみることにしたのです。

佐久間さんは一枚の写真を見ていました。

もうちょっと近づいて、その写真を覗いてみると、そこには、佐久間さんと女性、そして、佐久間さんそっくりの小さな男の子が写っていました。

 

「え……?」

 

思わず声を上げてしまいました。

写真に写っているのは、まぎれもない『家族』であったからです。

 

「うぉ!? ビックリした……。って、鳳翔? こんな所で何をしているんだ?」

 

「あ、すみません……。寝付けなくて……少し夜風に……」

 

「そ、そうか……」

 

「……あの、その写真」

 

「あぁ……これはその……。幼馴染と、その子供だ……。懐かしくなってな……」

 

嘘でした。

佐久間さんは嘘をつくとき、あごを触る癖があるのです。

その時も、あごを頻りに触っていました。

 

「悪いが、あまり詮索しないでくれ……。頼む……」

 

佐久間さんが頭を下げるものですから、それ以上聞くことなんて、私には出来ませんでした。

 

「わ、分かりましたから、頭をあげてください……」

 

「悪いな……。出来れば今宵の事は、忘れて欲しい……」

 

そう言った時の佐久間さんの顔は、今でも忘れることは出来ません。

あんな表情を見たのは、後にも先にも、あの時だけでした――。

 

 

 

 

 

 

「ご存知の通り、この島へ出向する条件の中に、『独身』であることが含まれています。『娶り』の為というのもそうですが、本当は、扶養家族を生まないために定められたものでした。島へ出向してしまうと、その行動は、海軍本部と、この島のみに制限され、面会できる人間も限られてしまいます。情報漏洩対策の為です。仮に家族がいたとしても、面会することは出来ません。それほどに、私達艦娘は、徹底して守られています。当然です。私たち艦娘は『兵器』なのですから……」

 

鳳翔は一呼吸置くと、続けた。

 

「そんな状況で海軍が、残された家族を支援しているなどと知られたら、そこから情報が漏れる可能性があります。だからこそ、条件に『独身』が含まれているのです。おそらく佐久間さんは、その為に家族と別れ、出向してきたのではないかと思います。嘘をついたのも、家族を守る為ではないかと……」

 

その時、遠くの客船が警笛を鳴らした。

まるで、話の区切りでも作るかのようにして――。

 

「もし、佐久間さんに家族が居て、貴方がその息子であるのなら、貴方と佐久間さんの苗字が違うことも納得できますし、経過年数からして、写真に写っていた男の子が貴方である可能性も十分ありえます」

 

「…………」

 

「貴方が島へ来た理由は何ですか? 国の為ですか? 人間の為ですか? それとも、自分の為ですか?」

 

「鳳翔……もうよしてくれ……」

 

「貴方は知りたいのではないですか? 何故父親が、自分たちを捨ててまで、この島へ来たのか……その理由を……」

 

「鳳翔……」

 

「それとも、父親の為ですか? 父親が、艦娘に死の恐怖を与えてしまったから――この島へと縛り付けてしまったから、貴方は息子として――」

「――鳳翔!」

 

再び警笛が鳴る。

それと同時に、冷たい潮風が、俺たち二人の体を強く叩いた。

 

「鳳翔……。頼むから……もうよしてくれ……」

 

それが何を意味しているのか――俺の表情が何を物語っているのか、鳳翔には理解できたようであった。

 

「……ごめんなさい。私……つい……」

 

永い沈黙が続く。

 

「……俺はお前たちに『生きる』って事を知ってもらいたいと思っている。その為に、俺はここにいる。それ以上でもそれ以下でもない……」

 

それはまるで、自分に言い聞かせるような、そんな言葉であった。

鳳翔も同じことを思ったのだろう。

何も言わず、ただ俯いていた、

 

「交流をしたいとは言った……。だが、変な詮索はしてくれるな……。俺は俺だ……。他の誰でもない俺なんだ……」

 

ふと、鳳翔に目をやる。

瞬間、俺はギョッとした。

 

「お、おいおい……どうして泣いてるんだよ?」

 

「ごめんなさい……。私……貴方を傷つけて……。余計な事を……うぅぅ……」

 

ぽろぽろと涙を流す鳳翔。

俺を傷つけた?

いや、だからって泣く奴が……。

 

「あ……」

 

ふと、吹雪さんのノートに書かれていたことを思い出した。

鳳翔は『優しすぎる』のだ。

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

「い、いやいや! 俺は大丈夫だから……! 別に傷ついても無いし……。ただ……うぅん……。とにかく、大丈夫だから! 泣き止んでくれよ、な!? あぁ、クソ……。うぅ~……どうしたら……」

 

そこから数十分間、何とか鳳翔を泣き止まそうと、俺は苦戦を強いられることとなったのだった。

 

 

 

結局、最終的に鳳翔を泣き止ませたのは、俺の持ってきたチョコレートであった。

 

「……美味いか?」

 

鳳翔は小さく頷いた。

号泣からメソメソに変わった時、あと一押しだと思い、とりあえず何か食わせて黙らそうと、チョコレートを渡した。

すると、鳳翔はピタッと泣き止み、大切に味わうようにして、チョコレートを頬張って見せたのだった。

 

「しかし、チョコレートで泣き止むなんて、子供かお前は」

 

そう言ってやると、鳳翔は顔を真っ赤にした。

 

「そんなにそれが好きなのか?」

 

小さく頷く鳳翔。

 

「頂けることが……ほとんどありませんので……」

 

「支給品や寄付の中に入っていそうなものだがな」

 

「入っていることはあるのですが、この島には駆逐艦が多いので、その……」

 

「そいつらに譲っているって訳か。本当は欲しいのだけれど」

 

鳳翔は、やはり恥ずかしそうに頷いた。

そんな姿を見て、俺はふと、なんとも人間らしい奴だなと思った。

それと同時に、人間と艦娘いうものは、歳を取らないということを除けば、見分けがつかないものだなとも思った。

 

「あの……本当にごめんなさい……。私……」

 

「いや、俺の方こそ悪かった。泣かすつもりはなかったんだ。ただ、ちょっと思うところがあってな……」

 

その理由を鳳翔は聞かなかった。

それが俺たちの為になるのだと、理解してくれたからなのだと思う。

 

「……チョコレート、ご馳走様でした。そろそろ戻らないと、皆が心配しますので……」

 

「そうか。手当て、ありがとうな。握り飯も美味かったよ」

 

「それは良かったです。では……私はこれで……」

 

「鳳翔」

 

「はい?」

 

「……またな」

 

それは、そのままの意味であったが、こういう局面で言うには、少しだけ勇気のいる言葉だったと思う。

鳳翔は少し驚いた表情を見せた後、微笑んで、返事をしてくれた。

 

「はい、また」

 

 

 

鳳翔が帰った後、俺はその足で海へと向かった。

朝飯は何とかなったものの、食料問題が解決したわけではない。

チョコレートも無くなってしまったしな……。

 

「釣りなんて、子供の頃にやったっきりだ」

 

餌は、畑に捨てられていた野菜のクズを使った。

クズであれば窃盗にはならんだろう。

 

「よし、とりあえず一匹は釣って帰らんとな」

 

俺は魚影のある場所へと向かって、釣り糸を放った。

 

 

 

釣りを始めて、もうどれくらいたったのだろう。

気が付けば、空は夕焼けに染まっていた。

 

「……帰るか」

 

どうやら俺の釣りスキルよりも、魚の方が一枚上手のようであった。

 

 

 

帰る途中、寮を覗いた。

食堂と思わしき場所からは、もくもくと湯気が立っていて、なんとも美味そうな匂いが辺りに立ち込めていた。

 

「クソ……。今に見てろってんだ……」

 

そんな事をぶつぶつ呟きながら、家への一本道に差し掛かった時だった。

 

「あ……!」

 

「ん?」

 

顔を上げると、そこには鹿島が立っていた。

 

「鹿島? どうした、こんなところで……」

 

鹿島は俺から目を逸らすと、問いかけにも応じず、そそくさと寮の方へと帰っていった。

 

「お、おい! なんだあいつ……」

 

 

 

家について、玄関の扉を開けようとした時、ふと、隅の方に何か置いてあるのに気が付いた。

 

「なんだこりゃ」

 

風呂敷に何かが包まれている。

開けてみると、そこには野菜やら、申し訳程度の米やらが入っていた。

 

「これは……」

 

俺は、先ほどの一本道に目をやった。

 

「あいつ……」

 

 

 

飯を食った後、俺は今一度、吹雪さんのノートに目を通した。

 

「鹿島……。練習巡洋艦で、面倒見のいい先生的な存在……か」

 

その他にも色々と書かれていることから想像するに、本来は心優しい奴なのだろうと思った。

食材を渡しに来たのだって、おそらく、怪我をさせてしまったことへの詫びのつもりなのだろう。

本来、俺は敵であるから、そんな必要なんかないのだが、あいつの良心がそうさせなかったのだろう。

 

「…………」

 

鳳翔も言っていたが、この島の艦娘たちは、ただ死が怖いだけなのかもしれない。

人間を敵視しているのは、死への恐怖を紛らわすため――恐怖への抵抗――。

 

「そんなの、まるで――」

 

人間そのものだ。

人間が繰り返してきた――今も持ち続けているものと、何も変わらない。

人間と艦娘。

違いは多くあれど、全く別の存在だとは言い切れない自分がいる。

艦娘の『人化』か……。

俺たちは、何をもって『人』なのだろうか……。

 

「……って、そんなことはどうでもいいんだ」

 

そうだ。

『人化』となっている以上、人と艦娘を隔てるものは決まっている。

俺の仕事は、その隔たりを無くすこと。

そして、あいつらが『背負わされた』『呪い』を解くことだ。

 

「とはいったものの……。一体どこから攻めればいいのやら……」

 

とりあえず、食材もある程度確保できたことだし、明日は観察に徹することにするか……。

 

 

 

翌朝。

寮の方では、昨日と同じように、体操をする艦娘がいた。

こっそり観察をする為、木造の塀に出来た隙間を覗く。

 

「えーっと……。鹿島に、あのデカいのは大和と武蔵か……。駆逐艦は……固まっているところを見ると、第六駆逐隊ってやつか……。他の奴らは――」

 

しかしなんだ、何だかいけない事をしているようで気が引ける。

いや、必要な事ではあるのだが、どうも意識していけないな……。

 

 

 

朝食を済ませた艦娘達は、庭に出て来て、それぞれの時間を過ごし始めた。

駆逐艦たちは、庭でかけっこをしたり、そこら辺に落ちている石で、よく分からん遊びをしていた。

 

「遊具はないのか」

 

しかし、不思議なもんだ。

あんなに小さな子供が、俺よりも遥かに年上だもんな。

少なくとも、70年以上は――。

それにしたって、どう見ても子供だし、振る舞いだって、あきらかに子供のそれだ。

見た目は子供でも、性格はもっと達観してそうなものだが……。

 

「何をしているのですか……?」

 

その声に、まるで悪事を暴かれたが如く、俺は飛び上がった。

 

「お、大淀……。びっくりしたぜ……」

 

「覗きですか……。悪趣味ですね……」

 

そう言うと、大淀は軽蔑するような瞳を見せた。

 

「まるで悪い事のように言うな。俺はただ、皆がどんな風に過ごしているのか観察しているだけだ」

 

「それでも覗きであることに変わりはありません……。気味が悪いのでやめて欲しいのですけれど……」

 

「仕方がないだろう。堂々と観察しては、皆が怖がってしまうし、お前もパニックになってしまうしな」

 

そう言ってやると、大淀は顔を赤くして悔しがった。

 

「あ、あれは貴方が……!」

 

「あぁ、俺が悪かった。すまなかったな……」

 

思っていた反応と違ったのか、大淀は肩透かしを食らったような顔をした。

 

「まあ、聞くまでも無いだろうが、気分はどうだ?」

 

「……貴方に心配されなくても、この通りです」

 

「そうか。そりゃよかった」

 

再び隙間を覗く。

 

「しかし、あいつらは元気だな。歳でいったら、もう老人だろうに」

 

俺は、まともな答えを期待せず、そういった。

悪態でもなんでもいいから、少しでも大淀との時間を取ろうと考えたのだ。

すると、俺の期待以上に、大淀は真面目に答えてくれた。

 

「……私達艦娘は、歳をとりませんから。それは言い換えると、成長が無いという事なんです……」

 

「成長が無い?」

 

「駆逐艦が良い例です。彼女たちは、人間で言えば、かなりの老人です。しかし、見ていて分かったと思いますが、その性格はあまりにも幼い。つまり、子供のままなのです。子供の心からの成長が無いのです」

 

「そりゃ、また奇妙な話だな。心の成長ってのは、学びによって得られるものだと思っていたものだが」

 

「心とは、本能を制御した時に、初めて成長したと言えます。その本能を制御するのに必要なのは、体の成長――つまり老いです。専門家でないので、その辺りの詳しい説明は出来ませんが……。とにかく、実例として、駆逐艦たちは本能を制御できておらず、未熟で、成長が止まったままなのです」

 

「成長しない……か……。とは言え、あぁして体を動かしたりするのは、成長しようとしている証だ。成長しないのではなく、成長しようとはするが、艦娘たらしめる『何か』がそれを邪魔しているのだろうな」

 

「えぇ、そうです。それに、艦娘は――」

 

それから大淀は、いろんな話をしてくれた。

その話は、俺の知らない事もたくさんあって、中々に貴重な情報であった。

メモを取れない今、それらすべてを頭に叩き込むべく、大淀の話に集中しなければいけない。

集中しなければいけないのだが、俺の関心は、別の方へとシフトしていた。

 

「ですから――なのです。そもそも、あの子たちがこの島を出ないのは――」

 

というのも、大淀は、敵である俺に対して有利……と言ったら変かもしれないが、とにかく、島を出たくない艦娘にとっては不利益で、出さんとする俺にとっては利益になるような情報を提供し始めたのだ。

その矛盾というか、何故大淀がそんな話をし始めたのか分からず、頭がいっぱいいっぱいであったのだ。

 

「もし彼女達を島から出すとすれば、それはきっと……あ……」

 

急に黙り込む大淀。

……なるほど。

大淀は、そんな話をしてしまっているという意識はなかったようであった。

無意識のうちに、話してしまったようであった。

 

「今のは……その……」

 

何故そうしてしまったのか、大淀自身も分からないようであった。

だが、俺には少しだけ心当たりがあった。

 

「佐久間肇……」

 

「え……」

 

「大淀、お前、昔は人間に協力的だったんだってな」

 

「何故……その名前を……」

 

「鳳翔から聞いたんだ。まあ尤も、佐久間肇なんてのは、海軍でも『戦犯』として有名だからな……。知ってはいたんだ……。お前がそいつに協力的だったとは、なんとも信じがたい話だが、今の話を聞いて、確信したよ。それは事実なんだと」

 

大淀は何も答えなかった。

俺は続けた。

 

「お前は無意識のうちに、今のような話をしたようだが、本当は心の奥底で、まだ人間に協力しようとする気持ちがあるんじゃないのか?」

 

大淀は答えない。

 

「口では人間を敵対視しているようなことを言っているが、それはあくまでも『自分自身』を守る為であり、艦娘が外に出る事には賛成しているのではないか?」

 

その問いかけに、流石の大淀も否定した。

 

「違います……。私たちは『生きている』のです。それを『殺そう』としている貴方たちに、私たちは抗っているのです。それに賛成するなど……」

 

「だが、一時は協力していた。それは事実だろう」

 

大淀は答えなかった。

いや、答えられなかったのだろう。

 

「それに、お前の中にそう言った意見があるのも事実だ。そうでなければ、あんなことは言えない」

 

「……あくまでも、そういった意見がある可能性を想定したまでです。戦いにおいては、敵の思想を想定することは、必要な事です……」

 

「確かにそうかもな。しかし、それをうっかり戦場で漏らすほど、お前は無能ではないはずだ」

 

「私という存在を買いかぶり過ぎでは……?」

 

「俺からしたら、卑下し過ぎだと思うがな」

 

永い沈黙が続く。

このままでは埒があかない。

そう思い、俺は肩の力を抜いた。

 

「まあいい。どちらにせよ、この島から艦娘を出すのに、お前の協力を無くしては果たせないと俺は踏んでいる。今はまだその時ではないだろうが、いずれは協力してもらうぜ」

 

「その前に、貴方をこの島から追い出します……」

 

「いいのか? そんなことをしたら、強制的に海外へ送られることになるんだぜ」

 

そう言った時、大淀の目がカッと見開いた。

何かひらめいた、というようにして。

 

「嘘ついてます!」

 

「え?」

 

「今、顎を触りました! それは嘘をついたときに出るものです!」

 

そう言われて気が付いた。

確かに、顎を触っている。

そして、言われた通り、俺は嘘をついていた。

 

「おかしいと思ったのです! 海外へ強制送還だなんて……。そんなこと、この国が許すはずありません! そもそも、『兵器』なのだから、簡単に手放すはずがないのです!」

 

ここぞとばかりに畳みかける大淀。

だが、そんな大淀の調子を落とす様に、俺は言った。

 

「皆にそんな癖があるわけじゃない。心当たりがあるのか?」

 

案の定、大淀は黙り込んだ。

今度は俺が畳みかける。

 

「知ってるよ。佐久間肇の癖だろう。嘘をつくとき、顎を触るんだってな」

 

まるで調子に乗って怒られた子供のように、大淀の目から光が消えていった。

 

「……大淀。先ほどからお前、俺の影に佐久間肇を見ているのではないか?」

 

「え……」

 

「今の癖の事もそうだが、無意識にあの話をしてしまったのも、その為じゃないのか?」

 

「そんな事は……」

 

「そう言い切れるのか?」

 

俺は大淀の目をじっと見つめた。

動揺しているのか、瞳が泳いでいた。

ここで畳みかければ――『あの事』を言えば――。

一瞬ではあるが、そう思った。

もっと言うならば、もう喉のすぐそばまで、出かかっていた。

 

「――……」

 

だが、『やはり』言えなかった。

それを言ってしまえば、『認めることになる』のだ。

それだけは、避けたかった。

俺のプライドが許さなかった。

俺は違う。

『俺は俺』であり、『あんな奴』とは違うのだ。

俺は大淀から視線を外し、肩の力を抜いた。

 

「……いずれにせよだ。お前の協力は必要だと思っている。人間の気持ちを想定しているというのなら、俺たちが何をしようとしているのか、お前には理解できているはずだ」

 

「…………」

 

「だが、お前には向き合わなければならないことがたくさんあるようだ。俺はそれを一つ一つ崩すつもりだ。お前たちが俺を島を追い出そうとするのと同じようにな……」

 

「……勝手にしてください」

 

そう言って、大淀はその場を後にした。

大淀が去った後、俺は自分を責めた。

自分の弱さを責めた。

 

「クソ……」

 

 

 

気分が沈むと、腹が減る。

いや、腹が減っているから気分が沈むのか。

とにかく、俺の腹は大きく鳴っていた。

 

「…………」

 

駆逐艦たちは、相変わらず良く分からない遊びをしている。

ルールを理解しようにも、まるでジャズの演奏を聴いているような――二曲目が始めったのか、はたまたまだ一曲目なのか――イマイチ区切りが分からない。

敵・味方のように分かれているかと思いきや、数秒後には仲間のように振る舞っているし、得点(?)が入ると、喜んだり、悔しがったりしている。

 

「もう何が何だか……」

 

腹の虫も、もうお手上げだと、何度も何度も弱音を吐いている。

 

「切り上げるか……」

 

そう言って立ち上がった時であった。

 

「わっ!?」

 

「きゃあ!?」

 

驚愕。

悲鳴。

振り向いてみると、そこには二隻の艦娘が立っていた。

ピンクの髪に、スラっとした体型。

緑がかった銀髪に、小柄なやせ型。

確か……。

 

「明石に夕張……だったか……?」

 

二隻は不安そうに、小さく頷いて見せた。

 

 

 

お昼の時間なのか、駆逐艦たちは寮の中へと戻っていったようであった。

 

「明石に夕張……」

 

確か、吹雪さんのノートによれば、二隻は大変仲が良くて――分析や設計を夕張が、作製や修理を明石が――どちらも、モノづくりが得意だと書いてあったような……。

明石と夕張は、お互いに目を合わせると、何やら頷き、俺に風呂敷包みを渡した。

 

「これ、鳳翔さんからです……。お腹が空いているだろうからって……」

 

開けてみると、何とも美味そうな弁当が入っていた。

 

「鳳翔さん……駆逐艦たちにお昼ごはんを振る舞っているから……。代わりに私たちが届けに来たんです……」

 

どちらも、俺を警戒している様子であった。

だがそれは、大淀や鹿島のものとは違い、恐る恐る手を差し伸べてくるようなものであった。

 

「そうか。それはありがたい。ちょうど腹が減っていたんだ」

 

そう笑って見せると、二隻は安心したかのように、肩の力を抜いた。

 

「しかし、お前たちが勇敢なのか、はたまた鳳翔の信頼が厚いのか……。よく受けたな」

 

試す様に、俺はそう言った。

 

「鳳翔さんの頼みですから……。それに私たちは……別に……ね?」

 

夕張が明石を見る。

同意するようにして、明石は頷いた。

人間を恨んでいるわけじゃない。

そう言いたいのだろう。

――いや、或いは、自分たちは流されはしないという、余裕の表れか。

 

「そうか。とにかくありがとう。お前たちもこれからお昼か? もし良かったら、一緒にどうだ?」

 

二隻は驚いた表情を見せた。

まあ、断られるだろうな。

そう思い、立ち去ろうとした時であった。

 

「あの……」

 

振り向くと、やはり夕張と明石はお互いを見つめた後、互いに頷き、そして俺に言った。

 

「ご一緒しても……宜しいですか……?」

 

その手には、俺が渡されたものと同じ柄の風呂敷包みが握られていた。

 

 

 

外で飯を食うのも乙だと思い、おすすめのスポットを聞くと、二隻は何故か俺の家を指定した。

 

「わぁ……!」

 

門をくぐるなり、夕張は家の外観を観察し始めた。

 

「遠目には見ていたけれど、近くで見ると本当に立派な造りをしてるわ!」

 

そして、何やらノートを取り出すと、スケッチを始めた。

俺が唖然としていると、明石が耳打ちするように言った。

 

「すみません……。実は、どうしても内装が見たいって、夕張が……」

 

それを聞いて、なるほどと思った。

内装を見たい夕張に、鳳翔は、弁当を持たせることによって、きっかけを作ってやったという訳だ。

 

「あ……別にそれが目的だったという訳じゃなく……。その……」

 

「いや、構わないよ。どんな目的であれ、来てくれただけで嬉しいよ」

 

そう言ってやると、明石は何やらもじもじとし始めた。

そして頻りに、倉庫の方を見つめていた。

 

「フッ、なるほど。お前にもちゃんと目的があるという訳か。いいよ。好きなだけ見て来い」

 

「すみません……」

 

明石は小走りで、倉庫の方へと走っていった。

 

 

 

それから一時間近く、二隻は家を探索していた。

夕張は内装や家具の造りを観察し、明石は倉庫の工具などを見ていた。

 

「満足か?」

 

「えぇ! やっぱり凄いわ! 釘やビスを使わない設計なんて、考えもしなかったし、仕上げもすっごく綺麗!」

 

「私も感動です! あの倉庫、あんなに工具があるなんて知りませんでしたよ!」

 

先ほどの警戒心はどこへやら、二人はまるで子供のようにはしゃぎ、飯を食っていた。

 

「しかし、本当に初めてだったんだな。そんなに気になるのなら、一度くらいは頼んでみたりしなかったのか?」

 

「そうしようと思ったこともあるのですが……。出向してくる人間が、怖い人たちばかりで……」

 

「手を出そうとしてきた人もいるしね……」

 

「俺は平気だったのか?」

 

二隻は顔を合わせた。

 

「鳳翔さんが信頼していたというのもあるけれど、なんというか、悪い人じゃないなって感じはしていたのよね」

 

「家に遊びに来い! なんて言われたのも初めてでしたし、今まで出向してきた人とは、ちょっと違うなって……。それに……」

 

喜んでいたのも束の間、その後の明石の発言に、俺は少しだけ複雑な気持ちになった。

 

「提督に……佐久間さんに似ているなって。顔だけじゃなくて、性格も……」

 

 

 

昼飯が終わったのか、再び駆逐艦たちのはしゃぐ声が聞こえて来た。

俺たちも飯を食い終わり、一息ついていた。

 

「モノづくりが得意だと聞いているが、駆逐艦たちの為の遊具など造ってやったりしないのか?」

 

「造りたいのですが、工具を支給してもらえなくて……。なんでも、武器になるだとかで……」

 

「武器……」

 

「私も構想はあるのだけれど、造れないんじゃ意味ないのよね……」

 

そう言うと、夕張はノートを見せてくれた。

確かに、遊具の設計がびっしりと書かれている。

 

「なんとかならないかなって、そこら辺の石や貝殻を加工してみたのですが、やっぱり限界があると言うか、そもそも材料が足りないというか……」

 

それで明石は工具を見たがっていたのか。

というよりも……。

 

「お前、あの倉庫の工具を使いたいんじゃないのか? ただ気になっただけ……って訳でもないだろう?」

 

そう言ってやると、明石は黙り込んでしまった。

 

「違うのか?」

 

「……いえ、違くはないです。ただ……禁止されているので……」

 

「それはあくまでも支給されないって話なだけで、使うこと自体は禁止されていないのだろう?」

 

「持ち出しも禁止なはずですよ……。倉庫の張り紙に書いてありました……」

 

言われてみれば、確かに、工具に関しては、敷地以外の持ち出し禁止だと書いてあったような……。

この家に入れたように、持ち出しの許可をしてやってもいいが、工具だしな……。

万が一にも事故を起こされたら――。

 

「でも、見れただけで満足です。どういう作りかも分かりましたし、似たようなのを作ってみます」

 

そう笑って見せた明石の顔は、どこか――。

 

「……一つ聞きたいのだが」

 

「はい」

 

「お前たちは、どうしてこの島に留まるんだ? やりたいことがあるんだろう? 外に出れば、それは叶うんだぜ」

 

何度も聞かれてきたことなのだろう。

明石は疲れ気味に答えた。

 

「私がこの島を離れてしまっては、皆を『修理』することが出来なくなってしまうのです……」

 

「修理……?」

 

「艦娘は不老ですが、所謂『活動停止』にはなります。『死』ではなく、『活動停止』です。言葉の通り、体の活動が停止し、仮死状態になるのです」

 

「飯を食わないとそうなるのだと聞いている」

 

「それもありますが、人間でいうところの怪我なども、それを引き起こす可能性があるのです。もし仮に、『活動停止』もしくは『活動停止を引き起こす可能性がある損傷』などが見つかった場合、その艦娘は島の外へ連れていかれ、『人化』されてしまうのです。今現在、人類に艦娘を『修理する力』はありません。『活動停止』や『損傷』などから艦娘を復旧するには、『人化』し、人間の治療を施す必要があるのです。では、なぜこの島の艦娘たちは、今まで無事だったのか……。その理由が、私がこの島にいる理由なのです」

 

明石は夕張に目を向けた。

すると、夕張はおもむろに、歯で指を切った。

 

「お、おい……」

 

血が流れる。

そう、血だ。

 

「艦娘の体の構造は、人間とあまり変わりません。しかし、損傷による自然治癒があまりにも遅いのです。人間はおそらく、このくらいの損傷であれば、傷を押さえるだけで、すぐに流血が止まるでしょうが、艦娘はそうではありません」

 

それを証明するように、夕張の指の血は止まらなかった。

 

「血液のようで血液ではないのです。血液のような『凝固反応』が起こりません。つまり、『修理』が必要になります」

 

明石が夕張の傷に手をあてる。

すると、見る見るうちに傷が閉じてゆき、最後は傷跡すら見えなくなっていた。

 

「これが『修理』です。私にしか使えない力です。『活動停止』した艦娘や、『大破』……つまり、大きな損傷は『修理』出来ません……。しかし、この島にいる限りは、そんなことは滅多にあるものではないので、私の『修理』で十分なのです」

 

「お前が居なければ、たとえ小さな傷でも、『活動停止』になる可能性がある訳か……」

 

「そうです。『人化』を恐れている彼女達を放っておくことは……私には出来ません……」

 

そう言うと、明石は俯いた。

その背中を夕張が慰めるように摩る。

 

「…………」

 

明石の不思議な力には驚いたし、艦娘にそんな秘密があるなんて――だが、それ以上に俺の心を支配していたのは、ある一つの疑問であった。

『明石はこの島から出たいのだろうか?』

もし仮に、明石にこの力が無かったら――艦娘達を守らなきゃいけないという『縛り』が無かったら、彼女は――。

 

「明石、お前――」

 

――いや、それを聞くのは酷だろう。

もしそうだとして、明石は島から出ることは出来ないのだ。

 

「……いや、なんでもない。夕張、お前はどうなんだ? 何故この島に留まる?」

 

「私? 私は……何となく、かな……」

 

「何となく……」

 

「うん……。何となく……」

 

そう言うと、夕張は視線を外した。

嘘を言っている時の仕草だ。

 

「……なるほど。お前たちがこの島にいる理由はよく分かった。話してくれてありがとう」

 

「いえ……」

 

「そうか……島を出られないんじゃしょうがない……。なら、この島でお前たちにモノづくりさせてやらないとな」

 

「え? でも……工具が使えないんじゃ……」

 

「艦娘が工具を使ってはいけないなんて書いて無いし、持ち出し禁止なのであれば、俺の家で使えばいいだろう。幸い、広い庭もあるし、作業をするには持って来いだ」

 

「そ、そんなことしていいの……?」

 

「あぁ、問題ない。俺が許可する」

 

「けど……工具を武器にするかもしれないのよ……? 私たちを信用するっていうの……? まだ、出会っても間もない私たちを……」

 

「あぁ、信用している。お前たちが俺を信用してくれているからだ」

 

「え?」

 

「そうでなければ、ここには来ないだろうし、今のような話をしてはくれないだろう。少なくとも、俺はそう受け止めた。違うなら申し訳ない」

 

夕張と明石は、互いに目を向けた。

そして、何がおかしいのか、笑い始めた。

 

「な、何かおかしなこと言ったか?」

 

「いえ、ごめんなさい。ただ、変な人だなって」

 

「変ってお前……」

 

「いい意味で、よ。ふふっ。あーあ、何だか緊張してたのが馬鹿みたい」

 

そういうと、夕張は肩の力を抜き、だらしなく縁側に座って見せた。

いい風に思われているのか、はたまた馬鹿にされているのか……。

 

「まあいい……。ただし、条件がある」

 

「条件?」

 

「そうだ。夕張、お前のノートにあった遊具あるだろう」

 

「え? う、うん……これ?」

 

「あぁ、それ、この庭に造って欲しいんだ」

 

「この庭に? でも、どうして?」

 

「駆逐艦をこの家に呼びたいんだ。交流するために」

 

「駆逐艦を……」

 

流石に思うところがあるのか、二人は言葉を詰まらせた。

 

「難しいか……?」

 

無理か。

まあ、そうだよな……。

そう思い、口を開こうとした時であった。

 

「だったら、もっといい案を考えないと」

 

「え?」

 

「これくらいの広い庭だし……駆逐艦を呼ぶなら、もっと魅力的なものを造るべきよ。例えば――」

 

それから夕張は、ノートに色々な案を書き始めた。

時折、明石が助言をしたりして、より完成度を増していった。

 

「――ってな感じ。どうかしら?」

 

「ん、あ、あぁ……。いい案だと思うぜ」

 

「でしょ!? ただ、材料がね……」

 

「その心配はない。なんとかこっちで手配してみる」

 

「本当ですか!? じゃあ、本当にこれを造っても!?」

 

「あぁ、むしろ頼むよ」

 

「わぁ! やったやった! ありがとうございます!」

 

「良かったわね、明石」

 

「うん!」

 

明石はまるで子供の様に飛び跳ねた。

モノづくりが出来るって事が、よっぽど嬉しかったらしい。

 

「だが、良かったのか? 一応、俺に……というか、人間に協力するようなもんだが……」

 

「確かに思うところはあるけれど、あの子たちを楽しませたいって気持ちはあるし、交流したいってだけで、危害を加えるつもりはないんでしょ?」

 

「まあ、そうだが」

 

「それに、いざとなったら武蔵さんが守ってくれるから大丈夫」

 

武蔵。

今朝、ラジオ体操で見かけたデカい奴か。

確かに、鋭い眼光も然ることながら、中々に強そうであったな。

 

「だから、協力するわ。ね、明石」

 

「えぇ!」

 

明石はまだ嬉しそうに飛び跳ねていた。

 

「そうか。よし、そうと決まれば、具体的にどうするか話し合うか」

 

それから日が暮れるまで、俺たちはああでもないこうでもないと、遊具の事について話し合った。

そうした時間が進むにつれ、俺たちの間にあった隔たりは、徐々に消えて行くようであった。

 

 

 

「じゃあ、手配しておくよ。悪かったな、こんな時間まで」

 

「いえ、大変有意義な時間でした!」

 

「そりゃよかった」

 

そう笑って見せると、明石は何やらもじもじと手を揉み始めた。

 

「あの……本当にありがとうございます……。私、もうこの島ではモノづくりが出来ないかと思ってて……。夢が叶ったようです……」

 

「大げさだな」

 

「いえ、本当に……。それで、その……一つ……お願いというか……」

 

「なんだ?」

 

「貴方の事……提督って……呼んでもいいですか?」

 

「!」

 

「明石が提督って呼ぶの、佐久間さん以来よ。貴方、認められたって事じゃない?」

 

「そうなのか?」

 

明石は恥ずかしそうに頷いた。

なんだかそんな反応をされると、こっちまで恥ずかしくなってくる。

ただ呼び名が決まっただけなのに。

 

「好きに呼んでくれていいよ」

 

「じゃあ……提督……これから、どうぞよろしくお願いいたしますね」

 

「おう、よろしくな」

 

手を差し伸べると、明石はその手を取り、握手を交わしてくれた。

それは何気ない事ではあったが、俺にとっては、大きな第一歩に感じられた。

 

「じゃあ、また」

 

「あぁ、またな」

 

「夕張、行こう?」

 

明石がそう言うと、夕張は何やらきまりの悪そうな顔を見せた。

 

「あー……先に帰ってて。ちょっと忘れ物しちゃったから……」

 

「忘れ物? じゃあ、待ってるけど……」

 

「ううん。いいの。先に帰ってて」

 

「そう? 分かった。では、お先に失礼しますね」

 

「おう」

 

明石が去って行くと、夕張は縁側に座った。

 

「お前、忘れ物なんてないんだろ」

 

「嘘くさかったかしら?」

 

「あぁ、だいぶな」

 

隣に座り、陽の沈む海を眺めた。

夕張は俺に、何か話があるようだった。

 

「それで? 何を話してくれるんだ?」

 

「私がこの島に残る理由、聞いてきたじゃない?」

 

「あぁ。何となく、だろ?」

 

「あれ、嘘。って、貴方なら気付いていたかしら?」

 

「目が泳いでたからな。嘘が下手なタイプなんだな」

 

「正直に生きて来たからかしら、そういうの苦手なのかも」

 

夕張は体を伸ばすと、大きく息を吐いて、小さく言った。

 

「本当は……明石の為なの……」

 

「この島に残る理由がか?」

 

「えぇ。明石、あんなこと言ってたけれど、本当は島を出たがってるの。でも、さっき説明した通り、それは出来なくて……」

 

「やはりそうだったのか」

 

「気が付いていたの?」

 

「何となく、そんな気がしただけだ。もしあの力が無かったら、あいつは島を出るんじゃないかって。モノづくりも、あんなに飛び上がって喜ぶくらい好きなら、島を出てやってみたいと思うのが普通だしな」

 

「あの時何か言いかけたのは、その事?」

 

「あぁ。だが、野暮な質問だと思ってな。傷つけても悪いし」

 

「優しいんだ」

 

「お互い様だろ。そんな明石を慰める為に、この島に残っているなんてさ」

 

太陽が完全に沈むと、冷たい風が吹き始めた。

 

「……ありがとうね。明石、凄く嬉しそうだった。あんな顔見るの、十数年ぶり」

 

「これからもっと見れるだろう。そんなことでいちいち礼を言ってたら、身が持たないぜ」

 

「えぇ、だからこれっきりにするわ」

 

「おい」

 

夕張は何やら嬉しそうに笑うと、縁側から飛び出す様に立ち上がった。

 

「それだけ。じゃあ、帰るわ。材料の件、よろしくね」

 

「あぁ、分かった」

 

「あ、そうだ」

 

縁側に荷物を置くと、夕張は俺に向き合い、手を差し伸べた。

 

「まだしてなかったでしょ?」

 

「フッ、そうだったな」

 

握手を交わす。

明石とは違い、逞しい笑顔が、そこにあった。

 

「これからよろしくね、提督」

 

「あぁ」

 

 

 

翌日のお昼ごろに、重さんは材料を持ってきてくれた。

 

「これで全部だ。ったく、こんな重労働させるんじゃねぇってんだ」

 

「ありがとう重さん。ずいぶん早かったんだな」

 

「ったりめぇだ。俺を誰だと思ってる。知り合いに片っ端から声かけて、かき集めたんだ」

 

「流石だ」

 

そんな事を話していると、夕張と明石がやって来た。

 

「提督、もしかして、材料が来たんですか?」

 

「あぁ、これから運ぶところだ」

 

「わぁ……! こんなにたくさん……! 運ぶの手伝います! 夕張」

 

「えぇ、じゃあ、これから運びましょう。そっち持って」

 

二隻は協力して、材料を運んでいった。

 

「もう『提督』と呼ばれてんのか。やるじゃねぇか慎二!」

 

「褒められるほどの事じゃないさ。あの二隻が特別なだけで、寮の艦娘たちにはまだ怖がられているよ」

 

「なに、それも時間の問題だろ。あの二隻があんなに嬉しそうにしているの、久々に見たぜ。もっと誇っていいんじゃねぇか?」

 

「島から出さなきゃ意味ないさ。もし一隻でも出したのなら、その時褒めてくれ」

 

「てめぇのそういうところ、俺は好きだぜ。んじゃ、もう行くかな。またいつでも連絡くれ。重労働は、しばらく勘弁な」

 

「あぁ、ありがとう重さん」

 

重さんの船を見送り、俺も二隻に加わって、材料を運び始めた。

 

 

 

材料を運び終えると、二隻は早速作業に取り掛かった。

十数年モノづくりをしていないと言っても、ものの数分で勘を取り戻したのか、スムーズに作業が進んでゆく。

何よりも、明石と夕張の連携は、阿吽の呼吸そのものであった。

 

「夕張、ここは?」

 

「600を5本よ。直接手で触る場所だから、処理はしっかりね」

 

「はーい」

 

夕張は指示を出しながら次の工程の計画を立て、明石はその指示通りの仕事をこなしている。

 

「凄まじいな……」

 

遊具の設計を見た時、結構な時間がかかるものだと思ってはいたが、この分だとあっという間に終わってしまいそうだ。

 

 

 

しばらくすると、鳳翔が昼飯を持ってきてくれた。

二隻はそれを早々に平らげると、再び作業へと戻っていった。

 

「二人とも、あんな活き活きして」

 

「水を得た魚とは、まさにあいつらの事だな」

 

「ふふ、そうですね」

 

島内に、釘を叩く音が響く。

 

「こうなると分かってて、俺のところにあいつらを寄越したのか?」

 

「え?」

 

「弁当を届けるだけならまだしも、あいつらの弁当も用意しただろう。最初から、一緒に飯を食わせるつもりだったんじゃないかって。こうなるきっかけを作るために」

 

鳳翔は何も言わなかった。

 

「それとも、俺に同情して、二人と交流する機会をくれた……とか」

 

鳳翔は、やはり何も言わなかった。

言わない理由は、すぐに分かった。

表情だ。

鳳翔の表情が、不安なものになっていたのだ。

 

「あぁいや、怒っているわけでも、気を悪くしたわけでもないからな? ただ、なんというか……」

 

俺が困っていると、鳳翔は吹き出した。

 

「……からかったのか?」

 

「ふふ、ごめんなさい」

 

「なんだよ。ったく……」

 

「でも、そうですね。そうなるかもしれないとは、期待していました。けど、本当になるなんて……」

 

「期待、か……。人間も艦娘も差別しないんじゃなかったのか? これだと、艦娘には不利に働いたようだが」

 

「そうでしょうか? あのお二人の顔を見ても?」

 

鳳翔は二隻に目をやった。

 

「それに私は……この島に残ることが、必ずしも幸せであるとは限らないと思うのです……」

 

「え?」

 

「……これくらいで勘弁してもらえますか?」

 

「あ、あぁ……分かった」

 

それから鳳翔は、何も言わずに二隻の作業を眺めていた。

『この島に残ることが、必ずしも幸せであるとは限らないと思うのです……』

つまり、鳳翔は――鳳翔もまた――。

 

 

 

それから毎日、夕張と明石は作業をするために家に来た。

途中、大淀が何事かと監視に来たりしていたが、特に止める様子もなく、怪しい様子が無ければ帰っていった。

文句の一つでも言いそうなものだが、夕張曰く、「人間を追い出すことはするけれど、人間に同調する艦娘の事を責めたりしない」とのことであった。

他者を尊重できるところを見ると、やはりあいつは――。

 

「提督提督」

 

明石が俺に耳打ちする。

 

「どうした?」

 

「そっと見てくださいね。ほら、門のところ」

 

言われた通り、そっと見てみる。

そこには、門の影に隠れて作業の様子を見ている、駆逐艦の姿があった。

 

「皐月ちゃんに卯月ちゃんですね。実は、遊具が出来るって、宣伝してみたんです。やっぱり気になっているみたいですね」

 

「そうなのか」

 

「気付かないふりをしてあげてくださいね。逃げちゃいますから」

 

「あぁ、分かった」

 

しばらく気付かないふりをして、駆逐艦たちの様子を見ていたが、途中から、慌てた様子の鹿島に「危ないから」と促されて、帰ってしまった。

残った鹿島は、俺の前に立ちふさがり、睨み付けた。

 

「せっかく様子を見に来てくれたのに、追い出すなんてあんまりだな」

 

「あの子たちを巻き込まないでください……」

 

「別に危害を加えるつもりはない。あいつらだって、自分の意思でここに来たのだろう」

 

「そう仕向けたのは貴方でしょう……?」

 

一触即発の空気に緊張したのか、夕張と明石は作業の手を止めていた。

 

「駆逐艦の楽しみを奪うのも、お前の仕事か? 鹿島……」

 

「……あの子たちを人間の手から守ることが、私の仕事です」

 

「守る……か……。過保護って言葉を知っているか? 人間の世界では、親の過保護・過干渉で育った子供ってのは、親に反発するようになってしまうんだと。お前のソレは大丈夫か?」

 

そう言ってやると、鹿島はより一層険しい顔になった。

 

「『守る』なんてのは聞こえのいい言葉で、お前のそれは『束縛』だ」

 

「そ、そんなことは……!」

 

「否定できるのか?」

 

鹿島が言葉に詰まっていると、急に寮の方が騒がしくなった。

 

「何事だ?」

 

様子を見ようと門を出てみると、二隻の背の高い艦娘が、こちらに向かって歩いて来ていた。

それを後ろから追いかける小さな艦娘は、鳳翔だ。

 

「大和ちゃん! 武蔵さん! 戻ってください!」

 

鳳翔が叫ぶ。

大和と武蔵は、その声にくれもせず、真っすぐこちらへ向かっていた。

 

「大和さんに武蔵さん……? どうして……」

 

どうやら唐突な事らしく、鹿島も驚いた様子であった。

 

「提督?」

 

夕張と明石も、何事かと家から出てくる。

そして、険しい顔をした大和と武蔵を見ると、俺の背中へと隠れてしまった。

 

「やば……怒ってる……」

 

「提督……」

 

やがて、大和と武蔵は、俺の前に立ちふさがった。

 

「貴様か……。新しい人間というのは……」

 

「如何にも。雨宮慎二だ。よろしく」

 

手を差し伸べると、武蔵はそれを強くはじいて見せた。

 

「オイオイ、随分な挨拶――っ!?」

 

間髪入れず、武蔵は俺の胸倉を掴み、持ち上げて見せた。

 

「ぐぉ……っ!? なんちゅう力だ……っ!」

 

「提督……!」

 

心配する声は、夕張や明石のものではなく、鳳翔のものであった。

 

「鳳翔、お前今……!?」

「鳳翔さん!?」

 

俺の驚く声に重なったのは、大和の声であった。

 

「鳳翔さん……今、この人間の事を提督と呼びましたか……!?」

 

「大和ちゃん……えぇ、呼びました……。武蔵さん、『提督』から手を放してください……!」

 

「鳳翔さん……どうして……」

 

何やら絶望する大和を横目に、武蔵はより一層俺を強く締め上げた。

 

「貴様……。夕張や明石だけでなく、駆逐艦にも手を出そうとは……!」

 

「鳳翔さんもよ!」と大和が付け加えた。

 

「人聞きが悪いな……っ! まるで俺が何かしたみたいじゃないか……っ!」

 

「黙れ卑怯者……! 夕張と明石に工具をチラつかせ、弱みに付け込んだろう……! それだけに飽き足らず、脅し、遊具を造らせ、駆逐艦に手を出そうとした……!」

 

「言いがかりもいいところだ……っ!」

 

「そうです! 二人は自ら望んで、提督に近づき、駆逐艦たちの為に遊具を造っているんですよ……!?」

 

「なに……!? そうなのか……!?」

 

夕張と明石は、恐る恐るではあるが、小さく頷いた。

 

「……なるほど。貴様……さては洗脳したな……!」

 

「何故そうなる!?」

 

そんなことですったもんだしていると、大淀が駆けつけて来た。

 

「何事ですか!」

 

そして、俺が締め上げられているのを見て、驚愕した。

 

「な、何をしているのですか……? 武蔵さん、手を放してください……!」

 

大淀に言われ、武蔵はやっと俺を降ろした。

 

「提督……!」

 

鳳翔が駆け寄る。

それを見ていた大和は、さらに顔を険しくさせた。

 

「大丈夫ですか……?」

 

「あ、あぁ……」

 

夕張と明石も駆け寄り、怪我がないか心配してくれた。

大淀は安心した顔を見せた後、武蔵を睨み付けた。

 

「……何があったのかは知りませんが、暴力はいけません」

 

「大淀よ……貴様もこの人間の肩を持つのか……?」

 

「そうではありません……。ただ、いかなる状況においても、暴力はいけないと言っているのです。人間を傷つけてしまったら、私たちはこの島に居られなくなるんです……。その事を分かっているのですか……?」

 

それには、流石の武蔵も言葉が無いようであった。

 

「鹿島さん、駆逐艦たちが不安になっています。寮に戻って宥めてください……」

 

「は、はい……」

 

「あ、待て、鹿島!」

 

鹿島は足を止めると、俺を見た。

俺は鹿島にしか分からない様に、玄関の方を指さし、言った。

 

「まだあのお礼を言ってなかったな。ありがとう」

 

鹿島は俯くと、そのまま寮の方へと戻っていった。

 

「……それで、何があったというのですか?」

 

「こっちが聞きたい。こいつらが来たと思ったら、急に俺の胸倉を掴みやがったんだ」

 

俺がそう言うと、大和はすごい剣幕で俺を指して言った。

 

「この人間が鳳翔さんを誑かしたのです!」

 

「大和ちゃん……だからそれは誤解なんですって!」

 

先ほどから、大和は鳳翔関連の事になるとやけに突っかかる。

鳳翔の「大和ちゃん」も気になるところではあるが、この二隻の関係性とは一体……。

 

「いずれにせよ……この人間が夕張や明石、そして鳳翔に何かしたのは事実だ……。そして、遊具を造らせ、今度は駆逐艦に何かしようとしている……。この武蔵……皆を守る者として、この所業を放っておくわけにはいかんのだ……!」

 

それを聞いて、大淀は大きくため息をついた。

 

「少し冷静になってください……。まず、鳳翔さんは元からこういう人です……。夕張さんと明石さんだって、ただモノづくりがしたいというだけで、何かされただけでは……」

 

「だが、この男が危険ではないという保証はない。考えても見ろ。ここ十数年、海軍から出向が無かったのにもかかわらず、急にこの男が現れ、そして一週間もしない内に三人も手駒にして見せたんだ。どう考えてもおかしい。そんな事は、今まで一度だってなかったはずだ。きっと、洗脳術か何かを使ったに違いない……」

 

「洗脳術って……」

 

「とにかく、見極める必要がある……。この男が本物か……ただのペテン師か……」

 

武蔵は再び俺の前に立ち、睨み付けた。

 

「人間よ……。貴様のその本性、この武蔵が暴いてやる……!」

 

一触即発の空気。

皆に緊張が走る。

 

「どうしようって言うんだ……?」

 

「決まっている……」

 

また手が出るのか……!?

暴力に備え、身構える。

武蔵は大きく息をすると、腕を組み、叫んだ。

 

「決闘だ……! この島からの退きをかけて、貴様に決闘を申し込む……!」

 

――続く



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2話

「全て私の所為です……。あの子に、酷い事をしてしまいました……」

 

そう言うと、香取さんは一枚の写真を見せてくれた。

少し若い香取さん、鹿島、そして、一人の若い男が写っていた。

 

「私がもっと大人であれば……。あの子を……あの島に閉じ込めることはなかったでしょう……」

 

その理由を香取さんは語らなかった。

ただ遠くに見える島を眺め、涙ぐむだけであった。

 

「鹿島を……よろしくお願いいたします……」

 

香取さんが頭を下げる向こうで、小さな娘さんもまた、事情も分からないまま、深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「香取に会ったか」

 

上官は、「一週間のお勤めご苦労様。甘い物が恋しかっただろう」と、――屋のケーキを用意してくれていた。

 

「鹿島の様子を聞きに、たまにああして顔を出すのだよ」

 

「何やら自責の念に駆られているようでしたが、鹿島と何かあったのですか?」

 

「まあね。詳しいことはよく分からないが、出向した男を巡って、香取と鹿島の間に亀裂が入った……という訳らしい。所謂三角関係ってやつだね」

 

三角関係……。

 

「渦中に居た男は、その件で島に居づらくなったらしく、帰って来たんだ。それを追ったのが香取だった。だが、どうやらその男が好きだったのは鹿島の方だったらしく、結局香取と結ばれることはなかった」

 

「では、あの娘は……」

 

「あれは別の男との子供だ。尤も、父親は逃げてしまったようだがね。シングルマザーなんだ」

 

「そうでしたか……」

 

「香取はショックだったろうね。渦中の男も、その事がプレッシャーになったのか、心を病んでしまってね。結局自殺してしまったよ」

 

そう言えば、噂で聞いたことがある。

出向した男が、帰って来たのち、心を病んで自殺した事例があると。

 

「そんなこともあったせいか、香取の生活――特に異性交遊は荒れていたそうだ。彼を忘れるためだったのだろうね」

 

ふと、香取さんの娘の顔が、頭に浮かんだ。

父親は逃げた……か……。

 

「島を出た艦娘が、必ずしも順風満帆な人生を歩むとは限らない。まさに人生。まさに人間だ」

 

上官は俺の表情を確認すると、隣に座り、肩を叩いた。

 

「雨宮。君の気持ちはよく分かる。艦娘を気の毒に思っているのだろう。人間を守り、英雄となった艦娘が、幸せになれないというのはね……」

 

「いえ……」

 

「我々は艦娘を幸福にする存在ではない。彼女たちの『希望』通り、命を与えてやるだけだ。神にも等しい行為だが、神もまた、必ずしも人間を幸福にはしなかった。そうだろう?」

 

俺は何も言えなかった。

こういう時の上官は、とても不気味で、恐ろしかったのだ。

 

「雨宮、君の仕事はなんだ?」

 

「……艦娘を『人化』させることです」

 

「そうだ。ならば、悩むことはないだろう。君はそういう選択をしたのだ。よく覚えておきなさい」

 

「……はい」

 

上官はフッと笑うと、再び俺の肩を叩いた。

 

「だが、それが君らしさだ。その態度があったからこそ、吹雪さんは君に託したし、『適性試験』にも受かったのだ。脅して悪かったね。だが、これも私の仕事なんだ。君と同じで、私も心を痛めているのだ」

 

「上官……」

 

飴と鞭。

この使い分けこそが、上官が上官たる所以なのだろう。

 

「ここ一週間の報告は聞いているよ。今日はゆっくりと本部で過ごしたらいい。何なら、何か手配させようか」

 

「いえ、すぐに島へ戻ります」

 

「仕事熱心だな。いい報告を待っているよ」

 

「はい」

 

本部を後に、俺は重さんの待つ船へと向かった。

 

 

 

「じゃあなんだ、武蔵と決闘する件は本部に報告しなかったのか!」

 

重さんは何やら楽し気にそう言った。

 

「そりゃ、『島の退きをかけて武蔵と決闘する』なんて言えるわけがない。そんな決闘を受けるなんて、いよいよ頭がおかしくなったのだと思われてしまうだろう」

 

そう。

決闘を申し込まれたあの日、俺は迷わず武蔵の提案を承諾した。

俺の返事を聞いた艦娘たちの表情は、今まで見たどの『驚愕』よりも、驚愕としていた。

 

「決闘は、明日だ。組手試合のような方式で行うらしい。相手が「参った」と言うまで試合は続くとのことだ。まあ要するに、ただの素手喧嘩(ステゴロ)だ」

 

「なるほど、正気じゃねぇな。そもそもいいのかよ? 素手喧嘩なんてして。艦娘は人間を傷つけられないし、人間だって艦娘に手を出したと知れたら、まずいんじゃねぇのか?」

 

「その為の誓約書だ。ほら」

 

重さんに一枚の紙を渡してやる。

 

「誓約書……この決闘に於いていかなる事態が――責任を問わぬことをここに誓うもの也……か。慎二、てめぇいよいよここがおかしくなったんじゃねぇのか?」

 

そう言って、重さんは頭を指した。

 

「武蔵からの提案だ。尤も、こんなものあったとして、海軍が認める訳がないが」

 

「本当にやるのか? てめぇの腕がどんなものか知らねぇが、武蔵の力は本物だぜ。素手で深海棲艦を沈めたとも言われているんだ。そんな相手にどうやって勝つ?」

 

「そんなもの、当たらなければどうってことないだろう」

 

「当たらなけりゃって……。そもそも、どうしてそんなものを受けたんだ?」

 

「これは決闘のようで決闘じゃない。武蔵から提案された『交流』なんだ」

 

俺があまりにも嬉しそうに話すものだから、重さんは、本当に参ってしまった人間を見るかのように、苦笑いを見せた。

 

 

 

島に着き、重さんを見送ると、鳳翔と明石、夕張が迎えてくれた。

 

「提督……どうでしたか……?」

 

鳳翔が心配そうにそう聞いてきた。

 

「どう、とは?」

 

「決闘の事です……! 海軍本部に報告されたのですよね……? だったら、やめるよう言われたのでは……?」

 

「海軍には報告していない」

 

「ど、どうしてですか!?」

 

「どうしてって言われてもな……。決闘をする……なんて言ったら、頭がおかしいと思われそうで……」

 

それを聞いて、鳳翔は唖然とした。

空かさず夕張が突っ込む。

 

「いやいや、既におかしいわよ……。提督、武蔵さんの強さ知らないでしょ……。あの人、素手で深海棲艦沈めたのよ……?」

 

「噂だろ?」

 

「そうかもしれないけど……。そうなってもおかしくないほど、武蔵さんは強いって事なのよ……」

 

「提督……やめた方がいいです……。私の力では、人間を治すことは出来ないんですよ……? それに……もし怪我だけで済まなかったら……」

 

「心配してくれてありがとう。だが、大丈夫だ。これはあくまでも『交流』だ。誓約書なんて物騒な物を書かされてはいるが……俺も武蔵も怪我することなく、済ませるつもりだ」

 

明石と夕張は、お互いに顔を見合わせると、まるで気の毒な人を見る様な目で俺を見つめた。

 

「それよりも、遊具の方はどうだ。完成したのか?」

 

「あ、はい。後は塗装とか、バリ取りとかが残っているだけで……」

 

「早いな。おっと、そうだ。頼まれていた工具、これでよかったか?」

 

瞬間、明石の目の色が変わった。

 

「わぁ、もう用意してくれたんですね!」

 

「早速試してこいよ」

 

「はい! 夕張、行こう!」

 

「あ、うん……」

 

シリアスな空気から一変、新しい工具にウキウキの明石を見て、夕張は若干引き気味に後を追いかけていった。

 

「行ったか。そら鳳翔。お前にはチョコレートだ」

 

鳳翔はハッとすると、チョコレートを押しのけ、何やら頬を膨らませて俺を見つめた。

 

「むっ……!」

 

「……もしかして、それ、怒っているつもりか?」

 

「そうです……! むっ……!」

 

あまり怒り慣れていないのだろう。

怒っていることをどうアピールすればよいのか、分からない様子であった。

膨らんだ頬を指でついてやると、プピィというような間抜けな音が鳴って、俺は思わず笑ってしまった。

 

 

 

結局、俺があまりにも言うことを聞かないものだから、鳳翔はとうとう折れて、「絶対に怪我をしない・させないこと」と、俺に誓約書を書かせることで落ち着いた。

 

「やれ、この島に来てまで書類仕事をする羽目になるとはな……」

 

「いいから書いてください……」

 

そんな事をやっていると、大淀が家を訪ねて来た。

 

「おう、どうした」

 

「……本当に決闘するのですか?」

 

「なんだ、心配してくれているのか?」

 

「そうではありません……。ただ……誰がどう見ても、貴方に勝ち目はありません……。貴方だって、その事を分かっているのではないですか……?」

 

「確かに、力で敵う相手ではないだろうな。だが、人間には知恵がある。俺は武蔵に、力ではなく、知恵で勝利する」

 

「……本気なのですね?」

 

「あぁ、本気だよ」

 

大淀は見極める様に俺の瞳を見つめた。

俺も、同じように。

永い沈黙が続く。

 

「……分かりました。私は忠告しましたからね……」

 

「あぁ、ありがとう」

 

「では……」

 

去って行く大淀を横目に、鳳翔は小さく言った。

 

「大淀さん、心配でたまらないのでしょうね。あの日から、ずっとソワソワしていましたから」

 

「俺がボッコボコにされるのを願ったりしてそうなもんだが」

 

「敵とは言え、提督の事を認めているのですよ。そうでなければ、忠告になんて来ません」

 

認めている……か……。

大淀の本心がどうなのかは知らないが、おそらく、大淀自身は「認めたい」とは思っているのかもしれない。

そう出来ないのは、やはり――。

 

「そういや、鳳翔。お前、俺の事を提督と呼んでくれるのだな」

 

「まあ……それが島の習わしですから……。それに、遅かれ早かれ、この島の艦娘全員から『提督』と呼ばれるようになるでしょうから、今の内に呼んでおこうかなと」

 

「随分贔屓してくれるじゃないか」

 

「チョコレートのお礼ですよ。そういう事にしておいてください」

 

そう言うと、鳳翔はチョコレートを一口含んだ。

 

「安い信頼だな」

 

「私にとっては貴重なチョコレートです。つまり……そういう事ですよ」

 

鳳翔が笑う。

俺はなんだか照れてしまって、何も言えなかった。

もしこれがハニートラップだったら、俺はまんまと引っかかっているのだろうな。

 

 

 

遊具が完成したのは、その日の夕方であった。

 

「完成です!」

 

「おぉ、立派なものが出来たな」

 

まるで芸術品のように美しく、そして正確な出来であった。

 

「うん、寸分も狂わない、設計通りの造り。それでいて丁寧で、明石の優しさを感じるわ」

 

「夕張の指示が良かったからよ。ありがとう」

 

そして、明石と夕張は俺を向いて、頭を下げた。

 

「ありがとうございます、提督。これも提督のお陰です」

 

「ありがとうございます」

 

「いや、礼を言うのは俺の方だ。立派な物をありがとう。きっと駆逐艦たちも喜ぶよ」

 

そう言ってやると、明石も夕張も嬉しそうに笑って見せた。

 

「お披露目はいつにしますか?」

 

「そうだな。まあ、明日の結果次第じゃないか?」

 

「明日……。そっか……」

 

武蔵との試合の事を思い出したのか、二隻は不安な表情を見せた。

 

「まあ心配するな。もし俺が負けたとしても、この遊具だけは守ってやる。ここに置けなくなったとしても、寮の方には運べるだろう?」

 

「そうだけど……。提督はそれでいいの……?」

 

「駆逐艦との交流目的とは言え、ここまで立派なものが出来たら、やっぱり使ってもらいたいしな。それは海軍としての俺の気持ちじゃなく、俺個人としての気持ちだ。っと、これはオフレコで頼むぜ」

 

そう笑ってやると、夕張は少しだけ安心した表情を見せた。

 

「まあ、そういうこった。そろそろ夕食の時間なんじゃないか? 戻った方がいい」

 

「うん……。明日、頑張ってね。応援してるから。じゃあ、行こう、明石」

 

夕張がそう言っても、明石は動こうとしなかった。

 

「明石?」

 

「あ……ごめん……。先行ってて。ちょっと……やり残したことがあって……」

 

「やり残し……?」

 

「うん……」

 

夕張は明石の様子を見て、何やらピンときたらしく、俺を見て、小さく言った。

 

「明石の方が下手じゃない?」

 

夕張が何を言いたいのか、俺には分かっていた。

 

「あぁ、そうだな」

 

「え……? 下手? なにが?」

 

「明石は知らなくていいわ。じゃあ、私は先に帰ってるから」

 

そう言って、夕張は俺にウィンクをして見せると、門の方へと歩いていった。

そして門を出ると、何やら驚いた声をあげた。

 

「うわ! びっくりした……」

 

蛙でも踏みつけたか?

そう思い、様子を見てみると、そこには鹿島が立っていた。

 

「鹿島?」

 

鹿島は俺を見るなり、驚き、寮の方へと走り去ってしまった。

 

「あ、おい! 何しに来たんだ、あいつ……」

 

「夕食が出来たって、知らせに来たんじゃないかしら?」

 

そんな事、一度だってなかったが……。

 

「じゃあ、今度こそ。じゃあね」

 

夕張は再びウィンクを見せると、寮の方へと走っていった。

 

「さて……。それで、何をやり残したって?」

 

夕張の時とは違い、少しとぼけるようにして、そう聞いた。

 

「すみません……。やり残したことというより……少し、提督とお話出来たらと思いまして……」

 

「俺と?」

 

「はい……」

 

何やら明石は、恥ずかしそうに手を揉んでいた。

 

「そうか。分かった。縁側に座れよ。お茶をいれてくる」

 

「い、いえ……。長居するつもりはないので……。皆も、心配しちゃうだろうし……」

 

「そうか?」

 

「……本当はしたいんですけどね」

 

そう小さく言うと、明石は縁側に座った。

俺も、同じように。

 

「……明日、もし提督が決闘に負けたら、本当にこの島を出ていくつもりですか?」

 

「あぁ、そういう約束だ。俺が勝てば、武蔵が出ていく」

 

「そうですか……」

 

夕日が遊具を照らす。

逆光のシルエットも、何と美しい事か。

 

「せっかく……信頼できるような人が来てくれたのに……」

 

「オイオイ、まだ負けたわけじゃないんだぜ。不吉なこと言うな」

 

「そうですけど……」

 

明石は口にしなかったが、やはり俺が負けるものだと思っているようだった。

――いや、勝てると思っているのは、おそらくこの島でも俺だけだろう。

 

「……提督、やっぱりこの決闘、やめるわけにはいきませんか?」

 

「何故だ?」

 

「だって……危険ですし……。私は……提督に居て欲しいです……」

 

そこには、色々な意味が込められていた。

俺に居て欲しい。

この言葉だけ取れば、明石は俺を好いてくれているか、もしくは、工具の使用が出来なくなることを恐れているか、そのどちらかを考えるだろう。

だが、夕張から話を聞いていたからこそ、俺はもう一つの明石の真意に気付くことが出来た。

 

「俺に可能性を見いだしてくれているからか?」

 

「え……?」

 

「自分を島から出してくれるかもしれない。そう思っているから、俺に出て行ってほしくないんだ。違うか?」

 

図星だったのだろう。

明石は驚いた後、何も言えずに俯いた。

 

「お前の力の話を聞いた時、なんとなくそうなんじゃないかと思っていた。その後、夕張から話を聞いて、確信に変わったんだ」

 

「…………」

 

「島を出たいんだってな。けど、そう出来ないものだから、人間が艦娘を島から出してくれるのを待っていたのだろう? そして俺が来た。他の連中がどんな奴かは知らないが、お前は俺に可能性を見たんだ。全ての艦娘を島から出してくれるかもしれない……と」

 

明石は何も言わなかった。

 

「何も悪い事じゃない。そう思うのが普通ってやつさ。……お前は少し優しすぎる。自分が島を出たければ、さっさと出て行ったらよかったんだ。誰も恨みやしないだろうぜ」

 

「でも……」

 

「あぁ、分かってる。お前の心がそうさせないんだろう。優しいものだから。だからこそ、人に任せようとした」

 

「提督……私は……別に提督を利用しようとしたとかそういう訳ではなくて……!」

 

「じゃあ、どういう訳なんだ?」

 

明石は言葉を紡ごうとしたが、やはりいい訳は出来なかったようだ。

 

「いいんだよ。ジャンジャン利用してくれて。俺だって、お前たちの弱みに付け込んで、遊具を造らせたし」

 

「でもそれは……私たちの為で……駆逐艦の為で……」

 

「お前も同じだろう。俺を利用したのは、あいつらの為だ。俺とお前は、何も違わないさ」

 

遊具から細く伸びた影が、俺たちを二分した。

 

「お前の不安は分かる。だが、ここで武蔵と勝負をしなければ、俺は前に進むことは出来ない。お前の苦しみも救ってやれないんだ」

 

「別の方法があるはずです……」

 

「ない。ここで負けるようであれば――逃げてしまったら、今までの奴らと同じだ」

 

俺は明石の方を向くと、不安そうなその瞳をじっと見つめた。

 

「俺は必ず勝つ。そして、お前の不安を取り除いてやる。絶対だ。だから、俺を信じて欲しい」

 

「提督……」

 

「……そろそろ戻った方がいい。皆が心配するぜ」

 

そう言って笑ってやると、明石はそっと、俺の手を握った。

 

「絶対……勝ってくださいね……」

 

「……あぁ、絶対に勝つさ。約束する。だから、お前も約束してほしい」

 

「え……?」

 

「俺が勝ったら、お前はお前の為に道を選ぶんだ。誰かの為だとか、変に自分を隠さず、真っすぐなお前の道を選ぶんだ」

 

「私の為の……道……」

 

「約束してくれるか?」

 

小指を差し出してやると、明石は小さく頷き、小指を絡めた。

 

「約束だ」

 

「約束です……」

 

遊具の隙間から太陽が覗き、約束を紡いだ小指を強く照らした。

 

 

 

翌朝。

いつもはラジオ体操やら鶏の鳴き声やらが聞こえてるはずだが、今日は少しばかり違った。

 

「出港ラッパ……?」

 

誰が吹いているのか、寮の方からラッパの音が響いていた。

 

「洒落たことをする奴もいるんだな」

 

そんな事を一人呟きながら、鳳翔が用意してくれた握り飯を食ってから、浜辺の方へと向かった。

 

 

 

浜辺には、大勢の艦娘が揃っていた。

 

「おぉ……凄い集まったな……」

 

島の艦娘全てが居るわけではなさそうだが、まだお目にかかったことのない艦娘なんかも大勢出て来ていた。

まあ、何もないこの島からしたら、一大イベントだよな。

 

「あ、来たよ!」

 

駆逐艦が俺を指すと、皆一斉に俺を向いた。

 

「おはよう。結構集まったもんだな」

 

そう言ってやっても、誰も返事を返すことをしなかった。

 

「無口だな」

 

しばらくすると、武蔵がやって来た。

 

「武蔵さんよ!」

 

「武蔵さん!」

 

「武蔵!」

 

皆、武蔵を囲み、騒ぎ立てた。

まるでスーパースターだ。

 

「提督……!」

 

その後ろから、鳳翔、明石、夕張が、俺に駆け寄って来た。

 

「おう。おはよう」

 

「おはようございます……。あの……本当に決闘をなさるのですか……?」

 

「あぁ、もちろんだ」

 

「やめるなら今よ?」

 

「やめないさ」

 

明石は何も言わなかった。

ただ、小さく頷き、一歩引いた。

 

「雨宮さん……」

 

「大淀」

 

「……本当に宜しいのですね?」

 

「何度も言わせるな。それよりも、ジャッジをやってくれるんだろう? 判定は公平で頼むぜ」

 

「……分かっています」

 

「それと、一つ頼みがあるんだ。大淀、お前はジャッジだけをして欲しいんだ」

 

「はい? そのつもりですが……」

 

「そうじゃない。本当にジャッジだけして欲しい。なんというか……変に仕切らないで欲しいんだ」

 

「……分かりました」

 

「頼んだぜ」

 

大淀は、何を言っているのか分からないと言う様な顔をして、皆の輪へと戻っていった。

 

「人間よ」

 

変わるようにして、武蔵が俺の前に立ちふさがった。

 

「よく逃げなかったな。その点は褒めてやる」

 

「逃げるって……この島のどこにそんな場所があるんだ?」

 

「海があるじゃないですか。それとも、泳げないとか?」

 

大和がそう言うと、皆はドッと笑った。

 

「挑発か。なるほど、もう戦いは始まっている……そう言いたいのか?」

 

「戦いなら、もう何十年も前から始まっている……! 我々はずっと戦ってきた……! 平和を脅かす貴様らとな……!」

 

「なるほど、俺とお前の決闘も、これから始まるどころか、既に始まっていたと……」

 

「そうだ……!」

 

「なるほどなるほど……。そうかそうか……」

 

俺が余裕そうにしているのが気に入らないのか、大和は俺を睨み付けて、言った。

 

「そうして居られるのも今の内です……。鳳翔さんを誑かしたことを後悔させてあげますから……!」

 

「誑かしているつもりはないのだがな……。話しかけて来たのは鳳翔の方だし……」

 

「鳳翔さんは誰にでも優しいから、貴方のような人間に情けを与えただけです! それを貴方は……!」

 

「その辺にしておけ、大和」

 

「武蔵……。でも……!」

 

「勝てばいいんだ。勝てば全て終わる」

 

「負けた時の事は考えてないのか?」

 

「この武蔵が人間ごときに後れは取らない。考えるだけ時間の無駄だ」

 

武蔵が二ッと笑うと、大和は落ち着いたのか、後ろへと下がっていった。

 

「死なれても困るから、砂浜を舞台にした。故に、手加減はしないつもりだ。早めにギブアップした方が身のためだぞ」

 

「こっちの台詞だぜ」

 

「フッ……救えない奴だ……」

 

武蔵は下がると、向き合い、礼をした。

そして、構えた。

それを見た皆は、一斉に散り、俺たちを囲んだ。

 

「提督……」

 

「下がってろ。危ないぜ」

 

「御武運を……」

 

鳳翔たちも、同じように後ろに下がった。

辺りは一気に静かになり、波の音だけがこの島を包んでいるようであった。

 

「貴様も構えろ……」

 

「あぁ。その前に、ルールを確認をさせてほしい」

 

「覚えの悪い奴だ……。まあいい……。ルールはシンプルだ。武器の使用を認めない、素手のみの勝負。基本的にはどんな技を使ってもいいが、まあ金的だけは無しにしておいてやろう」

 

先ほどと同じように、皆が笑う。

 

「ありがたいね。勝敗は?」

 

「再起不能と判断された場合、もしくは「参った」と言った時点で――」

「――あ!」

 

叫んだのは、大淀であった。

 

「なんだ大淀? どうかしたか?」

 

「え……あ……その……」

 

「気付いたか。流石は大淀だ」

 

皆、状況がのみ込めていない様子であった。

武蔵も同じだ。

無理もない。

おそらく、気が付いているのは、俺と大淀だけであろう。

 

「大淀、ジャッジだ!」

 

「なに……!? ジャッジだと……!?」

 

皆が一斉に大淀を見る。

 

「あ……はい……。こ、この勝負……雨宮さんの勝利です……。武蔵さん……貴女の……負けです……」

 

 

 

ウミネコが、波に追われて、一斉に飛び立った。

 

「武蔵の……負け……?」

 

一瞬の静寂。

そして、風が一つ、俺たちの間を通り抜けるのと同時に、皆、騒ぎ立てた。

 

「どういうこと!? どうして武蔵さんが負けなの!?」

 

「まさか、大淀さんもあの人間の味方……!?」

 

「そんな訳ないでしょ!?」

 

皆が混乱する中、武蔵はただ茫然と大淀を見つめていた。

 

「残念だが、ジャッジは公正だぜ」

 

俺がそう言うと、武蔵はやっと我に返った。

 

「貴様……何をした……!? まさか、大淀までも……!」

 

「俺は何もしていない。全てお前が自分でしたことだ」

 

「なに……!?」

 

「大淀、説明してやれよ」

 

「は、はい……」

 

大淀が前に出てくると、皆一斉に話すのをやめて、大淀に注目した。

 

「えと……まず結論から言うと、武蔵さんは「参った」と言ったので、負けとなったのです……」

 

「なんだと……?」

 

「ルールを確認したいという雨宮さんに対し、武蔵さんは説明をしました。その説明の中で、武蔵さんは「参った」という言葉を言いましたよね? ですから、負けなのです……」

 

大和が前に出て、大淀に迫った。

 

「何を言っているのですか!? ルールの説明をしていただけでしょう!? それに、まだ戦いは始まっていなかったじゃないですか!」

 

「いえ……始まっていたのです……。武蔵さん、貴女は言いましたよね? 戦いは何十年も前から始まっていると……」

 

それを聞いて、流石の武蔵も――皆も気が付いたようであった。

 

「で、でも……! それはあくまでも人間と艦娘の戦いであって……! この勝負とは関係ありません!」

 

「だから、俺は言ったじゃないか――」

 

 

『戦いなら、もう何十年も前から始まっている……! 我々はずっと戦ってきた……! 平和を脅かす貴様らとな……!』

『なるほど、俺とお前の決闘も、これから始まるどころか、既に始まっていたと……』

『そうだ……!』

 

 

「――って。お前もはっきり返事をしたじゃないか。あの時から――いや、何十年も前から、『この決闘』は始まっていたんだ」

 

皆、呆然としていた。

無論、武蔵も同じであった。

 

「せ、せこ~……」

 

そう言ったのは、夕張であった。

 

「せこくても、勝ちは勝ちだ。そうだろう? 大淀」

 

「……まあ、そうですね」

 

あまりにも間抜けな決着に、皆の不満は、当然ながら爆発した。

 

「くっだらない! こんなの無効よ!」

 

「そうよそうよ!」

 

「正々堂々戦いなさい!」

 

皆がギャイギャイ騒ぐ中、武蔵はその身を小さく震えさせていた。

 

「悔しいのか? それとも、島を出る事を思い、恐ろしくなったか?」

 

「黙れ卑怯者め……! 貴様……! 海軍として恥ずかしくないのか……!?」

 

「お前こそ、恥ずかしくないのか? 自分で定めたルールで負けたのにもかかわらず、それを認めずに駄々をこねるなど……」

 

「くっ……!」

 

「お前の負けだ武蔵。勝ちは勝ちだぜ」

 

「……もう一度戦え! 今度は正々堂々と!」

 

「正々堂々と戦ったじゃないか。お前こそ、正々堂々と負けを認めろ。卑怯者め」

 

「貴様ァ!」

 

武蔵が俺の胸倉を掴む。

 

「提督……!」

 

瞬間、皆が息を呑んだ。

一触即発の空気に――という訳ではなく、まるで衝撃的な光景を目の当たりにしたような――だが、それもそのはずであった。

武蔵の体が、空中に弧を描いていたのだ。

 

「ぐぁっ!?」

 

砂浜に、背中から叩きつけられる武蔵。

一瞬の出来事で、皆、何が起こったのかよく分かっていないようであった。

 

「一本背負い……」

 

誰かが言う。

それが誰であったのかは分からない。

それほどに、俺は高揚していた。

 

「ぐっ……貴様……」

 

倒れながらも、睨む武蔵。

その顔の真横を俺の足が踏みつける。

それには流石の武蔵も、息を呑んでいた。

 

「お前の負けだ、武蔵……。約束も守れないお前に、こうもあっさり倒されるお前に、何を守れるというのだ……」

 

「……っ!」

 

「約束通り、島を出て行ってもらうぜ……。それでもまだ反抗するというのなら、次は外さない……」

 

そう言ってやって、俺は足を退けた。

我ながらくっせぇ台詞を吐いたなと、少し後悔しながら。

 

「武蔵……!」

 

大和が駆け寄ると、皆も我に返り、武蔵に駆け寄っていった。

 

「提督……」

 

「鳳翔。一応、約束は守ったぜ。俺も武蔵も、怪我はしていない。叩きつけてはしまったが……。正当防衛ってやつだ」

 

「貴方って人は……」

 

鳳翔はほっとした表情を見せた後、やはり頬を膨らませて、俺を見つめた。

 

「何を怒っているんだ?」

 

「最初からこうなると言ってくだされば、私も不安にならずに済んだのです……」

 

「上手くいく保証はなかったからな。それに、言ってしまうのは、負けフラグでもあるし」

 

「負けフラグ……?」

 

疑問を抱く鳳翔をよそに、俺は明石に目をやった。

 

「だから言っただろ。俺は必ず勝つとな」

 

そう言って笑ってやると、明石は小さく頷き、目に涙を溜めた。

何を泣いているのだと慰めようとした時、夕張が俺の背中を強く叩いた。

 

「痛っ!?」

 

「やるじゃない、提督。まあ、あまりにも手が汚いものだから、失望もしたのだけれど」

 

「いてて……。正当な勝利だ。それに、見ただろ? 綺麗な一本背負い。あれで実質チャラだろう」

 

「あんなまぐれ技、一文にもならないわよ」

 

「目利きの悪い奴だ……」

 

そんな事でワイワイ騒いでいると、武蔵が立ち上がり、こちらへ向かってきた。

 

「武蔵……!」

 

心配そうに駆け寄る大和を止め、俺の前に立った。

 

「勝負は決したぜ。まだ何かあるのか?」

 

武蔵は何か言いたげであったが、口を噤んだ。

 

「ないなら帰るぜ。海軍に、お前が島を出るのだと報告させてもらう。お前も今の内に荷物をまとめ、挨拶を済ませておけ。島を出る日は追って連絡させてもらう。以上だ」

 

背を向け、その場を後にする。

後ろからの奇襲に備えていたが、武蔵は何かするどころか、その場に俯き、佇むだけであった。

 

 

 

家に帰ると、まるで緊張の糸が切れたように、一気に体の力が抜けた。

 

「フッ……手も震えてるぜ……」

 

正直、ああも上手くいくとは思っていなかった。

『勝負はすでに始まっている』『参った』

その言葉を引き出す手段を考えてはいたが、上手くいく保証はなかった。

たまたま大和が挑発してくれたおかげで――たまたま武蔵がああ言ってくれただけで――。

だからこその震えなのだろう。

 

「とんだペテン師ですね……」

 

そう悪態をついたのは、大淀であった。

 

「おう。何か用か? 祝いにでも来てくれたのか?」

 

「そうではありません……。ただ、文句を言いに来ただけです……」

 

「文句?」

 

「貴方は私を利用しました……。『ジャッジだけをして欲しい』『変に仕切らないで欲しい』。あれは私に、試合開始の合図や、ルール説明をさせないための言葉なのでしょう……?」

 

「……そんなところまで見抜くとは、流石は大淀だな」

 

「そして、私が公正にジャッジすることを知っていて、それを利用した……」

 

「そこまで知っていて、文句があって、武蔵の味方をしなかったのだな」

 

「貴方が知る通り、私は公正ですから……。それに、暴力沙汰はごめんです……」

 

「そうか」

 

永い沈黙が続く。

 

「利用した事は詫びよう。だが、お前を信頼していたって事なんだぜ。お前はジャッジを任せられていた。その気になれば、お前のたった一言で、あの勝利は無くなり、再戦になっていたかもしれない。そうなったら、俺が負けることくらい、分かっていただろうに」

 

大淀は何も言わなかった。

俺が何を言いたいのか、分かっていたからであろう。

 

「あの勝負は、『俺が』勝った訳じゃない。かといって、武蔵自身の負けではない。お前だ。お前が勝敗を決したんだ」

 

潮風が強く吹いて、大淀の髪を乱した。

顔にかかる髪を手で梳くと、退屈そうな表情で言った。

 

「私はただ公正にジャッジをしただけです。それ以上でも、それ以下でもありません……」

 

「……そうかよ」

 

それだけだと言うようにして、大淀は立ち去ろうと、歩き始めた。

 

「大淀」

 

大淀は返事することなく、立ち止まった。

小さな背中が、俺の言葉を待っていた。

 

「ありがとな」

 

それには、色々な意味が含まれていて、大淀もそれを分かっているはずであった。

だが、それを認める訳にはいかないと言うようにして、返事をせず、去って行った。

 

 

 

強い光に目が覚める。

 

「うぉ……寝てしまったか……」

 

体の力が抜け、気が付いたら眠っていたようだ。

時計を見ると、お昼過ぎであった。

 

「ん……」

 

起き上がり、縁側に出てみると、そこには明石が座っていた。

 

「やっと起きた」

 

「明石」

 

「お昼ご飯、お持ちしましたよ」

 

「そうか。ありがとう」

 

「寮の方では、武蔵さんが島を出て行くということで大騒ぎですよ。何とか止められないのかって、鳳翔さんを説得する人もいたりして……」

 

「そうなのか」

 

「そうなのかって……。まるで他人事ですね……」

 

「まあ、他人事だしな。鳳翔には申し訳ないが」

 

明石の持ってきてくれた弁当を開ける。

いつも鳳翔が作って来てくれるものと違い、少しばかり形の歪なおにぎりや、焦げた卵焼きなどが入っていた。

 

「あ、それ、私が作ったんです。ちょっと失敗しちゃったけれど……。鳳翔さん、忙しそうだったから……」

 

「お前が作った……か……」

 

卵焼きを箸で持ち上げ、庭に見える遊具と重ねた。

 

「とてもそうは思えないがな」

 

「……料理はしたことなくて。見よう見まねで作ってみたんです……」

 

「まあ、料理は味だしな」

 

卵焼きを食ってみる。

 

「……どうですか?」

 

「……大人な味」

 

「それ、不味いって事じゃないですか! いいですよ、無理に食べなくて!」

 

「冗談だ冗談。美味いよ。はじめてにしちゃ上出来だ」

 

「……本当ですか? 怪しいです……」

 

「本当だって」

 

それから明石は、俺が飯を食う表情をじっくり観察していた。

時折、美味いかどうかを尋ねながら。

 

「そう見られていると、味も分らなくなってしまうよ」

 

「むぅ……」

 

 

 

遠くの空に、一筋の飛行機雲が描かれてゆく。

 

「ごちそうさま。美味かったよ」

 

「お粗末さまでした」

 

弁当箱を洗ってやり、ついでに麦茶を入れてやった。

 

「ほら」

 

「わぁ、ありがとうございます。冷たいです」

 

「もうすっかり夏だ。暑い日はこれに限る」

 

ふと、この島の静けさに気が付いた。

こんな時期であるのに、セミが鳴いていないのだ。

まあ、離島だしな。

 

「静かだな」

 

「そうですね」

 

風と、波の音。

そして、寮の方から時折聞こえる、駆逐艦たちの声。

 

「……私、こうして静かに耳を澄ましている時間が好きなんです」

 

そう言うと、明石は目を瞑り、耳を傾けた。

 

「こうしていると、時折聞こえてくるんです。島外の音が……」

 

同じように耳を澄ます。

言われてみれば、微かに聞こえてくるような気がした。

 

「これは何の音だろうって、想像するんです。この島では決して聞くことのない音もあったりして……。きっと島の外では、色んな音で溢れているんだろうなって……。私の想像できないもので、溢れているのだろうなって……」

 

明石は目を開けると、俺をじっと見つめた。

 

「提督……私は、やっぱりこの島を出たいです……。『生きたい』のです……」

 

「明石……」

 

「でも……この島の艦娘たちを見捨てられません……。だから……私は『生きる』為に、提督に協力したいです……。この島の艦娘たちを島から出すために……。私が私の『人生』を歩むために……」

 

それが、明石の――隠し続けた明石の本心であった。

 

「……それが、お前の選ぶ『道』なのか?」

 

「はい……!」

 

何ともたくましい返事であった。

 

「そうか……。勇気のいる選択だっただろう。よく言ってくれた」

 

「約束しましたから……」

 

「そうだとしてもだ。明石、今まで大変だったな。もう大丈夫だ。お前を必ず島の外に出してやる。約束だ」

 

小指を出してやると、明石も同じように小指を出して、約束を紡いだ。

それが解かれるのと同時に、明石はこれまで抱えて来た不安を吐き出すようにして、大声で泣いた。

 

「明石……」

 

細い体を抱きしめてやる。

70年分の不安を詰めるには、この体はあまりにも小さすぎた。

それでも明石は――。

 

「今までよく頑張ったな……。明石……」

 

島外の音が聞こえる様に、明石の泣き声もまた、島の外に届いているのだろうか。

――いや、届けなければいけないのだろう。

そう思わずには、居られなかった。

 

 

 

明石の泣き声を聞いたのか、夕張がやって来た。

事情を説明してやると、夕張も一緒に泣いてしまった。

 

「どうしてお前まで泣くんだ」

 

「嬉しくて……。明石がずっと苦しんでいるのを見て来たから……」

 

そうか。

明石は一人じゃなく、夕張が居たのだ。

もし夕張が居なかったら、明石は――。

 

「お前も大変だったんだな、夕張……」

 

「でも……もう大丈夫なんでしょ……? 私も、提督の事を信頼してる……。協力するわ」

 

「夕張……」

 

夕張は涙を拭くと、気合を入れるようにして、自分の顔を叩いた。

 

「そうと決まれば、まずは皆との交流よね。遊具も完成したし、駆逐艦たちを取り入れるところから始めましょう!」

 

「あぁ、そうだな」

 

「でも、今は大変ですよ……。武蔵さんとの決闘で、提督の株は大暴落です……」

 

「そうなのか?」

 

「そりゃそうよ。あんな勝ち方して、投げ飛ばして……。武蔵さんは駆逐艦たちのヒーローだったのよ?」

 

「本当の悪党になってしまったという訳か」

 

俺がおかしそうに笑うものだから、二隻は呆れた表情を見せた。

 

「そんな顔するな。考えはある。まあ、あいつ次第だがな」

 

「あいつって?」

 

「武蔵だよ。勝負は決したが、俺とあいつの交流は、まだ終わっていない。あいつが本物のヒーローなら、きっと俺たちの味方をしてくれるはずだ」

 

「本物のヒーローなら、悪党の味方はしないと思いますけど……」

 

「俺たちが本物の悪党じゃなければどうだ? 俺たちがヒーローであったのなら?」

 

そう言ってやっても、二隻は複雑な表情を見せた。

 

「いずれにせよ、あいつが島を出れば、駆逐艦たちも諦めがつくだろう。交流も時間の問題だ」

 

「でも提督は、武蔵さんの何かにかけているんですよね? それって一体、なんなのですか?」

 

「いずれ分かる。今は、俺を信じて欲しい。お前たちの遊具は、決して無駄にしない」

 

明石と夕張は、お互いに顔を見合わせると、小さく頷き、俺に微笑んで見せた。

 

「分かりました。提督を信じます」

 

「私も、信じてあげるわ」

 

「明石、夕張……。ありがとう」

 

 

 

深夜。

俺は縁側に座り、海を眺めていた。

この季節には珍しく、雲一つない夜空が広がっており、大きな満月がこの島を照らしていた。

 

「来ると思っていたよ」

 

門の方に目をやると、そこには驚いた表情の武蔵が立っていた。

 

「……分かっていたと言うのか? 私がここに来ることを……」

 

「何となくな。まあ、細かいことはいいだろう。座れよ。話があるんだろう?」

 

武蔵は少し躊躇った後、距離を置いて、縁側に座った。

 

「何か飲むか? とはいっても、麦茶くらいしかないが」

 

「いや……結構だ……」

 

「そうか」

 

永い沈黙が続く。

武蔵はじっと、遊具を見つめていた。

 

「立派だろう。夕張の完璧な設計と、明石の完璧な施工が成した一品だぜ」

 

「あぁ……そのようだな……」

 

「駆逐艦たちが楽しそうに遊ぶ姿が目に浮かぶようだ」

 

俺は仕掛ける様に、わざとそう言ってやった。

だが、武蔵は反応することなく、ただじっと、遊具を見つめるだけであった。

 

「……それで、俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」

 

武蔵は黙ったままだ。

 

「無いのなら、何をしに来た? 寝込みを襲うつもりだったのか?」

 

流石の武蔵も、それには反応した。

 

「そんな事するか……! 貴様じゃあるまいし……」

 

「俺は正々堂々戦ったぜ?」

 

癪に障ったのか、武蔵は一瞬、表情を歪めた。

だが、すぐに平生を取り戻し、俯いた。

 

「突っかからないのだな」

 

何故武蔵が大人しいのか、俺には分かっていた。

分かっていたからこそ、聞いてやったのだ。

 

「人間よ……」

 

「雨宮だ」

 

「……雨宮。貴様は確かに強い……。素直に負けを認めよう……。だが……貴様とて、後味の良い勝利だとは思っていないのではないか……? 今回の決闘で、艦娘からどう思われているのか――それがどう今後に影響するか……。分からない訳ではないだろう……」

 

「何が言いたい?」

 

「後味の処理をさせて欲しいのだ……。貴様との勝負に負けたことを認め、皆にそのことを公表する……。公正であったことを公表する……。自分でも言うのは何だが、この武蔵が言うのであれば、皆は納得すると思うのだ……。どうだ……?」

 

「確かに、俺が島に居づらくなることも無いだろうな。だが、何か条件があるようだな」

 

その通りだと言うようにして、武蔵は小さく頷いた。

 

「……話が早くて助かる。そうだ……。一つだけ条件がある……」

 

武蔵は縁側から降りると、地面に膝をつけ、そのまま土下座して見せた。

 

「頼む……。駆逐艦たちには手を出さないでくれ……。この通りだ……」

 

俺はわざと、大きくため息をして見せた。

 

「まるで俺が、駆逐艦に何かするような言い方じゃないか」

 

「……貴様も分かっているはずだ。私が何を言いたいのか……」

 

「分からないな」

 

武蔵は顔をあげると、悲しそうな表情で俺を見た。

 

「駆逐艦たちは……この島を出ることを恐れている……。死を恐れている……。今までは守ってやれたが……私がこの島を離れてしまえば……」

 

「駆逐艦を島から出す為に、手荒な真似はするなと言いたいのか?」

 

武蔵は小さく頷いた。

 

「元々そんな事をするつもりはない。お前は何か勘違いしている。俺は艦娘に、自ら島を出たいと思えるように導こうとしているだけだ」

 

「それが手荒だと言っているのだ……! 駆逐艦たちは純粋だ……。言い換えれば、心が未熟なのだ……。故に、何でも疑わずに受け入れてしまう……。自らが望まない結果を招いてしまう……。後悔する頃には……手遅れになる……」

 

「そうならないために、お前が守って来たという訳か……」

 

「そうだ……」

 

「なるほどな……」

 

風が、俺たちの間を抜けていった。

まるで、俺の――そんな、冷たい風であった。

 

「駆逐艦は純粋で、何でも疑わずに信じてしまう……か。確かにそうだな。だって駆逐艦たちは信じて居るもんな。お前たちの思う『死は怖いものだ』という事を……。『島を出ることは恐ろしい』という事を……」

 

「……何が言いたい?」

 

「『駆逐艦が』死を恐れているわけじゃない。『駆逐艦が』島を出ることを恐れているんじゃない。お前たちが恐れているだけだ。そして、その事を駆逐艦に刷り込んだ。信じさせた。未熟な事をいいことに……」

 

流石の武蔵も、それには声を荒げた。

 

「馬鹿な事を言うな……! 駆逐艦たちは、本当に……!」

 

「だったらやってみろよ。死を恐れず、そして、自らの意思で島を出てみろよ。それをあいつらにアピールするんだ。果たしてあいつらはどう出るかな? お前も言っていたじゃないか。『この武蔵が言うのであれば、皆は納得すると思うのだ……』と。駆逐艦は、お前の都合のいい事だけ信じ、都合の悪いことは信じないのか?」

 

「くっ……!」

 

「駆逐艦の純粋な気持ちを利用してきたのはお前たちだ。あいつらは、お前たちの恐怖に感化されているだけで、自らが道を選ぶ権利を奪われてしまっている。駆逐艦を守る? ヒーロー? 人間のエゴよりも厄介なエゴだぜ」

 

「貴様……!」

 

武蔵は俺に迫ると、胸倉を掴んだ。

剣幕の向こう――寮の方で、明かりが一つ、灯っているのが見えた。

 

「俺を殴るならやればいいさ。だが、それでどうなる? 駆逐艦を守れるのか?」

 

「黙れ……!」

 

「いい加減大人になれよ……。そして認めるんだ。自分が守っていたのは駆逐艦ではない。自分のエゴであると……!」

 

「貴様ァ……!」

 

武蔵が拳を振り上げる。

俺は流石に覚悟して、歯を食いしばった。

 

「やめてください……!」

 

武蔵の拳が止まる。

声の方を見ると、そこには鹿島が立っていた。

 

「やめてください……。手を……放してあげてください……」

 

「鹿島……!? 何故この人間の味方をする……!」

 

「味方する訳ではありません……。ただ……駆逐艦の事を想うのなら……やめてください……」

 

よく見ると、鹿島は震えていた。

その事に気が付いたのか、武蔵はゆっくりと手を放した。

 

「鹿島……貴様、どういうつもりだ……?」

 

「どうもこうもありません……。雨宮さんの言う通りです……。私たちは……駆逐艦の事を本当の意味で想ってはいませんでした……」

 

鹿島はゆっくりと遊具を見た。

 

「聞いていたのか……。私たちの会話を……」

 

「武蔵さんが出て行くのが見えて……もしかしたらと思いまして……」

 

「何故この人間の肩を持つ……!」

 

鹿島は俺をじっと見つめた。

 

「肩を持つわけではありません……。しかし、雨宮さんの言う通りです……。私たちはずっと、駆逐艦たちを守るために努力してきました……。人間に近づけさせず、恐ろしい存在なのだと言い聞かせてきました……。でもそれは、私たちが勝手に押し付けているだけで、駆逐艦が望む未来なのではないのかもしれないと、最近思うようになったのです……」

 

「……そうか。鹿島、貴様もこの人間に何かされたのだな……」

 

武蔵がそう言うと、鹿島は呆れたようなため息をついた。

 

「それは、そう思い込みたい貴女の妄想です……。自分のエゴを正当化したい――エゴをエゴと認めたくない貴女の妄想なのです……」

 

「なんだと……!」

 

「私は知っています……。駆逐艦が、何度も何度もこの場所を訪れては、遊具の様子を見に来ていることを……」

 

確かに、駆逐艦が訪れていたことはあった。

武蔵もその事を知っているはずだ。

 

「だから何だというのだ……!」

 

「分かりませんか……? 駆逐艦たちは興味を持っているのです……。私たちが散々、人間は恐ろしい存在だと教えていたのにもかかわらず、危険に近づいてまで、遊具に興味を示したのです……。私たちはその関心を潰した……。駆逐艦を守るという、私たちのエゴの為に……」

 

「……!」

 

鹿島は再び遊具を見た。

 

「この遊具が完成した時、私はその様子を隠れて見ていたのです……。武蔵さんの言うように、駆逐艦に手を出すための――明石さんや夕張さんを脅し、造らせたものなのだという証拠を掴むために……」

 

だからあの時、鹿島はあそこにいたのか……。

 

「しかし、実際はそうではなかった……。明石さんと夕張さんは、完成をとても喜んでいましたし、雨宮さんは、例え武蔵さんとの決闘で負け、自分が島を出ることになっても、遊具だけは寮に運び、駆逐艦に遊んでほしいと言っていました……」

 

武蔵が俺を見る。

その瞳は、まるで信じられないというような――見方を変えれば、間違いを犯してしまったというような――そんな瞳であった。

 

「私はその時、決闘が決まったあの日に、雨宮さんに言われたことを思い出しました……」

 

 

『『守る』なんてのは聞こえのいい言葉で、お前のそれは『束縛』だ』

 

 

「もし、その言葉が正しければ、私たちは私たちの価値観を駆逐艦に押し付け、『守る』なんて言葉で縛っていただけなのかもしれない……。そう思いました……」

 

鹿島は真っすぐな瞳で武蔵を見つめると、力強く言った。

 

「本当に駆逐艦たちの事を想うのなら、『守る』のはでなく、『尊重』することが大事なのではないでしょうか……? それが駆逐艦を真に想う事なのだと思います」

 

「鹿島……」

 

武蔵の握られた拳が、小さく震えていた。

 

「武蔵……そういう事だ……。確かにお前の言う通り、死を恐れている駆逐艦はいるかもしれない。だが、俺はそいつらを無理やり外に出すことはしない。価値観を押し付けることはしない」

 

「……私は、間違っていない」

 

「武蔵……」

 

「私はずっと皆を守って来たんだ……! 私を否定するな……!」

 

武蔵の叫びが、島中に響き渡る。

その反響が消える頃、島は恐ろしいほどの静寂に包まれた。

 

「……それがお前の本音なのだな、武蔵……」

 

「武蔵さん……」

 

武蔵は拳をゆっくりと開くと、脱力したように俯いた。

 

「私は……皆の為に戦ってきた……。それが間違っていたと言うのか……!? 私を否定するつもりか……!」

 

「否定はしないさ。お前がやってきたことは、間違いじゃない。実際に守られた奴も多くいるし、お前を失う事を恐れている奴もいるだろう。だが、『守る』と『守ってやる』は、大きく違うんだ」

 

「……!」

 

「お前は駆逐艦のヒーローなんだってな。ヒーローはいつだって、助けを求める誰かの声を聴き、戦うものだ。お前は誰の声を聴いたんだ? その声は、本当に助けを求める声だったのか……?」

 

武蔵は考えるようにして、目を瞑った。

 

「お前を否定しているわけじゃない……。ただ少し、守る相手を疎かにしてしまっただけだ。己の使命に――戦うことに意識が寄り過ぎただけだ……」

 

静かな島に、強い風が吹き付けて、木々を大きく揺らした。

永い沈黙が続く。

 

「武蔵……」

 

「私は……どうすればいいんだ……。どうすればよかったのだ……」

 

それはまるで、助けを求めるような――震える声であった。

 

「……皆の声をもっと聴いてやればいいさ」

 

「皆の……声……」

 

「俺は、あいつらが何を考えているのかを知りたかったんだ。何を求め、何を恐れ、どう接してやればいいのかを……。この遊具だって、交流の為に造ったとはいえ、あいつらがこの遊具への関心以上に、人間や死を恐れていたら、意味を持たないものになってしまう。だが、その時はその時で、別の方法を考えるまでと思っていた。つまり、あいつらとの距離を測る為――あいつらが本当に死を恐れているのか、確かめていたんだ」

 

「それが……『声』……」

 

鹿島が呟く。

 

「そうだ。駆逐艦の心は未熟だ。自分の本心を伝えるどころか、自分の本心が本心であると理解することも難しいだろう。だが、確実にそれはあいつらの中にある。ちょっとした行動や発言の中に――本人も気づかないほど小さなところに隠れているのだ。それを見つけ、気づかせてやること。それが鹿島の言う『尊重』だ。声を聴き、尊重し、守ってやる。武蔵、お前にはそれが出来る。それだけの力や信頼がある」

 

「私に……?」

 

「お前はそれだけの事をしてきた。だから、俺はお前を否定しない。むしろ、いい方向に持っていけるのではないかと思っている」

 

武蔵は真っすぐ、俺を見つめた。

 

「いつか、俺が出さなくとも、強制的に島を追い出される日が来るだろう……。その時、お前が今のまま守り続けられる保証はない。お前が出来ることは、島を出ることを恐れる艦娘の声を聴き、そいつが強く『生きる』為に力を持たせてやることだ。お前が俺に立ち向かって来た時のような、勇気を持たせてやることだ。戦う力を持たせてやることだ……」

 

「戦う……力……」

 

「それが、真のヒーローだと――皆を守るという事だと、俺は思っている」

 

空が明るくなってゆく。

夜明けが近いのだ。

 

「俺に協力してほしい。お前となら、あいつらの本心を『尊重』できる気がするんだ。あいつらを『守る』ことが出来る気がするんだ」

 

武蔵は深く目を瞑ると、俯き、永い事考えていた。

 

「すぐに答えを出せとは言わない。約束通り島を出るのもいいし、お前が正しいと思う道を行ってもいい。俺とお前の『決闘』は――『交流』は、今終わった。俺もお前も、全力で気持ちをぶつけた。後はお前次第だ」

 

武蔵はゆっくりと目を開くと、そのまま門の方へと歩いていった。

 

「武蔵さん……」

 

鹿島がそれを追いかける。

 

「鹿島」

 

鹿島は立ち止まると、ゆっくりと俺を見つめた。

 

「……勘違いしないでください。私はただ、正しいと思うことをしただけです……。貴方の味方をした訳ではありません……」

 

そう言う鹿島の表情は、どこか悲しそうに見えた。

 

「……お前も武蔵のように、向かい合わなきゃいけないことがあるようだな」

 

「……失礼します」

 

そう言って、鹿島と武蔵は去って行った。

 

 

 

「おーい、起きろー」

 

目を開けると、そこには夕張の顔があった。

 

「あ、起きた。おはよう、提督」

 

「夕張……。あぁ、おはよう……」

 

「随分眠そうね。あまり眠れてないとか?」

 

「まあ、そんなところだ……。あれ、お前だけか?」

 

「明石も一緒が良かった?」

 

「そうは言ってない。珍しいと思ってな」

 

そう言ってやると、夕張は少し寂しそうに微笑んで見せた。

 

「ほら、明石ももう一人で大丈夫そうだし、いつまでも一緒に居るのは違うかなって……」

 

夕張は庭にある遊具を見つめ、やはり微笑むだけであった。

 

「別に、明石が大丈夫そうだからって、離れる必要はないだろ」

 

「そうかもしれないけどさ。なんというか……ね……?」

 

武蔵の事があったからこそ、俺には夕張の心が分かっていた。

 

「なるほどな……。お前、明石にとっての自分とは何だろうと、考えてしまったのではないか?」

 

武蔵と同じであった。

誰かの為の自分。

それを否定された時、武蔵のように戦うものもあれば、夕張のように逃げてしまうものもある。

いずれにせよ、否定されたことを受け入れられないでいることは確かであり、最善ではないこともまた、確かであった。

 

「別に明石が強くなったところで、お前の存在価値が失われるわけじゃないだろ」

 

「まあ、そうなんだけど……」

 

「つまるところお前は、明石が強くなったことで寂しいと思っているんだろう? 明石を支える理由がなくなったものだからさ」

 

夕張は何も言わなかった。

 

「明石はお前の事、そんな目で見ているわけじゃないと思うぜ。俺から見るお前たちってのは、何処からどう見ても親友って感じだった。きっと明石もそう思っている。お前がそんな事を言い出したと知ったら、きっと悲しむぜ」

 

「……そうかな」

 

「あぁ、絶対そうだ。しかし、お前も面倒くさい奴だよな。そんな事ばかり考えて、持ち前の明るさはどうしたんだよ?」

 

「自分の事はてんで弱いのよ……。ずっと明石の支えにならなきゃって事ばかり考えてて、自分の事なんて……」

 

確かに、夕張がこの島に残っている理由も、明石の支えになりたいからだと言っていた。

それが必要なくなった今、夕張は果たして――。

 

「だったら、明石から逃げてるだけじゃなくて、お前はお前自身の為にどうしたいのか、これから考えていくべきじゃないのか?」

 

「私が……私自身の為に……?」

 

「そうだ。まあ、すぐには見つからないかもしれないが、絶対に存在するからさ。時間をかけてゆっくり探そう」

 

「……見つかる前に、皆島を出て行ってしまうかもしれないわね。提督、そんな勢いを持っているし……」

 

「フッ、かもな。でもまあ、その時はその時だ。例えこの島の艦娘がお前だけになっても、見つかるまでずっと一緒に探してやるから、安心しろ。まあ、追い出されなけりゃの話だけどな」

 

そう言って笑ってやると、夕張は何かを言うわけでも無く、ただ俺をじっと見つめた。

 

「夕張?」

 

「……ううん。そっか……。そうだよね。うん……私の為の何か……探してみることにするわ。ありがとう、提督」

 

「あぁ、その意気だ」

 

その時、夕張の腹がぐぅと鳴った。

 

「安心したら、お腹減っちゃったみたい」

 

「朝食、まだだったんだな。何か振る舞ってやりたいが、ここには何もないんだ。悪いな」

 

「うん、知ってる。提督もお腹減ってるでしょ? 何か持ってきてあげるから、一緒に食べない?」

 

「いいのか? 悪いな」

 

「ううん。いいのよ。じゃあ、行ってくるわ。待ってて」

 

夕張は笑顔を見せると、門の方へと走っていった。

そして、門を抜けると、悲鳴をあげた。

デジャビュ。

だが、前に聞いた悲鳴とは違い、あまりにも真に迫るものであったため、今度こそ蛙を踏んだかと駆けつけてみると、そこには武蔵が立っていた。

 

「武蔵……」

 

夕張は俺の背中に隠れると、小さく「怒ってるわ……」と言った。

確かに、その表情はとても険しいものであった。

 

「雨宮……」

 

武蔵が動く。

まさか……。

思わず構える。

だが、武蔵はそのまま頭を下げ、小さな声で言った。

 

「すまん……。二人しか連れてこれなかった……」

 

「へ……?」

 

頭を下げる武蔵の後ろから、明石がひょっこりと頭を出した。

 

「明石?」

 

「提督……」

 

その明石の後ろに居たのは、二隻の駆逐艦――卯月と皐月であった。

 

「武蔵さんから、遊具で遊びたい駆逐艦を連れてやって欲しいと言われまして……」

 

「え!?」

 

俺も夕張も、思わず武蔵を見た。

 

「他の駆逐艦にも声をかけたのだが……来てくれたのはこの二人だけであった……。この武蔵が言えば――なんて大口を叩いていたのに、この様だ……。すまない……」

 

険しい表情は、悔いている表情だったのか。

 

「ど、どういうこと……? 提督、今度はどんなペテンを使ったのよ!?」

 

「ペテンなどではない……」

 

武蔵は何も言わなかったが、その目が全てを物語っていた。

 

「……それがお前の出した答えなんだな。武蔵」

 

「あぁ」

 

真っすぐな瞳であった。

そしてどこか、すっきりした表情でもあった。

 

「本当に守るべきものに気が付けた……。そして、これからも守り続けるために、私はやはり戦いたいと思った……」

 

「……そこに俺が居てもか?」

 

「あぁ……。この武蔵、まだまだ未熟ゆえ……それを補ってくれる――導いてくれる存在が必要だ……」

 

そう言うと、武蔵は俺をじっと見つめた。

 

「過大評価かも知れんぜ」

 

「この武蔵を投げ飛ばしたのだ。それだけで十分評価されるべきだろう」

 

明石も夕張も、駆逐艦ですら、何が起きているのか分からずにいるようであった。

 

「そうか……。ありがとう武蔵。そして、これからよろしくな」

 

俺が手を出し述べると、武蔵はその手を力強く握った。

 

「いててて……!?」

 

「す、すまない……」

 

「いや……心強いよ。これからもその手で、駆逐艦を守ってやってくれ。――いや、一緒に守っていこう」

 

「……あぁ! もちろんだ」

 

「改めて」

 

今度は優しく、俺の手を握ってくれた。

 

「よろしく、武蔵」

 

「よろしく、我が提督よ……」

 

そう言って笑った武蔵の表情は、朝陽よりも輝いて見えた。

 

「ちょいちょいちょい! ちゃんと説明してよ! 何があったってのよ!? 明石!?」

 

「私も分らないのよ……。何だか怖いわ……」

 

だが、誰よりも困惑しているのは、他でもない駆逐艦であったのだろう。

卯月と皐月は互いに顔を見合わせると、怪訝な表情で首をかしげていた。

 

 

 

武蔵が駆逐艦たちを遊具で遊ばせている間、夕張と明石に全てを説明してやった。

 

「そういうこと……」

 

「ビックリしましたよ。昨日の今日だったから……何が起きたのだろうって……」

 

「実の所、俺も驚いている。まさか駆逐艦を連れてくることで、答えを示すなんてな。いや、そもそも、俺のあんな無茶苦茶な話で、改めてくれるとは……」

 

「無茶苦茶な事を言っている自覚はあったのね」

 

「後で考えてみるとな……。俺のやり方ってのは、いつだって自分の正当化以上に、相手を追い込むことにあるからな」

 

「……なんかヤな人ですね。提督……」

 

「それで事が運べるなら、どんな手でも使うさ。言っていることは正しいのだから」

 

そう言って二隻を見た。

二隻とも、少し複雑そうな表情を見せた。

 

「まあ結果として、駆逐艦を遊具で遊ばせてやれたし、武蔵は島を出て行くどころか、味方してくれることになったし、いい方向に向いている。そうだろう?」

 

「……提督にとっては、でしょ?」

 

「そうですよ……」

 

「後々にお前たちにもプラスになる話なんだよ」

 

「どうだか……」

 

「ねぇ?」

 

さっきの夕張の悩みはどこへやら、二人はやはり親しそうに口を合わせていた。

 

「あ、鹿島さん!」

 

皐月が叫ぶ。

門の方を見ると、鹿島が駆逐艦に手を振っていた。

反対の手には、何やら包みをぶら下げている。

 

「明石、私たちも遊具の方へ行きましょう」

 

「え? ちょ、夕張!?」

 

「武蔵さん一人だと大変でしょ?」

 

夕張は明石の手を取ると、遊具の方へと走っていった。

振り向きざま、夕張は俺にウィンクをして見せた。

――なるほど、相変わらず気の利く奴だ。

 

「よう」

 

鹿島は駆逐艦たちに笑顔を返した後、俺を見てすぐ、険しい表情を見せた。

 

「駆逐艦の様子を見に来たのか?」

 

「……えぇ、そんなところです」

 

鹿島は少し離れて縁側に座ると、包みを俺に渡した。

 

「鳳翔さんからです……。夕張さんと貴方の朝食だそうです……。駆逐艦の様子を見るついでにお願いされました……」

 

鳳翔から……か……。

思えば、鳳翔も夕張と同じで、気を遣える奴だよな。

自分で持っていけばいいものを、まるで何かきっかけをつくらせるように、誰かを寄越してくる。

明石や夕張の時だってそうだった。

 

「そうか。ありがとう」

 

「……ついでですから」

 

念を押す様に、鹿島はそう言った。

永い沈黙が続く。

 

「……楽しそうに遊んでいるだろ。他の連中は、興味ないのだろうか」

 

そう言っても、鹿島は答えなかった。

 

「お前に言っているんだぜ」

 

「……知りませんよ」

 

「知ろうとしないのか? 駆逐艦の気持ちを尊重するのだろう?」

 

「相談があれば尊重します……。声が出て居ないだけです……。興味が無いのでしょう……」

 

「なんだ、知らなくないじゃないか。俺が欲しかった、最初の質問の答えはそれだぜ?」

 

鹿島はムッとした表情を俺に見せた。

 

「馴れ馴れしく話しかけないでください……。武蔵さんの件で、仲良くなったつもりですか……? 変な勘違いをされては困ります……」

 

「そんなことはない。俺は誰にだって、こうして話しかける。勘違いしているのは、お前の方ではないか?」

 

これには流石の鹿島も怒りの表情を向けた。

 

「……何故そこまでして俺を憎む?」

 

その質問に、鹿島は視線を伏せ、小さく「貴方には関係ありません」と答えるのみであった。

 

「関係ありそうだがな。俺……というより、人間を憎んでいる感じだ」

 

鹿島は答えない。

俺は詰めるようにして、いくつかの単語を口にした。

 

「人間……。ハニートラップ……。駆逐艦……」

 

鹿島に反応はない。

 

「海軍……。男……。香取……」

 

香取と言った時、鹿島の目に、小さな動揺が見られた。

 

「……なるほど。香取さんと男女関係の事で揉めたと聞いているが、それか」

 

鹿島は何も言わなかったが、反応が平生のそれとずれていた。

 

「この前、島を出た時に、香取さんに会ったんだ。お前の事を凄く心配していた」

 

「……!」

 

「詳しいことは分からないが、出向してきた男を巡って、香取と一悶着あったようだな。お前が俺を憎んでいるのは、その事と関係が――」

「――違います!」

 

鹿島が叫ぶ。

皆、何事かと、鹿島の方を見つめた。

 

「違います……。香取姉は関係ありません……」

 

鹿島は立ち上がると、駆逐艦たちに手を振って見せた。

そして、俺にしか聞こえないような小さな声で言った。

 

「私は単純に、貴方を……人間を憎んでいるだけです……。死神である人間を……」

 

そして、駆逐艦に一言二言残すと、寮の方へと帰っていった。

 

「提督、何があったってのよ?」

 

「いや……」

 

あの反応……やはり……。

 

「まあいいわ。私、朝食とってるから、私の代わりに駆逐艦たちと遊んであげてよ」

 

「え?」

 

遊具の方を見ると、武蔵と明石が手招きをしていた。

駆逐艦はと言うと、不安そうな表情で、こちらを見ていた。

 

「その為の遊具でしょ? 行ってきなさいよ」

 

「あ、あぁ……」

 

恐る恐る駆逐艦に近づく。

駆逐艦たちは、やはり怯えているのか、武蔵の背中に隠れてしまった。

 

「大丈夫だ。ほら、挨拶しとけ」

 

武蔵が促す。

だが、二隻は出てこようとしなかった。

 

「皐月ちゃん、卯月ちゃん、大丈夫よ」

 

明石はしゃがみ込み、二隻に語り掛けていた。

そして、俺を見つめた。

なるほど、こうしろと……。

しゃがみ込み、二隻の目をじっと見つめた。

 

「雨宮慎二だ。よろしくな」

 

そりゃもう、上官に見せる様な、愛想のいい笑顔を見せてやった。

二隻は互いに顔を見合わせると、小さな声で言った。

 

「……卯月です」

 

「……皐月です」

 

「卯月に皐月だな。何かあれば言ってくれ。なるべく要望には応えるつもりだ」

 

二隻に反応はない。

どう声をかけていいのか分からず、永い沈黙が続いた。

 

「まあ……えーっと……そういうことだ。じゃあ……邪魔して悪かったな……」

 

俺は逃げるようにして、そそくさと縁側に戻り、座り込んだ。

 

「なに戻って来てるのよ?」

 

「いや……まずはこれくらいだろ……」

 

遠く、明石と武蔵が、やれやれというようにして、首を振っていた。

 

「……提督、もしかして、子供が苦手とか?」

 

「苦手ではないさ。ただ……どう接すればいいのか分からないだけだ……。言葉で言って聞かせられない存在ってのは……」

 

夕張は驚いた表情を見せた後、大いに笑った。

 

「なるほどね~。そうよね。子供を騙すのに、確かにペテンは通用しないわ。非の打ちどころもない相手だし」

 

「……笑うな」

 

駆逐艦たちは、再び遊具で遊び始めた。

明石や武蔵は、流石に慣れているようで、まるで幼稚園の先生のように振る舞っていた。

 

「遊具を造らせる前に、子供との距離の縮め方を教わるべきだったわね」

 

「ぐうの音も出ない……」

 

武蔵を味方につけれたことはデカいが、やはり駆逐艦との交流には、鹿島の存在は不可欠なのだろうと思った。

今から幼稚園の先生になる訳にもいかないしな……。

 

「鹿島……か……」

 

武蔵のように真っすぐぶつかってくるような存在とは違い、まるで俺を避ける様な感じであるから、そうそう簡単に心を許してくれることはないだろう。

まずは鹿島が、俺に向き合おうと考えなければ、何も始まらない。

向き合おうと思わせるには、何が必要か……。

そう考え始めた時、俺の腹が鳴った。

 

「まずは腹ごしらえか……」

 

朝食を摂ろうと風呂敷包みを見ると、そこには何もなかった。

 

「あれ?」

 

夕張を見ると、俺の分まで飯を食っていた。

 

「お、おい! それ……」

 

「え? あ! これ、提督のだったの!? ごめん……全部私の分だと思ってた……」

 

「お前……おかしいと思わなかったのかよ!?」

 

「だって、鹿島さんが持ってきたから……。てっきり、提督の分は持って来ないものだと……」

 

「俺の朝食……」

 

遊具の方で、明石と武蔵がケラケラと笑った。

 

「笑うな!」

 

「提督、駆逐艦が怖がってるから、声を抑えて」

 

「あ……すまん……。って、お前が……!」

 

「提督が鹿島さんと仲良くなっていたら、そんな勘違いしなくてよかったのに」

 

「くっ……それを言うのは卑怯ってもんだぜ……」

 

「誰かさんの真似よ。ふふ」

 

夕張がそう笑うものだから、俺は参って、諦めるようにして寝転がった。

 

「あーあ……。せっかくこれからいろいろ考えようと思ったのによ……」

 

夕張は、最後の一口をひょいと食べると、口の中に食い物を残したまま言った。

 

「次は鹿島さん?」

 

「あぁ……。だがまあ、難しいだろうな」

 

肘枕をついて、遠くの空を眺めた。

広い広い青空に、積乱雲がいくつか浮かんでいる。

あんなにもデカく見える雲も、きっと想像もできないほど遠くにあるのだろうなと思うと、なんだか気分がげんなりしてしまう。

 

「提督なら出来るわよ」

 

「出来なくてもやるしかないってのが本当だ」

 

そう言ってやると、夕張はそっと俺の手を握った。

そして、俺の耳元に近づくと、小さく言った。

 

「私は、貴方が出来るって、信じてるから……」

 

「え?」

 

「……行ってくるわね」

 

夕張は縁側から飛び出すと、皆の方へと走っていった。

 

「信じてるから……か……」

 

夕張にとって、俺を信じることが何につながるのかは分からないが、そう言われたからにはやるしかないよな。

ただ、今回のように大きな一歩を踏み出しても、その先に進めなければ意味がない。

今はどうも、ぬかるみに足を掬われている気がしてならない。

 

「とにかく、コツコツ踏み固めるしかないんだろうな……」

 

そんな事を呟きながら、皆の先生っぷりを盗むべく、駆逐艦たちの遊ぶ様子をまるで輪に交ざることの出来ない子供のように、指をくわえ、遠目に眺めることにした。

 

――続く



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3話

『推定年齢』が俺の歳と重なったこともあり、俺と山風はすぐに意気投合した。

 

「海軍には若い人もたくさんいるけれど、雨宮君のように話しやすい人はいなかったから、なんだか嬉しいな」

 

そう言うと、山風は微笑んで見せた。

 

「俺も、島を出た艦娘で、同い年がいるなんて思ってもみなかったよ」

 

「本当はもっとおばあちゃんなんだけどね」

 

「なら、敬語の方がいいかな?」

 

「ううん。お友達が出来たみたいで嬉しいから、そのままがいいな」

 

俺が資料で知っている山風は、そこにはいなかった。

 

「暗いと思ってた?」

 

まるで俺の心を読んだかのように、山風は言った。

 

「正直な」

 

「よく言われるの。確かに、昔は暗かった。でも、島の外に出て、色んな人に出会って……。あたしは変わることが出来た」

 

「……後悔はないか?」

 

「うん、ないよ。たくさんのお友達が出来たし、今が一番幸せだから」

 

本当なのだろう。

目の輝きが、そう言っているようであった。

 

「島の皆にも、あたしのように幸せになって欲しいんだ……」

 

山風は遠くの島を見つめた。

 

「……雨宮君があたしを呼んだのは、鹿島さんの件だって聞いてるけど、どうしてあたしなの?」

 

「香取と一緒に島を出たのが、君だったからだ。香取と鹿島、そして、両者が取り合ったという男の事について、何か知っているのではと思ってな」

 

山風の表情が、一気に曇った。

 

「ごっちんの事……?」

 

「ごっちん?」

 

「あ……八百万『豪』(やおよろずごう)だから、ごっちん……」

 

八百万豪。

そんな強そうな名前だったのか、例の男は。

 

「そのごっちんの事について聞きたい。実は――」

 

俺は、鹿島の現状を山風に話してやった。

何か思うところがあるのか、山風は時折、「そっか……」とか「やっぱり……」と呟いていた。

 

「――という訳なんだ。何故鹿島が人間を恨んでいるのか、その理由を知りたいんだ」

 

「そっか……。分かった。じゃあ、ごっちんが島に来たところから話をするね」

 

そう言うと、山風は思い出すかのようにして、目を瞑り、語り始めた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

武蔵との和解から一週間ほど経った。

 

「卯月、行くよー! えい!」

 

「わわ……どこに投げてるの!? 皐月のへたっぴ!」

 

皐月の投げたボールが、俺の足元に転がって来た。

 

「ん……。ほら」

 

ボールを拾い、渡してやると、卯月はそれを恐る恐る受け取った。

 

「あ、ありが……とう……」

 

「……あぁ」

 

卯月が去って行くと、隣に座っていた鳳翔が、大きくため息をついた。

 

「……なんだよ?」

 

「あれから一週間も経っているのに……どうして仲良くなれないのですか……」

 

「……こっちが聞きたい。俺は好意的に接しているつもりだ。ボールだって持ってきてやったんだぜ?」

 

「物で釣ろうしているところがもう……」

 

呆れる鳳翔。

それを見ていた武蔵は、何やら申し訳なさそうな表情をしていた。

 

「どうしてお前がそんな顔をする」

 

「いや……私が駆逐艦に言い聞かせ過ぎたせいかと思って……」

 

「責任を感じてるって訳か……」

 

「武蔵さんの所為ではありません。提督があまりにも、子供に対して不慣れなだけです」

 

「それにしてもだ……。なんとか言い聞かせてはいるのだが……すまない……」

 

「いや……鳳翔の言う通りだ。100%俺が悪い」

 

そう言っても、武蔵は苦い顔をするだけであった。

この一週間、思いつくことは何でもやってみたが、イマイチ突破口が見えない。

子供の心を開かせるってのは、こんなにも難しい事であったか……。

 

「やはりカギになるのは、鹿島だろうな……」

 

「そうかもしれませんが、そこに頼り過ぎるのも悪い所ですよ?」

 

「思いつくことは何でもやった。もう手は無い」

 

「しかし、鹿島も中々だぞ。この武蔵とは違い、相当な覚悟を持って駆逐艦を守っている」

 

「相当な覚悟……か……」

 

それが本当に駆逐艦の為のものなのか、山風の話を聞いた今だからこそ、疑問に思う。

おそらく、その疑問の解消こそ、鹿島との交流を深めるターニングポイントとなるだろう。

 

「とにかく、まだ諦めるには早いです。こんな所で座っていないで、ボール遊びに交ざってきたらいいじゃないですか」

 

「いや……せっかく楽しんでくれているんだ。空気を悪くするのは……」

 

「そんな事だから駄目なんですよ……」

 

「ならば提督よ。この武蔵も同伴しよう。それなら二人も安心して遊べると思うのだ」

 

「武蔵……。お前、いい奴だな……」

 

「せめてもの罪滅ぼしだ」

 

呆れる鳳翔を後に、武蔵は、まるで根の暗い子供に友達を宛てがう先生の如く、俺を駆逐艦の方へと向かわせた。

 

 

 

「じゃあな」

 

「うん……」

 

武蔵と鳳翔に連れられ、駆逐艦は帰っていった。

 

「はぁ……」

 

結局、二隻と仲良くなることはなかった。

武蔵のお膳立てもむなしく、この世で最も緊張感のある玉遊びが繰り広げられるのみであった。

 

「情けない……」

 

流石に、今回ばかりは落ち込んだ。

武蔵のサポートがあってこのざまだもんな。

これだと、鹿島に取り入ったところで、なにも――。

 

「…………」

 

今までは、あいつらが勝手に転び、勝手に改心してくれたものだから良かったものの、やはりそればかりでは上手くいかないのだと、今回の件で痛感した。

信頼だって、結局は、今までの奴らと比べてマシだったというだけで、俺自身が実力で勝ち取ったものではない。

 

「何一つとして成しえていない……か……」

 

ふと、明石の言葉が頭に浮かんだ。

 

『提督に……佐久間さんに似ているなって。顔だけじゃなくて、性格も……』

 

そして、その言葉を利用しようとした、大淀との場面も――。

 

「……嫌になるぜ」

 

一瞬でも、ソレに縋ろうとした自分が許せなかった。

それでも、今こうしてみると、やはり――の信頼と言うものは、本物であったのだと思えて、なんともやるせない気持ちになった。

 

 

 

轟音に目が覚める。

外を見てみると、大雨になっていた。

 

「寝ている間に……。あんなに晴れていたのにな……」

 

武蔵たちが帰ったのが三時ごろであるから、二時間ほど眠っていたことになる。

 

「あ! 洗濯物……!」

 

時すでに遅し、物干し竿に吊らされた洗濯物は、見事にびしょぬれになっていた。

 

「……はぁ」

 

一気に気分が落ち込み、俺は力を失ったかのようにして、柱を背に座り込んだ。

こうも上手くいかない日が続くと、流石に気分が萎えてくる。

今までが上手く行き過ぎていた分、尚更――。

そんな事でぼうっとしていると、遠くの海面に、雷が落ちるのが見えた。

まばゆい光と、轟音があたりに響く。

 

「きゃ……!」

 

誰かの悲鳴。

遠くの寮の方から聞こえて来た……訳ではなく、案外近くにいる声であった。

 

「誰かいるのか?」

 

そう問いかけてやると、そいつは観念したかのようにして、家の影から、合羽姿で出て来た。

 

「……大淀か?」

 

屋根下に入り込むと、大淀は合羽のフードを脱いで、なんとも言えない表情を見せた。

 

 

 

縁側に座るよう促すと、大淀は何も言わず、素直に座った。

 

「どうした? 何か用か?」

 

「……いえ、たまたま通りかかっただけで。寄るつもりは……」

 

たまたま……か……。

この家へは一本道しかないし、一本道の終点はここであった。

永い沈黙が続く。

 

「……あんなに晴れていたのに、急だったな」

 

独り言のようにつぶやくと、大淀は退屈そうに返してくれた。

 

「ラジオで言っていましたけどね……。雷雨を伴う大雨になるって……」

 

「ラジオ……。そうか、ラジオか……」

 

家にもラジオはあるが、全く触ったことが無かった。

今度からは天気予報くらいは聴いておくか。

 

「…………」

 

雨は一向に止む気配を見せなかった。

 

「……心配になったのか?」

 

「え……?」

 

「佐久間肇が亡くなったのは、天気の荒れた日だと聞いている。雷雨を伴う大雨と聞いて、様子を見に来てくれたんじゃないのか?」

 

そう言ってやると、大淀は黙り込んでしまった。

 

「……否定しないんだな」

 

大淀はやはり答えなかった。

俺は続けた。

 

「どんな男だったんだ? 佐久間肇ってのは……」

 

その質問に、大淀の目の色が、少しだけ変わった。

 

「……立派な方でしたよ。けど、頼りなくもあって……。誰かがサポートしてあげないと、いつも危なっかしいというか……」

 

「……好きだったんだろ? 異性として……」

 

「……どうでしょうね」

 

その口元は、小さく微笑んでいた。

否定しないということが、全ての答えであった。

 

「俺も危なっかしいか。佐久間肇と一緒か」

 

「一緒ではありません。けど……」

 

大淀は言葉を呑んだ後、しばらく目を瞑り、何かを考えていた。

 

「けど?」

 

そして、何かを決意したかのように顔をあげると、俺を見つめた。

 

「けど……一緒であっても、おかしくはないのだと思います」

 

「……どういう意味だ?」

 

「そのままの意味です」

 

そう言うと、大淀は一枚の古びた写真を俺に手渡した。

そこには、若い男女二人と、小さな子供が一人、写っていた。

 

「……最初は気が付きませんでした。ただ、似ているなとは思っていました。けど、貴方の振る舞いを見ていて――写真の裏に印字されている日付を見て、確信しました」

 

見るまでも無かった。

俺は知っていたのだ。

この写真が撮られた日付を――。

 

「そこに写っているのは、『佐久間肇』とその奥様。そして、その二人の息子――貴方ですよね……?」

 

遠くで雷が一つ。

だが、大淀は怯むことなく、俺を見つめ続けていた。

 

 

 

雨は止むどころか、強くなる一方であった。

 

「……そんな話をする為に、ここに来たという訳か。だとしたら、お前も大概だよな。こんな雨の中、そんな妄想を引っ提げてくるなんて」

 

「…………」

 

「佐久間肇、確かに俺に似ているな。写真の年数から考えても、俺と同い年くらいか?」

 

俺がいくらとぼけようが、大淀は目の色を変えなかった。

 

「……この写真は、佐久間さんの遺品の一つです。彼が亡くなるまで、私は佐久間さんが既婚者だったとは知りませんでした……。けど、今思えば、駆逐艦との接し方だったり、女性の扱いが上手だったように思います」

 

「お前もその上手に扱われた一人って訳か」

 

揶揄うように言ったつもりが、却って動揺を隠す行動に見えてしまったようで、大淀は小さくため息をついてみせた。

 

「見た目と言い、癖と言い、振る舞いと言い――貴方が何故否定するのか分かりませんが、佐久間さんと瓜二つです……。ずっと見てきましたから……分かるんですよ……」

 

俺は何も言わなかった。

 

「……そんな貴方だからこそ、聞きたいことがあります」

 

「聞きたいこと? 俺が佐久間肇の息子ではないかってことか? だとしたら――」

「――違います」

 

空が光る。

遅れて、空気を切り裂くような轟音が、島を揺らした。

 

「どうして……自分が佐久間肇の息子だと……私に言わなかったのですか……? 言っていたら……きっと私は……」

 

大淀はもう確信しているようであった。

きっと、どう誤魔化しようとも、隠しきれることではないのだろう。

そう思った。

そう思ったからこそ、答えてやった。

 

「……なんてことはない。そうすることが許せなかっただけだ……」

 

大淀の目の色が、再び変わる。

 

「……認めるんですね」

 

俺は答えなかった。

だが、それが答えだと大淀も分かったのだろう。

俺から視線を外すと、じっと写真を見つめた。

 

「……一度だけ、たった一度だけ、佐久間さんが『行くぞ、しんじ』と、駆逐艦の名を言い間違えたことがあります。誰の事だって、皆は笑っていましたけれど、佐久間さんだけは笑っていませんでした。それもそのはずですね。息子の名を――隠してきた息子の名を口にしてしまったのですから……」

 

大淀は再び、俺を見た。

 

「既婚者はこの島に来れません。だから佐久間さんは、奥様と離婚した。幼い貴方をも残して……」

 

俺はわざとらしく、退屈そうな顔を見せた。

 

「どうして……彼の息子である事実が許せないのですか……?」

 

「……答える義理はない。この話はここで終わりにして欲しい。お前だって嫌だろう。自分の好きだった人が既婚者――しかも、子供までいる、なんて事実を再び顧みなければならないなんてのは……」

 

「確かに、最初はショックでした。彼の死も相まって、ずっと塞ぎ込んでいました。でも、もう十数年経ってます。流石に慣れましたし、今の私は――」

 

そこまで言うと、大淀は口を噤んだ。

代弁するように、俺は続けた。

 

「今の私は人間を恨んでいる。二度と同じショックを受けないために――人間に好意を抱かないために――自分が傷つかないために……。違うか……?」

 

大淀は深く目を瞑り、黙り込んだ。

 

「だがお前は、こうしてここにいる。俺に会いに来ている。何一つとして慣れてはいないし、今も佐久間肇の事を忘れられないでいる」

 

大淀はその矛盾に気が付いて、黙り込んでしまったのだろう。

 

「俺がもし、「お前の事を想って、このことを話さなかった」と言ったのなら、お前はどうするつもりだったんだ?」

 

大淀が答える前に、俺は続けた。

 

「言い方を変えようか。お前は、俺に何を期待している? 佐久間肇の息子である俺に、何を求めている?」

 

雨が少しだけ弱まって来た。

遠くの海では、雲の合間から光が零れている。

 

「……いや、答えなくてもいい。この話はもうおしまいだ。今日の事は忘れろ。俺も忘れる」

 

大淀はゆっくり目を開くと、悲しそうな表情で言った。

 

「……酷いですよ。忘れろなんて……。だったら、最初から認めないで下さいよ……」

 

光が広がって行き、辺りが一気に明るくなった。

 

「俺が認めなければ、お前はいつまでも進めないでいたはずだ。ずっと、俺が佐久間肇の息子なんじゃないかと考え続け、悩み続け、佐久間肇の影を追い続ける……。そうだろう……?」

 

雨が止み、俺たちの間に陽が射した。

ムワっとした湿気が、辺りを包む。

 

「俺は……俺は雨宮慎二だ。誰の息子だとか、誰の生き写しだとか、そんなことで俺を見て欲しくはない。大淀、お前にしてもそうだ。俺は、俺という一人の人間として、お前と接していきたい。この島の艦娘をお前と共に、未来へと導いていきたいんだ……」

 

大淀は立ち上がると、何も言わず、門の方へと歩いていった。

 

「大淀」

 

その呼びかけに、振り向くことはせずとも、足を止めてくれた。

 

「……心配してくれてありがとう。また、暇なときにでも、顔を出してほしい。短い時間であったが――決していい交流とは言えなかったかもしれないが――俺はお前と話せて良かったと思っている。だから……」

 

その先の言葉は言えなかった。

だが、大淀は分かってくれたのか、何か反応する訳でもなく、ただ歩みを進め、寮の方へと去って行くのみであった。

 

 

 

その日の夜、昼寝のせいで眠れずにいると、武蔵がやって来た。

 

「武蔵、どうした? お前も眠れない口か」

 

「落ち込んでいるのだと思ってな。慰めに来たんだ」

 

「フッ、だとしたら遅いぜ。もっと早く来てほしかったものだ」

 

「すまない。どうしても貴様と二人っきりで話がしたかったものでな。この時間になってしまった」

 

そう言う武蔵の手には、何やら瓶と御猪口が握られていた。

 

「酒だ。海軍の連中も律儀でな。年に一度、お神酒用に支給してくれるんだ」

 

「飲めるのか、お前」

 

「強いという意味か? それとも、法律的な意味か?」

 

「どっちもだ」

 

「まあ、たしなむ程度には飲める。法律に関しては、元々人権と言うものが無いから、我々艦娘には適用されない」

 

『推定年齢』が二十歳を超えているか以前に――そうか……。

 

「そういう貴様は?」

 

「そっちの訓練もばっちりだ」

 

海軍にはいりたての頃、これは訓練だと、先輩に吐くほど飲まされたことを思い出す。

 

「肴もいくつか見繕ってきた。気持ちよく眠れる程度に、楽しもうじゃないか」

 

そう言うと、武蔵はいつもより近づいて、俺の隣に座った。

 

 

 

酒は決して美味いものではなかったが、武蔵の添える肴のお陰で、酒が進んだ。

 

「――なんてことを言うんだ。大和は悪い奴じゃないんだが、どうも鳳翔に依存し過ぎている」

 

「ありゃ凄い睨みようだった。とりゃしないってのに」

 

「鳳翔ほどのいい女を娶ろうと考えないのか。貴様は本当に男か?」

 

「そんな事をするためにここにいるわけじゃない。まあ、いい女であることは確かだと思うが、俺はどうも見透かされているようで」

 

「では、この島であれば、どんな女が好みなんだ? まさか、駆逐艦だとは言うまいな?」

 

「まさか。そんな趣味はない。しかし好みか……。考えたこともないな」

 

「童貞か、貴様」

 

「あぁ。それどころか、交際を持ったこともない」

 

あまりにもあっさりしている俺に、武蔵はつまらなそうに、柱へ深く寄り掛かった。

 

「並ならぬ覚悟を持って、ここまで来たという訳か」

 

「モテないだけだ」

 

「モテないだけ、か……。ただ気が付かなかっただけではないのか? 実際、貴様に好意を持っている奴らもいるだろうに」

 

「心当たりがある言い方だな」

 

「明石辺りは、そうなのではないかと思うことがある。駆逐艦の勧誘に一番献身的だったのは、他の誰でもない明石であったからな。提督の為、という感じであった」

 

心当たりがあるのはそれだけではないのか、武蔵はまるで思い出すかの様に空を見上げた。

 

「いずれにせよだ。俺にその気はない。その気がないからこそ、ここにいるのだ」

 

「フッ、なるほどな。この十数年、貴様ほどの男が現れなかったのも、納得できる。それほどに、ここに来るのは容易くないということだな」

 

「俺以外の男が軟弱なだけだ」

 

そう言って酒を一気に飲み干すと、武蔵は間髪入れず、酒を注いだ。

 

「おい、酔わせてどうする気だ?」

 

「嫌なら飲まなければいいだろう?」

 

まるで煽るように、ニヤッと笑う武蔵。

 

「フッ、男を焚きつけるのが上手いな」

 

「酔えば本心が見えてくる。私は貴様を信用しているが、貴様はどうだ? 私は、どうも心の距離を感じていけないよ」

 

少し寂しそうに、武蔵は言った。

 

「急にどうした? 酔ったのか?」

 

「かもしれないな」

 

武蔵も酒を飲み干すと、催促をするようにして、御猪口を掲げた。

 

「そんなに酔って、どうするつもりだ?」

 

注ぎながら言ってやると、武蔵は微笑んでみせた。

 

「貴様を知りたいのだ。同時に、この武蔵の事を知って欲しいのだ」

 

そう言う武蔵の瞳は、酔っているせいもあってか、いつもの厳しい瞳とは違い、優しいものに見えた。

 

 

 

酒は、もう半分以上無くなっていた。

 

「流石に酔ったぜ……」

 

柱に寄り掛かり、まだまだ余裕そうな武蔵に目をやった。

 

「強いな……お前……」

 

「そんなことはない。顔に出ないだけで、大分酔っているよ」

 

「とてもそうは見えないがな……」

 

「本当さ」

 

言われてみれば、少しだけ口調がマイルドになっている気がする。

険しい瞳も、どこか優しく――何よりも、口元がずっと、微笑んでいた。

そんな姿を見たものだから――酔っていたのもあって、俺は思わず心に仕舞うはずの言葉を零した。

 

「いつもそうしていれば、女っぽいのにな」

 

言った後、我に返った。

変な汗がぶわっと噴き出る。

 

「い、いや! すまない! 今のは……!」

 

焦る俺を見て、武蔵は微笑んで見せた。

 

「いいんだ。よく言われる。むしろ、強さを求めて来た私にとっては、女性らしくない方が正解だ」

 

それは強がりという訳ではなく、本心のようであった。

 

「貴様は、男に生まれて来て良かったと思うことはあるか?」

 

「え?」

 

「私は、時々思うんだ。どうして艦娘として――女性として生まれて来たのだろうと。何かを守るには、邪魔なものが多すぎる。この胸とかな」

 

見せつける様に、胸を持ち上げる武蔵。

どう反応すればよいのか分からず、俺は黙って武蔵の言葉を待った。

 

「艦娘として、守るものがあるのはいいとして、どうして女の姿なのだろうか。いくら体を鍛えようとも、男のそれに勝てないことがあるというのが、私にはどうしてもたまらない事であった……」

 

「……それでもお前は強かった。それは今も変わらないだろう」

 

「あぁ。その気持ちがあったからこそ、私は強くなった。皆から頼られる存在となり、私に挑もうなどと考える男もいなくなった。ただ一人を除いてな」

 

そう言って、武蔵は俺を見た。

 

「挑んだだけで、実際に勝った訳じゃない。お前の弱い部分につけこんだだけだ」

 

「だからこそ強いんだ。貴様は、私がどうしても鍛えられなかったところを打ったのだ」

 

「鍛えられないところ?」

 

「心だ。男も女も艦娘も関係ない、どうしても鍛えられない場所だ」

 

「心……」

 

「思えば、貴様が挑戦を受けた時点で、私は負けていたのかもしれない。言い出したのは私とは言え、正直、貴様が受けるとは思っていなかったのだ。私の強さ、実績、噂に至るまで、貴様を脅すのには十分すぎるほどの情報を耳にしてきただろう。それなのに、貴様はあの場に立ち、私に勝利した。しかも、この武蔵を地に伏せた」

 

武蔵が褒めると、何だかむず痒くなって、俺は終始うつむき、手を揉んでいた。

 

「貴様に負け、『守る』という事の意味を知った。男も女も関係ない『強さ』を知った。私が抱いていた疑問など、とるに足りないのだと知った」

 

武蔵は御猪口を置くと、俺に近づき、そっと肩を寄せた。

 

「武蔵?」

 

「貴様は、強いな……。この武蔵を倒してしまうのだから……。負けて、とても悔しかった。けれど……安心している自分もいたのだ……」

 

武蔵は俺の手を取ると、そこに自分の手を重ねた。

 

「貴様に負けて、『守る』を知った時、私は同時に『守られる』という事を知った。相手を尊重する……それはすなわち、守られる者の気持ちを知ることだ」

 

手の中の武蔵は、とても小さく、戦いを潜り抜けて来たそれとは思えないほど、きれいなものであった。

 

「守られる……。そんな気持ち、一度も考えたことが無かった。自分を守ってくれる存在など――自分よりも強い存在など、いなかったから……。でも、それを考え始めた時、それは存在していた。貴様だ……」

 

俺は思わず笑ってしまった。

 

「ただのペテン師だぜ」

 

「それでも、この武蔵に勝ったという事実がある。それだけで十分だ」

 

武蔵は一呼吸置くと、続けた。

 

「守られると、安心するという。不安がなくなるのだという。思えば、私はいつも、不安に駆られていたように思う。不安だから鍛えるし、不安だから強くあろうと思う。貴様に負けなければ、そんな事、認めるどころか、思うこともなかっただろう」

 

俺の手が、武蔵の頬に宛てがわれた。

 

「強くあろうとする以外に、安心できることがあるのなら、私はそれを知りたいと思った……。守られるという事を知りたいと思った……。それを教えてくれるのは、貴様以外にないのだ……」

 

武蔵の目が、俺を見つめた。

いつものドライな瞳からは想像も出来ないほど、潤み、美しく光るその目に、俺は思わず息を呑んだ。

 

「提督……」

 

まるで甘える子供のように、武蔵はそっと――だが、少しぎこちなさを見せつつ、向かい合い、俺に体を預けた。

 

「……どうすりゃいいんだ」

 

「撫でてくれればいい……。そっと抱きしめて……労ってくれればいい……」

 

その注文は、「くれればいい」というには、あまりにも難易度が高いように思えた。

相手があの武蔵なだけに、尚更――。

俺は酒を一気に飲み干すと、その勢いのまま、武蔵を抱きしめ、頭を撫でてやった。

 

「……ずっと、一人で戦ってきたのだな。お前は凄いよ。だが、もう安心していい。俺がついている」

 

酒でも入っていなければ、こんな臭い台詞を吐くことなんてなかっただろう。

徐々に顔が熱くなってゆく。

だが、当の武蔵は安心しているのか、小さく「うん……」と答えると、まるで猫が頬を擦ってくるようにして、甘え始めた。

最初こそは背筋がゾクゾクとして、何だか気味が悪かったが、時間が経つに連れ、慣れていった。

 

「甘えるのも悪くないな……。むしろ……癖になりそうだ……」

 

こんな感じになってしまうんだ。

本当に、頼れる存在が居なかったのだろうな。

あの大和ですら、武蔵を頼っている。

皆が死を恐れる中、武蔵は一人で戦ってきた。

本人も、怖くないはずがないのに――。

誰も助けてくれないから、自分が強くなる。

そうすることで、武蔵自身が救われてきたのだ。

 

「…………」

 

俺に敗れ、さぞ不安だっただろう。

 

『守られる者の気持ちを知った』

 

それは、『守られる者の気持ちを考えた結果』なのではなく、『守られる者の気持ちを痛感した』という意味だったのだろう。

武蔵がそれを自覚しているのかは分からない。

だが、不安に駆られていたのは、本当なのだろう。

 

「こんな所、皆には見せられないな」

 

揶揄うように言ってやる。

武蔵は顔を赤らめると、小さく言った。

 

「貴様の前だけでは、せめてこうさせてほしい……」

 

潤んだ瞳が、まるで小動物のそれに見えて、俺は思わず――。

 

 

 

「――督、提督!」

 

「んぁ……」

 

目を覚ますと、そこには明石の顔があった。

 

「やっと起きた……。大丈夫ですか?」

 

どうやら、酒に酔ったまま眠ってしまったようだ。

体には毛布が掛けられており、武蔵はもういなかった。

 

「あー……頭いてぇ……。今何時だ……?」

 

「もう10時よ」

 

夕張の冷たい目が俺を見つめていた。

その手には、昨日の酒瓶が、空になって握られていた。

結局、全部飲んだのか……。

 

「駆逐艦との交流が上手くいってないからって、お酒に逃げるなんてね……」

 

「提督、大丈夫ですか? そうだ。お水、お持ちしますね」

 

「あぁ、ありがとう明石……」

 

台所へ向かう明石。

夕張は呆れながら、瓶を片付けた。

 

「一人でこれだけ空けるって……」

 

「いや……武蔵も一緒だ……」

 

「え……? 武蔵さんと? なんで?」

 

「慰めに来てくれたとかで……。よく覚えてないが、とにかくあいつ、凄い酒に強いんだ……」

 

「夜中まで飲んでたの……?」

 

「夜中に来たから……多分、夜明け近くまでじゃないかな……。覚えてないが……」

 

「二人で?」

 

「あぁ……」

 

夕張の視線が、より一層冷たいものになった。

 

「なんだよ……?」

 

「別に……」

 

「提督、お水です」

 

「おう、ありがとう……」

 

水はとても冷たく、胃にしみわたるようであった。

 

「それにしても、提督も結構飲まれるのですね」

 

「まあ、強くはないがな」

 

「私もです! あ、そうだ。実は私、趣味で果実酒を作っているんですけど、そろそろ飲み頃なんです。今度、一緒に飲みませんか……?」

 

「果実酒なんて作ってるのか。いいな。是非飲もう」

 

「本当ですか? えへへ、じゃあ、出来上がったお伝えしますね」

 

明石の笑顔を見て、ふと、昨日の記憶が蘇る。

 

『実際、貴様に好意を持っている奴らもいるだろうに』

『明石辺りは、そうなのではないかと思うことがある』

 

「提督?」

 

「……いや、なんでも」

 

ああいわれると、そうなんじゃないかと意識していけないな。

 

「……そういえば、備蓄庫に食材が戻っていたわよ。大淀さんが戻したみたいだけど、何かあったの?」

 

「え?」

 

 

 

備蓄庫に行ってみると、確かに食材が戻っていた。

 

「本当に戻っている……」

 

「良かったですね、提督」

 

「あ、あぁ……」

 

良かった……か……。

大淀にどんな心境の変化があったのかは分からないが、おそらくは昨日の――。

だとしたら、これはあまりいい結果とは言えないように思えた。

 

「けど、これでもう提督にお弁当を持っていくことは無くなるわけね。残念。ね、明石?」

 

「え!? なんで私!?」

 

「だって明石、最近、料理頑張ってるじゃない。それって、提督にお弁当を作ってあげるためなんでしょ?」

 

「そうなのか?」

 

「べ、別にそういう訳じゃ……。ただ、もうちょっと料理を上手く出来たらって思っただけで……」

 

「ふぅん、どうかしらね~?」

 

夕張がニヤニヤ笑うと、明石は顔を赤くして怒り始めた。

 

「夕張!」

 

「あはは、分かりやすいんだから!」

 

逃げる夕張を追うように、明石は備蓄庫を飛び出した。

本当、仲いいよな、あの二隻は。

 

「ん……? なんだこれ……」

 

ふと、食材の中に、手紙のようなものが置かれているのに気が付いた。

見てみると、俺の名前が入っている。

 

「俺宛……という訳か……」

 

開けて見てみると、そこには、手書きの島の地図が入っていた。

地図には、島の中心にある山の頂上付近にバツ印が描かれており、家から印の位置までのルートが、赤ペンで結ばれていた。

裏には小さく「2100に×の場所へ」と書かれている。

差出人は書かれていないが、食材を備蓄庫に戻したのが大淀であるのなら、これは――。

 

「…………」

 

こんな場所に呼び出して、大淀は一体何をするつもりなのだろうか。

俺の正体を知り――佐久間肇を忘れることの出来ないあいつは、一体――。

 

「提督? どうかしましたか?」

 

「……いや、なんでもない」

 

手紙をポケットにしまい、俺は備蓄庫を出た。

 

 

 

昼頃になると、鳳翔がやってきて、武蔵といつもの駆逐艦二隻が、今日は遊びに来れないのだと俺に伝えた。

 

「何かあったのか?」

 

「いえ、今日は寮で遊びたいのだと、二人が……」

 

まあ、ここ最近ずっと来ていたしな。

昨日の雨で地面もぬかるんでいるし。

 

「それと、武蔵さんの様子が少し変なんですよね。今朝からぼうっとされていて……」

 

結構飲んだからな。

流石の武蔵も、飲んだ翌日は辛いのだろう。

 

「それにしても、備蓄庫の聞きましたよ。提督、何をしでかしたのですか?」

 

「なんだその言い方……。まるで俺が大淀に何かしたみたいな……」

 

「あ、やっぱり大淀さんと何かあったのですね。私、大淀さんとは一言も言ってませんよ」

 

こいつ……。

 

「……本当、お前は鋭い奴だよ」

 

やはり見透かされているようで、俺はどうも……。

 

「何があったのか、お聞かせ願いますか?」

 

「その鋭い勘で当てたらどうなんだ」

 

嫌味っぽく言ったつもりだったが、鳳翔は真に受けたようで、何やら考え始めた。

 

「そうですねぇ……。これはあくまで勘ですけれど、提督と大淀さんって事は、きっと佐久間さん関連じゃないのかしらって……」

 

鳳翔が俺を見る。

俺は平静としていたつもりであるが、それが却っていけなかったようで――。

 

「……もしかして、提督が佐久間さんの息子だと、大淀さんが気が付いて、問い詰められた提督がそのことを認めた……。もしくは、提督自身がバラしたとか……」

 

俺は何も言わなかった。

鳳翔は察したように、小さく言った。

 

「やっぱり、あの写真に写っていたのは、提督だったのですね……」

 

鳳翔はそれ以上を言わなかった。

言わないことが、俺への配慮だと知っていたからだ。

変なところで鋭い癖に、そういう配慮は出来るのだから、本当に厄介だ。

 

 

 

夜になり、俺は地図に示された場所へと向かう事にした。

 

「はぁ……はぁ……ったく……なんだよこの道は……」

 

道、ではあるのだが、舗装されているわけではなく、幾度か人が通ってできた道、という感じであった。

歩き始めてから十分以上、昨日の酒が抜け切れていないのか、はたまた体力の衰えか――いずれにせよ、引き返してやろうかと思うほど、俺の気分は萎えていた。

 

「一体ここで何をしようというんだ……」

 

ふと、後ろを振り向いてみる。

当然だが、景色は高くなっており、いつもは島の高い岸壁に隠れている港が、姿を現し始めていた。

 

「……頂上からなら、本土の夜景が綺麗に見えるだろうな」

 

もしかしたら、大淀はそれを見せたいのか、或いは――。

 

「……はぁ。行くか……」

 

息を整えてから、俺は再び印の場所へと歩き始めた。

 

 

 

「おぉ……」

 

印の場所には、大きな風力発電機が建っていた。

その周りはフェンスで囲まれていて、入ることが出来ないようになっている。

 

「しかし、回っているところ、見たことないんだよな」

 

島から見て裏手の方には、舗装されたスロープが下の海の方へと伸びていて、その終点には小さな船用の泊地のような場所があった。

おそらく、風力発電機の点検の際に使われる道なのだろう。

確かにこれなら、艦娘に接触することもない。

 

「まだ時間には早かったか……」

 

島の表側を望める場所に大きな岩が転がっていて、俺はそこに座った。

目の前に広がる海。

右手には、本土の夜景が望める。

 

「いい場所だ……」

 

こんなロマンチックな場所に俺を呼び出して、大淀は何をしようってんだろうか。

そんな事を考えながらぼうっとしていると、後ろから何かが歩いてくる音がした。

大淀かと振り向いてみると、そこには、鹿島が立っていた。

 

「え……」

 

「鹿島?」

 

お互いに、数秒固まった。

理解に追いついたのは、俺が最初のようであった。

 

「……そういうことか」

 

大淀は、鹿島がここに来ることを知っていて――もしくは鹿島をここに呼びよせ、俺と会わせたのだ。

俺が駆逐艦と上手くいっていないことを知っていて――俺が佐久間肇の息子だから――。

 

「……どうして貴方がここに」

 

鹿島の表情が、険しくなってゆく。

 

「俺は一杯食わされたんだ。念のために聞いておくが、この手紙はお前が書いたものか?」

 

手紙を見せると、鹿島は怪訝な表情を見せた。

そして、小さく「大淀さんの字です……」と言った。

 

「やはりそうか……。俺はこの手紙の通り、ここに来たんだ。お前は誰に一杯食わされたんだ?」

 

「……私は」

 

何かを言おうとして、鹿島は口を噤んだ。

 

「どうした?」

 

「……貴方には関係ありません」

 

そう言うと、鹿島は来た道を戻り始めた。

 

「あ、おい! 鹿島!」

 

俺の呼びかけにも応じず、鹿島はそそくさと去って行った。

あんな獣道なのに、鹿島の足取りはなんとも軽快で、慣れているようであった。

 

 

 

翌日。

朝早くから備蓄庫で張っていると、案の定、大淀がやって来た。

 

「よう」

 

大淀は、俺がここにいる意味を知っているのか、目を逸らす様に俯いた。

 

「俺が手紙をちゃんと受け取ったのか、確かめに来たって所か?」

 

大淀は何も言わない。

 

「……やはりお前だったか。昨日、地図の通り、あの場所へ行った。そしたら鹿島が来た。ありゃどういうことだ?」

 

観念したのか、大淀は小さく息を吐くようにして、零した。

 

「鹿島さんはあの時間……必ずあの場所へ行くので……お二人が交流を持つには……都合が宜しいと……」

 

「……どういう風の吹き回しだ? 何故そんな事を……」

 

大淀は答えない。

 

「……俺が佐久間肇の息子だからか? 俺に協力すれば、佐久間肇に協力している気になれるからか?」

 

大淀は深く目を瞑ると、弱弱しい声で「分かりません」と答えた。

 

「私にも……分かりません……」

 

「分からない……。分からないまま、行動したと言うのか?」

 

「理解してくれとは言いません……。ただ、貴方が佐久間さんの息子だと知ってから……私は……」

 

大淀はその先を言わなかった。

或いは、まだ理解していないのか――。

 

「……とにかく、鹿島との交流の機会を与えてくれたのはありがたい。しかし、俺はあくまでも、佐久間肇とは関係なく、お前にそうして欲しかったぜ……」

 

遠くで、鶏が鳴き始めた。

同時に、昇って来た朝陽が俺たちを照らす。

 

「……利用すればいいじゃないですか。佐久間さんの息子であることを……。そうすれば、大抵の艦娘は言うこと聞くと思いますよ……」

 

「そうはしたくない」

 

「どうしてですか……?」

 

「お前がそれを一番よく分かっているんじゃないのか」

 

その意味が大淀に伝わったのかは分からない。

だが、何か思うところがあったのか、大淀は悲しそうな瞳を見せた。

 

「佐久間肇が何故『戦犯』と呼ばれているのかを知っているか? お前たち艦娘に『死を恐れる』心を植え付けたからだ。佐久間肇の死は、お前たちに『呪い』を齎したという訳だ。俺は、その『呪い』を解くために、ここにいる。それは息子だからじゃない。それが俺の――雨宮慎二の仕事であるからだ」

 

寮の方が騒がしくなり始め、誰かの声が大淀を探していた。

 

「……呼んでるぜ」

 

大淀は何か反応するわけでも無く、寮の方へと歩き始めた。

 

「……大淀」

 

立ち止まると、耳だけが俺を向いた。

 

「『呪い』は、必ずしも『死を恐れる』事だけではない。お前に纏わりついている影……佐久間肇の影も、その一つなんだぜ……」

 

大淀は再び歩み始めた。

どう感じたのか、はたまたそんなことは知っているのか――いずれにせよ、俺は少しだけ、大淀の心に近づけたような気がした。

そして同時に、俺自身もまた『呪い』にかけられているのだと――そう思ったのだった。

 

 

 

お昼になると、やはり鳳翔がやってきて、駆逐艦が来れない事を聞かされた。

 

「またか……」

 

「まあ……仕方がないですね……」

 

「……もしかして、俺が居るからなのではないか? 最近だと、一緒に何かすることも多かったし、あいつら的には、それが嫌だったんじゃ……」

 

「そんなことは無いと思いますけれど……」

 

鳳翔の視線が、俺から外れる。

思い当たる節があるという訳か。

 

「俺が嫌で、遊具で遊ばなくなるのは避けたい。駆逐艦たちに、俺は昼から夕方にかけては、ここにいないという事を伝えてはくれないか?」

 

「え……でもそれだと……」

 

「頼む」

 

鳳翔は少し困った表情を見せた後、「分かりました……」と承諾してくれた。

 

 

 

夜。

昨日と同じ時間、昨日と同じ場所に、俺は来ていた。

 

「昨日と違って、少しだけスムーズに登って来れたな」

 

昼間、鳳翔にこの場所の事を聞いてみると、どうやら鹿島にとって特別な場所らしい。

その理由は分からないとのことであったが、毎日ここに来るくらいだから、相当な思い入れがあるのだろう。

もしかしたら、鹿島の秘密に迫れる何かがあるのかもしれない。

 

「ん……来たか……」

 

足音に振り向く、鹿島はやはり、怪訝な表情をして、そこに立っていた。

 

「よう」

 

去ろうとする鹿島。

その背中に、言ってやる。

 

「鹿島! 帰るのか!? 明日も待ってるからな! 雨が降ろうと雪が降ろうと、ここに居るからな!」

 

俺の言葉が聞こえたかは分からないが、とりあえずはこんなものだろう。

 

「……明日から大変だ」

 

 

 

翌日。

朝早くに、寮から見える場所で立っていると、大淀が出て来た。

 

「よう、おはよう」

 

「……おはようございます」

 

「お前、誰よりも一番に早起きをして、一日の準備をしているんだってな。鳳翔から聞いたよ」

 

「……私を待っていたのですか?」

 

「あぁ」

 

そう聞いて、大淀は少しだけ不安な表情をみせた。

 

「そんな顔するな。ただ、謝っておきたいことがあっただけだ」

 

「謝っておきたいこと……?」

 

「佐久間肇のことだ。俺は、佐久間肇を利用することをしたくはないと言ったが、がっつり利用することになってしまった」

 

「え……?」

 

「鹿島の事だよ。鹿島があの場所にいるとお前から聞いて――佐久間肇を利用して、これから俺は、鹿島と交流をすることになる。だから、利用したくはないと言いつつ、利用する結果になることを謝りに来た」

 

大淀は、俺が何を言っているのか、よく分かっていないようであった。

 

「――つまりだ、俺はこれから毎日、お前の教えてくれた場所に行って、鹿島と交流することにしたんだ。お前の情報を利用する=佐久間肇を利用するということだろう? だから、お前にあんな口を叩いておいて、結局そうなってしまったことを謝りに来たって事だ」

 

大淀は表情を変えないまま、口を開いた。

 

「……いえ、それは分かっているんです。私が分からないのは、どうしてそんな事を言いに来たのかって事です。そんなの、黙っていればいいじゃないですか……。謝る必要なんてないじゃないですか……」

 

「いや、そういう訳にはいかない。俺は俺の信念を以て、お前に色々言ってしまったのに、結局、その信念を崩すことになったんだ。謝るのは当然だ」

 

「いえ、ですから……そんなことはどうでもいいんです……。貴方がどう思っているのかは知りませんけど、別に私は……」

 

「じゃあ、俺が許せないから、お前に謝らせてほしい。悪かった」

 

頭を下げ、顔を上げると、大淀は何故か、小さく笑っていた。

 

「何かおかしいか?」

 

「いえ、すみません。変な人だなと思いまして」

 

「……よく言われる」

 

「本当、貴方は――……」

 

大淀はそこまで言うと、口を噤んだ。

 

「大淀?」

 

「……とにかく、貴方が謝りたいというのなら、勝手にどうぞ。私は何も、気にしていませんから……」

 

「なら、そうさせてもらおう」

 

「……本当、変な人。そういうところが――」

 

強い風が吹いて、大淀の言葉をかき消した。

 

「……そろそろ皆が起きてくる頃です。鹿島さんとの交流、上手くいくと良いですね……」

 

「それはお前の本心か? それとも、影に言わされているのか?」

 

大淀は答えることをせず、風に乱れた髪をかき上げると、そのまま振り返り、寮の方へと去って行った。

 

「佐久間肇……」

 

お前は死してなお、俺を――『俺たち』を苦しめるのだな……。

 

 

 

その日の昼、俺が家に居ずにいると、案の定、駆逐艦が遊びに戻ってきたようであった。

 

 

 

夜。

一時間ほど待ってみたが、鹿島がやってくることはなかった。

だが、これでいい。

俺がここにいると信じ、あいつは来なかったのだ。

どんな形であれ、俺の事を信じたという結果が、今日一番の収穫だった。

 

 

 

翌日も昨日と同じであった。

昼は俺が不在の家に駆逐艦が来て、夜は鹿島が来なかった。

 

 

 

次の日は少しばかり違った。

というのも、朝から雨が降っていたのだ。

俺は念のため家を空けてみたが、駆逐艦が遊びに来ることはなかったらしい。

 

「さて、今日は絶対来ないだろうが、雨でも居ると言ってしまったしな」

 

そんな事を一人言いながら、あの場所へと向かった。

地面がぬかるんでいるため、かなり苦労したが、なんとか無事に着くことが出来た。

だが、当然、鹿島が来ることはなく、俺は再び苦労しながら、家路についた。

 

 

 

翌日も雨だった。

同じようにあの場所へと向かう。

鹿島は来なかった。

 

翌日も雨だった。

鹿島は来ない。

 

翌日は晴れたが、鹿島は来なかった。

 

その翌日も、その翌日も、その翌日も――。

 

 

 

あの場所を知ってから、二週間近くが経とうとしていた。

流石に皆も、俺が何をしているのか気が付いたようで、心配する声がポツポツと挙がり始めていた。

 

「提督、今日も向かわれるのですか……?」

 

「あぁ、鹿島が来るまでな。今日はよく晴れているし、来るかもしれんぜ」

 

そう笑って見せても、明石の表情は変わらなかった。

 

「でも……今日くらいはお休みされてはいかがですか……? 昨日、怪我をされたのですよね?」

 

「大したことはない。ちょっと足をひねっただけだ」

 

「……そうだ、前に言っていた果実酒がいい出来なんです。怪我の様子を見る必要もあるし、今日はお酒を飲むって事で、いかがでしょう?」

 

「ありがとう。だが、それはまた今度にしてくれ。あれだったら、鹿島との交流が成功した時にでも」

 

明石が何も言えないでいると、夕張が口を開いた。

 

「明石は心配しているのよ。自分の為に、提督が無理をしているんじゃないかって……」

 

それに、明石は俯くだけであった。

 

「そんなんじゃない。俺がそうしたいから、しているだけだ。確かにお前を外に出してやるとは言ったが、これは別だ。気負うことはない。それに、俺はあの武蔵に挑み、勝った男だぜ。大丈夫だ。信じて待っていてくれ」

 

そう言って、明石の頭を撫でてやる。

不安な表情は変わらないが、分かってはくれたようであった。

 

「……心配しているのは、明石だけじゃないんだからね。鳳翔さんとか、武蔵さんも心配しているんだから……」

 

「お前は心配してくれないのか?」

 

「……私が心配したら、行かないでくれるわけ?」

 

俺が何も言えないでいると、夕張は大きくため息をついた。

 

「鳳翔さんからの伝言……。無理だけはしないでくださいね……だって。武蔵さんも、そんな感じの事を言っていたわ……」

 

「諦められているのがよくわかるぜ」

 

「それだけ信じられている……とも取れるんじゃない……?」

 

そう言うと、夕張は退屈そうに膝を抱えた。

 

「私は……鳳翔さんや武蔵さんみたいには言えないわ……。あんな危ないところ……。人間なんだし……何かあったら……」

 

明石も同じなのか、表情を曇らせた。

 

「心配してくれているんだな。ありがとう、明石、夕張。だが、人間だからこそ――命ある者だからこそ、この行動には意味があると思うんだ。お前たちの気持ちは痛いほど伝わっている。無下にしてごめんな……」

 

首を横に振る明石とは違い、夕張は納得がいっていない様子であった。

 

 

 

二週間も登っていると、スイスイ登れてしまう為、逆に退屈になり、新しい道を模索し始める。

昨日はそれで足を取られた訳だが、こういう事でもしないと、モチベーションが上がらない。

鹿島が来てくれると信じてはいるが、流石に二週間も続くと――。

 

「さて……昨日はあっちに行ったが、今日はこっちに行ってみるかな」

 

このままずっと鹿島が来なければ、俺はただの島を探索する馬鹿な男になってしまう。

――いや、或いはもうなっているのかもしれないが。

 

「そちらは、やめた方がいいですよ……」

 

一瞬、幻聴――女神の啓示かと思った。

だが振り向くと、そこには――。

 

「鹿島……? え……お前……鹿島……!?」

 

自分でも何の確認をしているのか、よく分かっていない。

それほどに、俺は動揺していた。

 

「他の誰に見えるというのですか……」

 

そう言うと、鹿島はいつものルートを歩み始めた。

 

「あ、おい!」

 

 

 

鹿島は恐ろしいほどのスピードで、あの場所へと登っていった。

 

「はぁ……はぁ……ついた……」

 

息を切らす俺とは違い、鹿島は、まるで眠るような静かな息遣いで、本土の夜景を見つめていた。

 

「はぁ……」

 

息を整え、再び鹿島に目を移す。

鹿島が居る。

ずっと待っていた鹿島が――もう来ないんじゃないかと諦めかけていた鹿島が、ここにいる。

その事実が、俺に謎の感動を与え、しばらく話しかけることが出来なかった。

 

「ふぅ……よし……」

 

いつも待機している大きな岩に座ると、鹿島は俺を一瞥してから、隣に座った。

永い永い沈黙が続く。

当初は、何を話そうかと色々考えてはいたものだが、鹿島が来たという事実が、俺の頭を鈍らせていた。

そんな俺を見かねてか、はたまた沈黙が気まずかったのか、鹿島が口を開いた。

 

「……嫌になりますよ」

 

「え?」

 

「毎日毎日……鳳翔さんや武蔵さん……大淀さんまで、私を説得してくるのですから……」

 

「説得……?」

 

「貴方と交流をしてあげてください……って……」

 

そう言うと、鹿島は大きくため息をついた。

 

「……それで仕方なく、来てくれたって訳か」

 

鹿島は返事をしなかった。

その瞳はずっと、本土の夜景を見つめている。

 

「そうか……。それは……悪いことをしたな……」

 

「……何故貴方が謝るのですか?」

 

「俺が不甲斐無いから――見てられないものだから、皆が行動を起こした。俺がもっとしっかりしていれば、お前にそんな思いをさせずに済んだのかもしれないと思ってな」

 

それを聞いた鹿島は、何やら下唇をキュッと噛み締め、何かを思っていた。

 

「俺はてっきり、自主的に来てくれたのだと思っていたよ。毎日毎日、ここに来ている俺に折れてくれたのだと」

 

「……驕りもいい所ですね。私が貴方に同情するとでも……?」

 

「あぁ、お前はすると思っている。そうでなければ、あの時の風呂敷包みは、玄関に置かれていなかっただろう」

 

「……あれはそう言う意味では」

 

「じゃあ、どんな意味だったんだ?」

 

鹿島は何か答えようとして――だが何も言えず、閉口した。

 

「とにかく、お前がここに来てくれた理由は分かった。悪かったな。あいつらには、俺から言っておく」

 

そう言って立ち上がると、鹿島はやっと俺を見た。

 

「交流……しなくていいのですか……?」

 

「する気が無いようだからな。俺が今まで交流を成功させてこれたのは、あいつらが少しでも俺に関わろうとしてくれたからだ。関わろうとする気持ちをこじ開けたからこそ、成功して来れたんだ。お前のように、嫌々や苦しみから逃れるために来てくれた奴を説得できるほど、俺に能力はないよ」

 

そう言って、弱弱しく笑ってやると、鹿島は目を逸らす様にそっぽを向いた。

 

「明日もここに居る。もし気が変わったら、同情してくれることがあったら、来てくれると嬉しい。じゃあ、悪かったな……。お休み」

 

目を逸らし続ける鹿島を尻目に、俺はその場を後にした。

 

 

 

足を気遣いながら下っていると、急に何かに腕を取られた。

 

「うぉわ!?」

 

熊か何かと思い、振り向くと――。

 

「か……鹿島……?」

 

鹿島は手を離すと、何も言わず、俯いた。

 

「……気が変わったか? 同情したか?」

 

鹿島は何も言わず、再び登り始めた。

今度はゆっくりと、俺のペースに合わせながら――。

 

 

 

先ほどと同じように岩に座る。

鹿島も、同じように。

そして、やはり本土の夜景に目を向けるのであった。

 

「呼び止めてくれてありがとう。嬉しかったよ」

 

鹿島は答えない。

或いは答えられないでいるのか。

 

「……話をしてもいいか?」

 

鹿島はゆっくりと首を縦に振ると、俺の言葉を待った。

 

「ありがとう」

 

一呼吸おいてから、俺は話を始めた。

 

「正直に話す。俺は、俺の力だけでは、駆逐艦と交流を深めることが出来ない。お前の協力が必要だ」

 

鹿島に反応はない。

俺は続けた。

 

「お前に協力して貰う為、俺はお前と交流を持とうと思った。尤も、島の艦娘を全て島から出すのだから、お前との交流は必然ではあったのだが……。しかし、お前は何故か、異常に思える程、人間を避けている。最初は、ただ死を恐れ、人間を避けているのかと思った。駆逐艦を守る為であるのだと思った。だが、あの日……お前が風呂敷包みを持って来たあの日を境に、そうではないのかもしれないと思い始めた」

 

鹿島は夜景から目を離すと、じっと、自分の手を見つめていた。

 

「八百万豪……」

 

その名を言った時、明らかに鹿島の目の色が変わった。

 

「山風から聞いたよ。お前と香取さん……そして、八百万豪という男の事を……」

 

鹿島は深く目を瞑ると、震える手を胸に当てた。

 

「その男をめぐる色恋沙汰によって、香取さんは島を出ていったと聞く。その男を追って……」

 

雲に隠れていた大きな月が顔を出し、二人を照らした。

 

「お前が俺を避けるのは、その事と何か関係があるのではないか……?」

 

鹿島はゆっくりと目を開けると、震えの止まった手を膝に置いた。

 

「俺に……話してくれないか……? 何があったのかを……。お前の事を……」

 

鹿島は口を開かない。

ただ、小さく下唇を噛むだけであった。

 

「……分かった。じゃあ……俺から話すよ」

 

「え……?」

 

「俺の事を話す。正直、話したくはないが……。それはお前も一緒だと思う。だから、フェアに行こうじゃないか」

 

そして俺は、自分の事を全て話した。

俺の正体。

この島へ来た目的。

その経緯に至るまで――まだ誰にも話していないことさえ、鹿島に話してやった。

その間、鹿島はじっと俺の瞳を見つめ、静かに聞いてくれていた。

 

「――以上だ。悪いな、つまらない話で……。だが、俺にとっては大事な事で――本当は誰にも知られたくないことであったのだ……」

 

鹿島の目は、もうすっかり同情の色に変わっていた。

 

「……そうだったのですね」

 

「聞かせておいて悪いが、皆には内緒にしておいてほしい……」

 

「……言いませんよ。むしろ……良かったのですか……? そんな大事な事を私に話してしまって……」

 

「それだけの事を聞き出そうとしているのだと、分かっているつもりだ。むしろ、俺のこんな話では、釣り合わないのではないかと、思っているくらいだ」

 

「そんなことは……」

 

いつの間にか、俺と鹿島の距離は近づいていた。

物理的にも、精神的にも――。

 

「優しいんだな……」

 

「……私は別に、優しくはありません。現に、貴方を傷つけてしまいました……」

 

「……それは、八百万豪や香取さんにも言える事か?」

 

一瞬の静寂。

潮風が、鹿島のツインテールを揺らした。

 

「鹿島……」

 

「…………」

 

「聞かせてくれないか……? お前の事を……」

 

深く目を瞑る鹿島。

永い沈黙が続く。

やがて、意を決したのか、目を開き、本土の夜景に目をやりながら、鹿島は語り始めた。

 

 

 

 

 

 

あれは、佐久間さんが亡くなってから、数か月後の事でした。

新しい方が出向してくると聞き、私と香取姉は、その対応をすることになりました。

本来は大淀さんのお仕事なのですが、佐久間さんの事があった後ですから、大淀さんは――。

 

「鹿島、貴女も辛いでしょうけれど、大淀さんが塞ぎ込んでいる今、私たちが頑張るしかないのよ」

 

「分かっています……。でも、大丈夫でしょうか……。新しい方のお名前、八百万豪さん……ですよ……。もしも、とても怖い方だったら……」

 

そんな事を話していると、一隻の船が到着しました。

 

「香取姉ぇ……」

 

「大丈夫よ……」

 

重さんの後に、体の小さな男の人が降りてきました。

最初は、重さんの息子さんかと思いました。

それほどに、海軍の方とは思えないほど、何とも頼りなく見えたのです。

 

「八百万豪です。よろしくお願いいたします」

 

深々とお辞儀をするその姿に、私と香取姉は、不安な顔を見合わせたのをよく覚えています。

 

 

島に来てしばらくして、八百万豪さんは――どうも言いにくいので、呼んでいた『提督さん』とさせてもらいますね――提督さんは、すぐに皆さんと仲良くなりました。

尤も、『提督』や『司令官』のような器ではないと判断されたのか、『ごっちん』なんてあだ名をつけられるほどで――とにかく、友達のような存在だと認識されたのだと思います。

ただ、それで仲良くなったからと言って、いい事ばかりではありません。

 

「提督! ここにいらしたのですね……。全く……」

 

「香取さん」

 

「備品の申請、本土へ向かう時に、一緒にしてと欲しいと申し上げたはずですが……?」

 

「あ~……そう言えば……。すみません……失念していました……」

 

「失念って……。はぁ……そんな事だろうと思いました……。大体貴方は……」

 

こんな感じで、少しだらしないというか、覇気がないというか……。

香取姉が居ないと、危なっかしい人でした。

 

 

「はぁ……聞いて鹿島……。提督ったら、またあの書類を――」

 

「そうなのですね……。香取姉も大変ですね……」

 

「そうなのよ……。本当、だらしのない人ですわ……」

 

私はいつも、香取姉の愚痴を聞く係でした。

 

「また失敗してしまった……。香取さんに怒られる……」

 

「大丈夫です、提督さん。私も一緒に謝りますから」

 

また、提督さんの慰め役でもあったのです。

提督さんは、中々上手くいかないことばかりで、いつも香取姉を怒らせて……。

香取姉は、そんな提督さんにしっかりしてもらおうと、お叱りを続けていました。

 

 

そんなことが続いたある日の事です。

朝、誰かが怒鳴り合っているような声で目が覚めました。

何事かと声の方へと向かってみると、そこには香取姉と提督さんが居ました。

 

「僕だって努力しているんです! それをまるで何もしていないかのように……。何もそこまで言う必要ないじゃないですか!」

 

「実を結ばない頑張りは努力とは呼べません! 大体、提督にはやる気が見られません! 頑張っただけで満足されていては困ります!」

 

「お、お二人とも、一体、どうされたというのですか?」

 

私が割って入ると、二人はそれぞれ、相手に対しての不満を口にしました。

簡単に言うと、いつものように提督さんが失敗し、それを香取姉が責めたようで――けれど、それは提督さんのミスというよりも、そもそもの仕組みが悪いようで――とにかく、流石の提督さんも、自分ばかり責める香取姉に、堪忍袋の緒が切れた様子でした。

 

「もうウンザリです……。僕だって、本当はこんな仕事……したくないんだ……」

 

そう言って、提督さんは飛び出していきました。

 

「提督さん! か、香取姉……」

 

「……放っておきましょう。ああいう人なのよ……。全く……」

 

呆れる様な口調ではありましたが、香取姉もどこか、言い過ぎてしまったというような、複雑な表情を浮かべていました。

 

 

飛び出していったと言っても、この島の中ですから、提督さんはすぐに見つかりました。

 

「やっぱりここだったのですね」

 

「鹿島さん……」

 

提督さんは落ち込むと、いつも、『この場所』に来ていたので――案の定でした。

 

「……何の用ですか? また慰めに来てくれたのですか?」

 

「そんなところです……」

 

「……ありがたいですけど、それに甘えては、僕はやっぱり駄目な男のままなのだと思います。だから、今日ばかりはそっとしておいてください。大丈夫、あとでちゃんと戻って、香取さんに謝りますから」

 

そう言うと、提督さんは弱弱しく笑い、本土の景色に目を戻しました。

 

「……あの、先ほどの事ですけど。仕事、本当はしたくないって……」

 

「あぁ……別に、皆さんと一緒に居るのが嫌だとか、そういう事ではありません。ただ、上のやり方にウンザリしているというだけで……」

 

「上のやり方……ですか?」

 

「えぇ……。僕がこの島に来た時、疑問に思いませんでしたか? こんな情けない男が、どうしてこの島に来れたのだろう……って……」

 

私は何も言えませんでした。

その通りでしたから……。

 

「僕がここに来たのは、新しい試みというか……実験の為なんです」

 

「実験……ですか……?」

 

「この島に出向する人間は、そのほとんどが優秀で、艦娘を島の外へ導く、リーダーシップを持った人間が選ばれてきました。しかし、そんな人間だけでは導けない艦娘もいます。人間を恨む艦娘や、人間よりも優れていると思っている艦娘――心当たりがあるかと思います」

 

確かに、そういう艦娘がいるのも事実でした。

――ちゃんや――さんなど、とにかく、癖の強い艦娘は、あの佐久間さんにも、完全に心を開くことをしませんでした。

 

「そこで僕なんです。知っての通り、僕は何をやっても駄目で――しかし、それが却って良かったようで、海軍は実験的に、僕をこの島へと出向させたのです。今までとは真逆の性格を送り込めば、或いはそういった艦娘の心を動かせるかもしれない……と」

 

「……無理やり、連れてこられたという事ですか?」

 

「いえ……断ることもできました……。でも……馬鹿にされたのが悔しくて……。情けない自分が許せなくて……。この仕事を受け、成功すれば、僕を馬鹿にしてきた連中を見返すことが出来ると思って……」

 

「それで……この島に……」

 

「ただ、情けない自分を武器にしたくはなかった……。新しい試みなんて――実験なんてしたくはなかった。この島で成長して、成長した僕の力で、艦娘を外に出したかった。だから、たくさん努力したつもりです……。でも……やっぱり駄目でしたね……。香取さんの言う通り、結果が出なければ、それはただの足掻きなんです……。結局僕は、モルモットのように、僕本来の仕事をするしか道はないのかもしれません……」

 

何か慰めの言葉を言おうとした時、後ろから声がしました。

 

「そんなことはありません……」

 

声の主は、香取姉でした。

 

「香取さん……」

 

「今のお話……全て聞いていました……。そんな事とは知らず、私は……」

 

「……いえ、香取さんの言っていることは事実ですから。それよりも……」

 

「「ごめんなさい」」

 

二人の声が重なりました。

 

「どうして提督が謝るのですか……」

 

「香取さんこそ……。悪いのは僕です……。香取さんは、僕を想って言ってくれたのに……」

 

「それでも、言い過ぎたことは事実です……。もっと……提督の立場を考えていれば……」

 

「いえ……しかし――」

 

「だとしても――」

 

それから二人は、時間をかけ、お互いに対して思う事や自分たちが持っている信念など――とにかく、色々な事を話しました。

遠慮も何もなく、本気で思いを打ち明けていました。

それは夜が明けるまで続き、陽が昇る頃、香取姉と提督さんは、お互いをよき理解者と認識できるほどに、心も体も近づいていました。

 

「僕は、艦娘を島から出して見せます。実験や試みなんて関係ない、僕の力で……。だけど、僕の成長には、香取さん、鹿島さん、貴女たちの力が必要です……。こんな情けない僕ですけど……これからも力になってくれますか……?」

 

私も香取姉も、答えは一緒でした。

そこから、私たちの関係は始まったのです。

そう、あの時から――。

 

 

提督さんは、今まで以上に努力するようになりました。

失敗することも多かったけれど、それでも諦めることはせず、前に進もうと努力していました。

そんな提督さんを香取姉は献身的に支え続けました。

私はというと、いつもと変わらず、提督さんが落ち込めば、慰めることしかできませんでした。

 

 

私たちは毎日欠かさず、反省会と称し、『この場所』を訪れていました。

あれが駄目だったとか、こうすれば良かっただとか――。

その度に、心の距離は縮まって――けれどそれは、あまりにも近すぎたようで――。

 

 

ある日の晩の事です。

香取姉が私の部屋を訪ねてきました。

 

「香取姉、どうしました? こんな夜遅くに……」

 

「鹿島……。私……変なの……」

 

「変?」

 

「えぇ……」

 

話を聞くと、ここ数日、心が締め付けられているような、そんな感覚に襲われる事が多いそうで、その正体が分からず、不安で眠れていないとのことでした。

 

「艦娘は病気にならないでしょう……? なのに……私、怖くて……」

 

香取姉が怯える姿を見せるのは、後にも先にもその時だけでした。

 

「どういう時に、その症状が出るのですか……?」

 

「どういう時……」

 

香取姉は、思い出すかのようにして、目を瞑りました。

 

「そうね……。将来の事を考えた時かしら……」

 

「将来……ですか……」

 

「もし、このまま提督が成長して、島の艦娘を全て『人化』出来たら、この関係は、どうなってしまうのだろうって……」

 

「どうって……」

 

「この関係は、仕事だから成り立つのであって、その仕事が済んだら……提督は私たちに会ってくれなくなるんじゃないかって……」

 

「そんなことは無いと思いますけど……」

 

「でも、今の関係はそういう事でしょう……? 私は……」

 

そう言って、香取姉は胸に手を当てました。

その時私は、気が付いてしまいました。

香取姉は、提督さんに恋をしてしまったのだと。

仕事だけの関係ではなく、心から繋がるような――恋人のような、確かな関係を欲してしまったのだと――。

 

「香取姉、それはね――」

 

私は、香取姉にその事を伝え、応援することにしました。

 

「――きっと提督さんなら、香取姉の気持ちに応えてくれるはずです。私も、香取姉と提督さんが上手くいくよう、応援します!」

 

「鹿島……。ありがとう……」

 

 

それから私は、事あるごとに理由を見つけては、香取姉と提督さんを二人っきりにしました。

反省会も、駆逐艦の相手をすると言って、行かないこともしばしば……。

 

「今日、提督にお弁当を食べていただいたの。美味しいって言ってくださったわ」

 

「頑張った甲斐がありましたね。この調子で提督さんのハートを掴みましょう!」

 

「えぇ。鹿島、本当にありがとう。いつもいつも協力してもらっちゃって……」

 

「いえ、お二人の為ですから!」

 

事は順調に進んでいました。

そう、あの日の事が起こるまでは……。

 

 

ある日、私は、提督さんに『この場所』へと呼び出されました。

行ってみると、そこには提督さんだけしかおらず、呼び出されたのは私だけのようでした。

 

「提督さん? わざわざこの場所まで呼び出して……何かありましたか? 香取姉に言えないことでも?」

 

「えぇ……まあ……そんなところです……」

 

香取姉に言えないこと。

歯切れの悪い提督さん。

私は、ハッとしました。

もしかしたら、香取姉の努力が実を結び、提督さんも香取姉を好きになったのだと、そう伝えるために、私を呼び出したのだと思いました。

香取姉を好きになったから、恋を応援してほしい――そう言われるのだと思いました。

けれど――。

 

「鹿島さん、最近、僕の事を避けていませんか……?」

 

「え?」

 

「反省会もあまり参加してくれないし、前のように話しかけてくれることも、少なくなった気がします……」

 

「そんなことは……」

 

実際は、提督さんの言う通りでした。

私は提督さんを避けていましたし、香取姉と話す機会を多くするために、なるべく私からは話しかけないでいました。

 

「何故ですか……? 僕、何か失礼な事をしてしまいましたか……?」

 

「いえ、ですから、そんなことはなくて――」

 

いくら説明しても、提督さんが納得することはありませんでした。

 

「――どうしてそこまで、私にこだわるのですか? 提督さんのお仕事であれば、香取姉が完璧にサポートしてくれています。私は、何も出来ていませんよ……?」

 

「……貴女でなければいけないのです」

 

「どうしてですか?」

 

提督さんは、何やら拳を握りしめて、俯いてしまいました。

 

「提督さん?」

 

「鹿島さん……」

 

「は、はい……」

 

「僕は……」

 

あの時の事は、今でも時々、夢に出てくるくらいで――それほどに、私にとっては衝撃的な事でした……。

 

「僕は……鹿島さんの事が好きなんです……! 異性として……一人の女性として……!」

 

 

 

 

 

 

そこまで言うと、鹿島は黙り込んでしまった。

 

「……好きだったのか? お前も、そいつの事を……」

 

鹿島は少し躊躇った後、首を横に振った。

 

「香取姉のような、恋愛の対象として見たことはありませんでした……。ただ……一人の人間としては……」

 

その先を鹿島は言わなかった。

 

「それから、どうしたんだ?」

 

「……結局、提督さんの告白に対して、私はただ「ごめんなさい」「恋愛対象として見ることは出来ません」と返す事しかできませんでした……。ここで断っておけば、提督さんも諦めてくれると思ったからです……」

 

「……香取さんの為に、そうしたのか?」

 

「……はい」

 

返事に、少しの溜めがあった。

これはあくまでも憶測ではあるが、香取さんの気持ちを知らなければ、鹿島もその男の事を好きになっていたのではないのだろうか。

首を振る前の少しの躊躇い。

告白に対する、徹底的に相手を寄せ付けない為の返事。

その返事もきっと、相手を想って――香取さんを想って出たものではなく、鹿島自身の気持ちに決別するための返事だったのだろう。

 

「でも、提督さんは諦めませんでした。私との時間を無理やり作ったり、何度も告白を受けました……。その度に、私は告白を断り、提督さんを避け続けました。そんな態度を取っているものですから、香取姉が怪しまないはずがありません……」

 

鹿島は一呼吸置くと、再び話を始めた。

 

 

 

 

 

 

「鹿島、貴女、最近提督と一緒に居るのを見かけるけれど……。何をしているの……?」

 

その目は、完全に私を疑っているような目でした。

 

「……別に何もしていませんよ。ちょっとした世間話をしていただけです」

 

「……そう。ならいいのだけれど……」

 

その頃の提督さんは、所かまわず私に話しかけてきては、遠回しに告白をしてきました。

だから、駆逐艦の子たちの中には、私と提督さんが恋人のようだと言う子もいるくらいで――今思えば、それは提督さんの策略だったのかもしれません。

 

「最近の提督は、何だか貴女の事ばかりを気にしているものだから……」

 

「気にし過ぎですよ。私とお話ししている時でも、香取姉の事を話していますから」

 

「そうなの?」

 

「えぇ!」

 

嘘でした。

けれど、私は、香取姉を傷つけたくなかったのです。

告白されたことも黙っていました。

 

「…………」

 

だけど、それが良くなかったのでしょう……。

 

 

ある日の事です。

寮に戻ると、皆さんが何やら輪になって集まっていました。

 

「皆さん、どうされたのですか?」

 

輪の中心には、香取姉が居ました。

 

「香取姉?」

 

顔をあげた香取姉の目には、涙が――そしてその表情は、今まで見たことが無いほどに、怒りに満ちていました。

 

「鹿島……!」

 

香取姉は立ち上がると、私の胸倉を掴んで、壁に追い込みました。

 

「か……香取姉……!? い、痛い……放して……」

 

「鹿島……貴女……ずっと私を騙していたのね……!」

 

「え……?」

 

「今日……提督から呼び出されて……「鹿島の事が好きだから、この恋を応援してほしい」と言われたわ……。そこで全てを聞いたのよ……。貴女が提督に告白されたことも――全て……!」

 

私もどうして、こうなることを予想できなかったのか……今でも後悔しています……。

香取姉の事を相談してくると、あの時に予想できたのにもかかわらず、どうして逆の事は――と。

 

「私を応援するだなんて言って……。貴女は提督の気持ちを知っていたのに……。よくも弄んでくれたわね……!」

 

「ち、違います……! 私は……本当に香取姉を応援して……!」

 

その時、騒ぎを聞きつけた武蔵さんが飛んできました。

 

「何をしている!? やめないか!」

 

武蔵さんに引きはがされ、香取姉はやっと私を放しました。

けれど、その目は私を睨んだままでした……。

 

「返しなさいよ……! 私の……私の悩んだ時間を……! 苦しんだ時間を……!」

 

「香取姉……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

「う……うぅぅ……」

 

涙する香取姉に、私はただ謝ることしかできませんでした。

 

 

 

 

 

 

「それは……」

 

俺が何を言おうとしたのかが分かったのか、鹿島は言葉を重ねるように言った。

 

「分かっています……。事情を知った皆さんも……私は悪くないのだと言ってくれました……。でも……私がもし、告白されたことを香取姉に言っていれば……結果が変わっていたことも事実ですし……提督さんが自殺することも……」

 

そう言うと、鹿島は深く目を瞑った。

 

「……知っていたのか。自殺したことを……」

 

「えぇ……。次に島へ来た方から聞かされました……。私のせいで、提督さんが自殺をしたのだと……」

 

「そう言われたのか……?」

 

「お前は人間を貶める悪女だと……。そう言われても……仕方が無いと思いました……」

 

鹿島がハニートラップを仕掛けてくるというのは、そこから来ていたのか……。

 

「あの日を境に、私と香取姉が顔を合わせることはなくなりました……。事情を知った皆さんは、私たちではなく、なぜか提督さんを責め始めました……。迷惑がっている私に、無理やり近づいただとか……香取姉を傷つけたとか――セクハラをしただなんて噂まで飛び交いました……。そんなことが続いたものですから、提督さんは心身ともに疲労して、とうとう本土へと戻ってしまいました……。そして、それを追いかけるようにして、香取姉も出て行ってしまったのです……」

 

その後の事は、俺の知っての通りだろう。

鹿島も語ることはしなかった。

だが、一つだけ分からないことがある。

 

「その事と、お前が人間を恨むのに、どういった関係があるんだ? 今の話だと、人間を恨むというよりも、むしろ……」

 

その時、俺はハッとした。

香取さんの事を想い、自分が告白されたことを黙っているような、そんな優しい奴だと知ったからこそ、気が付いたことであった。

 

「……もしかして、お前が人間を恨むのは、お前自身が人間との関わりを絶つためか……? 同じ過ちを繰り返してはいけないという……お前の優しさか……?」

 

鹿島は、首を大きく横に振った。

 

「……優しさなどではありません」

 

「だが、認めるんだな……。人間を恨む、その理由については……」

 

鹿島は何も言わなかった。

だが、間違いなく、それが答えであった。

 

「……そうか。そういうことだったのか……」

 

いつも見せるあの顔も、突き放す様なあの言葉も――全ては、鹿島が俺を想っての行動であったのだ。

そんな事も知らず、俺は――。

 

「……ごめんな」

 

「え……?」

 

「お前は、そうやって一人で戦ってきたのに……俺は、何も知らないで、駆逐艦との交流が出来ないからと言って、お前を利用しようとした……。俺を守ろうとしてくれていたのに……」

 

「そんなことはありません……。そもそも、私は……」

 

そこまで言うと、鹿島は閉口した。

 

「私は……なんだ?」

 

永い沈黙が続く。

本土の夜景は、その光を徐々に減らしていった。

 

「二週間……」

 

「え?」

 

「今日までの二週間……貴方はずっと、この場所に来ていましたね……」

 

「あ、あぁ……」

 

「実は私も……この場所に来ていたのです……。貴方は気が付かなかったかもしれませんが……」

 

「来ていたって……二週間ずっとか!?」

 

「えぇ……。雨が降った時も――貴方が怪我をした昨日も、ずっと、近くに居たのです……」

 

嘘をついているのであれば、大したもんだと思った。

だが、鹿島の目に偽りはない。

 

「……驚いたな。そうか……ずっと近くにいたのか……」

 

俺は思わず笑ってしまった。

 

「ずっと、お前を待っていたんだぜ。諦めかけたこともあったんだ」

 

「知っています。ずっと、見ていましたから……」

 

鹿島は立ち上がると、夜空を仰いだ。

その表情は、どこか――。

 

「私がこの場所に来るのは、戒めの為なのです……。提督さんを悪者にして、死に追いやってしまった自分への……」

 

「戒め……」

 

「けれど……何度自分を戒めても……自分の罪が消えることはありません……。だからと言って、罪を背負う事を止める事は出来ません……。私はこのままずっと……一人で……苦しんでいかなければならない……。そう思っていました……。だけど……」

 

鹿島は再び、俺を見つめた。

 

「ずっと一人で居なければいけないと思っていたその場所に……貴方が居た……。一度だけではなく、毎日毎日……来る日も来る日も……。雨が降ろうが、怪我をしようが、貴方はそこに『居てくれた』」

 

鹿島の表情が、徐々に崩れて行く。

 

「それが……嬉しかったのです……。貴方にその気は無いのは知っています……。けれど……私は救われた気がしたのです……。その献身的な態度……諦めないその姿……。今までの『提督さん』とは、違う……そう思いました……。だから……だから私は……」

 

言葉を詰まらせる鹿島。

何か言いたいことがあるのだろうが、口には出せないでいるようだった。

 

「だから……だから……私は……」

 

俯き、拳を握るその姿は、何かに耐える様な――大きな不安に耐える様な――そんな風に、俺には見えた。

 

「鹿島」

 

立ち上がり、震えるその肩を落ち着かせるようにして、手を置いた。

 

「大丈夫だ。話してみろ」

 

そう言って笑って見せると、鹿島は安心したのか、ぽろぽろと涙を流しながら、言葉をこぼした。

 

「だから私は……貴方が……私の罪を一緒に……背負ってくれる人なのかもしれないと……思ったのです……。そしてそれに……縋ろうと……考えてしまったのです……」

 

大粒の涙が頬を伝い、やがて地面を叩いた。

何粒も、何粒も――。

 

「謝らなければいけないのは私の方です……。利用しようとしたのは私の方です……。貴方は怪我をしてまで私を待っていてくれたのに……。私は……消えない罪を……貴方にも背負わせようとしたのです……。あまつさえ……その事を隠す為に、嘘までついて……」

 

「じゃあ……嫌々ここに来たってのは……」

 

それが嘘だと言わんばかりに、鹿島は首を縦に振った。

 

「……そうか」

 

鹿島を慰めるように、俺はその肩を抱いてやった。

 

「お前はずっと……自分を救ってくれる人をここで待っていたのだな……。だけど、それを求めることは、人間と関わること――同じ過ちを犯す事だと、お前は踏み込めないでいたんだな……」

 

鹿島は涙を拭くと、首を横に振った。

 

「違わないだろう。もういいんだよ。そうやって一人で抱え込まなくて……。お前がどう思おうが、俺はもう一緒に背負う覚悟を持ってしまった。お前も知る通り、俺は諦めの悪い男だ。だから、否定しても無駄だぜ」

 

それを聞いて鹿島は再び泣き出してしまった。

だが、先ほどとは違い、その泣き声は大きく、それでいて、止むことはなかった。

 

「ずっと、我慢してきたんだな……」

 

涙は枯れることを知らなかった。

このまま一生、泣き続けるんじゃないか――そう思うほどに――。

 

 

 

本土の夜景が点々とし始めた頃、鹿島はようやく泣き止んだ。

 

「落ち着いたか?」

 

俺の問いかけに、鹿島は小さく頷くだけであった。

 

「……ずっと、泣き出したい気持ちだったんじゃないか? でも、自分自身がそれを許さなかった……違うか?」

 

「……そうかもしれません。私は……私自身の罪を背負っているだけだから……。泣いて苦しみを訴える事すら……許されないことだと……」

 

許してくれる人もおらず、裁いてくれる人もいなかった。

だから、自分の首を絞め続けるしかなかった。

いつまでも、いつまでも――。

 

「雨宮さん……」

 

「なんだ?」

 

「私は……私は……どうすればいいのでしょうか……? どうすれば……私は……悲しんだり……泣くことを許されるのでしょうか……?」

 

自分を許す。

簡単な事ではある。

だが、一度でも自分を戒めた奴は、きっと一生をかけても、自分を許すことなど出来ないのだろう。

 

「仮に、俺が神様で、お前を許したとしても、お前はお前自身を許すことは出来ないだろう」

 

鹿島は絶望の表情を浮かべながら、俯いた。

 

「自分に科した罪は消えない。許されることはない。だが、苦しみ続ける必要もないんだ」

 

鹿島は顔をあげると、言葉を待つように、俺を見つめた。

 

「罪を消したり、許されること……。それだけが、苦しみから――戒めから逃れる唯一の方法という訳でもない。お前が苦しいなら、それを共有する奴が居てもいい。共有してはいけないなんて、何処にも――誰も――ないのだから」

 

それでも、鹿島の表情は不安に包まれていた。

何を考えているのか、俺には分かっていた。

 

「俺は、その共有する第一号になるよ。きっと、俺と同じように、お前の苦しみを半分に――もっと小さくしてやりたいと、一緒に共有してくれる奴が、たくさん出てくるはずだ。そうでなくても、俺がいる。居続ける。もう一人で苦しむことは、絶対にない。だから、安心していいんだぜ」

 

そう笑って見せると、鹿島は再び泣きそうな表情を見せた。

 

「……いいのでしょうか? こんな……貴方に酷いことをしてきた私が……こんな……」

 

「それを決めるのはお前自身だ」

 

俺は鹿島の手を取ると、その潤んだ瞳を真っすぐ見つめた。

 

「鹿島」

 

「はい……」

 

「俺に、お前の苦しみを背負わせてくれないか?」

 

鹿島の頬に、涙が伝う。

先ほどとは違い、小粒で、細い線を描く涙であった。

 

「――……」

 

強い風が吹いて、鹿島の言葉をかき消した。

だが、その言葉が聞こえずとも、俺にはハッキリと、鹿島の気持ちが伝わっていた。

 

「――ありがとう、鹿島」

 

そう言って、俺はそっと、鹿島の涙をすくってやった。

枯れることを知らない涙をいつまでも――。

 

 

 

家に戻る頃には、もうすっかり空も明るくなっていた。

 

「流石に眠いぜ……」

 

寝室へと向かう途中、居間に寄ると、そこには夕張が居た。

 

「……お帰り」

 

「ただいま……って、どうしてお前が居るんだ?」

 

「提督の帰りを待っていたのよ……。昨日からずっとね……」

 

そう言う夕張は、どこか眠そうであった。

 

「昨日からって……何か用事でもあったか?」

 

そう問い掛けると、夕張は膝を抱え、黙り込んでしまった。

ふと、昨日、俺があの場所へ向かう事に、夕張が納得していなかったことを思い出した。

――なるほど。

 

「心配して、待っていてくれたのか?」

 

夕張は何も言わなかった。

 

「……そうか」

 

俺はそのまま居間の畳に寝転がった。

 

「……上手くいったの? 鹿島さんとの交流……」

 

「上手くいったかどうか、そういうことはよく分からんが、とにかく、鹿島は来てくれたよ」

 

「そう……。どんなことを話したの?」

 

「色々だ。とにかく、色々……ふわぁ……」

 

俺が大きな欠伸をすると、夕張も同じように欠伸をした。

そして、これまた俺と同じように寝転がった。

 

「今は……とにかく眠くて……。心配して待ってくれていたのに……悪いが……話はひと眠りした後にさせて欲しい……」

 

そう言って目を瞑る。

体の力が抜けて行く。

 

「……ねぇ、もうあの場所に行かなくていいの?」

 

「いや……鹿島があの場所に行くというのなら、俺も一緒に行こうと思う……。そんな約束をしてきた……」

 

「なにそれ……?」

 

「ふわぁ……夕張……それ、後じゃないと駄目か……? 俺はもう……限界だ……」

 

「後にしてもいいけど……。これだけは約束して……。絶対に……無理はしないって……」

 

「分かった……。約束するよ……」

 

徐々に意識が遠のいていく。

 

「絶対よ……」

 

「あぁ……」

 

適当な返事。

もはや、夕張が何を言っているのか、よく分かっていなかった。

 

「提督……」

 

「ん……」

 

「――……」

 

夕張が何か言ったのを最後に、俺は意識は夢の世界へと旅立った。

 

 

 

顔に何か違和感があり、目を覚ます。

 

「んぁ……?」

 

「わぁ!?」

 

「ふわぁ!?」

 

驚きの声をあげたのは、皐月と卯月であった。

 

「皐月……卯月……? お前たち……どうしてここに……」

 

起き上がると、そこら中にペンが落ちていることに気が付いた。

 

「なんだこりゃ……?」

 

状況が理解できないでいると、皐月と卯月は、何やら俺を見てクスクスと笑い出した。

 

「起きちゃいましたね」

 

声の方を見ると、そこには鹿島の姿があった。

 

「おはようございます」

 

「お、おはよう……」

 

戸惑う俺に、鹿島は手鏡を渡した。

自分の顔を映してみると――。

 

「な、なんじゃこりゃ!?」

 

驚愕と同時に、皐月も卯月も吹き出す様に大笑いした。

俺の顔は、滅茶苦茶な落書きで埋め尽くされていたのだった。

 

「鹿島!?」

 

「うふふっ、ごめんなさい。気持ちよさそうに寝ていたものですから」

 

そう言って笑う鹿島。

駆逐艦二隻も笑っている。

 

「…………」

 

俺はまだ夢でも見ているのかと思い、頬をつねった。

しっかりと痛みが走る。

一体、何が起こったのか。

まるで世界がひっくり返ったかのような……。

そんな俺の心を知ってか、鹿島は言った。

 

「夢ではありませんよ。ちゃんと、私たちはここにいます。ね、二人とも」

 

二隻が頷く。

まだ呆然とする俺に、鹿島は真剣な表情で向き合った。

 

「お二人には事情をお話ししました。雨宮さんは、他の人間とは違うんだって……。そして、私の事も……。貴方が私を救ってくれたことも……全て……」

 

「鹿島……お前……」

 

「私も……雨宮さんの力になりたいと思ったのです。貴方が私の罪を共に背負ってくれるというのなら……私も……貴方の苦しみを共有したいと思ったのです……。だから……」

 

その気持ちを理解しているのか、駆逐艦二隻は鹿島に寄り添った。

 

「私に出来ることなんて……これくらいしかないけれど……。それでも……共に歩んでくれますか……?」

 

鹿島の姿を見て、駆逐艦二隻も、まるで自分の事のようにして、頭を下げた。

 

「お願いします!」

 

「お願いしますぴょん!」

 

如何に鹿島が駆逐艦たちに愛されているのかが、よく分かった。

それと同時に、やはり、鹿島がキーマンであったのだと――そう実感した。

まだ頭が状況に追いついていないが、とにかく――。

 

「……あぁ、もちろんだ。こちらこそ、よろしくな。鹿島」

 

差し出された手を鹿島はしっかりと握った。

 

「はい、よろしくお願いいたしますね! 提督さん! うふふっ」

 

この島に来てから、ずっと鹿島のふくれっ面ばかり見て来たものだから、その真っ白な笑顔に、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

 

 

「では、また」

 

「司令官、またね!」

 

「おう、またな」

 

去って行く三隻を見送り、俺は縁側へと倒れ込むように座った。

 

「はぁ~……」

 

まだ、夢を見ている気分だ。

それに、頭も回っていない。

あんなにも苦労して、結局駄目だった駆逐艦との交流は、鹿島のたった一声で、成功してしまった。

卯月も皐月も、俺の事を司令官と呼ぶようになったし、次は第六駆逐隊も連れてくるとのことであった。

 

「本当……怒涛の展開に頭が回らんぜ……。お前もそうだろう? なぁ、大淀」

 

俺の呼びかけに、大淀は家の陰から姿を現した。

 

「気が付いていたのですね……」

 

「そりゃ、あんな熱い視線を送られていたらな。俺と鹿島、駆逐艦が上手くいっているのか、様子を見に来た……って所か?」

 

大淀は何も言わず、少し離れて縁側に座った。

 

「お陰で鹿島とも上手くいったよ。ありがとう」

 

「いえ……私がやらなくとも、きっと鹿島さんは、貴方と交流を持とうとしたでしょう……。最初から、貴方の事を気にかけていたようですから……」

 

「それはお前にも言える事なんじゃないか? 今回の鹿島の件で分かったよ。お前も鹿島も、救いを求めているんだってな」

 

大淀は何も言わない。

だがそれは、否定とも肯定とも取れる様な――とにかく、読めない沈黙であった。

 

「案外、この島に残っている艦娘ってのは、皆が皆、救われるのを待っているのかもしれない。口では否定しつつも、それを乗り越えて救ってくれる――謂うなれば、ヒーローのような人間を待っているのではないだろうか?」

 

「……貴方がそのヒーローだと?」

 

「お前はどう思う? 俺をヒーローに仕立て上げたお前は、俺をどう見る?」

 

大淀は俺を見なかった。

それが答えであった。

 

「……お前のヒーローは、お前を苦しめる要因そのもののようだな」

 

「……私は救いなんて求めていません」

 

「じゃあ、何を求める? 何が欲しくてここにいる? 何を恐れてここにいる?」

 

「私は……」

 

大淀は拳をぎゅっと握りしめると、その身を小さく震わせた。

 

「……やはりお前も、救われないといけないようだな」

 

俺がそう言うと、大淀は何も言わずに立ち上がり、足早に去って行った。

 

「ヒーロー……か……」

 

大淀の敵は、俺なのか、それとも――。

そんな大淀の姿を見ていると、俺はどうも――を思い出していけない。

 

「あぁ、そうか……」

 

そうだ。

大淀は――と似ているんだ。

だからこそ俺は、大淀に『俺を俺として見て欲しい』と思っているんだ。

奴の事を忘れて欲しいと思っているんだ。

 

「…………」

 

俺は手帳に仕舞っていた、一枚の写真を手に取った。

 

「――……。俺は……」

 

写真に写った俺の隣で、その人は優しく微笑んでいた。

永遠に――ずっと――。

 

 

 

 

 

 

目覚ましが鳴るより早く、朝から元気いっぱいな太陽に、俺は起こされた。

 

「ふわぁ……はぁ~……。もう朝か……」

 

遠くで聞こえる鶏の鳴き声。

スッキリと晴れた大きな空。

なんともご機嫌な朝であった。

 

「……いよいよ今日か」

 

あれから数日。

鹿島と二隻の駆逐艦――皐月と卯月とも、もうすっかり仲良くなっていた。

今日はその次のステップとして、鹿島が第六駆逐隊を連れて来てくれることになっている。

昨日はその事で頭がいっぱいで、十分な睡眠がとれなかった。

 

「はぁ~……」

 

眠気と、交流が上手くいかないんじゃないかという不安が、布団の重さと共に、俺にのしかかっていた。

 

「……いや、今は鹿島もいるんだ。それに、駆逐艦の扱いも実践で学んできたんだ。大丈夫、大丈夫だ……」

 

自分に言い聞かせ、俺は大きく息を吸い込み、起きる為の気合を溜めた。

 

「……っし! 起きるか! おりゃあああ!!!」

 

思いっきり布団を剥いだ時であった。

 

「あんっ!」

 

謎の声。

そして、布団を剥いだ跡には、裸の女が蹲っていた。

 

「……は?」

 

俺の思考は、一気に停止へと追い込まれた。

 

「もう……いきなり剥ぐなんて……。でもお姉さん、そういう強引なのも……案外好きよ?」

 

同時に、カメラのシャッター音と、激しい光が俺を包んだ。

 

「な……!?」

 

発光元を向くと、そこには別の女が、意気揚々した表情で立っていた。

 

「『正体見たり! 島の重鎮たちを手中に納めたその手口とは!?』記事はこれで決まりですね!」

 

思考が音を立てて巡りだし、俺はやっと状況を理解した。

 

「……そういうことかよ。覚悟はしていたが、まさかこんな強引な手を使うとは、思っていなかったよ……。陸奥、青葉……」

 

俺がそう言うと、陸奥と青葉は、なんとも悪い表情を浮かべた。

本当、怒涛の展開だ。

一難去ってまた一難とは、まさにこの事だ。

 

「さて……どうしたもんかな……」

 

どうやら俺は『ハニートラップ』に――いや、『ハニートラップ』へと、強引にハメられたらしい。

 

――続く



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4話

「青葉が人間側のスパイ……ですか……」

 

「厳密には『元スパイ』だね。尤も、スパイという言い方も、厳密にいえば違うのだが」

 

「しかし……」

 

俺は、机の上に並べられた、青葉から送られてきたという写真を見た。

 

「青葉は元々、人間に協力的で、島での出来事を事細かく、海軍へと報告する仕事を任せられていた。しかし、ある時期を境に、その報告はこの様なものになって来てね」

 

上官は、俺と裸の陸奥が一緒に寝ている写真を手に取った。

そして、「こんなに露骨なものは、今までなかったが」と言った。

 

「『ハニートラップ』なんて言葉が出始めたのも、その頃だった。青葉にどんな心境の変化があったのかは分からないが、その影響力は多大なものだ。ここ十数年、我々があの島へと足を踏み入れることが出来なかったのは、その影響もあるのだ」

 

俺が不満な表情を見せるものだから、上官は察したのか、付け加えるように言った。

 

「尤も、島への出向に関しては、人間側にも落ち度がある。君のようにしっかりした人間が居たのなら、こうはならなかったのかもしれないね」

 

「……しかし、私も撮られてしまいました」

 

「こんなものは、何の証拠にもなりはしないよ。私も皆も、君がこんな事はしない人間だと、知っているつもりだ。真の意味で『適正』な人間であるとね。だからこそ、陸奥も青葉も、こんな露骨な写真を撮らざるを得なかったのだろう――強引に貶めようとしたのだろう」

 

そういうと、上官は俺の肩をポンと叩いた。

 

「おそらくこれから、本格的に君を貶めようとする動きが活発化するだろう。君には期待しているし、期待通りの成果もあげてくれている。その期待、その成果……それら全てを無駄にしてはいけないよ」

 

それは、上官から俺に対する警告のようにも聞こえた。

 

「分かったね?」

 

「はい」

 

 

 

重さんが船の準備をしている間、本部内にあるカフェに行ってみると、そこには山風ともう一人、女性が座っていた。

 

「山風」

 

「あ! 雨宮君! 良かった。今日は会えないのかと思ってたよ」

 

そう言うと、山風は俺の手を引いて、空いていた椅子に座らせた。

 

「えへへ、また会いに来たよ。鹿島さんとの件、上手くいったみたいだね」

 

「あぁ、君のお陰だよ。ありがとう、山風」

 

「えへへ、どういたしまして」

 

ふと、同席していた女性と目が合った。

その女性は、どこか驚いた表情で俺を見つめていた。

 

「あ、紹介するね。北上さんだよ」

 

「北上って……。元艦娘の北上……さんですか……?」

 

北上さんはハッとすると、小さく頷いた。

 

「初めまして。君が噂の雨宮君?」

 

「はい、雨宮慎二です。お目にかかれて光栄です」

 

艦娘の北上と言えば、伝説的な戦果をあげた艦娘として有名だった。

北上さんは握手をするかわりに、俺の肩をポンポンと叩いた。

 

「そんなに畏まらなくていいよ~。歳も4つしか離れていないようだし、もっと気軽に話しかけていいよ~」

 

「は、はぁ……そうですか……」

 

話に聞いていた北上さんは、もっとこう、鬼神的な存在であったから、ギャップに少し困惑した。

 

「雨宮君の事、北上さんに話したら、ぜひ会ってみたいって」

 

「私にですか?」

 

「まぁね。ちょっと気がかりなことがあるというか……」

 

「気がかりな事……?」

 

「大井っち……大井って艦娘、いるでしょう? どんな様子かなって……」

 

大井っち……。

 

「すみません。まだ大井とは交流できていなくて……。確か、武蔵との決闘の時に見かけたくらいで……」

 

「元気だった……?」

 

「えぇ、おそらくは……。凄い目つきの艦娘だったのを覚えています」

 

そうだ。

あの決闘中、大和もそうだが、大井もどこか、鋭い視線を俺に向けていたように思う。

 

「……そっか」

 

そう言うと、北上さんは黙り込んでしまった。

遠くに見える島を見つめて――。

 

「あの……大井と何かあったのですか?」

 

香取さんの件があったから、或いは何かあったのだろうと思い、聞いてみた。

明らかに場の空気が変わる。

どうやら山風は、何か事情を知っている様子であった。

 

「――……」

 

北上さんが口を開いた時、割って入るようにして、同期の鈴木が声をかけて来た。

 

「よう慎二! 聞いたぜ。陸奥にハニートラップを仕掛けられたらしいじゃねぇか……って、山風と北上? どーも」

 

山風も北上さんも、どこかぎこちない笑顔で鈴木に応えた。

 

「で? 慎二、陸奥はどうだった? やっぱりエロい体してただろ。全く、羨ましいぜ。俺も出向したかった~」

 

「鈴木、悪いが外してくれないか? 真面目な話をしているんだ」

 

「なんだよ、俺だってマジメな話をしてるんだぜ!? 俺が出向出来なかった分、お前に託したんだからさ。話だけでも聞かせてくれよ。すぐに出発しちまうんだろ? 次に話をきけるのが一週間後とか、まじで寸止めされてる気分だぜ。気持ちよくイかせてくれよ~。な?」

 

気まずそうな二人など、まるで眼中にないといわんばかりに、鈴木の下品なトークは続いた。

 

「……いい加減にしろ、鈴木。そんなに気になるのなら、試験に合格し、自分の目で確かめたらどうなんだ。尤も、お前のような下衆な奴が、『適性試験』に受かるとは思えんがな」

 

そんな俺の言葉が癪に障ったのか、鈴木の顔から笑みが消えた。

 

「なるほどねぇ……。流石、『適正者』は言うことが立派だぜ。そういや慎二、ケツはまだ痛むか? 試験に受かるため、上官にケツを差し出したと聞いたが?」

 

「お前こそ。何度も試験を受けているんだろう? 後輩が噂していたぜ。鈴木さんは『具合がイイ』から、上官が気に入ってしまい、なかなか試験に受からないのだとな」

 

そう言ってやると、鈴木はおもむろに俺の胸倉を掴んだ。

止めに入ろうとする山風に、俺は止めるよう手で合図を送った。

 

「……調子に乗ってんじゃねぇぞ。てめぇみたいな野郎に、艦娘を『人化』出来る訳ねぇだろ。女ってのはな、てめぇみたいな童貞よりも、俺みたいなプレイボーイを求めてんだよ」

 

「まるで艦娘を知っているみたいじゃないか。艦娘童貞のくせに」

 

「このクソ野郎……!」

 

鈴木が振り上げた拳を北上さんが止めた。

 

「それくらいにしたら~?」

 

「なんだ北上! てめぇには関係な……いっ!?」

 

苦痛の表情を浮かべる鈴木。

北上さんに掴まれた腕が、ミシミシと音を立てていた。

 

「もうちょっと力を込めてもいいけど、どうする?」

 

「ぐっ……! わ……分かった……! 分かったから……! 離せ……!」

 

北上さんが手を離すと、鈴木は俺を睨み付け、そのままカフェを出て行った。

 

「……すみません、北上さん。山風も、悪かったな……」

 

「う、ううん……そんな……雨宮君は悪くないよ……」

 

「そーそー。前々からムカつく奴だと思ってたんだよねー。懲らしめるいい機会になったよー。ありがとね」

 

そう言って、北上さんは笑顔を見せた。

 

「けど、話に聞いていた通り、いい人だね、君。試験に受かったのも納得だわー」

 

「恐縮です」

 

「だからいいって、そんなに畏まらなくて」

 

北上さんは俺の肩を叩くと、力を抜くよう促した。

 

「そっかそっかー。……うん、君になら、託せるかな。大井っちの事」

 

そうだった。

 

「話の途中でしたね。大井とのこと、聞かせてくれませんか?」

 

「時間、大丈夫? 結構長くなっちゃうかもしれないよ?」

 

「重さんには話をつけておきます。だから、何時間でも話してください」

 

そう言うと、北上さんは再び驚いた表情を見せた。

 

「……本当、そっくりだなー」

 

「え?」

 

「……ううん、なんでもない。どこから話そうかな……。あ、じゃあ――から」

 

そう言って、北上さんは話し始めた。

大井との関係、そして、北上さんが島を出た理由――大井が島に残る理由を――。

話の途中、北上さんが俺を見て、言葉を詰まらせるシーンが何度かあった。

そして、その理由は、すぐに分かった。

 

「――そして、新しい人が出向してきて、私たちの生活は一変した」

 

北上さんが俺を見つめる。

だが、見つめているのは、俺ではない誰かであった。

 

「佐久間肇……。私は、彼を尊敬し、彼の遺した言葉を以って、島を出た一人なんだ……」

 

その目に映る俺の姿が、俺を嘲笑っていた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「司令官、みてて!」

 

そう言うと、皐月は新しい遊具である雲梯を身軽に伝ってみせた。

 

「おー、凄いじゃないか」

 

「でしょ? えへへ、もう一回やるね!」

 

往復しようとする皐月を暁が止めた。

 

「こら皐月! 次は暁の番よ!」

 

「えー? 往復で一回じゃないの?」

 

その光景を見た鹿島が、二人の間に割って入った。

 

「皐月ちゃん、往復だと詰まっちゃうから、もう一度並んで遊びましょうね」

 

「鹿島さん。うん、分かった」

 

そう言うと、皐月は列の後ろへと走っていった。

 

「流石だな」

 

戻って来た鹿島は、どこか嬉しそうにして、俺の隣に座った。

 

「あんなに楽しそうな子たちを見るのは久しぶりです。提督さん、ありがとうございます」

 

「礼なら明石と夕張に言ってくれ。新しい遊具を提案してきたのは、あいつらだから」

 

「新しい遊具の事もそうですけど、この場を提供してくれたことに、ですよ。再びあの笑顔が見れる日が来るなんて、本当に幸せです。うふふっ」

 

鹿島の笑顔が輝く。

本当、笑うとこんなにも――。

 

「提督さん? 私の顔に何かついていますか?」

 

「いや……。それよりも、こいつだよ。こいつが来て一週間になるが、遊びに来る度に俺の膝に座って来て……。ちょっとはあいつらと一緒に遊具で遊んだらどうなんだ?」

 

そう言ってやると、響は、嫌であるというようにして、さらに深く俺に体を預けた。

そして、自分を抱えさせるようにして、俺の腕を手にとった。

 

「響ちゃん……」

 

鹿島は何やら、悲しそうな瞳で響を見つめた。

そして、チラリと俺を見た。

何か事情がある……という感じか。

それも、俺に関連する何か……。

――あぁ、そう言う事か。

 

「……まあいいさ。気が済むまで付き合ってやるよ」

 

そう言ってやると、響は座る向きを変え、俺に向き合った。

そして、目を瞑ると、まるで眠る赤子のようにして、俺の胸の中で静かになった。

 

「甘えん坊だな」

 

響の頭を撫でてやる俺の姿に、鹿島は遠い目を見せていた。

 

 

 

「響ちゃんは、佐久間さんの事が大好きだったのです……」

 

眠る響をそっと撫でながら、鹿島はそう言った。

 

「そんな事だろうと思ったぜ」

 

「響ちゃんは、提督さんが佐久間さんの息子だとは知らないはずですが、何か感じ取ったのでしょうね。第六駆逐隊の中でも、かなり鋭い子ですから……」

 

「単純に顔が似ているから、なのかもしれんがな。大淀や鳳翔も、その事に気が付いていたし」

 

「お二人にはどこまで?」

 

「俺が佐久間肇の息子だってところまでだ。俺がこの島にいる理由は、お前しか知らないよ」

 

そう言うと、鹿島はどこか複雑な表情を見せた。

 

「結局、俺は佐久間肇を利用してしまった……。お前に対してもそうだが、こいつ()に対してもだ。このままこいつが、俺に懐いていてくれたらいいと思っている。それはつまり、佐久間肇の影を利用することと一緒なんだ」

 

それを聞いた鹿島は、小さく「ごめんなさい」と呟いた。

 

「何故、お前が謝るんだ」

 

「だって……響ちゃんがそうする理由を私が言わなければ……提督さんがその理由を知らなければ……そんな事……思わなかったはずですから……」

 

鹿島のその表情に、俺は心を打たれた。

 

「……お前は本当に優しい奴だな」

 

首を横に振る鹿島。

 

「お前がそうやって、俺の気持ちに寄り添ってくれるだけで救われるよ。ありがとう、鹿島」

 

「提督さん……」

 

悲しい表情で見つめ合う俺たちを心配して、駆逐艦たちが寄って来た。

 

「司令官、鹿島さん、どうしたの……? 何かあった……?」

 

「う、ううん……。大丈夫よ」

 

「そう……? なんだか悲しそうだったぴょん……」

 

皐月と卯月の後ろで、第六駆逐隊の三隻も、どこか心配そうにこちらを見つめていた。

 

「本当に大丈夫だから。さ、皆で遊びましょう?」

 

鹿島が立ち上がると、皆一斉にその手を引いて、鹿島を連れて行ってしまった。

本当、慕われてんな。

最初こそ、その理由が分からなかったが、今はよくわかるというか、その理由を実感しているというか……。

 

「そりゃ、件の男が惚れるわけだ」

 

あれが計算でやっているというのなら、俺は既にトラップに引っかかっているという事になる。

それほどに――。

 

「『あいつら』も、そうすりゃよかったのに……」

 

その『あいつら』が現れたのは、その日の夜の事であった。

 

 

 

「ほう、こりゃ美味いな」

 

明石の自家製果実酒は、今まで飲んだ果実酒の中でも、かなり出来の良いものであった。

 

「本当ですか? えへへ、良かった。ちょっと飲み頃は過ぎてしまったのですが、喜んでもらえて良かったです」

 

「中々時間を取れなくて、悪かったな」

 

「いえ、それだけ頑張ってくれている証拠ですし、実際に、鹿島さんまで……本当、提督は凄いです」

 

そう言うと、明石は小さく笑って見せた。

 

「で、夕張、お前は飲まないのか?」

 

隅の方で、肴である漬物を咥える夕張に話しかけてやる。

 

「私、飲めないのよ……。どうも苦手でね……」

 

「じゃあ、なんで来たんだ?」

 

「……来ちゃいけなかった?」

 

「そうは言っていない」

 

「ならいいじゃない……」

 

夕張はどこか不機嫌そうであった。

まあ、最近はずっとそうなのだが……。

 

「私が誘ったんです。流石に二人っきりだと、あれかなって思ったので……」

 

そう言うと、明石は俺をじっと見つめた。

 

「そうだったか。気を遣わせたな」

 

「い、いえ……そんな……」

 

明石は酒をグイッと飲み干すと、夜空を仰いだ。

 

「そうじゃないでしょ……」

 

「ん? 何か言ったか? 夕張?」

 

「別に?」

 

不機嫌な夕張を尻目に、俺と明石は酒を酌み交わした。

 

 

 

しばらく飲んでいると、怪我をした艦娘が居るのだと、鳳翔が飛んできた。

 

「すみません。お楽しみのところ……」

 

「いえ、大丈夫です。提督、すみません……。ちょっと行ってきますね。すぐに戻りますから」

 

「あぁ、頼んだぞ、明石」

 

「お任せください!」

 

明石が去って行くと、夕張は隅の方から出て来て、俺の隣に座った。

 

「明石、大変だな……」

 

「えぇ」

 

夕張は空返事をすると、グラスに酒を注いだ。

 

「なんだ、相手してくれるのか」

 

「ちょっと飲んでみようと思って……」

 

口をつける夕張。

だが、すぐにグラスを置いてしまった。

 

「やっぱり苦手だわ。アルコール」

 

「無理すんな」

 

そう言ってやると、夕張は再び不機嫌なため息をついて見せた。

 

「……ずっと機嫌が悪いのな」

 

「そう? いつもこんな感じよ。それよりも、さっきの事だけど……」

 

「さっきの事?」

 

「明石が『流石に二人っきりだと、あれかなって思ったので……』って言った時よ。アレ、提督に「俺は二人っきりでも良かった」って、言って欲しかったのよ」

 

夕張は再び酒を口につけた。

苦い顔を見せながら。

 

「……なるほどな。お前が不機嫌なのも、それが理由か?」

 

「どういう意味?」

 

「明石に出汁に使われたから、不機嫌になっている……ってさ」

 

夕張はグラスを置くと、退屈そうな表情を見せた。

 

「だったらここにいないわ。明石が飲みに誘ってきた時点で、その事には気が付いていたから。私は明石の味方だし、明石を応援したいと思っているから」

 

明石を応援したい……か。

 

「提督も気が付いているんでしょ。明石、提督の事が好きなのよ」

 

「……かもしれないな」

 

「かもしれないって……。提督はどうなの? 明石の事、いいなとか思ってたりするの?」

 

「俺は艦娘に恋はしないよ」

 

「どうかしら……。鹿島さんといる時の提督は、何だかとっても楽しそうだったけれど?」

 

「あいつとは色々話したからな。お互いのよき理解者となれた。だが、それが恋愛には結びつかない。もう一度言うが、俺は艦娘に恋はしない」

 

「頑なじゃない……」

 

夕張は酒をグイッと飲み干すと、空いたグラスに酒を注いだ。

 

「やめとけ。苦手なんだろ?」

 

「酔うまで飲んだことないの。どうなるのか、データを取っておこうと思って」

 

「どうなっても知らんぜ」

 

俺も同じように酒を飲み干した。

 

「俺は艦娘を『人化』するためにここにいる。艦娘に恋をしてしまったら、『艦娘』を愛さなきゃいけないだろう? だから、艦娘に恋はしないと決めているんだ」

 

「つまり、『人化』したのなら、艦娘でも恋をするって事?」

 

「『人化』したら艦娘じゃない」

 

「……元艦娘になら、恋をするって事?」

 

「かもな」

 

グラスを取ると、夕張は酒を注いでくれた。

 

「悪いな」

 

「ううん……。ねぇ、提督……」

 

「なんだ?」

 

「明石が……もし明石が、最後の艦娘として『人化』して、提督と一緒に島を出ることになったら……提督はどうするの?」

 

「どうするってのは?」

 

「だから……明石は『人化』したら、きっと提督に告白すると思うから……どう応えるのかなって……」

 

「どう……か……」

 

俺が考えている間、夕張は瞬きもせず、俺をじっと見つめていた。

 

「……その時考えることにする」

 

「それはつまり……今時点では、明石の気持ちに、いい答えを出せないって意味?」

 

「……さっきも言ったが、俺は艦娘にそういった感情は持たない」

 

「……答えになってないわ。むしろ、答えから逃げているように見える……。艦娘艦娘って……もしもの話なんだから……明石を艦娘じゃなくて、女性として考えられないの……?」

 

俺が困っていると、夕張は膝を抱え、そこに顔を埋めた。

 

「私達だって……艦娘だけれど……人と同じように恋もするし……そういう目で見られたいって思うこともあるわ……」

 

「お前も同じなのか?」

 

夕張は顔をあげると、膝を解き、俺に近づいた。

 

「夕張?」

 

仄かに赤くなった顔、据わる目。

 

「お前、酔ってないか?」

 

ふと、夕張のグラスに目が行く。

こいつ、ストレートで飲んでいたのか……。

 

「もし……」

 

「え?」

 

「もし私が……明石と同じように、恋をしていたとしたら……提督はどうする……?」

 

夕張は顔を近づけると、顎をあげて――。

瞬間、時が止まる。

風の音も、波の音もしない。

するのは、夕張の息遣いだけであった。

そして――。

 

「――……」

 

夕張は俯くと、そのまま俺の胸に頭を預けた。

 

「ごめん……。酔ってるわ……私……」

 

『それ』は、未遂に終わった。

だけど、夕張は確かに――。

 

「……俺も大分酔っている。今宵の事は、きっと明日にでも忘れてしまうだろう……」

 

「……うん」

 

夕張は頭をあげると、そのまま家を出て行ってしまった。

 

「…………」

 

空を仰ぐと共に、風と波の音が戻って来た。

少し早くなった、俺の鼓動を連れて――。

 

 

 

ぼうっとしていると、明石が戻って来た。

 

「おう、お帰り。大丈夫だった……か……」

 

申し訳なさそうにする明石の後ろに、『あいつら』がいた。

 

「すみません提督……。どうしてもって聞かなくて……」

 

陸奥と青葉は、満面の笑みを浮かべ、俺に手を振っていた。

 

 

 

「ねぇ、この前の事、怒ってる? でも私、貴方みたいな素敵な人とどうしてもシてみたかったの」

 

「離れろ、陸奥……。暑苦しい……」

 

「冷たいのね。でもお姉さん、そういう態度をとられると、燃えちゃうタイプなの」

 

どんなに突き放そうと、陸奥は酒を片手に、グイグイと俺に詰め寄った。

青葉はそんな俺たちの攻防を写真におさめていた。

 

「明石、ごめんな……」

 

「い、いえ……私が連れてきてしまった訳ですし……。それに……提督ならきっと、陸奥さんの事も……」

 

「私の事もなぁに? 明石、貴女もしかして、もうこの人に抱かれているとか?」

 

「だ……そ、そんな事……」

 

「赤くなっちゃって、可愛いんだから」

 

陸奥がそう言うと、明石は萎縮してしまったのか、黙り込んでしまった。

 

「陸奥、お前いい加減にしろ。邪魔をするなら帰れ」

 

「そんなに怒らないで。私はただ、貴方と交流がしたいだけ。男と女の交流を……ね……?」

 

「何が交流だ……。見え透いたハニートラップ仕掛けやがって……」

 

「ハニートラップなんかじゃないわ」

 

「じゃあ何故、青葉がいるんだ……」

 

青葉は知らぬ存ぜぬというようにして、ヘタクソな口笛を吹き、目を逸らして見せた。

なんてベタな……。

 

「とにかく、普通の交流なら歓迎するが、お前のその訳の分からん男女の交流とやらに、付き合ってはいられん」

 

「お堅いわね。なら、こっちも硬かったりするわけ?」

 

そう言うと、陸奥は俺の股間に手を突っ込んだ。

 

「な、何をしているんですか!?」

 

驚きの声をあげたのは、明石であった。

 

「何って……ナニをね?」

 

「シャッターチャンスです!」

 

パシャパシャと写真を撮る青葉。

フラッシュがまぶしくて、俺は思わず目を瞑った。

 

「くそ……」

 

この隙にやられてしまう。

そう思った。

しかし――。

 

「――……?」

 

手を突っ込んだまま、何もしない陸奥。

それどころか、ナニを触ることもしない。

やがて青葉も写真を撮ることを止めて、皆が皆静かになった。

永い沈黙が続く。

 

「…………」

 

陸奥の手を掴み、股間から離してやった。

 

「……お前、何がしたかったんだ?」

 

そう言ってやると、陸奥は顔を真っ赤にして、俺を睨み付けた。

 

「貴方、もしかしてソッチ!? それともED!?」

 

「あ?」

 

「信じられない! 普通、こうなったら興奮するのが男でしょう!? 何をそんな……おかしいわよ!」

 

何やら激怒する陸奥に、俺は助けを求める様に明石を見た。

明石は苦笑いをするだけで、何もヒントはくれなかった。

 

「……もう! 何なのよ貴方! 本当に男!? 付いてるの!?」

 

「付いてるって、何が?」

 

「……っ! だから……! 男の……あぁ、もう!」

 

陸奥は顔を真っ赤にしながら、家を出て行ってしまった。

 

「なんだあいつ……」

 

ふと、青葉と目が合う。

呆然と俺を見つめる青葉。

 

「どうした? 追いかけなくていいのか?」

 

青葉はハッとすると、駆け足で陸奥を追いかけ、去って行った。

 

「……ったく。マジで何だったんだ……」

 

視線を戻すと、何やら俺の股間をじっと見つめる明石が居た。

 

「……一応言っておくが、ちゃんと機能するからな?」

 

明石は顔を真っ赤にすると、気まずそうに酒に口をつけた。

 

 

 

「多分、陸奥さんは、提督に色仕掛けが通用しなかったことが、悔しかったのだと思います」

 

ほろ酔いになった明石は、グラスを掲げて、そう言った。

 

「それだけ自信を持っていた、という訳か」

 

「陸奥さんが一番多いですから。ハニートラップの成功率」

 

明石は俺をチラリと見た。

 

「でも、提督には効きませんでしたね」

 

何がうれしいのか、明石はニマニマと笑って見せた。

酔っているのもあるのだろうが、なんだかテンションが高いように見える。

 

「陸奥は何故、この島に残る? 何故、人間を追い出そうとする?」

 

「うーん……理由は分かりません。この島に残る艦娘達は、島に残る理由を語りたがりません。暗黙の了解で団結している……という感じですから……」

 

「そうなのか」

 

「単純に私が知らないだけなのかもしれませんけど……。ほら、私って、中立的な立場の艦娘ですから。現にこうして、提督の味方になっていますし」

 

誰がスパイになるか分からない……という訳か。

まあ、青葉もその一隻であったからな。

隠したがる理由もよく分かる。

 

「青葉さんは、よく陸奥さんと一緒に居るので、もしかしたら何か知っているのかもしれませんね」

 

「青葉か……」

 

青葉にも、何か事情がありそうだがな。

人間側から艦娘側に寝返ったと考えると、探るのは難しいかもしれない。

 

「けど……提督は本当に凄いです。陸奥さんのハニートラップも効かないし、鹿島さんを味方につけてしまうし……」

 

「まだ一隻も島から出せていないがな」

 

「時間の問題ですよ。本当……佐久間さんが居なくなって……絶望していた私を……提督は救ってくださいました……」

 

「フッ、大げさだな。まだ救ってやっていないだろう。お前が島を出た時が、その時だ」

 

「それでも私は……」

 

明石はグラスの酒を飲み干した。

 

「はぁ~……酔っちゃいました……。提督も、酔っていますか?」

 

「あぁ、だいぶな」

 

「そっか……」

 

明石は空になったグラスを眺める様に回すと、何やらまごまごとし始めた。

 

「どうした?」

 

「提督……武蔵さんと飲んだ時の事、あまり覚えていないんですよね……?」

 

「あぁ、まあ……」

 

「今……どれくらい酔っていますか……? 記憶……飛びそうですか……?」

 

「うぅん……どうだろう。武蔵の時ほどは酔っていないが……。それがどうかしたか?」

 

再びまごまごとする明石。

 

「なんだよ? なにか言いたいことがあるのか?」

 

「まあ……そんなところというか……」

 

「……話しにくい事か?」

 

俺は酒を置いて、真剣な表情で明石に向き合った。

 

「何を話そうとしているのかは分からんが、どんなことでもちゃんと聞いてやる。だから、話してくれ」

 

そして、微笑んで見せた。

明石はというと、ただ茫然と、俺を見つめていた。

 

「明石?」

 

明石の長い髪が揺れて、風の姿があらわになった。

その合間に見えた小さな唇が、赤子の寝言のように、ぽつりぽつりと、言葉を零し始めた。

 

「……きです」

 

「え?」

 

「好き……です……。提督の事が……好きです……」

 

言った後、明石は驚いた表情を見せた。

 

「え……あ……やだ……私ったら……何を……」

 

まさに、零れた言葉であった。

溢れた言葉であった。

無意識の言葉であった。

 

「ご……ごめんなさい……! 私……!」

 

立ち上がり、逃げ出そうする明石の手を掴む。

 

「は、放してください……!」

 

「明石」

 

明石は恐る恐る、俺の顔を見た。

そして、その表情を確認すると――。

掴まれた手は、力を失い、やがて抵抗することを止めた。

手を放してやると、明石はそのまま、俺の隣に座り込んだ。

永い沈黙が続く。

 

「……そんな顔、するんですね」

 

そう言った明石の表情は、どこか――。

酒をグラスに注いで、明石に渡してやった。

その意味が分かったのか、明石は同じように、俺のグラスに酒を注ぎ、渡した。

カクテルのモヒートに添えるミントの様な、小さな言葉を添えて――。

 

「――……」

 

そして、俺たちは酒を飲み干した。

添えられた小さな言葉も、一緒に――。

 

 

 

「うぅん……んが!?」

 

息苦しさに目が覚める。

目の前にあったのは、響の顔であった。

穴を塞ぐようにして、俺の鼻をつまんでいた。

 

「……何してんだ?」

 

「起こそうと思って」

 

「普通に起こせなかったのか……?」

 

響は考える様に空を仰ぐと、何も思いつかなかったのか、「サプラーイズ」と言った。

 

「……そうか。今何時だ?」

 

「朝の六時だよ」

 

「朝の六時!? なんちゅう時間に起こしてくれてんだよ……」

 

体を起こすと、小さな頭痛と共に、昨日の夜の記憶がよみがえった。

 

「あぁ……そうか……。寝ちまったって訳か……」

 

明石はもういなかった。

酒も片付いているし、俺の体には毛布が掛けられていた。

 

「ふわぁ……。悪い、響……。水持ってきてくれないか? 冷蔵庫に入っている……」

 

「うん、分かった」

 

 

 

水を飲むと、ぼうっとした頭が、徐々に回転を始めた。

 

「で、お前は何故、こんな朝早くからここにいるんだ?」

 

「実は、司令官に話があって来たんだ。皆が居るところじゃマズイと思って……」

 

響は俯くと、小さく手を揉んだ。

皆が居るところじゃマズイ……。

俺は寝惚け眼を擦って、真剣な態度で響に向き合った。

 

「……分かった。話してみろ」

 

そう言ってやると、響は周りを確認し、耳打ちで俺に言った。

 

「司令官は……本当は『司令官』の生まれ変わりなんでしょ?」

 

響の目は、真剣そのものであった。

 

「生まれ変わり……?」

 

「しっ! 大きな声で言っちゃ駄目だ……! 誰が聞いているか分からない……」

 

再び周りを確認する響。

こいつはマジで、何を言っているんだ……?

何かのごっこ遊びか……?

 

「……もしかして、記憶が無いのかい? 私だよ。響だよ。司令官、思い出せない……?」

 

俺が呆然としていると、響はポケットから綺麗な貝殻を取り出した。

 

「これ、覚えてない? 司令官がくれたんだよ? 私の瞳の色と同じだって……。今も大切に持っているんだ……」

 

『今も』。

過去に誰かが響に貝殻をやって――。

或いはごっこ遊びなのかもしれないが――それでも、響は必死に訴えかけている。

『司令官』に。

 

「司令官……。自分の名前、分かる……?」

 

名前……。

 

「……いや、俺の名前は、なんだ?」

 

何となく、嫌な予感はしていた。

こういう時の予感は、よく当たるんだ、これが。

 

「――佐久間。佐久間肇だよ……司令官……」

 

 

 

響は、俺に肩車をさせると、そのまま海岸を歩くよう指示した。

 

「司令官、覚えてる? よくこうして、朝の散歩をしたんだ」

 

「……いや」

 

「そっか……。でも、きっと思い出す日が来るさ」

 

そう言うと、響は俺の髪の毛をわしゃわしゃと崩した。

 

「こら、やめろ」

 

「フフッ、同じ反応。やっぱり司令官は『司令官』だ」

 

響はずっとこの調子だった。

『司令官』に似ているとか、同じ匂いだとか――。

そんな事ばかり言われるものだから、俺は本当に『司令官』の生まれ変わりなのではないかと思ってしまう。

 

「…………」

 

本当、嫌になる。

類似点を挙げられれば挙げられるほどに、俺と奴は――。

 

「ねぇ司令官……」

 

「なんだ?」

 

「司令官は……今の私たちを……どう思う……?」

 

「どう思う……ってのは?」

 

「司令官は私たちに言った……。『不死鳥もやがて死ぬ。そして生まれ変わる。お前たちも同じだ』って……。『だから、生きて欲しい』って……」

 

不死鳥……。

 

「でも……私たちはまだここにいる……。司令官の『生きて欲しい』という言葉を守らずに……。司令官が死んじゃって、十数年経つけれど……私たちは……やっぱりまだ……」

 

響の手が、小さく震えていた。

 

「……怖いか?」

 

響は何も言わなかった。

俺は響を降ろしてやると、しゃがみ込み、視線を合わせて、手を取った。

 

「死ぬのが怖いか。生きるのが怖いか」

 

伏せられた目は、何かを思うようにして、ゆっくりと閉じられた。

そして響は、小さく頷いてみせた。

 

「……そうか」

 

死を恐れる。

思えば、皆が皆、死を恐れておるものだと思い、俺はこの島に来た。

だが、今まで関わって来た艦娘たちは、死を恐れているというよりも、別の理由があった。

純粋に死を恐れている艦娘と話すのは、実は初めての事であった。

 

「死んじゃうと、真っ暗な場所で、永遠に独りぼっちになってしまうらしいんだ……。とっても怖いよ……」

 

だが、響は顔をあげると、安心したような顔を見せた。

 

「けど、そうじゃなかったんだって、司令官が証明してくれた。司令官が言った通り、私達は生まれ変わることが出来るんだね」

 

希望に満ちた瞳に、俺は――。

 

「……あぁ、その通りだ」

 

頭をなでてやると、響は嬉しそうに笑って見せた。

自分が嫌になる。

佐久間肇の影どころか、俺自身が佐久間肇になろうとしている。

だけど――。

 

「司令官、手、繋いでもいいかい?」

 

「あぁ」

 

「このまま歩こう。こっちの方が、司令官の顔がよく見える」

 

「……そうだな」

 

この笑顔を――生に対する希望を崩すくらいなら、俺は――。

 

 

 

響を寮へと送り、鹿島に引き渡してやった。

 

「ありがとうございます。提督さん」

 

「あぁ」

 

「ほら、響ちゃん。朝食が出来ているから、食堂に行ってね」

 

「うん。バイバイ司令官」

 

響を見送ると、鹿島は心配そうに俺を見つめた。

 

「提督さん……大丈夫ですか……?」

 

「え?」

 

「なんだか、とってもお疲れのようですけれど……」

 

お疲れ……か。

疲れているというよりも、今は――。

 

「提督さん……」

 

鹿島は俺の手を取ると、両手でそっと包み込んだ。

 

「何かお悩みですか……? 鹿島でよければ――……いえ、鹿島に聞かせてください……」

 

その優しさは、今の俺にはよく効いた。

だが反面、ゾッとした。

その純粋さ――悪意も計算もない、純粋な心に――。

そして、それに飲み込まれそうになる自分自身に――。

 

「――ありがとう、鹿島。俺は大丈夫だ。それよりも、皆のところに行ってやってくれないか?」

 

「そうですか……? 何かあったら言ってくださいね?」

 

「あぁ」

 

手を振り、去って行く鹿島。

その姿が見えなくなると、大淀は門の影から姿を現した。

 

「盗み聞きとは趣味が悪いな」

 

「貴方だって、寮を覗いていたではありませんか……」

 

「フッ、そうだったな」

 

寮の中から、駆逐艦たちの「いただきます」の声が大きく聞こえた。

 

「鹿島さん、何だか貴方に入れ込んでいるように見えますけど、何を言ったのですか?」

 

「何を……ってのは?」

 

「とぼけないでください。鹿島さんがあそこまで肩入れするのは、同情するような何かがあったからです」

 

その正体を大淀は掴んでいるようであった。

俺に言わせたい、という訳か。

 

「案外、俺に惚れているのかもしれんぜ」

 

「明石や夕張さんなら、そうかもしれませんね」

 

それに、俺は何も言えなかった。

大淀の方が、役者が上であった。

 

「……鹿島には、俺がここにいる理由を話した。この島に来た理由をな……」

 

「……それは、同情するような事なのですか?」

 

俺は何も言わなかった。

大淀は小さくため息をつくと、退屈そうに門に寄り掛かった。

 

「嫌になるよ。俺は佐久間肇の影を利用し続けなければならない。あまつさえ、佐久間肇自身になることだって……」

 

「佐久間さん自身に……。やっぱり……響ちゃんと何かあったのですね……」

 

俺が驚いた表情を見せると、大淀は一枚の短冊を見せてくれた。

 

「これは……」

 

「響ちゃんの短冊です。七夕の時に、書いたものです」

 

短冊には「司令官が無事に生まれ変わりますように」と書かれていた。

 

「彼女はずっと、佐久間さんが生まれ変わり、再び会いに来てくれると信じていました。そんな中で、貴方が来たものですから……」

 

大淀は全てを見抜いているようであった。

 

「こうなると知っていたのか……」

 

「えぇ……」

 

「だったら……」

 

「だとして、どうなるというのですか? 知っていたところで、避けることは出来ないでしょう……。貴方と佐久間さんが、親子であるという事実のように……」

 

今度は俺がため息をついた。

 

「……どうして、佐久間さんを避けるのですか? 貴方の口ぶりから、佐久間さんを嫌っているような……恨んでいるような感じでしたが……」

 

「お前には関係のない事だ」

 

「鹿島さんにはあったのですか?」

 

そう言うと、大淀はじっと俺を見つめた。

 

「それだけの事をあいつから聞いた。等価交換だ」

 

「等価交換……」

 

「そうでなくとも、お前には、ちゃんと俺を見て欲しいと思っている。佐久間肇の影を持つ、お前だけには……」

 

俺も大淀をじっと見つめ返した。

永い沈黙が続く。

 

「……お前も」

 

響の短冊を見ながら、俺は呟くように言った。

 

「お前も、俺が佐久間肇の生まれ変わりならいいと、思っているか……?」

 

大淀は少し驚いた表情を見せると、どこか悲しそうな顔をして見せた。

 

「……いいえ。佐久間さんは亡くなりました……。人が生まれ変わることはありません……」

 

大淀は俯いてしまった。

 

「……悪い。変な事を聞いてしま――」

 

大淀は俺の手を取ると、俯きながら、小さく言った。

 

「貴方は……貴方です……。だから……」

 

手は、小さく震えていた。

 

「……お前、もしかして、俺の事を慰めてくれているのか?」

 

手を離すと、大淀はそのまま寮の方へと歩き出した。

 

「大淀」

 

歩みが止まる。

振り向くことはしないが、俺の言葉を待ってくれていた。

 

「お前も……前に進もうとしているんだな……。俺はずっと……お前は……」

 

「……貴方が佐久間さんに向き合い、進もうとするのなら、私もそうしようと思っただけです」

 

「俺が……佐久間肇に……?」

 

「本当に自分の信念を貫こうとするのなら、貴方は佐久間さんの事を鹿島さんに話しはしなかったでしょう……。そして、響ちゃんの為に佐久間肇になることはなかった……」

 

大淀は振り向き、俺を見た。

 

「貴方自身の為ではなく、誰かの為に向き合う……。貴方はそういう選択をしました……。きっと貴方は、そうは思わず、自分の未熟さを責めるでしょうけれど……少なくとも、私はそう感じました……。だから……私も……」

 

「大淀……」

 

「何も言わなくでください……。もし、私が進むことを応援したいと思うのなら……」

 

遠くで、ウミネコが一斉に飛び立った。

重さんの船が、物資を届けに来たのだろう。

 

「対応をお願いします……」

 

「あぁ……」

 

大淀は再び寮へと歩みを進めた。

俺は、その後ろ姿をいつまでも見つめることしかできなかった。

 

 

 

物資を運び終わり、家路につくと、何やら家の中からいい匂いがしていた。

 

「そういや……朝食まだだったな……」

 

鳳翔とかが心配して、来てくれているのだろうか

そう思い台所へ向かうと――。

 

「お帰りなさい。ずいぶん遅かったのね。朝食、まだでしょう?」

 

「陸奥……?」

 

陸奥は、裸エプロンの姿――とまでは流石にいけなかったのか、エプロンの下に水着を着ていた。

 

「なぁに? そんなに見つめて。こういうのが好きだった?」

 

そう言うと、陸奥はエプロンをぺらりと捲った。

 

「……朝食を作ってくれているのか?」

 

「私が朝食、って言ったら?」

 

挑発する陸奥を尻目に、コンロの方を覗くと、鮭が焼かれていた。

 

「美味そうだ」

 

「……もうちょっとで出来るから、座って待っていて」

 

つまらなそうに口を尖らせる陸奥。

居間へ向かうと、案の定、青葉が居た。

 

「あ、おはようございます!」

 

「……おう」

 

茶碗の数を見る限り、皆で食おうという訳か……。

 

「ありゃどういうことだ? まさか、胃袋から掴もうって腹か?」

 

「さあ? 青葉は、決定的な瞬間をカメラに収めようとしているだけです」

 

そう言うと、青葉はカメラを取り出した。

 

「……そうか。そういや、お前とこうして話すのは初めてだな」

 

「そうですね」

 

「元海軍のスパイ、だって聞いたぜ。どうしてまたこんなことを?」

 

それを聞いて、青葉は表情を曇らせた。

 

「スパイ……ですか……。別に青葉は、誰の味方でも無かったのですけれどね……」

 

そういうと、青葉は縁側からの景色に目を向けた。

その横顔は、どこか――。

 

「ねぇ、長いお皿ってどこにあるのかしら?」

 

台所と居間を区切る暖簾から、陸奥が顔を出した。

 

「あ? 長いお皿?」

 

「さんま皿みたいなやつよ」

 

「あぁ、ちょっと待ってろ。確か……」

 

ふと、青葉に視線を戻す。

先ほどの横顔はもう無くて、ただカメラを構えていた。

 

「ねぇ、早くしてくれない? 焦げちゃうわ」

 

「だったら火を止めればよかろう」

 

 

 

朝食は、鮭を焼いたものと、味噌汁、鳳翔が漬けたという漬物に、支給品のヨーグルトであった。

 

「どう、美味しい?」

 

「あぁ」

 

「でしょう? お姉さん、ソッチだけじゃなくて、コッチもいけるの」

 

「フッ、何がソッチコッチだ。ただ鮭を焼いただけだろうに」

 

「味噌汁だって作ったわ」

 

「味噌汁なんぞ、味噌を突っ込んで火にかけりゃ誰にでもできる」

 

「……冷たい人」

 

ふん、と鼻を鳴らす陸奥。

その様子を見て、小さく笑う青葉。

 

「ちょっと青葉、何がおかしいのよ?」

 

「す、すみません!」

 

「もう……。本当、貴方って何なのよ? 普通、お姉さんがこんな格好で料理していたら、食べちゃうのが男ってものでしょう?」

 

「料理をか?」

 

「私を、よ」

 

「んなことするか……。そもそも、俺にその気があったとして、誰かに見られながらってのは、俺の趣味じゃないのだがな」

 

そう言って青葉を見る。

 

「青葉が居なかったら、手を出す可能性があるって事?」

 

「趣味じゃないってだけだ」

 

「なら、どうしたら――」

 

ふと、陸奥の口の付近に、米粒が引っ付いているのが見えた。

 

「陸奥、口の付近に米粒が付いているぜ」

 

「え? やだ、どこ?」

 

「右右」

 

「え? こっち?」

 

「違う、こっちだよ」

 

そう言って、米粒を取ってやろうと手を伸ばした時であった。

 

「やっ……!」

 

俺の手は、陸奥に触れる前に叩かれた。

青ざめる顔。

怯える様な瞳。

 

「む、陸奥……?」

 

「あ……ご、ごめんなさい……」

 

小さく震える体。

 

「……なんだ、手を出せと言うくせに、触れられるのは嫌なのか?」

 

揶揄うように言ったが、陸奥は怒るでもなく、ただ茫然としていた。

 

「お、おいおい……。大丈夫か? お前、なんだか……」

 

「……ごめんなさい。私……ちょっと……」

 

「え? あ、おい!」

 

陸奥はおもむろに立ち上がると、そのまま家を飛び出していった。

 

「行ってしまった……。一体何だったんだ……」

 

青葉に目を向けると、その表情は、悲しみに包まれていた。

 

「青葉」

 

「ふぇ!? あ、はい……なんでしょうか……」

 

「陸奥、行ってしまったぜ。追いかけなくていいのか?」

 

「あ……はい……。そうですね……。追いかけなきゃ……」

 

立ち上がる青葉。

だが、立ち上がるだけで、青葉はその場に突っ立っているのみであった。

 

「青葉?」

 

そして、しばらく俺を見つめると、何か言いたげに口をモゴモゴさせて、結局何も言わずに陸奥を追いかけていった。

 

「…………」

 

 

 

その日の夜は、武蔵がやって来た。

 

「陸奥にトラウマ?」

 

「あぁ、あいつに手を差し伸べた時、何やら怯えているようだったから、何かあるのではないかと思ってな」

 

武蔵は俺の膝を枕にして、視線を送った。

 

「特に聞いたことはないな。むしろ、ある方がおかしいと思えるくらいだが」

 

「と言うと?」

 

「陸奥は、誰に対しても大人の余裕を見せている。取り乱すところを見たことが無いし、むしろ、陸奥のペースに取り乱されることがあるくらいだ」

 

だが俺は、陸奥が取り乱す姿を知っている。

 

「そうか。青葉は何か知っていそうだったが……。あいつらは長いのか?」

 

「いや、昔から仲が良かったわけじゃない。この島に長くいた佐久間肇という男が死んでから、この島には何人もの男がやって来ては、すぐに去って行った時期がある。その頃からかな」

 

「ハニートラップが多発した時期か」

 

「いつの間にか仲良くなっていたよ。何をするにも一緒だった。この島に人が来なくなってからは、一緒に居るところを見るのは少なくなったが、最近になって、また復活したようだな」

 

俺が――人間が来ると復活する仲……か……。

 

「ハニートラップの為のビジネスパートナーって感じか」

 

「そうかもしれないな。なんだ貴様、陸奥や青葉までも懐柔しようと言うのか?」

 

「懐柔ってお前……」

 

「懐柔だろう。あの鹿島ですら、貴様には協力的だ。この武蔵にしてもそうだ」

 

そういうと、武蔵は俺の手を取り、自分の頭に乗せた。

 

「陸奥や青葉を懐柔するのは構わないが、この武蔵との時間を疎かにするのだけはやめてほしい。最近だと、夕張や明石、駆逐艦や鹿島などに時間を取られて、こうして過ごす時間が少なくなっているように思う」

 

「だから、こうして時間を作ってやっているだろうに。今日だって本当は、お前が「甘えたい」と言い出さなければ、駆逐艦と花火でもやろうと思っていたんだぜ」

 

「そうだったのか。言ってくれればよかったものを」

 

「言ったところで、今日が先延ばしになるだけだ。済ませるうちに済ましたいと思ってな」

 

「嫌々やっている、と言いたいのか?」

 

「かもな」

 

武蔵は、しゅんとしてしまった。

こういう表情も、二人の時にしか見せないものであった。

 

「フッ、冗談だ。お前のそんな表情が見れるんだ。嫌々というには、少し贅沢過ぎる」

 

「……ならさっさと撫でたらどうなんだ」

 

拗ねる表情も、また――。

 

「お前が今までどれだけ頑張って来たか、分かっているつもりだし、労ってやりたいとも思う。だが、これから色々と動かなきゃいけない。なるべく時間は取るつもりだが……」

 

頭を撫でてやると、武蔵は眠たそうな瞳で、「分かっている」と言った。

 

「ちょっと我が儘を言いたかっただけだ。そして、それを聞いてくれる人がいる安心を確かめたかったのだ……」

 

そう言うと、武蔵は目を瞑り、やがて寝息を立てた。

 

「安心……か……」

 

武蔵がそうだったように、陸奥にもまた、何か安心できないことがあるのだろうか。

 

 

 

翌日も響に起こされ、海辺を散歩した。

 

「司令官、何か思い出したかい?」

 

「いや……」

 

「そっか……。時間はたっぷりある。ゆっくり思い出そう」

 

どうやら響は、記憶が――『司令官』の記憶が俺に宿っているのだと、信じているようであった。

 

 

 

響を寮へ送ると、やはり大淀が出て来た。

 

「響ちゃん、どうですか……?」

 

「記憶の事を言われた。佐久間肇の記憶が俺に眠っていて、それを呼び起こそうとしているらしい」

 

「そうですか……」

 

「このまま、思い出せない……というスタンスで居続けるのもいいが……限界があるだろう。いつか響に、現実を見てもらわなきゃいけない時が来る……」

 

「今は、そのタイミングではないと思います……。もう少し様子を見た方がいいでしょう……」

 

「やはりそう思うか」

 

「えぇ……」

 

そう言うと、大淀は一冊の分厚い手帳のようなものを俺に手渡した。

 

「これは?」

 

「佐久間さんと私が毎日つけていた、『記録』の一部です」

 

「『記録』?」

 

「私と佐久間さんが、一日の活動をお互いに報告するためにつけていたものです。まあ、交換日記のようなものだと思ってください」

 

交換日記。

 

「それには、響ちゃんと佐久間さんが、どのようにして毎日を過ごしていたのかが書かれています。参考になればと、持ってきました」

 

やけに協力的になった大淀に、俺は少し不安を抱いていた。

だが、それを見抜いてか、大淀は付け加えるように言った。

 

「響ちゃんには、貴方が佐久間さんではないことを徐々に気付かせる必要があるかと思います。その為には、貴方は佐久間さんに向き合う必要がある。佐久間さんとは違う自分を見せる必要がある。その為の物です」

 

「佐久間肇と響が、共に築いてきた関係を否定するように、俺が振る舞えばいいという事か」

 

「そうです。そして、貴方は貴方としての魅力を響ちゃんに魅せる必要があります。佐久間さんを忘れることが出来るくらいの魅力を……」

 

そこまで言うと、大淀は俯き、黙り込んでしまった。

 

「大淀……」

 

『記録』を受け取る。

 

「ありがとう大淀。そこまで考えてくれていたのだな」

 

「貴方が佐久間さんに向き合うというのなら……」

 

大淀は顔をあげ、俺の顔をじっと見つめた。

 

「……初めて俺を俺として見てくれたな」

 

「いえ……まだです……。私はまだ……あの人の事を忘れることが出来ていません……。貴方に協力したのだって、貴方の前に進もうとする姿に、佐久間さんを感じたからです……。もう一度、佐久間さんと過ごしたあの日々を取り戻す様に、貴方に協力しているのです……」

 

そう言うと、大淀は顔を背けてしまった。

 

「すみません……」

 

俺は胸ポケットに入っていた小さなメモ帳を取り出し、それを大淀に渡してやった。

 

「これは……?」

 

「『記録』だ」

 

「え?」

 

「お前が佐久間肇としたように、俺もお前と『記録』をつける。今はそれしかないが、次回までにはちゃんとしたものを用意するつもりだ」

 

「『記録』を……。でも、それだと……」

 

「あぁ、佐久間肇の真似事になる。確かにそれは癪だ。だが、それ以上に、俺はお前を知りたい。そして、俺を知って欲しいと思っている」

 

「私を――貴方を――?」

 

「佐久間肇に向き合うという事は、お前とも向き合う事だと思っている。お前にとっても、それは同じだ。響にするように、お前にも知って欲しいのだ。そしていつか、疑いの余地もないくらい――真っすぐ、俺を見て欲しいと思っている」

 

大淀はメモ帳を胸に当てると、祈るように目を瞑った。

 

「俺も向き合う。だから、お前も俺に向き合ってくれ。頼む……」

 

そう言って頭を下げると、大淀は何やらメモ帳に書き込み、そして、俺に手渡した。

メモ帳には――いや、『記録』には、小さく、『雨宮慎二と記録を付け始めた』と書かれていた。

 

「佐久間さんとの初めての『記録』を付けた時も……何を書いていいのか分からなくて……そう書きました……」

 

「……なんて返って来たんだ?」

 

「ただ一言です……。『これからよろしくな』って……」

 

大淀は再び、俺をじっと見つめた。

 

「……なら、そうは書けないな」

 

「書くつもりだったのですか?」

 

「かもな」

 

そう言ってやると、大淀は小さく笑った。

俺も、同じように。

 

「大淀さ~ん、朝ごはんの準備が出来たよ~」

 

遠くで、駆逐艦が大淀を呼んでいた。

 

「呼んでるぜ」

 

「えぇ。では……また……」

 

「あぁ、『また』な」

 

大淀は視線を外すと、振り返ることもせず、寮の方へと戻っていった。

 

「…………」

 

いつか、振り向いた時には、きっと――。

 

 

 

家に帰り、大淀から渡された『記録』に目を通した。

 

「響と佐久間肇の関係……」

 

『記録』には付箋が貼ってあり、そのページが響関連であった。

 

『――年――月――日

 陽も出ぬ朝方に、響がやって来た。

 暁、電、雷を失う夢を見たとのことであった。

 夢とはいえ、酷く怯えている様子で、響を落ち着かせるために、肩車をして、浜辺を散歩した。

 今は落ち着いている様子だが、またいつ取り乱すか分からない。

 大淀からも気にかけてやってくれ。』

 

その文章の下に、大淀の字で『分かりました。また腰を痛めない様に、気を付けてくださいね。』と書かれていた。

他のページを見てみる。

 

『――年――月――日

 今日も響はやって来た。

 どうやら懐かれてしまったらしい――』

『本当、子どもから好かれる人ですね。最近はずっと駆逐艦にばかり構っておられるので、皆さん、提督をとられたのだと嘆いていましたよ。時々でいいので、皆さんともコミュニケーションを取ってくださいね。もちろん、私とも……なんて。』

 

 

『――年――月――日

 何かに影響されたようで、響が死について聞いてきた。

 死ぬのが怖いと震えていたので、響が戦時中に「不死鳥」を呼ばれていたのを引き合いに出して――何とか落ち着いて貰った。

 艦娘の「死」と、人間の「死」には、大きな差がある。

 人間の死は、いずれ訪れるものだが、艦娘にとっての死とは、「選択」だ。

「死」を選択するのではなく、「生きる」という事を選択するように考えて欲しいと、俺は思っている。

 不死鳥のように、炎に身を焦がす「選択」を経て、艦娘は人へと蘇る……って、映画の宣伝文句のようになってしまった。』

『素敵な宣伝文句だと思います(笑) 提督には、その選択をさせるだけの実力と人望があります。明後日に島をでる――さんも、提督に背中を押されたって、仰っておりました。感謝しているって。私も早く、島を出てみたいです。期待していますよ。提督。』

 

 

響と佐久間肇の関係も然ることながら、大淀と佐久間肇の関係もまた――。

 

「…………」

 

佐久間肇。

艦娘と人間の対立を招いた『戦犯』と呼ばれた男。

だが、この『記録』には――。

少なくとも、佐久間肇に導かれて島を出た艦娘たちは――きっと――。

 

「それでも……俺は……」

 

ふと、庭の方で何者かの気配を感じた。

 

「誰かいるのか?」

 

しんとする庭。

返事がないので、縁側に出て庭を覗いてみると、そこには青葉が居た。

隠れるように座って。

 

「あ……」

 

「……そんなところで何をやっているんだ?」

 

青葉は何やら焦った表情で、すっと立ち上がった。

そして、俯き、もじもじと手を揉み始めた。

 

「陸奥は……来ていないようだが、お前ひとりか? 何をしに来た?」

 

青葉は答えず、何か言いたいことがあるのか、口を開いたり閉じたりしていた。

この様子……まるで……。

 

「……お前、俺に何か言いたいことがあるんだな?」

 

青葉は何も言わなかった。

ただ、図星だというように、体を強張らせた。

 

「話にくいことなら、お前が話せるようになるまで、待っていてやる。だから、焦らず、お前のタイミングで話してほしい」

 

そう言って、青葉を縁側に座らせた。

 

「そうだ。何か食うか? 重さんが色々持ってきてくれてな。菓子は好きか? 持ってくるから、ちょっと待ってろ」

 

台所へ向かおうとする俺を青葉は止めた。

袖を小さく掴んで。

足を止め、青葉に向き合った。

 

「……話す気になったか?」

 

青葉は小さく頷くと、深呼吸をして、俺の顔をじっと見つめた。

そして、言った。

 

「貴方を司令官の……佐久間さんの息子さんだということを見込んで……お願いがあります……」

 

「え……?」

 

今、こいつ……。

青葉は、さも当たり前のように続ける。

 

「救ってほしいのです……」

 

「救う……? 誰を……?」

 

「陸奥さんです……。陸奥さんを……救ってほしいのです……。心の支えになって欲しいのです……。佐久間さんがそうだったように……佐久間さんの息子である……貴方にも……」

 

雲に隠れていた太陽が顔を出し、俺の背後に影をつくった。

大淀の持ってきた『記録』が、その影の中へと沈んでゆく。

溶け込むように。

同化するように。

俺という存在を――否定するように――。

 

――続く



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5話

あの島にいては、いつか彼の事を忘れてしまう。

彼の代わりが来て、再び沼に足を取られてしまう。

そう思って、ボクは島を出ました。

彼を忘れないために。

彼を想い続けるために。

彼を愛し続けるために。

この小説も、その一環でした。

いつか彼に、この小説を読んで欲しいと思っています。

ボクの師であり、ボクの初恋の人――佐久間先生に――。

 

『最上 作『遺船』――受賞インタビュー』より

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

陸奥さんは、青葉なんかとは決して釣り合う事のない存在でした。

強くて、凛々しくて、どんな事にも対応出来て――まるで、太陽のような存在でした。

青葉は、それに照らされて出来た影のようなもので――。

とにかく、今のように隣に立つなんてこと、一生ないと思っていました。

 

 

この島にまだ多くの艦娘が居た頃の事です。

信じられないかもしれませんが、私達艦娘にも、人に娶られることを期待する風潮がありました。

わざわざそれを待つ艦娘もいたくらいです。

人側もその事を承知しているのか、婚活気分でこの島に訪れる方が多かった印象です。

当然、そんな気分で来ているものですから、スキンシップも過激なものが多くて……。

娶りを期待していた艦娘からしたら、好意的なスキンシップになるのでしょうけれど、死を恐れている艦娘や、人を嫌っている艦娘などからしたら、ただのセクハラでしかありませんでした。

そんなスキンシップ……いえ、セクハラをされることの多かった艦娘は、他でもない陸奥さんでした。

 

「陸奥、お前、こんなにいい体をしているのに、どうして島を出ないんだ?」

 

「やんっ! もう、火遊びはだーめ。私、紳士的な男の人が好きなの。素敵な人が来るまで、この島に残ろうと思って」

 

「俺も紳士的だぜ。ベッドの上ではな」

 

「何言ってるのよ。ほら、駆逐艦たちと遊ぶ時間よ。私も用事があるから。じゃあね」

 

他の艦娘と違って、陸奥さんはセクハラに対するかわし方が上手でした。

どんなセクハラにも動じないし、自分を犠牲にして他の艦娘を守ることもしていました。

強くて、頼りがいのある美しい女性。

けれど、そんな陸奥さんも、一人になると――。

 

「うぅ……ぐす……」

 

誰もいない備蓄庫の裏で、よく泣いていました。

青葉だけです。

その事を知っていたのは。

けれど、青葉は何も出来ませんでした。

青葉にどうこう出来るものじゃないと思っていましたし、青葉ごときが関わっていい事ではないと思っていました。

青葉はただ、誰の味方をするわけでもなく、仕事をこなすだけでした。

 

 

やがて陸奥さんは、人を避ける様になりました。

しかし、その頃になると、陸奥さんは『高嶺の花』であると認識され始めたのか、そもそも近づこうとする男の人が少なくなっていました。

優しい方も多かったのですが、そう言う人に限って陸奥さんと接することはしませんでしたから、『セクハラをしてくる存在』という、陸奥さんの持つ人間のイメージが変わることはありませんでした。

 

 

そんなある日の事です。

一人の男が出向してきました。

 

「佐久間肇だ。よろしく」

 

最初は、なんてことない、普通の人だと思っていました。

どうせまたすぐにいなくなる。

そう思っていました。

けれど、いつまで経っても、佐久間さんが島を出ていくことはありませんでした。

それどころか、今まで人間に心を開かなかった艦娘たちが、次々と佐久間さんの虜になってゆくのです。

そしてとうとう、島を出る艦娘まで現れました。

娶りなどではなく、彼の言葉を以って――。

 

 

「隣、いいか?」

 

一人で昼食を摂っている青葉に、佐久間さんが話しかけてきました。

 

「……どうぞ」

 

「ありがとう」

 

佐久間さんと話すのは、これが初めてでした。

避けていたつもりはなかったのですが、青葉から近付くことはしませんでしたから――。

 

「お前が海軍に送っているという情報、見たよ。新聞になっているやつ」

 

「恐縮です……」

 

「ありゃ、一人で書いているのか?」

 

「えぇ……まあ……」

 

「そりゃ凄い。あんな面白いものを一人で。大したもんだ」

 

嬉しくはありませんでした。

どうせ、適当な事を言っているのだと思ったから……。

 

「だが、もっと華やかな方が受けると思うぜ。例えば、絵をいれてみるとか」

 

「絵……ですか……」

 

「もし描けないのなら、写真はどうだ? 写真なら、皆の顔も撮れるし、お前のルポルタージュ的な記事にも合うと思うんだ」

 

「でも……カメラなんて……」

 

「俺が用意する。だから、やってみないか?」

 

「はぁ……」

 

「よし、決まりだ。すぐに手配するから、お前も記事の構成を考えておいてくれ」

 

そう言うと、佐久間さんは足早に去って行きました。

カメラなんて、絶対に無理だと思いました。

そんな高額な物を海軍が支給するわけありません。

ましてや、青葉の新聞の為なんかに――。

けど、あの人は――。

 

「ほら」

 

「う、嘘……。こんな高そうなカメラ……。どうやって……」

 

「まあ、細かいことはいいじゃないか。早速使ってみたらどうだ?」

 

後になって分かったのですが、どうやら佐久間さんが自ら購入したもののようでした。

 

「駆逐艦が新しい遊びを思いついたらしい。それを記事にするのはどうだろう?」

 

「え……あぁ……はい、いいと思います……」

 

「それじゃあ、早速、取材と行こう」

 

「え?」

 

「現地の声を拾いに行く。それがルポライターの仕事だ。写真、しっかり頼むぜ。交渉は俺に任せろ」

 

「あ、ちょっと!」

 

初めてでした。

人の手を握ったのは。

大きくて、温かい手でした。

あの時の温もり――そして、青葉の手を引く佐久間さんの大きな背中は、今でも忘れられません。

 

 

それから青葉の新聞は華やかになっていって、海軍だけではなく、艦娘たちにも新聞がいきわたるよう、佐久間さんが手配してくれました。

そのおかげで、今まで青葉とは関わりがなかった艦娘たちも、青葉に話しかけてくれるようになりました。

それが、佐久間さんの狙いだったようです。

日陰者の青葉を太陽の下に連れ出すための――。

今の青葉があるのは、佐久間さんのお陰なのです。

――あ……すみません……。

陸奥さんの事を話していたのでしたね……。

いつの間にか、青葉の事を……。

 

 

陸奥さんは、佐久間さんが来る頃には、人に対して完全に心を閉ざしていました。

普段のふるまいを見せてはいても、決して佐久間さんには近づきません。

佐久間さんから話しかけようとしても、何かと理由をつけては、避け続けていました。

その理由を佐久間さんは気が付いているようでした。

 

「陸奥、お前も一緒にどうだ? 人生ゲームっていうんだ。面白いぜ」

 

「陸奥、ちょっと手伝ってくれないか? 人手が足りないんだ」

 

「陸奥、同僚からマニキュアを貰ったんだが、お前にやるよ。きっと似合うぜ」

 

それでもあえて、佐久間さんは陸奥さんに近づいていきました。

最初こそ警戒していた陸奥さんも、徐々に佐久間さんに慣れていきました。

心を開きつつある陸奥さん。

きっと、あと数日もあれば――。

でも――。

 

 

佐久間さんが亡くなって、陸奥さんは再び塞ぎ込んでしまいました。

そして追い打ちをかける様に、出向してきた人たちによるセクハラが再開しました。

 

「うぅ……うぅぅ……」

 

青葉はまた、陸奥さんが涙するところを見てしまいました。

けど、昔と違って、ただ見過ごす訳にはいきませんでした。

佐久間さんがそうしたように、青葉も陸奥さんを救いたいと思いました。

もう、見て見ぬふりは、青葉には――。

 

 

手始めに、セクハラの現場を写真におさめました。

セクハラに苦しむ艦娘の声を聴き、記事にしました。

その記事を見て、海軍は、セクハラの情報を隠蔽しようとしましたが、既に島を出ている元艦娘たちによって、それは阻止されました。

結果として、セクハラをしていた人たちは、懲戒免職処分されました。

 

 

この頃になると、島を出たくない艦娘が多かったので、青葉の行動は大いに称賛されました。

不祥事を報告するだけで、人間を追い返すことが出来る。

この事が、人と艦娘の関係の全てを変えました。

 

 

最初は、人の行動に目を光らせるだけでした。

けれど、徐々に不祥事を起こさせるように仕掛け始めて――最終的には、『ハニートラップ』が手軽だと、気が付いたようでした。

味を占めた島の艦娘たちは、成功率をあげるべく、陸奥さんに協力を求めました。

 

「陸奥さん、お願いします! 陸奥さんの力が必要なんです!」

 

「お願いします!」

 

陸奥さんは嫌だったでしょうね。

でも、断れる雰囲気ではありませんでした。

島の艦娘を守るため……なんて言われたら……。

 

 

いつもの場所に、陸奥さんはいました。

やはり泣いていました。

いつもなら、声もかけられずに、ただ「力になれたら」って『思うだけ』でした。

でも……。

 

「む、陸奥さん……!」

 

佐久間さんのある言葉が、青葉の背中を押しました。

『助けて欲しい人がまず最初にやって欲しい事は、解決策の提案ではなくて、共感だ。だから、困っている奴が居たら、まずは話を聞いてやって欲しい。きっとそこに、理屈では語れない、本当の意味での解決策が眠っているはずだ』

青葉にしかできないことだと思いました。

こんな青葉だからこそ、出来ることだと思いました。

 

 

陸奥さんは、全てを青葉に話してくれました。

佐久間さんの言う通り、陸奥さんは共感を求めていました。

 

「誰にも相談できなかった……。皆のイメージを崩したくなかったし……期待を裏切れなかった……。失望させたくなかった……」

 

尊敬、憧憬――それら全てが、陸奥さんを苦しめていました。

 

「でも貴女は……こんな私にも声をかけてくれた……。失望せず、期待せず――ありのままの私として、受け入れてくれた」

 

陸奥さんは手を取ると、涙を流し、微笑みながら言いました。

 

「ありがとう……」

 

 

それから陸奥さんは、いつものように皆の期待に応えて行きました。

辛いこともたくさんありましたが、「青葉が居てくれるから」と、挫けず頑張ってくれました。

その甲斐あって、出向してくる人間は徐々に少なくなって行き、やがて一人も来なくなりました。

 

「陸奥さん、やりましたね」

 

「えぇ。貴女のお陰よ。ありがとう、青葉」

 

「いえ」

 

もう青葉無しでも、彼女は大丈夫だと思いました。

そう、貴方が来るまでは――。

 

 

「青葉……」

 

陸奥さんに話しかけられるのは、久々の事でした。

『ハニートラップ』が必要なくなってから十数年。

青葉は、陸奥さんと距離を置いていたのです。

青葉と陸奥さんが一緒に過ごした日々というのは、陸奥さんにとって辛いものであったはずですから――思い出させてはいけないと思って……。

 

「出向してきた雨宮って男……。とうとう鹿島まで味方につけたって……」

 

「……そのようですね」

 

「それで……私……」

 

陸奥さんはほろほろと涙を流し、俯いてしまいました。

 

「……皆に言われたんですね。あの男を追い出してほしいと……」

 

陸奥さんは小さく頷くと、これまた小さな声で言いました。

 

「怖いの……。あの武蔵までも味方にしてしまった人間だなんて……。今はいい人のように振る舞っているけれど、この先、彼が本性を現して、悪事に走り出したら……。彼を信用している艦娘も、きっとそれに加担することになって……」

 

陸奥さんが何を恐れていることは分かっていました。

佐久間さんの時も、陸奥さんは同じように怯えていましたから……。

人に信頼を置き過ぎた艦娘が、知らぬ間に人に利用されてしまう事例を青葉は知っています。

陸奥さんも、その事を恐れていたのです。

 

「でも……やらなきゃいけないわよね……。私がやらないと……。だから青葉……また私を助けて欲しいの……。貴女がいれば……私、頑張れる……」

 

「陸奥さん……」

 

「青葉……」

 

陸奥さんの華奢な手が、青葉の冷たい手を包み込みました。

 

「……分かりました。でも……」

 

「でも……?」

 

嫌なら嫌だと言った方がいい。

そう言いかけて、やめました。

嫌だといえるなら、とっくに言っているはずです。

でも、そう出来ないから、青葉なんかを頼るのだと思ったから――。

 

「……なんでもありません。分かりました。一緒に雨宮を倒しましょう」

 

「青葉……ありがとう……」

 

そして、私たちは再び手を組むことになりました。

そこからの事は、貴方の知る通りです。

 

 

 

 

 

 

青葉は全てを話し終えると、反応を確認するように、俺をじっと見つめた。

 

「つまり、救ってほしいってのは、陸奥に『ハニートラップ』をやめさせるよう仕向けて欲しいということか?」

 

「というよりも、陸奥さんの支えになって欲しいのです……。『ハニートラップ』自体をやめることは出来ません……。陸奥さんの立場もありますから……。それよりも、その負担を軽減してあげて欲しいのです……。過去に受けたセクハラに対するトラウマが、陸奥さんを苦しめています……」

 

俺はわざと大きくため息をついて見せた。

 

「失礼を承知でお願いしています……。どうか……支えになってあげてください……」

 

「……支えになったとして、『ハニートラップ』がなくならない限り、陸奥の中にある根本的な問題は、解決しないと思うがな」

 

「陸奥さんのトラウマを払拭できれば……人間の悪いイメージを払拭できれば、解決するはずです……」

 

「そこが分からん。なぜそこまでして『ハニートラップ』を続けようとする? やめさせることが出来ない……立場があるって……。なぜそこを脱却しようとしないんだ?」

 

「……この島特有の事情があるのです」

 

「その事情とやらを無くすことは出来ないのか? 『ハニートラップ』を無くさない限り、フラッシュバックは避けられないぜ。その時はどうする?」

 

青葉は、露骨に嫌な顔をして見せた。

そして小さく言った。

 

「……佐久間さんなら、何も言わずに支えになってくれたはずです。なのにどうして貴方は……」

 

佐久間肇なら……か……。

 

「まあ、俺は佐久間肇じゃないからな。それよりも、何故俺が佐久間肇の息子だと?」

 

「大淀さんと門のところでお話をされていたのをこっそり聞いていたんです。響ちゃんの件で……」

 

なるほど……。

流石はスパイと言ったところか……。

 

「佐久間さんの息子である貴方なら、きっと理解してくれると思っていました……」

 

「理解はしている。だが、それでは根本的な解決にはならないと言っているんだ」

 

「理解していません! 陸奥さんには事情があるのです……。彼女にしか背負えないものが……。それを最大限に考慮して欲しいのです……」

 

「それが陸奥の為になると?」

 

「はい……」

 

それを聞いて、厄介な奴にあたってしまったと思った。

青葉は、俺が佐久間肇の息子であること――自分たちの理解者であることを前提にしか、モノを考えられていない。

佐久間肇の手法が、中途半端に成功へと向かっていたせいで、その事例でしか解決できないと思っている。

『助けて欲しい人がまず最初にやって欲しい事は、解決策の提案ではなくて、共感だ』

それは間違っていない。

だが――

『困っている奴が居たら、まずは話を聞いてやって欲しい。きっとそこに、理屈では語れない、本当の意味での解決策が眠っているはずだ』

そうだ。

佐久間肇はそこまで行きつかなかったのだ。

だからこそ、青葉は、佐久間肇がやったように、共感――奴の言うところの『支えになって欲しい』の一点張りなのだ。

さらに、それに加え、島特有の事情とやらがある。

それが何かは知らないが、おそらく、我々で言うところの『暗黙のルール』に近いものなのだろう。

守らなければいけないという、錯覚に陥っている。

佐久間肇と錯覚――。

どちらも、あまりにも厄介な案件だ。

 

「……事情は分かった。だからこそ、協力は出来ない」

 

「え……?」

 

「お前の言う支えってのは、佐久間肇がやったことだと言ったな。だとするならば、それを再現することは得策ではないと考える」

 

「得策じゃないって……。そんな訳ありません! 現に陸奥さんは、佐久間さんのお陰で、人を信用してもいいと思い始めていたのですよ!? あんな事件が無かったら、今頃……」

 

「だが、成し得なかったのは事実だ」

 

「それは、事件が無かったら……!」

 

「佐久間肇がこの島に居たのは十年だ。お前たちにとっては少ない時間かも知れないが、俺たちの感覚からしたら、十年も一緒に居てやって、結局その程度までしか行けなかったのだと非難できるレベルだ」

 

「それほどに陸奥さんの心の傷は深いんです! そんな事も知らない貴方に……佐久間さんを非難する筋合いはありません!」

 

「俺なら半年もかからずに、陸奥を解決策へと導いてやれる。佐久間肇とは違う」

 

「何を根拠に……。出来もしないことを……!」

 

「佐久間肇の息子であることだけを根拠に行動するお前と、何が違う?」

 

青葉の表情は、見たこともないほどに怒りに満ちていた。

 

「もういいです……。貴方に相談した青葉が間違いでした……」

 

「その通りだ。お互いに不利益にしかならん。お前と協力しては、陸奥がいつまでたっても救われない」

 

「はい……?」

 

「いい加減気づけよ。お前のその考えが、陸奥を苦しめているのだと」

 

「……どういう意味ですか?」

 

「お前は陸奥を救いたいんじゃない。佐久間肇の成し得なかったことを成し得ようとしているだけだ。自分の身勝手な行動にしか目が行かず、根本的な解決策に目をやれていない。陸奥が望んでいる未来の姿に、何故気が付けないんだ」

 

それに、青葉は強く反発した。

 

「違います! 青葉は、本当に陸奥さんを……! 陸奥さんを一番、傍で見て来たのは青葉です! たった数日関わっただけの貴方に、一体何が……!」

 

「確かにそうかもしれない。だが、お前が佐久間肇に執着しているのは事実だし、陸奥が本当に望む未来に対して、お前が目を向けれていないのも事実だ。いつまでも故人に執着するのはやめろ。奴は死んだ。そして、陸奥は再びトラウマを抱えた。一時のしょうもない気休めに付き合わされ、安い希望に身を寄せて、どん底に落ちていった。これじゃあ、希望なく泣き続けていた方がマシだ。絶望の中で、微かに光る希望を手につかめず、どん底へ落ちていった奴の気持ち、お前に分かるか? 『あれほどの絶望』が――泣き続けていた方がマシだったという気持ちが、お前に分かるのかよ?」

 

「……まるでその絶望を見て来たかのような言い草ですね」

 

そう言われ、俺はハッとした。

だがそれは、見てもいないものを見たかのように言ったことではない。

自分の経験を――『あの絶望』と、この事を重ねて考えていたことに対してであった。

 

「……まあいいです。よく分かりました……。貴方に頼ろうとした青葉が馬鹿でした……」

 

「そのようだな」

 

青葉は再び俺を睨み付けると、下唇をぎゅっと噛み締めた。

その目には涙が溜まっていて、やがてあふれ出した。

 

「貴方たちが居なければ……。貴方たちが陸奥さんを傷つけなかったら……!」

 

そう言い残して、青葉は去って行った。

 

「俺たちが居なければ……か……」

 

艦娘と人間の関係。

そもそも、人間が艦娘を艦娘として受け入れることが出来たのなら――。

考えてこなかったわけじゃない。

だが、どうしようもない現実でもあった。

だからこそ、俺は――。

 

 

 

俺は一人で考えるべく、鹿島と語り合った『あの場所』へと向かった。

 

「相変わらずだな」

 

停止したままの風力発電機。

故障しているのか、それとも――。

大きな岩に座り、空と海を眺める。

遠く聞こえる波の音と、風。

感情と理屈でぐちゃぐちゃになった俺の頭の中が、リセットされるようであった。

 

「はぁ……」

 

落ち着くと共に、後悔が俺を襲った。

青葉に対して言ったことは間違いない。

だが、少し感情的になり過ぎたというか、配慮が足りなかったというか……。

話を聞く限り、『問題』を抱えているのは陸奥だけではない。

本人は否定するだろうが、青葉もそうなのだ。

青葉の抱える『問題』を解決しなければ、おそらく陸奥は――。

いや、或いは、陸奥の『問題』解決にこそ、青葉の『問題』解決策が――。

 

「……はぁ。もう分からん……」

 

そう言って空を仰いだ時、俺の両目は誰かの華奢な手によって塞がれた。

 

「だぁれだ?」

 

精一杯声を変えているつもりなのだろうが、すぐに分かった。

 

「どうしてお前がここにいるんだ。鹿島」

 

「ウフフ、正解です」

 

鹿島は隣に座ると、何やら包みを俺に渡した。

 

「朝食、まだですよね? 備蓄庫の食材が減っていないので、きっと何も食べていないんじゃないかって、鳳翔さんが」

 

包みを開けると、握り飯が二個入っていた。

それを見た瞬間、腹の虫が小さく鳴いた。

 

「よく見てるな、あいつ」

 

「それだけ、危なっかしい人って、思われているんですよ」

 

「お前もその一人って訳か?」

 

「どうでしょう」

 

何がおかしいのか、鹿島は「ウフフ」と、清楚に笑って見せた。

 

「とにかく、お腹、空いているんですよね?」

 

俺の腹を突く鹿島。

 

「……聞こえたのか」

 

「えぇ、とってもかわいい音が」

 

「……まあいい。そのとおりだ。いただくとしよう」

 

飯を食っている間、鹿島は何も言わず、その姿をじっと見つめていた。

 

 

 

飯を食い終わってからも、鹿島は何も言わず、何やら俺の言葉を待っているようであった。

 

「どうして俺がここにいると分かったんだ?」

 

とりあえずそう聞いてやると、鹿島は待っていましたと言わんばかりに目を見開き、俺を見た。

 

「実は、お弁当を持っていこうと、提督さんの家に行った時、青葉さんとのやり取りを聞いてしまいまして……。話が終わったら、提督さん、ここに向かっていたので、あとをつけて来たのです」

 

なるほど、聞かれていたという訳か。

握り飯が冷めていた事を考えると、おそらく最初から――。

 

「そうか……」

 

「陸奥さんと青葉さんの仲が良い事は知っていましたけれど、まさかあんな事情があったとは……」

 

鹿島の反応を見るに、青葉の言う通り、陸奥は青葉以外に弱みを見せなかったらしい。

 

「……陸奥さんと青葉さんの事もそうですけど、最後の方……提督さんが言った『あれほどの絶望』って……」

 

俺は何も言わなかった。

事情を知る鹿島にとっては、それが答えだった。

 

「……やっぱりそうでしたか」

 

「お前、俺と青葉のやり取りを見て、どう思った?」

 

「どう……とは……」

 

「いや、少し言い過ぎたと思ってな……。感情的になり過ぎたというか……」

 

「……やっぱり、重ねてしまいますか? 自分との境遇と……」

 

「あぁ……。だから、ちょっと感情的になってしまったのかもしれないな……」

 

「仕方がないですよ。私が提督さんと同じ立場だったら、きっと同じことを言ったはずです……。現に、最初の頃の私は、提督さんに……」

 

そう言って、鹿島は黙り込んでしまった。

俯き、何やら悔いる様な瞳に、俺は――。

 

「……それでも、今はこうしている。俺とお前がそうならば、きっと、青葉とも上手くやっていけるのかもしれない。そう思うと、少しだけ気が楽になるな。もしかして、それを気づかせるために言ったのか?」

 

「え? い、いえ……そんな意図は……」

 

「そうなのか? だが、気が楽になったのは確かだ。ありがとう、鹿島」

 

そう言って笑って見せると、鹿島は再び俯いてしまった。

 

「鹿島?」

 

「また、慰められちゃいました……」

 

「え?」

 

「今の……私を慰めるために、言ってくれたんですよね?」

 

俺はとぼけようとしたが、見透かされているのが分かって、ただ頭を掻いて見せた。

 

「本当は私が、提督さんを慰めるつもりだったのに……。駄目ですね……」

 

「なに、別に俺は――」

「――私は」

 

俺の言葉をかき消す様に、鹿島は言葉を重ねた。

 

「私は、提督さんが私にしてくれたように、提督さんの抱えているものを共有したいのです……。けど、提督さんは優しいから……私に背負わせまいと、いつもなにもなかったかのように笑って、私を遠ざけますよね」

 

「遠ざけているだなんて……」

 

「昨日の事もそうです。何か悩みがあるのかと聞く私に、提督さんは何もないと答えました……。でも、あの後、大淀さんと何か話していたのを私は見ていました。青葉さんも言っていました……。大淀さんとの会話を聞いたと……。響ちゃんの件だと……」

 

何と言ったらいいのか分からず、俺は黙り込む事しかできなかった。

 

「響ちゃんの件が、どんなことなのかは分かりません。でも、昨日の提督さんのあの顔をつくったのは、きっとその事なのだろうと思います。大淀さんには話せて……私には話せませんか……?」

 

「いや……そういう訳ではない……」

 

「じゃあ、どうして私を避けるのですか? 私は……鹿島は、提督さんのお力になりたいのです。大淀さんほど優秀じゃないことは確かです。でも、守られるだけなのは嫌です! 私の罪を一緒に背負ってくれるというのなら、私にも、貴方の悩みを背負わせてください……。お願いします……!」

 

真剣な表情であった。

嘘偽りのない感情――。

その真っすぐな感情が、俺にとっては――。

 

「提督さん……」

 

「……そうか。お前の気持ちはよく分かったよ。確かに、俺はお前に話さなかった。昨日のこともそうだし、正直に言えば、青葉や陸奥のことも、話すつもりはなかった」

 

「え……」

 

「だが、聞いてくれ。それには理由があるんだ」

 

「理由……ですか……?」

 

「あぁ……」

 

鹿島は俺に向き合うと、真っすぐと目を見つめた。

 

「教えてください……。その理由を……」

 

その姿勢に、俺は思わず尻込みしてしまった。

 

「提督さん?」

 

「い、いや……本当、大した理由ではないから、そんな真剣に聞いてもらわなくてもいいんだが……」

 

「いえ! 提督さんにはそうかもしれませんが、私にとっては重要なことです! ですから、お願いします! 教えてください!」

 

息巻く鹿島。

俺は少し躊躇しながらも、その理由を語った。

 

「分かった……。正直に言って……」

 

「はい……」

 

「正直言って、お前のその優しさが……その……俺によく効くというか……」

 

「え?」

 

「困惑するんだ。普通、優しさってのは裏がある。だけど、お前のは真っすぐすぎて……。そういう純粋な気持ちってのに、俺は慣れていないものでな……。自分を見失ってしまう気がするというか……」

 

「困惑……ですか……?」

 

「お前は、俺が今まで会ってきたどんな奴とも違う。だから、時々、お前の優しさを怖いと思うことすらあるんだ。そんな純粋な優しさ、体験したことがないものだから……」

 

ようやく意味が分かったのか、鹿島は複雑な表情を見せた。

 

「とにかく、悪意があってだとか、信用がないから、お前に話さないのではない。俺自身、お前の優しさに慣れていないものだから、頼ることも躊躇っているだけだ。その純粋な――損得の見えない感情に……」

 

鹿島はどんな呆れた表情を見せるものかと顔を覗いてみると、予想に反して、真剣な表情を見せていた。

 

「なら、鹿島が純粋なのではなく、不純だと分かれば、私を避けないでくれますか……?」

 

「え?」

 

鹿島は俺の手を取ると、その手を自分の胸に宛てがった。

その顔は、真っ赤に染まっている。

 

「純粋無垢な女だと思っているかもしれませんが、そんなことはありません! 私だって、不純な気持ちを持つことだってあります!」

 

「え……?」

 

「私だって、男の人とキスしてみたいだとか、その……え、えっちな事をしてみたいとか、思ったりします……! そういう妄想をしたこともありますし……一人で……あの……その……そ、そういう……練習……だって、したことあるんです……!」

 

「か、鹿島……?」

 

「提督さんの力になりたい気持ちだって、純粋ではありません! 私がそうしたいだけですし、もっともっと、提督さんと関わっていきたいという、私の――!」

 

「わ、分かった分かった! 分かったから、とりあえず落ち着け!」

 

手を離さんとする俺に対し、鹿島は更に詰め寄った。

 

「嘘です! そう言う時の「分かった」は、分かっていない証拠です!」

 

ハイになっているのか、鹿島は我を忘れているようであった。

 

「本当に分かった! だから、とりあえず手を離してくれ!」

 

「離しません!」

 

「いや! 胸にあたってるんだよ! セクハラになってしまうから!」

 

「構いません! なんなら、私を抱いてくれたっていいんですよ!?」

 

「抱くってお前……!?」

 

そんな事ですったもんだすること数十秒。

それは突然、終わりを告げることとなった。

 

「ちょ、鹿島、あぶな……うわ!?」

 

「きゃあ!?」

 

鹿島があまりにも迫るものだから、仰け反った俺は、岩の上から落下したのだった。

鹿島諸共……。

 

「いってぇ……」

 

「うぅん……。あ……て、提督さん!? 大丈夫で……す……か……」

 

「あ、あぁ……大丈――」

 

目を開けると、覆いかぶさるように倒れ込んで来た鹿島の顔が、異様に近くにあって、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

「……大丈夫だ。だから、その……とりあえず……俺の上から退いてもらっていいか……?」

 

そう言ってやっても、鹿島は何も言わず、何やらただじっと、俺の瞳を見つめるだけであった。

 

「鹿島……?」

 

その瞬間――。

それは、あまりにも唐突であったものだから、俺は抵抗することも出来なかった。

そして、時間が止まったかのような――永い永いものであった。

 

「――……」

 

ゆっくりと唇を剥がす鹿島は、燃えてしまうのではないかというほどに顔を赤くすると、小さく言った。

 

「これで……分かってくれましたか……? 私が……純粋ではないって……」

 

否定のしようもなかった。

 

「あ……あぁ……」

 

鹿島は俺の胸に手をあてると、どこかホッとした顔を見せた。

 

「良かった……」

 

「え……?」

 

「ドキドキしているの……私だけじゃなかったんですね……」

 

安心した……というよりも、無理にでも自分を落ち着かせようというような、そんな笑顔であった。

 

「……やり過ぎだ」

 

「……こうでもしなければ、納得していただけないかと思いまして」

 

「だとしても、そこまでの事じゃなかっただろ」

 

そう言ってやると、鹿島は黙り込んでしまった。

 

「……とりあえず、退いてくれるか?」

 

 

 

仕切りなおす様に、再び岩の上に座ったものの、俺たちに会話はなかった。

 

「…………」

 

鹿島は、思い出すかのように目を瞑ったり、悔いる様に下唇を噛んだりしていて、何やら色々な感情と戦っているようであった。

 

「ファーストキスだったんだぜ」

 

和まそうと言ったつもりであったが、鹿島は申し訳なさそうに俯いてしまった。

 

「あぁ、いや……責めるつもりで言ったんじゃない。だた、場を和まそうと言っただけで……」

 

そう聞いても、鹿島は俯くことを止めなかった。

 

「…………」

 

どうしたもんか……。

再び、永い沈黙が訪れる。

 

「あの……」

 

沈黙を切ったのは、鹿島であった。

 

「ごめんなさい……。私……ちょっと……気が変になっていて……その……」

 

膝を抱える鹿島。

申し訳なさと恥ずかしさが混在しているといったような、そんな表情であった。

 

「あぁ……まあ、ハイになっていたしな……」

 

「本当にごめんなさい……。嫌……でしたよね……」

 

それに、俺は少し答えを躊躇ってしまった。

良いという訳ではないが、嫌という訳でも――。

 

「……よく分からなかった」

 

自分でも変な答えであるとは思ったが、そう言うしかなかった。

 

「まあ、とにかく……お前の本気度はよく分かった。今まで、相談しなかったことを詫びるよ。すまなかった……。これからは、お前を避けないし、ちゃんと相談するよ」

 

頭を下げると、鹿島はあたふたし始めた。

 

「そ、そんな……。頭をあげてください……。私が不甲斐無いせいというか……そもそも、提督さんが誰に相談するのかなんて、提督さんの自由ですし……。ただ私が我が儘を言ってしまっただけなんです……。だから、謝るのは私の方です……。ごめんなさい……」

 

そう言って、鹿島も頭を下げた。

このままでは埒が明かない。

そう思って、俺は頭をあげた。

 

「じゃあ……まあ……お互いさまって所で、手を打とうじゃないか」

 

そう言ってやっても、鹿島は頭をあげなかった。

 

「いえ……そう言う訳にはいきません……。私は……我が儘を言ったばかりではなく……提督さんの唇を……」

 

俺はふと、そのシーンを思い出し、ドキッとしてしまった。

あの柔らかい感触――。

 

「俺があまりにも納得しないものだから、そうさせてしまったんだ。むしろ、俺が悪い」

 

「でも――」

「――この話はもうおしまいだ」

 

鹿島は反論しようと顔をあげたが、俺の顔を確認すると、閉口した。

そして、顔を真っ赤に染め上げると、伏し目がちに小さく言った。

 

「……ファーストキスって言うのは、本当なんですね」

 

太陽が厚い雲に隠れ、冷たい風が吹いた。

だが、俺の顔は、まるで太陽に焦がれたかのように、いつまでも冷めることを知らないでいた。

 

 

 

しばらく変な雰囲気に飲まれていた俺たちだが、お互いに何とかしようと当たり障りのない話題を振り続けていたお陰もあって、何とか平静に戻ることが出来た。

 

「はぁ……。なんか汗かいちゃいました……。こんなにドキドキしたの……初めてですよ……」

 

俺もだ……とは言えなかった。

だが、鹿島は分かっているのか、意味ありげに微笑みを見せていた。

 

「でも、結果として良かったです。これからは、ちゃんと鹿島に向き合ってくれるんですよね?」

 

「そうせざるを得ないだろうな。あんな事されたら」

 

そう言ってやると、鹿島は恥ずかしそうな表情を見せた。

 

「冗談だ。これからはちゃんと向き合うよ。今まで、お前の気持ちを無下にして、悪かったな……」

 

「提督さん……」

 

「俺も、お前の力になれるよう、頑張るよ。こんな俺だが……これからも支えてくれるか……?」

 

手を差し伸べると、鹿島は涙ぐんだ瞳に笑顔を乗せて、俺の手を力いっぱい握り返した。

 

「――はい! もちろんです! これからも、精一杯、提督さんの為に尽くします! うふふ」

 

本当、こいつの笑顔を見ると、俺は――。

 

「ありがとう。それじゃあ……早速で悪いのだが、鹿島、お前の力を貸してほしい」

 

涙を拭うと、鹿島は逞しい表情を見せた。

 

「陸奥さんと青葉さんの事、ですよね」

 

「あぁ、そうだ。陸奥と青葉、両方の抱える問題を何とかしたい」

 

「それなのですが、私に考えがあります。陸奥さんの『ハニートラップ』をやめさせる方法です」

 

「陸奥に『ハニートラップ』を? そんな事出来るのか?」

 

「えぇ。名付けて『目には目を作戦』です」

 

「目には目を作戦……」

 

「尤も、この作戦には、皆さんの協力も必要ですし、提督さんのお財布にも、協力してもらわなければいけませんが……」

 

そう言うと、鹿島は作戦の説明を始めた。

 

「――という訳です。陸奥さんの『ハニートラップ』が無くなれば、青葉さんの問題も一緒に片付くかと思います。どうでしょう……?」

 

不安そうにこちらを見つめる鹿島。

 

「あぁ、いい作戦だ。どう転ぶかは分からないが、少なくとも、陸奥が『ハニートラップ』をやめるきっかけにはなるだろう」

 

「じゃあ……!」

 

「あぁ、早速手配しよう。機材の方は任せてくれ」

 

「では、私は皆さんに協力を仰ぎます!」

 

「ありがとう。やるからには、絶対に成功させよう」

 

「もちろんです。一緒に頑張りましょう!」

 

「あぁ」

 

俺たちは再び握手を交わすと、早速その準備に取り掛かった。

 

 

 

翌日、重さんが目的の物を持ってきてくれた。

 

「よっと……。これで全部だ」

 

「ありがとう、重さん。立て替えて貰った分は、明日にでも振り込むよう手配してある」

 

「そうか。しかし慎二、これ全部てめぇの自腹なんだろ? ――万円はしてるぜ? どうして海軍に申請しなかったんだ?」

 

「申請したところで、却下されるだけだ。作戦が成功する保証は無いし、海軍としては、艦娘たちに金を使いたくないのが現実だ」

 

「……それだけ本気って事なんだな」

 

「最初から本気さ」

 

それを聞いて、重さんはニヤリと笑った。

 

「ったく、敵わねぇな。そうだ。慎二、これももってけ」

 

「これは?」

 

「ノートパソコンとプリンターだ。この島じゃネットは使えないが、それ以外の用途には問題なく使える代物だ。ま、有効に使ってくれればいいさ」

 

「これって、重さんの自腹か?」

 

「あぁ、まあな……」

 

そう言うと、重さんは恥ずかしそうに鼻頭を擦った。

 

「てめぇの事を見ていると、どうも協力したくなるんだ。こんなことくらいしか出来ねぇけど、頑張って欲しいからよ」

 

「重さん……」

 

「ま、そう言うこった。俺はもう行くぜ。後は頼んだぜ、慎二」

 

「あぁ、ありがとう。重さん」

 

重さんを見送り、俺は荷物を持って家へと向かった。

 

 

 

「あ、提督さん!」

 

鹿島に迎えられ、家の門をくぐると、皆が集まっていた。

 

「皆さんにお話ししたら、これだけ集まってくれました」

 

集まったのは、鳳翔、第六駆逐隊、明石、夕張、武蔵、皐月に卯月――とにかく、いつものメンバーであった。

 

「皆、協力してくれてありがとう。ちょうど、機材が来たところなんだ」

 

そう言って箱を置いてやると、それに真っ先に飛びついたのが、駆逐艦たちであった。

 

「あ、皆! あまり乱暴にすると、壊れちゃいますよ!?」

 

「大丈夫だ鳳翔。丈夫なものを選んだから、ちょっとやそっとじゃ壊れないさ」

 

「そ、そうですか? 爆発したりしませんか?」

 

「これにどんなイメージを持っているんだお前は……」

 

ハラハラとしながら皆を見守る鳳翔。

他のメンバーは、駆逐艦たちが落ち着くのを待ってから、機材を手に取った。

 

「しかし、作戦を聞いたときは驚いたわ。目には目をって……」

 

「鹿島のたてた作戦だ。いい作戦だろう」

 

「いい作戦だとは思うけれど……。本当にこんなことで、陸奥さんが『ハニートラップ』をやめるかしら……」

 

「やってみないことには分からないが、有効ではあると思う。まあ、そうでなくとも、お前たちの遊び道具にくらいにはなるだろう」

 

そう言ってやると、夕張は何やら面白くないのか、大きくため息をついた。

 

「提督、これ、高かったんじゃないですか? 海軍がよく出してくれましたね」

 

「自腹だよ」

 

「え!? でも、こんな精密な造りの物を……自腹って……」

 

流石はモノづくりをしているだけあって、明石の目利きは正確であった。

 

「それだけこの男が本気だということなのであろう。寮の連中を裏切るようで気が引けるが、これも陸奥の為だ。この武蔵も全力を尽くそう!」

 

「あぁ、頼りにしているぜ。武蔵」

 

拳を突き合うと、武蔵は嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

 

「提督さん」

 

「鹿島、皆を説得してくれてありがとう。この作戦、絶対に成功させような」

 

「はい! それじゃあ、早速。目には目を作戦、始動です!」

 

鹿島の掛け声に、駆逐艦たちは元気よく「おー!」と返し、作戦は幕をあげた。

 

 

 

その日の昼過ぎであった。

いつもの通り、駆逐艦の遊びを響と眺めていると、陸奥と青葉がやって来た。

 

「こんにちは。遊びに来たわ」

 

この前の事なんて、まるでなかったとでも言うように、陸奥はいつもと変わらぬ笑顔で俺の隣に座った。

 

「よう。もういいのか?」

 

「何が?」

 

「この前、急に出て行ってしまったからよ」

 

「あら、心配してくれてるのね。嬉しい」

 

陸奥の笑顔の向こうに、青葉はいた。

物凄い剣幕で、カメラ越しに俺を見つめている。

 

「響、ちょっとどいてくれるか?」

 

「うん」

 

響を膝の上から降ろすと、陸奥は待ってましたといわんばかりに、俺に寄り添った。

 

「あらあら、うふふ。私に近づいて欲しくて、響ちゃんを退けたわけ? 可愛いところあるのね」

 

「あぁ、そうだ」

 

その答えに、陸奥は何やら異変を感じたのか、眉をひそめた。

瞬間――。

 

「きゃっ!?」

 

カシャリという音と共に、陸奥と俺は強い光に包まれた。

 

「ちょっと青葉、フラッシュなんてたかなくても――」

 

その青葉はというと、駆逐艦たちの方を見て、驚愕の表情を浮かべていた。

 

「何をそんなに驚いて――」

 

再びフラッシュ。

流石の陸奥も、そのフラッシュの正体に気が付いた様子で、青葉と同じような表情を見せた。

 

「シャッターチャンスだよ!」

 

「ぴょん!」

 

写真機とビデオカメラを持った皐月と卯月が、そこにはいた。

 

「あ、あなた達……それは……?」

 

「えっへへ~。ボクは戦場カメラマンだよ!」

 

「うーちゃんは映画監督だぴょん!」

 

戦場カメラマンに映画監督……。

こりゃまたデカく出たものだ。

 

「……なるほど」

 

そう言ったのは、青葉であった。

 

「目には目を作戦……。そう言う事ですか……」

 

「お、知っているのか、青葉」

 

「えぇ……。何やら皆さん、様子が変でしたので……。作戦の内容は分かりませんでしたが……そんな事を耳にしました……」

 

「目には目を作戦って……どういう事……?」

 

これまた待っていましたといわんばかりに、第六駆逐隊と鹿島がとんできた。

 

「鹿島……」

 

「目には目を作戦を考えたのは、鹿島だ。鹿島、説明してやれよ」

 

「はい! 目には目を作戦……それは、陸奥さん達がやっているように、私たちも、写真機やビデオカメラで、お二人の『ハニートラップ』の証拠をつかもうという作戦です!」

 

ドヤ顔を決める鹿島。

第六駆逐隊は、一斉に撮影を始めた。

 

「暁は、パ……パパ……なんとかよ!」

 

「パパラッチ、なのです」

 

「雷と電は、その活動を追うドキュメンタリー撮影をしているの!」

 

「私は司令官の追っかけだよ」

 

そう言って、響は俺の顔を連写した。

 

「響、お前さっきから、俺の顔しか撮ってなくないか?」

 

「追っかけだからね」

 

皆が皆、この作戦の意味をあまり理解していないようであるが、子供の好奇心ってのは怖いもんで、悪意のないフラッシュが陸奥を襲ったのだった。

 

「駆逐艦だけじゃないぜ。鳳翔に武蔵、夕張に明石も協力してくれている。これらの機材を用意するのに、痛い出費ではあったが……それだけ俺が本気なのだと、理解してほしい」

 

そう言ってやると、陸奥は不安そうに青葉を見つめた。

青葉は陸奥を庇うように、俺の前へと立ちふさがった。

 

「お前の言う通り、佐久間肇と同じことをしてやったぜ。これで満足か?」

 

青葉は何も言わず、俺を睨み付けるだけであった。

 

「怖いな。そんなに怖い顔されると、命の危機を感じるよ」

 

駆逐艦たちが一斉に撮影を始め、俺たちは熱を感じるほどのフラッシュに包まれた。

撮影している本人たちにその気がなくても、俺と青葉には、その意味が分かっていた。

 

「あ、青葉……」

 

「……行きましょう、陸奥さん。作戦を立てましょう……」

 

「う、うん……」

 

「逃げるのか? 俺はお前に撮られても、逃げなかったぜ?」

 

言い返そうとする陸奥を青葉は止めた。

 

「今は言わせておきましょう……。冷静さを失ったら、青葉たちの負けです……」

 

「もう負けてんだよ。勝利はない」

 

それに、青葉は反論することなく、さっさと陸奥を連れて、家を出て行ってしまった。

 

「言い過ぎたと反省していた人は、一体どこに行ってしまったのでしょうか?」

 

鹿島は厭味ったらしく――だが、笑顔でそう聞いた。

 

「昨日の俺は昨日の俺だ。今日の俺は、誰でもない今日の俺だ」

 

そう言う俺の姿を皆が一斉に撮影を始める。

 

「名言でたね」

 

「名言でたぴょん」

 

その日の駆逐艦のカメラには、俺の赤面する顔と、鹿島の大笑いする写真と映像が、おさめられることとなった。

 

 

 

夜。

皆が寝静まったであろう時間に、陸奥と青葉はやって来た。

 

「なるほど。この時間なら、証拠を押さえる者はいないと踏んで来たわけだ。だが、残念だったな」

 

木陰から、カメラを持った明石が飛び出してきた。

 

「交代制で、見張りを立てることにしたんです。いつ陸奥さんが来てもいいようにって」

 

カメラを構える明石。

 

「どうする? 普通に交流する分には、相手をしてやってもいいぜ?」

 

陸奥はやはり青葉を見た。

青葉の言う通り、陸奥は本当に青葉を信用しているらしい。

 

「それで勝ったつもりですか……?」

 

「昼間も言っただろ。つもりじゃなくて、勝ってんだよ」

 

「いいえ、負けています……。あなた達がどんなに協力しようとも、私たちのような人間を嫌う艦娘の数には勝てません……。必ずあなた達を潰します……」

 

そう言うと、青葉は明石を見た。

 

「明石さん……貴女だって、ただでは済まないのですよ……? 艦娘を裏切るその行為……。今は皆さんの慈悲に守られていますが、もし私達が本気になったらどういう事になるのか……分からない貴女ではないはずです……」

 

それは、俺も恐れていたことであった。

青葉の言っていた、『島特有の――』というのは、暗黙の了解――つまるところ、この島で安全に暮らすための『掟』なのだろう。

掟を破った者がどうなるか。

備蓄庫の食材を隠されたことのある俺だからこそ、分かる気がするのだ。

特に、この『島』という隔離された空間の中で、さらに隔離された寮にいる明石達が『掟破り』による『制裁』を恐れるのは、必然であった。

もし、それを利用されたら――そんな事を考えてはいたが、まさか本当についてくるとは……。、

 

「……確かに、そういう考えもあって、行動できない艦娘は多いです」

 

明石は俺の前に立つと、まるで対抗するかのように、青葉を睨み付けた。

 

「でも、私たちは――この島の艦娘たちは、そうしなかった。どんなに裏切る行為があっても、仲間を非難することはしなかった。それは今も同じです」

 

青葉は思わず、明石から目を逸らしてしまった。

それを見逃さんとするように、明石は詰め寄った。

 

「そもそも、青葉さんの言う通りならば、今の私が無事なのはどうしてですか? 人間を嫌う艦娘たちにとって、提督に協力している私は敵な筈です」

 

「そ、それは……」

 

「青葉さんの言っていることは、全て嘘です! 私を脅して、提督の体制を崩さんとする、ただのハッタリです! そもそも、私はそんな脅しや制裁があっても、屈することはありません! だって私には、私にしかないこの力が――!」

「――明石」

 

俺は明石の肩を叩き、その目を見つめた。

 

「もういいよ。ありがとう」

 

その意味が分かったのか、明石は口を噤み、後ろへと下がっていった。

 

「そう言う事だ。しかし、ハッタリなんて、お前らしくないな。何をそんなに焦っている?」

 

「……青葉の何を知っているというのですか」

 

「ルポライターなんだろ? 嘘を言うなんて、まるでジャーナリストのそれじゃないかと思ってな」

 

「嘘などでは……。実際に、そう言った意見もあるのです……」

 

「誰が言った言葉なのかは分からないが、まるで艦娘の総意であるかのように言っていたじゃないか」

 

青葉は拳をぎゅっと握りしめると、何かに耐える様に俯いた。

 

「お前のその思い込みと詰めの甘さ……それら全てが陸奥の足枷になっているんだ」

 

青葉は何も言わなかった。

自分でも分かっているのだろう。

 

「お前に陸奥は救えない。それどころか、お前のせいで陸奥は危険に晒されることになるんだ」

 

今にも泣きだしそうな青葉。

拳が小さく震えていた。

 

「もうこんなことは止めておけ。これ以上は、お前たちの首を絞めるだけだ」

 

「…………」

 

「ここで誓うんだ。もうこんなことはしないと。これ以上、陸奥を苦しめたくないだろう?」

 

青葉が陸奥を見つめる。

その瞳は、どこか――。

 

「青葉……」

 

「陸奥さん……」

 

青葉は俯くと、小さく言った。

 

「……分かりました。貴方の言う通りかもしれません……」

 

「青葉……!」

 

「陸奥さん……今までごめんなさい……。青葉のせいで……こんな事になってしまって……」

 

「そんな……そんなこと……」

 

顔をあげ、俺の方を向くと、青葉は大きく息を吸い込んで、言った。

 

「約束します……。青葉は……もう――」

 

その時であった。

 

「――っ!?」

 

頬に激しい痛みが走る。

一瞬、何が起こったのか分からず固まる俺を陸奥は涙交じりに睨み付けていた。

 

「……痛いじゃねぇか」

 

「これ以上……私たちの邪魔はしないで……!」

 

「え……?」

 

「貴方のお節介なんていらない……。私は……私はただ……青葉が居れば……」

 

今度は陸奥が青葉を見つめる。

 

「陸奥さん……?」

 

陸奥は何か言う訳でもなく、青葉から視線を外すと、家を飛び出して行ってしまった。

 

「む、陸奥さん……!」

 

それを追いけんとする青葉は、俺を一瞥すると、何やら複雑そうな表情を見せた後、家を出ていった。

 

「提督、大丈夫ですか……?」

 

「あぁ……大丈夫だ……」

 

『私たちの邪魔はしないで……!』

『私は……私はただ……青葉が居れば……』

青葉を見つめるあの表情は、どこか悲しそうであった。

守る者と守られる者。

陸奥は、青葉を『自分を守ってくれる艦娘』であると――それだけの関係であると考えているのかと思っていたが――。

 

「…………」

 

どうやら、俺が――いや、青葉ですら知らない何かが、陸奥の中にあるらしい。

青葉が持っているような、守る以上に守りたい――守られる以上に守りたい、何かが――。

 

 

 

その後の数日間、陸奥と青葉を警戒して、皆が交代制で家を訪れてくれたが、昼も夜も、二隻が現れることはなかった。

駆逐艦たちもごっこ遊びに飽きたのか、今ではカメラを置いて、普通に遊具で遊んでいる。

 

「司令官、今度はキメ顔で『愛してる』いってみようか。3,2,1……キュー」

 

「……愛してる」

 

「――オッケー。ばっちりだよ司令官。今日もかっこよかったよ」

 

「そりゃどうも……」

 

響だけは、相変わらずだが……。

 

 

 

夕方。

備蓄庫のチェックを終えた大淀は、俺を発見すると、小さく会釈をして見せた。

 

「よう」

 

「私を待っていたのですか?」

 

「あぁ、これを渡そうと思って」

 

そう言って、俺は『記録』を大淀に渡した。

 

「遅れて悪かった。お前と佐久間肇が使っていたものと同じ物が無くてな。似たようなものを重さんに探して貰っていたんだ」

 

「……わざわざ似たようなものを?」

 

「あぁ。佐久間肇を模倣して、佐久間肇との思い出を俺との思い出として上書きしようという魂胆だ」

 

「……ふふっ、それ、言っていいんですか?」

 

「嘘をついたところで、お前はすぐに見抜いてしまうだろうからな」

 

「どうですかね」

 

大淀はどこか、嬉しそうであった。

だが、その背景には、きっと――。

 

「そう言えば、目には目を作戦でしたか。どうやら上手くいったみたいですね」

 

「あぁ……まぁな……」

 

「……あまり嬉しそうじゃないですね」

 

「『ハニートラップ』は確かに無くなった。だが、引っかかることがあってな……」

 

「引っかかること?」

 

「陸奥の事だ。青葉曰く、陸奥は『ハニートラップ』に対して、本当は乗り気じゃなかったらしい。むしろ、嫌がっていたとのことであった」

 

「らしいですね……」

 

「それなのにもかかわらず――『ハニートラップ』をしなくていい状況になろうというのに、陸奥は喜ばなかった。むしろ、それを阻止しようとするように、俺を――」

 

あの時の陸奥の目が、思い起こされる。

 

「そのお二人ですが、先ほど、何やら言い争いをしているようでした」

 

「言い争い?」

 

「内容までは分かりません。ただ、陸奥さんが青葉さんに、何かを訴えかけているようでした」

 

「それで?」

 

「話がうまく纏まらなかったのか分かりませんが、陸奥さんが激怒して、その場を去って行ってしまいました。残された青葉さんは、ただ俯くだけで……」

 

陸奥が青葉に……。

一体何を……。

 

「……何やらもう一波乱ありそうだな。教えてくれてありがとう、大淀」

 

「いえ……」

 

「っと……仕事が残っているんだろ? 呼び止めて悪かったな。『記録』はまた取りに来るよ。じゃあ……」

 

「雨宮さん」

 

去ろうとする俺を大淀は呼び止めた。

 

「なんだ?」

 

「今回の件……貴方に解決できそうですか……?」

 

「どうしてそんな事を聞く?」

 

「答えてください」

 

大淀は何やら、真剣な表情を見せていた。

 

「……こればかりは分からん」

 

「…………」

 

「だが、これは俺の勘だが、陸奥は、もう一度俺に接触してくる可能性がある。お前の聞いた言い争いってのは、おそらく、『ハニートラップ』を続けるかどうか……だ。この前の様子から推測するに、陸奥は何故か、『ハニートラップ』をやめたくないと考えている。青葉はそれに、反対の意思を――協力しない意思を示したのだろう」

 

「だから言い争っていたと……」

 

「確証はない。だが、俺の勘が当たっていれば、陸奥から何か解決策を得られるはずだ。そうなれば、俺に解決できる可能性はある……と、思う訳だが……。なんだ、解決したら、景品でもくれるのか?」

 

揶揄うように言ったつもりだが、大淀は真面目な表情を崩さなかった。

 

「今回の件が解決したら……お話ししたいことがあります……」

 

「……今では駄目な事なのか?」

 

「えぇ……」

 

その理由を大淀は語らなかった。

 

「……そうか。分かった。必ず解決して見せる。だから、お前もその話したいことの要点、しっかりまとめておけよな」

 

「その点はご心配なく」

 

「そうかよ。じゃあ、今度こそ行くぜ。またな」

 

「えぇ、また……」

 

いつもとは違い、今日は大淀が、俺の姿が見えなくなるまで、いつまでも見送ってくれていた。

振り返り際に見た大淀の表情は、夕日の照らされていたのもあってか、どこか寂し気なものに見えた。

 

 

 

その日の夜は、夕張が見張りに来てくれた。

 

「お風呂頂いたわ。ありがとう」

 

「頂いたわって……。お前、見張り役の自覚があるのか……?」

 

「いいじゃない。どうせ今日も来ないわよ」

 

「そうかもしれないが……。そもそも、なんでこっちの風呂に入ったんだよ。向こうの風呂の方がでかいと聞いているぜ」

 

「向こうだとゆっくりできないのよ。駆逐艦たちが入ってきちゃって」

 

「時間を外せばいいだろ」

 

「その頃にはぬるくなっちゃうから」

 

そう言うと、夕張はタオルで頭を拭きながら、縁側にいる俺の隣に座った。

 

「頭くらい乾かしてから出て来いよ……」

 

「別にいいじゃない。艦娘は風邪ひかないのよ」

 

「にしたって……」

 

「そんなに言うなら、代わりに拭いて?」

 

夕張はタオルを渡すと、拭けとでも言うように、後ろを向いた。

 

「……ったく。分かったよ」

 

渡されたタオルで、髪を拭いてやる。

 

「いつもこんな感じなのか?」

 

「そうしたいのだけれど、明石が許してくれないのよ。まるでお風呂上がりの犬のように、丁寧にドライヤーで乾かされるの」

 

「だらしのない話だ……」

 

しばらく髪を拭いていると、夕張は倒れ込むようにして、俺に寄り掛かって来た。

 

「おい」

 

「ね、知ってる? 女性が男性に髪を触らせるのって、本当はセックスした後とかなんですって」

 

「なんだそりゃ。聞いたことないな」

 

「それだけ、女性にとって髪って言うのは、デリケートなものなんじゃない? 私には分からないけれど」

 

「なんで今、そんな話をしたんだ?」

 

「提督が照れるかなって」

 

そう言うと、夕張は何が嬉しいのか、満面の笑みを見せた。

 

「今日はやけに機嫌がいいじゃないか。いつもはむくれているくせに」

 

「不機嫌な時は、ちゃんと不機嫌な理由があるわ。別に、理由もなくいつもむくれているわけじゃないわ」

 

「俺には逆に思えるがな。機嫌のいい時の方が、何か理由があるんじゃないかと勘ぐってしまう」

 

「そんなに複雑な感情は持ち合わせていないわよ。私、最近気が付いたんだけど、自分でも驚くほど、単純な感情を持っているらしいのよ。嬉しい時は本当に嬉しいし、不機嫌な時は本当に不機嫌。理由とかよりも、態度の方が先に出ちゃうの」

 

夕張は何かを訴えるかのようにして、俺をじっと見つめた。

 

「ね、この意味、分かる?」

 

「なにがだ?」

 

「分からないの?」

 

そんな事で、機嫌のいい夕張のダル絡みに付き合ってやっていると、庭の方から足音が聞こえて来た。

 

「誰かくるみたい」

 

それに真っ先に気が付いたのは、夕張であった。

夕張はすぐさまカメラを構えると、それを待った。

 

「別にここを撮ってもしょうがないだろ」

 

「あ、ごめん。つい癖で」

 

何の癖だ。

足音は段々と近づいてゆき、やがてそいつは、居間から零れる光の中から、徐々にその姿を現していった。

 

「あらら……本当に来たわ……」

 

驚く夕張の視線の先に、陸奥は立っていた。

季節外れのトレンチコートに、身を包んで――。

 

 

 

陸奥は何も言わず、どこか緊張した面持ちで俺を見つめていた。

 

「よう。青葉が居ないようだが、一人か?」

 

陸奥は小さく頷いた。

夕張が庭に出て、周りを確認する。

 

「本当に一人みたい……」

 

陸奥が一人でここに来ることは、初めての事であった。

 

「聞いたぜ。何やら青葉と揉めたそうだな」

 

陸奥は何も言わない。

或いは、何も言えないのか。

 

「それで、何か用事か?」

 

陸奥は夕張をチラリと見た。

 

「……もしかして、私に出て行けって言ってます?」

 

「…………」

 

「どうやらそうらしいぜ」

 

夕張は苦い顔を見せると、俺を見つめた。

 

「分かった。二人で話そうじゃないか」

 

「提督!」

 

「大丈夫だ夕張。青葉もいないようだし」

 

「けど……見えないどこかに隠れているかもしれないし……」

 

「ならこうしよう。お前が寮に戻って、そこに青葉が居なければ、もう一度ここに戻ってくる。それでどうだろう?」

 

そう提案しても、夕張は納得していない表情を見せた。

 

「夕張」

 

「……分かったわよ」

 

「悪いな」

 

夕張は、俺の持っていたタオルを奪い取ると、去り際に一瞥し、小さく言った。

 

「せっかく――ばか……」

 

何を言ったのかよく聞き取れなかったが、とにかく、不機嫌そうに去って行った。

 

「さて、夕張は帰っていったようだぜ。そろそろ口をきいたらどうなんだ? 陸――」

 

陸奥に視線を移した時、俺は思わず息を呑んだ。

トレンチコートが、陸奥の体から、まるで風がすり抜けて行くかのようにして、するりと地面に落ちたのだ。

生まれたままの姿……というには、あまりにも成熟しきっていて――。

向こう側が見えそうなほど透き通るような体を露わにした陸奥は、俺をじっと見つめていた。

 

「お、おい……」

 

「――いて……さい……」

 

「え?」

 

聞き返す俺に、陸奥は顔を真っ赤にして、枯れる様な小さな声で、もう一度言った。

 

「私を……抱いてください……」

 

時が止まったかのように、辺りが一気に静かになった。

それと同時に、俺の心臓の鼓動は、徐々に大きくなっていった。

 

「抱くって……お前……」

 

自分の体を強調するかのようにして、陸奥は手を後ろに回した。

 

「……っ!」

 

俺は思わず目を逸らした。

だが、冷静になろうとすればするほど、体が熱くなってゆく。

理性を失いそうなほどの熱だ。

こんなこと、初めての経験であった。

困惑する俺に、陸奥は近づいて、手を取った。

 

「私の初めて……貴方に捧げます……。貴方のそれで……私を傷つけてください……」

 

その手は、小さく震えていた。

 

「陸奥……やめろ……」

 

言葉に反して、体は動かない。

体の熱は、ピークに達していた。

陸奥の手が徐々に、熱のこもったソレに近づいてゆく。

 

「くっ……」

 

ふと、夕張の不機嫌そうな顔が浮かぶ。

嗚呼、こんな事になるのなら――こんなにも自分が弱いのなら――夕張に残ってもらえばよかった。

『ハニートラップ』なんて効かない。

そう思っていた自分が、恥ずかしい。

 

「くそ……!」

 

色々と覚悟をした時であった。

陸奥の手が、ソレの直前で止まった。

 

「……?」

 

恐る恐る陸奥の方を見てみると――。

 

「…………」

 

陸奥は、泣いていた。

声も漏らさず――いや、或いは堪えていたのかもしれない。

 

「お前……」

 

体の熱が、冷めて行く。

感情が、理性が、正常に戻って行く。

 

「……はぁ」

 

深呼吸をしてから、俺はトレンチコートを拾い上げ、陸奥の肩にかけてやった。

 

「とりあえず……コーヒーでも飲むか……?」

 

 

 

俺の淹れたコーヒーを陸奥は素直に口にした。

涙は既に引っ込んでいるようであったが、悲しそうな表情は変わらなかった。

 

「美味いか……?」

 

陸奥は答えない。

とりあえず甘口で作ってみたが……。

 

「……どうしてこんな事をしたんだ? 青葉もいないのに……」

 

陸奥はやはり黙ったまま、手に持ったカップに視線を落とすだけであった。

 

「……言いたくないのなら、それでもいい。話したくなったら、話してくれればいい。俺はとりあえず、ちょっと……夜風にあたってくる……」

 

感情も理性も正常に戻ったとはいえ、陸奥の姿を見るとどうも――。

そんな煩悩を捨てるべく、俺は海岸へと向かった。

 

 

 

しばらく浜辺を歩いていると、腰掛けるのに手ごろな、大きな流木が見つかった。

 

「よっと……。はぁ~……」

 

座ると同時に、一気に体の力が抜けた。

 

「……トンデモナイものを見せられたな。クソ……」

 

自分がこんなにも、女体と言うものに弱いとは……。

初めて陸奥に『ハニートラップ』を仕掛けられた時も、あいつは裸だったはずだ。

だが、あの時は大丈夫だったんだ。

どうして今日に限って――。

 

「あぁ駄目だ……。何故だ何故だと思うほどに、思い出してしまう……」

 

そんな事で一人唸っていると、誰かが俺の隣に座った。

横目で見てみると――。

 

「うぉわ!?」

 

俺は思わず立ち上がった。

 

「む、陸奥……。お前……ついてきたのか……」

 

相変わらずトレンチコートのみの姿で、俺を見つめていた。

 

「お、お前……まさか、また……」

 

「ち、違う……!」

 

やっとの事で聴けた陸奥の声は、いつもの猫なで声とは違い、ハッキリとしたものであった。

 

「違うって……。じゃあ……何しにきたんだよ……」

 

「何しにって……。貴方が言ったんじゃない……。話したくなったら話せばいいって……」

 

先ほどのベソベソした態度はどこへやら。

陸奥は少しムッとした表情をしていた。

 

「あ、あぁ……そうだったな……」

 

俺は恐る恐る陸奥の隣に座った。

 

「…………」

 

「…………」

 

座ったはいいものの、陸奥は何も話そうとしなかった。

俺から問いかけてもいいが、何故か言葉が出てこない。

何を緊張しているんだ俺は……。

陸奥に向き合えば、自ずと言葉が出てくると思ったが、トレンチコートの合間に見えるその肌がまぶしくて、目を合わせられなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

先に口を開いたのは、陸奥であった。

 

「話をきいてもらいにここに来たのだけれど……」

 

ふと、陸奥の顔を横目で見てみると、その顔は真っ赤に染まっていた。

 

「その……なんだか恥ずかしくて……言葉が出てこなくなっちゃったの……」

 

そう言うと、陸奥はコートで体を隠す様に、小さくなった。

 

「まあ……そうだろうな……」

 

恥ずかしがっているところを見るに、あの行動は、相当追い詰められた結果に出たものなのだろう。

 

「日を改めるか……?」

 

「……ううん。話すわ……。だから……落ち着くまで待ってほしいの……」

 

「……分かった」

 

『俺たち』は、自分たちの中に残る熱が完全に冷めるまで、ただ夜の海を眺めていた。

 

 

 

あれからどれくらいの時間が経っただろうか。

陸奥は落ち着いたのか、ポツリポツリと話し始めた。

 

「私……いつも青葉を見ていたの……」

 

語り始めは、青葉のそれと似ていた。

 

「顔色を窺い自分に嘘をつき続ける私と違って、青葉はいつも正直だった。人間に対して――艦娘に対してもそうだけれど、嫌いだと思う人には絶対に心を開かなかった。自分の居場所を見つけるのに必死な私達とは違って、青葉は何処にでもいて、何処にもいないように思えた……」

 

青葉を語る陸奥の目もまた、青葉のものと同じであった。

何となくではあるが、話が見えて来た気がする。

 

「貴方も聞いたと思うけれど、私はずっと、出向してくる男のセクハラに悩んでいた……。そんな私を救ってくれたのは、他の誰でもない、青葉だった……」

 

「……あぁ、そう聞いている。というより、青葉から聞いたのか? 俺と青葉が話をしたことを……」

 

「えぇ……。私の事を貴方に相談したって……。その事で、喧嘩になっちゃって……」

 

大淀の言っていた、言い争いの事か。

 

「青葉は私の事をなんでも分かっていた。私が苦しんでいること、私が一人で泣いていること……。そして、それを救う手段があることを……。自分にすら嘘をついてきた私だけれど、青葉にだけは嘘はつけなかった……」

 

陸奥は思い出すかのように、目を瞑った。

 

「嬉しかった……。そして、心地よかった……。青葉と一緒に居ると、私はとても正直になれたし、話をきくだけじゃなく、ちゃんと行動で

応えてくれた……。私はこんなにも弱いのに、皆の目にうつる私は、真逆の存在だった。弱い自分を偽って、奮い立たせ、皆の期待に応えなきゃいけないプレッシャーを青葉だけは理解してくれた……。そんな青葉の事が、私は大好きだった……。私の事を理解してくれる『友達』だって……そう思ったわ……」

 

嬉しそうに語る陸奥であったが、途端に表情が崩れた。

 

「でも……この島に人間が来なくなってから、青葉は私を避けるようになった……。私が話しかけようとしても……青葉は……」

 

「……それは、青葉が――」

「――分かってる」

 

食い気味に、陸奥は答えた。

 

「分かっているわ……。私の為だったんだって……。人間に対してトラウマを持っている私に、気を遣っていたんだって……。でも……私は……私はそれでも……青葉と一緒に居たかった……」

 

話が完全に読めて、俺は流木に深く腰掛け、陸奥から視線を外した。

 

「なるほど……。俺への『ハニートラップ』を仕掛けたのも、その為か……。青葉と過ごすために……。友達としての関係を戻すために……」

 

図星なのか、陸奥は何も言わなかった。

 

「島の艦娘から依頼されたってのは……」

 

「……私のついた嘘。また青葉が私を見てくれると思って……」

 

「……そうか」

 

ため息をつく俺に、陸奥は申し訳なさそうな顔を見せた。

 

「……でも、俺を追い出そうとしたのは本当なんだろ?」

 

「最初はね……。でも……すぐに分かったわ……。貴方がいい人だって……」

 

「それでも、認めなかった……。いや、認めてしまえば、青葉がまた離れて行ってしまう……そう思った訳か……」

 

「えぇ……。本当にごめんなさい……」

 

頭を下げる陸奥。

 

「頭をあげてくれ。まだ終わっていない」

 

「え……?」

 

「お前が何故、さっきみたいなことをしたのか、それを話して貰ってないぜ」

 

陸奥はハッとした。

 

「そうだったわね……」

 

「お前が青葉とどうなりたいのか……。それを話しに来たんだろう……?」

 

そう言ってやると、陸奥は小さく首を横に振った。

 

「違うのか?」

 

「ただ謝ろうと思って来ただけよ……。どうしてあんなことをしたかは話すつもりだったけれど……それはあくまで謝る為であって……」

 

「自分の相談をしようとしたわけじゃない……という事か……」

 

陸奥は深く目を瞑ると、しばらく考え込んでいた。

そして、何かを決心したかのように目を開けると、俺を見た。

 

「でも……そうよね……。貴方なら……きっと貴方なら、私の悩みを解決してくれるのかもしれない……」

 

助けを求める様な、そんな目であった。

 

「あぁ……必ず解決させてやる。だから、聞かせて欲しい。こうなった経緯を……。そして、お前が青葉とどうなりたいのかを……」

 

陸奥は頷くと、事の経緯を話し始めた。

 

 

 

貴方を叩いてしまったあの日。

私たちは寮に戻って、今後の事について話し合った。

尤も、青葉は完全に意気消沈していて、頻りに謝るばかりだったのだけれど……。

 

「青葉は悪くないわよ! あの男が言っていることは、全部デタラメよ……」

 

「でも……青葉が余計な事をしなければ、そもそも『ハニートラップ』なんてものは生まれませんでした……。陸奥さんを苦しめることも無かったでしょう……」

 

「そんなことない! 貴女のお陰で、私はセクハラから救われた……! 貴女のお陰で……苦しみから解放された……! それが余計な事だって言うの!?」

 

「……青葉がやらなくても良かったことです。雨宮さんも言っていました……。青葉の詰めの甘さが原因だって……。悔しいですが、それは事実です……。青葉でなければ、きっと――」

 

反論しようとする私に、青葉は悲しそうな顔を見せた。

その顔に、私は言葉を詰まらせてしまった。

 

「……そういうことです。逃げるようで申し訳ないですが……これ以上……青葉は関われません……」

 

「青葉……」

 

「本当にごめんなさい……」

 

去って行く青葉の背中に、私は、昔感じた孤独感――青葉が友達ではなくなってゆく感覚を思い出した。

もう二度と味わいたくなかった感覚だった。

その為に私は――って……。

だから私は、それから毎日、青葉を説得し続けた。

貴女の所為じゃないって……。

まだやれることはたくさんあるって……。

それでも、青葉の心が動くことはなかった。

そして、今日――いえ、もう昨日の事になるのかしら……。

私は焦っていた。

だから、青葉への説得の口調も、無意識のうちに強くなっていた。

 

「じゃあ……私があの男に手を出されても、貴女は見て見ぬふりをするって訳……!?」

 

「そう言う訳ではありません……。それに……陸奥さんも気が付いているはずです……。雨宮さんは……あの人は……決して陸奥さんに手は出しません……」

 

「そんな事……分からないじゃない……!」

 

「いえ……分かります……。実は……陸奥さんの事を雨宮さんに相談しました……」

 

「え……?」

 

そこで私は、貴方と青葉が裏で会っていたことを知った。

 

「――けれど、話は破綻しました。本当のことを言われ、青葉もムキになってしまって……。でも、今思えば、雨宮さんは心の底から、陸奥さんの事を思っているようでした……。間違っていたのは、青葉の方です……。だから……」

 

「何よそれ……。そんな事……頼んでないわよ……!」

 

「そうです……。青葉が勝手にやったことです……」

 

「そうじゃない……! 私は……私はただ……」

 

言えなかった。

貴女に相談できれば――貴方と友達であれればそれで――なんて……。

だから――。

 

「だったら、あの男が優しくない人間と証明できれば……私に協力してくれるって事かしら……?」

 

「え……?」

 

「あの男が不祥事を起こせば……貴女がもう一度……私を守ってくれる……?」

 

「……何をするつもりですか?」

 

「約束して……」

 

「陸奥さん……」

 

「約束して!」

 

結局、青葉が返事をすることはなかった。

でも、もし貴方が不祥事を起こせば――私を抱くことがあるのならば、きっと――。

そう思った。

 

 

 

話を終えると、陸奥は俯き、黙り込んでしまった。

 

「だから、あんなことを……」

 

「でも、やっぱり貴方は優しかった……。私を抱くことはしなかった……」

 

そう言う陸奥に、俺はまごまごしてしまった。

 

「なに……? どうかしたの……?」

 

「いや……その……」

 

一瞬、何か言い訳をと考えていたが、やはり正直に話すべきだと腹をくくり、陸奥に向き合った。

 

「正直言うと……あのままお前が涙を見せなければ……俺は黙ってお前に抱かれていた……と思う……」

 

「え……?」

 

「俺は……その……マジの童貞ってやつで……女とも付き合ったことはないし、恋も知らない男だ……。そういうのは俺には必要ないものだと思っていたし……この島に……この仕事に一生を尽くすつもりだった……。でも、最近どうも調子が悪いというか……俺らしくないというか……。そんな状態だったものだから、お前の美しい女体を見てしまった時、体が言う事を聞かなくなって……その……」

 

俺は陸奥の女体を思い出してしまった。

 

「つまりだ……。お前が手を止めなければどうなっていたのか、俺にも分らないという事だ……」

 

横目でチラリと陸奥を見る。

どんな反応を見せるのかと思ったら、ただ赤面するだけであった。

 

「そ、そう……なの……」

 

幻滅だとか、失望だとか、そんな表情をされるものだと思っていたが……。

 

「……お前が手を止めたのは、やはりまだ、男にトラウマがあるからなのか?」

 

たまらず、話を本筋に戻すと、陸奥も真剣な表情を取り戻した。

 

「…………」

 

陸奥は何も言わなかったが、やはり――。

 

「そうか……」

 

永い沈黙が続く。

 

「……話してくれてありがとう。お前の事、よく分かったよ。そして、お前が青葉とどうなりたいのか……」

 

「え……?」

 

「要するに、お前は青葉と友達になりたいだけなんだろ?」

 

本当に要して言うものだから、陸奥は唖然としていた。

 

「そ、そう……なんだけど……」

 

「なら、そう言ってしまえばいいだろうに」

 

陸奥は何やら反論しようとしたが、何も言えずに、閉口した。

 

「言いたいことは分かる。だが、お前は……いや、お前たちは、色々と難しく考えすぎだ。まあ、そうなるのも無理はないとは思う。お前のトラウマから始まり、それを守りたい青葉が居て――トラウマを思い出させたくない青葉、それ以上に友達であり続けたい陸奥――すれ違い続けるお前たちだからこそ、お前はそうは言えなかったんだ」

 

「…………」

 

「青葉と友達になりたいか……?」

 

陸奥は少し躊躇した後、覚悟を決めるかのように、言った。

 

「なりたいわよ……。でも……青葉と私は、守り守られる立場……。私は……対等であり続けたいと思っている……。それが友達だって……思っているから……。けど……」

 

その先を陸奥は言わなかった。

だが、言いたいことは分かっていた。

陸奥がトラウマを抱える限り――俺がこの島にいる限り、それは叶わないのだと、陸奥は言いたいのだろう。

いくら俺を信用したところで――優しい男だと知ったところで、怖いものは怖いのだ。

 

「……分かった。なら、俺に考えがある」

 

「え……?」

 

「お前がトラウマを克服し、俺を信用できる日が来ると信じての事ではあるのだが……」

 

そして俺は、その考えを陸奥に伝えた。

あまりにも馬鹿馬鹿しい考えに聞こえたはずだが、陸奥も俺も真剣であった。

 

「確かに、それなら心配はないかもしれないけれど……貴方はそれでいいの……?」

 

「あぁ、構わない」

 

「でも……私がトラウマを克服できるのなんて、何年かかるか分からないのよ……? その間、貴方はずっと、そうしていられるの……?」

 

「あぁ、何年何十年かかっても、俺は待ってやる。そして、その間、絶対に不祥事は起こさないと約束する。俺がお前を守れるように――お前を誰にも傷つけさせない様に……。だから……信じて欲しい……」

 

俺は手を差し伸べた。

 

「俺に……お前を守らせてくれ……」

 

陸奥は恐れる様に、自分の手を胸にあてた。

 

「陸奥……」

 

「私……私は……」

 

その時、ふと――。

俺が何故、その事を口にしたのか、未だに分からないでいる。

そんな事を言える雰囲気ではなかったはずなのに。

それでも、口が勝手に、言葉をこぼしたのだった。

 

「ご飯粒……」

 

「え……?」

 

「ご飯粒……ついてるぜ……。左の頬のところ……」

 

カピカピになったご飯粒が、くっついていた。

何故今まで気が付かなかったのだろう。

 

「あ……本当だわ……」

 

ご飯粒を片手に、呆然とする陸奥。

やがて俺と視線が合う。

 

「…………」

 

「…………」

 

永い沈黙が続く。

 

「……プッ、ウフフ」

 

「フッ……ははっ」

 

緊張の糸が切れたかのように、俺と陸奥は、思わず笑ってしまった。

 

「ご飯粒、全然気が付かなかったわ」

 

「俺もだ。思えば、まともにお前の顔を見れていなかったのかもしれんな」

 

ひとしきり笑った後、陸奥はじっと、俺の目を見つめた。

 

「どうした? 俺の頬にもついているか?」

 

「ううん。ただ……もしかしたら……」

 

「もしかしたら?」

 

「……何でもないわ。そうね……。分かった……」

 

そう言うと、陸奥は、自ら手を差し伸べた。

 

「陸奥……」

 

「私を……守ってくれる……? 貴方を信じて良かったって……思えるようにしてくれる……?」

 

「……あぁ、もちろんだ」

 

陸奥の手を握ってやる。

温かく華奢な手が、俺の手を握り返してくれた。

 

「必ずお前を守る。だから、お前も青葉に気持ちを伝えて来い」

 

「……えぇ!」

 

空が明るくなって行く。

それはまるで、俺たちのこれからを暗示するような、ゆっくりとした夜明けであった。

 

 

 

「ん……」

 

「あ、起きました。ただいまの時刻は、1000です。完全に寝坊ですね」

 

ビデオカメラを構える明石を横目に、俺は体を起こした。

 

「なんだ……今日は明石か……」

 

「はい! よろしくお願いします! 早速ですが提督、朝の一言をお願いします!」

 

「朝の一言……? そんなコーナー、いつ始まったんだ……」

 

「今日からです。やっぱり、ただ監視するだけの動画よりも、提督の魅力を伝える方がいいと思うんですよ。ですから、青葉さんと陸奥さんに向けて、何か魅了させる様なメッセージを残してください!」

 

「魅了させる様なって……。今は頭が回らんよ……。それより……昨日は似たようなこと言われて、深夜まで撮影されたんだ……。もうちょっと寝かせてくれ……」

 

「あ、駄目ですよ! 起きてください!」

 

あれから数日。

俺は、ビデオカメラで監視される毎日を送っている。

撮影した動画は、青葉と陸奥の元へと持っていかれることになっている。

 

「しかし提督。本当にこんなこと、続けていくんですか?」

 

「あぁ……。陸奥が安心していけるようにする為だ……。こうして俺自身を監視することで、俺は不祥事を起こせない。つまり、陸奥が安心して暮らしていけるって寸法だ」

 

「確かに、提督の言うように、それで陸奥さんと青葉さんの『守り守られる関係』は無くなって、対等な関係としての友達になれるかもしれませんけれど……。結局、陸奥さんが青葉さんに『友達になりたい』と伝えて、それは解決したじゃないですか」

 

そう。

あの日、陸奥は青葉に、友達になりたいと伝えたのだ。

青葉がどんな反応をしたのか、俺はその場に居合わせなかったから分からないのだが、どうやら上手くいったらしい。

 

「だがそれは、『守り守られる関係』が無くなったからこそ、成立したんだ。陸奥がトラウマを克服できていない以上、こうするしか方法はない」

 

「そうかもしれませんけど……」

 

「まあ俺も、監視されていた方が安心するんだ……」

 

「え? どういう意味です?」

 

「いや、なんでもない……」

 

陸奥とのこともあって、俺は俺の知らない俺自身の側面を見た。

もし、あの時、陸奥が手を止めなかったら……。

そう思うと、ゾッとするのであった。

 

 

 

昼過ぎになると、いつものように駆逐艦たちが訪れた。

監視役は明石に夕張、加えて鹿島に武蔵に鳳翔に卯月に皐月に――。

 

「おい……。なんで全員が俺の事を撮っているんだ……。しかも鳳翔、お前まで……」

 

「あ、いえ……私はちょっと……」

 

何やら皆、どこかニヤニヤしながら俺を撮っている。

いつもの監視の為というよりも、どこか……。

 

「一体なんだって言うんだよ、気持ち悪い……」

 

しばらく撮られていると、大淀がやって来た。

 

「来た来た」

 

誰かがそう言った。

来た来たって……大淀を待っていたという事か……?

 

「よう、珍しいな。どうかしたか?」

 

大淀はどこか嬉しそうであった。

 

「実は、お話があって参りました」

 

それを聞いて、ハッとした。

 

「そういや、言っていたな。陸奥と青葉の件が解決したら、話したいことがあると。解決……したとは、あまり思っていないのだが、それでもいいのか?」

 

「えぇ、大丈夫です。もう『決定しました』から。お話出来るんです」

 

「決定した? 何がだ?」

 

周りの皆が、嬉しそうにカメラを構える。

どうやら状況を理解できていないのは、俺だけのようであった。

 

「お二人にも承認をいただきました。そうですよね」

 

大淀がそう言うと、家の影から陸奥と青葉が現れた。

 

「お前ら……どうして……」

 

陸奥と青葉は互いに顔を合わせると、何やら頷き、陸奥が口を開いた。

 

「貴方の事、青葉と話したの……。最初は貴方の言う通り、トラウマが克服するまで、待ってもらおうかと思ったのだけれど……」

 

そう言うと、陸奥は俺をじっと見つめた。

その頬が徐々に、赤く染まって行く。

 

「思ったのだけれど……なんだ?」

 

咄嗟に、青葉が前に出て来た。

 

「そう思ったのですが、貴方の献身的な態度を見て、陸奥さんは、自分もトラウマを克服できるように、もっと貴方と関わっていきたいと思ったそうです」

 

青葉の後ろで、陸奥が小さく頷いた。

 

「雨宮さん……。まだお礼を言っていませんでしたね……。本当にありがとうございます……。おかげで青葉は……青葉たちは、友達になれました……。対等な立場であるって……心から感じることが出来ました……」

 

「青葉……」

 

「正直、陸奥さんが友達になりたいと言って来た時は驚きました……。その為に、貴方が自らを監視すると言ったことも……。けど、何よりも驚いたのは……雨宮さん、貴方が、陸奥さんだけでなく、青葉までも救ってくれたことです……。青葉はずっと、陸奥さんを救う事ばかり考えていて、誰かを――自分すらも、救おうとはしませんでした……。それなのに、貴方は……」

 

「結果論だ。俺は別に、そんなこと……」

 

「それでも、青葉は救われました……。だから今度は、青葉が貴方の為に何かしたい……。そう思い、ここに来ました……」

 

そう言うと、青葉は手を差し伸べた。

 

「陸奥さんがトラウマを克服できるように――貴方が――司令官が艦娘を救えるように……青葉に……こんな青葉ですが……お手伝いをさせていただけませんか……?」

 

青葉の手は、小さく震えていた。

 

「青葉……」

 

俺はその手を強くとった。

 

「あぁ、もちろんだ。お前となら、きっと出来る。是非、俺の力になって欲しい」

 

「司令官……。ありがとうございます……」

 

青葉の目に、涙が溜まる。

陸奥はそれを優しくすくってやっていた。

 

「青葉さん、陸奥さん。本当に宜しいんですね。取り消すなら、今ですよ」

 

大淀がそう言うと、陸奥と青葉は頷き、「承認します」と言った。

 

「決まりですね……」

 

「さっきから一体何の話をしているんだ、お前は……。一体、何が決まったというのだ」

 

そう言う俺を無視するかのように、大淀は皆の前に立った。

おそらくこれは、歴史的な瞬間だったのだろうが、そんな事、この時の俺に分かるはずもなく、俺はただ、大淀の叫ぶ『結果』にただ困惑するだけであった。

 

「では、発表します! 賛成8票、反対4票、無投1票……以上の結果より、『雨宮さんを【艦娘寮】へ迎える案』を可決いたします!」

 

もし、この事が歴史の教科書に載るのならば、俺の顔に落書きをする子供は決していないだろう。

それほどまでに俺は、艦娘たちの構えるビデオカメラ全てに、とんでもない間抜け面を晒していたのであった。

 

――続く



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6話

青葉の新聞が復活したこと、陸奥がハニートラップをやめたこと、俺が【艦娘寮】に進出(?)したこと――どれか一つだけ取っても、本部では大騒ぎになるニュースのはずだった。

それが一気に押し寄せてくるものだから、海軍本部は混乱状態にあった。

 

「皆、なんだかバタバタしているね~」

 

二階にあるカフェからは、人の動きがよく見えた。

 

「けど、いいの? 騒ぎの発端となった張本人が、こんなところでコーヒーなんか飲んじゃってて」

 

そう言うと、北上さんはニヤリと笑った。

 

「いいんですよ。こんなことで右往左往するなんてのは、普段から何もしていない証拠だ。怠慢ですよ、怠慢」

 

「それだけ君が期待されていない証拠では?」

 

「……痛いところ突きますね」

 

北上さんは嬉しそうに笑うと、コーヒーを飲み干した。

 

「しかし、君は凄いね。まさか【艦娘寮】へ迎えられるとは」

 

「俺も正直驚いています。なんでも、軽巡以上の艦娘の過半数が賛成しただとかで……」

 

「あの島で何かを決める時、軽巡以上で多数決をとるのが決まりだからねぇ」

 

あの島での軽巡以上は13隻。

残りの17隻は全て駆逐艦だ。

 

「……大井っちは、やっぱり反対だったのかな?」

 

「……そのようですね」

 

北上さんから聞いていた通り、大井は未だに――。

 

「君は提督に――佐久間肇に似ているから、尚更ね……」

 

俺はそれに何も言えなかった。

 

「でも、そんな君だからこそ、大井っちの事をお願いしたいんだ。きっと大井っちも、本当は――」

 

北上さんは、それ以上何かを言う事はしなかった。

ただ、遠くの島を見つめ、空のコップを口に運ぶだけであった。

悲しそうな顔を隠すようにして――。

 

 

 

北上さんと別れ、出港までの時間を潰していると、何やら中庭の方で子供の声が聞こえて来た。

 

「香取さんの娘か?」

 

そう思い覗いてみると、やはり香取さんの娘さんが遊んでいた。

俺の同期である――あの鈴木と一緒に。

 

「はい、どうぞ。めしあがれ!」

 

「ありがとう。これは、ハンバーグかな?」

 

「うん! ハンバーグはね、おててでね、こうやって、ぺったんぺったんってするの」

 

「へぇ、そうなんだ。ママと作ったことあるのか?」

 

「うん! ママはね、とっても上手につくるの」

 

「ママのご飯、好きか?」

 

「うん! 大好き!」

 

「そっか」

 

鈴木が見せるその笑顔は、あのゲスなものとは違い、なんとも優しいものであった。

 

「芽衣~」

 

「あ、ママだ! ママ~!」

 

娘さんは――芽衣ちゃんは、香取の元へと走っていった。

 

「遅くなってごめんね? 寂しくなかった?」

 

「ううん。大丈夫。遊んでもらってたから」

 

そう言うと、芽衣ちゃんは鈴木を指した。

鈴木はどこか恥ずかしそうに、頭を掻いていた。

 

「鈴木さん。ありがとうございます。すみません……いつも芽衣の面倒を見ていただきまして……」

 

「いや」

 

「ほら、芽衣、お礼言って。ありがとうございますって」

 

「ありがとう、ござい、ます!」

 

「どういたしまして。じゃあ、俺は……」

 

「あ、鈴木さん! お待ちになって」

 

「なんだ?」

 

「良かったら、これからお食事でもいかがでしょう? 芽衣の面倒を見ていただいたお礼に、奢らせてください」

 

鈴木は芽衣ちゃんを一瞥すると、どこか寂しそうな表情を見せた。

 

「いや……まだ仕事が残っているんだ。じゃあな……」

 

「あ……」

 

足早に去る鈴木。

そして、曲がり角で、俺と鉢合わせた。

 

「慎二……」

 

「……おう」

 

鈴木は深く目を瞑ると、そのまま足早に去って行った。

まるで、逃げるかのようにして――。

 

「あら、そこにいるのは雨宮さんでは?」

 

「香取さん」

 

「帰ってらしたのですね。鹿島の件、聞きました。本当に良かったです……。ありがとうございます……」

 

「い、いえ……」

 

「これからも、鹿島の事をよろしくお願いいたします」

 

「よろしくお願いいたします!」

 

香取さんと同じように、芽衣ちゃんも頭を下げた。

その背中の向こうにある掲示板には、【児童養護施設】での催し物の予定表が貼ってあった。

 

『お前、新入りか? よし、ついてこい! 俺が【施設】を案内してやるよ!』

 

『俺ら二人なら、きっと立派な海軍になれる。そうだろ? 慎二!』

 

『俺には、小さい妹が居たんだ』

 

――ああ、そうか……。

鈴木、お前は、この二人に――。

まるであの頃を思い出させるかのようにして、1200を知らせるチャイムが、遠くの【施設】で鳴っていた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「なんか凄いことになっているわね」

 

庭からは、海軍の船が何隻も集まっているのが見えた。

 

「俺が寮に進出する瞬間を見に来たらしい。島には入れないから、ああして遠くから眺めているようだ」

 

「それでそんな格好をしているのね」

 

そう言うと、夕張は、俺の制服についたバッヂの傾きを直した。

 

「本部がそうしろとうるさくてな。遠くから写真でも撮るつもりなんだろ。ったく……暑くて敵わんぜ……こんな格好……」

 

「中々様になっているじゃない。ちょっとカッコイイなって、思ったりして。なんて、ふふっ」

 

何やら機嫌のいい夕張。

陸奥が来た時もそうだったが、最近の夕張は、なんだか機嫌がいいように思える。

 

「他の皆は?」

 

「寮にいるわ。これだけ海軍が集まってきたものだから、萎縮しちゃったみたい」

 

「そうか。お前は良かったのか? 出てきてしまって」

 

「まあ、別に見られたところで死ぬわけじゃないし。それに、心細いかなと思って。提督一人だと」

 

「いらん心配だ。それよりも、早く戻った方がいい。これから寮へ行くのに俺と居ると、お前も一緒に撮られてしまうぜ」

 

「提督は嫌? 私と撮られるの」

 

「そう言う訳じゃないが……」

 

「じゃあ、いいじゃない」

 

何がいいのやら。

 

「さて、じゃあ行くか。早めに終わらせて、あいつらを帰らせよう」

 

「うん」

 

夕張は犬のように俺の周りを一周すると、そのまま隣について、共に歩き始めた。

 

 

 

寮に近づくにつれ、海の方が騒がしくなって行く。

 

「ね、こうして二人で歩いていると、なんか変な噂をたてられたりしないかしら?」

 

「心配なら離れて歩け。別について来て欲しいだなんて言ってないぜ」

 

「別に心配しているわけじゃないわよ。ただ、どう思うかなって話」

 

「さあな。変な艦娘に懐かれてんなって思うだけじゃないのか」

 

「変な艦娘ってなによ……」

 

そんな事で夕張のダル絡みに付き合ってやっていると、寮の方から大淀が出て来た。

 

「雨宮さん」

 

「おう、おはよう」

 

大淀は俺の格好を見ると、小さく笑った。

 

「馬子にも衣装ですね」

 

「その通りだ。早く脱がせてくれ」

 

「分かりました。では、こちらへ」

 

大淀に案内され、門の前へと向かうと、いつものメンバーが中で待ってくれていた。

 

「提督さん!」

 

「提督!」

 

「司令官!」

 

俺を囲むように、皆が集まる。

 

「おう、待たせたな」

 

しかし、なんというか、まさかこんな日が来るとはな。

島に来る前は、こういう事にもなるだろうと想像はしていた。

だが、実際に島に足を踏み入れて、思った以上に人と艦娘の関係は悪化していて――。

とにかく、今では――今でも信じられないくらいだ。

 

「雨宮さん、入る前にこちらへ」

 

「なんだ?」

 

「サービスですよ。海軍への」

 

そう言うと、大淀は俺を隣に立たせ、握手をした。

そして、海の――海軍諸君へ視線を送った。

 

「なるほど。気を遣わせたな」

 

「早く帰っていただく為ですよ。とっとと終わらせたい。そうでしょう?」

 

「あぁ、そうだな」

 

しばらくそうしたのち、俺たちは門をくぐり、海軍から見えない位置まで寮の敷地へと入り込んだ。

 

「悪かったな、大淀」

 

「いえ」

 

ふと、夕張の方を見ると、何やら機嫌の悪そうにこちらを見ていた。

 

「お、いつものお前に戻ったな」

 

「別に、私はいつでも私よ」

 

「そうかよ」

 

何がトリガーなのか、さっぱり分からん。

 

「提督、早く来てください! 提督のお部屋に家具を作ったんですよ!」

 

「ほう、マジか。というよりも、俺の部屋があるのか」

 

「以前、佐久間さんが使っていた部屋です。『執務室』と呼ばれています」

 

執務室、か……。

 

「さ、行きましょう。まずは皆さんに挨拶です」

 

「あぁ」

 

寮に近づくにつれ、俺は何故か緊張していた。

それは、新しく始まる生活に対して――これから接してゆく艦娘に対して――不安などではなく、どこか、目指してきたところに辿り着いたかのような――武者震いにも似た、緊張であった。

 

 

 

「こちらでお履き物を脱いでください」

 

「おう」

 

寮の広い玄関で靴を脱いでいると、寮の艦娘たちが遠巻きに、俺を見つめているのに気が付いた。

 

「よう。今日からこっちでも世話になる雨宮慎二だ。よろしくな」

 

声をかけてやると、皆一斉に部屋へと逃げて行ってしまった。

 

「驚かすつもりはなかったんだがな」

 

「最初はそんなものですよ。寮の中を案内します」

 

「あぁ、頼む」

 

それから大淀に連れられ、寮の中を見学させてもらった。

木造建築の古い建物で、各艦娘一隻一隻に部屋が設けられているらしい。

 

「昔は共同部屋だったのですが、今は『三十隻』しか居ませんから、一隻に一部屋ずつ割り当てられています」

 

一階には食堂があり、朝昼晩の飯時には、皆ここに集まってくるらしい。

 

「こちらは大浴場。そして、こちらが洗濯場です。向こうの廊下から外に出ると、道場があります」

 

「道場?」

 

「えぇ。尤も、今は武蔵さんくらいしか使っていませんが」

 

道場なんて、一体何のために……。

 

「そして、こちらが執務室です。どうぞお入りください」

 

「あぁ」

 

各部屋とは違い、装飾された扉であった。

こんな扉なのだから、応接室のような部屋が待ち構えているのだろうと、扉を開けてみると――。

 

「意外と質素だな」

 

少しだけ広い、普通の和室であった。

 

「あの家が出来るまでは、皆さんここに住んでいましたから。これくらい質素な方が却っていいのだとか」

 

そう言えばそうであった。

見ると、確かに、トイレや風呂が備え付けられている。

 

「一応、毎日掃除はしてありますので、ご安心を。こちらのちゃぶ台と本棚は、明石が雨宮さんの為につくったものです」

 

「これがそうか」

 

造形も然ることながら、肌触りや面取りに至るまで、丁寧で思いやりのある造りであった。

 

「後で明石に感謝しなければな」

 

ふと、本棚に一冊だけ本が置かれているのに気が付いた。

それは――。

 

「中々乙な事をしてくれるじゃないか。『記録』を置くなんて」

 

「せっかくの本棚ですから。何もないのは寂しいと思っただけです」

 

そう言う大淀の顔は、少しだけ赤くなっていた。

自分でもクサイ事をしたと、自覚があるのだろう。

 

「お前でも、そんな顔をすることがあるのだな」

 

「私をなんだと思っているのですか?」

 

「逆に、どう思ってほしいと?」

 

それに、大淀は答えなかった。

 

「お前がどんな奴なのか、それはお前が俺を見てくれた時、初めてわかることなのだろうと思う。何者の影も気にならない、真っすぐな瞳でな」

 

大淀は視線を外すと、小さく「そうですね」と言った。

 

「ま、とにかくだ……。大淀」

 

俺が手を差し伸べると、大淀はキョトンとした顔を見せた。

 

「これからよろしく……の握手だ。誰かへのサービスなどではなく、本当の意味でのな」

 

大淀は、差し出された手をじっと見つめていた。

 

「どうした?」

 

「……いえ。ただ、思い出してしまって……」

 

「思い出す?」

 

「あの人も……佐久間さんも……同じことを……」

 

そういや、鳳翔がそんな事を言っていたな。

『二人が固い握手をしていた光景は、今でも時々思い出されるくらい、印象に残っています』と。

 

「大淀……」

 

俯く大淀。

俺はその手を取り、握手をした。

 

「雨宮さん……」

 

「言ったはずだ。佐久間肇の記憶を塗り替えてやると。これもその一環だ」

 

大淀は少し躊躇いがちに、俺の手を握り返した。

 

「改めて、よろしくな。大淀」

 

「――はい」

 

その目は、俺を見ていなかった。

だがいつかは――。

 

 

 

「では、また夕食時にでも」

 

「あぁ」

 

大淀が出て行き、執務室には俺一人となった。

 

「これからは、一日の大半をここ(寮)で過ごすことになるのか」

 

大淀曰く、これからは、寝泊まりを家で、それ以外は寮で過ごして欲しいとのことであった。

やっとの事で掴んだ『人化』への第一歩に、俺は少しばかり高揚していた。

 

「しかし……」

 

寮に入った時の、俺を見つめる艦娘たちの目……。

今までは、艦娘の方から俺に接触してきて、何とか交流することが出来て来たが……。

皐月や卯月、第六駆逐隊と仲良くするのだって、鹿島の力なくしては成し得なかったことだ。

今度からは、自らの力で、艦娘たちの心に語り掛けて行かなければならないが……。

 

「果たして俺に、出来るだろうか……」

 

そんな不安を抱えながら、窓の外をぼうっと眺めていると、外の方からこちらを覗き込むようにして、明石が顔を出した。

 

「明石?」

 

窓を開けると、明石は靴を脱いで、部屋へとあがりこんで来た。

 

「おいおい……」

 

「すみません……。普通にお伺いしようと思ったのですが、皆さん、執務室の前でピリピリしていまして……。中々お部屋に近づけなくて……」

 

「あぁ、そういうことか……。しかし、そんな事までしてここに来たって事は、何か重要な用事か?」

 

「あ~……えーっと……その……ですね……」

 

明石はチラリと、ちゃぶ台と本棚を見た。

 

「あぁ、そうだ。ちゃぶ台と本棚、ありがとうな。とても丁寧に作られていて、お前の思いやりを感じたよ」

 

「あ、ありがとうございます! その……どうでしょう……。お気に召しましたか……?」

 

「あぁ、もちろんだ。大切に使わせてもらうよ」

 

そう言ってやると、明石は嬉しかったのか、満面の笑みを見せた。

 

「もしかして、俺の感想を聞くために、ここに来たのか?」

 

「その……。はい……。提督が、どう思ってくれているのかなって……。それで……モヤモヤして……居てもたっても居られなくなって……」

 

「フッ、まあ、気持ちは分からんでもないが」

 

「でも……良かったです……。今回は、設計からデザイン、作製まで、全部一人でやったんです……。いつもは、夕張の設計通りに作るだけだから……自分が考えたものを提督が喜んでくれるか、不安だったんです……」

 

「何故、全部自分一人で?」

 

そう聞いてやると、明石は顔を真っ赤にして、俺を見つめた。

 

「……分かりませんか?」

 

ふと、あの日、明石に好きだと言われた夜の事を思い出す。

――あぁ、そういうことか。

しかしなんだって、俺は気が付いてしまったのだろうか。

少し前なら、きっとそんな事、思い出しすらしなかっただろうに。

俺が答えられないでいると、明石はそれを答えだと受け取ったのか、小さく笑って見せた。

 

「伝わって……良かったです……。えへへ……」

 

どう反応していいのか分からず――明石もまた同じようで、俺たちはしばらく、何も話すことが出来なかった。

 

 

 

結局、気まずくなったのか、明石はそそくさと窓から外へ出て行ってしまった。

 

「ふぅ……」

 

いつの間にか力が入っていた肩を落とす。

 

「ここ最近、どうも調子が狂っていかんな……」

 

明石に鹿島、陸奥の時もそうだったが、どうも最近、俺は――。

 

「ん……」

 

ふと、窓の外から、誰かがこちらを覗き込んでいるのが見えた。

 

「明石? 忘れ物か?」

 

近づいてみると、明石ではなく――そいつは驚いたのか、一目散に逃げて行ってしまった。

姿は良く見えなかったが、どうやら駆逐艦のようであった。

 

「皐月と卯月、第六駆逐隊にしては、少し大きかったような……」

 

 

 

夕食の時間になると、大淀が迎えに来てくれた。

 

「皆さん集まっていますよ」

 

「なんだか緊張してきたぜ……」

 

「雨宮さんみたいな人でも、緊張するんですね」

 

「俺をなんだと思っているんだ?」

 

食堂に入ると、皆話すのをやめて、一斉に俺を見た。

シンとした食堂に、俺と大淀の足音だけが響く。

 

「皆さん、夕食の前に、紹介させてください。本日より寮に出入りすることになった、雨宮さんです。雨宮さん、お願いします」

 

「雨宮慎二だ。まずは、俺を受け入れることを決めた艦娘たちに、心より感謝したい。ありがとう」

 

頭をさげると、どこかで小さく、「受け入れたつもりはない」という声が聞こえた。

 

「一応、はっきりとさせておくが、俺はお前たちを『人化』させるためにここに来た。だが、お前たちにもお前たちなりの事情があると思う。俺はそれを解決し、お前たちを島から出すつもりだ」

 

数隻の艦娘が、苦い顔を見せた。

 

「朝昼晩、寝る時以外は、ここに居るつもりだ。交流するなら、いつでも来てくれ。無論、俺からも交流を持ちかけるつもりだ。長々と話してしまったが、改めて、よろしくな」

 

皆の反応はない。

いつもの艦娘たちが、拍手をしてくれるのみであった。

 

「ありがとうございます。では、夕食にしましょう」

 

 

 

飯はいつも、鳳翔と数名の艦娘が日替わりで担当し、各自で飯を運んでゆくスタイルのようであった。

 

「提督、どうぞ」

 

「悪いな、鳳翔。教えてくれれば、自分で取って来たんだぜ」

 

「いえ、提督は『提督』ですから、黙って御飯を待っていてください。給仕は今後、私が担当させていただきます」

 

そう言うと、鳳翔は何やら嬉しそうに笑って見せた。

 

「すみません。嬉しくて。またこうして、給仕を出来ることが」

 

「給仕が好きなのか? 変な奴だな」

 

「えぇ、案外変なんです、私。意外でしたか?」

 

本当に舞い上がっているのか、鳳翔はいつまでもくすくすと笑っていた。

世話焼きってのは、同情だとかじゃなくて、本当に好きでやっていたことなんだな。

 

「提督、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 

「明石」

 

「許可なんていらないわ。好きなところに座るのが、ここのルールでしょ?」

 

そう言うと、夕張は俺の正面にドカッと座った。

 

「そうかもしれないけれど……。提督……」

 

「あぁ、構わんぜ。人数は多い方がいい」

 

「ありがとうございます!」

 

机は、四人で使うとちょうどいいくらいの大きさであった。

 

「しかし、無駄に広いな、この食堂は」

 

「今でこそ、ここまで艦娘が少なくなってしまいましたが、昔は別の棟が必要なほど、艦娘が溢れていましたから。その名残です」

 

「なるほど。現在は『三十隻』だったよな」

 

「えぇ」

 

それを三十隻『も』と言うのか、それとも、三十隻『しか』と言うのか――。

 

「そう言えば、提督、この寮にいる艦娘の名前、全部覚えたの?」

 

「あぁ、もちろんだ。実際に顔を見ていない奴もいるから、どいつが誰だってのは、自信が無いけど」

 

「では、私が説明します!」

 

そう言うと、明石は俺の後ろを指して、一隻一隻を紹介してくれた。

 

 

 

まず、奥の方に固まって座っているのが、第七駆逐隊です。

『漣』ちゃん、『朧』ちゃん、『潮』ちゃん、『曙』ちゃんです。

 

その隣の席に座っている四人が、『鈴谷』さんに『熊野』さん、『大和』さんに『大井』さん。

 

その最後の列の席に、『島風』ちゃん、『天津風』ちゃん、正面に『雪風』ちゃんと『敷波』ちゃんです。

 

少し離れて、『卯月』ちゃん、『皐月』ちゃんと一緒に座っているのが、『望月』ちゃんです。

望月ちゃんは、提督の家に遊びに来ませんでしたが、あの三人組は寮にいる時はいつも一緒です。

 

『鹿島』さんと『武蔵』さんの正面に座っているのが、『朝潮』ちゃんと『霞』ちゃんです。

 

後は、まあご存知でしょうけれど、鹿島さんの後ろの席にいるのが、第六駆逐隊の『響』ちゃん、『電』ちゃん、『暁』ちゃん、『雷』ちゃん。

『陸奥』さん、『青葉』さん、『明石』に『夕張』に『鳳翔』さん、『大淀』です。

 

 

 

一通り説明を終えると、明石はやり切ったというように、息を吐いた。

 

「ありがとう明石。おかげで、誰が誰だかわかったよ」

 

明石は嬉しそうに笑うと、満足した顔で、飯に手を付け始めた。

 

「なるほどな……」

 

再び艦娘たちに目を向ける。

三十隻か……。

多いような、少ないような――。

 

「――ん?」

 

「提督? どうかしました?」

 

「いや……ちょっと待て、1,2,3――あぁ、やっぱりだ。一隻少ない。ここには、二十九隻しかいないようだが」

 

それを聞いて、皆、苦い顔をした。

 

「実は、『山城』さんが居ないんです……」

 

「山城……あぁ、確か、戦艦の……」

 

「えぇ……その山城さんです……」

 

そこまで言って、鳳翔は急に、閉口してしまった。

代わりに、明石が口を開いた。

 

「山城さん、佐久間さんが亡くなってから今日まで、ずっと部屋に引きこもっているんです」

 

「佐久間肇が死んでから?」

 

「えぇ……。実は、佐久間さんが来る前から、山城さんは引きこもりがちだったんです。姉妹艦である扶桑さんが島を出て行ってから、ずっと……」

 

「それを引っ張り出したのが、佐久間肇だったのよ。もう凄かったわよ。山城さんの事を無理やり部屋から引っ張り出してね?」

 

夕張の語る山城と佐久間肇のエピソードによると、あまり仲が良くなかったらしい。

一方的に佐久間肇が絡んでゆき、山城が嫌がる――と言った感じだったようだ。

 

「――まあでも、なんやかんや言って、山城さんは佐久間肇の事を好きだったんだと思うわ。そうじゃなかったら、山城さんはきっと、部屋から出る事すらしなかったはずだから」

 

鳳翔が、俺をチラリと見た。

それにどんな意味があるのか分からないが、おそらくは――。

 

 

 

飯を食い終わり、帰らんとする艦娘たちに声をかけようとすると、逃げられてしまった。

 

「仕方がないですよ。きっと、徐々に慣れて行きます」

 

「そうかね……」

 

鳳翔に慰められながら、俺は執務室へと戻った。

 

 

 

それから定期的に部屋から出てみたものの、いつもの艦娘達以外、部屋から出る様子はなく、消灯時間を迎えることになった。

 

「艦娘寮では、部屋以外の電気は、2100に消灯されます」

 

「そうか……。なら、消灯時間までが、俺がここに居る時間って事にしようかな」

 

「それが宜しいかと思います」

 

「鳳翔、今日は色々と世話してもらって、悪かったな」

 

「いえ、好きでやっている事ですので」

 

「そうか。困ったことがあったら、何でも言ってくれ。ただ世話になりっぱなしってのは、どうもいけない。恩返しがしたいんだ」

 

そう言ってやると、鳳翔は少し考えた後、遠慮がちに言った。

 

「では……その……この後、少しだけ夜風にあたりにいきませんか……?」

 

「夜風に? あぁ、構わんよ」

 

「ありがとうございます。では、着替えてまいりますので、少々お待ちください」

 

「分かった」

 

鳳翔がいそいそと出て行った後、替わるようにして、大淀がやって来た。

 

「お疲れ様です。そろそろ帰られる頃ではないかと思いまして」

 

「察しがいいな」

 

「消灯時間ですし、成果も無いようでしたので」

 

俺は参ったというように、頭を掻いて見せた。

 

「初日はこんなものです。歴代の方も、そうでした」

 

「まあ、気長にやろうとは思っているさ」

 

「それが宜しいかと。明日の朝食は0700です。それまでにお越しください」

 

「あぁ、分かった。おっと、そうだ。これ、今日の」

 

『記録』を渡してやると、大淀は小さく笑って見せた。

 

「ありがとうございます。明日の朝にでも、またお渡ししますね」

 

「あぁ、待っているよ」

 

大淀は『記録』を大事に抱えると、一礼してから部屋を出て行った。

嬉しそうな大淀を見れて、嬉しい反面――だが、今はそれでいいと思った。

 

 

 

鳳翔を待っていると、今度は武蔵がやって来た。

 

「鳳翔より伝言だ。門の外で待つとのことだ」

 

「そうか。しかし、わざわざお前に伝えなくとも、ここに来てくれていいものだがな」

 

「鳳翔は執務室に行こうとしていたよ。だが、私が提督に用事があるのだと伝えたら、「では、先に外で待っている」と」

 

「そうだったか。して、お前の用事とは?」

 

「あぁ、実は、頼みごとがあるのだ」

 

そう言うと、武蔵は恥ずかしそうに鼻筋をさすった。

 

「頼み事? 珍しいな」

 

「明日の朝……そうだな……5時くらいに、少しばかり時間をいただけないだろうか?」

 

「朝の5時? 随分早いんだな」

 

「駄目か……?」

 

「いや、構わんが、一体何をしようってんだ?」

 

「実は、毎朝道場で、鍛練に努めているのだが、どうも一人だと、強くなった実感が湧かなくてな」

 

「俺に相手をしろと? 馬鹿言っちゃいけないぜ。お前の相手を務めるほど、俺は強くない」

 

「この武蔵を投げ飛ばしておいてか?」

 

「ありゃ、油断につけこんだだけのラッキーパンチだ」

 

「それでも、私が宙に浮いたのは事実だろう」

 

「そうかもしれんが」

 

「まあ、無理にとは言わない。嫌なら嫌と言ってくれ。そっちの方が、諦めがつく」

 

そう言う武蔵は、どこか寂しそうであった。

 

「嫌とは言っていない。ただ、俺に対する評価が過大だと思っただけだ」

 

「では……」

 

「明日の5時だな。分かった。寝坊すんなよ、武蔵」

 

そう言って拳を突いてやると、武蔵も突き返し、ニヤッと笑って見せた。

 

「貴様こそ」

 

「フッ……。さて、そろそろ鳳翔のところに行ってやらんとな。明日の朝、よろしくな」

 

そう言って去ろうとする俺の手を武蔵は引き留めた。

 

「どうした?」

 

「いや……その……なんだ……。――いや、やはり何でもない。引き留めて悪かった」

 

「そうか? じゃあ、行くぜ?」

 

「あぁ」

 

武蔵に見送られながら、少し厚手の上着に身を包んで、鳳翔の元へと向かった。

 

 

 

合流した俺たちは、夜の海辺をゆっくりと散歩することにした。

 

「少し前まではあんなに暑かったのに、もうすっかり秋なんですね」

 

「夜に限っては、冬のような寒さだ。お前のその格好は、随分温かそうだな」

 

「支援していただいたものです。私達艦娘は、冬の海でも戦ってきましたから、厚着なんてしなくても平気なのですけれど、せっかく頂いたので」

 

そう言うと、鳳翔は質の良さそうなコートを揺らした。

 

「似合っているよ」

 

「ありがとうございます」

 

「それが着たくて、夜の散歩を?」

 

「それもあります。けど、本命は、提督とゆっくり、二人っきりでお話ししたいと思ったからなんです」

 

「俺と?」

 

「えぇ。寮や家ですと、誰かしら、提督の近くにいますから。それに、ここ最近は、こうしてお話しすることも少なかったじゃないですか」

 

思い返してみると、確かにそうだったように思える。

 

「最初に好意的に接したのは、私なんですよ? なのに提督ったら、他の娘にばかり構っているじゃないですか。ですから、今日くらいはいいかなって」

 

そう言うと、鳳翔は悪戯な笑顔を見せた。

普段は見せないようなその表情に、俺はドキッとした。

 

「それは悪かったな。なら、今日はお前の気が済むまで話そう」

 

「そのつもりです。ふふっ」

 

言葉の通り、鳳翔は色々な事を話し始めた。

今日は誰々がどうしただとか、外に言った艦娘の話だとか――とにかく、色々だ。

だが俺は、そんな話の内容以上に、まるで子供の様に話す鳳翔の姿に、目を奪われていた。

 

「――提督、聞いています?」

 

「あぁ、聞いているよ」

 

「本当ですか? なんだか、空返事だったように思います」

 

「いや、なに、楽しそうに話すもんだなと思ってな。そんな姿、初めて見たよ」

 

「私だって、普通の女なんです。こうして笑うことだってしますよ」

 

そう言うと、鳳翔は怒っているというように、頬を膨らませた。

そういや、以前もこうして怒られたっけか。

 

「そうだな。悪かった」

 

謝り、話を戻そうと様子を窺っていると、鳳翔は急に黙り込んでしまった。

 

「鳳翔?」

 

「……やっぱり私って、女として見られていないのでしょうか?」

 

「え?」

 

「今まで、たくさんの男性がこの島にやってきました。その誰もが、提督と同じように言うのです。「そんな子供のような振る舞いをするとは、意外に思った」と」

 

鳳翔は足を止めると、海を望んだ。

 

「鹿島さんのような可愛げのある仕草、陸奥さんのような艶美な仕草、どれも私が真似てみると、意外に思われるのです。母親のようだとか、保母さんのようだとか――とにかく、私が『女』として見られることは、ありませんでした……」

 

残念そうにする鳳翔。

それを意外だと思ってしまうのは、やはり俺も――。

 

「『女』として見られたいのか?」

 

「最初は――と言っても、大分昔の話ですが――皆のイメージ通り、私は『女』であることに執着はありませんでした。皆の面倒を見ることが、私の使命だと――今の私に出来ることなのだと、思っていましたから……」

 

冷たい風に靡く髪を手で梳くと、鳳翔は続けた。

 

「けれど、時々思ってしまうのです。女として愛され、島を出て行く艦娘たちを見ていて、私も――」

 

鳳翔は閉口すると、小さく笑った。

 

「……なんて。すみません。変な話をしましたね。ちょっと気になっただけです。ほら、いつか島を出た時に、参考にしたいなと」

 

「……そうか」

 

俺は同じように、海を望んだ。

 

「臆病だな、お前は」

 

「え?」

 

「自分がどんな奴なのか、どう見られているのか。自分がどうしたいのか、どう見られたいのか。それらを理解しているのにもかかわらず、変わろうとしない。自分の気持ちから逃げている」

 

鳳翔は何も言わなかった。

いや、或いは言えなかったのだろう。

 

「だが、気持ちは分かる。お前がどんなに変わろうとしても、『鳳翔』という器がそれを邪魔してしまう。『思われている自分』と『想われたい自分』は、それほどに大きく違うし、それを他人に指摘された時、まるで『想われたい自分』を否定された気持ちになる。しかし、指摘した奴から見たら、『鳳翔』という器は、それほどに完璧なものなんだ。崩したくないほどに」

 

「そんな……私は……そんなに完璧な存在では……」

 

「事実、そう思われている。俺もその一人だ」

 

鳳翔は俯くと、深く目を瞑った。

 

「島の外に行けば、ありのままのお前を『女』として見てくれるような奴は、大勢いるだろう。お前だって、それが分かっているだろうに。そうしないのは何故だ? 何故お前は、この島に残る?」

 

思えば、鳳翔が何故島に残るのか、聞いたことが無かったように思う。

だが、いつだったか、鳳翔はこう言っていた。

『それに私は……この島に残ることが、必ずしも幸せであるとは限らないと思うのです……』

それはつまり――。

鳳翔は、永い時間黙り込んでいたが、意を決したように顔をあげ、俺を見た。

 

「その……笑わないと……約束してくれますか……?」

 

「笑う? 笑えるような事なのか?」

 

鳳翔は小さく頷いた。

その顔は、今にも燃えだしそうなほど、赤く染まっていた。

 

「笑わないよ。言ってくれ」

 

「……分かりました。絶対ですよ?」

 

「あぁ」

 

念を押す鳳翔。

口は幾度となく、それを声に出そうとしているが、中々出ないでいるようだ。

 

「さ……最初は……その……皆さんの為……というより、皆さんが全員、島を出ることになるまで、面倒を見ようと思っていまして……」

 

身振り手振りで説明する鳳翔。

その焦りっぷりは半端ではなく、風に乱れた髪を梳く暇も無いようであった。

 

「けど……女として見られたいと思い始めた頃、異性と言うものを意識し始めて……。自分がどんな男性が好きなのか、考え始めたのです……。けれど、私は……この海で出会った男性しか知りませんし……理想の男性像もまた、この海にしかなくて……ですね……。その……うぅ……」

 

とうとう恥ずかしさが限界に来たのか、鳳翔は両手で顔を覆ってしまった。

 

「無理に言わんでもいいぜ」

 

「……いえ、言います!」

 

自分の顔を叩くと、鳳翔は真っすぐに俺に向いた。

そして、意を決したように、叫んだ。

 

「私は、私の理想の男性に出会えるその日まで、この島に残ろうと決心したんです!」

 

 

 

静かな海に、鳳翔の声が吸い込まれていった。

 

「理想の男性に……?」

 

「そうです! 私の理想の男性像……それを考えた時、提督の言うように、島の外に出て、ありのままの私を受け入れてくれる人を探すのもいいと思いました。けれど、島の皆を見捨てることは、私には出来ません……。ですから、考えたのです! この島の艦娘たちを全て、島の外へと導いてくれる――ひいては、私を島の外へと連れ出してくれる人を理想の男性像にしようと!」

 

言い切ってやったとでも言うように、胸元で拳をつくった。

 

「つまり、お前は、自分を島から出してくれるような男に出会う為に、島に残っていると……?」

 

「そうです!」

 

俺が唖然としていると、鳳翔は我に返ったのか、顔を真っ赤にして、俯いてしまった。

 

「すみません……。こんな……」

 

「い、いや、別に謝ることは……。何も恥ずかしいことはないじゃないか」

 

「うぅ……」

 

テンションの高低差に風邪をひきそうになりながらも、俺はふと、とある疑問にぶつかった。

 

「お前がそう思ったのは、いつ頃の話だ?」

 

「え……? そうですね……もうかなり昔の話ですから……」

 

「それは、佐久間肇が居た頃にも、そう思っていたのか?」

 

俺の質問の意図が分かったのか、鳳翔は急に焦りだした。

 

「ち、違いますよ!? 別に、佐久間さんにそういう気持ちを抱いたとか、そう言う事ではなくて……」

 

「そうなのか?」

 

「しょ、正直に言えば……最初は……そういう人になってくれるかもって……思いましたけれど……。でも、佐久間さんは既婚者の可能性がありましたし、そうでなくとも、大淀さんといい感じでしたし……」

 

そう言うと、鳳翔は黙り込んでしまった。

佐久間肇の死を思い出しているのか、表情は暗い。

 

「……悪い。ちょっと、気になっただけだ……」

 

「いえ……」

 

永い沈黙が続く。

波の音だけが、俺たちを包み込んでいた。

 

「しかし……そうか……。そういう理由で、この島に残るか」

 

「お恥ずかしい話です……」

 

「いや、いいじゃないか。島を出る為の目標があるのは。未来がある」

 

「そうでしょうか……」

 

「あぁ。しかし、そうなると、この島の艦娘たちを全て外に出さんとする俺は、お前の理想にかなってしまう事になるぜ?」

 

「そうですね」

 

「そうですね……って。もっと残念がれよ。待った結果が、俺みたいな奴だっただなんて――」

 

俺は思わず、言葉を切った。

細くなった横眼が、じっと、俺を見つめていたのだ。

 

「何故私が貴方をサポートするのか……分かっていただけましたか……?」

 

その顔は、ほんのりと赤く染まっていた。

だが、それとは裏腹に――。

 

「……前言撤回だ。お前は臆病なんかじゃない。しっかりと見極めの出来る、いい『女』だ」

 

それから俺たちは、何も言わず、ただ夜の海を眺めていた。

心の中で燃え上がる情熱が、秋の星空へと溶け込むまで――。

 

 

 

俺がくしゃみをしたのをきっかけに、そろそろ解散するかという流れになった。

 

「すみません。こんな遅くまで……。お体、平気ですか?」

 

「あぁ、平気だ。寒いというよりも、どこかで俺の事を噂している奴がいるのかもしれん」

 

「ふふ、心当たりが?」

 

「あり過ぎるくらいだ」

 

そんな事で話している内に、寮と家の分かれ道に差し掛かった。

 

「じゃあ、この辺で。今日は世話になった。明日からもよろしくな」

 

「こちらこそ。お付き合いいただきまして、ありがとうございました。明日も給仕、させてくださいね」

 

「あぁ、頼んだよ。じゃあ、おやすみ」

 

挨拶を済ませ、家路に就こうと背を向けた。

 

「提督」

 

「ん? なんだ?」

 

「少し屈んでくれませんか?」

 

「ん、こうか?」

 

言われた通りにしてやると、鳳翔はそっと、俺の頬にキスをした。

 

「ふふ、先行投資です。もしくは、マーキング?」

 

悪戯に笑う鳳翔。

 

「さっきの慌てっぷりとは打って変わって、急に大胆になったな」

 

「本当の私を知っても、提督は私を『女』として認めてくれましたから。舞い上がっているんです」

 

『女』として認めた、か。

夕張に言った『艦娘に恋はしないと決めているんだ』という言葉を思い出す。

『恋』と『女』。

それは一体だ。

しかし、『艦娘』と『女』、『恋』と『艦娘』――俺はずっと、それらは別の言葉であると考えて来た。

だとすれば、これは――。

 

「それよりも、提督、何だかキス慣れしている感じですね……。少しくらい、照れてくれてもいいじゃないですか……」

 

「ん、あぁ……どうかな……」

 

ふと、鹿島にキスをされたことを思い出す。

あれに比べたら――なんて、言ったら悪いか。

 

「まあいいです。では、今度こそ……おやすみなさい」

 

「あぁ、おやすみ」

 

機嫌よく帰って行く鳳翔。

我に返って、後悔しなければいいけどな……。

 

 

 

翌朝。

まだ誰も起きていないであろう時間の寮は、とても静かであった。

 

「ふわぁ……眠い……」

 

結局、昨日の夜はあまり眠ることが出来なかった。

初めて寮に進出した興奮も然ることながら、鳳翔にされた頬のキス――というよりも、告白に近い事を言われたのだと気が付き、ドギマギしてしまったのだった。

 

「いかんいかん……。気を引き締めなくてはな……」

 

気を引き締める様に顔を叩き、道場の扉を開けると、まだ薄暗い中に、道着に身を包んだ武蔵が正座していた。

 

「よう、待たせたか?」

 

「いや、私も先ほど来たところだ」

 

ふと、自分の足元を見てみると、道着が畳んで置かれていた。

 

「着替えろって?」

 

「あぁ、サイズはそれでいいと思うのだ」

 

「分かった。ちょっと待ってろ」

 

俺が着替えている間、武蔵はずっと目を瞑り、精神統一をしているようであった。

 

「着替え終わったぜ」

 

「そうか」

 

武蔵は立ち上がると、俺の前に立った。

 

「足、よく痺れないな」

 

「鍛えているからな」

 

どう鍛えたら痺れなくなるのやら。

 

「一応、準備運動は済ませてあるぜ。道着って事は、柔道か?」

 

「そうなるな。だが、やったことが無くてな。私の場合、術に習っているというよりも、実戦から学んだ鍛練を積んでいるのでな」

 

「そうだったか。まあ、それでいいと思うぜ。今回も、実戦的な方を取ろう。打撃等は無しで、投げと寝技のみで、適当にわちゃわちゃやればいいさ」

 

「わちゃわちゃ……」

 

「じゃあ……始めるか?」

 

「あぁ、よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

互いに礼をして、構えに入った。

武蔵の表情が真剣なものになり、俺は思わず息を呑んだ。

 

「あれから……貴様に投げられてから、どうすればよかったのかを考え続けていた……」

 

「不意打ちにどうすれば良いもクソもないだろうに」

 

「不意打ちではない……。先に仕掛けたのは私の方であった……。貴様を甘く見ていた私の不覚だ……」

 

「だから今度は油断しないと?」

 

「そうだ」

 

武蔵の目は、一切笑わず、俺をじっと見つめていた。

静寂が、道場を包む。

 

「俺からは仕掛けないぜ……」

 

「そうか……。では、こちらから行かせてもらう」

 

武蔵の手が伸びてくる。

瞬間、俺はその腕を取り、再び一本背負いを決――。

 

「え……?」

 

確かに腕は取った。

だが、全く動かない。

まるで、大木に技をかけているかのような――。

 

「同じ手は、この武蔵には通用しないと思え……」

 

瞬間――。

床が迫って来たと思ったら、次の瞬間には、仰向けに寝転がっていた。

どうやら受け身は取れたらしい。

 

「…………」

 

唖然とする俺に、武蔵は覗き込みながらも、ニヤリと笑って見せた。

 

「一本、だろう?」

 

「……あぁ、一本だ」

 

武蔵は俺を起こすと、得意げな顔を見せた。

 

「借りは返したぞ」

 

「おつりがくるくらいだ……。一体、どうやって投げた? 気が付いたら、仰向けだったんだぜ」

 

「簡単だ。こう、片手で……」

 

「片手!?」

 

「そうだ。こういうの、何投げというんだ?」

 

「片手……背負い投げ……?」

 

いや、背負われた感覚はない。

普通に、馬鹿力で叩きつけられたというような……。

 

「名は無いのか」

 

「技と呼べる代物ではないかもしれないな……。お前にしか出来んだろうよ」

 

「なら、「武蔵投げ」とでも名づけるか」

 

そう言うと、何がうれしいのか、武蔵はニッと笑って見せた。

 

「だが、この武蔵投げは、艦娘であるからこそ成し得る技だ。『人化』してしまえば、『馬力』が無くなる。やはり、術としての修行が必要か」

 

武蔵の言う『馬力』とは、艦娘に備わる『馬鹿げた力』の事だ。

艦娘によって個体差はあるものの、一番弱いとされる駆逐艦でも、『推定年齢』を超える力を発揮する。

武蔵の『馬力』は、おそらく、この国のどんな屈強な男よりも、遥かに強いものだといわれている。

 

「『人化』してしまえば……か……」

 

「私もいつか、この島の艦娘たちが強くなり、この武蔵に守られなくても『生きて』ゆける存在となったのなら、この島を出ようと思っているのだ」

 

「武蔵……」

 

「それにはまず、私自身が強くならねばならない。貴様の持っている『強さ』、私はそれを学びたいと思っている」

 

そう言うと、武蔵は構えた。

 

「簡単に投げられてしまうんだ。学ぶところなんて、無いと思うがな」

 

「腕節の話ではない。貴様の『強さ』は、目に見えないものだ」

 

「こうしてぶつかれば、見えてくると?」

 

「あぁ。なんせ、私は不器用でな。こうしないと、見えてこないのだ」

 

武蔵らしい答えだと思った。

 

「構えてくれ。まだまだ学ぶことはたくさんあるのだ。貴様を知りたい」

 

「あぁ、分かった」

 

俺が構えると、武蔵は今度は武蔵から仕掛けて来て――。

そんな事を俺たちは、一時間ほど続けた。

倒そうが倒れようが、武蔵はずっと、どこか、楽しそうに笑っていた。

 

 

 

武蔵との鍛練を終え、俺は執務室のシャワーで汗を流した。

 

「ふぅ……さっぱりしたぜ……」

 

風呂を出てみると、武蔵がくつろいでいた。

 

「お邪魔しているよ」

 

武蔵もシャワーを浴びたのか、髪がしっとりとしていた。

 

「もう済ませたのか。早いな」

 

「艦娘は老廃物が少ないからな。少し流すだけでも、綺麗になるのだ」

 

そう言えば、そんな事を聞いたことがある。

 

「そら、便利でいいな」

 

ふと、窓の外を見ると、駆逐艦たちがラジオ体操をしていた。

 

「そうか。まだそんな時間か」

 

時計の針は、0630を指していた。

 

「今日は付き合ってくれてありがとう。時々でいいから、また相手をしてくれるとありがたいのだが……」

 

「あぁ、構わんぜ」

 

「そうか。嬉しいよ」

 

そう言うと、武蔵は先ほどとは違い、優しく微笑んで見せた。

 

「失礼します! 提督、おはようございま……す……」

 

部屋に入って来たのは、明石であった。

 

「おう、ノックくらいしたらどうなんだ」

 

「あ、すみません……。えと……」

 

明石はチラリと、武蔵を見た。

 

「っと、そろそろ戻るとするよ。今日は本当にありがとう。また食堂で」

 

「あぁ、またな」

 

武蔵は何やら気を遣うようにして、部屋を出て行った。

 

「で、何か用事か? 明石」

 

「あ、えと……その……。あ、きょ、今日なのですが……提督、何か予定、ありますか……?」

 

「予定? いや……特には……。普通に、皆と交流を図ろうとは思っている」

 

「あ、なら良かったです! 実は今日、サツマイモ掘りをするのですが、提督もいかがですか?」

 

「サツマイモ掘り?」

 

「はい。この時期になると、駆逐艦たちを集めてやるのですが、そこに提督も参加されてはいかがでしょう? まだ交流していない駆逐艦も来ますよ」

 

サツマイモ掘りか……。

 

「俺がいたら、皆萎縮しないだろうか……」

 

弱気な俺に、明石はわざとらしく大きなため息をついて見せた。

 

「提督ぅ……そんなだから駄目なんですよ! もっと積極的にいかないと! この寮に来た意味が無いですよ!」

 

「あ、あぁ……そうだが……。……いや、そうだな。その通りだ。もっと積極的にいかないとな。分かった。参加するよ。機会を与えてくれて、ありがとう」

 

「それでこそ提督です!」

 

そうだよな。

せっかくここまで来たんだ。

積極的にいかないでどうする。

 

「よし、そうと決まれば、腹ごしらえだ。朝から運動して、腹もペコペコだ」

 

「う、運動……ですか……」

 

「あぁ、朝から武蔵とな」

 

「なるほど……。精が出ますね……」

 

「そうだな」

 

明石は何やらもじもじとし始めた。

 

「どうした?」

 

「い、いえ……。では……私はこれで……」

 

明石はそそくさと部屋を出て行ってしまった。

 

「……トイレか?」

 

 

 

朝食の時間になると、大淀が訪ねて来てくれた。

 

「朝食の用意が出来ましたよ」

 

「そうか。もう腹がペコペコだ」

 

「あれだけ激しい運動をされていれば、お腹も空くかと」

 

「見ていたのか」

 

「朝は早い方なんです」

 

大淀は『記録』を俺に渡した。

 

「どれ……」

 

読もうとすると、大淀はそれを止めた。

 

「本人の前で読むのは、無粋ですよ」

 

「そんなに恥ずかしい事を書いたのか?」

 

「かもしれませんね」

 

そう言うと、大淀は小さく笑い、部屋を出て行った。

 

 

 

食堂には、もう既に皆が集まっていた。

やはり俺の入室に、皆黙り込んでしまっていた。

 

「あ……提督……お、おはようございます……。その……お食事、運んでおきました……」

 

そう言って、目を逸らす鳳翔。

昨日の事、やっぱり後悔しているんだな。

 

「あぁ、ありがとう、鳳翔」

 

こういうのは蒸し返さない方がいいのだろうと思い、俺はそれ以上何も言わなかった。

向かいの席には、武蔵と大淀が座っていた。

俺が着席したのを確認すると、大淀は立ち上がり、朝の挨拶を始めた。

 

「皆さん、おはようございます。本日はサツマイモ掘りがありますので、参加される方は、汚れてもいい恰好をして、1000に畑へ来るようにしてください。連絡は以上です。では、いただきます」

 

疎らな「いただきます」の声に合わせ、食器を叩く音が、食堂に響いた。

 

「司令官」

 

声の方を向くと、響が自分の食事を持って、立っていた。

 

「響。おはよう。どうした?」

 

「一緒に食事を摂ろうと思ってね」

 

「一緒に?」

 

響は俺の食事を退けると、自分のものを置き、俺の膝に座った。

 

「おいおい……」

 

「一緒に食べよう」

 

「一緒にって……これじゃあ食べにくいぜ……」

 

「食べさせてあげるよ。ほら、どうぞ」

 

そう言って、響は俺に飯を食わせた。

 

「んむ……」

 

「美味しいかい?」

 

「あ、あぁ……美味いよ」

 

「それは良かった」

 

響は続けて、俺に飯を食わせようと、一生懸命魚を崩し始めた。

困った顔で三隻に目をやると、三隻とも「仕方がない」というような目を見せた。

 

「響、気持ちは嬉しいが、自分も食ったらどうなんだ?」

 

「じゃあ、食べさせてくれない? あーん」

 

「……分かったよ」

 

ふと、誰かの視線に気が付いた。

それは三つあり、二つはすぐに分かった。

隣の島にいる、夕張と明石のものである。

明石は俺が視線を返すと、逸らすようにして、そっぽを向いた。

夕張は何やら、呆れた顔で俺を見ている。

もう一つは――。

 

「あ……」

 

――という声は聞こえなかったが、明らかにそう言っているような感じの焦り具合を見せていたのは、敷波であった。

 

「司令官?」

 

「ん、なんだ?」

 

「早く食べさせてよ。あーん」

 

「あ、あぁ……」

 

再び敷波に視線を向けたが、彼女が振り向くことはなかった。

 

 

 

「じゃあ、後でね、司令官。絶対、サツマイモ掘り、来てね」

 

「分かった分かった。だから、早く行っちまえ。暁たちが待ってるぞ」

 

「絶対だよ」

 

何度も念を押して、響は部屋へと戻っていった。

 

「好かれていますね。提督」

 

「あぁ……」

 

好かれることはいいことだが、響もまた、俺ではなく――。

 

「複雑だぜ……」

 

 

 

執務室に戻ると、夕張がくつろいでいた。

 

「おう。何か用事か?」

 

「まあ、そんなところ……」

 

夕張は何やら、ムッとした表情をしていた。

 

「それで? 俺は何をやっちゃったんだ?」

 

「何かやった自覚があるのね……」

 

「お前の顔に書いてあるからな」

 

夕張はわざとらしく、顔を触って見せた。

 

「それで?」

 

「明石が不安がっていたわ……。武蔵さんと何かあったんじゃないかって……」

 

「武蔵と?」

 

「なんでも? 提督と武蔵さんが、朝っぱらから何か部屋で『運動』をしていて? お風呂上がりでくつろぐ二人を目撃したとかなんとか」

 

運動という部分を夕張は露骨に強調していた。

 

「……武蔵さんとヤったの?」

 

そう問う夕張の表情は、どこか不安そうであった。

――あぁ、そう言う事か……。

 

「何か勘違いしているようだが、俺と武蔵は、別にセックスしていた訳じゃないぜ」

 

「じゃあ……何をしていたっていうのよ……。男と女が狭い部屋で二人っきり、汗を流すって……」

 

「道場で武蔵の鍛練に付き合ってやっただけだ。それで、汗をかいたから、風呂に入った。部屋を出たら、シャワーを浴び終わった武蔵が居た。そこに明石が来た。それだけだ」

 

「本当かしら……」

 

「嘘をついてどうする。何なら、俺じゃなく、武蔵に聞いて来いよ。雨宮とセックスしたんですか? ってよ」

 

夕張は俺の目をじっと見つめると、小さくため息をついた。

 

「まあ、そうよね……。武蔵さんがそんなことするわけないし、提督もそういう男だし……」

 

「どういう男だよ……」

 

そう言ってやると、夕張は安心したかのように微笑んだ。

 

「けど、明石を不安にさせる様なことはしないでよね。あの子、ああ見えても繊細なんだから」

 

「お前がそれを言うか」

 

「私はほら、立ち直りは早い方だから」

 

「だが、不機嫌になるのも早い。それも、原因は分からんから、その分たちが悪いんだ」

 

「それ、よく言われるものだから、流石に自分でも考えてみたのよ。どうして提督の事に対して、不機嫌になっちゃうのだろうって」

 

「して、答えは出たのか?」

 

「うん。私ね、提督の事が好きなのよ。恋しちゃってるのよ」

 

夕張があまりにも平然と言うものだから、俺は照れることも出来なかった。

 

「前に、言ってくれたじゃない? ほら、明石を支える理由がなくなった時――私が私自身の為に、何をしたいのか、悩んでいる時よ」

 

武蔵に勝ってすぐのあたりか。

 

「『例えこの島の艦娘がお前だけになっても、見つかるまでずっと一緒に探してやるから、安心しろ』って。多分、その頃から、貴方の事を好きになったんだと思う」

 

「それまで気が付かなかったのか」

 

「うん。恋なんて、したことないし。明石が貴方の事を好きって知った時だって、私の貴方に対する気持ちとは、違うと思ってたから」

 

「まあ、明石は純粋な気持ちだしな」

 

「まるで私の気持ちは不純みたいな言い方じゃない」

 

「そう言う訳じゃないが……」

 

「まあ、言いたいことは分かるわ。恋なんて、私のガラじゃないし、私が貴方に選ばれるなんてことは、この島じゃありえないし」

 

そう言うと、夕張は膝を抱えた。

 

「きっと、明石以外にも、貴方を好きになる人はたくさん出てくると思う。みーんな、私なんかよりも性格が良くて、スタイルも良くて……」

 

「なによりも、お前と違って面倒くさくない、だろ?」

 

「そう、それ」

 

夕張は弱弱しい笑顔を見せた。

 

「だから……不機嫌になっちゃうんだと思う……。貴方を好きになれば好きになるほど、周りの人たちが魅力的に見えて……」

 

夕張はそれ以上を言わなかった。

だが、何が言いたいのか、流石の俺にも分かっていた。

 

「慰めるつもりはないが、俺は誰にだって恋はしないぜ。この島の艦娘たちが、全て島を出るまではな」

 

「分かってるわ……。分かってるけど……」

 

「……繊細なのは、やっぱりお前の方だったようだな」

 

「一番不安がっていたのも、私の方よ……」

 

思えば、いつだって夕張は、何かしら危険があることに反対してきた。

明石ですらも応援するような場面でも、夕張だけは――。

 

「…………」

 

しかし、どうしたら慰められるもんか……。

そんなことで考えていると、夕張は唐突に「あ」と顔をあげた。

 

「そっか……。その手があったわ……」

 

夕張は立ち上がると、満面の笑みを見せた。

 

「夕張?」

 

「ね、提督。私も協力するわ!」

 

「え? 協力するって……何にだ?」

 

「艦娘を島の外に出す事によ! 私が協力した方が、効率いいでしょ?」

 

「まあ……そうかもな……。しかし、なんだって急にそんな事を?」

 

「ふふ、秘密よ。まあ、そのうち分かるわ。あーあ、そうよね。そうすればよかったのよ!」

 

夕張は何やら妙案を思いつき、自分を慰めることに成功したらしい。

その妙案が何なのか分からんが、何やら嫌な予感がしてならない。

 

「そうと決まれば、早速作戦をたてなきゃ! 忙しくなるわ。じゃあ、お邪魔しましたー!」

 

まるで嵐のように、夕張は去って行った。

落ち込んだり立ち直ったり、本当、忙しい奴だ。

 

「フッ……」

 

面倒くさい奴ではあるが、その面倒くささが、またあいつらしくて――。

 

「俺は割と――」

 

 

 

1000前になると、青葉と陸奥が部屋にやって来た。

 

「おう、どうした?」

 

「司令官、陸奥さんと一緒に、サツマイモ掘りに行ってくれませんか?」

 

「一緒に?」

 

陸奥は俺をチラリとみると、視線を外し、青葉の後ろに隠れてしまった。

 

「はい! 一緒にです!」

 

「別に構わんぜ。俺も今から出るところだったし」

 

「ですって。良かったですね、陸奥さん」

 

青葉は陸奥の背中を押すと、俺の前に立たせた。

 

「では、あとはよろしくお願いしますね! ではでは!」

 

呼び止める暇も無く、青葉はそそくさと去って行った。

 

「何だったんだ……」

 

 

 

寮を出て、陸奥と共に畑へと向かう。

 

「最近、青葉とはどうだ? ちゃんと上手くやれているのか?」

 

「え、えぇ……。とても……」

 

「そうか」

 

会話終了。

ハニートラップを仕掛けて来た時とは違い、今日の陸奥はしおらしかった。

――いや、あれから――トラウマを克服しようと決心したあの日から、陸奥はこんな感じで、しおらしくなってしまったのだ。

 

「そういや……」

 

陸奥と目が合う。

しかし、すぐに逸らされてしまった。

 

「……最近、すぐに目を逸らされてしまうな。やはり、トラウマがそうさせているのか……?」

 

「そ、そういう訳じゃ……ないけど……」

 

「別に無理をして克服しなくてもいいんだぜ。ゆっくり時間をかけて、徐々に慣れて行けばいいんだ」

 

「無理しているわけじゃ……」

 

「じゃあ、何故目を逸らすんだ? あまり話しかけてこなくもなってしまったじゃないか」

 

そう言ってやると、陸奥は足を止め、俯いてしまった。

 

「陸奥?」

 

顔を覗き込んでやると、その顔は真っ赤に染まっていた。

 

「無理しているわけじゃないの……。ただ……その……あの……」

 

まるで胸が痛いとでも言うように、陸奥は胸に手をあてた。

 

「お、おい……大丈夫か?」

 

「大丈夫じゃない……」

 

「大丈夫じゃないって……。どこか痛むのか!? 明石を呼ぼうか!?」

 

「そうじゃない……! そうじゃないの……」

 

「じゃあ、なんだって……」

 

陸奥は、今にも枯れそうな声で、言った。

 

「ド……キ……ちゃうの……」

 

「え?」

 

「ドキドキしちゃうの……。貴方といると……。胸が……締め付けられるようで……。顔も熱くなるし……目を見られないの……」

 

それって……。

 

「うぅ……やっぱり無理……。二人っきりなんて……。ごめんなさい……」

 

「あ、おい!」

 

陸奥は逃げるようにして、寮の方へと戻って行ってしまった。

 

「ドキドキしちゃうって……。胸が締め付けられるようでって……」

 

明石、夕張、鳳翔……。

そいつらに告白されたものだから、流石の俺でも、もう分かってしまう。

陸奥は、トラウマを克服するどころか、俺に――。

 

「マジかよ……」

 

 

 

陸奥を追っても良かったのだが、響に発見され、俺は畑へと連れ出された。

 

「司令官、もう始まってるよ」

 

「おう、そうか」

 

着いてみると、確かに、もう既に、皆が芋を掘っていた。

 

「私たちも始めよう」

 

「あぁ、そうだな」

 

と、言いつつも、俺は芋を掘る動作をしながら、誰が来ているのか観察した。

やはり駆逐艦が多く、引率に来ているのか、大淀と鹿島、明石も来ているようであった。

そして、驚いたことに――。

 

「大井さん、ここも掘っていいのー?」

 

「えぇ、問題ないわ。こっちからあっちの方までは大丈夫だけれど、線を越えた先は別のものを植えているから、気をつけなさいな」

 

「はーい」

 

大井は、駆逐艦の引率というよりも、監視するかのようにして、うろうろと周りを見ていた。

 

「大井さんが畑を管理しているんです」

 

いつの間にか近づいてきたのか、明石は背中越しにそう言った。

 

「なるほど、それで来ているのか」

 

「大井さん、ずっと提督の事を睨んでいますよ。何かしちゃったんじゃないですか?」

 

「……どうかな」

 

何故睨んでいるのか、その理由を北上さんから聞いている。

だが、北上さんの考えるその理由が、必ずしもあっているとは限らない。

大井には大井なりの考えがあって、人を憎んでいる可能性もあるのだ。

 

「それと、もう一人。見てください」

 

明石は目でそいつを指した。

 

「敷波ちゃんです。提督が寮に来てから、ずーっと見ています。多分、気になっているんですよ。提督の事が」

 

「一度も話したことはないのだがな」

 

「一目惚れじゃないですか? あれくらいの女の子って、年上に恋をしがちっていうじゃないですか」

 

「そんな通説、聞いたこともないが……」

 

だが確かに、敷波はずっとこちらを見ているし、昨日の執務室で窓の外から見つめていたのも、おそらくは敷波であろう。

 

「話しかけてみたらいかがです?」

 

「そうだな」

 

明石に先導されながら、芋を掘るふりをして、敷波に近づいてゆく。

敷波は近づいてきていることに気が付いたのか、そそくさと離れて行く。

 

「逃げちゃいますね……」

 

「端に追いやってみたらどうだろう?」

 

「そんな、動物を捕まえるみたいな……」

 

そんな事で敷波との追いかけっこをしていると、突然、俺の脇腹に激痛が走った。

 

「ぐぇっ!?」

 

「提督!?」

 

その痛みに、俺は思わず倒れ込んだ。

大きな影が、俺を見下ろしていた。

 

「お前……今、俺の脇腹を蹴ったな……!」

 

俺を見下ろしているのは、大井であった。

軽蔑するかのような瞳が、俺をじっと見つめている。

 

「あんた……さっきから敷波に付きまとって……一体何をしようっていうのよ……?」

 

「何をしようって……別に俺は――ブッ……!?」

 

今度は、大井の蹴りが、俺の顔面にクリーンヒットする。

 

「提督! 大井さん! 何を!?」

 

「駆逐艦が怖がっているでしょ……。変な行動を起こすようなら……私が容赦しないわ……」

 

なるほど……。

吹雪さんのノートに『多少、気性が荒く――』なんて書いてあったが、こりゃ相当だぜ……。

 

「いてて……」

 

「提督……」

 

立ち上がる俺を明石はそっと支えてくれた。

 

「て、提督……血が……」

 

「やべ……! 明石、大淀を!」

 

「もうやっています!」

 

そう叫んだのは、鹿島であった。

鹿島は大淀の目を背けさせると、そのまま寮の方へと向かわせた。

 

「何も見ていなければいいが……」

 

「提督、それよりに、早く止血を……!」

 

「ちょっと鼻血が出ただけだ。問題ない」

 

俺は大井の前に立った。

 

「悪いな。確かに、敷波に付きまとっていたのは事実だ。ずっと視線を送られていたから、気になってな」

 

「だからって、付きまとう必要はないでしょ……? それに、明らかに避けているのが分かっていながら、あんたは付きまとった……」

 

大井は俺の胸倉を掴むと、脅すように言った。

 

「謝んなさいよ……。そして、誓いなさい……。もう二度と、駆逐艦に近づかないと……」

 

「あぁ、謝るよ。敷波、悪かったな……。付きまとってしまって……。この通りだ……」

 

それに、敷波は目を逸らして俯いてしまった。

 

「だが、駆逐艦に近づくなってのは、誓うことは出来ない。それを誓ってしまったら、俺は仕事が出来なくなってしまうのでな」

 

瞬間、大井は俺の鳩尾(みぞおち)に拳を叩きこんだ。

 

「――っ!」

 

声にならない叫びをあげながら、俺は再び倒れ込んだ。

 

「提督! 大井さん!」

 

「誓いなさいよ……」

 

「か……はっ……い、嫌……だね……」

 

俺の脇腹を蹴り上げる大井。

 

「誓え……」

 

「出来……ない……相談だぜ……」

 

再び――。

 

「大井さん、もうやめてください!」

 

「この男が悪いのよ……。この男が全て……。私たちはただ、平和に暮らしたかっただけなのに……。それなのに……!」

 

大井は何度も、俺を蹴り上げた。

 

「この男が……! この男が! この男が!」

 

その足を止めてくれたのは、武蔵であった。

 

「武……蔵……」

 

「鹿島から聞いてきたのだ……。大井……貴様……自分が何をしているのか、分かっているのか……?」

 

「武蔵さん……。元はと言えば、この男が悪いんですよ……? 嫌がる敷波に、付きまとったりして……」

 

「だとしても、ここまでする必要はないはずだ。これは貴様の私怨からくるものだ……違うか……?」

 

大井は何やら退屈そうな表情を見せ、足を降ろしてくれた。

 

「そうやって、人の味方をするのですね……。結局、貴女も北上さんと変わらない……」

 

「北上は、私達よりもはるかに強い心を持っていただけだ……。死を恐れる、臆病な貴様とは違う……」

 

「貴女だって私と同じでしょう……? 駆逐艦を守るだなんて言って、本当に守られているのは貴女自身……。私よりも質が悪いわ……」

 

「――全く以てその通りだ。だが、私はこの男に会って、変わったのだ。そして、『生きる』目的を見つけたのだ……」

 

両者、一歩も譲らず、睨み合いが続いた。

駆逐艦たちは皆で固まり、怯えていた。

 

「待ってくれ……」

 

激痛に耐えながらも、俺は明石の肩を借りて立ち上がった。

 

「元はと言えば、俺が悪いんだ……。駆逐艦を怯えさせてしまった……」

 

「提督よ……」

 

「悪かったな、皆。場を乱してしまって……。引き続き、芋ほりを続けてくれ……。俺は去るからさ」

 

「もう二度と来ないで……」

 

「大井……!」

 

「武蔵、いいんだ。それよりも、鹿島と大淀が居ないんだ。皆の事を頼んだぜ」

 

「提督……」

 

「明石、悪いが、家まで連れて行ってくれないか?」

 

「は、はい! しっかり……」

 

去る途中、敷波と目が合った。

 

「悪かったな……。怖がらせてしまって……」

 

敷波がどんな表情を見せたのか確認することなく、俺は明石に連れられて、家へと戻った。

 

 

 

「これでよし……」

 

「ありがとう、明石」

 

いつだったかの鳳翔と同じように、少し大げさに応急処置をしてくれた。

 

「いえ……これくらいの事しかできませんが……。それよりも、早く本土に戻ってください……。精密な検査が必要です……」

 

「大げさだ。これくらいじゃ、人間は死なん」

 

「でも……!」

 

明石は今にも泣きだしそうな顔を見せていた。

 

「本当に大丈夫だ。だから、そんな顔するな」

 

「提督ぅ……うぅぅ……心配しましたぁ……」

 

明石はとうとう泣き出してしまった。

 

「大丈夫だって。元はと言えば、俺が悪いんだし……自業自得だ」

 

「でも、提案したのは私です……。うぅぅ……」

 

泣く明石を慰めてやっていると、今度は夕張と鹿島、鳳翔がとんできた。

 

「何やってんのよ……。もう……」

 

「悪い。しくじってしまった」

 

「全く……心配させないでよね……。うぅぅ……」

 

夕張もまた、明石の様に泣き出した。

本当、似た者同士だよな、お前たちは。

 

「鹿島、大淀の様子はどうだ?」

 

「血を見ていないので、大丈夫です。提督さんの事を心配していましたが、今はお会いしない方がいいと……」

 

「そうだな。ところどころ切ってしまっているし、しばらくは会わない方がいいかもな」

 

「それじゃあ、しばらく寮には……」

 

「あぁ、行けないだろうな」

 

誰よりも残念がっていたのは、鳳翔であった。

 

「悪いな、鳳翔。せっかく給仕をお願いしていたのに」

 

「いえ、静養の方が大事ですから……」

 

「俺も、大淀に会えないだけで、元気ではあるからさ。また顔出してくれよな」

 

「そうですね。お食事など、お持ちいたします」

 

「あぁ、頼んだぜ」

 

そう言ってやると、鳳翔は微笑んでくれた。

 

「皆も、悪かったな。せっかく寮に受け入れてくれたのに……」

 

「いえ……そんなことよりも、お体を大事にしてください……」

 

「そうよ……。いつも無茶ばかりして……」

 

「まあ、今回のは無茶ではないのだが……。それでも、いつだって心配かけっぱなしだったしな……。今回ばかりは、少し大人しくさせてもらうとするよ」

 

そう言って、俺はその場に寝転がった。

 

「心配かけた。俺は少し、眠るとするよ……。朝っぱらから、武蔵の相手をしたんでな……。眠気が来ちまった……」

 

赤面したのは、明石であった。

夕張から、真相を聞いているのだろうな。

 

「お布団をお持ちするので、ちゃんとそちらで寝てください」

 

「あぁ、ありがとう」

 

「もっと体を大事にしてよね……」

 

「あぁ、悪かったよ。夕張」

 

鳳翔が布団を用意してくれている間、皆は俺を労わる言葉をかけてくれた。

思えば、この島に来た時は、こんなに温かい言葉をかけられるなんて、思ってもみなかった。

それが、今では――。

安心した気持ちを持った時、ふと、視界に閃光の靄――太陽を見た後の残光のようなものが、現れ始めた。

強い光を見た訳ではないのだが……。

 

「提督さん? いかがされました?」

 

「いや……疲れているのか……。何だか視界が悪いんだ……」

 

「でしたら、早めにお休みされた方が宜しいかと……」

 

鳳翔が敷いてくれた布団に入ると、何だか一気に眠気が襲ってきた。

 

「悪いな……」

 

「いえ、しっかりお休みください……」

 

「まだまだやることはたくさんあるんだから、しっかり休んでよね……」

 

「あぁ……」

 

皆が心配そうに見つめる中、俺の瞼はゆっくりと閉じ、そのまま眠りについた。

 

 

 

2,3,5,7,11――

1,2,6,24,120――

1,2,4,5,10,11,20,22,44,55,110――

1,2,4,71,142――

 

頭の中で数字が暴れている。

いつまでもいつまでも――。

何処までも何処までも――。

 

3.1415926535897932――

2.7182818284590452――

 

 

 

「はっ……!」

 

悪夢に目が覚める。

 

「夢か……」

 

眠る間に視界を支配していたあの残光は、いつの間にか晴れていた。

時計を見ると、眠ってからそんなに時間は経っていなかった。

 

「うっ……!?」

 

目に汗が入り込んだ。

 

「……汗?」

 

額を拭うと、大量の汗をかいていることに気が付いた。

 

「なんだ……こりゃ……」

 

季節は秋。

少し肌寒い気温のはずであるのにもかかわらず、この汗の量は……。

 

「あ……」

 

縁側の方から、誰かが声を漏らした。

起き上がり、見てみると――。

 

「敷波……?」

 

その瞬間であった。

 

「痛っ……!」

 

突如、激しい頭痛に襲われた。

何度も何度も脳髄を叩かれるような、そんな痛みだ。

 

「う……ぐぅぅ……!」

 

あまりの痛みに、思わず床に伏せる。

 

「し、司令官!? どうしたの!? 大丈夫!?」

 

駆け寄る敷波。

『司令官』と呼んでくれたことに喜ぶ暇なんてないくらい、徐々に痛みが増してゆく。

 

「頭が……痛い……! 割れるようだ……う……」

 

吐き気を催し、俺はたまらずその場で嘔吐した。

 

「た、大変……! アタシ、誰か呼んでくる……! 待っててね……!」

 

去って行く敷波。

 

「はぁ……はぁ……」

 

立ち上がり、何とか本部との連絡を取ろうと歩みを進めると、今度は眩暈がしてきて、俺の視界は、モヤモヤとした霧に包まれ始めた。

 

「くそっ……なんだ……これは……」

 

靄が完全に視界を支配したのを最後に、俺はその場に倒れ込んだ。

薄れゆく意識の中で、俺は『死』を感じていた。

走馬灯は見えない。

ただ、ゆっくりと近づいてくる『死』に、身を委ねるだけである。

 

「嗚呼……そうか……」

 

『あの時』、どうしてあんなにも穏やかな顔をしていたのか、今になって分かった。

後悔だとか、絶望だとか、そう言ったものは、ここにはないのだ。

ただ在るが故に、在る幸福。

それしか、ここにはないのだ。

 

「母さん……」

 

貴女も、そうして死んでいったのだろうか。

そうであったのなら、俺は――。

 

遠くで誰かが、俺を呼んでいる。

それが誰だが分からないまま、俺は意識を失った。

 

――続く



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7話

最初は、なんてことないただの男だと思っていた。

あたしは基本的に、人が出向してきても拒むことはしないから、いつも通り振る舞っていたけれど、大井っちは違った。

 

「全く……何なのよあいつ……。いきなり北上さんに馴れ馴れしくして……」

 

「まぁまぁ、あたしは別に構わないよ」

 

「北上さんは甘すぎます! ああいう輩に優しくするから、勘違いしてセクハラまがいな事をしてくるんです!」

 

「でも、駆逐艦にも人気みたいだし、あたし的には助かってるけどねー。駆逐艦が寄って来なくなるから」

 

「北上さん!」

 

「冗談冗談。まあ、悪いやつなら、またその内にいなくなるっしょ。時間は無限にあるし、ゆっくり待ちましょうや」

 

「そうですけど……。まぁ……北上さんがそれでいいのなら……」

 

大井っちが人を拒むのは、いつもの事だった。

その理由を大井っちは『北上さんと私との時間を奪おうとしてくるから』っていつも言っていたけれど、それが本心なのかは、実のところ分からない。

あたし自身、別にどっちでも良かったし、大井っちも多くを語ろうとはしなかった。

――思えば、大井っちと本音でぶつかった事なんて、一度も無かったように思う。

だから、どうして大井っちがあの島に留まるのか、明確な理由は未だに分からないでいる。

 

 

 

佐久間肇は――『提督』は、今までの人と違って、良くも悪くも面白い人だった。

あの山城さんを部屋から引っ張り出したのもそうだけれど、娶りなんかにも全く興味が無くて――『男』を見せる事が一度も無かった。

それでも、彼に惚れてしまう艦娘は多くて――駆逐艦から戦艦まで、彼に夢中だった。

 

「相変わらずモテますなぁ」

 

「他の男を知らんだけだろう。こういった閉鎖的な空間では、俺のような男でも、魅力的に映るもんだ」

 

「そうやって肩透かしばかりして、いつか刺されても知らないよー?」

 

「その時は守ってくれよ。ほら、饅頭やるからさ」

 

「あたし、そんな安い女じゃないんだけどなー」

 

「ったく……。分かったよ。ほら、俺の分もやるから」

 

「へへへ、まいどー。じゃあ、スーパー北上さまが、今日一日護衛しますねー」

 

「一日だけかよ」

 

提督はあたしに対して、友達のように接してくれた。

あたしもその方が気楽でいいと思っていたし――多分、提督はそれを察してくれていたんだと思う。

そんな関係を大井っちは良く思っていなくて、何かとつけてあたしと提督の邪魔をしていた。

 

「大井っちも強情だねぇ。どうしてそんなに提督を嫌うのさ?」

 

「私から北上さんを奪うからです!」

 

「そんなことないよー。大井っちと居る時間の方が長いし」

 

「その分の時間も私と居て欲しいんです!」

 

「我が儘だなぁ。大井っちは」

 

そんな事もありながら、あたしたちは島での生活を謳歌していた。

島を出る艦娘もいたりして、色々大変な事も多かったけれど、大井っちや提督が居れば、あたしはそれで満足だった。

そう、あの嵐が来るまでは――。

 

 

 

提督が亡くなったことによって、あたし達は今後の事を考えざるを得なくなった。

以前の様に、出向してくる人間を待って、また新しい生活を始める――なんてことは、あたし達にはもうできないことだった。

それほどに、佐久間肇という存在は大きかったし、今後、同じような人が現れるなんて、絶対にありえないと思った。

 

「阿武隈が島を出る決心を固めたみたいです……。何でも、あの男の遺志を継ぎたいのだとか……」

 

「あいつ、提督の事が好きだったしねー」

 

「……北上さんは、今後、どうされるのですか?」

 

「んーそうだねぇ……。大井っちに任せるよ。大井っちが居るのなら、あたしはどこでもいいかなって」

 

「北上さん……」

 

「ってことで、あとはよろしくー」

 

「あ、北上さん!」

 

佐久間肇が亡くなったことは、確かにショックではあった。

けれど、なんだか悲しくなくて――まだ提督がどこかで生きていて、ひょっこり現れるように思えて――。

 

「どうしちゃったんだろう。あたし」

 

 

 

提督の居ない日々が続く。

何か足りないって感じはいつまでも付きまとうけれど、やっぱり、皆と同じように悲しむことは出来なかった。

 

「お邪魔しまーす」

 

執務室には、やはりまだ、提督の私物が置かれていた。

 

「んー……」

 

こうして畳に伏せていると、今にもあの扉から、提督が顔を出してきそうな気がする。

そんなことは、決してないのに――。

 

「みんな悲しんでいるよ。本当、モテモテだねぇ」

 

『お前は悲しんでくれないのか?』

 

「悲しんで欲しい?」

 

『いや、そうやってニヤニヤしている方が、お前らしい』

 

「やっぱり?」

 

そんな会話も、想像に容易い。

提督はもういないけれど、提督の心は、ずっとここにある。

そんな気がした。

 

 

 

ある日、執務室が蛻の殻になった。

香取さん曰く、新しい『提督』の為に、部屋を空けるのだとか。

提督の遺品は全て、海軍に回収されたらしい。

 

「なーんにも無くなっちゃったねぇ」

 

畳に寝転がって、いつものように独り言をつぶやく。

けれども、想像の中の提督は、何も言わずにいるようであった。

 

「どしたー? もしかして、新しい『提督』が来ると聞いて、ムッとしてる? 自分に惚れていた艦娘が、新しい『提督』を好きになっちゃうかもって、不安だったりー?」

 

どんなに茶化して見せようが、提督は応えてくれない。

 

「あれ、もしかして図星だった? あはは、提督って、案外かわいいところあるんだねー」

 

提督は応えてくれない。

 

「まあ、ほら、提督はもう死んじゃってる訳じゃん? だから、仕方ないよ。そうだ。幽霊だったら、女湯覗けるじゃん。陸奥さんとか、すっごいんだー。きっと提督も、死んでよかったーって、思うはずだよー」

 

提督の声は聞こえない。

 

「だからさ、もっと明るくいこうよ。いつまでも黙ってないでさ」

 

提督の声が聞こえない。

 

「ねぇ、提督」

 

提督はもういない。

 

「ねぇ……ねぇってば……」

 

提督はもういない。

 

「返事してよ……。ねぇって……」

 

提督は――。

 

「提督……」

 

あの日――提督がいなくなったあの日に流す筈だった涙が、一気にあふれ出す。

嗚呼、そうか。

悲しくなかったわけじゃないんだ。

平気だったわけじゃないんだ。

ただ、認めていなかっただけなんだ。

提督が居なくなったことを――もう二度と、会えないことを――。

 

 

 

失って、初めて気が付くことはたくさんある。

提督の言葉、提督の気持ち、提督の表情――。

普段から何気なく受け止めていたそれら全ては、あたしにとってとても大切なものだったんだって。

そして、あたしが抱いていた、提督に対する気持ちもまた――。

だからこそ、あたしは――。

 

 

 

「北上さん」

 

あたしは大井っちを『あの場所』へと呼び出した。

 

「どうしたんです? こんな場所に呼び出して」

 

「ごめんね。どうしても、大井っちと二人っきりで話がしたくてさ……」

 

あたしの真剣な態度に、大井っちは何かを察したようで、表情を固めた。

 

「ほら、前にさ、今後の事について、話したじゃん? 大井っちがどうするか、まだ聞いて無かったからさ……」

 

「……どうして今更、そんな事を?」

 

「うん……。なんていうかさ、任せっきりなのも悪いと思って、あたしなりに色々考えてみたんだよね。けど、大井っちがどうなのか、まだ聞いて無かったから……」

 

「北上さんなりに……ですか……」

 

「あたしは、大井っちと一緒なら、どんなことでも乗り切れるって、本気で思ってる。もっと言えば、大井っちとじゃなきゃ、駄目だと思ってる。だからこそ、大井っちの気持ちを知っておきたいんだ。きっとそれは、大井っちも同じなんじゃないかな……?」

 

大井っちは何も言わなかったけれど、それが答えだって、あたしは知っていた。

 

「……正直に言うとさ、あたしは、この島を出たいと思ってる。外に行けば、阿武隈や姉さんたちもいるし、大井っちが嫌がってる『提督』にお世話になることもないじゃん……? ずっと、のんびり暮らしていけばいいなんて思っていたけれど、そろそろあたしたちも、『生きる』ことを選択しても、いいんじゃないかなって……」

 

静かな海の向こうで、誰かが笑っているような声が聞こえた気がした。

きっと、それは――。

 

「大井っちは、どう思って――」

 

そう言って大井っちを見ると――。

あたしは、その表情を――けれど、それが自分自身に向けられたことは、今まで一度も無かった。

向けられるはずがないと、思っていた。

 

「大井――」

「――あの男の所為ですか?」

 

初めて大井っちから向けられる『敵意』に、あたしは足が竦みそうになった。

けれど、耐えることが出来たのは、向けられた『敵意』が、あたし自身ではなく、その影にいる提督に向けられているのだと、分かったからだ。

 

「……大井っちは、どうしてそこまで提督を嫌うのさ?」

 

「否定はしないんですね……。あの男に影響されたのだという事は……」

 

「うん……否定しないよ……。でも、提督が言ったから島を出るんじゃない。提督は、島を出ることを強要しなかった。むしろ、島に残ることも一つの『生き方』だって、いつも言っていた……」

 

「だったら……」

 

「それでも、あたしは『生きたい』。限りある命の中で、精一杯もがいてみたい。提督がそうしたように、あたしも――!」

 

大井っちは、深く目を瞑ると、しばらく黙り込んでしまった。

そして、何かを決心したかのように目を開くと、あたしの瞳を真っすぐ見つめ、力強く言った。

 

「私は島に残ります」

 

「大井っち……!」

 

「残ってくれとは言いません……。本当に色々考えた結果なんだと思いますから……」

 

「……どうして? どうしてそこまでして、提督を否定しようとするのさ……?」

 

大井っちは答えない。

 

「提督の事が嫌いなのは分かるけど……大井っちは本当にそれでいいと思ってるの……? あたし達、何をするにも一緒だったじゃん……! 提督が嫌いだって事だけで、離れ離れになるのは嫌だよ……!」

 

「……離れ離れになるのが嫌なら、島に残ればいいじゃないですか」

 

「それは……」

 

「私は……島を出るくらいなら、北上さんとお別れする道を選びます……。北上さんだって、私が島を出なくても、一人で生きていくつもりなんじゃないですか……?」

 

今度はあたしが答えなかった。

――いや、答えられなかった。

正直、大井っちはあたしとは離れられないはずだって思っていたし、そこまでして提督を否定するとは――。

 

「いつか、あたしたちは必ず、この島を出なきゃいけない時が来る……。その時、大井っちは後悔しないって、はっきり言えるの……? 大井っちがこの島を出る時、あたしはもう、この世にいないかもしれないんだよ……? それでもいいの……?」

 

大井っちの鋭い目が、『あたしを』睨み付けた。

 

「自惚れないでください……。確かに私は、北上さんが好きだった……。でもそれは、あの男なんかに毒される前の北上さんの事なんです。今の貴女は、私の知る北上さんじゃない……。私の好きだった北上さんは、もう死んだんです……」

 

「そんな……」

 

「どこへでも好きなところへ行ったらいいです……。私は、この島に残ります……」

 

立ち尽くすあたしに構うことなく、大井っちは冷たい風を切りながら、すれ違っていった。

 

「大井っち! あたし、待ってるから! 必ず来てくれるって、信じてるからね!」

 

あたしは、島を出る直前まで、大井っちを説得した。

けれど、やっぱり決意は固いようで――最後は、さよならを言う事も出来ないまま、別れることになった。

 

「大井っち……」

 

あたしはやっぱり信じられない。

提督が嫌いだってだけで、否定したいってだけで、あそこまで強情になるなんて――。

けれど、それを確かめる術は、あたしにはもう無い。

だから、あたしはただひたすら待っているんだ。

大井っちが、本当の事を話してくれる日を――『生きる』事を選択してくれる、その日を――ずっと――。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました」

 

医務室を出ると、山風と北上さんが駆け寄って来た。

 

「どうだった……?」

 

「ただの片頭痛だったよ。難しいことは分からんが、ストレスを抱えた後にホッとしたりすると、収縮した血管が拡張して、起こるらしいんだ」

 

「それって、大丈夫なの……?」

 

「一応な。どっちかって言うと、健康面を心配されたよ。もっと飯を食えってさ」

 

山風は安心したのか、ぽろぽろと涙を流した。

 

「良かったぁ……うぅぅ……」

 

「心配かけたな」

 

山風を慰めていると、北上さんは俺の腕を掴んで、巻かれている包帯をじっと見つめた。

 

「大井っちにやられたんだね……」

 

「えぇ……。でも、俺が悪いんです。こうなって当然です」

 

北上さんは悔やむように俯くと、黙り込んでしまった。

 

「北上さん……」

 

「ごめんね……。あたしが……お願いしたばっかりに……」

 

「それは違います。遅かれ早かれ、こうなることは決まっていたんです。北上さんに頼まれなくても、俺は大井に絡みに行っていました。そしてきっと、同じようにぶっ飛ばされてますよ」

 

「でも……」

 

「やめろと言われても、俺はやりますよ。何度ぶっ飛ばされようと、俺は必ず、大井を島から出して見せます。そうじゃなくても、必ず大井の本心を暴いてやりますよ」

 

「雨宮君……」

 

「だから、俺を信じて待っていてください」

 

そう言って笑って見せると、北上さんは驚いた表情をした後、優しい目を俺に向けた。

 

「うん……。分かった。待ってるよ。だから、無理はしないでね?」

 

「えぇ」

 

「大井っちを……よろしくね……」

 

そして北上さんは、小さく――だが、はっきりと聞こえる様に言った。

 

「提督――」

 

 

 

心配する重さんの反対を押し切り、俺はすぐに島へと戻った。

 

「ったく……。いいか? 無理だけはすんなよ?」

 

「悪かったよ、重さん」

 

「悪いと思ってんなら、素直に俺の言う事を聞いておけってんだ」

 

重さんを見送り、寮へと向かおうとすると、門の方から明石と夕張が飛び出してきた。

 

「提督……!」

 

「明石、夕張」

 

「もう戻って来たの!? 大丈夫なの!?」

 

「あぁ、問題ない。ちょっとした頭痛だ」

 

「あんなに苦しんでて、ちょっとした頭痛な訳ないじゃないですか……!」

 

頭痛が起きた時、敷波が呼んできてくれた艦娘は、何故か明石であった。

明石なら治せるとでも思ったのか、それとも――。

 

「まあ、詳しくは後で話す。とにかく、大丈夫なんだ。今はとりあえず、皆が不安がっているだろうから、早々に寮へ向かいたい」

 

「……分かりました。とりあえず、荷物は預かりますね。怪我をしているんですから、無理しないでください……」

 

「あぁ、すまんな」

 

ふと、夕張に目を向ける。

心配しているような、怒っているような――色々な感情が混ざり合った表情をしながら、俺を支えてくれた。

 

 

 

寮に入ると、案の定、いつものメンバーが集まって来た。

 

「心配かけたな」

 

とりあえず事情を説明してやると、分かってんだか分かってないんだか――とにかく大丈夫だと伝えてやっても、皆は何かと不安がって、何をするにも大げさに介抱しようと努めていた。

 

「提督さん、その……おトイレに行くときは、仰ってくださいね……。鹿島がサポートいたしますから……」

 

「んなもん要るか……」

 

 

 

過剰な介抱も却って体に障ると大淀が言ってくれたおかげで、俺はようやく解放された。

 

「ありがとう。お陰で助かった」

 

「いえ」

 

「しかし、なんだってあんなに大げさなんだ」

 

「皆さん、よく分かっていないんですよ。自分たちは丈夫だけれど、人間はどうなんだろうって。親になりたての大人が、子供のちょっとした怪我などで大騒ぎするなんて話、よくあるじゃないですか。それと同じなんですよ」

 

「俺は子供ってか」

 

「まあ、年齢で言えば、おばあちゃんと孫……いえ、それ以上かもしれませんからね」

 

そう言うと、大淀は小さく笑って見せた。

 

「でも、雨宮さんも悪いんですよ。そんなに大げさに、包帯やら絆創膏をしているものですから。皆さんが心配するのも当然です」

 

「お前の為なんだぜ。こうでもしなけりゃ、傷口が隠れないんだよ。また血を見て倒れられても困るからな」

 

そう言ってやると、大淀は不意に俺の頬に貼られていた絆創膏をはがした。

 

「お、おい……」

 

「これくらいなら平気です。あの時は、流血していたからで……」

 

『血』ではなく、『流血』か……。

すると、佐久間肇が死んだ状況ってのは――。

 

「ん……」

 

大淀の細い手が、俺の頬にある傷を撫でた。

 

「大淀?」

 

「いつ見ても不思議です……。『修理』もしていないのに、傷がふさがっているなんて……」

 

そういや、艦娘はそうだったな。

しばらく観察に付き合ってやっていると、我に返ったのか、大淀は顔を赤くして、手を引いた。

 

「ご、ごめんなさい……。つい……」

 

「いや、構わんぜ」

 

永い沈黙が続く。

 

「雨宮さんは……」

 

「ん?」

 

「雨宮さんは……怖くないんですか……? そうやって傷ついて……いつか死んでしまうんじゃないかって……」

 

「まあ、これくらいじゃ死なんしな」

 

「でも、もしかしたらってこともあるじゃないですか……」

 

大淀は不安そうに俯くと、何かを思い出すかのようにして、目を瞑った。

 

「なんだ、心配してくれてんのか?」

 

大淀は答えなかった。

その意味が――その優しさが、俺には痛いほど伝わっていた。

 

「――お前が俺に、佐久間肇の影を見ているのは知っているんだ。そう気を遣って貰わんでいい。むしろ、正直に話したらどうなんだ」

 

大淀は顔をあげると、小さく笑った。

 

「そうやって、私の事を見通すところも、あの人にそっくり……」

 

そして、俺の手をとると、小さく言った。

 

「この手には、あの人と同じ血が通っている……。だから――」

 

その先を大淀は言わなかった。

それが答えだった。

 

「お前の気持ちは分かる。それを尊重したいって気持ちも、一応、俺にはあるんだ」

 

「でしたら……」

 

「だが、命をかけなければ、伝わらないこともある。俺は命を粗末にしているんじゃない。『生きる』って事は、ただ命を繋ぐことではないんだ。『生きる』ってのは、命を張ってでも、自分にとって大事なものを見つけ、守り抜くことなんだ」

 

「命を張ってでも……守り抜くこと……」

 

「それがどんなことでも構わない。家族や恋人、友人――自分のプライドでもいい。とにかく、自分にとって、命よりも大事なものを見つけ、守る。それが、『生きる』ってことなんだ。俺はそれを言葉だけの理解じゃなくて、実感してほしいんだ」

 

「だから、貴方は……」

 

「俺は不器用だから、伝わっているか分からないし、こういうやり方しか出来ん。お前を不安にさせてしまうかもしれないけれど、これが俺なんだ」

 

再びの沈黙。

大淀は手を離すと、俺の目をじっと見つめた。

 

「だとしたら……貴方の『生きる』とは、なんですか……?」

 

「え?」

 

「並大抵の決意ではないはずです……この島に来ようなんて……。ましてや、『娶り』等ではなく、艦娘全員を島から出すなんて、一体、何年かかるか……」

 

大淀の目が、追及の色を見せ始めた。

 

「貴方はこの島で『生きる』ことを決めた……。どうしてですか……? 貴方の本当の目的は何です……?」

 

「目的などない。俺はただ――」

「――知りたいんです!」

 

大淀の目が、はっきりと――そう、『俺』を見ていた。

 

「佐久間さんではない……貴方を知りたいんです……」

 

「大淀……」

 

「貴方は私に向き合ってくれました……。佐久間さんの事を誰よりも強く想っている、この私に……。以前も言った通り、貴方がそうするのなら、私も前に進もうと思っているんです……。でも……貴方はいつだって、寄り添ってはくれるけれど、自分の事を隠したまま……。私から寄り添っていこうにも、逃げて行ってしまう……」

 

潤むその瞳に、俺は心を打たれた。

 

「雨宮さん……」

 

永い、永い、静寂が続く。

時計の秒針が、煩いほどに――。

 

「――お前がそこまで寄り添おうとしてくれてるなんて、思ってもみなかった」

 

「私も驚いています……。けど、それほどに、貴方は――」

 

「――分かった。話そう。俺が何故、この島に来たのかを……」

 

大淀の目が、『俺』を見つめる。

その目は、きっと――。

 

「俺は――」

 

コンコン――。

その音に、俺も大淀も、心臓が飛び出るほどに驚いた。

 

「提督さん、鹿島です」

 

「お、おう。どうぞ」

 

思わず通してしまった。

 

「失礼しま……す……」

 

鹿島は部屋に入るなり、ただならぬ空気を感じ取ったのか、固まった。

 

「えと……お取込み中……でしたか……?」

 

俺が返事をするより先に、大淀が動いた。

 

「では、そう言う事で、よろしくお願いいたしますね」

 

大淀は目配せをすると、鹿島に挨拶し、部屋を出て行った。

 

「えと……大丈夫ですか?」

 

「え? あ、あぁ……。どうした? 何か用事か?」

 

「はい。実は、どうしても提督さんにご挨拶したいという子が居まして」

 

「ご挨拶?」

 

「敷波ちゃん」

 

鹿島の呼びかけに、敷波は恐る恐る部屋に入って来た。

 

「敷波」

 

恥ずかしいのか、スカートの裾をぎゅっと握ったまま、俯いている。

 

「どうした? 挨拶なんて」

 

敷波はやはり黙ったまま、俯いている。

鹿島に目配せをするが、返ってくるのは困った表情だけであった。

 

「……そういや、助かったよ。お前が明石に伝えてくれなかったら、俺は今頃駄目だったかもしれん。ありがとな」

 

そう言って、笑って見せる。

大抵の奴は、謙遜するなりなんなりで返してくるはず――とにかく、相手が何かを話し出すきっかけをつくったつもりであった。

――が、敷波の反応は、俺の思ったものとは違った。

 

「ご……」

 

「ご?」

 

「ご……さい……」

 

「え?」

 

「ごめんなっ……さいっ……。アタ……アタシの……せいでっ……う……うぅぅぅ……! うぁぁぁぁん……!」

 

今まで何度か、艦娘が涙するのを見て来たが、敷波の涙は、まるで子供の大泣きで――いや、子供ではあるのだろうけれど、しかしこれは……。

 

「お、おいおい……」

 

「敷波ちゃん!?」

 

俺も鹿島も、なぜ敷波が泣き出したのか分からず――とにかく、必死で宥めようと試みるが、敷波はいつまでいつまでも泣き続けた。

 

 

 

結局、宥めることはかなわず、疲れたのか、敷波は自然と泣き止んだ。

 

「敷波ちゃん……大丈夫……?」

 

敷波は小さく頷くと、ごしごしと目を擦った。

 

「あまり擦ると、赤くなるぜ。ほら」

 

ハンカチを渡してやると、小さく「ありがとう」と言って、再び俯いてしまった。

 

「……お前が何を謝っているのか、なんとなく見当はついたぜ。畑での事だろう?」

 

敷波は小さく頷くのみで、やはり顔をあげることはしなかった。

 

「お前の所為じゃない。俺が悪いんだ」

 

今度は首を横に振る敷波。

口で言えばいいものを忙しい奴だ。

 

「追い回していたのは事実だ。俺を見ていたから、交流するチャンスだと思ってな。結果として、あんな事になってしまった。だから、お前のせいではないよ」

 

敷波は、やはり首を横に振る。

何と言うか、案外強情な奴だな。

 

「……分かったよ。そこまで自分を責めたいのなら、勝手にしろ。だけど、それはお前の心の中に留めておけ。俺に謝るな。この件はもう終わったんだ」

 

「でも……」

 

「さ、この話題は終わりだ。鹿島、こいつの顔を洗ってやれ。涙でぐしゃぐしゃだ。俺はちょっと、家に戻る。急に出て行ったもんだから、色々やり残していることがあるんだった」

 

「え……? は、はい! しかし、お一人で大丈夫ですか?」

 

「心配ない。ちょっとしたことだから。じゃあ、頼んだぜ。敷波、またな」

 

俯く敷波の頭を撫でてやってから、俺は家へと向かった。

 

 

 

しばらく家でぼうっとしていると、案の定、敷波がやって来た。

 

「よう。やはり来たか」

 

そう言ってやると、敷波は驚いた顔を見せた。

 

「アタシが来ること……分かってたの……?」

 

「まあな。強情な奴に見えたから、きっと諦めも悪いのだと思ってな。それに、こうして二人っきりにならないと、話してくれないんじゃないかと思って」

 

「え……?」

 

「いや、多分、恥ずかしがり屋なんじゃないかと思ってな。違ったか?」

 

「ち、違うし……! 別に……恥ずかしがり屋とか……そんなんじゃ……」

 

何と言うか、分かりやすい奴だなと思った。

それでいて、夕張のような面倒くささというか――そういった何かを感じた。

まあ要するに、俺の専門分野ってやつだ。

 

「まあ座れよ。今度はちゃんと、言葉で聞かせてくれ。首を振るだけじゃなくてさ」

 

敷波は少しムッとした顔を見せたまま、縁側に座った。

 

 

 

チョコレートを渡してやると、敷波は素直にそれを受け取り、頬張って見せた。

 

「好きなのか? チョコレート」

 

敷波は顔を赤くして、小さく頷いた。

その仕草に、俺はふと、可愛げのあるやつだなと思ってしまった。

皐月や卯月、響――そのどれとも違う可愛らしさがあるというか……。

 

「な、なに……? アタシの顔に、何かついてる……?」

 

「ん、いや……。美味そうに食うもんだなと思ってな」

 

「そ、そう……」

 

再び顔を赤くする敷波。

何て言うか、思春期の小娘って感じだ。

思えば、こういったタイプの駆逐艦と接するのは、初めてかもしれない。

 

「あの……」

 

「ん?」

 

「アタシ……やっぱり……どうしても謝りたくて……」

 

「んー……。さっき言った通り、俺が悪いんだがな。どうしても自分のせいにしたいのか?」

 

「……アタシが悪いの。アタシ、本当は……その……し、司令……官……が気になってて……」

 

司令官と呼んでくれるのだな。

 

「俺が?」

 

「うん……。だけど、恥ずかしくて……。畑の時も、司令官が話しかけようとしてくれてたことは知っていたし、嬉しいと思ったけど……」

 

手を揉む敷波。

なるほど、そう言う事か……。

 

「つまりお前は、恥ずかしがらずに俺と接していれば、大井にあんなことをさせずに済んだのにって、思っているのか」

 

敷波は頷くと、悔やむように俯いた。

 

「なんだ、そんな事か」

 

「そんなことって……!」

 

「遅かれ早かれ、俺と大井はああなっていたんだ。それがたまたま、お前を絡めてしまっただけだ。俺の方こそ、そんな思いをさせてしまって、悪かったな」

 

「司令官……」

 

「この話はこれでおしまいだ。それが嫌なら、チョコレート、返してもらうぜ」

 

そう言って、既に半分以上無くなっている板チョコを指してやった。

 

「そ、そんなつもりで貰ってない!」

 

「でも、食ったのは事実だぜ。この島では、そういった甘いもんは貴重なんだろ? そんなものを俺がタダでやるとでも?」

 

敷波は再び顔を赤くさせた。

だがそれは、先ほどとは違い、しっかりと怒りを含んでいた。

その顔を見て、俺は――。

 

「可愛い奴だな、お前」

 

「なっ……! か、かわいくない! うぅ……もう……! いじわる……ばか……」

 

そして、再び――。

本当、表情をコロコロと変えて、忙しい奴だ。

 

 

 

寮に戻るまでの間、敷波は頻りに、まるで猫のように、ベシベシと俺を叩き続けた。

 

「お帰りなさい。あら? いつの間に仲良くなったのですか?」

 

「鹿島。あぁ、そうなんだよ」

 

ふと敷波を見ると、攻撃をやめ、まるで自分の事じゃないとでも言うように、そっぽを向いて寮へと帰っていった。

 

「俺だけだったかな。そう思っていたのは」

 

「ウフフ。私には分かりますよ。敷波ちゃん、ああいう子なんです。素直じゃないというか」

 

「なるほど。可愛いやつじゃないか。なんていうか、構ってやりたくなるような」

 

そう言って、敷波の背中を見送っていると、鹿島は下から覗き込むように、俺を見つめた。

 

「なんだよ?」

 

「提督さんのそんな顔、初めて見ました。提督さんってもしかして、ロリコンなんですか……?」

 

「んなわけあるか。可愛いって言っても、猫に抱くような「可愛い」だ」

 

「じゃあ、異性に対しては、どんな「可愛い」を抱くのですか?」

 

鹿島は興味津々だとでも言うように、俺に迫った。

 

「……さぁな」

 

「あ、逃げた! 待ってください! 提督さん!」

 

 

 

執務室に戻ると、夕張と明石、響がくつろいでいた。

 

「司令官……! 何処に行っていたんだい……!? 心配したよ……!」

 

怪我の事なんて忘れているかのようにして、響は俺に飛びついた。

 

「ぐえ……オイオイ、大げさだな。ただ用事があって、家に行っていただけだ」

 

「提督! そう言った用事は、私たちにお任せください! 傷口が開いたら、どうするんですか!?」

 

「そんなデカい傷はないよ」

 

「それでも、心配しちゃうんだから、少しは大人しくしててよ……」

 

『皆さん、よく分かっていないんですよ。自分たちは丈夫だけれど、人間はどうなんだろうって』

大淀の言葉が、思いだされる。

まあ、そうだよな。

心配しちゃうよな。

 

「あぁ、そうだな。悪かったよ」

 

大人しく座って見せると、三隻は安心したのか、同じように座った。

響はいつものように膝の上に座るが、どこか得意げな顔を見せていた。

動かない様に見張っている、とでも言いたいのかな。

 

「そういや、大井はどうした? 本土から戻ってから、一度も見かけていないが」

 

「提督が戻ってから、ずっと部屋にいるみたいです。やっぱり、流石の大井さんでも、罪悪感があるんじゃないですか?」

 

「どうかな。まあ、飯時になったら会えるだろう」

 

「会ってどうするつもりなのよ……?」

 

夕張の厳しい目が、俺を見つめていた。

 

「少し話をするだけだ。怖いことはしないよ」

 

「話すだけって言っても……! ねぇ……もうやめてよ……。あんなことがあったのに、どうしてよ……」

 

「大丈夫だ。お前の想像していることにはならないよ。ちゃんと秘策もあるんだ」

 

そう言っても、夕張は納得していないのか、険しい表情を見せていた。

 

「そう言って、結局怪我して帰って来たのはどこの誰よ……! 貴方はいつもそうじゃない……。一人で頑張って……怪我して……。少しは……心配する人の気持ちになったらどうなのよ……」

 

夕張は涙ぐむと、それを隠すかのようにして、部屋を出て行ってしまった。

 

「あ、おい夕張! ……行ってしまった」

 

「提督……」

 

「……やっちまった。心配してくれているのは、分かっているんだが……」

 

「夕張も、頭では分かっているんだと思います……。提督は大丈夫だって……。でも、本気でそれを信じることが出来るほど、夕張は――私だって、貴方を理解してないんです……」

 

「理解……か……」

 

「必死で理解しようにも、貴方はいつも遠くに居て……私たちを寄せ付けず、一人で戦い続ける……。それがもどかしくて――想えば想うほど、苦しくなって――……」

 

明石は言葉を切ると、仕切りなおすように、一呼吸置いた。

 

「夕張もきっと、同じ気持ちなんだと思います……。ですから、そう急がないでください……。私たちに、貴方を理解する時間をください……」

 

「明石……」

 

明石のお願いに、俺は自分の軽率な行動を悔いた。

 

「……悪かった。お前たちの気持ちを無下にしていた……。しばらくは、本当に大人しくしているよ。夕張にも、あとで謝っておく……」

 

「提督……」

 

「……駄目だな、俺は。思えば、ずっと心配してくれていたのにな……。俺を信じてついてきてくれたのに、それを裏切ることばかりしてきた……」

 

明石は何も言わず、俯くだけであった。

 

「司令官」

 

響は唐突に、俺の頬にキスをした。

 

「響……?」

 

「笑顔になるおまじないだよ。難しいことは分からないけれど、司令官には笑っていてほしいんだ。きっと、皆もそう思ってる」

 

明石も同じなのか、小さく頷いて見せた。

 

「そうか……。そりゃ、気が付かなかったな……」

 

笑顔で言ったつもりであったが、響は足りないと判断したようで、明石を見た。

 

「明石さんも、司令官にキスしてほしい」

 

「え!? そ、それは流石に……えと……」

 

明石はチラリと、俺を見た。

 

「してくれないのか?」

 

「し、していいんですか!? むしろ!?」

 

「フッ、冗談だよ」

 

自然と笑顔がこぼれる。

それが響の狙いなのかは分からないが、とにかく、ここ数日の焦りなどは、一気に吹き飛んだ。

 

「ありがとう響。お陰で元気になったよ」

 

「司令官」

 

「明石も、ありがとな。次はキスしてくれよな」

 

「からかわないでください! もう……」

 

拗ねる明石に、響は、その頬にキスをしてやっていた。

たまにはこうして、気を張らずに過ごすことも大事なのかもしれない。

そう思った。

 

 

 

夕飯時になり、食堂へ行ってみると、やはり大井は出て来ていた。

横目で俺を見ると、すぐにそっぽを向いてしまったが……。

 

「提督……」

 

「分かってるよ」

 

俺も同じように視線を外し、鳳翔の隣に座った。

 

「いつも悪いな。用意してもらって」

 

「いえ、好きでやっていることですから。それに……」

 

鳳翔は周りを確認すると、俺にしか聞こえないほどの小さな声で言った。

 

「こうしていれば、必ず提督が隣に座ってくれるじゃないですか。役得です。ふふ」

 

この前の告白から、鳳翔の行動一つ一つに策略が練り込まれている気がしてならない。

それほどに、鳳翔は地道に積み上げてゆくタイプであるし、事実、俺も意識せざるを得なくなっている。

 

「今度から自分でやろうかな。配膳」

 

「そういう意地悪も、何だか女として扱われている気がして、割と好きですよ」

 

無敵か。

そんな事を話していると、食堂に夕張が入って来た。

目が合うが、夕張はすぐに視線を外し、配膳へと向かった。

先ほどの事を謝罪しなければ。

そう思い、席を立とうとした時であった。

 

「こんばんは、司令官」

 

話しかけて来たのは、青葉であった。

その後ろには、陸奥もいる。

 

「ん、おう。青葉、陸奥」

 

「お食事、ご一緒してもよろしいですか?」

 

「あぁ、構わんぜ。ちょうど、向かいの席が空いてる」

 

そう言ってやると、青葉は唐突に、俺の飯を向かいの席の方へと持っていった。

 

「オイオイ、何してんだよ?」

 

「まぁまぁまぁまぁ……ちょっと立ってください」

 

「?」

 

素直に席を立ってやると、青葉は透かさず席を奪い取った。

 

「あ、おい!」

 

「正面が空いているじゃないですか。そちら、どうぞ」

 

青葉が退く気配もないので、俺は仕方なく向かいの席に座った。

 

「ったく、なんだってんだ……」

 

「陸奥さんも座ってください。司令官の隣、空いてますよ」

 

「う、うん……」

 

陸奥が俺の隣に座る。

青葉は何やら、満足気に頷いて見せた。

……なるほど、そう言う事か。

すると、芋掘りの時も――。

 

「いやぁ、それにしても、司令官と陸奥さんって、こうして並ぶと絵になりますねぇ」

 

そう言って、青葉は指でファインダーをつくり、覗いて見せた。

陸奥はと言うと、何やら恥ずかしそうに手を揉んでいる。

しかし青葉の奴、なんて露骨な……。

この前の陸奥の反応から、もしかして……とは思っていたが、青葉の行動でそれがはっきりと証明されたな……。

――まさか、その露骨さは策略なのか?

陸奥が俺の事をどう思っているのかを意識させるための……。

 

「鳳翔さんもそう思いますよね?」

 

「え、えぇ……そうですね……。とってもお似合いですね……」

 

鳳翔は困惑した表情で同意すると、横目で俺を見つめた。

そこにどんな感情が乗っけられているのかは分からないが、おそらくは――。

 

「それでは皆さん、集まりましたね」

 

大淀の掛け声で我に返る。

そうだ。

夕張に謝らなければいけないのであった。

 

「それでは皆さん、いただきます」

 

皆の復唱の後、俺が席を立つよりも先に、夕張は大淀に何か言った後、飯を持ってどこかへ行ってしまった。

 

「…………」

 

 

 

夕食後、青葉に強制連行され、陸奥の魅力をこれでもかってほどに詰め込まれた。

 

「見てください、この写真! 陸奥さん、とっても綺麗じゃないですか!?」

 

「あ、あぁ……確かに綺麗だな」

 

「でしょう? 陸奥さん、良かったですね!」

 

「あ、青葉……あんまり見せないでよ……。恥ずかしい……」

 

「恥ずかしくなんかないですよ! とっても綺麗で、とっても可愛らしいです! そうですよね? 司令官!」

 

「あぁ、そうだな……」

 

何て言うか、お見合いに気合いの入ってる母親と、消極的な娘みたいだ。

青葉は善意でやっているんだろうけれど、陸奥はどっちかって言うと、まだ自分の気持ちに整理がついていないというか、追いついていないというか……。

 

「それでですね?」

 

 

 

話は消灯時間まで続き、結局その日は、夕張に謝ることが出来なかった。

 

「やっと解放されたぜ……」

 

執務室に戻ってみると、大淀が待っていた。

 

「お疲れ様です。大変でしたね」

 

俺がどうして拘束されていたのか、大淀は知っているようであった。

 

「お陰で、陸奥の魅力を余すところなく知れたよ」

 

「この際ですし、娶りを考えてはいかがでしょう? 陸奥さんなら、きっと二つ返事ですよ」

 

「考えておく」

 

倒れるように座ると、大淀も同じように座った。

 

「悪いが、『記録』は明日でもいいか? 書くことがたくさんあって、とてもこれからじゃ……」

 

「ゆっくりでいいですよ。何も、毎日するものでもないんですから」

 

「そうなのか?」

 

「えぇ。佐久間さんの時は、まだ艦娘もたくさんいる頃で、お互いに忙しかったので、『記録』をつけていたんです。今はそんなでもありませんから」

 

「なるほどな」

 

「……それよりも、雨宮さんの『生きる』の事ですけど」

 

一気に空気が変わる。

 

「……あぁ、そうだったな。じゃあ……改めて――」

「――もういいんです」

 

大淀は、俺を安心させるかのように、小さく笑ってみせた。

 

「もういいって……」

 

「先ほどは流れで聞いてしまいましたが、やっぱり、雨宮さんが話したいと思った時に、聞くことにします」

 

「そりゃ……またどうして……」

 

「だって……話そうとした時の雨宮さんの顔は……どこか、辛そうでしたから……」

 

自分ではそんなつもりはなかったのだが――無意識なのだろうな。

 

「そんなに辛そうだったか?」

 

「えぇ、今も、少しだけ」

 

思わず、確認するかのように、自分の顔を触った。

 

「それに、雨宮さんは先ほど、大井さんに話しかけませんでした。貴方ならきっと話しかけるだろうと思っていましたが、踏みとどまってくれた」

 

「まあ……色々あってな……」

 

「きっと、貴方にも迷いがあるのだろうと思います。『生きる』という事に込める、その意味に対して……。だから、今は聞かないでおきます」

 

「大淀……」

 

「でも……いつかは聞かせてくださいね……」

 

「……あぁ、分かった」

 

「約束ですよ……」

 

差し出された小指に、約束を紡いだ。

いつか、か……。

その約束が果たされる時、俺は佐久間肇に対して、一体どんな感情を持ち合わせているのだろうか。

どう向き合っているのだろうか――。

許すことが、出来るのだろうか――。

 

 

 

翌朝。

昨日の事であまり眠れず、朝早くに目が覚めてしまった。

 

「はぁ……」

 

今日も昨日と同じで、少しだけ暖かい朝であった。

 

「これくらいの天気が、一年中続けばいいのだが……」

 

そんな事を一人で呟きながら、縁側でぼうっとしていると、門の方から誰かがやって来た。

 

「あ、起きてる」

 

そう言ったのは、敷波であった。

 

「敷波。どうした? こんな朝っぱらから」

 

「あー……うん……。その、さ……。司令官、怪我してるし……。何か、お手伝い出来ないかなって……思って……」

 

お手伝い。

こんな朝っぱらからか。

 

「気持ちはありがたいが、朝は特にやることはないんだ」

 

「え……そうなの……?」

 

「普通に朝食までの時間をこうしてぼうっと過ごすだけだ」

 

そこまで言って、『記録』を書いていないことに気が付いた。

 

「そうだ。そういや……」

 

「え! 何かあるの!? 何々!? アタシに任せて!」

 

目をきらめかせる敷波。

 

「あぁ、いや……大淀への報告書みたいなもんがあるんだが、それを書いていなかったと思ってな」

 

「あ……そう……」

 

今度はしゅんとする敷波。

何か手伝いたくて仕方がないという感じだ。

 

「そんなに手伝いがしたいなら、寮に戻って朝食の手伝いでもしたらどうだ? あっちも忙しいだろうに」

 

「あ、あっちは別に……人手が足りてるみたいだし……」

 

「じゃあ、寮の前の掃除でもしたらどうなんだ?」

 

「えと……こ、これから落ち葉の時期だし……まだ掃除してもしょうがないから……」

 

「じゃあ――」

 

それからも寮の方での手伝いを提案したが、何かといい訳をつけて断られた。

 

「お前、本当に手伝いがしたいのかよ?」

 

ついには黙り込んでしまう敷波。

どうやら、本当に手伝いがしたくて来たという訳ではなさそうだ。

 

「……本当は何をしに来たんだ?」

 

図星なのか、敷波の目が泳ぐ。

本当、分かりやすい奴だ。

 

「何か言いにくい事なのか?」

 

「ア、アタシは……本当に手伝いを……」

 

それでいて強情。

本当、分からんな……。

この年頃の女の子ってのは……。

――他の年頃の女の子が分かっているわけじゃないけれど。

 

「……分かった。俺は少し海辺を散歩してくるから、お前は話せるようになるまで、ここで考えをまとめておいてくれ」

 

「え……」

 

「じゃあ」

 

そう言って去ろうとすると、敷波はそれを止めた。

 

「ま、待って……! 言う! 正直に言うから!」

 

俺は再び縁側に座り、敷波の言葉を待った。

 

「あ……あのね……その……あぅぅ……」

 

何やら顔を赤くする敷波。

恥ずかしい事でも言うつもりなのか。

 

「やっぱり、まとまっていないようなら……」

 

「あ……ま、まとまってる……! まとまってるから、行かないでよ……!」

 

必死に止めようとするその姿は、俺のいたずら心をくすぐった。

 

「でもお前、早く言ってくれないと、朝食の時間になってしまうだろう。その間に、大淀への報告書を書かないといけないんだぜ」

 

「わ、分かってる……! ちょっとまって!」

 

こういうタイプの奴って、焦れば焦るほど、言いたいことをまとめられなくなってしまうんだよな。

本当、こいつは――。

……っと、遊んでる場合じゃなかった。

 

「分かったよ。いつまでも待ってやるから、落ち着いて話してみろ」

 

落ち着かせるように背中を撫でてやる。

敷波は恥ずかしそうに俯くと、深呼吸をして、震える唇で言った。

 

「ア、アタシ……!」

 

「うん」

 

「し、司令官っ……に……あ、会いに……来た……だけ……」

 

「俺に会いに来ただけ?」

 

頷く敷波。

俺に会いに来ただけ。

 

「……え? じゃあ、なんで手伝いをしに来たなんて言ったんだ?」

 

「そ、それは……その……」

 

「もしかして……俺に会いに来ただけって言うのが恥ずかしくて、照れ隠しで言ったのか?」

 

敷波は頷くことはせず、ただ顔を真っ赤にして俯いた。

 

「なるほど、だから寮の手伝いをあんなに拒んだのか」

 

「うぅ……」

 

「しかしなんだって、俺に会いに来たんだ? そんなに俺に会いたかったのか?」

 

敷波はしばらく黙り込んだ後、覚悟を決めたのか、ぼそぼそと語り始めた。

 

「最初は……どうせまたいなくなるし……全然気にしてなかった……。顔すらも見ようとは思わなかった……」

 

俺が島に来た時の事を話しているのか。

 

「でも……武蔵さんと決闘するって聞いて……気になって……見に行ったの……。そしたら……」

 

敷波が俺を見つめる。

だが、その瞳に、俺はいなかった。

 

「『司令官』にそっくりな人が、そこに居て……」

 

 

 

まるで、天国から地獄に落ちたかのような――俺の気持ちはどん底にあった。

 

「……『司令官』ってのは、佐久間肇の事だな」

 

敷波は驚いた表情を見せた後、小さく頷いた。

 

「……そうか。お前も、佐久間肇の事が好きだった奴なのか」

 

「す、好き……じゃないけど……」

 

「仲、良かったのか?」

 

その問いに、敷波は表情を曇らせた。

 

「違うのか?」

 

「『司令官』は、アタシと仲良くしてくれようとしてくれていた……。でも……アタシは……」

 

思い出すかのように目を瞑る敷波。

佐久間肇を思い出す艦娘たちは、皆、こうして目を瞑って思い出そうとする。

そしてその表情は、いつも――。

 

「本当は、『司令官』と仲良くしたかった……。でも、素直になれなくて……。人気者だったし……どうせアタシなんかって……。そうしている内に、『司令官』は……」

 

その先を敷波は言わなかった。

 

「なるほどな……。そんな中で、佐久間肇にそっくりな俺が来たものだから、過去を取り戻そうとして、俺に会いに来たって訳か」

 

正直、ちょっと傷ついている自分がいる。

響や大淀の時は大丈夫だったように思うが、なんだろう、敷波に言われると、心が抉られるというか……。

 

「ち、違う……!」

 

「え?」

 

「そんなんじゃない……。顔がそっくりとは言え、『司令官』はもういないし、過去はもう取り戻せないから……」

 

驚いた。

こんなこと言う艦娘は、初めてであった。

――いや、似たようなことは聞いたことがあるけれど、こうもきっぱりと言い切るってのは……。

 

「それに……確かに顔は似ているけれど、性格が全然違う……。『司令官』は意地悪なんて言わなかったし、もっと……落ち着いていたというか……」

 

これまた驚く。

「性格も似ている」と、散々言われてきたのに……。

 

「じゃあ……どうして俺に……?」

 

敷波は再び俯くと、今度は素直に語り始めた。

 

「武蔵さんとの決闘で……『司令官』そっくりだなって思った……。でも、すぐに全然違うって分かった……。武蔵さんを投げる司令官の顔は、とても怖くて……。あの武蔵さんですら、言葉だけで圧倒されていて……」

 

そんな怖い顔をしていたのか、俺は……。

 

「怖いと思った……。でも同時に、かっこいいって思った……。とっても強くて、いくら嫌われても、自分を曲げなくて……。いつの間にか、武蔵さんや鹿島さんも味方にしているし……ヒーローみたいだなって……」

 

ヒーローか……。

本当、意外な事ばかり言われるものだから、まだ床について夢でも見ているのかと錯覚してしまう。

 

「ずっと気になってた……。お話ししたいって……思ってた……。けど、やっぱり素直になれなくて……。でも、このままじゃいけないって……また後悔しちゃうだろうって……」

 

「……それで、精一杯考えた結果が、これって訳か」

 

恥ずかしそうに頷く敷波。

その姿に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「わ、笑わないでよ……!」

 

「いや、すまん。お前の事を笑ったわけではないんだ。ただ……嬉しくてな。そんな純粋に俺を見てくれているなんて、思ってもみなかったからさ」

 

いつの間にか力の入っていた肩を落とす。

 

「そうか……。そういう理由で会いに来てくれていたのか。嬉しいよ。ありがとう、敷波」

 

「え……あ……う、うん……。どう……いたしまして……。えへへ……」

 

怒ったり泣いたり――色んな表情を見せる奴であったが、こうして笑っている時が、一番可愛らしい。

そう思った。

 

「そういう事なら、これからはたくさん話をしよう。遠慮はいらんぜ」

 

「本当……?」

 

「あぁ」

 

「じゃ、じゃあ……」

 

それから敷波は、遠慮がちに話し始めた。

自分の事、島の事、俺の事――。

話し込むにつれ、徐々に笑顔を見せる様になり、時折からかいもいれたりしながら、夢中になって話した。

 

 

 

朝食の時間が近づいているのに気づき、俺たちは話しながら寮へ向かう事にした。

 

「それで、綾波は島を出たんだ。綾波、元気にしてるかな……」

 

「お前は一緒に行かなかったのか」

 

「行こうと思ったけれど……まだ、ちょっと勇気がなくってさ……」

 

きっかけがあれば、島を出る決意が持てるって感じだ。

皆と違い、複雑な心を持っているわけではなさそうだし。

 

「あ! 提督!」

 

寮から飛び出してきたのは、明石であった。

 

「あれ、敷波ちゃんと一緒だったんですか?」

 

ふと、敷波に目をやると、何やら恥ずかしそうに俺から距離を取っていた。

 

「あぁ、まあな。それより、どうしたんだ? 朝っぱらから慌てて……」

 

「あ、そうだった! 大変なんです! 夕張と大井さんが!」

 

 

 

寮へ駆けつけると、皆が輪になって集まっていた。

その中心にいたのは、夕張と大井であった。

 

「提督は、佐久間さんとは違います……! 大井さんも話してみれば、きっと――!」

 

「どうしてそこまであの男の肩を持つのよ……! まさか、あの男に惚れたって訳!?」

 

「違っ……! 論点をずらさないでください!」

 

「おい! 何やってんだお前ら!」

 

二隻の間に割って入る。

 

「提督……」

 

「……ッチ」

 

大井は舌打ちをすると、そのまま部屋へ戻っていってしまった。

 

「大井!」

 

追いかけようとする俺の手を夕張は止めた。

 

「夕張……」

 

「…………」

 

「……何があったのか、説明してくれるな?」

 

夕張はしばらく黙り込んでいたが、やがてゆっくりと頷いて見せた。

 

 

 

先に夕張を執務室に避難させ、俺と大淀で何とか場を治めた。

 

「悪いな。手間を取らせた」

 

「いえ、それよりも、早く行ってあげてください」

 

「あぁ、ありがとう」

 

執務室に入ると、夕張は部屋の隅で膝を抱えていた。

 

「……何か飲むか?」

 

膝に顔を埋めたまま、首を横に振る夕張。

 

「そうか……」

 

壁を背にして座り、夕張の言葉を待った。

 

「……ごめんなさい」

 

「何がだ?」

 

「さっきの事……。あと……昨日の事も……ごめんなさい……」

 

「……まあ、さっきの事はあれとして、昨日の事は、俺が悪いんだ。お前は心配してくれていたのに……無下にして悪かった……。ごめんな……」

 

夕張は顔をあげると、俺をじっと見つめた。

 

「明石に言われたよ。お前が心配してしまうのも無理は無いって。それだけ、まだ俺という存在を理解できていないんだって……」

 

明石の言った通りなのか、夕張は目を伏せた。

 

「だからしばらくは、お前たちに俺という存在を理解してもらうよう努力しようと思っている。大井との交流は、それからでも遅くない」

 

本当、昨日の俺は、何をそんなに焦っていたのだろうか。

 

「……昨日の事は、そう言う事だ。次はお前の番だぜ。一体どうしたってんだよ? 大井と何があったんだ?」

 

夕張は再び、顔を埋めてしまった。

 

「夕張」

 

「……貴方に協力しようと思って」

 

「協力?」

 

「この前、言ったじゃない……。私も協力するって……」

 

夕張が告白してきた時のことか……。

 

「だから……貴方の代わりに、私が大井さんを説得しようと思って……。貴方に……怪我をさせたくなかったから……」

 

「なるほどな……」

 

「余計なお世話なのは分かってる……。でも……私は……」

 

そう言って、夕張は黙り込んでしまった。

 

「そうか……。俺の為に……」

 

「けど、喧嘩になっちゃった……。大井さん、貴方の事を何も知らないのに、佐久間肇と同じだって……」

 

佐久間肇と……か……。

 

「それから、色々と貴方の事を悪く言われて……つい、カッとなって……」

 

「喧嘩になったって訳か……」

 

頷く夕張。

 

「本当にごめんなさい……。私のせいで……大井さん、ますます機嫌が悪くなっちゃった……」

 

「いや……悪いのは俺の方だ。俺がもうちょっと、お前たちの気持ちに寄り添っていれば、こんなことにはなっていなかっただろう」

 

「そんなことない……。私が勝手に、余計な事をしちゃっただけ……。貴方の為にって……私なら出来るって……勘違いしちゃっただけ……」

 

「だが――」

 

どちらも譲らないまま、時間だけが過ぎて行く。

このままじゃ埒が明かない。

 

「――俺もお前も、自分を許せない。なら、それでいいじゃないか。この話は、これでおしまいにしよう。これ以上は不毛だ」

 

そう言っても、夕張はあまり納得していないようであった。

 

「どうしても納得できないか……?」

 

小さく頷く夕張。

 

「……分かった。じゃあ、こういうのはどうだ? お前が納得できるように、何か罪滅ぼしをするってのは」

 

「罪滅ぼし……?」

 

「そうだ。実は、大井との交流に、秘策を思いついたんだ。それに、お前も加担してもらう。どうだ?」

 

「交流って……」

 

「まあ聞け。お前たちの心配に配慮した秘策だ」

 

俺はその秘策を夕張に説明してやった。

 

「――という事だ。これなら、大井も素直に言う事を聞いてくれると思うんだ。どうだろう?」

 

「……確かに、上手くいくかもしれないけれど、嘘だってバレないかしら?」

 

「もし嘘だと分かっても、俺に攻撃したら、それこそ本当になるんだ。あいつもその事を分からない訳じゃないだろう」

 

夕張は少し考えた後、膝を解いて、俺を見た。

 

「やってくれるか?」

 

「……うん。それで、罪滅ぼしになるのなら……」

 

「よし、決定だ」

 

「でも、約束して……。少しでも怪我をするようなことになるのなら……すぐに手を引いて……」

 

「あぁ、分かった。約束するよ」

 

俺が小指を差し出すと、夕張はそれに約束を紡いだ。

 

「この話はこれで終わりだ。明日から忙しくなる。お前もいつものように、明るく振る舞っておけよ。作戦にはそれが必要だ」

 

「うん……」

 

返事とは裏腹に、夕張の表情は暗かった。

ふと、響の言葉が思い起こされる。

 

「夕張」

 

「なに……?」

 

俺は夕張の頬に、軽くキスをした。

 

「へ……?」

 

「響が言っていた。元気が出るおまじないだそうだ。元気、出たか?」

 

夕張は唖然とした表情で、俺を見つめた。

暗い表情は、もうない。

 

「さて、朝飯だ。行こうぜ、夕張」

 

「え……あ……ちょ、ちょっと!」

 

おまじないが効いたのか、今日一日の夕張は、暗い表情を見せる事をしなかった。

 

 

 

「――あぁ、そうか。悪いな、協力してもらって」

 

『いいんですよ! 慎二さんにはお世話になりましたし、上官も二つ返事でした!』

 

あの上官が二つ返事か。

珍しいこともあるもんだ。

それだけ俺が信頼されているという事だろうか。

 

「そうか。じゃあ、明日の朝」

 

『はい! 派手なやつで行きますんで、ビビらないで下さいよ?』

 

「楽しみにしてるよ。それじゃあ」

 

電話を切ると、夕張が縁側の方から駆け寄って来た。

 

「どうだった……?」

 

「明日には来てくれるそうだ。上官も連れてくるってよ」

 

「なんだか大事になっちゃいそうね……」

 

「大事の方が、大井も信じるだろうよ」

 

大井がどんなリアクションをするのか、想像もできないぜ。

そんなことで夢想にふけていると、夕張が何やらもじもじとしだした。

 

「どうした? トイレならあっちだぜ」

 

「違う! その……今朝のキスって、どういう意味なのかなって……」

 

「元気が出るおまじないだ。それ以上の意味はない」

 

「……ああいうのは、簡単にしちゃ駄目だと思う」

 

「あぁ、分かってる。もう二度としない。悪かったな」

 

「そうじゃなくて……。はぁ……もういいわよ……。どうしてこんな人を好きになっちゃったのかしら、私……」

 

拗ねる様にそっぽを向く夕張。

 

「でも、元気は出たんだろ?」

 

「……どうかしら?」

 

そう言うと、夕張は、まるで元気がないとでも言うようにして、露骨に俯いて見せた。

 

「もう二度としないって言ったろ。それに、そんなブラフをかける奴が、元気じゃないはずがない」

 

「……いじわる」

 

夕張は短く舌を出すと、いつもの不機嫌を取り戻す様に、退屈そうな表情を見せた。

 

 

 

翌日。

敷波と響が、俺を起こしにやって来た。

 

「よう。今日は二人なんだな」

 

「響ちゃんが付いて来ちゃって……」

 

「違うよ。『敷波が』付いてきたんだ。私は敷波が司令官と仲良くする前から、起こしに来ていたんだ。そうだよね、司令官」

 

「まあ、そうだな」

 

響は敷波に、得意げな顔を見せた。

 

「別に……どっちが先とか、関係ないし……」

 

「重要だよ。ね、司令官」

 

「お前ら、朝っぱらから喧嘩するなよ」

 

「してないし! もう……なんだよ……ふんっ……」

 

と、敷波がそっぽを向いた視線の先に、何やら巨大な船がこちらへ向かっているのが見えた。

 

「え……な、なにあれ!? こっちに向かってきてない!?」

 

「本当だな」

 

「本当だなって……。わわ、本当に向かってきてる……」

 

本当、面白いリアクションを取るな。

大井もこれくらい驚いてくれればいいのだが……。

それにしても、本当に派手なので来たな……。

 

「雨宮さん!」

 

大淀が慌てた様子で、家を訪ねて来た。

 

「大きな船がこちらへ向かってきています! 何か聞いていますか!?」

 

「いや……なにも……」

 

「先ほどから、上陸する旨のサインを送ってきています!」

 

「マジか……!」

 

なんて、驚いてみたりする。

 

「司令官……」

 

「よし、向かってみよう」

 

 

 

大きな船が泊地に停まり、上官と付き添いの後輩四名ほどを連れて、島に上陸してきた。

艦娘たちも、何事かと、門の方に集まっている。

 

「ちょっとちょっと、何事!?」

 

夕張が飛び出してくる。

 

「いや、それが……」

 

上官たちは、堤防と島の境界付近で止まった。

 

「司令官……」

 

「敷波と響は、寮に戻ってろ。俺と大淀、ついでに夕張で対応する」

 

何故に夕張も?

そんな疑問を呈する余裕も無いのか、大淀はただ頷くだけであった。

当然、夕張も快諾する。

 

「よし、行くぞ」

 

 

 

近づいて行くと、上官はいつも以上に厳しい表情を見せた。

 

「上官、これは一体なんの騒ぎです?」

 

「それは君が一番よく分かっているのではないのかね?」

 

一見、本当に言われているような気がするほどに、威圧的な瞳が俺を見つめる。

 

「心当たりがありませんね……」

 

そこに、後輩が割って入ってくる。

 

「とぼけないでくださいよ先輩……。その怪我の事ですよ! 転んだだけだと言っていましたが、医大卒の俺の目はごまかせませんよ!」

 

医大卒、か。

船と同じ、デカい嘘を持ってきたもんだ。

後ろの同僚が笑いをこらえてるぜ。

 

「その傷は、意図的につけられたものだ! この島の艦娘にやられたに違いない!」

 

言うまでもないかもしれないが、これは全て演技だ。

俺が後輩や上官に頼んでおいた、大井との交流をもたらすきっかけになる演技。

 

「雨宮さん……」

 

大淀は、相手の言っていることに察しがついたのか、不安そうに俺を見つめた。

再び上官が前に出る。

 

「そういう事だ。君が何故否定しているのかは分からないが、我々はこの島の艦娘が、君に危害を加えたとみている。無論、その為の調査も行うつもりだ」

 

「なんだって!?」

 

っと、今のリアクションは露骨過ぎたか。

夕張が笑いをこらえている。

 

「手始めに、人に敵対している艦娘を洗う事にする。一番怪しいのは……そうだな……。大井とか……」

 

大淀が明らかに動揺を見せる。

 

「今日からしばらくは、海上より島を監視させてもらう。もし、危害を加えた艦娘が居るとするのなら、その艦娘には、すぐにでも島を出てもらう事になる。いいね……?」

 

「ちょっと待ってください……」

 

口を出したのは、大淀であった。

 

「そんな事をされては、艦娘たちが寮から出てこれなくなってしまいます……。そうなれば、監視もなにも無いのでは……?」

 

なるほど、いいところを突いてくる。

だが――。

 

「構わんよ。いつまでも寮に篭っていられるのならね。我々は確証を得られるまで、海上で監視を続けるつもりだ」

 

その意味が分かったのか、大淀は苦い顔を見せた。

 

「つまり……監視をやめさせるには、証明しろという事ですか……? 雨宮さんに危害を加えた艦娘はいないと……」

 

「そういう事になるな」

 

こういう時の上官の目は、演技とは言え、やはり迫力があった。

秘策を知っている夕張ですら、息を呑んでいた。

 

「大井さんは疑われてるわけだから……それを証明するって事は……! 大変、皆に知らせなきゃ!」

 

そう言って、夕張は寮の方へと走り出した。

 

「夕張さん! 待ってください! 皆さんにはまだ……!」

 

「放っておけ大淀」

 

「しかし……!」

 

「どうせバレることだ。大井が疑われている以上、大井自身が疑いを晴らさなきゃいけない。遅かれ早かれ、皆知ることになるんだ」

 

「そうかもしれませんが……」

 

納得していない大淀を横目に、俺は上官の前に立った。

 

「分かりました。証明すればいいのですね」

 

「物分かりが良くて助かる。我々は必ず、証拠をつかんで見せる」

 

「望むところです」

 

上官に目配せをする。

すると、上官は俺の耳元で、俺にしか聞こえない様に呟いた。

 

「勘違いするな。もしも交流が上手くいかなければ、その時は本気で大井を島から出すつもりだ……。分かっているね……?」

 

背筋が凍るような――冷や汗が一気にあふれ出した。

 

「では……」

 

去って行く上官に、俺はただ茫然と立つ尽くすことしかできなかった。

ふと、夕張の言葉を思い出す。

『なんだか大事になっちゃいそうね……』

 

「なっちまったよ……。本当に……」

 

何故上官が二つ返事だったのか、ようやくその意味が分かった。

 

 

 

寮に戻ると、作戦通り、夕張が皆に言いふらしていた。

無論、大井もその中に居た。

 

「大井さんが疑われているんです! 大井さんと提督に何かあったって分かったら……大井さんは……」

 

夕張の演技が光る。

が、今となっては、それに感心するどころか、本当にその通りなんだと、大声で叫びたくなる。

 

「大井さん……」

 

駆逐艦たちが心配そうに、大井を見つめる。

大井もどこか、動揺しているような――というよりも、絶望の表情を浮かべていた。

絶望の表情……か。

俺の想像していたリアクションは、もっとこう、悔やむようなものだと思っていたが……。

 

「雨宮さん……どうしましょう……」

 

「上官はやると決めたらとことんやる人間だ。マジで大井の疑いを晴らさなければ、一生をかけてでも、監視を続ける事になるだろうな……」

 

皆がざわつく。

寮を出られないってのは、流石に苦痛なのだろう。

退屈なこの島では、特に――。

 

「とにかく、大井の疑いを晴らさなきゃいけない……」

 

「でも、どうやって晴らすっていうのよ……。提督が「やっていない」って説明しても、無駄なんでしょ……?」

 

「あぁ、そうだな……」

 

「そんなの……どうすれば……」

 

夕張はチラリと大淀を見た。

 

「大淀さん……何かいい手はないですか……?」

 

どうだ、大淀……。

お前なら、必ず提案してくれるはずだ。

俺が――俺と夕張が考える、最善の手を……。

 

「一応……あると言えばあります……」

 

そう言うと、大淀は大井を見た。

大井も、それが何なのか、気になって仕方がないという感じだ。

 

「それは――」

 

大淀の提案に、皆、絶望の表情を見せた。

無論、大井も同じであった。

そんな中、俺と夕張だけが、心の奥底で、小さくほくそ笑んでいた。

 

「大井さんと雨宮さんが、敵対していない姿を見せる事――仲が良い事をアピールすることです……」

 

――続く



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8話

話は昨日に遡る。

 

「海軍に協力を仰ぐ」

 

それを聞いた夕張は、眉をひそめた。

 

「まあ聞けって。実は、大井の暴行の件は、海軍に報告しているんだ。問題ではあったのだが、初犯であったし、怪我も大したこと無かったから、見逃して貰ったんだよ。それを利用しようと思っている」

 

「利用するって……?」

 

「シナリオはこうだ。大井の暴行の件は、実は俺が海軍には報告しておらず、怪我は転んだか何かだと報告していたことにする。それを不審に思った海軍が、艦娘による暴行があったのだと疑い、島に乗り込んでくる。真相を暴いて、危害を加えた艦娘を処分してやるのだと宣言する。一番怪しい艦娘は、大井だとも言うわけだ。お前はそれを島の皆へ広めて、大井の耳にも入るようにする。大井がどう思うか、どう言うかは分からんが、少なくとも皆は大騒ぎするだろう。大井を守ろうとな」

 

「……なるほどね。それで大井さんも、大事になったと焦るって訳……」

 

「そう言う事だ。大井を守るために、無実を証明しなければならない。それには、俺との仲は良好なのだと、海軍にアピールしなけりゃならない」

 

「つまり、大井さんは貴方との交流を避けられなくなる……ね……」

 

夕張は大きくため息をついた。

 

「そんなにうまくいくとは思えないけれど……。第一、海軍が協力してくれるとは限らないし、大井さんだって、流石に怪しむと思うわ……」

 

「海軍の方は何とか手を回すことにする。こう見えても、人望は厚い方なんだ。大井が怪しむことも、想定してある」

 

「どうするって言うのよ……?」

 

「無実を証明する方法を誰かに提言してもらうんだ。大淀とか、提言してくれそうだし、大井も信用するんじゃないか?」

 

「そうかもしれないけれど……。大淀さんが協力してくれるとは、とても……」

 

「だから、作戦は伝えない。あくまでも、大淀自身から出た発想でないといけない。その方が自然だし、嘘ではないからな」

 

「……随分信用があるのね。大淀さんに……」

 

「あいつは優秀だからな。必ず提言してくれるはずだ」

 

「ふぅん……。そ……」

 

そんな事ですったもんだ話し合い、最後は「それで、罪滅ぼしになるのなら……」と夕張は協力してくれることになった。

 

「でも、約束して……。少しでも怪我をするようなことになるのなら……すぐに手を引いて……」

 

「あぁ、分かった。約束するよ」

 

こうして俺たちは、作戦を決行し、大淀はしっかりと提言をしてくれた。

事は順調に進んでいる。

だが、ここからが大変だ。

如何に大井の心に近づくことが出来るか……。

海軍や夕張の力ではなく、俺自身の実力が問われることになるのだ。

これを乗り越えることが出来たのなら、俺は大きな進歩を遂げることが出来る。

そんな気がする。

それほどに、大きな相手だ。

そうだ。

本当の戦いは、これからなんだ。

 

……まるで漫画の打ち切りみたいな締めだ。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「どうだ、大井の様子は?」

 

「あれから一度も部屋を出てきません……。置いておいた昼食も、手を付けていないようで……」

 

「そうか」

 

大淀の提言を聞いた大井は、絶望した表情のまま、部屋に閉じこもってしまっていた。

 

「とりあえず、今は様子を見よう。あいつなりに、色々考えているんだろうし」

 

「そうですね……。引き続き、様子を窺うようにします」

 

「あぁ、頼んだぜ、鳳翔」

 

鳳翔が部屋を出て行くと、夕張は窓枠に腰掛け、遠くに浮かぶ海軍の船に目を向けた。

 

「どうするのよ。このまま大井さんが出てこなかったら、本当に連れていかれちゃうんじゃないの?」

 

「そうなるかもな」

 

「そうなるかもなって……貴方……」

 

「だが、大井は必ず出てくる。どういう訳か、疑われていると知った時の大井の表情は、想像以上に絶望の色を見せていた。あいつにとって島を出るって事は、それほどに恐ろしい事なのだろう」

 

北上さんに話を聞いた時は、ただ単に、佐久間肇の事が嫌いで、反抗するつもりで島に残っているのだと思っていた。

だが、あの表情は――。

 

「まあ、それ以上に俺の事が嫌いだって気持ちがあるのなら、出てこないかもしれないけどな。島を出た方がマシってさ」

 

夕張はそれに、なんの反応も見せなかった。

優しさからなのか、それとも――。

 

 

 

結局、夕食の時間になっても、大井が現れることはなかった。

 

「あれ、今日はこれだけか」

 

食堂には、いつものメンバーしかいなかった。

 

「皆さん、不安になっているようで……。今日は部屋で食べるのだそうです……」

 

一人でいる方が不安になりそうなもんだがな。

しかし……そうだよな……。

不安にもなるよな……。

いつまでやるのか分からんが、海軍はマジでこちらを見張っているようだし……。

この作戦は、少しやり過ぎたか……?

 

「「司令官」」

 

重なった声は、響と敷波のものであった。

二隻とも、夕食を持ってきていた。

 

「なんだい敷波? 私が先に司令官に話しかけたんだ。後にしてくれないか?」

 

「ア、アタシの方が先だったし!」

 

「お前ら、また喧嘩してんのか……。それで、何の用だよ?」

 

「「一緒に食べよう」」

 

そう声が合うと、お互いに睨みだした。

本当は仲がいいんじゃなかろうか。

 

「司令官は私と食べるのが好きなんだ。そうだよね、司令官?」

 

「え……そうなの……?」

 

不安そうにこっちを見つめる敷波。

強情な割に、そこは信じてしまうのだな。

 

「そんな事、言った覚えはないぜ」

 

「じゃあ……私と食べるの……嫌なのかい……?」

 

今度は響が不安そうに――本当、仲のいいやつらだ。

 

「そうも言ってないだろ。とにかく、喧嘩はよせ。あっちの席が広く空いているから、三人で並んで食べようじゃないか」

 

そう言ってやると、二隻は納得のいっていない表情で、席を移動し始めた。

 

「そういう訳だ。悪いな、鳳翔。ちょっと行ってくる」

 

「え、えぇ……。行ってらっしゃいませ……」

 

それから俺は、ギャイギャイと喧嘩をする二隻に挟まれながら、夕食を摂った。

いつもよりも静かになるはずの食堂は、いつも以上に騒がしく感じられた。

 

「お前ら、なんやかんや言って、仲いいよな」

 

「「良くない!」」

 

 

 

消灯時間を迎え、家へと向かっていると、大淀に呼び止められた。

 

「大淀、どうした? 何か用事か?」

 

「いえ……その……少しだけ、お時間をいただけないかと思いまして……。お話ししたいことがあるんです」

 

「話? あぁ、構わんぜ。執務室に戻るか?」

 

「いえ、消灯時間ですし……海辺に出ませんか? 夜風にあたりながらでも……」

 

大淀がそんな提案をしてくるなんて、珍しいこともあったもんだ。

 

「分かった。その前に、上着を持ってきていいか? 今宵は冷える」

 

「では、先に海辺でお待ちしておりますね」

 

「あぁ」

 

大淀は微笑んで見せると、海辺の方へと歩いていった。

 

 

 

大きな流木に、大淀は座っていた。

 

「悪い。遅くなった。寒かっただろう?」

 

「いえ、寒さには慣れていますので」

 

そう言うと、大淀は座るスペースを空けてくれた。

 

「どうぞ」

 

「おう」

 

俺が座っても、流木はビクともしなかった。

 

「それで、話ってなんだ?」

 

「その前に……雨宮さんから、私に話しておくことがあるんじゃないですか?」

 

「俺がお前に?」

 

「えぇ」

 

大淀は、水平線に目を向けながら、そう言った。

 

「別に、俺からは特にないけどな」

 

「本当にそうですか?」

 

綺麗なエメラルドグリーンの瞳が、俺を見つめる。

全てを見通すかのような、透き通った瞳。

 

「何が言いたいんだ?」

 

大淀はわざとらしく、大きくため息をついて見せた。

 

「いいんですよ……隠さなくて……。そりゃ、私を利用したことは……ちょっとムッとしますけど……。それも、大井さんの為という事でしょうから……」

 

そう言って、大淀は撤退してゆく海軍の船を指した。

あぁ、そういう事か。

本当、鋭い奴だぜ。

 

「なるほど……。お前はこう言いたいわけだ。海軍の一件、それに俺がかかわっていると」

 

「違うんですか?」

 

全てを知っている。

そんな瞳であった。

 

「根拠はあるのか?」

 

「夕張さんですよ。海軍が上陸してきた時、私はともかく、どうして夕張さんにまで対応にあたらせたのか……。あの時は気が動転していて、そんな事に気が回りませんでしたが……明らかに変ですよね……?」

 

「人数は多い方がいいと思ってな。たまたま居た夕張にも同行をお願いしたまでだ」

 

「……それだけではありません。海軍の話を聞いて、夕張さんが皆に知らせると言った事も変ですし、それを止めなかった貴方も変です。普通、混乱を避けるために、とりあえず内密にする事が正解です。わざわざ言いふらす事は、得策ではないんです……」

 

俺の言葉を待たず、大淀は続けた。

 

「そして、寮でのことです……。大井さんの疑いを晴らす方法……。貴方は分かっていたはずですよね……? しかし、貴方は言わなかった……。そして何故か、夕張さんが私に意見を求めた……。夕張さんも分かっていたはずです。大井さんに貴方との交流を迫った、夕張さんなら……。しかし、貴方も夕張さんも、提言しなかった――いえ、出来なかった。貴方はもちろんの事、夕張さんも、グルであることを疑われる可能性があったからです。だから、私に言わせた……」

 

大淀はまるで、犯人を追い詰める探偵の様に、俺に詰め寄った。

 

「昨日、夕張さんと大井さんが喧嘩をした後、貴方は夕張さんと二人っきりになる時間がありましたね。その時、この作戦の事を話されたのではないかと思います。そして、協力を求めた。違いますか?」

 

俺はしらばっくれる様に、遠くを望んだ。

 

「大井さんが暴行を働いたのは事実です。おそらく貴方は、その事を問題にしないよう、海軍を説得したのでしょう。そして、それを利用できるとも考えた。海軍が大井さんを疑っていると知れば、それを晴らそうとするのは必然であるし、私でなくとも、誰かが私と同じような提言をするのも必然でした。大井さんがそれを拒否しようが、交流を選ぼうが、貴方にとってはプラスにしかならない。そういうことですよね?」

 

全てを言い終えたというようにして、大淀は肩の力を抜いた。

 

「名推理だな。島を出て、探偵でもやったらどうなんだ?」

 

「はぐらかさないでください……」

 

大淀は答えを待つように、俺をじっと見つめた。

確信はしているが、どうしても俺に言わせたいようであった。

 

「……悪かった。その通りだ。お前を利用した……」

 

俺が謝ると、大淀は拗ねる様に頬杖をついて、そっぽを向いてしまった。

 

「別に……利用したことを怒っているのではありません……。どうして私には相談してくれなかったのか……そこに怒っているんです……」

 

「お前が協力してくれるとは思ってもみなかったからだ。それに、大井との交流を提言してくれるのは、お前だけだと思っていたし、お前が提言してくれれば、大井や皆も、信用すると思ったからだ」

 

大淀は、どういう反応をすればいいのか、困惑しているようであった。

信用されているが故に――というのが、こそばゆいのだろう。

 

「俺からは以上だ。バラすなりなんなり、後はお前の好きにしろ。俺は甘んじて受け入れる」

 

「……私がそんな事をするとでも?」

 

「どうかな。俺はまだ、お前が分からないでいるからな」

 

それには、色々な意味が含まれていた。

大淀もその事を分かっているのか、何も言わなかった。

 

「それで、お前が話したかったことってのはなんだ?」

 

そう聞いてやると、大淀は困った表情を見せた。

 

「どうした?」

 

「いえ……その……ちょっと、タイミングが悪いというか……」

 

「タイミング?」

 

「えぇ……」

 

何やら恥ずかしそうに手を揉む大淀。

 

「それは……なんて言うか……綺麗な夜景でも見れる場所で、とか、そういう感じのやつか?」

 

意味が分かったのか、大淀は慌てて訂正した。

 

「ち、違います! 別に、告白とかそういうのじゃ……」

 

「冗談だよ」

 

そう笑う俺に、大淀は少しムッとした表情を見せた。

 

「日を改めてもいいんだぜ」

 

「いえ……大したことではないですし……」

 

「なら、さっさと言ったらどうなんだ」

 

こう、ウジウジしている大淀も珍しい。

 

「その……ですね……。お話というのは……別に、話題は何でもいいんです……」

 

「なんでもいいって……。ただ話がしたかった、ってことか?」

 

「えぇ……まあ……」

 

これまた珍しい。

 

「それはつまり……どういう目的があって言っているんだ……?」

 

「ですから……先ほど、雨宮さんが言ったじゃないですか……。私の事、良く知らないでいるって……」

 

それを聞いて、ハッとした。

本当、珍しいこと続きだ。

 

「……そういうことか。そんな事で気を遣ってくれるなんて、思ってもみなかった」

 

「だから、タイミングが悪いと言ったのです……。雨宮さんの中の私って、何だかイメージ悪くないですか……?」

 

「まあ、最初に色々あったからな。でも、そういうイメージがあるからこそ、お前のその気遣いが、とても嬉しいと思っている俺がいるんだ」

 

そう返すこともまた、俺の意外な一面だったのだろう。

大淀はむず痒そうにメガネをかけなおした。

 

「お前の事を教えてくれるのか? それとも、俺の事を知りたいのか?」

 

それとも、或いは――。

 

「どっちもですよ……。私もまた、『貴方』を多くは知らないのですから……」

 

「……そうか。しかし、なんだってそんなこと」

 

「……なんででしょうね」

 

潮風が、大淀の髪を揺らす。

髪を梳く間に見えるその表情は、おそらく本人ですら、どういった感情によるものなのか、分からないのであろう。

 

「でも……知らなきゃいけない……知っておいてもらわなきゃいけない……そう思ったのです……。『記録』だけでいいと思っていましたが、それだけでは足りない……。そう、思ったのです……」

 

「大淀……」

 

「実際、私も貴方も、お互いの事、よく知らないじゃないですか。私は貴方にとって、堅物で、チクり屋で――こういう交流を持ちかけるのも、何か裏があるんじゃないかって――そう思われているわけですし」

 

大淀は「知っているのよ」とでも言うように、得意げにして見せた。

 

「なんだよ。良く知ってるじゃないか。俺の事」

 

「よく見てますから」

 

とは言ってくれているが、おそらく、俺の考えは、佐久間肇と被るのだろうな。

だからこそ、大淀は――。

 

「雨宮さん」

 

「なんだ?」

 

「今、こう思ったんじゃないですか? 私が貴方をよく知っているのは、佐久間さんと重ねるからだって」

 

思わずギョッとした。

こいつ、本当に……。

 

「……エスパーか、お前」

 

「違いますよ。あ、エスパーなのもそうですけど、佐久間さんと重ねていることも、です」

 

そう言うと、大淀は遠くを見つめた。

 

「確かに、重なるところはあります。けど、重ねれば重ねるほど、やっぱりちょっと、違うなって思うんです」

 

敷波にも似たようなことを言われたが、まさか、大淀にもそう言われる日が来るとは。

 

「それでも、貴方は佐久間さんに寄せて来て――その度に、違うところが見つかって――段々と、貴方という人が、分かって来たんです。まだ完全ではありませんけれど」

 

佐久間肇と比較するが故に、か。

それは、喜んでいいものなのだろうか……。

 

「私は、貴方が佐久間さんだったらって、無意識に思っていたのかもしれません。それを否定するような発見も、佐久間さんの意外性なら或いは……って、思っていたこともあるくらいですし……。でも、今は違う。貴方は貴方で、佐久間さんは佐久間さん。貴方が佐久間さんの息子だろうと、やっぱり佐久間さんとは違うんです」

 

俺に気を遣っての事か、はたまた、俺なんかとは違って、佐久間肇は偉大だと説いているのか……。

 

「ほら、また」

 

「え?」

 

「また佐久間さんと……って、考えていたのではないですか?」

 

「……どうして分かるんだ?」

 

「顔ですよ。前にも言った通り、辛そうな顔をするんですよ。だから、すぐに分かります」

 

俺は思わず、顔を触った。

 

「……貴方は、私が佐久間さんを忘れられないと――影にとりつかれているのだと思っているようですけれど、本当にとりつかれているのは、貴方の方なんじゃないですか?」

 

そう言われ、ハッとした。

 

「私は……『貴方が』思っているようなことは、思っていませんよ……」

 

そういう大淀は、どこか寂しそうであった。

 

「……そうかもしれないな。すまない……。俺が……俺こそが、佐久間肇の影にとりつかれているようだ……」

 

俺は大淀の目をじっと見つめた。

 

「ずっと、お前は俺を見てくれていないと思っていた……。けれど、本当に見ていないのは、俺の方だったんだな……。今になって、気が付いたぜ……」

 

そうか……。

そうだったのか……。

項垂れる俺の手に、大淀はそっと、自分の手を重ねてくれた。

 

「大淀……」

 

「私も、今になって、やっと分かりました……。どうして私が、貴方を知らなきゃいけないのか……知っておいてもらわなきゃいけないのか……。その理由を……」

 

大淀は、言葉をいったん呑み込んだ。

そして、意を決したかのように顔をあげると、少し顔を赤らめながら、言った。

 

「私は……貴方を『知らなきゃいけない』のではなく、『知りたい』と思っているのです……。貴方に『知っておいてもらわなきゃいけない』のではなく、『知っておいてもらいたい』と思っているのです」

 

大淀は「佐久間さんを忘れるために必要な事だったから、そう思ったのかもしれませんけど……」と、自分を落とした。

 

「今も佐久間さんを忘れられないのは事実ですし、時々貴方の影に、佐久間さんを見ているのも事実です……。でも、貴方がこの島に来た理由を話そうとしてくれた時、思ったのです。貴方もまた、私と同じ辛い思いをしているのだって……。だから、貴方が私に向き合おうとしたその行動の辛さも、また同じなんだって、分かったのです」

 

「だからお前は、こうしてくれているのか……?」

 

「何度も言っている通り、貴方が向き合おうとするのなら、私もそうしたいのです……。今までは、恩を返す為だって思ってきました。でも、今は、単純に貴方に向き合いたいと思っています。佐久間さんの息子ではない、雨宮慎二という一人の人間に対して……」

 

嘘偽りのない瞳であった。

だがそれは、同情による一時のものにも見えて――。

 

「…………」

 

だが、今は――。

 

「そうか……。ありがとう、大淀。お前がそう言ってくれるなんて、本当、嬉しいよ」

 

そう言う俺の顔を見て、大淀は驚いた表情を見せた。

 

「どうした?」

 

「いえ……なんて言うか、雨宮さんって、そんな顔するんだなって」

 

「どんな顔だ?」

 

大淀は少し考えるふりをした後、悪戯な表情を見せて「内緒です」と言った。

 

「フッ……なんでだよ」

 

大淀の気遣いで、俺は肩の力を抜くことが出来た。

 

「雨宮さん、貴方の事をたくさん教えてください。そして、私の事もたくさん知ってください」

 

「あぁ、もちろんだ」

 

それから俺たちは、時間も忘れ、お互いの事を話し合った。

そこに、佐久間肇の話題は、一切出てこなかった。

大淀という艦娘と、雨宮慎二という人間。

一隻と一人。

まるで、世界には、その二つしかないように思われた。

それほどに、俺たちはお互いを理解することが出来たのだと思う。

全てではないにしろ、今の俺たちには、十分すぎる理解であった。

 

 

 

これ以上は踏み込み過ぎる話題になると、解散を提案した。

 

「すみません。こんな時間まで……」

 

「いや、とても有意義であった。お前の事を知れて、本当に良かった」

 

「私も、知れてよかったです。本当に」

 

海辺を歩く大淀の足取りは、どこかゆっくりとしていた。

俺の足取りも、また――。

 

「雨宮さん」

 

「なんだ?」

 

「大井さんの件、私にも協力させてください」

 

「え?」

 

「私の提案なら、大井さんも聞いてくれるって分かりましたので、雨宮さんの代弁者になりますよ」

 

「しかしお前……」

 

「私だって、このままではいけないと思っているんです。それに、きっと大井さんも同じことを考えて、雨宮さんに助けを求めてくると思います。雨宮さんだって、そう考えているのでは?」

 

確かに、大井がこのまま部屋にこもり続けるとは思っていない。

 

「大井さんはとても鋭い方ですし、雨宮さんと夕張さんだけでは、いつかきっとボロが出ます」

 

「お前なら上手くやれると?」

 

「えぇ」

 

自信に満ちた表情であった。

 

「……本当にいいのか? 一時の感情に流されるってのは……」

 

「そんな事ではないですよ。ただ……」

 

大淀はじっと俺を見つめた。

その表情は、とても可愛らしいというか――俺は思わず、ドキッとしてしまった。

 

「貴方なら、きっと――私はそれに、賭けてみたくなったのです。元々私は、そういう人たちをサポートするために、ここに居るのですから」

 

ハッキリとした理由は分からないままだが、とにかく今は、大淀の決意に身を委ねる方がいいのかもしれない。

そう思った。

 

「……分かった。お言葉に甘えさせてもらおう。頼んだぜ、大淀」

 

「はい!」

 

差し出されたその手を俺は力強く握り返した。

華奢で、少し冷たい手ではあったが、壊れることはなく――頼りになる手であった。

 

 

 

翌朝。

雨の音で目が覚める。

いつも来る駆逐艦二隻は、今日は来ないようであった。

 

「来なけりゃ来ないで、寂しいもんだな」

 

そんな事を一人呟き、身支度していると、大淀がやって来た。

 

「おはようございます」

 

「おう、おはよう。昨日は……」

 

昨日の事を言いかけると、大淀は何やら、睨みをきかせた。

黙っていろ、とでも言うように。

 

「朝食前にすみません。実は、お話があるという方が居まして」

 

そう言うと、大淀はそいつを呼んだ。

 

「大井さん」

 

「え?」

 

大井は俯きながら、門の方からゆっくりと歩いてきた。

 

「大井……」

 

「私は外した方が宜しいでしょうか?」

 

大井は首を横に振ると、不安そうに大淀を見つめた。

 

「……分かりました」

 

大淀は大井を縁側に座らせると、俺に目配せした。

俺も同じように座る。

 

「いや……びっくりしたぜ。一体、なんだって……」

 

「私も驚いています。今朝早く、大井さんからお話をいただきまして……。雨宮さんに話があるから、繋いでくれと……」

 

言葉とは裏腹に――驚く俺と違い、大淀の表情は冷静そのものであった。

予定調和だ、とでも言うように。

 

「話……ってのは?」

 

大井は膝の上で拳をつくると、考え込むかのように目を瞑った。

俺と大淀は、何も言わず、ただ大井の言葉を待っていた。

雨が次第に強くなって行く。

 

「ごめんなさい……」

 

開口一番に出た言葉は、謝罪であった。

 

「怪我……させたでしょ……。少し、やり過ぎたというか……」

 

少し、か……。

 

「いや……あれは俺が悪かったんだ。和を乱して悪かったな」

 

謝るためにここに来たという訳ではないのか、大井は、まるで俺の話を聞いていないようであった。

大淀もその事が分かっているのか、大井の新しい言葉を待っている。

 

「色々酷いことをして言うのもなんだけれど……助けて欲しいの……」

 

やはりそう来たか。

 

「助けて欲しいってのは、どういうことだ?」

 

「海軍よ……。私の事、疑っているって……」

 

予想通り、大井は話に乗って来た。

しかし、まさかこんなに早く決断するとは……。

やはり、大井は――。

 

「疑いを晴らしたいって事か」

 

大井は頷くと、顔をしかめた。

こんなことをあんたに頼むなんて、本当は嫌なんだ……とでも言うように。

 

「大淀さんの提案を呑もうと思っているの……。あんたと交流している姿を見せれば、海軍も私への疑いを晴らしてくれる……。そうですよね……?」

 

「確信はありませんが、今出来ることと言えば、それしかないかと……」

 

大淀がそう言うと、何だか本当にそれしかないように思えてくる。

まあ実際、そうなのだろうが……。

 

「雨宮さん、いかがでしょうか……?」

 

無論、その通りにするつもりだ。

するつもりなのだが……。

 

「…………」

 

先ほどから大井は、俺が二つ返事をしてくるものだと思って話しているようだ。

助けて欲しいとは言っているが、お願いをしているというよりも、それしかないから仕方なく……といった態度だ。

大淀をここに残したのだって、大淀が俺に泣きついてくることを知っているから――自分の代わりに発言してくれると確信しているからだろう。

その姑息さというか、追い詰められているのは自分なのに、まるで他人事のような――そんな偉そうな態度が――。

 

「気に入らないな」

 

「え……?」

 

「お前の言葉は、何一つ本物だとは思えない」

 

「は……?」

 

「あ、雨宮さん……?」

 

「協力は出来ない。お前が本気で現状を変えたいと思わなければな」

 

大井以上に驚いていたのは、大淀であった。

幸いにも、大井には見られていないようであった。

 

「話はそれだけか?」

 

大井はしばらく唖然としていたが、我に返ったのか、怒りの表情を浮かべた。

 

「ふ、ふざけんじゃないわよ! 何が、本気じゃない、よ!? 私は本気よ! そうじゃなかったら、あんたの所なんか……!」

 

「俺のところになんて来ないってか。それも気に入らんな。嫌々来ているという感じだ」

 

大淀も我に返ったのか、少し怒り気味で俺に迫った。

 

「雨宮さん……気に入らないからって、そんなこと……」

 

「それはお互い様だろ。俺はまだ、大井が何故、俺を目の敵にしているのか分からないんだぜ。俺からしたら、それは、気に入らないからと言われているのと一緒だ。違うか?」

 

大淀は、理解できないという表情を見せ、黙り込んでしまった。

 

「最初こそ、お前の為にと思っていたが、気が変わった。お前がその態度を貫くというのなら、俺もそうすることにする」

 

大井は俺の胸倉を掴んだ。

 

「大井さん……!」

 

割って入ろうとする大淀を俺は止めた。

 

「いいのか大井? 見てみろよ」

 

俺の指す方に、海軍の船が浮かんでいた。

 

「今度はしっかりと報告する。もう庇えないぜ」

 

大井は物凄い剣幕で俺を睨み付けると、そのまま突き飛ばした。

 

「いてて……」

 

「もういいわよ……。あんたに頼ろうとした私が馬鹿だったわ……」

 

「俺に頼ろうとしたのは正解だ。だが、お前の言う通り、お前が馬鹿だっただけだ」

 

大井は再び手を出そうとしたが、途中で止めた。

そして、何も言わず、傘もささずに出て行ってしまった。

 

「大井さん……!」

 

「放っておけ」

 

大井が完全に見えなくなったのを確認すると、大淀は俺を睨み付けた。

 

「何を考えているのですか……! せっかく大井さんが来てくれたというのに……!」

 

「それが間違っているんだ。来てくれたんじゃない。来なきゃいけなかったんだ」

 

「はい……?」

 

「あいつは知っていたんだ。あいつとの交流が、俺にとってプラスになることを。だから、あんな態度であったのだ。俺が断るはずがない。そんな安直な考えで、ここに来たんだ」

 

「そうだとしても、それが気に入らないからって……」

 

「気に入らなかったのは事実だ。だが、それ以外にも理由はある。そもそも、この作戦の本当の目的は、大井との交流ではない。大井が大井自身に向き合う事にあるんだ」

 

「大井さんが大井さん自身に……?」

 

「そうだ。あいつは、島を出ることに異様な拒絶を示している。その問題に向き合えなければ、作戦の意味がない。昨日、考えに考え抜いた結果が、今のような態度であったのなら、あいつは結局、その問題から逃げたという事になるんだ」

 

空が明るくなって行く。

どうやら通り雨のようであった。

 

「それに、仮に薄っぺらい交流をしたとしても、上官に見抜かれるだろう。交流の様子ではなく、俺の様子からそれを見抜く。そういう人なんだ」

 

「しかし、貴方から持ち掛けた作戦なんですよね……? だったら、貴方が止める事だって……」

 

「いや、もう俺の手を離れている。確かに俺が持ち掛けた。だが、上官は、俺が交流を成功させなければ、本気で大井を島から出すつもりだ」

 

「冗談ですよね……?」

 

俺は何も言わず、大淀の目を見つめた。

 

「……本当なのですか?」

 

「上官がこの島に来た時、耳打ちでそう言われた。もしそれが無かったら、俺は大井に今のようなことは言わなかった」

 

大淀はふと、海を見た。

雨はまだ降っているが、海軍の船は光の中にあった。

 

「……貴方の考えは分かりました。しかし、これからどうするというのですか……? あんなことを言っては、大井さんは……」

 

「いや、大井はまた俺に接触してくるはずだ。あいつは、何が何でも島を出たくないと考えているようだからな。きっと、今度は、態度を改めてくるはずだ。そうでなければ、また断る」

 

大淀は複雑そうな表情を見せた。

 

「まあ、そう言う事だ。協力してもらおうってのに、失望させて悪かった。そろそろ朝食の時間だろ。戻った方がいいんじゃないのか? 俺も身支度が済んだら、向かうよ」

 

そう言って、洗面所へ向かおうと立ち上がる。

 

「雨宮さん」

 

「なんだ?」

 

「私は、別に失望などしていません。ただ、悲しいと思っています……」

 

「悲しい……?」

 

「私を遠ざけようとしたじゃないですか……。失望なんてしていませんし、協力をしないなんて、私は言っていませんよ……」

 

大淀は、本当に悲しいと言うように、俯いて見せた。

 

「……そうだったな。悪かったよ。自分でも分かっているんだ。勝手やっているって。だからこそ、迷惑をかけまいと、避けてしまうんだ……」

 

「気持ちは分かります……。でも……」

 

「あぁ、分かっている。俺が少し、お前の優しさに慣れていないだけだ。傷つけて悪かった……。お前を頼りにしているよ。大淀」

 

「雨宮さん……」

 

「……少し待っていてくれないか。これからの事について、話したいことがあるんだ。寮に向かう途中にでも……どうかな……」

 

大淀は顔をあげると、少し恥ずかしそうに「もちろんです」と答えた。

俺もなんだか照れくさくなってしまって、そそくさと洗面所へと向かった。

 

 

 

食堂へ向かうと、大井は何事も無かったかのように座っていた。

俺を一瞥すると、すぐに視線を逸らした。

 

「提督、おはようございます」

 

「おはよう、鳳翔。お前らも」

 

向かいの席には、響と敷波が座っていた。

相変わらず、お互いに睨み合っている。

 

「提督、大淀さんと大井さんがそちらへ向かいましたよね? 何をお話しされたのですか?」

 

「あぁ……昨日、大淀が提言した件について、協力してくれと言われたんだ」

 

「そうでしたか! 良かったです……。では、これで全て解決ですね」

 

「いや、断ったんだ」

 

「「「え!?」」」

 

驚いた声が3つ。

鳳翔と敷波、そして響……ではなく、夕張であった。

 

「ちょっとちょっと! どういう事よ!?」

 

朝食の載ったおぼんを持って、夕張は俺に迫った。

 

「夕張、朝から騒がしいぞ」

 

「だって貴方……!」

 

俺は視線で大井を指した。

夕張はその意味が分かったのか、閉口した。

 

「皆さん揃いましたね!」

 

助け舟を出す様に、大淀はいつも以上に大声で、皆の視線を集めた。

 

「……訳は後で話す。今は大人しく座ってろ」

 

夕張は納得していない表情を浮かべながら、自分の席へと戻って行った。

 

 

 

朝食を済ませ、執務室へ向かうと、大淀と夕張が俺を待っていた。

 

「大淀、夕張」

 

「……大淀さんから全部聞いたわ」

 

大淀に視線を向ける。

 

「すみません。内緒にしていた方が良かったですか?」

 

「いや、そういう訳じゃないんだが……」

 

今度は夕張に視線を向ける。

案の定、不機嫌になっていた。

 

「断った件、言い分は分かるけれど……どうするのよ……?」

 

「とりあえず、大井がどう出るのか、様子を見ることにする。おそらく、あいつはもう一度、接触して来るだろう」

 

「そうだとして、あの大井さんが低姿勢で来るとは思えないのだけれど……」

 

「その時はその時だ」

 

「その時って……」

 

空気を変える様に、大淀が割って入る。

 

「私も夕張さんと同意見です。その上で、大井さんのとる行動ですが、おそらくは――」

 

それから俺たちは、ああでもないこうでもないと、意見を言い合ったが、結論はやはり、大井の様子を見ることで落ち着いた。

まあ、そこはいいんだ。

問題は……。

 

「では、私はこれで」

 

大淀が去って行くと、夕張はむすっとした表情で俺を睨み付けた。

 

「なんだよ?」

 

「……どうして大淀さんが知ってるのよ。この作戦……」

 

「仕方ないだろ。バレちまったもんは……。そもそも、バレた原因は、お前にあるんだぜ? お前の演技があまりにもヘタクソだったから……」

 

「だとしても、しらばっくれたら良かったじゃない。わざわざバラすなんて……」

 

そう言うと、夕張は急にセンチメンタルになったのか、膝を抱え始めた。

 

「でたな」

 

「でたとか言わないでよ……」

 

こうなると、面倒くさいんだよな……。

 

「なんかさ、大淀さん……貴方の事を相当信頼している感じだったけれど……。昨日の夜、何を話したのよ……?」

 

「別に。大した話じゃない。お互いの事、よく知らないもんだから、話をしただけだ」

 

「大淀さんが貴方の事を? ふぅん……。今までそんな態度、とったことないのに……。どういう心境の変化かしら……?」

 

「さぁな」

 

俺はあえて、冷たく対応することを選んだ。

案の定、夕張は不安そうな表情で俺を見つめた。

 

「……面倒くさいって思ってるでしょ」

 

「あぁ、思ってる。何て言うか、彼女だったら、束縛してきそうなタイプだなって」

 

「彼女出来たことあるの……?」

 

「……ない」

 

「ないのに、そんな偉そうなこと言っちゃうんだ……」

 

俺はわざとらしく、大きなため息をついて見せた。

 

「……ごめんなさい。なんか、不安になっちゃうのよ……。今までこんなこと、なかったのに……」

 

「……まあ、気持ちは分かるぜ。お前、一人でなんでもこなそうと考えて来たような奴だろ。そういう奴は、自分だけではどうにもならなくなると、そうやってウジウジしだすんだ。特に、他人の心情による問題に突き当たった時、そうなるんだ」

 

「……よく知ってるじゃない」

 

「今適当に考えたんだ。案外当たるもんだな」

 

そう言って笑ってやると、夕張も膝を解いて、小さく笑った。

 

「元気出たか?」

 

夕張は答えることなく、ただ窓の外に目を移した。

 

「夕張?」

 

「なーんかさ……私って、いっつも貴方に慰められてて、嫌になっちゃった……」

 

「なんだそりゃ」

 

「貴方が遠くに感じられるって言うか、貴方に近づきたいとか、貴方の為にって思う事、全部誰かにとられちゃうっていうかさ、私の手を離れて行っちゃうって言うか……」

 

結露した窓に、夕張は指で落書きを始めた。

 

「前にもそんな話をしてなかったか?」

 

「そうだっけ?」

 

「あぁ、そん時は、なんか勝手に納得していたけれど」

 

「あぁ、そう言えばそうだったわね」

 

夕張が告白してきた時の事だ。

 

「あの時みたいに、勝手に元気になれよ」

 

「そうしたいのだけれど、貴方があんなことしたじゃない?」

 

そう言うと、夕張は再び膝を抱えた。

しかしそれは、先ほどとは違う意味が込められていた。

 

「あんなことってなんだよ?」

 

「とぼけないでよ。ほら、ここに、ちゅって」

 

そう言うと、夕張は自分の頬を撫でた。

少しニヤけた顔をしながら

……あぁ、そういうことか。

 

「その演技をあの時できていたら、大淀にもバレずに済んだのかもな」

 

俺は馬鹿馬鹿しくなって、立ち上がった。

夕張は、俺に『おまじない』をさせるため、ひと芝居うったようであった。

 

「演技じゃないわよ。本当に不安になったのよ。大淀さんと貴方、いい感じだって思っているし」

 

「あまり俺に体力を使わせないでくれ……。ただでさえ、病み上がりなんだからよ……」

 

「自分は大丈夫だって言っていたじゃない」

 

「それは怪我の具合の話だ。精神的には疲弊しているんだよ……」

 

「ふぅん。とてもそうは見えないけれど」

 

そう言うと、夕張はニヤニヤとし出した。

 

「……なんだよ? 気持ち悪いな……」

 

「いえ、なんていうか、やっと私のペースに持ってこれたなって。私の手に戻ってきた感じ?」

 

「なんだそりゃ……」

 

夕張は嬉しそうに笑って見せると、明石に呼ばれて執務室を出て行った。

本当、悲しそうにしたり嬉しそうにしたり、よく分からない奴だ……。

 

「ったく……フッ……」

 

だが、そうやって振り回されるのも――。

 

「いや、やっぱり疲れるわ……」

 

 

 

癒しを求める様に、俺は、外の水たまりで遊ぶ駆逐艦たちの様子を古びたベンチに座って見つめることにした。

 

「提督さん」

 

「鹿島」

 

「隣、宜しいですか?」

 

「あぁ、構わないぜ」

 

鹿島はニコッと笑って見せると、そっと俺の隣に座った。

 

「昨日、不安に駆られていた奴らとは思えんな」

 

「まだ不安なのでしょうけれど、立ち直りは早い方なんです。あの子たち。提督さんに慣れるのだって、早かったじゃないですか」

 

慣れるのが早い……か。

俺としては、永い方だったのだがな……。

 

「そう言えば、聞きましたよ。大井さんとの交流を断ったそうですね」

 

「あぁ……まあな……」

 

「理由は何となくわかります。私も同じような感じで、提督さんとぶつかりましたから」

 

そんな事で鹿島と話していると、急にベンチが沈んだ。

俺の隣に無理やり誰かが座ったようであった。

駆逐艦の誰かかと思って目を向けると――。

 

「……噂をすれば何とやら、だな」

 

大井は俺に視線を向けず、ただ駆逐艦たちの方を見つめていた。

 

「大井さん……」

 

「どうした? 態度を改めたのか?」

 

「別に……。私はただ、駆逐艦の様子を見に来ただけよ……。あんたが変な気を起こさない様にね……」

 

……なるほど。

そう来たか……。

 

「読めたぜ。本命は、俺と居るところを海軍にアピールするため、だろ?」

 

大井は答えなかったが、鹿島は純粋に驚いていた。

 

「そんな事をしても、意味はないぜ。やつらにはすぐバレる。それに……」

 

俺は鹿島の手を取った。

 

「て、提督さん!?」

 

「行こう鹿島。おーい、お前ら! 俺らもまぜてくれよ!」

 

駆逐艦たちは「いいよー」と返事をしてくれた。

 

「俺はお前を徹底的に避けるぜ。行くぞ、鹿島」

 

「は、はい!」

 

心配そうに見つめる鹿島と違って、俺は一切、大井に目を向けることはなかった。

 

 

 

お昼になり、駆逐艦たちは寮へと帰っていった。

 

「大井さん、いつの間にか寮に帰ったみたいですね……」

 

「そのようだな」

 

鹿島は急にムッとした表情を見せた。

 

「なんだ?」

 

「提督さん、さっきは言えませんでしたが、急に手を掴まないで下さい……。びっくりしちゃいました……」

 

「あぁ、悪い……。咄嗟の事で……。嫌だったか?」

 

「嫌……ではないですけれど……。私だって……女の子なんですよ? もっと丁寧に扱っていただかないと……」

 

「悪かったよ。すまない……」

 

「……提督さんには、女の子を丁寧に扱う練習が必要かもしれませんね」

 

そう言うと、鹿島は手を差し出した。

 

「今度は優しくしてください。寮まででいいので」

 

「あ、あぁ……分かった」

 

俺は鹿島の手を取った。

今度は優しく、誘導してゆく。

 

「そう、お上手ですよ。提督さん。うふふ」

 

何が嬉しいのか、鹿島は終始、笑顔でいた。

俺はなんだか照れくさくて、鹿島の顔をまともに見れずにいた。

 

 

 

昼過ぎになると、今度は執務室に大井はやって来た。

 

「おう、どうした? 流石の海軍も、執務室は見れていないぜ?」

 

「違うわよ……。その……分かったわよ……」

 

「分かった? 何がだ?」

 

「態度! その……私の態度が悪かったのを認めるわ……。ごめんなさい……」

 

「それで?」

 

「それでって……。だから……その……私にかかっている疑いを晴らすために……協力して……ください……」

 

そう言うと、大井は俯いてしまった。

 

「どうしてそこまでして、疑いを晴らしたい? いや……どうしてそこまでして、島を出ることを恐れているんだ?」

 

「……それは、あんたには関係ないでしょ。協力してくれるのかしてくれないのか……どっちなのよ……?」

 

「しない。お前がその理由を教えてくれるまではな」

 

そう言ってやると、大井の態度は一変した。

 

「はぁ!? ふざけんな! こっちが下手に出ているからって、調子に乗ってんじゃないわよ!」

 

「本性現したな。やっぱり態度を変えてないじゃないか」

 

「あんたがその態度なら、私だって変える気はないわよ!」

 

「なら、話はこれで終わりだな。帰れ」

 

シッシと追い払うジェスチャーをしてやると、大井は凄い剣幕で部屋を出て行った。

入れ替わるように、大淀と夕張が訪ねて来た。

 

「聞いてたわよ……。貴方……一体どうしたいって言うのよ? まさか、ただ大井さんをからかっているだけじゃないでしょうね……?」

 

「そんなことはしていない。あいつに言った通り、理由を話してくれない限り、協力はしない」

 

「雨宮さんもそうですけれど、大井さんも中々ですね。これは、どっちかが折れるまで終わらないのでは?」

 

「かもしれんな」

 

「かもしれないって……。はぁ……じゃあ、もう私たちに出来る事ってないじゃない……」

 

「夕張さんの言う通りかもしれません。私たちに出来るのは、大井さんか雨宮さん、どちらかが折れた後の事でしょうね」

 

大淀がそう言うと、夕張は大きくため息をついた。

 

「さっさと折れたらいいじゃないのよ……。提督も強情よね……」

 

「そういう人なんですよ。そこが強みなのでしょうけれど」

 

大淀の言葉に、夕張はムスッとしていた。

 

「とにかく、ここからは気力の勝負だろう。時間が進めば進むほど、あいつも焦ってくるはずだ。こっちが焦る必要はないだろう」

 

とは言え、上官側が何を仕掛けてくるか分からない以上、こっちとしては焦りたい気持ちもあるのだがな。

 

 

 

それから数日間、俺と大井の攻防は続いた。

大井は駆逐艦を使って、俺との交流を図ったが、敷波のリークにより、それは阻止された。

また、周りの奴らに情で訴えかけたらしく、それに引っかかった明石や武蔵、響以外の第六駆逐隊などが俺の説得を始めていた。

 

「可哀想だとか、そういう問題じゃないんだ……。悪いが、ここは俺に協力してくれないか? これも大井の為なんだ……」

 

大井の情に流されるような奴らだ。

俺の情にも簡単に流され、大井の計画はまたも破綻した。

 

「いい加減に話したらどうだ? こうしている間にも、刻一刻と時は過ぎて行くんだぜ」

 

そう気まぐれに説得してみたが、大井は諦めなかった。

今度は、大和や鈴谷などの反対勢力を味方につけたようで、俺を非難する垂れ幕をつくり、海軍へ向けてそれを掲げようとし始めた。

が……。

 

「そんな事をしては、大井さんが雨宮さんと敵対しているのだと主張するようなものです」

 

との、大淀の冷静なアドバイスもあり、これも断念。

なすすべがなくなって行く大井は、日に日に絶望の表情を浮かべるようになっていった。

 

 

 

そんなある日。

上官が俺を呼び出した。

 

「期限を設ける……?」

 

「そうだ。いつまでもこのままではいけないと思ってね。監視をするのにも金がかかるし、世間も、ここ最近の我々の行動を怪しんでいる」

 

「……期限はいつまでですか?」

 

「二日間、明日と明後日の二日間だ。それ以上はない」

 

「二日間……!? そんな……。まだ十日ほどしか経っていないし、二日間ってのは……あまりにも……」

 

上官の鋭い瞳が、俺を突き刺した。

 

「『まだ』十日……? 十日間も海軍を動かして、まだとはどういうことかね……? 君はいつから、そんなに偉くなったんだ……?」

 

俺は思わず、息を呑んだ。

 

「成果をあげられなかったのは君の責任だろう? それを時間のせいにするのかね……? しかも君は、時間を与えなかった我々を責めようというのか……?」

 

「い、いえ……そんなことは……」

 

「そんなことはなんだね? いいかね……? 私は、君に期待して、上層部をごまかして、今回の作戦を決行したんだ。それが失敗に終わるならまだしも、我々のせいにしようとは……」

 

俺は何も言えず、ただ俯いていた。

 

「とにかく二日間だ。二日間で大井と交流ができなければ、彼女は強制的に島を出ることになる。彼女の暴行は、君の体が証明してくれているから、庇うことは出来ないよ」

 

そう言い終えると、上官は窓の外に見える島を見つめた。

 

「しかし、良かったじゃないか。大井が島を出れば、君の功績は大きなものとなるだろう。出世、間違いなしだ」

 

それからどうしたのか、よく覚えていない。

気が付くと俺は、島が良く見える堤防の上で、潮風にさらされながら、ただぼうっと座っていたのであった。

 

 

 

一刻も早く島に戻りたかったが、船の調子が悪いようで、俺は本部のカフェで待たされることとなった。

 

「お、雨宮君じゃん。珍しいね。こんな時間に」

 

「北上さん……。いや、船の調子が悪いようで、戻れないんです……」

 

「そうなんだー。んじゃ、船が直るまで付き合うよ。あたし、今日から三日間、『検査』でここにいることになってさー、暇なんだよねー」

 

『検査』、か。

島を出た艦娘は、定期的に『検査』に呼ばれる。

やっていることは人間の健康診断と変わらないが、意味合いとしては、データを取っていると言った方が正しいだろう。

 

「ほい、コーヒー。あたしの奢りー」

 

「あ、どうも……」

 

北上さんは自分のコーヒーを啜ると、俺の隣にドカッと座った。

 

「で? どったのよ?」

 

「え?」

 

「なんか、元気無さそうじゃん。こんなあたしで良かったら、相談に乗るよ?」

 

解決しないかもしれないけど、と北上さんは付け加えた。

話したいのは山々だったが、今回の作戦は、北上さんどころか、一部の海軍にしか知られていないことであった。

 

「いや……なんでもないです。なんて言うか、ちょっと疲れているだけですよ」

 

そう言う俺に、北上さんは小さくため息をついて見せた。

 

「嘘は感心しないなー」

 

「え?」

 

「まー、なんてーの? 隠さなきゃいけないことがあるって事なんだろうけどさ、何でもないってことはないっしょ」

 

見透かしているかのような瞳。

大淀のものとは違い、じわじわと距離を詰められているような――あまり心地の良い視線ではなかった。

 

「……大井っちのこと?」

 

俺は何も言わなかった。

だが、それが答えだと北上さんも分かっているのか、それ以上問い詰めることはしなかった。

 

「……あたしと大井っちはさ、昔から仲が良かったわけじゃないんだよね。どっちかって言うと、ライバル……みたいな?」

 

北上さんは思い出すかのように、目を瞑った。

 

「あたしと大井っちに実力の差はなかったんだけど、海軍の評価は別でさ。あたしの方が上だって言われていたんだー。大井っちはそれが許せなかったみたいで、よく勝負を挑まれたっけ」

 

聞いたこともない話であった。

 

「勝つのはいつもあたしだった。大井っちは、悔しくていつも泣いていた。『自分がここにいるのは、戦う為だ』『誰にも負けてはいけない』ってさ……。そんなある日、近海で深海棲艦が攻めてくることがあって、あたしと大井っちは、一緒に出撃することになったんだ」

 

「もしかして……大嵐だったという……」

 

「そう、それ。戦ってる途中、すっごい嵐が来てさ――」

 

北上さんが話してくれたその戦いは、歴史の本で読んだことがある。

だが、本に書かれていたこととは違って、幾分かマイルドな内容に聞こえるのは、北上さんが話すからだろうか。

 

「――お互いに酷い格好で帰還して、安心したのもあってか、笑い合うことが出来てさ、それからよく話すようになったんだ。後から聞いたことなんだけど、大井っちはずっと、あたしに勝ちたいと思う反面、憧れを抱いていたみたいでさ、慕ってくれるようになったんだよね」

 

大井は北上さんに対して、かなりご執心だったと聞くが、それが理由だったのか。

 

「二人で色んな困難を乗り越えて来た。空母と雷巡が二杯ずつ、戦艦が一杯、しかも、旗艦は駆逐艦って、無茶苦茶な編成の時もあってさ――」

 

北上さんは、本当に嬉しそうに、大井とのエピソードを語った。

 

「――まー、なんてーの? そうやってさ、最初はぶつかっていたあたし達だったけど、最終的には仲良くなれたからさ、きっと、雨宮君も同じようになれるよって話」

 

どうやら、北上さんなりに励ましてくれたようであった。

 

「北上さん……」

 

「大井っちも、なんやかんや言って、雨宮君の事が気になってると思うよ。あたしと大井っちは、似たようなところがあるからさ」

 

そう言うと、北上さんは俺をじっと見つめた。

 

「北上さん?」

 

「……ん、なんでもない。そういえば雨宮君さ、あたしに対して敬語じゃん? いい加減、タメ口で話してよー。山風にだってそうしてるじゃん」

 

「タメ口ですか……。そんな、恐れ多いですよ……」

 

「いいじゃん。大井っちにもタメ口なんでしょ? だったらさー」

 

北上さんは詰め寄ると、逃がさないと言うようにして、俺の肩に腕を伸ばした。

 

「……分かりました。じゃあ……タメ口で……話す……」

 

「ん、いいねー。あたしの事も、これから呼び捨てね?」

 

「はぁ……分かりました……」

 

「分かった、でしょ?」

 

「……あぁ、分かったよ。北上……」

 

「ん、よろしい。二ヒヒ」

 

それから北上さん……北上は、何が嬉しいのか、満面の笑みで俺との会話を楽しんでいた。

きっと北上は、俺を佐久間肇に重ねているのだろう。

複雑な気分ではあるけれど、北上が満足なら、それでいいかな。

 

「なんか、もう友達って感じじゃん? あたしたち!」

 

「あぁ、そうだな」

 

友達にもなれたしな。

 

 

 

結局、島に帰れたのは、夜になってからであった。

迎えてくれたのは、なんと、大井であった。

 

「お帰りなさい、提督」

 

つくったような笑顔に、俺も重さんも苦笑いしてしまった。

 

「重さんは海軍の人間じゃないんだから、アピールしたところで無駄だぜ。海軍も、今日はもう港に戻っている」

 

そう言ってやると、大井はいつもの調子を取り戻した。

 

「あっそ……。迎えに来て損したわ……」

 

「そうかもしれないな」

 

重さんを見送る間、何故か大井は待っていてくれた。

 

「さて……」

 

「……ねぇ」

 

「ん、なんだ?」

 

「あんた……いつまで意地を張っていくつもりなのよ……。私の為とか言って……結局、邪魔ばかりしてきて……」

 

「こっちの台詞だ。お前がちゃんと話してくれたら、俺は協力すると言っているのに……」

 

「それは、昨日話したじゃない!」

 

そう。

実は昨日、大井は俺に、この島に残る理由を話してくれていた。

 

「『駆逐艦の為』。そんな嘘が、俺に通用するとでも思ったか?」

 

「本当の事よ! 現に私は、駆逐艦の面倒を見ているし……!」

 

「駆逐艦の面倒なら、鹿島でも出来るし、別にお前でなければいけない必要はない。それに、お前はそうやって、他者を盾にする癖がある」

 

図星なのか、大井は何も言わず、ただ俺を睨み付けるだけであった。

 

「大井、そろそろ話してくれてもいいんじゃないのか? 島を出たくないのだろう?」

 

大井は黙り込んだまま、俯いてしまった。

 

「……実は、もう時間がないんだ。先ほど、上官に言われたんだ。明日と明後日の二日間で進展が無ければ、お前を島から追い出すってな」

 

「え……? 嘘でしょう……? だって、いくら私に疑いがかかっているからって、証拠もないのにそんな事が許されるわけ……!」

 

「嘘じゃない。それに、証拠はあるんだ……。もう時間がないから、正直に話すぜ」

 

それから俺は、大淀と夕張が絡んでいることは伏せ、それ以外の事の全てを大井に暴露した。

話を聞いている大井の表情は、徐々に怒りに満ちていった。

 

「じゃあ……何……? これは全て、あんたの仕業だっていう訳……?」

 

「あぁ……その通りだ……。俺が全て海軍に指示したことだ。だが、話した通り、今は俺の手を離れている。上官にしてやられた」

 

瞬間、大井は俺の胸倉を掴み、そのまま張り倒した。

 

「ふざけんな……! 何が私の為よ……!」

 

「……悪いとは思っていない。こうでもしなければ、お前は俺に向き合おうともしなかっただろう。それに、きっかけをつくったのはお前だ。お前が俺に暴行を加えなければ、この作戦はなかった」

 

怒り狂う大井と違って、俺は冷静であった。

 

「北上から色々聞いたよ。お前と何があったのか……」

 

「……!」

 

「佐久間肇……。お前は、そいつを恨んでいるそうだな。お前が好きだった北上を変えた、その男を……」

 

大井の反応が、明らかに変わった。

 

「どうして俺が、お前にこの島に残る理由をしつこく聞くのか……。それは、お前が本当に、佐久間肇を恨んでいるだけで――佐久間肇に反抗する為だけに、この島に残っているわけではないからだと踏んでいるからだ」

 

大井は深く目を瞑ると、振り上げていた拳を下げ、冷静に口を開いた。

 

「……そう。北上さんから全てを聞いたのね……。その通りよ……。私は、佐久間肇を恨んでいる……。奴に反抗するために、この島に残っているのよ……。それ以上でもそれ以下でもない……」

 

だが、その冷静さが却って、大井の嘘を暴いているようであった。

 

「だとするならば、なぜ今まで、それを隠していた……? 自分の危機に直面してなお、隠し通していたのは何故だ……?」

 

「……あんたに反抗するためよ。余計な事は話したくなかったし、あんたさえ折れれば……そう思っていただけ……」

 

大井は目を逸らした。

嘘をついている奴の行動であった。

 

「俺は、お前が抱えている問題を解決したいと思っている。お前はこの先も、そうやって嘘をつき続けるのか……?」

 

大井は黙ったまま、こぶしを握り締めた。

 

「大井……このまま成すすべなく、島を出るのは嫌だろう……? だったら……」

 

「……あんたなんかに分かるわけがない。分かってたまるか……」

 

「分かってみせる。だから、俺を信じてくれ……」

 

それを聞いて、大井の目の色が変わった。

 

「私は信じない……。もう二度と……信用しないって決めたのよ……」

 

「え……?」

 

「結局……あんたもあいつと同じよ……。また……私の事を……」

 

大井は立ち上がると、そのまま寮へと戻って行ってしまった。

 

「大井……!」

 

追いかけようとする俺の手を誰かが止めた。

 

「大淀……」

 

大淀は首を横に振ると、俺の手を離した。

 

「……聞いていたのか」

 

「えぇ……。大井さんが船を待っているところから……」

 

全部か……。

 

「どう思った……? やはりあいつには、何か事情があるようであったが……」

 

「『もう二度と信用しない』『あいつと同じ』……というのは、おそらく、佐久間さんの事ではないかと思います……」

 

「しかしあいつは、佐久間肇を恨んでいるのだろう? 一度だって、信用したことがあるとでも言うのか?」

 

「それは分かりません……。しかし、話の内容からして、大井さんと佐久間さんの間に、何かあったのは間違いないかと思われます……。それも、北上さんですら知らない、何かが……」

 

やはりそうか……。

しかし、期限が迫っていると知って尚、話せないことというのは……。

 

「今は待ちましょう……。時間はありませんが……今の大井さんに何を言っても、おそらくは……」

 

「……あぁ、そうだな」

 

その日、大井が部屋を出てくることはなかった。

 

 

 

翌日。

期限が迫っていることは、大淀によって皆に知らされた。

 

「皆さんの持っている情報をかき集めるためにも、知らせた方が宜しいかと……」

 

大井と佐久間肇。

その関連性を紐解こうと皆に協力を仰いだが、結局、大井が一方的に佐久間肇を嫌っていたという事以外、情報が出てくることはなかった。

 

「大井さん、昨日の夜からずっと、部屋から出てきていません……。食事もとっていないようですし……」

 

「…………」

 

俺も何度か呼びかけてみたものの、返事はなかった。

結局この日も、大井が姿を見せることはなかった。

 

 

 

翌日。

明日には上官がやってくる。

しかし、大井はやはり部屋から出てこない。

 

「どうするのよ……。明日でしょ……?」

 

「そう言われてもな……」

 

「もしかして大井さん……腹をくくっているんじゃないですか……? 島を出てもいいって……」

 

明石がそう言うと、皆も同じ考えなのか、黙り込んでしまった。

 

「そうならそうというはずだし、あいつの事だから、どうせならと俺をボコボコにしてくるだろうよ」

 

そうだ。

大井はまだ、考えているはずだ。

そしてきっと――。

 

 

 

日付が変わったことを時計が知らせる。

俺は執務室で、大井が訪ねてくるのを待っていた。

 

「失礼します」

 

「大淀」

 

「いかがですか……? 大井さん、いらっしゃいましたか……?」

 

「いや……まだだ……」

 

大井が訪ね易いように、皆には部屋から出ないでいてもらっている。

 

「上官が来るのは、朝方の六時だと聞く。まだ時間はある」

 

「しかし……」

 

大淀が焦るのも分かる。

あと六時間弱で、大井が来なければ――訪ねて来たとしても、大井が話さなければ――。

 

「雨宮さん……ここは折れませんか……? 大井さんとの交流を演じて、少しでも時間稼ぎが出来れば……」

 

「それでは意味がないし、そうでなくてもすぐにバレるだろう。そうなった時、俺もこの島に居られるかどうか……」

 

そうだ。

もしバレたとして、それを隠蔽するようなことがあったら、俺ですらも……。

 

「……こんな時」

 

俺も弱っていたのだろう。

思わず、口にしてしまった。

 

「こんな時……佐久間肇だったら……どうしたのだろうな……」

 

その言葉に、大淀は大層驚いていた。

 

「驚きました……。貴方の口から、そんな言葉が出てくるなんて……」

 

「……俺も驚いているよ。だが、お前の言葉を信じる限り、大井は何かしら、佐久間肇に心を開いた瞬間があるという事だろう? それが、どんなことだったのだろうと思ってな……」

 

大淀は、どんな言葉をかけていいのか、分からないという様子であった。

 

「佐久間肇と同じ血を引いていることが、本当に嫌だった……。そっくりだと言われるのも……。だが、こうなってみると、同じ血を持っていて、どうして大井の心を開くことが出来ないのだと、悔やんでしまう自分がいる……」

 

「雨宮さん……」

 

「父親としてのあいつが嫌いだった……。軍人としても……。だが、この島に来てみて――こうして同じ立場になって、痛感することもある……。嫌だと思っていても、それは事実なんだ……」

 

項垂れる俺の手に、大淀はそっと、自分の手を重ねた。

 

「それでも、貴方は貴方のやり方を貫くことです……。佐久間さんがどうするのかなんて、そんな事を考えても、あの人はもういません……。確かめようがないのです……」

 

「大淀……」

 

「貴方は精一杯やりました……。佐久間さんですら、こんな短期間では、大井さんとまともに会話が出来ていませんでした……。誇るべきです……」

 

俺は首を横に振った。

 

「誇れるわけがない……。俺はまだ、何も成し得ちゃいないんだ……」

 

「……自分に厳しすぎます」

 

「努力ってのは、報われなきゃ努力とは呼べない……。それ以外は、ただの足掻きだ……」

 

大淀は俯くと、今にも泣きだしそうな顔を見せた。

慰められないことを悔やんでいるのだろう。

 

「そんな顔をするな。俺はまだ、諦めちゃいないんだ。最後まで足掻いて見せるさ」

 

「ごめんなさい……。私……何も出来なくて……」

 

「いや……お前は俺の心の支えになっている。幾分か、気分が楽になった」

 

「雨宮さん……」

 

「部屋に戻ってろ。大井が来れなくなってしまう」

 

「……分かりました」

 

部屋を出る直前、大淀は立ち止まった。

 

「どうした……?」

 

「……雨宮さん」

 

「なんだ?」

 

「私は……貴方が間違った行動をしたとは……思っていません……。自分を責めるのは勝手ですが……そう思っている私が居る事を……忘れないでください……。私は……誰でもない『貴方の』味方です……」

 

そう言って、大淀は出て行った。

 

「……ありがとう」

 

 

 

夜明けが迫っている。

大井はやはり、執務室に来ることはなかった。

 

「……大井、起きているか?」

 

俺は大井の部屋の前に立って、扉越しに語り掛けた。

 

「そろそろ夜明けだ……。このままだと、お前は……」

 

返事はない。

起きているのかどうかすら、分からない。

 

「……悪かった。こんなことになるなんて――いや、こうなる前に、お前との交流が出来るものだと、俺は思っていたんだ……」

 

扉に寄り掛かるようにして、俺は座り込んだ。

 

「考えが甘かった……。もっとお前に迫れるものだと思っていた。時間も、たっぷりあるものだと思っていた。強情になって、お前が俺にすがって来て、全てを話してくれるものだと思っていた……」

 

反応はない。

 

「けれど……お前が背負う苦しみの方が、大きかった……。俺に抱え込めるだけの力が無かった……。分かったような口を利くようで悪いが……お前はずっと、そうやって苦しんできたんだな……。俺はそれを甘く見ていた……。お前を見れていなかった……」

 

反応はない。

 

「綺麗ごとだと言われてもいい……。偽善者だと――ペテン師だと言われてもいい。ただ一つだけ……信じて欲しいことがあるんだ……」

 

反応はない。

 

「俺は……お前を追い出したいからこうしたわけじゃない……。心の底から……お前に向き合ってほしかったんだ……。お前自身に……」

 

反応はない。

 

「俺を信じなくとも、お前はお前自身の事を信じて欲しい……。自分が本当はどうしたいのか……何を苦しんでいるのか……それに向き合って欲しいんだ……」

 

反応はない。

食堂の方が明るくなって行く。

夜明けだ。

 

「……それだけだ。じゃあな……。外で待ってるぜ……」

 

それだけ言って、俺は寮を飛び出した。

 

 

 

上官は六時きっかりにやって来た。

島の艦娘たちは、少し離れて、その様子を窺っていた。

 

「上官……」

 

「期限は過ぎた。見たところ、君は成し遂げられなかったようだな……。残念だよ……」

 

そう言って、上官は大きくため息をついた。

 

「約束通り、大井を引き渡してもらう。準備は済んでいるのだろうね……?」

 

「その事なのですが……。上官にご提案があります……」

 

「提案……? この期に及んで、一体何を提案すると?」

 

海軍連中がざわつく。

何も聞かされていない艦娘たちも、同じように。

 

「今回の一件、全ては私から提案したもので、大井を交流に誘い込むための自作自演であることは、言うまでもありません」

 

これには、艦娘たちが驚きの声をあげた。

一部の海軍連中は、苦い表情を見せた。

 

「……続けたまえ」

 

「無論、この事が知られれば、世間どころか、全世界から非難されることでしょう。この作戦の指揮を執っている貴方の身に何が起こるのか……想像に難くないはずです……」

 

後輩が飛び出してきて、俺の胸倉を掴んだ。

 

「慎二さん……! あんた……自分が何を言っているのか分かっているのか……!?」

 

「あぁ、分かっているさ……。手を離せよ……」

 

上官に諭され、後輩は下がっていった。

 

「なるほど……脅迫か……。考えたな……雨宮……。それで? 提案とは何かね……?」

 

「この事を黙っていてほしければ、大井の件は取り消してほしい……」

 

海軍連中の怒号が飛ぶ。

艦娘たちは息を呑んで、動向を見守っていた。

 

「ただ、十日間も海軍を動かしたのだ……。貴方たちの立場もある……。ここからが提案だ……。大井の件を取り消してくれるというのなら、今回の一件全ての責任を俺が被ります……」

 

ざわつく連中。

たまらず、大淀が飛び出してきた。

 

「雨宮さん、貴方なにを言って……!」

 

「昨日……いや、さっき考えたことだ。大井が自分に向き合うには、もうこれしかない……」

 

「だからと言って……!」

 

「大井には悪い事をした……。その償いも込めて、決めた事なんだ……。悪いな、大淀……」

 

何か言いたげな大淀を無視し、上官に向き合う。

 

「無論、今回の一件でかかった費用のすべては、私が返済いたします」

 

「とても君が払えるような金額ではなのだがね」

 

「一生をかけて返済します……。それまで……どんなことでもやります……。どんな責任も、どんな罪も、私は甘んじて受け入れる……。その覚悟です……」

 

「雨宮さん……!」

 

「……分かった。そこまで言うのなら仕方がない。その提案を受けよう」

 

「上官……」

 

「連れていけ」

 

後輩たちは、俺の腕をつかむと、そのまま船の方へと歩いていった。

 

「提督!」

「司令官!」

 

皆の声に、俺は振り向くことが出来なかった。

 

「雨宮さん……!」

 

悪いな、皆……。

結局、俺も佐久間肇と同じだったようだ。

お前たちを裏切る結果となってしまったようだ。

 

『決して貴方を捨てたわけじゃないの。あの人にしか救えない『命』があったの。だから、お父さんを恨んでは駄目よ、慎二』

『分かってるよ、母さん』

 

「…………」

 

ごめん、母さん……。

結局、俺も――。

 

「待ちなさいよ……!」

 

その声に、俺は思わず振り向いた。

泣きじゃくる皆の顔の向こうに、大井は息を切らして立っていた。

 

――続く



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9話

嫌いになればなるほど、それについて詳しくなってゆくことがある。

『ゴキブリの味は、エビに似ている』だとか『ゴキブリは頭が無くても、およそ1週間生きられる』のような、知りたくない、絶対に知らなくていいことまで、知ってしまう。

あいつもそうだった。

ゴキブリの様にどこにでも居て、ゴキブリの様に忙しなく動いて、ゴキブリの様に死んでいった、あいつのことも――。

 

「俺を信じて、ついてきてほしい」

 

差し出された手を私は――。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

大井は速足で俺に近づくと、胸倉を掴んだ。

 

「ふざけんな……! あんた……何勝手な事を言ってんのよ……!」

 

「大井……」

 

「正義面して……私を庇ったつもり……!? 気持ち悪いのよ……!」

 

捲し立てる大井。

何故、そこまで熱くなっているのか、俺には――いや、皆も分かっていないようであった。

 

「……勝手な事をして悪かった。だが、これで良かったんだ。お前も、俺が出て行くことになって、嬉しいんじゃないのか?」

 

大井は何やら複雑そうな表情を見せると、俺を突き放した。

 

「……そうね。清々するわ……。でも……やっぱりムカつく……! あんたなんかに庇ってもらって……この先もこの島で生きて行くなんて……!」

 

「だったらどうするというのかな?」

 

上官が出て来て、大井に詰め寄った。

 

「せっかく雨宮が庇ってくれているんだ。それなのにわざわざ出てくるとは。君がかわりに島を出てくれるとでも?」

 

大井は答えない。

――いや、或いは答えられなかったのだろう。

 

「黙って見送ればいいものを……ここにこうして来たという事は、何か後ろめたい事でもあったのではないかね?」

 

「……違う。私は、ただこいつが勝手な事をしたから……」

 

「それを怒りに来たという訳かね。もう会う事のない男に。自分が連れ去られてしまうかもしれないリスクを背負って」

 

上官が何を言いたいのか、俺には分からなかった。

だが、大井は何か感じ取ったようで、上官を睨み付けていた。

 

「……まあいい。君が島を出ないというのなら、このまま雨宮を連れて行く。有難迷惑だと思うのは勝手だが、そんなことはすぐに忘れてしまう事だ。気にすることはないよ」

 

そう言って、上官は大井の肩をポンと叩いた。

 

「雨宮、せかっく大井が来てくれたんだ。お別れを言うくらいは許そうじゃないか」

 

上官は俺を大井の前に立たせると、一歩下がった。

お別れか……。

 

「大井……」

 

「…………」

 

「……余計なお世話かも知れないが、一言だけ言わせてくれ」

 

「…………」

 

「自分を信じてやれ。お前が何を苦しんでいるのかは分からないが、それを救ってやりたいと思っている奴は、たくさんいるはずなんだ。その救ってやりたいと思っている奴を信用するには、まずはお前がお前自身に向き合わなければいけない」

 

「…………」

 

「一人で戦うよりも、誰かと一緒の方がいい。俺はこの島で、それを学んだ。きっと、お前もそう思う日が来ると信じている。そうでなくても、俺がそうだったと、覚えてくれたら嬉しいよ」

 

そう笑ってやっても、大井は何も言わなかった。

俺は上官に向いた。

 

「ありがとうございました……」

 

「……もういいのかね?」

 

「えぇ……」

 

歩き出すと、再び皆が声をあげた。

だが、俺は振り返ることが出来なかった。

振り返る資格が無かった。

 

「色々とご迷惑をおかけしました……。私の力不足でした……」

 

「そうだね。だが……惜しいところまではいったのではないかな……」

 

「え……?」

 

上官は再び大井を見た。

 

「本当にいいのかね?」

 

その問いに、大井はただ俯いて見せた。

 

「……君の気持ちは手に取るように分かるよ。雨宮の言う通り、自分に素直になったらどうなのかね……?」

 

大井は答えない。

 

「私はね、君のような艦娘を多く見て来た。間違った選択をしてしまい、今なお後悔している艦娘をね……」

 

唐突な上官の態度に、俺は困惑していた。

一体、何を言って……。

 

「君もその一隻になってしまうのかな。君だって、なんとなく、そう思っているのではないのかね……?」

 

上官の目は、追及するものではなく、どこか悲しそうなものであった。

 

「……船が出るまではまだ時間がある。せめて、後悔しない様に、雨宮にぶつけてみたらどうだろう? 自分の気持ちを……」

 

大井は深く目を瞑ると、何か決意したかのように、顔をあげた。

そして、俺をじっと見つめると、背を向け、歩き始めた。

 

「大井……」

 

「行ってやれ、雨宮」

 

「え……?」

 

「追いかけるんだ。大井は、自分に向き合う決意が出来たようだ。最後だ、ちゃんと応えて来い」

 

そう言うと、上官は俺の背中を押した。

 

「上官……どうして……」

 

「そんな事を聞いている暇があるのかね? 船の準備が出来たら、すぐに出発する。時間はないよ」

 

そう言うと、上官は船へと向かっていった。

 

「雨宮さん……」

 

「大淀……」

 

「行ってください……。早く……」

 

「あ、あぁ……」

 

大淀に促され、俺は大井の後を追いかけた。

途中、振り返ってみると、皆が俺を見ている中で、大淀だけは、船をじっと見つめていた。

 

 

 

大井が向かったのは、風力発電機のある『あの場所』のようであった。

かつて、北上と大井が決別した場所だ。

 

「何かと縁のある場所だな……」

 

山を登り切り、例の大きな岩の方へ行くと、案の定、大井が座って待っていた。

 

「大井……」

 

「……何しに来たのよ」

 

付いて来いと言わんばかりだったのに――いや、俺の勘違いだったか……。

 

「すまない……。てっきり、付いて来いと言っているものだと思ってな……」

 

「そんな事、言ってないわよ……」

 

「だよな……」

 

永い沈黙が続く。

せっかく上官が時間をくれたんだ。

何か言わなくては……。

 

「大井、その――」

「――いつまでそんなところで突っ立ってるのよ……」

 

大井は、帰れ、とでも言うように、俺の言葉を切った。

折れかけていた心は、今ので完全にポキリと音を立てて逝った。

 

「……悪い。もう行くよ……。邪魔して悪かったな……」

 

そう言って立ち去ろうとすると、大井はそれを止めた。

 

「どこに行くのよ……」

 

「え……?」

 

「時間がないんでしょ……。座ったら……?」

 

大井は遠くの景色に目を向けながら、隣を空けてくれた。

さっきの台詞は、「帰れ」ではなく、「突っ立ってないで、座ったら?」という事だったのか……。

 

「あ、あぁ……」

 

「ったく……どんくさいったら……」

 

隣に座る。

鹿島の時もそうだったが、ここで誰かと座る時は、何故か緊張していることが多い気がする。

 

「…………」

 

「…………」

 

再び、永い沈黙が続く。

俺はただ、大井の言葉を待っていた。

 

「……どうしてよ?」

 

「え……?」

 

「どうして……私を庇おうとしたのよ……。悪いのは……私なのに……」

 

そう言うと、大井は膝を抱えた。

夕張と同じように。

 

「いや……悪いのは俺だ……。もっと上手くやれると思っていたし、こんなことになるなんて、思ってもみなかった……」

 

「それでも……発端は私じゃない……。あんたにあんなことをしなければ……」

 

打って変わって、大井は急に、自分の非を認め始めた。

 

「……どうした急に?」

 

その問いかけに、大井は何も答えなかった。

 

「……こんなことを言うのも、何だか変に思うかもしれないが、俺は嬉しかったんだぜ」

 

「嬉しかった……?」

 

「あぁ……。どんな形であれ、お前が俺に向いてくれたことがさ。暴力は良くなかったかもしれないが……」

 

「……暴行されて、喜んでいたって訳?」

 

「言い方……。まあでも……そういうことになるのかな……」

 

「……確かに、変に思うわ。普通、そんなこと……思わないもの……」

 

「そうかな……」

 

「そうよ……」

 

大井とこうして話せているってのは、新鮮……な、はずだったが、俺はどこか――そうだ、夕張と話しているような、そんな日常的な――面倒くさいような――でも、どこか心地よいような、そんな気持ちになっていた。

 

「でも……あんたと似たような事を言っていた奴が……昔、いてね……」

 

「佐久間肇か……?」

 

大井は、驚いた表情を見せた。

 

「佐久間肇は……俺の親父だ……」

 

そしてさらに、より一層、驚いた表情を見せた。

 

「……顔が似ているとは思っていたけれど」

 

「言動も似ているだろ。意識はしていなくとも、似てしまうようでな。よく言われるんだ」

 

普通、冗談だ嘘だと言いそうなもんだが、大井は疑う素振りも見せなかった。

 

「そう……。そうなのね……」

 

「……お前は佐久間肇を嫌っていると言っていたが、本当にそうなのか?」

 

大井は俯くと、黙り込んでしまった。

 

「何があった……。佐久間肇と……。奴の何が……お前をそこまで変えてしまったんだ……?」

 

大井はしばらく黙り込んだままであったが、やがて顔をあげると、ゆっくりと語り始めた。

 

 

 

 

 

 

私は、あいつの事が嫌いだった。

 

「佐久間肇だ。よろしくな」

 

この島を出る気なんてなかったし、あいつでなくとも、私は人というものが嫌いだった。

 

「新しい提督、なーんか変な人だったねー」

 

「そうですか? 私には、どいつもこいつも同じように見えますけど……」

 

「大井っちは相変わらずだねー。そんなに人が憎い?」

 

「憎いというか……ムカつくんですよ……。戦ったのは私達で、今の平和をつくったのも私達……。なのに、人間ときたら、まるで自分たちの功績だと言わんばかりに偉そうにして……」

 

「まあ、そうかもしれないけどさ。あたしたちは兵器な訳じゃん? 人間でない以上、仕方ないよー」

 

北上さんはそう言っていたけれど、私の意見は違った。

私達が兵器であることは間違いないけれど、こうして自我はあるわけだし、人と同じものを食べ、『生きている』って思っていたから。

人間は嫌いだけれど、私は自分の事を『人間』だって、そう思っていた。

 

 

 

佐久間肇は、北上さんの言う通り、少し変な人間だった。

自分に好意的な艦娘よりも、むしろ、自分を嫌ってくるような艦娘にばかり、手を差し伸べる様な人だった。

 

「霞、隣いいか? 座るところなくて、困っているんだよ」

 

「はぁ? 何処がよ? 席ならたくさん空いてるじゃない」

 

「察しが悪いな。お前と一緒に飯を食いたいって言っているんだよ」

 

「……だったら、最初からそう言ったら?」

 

「恥ずかしくてな……。ほら、俺って人見知りだろ?」

 

「どこが人見知りよ……。まあ……別に拒む理由も無いし……勝手にしたら……?」

 

「おう、ありがとう」

 

私ですら、霞には手を焼いていたというのに、あいつは易々とその殻を破っていた。

 

「やり手だねぇ、提督は」

 

「……ただのたらしですよ。霞はああいうのに弱いだけです」

 

「それを見抜いたのがやり手だって話だよー。大井っちは、本当に提督の事が嫌いなんだねぇ」

 

正直、認めてはいた。

今までの人間とは違うって。

でも、それ以上でもそれ以下でも無かった。

海軍としての実力は認めても、人であることに変わりはなかったから。

 

 

 

やがて、手のかかる艦娘達は、皆、佐久間肇の餌食になっていった。

私のところに来るのも時間の問題だって思っていたけれど、私が避けているのもあってか、交流を持ちかけてくることはなかった。

 

「阿武隈のやつ、あんなに人の事を怖がっていたのに、今では提督に夢中になってるよ。女の顔してる」

 

「そうですか……」

 

「大井っちもさ、実は気になってるんじゃないの? 提督の事」

 

「はい? どうして私がそんなこと……」

 

「いやね? 提督が来て、かれこれ三年くらい経ってるけどさ、未だに大井っちに話しかけようとしないじゃん? 流石の大井っちも、その事を意識しているんじゃないかなって。どうして私にはーってさ」

 

確かに、思ってはいた。

けれど、私も避けているわけだし、そもそもどうでも良かったから、深く考えないようにしていた。

 

「あたしが思うにさ、提督はわざと大井っちに話しかけていないんじゃないかって、思うんだよね」

 

「わざとですか?」

 

「そう。あえて大井っちに話しかけないことによって、どうして自分にだけ話しかけないんだろうって、意識させるためにさ」

 

そう言われて、ハッとした。

なるほど、あいつならやりかねない……。

現に、私はそう思っていた訳だし。

 

「そこんとこどうなのよー? 大井っちー」

 

「……別に、どうでもいい事です。それよりも、北上さんの方こそ、随分、あいつにご執心のように見えますけど?」

 

「お菓子くれるしねー。いい人だよ、提督は」

 

「お菓子くれるなら誰でもいいんですか……」

 

あいつの目論見が、北上さんの言う通りならば、私は既に、その術中にハマっていることになる。

それを否定したくて、あいつをより一層避けてみたり、存在自体を認識しないように振る舞ったりしてみたけれど、そうすればそうするほどに、逆に意識しなければいけなくなって――気が付くと私は、無意識のうちに、佐久間肇の事を考えるようになっていた。

 

 

 

そんなことが続き、佐久間肇が島に来て五年が経過した頃、私も気が変になっていたのでしょうね。

逆に、佐久間肇に私を意識させようって、思い始めていたの。

――自分でも、変なことを言っているってことくらい、分かっているわ。

でも、当時の私は、それほどに追い詰められていたのよ。

どうにかして、佐久間肇を私の頭の中から追い出したい一心だったのよ。

……本当、今思えば、バカな事をたくさんやったわ。

意識させる為に、わざとあいつの視界に映るように振る舞ったり、薄着でうろついてみたり、夜中に偶然を装って鉢合わせてみたり……本当、ばっかみたい……。

結局……いろいろやってはみたのだけれど、あいつは相変わらずで――私に話しかけることはしなかった。

ただ私が馬鹿をやっただけ。

笑っちゃうでしょ……?

 

 

 

それから色々考えて、私が導き出した答えは、『一人になる』という事だった。

いくら寮の中で佐久間肇を避け続けても、結局、誰かしら奴の話題を出すから、私は嫌でもそいつの事を考えなければいけなくなる。

だったら、誰もいない――誰にも見つからない場所で、出来るだけ一人で居ようと思ったのよ。

そうすればきっと、奴の事を考えずに済むって……。

そうして見つけたのが、『この場所』だったの。

 

「こんな所、あったのね……」

 

当時はまだ、風力発電機なんてなくて、この大きな岩だけが転がっている、何もない場所だったの。

ここへ来る道だって、今みたいには続いて無くて、草木をかき分けて進まなければいけないほどだったから、誰にも発見できるはずがなかった。

 

「ふぅ……」

 

潮風がとても気持ち良くてね。

風と、ウミネコの鳴き声くらいしか、ここにはなかった。

 

「綺麗……」

 

船が通るたびに、その航跡がキラキラと光っていた。

その光景を見ているだけで、私の心は――佐久間肇の事なんて、入る隙間も無いくらい――満たされていった。

私だけのサンクチュアリ……のはずだった。

 

 

 

「大井……?」

 

『この場所』を見つけてから数日とも経たないうちに、佐久間肇に発見された。

――いえ、あとから聞いた話だと、先に見つけたのはあいつの方だったらしいけれど。

 

「どうしてあんたがここに……」

 

「こっちの台詞だ。ここは、俺がたまに休憩しに来る場所だぜ」

 

最悪。

よりにもよって、こいつに見つかるなんて……。

 

「……あっそ」

 

また、一人になれる場所を探さないと。

そう思って、立ち去ろうとした時だった。

 

「待てよ大井」

 

「……なによ?」

 

「せっかく来たんだ。少し、話でもしないか?」

 

「はぁ……? 普通に嫌……」

 

「そんなこと言わずにさ。頼むよ」

 

私は嫌な顔を見せたけれど、本当言うと、悪い気はしなかった。

愚かな行動だったとはいえ、一度でも意識させようとしていた相手が、今まさに、私に交流を求めてきているのだもの。

 

「あんたなんかと話すことなんてないわ……」

 

「いや、あるだろう。ほら、北上の事とか、駆逐艦の事とか、この場所の事とかさ」

 

「なにそれ……。北上さんの話題はともかく、どうでもいい事ばっかじゃない……」

 

「じゃあ、北上の事を話そうぜ。ほら、突っ立ってないで、座ったらどうなんだ?」

 

「絶対に嫌……」

 

そんなに嫌なら、すぐにでも去ればいいものを……。

そこを指摘しなかったのは、きっと、あいつなりの気遣いだったのだと思う。

……本当、気持ち悪い。

 

「そうか……。そこまで嫌なら仕方ない……。諦めるよ」

 

そういって、あいつは岩の上に寝ころんだ。

 

「ここに来ると、色々忘れられるんだよな。お前もその口か?」

 

私は答えなかった。

……去ることもしなかったけれど。

 

「……しばらく寝させてもらうぜ。引き留めて悪かったな」

 

ものの数分で、寝息が聞こえて来た。

相当眠かったのか、はたまた、ただ眠りにつくのが早いだけなのか……。

 

「……あほくさ」

 

それは、佐久間肇に対して言ったものではなくて、そんな事を考えている自分に対してだった。

 

 

 

それからというもの、『この場所』に来る度に、あいつはここに居た。

 

「よう」

 

私は、佐久間肇が居ないものだとして、少し離れた場所にレジャーシートを敷いて、座ることにした。

……別に、ここに来たのは、奴と話す為じゃない。

この場所は私のものだという主張をする為……。

抗議をする為……。

…………。

…………。

…………。

なんて、最初は自分に、そう言い聞かせていたけれど、本当は違った。

 

「そういや、最近、北上がさ――」

 

「…………」

 

「それで、島風が――」

 

「…………」

 

「おーい、聞いてるか?」

 

「…………」

 

「……参ったな。もう話題がない。今日のところは帰るぜ。次会った時には、お前が思わず反応するような話題を持ってきてやる。覚悟しておけよ、大井」

 

ここに居れば、あいつは私と交流しようとする。

優越感に浸れたのよ。

ざまあないわってね。

あいつは必死に私と交流しようとするけれど、私は絶対に振り向かない。

あいつが私にしてきたことを今度は私がやる番だって。

そう思ったのよ。

……あんたが言いたいことは分かる。

当時の私は、本当に馬鹿だったのよ……。

 

 

 

そんなことがしばらく続いたのだけれど、ある日を境に、あいつは顔を出さなくなった。

そう……山城さんを部屋から引っ張り出した日から……だったかしら……。

 

「おう、山城。元気にしてるか?」

 

「……逆に、元気に見えますか?」

 

「部屋に引きこもっていた時よりかは、元気に見えるぜ。少し明るく見える」

 

「はぁ……そうですか……」

 

山城さんを部屋から出すのは、凄く苦労したみたいで――それを成し遂げたあいつは、山城さんに夢中だったみたい。

 

「明日は外に出てみないか? 陽の光を浴びれば、きっと元気になるぜ」

 

「はぁ……普通に嫌です……」

 

「そんなこと言わずにさ」

 

山城さんも山城さんで、あいつの事を嫌がるものだから――余計に火が付いたみたいね。

 

「提督、とうとう山城さんまで出しちゃったねぇ」

 

「…………」

 

 

 

かくして、私のサンクチュアリに平穏が訪れた訳だけれど……。

 

「…………」

 

――別に、寂しいとか、そういうんじゃないの。

何て言うか……ここにいる意味が無くなったというか……。

何のためにここに来ていているのか、よく分からなくなっちゃって……。

 

「あほらしい……」

 

ここで一人になっても、考えるのはあいつの事ばかりだった。

これじゃあ、本末転倒。

寮に戻って、北上さんとの楽しい時間で、あいつの事を忘れようとも思ったけれど、寮にはあいつがいるし、何よりも――。

 

 

 

 

 

 

そこまで言うと、大井は急にイライラしだした。

 

「大井……?」

 

「はぁ……ムカつく……! あぁもう……! 本当……! 最悪よ……!」

 

そう独り言のようにつぶやくと、しばらく黙り込んでしまった。

俺は何も言わず、ただ大井が続けるのを待った。

 

「はぁ……ごめんなさい……。取り乱したわ……」

 

「いや……」

 

「続けるわね……」

 

 

 

 

 

 

そう……。

そうだわ……。

私は、イラついていたのよ。

また、あいつの事に悩まされているって。

それなのにあいつは……。

 

 

 

 

 

 

再び黙り込む大井。

何かを考える様に、目を瞑っている。

或いは、何かに耐えているようにも――。

 

「大丈夫か……?」

 

そう言ってやると、大井は大きくため息をついて見せた。

 

「大丈夫じゃないわよ……。なんか……もう……考えたくない事まで考えちゃって……」

 

「……すまない」

 

「……どうしてあんたが謝るのよ?」

 

「いや……思い出したくないこともあるのだろうと思って……。それを俺が……無理に話させようとしてしまったから……」

 

普段の俺なら、こんなことは言わなかっただろうと思う。

だが、今の俺は――。

そんな俺に、大井は呆れる様な表情を見せた。

 

「馬鹿……違うわよ……。私が勝手に話しているだけだし……。そもそも、あんたが心配しているような事じゃないから……」

 

そう言って、大井は顔を背けた。

 

「……慰めてくれたのか?」

 

「そんなんじゃないわよ……。ただ……あんたの落ち込んでる顔が気持ち悪かっただけよ……」

 

退屈そうに頬杖をつく大井。

 

「……そうか」

 

永い沈黙が続く。

 

「……気づいちゃったのよ」

 

「え……?」

 

「気づいちゃったのよ……。あいつが……佐久間肇が、私じゃなくて、山城さんとの交流に夢中になっている……。その事に、苛立ちを覚えてしまっていたんだって……」

 

そう言う大井の横顔は、どこか――。

なるほど。

大井が黙り込んでしまった意味が――イライラし出した意味が、ようやく分かった。

 

「寮に戻らなかったのは、佐久間肇が山城に構っている姿を見たくなかったから……という事か……」

 

大井は何も言わなかった。

 

「そうか……」

 

「本当は……あの時から気づいていたのかもしれない……。でも、認めてこなかった……。認めたくなかった……」

 

「佐久間肇の事が嫌いだったから……」

 

大井は小さく頷くと、話を戻す様に、一呼吸置いた。

 

 

 

 

 

 

そんな苛立ちを、私は『人間への憎悪』というかたちに変えていった。

憎悪を増すことによって、『佐久間肇』という『個人』を否定し、『人間』という大きな括りの一つとして認識しようと考えたのよ。

幸い、人間を恨んでいる艦娘は多かったし、そのグループに交ざることによって、憎悪はさらに増していった。

 

 

 

人間への憎悪が完成に近づいた頃、『この場所』に突如、あいつが現れた。

 

「よう」

 

「……何しにきたのよ?」

 

以前とは違い、憎悪全開で向かうことが出来た。

それが無かったら、きっと私は――。

 

「永い事、ここに来れてなかったと思ってさ」

 

そう言うと、あいつは私の隣に座った。

 

「ちょっと……! 何勝手に座ってんのよ!?」

 

「別にいいだろ。ここは誰の場所でもないんだ」

 

「……ッチ」

 

私は立ち上がり、去ろうとした。

 

「あ、待ってくれ。大井」

 

今度ばかりは待たなかった。

もう振り回されない。

私の決意は、それほどに固まっていた。

するとあいつは、何を考えているのか、私の手を取って、強引に引き留めようとしたの。

 

「ちょ……! あんた何を考えて……!」

 

その表情に、私は思わず固まってしまった。

 

「頼む……大井……」

 

まるで、助けを求めるかのような――とにかく、今まで見たこともないほどに弱弱しい表情だった。

 

「無視しててもらって構わない……。少しだけ……俺の話を聞いてくれないか……?」

 

今更何の話を聞けと言うのか。

 

「嫌よ……。気持ち悪い……」

 

掴まれた手を振りほどくと、佐久間肇は小さく「そうか……」と項垂れた。

その姿がとても情けなくて――。

 

「話なら……山城さんにでも聞いて貰ったらいいじゃない……」

 

なんて、思わずアドバイスなんかしちゃったのよ。

そんな事をしてしまうくらい、哀れに思えちゃったのよ。

 

「お前がいいんだ……。俺の事をなんとも思っていない、お前がいい……」

 

ただ話を聞いて欲しい。

交流などではなく、ただ、自分のことを聞いて欲しい。

 

「頼む……」

 

懇願してくることもそうだったけれど、自分の事を進んで話そうとするなんて、今まで一度だってなかったし、聞いたことも無かった。

 

『提督に色々聞いてもさ、なーんかはぐらかされちゃうんだよねぇ』

 

むしろ、自分の事を話したがらないことで有名だったから――。

 

「あんた……一体どうしたっていうのよ……?」

 

思わず聞いてしまった。

心配……というよりも、単純に好奇心だった。

佐久間肇の事は嫌いだけれど、嫌いなものほど、知りたくなる時ってあるじゃない?

そんな感じよ……。

別に、他意はないわ……。

 

「聞いてくれるか……?」

 

私は返事をしなかった。

けれど、それが答えだって、あいつは分かっていたみたい。

 

「ありがとう、大井……」

 

私は何も言わず、ただあいつの言葉を待つことにした。

 

「実は……『とある事情』があってさ……この島を出るかどうか……迷っていてな……」

 

『とある事情』について気になったけれど、何よりも、島を出ようとしている事実に、驚いていた。

 

「俺は今まで、艦娘の『人化』を成し遂げることが、『為』になることだと思っていた。俺が出来る唯一の事だと思っていた。けれど、そうじゃないのかもしれないと思うことがあってな……」

 

こいつは一体、なんの話をしているのか。

 

「この仕事だって、最近は上手くいっていないし、もう俺に出来ることはないんじゃないかって、思い始めていたところだ……」

 

確かに、その頃のあいつは、上手くいっていない様に見えた。

山城さんだって、部屋を出てから何も変わっていないし、寮の皆も、佐久間肇に好意を寄せ過ぎて、島を出る気配すら見せていなかった。

 

「お前だったら、島を出てしまったらいいと思うかもしれない。けれど……本当にそうすることが正しいのか、俺には分からなくて――」

 

何が引っかかって島を出れないのか、あいつは語らなかった。

おそらく、『とある事情』とやらに何かあるのだろうけれど、それを語らないところを見ると、言っていた『無視してても構わない。話を聞いて欲しい』というのは、本当の事なのだろうと思った。

 

「――そんな話だ。こんな弱音……あいつらには聞かせられなかったんだ……。それでも、やっぱり、誰かに聞いて欲しかった。誰かに話すことによって、俺の考えも見えてくるだろうと思ったんだ……」

 

私にだけは話せた。

私なら、どうでもいい事だと流してくれるから。

 

「わざわざ呼び止めたのに、こんな話で悪かった……。少しだけ、自分の気持ちが見えた気がするよ」

 

そう弱弱しく笑う姿に、私は――。

 

「本当よ……。何よ……そんな馬鹿みたいな話……」

 

「はは……すまん……」

 

「……まだ、やらなきゃいけないことがたくさんあるじゃない」

 

「え……?」

 

「あんたは……それを疎かにして、この島を出ようって訳……? 何を悩んでいるのかは知らないけれど……中途半端で終わらせるのは……どうかと思うわ……」

 

自分でも、何を言っているんだって思った。

けれど、何だか分からないけれど――。

 

「あんたの事は嫌いだけれど……あんたに救われた艦娘だってたくさんいるし、それを待っている奴だって、まだいるはずよ……。それを見捨てて、あんたは去って行くというわけ……?」

 

別に、引き留めようとして言った訳じゃない……。

ただ、ムカついただけで……。

…………。

…………。

…………。

ううん……違う……。

そう自分に、言い聞かせていただけ……。

本当は、本当に救われたかったのは――。

 

「…………」

 

けれど、それは言えなかった。

 

「大井……」

 

「…………」

 

「……ありがとう」

 

それが、なんのお礼だったのかは分からない。

ただあいつは、この島に残ることを決めたみたいで、翌日には、いつもの調子を取り戻していた。

 

 

 

それから時々、あいつは『この場所』に現れては、私に自分の話を聞かせた。

私も、何を律儀に聞いているんだって思うかもしれないけれど――悪い気はしていなかったのよ。

別に、することも無かったし――いえ、本当は、楽だったのよ。

人間への憎悪を持つグループと話しているよりも、あいつの話を聞いている時の方が、気持ちが楽になれた。

その理由は分からないけれど――ううん、本当は分かっているのだけれど、認めたくなかったし、今もそう思ってる。

そんな気持ちに隙が出来たのか、私は思わず、この島に残る理由を話すことになったのよ。

どういう流れだったかは、未だに思い出せないけれど……。

 

「怖い……?」

 

「えぇ……恥ずかしい話だけれど……怖いのよ……。私なんかが、人間の社会に馴染めるかどうかって……」

 

「……意外だな。お前なら、何とでもなりそうなものだが……」

 

「私は戦いしかしてこなかったし、見ての通りの性格だから……。今こうしていられるのだって、優しい人に恵まれているだけで、私一人じゃ何も出来ないし、きっと誰かを傷つけてしまうって……」

 

「優しいんだな……」

 

「臆病なだけよ……。誰かを傷つけるだけじゃなく、私自身も傷ついてしまうから……。体の傷は消えても、心の傷は残り続ける……。今も……ずっと……」

 

 

 

 

 

 

大井は言葉を切ると、俺の方を向いた。

 

「じゃあ……お前が島に残るのは……」

 

「えぇ……。私は……恐れているのよ……。人間の社会が怖いの……。死ぬのだって怖いし……なにより……」

 

「なにより……?」

 

「独りになるのが……怖いのよ……」

 

 

 

 

 

 

「独りになるのが怖い……か……。北上なんかが、一緒に居てくれそうなもんだがな……」

 

「一生一緒ってのは無理でしょ……。それに、北上さんもいつか、異性に恋をする日が来るわ。――いえ、もう既に、恋をしているのかもね……」

 

北上さんは、佐久間肇の事が好きだったのだと思う。

その事に気が付いていたのか、あいつは何も言わず、ただ私の言葉を待つだけだった。

 

「いつだったか、誰かに言われたの……。外の世界に出れば、きっと私の事を理解してくる人がいるって……。そんな、在るかも分からないものを信じ、島を出るなんて……私には出来ない……。私は……」

 

そこまで言って、我に返った。

私はどうして、こんな奴にこんな話を……って……。

 

「……今日はもう帰るわ」

 

逃げ出す様に去ろうとする私をあいつは止めた。

 

「……なによ?」

 

「今の話……お前の事を理解してくれる人がいると信じることが出来れば、お前は島を出るって事か?」

 

「……どうかしらね」

 

「もしそうなら……信じてみないか……?」

 

「え……?」

 

「要は、お前を理解し、独りにさせない存在が居ればいいって事だろう?」

 

「まあ……そうなるのかしらね……」

 

「だったら、俺がその存在になるよ」

 

そんな、あまりにも馬鹿らしいことを、あいつは真剣な表情で言ってのけた。

 

「はぁ……? あんた、何を言って……」

 

「外の世界には必ず、お前を理解してくれる人がいる。そんな人が見つかるまで、俺がその存在になってやる」

 

「……馬鹿言ってんじゃないわよ。そういう冗談は……本当に嫌い……」

 

「俺では嫌か……?」

 

私は何故か、答えに詰まってしまった。

 

「俺の事が嫌いなのは分かっている……。俺なんかに理解されても、迷惑だって事もな……」

 

私は何も言えなかった。

 

「だが、少しの辛抱だ。お前を理解してくれる人は、俺が必ず見つけてみせる。もし見つからなくても、お前を独りになんてしない。約束するよ」

 

「ちょ、ちょっと……何勝手に盛り上がってるのよ……。私は……別に……」

 

「だから、大井」

 

あいつは、私の話なんか耳に入っていないようで――ただ手を差し伸べた。

 

「俺を信じて、ついてきてほしい」

 

私は、その手を――。

 

 

 

 

 

 

「掴めなかったんだな……」

 

大井は小さく頷くと、俯いてしまった。

 

「そうか……」

 

「でも……拒絶したわけでも無かったから、あいつは「待っている」って、言ってくれたの……」

 

言ってくれた……か。

 

「それからずっと、一人で考え続けた……。最初こそは、絶対にありえないって気持ちの方が勝っていたけれど、日が経てば経つほどに、あいつの気持ちが痛いほど分かってきて――それはあいつも同じようで――……」

 

大井は言葉を詰まらせると、膝を抱え、そこに顔を埋めた。

 

「信じたいって思った……。信じてもいい人だって、思った……。だから私は……あの嵐が止んだら……あいつに……あいつの手を……」

 

それから、大井は黙り込んでしまった。

永い永い沈黙が続く。

 

「佐久間肇に……裏切られたって訳か……。孤独にされたって訳か……」

 

大井は何も言わない。

 

「それが、お前がこの島に残る理由か……。お前が誰も……自分すらも信じなくなった理由か……」

 

「…………」

 

「もう二度と、傷つきたくない……。そう言う事だな……?」

 

大井ほどの艦娘の心を動かすのは、相当な事だろうと思う。

佐久間肇ですら、永い時間をかけ――尚且つ、実力ではないところを見ると――。

そんな奴が負った傷は、おそらく、俺ですら理解できないほどに、深いものなのだろうと思う。

 

「大井……」

 

「…………」

 

「そんなお前が……どうして俺に……そんな話を……?」

 

大井は深く目を瞑ると、しばらく黙り込んでしまった。

そして、ゆっくりと目を開けると、俺をじっと見つめた。

 

「あんたは……言ってくれた……」

 

「え……?」

 

「あんたの事じゃなく……私自身を信じてくれと……」

 

その目は、潤んでいた。

 

「昨日……いえ……今日になるのかしら……。私の部屋の前で、言ってくれたじゃない……」

 

『俺を信じなくとも、お前はお前自身の事を信じて欲しい……。自分が本当はどうしたいのか……何を苦しんでいるのか……それに向き合って欲しいんだ……』

 

扉越しに言った、あの言葉か……。

 

「聞こえていたのか……」

 

「ずっと、誰かを信じろって……言われてきた……。あいつですら……そう言っていた……。誰かを信じるなんて……私には出来ないって……ずっと否定してきた……。信じた結果……裏切られるのが嫌だったから……」

 

「…………」

 

「でも……あんたは違った……。自分の事じゃなくて……私自身を信じろと言ってくれた……。その時、思ったの……。あんたは……私を信じてくれているんだって……。今までの人とは違って、私を信じてくれているのだって……」

 

俺が、大井を信じる……。

 

「誰かを信じろって言ってくる奴らは、私の事を信じていなかったんだと思う……。だからこそ、手を差し伸べてやらなきゃいけないんだって、思ったんじゃないかしら……。でも私は……そんな世界が怖いと言っているのに……。誰かに助けられなきゃ生きていけない世界なんて……私が生きて行けるはずがない……。独りになって……死んでゆくだけだわ……」

 

大井のその気持ちが、俺には少し分からなかった。

俺自身、そんなつもりで言ったわけではないし、おそらく、手を差し伸べてきたやつらも、きっと――。

 

「あんたにそのつもりはなかったのかもしれない……」

 

俺は心を読まれた気がして、思わずギョッとした。

 

「それでも……そうなんだって思いたい自分が居た……。そうであって欲しいと思っている自分が居た……。そうだったら、きっと私は……」

 

大井の手が、小さく震えていた。

 

「大井……」

 

「私は……もう一度……誰かを信じてみたかった……。裏切られるのは怖いけれど……やっぱり……信じてみたかったのよ……」

 

大井の目から、涙が零れる。

 

「どんな理由があってもいい……。もう一度……信じることが出来る人に出会いたかった……」

 

「それが……俺であると……?」

 

「どんなに私が嫌っていても……あんたは私を信じてくれた……。最後の最後まで……自分を犠牲にしてまでも……信じてくれた……。それが……嬉しかった……」

 

大粒の涙が、地面を叩く。

その音は、静かなこの場所では、よく響いていた。

 

「こんなことになったのは……私の所為よ……。もっと……もっと早くから、あんたを信じていれば……もっと早くから……私を信じてあげていれば……」

 

「大井……」

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……。うぅぅ……」

 

大井は泣き続けた。

声こそは大きくなかったが、それでも、彼女の普段の性格からは想像もできないほど、情けない泣き声であった。

 

 

 

泊地の方が騒がしくなっている。

それは、残された時間が、もう少ないことを意味していた。

 

「……もうそろそろ行かないと」

 

大井は泣き止んでいたが、あれから一言もしゃべらないでいた。

 

「大井、最後にお前の事を知れてよかった。その上で、改めて言わせてほしい……」

 

「…………」

 

「俺は、お前を信じている。信じているからこそ、この島を出るんだ。そうでなければ、俺はしがみついてでも、この島に残ろうとするだろう」

 

「…………」

 

「……ありがとう、大井。お前が俺を信じようとしてくれたこと……本当に嬉しかった……」

 

「…………」

 

「じゃあな……。島の外で、お前の事を待っているよ。必ず会いに来てくれると……強くなったお前の姿が見れるって……信じている……」

 

「…………」

 

「さようなら、大井……」

 

俺はあえて、『さようなら』という言葉を選んだ。

『さようなら』は、もう二度と会えないという様な、マイナスな言葉として使われがちだけれど、本来は『左様ならば、また会いましょう』という言葉が短縮されたものなのだ。

大井がその意図を察してくれるかは分からないが、もう一度会える日を願う意味でも、俺はあえて、その言葉を選んだのだった。

 

 

 

泊地に着くと、皆、一斉に俺を見た。

その表情は、俺が一人でいるところを確認すると、絶望の色に染まっていった。

 

「上官……」

 

「……駄目だったかね?」

 

「いえ……大井は大丈夫です……。あいつはこれから、きっと、強くなって行くでしょう……」

 

聞いているのはそんな事ではない、とでも言うように、上官は困った顔を見せた。

だが、それを承知の上で、俺はあえて、そう言ったのであった。

 

「準備は済んでいるようですね……」

 

「あぁ……」

 

俺は、そのまま船の方へと向かっていった。

引き留めようとする皆の声に、あえて振り向くことはしなかった。

 

「慎二さん……」

 

「協力してもらったのに、悪かったな……」

 

後輩は、なんとも言えない表情で、俺を船に乗せた。

 

「本当にいいんだね?」

 

「はい。出してください」

 

「……分かった」

 

船は、けたたましい音を立てて、震え始めた。

皆の声をかき消すような、そんな大きな音であった。

やがて、ゆっくりと、船が動き出す。

 

「…………」

 

母さん……ごめんな……。

でも……俺、母さんが言っていたこと、ようやく分かった気がするよ。

確かにあの人は、母さんの言う通り、立派な人だったかもしれないって……。

佐久間肇が遺したものは、あまりにも大きくて、戦犯だって言われているのも分かる。

けれど、少なくとも、誰かを本気で救いたいと思っていたことは確かなんだ。

そして――

 

『実は……『とある事情』があってさ……この島を出るかどうか……迷っていてな……』

 

『俺は今まで、艦娘の『人化』を成し遂げることが、『為』になることだと思っていた。俺が出来る唯一の事だと思っていた。けれど、そうじゃないのかもしれないと思うことがあってな……』

 

もしそれが――そうなのだとしたら――。

 

「待って……!」

 

船の轟音すらもかき消すような、そんな大きな声であった。

その声に振り返った時――まるで、スローモーションの中に居るかのような、そんな光景であった。

泊地から飛び出してきたであろう何かが、今まさに、俺の目の前に迫っていたのだった。

 

「ぐぅっ……!?」

 

俺はそれを受け止めきれず、その勢いのまま、後ろへと吹き飛んでいった。

 

「慎二さん!?」

 

「雨宮!」

 

皆が心配して、俺に駆け寄る。

船も停止し、やがて辺りは静かになった。

 

「い、いてぇ……。一体……何が……」

 

起き上がる俺の胸の中に、大井がいた。

 

「な……!? 大井……!? お前……何して……!?」

 

大井は俺を見つめると、今にも泣き出しそうな表情を見せた。

 

「大井……」

 

「……じゃないわよ」

 

「え?」

 

「勝手に……いなくなるんじゃないわよ……! 何がさようならよ……。私は……まだ……」

 

大井は立ち上がると、上官に向いた。

 

「私も……島を出る……」

 

「ほう……」

 

「……ちょっと待て! 大井、お前、何を言っているんだ……!」

 

「あんた一人に背負わせたくない……。元はと言えば、私が悪いのだもの……」

 

「だけどお前……!」

 

俺の発言を遮るように、上官は大井の前に立った。

 

「どういう心境の変化なのかな?」

 

「……どうもこうも無いわ。ただ……」

 

「ただ?」

 

大井は深く目を瞑ると、首を横に振った。

 

「……いえ、いい訳はもうしないわ。私は……」

 

「…………」

 

「私は……この人と一緒に居たい……。別れたくないのよ……」

 

そう言って、大井は俺を見た。

 

「大井……」

 

「私は……私を信じてくれる人と、一緒に居たいの……。信じてくれる人と、生きてみたいの……。だから……」

 

大井の目から、大粒の涙が零れる。

 

「いかないでよ……! 居なくならないでよ……! やっと信じることが出来る人に出会えたのに……。私を……独りにしないで……!」

 

大井は俺の手を取ると、そのまま俺の胸に頭を預けた。

 

「あんたのような人を二度も失いたくないの……。だから……行かないで……。もし外に出るのなら……私も連れて行ってよ……」

 

震えるその体を、俺はそっと抱きしめてやった。

 

「……どうした、急に」

 

「あんたの言う通り……自分を信じてみただけよ……。自分の気持ちに……素直になっただけよ……」

 

潤む瞳で、俺を見つめる。

先ほど見せた瞳とは違い、それは何とも純粋なものであって――。

 

「あんたを信じたい……。私を信じてくれるあんたを失いたくない……。だから……」

 

上官は俺たちの前に立つと、その肩をポンと叩いた。

 

「上官……」

 

「それが、君の答えかね。大井」

 

「えぇ……」

 

「だがお前……怖いんじゃないのか……? 島の外に出る事が……」

 

「怖くないわ……。あんたが一緒なら……」

 

そうは言っても、やはり怖いのか、大井の手は震えていた。

 

「……そうか」

 

上官は俺たちを残し、船橋へ向かった。

 

「悪いが、バックして戻してくれないか?」

 

「え……?」

 

船は再び動き出すと、バックし、泊地へと近づいていった。

 

「上官……?」

 

「作戦は成功だ」

 

「え……?」

 

「この作戦の目的は、君が大井との交流に成功するというところにあった。今まさに、それが果たされたわけじゃないか」

 

唖然としていると、上官は続けた。

 

「作戦は成功したから、君を連れ帰る必要はなくなった。だから、島に戻るんだ」

 

「ちょ……ちょっと……! 一体、どういうことなのよ!?」

 

大井は涙を拭くと、俺に詰め寄った。

 

「い、いや……俺にもさっぱりで……」

 

再び上官に目を向ける。

その顔は、どこか――。

 

「……あぁ、そういう事か」

 

「え? どういうことよ!?」

 

俺は大井を離し、上官に向き合った。

 

「上官……貴方は、最初からこうなると、分かっていたんですね……」

 

「…………」

 

「期限を設け、私を脅したのも、その為ですか……? 私に危機感を持たせるための――全ては演技だったのではないですか……? もしそうなら――」

「――雨宮」

 

俺の言葉を遮るように、上官は言葉を重ねた。

 

「君は、今回の作戦が失敗に終わったら、自分一人が責任を負うと言ったね。だが、本当にそれで済むと思っているのかね……?」

 

上官の鋭い目が、俺を睨み付けた。

上官が何を言いたいのか、俺は理解してしまった。

 

「私の顔に泥を塗る真似をしたくはないだろう……? いいかね……。今回の作戦は『成功』だ。人間に反抗的だった大井との交流を果たすどころか、島を出たいと言わせた。大変な功績だ。今回の作戦にかかった費用や、その資金を調達するために行った上層部への虚偽報告――それら全てがチャラになるレベルだ。そうだろう……?」

 

大井もその意味が分かったのか、不安そうに俺の手を握った。

 

「そう言えば、何か言いかけていたな。何か、言いたいことでもあるのかね?」

 

俺は思わず、息を呑んだ。

 

「……いえ、なんでもありません」

 

「そうか。ならいいんだ」

 

俺と大井は動くことさえできなかった。

それは後輩たちも同じようで、泊地に停止するまで、船は異様な空気に包まれていた。

 

 

 

船を降りると、皆が駆け寄って来た。

 

「雨宮さん……大井さん……」

 

事の顛末を知った大淀は、どこか複雑な表情を見せていた。

海軍の船は、何の合図も無く、突然動き出した。

 

「上官!」

 

「私も暇ではないのでね。帰らせてもらうよ」

 

泊地を離れて行く船に、大淀は叫んだ。

 

「坂本さん……!」

 

上官が――坂本上官が振り返る。

 

「貴方、坂本さんでは……!? 容姿が変わっていたので、気が付きませんでしたが……」

 

どうして大淀が上官の事を……。

 

「大淀……」

 

「坂本さん……まさか貴方……大井さんの為に……」

 

坂本上官は何も言わず、背を向けてしまった。

その間際に見えた表情は、どこか――。

 

「早く出してくれ」

 

「坂本さん……!」

 

まるで逃げるかのように、船はスピードを上げて、島を離れて行ってしまった。

 

「坂本さん……」

 

「大淀、お前、上官を知っているのか……?」

 

「えぇ……実は……」

 

大淀が語ろうという時、甲高い――何かを叩くような音が、その場に響き渡った。

音の方を見ると、よろめく大井と、それを睨み付ける夕張が立っていた。

 

「夕張、お前……何やって……!」

 

大井は、来るなというように、俺をじっと見つめた。

 

「貴女がもっと早くに提督を信じていれば……こんなことにはならなかった……!」

 

「……えぇ、その通りです。夕張さん、貴女に説得された時、私がすぐに彼を信じていれば、きっと結果は変わっていました……。本当にごめんなさい……」

 

俯く大井。

夕張は胸倉を掴むと、大井を睨んだ。

 

「散々提督に迷惑をかけておいて……今更行かないでなんて……。自分もついていくだなんて……」

 

「夕張、大井にも事情があったんだ……。手を放してやれ……」

 

「貴方も貴方よ……! どうして貴方は……いつも勝手な事ばかり……。貴方がいなくなったら……困る人たちはたくさんいるのよ……

!? なのに……どうして……」

 

そう言うと、夕張はぽろぽろと涙を流した。

 

「夕張……」

 

「私は……提督も大井さんも……こんな形で失いたくないの……。こんな形で……お別れなんてしたくないの……」

 

夕張は手を放すと、大井の胸に項垂れて、涙を流した。

 

「夕張さん……」

 

「夕張……」

 

大井は夕張をそっと抱きしめると、同じように涙を流した。

 

「ごめんなさい……。心配かけて……ごめんなさい……」

 

それにつられてしまったのか、皆も泣き出してしまった。

特に、駆逐艦たちは、大号泣であった。

 

「大井……」

 

「うぅぅ……」

 

「みんな……お前を心配していたんだぜ……。お前は独りで戦っていたつもりなのだろうけれど、お前の力になりたいって奴らは、こんなにも多くいたんだ……。俺を信じてくれたように――こいつらがお前を信じてくれたように、お前も、こいつらの気持ちを信じてやって欲しいんだ……」

 

「みんな……」

 

駆逐艦たちが、大井を取り囲んだ。

 

「ごめんね……。ごめんね……うぅぅ……」

 

涙する大井に、俺もほろりとやられそうになった。

が、それを阻むように、誰かが俺を強く抱きしめた。

 

「ぐぇぁ!?」

 

思わず声が漏れる。

それもそのはずで、俺を抱きしめているのは、武蔵であった。

 

「む、武蔵……! 苦しい……!」

 

「提督……!」

 

俺の声が聞こえないのか、武蔵は強く、より強く、俺を抱きしめる。

 

「良かった……。本当に良かった……。貴様が居なくなっては……私は……」

 

「……っ!」

 

もう声も出ない。

どうやら武蔵は泣いているようであるが、その表情も確認できない。

 

「…………」

 

目の前が靄に包まれてゆく。

 

「む、武蔵さん! 提督が……!」

 

明石の声が聞こえたのを最後に、俺は――。

 

 

 

「……あれ?」

 

気が付くと、見慣れた天井がそこにあった。

 

「…………」

 

起き上がり、自分が置かれた状況を整理する。

確か俺は――。

 

「あぁ……なるほど……。失神したわけか……」

 

時計を見ると、ちょうど昼を過ぎたところであった。

 

「あ! 提督!」

 

声の主は、明石であった。

 

「起きられたんですね。気分はいかがですか?」

 

「あ、あぁ……大丈夫だ……」

 

「武蔵さんに絞められて、失神したみたいです」

 

「そのようだな……」

 

しかし、抱きしめられるだけで息が出来なくなるなんてのは、マンガの世界の話だと思っていたが、本当にあるもんなんだな……。

 

「……そういや、大井は?」

 

「寮に居ます。皆さんに事情を説明しているようでした」

 

「そうか……。海軍の方はどうだ? あれから船は来ているか?」

 

「いえ……。ぱったりと来なくなってしまいました。船の航跡も無いですよ」

 

海軍は本当に撤退していったようだな。

だが、今後、俺は海軍から目をつけられることになるだろう。

再び同じことが起きない様に注意しなければ……。

 

「提督、お腹、空いていませんか? おにぎり持ってきましたよ」

 

そういや、朝から何も食べていなかったな……。

 

「悪い。いただこう」

 

おにぎりは、少しいびつな形をしていたが、味は悪くなかった。

 

「美味い」

 

「良かった。それ、私が握ったんです。味も、提督が好きそうな味付けにしたんですよ」

 

「そのようだな。俺好みの味だ」

 

握り飯を頬張る俺の姿を明石はずっと見つめていた。

 

「どうした?」

 

「いえ、美味しそうに食べてくれるなぁって。えへへ」

 

「実際、美味いからな」

 

そんな事で見つめていた明石だが、その表情は、時間が経つにつれて、暗くなっていった。

 

「明石?」

 

そして、突然、ぽろぽろと涙を流し始めた。

 

「お、おいおい……。どうした? 大丈夫か?」

 

「提督……」

 

「明――」

 

俺の言葉を遮るかのように、明石はそっと、口づけをした。

 

「――……」

 

「明石……」

 

明石は何も言わず、俺を抱きしめた。

小さく震えるその体に、俺は全てを察した。

そうか……。

そうだよな……。

 

「……ごめんな、明石。不安にさせてしまって……」

 

そう言って抱きしめてやると、明石は静かに泣き始めた。

本当なら、もっと大声で泣き出すほど、不安に駆られていたはずなのに――。

 

「勝手な事をして悪かった……。お前との約束を忘れたつもりはなかったんだ……。ただ……それを守ることが出来るほど、俺が立派じゃなかったんだ……。裏切るようなことをして、ごめんな……明石……」

 

明石が泣き止むまで、俺はずっと、明石を抱きしめてやった。

明石の抱える不安を包み込むように、そっと――。

 

 

 

寮に戻ると、皆が心配して駆け寄って来た。

 

「みんな……」

 

「提督よ……。先ほどは済まなかった……。つい……その……」

 

「いや、いいんだ。それよりも、聞いたか? 何があったのか……」

 

「あぁ……大井から事情は聞いている……」

 

「そうか……」

 

俺は床に伏せ、土下座をした。

 

「お前たちの知っての通りだ……。今回の件……すべては俺が仕組んだことだ……。本当に申し訳ない……」

 

皆が、土下座をやめるように説得する中、大和が出て来て、俺の胸倉を掴み、持ち上げた。

武蔵に負けず劣らず、凄い力だ。

 

「大和……」

 

「皆さん! これで分かったでしょう!? この人間は……私たちを危険に追いやった……! いくら綺麗ごとを並べようとも、自分の仕事をこなせれば、私たちを危険に晒してもいいと考えているんですよ……!? こんな人間をこのまま放っておいていいんですか!?」

 

「よせ大和!」

 

すかさず、武蔵が止めに入る。

俺は投げ飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 

「提督さん……!」

 

「いてて……大丈夫だ、鹿島……。危ないから、下がってろ……」

 

「でも……」

 

心配する鹿島を遠ざけてくれたのは、大淀であった。

 

「悪い……大淀……」

 

「いえ……」

 

大淀は何も言わず、ただ見守ってくれた。

 

「武蔵……どうして貴女は、この人間を庇うのよ……!」

 

「確かに、この男がしたことは、立派なものとは呼べなかったかもしれない……。だが、誰かを救いたいという気持ちから来たものであって、決して悪意があったわけではないのだ。結果として、大井も救われたし、誰も被害を受けていないではないか」

 

「それは結果論でしょう……? この先も、この男の思うままの行動を許せというわけ……? また同じような事があったら、今度はどうなるか、分かったものではないわ……!」

 

同じ考えを持っているのか、数隻の艦娘が、不安そうな表情を見せた。

 

「……大和の言う通りだ。俺が不甲斐無いばかりに、皆を危険に追いやった……。それは事実だ……」

 

「提督……」

 

「武蔵、庇ってくれてありがとう。だが、今は大和の思うようにさせてほしい」

 

「だが……」

 

「頼む」

 

武蔵は、ぐっとこらえる様な表情を見せると、そのまま下がっていった。

 

「みんな、すまなかった……。今回の件で、俺は思い知った……。俺はまだまだ未熟だ……。大井との交流も、もっと上手くいくものだと思っていたし、海軍が素直にいう事を聞いてくれるものだと思っていた……。傲慢であった……」

 

「少し考えれば分かるはずです! そんな事も分からないなんて、貴方は一体何をしにこの島に来たというのですか!?」

 

「……返す言葉もない」

 

大和は俺の前に立つと、睨みつけながら言った。

 

「この島から出て行ってください……。人間は、そうやって責任を取る生き物でしょう……?」

 

「……確かにそうだ」

 

ここで、島を出ることを宣言しても良かった。

だが――。

 

「…………」

 

明石が不安そうに俺を見つめていた。

数隻の艦娘も、同じように。

 

「……悪いが、出ていくことは出来ない」

 

「はい……?」

 

「俺が悪かったことは確かだし、出て行けと言われてしまうのも納得している……。だが……」

 

俺は再び頭を下げた。

 

「俺にはまだ、やるべきことがあるんだ……。俺にしかできないことがあるって……そう思っている……。だから……まだこの島に居させてほしい……。頼む……」

 

すかさず、大和が胸倉を掴む。

 

「ふざけないで……! その考えが傲慢だと言っているんです!」

 

「傲慢な事は分かっている……。それでも……俺は……」

 

「この……!」

 

「やめてください!」

 

止めに入ってくれたのは、大井であった。

 

「大井……」

 

「大井さん……」

 

「大和さん……その人から手を放してください……」

 

「でも……!」

 

「その人だけが悪い訳ではないと、貴女も分かっているはずです……。責めるなら、私も責めてください……」

 

そう言うと、大井は大和の前に立った。

 

「……大井さんは悪くないです。全ては、この男が仕組んだことで……!」

 

「それでも、きっかけは私の暴行です……。大和さん……貴女がその男を責めるのは、ただの私怨からなのではないですか……? 鳳翔さんを……貴女が好きな鳳翔さんをこの男にとられたという、ただの私怨ではないですか……?」

 

「そ、そんな事……!」

 

「なら、私も罰してください……。その男だけではなく、私も……」

 

二隻はしばらく睨み合っていた。

永い静寂が、その場を包む。

 

「……分かりましたよ」

 

大和は俺を放した。

 

「今回は何事も無かったことを考慮して、見逃してあげます……。ですが、次はありませんから……」

 

そう言って、大和は自室へと戻っていった。

 

「大井……」

 

大井は俺を一瞥すると、そのまま部屋へと戻って行ってしまった。

 

「大井!」

 

「雨宮さん……」

 

大淀は俺を止めると、首を横に振った。

 

「どちらもそっとしておきましょう……。色々あり過ぎたので、今はとりあえず落ち着く時かと……」

 

「……そうだな。悪い……」

 

再び、皆に頭を下げた。

 

「改めて、済まなかった……。俺は、しばらくここには来ないことにする……。お前たちの気持ちの整理もあるだろうからな……」

 

俺は大淀に目配せをすると、そのまま寮を後にした。

 

 

 

家に着くと、全身の力が一気に抜けて、思わず座り込んでしまった。

 

「はぁ……」

 

軽いめまいがする。

同時に、眠気も襲ってくる。

 

「なんて言うか……疲れたな……」

 

体の疲れというよりも、精神的に疲弊している。

 

「…………」

 

結局俺は、一体何がしたかったんだろうか――。

 

皆を危険に追いやって、大井の気持ちを知って――それからどうしたかったのだろうか――。

 

突発的ではなく、もっと計画的にやるべきだったし、自分の立場と言うものを過信し過ぎていた――。

 

もし上官が、大井と交流するとして、もっといい方法を思いついていただろうか――。

 

もし、あの時――。

 

あの時も――。

 

いや、あの時だって――。

 

もし――。

 

もし――。

 

「もし……」

 

もし、佐久間肇だったら――。

 

 

 

その日の夕方。

俺の体は高熱を出し、念のため島を出ることになった。

 

「慎二、てめぇ……その……なんだ……。さっきからぼうっとしているが……大丈夫か……?」

 

「……あぁ、大丈夫だ。少し……船酔いしただけだ……」

 

島から伸びていた航跡が、徐々に消えて行く。

風が連れて来た波に溶けて行く。

まるで、そこには最初から、何もなかったとでも言うように、静かな海へと戻って行く。

 

「…………」

 

離れ行く島を見つめ、ふと、もう二度と戻れないかもしれないと思ってしまった。

けれど、不思議な事に――明石たちには申し訳ないと思ったが――その方が、あいつらの為になるんじゃないかと、思ってしまう自分もいた。

 

「本土に戻ったら、少し休めよ。島の艦娘たちも、きっとそれを望んでいる」

 

それは重さんの慰めであったはずだったが、今の俺には――。

 

「……そうだな」

 

船が速度を落とすと、水面に自分の影が現れた。

風が吹き、波が立つ。

揺れる影の口元が、少しだけ、ほんの少しだけ、笑っているように見えた。

 

――続く



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10話

今でもはっきりと覚えている。

君との出会いは、――総合病院の――号室だった。

 

「坂本さん、抱いてやってください」

 

「いいのかね? では、失礼して……」

 

私の腕に抱かれる君は、とても小さくて――けれど、元気いっぱいな泣き声を私に聴かせてくれた。

 

「おぉ、ごめんよ。ほら、お母さんの元へお帰り」

 

「すみません……」

 

「いや、元気いっぱいでいい事じゃないか。真奈美さん、佐久間、本当におめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

「それで、名前は決まっているのかな?」

 

「はい。『慎二』です」

 

「慎二か。なるほど。いい名だ。この子もいつか、海軍に来るのだろうか」

 

「この子には、好きなように生きて欲しいと思っています。海軍に入りたいというのなら、止めはしませんがね」

 

「そうか。もしそうなったら、私が直々に面倒を見てやろう。きっとその頃には、艦娘も全て『人化』され、私は上官になっているだろうからね」

 

「だってさ、慎二。坂本さんに面倒を見てもらえるなんて、羨ましいぞ~このこの~」

 

頬をつつかれる君は、どこか嬉しそうな笑顔を私に見せてくれた。

 

「佐久間慎二、数十年後に、また会おう」

 

小さな小指に紡いだ約束が、全く違う形で果たされることになろうとは、その時の私には予想も出来なかった。

そして、あんな悲劇が重なることも、また――。

 

『それでも私は、貴方の意志を継ぎたいのです――』

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「十日間の休養……ですか……」

 

医者は小さく頷くと、落書きのようなカルテに目を通した。

 

「今回の発熱は、急激なストレスによるものかと思われます。最近、寮に進出されたとか」

 

「えぇ、まあ……」

 

「環境の変化で体調を崩される方は多い。特に雨宮さんの場合、その環境が特殊ですからねぇ」

 

医者が何を言いたいのか、俺には分かっていた。

 

「とにかく、十日間は休養し、様子を見ましょう。坂本上官には事情を話しておりますので、ご安心を」

 

上官……。

 

「さて、雨宮さん。十日間の休養ですが、もちろん敷地の外へ出ることは出来ません。基本的に、こちらの施設で過ごしていただきます。毎日、10時と16時の2回、30分程度のカウンセリングがありますが、その時間以外は自由にしていて構いません。何かありましたら、1階のカウンターに来ていただくか、部屋にある内線をお使いください。それと――」

 

医者が何かを言いかけた時、診察室の扉が叩かれた。

 

「ちょうど来たみたいだ。入り給え」

 

扉が開かれ、現れたのは――。

 

「山風」

 

「えへへ、久しぶり。雨宮君」

 

山風は、何故かナース姿になっていた。

 

「研修中でして。今回、雨宮さんのお世話係にと」

 

「看護師を目指してるの。雨宮君が来るって聞いて、是非担当させてほしいって、無理にお願いしちゃったんだ」

 

「そうだったのか」

 

嬉しそうに笑う山風。

その笑顔に、俺は何故かホッとしていた。

 

「雨宮さん、今は島の事を忘れて、休養に専念してください。それが今貴方に出来る仕事です。坂本上官もそうおっしゃっておりました」

 

「……そうですね。分かりました」

 

医者は頷くと、山風に目配せをした。

 

「それじゃあ雨宮君、施設を案内するね」

 

「あぁ。先生、ありがとうございました」

 

「えぇ、また明日」

 

 

 

一通りの説明を受け、最後に案内されたのは――。

 

「ここは……」

 

「ここが雨宮君が十日間過ごすお部屋。吹雪ちゃんが使っていた部屋だよ」

 

吹雪さんが使っていた頃と、何も変わっていない。

しばらくしたら、吹雪さんが戻ってくるのではないかと、錯覚するほどに――。

 

「この部屋が一番、気持ちのいい風が入ってくるんだ。あたしのお気に入りの部屋」

 

そう言うと、山風は窓を開けて、優しく微笑んだ。

長い髪が、風のかたちをつくっていた。

 

「本当だ。風が気持ちいいな」

 

「でしょ? えへへ」

 

少し冷たい風ではあったが、島で感じるものとは違って、どこか落ち着くものであった。

 

「雨宮君、色々あって大変だったでしょ? 先生の言う通り、今はゆっくりと休んでね? あたしも、精一杯、雨宮君を支えるからね!」

 

「あぁ、心強いよ。頼んだぜ、山風」

 

「うん! えへへ、嬉しいなぁ。これから毎日、雨宮君とお話出来るなんて」

 

「そんなにか?」

 

「そんなにだよぉ。だって……」

 

「だって?」

 

「……ううん、なんでもない! えへへ……」

 

何やら照れる様に髪をいじる山風に、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

「あ! そろそろミーティングの時間だ! ごめんね、雨宮君。またあとで来るから!」

 

「あぁ、ありがとう」

 

「じゃあね! えへへ」

 

イソイソと去って行く山風。

まるで嵐が去って行ったかのように、部屋は一気に静寂に包まれた。

 

「…………」

 

窓の外に見える小さな島。

昨日まで、あの場所に居たことが信じられない。

それほどに、俺の心は、どこか穏やかで――。

 

「……何を安心しているんだ、俺は」

 

不気味なほど静かな海。

あの島で、今、皆がどう思っているのか。

俺が居なくなって不安がっているのか、それとも――。

 

 

 

「ん……」

 

目を覚ますと、空はすっかり夕焼けに染まっていた。

 

「いつの間にか眠ってしまっていたのか……」

 

ベッドから起き上がってみると、机の上にラップで包まれた握り飯が置かれていた。

傍に『お腹空いてるでしょ? 食べて! また明日! 山風』というメッセージが、付箋で添えられていた。

 

「来てくれていたのか……」

 

確かに腹は減っていた。

思えば、昨日はてんわやんわしていたものだから、ろくに飯を食っていなかった。

 

「いただきます」

 

小ぶりな握り飯は、少しだけしょっぱかった。

 

 

 

握り飯を食い終わり、さてどうしようかと思っていると、部屋のドアがノックされた。

 

「どうぞ」

 

返事を聞き、部屋に入って来たのは――。

 

「上官……」

 

「雨宮」

 

立ち上がろうとする俺を止めると、上官は近くにあった椅子に座った。

 

「気分はどうかね?」

 

「はい……おかげさまで、何とか……」

 

「そうか……」

 

永い沈黙が続く。

 

「……あの」

「――すまなかった」

 

そう言うと、上官は頭を下げた。

 

「君のストレスに気が付けなかった……。ここまで追い込んでしまったのは、私の責任だ……。本当にすまない……」

 

昨日の態度とは打って変わり、上官は弱弱しくそう言った。

 

「そ、そんな……。頭をあげてください! 私のストレスは、私自身の問題で……!」

 

「いや……そうじゃない……。そう思わせるよう仕向けた私の責任なのだ……」

 

「仕向けたって……。しかし、そうだとしても――」

 

いくら説得しようとも、上官は謝ることを止めなかった。

どうしてこんなにも謝るのか、俺には理解が出来なかった。

 

「――とにかく、むしろ、謝らなければいけないのは私の方です。一人では何もできない癖に、傲慢な態度を取ってしまいました……。上官は手を差し伸べてくれたのに、私は……恩を仇で返す様な真似を……」

 

「いや……そんなことはどうでもいい……。君は上手くやっていた……。それを邪魔したのは……私なのだ……」

 

頑なに自分を責める上官。

本当、一体、どうしたというのだろうか。

とにかく、このままでは埒が明かない。

 

「……上官。この話は、また落ち着いてからにいたしましょう……。今日のところはお休みください……。上官もお疲れのようです……」

 

「いや……私は……」

 

「……私も、医者に無理をしないよう言われておりますので。ですから……」

 

それを聞いてようやく、上官は顔をあげた。

 

「……そうか。そうだよな……。すまない……」

 

その表情は、今までに見たことがないほどに――。

 

「無理をさせてすまなかった……」

 

「い、いえ……そんな……」

 

上官は立ち上がると、フラフラと扉へと向かっていった。

そして、去り際に、もう一度俺に目を向けた。

 

「雨宮……」

 

「上官……」

 

「……本当に、すまなかった」

 

そう言って、上官は部屋を出ていった。

 

「…………」

 

ここ数日、色々な事が重なり、上官も参ってしまっているのかもしれない。

俺なんかよりも、上官にこそ休養が必要なのではなかろうか。

そう思わせるほどに、上官の表情は――あの背中は――。

 

 

 

翌日は、朝早くから山風がやって来た。

 

「おはよう、雨宮君」

 

「おはよう。早いんだな」

 

「うん! 雨宮君に会いたくて、早く来ちゃったんだ。迷惑だった?」

 

「そんなことはないさ。むしろ、来てくれて嬉しいよ」

 

「そっか。えへへ、良かった」

 

山風は、買って来たのだという花を花瓶に挿した。

 

「今日は天気がいいから、カウンセリングが終わったら、外に出てみない? この施設の近くだったらいいよって、先生も言ってくれたし」

 

「そうか。なら、そうしようかな」

 

「お弁当も作って来たの。後で一緒に食べようね」

 

満面の笑みを浮かべる山風。

嗚呼、なんて言うか……久しくなかったな……。

こうして穏やかに過ごす事……。

島に居た時にも、落ち着く時間はあったのだけれど、心はいつもざわついているようで――とにかく、こんなに穏やかな気持ちにはなれなかった。

 

 

 

カウンセリングは、これといって特別な事はしなかった。

体調はどうだとか、気分はどうだとか――そんな事を聞かれただけで、30分もかからずに終了した。

 

「では、雨宮さん。また夕方の16時に」

 

「はい。ありがとうございました。あ、そうだ……。先生、一つお聞きしたいのですが……」

 

「はい、なんですか?」

 

「島の事なのですが……私が十日間いなくなることを彼女たちは……」

「――雨宮さん」

 

医者の目の色が、急に変わった。

 

「島の事は、今はお忘れください。貴方に出来る仕事は、休養をとることです。島の心配をすることではありません」

 

鬼気迫るその表情に、俺は生唾をのんだ。

もしかして、自分が思っている以上に、事態は深刻なのではなかろうか、と思わせるほどの気迫であった。

昨日の上官の態度も、或いはそれが関係していたりするのでは……。

 

「……そうでしたね。分かりました」

 

いずれにせよ、医者の言う通りにするのがベストであろう。

 

「それでよろしい。山風はどうです? 雨宮さんのお邪魔をしていませんか?」

 

「いえ、むしろ助かっています。彼女と居ると、こう、穏やかな気持ちになると言うか」

 

「それなら良かった。彼女も、貴方に夢中のようです」

 

「そうみたいです」

 

「ふふ、気を付けた方がいいですよ。彼女はまだ独身ですから、もしかしたら、雨宮さんを狙っているのかもしれません。仕事柄、恋愛は出来ないのでしょう?」

 

「まあ、そうですが……。山風がそんな事を考えているとは、とても……」

 

「私の知る限り、彼女がここまで誰かに夢中になるなんてことは、なかったように思います。この際、島の事は忘れて、恋愛でもしてみてはいかがでしょう? 恋はいいですよ」

 

そう言うと、医者は悪戯な表情で笑って見せた。

なるほど。

どうやら気を遣わせたらしい。

 

「考えておきます」

 

「ふふ、そうですか。では、また16時に」

 

「はい。ありがとうございました」

 

 

 

山風を待つ間、ベンチに座り、遠くに見える島を望んでいた。

 

「島の事は忘れろ……か……」

 

忘れる事なんて出来ない。

だが、忘れてもいいのだと言われて、少し安心している自分がいた。

 

「だーれだ?」

 

小さな手が、俺の視界を塞ぐ。

 

「フッ、誰かな。北上か?」

 

「もう、分かってるくせに……。雨宮君のいじわる」

 

山風は小さく頬を膨らませながら、俺の隣に座った。

 

「待たせちゃったかな?」

 

「いや、俺も今来たところだ」

 

そう言ってやると、山風は俺の手を取った。

 

「嘘、手冷たいもん。ずっと待っててくれたんでしょ?」

 

俺は何も言えず、ただ頭を掻いた。

 

「温めてあげる」

 

山風は、俺の手を自分の頬にあてた。

 

「あたしのほっぺ、温かいでしょ? 普通の人に比べて、体温が高いの」

 

確かに、山風の頬は温かくて、それでいて柔らかかった。

 

「本当だな」

 

「えへへ、ずっと触ってていいからね?」

 

「いや、遠慮しておくよ。冷やしちゃうのも悪いし」

 

「え~? なんでよ~? もっと触ってよ~」

 

「フッ、なんでだよ」

 

自然と笑みがこぼれる。

山風と居ると、何だか落ち着くと言うか、妙に安心できるんだよな。

 

『私の知る限り、彼女がここまで誰かに夢中になるなんてことは、なかったように思います。この際、島の事は忘れて、恋愛でもしてみてはいかがでしょう? 恋はいいですよ』

 

恋、か……。

 

「雨宮君?」

 

こんな調子で、俺はこの先、本当にすべての艦娘達を『人化』出来るのであろうか。

 

『提督……私は、やっぱりこの島を出たいです……。『生きたい』のです……。でも……この島の艦娘たちを見捨てられません……。だから……私は『生きる』為に、提督に協力したいです……。この島の艦娘たちを島から出すために……。私が私の『人生』を歩むために……』

 

あの時、明石はそう言った。

それでも――。

 

『好き……です……。提督の事が……好きです……』

 

明石の気持ちが本気であって、皆を――いや……自分の幸せを強く願うのなら、あいつは俺についてきてくれるだろうか。

もし、ついてきてくれるというのなら、こんな俺に出来ることは――それしかないのなら――。

 

「あ~ま~み~や~君!」

 

両手で顔を掴まれ、俺は我に返った。

 

「大丈夫? ぼうっとしていたけれど……なにか考え事……?」

 

「あぁ、いや……別に……」

 

「……嘘。島の事を考えていたんでしょ……?」

 

山風は唇を尖らせ、俺の目をじっと見つめた。

 

「……悪い。考えていた……」

 

「やっぱり……」

 

「ごめん……。考えてはいけないと分かってはいるのだが……」

 

「……うん。しょうがないよ……。ずっとあの島で過ごしてきたわけだし……。すぐに忘れることは出来ないよね……」

 

分かっている、とでも言うように、山風はそっと、手を取ってくれた。

安心できる手であった。

 

「先生が言っていたのだけれど、何かを忘れるには、別の何かに夢中になるのがいいんだって。雨宮君、趣味だとか、好きな事ってなあに?」

 

「趣味……好きな事……か……」

 

ずっと、海軍に入るために勉強をしてきた。

『あの施設』に居た頃だって、そんなことは――。

海軍に入ってからも、また――。

 

「……何もないかもしれないな」

 

「そうなの……? あ、じゃあさ、楽しかった思い出とかある? そこにヒントがあるかも!」

 

「楽しかった思い出……」

 

どちらかというと、辛い思い出の方が多かったように思う。

 

「…………」

 

こうして振り返ってみると、俺って、本当に何もない男だったんだな。

全ての艦娘を『人化』することばかり考えて来たけれど、それすらかなわないのだとしたら、一体、俺に何が残るというのだろうか。

こんな何もない男だと知ったら、明石はきっと――だとしたら――。

 

「雨宮君……」

 

また、我に返る。

 

「また……考えていたでしょ……?」

 

「……あぁ」

 

駄目だ……。

何をしようにも、島の事――艦娘の事ばかりを考えてしまう……。

 

「ごめんね……雨宮君……。あたし……力になれなくて……」

 

「い、いや……山風が謝ることでは……。いや、本当……趣味もいい思い出も、何もない俺が悪いのであってさ……。ごめんな……。こんな何もない男でさ」

 

そう笑って見せると、山風は俺の手を強く握って、強く叫んだ。

 

「そんなことないよ……! 雨宮君は、何もなくないよ!」

 

「え……?」

 

「雨宮君はすっごく素敵な人だよ……! あたしにないもの……他の人にないものをたくさん持ってるもん……! 言葉では言い表せないけれど……あたしは知ってるもん……! そんな雨宮君だから、あたしは……!」

 

そこまで言うと、山風は口を噤み、顔を赤くして俯いてしまった。

 

「山風……?」

 

「と、とにかく……。そんな事、言っちゃ駄目だよ……。雨宮君の素敵なところを知っている人たちは、たくさんいるはずだから……。少なくとも、あたしは知ってるよ……? だから……」

 

今度は悲しそうな顔を見せる山風。

誰かの為にこんな表情が出来るなんて……。

山風こそ、本当に……。

 

「……そうだな。悪かった。確かに、自分じゃ気が付けないこともあるもんな。山風がそれに気が付いてくれているのなら、俺はそれを信じるよ。俺には何もない訳じゃない。君が信じてくれる何かがあるってさ」

 

「雨宮君……」

 

その時、俺の腹がぐぅと音をたてた。

 

「あ……」

 

「……ふふ、お昼にしよっか」

 

「……だな」

 

 

 

山風の作ってくれた弁当は、とても可愛らしくて、とても美味しかった。

特別な食材を使ったり、特別な味付けをした訳ではないとのことであったが、どういう訳か、とても魅力的なものに感じた。

 

「はい、お茶だよ」

 

「ありがとう」

 

「えへへ、残さず食べてくれてありがとう。実は、ちょっと自信なかったんだ」

 

「そうなのか? その割には、弁当を開ける時、「じゃーん!」なんて、派手な演出があったけれど」

 

「あ、あれは……なんて言うか……ちょっと気分が舞い上がってて……」

 

「気分が? どうして?」

 

「……内緒」

 

「内緒? そう言われると、余計気になるな」

 

「……いつか教えてあげる。でも、今は内緒だよ。えへへ」

 

可愛らしく笑う山風。

こうしていると、本当――。

 

「山風と居ると、何もかも忘れてしまうな。時間も、島のことも」

 

ふと、そう零した。

いつもは心に留めようとするような言葉であったが、自然と口から零れ落ちた。

 

「だ、だったら……! その……雨宮君が良かったら……なんだけど……。これからも、こうして一緒に過ごさない……? それなら、島の事も忘れることが出来るだろうし……。あ、あたしも……雨宮君が夢中になれるよう、頑張るから……!」

 

「いいのか? 仕事があったりするんじゃないのか?」

 

「大丈夫だよ! これも仕事の内だし……あ! 別に、仕事だからやってるって訳じゃなくて……! その……あの……」

 

「大丈夫、分かっているよ。ありがとう、山風。嬉しいよ」

 

「本当……? えへへ……。じゃあ……これからよろしくね、雨宮君」

 

「あぁ、よろしく」

 

それから俺たちは、本当に時間を忘れて過ごした。

その所為で、俺は16時からのカウンセリングに遅れ、山風と共に医者に怒られることになった訳だが……。

それでも、共に過ごした時間が有意義であったのだと医者も察していたのか、最後は笑いながら、俺たちの仲をからかっていた。

 

 

 

「じゃあ、私はこれで。今日はごめんね……」

 

「いや、先生も言っていたけれど、それだけ楽しんでいたって証拠だし、謝ることはないよ」

 

「でも……」

 

「それよりも、明日の事だ。明日も、また一緒に過ごしてくれるのだろう?」

 

「う、うん……! あたしでよければ……だけど……」

 

「あぁ、君がいい」

 

――まただ。

こんなこと、普段は絶対に零さない。

零さないはずなのに、どうしてか、山風の前では――。

 

「雨宮君……」

 

「……そろそろ戻らないと。また明日、よろしくな」

 

「う、うん。また明日」

 

山風を見送った後、俺は急に恥ずかしくなり、その場に座り込んでしまった。

 

「『君がいい』……か」

 

なんであんなクサイ台詞を言ってしまったのだろうか。

どうも、山風の前だと、隠し事が出来なくなるというか――。

 

「ううむ……」

 

 

 

しばらく部屋で悶々としていると、部屋の扉がノックされた。

ノック音で、誰が来たのか、すぐに分かった。

 

「どうぞ」

 

扉を開け、顔を出したのは、やはり上官であった。

 

「今、時間いいかな……?」

 

「はい、大丈夫です。どうぞ」

 

「お邪魔するよ」

 

上官はゆっくりと部屋に入ってくると、これまたゆっくりと椅子に座った。

 

「調子はどうかな?」

 

「えぇ、凄くいいです。充実しています」

 

「そのようだね。顔色が随分いいように見える。何かいいことでもあったのかな?」

 

ふと、山風の笑顔が、頭に浮かぶ。

 

「まあ、そんなところです」

 

「そうか。それは良かった」

 

上官は微笑むと、何度も小さく頷いた。

 

「……昨日は取り乱してすまなかったね」

 

「いえ……少し驚きましたが……」

 

「今日は、昨日話せなかったことを話しに来たのだ。少し長くなるが、時間は大丈夫かね?」

 

上官は、どこか落ち着いた口調で、そう尋ねた。

 

「大丈夫です。今日はもう、消灯まで何もありませんから」

 

「なら良かった」

 

一呼吸おいてから、上官は口を開いた。

 

「まず……君がこうしてストレスを抱えてしまったのは、私の所為だ……。すまなかった……」

 

俺はあえて、それを否定しなかった。

無論、その通りだという訳ではなく、昨日のリプレイを避けるためであった。

 

「気が付いていたかどうか分からないが、今回の大井の件、私は多くの嘘をついた。まず、期限の事だ。二日間の期限なんてものは、君に発破をかけるためについた嘘だ。もっと言うのなら、上層部をごまかしているのも嘘であるし、大井を島から強制的に出すなんてことも出来るはずがないのだ。そもそも上層部は、君の作戦を大いに歓迎していた」

 

上官が嘘をついていたことには驚いたが、それ以上に、上官が何故あんなにも謝っていたのか、その理由を理解できたことの方が、俺にとっはて重要であった。

 

「……なるほど、そういう事ですか。しかし、それでも、上官がそうしてくださらなければ、きっと今回の交流は上手くいかなかったかと思います。上官も、それを分かっていて、発破をかけてくださったのでは……?」

 

「……確かに、君の作戦には、少し甘い部分があった。だが、ここまで君を追い詰める必要はなかったのだ……。それは最初から分かっていた……。分かっていたのだが……私は……」

 

深く目を瞑るその姿に、ただならぬものを感じた。

 

「……分かりません。どうして上官は、そこまでご自分を……」

 

上官の目が、真っすぐと俺を見つめる。

 

「君に……私と同じ道を歩ませたくなかったのだ……」

 

だが、その瞳に、俺はいなかった。

――そうだ。

この瞳は――。

 

「佐久間の息子である……君にはね……」

 

 

 

小石でもぶつかったのかと錯覚するほどに、大粒の雨が窓を叩き始めた。

あんなにも天気が良かったのに――天気予報でも、一日晴れが続くと言っていたのに――。

 

「……降って来たね」

 

「え、えぇ……」

 

俺は、ひどく動揺していた。

それは、雨が降り始めた事にではなく、『どうして上官が俺の正体を知っているのか』というところにあった。

 

「不思議に思うかね……? どうして私が、君の過去を知っているのか……」

 

俺は何も言えなかった。

そうだ。

知るはずがないのだ。

俺はずっと、佐久間肇の息子であることを――艦娘だけではなく、海軍にすら隠してきたのだ。

俺が佐久間肇の息子だと知っているのは、重さんだけだ。

――そのはずなのだ。

 

「どうして……」

 

上官は立ち上がると、窓の外に目を向けた。

何を見ているのかは、すぐに分かった。

 

「私はかつて、あの島への出向を夢見て、挫折したことがあるのだ……。とあることがきっかけでね……」

 

上官が島へ……?

そんなことは、噂ですら聞いたことがない。

 

「そんな私の夢を継いでくれたのが、佐久間だった……。そう……。君の母である真奈美さんと、まだ幼かった君を残し、島へと出向させたのは――いや、佐久間を君たちから引き剥がしたのは、私なのだ……」

 

雨が激しくなって行く。

上官はゆっくりと目を瞑ると、静かに語り始めた。

 

 

 

 

 

 

佐久間は、私の後輩であった。

人懐っこい性格で、教育担当者であった私に対しても、まるで昔からの知り合いの様に――されど、敬意を払う事を忘れない男であった。

 

「いよいよ始まるんですね。『適性試験』。坂本さんも、もちろん受けるんですよね?」

 

「あぁ、永い戦いになるが、何とかしがみついてゆくつもりだ」

 

「ずっと、夢だって言ってましたもんね。私に出来ることがあれば、なんでも言ってください。協力します」

 

「ありがとう、佐久間。だが、いいのか? 私なんかに感けていて。子供も、もうすぐ生まれるのだろう?」

 

「大丈夫です。妻も――真奈美も、私の仕事の事をちゃんと理解してくれていますから。それに、真奈美も言っていました。『私たちを引き合わせてくれた坂本さんを、全力で支えるのが貴方の仕事』だと。ですから、私は、全力で坂本さんをサポートしますよ! 坂本さんが嫌だって言っても、私はもう決めてましたから!」

 

「ははは、分かった分かった。頼りにしているよ、佐久間。だが、あまりはしゃいでくれるな。『適性試験』は、永い時間をかけ、秘密裏に行われるものだ。例え同じ海軍の人間でも、試験を受けていることを知っている者は、一部の人間だけだ。分かるね?」

 

「えぇ、大丈夫です。私の所為で、坂本さんの夢を台無しにはしたくないですからね。坂本さんの夢は、私の夢でもあります。あの島への切符、必ず勝ち取ってください」

 

「あぁ。ありがとう、佐久間」

 

佐久間の応援を受けながら、私の『適性試験』が始まった。

 

 

 

君も知っての通り、『適性試験』には、『試験艦』と呼ばれる元艦娘と生活を共にし、その適性を判断するものがある。

――君の『試験艦』は、吹雪さんだったね。

私の『試験艦』は――。

 

「は、羽黒です……! よ、よろしくお願いいたしますっ!」

 

「……坂本だ。よろしく」

 

羽黒――。

彼女を見た時、正直、がっかりしてしまった。

オドオドした態度。

合う事のない視線。

これから先、共に生活してゆくには、あまりにも――。

 

「あ、あの! し、司令官さんと……お呼びしても……?」

 

「あぁ、好きに呼んでもらって構わないよ」

 

「あ、ありがとうございます! 不束者ですが、よろしくおねがいしますっ!」

 

深く頭を下げる彼女に、私は、ただ微笑みを見せるだけであった。

 

 

 

生活を共にすると言っても、『試験寮』――昔、試験の為の寮があったのだが、知るはずもないね――その寮で二人、生活を共にするだけで、特別な事は何もしない。

部屋は別々であるし、風呂トイレも別。

お互いが持っていた仕事が変わることもなく、休日を共に過ごす必要もない。

艦娘と生活を共にできるか。

艦娘の心を開かせるだけのものがあるか。

生活によるストレスはないか。

差別や価値観の偏りがないか。

それら全てを『試験艦』に評価してもらう。

永い時間をかけて――ゆっくりとね――。

 

「寮とは言え、大きな戸建てのようだね」

 

「そ、そうですね」

 

初日の羽黒は、どこか緊張している様子であった。

 

「……一つ、質問をいいかな?」

 

「は、はい」

 

「君は何故、『試験艦』に立候補したんだい?」

 

言った後、意地悪な質問だったかなと反省した。

羽黒もそれを感じ取ったのか、俯いてしまった。

 

「ごめんなさい……。私なんかでは……不満ですよね……」

 

「い、いや……そういう訳ではないのだが……。なんというか……仕事とはいえ、最大で二年間もの永い間、異性と共に暮らす訳だから、普通は抵抗があるものだと思ってね……」

 

ましてや、異性でなくとも、人付き合いが得意でなさそうな彼女だ。

一体、どんな心境があって――。

 

「……実は、立候補なんかじゃないんです」

 

「え?」

 

「いつまでも恋人が出来ない私を見かねて、姉さんたちが……」

 

姉さん。

妙高達の事であろうか。

 

「私、男の人と目を合わせてお話出来なくて……。姉さんたちも、そんな私を心配してくれているのですが、いつまでもそうしている訳にもいかないって……」

 

『試験艦』となれば、嫌でも異性と生活しなければならない。

彼女にとっても、異性慣れする訓練となる訳だ。

 

「ご、ごめんなさい……。こんな理由で……不純ですよね……」

 

「……いや」

 

本当に、終わったと思った。

だから私は――。

 

「今回の試験は、中止にしてもらおうか」

 

「え……?」

 

「君も乗り気でないようだしね。お互いに、時間を無駄にはしたくないだろう?」

 

「で、でも……それだと、司令官さんの試験は……」

 

「今回はチャンスが無かったと思うさ。確かに、『試験艦』が立候補してくれることは、今では少なくなってしまったけれど、きっとまたチャンスは来るはずだ。その時を待つさ」

 

精一杯の笑顔を見せたけれど、内心はひどく落ち込んでいたよ。

君の代では、吹雪さんが積極的に立候補してくれたけれど、昔はそうもいかなくてね。

何しろ、吹雪さんの旦那さんは、まだ御存命で――とにかく、羽黒が来てくれたのも、奇跡のようなものだったんだ。

 

「お姉さんたちには、私から話をつけておく。君が異性に対し、もっと積極的になりたいと思っているのなら、また別のかたちで協力するよ。そういう機会を得ることの出来るイベントを、いくつか知っているから」

 

「…………」

 

「じゃあ、戻ろうか。上には、私が怖気づいたとでも言っておくよ。だから、君は心配しなくていい」

 

そう言って立ち去ろうとする私の手を、羽黒は止めた。

 

「どうした?」

 

「や……やらせてください……」

 

「え?」

 

「私に……やらせてください……! 司令官さんの『試験艦』を……!」

 

「しかし、君……」

 

「……私、知っているんです。司令官さんが、今回の試験にどんな思いで臨んでいるのかを……。ずっと、待っていたんですよね……? 『試験艦』が立候補してくるのを……。でも、中々立候補が無くて……永い事待っていたって……」

 

そうだ。

私は、ずっと待っていたのだ。

若いころから、艦娘を『人化』する夢を持っていた。

試験を受けられる条件を私自身がクリアしても、中々『試験艦』に恵まれず、永い事待っていたのだ。

ようやく掴んだチャンスであったのだ。

 

「それなのに……私の所為で諦めることはさせたくはありません……! 確かに私は……姉さんたちの言いなりのまま、ここに来ました……。でも……私だって、このままではいけないと思っていますし……司令官さんのような、立派な夢を持った人となら、きっと私も、変わることが出来ると思います……! だから……」

 

そこまで言うと、何故か羽黒はぽろぽろと涙を流した。

 

「お、おいおい……」

 

「ご、ごめんなさい……。感情的になり過ぎて……私……」

 

この国を守った艦娘とは思えないほどに、彼女は脆く、傷つきやすくて――それでいて、優しい心を持っていた。

誰かを評価するなんて、彼女には――。

それでも――。

 

「……分かった。君がそこまで言ってくれるなら、最後まで付き合ってもらおうかな」

 

試験の結果がどうあれ、ここで彼女の心を救うことが出来なければ、あの島に出向したとしても、私には何も出来ないだろうと思った。

 

「司令官さん……」

 

「もう後には引き返せないよ。それでもいいんだね?」

 

羽黒は涙を拭くと、覚悟を決めた目を見せてくれた。

 

「……はい! 羽黒、精一杯『試験艦』を務めさせていただきます!」

 

「よろしい。改めて、よろしくな。羽黒」

 

「よろしくお願いします。司令官さん」

 

あの時交わした握手を、今でも鮮明に思い出せるよ。

永い年月が経っているのにもかかわらずね……。

 

 

 

共同生活は、至って順調であった。

最初は、顔を合わせる時間が食事の時くらいしかなかったのだが、このままではいけないとお互いに分かっていたのか、何もない時間でも、リビングで過ごすようになった。

 

「コーヒーを淹れるが、君もどうかな?」

 

「あ、それなら私がやりますよ!」

 

「いや、いいんだ。コーヒーの淹れ方には、少しこだわりがあってね」

 

コーヒーを淹れている姿を、羽黒は真剣な表情で見つめていた。

 

「……やってみるかい?」

 

「いいんですか……? 是非!」

 

羽黒は、なんにでも興味を持つ奴だった。

正直、最初は、気を遣ってくれているものだと思っていたのだけれど、時が経つにつれて、単に彼女が純粋であるという事に、気が付いていった。

 

「こ、こんな感じでしょうか……?」

 

「あぁ、とても上手だよ。筋がイイね」

 

「そ、そうでしょうか……。えへへ……」

 

なんにでも興味を持つという事は、何も知らないという事でもある。

彼女は本当に、妙高達に大事にされてきたようだ。

何も知らない、純粋な女性。

そんな彼女であると、分かっていたのにもかかわらず、私は予測できなかった。

彼女の気持ちの変化に――。

そして、自分の気持ちの変化に――。

 

 

 

共同生活を始めて数か月もすると、休日さえ合えば、一緒に外出をすることも増えていった。

 

「へぇ、コーヒー豆って、こんなに種類があるんですね」

 

「高いからいいって物でもなくてね。私なんかは、いつも飲んでいる、この一番安いオリジナルブレンドが好きなんだ。いくつか試飲出来るから、何か好きな豆を選んだらいい。プレゼントするよ」

 

「そ、そんな! 自分で買いますよ!」

 

「いや、プレゼントさせてほしいんだ。君がこうして興味を持ってくれたこと、とても嬉しくてね」

 

そう言って笑って見せた時、彼女は――いつもなら、申し訳なさそうな表情を見せるのだけれど、その時は、どこか恥ずかしそうに、俯いてしまっていた。

 

「……迷惑だったかな?」

 

「い、いえ! そんなことありませんっ! むしろ……その……あの……」

 

初めて会った時のような――されど、どこか色っぽくて――思えば、あの時から彼女は――。

 

 

 

結局、彼女が買ったのは、一番安いオリジナルブレンドであった。

 

「それで良かったのかい?」

 

「は、はい! これがいいんです……。えへへ……」

 

「そうか」

 

嬉しそうに袋を抱える彼女は、とても可愛げがあってね。

恋人なんかが居たら、きっと――そんなことを思った自分が居て、恥ずかしくなったのを覚えている。

 

「司令官さん?」

 

「あぁ……ごめん。何の話だったかな?」

 

「これからどうしますか? コーヒーは買いましたし……」

 

「あぁ、実は、ちょっと買いたいものがあってね。どうしようか。ここで別れるかい?」

 

「え……あ……買いたいものって……なんですか……?」

 

「この前、私の後輩に子供が生まれてね。その出産祝いに、何か買ってやろうと思っていてね」

 

「出産祝い……。わ、私も! 同行してもいいですか?」

 

「あぁ、構わないが……。退屈させてしまうかもしれないよ?」

 

「大丈夫です! その……わ、私もいつか、赤ちゃんを育てることになるかもしれないから……その……見ておきたくて……いろいろと……」

 

「なるほどね。じゃあ、一緒に行こうか」

 

「は、はい! えへへ……」

 

 

 

 

 

 

「その後輩って……」

 

「あぁ、佐久間の事だ……。つまり、赤ちゃんとは、君の事だよ。雨宮」

 

上官は、俺の事を赤子の頃から知っていたという訳か……。

 

「生まれたばかりの君を抱いたこともある。泣かれてしまったがね。佐久間と真奈美さんの腕に抱かれる時だけは、とても穏やかな顔を見せてくれたのを覚えているよ」

 

上官は思い出す様に、遠い目を見せた。

 

「話が逸れてしまったね……。――いや、或いは、私の事の方が、逸れた話なのかもしれないね……」

 

「いえ……そんな事は……」

 

永い沈黙が続く。

雨は容赦なく、窓を叩きつけていた。

 

「……上官」

 

「なんだね」

 

「上官は……好きだったのではないですか……? 羽黒の事を……」

 

空が光る。

遅れて、轟音が窓を揺らす。

 

「上官……」

 

「……あぁ、好きだったよ。好きに……なってしまったんだ……」

 

 

 

 

 

 

自分の気持ちに気が付いたのは、共同生活を始めてから、一年がたった頃であった。

 

「坂本さん、試験の方はどうです? 順調ですか?」

 

「声がでかいぞ佐久間……。誰かに聞かれたらどうする……」

 

「大丈夫ですよ。ここは滅多に人も来ませんし、今日は皆、イベントで大忙しですから」

 

「だとしてもだ……。全く……」

 

とは言っても、こうして試験の事を話せる機会と言うものは、私にとって貴重な事であった。

唯一話せる――といっても、本当はいけないことなのだけれどね――その相手が、佐久間だけであったのだ。

 

「佐久間……」

 

「なんです?」

 

「相談に乗ってくれないか……? 少し……困ったことになってね……」

 

「……珍しいですね。佐久間さんが私に相談するなんて……」

 

「あぁ、そうだね」

 

「そうだねって……」

 

「ふふ、冗談だ。困っていることは事実だ。茶化さずに、聞いてくれるかな……?」

 

私が本気だと知ると、佐久間は真剣な表情で向き合ってくれた。

 

「……はい」

 

「ありがとう」

 

私は一呼吸おいてから、今までの経緯を全て、佐久間に話した。

 

「――なるほど。相手は羽黒でしたか。それで? 困った事とは?」

 

「あぁ、実は――」

「――羽黒の事を好きになってしまった……とか?」

 

私は驚いた。

佐久間は、得意げに笑っていた。

 

「どうして分かった……?」

 

「何となく、ですよ。話を聞いている限り、そうなんじゃないかって。それに、最近の坂本さんは、なんていうか、とても活き活きしていましたからねぇ。そう言う事か、って感じです」

 

「……そんなに活き活きしていたかね?」

 

「そんなに活き活きしていましたね」

 

私は恥ずかしくなって、思わず赤面してしまった。

 

「……『試験艦』に惚れてしまうのは、よくあることだと聞いています。実際に、それで結婚した奴もいますから。けど、坂本さんが羽黒に惚れるとはねぇ……」

 

「…………」

 

「……その様子だと、向こうにも気があるようですね」

 

「あぁ……。私の自惚れでなければだがね……」

 

「坂本さんともあろうお人が、見当を誤るとは思えませんがね……」

 

「経験が無いのだ……。私はずっと、仕事に生きて来たからね……。試験の条件もあったし……」

 

単純に、モテなかったのもあるがね。

 

「それで、坂本さんはどうしたいと? 何を悩んでいると?」

 

そう言われて、困ってしまった。

 

「……私はいいと思いますよ。このまま羽黒と結ばれても、誰も貴方を責めたりしません。だが、もし夢を取るというのなら、決断は早い方がいい……」

 

思わず息を呑んだ。

こういう時の――真剣に取り合ってくれている時の佐久間は、とても不気味で――私を責めているようで、恐ろしかった。

いや、或いは、そう思いたい自分が居ただけで――。

 

「もし……夢を取るのなら……君ならどうするかね……?」

 

「きっぱりと彼女を諦めます。彼女にも、それを分かってもらいます」

 

即答だった。

仮定の話とは言え、佐久間の答えは真剣そのものであった。

 

「……これはあくまでも、私個人の意見ですが、坂本さん、貴方には夢を取ってもらいたい。貴方には、全ての艦娘を『人化』させるだけの力があります」

 

「…………」

 

「ここで決断してください……。羽黒を取るか、夢を取るか……。それが出来なければ、夢を諦めることです。これ以上長引かせることは、羽黒にとっても辛い事なんです……」

 

羽黒にとっても……。

 

「坂本さん……」

 

「……そうだな」

 

確かに、ここで決めることが出来なければ、私はずっと、この問題を引きずって行くことになるだろう。

私一人の悩みであれば、それでもいいかもしれない。

だがこれは、私だけの問題ではない。

羽黒にも影響してしまう問題であるのなら――。

 

「…………」

 

私は覚悟を決めて、佐久間に宣言した。

 

「――私は、夢を取る。羽黒の事は惜しいが……まあ、初めての失恋として、いい経験だったと割り切ることにするよ」

 

「坂本さん……。そう言ってくれると思っていました……」

 

佐久間は安心した表情を見せると、私の肩をポンと叩いてくれた。

 

「今日は飲みましょう。失恋は、酒で忘れるのが一番なんですよ」

 

そう言う佐久間の笑顔に、私は本当に救われた気がした。

自分の気持ちに踏ん切りをつけることは簡単だ。

だが、それが、誰かの気持ちにもピリオドを打つこととなるのなら、私一人では――。

佐久間は、そんな私の――誰かを崖の下に突き落とすような気持ちでいる私の――なんなら、自分も押すことを手伝ってやるのだと――そういう心持で、私を救ってくれたのだ。

――少なくとも、私はそう感じたのだ。

 

 

 

それから私は、羽黒から距離を置くことにした。

 

「司令官さん。今度の休日、水族館に行きませんか? この前オープンしたみたいで、招待券をいただきましたので」

 

「あぁ、すまない。その日は用事が入っていてね……」

 

「では、その次の週は……」

 

「次の週もだね……。すまないね……。ここのところ、忙しくてね……。しばらくは、一緒に出掛けられそうにないのだ……」

 

「そ、そうですか……。分かりました……」

 

罪悪感もそうだが、やはり私は、夢を取ったとはいえ、羽黒の事を好きでいたものだから、正直、とても辛かったし、何度も誘いに乗りそうにもなった。

そんな私を支えてくれたのが、佐久間と真奈美さんだった。

 

「せっかくの休日なのに、家に押しかけて申し訳ない……」

 

「いいんですよ。夫の仕事は、私の仕事でもあるので。それに、坂本さんには感謝していますから」

 

「慎二も、坂本さんの事が好きみたいですよ。ほら、慎二、抱っこしてもらえ」

 

会う度に、君は少しずつ成長していったのを覚えているよ。

 

「困ったら、いつでも家に来てください。何なら、泊まっても大丈夫ですよ」

 

「あぁ、ありがとう……。真奈美さん……佐久間……」

 

 

 

そんな事を半年続けた。

時々、羽黒の外出に付き合ったこともあったが、それはあくまでも、買い物の為の荷物持ちだったり、なるべく娯楽の少ない用事だけにしていた。

そうすることで、彼女の気持ちも、段々と薄れて行くものだと思っていた。

同じように、私の気持ちも――。

しかし――。

 

「司令官さん、今度の休日――」

 

「すまない――」

 

いつものように断ると、羽黒はぽろぽろと涙を流し始めた。

 

「お、おいおい……。急にどうした……?」

 

「司令官さん……どうして私の事を避けるのですか……?」

 

「え……? さ、避けてなどいないよ……」

 

「嘘です……。いつも予定があるって……私の誘いを断るじゃないですか……」

 

「そ、それは本当に予定があってだね……?」

 

「佐久間さんのお宅に……ですか……?」

 

私は、思わず息を呑んだ。

 

「どうしてそれを……」

 

「失礼だとは思ったのですが……この前、司令官さんの跡をつけてみたんです……。そしたら、佐久間さんのお宅に……」

 

「……それは、佐久間に用事があってだね」

 

「嘘です……。その日は、――鎮守府でお仕事があると言っていました……。それなのに……」

 

どう言い訳をしようか考えていると、羽黒は突然、私の胸の中に飛び込んだ。

 

「は、羽黒……?」

 

「私の事……そんなに嫌いですか……?」

 

「え……?」

 

「私の事が嫌いだから……そんな嘘をつくのですか……? 嫌いなら……はっきりと言ってください……」

 

羽黒は顔をあげると、今にも消えそうなほど小さな声で、言った。

 

「司令官さんの事が好きなんです……。恋……してしまったのです……。だから……だからぁ……」

 

大粒の涙を流すその姿に、私は――。

 

「……嫌いなどではないよ」

 

「じゃあ……どうして……?」

 

そう問われた時、ふと、佐久間の言葉を思い出した。

 

『きっぱりと彼女を諦めます。彼女にも、それを分かってもらいます』

 

もし、それが正しいのなら――。

 

「司令官さん……」

 

「……分かった。正直に話そう。君を避けていたことは事実だ……。だが、それにはちゃんとした理由があってね――」

 

佐久間の言葉を信じて、私は、羽黒に全てを話した。

彼女を好きになってしまったこと。

好意に気付いていたこと。

それでも尚、夢を諦めきれなかったこと――。

 

「――だから、私は、君を諦めるため……君に諦めて貰う為に、避けていたのだ……。傷つけるつもりはなかったのだ……。すまない……」

 

深く頭を下げる私に対して、羽黒は、顔をあげるようにと、私の頭を起こした。

 

「本当にすまなかった……羽――」

 

一瞬の出来事で――されど、とても永くて――。

彼女の唇が離されるまで、私は動くことが出来なかった。

 

「羽……黒……」

 

「嬉しいです……」

 

「え……?」

 

「両想いだったなんて……とっても嬉しいです……」

 

「い、いや……羽黒、私は――」

「――分かっています」

 

私の言葉をかき消すかのように、羽黒は言葉を重ねた。

分かっているとは言っているが、言葉を重ねたのは、まるで――。

 

「分かっています……。それでも……司令官さんはまだ、私を諦めきれていないんですよね……? 私の事が、好きなんですよね……?」

 

私は、何も言えなかった。

 

「なら、それでいいじゃないですか……?」

 

「え……?」

 

「島に行く条件に、『試験艦』を好きになってはいけないなんて、ないはずです……。独身であればいいだけであって、恋人が居てはいけないなんて……ないはずです……」

 

「……そうかもしれないね。でも、よく考えて欲しい。恋人になったとしても、私が島に行ってしまったら、君に会う事は許されないのだ。私は、全ての艦娘を『人化』させたいと思っている。それには、途方もない時間がかかることだろう……。言いたいこと、分かるね……?」

 

「えぇ……分かります……。それでも、私は待てます……。待ち続けます……。それに、司令官さんならきっと、そんなに永い時間をかけなくとも、全ての艦娘を『人化』できると信じています……」

 

羽黒の目は、『恋』の色に染まっていた。

それ以外、何も見えないとでもいうかのように。

そして、その瞳の中には、その色に染まりそうになる私の姿があった。

 

「羽黒……分かってくれ……。君に辛い思いをさせたくなくて言っているのだ……」

 

「辛い思いなんてありません……。司令官さんが私を好きでいてくれるという事実があるのなら、私は……」

 

「口で言うのは簡単だ……。後悔はさせたくないのだ……」

 

そんな事でしばらく言い合っていたが、お互いに不毛だと気付き、黙り込んでしまった。

永い沈黙が続く。

 

「……とにかく、そういう事だ。君に深入りし過ぎた私が悪いのだ……。すまなかった……」

 

「司令官さん……」

 

「……少し、距離を置いて欲しい。君が望むのなら、試験を中止し、私を失格にしてもいい――いや、『試験艦』に恋をしてしまったなんて、そもそも失格に値する行為なのかもしれないね……」

 

夢をとる。

それは、羽黒が諦めてくれて、試験に協力してくれることが前提である。

だとするのなら、もう――。

 

「私は夢を諦められない……。だが、それを叶えるのが今でなくてもいい……。少なくとも、今の私には、その資格はないようだ……」

 

「…………」

 

「やはり、終わらせよう……。試験は……私の『失格』だ……。これ以上続けても、お互いに苦しくなるだけだ……」

 

羽黒は俯くと、小さくこぶしを握った。

まるで、何かに耐えるかのようにして――。

 

「ありがとう、ここまで付き合ってくれて……。そして、すまなかった……」

 

そう言って立ち去ろうとする私の背中を、羽黒はそっと、抱きしめた。

 

「……羽黒」

 

「嫌です……。この生活を終わらせることも……司令官さんとお別れすることも……」

 

羽黒の手が、徐々に――。

 

「お、おい……! 何をして……!」

「――私はっ!」

 

その手は、小さく震えていた。

 

「私は……それでも……貴方の事が……好きなんです……。失いたく……ないのです……」

 

彼女は再び、私にキスをした。

心臓の音がうるさくて――だが、それが自分のものなのか、はたまた羽黒のものなのか、よく分からなかった。

 

「羽黒……」

 

「私……初めてなので……優しくしてください……」

 

膝が崩れ、心までもが堕ちて行く。

何かを探るかのように、羽黒は、何度も何度も、私にキスをした。

視界が狭くなって行き、やがて羽黒の事しか見えなくなった。

気が付くと私は、羽黒の事を押し倒していて――。

 

 

 

 

 

 

そこまで言うと、上官は涙を流した。

 

「上官……」

 

「自分を律することが出来なかった……。本当に……情けない……」

 

普段の上官からは想像も出来ないほどに、彼の言う情けない姿が、そこにはあった。

 

「……それから、羽黒とはどうなったのですか?」

 

「……行為が終わった後、私は本部に出向いて、全てを自白した。当然、試験は失格になった……。羽黒とは、それっきり会っていない……。会わない様にと、命令を受けたのだ……。羽黒は、何度か私に連絡を取ろうと必死だったようだが、その後、同じ試験を受けに来た男と結婚したそうだ……」

 

俺は、何も言えなかった。

何と言ってやればいいのか、分からなかった。

 

「それっきり、私は夢を諦めた……。佐久間は、何度も、諦めないよう説得してくれたが……私はもう駄目だった……。何もかも失って……立ち直ることが出来なかったのだ……」

 

上官にそんな過去があったとは……。

あまり自分の事を語りたがらない人だとは思っていたが……。

 

「すまない……。情けなく泣いてしまった……」

 

「いえ……」

 

「ここからが本題だ……。君の父親……佐久間が、どうして島を目指したのか……」

 

上官は涙を拭うと、再び語り始めた。

 

 

 

 

 

 

私が完全に夢を諦めたことを悟った佐久間は、ある日、驚きの行動に出た。

 

「真奈美さんと離婚した……?」

 

「えぇ……」

 

「それはまた……どうして……」

 

「試験を受けるためです」

 

「試験って……『適性試験』のことか……!?」

 

「えぇ、そうです」

 

私の驚愕に対し、佐久間は驚くほど冷静であった。

 

「何を考えているんだ!? 試験の為に離婚って……!」

 

「真奈美も理解してくれました。むしろ、応援してくれているほどです」

 

「……だとしても、一体、どういう心境の変化が……」

 

私はハッとした。

 

「まさか、私のかわりに……という訳か……?」

 

佐久間は何も言わなかった。

 

「馬鹿な真似を……! 私がいつそんな事を頼んだ!?」

 

「……確かに、きっかけは、坂本さんが夢を諦めたことにあります。けど、艦娘の『人化』には、私にも思うところがあるのです。貴方が出来ないというのなら、私がやるまで……。そう思ったのです……」

 

「……分からん。全く分からん……! どうして家族を捨ててまで、そんなことを……!」

 

「家族は捨てていません。私は必ず、家族の元に帰ります。全ての艦娘を『人化』させて……」

 

佐久間の意志は本物であった。

語りはしなかったが、佐久間にも何か、艦娘の『人化』に対して、強い意志があったようだ。

 

「……本気なのかね?」

 

「そうでなければ、離婚なんてしません」

 

「そうかもしれないが……」

 

「それに、『試験艦』も見つかっているのです」

 

「『試験艦』が? それは一体……」

 

「吹雪さんです」

 

「吹雪さんって……確か、先日、旦那さんを亡くされたという……」

 

「えぇ……その吹雪さんです……。彼女は、私が試験を受けるのであれば、『試験艦』に立候補してくれると、約束をしてくれました」

 

どうして吹雪さんが、そんな約束を佐久間にしてくれたのかは分からない。

そもそも、どうして出会ったのか……。

 

「とにかく、そういう事です。上にはこれから、話をつけてきます。その前に、どうしても、坂本さんには伝えておきたかったのです」

 

佐久間は私の手を取ると、真っすぐな瞳で、こう言った。

 

「もし私が試験に受かったら、サポートを坂本さんに頼みたいのです。引き受けてくれますよね……?」

 

それは、お願いというよりも、確認のようであった。

「まだ、艦娘の『人化』を諦めていないのだろう?」とでも、問うかのような――。

 

「坂本さん……。私には、貴方が――いえ、艦娘には――あの島の艦娘には、貴方が必要なんです……。貴方となら出来る……。艦娘の『人化』を夢に持っていた貴方になら……貴方となら……!」

 

「…………」

 

「坂本さん……!」

 

佐久間の熱意に、私の中にあった――忘れていた気持ちが、再び燃え出すのを感じた。

そしてそれは、涙となってあふれ出したのだ。

 

「坂本さん……」

 

「……馬鹿者。そんな事を言われたら……協力せざるを得ないではないか……」

 

「では……!」

 

「あぁ……協力する……。いや……させてくれ……。私の代わりに……艦娘の『人化』を成してくれ……」

 

「……はい! もちろんです!」

 

「……ありがとう、佐久間」

 

 

 

それから一年後。

佐久間はたった一年で試験を合格し、島への切符を手に入れた。

出発する日、佐久間は言った。

 

「すべての艦娘を『人化』するまで、本土には帰りません」

 

それが、佐久間の覚悟であった。

事実、佐久間が島を出てからの十年間、一度たりとも島を出ることはなかった。

私は、そんな彼を支えるべく、裏で色々と動くことにした。

時には、彼の体調を確かめるという名目で、島に行ったこともあった。

――泊地までだけどね。

 

「大淀、紹介するよ。坂本さんだ」

 

「大淀です。提督から話は聞いております。色々とサポートしていただいているようで……」

 

「いや、私は……」

 

「坂本さんはな、かつて、島を目指した男で、誰よりも艦娘の『人化』に力を入れていてな?」

 

「ふふ、提督。その話、何回目です?」

 

佐久間は本当に優秀な奴だった。

私なんかよりも、はるかに適性があって、たった数年で何十隻もの艦娘を『人化』へと導いていった。

そして、『人化』した艦娘の全てが、佐久間を尊敬し、佐久間の言葉によって、自ら『生きる事』を選択していたのだ。

 

 

 

佐久間が島で活躍している間、私は何度か、真奈美さんと密会していた。

 

「こんな形でしか会えないことをお許しください。私にも、立場と言うものがあるので……」

 

「いえ、こうしてお話をしていただけるだけでも……」

 

会っていた理由は、主に佐久間の様子についての報告であった。

 

「――そうですか。元気にしているようで良かったです」

 

「えぇ……。真奈美さんの方はどうですか? 息子さん、そろそろ小学校に通う頃でしょう。金銭面など大変であれば、支援する用意はあります」

 

「私たちの事はいいのです。坂本さんは優しい方ですから、きっと、あの人に報告しちゃうでしょう? 変に心配をかけたくないのです」

 

「しかし……」

 

「本当に大丈夫なんです。ですから、もっとあの人の話を聞かせてください。この前、利根という艦娘が島を出たと聞きました。それもあの人の?」

 

真奈美さんは、佐久間に心配をかけまいと、私に何も話してはくれなかった。

私も多くは詮索しなかった。

だが、ある日――。

 

「真奈美さん、やつれているように見えますが……大丈夫ですか……?」

 

「え、えぇ……。最近、ダイエットを始めまして……」

 

すぐに嘘だと分かった。

ダイエットにしては、あまりにも――。

 

「ですから、心配なさらないで。それよりも、あの人の話を――」

 

 

 

私は、悪いとは思いつつも、真奈美さんの事を調べることにした。

何かあったに違いないと。

そして、知ってしまった。

彼女が、癌であると――。

 

 

 

 

 

 

上官は悔やむように、俯き、こぶしを握った。

 

「彼女の病を知った時には、もう遅かった……。全身に癌が転移していて、永く生きられないとのことだった……」

 

知っている。

知っているさ。

だから俺は――。

 

「私は、真奈美さんに言った……。佐久間にこの事を伝えよう、と……。だが……」

 

「『あの人に迷惑はかけられない』。そう言ったんですよね……?」

 

「!」

 

「私も、同じことを母に言いました……。佐久間肇に連絡を取ろう、と……。けど、母はそうしなかった……。そうすることを許してはくれなかった……」

 

「雨宮……」

 

そうだ……。

俺は、佐久間肇に戻って来てほしかったんだ。

母さんの為に……。

けど――。

 

「……実は、佐久間には伝えていたんだ」

 

「……!」

 

「あいつは最後まで悩んでいたよ……。私も強く説得をした……。一度は島を出る決意をしたそうだが、何かきっかけがあったようで、ついに戻ることはなかった……」

 

『実は……『とある事情』があってさ……この島を出るかどうか……迷っていてな……』

 

大井の言っていたことは、やはりそう言う事であったのか……。

 

「そして……十五年前のあの日……。真奈美さんは亡くなった……。奇しくも、同じ日に、佐久間も……」

 

「…………」

 

「その後、君は海軍の運用する『児童養護施設』に預けられた……。しかしそれは、君が佐久間の息子だからという理由ではなく、ただの偶然であった。だから、君の事を知った時は驚いたよ。こんな偶然もあるものなんだとね……」

 

上官はその頃から、俺の事を知っていたという訳か……。

だとしたら、何故――。

 

「何故、私が初対面のフリをしたのか……。そう思っているかね……?」

 

まるで心を読んだかのように、上官はそう言った。

 

「……それは、君が佐久間の事を恨んでいるのだと、知っていたからなんだ」

 

「……!」

 

「施設に入った君は、知ってしまったのだろう? 佐久間が『戦犯』と呼ばれてしまっていることを……」

 

「…………」

 

「だから君は、自分が佐久間の息子であることを皆に隠した。だがそれは、自分が『戦犯の息子』として、晒されることを恐れたからではない。そうでなければ、わざわざ海軍なんか志望しない。平穏に暮らすことを望むはずだ……。だが、君はそうしなかった……」

 

上官は真っすぐ、俺を見つめた。

 

「君は、自分が『佐久間肇の息子』であることが許せなかったのだろう……? それほどに、佐久間の事を恨んでいたのだろう……?」

 

俺は、何も言わなかった。

 

「君が海軍を志望した理由……。『艦娘を『人化』させる為』だったね……。それを見て、確信した……。君が、何をしようとしているのかを……」

 

上官は一呼吸置くと、俯き、優しく言った。

 

「真奈美さんへの弔い……なのであろう……?」

 

 

 

いつの間にか、雨は止んでいた。

恐ろしいほどの静寂が、部屋を包み込む。

 

「君が佐久間を――自分たちを捨てたのだと――単にそれだけの理由で恨んでいるのだとしたら、わざわざ海軍に入り、父親と同じ道を選ぶことなんてしなかったはずだ……。父親の汚名を返上することだけが目的なら、自分の正体を隠すことはしないだろうし、そもそも、そんな事をする理由が君にはない……」

 

「…………」

 

「……真奈美さんは最期まで、佐久間が全ての艦娘を『人化』出来ると信じていた。君もその事をよく知っているはずだ……。そして、真奈美さんと同じく、信じていたはずだ……。だが父親は、海軍では『戦犯』として扱われていることを知った……。真奈美さんは、自分の幸せを捨ててまで、佐久間に尽くしてきた……。なのに佐久間は、それを裏切ったのだ……。君は、それが許せなかったのだろう……?」

 

「…………」

 

「真奈美さんは佐久間を信じ、亡くなった。その信じた男が、結局なにも成せず、さらに汚点を生んだというのだから、浮かばれないよな……」

 

上官はそれ以上、何も言わなかった。

言わずとも、分かっているだろうと、言っているようであった。

 

「……だから上官は、佐久間肇の事を隠したのですか」

 

「あぁ……。そして、君の弔いに協力しようと思った……。佐久間の死には、私も大きくかかわっているからね……」

 

上官は再び、窓の外を眺めた。

 

「大井の件、私が君に厳しくしたのは、私と同じような道を歩んで欲しくなかったからなのだ……。長い時間をかければ、きっと君は、大井の心を開くことが出来たはずだ……。だが、大井のような艦娘は、時間をかければかけるほどに、開く心があまりにも大きくなりすぎて、羽黒のような『依存』に近い気持ちに昇華してしまう……。それを避けるため、つり橋効果を目的とした、短期決着を狙ったのだ……。それが君に大きな負担となり、心に大きな穴をあけてしまった……。君は私と違うのに……同じ道を歩まなかったかもしれないのに……。本当に悪い事をしてしまった……。申し訳ない……」

 

「上官……」

 

「思えば、君にはいろいろと厳しくして来たね……。私の失敗を繰り返してほしくなかったというのも強いが……本当はね……」

 

上官はもう一度、真っすぐと俺を見た。

その瞳は――。

 

「佐久間が君に出来なかったことを――父親らしいことを、私が代わりにしてあげたかったのだ……。君の父親に……なってあげたかったのだ……」

 

 

 

消灯の時間になり、上官は去って行った。

全てを話し終えた上官は、どこか安心したような表情を見せていた。

きっと彼も、俺と同じように、一人で苦しみを背負って生きて来たのだろう。

 

「…………」

 

上官の話を聞いた俺は、自分が空っぽになってしまったような感覚に襲われていた。

その理由は分かっている。

分かっているからこそ、認めたくはないのだ。

認めてしまえば、俺には本当に、何も残らなくなる。

 

「母さん……」

 

佐久間肇の事を恨んできた。

上官の言う通り、母さんの弔いなのだと、必死になってやって来た。

だが、知ってしまったのだ。

佐久間肇は――親父は、『戦犯』などではないのだと――。

母さんや俺の事を捨てたわけではなく、むしろ、母さんの為にやっていたことなのだと――。

 

『俺は今まで、艦娘の『人化』を成し遂げることが、『為』になることだと思っていた。俺が出来る唯一の事だと思っていた』

 

そうだ――。

親父は、俺たちを裏切った訳じゃない。

裏切らないよう、最後まで戦っていたのだ。

 

「だとするなら、俺はもう……俺にはもう……」

 

親父を恨む理由も――母さんを弔う理由も――俺には――。

 

 

 

強い光に目が覚める。

 

「おはよう、雨宮君」

 

どうやら山風が、カーテンを開けたようであった。

 

「もう8時だよ。珍しくお寝坊さんだったね」

 

「あぁ、何だかよく眠れてね」

 

「そっか。顔色も、大分よくなってるみたい。朝食、出来てるよ。着替えたら、一緒に食堂に行こう?」

 

「あぁ」

 

「じゃあ、部屋の外で待ってるね」

 

去って行く山風を見送り、俺はベッドから起き上がって、窓の外を眺めた。

昨日は、本当によく眠れた。

きっとそれは、俺が空っぽになったからなのだろうと思う。

それほどに、抱えていたものが、あまりにも重かったからなのだろうと思う。

 

「…………」

 

俺にはもう、母を弔う事も、親父を恨むことも――あの島に行く理由もなくなった。

何もなくなり、絶望するものだと思っていたが、今はどこか、とても心が軽くて、全てがきらめいて見える。

 

「……ごめんな」

 

それが、誰に向けた謝罪なのかは分からない。

まるで欠伸でもするかのように、自然と、抗う事も出来ず、口から零れ落ちていた。

 

「雨宮君、まだぁ?」

 

「あぁ、今行くよ」

 

カーテンを閉め、着替えてから、俺は部屋を飛び出した。

 

 

 

あれから数日がたった。

 

「島に戻らないだと……!?」

 

上官は驚愕のあまり、椅子を倒し、立ち上がった。

 

「えぇ……」

 

「正気か雨宮……!? だって、お前……!」

 

「色々考えた結果です。上官の言う通り、私は、今まで母の弔いになるのだと、頑張ってきました。でもそれは、あくまでも、親父が母の事を何も想っておらず、ただ死んでいっただけであること、そう思っていたからできた事なんです。親父が母を想い、想うが故に頑張っていたのだとするのなら、私からはもう、何もすることはありません」

 

「……分からん。全く分からん……! そうであるのなら、真奈美さんや佐久間の弔いの為にでも、艦娘の『人化』に尽力しようとするのが普通ではないのかね!? それに、君は、たったそれだけの為に、あの島の艦娘達を見捨てるのかね!? 君はそんな男じゃないはずだろう!?」

 

「買いかぶり過ぎですよ……。私は結局、何も成せていません……。親父とは違う、親父のようにはならない……ずっとそう思ってそうやって来たのです……。だから駄目だった……。親父は優秀だって、本当は気が付いていた……。なのに、目を逸らしてきたのです……」

 

「……まだ始まったばかりだろう。それに、確かに佐久間は優秀だったかもしれないが、欠点もたくさんあった。君は自分の失敗ばかりを――佐久間の成功ばかりを見て来たから、そう思ってしまうだけだ。君は優秀だ……。君以外、あの島の艦娘達を『人化』できる人材など――」

「――私は」

 

上官の言葉を切り、俺は優しく言った。

 

「私はもう、苦しみたくないのです。全てを知った今、私の心は穏やかなんです。そっとしておいてほしいのです……」

 

その言葉に、上官はただ俯くだけであった。

 

「ごめんなさい……。上官の夢を背負うことが出来なくて……」

 

「いや……私は……」

 

「あの島の艦娘達には、中途半端な希望を持たせてしまった……。本当に申し訳ない事をしました……。恨まれても仕方がありません……」

 

「雨宮……」

 

「けど……私はもう……」

 

その時であった。

非常事態を知らせる警報が、敷地内に響き渡る。

 

「何事だ!?」

 

上官と共に廊下へ出ると、皆が慌てた様子で外へ飛び出していった。

物騒な事に、武装をして――。

 

「ただ事ではないな……。私たちも外に出よう……」

 

「は、はい……!」

 

 

 

泊地の方で、野次馬が出来ていた。

何かを取り囲むように、武装した軍人が、銃を構えている。

 

「一体、何があったというのだ……!?」

 

よく見ると、泊地に重さんの船が停まっていて、どうやらそれを取り囲んでいるようであった。

 

「誰かに事情を聞いてくる……。君はここで待っていなさい……」

 

そう言うと、上官はどこかへ行ってしまった。

 

「直ちに船から出てきなさい!」

 

誰かが船に向かって叫ぶ。

 

「人質を解放しなさい……! 君は包囲されている……!」

 

人質。

船をジャックされたという事だろうか。

 

「待て! 武装を解除しろ! 俺ぁ無事だ!」

 

船から出て来たのは、重さんだった。

 

「雨宮! 分かったぞ!」

 

「上官」

 

「驚くなよ……。あの船に乗っているのは……」

 

その時、重さんが叫んだ。

 

「そうだろう? 大井!」

 

「え……?」

 

重さんに声をかけられて、大井は恐る恐る姿を現した。

 

「大井……」

 

「雨宮……。どうやら大井は、重さんが物資を運んでいる間に、船に侵入したらしい……。そして、本土に連れて行くようにと、重さんを……」

 

大井はきょろきょろと、何かを探すかのように、辺りを見渡した。

そして、俺と目が合うと、船から飛び降り、走り出した。

 

「とまれぇ!」

 

銃口が一斉に大井に向けられる。

大井はそれに構うことなく、俺の胸に飛び込み、強く抱きしめた。

 

「大井……お前……! どうして……!」

 

瞬間、『かかれ!』との叫び声と共に、俺と大井は引き離された。

 

「大井……!」

 

取り押さえられる間際、大井は小さく笑って見せた。

それにどんな意味があるかのかは分からなかった。

だが――。

 

「雨宮君! 大丈夫!?」

 

「山風……」

 

「怪我はない……?」

 

「あ、あぁ……大丈夫だ……」

 

大井は拘束され、どこかへ連れ去られてしまった。

 

「雨宮……」

 

「…………」

 

ふと、遠くに見える島に目を向けた。

どうしてそうしたのか、自分では分からない。

だが、大井のあの顔を見た時、はっきりと思い出したのだ。

あの島にいる艦娘達の顔を――。

あの苦悩の日々を――。

 

「あ、雨宮君……!?」

 

潮風に吹かれ――頬だけが冷たくて、それに気が付いた。

空っぽなのに、苦しむ必要もないのに、確かにそれは頬を伝っていた。

どうしてなのかは分からない。

 

「雨宮……」

 

上官は、その理由が分かっているようで――されど何も言わず、ただ俺の涙を拭ってくれた。

 

――続く



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11話

「大井は、別に俺を脅したりはしてねぇよ。ただ、お願いされたんだ」

 

「引き返すことも出来たと?」

 

「あぁ、そうすることも出来た。大井を本土に連れて来たのは、俺の意思だ」

 

松尾重光。

『重さん』と呼ばれるその男は、悪びれもせず、ただ淡々とそう答えた。

 

「重光さん、貴方、自分が何をしたのか分かっているのですか? これは重大な規約違反ですよ?」

 

「んなこた分かっているさ。俺ももう歳だし、いい幕引きになったと思っているさ」

 

事の重大さが分かっていないというよりも、命が惜しくないと言った感じだ。

 

「……とにかく、どうして大井の言いなりになったのですか? 貴方はあくまでも、中立な人間であると聞いていますが……?」

 

男は、何かを思い出すかのように目を瞑ると、真剣な口調で私に問いかけた。

 

「あんた、自分の命をかけてでも、会いたい人ってのはいるかい?」

 

「……何の話ですか?」

 

「俺は言ったんだぜ? 本土に行けば、慎二に会えるかもしれねぇが、『人化』は免れないんだぜってよ。そしたらあいつ、即答しやがった。あんなこと言われた日にゃ、俺だって協力したくなるってもんだ。まるで……あぁ、そうだ……」

 

男は海を見た。

その瞳は、どこか――。

 

「ありゃ、そうだ……。50年前の『あの人』と同じだ……」

 

男は優しく微笑むと、『あの人』が言ったという――大井が言った台詞を教えてくれた。

 

『死ぬことよりも、あの人に会えないことの方が、とても恐ろしいことのように思えたのです』

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「大井は、君との面会を強く望んでいる」

 

会ったこともない、どんな階級かも分からないお偉いさんが、俺の病室を訪ねて来て、そう言った。

 

「島を出た以上、戻ることが許されないのは、大井も承知の上だと言っていた。『人化』にも、同意するつもりだとのことだ。ただ、条件として、君との面会を……とのことだ」

 

お偉いさんは、何やら俺の顔をまじまじと見つめた。

 

「本来なら、そんなことは許されないのだが……。どういう訳か、君を支持する声が多くてね……。『雨宮に会わせてやって欲しい』だとか、『雨宮なら解決してくれる』だとか……。全く、何がどうなっているのやら……」

 

何故、こんな男が……とでも言いたげに、お偉いさんはため息をついた。

 

「そういう訳で、今回は特別措置として、面会を許可した。だが、くれぐれも余計な事はしてくれるな。大井が『人化』すれば、十数年ぶりの快挙だ。低迷した海軍の評価を見直してもらえる、千載一遇のチャンスだ。それが君の腕にかかっていることは、正直癪ではあるのだが……。とにかく、失敗は許されない。頼んだよ」

 

お偉いさんは、俺の肩をポンと叩くと、そそくさと部屋を出て行ってしまった。

入れ替わるように、山風が部屋にやって来た。

 

「雨宮君、今のは?」

 

「さぁ……なんか偉い人らしい」

 

「そうなんだ。なんかすごく偉そうで、嫌な感じだったね」

 

「実際、嫌な人だったよ」

 

そう言ってやると、山風はくすくすと笑った。

 

「大井さんとの面会……受けるの……?」

 

「あぁ、大井が何を思っているのかは分からんが、それを知るためにもね」

 

「そっか……」

 

山風は近くにあった椅子に座ると、不安そうに俺の手を握った。

 

「山風?」

 

「雨宮君……無理はしなくていいんだからね……?」

 

「え?」

 

「大井さんが来た時……雨宮君、泣いてたでしょ……? なにか、辛い思いをしたんじゃないかって……」

 

あの涙の理由は、俺自身、未だによく分かっていない。

 

「雨宮君は……ずっと頑張って来たんだし……。別に……逃げてもいいんだからね……? 無理に頑張らなくても、誰も雨宮君を責めたりしないよ……?」

 

「あぁ……ありがとう、山風。でも、大井との面会は、受けることにするよ。そして……それを最後の仕事ととしようと思ってる……」

 

「最後……それって……」

 

俺は、上官に伝えた事と同じように、もう島には戻らないことを説明した。

 

「そっか……」

 

「ごめんな……。色々世話してもらったのに、結局、こういう選択をしてしまって……」

 

「う、ううん……! 雨宮君の選択は、悪くないよ……! むしろ、いい選択だと思う!」

 

「山風……」

 

「そっか。じゃあ、これからは、もっとたくさんの事が出来るね! 今までできなかったこととか、全部!」

 

「あぁ、そうだな」

 

「楽しみだね! 雨宮君、どこか行ってみたいだとか、やってみたいことってある?」

 

「そうだな……。のんびり旅行とかしてみたいかな」

 

「だったら、北海道とかいいよ! のんびりしてて、ご飯も美味しいし! 今度一緒に行こうね!」

 

「一緒に?」

 

山風はハッとすると、顔を赤くして、焦りだした。

 

「え、えと……! い、今のは、あの……」

 

「……一緒に行ってくれるか?」

 

「え……?」

 

「一人旅だと味気ないしさ。それに、山風となら、きっと楽しい旅になると思うんだ」

 

「雨宮君……。う、うん! 行こう! 一緒に! えへへ! 楽しみだね!」

 

「あぁ、そうだな」

 

満面の笑みを浮かべる山風に、俺の心は洗われるようであった。

それと同時に、心の底から、楽しみになっている自分に気が付いた。

これからの楽しい思い出に全部、山風が居たらいいのに。

なんて。

嗚呼、きっと、この気持ちこそが――。

 

 

 

大井との面会が迫る中、次に俺の部屋を訪ねて来たのは、鈴木であった。

 

「よう」

 

「鈴木……!」

 

「見舞いに来てやったぜ。ほら、お前の好きな缶コーヒー。外にしか売ってねぇからよ。感謝しろよ」

 

鈴木は缶コーヒーを投げると、椅子にドカッと座った。

 

「あ、あぁ……ありがとう……」

 

早速、缶コーヒーに口をつける。

今すぐ飲みたいという訳ではなかったのだが、何だか気まずくて、すぐに開けてしまった。

 

「来ると思ってなかっただろ」

 

そう言われ、ドキッとした。

正直、鈴木が見舞いに来るなんて、思っても無かった。

――前に喧嘩をしてしまったのもあるしな。

 

「お前、島に戻らないんだってな? 坂本上官から聞いたぜ」

 

上官、鈴木に話したのか。

 

「お前が本当に戻らなかったら、控えの俺が出向することになるんだってよ。んなもんで、真実を確かめにお前のところに来たって訳だ」

 

なるほど、そういう訳か。

なんだかホッとした。

 

「なんだよ?」

 

「いや……。そうか。上官から聞いたんだな。その通りだよ。俺はもう島には戻らない」

 

俺の事を煽るか、それとも、喜んで見せるか。

どちらかの反応を期待したが、鈴木は小さくため息をつくだけであった。

 

「そうか……」

 

鈴木は、窓の外の島を見つめた。

だが、その目に映っている景色は、どこか違ったものの様に見えた。

 

「……おめでとう、鈴木。夢だって、言っていたもんな」

 

「あぁ……そうだな……」

 

自分で言うのもなんだが、あの島に出向出来るって事は、結構名誉な事だ。

ましてや、鈴木は昔から、あの島へ行くことに憧れていた。

そのはずなのに――。

 

「……どうして嬉しそうじゃないんだ?」

 

「……どうしてだろうな」

 

嬉しくないことは否定しないのか。

すると……一体……。

 

「慎二……」

 

「なんだ?」

 

「お前……本当に島に戻らないのか……?」

 

「え?」

 

「大井との面会があるだろ……? そこで、揺らいだりしないか……?」

 

そう言うと、鈴木は俺をじっと見つめた。

その表情は、どこか不安そうであった。

 

「どうなんだ……?」

 

「どう……って言われてもな……」

 

「もし大井に説得されても、はっきりと断れるか……? どうなんだよ……?」

 

俺を説得している、というよりも、今すぐにでも不安を拭い去りたいという様子で、鈴木は俺に問い掛けてきている。

 

「おいおい、一体、どうしたって言うんだよ? 何をそんなに……」

 

「……お前が本当に島に戻らないというのなら、俺にも色々と諦める覚悟が出来るってもんなんだ。だが、もしそうでないというのなら……」

 

何か、島に行くには未練が残る。

そう言う事なのだろうか。

 

「鈴木、お前……何かあったのか……? 今のお前は、どうしても島に行きたくないって感じだぞ……」

 

「……そういう訳じゃねぇよ」

 

「じゃあ……一体なんだって……」

 

その時、部屋の扉がノックされた。

 

「雨宮さん、そろそろ面会の時間です」

 

「あ、はい」

 

鈴木は何も言わず立ち上がると、そのまま部屋を出て行こうとした。

 

「鈴木」

 

鈴木は立ち止まると、表情を見せることなく、俺の言葉を待った。

 

「……缶コーヒー、ありがとう。それと……この前は悪かったな……」

 

「……あぁ」

 

そう返事をして、鈴木は去って行った。

缶コーヒーのお礼、そして、この前の謝罪。

どれ一つとっても、今の鈴木にはどうでもいいことのように聞こえたのか、返事もどこか、空を向いていた。

 

 

 

大井が居るという部屋に近づくにつれ、何だか緊張している自分が居た。

 

「こちらです。私はここまでしか案内できませんので」

 

「そうか。ありがとう」

 

物々しい扉が、そこにはあった。

まるで金庫のそれだ。

 

「よっと……」

 

扉の向こうには、またさらに部屋があった。

そこに、先ほどのお偉いさんがいた。

 

「来たか……」

 

薄暗いその部屋は、大井がいる部屋を監視するための部屋らしく、いくつもあるモニターには、いろんな角度からの大井が映し出されていた。

 

「随分大げさな部屋に閉じ込められているのですね」

 

「あんな小娘でも、一応、兵器であるからな。厳重にもなる」

 

大井を知らない奴からすると、そういう印象なのか。

 

「この扉の向こうに、さらに扉がある。その扉を開ければ、大井と面会できる」

 

「そうですか。では……」

 

「おいおい、待ちたまえ! 普通、そんなにあっさり会うものか!? もっとこう、心の準備だとか……」

 

「まあ、少し緊張しますが、特にそういった準備は……」

 

お偉いさんは、唖然とした表情を見せていた。

確かに、本来、艦娘と会うという事は、心の準備が必要な事なのだろう。

特に、島の奴らの事を知らないのなら、尚更。

 

「……まあいい。君のタイミングに任せるよ。いいか? くれぐれも、余計な事はしてくれるなよ?」

 

「分かってますよ。では、行ってきます」

 

重い扉を開け、もう一枚の扉を開けようとすると、警報が鳴った。

 

「一枚目の扉を閉めないと、開かない仕組みなんだ」

 

言われた通り、一枚目の扉を閉める。

すると、恐ろしいほどの静寂が訪れた。

 

「防音か……。徹底してるぜ……」

 

二枚目の扉に手をかける。

 

「…………」

 

一瞬の躊躇いののち、俺は扉を開けた。

すぐに目に入ったのは、大井の姿……ではなく、壁の全面を覆う、クッションのようなものであった。

 

「なんじゃこりゃ……」

 

これじゃあ、まるで……。

 

「久しぶり」

 

声の方を向く。

居るのは分かっていたはずなのに、その姿を見た時、俺は何故か、驚いてしまった。

 

「大井……」

 

「フッ、何その顔? まるでお化けでも見たかのようじゃない」

 

そう言うと、大井は微笑んで見せた。

 

 

 

机や椅子――とにかく硬そうなものは、全て柔らかい素材で覆われていた。

 

「異常な部屋だな」

 

そう言ってやると、大井は面を食らった顔をした。

 

「やっぱり、変な部屋だったのね。てっきり、私が知らないだけで、こういう部屋が普通な時代になったのかと思ったわ」

 

大井なりのジョークかと思ったが、どうやら、本当にそう思ったようであった。

そりゃそうか。

70年間、あの島に居たんだもんな。

そうも思うよな。

 

「お前が思っているほど、何も変わっちゃいないよ」

 

「車が空を飛んだり、タイムマシーンが開発されたり?」

 

「ないな。車は……まあ、近いものはあるかな」

 

俺たちは少しばかり雑談をした。

本当に話したいこと、本当に聞きたいことは、お互いに切り出すことをしなかった。

――いや、或いは出来なかったのだろうと思う。

 

「北上さんは元気?」

 

「あぁ、元気だ。お前の帰りをずっと待っていた」

 

俺はあえて、待ってい『る』ではなく、待ってい『た』と言った。

それが何を意味しているのか、大井も分かっているようであった。

……切り出すなら今だろう。

 

「……どうして島を出て来た」

 

言葉を詰まらせるだろうと思ったが、意外にも、大井は即答した。

 

「あんたに会う為よ」

 

その表情は、とても穏やかなものであった。

全てを覚悟してやって来た――という感じだ。

 

「十日間で戻ってくるとは聞いていたわ……。でもきっと、あんたは戻って来ないのだろうと思った。だから会いに来たの」

 

驚いた。

――いや、そんな理由で島を出た事に……というのもそうだが……。

 

「……どうしてそう思ったんだ?」

 

「どうしてかしらね……」

 

全く分からない、というよりも、知ってはいるが言いたくない、とでもいうように、大井は目を逸らした。

 

「まあいい……。一番分からないのは、どうして俺に会う為だけに、島を出たのか、だ。島を出ることを恐れていたお前が……一体、どうして……」

 

「前に言ったじゃない。あんたが島を出るのなら、私も一緒に行くって……。あんたとなら、怖くないって……」

 

「そうかもしれないが……」

 

あの時は、色んな感情が俺の中にあったから、大井の行動を簡単に受け入れることが出来た。

だが、冷静になって考えてみると……どうも……。

 

「……正直、島を出る理由については、色々と考えたのよ。というより、考えなきゃいけなかった。島を出て、あんたと会って……どんな理由で出て来たのか、どう説明すればいいのかって……」

 

「……どういうことだ?」

 

大井は小さくため息をついた。

 

「鈍感ね……。まあ……はっきり言えない私も私なんだけど……」

 

大井は頬杖を突くと、何もない場所に視線を移した。

そして、退屈そうに――だが、どこか恥ずかしそうに、言った。

 

「あんたが戻って来ないだろうと思ったことは、嘘……。まあ……厳密に言えば嘘じゃないんだけど……。とにかく……なんていうか……そう思ってしまったというか……そう思ったことに動かされたというか……」

 

ハッキリとしない大井。

それにイラついているのは、誰でもない大井自身であるようで、終始、貧乏ゆすりをしていた。

 

「だから――あぁ、もう……! どうしてハッキリ言えないのよ……! うぅ……」

 

大井は机に伏すと、しばらく動かなくなった。

 

「大井……?」

 

「……ちょっと待って。ちゃんと言うから……」

 

永い沈黙が続く。

しばらくして、大井は顔をあげると、何か決意したように、俺の目をじっと見つめた。

 

「わ、私は……! あ……あんたが……その……あの……す、好き……みたいな……感じなんだと……思う……の……」

 

「…………」

 

俺が唖然としていると、大井は怒り出した。

 

「な、なによ……!? 笑いたければ笑えば……!?」

 

「え……あ……あぁ……ははは……?」

 

「――っ!」

 

大井は再び、顔を伏せてしまった。

 

「もう最悪……。言うんじゃなかった……」

 

「す、すまん……。変な事言わせてしまって……」

 

「……あんたは悪くないわよ」

 

あげられた大井の顔は、今まで見たこともないほどに、赤く染まっていた。

 

「はぁ……」

 

「だ、大丈夫か……?」

 

「……大丈夫なわけないでしょ? 初めてなんだから……告白したの……」

 

そう言うと、大井は横目で俺の反応を見た。

 

「その……俺の事が好きだから、島を出たって事か……?」

 

「……そう言ってるでしょ」

 

そうは言ってなかったと思うが……。

 

「……あんたが島を出て行った時、不安になっている自分が居たの。もしかしたら、もう戻って来ないこともあるんじゃないかって……」

 

それはそれで、都合がいい事だと思いそうなもんだがな。

 

「十日間と聞いた時は、ホッとしたわ……。でも、日数が経つにつれて、また不安になってる自分が居た……。どうしてこんなにも不安になるのか……私には――いえ、本当は分かっていたのだけれど、無視してきたの……。認めたくなかったの……」

 

大井は再び頬杖を突くと、俯きながら言った。

 

「あんたに会いたかった……。あんたの事でいっぱいだった……。私はあの日から――あんたと島を出てもいいって思えたあの日からずっと、あんたとの生活を想ってきた……。あんたと話がしたくて――あんたに触れたくて――そういう気持ちが『好き』だって気が付いて――それで――」

 

大井は俺の手を取った。

 

「大井……」

 

「少しでも早く……あんたに会いたかった……。その為なら……島を出てもいいって……。むしろ、その方が、あんたと永くいられるって……同じ時間を共有できるって……そう思ったの……」

 

大井の気持ちが、俺にはよく分からなかった。

それほどの強い想いを、誰かに向けたことが無かったから――。

明石の顔が――山風の顔が――だが、その気持ちすらかすむほどに、大井の気持ちは――。

 

「色んな言い訳を考えて来たけど――照れ隠しをしてきたけど……やっぱり、はっきり言わないと、あんたは分からないわよね……。そういう男だものね……」

 

「……よく知ってるじゃないか」

 

「嫌いなものほど、よく知るものよ……。それが好きになったのだから、今はもう……貴方しか見えないわ……。自分の命なんか、かすむほどにね……」

 

大井は俺に近づくと、少し躊躇いがちに――緊張した面持ちで、そっとキスをした。

抵抗する気は起きなかった。

それほどに、大井の気持ちは純粋だった。

 

「キスって……レモンの味だって聞いていたのだけれど、コーヒーの味に似ているわね……」

 

照れ隠しだったのだと思う。

 

「……さっき、コーヒーを飲んだからな」

 

そう返してやると、大井は恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

 

 

変な空気が流れるかと思ったが、そんなことはなく、大井はすぐにいつもの調子を取り戻した。

 

「まあ、そういう事よ……。だから島を出たわけ。で、あんたはどうなのよ? 島に戻る気、ないの……?」

 

「え……?」

 

「さっき、島に戻って来ないかもしれないって私が言った時、あんた、核心を衝かれた顔をしていたから……」

 

俺は思わず自分の顔に触れた。

 

「……どうして戻らないのよ?」

 

「どうしてだろうな……」

 

その返答の意味が分かったのか、大井は小さくため息をついた。

 

「あの娘たちの事はどうするつもりなのよ……?」

 

「俺よりも優秀な奴が、出向することになる」

 

「みんなはあんたを待っているのよ……? あんたが豪語していたことを信じて、それについていこうと決意した人たちの気持ちを踏みにじるって訳……?」

 

「結果として、そうなるだろうな……。だが、俺でなくていいし、俺にしかできないことではない」

 

大井は、怒ったり、呆れるわけでも無く、ただ悲しそうな瞳で俺を見つめた。

 

「そう思ってしまうほど……私たちはあんたを追い詰めてしまったのね……」

 

「違う……。お前たちの所為じゃない……。俺がただ弱かっただけだ。それに、理由はそれだけじゃないんだ」

 

「え……?」

 

「実は……」

 

大井に全てを話そうとしたとき、ふと、監視カメラに目が行った。

別に、もう全ての真実を知られてもいいと思ったが、何故か言葉が出てこなくなってしまった。

 

「……実は、なによ?」

 

俺は黙り込んでしまった。

全てを話せばいいはずなのに、どうして俺は――。

 

「提督」

 

そう呼ばれ、思わず顔をあげた。

俺をそう呼んだのは――当然だが、大井であった。

 

「ほら、顔をあげた」

 

「え……?」

 

「あんたは、あの島の『提督』なのよ。どんなに気持ちが変わろうと、あんたはそれを自覚してる」

 

「いや……今のは、ただ驚いただけで――」

「――信じてるから」

 

大井の真剣な目が、俺を見つめていた。

 

「あんたのこと……信じてるから……」

 

「大井……?」

 

その時、部屋内にブザーが鳴り響いた。

 

「どうやら時間のようね……」

 

「時間……?」

 

「面会の時間よ……。実は、決められていたのよ……。永遠って訳にもいかないでしょ?」

 

そう言うと、大井はもう一度、俺にキスをした。

 

「大井……」

 

「次に会う時には……私はきっと、『人化』してると思う……。艦娘としての最期の思い出が、貴方と過ごす時間で、本当に良かったわ……」

 

再びブザーが鳴る。

 

「もう行って……。あの島で、皆が待ってるわ……」

 

「しかし……」

 

「信じてるからね……。提督……」

 

そう言って、大井は小さく笑って見せた。

艦娘としての彼女の姿を見たのは、それが最後であった。

 

 

 

気が付くと、俺はいつもの部屋に居た。

どうやって戻って来たのかは、よく覚えていない。

 

「信じているから……か……」

 

島に戻る気はない。

だが、俺自身、何か迷いがあるのか、全てをさらけ出すことが出来なかった。

自分の気持ちにピリオドを打つには、それが必要なのに。

 

「慎二。居るか?」

 

ノックもせず、扉を開けたのは――。

 

「重さん……!」

 

「おう」

 

遠慮も何も知らない重さんは、大きな荷物を持って、近くにある椅子に座った。

 

「どうしたんだ重さん? よく来れたな」

 

色んな意味で。

 

「坊に無理言って、入れさせてもらったんだ」

 

「坊?」

 

「坂本の坊主だよ。てめぇの上官だ」

 

上官、重さんに坊って呼ばれているのか……。

流石というかなんというか……。

 

「体調はどうなんだ?」

 

「ばっちりだ。特に異常はないさ」

 

「そうか……」

 

重さんは椅子に座りなおすと、小さくため息をついてから、言った。

 

「実はな? 俺ぁもう、てめぇを運んでやれなくなっちまったんだ」

 

「え?」

 

「今回の大井の件、それで叱られちまってな。まあ、クビってやつだわな」

 

「クビって……重さんが……?」

 

「ほかに誰がいるってんだよ」

 

重さんは笑ったが、俺は笑えなかった。

 

「そんな顔すんな。俺も、もういい歳だからよ。引退も考えてたんだ。いいきっかけになった」

 

そうは言っても、重さんはどこか寂しげであった。

 

「当然、海軍本部に出入りも出来ねぇ。だから、てめぇに会うのも、これが最後だ」

 

「重さん……」

 

「最後に、てめぇに言いたいことがあって、ここに来たんだ」

 

「言いたいこと……?」

 

「あぁ……ずっと隠してきたことだ……。てめぇの親父、そして、吹雪さんの事だ……」

 

「親父と……吹雪さんの事……?」

 

その二人の関係性については、特に疑問はなかった。

疑問に思ったのは、その二人について、どうして重さんが出てくるのか、という事であった。

 

「話は五十年前に遡る」

 

そんなに遡るのか。

 

「俺がまだ、船乗りの見習いとして、親父の船に乗っていた頃だ。俺の親父は、海軍上がりの船乗りでな。ここいらでは有名だったんだ」

 

 

 

 

 

 

あの頃はまだ、艦娘を人化する技術どころか、艦娘を人化出来る事すら知られていなかった。

終戦から二十年も経っているのに、艦娘はずっと、あの島に閉じ込められていたんだ。

そんなある日、雨野愛という一人の女性が、とある細菌を発見した。

『ヘイズ』と名付けられたその細菌は、艦娘を艦娘たらしめるものであることが分かった。

詳しいことは分からねぇが、その細菌から、艦娘を『人化』する『技術』が生まれたらしい。

――そうだ。

『ノベル』と呼ばれている技術だ。

――まあ、そんな事はどうでもいいんだ。

とにかく、人類は艦娘を『人化』する技術を手にした。

そして、初めて『人化』に同意したのが、吹雪さんだった。

 

 

 

吹雪さんの『人化』が決まり、その海運を任せられたのが、俺の親父だった。

俺はそれに同行することを許され、吹雪さんの世話を任せられた。

――今思えば、どうして俺にそんな事が許されたのか、本当に分からねぇ。

まあ、その頃はまだ、艦娘に対して恐怖を抱く奴は少なかったし、世界情勢も平和なものであったから、色々緩かったんだろうな。

 

「松尾重光だ。吹雪さん、あんたの世話を任せられた」

 

「そうですか。よろしくお願いします」

 

艦娘を見たのは、それが初めての事だった。

あまりにも幼い顔をしていたものだから、すげぇ驚いたのを覚えている。

こんな子供が――と言っても、推定年齢は俺と同じだったんだがな――化け物と戦っていたんだってよ。

 

「聞いてもいいかい?」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「どうして『人化』に同意したんだ? あんたら艦娘は、不老なんだろう?」

 

吹雪さんは、小さく笑って、こう答えた。

 

「会いたい人がいるんです。その人に会う為に、私は生きることを選んだ」

 

「会いたい人……?」

 

「私の司令官です。二十年前、一緒に戦ったその人に、私は会いたいのです」

 

「人に会う為だけに、不老であることを捨てるってのか? すげぇなあんた」

 

「そうでしょうか?」

 

「あ?」

 

「重光さんは、死ぬのが怖いですか?」

 

「そりゃ、怖いぜ。出来ることなら、老いたくもねぇ。なんだ、あんたは違うってのか?」

 

吹雪さんは小さく頷くと、優しい顔でこう答えたんだ。

あの時の顔は、今でも忘れられねぇ。

 

「死ぬことよりも、あの人に会えないことの方が、とても恐ろしいことのように思えたのです。だから私は、『人化』に同意したのです」

 

 

 

それから、吹雪さんとは何かと縁があってな。

司令官だという男と結婚した時も、式に呼ばれたりしたんだぜ。

俺がこの仕事を引き継いだのをきっかけに、交流は少なくなっちまったが、年賀状のやり取りだとか、そういうのは続いていたんだ。

 

 

 

年月は経ち、坊が試験を受ける事になった時、そいつは俺の前に現れた。

 

「こちらに、松尾重光さんはおられますか?」

 

「あ? 俺がそうだが……。まだ尻の青そうなガキが、俺に何の用だ?」

 

「佐久間肇と申します。実は、松尾さんにお願いがあって参りました」

 

「俺にお願い?」

 

てめぇの親父は、俺に頭を下げると、こういった。

 

「艦娘の事について、ご指導いただきたい。海運を任せられ、艦娘を見て来た貴方に、是非教わりたいのです」

 

面倒くさい奴が来たと思った。

だから、俺は理由も聞かず、断ってやったんだ

けど、そいつは毎日毎日、雨が降ろうが槍が降ろうが、俺の元へとやって来た。

そんなもんだから、俺も参っちまってな。

教えてやることにしたんだ。

聞くと、先輩の為に――坊の為に勉強しているのだというじゃねぇか。

 

「んなもん、てめぇが来いと坊に言っておけ」

 

「坂本さんは試験中で、滅多に動けないんです。だから、俺が今の内に、情報を集めないといけないと思って」

 

「随分、先輩想いなんだな」

 

「世話になってますから。全ての艦娘を『人化』する。それがあの人の夢なんです。あの人にならそれが出来る。俺は、少しでもその力になりたいんです」

 

全ての艦娘を『人化』する。

その言葉を聞いた時、俺は、いつだったか、吹雪さんが零した言葉を思い出していた。

 

『司令官の夢は、全ての艦娘が『人化』して、幸せに暮らす姿を見る事なんです。私の夢でもあります』

 

もし、坊に、その力があるというのなら――。

 

「てめぇに紹介したい人がいる」

 

 

 

てめぇの親父に、吹雪さんを紹介したのは俺だ。

二人はすぐに意気投合したようで、吹雪さんの旦那にも会うようになって――暇さえあれば、話を聞きに行っていたようだった。

やがて、奴自身も、艦娘の『人化』について、強く想うようになって――。

 

「吹雪さんの旦那さんは、もう永くないようです。だから、坂本さんには早く試験を受かってもらって、艦娘の『人化』を急いでもらわないと」

 

「んなこと言ったって、坊が受かるか分かんねぇし、すぐに『人化』出来るとは限らねぇだろ」

 

「あの人なら出来ます。いや……あの人にしかできないんです……」

 

どんな根拠があっての事かは分からねぇが、佐久間は信じていたよ。

坊の事をな……。

だが――。

 

 

 

吹雪さんの旦那さんが亡くなった。

それと同じ時期に、坊の失格も知らされた。

 

「これからどうすんだ……?」

 

「坂本さんを説得します……。旦那さんの夢は叶わなかったけれど……だからと言って諦めていいわけじゃない……」

 

佐久間は必死に坊を説得したが、坊はもう駄目だった。

何があったかは知らねぇが、完全に折れちまっていた。

その事に気が付いた佐久間は、自らが立ち上がることを決意した。

それは、坊の為でもあったが、吹雪さんや旦那さんの為でもあったんだ。

 

 

 

 

 

 

重さんは一呼吸置くと、俺をじっと見つめた。

 

「奴がどうして、てめぇを置いてまで吹雪さんたちの為に戦ったのかは、未だによく分かっていねぇ……。けど、てめぇには分かるんじゃねぇのか? 吹雪さんと共に過ごした、てめぇなら……」

 

「…………」

 

「……ちなみに、吹雪さんは気が付いていたぜ。てめぇが佐久間の息子であることを……」

 

「え……?」

 

「分かった上で、何も言わず、てめぇの『試験艦』に立候補してくれたんだぜ……。吹雪さんは信じていたんだ。てめぇなら、佐久間の夢を――自分の夢を叶えてくれるんだってな……」

 

重さんの目が、俺を責めているようであった。

何が言いたいのか、俺にはハッキリと分かっていた。

 

「坊から全て聞いている……。俺はもうクビになった身だから、てめぇに強く言うことは出来ねぇが……これだけは言っておくぜ……」

 

重さんは席を立つと、窓の外に見える島を見つめながら、言った。

 

「てめぇが背負っているのは、てめぇの人生だけじゃねぇ……。その背中に全てを託した人が、何人もいるんだ……。その事だけは忘れるなよ……」

 

何も言えない俺の肩を叩くと、重さんは部屋を出ていった。

 

 

 

屋上に出ると、夕日が俺を強く照らした。

 

「おぉ……」

 

思わず声が出る。

眩しさの先に見えたのは、赤く染まった広い海であった。

 

「綺麗だな……」

 

その中にポツンと浮かんでいる島は、大きな影を落とし、どこか寂しそうに見えた。

 

『てめぇが背負っているのは、てめぇの人生だけじゃねぇ……。その背中に全てを託した人が、何人もいるんだ……』

 

俺の背中……か……。

ふと、昔の事を思い出す。

 

『お父さんの背中、とっても大きいね』

 

『色々と背負えるように、大きくしてあるんだ。ほら、こうやって!』

 

『わぁ! すごいすごい!』

 

親父との思い出は、数えるほどしかない。

家に帰ってくることが少なかったし、俺が幼い内に、親父は出向していったから。

 

「佐久間肇……。思えば、あんたの背中は……とても大きかったな……」

 

あの背中なら、なんでも背負ってゆけるだろう。

けど、俺の背中は……。

 

「こんなところにいたんだ」

 

声に振り返る。

山風は微笑んで見せると、俺の隣に立って、夕日を眺めた。

 

「屋上は立ち入り禁止だよ。それと、カウンセリング、さぼったでしょ? 駄目だよ、ちゃんと受けなくちゃ」

 

そう言って、山風は缶コーヒーを俺に渡した。

 

「……悪い」

 

「あたしに謝るんじゃなくて、先生に謝らなきゃ」

 

「そうだな……」

 

俺を連れ戻しに来たのかと思ったが、山風は縁を見つけると、そこに座って、缶コーヒーを飲み始めた。

 

「共犯になってあげる」

 

「共犯って……」

 

「その代わり……雨宮君が何を悩んでいるのか……あたしに教えて欲しい……。雨宮君の力になりたいの……」

 

「山風……」

 

本気で心配しているのか、山風は何故か、今にも泣き出しそうであった。

 

「……分かった。聞いてくれるか?」

 

「うん……」

 

 

 

俺は、全てを山風に話した。

俺の正体も、何もかも、全て――。

 

「じゃあ……雨宮君は……あの……」

 

「あぁ……佐久間肇の息子だ……」

 

山風は驚きを隠せないでいた。

 

「親父は偉大だと気付かされた……。親父が背負ってきたもの――皆が俺に託してくれたものは、俺が思っていたものよりもはるかに大きくて――そんなものを俺が背負っているなんて――俺は、母さんの想いを無駄にしたくなかっただけで……」

 

ちぐはぐな説明にもかかわらず、山風は一生懸命話を聞いてくれていた。

 

「重さんに言われて、気が付いてしまった……。俺は……俺に託してくれた人たちの想いを……捨てようとしてしまっていたんだ……。けど……そんな大きな想いを……俺が背負えるわけがないんだ……」

 

「雨宮君……」

 

「吹雪さんの事を想うと、心が痛い……。正直、逃げてしまいたい気持ちでいっぱいだ……」

 

「……でも、そうは出来ないんだよね?」

 

「…………」

 

山風は、俺の手をそっと握ってくれた。

 

「雨宮君は優しいね……」

 

「……違う。臆病なだけだ……」

 

「そんなことはないよ……。だって、こんなにも真剣に向き合おうとしてる……。逃げずに、ちゃんと向き合ってる……」

 

「逃げるのが怖いだけだ……。向き合うふりをして……慰められたくて……こうしているだけだ……。逃げる理由も見つからない……。言い訳が出来ない……」

 

そうだ。

俺には何もないんだ。

逃げる理由すら、俺には――。

 

「……なら、理由をあげる」

 

山風は顔を赤くすると、真剣な目で俺を見つめた。

 

「あたしと……恋人になって……」

 

「え……?」

 

「あたしと恋人になれば……逃げる理由になるでしょ……? 雨宮君はたくさん頑張って来たんだもん……! 自分の事を犠牲にしてでも、お母さんの為に頑張って来た……! 逃げても……雨宮君を責める人はいないよ……? それでも、逃げる理由が欲しいというのなら、あたしを理由にすればいい……!」

 

山風は真剣だった。

 

「……どうして、そこまで」

 

そう問う俺の唇に、山風はそっと、キスをした。

 

「これじゃ……伝わらない……?」

 

瞳を潤ませる山風。

俺は何もすることが出来ず、ただ茫然としていた。

 

「好き……。雨宮君の事が……大好き……」

 

「山風……」

 

「あたしと……恋人になってくれませんか……? あたしの為に……逃げてくれませんか……?」

 

山風は手を差し伸べた。

夕焼けに染まった彼女の顔は、とても美しかった。

 

「――……」

 

その手を取ろうとした時だった。

海の方で、何かがキラリと光った。

 

「…………」

 

思わず、海を見る。

その光は、何度も何度も、規則的に――何かを伝えるかのように、光っていた。

 

「あれは……」

 

島の頂上付近で、何かが光っている。

夕日をあそこまで反射させるようなものは、そこにないはずだ。

だとすると――。

ふと、山風を見る。

山風も同じように、光の方を見つめていた。

 

「……そっか」

 

そして、差し出していた手を引いた。

 

「山風……?」

 

「みんなが雨宮君を待ってるみたい……」

 

「え……?」

 

「あの光……。モールス信号だよ。誰かが雨宮君の事を呼んでる」

 

モールス信号。

 

「分かるのか? モールス信号」

 

「うん。島でね、一時期流行ったの。鏡で太陽の光を反射して、メッセージを送る。そうすれば、島を出ていった艦娘達に、連絡が取れるから……。昔はよくやったけど、最近は見なかったな……」

 

山風はもう一度、光の方を見た。

 

「雨宮君に、早く帰ってくるよう、連絡してほしいって言ってる……。皆が待ってると……伝えて欲しいって……」

 

山風は微笑むと、俺を見つめた。

 

「みんなも、雨宮君が戻ることを望んでるみたいだね」

 

みんなが……。

 

「……ねぇ、雨宮君」

 

「……なんだ?」

 

「雨宮君は……自分が、皆から託されたものを背負うことが出来れば、島に戻ろうって……思うことが出来る……?」

 

「え……?」

 

「あたし、思うんだ……。雨宮君のお父さんは……皆の期待を背負うことが出来るって、多分、思ってなかったんじゃないかって……。だからこそ、家族と離れる決意をしてまで、自分を追い込んだんじゃないかって……。島に戻らないと決めたのも、退路を塞ぐためなんじゃないかって……」

 

「……なにが言いたいんだ?」

 

「逃げようと思えば逃げれたんだと思う。でも、そうしなかった。今の雨宮君と同じだなって……」

 

そう言われて、ハッとした。

 

「逃げる理由なんて、本当は何でもいいし、雨宮君もそれを分かっているはず……。そうしなかったのは、そう出来なかったからでしょ……? 皆の期待を無下に出来ない……あの島の艦娘たちを見捨てることが出来ない……雨宮君の優しさでしょ……?」

 

俺は首を横に振った。

 

「雨宮君のお父さんも、きっとそうだったはず……。だって、家族と離れるだなんて、そう簡単に決意できることじゃないもん……。逃げることが出来なかったんだよ……。自分の本心から……」

 

山風が何を言いたいのか、俺には分かっていた。

分かっていたが、完全に否定することが出来ない自分もいた。

 

「雨宮君に必要なのは、慰めや逃げ道なんかじゃない……。背負うことが出来なくても、自分の気持ちに正直になることが必要なんだと思う……」

 

「自分の……気持ちに……」

 

「だから……」

 

山風は、一歩、後ろに下がった。

 

「あたしは、雨宮君の逃げ道にはならない……」

 

それが、俺にどれだけの絶望を与えたのか、山風には分からないだろう。

だが、それ以上に、山風は――。

 

「雨宮君の事が好き……。好きだからこそ……雨宮君には戻って欲しいって思ってる……」

 

大粒の涙が風に乗り、どこかへと消えていった。

山風は、それを拭う事をしなかった。

 

「行って……雨宮君……。あたしの初恋を置いて……。逃げ道を置いて……戻って……」

 

「山風……」

 

去ることが出来ない俺を見かねてか、山風は徐々に距離を置き始めた。

 

「待ってくれ……」

 

「さようなら……雨宮君……」

 

一瞬の躊躇いののち、山風は走り出した。

 

「山風!」

 

階段の踊り場に差し掛かった時、誰かに腕を掴まれた。

 

「雨宮……!」

 

「上官……」

 

上官は首を横に振ると、俺の腕を強く握りしめた。

 

「は、はなしてください……!」

 

「堪えろ雨宮……! 一番つらいのは、山風なんだ……!」

 

「え……?」

 

「君は、山風の気持ちに対して、すぐに答えを出せなかった……。その事がどれだけ彼女を傷つけたのか、分からんのか!?」

 

そう言われて、ハッとした。

 

「……悪いとは思ったが、全て聞かせてもらった。山風の気持ちは本物だったよ……。君が本当に山風の事が好きだというのなら……全てを投げ出してでも――どんなことがあれど、彼女の手を掴んだはずだ……。山風もそのことが分かっていたはずだ……。だからこそ、引いたのだ……」

 

心が締め付けられる。

景色が歪んでゆく。

 

「雨宮……」

 

手をはなした上官は、しばらくの間、俺の背中を撫でてくれた。

心が縮む――と言った表現が正しいかは分からない。

だが確かに、何かが胸の中で縮み、それによって涙があふれる様な――声も――。

 

「たくさん泣いておけ……。それが君を強くするんだ……」

 

上官は、この痛みの正体を知っているようであった。

――嗚呼、そうか。

これが、所謂――。

 

「雨宮……」

 

俺は今日、失恋というものを知った。

同じく、初恋というものも――。

 

 

 

上官は、俺が泣き止むまで、何も言わずに傍に居てくれた。

 

「もう大丈夫か……?」

 

「……はい。すみません……こんな……」

 

「いや、いいんだ。むしろ、安心したよ。君にも、少しは人間味があるんだってね」

 

「……私をなんだと思っていたんですか?」

 

上官は笑うと、屋上に出るよう促した。

 

「いいんですか? 禁止されているって聞きましたが……」

 

「今更だろう。私も共犯になってみたくなったんだ。同じ失恋をした者同士、仲良くやろうじゃないか」

 

夕日は既に沈んでいて、空は暗くなっていた。

 

「見ろ」

 

上官の指す方向に、島があった。

夕日は沈んでいるはずなのに、チカチカと何かが光っていた。

 

「懐中電灯か何かで照らしているんだろう。明かりが小さすぎて、気が付くことも難しい」

 

一体、いつからああしているのだろうか。

一体、誰が――。

 

「雨宮、これを」

 

そう言って上官が渡してきたのは、一冊のノートであった。

 

「これは……?」

 

「私が試験を受けている時、佐久間がくれたものだ。あいつなりに、艦娘について、色々調べてくれたようでな」

 

パラパラとノートをめくってみる。

何とも汚い字で、島の艦娘についてまとめられていた。

 

「大したことは書いてないのだが、あいつの気持ちがうれしくてな」

 

「……本当に大したことは書いて無いですね。字も汚くて……間違いだらけだ……」

 

「言ってやるな……。あいつも若かったからな……」

 

それでも、本当に上官の事を想っていることが、鮮明に伝わってくる文面であった。

 

「それを君に託す」

 

「え?」

 

「役に立たないかもしれないが……君の親父が、一生懸命、出向してゆく人の為につくったものだ」

 

「いえ……これは、上官の為に書かれたもので……」

 

「まあ、そうなのだが……。つまり、その……私が言いたいのはだね……? このノートは、私の為、つまり、出向してゆく人の為でもあって……それは君の為でもあるから……」

 

説明がちぐはぐで、なにが言いたいのかはっきりしない。

上官にもこういうところがあったのか。

 

「な、何を笑っているのかね……?」

 

「いえ、すみません。つい」

 

「……とにかく、これは君の為に書かれたものでもあるのだ。君の親父が、君の為に遺したものでもあるのだ」

 

「……それは少し強引ではないかと」

 

上官は黙り込むと、恥ずかしそうに頭を掻いた。

俺は何も言わず、ノートを抱えた。

 

「……最初から素直に受け取り給え」

 

「すみません」

 

俺は再び、島を見つめた。

 

「上官……」

 

「なんだね?」

 

「佐久間肇は……親父は、立派な人でしたか……?」

 

「……あぁ。誰よりも、艦娘の『人化』に尽力した」

 

「……私もなれますかね? 親父の様に……」

 

上官は躊躇う事もせず、首を横に振った。

 

「確かに佐久間は立派だった……。だが、全ての艦娘の『人化』は成せてはいない……。君とは違う……」

 

「私なら成せると……?」

 

「そうでなければ、私の宝を君にやるものか」

 

そう言って、上官はノートを指した。

 

「……そうですか」

 

強い風が、俺たちを叩く。

濡れていた頬は、もうとっくに乾いていた。

 

「雨宮……」

 

空っぽになった心に、色々なものが詰まって行くのを感じる。

山風の顔が――吹雪さんの――親父の――母さんの――。

背中などではない――心の中に――。

 

「上官……俺……」

 

その時、海辺の方で、汽笛が鳴った。

あの汽笛……重さんの船のものだ。

 

「君を呼んでいるようだ」

 

「え……?」

 

「重さんの最後の仕事だ。君が花を添えてきなさい」

 

それが何を意味しているのか――俺の決意を、上官は最初から――。

 

「……また、食わされましたね。流石です……上官……」

 

「当然だ。君の上官だぞ」

 

そう言って笑うと、上官は俺の肩を叩いた。

 

「行ってこい、雨宮」

 

「……はい!」

 

 

 

いつもの泊地に、重さんはいた。

 

「慎二!」

 

「重さん! クビになったんじゃないのか?」

 

「今日付けでな! だから、今日までは仕事が出来るんだ!」

 

そんな屁理屈が通用する訳がない。

 

「さっきのが『最後』じゃなかったのか?」

 

「そうさせなかったのはてめぇだろうが。さぁ、早く乗れ! バレたらマズい!」

 

「やっぱり!」

 

俺は急いで船に乗り込んだ。

遠く、例のお偉いさんと目が合う。

 

「やべ……! バレちまった……!」

 

重さんは急いでエンジンをかけた。

 

「しまった! ロープを外してねぇ!」

 

「え!?」

 

「君たち……! そこで何をしているのかね!?」

 

お偉いさんが全速力でこちらへ向かってくる。

 

「どうするんだ重さん!?」

 

「これでロープを切れ!」

 

渡されたのは、小さなカッターナイフであった。

 

「いや、無理だろう!」

 

「無理か分かんねぇだろ!」

 

そんな事でごたついている間にも、お偉いさんは凄い剣幕で迫ってきている。

万事休す。

 

「クソ!」

 

その時だった。

物陰から、影が飛び出してきて、ロープを外した。

 

「――!」

 

ロープを外したのは、鈴木であった。

 

「鈴木……!」

 

「船を出すぞ、慎二! 何かにつかまっとけ!」

 

船は徐々に、泊地を離れて行く。

鈴木はじっと、その行方を見つめていた。

 

「鈴木!」

 

俺の呼びかけに応じることも無く、鈴木はそのまま、お偉いさんに連れていかれた。

 

「奴もまた、てめぇに託したって訳だな……。愛されてるな、慎二」

 

「鈴木……」

 

 

 

船は、島へと徐々に近づいてゆく。

 

「坊に言われたんだ。慎二は必ず、島へと戻る決意をするってな。全ての責任は自分がとるから、連れてやって欲しいってな」

 

「上官が……。けど、どうしてそんなことが……」

 

「さぁな。何か秘策でもあったんじゃねぇか?」

 

相手が上官なら、ありえない話ではない。

重さんや鈴木に、俺が戻らないことを話したのも、何か考えがあっての事だったのだろう。

……まさか、山風も?

いや……流石にありえないか……。

 

「兎にも角にも、だ。正真正銘、これが俺の最後の仕事だ。今までやった仕事の中で、一番やりがいのある仕事だったぜ。ありがとよ、慎二」

 

「……お礼を言うのは俺の方だ。重さんのお陰で、俺は……」

 

「やめろやめろ! そんな辛気臭い顔。最後くらい、勇ましい顔を見せてくれよ、慎二」

 

「……分かった」

 

俺は自分の顔を叩くと、重さんを真っすぐ見つめた。

 

「これでどうだ?」

 

「……あぁ、いい顔だぜ! 今まで見て来た海軍の中で、てめぇの顔が一番勇ましいぜ!」

 

そんなこんなで話していると、船はあっという間に、島の泊地についてしまった。

荷物を全て降ろし終わると、重さんは船を降りて、寮の方をじっと見つめた。

 

「この景色も、これで最後か……」

 

「寂しいのか?」

 

「いや……。結局、見ることが出来なかったと思ってな……。最後の艦娘が、この島を出る瞬間ってやつをよ……」

 

「……なに、すぐに見れるさ。最後の艦娘が島を出る時、船頭は重さんにお願いするよ。頼まれてくれるか?」

 

「へへ……バカヤロウ……。約束だぜ……?」

 

「あぁ……」

 

静寂が、俺たちを包む。

 

「……そろそろ行くぜ。元気でな……慎二……」

 

「あぁ……重さんもな……」

 

船に乗り込んでゆく重さんの背中は、いつも見る背中よりも、とても小さく見えた。

 

「重さん」

 

「あ?」

 

「……ありがとう。俺にとって重さんは……本当の親父のようだったよ……」

 

重さんの背中が、小さく震える。

どう返してくれるものかと期待したが、重さんはただ、背を向けながら手を振るだけであった。

船が泊地を離れて行く。

 

「重さん!」

 

「……あばよ! 俺がくたばる前に、しっかりと約束を果たしてくれよ!」

 

「あぁ! 必ず!」

 

「じゃあな! 我が息子よ!」

 

そう言って、重さんの船は、あっという間に島を離れて行ってしまった。

 

「ありがとう……重さん……」

 

 

 

船を見送り、寮へと向かおうとした時だった。

 

「雨宮さん!」

 

大淀といつものメンバーが、駆け寄って来た。

 

「おう、久しぶり。戻ったぜ」

 

平静を保って見せたが、皆の顔を見た瞬間、俺は泣きそうになっていた。

一度でも皆を裏切ろうとしたこと――皆と再会できた喜び――色んな感情に支配されていた。

そんな俺の気持ちなんて、こいつらが知る由もなく、やはり切り出してきたのは――。

 

「提督……大井さんが……」

 

まあ、そうなるよな。

 

「……あぁ。その事については、後で皆に説明をするつもりだ。その前に……」

 

俺は鹿島を見た。

 

「鹿島……少しいいか……? 話があるんだ……」

 

「え……? 私……ですか……?」

 

「あぁ……。それと、大淀と鳳翔……青葉もそうだったな……。お前たち三人にも、話があるんだ。鹿島との話が済んだ後だから……十分後くらいに、家に来て欲しいんだ。残りの者は……悪いが、寮で待っていてくれ。後で説明に行くから」

 

皆、困惑しながらも同意してくれた。

ただ一隻を除いて……。

 

「どういう人選よ……?」

 

言わずもがな――。

 

「後でわかる。それまで、大人しく待ってろ。夕張」

 

自分が入っていないことに腹を立てているのか、夕張はムッとした表情を見せた。

 

「大淀さんと鳳翔さんは何となく分かるけど……どうして青葉が……」

 

それは青葉も同じようで、困惑した表情を見せていた。

 

「後で分かるって言ってんだろ。とにかく、そういう事だ。行くぞ、鹿島」

 

「は、はい!」

 

夕張に睨まれながら、俺と鹿島は家へと向かった。

 

 

 

皆が入ってこないよう、家の扉を施錠し、全ての窓やカーテンを閉め切った。

 

「これで良し……」

 

「ここまでする必要があったんですか……?」

 

「あぁ……一応な……」

 

鹿島を呼び出したのには訳がある。

この島に戻ると決意した時、ふと、思ったことがあったのだ。

 

「実は……俺が佐久間肇の息子であること……そして……この島に来た目的を……全て、皆に話そうと思っているんだ……」

 

「え……?」

 

「それには、お前の許可が必要だと思ってな……。以前、お前の過去を聞きだすために、俺は全てをお前に話した……。言うなれば、等価交換だったわけだ……。今度はそれを、無条件で皆に話そうって言うんだ。不平等だと思うか……?」

 

鹿島は少し考えた後、ようやく状況を理解したようであった。

 

「そういうことですか……。不平等だなんて思いません。けど……どうして皆に……?」

 

「実は……」

 

俺は、本土であったことを全て、鹿島に話した。

 

「じゃあ……提督さんは……」

 

「あぁ……親父と向き合うことが出来た……。俺が今ここに居るのは、母の為なんかじゃない……。皆の期待を背負って、ここにいるんだ……。その事を皆に知って欲しいと思っている……。それには、俺の過去についても、知っておいてもらう必要があるんだ……」

 

皆の期待を背負っているのは、俺だけではない。

この島の艦娘達もまた、『人化』して欲しいと願われている。

ならば、その事を艦娘達にも理解させる必要がある。

そう思ったのだ。

 

「そういうことですか……」

 

鹿島も、その事を分かってくれたようであった。

 

「よく分かりました。私の事は構いません。でも、どうして大淀さんや鳳翔さん、あと、青葉さんなんですか?」

 

「あぁ、実は、響の事があってな……。響は、俺の事を佐久間肇の生まれ変わりだと思っているんだ……」

 

「生まれ変わり……ですか……?」

 

鹿島はハッとした。

 

「以前、青葉さんが話していた『響ちゃんの件』って……その事ですか!?」

 

「あぁ……。俺は、そう思っている響に対して、本当の事を言えないでいる……。あいつを傷つけたくなかったし、大淀にも、今は話す時ではないと言われた……」

 

「じゃあ……これから来る三人は……」

 

「鳳翔以外は、その事を知っている。鳳翔に関しては、俺が佐久間肇の息子だと知っていることもあって、その事を相談したい。もし、話すべきでないということであるのなら、俺の正体を明かすこともやめようと思っている。そういう話だ」

 

鹿島は完全に理解したようで、手をポンと叩いて見せた。

 

「だから私が先だったんですね。納得です」

 

「そういうことだ。少なくとも、あとで来る三人には、俺の正体を話す。だから、その許可が欲しかったんだ」

 

鹿島は息を吐くと、肩の力を抜いた。

 

「そうでしたか……。鍵を締めるから、もっと重要な事かと思っていましたよ……」

 

「まあ、俺にとっては重要な事なんだけどな。どんなのを想像したんだ?」

 

「え? た、例えば……島を出ていくつもりだ……とか……?」

 

数十分前であれば、間違いではない。

 

「だとして、どうしてお前だけ呼び出すんだよ?」

 

「そ、それは……その……」

 

鹿島は何やら、顔を赤くした。

 

「なんだよ?」

 

「た、例えば……その……島を出るとして……私だけを呼び出すって事は……あの……その……」

 

もじもじする鹿島に、俺はハッとした。

 

「もしかして、娶られると思ったのか?」

 

鹿島は頷くと、俯いてしまった。

その姿に、俺はなんだか恥ずかしくなって、目を背けてしまった。

――ん?

この気持ちって――いや、まさか……。

 

「提督さん……? な、何か言ってくださいよ……」

 

……なるほど。

そういう事か……。

これは……マズイ事になったな……。

今まで、『そういうもの』だとは知らなかったから――山風に恋をしていたという事に気が付いてしまったから――俺も男なんだと知ってしまったから――。

 

「そ、そうか……。し、しかし……そうだったとしても、お断りだろう? 俺なんかに娶られるなんてさ」

 

照れ隠しに言ったつもりであったが、鹿島は何やら驚いた表情を見せた後、余計に顔を赤くして、黙り込んでしまった。

 

「え……まさか……」

 

その時、家のチャイムが鳴った。

時計を見ると、もう十分を経過していた。

 

「さ、三人が来たようだ……。迎えてくるから、座っていてくれ」

 

そう言って玄関に向かおうとする俺を、鹿島は引き留めた。

 

「か、鹿島……?」

 

「……やっぱり、納得できません」

 

「え……?」

 

「私だけに教えてくれた提督さんの過去を……誰かに教えるなんて……」

 

「え? あ、あぁ……その事か……。急にどうした? やはり嫌になったか?」

 

鹿島は頷くと、俺の目をじっと見つめた。

 

「じゃあ……」

 

「でも……提督さんの気持ちを、皆にも知ってもらいたいって気持ちもあります……。ですから……もう一度、私にだけ何かくれませんか……?」

 

なんだ、そういうことか。

 

「お、おう……。別に構わないぜ。何が欲しいんだ?」

 

鹿島は、呟くように言った。

 

「提督さんとの思い出をください……。鹿島と……デート……してください……」

 

再びチャイムが鳴る。

 

「デ、デート……?」

 

「駄目……ですか……?」

 

「だ、駄目って訳ではないが……」

 

「じ、じゃあ、いいんですね!?」

 

迫る鹿島。

顔の近さに、俺は思わず赤面してしまった。

 

「あ、あぁ! 分かった! 約束するよ! だから、その……」

 

再びチャイム。

扉を叩く音も聞こえる。

 

「……とにかく、出てくるぜ?」

 

鹿島は頷くと、小さく微笑んで見せた。

しかし、まさかデートを要求してくるとは……。

鹿島……まさか、俺の事を……?

……いや、そう考えてしまうのは、俺が――。

 

 

 

変なモヤモヤを抱えながら、皆を家に入れた。

鹿島もまた――かと思ったが、真剣な表情で座っていた。

いかんいかん……俺も切り替えなければ……。

 

「悪いな。呼び出してしまって……」

 

「いえ……」

 

鳳翔は、集められたメンツに目をやると、何かを察したかのように頷いた。

 

「なるほど……。呼ばれたのは、提督の正体を知っている人たちですね……」

 

それを聞いた大淀は、大変驚いていた。

 

「鳳翔さんもご存じだったのですか!?」

 

「え? えぇ……。提督、言っていなかったのですか?」

 

「そういや、言ってなかったかもな……。お前より先に、鳳翔は俺の正体に気が付いたんだぜ。全く、あの時はビビったぜ」

 

「先って……いつからですか?」

 

「俺が島に来て、二日目くらいの時だったか? ほら、鹿島に突き飛ばされた俺が怪我して、お前がパニックになったことがあったろ。あの後、手当てしに来てくれた鳳翔が……だったよな?」

 

「えぇ、そうでしたね」

 

呆然とする大淀。

青葉はというと、ホッとした表情を見せていた。

 

「そうでしたか……。いやはや、謎が解けましたよぉ……。いやぁ、どうして青葉が呼ばれたのか分からなくて、陸奥さんがカンカンなんですよ~……。どうして青葉だけが……って」

 

「それは悪かったな。後で、俺から陸奥に謝っておくよ」

 

「そうしてもらえますか? ついでに、明日の朝食と夕食は、必ず陸奥さんの隣で食べるって約束も……」

 

「え? あぁ……まあ……構わんが……」

 

「やった!」

 

何やら和やかな空気になってしまった。

どう改めようか考えていると、鹿島がパンッと手を叩いて、皆の注目を集めた。

 

「皆さん、提督さんから、重要なお話があります。皆さんも知りたがっていたことです……」

 

「知りたがっていたこと……? って、何ですか?」

 

「青葉さんは分かりませんけど……大淀さんや鳳翔さんは、気になっていたんじゃないですか……? どうして提督さんが、この島に来たのか……その目的を……」

 

それを聞いた大淀と鳳翔の表情が、真剣なものへと変わった。

その空気を感じ取ったのか、青葉も――。

 

「提督さん……」

 

「あぁ、ありがとう、鹿島……」

 

俺は、大淀に目を向けた。

 

「話してくださるのですね……。でも……どうして……」

 

「すぐに分かる……。まずは、俺の話を聞いて欲しい……」

 

一呼吸置いた後、俺は全てを皆に話した。

俺の過去――この島に来た目的――島を離れた十日間の出来事を――。

 

 

 

全てを知った三隻は、何も言えず、ただただ黙り込んでいた。

 

「俺は、その事を皆に知って欲しいと思っている……。だからこそ、正体を明かそうと思っているんだ……。しかしそれには、今話した通り、響の問題がある……。お前たちの意見を聞きたい……」

 

そう問うても、三隻は口を開かなかった。

 

「……いきなりの事で困惑させてしまったのなら、すまない。考える時間が欲しいというのなら、今日はもう解散でもいい。大井の件についてだけ、皆に報告するようにしよう」

 

そう言ってやると、大淀は我に返ったように、ハッとした。

 

「い、いえ……大丈夫です……。皆さんに話すことについて、私は賛成です。大井さんの件には、雨宮さんの事も大きくかかわってきますから、混乱しない為にも、話された方が宜しいかと……」

 

「それが例え、響が傷つくことであってもか?」

 

「いずれは知ることです。それが今になるか、後になるかの違いです……。それに、隠したとしても、響ちゃんは必ず、雨宮さんの正体に気が付くでしょう……。それほどに、雨宮さんと佐久間さんは……」

 

そこまで言うと、大淀は黙り込んでしまった。

それがいい意味なのか、悪い意味なのかは分からない。

ただ、大淀は、もう俺の影に佐久間肇を見る事はないだろうと思った。

 

「皆はどうだ? 鹿島なんかは、響を一番近くで見て来ただろう? どう思う?」

 

「私も賛成です。響ちゃんのケアは、鹿島にお任せください。本人にとっては辛いことかもしれませんが、それを乗り切れない弱い子ではないと、私が一番よく分かっていますから……」

 

「そうか……。ありがとう、鹿島。響の事は頼んだぜ」

 

「はい!」

 

俺は残りの二隻に目を向けた。

 

「青葉、お前はどうだ?」

 

「……青葉的には、響ちゃんの影響もそうですけど、他の艦娘たちへの影響も気になっています。佐久間さんの死にショックを受けたのは、何も響ちゃんだけではありません。司令官が佐久間さんの息子だと知って、トラウマを呼び起こしてしまう艦娘もいるのではないでしょうか……?」

 

それは確かに、考えていた。

というよりも、初めてこの島に来た時に考えていたことだ。

大淀がそうだったように、この島の艦娘達に、佐久間肇に関するトラウマがあったとするのなら、俺がそれを呼び起こしてしまう可能性がある、と……。

鳳翔も青葉と同じ意見なのか、小さく頷いていた。

 

「私も、その事が心配でした……。佐久間さんを慕っていたのは、何も島を出た艦娘だけではありませんから……。私たちが知らないだけで、佐久間さんのファンだって方もいるかもしれませんし……」

 

「確かにな……。そいつらのケアを考えると、難しい所があるな……」

 

「でも……」

 

口を開いたのは、大淀であった。

 

「もしそうだとしたら、きっと、雨宮さんを見た時点で、トラウマが呼び起こされてしまうのではないでしょうか? 顔だけで言えば、佐久間さんそっくりですし……」

 

「確かに……司令官の顔は本当に佐久間さんそっくりですから、逆に、正体を知っても、やっぱり……って思う方の方が多いかもしれませんねぇ……」

 

「雨宮さんから、佐久間さんを連想しない方が難しい事だと思います。だとしたら、もうトラウマ云々の時期は過ぎているかと……」

 

「鳳翔、どう思う?」

 

「確かにそうかもしれませんね……。分かりました。私も賛成です」

 

「青葉」

 

「青葉も賛成です。ただ、正体を明かすって事に、しっかり責任を持ってくださいね。トラウマを呼び起こす可能性が少ないとはいえ、佐久間さんと司令官の関係が確信的なものになったら、少なからず影響はあるわけですから……」

 

青葉はそれを一番よく分かっている。

だからこその警告なのだろう。

 

「……決まりですね」

 

皆、顔を見合わせると、小さく頷いた。

 

「……ありがとう、みんな。じゃあ……早速……」

 

「あ、待ってください……」

 

皆、一斉に大淀に目を向けた。

 

「あぁ……いえ……用があるのは雨宮さんだけです……。お三方は、先に寮へ戻っていてください。すぐに向かいますから……」

 

三隻は顔を見合わせると、同意し、寮へと戻っていった。

 

「大淀……」

 

どうして大淀が俺を呼び止めたのか。

その意味を、俺は分かっていた。

 

「やっと……貴方を知ることが出来ました……」

 

「……あぁ」

 

そう言うと、大淀は俺の目をじっと見つめた。

その綺麗な瞳の中に、俺は居た。

確かに、居たのだった。

 

「やっと……お前を真っすぐ見ることが出来る……。今まで……悪かったな……」

 

大淀は首を横に振ると、俺の手を取った。

 

「いいんです……。それ以上に、私を見てくれたことが……とても嬉しいのです……」

 

「大淀……」

 

「佐久間さんを忘れることは出来ません……。でも、それが貴方を受け入れられない理由にはなりません……。――いえ、それ以上に、貴方は……」

 

そこまで言うと、大淀は黙り込んでしまった。

 

「大淀……?」

 

「……あの」

 

「なんだ?」

 

「雨宮さんは……嫌ですか……? 私が……その……貴方の事を……提督って……呼ぶこと……」

 

一瞬、大淀の言葉の意味が分からなかった。

だが、その真意を理解した時――。

 

「雨宮さ――……」

 

大淀の表情が、徐々に崩れて行く。

 

「『提督』……」

 

その表情が――視界が、徐々に滲んでゆく。

 

「『提督』……。「提督」……」

 

大淀がそう呼ぶ度に、遠くかけ離れた――失われた呼び名に、色がついて行く。

 

「提督……」

 

その言葉に温もりを感じた時、俺はようやく、返事をすることが出来た。

 

「――……」

 

どう返したのか、自分でも覚えていない。

それでも大淀は、嬉しそうに笑ってくれていた。

その笑顔を伝う涙は、まるで宝石のように美しくて――涙というものが、これほどまでに美しいものだと気付かされたのは、この時が初めてであった。

 

「ありがとう……大淀……」

 

 

 

メソメソと泣いたものだから、俺たちは少しだけ遅れて、寮に到着した。

 

「あ、提督さん。ずいぶん遅かったですね……。皆さんお待ちかねですよ」

 

食堂には、山城を除く全員が集まっていた。

 

「集めといてくれたのか」

 

「皆さん、気になっているんですよ。大井さんの事……」

 

まあ、そうだろうな。

なんせ、十数年ぶりだもんな。

島を出る艦娘なんて……。

 

「司令官」

 

寄って来たのは、響であった。

 

「響……」

 

「お帰り司令官。ずっと待っていたんだ」

 

そう言って、響は俺の手をぎゅっと握った。

 

「提督さん……」

 

俺は今から、こいつに残酷な真実を伝えなければならない。

そう思うと――。

 

「提督……」

 

手を握ってくれたのは、大淀であった。

その光景に――というよりも、大淀の「提督」呼びに、皆驚いていた。

 

「……響、今から大事な話をする。ちゃんと聞いてくれるか……?」

 

「え? う、うん……」

 

俺の真剣な表情に、何かを察したようで、響は第六駆逐隊の方へと戻り、小さく座って俺の言葉を待った。

真実を知るものたちが、小さく頷く。

それと同時に、食堂は静寂に包まれた。

 

「…………」

 

正直、話すことが得策かどうかは、未だに分からない。

それでも、艦娘達は知らなければいけない。

自分たちが、どれだけの人たちに願われているのかを――。

何を背負っているのかを――。

 

「まずは、何から話そうか……」

 

俺の切り出し方に、皆、不安な表情を見せた。

それでも、話が佳境に入るにつれ、皆は俺の話を真剣な表情で聴いていた。

 

 

 

消灯時間を知らせる鐘が鳴る。

それと同時に、俺の話は終わった。

 

「――以上だ。お前らにも、その事を分かって欲しかった……。だからこそ、俺の正体を明かしたんだ……」

 

皆、何も言えずに、ただ俯いていた。

何を思い、そうしているのか。

それは分からない。

 

「司令官……」

 

案の定、響は俺の元へとやって来た。

 

「響……」

 

「司令官が生まれ変わったんだって……ずっとそう思ってた……。司令官だって……言ってたじゃないか……。私たちは……生まれ変わることが出来るんだって……」

 

責め立てる表情……というよりも、悲しい表情をしていた。

 

「じゃあ……『司令官』は……? 『司令官』は……独りぼっちなの……?」

 

『死んじゃうと、真っ暗な場所で、永遠に独りぼっちになってしまうらしいんだ……。とっても怖いよ……』

 

いつだったか、響はそう言っていた。

 

「……さあな。死んだ人間は、二度と帰ってこない……。だから、死んだらどうなるかもわからないんだ……」

 

それを聞いた響は、表情を見せることなく、食堂を飛び出していった。

 

「ひ、響! どこに行くのよぉ!?」

 

第六駆逐隊が、跡を追う。

 

「鹿島……頼む……」

 

「は、はい……!」

 

鹿島も、同じように。

食堂に、再び静寂が訪れる。

 

「……今日はもう解散にしよう。皆、色々と思うところがあるだろう……?」

 

返事はなかったが、その通りらしく、皆、恐る恐る席を立った。

 

「信じられません」

 

発言したのは、大和であった。

 

「大井さんが貴方に託したですって……? そんなの、人間がでっち上げた嘘です! そもそも、大井さんは本当に、自らの意思で島を出たのですか……? 無理やり連れ込んだのではないですか!?」

 

「大和さん、それは……」

 

俺は、庇おうとする大淀を止めた。

 

「提督……」

 

「大淀、お前は皆が部屋へと戻るよう誘導してくれ」

 

「しかし……」

 

「頼む、大淀」

 

俺の真剣な表情に、大淀は何かを察したのか、小さく頷いてくれた。

 

「分かりました……。皆さん、部屋に戻ってください。鳳翔さん、駆逐艦たちを……」

 

「は、はい!」

 

大淀と鳳翔に誘導され、皆は食堂を去って行った。

ただ、残ったものもあって――青葉と陸奥、明石、夕張、武蔵であった。

 

「お前らも戻れ」

 

そう言っても、皆、動くことをしなかった。

強情な……。

 

「……まあいい。大和、お前がそう思い込みたいのは分かる。だが、全て真実だ……」

 

「貴方の言う事なんて信じられない……。ましてや、あの男の息子だったなんて……」

 

何か嫌な思い出でもあるのか、大和は苦い顔を見せた。

ふと、自分のポケットに、何か入っていることに気が付いた。

 

「とにかく……私は信じませんから……! それに、私たちの『人化』が願われている、なんて嘘を言うのもやめて……! 私たちがその人たちの期待を背負っているって……勝手に背負わせないで……!」

 

「……そうか。お前はあくまでも、その期待を背負えないと言うのか……?」

 

「えぇ!」

 

俺は、ポケットの中身を大和に渡してやった。

 

「な、なによ……これ……」

 

それは、重さんに渡された――縄を切るために渡された、カッターナイフであった。

 

「なら、それで俺を殺せ」

 

驚愕したのは、大和だけではなかった。

 

「て、提督……! 何を言っているんですか!?」

 

「明石、悪いが黙っていてくれ……」

 

「そ、そんな……。む、武蔵さん……」

 

助けを求められた武蔵が、俺の肩を掴む。

 

「貴様、自分が何をしているのか、分かっているのか!?」

 

「武蔵……引っ込んでろ……」

 

「そういう訳にはいかな――」

「――引っ込んでろって言ってんだッ!」

 

静寂が、食堂を包み込む。

武蔵は恐る恐る手を離すと、一歩、後ろに下がった。

 

「……悪い。叫んでしまって……」

 

「い、いや……」

 

「……悪いが、お前らももう戻ってくれ。頼むから……」

 

皆、互いに顔を見合わせると、そのまま食堂を出ていった。

 

「……邪魔する奴は、もう居ないぜ」

 

そう言ってやると、大和は再び真剣な表情を取り戻した。

 

「殺せって……気でも狂ったの……?」

 

「狂ってなんかないぜ。俺は、全ての艦娘の『人化』を願って来た人たちの想いを背負って、ここに居るんだ。それをお前が無下にするって事は、俺を殺す事と変わりないんだぜ、と言いたかったんだ」

 

「……どうしてそうなるのか、全くわかりません。貴方が死ねば、その願いも死ぬという事でしょうか……?」

 

「あぁ、そうだ」

 

「益々分かりません。貴方、何様のつもりですか? 残念ながら、貴方が死んだところで、何も変わりません。貴方の代わりの人間が来て、同じことを言って、また死んでゆく。それが繰り返されるだけ」

 

「いや、これは俺にしか出来ないことだ。俺が死ねば、全ては終わる。断言してもいい」

 

「おめでたい人……。そういうところも、本当に父親そっくり……」

 

そう言うと、大和はより一層、ムッとした表情を見せた。

 

「いいから、殺してみろ。そうすれば、全て終わる。約束してもいい」

 

「するわけないじゃないですか? 大和が貴方に刃を向ければ、それを通報し、強制的に『人化』させられるのでしょう? そんな罠に、この大和がかかるとでも?」

 

「そんな事はしない。責任は問わせない。何なら、一筆書いてもいいし、証拠の映像を撮ってもいいんだ」

 

「そんなハッタリが通用するとでも……」

 

「ハッタリなんかじゃない」

 

大和は、見極める様に、俺の目をじっと見つめた。

うるさいほどの静寂が、辺りを包む。

 

「いいのか? やらなくて……。俺は必ず成すぜ……。全ての艦娘の『人化』を……。お前も例外ではないんだぜ……」

 

俺が本気であると悟ったのか、大和は一瞬、目を逸らした。

 

「……今出来ないというのなら、それでもいい。そのカッターは、お前にやるよ」

 

「え……?」

 

「いつでも殺せるように、だ。尤も、ここで出来ないんじゃ、この先もないだろうがな」

 

そう言って、俺は大和に背を向けた。

再び、静寂が訪れる。

 

「どうした? チャンスだぜ……」

 

大和がどんな表情をしているのかは分からない。

ただ、大和が動くことはなかった。

あんなにも威勢の良かった口も、どうやら閉ざされているようである。

 

「……帰るぜ」

 

俺は、一度も振り返ることをせず、食堂を出た。

寮を出ても、大和が追ってくる様子はなかった。

 

 

 

家に着くと、何故か、消したはずの明かりが灯っていた。

入ってみると、そこには――。

 

「夕張、お前、何してんだよ?」

 

夕張はムッとした表情を見せると、小さい声で「こっそり抜け出してきた」と言った。

 

「何やってんだよお前。早く寮に帰れ」

 

そう言っても、夕張は動くことをしなかった。

 

「……何か不満でも?」

 

ため息まじりに聞いてやると、夕張は小さく頷いて、ぶつぶつ言い始めた。

 

「私だけ知らなかった……。提督が、佐久間さんの息子だって事……」

 

何となくだが、そんな事だろうと思っていた。

 

「皆も知らなかっただろう。お前だけじゃねぇよ」

 

「でも、鹿島さんや大淀さん、鳳翔さんは知ってたでしょ……。あと、何故か青葉も……」

 

「だから何だってんだ?」

 

夕張は答えず、ただ膝を抱えた。

 

「……お前がなにを言いたいのか、なんとなく分かる」

 

「だったら……教えてよ……。どうして私には……隠していたのよ……? 私だって……貴方のこと……」

 

こういう時、何か慰めの言葉をかけてやれればいいのかもしれない。

佐久間肇なら、きっとそうしただろう。

だが――。

 

「お前に教える必要はない。そう思ったから、教えなかった。ただそれだけだ」

 

「……私だって、貴方の役に立てるわ! 少なくとも……!」

 

「青葉より……ってか? それはないだろうな。あいつの方が、お前よりもはるかに優秀だ。あいつが俺の正体を知ったのだって、別に俺が教えた訳じゃない。あいつが自分で掴んだんだ。お前はそれが出来なかった。ただそれだけの事だろうが」

 

夕張は、今にも泣き出しそうに――俺を睨み付けた。

 

「なによそれ……。そんな酷い言い方……」

 

「……この際だから、はっきり言わせてもらうぜ。お前の事、「面倒くさい奴」だって、本気で思っている。『人化』の為だと割り切って、お前を慰めて来たし、例の作戦にも『参加させてやった』。けど、もうそれも今日で終わりだ。俺にはもう、何も隠すことはないし、お前の顔色を窺って、慰める必要もなくなった。お前が下に見ている青葉や――そいつらの方が優秀だし、味方になってくれているからな。メソメソして、我が儘言って――誰かを見下すことでしか自分の評価を上げることの出来ないお前と違って、あいつらは――」

 

夕張は立ち上がると、俺の頬を平手で叩いた。

大淀のそれとは違い、夕張の涙は、とてもじゃないが――。

 

「……事実を言われて、傷ついたか?」

 

そう言ってやると、夕張の表情から、怒りが徐々に抜けてゆき――やがて、悲しみの色を見せた。

 

「どうして……そんな酷いこと言うのよぉ……」

 

「…………」

 

「私だって……貴方の役に立ちたいって……思ってるのに……。いっぱい……頑張ってるのに……。貴方の事が好きで……大淀さん達に負けないって……なのに……うぅぅ……」

 

嘘偽りのない涙であった。

心が痛む。

けど――。

 

「……言ったろ。俺は慰めないぜ……。もう寝るから、とっとと帰れ……」

 

そう言って、俺は夕張の首根っこを掴み、外へと放り出した。

しばらくの間、夕張は玄関の近くで泣いていたようであったが、寝床に就くころには、寮に戻っていったようであった。

 

「…………」

 

これでいい。

俺は、夕張の気持ちに応えることが出来ない。

このまま中途半端な慰めを続けても、夕張は恋心を捨てきれず、何度も落ち込むことになるだろう。

上官と羽黒の関係と同じで――だからこそ――。

 

「ごめんな……夕張……」

 

 

 

翌朝。

目が覚めると、そこには、敷波の顔があった。

 

「わわ……!」

 

「敷波……?」

 

「お、おはよう……司令官……」

 

「どうした……? こんな朝早くから……」

 

敷波はもじもじと手を揉むと、恥ずかしそうに言った。

 

「し、司令官……その……アタシと……散歩……しない……?」

 

「え?」

 

「アタシ……知ってるんだ……。響ちゃんと、いつも散歩してるの……。ほ、ほら……響ちゃん、今、ああいう状態だからさ……その……アタシが代わりに……なれないかなって……」

 

……なるほど。

 

「俺を慰めに来てくれたのか……?」

 

「え? そ、そういう訳じゃ……」

 

嘘をつくのが下手なようで、敷波はあたふたし始めた。

 

「……分かった。じゃあ、一緒に散歩、してくれるか?」

 

「う、うん!」

 

 

 

俺たちは、たわいのない会話をしながら、静かな海沿いを散歩した。

 

「――だから、司令官が居ない間も、みんなでお家を掃除したりしていたんだ。綺麗だったの、気が付いた?」

 

「そう言えば、綺麗だったな」

 

「でしょ? えへへ」

 

敷波は、昨日のことなど気にしていないのか、無邪気な笑顔を見せてくれた。

――いや、或いは気を遣われているのかもしれないが。

 

「……司令官はさ、響ちゃんの事、どう思ってるの?」

 

「え?」

 

「司令官と響ちゃんって、なんか特別な感じがするんだよね。アタシはいつも、響ちゃんに対抗してみたりしているんだけどさ、やっぱり、勝てないというか……。なんか……そんな感じがしてさ……」

 

そう言う敷波は、少し寂しそうであった。

 

「……本当はさ、今日来たのも、司令官が寂しいかなって……思ったからなんだ。アタシなんかが響ちゃんの代わりになるなんて思ってないけど……少しは……気がまぎれるかなって……」

 

「敷波……」

 

「司令官が誰の息子でも……アタシの司令官は、司令官だけだからね……?」

 

どうやら敷波は、本当に俺の事を慰めてくれているようであった。

本当……こいつは……。

 

「司令官……?」

 

俺は、敷波を抱きかかえた。

 

「え、えぇぇ!? ししし、司令官!?」

 

「案外軽いな」

 

「ききき、急になに!? おおお、降ろしてよぉ!」

 

「敷波」

 

「ふぇ?」

 

「ありがとな。慰めてくれて。おかげで、救われたよ」

 

そう言って、俺は敷波を降ろしてやった。

 

「司令官……」

 

「響の代わりだなんて、寂しいこと言うな。お前はお前だろう」

 

「で、でも……ほら……アタシは、こんなことしかできないし……」

 

「こんなことが、俺にとっては特別なんだ。普通、そうは出来ないもんだぜ。俺にとってお前は、特別な存在だよ。敷波」

 

頭を撫でてやると、敷波は恥ずかしそうに俯いた。

 

「もうちょっと散歩に付き合ってくれるか? ようやく目が覚めてきたところなんだ」

 

そう言って手を差し出すと、敷波は俯いたまま、手を握り、小さく頷いた。

 

 

 

朝食の時間になり、寮へと向かう。

昨日の事があったから、気まずい雰囲気になるだろうと覚悟していたが、食堂は何事も無かったかのように、皆が集まっていた。

その中には響も居て――だが、目が合うことはなかった。

 

「司令官、こちらです!」

 

青葉に呼ばれ、席に着く。

そういや昨日、約束をしていたな。

 

「おはよう青葉、陸奥」

 

「おはようございます!」

 

青葉は何事も無かったかのように、元気な姿を見せてくれた。

敷波と同じで、青葉も気を遣ってくれているのであろうか。

――いや、そう思うのはやめよう。

今日からは、いつも通りの生活に戻る。

皆も、そうしなければいけないと思っているから、いつも通り振る舞っているのであろう。

昨日の事は、あくまでも心に留めておくことなのだと、分かっているのであろう。

 

「お、おはよう! 提督」

 

陸奥は挨拶をすると、俺の目をじっと見つめた。

 

「陸奥? どうした? 俺の顔に何かついているか?」

 

「ふっふっふっ……気が付きましたか? 司令官」

 

何故か得意げにする青葉。

 

「気が付くって……何が……?」

 

「陸奥さん、今日は司令官の顔を真っすぐ見れているんですよ!」

 

「え?」

 

再び陸奥の顔を見る。

そう言われれば、島に戻ってくる前は、何だか視線が合わず、何かとオドオドしていたような……。

 

「実は、司令官が帰ってくるまで、特訓をしていたんですよ! これを使って!」

 

青葉はパネルのようなものを取り出すと、自分の顔に当てた。

そのパネルには、俺の顔の写真が、デカく貼り付けられていた。

 

「な、なんだ? その気色悪いパネルは……」

 

「気色悪いって、自分の顔ですよ? 司令官。これを青葉がかぶって、会話する訓練を陸奥さんにしていたんですよ!」

 

「くだらないことを……」

 

「くだりますよ! 現に、陸奥さんを見てください! しっかりと会話、出来ているでしょう?」

 

「そうなのか?」

 

「え、えぇ……。まだちょっと緊張するけれど……前よりは……」

 

確かに、以前の陸奥とは少し――いや、本来の姿に戻りつつあると言った方が正しいだろうか……。

 

「とにかく! これからは積極的に、陸奥さんに話しかけてあげてください! 実戦を経験することが、一番の近道ですからね!」

 

一体、何の近道だというのか。

そんな事で騒いでいると、大淀が食事の挨拶を始めた。

それが終わる頃、夕張が食堂に入って来た。

 

「…………」

 

夕張は俺をチラリとみると、食事を二食分受け取り、どこかへ行ってしまった。

 

「夕張さん、最近ああして山城さんに食事を持って行っているみたいですね」

 

「え?」

 

「山城に食事を持って行って、出てくるよう説得してるみたいよ。貴方が島を出る前から、やっていたみたいだけれど、気が付かなかった……?」

 

そう言えば、以前、食事を持ってどこかへ行ったのを見たことがあった。

あれはそういう意味だったのか。

しかし、なんだってそんなことを――。

 

「って! 陸奥さん! 普通に司令官と話せてるじゃないですか!?」

 

「あ、確かにそうだな」

 

その事に陸奥自身も驚いていた。

 

「本当……。これも訓練の成果かしら!?」

 

「きっとそうですよ! 良かったですね! 陸奥さん!」

 

「えぇ!」

 

意味があったのか……あのパネルの訓練……。

しかしまあ……なんというか……。

あんなことがあった後だというのに、こんなにも平和な時間が流れるとは……。

大井が島を出た事は、皆にとってはショックなことのはずなのに、引きずっていないところを見ると、案外切り替えの早い連中なのかもしれない。

まあ、そうだよな……。

これまで、いろんな奴らが島を出て行っているわけだし、適応もするか……。

そんな事を考えながら食事をしていると、遠くで何かが衝突するような音がした。

 

「な、なんだぁ?」

 

その音は、徐々に大きさを増してゆき、やがて何かが壊れたかのような音と共に、静まった。

食堂内がざわつく。

 

「ひぃぃぃぃぃぃ……!」

 

次にきこえて来たのは、悲鳴であった。

だがそれは、食堂にいる誰かの声ではなく――夕張のものとも違う、聴いたことのない声の悲鳴であった。

皆が一斉に、食堂を出る。

 

「あの悲鳴、まさか……」

 

陸奥がつぶやく。

 

「誰の悲鳴だってんだ?」

 

陸奥と共に、食堂を出る。

皆、驚愕の表情を浮かべながら、何かを見つめていた。

 

「ちょっと失礼……」

 

皆の間をすり抜け、輪の中心に向かってみると、そこには――。

 

「夕張……」

 

と、謎の女。

傍には、壊されたであろう扉が転がっていた。

 

「お前、一体何をして……」

 

女が顔を上げる。

短い髪に、白い肌――特徴的な赤い目……まさか……。

 

「お前が……山城か……?」

 

「提……督……?」

 

山城は、驚愕の表情を浮かべながら、俺を見つめていた。

 

――続く



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12話

――だから私は、島を出ました。

あの人と幸せになる為に。

時雨も、一緒に来てくれると言ってくれました。

――えぇ、山城は来てくれませんでした。

少しは迷ってくれるものだと思っていたのだけれど――山城の中では、私という存在は、もう無かったのかもしれません。

――もう一度会いたいです。

会って、幸せになった私の姿を見て欲しい。

きっと、その時には、山城も――そうだったら、私は――。

 

結婚情報誌『Postwar_Bride!-3月号-』

特集『青い不幸に包まれて』 より抜粋

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「では、私達は、山城さんをお風呂に入れてきますので」

 

「あぁ、頼んだぜ」

 

大淀たちが部屋を出て行き、執務室には、俺と夕張だけになった。

 

「……それで? どうしてあんなことをしたんだよ?」

 

夕張は、退屈そうに頬杖をつきながら、窓の外を見ていた。

 

「強硬手段よ。ああでもしなければ、山城さんは部屋を出てこなかった」

 

「……俺が聞いているのは、そういう事じゃない。どうして山城を部屋から出そうとしたんだって言っているんだ」

 

理由は、なんとなく分かっている。

だからこそ、解せない。

昨日、俺は、夕張にあんな酷い事を――。

 

「貴方に協力するためよ。すべての艦娘を『人化』するんでしょ?」

 

「俺の為って……お前……」

 

夕張は立ち上がると、俺の前に立って、じっと目を見つめた。

 

「解せないって感じね」

 

図星。

 

「無理もないわ。あれだけ泣いた後だもの」

 

昨日みせた弱弱しい態度とは一変して、その表情からは、何か並々ならぬ決意が見てとれた。

 

「……昨日、貴方に言われて――大泣きして、やっと気づいた。貴方の言う通り、私は面倒くさいやつで、我が儘で――メソメソすることしかできない、弱い艦娘だって……。そんな奴に、貴方が振り向くわけないのよね。冷静になって考えれば分かることなんだけど、貴方があまりにも優しいものだから、それに甘えちゃっていたのかも」

 

「…………」

 

「……優しい貴方が、どうしてあんなことを言ったのかは分からない。でも、私を想って言ってくれたんだって事だけは、分かる。貴方は、そういう人だもの」

 

夕張の目は、大淀のそれと似て、全てを見透かしているかのような――そんな瞳をしていた。

 

「……俺の事を知った気になっているなんて、いい気なもんだな」

 

「ほら、そうやって私を遠ざける。それって何? もしかして、私を傷つけないように、わざとやっているわけ?」

 

その鋭さも、大淀のそれと似ている。

この一晩で、夕張の身に何があったというのだろうか。

そう思わざるを得ないほどに、態度は一変していた。

 

「確かに、私は傷つきやすいし、貴方の前でメソメソ泣いてしまったわ。でもね……」

 

夕張は俺の胸倉を掴むと、睨み付けた。

 

「私だって……ただただ弱いだけじゃないわ……! やるときはやるし、貴方が弱い私を嫌いだっていうのなら、強くなって見せる事だって出来るわ……!」

 

態度とは裏腹に、夕張の手は震えていた。

 

「……今回の件は、その証明の第一歩とでも言いたいわけか?」

 

「そうよ……! 私は……貴方の事が好き……! 貴方の役に立ちたい……! 大淀さんや鳳翔さん……青葉にだって負けないくらい、貴方を想ってる……! どんなにひどい言葉で突き放されても、私は諦めない……! そういう事……!」

 

俺を睨むその瞳には、涙がたまっていた。

 

「……無理するな。泣きそうになってるぞ」

 

「泣かない……! これは……その……寝不足なだけ……!」

 

確かに、寝不足の可能性は否定できない。

だが……。

 

「違うな。お前はそう簡単に変われるような奴じゃない。今だって、自分の強さをアピールしたいと思ってやっているのだろうが、無理をしているのは明白だ。手は震え、涙は零れそうになっている。本当は不安でいっぱいなんだろ?」

 

「そ、そんなことない……!」

 

「だったら、もう一度お前を突き放してもいいんだぜ。今度はもっと酷い言葉を浴びせてもいい。お前に耐えられるのか?」

 

「……貴方だって、本当に言えるわけ? 私にあんなこと言っておいて、辛そうな顔していたの、知っているんだから!」

 

そんな顔をしていたのか。

確かに、辛くなかったと言えば嘘になる。

だがそれも、こいつの事を想えば――。

 

「…………」

 

こいつの事を想えば……。

 

「……なあ夕張」

 

「な、なによ……!」

 

「お前、結局どうしたいんだよ?」

 

「え……?」

 

「お前が好意を持ってくれていることはいいとして、俺がそれに応えることが出来ないのは分かるだろ? だったら、お前は何がしたい? 何が目的で、こんな事をしているんだ?」

 

「そ、それは……。私は……貴方の事が好きで……。い、今は……それだけで満足で……」

 

「だったら、突き放されっぱなしでも構わないはずだろ? お前がやっているのは、それとは真逆で、どうしても今、自分を想ってほしいという感じだ。矛盾している。違うか?」

 

夕張は手を離すと、黙り込んでしまった。

 

「……お前の言う通りだ。これは、お前を想っての事なんだ。ただの自己満足で俺に好意を向けているのなら構わない。だが、そうでないのなら……」

 

「……諦めろっていうの?」

 

「そうだ」

 

夕張は納得のいかない顔をしていた。

やはり、ただの自己満足では終わらないよな……。

 

「お前の気持ちは分かる。俺も、本土に居る十日間で、恋というものを知った」

 

「え……。あ、相手は……?」

 

「山風だ」

 

「山風ちゃんって……貴方、まさかロリコンだったの……?」

 

「……山風が島を出て何年になると思っているんだ。山風は今、推定年齢で言えば、俺とタメだ」

 

「あ、そっか……」

 

永い沈黙が続く。

 

「じゃあ……もし……全ての艦娘を『人化』出来たら……山風ちゃんと……?」

 

「そうしたいが……」

 

言葉を濁すと、夕張は察したようで――。

 

「もしかして……好意を伝えたの……?」

 

「…………」

 

「……なるほどね」

 

夕張は複雑そうな表情を見せた。

喜んでいいものか、それとも――というように。

 

「……まあ、そんな事はどうでもいいんだ。とにかく、このまま好意を向けられても、お前が辛い思いをするだけだ。報われない好意を続けられるほど、お前が強い心を持っているとは思えない」

 

「でも、それは貴方だって同じじゃない……。向けられた好意を、無下にし続けることは出来ないでしょ……?」

 

「……確かにそうだ」

 

「だったら……」

 

「だからこそだ……。俺は、艦娘に恋はしないと『思っていた』。だが、恋というものを知った今、俺の心は揺れている。その隙間に好意をねじ込まれれば、俺だって……」

 

「……分からないわ。それは、私が望むことで……私を想うのなら――」

「――それはお前じゃないからだ」

 

まるで、時が止まったかのような――そんな静寂が――だが、煩くも感じて――。

 

「え……なに……? どういう……意味……?」

 

「……そのままの意味だ」

 

俺は、夕張の顔を見ることが出来なかった。

見てしまえば、俺は――。

夕張を想うからこそ――。

 

「ハッキリ言おうか……。俺は、他の艦娘に心を動かされることはあっても、お前の好意に心が動いたことはない……」

 

再びの静寂。

 

「……誰かに心を動かされたことがあるって事? 私じゃない……誰かに……。この島の……誰かに……」

 

「あぁ……」

 

嘘ではない。

事実、ドキッとしたことは何度かある。

それが、恋に似た感覚だと理解もしている。

だが、夕張の好意を知った時、そういった感覚に襲われたことはない。

恋とは違う。

……違うはずだ。

 

「じゃあ……つまり……こういう事……? 他の人たちには心が動くけど、私の気持ちには、それが無かった……って事……?」

 

声が出ず、俺は頷くことしかできなかった。

 

「……そう。なるほどね……。そういう事……。だから、私を想って……なのね……」

 

本来は、少し違う。

だが、そういう事なのだと、俺も今、気が付いた。

 

「そっかそっか……。うん……分かった……。そりゃそうよね……。好きでもない女に……詰め寄られたら……迷惑よね……。貴方は優しいから……言えないわよね……。『単純に好きになれない』……だなんて……」

 

「…………」

 

「……分かった。ありがとね……。正直に言ってくれて……。あと……ごめんね……言わせちゃって……。諦めるように……傷つかないように言ってくれたのに……分からなくて……」

 

「…………」

 

「これからは……余計な事はしないから……。あ……でも、私に出来ることがあったら、言ってね……? 迷惑じゃなければ、私も、力になれると思うから……。あ……別に、これは、ただ単純に、手伝ってあげたいっていう、私の自己満足だから……。えと……うん……そういうことだから……迷惑じゃ……なければなんだけど……」

 

ここで慰めの言葉をかければ、夕張は――。

俺に今出来ることは――。

 

「……あぁ、ありがとう。必要になったら、頼むぜ……」

 

「……うん」

 

時計の鐘が鳴る。

まるで、終わりを告げるかのように――。

 

「……じゃあ、私、皆を手伝ってくるわ。ごめんね。余計な事しちゃって……。扉、直すとき言って? 全部やるから」

 

「あぁ、分かった……」

 

「じゃあ……」

 

「あぁ……」

 

夕張が部屋を出て行く最後まで、俺は顔を見ることが出来なかった。

フラれる方が辛いのは、よく分かっている。

だけど――。

 

「お前の言う通りだよ……夕張……。俺は……俺には……」

 

 

 

気持ちが落ち着いた頃、俺は食堂に呼ばれた。

そこには、さっぱり綺麗になった山城が、皆に囲まれて座っていた。

 

「山城さんには、全て話しました。提督の正体など、全て……。宜しかったでしょうか?」

 

「あぁ、構わん。ありがとう、大淀」

 

「いえ」

 

「さて……」

 

山城はだるそうに顔をあげると、チラリとだけ、俺を見た。

 

「初めまして。お前が山城だな」

 

「えぇ……そうですけど……」

 

「大淀から聞いたと思うが、俺は佐久間肇の息子だ。親父とは生前に、仲良くさせてもらっていたそうじゃないか。俺とも仲良くしてくれると嬉しいぜ」

 

そう言って手を差し伸べても、山城はだるそうにするだけで、手もだらんと下がったままであった。

 

「……しかし、佐久間肇が亡くなってからの十五年間、ずっと引きこもっていたんだろ? 皆がお前を珍しがって見ているようだが、本当に十五年間、部屋を出ていなかったのか?」

 

山城は、まるで聞こえないとでも言うように、明後日の方向を見つめていた。

 

「おい」

 

「私が代わりに説明しよう」

 

そう言ってくれたのは、武蔵であった。

 

「山城は、本当に一度も、部屋を出てきていない。飯を持って行ってやった時だって、出すのは手だけだった。一週間以上見張ってみたこともあったが……やはり見れたのは、手だけだ」

 

「ちょっと待て。って事は……まさか、十五年間、風呂も入っていないのか!?」

 

「まあ、そういう事になるな。だが、前にも言った通り、艦娘は老廃物が少ないんだ。だから、そこまで汚れてはいなかったぞ」

 

「いや……そうかもしれないが……」

 

だとしたら、さっき見たのは、十五年間風呂に入っていない姿だったわけか……。

確かに、そこまで汚くはないように見えたが……。

一体、艦娘ってのはどうなっているんだ……。

 

「ただまあ……部屋がな……」

 

「え?」

 

俺は、武蔵に案内され、山城の部屋へ向かった。

 

「入ってみろ」

 

「お、おう……」

 

足を踏み入れた瞬間、異変に気付く。

 

「う……!? なんかカビくせぇ……!」

 

部屋の明かりを点けようとスイッチを押してみるが、何も反応はない。

 

「待ってろ」

 

武蔵が部屋にズカズカと入って行き、カーテンを開けると……。

 

「う……うぅぅぅぅぅわっ!?」

 

部屋中がカビていた。

 

「な、なんだよこれ!?」

 

「まあ、つまり、そういう事だ……」

 

「何がそう言う事だ!? あ……そういや……。さっき、山城が緑斑点模様の服を着ていたが……まさか……!?」

 

武蔵は頷くと、苦笑いを見せた。

急いで食堂へ向かう。

 

「お前……馬鹿じゃねぇのか!? あんなきったねぇ部屋でよく十五年間も暮らせたな!?」

 

部屋の汚さに感化されたのか、こちらも汚い言葉が出る。

 

「ま、まあまあ提督……。山城さんが部屋を出て来ただけでも快挙なわけですし……今はそれを褒めるべきですよ」

 

「明石……それは違うぜ……。犯罪者が更生しても、偉い訳ではないだろ? 引きこもりが出て来たからと言って、部屋をあんなにしていい訳がないんだぜ……」

 

「そんな、犯罪者と比較するのはどうかと……」

 

「とにかく……。あの部屋は閉鎖だ。扉もない事だしな……」

 

夕張が申し訳なさそうに俯いていた。

 

「それは構いませんが……空きの部屋がありません……」

 

「大井の部屋があるだろう。それを使ったらいい」

 

「あ……それもそうですね……」

 

大井が居なくなったことを思い出したのか、皆、静まり返ってしまった。

 

「……とにかく、そういう事だ。だが、また引きこもられても困る。というか、そもそも、どうしてお前は引きこもっているんだ?」

 

山城は、やはり聞こえないとでも言うように、視線を逸らした。

 

「無視かよ……。まあいい……。とりあえず、また引きこもられたらかなわん。部屋が台無しになる。誰か、こいつの面倒を見てくれる奴はいないか?」

 

皆、困惑気味に互いの顔を見合わせていた。

おそらく、前にもこんなことがあったのだろうな……。

十五年も放っておかれるような奴だ。

俺を無視しているところを見ても、扱いに困るような奴なのだろう。

 

「私が面倒みる」

 

そう言ってくれたのは、夕張であった。

 

「夕張……」

 

「元はと言えば、私が引っ張り出してきたわけだし、責任は私にあるわ」

 

こいつ、また――。

……いや、違うな。

おそらく、償いのつもりでやっているのだろう。

これ以上、迷惑はかけたくないと――せめて役に立ちたいと、思っているのだろう。

 

「そうか。じゃあ、頼まれてくれるか?」

 

今は任せた方がいいだろう。

夕張自身、気を紛らわせるなにかが欲しかっただろうしな。

 

「うん。任せて。じゃあ、行こう? 山城さん」

 

山城は引きずられるようにして、夕張と共に消えていった。

 

「あれが山城さんです。どうです? 仲良くなれそうですか?」

 

「どうかな……。佐久間肇がどうやってあいつと仲良くなったのか……全く見えてこないぜ……」

 

「佐久間さんも仲良くなるのに時間をかけていましたから、山城さんが心を開いてくれるまで、気長に待つしかないかと……」

 

「それもそうだな……」

 

気長に……か……。

ふと、響と目が合う。

 

「……私たちも行こう」

 

「あ、待ってよ響!」

 

響……。

 

 

 

山城の部屋の掃除は、鳳翔と、なんと大和が請け負ってくれた。

 

「俺も手伝おうか」

 

「いえ。カビを吸っては危険ですから」

 

「それはお前たちも同じだろう」

 

「私たちは平気です。毒を盛られても平気な体ですから」

 

冗談のように聞こえるが、実際に、毒では死なない体になっているのが艦娘だ。

山城があの部屋で平気だったのが、何よりの証拠だ。

 

「それに、きっと、大和ちゃんが嫌がるでしょうから……。掃除をすると言った時、大和ちゃんの方から、手伝うと申し出があったのです。おそらく、私に話があるという事だと思いますので、提督のお気持ちは嬉しいのですが……」

 

あの大和から……か……。

 

「分かった。では、頼んだぜ。鳳翔」

 

「はい!」

 

鳳翔は掃除道具を持って、山城の部屋へと入っていった。

 

「さて……」

 

俺はどうしたものか。

夕張の部屋に行って、山城の様子を見に行くのもありだが……。

 

「ねーねー」

 

「ん?」

 

声に振り返る。

そこには、三隻の駆逐艦が居た。

こいつらは、確か――。

 

「ちょ……島風……!」

 

「ストップウォッチやってー?」

 

「ストップウォッチ……?」

 

「うん。はい、これ。じゃあ、ビーチで待ってるから」

 

そう言うと、島風はものすごいスピードで去って行った。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 

それを追うのは、天津風……だったか。

そして、残された駆逐艦は……。

 

「雪風……だったか?」

 

「はいっ! 雪風です!」

 

随分元気な奴だな……。

 

「あいつの言っていたストップウォッチやって……ってのは、どういうことだ?」

 

「時間を計って欲しいって事です!」

 

「いや、それは分かるんだが……。一体、何の時間を……」

 

俺が話し終える前に、雪風は走り出した。

 

「あ、おい!」

 

 

 

雪風を追ってゆくと、海辺で島風と天津風が待っていた。

 

「やっと来た! おっそーい!」

 

頬を膨らませる島風。

どこか不安そうな天津風。

何も考えていなそうな雪風。

 

「わ、悪い……」

 

「じゃあ、やろう? 天津風」

 

「え……でも……」

 

天津風が俺を見る。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 一体、何をするってんだよ? って言うか、お前……」

 

色々と状況が呑み込めず、俺は困惑していた。

天津風も同じようで――というより、島風が勝手に暴走したって感じだな。

確かに、吹雪さんのノートには、島風は自由な艦娘だと書いてはあったが……。

それにしても自由過ぎると言うか……。

普通、これまで話してこなかった男に――恐れていた男に、何かを頼もうとするものだろうか……。

 

「だからー。私と天津風が競争するから、タイムを計って欲しいの。提督はやってくれたもん」

 

「提督……?」

 

「佐久間さんの事です!」

 

佐久間……あぁ、なるほど……そういう事か……。

俺が佐久間肇の息子だって知って、話しかけて来たって訳か……。

とりあえず、付き合ってやった方がいいよな……。

 

「なるほどな。分かった。計ればいいんだな?」

 

「向こうがスタートで、こっちがゴールね。雪風が私、提督が天津風ね」

 

「お、おう……分かった……」

 

今こいつ、ナチュラルに俺の事を提督って……。

佐久間肇と重ねているのか、それとも……。

 

「天津風ー早くー」

 

「ちょっと! 私、まだやるなんて一言も……」

 

「じゃあ、私の不戦勝って事でいーの?」

 

天津風はムッとした表情を見せると、スタートラインに立った。

 

「では、位置についてー! よーい……ドンです!」

 

二隻が走り出す。

そのスピードは、常人のそれを遥かに超えていた。

二隻はあっという間にゴールに近づき、俺たちの間をすり抜けていった。

 

「うぉ!?」

 

ゴールと同時に、風が吹き上げる。

 

「「タイムは!?」」

 

二隻が駆け寄る。

 

「えーっと……島風ちゃんは、5秒11です!」

 

「天津風は……5秒22だ」

 

なんつータイムだ……。

正確な距離は分からんが、世界記録を軽く超えているようにも思える。

しかも、砂浜で、だぞ。

 

「ふふーん! 私の勝ちー!」

 

「ちょ、今のは絶対私の勝ちよ! ストップウォッチの誤差でしょ!? 雪風!?」

 

「うぅん……よく分かりませんでした……。しれえ、どうでした?」

 

しれえ……ってのは、俺の事だろうか……?

 

「しれえ?」

 

「え? あぁ……うん……。俺もよく分からんかったな……。ほぼ同時だったような……」

 

「えー? じゃあ、もう一回やる?」

 

「望むところよ!」

 

そう言って、二隻はスタートラインに戻っていった。

 

「しれえ、もう一回です!」

 

「お、おう……」

 

それから、何度も二隻の競争に付き合ってやった。

タイムはほぼ互角であり、島風が勝ったり、天津風が勝ったりを繰り返し、その度に再戦となった。

 

 

 

結局、お昼を伝えに来た陸奥によって、競争は終わった。

 

「あなた達、もうお昼よ。帰ってらっしゃい」

 

「「「はーい」」」

 

「陸奥」

 

「あら、提督。この子たちと仲良くなったの?」

 

「仲良くなったというか……。ただ計測を頼まれただけで……」

 

「計測?」

 

陸奥と話していると、島風に腕を引っ張られた。

 

「ねーねー、お昼ご飯食べたら、提督のお家に行ってもいーい?」

 

「え?」

 

「ちょ……島風……! 駄目よ……!」

 

「いいでしょー?」

 

「雪風も行きたいです!」

 

急に距離を詰めて来たな……。

 

「あ、あぁ……構わないが……」

 

「やったー! じゃあ、後でねー。ばいばーい」

 

「ちょ、待ちなさいよ!」

 

「失礼します! しれえ!」

 

三隻は元気よく、寮へと戻っていった。

 

「なんか、急に懐かれたな……」

 

「本来は、とっても人懐っこい子たちなのよ。私たちが遠ざけてしまっていただけで、貴方の事、ずっと気になっていたみたいよ」

 

あいつらが俺にかかわろうとしてきたのは、俺の正体を知ったこともそうだが、おそらく、大井が居なくなったことが大きく影響しているのだろう。

大井は鹿島と違い、皐月や卯月、第六駆逐隊のような小さな艦娘の面倒よりも、島風のような、少し成長した駆逐艦の面倒を見ていた。

陸奥の言う通り、大井が面倒を見ていた駆逐艦の中に、俺の事が気になっている者があったとしても、大井は接触に対して反対するはずだ。

その大井が居なくなった今、駆逐艦は自由に行動できる。

今後はおそらく、島風のように、俺に接触してくる駆逐艦が多くなって行く可能性が高いだろう。

そうなった時、果たして俺は――。

 

「ね、ねぇ……」

 

「ん?」

 

「お昼……貴方の分を持ってきたのだけれど……」

 

「あぁ、悪いな。そういや、今日は青葉は一緒じゃないのか」

 

「え、えぇ……青葉が……一人で行けって聞かなくて……」

 

陸奥は、以前見せていたような、もじもじとした態度でそう言った。

青葉が傍にいないと、こうなってしまうのだろうか。

それとも、何か言いたいことでもあるのか。

 

「あ、あの……。私も……お弁当……なんだけど……。その……良かったら……あの……」

 

あぁ、なるほど。

だから、青葉は……。

 

「そうか。なら、一緒に食べるか?」

 

「え……あ……は、はい……。その……お願い……します……」

 

 

 

弁当は、俺の家で食べることになった。

飯を食っている間、陸奥は一言もしゃべることをしなかった。

 

「青葉と訓練したようだが、やはり、俺と二人っきりってのは、まだ慣れないか」

 

陸奥は小さく頷くと、空になった弁当箱をじっと見つめた。

そういや、視線も合っていない。

 

「今からでも青葉を呼んでこようか。それだったら、話せるのだろう?」

 

そう言ってやると、陸奥は首を大きく横に振って、俺の目をじっと見つめた。

 

「だ、大丈夫……!」

 

「そ、そうか……」

 

明らかに大丈夫ではなさそうだがな……。

 

「しかし、なんだ。こうしていると、お前がここに来た時の事を思い出すよ。裸で俺の布団に潜り込んでいたやつ。ありゃ、誰の提案だったんだ?」

 

「あ、あれは……! その……」

 

「……もしかして、お前か?」

 

陸奥は顔を赤くすると、その顔を両手で覆い隠した。

 

「……また随分と大胆な発想だったな」

 

「あ、あの時の私は……どうかしていたというか……。今思うと……うぅぅ……」

 

まあ、あの頃は、俺を男としては見ていなかったのだろうからな。

そうでなくなった今は、やはり――。

 

「あ、あの……。聞きたいことが……あるのだけれど……」

 

「ん、なんだ?」

 

「そ、その……あの……わ、私の体って……やっぱり……その……」

 

「体が……なんだ?」

 

陸奥は、なにやら躊躇った後、決意したかのように顔をあげ、言った。

 

「や、やっぱり私の体って……その……え、えっち……なのかしら……?」

 

「え……」

 

唖然とする俺を尻目に、陸奥は自分の胸を持ち上げた。

 

「よく……出向してきた男に言われるの……。『お前の体は、人間の女よりもエロい』って……」

 

そういや、鈴木も似たようなことを言っていたっけか……。

 

「確かに、胸もおしりも大きくて……その……え、えっちなのかもしれないけれど……。あ、貴方も……私の事……そう思ってたり……する……?」

 

上目遣いで見つめる陸奥に、俺はドキッとしてしまった。

 

「前に……言っていたじゃない……。『お前の美しい女体を見てしまった時、体が言う事を聞かなくなって……』って……。今も……同じ気持ちを持ってる……?」

 

何処か不安そうな瞳に、俺は、陸奥が何を言いたいのか、なんとなく分かった。

 

「……いや、今は思っていないよ。確かに、俺は男だから、そういうことを思うこともあるかもしれない。だが、俺は他の男と違って、お前を傷つけたりはしない。それは約束するよ」

 

まあつまり、そういうことだろう。

俺の事を信用してくれたとは言え、男だしな。

心配になるよな。

 

「心配せずとも、気の迷いは起こさないから安心してくれ。尤も、あの時みたいに迫られたら分からんがな」

 

そんな冗談で場を和ませようと笑って見せたが、陸奥は何やら思い悩むようにして、自分の胸に手をあて、俯いていた。

 

「陸奥?」

 

「……私が迫ったら、貴方は私に欲情『してくれる?』」

 

「え?」

 

瞬間、陸奥は俺を押し倒すと、馬乗りになった。

 

「む、陸奥……?」

 

そして、上着を脱ぐと――何も着けていなくて、それは露わになっていた。

 

「な、何をしているんだ!?」

 

思わず目を逸らす。

 

「駄目……! ちゃんと見て……!」

 

陸奥は、俺の顔を両手でつかむと、自分の方へと向けた。

 

「ちゃんと見て欲しいの……。そして……私でドキドキしてほしいの……」

 

「ドキドキって……。い、いいから、服を着てくれ……! どいてくれ……!」

 

「駄目……。見てくれるまで……退かないから……」

 

さっきのオドオドはどこへやら。

一体、陸奥は何をしたいんだ。

 

「見てくれなきゃ……このまま……」

 

陸奥の手が、俺の股間へと――。

 

「わ、分かった分かった! 見る! 見るから!」

 

俺は、恐る恐る陸奥に目を向けた。

華奢で綺麗な体。

透き通る肌。

豊満な胸。

 

「……どう?」

 

「どうって……?」

 

「ドキドキ……する……?」

 

こんなの、するに決まっている。

それどころか――。

 

「あ、あぁ……するよ……。するから、退いてくれ……」

 

思わず目を逸らす。

すると陸奥は、俺の股間に手をあてた。

 

「なっ!?」

 

「あ……」

 

そして、何かを察したかのように顔を赤くすると、少しだけ嬉しそうに微笑んで見せた。

 

「くそ……」

 

恥ずかしさに、顔が赤くなる。

 

「良かった……。本当にドキドキ……してくれているのね……」

 

「……すまん。口でどうこう言っても……俺も男のようだ……」

 

「ううん……。むしろ、嬉しい……。ふふっ」

 

これからどうなってしまうのか。

まさか――。

そんな事を考えていると、陸奥はあっさりと退いて、服を着始めた。

 

「青葉に言われたの。貴方、前に私が迫った時……その……なんともなかったじゃない? だから今度は、裸で迫って、反応があるか見てみたらって。もし反応が無かったら、私に魅力がないか……その……EDなんじゃないかって」

 

「……そんな事を確かめるためだけに、こんなことを?」

 

「そうよ?」

 

俺は思わず、床に倒れ込んだ。

 

「提督?」

 

「お前な……。普通、こんなことされたら……」

 

「されたら?」

 

「……いや、なんでもない。もう確かめるのはやめてくれ……。色々と……辛いんだ……」

 

何故辛いのか、陸奥はよく分かっていないようであった。

しかし青葉のやつ……陸奥にこんなことをやらせるなんて……。

っていうか、陸奥も断れよ、これくらい……。

 

「二人っきりはまだ慣れないとか……嘘だろ……」

 

「?」

 

 

 

しばらくすると、島風たちがやって来た。

皐月や卯月、鹿島に青葉も連れて。

 

「提督さん」

 

「どーも!」

 

「鹿島、青葉。付き添いか?」

 

「えぇ、特にやることも無いので。掃除も鳳翔さん達がやっていますし、山城さんの方も、夕張さんと明石さんが」

 

「青葉は陸奥さんの様子を見に来ました!」

 

「そうか。あっちは順調そうか?」

 

「えぇ、掃除も、今日中には終わるかと。それにしても、島風さん達といつの間にか仲良くなっているなんて……流石提督さんですね!」

 

「いや、仲良くなったというよりも、変に懐かれたというか……」

 

ふと、鹿島はチラリと、陸奥を見た。

 

「陸奥さんと一緒だったのですね」

 

「あぁ、お昼を一緒にな」

 

「えぇ、そうなの。ね、提督?」

 

「ん? あ、あぁ」

 

青葉が来たからなのか、陸奥はどこか、積極的になっていた。

 

「もうすっかりラブラブですね! これは、司令官が陸奥さんを娶るのも、時間の問題でしょうか?」

 

「もう、やめてよ青葉」

 

仲良く冗談を言い合う二隻とは対照的に、鹿島はどこか、複雑な表情を見せていた。

 

「なるほど……そうでしたか……」

 

鹿島は隣に座ると、横目で俺をじっと見つめた。

 

「どうした?」

 

「いえ……なんでも……」

 

なんか、怒っているようにもみえるが……。

 

「提督ー、遊具で遊んでもいーい?」

 

「ん、おう、存分に遊んで来い」

 

「やったー! みんなー、島風についてきてー?」

 

島風が号令をかけると、皆、嬉しそうにそれに続いた。

 

「信頼が厚いんだな。あいつ」

 

「島風ちゃんは、面倒見がいいんですよ。ああ見えて、案外お姉さんなんです。青葉調べでは、お姉ちゃんランキングで、駆逐艦で唯一、上位に入っています!」

 

なんじゃそのランキングは……。

 

「しかし……」

 

皆が遊具で遊ぶ中、天津風だけは、警戒するように俺をチラチラと見ていた。

 

「天津風は俺を警戒しているようだな」

 

「それが普通ですよ。島風さんの距離の詰め方が、自由過ぎるくらいで……」

 

「やはりそうなのか」

 

「でも、気になってはいるみたいです。提督さんの事」

 

それは肯定的に捉えていいものなのか、俺にはよく分からなかった。

 

「まあ、時間が解決してくれるような気もしているし、こっちが空回った行動をとるよりも、今は様子を見た方が得策だろうな」

 

「かもしれませんね」

 

そんな事を鹿島と話していると、陸奥がムッとした表情で、俺の傍に寄って来た。

 

「ねぇ、鹿島とばかり話していないで、私の事も見て? お姉さん、拗ねちゃうぞ?」

 

「え、あ、あぁ……悪い……」

 

さっきとは打って変わり――本当、青葉の前では――或いは無理をしているのか、それとも――。

 

「……提督さんは、本当にモテますね」

 

「モテる……と言っていいのかどうか……。この島には俺しか男が居ないから、こうなるのも必然というか……」

 

「もう、また鹿島と話してる……。今は私だけを見て……?」

 

「陸奥さん、攻めますねぇ! これに司令官はどう応えるのか!?」

 

勝手に盛り上がる青葉。

それに応えようとしているのか、陸奥の方も積極性が増してゆく。

 

「もし見てくれないのなら、もう一度ドキドキ、させてあげましょうか?」

 

そう言うと、陸奥は胸元を開いて見せた。

 

「お、おい……駆逐艦もいるんだぞ……」

 

「あら、駆逐艦が居なかったらいいわけ?」

 

「そういう訳ではないが……」

 

あまりの攻めっぷりに、青葉も少し驚いていた。

そりゃそうだよな。

昨日、やっとまともに俺と話せるようになった奴が、ここまで――。

 

「陸奥さん……提督さんの言う通りです……。駆逐艦の目もありますので……」

 

「あら鹿島。そんな怒った表情をして……。もしかして、妬いちゃった?」

 

煽る陸奥に、鹿島はムッとした表情を見せた。

 

「妬いてなどいません……。そうやって、体でしか誘惑できない陸奥さんに、どうして妬く必要があるのでしょうか?」

 

鹿島の反撃に、今度は陸奥がムッとした表情を見せて――。

流石にヤバい空気を察したのか、青葉が二人の間に割って入った。

 

「まあまあ、お二人とも、それくらいに。陸奥さんは少しやり過ぎましたし、鹿島さんも、それは言い過ぎです」

 

諭された鹿島は冷静になったのか、申し訳なさそうに陸奥に向き合った。

 

「……そうですね。ごめんなさい、陸奥さん……」

 

頭を下げる鹿島。

対して陸奥は――。

 

「お、おい……」

 

陸奥は、俺の腕にしがみつくと、鹿島を睨み付けた。

 

「む、陸奥さん……!?」

 

「この人は……そんな目で私を見ないし……体だけで誘惑したって、振り向いてくれる人なんかじゃないわ……」

 

陸奥は俺をじっと見つめると、「そうでしょ……?」と同意を求めた。

 

「あ、あぁ……まあ……そうかもな……」

 

「それでも……ありのままの私を知って欲しいから……こうしているだけ……。提督に私の全部を知ってもらって、受け入れて欲しいと思っているだけよ……」

 

全部を知って欲しい……か……。

確かに、俺はまだ、陸奥の全てを知った訳じゃない。

こうして積極的になれるのだって――積極的である理由だって、知らなかったわけだしな……。

 

「そ、そう……でしたか……。それは……ごめんなさい……」

 

陸奥の気迫に、鹿島は尻込みしたようであった。

鹿島が引いたことで、とりあえずこの話は終わる。

緊張の糸が切れたかのように、俺と青葉は、安心した表情をみせた――が……。

 

「ねぇねぇ」

 

話しかけて来たのは、島風であった。

後ろに、皆を引き連れて。

 

「陸奥さんと提督って、付き合ってるの?」

 

「え……? な、なんでそう思ったんだ?」

 

「だって、陸奥さん、ずっと提督にくっついているし。お似合いって感じだもん」

 

皆も同じなのか、うんうんと頷いて見せた。

 

「ちょ、ちょっとみんな。何言ってるのよ~?」

 

否定はしているが、どこか満更でもなさそうな陸奥。

 

「青葉も言ってたもんねー。二人はお似合いだって」

 

「あら、青葉ったら。駆逐艦にまでそんなこと言っているの?」

 

「えぇ、まあ……。恋愛は、噂から進展することもありますから」

 

「噂って……お前、変な事を吹き込んでないだろうな?」

 

「さあ、どうでしょう?」

 

そんな事で騒いでいると、急に鹿島が立ち上がった。

 

「鹿島?」

 

「……そろそろ寮に戻ります」

 

門の方へと歩いてゆく鹿島。

しかし、ふと、何かを思い出したかのように足を止めると、もう一度こちらへ戻って来た。

 

「どうした? 忘れ物か?」

 

「提督さんに言い忘れていました……」

 

「ん、なんだ?」

 

「デートの件ですけど……日にちを決めたいと思いまして……。都合のいい日がありましたら、後でもいいので教えてください……。それだけです……。では……」

 

鹿島は陸奥をチラリとみると、そのまま去って行ってしまった。

 

「え……デート……? 鹿島さん、今、デートって言った?」

 

「デートって、あのデート!?」

 

「司令官と鹿島さん、デートするぴょん!?」

 

ざわつく駆逐艦たち。

 

「…………」

 

俺はただ、唖然としていた。

どうして鹿島は、今、そんな事を――こんな状況下で、わざわざ――。

 

「む、陸奥さん……」

 

「て、提督! 鹿島とデートって、どういう事!?」

 

我に返り、説明をしようとすると――。

 

「そっかー。鹿島さんと提督も、お似合いだよねー」

 

先ほどと同じように、皆が頷く。

お前ら、適当に頷いてないか……?

 

「んもう……! 何なのよあなた達まで! もう知らない……! ばか……!」

 

陸奥は家を飛び出して行ってしまった。

 

「あ……陸奥さん……! 待ってくださいよ……!」

 

それを追う青葉。

残された俺は、ただただ、その行方を見守ることしか出来なかった。

 

 

 

その後、夕食の為に寮へと戻った俺は、鹿島とのデートの件で質問攻めにあった。

どうやら青葉が騒ぎ立てたようで――中には、俺と鹿島が付き合っていると勘違いしている者もあった。

 

 

 

結局、質問攻めから解放されたのは、消灯時間になってからであった。

 

「すみません……提督さん……。まさか、こんな事になるなんて……」

 

「いや……まあ……いずれは分かることだしな……。しかし、今はタイミングが悪いというか……。あの場でいう事ではなかったと思うぜ……」

 

「はい……私、どうかしていました……。ごめんなさい……」

 

どうかしていた……か……。

 

「まあ、皆もデートをする意味を分かってくれたようであるし、逆に疚しい感じが無くなって良かったんじゃないか?」

 

「疚しい……ですか……」

 

「そういう意味が無いのは分かるが、やはり疚しいと思うだろう。特に、俺がこの島に来た理由を知っていたのがお前だけだった、ってのを知ったばかりのあいつらにとっては、俺たちが疚しい関係なんじゃないかって思うのが普通だ」

 

それを聞いた鹿島は、どこか納得のいっていないような表情を見せた。

 

「鹿島?」

 

「提督さんは……鹿島に疚しい気持ちが無いって……今回のデートにも、それが無いって、思っているのですか……?」

 

「え……?」

 

「鹿島は……そういう気持ちで……提督さんを誘ったつもり……だって言ったら……どうしますか……?」

 

鹿島は顔を赤くして、俺をじっと見つめた。

 

「あの場でデートの事を言ったのは……陸奥さんに対抗するためだと言ったら……? 皆があまりにも、提督さんと陸奥さんがお似合いだって言うものだから……嫉妬してしまったと言ったら……?」

 

唖然とする俺に対して、鹿島はそっと近づき、俺の胸に頭を預けた。

 

「正直……まだ、よく分かっていないんです……。こんなことまでして……提督さんとどうなりたいのか……」

 

「鹿島……」

 

「でも……こんなことまでしたくなるくらい……鹿島は……提督さんのこと……」

 

その先を、鹿島は言わなかった。

 

「……今度のデートで、それがはっきりと分かる気がするんです。そしたら……その時は――」

 

鹿島はゆっくりと離れると、目を合わせず、執務室を出ていった。

取り残された俺は、最近覚えたばかりの感情に支配され、しばらくその場を動くことが出来なかった。

 

 

 

家に戻ると、何故か明石と大淀が酒を飲んで、俺を待っていた。

 

「遅いですよ」

 

大淀はグラスに酒を注ぐと、俺に手渡した。

 

「梅酒です。私の自家製ですよ」

 

「ありがとう……って、そうじゃなくて。お前ら、こんな時間に何を……」

 

「何って……ほら、見てくださいよ」

 

大淀の指す方に、まるで拗ねているのだと言うようにして、床をなぞる明石が居た。

 

「提督と鹿島さんがデートするって聞いて、明石、拗ねちゃったんですよ? ですから、励ます会をしているんです」

 

「……何故それを家でやるんだ?」

 

「提督の所為でそうなったんですから、提督にも慰めてもらわないと」

 

そう言うと、大淀は嬉しそうに笑って見せた。

 

「大淀、お前、相当酔ってるな……?」

 

「どうでしょう? それよりも、明石を慰めてください。ほら、こっち見てますよ?」

 

明石は唇を尖らせて、俺をじっと見つめていた。

だが、その目はどこか――。

 

「……下手な演技はいいから、ちゃんとした理由を教えてくれ。そうでないと、追い出すぞ……?」

 

そう言ってやると、明石はケロッとした表情を見せ、こちらへと近づいてきた。

 

「ノリが悪いですね。提督」

 

「そうさ。俺はつまらん男だ」

 

俺は酒を飲み干すと、二人の間に座った。

 

「それで? 何しに来たんだよ? デートの事だったら、全部説明した通りだぜ」

 

「違いますよ。まあ、デートの事は引っかかりますけど……。今日はそういうのじゃないです」

 

「じゃあなんだよ?」

 

「大淀と、久々にお酒を飲もうって話になりまして。どうせなら、提督も一緒にどうかなって」

 

そうだよね、とでも言うように、明石は大淀に視線を送った。

 

「梅酒もいい感じに出来ていましたし」

 

大淀は、俺の空いたグラスに酒を注いだ。

 

「そうだったか。しかし、お前ら、仲良かったんだな。二人で話しているところ、見たことなかったような」

 

二隻は顔を見合わせると、少し困った顔を見せた。

 

「なんだよ?」

 

「実は……昔から仲は良かったのですが……佐久間さんが亡くなってから今日まで、話す機会を失っちゃって……」

 

「佐久間肇が死んでから?」

 

「えぇ……。佐久間さんが亡くなって、大淀も人を避けるようになって……。私は中立な艦娘だったから、何だか大淀とは話せなくなっちゃって……」

 

「別に、喧嘩をしていた訳じゃないんですけど、明石には気を遣わせちゃったみたいで……」

 

「じゃあなんだ。ここ最近まで――約十五年ほどの間、話すことも無かったのか?」

 

「まあ、ちょっとした業務連絡くらいはしていましたけど……。昔みたいには……ね?」

 

大淀はどこか、申し訳なさそうに頷いてみせた。

 

「そうか……。して、何かきっかけでもあったのか? 仲直りというか、昔みたいに戻ったなにかが」

 

二隻は再び顔を見合わせると、小さく笑って、俺を見た。

 

「提督ですよ」

 

「俺? 俺がきっかけ?」

 

「大淀が提督の事、『提督』って呼んでいるのを見て――佐久間さんの息子である提督に、しっかりと向き合ってるのを見て――また昔みたいな関係になれるかもしれないって、そう思ったんです」

 

明石の優しい瞳が、大淀を見つめていた。

 

「ありがとう、明石……。そして……ごめんね……」

 

そう言うと、大淀はぽろぽろと涙を流し始めた。

 

「お、おいおい……」

 

「あぁ、大丈夫です、提督。大淀、酔うといつもこうなんです」

 

あんなに陽気に振る舞っていたのに……。

酒に酔うと、情緒が不安定になるのか……。

 

「よしよし、大淀。ほら、提督も。よしよししてあげてくださいよ」

 

「よしよしって……」

 

「大淀も期待しているようですし」

 

メソメソと泣く合間に、大淀はチラチラと俺を見つめていた。

 

「本当に泣いてるのか? こいつは……」

 

「うぅぅぅ……!」

 

「あぁ、もう。余計に泣いちゃった。ほら提督、早くしてください」

 

俺は初めて、大淀に対して「うざったい」と思った。

 

「分かったよ……。ほら、よしよし……」

 

大淀はケロッとした表情をのぞかせると、ニンマリと笑って見せた。

 

「んふふ~……もっとしてくださ~い」

 

「こいつ……。マジで酔ってるぜ……」

 

「十数年ぶりですから、ハメも外したくなりますよ。ね、大淀ちゃん?」

 

『大淀ちゃん』は明石の膝を枕にすると、満足そうな笑顔を見せた。

十数年ぶりとはいえ、酒一つでここまで変わってしまうとはな……。

それだけ真面目にやって来た証拠か、それとも……。

 

「フッ……」

 

でもまあ、悪くはない。

大淀をここまでにしてしまうくらい、親父の影は――もう――。

 

「あら、大淀ちゃん。おねんねしちゃうのかしら~?」

 

「ねんねする~」

 

……親父、色んな意味で罪深いぜ。

 

 

 

十数年ぶりの酒、というのは本当のようで、大淀は粗方甘え終えると、そのまま眠りについてしまった。

 

「ったく……」

 

「大淀がここまで乱れるの、久々です」

 

「できれば、今回限りにして欲しいものだがな……」

 

「そうですか? たまにはいいじゃないですか。こんな大淀も」

 

そう言うと、明石は大淀の頭を優しく撫でた。

 

「しかし、まさか、大淀がこんな姿を見せてくれる日が来るなんてな」

 

「それだけ提督を信用してくれているんですよ。大淀がここまで無防備な姿を見せるのは、今まで佐久間さんだけでしたし」

 

「なるほど、親父も大変だったんだな。やっと実感できたぜ」

 

俺の皮肉に気付いたのか、明石は小さく笑ってくれた。

 

「でも、本当……提督は凄いです。大淀に信用させるのもそうですけど、大井さんを島から出してしまうなんて……」

 

「大淀が信用してくれたのは佐久間肇のお陰であるし、大井が島を出たのだって、あいつの意志があってこそ成し得たものだ。俺の力なんて、何一つ……」

 

「それでも、きっかけは提督ですよ。提督じゃなかったら、こうはなりませんでした」

 

「そうかね」

 

「そうですよ。たまには素直に認めたらどうです? 提督ったら、いつもそうじゃないですか。自分じゃなくても良かった、とか」

 

「自分に自信がないんだ。未熟でもあるからな」

 

そう、未熟なんだ。

未熟であるから――。

 

「…………」

 

「提督?」

 

「……悪かったな」

 

「え?」

 

「昨日、話したろ。本土での十日間の事」

 

「え、えぇ……それが何か……?」

 

「話した通り、俺はお前たちを見捨てようとした。お前の期待を無下にしようとしてしまったんだ。本当にすまなかった」

 

「提督……」

 

「俺はまだまだ未熟だ。佐久間肇に頼らなくてはいけないし、皆との交流だって、俺から積極的に接することは出来ていない。到底、褒められるような人間ではないのだ」

 

酒を飲み干す。

少しばかり、酔っているな。

 

「……提督はいつも、そうやって、私が褒めることを否定しますよね」

 

そう言うと、明石は退屈そうに膝を抱えた。

夕張のそれとよく似ている。

 

「別に、お前の意見でなくとも否定するさ。気を悪くしたのなら謝るよ」

 

「そういうわけじゃないです……。ただ……なんか寂しいなって……」

 

「寂しい?」

 

明石は近づくと、俺の肩に身を寄せた。

 

「明石?」

 

「……私、提督に肯定されたことがないなって、最近思うんです」

 

「え……?」

 

「だってそうじゃないですか……。私の想う提督は、いつも否定されるし……。何か事件が起こった時だって、私はいつも蚊帳の外です……」

 

そんなことはない――と、はっきり言えない自分がいる。

 

「提督の正体だって、私は知りませんでした……。他の――青葉さんですら、知っていたのに……」

 

明石は、より深く、俺に寄り掛かった。

 

「私はいつだって、貴方を苦しめるばかりで……何も役に立てない……。貴方の事を知ったつもりでも、それは間違っていると言われる始末……」

 

夕張と言っていることは似ていても、明石はやはり、どこか弱気であった。

 

「貴方を好きでいても……鹿島さんにとられちゃうし……。私って……貴方にとってなんなんですか……? 私は……邪魔ですか……?」

 

泣いているのか、明石は、すんすんと鼻を鳴らした。

こいつも相当酔ってるな……。

 

「……お前も大淀と同じで、泣き上戸のようだな」

 

明石は返事をしなかった。

 

「別に、お前を否定したわけではないし、蚊帳の外にやったつもりもない。蚊帳の中に入ってきたやつだって、わざわざ呼んだ訳じゃなく、たまたま入ってしまっただけだ」

 

明石は涙を拭くと、俺の言葉を待った。

 

「俺にとってのお前は、苦しめるとか、役に立たないとか、そういうものではない」

 

「じゃあ……なんだって言うんですか……?」

 

「さあ、なんだろうな。俺にもよく分からん」

 

明石は寂しそうに俯いてしまった。

 

「ただ……」

 

「ただ……?」

 

「あの島に居た十日間……お前の事を想わなかった日はなかった」

 

「え……?」

 

「お前が不安に思うだろうから、早く島に戻ってやらなければと思った。島に戻りたくないと思ってしまった時には、お前を裏切ってしまう事になると悩んだ。そして……」

 

「…………」

 

「自分に、全ての艦娘を『人化』させる力がないのかもしれないと考えた時には……せめて、お前だけは外に出してやりたいと思っていた……。そして、それには――その為には――」

 

俺は、空になったグラスを口に運んだ。

明石は、俺の言葉の意味が分かったのか、驚いた後、顔を赤くして俯いた。

 

「そんな嘘で、私の機嫌を取ろうっていう訳ですか……。提督は根っからのペテン師です……」

 

「そうかもな」

 

「……そこは否定してくださいよ」

 

「嫌なんだろ? 否定されるの」

 

「そうですけど……」

 

明石は一気に酒を飲み干した。

 

「提督が分かりません……」

 

「俺も分からんのだ。お前に分かるはずがない」

 

「じゃあ……鹿島さんとのデートも、よく分からないままするんですか……?」

 

「まあ、そうだな。だがそれは、あいつも同じようだった。今度のデートで、何か掴めるかもしれないと、あいつは言っていた」

 

「その何かが、私と同じ気持ちでないことを願います……」

 

「どうして?」

 

「……鹿島さんには、勝てませんから」

 

どう勝てないのか、明石は言わなかった。

 

「……慰めてくれないんですか?」

 

「もう慰めたつもりだがな」

 

明石は少し考えた後、その理由が分かったのか、再び俺の肩に身を寄せた。

 

「同情ならやめてください……」

 

「そうでないのは分かっているくせに。『たまには素直に認めたらどうです?』」

 

そう言ってやると、明石は唇を尖らせて、反撃した。

 

「『自分に自信がないんだ。未熟でもあるからな』」

 

「……フッ、言うじゃないか」

 

雲の合間から月が覗き、俺たちを照らした。

 

「鹿島さんとのデート……して欲しくないです……」

 

「約束してしまったからな」

 

「なら……私にも下さいよ……。鹿島さんみたいに、私だけが知る提督の何かを……」

 

「お前から何も貰ってないのにか?」

 

明石は黙ってしまった。

 

「冗談だよ。具体的に、何が欲しいんだ?」

 

「具体的に……」

 

明石は少し考えた後、膝を抱えて、可愛げのある笑顔で言った。

 

「じゃあ、提督の誕生日、教えてください」

 

「俺の誕生日?」

 

「えぇ」

 

「なんだ、そんな事でいいのか」

 

「もちろん、他の人には内緒にしてください。私だけが、提督の誕生日をお祝いできるんです。特別でしょ……?」

 

何がうれしいのか、明石は満面の笑みを見せた。

 

「まあ、いいぜ。それくらいなら」

 

「やった。じゃあ……耳打ちで教えてください」

 

「別に、誰も聴いていないだろうに」

 

そう言ってやると、明石は大淀を指した。

 

「寝てるだろ」

 

「寝たふりかもしれませんよ?」

 

大淀は、すぅすぅと寝息をたてていた。

 

「狸寝入りなら、大した女優だ」

 

「……いいですから、早くしてください」

 

「……分かったよ」

 

俺は、耳打ちで明石に誕生日を教えてやった。

 

「……随分、先なんですね」

 

「これで満足か?」

 

明石はどこか、不満そうに頷いた。

 

「なんだよ?」

 

「もっと早くお祝い出来たらよかったのにって……。提督の誕生日、もっと早くにできないんですか……?」

 

「無茶言うな……」

 

明石は膝を解くと、悪戯な笑顔を見せた。

 

「えへ、提督の秘密、知っちゃいました。私だけが知る秘密です。えへへ」

 

「フッ、単純なやつ」

 

それから俺たちは、酒が尽きるまで飲み明かした。

誕生日を知っただけなのに、明石は最後までご機嫌を貫いた。

 

「誕生日を知る方が、デートをするよりも、むしろいいんですよ! だって――」

 

「……何回目だ? その話……」

 

本当、単純な奴。

夕張もこのくらい単純なら――。

 

「あー! 今、別の事考えてませんでした!? 今は私だけ見てくださいよぉ……うぅぅ……」

 

……この酒癖さえなければの話だけどな。

 

 

 

翌朝。

朝食の為、食堂へと向かうと、明石と大淀と目が合った。

二隻とも、恥ずかしそうに会釈をすると、そそくさと離れて行ってしまった。

おそらく、昨日の事を覚えていて、今になって恥ずかしくなったのだろうな。

特に、大淀は……。

 

「提督、おはようございます」

 

「鳳翔。おはよう」

 

「昨日は大変でしたね。報告しそびれてしまったのですが、山城さんのお部屋、掃除が終わりました」

 

「そうか。ありがとう。ご苦労さん」

 

「私だけではなく、大和ちゃんにも、労いの言葉をかけてあげてください」

 

そう言うと、鳳翔は、端の方に座っている大和を指した。

 

「そうしたいが……嫌がられないか……?」

 

「そんな事を気にしていては、いつまで経っても、大和ちゃんと交流できませんよ?」

 

昨日は距離を取れと言っていたような気がするが……。

 

「……それもそうか」

 

「朝食、準備していますので、その間にいってきたらどうです?」

 

そう言うと、鳳翔は俺の背中を押した。

 

「分かった……」

 

俺はゆっくりと、大和の方へと近づいていった。

一緒に座っていた鈴谷と熊野は、俺が近づいてきたのを見て、顔を強張らせていた。

 

「大和」

 

声をかけられた大和は、俺が近づいてきていたのを知っていたのか、怠そうに顔を向けると、鋭い眼光で俺を睨み付けた。

 

「……なんですか?」

 

「昨日、山城の部屋を掃除してくれたんだろ? ありがとな」

 

「……別に、貴方に礼を言われるためにやったわけではありませんので」

 

「あぁ、分かってるよ。それでも、礼くらいは言わせてほしいと思ってな」

 

「……だったら、用事は済んだでしょう? さっさと立ち去ってください……」

 

「あぁ、分かったよ」

 

立ち去ろうと振り返ると、皆がこちらに注目していた。

一触即発の空気を察したのだろうな。

 

「皆さん、揃いましたね!」

 

その空気を変えてくれたのは、大淀であった。

 

「提督、お席へ」

 

「あぁ、悪い」

 

俺は急いで、鳳翔の座る席へと向かった。

 

 

 

食事中、鳳翔は、昨日の大和とのやり取りについて、小声で話してくれた。

 

「昨日の大和ちゃん、やっぱり提督の事について聞いてきたんですよ?」

 

「そうか……。して、なんと?」

 

「色々言われましたけど、本当は提督の事、信用したいようでした」

 

俺は思わず苦笑いをしてしまった。

先ほどのやり取り、眼光を以ってしても、そう言えるのかと。

 

「……もちろん、直接、そうだとは言っていませんでしたよ? でも、提督の事、色々聞いてきたところを見るに、気にはなっているみたいです」

 

「それが、信用したいと思っているってのは、流石に飛躍し過ぎなんじゃないか?」

 

「それでも、大和ちゃんがここまで人間に対して興味を持つことは、本当に稀なんですよ。佐久間さんの時だってありませんでしたから」

 

正直、鳳翔のいう事は信じられないが、少なくとも、大和が俺を無視できないでいる事だけは確かなようだ。

 

「いずれにせよ、大和とは時間をかけて交流していかなければな。今はとにかく……」

 

俺は周りを見渡した。

陸奥は目が合うと、唇を尖らせてそっぽを向いた。

響はこちらをチラリとみると、やはりそっぽを向いて、皆との会話を再開した。

鹿島は――天津風は――他の連中だって――。

 

「ん……? そういや、夕張と山城はどうした? まさか山城のやつ、また引きこもっているんじゃ……」

 

「いえ。山城さん、まだ外に出たばかりですから、しばらくは夕張さんと一緒にお部屋で食べるそうです」

 

「そうだったか」

 

そういや、昨日は様子を見る暇も無かったな。

後で行ってみるか……。

 

「はぁ……忙しくなりそうだ……」

 

「身から出た錆、ですよ……? 鹿島さんとのデートが無ければ、もっと穏やかだったはずです……」

 

そう言うと、鳳翔は頬を膨らませた。

 

「何を怒っているんだ?」

 

「別に……怒っていません……」

 

怒るのも下手だが、隠すのも下手だ。

そう伝えてやっても良かったが、さらに面倒ごとが増えそうなのでやめた。

 

 

 

朝食を済ませ、元大井の部屋の扉を叩いた。

 

「はぁい」

 

返事と共に現れたのは、夕張であった。

 

「あら」

 

「……よう」

 

「山城さんの様子を見に来たの?」

 

「あぁ、昨日は見れなかったからな」

 

「モテる男は忙しいものね。あがって。ちょうど朝食が済んだところなの」

 

そう言うと、夕張は俺の手を引いた。

 

「お、おい……」

 

「大丈夫よ。私も居てあげるから」

 

そういう心配をしているわけじゃないんだがな……。

 

「山城さん、提督が来てくれたわよ」

 

山城はチラリと俺を見ると、怠そうに窓の外に目を向けた。

 

「……よう、調子はどうだ?」

 

山城は答えない。

 

「山城さん、提督が、調子はどうだって」

 

「……悪くないわ」

 

「悪くないって」

 

「……んなもん、聞きゃわかる。お前の部屋、鳳翔と大和が掃除してくれたってよ。後でちゃんと、礼を言っておけよ」

 

山城は答えない。

 

「山城さ――」

「――いい。ちゃんと答えさせる」

 

夕張を退けると、俺は山城に向き合った。

 

「俺とは会話したくないってか?」

 

「…………」

 

「それは、俺が佐久間肇の息子だからか?」

 

「…………」

 

「お前、佐久間肇の事が好きだったんじゃないのか?」

 

その質問に、山城は初めて反応を見せた。

 

「……別に、好きじゃないわ。あんな男……」

 

「そうなのか? だったら、どうして俺とは会話してくれないんだ? ショックだったんじゃないか? 大好きだった佐久間肇に、妻だけでなく、子供までいた事実に」

 

山城は目を瞑ると、大きくため息をついた。

 

「そんな事はどうでもいいわ……。貴方が誰の息子だろうが、あの男に妻や子供がいようが……そんなのは関係ない……」

 

「じゃあ、どうして俺を無視しようとした? 人に恨みでも?」

 

山城は答えない。

 

「……とにかく、俺は佐久間肇と同じでしつこいぜ。お前が無視を続けるというのなら、俺は何度だって――」

「――やめた方がいいわ……」

 

俺の言葉を切るように、山城はそう言った。

 

「私にかかわっても……貴方にメリットはない……。むしろ……」

 

「むしろ……?」

 

山城は何も言わず、再び窓の外を見つめた。

 

「むしろ、なんだよ?」

 

「…………」

 

「おい」

 

山城は夕張に視線を送ると、膝を抱えて丸くなった。

 

「……今日はもう限界みたいね」

 

「限界……?」

 

「いったん、部屋を出ましょう。そこで話すわ」

 

言われた通り、夕張と共に部屋を出る。

 

「限界って、どういうことだよ?」

 

「山城さん、十五年間、誰とも話してこなかったから、疲れちゃうんだって」

 

「疲れるって、会話にか?」

 

「人付き合いに、じゃないかしら。まあ、徐々に慣れていくことだと思ってるから、気長に待ってよ。私が何とかするから」

 

そう言うと、夕張は小さく笑って見せた。

 

「それよりも、早くあの子たちのところに行ってあげたら?」

 

夕張の指す方に、島風たちが居た。

 

「仲良くなったんでしょ? 山城さんの事は私に任せて、早く行ってあげて」

 

「……あぁ、分かった。助かるぜ」

 

「いいのよ。じゃあ、またね」

 

そう言うと、夕張はそそくさと部屋へ戻って行ってしまった。

 

「…………」

 

あいつの態度……。

昨日の今日で変わることが出来ない奴だと知っているからこそ、不安になる態度であった。

あまりにも平然としているというか――。

 

「提督ー! ちょっと来てー?」

 

「……おう。今行くぜ」

 

だが、ここで気にかけ、問うてしまっては、夕張の態度は――だからこそ、今は――。

 

 

 

それから数日間は、特に大きな出来事も無く、平和な日々が続いた。

山城は相変わらずだし、陸奥はまだむくれているし、響もまた――。

 

「ここ数日、いろんなことがあり過ぎましたし、休養だと思えばいいのでは?」

 

鳳翔はそう言ってくれたが、もう既に、十日間も休養していた訳だしな……。

何か手を打たなければいけないとは思っているが、どう進めていいものか、俺には……。

 

 

 

そんな中、週に一度の本土へ戻る日がやって来た。

 

「提督、また行っちゃうんですか……?」

 

「明石、そんな顔するな。今回はちゃんと、夕方には戻ってくる」

 

「本当ですか……? 約束ですよ……?」

 

「あぁ、約束だ」

 

そこに、島風たちがやって来た。

名残惜しそうに見送って――くれるのかと思いきや。

 

「提督ー、お土産買ってきてー」

 

「雪風にもお願いします!」

 

こいつら……最近は遠慮がなくなって――いや、元からないか……。

しかし、まあ――。

 

「おう、分かったよ。皆の分も買ってくるぜ」

 

そう言ってやると、駆逐艦の連中は大喜びした。

まだ買ってきても無いのに、めでたい奴らだ。

 

「んじゃ、行ってくるぜ。後は頼んだ、大淀」

 

「はい。お任せください」

 

皆に見送られ、俺は寮を出た。

 

 

 

門を出た時、誰かに袖を掴まれた。

 

「うぉ……!? って……鹿島?」

 

鹿島は恥ずかしそうに俯くと、袖を放した。

 

「どうした? こんな所で……」

 

「あの……」

 

「あぁ、なんだ。お前もお土産が欲しいのか?」

 

鹿島は首を横に振ると、真剣な表情で俺をじっと見つめた。

 

「鹿島?」

 

「……帰ってくるのは、今日の夕方ですか?」

 

「あぁ、そうだが……」

 

「その時でいいので……その……そろそろ、決めませんか……?」

 

「決めるって……?」

 

鹿島はムッとした表情を見せた。

 

「デートです……。デートの日程……。提督さん……あれからデートの事、一言も話してくれないじゃないですか……。私、提督さんが誘ってくれるの、待っていたんですよ……?」

 

「あ、あぁ……そのことか……。すまん……。てっきり、お前から日程を伝えに来るものだと……」

 

「デートっていうのは、男の人がリードするものなんです……。本当……提督さんってば……。私がどんな思いでこの一週間を過ごしたのか、分からないんですね……」

 

「わ、悪い……。俺、こういうのはてんで……」

 

鹿島はため息をつくと、唇を尖らせて俺を見た。

 

「まあいいです……。そういうところだけは、佐久間さんとは違いますね……」

 

「妻子持ちと比べられてもな……」

 

「とにかく……デートの日程、考えておいてくださいね……?」

 

「あぁ、分かったよ。本当にすまなかった……」

 

そう言って頭を下げると、鹿島は俺の顔を両手で包み込み、顔をあげさせた。

 

「……そんなに謝らなくてもいいです。ちょっと……拗ねただけですから……」

 

「え?」

 

鹿島は顔を真っ赤にすると、今にも消えてしまいそうな小さな声で言った。

 

「もっと……鹿島を見て欲しいです……。鹿島で……ドキドキして欲しいです……。私が……提督さんに対して……そうなように……」

 

言い終えると、鹿島は恥ずかしくなったのか、背を向け走り出してしまった。

 

「あ……お、おい!」

 

鹿島は立ち止まると、チラリとだけ顔を向け、これまた小さく言った。

 

「日程の件……待ってますから……」

 

それだけ言うと、鹿島は寮へと戻ってしまった。

 

「…………」

 

『ドキドキして欲しいです……』

 

それは――その願いは既に――。

 

 

 

泊地に向かうと、一隻の船が、既に到着していた。

重さんの私船とは違い、海軍仕様の船であるところを見るに、船頭は海軍の人間となったのだろう。

しかし、島に来れるほどの海軍の人間とは、一体……。

船に近づいてゆくと、人が船から出て来て――その正体は――。

 

「鈴木……!?」

 

「よう」

 

驚愕する俺に対し、鈴木はニッと笑って見せた。

 

 

 

鈴木の操縦は、重さんほどではないものの、非常に丁寧で、どこか慣れた様子であった。

 

「驚いたか?」

 

「……驚いたなんてものじゃない。夢でも見ているかのようだ」

 

「はっ、だろうな」

 

鈴木は缶コーヒーを俺に手渡すと、船を止めた。

 

「どうした?」

 

「時間あんだろ? 少し、話でもしようぜ」

 

「こんなところでか? 本土に着いてからでもいいだろうに」

 

「誰にも邪魔されず話がしたいんだ。それに、俺とお前しかいないから、本音で話し合える。そうだろ?」

 

本音で話し合いたいことがある、という事だろうか。

珍しいこともあったもんだ。

 

「分かった」

 

鈴木は、近くにあった椅子にドカッと座ると、コーヒーを飲み始めた。

 

「して、どうした? 何故お前が重さんのかわりを?」

 

「島に来れるような人材は、坂本上官と俺くらいしかいないだろ。上官が行く訳ねぇし、俺に役が回って来たって訳だ」

 

「断らなかったのか? お前なら、嫌がりそうなもんだが……」

 

「むしろ、いいもんだ。艶美な艦娘を間近で見れるいいチャンスだったわけだしな」

 

ゲスな笑顔――というより、何故かすっきりした笑顔を鈴木は見せた。

 

「……そう言えば、あの時助けてくれたお礼をしていなかったな。ありがとう、鈴木」

 

「別に、お前を助けた訳じゃねぇよ。それにお前、帰ったら、しっかりとお叱りが待っているんだぜ。処分については不問だが、厳重注意くらいはされるだろう。覚悟しておけよ」

 

「それで済むのなら安いもんだ。もうケツが持たんのだ」

 

「違いねぇ」

 

そう言うと、鈴木は大いに笑った。

 

「しかし、お前とこうして二人っきりで話すのは、どれくらいぶりだろうな。慎二」

 

「試験を受けるために本部に来て以来だな……。本部で再会した頃は仲良くしゃべっていたが、お前が急に嫌な奴になったんだ」

 

「あの時は悪かった。俺にも事情があったんだ。あの時の俺は……というより、つい一週間前まで、俺はお前の事が嫌いだった」

 

鈴木はコーヒーを口にすると、海を望んだ。

 

「俺は、坂本上官に憧れていた。ドブネズミみてぇな生き方をしていた俺を、あの人は施設に迎え入れ、更生させてくれた」

 

何千回と聞いた話だった。

鈴木は幼い頃、酒癖の悪い父親に、母親と妹を殺されている。

一人になった幼き鈴木少年は、親戚の家をたらいまわしにされていたが、どこにも馴染めず、ついには失踪し、罪を犯しながら生活を送っていた。

そんなある日、坂本上官に拾われ、海軍の運営する施設へと迎え入れられたとのことであった。

 

「坂本さんは俺に――そして、俺はもっとまともに生きようと――あの人を目標にしようと思った」

 

「あぁ、知ってる。もう千回くらい聞いた」

 

「まだ五百回くらいしか話してないぜ?」

 

「そうだったか?」

 

お互いに笑い合う。

本当、こうして話すのは――。

 

「とにかく、そんな気持ちがあったものだから、坂本さんは俺を試験で推薦してくれるものだと思っていた。しかし、坂本さんが推薦したのはお前で、俺の事なんか、眼中にも無いようだった……」

 

「じゃあ……お前がやけに突っかかって来たのって……」

 

「あぁ、そうだよ……。単なる嫉妬だったんだ……。坂本さんに認められたくて頑張って来たのに、よりによって、同じ施設出身のお前がどうしてって……」

 

大きな波が、船体を揺らす。

 

「……そうであったか」

 

「お前にはいろいろと酷い事を言った……。本当に悪かった……」

 

「いや……俺の方こそ……。そんな事情も知らなくて……」

 

「こんなこと言うのは気が引けるが……また昔みたいに……俺と仲良くしてくれるか……?」

 

鈴木はどこか、不安そうにそう聞いた。

 

「……嫌だと言ったら?」

 

「……このまま停船して、仲良くしてくれるまで一緒に居てやる」

 

「俺、そういう趣味はないが?」

 

「俺だってねぇよ、馬鹿……」

 

「フッ……」

 

「ははっ……」

 

俺たちはコーヒーを飲み干すと、島に目を向けた。

 

「あの日……」

 

「ん……」

 

「俺が施設に入ったあの日……鈴木が声をかけてくれなかったら、今の俺はあの島にいなかった」

 

『お前、新入りか? よし、ついてこい! 俺が【施設】を案内してやるよ!』

 

『俺ら二人なら、きっと立派な海軍になれる。そうだろ? 慎二!』

 

「あの施設で約束したよな。立派な海軍になるって。お前と一緒だから、ここまで来れた」

 

「慎二……」

 

「あの頃から、俺たちは――」

 

『今日から俺たちは――!』

 

「これからの俺たちも――また――」

 

潮風が、俺の言葉をかき消す。

鈴木に聞こえたのかは分からない。

だが、それ以上の言葉は、もういらなかった。

 

「……ありがとよ、相棒」

 

「気にすんな。相棒」

 

鈴木は船のエンジンをかけると、本土を目指した。

 

 

 

本土に着くと、俺は早速、上層部に絞られた。

責任は不問であったが、かわりに坂本上官が謹慎処分を受けていた。

 

「坂本君に感謝するんだな。彼は最後まで、君を庇っていた。信頼されているんだな」

 

上官……。

 

「それと……大井の人化の日程が決まった」

 

「え!? いつです!?」

 

「君が知る必要はない。だが、来週の君の帰還までには、終わっているだろう」

 

「そうですか……」

 

「その時にでも、顔を見せてあげなさい」

 

「え……宜しいのですか……?」

 

「あぁ。ただ連れてくるだけが、君の仕事ではない。君を信頼して出て来たのだ。面倒を見てあげなさい」

 

「は、はい!」

 

「雨宮慎二。君の態度は、決して良いものとは言えないが、今回の功績は大いに評価できるものだ。一海軍として――私人として、君に感謝したい。ありがとう、雨宮慎二」

 

そう言うと、名も知らぬお偉いさんは、敬礼して見せた。

 

 

 

島に戻るまで、俺は再び鈴木と茶をしばくことにした。

 

「そう言えば、どうして俺と仲直りしようと? 坂本上官の件で憎まなくなったのは何故だ?」

 

「坂本上官と話したんだよ。その件について。それで和解したんだ」

 

「もしかして、俺が島に戻らないと上官から聞いた時に……か?」

 

「あぁ。上官の方から話しかけて来てよ。開口一番に謝られた……。俺ではなく、慎二を推薦した件を――俺が気にしていることを全部、あの人はしっかりと悔いてくれていたんだ……。そして、どうしてお前を推薦したのか、その理由の全てを語ってくれた……」

 

「じゃあ……お前……俺の正体を……?」

 

鈴木は頷くだけであった。

 

「……そうか」

 

「……思えば、お前は昔から、自分の事を話してくれなかったよな」

 

「すまない……」

 

「いや、いいんだ。お前の事を聞いて、俺の背負っているものがちっぽけなものだったと痛感した」

 

「それで……俺を……?」

 

「まあ、それもある……。だが、お前のかわりに島へと向かってほしいと言われた時、俺は躊躇ってしまったんだ」

 

そう言えばあの時、鈴木は、何か覚悟が必要だと言っていた。

 

「俺には、守りたい人がいるんだ……」

 

そう言って、鈴木は誰もいない中庭に目を向けた。

 

「……もしかして、香取さんと芽衣ちゃんの事か?」

 

鈴木は何も言わなかった。

 

「……そうか」

 

おそらく鈴木は、あの二人に、母親と妹の姿を重ねているのだろう。

だからこそ――。

 

「だから俺は、お前に託したいと思った。お前が全ての艦娘を人化できれば、俺は……」

 

あの時のあれは、そういう事だったのか……。

 

「だから、これは俺の為でもあるんだ。ガッカリさせて悪かったな」

 

「いや、またこうしてお前と一緒に仕事が出来て嬉しいよ。本当、夢を見ているようだ」

 

「夢じゃねぇよ」

 

そう言うと、鈴木は俺の頬をつねった。

 

「いてて……」

 

「ははっ。ま、これからも仲良くやって行こうぜ。相棒としてよ」

 

「あぁ、頼りにしているぜ。相棒」

 

「へへっ。しかし、島での生活は大変だろ。童貞のお前には、刺激が強かったんじゃないのか? えぇ?」

 

「まあ、そうだな……」

 

「お! 認めるのか。珍しい」

 

まあ、認めざるを得ないよな。

あんなことや……こんなことや……。

 

「その点、俺は経験豊富だからよ。何か困ったことがあったら、相談に乗るぜ?」

 

「経験豊富……か……」

 

鈴木の女癖は、海軍でも有名だからな……。

経験豊富……。

 

「慎二?」

 

「なあ、鈴木……。デートって……どういうことをするんだ……?」

 

「え?」

 

「お前、よく女性を連れ回していたよな? どういう事をしてやれば、女性は喜ぶんだ?」

 

「……おいおい、どうした? まさか、島に好きな艦娘でも出来たのか?」

 

「いや……実はさ……」

 

俺は、島の現状を全て、鈴木に話してやった。

 

「それはお前……鹿島はお前に惚れてるぜ?」

 

「やはり……そうなのだろうか……」

 

「っていうか、鹿島だけじゃなく……」

 

鈴木は口を噤むと、茶に口をつけた。

 

「鹿島だけじゃなく……なんだよ?」

 

「……いや、言うまい。とにかく、鹿島とのデートを上手くリードしてやりたい。そう思っているんだな?」

 

「あいつも楽しみにしているようだしな……。叱られてしまったのもあるし……」

 

「しかしお前、そんなに艦娘達を惚れさせて、後々困るんじゃないのか?」

 

「……現状でも困っている。どうしたらいいのか、俺には分からんのだ……」

 

「なるほどな……。惚れた女ってのは厄介だからな。やっとその気持ちがお前にも分かって来たか。大人になったな」

 

「あまり揶揄ってくれるな……」

 

「まあ、冗談は置いておいて……。ならいっそのこと、こうしたらどうだ? 鹿島との距離を縮めて、自分にはもう鹿島が居るのだと皆に分からせる。そうすれば、皆も諦めてくれるだろうよ」

 

「しかしそれだと、皆が島を出たがらなくなるやもしれんぜ……」

 

「そこはお前、別に、惚れさせて島を出そうって思っていた訳じゃねぇんだから、本来のお前の実力で艦娘達を島から出してやれよ」

 

「……まあ、確かにそうだな」

 

「お前だって、鹿島に惚れているんじゃねぇのか?」

 

俺は思わず黙ってしまった。

 

「……まあ、童貞だもんな。艶美な艦娘も多いし、『そっちの意味で』迷うこともあろう。贅沢な奴め」

 

「い、いや……そういうことでは……」

 

「……とにかく、デートの事なら俺に任せておけ。メモの準備はいいか?」

 

「い、今からか?」

 

「夕方には戻るんだろ? いつデートしてもいいように、今からやるんだよ」

 

「わ、分かった……。じゃあ……頼む……」

 

「いいか? まず女ってのは――」

 

それから夕方まで、俺は女性に対するレクチャーを受けた。

 

「そもそもお前、まずは童貞を捨ててみたらどうだ?」

 

「…………」

 

 

 

「じゃあな慎二、いい報告待ってるぜ」

 

そう言って、鈴木は泊地を離れていった。

 

「はぁ……」

 

結局、鈴木のレクチャーはよく分からなかった。

というよりも、この島の中で完結できるような喜ばせ方が、ほとんどなかったのだ。

しかしまあ、為になることはいくつかあった。

 

『ギャップってのは大事だ。お前が童貞感丸出しなのは、相手も気が付いているはずだ。そこでいきなり男を見せれば、もうイチコロよ』

 

イチコロになるかどうかは分からないが、確かに、鹿島も俺に男を求めているようであったしな……。

強気に出てみるのもありかも知れない……。

 

「提督さん」

 

木に隠れていたのか、鹿島がぴょこんと姿を現した。

 

「鹿島」

 

「お帰りなさい。待っていました」

 

どうして待っていたのか、鹿島は言わなかった。

ふと、鈴木の言っていたことを思い出す。

 

『鹿島はおそらく、お前の男の部分を試してくるはずだ。何か引っかかるようなことがあれば、何かを試されていると思え』

 

なるほど……。

今がまさにその時って感じか。

 

「鹿島」

 

「はい」

 

「三日後でどうだ? デートの日程」

 

「三日後……ですか……?」

 

「あぁ。明日明後日は、天気が悪いからな。三日後は晴れる予報だから、それでどうだろう?」

 

『とりあえず、天気は調べておけよ。それだけでも、デートに対して考えてくれていたんだというアピールになる』

 

「なるほど……。分かりました。では、三日後で」

 

「ありがとう。時間は、また明日にでも決めようか」

 

『時間はまだ決めない方がいいだろう。デートまでの三日間も、ある意味デートみたいなもんだ。熱が冷めないよう、一つ一つをゆっくり決めていった方がいい。その分、会話も増えるしな』

 

「それと、永い事待たせて悪かったな……。その分、今回のデートで取り戻すつもりだ」

 

「ウフフ、それ、凄くハードルがあがっていますけれど、大丈夫ですか?」

 

「駄目なら、もう何度でもチャレンジするだけだ。チャレンジ回数は何度までだ?」

 

「やっぱり自信がないんじゃないですか」

 

鹿島は可笑しそうに笑った後、どこか安心したような表情を見せた。

 

「よかった……」

 

「え?」

 

「提督さん、もしかしたら、鹿島とのデートが嫌なんじゃないかって……思っていたので……」

 

「そんなことはない。なんというか、中途半端なのはいけないと思ってな……」

 

「それだけ、真剣に考えてくれているという事ですよね……。嬉しいです……。えへへ」

 

『もしかしたら、鹿島は不安に思っているのかもしれないぜ。お前が嫌がっているんじゃないかってさ』

 

鈴木の言った通りであったか……。

流石だぜ……。

 

「はぁ……なんだかまた、ドキドキしてきちゃいました……」

 

「あぁ、そうだな……」

 

「提督さんも、ドキドキしているんですか……?」

 

「あぁ、ドキドキしてるよ」

 

鹿島は俺の胸に手をあてた。

 

「……全然じゃないですか?」

 

鹿島が唇を尖らせる。

 

「あ……でも……」

 

鼓動が速くなる。

 

「もしかして……私が触れているから……」

 

俺は何も言わなかった。

時には何も言わない方が伝わるのだと、鈴木も言っていたしな。

…………。

……いや、本当は、何も言えないでいるだけなのだがな。

 

「…………」

 

鹿島は顔を真っ赤にすると、手を離した。

沈黙が続く。

 

「提督ー!」

 

その時、遠くから島風たちがやって来た。

 

「提督、お土産はー?」

 

開口一番にそれかよ……。

 

「あぁ、買って来たぜ。ほらよ。皆で分けるんだぞ」

 

「わーい! ありがとうー!」

 

島風たちは土産を奪い取ると、さっさと寮へと戻って行ってしまった。

 

「ったく……。お帰りの一言くらい言ったらどうなんだってんだ……」

 

ため息をつくと、鹿島は小さく笑った。

 

「私たちも、戻りますか」

 

「あぁ、そうだな」

 

鹿島はニコッと笑うと、島風たちの跡を追うように、寮へと戻っていった。

 

「…………」

 

『ならいっそのこと、こうしたらどうだ? 鹿島との距離を縮めて、自分にはもう鹿島が居るのだと皆に分からせる。そうすれば、皆も諦めてくれるだろうよ』

 

その方法を取るかどうかは、まだ決めていない。

とにかく今は、目の前の課題に真っすぐ向き合うことが大事だ。

今の俺には、それに向き合うだけの――力になってくれる仲間が居るのだ。

 

「提督さーん」

 

「おう、今行く」

 

問題はまだまだ山積みだが、確実に大きな一歩は踏み出している。

その先に何があるのかはまだ分からないが、今はただ――。

 

 

 

それからの三日間、俺と鹿島は何度かデートについて話し合った。

話が固まるにつれ、鈴木の言った通り、デートへの熱は増していった。

 

 

 

そしていよいよ、デート当日を迎えたのであった。

 

――続く



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13話

「――……」

 

流れて行く景色。

遠く――『あの場所』で見た、いくつもの高層建物。

それらが、窓の外で――まるで映画の様に、流れて行く。

 

「電車……?」

 

乗ったことはない。

乗ったことはないはずなのに、もう何度も、こうしている気がする。

 

「大井」

 

私を呼ぶ、ぼんやりとした影。

逆光の中に居るかのような――目を凝らしても、誰なのか分からない。

 

「ここまで来ればいいだろ?」

 

そう言われ、何やら焦るように怒っている私。

――私?

これは、私?

じゃあ、私は?

 

 

 

「いただきます」

 

朝食――にしては、少し凝ったものの様に見える。

 

「美味いな」

 

私が作った――作った……らしい朝食を、提督は――提督……?

 

 

 

私が作った財布を、提督は嬉しそうに受け取った。

 

「ありがとう、大井」

 

私は手を伸ばすと――いやいや、何やってんのよ私。

 

「最近は甘えてばかりじゃないか?」

 

「頑張ったんだから、褒めてくれてもいいじゃない……」

 

「分かった。おいで、大井」

 

提督の温もりに包まれて、私は――。

 

 

 

 

 

 

「――……」

 

目を覚ますと、私は泣いていた。

白い天井。

眩しいほどの光。

心地の良い風。

 

「ここは……」

 

窓の外に、青い海が広がっている。

その中にある小さな島は――。

 

「あぁ……そうか……。私は――」

 

『夢』の事は、もうすっかり忘れていた。

けれど、確かにあんたはそこに居た。

そこに、居てくれた。

 

「提督……」

 

窓から射す太陽の温もりは、彼の与えてくれたものに、とてもよく似ていた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「んっ……いっ……いてっ……いてぇ……」

 

目を覚ますと、そこには敷波の顔があった。

 

「やっと起きた」

 

「……今、俺の顔を叩いていたか?」

 

「叩いたよー。司令官、中々起きないんだもん」

 

だからって叩く奴が……。

 

「……どうした? こんな朝早くから……」

 

「今日、鹿島さんとのデートでしょ? 遅刻しない様に、起こしに来てあげたんですよー」

 

そう言うと、敷波は布団を畳み始めた。

 

「そうか……。鹿島に頼まれたのか?」

 

「ううん。アタシが勝手に起こしに来ただけ」

 

「そりゃまた、どうして?」

 

「どうしてって……。遅刻したら、鹿島さん怒っちゃうだろうし、司令官だって困るでしょ?」

 

「いや、そうなのだが……。どうしてお前がこんな事を?」

 

そう聞いてやると、敷波は唇を尖らせた。

 

「別に……気まぐれ……」

 

……ではない、だろうな。

 

「顔、洗ってきたら? こっちはやっておくからさ」

 

何が目的なのかは分からんが、とりあえず好きにさせてやるか……。

 

「あぁ、分かった。頼んだぜ」

 

「うん」

 

 

 

顔を洗い終え、居間に向かうと、敷波が俺の服を広げていた。

 

「何をしているんだ?」

 

「デートの服、どんなのがいいかなって」

 

「デートの服? そんなの、別にいつもの通りで問題ないだろ?」

 

「ダメ! ちゃんとしないと……。鹿島さんだって、すっごい悩んでたんだから!」

 

「そうなのか?」

 

敷波は、わざとらしく大きくため息をついた。

 

「司令官ってさ……ほんっっっとにっ! デリカシーが無いって言うかさ……。女心が分かってないよね……」

 

「否定はできないな……」

 

「この島でデートするなんてさ、もはや好きだって告白しているようなものでしょ? すっごい勇気がいることだよ。なのに司令官ったら……どうでもいいみたいにさ……」

 

「どうでもいいってことはないが……」

 

「とにかく! もっと真剣にならないとダメだよ!」

 

鼻息を荒くして、俺の服とにらめっこする敷波。

 

「随分、俺たちのデートに真剣だな。そんなに鹿島を応援したいのか?」

 

「別に、そういう訳じゃないけどさ……」

 

敷波は俺をチラリとみると、再び唇を尖らせた。

俺を見る目。

その目に、どこか見覚えがあった。

 

「……何か、言いたいことがあるんだな?」

 

一瞬の間。

 

「……別に。何もないけど……」

 

「何かある言い方だ。言ってくれないと分からんぜ? 俺は、女心が分からないんだ。お前も知っているだろうに」

 

敷波は手に持っていた服を置くと、退屈そうに膝を抱えた。

 

「敷波?」

 

「……別に、何もないし」

 

いや、強情だな……。

普通は折れて、訳を話しそうなものだが……。

 

「実はデートが気に入らない……ってな訳ではないよな」

 

「…………」

 

「俺がお前に何かしてしまった……訳でもないか。そもそも、ここ最近はお前と――」

 

敷波は、より一層小さくなった。

あぁ……そういうことか……。

 

「最近構ってやれてないから、拗ねているのか?」

 

「ち、違うし……。別に……そんなんじゃないし……」

 

そうなんだな……。

 

「じゃあ、どういう訳なんだよ?」

 

敷波は黙ったままだ。

面倒くさい所は夕張そっくりだが、ここまで強情なのは――。

 

「……そうかよ。なら、もういいよ。何も言わなくて」

 

そう言って俺が立ち上がると、敷波は何やら焦りだした。

 

「あ……し、司令官……! その、違くて……!」

 

俺は、細い目で敷波を見た。

 

「違うって……何がだよ……?」

 

「え……あ……その……」

 

敷波は俯くと、今にも泣きだしそうな顔をした。

 

「フッ……なんてな。怒っているのだと思って、焦ったか?」

 

「え……?」

 

敷波はポカンとした顔を見せた後、状況を理解したのか、今度は怒り出した。

 

「――っ! ばかばかばか! 司令官のばか! アタシをからかったの!?」

 

ポカポカと叩く敷波。

 

「ははは、すまん。あまりにもお前が強情だからさ」

 

「もう……! 本気で焦ったじゃん……! もうそれ禁止だかんね……!」

 

「あぁ、二度としないよ」

 

「もう……最悪……」

 

「でも、こういう事をしたかったんじゃないのか?」

 

そう言ってやると、敷波は黙り込んでしまった。

 

「最近はずっと、島風たちに構ってばかりだったからな。疎かにして悪かったよ」

 

敷波は俯くと、寂しそうな表情を見せた。

 

「敷波」

 

「別に……司令官が誰と居てもいいよ……? 鹿島さんと恋人になったっていいし……。でもさ……その……」

 

「お前を疎かにしていい理由にはならない、か?」

 

敷波は何も言わなかった。

 

「そうならそうと、言ってほしかったぜ。それに気が付けるほど、俺は女心を分かっちゃいないんだ」

 

「……そんなだと、鹿島さんに振られちゃうよ?」

 

「……かもしれないな」

 

告白する予定はないが……。

 

「それで、どう構ってやったら、お前の機嫌はよくなるんだ?」

 

「……それさ、本人に聞いちゃうんだ」

 

「ダメなのか?」

 

「ダメだと思う……。普通、察してあげるものだと思うけど……」

 

俺が黙っていると、敷波は目を細めて俺を見た。

 

「今、面倒くさいって思ったでしょ……?」

 

「い、いや……別に……そんなことは……」

 

「まあ……全ての女の子がそうじゃないかもしれないけどさ、司令官はさ、鈍感って言うかさ……本当に女心が分かってないよね……」

 

「……すまん」

 

どうして俺は、こんな朝早くから説教をくらっているのだろうか……。

 

「……ごめん。偉そうなこと言ったよね……」

 

「いや、まあ……正論だしな……」

 

「……本当はさ、ただ島風たちに妬いてるだけなんだ。自分でも分かっているけど……素直になれないって言うか……」

 

そういう奴ばっかだな、艦娘って。

 

「でも、それじゃダメだよね……。また司令官に偉そうなこと言ったり、自分の気持ちから逃げようとしちゃうから……。ちゃんと、して欲しい事、言わなきゃだよね……」

 

その前向きな姿勢に、俺は思わず感心した。

それは、敷波が子供であるからこそ――大人の艦娘は、そこで立ち止まってしまうだろう。

なのにこいつは――。

 

「…………」

 

だからこそ、思う。

どうして、敷波はこの島に――。

 

「ん……」

 

敷波が、俺の胸に飛び込んできた。

 

「敷波……?」

 

「ぎゅって……して……欲しい……」

 

その表情は見えなかったが、小さな耳が、真っ赤に染まっていた。

 

「……分かった」

 

屈み、抱きしめてやる。

敷波は、俺の首に手をまわすと、ぎゅっと抱きしめ返した。

 

「いいこいいこって……して……?」

 

「あぁ」

 

頭を撫でてやると、まるで猫の様に、より深く、体を預けた。

 

「島風でも、こんなに甘えては来なかったがな」

 

そうからかってやっても、敷波は離れることをしなかった。

――どれくらいそうしていただろうか。

 

「もういいか? そろそろ、準備をしないと」

 

「……うん」

 

敷波は離れると、再び寂しそうな表情を見せた。

 

「……デートの服、選ばないとな」

 

そう言って、俺は敷波に服を渡した。

 

「え……?」

 

「選んでくれるんだろ? 一緒に、考えてくれないか?」

 

「え……あ……う、うん! アタシで、いいなら!」

 

「お前がいいんだ。頼んだぜ」

 

敷波の表情が、一気に明るくなる。

 

「そ、そう……。そっか……。えへへ……。分かった! とびっきりいいのを選んであげるね!」

 

打って変わり、敷波は鼻息を荒くして、服とにらめっこを始めた。

女心と秋の空――とは、よく言ったもので――案外、こういう事なのかもしれないな。

女心って奴は。

 

「おかげで参考になったぜ。ありがとな、敷波」

 

「うん? うん」

 

 

 

服を選び終え、寮へと向かう。

門のところで待ち合わせをしようとのことであったが、鹿島はまだ来ていないようであった。

 

「朝食も食べないでデートするの?」

 

「昼食を作って来てくれるとのことだったから、抜くことにしたんだ」

 

「ふぅん。そういうところだけは、しっかりしているんだ」

 

「食い意地だけは、女心とは関係ないからな」

 

敷波は笑うと、確認するように、俺の全身を眺めた。

 

「うん。ばっちり」

 

「あとは、お前のセンスと鹿島のセンスが、同じであることを願うばかりだな」

 

「大丈夫だと思うよ。多分鹿島さん、緊張して、司令官の服装に気を配れないと思うから」

 

「だったら、どうしてあんなに真剣に選んだんだ?」

 

そう聞いてやると、敷波はそっぽを向いた後、横目で俺を見つめた。

 

「敷波?」

 

「……やっぱり司令官って、女心が分かってないよね」

 

「え?」

 

「鈍感……。鹿島さんとのデートでは、しっかり気が付いてあげてね? じゃあ」

 

敷波は足早に、寮へと戻っていった。

 

 

 

鹿島が寮から出て来たのは、約束の時間を十分ほど過ぎた後であった。

 

「ご、ごめんなさい……! 遅くなっちゃいました……!」

 

『俺も今来たところだ』……と言うのは、地雷だと鈴木は言っていた。

お前も遅刻してるじゃねぇか。

という事になるらしい。

 

「大丈夫か? 何かあったのか?」

 

これが正しい返しなのかは分からんが、鹿島が遅刻するなんて珍しい事であるから、つい聞いてしまった。

 

「い、いえ……その……」

 

鹿島はチラリと、寮の方を見た。

視線の先――いつものメンバーが、こちらの様子を窺っていた。

 

「実は皆さんが、お化粧とか、お洋服選びをしてくださって……。思いのほか、時間がかかっちゃって……」

 

詳しくは語られなかったが、容易に想像できた。

ああでもないこうでもないと、皆が言い争っている姿を……。

 

「それは大変だったな」

 

「いえ……皆さん、頑張ってくれましたから……」

 

そう言うと、鹿島はチラリと、俺を見つめた。

これは確か……。

 

「……あぁ、そのようだな。とても綺麗だぜ、鹿島」

 

容姿の感想を求められている……んだよな?

 

『女が意味もなく視線を送ってくるときは、何か見て欲しいっていうか、察して欲しい何かがある時だ。例えば――』

 

「そ、そうですか……? えへへ……。提督さんも、とっても素敵な格好ですね」

 

そういや、さっきの敷波も――いやはや、難しいものだな……。

 

「提督さん?」

 

「あぁ……悪い……。それじゃあ……」

 

「あ……は、はい……。今日は……その……よろしくお願いします」

 

「こちらこそ。よろしくな」

 

皆に見送られながら、俺たちのデートが始まった。

 

 

 

とりあえず、海沿いを歩くことにした。

実は、どこに行くのかは決まっていない。

尤も、この島で行くところなんてのは――。

 

「本土であれば、好きなところにでも連れて行ってやったんだが……」

 

「この島で十分です。今日一日、提督さんをひとり占めできるなんて、これほどの贅沢はありません」

 

「大げさだな」

 

「そうでもありません。提督さんは人気者ですから。さっきのお化粧の時だって、皆さん、言っていましたよ。『ひとり占めできるなんて羨ましい』って」

 

言っているのは、一部の艦娘なんだろうけれどな。

 

「それでも皆さん、今回のデートを応援してくれました。せっかくなんだから、目一杯オシャレしなきゃって、お化粧も、お洋服も、皆さんが用意してくれたんですよ」

 

「なら、絶対にいい思い出にしないと、あいつらにも悪いって事か。これは中々のプレッシャーだ」

 

「うふふ、いい思い出になるかどうかは、私がどう思うか次第ですから、今日はたくさん、鹿島を満足させてくださいね?」

 

「……努力するよ」

 

こりゃ、敷波が来てくれてよかったぜ。

そうでなかったら、今頃――敷波は、分かっていたんだろうな。

 

 

 

たわいもない会話をしながら、ゆっくりと島を巡る。

デートと呼ぶには、あまりにも――それでも、鹿島は退屈せず、会話を楽しんでくれているようであった。

 

「うふふっ、楽しい。こんなに提督さんとお話ししたの、あの時以来ですね」

 

「あの時?」

 

「お互いに、秘密を打ち明けた時の事ですよ」

 

鹿島と初めて向き合うことが出来た、『あの場所』での事か。

 

「そう言えばそうだったか。あれから、お前のおかげで、たくさんの駆逐艦たちと交流できるようになったんだよな。それもあって、こうして話し合うことも出来ていなかったんだよな」

 

そう返してやると、鹿島は急に黙り込んでしまった。

 

「鹿島?」

 

「……あの時の事を思うと、私、提督さんに迷惑ばかりかけているなって」

 

「迷惑って……」

 

「今日のデートだって、提督さんの秘密は、別に私だけのものじゃないのに……それを出汁にして、無理やり約束させて……」

 

鹿島は俯くと、歩みをとめた。

 

「どうしたんだ? 急にそんな事……」

 

「……ここ最近の私は、ちょっと――いえ、すごく舞い上がっていました。自分が背負っている罪も……忘れていました……」

 

「それだけ、楽しめるようになったって事なんじゃないか? いい事だと思うがな」

 

「でも……」

 

鹿島は、自分の胸に手をあてた。

まるで、祈るようにして――。

 

「八百万豪の事を想うと、自分が幸せであることは罪であると?」

 

鹿島は何も言わなかった。

 

「そんな事、八百万豪は望んでないと思うけどな。むしろ、お前の事が好きだったんだ。幸せであることを願っているんじゃないか?」

 

そんな事は、鹿島も分かっている。

分かっているからこそ、苦しんでいるのだ。

それでも――。

 

「それは、俺も同じだ。迷惑なんかじゃない。むしろ、それがお前の幸せであるのなら、出来る限り叶えてやりたいと思っている。苦しみを共有するとは言ったが、それだけじゃない。お前の幸福は、俺の幸福でもある。それもまた、共有すべきことの一つだ」

 

「提督さん……」

 

「それに鹿島。デートで他の男の事を想ったり話したりするのは、いかがなものかと思うが?」

 

そう言って、俺はわざとらしく目を細めた。

鹿島は少し驚いた後、小さく笑い、唇を尖らせた。

 

「……提督さんだって、いつも陸奥さん達にデレデレしてるじゃないですか?」

 

その反撃に、俺は思わず閉口してしまった。

一瞬の沈黙。

 

「……ぷっ、うふふふ」

 

「フッ……ははは」

 

まるで、緊張が解けたかのように、お互い笑みがこぼれた。

 

「そうさ。今は俺とデートしているんだから、他の男の話は無しだぜ」

 

「そうでしたね。ごめんなさい」

 

鹿島は頭を下げると、俺に近づき、手を取った。

 

「ありがとうございます、提督さん。本当、私、提督さんの事――」

 

鹿島はそれ以上を言うことはなかった。

 

「そうだ。せっかくだし、『あの場所』に行こうか。ちょうど昼時だし、飯もそこで」

 

「いいですね! 行きましょう! えへへ」

 

鹿島はいったん手を離すと、指を絡める様に握りなおし、俺の手を引いた。

快晴の中で、彼女の表情は、何よりも輝いて見えた。

嗚呼、この感覚は――。

 

 

 

それから俺たちは、『あの場所』で、鹿島が作って来てくれた弁当を食べた。

 

「美味いよ」

 

「良かった。本当は、サンドイッチのような洋食が良かったのですが……。この島の食材だと、どうしても和食寄りになってしまって……」

 

「いいじゃないか。俺は和食、好きだぜ」

 

「本当ですか? えへへ、じゃあ、たくさん練習しないと」

 

そう言うと、鹿島はニコッと笑って見せた。

その笑顔に、思わずドキッとする。

 

「えへへ……」

 

飯を食っている間にも、終始見つめる鹿島。

 

「そんなに見られては、食べにくいぜ」

 

「あ、ごめんなさい。その……嬉しくて……」

 

「嬉しい?」

 

「提督さんが、鹿島の作ったものを美味しそうに食べてくれていることが。もし、恋人が出来たら、こんな感じなのかなって」

 

恋人……か……。

 

「……提督さんは、その……全ての艦娘を島から出したら、どうされる予定なんですか?」

 

「どうされる……ってのは?」

 

「お仕事の事もそうですけど……恋人とか……つくらないのかなって……」

 

最近、その事をよく考える。

特に、本土に居た十日間で、俺は――。

 

「提督さん?」

 

「……どうかな。その時にならないと、分からない。とにかく今は、目の前の仕事に集中するだけだ」

 

「そうですか……」

 

鹿島はおにぎりを手に取ると、口をつけず、ただじっと見つめた。

 

「もし……」

 

「?」

 

「もし……艦娘の人化が出来なかったら……提督さんは、いつ島を出ようと思っているのですか……?」

 

「え?」

 

「提督さんだって、分かっているはずです……。この島の艦娘達の人化は、一筋縄ではいきません……。佐久間さんですら、十年かけても、島の艦娘全員を信用させるに至りませんでした……。私達艦娘には時間がありますけど、提督さんはそうじゃない……。どれくらいの時間をかけて、全ての艦娘を人化しようと思っているのかなって……。それを過ぎたら、提督さんは――それまで、あとどれくらいなのかなって……」

 

鹿島が何を心配しているのか、俺には何となくわかっていた。

 

「タイムリミットはない。俺は一生を、この仕事に捧げるつもりだ」

 

「では……」

 

「あるとすれば、寿命だな。もしくは事故。いずれにせよ、この島に艦娘がいる限り、俺は諦めないつもりだ。だから、安心して欲しい」

 

鹿島はおそらく、自分が島を出ることが出来るまで、俺が島に居てくれるのか不安に思っていたのだろう。

そう――なのではないかと考えていたが、どうやら違う様で、鹿島はもじもじしながら、膝を抱えた。

 

「でも……やっぱり、幸せな姿を見せることも大事だと思うんです。時間をかけても説得できないようなら、自らの幸せをアピールするのもありなんじゃないかなって……思うのですけれど……」

 

「どういうことだ?」

 

鹿島は顔を真っ赤にすると、小さな声で言った。

 

「もし……全ての艦娘を人化出来ないと諦めることがあったら……鹿島を……娶ってくれませんか……?」

 

「え?」

 

鹿島は向き合うと、俺の目をじっと見つめた。

 

「ダメ……ですか……?」

 

俺は思わず、目を逸らしてしまった。

 

「……ダメなんですね」

 

「い、いや……! ダメという訳じゃないが……」

 

「では……」

 

「その……ちょっと待ってくれ……。急な事で動揺している……」

 

落ち着くように、俺は深呼吸をした。

その間、鹿島は目を離さず、俺を見ていた。

 

「まあ……なんだ……。気を遣って言ってくれているのだろうけれど……」

 

「気なんか遣っていません……。鹿島は……本気です……」

 

「……俺の事が、好きなのか?」

 

鹿島は顔を伏せると、小さく頷いた。

 

「……提督さんだって、鹿島の気持ちに気が付いていたんじゃないですか?」

 

図星。

 

「いや……まあ……。デートして欲しいってくらいだからな……」

 

「それを受けてくれた提督さんの気持ちは……どうなんですか……?」

 

俺の反応を確かめる様に、鹿島は再び俺を見つめた。

 

「俺の気持ちは……その……」

 

ふと、何故か、夕張の顔が頭に浮かんだ。

そしてそれが、俺の緊張を――男としての本能を抑えてくれた。

 

「……素直に嬉しいと思っているよ。お前が嫁だったら、どれだけ幸せか……」

 

「で、では……!」

 

「けど……約束はできない……。それは、好きだとか嫌いだとかではなく、俺がこの仕事に対して、それだけ本気だという事だ」

 

鹿島の顔を見ることは出来なかった。

それは、鹿島に対して申し訳ないという気持ちがあったという訳ではなく――夕張の時と違って、鹿島の誘惑に――自分の気持ちに、のまれそうになったからであった。

それほどまでに、俺は鹿島に対して――。

 

「お前の言う通り、一筋縄ではいかない仕事だ。それでも俺は、この命尽きるその時まで、艦娘の人化に尽力したいと思っている」

 

「……説得が難しかったら」

 

「……確かに、お前を娶って、幸せをアピールするのはありかも知れない。だがそれは、俺の幸せでなくていい」

 

鹿島は何か言おうとしたが、何も思いつかなかったのか、閉口した。

 

「俺の幸せは、お前たちの人化だ。恋も……確かに悪くないし、それに逃げてしまおうとしたこともある……。それでも俺は……」

 

再び、夕張の顔が浮かぶ。

その顔は、呆れた表情を浮かべていた。

そら、呆れもするわな。

夕張に言ったことと、鹿島に言ったこと。

その二つは、まるで矛盾しているのだから。

恋愛として、夕張の気持ちを蹴った。

仕事として、鹿島の気持ちを蹴った。

結局俺は――そう、俺は――この二隻から――。

 

「……分かりました」

 

鹿島は深呼吸をすると、表情をやわらげた。

 

「すみませんでした。変なこと言って……」

 

「いや……」

 

鹿島は自分の顔を両手で叩くと、スッと立ち上がった。

 

「せっかくのデートなのに、こんな顔していちゃ駄目ですよね! 仕切りなおしです!」

 

今度は違う形で顔が赤くなった鹿島に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「そうだな。仕切りなおそう」

 

「はい! じゃあ、あーんからやり直しません?」

 

「やってないだろ……さっき……」

 

「やりたかったんです! ささ、あーん!」

 

まるで、数秒前の事なんてなかったかのように、鹿島はきっちり仕切りなおした。

気を遣わせたのか、それとも、本人が忘れたかったのかは分からない。

いずれにせよ、仕切りなおされたその笑顔に、俺の心は救われた。

 

 

 

昼食の後、どうしようかと話していると、鹿島が、俺の家で過ごしたいと言い出した。

 

「家って……。何もないぜ」

 

「お家デートですよ。やってみたかったんです。えへへ。それに、島を巡ったって、それこそ何もないですよ?」

 

「まあ、そうかもしれないが……」

 

鹿島はルンルン気分で、家へと歩き出した。

お家デート……か。

それは流石に、鈴木から教えてもらっていない。

想像は出来るが、それはあくまでも、島の外での話であって――ただでさえ何もない島に、何もない家があるのだ。

一体、何をすればいいのだろうか……。

 

 

 

家に着くと、鹿島は俺に、外で待つよう指示をした。

 

「しばらくしたら、戸を叩いてくださいね」

 

そう言うと、鹿島は戸を閉めて、鍵をかけた。

一体、何をしようというのか……。

とりあえず、戸を叩く。

「はーい」という声と共に、鹿島は戸を開いた。

 

「お帰りなさい、あなた。えへへ」

 

あぁ、そういうことか……。

 

「あぁ、ただいま」

 

「えへへ、一回やってみたかったんです。夫婦ごっこ」

 

「それでお家デートって訳か」

 

「うふふ。さ、あがってください。あなた」

 

続けるのか。

しかし、まあ、そういう事なら。

 

「俺からは、なんて呼べば?」

 

「普通に、『鹿島』で結構ですよ。今だけ鹿島は、雨宮鹿島です! うふふ」

 

雨宮鹿島……。

 

「提督さ……じゃなかった……あなた? どうかしましたか?」

 

「いや……」

 

イカンな……。

つい、感慨に浸ってしまった。

夫婦生活……か……。

 

 

 

「はい、どうぞ」

 

「おう、ありがとう」

 

鹿島は茶を渡すと、俺の隣に座った。

 

「『夫婦ごっこ』ですけど、それにしてはちょっと若すぎますね、私たち」

 

「お前の『推定年齢』がどれくらいなのかは分からんが、多く見積もっても、俺よりも若いだろうしな」

 

「まだまだ恋人気分の抜けない夫婦って設定でいきます?」

 

「具体的なのに想像がつかないぞ、その関係……」

 

そんな事を話していると、ふと、違和感に気が付く。

 

「あぁ……そうか……」

 

「どうしました?」

 

「いや、なんか違和感あると思ったら、駆逐艦がいないんだ。今日は家に遊びに来ていないのか」

 

「あ、それはですね……。実は、私たちのデートを邪魔しないようにと、皆さん、今日一日は外に出ないようにしてくれているんですよ」

 

それでさっきも、誰とも会わなかったのか……。

 

「徹底しているというか、あれだけ騒いでおいて、やけに協力的だな」

 

「この島に来る『提督さん』と艦娘がデートするときは、いつもこうなんです。尤も、ここ何十年かはありませんでしたけど……」

 

なるほど……。

以前、青葉から『娶りを期待する風習があった』と聞かされていたが、その文化の名残という訳か……。

 

「言ってしまえば、皆さん公認の関係……という訳ですよ……?」

 

そう言うと、鹿島はじっと、こちらを見つめた。

 

「えへへ……そう考えると、なんだかドキドキしますね……」

 

公認……してくれていない奴もいるだろうが――いや、それは自惚れってやつか……。

 

「今まで、たくさんの方がお嫁さんになって、この島を出て行きました。結婚式みたいなこともやったことがあるんですよ?」

 

「気が早いな」

 

「お嫁さんになってみたいって方がいまして、その夢を『提督さん』が叶えてくれたのです。海軍も協力して、衣装を用意してくれて……。とっても素敵でした……」

 

思い出すかのように、鹿島は目を瞑った。

 

「やはり憧れるか。花嫁ってのに」

 

「もちろんです。憧れない女の子なんていませんよ」

 

そういうものか。

 

「…………」

 

鹿島は黙り込むと、そっと近づき、寄り掛かるように俺の肩へ頭を預けた。

 

「鹿島?」

 

「私……何十年もこの島に居ますけど、今が一番幸せです……。私は……鹿島は……提督さんに会う為に……生まれて来たんじゃないかなって……思うくらいに……」

 

それはつまり、鹿島の言う幸せってのは、俺が居るから成り立つという訳か。

なんとまあ、歯の浮くような台詞だ。

 

「――……」

 

だが、そんな台詞に、俺はまんまと――。

 

「提督さん……」

 

鹿島は顔を近づけると、何かを待つかのように、目を瞑った。

 

「か、鹿島……」

 

どうすればいいのかは分かっている。

だが、それが出来るとは――。

狼狽える俺に痺れを切らしたのか、鹿島はそのまま近づき、キスをした。

 

「――……。抵抗……しないんですね……」

 

「……動けなかっただけさ」

 

「なら、今度は抵抗してくださいね……?」

 

今度はゆっくりと、鹿島の顔が近づく。

 

「しちゃいますよ……? キス……」

 

俺はハッとし、鹿島を押しのけ――。

 

「もう遅いです……」

 

俺は改めて、艦娘の力というものを思い知った。

再び――だが、先ほどとは違い、大人のキスであった。

 

「――……。鹿島……こういうのは、大事な人の為にだな……」

 

「大事な人ですよ……。提督さんは……」

 

「しかし……」

 

なおも抵抗する俺に、鹿島は膝を抱え、小さくなってしまった。

 

「鹿島は……提督さんの大事な人になれませんか……?」

 

俺は何も言えなかった。

何と言ったらいいのか、分からなかった。

いや、本当に分からないのは――。

 

「提督さんはこの先も、仕事をまっとうするまで、そうするおつもりですか……?」

 

「……あぁ。誘惑に負けそうになることもあるが、努力するつもりだ……」

 

「絶対に……? もし、もう自分の実力じゃ、艦娘の人化が無理だと分かったら……? せめて、一隻でもと、娶ることはしませんか……?」

 

その質問に、俺は一瞬、閉口してしまった。

本当に一瞬だったから、鹿島は気が付かなかったようであるが……。

 

「……あぁ、しない。最期まで、諦めないつもりだ……」

 

明石の背中が、俺にはハッキリと見えていた。

 

「さっきも言ったが、好き嫌いではない。それだけこの仕事に本気で『ありたいんだ』」

 

ついに本音が出る。

『本気でありたい』

つまり、まだ本気にはなれていない証拠。

認めたくはなかった証拠だった。

だからこそ、俺は二隻に対して、あべこべな回答をしてしまったのだ。

 

「提督さんは、鹿島の事が好きですか……? 異性として……意識出来ますか……?」

 

「だから、それは関係なくて――」

「――答えてください」

 

鹿島は真剣な表情で、俺を見つめていた。

 

「……あぁ。好きさ……。異性としても意識している……」

 

「…………」

 

「だがそれは、俺が未熟な男だからだ。現に、お前にだけではなく、俺は……」

 

その先は言えなかった。

言わなきゃいけないはずなのに、言えなかった。

 

「……よく分かりました」

 

「鹿島……」

 

「仕事に専念したいのだけれど、恋をしてしまう自分がいる。それを払いのけようとする努力が、今の提督さんには必要だ……という事ですね……?」

 

「あぁ……。だからこそ、お前の気持ちには――いや、俺の気持ちを抑えなければいけないんだ……」

 

「具体的に……どう抑えるおつもりですか……?」

 

「……『艦娘には恋をしない』ということを、胸に強く意識するつもりだ」

 

それも、半分崩れてしまっているがな。

 

「艦娘であるから……」

 

鹿島は目を瞑ると、何やら考え事を始めた。

そして、それが終わると、何やら決意した表情で、俺を見た。

 

「だったら……私は今すぐにでも艦娘をやめます……」

 

「え……?」

 

「それなら、提督さんは私を意識してくれますよね……?」

 

並々ならぬ決意のようであった。

これを払いのけるには――。

 

「……そこまで決意するほどか」

 

「はい……!」

 

「……分かった。だが、その前に一つ、聞いて欲しい話があるんだ……。それを聞いてもまだ、同じことが言えるか……?」

 

俺は、本土での十日間、山風に恋をした話を――事の顛末を包み隠さず、鹿島に話した。

 

「――この前は言えなかったが、俺は山風に恋をして、フラれたんだ。山風は俺を想って――仕事に専念させるために、その道を選んでくれたんだ……」

 

鹿島は何も言わず、俯きながら、俺の話を聞いていた。

 

「だからこそ、それを無下には出来ないし、お前にも同じ道を歩んで欲しくないんだ……」

 

「でもそれは……山風さんが引いただけですよね……? 私は……私だったら……!」

 

そこまで言って、鹿島は閉口した。

まるで、何かに気が付いたかのように。

そして、訂正するように、もう一度言った。

 

「私だったら……やっぱり、同じことをするかもしれません……。だって、私の好きな提督さんは、そういう人だから……」

 

何かに――誰かに同意するかのように、鹿島は頷いた。

 

「山風さんは、本当に提督さんが好きだったんですね……。いえ……きっと、今も……」

 

鹿島はしばらく黙り込んでいたが、やがて顔をあげ、決意した表情で俺を見た。

 

「だったら尚更、私は艦娘をやめなければいけませんね」

 

「え……?」

 

「だって、この島に居る限り、私はきっと、提督さんに娶ってもらおうとするはずです。現に、こうして無理やり、デートに誘ってしまっているわけですから」

 

確かにそうだが……。

 

「私の好きな人は、鹿島の誘惑にも負けない人……。仕事を全うするんだって――負けそうになりながらも、そう決意できる人ですから……」

 

「鹿島……」

 

「……本音を言うと、鹿島が島を出て人化したら、提督さんの気持ちも変わるかなって、思ったりしているんですけどね」

 

鹿島は舌を出すと、ニコッと笑って見せた。

 

「……策士だな」

 

「それでも、提督さんは仕事を全うするって、信じています。そしていつか、全ての艦娘を人化したら、きっと――」

 

鹿島は、縁側の向こうに広がる海を眺めた。

 

「……本気なんだな」

 

「えぇ、本気です。どうせその内、島を出ることになるのですから、早い方がいいって、前々から思ってはいたんです。けど、勇気が無くて……」

 

勇気……。

 

「香取姉や『提督さん』の事もありますし、駆逐艦の事もありましたから……。それに……」

 

鹿島は再び、俺を見た。

 

「この気持ちに……提督さんを想うこの気持ちに嘘はないって……確かめたかったんです……」

 

「……結論が出たんだな」

 

「はい」

 

鹿島の目は、本気であった。

 

「……分かった。ただ、もう一晩考えてからにしてくれ。勢いに任せているだけかもしれないから」

 

「はい。そうさせてもらいます」

 

一呼吸置くと、鹿島は再び、俺の肩に頭を預けた。

今度は、腕組みもセットで。

 

「でも、今はデートに集中しますね。えへへ」

 

切り替えの早いやつ。

だが――。

 

「あぁ、そうだな」

 

これでいい。

――というよりも、これでしかいられない。

どんな理由であれ、島を出る決意を持ったというのなら、俺からは何も言うまい。

そうさ。

それが俺の仕事なのだ。

そうだ。

――そう、割り切るしかないのだ。

 

 

 

夕方。

寮まで送ろうとする俺を、鹿島は止めた。

 

「提督さん、今日はお家に居てください」

 

「え? どうしてだ?」

 

「実は、今日の決意を皆さんに聞いて貰おうと思っているのです。もしかしたら、私と一緒に島を出ようとする駆逐艦が居るかもしれません。今後の事もありますし、結構ナイーブな話になると思いますので、提督さんにはお家にいてもらって、私たちだけで話し合おうと思っています」

 

「……皆に話すのか」

 

「私一人の問題ではありませんから」

 

どんな問題があるのか、鹿島が具体的に話すことはなかった。

 

「分かった……。今日はもう、家から出ないことにするよ」

 

「すみません」

 

「いや……」

 

「……今日は、ありがとうございました。デート、とっても楽しかったです! 次はきっと、島の外でデートしてくださいね?」

 

俺は返事をすることが出来なかった。

だが、それが正しい反応だったようで、鹿島はニコッと笑って見せた。

 

「あ、そうだ……」

 

「ん?」

 

「最後に……お願いしたいことがあるのですが……」

 

「なんだ?」

 

「その……ぎゅって……抱きしめてくれませんか……?」

 

「え?」

 

鹿島は恥ずかしそうに手を揉むと、顔を真っ赤にして、俺を待った。

 

「……あぁ、分かった」

 

断るなんて、出来るはずがなかった。

それだけの決意を、鹿島は――或いは、それを分かっていての――。

俺は恐る恐る、鹿島を抱きしめた。

 

「……こうでいいか?」

 

「はい……えへへ……」

 

しばらくそうした後、鹿島は顔をあげ、俺の頬にキスをした。

 

「お、おい……」

 

「うふふ、ごめんなさい。でも、唇じゃなければ、提督さんも誘惑には負けないかなって」

 

舌を出す鹿島。

そっちの方が、俺にとっては辛いものがあるけどな。

 

「ありがとうございました。満足です。えへへ」

 

「そりゃよかった」

 

「では、帰りますね。本当にありがとうございました。また明日」

 

「あぁ、また明日」

 

「では……」

 

「あぁ」

 

鹿島は振り返ることなく、寮の方へと帰っていった。

 

「…………」

 

一体、何と言って皆に話すのだろうか。

そもそも、鹿島は本当に――だとしたら、俺は――。

 

「って、馬鹿か俺は……」

 

去って行く鹿島の背中を、俺はいつまでもいつまでも、見続けていた。

 

 

 

翌朝。

敷波が起こしに来ることはなかった。

ラジオ体操も、鶏の鳴き声さえ、聞こえなかった。

 

「静かな朝だな……」

 

不気味なほどに、な……。

 

 

 

寮もまた、静寂に包まれていた。

朝食の時間だというのに、食堂にはまだ、誰もいなかった。

 

「こりゃ一体……」

 

「あ、提督。おはようございます」

 

声をかけて来たのは、鳳翔であった。

 

「鳳翔。おはよう」

 

「おはようございます。ちょうど今、朝食を持ってお伺いしようかと思っていたところです」

 

そう言うと、鳳翔は風呂敷包みを見せた。

 

「朝食を? 家にか?」

 

「えぇ。訳は後でお話ししますから、とりあえず寮を出ましょう」

 

事情が分からないまま、俺は鳳翔と家へと戻った。

 

 

 

「昨日、鹿島さんから島を出るのだというお話を聞きました。はい、御味噌汁です」

 

「ありがとう。して、どうなったんだ?」

 

「それはもう大騒ぎです。特に、駆逐艦なんかは――鹿島さんを説得する娘達も居て――全員を集めて、話し合いをすることになったのです。実はそれが、先ほどまで続いていて……。皆さん、今は眠っているのです」

 

だから誰もいなかったのか。

 

「お前は眠らなくていいのか?」

 

「えぇ。実は、昨日一日はお休みをいただいていたので、恥ずかしながら、ずっと眠って過ごしていたのです。外に出ようにも、提督と鹿島さんがデートしていますから、寝ることしかできなかったのですよ?」

 

鳳翔はわざとらしく頬を膨らませた。

 

「それはすまなかったな」

 

「ふふ、冗談ですよ。でも、結果として良かったです。こういう事になるのなら」

 

鳳翔は嬉しそうに笑うと、「いただきます」と手を合わせ、食事を始めた。

 

「しかし、鹿島さんが島を出る決意をするなんて、どんなペテンを使ったのです?」

 

「ペテンか……」

 

どう答えようかと考える俺の様子を見て、鳳翔はくすくすと笑った。

 

「恋ですか」

 

「……知っているじゃないか」

 

「提督の動揺するお顔が見たかったのです。ごめんなさい」

 

鳳翔は舌を出し、おどけて見せた。

 

「どこまで聞いている?」

 

「鹿島さんが提督に恋をして、それ故に島を出るのだと」

 

つまり、全部って事か……。

 

「鹿島さんが提督の事を好きだって事は知っていましたけれど、まさか、島を出るとまで言い出すなんて」

 

「やはり、意外に思ったか?」

 

「えぇ。大井さんが島を出た後、自分が駆逐艦を守るんだって、息巻いていましたから」

 

やはり、並々ならぬ決意だったのか。

 

「簡単に言ってはいましたけれど、ずっと考えていたのだと思います。こう言ってはなんですけれど、駆逐艦を守るなんて、鹿島さんでなくてもいいはずです。それに、守られなければいけないほどの敵はもういないって、本当はみんな分かっているのです。それでも――」

 

鳳翔は箸を置くと、何やら俯いてしまった。

 

「鳳翔?」

 

「提督は……鹿島さんの事が好きなんですか……?」

 

「え?」

 

「考えていたのです……。鹿島さんの決意について……。もし、自分が同じ決意をするのなら、何が決め手になるのかと……」

 

鳳翔はじっと、俺を見つめた。

 

「鹿島さんに告白されて、自分も好意があることを伝えたのではないのですか……?」

 

その瞳は、責めているというよりも、どこか――。

だからこそ――。

 

「……あぁ、伝えたよ」

 

「やはり……そうなのですね……」

 

鳳翔は微笑んで見せると――だが、それ以上に――。

 

「……分からないんだ」

 

「え……?」

 

「それでもなお……俺は鹿島の気持ちに――あいつの望むようには応えなかった……。なのに……」

 

鳳翔は驚いた後、険しい表情を見せた。

 

「……分からないのは提督です。どうして応えてあげなかったのですか……?」

 

「お前たちがこの島に居るからだ……。俺の仕事は、全ての艦娘を人化させること。それを果たすまでは――」

 

「それはいい訳です……! 鹿島さんを好きになったというのなら、一緒に島を出るべきです……! 何を恐れているのかは分かりませんが、私たちを盾にしないでください……!」

 

「盾になんてするものか……」

 

「いえ! 貴方は――」

「――あいつの決意はそんな安いもんじゃねぇんだよッ!」

 

思わず声が出る。

鳳翔は怯える様に、胸に手をあて、小さくなった。

 

「……悪い」

 

永い沈黙。

 

「……逆なんだ」

 

「え……?」

 

「気持ちに応えられない俺に対して、あいつは、仕事をまっとうしようとする俺が好きなのだと言って、背中を押してくれた……。あいつの気持ちに応えることも出来た……。あいつもそれが分かっていたはずだ。それでも……あいつは……」

 

俺の言っている意味が分かったのか、鳳翔は俯いてしまった。

 

「……それほどまでに、提督の事を想っているのですね。鹿島さんは……」

 

「……だからこそ、分からんのだ。俺は、そんな決意が出来るほどに、誰かを好きになったことはない……」

 

山風と鹿島。

『二人』の気持ちに対して、俺は本気になれなかった。

本気であれば、今頃――。

 

「私……正直なところ、鹿島さんがそこまでの決意を持っているなんて、思ってもみませんでした……。恋に流されているだけなんじゃないかって……」

 

「そうであったのなら、俺は本気で止めていたさ……」

 

もうすっかり冷えた味噌汁を口に運ぶ。

 

「……冷えても美味いな」

 

そう言って微笑んで見せると、鳳翔は安心したのか、優しく微笑み返した。

 

「ありがとうございます」

 

再び朝食に手を付ける俺たち。

 

「提督」

 

「なんだ?」

 

「私も、本気になろうと思います。鹿島さんの様に」

 

「島を出るということか?」

 

「いえ」

 

鳳翔は箸をおくと、俺に近づき――。

――同じものを食べているはずなのに、口の中に残る味は、少し違っていた。

 

「――鹿島さんがそのように貴方への愛を示すのなら、私はこうします」

 

「……俺は艦娘に恋はしないと誓ったんだぜ」

 

「本気にさせるだけの艦娘が居なかっただけです。私は、諦めませんから」

 

そう言った数秒後、自分のしたことに気が付いたのか、鳳翔は顔を赤らめると、飯もそっちのけで家を出て行ってしまった。

 

「…………」

 

ふと、鳳翔の器に、口紅の跡を見つけた。

 

「鳳翔……お前……」

 

 

 

皆が起き出したのは、お昼直前の事であった。

 

「失礼します」

 

最初に執務室を訪ねて来たのは、大淀であった。

 

「寝坊だぜ」

 

「すみません。実は……」

 

「あぁ、鳳翔から聞いているよ。鹿島の件だろ?」

 

大淀は真剣な表情を見せると、小さく頷いた。

 

「……流石ですね。たった一回のデートで、鹿島さんに決意を持たせるなんて。佐久間さんでも、そこまでは――。少し、貴方が怖いくらいです」

 

「俺ではない。あいつの決意が――あいつの想いが並外れているんだ。俺には抱えきれないほどにな……」

 

俯く俺に、大淀は何かを察したのか、空気を変える様に微笑んで見せた。

 

「とにかく、鹿島さんの決意は、今後大きな波紋を呼ぶはずです。鹿島さんの跡を追う娘たちもいるでしょうし、そうでなくとも、人化を考えるきっかけになるはずです」

 

「……そうだな」

 

そうだ。

今はとにかく、喜ぶべきだ。

大淀が言うように、、大きな波紋を呼ぶことになるのは間違いないのだ。

やっと成果が出て来たのだ。

今は――とにかく――。

 

「提督!」

 

ノックもせずに現れたのは、明石であった。

 

「明石、ノックくらいしなさい?」

 

「あ、ごめん……。そ、それよりも!」

 

「鹿島の事だろ? 今、大淀と話していたところだ」

 

「それもありますけど……! 違うんですよ! 皐月ちゃんと卯月ちゃんが……!」

 

 

 

食堂へ向かうと、皆が皐月と卯月を囲っていた。

 

「あ、司令官!」

 

皐月と卯月は俺を見つけると、傍へと駆け寄って来た。

跡を追うように、鹿島も。

 

「皐月……卯月……。お前ら……」

 

「うん。もう聞いた?」

 

「……あぁ。明石からな……。本気なのか……?」

 

「えへへ」

 

皐月と卯月は、互いに顔を見合わせ、大きく頷いた。

 

「うん。本気さ。ボクたちは――」

 

「――鹿島さんと一緒に、島を出ることにしたぴょん」

 

皆がざわつく。

鹿島に目を向けると、首を横に振って、俺の疑問に答えてくれた。

 

「けど……どうして……?」

 

「昔から決めていたんだ。鹿島さんが島を出ることになったら、ボクたちも一緒に出ようねって。ね、卯月」

 

「うん!」

 

俺は、唖然としていた。

そんな理由で島を出る決意をしたと言うのか……。

 

「提督」

 

大淀が、俺の肩に手を置いた。

その意味が、俺には分かっていた。

 

「――そうか。よく決意してくれたな。お前たち」

 

二隻の頭を撫でてやる。

これが正解なんだろ?

大淀。

 

「でもね……その前に、司令官にお願いがあるんだぴょん……」

 

「お願い?」

 

「うん……。皐月……」

 

卯月はバトンタッチをするように、皐月を見た。

 

「実はもう一人……連れて行きたいのがいるんだけど……。中々手ごわくってね……」

 

「その、もう一人……ってのは……」

 

「もっちーだぴょん……」

 

「もっちー?」

 

「望月さんの事です」

 

望月だからもっちー……か。

確か、寮に居る時は、いつも三隻がセットで――だが、俺はまだ一度も絡んだことがなかった。

 

「昨日……というか、今日なんだけど、ボクと卯月、もっちーの三人で話したんだ。鹿島さんと一緒に、島を出ようって……」

 

「でも……もっちーは行かないって……。うーちゃん達は、三人で一つだぴょん……。鹿島さんと一緒に島を出たいけど……もっちーが一緒じゃないと嫌だぴょん……」

 

なるほどな……。

 

「つまり、俺に望月を説得してほしいと……?」

 

二隻は頷くと、俯いてしまった。

 

「提督さん……」

 

「鹿島……」

 

「私からもお願いします……。望月さんが島を出る決意をするまで、私も島に残って協力しますから……」

 

苦い顔をしたのは、俺だけではなかった。

大淀もまた、その意味が分かっていた。

 

「……分かった。やってみよう」

 

やってみよう……ではないのだ。

やらなきゃいけないのだ。

望月を説得できなければ――。

 

「良かったね。二人とも!」

 

「「うん!」」

 

こいつらも――。

 

 

 

「厄介な事になりましたね……」

 

執務室に戻ると、大淀は開口一番に、俺の気持ちを代弁した。

 

「望月さんを説得できるかどうかはいいとして……あまり時間はかけられませんよ……」

 

「あぁ……。あいつらの決意が熱を持っている内に、何とか解決したいものだ……」

 

とは言え、全く絡んだことのない駆逐艦相手に、短期間でどこまで踏み込めるのか……。

 

「望月さんについては、どこまで?」

 

「……いつもあいつらと一緒に居て、マイペースで、めんどくさがり屋ってところくらいだ」

 

概ね合っているのか、大淀は頷いて見せた。

 

「望月さんはああ見えて、かなりのキレ者ですよ。皐月さんや卯月さんと同じように考えてはいけません」

 

それは何となく感じていた。

なによりも、駆逐艦特有の元気いっぱいな感じが全くなく――だからと言って、陰気な感じでもない。

どこか、傍観に徹するかのような――。

 

「今回の件、おそらく望月さんは、自分がキーマンであることを自覚しているはずです。そして、提督が接触してくることも、想定しているはずです」

 

「島を出たくないと言っているところを考えると、接触には気を遣わないといけない訳だな」

 

「対応を間違えれば、敵対関係に発展するかもしれません。そうなれば……」

 

正直、そこまで警戒するべき相手ではないと思ってはいたが……。

 

「……分かった。接触については、少し様子を見ることにする。もしかしたら、望月の方から接触してくるかもしれないからな」

 

「それが宜しいかと。私も、鹿島さん達と協力して、何かできないか考えてみます」

 

「悪いな」

 

「いえ」

 

ふと、大淀の口元が緩んでいることに気が付いた。

 

「どうした? 何かおかしい事でも?」

 

「あ、いえ……その……」

 

大淀はチラリと、俺を見た。

ああ、そういう事か……。

 

「佐久間との思い出がよみがえったか?」

 

大淀は驚いた後、小さく頷いた。

 

「そうか……」

 

「すみません……」

 

「いや……。しかし……そうだよな……。お前は人化に協力的だったと聞く。こんな話も、したはずだよな」

 

大淀は何も言わず、恥ずかしそうに手を揉んだ。

 

「これから嫌でも似たような経験が出来るぜ。もっと喜んだらどうなんだよ?」

 

揶揄うように言ってやると、大淀は安心したように小さく笑った。

 

「提督はそれでいいのですか?」

 

「あぁ。その方が、お前もやる気になるだろうしな」

 

「少し前まではシリアスな顔になっていたくせに、現金な方ですね」

 

「お互い様だろう」

 

「ふふ、確かに」

 

大淀は一呼吸置くと、優しい表情で俺に向き合った。

 

「これは大きな一歩だ。佐久間肇がそうだったように――お前に初めて会った時に伝えた――艦娘の人化には……俺には、お前が必要だ。これからも頼んだぜ、大淀」

 

「はい!」

 

大淀はとびっきりの笑顔を見せてくれた。

大淀、お前は俺に佐久間を見ているようだが、俺もまた、佐久間が見ていたお前を見ている。

きっと、この笑顔も、また――。

 

「『俺にはお前が必要』……かぁ。提督の事が好きな艦娘に聞かれたら、誤解されそう」

 

「……これ以上、話をややこしくしないでくれよな」

 

 

 

それから数日。

望月との直接的な接触は避け、動向を窺った。

だが、目立った動きはなく――それどころか、まるで何事も無かったかのように、皆も同じように、日常を取り戻していったのだった。

 

「思えば、ここの連中は切り替えの早い奴らばかりだったな……」

 

「皐月さんと卯月さんの決意に揺ぎは無いようですが……それもいつまで続くか……」

 

これ以上様子を窺ったところで、進展はないのではないかという意見も出始めていた。

ここはあえて、接触を試みるべきなのかもしれない。

しかし、失敗すれば……。

 

 

 

結論が出ないまま、本土へ戻る日がやって来た。

 

「デートはどうだったんだ? 慎二」

 

「あぁ、おかげさまで上手くいったよ。助かったぜ」

 

「そりゃ何よりだ。八割方テキトーな事を言ったもんで、心配だったんだ」

 

「おい」

 

「冗談だよ」

 

鈴木はカラカラ笑うと、船を急がせた。

 

「何をそんなに急いでいるんだ? この前のようにゆっくり行ったらいい」

 

「いいんだよ。これで」

 

鈴木はわざとらしく、さらにスピードをあげた。

 

「あとで俺に感謝することになる。お礼は、缶コーヒーでいいぜ。慎二」

 

鈴木の言っている意味が分からず――まあ、昔から何を言っているのか分からない奴だったから、俺は考えることをやめた。

 

 

 

本土に着き、報告を済ますと、何やら病棟の方へ向かうよう指示があった。

 

「また検査か?」

 

受付へと向かい、声をかける。

 

「すみません」

 

「はーい」

 

返事の声に、聞き覚えがあった。

やがて、声の主が、受付へとやって来た。

その姿を見た瞬間、俺は――。

 

「今日はどうされましたか? なーんて、えへへ。久しぶり。雨宮君」

 

真っ新な白衣に包まれた山風が、そこに立っていた。

 

 

 

「えへへ、びっくりしたでしょ?」

 

廊下を歩きながら、山風はそう言った。

 

「びっくりなんてもんじゃない。俺はてっきり……」

 

そこまで言って、俺は閉口した。

 

「実はね、正式にここへ配属になったの。研修じゃないよ? 正式に、だよ?」

 

「そうだったのか。おめでとう」

 

「えへへ、ありがと」

 

俺は……正直、いっぱいいっぱいであった。

この前フラれてから、山風とは一度も会っていない。

もう一度会えるなんて思ってもみなかったし、会ったとしても、こうして普通に話せるとは……。

 

「聞きたいこと、たくさんあるでしょ」

 

まるで俺の心を読んだかのように、山風はそう言った。

 

「色々あったけど、あたしはやっぱり、雨宮君の事が好きなんだ。それはもちろん、異性としてでもあるけれど、それ以上に、友達として、雨宮君の事が好きなの。それだけだよ」

 

その言葉に含まれた意味は、俺と山風にしか分からないであろうものであった。

無論、その事を分かっているからこそ、山風は――。

 

「そうか……」

 

俺はそれ以上、聞くことをしなかった。

そうであるべきだと、俺たちは分かっていた。

 

 

 

山風は、ある病室の扉の前で足を止めた。

 

「サプライズだよ」

 

「サプライズ? お前と再会できたこと以上のサプライズがあるのか?」

 

揶揄うように言ってやると、山風は嬉しそうに笑って見せた。

 

「うん。あるよ。開けてみて」

 

俺は躊躇う事もせず、扉を開けた。

山風との再会以上のサプライズなんて、大したことがないと思っていたから――しかし――。

 

「あ……」

 

潮風が体を叩く。

白いカーテンが風に舞い、病室にいる誰かを隠した。

だが、その正体に、俺はすぐに気が付いた。

 

「大井……!」

 

駆け寄り、カーテンを退ける。

大井は俺の顔を見ると、優しく微笑んで見せた。

 

「大井……」

 

「提督」

 

「大井……大井……」

 

俺は思わず、泣いてしまった。

どうして泣いたのか、自分でもよく分からない。

 

「何泣いてんのよ……ばか……」

 

大井は笑っていたが、その頬には、涙が伝っていた。

 

 

 

「すまん……取り乱した……」

 

山風はハンカチを取り出すと、俺の涙を拭いた。

手術中に先生の汗を拭く、助手の様に……。

 

「びっくりさせようと思ったのに、こっちが驚かされたわ」

 

なるほど……。

鈴木が言っていたのは、こっちの事であったか。

 

「人化は無事成功したわ。これで晴れて、私も人間だわ」

 

「そうか……」

 

感慨深過ぎて、それしか返事が出来なかった。

 

「大井さんはしばらく、検査の為に入院するの。あたしがここに配属になったのは、大井さんの面倒を見る為でもあるんだ」

 

そういう事か。

俺はてっきり――。

 

「山風。ちょっと提督と話があるから、外してもらってもいいかしら?」

 

「分かりました。じゃあ、後はよろしくね、雨宮君」

 

「あぁ」

 

山風が出て行くと、大井はベッドから起き上がった。

 

「起きて大丈夫なのか?」

 

「えぇ。別に、悪い所もないのよ。まだ病室を出る許可が出ていないから、寝ることしかできなくて」

 

退屈だとでも言うように、大井は欠伸をして見せた。

 

「元気そうで良かったわ。最後に会った時は、なんだか死にそうな感じだったから」

 

「そうかもしれないな……」

 

「島に戻ったんでしょ? あんたならそう決意してくれるって、信じていたわ。ありがとう、提督」

 

「大井……」

 

「……それよりも、聞いてくれる? 人化して気が付いたのだけれど、人間の体って、ほんっとに不便じゃない?」

 

「え?」

 

「例えば階段! 人化する前は全然大丈夫だったのに、ちょーっとあがっただけで疲れちゃうのよ? 力も弱くなったようだし、何よりも、生理って何なのよ!? 血は出るし、お腹痛くなるし……。最悪よ……」

 

最後の悩みは、俺にはちょっと分からなかった。

 

「人間って、本当に弱い生き物なのね。分かっていたつもりだったのだけれど、実感すると、想像以上に弱くて……」

 

「……後悔しているのか?」

 

「いいえ……。そういう話じゃないのよ。ただ……」

 

大井は俺を、じっと見つめた。

少しだけ、悲しそうな目であった。

 

「こんなにも弱いって、人間であるあんたが一番よく分かっていたはずなのに、あんたは私を恐れずに――あんなに傷つけられたのに、真っすぐ向き合ってくれたんだなって……」

 

「……ただ馬鹿なだけさ。危機感というものを知らないんだ。俺って奴は」

 

「そんな馬鹿を好きになっちゃった女もいるのよ? あまり悪く言わないで頂戴」

 

なんとまあクサイ台詞。

大井自身もそれが分かっているのか、ほんのりと顔が赤くなっていた。

沈黙が続く。

 

「……そうだ。島の皆はどうしてるの?」

 

話題を変える様に、大井はそう言った。

 

「あぁ……実は……」

 

俺は、大井が居なくなってからの出来事を――少し躊躇ったが、鹿島達が島を出ようとしていることも含め、事細かく話した。

 

「鹿島さんが……」

 

「だがそれには、望月を説得する必要があるんだ。しかし……」

 

「接触できていないんでしょう? そういう状況になったら、すぐに立場を理解するような子だものね」

 

望月の事をよく知っているのか、大井はすぐに、状況を理解してくれた。

 

「警戒しているような感じではないのだが、こう、見透かされているような……。とにかく、他の駆逐艦とは、どこか違う雰囲気があるんだ」

 

「確かに、他の駆逐艦とは違って、凄くしっかりしているわ。でも、所詮は子供よ。私からしてみればね」

 

そう言うと、大井は窓の外を眺めた。

 

「でも……そうなのね……。私だけじゃないんだ……。島を出ようとしているのは……」

 

そしてもう一度、俺を見つめた。

 

「あんたって……本当……」

 

そこまで言って、大井は閉口した。

 

「大井……?」

 

「……私にいい考えがあるわ」

 

「え?」

 

「望月との接触について、よ。このまま普通にあんたから接触しても、警戒されるだけ。だったら、望月からあんたに接触すればいい。そうでしょう?」

 

「いや……そうなのだが……。そんな方法、あるのか?」

 

「えぇ。成功するか分からないけれどね。なんせ、十数年前の話だから……」

 

「十数年前……?」

 

「とりあえず、時間と協力者が必要だわ。少しだけ待っていてちょうだい」

 

「俺はどうすればいい? というか、何をしようとしているんだ?」

 

「あんたはこれまで通り、島に居ればいいわ。何をしようとしているのかは、秘密」

 

「秘密? どうして?」

 

「だって、言ってしまったら、私抜きで動こうとするでしょう? それだと困るのよ。だって」

 

大井はニンマリ笑うと、悪戯な目で俺を見つめた。

初めてみる表情であった。

 

「だって、私のおかげで望月との交流が図れたとなれば、それを出汁にあんたに色々できるじゃない?」

 

フフン、と鼻を鳴らす大井。

 

「……それだけの理由か?」

 

「他に理由がある訳?」

 

俺は拍子抜けして、思わず笑ってしまった。

 

「俺が恩知らずだったらどうするんだよ?」

 

「そういう男じゃないって、私が一番、よく分かっているわ」

 

その返しには、流石に言葉が無かった。

 

「色々って、何をする気だよ?」

 

「質問の多い男ね……。でもまあ、そうね……」

 

大井は考える様に、天井を仰いだ。

 

「じゃあ、こういうのはどう? 作戦が成功したら、私とデートしなさいよ」

 

「デート……?」

 

「作戦が成功する頃には、ここの敷地くらいまでなら歩けるようになるだろうし、人化して初めてのデートは、やっぱりあんたとがいいわ」

 

またデートか……。

どうしてこうも、艦娘ってのは――いや、もう艦娘ではないのか。

 

「約束してくれないのなら、協力はしない。どう?」

 

なんて強引な奴……。

だが……。

 

「あぁ、分かったよ。デートだな?」

 

俺の返事に、大井は何故か、目を細めた。

 

「なんか余裕って感じね……。もっと過激な要求にしようかしら?」

 

「お、おいおい……」

 

焦る俺に、大井は満足気であった。

 

「冗談よ。デートでいいわ。むしろ、デートがいいわ」

 

「じゃあ……」

 

「契約成立ね。約束破ったら、殺すから」

 

笑顔で言ってはいるが、大井の事を知っているからこそ、本当に恐怖を感じた。

 

「失礼します」

 

ノックと共に、山風が入って来た。

 

「雨宮君、そろそろ……」

 

「もう時間か。あっという間だったな」

 

「えぇ。でも、いい時間だったわ。作戦の件は任せて頂戴。来週、また顔を出しなさいよ?」

 

「あぁ、分かったよ」

 

「じゃあね、提督」

 

 

 

「ほら、コーヒーだ」

 

船に乗り込み、鈴木に缶コーヒーを渡した。

 

「な? 感謝することになったろ?」

 

「ったく……下手なサプライズしやがって……」

 

「どうだった? 山風との再会は」

 

「え? 大井との再会がサプライズじゃなかったのか?」

 

「え? 大井と会ったのか? 人化して、まだ誰とも面会できないって話だったが……」

 

「え?」

 

「え?」

 

 

 

島に戻ると、鹿島と皐月、卯月が出迎えてくれた。

 

「提督さん……」

 

何やら表情を曇らせている三隻。

 

「何かあったのか?」

 

「うん……。実は……さっき、もっちーを説得しようとしたんだけど……」

 

「いい加減にしろって……怒られちゃって……。喧嘩になっちゃったんだぴょん……」

 

喧嘩……。

 

「ごめんね司令官……。ボクたち……余計な事しちゃった……」

 

そう言うと、駆逐艦二隻は泣き出してしまった。

 

「お前たち……。そうか……。俺の方こそごめんな……。俺が不甲斐無いばかりに……辛い思いをさせてしまったな……」

 

本当にその通りだ。

俺が不甲斐無いばかりに……。

 

「提督さん……」

 

「……今日はもう遅い。鹿島、こいつらを頼む……」

 

「は、はい……」

 

二隻を連れ、鹿島は寮へと戻っていった。

 

「はぁ……」

 

悪い事させちまったな……。

敵対しようが何をしようが、もっと早く、俺が望月に接触していれば……。

鹿島達が島を出る事を天秤にかけて、慎重になり過ぎたんだ……。

 

「…………」

 

今更遅いが――大井を頼って待つよりも、明日にでも望月に接触しよう……。

 

 

 

そんな俺の決意を見透かしてか、翌日の早朝、再び鈴木がやって来た。

 

「鈴木。どうした、こんな朝早くから……」

 

「山風に頼まれたんだ。これをお前に渡してくれってよ」

 

そう言って、鈴木は紙袋を俺に渡した。

 

「山風からの伝言だ。『大井さんから頼まれたものだよ。とりあえず、すぐに用意できたものだけ渡しておくね』だとよ。なんだよ? 大井から頼まれたものって」

 

「いや……俺にも分からんのだ……」

 

紙袋の中には、何やら変な小型の機械と、大井からの手紙が入っていた。

 

「なんだ、こりゃ……?」

 

「お! おめぇこりゃ!」

 

鈴木は変な機械を手に取ると、スイッチを入れ、起動させた。

 

「懐かしいな。しかし、どうしてこんなもんを?」

 

俺は大井の手紙に目を通した。

そこには、作戦の全容と、俺が下手な真似をしないよう、すぐに山風に手配させたという旨が書いてあった。

 

「なんでも見透かしてるって訳か……」

 

俺が手紙を読んでいる間、鈴木は機械に夢中になっていた。

 

「おい、いつまでやっているんだ?」

 

「あぁ、悪い悪い。しかしお前、これが何なのか知らないのか」

 

「あぁ……手紙を読んで、初めてそれの正体を知った」

 

「お前、こういうのに疎いもんな……。けど、どうしてそれをこの島に?」

 

「ちょっとな……。そうだ鈴木。まだ時間があるようなら、これの使い方を教えてくれないか?」

 

「あぁ、構わねぇけど……」

 

それから朝食の時間まで、俺は鈴木に機械の操作方法を教えて貰った。

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

朝食を済ませると、皆はいつものように、それぞれの時間を過ごし始めた。

 

「も、もっちー……!」

 

皐月と卯月が、望月を呼び止めた。

 

「……なんだよ?」

 

どこかめんどくさそうに返事をする望月。

 

「あの……昨日はごめんね……。ボクたち……その……」

 

「……あー、もういいよ。別に、もう怒って無いしさー……」

 

「で、でも……」

 

「喧嘩しっぱなしってのも面倒だしさー……。ごめんって思っているのなら、あたしを説得すんのはもうやめとけ。あたしはこのままでいいんだ。島の外に出るとか、マジめんどくせぇーって感じだし」

 

望月の言葉に、二隻は何も言えないでいるようであった。

よし……今だ……。

 

「あーっ!」

 

声をあげたのは、山城の食器を返しに来た夕張であった。

誰かが反応してくれるとは思っていたが、ここまでとは……。

 

「提督! それ!」

 

皆が俺を見る。

そして、俺の持っている機械を見つけると、駆け寄って来た。

 

「そ、それは……!」

 

まだ交流のない駆逐艦も、その機械に目を奪われていた。

 

「知っているのか。夕張」

 

「あったりまえじゃない! うわぁ! 懐かしい!」

 

「そういや、以前、島に持ち込んだ奴がいたんだってな」

 

「そうそう! まだあったのね! この『ゲーム機』!」

 

『ゲーム機』という言葉を耳にした望月の反応を、俺は見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

残り――29隻

 

――続く



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14話

*SAEKI251 さんが ログインしました*

*HI-Rabbit さんが ログインしました*

SAEKI251:ども~

HI-Rabbit:こn

SAEKI251:あれ? 今日はうさぎさんだけ?

*Autumn_cloud さんが ログインしました*

SAEKI251:先生!

Autumn_cloud:ども

HI-Rabbit:原稿終わったん?

Autumn_cloud:終わってないから来たんだよなぁ

SAEKI251:流石ですw

HI-Rabbit:えぇ……

Autumn_cloud:ちょっとだけだから! 先っぽだけだから!

HI-Rabbit:それ最後までヤるやつや

SAEKI251:そう言えば、今日も山さん来ないの?

Autumn_cloud:あー

Autumn_cloud:なんか

Autumn_cloud:仕事が忙しいとかで

Autumn_cloud:しばらく来れないらしい

HI-Rabbit:先生、山さんとリア友だっけ?

Autumn_cloud:リア友っていうか

Autumn_cloud:元同僚みたいな

SAEKI251:我々の本業はコッチでしょw

HI-Rabbit:それ

Autumn_cloud:あとなんか

Autumn_cloud:彼ぴっぴできたっていうか

HI-Rabbit:は? 裏切り者じゃん

SAEKI251:先生に?

Autumn_cloud:ちげーよ

Autumn_cloud:むしろくれ

SAEKI251:あ……

HI-Rabbit:しー(人差し指を唇に)

Autumn_cloud:黙れ

Autumn_cloud:看護師の仕事してるんだけど

Autumn_cloud:なんか職場にイケメソがいたっぽくて

Autumn_cloud:メスの顔してたわ

HI-Rabbit:夜にお医者さんごっことかしてそう

SAEKI251:お注射しますね~(意味深)

Autumn_cloud:山さんかわいいからな~

Autumn_cloud:ちなみに相手は医者じゃないらしい

SAEKI251:けど、ランカーの山さんが何日も来ないって

SAEKI251:相当だよね

HI-Rabbit:引退かね

Autumn_cloud:いい歳っちゃいい歳だしねぇ

Autumn_cloud:ゲームの話も

Autumn_cloud:あまりしなくなっちゃったし

HI-Rabbit:あんたもいい歳定期

Autumn_cloud:お前もすぐこうなるよ(魔女)

SAEKI251:まあ、すぐにいい人が見つかりますよ。私みたいに(半笑い)

Autumn_cloud:なんだァ? てめぇ……

HI-Rabbit:ゲーマーの母乳は虹色に光るってマジ?

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「あと、これだな」

 

鈴木は荷物を降ろし終えると、ボキボキと腰を鳴らした。

 

「ごくろうさん」

 

「本当だ……。しかし、まさか、山風がゲーム機を寄付してくれるなんてな」

 

段ボールいっぱいに詰められたゲームのカセット。

ゲーム機、ブラウン管テレビ、etc...

 

「全部レトロゲームだ。ご丁寧に、テレビまで用意してくれている」

 

「山風はどうして、こんなにゲームを持っているんだ?」

 

そう言ってやると、鈴木は唖然とした表情を見せた。

 

「お前、知らねぇのか? 山風って言えば、かなりの腕前を持つゲーマーであり、レトロゲームマニアなんだぜ?」

 

「そうなのか」

 

「そうなのかって……。かぁ~……お前……本当に何も知らずに山風とイチャコラしていたんだな……」

 

「イチャコラって……」

 

「山風は元プロゲーマーだ。――というゲームの大会で、賞金を稼いだこともあるくらいなんだぜ?」

 

「それがまた、どうして看護師を?」

 

「さぁな。突如引退して、看護師になるのだと言い出したんだ。まあ、いつまでもゲームばかりやっている訳にもいかないしな」

 

元プロゲーマーか……。

そんな片鱗は見られなかったが……。

 

「以前、この島にゲームを持ち込んだ奴がいたらしいが、それと何か関係があるのか?」

 

「あぁ。ゲーム好きな奴がいてな。そいつとの交流に使うつもりだ」

 

尤も、この前は夕張に気圧されたのか、近づいてくることも無かったがな。

 

 

 

寮に戻ると、皆が夕張を取り囲んでいた。

 

「夕張さん! 早く代わってよ!」

 

「もうちょっとだけ! もうちょっとだけだから!」

 

どうやら夕張がゲーム機を独占しているらしい。

 

「何やってんだお前……」

 

「あ、提督。今ね、ハイスコアが出ていて……」

 

「ゲーム機を独占すんな……。少しは大人っぽく振る舞ったらどうなんだ」

 

「大人でもゲームはするものよ。持ち込んだのも大人だし」

 

こいつは……。

 

「まあいい。おいお前ら、新しいのが来たぜ」

 

そう言ってやると、皆は一斉に俺の持ってきたゲーム機の方へと走り出した。

 

「提督……」

 

振り向くと、ムッとした顔の鳳翔が立っていた。

 

「なんだ?」

 

「あまりゲーム機を持って来られては困ります……。昨日、消灯時間になってもゲームをやめなかった子がいるんです……。作戦だとは言え、これではあまりにも……」

 

作戦の事は、皆に話していた。

大井の手紙の事も。

 

「望月さんがゲームを好きだからと言って、それで釣ろうとすることは分かりますけど……。だからと言って、むやみやたらに持って来られるのはいかがなものかと……」

 

「あぁ、悪かったよ。ゲームをやり過ぎるような奴には、取り上げると脅してやればいいさ」

 

鳳翔は呆れた表情を見せると、皆の方へ走っていった。

 

「皆さん! ゲームは一日一時間ですからね?」

 

ゲームは一日一時間か。

どっかで聞いたことがあるな。

 

「よっ! ほっ!」

 

「……夕張、山城はどうしたんだ?」

 

「え? 部屋にいるわよ」

 

「んなこた分かってる」

 

「じゃあ、何が訊きたいってのよ? 今、ハイスコア更新中なんだから、話しかけないでくれる?」

 

呆れる俺の表情を、鳳翔は「ね?」とでも言いたげに、横目で見つめていた。

 

 

 

結局、大量のゲーム機を持ち込んだせいで、望月はどさくさに紛れてしまい、話しかける機会を失ってしまった。

 

「失策だったか……」

 

「その内、望月さんだけになるタイミングがあるでしょう。その時にでも、ゲームの話題を振ってみたらどうでしょうか?」

 

「それもそうだな……」

 

「それよりも、山城さんです。夕張さんはゲームに夢中ですし……昼食を持っていくついでに、交流を図ってはどうでしょうか?」

 

「取り合ってくれるだろうか……。二人っきりで話すってのは、初めてだからな……」

 

「逆にチャンスだと考えては? 夕張さんがゲームに夢中で、仕方がないから来てやったんだってスタンスで行けば、山城さんも納得するでしょうし」

 

「中々上から目線だな……」

 

「その方が山城さんの好みかと。佐久間さんがそうでしたし」

 

なるほどな……。

 

「よし、分かった。なら、それで行こう。ありがとう、大淀」

 

「いえ。頑張ってくださいね」

 

「おう」

 

大淀はガッツポーズを見せると、ニコッと笑って見せた。

本当、よく笑うようになったよな、大淀も。

 

 

 

昼食を持って、部屋の扉を叩く。

 

「山城、飯を持ってきてやったぜ」

 

返事はない。

 

「……入るぞ」

 

部屋の中は真っ暗で、じめっとしていた。

 

「電気くらいつけろよな。あと、窓開けろ」

 

明かりを点けると、眩しそうな――嫌そうな顔をした山城が、部屋の隅で座っていた。

 

「よう。昼食を持ってきてやったぜ。わざわざ、この俺が」

 

座り、昼食を目の前に置いてやる。

まるで、犬に餌をやる気分だ。

 

「…………」

 

「どうした? 食わないのか?」

 

「……夕張は?」

 

「あぁ……あいつ、お前があんまり出てこないもんで、ゲームに夢中になってるぜ。捨てられたんだよ、お前は」

 

「……そう」

 

山城はもそもそと飯を食い始めた。

 

「冗談だよ。まあ、ゲームに夢中になっているのは本当だがな」

 

俺の言葉が聞こえないとでも言うように、山城は反応もせず、ただ飯を食らっていた。

 

「お前、いつまでこうしているつもりなんだ? いつか、この島には誰もいなくなる。その時、誰がお前の飯を持ってくる?」

 

山城に反応はない。

 

「まさか、こうして俺に持って来させようってんじゃないだろうな? 俺は嫌だぜ。老いぼれてまで、お前に配膳をするのはよ」

 

「……老いぼれても、居てはくれるのね」

 

思わぬ返しに、俺は思わず閉口してしまった。

 

「……別に、捨ててくれても構わないわ。食事を持ってこいと頼んだことはないし……機能停止を恐れたこともないわ……」

 

「……だったら、何故食事を?」

 

「わざわざ自殺する気も無いって事よ……。私はただ……在るべくして在るだけ……」

 

山城は箸を置くと、食器の載ったトレーを俺の方へと寄せた。

 

「もういいのか?」

 

「必要分は摂ったから……」

 

「そうかよ……」

 

そんな事よりも、今日の山城は、何だかやけにしゃべってくれているように感じる。

気のせいだろうか……?

試しに話しかけてみるか……。

 

「なあ、山城……」

 

山城は返事をする前に、膝を抱え、小さくなってしまった。

限界の合図だ。

 

「……また来るぜ」

 

そう言って、トレーを持ち上げた時であった。

 

「待って……」

 

山城は膝を解くと――視線は床にあったが、俺の言葉を待っているようであった。

 

「ど、どうした……?」

 

突然の事で――それも、今まで無かった事に、俺は動揺を隠せずにいた。

 

「もう少し……」

 

「もう少し……?」

 

その先を、山城は言わなかった。

――いや、言えなかったのだろう。

 

「……もう少し、話でもするか?」

 

山城は答えなかった。

だが、そういう事らしい。

俺が何も言わずに座りなおすと、山城もまた、同じように座りなおした。

 

 

 

部屋の外からは、駆逐艦の楽しそうな声が聞こえていた。

 

「夕張とはどうだ? あいつ、任せてくれとだけしか言わなくてな。お前とどうなのか、話してくれないんだ」

 

「……話したくもないはずよ。あの子にとって、貴方に必要とされる唯一の事が、私の世話なのだから……」

 

「……どういうことだ?」

 

山城は深くため息をついた。

 

「あの子……貴方に惚れているのでしょう……? 貴方は振ったようだけれど……」

 

なるほど……そういうことかよ……。

 

「そんなことまで話しているのか、あいつ……」

 

「よく泣いているわ……。ここでしか泣けないから、泣かせてほしいって……」

 

泣いている……か……。

 

「そうか……。そりゃ、迷惑をかけたな……」

 

「別に……」

 

山城は俯くと、再び顔をあげ、俺を見た。

 

「山城?」

 

「……貴方を呼び止めたのは、夕張を泣かせた男がどんな奴なのか、知るためだったのよ」

 

夕張を泣かせた男がどんな奴か……。

山城がそこに興味を持つなんてな。

他人の恋愛事情なんて、興味なさそうな感じだが。

 

「……して、どうだ? 酷い男だったか?」

 

「たらしって感じだわ……。その気もないくせに、勘違いさせる様な……。夕張だけじゃなくて、他の女も貴方に泣かされているんじゃないのかしら……」

 

「たらしどころか、俺は恋人すら……」

 

「そういうところよ……。経験の多い女ならまだしも、艦娘のような純潔な存在は、貴方のような存在に弱い……。貴方の優しさに、弱いのよ……」

 

「俺を優しい男だと、評価してくれていると捉えても?」

 

山城は何も言わなかった。

 

「優しい男は、女を泣かせないだろう」

 

「優しいが故に泣かせてしまうのよ……。夕張は、貴方への想いを断ち切れていない。でも、断ち切らなければいけないと思っている。貴方がもっと残酷に振ってくれたら、夕張もきっぱり諦められたでしょう……。あんな男なんてと、愚痴を言って発散させたかもしれない……。でも、そう出来なかった……。それは、貴方が優しく振ったから……。貴方を想う気持ちを捨てきれなくなって、どうしようもなくて、ぶつける相手もいなくて……。だから、ここで泣いているのよ……」

 

結構、残酷に振ったつもりではあったのだがな。

 

「あの子がゲームに夢中になっているのなら、それに越したことはないわ……。私のところで泣くよりも、よっぽど健全……」

 

「そうかもしれないが……。しかし、夕張の身を案じるなんて、意外に優しいんだな、お前」

 

「受けた恩は返す主義なのよ……」

 

「だったら、部屋の外に出て来いよ。皆、お前の為に苦労しているんだぜ。返してやれよ」

 

「返したつもりなのだけれど……」

 

「あ?」

 

「貴方とこんなにも長い時間、話を続けた。私を部屋から出す手段として、貴方との交流が一番でしょうから……」

 

「……随分買ってくれるんだな」

 

「そうじゃなかったら、今頃私は部屋を出ているはず……。もう、貴方を頼る他に手段がないって事よ……」

 

「消去法って事かよ……」

 

山城は膝を抱えてしまった。

今度こそ、限界って訳か。

 

「……内容はともかく、お前と話せてよかった。ありがとな、山城」

 

山城は何も言わなかった。

 

「じゃあな……」

 

立ち上がり、部屋の扉に手をかけた時であった。

 

「――……」

 

山城が、何か――確かに、俺に向けて、言葉を発した。

 

「…………」

 

何を言ったのか、聞き返しても良かった。

だが、そうしなかったのは――。

 

「また来るぜ……」

 

 

 

山城の食器を洗っていると、鳳翔がとんできた。

 

「提督!」

 

「おう、どうした鳳翔?」

 

「そういうのは私にお任せください! 提督ともあろうお人が、いけません!」

 

「別にこれくらい……。本当の提督って訳でもないんだし……」

 

「ダメです!」

 

鳳翔は俺を退けると、皿洗いを始めた。

 

「そんなに嫌かよ……。俺が皿を洗うってことが……」

 

「嫌という訳ではありません……。こういうのは、私たちの仕事ですから……」

 

「仕事を奪うなってことか?」

 

「そうではなくて……。その……提督は男性なのですから、こういったお仕事は……」

 

「もうそういう時代でもないんだぜ。今のお前の台詞を、男の俺が言った日には、そらもうペラッペラになるまで叩かれてしまうんだ」

 

「言ったのは私ですから……」

 

そう言うと、鳳翔はムッとした表情を見せた。

 

「そうかよ……。悪かったな……。仕事をしてしまって……」

 

少し嫌味気味にそう吐き捨て、俺は食堂を後にした。

 

 

 

ゲームをやっているであろう連中の様子を見ようと、色々と部屋をまわってみたが、ほとんどの艦娘が外出していた。

 

「どこ行ったんだ……?」

 

外へ探しに出ようと、靴を履いている時であった。

 

「司令官!」

 

「青葉。お前、皆を知らないか? 何処にもいないんだ」

 

「ゲームをやりに、司令官のお家へ行きましたよ? 何でも、コンセントが足りないとかなんとかで……」

 

「コンセント?」

 

……あぁ、なるほど。

ゲーム機やらテレビやらの電源か。

確かに、各部屋にコンセントはないし、共用部分にも数えるほどしかないが……。

 

「そういう事かよ……。ったく、しょうがねぇな……。ありがとう。行ってみるよ」

 

「あ、待ってください司令官!」

 

青葉は俺の手を取ると、ハッとして、すぐに手を離した。

 

「あ……す、すみません! えと……お家に戻るのなら、陸奥さんを一緒に連れて行ってあげてはくれませんか?」

 

「陸奥を?」

 

「そうです! 陸奥さん、司令官と仲直りしたいそうで……」

 

「仲直りって……。喧嘩したつもりはないんだがな……。一方的に無視されているというか……」

 

鹿島との一件から、陸奥とは一言も言葉を交わせていない。

目を合わせても、わざとらしくそっぽを向かれてしまうのだった。

 

「司令官が鹿島さんにデレデレしているのが許せなくて、ちょっと意地になっちゃったんですよ。謝るにも、機会を失っちゃったみたいで……」

 

「俺からその機会をつくってやれと?」

 

「はい……。陸奥さんの態度については、青葉が代わりに謝ります……。申し訳ございませんでした……」

 

青葉は頭を下げると、不安そうな表情で俺を見つめた。

 

「お前が謝ることじゃないだろう」

 

「そうですが……。青葉は……少しでも陸奥さんの支えになりたくて……」

 

健気な奴だな……。

ここまでされると――いや……。

 

「お前の気持ちは分かった。しかし、申し訳ないが、陸奥のところには行けない」

 

「え……どうしてですか……?」

 

「陸奥がお前に甘えすぎているからだ。陸奥は分かっているはずだ。ぐずぐずしていれば、お前が俺に頼み込むことを……」

 

青葉は何も言わなかった。

分かってはいるのだろうが、口には出せないよな。

 

「陸奥を想っての事でもあるが、お前に対しても言っているんだぜ、青葉」

 

「青葉にも……ですか……?」

 

「お前、いつまで陸奥にくっついているつもりだ?」

 

核心をつかれたとでも言うように、青葉は俯いてしまった。

 

「そうしている方が楽なのは分かる。だが、それではいけないって、本当は分かっているんだろう?」

 

青葉は何も言わなかった。

 

「心を鬼にするつもりで、陸奥から離れてはどうだ?」

 

「そんなこと、青葉には……」

 

「なら、俺が無理やり引き剥がしてやる」

 

「え……?」

 

俺は青葉の手を取ると、そのまま寮の外へと飛び出した。

 

「ちょ……! 司令官!?」

 

「抵抗してもいいんだぜ」

 

俺はあえて、青葉の顔を確認しなかった。

青葉は返事をすることなく、ただ握られた手を、優しく握り返すだけであった。

 

 

 

「うぉ!?」

 

家の玄関を埋め尽くす、靴靴靴――。

 

「なんじゃこりゃ……」

 

「凄いですね……」

 

居間の方では、まるで宴会でも開かれているのではないかというほどに、何やら黄色い声が――。

 

「クソ……靴が置けねぇ……」

 

「整頓しましょう」

 

二人で靴を整頓し、居間へと向かう。

 

「おいおい……」

 

ただでさえ狭い居間に、何十隻もの艦娘が、ゲーム機で遊んでいた。

 

「マジか……」

 

よく見ると、まだ交流のない艦娘もチラホラ……。

 

「鈴谷さんに熊野さんまでいますよ」

 

「え!?」

 

青葉の指す方向に、その二隻はいた。

 

「鈴谷と熊野……」

 

軽巡以上の艦娘で、唯一、まだ話をしたことがない艦娘だ。

俺を寮に迎えるかどうかの投票では、反対に入れていたようであったが……。

 

「来ていないのは、大和さんと鳳翔さん、陸奥さんに山城さんくらいでしょうか……」

 

「ほぼ全員来ていると言っても過言ではないな……」

 

しかし、たかがゲーム機でここまで集まるとは……。

最初からやっておけばよかったぜ……。

 

「司令官、これは交流のチャンスですよ! ただでさえ警戒していた皆さんが、司令官の家に来ているんです!」

 

「そ、そうだよな……。しかし……空気を悪くしてしまいそうで……。今は様子を見た方がいいのではないか……?」

 

「何言っているんですか! もう……。青葉がリードしてあげますから! 行きましょう!」

 

「ちょ……!」

 

青葉は俺の手を引くと――さっきとは逆の立場に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「笑っている場合じゃないですよ! ねぇ、皆! 私たちも交ぜてください!」

 

それから青葉に連れられるまま、俺は駆逐艦たちとの交流を図った。

最初こそ警戒されたものの、共にゲームをしてゆく内に、打ち解けることが出来た。

 

 

 

しばらくすると、家に鳳翔がやってきて、皆にゲームをやめるよう説得を始めた。

 

「一日一時間ですよ!」

 

「はーい……」

 

皆、鳳翔のいう事を素直に聞いていた。

信頼があるというか、鳳翔の言う事は絶対だという、暗黙の了解でもあるのだろうか。

 

「ねぇ、遊具で遊んでいかない?」

 

「いいね! 遊ぼう遊ぼう!」

 

駆逐艦はそのまま、遊具の方へと流れていった。

 

「もっちーも! 行こう?」

 

「あー……あたしはパス。ゲームやりに来ただけだし、寮に戻るわー……」

 

そう言うと、望月は俺をチラリと見た。

 

「!」

 

だが、すぐに視線を戻すと、そのまま家を出て行ってしまった。

 

「今、望月さんが見ていましたね」

 

「大淀。あぁ、そのようだな」

 

「話しかけたりしました?」

 

「いや……そんな暇も無かった……。他の駆逐艦とは交流が出来たが……」

 

大淀は何やら考える様な素振りを見せた。

 

「何か思うところでも?」

 

「いえ……もしかしたら望月さん、提督が一向に話しかけてこないものだから、逆に気になりだしているのではないかと思いまして……」

 

「え?」

 

「自分がキーマンだと知っているからこそ、提督を警戒しているはずなんです。もし話しかけてきたらこうしてやろうだとか、どう躱そうかだとか、そういうことを想定する子なんですよ」

 

「想定しているからこそ、仕掛けてこない俺を気にかけてしまう……という事か……」

 

「実際は、提督が奥手なだけなんですけどね」

 

俺は何も言えなかった。

 

「しかし、これは利用できるかもしれませんよ。ゲーム機を持ってきた意味を、望月さんは理解しているはずなんです。そこまで徹底していて、それでもなお仕掛けてこない提督を見続ければ、望月さんもストレスに感じて、自ら仕掛けようと接触してくるのではないかと思います。先ほどの視線は、まさにその前兆ですよ」

 

言われてみれば、確かに……。

 

「なら逆に、接触は避けた方がいいって事か」

 

「望月さんに近づくための行動をしつつ、近づかない。これに尽きるかと」

 

「焦らし作戦か……」

 

「得意でしょう? そういう事」

 

大淀は何やらムッとした表情を見せると、俺を小突いて、寮へと戻って行ってしまった。

 

「得意……なのだろうか……」

 

何か焦らすような事をした覚えはないが……。

 

 

 

それから夕食の時間まで、残ってくれた駆逐艦たちと遊んだ。

奥手の俺に対し、青葉たちの助けもあって、より一層駆逐艦たちとの交流を図ることが出来た。

 

「司令官、挨拶したいという子たちを連れてきましたよ」

 

「挨拶?」

 

青葉が連れて来たのは、朝潮、漣、朧であった。

 

「朝潮です。本日はありがとうございました。その……今までお話し出来ず、申し訳ございませんでした! ずっと……貴方の事を誤解していて……その……」

 

「い、いや……いいんだ……。俺の方こそ、中々話しかけられなかったし、誤解を招くことばかりで……悪かったな……」

 

「そ、そんなこと……」

 

朝潮。

吹雪さんのノートには、真面目で忠実な駆逐艦だと書いてあったが、まさにそんな感じだ。

 

「あの……司令官……とお呼びしても……よろしいでしょうか?」

 

「あぁ、何とでも呼んでくれていいぜ。これからよろしくな、朝潮」

 

「は、はい!」

 

朝潮が敬礼すると、それを茶化す様に漣も敬礼し、自己紹介を始めた。

 

「自分は漣であります! キリッ! よろしくお願いしますね、ご主人様」

 

「お、おう……漣。よろしくな」

 

漣。

普段は何かとふざけているようだが、決める時は決める駆逐艦。

ゲームをしている時、順番を守らない駆逐艦に対し、角が立たない様に説得をするなど、割としっかりしたタイプなのが見てとれる。

 

「朧です。よろしくお願いします、提督」

 

「おう、よろしくな。朧」

 

朧。

のんびりしているというか、正直、何を考えているのかよく分からない駆逐艦だ。

ゲームをしている時も、興味があるんだかないんだか。

熱中しているようにも見えるし、退屈そうにも見えて――本人は特に考えていないのだろうが、それ故に分からない部分が多い。

 

「たくさん交流が出来て、良かったですね、司令官」

 

「あぁ、お前のおかげだよ、青葉。ありがとうな」

 

「い、いえ! お役に立てたのなら良かったです……。えへへ……」

 

しかし、まだ交流できていないというか、警戒されている駆逐艦も多い。

望月はもちろんの事、潮、曙、霞、天津風は、まだ俺の事を警戒しているようだ。

無論、響もまだ、俺の事を――。

 

 

 

夕食時、いつもは配膳をしてくれる鳳翔が、今日はしてくれなかった。

 

「なんだ、飽きたのか?」

 

「いえ……そんなに自分でお仕事をされたいのであれば、ご自由にと思いまして……」

 

「まだ皿洗いの事を怒っているのか? たかが皿洗いだろう?」

 

「たかが……! どうして提督は私を否定するような事ばかりなさるのですか!?」

 

「え?」

 

「ゲーム機だってそうです……! 一日一時間だと言いましたよね!? なのに、一時間以上もやって……」

 

「俺はそんなにやっていないぜ?」

 

「やっている子たちを注意してくださいと言っているのです……! ただ見ているだけではなく……!」

 

「んなこと言っても……。そもそも、皆、楽しそうだったし、別に一時間と限定しなくてもいいだろう……」

 

「ダメです……!」

 

こいつは何をこんなに怒っているんだ……。

皆の視線が、俺たちに集まっていた。

 

「大体提督は……!」

 

「あぁ、分かった分かった……。俺が悪かった……。皆が見ているから、な?」

 

「なんですかその態度は……! もっと真面目に……う……うぅぅ……!」

 

鳳翔がぽろぽろと涙を流すものだから、俺は――皆もギョッとしていた。

 

「もう……知りません……!」

 

鳳翔は食堂を出て行ってしまった。

 

「お、おい!」

 

透かさず、夕張と明石がとんできた。

 

「ちょちょちょ……! 一体、どうしたってのよ?」

 

「い、いや……分からん……。なんかあいつ、急に怒ってさ……」

 

「急に怒る訳ないじゃないですか! 提督、何をしたのです!?」

 

「マジで分からんのだ……。俺はただ、自分で皿洗いをしただけで……」

 

「皿洗い?」

 

そんな事でわちゃわちゃしていると、大和が立ち上がり、俺の方へとやって来た。

 

「や、大和さん……」

 

夕張と明石は一歩下がると――って言うか、下がるなよ……。

 

「大和……!」

 

思わず武蔵が立ち上がる。

大和は俺の前に立つと、じっと睨み付けた。

 

「……どうした? お前の鳳翔を泣かされて、怒ったのか……?」

 

一触即発の空気に、食堂は静寂に包まれた。

 

「行ってあげてください……」

 

「へ……?」

 

「どんな理由であれ、とにかく追いかけてあげてください……。鳳翔さんがあそこまで怒るのには、ちゃんと理由があるはずです……。それも、貴方を想うが故の理由が……」

 

そう言うと、大和は背を向け、元居た席へと引き返していった。

 

「大和、お前……」

 

「……私はただ、鳳翔さんが悲しむ姿を見たくないだけです。早く行ってあげてください……」

 

大和が席に座ると、武蔵もまた、席に座った。

 

「て、提督! とりあえず、早く行ってあげなさいよ! ね?」

 

「そ、そうですよ!」

 

「お、おう……。分かった……」

 

食堂を出る時、チラリと大和を見たが、俯いていたため、表情を確認することは出来なかった。

 

 

 

鳳翔はすぐに見つかった。

 

「やはりここだったか……」

 

以前に鳳翔と二人で語らった、大きな流木のある海辺。

その流木に、鳳翔は座って泣いていた。

 

「隣、いいか?」

 

鳳翔は無言で頷くと、座れるように席を空けてくれた。

 

「ありがとう」

 

空はすっかり暗くなっていて、かけた月が浮かんでいた。

 

「……ごめんなさい」

 

涙交じりに、鳳翔は頭を下げて謝った。

 

「いや……俺の方こそ悪かったよ……。まさか、あんなに怒るとは思っても……」

 

鳳翔は首を横に振ると、顔をあげ、俺を見つめた。

 

「悪いのは私です……。私……私は……うぅぅ……」

 

鳳翔は再び大粒の涙を流した。

 

「あぁ……ごめんな、鳳翔……」

 

理由もよく分からないまま、俺は鳳翔を慰め続けた。

 

 

 

月の位置が変わっていることに気が付く頃、鳳翔は泣き止んだ。

 

「すみません……」

 

「いや……」

 

スンスンと鼻を鳴らす鳳翔。

やがてそれも落ち着き、鳳翔は語り始めた。

 

「驚きましたよね……。あんなに怒って……こんなに泣いてしまって……」

 

「まあな……」

 

「自分でも分かっているのです……。たかがお皿を洗われたくらいで、あんなに怒ることはないって……。でも……」

 

鳳翔は閉口すると、再び悲しい表情を見せた。

 

「……言いにくい事なら、別に言わなくていいよ」

 

「いえ……。ただ……」

 

鳳翔は顔をあげると、夜の海をじっと見つめながら言った。

 

「私……怖くて……」

 

「怖い……?」

 

「以前にもお話しした通り……私には……女としての魅力がありません……。だからこそ、私は殿方に尽くしたいと思っているのです……。尽くすことで、女として足りない部分を補っているのです……」

 

その理屈は、俺には分からなかった。

 

「お前に魅力がないとは思えないがな」

 

「……それでも、陸奥さんや鹿島さんほどではありません。提督だって分かっているでしょう……?」

 

俺は言葉に詰まってしまった。

 

「尽くすことが私の魅力で……私に出来る最大限のことでした……。ですから……」

 

なるほど、読めたぜ。

 

「それで怖かったという訳か。俺がなんでも自分一人でやってしまうものだから――お前の魅力を否定するような事ばかりやるものだから……」

 

鳳翔は小さく頷いた。

 

「……複雑な感情だな」

 

「面倒くさい女だと、ハッキリと仰ってください……。自分でも……分かっているのですから……」

 

そう言うと、鳳翔は膝を抱えて唇を尖らせた。

 

「……あぁ、そうだな。面倒くさい女だ。一丁前に嫌味も言うしな」

 

鳳翔は少しだけ、ほんの少しだけ、申し訳なさそうな顔をした。

 

「でも、意外な一面を見れて良かったとも思っている。前に言った、『鳳翔』という器に囚われないお前を見れたようでさ。あぁ、いや、でも、申し訳ないとも思っているぜ? 本当に……」

 

「……本当ですか?」

 

細い目が、俺を見ていた。

 

「……それは、どっちに対して言っているんだ?」

 

「意外な一面……というところです……」

 

あぁ、そっちか……。

何故か、ホッとしている自分がいた。

 

「良かったって……。意外な一面の私の方がいいって……そういうことでしょうか……?」

 

俺は答えに困った。

意外な一面の方がいいと答えれば、普段の鳳翔を否定することになるし、だからと言って、いつもの鳳翔の方がいいと言えば、器の『鳳翔』がいいと言ってしまっているようでもあって……。

 

「提督……?」

 

「……全部含めて、いいと思っているよ」

 

逃げの答えだった。

だが、鳳翔は――。

 

「……そうですか」

 

照れているのか拗ねているのか、よく分からない表情を見せた。

これは……正解だったのであろうか……?

 

「……とにかく。別に、尽くす事だけが魅力ではない。お前の魅力は、他にもたくさんあるんだ」

 

「……例えばなんです?」

 

「え……例えば……?」

 

鳳翔は泣き出しそうな表情を見せた。

 

「あ、あぁ……! えと、そうだな……。例えばさ――とか――とか……」

 

「他には……?」

 

「他には!? えーっと……だから、ほら……――の時とか、――だったりするのが魅力的で……」

 

「それに加えて……?」

 

「それに加えて……って、お前……からかっているな……?」

 

鳳翔はくすくす笑って見せると、零れそうになっていた涙を拭いた。

 

「フフッ、ごめんなさい。慌てる提督がおかしくて、つい」

 

「なんだよ……」

 

「でも、そうですか。そんなに私の魅力を見つけてくださっていたのですね」

 

嬉しそうに笑う鳳翔。

泣いたり笑ったり、忙しいやつだ。

 

「機嫌、なおったか?」

 

嫌味っぽく、そう言ってやった。

 

「いえ、あと一押しです。もうちょっと二人っきりで居てくだされば、機嫌がなおるかもしれません」

 

鳳翔は悪戯な表情を見せると、俺との距離を詰めた。

役者が上なのか、嫌味の分からない奴なのか……。

 

「……分かったよ。もうちょっとだけ、面倒くさい女ごっこに付き合ってやるさ」

 

「あら、こういうのが好きだと思っていたのですけれど、違いましたか?」

 

『役者が上』の方であったか……。

 

 

 

それからしばらく、二人でたわいもない話をした。

 

「しかし、そんな理由があったとはいえ、まさかあそこまで怒ったり泣いたりするとはな」

 

「自分でも驚きました。こんなこと、初めてです」

 

そう言うと、鳳翔は俺の顔をじっと見つめた。

 

「なんだ?」

 

「いえ。私、本当に提督の事が好きなのだなと思いまして」

 

「なんだよ急に」

 

「恋は盲目と言うじゃないですか。貴方の前だと『鳳翔』という器も、私自身の思う『魅力』も、全て忘れてしまう。全てを曝け出してしまう」

 

「ボロを出してしまうことが『恋』だという訳か」

 

「言い方が悪いですけれど、概ねそういう事です」

 

恋は盲目……か。

確かに俺も、色々と見失いそうになったというか、見失ったというか……。

 

「私……焦っていたのかもしれません」

 

「え?」

 

「鹿島さんが島を出ると聞いて、提督が鹿島さんを好きだと聞いて……焦って、苛立って……泣いてしまいました……」

 

この前見せた大胆さとは打って変わり、鳳翔は弱音を吐いた。

 

「鹿島さんに対抗しようと、貴方に迫ってみたりしました。でも、やっぱり勝てる気がしなくて……。でも、貴方が好きで……諦めきれなくて……。だから……」

 

「鳳翔……」

 

鳳翔は立ち上がると、月を眺めた。

 

「竹取物語を知っていますか?」

 

「え? あ、あぁ……」

 

「最後、天の羽衣を着たかぐや姫は、なにも思い悩むことなく月へ帰ったそうです。翁を愛おしいと思う気持ちも、何もかも……」

 

鳳翔は俺の方を向くと、なんとも言えない表情で、言った。

 

「私も同じだったら、きっと――」

 

鳳翔は近づくと、俺の手を取った。

 

「そろそろ戻りましょう。お腹、空いちゃいました」

 

そう言って見せた笑顔に、俺は――。

 

 

 

消灯時間になり、家へと戻るため執務室を出た時であった。

 

「ん……?」

 

誰が置いたか、玄関ホールにあるソファー。

そこに、夕張と望月が座っていた。

ゲーム機で遊びながら……。

 

「おいお前ら」

 

「あ、提督」

 

夕張は反応を見せたが、望月はゲームの画面から目を離さなかった。

声は聞こえているはずなんだがな。

 

「ゲームは一日一時間だ。鳳翔に言われただろう?」

 

「ごめん、つい。ほら、見て。このケーブルを使うとね? 対戦とか交換が出来るのよ。今、望月ちゃんと試していたところなの。そうだよね?」

 

望月は反応を見せない。

 

「…………」

 

なるほど。

そういう事か。

 

「分かった分かった。だが、もう消灯時間だ。望月、お前は部屋へ戻れ」

 

「私は?」

 

「お前はちょっと話がある。残ってろ」

 

「うん? 分かった」

 

「ほら、望月、さっさと部屋に戻れ。鳳翔に怒られるぞ」

 

「……分かったよ」

 

望月はゲーム機を俺に渡すと、部屋へと帰っていった。

 

「さて……」

 

「せっかく私がきっかけをつくってあげようと思ったのに。どうして帰しちゃったのよ?」

 

夕張はムッとした表情で、ソファーに深く座り込んだ。

 

「余計な事はしないんじゃなかったのか?」

 

「そうだけど……チャンスをみすみす逃すことはないでしょう?」

 

「俺には俺のやり方がある。余計な事はするな」

 

「何よ……。邪魔者扱いして……」

 

「ゲームに夢中になっていて、山城を疎かにしただろ。そんな事するような奴に、余計な事をされてみろ」

 

反論が無いのか、夕張は唇を尖らせた。

 

『貴方がもっと残酷に振ってくれれば、夕張もきっぱり諦められたでしょう……』

 

『あの子がゲームに夢中になっているのなら、それに越したことはないわ……。私のところで泣くよりも、よっぽど健全……』

 

『竹取物語を知っていますか?』

 

『私も同じだったら、きっと――』

 

ふと、山城と鳳翔の言葉が思い起こされた。

 

「提督?」

 

そうか……。

俺は少し――いや、大分こいつに――。

本当に覚悟を決めなければいけないのは――傷つかなければいけないのは――……。

 

「ねぇ、提督ってば」

 

「夕張」

 

「なに?」

 

「お前、もう山城のところにはいくな」

 

「え……」

 

「今後、山城の面倒は俺が見る」

 

永い沈黙が続く。

夕張はゲーム機を放ると、今にも泣きだしそうな顔を見せた。

 

「な、なんで……? 私がゲームに夢中になっていたから……? ご、ごめん……! もうゲームはしないから……!」

 

「いや、ゲームをしてていい。お前に頼むことは、もう無い」

 

「い、嫌よ……! ごめんなさい……! 謝るから……! もう二度としないから……!」

 

縋る夕張に、俺は目も合わせずに――冷たく言った。

 

「この際、はっきり言っておく。夕張、お前は邪魔なんだよ」

 

夕張がどんな顔をしていたのかは分からない。

縋るその手から、徐々に力が抜けて行く。

 

「お前、山城を一人で囲って、俺の気を引いているつもりだったんだろ。山城も、その事に気が付いていたぜ」

 

夕張は何も答えなかった。

 

「山城は、お前が居ない方がよく話してくれたよ。お前が山城の前で、俺の事を諦めきれないと泣いていたことも聞いた」

 

夕張は何も言わなかった。

 

「お前に山城を任せた俺が間違いだった。俺はてっきり、お前は諦めてくれていて、山城を引きずり出して申し訳ないという気持ちがあって、面倒を買って出てくれたのだと思っていた。それでお前の罪悪感が薄れるならと、俺はお前に任せたんだ。なのに、自分の慰めの為に山城を利用するなんてな」

 

流石の夕張も、それには反論があったようで、小さく言った。

 

「違う……。私は……ただ……」

 

あぁ、分かっているさ。

お前が悪くないって事は。

本当に悪いのは――だからこそ――。

 

「違くはないだろ。現に、ゲームに夢中になった途端に、山城の世話を投げ出した。そういうことだろう」

 

俺は夕張の手を退けると、再び冷たく言った。

 

「とにかく、もうお前に頼むことはない。頼むから、大人しくしててくれ……」

 

俺はそのまま、夕張の顔を確認することなく、寮を後にした。

 

 

 

帰る途中、雨に降られた。

どうやら通り雨のようで、『バケツをひっくり返したような』という表現がしっくりくる雨量であった。

 

「…………」

 

俺は足を止め、寮の方を見た。

玄関の明かりは、まだ消えていなかった。

 

「クソ……」

 

怒りなのか、悲しみなのか――よく分からない感情に、俺は――。

 

 

 

翌日。

食堂へ向かうと、二人分の食事を手に持った夕張と鉢合わせた。

 

「お前、それ……」

 

「山城さんの分だけど?」

 

夕張は真顔で、そう答えた。

 

「……昨日の俺の話、聞いて無かったのかよ?」

 

「聞いていたわよ」

 

「だったら……」

 

「従う義務はない」

 

「あ?」

 

「貴方は提督だけど、本当の『提督』じゃない。私に命令できる立場じゃないし、私も従う義務はない。そうでしょ?」

 

こいつ……。

 

「私は私の勝手にするだけ。はっきり言って、貴方は邪魔よ。提督様」

 

俺を押しのける様にして、夕張は食堂を出ていった。

 

「…………」

 

「提督、どうされました?」

 

「明石。いや、別に」

 

「別にって……。そんなに嬉しそうな顔して、別にってことはないですよね?」

 

嬉しそうな顔?

俺は、手洗い場にある鏡に目を向けた。

そこには――。

 

「あ! もしかして、望月ちゃんと進展が? 昨日、何か話してましたよね?」

 

「いや……消灯時間以降もゲームをやっていたから。注意しただけだ」

 

「じゃあ、どうして嬉しそうなんですか?」

 

「さぁな……。俺にもよく分からん」

 

「……?」

 

嬉しい……か……。

 

 

 

朝食後、案の定、皆は家へと向かっていった。

 

「ったく……。しょうがねぇな……」

 

「司令官」

 

「おう、青葉。今日も一緒に、家に行くか?」

 

「いえ、今日は……」

 

青葉の視線の先に、陸奥がいた。

 

「今日は、陸奥さんと一緒に居ようと思います。司令官の言うように、離れなきゃいけないという事は分かっているのですが、やっぱり、青葉は……」

 

「……そうか」

 

「でも、青葉が陸奥さんと司令官の仲を取りなす真似は、もうしません。青葉は陸奥さんの味方ではありますけれど、司令官の味方でもありますから……」

 

「成長したな」

 

青葉は照れるように笑うと、会釈して、陸奥の方へと走っていった。

 

「みんな、一歩一歩進んでいるんだな」

 

それぞれの道。

それぞれの選択。

迷っている艦娘もまだ多いが、それでも、何かきっかけを見つけようとしている。

 

「俺も頑張らなきゃな……」

 

 

 

玄関へ向かうと、昨日と同じように、望月がソファーに座ってゲームをしていた。

 

「よう。お前は行かないのか?」

 

望月は返事をせず、ゲームから目を離すこともしなかった。

 

「昨日みたいにやり過ぎんなよ。じゃあな」

 

そう言って、靴を履き出した時であった。

 

「どうでもいいけどさー、いい加減、その態度やめろよなー。そうしていたら、あたしが話しかけてくれると思ってんだろ?」

 

来た……!

 

「俺に言っているのか?」

 

「とぼけんな。分かってんだよ。あんたの魂胆は」

 

望月は、冷静に、淡白に、ゲーム画面から目を離さずに、話しかけていた。

これ以上とぼけても、仕方がないか。

 

「それが分かっていて、話しかけて来たのか」

 

「このまま無視していても良かったけど、あんたの狙い通り、モヤモヤしちゃってさ」

 

「そのモヤモヤを解消するため、話しかけた……という訳か」

 

「そ……。だから、単刀直入に言うわ。あたしは、島を出ないから。絶対に」

 

俺がしゃべろうとすると、望月はそれを遮った。

 

「あーあー……いいって……。あたしは『そういうの』いらないからさー……。あたしを説得するよりも、あの三人にあたしを諦めさせる方が早いって。あたしは別に、あいつらがいなくても平気だからさ、そう伝えておいてくれ」

 

そう言い終えると、望月はゲーム機を持って、部屋へと帰っていった。

 

 

 

家に着き、俺は早速、大淀に報告をした。

 

「そうですか。やっぱり、話しかけてきましたか」

 

「お前の言う通りだったぜ。流石だな、大淀」

 

「いえ。提督も、流石です。望月さんを引き留めず、ただ帰すなんて」

 

「それこそ、あいつの思惑通りになってしまうと思ってな。あいつ、中々の策士だよ。俺が仕掛けてこないものだから、餌をまきやがった。あえて話しかけて、チャンスが来たのだと思い込ませ、俺が必死になることを狙ったんだ」

 

「なるほど。同じ策士だからこそ、分かった訳ですね」

 

どこか嫌味っぽく、大淀はそう言った。

 

「……とにかく、策士策に溺れる、だ。俺が必死にならなければ、あいつもまた、モヤモヤし出すだろうよ」

 

「本当、提督って嫌な人ですよね。佐久間さんとは大違いです……」

 

「誉め言葉として受け取っておくよ」

 

そう言ってやると、大淀は嬉しそうに笑って見せた。

 

 

 

昼食の時間に山城の様子でも見に行こうかと思っていたが、駆逐艦たちがそうさせてくれなかった。

 

「ねーねー提督。島風と早食い対決しよー?」

 

「早食い対決って……。駄目だ。しっかり味わって食え」

 

「ご主人様、あーん」

 

「い、いや……自分で食えるから……」

 

「朧も、あーん、です」

 

「いや、だから……」

 

「いや~ん! 照れてるご主人様、かわゆす~」

 

何故か急に懐かれたようで、皆、食事を持って俺の周りに集まりだしていた。

 

「提督さん」

 

「鹿島。これは一体、どうしたって言うんだ……?」

 

「皆さん、提督さんがいい人だって、気が付いただけですよ。本当は、ずっとこうしたかったのではないかと思いますよ?」

 

「そうだとしても……」

 

大井や鹿島の影響もあるのだろうが、やはりきっかけはゲーム機だろうな……。

ゲーム機に目がくらんで、警戒心が薄れてしまったのだろう……。

 

「まあ、結果オーライだろうけれど……」

 

今までの苦労ってのは、本当、なんだったのだろうか……。

 

 

 

結局、その日はずっと駆逐艦に揉みくちゃにされて、山城を訪ねることは出来なかった。

 

「疲れた……」

 

「お疲れ様でした」

 

「駆逐艦の相手がこんなに疲れるとは……。鹿島達は苦労しているんだな……」

 

「提督に体力が無いだけでは?」

 

「……大淀、お前最近、嫌味ばっか言うようになったよな」

 

「お好きでしょう? そういうの」

 

鳳翔にも似たような事を言われたが、こいつらの俺に対する評価とは一体……。

 

「そう言えば、夕張さん、ゲームを全くやらなくなりましたね。ずっと山城さんと一緒に居るようです。何かあったのですか?」

 

俺は一瞬、答えに詰まってしまった。

 

「……さぁな。ゲームに飽きたんじゃないのか?」

 

「あんなに種類があるのに?」

 

「そういうもんなんじゃないのか? ゲームなんて、どれも同じようなものにしか見えん」

 

結局、山城の事は夕張に任せっきりになってしまった。

――いや、あいつは最初から、こうなることを知っていたのだろうか。

知っていて、あんなに辛い言葉をかけられても、山城の面倒を見ようと決意したのだろうか。

 

「それは提督があまりゲーム機に触れていないからですよ。今度、大淀と一緒に協力プレイをしませんか?」

 

「お前と?」

 

「えぇ。二人でやれば、きっと楽しいですよ」

 

協力プレイ……か……。

 

「考えておくよ」

 

「きっとですよ? ふふ」

 

大淀は嬉しそうに笑うと、会釈し、部屋を出ていった。

 

「フッ……まだやるとは言っていないんだがな」

 

 

 

玄関へ向かうと――夕張はいなかったが、昨日と同じように、ソファーに望月が座っていた。

やはりゲーム機を手に持って――。

 

「まーたお前か」

 

「部屋でやっていると、明かりでバレるんだわ。ここは案外死角だし、この時間に外に出る奴もいないしで、安地ってやつなんだわ」

 

訊いても無いのに、まあ良くしゃべるやつだ。

 

「そんなに好きか? ゲーム」

 

「別に~? やることないからやってるだけ……」

 

「その割には、夢中になっているように見えるが」

 

「あんただって、別に好きでもない女に鼻の下を伸ばしてるじゃねーか」

 

「男の性ってやつだ。逆らえんのだ」

 

「ならあたしも、その性ってやつだ」

 

「……そうかよ」

 

俺は下駄箱から、靴を取り出した。

 

「……部屋に戻れって、言わなくていいのかよ?」

 

「言って欲しいのか?」

 

「そういう訳じゃねーけど……。見逃したら、鳳翔さんに怒られるんじゃね?」

 

「かもな」

 

「かもなって……あんた……」

 

「俺が注意しても、どうせやるんだろ? だったら、一回鳳翔に本気で怒られろ。俺が言うよりも、そっちの方が効くだろ?」

 

「う……確かに……」

 

望月の奴、やけに絡んでくるな……。

こりゃ、もしかして……。

……ちょっと仕掛けてみるか。

 

「それでもお前、まだゲームをやるのか?」

 

「あんたが見逃してくれるのなら、やるかもなー。そうすりゃ、見つかってもあんたの所為に出来るし」

 

「なるほど……ちゃっかりしてるな……。なら、絶対に見つからない場所を紹介しようか? お前が見つかっちまったら、俺も怒られるし、協力するぜ」

 

「お、マジ? どこよ?」

 

「家だよ」

 

「家?」

 

「俺んちだよ。そこだったら、見つかりっこないだろ? ゲーム機もたくさんあるし、今なら誰にも邪魔されず、遊び放題だぜ?」

 

望月はゲームの手を止めた。

その表情は――まあ、来るわけないよな。

 

「……なんてな。続けるのは構わんが、見つかるなよ? じゃあな」

 

靴を履き、寮を出た時であった。

 

「ま、待って……!」

 

望月は小声で俺を呼び止めると、急いで靴を履き、小走りで駆け寄って来た。

 

「どうした?」

 

「……行かないとは言ってねーし。勝手に決めつけんなよなー……」

 

そう言うと、望月は家へと歩き出した。

俺は唖然とし、立ち尽くしていた。

 

「おーい、駆逐艦一人に夜道を歩かせる気かよー?」

 

「……おう。悪い悪い。今行くよ」

 

 

 

家に着くと、望月は早速、ゲーム機の電源を入れた。

 

「これこれ~。昼間は出来なかったんだよな~」

 

「なんだよ。結局好きなんじゃねーか。ゲーム」

 

「性だって言ったろー? あんただって、ボインな女が目の前に居たら、食いつくだろ?」

 

「生憎、俺は草食系男子ってやつらしくてな」

 

「それ知ってる。って事はあんた、童貞ってやつ?」

 

「あぁ、そうだよ」

 

「そうだよって……。案外正直者なんだな、あんた」

 

やりたいゲームをやれて機嫌がいいのか、望月はニッと笑って見せた。

 

「ま、楽しんでくれているのならいいけどよ。ふわぁ……俺はもう寝るぜ……。駆逐艦の相手をして、疲れているんだ……」

 

「いいのかよ? せっかくあたしが来ているのに、説得するチャンスじゃねーの?」

 

確かにそうだ。

だが……。

 

「どうせ、俺の話なんて聞かないつもりだろ? なら、俺は疲労回復に努めるさ」

 

誘ったのはこっちだとは言え、やはりどうもキナ臭い。

相手が策士であるからこそ、ここは時間をかけて臨むべきだろう。

……正直、マジでめっちゃ疲れているのもあるしな。

 

「お前、鳳翔が起きてくる前に寮に戻れよ。仮に奴が起きていたのなら、道場の方から部屋へ戻れ。幾分か見つかりにくくなるだろうよ」

 

「……分かった」

 

「んじゃ、お休み……」

 

寝室へと向かうと、一気に眠気が襲ってきて、俺は倒れる様に床に就いた。

望月の事が気がかりではあったが、そんな気もまた、夢へと溶けていった。

 

 

 

 

 

 

『おーい、親父ぃ。一緒にゲームやろーぜー』

 

あ?

親父だぁ?

 

『なーにボケーっとしてんだ親父ぃ。それとも、パパって呼ばなきゃ、返事しねーってのかぁ?』

 

何言ってんだ……?

こいつ……。

 

『せっかく家族になったんだし、子供らしくしてやってんだぜー? 少しはあたしに感謝しろよなー』

 

家族……?

こいつが――望月が俺の家族……?

 

『ゲームは一日一時間だぜ。お前、さっきやってたろ。今日はもう終了だ』

 

『二人でやるからいいじゃん。親父だって、まだ一時間残ってんだろ?』

 

本当、こいつはいつもいつも――。

 

『――屁理屈ばっかだな』

 

『あんたの子だからな』

 

はは……。

血は繋がっていないのに、不思議なもんだよな。

 

『ったく……。しょうがねぇな……。付き合ってやるよ』

 

『そうこなくっちゃ』

 

『但し、このゲームで俺が勝ったら、今日はお前が飯つくれよ?』

 

『分かった分かった。まぁ、負けねーけどなー。あたしが勝ったら?』

 

『ぎゅって抱きしめてやるよ』

 

『うぇぇ……罰ゲームじゃん……』

 

『なら、他のにするか?』

 

『…………』

 

『フッ……素直に甘えたいって言えよな』

 

『……うぜぇー』

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

目を覚ますと、目の前に望月の顔があった。

すぅすぅと寝息をたてている姿は、まさに子供のそれであった。

 

「なんでこいつがここに……」

 

時計の針は、早朝の五時を指していた。

 

「あぁ……そうか……。来ていたんだったな……」

 

あの後ずっとゲームをしていて、寝落ちでもしたのだろう。

そして、寝惚けて俺の寝床へやって来た……って所だろうか……。

 

「おい、起きろ……」

 

「んぁ……? 親父ぃ……?」

 

「親父って……。そんな歳じゃねぇよ、俺は」

 

寝惚けているのか、望月はムニャムニャと意味不明な事を呟いていた。

 

「おーい。起きろー。早く帰らねぇと、鳳翔に怒られるぞ」

 

「ん~……」

 

望月は起き上がると、寝惚け眼を擦りながら、フラフラと俺の方へと寄って来た。

 

「望月?」

 

そして、俺を一瞥すると、そのまま抱きついた。

 

「お、おいおい……」

 

「ん~……ん~……」

 

徐々に力の抜けて行く望月。

完全に脱力すると、再びすぅすぅと寝息をたて始めた。

そう言えば、朝が弱いとかなんとか、吹雪さんのノートに書いてあったような……。

 

「……しょうがねぇな」

 

望月を抱き上げ、そのまま寮へと向かった。

 

 

 

食堂の方からは既に、まな板を叩く音がしていた。

 

「鳳翔か……。相変わらず早いな……」

 

気付かれぬよう、そっと靴を脱ぎ、望月の部屋へと向かう。

 

「入らせてもらうからな」

 

返事を待ってみたが、寝息しか聞こえてこなかったので、俺はそのまま部屋の扉を開けた。

 

「おぉ……」

 

面倒くさがり屋なもんで、部屋も散らかっていると思いきや、驚くほどに整理整頓されていた。

 

「っと……。ちょっとここで待ってろ」

 

望月を下ろし、押し入れから布団を取り出す。

子供用の布団って、こんなに小さいんだな。

 

「ん~……」

 

望月が目を覚まし、こちらへ寄って来た。

 

「おう、お目覚めか?」

 

「……どうしてあんたがここに?」

 

「お前、さっきまで俺の家で寝ていたんだぜ? しかも、俺の布団に入っていやがった」

 

「え……?」

 

「え? って……。覚えていないのか」

 

「あ……いや……そ、そうなんだ……」

 

恥ずかしいのか、望月はほんのりと顔を赤くした。

 

「ほら、布団敷いたぜ。まだ朝の5時だ。朝食までは寝とけ」

 

「ん……サンキュー……」

 

「じゃあ……」

 

去ろうと、立ち上がった時であった。

 

「あんた……あたしのこと、どうしたいんだよ……?」

 

「え?」

 

「卯月たちを島から出すには、あたしの説得が必要なんだろ? なのに……どうして何もしてこないんだよ……?」

 

望月は、うっすらと明るくなりつつある空を窓越しに眺めながら、そう言った。

 

「説得してほしいのか?」

 

望月は答えなかった。

 

「お前は中々の策士だ。あのソファーに座っていたのだって、俺を釣るためだろ? お前がどういうつもりで俺を釣ろうとしていたのかは、なんとなく分かる。同じ策士だからな」

 

望月は答えない。

 

「だからこそ、釣られまいとしただけだ。素っ気なくしていれば、こうしてお前が話してくれると思ったってのもあるけどな。お前だって、分かっていただろうに」

 

「……あたしはまんまと罠に嵌ったって訳か」

 

「そうとも言い切れない。お前がどうして、頑なに島を出ないと言っているのか、その理由を聞くまでは、なんとも……」

 

「なら……訊いたらどうなんだ……? その理由……」

 

「訊いたら、話してくれるのか?」

 

望月は黙ったまま、俯いてしまった。

 

『とぼけんな。分かってんだよ。あんたの魂胆は』

 

望月は分かっていたはずだ。

モヤモヤを解消するだけだったとしても、わざわざ「罠に嵌った」だなんて、簡単に認めるものだろうか。

 

「…………」

 

もしかして、こいつは……。

 

「……望月」

 

「なに……?」

 

「お前、もしかして、俺に訊いて欲しいのか? その理由とやらを……」

 

望月はやはり答えなかった。

だが――。

 

「……そうか」

 

なるほど、そういうことか……。

こいつがあのソファーに座って、俺を釣ろうとしたのは――。

 

「説得して欲しいってのは、本当なんだな」

 

「……別に、ちげーよ」

 

そこは素直に認めないんだな。

……いや、或いは認められないでいるんだ。

 

「お前の気持ちは分かるよ。俺も、同じような性格だからさ」

 

「…………」

 

「だからこそ、お前には訊かない」

 

「え……?」

 

「お前から話してくれるまで、俺からは訊かない」

 

「……その作戦は、もうあたしには効かねーぞ」

 

「十分効いているだろ。今の時点でさ」

 

望月は黙り込んでしまった。

 

「……お前は、本当はあいつらと島を出てもいいと思ってはいるが、なにかそう出来ない理由があるとも思っている。その理由を俺に否定してほしくて、俺を釣ろうとした。違うか……?」

 

望月は、やはり――。

 

「逃げ道を無くせば、進むことが出来る。確かにその通りではある。けど、それだけじゃダメだって、俺は知っている。お前だって、本当は――」

 

山風の背中が、俺にはハッキリと見えていた。

 

「……否定されることを待つのではなく、その理由を受け入れようとすることが大事なんじゃないか? 少なくとも、俺はそう思っているよ」

 

「…………」

 

「……まあ、とにかく、そういう事だ。そろそろ行くよ。お前も、寝れないだろうしな」

 

俺は立ち上がり、そのまま部屋を後にした。

望月は呼び止めることなく、ただ窓の外を眺めていた。

 

 

 

家に戻るのもなんだったので、食堂へ寄ることにした。

 

「あら、提督。おはようございます」

 

「よう、鳳翔。おはよう」

 

「珍しいですね。こんな時間に」

 

「ん、ちょっと眼が冴えてしまってな。朝食、一人で作っているのか?」

 

「えぇ。今日は凝ったものを作るわけでも無いので」

 

「そうか。どれ、何か手伝うことはあるか?」

 

そう言ってしまい、俺はハッとした。

そういや、こういう事を嫌がるんだった……。

 

「あぁ、いや……。悪い……。嫌だよな……」

 

鳳翔は少し驚いた表情を見せた後、ニコッと笑って見せた。

 

「では、お願いできますか?」

 

「え? いいのか?」

 

「えぇ。もういいんです。だって、あなたは見つけてくれましたから。私の魅力が、尽くす事だけじゃないって」

 

「鳳翔……」

 

「うふふ、あなたって言っちゃいました。何だか夫婦みたいですね」

 

鳳翔の笑顔に、俺も思わず笑ってしまった。

 

「フッ、結構言っていたぞ。『貴方』って」

 

「それはあくまでも、ただの二人称であると言いますか、今の『あなた』は、夫婦の呼び名的なものなのです。全然違うものですよ?」

 

そういや、鹿島もデートで、俺の事を『あなた』と呼んでいたな。

夫婦になったら、こいつらは俺の事を――。

 

「あなた?」

 

「……いや。それで? 俺は何をやればいいんだ?」

 

「でしたら――」

 

「――分かった」

 

それから鳳翔と共に、朝食を作った。

終始嬉しそうにする鳳翔。

 

『私も同じだったら、きっと――』

 

鳳翔、俺は、いつかお前を――。

 

「ふんふんふ~ん。ん? 何です?」

 

「……いや」

 

俺は――。

 

 

 

朝食の準備が出来た頃、皆がぞろぞろとやって来た。

 

「皆さん、おはようございます」

 

「おはようございまーす」

 

望月も起きれたようで、寝惚け眼を擦りながら、いつもの席についていた。

一度目が合ったが、何事も無かったかの様に、逸らされてしまった。

 

「さて、皆さん集まりましたね」

 

大淀が朝の挨拶をしようと立ち上がった時であった。

 

「待って!」

 

叫んだのは、夕張であった。

 

「夕張……?」

 

「まだ全員じゃないでしょ? もう一人いるわ」

 

大淀はハッとして、皆の人数を数え始めた。

だが、合っていたのか、怪訝そうな表情で夕張を見た。

 

「この寮には、28隻しかいない訳じゃないですよ。そうですよね?」

 

夕張は、力いっぱい何かを引っ張ると、その引っ張ったものを――引っ張った奴を、皆の前へと押し出した。

そいつの姿に、皆、驚きの声を上げると共に、思わず立ち上がっていた。

無論、俺もだ。

 

「や……」

 

「「「山城さん!?」」」

 

「「「山城!?」」」

 

皆が一斉に呼ぶものだから、山城は小さく「ヒィッ……」と、悲鳴を上げた。

 

「今日から山城さんも、ここで食事を共にするわ。部屋を出るのは、食事の時くらいが限界だけれど、いずれはそれ以外の時にも部屋から出れるよう訓練するから、皆も協力して! お願いします!」

 

夕張が頭を下げると、山城も申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「あいつ……」

 

皆が一斉に、山城と夕張の方へと駆け寄って行く。

 

「山城さん!」

 

「山城さん、お帰りー!」

 

「皆、待っていたんだよ?」

 

「私たちも協力するわ! ね?」

 

「うん!」

 

皆がワイワイ騒ぐ中で、夕張と目が合い、こちらへ寄って来た。

 

「お前……」

 

夕張は俺の胸をグーで軽く殴った。

 

「痛っ!?」

 

「どうよ!?」

 

夕張はニッと笑うと、俺の反応を待った。

 

「…………」

 

唖然とする俺に、夕張の表情は、徐々に強張っていった。

ここで、酷い言葉をかけてやれば、きっと、夕張はもう……。

 

「――……」

 

けど……俺には……。

 

「褒めてあげたら……?」

 

そう言ったのは、山城であった。

 

「本来、私を部屋から出すなんて、貴方がやるべき仕事でしょう……? それを、夕張がやってくれたのよ……?」

 

お前、この前と言っていることが――。

 

「…………」

 

いや、違う……。

山城、お前は俺の事を――。

俺は再び、夕張に目を向けた。

 

「ど……うよ……?」

 

先ほどとは違い、どこか泣きそうな表情になっていた。

 

「……はは。お前、何を泣きそうになっているんだ……?」

 

「……寝起きだからかしら」

 

「そうか……」

 

俺は夕張の表情を隠す様に、頭を撫でてやった。

 

「お見逸れしたよ。正直、お前がここまでやるとは、思ってもみなかった」

 

「…………」

 

「……ありがとうな。夕張……。あと……この前は……」

 

いや……。

 

「……これからも、よろしくな」

 

俺は夕張の反応を見ることなく、そのまま山城の方へと向かった。

夕張がどんな表情をしていたのかは分からない。

だが、それを確認するのは野暮だと、俺の心が――いや……本当は、見れなかったんだ。

見てしまったら、きっと――。

 

 

 

食事中、山城は皆に囲まれてしまっていた。

 

「ふふ、山城さん、とっても困っていますね」

 

「やけに嬉しそうじゃないか、サド大淀」

 

「サドかどうかはおいといて、山城さんが部屋から出てきたことは快挙ですよ。喜ぶべきです」

 

「部屋を出るなんて当たり前のことなんだがな……」

 

だが、喜ぶのも分かる。

十五年も部屋から出てこなかった奴だ。

こいつらも、相当手をやいていたはずだ。

 

「夕張さんのお陰ですけど、原動力は、やっぱり提督ですかね?」

 

「どうかな……。邪魔者扱いされていたしな……」

 

「ふふ。でも、本当に良かったです。また一歩、前進ですね」

 

「あぁ、そうだな」

 

そうだよな。

とりあえず、喜ぶべきだよな。

色々と片付けなければいけない問題はあるが、今は――。

 

 

 

食後、山城は帰って行き、駆逐艦の次の標的は俺になった。

 

「ご主人様、早く家に行きましょう!」

 

「提督ー。早くぅー」

 

「お、おう……分かったから……」

 

揉みくちゃにされていると、ふと、陸奥と目が合った。

いつものようにそっぽを向かれる……のかと思いきや、陸奥は何か言いたげに、こちらをじっと見つめていた。

 

「……お前ら、ちょっと先行っててくれ」

 

何とか駆逐艦を引っぺがし、陸奥の方へと向かう。

陸奥は逃げることもせず、俺を待ってくれていた。

 

「陸奥、どうした? 何か用事か?」

 

青葉はいない。

どこかで様子を見ている訳でもないようだ。

 

「青葉はいないわ……」

 

俺の心を読んだかのように、陸奥はそう言った。

 

「提督……その……ごめんなさ――」

「――陸奥」

 

陸奥は恐る恐る、俺を見た。

 

「一緒に来てくれるのか? そりゃ、ありがたいぜ」

 

「え……?」

 

「お前の言う通り、俺一人じゃ、駆逐艦を捌ききれんのだ。陸奥が一緒に来てくれるのなら、助かるぜ」

 

そう言って、俺は笑って見せた。

その意味が伝わったのか、陸奥は一瞬だけ泣きそうな表情を見せた後、応えるように笑顔を見せてくれた。

 

「……えぇ! 貴方だけじゃ、不安だもの。お姉さんが協力してあげるわ!」

 

「おう、助かるよ。それじゃあ、行こうぜ」

 

俺が手を差し出すと、陸奥はそっと、自分の手を重ねた。

 

「……ありがとう、提督」

 

「いや」

 

ふと、視線を感じ、俺は厨房に目を向けた。

なるほど、そこに居た訳か。

 

「提督?」

 

「ん、なんでもない。行こうぜ」

 

「えぇ」

 

 

 

それから俺たちは、新たに陸奥を加え、いつものようにゲームを楽しんだ。

 

「陸奥さん、上手ー!」

 

「うふふ、この手のものは得意なの」

 

陸奥もいつもの調子を取り戻してくれたようで、純粋にゲームを楽しんでくれていた。

 

「司令官」

 

「おう、青葉」

 

「陸奥さん、来たんですねぇ。という事は、仲直りできたんですね」

 

「何をとぼけたことを。ずっと見てただろ。厨房の方でよ」

 

「あはは……バレていましたか」

 

「バレバレだよ」

 

青葉は優しい目で、駆逐艦に囲まれた陸奥を見つめていた。

 

「まるで親のそれだぜ」

 

「えぇ、そんな気持ちですよ。独り立ち出来た陸奥さんを見ていると、何だか、少し寂しくなってきます」

 

何十年も陸奥の事を気にかけて来たもんな。

そりゃ、そういう心境にもなるよな。

 

「司令官……」

 

「ん?」

 

「青葉……鹿島さん達と一緒に、島をでます……」

 

「え……?」

 

まるで時が止まったかのように、辺りが静かになった――ように感じた。

 

「お前……急にどうした……?」

 

「司令官に言われて、青葉も考えたのです……。これからのこと……」

 

『お前、いつまで陸奥にくっついているつもりだ?』

 

確かにそう言ったが……。

 

「青葉がいないと、陸奥さんは駄目だって……陸奥さんには、青葉がいないといけないんだって……ずっとそう思っていました……。でも、陸奥さんは、自分の力で司令官との仲を取りなおしました。それで分かったのです。陸奥さんに青葉が必要だったんじゃない。青葉に陸奥さんが必要だったんだって……」

 

「青葉……」

 

「……本当は分かっていたんです。でも、ずっと目を背けてきました……。以前に、司令官に言われた通りです……。陸奥さんの足を引っ張っているのは、青葉なんです……」

 

「……だから、これ以上足を引っ張らない様に、島を出ると?」

 

「えぇ……」

 

「……でも、お前自身はどうなんだよ? 陸奥の為陸奥の為って……。お前はちゃんと、お前自身が納得する理由を以って、島を出るべきなんじゃないのか?」

 

「理由ならあります。青葉、新聞をつくりたいのです」

 

「新聞?」

 

「えぇ。初めて新聞を褒められた時――佐久間さんに褒められて、皆さんにも新聞を褒められた時に、青葉、思ったのです。誰かを喜ばせる事って、こんなにも嬉しい事なんだって」

 

そういえば、親父が青葉の新聞に写真を――もっと楽しいものにしようと提案したんだっけか。

 

「司令官は、自分の為に生きるべきだって言いますけれど、やっぱり青葉は、誰かの為になることをしたいのです。それを生きがいとしたいのです」

 

「そのための新聞……か……」

 

「えぇ……。青葉なんかが出来るのか、不安ではありますけれど……。やっぱり、挑戦してみたいのです。もう、陸奥さんの陰に隠れることは、したくないのです……」

 

「……そうか」

 

「それに……」

 

青葉は、俺をじっと見つめた。

とてもやさしい目であった。

 

「貴方がいるうちに、島を出たいのです……。貴方がいるこの時間を……貴方と共有したいって……思ったのです……」

 

そして青葉は、俺の手をそっと握って、皆に分からぬよう寄り添った。

 

「司令官……」

 

「……なんだ?」

 

「青葉は――……」

 

青葉の言葉は、駆逐艦の騒ぎ声にかき消された。

言葉を言い終えた青葉は、ニコッと笑って見せると、陸奥の方へと走り去っていった。

 

「…………」

 

かき消された言葉。

だが、何故だか俺には、ハッキリと聞こえていた。

 

『青葉は――貴方の事が――……』

 

 

 

その日の消灯時間。

帰ろうとする俺を引き留めたのは、望月であった。

 

「よっ!」

 

「よっ! って……。お前……」

 

「今日も行っていいっしょ? ってか、連れてってくれないなら、鳳翔さんにバラすけど」

 

望月はニッと笑って見せると、そそくさと靴を履き出した。

こいつ……まるで今朝の事なんてなかったかのように……。

でもまあ……。

 

「分かったよ……。ほら、行くぞ」

 

「へへへ~」

 

 

 

望月は何故か、ものすごく機嫌が良かった。

 

「お前、今日はどうした? なんかいい事でもあったのかよ?」

 

「別にー? なんつーか、これがいつものあたしなんだよ。あんたを警戒しなくてよくなったから、いつもの通り振る舞ってるだけさ」

 

こいつ、いつもこんなだったっけか……。

 

「しかし……本当元気な奴だな……。あんまりはしゃいで、昨日みたいに眠くなっても知らんぜ?」

 

「大丈夫だよ。昼間、ずっと寝てたから」

 

「寝てたって……」

 

そう言えば、今日は家に来ていなかったな……。

てっきり、今朝の事があったから、来なかったのだと思っていたが……。

 

「これで今夜は、寝落ちせずゲームが出来るぜー!」

 

「策士め……」

 

 

 

家に着くと、望月は早速ゲームを始めた。

 

「今日はちゃんと、日付が変わる前に帰れよな。じゃあ、お休み」

 

「お休みって……。おいおい、あんたもやるんだよ」

 

「あ?」

 

「協力プレイだよ。このステージ、二人じゃねーとクリア出来ねーんだ。ほら、分かったら座れー」

 

「んなもん知るかよ……。昼間、誰かと一緒にやれよ」

 

「お、いいのかー? あたしを監視しなくて。あんたが寝たら、あたしは延々とゲームをやってしまうかもしれないぜー?」

 

こいつ……。

 

「一緒にやってくれたら、ちゃんと時間内に帰るからさ。な? 頼むっ!」

 

お願い、とでも言うように、望月は手を合わせ、頭を下げた。

そんな所作、漫画でしか見たことないぞ。

 

「……日を跨ぐ前に帰る。それが約束だ」

 

「帰る帰る! へへへ、じゃあ、決定だなー」

 

望月は俺にコントローラを渡すと、テレビの前に座った。

 

「…………」

 

こいつ、一体何を考えているのだろうか……。

まさか本当に、普段からこういう奴なのか……?

 

「おーい、スタートボタンを押してくれい。始まんねーじゃん」

 

「あ、あぁ……悪い……。えーっと……これか……」

 

「よっしゃ! いくぜぇー?」

 

こうして、俺と望月の協力プレイが始まった。

 

 

 

「こっちあたしが片付けるから、あんたはそっちやっといてくれ!」

 

「あぁ、分かった」

 

ゲームを始めてから、一時間ほど経った。

望月のプレイが上手いこともあって、ゲームは順調に進んでいった。

 

「上手いな。お前」

 

「あんたが下手なだけじゃね? あたしなんて、まだまだだよ。昔、山風って奴がいたんだけど……って、あんたは知ってるか。山風が、この島で一番ゲームが上手くてさ。あたしが時間をかけて出したハイスコアとか、ものの一瞬で超えてくるんだ。大人しい顔して、えげつないほどゲームが上手かった」

 

昔からそうだったのか……。

 

「山風の奴、今頃、何してんのかな……。まだゲームやってんのかな……」

 

望月は、山風が島の外でどうなっているのかを知らない。

知ったら、きっと驚くだろうな。

 

「……なあ」

 

「ん?」

 

「今朝の事だけどさ……。ほら、あたしが島から出ない理由を、あんたが訊く訊かないってやつ……」

 

「え?」

 

突如、ゲーム画面で、望月のキャラが死んだ。

 

「あ! ちょ……!?」

 

残された俺は、アタフタしている内に殺された。

GAME OVERと、ご丁寧に大きな文字で、ゲームが終わった事を知らされた。

 

「……終わっちったな」

 

「あぁ……」

 

コントローラを置くと、望月は膝を抱え、小さくなってしまった。

 

「……それで? 今朝の事がなんだって?」

 

「んー……なんつーかさ……。あたしなりに、色々考えてみたんだけどさー……。やっぱりって言うか……あたしは……素直に、その『理由』ってのを、認めることが出来ないんだわ……」

 

困った表情で、望月は笑った。

しかし、急にぶっこんで来たな。

いや……。

 

「この話をするために、俺と協力プレイを?」

 

「さあなぁー……」

 

とぼける望月。

だが、協力プレイをしていて分かったのだが、別に、俺なんかがいなくても、望月一人でクリアできたゲームであった。

むしろ、俺は足手まといだった。

 

「それで、考えてみたあたしが出した結論ってのは?」

 

「んー……」

 

望月は恥ずかしそうに、俺をチラリと見た。

 

「まあ、なんつーか……。あんたに頼るって言うか、あんたに嵌めてもらうっていうか……。そういうの得意だろ? あんた……」

 

「お前を騙し、その理由を引き出せってことか?」

 

「っていうか、もう逃げ場も無いくらい追い詰めてもらってさ、どうしようもなくて、島を出る羽目になりました……ってな感じでお願いしたいんだわ。理由も、訊く訊かないとかはもういいんだ。実を言うと、あたしは元々、あんたに理由を教えるつもりはなかったんだわ。いつまで経っても理由を言わないあたしに、あんたは強制的にあたしを島から出すシナリオを考えるだろうって、そう考えていたんだ」

 

なんじゃそりゃ……。

 

「意味が分からん……。大体、そんな事をするくらいなら、さっさと島を出たらどうなんだ?」

 

「そこが難しい所なんだよ。あんただって、分かるだろ? 認めるには辛いけど、どうしようもない事なら、受け入れられるって……。めんどくせーめんどくせーっていつも言ってるけどさ、一番めんどくせーのは、このあたし自身なんだわ」

 

『あたしは、雨宮君の逃げ道にはならない……』

 

なるほど……そういう事か……。

 

「まあ、そういう事だからさ。なんとかあたしを説得するか、強制的に島から出すような何かをくれよ」

 

『雨宮君の事が好き……。好きだからこそ……雨宮君には戻って欲しいって思ってる……』

 

山風……。

 

「おーい、聞いてるかー?」

 

「望月」

 

「ん、なに?」

 

「悪いが、やはりお前の口から本当の理由を聞くまで、俺はお前を島から出すわけにはいかない」

 

望月は、不機嫌そうな表情を見せた。

 

「なんでだよ……?」

 

「お前を想っての事だ。確かに、俺の仕事は艦娘を人化させることだ。お前が島を出てもいいというのなら、どんな手段でも使うべきだろう。だが、それなら別に、俺でなくてもいい。誰にだってやらせることは出来たはずだ。そうしてこなかったのは、やはり、お前たちの未来を考えての事ってのがあるはずだ。だからこそ、俺には出来ない」

 

「……綺麗ごとだし、そりゃあんたの勝手な解釈だろ。しかもあんた……武蔵さんの事はどう説明するんだよ? 勝ったら島を出て行けって言ってたじゃん……」

 

「あれは武蔵からの提案だったんだ。俺じゃない。それに、俺は出ていけなんて一言も言っていない。むしろ、残ってくれと言ったんだぜ?」

 

『約束通り、島を出て行ってもらうぜ……』

 

あぁ、いや……言ったかも知んねぇな……。

だが、そんな事は忘れているのか、望月は苦い顔を見せた。

 

「いい加減、認めたらどうなんだ? 素直に認めれば、楽になるだろうし、そっちを解決した方が、いいと思うんだがな」

 

望月は黙り込んでしまった。

 

「……分かった。じゃあ、こうしようか」

 

俺は、ゲームのカセットを手に取った。

 

「俺とゲームで勝負をして、俺が勝ったらその理由を話してもらう。俺が負けたら、お前の望み通りに動いてやる。それでどうだ?」

 

「望み通りって……?」

 

「お前を強制的に島から出すだとか、なんなら、あの三人を説得して、全員を島に残す事だってしてやってもいい」

 

望月の目の色が、一気に疑いのものへと変わった。

 

「信じられねーよ……。だって……あんたに不利な条件じゃん……。どうしてそんな条件を出すんだよ……?」

 

「そうでなければ、お前の理由は引き出せない。そう思ったからだ」

 

永い沈黙。

 

「……あんた、負けるぜ?」

 

「フッ、かっこいいな、その台詞」

 

「……本当にいいんだな?」

 

「あぁ、男に二言はない。ただ、勝負するのはもうちょっと待ってくれ」

 

「あー?」

 

「今やっても、俺が勝てないのは分かっている。だから、少し練習する時間をくれないか?」

 

俺の提案に、望月は思わず笑ってしまっていた。

 

「かっこわる~……」

 

「格好悪くて結構だ。それに、相手が全力じゃないと、後味が悪いだろ?」

 

「別に? 弱いやつが悪いだけじゃん」

 

「お前な……」

 

「でも……いいよ。分かった。約束だ」

 

望月は小指を出した。

お前も、約束はそう紡ぐのか。

 

「おう、約束だ」

 

俺たちは、小指を絡め、約束を紡いだ。

 

「後悔すんなよ?」

 

「そっちこそ」

 

望月はニッと笑うと、立ち上がった。

 

「はぁ~……すっきりした! んじゃ、帰るわ」

 

「もういいのか? まだ時間あるぞ」

 

「いいんだよ。目的は果たしたしなー」

 

やはりそうだったんじゃねぇか。

 

「……なあ」

 

「ん、なんだ?」

 

「あんたが勝ったらさ……あんたの事……司令官って……呼んでやってもいいぜ……?」

 

「なんだよ急に?」

 

「……別に、なんとなく。じゃあなー」

 

望月はそそくさと、寮へと戻っていった。

 

「司令官……か……」

 

望月なりの発破なんだろうな。

そんな事しなくていいはずなのに。

あいつなりの気遣いなのかな。

 

「さて……言ったはいいけど……どうすっかな……」

 

とりあえず……。

 

「ゲーム……やるか……」

 

その後、俺はゲームに夢中になり過ぎて、朝を迎えてしまった。

その光景を鳳翔に見られてしまったものだから、そりゃもう大変に怒られたのだった。

 

 

 

 

 

 

残り――29隻

 

――続く



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15話

この時を、どれだけ夢に見た事か。

もう二度と会えないのだと、何度諦めた事か。

たった十五年だと、他人は笑うかもしれない。

けれど、あたしにとっては――あたしたちにとっては――。

 

「――大井っち」

 

振り向く彼女の表情は――。

 

「あの頃と変わりない」

 

そう言って驚いたのは、あたしじゃなかった。

 

「そお?」

 

「えぇ、昔のまま、とても綺麗で、とても可愛らしいですよ。北上さん」

 

たった十五年。

たった十五年だったんだなって、思わず笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

本土に戻ると、山風が出迎えてくれた。

 

「そっか。じゃあ、上手くいったんだね」

 

「あぁ、山風のお陰だよ。ありがとう」

 

「ううん。お礼なら大井さんに言って。提案してくれたのは、大井さんだから」

 

「あぁ、後で言っておくよ。しかし、山風が元プロゲーマーだったとは、驚いたよ」

 

「あたしもだよ。てっきり、雨宮君は知っているものだと……。幻滅した……?」

 

「いや。意外には思ったけれどね」

 

そんな事を話している内に、大井の部屋へとたどり着いた。

 

「大井さん、今日の夕方で、ここを出ることになったの」

 

「そうなのか。次はどこへ?」

 

「本部の寮に住むの。あたしも、今はそこに暮らしているんだよ?」

 

そう言えば、そんなところあったな。

 

「ねぇ、雨宮君」

 

「ん?」

 

「後で、うちに来ない?」

 

「え……?」

 

思わずドキッとしてしまう。

 

「望月ちゃんとゲーム対決するんでしょ? あたしが鍛えてあげる」

 

あぁ、なんだ。

そういうことか……。

って、何をホッとしているんだ俺は……。

 

「そりゃありがたいけど、仕事があるんじゃないのか?」

 

「今日は午後半休なの。だから、雨宮君さえよければ……なんだけど……」

 

山風は様子を窺うように、上目遣いで、じっと俺を見つめた。

 

「あぁ、ありがとう。じゃあ、お願いしてもいいかな?」

 

「うん! じゃあ、準備して待ってるからね! 絶対来てよ?」

 

「あぁ」

 

「じゃあ、あたしは準備があるから。また後でね! えへへ」

 

小走りで去って行く山風。

準備って、一体なんの準備なのだろうか。

 

「フッ……」

 

思わず笑みがこぼれる。

こんな顔で会ったら、大井の奴、からかってくるだろうな。

 

「……よし」

 

表情を戻し、俺は部屋の扉をノックした。

「どうぞ」と返事をしたのは、大井ではなかった。

この声は……。

扉を開けると、そこには――。

 

「お、雨宮君じゃん。おひさー」

 

「北上」

 

――と、名前を呼んだ瞬間、大井の表情が一瞬曇った。

 

「来ていたのか」

 

「うん。昨日、連絡を受けたんだ。大井っちが帰ってきて、しかも、人化したって……」

 

そうか。

北上は知らされていなかったんだな。

 

「大井っちから色々聞いたよ。言わなきゃいけない事とかたくさんあるけれど、それは後にしようと思う。あたしはカフェにいるから、後で来てね。じゃあ、また来るね。大井っち」

 

「はい、また」

 

北上を見送り、俺は椅子に座った。

 

「さて……北上との再会は、どうだった?」

 

そう訊いてやると、大井は不機嫌そうな表情を見せた。

 

「どうした?」

 

「あんた……北上さんの事、北上って呼び捨てにするの……やめてくれない?」

 

「あぁ……。あれは、北上の方から提案してきたんだよ。俺は最初、ちゃんと敬語だったし、「北上さん」って呼んでいたんだぜ?」

 

「だからってあんた……」

 

大井は何やら大きくため息をつくと、窓の外を眺めた。

 

「話は変わるが、お前のお陰で、望月と交流できた。ありがとな」

 

「そう。でも、まだ解決していないんじゃないかしら? 違う?」

 

そう言うと、大井は俺の目をじっと見つめた。

 

「……流石だな。鋭いぜ、お前」

 

「目を見れば分かるわ。あんたの目、あいつにそっくりなんだもの」

 

親父の事か。

 

「……で? どんな問題があるってのよ?」

 

「あぁ、実は――」

 

俺は、島であったこと全てを大井に話した。

 

「なるほどね……」

 

「ゲームに関しては、とりあえず山風に鍛えてもらう事になった。あいつ、元プロゲーマーらしくてさ」

 

「そう……。って言うか、あんたって本当に馬鹿ね。望月がいいって言っているんだから、素直に追い詰めたら良かったのよ。あんたなら朝飯前でしょう?」

 

「まあ、そういうけどさ……」

 

「はぁ……。そういう甘いところも、本当にあいつそっくりだわ……」

 

「はは……」

 

大井はもう一度ため息をつくと、呆れた顔で俺を見つめた。

 

「でも……それでも出来ちゃうんだから、あんたって本当に……」

 

「本当に?」

 

「……ううん。はぁ~……じゃあ、デートはお預けってことね……。残念だわ」

 

「フッ……そんなに楽しみにしてくれていたのか?」

 

「まあね……。この前なんか、デートする夢を見ちゃったわ……。って言うか、あんたは楽しみじゃないわけ?」

 

「楽しみだよ。だから頑張ってるところもあるんだぜ?」

 

「本当かしら……。なんか嘘くさいし……余裕があってムカつく……」

 

拗ねるように、大井は唇を尖らせた。

 

「そういや、今日でここを出るんだってな」

 

「えぇ。寮に行くの。まだ本部の敷地からは出られないけれど、少し自由になるのかな」

 

人化した艦娘が社会に出るまでには、乗り越えなければならない壁がたくさんある。

『高等学校卒業程度認定試験』の合格。

『社会適応試験』の合格。

その他、健康面やメンタルチェック、試験合格のための座学や実技――等々、永い時間がかかってしまうのだ。

無論、政治的な事情や世論にも大きく左右される。

 

「外に出れるようになったら、北上さんと一緒に暮らすの」

 

「北上は了承しているのか?」

 

「北上さんからの提案よ。私は、迷惑じゃないかって言ったのだけれど、是非一緒にって言ってくれて……」

 

「そうか。良かったな」

 

「えぇ……そうね……」

 

大井は嬉しそうな反面、どこか寂しそうな顔もしていた。

 

「ねぇ、提督」

 

「ん、なんだ?」

 

「もし、私が外に出ることが出来ても……私と会ってくれる……?」

 

「あぁ、もちろんだ。その頃には、島の艦娘も全員、島を出ているだろうから、外で会うことも出来るだろう」

 

「ふふ、ずいぶん強気じゃない」

 

「驕り過ぎかな」

 

「ううん。きっと、貴方ならできるわ。この私を島から出したのだもの」

 

「フッ、そうだな」

 

「そうよ」

 

大井は優しく笑うと、俺の手にそっと、自分の手を重ねた。

 

「きっとよ」

 

「あぁ、きっと会いに行くよ」

 

ほんのりと頬を赤く染めた大井の表情からは、もう寂しさは消えていた。

 

 

 

カフェにはやはり、北上しかいなかった。

人気ないよな、ここ。

 

「雨宮君」

 

「待たせたな」

 

「本当、待ったよー。コーヒー奢ってくれないと、釣り合わないかなー」

 

「分かったよ」

 

コーヒーを買い、北上に渡してやる。

 

「さんきゅー」

 

「それで、再会はどうだった? 大井から訊きそびれてしまってな」

 

「んー……当然だけどさ、変わって無かったよ。あたしの知る大井っちそのまんまだった」

 

「そうか。そりゃよかったな」

 

「うん。大井っちもさ、言ってくれたんだよね。あたしの事、昔のまんまだって……。もうおばさんだって言われてもいいくらい変わったと思っていたんだけど、案外イケるのかな? あたし」

 

北上はカラカラと笑った後、俺をじっと見つめた。

 

「ありがとね、雨宮君。大井っちを連れてきてくれて……」

 

「いや、あいつが勝手に出て来ただけだ。別に、俺は……」

 

「またまた~。謙遜しなくていいよ。大井っちから全部聞いているんだから。あたしのお礼、ちゃんと受け取って欲しいな」

 

「……分かったよ。受け取っておく」

 

「じゃあ、受け取って?」

 

そう言うと、北上は近づき、俺にそっとキスをした。

 

「ちょ……!?」

 

「二ヒヒ。あたしのファーストキスだよ。ちゃんとお礼になったかな?」

 

からかうような表情の中に、ほんのりと赤く染まった頬が見えた。

 

「……あぁ、おつりがくるくらいには」

 

「そ、なら良かった」

 

そう言って、北上は顔を逸らすように、外を眺めた。

永い沈黙が続く。

 

「……なんか言ってよ。恥ずかしいじゃん……」

 

「じゃあ……。北上」

 

「なに?」

 

「その歳でファーストキスってのは……」

 

北上は顔を真っ赤にして――少しムッとした表情で俺を見た。

 

「うるさいなぁ……。こう見えても、結構モテるんだよ……? ただ相手にしてこなかっただけで……」

 

「そうなのか」

 

「そうですよー……。それくらい貴重なファーストキスなんだから……」

 

北上はコーヒーを飲み干すと、眉をひそめた。

 

「……なんか苦くない? このコーヒー……」

 

「いつもと同じものだけれどな」

 

そう言ってやると、北上は唇を尖らせた。

 

 

 

北上と別れた後、昼食を済ませ、山風のいる寮へと向かった。

『鈴蘭寮』という名前の古い寮らしく、住民は今のところ、山風ただ一人のようであった。

 

「古い割には、綺麗な見た目をしているな」

 

外観もそうだが、内装もリニューアルされているようだ。

住んでいるのは山風一人。

大井が来るにしても、随分と大げさな……。

 

「っと……。ここで靴を脱ぐのか……」

 

島の寮と同じだな。

――あぁ、そうか。

リニューアルしたのは、これから艦娘が人化してくることを見越しての事か。

だとしたら、俺の実力も、まあまあ信頼されているって事なのかな。

 

 

 

山風の部屋は、一階にあった。

島の寮で言うところの、執務室にあたるところだ。

 

「いらっしゃい、雨宮君」

 

「お邪魔します」

 

ここが山風の部屋か。

想像通り、可愛らしい部屋をしている。

 

「散らかっててごめんね。仕事の資料とか、片付けきれなくって……」

 

「いや、凄く片付いているよ。これが散らかっているというのなら、俺の部屋はゴミ屋敷だ」

 

尤も、そのゴミ屋敷は今、艦娘のたまり場と化しているが。

ふと、机の上に目を向けると、そこには二つのグラスが置かれていた。

どちらも、中途半端に飲み物が残っている。

 

「誰か来ていたのか?」

 

「あ、そうなの……。連絡もなく遊びに来て、断ることも出来なくて……」

 

「その人は?」

 

「トイレに行ってる。ごめんね? 戻ってきたら、帰るよう説得するから……」

 

「いや、大丈夫だ。友達か?」

 

「うん。ゲーム仲間……って感じかな……」

 

「そうか。せっかく来てくれたんだし、山風さえ嫌じゃなければ、一緒にゲームしたらいいんじゃないか? 山風のゲーム仲間ってんなら、俺よりも上手いだろうし」

 

「え……でも……」

 

山風は何故か、ソワソワし始めた。

まさか……。

 

「もしかして……彼氏だったりするのか……?」

 

「う、ううん……! 違うよ……! あたし、彼氏なんて……。それに、あたしは……」

 

そこまで言って、山風は閉口した。

 

「山風?」

 

その時であった。

 

「たっだいま~。いやぁ、快便快便~っと」

 

女性の声。

 

「山さん聞いてよ~。秋雲さん、最近便秘気味で……って……」

 

声の主と目が合う。

 

「あ……お帰り……。秋雲……」

 

秋雲……。

 

「あ……うん……。や……山さん……。こちらは……?」

 

「あ……えと……」

 

山風は何故か、俺を紹介することを戸惑っているようであった。

 

「あの、秋雲って……駆逐艦の?」

 

「え……はい……そうですけど……」

 

やはりそうか。

この人が……。

 

「あ……この人が雨宮君だよ……。ほら、前に話した……」

 

秋雲は俺を見ると、何やらワナワナと体を震わせ、俯いてしまった。

 

「秋雲……?」

 

「なるほど……そういうこと……」

 

「え……?」

 

「この……」

 

「この?」

 

「この……裏切者ぉぉぉぉぉ! うぎゃあああああああああ!」

 

 

 

秋雲はしばらく暴れていたが、山風が事情を説明すると、急に落ち着きを取り戻した。

 

「フー。スッとしたぜ。おれは山さんやラビさんに比べるとチと荒っぽい性格でな。激昂してトチ狂いそうになると、泣きわめいて頭を冷静にすることにしているのだ」

 

秋雲はキリっとした表情を見せると、俺をじっと見つめた。

 

「なるほど。君が山さんの言っていたイケメン君かぁ。ふぅん……ほうほう……」

 

「あ、秋雲! 雨宮君が困惑してるから、変なことするのやめて……。ごめんね、雨宮君……」

 

「い、いや……大丈夫だ……」

 

この人が秋雲……。

話には聞いていたが、噂以上の人だ……。

 

「雨宮君……だっけ?」

 

「は、はい……。雨宮慎二です。秋雲さんの噂は、かねがね……」

 

「あぁ、いいいい。秋雲の事は、秋雲って呼び捨てにして。敬語もダメ。解釈違いだから」

 

解釈違い……?

 

「も、もう! 秋雲! もういいでしょ? 雨宮君、ゲームやろう?」

 

「あ、あぁ……そうだな」

 

ゲームを始めてからも、秋雲はジロジロと俺を見ていた。

 

 

 

「ふぅ……やっとできたぜ……。このコンボ……」

 

「やったね雨宮君。今みたいに、投げた後の10フレーム待機を常日頃から意識することが大事だよ」

 

「あ、あぁ……分かった……」

 

フレームに対する説明は受けたが、正直、フレームとか言われてもさっぱりだ……。

 

「ちょっと休憩しよっか。あたし、コーヒー淹れてくるね」

 

そう言うと、山風は部屋を出ていった。

食堂みたいなところがあったから、そこで淹れてくるのだろうか。

 

「雨宮君」

 

タイミングを見計らったかのように、秋雲が話しかけて来た。

 

「なんでし……じゃなかった。なんだ? 秋雲」

 

「そうそう。そういう感じでお願いね」

 

そういう感じとは……。

しかし、北上も敬語はやめろと言って来たが、艦娘にとって、人間の敬語ってのはおかしなことなのだろうか。

或いは、俺に敬語は似合わないのか……?

 

「雨宮君さぁ、ぶっちゃけ、山さんの事、どう思ってんの?」

 

「山風の事? どうって言われても……」

 

一度フラれています……なんて、言えないよな。

山風も、その事は秋雲に話していないようだし。

 

「女として見れる? 山さん、絶対雨宮君の事が好きって感じじゃん? 雨宮君はどうなのかなって。女の子のタイプとかあったりする?」

 

何故か距離を詰めてくる秋雲。

 

「いや……別に、山風は友達だしな……。それに俺は、全ての艦娘の人化を成すまで、そういったことは……」

 

「へぇ……じゃあさ……あ……雨宮君ってさぁ……その……童貞……だったりしたり……?」

 

「そうだが……」

 

「ふ、ふぅん……そうなんだ……。へぇ……」

 

秋雲は、何やら体をもじもじさせると、悪そうにニッと笑って見せた。

 

「か……かく言う秋雲さんも処女でね……。なんて言うかさ……この歳になって処女ってのも……アレって言うか……」

 

「……なにが言いたいんだ?」

 

「あ、雨宮君的にはさぁ……秋雲さんの事……抱いてもいいって……思えたりする……?」

 

「え?」

 

「もし……雨宮君が、好きな人とかいないならさ……あ……秋雲さんと……その……シてみない……? なんて……」

 

何を言ってるんだこいつ?

 

「い、いや……そういう事は……」

 

「秋雲さんとじゃ……嫌かな……?」

 

「そういう訳じゃないが……。い、いや……そもそも、そういう問題でもないが……。そういったことを初対面の俺に求めるのは……もっと自分を大事にした方がいいと思うぞ……」

 

「秋雲的には、雨宮君って結構タイプだし? いいと思って言っているのだけれど……。それに、何も恋人になってくれって言ってるわけじゃないんだよ? 所謂、セフレってやつ?」

 

セフレって……。

 

「雨宮君だって、別に、艦娘の人化をするまで童貞でいなきゃいけないって訳じゃないんでしょ? だったら……一回くらいは経験しておいた方がいいと思うのだけれど……。お互い、winwinって奴だし……。ね、どうよ?」

 

確かに……鈴木にも『そもそもお前、まずは童貞を捨ててみたらどうだ?』って言われたしな……。

今後の為にも、経験した方がいいのだろうか……。

 

「お、女の子と気兼ねなくヤれることなんて、そうそうない事だと思うし、ましてや、相手は処女って、貴重な体験だと思うからさぁ……。ね、雨宮君……?」

 

秋雲が距離を詰める。

さっきまでは前髪でよく見えなかったが、右目下に泣きボクロを発見した。

 

『泣きボクロって、めっちゃエロいよな~』

 

鈴木の言葉が、ふと、脳裏に浮かぶ。

エロい……。

エロい……のか……?

 

「あーっ!?」

 

叫んだのは、山風であった。

 

「ちょっと秋雲!? 何してるの!?」

 

山風は秋雲を引っぺがすと、弱そうな拳でポカポカと叩き始めた。

 

「いたた……。ご、ごめんよ山さ~ん……。つい……」

 

「つい……じゃないよ……! もう……! だから紹介したくなかったのにぃ……。雨宮君……大丈夫……? 変な事されてない?」

 

「い、いや……大丈夫だ……」

 

「秋雲ったら……いつもそうなんだから……」

 

いつもこうなのか……。

 

「ねぇねぇ山さん、雨宮君、童貞なんだって」

 

「え?」

 

「秋雲さん達も処女じゃん? だから、雨宮君の童貞、奪っちゃおうかなぁ……なんて……。いい男なのに童貞って、かなりレアだし……結構いけそうな感じだったし? 山さんも攻めてみたら?」

 

山風は顔を真っ赤にすると、再び秋雲をポカポカ叩き始めた。

 

「ITEッ! ご、ごめん山さん……!」

 

「もう……! どうして言っちゃうの……!?」

 

「あ、そっち? 秋雲はてっきり、雨宮君を奪われることに怒っているのかと……」

 

そう言われて、山風は更に顔を赤くして――さらに強めに、秋雲を叩き始めた。

 

「ばかばかばかばか……! 秋雲なんて大っ嫌い……! うぅぅ……!」

 

「いててててて!? ネタに出来ないくらい痛い! 雨宮君、救命阿!」

 

俺はハッとして、山風を止めに入った。

 

 

 

怒り慣れていないのか、山風は疲れたようで、すぐに大人しくなった。

 

「うぅぅ……」

 

「ご、ごめんね山さん……。まさか、そこまで怒るとは……」

 

「もう……! 出て行って……! 秋雲の顔なんて、二度と見たくない……!」

 

山風は膝を抱えると、フイとそっぽを向いてしまった。

 

「ありゃ~……やり過ぎちった……」

 

「秋雲、今日はもう帰ったらどうだ? 今は謝っても、許して貰えないだろう」

 

「そ、そうだねぇ……。じゃあ……秋雲さんは帰るとしま~す……。山さん、本当にごめんね……?」

 

「フンッ……」

 

やれやれ……。

 

「あ! そうだ……。雨宮君、これ、秋雲の連絡先ね。さっきの件、真剣に考えておいて……?」

 

「秋雲……!」

 

「ひぇ~! じ、じゃあね!」

 

秋雲は逃げるようにして、寮を飛び出していった。

秋雲……か……。

 

「雨宮君……?」

 

振り返ると、山風が細い目で俺を見ていた。

 

「まさかとは思うけど……」

 

「い、いや……別に俺は……秋雲とする気は……」

 

「まだ何も言ってないよ……?」

 

しまった……。

何か機嫌をなおす言葉をかけてやれればいいのだが、俺にそんな力は無いし、何を言っても逆効果になってしまう気がする……。

 

「お、俺も、そろそろ島に戻らないと……」

 

まだ早いが、ここは撤退した方がいいよな……。

 

「じゃあ……今日はありがとな……。島に戻っても、コンボの練習は続けるよ……。待機後、10フレームの感覚……」

 

立ち上がり、部屋を出ようとした時であった。

 

「雨宮君……」

 

「な、なんだ?」

 

「もし……」

 

「もし?」

 

「もし……秋雲と……その……シたくなったら……その時は……」

 

「その時は……?」

 

山風は、抱えていた膝をより小さくすると、真っ赤になった顔を隠した。

 

「山風……?」

 

「……やっぱり、なんでもない。とにかく……ダメだよ……秋雲とは……」

 

「あ、あぁ……。分かった……」

 

「それと……」

 

「それと……?」

 

「まだ……帰っちゃダメ……」

 

「え?」

 

「教えなきゃいけない事……まだ残ってる……」

 

そう言って、山風はゲームを指した。

 

「あ、あぁ……ゲームの話か……」

 

俺はてっきり――いや……うぅむ……。

 

「それとも……時間……ない……?」

 

「いや、大丈夫だ。むしろ、いいのか? そんな調子だけど……」

 

「うん……。ちょっと……トイレだけ行ってきていい……? 顔も洗いたいし……」

 

「あ、あぁ……」

 

山風は立ち上がると、フラフラした足取りで部屋を出ていった。

 

 

 

それからは時間の許す限り、ゲームの特訓を受けた。

 

「はぁ……やっと安定して技が出せるようになったぜ……」

 

「お疲れ様、雨宮君」

 

山風の機嫌は、すっかり直っていた。

 

「でも、格ゲーだけじゃないんでしょ? 対決するゲームは……」

 

「あぁ。この格闘ゲームと、パズルゲーム、レースゲームの三本勝負となる」

 

望月には、その三本で勝負することは伝えてある。

というか、その三本くらいしか、勝負できそうなゲームはなかったのだ。

 

「そっか……。パズルゲームとレースゲームは得意なの?」

 

「得意って訳じゃないが……。まあ、格ゲーよりかは簡単だと思う。それに、その手のゲームが得意そうな奴も島にいるし、そいつらに教えて貰うよ」

 

「時間があれば、あたしが教えたかったなぁ……」

 

「俺も、山風から教わりたかったよ」

 

「え?」

 

「山風以上に上手い奴は、居ないだろうしな」

 

「あ、そっち……」

 

そんな話をしている内に、時計が別れを告げる鐘を鳴らした。

 

「あ……終わっちゃった……」

 

「楽しい時間は、あっという間だったな」

 

「ね、本当……」

 

 

 

空はすっかり暗くなっていた。

 

「寒いから、見送りは良かったのに」

 

「ううん。あたしが行きたかったの。迷惑だった……?」

 

「いや、そんなことはないけど……」

 

「じゃあ、いいよね。えへへ」

 

悪戯な笑顔を見せる山風。

もこもこした服が、より一層、山風の小動物感を引き立てる。

まあ……つまり……可愛いと思ったって事だ……。

 

「もうすぐクリスマスだね。雨宮君は、島で過ごすの?」

 

「そのつもりだ。親父がいた頃には、サンタが来ていたらしいし、皆もソワソワしている」

 

「雨宮君のサンタ姿、見たかったな」

 

「場合によっては、トナカイ役かもしれんぜ」

 

「ふふ、そっちの方が見てみたいかも」

 

「おいおい……」

 

山風は小さく笑うと、何やら俯き、黙り込んでしまった。

 

「山風?」

 

「雨宮君……」

 

「なんだ?」

 

「実はあたしね……? 島を出てしばらくは、ずっと引きこもりだったの……」

 

「え?」

 

「島を出た頃のあたしは、とっても暗い性格で……。皆とも上手く馴染めなくて……引きこもってしまったの……」

 

山風は足を止めると、星空を眺めた。

 

「でも、ある日……秋雲が私のところに来てくれてね……? パソコンをプレゼントしてくれたの。ネットの世界でなら、簡単に人と馴染めるんじゃない? って……」

 

秋雲、案外いいところあるじゃないか。

 

「それから秋雲の紹介で、ネットゲームを始めたの。初心者のあたしに、皆、とっても優しく接してくれて……。あたしの現状を知って、同情してくれたり……とっても勇気を貰えたんだ……」

 

本当にそう思っているようで、山風はどこか嬉しそうに微笑んだ。

 

「皆に勇気づけられて、あたしは引きこもりを脱却することが出来たの。外に出て、プロゲーマーと認められて……。色んな人と出会って……あたしは変わることが出来たの……」

 

「そうだったのか……」

 

「そういう事もあって、あたしもいつか、誰かを救える人になりたいって思って、看護師になろうと決意したの。ゲームで稼いだお金で看護学校に入って、看護師の資格をとったんだ。そして、海軍に声をかけてもらえて、いつか帰ってくるであろう艦娘のケアをして欲しいって言われたんだ」

 

なるほど……そういう経緯があったのか……。

ちゃんとプロゲーマーを引退する理由があったんだな。

 

「そうか……。しかし、どうして急にそんな話を?」

 

「え……だ、だから……その……。ひ、引きこもりだったっていうのもあるし……プロゲーマーの世界では、そもそも……そういうのは御法度って言うか……そういうのだったし……。看護学校も……女性しかいなかったから……その……」

 

山風は恥ずかしそうに手を揉んだ。

 

「山風?」

 

「だ、だから……! あたしが……なのは……しょうがないと言うか……」

 

「え?」

 

「あ、あたしが処女なのは……その……あぅぅ……」

 

山風はしゃがみ込むと、顔を隠してしまった。

 

「……もしかして、気にしていたのか? さっきの事……」

 

「……うん。だって……幻滅したでしょ……? あたしが処女だったなんて……」

 

「え……どうして……?」

 

「だって……この歳で処女だなんて……あたしに何か問題があるとしか思われないだろうし……。ネットとかでも、処女はデメリットしかないって言われてるし……」

 

ネットにはそんなことまで書いてあんのか……。

 

「い、いや……別に……そんな事は思ってないよ。俺だって童貞だし、そんな事、考えたこともないよ」

 

「本当……?」

 

「あぁ、本当だよ。というか、そんな弁明をするために、そんな大切な話を?」

 

山風は小さく頷いた。

 

「……まあ、山風の事が知れてよかったよ。この話は、そういう事でおしまいにしよう」

 

「う、うん……そうだね……」

 

山風を立たせ、俺たちは再び歩き出した。

 

「ねぇ、雨宮君……」

 

「なんだ?」

 

「雨宮君は、どうして……その……」

 

「……その話はおしまいじゃなかったのか?」

 

「だ、だって……気になる……」

 

「……どうしてと言われてもな。単純にそういう機会が無かったし、機会を持とうともしなかったし、普通にモテなかっただけというか……」

 

「じゃあ……秋雲が機会をくれたけど……。雨宮君は……」

 

「……それを活かすつもりはないよ。出会って間もないし、秋雲も冗談で言ったんだろうしな」

 

そう言ってやると、山風は足を止めた。

 

「どうした?」

 

「じゃあ……あたしは……?」

 

「え?」

 

「あたしなら……どう……? もしあたしが……秋雲と同じこと言ったら……?」

 

山風は顔を真っ赤にして、俺をじっと見つめた。

いきなりの事に、俺は思わず固まってしまった。

 

「あたしは……いいよ……。もし……雨宮君がシたいっていうのなら……いいよ……?」

 

突如、俺の心臓は大きく跳ね上がった。

速くなる鼓動。

これは――。

 

「おーい、慎二ー!」

 

声の方を向くと、そこには鈴木がいた。

遠く、船に乗り、手を振っている。

 

「早く来いよー! 俺に残業させる気かよー!?」

 

「あ、あぁ! 悪い! 今行くよー! 悪い山風、もう行かないと……」

 

「う、うん……。ごめんね、こんな時間まで……」

 

「い、いや……こちらこそ……。今日はありがとな……」

 

「うん……。対決、頑張ってね……?」

 

「あぁ……。じゃあ……」

 

そう言って、去ろうとした時であった。

 

「雨宮君」

 

「ん……なんだ?」

 

「……またね」

 

それだけ言って、山風は小走りで寮の方へと去って行った。

 

「またね……か……」

 

少し含みのある再会の約束。

その意味が、俺には分かっていた。

分かっていたからこそ、今は純粋に、そのままの意味として、受け取ることにした。

 

 

 

島に着くころには、寮の方は真っ暗になっていた。

 

「悪いな、鈴木。こんな時間になってしまって」

 

「いや。山風といたって知っていれば、もっと遅くても良かったんだぜ?」

 

鈴木はニヤニヤと笑って見せた。

 

「……誤解が無いように言っておくが、何もないからな?」

 

「だろうな。顔を見りゃわかる。童貞特有の顔をしている」

 

俺は思わず、自分の顔を触ってしまった。

 

「ハハハ。まあ、ヤれる時にヤっとけよ? 後で後悔するぜ? んじゃ、俺は帰るぜ。じゃあな、童貞くん」

 

「あぁ、じゃあな。万年発情期野郎」

 

鈴木は中指を立てると、そのまま島を離れていった。

 

「ったく……」

 

俺はもう一度、自分の顔を触った。

童貞特有の顔って、どんなのだよ……。

 

 

 

翌日。

食堂に向かう途中、山城と目が合った。

 

「よう。今日もちゃんと出てきているんだな」

 

「えぇ……まあ……」

 

去ろうとする山城を、俺は引き留めた。

 

「……なに?」

 

「いや……まだお礼を言っていないと思ってな」

 

「お礼……?」

 

「夕張の件だ。お前、あいつの事を想って、出てきてくれたんだろ? そうじゃなきゃ、お前は今まで通り拒否するだろうしな」

 

山城はしらばっくれるように、視線を外した。

 

「それとあの時……お前が、夕張を褒めてやれって言ってくれたから、俺は苦しまずに済んだ。そっちに関しても、礼を言わせてくれ。ありがとな、山城」

 

「別に……ただ一般論を言ったまでよ……」

 

「まあ、そういう事にしておくぜ。その方が、お前の為になるだろうしな」

 

山城は露骨に、嫌そうな表情を見せた。

 

「山城さん」

 

声をかけて来たのは、夕張であった。

 

「先に来ていたのね。部屋に行ったけど、いなかった……から……」

 

夕張は俺を見つけると、山城を見た。

 

「……今ここで会っただけよ」

 

山城の細い目が、俺を見ていた。

 

「あ、あぁ……。そうだ。いきなり声をかけて、悪かったな」

 

夕張は俺をじっと見た後、山城を連れて食堂へと入っていった。

 

「フッ……」

 

思わず笑みが零れる。

一体、何の笑みなのか。

それも分からぬまま――。

 

 

 

それからいつものように、駆逐艦に揉みくちゃにされながら、家でゲームをすることになった。

 

「さて……」

 

格闘ゲームは夜やるとして、とりあえず、他のゲームを極めなければ……。

 

「陸奥さん、また一位だー!」

 

「言ったでしょ? この手のものは得意なのよ」

 

陸奥がやっていたのは、レースゲームであった。

 

「陸奥、お前、そのゲーム得意なのか?」

 

「え? えぇ、まあね」

 

三本勝負の一本にもあるこのレースゲームは、ただのカーレースゲームではなく、コース上に落ちているアイテムを拾い、それを駆使して順位を競う、少しヘンテコなゲームであった。

 

「普通のレースゲームは苦手なのだけれど、このゲームにはアイテムがあるじゃない? レースの腕だけじゃなくて、いかにアイテムで相手を翻弄するか……。そういうゲーム、得意なのよ」

 

いかに相手を翻弄するか……。

確かに、何だか得意そうだよな、お前……。

 

「陸奥、俺にそのゲームのコツを教えてくれないか?」

 

「いいけど……。どうして?」

 

「まあ、ちょっとな……。それで? まずはキャラクターから選ぶのか?」

 

「えぇ、そうなの。キャラクターには、それぞれ特徴があってね?」

 

 

 

しばらく陸奥の特訓を受けていたが、お昼の時間を迎え、皆、寮へと帰っていった。

 

「さて……」

 

「そんなプレイで、本気で勝つつもりなんだ」

 

声の方を向くと――。

 

「望月」

 

「あんたのプレイ、見ていたけれど、ありゃなんだ? コントローラーの上に猫を歩かせる方が、まだマシなプレイになるぜ?」

 

「ハハハ、面白い言い回しだな、それ」

 

「……あんた、煽られてる自覚あんのか?」

 

望月は大きくため息をついた。

 

「心配しなくても、俺は負けないよ」

 

「どっからそんな自信が湧いてくるんだ……。そんなんじゃ、いつまで経っても勝負すら出来ないじゃん……。対戦する日は、あんたが上手くなってから……なんだろ?」

 

「あぁ……。しかし、永くはやっていられない。鹿島はいいとしても、皐月と卯月の決心が揺らぐ前に、決着をつけなければならん」

 

「あの二人はここ最近、ゲームが入ってきたこともあって、遊びに夢中だ。あんたの言っている通り、時間はないだろうなぁ……。んで? あんたの見立てでは、あとどれくらいなんだ?」

 

「クリスマス前までには……って所かな……。クリスマスをやってしまうと、せっかくなら正月も~ってな具合で、延びてしまうだろうしな……」

 

「本当に時間ねーじゃん……」

 

自分で言っていて実感する。

本当に時間がない。

今までは、ぼんやりと考えていたところもあった。

しかし……そうだよな……。

 

「時間ねーのに、あのプレイってのはなぁ……」

 

「しかも、パズルゲームも、まだルールすら知らんのだ……」

 

「やったことないのに挑んだのかよ!?」

 

「あぁ……。対戦するゲーム、全部やったことがない。レースゲームも、さっきのが初めてだ」

 

望月は唖然としていた。

 

「だが、大丈夫だ。格闘ゲームは、昨日、本土でコツを教わって来た。レースゲームも、今日で何とかマスターする。パズルゲームも……まあ、誰かに教わるさ……」

 

「いや……それじゃあ間に合わねーぞ……」

 

「間に合わせるしかねぇんだよ……。というか、お前こそ、自分の心配しておけよ。俺の事なんて気にかけている暇ないんだぜ?」

 

望月は、鼻で笑って見せた。

 

「あんたなんて、片手でやっても勝てるよ」

 

「じゃあ、片手でやってくれないか?」

 

「……やるわけねーだろ。あーあ……あほらし……。心配して損したわー」

 

そう言って、望月は家を出ていった。

 

「フッ……心配してくれていたんじゃねぇか……」

 

望月、やはりお前は――。

 

 

 

お昼を済ませた後、再び陸奥にゲームの指導をお願いした。

しかし……。

 

「ダメよ。鳳翔さんに怒られちゃうわ」

 

そうだった……。

ゲームは一日一時間。

これ以上は出来ないのであった。

 

「…………」

 

鳳翔に事情を話すか……?

いや……しかし……。

 

「提督?」

 

「……いや、なんでもない。そうだよな。仕方ない。皆と遊ぶか」

 

「えぇ!」

 

実は、望月と対戦することは、まだ誰にも言っていない。

望月は、島を出たくない理由を隠している。

つまり、誰にも知られたくないという事だ。

出来ることならば、その理由を皆に隠したまま、島から出してやりたいと思っていたのだ。

 

「…………」

 

しかし……これでは……。

 

 

 

その日の深夜。

家でゲームの特訓をしていると――。

 

「こんな時間にゲームですか」

 

「大淀……」

 

大淀は縁側から居間へと上がって来た。

 

「どうした? こんな時間に……」

 

「それはこっちの台詞ですよ。ここ最近、ずっと夜中に明かりが灯っていたので、調べに来たのです。そしたら……」

 

大淀はゲーム機をじっと見つめた。

 

「いや……これは……」

 

「望月さんですか……?」

 

「え?」

 

「ここ最近、夜中に望月さんが来ていましたよね? 彼女と何かあったのですか?」

 

大淀の目は――いつか見た、何もかも見透かしているような目であった。

 

「……何があったと思う?」

 

「そうですねぇ……」

 

大淀は顎に手をあて、考えるそぶりを見せた。

 

「ゲームに興味が無さそうだった提督が、こんな時間に一人でゲームをやっている……。提督が陸奥さんに、ゲームを教わっていた……。もしかして……望月さんと、島を出ることをかけて、ゲームで勝負を……?」

 

「……惜しいな」

 

「勝負することは本当、なんですね?」

 

俺は思わず閉口した。

 

「そういう事ですか」

 

大淀は座ると、細い目で俺をじっと見つめた。

 

「……なんだよ?」

 

「いえ……。提督とは、結構打ち解けたと思っていたのですけれど……。私だけだったのかなって……」

 

「どういう意味だ?」

 

「そのままの意味ですよ。勝負の事、相談してくれても良かったのに」

 

「勝負するなんて、言ってないが?」

 

「へぇ……そうですか……。ふぅん……そうやって避けるんだ……」

 

まるで独り言のように、大淀はぶつぶつと呟いていた。

夕張みたいなこと言ってんな。

 

「それで? 俺が何しているのか分かったんなら、帰った方がいいんじゃないのか? もう消灯時間はとっくに過ぎているだろ。不良艦娘大淀」

 

「出向してきた提督の健康管理も、私の務めです」

 

「あくまで仕事だと?」

 

「模範的でしょう? さて、不良はどちらでしょうか?」

 

まるで問題でも出しているかのような口調で、大淀は俺に問いかけた。

 

「……分かったよ。もう寝るさ……」

 

そう言って、ゲーム機の電源を切ろうとした時であった。

大淀が、その手を止めたのだ。

 

「なんだよ?」

 

「そうやって、私を帰らせた後、こっそりやるつもりなのでは?」

 

「そんなことしないさ」

 

するつもりだがな。

 

「嘘ですね?」

 

「本当だよ。っていうか、何を根拠にそんなこと……」

 

「目が嘘だと言っているんです」

 

「目ってお前……」

 

大淀は唇を尖らせ、さらに目を細めた。

今日はやけにしつこく絡んでくるな……。

 

「……どうした? なんか、お前らしくないぞ……」

 

そう言ってやると、大淀は膝を抱え――以前酔った時に見せたような、拗ねた態度を見せた。

 

「大淀?」

 

「約束……」

 

「え?」

 

「約束しました……。ゲーム……協力プレイしましょうって……」

 

『今度、大淀と一緒に協力プレイをしませんか?』

 

あぁ、そういやそんな事……。

 

「……もしかして、それで拗ねてんのか?」

 

「提督ったら……あれから一度も誘ってこないじゃないですか……。何か隠し事もしているようですし……」

 

隠し事はついでかよ。

 

「そうだったのか……」

 

「思い出してくれました……?」

 

「思い出したが……約束はしてないぜ?」

 

「な……!? しましたよ!」

 

「いや、だって……」

 

『考えておくよ』

 

「って、言っただろう……」

 

大淀は左上に記憶を浮かべると、思い出したのか、顔を真っ赤にさせた。

 

「……本当にどうしたんだよ? なんか、様子が変だぞ、お前……。らしくないっていうか……。まるで酔っているかのような……」

 

大淀は俯くと、何やら寂しそうな表情を見せた。

 

「いけませんか……?」

 

「え?」

 

「私だって……たまにはいつもの自分を捨てたいって思うことくらい……あるのですよ……?」

 

そう言うと、大淀はより一層、抱えた膝を小さくした。

 

「酔った時の私……覚えていますか……?」

 

「……あぁ、忘れようにも……な」

 

「あれが私の本心なんです……。本当は、もっと誰かに甘えたいのです……」

 

「その本心が今、どうして出ている?」

 

大淀は深く目を瞑ると、首を横に振った。

 

「分かりません……。でも……こんな些細な事でも気が立ってしまうのは……」

 

俺をチラリとみると、大淀は黙り込んでしまった。

気が立ってしまうのは……。

 

「……佐久間肇の時以来、か?」

 

大淀の表情で、俺は全てを察した。

 

「なるほどな……」

 

「気を悪くさせてしまったのなら……」

 

「いや、別に……。ただ……俺は俺だぜ? お前の中の佐久間肇に失礼じゃないか?」

 

「……そうかもしれませんね」

 

そこは否定しろよ……。

 

「でも……分かっていますから……。貴方が貴方だって……」

 

「え?」

 

「私は――……」

 

大淀は黙り込んでしまった。

 

「大淀?」

 

膝を解いた大淀は、何やら床に落ちていたゲームのカセットを手に取った。

 

「これ……」

 

「ん?」

 

それは、望月との対戦カードに入っているパズルゲームであった。

 

「このゲームもあったのですね。わぁ……懐かしい……!」

 

「知っているのか? そのゲーム」

 

「えぇ……! 私、これ上手なんですよ! 誰にも負けたことが無いんです!」

 

大淀はゲーム機にそれを差し込むと、コントローラを手に取った。

 

「わぁ、久しぶりだから出来るかしら」

 

何のためらいもなく、ゲームをスタートさせる大淀。

 

「見ててくださいね? スゴイのお見せしますから!」

 

「え? あ、あぁ……」

 

画面では、既にゲームが始まっていた。

何やら、ぷよぷよした饅頭のようなものを積み上げて行く大淀。

それが画面いっぱいになる頃、大淀は叫んだ。

 

「行きます!」

 

「え?」

 

饅頭が消える。

その饅頭の上にあった饅頭が落ち、さらに饅頭が消える。

その饅頭の上にあった饅頭が――それを繰り返してゆく。

 

「多分、14連鎖くらいいきますよ!」

 

大淀の言う通り、それは14回繰り返して終わった。

 

「どうです!?」

 

ドヤ顔をみせる大淀。

 

「いや……これは……凄いのか?」

 

「ムッ……じゃあ、やってみてくださいよ!」

 

「え……あ、あぁ……分かったよ……」

 

とは言え、ルールどころか、操作方法も分からんのだが……。

 

「……何をしているのですか?」

 

「え?」

 

「スタート、で始めるんです」

 

「え……ス、スタート……」

 

画面に反応はない。

 

「……言葉じゃなくて、このボタンです」

 

「あ、あぁ……スタートボタンか……」

 

「やったことないのですか?」

 

俺が黙っていると、大淀は大きくため息をついた。

 

「仕方ないですね……。まずは……」

 

大淀は俺に、パズルのルールを説明すると共に、『連鎖』なるもののやり方を教えてくれた。

 

「そうです! そこそ……あぁ……! ですから! そこは青・青・赤と積み上げてですね!?」

 

 

 

どれくらいの時間が経っただろうか。

 

「よっ……おぉ!? これは……!」

 

思った通りの色が落ちて来て、連鎖が始まる。

 

「よっしゃ! 大淀、見てみろ! 連鎖が……って……」

 

振り返ると、大淀は眠っていた。

 

「おいおい……」

 

ゲームの電源を切る。

静かになった居間では、大淀の寝息が、かすかに聞こえていた。

 

「あんなに夢中になっていたのに……。寝るときは一瞬なのか……」

 

まるで子供のようだ。

 

『本当は、もっと誰かに甘えたいのです……』

 

パズルゲームに夢中になっている大淀も、酒に酔った大淀も、やはり子供のようであった。

本当はもっと甘えたいってのは、本当なのだろうな……。

 

「……って、違う違う。おい、大淀起きろ」

 

体をゆすっても、大淀が起きる気配はなかった。

 

「クソ……」

 

どうしたものか……。

今から寮に連れて行くってのも……。

 

「……仕方ねぇな」

 

俺は寝室から毛布を持ってきて、大淀にかけてやった。

 

「ったく……。気持ちよさそうに眠りやがって……」

 

とりあえず、早朝にもう一度起こしてやって、すぐに戻らせないとな……。

一晩中家に居たって事になると、色々面倒だしな……。

 

「…………」

 

そういや、ゲームに流されたが、大淀はさっき何を言おうとしたんだ?

 

『私は――……』

 

『でも……分かっていますから……。貴方が貴方だって……』

 

あれは、『どっちの意味』だったのだろうか……。

俺を気遣ってのことか、それとも――。

 

「ん~……」

 

寝転がり、大淀の寝顔を見つめた。

 

「大淀、お前はどうして、島に残るんだ……?」

 

大淀は答えるはずもなく、ただ寝息をたてていた。

 

「佐久間肇の事が忘れられないのか……それとも――……だとしたら――……」

 

瞼が重くなって行く。

何故か頭の中で、パズルゲームのキャラクターボイスが流れて来た。

連鎖を重ねると、よく分からん事を叫んでいた。

ぼよよ~ん……的な……。

そういや、意図せずパズルゲームが上手くなったな……。

こりゃ、望月と対戦する日も、そう遠くは――……。

 

 

 

 

 

 

『月が綺麗ですね』

 

そう言うと、大淀は――……大淀?

 

『随分古風な告白をするのだな』

 

大淀に寄り添われているのは……俺か……?

 

『あら、私、告白なんてしていませんよ? ただ、月が綺麗だって、思ったことを言っただけですよ? うふふ』

 

『酔ってるな。お前』

 

『酔っていなければ、こんな恥ずかしい事、いいませんよ』

 

『フッ、やはりそうなんじゃないか』

 

大淀は相当酔っているようだ。

なんだか酒臭いし。

 

『もしそうだとして、提督のお返事は?』

 

『俺はまだ死にたくはないしなぁ……』

 

大淀は拗ねたようで、唇を尖らせた。

 

『お前に俺はふさわしくないよ』

 

『そうでしょうか……』

 

『そうだよ。きっと、お前にはもっと、いい人が見つかるだろう』

 

『提督以上の人が見つかるでしょうか……』

 

『……お前、本当に酔っているな』

 

『どうでしょう……?』

 

大淀が俺の膝を枕にする。

そして、何かを訴えるかのように、俺をじっと見つめた。

――あぁ、『いつものやつ』か。

 

『子供だな』

 

撫でてやると、大淀は嬉しそうな表情を見せた。

 

『いけませんか?』

 

『今だけだぞ』

 

『んふふ~……』

 

しばらくすると、大淀は寝息をたて始め――。

 

 

 

 

 

 

強い光に目を覚ます。

 

「あれ……? 大淀……?」

 

大淀は既にいなかった。

 

「……帰ったのか」

 

大淀にかけたはずの毛布は、俺にかかっていた。

 

「…………」

 

なんだか変な夢を見ていた気がする。

よく思い出せないが……。

 

「今日は……」

 

カレンダーを見る。

誰が書いたのか、クリスマスに丸が付けられていた。

 

「……クリスマスまであと少しか」

 

床に転がるコントローラ。

耳につくキャラクターボイス。

 

「……よし」

 

 

 

食堂には、既に皆が集まっていた。

 

「よう、山城」

 

いつものように山城に声をかける。

山城はだるそうに俺を見ると、すぐに視線を逸らした。

 

「フッ……。さて……」

 

いつもなら鳳翔の隣に座るのだが、今日は違った。

 

「よう」

 

「司令官! どうしたの? こっちに座るなんて、珍しいぴょん」

 

「あぁ、ちょっとな」

 

「おはよう司令官!」

 

「おう、おはよう。皐月」

 

元気に挨拶する二隻とは違い――もう一隻、面倒くさそうな表情を見せていたのは――。

 

「よう、望月」

 

「……何しに来たんだよ?」

 

「何って……飯だよ飯。飯を食いに来たんだ」

 

「あんたの席はあっちだろ……。ほら……鳳翔さんがこっち見てるぞ……?」

 

鳳翔の隣には、俺の飯が置かれていた。

視線が、俺に帰って来いと訴えかけている。

 

「また怒られる前に、さっさと帰ったらどうなんだ……?」

 

「あぁ……そうだな……。けど、その前に……伝えたいことがあるんだ」

 

「なんだ?」

 

「今日の2200だ。それで終わりにしよう」

 

望月の目の色が変わった。

 

「司令官、2200で何が終わるの?」

 

「ん? あぁ……望月にゲームを貸していてな。今日の2200までに返してもらおうと思っているんだ」

 

「もっちー、ゲーム借りてたの?」

 

「え……あ、あぁ……」

 

「ダメだよもっちー……! 鳳翔さんに見つかったら、怒られるぴょん……!」

 

卯月がわざわざ小声で警告してくれているのも気に留めず、望月は俺をじっと見ていた。

 

「いいんだな……?」

 

それには、色々な意味が含まれていた。

 

「あぁ。後で詳しく話そう。じゃあ、俺は行くぜ。鳳翔の視線が鋭くなって来たんでな」

 

「司令官、鳳翔さん怒らせちゃ駄目だよ?」

 

「がんばってぴょん!」

 

「あぁ」

 

何を応援されているのか分からんまま、俺はその席を後にした。

 

 

 

食後。

皆が家へと向かってゆく中、望月だけは残り、俺だけになるのを待っていた。

 

「よう。待たせたな」

 

「本当だよ……。あんた、中々一人にならねーんだもん……」

 

「人気者になっちまったからな。撒くのも大変だぜ」

 

俺は望月に向かい合うように、席に座った。

 

「もう一度訊く……。本当に今日でいいんだな……?」

 

「あぁ、今日の2200だ。ルールに変更はない。あの三本のゲームで勝負だ」

 

「……いくら時間がないとはいえ、あんなプレイのままあたしに挑もうとするなんてな」

 

「一応、ギリギリまで足掻くつもりだ」

 

「えらい自信だな……」

 

望月は、椅子に深く腰掛けると、ため息をついて見せた。

 

「それにしてもあんた……あたしとの勝負の事、誰にも言っていないんだな……」

 

「あぁ。内容はともかく、お前が隠し事をしているということすら、お前自身、誰にも言っていないようであったからな。俺なりの配慮だ」

 

「負けた時の保険じゃないのか? ゲームに負けて、あたしを島から出せなくなったなんて、相当ダサいしなー」

 

「ははは、確かに」

 

笑う俺に対し、望月は俯き、暗い表情を見せていた。

 

「……本当にいいんだな?」

 

「あぁ。男に二言はない」

 

「……分かった。じゃあ、今日の2200……あんたの家で……」

 

「あぁ、待ってるぜ」

 

「じゃあ……」

 

望月は食堂を去る前に、もう一度俺をじっと見つめた。

 

「どうした?」

 

「……いや。何でもない……」

 

そう言って、望月は去って行った。

 

 

 

家についてすぐ、昨日と同じように、陸奥からレースゲームの特訓を受けた。

 

「上手になって来たじゃない」

 

「あぁ。しかし、これはあれだな。運も絡んでくるんだな。アイテムによっては、負けることもあるし」

 

「そこが面白い所なのよ」

 

そういうものだろうか……。

 

 

 

それからはいつもと同じ展開で、お昼以降は駆逐艦たちとゲーム以外の事をして遊んだ。

明石と夕張の作った遊具は、いつの間にかグレードアップされており、皆を喜ばせていた。

 

「よく飽きないよな……」

 

「好奇心の強い子たちですから」

 

好奇心……か……。

 

「あの子たちが島の外の世界を見た時……どんな反応をするのか……。いつか、見てみたいです……」

 

鹿島の視線は、駆逐艦に向けられていなかった。

 

「見せてやるさ。すぐにでも……」

 

「提督さん……」

 

今日ですべてが決まる。

勝って、望月の気持ちを動かすことが出来たのなら、全ての艦娘の人化に大きな進展を齎すことが出来るだろう。

もし負ければ――。

――いや、それでも、望月になにかきっかけを与えることが出来るだろう。

それだけで、俺は――。

 

 

 

消灯時間を迎え、家へ帰ろうと準備をしていると、望月が訪ねて来た。

 

「よ……」

 

「おう。ちょっと待ってろ。今、帰る準備をしているから」

 

「ん……」

 

望月は小さく座ると、準備をする俺をじっと見つめていた。

 

「どうした? 随分おとなしいじゃないか。緊張しているのか?」

 

「そんなんじゃねーよ……。ただ……あんたが気の毒だと思ってさ……」

 

「はは、だったら、手加減してくれるか? しないだろ」

 

「まあな……」

 

「俺だって、生半可な気持ちで挑んでいるわけじゃない。本気で勝とうとしているんだ。残された時間、俺のゲーム上達具合……それを考えても、今日がベストなんだ」

 

どっちかと言うと、『今日がリミット』なんだろうが。

 

「本気で戦うことが、最大の経緯だ。気の毒だと思うなら、むしろ全力で来い。それこそ、勝つ見込みなんてなかったんだと思わせるほどにな」

 

望月は小さく頷くと、それからしゃべらなくなった。

 

 

 

家に着いても、望月は大人しかった。

 

「いつもみたいに、はしゃいでもいいんだぜ」

 

「しねーよ……。あれだって……なんつーか……空元気っていうかさ……」

 

「そうなのか? またどうして?」

 

「さぁな……」

 

望月はゆっくりとゲーム機に近づくと、近くに転がっていたカセット三本を手に取った。

 

「もう一度訊くけど……本当にいいんだな……?」

 

「くどいぞ」

 

「……分かった。もう訊かねーよ……。んで? 何から始める? 特別に決めさせてやるよ」

 

「そうだな……」

 

三本勝負……。

当然だが、二回負ければ、三本目の勝負はない。

故に、一本目の勝負は、確実に勝たなければ……。

 

「……よし。じゃあ、一本目は、このパズルゲームで勝負だ」

 

「了解……。あたし、あまり好きじゃねーんだよな……これ……」

 

「お、だったら俺でも勝てるかもな」

 

「いや……自信無かったのかよ……」

 

カセットを差し込み、ゲームをスタートさせる。

 

「じゃあ、先に二回勝った方が、このパズルゲームの勝者って事で」

 

「おっけー」

 

「んじゃ、ゲームスタートだ!」

 

こうして、俺と望月の対決が始まった。

 

 

 

静かな夜に、カチカチというボタンを押す音だけが聞こえていた。

 

「これがこうで……えーっと……」

 

大淀に教わった連鎖を成す為、慎重に色を積み上げてゆく。

一方の望月は、連鎖など気にすることなく、揃えばすぐに消していた。

 

「こうなるから……って、あぁ!?」

 

「おっと、すまんなぁ」

 

俺の置こうとしたところに、望月の邪魔が入った。

 

「くそ……! えーっと……」

 

大淀とやった時は対戦じゃなかったから、邪魔が入ることはなかった。

思った通りの配置が出来ない。

 

「……あぁ、駄目だ!」

 

1,2……2連鎖……。

 

「2連鎖かぁ……。くそ……もう一度積み上げなければ……」

 

ふと、横目で望月を見た。

ほくそ笑んでいるのかと思っていたが、違った。

 

「……なんだよ?」

 

そう言ったのは、望月ではない。

 

「俺の顔に、何かついているのか?」

 

望月は、ゲーム画面なんか見ておらず、俺をじっと見つめていた。

 

「……いや、随分楽しそうにするんだなって思ってさ」

 

「……そりゃまた、随分余裕だな。画面を見なくていいのか?」

 

望月がよそ見をしてくれていたおかげで、連鎖の準備が整っていた。

 

「いいよ別に……。この勝負も、あんたの勝ちでいい……」

 

「え?」

 

そう言って、望月はコントローラを置いた。

画面では、連鎖が始まっていた。

 

「おぉ、すげぇじゃん」

 

「いや……」

 

全ての連鎖が終わる前に、望月は自滅していた。

 

「……どうしてやめたんだよ?」

 

「言ったろ? あたし、このゲーム嫌いなんだ。あんたも強いようだし……負けると分かっている勝負なんて、時間の無駄だ」

 

そう言って、望月はゲーム機の電源を切って、カセットを抜いた。

 

「まだ分からんだろうに」

 

「分かるよ。それに、心配しなくても、後の二本はあたしの得意なものだ。その二本で勝てばいいだけ。あんたも一勝できたんだから、winwinだろ」

 

そうかもしれないが……。

 

「そんなこと言って、ただ負けるのが怖いだけなんじゃないのか? 自分から認めれば、傷も少なくて済むもんな?」

 

煽るようにそう言ってやった。

反撃か呆れ、どちらかが返ってくるものだと思っていたが、望月は何も言わず、ただ黙り込んでしまった。

 

「望月……?」

 

「……次、やろうぜ。どれにするか、さっさと決めてくれ……」

 

「あ、あぁ……。じゃあ……レースゲームを……」

 

「分かった……」

 

望月の奴、なんか元気なくなっちまったな……。

まさか、煽り耐性が無い訳じゃないよな……?

 

 

 

二本目、レースゲーム。

 

「コースはあたしが決める。それでいいな?」

 

「あぁ、別にどこでもいいぜ。出来ることなら、虹のステージは避けて欲しいものだが……」

 

「あぁ、じゃあここだ」

 

「う……そこか……」

 

マグマのステージ……。

ここも難しいんだよな……。

 

「言っておくけど、手加減はしねーからな。負けても文句言うなよ?」

 

「そうでないと困る」

 

昨日始めたばかりとは言え、午前中まで陸奥に特訓を受けていたんだ。

アイテムさえよければ、俺にも勝機はある。

 

「緊張してきた……」

 

キャラクターが並び、カウントが始まる。

 

「ん……ん……GO!」

 

キャラクター飛び出す。

先頭は、俺のキャラクターであった。

 

「よし……!」

 

望月のキャラは、何やらぴょんぴょん跳ねながら、俺の後ろを走っている。

アイテムで迎撃して、抜かそうという魂胆か!?

 

「その前に、一気に突き放してやるぜ!」

 

自分でもびっくりするくらい、順調に走る俺の車。

まだ一度も壁にぶつかっていない。

 

「調子いいぜ!」

 

そんな事で走っていると、何故か急に、俺の順位が下がった。

 

「え!?」

 

俺の車が抜かされた……訳ではない。

本当に急に、順位が下がったのだ。

 

「どうして……」

 

ふと、望月の画面を見ると……。

 

「な……!?」

 

現在の望月の順位、なんと一位。

 

「おま……なんで!?」

 

望月の車が、一周を終え、二周目に突入していた。

俺はまだ、一周目だと言うのに……。

 

「俺、抜かされてねぇだろ!? バグってやつか!?」

 

「いいや、あたしのキャラをよく見てみな」

 

望月のキャラに目を向ける。

そのキャラが壁に向かって、ぴょんと跳ねると……。

 

「な……!? 反対側のコースに……!?」

 

「ショートカットだ」

 

俺が唖然としている間に、望月はゴールし、勝負は決した。

 

「ふ、ふざけんな! あんなのありかよ!?」

 

「ありもなにも、出来るんだからいいに決まってる」

 

「いや……そうかもしれんが……。これは……流石にズルくねぇか!?」

 

「言ったろ? 手加減はしねーって。それに、こうも言ったぜ?『負けても文句言うなよ?』」

 

望月はフフンと鼻を鳴らすと、コントローラを置いた。

 

「くっ……! きたねぇ手を使いやがって……」

 

「人生の先輩から、あんたにアドバイスだ。勝負に綺麗も汚いもない。勝つか負けるか、その二択だけだ」

 

そう言って、望月は悪戯な笑顔を見せた。

 

「……まあいい。次だ!」

 

望月の奴、やっと調子を取り戻したな。

さっきまでは緊張でもしていたのだろうか?

 

 

 

あっという間に最終戦。

あれだけ準備したのにもかかわらず、あっけないもんだよな。

 

「最終戦は、この格闘ゲームだ」

 

「あたしが一番得意なゲームだ」

 

「そうなのか?」

 

「あぁ。この島にいる連中だったら、片手でやっても勝てる」

 

「そうか。俺も得意なんだ」

 

「ほう……?」

 

「実は、本土に戻った時、山風に会ってな。このゲームのコツを教わって来た」

 

望月の目の色が変わった。

 

「山風に……?」

 

「知っているかどうか分からんが、山風はプロゲーマーで、なんとかっていう大会で優勝したことがあるとかないとか」

 

「随分曖昧な情報だな……」

 

「……まあ、とにかく、それだけ凄い奴に教わって来たって事だ」

 

「……あぁ、凄い事は分かっているさ。今のあたしが、十数年前の山風に挑んだとしても、勝てる気がしないほどにはな……」

 

思い出すかのように、望月は苦い表情を浮かべた。

 

「けど……あんたは山風じゃない。何を教わったのかは知らねーけど、負ける気はしない」

 

望月の目に、初めて闘気が宿った。

余計な事を言ってしまったか……。

――いや、これでいい。

こうでなければ、望月はきっと――。

 

 

 

ゲームは、何度か挿して、ようやく起動した。

 

「どうする? 一戦だけにするか?」

 

「あたしはどっちでもいいぜ? 何度やっても同じだしなぁ」

 

「じゃあ、こうしよう。先に二勝した方が、このゲームの勝者ってことで」

 

「うい~」

 

最終決戦とは思えないほど、リラックスしてんな……。

それだけ自信があるって事か……。

 

「最初だし、あんたが先に決めていいよ。このゲーム、同キャラ対戦出来ねーんだ」

 

「そうなのか」

 

「そうなのかって……。大丈夫かよ……」

 

「問題ない。じゃあ、このキャラで」

 

「そいつか……。じゃあ、あたしはこれで」

 

望月のキャラは、確かパワー型のキャラだったはずだ。

 

「見かけによらず、ゴツイキャラを使うんだな」

 

「あんたは見た目通りって感じだな。正義! みたいな」

 

俺って、そんなキャラなのだろうか……。

そんな話をしている内に、一戦目が始まろうとしていた。

 

「おっと……」

 

「対戦よろ~」

 

「え、あ、あぁ……よろしく……」

 

最終決戦が幕を開けた。

 

 

 

山風曰く、この格闘ゲームは、かなり人気のあるシリーズで、世界大会が開かれるほどのものらしい。

一試合、2ラウンド先取した方が勝者となるゲームで、特定の操作をすることにより――所謂コマンドと呼ばれるもので、様々な攻撃が可能になるとのことだ。

山風に教わったのは、このコマンドを組み合わせた、コンボと呼ばれる操作(?)だった。

――のだが……。

 

「くっ……上手くいかねぇな……」

 

操作が下手だという事もあるが、望月が上手にかわしたり、ガードしてきたりと、中々コンボに移行出来ないでいた。

 

「どうした~? その程度なのか~?」

 

煽る望月。

同じように、望月のキャラクターは、しゃがんだり立ち上がったりを繰り返し、煽っていた。

なめやがって……。

 

「…………」

 

こうなったら……。

 

「うぉ!?」

 

望月が慌ててコントローラーを操作し始める。

だが、時すでに遅し。

望月は連続で2ラウンドを落とし、一試合目は俺の勝利となった。

 

「な……なんだよ今の!? 何も出来なかったぞ!?」

 

「へへへ……恨むなよ……」

 

こんな手は使いたくなかったが……仕方がない……。

俺が今使った戦法は、山風曰く、『即死コンボ』というものらしい。

 

『ゲームのバグでね? 今の組み合わせで操作すると、体力がマックスでも、相手に操作をさせず倒すことが出来る『即死コンボ』が出来るの。大会とかだと禁止されてるし、使うとリアルファイトになるから、おすすめはしないけど……最終手段として、一応教えておくね?』

 

まさかその最終手段を一試合目で使うとはな……。

 

「まずは一勝だ」

 

望月の表情が、一気に真剣なものへと変わって行く。

 

「さて、二試合目だ。またなめたプレイしていると、負けるぜ?」

 

「……いいから、さっさとキャラを選びなよ」

 

「いいのか? 俺、また同じキャラ使うぜ?」

 

「あぁ……いいよ……」

 

望月は狼狽えることなく、ただじっと、俺の操作を待っていた。

なんだ……?

この静けさは……。

 

「まあいい。俺はもう一度こいつを使うぜ」

 

対して、望月は軍人のようなキャラを使った。

 

「これで最終戦にしてやるぜ」

 

二試合目がスタートした。

望月のキャラは、何やらしゃがみ込んで、じっとしている。

 

「動かないなら、こっちから行くぜ」

 

俺のキャラが近づいてゆく。

すると、望月のキャラは、ブーメラン(?)を飛ばし、牽制した。

 

「そんな攻撃、ありかよ……」

 

『格闘ゲーム』とは……。

ジャンプで回避しながら、近づいてゆく。

 

「ここだ!」

 

瞬間、跳んでいった俺のキャラに対し、望月は強烈な蹴り技を繰り出し、大きなダメージを与えた。

 

「くそ……!」

 

再び距離をおかれ、ブーメランで牽制される。

それを避け、再び近づくと――。

 

「お、おいおい……」

 

同じ繰り返しだった。

 

「これじゃ、近づけないじゃねぇか……」

 

そうこうしている内に、タイムオーバーとなり、俺は1ラウンドを落とした。

 

「くっ……!」

 

望月は冷静だった。

2ラウンド目も、タイミングを計っている内に、俺のキャラはダメージを負い、タイムオーバーで負けた。

二試合目は、望月の勝利となった。

 

「……汚い戦法使いやがって」

 

「お互い様だろ……? 勝負は勝つか負けるか……。そう教えただろ……」

 

「だからって……そうやって逃げるようなことばかりしてて、楽しいのか?」

 

望月は一瞬、眉をひそめた。

 

「逃げじゃねーよ……。これも戦法の一つだって事だ……。あんただって、似たようなことしてんだろ……」

 

まあ、そうだが……。

しかし――いや……。

 

「分かった。じゃあ、こうしよう。俺はもう、あのキャラは使わないし、あんな戦法もとらん。正々堂々勝負をする。だからお前も、全力で来い」

 

望月は返事をしなかった。

 

「……じゃあ、キャラを決めるぜ?」

 

俺は、先ほどとは違うキャラを選んだ。

実は、このキャラこそが、山風から重点的に教わったキャラなのだった。

 

「…………」

 

対する望月は――。

 

「……なるほどな。よく分かったよ」

 

望月は再び、あの軍人キャラを選んでた。

 

 

 

時計の針は、2300を指していた。

 

「本当の最終決戦だぜ」

 

1ラウンド目が始まる。

望月はやはり、先ほどと同じ戦法をとっていた。

 

「クソ……!」

 

何とか試行錯誤してみるも、中々抜けられない。

 

「何度やっても無駄だぜ。大人しくやられてろよな」

 

結局、1ラウンド目は望月が勝利した。

 

「さっきのリプレイじゃん。もう負けを認めたらどうなんだ?」

 

「いや……! まだだ!」

 

望月は呆れるように、ため息をついた。

2ラウンド目が始まる。

望月はやはり、同じように――。

 

「そうやって逃げ続けるんだな」

 

「……だから、逃げじゃなくて戦法だって言ってんじゃん」

 

「なら、自分の気持ちから逃げるのも戦法なのか?」

 

「あ?」

 

「島を出ない理由だ。パズルゲームにしろ、その戦法にしろ、お前は都合のいい方向に逃げてばかりで、何一つとして問題に向き合わない」

 

望月は何も言わなかった。

2ラウンド目のタイムが――俺の体力ゲージもまた、ゼロに近づいてゆく。

 

「勝負は勝つか負けるか、と言ったな。だとすれば、今のお前はどっちだ?」

 

一瞬。

ほんの一瞬ではあったが、望月のキャラが止まった。

俺はそれを見逃さなかった。

 

「――っ!」

 

俺も望月も、思わず息を呑んだ。

動き出した俺のキャラは、望月が撃った攻撃をギリギリでかわすと、そのまま連続コンボを繰り出した。

このままいけば……!

 

「あ……!?」

 

しかし、コンボが途切れる。

例の10フレーム。

それを読み間違えたのだ。

――が、幸いなことに、望月のキャラが気絶状態となり、追撃を加え、何とか1ラウンドを返すことが出来た。

 

「あ、焦ったぁぁぁ……!」

 

心臓の鼓動が、一気に速くなる。

まさか、ゲームでこんなに緊張するとは……。

望月も同じなのか、肩に力が入っていた。

 

「どうだ……!」

 

「……精神攻撃なんて、それこそ汚いじゃん!」

 

「勝負に綺麗も汚いもない。勝つか負けるか、その二択だけだ。人生の先輩から、お前にアドバイスだぜ」

 

そう言ってやると、望月は怒りの表情を見せた。

 

「……分かったよ。勝負してやろうじゃん……! 徹底的に潰してやるからな……!」

 

「そうこなくっちゃな!」

 

最終ラウンド。

これで全てが決まる。

瞬間、世界が静寂に包まれた。

 

「――っ!」

 

息すらも忘れ、コマンドを入力してゆく。

望月のキャラも、待つことを忘れたかの如く、俊敏な動きを見せている。

 

『ある程度まで上手くなるとね、攻撃の読み合いというか、フェイントの掛け合いみたいな動きになるの』

 

まさにその通りだと思った。

お互いのキャラが、空気を殴ったり蹴ったりしている。

先に仕掛けたのは、望月であった。

 

「くっ……!」

 

望月の猛撃に、俺はただただガードを固めるしかなかった。

攻撃が止むと、望月は離れ、再度機会を窺っていた。

ガードをしていたとはいえ、少しゲージが削れている。

このままでは、タイムオーバーで負けてしまう。

 

「やるしかねぇ!」

 

攻撃を仕掛ける。

望月はそれを冷静に捌いて行く。

ゲージは削れているが……。

 

「崩せねぇか……!」

 

その時であった。

 

「あ……!」

 

焦って、ボタン操作を誤ってしまった。

大きな隙が出来る。

 

「――っ!」

 

望月はそれを見逃さなかった。

画面に食いつく勢いで、身を乗り出す望月。

望月渾身の大蹴り。

当たれば、そこから起点がつくられ、俺の負けが決定する。

瞬間、ゲーム画面以外が見えなくなった。

キャラクターが、フレーム単位で動いているのを感じる。

 

「あ……!」

 

ドット一つ、俺のキャラが攻撃を避けた。

望月に大きな隙。

 

「勝てる……!」

 

「クソ……!」

 

俺のキャラが仕掛けた――その時であった。

画面に、『TIME OVER』の文字が現れた。

 

「「え!?」」

 

二人してタイムを見る。

カウントが、ゼロになっていた。

勝利したのは――。

 

「…………」

 

「…………」

 

互いに、言葉が出なかった。

一見すると、どちらが勝者でどちらが敗者なのか分からないほどに、俺たちは同じ表情をしていた。

だが、そんな俺たちの反応とは違い、ゲーム画面では、軍人のキャラが一仕事終えたとでも言うようにして、その特徴的な髪を櫛でかき上げていた。

俺は、勝負に負けたのだった。

 

 

 

ゲーム電源を切ると、部屋は一気に静寂に包まれた。

 

「終わったな……」

 

「うん……」

 

互いに、勝負の余韻に浸っていた。

だが、その表情に、勝者の色も、敗者の色も無かった。

 

「約束通り、お前の言う通りに動こう。何が望みだ?」

 

望月はハッとすると、考えるように天を仰いだ。

そして、しばらく黙り込むと、零すように答えた。

 

「分かんない……」

 

「分からないって……お前……」

 

「……今は、なんか……考えられねーよ。勝負の余韻が邪魔をする……」

 

そう言うと、望月は俺をじっと見つめた。

 

「望月?」

 

「……一晩、考えさせてほしいんだけど。ダメ……?」

 

まあ、そうだよな……。

 

「あぁ、構わん。今日はもう止しておこう。俺も、何だか疲れて……。眠たくなっちまった……」

 

「……あたしもだ」

 

望月は何がおかしいのか、フッと笑って見せた。

俺も思わず、笑みを零す。

お互いに寝転がり、再び勝負の余韻に浸った。

 

「激戦だったな……」

 

「うん……。なんか……楽しかった……。こんなにもワクワクしたのは、初めてかもしれない……」

 

「フッ……そりゃ良かったな……」

 

「うん……」

 

勝負を思い出しているのか、望月は目を瞑った。

俺も、同じように。

 

「山風に教わったってのは……本当だったんだな……」

 

「あぁ。ハッタリかと思ったか?」

 

「あんたならやりかねないだろ」

 

「はは、確かに……」

 

「でも……あんたのプレイは本物だったよ……。一瞬だけど、山風が隣に居るのを感じた……」

 

「……そうか」

 

なんだか、意識が遠のいて行く。

望月は何か言っているが、頭で処理が出来ない。

――あぁ、眠りそうになっているのか。

 

「――……。あたし――……。あんたに――……」

 

望月、まだなんか言ってるな……。

でも、俺はもう……眠くて……。

 

「――って……呼――……」

 

「……うん」

 

「――……」

 

望月が何か言ったのを最後に、俺の意識は夢の彼方へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

誰かの泣き声が聞こえる。

 

『…………』

 

何やら、全身が温かい。

体を動かすと、小さな痺れがあり、そのせいか動きが鈍くなる。

 

『置いていかないで……』

 

聞き覚えのある声。

痺れる体を動かし、声の方へと向かう。

だが、水中にいるかのような抵抗を感じ、中々前に進めない。

もどかしいこの感じ、これはまさか――……。

 

『夢……なのか……?』

 

進んでゆくと、何やら景色が変わり、夕日の良く見える丘の上に辿り着いた。

そして、その丘で蹲る、一人の少女。

俺は何故か、その少女の正体を知っていた。

 

『望月』

 

望月は顔をあげると、驚いた表情で俺を見つめた。

 

『どうして……あんたが……』

 

突如、景色が変わった。

これは……島の泊地……?

 

『もっちー』

 

卯月と皐月、そして、顔の見えない数名の子供たち。

 

『じゃあね、もっちー』

 

皆が船に乗り込む。

 

『ま、待って……!』

 

望月は跡を追おうとするが、足が動かないのか、ただただ腕を伸ばすだけであった。

船が、島を離れて行く。

瞬間、島全体が暗くなり、望月は『独りぼっちになった』。

 

『あ……?』

 

俺の頬に涙が伝う。

それは、『望月のものであった』。

 

『怖い……』

 

『え?』

 

『独りは……怖いよ……』

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、泣いていた。

 

「……?」

 

涙を拭き、ふと横を見ると、望月の顔があった。

眠ってはいるようであるが、その頬には、涙が伝っていた。

 

「……そうか。眠ってしまったのか……」

 

時計は、0400を指していた。

また変な夢を見た気がする。

 

「…………」

 

望月を起こし、寮に運んでやろうかと思ったが、何故か、そうすることが出来なかった。

望月を独りにさせることは出来ないと、何故か思ってしまったのだ。

 

「司令官……?」

 

「望月……。起こしちまったか……」

 

「司令官……」

 

寝惚けているのか、俺を司令官と呼び、抱きついてきた。

 

「……ここで寝るのは良くない。向こうに布団があるから、そこで寝ろ……」

 

「うん……。司令官も……一緒に……」

 

「あぁ……分かったよ……」

 

俺も相当寝惚けているのか、望月の事が愛おしくてたまらなくなっていた。

望月を寝室に連れて行き、布団に寝かせてやる。

 

「司令官……」

 

望月は再び俺に抱きつくと、そのまま眠ってしまった。

俺も再び眠気が襲ってきて――……そのまま――……。

 

 

 

再び目を覚ました時、目の前に大淀の顔があった。

 

「うぉ!?」

 

「おはようございます」

 

大淀はニコッと笑顔を見せると、時計を指した。

 

「もう9時ですよ。朝ごはん、食べ損ねちゃいましたね」

 

そういや、望月は……。

 

「望月さんは、もう寮に帰ってますよ」

 

俺の心を読んだかのように、大淀はそう言った。

 

「そうか……」

 

「……対決、したんですね」

 

俺は答えなかった。

 

「……まあいいです。望月さんからの伝言です。起きたら、部屋に来て欲しいと」

 

「部屋に? 望月のか?」

 

「えぇ。何でも、話があるとか」

 

話がある……か……。

 

「分かった。わざわざ悪かったな」

 

「いえ。提督の寝顔が見れたので」

 

「……いつから見ていたんだ?」

 

「さあ?」

 

大淀は悪戯に笑った。

変わったなぁ、こいつ……。

 

 

 

大淀と寮へ向かう途中、駆逐艦たちとすれ違った。

 

「あ、司令官! おはよう」

 

「おう。これからゲームか? ほどほどにな」

 

「うん! あとで来てね?」

 

「おう」

 

そう言って、皆は家の方へと去って行った。

 

「さて……」

 

「て、提督……!」

 

「ん? なんだ大淀?」

 

「い、今……山城さんが……!」

 

「え!?」

 

駆逐艦の方を振り返る。

既に何隻かは家に入っていたが、一瞬、確かに山城らしき人影を見た。

 

「マジか……。全然気が付かなかった……」

 

「私も、目を疑いました……。まさか、山城さんが寮の外に出るなんて……」

 

一体、どういう風の吹き回しだ……?

 

「戻って確かめたいが……望月が待っているしな……」

 

「わ、私が様子を見てきます。後で報告するので、提督は望月さんのところへ」

 

「あ、あぁ……頼んだ」

 

大淀は一目散に家へと戻っていった。

大げさに思えるが、あいつらにとっては、それほどまでに重大な事柄なんだよな……。

再び寮へ目を向けると、夕張と鉢合わせた。

 

「夕張」

 

「……見た?」

 

「え?」

 

「山城さん、家に行ったでしょ?」

 

「あ、あぁ……そのようだな……」

 

「そのようだなって……。それだけ?」

 

夕張は呆れた表情を見せると、何も言わずに家の方へと去って行った。

 

「……なんて言えば良かったんだよ」

 

 

 

寮に着き、望月の部屋をノックした。

 

「入るぞ」

 

扉を開け、部屋に入る。

 

「よっ」

 

昨日……というよりも、寝惚けていたことを忘れているのか、望月はいつも通り挨拶をして見せた。

 

「おう。寝坊してしまった」

 

「知ってるよ。皆、あんたの事を心配していたぜ」

 

その割には、すれ違った時、特に心配する言葉は無かったが……。

 

「……それで? 話ってのは……」

 

「あぁ……。決めたよ。あんたにしてもらうこと」

 

俺は姿勢を正し、望月の言葉を待った。

 

「言ってみろ……」

 

真剣な表情の俺に、望月は表情をやわらげて見せた。

 

「司令官」

 

「え?」

 

「あんたの事、司令官って……呼ばせてほしいんだ」

 

俺が唖然としていると、望月は恥ずかしそうに頬を掻いていた。

 

「つーか、やっぱ忘れてんだな」

 

「忘れてる……?」

 

「昨日さ、あんたが眠る前に、言ったじゃんか……」

 

眠る前……。

 

『――……。あたし――……。あんたに――……』

 

『――って……呼――……』

 

確かに、何か言っていたが……。

 

『あのさ……。あたし決めたよ……。あんたにして貰う事……』

 

『司令官って……呼ばせてほしい……』

 

「……!」

 

「思い出したか?」

 

ハッキリとは思い出せていないが、確かにそんな事を言っていたような……。

 

「しかし……いいのか……? そんなことで……。そもそも、お前、言っていたじゃないか」

 

『あんたが勝ったらさ……あんたの事……司令官って……呼んでやってもいいぜ……?』

 

「――って……」

 

「勝ったじゃん」

 

「え?」

 

「あんたは勝ったんだよ。確かに、ゲームでは負けたけどさ。あんたはあたしに、司令官と呼びたいって思わせるほどに、あたしの心をKОしたんだ」

 

俺は再び、唖然としてしまった。

 

「……なんか言えよ」

 

「い、いや……。なんか……恥ずかしい台詞だな、それ……」

 

自覚があるのか、望月は顔を真っ赤にさせた。

 

「……本当にそれでいいのか? 俺を追い出すことも出来るし、そうしないのなら、俺はしつこいぞ……」

 

「うん……。それでいいよ……」

 

望月は俺を、じっと見つめた。

 

「司令官……」

 

「望月……」

 

「……へへ、恥ずかしいな。これ……」

 

俺も少し、心がむず痒くなった。

 

「……なあ、司令官。あんたを司令官と見込んで……聞いて欲しいことがあるんだ……」

 

「なんだ?」

 

「あたしが……この島に残る理由だ……」

 

 

 

太陽が雲に隠れたのか、部屋が一気に暗くなった。

 

「……最初からその話をするために、俺を司令官と?」

 

「話を聞いて欲しい……って言っちゃえば、ただ聴くだけで終わっちゃうかもしれねーからさ……」

 

「んなこと、俺がするはずないだろ……」

 

「うん……。分かってる……。ただ……あたしがどうしても、あんたを司令官と呼びたかっただけさ……。あんたを司令官と呼べなくても、話はするつもりだったよ……」

 

望月は一呼吸置くと、膝を抱え、語りだした。

 

「簡単な事さ……。あたしは……怖いんだ……。独りになることが……」

 

「独りに……なること……?」

 

「自信がねーんだ……。島を出て、上手くやっていく自信がさ……。ほら……あたしってこんなんじゃん……? 何をするにも真剣になれねーし、めんどくせーって思っちまうんだ。そんな奴、誰も面倒を見たがらねーし、放っておかれるのが目に見えている」

 

俺が口を開くと、望月は続けた。

 

「分かってるよ……。じゃあ、真剣になれって話だろ……? そこなんだ……。あたしの駄目なところは……」

 

望月は、抱えていた膝をより小さくした。

 

「あたしが恐れているのは……失敗なんだ……。あたしは……何かを成し遂げたことがない……。やろうとしても、いつも上手くいかないんだ……」

 

俺は閉口し、望月の言葉を待った。

 

「戦時中……あたしはいつも、皆のお荷物だった……。努力はしたつもりだ……。けど……実を結ぶことはなくて……。ついには、あたしを庇ったばかりに、大破する奴がでちまったくらいだった……」

 

思い出すかのように、望月は目を瞑った。

 

「自分に自信がなくなった……。真剣になればなるほど……失敗がチラついて……。だからあたしは……」

 

一瞬の躊躇いののち、望月は零すように言った。

 

「あたしは……努力から逃げた……。真剣にならなければ……失敗しても言い訳が出来ると思った……。傷つかなくて、いいと思ったんだ……」

 

『そんなこと言って、ただ負けるのが怖いだけなんじゃないのか? 自分から認めれば、傷も少なくて済むもんな?』

 

そう言ってやった時の望月の反応は、そういう事だったのか……。

 

「この島に居るのは……島の外で生きていけないと思ったからだ……。努力しても、また失敗して……。今のように、島に居て、誰かに守られるような環境であればいいけど、外の世界はそうじゃないだろ……? 人化してしまえば、もう誰も助けてはくれない……。卯月や皐月だって、いつまでもあたしに構ってはいられないはずだ……。誰にも頼れない……。こんなあたしなんかとは……誰も一緒に居てくれない……。独りになるだけだって……。そう……思っちまったんだ……」

 

「……それで、今の今まで逃げて来たんだな」

 

望月は小さく頷いた。

 

「……そうか」

 

俺は望月の隣に座った。

 

「お前の不安は分かる。でも、それは皆も同じだ。お前だけじゃない」

 

「……んなこた分かってる。それでも、みんな乗り越えているんだし……。でも……あたしはやっぱり……」

 

望月は俯くと、悲しそうな表情を見せた。

 

「お前なら出来ると思うがな……。ゲームも上手いし、案外なんとかなるんじゃないのか?」

 

そう言っても、望月は反応を見せなかった。

ゲームのように、上手くいければ……なんて、軽率だったか……。

ゲーム……。

 

「……山風」

 

「え……?」

 

「山風がさ、どうやってゲーマーになったか、知っているか……?」

 

望月は首を横に振った。

 

「あいつ、島を出てからしばらくは、引きこもりだったらしいんだ」

 

「引きこもり……?」

 

「山城みたいな感じだ。それで――」

 

俺は、山風から聞いた話を、望月にしてやった。

 

「――それで、山風は看護師を目指すことにしたらしいんだ」

 

「あの山風が……」

 

「やはり、意外に思うか?」

 

「……正直な。あいつが島を出ると聞いた時、かなり驚いたもんだ……。ぜってー香取さんの足を引っ張るって……」

 

「でも、その山風も、今や看護師として、大井をサポートしているんだぜ」

 

「……山風は、運が良かっただけだ。あたしが同じように、そういう人たちに巡り合えるとは思えない……」

 

「……なるほど、そうやって逃げて来たわけだ」

 

望月の気持ちは分かる。

それじゃダメだと、本人も分かっているのだろう。

 

「……だったらさ。こういうのはどうだ?」

 

「……?」

 

「もし、お前が独りになるようなことがあれば、その時は、俺が面倒を見てやる」

 

「え……?」

 

「なんなら、親子にでもなるか? そうすりゃ、簡単に縁も切れないだろ?」

 

望月は驚いた表情を見せた後、すぐに眉をひそめた。

 

「……いらねーよ。そんな慰め……」

 

「慰めなんかじゃない。俺が親父じゃ不満か?」

 

「あんた……いい加減に――」

「――俺は本気だぜ」

 

俺の目を見た望月は、閉口し、俯いてしまった。

 

「俺もさ、ずっと考えていたんだ。全ての艦娘を人化したら、どうするかなって……。恋人をつくるにしても、モテないし……。独りになる予定だったんだ」

 

「……あんたの事を好きな艦娘は、たくさんいるだろ」

 

「今は、な。でも、きっと、外の世界を知ったら、俺の事なんて豆粒くらいにしか思わねぇはずだ。それくらい、世界は広いし、いろんな奴がいるんだ」

 

そうだ。

きっと、あいつらだって――。

 

「悪くない提案だと思うんだ」

 

「……あんたは本当にそれでいいのかよ? あたしなんて……一緒に居ても……。それに……絶対、あんたの足を引っ張るぜ……」

 

「一緒に居てストレスじゃないのは、ここ数日で証明されただろ。それに、俺は案外楽しんでいたんだぜ。お前との交流。お前も同じだと嬉しかったんだがな……」

 

望月は何も言わなかった。

 

「それに、まだそうなると決まった訳じゃないだろ。お前なら絶対、大丈夫だと思っているし、そうなるまで支えてやるつもりだ。それでもダメならって話だ。つまり、保険みたいなもんだ」

 

部屋が明るくなる。

太陽が顔を出したのだろう。

 

「でもまぁ、その過程でお前が俺に惚れちまう可能性もあるし、止めといた方がいいかもしれんな」

 

そう言ってニッと笑って見せると、望月もフッと笑って、膝を解いた。

 

「それはねーよ」

 

「分からないぜ? 現に、俺の事、ちょっといいかもって思っていたりしてるんじゃないのか? 司令官と呼びたいだなんて、言ってるくらいだし」

 

「その自信、少しは分けて欲しいな~」

 

「あぁ、分けてやるよ」

 

望月は俯くと、そのまま俺の胸に頭を預けた。

 

「望月?」

 

「……本当にいいんだな?」

 

「……あぁ。言ったろ? 男に二言は無いって」

 

そう言って、俺は望月を抱きしめてやった。

 

「ずっと不安だったんだな……。もう大丈夫だ……」

 

「……うん」

 

望月は俺を抱きしめ返すと、そのまましばらく、俺の胸の中に顔を埋めていた。

 

「司令官……」

 

「なんだ?」

 

「……さんきゅー……な」

 

「……おう」

 

 

 

その日の夜。

俺は寮に行かず、家で晩飯をとった。

 

「ごちそうさま……っと……。さて……」

 

「寮で食べないのは、皆さんを想っての事ですか?」

 

縁側の方から現れたのは……。

 

「どうしてお前はいつも、そっちから来るんだ? 大淀……」

 

大淀は少し考えた後、「サプラーイズ」と言った。

 

「……笑えねぇよ」

 

「笑わそうとはしていませんよ」

 

大淀は縁側に座ると、夜の海を眺めた。

 

「望月さんが、島を出る決意をしたみたいです……って、貴方は分かっていますよね。その為に、こうしているのでしょう?」

 

俺は何も言わず、茶碗を重ね、シンクへと置いた。

 

「そんな気は遣わなくていいですよ。鹿島さんの時と違って、皆さん、覚悟していたみたいですから。むしろ、貴方に気を遣わせちゃったんじゃないかって、心配していましたよ」

 

「それでお前が来たって訳か」

 

「そんなところです」

 

俺は大淀の隣に座り、同じように海を眺めた。

 

「これで、大井さんを含む『五人』が島を出ることになるのですね」

 

五人……か……。

 

「……あぁ、そうだな」

 

「あまり嬉しそうじゃないですね」

 

「まあ、ちょっとな……」

 

「これが貴方の選んだ道なんですから、誇った方がいいですよ。今後も、同じような事が続きます。一々そんな感傷的になられては、身が持ちませんよ」

 

「あぁ、分かってるよ」

 

俺は立ち上がり、上着を羽織った。

 

「寮に戻るよ。心配かけたようだし、元気も貰いたいし」

 

「私一人では不満ですか?」

 

「お前と二人でいると、それこそセンチになっちまう。深く考えない方がいい。そうだろ?」

 

大淀は小さく笑うと、立ち上がり、俺の跡を追った。

 

 

 

寮についてすぐ、皐月と卯月、そして鹿島に感謝をされた。

 

「司令官……もっちーを説得してくれて……どうもありがと……」

 

「いや……。俺は何もしていないよ。あいつが俺に、心を開いてくれただけだ」

 

「それでも、ボクたちが離れ離れにならずに済んだのは、司令官のお陰だよ……! ありがと……司令官……」

 

今にも泣き出しそうな二隻を、鹿島は優しく慰めていた。

 

「提督さん……」

 

「鹿島……」

 

「これで……私も島を出ることが出来ます……。そして……」

 

鹿島は、それ以上を言わなかった。

だが、言わずとも、俺には分かっていた。

 

「本気なんだな……」

 

「はい……。この気持ちに、偽りはありません」

 

そう言って見せた鹿島の表情は、今まで見たどんな表情よりも、穏やかで、希望に満ちていた。

 

 

 

消灯時間になり、皆が一斉に帰って行く中で、俺は青葉を呼び留めた。

 

「司令官?」

 

「ちょっと時間あるか? 出来れば、二人だけで話したいんだ……」

 

青葉は少し驚いた表情を見せた後、何かを察したのか、真剣な表情で、小さく頷いた。

 

 

 

「寒くないか?」

 

「えぇ、平気です。すみません……上着借りちゃって……」

 

「いや……。呼び出したのは俺だしな……」

 

例の流木に座る。

海は静かで風も無く、星がよく見える夜であった。

 

「望月ちゃんの件、流石ですね。まさかこんなに早く攻略するとは」

 

「あいつが最初から、その気だっただけさ」

 

「その気にさせただけでも、凄いです。流石司令官」

 

「褒めても何も出ないぞ」

 

青葉は小さく笑うと、膝を抱え、海を眺めた。

 

「……誰にも言っていないんだな。島を出る事……」

 

『これで、大井さんを含む『五人』が島を出ることになるのですね』

 

「どうして……誰にも言わないんだ? それとも、やはりやめるのか?」

 

青葉は首を横に振ると、小さく言った。

 

「言ったら、きっと陸奥さんも、勢いに任せて、島を出ると言うはずです。そうなれば、また司令官にご迷惑をおかけしてしまいますし、何よりも、それは陸奥さんの為にはなりませんから……」

 

「……だが、お前はそれでいいのか? 残された時間、誰にも悟られず、急に島を出ることになるんだぞ。それでは、あまりにも……」

 

「……いいんです。青葉が居ようが居まいが、皆さんにとっては変わりません。少しは悲しんでくれるかもしれませんけど、そんな感傷よりも、青葉にとっては、陸奥さんが前に進むことの方が大事だと思っただけです」

 

「青葉……」

 

「それに……」

 

青葉はそっと、俺に寄り添った。

 

「司令官だけが知っていれば、青葉はそれで満足です。むしろ、そっちの方が良かったり……なんて……」

 

青葉は悪戯な表情で、舌を出して見せた。

 

「……あまり揶揄ってくれるなよ」

 

「少しはドキッとしてくれましたか?」

 

「それがお望みなら、何度でもドキッとしてみせるよ」

 

「……意地悪ですね」

 

静かな時が流れる。

 

「司令官……」

 

「なんだ?」

 

「ありがとうございます……。貴方に会えて……本当に良かったです……」

 

「……俺もだ」

 

青葉は小さく笑うと、静かな波音に溶け込むような小さな声で、言った。

 

「いじわる……」

 

 

 

翌日。

海軍本部へ、島を出ることを希望する艦娘が居ると報告すると、準備は出来ているから、すぐにでも連れて来いとの返答があった。

五隻に確認すると、覚悟は出来ているとのことだったので、その日の夕方に島を出ることになった。

そしてその事は、すぐに皆に知らされた。

青葉が島を出ること以外は……。

 

「本当にいつも通り過ごすのか? 送別会とか、やらずに?」

 

「えぇ。こっちの方がいいのです。こういう日常の方が、いつか特別に感じることがあるはずです。ですから、最後の最後まで、日常という特別を味わっておきたいのです」

 

「そうか……」

 

家の庭では、皆が遊具で遊んでいた。

いつもの日常。

いつもの笑顔。

誰一人として、別れを悲しむ顔はしていない。

本当に、いつも通りであった。

 

「夕方には別れるのにな……」

 

「またすぐに再会出来ますから」

 

そう言うと、鹿島は俺の手に、自分の手を重ねた。

 

「……あぁ、そうだな。必ず、再会させてやるさ」

 

「提督さん……」

 

「だから、信じて待っていてくれ。鹿島」

 

「……はい!」

 

 

 

夕食も、いつも通りであった。

いつも通りの挨拶。

いつも通りの献立。

いつも通りの食事風景。

みんな、思うところはあるはずなのに、誰もそれを表に出さなかった。

島を出る者への、こいつらなりの礼儀なのかもしれない。

 

 

 

「ごちそうさまでした!」

 

食後の挨拶を終えると、ついにその時がやって来た。

 

「提督、泊地に船が」

 

「……来たか」

 

 

 

泊地には、旗を掲げた数名の海兵と、勲章を胸に携えた上官が、待ち受けていた。

 

「こりゃまた大層な……」

 

上官は一歩前に踏み出すと、俺に敬礼をしてみせた。

 

「君の活躍に、敬意を表します」

 

そして今度は、艦娘にも――。

数名の艦娘達が、同じように敬礼を返した。

 

「報告の艦娘達です。鹿島」

 

「はい」

 

「卯月」

 

「はいっ!」

 

「皐月」

 

「はい!」

 

「望月」

 

「はい」

 

そして……。

 

「……青葉」

 

「え……」

 

声を漏らしたのは、陸奥であった。

 

「……はい」

 

青葉が前に出てくる。

 

「ちょ……ちょっと……! 青葉……!? どういう事!?」

 

陸奥と同じように、皆がざわつく。

鹿島も――島を出る艦娘達も、この事を知らず、驚き、戸惑っていた。

 

「青葉……!」

 

青葉は何も言わず、ただまっすぐに、上官の方を見ていた。

 

「どうして……。提督……! どういう事よ……!? どうして青葉が……!」

 

俺は青葉を見た。

だが、青葉は反応を見せない。

 

「……どういう訳か分からないけど、貴女が行くというのなら、私も行くわ!」

 

陸奥が青葉に駆け寄る。

 

「青――」

「――来ないでくださいっ!」

 

青葉の声に、陸奥は思わず足を止めた。

上官たちは、こうなることを分かっていたようで、何も言わず、ただ見守ってくれていた。

 

「青葉……」

 

「……正直、もう嫌になっちゃったんですよ。陸奥さんの面倒を見る事……」

 

「え……」

 

「何かあれば、すぐに青葉青葉って……。青葉は貴女の奴隷じゃないんですよ……」

 

「そ、そんな……奴隷だなんて……。私はただ……」

 

「……陸奥さんがそのつもりでいても、青葉にとっては違うのですよ。思えば、貴女はいつもそうでした……。自己中で、思い込みが激しくて……。誰彼構わず同情を誘い、時には誘惑し、利用する……。自分の思い通りにならないことがあると、すぐに拗ね、それを批判し、攻撃する……。青葉が嫌になるのも、分かりますよね……?」

 

陸奥は何も言えず、ただ俯いていた。

 

「青葉が去ることを知れば、貴女はきっと、何かしらの妨害工作をすると考えました……。だからこそ、司令官には内緒にしてもらっていたのです……」

 

淡々と話す青葉。

俺はその表情を、あえて確認することをしなかった。

 

「……もういいでしょう。これ以上話していても、時間の無駄です……。行きましょう……司令官……」

 

「……あぁ」

 

青葉が船に乗り込もうとした、その時であった。

 

「本当にそれは……貴女の本心なの……?」

 

青葉が足を止める。

 

「私には……とてもそうは思えない……! 貴女は……わざと私を遠ざけようとしている……! 島に残る私が、貴女に未練を残さないようにと……そうでしょう!?」

 

「……そういうところですよ、陸奥さん。そういう思い込みが、嫌いだと言っているんです……」

 

「それも嘘……! 私の知る貴女は、そんなこと言わない……!」

 

「……青葉の何を知っているというのですかっ!」

 

「知ってるわ……! だって……私は……貴女の事が好きだから……!」

 

一瞬、青葉の心が、動いたのを感じた。

 

「知ってるわよ……。貴女は……いつもそうやって、自分を犠牲にして、誰かを助けようとするじゃない……。私をセクハラから救ってくれた時もそう……。提督との交流だってそうだった……。私は……貴女をずっと見ていた……。間違えるわけ……ないじゃない……」

 

陸奥が、青葉に近づいてゆく。

 

「青葉……」

 

「……やめてください」

 

「やめないわ……。私の事が本当に嫌いになったのなら、それでもいい。でも、私が貴女の事を想うこの気持ちは……否定しないで欲しいの……」

 

青葉は俯き、体を震わせた。

 

「私も一緒に行かせて……。本当に私の事を想ってくれるのなら……私を否定しないで……」

 

陸奥の涙が、泊地のデッキを叩く。

その音に、青葉は思わず振り返っていた。

 

「青葉……」

 

涙でぐしゃぐしゃになった陸奥の顔に、青葉は――。

 

「青葉」

 

俺は、青葉の肩を押してやった。

 

「司令官……」

 

「もういいだろ。お前の優しさは、陸奥に十分伝わっている。それでも尚、陸奥はお前と共に『生きたい』と言っているんだ」

 

陸奥は小さく頷いた。

 

「それに、自己中で、思い込みが激しいのは、お前も同じだろ。結局のところ、お前には陸奥が必要だし、陸奥もまた、お前を必要としているんだよ」

 

青葉は再び、陸奥に目を向けた。

 

「陸奥さん……」

 

「青葉……」

 

「……いいのでしょうか? また……陸奥さんと居ても……いいのでしょうか……?」

 

「……あたりまえじゃない。だって私たち……友達でしょう……?」

 

そうだ。

必要不要の話じゃない。

一緒に居たいかどうか。

ただ、それだけなんだ。

 

「陸奥さん……う……うぁぁぁぁぁ……! あぁぁぁぁぁ……!」

 

「青葉……!」

 

大声で泣く青葉を、陸奥は強く抱きしめた。

もう離すものかと、言うほどに……。

 

「相変わらず、不器用だな……。お前たち……」

 

「司令官……」

 

「良かったな、青葉……」

 

青葉は返事をするように、再び大声で泣き出した。

静かな海に、少女の泣き声が響く。

だがそこに、悲しみは一つも無かった。

 

 

 

 

 

 

残り――29隻

 

――続く



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16話

もう何度、この星空を独りで見た事か。

 

『艦隊決戦の切り札……ねぇ……』

 

『戦力は認めるが、如何せん、大食い過ぎてな……』

 

『出撃はないだろう』

 

『貧乏神だな……』

 

『的にでもなって、沈んでくれた方がマシだ』

 

私はここでいい。

ここに居れば、誰にも迷惑をかけないで済む。

傷つかなくて、済む。

――そのはずだったのに、あなたは――あなた達は――。

 

「貴女の事が知りたいの。話すことが嫌だというのなら、まずは――」

 

私は――。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

部屋を出ると、山風が駆け寄って来た。

 

「雨宮君、お疲れ様」

 

「おう。見ろよこれ」

 

俺は、表彰楯を山風に渡し、制服の襟元を緩めた。

 

「艦娘の人化を促進したって事で、表彰されたんだ。全く……こんなもんまで作って、呑気なもんだぜ……」

 

「それだけ、雨宮君が期待されているって事だよ」

 

「最初から期待してくれていれば良かったんだがな……」

 

12月23日。

クリスマスを間近に控えた今日、俺は本部に呼び出され、表彰を受けた。

 

「そっちの荷物は?」

 

「あぁ、これか。これは、これから会う奴らへのクリスマスプレゼントだ。上官に頼んで、用意してもらったんだ」

 

「そっか……。雨宮君、外に出られないもんね……」

 

「情報漏洩対策の為……だったはずなのに、いつの間にか漏れていたな。情報」

 

そう言って、俺は掲示板を指した。

そこには、新聞の切り抜きと共に、マスコミへの対応に注意する旨の文章が書かれていた。

 

「まさか、大井の人化が、本部の発表前に漏れるとはな……」

 

「雨宮君の名前は出ていないけれど、島へ人間が出向しているって情報も出ていたね……」

 

「らしいな……」

 

数日前、大井が人化したという情報が、何故かマスコミに漏れた。

リーク元は不明だが、艦娘の人化に反対する団体が絡んでいると噂されている。

 

「やはりと言うか、批判的な意見が多いな」

 

「海軍の発表よりも先に情報が出ちゃったから、よくない憶測がたっているみたい……」

 

「何件か見てみたが、酷いもんだ。『無理やり連れて来たのでは?』『疚しいことがないのなら、もっと早く発表するはずでは?』『このまま隠蔽するつもりだったのでは?』」

 

「ただ発表するタイミングが遅れただけなのにね。望月ちゃんたちの件もあったし……」

 

「そっちの情報は、まだ出ていないのだろう?」

 

「うん。今日、発表するって。後れを取ると、大変な事になるのは分かっているからね」

 

「しかし、早かったな。望月たちの人化」

 

「これから会いに行くでしょ? 皆、雨宮君に会えるのを楽しみにしていたよ」

 

「あぁ、もちろんだ。けど、その前に……」

 

俺は紙袋から、一つだけ箱を取り出した。

 

「少し早いが……クリスマスプレゼントだ」

 

「え……あたしに……?」

 

「あぁ。喜んでくれるといいのだが……」

 

箱を開けると、山風は驚いた表情を見せた。

 

「これ……」

 

「ナースウォッチ……って言うんだって? それ」

 

「ど、どうして……。だって、これ……!」

 

「あぁ。山風の同僚から聞いているよ。それと同じものを、看護学校を出た時、記念に買ったんだろ? だけど、壊れてしまって……。しかも、もう売っていないものだったし、修理も出来ないと、落ち込んでいたって」

 

「そ、そうなの……! でも……どうやってこれを……?」

 

「本部に頼んで、製造していたところを調べてもらったんだ。どうやら職人さんが手作業で作っていたものらしいのだが、その人が亡くなってしまったようでな……。パーツの在庫はあったから、譲ってもらって、別の時計職人に組み立ててもらったんだ」

 

「そうだったんだ……」

 

「同じパーツを使っているとは言え、やはり、思い入れのあるものとは違うからさ……。コレジャナイって感じなんだろうけれど……少しでも、気がまぎれたらと思って……」

 

山風はじっと、時計を見つめていた。

やっぱ、ちょっと違うって、思っているのだろうか……。

 

「あたしの為に……そこまでしてくれていたなんて……」

 

「あぁ……いや……。まあ……俺というよりも、本部が頑張ってくれただけで……俺はあまり……」

 

山風は、箱から時計を取り出すと、それを大事そうに胸にあてた。

 

「嬉しい……。とっても……嬉しい……」

 

そう言うと、山風は優しく微笑んで見せた。

気を遣って喜んでくれている――という訳ではなさそうだ。

 

「そうか。はぁ~……良かった……。こういうの初めてだから、気を悪くさせたらどうしようって、ドキドキしていたんだ」

 

「そんな、気を悪くするなんて……! あたしは……雨宮君から貰えるものなら、なんだって嬉しいよ……?」

 

「山風……」

 

お互い、照れるように、視線をそらしてしまった。

 

「ほ、本当にありがとう、雨宮君」

 

「あ、あぁ……喜んでくれているようで、よかったよ」

 

「あたしからも何かあげたいのだけれど……。雨宮君、何か欲しいものとか……ある?」

 

「いや、気持ちだけ受け取っておくよ」

 

「そ、それだと、あたしの気が済まないの!」

 

山風は距離を詰めると、迫るように顔を近づけた。

 

「そ、そうか……。じゃあ……そうだな……。あっ……いや、もう貰っているよ。山風が、プレゼントで喜んでくれた笑顔――」

「――そういうのじゃなくて!」

 

山風はムッとした表情を見せると、次に寂しそうな表情を見せた。

 

「だって……ズルいもん……」

 

「ズルい?」

 

「こんな素敵なプレゼントを貰ったら……あたしのこと、そんなに考えてくれていたなんて知ったら……あたしがどう思うのか……雨宮君には分からないの……?」

 

そう言うと、山風はそっぽを向いてしまった。

怒っている……のか……?

 

「えーっと……」

 

困惑する俺に、山風は視線だけ向けた。

 

「本当に分からないんだ……」

 

「……正直、分からない。色々と……。なんか、怒らせたのは分かるのだけれど……」

 

「……別に、怒っている訳じゃないよ」

 

「え?」

 

山風は体をこちらに向けると――。

 

「――……」

 

唇を離すと、山風は小さく言った。

 

「これで……分かったでしょ……? あまりあたしを……そういう気にさせないで……」

 

大胆な行動とは裏腹に、山風は顔を真っ赤にさせた。

 

「……それで、雨宮君は何が欲しいの?」

 

「……もう貰ったよ。今ので、十分だ……」

 

それからお互いに何も言えず、ただ顔を真っ赤にして俯くだけであった。

 

 

 

望月たちと会う準備が出来たという事で、俺たちは気持ちを切り替えた。

 

「大井さんの時と同じで、面会できる時間は短いから、話せることは話しておいた方がいいよ」

 

「あぁ、分かっている。しかし、どうして短いのかね」

 

「あたしもよく分からないのだけれど、メンタル面とか、免疫とか、色々と影響があるとかで、短いんだって」

 

なるほどな……。

やはり、人化した直後はそういったものに弱いのだろうか。

 

「この次に会えるのは年明けくらいになりそうだから、存分に話しておかなければな」

 

「鈴木さんも、明日からいないんだよね?」

 

「あぁ。だから、今年はこれで終わりだ。正月も、向こうで過ごすんだ。海軍も律儀に正月セットみたいなのをくれたから、なんとか退屈しないで済みそうだ」

 

「そっか。いいなぁ……。あたしは秋雲のお手伝いをしないといけなくて……」

 

「らしいな。年末あたりから、イベントに参加するんだって? なんか、本を売るとかなんとか……」

 

そう言ってやると、山風の目の色が変わった。

 

「……どうして知っているの?」

 

「え?」

 

「秋雲から聞いたの……? 秋雲に……連絡を取ったの……?」

 

目を細くする山風。

静かな怒りを感じる。

 

「いや……まあ……一方的に連絡先を渡されたから、こっちの連絡先も教えておかなければと思ってさ……」

 

「ふぅん……」

 

「別に、普通に会話しただけで……疚しい事はないんだ。そもそも、秋雲はイベント準備が忙しいとかで……」

 

「イベントで忙しくなければ、シてたんだ……」

 

「そ、そういう訳では……」

 

そんな話をしている内に、皆がいる部屋に着いた。

 

「とにかく、秋雲とは何もないんだ。信じて欲しい」

 

「でも、連絡は取ったよね……?」

 

「それはあくまでも、一友人としてだな……」

 

その時であった。

 

「あ……」

 

部屋の扉が開いて、陸奥と目が合った。

 

「陸奥……」

 

「提督……」

 

永い沈黙。

 

「なになに? どうしたの陸奥さ……」

 

後ろから、皐月が顔を出した。

 

「皐月……」

 

瞬間、タックルと遜色ない抱きつきをくらった。

 

「うぉ!?」

 

「司令官! 司令官だ!」

 

「え!?」

 

皐月の声に、卯月が反応を見せ、俺にタックルをくらわせた。

 

「うっ……。お前ら……元気そうだな……」

 

「うん……うん! ボクたち元気だよ!」

 

「司令官! おひさしぶりだぴょん!」

 

「あぁ、久しぶりだな」

 

顔をあげ、再び陸奥に向き合う。

 

「……どう?」

 

「え?」

 

「人化した私。髪が少し伸びたのだけれど……」

 

様子を窺うように、陸奥はじっと俺を見つめた。

 

「……あぁ。見違えたな。より一層、美人になった」

 

そう言ってやると、陸奥は少し嬉しそうに微笑んで見せた。

 

「でしょう!? 胸も少し大きくなったんですよ!」

 

「青葉」

 

「もう、青葉ったら……。でも、そうなの。急に成長し出してね……?」

 

「青葉も、1cm身長が伸びたんです! 気付きました?」

 

皆、いつもの笑顔を見せていた。

大井の時もそうだったが、人化した奴らに、どういう顔で会えばいいのか、ずっと悩んでいた。

けど――。

 

「あぁ、1cmかは分からないが……成長したように見えるぜ」

 

「そうでしょう? んふふ」

 

こいつらみたいに、いつも通り振る舞うべきだよな。

人化したとしても、関係が変わることはないもんな。

 

「じゃあ、雨宮君。後で……」

 

そう言って、山風は去って行った。

後で色々言われるんだろうな……。

 

「司令官、入って入って! もっちーと鹿島さんも、検査が終わったらすぐに来るから!」

 

「……あぁ!」

 

 

 

病室はとても広く、それでいて華やかであった。

 

「とても病室とは思えんな……」

 

「看護師の人たちが飾ってくれたのよ。病人じゃないんだからって」

 

「青葉たちも手伝いました! ね、皐月ちゃん、卯月ちゃん」

 

「「うん!」」

 

「そうだったか」

 

いつの間にか、皐月と卯月が、青葉と仲良くなっているな。

やはり、人化した者同士、仲間意識が強くなっているのだろうか。

 

「司令官。改めまして、ありがとうございます。あの時、司令官が青葉の背中を押してくれなかったら、今の幸せは無かったと思います……。本当に……ありがとうございました……」

 

「青葉……」

 

「私からも言わせて……。ありがとう、提督……。私、今がとても幸せよ……? 青葉と、本当の意味で友達になれた……」

 

「陸奥……」

 

「ボクもだよ! もっちーを連れてきてくれて、ありがとう、司令官!」

 

「うーちゃんも、幸せだぴょん! ありがと、司令官!」

 

「お前ら……」

 

視界が歪む。

 

「……って! なんで泣いているの司令官!?」

 

「ど、どこか痛いの?」

 

「……いや。ハハハ……なんだろうな……。よく分からんが……泣いてしまった……」

 

その理由が分かっているのか、陸奥と青葉は、俺の背中をそっと撫でてくれた。

 

「……っと、泣いている場合じゃないな。お前たちに、プレゼントがあるんだ。少し早いけど、クリスマスプレゼントだ」

 

そう言って、皆にプレゼントを配った。

 

「わぁ、これ、カメラですか!?」

 

「あぁ。最新機種? のやつらしい。それでいい写真を撮って、面白い新聞を書いてくれよな」

 

「わぁ! ありがとうございます! それじゃあ、早速……!」

 

そう言って、青葉は俺を撮った。

 

「おいおい……。一枚目が俺で良かったのか?」

 

「はい! これで、いつでも司令官の顔が見られますから。えへへ」

 

青葉は嬉しそうに、撮った写真を確認していた。

 

「私は、スキンケアセットね。ふふ、私を綺麗にさせて、どうするつもり?」

 

「どうするつもりもないが……。人化すると、肌の感じだとか、今まで通りにはいかないらしいからさ。面倒だけど、その手の物が必要なんだ。せっかく綺麗な肌をしているのだから、保ってほしいと思ってな」

 

「あら、綺麗だなんて。じゃあ、提督の為に、綺麗を維持しちゃおうかしら。うふふ」

 

陸奥のやつ、本当に明るくなったな。

出会った頃は……いや、出会った頃に戻った感じだろうか。

でもまあ、あの時と比べたら、色々と壁がなくなっただろうから、こっちが本当なんだろうな。

 

「ボクたちは……ゲームだ!」

 

「あぁ。それも、今一番新しいやつらしい。それが一番、入手するのに苦労したって、上官が嘆いていたぞ」

 

「わぁ、ありがとう司令官!」

 

「ありがと、司令官!」

 

皆、とてもいい笑顔を見せてくれた。

何をプレゼントするか、悩んだ甲斐があったもんだ。

 

 

 

それから俺たちは、時間の許す限り、たくさん会話をした。

人化して嬉しかった事、驚いた事、不便な事――どうでもいい事まで、なんでも話した。

 

「それでね?」

 

「皆さん、そろそろ検査のお時間ですよ」

 

看護婦がやってきて、終わりを告げた。

 

「もうそんな時間か……」

 

「楽しい時間は、あっという間ね……」

 

皆、寂しそうに俯いてしまった。

 

「フッ、何も永遠の別れって訳でもないんだ。また、顔を出すよ。だから、そんな顔すんな」

 

「本当……? また、来てくれる?」

 

「あぁ、もちろんだ」

 

「本当に本当? 嘘ついたら、ハリセンボン呑んでもらうぴょん……。トゲトゲした状態のやつ……」

 

「ハリセンボンじゃなくて、針千本、な。どっちにしろ……物騒だけれど……」

 

皐月と卯月を撫でてやりながら、俺は陸奥と青葉を見た。

 

「陸奥、青葉。本当にありがとな。これからも、こいつらをよろしく頼んだぜ」

 

「えぇ、任せて」

 

「お任せください! 陸奥さんの面倒も、ちゃんと見ますから!」

 

「もう、青葉ったら……」

 

二人とも、嬉しそうに笑って見せた。

 

「じゃあ、またな。みんな」

 

四人は元気な挨拶をすると、そのまま看護婦と共に、検査室へと向かっていった。

 

 

 

病室の窓から海を眺めていると、望月と鹿島が戻って来た。

 

「提督さん!?」

 

「司令官……」

 

「よう。検査、お疲れさん」

 

瞬間、鹿島が俺の胸に飛び込んできた。

さっきの二人と比べたら、優しいものであったが。

 

「提督さん……うぅぅ……」

 

「鹿島……。ハハハ……どうして泣いているんだ?」

 

「分かりません……。分かりませんけど……うぅぅ……」

 

鹿島もそうだったか……。

なんか……俺も……また泣いてしまいそうだ……。

一体、なんの涙なんだろうな……。

 

「よっ、司令官」

 

「望月……」

 

「へへへ……。どうよ? 人化したあたし。可愛い可愛い女の子に見える?」

 

「フッ……お前は元々可愛いよ。望月」

 

そう言ってやると、望月は恥ずかしそうに頬を掻いていた。

 

 

 

二人にプレゼントを渡した後、先ほどの四人と同じように、たくさん会話をした。

 

「一番驚いたのは、やっぱ、山風が大人になっていたことかな。めっちゃ美人でビビったわ~」

 

「本当に。香取姉におんぶに抱っこだった山風ちゃんとは、別人みたい」

 

二人にとってはそうだよな。

俺にとっては、暗い山風の方が想像できないくらいだが。

 

「そう言えば、香取姉に会いました」

 

「え!? ど、どうだったんだ……?」

 

「ふふ、提督さんが心配しているようなことにはなりませんでしたよ。お互いに思うところはありましたが、再会できた喜びの方が大きくて、蟠りなんて、すぐに消え去っちゃいました」

 

本当にそうなのか、鹿島は嬉しそうに笑って見せた。

 

「そうか……。それは良かった……」

 

「これも全部、提督さんのおかげです……。本当にありがとうございました……」

 

「いや……。お前が俺を信じてくれたからだ。ありがとう、鹿島」

 

「提督さん……」

 

謎の沈黙が続く。

 

「なんかここ、湿気多いな~」

 

沈黙を破ったのは、望月であった。

 

「え? そうかな……。むしろ、乾燥しているような……」

 

「いや、鹿島……そういう事じゃないと思うぞ……」

 

望月はニッと笑うと、俺の膝の上に座った。

 

「お、どうした? 望月」

 

「いや? なんかさ、司令官は本当に、あたしの言いたいことが分かっていると言うか、話が通じていいなぁって思ってさ」

 

「なんだそりゃ? 皆とじゃ、話が合わないのか?」

 

「そういう訳じゃないけどさ。なんつーか、気兼ねなく話せると言うか……うぅん……なんつーのかな……」

 

「甘えられる存在、じゃないかな?」

 

鹿島がそう言うと、望月は何やら慌てだした。

 

「そ、そういうのじゃねーし……。なんつーか……あれだよ……下僕的な……?」

 

「下僕って……」

 

「そんなこと言って、本当は甘えたいんですよね? 望月ちゃん」

 

「そんな事ねーし……」

 

「えー? でも、夜になると、一人寂しそうに島の方を見るじゃないですか。船が出港する度に、ソワソワして……。提督さんが来るかもって、思っていたのでは?」

 

「そうなのか?」

 

望月は何も言わなかった。

 

「そうか。なら、存分に甘えればいいさ」

 

「……いらねーよ。そんなの……」

 

「でも、膝の上からは降りないんですよねー?」

 

「鹿島さん……!」

 

鹿島はくすくすと笑っていた。

なんか、このコンビもいいな。

というか、いつの間にこんなサドっぽくなったんだ?

鹿島の奴は……。

 

 

 

結局、望月が膝から降りることはなかった。

 

「雨宮君、そろそろ……」

 

山風が申し訳なさそうに、部屋へと入って来た。

 

「お、そうか……。もうそんな時間か……」

 

「ん? もう行くのか?」

 

「あぁ。お前たちとの面談には、時間制限があるらしくてな」

 

「そうでしたか……。それって、ずっとなのですか……?」

 

「お前たちが寮に移る頃には、それも無くなると聞いている。まあつまり、今だけだよ」

 

そう言ってやると、鹿島は安心したのか、笑顔を見せた。

 

「じゃあ……次に会えるのは、いつになるんだ?」

 

「年明けだろうな。三が日を過ぎた頃に、また来るよ」

 

「それまで会えねーのか……」

 

望月は俯くと、そのまま俺の体に寄り掛かるようにして、倒れこんで来た。

 

「なんだ望月? 寂しいのか?」

 

揶揄うように言ってやると、望月は何も言わず、俺の手で遊び始めた。

 

「望月?」

 

「…………」

 

真剣な表情――というよりも、どこか退屈そうな表情で、俺の手を揉んでいる。

 

「……山風さん」

 

「なに? 鹿島さん?」

 

「少しだけ、お二人だけにしてくれませんか?」

 

そう言うと、鹿島は俺にウインクして見せた。

なるほど。

 

「……俺からも頼むよ。山風」

 

山風は察してくれたのか、小さく頷くと、鹿島と共に部屋を出ていった。

 

「さて……」

 

「気を遣わせちゃったけどさ……別に……あたしは平気だから……」

 

そう言うと、望月は俺の手を放った。

 

「じゃあ、どうして離れようとしないんだ?」

 

「……前にも言ったじゃん。あたしは、自分から行動出来ないんだ……。だから、司令官があたしを退けるまで、待っていたんだけれど……」

 

「退けて欲しいのか?」

 

「そうは言っていない……。つーか……あたしの考えていることが分かっているくせに、言わせようとすんなよなー……」

 

「言ってくれないと分からないよ。……いや、言わないと伝わらないこともある。だからこそ、窮屈に感じているんじゃないのか? 俺みたいな理解者を求めてしまうのも、お前自身が何も伝えようとしないからだ。違うか?」

 

望月は、面白くないというような表情をみせていた。

 

「素直になっても、誰もお前を笑ったりなんかしないし、それが自分の弱みを見せることにはならないんだぜ」

 

「……分かっているさ。分かっているけれど……うぅん……」

 

「ほら、どうして欲しいのか、言ってみろよ」

 

望月は恥ずかしそうに手を揉んだ後、体を横にして、俺の胸に頭を預けた。

 

「……撫でて欲しい」

 

「あぁ、分かった」

 

頭を撫でてやる。

望月の耳が、徐々に赤くなってゆくのを感じる。

 

「あー……恥ずかしい……」

 

「なら、やめるか?」

 

望月は上目遣いで、俺を睨み付けた。

 

「いじわるすんな……」

 

「悪い。つい、な」

 

「……まあ、いいけどさ」

 

望月は体勢を変え、俺に向き合うと、そのまま抱きついた。

 

「撫でて……」

 

俺は何も言わず、望月を抱きしめ、撫でてやった。

ふと、扉の方を見ると、山風と鹿島がこちらを覗いていた。

 

「……望月、そろそろ」

 

「え……もう……? もうちょっと……」

 

「そろそろ時間なんだ。山風たちが来てしまうぜ」

 

「……分かった」

 

望月は俺の膝から降りると、寂しそうな表情を見せた。

 

「……もっと司令官と居たい」

 

「……急に素直になったな」

 

「素直になれって言ったのは……司令官じゃん……」

 

にしてもな……。

でもまあ、そうだよな……。

ずっと溜め込んできたんだ。

こうもなるよな。

 

「また来るよ。だから、そんな顔すんな」

 

「また撫でてくれるのかよ……?」

 

「あぁ。お望みとあらば」

 

そう言って、俺はもう一度望月を撫でてやった。

 

「雨宮君、そろそろ……」

 

タイミングを見計らったかのように、山風が部屋に入って来た。

 

「おう、今行くよ。じゃあ、またな、望月」

 

「うん……」

 

「鹿島、後は頼んだぞ」

 

「はい! あ、提督さん」

 

「ん? なんだ?」

 

鹿島は俺に近づくと、そっと耳打ちをした。

 

「次に会う時は、鹿島とも二人っきりになってくださいね? 約束ですよ?」

 

そう言うと、鹿島はニコッと笑い、望月の方へと駆けていった。

次に会う時は、二人っきり……か……。

 

「雨宮君……?」

 

山風は何やら、細い目で俺を見ていた。

 

「なんだ山風? まだ秋雲とのことを疑っているのか?」

 

「……それもあるけれど。なんか……鹿島さんと距離が近いなぁって思って……」

 

「まあ、色々あったからな。鹿島とは」

 

「ふぅん……。まあ、いいけど……」

 

そう言うと、山風はツカツカと歩き始めた。

……今日の山風は、なんか、色々と難しいな。

 

 

 

それからは山風と別れ、俺は鈴蘭寮へと向かった。

大井と約束した通り、デートする為だ。

寮の門をくぐろうとすると、大井が駆け寄って来た。

 

「提督」

 

「大井」

 

「姿が見えたから、出てきちゃった」

 

そう言うと、大井はニコッと笑って見せた。

 

「準備万端って感じだな」

 

「えぇ。見て。洋服を貰ったの」

 

大井はその場でクルリと回って見せると、感想を求めるように俺をじっと見つめた。

 

「あぁ、可愛いよ」

 

「でも、靴がイマイチなのよね……」

 

大井の靴は、海軍が支給したであろう、白いスニーカーであった。

 

「今のファッションとか、イマイチ分からないのだけれど……こういうのが流行っているの?」

 

「まあ……その手のやつが流行った時期もあるが……」

 

「うぅん……」

 

大井は気にするように、自分の足元を見つめていた。

 

「でも、ちょうど良かった」

 

「え?」

 

俺は紙袋をそのまま、大井に渡してやった。

 

「少し早いが、クリスマスプレゼントだ」

 

「ウソ……いいの? わぁ……! 何かしら」

 

大井はプレゼントを開けると、目を輝かせた。

 

「ショートブーツだ。サイズは合っている……はずだ」

 

「ちょ、ちょっと履き替えてくるわ!」

 

そう言って、再び寮へと戻っていった。

 

 

 

少しして、大井は戻って来た。

 

「お待たせ」

 

「お、似合っているじゃないか。今日の格好にぴったりだ」

 

「サイズもちょうどいいわ。こういうのが欲しかったのよ。うふふ」

 

大井は嬉しそうに、ステップを踏んで見せた。

 

「ありがとう提督。とっても嬉しいわ」

 

「喜んでくれているようでなによりだ」

 

大井が何を欲しいのか、正直分からなくて、いろんな奴に相談していた。

北上もそうだし、秋雲にも相談していた。

そこで、意外にも多く意見に挙がったのが、靴だった。

 

『人化した直後、一番困ったのは靴かな。洋服とかは、寄付されたものの中から、サイズの合ったものを貰えたりして、困ることはなかったのだけれど、靴はそうもいかなくてさ。そもそも、寄付されるようなものでもないし、サイズも無いし、あっても大抵、スニーカーばかりだったしね』

 

『秋雲さん的には、もっとオシャレしたくてさぁ……。でも、出来ないじゃん? だから、もういいや! ってな感じで、色々とずぼらになっちゃったんだよねぇ……。それで、今も処女やってますって訳。だから雨宮君さぁ……秋雲さんの処女、貰ってくんないかなぁ……? なんて……』

 

最初は、靴を贈るなんて……と、思っていたのだが、何とか喜んでくれているようで良かった。

 

「うふふ。こんなに素敵なものを貰っちゃって、いいのかしら?」

 

「なら、返すか?」

 

「ダメ! これはもう私のものよ。誰に何と言われようとも、これだけは誰にも譲らないわ」

 

「そこまで気に入ってくれたか」

 

「それもそうだけれど、提督からのプレゼントだもの。たとえそれがどんなものであったとしても、私にとって大事なものになるわ」

 

そう言うと、大井は俺の手を握り、指を絡めた。

 

「フッ、はしゃいでいるな。後で恥ずかしくなっても、知らんぜ」

 

「それでもいいわ。ずっと、今日を楽しみに、色々と我慢してきたのだもの。はしゃぐくらいは、許してあげたいの」

 

そこまで楽しみにしてくれていたのか。

 

「ちょっとプレッシャーだぜ……」

 

「ふふ。ガッカリさせないでよ?」

 

 

 

それから俺たちは、会話を続けながら、本部敷地内をゆっくりと歩いた。

 

「外に出られたら、色々連れて行ってやれたのだがな」

 

っと……前にもこんなこと言ったな。

……あぁ、そうか。

鹿島とのデートの時だ……。

 

「今はこれで十分よ。もし私が外へと出られたら、その時はまたデートしてくれる?」

 

「ずいぶん気が早いな」

 

「いいじゃない。ね、どうなのよ?」

 

「そうだな……。その時、まだお前が俺とデートしたいと思えるのならな」

 

「どういう意味よ?」

 

「今のお前は、まだ俺しか男を知らないのだろうが、外にはもっと、俺以上に魅力的な男がわんさかいるって事だよ」

 

「そんなの分かっているわよ。それでも貴方を選んでいる訳じゃない」

 

まあ、今はそうだろうがな……。

 

「とにかく、約束して?」

 

「あぁ、分かったよ。強引だな。お前」

 

「そういう方があなた好みだって、知っているんだから」

 

似たような事を、誰かに言われた気がする。

本当、こいつらの俺への評価って、一体どうなってんだ……。

 

「そういや、なんだよその荷物?」

 

「あ、これ? これはお弁当よ。一緒に食べようと思って」

 

「へぇ、お前が作ったのか?」

 

「えぇ。家庭科っていう講習があってね? そこで色々覚えたのよ。ちょうどいい時間だし、あそこの広場で食べない?」

 

「お、いいな。朝から何も食っていないんだ」

 

「ふふ、なら良かったわ」

 

 

 

広場には、屋根の付いた木造のベンチテーブルがあった。

 

「結構きれいね」

 

「この広場も、最近できたみたいだな。誰も使っている様子はないが……」

 

本当、変なところで金を使うよな……。

 

「公園にでもするんじゃない? ほら、駆逐艦たちも来たわけだし」

 

確かに、ただの広場にしては、広すぎるが……。

寮からも近いし……。

 

「……っと、言い忘れていた。改めてお礼を言わせてくれ。望月たちの件、お前がいなかったら、あいつらが人化することも無かっただろう。本当にありがとう」

 

頭を下げる俺に、大井はわざとらしくため息をついてみせた。

 

「もういいっての……。今回はたまたま私の考えを採用しただけで、もっといい方法を貴方はきっと思いついていたはずよ」

 

「そうだろうか……」

 

「そうよ。そんなことよりも、早くお弁当食べなさいよ。不味くなったらどうするのよ?」

 

大井は少し、怒っているような口調で俺に弁当を渡した。

 

「あ、あぁ。悪い。いただくよ」

 

色々と強引だな。

大井の奴。

鬼嫁ってのは、きっとこんな感じなんだろうな。

 

 

 

弁当は大変美味であった。

 

「ごちそうさま」

 

「お粗末さまでした。全部食べてくれたのね」

 

「あぁ。結構量があったけど、全部美味かったよ」

 

「貴方に食べてもらえると思ったら、あれもこれもって、詰めすぎちゃったの。入りきらなかったものもあるんだから」

 

そう言って、大井はニッと笑って見せた。

いい笑顔だ。

 

「さて、これからどうするか。本部内でも巡るか?」

 

「えぇ、いいわ。貴方と一緒に居られるのなら、なんでも」

 

「フッ、何処で覚えたんだ? そんな歯の浮くような台詞」

 

「色々よ。漫画とか、ドラマとか……。変だったかしら?」

 

「そんな言葉を借りずとも、お前の言葉で言ってほしかったかな」

 

そう言ってやると、大井は俺の手をぎゅっと握った。

 

「なら、こうかしら」

 

「……なるほど。こっちの方が伝わってくるな」

 

「でしょ?」

 

大井は嬉しそうに微笑むと、そのまま俺の手を引いて、歩き出した。

 

 

 

それから俺たちは、本部内を巡りながら、たくさん会話をした。

時々、大井は立ち止まると、俺の存在を確認するように、そっと身を寄せていた。

 

「ふふふ」

 

「どうした? 今日はやたら引っ付いてくるじゃないか」

 

「いいじゃない。だって、貴方がいるのだもの」

 

「……どういう事だ?」

 

「さあ? どういうことでしょうね? ふふふ」

 

「フッ、なんだよそりゃ?」

 

思わず笑みが零れる。

大井の訳分からん言葉に対してでもあるが、俺はとにかく嬉しかったのだ。

人化した艦娘の未来は、決して明るいものになるとは限らない。

坂本上官はそう言っていた。

しかし、こんなに嬉しそうな笑顔を見せられたら、そんな言葉も霞んでしまう。

 

「大井」

 

「なに?」

 

「今、幸せか?」

 

大井は一瞬、ぽかんとした表情を見せた。

だが、すぐに笑顔を見せ――。

 

「貴方がこうしていてくれる限り、ね」

 

と、言ってくれた。

 

 

 

「ほら、コーヒー。ブラックで良かったのか?」

 

「えぇ。普段は砂糖をいれるのだけれど、今日は貴方と一緒のものがいいから」

 

「そうか」

 

俺たちは、例の誰も来ないカフェに来ていた。

 

「楽しい時間はあっという間ね……」

 

すっかり暗くなった外を見て、大井はそう呟いた。

 

「今日は楽しんでくれたか?」

 

「えぇ……。でも、もっと一緒に居たかったなって……」

 

そう言うと、大井は隣に席を移動し、俺の肩に頭を預けた。

 

「随分かわいい事を言うのだな」

 

「だってそうじゃない……。今日は午後からだったし……これからは、鹿島さん達が寮に来て、二人っきりになる時間も無くなっちゃうし……。あーあ……。一日がもっと永ければいいのに……」

 

「仮に永くなったとしても、それでも短い! って、お前は言いそうだがな」

 

「ふふ、よく分かっているじゃない……」

 

大井は目を瞑ると、黙り込んでしまった。

 

「おいおい、寝る気か?」

 

「……私が寝たら、貴方は起こさずに、ずっとこうしてくれるのかなって」

 

それは、大井なりのささやかな抵抗であった。

 

「次は外でデートなんだろ? だったら、今日という日は、もう終わりの方がいいだろ」

 

「そうかもしれないけれど……」

 

中々離れようとしない大井。

こんなに我が儘を言う奴だったか。

――いや、そうだよな。

それが許されるほどには、お前は――お前たちは――。

ふと、急に大井が、俺から離れた。

 

「どうした?」

 

「……そんな顔しないでよ」

 

「え?」

 

「別に、本気で困らせたかった訳じゃないのよ……?」

 

どこか申し訳なさそうにする大井。

俺は、ガラスに反射していた自分の顔を確認した。

そこには――。

 

「……別に、そういうつもりの表情ではないよ」

 

「でも……」

 

「ただ、もっと一緒に居てやりたかったなって、思っただけだ」

 

俺は立ち上がり、大井に手を差し伸べた。

 

「見送ってくれるか? 本土を離れる前に、少しでも、お前の顔を見ていたいんだ」

 

大井は少し驚いた表情を見せた後、手をとり、小さく言った。

 

「うそつき……」

 

「俺を誰だと思っている? お前を島から出した男だぜ」

 

「ふふ……そうだったわね……」

 

大井を立ち上がらせ、カフェを出る。

 

「ねぇ、提督」

 

「ん? なんだ?」

 

「……それでも私、貴方が好きだから」

 

俺はそれに、返事をしなかった。

だが、それも含めて、大井は俺を好きでいてくれているようであった。

 

 

 

大井に見送られ、俺は本土を出た。

 

「大井の奴、すっかりお前にお熱だな」

 

「今だけだ。その内、飽きられるだろうよ」

 

そう言ってやると、鈴木は何やら笑い出した。

 

「なんだよ?」

 

「いや、拗ねているなって思ってよ」

 

「拗ねている? 俺がか?」

 

「あぁ。なんか、色々と避けているなとは思っていたんだ。いつもいつも、向けられる好意に対して、お前は冷たかったからさ。でも、ようやく分かったよ。お前は、お前の事を本当に愛してくれる人を探しているんじゃないのか?」

 

そう言われ、俺はハッとした。

俺の事を本当に愛してくれる人……。

 

「気持ちは分かるぜ。今はお前を好きでいてくれても、相手が何も知らない艦娘と来れば、いずれ何処かに行ってしまうのではないかと、不安になるよな」

 

「別に、不安なんて……」

 

「なら、想像してみろよ。お前を愛してくれている奴らが、他の誰かのものになって、お前なんか見向きもしない未来を」

 

俺は想像した。

確かに、気分のいいものではない。

だが、それが俺の望んだ未来でもある。

 

「お前、変わったよ。昔はさ、何かに取り憑かれたかのように島を目指していたのに、今はなんて言うか……人間らしくなった」

 

「……昔の俺は何だったんだよ?」

 

「ロボットとか? とにかく、何に誘っても付き合わなかったし、女からのアプローチにも気づきすらしなかった」

 

「そんなのは受けたことがない」

 

「ほら、気づいていない」

 

俺は少し、ムッとしてしまった。

そんなこと言われたら、無かったとしても、あったかもしれないと思ってしまうじゃないか……。

 

「今は平気だろうが、きっと将来、お前は寂しいと思う時が来るだろう。そうやって逃げるだけじゃなくて、自分に向き合えよ」

 

自分に向き合え……か……。

確かに、俺はずっと、俺の気持ちから逃げて来たように思う。

 

『あたしは、雨宮君の逃げ道にはならない……』

 

逃げ道……か……。

 

「俺もさ、逃げないことにしたんだ」

 

「え?」

 

「明日のクリスマス・イブ、香取に会うのだが、そこで、告白しようと思ってな」

 

「こ、告白って……。じゃあ、お前……」

 

鈴木はニッと笑って見せた。

 

「だから、あいつら(艦娘)の事は頼んだぜ、慎二」

 

「鈴木……」

 

上空で、流れ星が光る。

 

「お! 流れ星! 初めて見たぜ」

 

「本当だ……」

 

星が良く見える、綺麗な夜空であった。

 

「本当に一瞬なんだな……」

 

「そういうもんだ。儚いからこそ、美しいんだぜ」

 

儚いからこそ……か……。

鈴木のその言葉が、俺の中で何度も何度も、反響していた。

 

 

 

島に着く頃には、消灯時間を迎えていた。

それなのにもかかわらず、出迎えてくれたのは――。

 

「提督!」

 

「明石」

 

明石は息を切らしながら、駆け寄って来た。

 

「どうした? もう消灯時間だろ」

 

「はぁ……はぁ……すみません……。窓の外から……はぁ……見えたんで……」

 

明石は息を整えると、俺の後ろに積まれていた段ボール箱に目を向けた。

 

「お一人で運ぶつもりだったのですか?」

 

「まあな。リアカーもあるし」

 

泊地の近くに、あらかじめリアカーを置いておいたのだった。

 

「手伝いますよ」

 

「そうしてくれると助かる。思ったより多くて、困っていたんだ」

 

「任せてください!」

 

何が嬉しいのか、明石は満面の笑みを見せながら、段ボールをリアカーへと積み込み始めた。

 

 

 

「っと……」

 

荷物は、リアカーごと倉庫へ置くことにした。

 

「これ、全部クリスマスプレゼントなんですよね? 私のはどれかな~」

 

「おいおい、まだ触るなよ?」

 

「はぁい。でも、まさかサンタが来るなんて。何十年ぶりかな」

 

「海軍はケチだから、クリスマスプレゼントなんてくれないんだってな」

 

「え!? じゃあ、これは全部、提督のポケットマネーで……?」

 

「あぁ、そうだ。買って来たのは、本部の連中だけどな」

 

知らなかったのか、明石は急に大人しくなった。

 

「そう畏まるな。お前たちには色々協力してもらったから、こういう形で還元しただけだ」

 

「それでも……。私……提督のポケットマネーとは知らず、欲しいものに高価なものを書いてしまいました……」

 

クリスマスプレゼントは、サンタへの手紙と称し、欲しいものを書いてもらっていた。

駆逐艦はまだサンタを信じているらしく、皆、自分が如何にいい子にしていたかというアピールと共に、欲しいものを記入していた。

 

「お前のはそうでもなかったよ。一番痛かったのは、やはり、駆逐艦たちのゲーム機だな……」

 

「そんなに高いのですか? ゲーム機……」

 

「まぁな……。クリスマス間近ってのもあって、売り切れのお店ばかりだったようだしな……。本当、ギリギリ間に合った感じだ……」

 

「そうでしたか……。サンタも大変なんですね……」

 

「一番大変なのは、トナカイだけどな」

 

 

 

それから家に帰ろうとすると、何故か明石も付いてきた。

 

「おい」

 

「いいじゃないですか。運動して、目が冴えちゃったんです」

 

こいつ……。

 

「……日を跨ぐ前に帰れよ?」

 

「やったー! えへへ」

 

明石の奴、なんかテンション高いな……。

クリスマスプレゼントを楽しみにしている……のなら、早く寝るはずだしな……。

 

 

 

「ふぅ……」

 

シャワーを浴びた後、居間に戻ってみると、明石がゲーム機で遊んでいた。

 

「あ、お帰りなさい」

 

「夜中にゲームなんかすんなよ。蛇かお化けが出てくるぞ」

 

「色々まざり過ぎですよ、それ」

 

明石は、ゲーム機の電源を切ると、俺の傍に座った。

 

「えへへ~」

 

「……お前、酔ってんのか?」

 

「酔ってませんよ! いつもの私ですよ。えへっ」

 

いつもの明石……ではないよな……。

 

「……まあいい。珍しいものを貰ったのだが、お前も飲むか?」

 

「え? 何です?」

 

「大人用粉ミルクだ。この島じゃ、牛乳なんて飲めないだろう? 味は牛乳とは違うらしいが……ホットミルクにでもしてみようと思ってな」

 

「ホットミルク! ……って、私の事、眠くさせようとしてません?」

 

「目が冴えたのだろう? 丁度いいじゃないか」

 

俺はヤカンを火にかけた。

 

 

 

「出来たぞ」

 

「わぁ、ありがとうございます。いただきます」

 

明石は一口飲んだ後、微妙な表情を見せた。

 

「不味かったか?」

 

「うぅん……」

 

「どれ……」

 

俺も一口。

 

「…………」

 

「ね?」

 

「……うん」

 

何と言うか、想像していた物よりも――。

甘くはあるのだが、牛乳特有の濃さがなくて、何だか薄いと思ってしまう。

 

「まあ、温かいものを飲んだのだから、眠くはなるだろう……」

 

「白湯の方が、まだガッカリ感はなかったかもしれませんね……」

 

それから俺たちは、残念ホットミルクの愚痴を零しながら、お互いが眠くなるのを待った。

 

 

 

「ふわぁ……」

 

「提督、眠いんですか?」

 

「あぁ……。今日は結構忙しかったからな……」

 

「そうでしたか……」

 

明石は時計を見ると、悲しそうな表情を見せた。

日を跨ぐには、まだ時間があった。

 

「……どうしたんだ?」

 

「え?」

 

「今日のお前、なんか変だぞ。テンションがいつもと違って、何だか高めだし、すぐに帰ろうとしないし、そんな表情を見せているし……。どうしたんだよ?」

 

そう訊いてやると、明石は何やら膝を抱え、小さくなった。

落ち込んでいる……というよりも、拗ねているようだ。

 

「別に、舞い上がっている訳じゃないですけど……。ただ……嬉しくなっちゃっているだけです……。悪いですか……?」

 

「悪いことはないが……。何をそんなに嬉しがっているんだ?」

 

「……分からないんですか?」

 

「え……? あぁ……分からん……」

 

「……じゃあ、提督にその気はなかったんだ」

 

そう呟くと、明石は膝に顔を埋めた。

今度は落ち込んでいるらしい。

 

「難しいお年頃か?」

 

煽るように言ってやると、明石はムッとした表情を向けた。

 

「何が言いたいんだ? 言ってくれないと、分からんぜ」

 

「ちょっとは考えて欲しいものですけど……」

 

「考えられんよ。ホットミルクで眠くなっているし……ふわぁ……。言わないのなら、もういいよ。俺は寝る」

 

そう言って、俺はその場で寝ころんだ。

 

「いじわる……」

 

「あぁ、そうだな……」

 

明石はしばらく黙っていたが、ふと立ち上がると、どこかへ行ってしまった。

帰ったか?

 

「ん……」

 

体に毛布がかかる。

 

「風邪……引きますよ……?」

 

そう言って、明石は再び膝を抱えた。

 

「……明石」

 

「なんですか……?」

 

「言ってくれよ。お前の事、もっとよく知りたいんだ。俺が想像するお前じゃなく、ちゃんと、本当のお前をさ」

 

一瞬の沈黙。

 

「……でも、その態度ですか」

 

こいつ……。

 

「……分かったよ」

 

俺は起き上がり、明石の隣に座った。

 

「それで、なんだって言うんだ?」

 

明石は恥ずかしそうに手を揉むと、顔を赤くして言った。

 

「いえ……なんていうか……。ただその……提督が鹿島さん達の人化を頑張ってくれたのって……私の為かなって……思ったり……しちゃってて……」

 

段々と声が小さくなる明石。

あぁ、なるほど……。

そういうことか……。

 

「それで、嬉しくなってテンションが上がっちゃった、って事か。でも、俺にその気はないようだから、拗ねていると」

 

「そっ……うですけど……。分かったのなら、言葉にしなくていいですよ……。勘違いで舞い上がっていたなんて……恥ずかしいです……」

 

そっぽを向く明石。

やれ……。

 

「別に、お前の為じゃないとも言っていないだろう」

 

「でも、私の為とも言っていないです……」

 

「……あのなぁ。お前は、全部が全部、自分の為じゃないと嫌な質か?」

 

明石は何も言えず、ただ唇を尖らせた。

大淀や鳳翔もそうだったが、『夕張化』してきたな、こいつも……。

 

「まあでも、理由は分かった。お前がどう思おうと、俺は、俺の為、国の為――そして、お前の為にやったんだ。それだけは、はっきり言っておくぜ」

 

そう言って、俺は再び横になった。

しかし、明石は何も言わず、動こうともしなかった。

 

「まだ何かあるのか?」

 

そう訊いてやると、明石は――。

 

「……おい」

 

明石は、俺の背中に寄り添うようにして、寝転がっていた。

 

「お前……」

 

「それだけじゃないんです……」

 

「え?」

 

「私が舞い上がっていたの……。それだけが、理由じゃないんです……」

 

明石は一呼吸置くと、小さな声で語り始めた。

 

「私……鹿島さんが……陸奥さんが島を出て……ライバルがいなくなったって……舞い上がっていたんです……」

 

明石の手が、小さく震えていた。

 

「卑怯ですよね……。こんな気持ち……持ってちゃいけないって……分かってはいるんです……。でも……ライバルがいなくなった今……私は……貴方を……」

 

その先を、明石は言わなかった。

 

「……だから、執拗に俺に構う訳か」

 

確認はしなかったが、明石は頷いているようであった。

 

「……確かに、卑怯かもしれないな」

 

「…………」

 

「でも、島を出たあいつらは、そうは思っていないようだぜ」

 

「え……?」

 

「あいつらは、俺が必ず、全ての艦娘を人化することを信じてくれている。待っていると、言ってくれている。それはつまり、俺が『そういう人間』でないと、信じている証拠だ」

 

『そういう人間』がどういった存在なのか、明石は分かっているようであった。

 

「だから、卑怯なんかじゃない。お前の『ソレ』も、あいつらにとっては――」

 

時計が鳴る。

日を跨ぐまで、まだ時間はたっぷりあった。

 

「ズルいですよ……そんなの……」

 

「……お前にとってはそうだろうな」

 

「私だって、本当は……」

 

寄り添う手が、拳をつくる。

 

「だからこそ、急いでいるのだろうが……。少しは……俺の気持ちも考えてくれ……」

 

「…………」

 

永い沈黙の後、明石は何も言わず、立ち上がった。

 

「俺がお前の為にやったって、少しは感じられたか……?」

 

「……少しだけですけど」

 

「なら、それでいい」

 

俺は腕を枕にして、目を瞑った。

 

「提督……」

 

「なんだ……?」

 

「ごめんなさい……。私……」

 

「……俺の方こそ悪かったよ。少し……厳しい事を言ってしまった……」

 

「いいえ……。私が……我が儘だっただけです……」

 

段々と、眠気が襲ってくる。

 

「今日の事は、これで終わりにしよう……。明日はクリスマス・イブだ。また、『いつものお前』で居てくれ」

 

「……はい」

 

明石は立ち去ろうと、玄関へと歩き出した。

 

「……明石」

 

足音が止む。

 

「変な意味じゃないけれど、俺は、『いつものお前』が好きだぜ……。お前らしいお前が、好きなんだ……」

 

秒針の音が、とても煩く感じた。

 

「……私も」

 

「…………」

 

「私も……私を好きでいてくれる貴方の事が、大好きです……。変な意味では……ないですけど……」

 

それが、明石の答えであり、そして、誓約であった。

 

「……お休み、明石」

 

「お休みなさい……。提督……」

 

明石は明かりを消すと、そのまま家を出ていった。

 

 

 

強い光に目が覚める。

 

「うぅん……」

 

「あ、起きた!」

 

目を開け、起き上がってみると――。

 

「司令官!」

 

駆逐艦たちが、俺を囲っていた。

 

「な、何してんだお前ら……」

 

「司令官、お手紙、ちゃんと出してくれた?」

 

「え?」

 

「サンタさんにだよー。提督に頼んだでしょー?」

 

あぁ……そういう事か……。

 

「ちゃんと出したよ。今日の夜、届けてくれるってよ」

 

そう言ってやると、皆嬉しそうな表情を見せた。

 

「ただし、届けてくれると言っても、誰か一人でも夜に寝ていなかったり、直前までいい子にしていないと、連帯責任で全員無しになるって返事が来ていたぞ」

 

今度は不安そうな表情を見せる駆逐艦たち。

こいつら、マジでサンタを信じているのか……?

 

「まあ、そういう事だ。ちゃんといい子にしてろよ? それと、そろそろ朝食の時間だろ? 戻った方がいい。俺は、顔を洗ってから行くことにするから」

 

そう言って、俺は洗面所へ向かった。

 

 

 

「さて……」

 

顔を洗い終え、居間に戻ってみると――。

 

「雪風?」

 

雪風が、縁側に座っていた。

 

「しれえ!」

 

「お前だけか?」

 

「はい! 雪風だけです!」

 

相変わらず声がでかいな……。

 

「どうした? 皆と一緒に帰らなかったのか?」

 

「はい! しれえと二人でお話ししたくて!」

 

「俺と?」

 

雪風が俺と……。

珍しいというか、なんか……。

 

「朝食の時間もある。寮に向かいながらでもいいか?」

 

「はい!」

 

 

 

家を出て、雪風と寮へ向かう。

そういや、こうして二人だけでいる事って、今まで無かったな。

 

「望月ちゃん達、元気にしていますか?」

 

「あぁ、元気だったよ」

 

本土での事を、俺は雪風に詳しく話してやった。

 

「――そんな感じだ。良くしてもらっているみたいで、皆、楽しんでいるようだった」

 

「そうでしたか。なら、良かったです」

 

そう言うと、雪風は本土の方に目を向けた。

その目は、いつもの雪風とは違い、どこか――。

 

「話したかったのは、その事か?」

 

「はい。島を出た艦娘が、どういう扱いを受けているのか、気になっていたんです」

 

「人間にってことか?」

 

「はい」

 

そんな事を気にする奴だったのか。

 

「心配すんな。昔はどうだか知らんが、今はいい人たちばかりだ。俺が保証する」

 

「しれえがそう言うのなら、信じます。しれえは、今までの人間と違って、嘘がとっても下手な人ですから」

 

「……そんなにか?」

 

「はい、とっても」

 

何故か嬉しそうにする雪風。

駆逐艦にもバレているのか……。

 

「しかし、なんだ。お前って、なんか、大人っぽいところがあるんだな。皆と居る時は、一番子供らしいと言うか……」

 

「幼い、ですか?」

 

俺はあえて返事をしなかった。

普段、こういった配慮は、子供にはしないのだがな……。

 

「雪風は、大人ですよ」

 

「え?」

 

雪風は足を止め、俺の目をじっと見つめた。

幼い顔からは想像もできないほどに、その瞳は――。

 

「……なんちゃって! ビックリしました? しれえ」

 

「え……? あ、あぁ……! 驚いたよ……! そんな顔、出来るんだな」

 

「そうです! 雪風だって、立派な駆逐艦なんです! いつまでも子供扱いしては駄目です!」

 

「あぁ、そうだな。悪かったよ」

 

「えへへ。分かればいいんです! ではしれえ、お先に行ってますね!」

 

そう言って、雪風は走って行ってしまった。

 

「…………」

 

『雪風は、大人ですよ』

 

あの目……。

あれは、確かに――。

 

 

 

寮に着き、食堂へと向かうと――。

 

「おぉ」

 

駆逐艦全員、背筋をピンとして、静かに座っていた。

 

「提督、おはようございます」

 

「おはよう、鳳翔。あいつら、どうしたんだよ?」

 

「ふふ、いい子にしなきゃいけないって、皆、ああしているんです」

 

「今頃頑張っても遅いってのに……。あれじゃあ、バレンタイン当日に格好つけている男子みたいじゃないか」

 

鳳翔はピンと来ていないのか、ニコッと笑うだけであった。

 

「皆さん集まりましたね」

 

大淀が立ち上がる。

 

「おはようございます。本日は消灯後、サンタクロースがやってきます。サンタクロースはとてもシャイな方なので、皆さん、お部屋から出ないようにしてください」

 

シャイなサンタクロースか……。

にしては、大分派手な服装をしているように思えるがな。

 

「それと、提督と軽巡以上の方にお知らせがありますので、朝食後、執務室に集まってください」

 

「お知らせ?」

 

「きっと、サンタクロースについてですよ」

 

鳳翔が小声で言う。

あぁ、なるほどな……。

 

「以上です。それでは、いただきます」

 

 

 

朝食後、軽巡以上の艦娘達が、執務室に集まった。

 

「お!」

 

熊野と鈴谷、それに山城と大和も来ている。

 

「皆さんに集まってもらったのは、本日の対応について話す為です。以前にもお話ししましたが、陸奥さん達が居なくなってしまったので、改めて役割を決めたいと思います」

 

そうか。

鹿島はいいとしても、陸奥と青葉は急だったもんな。

 

「まず、夕食の準備ですが、こちらは以前と同じ、鳳翔さんと大和さん、熊野さんと鈴谷さん、お願いいたします」

 

「分かりました。皆さん、よろしくね」

 

「はい! 全力でサポートいたします!」

 

大和が微笑む。

あんな顔、出来たんだな。

 

「続いて、クリスマスの装飾ですが、夕張さんと明石、山城さん、お願いします」

 

「了解!」

 

「山城さん、頑張りましょうね」

 

「えぇ……」

 

「装飾については、この後、駆逐艦たちとお願いいたします。そして、武蔵さんは記録係を」

 

「記録係ってなんだよ?」

 

「海軍本部より、艦娘たちの活動を写真で提出して欲しいとの要望があったのです。聞いていませんか?」

 

「いや……」

 

そんな事、一言も聞いていない。

本部は俺を信用しているのかいないのか、どっちなんだよ……。

 

「私は、本部に提出する書類を作成しないといけませんので、執務室で事務作業をしています。提督、手伝ってくれませんか?」

 

「あぁ、分かった」

 

「ありがとうございます。消灯後は、提督と武蔵さんで、プレゼントを道場へ運んでください。念のため、目撃されてもいいように、サンタクロースの格好と、トナカイの格好をお願いしますね。他の人たちは、駆逐艦が起きていないか、見回りを強化してください」

 

「だ、そうだ。提督よ、貴様がトナカイでいいか?」

 

「あぁ、構わんぜ。お前の綺麗な白い髪は、サンタそのものだからな」

 

そう言ってやると、武蔵は可笑しそうに笑った。

 

「冗談だ。サンタクロースは、出向してきた提督がやるものだ。トナカイは、私がやろう」

 

「決まってんなら言うなよな……」

 

武蔵はもう一度、笑って見せた。

なんか、テンション高いな、こいつ……。

 

「それともう一点! プレゼントを無事に運び終わった後、提督の家でちょっとした打ち上げを行いますので、是非お集りを! シャンパンなどもいただいておりますので、たまには軽巡以上で盛り上がりましょう。皆さんへのプレゼントも、その時にお渡しします」

 

大淀は俺に、ウィンクして見せた。

なるほどな。

 

「以上です。では皆さん、お願いいたします!」

 

 

 

「鈴谷と熊野は分からんが、大和は来ないと思うぞ」

 

俺は書類仕事をしながら、大淀に話しかけた。

 

「分からないじゃないですか。鳳翔さん辺りが、連れてきてくれるかもしれませんよ?」

 

「やはり、それが狙いだったか……。打ち上げをするだなんて、聞いて無かった」

 

「言っていませんでしたから」

 

大淀は作業を中断することなく、返事をしていた。

 

「大丈夫ですよ。きっと来ます」

 

「何を根拠に……」

 

「プレゼントですよ。先ほど、『皆さんへのプレゼントも、その時にお渡しします』と言いましたが、あれは、『来ないとプレゼントを渡さない』ともとれるんですよ」

 

「そんな俺に都合のいい解釈をするとは思えんがな……」

 

「大和さんならしますよ。鳳翔さんも、その線で連れてくるのではないかと」

 

確かに、鳳翔ならそう考えるだろうな。

しかし……。

 

「残念だが、その線で大和は釣れない」

 

大淀は作業の手を止め、細い目で俺をじっと見つめた。

 

「……提督の中の大和さん、やたらと警戒してますね。そこまで提督の事を想っているとは、考えられませんが……」

 

遠回しに、『自惚れるな』と言われているような気がする。

 

「そうじゃない。ほら、サンタへの手紙、あったろ」

 

「えぇ。欲しいもの、書かれていましたよね?」

 

俺が黙っていると、大淀はハッとした表情を見せた。

 

「もしかして……」

 

「あぁ……」

 

手紙は、確かに提出された。

しかし、中身は白紙であった。

 

「俺からのプレゼントなんて、何もいらない……って事なんだろうよ」

 

大和『は』、きっとそう考えているのだろう。

もう一通の白紙の手紙は――あいつの考えていることは、一体――。

 

「まあ、そういう事だ。わざわざお膳立てしてもらって悪いが、あいつは来ないと思う。決して、自惚れで言っている訳じゃないぜ」

 

そう言ってやると、大淀はわざとらしいため息をついて見せた。

 

「自惚れだなんて、一言も言っていませんけど……」

 

「言ったようなもんだろ……」

 

「そうじゃありません……。私が言いたいのは……提督はそこまで、嫌われていないって事ですよ」

 

思わぬ返しに、手が止まる。

 

「確かに、大和さんとのファーストコンタクトは最悪でしたし、提督の中の大和さんがそうなるのは仕方がないとは思います。しかし、そうであるのなら、大和さんは提督と同じ空間に居るのも嫌だと考えますし、鳳翔さんに近づけることも、全力で阻止するはずです」

 

「……それは、あいつが鳳翔の意見を尊重しているだけだろ。本当は、嫌な筈だぜ」

 

「そう提督が思いたいだけです。そして、その考えこそが、大和さんを遠ざけているのだと、何故気が付けないのです?」

 

大淀の厳しい目が、俺を見つめていた。

そんな目に見えるのは、俺が――。

 

「……以前、提督が鳳翔さんを怒らせてしまった時、大和さんが『行ってあげてください』と言ったのを覚えていますか?」

 

「あぁ、覚えている」

 

「普通なら、好都合だと考え、何も言わないはずです。鳳翔さんが提督を想っているだなんて、受け入れたくないはずです。それなのに、あんなことを言えるのは、鳳翔さんの想いを認めている証拠――提督を受け入れている証拠なんですよ」

 

俺は、あえて何も言わなかった。

――いや、言えなかった。

言う資格が無かった。

 

「……大和さんへのプレゼント、決めましたか?」

 

「……まだ迷っている」

 

俺はつい、顎を触ってしまった。

大淀は、呆れるわけでも無く、ただ悲しそうな表情を見せた。

 

「すみません……。少し……言い過ぎました……」

 

「いや……。本当の事だ……」

 

大淀は首を横に振った。

 

「配慮が足りませんでした……。提督がそう考えてしまうのも、無理ないですよね……。ずっと、艦娘から疎まれ、時には傷つけられ――私も、同じような事を……」

 

そう言うと、大淀は俯いてしまった。

 

「……急にそんな顔されると、感情の高低差で風邪をひいちまうぜ」

 

その返しに、大淀は少し笑ってくれた。

 

「プレゼント……どうするおつもりですか?」

 

「そうだな……。思えば俺は……大和の事……まだ何も知らないんだよな……」

 

俺は万年筆を置いて、深く考えた。

大和が欲しいもの……か……。

 

「提督、それ……」

 

「ん?」

 

「その万年筆……。もしかして……吹雪さんのものでは……?」

 

「え!? そ、そうだ。これは、吹雪さんから貰った万年筆だ。なんでも、大事なものだとかなんとかで……島への出向が決まった記念にって……貰ったんだ……。しかし……どうしてこれを……?」

 

「やはりそうでしたか……。胴軸の柄が、あまりにも特徴的でしたから……。もう五十年以上前に見たっきりですが……」

 

俺は万年筆を見た。

五十年前って……。

そんなに古いものだったのか……。

というか、よく覚えていたな、大淀の奴。

 

「あ……」

 

大淀はハッとした表情を見せると、大きな目で俺を見た。

何かを発見した、というような目であった。

 

「決まりましたよ……! プレゼント!」

 

「え?」

 

「その万年筆ですよ! 実は、その万年筆は――」

 

そう言うと、大淀は万年筆の持つ過去を教えてくれた。

それと同時に、俺は大和の過去を知った。

 

 

 

事務仕事が終わり、部屋の外に出てみると――。

 

「おぉ!?」

 

廊下まで、びっしりと装飾されていた。

 

「こりゃまた……やり過ぎだぜ……」

 

「わ! 本当ですね」

 

驚いていると、明石と駆逐艦たちがやって来た。

 

「凄いでしょう?」

 

俺は何故か、懐かしさを感じていた。

駆逐艦が折ったであろうツリーの折り紙、切り絵、ヘタクソな絵――勘違いしているのか、短冊まで飾ってあって――。

 

「…………」

 

あぁ、そうか……。

この感じ……。

これは、あの施設と同じ――。

 

「提督?」

 

「……あぁ、凄いよ。これなら、サンタも喜んでくれるだろうよ」

 

駆逐艦たちの目が輝く。

 

「本当!? サンタさん、来てくれる!?」

 

「あぁ、来てくれるさ」

 

そう言ってやると、駆逐艦たちは嬉しそうに食堂へと向かっていった。

 

「ご苦労だったな。明石」

 

「いえ! 後でいっぱい、労ってくださいね?」

 

明石もまた、嬉しそうに食堂へと走っていった。

 

「ですって。今夜は色々と忙しくなりそうですね。サンタさん」

 

大淀はニヤニヤと笑って見せた。

こいつ、本当に……。

でもまあ……。

 

「まあ、今日くらいは頑張ってやるさ」

 

「む……思った反応と違う……」

 

「違うはずだぜ。今日の俺はサンタ、だからな」

 

大淀はつまらなそうに、唇を尖らせて見せた。

 

 

 

夕食は、とても豪華であった。

 

「凄いな……」

 

「ほとんど海軍からの支給品ですが……」

 

と、鳳翔は言っているが、支給品はチキンやケーキだけで、それ以外のものは、全て手作りであった。

 

「それでは皆さん、時間の許す限りお楽しみください。いただきます。そして、メリークリスマス!」

 

 

 

いつもより永い夕食を終えると、駆逐艦たちが寝支度を始めた。

 

「もう寝るのか。あいつら」

 

「サンタさんも忙しいでしょうから、早めに仕事を終わらせてあげたいのだとか」

 

「徹底していると言うか……。普通、そこまでするかね……」

 

「十数年ぶりですから。サンタさんが来るのは」

 

その間、あいつらはどう思っていたのだろうか。

自分たちがいい子にしていないから来ないのだと、変に悩んでいなければいいが……。

 

「大丈夫ですよ」

 

俺の心を読んだかのように、大淀はそう言った。

 

「そういう事じゃ、悩まない子たちなんです。鹿島さん達が島を出ても、すぐに日常に戻れたでしょう? そういう事です」

 

どういうことだ……。

しかしまあ、確かに、すぐに忘れるというか、そういうところがあるよな。

駆逐艦に限った話ではあるが……。

 

『島を出た艦娘が、どういう扱いを受けているのか、気になっていたんです』

 

『雪風は、大人ですよ』

 

雪風……か……。

あいつだけは、どうも……。

 

「しかし、良かったですねぇ。これなら、早めに仕事を終わらせて、打ち上げの時間も大幅にとれますよ?」

 

大淀は嬉しそうであった。

打ち上げか……。

たまには軽巡以上で……とか言っていたけれど、そういう事って、あまりしてこなかったのだろうか。

 

 

 

消灯時間を迎え、俺と武蔵はプレゼントを道場へと運び始めた。

 

「しかし、俺の格好はいいとしても、お前のトナカイは……意味あんのか?」

 

「もらう側があそこまで徹底しているのだ。与える側も、少しはなりきらないといけない」

 

「そういうもんかね……」

 

そんな事を話しながら、黙々とプレゼントを運んでゆく。

しかしなんだって、サンタはこんな泥棒みたいな事をして、プレゼントを運ぶのだろうか。

堂々と子供にやったらいいんだ。

 

「なあ、提督よ」

 

「ん?」

 

「貴様には、サンタは来るのか?」

 

「俺に? どうかな。仮にサンタが居たとしても、俺の普段の振る舞いは、良い方だとは言えないからな」

 

「ペテン師だしな」

 

「フッ、確かに。まあ、俺に欲しいものは無いし、あったとしても、サンタがくれるようなものではないだろうな」

 

「では、トナカイならどうだろう?」

 

「トナカイ? トナカイが何をくれるってんだよ?」

 

武蔵が歩みを止める。

 

「ん? どうした?」

 

武蔵の目が――それは、今まで見たこともないほどに、優しいものであった。

 

「今日、打ち上げが終わったら、プレゼントを渡したいと思っているのだが」

 

「プレゼントって……。お前が俺にか?」

 

武蔵は小さく頷いて見せた。

 

「……なるほど。トナカイからのプレゼントか。嬉しいよ。しかし、打ち上げ中じゃいけないのか?」

 

「あぁ。どうしても二人っきりの時に渡したいのだ」

 

二人っきり……か……。

 

「あぁ、分かったよ。じゃあ、打ち上げが終わった後に」

 

「あぁ。打ち上げが終わった後に」

 

武蔵は優しく微笑んで見せた。

鼻よりも赤く、頬を染めながら。

 

 

 

「ふぃ~……寒かったぁ……」

 

武蔵と共に家へと帰ってみると、玄関に多くの靴が置かれていた。

 

「もう皆集まっているのか」

 

「待たせてしまったようだな。提督よ、早く行こう」

 

「おう」

 

居間に行ってみると、既に盛り上がっていた。

 

「あ、提督! お帰りなさい!」

 

「おう。もう始めていたんだな」

 

辺りに目を向ける。

来ているのは……。

 

「……!」

 

真っ先に目に入ったのは、大和の姿であった。

思わず大淀に目を向ける。

 

「大和さんだけじゃないですよ」

 

大淀の視線の先に、鈴谷と熊野がいた。

あいつらも来てくれていたのか。

いや、というよりも――。

 

「これで全員ですね」

 

大淀が立ち上がる。

 

「皆さん、今日はお疲れ様でした。こうして、軽巡以上の艦娘が『全員』集まれる日が来るなんて、ちょっと感慨深いものがありますね」

 

なんと、全員が来ていた。

しかも、俺の家に。

大淀の言う通り、何だか感慨深い。

 

「今日は存分にお楽しみいただけたらと思います。プレゼントも用意しておりますので、皆さん、受け取ったら、提督にお礼をお願いします。提督のポケットマネーから頂いておりますので」

 

何隻か、驚いた表情を見せていた。

まあ、普通は、海軍が用意してくれていると思うよな。

 

「プレゼントはこちらです。では、どうぞ」

 

真っ先にプレゼントに飛びついたのは、明石であった。

 

「やったー! 新しい工具セット! ありがとうございます! 提督!」

 

「あぁ。それと、これからは、家の敷地以外でも、工具を使っていいぞ」

 

「え……? で、でも……それっていけないことじゃ……」

 

「それはあくまでも、あの倉庫にある工具の話だろ? それはお前の自由にしていい。俺が保証するよ」

 

そう言ってやると、明石は俺に抱きついてきた。

 

「うぉ!?」

 

「ありがとうございます! 提督! 私、本当に嬉しくて……なんか……泣いちゃいそうです……」

 

ほんのり酒の匂いがする。

 

「お前……酔っているな?」

 

泣きそうな明石を引っぺがしていると、鈴谷と熊野がプレゼントを手に、やって来た。

 

「あの……」

 

「おう。プレゼント、それであってたか?」

 

「あ……うん……。その……」

 

鈴谷が不安そうに熊野を見る。

 

「プレゼント、ありがとうございました。行きましょう、鈴谷」

 

「あ……」

 

熊野はそそくさと去って行った。

なんか、冷たいお礼だったな……。

 

「あ……えと……あ、ありがと……プレゼント……」

 

「いや」

 

鈴谷は一礼すると、熊野の跡を追っていった。

 

「提督」

 

続いてやって来たのは、鳳翔と山城であった。

 

「ありがとうございます。ずっとこれが欲しかったのです」

 

「そりゃ良かった。一応、一番上等なものを選んだんだ。是非使ってみてくれ」

 

「はい! さ、山城さん」

 

鳳翔に背中を押され、山城は前に出た。

 

「おう。お前、本当にそれで良かったのか?」

 

山城が指定したプレゼントは、なんと、お守りであった。

 

「指定された神社のお守りだ。お前、そのお守りの神社に縁でもあるのか?」

 

「いいえ……。以前……何かの本で読んだことがあるだけよ……」

 

「その程度の認識なのに、そこのお守りが欲しいだなんて……」

 

「……私にもよく分からないのだけれど、なにか、懐かしい感じがするのよ」

 

懐かしい感じ……ねぇ……。

 

「まあいい。それで? まだ然るべき言葉を貰っていないのだが?」

 

山城は不機嫌な顔をした後、小さな声で「ありがとう」と言った。

 

「さてと、大淀もいただきますね? ありがとうございます、提督」

 

「どういたしまして。色々と世話になったな。大淀」

 

「いえ。これからもたくさんお世話いたしますので、来年はもっと高価なものをお願いしますね?」

 

そう言うと、大淀は明石に呼ばれ、去って行った。

来年か……。

その頃には、クリスマスもここじゃなくて、本土でやれたらいいな……。

 

「さて……」

 

残るプレゼントは3つ。

武蔵のプレゼントは、打ち上げが終わった後に渡す手筈になっているから、残るは――。

 

「夕張」

 

隅っこで山城と飯を食っていた夕張に、俺はプレゼントを投げ渡してやった。

 

「……私、白紙で出したはずだけれど」

 

「あぁ、知っているよ」

 

そうなのだ。

大和ともう一隻――夕張は、手紙を白紙で提出していた。

 

「俺が勝手に選ばせてもらったぜ。どういうつもりかは知らないが、次からは何でもいいから書いてくれよな」

 

何か言おうとする夕張を無視して、鳳翔と一緒にいる大和の元へと向かう。

 

「あ、提督」

 

「よう」

 

大和に視線を送る。

返って来たのは、不機嫌な色をした視線であった。

 

「……あ! そう言えば、まだ出していない料理が!」

 

鳳翔は立ち上がると、俺にヘタクソなウインクを送り、台所の方へと消えていった。

気を遣わせたか。

 

「……何か御用ですか?」

 

少し怒った口調で言う大和。

 

「あぁ。クリスマスプレゼントを渡しそうと思ってな」

 

「……手紙を見ていないのですか? 白紙で出したはずです……」

 

「分かっているよ。それでも、お前に渡したいと思ってな」

 

俺は、吹雪さんから貰った万年筆を大和に渡してやった。

大和はすぐに気が付いたのか、目を大きく見開き、驚いていた。

 

「これ……!」

 

「やはり、すぐに気が付いたか」

 

「どうして貴方が……!?」

 

俺は、万年筆を貰った経緯を大和に説明してやった。

 

「吹雪さんが……貴方に……」

 

大和はもう一度、万年筆を見つめた。

こんな奴にどうして……って感じなのだろうか。

 

「お前と吹雪さんの事、聞いたよ。吹雪さんが人化した後、よく文通していたって。その万年筆を吹雪さんに贈ったのは、お前なんだろ? 大和」

 

大和は何も言わず、ただ俯くだけであった。

遠くで大淀が、俺たちの会話を聴いていた。

 

 

 

 

 

 

「大和が吹雪さんに?」

 

「えぇ。吹雪さんの人化が決まった時、大和さんが記念に贈ったものです。島を離れても、文通出来るように、と」

 

文通……。

 

「過去にも文通していたみたいです。それがきっかけで仲良くなったのだとか。今では鳳翔さんにべったりな大和さんですけれど、吹雪さんが島にいた頃、依存と言っても過言ではないほどに、傍を離れようとはしない方でした」

 

「文通一つで、そこまでの関係になれるとは思えんがな……」

 

「元々、艦隊決戦の切り札として、――島に一隻で隠されていた方ですから、孤独だったのだと思います。吹雪さんは、そういう艦娘に手を差し伸べるような方でしたから、大和さんはそれに依存してしまったのかもしれません。初めて大和さんに接触した艦娘も、吹雪さんでしたから」

 

確かに、大和は一時期、島に隠されていたというのは聞いていたが……。

 

「吹雪さんが島を出た後、その穴を埋めるように、鳳翔さんが大和さんの面倒を見るようになったのです。大和さんが鳳翔さんに依存するのも、その為かと……」

 

「なるほどな……。そして、その鳳翔が大和を放って、俺に構おうとするものだから、大和はキレていると……。それも、何故か俺に……」

 

「まあ、そうですね……。しかし、元々大和さんは、人間が嫌いなようです。佐久間さんですら、大和さんの心は……」

 

人間が嫌い……か……。

 

 

 

 

 

 

どうして人間が嫌いなのかは、大淀も知らないとのことであったが……。

いずれにせよだ……。

 

「俺にとって、その万年筆は大事なものだ。だが、話を聞いて、お前が持っていた方がいいと思った」

 

大和は万年筆を置くと、俺をキッと睨み付けた。

 

「これで私の機嫌を取ったつもりですか……?」

 

この反応は、予想していた。

まあ、普通はそう思うよな。

 

「そうじゃない。ただ、その万年筆で、俺と文通して欲しいと思ってな」

 

「文通……?」

 

「あぁ。吹雪さんと仲良くなったのは、文通がきっかけだと聞いた。だったら、俺も同じようにすれば、お前と仲良くなれるのではないかと思ってな」

 

そんな事で仲良くなれるとは、本気で思ってはいない。

そもそも、大和がこの話に乗ってくるとは思えない。

だが、それでいい。

 

『その考えこそが、大和さんを遠ざけているのだと、何故気が付けないのです?』

 

これは儀式なのだ。

俺が少しでも、大和に近づこうとしたのだという、証拠を――決意を表すための――。

 

「俺は、もっとお前の事が知りたいんだ。話すことが嫌だというのなら、まずは文通から始めないか?」

 

そう言って、俺は一冊のノートを大和に渡した。

 

「って、これじゃあ交換日記か……」

 

大和は――。

 

「大和……?」

 

大和は、泣いていた。

驚いた表情を見せた後、涙を流したのだ。

 

「お、おいおい……。そんなに嫌なのかよ……?」

 

大和は涙を拭くと、ノートと万年筆を持ったまま、家を出て行ってしまった。

 

「お、おい!」

 

「提督……」

 

全てを見ていたのか、鳳翔が心配するように近づいてきた。

 

「どうやら、やっちまったらしい……。ここまで嫌われているとはな……」

 

「そういう訳ではないと思います……。もし嫌だったら、泣くよりも先に、もっと怒る子ですから……」

 

だとしたら、一体……。

 

「大和ちゃんの事は、私にお任せください。提督は、皆さんの事をよろしくお願いします」

 

鳳翔の指す先に、泥酔した明石がいた。

 

「……分かった。悪いな、鳳翔……」

 

「いえ。しかし、提督が大和ちゃんに文通を持ちかけるなんて……」

 

「やはり、悪手だったか……?」

 

「いえ、そうではありません。嬉しかったのです。提督はてっきり、大和ちゃんの事、避けているのではないかと思っていましたので」

 

やはりそう見えたか……。

……いや、実際はそうだったのかもしれないな。

 

「これからも、大和ちゃんをよろしくお願いします。では、メリークリスマス」

 

「あぁ、メリークリスマス」

 

鳳翔はニコッと笑って見せると、大和を追っていった。

大和をよろしく……か……。

二度目があると良いのだが……。

 

「提督ぅ~……こっち来てくださいよ~……。私の事……もっと構ってください……」

 

「……こいつは」

 

今は鳳翔に任せるしかないか……。

とりあえず、この酔っぱらいたちをなんとかしなければ……。

 

 

 

酒もなくなり、明石が完全に潰れたところで、お開きの流れになった。

 

「ほら、明石、行くわよ」

 

「うぅん……」

 

夕張が明石を担ぐ。

 

「大丈夫かよ、そいつ……。それと……」

 

「うぅん……」

 

「大淀……。お前もか……?」

 

「私は大丈夫れす……。帰れますから……」

 

フラフラとした足取りで、玄関へと向かう大淀。

 

「おいおい……。しょうがねぇな……」

 

サポートしてやろうとすると、山城に止められた。

 

「いいわ……。私が連れて行くから……」

 

「え?」

 

「貴方には……やることがあるのでしょう……?」

 

そう言って、山城は縁側に座る武蔵を指した。

 

「……どうして知っているんだ?」

 

「普通なら、真っ先に動いていい筈じゃない……。なのに、ああしているのは……」

 

それだけ言うと、山城は大淀に寄り添って、家を出ていった。

確かに、武蔵だったら、真っ先に介抱しようとするはずだよな……。

 

「ん……」

 

なにやら視線を感じ、振り向いてみると。

 

「鈴谷?」

 

目が合うと、鈴谷は逃げるように出て行ってしまった。

なんか、見られていたよな……?

 

「まあいいか……。さて……」

 

静かになった居間を抜け、俺は縁側に座った。

 

「待たせたな。武蔵」

 

武蔵は微笑むと、グラスに残った酒に、小さく口をつけた。

 

 

 

「ほら、プレゼント」

 

プレゼントを渡してやると、武蔵は開けることもせず、自分の隣に置いてしまった。

 

「ありがとう」

 

「随分クールだな。あいつらなんて、真っ先に開けていたのに」

 

「今はプレゼントよりも、貴様に夢中なのさ」

 

「フッ、酔っているぜ、こいつ」

 

武蔵は空いたグラスに、酒を注いでくれた。

 

「それで、お前からのプレゼントって? どうして二人っきりの時にしか渡せないんだ?」

 

「質問が多いぞ、提督よ。まずは飲もうじゃないか」

 

グラスを掲げる武蔵。

 

「分かったよ。じゃあ、メリークリスマス」

 

「あぁ、メリークリスマス」

 

グラスを叩く音が、静かな夜へと溶けていった。

 

 

 

俺たちは酒を飲みながら、たわいもない会話を続けた。

 

「しかし、こうして貴様と二人っきりでクリスマスの夜を堪能しているというのは、何だか皆に悪い気がしてくるな」

 

「今更だろ」

 

「他に誘いは無かったのか? もしかして、私とのことがあるから、断ってしまったとか……」

 

「ねぇよ。サンタにプレゼントを渡したいトナカイなんて、お前くらいだ」

 

「それもそうだな」

 

何故か嬉しそうに、武蔵は微笑んで見せた。

酔っているのか、少し顔が赤いように見える。

 

「鹿島達は元気にしているか?」

 

「あぁ、良くしてもらっているようで、楽しそうにしていた」

 

「そうか」

 

武蔵は酒を飲み干すと、グラスを置き、星空を眺めた。

 

「本当は……」

 

「ん?」

 

「本当は……鹿島達が島を出ると言った時……私も一緒に行っても良かったんだ……」

 

「え……?」

 

武蔵は俺を、じっと見つめた。

 

「年明けにでも、島を出ようと思っている」

 

まるで、時が止まったかのように、辺りは静かになった。

 

「……どういう……意味だ?」

 

「そのままの意味だ。年が明けたら、島を出るよ」

 

俺は動揺して、酒を零してしまった。

 

「おわ……!?」

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

「す、すまない……。何か、拭くものを持ってくる……」

 

俺は立ち上がり、台所へと向かった。

 

「…………」

 

武蔵が島を出る……。

しかし……どうして急にそんな事を……。

 

 

 

酒を拭きとり、俺は再び武蔵の隣に座った。

 

「悪い……。話の途中だったのに……」

 

「いや……」

 

武蔵は俺の顔をじっと見つめ、何やら嬉しそうに笑った。

 

「な、なんだよ……?」

 

「フフ、すまない。その顔が見たくてな」

 

「え?」

 

「ずっと……考えていたんだ……。今の貴様には、もう私は不要なのかもしれないと……」

 

俺は何も言わず、武蔵の言葉を待った。

 

「私の力が無くとも、駆逐艦との交流は出来ているし、私が守らなくとも、敵対視していた艦娘と仲良くなってしまう。私が守るものは、もう無いんだと、気が付いてしまったんだ」

 

「――……」

 

何か言ってやろうと口を開いたが、何も思いつかず、ただ閉口してしまった。

 

「……鹿島も同じ気持ちだったのだろうと思う。だからこそ、島を出たのだと。私も、そうしようと思っていたのだが……」

 

武蔵はもう一度、俺を見つめた。

 

「貴様のその顔を――その表情を……私だけに向けて欲しいと……思ってしまったのだ……」

 

俺がどんな表情をしていたのかは分からない。

ただ、武蔵の表情は、どこか――。

武蔵は身を寄せると、とても小さな声で――まるで、甘えるような声で、言った。

 

「貴様を……貴方を……困らせてみたかったのだ……」

 

顔が赤いのは、酔ったせいではなく――。

 

「……それが、お前からのプレゼントという訳か」

 

小さく頷く武蔵。

こうして近くで見ると、本当に――。

 

「そうか……」

 

「気に入らなかったか……?」

 

「いや……。ただ……少し複雑な気持ちだ……」

 

「ふふ……それが狙いさ……」

 

永い沈黙が続く。

武蔵は顔を近づけると、俺にそっとキスをした。

 

「……抵抗してもよかったんだぞ。むしろ……してくれないと……困るのだがな……」

 

「お前には勝てないって……知っているからな……。酔ってもいるし……」

 

「フッ……戯けめ……。そんなだから……私のように困らせてやろうという奴が増えるんだ……」

 

「お前くらいだ、そんな事を考えるような奴は」

 

武蔵は顔を赤くすると、拗ねるように深く頭を預けた。

 

「武蔵」

 

「なんだ……?」

 

「ありがとな……。お前のお陰で、俺は強くなれたよ……」

 

「……あぁ。貴方は強いよ……。この武蔵が……自分は弱くていいのだと、思える程にな……」

 

それから俺たちは、何も言わず、ただ明るくなって行く夜空を眺めるだけであった。

 

 

 

翌日。

寮へ向かうと、駆逐艦たちがプレゼントにはしゃいでいた。

 

「司令官、見てみて!」

 

「ん、おぉ。サンタ、来たのか。良かったな」

 

「うん! 暁たちがいい子にしていたからだわ!」

 

「あぁ、そうだな」

 

ふと、武蔵に目を向ける。

皆がワイワイとはしゃいでいるのを、温かい目で見守っていた。

武蔵が島を出るという事は、まだ誰にも言っていない。

せっかくのクリスマス気分をぶち壊したくないという、武蔵なりの配慮であった。

 

「さてと……」

 

これから、クリスマスの片づけと、年末の大掃除、正月の準備と忙しくなる。

そんなことを考え、げんなりしながら執務室に入って行くと――。

 

「おはよう……」

 

「夕張」

 

夕張が、退屈そうに窓の外を眺めていた。

 

「どうした? こんな朝早くから……」

 

ふと、夕張の首に、マフラーが巻かれているのに気が付いた。

 

「……これ、どうして?」

 

「あ?」

 

「どうしてこれを……私のプレゼントに選んだ訳……?」

 

夕張は目を合わせることもせず、そう問うた。

そう。

夕張へのプレゼントは、マフラーであった。

 

「それを聞いてどうするんだ?」

 

「……別に、気になるから訊いているだけ」

 

気になるから……ねぇ……。

俺は何も言わず、昨日処理をした書類に目を通した。

 

「手紙を白紙で提出した理由は?」

 

「……質問しているのはこっちなんだけど」

 

「その理由を聞かなければ、答えないぜ」

 

本当はなんとなく、その理由は分かっていた。

というよりも、こうして夕張が理由を問いただしている時点で、もう――。

 

「俺がプレゼントを持って来なかったら、どうしていたんだ?」

 

「……質問が多いわよ」

 

「じゃあ、一つだけ。俺を試したのか?」

 

夕張は顔を隠すように、膝を抱え、黙り込んでしまった。

 

「フッ……分かりやす」

 

流石の夕張も、それには腹を立てたようで――。

 

「まだ何も言っていないんだけど……」

 

「言わずとも分かるさ。俺とお前の仲だろう?」

 

俺は夕張をじっと見つめた。

夕張の方は、すぐに目を逸らしてしまった。

 

「最近、そうやってツンケツンケしているが、後に引けなくなってしまったのだろう?」

 

「……別に? それに、ツンケツンケって何よ……」

 

「俺はお前がどんな態度であろうとも、お前を好きになったり、嫌いになったりすることはない。お前の好きなお前で居てくれれば、それでいいんだぜ」

 

夕張は何も言わなかった。

いや、言えなかったのだろう。

それが、夕張であるから……。

 

「……そのマフラーは、別に特別なものでもない。ただ、お前のその恰好が、いつも寒そうに見えたから、それがいいだろうと思って選んだだけだ」

 

「…………」

 

「もっと特別な理由が欲しかったか?」

 

「……そんなことないけど」

 

「そうかよ」

 

永い沈黙が続く。

 

「夕張」

 

「なに……?」

 

「俺は、お前の思い通りにはならないからな。そういう方が、お前好みだって、俺は知っているんだ」

 

少し遠回しな言い方であった。

だが、夕張には伝わるだろうと、俺は確信していた。

 

「じゃあ」

 

執務室を出ようとした時、袖を掴まれた。

 

「どうした?」

 

夕張は何も言わず、ただ俯いていた。

 

「……俺は不器用だから、合わせようと必死になることしかできない。お前がそうなら、俺だってそうするだけだ。悪循環だろ……?」

 

「うん……」

 

「だったら、こんな駆け引きはもうやめようぜ。お前はよくやってくれているよ……。本当に感謝している……。冷たくして……悪かったな……」

 

そう言って、俺は夕張の頭を撫でてやった。

 

『なんかここ、湿気多いな~』

 

望月だったら、そんな事を言って、場を和ませてくれただろうな。

そんな事を考えながら、俺は夕張が泣き止むまで、そっと抱きしめてやった。

 

 

 

執務室を出て、食堂へと向かう。

 

「おはようございます、提督」

 

「おう、おはよう。昨日は悪かったな、鳳翔」

 

「いえ。後で、どうなったのかをお話ししますね」

 

「あぁ、頼む」

 

横目で大和を見る。

いつも通り、ただ大淀の挨拶を待っていた。

 

「みなさん、おはようございます」

 

大淀が挨拶を始める。

 

「本日はクリスマスです。既にプレゼントをいただいておりますが、常日頃から、サンタさんは皆さんを見ています。いい子であることを心がけましょう」

 

元気に挨拶する駆逐艦たち。

なんか、こういう事もすぐ忘れそうだよな……こいつら……。

 

「ちょっといいか?」

 

手を挙げたのは、武蔵であった。

 

「はい、どうぞ」

 

「軽巡以上の艦娘に知らせたいことがある。この後、執務室に集まってはもらえないだろうか?」

 

武蔵、お前……。

大淀は何かを察したようで、俺をチラリと見た。

俺が小さく頷くと、大淀は驚いたような表情を見せた後、すぐにいつも通りの表情を取り戻した。

 

「……分かりました。そういう事ですので、朝食後、軽巡以上の方は、執務室へ……。それでは皆さん、いただきます」

 

駆逐艦たちの「いただきます」の後、鳳翔はチラリと俺を見た。

俺がどんな表情をしていたのかは分からない。

ただ鳳翔は、何も言わずにいてくれた。

 

「…………」

 

俺は武蔵に目を向けた。

何も知らないであろう駆逐艦たちの笑顔に、武蔵もまた、迷いのない笑顔を見せていた。

 

 

 

 

 

 

残り――23隻

 

――続く



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17話

1月3日、早朝。

 

「ルールはいつも通りだ。ここからスタートして、遠くのあの岩にタッチ。先にこっちへ戻ってきた方が勝ちだ。いいな?」

 

「うん」

 

「分かっているわ」

 

島風と天津風は、互いに目を合わせると、小さく頷いた。

これが、70年以上も続いた勝負の最後だと思うと、こっちまで緊張してくる。

 

「じゃあ、合図、行くぞ」

 

二隻がスタート姿勢をとる。

雪風も、どこか緊張した面持ちで、勝負の行方を見守っていた。

 

「よーい……! どんっ!」

 

砂が舞うよりも、風が吹くよりも先に、二隻は俺の間を駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

話は遡り、年末。

武蔵が島を出ることを発表し、艦娘達の間で、話し合いが行われていた。

 

「武蔵さんに続いて、誰か島を一緒に出る者はいないか、話し合っているんだって」

 

そう言うと、夕張は皮を剥いたみかんを俺に渡した。

 

「それはいいとして、どうしてお前がここにいるんだよ? 話し合いに参加しなくていいのか?」

 

「私には関係ないから。島を出る気も無いし、誰が出て行こうとも、それは本人の勝手だしね」

 

クリスマスの一件から、夕張は吹っ切れたのか、以前と同じように絡みに来るようになった。

 

「そうかよ……。ったく、立ち直ったのかと思ったら、すぐこうだからな……」

 

「別に、まだ立ち直った訳じゃないわよ。酷いこと言われたことも、フラれたことも、まだ、思い出すと辛いんだから」

 

「だったら、俺に関わるのは止した方がいいんじゃないのか?」

 

「ご存知の通り、そうしてみたのだけれど、なんか、それはそれで辛くなっちゃって。私、本当に貴方の事が好きだから、貴方と普通に話せないのは、酷い事を言われるよりも辛いのよ」

 

俺にはよく分からない理屈であった。

だが、考えに考え抜いて、自分を必死に守ろうとした奴が出すような結論だということは、なんとなく分かっていた。

 

「だから、もう突き放そうとしても無駄だから。私の為だとか、そういうのは意味ないから」

 

「……それでも、落ち込んだり、面倒くさくなったりはするんだろ?」

 

夕張は一瞬、ムッとした表情を見せたが、それが俺の答えだと理解したのか、しおらしく頷いて見せた。

 

「コーヒー飲むか?」

 

「……うん。ありがとう……」

 

 

 

話し合いが終わったのか、大淀と武蔵が家に来た。

 

「終わったか」

 

「えぇ。もう寮に行っても大丈夫ですよ。それと、報告があります。武蔵さん」

 

大淀が下がると、武蔵は頷き、嬉しそうな表情を見せながら、口を開いた。

 

「島風と天津風が、一緒に島を出てくれることになった」

 

島風と天津風が……。

 

「マジか。けど、どうして?」

 

「理由はよく分からないのだが、島風が島を出ると決意して、それに天津風が乗ったようだ。もっとついてくる者がいると思ったのだが……」

 

「いや、十分だ。ありがとう、武蔵」

 

武蔵はふにゃっとした可愛らしい笑顔を見せると、俺の手を取り、自分の頬にあてた。

 

「これでもう、強がらなくていいのだな……。これからはこの手で、私の事を守って欲しい」

 

その光景に、大淀と夕張は目を見開き、驚いていた。

 

「あぁ。もう安心していいぞ。後は、俺に任せろ」

 

武蔵は小さく頷くと、もう一度、可愛らしい笑顔を見せた。

 

 

 

島風と天津風を連れてくると言い、武蔵は寮へと戻っていった。

残された大淀と夕張は、説明を求めるように、大きな目を俺に向けた。

 

「そう驚くこともないだろう。あいつだって、守るよりも守られたいという気持ちくらいはある」

 

「そうかもしれないけれど……。はぁ~……あの武蔵さんが……」

 

「当初言われていた通り、洗脳したのでは?」

 

「お前らな……」

 

まあ、武蔵の気持ちは、こいつらには分からないだろうな。

守る者ではなく、守らざるを得ない者の気持ちはな……。

 

「武蔵さんって、貴方の事が好きなのかしら?」

 

「好きだと思いますよ? でなければ、あんな表情は見せませんよ」

 

「ふぅん……」

 

夕張はなにやら、細い目でじっと、大淀を見ていた。

 

 

 

「連れて来たぞ」

 

「提督ー、どーん!」

 

島風は俺に突進すると、にひっと笑って見せた。

その姿を呆れた表情で見ていたのは、天津風であった。

 

「提督、私も島を出るの」

 

「あぁ、聞いたよ。しかし、どうして急に?」

 

「でね? 私と天津風の最後の勝負を提督に見届けて欲しいの。今、引き分けだから」

 

無視かい……。

本当、自由というか、身勝手というか。

 

「最後の勝負か。本当に好きだな、お前ら」

 

「あたしは別に好きじゃないけど……」

 

反論したのは、天津風であった。

好きでもないのに、よく付き合ってられるよな。

 

「70年以上続いた勝負だからな。提督よ、しっかりと見届けてやるのだぞ」

 

「70年以上!? お前ら、70年以上もこの勝負を続けているのか!?」

 

「うん、そうだけど?」

 

そうだけどって……。

俺はもう一度、天津風に目を向けた。

 

「……なに?」

 

「いや……」

 

好きでもないのに、70年以上……か……。

 

「勝負は、島を出る日の早朝にするから」

 

「1月3日だな。分かった」

 

俺が了承するのを確認すると、島風は天津風の前に立った。

 

「天津風」

 

「なに?」

 

「私、負けないから」

 

その表情に、天津風だけではなく、その場にいた全員が驚いていた。

いつもの何も考えていなそうな表情からは想像もできないほど、真剣で、気迫に満ちた表情であったからだ。

 

「じゃあね」

 

そう言うと、島風は寮の方へと戻っていった。

残された天津風は、戸惑ったような表情を見せていたが、やがて覚悟を決めたのか、こちらも真剣な表情を見せ、寮へと戻っていった。

 

「島風ちゃん、凄い気迫だったわね。あんな表情、見たことないわ」

 

「それだけ真剣だという事でしょうね。島を出る覚悟をしたのも、その為かもしれませんよ」

 

「全てに決着をつける為……か……。島風にとって、天津風は唯一のライバルだったからな。提督よ、その勝負を見届けて欲しいとまで言わせたのだ。貴様は本当に凄い人間だ」

 

「いや……。多分、俺でなくても良かったのだろうとは思うのだが……」

 

きっかけが何であれ、島風が本気で島を出る覚悟をしたという事は、先ほどの表情でよく分かった。

どうして天津風が同じ決意をしたのかは分からないが、島風の勝負を受ける覚悟はあるようだから、何か思うところがあったのだろう。

まあ、70年以上もやっていることだし、嫌だとは言えない質なのかもしれないが……。

 

 

 

それから勝負の日まで、島風はずっと独りで、トレーニングを続けた。

年越しのカウントダウンも、初日の出を見に行く事も、正月料理に舌鼓を打つ事も――全てを拒否し、独り、トレーニングに励んでいた。

 

「…………」

 

そんな島風を、天津風はずっと、どこか寂しそうな表情で、遠くから見つめていた。

 

「天津風ちゃん、寂しそうです」

 

「雪風。あぁ、そうだな。そういやお前、あいつらとは仲がいいのだろう? 一緒に島を出ないのか?」

 

「はい。雪風は、もうちょっとだけ、この島の行く末を見守りたいんです」

 

この島の行く末……か……。

 

「だから、どちらにも声をかけないんだな」

 

「そうです。雪風は、ずっとあの二人を見てきましたから、邪魔はしたくないんです。しれえも同じことを考えて、放っておいているんじゃないですか?」

 

そういう雪風の目は、優しくも、全てを見透かしているかのような、どこか不気味な色をしていた。

 

「どうかな……。ただ、あの間に入っていくのが怖いだけなのかもしれない。皆も同じなのか、誰も何も言わないだろう?」

 

今度は同じ目を、俺は雪風に向けてやった。

 

『雪風は、大人ですよ』

 

もし、それが本当ならば、おそらくこいつは――。

 

「……雪風も、同じです。どう声をかけていいのか、分からないだけだったりします。えへへ……」

 

「……そうか」

 

こいつは、本当に――。

 

 

 

そして、俺たちは何も出来ないまま、勝負の日を迎えた。

 

「提督ー」

 

まだ陽の昇らない内に家へとやってきたのは、島風であった。

 

「おう、島風。おはよ……って、なんだその格好は!?」

 

島風はトンデモナイ格好をしていた。

バニーのような大きなリボン(?)のついたカチューシャ(?)に、肩と脇とヘソを大胆に見せたノースリーブ(?)、もはやスカートと呼ぶには短すぎるスカートに、タンガ(?)が見えてしまっていて――とにかく、言葉にするのも難しいほど、意味不明な格好をしていた。

 

「えへへ、いいでしょー? 島風の勝負服なんだー」

 

「勝負服ってお前……」

 

そういや、戦時中の島風は、トンデモナイ格好をしていたと、誰かから聞いたことがあるが……。

 

「もしかして、その格好は、戦時中の?」

 

「うん、そうだよ」

 

「そうだよって……。お前、そんな格好で戦っていたのか!?」

 

「こっちの方が動きやすいし、とっても速いんだよ!」

 

そうだとしても、その格好はどう見ても――。

いや……そう見てしまっている俺の方が悪いのだろうか……。

 

「とにかく、寒かろう。ほら、コートを着ておけ」

 

「別に寒くないけど?」

 

「見ているこっちが寒いんだ。せめて勝負の直前くらいまでは着ていてほしい」

 

「うーん……分かったー……」

 

島風はしぶしぶ、俺のコートを羽織った。

 

「して、どうした? 勝負まではまだ時間があるだろうに」

 

「今日が、この島に居られる最後の日だから、提督にお礼が言いたくて」

 

「お礼?」

 

「うん。こんなに我が儘な島風を受け入れてくれて、ありがとーって」

 

島風はニコッと笑うと、足をぶらつかせながら、語り始めた。

 

「私ね、自分では分かっているの。すっごく我が儘で、周りに迷惑ばかりかけてるって。でも、気づくのはいつも、迷惑をかけた後なの」

 

だが、あまり後悔をしていないのか、島風は落ち込む様子もなく、淡々と語っていた。

 

「たくさんの『提督』がこの島に来て、その数と同じくらい迷惑をかけてきたの。許してくれる人もいたけど、やっぱり、島風を避ける人の方が多かったんだー。でもね、提督は、そんな私をちゃんと受け入れてくれたでしょ? だから、嬉しかったんだー。にひひー」

 

島風は、はにかんで見せると、俺の膝の上に座った。

 

「だからお礼、なのか?」

 

「うん!」

 

受け入れることは当たり前の事だと思っている俺には、どうして島風がそんな事でお礼を言うのか、よく分からなかった。

 

「ねー、提督」

 

「ん、なんだ?」

 

「島風が島を出ても、提督に迷惑かけてもいーい?」

 

「迷惑かけてもいいかなんて……。変なことを訊くんだな」

 

「んー……だって……なんか……難しくて……」

 

「難しい?」

 

「うん……。島を出たら、島風は艦娘じゃなくなるし、提督も提督じゃなくなるでしょ? だから、どういう関係って言えばいいのかなーって……」

 

「その結果が、『迷惑をかけてもいいやつ』って事なのか?」

 

島風は何も言わず頷いた。

何やらもじもじと手遊びをしている。

 

「仮にそうだとして、俺はお前の事、どういう関係だと思えばいいんだ?『迷惑をかけてくるやつ』か?」

 

「んー……。提督は……どう思う……?」

 

恐る恐る、俺の顔を見る島風。

この表情、どこかで――。

あぁ、そうだ。

明石がよく見せる表情だ。

何か、答えは分かっているのに、言わせようとするような――。

 

「うーん……。普通に、『友達』とか、そういうのでいいと思うのだが……」

 

その瞬間、島風の表情が、ぱっと明るくなった。

 

「友達! 提督、島風と友達になりたいの!?」

 

「え? あ、あぁ……それが一番しっくりくるというか……」

 

「そっかそっかー。えへへ、島風と友達になりたいんだー」

 

島風は足をパタパタさせると、嬉しそうに笑って見せた。

もしかして、俺に『友達』と言わせたかったのか?

……確かめてみるか。

 

「うぅん……。でも、やっぱり違うかな……」

 

「え……」

 

「友達って、お互いにそう認識し合うものだろう? 俺だけが友達だと思っているのは、違うかなって」

 

島風は明らかに動揺を見せた。

 

「で、でも……! 提督が島風の事を友達だと思っているのなら、私もそう思ってもいいかなって……思っているんだけど……」

 

「俺と友達になってくれるって事か?」

 

島風は、もじもじするだけで、答えようとはしなかった。

なるほどな……。

言わせようとしたのは、自分から言うのが恥ずかしかったから……ってことか。

 

「別に、恥ずかしがることでも無かろう」

 

「そんなんじゃないし……」

 

唇を尖らせる島風に、俺は初めて、親近感を覚えることが出来た。

なんだ、そういう表情も出来るんだな。

 

「俺は、お前が友達だったら嬉しいけどな。お前はどうなんだ?」

 

島風は俯き、黙り込んでしまった。

 

「……まぁ、別に答えなくてもいいよ。島を出ても、またたくさん、俺と遊んでくれよな」

 

そう言ってやると、島風は立ち上がり、顔を真っ赤にして、俺に向き合った。

 

「どうした?」

 

「わ……私も……」

 

「ん?」

 

「私も……! 提督と……友達になりたいっ……です……」

 

何故、敬語なんだ。

けど……。

 

「言えたな」

 

島風は恥ずかしいのか、そっぽを向いてしまった。

 

「そんなに恥ずかしい事じゃないよ」

 

「……だって、初めてだもん」

 

「え?」

 

「友達……。島風には……友達……居ないから……」

 

友達がいない……。

 

「でも、天津風や雪風が――」

 

その時、時計が鳴った。

 

「……時間だね」

 

陽が昇って来たのか、空が明るくなって行く。

 

「行こう、提督」

 

そう言うと、島風はニッと笑って見せた。

だがその笑顔は、どこか――。

 

 

 

浜辺には、既に天津風が来ていた。

 

「来たわね……」

 

「しれえ! おはようございます!」

 

「おう、おはよう。雪風も来ていたんだな」

 

「はい! 二人の勝負を見届けに来ました!」

 

俺と二人で話す時とは違い、雪風の声はでかかった。

 

「それにしても……」

 

俺は天津風に目を向けた。

 

「……なに?」

 

「いや……」

 

天津風の格好……。

あれも、戦時中に着ていたものなのだろうか。

島風ほどのインパクトはないが、変なカチューシャと吹流しのような髪飾り――なによりも、ガーターベルトらしきものが見えているが……。

本当、こいつらの格好は――。

当時の海軍は、一体何を考えているんだ……。

 

「天津風……」

 

島風が、真剣な表情で前へと出て来た。

 

「島風……」

 

二隻が睨み合う。

既に勝負は始まっているという事か。

――いや、70年以上前から、既に……。

 

「本気なのね……。これが……最後って……」

 

「うん……」

 

島風の返事を聞いた天津風は、どこか寂しそうな表情を見せていた。

 

「……分かったわ。これで最後なのだから、本気で戦ってあげる……。手を抜いたら、許さないから……」

 

「こっちの台詞だし……」

 

二隻は俺を見た。

準備万端って事だな。

 

「よし、じゃあ、始めようか」

 

 

 

浜辺に線を引くと、二隻はいつもの位置についた。

 

「ルールはいつも通りだ。ここからスタートして、遠くのあの岩にタッチ。先にこっちへ戻ってきた方が勝ちだ。いいな?」

 

「うん」

 

「分かっているわ」

 

島風と天津風は、互いに目を合わせると、小さく頷いた。

これが、70年以上も続いた勝負の最後だと思うと、こっちまで緊張してくる。

 

「じゃあ、合図、行くぞ」

 

二隻がスタート姿勢をとる。

雪風も、どこか緊張した面持ちで、勝負の行方を見守っていた。

 

「よーい……! どんっ!」

 

砂が舞うよりも、風が吹くよりも先に、二隻は俺の間を駆け抜けていった。

 

「うぉっ!?」

 

やっと砂が舞う。

二隻はあっという間に、小さくなっていた。

 

「なんか……いつもより速くねぇか!?」

 

「二人とも、本気みたいです……」

 

リードしているのは、島風のようにみえるが……。

 

「今、タッチしたみたいです!」

 

「え!?」

 

タッチした……ようであるが、全く見えない。

艦娘の視力は、一体どうなっているんだ……。

 

「あ!」

 

やがて、砂を巻き上げながら走ってくる島風が見えた。

そして、その表情が見えたと思った瞬間、島風は俺たちの横をすり抜けていった。

 

「な……!?」

 

なんという速さだ……。

これが、島風の本気……。

だとしたら、今まで俺たちが見て来たのは……。

遅れてゴールしたのは、天津風であった。

二隻とも、息を切らし、倒れ込んでいた。

 

「一瞬の戦い……だったな……」

 

「は、はい……」

 

俺と雪風は、ただただ感心するだけで、二隻に近づくことも出来なかった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

先に立ち上がったのは、島風であった。

 

「私の……はぁ……勝ち……!」

 

「はぁ……はぁ……分かっているわよ……」

 

俺と雪風は、無意識のうちに拍手をおくっていた。

 

「提督……雪風……」

 

「おめでとう、島風。凄い勝負だったぜ」

 

「おめでとうございます!」

 

「うへへ……ありがとう……」

 

島風は何故か、あまり嬉しそうではなかった。

 

「天津風……」

 

「はぁ……はぁ……なによ……?」

 

「勝負してくれて、ありがとう……」

 

「はぁ……はぁ……ん……」

 

二隻は握手を交わし、70年続いた勝負は、幕を閉じたのであった。

 

「…………」

 

 

 

天津風が動けないとのことであったので、島風と雪風には先に戻ってもらい、俺は天津風が回復するまで付き添う事になった。

 

「付き添うのが俺でよかったのか?」

 

「えぇ……。あなたとは、ちゃんと話をしておきたいと思っていたから……」

 

そう言うと、天津風は立ち上がり、近くにあった流木に座り込んだ。

 

「もしかして、最初から……?」

 

天津風は答えなかった。

それが答えだと分かって、俺はなんだか安心してしまった。

 

「そうか」

 

同じように流木に座る。

 

「して、話しておきたいことというのは?」

 

「……なんてことはないわ。ただ……謝りたくて……」

 

「え?」

 

「今日までずっと……あなたの事、避けて来たでしょ……? あなたがあたしを気にかけてくれていたのは知っていたし、あなたが優しい人だって、本当は分かっていたの……。でも……なんだか素直になれなくて……」

 

一度決めてしまったら、なかなか引き返せないタイプか。

敷波辺りに似ているかもな。

 

「でも、こうして話しかけてくれたのは、最後だからか?」

 

「それもあるけれど……。島を出たら、嫌でもお世話になる訳だし……」

 

「今の内に、仲良くしておこうという訳か。なるほど、策士だな」

 

それが嫌味に聞こえたのか、天津風は申し訳なさそうな表情を見せた。

 

「ああ、いや……そういう意味で言ったんじゃないぞ?」

 

「まだ何も言っていないのだけれど……」

 

今度はむすっとした表情を見せる天津風。

心を読まれた気がして、ムッとしたのだろう。

やっぱ、タイプが敷波に似ているな。

 

「……一つ訊いていいか?」

 

「なに……?」

 

「島風は何故、島を出る決意をしたんだ? そして、どうしてお前は、それに乗ったんだ?」

 

天津風は俯くと、黙り込んでしまった。

 

「天津風?」

 

「……あたしも知らない。島風が、どうして島を出ようと思ったのかなんて……」

 

「え?」

 

「あたしはただ、島風が島を出ることがあったら、それについていこうと決めていただけ……。だから、何がきっかけだったのかは知らない……」

 

そう言う天津風は、どこか寂しそうな表情を見せていた。

 

「ただ……」

 

「?」

 

「ただ……終わらせたかったって事だけは分かるの……。あたしとの勝負……。そして……この関係をね……」

 

 

 

遠くの海に、海軍の船が見える。

武蔵たちを迎える準備をしているようだ。

 

「終わらせたかった……というと……?」

 

「……勝負を見ていて気が付いたと思うのだけれど、今までやってきた勝負は、全部、お互いに手を抜いてきたの」

 

確かに、あんなスピードは見たことが無かったが……。

 

「島風はバレていないと思っているようだけれど、初めてあの子と勝負をした時に、ちゃんと全力を見ていたから、分かるのよね……」

 

「……しかし、どうしてそんな事を?」

 

「……初めて勝負をした時、あたし、凄いショックを受けちゃってね。二度と勝負なんてしない! って、あの子に言っちゃったのよ。多分、それがショックで、引き分けに持ち込もうと――いい勝負を演じようと始めたんじゃないかしら……。あたしはあの子のプロトタイプだったから、自分と似たような存在と勝負できることが、嬉しかったのだと思う……」

 

「なるほどな……。でも、お前もそれに付き合ってやったんだな。二度としない、なんて言った割には」

 

「……最初は、相手にしなかったわ。でも……あの子には姉妹艦がいなくて、いつも一人だったから……」

 

「可哀想に思えて、相手をしてやっていた……という訳か……」

 

天津風は反論しようと顔を上げたが、何も言えず、再び俯いてしまった。

 

「だが、段々と相手をしている内に、そんな事は思わなくなった。違うか?」

 

天津風は何も言わなかった。

 

「……お前も勝負を楽しんでいたんだな」

 

「……さぁね」

 

まるで風を読んだかのように、天津風の髪飾りが揺れた。

なるほど、ようやく話が見えて来たぜ。

 

「つまりお前は、島風がその勝負を終わらせる決意をしたことに、ショックを受けている……という訳だな」

 

「……分かっているのなら、口にしないで欲しかったわ。デリカシーのない人ね……」

 

「よく言われる」

 

天津風は俯くと、悲しそうな表情を見せた。

 

「どうして島風があんな事を言いだしたのかは分からない……。でも……もう……島風は、あたしの事……」

 

ライバルという関係……か……。

もしそうでなくなるとしたら、天津風と島風の関係は――。

俺はふと、島風の言葉を思い出していた。

 

『島を出たら、島風は艦娘じゃなくなるし、提督も提督じゃなくなるでしょ? だから、どういう関係って言えばいいのかなーって……』

 

『友達! 提督、島風と友達になりたいの!?』

 

『……だって、初めてだもん』

 

『島風には……友達……居ないから……』

 

「…………」

 

もしかして……。

 

「天津風」

 

「なに……?」

 

「お前は、島風の事をどう思っているんだ?」

 

「え……?」

 

「ただのライバルか?」

 

天津風は少し考えた後、やはり悲しそうな表情を見せた。

 

「言い方を変えようか。お前は、島風とどんな関係になりたいんだ?」

 

「あたしは……別に……」

 

「俺は、それが答えだと思うぞ。あいつが、どうして島を出ようと決意したのか……どうしてお前と勝負をしたのか……その理由のな……」

 

「どういうことよ……?」

 

「少し、自分で考えてみろ。まあ、もしかしたら、その答えを教えてくれるのは、あいつかも知れないがな」

 

俺は立ち上がり、天津風に手を伸ばした。

 

「そろそろ戻ろう。歩けるか?」

 

「……歩けるわ」

 

天津風は立ち上がると、俺をじっと見つめた。

 

「どうした?」

 

「……あなたって、あの人とは違うのね」

 

「あの人?」

 

「あなたのお父さんよ……」

 

親父か……。

 

「悪い意味で、か?」

 

「ううん……。いい意味で、よ。あの人は、確かにいい人ではあったのだけれど、あまりにも優しすぎたわ……。あたしは……優しさよりも……むしろ、あなたのような……」

 

天津風は、俺の手を取った。

 

「……島風がどうしてあなたに懐いたのか、よく分かったわ。島を出ても、あたしを……あたしたちを守ってくれるかしら?」

 

「あ、あぁ! 守ってみせるさ」

 

そう言ってやると、天津風はニコッと笑って見せた。

……正直、俺は困惑していた。

何がきっかけで――親父と何を比較して、俺をいいやつだと思ってくれたのか、よく分からなかったからだ。

結果オーライではあるのだろうけれど、天津風は俺に、一体何を見たのだろうか……。

 

 

 

寮に戻り、朝食を済ませた頃、泊地の方で汽笛が鳴った。

 

「来たようだな」

 

大淀が立ち上がる。

 

「皆さん、行きましょう」

 

 

 

泊地への足取りは、かなりゆっくりであった。

 

「島風、天津風、向こうに行っても元気でね!」

 

「うん」

 

「あなたたちもね」

 

「武蔵さん、皆さんの事は、私たちがしっかりと守りますから、安心してくださいね」

 

「あぁ、頼んだぞ」

 

皆、別れを惜しむというより、むしろ祝福していた。

島を出る決意を持った艦娘に対しては、悪い印象を持っていないと誰かが言っていたように思うが、本当のようだな。

 

 

 

泊地には相変わらず、旗を掲げた数名の海兵と、勲章を胸に携えた上官が、待ち受けていた。

そしてやはり、上官が一歩前に踏み出すと、俺に敬礼をしてみせた。

 

「……恐れ入るよ。まさか、こんな短期間に……」

 

『君の活躍に、敬意を表します』

 

以前はそう言っていたはずだが、思わず出た台詞なのだろう。

後ろの海兵たちが、困惑した表情を見せていた。

 

「私の力ではありません。彼女たちの『意思』です」

 

そう言うと、三隻は俺の横に並んだ。

その通りだとでも言うように。

 

「……なるほど。本当に恐れ入る……。雨宮慎二……。君が何と言おうとも、我々海軍は、君の活躍に敬意を表します。ありがとう……」

 

上官は敬礼ではなく、俺の手を強く、両手で握った。

俺は、その表情に、海軍としての誇りを見た。

 

「……ありがとうございます」

 

だからこそ、俺は、そう素直に返したのであった。

 

「では、そろそろ……」

 

その時であった。

 

「武蔵……」

 

前に出て来たのは、大和であった。

 

「大和」

 

大和は武蔵に近づくと、悲しそうな瞳で武蔵を見つめた。

 

「大和……」

 

武蔵は何も言わず、そのまま大和を抱きしめていた。

 

「武蔵……」

 

「すまない……大和……。だが……許してほしい……。私は、大和を裏切ったのではない……。ただ……」

 

「えぇ……分かっているわ……。私の方こそ……色々と押し付けてしまってごめんなさい……」

 

俺の知らないドラマが、二隻にはあるのだろう。

人を嫌う大和。

俺を追い出そうとした武蔵。

この二隻は、俺を追い出そうと家に来た時までは、よく一緒に居たと聞いている。

だが、武蔵が俺の味方になったことで、関係に亀裂が入ったのか、二隻が一緒に居ることはなくなっていた。

 

「大和、聞いてくれ……。人間を信じろとは言わない……。だが、お前はもう分かっているはずだ。信じられる人間も、この世にはいるのだという事を……」

 

大和は何も言わなかった。

武蔵もまた、俺の名前を口にすることはなかった。

それでも、二隻はよく分かっているようであった。

武蔵は離れると、俺に振り向き、優しく微笑んで見せた。

 

「……では、行こうか」

 

三隻は頷くと、船に乗り込んだ。

 

「島風ー! 天津風ー!」

 

「武蔵さーん!」

 

皆が手を振る。

その表情は、悲しいというよりも、どこか――。

 

「武蔵……!」

 

大和が叫ぶ。

 

「大和……」

 

「私……!」

 

「……あぁ! 必ず来い! また会おう!」

 

上官が出港を告げる。

海軍ラッパが鳴り響く。

 

「さようならー!」

 

「元気でねー!」

 

泊地を離れるに連れて、皆の声もまた、遠くなって行く。

二回目の経験ではあるが、何だか、こう――。

 

「……寂しいものだな」

 

俺の心を読んだかのように、武蔵はそう言った。

 

「なに、すぐに会える。俺が会わせてやるさ」

 

「あぁ……貴方なら、必ずそうしてくれるだろう……。だから、私は泣かないぞ……」

 

「いいんだぜ、泣いても。もう、我慢する必要もないんだ」

 

武蔵は驚いた表情を見せた後、俺の肩に頭を預け、ぽろぽろと涙を流した。

 

「今までよく頑張ったな……武蔵……。これからは、俺がお前を守る番だ」

 

「あぁ……。頼んだぞ……相棒……」

 

そう言うと、武蔵は俺の手を取り、指を絡めた。

初めて握ったあの手とは比べ物にならないほど、小さく、華奢な手に感じた。

 

 

 

船はゆっくりと、本土を目指す。

海兵たちは、辺りを警戒するように、双眼鏡を覗いていた。

 

「ねーねー、まだ着かないの?」

 

「もうちょっとかかるだろうよ。外に顔を出すなよ?」

 

「んー……」

 

島風は退屈そうに、足をバタつかせていた。

島を出てしばらく、三隻は姿を見られないようにと、船内に案内されていた。

 

「それよりもお前、いいのか?」

 

「え? 何が?」

 

「天津風だよ。勝負の後、一言も話していないんだろう?」

 

そう言ってやると、島風はもじもじとし出した。

 

「……本当は、言いたいことがあったんじゃないのか?」

 

図星なのか、島風は唇を尖らせた。

 

「本当は、天津風と友達になりたいんじゃないのか?」

 

そっぽを向く島風。

やはりそうか……。

 

「島を出ようとした理由……。最後の勝負を仕掛けた理由……。それは、天津風と、ライバルではなく、友達になりたいから……なんじゃないのか?」

 

「……そんなんじゃないし」

 

「だったら、どうして島を出ようと思ったんだ?」

 

島風は黙り込んでしまった。

 

「友達ってのは、隠し事無しなんだぜ。俺たち、友達だろ?」

 

そう言ってやると、島風は恥ずかしそうに、小さく頷いた。

 

「……話してみろよ」

 

「うん……」

 

島風は、一呼吸置いた後、事の経緯から話し始めた。

 

 

 

話を聞いた後、俺と島風は、天津風と武蔵のいる部屋の扉を叩いた。

 

「よう。今、時間あるか?」

 

「そりゃあるけど……」

 

「島風がお前に、話があるそうだ」

 

「え?」

 

島風は恥ずかしいのか、俯き、俺の後ろに隠れていた。

 

「提督よ、私は出ていった方がいいかな?」

 

「いや、お前にも関係がある話だ。そうだろ? 島風」

 

島風は頷くと、決意を固めたのか、ゆっくりと前へと出て来た。

 

「……なによ? 話って……」

 

「うん……」

 

島風は返事をしたが、すぐに黙り込んでしまった。

 

「島風」

 

俺は、島風の背中を押してやった。

島風は頷くと、天津風に向き直り、口を開いた。

 

「天津風……」

 

「な、なによ……。そんなに改まって……」

 

「私ね……その……」

 

様子のおかしい島風に、天津風は眉をひそめていた。

 

「私……天津風と……その……と、友達に……なりたくて……」

 

「え……」

 

一瞬の静寂。

 

「友達って……」

 

「……最初は、天津風の事、ただのライバルだって思ってた。でも……勝負をして行く内に……勝ちたいとか、負けたいとか、そういう気持じゃなくて、ただ、天津風と走りたいって……思うようになってた……」

 

天津風は何も言わず、ただじっと島風の言葉を待っていた。

 

「友達になりたいって思ってた……。でも……そんなの出来たことないし……つくり方も分からなかったし……。それに……私が友達になりたい……なんて言ったら……。もし……嫌だって言われたら……。もう、私とは勝負してくれないんじゃないかって思って……ずっと言えなかったの……」

 

俺は天津風に目を向けた。

天津風もまた、俺を見ていた。

俺が何を言わんとしているのか気が付いたようで、どこか後悔するような表情で俯いていた。

 

「勝負できなくなるのが怖かった……。天津風と関わる理由を失うのが怖かった……」

 

「島風……」

 

「でも……このままじゃいけないって教えてくれたのが……提督と武蔵さんだった……。提督と武蔵さんが戦って……あんなにも険悪だったのに……何故か二人はとても仲良くなっていて……。武蔵さんは提督の事、相棒って呼んだりしていて……。凄いと思った……。関係が壊れちゃうような事をしたはずなのに、どうして仲良くなれたんだろうって……。もしかしたら……私は……間違っていたのかなって……。だから……」

 

俯く島風。

天津風はため息をつくと、髪をいじりながら言った。

 

「じゃあ……なに……? 最後の勝負をしたのは……ライバルの関係をやめて、友達になる為だった……ってことなの……?」

 

頷く島風。

その姿を見て笑ったのは、俺と天津風であった。

 

「な、なんで笑うの!?」

 

「ごめんなさい。だって、なんだか、島風らしいと思ったから。それに、馬鹿馬鹿しくなっちゃって」

 

そう言うと、天津風は俺を見た。

そういうことなのね、とでも言いたげに。

 

「あーあ……そっか……。そうよね……。本当……悩んでいたのが馬鹿らしいわ……」

 

「悩む……?」

 

「えぇ……。あたしはてっきり……」

 

天津風は閉口すると、少しの間をつくった後、島風を見た。

 

「あたしも、島風と友達になりたいと思っていたわ。ずっとね」

 

微笑む天津風に、島風は喜びの表情を見せた後、涙を流し、天津風に抱きついていた。

 

「……本当、あたしたちって似ているわね。不器用なところも、そっくりだわ……」

 

ふと、武蔵が俺の袖を引いた。

 

「……あぁ、そうだな。二人っきりにしてやろうか」

 

俺たちはそっと部屋を出て、本土に着くまで二人っきりにしてやった。

 

 

 

本土が近づいてきたのか、汽笛が何度か鳴っていた。

 

「まさか、私と貴方の戦いが、あの二人の関係に影響していたとはな」

 

「全くだ。あれからもうずいぶん経つのにな」

 

武蔵は笑うと、思い出すかのように目を瞑った。

 

「友達……か……」

 

「考えたことも無かったか?」

 

「あぁ……。いても、戦友だ。あの二人の様にはな……」

 

そう言うと、武蔵は寂しそうな表情を見せた。

 

「……大和となら、そういう関係になれたのかもしれないがな」

 

大和……か……。

 

「そう言えば、貴方は大和に文通を持ちかけていたが、あれからどうなったんだ?」

 

「あぁ……」

 

あの日の後、俺は鳳翔から、大和の様子を聞いていた。

 

『大和ちゃん、私にも話してくれないんです……。でも、嫌だとかそう言う訳ではないようでした』

 

あれから大和は、いつも通りの態度を見せている。

文通の事に触れてくる様子も無いし、あの涙は一体――。

 

「ん……」

 

気が付くと、武蔵が俺に寄り添い、指を絡める様に手を握っていた。

 

「どうした?」

 

「いや、思いつめた表情をしていたものだから、癒してやろうと思って」

 

そう言うと武蔵は、ふにゃっとした笑顔を見せた。

まあ、確かに、大型犬に懐かれたようで、何だか――。

 

「大和の事は心配しなくてもいいさ。きっと、貴方なら――」

 

再び汽笛が鳴る。

エンジンが大きな唸り声をあげると、船は段々とスピードを落としていった。

部屋の扉がノックされる。

 

「失礼します! 間もなく、到着です! 下船の準備をお願いします!」

 

部屋の外で、海兵が叫ぶ。

入ってこないのは、入れないからなのか、それとも――。

 

「……行くか」

 

 

 

鹿島達の時と違い、情報漏洩対策なのか、船は屋根付きの工廠に停まった。

 

「お疲れ様でした。艦娘の三隻は、あのバスにお乗りください」

 

窓にスモークの貼られたバス。

その近くに、山風がいた。

 

「こちらです!」

 

バスへ近づくにつれ、島風と天津風は、何やら眉をひそめていた。

 

「どうした?」

 

「なんか……あの人……どこかで……」

 

「えぇ……。あの緑色の髪……」

 

武蔵は気が付いたのか、驚いた表情で俺を見た。

俺が頷いて見せると、再び山風に目を向け、唖然としていた。

 

「みんな、久しぶりだね」

 

山風が言う。

島風と天津風は、まだ分からないようで、フリーズしていた。

 

「あたしの事、分からない?」

 

二隻は不安そうに、俺を見た。

そろそろネタバラシしてやるか。

 

「あとは頼んでいいか? 山風」

 

「うん、任せて」

 

「え……山風って……」

 

二隻が顔を見合わせる。

そして、大きく息を吸うと――。

 

「「ええええええええええええええええええ!?」」

 

工廠に、二隻の声が響いた。

俺を含め、海軍全員が、それに笑顔を見せていた。

 

 

 

三隻と山風を乗せたバスを見送り、工廠の外に出てみると、鈴木が待ち構えていた。

 

「よう」

 

「鈴木」

 

「おめでとう。これで残りは二十隻か。やるな、お前」

 

そう言うと、鈴木は俺に握手を求めた。

 

「ありがとう。お前の方は、どうだった? 香取さんに告白したんだろ?」

 

「あぁ……まあな……。その話は後でしよう。上官がお前を呼んでいる」

 

「分かった。じゃあ、また夕方に」

 

「おう」

 

そう言って、俺は上官の待つ建物へと向かった。

鈴木の奴、何だか歯切れの悪い感じだったが、フラれてしまったのだろうか。

だとしたら、慰めの言葉でも考えておかなければな。

 

 

 

上官に挨拶を済ませ、鈴蘭寮へと向かう。

その道中、数名の海兵たちが、寮の敷地ギリギリのところで、中の様子を窺うようにウロついていた。

 

「あいつら……」

 

上官曰く、鹿島や陸奥を一目見ようと、集まっているらしい。

 

「お前ら、どこの所属だ? 休憩は終わっているはずだが?」

 

俺は海兵に近づき、そう話しかけた。

すると、海兵たちは驚いたのか、そそくさと逃げて行ってしまった。

 

「ったく……」

 

 

 

寮に入って行くと、卯月と皐月が出迎えてくれた。

 

「司令官!」

 

「おう。久しぶりだな。皆は?」

 

「こっちにいるぴょん! はやくはやく~!」

 

「おいおい、引っ張るな引っ張るな」

 

二人に引っ張られ、寮の共用スペースへ行くと、皆が集まっていた。

 

「提督さん!」

 

「よう。みんな、元気だったか?」

 

「えぇ、元気です! 司令官も、お元気そうで」

 

そう言うと、青葉は写真を一枚撮った。

 

「早速使っているんだな、それ」

 

「もちろんです! もうかなり撮ったので、あとでお見せしますね!」

 

それから一斉に、皆に話しかけられた。

それぞれ話したいことが山ほどあるらしく、俺は必死に対応していたのだが……。

 

「それでね?」

「司令官、これを見てください!」

「それで、告白されちゃってね?」

「あんたもそう思うわよね?」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! えーっと……」

 

流石に捌ききれなくなり、困った俺は、ふと、端っこに目を向けた。

するとそこには――。

 

「秋雲?」

 

声をかけてやると、秋雲は落ち込んだ様子で手を振って見せた。

 

「来ていたのか。どうした? そんなところで蹲って……」

 

「あー……まあ……なんていうかさ……秋雲さんにはここがお似合いっていうか……そっちは明るすぎるって言うか……」

 

何を言ってんだ?

 

「秋雲さん、ずっとあの調子なんです。提督さんがこっちに来ると聞いて、遊びに来たようなのですが……」

 

「秋雲、こっちに来たらどうなのよ? 私たちともお話しして欲しいわ」

 

「アッ……ッスゥゥゥ……ハイ……」

 

秋雲はノソノソと出てくると、申し訳なさそうに小さく座り込んだ。

 

「ども……。秋雲さんみたいな三十路で、BL描いてる腐れ処女、他にいますか……って、いねーか、はは……」

 

秋雲は何やらボソボソ呟くと、俺をチラリと見た。

 

「雨宮君さぁ……童貞とか……絶対嘘じゃん……」

 

「え?」

 

「だってさぁ……陸奥さんと鹿島さんさぁ……めっちゃ美人でさぁ……雨宮君の事さぁ……こんなにも好いている感じでさぁ……。こんなんさぁ……絶対ヤッてんじゃん……」

 

何言ってんだこいつ……。

 

「それにさ……秋雲さん……聞いちゃったんだ……。秋雲が必死こいてシコシコBL漫画描いてる時にさ……雨宮君は、山さんや大井さんとイチャコラしてたんでしょ……? しかも、陸奥さんも皆も、プレゼントをもらったって……」

 

「イチャコラって……」

 

「秋雲さんも欲しい欲しい欲しい! 雨宮君からのプレゼント! 童貞!」

 

「ちょ、おま……!」

 

赤面したのは、陸奥と鹿島であった。

大井は何も言わず、ただ駆逐艦たちを別室へと避難させていた。

去り際、望月が「やべぇ奴じゃん……」と呟いていた。

青葉は、秋雲が暴れる様子を撮影していた。

 

「落ち着けよ秋雲……。皆引いているぞ」

 

「落ち着いてられないよ! だっでぇ……うぅぅ……せっかく秋雲さんにも春が来たと思ったのにぃ……。相手がこのドスケベな二人だなんて……あァァっんまりだァァァァ……!」

 

ドスケベって……。

 

「あ、でも、よくよく考えたら、鹿島さんと陸奥さんが外に出たら、金髪ガングロイケメソが、股間のマスターボールでゲットだぜ! するだろうから、結局雨宮君は秋雲さんのものになる可能性が微粒子レベルで存在している……ってコト!?」

 

秋雲は急に元気になると、陸奥と鹿島にすり寄った。

 

「そっかそっか……。まあまあ、お二人さん。今は雨宮君の事が好きかもしれませんがねぇ……。それはまあ、娘が父親と結婚するって言っているような、狭い世界での話なんですよ、えぇ。世の中には、お二人にお似合いの男がわんさかいましてねぇ……。あ、参考までに、秋雲さんの本はいかが? こういう世界もあるんですよぉ。世界は広いでしょ~う?」

 

本当、こいつは……。

しかしまあ、秋雲の言っていることは正しい。

(金髪ガングロイケメソかどうかは知らないが)外の世界に出たら、きっと、鹿島と陸奥は――。

 

「まあ、そういう事だから、雨宮君もあまり勘違いしない様にっ! お姉さんとの約束だゾ!」

 

「あぁ、分かっているよ。だから、あんまりウザ絡みすんなよな」

 

ふと、陸奥と鹿島に目を向けると、二人とも、何やら俺を見ていた。

 

「どうした?」

 

「い、いえ……。その……私は……外の世界を知ったとしても、提督さんを好きでいる自信があると……思っているのですけれど……」

 

「え……」

 

声を漏らしたのは、秋雲であった。

 

「あら、先に言われちゃったわね。私もよ、提督。だから、安心してね」

 

「あ、青葉も! 青葉も同じ……だったり……する……かもです……。はい……」

 

「お前ら……」

 

その気持ちは、素直に嬉しい。

だが、嬉しいと思う反面、それが実現されなかった時のダメージを想像してしまう自分がいた。

 

「秋雲」

 

声をかけたのは――いつの間に出て来たのか――望月であった。

 

「望月先生……!! 恋愛がしたいです……」

 

「あきらめろ。試合は終了だ」

 

何やらノリのいい望月。

秋雲と仲が良いのだろうか。

 

「ま、安心しろよ司令官。こいつ(秋雲)の言う通りになったとしても……あぁいや……秋雲と結ばれるのは無いものとして……もし司令官が独りになっても、あたしが傍に居てやるよ」

 

「ボクも!」

 

「うーちゃんもだぴょん!」

 

大井も同じなのか、何も言わず、ただ恥ずかしそうにしていた。

 

「そうか……。なら、安心だな」

 

別に不安になっていた訳じゃないのだが――いや、違うな。

俺は、好きなんだ。

こいつらの事が。

だからこそ、俺は――。

 

「そっか……。じゃあせめて、秋雲さんの処女は貰って? 秋雲さんの処女と雨宮君の童貞を通信ケーブルで交換しよう? 交換すると、童貞はヤリチンに進化するし、処女はヤリm――」

 

秋雲は、大井に殴られ、大人しくなった。

 

 

 

結局、秋雲に童貞をやるわけにはいかず(というか、童貞を通信ケーブルで交換ってなんだよ)、甘やかすことで手を打たせた。

 

「これでいいのか?」

 

「あ^~、こうげきが二段階さがる^~」

 

「お前が下がるのかよ……」

 

望月のツッコミなど気にもせず、秋雲はべっとりと俺に引っ付いていた。

 

「秋雲ったら、まるで子供みたいね」

 

「そんなんだからモテねーんだよ」

 

「今の秋雲さんは赤ちゃんだから。赤ちゃんなら何でも許されるから」

 

秋雲は真顔で答えると、再び甘えだした。

疲れてんのかな、こいつ……。

 

「秋雲さんが赤ちゃんなら、鹿島は提督さんの奥さん役になりましょう。よしよし」

 

何故かノリノリの鹿島。

秋雲は一瞬で赤ちゃんと化し、鹿島にも甘えていた。

 

「ねぇ……外に出るとああなっちゃうわけ……? キモイったら……」

 

「まあ……秋雲の言う通り、世界は広いからな……」

 

大井は終始、秋雲を冷ややかな目で見つめていた。

 

 

 

そんな事でワチャワチャしている内に、島へ帰る時間になってしまった。

 

「もう帰るのかよ……?」

 

「あぁ、悪いな、望月」

 

「秋雲のせいで、全然話せなかったじゃねーか……」

 

まだ甘えたい気持ちがあるのか、望月は本当に残念そうな表情を見せていた。

 

「まぁ、また近いうちに来るから、その時にでも話そう。今はこれくらいで勘弁してくれ」

 

そう言って撫でてやると、望月は恥ずかしそうに頷いて見せた。

 

「提督さん、私と二人っきりになる約束も、忘れちゃ駄目ですからね?」

 

「約束したつもりはないのだが……。分かったよ」

 

別れ際、皆も同じように、何かしらの約束を俺に求めて来た。

 

「小指が攣りそうだ」

 

遅れて来た山風にも挨拶を済ませ、鈴木の待つ船に乗り込んだ。

 

 

 

鈴木は缶コーヒーを俺に渡すと、途中で船を停めた。

 

「それで? 香取さんとはどうなったんだ?」

 

「あぁ……なんつーか……はぐらかされた」

 

「はぐらかされた?」

 

「あぁ。なんか、俺に申し訳ないとかなんとか。香取は、自分が穢れた人間だと思っているらしくてさ、そんな穢れたものを差し出す訳にはいかないとかなんとか……」

 

穢れ……。

 

「そんなことはないとか、俺も似たようなもんだとか言ってみたんだが、香取は、まるで冗談でも聞いているかのように笑うだけで、相手にしてくれなかった……」

 

「だが、フラれたわけでも無いのだろう?」

 

「どうだろうな……。本気にしていないだけなのか、本気だと分かった上で、はっきりと断るのも悪いと思って、あえてああいう態度をとったのかもしれないしな……」

 

珍しく落ち込む鈴木。

女にフラれても、すぐに立ち直るのが、いつものこいつなのだか……。

 

「本気なんだな」

 

「あぁ……。だが……中々伝わらねぇもんだな……。今まで付き合って来た女ってのは、俺が本気でないからこそ、相手も遊び感覚でOKしてくれていたんだろうなってさ……。お前に偉そうなことを言ってしまったが、本気の恋愛という事であれば、俺はお前より経験がない男になるのだろうな」

 

俺はあえて何も言わなかった。

本気の恋愛を俺自身がしたかどうか、よく分かっていなかったからだ。

山風の事だって、本気であれば、今頃俺は――。

 

「ま、そんな感じだ……。諦めるつもりはないが、正直、かなり落ち込んでいる。距離が近づいてきていたと思っていたからこそ、尚更な……」

 

「……そうか」

 

コーヒーを飲み干す。

何か、慰めの言葉でもと思ったが、何も思いつかなかった。

フラれてくれていた方が、もっと揶揄ったりできたのだろうがな。

 

「なあ、慎二……」

 

「ん?」

 

「お前だったらさ……香取に……なんて言葉をかけてやった……?」

 

俺の目を見るわけでも無く、鈴木はただ、水平線の向こうに沈まんとしている、夕日を見つめていた。

 

「……俺の意見なんて、参考にならないだろうに」

 

「それでも、知りたいんだ……。あの時、なんて言えば良かったのか、少しでも、考えていたいんだ……」

 

そんな事を考えたところで、もう――。

だが、それがこいつの慰めになるのであれば――。

――いや。

 

「……そうだな。俺だったら……うん……お前と同じことをしていたと思うぜ」

 

「……そういう慰めはいらねぇよ」

 

「そうじゃない。大事なのは、済んだことではなく、これからだろう。これからの事を考えろよって話だ。お前が諦めきれないというのなら、そのままでいいじゃないか。諦めずに進んでいけば、必ず香取さんは気が付いてくれるよ。お前の本気に」

 

「気が付いたところで、フラれたらどうする……? それに、厄介がられでもしたら……」

 

「その時はその時だ。怖いなら手を引けばいい。そう出来ないから、悩んでいるのだろう?」

 

俺は何故か、大和の背中を思っていた。

 

「俺たちは、なんでもこなせるほど、立派な人間じゃないはずだ。だったら、出来ることを精一杯やるだけだろ。変に演じようとするから、却って悪くなるんじゃないのか?」

 

俺が何を言いたいのか、鈴木はよく分かっているようであった。

鈴木はコーヒーを飲み干すと、船のエンジンをかけた。

 

「吹っ切れたか? 相棒」

 

「あぁ……。ありがとよ……相棒……」

 

そこから先は、もう言葉はいらなかった。

船は停まることなく、ただまっすぐに、目的地へと走りだしていた。

 

 

 

島に着き、寮へ向かうと、門の前に人影が在るのに気が付いた。

近づいてみると、そいつは――

 

「大和……?」

 

大和は俺を一瞥すると、何も言わず、ただノートを俺に渡した。

それは、俺が文通の為に渡したノートであった。

ノートを受け取り、中を見てみると――。

 

「…………」

 

俺は大和に目を向けた。

俺の反応を見るようにして、大和は俺をじっと見つめていた。

だが、その瞳には――いつか、大淀が俺に親父を見ていたように、そこに俺は――。

俺は何も言わず、ノートを手に、寮へと戻った。

背中越しに、大和が俺を――いや、俺の影に居る誰かを、じっと、寂しそうに見つめているのを感じながら。

 

 

 

寮に入ると、何やら食堂の方が騒がしくなっていた。

 

「なんだ?」

 

食堂へ行ってみると、皆が輪になって、何かを見ているようであった。

 

「あ、提督……」

 

困った表情で、鳳翔が迎えてくれた。

 

「どうした? 何を集まっているんだ……」

 

「それが……」

 

その時、輪が割れて、誰かが出て来た。

そいつは――。

 

「鈴谷」

 

鈴谷は俺を見つけると、俺の腕を引き、抱きついた。

 

「な……!?」

 

その行動に、その場にいた全員が驚いていた。

だが、一隻だけ――そいつだけは、その行動を、どこか険しい表情で見つめていた。

そして、皆が注目する中、鈴谷は叫んだ。

 

「鈴谷……提督と結婚しちゃうから……!」

 

年明け早々――武蔵たちが居なくなって早々に、問題が発生した。

 

 

 

 

 

 

残り――23隻

 

――続く



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18話

理解されなくてもいい。

同情もいらない。

ただ、そこにアナタがいてさえくれれば、何も――。

アナタだって、同じ気持ちだったはず。

なのに――

 

「――思うんだ。あの人なら、きっと、この関係を理解して、守ってくれるんじゃないかって……。だからさ――」

 

どうして――どうしてそんな事を言うの……?

どうして、あの男なんかの事を信用するの……?

どうして――……

 

「どうしてなのよ……? 鈴谷……」

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「事情を聴く前に、言いたいことがある……」

 

執務室に招かれた鈴谷は、何やら申し訳なさそうに小さくなっていた。

 

「どうしてお前らがいるんだよ?」

 

その後ろ、真剣な表情で座っているのは、夕張と明石であった。

 

「どうもこうも、気になるじゃない。鈴谷さんがどうして、貴方の事を好きになったんだろうって。いつの間にそんな関係に?」

 

明石も同じなのか、何度も頷いていた。

 

「……お前らも同じなのか? 大淀、鳳翔……」

 

そう言ってやると、少しだけ開いていた入口のドアが大きく開き、観念したように二隻が顔を出した。

 

「こうも大勢いては、鈴谷が話しにくいだろう……。全員出ていけ……」

 

そうは言っても、夕張と明石だけは、根を張ったかのように動かなかった。

こういう時、武蔵がいてくれれば、こいつらを引っぺがして、連れて行ってくれるのだがな……。

そんな事を思っていると、山城がやってきて、夕張だけを引っぺがしていった。

 

「悪いな、山城」

 

山城は何か返すわけでも無く、無言のまま去って行った。

 

「さて……?」

 

明石に目を向ける。

 

「わ、分かりましたよ……。でも……どうして気になるのか……少しは察してくださいね……?」

 

明石は舌を出して見せると、部屋を出ていった。

透かさず、部屋の扉に鍵をかける。

その瞬間、鈴谷がビクッと反応を見せていた。

 

「別に、襲いやしないよ」

 

今の反応……。

 

「それで……? 何があった? よもや本気だという訳でもなかろうに……」

 

「うん……。ごめんなさい……。つい……カッとなって……」

 

鈴谷とこうしてちゃんと話をするのは、初めての事であった。

何隻も島から出しているのに、まだまともに会話すらしたことがない艦娘がいるとは。

 

「なにやら熊野と揉めていたようだが……」

 

そう言ってやると、鈴谷は黙り込んでしまった。

熊野……。

いつも鈴谷と一緒に居て、俺に敵意むき出しだった奴だ。

初期の大和や武蔵ほどではないにしろ、どこか、ゴミを見るような――そんな目をしていた。

 

「熊野と喧嘩でもしたのか?」

 

いつまでも黙っているので、誘導するように訊いてやる。

正直、鈴谷についてはよく分かっていない。

吹雪さんのノートにも、明るい性格で――程度の情報しかなかったし、親父と仲が良かった訳でもなさそうだった。

 

「……日を改めてもいいぜ。気持ちの整理も必要だろ」

 

そう言ってやると、鈴谷は顔を上げ、やっと俺を見た。

 

「……話してくれるか?」

 

鈴谷は頷くと、ポツリポツリと話し始めた。

 

 

 

翌朝。

俺は家で、大和から受け取ったノートを見ていた。

 

『庭に、ウメの花が咲いておりました』

 

大和からは、以上であった。

庭に、ウメの花……か……。

これは一体、何を指しているのだろうか……。

縁側に座り、庭に目を向ける。

確かに、ウメの花は咲いているようだが……。

 

「庭に……ウメの花……」

 

ウメの花言葉には、確か、忠実だとか高潔だとか、そんな意味があったような……。

……いや、そこまで深い意味がある訳ではないのかもしれない。

何も書くことがなく、ただ、見た風景を書いただけで――。

 

「司令官」

 

声の方を向いてみると、敷波がこちらを覗き込んでいた。

 

「おう、おはよう。どうした? こんな朝早くから……?」

 

「おはよ。ちょっと、散歩でもと思ってさ。司令官は何しているの?」

 

「ん……あぁ、なんでも。散歩だな。分かった。着替えてくるから、ちょっと待ってろ」

 

「うん」

 

ノートを仕舞い、着替えに向かう。

文通の返事は、とりあえず後で考えよう。

昨日の事もあって、一旦落ち着きたいしな。

 

 

 

海辺に出ると、敷波はそっと、俺の手を握って来た。

 

「どうした? 散歩に誘ってくるなんて」

 

「うん……。最近さ……司令官、なんだか忙しそうだったじゃん? なかなかこうして、二人で一緒に過ごせなかったからさ……」

 

ミトンに包まれる敷波の手は、それでもやはり小さく感じた。

 

「フッ、やけに素直じゃないか。前は、察してくれとでも言うように頬を膨らませていたのに」

 

赤くなった頬を突いてやると、敷波はムッとした表情を見せた。

 

「面倒くさい女だと思われたくないし……。そういう駆け引きが出来るほど、アタシは大人じゃないからさ……」

 

「へぇ……」

 

以前は夕張のように――しかし、これまた夕張のように、何やら悟ったようだな。

 

「艦娘は成長しないと聞いていたが、どうやらその考えも改めなければいけないらしい」

 

「元からこういう感じだったのかもよ?」

 

「それはないな」

 

そう言ってやると、敷波はそっぽを向いてしまった。

こういうところは、まだまだ子供っぽいのだがな。

 

『雪風は、大人ですよ?』

 

成長……か……。

 

「司令官?」

 

「ん、なんでもない。それにしても、そうか……。大人になってしまったのなら、こうして手を繋ぐのも、何だかこっぱずかしくなってくるな……」

 

そう言って手をはなそうとすると、敷波はより一層強い力で、握りなおした。

 

「そういうのも効かないから。アタシは響ちゃんみたいに、簡単に離れたりはしないから」

 

為て遣ったり、という表情の敷波に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「参りました」

 

「んふふ~」

 

 

 

どれくらい歩いただろうか。

会話に夢中で、あまり来たことがない場所まで来てしまった。

 

「こっちの方は、来たことが無かったな」

 

「夏によく来る場所なんだ。ほら、あそこ、入り江みたいになっているでしょ? あそこなら、水着でいても外からは見られないんだ」

 

なるほど。

出向した人間がいないとはいえ、一応監視はされているしな。

 

「夏になったら、ここもにぎやかになるわけか」

 

「その前に、司令官が全員、島から出してしまうかもしれないけどね」

 

「そうだといいのだがな」

 

敷波は手を離すと、岩場にちょこんと座った。

俺も、同じように。

 

「司令官、今度は鈴谷さんを攻略するの?」

 

「攻略ってお前……」

 

「攻略じゃん。鈴谷さん、司令官と結婚するとか言ってたけど……いつの間に仲良くなったの……?」

 

「いや……」

 

どう説明するべきか……。

この事は、当分、俺と鈴谷だけの秘密にしておきたいのだがな……。

そうでなければ……。

 

「なんか……ずっと俺の事が好きだったみたいだ。一目惚れだったとかなんとか……」

 

「ふぅん……」

 

何やら疑いの目を向ける敷波。

だが、すぐに視線を海に向けた。

 

「まあ、いいけどさ……。それにしても司令官……本当にモテるよね……。案外、島の外に恋人の一人や二人、いるんじゃないの……?」

 

「いたらここには居ないさ」

 

「でも、これからは分からないじゃん。陸奥さんも鹿島さんも、外にいる訳だし……」

 

俺はそれに、何も言えなかった。

 

「アタシもさ……島を出てもいいとは思っているんだよ……?」

 

「え?」

 

「でも……出る時は……司令官と一緒がいいんだ……。アタシはあの時、『司令官』と一緒に、島を出ることが出来なかったから……」

 

親父の事か……。

 

「そういやお前は、親父と仲良くなれなかったんだったな」

 

「正確には、素直になれなかっただけ……。でも、今はそうじゃない……。アタシは今、こうして、大好きな人の隣にいる……。昔のアタシじゃない……」

 

敷波は俺を、じっと見つめた。

 

「アタシ……司令官が大好きだよ……」

 

それは、親父に言う筈の言葉だった。

だが、そうではないとでも言うように、敷波はもう一度、言った。

 

「司令官が大好き……。貴方が……大好き……」

 

「敷波……」

 

敷波は岩場からとんでみせると、少し寂しそうに笑って見せた。

 

「安心して。これは恋じゃないから。恋だとしても、アタシに司令官はもったいないよ」

 

俺が足りない男であったのなら、敷波はどう答えていたのだろうか。

 

「……そうか」

 

俺は、そう言うしかなかった。

 

「でも――」

 

敷波は近づくと、赤くなった鼻先を、俺の鼻先に、ちょんとくっつけた。

 

「アタシの勇気に……ご褒美をちょうだい……?」

 

そして、軽くキスをすると、今度は顔を真っ赤にして、俯いてしまった。

俺は唖然として、何も言えなかった。

永い沈黙が続く。

 

「……何か言ってよ」

 

「いや……そうだな……」

 

俺は鼻先を掻いてから、敷波と同じような、少し寂しい笑顔を見せて、言った。

 

「俺がもっと足りない男であったのなら――そう思ってしまったよ」

 

それが正解の答えだったかは分からないが、敷波はどこか、嬉しいとも恥ずかしいともとれるような、微笑みを見せていた。

 

 

 

敷波と共に寮へと向かう。

その道中、気が付いたことがあった。

 

「ん……」

 

「どうしたの、司令官?」

 

「いや、あんなところにサザンカなんて咲いていたかなと」

 

「あぁ、うん。昔、誰かが植えたんだ。誰だったか、もう忘れちゃったけど……。この島には、外から持ち込まれた植物がたくさんあるんだよ。管理が難しくて、枯れちゃったのもあるけど……。司令官の家にも、ウメが植えられているでしょ?」

 

ウメ……。

 

「あ、あぁ……」

 

「アタシ、初めて見たんだ。ウメの花。ほら、司令官の家って、入ったことなかったからさ」

 

初めて見た……?

 

「ちょっと待て……。ウメの木って、俺の家にしかないのか?」

 

「うん。そうだよ。サザンカもあそこだけだし」

 

『庭に、ウメの花が咲いておりました』

 

なるほど……そういうことか……。

いや……意味は分かっても、真意は分からないのだが……。

とにかく……なるほど……。

 

「悪い、敷波。先に寮へ行っててくれ。ちょっと用事を思い出した」

 

「え? あ、し、司令官!?」

 

 

 

俺は家に戻り、筆を執った。

しかし……。

 

「…………」

 

意味が分かった今、返事を書けると思っていたのだが……。

 

「だからなんだってんだ……?」

 

ウメが咲いていた。

ウメは、俺の家にしか咲かない。

つまり、大和が俺の家に来ていたという事なのだが……。

 

「何故、わざわざそんな事を書いたんだ……?」

 

俺は、ウメの木が見える縁側に座った。

つまり、大和はこの場所でウメを見ていたという事だと思うのだが……。

 

「ウメの花……ウメの花……」

 

目を瞑り、大和がここに座っている状況を想像した。

俺がいない間に、ここに来ていたのだろうか。

そして、ウメの木を見つけ、花が咲いていることに気が付いて……。

俺は目を開け、ウメの木に近づいた。

大和もきっと、こうしてウメの木に近づき、花を見たはずだ。

 

『アタシ、初めて見たんだ。ウメの花』

 

大和も同じだったのだろうか。

 

「…………」

 

もしかして……。

 

「……なるほどな。そういうことか……」

 

大和がどうして、俺に無言でノートを渡したのか。

そして、どうしてウメの花が咲いたなどと書いたのか。

もし、俺の考えが間違いでなければ……。

 

 

 

寮に入ると、皆は既に、食堂に集まっているようであった。

 

「直接は渡せないよな……」

 

俺は大和の部屋へ行き、大和に分かるよう、ノートを置いてやった。

 

「お前の真意がそうであるのなら、きっと、分かってくれるはずだ……」

 

 

 

「提督!」

 

食堂に入り、声をかけて来たのは、鈴谷であった。

 

「待ってたよ! こっちこっち! 鈴谷の隣!」

 

鈴谷の隣には、俺の食事が配膳されていた。

 

「なんだってお前なんぞの隣に……」

 

「いいじゃん! 提督と一緒に食べたいし! ね?」

 

そう言うと、鈴谷は俺の手を取り、隣に座らせた。

その光景に、誰もが皆、驚いた表情を見せていた。

ただ一隻を除いて……。

 

「え、えーっと……。皆さん、集まりましたね……。それでは、いただきます」

 

疎らな「いただきます」と共に、重たい視線が、俺たちを貫いた。

 

 

 

朝食は、いつもの明るい雰囲気とは打って変わり、何やら静かに行われていた。

というのも……。

 

「提督って、目玉焼きには醤油派?」

 

「あぁ、そうだが……」

 

「鈴谷も一緒! めっちゃ気が合うじゃん!」

 

「んな小さなことで……」

 

皆、俺と鈴谷の会話に、聞き耳を立てているようであった。

 

「あ、提督、それ食べないの? 鈴谷が貰ってあげる」

 

「あ、お前……! それは最後に食べようと……!」

 

「あれ? 提督って、最後に食べたいもの食べる系? ごめんごめん。はい、鈴谷の食べかけだけど……」

 

「んなもんいるか!」

 

俺はチラリと、熊野の方を見た。

熊野はこちらを気にもせず――いや、却って気になっているようにも見えた。

まあ、いずれにせよだ。

お前の反応がどうであれ、外堀は勝手に埋まっていくぞ。

 

「お二人とも、随分仲が良さそうね」

 

ほら来た……。

 

「どこが良さそうなんだ……」

 

「良さそうじゃない。いつの間に仲良くなったの?」

 

そう言うと、夕張はチラリと鈴谷を見た。

 

「夕張さん、鈴谷たちの邪魔しないでくんない? ここは鈴谷と提督だけのラブラブ空間なんですけど?」

 

「ラブラブ空間って……お前……」

 

「別にいいじゃない。ね? 提督?」

 

「どっちでも構わん……」

 

すると、予想通り、夕張はドカッと座って見せた。

山城に慰められていた頃であれば、こんな事はしないはずだったが、やはりというか、本当に――。

 

「まあいいけど。鈴谷たちの邪魔、しないでよね?」

 

「邪魔はしないわ。私はただ、知りたいだけよ。どうして急に、鈴谷さんが提督に懐いているのか、ってことをね。寮に迎えるかどうかの投票だって、鈴谷さんは反対に入れていたはずでしょう?」

 

「うわ……。そんな昔のことまで引っ張り出すんだ……。ラブ・ストーリーは突然にって言うじゃん。鈴谷はただ、提督のかっこよさに目覚めただけ。そんだけ。理由は分かったっしょ? だったら、さっさと行ってよ」

 

「この人の『どの部分』がかっこいいと?」

 

険悪な雰囲気の二隻。

こうなると分かっていたとはいえ、ここまで空気が悪くなるとはな……。

 

「お二人とも! そこまでです!」

 

止めに入ったのは、鳳翔であった。

 

「そんなに大きな声で喧嘩をなされては、皆さんの迷惑です! 提督だって、困っているじゃありませんか!」

 

まあ、困ってはいたが……。

それは、鳳翔の言う意味とは別の意味で、なのだがな……。

 

「鈴谷はただ、提督との食事を楽しんでいただけだし……」

 

「そうかもしれませんが、少し騒ぎ過ぎです……。夕張さんも、食事中に席を移動するなんて、はしたないですよ……?」

 

夕張はムッとした表情を見せたが、すぐに謝り、元の席へと戻っていった。

 

「提督も、黙っていないで、少しは注意してくださいね……?」

 

「注意して聞くような奴らじゃないだろ。騒がしくさせたのは申し訳ないが、これも一種の交流だ。大目に見てくれるとありがたいぜ」

 

そう言ってやると、今度は鳳翔がムッとした表情を見せた。

せっかく助けてやったのに、といった具合か。

 

「流石提督! 懐が四次元ポケット並みにでかいじゃん!」

 

「それは『でかい』で表現していいものなのか?」

 

 

 

結局、鈴谷は最後まで騒がしかった。

 

「じゃあね! 提督!」

 

鈴谷は俺にウィンクして見せると、俺の反応を待った。

 

「あぁ、じゃあな。永遠にな」

 

俺は困ったとでも言うように、右眉を掻いて見せると、鈴谷は嬉しそうにして、食堂を後にした。

 

「さて……」

 

待ち受けていたのは、夕張と明石、鳳翔であった。

 

「どういうことか、説明してくれるわよね?」

 

「どういうこと、というのは?」

 

「昨日の事よ。鈴谷さんと、何を話したの?」

 

鈴谷に煽られ、ムキになっているのか、夕張はやたらと突っかかって来た。

普段のこいつなら、こんなにムキになることはせず、もうちょっと冷静に様子を見ることが出来たはずなのだろうがな。

吹っ切れた分、落ち込む前の性格が出てしまっているな。

明石辺りが……と思っていたが、こいつはこいつで……。

 

「別に、これといって。そもそも、どうしてお前たちに話さなきゃいけないんだ?」

 

これには鳳翔が反論した。

 

「このままでは、また同じことが起きます。夕張さんでなくとも、他の方も気になっていることですから、はっきりさせた方がよいかと……」

 

明石はやはり、何度も頷くだけであった。

お前の意見は無いのか……。

しかし、ここで何も言わないのも、少し変かもしれないな……。

ちょっとは真実を教えてやろう。

 

「……昨日、あいつと話したのは、熊野との喧嘩の件だ。お前らも知っての通り、熊野と鈴谷は喧嘩をしていた。原因は、鈴谷が俺の事を好きだと言ったせいだとかなんとか」

 

まあ、これは嘘ではない。

喧嘩の原因は、どうやら俺にあったらしい。

 

「それで、意地になった鈴谷が、俺と結婚すると叫んだ。それで、鈴谷は吹っ切れたようで、俺へのアピールを抑え無くなったらしい。好きになった理由はよく分からん」

 

まあ、納得しないだろうな。

しかし、これでこいつらが本当の事を訊く理由は無くなった。

――が、念には念を入れておくか。

 

「迷惑しているように見えるかもしれないが、これはこれで一つの交流方法だと思っている。あいつの真意が知りたいんだ。迷惑をかけるが、邪魔はしないでほしい」

 

そう言われ、明石と鳳翔は一歩引いたように見えた。

あとは……。

 

「……そう。納得はしていないけれど、まあ分かったわ。じゃあ、私も協力する。邪魔しない程度に」

 

夕張は引かない姿勢を見せた。

――あぁ、分かっていたさ。

そう来ることはな。

だからこそ――いや、少し気は引けるが――それでも、俺は悪役になるぜ。

 

「ダメだ。お前は邪魔にしかならない。現に、交流の邪魔をしただろう」

 

「それは、理由を知らなかったからで……」

 

「また、同じことを繰り返すのか?」

 

俺は厳しい目で、夕張を睨んだ。

夕張は一瞬、悲しそうな表情を見せたが、すぐに俺を睨み返した。

 

「言ったはずよ……。もう、突き放しても無駄だって……」

 

「……そうかよ」

 

俺は席を立ち、三隻を一顧だにすることなく、食堂を出ていった。

 

 

 

執務室に行くと、大淀が座っていた。

 

「お疲れ様です」

 

「あぁ。何か用事か?」

 

「いえ。一難去ってまた一難、だと思いまして」

 

そう言うと、大淀はコーヒーを淹れてくれた。

 

「悪いな」

 

「いえ。それよりも、また大変な事をなさっていますね」

 

大淀の細い目が、俺を見つめていた。

 

「なにが言いたい?」

 

「鈴谷さんの件ですよ。何か、あるのでしょう?」

 

俺が答えないでいると、大淀はクスリと笑って見せた。

 

「言わなくてもいいです。『今回は』そういう事なのでしょうから」

 

吸い込まれそうなほど綺麗な瞳の中に、どこか弱弱しい俺が映っていた。

 

「貴方が悪役でも、私は貴方の味方ですから」

 

コーヒーの香りが、部屋中を包み込んでゆく。

落ち着くようで――しかし、どこか忙しないようで――。

 

「悪役なんだぜ……。お前もしっかり、演じたらどうなんだ……?」

 

「だとしたら、大淀も悪役側がいいのです」

 

俺はとうとう参ってしまい、思わず笑ってしまった。

 

「お前が怖いよ」

 

「なのに、笑っているのですね」

 

「怖すぎて笑ってしまう事、あるだろう?」

 

「私には、安心したように見えましたけれど」

 

「……そうかよ」

 

コーヒーを飲み干し、カップを置いた。

 

「悪役でも、私にとっては役得なんですよ」

 

「それには動揺しないぜ」

 

「あら、残念」

 

俺と大淀は、思わず笑ってしまっていた。

 

「いつも悪いな……。大淀」

 

「いえ。これが私の仕事ですから」

 

夕張達に対する罪悪感が、少しだけ、薄れた気がした。

 

 

 

それから数日間、鈴谷は隙あらば、俺に突っかかるようになっていた。

 

「提督ー! 鈴谷とゲームしよう?」

 

「またか? まあ、いいぜ」

 

日に日に、満更でもなさそうな態度をとるようになって行く俺に、誰かがポツリと零した。

 

「司令官と鈴谷さん、最近仲いいわよね。もしかして、このまま鈴谷さんが……?」

 

それを聞いていた夕張が、俺たちにわざと聞こえるような大きな声で、反論していた。

 

「それはどうかしら? 提督って優しいから、鈴谷さんの相手をしてあげているだけじゃない? 何か策略でもあるのよ。例えば、熊野さんとの交流の為に、まずは鈴谷さんから攻略している……とか」

 

中々鋭い所を突くな。

ま、ここは無視だな。

 

「……あの武蔵さんを島から出しちゃうほどだもの。とんだペテン師だわ。ね、そうよね?」

 

無視に腹を立てたのか、ついに声をかける夕張。

本当、懲りない奴だよな。

何か言ってやろうと考えていると、鈴谷が先に口を開いた。

 

「鈴谷はそれでもいいよ。提督がペテン師だろうが、鈴谷を利用しようが、それは全部、鈴谷たちの未来の為にやっていることだもん。提督はそうは言わないだろうけれど、鈴谷は分かっているから」

 

鈴谷はゲーム画面から目を離さず、そう言った。

今まで口にしていた俺への評価とは違い、どこか、真に迫るものがあった。

 

「ふぅん……。そう……。短い付き合いなのに、よく知っているのね。その人の事……」

 

「時間は関係なくない? 要するに、提督の事を信じることが出来るかどうかっしょ。そういう意味では、夕張さんは提督の事、信じられていないんじゃない?」

 

夕張の嫌味に、棘のある返しをする鈴谷。

俺はただただ、感心することしかできなかった。

 

「……そうね。そうかもしれないわね……」

 

夕張は席を立つと、どこかへ行ってしまった。

駆逐艦たちは、ただならぬ空気に困惑しているようであった。

 

「……ごめん。ちょっち言い過ぎたかも……」

 

鈴谷がボソッと言う。

 

「いや……あいつにはいい薬だと思う。悪いな……。こんな役目をさせてしまって……」

 

「ううん……。こっちの台詞だよ……」

 

それから俺たちは、駆逐艦を安心させるため、皆でゲームをやることになった。

 

 

 

夕食直前、俺は山城に呼び止められた。

 

「どうした?」

 

「ちょっと……私の部屋で話さない……?」

 

山城がこう言ってくるなんて、珍しい事であった。

まさか、夕張の件だろうか……。

 

「あぁ……。構わんぜ……」

 

 

 

山城の部屋は、やはりじめっとしていて、それでいて暗かった。

 

「なんか、暗くねぇか? 他の部屋と同じ照明器具のはずなのに……」

 

「そうかしら……」

 

山城はやはり、端っこで小さくなっていた。

 

「それで? お前から話したいことがあるだなんて、珍しい事もあったもんだな」

 

「そうね……」

 

「……夕張の件か?」

 

山城は何も言わず、ただ首を横に振った。

 

「違うのか?」

 

てっきり、夕張の事だと思っていたが……。

そうじゃないとしたら、マジで分からん。

色々と思考を巡らせていると、山城がポツリと言った。

 

「貴方……鈴谷の事が好きなの……?」

 

「え?」

 

山城は目も合わせず、ただ俯いていた。

鈴谷の事が好きかどうか……?

 

「……だとして、なんだってんだ?」

 

試すように言ってやる。

すると、山城は顔を上げ、俺をじっと見つめた。

 

「もしそうなら……二人を応援したいと思ったのよ……」

 

「応援って……」

 

どうしてそんな事を……。

いや、そもそも……。

 

「お前は夕張を応援していたんじゃないのか?」

 

「そのつもりだったのだけれど……貴方が鈴谷の方がいいと言うのなら、あの子に諦めるよう、言ってあげてもいいわ……」

 

話が全く見えない。

……いや。

 

「つまり、こう言いたいのか? 俺が鈴谷を好きだと言ったら、夕張を傷つけてしまうことになるだろうから、慰め役を買って出てやると……?」

 

山城は首を横に振った。

いや……否定されると、ますます分からんのだが……。

 

「夕張の気持ちはどうでもいいのよ……。ただ、貴方が鈴谷とどうなりたいのかって事よ……」

 

「いや……。そうだとしても、意味が分からな過ぎて不気味なんだが……。どうして急にそんな事を言いだすんだ?」

 

山城は何も言わなかった。

こいつは今まで、夕張の為にやっていたんじゃないのか……?

 

「とにかく、気味が悪い……。俺にどういう気持があろうとも、お前の協力なんぞいらねぇよ……」

 

俺は立ち上がり、早々に部屋を後にした。

山城は呼び止めることもせず、ただ端っこで小さくなっているようであった。

 

 

 

山城の部屋を後にし、食堂へと向かう。

ふと、大和に目が行った。

あれから、大和からの返事はない。

俺の読みが間違っていたのか、それとも――。

 

「ん……」

 

今度は、奥の席に目を向ける。

鈴谷はまだ、こちらには気が付いていないようであった。

そろそろいいだろう……。

 

「鈴谷!」

 

その呼びかけに、皆、一斉に俺を見ていた。

 

「――! 提督!」

 

「よう。呼びかけが無いから、居ないのかと思ったぜ」

 

皆の視線を受けながら、鈴谷の元へと向かう。

 

「提督から呼びかけてもらえるなんて、思ってもみなかったよ。鈴谷がいないと思って、寂しくなっちゃったとか?」

 

「まぁ……そんなところだ」

 

そんな事で話していると、誰かが急に、机を強く叩いた。

 

「うぉ!?」

 

食堂は、一気に静かになった。

机を叩いた本人は、体を震わせ、ゆっくりと立ち上がった。

 

「熊野……」

 

熊野は凄い剣幕でこちらへ向かってくると、鈴谷の胸倉を掴み、睨み付けた。

 

「いい加減にしなさい……! わたくしへの当て付けのつもりなのでしょうけれど……そんなものが、いつまでも通用するとでも……!?」

 

鈴谷は動揺していたが、すぐに表情を切り替え、熊野の手を払ってみせた。

 

「何、そんなに怒ってんの……? 鈴谷はただ、提督と会話していただけじゃん」

 

「そうしていれば、わたくしが折れるとでも……? この男に嫉妬して、島を出る決意をするとでも……? わたくしはそんなこと、絶対にしませんわ……!」

 

強く睨む熊野に対し、鈴谷はかなり冷静であった。

 

「……確かに、最初はそうしようとも思っていたよ。でも、熊野はそれでも折れないじゃん……。だから、鈴谷、もう諦めたんだ……」

 

「諦めた……?」

 

「熊野を好きでいる事……」

 

それに、熊野は鼻で笑って見せた。

 

「本当だよ……。鈴谷……別に男の人が嫌いなんじゃない……。女の人が好きだという訳でもない……。ただ、熊野だったから好きだったの……」

 

皆がざわつく。

やはり、この二隻の関係の事を、誰も――。

 

「鈴谷は……島の外に出たいと思っている……。そこに熊野が居たらって……そう思ってた……。でも、熊野がそうしたくないというのなら、鈴谷は熊野を諦める……。それくらいの覚悟は……ある……」

 

本気だという事が伝わっているのか、熊野は何も返せないでいるようであった。

 

「提督の事が好きなのは本当だよ……。最初は、熊野の気を引くために利用しようと思ってた……。でもね……接して行く内に、本当に好きになっちゃったの……」

 

そう言うと、鈴谷は俺を見た。

その表情が、なんとも真に迫っていて、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

「鈴谷……」

 

「熊野……。ここまで言っても、熊野は何も言ってくれないんだね……」

 

そう言われ、熊野は俯いてしまった。

 

「いいんだよ。それが熊野の答えだもんね。鈴谷、これでやっと前に進めるよ」

 

鈴谷はニコッと笑って見せると、熊野を横切り、俺の前に立った。

 

「提督……」

 

鈴谷はじっと俺を見つめると、頬を赤く染め、言った。

 

「貴方の事が好きです。鈴谷と一緒に……島を出てくれませんか……?」

 

皆、息を呑んで、俺の答えを待っていた。

熊野はただ俯くだけで、何も言うことはなかった。

熊野……それが、お前の答えなんだな……。

 

「……本気なんだな」

 

「……うん」

 

「……分かった」

 

再び、皆が息を呑む。

今度は、「ヒュッ」という音と共に。

 

「……俺も、そろそろ限界だと思っていたんだ。武蔵を島から出して……これ以上は無いと思っていた」

 

どこかで、誰かの「嘘でしょ……?」という声が聞こえた。

 

「お前と一緒に島を出る。好きかどうかは、まだよく分からないけれど……。この数日、お前と一緒に居て、今までにないほど、楽しんでいる自分がいた。お前がいないと、寂しいと思うこともあった」

 

「それは恋だよ」

 

鈴谷が俺を抱きしめる。

駆逐艦たちが、歓声を上げる。

 

「ちょっと待ちなさいよ……」

 

声を上げたのは、夕張であった。

 

「そうやって、また私たちを騙すつもりなの……?」

 

どうやら、俺に言っているようであった。

 

「熊野さん……。貴女、提督に騙されているわ……。この人がこのまま島を出るなんて、ありえない……! 全ての艦娘を人化しないまま、島を出るなんてことは絶対にしないはず……!」

 

何を熱くなっているのかは知らないが、そこじゃねぇんだよ……夕張……。

だが、これは好機だ。

 

「んな事は、熊野もよく分かっているよ。そうだろ?」

 

熊野は何も言わなかった。

夕張は、何が何だかよく分からないといった表情をしていた。

 

「確かに、お前の言う通りだよ。俺と鈴谷は、熊野をその気にさせるよう、ここ数日、仲を演じていた」

 

鈴谷が不安そうに、俺を見ていた。

 

「大丈夫だ……」

 

小声でそう言ってやると、鈴谷は小さく頷いた。

皆がざわつく。

 

「知らない奴が多いだろうが、鈴谷と熊野は、互いに恋い慕う仲であった。だが、島を出る決意をした鈴谷と、島に残りたい熊野とで意見が割れ、喧嘩になった。鈴谷は、何とか熊野をその気にさせられないかと、俺に相談をした。そして俺は、熊野をその気にさせようと、鈴谷との仲を演じたのだ」

 

夕張は、ほら、とでも言うように、ムッとした表情を見せていた。

 

「だが、誤算があった。それは、鈴谷が本気で俺を好きになったという事だ。そして俺も、将来、こいつと一緒に居れたらと……本気で思ったことだ」

 

夕張が何かを言おうと口を開いたのと同時に、俺は言葉をかぶせた。

 

「だから俺は、今度は鈴谷を騙そうと思った。一緒に島を出る、などとは言ったが、それは一緒に出るというだけで、この島に戻らないという意味ではない……と。俺にはまだ、やることがある。それは、全ての艦娘を人化させること……。それだけは、必ず果たさなければと、本気で思っている」

 

俺は鈴谷を見た。

 

「確かに、お前の事は好きだ。だが、俺にはやることがある。お前を騙そうとしたことは謝る……。だが、俺は必ず、全ての艦娘を人化して帰る。だから、それまで待っていてほしい……」

 

「提督……」

 

鈴谷は頷くと、もう一度、俺を抱きしめた。

 

「うん……待つよ……。鈴谷、いつまでも待って見せる……」

 

「あぁ……ありがとう、鈴谷……」

 

夕張は熊野に近づき、その肩を揺らし、説得を始めた。

 

「熊野さん! 貴女はそれでいい訳!? どうして何も言わないのよ!?」

 

熊野は何も言わず、ただ俯くだけであった。

 

「ねぇってば……!」

 

「やめなさい、夕張……」

 

声をかけたのは、山城であった。

 

「山城さん……」

 

「ここまで言われて何も返せないのなら……それがその子の答えなのよ……」

 

「でも……!」

 

「……貴女がそこまでムキになるのは、その子の為じゃない。貴女自身の為でしょう……?」

 

図星だったのか、夕張の手は、熊野の肩からするりと落ちていった。

山城は俺を見た。

 

「山城……」

 

「あなた達が幸せになるのは結構なことよ……。でも……貴方がこのまま島に残ることは……いい選択だとは思えない……」

 

「え……?」

 

「人化していった艦娘達は、誰のモノでもない貴方に魅かれて島を出ていったのよ……。鈴谷のモノになるというのなら……もう貴方について行く者はいなくなる……」

 

山城の目は、どこか冷たく、それでいて鋭かった。

 

「俺が誰かのモノになれば、俺に艦娘を人化させる力は無くなると……?」

 

「えぇ、そう言っているのよ」

 

確かにそうかもしれない。

だが、今はそんな事、どうでもいい。

どうして山城が、そんな事を言い始めるのかが分からなかった。

俺に味方をするような事を言っていたのにもかかわらず、だ……。

 

「……まあ、それは後々結果が出てくることだ。それが本当なら、その時は別の方法でも考えるさ……」

 

「……そう」

 

そう言うと、山城は食堂を出ていってしまった。

残された夕張は、俺をキッと睨み付けると、同じように食堂を出て行ってしまった。

 

「……大淀、あいつらに食事を持っていってやって欲しい」

 

「は、はい!」

 

ここで鳳翔を指名しなかったのは、俺の弱さであった。

それが出来たのなら、俺は――。

重い空気が、食堂を包み込む。

その時であった。

 

「いただきます……」

 

その声と共に、食事に手を付け始めたのは、大和であった。

 

「大和……」

 

大和はただ、静かに食事を摂っていた。

それに倣うように、皆も静かに食事を始めた。

 

「……俺たちも食べよう」

 

「う、うん……」

 

「熊野……」

 

「…………」

 

「お前も、席に戻れ……。ここで食いたくないというのなら、あとで部屋に食事を持っていくぜ……」

 

熊野は何も言わず、自分の席へと戻り、食事を始めた。

 

「提督……」

 

「……悪い、鈴谷」

 

「ううん……。これが、熊野の答えだって言うのなら、鈴谷は、もういいよ……。ありがとう、提督……」

 

「あぁ……」

 

静かな食堂には、食器を叩く音だけが響いていた。

 

 

 

夕食後、熊野が俺の元へとやって来た。

 

「熊野……」

 

「……貴方にお話があります。少々お時間……宜しいでしょうか……?」

 

俺は鈴谷を見た。

鈴谷は不安そうに、熊野を見ていた。

 

「出来れば、貴方と二人でお話ししたいのです……。大丈夫……。変な事は考えておりませんわ……」

 

変な事、ってのは……。

鈴谷は俺に頷くと、一歩離れて見せた。

 

「……分かった。聞かれたくないような話なら、場所を変えようか?」

 

熊野は頷くと、「では、外で……」と言って、部屋へと戻っていった。

 

「提督……」

 

「……大丈夫だ。必ず説得してみせるさ」

 

「……うん。でも、無理はしないでね……」

 

「あぁ」

 

心配そうにする鈴谷を尻目に、俺と熊野は寮を後にした。

 

 

 

熊野は、とても暖かそうで、それでいて高級感のあるコートを羽織っていた。

 

「それも貰い物か?」

 

俺の問いに、熊野は少し驚いた表情を見せた後、小さく「えぇ」と答えた。

 

「いつでしたか……島の外にいる元艦娘達が、送ってくれたものですわ……」

 

「なるほど……。だからか、似合っているのは」

 

熊野は、小さく会釈して見せた。

おそらく、熊野も分かっているのだろう。

この会話が、お互いを信頼したという、儀式であることを。

 

「そこに座るか」

 

「えぇ」

 

俺たちは、海辺の流木に座り、しばらく海を眺めていた。

熊野は、どう切り出そうかと、様子を窺っているようであった。

仕方がない……。

 

「……俺の同期にも、同性が好きだという奴がいてな」

 

熊野は俺を見ると、言葉を待った。

 

「そいつは男なのだが、自分が同性愛者だという事を、誰にも打ち明けられずにいたようでな。俺も、そいつが打ち明けてくるまで、全く気が付かないでいたんだ」

 

「…………」

 

「打ち明けるのが怖かったのだと、そいつは言っていた。自分が同性愛者だという事が周りに知れて、いじめにあった過去があったらしい」

 

熊野は俯くと、ポツリと零した。

 

「やはり……今でもあるのですわね……。そういったいじめが……」

 

「昔に比べたら、今はもっと理解のある社会にはなっているがな。そういった関係を認める制度もあるし」

 

「そのようですわね……。しかし、まだセクシャルマイノリティ(性的少数者)だなんて言われるほどですわ……」

 

冷たい風が、俺たちの間を抜けていった。

 

「……それでも、そんな自分が好きで、そんな自分を認めたくて、そいつは皆に打ち明けたんだぜ。勇気ある行動だと思わないか?」

 

熊野は何も言わず、ただ俯くだけであった。

 

「聞いたよ……。昔、この島に来た男に、鈴谷を取られそうになった話……」

 

「…………」

 

「酷い男だったようだな……。立場を利用し、好き放題して――そして、鈴谷に惚れた……」

 

熊野は目を瞑り、拳を強く握っていた。

 

「鈴谷は、皆を守るため、男の機嫌を損なわないように振る舞っていたが、それを良いように男が受け取り、鈴谷を娶ろうとした。お前は鈴谷を守ろうと、男に立ち向かった。そして、男はお前と鈴谷の関係を知った」

 

『お前ら、そういう関係かよ!?』

 

『同性愛なんて、認められるわけがねぇだろ!』

 

『男は女と、女は男と結ばれる。それが、人間様の社会なんだよ!』

 

「それからだな……。お前が、人間を受け入れないようになったのは……」

 

熊野は目を開けると、俯きながら、言った。

 

「人間の世界がそうであるのなら……わたくしたちは……今のままでいいと思いました……。この島に居れば、艦娘で居られる……。人間でなければ、わたくしたちの関係は続けられる……。理解されなくてもいい……。同情もいらない……。ただ、そこに鈴谷がいてさえくれれば、何も――……」

 

「……鈴谷も同じだった。いや……同じはずだったんだな……」

 

「……鈴谷から言われたのですわ。あの人なら――貴方なら、わたくしたちの関係を理解し、守ってくれるのではないかと……」

 

熊野は顔を上げると、俺を睨み付けた。

 

「わたくしは……裏切られたと思いました……。どうして鈴谷は貴方なんかに、と……。理解も同情も、わたくしたちには必要ないはずだったのに……! どうして……!」

 

強く握られた拳が、小さく震えていた。

 

「鈴谷は……お前と島の外に出たがっていた……。それは、お前との関係を、皆に認めて欲しかったからだ……。自分の気持ちを……自分自身で認めたかったんだ……」

 

「……分かっています。でも……わたくしは……」

 

拳が、ゆっくりとほどけて行く。

 

「……怖い」

 

「…………」

 

「怖いのです……。あの男の目が……今でも……わたくしは……」

 

共感は出来なかった。

熊野にとっては、かなりの恐怖であったのだろう。

俺が当たり前のように過ごしている社会は、こいつにとって――。

共感なんて、出来るわけがない。

 

「お前たちを守ってやるだなんて、そんな安い言葉を信用するほど、お前の気持ちは軽くないと分かっている。だが、鈴谷も戦う決意を持ったんだ。ただ守られるだけじゃなく、戦うことが出来るんだって、あいつは証明したんだ。お前も分かっているんだろう……? 鈴谷がああまでしてお前に訴えたかったのは、そういう事なんだって……」

 

真意は分からない。

だが、鈴谷が俺に頼ったのは――俺を好きであると熊野に偽ったのは、熊野にも戦う勇気を持ってもらいたかったからであろう。

単純に嫉妬させるだけでは足りないと、鈴谷が一番よく分かっていたはずなのだから――。

 

「それでも……わたくしは選べなかった……。鈴谷との……未来を……」

 

「まだ間に合うはずだ。鈴谷も、それを望んでいる……」

 

「いいえ……。あの子にはもう、別の未来が見えていますわ……。わたくしの居ない……未来が……」

 

「そんなこと――」

「――だったら、鈴谷のあの気持ちは、嘘だとおっしゃるの!?」

 

熊野は俺を睨み付けた後、ぽろぽろと涙を流した。

 

「鈴谷の気持ち……?」

 

「あの子は……本気で貴方の事が好きになったのよ……!」

 

 

 

永い沈黙が続く。

その間も、熊野の涙は止めどなくあふれていた。

 

「鈴谷が……本気で俺の事を……?」

 

熊野が頷く。

 

「……そう見えるだけだろう。あいつは、本気でお前の事を……」

 

「……もしそうなら、あの子はわたくしをどうやってでも説得したはずですわ。けれど、あの子はそうしなかった……」

 

「……それだけで決めつけるのか? お前はただ、そうやって理由をつけて、逃げているだけじゃないのか? 鈴谷が俺の事を本気で好きになる訳ないだろ……」

 

今度は首を横に振る熊野。

 

「あの子の事は、わたくしが一番、よく分かっていますわ……。あの子の目は――貴方に向けられた目は、本気でした……。だからこそ……わたくしは何も言えなかったのです……」

 

俺は思わず立ち上がって、叫んだ。

 

「ふざけるな……! そうやって言い訳ばかり並べやがって……! 本当に鈴谷は、お前を置いて行ってしまうかもしれないんだぞ! お前はそれでいいのかよ!?」

 

熊野は涙を拭くと、俺を真っすぐ見つめた。

 

「お話ししたいことというのは、その事ですわ……。鈴谷はもう……貴方との未来を見ています……。だからこそ……貴方には、鈴谷を幸せにして欲しいのです……」

 

熊野は立ち上がると、頭を下げた。

 

「お願いします……。どうか……わたくしの代わりに……あの子を幸せにしてあげてくださいまし……」

 

俺は、理解できなかった。

鈴谷が本気で俺を……?

そんな馬鹿な事があるか……。

 

「……鈴谷の気持ちを確かめずに、諦めるとでも言うのか?」

 

「確かめずとも……分かりますわ……」

 

「どうだか……。お前は何も分かっていない……。現に、お前が信じていた鈴谷は、お前とは違う考えを持っていた……。それでもなお、理解していると……?」

 

熊野は顔を上げると、伏し目がちに言った。

 

「それならそれでいいのですわ……。しかし、鈴谷の気持ちは本物……。それは確かですわ……」

 

こいつ……。

 

「……仮にそうだとしても、そんな事で諦めるのかよ? あと一歩踏み出すだけで、未来は変えられるというのに……」

 

熊野は深く目を瞑ると、拳を強く握って見せた。

 

「わたくしだって……本当はそうしたいですわ……。でも……鈴谷は貴方を選んだ……! その事実は変わらない……! その事実が……わたくしには耐えられない……!」

 

熊野の目から、再び涙があふれる。

 

「……分かった。なら、こうしよう……。あいつが本当に俺の事が好きだというのなら、それを確かめるために、俺が二人っきりになって、本心を訊いてやる……。お前はそれを、隠れてきいていればいい……」

 

熊野は涙を拭くと、小さく頷いた。

 

「分かりましたわ……。ですが……それを最後にしてくださいまし……。わたくしはもう……これ以上、傷つきたくない……」

 

「……あぁ。もちろん、最後にしてやる……。お前が決意できないというのなら、あいつの口から言わせてやる……。そうすれば、お前も勇気を持てるな……?」

 

「……えぇ」

 

どこか自信が無さそうな返事であった。

だが、これでいい……。

 

「鈴谷とは、明日の夜にでも、この場所で話そうと思う……。もしその前に、気が変わったというのなら、言ってくれ……」

 

「……分かりましたわ」

 

そう言うと、熊野は寮の方へと歩き出した。

 

「熊野……」

 

熊野は足だけを止め、振り向きはしなかった。

 

「お前がどう思おうとも、俺はお前の味方だからな……」

 

熊野は反応することなく、再び寮の方へと歩き、去って行った。

 

「…………」

 

『あの子は……本気で貴方の事が好きになったのよ……!』

 

熊野の事を諦めたというのなら、そういう選択もあるかもしれない……。

だが……。

 

「そんな事はありえない……。鈴谷は……まだ熊野を諦めていないはずだ……」

 

そう思うのなら、口に出さなくても良かったはずだ。

なのに、こうして言ってしまうのは――そして、最悪のケースを恐れているのは、何故だろうか……。

 

「…………」

 

 

 

翌日。

艦娘達はどこか、俺たちに対して余所余所しい態度をとっていた。

いや、或いは、様子を窺っているというような――。

 

「仕方がありませんよ。あれだけの騒ぎになったのです。邪魔も出来ませんし、ただ見守るほかないのでしょうから」

 

大淀の目は、早く解決してくれとでも言うように、どこか呆れた様子を見せていた。

 

 

 

その日の夜。

作戦会議と称し、俺は鈴谷を呼び出した。

 

「じゃあ、先に行っているね」

 

準備があると嘘をつき、先に鈴谷を行かせ、俺は熊野に目配せをした。

熊野は頷くと、部屋へと戻っていった。

昨日と同じで、準備があるのだろう。

 

「さて……」

 

何故か緊張している自分がいる。

もし、熊野の言う通りであったのなら、俺は一体どうしたらいいのだろうか……。

答えが分からぬまま、俺は時間を見て、鈴谷の元へと向かった。

 

 

 

月の綺麗な夜であった。

 

「鈴谷」

 

「あ、提督! 遅いよー」

 

「あぁ、悪い。ちょっと仕事が残っていて、大淀に叱られていたんだ」

 

嘘であったが、鈴谷はそれを信じた様子で、労いの言葉をいくつかかけてくれた。

 

「……さて、熊野の事だが」

 

鈴谷は真剣な表情で、俺の言葉を待っていた。

俺の視界に熊野は見えないが、ちゃんといるよな……?

 

「昨日、熊野と話した……。熊野はどうやら、お前が本気で俺を好きだと信じているようで、どうか鈴谷を幸せにして欲しいと言われた……」

 

鈴谷は残念そうに俯いてしまった。

 

「だが……裏を返せば、お前が熊野に本気だと伝えれば、熊野の気持ちは変わるかもしれないという事だ。あいつはまだ、お前の事が好きなんだ。あの時は、お前が俺に本気だと思ったから、お前の幸せを願ったから、何も言えなかったんだ。だから――」

「――つまり、熊野は諦めたって事でしょ?」

 

「え……?」

 

鈴谷は顔を上げると、俺をじっと見つめた。

 

「鈴谷が本気で提督の事を好きだったとしても――熊野が鈴谷の事、本気で好きだったら、諦めないはずでしょ……?」

 

「いや……だから……」

 

「熊野は、どうして提督に勝てないって思ったの……? なんで諦めちゃったの……?」

 

問うように言ってはいるが、鈴谷は答えを知っているようであった。

 

「つまり……そういう事だよ……。熊野にとって鈴谷は……その程度だったって事でしょ……?」

 

俺はもう一度、鈴谷の後ろを確認した。

熊野の姿は見えない。

だが、もし今の言葉を聞かれていたら……。

 

「……熊野はお前の言葉を待っているんだ。あいつは今……弱っているんだ……。判断が鈍っているだけなんだよ……」

 

「……鈴谷は、もう散々言ったよ。提督を好きだって言う前にも、何度も何度も……気持ちは伝えたもん……。それでもダメだったから、提督に頼ったんだよ……?」

 

クソ……マズイな……。

このままじゃ……。

 

「……分かった。なら、作戦を変えよう。今度は、俺とお前の仲が悪くなって行くよう、徐々に――……」

 

言葉を切ったのは――いや、切らざるを得なかったのは――。

 

「す、鈴谷……?」

 

俺を抱きしめる鈴谷。

心臓の音が、伝わってくるほどに。

 

「もう……いいの……。熊野の事は……。熊野は……鈴谷の事を諦めた……。だから……鈴谷も別の道をいかなきゃいけない……。そうじゃないと……熊野も鈴谷も……苦しむだけだから……」

 

「別の……道……?」

 

鈴谷は俺に向き合うと、頬を赤く染め、言った。

 

「昨日言ったこと……全部本当だよ……」

 

「え……?」

 

「鈴谷……提督の事……本気で好きになっちゃったの……。本気で貴方と……未来を進みたいって思っちゃったの……」

 

まるで、時が止まったかのようであった。

熊野の言ったことを想定していなかったわけじゃない。

だが、こうして実際に起こってしまうと、俺は、何も出来ずにいた。

 

「この数日……提督と過ごして、本当に楽しかったし……この人は、本気で鈴谷の事を想ってくれているんだって、気が付いたの……。この人だったら……本当に鈴谷の事……大切に想ってくれるんじゃないかなって……。だから……」

 

鈴谷はもう一度、俺を抱きしめた。

 

「熊野を諦めたからだなんて……都合のいい話かもしれないけれど……。鈴谷は……それでも鈴谷は……」

 

「鈴谷……」

 

「提督……」

 

鈴谷の顔が、徐々に近づいてゆく。

 

「お、おい……」

 

「お願い……。鈴谷を……受け入れてください……」

 

鼻先が当たる。

鈴谷は恥ずかしそうに顔を傾けると――。

 

「――……」

 

唇が触れそうになった瞬間、鈴谷は動きを止めた。

そして、驚いたような表情を見せた後、ゆっくりと俺から離れていった。

 

「…………」

 

状況が整理できず、俺はただただ唖然としていた。

 

「……ごめん、提督」

 

「え……?」

 

「鈴谷……やっぱり熊野の事が好き……! やっぱり……熊野と一緒に居たい……! 諦めたくない……!」

 

急な心変わり。

いざとなって、本当の気持ちに向き合うことが出来た……という事なのだろうか……?

状況はよく分からないが――困惑しているが、とにかく――。

 

「そ……そうか……」

 

「ごめんね……提督……。本当に……ごめんなさい……」

 

謝る鈴谷。

これじゃあ、俺がフラれたみたいだ……。

 

「い、いや……。そう決意してくれて、俺も嬉しいよ。そうと決まれば、もう一度作戦会議だ」

 

「……うん」

 

熊野は、今の言葉を聞いてくれていただろうか。

それとも――。

 

 

 

翌日。

寮に向かってみると、皆が輪になって、何かを見ているようであった。

 

「どうした?」

 

「あ……」

 

どこか、同情するような瞳で俺を見つめる駆逐艦たち。

輪の中心に目を向けてみると――。

 

「……なるほどな」

 

熊野と鈴谷が、お互いを抱きしめていた。

どうやら、どちらかが気持ちを伝えたらしい。

 

「やれやれ……」

 

紆余曲折はあったが、何とか解決して良かった。

結局、何が決め手になったのかはよく分からないが、まあ、とにかく、一件落着ってところか。

 

「司令官……」

 

駆逐艦たちが俺を囲った。

 

「ん、どうした?」

 

「あのね……。気を落としちゃ駄目よ……? 司令官にも、きっと素敵な人が出来るはずだからね……?」

 

「そうですよ、ご主人様。なんなら、漣なんていかが? なんちって☆」

 

「……あぁ、ありがとう」

 

どうやら、俺が鈴谷にフラれたと、駆逐艦たちは思い込んでいるようであった。

 

 

 

その後、鈴谷と熊野は、俺に礼を言って来た。

どちらも、俺が二隻の関係を修復しようと、奮闘していたことを分かってくれていたようであった。

 

「いや、お前たちのお互いを想う気持が強かった結果だ。良かったな、熊野、鈴谷」

 

「うん……。ありがとう……提督……」

 

「本当にありがとうございました……。色々と酷い事を言ってしまい、申し訳ございませんでした……。貴方の仰る通り、鈴谷に気持ちをぶつけて良かったですわ……」

 

どうやら、熊野の方から気持ちを伝えたようであった。

という事は、やはりあの場所で、熊野は鈴谷の気持ちを聞いていたのか。

そして、俺よりも自分を選んでくれた鈴谷に対し、熊野も決意した……といったところかな。

 

「これからどうするんだ?」

 

「うん……。熊野と話し合ったんだけど……。鈴谷たち、島を出るよ」

 

俺は、熊野を見た。

 

「まだ、怖い気持ちはありますわ……。でも……貴方が守ってくれるのでしょう……?」

 

そう言うと、熊野は微笑んで見せた。

 

「……あぁ! 任せておけ! 必ずお前たちを守って見せるさ」

 

「心強いですわ。ね、鈴谷」

 

「うん!」

 

二隻は、互いに手を取ると、顔を見合わせ、幸せそうな表情を見せていた。

 

 

 

鈴谷と熊野が島を出る事を発表し、寮ではやはり、話し合いが行われることになった。

例の如く、俺は家で待機だ。

 

「さて……」

 

「私を利用したのね……」

 

声の主は、言わずもがな……。

 

「お前の望む通り、協力してもらっただけだぜ」

 

夕張は、俺を睨みつけていた。

 

「明石や鳳翔、大淀にしても、やはりそういう事だったのかと、信じてくれていたようだったぜ。勝手に熱くなっていたのは、お前だけだ」

 

山城も何かおかしかったが、まあ、とりあえずおいておこう……。

 

「最初からこうなるって……分かっていたわけ……? 鈴谷さんと貴方の関係を、より強固なものにみせるために、私に嫉妬させたってわけ……?」

 

「いや……? 嫉妬というか、何かしら言ってくるのは……まあ、お前ではないかとは思っていた。しかし、俺の想定以上に、お前が勝手に熱くなったものだから、成り行きに任せてみただけだ。そしたら、お前がどんどんヒートアップして、手が付けられない状況になっただけだ。利用したわけじゃない。流れに乗っただけだ」

 

「同じことよ……! 最初からその気だったのなら……言ってくれれば、私だって……!」

 

「もっと上手く振る舞えたと……? もっと、今回の件に貢献できたと……?」

 

夕張は、何も言わなかった。

 

「鈴谷の挑発に乗ったのはお前だし、そもそも先に仕掛けたのはお前だろう。何をそんなに熱くなっている? 何をそんなに怒っている? 少しは冷静に状況を見られるようになったのかと思えば、どうしたんだよ、お前」

 

夕張は俯くと、座り込み、膝を抱えた。

 

「だって……」

 

「…………」

 

「だって……「突き放したって無駄だ」って言ったけど……。それにしたって……貴方は私を……そんなにしなくてもいいじゃないって程に……突き放すんだもん……」

 

夕張は、ぽろぽろと涙を流し始めた。

 

「――……!」

 

俺は思わず、目を背けてしまった。

 

「そんなに冷たくすることないじゃない……。私だって……そんなに強くなった訳じゃないのよ……? 少しだけ不器用なだけじゃない……。なのに……邪魔だなんて言わないでよ……」

 

夕張はただ、鈴谷に嫉妬した訳ではない。

役に立ちたいと思っただけで、それが余計な事になってしまっただけで――。

俺はそれを利用し、焚き付けて――。

夕張は、引くに引けなくなって――。

 

「……っ!」

 

そんな事は、分かっていた。

分かっていて、俺は――。

でも――。

 

「……泣くなよっ!」

 

そう言っても、夕張は泣き止まなかった。

 

「お前が泣いてしまったら……俺は……何も出来なくなる……」

 

夕張は涙を拭くと、俺の言葉を待った。

 

「お前が泣かないから……俺は進めたんだ……。お前が強くあるから……俺を恨むから……俺はそこに立てた……。悪役になれたんだ……」

 

「…………」

 

「だから……泣かないでくれ……。頼む……」

 

俺の拳が小さく震えているのに、夕張は気が付いたようであった。

そして、立ち上がると、その拳をそっと、両手で包み込んだ。

 

「……私は……貴方の役に立てていたの? 私は……貴方の邪魔じゃなかったの……?」

 

俺は何も言えなかった。

だが、夕張は分かってくれたのか、そっと、俺の背中を抱きしめた。

 

「……ごめん。私……ずっと自分の事ばかり考えていた……。そうよね……。貴方は……そういう人じゃないわ……。そんなに……強い人じゃなかった……」

 

「……やめろ」

 

「やめない……。私……貴方が好きだから……。貴方の事……もっと知りたいから……。なのに……貴方の気持ちを理解してあげられなかった……。ごめんね……」

 

俺は、必死で耐えていたが、思わず涙を流してしまった。

そして、やがて限界を迎えると、泣き崩れてしまった。

 

「提督……」

 

「ごめん……。ごめん……夕張……。俺……俺は……!」

 

泣き崩れた俺を、夕張はそっと、包み込むように抱きしめた。

 

「ううん……。私の為に泣いてくれて……嬉しいよ……。それだけで……私……」

 

俺が泣き止むまでの間、夕張はずっと、俺を抱きしめてくれていた。

大淀や、周りの皆が理解してくれていたからこそ、流さずに済んだ涙が、本人を目の前にして、止めどなくあふれていた。

 

 

 

どれくらい泣いただろうか。

いつの間にか夕張も泣いていたようで、お互いに目を真っ赤にさせていた。

 

「くそ……思わず泣いてしまった……」

 

「いいじゃない、たまには……。私は、逆に安心したわ……」

 

本当に泣きたいのは――俺以上に泣きたいのは、夕張のはずなのだ。

なのに、俺はどうしてこんなにも……。

 

「……本当は分かっているのよ。貴方を諦めれば、貴方は苦しまずに済むって……」

 

「…………」

 

「でもね……。出来なかった……。ほら、私って不器用だから……。こういう方法しか……思いつかないって言うか……やっちゃうって言うかさ……。諦めさせたい気持ちは分かるけど……私の気持ちも、分かって欲しいの……」

 

「……分かっているさ。でも……俺もお前と同じ……不器用な人間なんだ……。突き放すことでしか……悪人であることでしか……お前の気持ちに向き合えない……。自分の信念を……貫き通すことが出来ないんだ……」

 

「うん……。知っている……。それが、貴方の優しさだってことも……」

 

俺は何も言えなかった。

 

「お互い……不器用同士……手を取ることは出来ないのかな……?」

 

「……どうすればいいだろうか?」

 

「え……?」

 

俺は、夕張を見つめた。

まるで、救いを求めるように――。

夕張は再び、泣きそうな表情を見せた。

 

「……そうね。一緒に……考えてみない……?」

 

そして、涙を流すと、言った。

 

「パートナー……として……。私を……頼ってみない……?」

 

俺が頷くのと同時に、夕張は声を上げて泣いた。

俺はただ、その体を抱きしめる事しかできなかった。

夕張は強い。

それは確かだ。

だがそれは、俺がこいつを信じてやっているからだ。

そして、それを信じるこいつが居たからだ。

熊野に偉そうなことを言っていたのにもかかわらず――夕張の事を分かっていたはずなのに、俺は、こいつを信じ切れず、ただ突き放してしまったのだ。

こいつが強いからじゃない。

俺が弱いから、突き放してしまったのだ。

 

「ありがとう……夕張……。これから……よろしくな……」

 

夕張は頷くと、やっと笑顔を見せてくれた。

あぁ、そうか……。

俺は、こいつを――。

 

 

 

数日後。

熊野と鈴谷、そして俺は、船で本土を目指していた。

 

「誰も鈴谷たちについてこなかったね」

 

「まあ、仕方がないだろう。逆に、一緒に島を出たいという方が、珍しいのだろうし」

 

「そうかもしれないけどさ……」

 

結局、鈴谷と熊野以外、島を出ようとする者はいなかった。

 

「別に構いませんわ。すぐにでも、連れてきてくれるのでしょうから。ね、提督」

 

そう言うと、二隻はニコッと笑ってくれた。

 

「あぁ、もちろんだ。またすぐに賑やかになるよ」

 

「頼んだよ、提督。鈴谷たちの事も、守ってよね」

 

「あぁ」

 

そんな事を話している内に、船は本土に着いたようで、大きな警笛と共に、エンジンが唸りを上げていた。

 

 

 

工廠では、やはり山風が待っていた。

 

「鈴谷さん、熊野さん。お久しぶりです」

 

その姿に、二隻とも大変驚いていた。

特に、熊野はかなり驚いたようで、本当に山風であるのか、クイズを出して確かめていた。

 

「提督」

 

鈴谷が小さい声で、俺を呼んだ。

 

「ん、なんだ?」

 

「これ……後で読んで……」

 

そう言うと、鈴谷は俺に、封筒を渡した。

 

「これは……?」

 

「必ず一人で読んでね?」

 

「え?」

 

「鈴谷、何をしていますの? 行きますわよ」

 

「あ、はーい。じゃあ、行くね、提督」

 

「あ、おい!」

 

鈴谷は手を振りながら、バスへと乗り込んでいった。

 

 

 

バスを見送り、封筒の中身を確認すると、どうやらそれは、手紙のようであった。

 

「手紙か。中々粋な事をするじゃないか」

 

感謝の言葉でも書いてあるのかと思ったが、その内容に、俺は驚愕した。

 

『提督へ

 

 これから書くことは、鈴谷と提督だけの秘密にしておいてください。

 

 実はね、鈴谷、本当に提督の事が好きでした。

 

 あの時、作戦会議をした時、提督にキスをしようとしたでしょ?

 

 あの時ね、鈴谷、見ちゃったんだ。

 

 熊野が、鈴谷たちの話を、木陰で聞いていたのを……。

 

 だから鈴谷、熊野の事が好きだって、叫んだの。

 

 熊野はまだ、鈴谷の事を諦めていないのかもしれないと思って……。

 

 もし、あの時、熊野があそこに居なかったら、鈴谷は、本当に提督とキスをしていたよ。

 

 本当は、言わないでおこうと思ったのだけれど、これから熊野と歩むには、この気持ちに整理をつけたいって思ったから……。

 

 ごめんね、提督。

 

 でもこれで、鈴谷は前に進めます。

 

 熊野と一緒に、未来を歩めます。

 

 本当に、ありがとう。

 

 提督――

 

 ――大好きだよ。

          鈴谷より』

 

鈴谷が本気で俺に惚れていたという事実は、正直、そこまで驚くことではなかった。

俺が驚愕したのは、熊野の事であった。

 

「熊野がいたことに……気が付いた……? 鈴谷が……?」

 

熊野は、鈴谷の本当の気持ちを知りたがっていたはずだ。

だとしたら、見つかるようなヘマをするだろうか?

あの時、俺の視界に、熊野はいなかった。

キスをしようという時に気が付いたということは、熊野は俺の後ろに居たという事……。

どうして、そんな位置にいたのか……。

 

「そんなの……一つしかないだろ……!」

 

熊野は、あえて鈴谷に姿を見せたのだ。

そして、鈴谷に『言わせた』のだ。

俺を諦め、熊野を選ぶよう『決意させた』のだ。

 

「フッ……ハハハ……」

 

『怖すぎて笑ってしまう事、あるだろう?』

 

「本当……恐ろしいぜ……。熊野……」

 

『鈴谷は貴方を選んだ……! その事実は変わらない……! その事実が……わたくしには耐えられない……!』

 

確かに、お前はそう言っていたもんな。

しかし、それにしたって……。

 

「ペテン師め……。いや……ギャンブラーか……?」

 

再び笑みが零れる。

零れてしまう。

何が『怖い』だ。

何が『諦める』だ。

もしかしてお前は、最初から俺たちを――?

 

「よう、慎二。お疲れさん。聞いたか? 武蔵たちが人化して……って、どうしたんだ? ニヤニヤ笑って……」

 

「鈴木……」

 

「それ、手紙か? なんだ? ラブレターでも貰ったか?」

 

「……ちょうど良かった。お前、ライター持っているか?」

 

「ん? あぁ……まあ、持っているけど……。なんだ? お前も吸うようになったか?」

 

俺は、鈴木からライターを受けとり、手紙を燃やした。

 

「な……!? 何やってんだお前!?」

 

手紙は、風の力もあり、すぐに燃え、灰になって海へと溶けていった。

 

「おいおい……」

 

「なあ、鈴木……。女ってのは……怖いもんだな……」

 

「あ? 何だよ今更?」

 

「いや……」

 

鈴谷と熊野……。

お前たちは、お互いに秘密を抱えながら、今後も生きていくんだな……。

……いや、その決意を持ったんだな。

 

「皮肉なもんだぜ……。その秘密が強ければ強いほど……結束もまた、強まるのだからな……」

 

「は? 何言ってんだお前?」

 

俺には、そんな秘密、抱え続けることは出来ない。

あんな紙切れが――すぐに燃えてしまうような紙切れ一枚が、あんなにも重いと思う事は、これまでも――そして、これからもないだろうよ……。

 

「……今日のお前、なんだか変だぜ? 疲れてんのか? コーヒー奢ってやるからよ、ちょっとは休め。んで、仕事の事は忘れろ」

 

「あぁ……そうさせてもらうよ」

 

ふと、海を眺めた。

燃えて灰になったであろう手紙が、海に溶け、広がって行くのを感じ、俺は思わず、身震いしてしまった。

 

「どうした?」

 

「いや……。そういえば、武蔵たちが人化したと言っていたな」

 

「あぁ。今はあそこの棟にいるぜ。後で会いに行ってやれよ」

 

「あぁ」

 

俺は再び、海を見た。

だがそこには、ただただ穏やかな波が立つ、平凡な海が広がっているだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

残り――20隻

 

――続く



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19話

ノートに書かれていた通り、サザンカは咲いていた。

 

「あ……」

 

近くに、大きな足跡。

その隣には、小さな足跡も――。

 

『サザンカもまた、立派に咲いていたよ』

 

あの人が、私の真意に気が付いたかどうかは分からない。

けれど――。

 

『――貴女はここに居たんだって。言葉はなくても、いつだって、こうやってお互いを感じていた。そうでしょう?』

 

もし、貴方もそうなのだとしたら、私は――。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

鈴谷たちが島を出て、一か月が経った。

 

「はい、提督さん! 一日早いですけれど……バレンタインデーのチョコです!」

 

「おう。ありがとう、鹿島」

 

俺と鹿島は、本部敷地内にある公園に来ていた。

 

「その……バレンタインのチョコって……もう誰かに貰ってたり……」

 

「いや、鹿島が初めてだよ」

 

「ほ、本当ですか!? えへへ。良かったぁ。実は、一番に渡せるようにと、『TMD』を今日に指定したんです!」

 

『TMD』とは、『提督(T)を独占(M)できる日(D)』というものらしく、本土へ戻ってきた俺と二人っきりになりたいという奴らが、喧嘩にならないよう、スケジュールで独占できる日を管理する仕組みだ。

無論、俺はそんなものが出来ているとは知らず、半ば強制的に二人っきりの時間を過ごすことになっていた。

 

「本当は、もっと早くに二人っきりになりたかったのですが……今日、この日、一番にチョコレートを渡したくて……。ずっと我慢していたんです……」

 

確かに、TMDが始まってから、まだ一度も鹿島と過ごしたことはない。

二人っきりになりたいと、あんなに言っていたのにもかかわらず、だ。

 

「なるほど、そういう事だったのか」

 

「ですから、今日はいっぱい、提督さんに構ってもらいますから、覚悟してくださいね? うふふ」

 

「あぁ、任せておけ」

 

そう言ってやると、鹿島は嬉しそうに、俺の手を握った。

 

 

 

敷地内には、元艦娘とその関係者以外立ち入り禁止のエリアが設けられていた。

 

「本当に、誰もいなくなってしまいましたね」

 

社会へ出ていない元艦娘との接触は、特別許可がない限り禁止されている。

だが、遠目に見ることは禁止されていなかったこともあり、ここ最近はずっと、野次馬が集まっていた。

皆は何も言わなかったが、見られていることにストレスを感じているようであったし、誰かは特定できていないが、陸奥に告白した奴もいるらしい……。

 

「まあ、こうなって当然だ。お前たちも、外出しやすくなっただろ?」

 

「えぇ、まあ……。ですが、こうも静かだと、何だかちょっとだけ……寂しい感じもしますね」

 

「島は賑やかだったからな。まあ、こっちもすぐに、賑やかにしてやるよ」

 

「ふふ、次は誰が来る予定なんです?」

 

「そうだな……。まだはっきりとはしていないが、駆逐艦の誰か、だろうな。噂によると、島の外に興味を持ち始めている奴がいるらしい」

 

「なるほど……。しかし、そうなると大変ですね。敷波ちゃんや雪風ちゃんはいいとしても、第六駆逐隊、第七駆逐隊は、島を出るにしても、全員で、という形でしょうから……」

 

鹿島はその先を言わなかったが、どうしてそれが大変な事なのかは、分かっていた。

第六駆逐隊には響がいる。

俺の正体を明かしてから、響とは交流が出来ていない。

あいつも俺を避けているようだし、簡単にはいかないだろう。

そして、敷波と雪風を除いた、残る駆逐艦……。

第七駆逐隊と、朝潮・霞コンビだ。

漣、朧、朝潮は、俺に心を開いてくれているようだが、第七駆逐隊の曙・潮、霞に関しては、響と同じように、俺を避けている様子であった。

曙と潮が島を出る気が無ければ、第七駆逐隊は島に残ってしまう。

朝潮もまた、霞が一緒でなければ、島を出ないだろう。

 

「まあ、大変だろうが、何とかするさ。今はそれよりも、お前との時間を楽しむことにするよ」

 

そう言って笑顔を見せてやると、鹿島は目を細くした。

 

「そんなクサイ台詞、どこで覚えたんですか?」

 

「え?」

 

「島に居た時の提督さんは、そんな台詞、言いませんでした……」

 

「い、嫌だったか?」

 

「いえ……。なんというか……こなれてきたというか……。皆さんと二人っきりでデートするうちに、そんなことを覚えちゃったんだなぁって……」

 

唇を尖らせる鹿島。

なるほど、そういう事か。

しかし……。

 

「えーっと……どういう事だ?」

 

わざととぼけて見せたが、鹿島は分かっているのか、深くため息をついた。

 

「こんなことなら、もっと早くに、二人っきりになった方が良かったのかもしれませんね……」

 

「す、すまん……?」

 

困惑する俺に、鹿島は悪戯な笑顔を見せた。

 

「ふふ、冗談ですよ。でも、誰にでも見せるような笑顔で、適当にあしらうのは止してください」

 

「あ、あぁ……努力するよ」

 

「努力したら駄目なんです! もっとこう、自然な笑顔で!」

 

「自然な笑顔……」

 

「ほら、山風さんには見せていたじゃないですか。自然な笑顔」

 

山風に見せていた笑顔……。

どんな笑顔だ……?

思い出そうとしていると、鹿島が足を止めた。

 

「ん、どうした?」

 

「いえ……。その……前から訊こうと思っていたのですが……。山風さんって……本当はまだ、提督さんの事が好きなのかなって……。そして……提督さんはその気持ちに気が付いていて、提督さんもまた……山風さんの事が……好きなのかなって……」

 

そう言うと、鹿島は俯いてしまった。

テンションの落差に寒気を感じながら、俺は真剣な表情で鹿島に向き合った。

 

「山風さんと過ごすうちに、どうして提督さんが山風さんを好きになったのか、なんとなく分かってきたのです。今の山風さんは、私の知っている頃とは、まるで別人のようで――とってもいい人ですし、美人で可愛くて――。何よりも、提督さんの事を凄く慕っていて――提督さんもまた、山風さんを信頼しているようで――山風さんにしか見せない表情もあって――それは、山風さんも同じで――……」

 

語れば語るほどに、声のトーンが下がって行く。

それと同じように、頭の位置も――。

 

「……正直に言いますと、私は、山風さんの事を甘くみていました。いくら提督さんが好きになったとは言え、山風さんには負けないだろうって……。鹿島が人化すれば、きっと、提督さんは……って……」

 

「鹿島……」

 

「……ダメですよね。こんな事を思っちゃうなんて……。私は、そんな疚しい気持ちで島を出た訳じゃないのに……。でも……」

 

鹿島は顔を上げると、顔を真っ赤にさせながら、言った。

 

「やっぱり……好きなんです……。貴方の事が……」

 

この時、俺がどんな顔をしていたのかは分からない。

だが、鹿島は――。

 

「――それですよ」

 

「え?」

 

「鹿島にしか見せない表情。その顔が、欲しかったのです」

 

鹿島は辺りを確認すると、近づき、そっと口づけをした。

 

「……俺にその顔をさせる為に?」

 

「さあ、どうでしょう?」

 

鹿島は舌をペロッと出して見せると、俺の腕を抱きしめた。

 

「お前は……」

 

「うふふ、ごめんなさい。でも、言ったことは嘘じゃないですからね?」

 

「それは……『どっちのこと』だ……?」

 

「どっちだったらいいですか?」

 

俺が答えられないでいると、鹿島は嬉しそうに笑った。

 

「良かった。誰とデートしても、結局、提督さんは提督さんのままでしたね」

 

「それも――……いや、訊かないでおこう……。その方が、お前好みなのだろうしな」

 

俺なりの抵抗であったが、その抵抗もまた、鹿島好みであったらしく、より一層笑顔にしてしまったのであった。

 

 

 

夕方。

鹿島と共に寮へ向かう道中、島風と天津風に会った。

 

「提督!」

 

「おう。何してんだ? こんな所で」

 

「島風の走りのタイムを計っていたのよ」

 

「なるほど。して、どうだったんだ?」

 

そう訊いてやると、島風はしょんぼりとした表情を見せた。

 

「人間の足……とっても遅いの……。見てて……」

 

そう言うと、島風は走り出した。

島で見たものとは違い、それはとても平凡な速度であった。

 

「はぁ……はぁ……。ね……? 遅いし、すぐ疲れるし……。おまたから血が出るし……。すぐ太るし……。人の体って、とっても不便……」

 

「そうか……」

 

俯く俺の気持ちを察してか、天津風が口を開いた。

 

「でも、推定年齢近くの人間と比べたら、島風の走りはトップクラスなのよ。決して遅い訳じゃないわ」

 

「そうかもしれないけれど……」

 

「それに、生……貴女が言ったことは全部、体が成長している証拠よ。そうなれば、もっと足が速くなるし、この人ももっと、貴女の事が好きになるんじゃないかしら?」

 

そう言うと、天津風は俺を見た。

島風はそれに、何やら焦りの表情を見せていた。

 

「あ、天津風……!」

 

「あら、貴女にも羞恥心があったのね」

 

「何の話だ?」

 

「あのね、島風ったらね?」

 

「わー! わー! わー! ダメダメダメ! 言っちゃ駄目ー!」

 

「ふふ、分かったわよ」

 

「おいおい、なんだ? 気になるじゃないか」

 

「ダメ! 内緒の話! もう! 行くよ、天津風!」

 

「あ、ちょっとぉ!」

 

島風は天津風の手を引いて、寮へと戻っていった。

 

「もうすっかり仲がいいんだな、あいつら」

 

「えぇ。天津風さんも、毎日楽しそうです。これも全部、提督さんが導いた結果なんですよ?」

 

それは、称賛というよりも、どこか慰めのように聞こえた。

 

「……あぁ。あいつらが喜んでくれているのなら、良かったよ……」

 

鹿島は俺の手を握ると、そっと寄り添った。

 

「私も幸せです。ですから……」

 

「あぁ……悪かった。せっかくのデートなのに、こんな顔、してちゃいけないよな」

 

「そうですよ! いい男が台無しですよ?」

 

鹿島は俺の顔を指で突くと、ニコッと笑った。

いい男、か……。

 

「さて……。名残惜しいですが、私たちも帰りますか」

 

「ん、鹿島」

 

「はい?」

 

「ここからは、少しだけ、ゆっくり歩かないか?」

 

その理由は言わなかった。

言わずとも、伝わると知っていたからだ。

 

「流石は、いい男ですね」

 

「相手がいい女でなければ、こんなクサイ台詞、言わないさ」

 

そう言ってやると、鹿島は顔を赤くして、唇を尖らせた。

 

「さっきの仕返しですか……?」

 

「お前の好みに付き合ったんだ。俺の好みにも付き合ってほしいと思ってな」

 

鹿島は少し悔しそうな顔を見せると――いや……。

 

「なんだ、その表情? 初めて見るぞ」

 

その表情について、鹿島が何かを言う事はなかった。

 

 

 

寮に入り、出迎えてくれたのは――。

 

「あれ?」

 

「おっすー、雨宮君」

 

「北上? と、秋雲か……」

 

「あ、あれ? なんか今、秋雲さん、ガッカリされてなかった?」

 

北上と秋雲は、いつもの外行きの格好ではなく、部屋着のような、ラフな格好であった。

 

「どうしたんだ? こんな時間までいるなんて、珍しい」

 

そう言ってやると、北上と秋雲は、互いに顔を見合わせ、笑っていた。

 

「んー、そうねぇ……。どうしてだと思う?」

 

「え?」

 

「正解したら、秋雲さんがいいものあげちゃう~」

 

「いいものって……。まさか……」

 

秋雲が粘度のある笑顔を見せると、山風が頭を叩いていた。

 

「ちょ、まだ何も言ってないじゃないっすか!?」

 

「どうせ、碌なものじゃないんでしょ……。ごめんね、雨宮君。実は、北上さんと秋雲は、今日から『指導艦』として、この寮に住むことになったの」

 

「『指導艦』?」

 

「うん。この前、決まったことでね? これから、島を出る艦娘が増えることを見越して、常に社会的常識を指導できる者が必要だってことになったの」

 

「それで選ばれたのが、普段から出入りしていた、あたしと」

 

「秋雲さんって訳。あと、山さんもね」

 

「そうであったのか……」

 

全く知らなかった。

どうして海軍は、こういった大事なことを教えてくれないんだ……。

 

「これでいつでも会えるね、雨宮君」

 

「あぁ、そうだな」

 

「秋雲さんもだよ、雨宮君。手入らず同士、密室、7日間。何も起きないはずがなく……。秋雲さんの部屋は、いつでも鍵を開けておくからさぁ……ね……?」

 

「秋雲っ!」

 

「ヒェ~w」

 

「もう……」

 

呆れる山風。

だが、秋雲と一緒に住めることが嬉しいのか、複雑な表情を見せていた。

 

「少しは騒がしくなりそうじゃないか、鹿島」

 

「えぇ、本当に」

 

鹿島は本当に嬉しそうな表情を見せていたが、秋雲の放った一言で、一変した。

 

「と、いう訳で! 晴れて秋雲さんも、『TMD』に参加できることになりましたー! イエーイ! デートっ……! デートっ……! デートっ……! 圧倒的デートっ……!」

 

盛り上がる秋雲に対し、皆の表情はどこか――いや、そう見えるのは、俺が自惚れているだけなのかもしれない。

 

「……秋雲さんは『指導艦』ですから、その権利はないものかと」

 

「『指導艦』だからこそあるんでしょうがァ~~~! 艦娘と多く関わる雨宮君の意見は、わっしら『指導艦』(三大将)には貴重だからねェ~~~……」

 

「だからと言って、意見を聞くのに、わざわざ『TMD』を使わなくても……」

 

「お~~~……鹿島さん。秋雲さんに雨宮君が取られるの、コワイねェ~~~……」

 

「別にそういうことでは……」

 

「"光" の速度で男を奪われたことはあるかい」

 

何やら独特の言い回しで煽る秋雲。

あれも、何かのネタなんだろうな……。

鹿島には伝わっていないようだが……。

山風は分かるのか、呆れた表情を見せていた。

 

「はーい、はいはい! そこまでだよ二人とも。これから一緒に生活していくんだから、喧嘩はよしなってー」

 

北上にそう言われ、鹿島は唇を尖らせながら、引き下がった。

秋雲は何故か、勝ち誇った表情を見せていた。

 

「悪いな、北上」

 

「いいっていいってー。それよりもさー、この二人よりも、あたしにしときなよ。色々サービスするし、NGもないしさー。あ、なんなら、大井っちも一緒に交ぜてヤッちゃうとかどうよ?」

 

「「北上さん!」」

 

叫んだのは、山風と鹿島であった。

 

「冗談だってばー。ま、そういうのは後にやるとして……。雨宮君、今日は夕飯、こっちで食べるんでしょ? 皆、バレンタインのチョコの代わりに、カレーつくっているよ。早く食堂へ行ってあげなよ」

 

「そうであったか。なら、早く行ってやんないとな」

 

「そうそう。ほら、皆も。早くしないと、雨宮君の席の隣、奪われちゃうかもよー?」

 

北上がそう言うと、皆はそそくさと食堂へと向かっていった。

 

「流石は指導艦だな」

 

「まーね。こう見えてもあたし、学校の先生だったからさ。あの手の相手は慣れたもんよ」

 

「そうだったのか。じゃあ、先生を辞めて、ここに?」

 

「うん。大井っちが島を出たら、こうするって決めていたんだ。だって、考えてもみてよ。あの大井っちだよ? 普通の人じゃ、絶対、手に負えないでしょ? あたしが傍に居ないと、何をするか分かったもんじゃないよ」

 

まあ、確かにそうかもしれないが……。

案外、辛辣な事を言うのだな……。

 

「それに、思ったんだ。大井っちが島を出ることがあったら、それはきっと、『提督』みたいな人の仕業だろうって。あたしはもう一度、そういう人に会ってみたかったんだ。一緒に、仕事をしてみたかったんだ……」

 

北上はじっと、俺の顔を見つめていた。

 

「あたしはさ……雨宮君と出会えて、本当に良かったって、思っているよ。大井っちにも再会できたし、皆も、とっても幸せそうだしさ……。本当に感謝している……」

 

「フッ……なんだよ、急に」

 

「んー……。なんだろうね? なんか、急に感謝したくなったっていうかさ……。こういうのは、あたしらしくないって、分かってはいるんだけれど……。雨宮君には、あたしの気持ち、知っておいて欲しいんだよね……」

 

そう言うと、北上は顔を赤くした。

 

「まー……なんてーの? そんな感じ! あーあ、なんか、お腹空いちゃったよー。雨宮君、早く食堂へ行こう?」

 

「……あぁ」

 

北上は、俺に親父を見ているのだろう。

親父とは出来なかった事。

親父としたかった事。

口には出さなかったが――或いは、本人にも自覚が無かったのかは分からないが――。

 

「…………」

 

北上はきっと、本気で親父の事を――。

 

 

 

カレーは、大変美味であった。

 

「おっと、もうこんな時間か……。そろそろ帰らなければ……」

 

皆が一斉に、残念がる声を上げてくれた。

 

「もう行ってしまうのか……? 提督よ……」

 

「あぁ、悪いな、武蔵。本当はもっと話したかったのだが……」

 

寂しそうに俯く武蔵。

島で見せていた威厳は、もはや消えていて、まるで寂しがる犬のようであった。

 

「そんな顔をするな。またすぐに会えるさ。次のTMDは、お前が相手なんだろ?」

 

「そうだが……。あと一週間もあるぞ……」

 

そう言う武蔵に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「すまん。あまりにも可愛い事を言うもんだと思ってな。本当、丸くなったな、武蔵」

 

「……貴方の前でだけさ」

 

「そういうのは、次の、二人っきりで会った時に見せてくれ。ほら、皆も不思議そうにお前を見ているぞ」

 

そう言ってやると、武蔵は顔を真っ赤にさせ、恥ずかしそうに皆に言い訳を始めていた。

 

「提督」

 

「鈴谷、熊野」

 

「相変わらずの人気っぷりだね。鈴谷たちも話しかけようと思ったんだけれど、中々近づけなかったんだよね」

 

「そうであったか。悪かったな」

 

「ううん。あのね、今度、鈴谷たちもTMDに参加することになったんだ」

 

「え!?」

 

「ご心配なく。鈴谷とわたくし、提督の三人で、という事になりますわ」

 

……だよな。

ったく……ビビったぜ……。

 

「なるほど……。しかし、どうしてTMDに?」

 

そう訊くと、二人は顔を見合わせ、ニコッと笑って見せた。

 

「わたくしたちも、貴方という人をもっと良く知りたいと思いましたの」

 

「俺を?」

 

「そっ! 思えば、鈴谷もまだ、提督の全てを知った訳じゃないしさ。島で過ごした時間も、作戦の内だったじゃん? だから、もっとしっかり、知りたいなって!」

 

どうしてそう思ったのかを知りたかったのだが、二人はその理由について、深く語ることはなかった。

いや、案外、誰かの事を知りたいという気持ちに、深い意味なんてないのかもしれないな。

 

「そうか……。俺も、同じ気持ちだ。もっとお前らの事を知りたい。もっと、仲良くなれたらって、思っていたんだ」

 

そう言ってやると、鈴谷と熊野は、嬉しそうな表情を見せてくれた。

 

「おっと……そろそろ……。じゃあ、みんな! また一週間後に! カレー、ありがとうな! とても美味しかった!」

 

別れを惜しむ声に後ろ髪を引かれつつ、俺は鈴木の待つ船へと向かった。

 

 

 

鈴木はやはり、缶コーヒーを俺に渡してきて、途中で船を停めた。

 

「それ、カレーか?」

 

「ん、あぁ。あいつらが作ってくれてな。食いきれないからと、持たされたんだ」

 

「なるほど。それにしても、お前って本当、艦娘に好かれるよな。聞いたぜ?『TMD』ってお前……」

 

「あぁ。『独占』と『日』が英語なんだから、『提督』も『A』にすれば良かったのにな」

 

「んなことは、どうでもいい……。俺が言いたいのはよ、このままいくと、お前、あいつらに依存されちまうんじゃねーのって事だ」

 

「依存?」

 

「あぁ……。艦娘ってのは、基本的に、ガードが堅いんだよ。元艦娘に独身が多いのは、それが原因だと言われているくらいにな」

 

「結婚している艦娘も、多いっちゃ多いだろ」

 

「その大半は、島に出向してきた奴と結婚した例だったり、海軍関係者と結婚した例だろ? 島を出て、社会に出て、一般人と結婚したって例は、極めて稀だ」

 

確かに、あまり聞いたことはない。

 

「それが、どうかしたのか?」

 

「いや、だからよ……。そんなガードの堅い奴らが、こぞってお前に夢中になっているだろう? このまま社会に出ても、お前の元を離れることが出来るのかなってさ……」

 

そう言われ、すぐに否定できない自分がいた。

 

「ガードの堅い艦娘だが、一度でも誰かに心を開くと、そいつにとことん依存するって話だ。大丈夫だとは思うが、少しは意識して接した方がいいぜ。そうじゃないと、お前も、坂本さんのように……」

 

『私はもう駄目だった……。何もかも失って……立ち直ることが出来なかったのだ……』

 

上官……。

 

「そういや、聞いたか? 坂本さん、謹慎が解けたって」

 

「え? そうなのか?」

 

「あぁ……。だが……もう本部には戻れないらしくてな……。異動先はまだ分からないが、まあ、地方に飛ばされるのは確定だろう……」

 

「そんな……」

 

「……坂本さんは、お前に夢を託したんだ。坂本さんの気持ちを無下にしてやるなよ……」

 

「……あぁ、分かっているさ」

 

俺は、本土に目を向けた。

 

『お前も、坂本さんのように……』

 

「依存……か……」

 

本当に依存しているのは、あいつらか、それとも――。

 

 

 

島に着くと、明石が出迎えてくれた。

 

「お待ちしておりました」

 

「おう。遅くなって、悪かったな」

 

「いえ! 準備は出来ていますよ。ささ、早く!」

 

そう言うと、明石は俺の手を引いた。

歩みを進める度に、明石の長い髪が、まるで犬のしっぽの様に、元気に揺れていた。

 

 

 

家に着き、居間へと向かうと――。

 

「おぉ!」

 

クリスマスの時の様に、部屋が飾られていた。

 

「凄いな」

 

「えへへ。クリスマスで使ったものがほとんどですが……ほら、これなんかは、ちゃんと、この日の為に作ったものですよ」

 

「おぉ、本当だ。大変だったのではないか?」

 

「いえ! ずっと楽しみにしていましたので! 大変だったことと言えば、皆にバレないよう、家に近づけさせなかったことくらいです」

 

「そうか。しかし、これだけの装飾をしておきながら、皆にはバレなかったってのは……」

 

「今日は大事な日なので、家には近づかないで欲しいと、皆さんにお願いしておいたのです。当然、理由は訊かれましたが、頭を下げて、何とか理解してもらいました」

 

「頭まで下げたのか……。なんか、ごめんな……」

 

「い、いえ! 提督は悪くないです! だって、本当だったら、もっと大勢で祝った方が、楽しかったのだろうと思うんです……。でも……私は……提督と二人っきりが良かったから……。だから……謝らないでください。悪いのは、そんな我が儘を通した、私なんですから……」

 

そう言うと、明石は反応を待つように、俺を上目遣いで見つめた。

 

「フッ、今日の主役は、俺なんだぜ?」

 

「……分かっていますよ。でも、少しはカッコいい事、言ってくれてもいいんじゃないですか?」

 

「そういうのは、もっと酔ってから言わせてほしい」

 

「まるで、最初から台詞を用意しているみたいな言い方じゃないですか……」

 

「素面じゃ言えない言葉もあるってことだ。お前に言いたいこと、伝えたいことがたくさんあるんだ。もっと時間をかけて、伝えたいんだ」

 

そう言ってやると、明石は少し悔しそうな表情を見せた後、ほんのりと顔を赤くした。

 

「さて、然るべき言葉を、まだ貰っていないが?」

 

明石はそっぽを向くと、「言いません」と言った。

 

「酔ってから言うつもりか?」

 

「……だって、こんな雰囲気で言いたくないですもん」

 

「でも、お前にしか言えない言葉だし、お前からしか聞けない言葉だ。いい雰囲気で言おうが、簡単に言ってしまおうが、その言葉の価値は変わらんぞ」

 

「そうかもしれませんけれど……」

 

「今、聞きたいんだ。酔っていない状態でさ」

 

「…………」

 

「明石」

 

明石はこちらに顔を向けると、細くなった目で俺を見つめた。

 

「本当に言って欲しいのですか……? 私の機嫌を取ろうとしているだけとか……」

 

「別にそういう訳じゃないのだが……。面倒くさい奴だな……」

 

「そうですよ……。私は、面倒くさい女です……」

 

再びそっぽを向いてしまう明石。

正直、夕張よりも面倒くさいと思った。

 

「……分かったよ。こんな雰囲気じゃ、駄目だよな。なら、仕切りなおそう」

 

「え……?」

 

「今日はもう帰れ。明日にしよう。皆には俺から事情を説明しておく。だから、バレることはない」

 

「え……その……」

 

俺は、本土で貰ったカレーをしまう為、冷蔵庫を開けた。

そこには、明石が作って来たであろう肴と、酒瓶が入っていた。

ラップに包まれたチョコレートもあり――そこには、然るべき言葉と共に、明石の気持ちが添えられていた。

 

「…………」

 

「提督……その……私……」

 

「……悪い。少し、意地悪を言った」

 

「え……?」

 

「こういうのさ、慣れていないんだ。だから、ちょっと、いつもの雰囲気にしようと、茶化してしまった。悪かったよ」

 

「え……い、いや……その……。私の方こそ……」

 

俺は冷蔵庫を閉め、明石に向き合った。

 

「提督……」

 

「こんな雰囲気で悪いが、やっぱり今日、言って欲しい。この日をずっと待っていたのは、お前だけじゃないんだ……。だからさ……」

 

そう言ってやると、明石は俯き、俺の胸に頭を預けた。

 

「明石……」

 

「……本当ですか?」

 

「え?」

 

「この日を待っていたこと……。本当ですか……?」

 

先ほどの面倒くさいモードとは違い、明石の声は――。

 

「あぁ、本当だよ。少しは信じて欲しいもんだがな」

 

明石は顔を上げると、困った顔で言った。

 

「だって、ペテン師じゃないですか。提督ったら」

 

「フッ、確かに。無理もないか……」

 

「そうですよ……」

 

明石は俺の背中へと腕をまわすと、そっと抱きしめた。

 

「提督……」

 

「ん」

 

「お誕生日……おめでとうございます……」

 

「……あぁ、ありがとう、明石」

 

明石はしばらく抱きしめていたが、やがて離れると、嬉しそうな、恥ずかしそうな笑顔を見せた。

 

「えへへ……やっと言えました」

 

「俺も、やっと聞けたよ」

 

『もっと早くお祝い出来たらよかったのにって……。提督の誕生日、もっと早くにできないんですか……?』

 

そんなに経っていないのにもかかわらず、明石の目は、長年の夢が叶ったとでもいうようにして、輝いていた。

 

 

 

『今日の主役』と書かれたタスキをかけられ、二人っきりの誕生日会は始まった。

 

「本当は、ケーキでお祝いできれば良かったのですが……チョコレートでご勘弁を……」

 

「いや、十分だ。バレンタインデー前日でもあるし、ちょうどいい」

 

明石は隣に座ると、体を密着させた。

 

「おいおい、飲み食いしづらいよ」

 

「大丈夫ですよ! 私が食べさせてあげますから! ほら、あーん」

 

「そういう問題ではないのだが……」

 

「それに、ほら! 自分で言っているじゃないですか!『今日の主役』って。こんなに主張されたら、こうなるのも当然ですよ!」

 

「これはお前が……」

 

「ほーら! いいから! あーん!」

 

明石の奴、妙にテンション高いな……。

まだ酒が入っているわけでも無いのに……。

 

「ん……」

 

「どうです? 美味しいですか?」

 

「あぁ、美味いよ。だが、自分で食わせてくれ」

 

「ダメです! ほら、お酒も飲ませてあげます」

 

「いや! いいいい! それは流石に自分でやる! 絶対零すやつだから!」

 

そう言うと、明石は自分で酒を飲み始めた。

諦めてくれたのかと、ホッとしていると――。

 

「んんっ!?」

 

明石は口づけをすると、俺の口に酒を流し込んだ。

 

「んぐっ!? お、お前な……!?」

 

流石にやり過ぎだと――説教してやろうと、明石の顔を見ると――。

 

「……お前」

 

明石は顔を隠すように、俯き、頭を俺に預けた。

 

「……そんなに恥ずかしがるのなら、最初からやるな」

 

「すみません……。この勢いなら……いけると思って……」

 

だから、やたらと食わせたがったのか……。

 

「嫌……でしたか……?」

 

「そ……ういう訳ではないが……。その……ちょっと驚いただけだ……」

 

「じゃあ……もう一回してもいいですか……?」

 

「何故そうなる……」

 

永い沈黙。

 

「……分かったよ」

 

「え……!?」

 

思わず顔を上げる明石。

その表情は、驚きと期待の色を見せていた。

 

「ただ……これっきりにしてくれ……。お前とはもっと……こう……ちゃんとしておきたいというか……。今日だって、そういうつもりではなかったはずだろ……」

 

俺の言葉が耳に入っているのか入っていないのか、明石は唖然としていた。

 

「明石?」

 

「あ……は、はい! 分かりました! これっきりにします! ……今日は」

 

最後、なんか不吉だったが……。

 

「あの……せっかくしていただけるという事なので……。一つ、お願いがあるんですけれど……」

 

「お願いって……。今日の主役は俺だろう……?」

 

そう言ってやると、明石は俺のタスキを奪い、自分にかけた。

 

「お前な……」

 

「だ、だって……! 提督が許可してくれるなんてこと……もう無いかもしれないと……思っ……て……」

 

もう無いかもしれない。

自分で言っておきながら、ショックを受けているようであった。

本当、こいつは……。

 

「な、なんで笑っているんです!?」

 

「いや……。なんか、ずーっと、分かりやすいなって思ってな」

 

「なんですか……それ……」

 

「して、お願いとは?」

 

明石はもじもじと手を揉んだ後、小さい声で言った。

 

「提督から……してくれませんか……?」

 

「え?」

 

「提督からして欲しいです……。キス……」

 

俺から……。

嫌だという訳ではないが……。

まだ願いをきくとは言っていないと、逃げでもいいが……。

 

「…………」

 

そんな目で見られてしまってはな……。

 

「するのに理由が欲しいですか……?」

 

俺は、心を読まれた気がして、ドキッとしてしまった。

 

「だったら……おまじないだという事でいかがでしょう……?」

 

「おまじない?」

 

「ほら、響ちゃんが言っていたじゃないですか……。元気が出るおまじない……」

 

『笑顔になるおまじないだよ』

 

そう言えば、そんなことあったな……。

 

「おまじないだと言うのなら……しやすくなりませんか……?」

 

「まあ、確かに……。だが確か、あれは頬にするものだが、それでいいのか?」

 

少し揶揄うように言ってやったつもりだったが、明石は――。

 

「むしろ……キス……唇以外にすること、考えていなかったのですか……?」

 

思わぬカウンターに、俺は赤面してしまった。

 

「あ……すみません! その……気を悪くしたというのなら……!」

 

「いや……ちょっと恥ずかしくなっただけだ……。しかし、そうだな……。考えてなかったよ……。その手があったな……」

 

「ん……」

 

明石は、タスキを俺に見せつけた。

 

「……分かったよ」

 

俺は明石に向き合った。

大きく、綺麗な瞳が、俺を見つめていた。

 

「じゃあ……するぞ……」

 

「は、はい……!」

 

明石は、キュッと目を瞑った。

そんな、これからくる痛みに備えるような……。

しかし、こっちの方が、まだ――。

俺は明石の肩を抱き、そっと口づけをした。

明石はゆっくり目を開けると、俺を見つめ、もう一度目を瞑った。

 

「――……」

 

そっと唇を離す。

すると、明石はもう一度、俺に口づけをした。

だがそれは、おまじないよりも深くて――。

 

「……おい」

 

「……ごめんなさい。つい……」

 

謝りながら、明石は、俺を強く抱きしめた。

心臓の音が、伝わってくるほどに。

 

「ごめんなさい……。私……ドキドキしちゃって……」

 

小さく震える体。

心臓の音から分かるように、相当緊張していたらしい。

 

「そうか……」

 

俺も――だが、優しく、明石を抱き返した。

どうしてそうしたのかは、自分でもよく分かっていない。

ただ、その理由づけになるであろうタスキの文字を見た時、俺もまた、明石を強く抱きしめることが出来た。

 

 

 

それから俺たちは、ロマンスな空気を変えるべく、ひたすら酒を飲み続けた。

 

「はぁ……酔っちゃいましたよ……。お酒にも、提督にも……」

 

「何をうまいことを……。俺の誕生日なんだから、お前が俺を酔わせないといけないんじゃないのか?」

 

「そうですけれど……。提督ったら、ちっとも照れたりしないし……。キスしてくれたのに、その先も無いし……」

 

「その先って、お前な……」

 

「私も島を出ることが出来たら……もっと提督に色々してもらえたりするのかな……」

 

「俺が島の外で変なことしているみたいな言い方やめろ」

 

「……しているんですか? えっちなこと……。鹿島さんとか……陸奥さんと……」

 

「してねーよ……」

 

「はぁ……。私も早く……島から出たいなぁ……」

 

そう言うと、明石はぽろぽろと涙を流し始めた。

泣き上戸が出て来たな……。

こうなると、本当に面倒くさいんだよな……。

 

「安心しろ。すぐに出してやる」

 

「本当ですか……?」

 

「あぁ。現に、もう12隻も出しているんだ。このままのペースで行けば、すぐだろうよ」

 

そう言ってやると、明石はそっと、俺に寄り添った。

 

「提督……早く私を……島から出してください……。私……貴方と同じ時間を生きたいんです……。貴方の事が……好きなんです……」

 

「明石……」

 

「私……私……」

 

明石が重くなって行く。

 

「お、おい……」

 

やがて、俺の肩で寝息をたてる明石。

もうちょっと面倒くさくなると思っていたが、まあ、ペースも速かったしな……。

同時に、時計が、日付が変わったことを知らせた。

 

「終わっちゃったな……」

 

もちろん、明石は返事をしなかった。

 

「……ありがとな、明石。最高の誕生日だったよ」

 

俺はゆっくりと立ち上がると、明石を寝かせ、毛布をかけてやった。

 

「さて……」

 

明石の近くに寝転がり、その寝顔を眺めた。

 

『提督……早く私を……島から出してください……』

 

すっかり忘れていたが、そうだよな……。

誰よりも島を出たいと思っているのは、お前だったよな……。

 

『貴方と同じ時間を生きたいんです……』

 

「俺と同じ時間を……か……」

 

明石が島を出るということは、全ての艦娘が人化したということであり、俺の第二の人生が始まることでもある。

もしそうなった時、俺は一体、どうなるのであろうか……。

そして、明石は――。

 

「…………」

 

とにかく今は、こいつの為にも、駆逐艦との交流を進めなければな……。

響の事もあるし、会話すらしたことがない駆逐艦もいて――大和の事もそうだし――まだまだやることが――……。

考えてゆく内に、それは夢の事のように感じて来て――つまり、俺はいつの間にか、瞼を閉じ、やがて眠ってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

見慣れない銭湯の脱衣所。

しかし、どこか懐かしさも感じる。

 

『ここは……』

 

湯上りなのか、体はぽかぽかしている。

客は一人もいない。

 

『とにかく、出てみるか……』

 

いつの間にか持っていた木製のキーで靴を取り出し、外へと出てみる。

暗くてよく見えないが、どうやら住宅街に銭湯はあるようだった。

 

『あれ……?』

 

聞き覚えのある声。

振り返ると、そこには――。

 

『明石!?』

 

『て、提督!?』

 

明石の手には、入浴セットらしきものが。

なるほど……。

 

『こりゃ……夢か……』

 

そうだよな。

明石がこんなところにいるはずないし、俺はさっき、酒を飲んでいて――。

いつの間にか、寝てしまったという訳か。

 

『夢……。そっか……。さっきまで、お酒を飲んでいて……いつの間にか寝てしまっていたんですね……』

 

『あぁ、そうだよ。お前、泣き上戸になってさ。飲むペースが速かったから、面倒くさい事にはならずに済んだが……』

 

『そうだったのですね……。って言うか、もしかして私たち、同じ夢を見ているんじゃないですか?』

 

『いや……ありえないだろ……。お前は俺の夢の産物だ。まあ、お前からしたら、俺がそうなのだろうけれども……』

 

『でも……こんなにも会話が成立することって、あり得ます?』

 

『それは、お前が夢の産物であるからで……いや、やめておこう。所詮は夢だ。自分と会話しているようなもんだし……』

 

そう言っても、明石は信じていないような表情を見せていた。

 

『しかし、いくら夢だとは言え、こんなにもはっきりとした夢があるのだな。何だか、匂いまでしてくるし……』

 

『そうですね……。私、こんな風景、知らないはずですけれど、何だか懐かしいって、思えるんです。何度も見て来たというか……。この靴だって、どうやって下駄箱を開けるのか、分からないはずなのに、なんとなく分かってしまったというか……』

 

その時であった。

 

『あ、あれ!?』

 

俺と明石の体が、『俺たちから抜けて行く』。

――いや、抜けているのは、俺たちのようだ。

まるで、幽体離脱のような――。

 

『な、なんだこりゃ!?』

 

『て、提督! 見てください!』

 

明石の指す方向に、俺たちはいた。

――いや、厳密に言えば、魂の抜けたはずの体が、何やら親し気に話しながら、どこかへ向かってゆく。

 

『どういうことだ?』

 

『あ!』

 

二人は、外灯の前で止まると、そっと口づけをしていた。

 

『…………』

 

『…………』

 

お互い、自分たちの事ではないと思いつつも、何だか赤面してしまう。

 

『とりあえず、追ってみませんか……?』

 

『そうだな……』

 

二人は、何やらイチャイチャしながら、ゆっくりと歩みを進めている。

 

『ここは、島の外なんですかね? だとしたら、私が知っている外の世界と、あまり変わらないというか……』

 

『車が空を飛んでいるとか、そういうのを想像していたか?』

 

『まあ、そうですね……』

 

そんな事を話している内に、二人は何やら、工房のような建物へと入っていった。

 

『ここは……』

 

二階に、明かりが灯る。

その瞬間、俺は――俺たちは、ここがどこであるかを理解した。

 

『『アトリエ明石……』』

 

互いに顔を見合わせる。

どうしてその単語が出たのか、お互いに、よく分からないでいるようであった。

 

『私……知っています……! ここは……私たちの……!』

 

『あぁ……』

 

気が付くと、俺と明石は、手を握っていた。

そして、先ほどの二人のように寄り添うと、そのまま工房の中へと――。

 

 

 

 

 

 

強い光に目が覚める。

目の前には、明石の顔があった。

明石もまた、目が覚めたところのようで、キョトンとした顔を見せていた。

 

「……おはよう」

 

そう言ってやると、明石は呟いた。

 

「『アトリエ明石』……」

 

それを聞いて、俺は、夢を見ていたことを思い出した。

まさか……。

 

「もしかして……お前も夢を……? あの、銭湯から始まる夢……」

 

「え……!? ウソ……。もしかして……」

 

明石は、夢の内容を話し始めた。

全部、俺が見た夢と一致していた。

 

「マジかよ……。そんなこと、あんのか……?」

 

「ほ、本当ですね……。まさか……夢の中でも会えるなんて……」

 

夢の中で会ったかどうかは分からないが、同じような夢を見ていたのは確かなようだ。

 

「こんな偶然があるのだな」

 

「えぇ、本当に」

 

そう言うと、明石は目を瞑った。

 

「おい、二度寝か?」

 

「はい。提督も寝てくださいよ。もしかしたら、もう一度、夢を見るかもしれませんよ。そうしたら今度は、提督を好き放題して……」

 

「馬鹿……流石に起きる時間だ。片づけはやっておくから、さっさと寮に戻れ」

 

「はーい……」

 

明石はフラフラとした足取りで、寮へと戻っていった。

 

「はぁ……」

 

しかし、かなりリアルな夢だったな。

銭湯といい、町の感じといい……。

何よりも、あの工房……。

アレに感じた懐かしさは、一体……。

 

「ん……!?」

 

そういえば、あの後――工房に入った後、俺たちはあの二階で――あの部屋で――。

 

『せっかくお風呂入ったのに、結局こうなるんですね』

 

「そうだった……」

 

明石は覚えていないようであったが……。

そうだった……。

夢の中で、俺と明石は――。

 

 

 

寮の玄関で靴を脱いでいると、漣と朧がやって来た。

 

「ご主人様、おっはー!」

 

「おはようございます、提督」

 

「おう、おはよう」

 

漣は、俺にしゃがむようせがむと、頭を撫で始めた。

 

「ご主人様、フラれたからって、いつまでも落ち込んでちゃダメですぞ!」

 

「お前……いつまでそのノリを続ける気だ?」

 

鈴谷たちの一件から、駆逐艦たちの間では、鈴谷にフラれた俺を慰める、というのがブームになっていた。

 

「だってー、落ち込んでるご主人様、とってもカワユスなんだも~ん!」

 

「別に落ち込んでないし、可愛いか……?」

 

何故、こんなブームが起きたのか。

それについて、大淀が解説してくれている。

 

『あれは、母性ですよ。人間にもあるでしょう? おままごとや、お人形遊びをすること。あれは、母性が育ち始めている証拠だと言われています。駆逐艦にも同じことがあるようで、弱い者を慰めたくなっちゃうみたいです』

 

要するに、駆逐艦たちは、人間がするようなおままごとだとか、お人形遊びをしてこなかった代わりに、俺のようなカワイソーな大人を慰めることによって、母性を発揮させているらしい。

つまり俺は、こいつらに、赤ちゃんか何かに見られているという事だ。

 

「提督、朧も、よしよししたい……です」

 

「あ、あぁ……。どうぞ……」

 

「よしよし」

 

朧の表情は、慈愛に満ちていた。

 

「……そろそろいいか?」

 

「はい! 提督、どんなことがあっても、朧は提督の味方です」

 

「漣もですぞ!」

 

「あぁ、ありがとう」

 

二隻は、何やら満足気な顔を見せると、食堂へと向かっていった。

しかしまあ……なんというか……。

こんなこと、あまり思いたくはないのだが……。

 

「悪くないぜ……」

 

 

 

食堂へ向かう前に、執務室へと向かう。

すると……。

 

「お!」

 

ノートが置かれていた。

大和からの返信だ。

 

「三日ぶりか。今回は、案外早かったな」

 

実は、鈴谷たちの一件が解決してすぐに、大和から返信があった。

どうやら、ゴタゴタが落ち着くまで、返信を待ってくれていたようであった。

 

「『海辺で、外国からの物とみられる漂流物を見ました』か……。どの辺りの事を言っているのだろうか?」

 

返信の内容は、いつもこんな感じだ。

『○○を見ました』だとか、『○○に行ってみました』とかだ。

その度に、俺は、同じ場所を探し、足を運んだ。

大和も同じようで、俺の書いた場所へ、足を運んでいるようであった。

 

「埋まって来たな、ノート」

 

俺は、大和の真意に気が付いていた。

どうしてそんな回りくどい事をするのかは、まだ分かっていないけれど……。

それでも――。

 

『お前もここで、この景色を見ていたんだな』

 

返信にあった場所へ向かう度に、大和の存在が感じられた。

それはきっと、大和も同じなのだろう。

言葉を交わさずとも、顔を合わさずとも、俺たちは確かに、お互いの存在を感じていた。

 

 

 

朝食を済ませ、執務室へ戻ろうとすると――。

 

「雪が降っているわ!」

 

暁の声に、皆一斉に、窓の方へと駆けていった。

 

「雪か……。この時期でも、まだ降るんだな」

 

「積もらなければいいのですが……」

 

そう言ったのは、大淀であった。

 

「雪かきが大変なんです。物資の運搬にも影響がありますし……」

 

「なるほどな……。しかし、大丈夫だろう。このくらいの雪であれば」

 

「だといいのですが……」

 

そんな事を言いながら、呑気に雪を眺めていたが、少し目を離した隙に吹雪いてしまい、気が付いた時には、外は真っ白になっていた。

 

 

 

それからも、雪は止む気配を見せず、ようやく落ち着いたのは、夕食の後であった。

 

「ようやく弱まって来たか……」

 

「足が埋もれてしまうくらいには、積もっていますよ」

 

「マジか……。靴、びちゃびちゃになるな……。長靴とかおいていないか?」

 

「あるにはあるのですが……。提督の足は大きいですから……」

 

艦娘用のしかないって訳か……。

 

「仕方ない……。濡れて帰るぜ……」

 

そう言うと、大淀は何か言いたげに、もじもじとし始めた。

 

「どうした?」

 

「あ、いえ……。その……。宜しければ、寮に泊っていったらどうです?」

 

「え?」

 

「この積雪ですし……。元々、出向してきた方たちは、寮に住んでいましたので、その用意はあるのですけれど……」

 

様子を窺うように、俺を見つめる大淀。

そうか……。

 

「そう言えば、親父もそうだったな」

 

そう言ってやると、大淀は慌てた様子を見せた。

 

「そ、そのようなつもりは……!」

 

「いや、いいんだ。むしろ、大丈夫なのか? 他の連中が嫌がりそうなものだが……」

 

「それについては、問題ないかと」

 

大淀の指す方向に、目を輝かせる駆逐艦たちがいた。

 

「司令官、寮に泊まるの!?」

 

「ご主人様! 漣のお部屋でワンナイトしましょう!」

 

「ワンナイトってお前……」

 

「提督。朧も、ワンナイトしたい……です」

 

こいつら、ワンナイトの意味分かってんのか……?

 

「ほらね?」

 

大淀は何故か、得意げな表情を見せていた。

 

「司令官!」

 

「ご主人様!」

 

「提督」

 

駆逐艦たちがワーワー騒ぐ中、どさくさに紛れて――。

 

「……何してんだよ? 明石……」

 

「え、えへへ……」

 

 

 

結局、何故か皆と食堂で眠ることになった。

 

「どうしてこうなったんだ……」

 

「仕方ないですよ。皆さん、提督とワンナイトしたかったんですから」

 

「誤解を招く言い方をするな……」

 

「まあでも、提督の事が好きでなくとも、非日常的な事が好きな方々ですから。ほら、あそこ」

 

大淀の指す方向に、なんと、潮や曙、霞に大和に――というより、全員が参加していた。

 

「大和まで参加しているのか……」

 

「この際ですし、近くに布団を持って行ったらいかがです?」

 

「馬鹿言うな……」

 

しかし、どういう風の吹き回しだろうか。

少しは、俺を信用してくれたという事なのか……。

 

「ご主人様! 漣の隣、空いてますよ!」

 

「朧の隣も、空いてます」

 

漣と朧の間に、俺の布団が入るだけのスペースが用意されていた。

まあ、一番安全な場所というか、他はちょっとな……。

 

「邪魔っ!」

 

俺を押しのけたのは、曙であった。

曙は、漣と朧の間に布団を置くと、潮をそこに寝かせた。

 

「ちょっと、ぼのぼの~。ここは漣とご主人様のサンクチュアリになる場所ぞ」

 

「馬鹿なこと言わないで……! あたしたちが守らないと、誰が潮を守るのよ……!?」

 

そう言うと、曙は俺を睨み付けた。

 

「随分だな。まるで、俺が潮に何かしたみたいな言い方じゃないか」

 

「したようなものよ! 漣たちはどうか知らないけど……あたしはあんたを信用していないから……!」

 

初絡みなのにもかかわらず、随分な言い草だ。

過去に、人間に何かされたという事だろうか。

 

「お前も同じなのか? 潮」

 

潮はビクッと体を強張らせると、怯えるように小さくなった。

 

「潮に話しかけんな! クソ人間!」

 

「クソ人間って……。口が悪いな……お前……」

 

「いいからあっちいけ! 潮に近づくな!」

 

まるで、威嚇する犬のように吠える曙。

こんなにも嫌われると、この島に来たばかりの事を思い出すな。

 

「分かったよ。怖がらせて悪かったな、潮」

 

「だから話しかけんな!」

 

曙に押され、俺はサンクチュアリを追い出された。

 

「素敵な交流が出来たじゃないですか」

 

大淀は嬉しそうにそう言った。

 

「あぁ、おかげさまで。しかし、そんなに守りたいのなら、参加しなければよかったのにな」

 

「部屋に一人で居るよりも、安全だと判断したのでは? 男はオオカミだって言うじゃないですか。尤も、提督はオオカミと言うよりも、去勢された犬と言った方が正しいかもしれませんけど」

 

「……お望み通り、オオカミになってもいいんだぜ?」

 

「私、肉は少ないですよ?」

 

「かなり好みだ、と言ったら?」

 

大淀は一瞬、視線を逸らした。

 

「一緒に寝るか? 赤ずきんちゃん」

 

「お腹に石を詰めますよ?」

 

「普通に怖いよな、それ」

 

大淀は笑うと、「私は遠慮しておきます」と言って、俺の背後を指した。

 

「ししし、司令官! あ、あのね……その……」

 

「提督、隣いいですか?」

 

「私も、いいかしら?」

 

「提督、私も……」

 

敷波、明石、夕張……鳳翔まで……。

 

「隣は……流石にな……」

 

 

 

最終的に、俺を中心に、円で囲むように眠ることで落ち着いた。

……俺は落ち着けないが。

 

「では、消灯しますね」

 

皆の「おやすみなさい」という声と共に、明かりは消えた。

だが、皆の話し声が止むことはなく、当然、俺も皆から話しかけられることになった。

 

「提督。提督って、好きな人、いるんですか?」

 

まるで、修学旅行に来た気分だぜ……。

 

 

 

しばらくすると、どこからか寝息が聞こえて来て、配慮するように、皆黙り始めた。

そして、寝息の数が増えて行き、やがて静かになった。

 

「やっとか……」

 

正直、こんな状況で眠れる気がしない。

やたらと寒いし、何よりも落ち着かない。

 

「んぅ……そこは……んっ……」

 

鳳翔の寝言か。

やたら色っぽいな……。

いかんいかん……。

さっさと眠らなければ……。

しかし、そう思えば思うほどに、時間は過ぎて行く。

これは、逆に起きていた方が良いのでは? と思い始めた時であった。

 

「……?」

 

誰かが起き上がったのか、遠くで影が動いた。

起こさない様にそろそろと歩いてくる。

――こちらの方に。

トイレに起きて来た……というには、方向が違う。

俺は寝たふりをし、細い目でそいつの行方を追った。

そいつは俺の前で止まると、しゃがみ込み、俺の顔をじっと見つめていた。

暗くてよく見えないが、小さな影であるところを見るに、駆逐艦の誰かであるようだが……。

 

「ねぇ……起きてる……?」

 

俺にしか聞こえないような小さな声で、語り掛ける。

この声……。

俺はあえて、返事をしなかった。

 

「寝ているわね……」

 

そう言うと、そいつは、俺の布団の中に入って来た。

思わず体が反応する。

そいつは動きを止めると、俺の反応を確認し、何もないと知ると、再び布団へ入って来た。

そして、俺の腕に寄り添うと、まるで胎児のように丸まっていた。

俺は恐る恐る目を開けた。

そいつは――霞は、眠るように目を瞑っていた。

どうして霞が、俺の布団の中に……。

しかし……これは……。

布団が徐々に温かくなって行く。

霞の体温が高いせいだろうか。

あぁ、なんだか……。

瞼が重くなって行き、気が付くと俺は、眠ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

『司令官は泳がないのかい?』

 

『荷物があるからな。それに、お前らが楽しんでいるのを見ているだけで、満足だ』

 

『本当は泳げないだけなんですよね、提督』

 

『いや、俺は泳げるけど……。ん? あれ……。ここは……。鳳翔? 響?』

 

『あら……? ここは……海……? どうして私たち、海に……』

 

『司令官……』

 

「響……」

 

『……っ!』

 

『あ、待て! 響!』

 

 

 

 

 

 

『綺麗だな』

 

『ずーっと一人でこの景色を見てました』

 

『流石に飽きるか?』

 

『えぇ。でも、提督がここに来てから、ちょっとだけこの星空が好きに……え……?』

 

『大和……?』

 

『どうして……貴方が……』

 

 

 

 

 

 

『新築なのに、なんだか古臭い家に仕上がったな』

 

『趣があっていいじゃないですか。それに、落ち着けそうでいい感じ。あの子たちもいませんし。私のような口うるさい艦娘もいませんよ』

 

『フッ、逆に落ち着けなさそうだ。それじゃあ、早速、家に行ってみるとするぜ』

 

『あ……ま、待って……!』

 

『え?』

 

『あ……れ……? 提……督……?』

 

『大淀……。ん? この家……なんだか随分綺麗に……』

 

『だ、駄目です! 近付いては……!』

 

『え?』

 

『行かないで……!『提督』!』

 

 

 

 

 

 

『え?』

 

『え……? 提督……わ……ひゃあ!?』

 

『あ、明石! お前……どうして裸なんだよ!?』

 

『て、提督だって裸じゃないですか!? っていうか、そそそ、その大きくなっているのってぇ……!』

 

『うぉ!? い、いやいやいや! これは……! っていうか、これってもしかして……』

 

『あ……これ……。昨日の夢の続き……ですか……?』

 

『夢の続き……って、お前まさか、夢の事、そのことまで覚えていたのか?』

 

『お……ぼえていますけど……。い、言えるわけないじゃないですか!』

 

 

 

 

 

 

『ひっ……! 嫌……! 触らないでぇ……!』

 

『潮に近づくな! クソ人間!』

 

『違っ! 俺は……! 手が勝手に……!』

 

 

 

 

 

 

『……司令官はさ、他の人とデートするとき、どんなところに行くの?』

 

『お前はどこに行きたいんだ?』

 

『……質問に答えてよ』

 

『今のが質問の答えだよ』

 

『じゃあ……遊園地行きたい……』

 

『了解』

 

 

 

 

 

 

『大人になるには、コーヒーを飲まなければいけないの?』

 

『まあ、そんなところだな。大人になってみるか?』

 

『うん……。じゃあ……うぇぇ……苦いよぉ……』

 

『おいおい大丈夫か……って、暁?』

 

『し、司令官? あれ? ここって……』

 

 

 

 

 

 

『電?』

 

『はわわわわ!? し、司令官さん……』

 

『どうした? 何か悩み事か……って、あれ? そんな指輪、していたか?』

 

『え? これは、司令官さんがケッコンカッコカリしてくれて……あれ?』

 

『ケッコンカッコカリって……確か、戦時中に……ん?』

 

 

 

 

 

 

『雷ママ……』

 

『えへへ、もーっと頼ってもいいのよ? なんたって……あれ? 司令官?』

 

『うぉ!? な、何やってんだ俺は!?』

 

 

 

 

 

 

『とってもかわいいぞ、漣! こっち向いてくれー!』

 

『やーん! 漣のメイド姿に、萌え萌えキュン! しちゃいましたか?』

 

『え? いや……そんな趣味は……あれ?』

 

『あれ? ご主人様……うぇぇ!? 漣、メイドさんになっている!? まさか、漣に催眠をかけて……無理やり!?』

 

『催眠……?』

 

 

 

 

 

 

『提督は、朧の事、そういう目で見たりしないんですか?』

 

『そ、そういう目というのは……?』

 

『こういう事……です』

 

『なっ!? 朧、そういうのは……って、何やってんだ朧! 早くスカートを戻せ!』

 

『え……あれ……? 提督……? あ……え……! お、朧……どうしてスカート……ご、ごめんなさい提督……!』

 

 

 

 

 

 

『司令官! 任務完了です!』

 

『おう、ご苦労であった』

 

『それで……その……いつものように……なでなで……して欲しい……のですが……』

 

『フッ、朝潮は甘えん坊だな。どれ、こっちに……って、どこだここ?』

 

『えぁ……し、司令官……?』

 

『朝潮……。えーっと……なでなで……して欲しいのか?』

 

『ぁ……ち、違います! これは……その……』

 

 

 

 

 

 

『ん……』

 

これは……。

また、何かの夢か……。

しかし、滅茶苦茶な夢だな。

ご丁寧に、島の奴らの夢を見せるなんて……。

 

『これは、誰の夢だ?』

 

『これは、山城さんの夢ですよ』

 

声をかけて来たのは――。

 

『誰だ……?』

 

『雪風です。島で見る姿とは、だいぶ違って見えるかもしれませんけど』

 

確かに、言われてみれば雪風のようではあるが……。

 

『大人っぽいと言うか……成長した感じだな』

 

『実際、成長しているんです。あの頃から、ずっと……』

 

『あの頃?』

 

『見てください』

 

雪風の指す先に、寮があった。

俺たちは、少し高い場所から、その景色を見ているようであった。

 

『あ……!』

 

寮の窓から顔を出したのは――。

 

『親父……なのか……?』

 

『えぇ、そうです。しれえのお父さん、佐久間さんです』

 

写真で見たことのある親父とは、少し、老けているように見えた。

 

『山城! 今日は天気が良いぞ! ほら、見てみろ!』

 

『そうね……』

 

『最近は天気が悪かったからな。まあ、今日は大丈夫だろう』

 

『……天気予報を聴いていないの? 今夜から、嵐が来るかもしれないって……』

 

『そうなのか? そんな感じには見えないがな』

 

山城はどこか、不安そうな表情を見せていた。

 

『そんな顔すんな。確かに、お前の言う通り、天災はどうにもならんし、恐ろしいことなのかもしれん。けど、天災からお前を守ることは出来る。ここには俺がいるんだぜ。必ず守って見せる。だから、安心しろ』

 

佐久間の笑顔は、どこか安心できるものがあった。

 

『……提督はいつまで、私に関わるつもりなのよ?』

 

『いつまでって……。お前が自立できるまでだ』

 

『そんなの……いつになるか分からないじゃない……。提督にだって……人生があるでしょうに……』

 

『そりゃ、お互い様だろう。お前にも、お前の人生があるはずだ。明るい人生がな』

 

『それでも……』

 

山城は、その先を言わなかった。

だが、佐久間は――『俺』には、その意味が分かっていた。

 

『安心しろ。『それ』までは、お前を守り続けてやる。どんなことがあってもだ』

 

俺が小指を差し出すと、山城は恥ずかしそうに、自分の小指を絡めた。

 

『約束だ』

 

その瞬間、親父の体から、俺は抜けていった。

 

 

 

 

 

 

誰かの泣く声。

蹲り、小さくなっているのは――。

霞……?

声をかけようにも、声が出ない。

触ろうにも、体をすり抜けてしまう。

もどかしい。

 

『司令官……司令官……』

 

慰めてやりたい。

声をかけてやりたい。

霞……。

霞……!

 

『ごめんな……霞……』

 

涙が頬を伝う。

それは、俺の涙ではなかった。

だが、確かに、温かい涙であった。

 

 

 

 

 

 

俺の顔に、誰かが何度も影を落としている。

 

「んん……?」

 

目を開けて見ると、皆が俺を覗き込んでいた。

 

「んぉあ!? な、なんだぁ……?」

 

慌てて飛び起きると、皆がおかしそうに笑っていた。

 

「んぉあ! だって!」

 

味噌汁の匂い。

時計は、朝食までのカウントダウンを残り僅かとしていた。

どうやら俺は寝過ごし、皆に観察されていたようであった。

 

「しまった……」

 

「ねぇ聞いて司令官! 暁ね、司令官の夢を見たのよ!」

 

「私も見たわ! 司令官ったら、あんなに甘えて……」

 

皆も同じなのか、自分が見た夢を一斉に話し始めた。

よく覚えていないが、俺も似たようなものを見た気がする。

確か、この島の艦娘達は全員――いや……全員ではなかったな……。

一隻だけ、夢に出てこなかった。

その一隻に目を向ける。

そいつは、盛り上がる皆の後ろで、ただじっと、その背中を見つめていた。

 

 

 

夢の事は、朝食時にも話題に上っていた。

 

「私も見ました。夢の中で、私は提督のお嫁さんで、子供に響ちゃんがいて……」

 

「漣も見ましたよ! ご主人様ったら、あんな趣味があったのなら、言ってくれれば良かったのに」

 

「朧も見ました。内容は……言えません……けど……」

 

「あれあれ~? おぼろん、もしかして、えっちな夢をみちゃったのかにゃ~?」

 

「ち、違う……! 違いますからね? 提督……」

 

「あ、あぁ……分かっているよ」

 

朧の狼狽える顔、初めて見たな……。

しかし、そうか……。

明石の時もそうであったが、どうやら皆、俺と同じ夢を見ているようだ。

という事は、大和達も同じ夢を……?

そう思い、大和に目を向けた時、ふと、潮と目が合った。

潮は体を強張らせ、顔を青くした。

そう言えば、潮が出てきた夢では――。

 

「う……うぉぇ……」

 

突如、潮が嘔吐してしまった。

 

「潮!?」

 

透かさず、曙が処置にあたる。

 

「お、おいおい……」

 

皆と共に、近づこうとすると――。

 

「来んな! クソ人間!」

 

叫んだのは、言わずもがな。

 

「あんたのせいだ……! あんたのせいで、潮は……!」

 

曙の気迫に、俺は思わず後退りしてしまった。

 

「あ……明石……潮の面倒を見てやってくれ……」

 

「は、はい! 潮ちゃん……口、ゆすぎに行きましょう……?」

 

去り際、曙は俺を睨み付けた。

しかし、その表情は、どこか複雑そうなものを見せていた。

 

「提督……潮さんとなにかあったのですか……?」

 

「いや……何もない……。ただ、食事中に目が合っただけで……」

 

「目が合っただけ……」

 

そう呟いたのは、漣だった。

 

「漣……もしかして、潮って……」

 

「うん……。やっぱりまだ、駄目だったみたいだにゃ……」

 

何やら事情を知っていそうな二隻。

だが、とりあえずは……。

 

「掃除しなければな……」

 

 

 

食後、漣たちは潮の元へと去ってしまった。

 

「事情を聞こうと思っていたのだがな……」

 

仕方がない。

大淀辺りにでも聞こうと、周りに目を向けると――。

 

「…………」

 

一隻だけ、まだぼんやりと食事している奴に目が行った。

皆、もう食べ終わって席を離れているのに、そいつだけは――。

 

「声、かけてあげて……」

 

そう呟いたのは、山城であった。

 

「あの子だけ……貴方の夢を見なかったようなの……。貴方はどうなの……?」

 

やはりそうか……。

 

「俺も見なかった……。残念ながらな……。すると、お前も俺の夢を……?」

 

山城は何も言わなかった。

 

「……夕張を突き放すようなことを言ったり、鈴谷と俺をくっつけようとしたり、お前は一体、何がしたいんだ?」

 

山城は俯くと、どこか寂しそうな表情を見せた。

 

「山城……?」

 

「……別に。気まぐれよ……」

 

そう言うと、山城は食堂を後にした。

気まぐれ……か……。

 

「さて……」

 

俺は、俺の夢を見れなかった奴の、前の席に座った。

 

「よう」

 

「あ……ごめんなさい……。すぐ、食べちゃうから……」

 

「別に、いいよ、ゆっくりで……」

 

「うん……。ごめん……」

 

夕張はゆっくりと飯を口に運ぶと、すぐに箸を置いてしまった。

 

「……そんなに落ち込むことか?」

 

「……何がよ?」

 

「俺の夢、見れなかったことだ」

 

「貴方だって、見なかったんでしょ? 私の夢……」

 

「正確には、お前の夢だけ見なかった。不思議な事にな」

 

夕張は退屈そうに、茶碗に残った麦飯を見つめていた。

 

「たかだか夢だろうに」

 

「されど夢、よ……」

 

俺が口を開こうとすると、夕張は重ねるように言った。

 

「面倒くさいでしょ? 分かっているわ。だから、何も言わなかったのに……」

 

「そんなに露骨に落ち込まれちゃ、放っておけねーだろ」

 

「いいわよ。放っておいて……。そうやって心配かけてしまう方が、私にとっては辛い事だから……」

 

鈴谷の一件から、夕張はあまり、俺に絡まなくなった。

パートナーとして、なんて言ってはいたものの、やはり、自分が絡まない方が、俺が苦労しないと、分かっていてのことなのだろう。

 

「夢、どんなの見たの……?」

 

「色々見たよ。よく覚えていないのもあるけど、思い出したくないものもあるし、思い出したらいけないものもあった」

 

「それって、誰かとセックスする夢とか?」

 

俺は、何も言わなかった。

 

「良かったわね。夢精しなくて」

 

「夢精なんて、したことないけどな。都市伝説だと思っているくらいだ」

 

「そうなの?」

 

「あぁ。他の男は知らんが、俺はしたことがない」

 

「溜まり過ぎて、勝手に出てきそうなものだけれど……」

 

「確かに……って、朝から汚い話題だぜ……」

 

「本当」

 

そう言うと、夕張は笑顔を見せてくれた。

 

「あーあ……。私も見たかったな……。貴方の夢……」

 

「夢の中まで来られたら、寝覚めが悪そうだ」

 

「何よそれ……。夢の中だったら、なんでもしてあげられるんだから。貴方の望みは何よ? 次、夢に出たらしてあげるわよ?」

 

「そうだな……。さっさと飯を食ってもらう事かな。でないと、俺が鳳翔に怒られる」

 

「欲のない男ね……。だから夢精もしないのかしら……」

 

「どういう意味だよ?」

 

「空っぽって事よ」

 

夕張は箸で、俺の下腹部を指した。

 

「……下品な女だ。さっさと飯を食っちまえってんだ」

 

俺が席を立つと、夕張はどこか嬉しそうに食事を始めた。

 

「フッ……ったく……」

 

 

 

執務室で待機していると、大淀と明石、漣と朧もやって来た。

 

「明石、潮の様子はどうだ?」

 

「今は落ち着いています。しかし……」

 

明石は、大淀を見た。

何か、言いにくいことがあるといった様子だ。

 

「……どうやら潮さんは、提督を怖がっているようでして」

 

「俺を怖がっている……か……」

 

確かに、目が合った時、潮は――。

それに、もし、あいつも、俺と同じ夢を見ていたというのなら――。

 

「ご主人様……」

 

「漣。お前、何か知っているな?」

 

そう訊くと、漣は黙り込んでしまった。

 

「私が説明します……」

 

そう言ったのは、大淀であった。

 

「お二人とも、ありがとうございました。後は、私が……。明石……」

 

明石は、二隻を連れて、部屋を出ていった。

 

「何か……あったんだな……。過去に……」

 

「……この事は、潮ちゃんの為にも忘れるつもりでした。でも、こうなってしまった以上、提督にはお話ししなければいけません……」

 

覚悟をもって聞け、という訳か。

 

「聞かせてくれ……。何が……あったのかを……」

 

大淀は思い出すかのように目を瞑ると、静かに語り始めた。

 

「潮さんは過去に、この島に来た男の人に、襲われたことがあるのです……」

 

 

 

 

 

 

残り――18隻

 

――続く



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20話

駆け付けた時には、もう遅かった。

裸の潮。

裸の男。

男の体液――。

 

 

 

潮の体に傷はなかった。

未遂に終わったようだった。

けれど――。

 

「曙ちゃん……私……私……」

 

潮は、人間を恐れるようになった。

何人もの人間が、潮の心を癒そうとはしてくれたけど、全て逆効果だった。

そう、あいつですら――。

 

『お前は優しいんだな』

 

『……そんなんじゃないし』

 

『俺の事は気にするな。いつもの通り、クソ人間と呼んでくれ』

 

『でも……』

 

『俺も、それが潮の為になると思っている……。潮の心は、お前にしか癒せない……。こんな事を言うのは、情けないかもしれないけれど……。潮の事、頼んだぞ』

 

そう言うあいつの表情は、どこか寂しそうだった。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

この島に、多くの艦娘が居た頃の話です。

とある男性が、この島に出向してきました。

子供が大好きで、とても人のいい方でした。

特に、潮さんは、その人に恋心を抱くほど、夢中になっていたようでした。

 

 

 

その頃の潮さんは、まだ、男性に対する恐怖心だとか、人間に対する恐怖心は抱いておりませんでした。

ただ、自分が、他の駆逐艦たちと比べて発育が良く『そういう目』で見られてしまうことには、気が付いているようでした。

 

 

 

そんな潮さんを、出向してきた男は――仮に、Aと呼びましょうか――Aは、まるで自分の娘のように溺愛しました。

Aが向ける潮さんへの目は、とても温かいものに見えました。

潮さんも、それに気が付いていたようで『このままでは、自分は恋愛の対象にならないかもしれない』なんて、可愛らしい悩みなんかも持っていたくらいです。

だから、あんな事が起こるなんて、誰も予想していなかったのです。

 

 

 

夜中の事でした。

悲鳴が、潮さんの部屋から聞こえてきました。

何事かと駆けつけてみると――。

 

 

 

夜這いだったそうです。

幸い、潮さんに怪我はなく、未遂に終わったようでした。

しかし、潮さんが負った心の傷は、とても深いものとなりました。

大好きだった人に裏切られ、穢されそうになったのです。

無理もありません。

 

 

 

そこから潮さんは、人間を――男性を信じられなくなりました。

出向してくる人間を恐れ、部屋から出られなくなることもありました。

酷い時には、船の警笛が聞こえただけで、吐き気を催すことも……。

 

 

 

 

 

 

「そういう事だったのか……」

 

「あれからだいぶ経っています。潮さんも、落ち着いていたのですが……」

 

原因はおそらく、夢によるフラッシュバックだろう。

もし、俺が見たあの夢を、潮も見ていたのだとしたら……。

 

「佐久間さんですら、潮さんの心を開くことは出来ませんでした……。今の潮さんがあるのは、曙さんの支えたがあったからなんです」

 

親父ですら……か。

 

「……もし、第七駆逐隊を人化せる気があるのなら、この問題を避けては通れませんよ。佐久間さんも、そのことが分かっていて、曙さんと――」

「――曙との交流を図ろうとし、そして失敗した。違うか?」

 

大淀は驚いた表情を見せた。

 

「まあ、そうせざるを得ないだろうな。潮との直接的な交流は逆効果になりかねないし、間接的にするにしても、曙の存在は欠かせないだろうからな」

 

「……流石、親子ですね」

 

「誰でもそう考える。しかし、親父は本当に曙との交流に失敗したのか? 上手くいっていたが、しくじったとか?」

 

「いえ……。何度も曙さんに話しかけてはいたようですが……。曙さんは悪態をつくばかりで……。最終的に、潮さんの事は曙さんに任せると、佐久間さんは言っていました……」

 

諦めた訳か。

親父らしくもない。

いや、あまり知りはしないのだが――それでも、今まで聞いてきた『佐久間肇』の出す結論としては、あまりにも――。

 

「大淀、お前から見て、佐久間肇と曙の交流に、何か違和感はなかったか?」

 

「違和感……ですか……?」

 

「あぁ。佐久間肇が、簡単に引き下がるとは思えん。お前もそう思っているのではないか?」

 

大淀は少し考えた後、どこか寂しそうな表情を見せた。

 

「大淀?」

 

「……私も、佐久間さんが簡単に引き下がるとは思いませんでした。何か、考えがあるのだろうと……。しかし……佐久間さんがそれを話すことはありませんでしたし、普段も、あの人は、私には何も言わずに……」

 

大淀はとうとう、俯いてしまった。

 

「……悪い。嫌な事を思い出させてしまったな……」

 

大淀は首を横に振った。

 

「いいんです……。それも、佐久間さんの作戦だったのだと思いますし、実際、それで成功していたこともありますから……」

 

俺は、夕張の顔を思い出していた。

大淀の表情は、夕張がよく見せていたものとそっくりであった。

つまり、俺は――。

 

「ごめんなさい……。お役に立てなくて……」

 

「いや……。そうか……。親父にも、そういうところがあったんだな」

 

大淀は小さく頷くと、目を伏せてしまった。

 

「……なるほど。よく分かったよ。どうして親父が、曙との交流に失敗したのか」

 

「え……?」

 

「作戦に、お前がいなかったからだ。きっと、お前の協力があったら、結果は大きく変わっていただろうよ」

 

大淀は寂しそうに微笑むと、気を遣うように言った。

 

「ありがとうございます。きっと、そうですね」

 

「あぁ、そうさ。だからさ、大淀」

 

「……?」

 

「今度は一緒にやってみないか? 親父が成せなかったこと、お前となら出来るはずだ」

 

流石にクサかったのか、大淀は噴き出していた。

 

「慰めてくれているのは、伝わっていますよ」

 

「心外だな。俺は本気で言っているんだぜ」

 

「えぇ、分かっています。本気で慰めてくれていると――」

「――大淀」

 

言葉を切り、大淀に向き合った。

 

「俺は、親父の様にはならないし、親父の様にはしない。今までお前を騙してしまったことはたくさんあるし、ペテン師だと言われる始末だけれど……俺は、親父の様には死なないし、お前を傷つけない。約束する」

 

「提督……?」

 

「慰めなんかじゃない。俺は、本気で言っているんだ。信じてくれ」

 

永い沈黙が続く。

大淀の綺麗な瞳の中で、俺の姿は揺れているように見えた。

 

「……そうやって、親子そろって、私を騙そうとするんですね」

 

「……血は争えんらしい」

 

大淀は微笑み、近づくと、そっと、頭を俺の胸に預けた。

 

「嫌じゃないんですか……?」

 

「え?」

 

「私が……いつまで経っても……佐久間さん佐久間さんって言っていること……。貴方に佐久間さんを重ねて――貴方が佐久間さんを演じて、私を慰めなければいけないこと……」

 

こういう時『そんなことはない』と、答えるのが普通だろう。

だけど――。

 

「……正直、嫌だと思っている。いい加減、親父の事は忘れて欲しいし、よく知らない親父を演じるのもキツイ……」

 

大淀の前で、嘘はつけなかった。

それは、大淀の事をよく知っているからであり――大淀との信頼には、それが必要だと――しかしそれは、却って親父を演じるようで――騙しているようで――。

だからこそ、俺は――。

 

「大淀」

 

「はい……」

 

「俺じゃ、駄目なのか……?」

 

「え……?」

 

「俺じゃ……親父を越えられないか……? お前を満足させるような男にはなれないか……?」

 

大淀は顔を上げると、動揺した表情で俺を見た。

そして、俺の表情に、より一層の動揺を見せていた。

 

「な……何を言っているのですか……?」

 

確かに、俺は何を言っているのだか……。

けど、つまり、こういう事だよな……?

 

「親父ではなく……俺を好きになれないのか……?」

 

大淀は――。

 

「え……あ……」

 

今までにないほどに動揺し、今までにないほどに顔を赤くしていた。

 

「俺の事は、嫌いか……?」

 

大淀は、首を横に振った。

 

「じゃあ、好きか?」

 

大淀は答えなかった。

ただ目を伏せ、額に汗をにじませていた。

外にはまだ、雪が積もっているというのに――。

 

「大淀」

 

「は……はい……」

 

「悪いが、俺は親父にはなれない。だからこそ、俺は俺として――雨宮慎二として、お前に接したいと思っているし、お前に想われたいと思っている。親父の事なんか忘れてほしい。俺がお前の心を埋めてやるから――」

 

大淀は頭突きをするように、再び俺の胸に頭を預けた。

 

「大淀……?」

 

「……なんですか、それ」

 

「え?」

 

「なんですか……。そんな……貴方に惚れろって事ですか……? 貴方を……恋い慕えと……? そんなの……馬鹿馬鹿しいです……。馬鹿です……」

 

「……そうかもな。でも、そういう事なんじゃないのか……?」

 

「全然違いますよ……。なにが……お前に想われたい……ですか……。私の心を埋める……? まるで……私が失恋して……寂しいと言っているような……。馬鹿にしないで下さいよ……」

 

大淀は、表情も見せず、ただただ文句を言った。

 

「実際、そうなんじゃないのか……?」

 

「違いますよ……」

 

「だったら、俺に佐久間肇の影を見るのは何故だ……?」

 

「それは……仕方がないじゃないですか……! 貴方があの人に似ているのがいけなくて……」

 

反論が反論になっていない。

まるで、頑なに非を認めない子供の様な――大淀らしくない――可愛らしくもある反論であった。

 

「そもそも……貴方を好きになったとして……その恋が実ることなんてあるのですか……?」

 

「どうかな……」

 

「ほら……それが貴方の本音なんですよ……。私を利用しようと――機嫌を取ろうとして――佐久間さんも同じでしたよ――貴方を好きになったところで、貴方が振り向く訳じゃない……」

 

「振り向いて『欲しかった』のか?」

 

俺の言葉に――その真意に、大淀は気が付いているようであった。

 

「お前が佐久間肇を忘れられないのは、未だに恋心を引きずっているからだ。それを認めなければ、進めないと思うぜ……」

 

大淀は何も言わなかった。

 

「佐久間肇は死んだ……。そして……お前の恋は実らなかったんだよ……。失恋したんだ……」

 

大淀は――俺から離れると、その表情も見せず、部屋を出て行ってしまった。

 

「…………」

 

俺は、床に落ちた涙を、ただ見つめる事しかできなかった。

 

 

 

執務室を出ると、なにやら外の方から声が聞こえて来た。

 

「随分と騒がしいな」

 

「この雪です。皆さん、はしゃいでいるのですよ」

 

声をかけて来たのは、鳳翔であった。

 

「なるほど……」

 

窓の外を覗いてみると、皆が雪合戦をしたり、雪だるまを作って遊んでいた。

 

「あれだけ遊ばれたら、雪かきもいらないかもしれないな」

 

「そうだとしても、泊地までの雪かきはしていただかないと」

 

「なら、あいつらに言っておこうかな。泊地の方まで遊んで来いと。そっちの方が、雪質がいいと」

 

「どこだって、雪質は一緒ですよ。諦めて雪かきしてください」

 

「ちぇ……」

 

遊んでいる駆逐艦の中に、第七駆逐隊の姿はなかった。

 

「潮ちゃんの事……心配ですか……?」

 

「あぁ……。けど、話しかけるのは逆効果だしな……。今はそっとしておこうと思う」

 

「そうですか……」

 

「あまり酷いようなら、しばらく寮に来ることは控えようとも思っている」

 

「もしそうなったら、家までお食事をお持ちいたしますよ。何だったら、そちらでお作りいたします」

 

「あぁ、そうしてくれると助かるよ」

 

鳳翔は嬉しそうに微笑むと、いそいそと食堂へと戻っていった。

 

「さて……」

 

そっとしておくとは言ったが、やはり何か対策をとらないといけないよな。

大淀に協力を仰ごうにも、そっちはそっちでそっとしておかなければいけないだろうしな……。

 

「やはり、キーとなるのは曙か……」

 

親父は如何にして、曙との交流を図ったのだろうか。

潮を守りたいという気持ちは一緒だっただろうし、そこを押したのだろうが――しかし、それで駄目だというのなら――。

 

「しれえ」

 

声に振り返ると、雪風が何やら優しい表情を見せていた。

 

「雪風。どうした? 皆と遊びに行かないのか?」

 

「はい! 遊びに行こうと思ったのですが、ソリがどうしてもとれなくて……。しれえ、一緒に来てくれませんか?」

 

ソリがとれないってどういうことだ?

雪風について行くと、裏の倉庫に辿り着いた。

 

「あそこです」

 

指さす先――高い位置に、ソリが置かれていた。

なるほど、ソリがとれないってのは、高い位置にあるからとれないって事か。

相変わらず説明が少ないと言うか……。

 

「これだな? よっと……」

 

「しれえ」

 

「ん、なんだ?」

 

「さっき、何を悩んでいたのですか?」

 

「え?」

 

「窓の外をぼうっと見つめていましたよね。何か、悩んでいるんじゃないかなって」

 

ソリを下ろし、雪風に目を向ける。

その目は――。

 

「潮さんの事……なんじゃないですか?」

 

扉の前に立つ雪風の顔には、影がかかっていた。

 

「……どうしてそう思う?」

 

「顔に書いてあります」

 

俺は思わず、自分の顔を触ってしまった。

 

「ふふ、そうなんですね」

 

「……ほら、ソリだ」

 

ソリを受け取った雪風は、お礼を言う訳でもなく、会話を続けた。

 

「佐久間さんは、曙さんによく話しかけていました。でも、曙さんは『クズ人間が話しかけるな』なんて、暴言を吐いていました――」

 

まるで、俺の心を読んだかのように、雪風は淡々と話をしている。

かなり不気味な事のはずなのに、それが当然の事だと思って、話を聴いている自分がいた。

 

「――というのが、皆さんの知っている、佐久間さんと曙さんの関係です。でも、本当は、佐久間さんと曙さん、ちゃんと交流が出来ていたんですよ」

 

「え?」

 

「佐久間さんの『潮さんを守りたい』という気持ちは、ちゃんと曙さんに伝わっていたんです。だから曙さんも、佐久間さんに協力して、二人で潮さんの問題を解決しようとしたんです」

 

「ちょっと待て……。なんだ、その話……? 聞いたことないぞ……」

 

「そのはずです。あれは、二人だけの秘密でしたから。曙さんが佐久間さんに協力していると知ったら、潮さんはどう思うでしょう?」

 

クイズを出すように、雪風は俺の反応を待った。

そして、答えが出たことを察したのか、言葉を続けた。

 

「そうです。二人は、表では敵対しているように見せて、裏では協力することにしたんです」

 

「……どうしてお前がその事を?」

 

「……何度か、二人で会っているところを見たんです。二人は、バレていないと思っていたようですけれど……」

 

二人で会っていた……か……。

仮に本当だとしても、大淀はその事に気が付けなかったのはおかしい……。

雪風が嘘をついている……?

いや……。

 

「もしかして、その話をするために、俺をここに?」

 

雪風は優しく微笑むと、俺に近づき、手を取った。

 

「雪風?」

 

「夢じゃないんですね……」

 

「え?」

 

「貴方は……ここにいる……。どこにでも居て、誰にでも優しくて――でも、それはただの夢であって――貴方が本物だって分かるまで、時間がかかったけれど――夢じゃないんだって分かったから――」

 

俺に語り掛けている――というよりも、まるで独り言のようにつぶやいている。

内容はよく分からんが、雪風の表情から、何やらただならぬ事情を感じる。

 

「しれえ」

 

「な、なんだ?」

 

「雪風は、最後まで、この物語を――いえ……貴方の物語を……見届けたいと思っているんです……。そして、そこに、雪風も一緒に居たいと、思っているんです……」

 

「そ、そうか……」

 

よく分からんのに、テキトーに返事をしてしまった。

雪風は目を瞑り、祈るように俺の手を握ると、優しく微笑んで見せた。

 

「雪風に任せてください」

 

「え?」

 

「曙さんの件です。必ずしれえと交流するよう、説得します」

 

「説得って……一体どうやって――」

「――でも、雪風に出来ることは、そこまでです。その後の事は、しれえの腕次第です」

 

そう言うと、雪風は俺の手を離した。

 

「しれえ、ちょっとしゃがんでください」

 

「え? こ、こうか?」

 

「ちょっとだけ、我慢です」

 

そう言うと、雪風は顔を近づけた。

 

「お、おい……」

 

「動かないで……」

 

雪風は――。

俺は、動くことが出来ず――。

 

「――……」

 

一筋の糸を光らせながら、雪風は舌を離した。

 

「ゆ、雪風……? 今のは――」

「――これで大丈夫です」

 

大丈夫?

何が、大丈夫なんだ?

 

「ごめんなさい。しれえは、佐久間さんと違って、皆さんと接触する機会が少ないので、こういう手段しか取れませんでした」

 

「手段……? 雪風、お前、さっきから何を言って……」

 

「雪風ー、ソリあったの?」

 

暁の声に、雪風の表情は、一気に子供のものへと変わった。

 

「あら? 司令官?」

 

「暁……」

 

「ソリ、ありました! 高い所にあったので、しれえにとってもらったんです!」

 

そうだよね、とでもいうように、雪風は満面の笑みを見せた。

 

「あ、あぁ……」

 

「そうだったの。あ、じゃあ、暁のもとってもらえる?」

 

「おう」

 

ソリをとってやっている間に、雪風は倉庫を出ていってしまった。

 

「ありがとう、司令官!」

 

「あぁ」

 

去って行く暁の背中を見送った後も、俺はその場所を動くことが出来なかった。

 

「雪風……」

 

お前は、一体――。

 

 

 

その日の夕食時、第七駆逐隊は、全員揃って食堂へとやってきた。

皆、潮を気遣い、俺から離れた席に座っていた。

 

「鳳翔。潮の奴、もう大丈夫なのか?」

 

「大丈夫……ではないのでしょうけれど……」

 

てっきり、今日は来ないものだと思っていたが……。

ふと、雪風と目が合う。

雪風は優しく微笑むと、すぐに視線を外した。

 

「まだ不安は残りますが、食堂に来たという事は、とりあえずは大丈夫なのでしょう」

 

とりあえず、か……。

まあ、そこまで重症だという訳ではないと分かっただけ、まだ良かった。

 

「これで、提督の家にお食事を作りに行く建前がなくなってしまいました」

 

「別に、建前なんぞなくとも、作りに来ればよかろう」

 

「それでは駄目なんです。あまりにも露骨過ぎては、ドキドキも薄れてしまうというものです。建前の裏にある本音がどんなものなのか、それを想像させることこそ、女の魅力だと思いませんか?」

 

「どうかな……。俺は、はっきり言ってくれた方がいいよ」

 

「でしょうね。提督って鈍感ですから」

 

そう言うと、鳳翔は何故か拗ねた態度を見せた。

建前の裏にある本音を想像させる……か……。

 

『しれえ』

 

少し違うかもしれないが、俺の頭には、雪風の顔が浮かんでいた。

要するに、隠し事のある女には魅力がある、という事なのだろう。

だとしたら、確かに雪風は――。

 

 

 

消灯時間が近づくと、大淀が執務室へとやって来た。

 

「よう。もう大丈夫なのか?」

 

「大丈夫、とは?」

 

とぼけるように、大淀はそう言った。

 

「……まあいい。何か用か?」

 

「いえ。皆さんが食堂に布団を持ち寄っているようなので、提督はいかがされるのだろうかと思いまして」

 

俺は、窓の外を見た。

駆逐艦たちが作った雪だるまが数体と、ぐちゃぐちゃになった地面が広がっていた。

 

「昨日よりもマシになったし、今日は流石に帰ろうと思う。潮の事もあるしな」

 

「そうですか。皆さん、残念がると思いますよ」

 

「どうかな。それに、実は昨日、少し寝つきが悪かったんだ。寝坊したのも、それが原因だ」

 

「それはまたどうして?」

 

「寒かったのと、なんだか緊張して眠れなかったんだ」

 

「あら、案外そういうところがあるんですね。私はてっきり……」

 

「てっきり、なんだ?」

 

「いえ、別に」

 

小馬鹿にするように、大淀は笑った。

そういえば、すっかり忘れていたが、昨日、霞が布団に入って来たんだった。

ありゃ一体、どういう事であったのだろうか。

 

「さて、そろそろ消灯時間ですね。外は危険ですから、お送りしますよ」

 

「フッ、別にいいよ。送るなんて」

 

「いえ。外の様子も気になりますし、確認のついでですから」

 

「外の様子なんて、昼間に見れただろうに」

 

「忘れちゃったんです。どこかの誰かさんのせいで」

 

細い目で俺を見る大淀。

反論しようかと思ったが、なんだか面倒な事になりそうなので、やめた。

 

「……分かった。帰宅の準備をするから、少し待っていてくれ」

 

「分かりました」

 

そう言うと、大淀は部屋を出ていった。

今朝の事もあって、避けられるだろうと思っていたが、流石は大淀だな。

公私混同はしない主義か。

 

 

 

準備を済ませ、部屋を出ると――。

 

「提督、聞きましたよ。今日はこっちで寝ないんですね」

 

いつものメンバーが、待ち受けていた。

 

「せっかく布団を敷いたのに……。これじゃあ、夢の続き、見られないじゃないですか」

 

「明石、お前、夢の続きが見たかったのか?」

 

「そりゃ……」

 

俺の言いたいことが分かったのか、明石は黙り込んでしまった。

皆は不思議そうに明石を見ていた。

 

「別に、一緒に寝たから夢を見られるって訳じゃないだろうに」

 

「でも、一緒に寝る時にしか見られないのよ?」

 

そう言ったのは、暁であった。

 

「一緒に寝ないと夢に出てこないの。そうよね?」

 

同意したのは、雷と電であった。

 

「どうしてそう言い切れるんだ?」

 

「前にも、同じことがあったの。第六駆逐隊全員で、司令官と……あ、司令官じゃない『司令官』ね? その『司令官』と一緒に寝た時も、みんな同じ夢を見たの」

 

一緒に寝ると……か。

確かに、明石の夢を見た時も、一緒に寝ていたしな。

艦娘には夢を見せる力でもあんのか?

なんて。

 

「まあ、偶然だろうな。皆が皆、そう思い込んでいるだけなのかもしれないし。とにかく、今日は帰るよ。家の方も心配だしな」

 

皆の残念がる声を背に、俺は玄関へと向かった。

 

 

 

門を出た辺りで、大淀は待っていた。

 

「待たせたな」

 

「いえ。では、行きましょうか」

 

そう言うと、大淀は海辺の方へと歩き出した。

 

「おい」

 

「外の様子を見ると言ったじゃないですか。付き合ってくださいよ」

 

「……俺まで行く必要があるのか?」

 

「こんな夜中に――しかも、足場も悪い中、女性を独りにするのですか?『俺に惚れろ』と言うのなら、少しはレディーに対して配慮しては?」

 

こいつ……。

 

「なにがレディーだ……。それに、俺は『惚れろ』なんて、一言も言ってねぇぞ」

 

「言ったようなものでしょう? いいですから、来てくださいよ……。話したいことが……あるんです……」

 

「え?」

 

「……相変わらず察しの悪い方ですね」

 

そう言うと、大淀はつかつかと歩き出した。

 

「あ、おい!」

 

 

 

泊地までの雪は、そこまで酷くはなかった。

 

「待てよ大淀。そんなに速く歩いたら、転んでしまうぞ」

 

「大丈夫です……。この程度の雪だったら……」

 

その時であった。

 

「きゃっ!?」

 

少し坂になっているところで、大淀は尻餅をついてしまった。

 

「言わんこっちゃない……」

 

手を差し伸べてやると、大淀は不貞腐れた表情で、その手を取り、立ち上がった。

 

「ありがとうございます……」

 

「ったく……。何をそんなに急いでいるんだ……」

 

「別に、急いでいるわけでは……」

 

「じゃあ、なんだってんだ?」

 

そう訊いてやっても、大淀は答えなかった。

 

「……まあいい。ほら、行くぞ」

 

再び手を差し伸べてやる。

 

「な、なんですか……? その手は……」

 

「また転ばれでもしたらかなわんからな」

 

「べ、別に……もう大丈夫ですから……」

 

そう言った矢先、大淀は足を滑らせた。

何とか耐えたようではあるが……。

 

「……ほら」

 

大淀は何を言う訳でもなく、不服そうに手を取った。

 

 

 

泊地の様子を確認した後、雪が少しだけ残っている海辺を歩くことにした。

 

「もう大丈夫ですから……」

 

そう言うと、大淀は手を離した。

 

「そうかい」

 

月の出ていない夜であった。

それでも、雲が本土の明かりを反射しているせいで、空は明るかった。

 

「して、話とは?」

 

そう言ってやると、大淀は足を止めた。

 

「話があるんだろう? あまり遠くへ連れていかれてはかなわんし、この辺りで話してくれ」

 

大淀はゆっくりとこちらを向くと、何やら落ち着かない様子を見せていた。

 

「大淀? 大丈夫か?」

 

心配するように声をかけてやると、大淀は急に怒り出した。

 

「からかっているんですか!?」

 

「え?」

 

「そういう経験がない女だと思って……。貴方はいいですよ! 艦娘にモテますし、嫌でもそういう経験が出来ますものね!?」

 

「な、なに怒ってんだ? 急にどうした?」

 

「そんなに面白いですか!? 私の動揺する姿が!」

 

唖然とする俺とは対照的に、勝手にヒートアップする大淀。

マジで何を怒っているのか、俺には分からずにいた。

 

「別に、手を繋いだから動揺しているだとか、変に意識しちゃっているだとか……そういうのは普通の反応だと思います……! 貴方がおかしいんですよ! 大体、貴方は鈍感過ぎるんです……! なのに、相手を勘違いさせるような発言ばかりして……。それでいて、貴方はなーんにも意識していなくて……」

 

大淀自身も、何を怒っているのか、よく分かっていないように見えた。

だからこそ、俺は冷静になることが出来た。

 

「ちょっと! 聞いているんですか!? 私のこと、馬鹿にして――」

「――あぁ。ちゃんと聴いているよ。馬鹿になんてする訳なかろう。お前の話は、いつだって真剣だ。だから、俺も真剣に向き合っている。今も同じだ」

 

「――っ!」

 

大淀は、何やら悔しそうな表情を見せた後、俺の顔を見て、徐々に冷静さを取り戻していった。

 

「……落ち着いたか?」

 

俯き、小さく頷く大淀。

 

「ごめんなさい……。私ったら……何をこんなに……」

 

永い沈黙が続く。

潮風が、大淀の熱くなった心を、冷ましてくれているようであった。

 

「私……」

 

俯いたまま、大淀は口を開いた。

 

「貴方に言われて……改めて……佐久間さんの事を考えたんです……。私は、佐久間さんの事が好きでした……。それは、仕事仲間としてであり、一個人としてであり、異性として……でした」

 

過去を想うように、大淀は目を瞑った。

 

「あの人なら、必ず、全ての艦娘を人化させてくれると信じていた……。そして、私の未来に――私と共に、未来を歩んでくれる人だって、信じていました……」

 

その未来は、親父の死によって――。

だが、仮に親父が死ななかったとしても、その未来は、きっと――。

大淀もその事が分かっているのか、悲しそうな表情を見せていた。

 

「あの人に妻がいた事……そして、子供までいたことは、確かにショックでした……。でも、逆に安心したんです……」

 

「安心……?」

 

「もし……私が……あの人に気持ちを伝えていたら――……」

 

大淀は、その先を言わなかった。

だが、俺には分かっていた。

分かっていたからこそ、あえて口に出した。

 

「フラれるのが怖かった訳か……。そして、その恐怖は、今日まで続いていたという訳だな……」

 

「私があの人を諦めきれなかったのは、それが理由です……。そして、貴方に『失恋したんだ』と言われた時、私は、現実を突きつけられた気持ちになって――ずっと、逃げて来たのに――だから――」

 

あの時の涙は、そういう事であったのか……。

 

「本当……笑っちゃいますよね……。現実は分かっているはずなのに、私は未だに、気持ちを伝えていたら……なんて、都合のいいように思い込んでいて……。馬鹿みたいに意地張っちゃって……」

 

俺はそれに、何も声をかけてやることが出来なかった。

慰めも、からかいも、今の大淀には、きっと――。

 

「でも、貴方も大概ですよ……。佐久間さんを忘れるために、俺を好きになれ、なんて……」

 

そんな事は――いや、言ったようなものなのだろうか……。

 

「でも、一番の大馬鹿は……」

 

大淀は目を開けると、俺をじっと見つめた。

 

「そんな言葉に騙されてもいいかも……なんて、考えてしまった……私なのかもしれません……」

 

潤む瞳、赤くなった耳――そのどれもが、月のないこの夜の中で、キラキラと輝いて見えていた。

 

「大淀……」

 

「貴方が……佐久間さんと同じように、既婚者であればよかったのに……。貴方が……誰かのモノであればよかったのに……。誰のモノでも無くて……誰のモノにでもなれて……誰からも求められているから……」

 

大淀が近づいてくる。

 

「揶揄ってくるし……マウント取ってくるし……ペテン師だし……。女たらしで……鈍感で……」

 

「…………」

 

「なのに優しくて……温かくて……あの人の息子だとは思えないほど、私に向き合ってくれて……」

 

大淀は足を止めると、俺の胸に頭を預けた。

 

「どうしてそんな人なんですか……。どうして……思わず好きになっちゃうような――あの人を忘れてもいいかもって――そんな存在なんですか……。どうして……」

 

「大淀……」

 

「失恋が怖いのに……。どうして私は……」

 

大淀は顔を上げると、再び俺の目をじっと見つめた。

 

「これ以上は……ダメです……。ダメ……なのに……」

 

言葉とは裏腹に、大淀は――。

そして、俺は、無意識の内に、その気持ちに応えてしまっていた。

 

「――……」

 

永く――それでいて、拙いものであった。

緊張しているのか、体が小さく震えていて、目は瞑られていた。

波の音よりも、彼女の心臓の音が、とても煩くて――。

 

「…………」

 

大淀はゆっくりと頭を下げると、そのまま、そっと、恐る恐るではあるが、俺を抱きしめた。

何か声をかけてやろうかと思ったが、真っ赤に染まった大淀の耳を見て、そのままなにも言わずにいることにした。

 

 

 

どれだけの時間が経っただろう。

落ち着いたのか、大淀は俺から離れると、そっぽを向いてしまった。

大丈夫か? なんて声をかけようものなら、さっきのように怒られてしまうだろう。

先ほど、どうして大淀が怒っていたのか、今なら分かるような気がする。

 

「抵抗してくださいよ……」

 

やっとの事で、大淀はそう言った。

 

「なんで受け入れちゃうんですか……。そういうところですよ……」

 

「そういうところを、好きになってくれたのか?」

 

大淀は何も言わなかった。

 

「親父は……佐久間肇は、そういう事、しなかったか?」

 

「……分かっているんでしょう?」

 

「……そうか」

 

それでも――か……。

 

「大淀」

 

「……なんですか?」

 

「ありがとう。俺を見てくれて……」

 

大淀はしゃがみ込むと、いじけるように言った。

 

「ほらまた……。そういうこと……」

 

それから俺たちは、熱くなった気持ちを冷ますように、静かな海を眺めていた。

 

 

 

しばらくして、気持ちが少し落ち着いたのもあって、俺たちは寮へと向かっていた。

 

「…………」

 

あれから大淀は、一言も話すことはせず、ただ手を引かれていた。

 

「また転ぶなよ」

 

そう言ってやっても、ただ頷くだけで、顔を上げることもしない。

 

「……大丈夫だ。明日になったら、いつものお前に戻っているんだろう? お前はそういうやつだ」

 

大淀は首を横に振った。

 

「自信が無いってか?」

 

「そりゃそうですよ……」

 

かすれた声であった。

 

「初めてなんです……。こんな……」

 

「笑ってやろうか?」

 

「今笑われても……怒る気になれません……。手も握られているし……」

 

慣れていない感情に、支配されているようであった。

佐久間肇の事が好きだとは言っていたが、もしかして、それ以上に――。

 

「……着いたぞ」

 

門の前で、手を離してやる。

大淀の手が、ゆっくりと下がってゆく。

 

「じゃあ……ここで……」

 

「はい……」

 

「また明日な。じゃあ……」

 

そう言って、去ろうとした時であった。

 

「……提督」

 

「ん、なんだ?」

 

大淀は意を決したように顔を上げると、胸に手をあてながら、言った。

 

「――きです……。貴方の事が……好きです……」

 

そう言われ、まだはっきりとその言葉を言われていなかったことに気が付く。

 

「それだけです……。では……」

 

大淀は小走りで、寮へと戻っていった。

 

「…………」

 

俺は何故か、さっきよりも――キスをした時よりもドキドキして、しばらくそこから、動くことが出来なかった。

 

 

 

気持ちを落ち着かせ、家へと向かっている途中、あることに気が付いた。

 

「足跡?」

 

家へと続く、一本の小さな足跡。

昼間、誰かが家に来ていたという事であろうか。

 

 

 

足跡は、庭へと続いていた。

しかし、庭で遊んだような形跡はなく、遊具もまた、雪をかぶっていた。

 

「何しに来たんだ?」

 

家に入ると、強烈な眠気が俺を襲った。

思えば、昨日もあまりよく眠れていなかったし、色々と考えることもあって、大変な一日であった。

 

「風呂は……もう明日でいいか……」

 

布団を敷き、すぐ床に就いた。

 

「ふわぁ……」

 

本当、色々と考えさせられる一日であったな……。

潮の件もそうだし、雪風の件もそうだし、大淀の事も――。

 

「…………」

 

大淀……。

明日から、どんな顔をして会えばいいのだろうか……。

 

『貴方の事が……好きです……』

 

あの告白を聞いて初めて、大淀の本当の気持ちに向き合えたように思う。

あの大淀が――そう思えば思うほどに、俺は何故か、ドキドキしていた。

もしかして、俺は――。

 

 

 

 

 

 

誰かが俺を呼んでいる。

目を開けると、そこは――。

 

『ここは……』

 

わざとらしいくらいの洋風な部屋。

木造の机、椅子――壁には、顔のない軍人らしき写真が飾られていて――。

 

『やっとお目覚めね……』

 

声に振り向くと、そこには――。

 

『曙?』

 

曙は、セーラー服のような制服を着ていた。

ありゃ確か、戦時中の――。

あぁ、そうか……。

これは……。

 

『夢か……』

 

『そう、夢よ。でも、いつもあんたが見ている夢とは、少し違うわ』

 

少し違う、か……。

確かに、何故かは分からないが、いつもよりも意識がはっきりしているというか、あまりにもリアルというか――。

まあ、そう思い込んでいる夢、なのだろうけれどもな。

 

『案外冷静じゃない。もっと取り乱すものだと思っていたけれど……』

 

『まあ、そうだな。夢だって分かっているからかな』

 

『なるほど……。まだ状況が分かっていないって訳ね……』

 

『よく分かっているさ。これは夢。そもそも、お前がそんなに話しかけてくるわけないし、すぐに夢だって気が付けたよ』

 

『いいえ、分かっていないわ……。これは夢であって夢じゃないの……。まあ、いきなり分かれって言う方が、無理あるけれど……』

 

流石は夢だな。

何を言っているのか、さっぱりだ。

 

『しかし、なんだここは? まるで、戦時中の海軍本部じゃないか』

 

窓の外には、資料でしか見た事がないような工廠などが見てとれた。

 

『ここは昔の海軍本部なのよ。あんたは提督で、あたしは秘書艦……。イメージを変えたいのだけれど……あんたの親父が、このイメージがやりやすいって言うから……』

 

曙の言葉を、右から左へと受け流す。

というよりも、何を言っているのかよく分からないので、俺は窓の外に意識を向けていた。

 

『ちょっと、聞いているの?』

 

『ん、あぁ……。聞いているよ。俺は提督で、お前は秘書艦なんだろ? 一気に出世したなぁ』

 

曙は、わざとらしいため息をつくと、近くにあった椅子に座った。

 

『まあいいわ……。話半分で聞いて……。今、あんたが見ている夢は、夢であって夢じゃない。『ヘイズ』によって生み出された、記憶なの』

 

『『ヘイズ』って、確か、艦娘を艦娘たらしめる細菌か?』

 

『えぇ……。厳密には、細菌とは違うのだけれど……。あんたの親父は、放射性物質のようなものなんじゃないかって言っていたわ』

 

放射性物質。

まさか、俺の夢で、そんな単語が出てくるとは。

 

『『ヘイズ』感染者は、同じく『ヘイズ』に感染した者の近くで眠ると、必ずと言っていいほど、同じ夢を見るの。『ヘイズ』は、記憶に影響を及ぼす信号のようなものを出すことは分かっているけれど、どうして同じ夢をみるのかは分かっていないわ』

 

どれもこれも、聞いたことのない話であった。

夢だとはいえ、中々面白い話をするじゃないか。

俺は、曙へと視線を移し、話を聞くことにした。

 

『あんたの親父は『ヘイズ』が放射線のようなものを出して、信号のやり取りをしているのではないかと言っていたわ。まあ、確かめる術はないし、そもそもそこは重要じゃないわ』

 

『ヘイズ』が放射線物質で、放射線を出している、か……。

面白いな。

今度、本部の連中に話してみようかな。

酒の席で。

 

『あんたは既に『ヘイズ』に感染していたようだけれど、ここまでハッキリした夢は見られていなかった。そうでしょう?』

 

俺が答えないでいると、曙は呆れた表情を見せた。

 

『昨日、寮で眠った時、あんたは夢を見た。皆の夢よ。あたしの夢にも、あんたは出て来ていた。でも、あんたはあんたじゃなくて、記憶の一部だったようだけれど……』

 

あの夢か……。

あれは、最悪な夢であった。

 

『皆が、あんたと同じ夢を見ていた。それは『ヘイズ』によるものなの。この夢のように、はっきりとしたモノでなかったのは、あんたの『ヘイズ』が弱いと言うか、少ないと言うか……。とにかく、感染量が少なかった……とでも言っておくわ。だから、雪風は、あんたに……』

 

そう言うと、曙は顔を赤くした。

 

『本当……信じられない……。どうして雪風は、そんな事を簡単にできちゃうのかしら……。そもそも、どうして雪風が、あたしとあいつがここで会っていたことを知って……』

 

自分を落ち着かせるように、曙は深呼吸した。

 

『……とにかく、そういう事よ。これは、夢であって夢じゃないの。それだけは分かって欲しい』

 

『あぁ、分かったよ。それで? 他に面白そうな話は無いのか?』

 

『……あんた、分かっていないでしょ。本当に、あいつの息子なの……?』

 

『そうらしい』

 

『はぁ……。まあ……そうよね……。いきなりは信じられないわよね……。分かったわ。じゃあ、こうしましょう』

 

そう言うと、曙は机の上にあったメモ用紙に、変なマークを描き始めた。

 

『このマークをよく覚えておいて。明日の朝、庭に同じマークを雪で描いておくわ。それなら、同じ夢を見た証拠になるでしょう?』

 

『確かにそうだな』

 

にしても、へんてこなマークだ。

 

『なに? ニヤニヤして……』

 

『いや、悪い』

 

『……いい? この事は、誰にも言ったらダメよ。特に、潮にはね……』

 

『言わないよ。そもそも、話しかけられないだろう』

 

『……それもそうね。でも、念のため、よ……』

 

その時であった。

目の前にあった机が、ぱっと消えてしまった。

 

『もうなの……? まあ、最初はこんなものよね……』

 

同じように、色々と消えて行く。

 

『いい? 必ず庭を見るのよ。絶対よ?』

 

そう言うと、とうとう曙まで消えてしまった。

やがて、辺りは真っ暗になって、俺は――。

 

 

 

 

 

 

「んん……」

 

強い光に目を覚ます。

 

「朝か……。ふわぁ……。凄い夢だったな……」

 

いつもとは違い、何故か、夢の事ははっきりと覚えていた。

 

「なんか……頭が重いような……。とりあえず……シャワー浴びるか……」

 

 

 

すっきりしたところで、寮へと向かおうと、家を出た時であった。

 

「あれ?」

 

昨日みた足跡が、一つ増えていた。

同じように、庭へと続いている。

 

「…………」

 

そういえば、昨日見かけた足跡……ありゃ、おかしいよな。

 

「どうして……一本しかなかったんだ……?」

 

庭へと続く足跡は、確かに一本しかなかった。

寮の方から、庭へと向かう足跡。

それしかなかった。

そうだ。

『それしかなかった』のだ。

 

「じゃあ……あの時……」

 

バックトラックでない限り、足跡が一本だったという事は、家にまだ、誰かいたという事だ。

そして、このもう一本の足跡――庭から寮へと向かう足跡は、俺が眠っている間に、その誰かが家を出ていったという事だ。

 

「……いや」

 

もしかしたら、もう一本の足跡を、俺が見落としていただけなのかもしれない。

暗かったし、大淀の事を考えていたのもあったし――。

 

『いい? 必ず庭を見るのよ。絶対よ?』

 

俺は、庭の方へと向かった。

途中、何度かその場をウロウロしたかのように、足跡が乱れていた。

そして、庭を見てみると……。

 

「……嘘だろ」

 

そこには、夢で見たものと同じマークが、でかでかと雪に描かれていた。

 

 

 

寮へと向かい、靴を下駄箱に仕舞おうとすると、手紙が置かれているのに気が付いた。

曙からのものであった。

 

『今日は執務室に泊まって。

 押し入れの一段目に布団を敷いて、頭が庭に向くよう眠って。

 この手紙の内容は、誰にも言わないこと。-曙-』

 

手紙の最後には、庭に描かれていたマーク――夢で見せてもらったマークが描かれていた。

 

「ふぅ……」

 

深呼吸して、心を落ち着かせた。

昨日見た夢……。

どうやら、曙の言っていた通り、夢であって夢ではないらしい。

 

「なるほど……なるほどな……」

 

言葉にしてはみたが、正直、理解が追い付かない。

夢の中で、曙はなんて言っていた?

確か『ヘイズ』が原因で夢を――そして、それは、近くで眠っていると影響してくるもので――つまり、昨日の夜、曙は――すると、あの足跡は――。

 

「……腹、減ったな」

 

腹の音と共に、思考が停止する。

ダメだ。

考えても、理解できるようなものではない。

『ヘイズ』についても、よく分かっていないことが多いし、そもそも、今、こうしているのも、もしかしたら――。

 

「よし! 見なかったことにしよう」

 

手紙をポケットに仕舞い、俺は食堂へと向かった。

 

 

 

食堂には、既に皆が集まっていた。

一瞬だけ曙と目が合ったが、すぐにそっぽを向かれてしまった。

だが、そっぽを向く合間に見えた表情は、どこか不安そうであった。

 

「おはようございます、提督」

 

「おはよう。いつも悪いな、鳳翔」

 

「いえ、好きでやっていることですから」

 

とにかく、今はいつものように振る舞うのが正解だろう。

手紙の事も、夢の事も、今は忘れて、この美味そうな朝食に集中だ。

席に着くと、大淀がいつものように立ち上がった。

 

「皆さん、おはようございます。昨日の雪がまだ積もっておりますので、外へ出る際には、転ばないように気を付けてくださいね」

 

いつもの大淀であった。

昨日は自信なさげであったが、やはり大丈夫であったか。

 

「それから、もし時間のある方がいらっしゃったら、泊地までの雪かきを手伝ってくれませんか?」

 

皆が面倒くさそうな声を上げる。

仕方ない……。

 

「いいよ。それは俺が一人でやるよ。大したことはなさそうだったし」

 

「え……し、しかし……一人では……」

 

「大丈夫だ。体も鈍っていたし、運動にちょうどいい」

 

そう言ってやると、皆は「任せた!」とでもいうように、俺に視線を送った。

 

「じ、じゃあ……私も……手伝います……!」

 

「え? いや、大丈夫だ。お前にはお前の仕事があるだろうし……」

 

「い、いえ! 手伝わせてください! それとも……私では……力になれませんか……?」

 

大淀の様子に、皆――俺も、唖然としていた。

 

「い、いや……。そういう訳ではないが……」

 

「で、では……」

 

「私も手伝う」

 

手を挙げたのは、夕張であった。

 

「わ、私も!」

 

続いて明石。

 

「あ、あたしも! あたしも手伝う!」

 

敷波。

 

「雪風も手伝います!」

 

「お、朧も!」

 

「漣も手伝いますぞ!」

 

次々に手が挙がって行く。

こいつら……ノリで手を挙げていないか……?

というか、やる気があるのなら、最初から挙げておけよな……。

 

「わ、分かりました……。では……希望者は、1000に、門の前に集合してください……」

 

大淀と目が合う。

「良かったな」と、目でサインを送ってみたが、分からなかったのか、大淀の表情は特に変わらなかった。

 

 

 

雪かきに集まったのは、潮、曙、大和、鳳翔……を除いた艦娘達であった。

驚いたことに、霞や山城まで参加している。

 

『参加したいのですが、お昼の準備がありますので……』

 

お昼の準備が無ければ、鳳翔も参加していたようだ。

そんな鳳翔の手伝いに、大和が名乗りを上げていた。

 

「こんなに参加するのなら、俺なんかいらなかったんじゃ……」

 

「提督が参加したから、みんなも参加したんです」

 

「まさか。お前がそうなだけだろう? 明石」

 

「本当に私だけでしょうかねぇ?」

 

明石は細い目を向けると、お尻で俺を小突き、皆の方へと行ってしまった。

 

「なんなんだ……」

 

「貴方が何なのよ」

 

声に振り向くと、夕張が寒そうな格好で立っていた。

 

「お前、寒くないのか?」

 

「力仕事をするのよ? すぐに熱くなるわ……。それよりも、どうして皆が集まったのか、本当に分かっていないの?」

 

「俺が参加したから?」

 

「それもそうだけれど……大淀さんの様子よ……。貴方と何かあったのは明らかだわ……。昨日、二人で何していたのよ……?」

 

「何って……普通に泊地の様子を見て、会話しただけだ」

 

「本当にそれだけ?」

 

夕張の目は、何か知っているかのような、疑いの色を見せていた。

 

「まあ、別にいいけど……。その事を、皆も分かっているのよ。それで焦りを見せたんじゃない? 貴方が大淀さんに取られちゃうって……」

 

「俺が取られるって……」

 

「全員が全員、そうではないようだけれど……。貴方の父親の時と同じよ。あの時も、大淀さんの様子に、皆、何か焦りを感じていたようだったわ」

 

親父の時と同じ……か……。

つまり、こいつらは――。

 

「ちなみに、私も同じ理由だから……。っていうか、私が最初に……手を挙げたんだから……」

 

「フッ……なんだそれ? なにが言いたいんだ?」

 

そう言ってやると、夕張は軽く頭突きをして、そそくさと皆の方へと走っていった。

 

「フッ……」

 

仮に、全員が全員、そういう理由で手を挙げるというのなら、やはりお前が一番に挙げるだろうとは思っていたよ。

本人には絶対言えないがな。

言ってしまったら、きっとお前は――。

 

 

 

雪かきは、一時間もしない内に終わってしまった。

 

「俺、ほとんど何もしていないのだが……」

 

雪かきの間、皆が話しかけてくるものだから、俺はほとんど何も出来ずにいた。

 

「これだけの人手を集めたのですから、それだけで大きな貢献ですよ」

 

別に、声をかけたわけではないのだがな。

駆逐艦たちは、ノリで来たようであるし……。

 

「司令官! 任務完了です!」

 

「朝潮。お疲れ様。一番頑張っていたな。疲れただろう?」

 

「み、見ていてくださったのですか?」

 

「あぁ」

 

皆がしゃべっている中で、朝潮だけは真面目に雪かきをしていたから、俺は申し訳ない気持ちで背中を見ていた。

 

「そ、そうでしたか……。えへへ……」

 

照れる朝潮の後ろで、霞がムスッとした表情で、海を見つめていた。

 

「霞も、ありがとな」

 

霞は一瞬だけ俺を見て、すぐにそっぽを向いてしまった。

 

「司令官」

 

朝潮は、俺にしゃがむよう言った。

そして、耳元へ近づくと、小さい声で教えてくれた。

 

「実は、霞が言い出したんですよ。雪かきに参加しようって」

 

「え?」

 

「でも、私が言ったことにして欲しいって。ああ見えて、司令官の事、いつも心配しているんです。内緒ですけど」

 

霞が俺の心配を?

そんな素振り、一度だってなかったように思うが……。

そもそも、会話したことが……。

 

「……先、帰るから」

 

そう言うと、霞は寮へと帰って行ってしまった。

 

「あ、霞! 司令官、お先に失礼します!」

 

「お、おう……。ありがとな、朝潮」

 

「いえ! お役に立てて光栄です! では!」

 

敬礼し、朝潮は去って行った。

 

「提督」

 

大淀の声に振り返ると、皆が何やら集まっていた。

 

「おう。皆、お疲れ様。協力してくれてありがとな。どうした? そんなに集まって……」

 

そう言ってやると、皆が一斉に笑い出した。

 

「いえ、提督から労いの言葉を貰おうって話していたのですが」

 

「案外簡単に言っちゃうのだもの」

 

皆が再び笑い出す

何がおかしいのか、俺にはさっぱり分からなかった。

 

「さて、皆さん、帰りましょう。汚れた方は、そのままお風呂に行ってくださいね」

 

駆逐艦たちが元気に返事をすると、皆、ぞろぞろと寮へと歩き出した。

その最後尾にいた山城と、目が合う。

 

「よう。お前も参加していたんだな。お疲れ様」

 

山城は返事をすることなく、ただ怠そうに頷いた。

 

「……なあ、山城。訊きたいのだが、どうして俺は笑われたんだ?」

 

山城はゆっくりと俺の目を見ると、これまた怠そうに答えた。

 

「貴方が鈍感な所為でしょ……」

 

「俺が鈍感な所為?」

 

「……あの子たち、貴方の事、雪かきに協力した自分たちに対してお礼を言わない人……だと思っているみたい……。それなのに、貴方がお礼を言ったから、おかしいと思ったんじゃない……?」

 

「……そんな酷い人間に見えているのか? 俺って……」

 

「酷い、というよりも……そういう気遣いが出来ない人だと思われているみたい……」

 

それで『鈍感』なのか……。

鈍感な奴だから、お礼なんて言えないだろ? と、俺を揶揄ってやろうと思っていたら……といったところだろうか……?

 

「私にはよく分からなかったのだけれど……今、貴方と会話していて、なんとなく分かるような気がしたわ……」

 

「え? 俺、何か出来ていなかったか?」

 

「……そういうところよ」

 

山城はため息をつくと、そのまま寮の方へと戻っていった。

 

「そういうところって……」

 

一体、どういうところが駄目だったんだ……?

いや、それが分からないから――うぅむ……。

 

 

 

結局、何も分からないまま、一日を終えてしまった。

思えば、最近の俺は、よく分からないものに振り回されっぱなしな気がする。

霞の事もそうだし、今日の事もそうだし――。

 

「ん……」

 

大和から受け取ったノートを手に取る。

そういえば、まだ返事をしていなかったな……。

というか『海辺で、外国からの物とみられる漂流物を見ました』というのが、どんなものなのか、まだ確認できていないんだよな……。

 

「まだ、残っているかな……。漂流物……」

 

大和の事にしても、交流が進んでいるのかどうなのか、よく分からないしな……。

大和の真意に気が付いてはいるものの、アキレスと亀のように、いつまで経っても隣に立てる気がしない。

手を伸ばせば触れられる距離にいるはずなのに、俺は――。

 

「失礼します」

 

大淀がやってきて、俺は消灯時間が過ぎていることに気が付いた。

 

「そろそろお戻りになられるかと思いまして」

 

「ん、あぁ……。今日は……その……執務室に泊まろうと思ってな」

 

「え……? ど、どうして……ですか……?」

 

「どうして……」

 

『この手紙の内容は、誰にも言わないこと』

 

まあ、急に「泊まる」なんて言ったら、そらそうなるわな……。

言い訳を考えるのをすっかり忘れていた……。

 

「えーっとだな……」

 

何か考えなければ……。

昨日は、潮の事もあるからと、家に帰ったばかりであるから、その発言を覆すような理由が必要だよな……。

 

「……分かりました」

 

「え?」

 

「何か……理由があるんですよね……? 私に言えない、理由が……」

 

そう言うと、大淀は微笑んで見せた。

だがそれは、どこか――。

 

『いいんです……。それも、佐久間さんの作戦だったのだと思いますし、実際、それで成功していたこともありますから……』

 

「…………」

 

「提督……?」

 

「大淀……」

 

「は、はい……」

 

「これから話す事……誰にも言わないって……約束できるか……?」

 

大淀はキョトンとした表情を見せた後、俺の真意に気が付いたのか、ぽろぽろと涙を流した。

 

「大淀……」

 

「……ごめんなさい。私……嬉しいのです……。でも……気を遣わせちゃったと思って……」

 

そういう涙だったのか……。

 

『……そういうところよ』

 

なるほど……。

確かに俺は『鈍感』なのかもしれないな。

しかし……これは……あれだな……。

自分が笑われるのはいいとしても、泣かせてしまうのは――。

――いや、それに今気が付くのは、今まで泣かせてしまった奴らに失礼か。

 

「ごめんな、大淀……。お前に頼るって決めたのに……。親父の様にはさせないと言ったのに……」

 

首を横に振る大淀。

 

「いいんです……。私を見てくれただけで……」

 

大淀は近づくと、俺をそっと抱きしめた。

 

「お、大淀……?」

 

「今日……」

 

「今日?」

 

「本当は……貴方と二人っきりで居たかったんです……。雪かき……。だ……す……好きな……貴方と……」

 

心臓が跳ね上がる。

なんだ……この……。

 

「もうちょっとだけ……こうさせてください……」

 

「あ、あぁ……」

 

そう言ってやると、大淀は、まるで眠る赤子のように、俺に体重を預けた。

白い肌。

細い体。

艶やかな髪――。

そのどれもが大人びて見えていたはずなのに、今日に限っては――この瞬間に限っては、なんとも子供らしいと言うか――。

 

「…………」

 

思わず抱きしめ返してしまった。

愛おしく思ってしまったのだ。

これが何の感情であるのかは分からない。

俺は、鈍感であるから――。

そういう事にしてしまう、男であるから――。

 

 

 

しばらくして、俺は大淀に全てを説明した。

夢の事、霞の事、雪風の事まで――。

 

「そうだったのですね……」

 

「信じられない話だとは思うが、実のところ、俺もまだ信じられていないんだ」

 

「そうでしょうね……。しかし……そうですか……。雪風さんが……」

 

引っかかるのはそっちか……。

 

「実は、雪風さんに関しては、私もおかしいと思っていたのです。過去に一時的ではあるのですが、急に性格が変わったと言うか……。反抗期のような態度を示すようになったのです」

 

「反抗期?」

 

「すぐに治まったのですが……。仮に反抗期だったとしても、おかしいのです。駆逐艦には、心の成長がありません。反抗期なんてものは、急に現れるものではありませんし、性格が変わるのは、そもそも……」

 

「……実は、元々そういう性格だった……という事はないか?」

 

「もしそうだとしたら、私たちは70年以上、雪風さんに騙されていたことになります……」

 

いずれにせよ、雪風には何か秘密がありそうだ……。

仮に大淀の言う通り、70年以上、皆を偽っているとしても、その理由が分からん。

 

「……まあ、そういう事だ。とにかく、今日は曙の言う通りにしようと思っている。何が起こるかは分からんが、今はあいつを信じてやることこそ、俺に出来る最善の行動だと思っている」

 

大淀も同じなのか、頷いてくれた。

 

「分かりました。では、私は、提督がこの寮に泊まる理由を考えて、皆さんを説得してきます」

 

「そうしてくれると助かる……。中々思いつかなくてな……」

 

「任せてください!」

 

大淀は微笑んで見せると、頭を下げた。

 

「ありがとうございます……。私を……頼ってくれて……」

 

「いや……。今まで悪かったな……。頼りにしているぞ……大淀……」

 

「提督……」

 

大淀は顔を両手で覆うと、俯いてしまった。

 

「大淀?」

 

「すみません……。その……嬉しくて……。ニヤけてしまって……。こんなだらしない顔……見せられない……」

 

そんな大淀に、俺は思わず照れてしまった。

同時に、なんて愛らしい事を言うのだと――。

 

「……まあ、なんだ。その……そろそろ、戻った方がいいんじゃないか……?」

 

「……そうですね。このままでは……」

 

このままでは……?

 

「……いえ。では、おやすみなさい。提督」

 

「あ、あぁ……。おやすみ、大淀」

 

大淀は微笑むと、小走りで部屋を後にした。

 

「ふう……」

 

脱力するように、俺は部屋に寝ころんだ。

 

「何を緊張しているんだ……。俺は……」

 

大淀……。

あいつが、いつもとは違う表情を見せる度に、俺は……こう……むず痒い気持ちになるというか……。

 

『パートナー……として……。私を……頼ってみない……?』

 

「あ……」

 

思わず飛び起きる。

だが、すぐに冷静になり、俺は再び寝ころんだ。

 

「いや……別に関係ないだろう……」

 

一瞬――ほんの一瞬ではあるが、夕張の怒る顔が――悲しむ顔が脳裏に浮かんだ。

頼ると言ったのにもかかわらず、夕張よりも先に、大淀を頼ってしまったから――。

だが、それは、ケースバイケースというか――今回は大淀に頼るのが吉だと思った訳で――いや、それにしたって――だが、そんな事を考えては、大淀に失礼というか――。

 

「……なるほど」

 

『鈍感』だ、俺は……。

 

 

 

しばらく悩んでいたが、考えるだけ無駄だと思い、自分の行いを悔いながら、俺は押し入れに寝床をこしらえた。

 

「ガキの頃を思い出すぜ」

 

鈴木が好きだったな。

押し入れで寝るの。

いつも上を選びたがって――。

 

「しかし……なんというか……」

 

ここで眠るのか……。

ノミとかダニがいそうで――よくこんなところで眠ったもんだよな……。

 

「……仕方ない」

 

覚悟を決め、俺は寝床に就いた。

すると、急に頭がふわふわとし始めた。

 

「疲れてたのかな……」

 

熱を出した時のような――瞼が重くなって――夢を見ているような――。

 

 

 

 

 

 

気が付くと俺は、昨日夢で見たものと同じ部屋に来ていた。

 

『来たわね……』

 

声の主は、言わずもがな。

 

『曙……』

 

『どう? これで信じてくれたかしら? あたしたちは今も、夢を共有しているって……』

 

俺が答えないでいると、曙はため息をついた。

 

『でも、ここにいるって事は、あたしを信用してくれたって事よね……。まあ、及第点だわ……』

 

曙は、マグカップを俺に渡した。

 

『コーヒーよ。飲んでみて』

 

『あ、あぁ……』

 

コーヒーには香りがあった。

飲んでみると、仄かな苦みがあって――。

 

『美味しい?』

 

『あぁ……美味い……』

 

『不思議でしょ? 味覚、嗅覚、あと……』

 

曙は、俺の腕を抓った。

 

『痛っ!?』

 

『痛覚もあるのよ。これが、夢であって夢でないという事よ』

 

その理屈はよく分からないが、なるほど、こりゃ確かに不思議だ。

 

『……分かったよ。じゃあ、つまり、お前は俺の夢の産物ではなくて、ちゃんと存在している、という事だな?』

 

『えぇ、そうよ。現実のあたしは、執務室の隣の部屋で寝ているわ』

 

執務室の隣は、確かに曙の部屋であった。

 

『……して、俺に何の用だ?』

 

そう言ってやると、曙は頭を下げた。

 

『曙……?』

 

『ごめんなさい……。あんたのこと……クソ人間だなんて言って……』

 

曙は顔を上げると、申し訳なさそうな表情を見せていた。

 

『雪風から聞いているかと思うけれど……あたしは……潮の為に、人間と敵対している体で居なければいけないの……』

 

それは知っていたが……。

まさか、申し訳ない気持ちがあったとは……。

 

『あんたが優しい人間だって知っているし、潮の問題を解決しようとしていることも知っているの……。でも、あたしは……』

 

『……いや、いいよ。俺も、お前の事情は分かっている。俺の事は気にするな。いつもの通り、クソ人間と呼んでくれ』

 

そう言ってやると、曙は驚いた表情を見せた後、安心したように微笑んだ。

 

『……あいつと同じこと言っている』

 

『あいつ?』

 

『あんたの親父……。あいつも、そう言ってくれた……。本当に親子なのね……』

 

そう言う曙の瞳は――。

 

『……いくつか訊きたいことがある』

 

『なに?』

 

『佐久間肇は……俺の親父は、お前との交流に失敗していた訳ではないのか?』

 

『失敗どころか……あんたの親父はよくやってくれたわ。潮も、悪い人じゃないって事は分かっていたようね』

 

何故か、安心している俺がいた。

それと同時に――。

 

『親父でも、潮の心を開くことは出来なかったんだな……』

 

『……えぇ。色々やってはみたけれど、結局、潮が心を開くことはなかった……。あんたの親父は、自分がかかわるとダメだって結論を出したみたいで、最終的にあたしに任せることになった……。陰ながら支えるって、言ってくれた……。でも……』

 

親父は、もう……。

 

『だからこそ、あんたに頼みたいの……。あいつの息子である、あんたに……』

 

『自分のしていることを理解し、潮に近づくな……という事か?』

 

『……言い方は悪いけど、そういう事。この事を伝えないと、あんたは何をするか分かったものじゃないから……』

 

やはり、ちょっとおかしい奴だと思われているのか……。

 

『確かに、潮に近づかないということには賛成だ。陸奥の時とは違い、慎重にならなければいけないだろう。だが、このまま何もせず、ただ見ていろと言うのか?』

 

『徐々に慣らしていくしか方法はないわ。もっと時間が経てば、きっと、潮だって……』

 

時間が経てば……か……。

しかし、時間が経った今でも、潮は……。

 

『……もう一つ訊きたい。お前はずっと、潮を守って来たんだな? 親父がいた頃も、ずっと、クソ人間が近づくなと、守って来たんだな?』

 

『え、えぇ……そうだけど……』

 

やはりそうか……。

 

『……俺に考えがある』

 

『考え?』

 

『あぁ。上手くいくかは分からん。だが、このままでは駄目だ』

 

俺は、曙に考えを伝えた。

案の定、曙は反対した。

 

『そんなこと出来るわけないじゃない!』

 

『親父の時には、出なかった作戦か?』

 

『当たり前じゃない! もしそうなったら、誰があの子を守ってやれるってのよ!?』

 

『守るって、何からだ?』

 

『そりゃあんた……!』

 

曙は、何かに気が付いたようであった。

 

『この島には、俺しか男がいないんだぜ……。何から守るってんだ?』

 

追い打ちをかけるように言ってやると、曙は黙り込んでしまった。

 

『この作戦で、潮がお前を信用してくれなくなるかもしれない……。だが、お前だって、いつまでもこのままでいいとは思っていないはずだ』

 

曙は悩んでいるようであった。

まあ、そうだよな。

 

『今すぐ結論を出せとは言わない。お前が俺の作戦に乗れないというのなら、それでもいい。ただ……俺は親父のような選択肢は取らないぜ』

 

『……あんた、本当にあいつの息子なの?』

 

『そうらしい』

 

曙は目を瞑ると、ソファーにドカッと座った。

 

『……確かに、あいつはそんな作戦、考えもしなかった。どっちかって言うと、あたしが如何に人間に対して強く、潮の味方であるかをアピールするような作戦ばかりだった……。あんたの言うような、あたしへの信用を失くすような作戦じゃなかった……』

 

曙は頭を抱えていた。

その理由が、俺には分かっていた。

 

『過保護だったのかもしれないと、悔いているのか?』

 

曙は顔を上げると、驚いた表情で俺を見た。

 

『まだそうと決まった訳じゃない。仮にそうだったとしても、お前のせいではないよ』

 

『……あんた、エスパー?』

 

『だったら良かったのだがな』

 

曙は、悲しそうな表情を見せていた。

 

『あたしがやってきたことは――潮の為にって、やってきたことは……もしかしたら……間違いだったのかもって……』

 

『……それは、俺の作戦に希望を持ってくれたと解釈しても?』

 

曙は答えなかった。

 

『……まあいい。いずれにせよだ。俺はまだお前をよく知っていないし、それはお前も同じだろう。作戦を決行するかどうかは別にしても、まずは交流だ』

 

そう言って、俺は手を差し出した。

 

『……なに?』

 

『なにって……握手だよ。これからよろしくってな』

 

『……嫌よ。そんなの……恥ずかしい……』

 

『親父とはしなかったか?』

 

頷く曙。

 

『なら、尚更した方がいい』

 

そう言って、俺は曙の手を取り、握手した。

 

『ちょ……!』

 

『これからよろしくな、曙』

 

曙は、どこか複雑そうな表情を見せていた。

振り払わないところを見るに、別に嫌だったわけではないらしい。

 

『……こ――』

 

曙が口を開いた、その時であった。

 

『え……』

 

執務室の扉が開き、誰かが入室してきたのだ。

そいつは――。

 

『か、霞……!?』

 

驚いた声を上げたのは、曙であった。

霞も、驚いた表情を見せている。

 

『どうして霞がここに……』

 

霞に驚く曙。

だが、霞は――。

 

『司令官……』

 

霞は、俺をじっと見つめていた。

そして、おもむろに自分の肌を抓ると、これまた驚愕の表情を見せ、曙に目を向けた。

 

『……そういうこと。だから、押し入れに……』

 

霞はもう一度俺に顔を向けると、何やら遠い目を見せた。

 

『本当に、あんたは――』

 

突如、霞の姿が消えた。

 

『な……!?』

 

俺は思わず、曙を見た。

曙は――。

 

『……どうやら、私だけじゃないみたいね』

 

マグカップが消える。

同時に、机も――。

 

『時間ね……』

 

曙は、俺をじっと見つめた。

 

『曙……?』

 

消えゆく世界。

それはまるで、俺と曙を二人っきりにさせようとしているようで――。

 

『――……』

 

曙が何かを呟いた。

だが、何を言ったのかは、もう聞こえなかった。

それでも、消えゆく刹那に見えた表情は、何よりも優しさに包まれていて、俺は何故か、懐かしさを感じて――それで――。

 

 

 

 

 

 

「うぅん……」

 

目を覚ますと、すっかり朝になっていた。

 

「……なるほど。これが……」

 

体を起こした時、突然、眩暈に襲われた。

 

「うぅ……なんだ……こりゃ……」

 

段々と、気分が悪くなって行く。

押し入れから出て、ふらつきながら洗面台へと向かうと、すぐに嘔吐してしまった。

 

「うぅぅ……気持ちわりぃ……」

 

二日酔いに似ている感覚。

軽く頭痛もしている。

 

「クソ……なんだってんだ……」

 

俺はとうとう、その場に座り込んでしまった。

 

「失礼します。提督? 何度もノックしたんですよ? そろそろ起き……」

 

部屋へ入って来たのは、大淀であった。

大淀は俺の姿を確認すると、血の気が引いた表情で、駆け寄って来た。

 

「提督!? ど、どうされたのです!? 大丈夫ですか!?」

 

「……すまん、大淀。悪いが……本部へ連絡してくれないか……? 眩暈がして……頭痛も……少しある……」

 

「わ、分かりました! 連絡しますから、提督はそのままに……! だ、誰か!」

 

部屋を出て行く大淀。

眩暈が酷くなって、俺は倒れ込んでしまった。

二日酔いだとか、そういう次元では、もはやなかった。

世界がひっくり返っているかのような――回転しているような――。

 

「て、提督……! 大丈夫ですか!?」

 

「しっかりしなさいよ……! ねぇ……!」

 

明石と夕張が、俺を心配している。

だが、その声もだんだん遠くなって行き――暗くなって――。

気を失う直前、明石と夕張が俺から離れた。

そして、目の前に現れたのは――。

 

「大……和……」

 

大和の顔を見たのを最後に、俺の意識は途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

残り――18隻

 

――続く



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21話

新作の執筆を終え、ようやく暇が出来たボクは、先生のお墓に来ていた。

 

「よう。やっぱり最上か」

 

「重さん! 久しぶりだね」

 

「家から背中が見えたんでな。墓参りか?」

 

「うん。先生の。ここ最近、来られていなかったからさ……」

 

「売れっ子作家は大変だな」

 

「そんなんじゃないさ。ボクの筆が遅いだけで……」

 

「デジタル化の時代で、未だに手書きだもんな。そら遅くもなるってもんだ」

 

そう言うと、重さんはニカっと笑った。

 

「そう言えば、ビックリしたよ。ここ半年で、十二隻も人化したって?」

 

「あぁ、凄腕の『提督』が現れてな」

 

凄腕の『提督』かぁ……。

確かに、先生でも、最初の人化には一年以上かかったしなぁ……。

 

「どんな人なんだろう?」

 

「まだ、本部には行ってねぇのか?」

 

「これから顔を出す予定」

 

「そうか。なら、皆によろしく言っておいてくれねぇか?」

 

「え? 重さん、もしかして引退したの?」

 

「あぁ。今は、鈴木が俺の跡を継いでいる」

 

「うげぇ……。鈴木って、あの鈴木? ボク、あんまり好きじゃないんだよね……」

 

「まあ、そう言ってやんな。あいつも改心したみたいだぜ? 今はいい奴だ。それにお前、いつまでも男を選り好みしてっと、婚期を逃すぜ?」

 

「別にいいさ。ボクの恋は、先生が最初で最後だから」

 

「そうかよ。ま、好きにしな」

 

そう言うと、重さんは家の方へと去って行った。

 

「フフ、先生はこういう時さ「俺なんかよりもいい人がいる」って、言うんだよね。でもね、先生。結局さ、先生よりもいい人なんて、見つからなかったよ。ボクの一番は、ずーっと先生だよ」

 

墓石に置いた花が、風に揺れる。

 

「フフ、嬉しいくせに、素直じゃないんだ」

 

 

 

本部に着くと、熱烈な歓迎を受けた。

皆、ボクの小説のファンらしくて、サインを求められたり、黄色い声援を受けた。

 

「相変わらず、女性に人気があるね。君は」

 

「女らしくないって言われているような気がして、少しショックですけどね」

 

以前は、坂本上官って人が案内してくれたはずだったけれど……。

もうだいぶ来ていなかったからなぁ……。

 

「後で、寮に行ったらいい。きっと、皆も喜ぶはずだ」

 

「はい」

 

そんな会話をしながら、施設内を歩いている時だった。

山風と秋雲が、遠くの部屋から出てくるのが見えた。

 

「あれ? 山風と秋雲?」

 

「あぁ、彼女たちは『指導艦』として、寮に住んでいるんだ。なんせ、十二名もいるからね。他にも、北上が――」

 

瞬間、ナントカ上官の声が、聞こえなくなった。

二人の後ろ――山風と秋雲の後ろに――。

 

「……――っ!」

 

気が付くと、叫んでいた。

そして、走っていた。

その人の元へ。

その人の胸の中へと――。

 

「最上……」

 

胸の中で泣きじゃくるボクを、その人は何も言わず、ただ優しく抱きしめてくれた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「んんっ……」

 

目を覚ますと、目の前に秋雲の顔があった。

 

「うお!?」

 

「あ、起きちゃった。もうちょっとだったのに……」

 

「何がもうちょっとなんだ!? っていうか……ここは……?」

 

そこは、いつかの病室であった。

 

「……あぁ、そうか。倒れたのか……俺……」

 

窓の外。

遠くに、島が見えていた。

 

「昨日、急に運ばれて来たんだよ? 覚えてない?」

 

「ちょっと待て……昨日!? 昨日って……俺、一日寝ていたって事か!?」

 

「そう言うこと~。今、山さんは別の業務をしているから、代わりに秋雲さんが様子を見に来たってわ・け」

 

「そうなのか……。っていうか、お前である必要あるか?」

 

「みんな忙しいからねぇ……。秋雲さんは暇で暇で……。んなもんで、来たって訳。雨宮君も、秋雲さんが来て、嬉しいっしょ~?」

 

「…………」

 

「ちょっと、黙らないでもらっていいっスか?」

 

そんな事を秋雲と話していると、山風が部屋に入って来た。

 

「あ!」

 

「山風」

 

「雨宮君……! 良かったぁ……。大丈夫? どこか痛いとか、ない?」

 

「あぁ、大丈夫だ。腹が減っているくらいで」

 

山風は安心した表情を見せると、細い目で秋雲を見た。

 

「どうして秋雲がここにいるの……?」

 

「え?」

 

「別にいいじゃん(いいじゃん)。秋雲さんも~、雨宮君の事が心配だったんだもんっ! ぷぅ!」

 

「ぷぅ……じゃないよ! 雨宮君、変な事されてない?」

 

「あぁ、多分な……。っていうか秋雲、お前、無断でここに来たのか……」

 

「無断って訳じゃないよ。ちゃーんと、受付に言ってあるし~オ〇ナミンC~」

 

「……あたしがいない時を狙って?」

 

そう言われ、秋雲はしらばっくれるように口笛を吹いていた。

 

「全く……。ごめんね? 雨宮君」

 

「別にいいよ。まあ、こんな奴ではあるけれど……心配して来てくれたわけだしな」

 

「そうそう! それにぃ……秋雲さんは、雨宮君に元気になって欲しくてさぁ……」

 

そう言うと、秋雲はおもむろに上着を捲し上げ、下着を露出させた。

 

「な……!?」

 

「んへへ……どう……?」

 

秋雲は、粘度のある笑顔を見せながら、強調するように、胸を寄せた。

 

「あ、秋雲!? ななな、なにしてるの!?」

 

「なにって……。男の子が元気になることと言えば、これっしょ……?」

 

秋雲と目が合う。

俺は思わず、視線を逸らしてしまった。

 

「あ、反応が童貞っぽい~……なんて……。あはは……あ、あのさ……秋雲さんもさ……実は……結構勇気出してやってるからさ……。その……なんならちゃんと……見てくんないかな……?」

 

「い、いや……。勇気を出しているから見られるってもんでも……」

 

山風は我に返ったのか、すぐに秋雲の上着を下げさせた。

 

「な、何やってるの! 秋雲のバカ!」

 

「だ、だってさぁ……。元気になるって言ったら、こういう事じゃん……?」

 

「そういう元気はいらないの! もう……!」

 

二人とも、顔を真っ赤にさせていた。

そんなに恥ずかしがるのなら、やらなければ良かったのに……。

 

「あ、雨宮君……元気……出た……? なんて……」

 

「いや……うぅん……」

 

「雨宮君! 悩むことじゃないでしょ!? 秋雲のなんて……」

 

「で、でも……秋雲さんの、結構大きいしさぁ……。男の子なら、反応しちゃうよね~……」

 

「そ、そうなの……?」

 

二人が、俺をじっと見つめる。

なんて返せばいいのだと、悩んでいる時であった。

 

「ちょっと! 騒がしいですよ!? 静かにしなさい!」

 

怖そうな看護婦がやってきて、俺たちを一喝した。

 

「山風さん? 貴女はここの看護婦なんですから、自覚ある行動をしなければいけませんよ?」

 

「は、はい……。ごめんなさい……」

 

「まったく……。貴方も! そんなに元気なら、さっさと退院しなさい! 分かったわね!?」

 

ピシャリとドアが閉まると、病室は一気に静かになった。

 

「こ、怖いな……。あの看護婦……」

 

「あ、あたしの上司なの……。看護主任……」

 

「そうなのか……。なんか……ごめんな……。騒いじゃって……」

 

「う、うぅん……! 雨宮君は悪くないよ……! 悪いのは、あたしと……」

 

「ア、ハイ……アキグモサンデス……」

 

秋雲は小さくなると、しゅんとしてしまった。

全く……。

 

「まあ……なんだ……。元気づけようとしてくれたんだろ? ありがとな、秋雲」

 

「雨宮君……」

 

「雨宮君? 秋雲を甘やかしちゃ駄目だよ……?」

 

「まあ、そうかもしれないけどさ。こうしてわざわざ来てくれたんだ。一応な」

 

秋雲はほっとした表情を見せた後、何やら再び粘度のある笑顔を見せた。

嫌な予感がする……。

 

「あ、そうだ。雨宮君が起きたら、先生に伝えなきゃいけないんだった」

 

「そうなのか」

 

「うん。ちょっと呼んでくるね? 秋雲? 雨宮君に変な事しないでね?」

 

「大丈夫大丈夫~。秋雲、おとなしくしてま~す」

 

さっきの落ち込みはどこへやら……。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

「おう」

 

山風が出て行くと、秋雲は何やらベッドの上に乗って来た。

 

「おい……」

 

「大丈夫大丈夫。なんにもしないって。ちょっと耳を貸してほしいだけ~」

 

「……嫌だ」

 

「そんなこと言わずに~。ちょっと内緒話があるんだってばよ~」

 

こいつは……。

まあ、耳を貸すくらいならいいか……。

 

「分かったよ……。なんだよ? 内緒話って……」

 

秋雲は耳元へ近づくと、囁くように言った。

 

「秋雲さんの胸……エロかったっしょ……? 後でオカズにしてもいいよ……?」

 

俺は思わず仰け反ってしまった。

秋雲は例の如く、あの笑顔を見せていた。

 

「……お前な」

 

「いやぁ、真面目な話さ……。雨宮君って、いつ抜いてるの……?」

 

「はぁ?」

 

「ほら……あの島でさ……。みんないる訳じゃん? プライベートな時間って……あるのかなって……」

 

「そりゃ……あるだろうよ……」

 

「じゃあ、その時に……? オカズは何使ってるの……?」

 

「んなもん……しない……。そんな暇も無いくらい、忙しいんだぜ……」

 

「でも、溜まりはするんだ? どれくらいの頻度で抜くとかある?」

 

「……お前、なにが言いたいんだ?」

 

「いや、だからさぁ……。その……秋雲さんが力になれないかなって……言っているんだけど……。雨宮君はどうか知らないけどさぁ……そういうのは発散させないといけないって言うか……自分の知らない内にストレスになると言うか……その内、島の艦娘とそういう関係になってしまうんじゃないかなって……。もしそうなったら、色々まずいんじゃない?」

 

まあ、そうかもしれないが……。

 

「心配には及ばん。そんな事は一度だってないし、ストレスも感じていない」

 

「ふぅん……。でも、秋雲さんは知っているよ? 陸奥さんの裸を見た時……胸を見た時、しっかりと反応してたって……」

 

「な……!?」

 

「いやね? この前、雨宮君の話題があがってさ。陸奥さん達がいるのに、雨宮君、欲情しないのかなって。そしたら陸奥さん、秋雲にだけこっそり教えてくれたんだ~」

 

悪戯な笑顔を見せる秋雲。

その額には、じんわりと汗がにじんでいた。

 

「雨宮君、本当は我慢してるんじゃないの? あの島でさ、たくさん、誘惑されたんじゃない? その度に、体が熱くなるのを感じたんじゃない?」

 

俺は何も言えなかった。

陸奥の体に反応していたことを言われ、恥ずかしくなっていたのだ。

 

「別に恥ずかしい事じゃないよ……? 秋雲さんもさ……自分でえっちな本を描いている時さ……発散させちゃうもん……。自家発電って奴……?」

 

「自家発電って……」

 

「秋雲さんがシているところ……見てみたい……?」

 

そう言うと、秋雲は顔を近づけ、俺の目をじっと見つめた。

 

「お、おい……」

 

「さっきさぁ……雨宮君が寝てる時ね……? 秋雲さん、実は――……」

 

秋雲は、俺の耳元で、その行為についてカミングアウトした。

 

「お、お前……!」

 

「大丈夫……。雨宮君には何もしていないから……。あ、本当はして欲しかった……?」

 

思わず息を呑む。

 

「あー……ヤバいなぁ……。なんか……これ……すっごくドキドキしちゃうかも……。ふへへ……こんなこと言っても、雨宮君は引かないんだね……。優しいなぁ……。ねぇ……秋雲さんの猥談、もっと聞いてくれない……? なんなら、聞きながら、シてもいいよ……?」

 

秋雲の手が、脇腹から、徐々に下の方へと下がって行く。

まるで、蛇に睨まれた蛙のように、俺は動くことが出来なかった。

今まで出会ったどんな奴よりも、性に貪欲というか――。

本当に処女であるのかどうかすら、もはや怪しいと言うか――。

 

「ただいま」

 

山風が帰ってきて、ようやく秋雲は離れた。

 

「雨宮君、診察室で、先生が待ってるよ。秋雲に変な事されなかった?」

 

「あ、あぁ……大丈夫だ……」

 

「本当……? なんか秋雲……顔真っ赤だし、汗ばんでるけど……」

 

「え? そそそ、そうかなぁ? あー……なんか、この部屋暑くてさ~。ね~?」

 

山風は目を細めた後、小さくため息をついた。

 

「まあ、何もなかったのならいいけど……。秋雲も、そろそろ帰りなよ……」

 

「ほほ~い」

 

そう言うと、秋雲は部屋を出ていった。

部屋を出る直前まで、秋雲は俺から視線を外さなかった。

 

「さ、あたしたちも行こう?」

 

「あ、あぁ……」

 

 

 

部屋を出て、診察室へと歩こうとした時であった。

 

「あれ?」

 

という秋雲の声を聞いた、その瞬間――。

 

「先生……!」

 

二人の間をすり抜け、俺の胸に飛び込んできたのは――。

 

「最上……」

 

自分で言って、驚いた。

最上……?

この人が?

 

「先生……! 先生……! うぅぅ……うわぁぁぁぁぁん……!」

 

泣きじゃくる最上。

皆が困惑した表情をする中で、俺だけは、違う感情に支配されていた。

 

「最上……」

 

俺は何故か、最上を抱きしめていた。

どうしてか、愛おしく思えてしまったのだ。

永い間、会えていなかったかのような――。

ようやく会えたかのような――。

 

 

 

最上はしばらく泣いていたが、あの鬼看護婦が飛んできて、再び俺たちを意気消沈させた。

 

「ごめんなさい……」

 

冷静になったのか、最上は俺に頭を下げた。

 

「人違いでした……。その……ボクの大切な人に似ていて……それで……」

 

再びぽろぽろと涙を流す最上。

 

「雨宮君、よく最上さんだって気が付いたね。秋雲さん、新手のストーカーか何かかと思ったよ」

 

「いや……」

 

俺にもよく分からない。

最上という存在自体は知っていた。

だが、完全に初見であったし、写真なども見たことはない。

なのに、何故か最上であるとすぐに分かった。

そして、何故か呼び捨てにしてしまっていた。

まるで、昔からの、親しき仲のように――。

 

「そっか……。最上さん、佐久間さんの事が好きだったから……。雨宮君は似ているもんね……」

 

山風は、俺の正体を知っているはずだが、それをあえて口にはしなかった。

気を遣ってくれている……という事か……。

 

「いいよ、山風。説明してくれて……」

 

「でも……」

 

「いずれ知ることだ」

 

その時、遠くの診察室から、先生が顔を出した。

何事か、とでもいうように。

 

「おっと。急がないと。悪い、山風。後のことは頼んでもいいか?」

 

「う、うん。雨宮君こそ、一人で大丈夫?」

 

「あぁ。また後でな」

 

「うん」

 

去り際、最上と目が合った。

その瞳は、潤み、輝いていて――なんとも美しい人だなと――いや、むしろ、可愛らしい人だと思ってしまった。

 

 

 

診察室に着くと、先生は、鍵をかけるよう、俺に伝えた。

 

「悪いね。外部に漏れたらマズい話なんだ」

 

「はぁ……」

 

もしかして、ガンが見つかったとか言うんじゃないだろうな……。

 

「体調はどうかね?」

 

「問題ありません。腹が減っているくらいで……」

 

「昨日から何も食べていないからね」

 

「自分でも驚きましたよ。まさか、丸一日寝ていただなんて」

 

「それだけ体力を消耗していた、という訳だ。まあ、無理もない」

 

そう言うと、先生は、何やら棒グラフが載っている紙を俺に見せた。

 

「なんですか? このグラフは……」

 

「君の『ヘイズ』感染量をグラフ化したものだ」

 

「俺の感染量……?」

 

何故、こんなものを……。

 

「こっちの赤いグラフが、君の感染量を示している。月ごとだ。そして、隣の青いグラフが、艦娘の平均的な感染量を示している」

 

赤いグラフは、最初こそ艦娘の平均を大きく下回っていたが、月を重ねるごとに、じわじわと上昇していた。

 

「寮に進出した辺りで、大きく上昇しているのが分かるだろう? それでも、艦娘の平均には到底届くものではなかった」

 

しかし、最後のグラフは――。

 

「艦娘の平均より……6倍以上も……」

 

先生は、深刻そうな表情を見せていた。

 

「え……これって……マズイ事なんですか……?」

 

「マズい……と言うよりもねぇ……」

 

先生はじっと、俺の目を見つめた。

 

「『ヘイズ』については、どこまで?」

 

「艦娘を艦娘たらしめるもので……あ! 放射性物質のようなものではないかと……」

 

先生の目の色が変わった。

 

「放射性物質のようなもの……というのは、誰から聞いた……?」

 

「…………」

 

俺は、島であったことを全て、先生に話した。

 

「信じられないかもしれませんが、夢を共有できたんです。その中で、放射性物質のようなものではないかと言われて……」

 

「なるほど……。確かに、佐久間という男が出向していた当時は、そうなのではないかという説があがっていた。佐久間も、その事を誰かから聞いていたのだろうな……」

 

「先生……結局のところ『ヘイズ』とは何なのですか?」

 

「まだ、分かっていないことが多い『何か』だ。分かっていることといえば……おっと、これは口外しないように頼むよ?」

 

「はい」

 

先生は、もう一度、扉に鍵がかかっていることを確認した後、説明してくれた。

 

 

 

『ヘイズ』とは、正式には『haze』と書くもので『かすみ』だとか『もや』のような意味がある。

艦娘にしか視認できない――正確には、ヘイズに感染した者にしか視認できない、細菌のようなもので、飛沫や濃厚接触などで、人にも感染すると言われている。

 

ヘイズは、ニューロン……つまり、神経細胞へ感染することが分かっているが、神経細胞へ到達するルートや過程、その理由については謎に包まれている。

レム睡眠時にのみ、神経細胞に感染したヘイズは、発火させるだけのインパルスを発する。

その影響で、君が見たような夢を見るのではないかと言われている。

そして、ヘイズ最大の特徴は……ヘイズによる発火が、近くにいる別の感染者に影響するということだ。

 

昔、艦娘二隻を同じ空間で眠らせ、脳波を測る実験を行ったことがある。

二隻がレム睡眠に入ると、脳波に不思議なことが起きた。

なんと、二隻の脳波が、互いに似たような波形を描いたのだ。

正確には、一隻の描いていた脳波に、もう一隻の脳波が近づいていったのだ。

こんなことは、普通ありえない。

そして、起きた二隻は言った。

『同じ夢を見ていた』と。

 

この事から、一つの説が生まれた。

それは、先ほど言った、ヘイズによる発火が、近くの感染者に影響する、ということだ。

どういった原理なのかは分からない。

神経細胞へ感染するルートが謎なように、影響させるための方法も謎なのだ。

君が聞いた、放射性物質のようなものではないか? というのは、ヘイズによる発火の際に、何か放射線のようなものを飛ばし、他に影響を与えているのではないか、という仮説から来ているのだと思う。

 

実験の二隻には大きな違いがあった。

それは、ヘイズの感染量だ。

一隻は感染量が平均より上回り、もう一隻は平均並みだった。

そして、脳波を合わせに行った方は、平均並みの方だった。

言い方を変えると、平均並みの感染量だった艦娘は、感染量の多い艦娘から、影響を受けていたことになる。

あくまでも仮説ではあるから、はっきりとしたことは言えないが、ヘイズの感染量が多ければ多いほど、他への影響は大きくなるという事だ。

 

 

 

「大丈夫かね?」

 

頭を抱えだした俺に、先生は心配する素振りを見せた。

 

「すみません……。話が全然分からなくて……。なんだか頭が痛く……」

 

そもそも、発火ってなんだよ?

神経細胞?

脳波?

訳が分からん。

 

「そうか……。すまない……。つい、熱が入ってしまった……」

 

先生は一呼吸置くと、肩に入っていた力を抜いて、ゆっくりと話し始めた。

 

「まあ、つまり、感染量が多いと、他の感染者に影響を与えてしまう可能性があるという事だ。君の夢に出て来た曙と霞の感染量は平均の6倍……つまり、君と同じだ」

 

「……そうなると、どちらの脳波に影響が?」

 

「うぅむ……。それは分からない……。これはあくまでも私の考えだが……どちらにも影響するのではないかと思っている」

 

「どちらにも……ですか……」

 

「つまり、同じ脳波に合わせようと……シンクロしようとするのではないかという事だ。それがどんな意味を持つのかは不明だが……君の言う事が確かなら、夢のようで夢ではない『何か』を体験できるのだろうね」

 

なるほど……。

あの体験は、霞・曙と感染量が同じだったから……か……。

 

「君が倒れた理由も、そこにあるではないかと、私は考えている。曙と霞、二隻の脳波に合わせようとして、脳に大きな負担をかけてしまった、という訳だ」

 

仮にそうだとしても、近くに霞はいなかった。

影響は、そんなに広い範囲に及ぶものなのか……?

 

『……そういうこと。だから、押し入れに……』

 

――なるほど。

そういう事か……。

理由は不明だが、霞は、俺の部屋に来ていたという訳か。

 

「私が伝えたかったのは、今後も同じような事が起こるだろうから、意識して行動しなさい、という事だ。今言ったことは仮説にすぎないが、実際にそれらしい影響が出てきているし、人体にも悪影響だと分かった。十分に注意しなければならないだろう」

 

「はい。分かりました」

 

「難しい話をして悪かったね。とにかく、今は休みなさい。後で、栄養がつくものを山風に運ばせるから」

 

「ありがとうございます。あの……どれくらいの期間、休めばいいのでしょうか……?」

 

「出来れば、早く戻りたいと?」

 

「えぇ」

 

先生は、大きくため息をついた。

 

「休むことも大事なのだがね……」

 

「すみません……」

 

「……まあ、明日には戻れるだろう。体調も良さそうだしね」

 

「そうですか」

 

以前のように、十日間などと言われなくてよかった。

 

「本当は、もっと休んで欲しいのだがね……。まあ、明日には戻れるよう、君の上官に報告しておくよ」

 

「すみません……。ありがとうございます……」

 

「あ、それとだね……」

 

先生は、再び深刻そうな顔を見せた。

 

「な、なんです?」

 

「今回、君のヘイズが、艦娘平均の6倍までにも膨れ上がった原因についてなのだが……」

 

「は、はぁ……」

 

「君……霞・曙・雪風……この中の艦娘と濃厚接触をしたのかね……?」

 

「へ?」

 

「いや……今挙げた艦娘は、あの島の中でも特に感染量の高い艦娘なのだが……。先月の感染量から急に上昇したことを考えると、その艦娘達と濃厚接触した可能性があると思ってね……。それも、空気感染や飛沫感染ではなく、もっとこう……濃密な接触というか……。その……相手は駆逐艦だし……あまりいい趣味ではないと思ってね……」

 

「感染量が多い……。雪風もそうなのですか?」

 

「……雪風としたのかね?」

 

俺は、先生の誤解を解く意味も含め、雪風にされたことを正直に話した。

 

「なるほど……」

 

「雪風は不思議な奴です。何かこう……大人の雰囲気があると言うか……」

 

「……だから手を出したと?」

 

「いや、だからそれは誤解ですって……!」

 

「ふふ、冗談だよ。しかし、そうか……。そうなると、雪風も、ヘイズによる『何か』について、知っていそうだね」

 

『しれえは、佐久間さんと違って、皆さんと接触する機会が少ないので、こういう手段しかとれませんでした』

 

『皆が、あんたと同じ夢を見ていた。それは『ヘイズ』によるものなの。この夢のように、はっきりとしたモノでなかったのは、あんたの『ヘイズ』が弱いと言うか、少ないと言うか……。とにかく、感染量が少なかった……とでも言っておくわ。だから、雪風は、あんたに……』

 

『曙さんの件です。必ずしれえと交流するよう、説得します』

 

『本当……信じられない……。どうして雪風は、そんな事を簡単にできちゃうのかしら……。そもそも、どうして雪風が、あたしとあいつがここで会っていたことを知って……』

 

雪風は全てを知っていたという訳か。

曙の言動から、雪風はおそらく、曙に「雨宮にヘイズを感染させたから、佐久間の時と同じように、夢の中で交流が出来る」とでも伝えたのだろう。

しかし、どうして雪風は、曙と親父が交流していたことを知っていたのだろうか……?

 

「ちなみに、雪風の感染量は、艦娘平均の約13倍だ」

 

「13倍!? それって、大丈夫なんですか?」

 

「特に問題はないだろうと言われている。人化すると、ヘイズは消滅するし、人間に感染しても、人から人に感染することはないから、問題はない。君が普通にしているのが、その証拠だ」

 

「し、しかし……俺は感染していますが……」

 

「それも問題ない。ヘイズの寿命は、人間に感染したものに限り、約一年ほどだ。再感染しない限り、ヘイズは完全に消滅する。尤も、仮にヘイズが不完全な状態であったのなら……」

 

そこまで言って、先生は閉口した。

 

「先生?」

 

「……いや。まあ、今では関係のない話だ。忘れてくれ」

 

「はぁ……」

 

「とにかく、話はここまでにしておこう。くれぐれも、駆逐艦相手に変な気は起こさないように。昔、それで問題になったこともあるからね」

 

潮の件であると、すぐに分かった。

やはり、問題になっているはずだよな……。

 

「最後に、何か質問はあるかね? と言っても、頭の中はいっぱいいっぱいだろうがね」

 

質問か……。

正直、何を訊いても、今の俺には何も――。

 

『今挙げた艦娘は、あの島の中でも特に感染量の高い艦娘なのだが……』

 

『つまり、感染量が多いと、他の感染者に影響を与えてしまう可能性があるという事だ』

 

「……一つだけいいですか?」

 

「なんだね?」

 

「もし仮に、感染量の少ない艦娘が居たとして、そいつが他に与える影響力は少ないと考えていいですか?」

 

「おそらくそうだろうね。逆に言えば、他から受ける影響力も少ない可能性があるね」

 

「……あの島で、感染量の少ない艦娘はいますか?」

 

「いるよ。極端に少ないのが一隻だけね。それは――」

 

 

 

しばらくすると、山風が飯を運んできた。

最上と共に。

 

「雨宮君、ご飯持ってきたよ」

 

大量の握り飯と、大量のおかずであった。

 

「凄い量だな……」

 

「寮の皆で作ったの。病院食があるって言ったのだけれど、こっちの方が、雨宮君にいいんじゃないかって」

 

確かに、おかずは俺の好物ばかりであったし、握り飯も好きだ。

 

「握り飯が大きかったり小さかったりするのは、そういう事か」

 

誰がどれを握ったのか、容易に想像できるほどに、大きさ・形に個性が出ていた。

 

「あと、最上さんも手伝ってくれたんだよ」

 

「え?」

 

最上は頷くと、様子を窺うように俺を見つめた。

 

「そうであったか。ありがとう、最上」

 

俺は何故か、敬語で話すことが出来なかった。

敬語では不自然だと思ってしまったのだ。

最上がそれをどう受け取ったのかは分からないが、恥ずかしそうに微笑みを見せるだけであった。

 

 

 

「ごちそうさま」

 

昨日から何も食べていなかったとはいえ、流石に腹がはち切れそうになっていた。

 

「凄いね雨宮君。全部食べちゃうなんて」

 

「残す訳にはいかないからな。皆には「美味しかった。ありがとう」と伝えておいてくれないか?」

 

「うん、分かった」

 

「最上も、ありがとな」

 

小さく頷く最上。

飯を食っている間も、最上が口を開くことはなかった。

俺と山風が話しているのを――いや、勘違いかも知れないが、俺だけをじっと見つめていたように見えた。

 

「さて、じゃあ片付けちゃうね。またあとで来るから。最上さん、雨宮君の話し相手になってあげて」

 

そう言うと、山風はウインクをして、部屋を出ていった。

気を遣わせたか。

 

「気を遣わせちゃったかな……」

 

最上も同じように捉えたようで、そう呟いた。

永い沈黙が続く。

 

「……不思議だよ」

 

「え?」

 

「何故かは分からんが、初めて会った気がしない。昔から、友達だったかのような……」

 

最上は驚いた表情を見せた後、小さく言った。

 

「ボクもだよ……。先生の息子さんだって聞いて……だからかなって思っていたのだけれど……」

 

最上の目には、涙が浮かんでいた。

 

「そうじゃない何か……というのかな……。もっと昔に……会ったことがあるというか……。ずっと……探していた人に会えたって言うか……」

 

頬を伝う涙を、最上は拭くことをしなかった。

親父を慕っていたようではあるが、俺を見るその目に、親父の姿はなかった。

そう思えるのも、どこか――。

 

「そう思ってしまうのも、きっと、まだボクが先生を……君のお父さんを忘れられないからなのかもしれないね……」

 

「……そうかもな」

 

お互いに分かっていた。

そういう事にしないといけない、と。

それが何故なのかは分からない。

分からないのにもかかわらず、それに従ったのだ。

 

「……山城さんは元気?」

 

「え?」

 

「さっき聞いたんだ。山城さんが部屋を出たって……。山城さん、先生の事が好きだったみたいだから……。君の事を見て……部屋を出る気になったんじゃないかなって……」

 

「……どうかな。あいつが部屋を出たのも、夕張が無理やり連れだしたからなんだ……。後に引けなくなったんじゃないのかな」

 

「でも、今も部屋を出ているんでしょ? きっと、何か思うところがあったんだよ。あの人、結構強情だし、引きこもるって意志を曲げるほどの何かがあったんだよ。きっと」

 

確かに、山城は何かを企んでいるように思う。

夕張を俺に押し付けようと――かと思えば、夕張を見捨てようとしたり……。

あいつは、一体何がしたいのだろうか……。

 

「山城さん、ああ見えてもお話し好きだからさ、たくさん話しかけてあげて欲しいんだ。態度には現れないから、好感度が上がったのか分からないのかもしれないけれど……。それでも、山城さんが本当に嫌だって言う時は、本気で抵抗するはずだから、そうでもない限りは、喜んでいると思っていいよ」

 

喜んでいる……か……。

とてもそうには見えないが……。

確か、最上は山城と同じ艦隊だったから、何か分かるのだろうな。

 

「……分かった。信じて話しかけてみることにするよ。アドバイスありがとう。参考になった」

 

そう言ってやると、最上はようやく笑顔を見せてくれた。

とびっきりの笑顔であった。

 

 

 

それからは、時間の許す限り、最上と話した。

最初こそは、お互いにギクシャクした感じであったが、段々と、友達のように話すことが出来た。

 

「――それでね?」

 

「雨宮君」

 

山風がやってきて、面会時間の終了を告げた。

 

「もう終わりかぁ……。せっかく仲良くなれたのに、あっという間だったなぁ……」

 

最上は、本当に残念そうに、俯いて見せた。

 

「なに、また来ればいいさ。週一でこっちに戻るから、忙しくなければ、またその時にでも」

 

「……うん」

 

最上は立ち上がると、もう一度俺の目をじっと見つめた。

 

「最上……?」

 

「……そっか。やっぱり……そうだったんだ……。あの人じゃ……なかったんだ……」

 

「え?」

 

「……あのさ、雨宮君」

 

「ん?」

 

「君の事……先生って……呼んでもいいかな……?」

 

「俺の事を……?」

 

「うん……。迷惑じゃなければ……なんだけど……」

 

その瞬間であった――。

 

「え?」

 

俺は思わず、窓に目を向けた。

閉じているはずの窓から、風を感じ、そして――。

それは、最上も同じだったようで、俺と同じ方向を見つめていた。

 

「雨宮君? 最上さん?」

 

「今の音は……」

 

「……先生」

 

「ん?」

 

声に振り返って見た最上の表情は、どこか柔らかく、優しさに包まれていた。

 

「先生」

 

あの音が――俺と最上にしか聞こえないであろう風鈴の音が、反響するように、何度も何度も、鳴っていた。

 

「……綺麗な音するんだな。確かに、涼しくなりそうだよ」

 

最上はそれに、返事をしなかった。

それが、正しい台詞であった。

 

 

 

最上が去った後、山風はベッドに座り、細い目で俺を見つめた。

 

「どうした?」

 

「雨宮君……さっきのなに? なんか……最上さんと仲良くなって……二人にしか分からないような事をしていたようだけれど……」

 

「あぁ……。なんなんだろうな……。俺にも、よく分かっていないんだ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「あいつといると、何だか懐かしい気持ちになると言うか……。不思議な感じになるんだ。自分が自分じゃなくなると言うか、本来のモノになっていくと言うか……」

 

「ふぅん……」

 

山風は、つまらなそうな表情を見せた。

――というよりも、どこか……。

 

「なんか、怒っていないか? いや……拗ねているような……」

 

「へぇ……。雨宮君って、鈍感だと思っていたのだけれど、気が付くときは気が付くんだね……」

 

どうやらそうらしい……。

二つの意味で……。

 

「雨宮君って、すーぐ女の人と仲良くなって、なんかいい雰囲気になるよね~……」

 

「別にいい雰囲気って訳ではないが……。それに、別に女の人だから仲良くなったという訳ではない。何故かは知らんが、仲良くなれるのは艦娘か元艦娘くらいで、その他の女性は、俺なんか見向きもしない」

 

「そうなの?」

 

「あぁ。ロボットみたいで不気味だとか言われていたらしい。別に普通なのだがな」

 

「ロボット……。まあでも、時々だけれど、本当に人間の心があるのかなって、思う事はあったけど……」

 

本当にそう思ったことがあるらしく、山風は悪気も無くそう言った。

正直、そんなに自然な感じで言われるとショックだ……。

 

「でも、それ以上に……そんな事も霞むくらい、雨宮君は優しくて、素敵な人だから、それに気が付いていない内は、そう思っちゃうのも無理ないのかもね」

 

「山風……」

 

「……あたしも、なりたかったな」

 

「え?」

 

「雨宮君が、雨宮君らしくなくなっちゃうほどの何かを、感じさせる女に……」

 

その言葉に、俺は思わずドキッとしてしまった。

だから、山風は拗ねて……。

 

「……そういう意味でなら、俺はもう、らしくなくなっているよ」

 

「え?」

 

「前に……山風が言ってくれただろう? 俺の事が好きだってさ……」

 

思い出したのか、山風は赤面し、そっぽを向いてしまった。

 

「あれから、俺は俺でなくなっているんだ。色々とドキッとしてしまう事も多くなったし……。誰かを怒らせてしまう事も多くなった。鈍感だと言われ、鈍感でなかった時は笑われた」

 

「それは……あたしが……雨宮君に初恋を教えちゃったから……って、こと……?」

 

「……多分な」

 

ロボットが恋を覚えると、きっと、俺のようになるのだろうと思った。

人の心というものは、どうも複雑すぎて――されど単純で――。

 

「……ねぇ、雨宮君」

 

「ん……?」

 

「これから先……きっと……雨宮君が変わるような出来事だとか……変わるきっかけをくれる誰かに出会ったりだとか……たくさんあるだろうけれど……。恋心に関係することだけは……あたし……」

 

山風は振り返ると、俺の手を取り、自分の胸に押し当てた。

 

「山――」

「――いいからね……?」

 

山風は顔を真っ赤にさせながら、もう一度言った。

 

「あたしは……いいから……ね……?」

 

心臓が跳ね上がる。

秋雲のソレとは――いや、似てはいるのだが、それ以上に――。

 

「わ、分かった! 分かったよ! あの……分かったから……」

 

山風は俺の手を離すと、姿勢を正す俺を確認してから、ベッドをおりた。

 

「雨宮君……」

 

「な、なんだ……?」

 

「秋雲の誘惑に……負けないでね……。負けそうになった時は……」

 

再び心臓が跳ね上がる。

真っ白な蛍光灯が、山風の白い肌を照らしていた。

 

「山……風……」

 

「――……っ!」

 

流石に恥ずかしくなったのか、山風は服を着なおすと、そのまま部屋を出て行ってしまった。

下着を着けていなかったところを見るに、山風は最初から――。

 

「くっ……」

 

山風は言った。

 

『あたしもなりたかったな……。雨宮君が、雨宮君らしくなくなっちゃうほどの何かを、感じさせる女に……』

 

「だとしたら……これは……」

 

俺らしくない俺は、その熱をいつまでも保っていた。

だから、俺は――。

 

 

 

翌朝。

朝食を済ませた後、俺はすぐに島へと戻る準備をした。

 

「もう行っちゃうんだ」

 

「あぁ。島の連中に心配をかけたくないからな」

 

「でも、あまり眠れていないようだし……。やっぱりまだ……」

 

「いや……まあ……眠れていないのは確かだが、別にそれは体調とは関係ないから……」

 

昨日は、自己嫌悪で中々眠ることが出来なかった。

 

「仕事熱心なのはいいけれど、実際倒れているんだし……無理は駄目だからね?」

 

「あぁ、分かっているよ。心配かけたな、山風。ありがとう。あと……ごめんな……」

 

「え? ううん、大丈夫だよ」

 

山風の笑顔が、今日に限ってはまぶしすぎて、俺は直視することが出来なかった。

 

 

 

島に着くと、皆が俺を出迎えてくれた。

 

「もう大丈夫なんですか?」

 

「あぁ。心配かけたな」

 

寮へと向かう道中、俺が倒れてからの事を聞かされた。

 

「――それから、提督が倒れたって聞いて……でも、どうやって運ぼうかって話になって……」

 

以前倒れた時は、武蔵が何とかしてくれたらしい。

 

「そしたら、大和さんが……」

 

「大和?」

 

そういえば、意識を失う直前、大和の姿を見たような……。

 

「大和さんが提督を運んでくれたんです」

 

「びっくりしたわ。そんな事、絶対しないと思っていたから」

 

大和……。

 

 

 

寮に戻り、皆に謝罪をした後、食堂で皿洗いをしていた大和の元へと向かった。

 

「よう」

 

大和は何も言わず、俺を一瞥した後、再び皿洗いを始めた。

 

「手伝おうか?」

 

「……結構です」

 

その声は、とても冷たかった。

やはり、まだ交流には早かったかな……。

 

「……俺が倒れた時、運んでくれたそうだな。ありがとう、大和」

 

「別に……鳳翔さんに頼まれただけですから……」

 

「それでも、引き受けてくれたんだろ? 感謝している」

 

大和は何も言わなかった。

交流終了か……。

まあ、こんなもんだろう……。

大和だって、これ以上……。

 

『そう提督が思いたいだけです。そして、その考えこそが、大和さんを遠ざけているのだと、何故気が付けないのです?』

 

「…………」

 

俺は、大和の隣に立って、洗い終えたであろう皿を拭き始めた。

 

「…………」

 

大和は一瞬、嫌そうな表情を見せたが、ただ黙々と皿を洗い続けた。

そして、俺もまた、大和が洗い終えた皿を、ただ黙々と拭き続けた。

 

「…………」

 

なるほどな……。

大淀の言っていた通りであった。

俺はてっきり、大和が嫌がって、どこかへ行ってしまうものだと思っていた。

でもそれは、俺の勝手な思い込みであり、その思い込みこそが、大和を遠ざける要因となっていたのだ。

 

「ノート……返信が遅くなって悪いな……」

 

俺は、大和にしか聞こえないような小さな声で、そう言った。

 

「未だに……その漂流物についても確認できていないんだ……。それを確認しなければ、返信も出来ないと思ってな……」

 

大和は何も言わなかった。

最悪のケースが頭に浮かぶが、俺はそれを払いのけ、話を続けた。

 

「そう言えば……鳳翔がさ、お前の事、大和ちゃんって呼ぶだろ? あれ、なんでなんだ?」

 

大和は答えない。

答えにくい質問だったのか、それとも――。

 

「……分かった。変なことを訊いて悪かったよ」

 

永い沈黙が続く。

それでも、俺はこの結果に満足していた。

大和の心に、ほんの一歩、近づけた気がしたから――。

勇気を出して踏み込んだ甲斐があったと――。

――だからこそ、俺は驚愕したのだ。

 

「吹雪さんが……そう呼んだんです……」

 

「え……」

 

「私の事……大和ちゃんって……。吹雪さんの冗談だったのですが、それを鳳翔さんが、私と仲良くなるきっかけになると思ったそうで……」

 

「……それ以来、大和ちゃんと?」

 

大和は小さく頷いた。

 

「そうだったのか……」

 

再び、沈黙が続く。

何か言葉をかけようにも、俺はかなり動揺していた。

大和が、俺とまともに会話をしてくれている……。

何故急に?

何がきっかけで?

鳳翔関連の話だったから?

気まぐれ?

実は俺に話しかけていないとか?

いや、それはないだろうが……。

 

「…………」

 

もう、いっぱいいっぱいであった。

だが、それ以上に俺を支配していたのは、感動であった。

ただ大和がまともに会話をしてくれただけで、こうも嬉しくなるとは、思いもしなかった。

思わず泣いてしまいそうな――鳥肌が止まらなくて――。

 

「あとはお願いします……」

 

その声に、我に返る。

皿洗いの方は、終わってしまったようだ。

 

「あ、あぁ……。あ、大和!」

 

去ろうとする大和に、俺は思わず声をかけてしまった。

大和は足を止め、俺を見ることはしていないが、言葉を待ってくれているようであった。

 

「……ありがとう。ほんの少しだが、お前の事を知れた気がするよ」

 

「…………」

 

大和は何も言わず、その場を後にした。

 

「はは……」

 

腰が抜け、思わずしゃがみ込む。

 

「やったぜ……。ははは……。よくやった……」

 

涙が零れる。

だがそれは、悲しいとか、安心したからだとか、そういうものではなかった。

 

「大和ちゃん、お皿洗い頼んじゃってごめんなさ……て、提督!?」

 

「鳳翔……」

 

「どどど、どうされたのですか!? また、どこか痛むのですか!?」

 

「違う違う。ちょっと、立ち眩みしただけだ」

 

「でも、泣いていますし……」

 

「ただの寝不足だ。俺は元気だよ。元気すぎるくらいだ」

 

涙を流しているのにもかかわらずご機嫌な俺の様子に、鳳翔はどこか、気の毒なものを見るような目を俺に見せていた。

 

 

 

大和との交流に成功し(?)このまま流れに乗ろうと、俺は玄関へと急いでいた。

 

「漂流物、まだ在ってくれよ……!」

 

そんな事を言いながら靴を履いていると、背後に気配を感じ、振り返ると――。

 

「曙……?」

 

曙が俺をじっと見つめていた。

 

「……どうした? 何か用事か?」

 

「別に……」

 

何もない……という感じではないが……。

 

「そうか……」

 

靴を履き、外に出ると、少し離れてではあるが、曙もついてきていた。

俺が足を止めると、曙も足を止めた。

 

「…………」

 

なるほど……そういう事か……。

 

 

 

大和が見たという漂流物は、寮からかなり離れた場所にあった。

 

「ここならもう、誰にも見つからんだろうよ」

 

そう言ってやると、曙は姿を現し、俺に近づいてきた。

 

「潮はどうした?」

 

「漣たちに相手させてる……。あたしは……鳳翔さんの手伝いをすることになってる……」

 

「徹底しているな」

 

「そりゃそうよ……。あんたと話しているだなんて、絶対に誰にも見せられないわ……」

 

「そんなリスクを承知で、俺に話しかけて来たって訳か。用件はなんだ? この前みたいに、手紙でも入れてくれれば良かったじゃないか。そうしたら、また、夢の中ででも……」

 

そう言ってやると、曙は泣きそうな表情を見せた。

 

「曙……?」

 

「ごめんなさい……」

 

「え?」

 

「あんたが倒れた理由……。それは、あたしが夢に呼んだせいなの……。どうしても直接謝りたくて……」

 

なるほど……。

だからこうして来たわけか……。

夢だと、また負担をかけてしまうから――それでも、謝りたいから――。

 

「優しいんだな」

 

首を横に振る曙。

 

「本当は……こうなるんじゃないかって……分かっていたの……。前にも……似たような事があったし……。でも……あたし……」

 

「……お前のせいじゃないよ。それに、そんなリスクがあったと知っていても、俺はきっと、お前と夢の中で会う事を望んだはずだ」

 

「でも……」

 

「俺は感謝しているんだぜ、曙。だから、そんな顔するな」

 

曙は俯いてしまった。

本当はこんなにも優しいやつなのに、あんな罵声を人間に浴びせなければいけないだなんてな……。

 

「……少し、話さないか?」

 

「え……?」

 

「ほら、ちょうどいい感じの流木が転がっているし、どうかな?」

 

流木に座り、曙を見た。

曙は少し迷った後、距離をおいて座ってくれた。

 

「本土に戻って、ヘイズの事を色々訊いてきたんだ」

 

「ヘイズの事……?」

 

「あぁ――」

 

俺は、先生から聞いたことを全て、曙に話してやった。

 

「――つまり、俺が倒れたのも、それが原因なんじゃないかと言われた。だから、お前のせいではないよ」

 

「それでも……」

 

曙は考え込むように目を瞑った。

そして、何かを決意したかのように顔を上げ、俺を見た。

 

「実はね……あんたが倒れた後、霞と話をしたの……」

 

「霞と?」

 

「えぇ……。あの日、やっぱり霞は、あんたの部屋にいたみたい……。そして、傍で眠った……」

 

「どうしてそんな事を……?」

 

「理由は分からない……。でも、問い詰めたの……。夢の事、知っていたんじゃないのって……。そしたら――」

 

 

 

『あんた、知っていたんじゃないの……? あの夢の事……』

 

『さあ……? それよりも、どうしてあいつが、あんたと『対等』な夢を見られているのよ? あいつはまだ、ここに来て日が浅いのに……』

 

『対等……? それって、ヘイズに感染しているかどうかの事を言ってる……?』

 

『……あぁ、そうなのね。あんた、あいつとキスでもしたわけ? いや……でもおかしいわ……。だって、そうだったとしても、そんな急には……』

 

霞は、雪風があんたにしたことを知らなかったみたいだった。

 

『霞……あんた、どこまで知っているのよ……?』

 

『さあね……。少なくとも、あんたよりは知っている……とでも言っておくわ……』

 

『あたしより……?』

 

『えぇ……。あたしは全部知っている……。あんたが『司令官』と夢で会っていたことも……全部ね……』

 

『……っ!』

 

『一つだけ教えてあげる……。『司令官』をあの世界に導いたのは、あたしなの……』

 

『それって……どういう……』

 

 

 

「霞はそれ以上を話さなかった……。でも、言っていることが確かなら、霞はあたし以上に夢の秘密を知っていることになるわ……。それも、あたしよりも前に……」

 

「……話の中で出て来た『司令官』ってのは」

 

「えぇ……。あんたの親父のことよ……」

 

霞と親父は、曙との交流以前から、この夢の事を知っていたという訳か……。

それも、霞から教えられて……。

 

「確かに、あたしとの交流以前から、何か知っている感じだった……。でもそれが、霞からだったなんて……」

 

「霞と親父との仲は……?」

 

「……普通だったわ。あんたの親父が霞に絡んで、霞が嫌々……という体で接する感じ。多分だけれど、霞はあいつの事を好きだったのだと思うわ……」

 

仮にそれが本当だったのなら、確かに、霞は親父の事を……。

夢で会うくらいだしな。

すると、霞が俺の部屋に来たのは――。

 

「まあ、霞の事はもういいの……。あたしたちが何をしているのか、ある程度察したようだし、あんたがああなった以上、わざわざ夢に入ってくることはしないと思うから」

 

曙は海に目を向けると、黙り込んでしまった。

霞の事、謝罪の事――それらを話し終えても、まだ何かあるように感じた。

だからこそ、俺は何も言わず、曙の言葉を待った。

 

「……あれからずっと考えていたわ」

 

「何を?」

 

「夢の中で言っていた、作戦のこと……。それが本当に、潮の為になるのかなって……」

 

「……して、結論は?」

 

曙は少し躊躇った後、小さく言った。

 

「試してみる価値はあると思う……」

 

「乗るって事か? 俺の作戦に」

 

「そう言ってるの……。漣や朧には、もう話してある……」

 

「……流石だな」

 

「あんたも、ちゃんと話しておきなさいよ……。そうじゃないと、作戦の意味がないんだから……」

 

「あぁ、分かってる。ありがとう、曙。作戦に乗ってくれて」

 

「試してみるだけよ……。ダメだったら、すぐに中止するから……」

 

「分かった。じゃあ、夕食時にでも」

 

「えぇ……。問題は、大和さんね……。もし、潮が大和さんを頼ったら……」

 

「その時はその時さ。また考えることにする。まあ、それも必要ないかもしれないけどな」

 

そう言って、俺は漂流物を拾った。

 

「これか……」

 

「なに? それ……」

 

「実は、大和と文通――といっても、ほぼ交換日記みたいなもんだが――をしていてな」

 

「大和さんと!? どうして!?」

 

「まあ、色々あってな……。その中に、漂流物があると書かれていたんだ。多分、これの事だと思う」

 

手帳のようなものであった。

濡れているのにもかかわらず、文字は滲んでいなかった。

 

「確かに、外国のものっぽいな……。日本語のようにもみえるが……何語だ……?」

 

「だからあんた、出かけようとしていたのね……。というか、大和さんと交流していたのね……」

 

「あぁ。まだ信用されているのかいないのか不明だが……多分、大和は理解してくれると思う。俺たちが何をやっているのかを」

 

鈴谷と熊野の時もそうだった。

あのゴタゴタの中で、大和は返事をしなかった。

あれはおそらく、忙しい俺に配慮しての事だったのだ。

……多分。

 

「とにかく、そういう事だ。しかし、どうして俺の作戦に? ああ……いや……訊くのは野暮だったか……?」

 

「……まあ、色々と理由はあるけど。一つは、あんたの為よ……」

 

「俺の為?」

 

「えぇ……。作戦に乗らなかったら、また夢で交流する必要が出てくるし……。そうなったら、いつまた倒れるか分かったもんじゃないから……」

 

作戦に乗らなくても、俺と交流する気はあったという訳か。

まあ、それを口に出してしまったら、それこそ野暮なのだろう。

 

「そうか」

 

だからこそ、俺はそれ以上何も言わなかった。

曙はそういう気遣いを知ってか、不貞腐れるように膝を抱えた。

 

 

 

「そろそろ戻らないと不審がられる」と、曙は帰っていった。

俺は一緒に帰るのはマズいと思い、しばらくその場に残ることにした。

 

「うーん……やはり分からんな……」

 

漂流物の手帳。

やはり、何が書かれているのか分からない。

他のページも似たような言語で書かれていて、一体どこの物やら……。

 

「損傷も少ないし、近くの国から来たのだろうとは思うが……」

 

近隣国の言語には疎いが、こんな文字ではないのは確かだ。

 

「ん?」

 

気が付かなかったが、最後辺りのページが引っ付いている。

そっと剥してみると――。

 

「これは……」

 

そこには、日本地図が載っていた。

だが、それよりも俺を驚かせたのは、曙が描いて見せたヘンテコなマークが、日本地図の横に描かれていたことであった。

 

 

 

時間を見計らい、俺は寮へと戻った。

手帳の事は気になるが、今はとりあえず、大和への返信を考えなければいけない。

 

「とはいえ、何を書けばいいのか……」

 

そんな事を考えていると、大淀が部屋へとやって来た。

 

「お疲れ様です。体調はいかがですか?」

 

「あぁ、大丈夫だ。何か用事か?」

 

「えぇ。先ほど、曙さんとお出かけされていたので、何か進展があったのだろうと思いまして」

 

曙……どうやら見られていたようだぞ……。

大淀であったから良かったものの……。

いや……大淀だからこそ、見破られてしまったのかもしれないが……。

しかしまあ、ちょうどいいタイミングだ。

 

「グッドタイミングだ。実は、頼みたいことがあってな」

 

俺は、作戦の事を大淀に話した。

 

「なるほど。では、私が皆さんに作戦の事を話せばいいのですね?」

 

「あぁ、そうだ。話が早くて助かるよ。あ、そうだ……。夕張には、言わないでくれ。俺から直接伝えたいんだ」

 

そう言うと、大淀は何やら目を細めた。

 

「それは……何故ですか?」

 

「え? あぁ……まあ……。実は、あいつに「頼る」って約束したのだが……。先に、お前に頼ってしまったからさ……」

 

「夕張さんに申し訳ない気持ちがあると?」

 

「お前を先に頼ったのは事実だから……。そうしてしまったという事を直接謝りたいと思ってな……」

 

「……そういう気遣い、出来たんですね」

 

「え?」

 

大淀は俺の目を、じっと見つめていた。

 

「大淀……?」

 

「……やっぱり、ご自分で伝えてください。皆さんに……」

 

「え? 何か、不都合でもあったか?」

 

「まあ……そんなところです……」

 

「それはなんだ?」

 

大淀は唇を尖らせると、小さく言った。

 

「どうして夕張さんにはそういう気遣いが出来るのに、私の気持ちには気が付かないんですか……」

 

「へ?」

 

「……もういいです」

 

大淀は不機嫌そうな表情を見せ、部屋を出て行ってしまった。

 

「な、なんだったんだ……?」

 

よく分からんが、どうやら、俺の『鈍感』のせいで、やらかしてしまったらしい。

 

 

 

結局、皆には俺から直接伝えることとなった。

 

「――という事なんだ。協力してくれると助かる」

 

「なるほどね。分かったわ」

 

「それと……謝りたいことがあってな……」

 

「私を頼らなかったこと……でしょ?」

 

夕張は微笑んで見せた。

 

「別にいいわよ。私だって、何も全てを頼られるとは思っていないし、何事もケースバイケースよ」

 

「夕張……」

 

「でも、嬉しい……。私の事、そうやって気遣ってくれるなんて……」

 

本当にそう思ってくれているようで、夕張は満面の笑みを見せてくれた。

 

「でも、そっかぁ。そうやって想ってくれるのなら、もっと困らせてやろうかしら?」

 

それは、夕張なりの気遣いであった。

だからこそ、俺はただ、困ったように微笑んで見せたのだった。

 

 

 

皆に作戦を伝え終え、俺は再びノートに向き合っていた。

 

『作戦は承知いたしました。しかし、大和さんが何と言うか……』

 

『大和さんは知っているの?』

 

『大和さん――』

 

皆、やはり大和の事を気にかけていた。

大丈夫だとは思うが、確かに、大和が作戦に賛同してくれるとは限らない。

作戦の内容を伝えてもいいが……。

 

「皿洗いでの交流が、作戦を理解して貰う為の策略だった……なんて、思われでもしたら……」

 

大和はきっと、裏切られたと思うだろう。

そして、二度と――。

 

「…………」

 

こんな懸念を抱いている時点で、俺は……。

 

『庭に、ウメの花が咲いておりました』

 

『サザンカもまた、立派に咲いていたよ』

 

アキレスと亀――。

追いかけ、追い抜き、追い抜かれ――。

いつまで経っても、俺たちは――。

 

『あとはお願いします……』

 

――いや、そうじゃない。

 

『吹雪さんが……そう呼んだんです……』

 

「…………」

 

――そうだ。

俺たちは、確かにあの時――。

 

「隣にいた……か……」

 

俺はもう一度、ノートに目を向けた。

そして――。

 

 

 

「よう」

 

食堂に入って来た大和は、少し驚いた表情を見せた後、すぐにいつもの表情へと戻していた。

 

「いつも一番乗りなんだってな。鳳翔から聞いたよ」

 

大和は何も言わず、ただ俺の言葉を待っていた。

 

「……漂流物、確認したんだ。だから……」

 

俺は、ノートを大和に渡してやった。

 

「確認して欲しい。今」

 

「今……?」

 

思わず声に出してしまったようで、大和はより険しい表情を見せた。

 

「そう。今だ」

 

大和は怪訝そうな表情を見せた後、ノートを捲った。

 

「それが、俺の答えだ。お前ならきっと、真意に気が付いてくれると思う」

 

大和は何も言わなかった。

まるで、開かれたページの言葉を――白紙のページに書かれた言葉を――読んでいるかのようであった。

 

「お前には見えているはずだ。俺の言葉……俺の気持ち……そして――」

 

大和は顔を上げ、俺を見た。

 

「――お前自身の気持ちが」

 

大和はもう一度、白紙のページに目を向けた。

そして、何も言わず、ノートを持って食堂を出て行ってしまった。

 

「大和……」

 

これが正解だったのかは分からない。

それでも、俺の真意は伝わったはずだ。

もし、これで駄目だったら、もう――。

 

 

 

時間になると、皆が食堂へとやって来た。

遅れて来た大和に対し、鳳翔は何か言葉をかけていたが、大和は微笑みを返すだけであった。

 

「さて……」

 

俺は自分の食事を持って、席に着いた。

 

「え……」

 

声を上げたのは、潮であった。

 

「よう」

 

俺が座ったのは、第七駆逐隊のいる席であった。

 

「ご主人様、今日はこっちなのかにゃ?」

 

「あぁ、座ってからでなんだが、ご一緒しても?」

 

「もっちろん! 漣があーんしてあげりゅ!」

 

「朧も、あーん、したい……です」

 

盛り上がる二隻とは対照的に、曙と潮は――。

 

「あ、曙ちゃん……」

 

怯えた表情で、曙に縋る潮。

だが――。

 

「曙ちゃん……?」

 

曙は何も言わず、ただ俺をじっと見つめていた。

 

「曙ちゃん……あ、曙ちゃん……!」

 

「潮……」

 

「曙ちゃん……。どうして……何も言わないの……?」

 

「言うって……何をよ……?」

 

「え……」

 

「なんだ? 俺に、何か言う事でもあるのか?」

 

そう訊いてやると、曙は小さくため息をついた。

 

「あたしは別に何もないわ……。潮、あんたはあるの? 何か言いたいことが……」

 

「な、何言ってるの曙ちゃん……! だって……だってぇ……!」

 

「だって……なに?」

 

「だ、だって……。どうして何も言ってくれないの……? わ、私……!」

 

潮は、漣と朧に目を向けた。

だが――。

 

「皆……どうして……」

 

潮は席を立つと、真っ先に大和の方へと走り出した。

そして、その陰に隠れてしまった。

案の定、と言った感じだ。

 

「大和さん……」

 

皆、息を呑んで大和の動向を窺っていた。

 

「大和さん……助けて……」

 

震える潮。

大和は潮の頭を撫でた後、俺をキッと睨み付けた。

 

「大和……」

 

ダメであったか……。

大和が席を立ち、俺の元へと向かった来た。

 

「大和ちゃん!」

 

鳳翔が立ち上がる。

大和は俺の前に立つと、胸倉を掴み、睨み付けた。

 

「大和ちゃん! やめて……!」

 

「鳳翔……! いい……。座っていてくれ……」

 

「でも……」

 

「これは俺と大和の問題だ……。そうだろう……?」

 

大和は何も言わなかった。

 

「鳳翔さん……」

 

「大淀さん……」

 

「ここは提督の言う通りに……」

 

「……分かりました」

 

大淀に諭され、鳳翔は座った。

食堂に、静寂が訪れた。

 

「大和……」

 

「…………」

 

「……お前は、何に怒っているんだ?」

 

大和は何も言わない。

だが、その理由を、俺は知っていた。

 

「……分かっているさ。だが、信じて欲しい……。お前を利用したわけではないと……」

 

「…………」

 

「俺はただ、お前の隣に立ちたかっただけだ……。お前の見て来た景色、お前の感じた気持ち――お前だって、そうだったはずだ……。だからこそ、俺はあの『言葉』を返した……。お前だって、気づいていたはずだ……」

 

大和は何も言わなかった。

だが、その瞳には、どこか迷いが見られた。

 

「この件は関係ない……。こう思われたくなかったから、俺はお前に何も伝えなかった……。だが……お前を見誤っていた……。そこまで鋭いとは思わなかった……。その点だけは謝る……。悪かった……」

 

大和はより一層、俺を睨み付けた。

胸倉を掴むその拳は、小さく震えていた。

 

「だからこそ、この件に関しては謝らない……。これは関係がない。信じてくれ……」

 

「……そんなの……誰が信じろと……?」

 

「…………」

 

「貴方はペテン師でしょう……? そうやって、皆を騙してきた……! 私にも、同じことをするつもり……!? それが、通用するとでも……!?」

 

「大和……」

 

「私は信じない……! 信じたくない……! さあ……言ってください……! 私を騙していたのだと……! 私を利用するために、あんな『戯言』を返したのだと……!」

 

怒り――というよりも、大和の表情は、どこか――。

 

「大和……」

 

「さあ……!」

 

「……俺は、言わない。そんな事、絶対に言わない……。お前が本当に言って欲しいのは、そんな言葉じゃないはずだからだ……」

 

「何を言って……!」

 

「そうやって自分を責めるのはやめろ……。もっと自分を大事にしろ……。俺は、お前を信じ、踏み込んだ……。分かるだろ……? 今度は、お前がそうする番だと……」

 

「……っ!」

 

「本当は信じたいと思っているはずだ……。何がお前を邪魔しているのかは分からない……。だが、俺があのノートに書き続けた『お前への想い』は、全部本物だ……。お前だってそうだったはずだ……。そうでなければ、俺は……」

 

俺の表情に、大和は――。

胸倉を掴んでいた拳が解かれると、鳳翔がホッとした表情を見せていた。

 

「大和……」

 

大和は目を瞑り、しばらく俯いていた。

そして、顔を上げると、潮の方へと戻り、席に座った。

 

「や、大和さん……?」

 

「……確かに私は……あの男の事を敵だと思っています。でも……貴女と組むつもりはありません……。戦うことも出来ない……貴女とは……」

 

「そ……そんな……!」

 

「貴女も立派な駆逐艦なら……自分で戦いなさい……」

 

大和は再び、俺に目を向けた。

だが、それは、先ほどの物とは違い――されど、完全に信用したという訳ではなく――。

 

「今回っきり……って事だな……」

 

今は、それでもいい。

だが、いつかは――。

 

「潮」

 

俺の呼びかけに、潮は恐怖の表情を浮かべた。

 

「俺の事を敵だと思っているのなら、しっかりと向き合って戦え……。少なくとも、他の連中はそうしてきた……。そこにいる大和も同じだ……」

 

そうさ……。

俺たちは、そうやって分かり合って来た。

そうでないと、分かり合えなかった。

 

「お前の境遇は知っている……。俺を恐れる理由も理解している……。だからこそ、俺は証明したいんだ。件の男のような人間ばかりではないのだと……」

 

潮はただただ、オロオロと助けを求めるだけであった。

だが――。

 

「俺からお前に手出しはしない……。お前を穢す者はいない……。だからこそ、皆はお前を守る必要がないんだ……」

 

「そんな……」

 

「だがいずれ、お前以外の艦娘が全て人化し、俺と二人っきりで向き合わなければいけない時が必ず来る。お前はそれまでに、戦う準備をしておけ」

 

「い……嫌……。そんなの……いやぁ……! 曙ちゃん……! いつもみたいに助けてよぉ……!」

 

潮が曙に駆け寄る。

 

「潮……」

 

「曙ちゃん……」

 

曙は、縋る潮を突き放した。

 

「曙ちゃ――」

「――もうウンザリだわ……」

 

「え……」

 

「あんたのお世話……。正直……嫌だったの……。あたしは……さっさとこの島から出たいのに……。朧や漣だって、それは同じなのよ……。気が付かなかった……?」

 

潮が二隻に目を向ける。

 

「そんなに嫌なら自分で戦いなさい……。あたしは……この二人と島を出る……」

 

皆が驚きの声を上げた。

無論、俺もまた……。

冗談か……?

いや、それにしては……。

 

「う、嘘……だよね……?」

 

「嘘じゃない……」

 

「だ、だって……! そんなの……この人間の思惑通りになっちゃうんだよ……!? 曙ちゃんだって、この人間の事……!」

 

「別に……嫌いじゃないわ……。この人の事……」

 

「え……」

 

曙は立ち上がると、俺の前に立った。

 

「曙……」

 

「この人は……本気であんたの事を救おうとしている……。今まで、何人もの人間がそうして来た……。でも……この人は……『提督』は、今までとは違う……。大事なものを守るためには、大事なものを差し出さなきゃいけないと教えてくれた……」

 

曙はもう一度、潮に向き合った。

 

「あたしの大事なもの……それは……あんたよ……潮……」

 

「……!」

 

「あたしは……あんたの未来の為に、あんたに対する愛情を提督に差し出すことにした……。今まで、ずっと大事にしてきたものをね……」

 

「曙ちゃん……」

 

「だから……あんたも腹をくくりなさい……! あんたを守ってくれる人は、もうその人間しかいないのよ……!」

 

曙の頬に、涙が伝う。

抑えこんでいた気持ちが、溢れてしまったようであった。

 

「――……!」

 

潮は食堂を飛び出して行ってしまった。

 

「潮ちゃん……!」

 

鳳翔がそれを追いかける。

 

「鳳翔」

 

俺の声に、鳳翔は足を止めた。

だが……。

 

「……ご心配なく。提督の邪魔になるようなことは致しませんから……」

 

そう言って、鳳翔は潮の跡を追った。

それでも尚……か……。

 

「曙……」

 

「…………」

 

「辛い決断をさせたな……」

 

曙は首を横に振った。

 

「あんたのお陰で……あたしも決心できたわ……。ありがと……提督……」

 

「曙……」

 

曙は恐る恐る俺に近づくと、胸の中で大声を出して泣いた。

辛い決断であったのだろう。

不安であったのだろう。

その不安の全てを、俺が受け止められるかは分からない。

だが、今は――。

 

「よく頑張ったな……曙……。後は……俺に任せろ……」

 

曙が泣き止むまで、俺はただただ抱きしめてやった。

それしか、今の俺には出来なかった。

 

 

 

曙が泣き止んだのは、消灯時間前であった。

 

「落ち着いたか?」

 

そう訊いてやると、曙は恥ずかしそうに頷いた。

 

「ぼのたん……」

 

「曙ちゃん……」

 

「漣……朧……。ごめん……。あんたたちまで巻き込んじゃって……」

 

「ううん……。曙ちゃん一人の問題じゃないよ。これからは、ちゃんと朧たちも頼って?」

 

「そうだよ、ぼのたん。赤信号、みんなで渡れば鎌倉幕府って言うぢゃん!」

 

「……ふふ、なによそれ。でも……そうよね……。うん……。ありがと……二人とも……」

 

二隻に笑顔を見せた後、曙は俺に視線を向けた。

 

「曙……」

 

「そんな顔しないでよ。潮の事、これからよろしくね」

 

「……あぁ。任せておけ」

 

「本当にありがと……提督……」

 

そう言って、恥ずかしそうに微笑む曙の表情は、今まで見て来たどの表情よりも、自然であった。

 

 

 

その後、消灯時間だったこともあり、俺は家へと帰ることにした。

 

「ふぅ……とりあえず、進展はしたかな……」

 

倒れ込むように布団に入ると、急に眠気が襲って来た。

 

「『潮を孤立させる作戦』は、一応成功したと思っていいかな……。これで、戦う気になってくれればいいが……。もしくは、敵などいないと気付いてくれればいいのだが……」

 

仮に、この交流が失敗したとしても、いつか人化した際に、この経験は必ず活きるはずだ。

今は許されているかもしれないが、島の外に出たら、潮のような艦娘は、きっと――。

 

 

 

翌日。

朝食時、潮が顔を出すことはなかった。

 

「昨日、潮ちゃんと少し会話をしました」

 

「して、なんと?」

 

「本人も、今の状況が良くないという事は、自覚しているようでした。提督の事も、悪い人ではないと思っているようでした……。しかし、やはり過去の事があって、信用するのは怖いと……」

 

「そうか……」

 

だからこそ、俺を悪役だと思い、戦ってほしいのだがな……。

中途半端なイメージのせいで、俺を完全に悪役として見られないという事だろうか……。

もしそうだとしたら、やはり曙に、俺を罵倒させていた方が――。

 

『ごめんなさい……』

 

――いや。

それでは、曙を救うことは出来ない。

 

『本当にありがと……提督……』

 

俺は、潮だけではなく、曙にも笑顔であって欲しいと思っている。

そうさ……。

作戦はいい方向に進んでいるはずだ。

きっと――。

そう思わなければ、俺は――。

 

 

 

結局、この日、潮が顔を見せることはなかった。

鳳翔や明石、それに何故か雪風も加わり、面倒を見てくれていたようではあるが……。

 

「潮の事が心配?」

 

「曙……。まあな……。だが、それ以上に……その……」

 

「罪悪感に苛まれているとか? あたしと潮の仲を引き離してしまったって……」

 

俺は、何も言えなかった。

 

「ばっかみたい。まだ始まったばかりでしょ? あんたがそんなんじゃ、任せたあたしも不安になってくるっての」

 

「あぁ……そうだな……。悪い……」

 

「……きっと大丈夫よ。潮だって、分かっているはずだわ。あたしの事は気にせず、いつものペテンを存分に発揮すればいいわ」

 

そう言うと、曙はニカっと笑って見せた。

 

「……それが、お前の本当の表情か」

 

「え? な、なによ……。何か変だった……?」

 

「いや……。何だか、元気が出る笑顔だなってさ。ありがとな、曙」

 

「は、はぁ!? な、なに恥ずかしい事言ってんの!?」

 

「はは、怒った顔も可愛いんだな。交流前に見せていたあれは、やはり無理していたんだな」

 

「可愛……。か、可愛いとか言うな……! あたしは怒っているんだけど!?」

 

「あぁ、分かってるよ。だから、怒っている顔が可愛いと言ったんだ」

 

「意味わかんない……! あんた……ドMなの!?」

 

「もしかしたら、そうなのかもしれないな」

 

「な……!? 最悪……! この変態! 変態クソ提督!」

 

「はは」

 

何故かは分からないが、曙に『クソ提督』と呼ばれている方が――怒られている方が、しっくりくる。

本当に俺がドMだからなのだろうか?

 

 

 

家に帰り、寝床に就く。

 

「はぁ……」

 

もし、潮がこのまま部屋を出ず、鳳翔たちに甘える続けるのなら……。

 

「俺からは絡みに行かないと言ってしまったからな……」

 

あくまでも、俺は受け身の立場だ。

潮からのアプローチを待たなければいけない。

そうでないと、潮は一生、変わることが出来ないだろう。

俺には、過去の傷を治す力はない。

最悪の場合、傷口に塩を塗るだけになってしまうかもしれない。

それでも――。

 

「潮……」

 

曙がそうだったように、いつか、潮の笑顔を見る日がきっとくる。

あいつは、どんな笑顔を俺に見せてくれるのだろうか。

そんな事を思いながら、俺は眠りについた。

 

 

 

 

 

 

その夜、俺は夢を見た。

何故か、夢であると分かる夢。

曙と見た夢とは違い『ちゃんとした夢』であった。

 

『お兄さん』

 

聞き覚えのない声。

振り返って見ると、これまた知らない女の子。

 

『君は?』

 

『君はって……。隣に住んでいる――だよ。お兄さん、忘れちゃったの?』

 

――ちゃん……。

あぁ、そうだ。

隣に住んでいる小学生の女の子で、いつも遊びに来る……。

 

『あぁ、そうだった。ごめんごめん。なんか、頭がぼうっとしちゃって』

 

『もう……大丈夫? 最近暑いもんね。私もね、ほら、今日は薄着なの』

 

少女は薄着のカーディガンを脱ぐと、これまた薄着のタンクトップ姿になった。

 

『外が暑くて、汗かいちゃった』

 

汗……というよりも、まるで土砂降りの雨に降られたのではないかというほどに、服はびっしょり濡れていた。

 

『私、おっぱいが大きいから……透けちゃってるかも……』

 

そう言いながらも、少女は強調するように、腕を後ろへと持っていった。

 

『大丈夫か? 今、タオルを持ってくる』

 

『ねぇ、お兄さん……』

 

『ん、なんだ?』

 

『私、お風呂入りたいな……。お兄さんも一緒に……入ってくれませんか……?』

 

『風呂?』

 

少女はおもむろに、服を脱ぎ始めた。

 

『私の体……優しく洗ってほしいな……』

 

少女が近づいてくる。

そんな少女に、俺は――。

 

『ちょっと待て。今、鳳翔を呼んでくる』

 

『え……?』

 

『おーい! 鳳翔! 悪いのだが、――ちゃんを風呂に入れてやってくれ!』

 

『お兄さん……?』

 

『あれ? いないのか? ちょっと待ってろ。誰かいないか探してくるから』

 

『ま、待って! 私、お兄さんがいいの……。お兄さんになら、私……何をされても……』

 

『いや……こういうのはちゃんとした奴にやってもらった方がいいだろう……。おーい! 誰かいないのか!?』

 

部屋を出ると、そこは長い廊下であった。

 

『おーい……って、ここはどこだ?』

 

振り返ると、出たはずの部屋は無くなっていた。

 

『あれ? おっかしいな……。っていうか、俺はここで何をしていたんだっけか……』

 

頭がぼんやりとしている。

瞬間、俺は再び謎の部屋へと飛ばされた。

 

『お兄さん……』

 

少女が、ベッドの上に裸で寝ている。

 

『お兄さん……来て……』

 

言われるがまま、ベッドへと向かう。

やたらと可愛げのあるベッドには、たくさんのシールが貼ってあった。

 

『お兄さん……』

 

『服はどうした?』

 

『え?』

 

『服だ。風呂上がりなんだろ? 髪も乾いていないし……。ほら、こっち来い。乾かしてやるから』

 

以前、夕張の髪を乾かしてやったことを思い出す。

それと、確か響の髪も――いや、響のはないはずだろう……。

いや、しかし……どうだったかな……。

 

『どうして!?』

 

少女が叫ぶ。

 

『どうして襲わないの……!?』

 

『え? 襲う……?』

 

『裸の女がいたら、襲うのが男でしょ!? なのにどうして……!』

 

少女は、怯えているように見えた。

 

『ほら、襲ってよ……! 結局貴方も、そういう人間なんでしょ……!?』

 

そう言う少女に、俺は何故か、配慮のない言葉を投げかけてしまった。

 

『襲うって……。お前、まだ子供だろう……。俺はもっと、大人の女が好みで……』

 

ハッとした。

俺は、一体何を言って……。

 

『へぇ、そうなんだぁ』

 

声に振り返る。

そこには、裸の陸奥が立っていた。

 

『じゃあ、お姉さんがぁ……いい事たくさんしてあげる……』

 

そう言うと、陸奥は――。

 

 

 

 

 

 

強い光に目が覚める。

 

「んっ……あぁ……。なんか……凄い夢を見た気がするぜ……」

 

起き上がろうと、手をついた時であった。

 

「ひゃ……!?」

 

「うぉ!?」

 

柔らかい何かを触ってしまい、思わず手を引いた。

寝惚け眼を擦り、それを見てみると……。

 

「う、潮……?」

 

潮は、青ざめた顔を見せると、逃げるようにして家を出ていった。

 

「あ、おい!」

 

何故、潮がここに……。

まさか、これも夢か……?

 

「おはようございます!」

 

その声に、俺は思わず耳を塞いでしまった。

 

「ゆ、雪風……!?」

 

「はい! 雪風です!」

 

朝っぱら耳にするような声量ではないな……。

 

「って、どうしてお前がここに?」

 

「はい! 潮さんを追って来たんです!」

 

「潮を?」

 

「何故かしれえのお家に向かっていたんで、どうしたんだろうって」

 

潮が俺の家に……。

しかし、どうして……。

そして、なぜ俺の隣で横になって……。

 

「潮はどうして俺の隣で?」

 

「さあ? 分かりません!」

 

雪風は、何故か子供っぽい態度を変えなかった。

丁度いい……。

 

「……雪風。お前に訊きたいことがあったんだ……」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「お前……曙に何を吹き込んだ? そもそも、お前はどこまで知っている? あの夢について……」

 

雪風は、とぼけた表情を見せた。

 

「とぼけるな。お前が何か知っているのは確かだ。お前、何者だ? どうして夢の事を知っている? どうしてとぼけた態度を見せているんだ?」

 

雪風は、一瞬ではあったが、真剣な表情を見せた。

そして、すぐに子供っぽい笑顔を見せると、俺の後ろに視線を移した。

 

「夕張さん!」

 

「え?」

 

振り返って見ると、夕張が俺をじっと見ていた。

 

「夕張?」

 

「今……潮ちゃんが泣きながら出ていったようだけれど……。貴方、まさか……」

 

「え? あ……い、いやいやいや! 俺は別に何もしていないぞ……!」

 

夕張は雪風を見た。

 

「はい! しれえは何もしていません! あれは事故です!」

 

「事故? 事故って、何よ?」

 

夕張が疑いの目を俺に向けた。

 

「い、いや……」

 

 

 

寮に向かいながら、俺は夕張に状況を説明してやった。

 

「ふぅん……。潮ちゃんがね……。でも、どうして提督の家に? あんなに嫌っていたのに……」

 

「そこが分からんのだ」

 

「……ねぇ、本当に何もしていないのよね? 雪風ちゃんに言わせてるとかないわよね?」

 

「お前……。俺を信じられないってのかよ?」

 

「信じられないって言うか……。信じてはいるのだけれど……。ほら、貴方って、よく分からないところがあると言うか……。例えば……好みの女性とか……」

 

「だからといって、俺がロリコンか何かだと?」

 

「大丈夫です! しれえは、大人の女の人が好きなんですよね? 陸奥さんとか!」

 

「……そうなの?」

 

「いや、別にそう言う訳ではないが……。テキトーなこと言ってんじゃねぇぞ、雪風」

 

「しれえが気が付いていないだけで、本当はそう思っているはずです! 異性として意識したのは、大人の女の人だけです!」

 

何を根拠に言っているのやら……。

しかし、夕張は信じたようで、明らかに不機嫌そうな表情を見せていた。

 

 

 

寮に着き、食堂へと向かう。

 

「おい雪風! お前のせいで夕張が面倒くさいモードに入っただろ!」

 

「面倒くさいモードって何よ!?」

 

そんなやり取りをしながら食堂へ入ると――。

 

「て、提督……」

 

皆の視線が、俺に集まっていた。

 

「おう、おはよう。どうした? 皆して俺を見て……」

 

そこに、大和がやってきて、俺を睨み付けた。

 

「大和……?」

 

「最低ですね……。子供に手を出すだなんて……」

 

「あ?」

 

ふと、大和の後ろで、潮がこちらを見ているのに気が付いた。

 

「潮さんから聞きました……。貴方が、潮さんの胸を揉んだと……」

 

俺はもう一度、潮を見た。

なるほど……。

 

「そう言う事かよ……」

 

俺は思わずニヤけてしまった。

それが、お前の答えなんだな……。

潮……。

 

「何とか言ったらどうなんです!?」

 

大和が俺に詰め寄る。

だが、いつものように胸倉を掴むことはしなかった。

 

「…………」

 

大和の目は、その意味をしっかりと俺に伝えていた。

だからこそ、俺はそれに応えるように、大和を睨み付けた。

 

「誤解だ。目が覚めると、何故か潮が俺の隣で寝ていた。そして、起き上がる際に胸を『揉ませた』んだ。これは、ハニートラップだ」

 

「そんな言い訳が通用するとでも……?」

 

「何とでも言え。こっちには目撃者がいるんだぜ。そうだろ? 雪風?」

 

そう言っても、雪風は何も言わなかった。

 

「雪風……?」

 

「貴方……やっぱり……」

 

そう言ったのは、夕張であった。

 

「雪風……お前……」

 

雪風は何も言わないまま、夕張の後ろに隠れてしまった。

 

「何か弁明は……?」

 

皆の視線が、一気に疑いのそれに変わっていた。

 

「……なるほど。案外、お前も『こっち側』だったんだな……。潮……」

 

これが、どこまでが仕組まれたものなのかは分からない。

突発的なものなのか、それとも――。

いずれにせよ、確かなことがひとつあった。

それは、大和の背中で怯えているはずの潮が、俺のおかれた状況を見て、ほくそ笑んでいることであった。

 

 

 

 

 

 

残り――18隻

 

 

 

――続く



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22話

あの人だけは、違うと思っていた。

 

「よしよし、潮は可愛いな」

 

「も、もう! 子ども扱いしないでください!」

 

「実際、子供だろうに」

 

「う、潮にだって、大人なところはあります!」

 

「例えばどんなところだ?」

 

「む、胸……とか……」

 

「胸ねぇ……。まあ、大きいようではあるが、それが大人の証明にはならない。もっとこう、陸奥とか大和のような魅力が無いと」

 

初めてだった。

私の事を子ども扱いする人は。

他の大人たちは、私の事を――その目が怖くて、私はいつも怯えていて――。

だから、初めて提督に会った時、その優しい瞳に――私は恋をしてしまった。

 

「曙ちゃん……。潮……どうしたら、提督に大人として見られるようになるかな……?」

 

「さあね……。そのでっかい乳で誘惑してみたら?」

 

「誘惑……?」

 

考えたことも無かった。

私の事をそういう目で見る人じゃないって分かっていたし……。

でも……。

 

「…………」

 

もし、私が誘惑したら、提督は――。

そして、私の事を意識してもらうのに、それが必要なら――。

 

 

 

ある晩の事だった。

トイレに行こうと、執務室の前を通りかかった時――。

 

「声……?」

 

提督の苦しそうな声が聞こえて、私は様子を見ようと、そっと、執務室の扉を開いた。

そこで、提督は――。

 

「ひゃあ!?」

 

「な……!? う、潮……!?」

 

「提……督……。あの……えと……」

 

提督のソレは、まるで別の生き物のように、脈打っていた。

 

「ごごご、ごめんなさい! その……提督の声がして……とても苦しそうで……」

 

思わず目を逸らす。

 

「い、いや……! 俺の方こそ……鍵をかけていれば良かったものを……!」

 

ふと、鏡越しに提督の姿を見た。

傍に置かれている本には、大人の女性が裸で載っていて――。

 

「……提督も、そういう事……するんですね」

 

男の人に必要な事だって、知ってはいた。

でも、まさか、提督も同じだったなんて……。

 

「まあ……俺も男だからな……」

 

提督の気持ちを反映するように――小さくなって――。

 

『そのでっかい乳で誘惑してみたら?』

 

『もっとこう、陸奥とか大和のような魅力が無いと』

 

「お、おい! 潮、何をやって……!」

 

証明したかった。

潮も大人だって。

それと同時に、提督は違うって――あんな目を、私に向けないって――証明したかった。

 

「提督……」

 

矛盾しているって、分かってはいた。

それでも、思いとどまってくれるって、思っていたから――。

 

「あ……」

 

私の裸に、提督はしっかりと反応していた。

嬉しかった。

初めて、大人として見られたんだって。

けど――。

 

「提――」

 

顔を上げた瞬間、後悔した。

自分の認識が甘かったと、反省した。

荒い息遣い――血走る目――まぎれもない、あの目――。

 

「提……督……?」

 

「潮……」

 

近付く提督。

私は、動くことが出来なかった。

 

「スマン……。もう……我慢できそうもないんだ……」

 

「え……」

 

「お前を穢さないから……」

 

そう言うと、提督は――。

結局、提督も他の男と同じだった。

自分を慰める事に必死で、私に触れこそしなかったけれど、その目は、他の大人と同じものだった。

 

 

 

その日から、私を見る提督の目の色は変わった。

いつものスキンシップも、揶揄いも――普通の会話すら、しなくなってしまった。

私を避けなければいけないというその態度もまた、他の大人と同じだった。

 

「…………」

 

あんなにも大好きだった提督が、今はただの――。

 

「司令官! あそぼー!」

 

「あぁ、いいぞ」

 

「…………」

 

私にあんなことをしておいて、平気な顔で他の駆逐艦たちと戯れる提督に、私は――。

 

 

 

ある日の晩、私は提督を自室に呼び出した。

 

「う、潮……。俺に……何の用だ……?」

 

提督は緊張しているようだった。

それと同時に『期待』もしているようで――その証拠に、提督の――。

私の視線に気が付いて、提督はそっぽを向いてしまった。

 

「提督……」

 

「な、なんだ……?」

 

「あの日から……あの日の夜から……提督は潮の事……避けるようになりましたね……」

 

「そ……んなことはない……」

 

「視線が合う事も無いし……スキンシップも――会話だって――」

 

提督の背中は、とても小さく見えた。

 

「……提督」

 

「なんだ……?」

 

「こっち……向いてください……」

 

提督がゆっくりと振り返る。

そして、私の姿を見ると――。

 

「潮っ……! お前……!」

 

嗚呼、やっぱり――。

 

「……いいですよ。『また』……しても……」

 

提督に迷いはなかった。

裸の私を前に、提督も服を脱ぎだして――。

 

「あっ……!」

 

「え……」

 

相当我慢していたのか、下着を脱いだ瞬間、提督は――。

 

「す、すまない……! 今、拭くものを……!」

 

慌てふためく提督。

ここで悲鳴を上げれば、この男はもう……。

 

「あ……」

 

ふと、自分の体を穢したソレに目を向けた。

その瞬間――。

 

「うっ……うぉぇ……」

 

「潮!?」

 

自分でも、何故嘔吐したのか分からなかった。

ただ、その穢れが体に沁み込んでくる感覚に襲われて――。

 

「キモチワルイ……」

 

「え……?」

 

キモチワルイ……。

キモチワルイキモチワルイキモチワルイキモチワルイ……!

 

「潮――」

「近づかないで……!」

 

肌を伝う感覚……ニオイ……温度……。

男の声……視線……存在……。

ここにあるもの全てが、私を不快にさせる。

 

「キモチワルイキモチワルイキモチワルイ……!」

 

「う、潮……」

 

再び吐き気がして、私は思わず蹲った。

そして、やっとのことで『予定通り』悲鳴を上げることができた。

 

「潮!? どうかして……って、何やってんのよ……!?」

 

それからの事は、よく覚えていない。

私の作戦通り――思惑通り、提督は島を追い出されて、皆は私に同情するようになった。

これでいい。

あんな目をした提督は――あんな男は、もう――。

 

「これでもう安心よ……潮……。守ってあげられなくて……ごめんね……」

 

「…………」

 

曙ちゃんの言う通り、私は安心していた。

もう二度とあんな思いはしたくなかったし、皆が私を守ってくれると思ったから。

それでも――。

 

「ひっ……!」

 

時々、ふとした拍子に、あの時の感覚に襲われるようになっていた。

 

「潮!? 大丈夫!?」

 

「曙ちゃん……私……私……!」

 

そんな私を、皆は献身的に支えてくれた。

私も、それに甘えることにした。

安心できたし、何よりも楽だった。

私が戦わなくても――私が嫌な思いをしなくても、皆が代わりに戦ってくれる。

利用しない手は無かった。

ずっとこのままでいいと思っていた。

なのに――。

 

「あんたも腹をくくりなさい……! あんたを守ってくれる人は、もうその人間しかいないのよ……!」

 

こんなことになるなんて……。

雨宮慎二……。

 

『俺はもっと、大人の女が好みで……』

 

結局、貴方もあの男と一緒なはず……。

誰も守ってくれないのなら――もう一度同じ事が起これば、きっと皆も――だから――。

 

「腹をくくる……。もう二度と……こんな思いをしない為にも……」

 

私の決意に、雪風ちゃんは不気味に笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

 

結局、俺が故意に潮の胸を揉んだのかどうかについては、大淀の計らいで不問となった。

 

「全く……。悪かったな、大淀」

 

「いえ。あの……本当にやっていないのですよね……?」

 

「お前まで疑うか……」

 

「だって、理由が分かりませんから。潮さんが提督の家に居た理由が……」

 

「俺にだって分からん……」

 

朝食を摂っている間、皆、俺から距離をおいていた。

 

「効果絶大だな……」

 

「私としてはありがたいですけどね。提督と二人っきりで朝食を摂れるなんて、滅多にない事ですから」

 

俺にしか聞こえないように、大淀は小声でそう言った。

 

「お前……この状況を楽しんでいないか?」

 

「さあ、どうでしょうね」

 

そんな事を話していると、夕張が食事を持って、俺の隣にドカッと座った。

 

「どうした?」

 

「いえ? ただ、なんか可哀想だなって思って」

 

「同情か? 半分、お前のせいでもあるんだぜ……。それに、大淀がいるから、お前の気遣いは無用だ」

 

そう冷たくあしらってやると、夕張はムッとした表情を見せていた。

 

「大淀との会話を楽しんでくれていると解釈しても?」

 

「独りで飯を食っているよりはマシなだけだ」

 

「揶揄われているのに?」

 

「ロリコンなんじゃないかと疑われるよりは、な」

 

そう言って、夕張に目を向ける。

 

「……何よ。私だって、別に本気でそう思っている訳じゃないわ……」

 

「どうだかね……」

 

「だって、大人の女性が好み、なんでしょ……?」

 

どこかバカにするような言い方であった。

 

「へぇ、そうなんですか?」

 

「らしいですよ。なんでも、異性として意識したのは、大人の女性だけだとかなんとか……」

 

こいつ……。

 

「大人の女性……ですか……。提督、大淀はどうです? 大人の女性……でしょうか……?」

 

「知らん……。そもそも、別に俺は、大人の女性が好きだという訳ではない……。雪風やこいつが勝手に言っているだけだ」

 

「では、どんな女性が?」

 

俺はそれに、言葉を詰まらせてしまった。

 

「やっぱりロリコンなんじゃないの? 大人の女性だとか言っているのは、ロリコンを隠す為のカモフラージュだったりして……」

 

「しつけーな……。まあ……好みかどうかはいいとして……。確かに、お前のようなお子様よりかは、大人の女性の方がマシかもな」

 

そう言って、飯を口に運んだ時であった。

夕張が急に、机を強く叩いたのだ。

 

「びっ……くりした……。おい!」

 

「悪かったわね……。大人の女性じゃなくて……」

 

「はぁ? お前、何をそんなに怒って――」

「――怒ってない!」

 

食堂が、静寂に包まれる。

 

「て、提督……。今のは言い過ぎですよ……」

 

「言い過ぎって……。突っかかって来たのはこいつだろ……。何を言い返されてムキになってんだ……」

 

「いいですから……。謝った方がいいですって……」

 

夕張は俯き、何かに耐えるように拳を握っていた。

 

「はぁ……。分かったよ……。悪かったな……。お前は大人の女性だよ……。ロリコンの俺が保証してやる」

 

「提督! ふざけない下さい!」

 

「だってよ……」

 

夕張は立ち上がると、そのまま走って食堂を出て行ってしまった。

 

「あ、夕張さん!」

 

「なんなんだよあいつ……」

 

「提督! ちょっとムキになり過ぎですよ……。どうされたのですか……」

 

「ムキになっていたのはあいつの方だろうが……」

 

と、口では言ってはみたものの、確かに、自分でもよく分からないが、ちょっとムキになっている自分がいた。

素直に謝ればよかったものを……。

 

「後でちゃんと謝ってください……」

 

「……分かっているよ。今は、飯に集中させてくれ……。ったく……」

 

今だって、追いかけて謝ればいいものを……。

どうしてこう、素直になれないのだろうか……。

昨日までは、あいつに対して優しくしようと決めていたのに……。

いつもいつも、こう、ムキになるあいつに対して、何故俺まで熱くなってしまうのだろうか……。

 

「…………」

 

いや、元はと言えば、あいつがロリコンロリコンと突っかかって来たのが悪い訳で――。

そもそも、どうしてわざわざあいつに優しくしなければ――。

確かに、あいつの泣き顔を見るのは辛くて――。

でも、ありゃ一時の感情で――。

 

「提督?」

 

「ん?」

 

「どうしました? 箸、止まっていますよ」

 

「あぁ……。いや……」

 

『そんなに冷たくすることないじゃない……。私だって……そんなに強くなった訳じゃないのよ……? 少しだけ不器用なだけじゃない……』

 

クソ……。

 

「悪い、大淀……。ちょっと行ってくる……」

 

「え?」

 

「夕張のところだよ……。謝ってくる……」

 

そう言って立ち上がった時であった。

 

「あ……」

 

山城が、俺の前に立っていた。

 

「山城? どうした?」

 

山城は驚いた表情を見せた後、すぐにいつもの不機嫌そうな顔に戻して見せた。

 

「あの子に……謝りに行くの……?」

 

「……あぁ。なんだ? 不満か?」

 

山城は首を横に振った後、道をあけてくれた。

 

「もしかして、謝れと説得しに来たのか?」

 

山城は何も答えなかった。

 

「……俺が駄目だったら、あいつのこと、頼んだぞ」

 

山城の返事を待たず、俺は食堂を後にした。

 

 

 

「夕張」

 

夕張の部屋をノックする。

返事はない。

 

「……入るぞ」

 

扉を開け、部屋に入ると、夕張は隅っこで、顔を隠すようにして、膝を抱えていた。

 

「……何しに来たのよ」

 

「謝りに来たんだ……。隣、いいか……?」

 

夕張は小さく頷いた。

依然として、顔は隠されたままだ。

 

「よっと……。はぁ……」

 

永い沈黙が続く。

 

「……さっきは悪かったよ。ムキになり過ぎた……。ごめんな……」

 

夕張は首を横に振ると、かすれた声で言った。

 

「謝るのは私の方……。ごめんなさい……」

 

冷静になった……ようだな……。

 

「貴方と大淀さんが、仲良さそうに話していて……イライラしちゃったの……」

 

俺と大淀が話していただけで……。

 

「でも、それだけじゃないの……。たまにだけど……何でもないはずなのに、イライラする日があって……。今日がその日みたいで……」

 

イライラする日……か……。

 

「頭とかお腹が痛くなって……イライラして……。今朝……貴方に話を聞いてもらおうと、家に行ったの……。話をすれば、幾分かイライラも治まると思って……」

 

「だが、逆にストレスになってしまった……というわけか……」

 

夕張は頷いた。

 

「それは……悪かったな……」

 

「ううん……。謝らないで……。悪いのは全部、私だから……」

 

より小さくなる夕張。

本当、こいつは……。

 

「それで?」

 

「え……?」

 

「話……何を話そうとしてくれていたんだ?」

 

夕張は顔を上げると、俺を見た。

泣いていたのか、目が赤くなっている。

 

「聴かせてくれよ。その話とやらを」

 

「……もういいわよ。大した話でも無いし……」

 

「なんだよ。気になるだろ」

 

「話って言っても、ほとんどが愚痴っていうか……悩みっていうか……」

 

「それでもいいよ。ほら、聴かせてくれよ」

 

「……優しいのね。貴方はこんなにも優しいのに……私……うぅぅ……」

 

とうとう夕張は泣いてしまった。

なんか、心が不安定だな……。

 

「大丈夫だ……。いっぱい泣いて、すっきりしておけ……」

 

「うん……。話……聞いてくれる……?」

 

「あぁ……」

 

夕張は泣きながら、たくさん話してくれた。

時々、イライラする日が来ること。

その度に、俺に突っかかってしまうこと。

それを後悔し、自己嫌悪に陥ったこと。

なるべく俺に近づかないようにしていたこと。

寂しかったこと。

自分だけ、俺の夢を見れなかったこと――。

 

「私が夢を見れなかったのは……私が貴方に酷い事をしたからなのかなとか……貴方に嫌われているからだとか……色々考えちゃって……。関係ないって分かってはいるんだけれど……。少しでも……理由が欲しくて……」

 

「そうか……」

 

「ただ夢が見れなかっただけなのにね……。笑っちゃうでしょ……?」

 

「いや……笑わないよ。くだらないとは思うがな」

 

夕張は黙り込んでしまった。

 

「そんなに夢の俺に会いたかったのか? 俺はここにいるのに」

 

「……!」

 

「夢なんかでじゃなく、現実の俺に絡みに来い。相手をしてやるからさ」

 

そう言って微笑んで見せると、やっと笑顔を返してくれた。

 

「でも、面倒くさい顔するんでしょ……?」

 

「実際、面倒くさいしな。あぁそれと、この前、島を出た時に、話を聞いてきたんだ。夢とヘイズ感染量の関係性についてな」

 

「ヘイズ?」

 

俺は、先生から聞いたことを、夕張に話してやった。

 

「そうだったのね……」

 

「つまり、ヘイズの感染量によって、夢を見ることがあるらしい」

 

「じゃあ、私はどうして……」

 

「あぁ、それは――」

 

『……あの島で、感染量の少ない艦娘はいますか?』

 

『いるよ。極端に少ないのが一隻だけね。それは――』

 

「お前の感染量が、極端に少ないからだ」

 

「そう……なの……?」

 

「知らなかったのか?」

 

「え、えぇ……。あ、でも……確かに、なんか、言われたことがあるような気もするけれど……」

 

まあ、興味はないよな……。

だから何だって話だし……。

 

「とにかく、お前が夢を見なかったのは、それが理由だ。だから、俺に突っかかったからだとか、嫌われているだとか、変に悩む必要はないんだぜ」

 

そう言ってやると、夕張はほっとした表情を見せた。

 

「そっか……。そうなのね……」

 

「少しは楽になったか?」

 

「うん……かなり……。ありがとう……提督……」

 

「おう。さてと……。そろそろ戻らないとな……」

 

「あ……待って……」

 

「ん、どうした?」

 

「ちょっとだけ……頼みたいことがあるの……」

 

「おう、なんだ? 言ってみろ」

 

「ここ……座って……」

 

言われた通り、座ってやる。

すると、夕張は背を向け、俺の足と足の間に座り、寄り掛かった。

 

「夕張?」

 

「あのね……お腹……さすって欲しいの……」

 

「え? お、お腹?」

 

「うん……。お腹さするとね……? ちょっと……痛みが和らぐの……」

 

どういう原理だ……。

しかし、まあ……楽になるというのなら……。

 

「分かった。こうか?」

 

腹をさすってやる。

細いなぁ……。

筋肉質というか、痩せていると言うか……。

 

「もうちょっと……下……。おへその下辺り……」

 

「ここか?」

 

「んっ……そこっ……」

 

さすってやっている間、夕張は借りてきた猫のように大人しかった。

 

「楽になって来たか?」

 

「んっ……う……んっ……」

 

どれほどさすっていただろうか。

 

「もう……大丈夫……。ありがとう……」

 

「そうか」

 

温まったのか、夕張の顔は赤くなっていた。

 

「じゃあ、そろそろ戻るか?」

 

「先、戻ってて……。ちょっと、休んでから顔を出すわ……」

 

「そうか。無理はするなよ」

 

「うん……」

 

「じゃあ、お先に」

 

少し苦しそうにしている夕張を心配しつつ、俺は食堂へと戻った。

 

 

 

朝食を済ませ、執務室で書類仕事をしていると、曙がやって来た。

 

「曙」

 

「潮、その気になったみたいね」

 

「そのようだな」

 

曙は近くに座ると、机の上の書類を手に取った。

 

「それで、どうするのよ?」

 

「どうもしないさ。俺からは何もしないと言ってしまったしな」

 

「じゃあ……」

 

「待つさ。潮は俺を本気で追い出そうとしてくるはずだ。そこを返り討ちにする」

 

「返り討ちにするって……。勝算はあるの?」

 

「そんなものはない。相手がどう来るのかも分からないしな」

 

曙はため息をつくと、書類を戻し、机に伏した。

 

「心配か?」

 

「別に……。あんたなら出来るって思っているし……」

 

俺は思わず顔を上げ、曙に目を向けた。

 

「なに……?」

 

「いや……。潮の事が心配かどうかって、意味だったのだがな」

 

曙は顔を真っ赤にして焦りだした。

 

「違っ……! その……今のは……!」

 

「随分買ってくれているんだな。俺の事」

 

曙は目を逸らしながらも、小さく頷いてくれた。

 

「否定しないんだな」

 

「そりゃ……そうでしょ……。あんたの親父ですら、ここまでは……」

 

曙は再び机に伏すと、そっぽを向いてしまった。

まだ恥ずかしいのか、耳は赤くなっていた。

 

「それでも、やはり心配だったんだろう? 皆から避けられた俺を見て――夕張とのいざこざを見て、心配になって、来てくれたんじゃないのか?」

 

「そんなんじゃないし……」

 

「じゃあ、何をしに来たんだ?」

 

永い沈黙が続く。

 

「曙」

 

「……なによ?」

 

「ありがとな」

 

そう言って、曙の頭を撫でてやった。

文句の一つでも飛んでくるかと思ったが、曙は何も言わず、ただ撫でられるだけであった。

 

「さて……。そう心配されては、やはり何もしないって訳にはいかないよな……」

 

「……どうする気よ?」

 

「大和と交流する。潮はおそらく、大和が味方でいる限り、自ら動くことはしないだろう。大和が俺の味方なのだと認識すれば……」

 

「潮から動く……。そして、そこを返り討ちにするって訳ね……。でも、いくらあんたが大和さんとの交流を進めていたとはいえ、今回の件で、もう……」

 

「そこは問題ないはずだ。大和は全てを分かった上で、潮の味方をしている。間接的に、俺に協力してくれているんだ」

 

「なにを根拠に……」

 

「根拠なんてない。だが、きっとそうだ」

 

曙は呆れたというように、わざとらしくため息をついて見せた。

 

 

 

仕事を終え、部屋を出ると、雪風と鉢合わせた。

 

「おっと……」

 

「しれえ!」

 

相変わらず声がデカいな……。

 

「ちょうど良かったです! これ、食堂に持って行ってくれませんか?」

 

そう言うと、雪風は食器を俺に渡した。

 

「なんだこれ?」

 

「食器です!」

 

「いや……食器なのは分かっている……」

 

「この前、潮さんに食事を持っていった時に、戻し忘れたものです!」

 

戻し忘れか……。

にしては、綺麗なもんだな……。

 

「洗ってあるので大丈夫です!」

 

俺の心を読んだかのように、雪風は元気に答えた。

 

「では、お願いしますね!」

 

「あ、おい!」

 

雪風はそそくさと、どこかへ行ってしまった。

ちょうど良かった……じゃねーよ……。

押し付けやがって……。

 

「仕方ないな……」

 

ぶつぶつと文句を言いながら食堂に入ると――。

 

「ひゃあ……!?」

 

この声……。

声の方へ視線を向けると、大和の陰に隠れた潮と目が合った。

同時に、鋭い眼光の大和とも――。

 

「よう」

 

食器を置き、大和に近づく。

怯える潮を背に、大和は立ちふさがった。

 

「そう警戒するな。何をしていたんだ?」

 

大和は答えず、ただ俺を睨むだけであった。

机の上には、色鉛筆やクレヨン、描きかけの絵が置かれていた。

 

「遊んでやっていたのか」

 

「……何の御用ですか?」

 

「いや、ただ食器を置きに来ただけだ。雪風に押し付けられてな」

 

食器を指してやっても、大和は俺から目を離さなかった。

 

「だが、ちょうどいい。少し、時間あるか?」

 

潮が小さくなる。

 

「……そちらからは手を出さないのでは?」

 

「あぁ、いや……。勘違いさせて悪いが……俺はお前に言っているんだ。大和」

 

驚いた表情を見せたのは、潮だけではなく、大和も同じであった。

 

「ダメかな?」

 

大和は少し考えた後、再び険しい顔を見せた。

 

「そういう事……。大和を利用するおつもりですか……?」

 

やはり、そう考えるか。

だが、ここは正直に答えてやろう。

 

「無論、そのつもりだ」

 

大和は再び、驚いた表情を見せた。

 

「だが、お前だって分かっているはずだ。いつまでも、そうしてやっているわけにはいかないと……」

 

大和は何も言わなかった。

 

「これは、お前にも言える事なんだぜ、大和」

 

「はい……?」

 

「いつまでも、こうしていがみ合っているつもりか……?」

 

潮が、困惑した表情で大和を見つめていた。

 

「お前には、本気で俺にぶつかって来て欲しいんだ。俺を嫌いになるのは、それからでもいいはずだろう?」

 

大和は目を瞑り、何かを考えているようであった。

 

「大和……」

 

永い沈黙が続く。

その沈黙を切ったのは、潮であった。

 

「や……やめてください……!」

 

「潮さん……?」

 

「大和さんが……困っています……!」

 

怯えたような態度ではあったが、その目には――。

 

「そうなのか……?」

 

大和は答えず、ただ目を逸らすだけであった。

 

「……そうか。まだ……追いついてすらいなかったわけか……」

 

その言葉の意味を、大和は理解しているはずであった。

 

「もう二度と……私たちに近づかないでください……!」

 

「安心しろ。お前には近づかない。だが、大和……お前は別だ……」

 

「しつこいです……! 大和さん、もう行きましょう……」

 

潮に手を引かれ、大和は歩き出した。

 

「大和」

 

大和が足を止める。

 

「大和さん……?」

 

「……俺は、最後の場所から動けないでいる。お前も……同じか……?」

 

大和は答えなかった。

 

「い、行きましょう……!」

 

動けないでいる大和を押しながら、潮たちは食堂を出ていった。

 

 

 

それから消灯時間まで、特に何かが起こるわけでも無く、時間は過ぎていった。

 

「提督、また寮に泊まったりしないんですか?」

 

「なんだ、泊って欲しいのか?」

 

明石はコーヒーを飲みながら、小さく頷いた。

 

「また、提督の夢が見たいなって……。夢の中だったら、提督は私を愛してくれるじゃないですか?」

 

「まるで、現実では愛していないような事を言うじゃないか」

 

「愛しているんですか? 私の事」

 

「愛しているじゃないか。皆と同じように」

 

そう言ってやると、明石は拗ねるように寝ころんで見せた。

 

「ここで寝ちゃおうかな~?」

 

「おい」

 

「冗談ですよ。でも、最近、全然構ってくれないじゃないですか……。夕張とか大淀ばかりに構って……」

 

「そんなことはないと思うがな」

 

「そんなことありますよ! 私も、夕張みたいに怒っちゃうかもしれませんよ?」

 

夕張のように……か……。

もしそうなったら、確かに厄介かもしれないな。

だが……。

 

「お前には無理だろうな。怒る前に、泣くだろ、お前」

 

そう言ってやると、明石はムッとした表情を見せた。

 

「じゃあ、今からギャン泣きしますけど?」

 

「フッ、やめてくれ」

 

俺の笑顔に、明石は何故か、満足気であった。

 

「まあ、涙は島を出る時まで取っておけ。構ってやれなくて悪かったな」

 

そう言って撫でてやると、今度はしおらしくなってしまった。

自分のために頑張ってくれているのに、我が儘言っちゃったなって顔をしているな。

 

「――とか思っているんじゃないですか?」

 

「あぁ、思っていた。泣かなくてよかった、ともな」

 

明石は頭突きをすると、そのままもたれかかり、動かなくなった。

 

「……もう少しの辛抱だ。今の内に、島の外へ出たらやりたいことでも決めておけ」

 

「……そんなものは、昔から決まっています」

 

「そうなのか?」

 

「えぇ……。でも、今はちょっとだけ違って……」

 

明石は俺の目をじっと見つめた。

 

「そのやりたいことの全てに……提督も一緒に居て欲しいって……思っています……」

 

顔を赤くする明石に、俺は思わずドキッとしてしまった。

どうも惚れやすくていけないな……俺は……。

 

「夢の続き……」

 

「え?」

 

「夢の続きも……期待していますから……」

 

そう言うと、明石は立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。

 

「夢の続きって……」

 

俺は何故か、夢で見た明石の裸体をはっきりと思い出してしまった。

そして、連想ゲームのように、山風や陸奥の裸体が思い浮かんで――。

 

『雨宮君、本当は我慢してるんじゃないの? あの島でさ、たくさん、誘惑されたんじゃない? その度に、体が熱くなるのを感じたんじゃない?』

 

秋雲の言葉が、俺を責め立てる。

山風の笑顔も、また――。

 

 

 

家へ帰る前に頭を冷やそうと、海辺に向かった。

 

「はぁ……」

 

最近、ああいったような誘惑をされると『反応』してしまう自分がいる。

以前は少なかったように思うが――いや、そもそも、誘惑されることが無かったから――しかし、それにしたって――。

 

「思春期の中学生か……俺は……」

 

そんな事を呟きながら、海を眺めていた時であった。

後ろの方で、砂を踏む音がした。

振り返ってみると――。

 

「――……!」

 

思わず息を呑む。

月の出ていない夜なはずなのに、そいつだけは、まるで何かに照らされているかのように光って見えた。

長い髪が風に揺れるのと同時に、そいつは足を止めた。

 

「大和……」

 

乱れる髪を整えながらも、大和は俺から視線を外さなかった。

 

 

 

永い永い沈黙が続く。

このまま、夜明けを迎えるのではないかと、思うほどに――。

 

「ど――」

「――ここではないはずです」

 

言葉が重なる――が、そんな事などお構いなしとでもいうように、大和は続けた。

 

「大和が漂流物を見つけたのは……あちらです……」

 

そう言って、指差す大和。

俺は、頭が混乱して、何も言えずにいた。

 

「……貴方が呼んだのでしょう? 何をそんなに驚いて……」

 

大和は何かに気が付いたような表情を見せると、深くため息をついて、寮の方へと引き返し始めた。

 

「え……あ……大和!?」

 

やっとの事で出た声は、裏返っていた。

 

「お、俺が呼んだって……どういうことだ……!?」

 

大和は答えない。

俺が呼んだ……?

いつ……?

 

『ここではないはずです』

 

『大和が漂流物を見つけたのは……あちらです……』

 

さっきの言い方……。

まるで、俺がそこにいるはずだとでもいうような……。

 

『……俺は、最後の場所から動けないでいる。お前も……同じか……?』

 

「あ……!」

 

俺の声に、大和は足を止めた。

 

「もしかして……あの言葉を受けて……?」

 

大和は再びため息をついた。

 

「そういう意味ではなかったのですね……」

 

「いや……まあ……どうかな……」

 

単純に、漂流物関連の交流から、進展できていないという意味だったのだがな……。

 

「けど……そうか……。そういう意味で言ったとしても、お前は来てくれたんだな……。嬉しいよ……」

 

大和は何も言わなかった。

 

「……来てくれたって事は、俺と話す気になってくれたってことか?」

 

「……どうでしょうね」

 

そうじゃない、と言われなかっただけなのに、俺の心は舞い上がっていた。

 

「『俺も』勘違いしていいか……? お前に追いついたかもしれないって……。お前の隣に……立てるかもしれないって……」

 

大和は答えなかった。

永い沈黙が続く。

 

「……先に行っているぞ」

 

そう言って、漂流物のあった方へと歩き出す。

砂を踏む足音は、一つだけで――いや……。

 

「!」

 

大和は小走りで駆けてくると、俺の隣を歩き出した。

 

「…………」

 

言葉も、視線も――気持ちを伝えることは何もしていないはずなのに、大和の気持ちが――それはおそらく、大和も同じなのだろう。

一歩、また一歩と、歩みを進める度に、乱れた足音は、やがて一つになっていった。

 

 

 

漂流物のあった場所に着き、近くにあった流木に座ると、大和も――少し離れてはいたが――座ってくれた。

海はとても静かで、空には紡ぎきれないほどの星が鏤められていた。

 

「ようやく……同じ景色が見れたな……」

 

大和は何も言わなかったが、視線は俺と同じ方向を向いていた。

永い沈黙が続く。

それでも、俺の頭の中では、何度も何度も、大和との会話シミュレーションが行われていた。

 

「……こうしてさ」

 

大和は、少し驚きながら、視線を俺に向けた。

 

「こうして、いざ会話をしようと思っても……何も思い浮かばないものだな……」

 

大和は少し考える様子を見せた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「同じです……」

 

「え……?」

 

「貴方に呼び出されたと勘違いして……こうしてここに来るまで……何を話せばいいのか、色々考えていました……」

 

「…………」

 

「色々考えて……こうしよう……ああしようって……決めていたのに……。こうやって隣に座ってみると……結局何も言えませんでした……」

 

大和も同じことを……。

 

「そうか……。嬉しいよ。そこまで考えてくれていただなんてさ」

 

今度は顔を背ける大和。

話して数分しか経っていないが、俺の中の大和の印象は、大きく変わっていた。

だからだろうか――。

 

「前々から気になっていたこと、訊いてもいいか?」

 

「……はい?」

 

「鳳翔の事、好きなのか?」

 

想定していない質問だったのか、大和は唖然とした表情のまま、しばらく固まっていた。

 

「どうなんだ?」

 

「……好きか嫌いかで言えば、好きですよ」

 

「それは、恋愛対象としてか?」

 

「そ……ういう感情とは……違うかもしれません……」

 

「でも、他の誰かにとられるのは嫌か?」

 

大和は黙り込んでしまった。

 

「悪い、変な事を訊いたかな」

 

「いえ……。そういう貴方はどうなんです……? 鳳翔さんの事……好き……なんですか……? 異性として……」

 

「そうだ……と言ったら?」

 

再び黙り込む大和。

 

「フッ、聞きたくなかったというのなら、質問しなければ良かっただろうに」

 

「別に、そんな事は……」

 

そっぽを向く大和に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「…………」

 

「悪い。つい、楽しくなってしまってな」

 

「……そうですか」

 

何故だか、大和の気持ちが手に取るように分かった。

きっとそれは、大和も同じなのだろう。

だから、俺は――。

 

「そう言えば――」

 

 

 

どれくらいの時間が経っただろうか。

 

「――その時の熊野の顔ときたら」

 

「無理もないでしょうね。大和も、大人になった吹雪さんの写真を見た時、とても驚きましたから」

 

大和が微笑む。

それは、俺に向けられたものではなかったが、思わずドキッとしてしまった。

 

「そうか……」

 

「えぇ……」

 

吹雪さんを思い出すかのように、目を瞑る大和。

永い沈黙。

だが、気まずくはない。

むしろ、心地よくて――。

 

「……訊かないのですか?」

 

「え……?」

 

「潮さんの事……。大和を……利用するんじゃなかったのですか……?」

 

目を瞑ったまま、大和はそう問うた。

 

「……そういえば、そうだったな。すっかり忘れていたよ」

 

きっと、この言葉の意味を、大和は――。

 

「なら、訊いたらいいじゃないですか。今……」

 

冷たい風が、大和の長い髪を揺らした。

乱れた髪を整える手で、その表情は見えないが、おそらくは――。

 

「潮の事……か……」

 

「…………」

 

「……いや、いいよ。やめておく」

 

「……何故です? こんなチャンス、もうありませんよ……?」

 

「チャンスはない……か……。なら、尚更だ。もう二度と無いというのなら、今はこの時間を楽しみたい。潮の事ではなく、お前の話が聴きたい」

 

大和は何も言わなかった。

 

「……結構恥ずかしい事を言っているんだ。笑ってくれてもいいんじゃないのか?」

 

「……笑える話であれば、とっくに笑っていますよ」

 

髪をかき上げる大和。

風はもう止んでいた。

 

「別に――」

「――気を遣った訳じゃないぜ」

 

重なる言葉。

 

「気を遣った訳じゃない……。本心だ……」

 

重なる視線。

 

「本心だって……分かるはずだ……。そうだろう……?」

 

重なる――……。

 

「……分かりません」

 

立ち上がる大和。

 

「分かりません……。貴方は……ただ大和を利用すればよかったのです……。お膳立ては……済んでいたはずです……」

 

「…………」

 

「そんな薄っぺらい言葉を……信じろとでも……?」

 

俺は思わず立ち上がった。

 

「大和……!」

 

どうして伝わらないんだ。

 

「この交流の目的がそういうものだと……分かって言っているんです……。ですから、別にいいんですよ……」

 

どうして分かってくれないんだ。

 

「……仮にそれが、お前の本心だとでもいうのなら、俺は悲しいよ」

 

どうして分かろうとしてくれないんだ。

 

「……っ! そんな言葉で……大和を騙そうとでも……!?」

 

どうして――。

 

「……やっぱり、来るべきではありませんでした。せっかくお膳立てしてあげたのに……! 貴方は――……」

 

大和が言葉を切ったのも、無理はなかった。

 

「……すまない」

 

大和は言葉を失っていた。

これは、策略でもなんでもない。

ただ、自然とあふれ出していたのだ。

 

「……すまない」

 

もう一度そう言って、俺はその場を立ち去った。

自分でも、よく分からない。

仮に、大和の言葉に傷ついたとしても――悲しかったとしても――。

 

「泣く奴があるか……」

 

止めどなくあふれる涙を拭きながら、足早に家へと帰った。

 

 

 

結局その日は、そのまま眠ってしまった。

怒り、悲しみ――希望からの絶望――色んな感情に支配され、疲れ切っていた。

もういっその事、全てを諦めてしまおうかとも――。

 

 

 

翌朝。

軽くシャワーを浴びると、不思議なことに、憂鬱な気持ちも一緒に洗い流されたのか、気持ちが楽になった。

 

「ふぅ……」

 

昨日は、悲しみや怒りに感情が支配されて、冷静に考えることが出来なかったが――。

 

「どうってことない……。そうさ……。いつも通りに戻っただけだ……」

 

何をあんなに泣いてしまったのだろうか……。

こんな俺を大和は笑っているだろうか。

それとも――。

 

 

 

食堂に入ると、まだ時間的には早かったのか、数隻の艦娘しかいなかった。

 

「提督、おはようございます」

 

「おう、おはよう。鳳翔」

 

辺りを見渡す。

大和はまだ来ていないようであった。

 

「今日は隣に座ってくださるのですか?」

 

鳳翔は、少し嫌味っぽくそう言った。

 

「隣に座らないと、飯抜きか?」

 

「あら、その手がありましたね」

 

そう言うと、鳳翔は楽しげに笑った。

言うようになったよな、こいつも……。

 

「座るよ。座りますともさ」

 

そう言って、席に座った時であった。

 

「大和さん……!」

 

廊下の方で、潮の叫ぶ声が聞こえた。

その声はだんだんと近づいて行き――やがて二隻は、食堂へ入って来た。

 

「大和さん! どうして無視するんですか!? どうして!?」

 

潮が何度も大和に問いかける。

だが、大和はまるで、聞こえないとでもいうように、無視を決め込んでいた。

 

「大和さん……」

 

大和は俺を見つけると、ゆっくりと歩み寄って来た。

 

「大和……」

 

昨日の事を思い出し、思わず赤面する。

言い訳の一つでもしようと、口を開きかけた時であった。

 

「おはようございます。……提督」

 

食堂が、静寂に包まれる。

 

「……え……あ……お、おは……よう……?」

 

大和はそのまま、俺の向かいの席に座った。

今度はざわつく食堂内。

後から入って来た艦娘達も、俺と大和が向かい合わせで座っている状況に、動揺を隠せずにいた。

 

「……そういう事ですか」

 

潮が、俺を睨み付ける。

そしてそのまま、食堂を出て行ってしまった。

何故かそれについて行く雪風。

あいつ、余計なことをしなければいいが……。

 

「大和ちゃん……いつの間に提督と……?」

 

「えぇ。昨日、色々と話しました。そうですよね? 提督」

 

「え……あ、あぁ……」

 

鳳翔はとても嬉しそうにしていたが、俺の頭はパニック状態であった。

大和はどうして、潮を無視したのだろうか。

そして、どうして俺を――。

昨日の事があって、どうして――。

 

 

 

朝食は、皆の異様な視線の中で摂ることになった。

 

「――でも、良かったわ。大和ちゃんが提督と仲良くなれて」

 

「仲がいい訳ではありませんが……。まあ、悪い人ではないと分かりましたから」

 

大和の視線が、俺に向けられる。

俺は何も言えず、ただ空になった湯呑に口をつけることしかできなかった。

 

「提督はいかがです? 大和ちゃんの印象、変わりました?」

 

気を利かせて訊いてくれたのだろうが、なんとも答えにくい質問だ……。

 

「そうだな……。特に……変わらないかな……」

 

「変わらない……ですか……」

 

「それは、いい方に捉えても?」

 

大和がそう尋ねると、何故か食堂内は静寂に包まれた。

 

「……想像に任せるよ」

 

俺の答えに、皆、気の抜けたため息をついて見せた。

 

 

 

朝食を終え、皆が食堂を去った後も、大和だけは残っていた。

 

「どういうつもりだ……?」

 

俺がそう問うと、大和は深くため息をついた。

 

「何か不満でも……? 貴方の望み通りの結果じゃないですか……」

 

「そうかもしれないが……。どうして協力してくれたんだ……?」

 

大和は答えない。

 

「……同情か?」

 

「……いいえ」

 

視線を合わせず、大和はそう答えた。

 

「……悪かったな」

 

「はい……?」

 

「同情させてしまって……。嫌だったろ……? 俺を提督と呼ぶのは……」

 

大和は答えない。

 

「無理しなくていい……。皆にも、ちゃんと説明しておくよ……。あれは大和の演技だったのだと……」

 

「……そんなことをしたら、また潮さんが大和に依存するのでは?」

 

「それは無いだろう。どんな形であれ、俺に協力したのは事実だ……。そんな相手に再び近づくとは思えない。それに、お前だって、もう協力するつもりはないはずだ。違うか?」

 

大和は何かを言おうとして、閉口した。

 

「協力してくれたのには感謝している……。だが……こんな形ではなく、俺は……」

 

大和は席を立つと、視線も合わせず、さっさと食堂を出て行ってしまった。

 

「大和……」

 

 

 

執務室に戻り、ぼうっとしていると、鳳翔がコーヒーを持って訪ねて来た。

どうやら大和との会話を聴いていたらしく、慰めに来てくれたようであった。

 

「まあ、皆さんも、お二人が本当に仲良くなったとは思っていなかったようですが」

 

「お前もそうだったのか? だとしたら、随分いじわるな質問をしてくれたもんだぜ……」

 

『提督はいかがです? 大和ちゃんの印象、変わりました?』

 

「私が質問しなければ、大和ちゃんから質問していたはずです」

 

「大和から?」

 

「えぇ。永い付き合いだから分かるのです。大和ちゃんが提督に協力しようと思ったのは、同情なんかではなく、本心から、提督をいい人だと認識したからなんだと思います。『私は貴方をそう思っているのだけれど、貴方はどうなの?』って……。『それは、いい方に捉えても?』と言ったのも、それが理由なのではないでしょうか?」

 

なるほど……。

だとしたら、俺は――俺の答えは――。

 

「もしそうなのだとしたら、大和に悪い事をしてしまったな……」

 

「相変わらず不器用で、鈍感ですね、提督は」

 

「あぁ……」

 

コーヒーに口をつける。

 

「うっ!? こりゃ……」

 

「砂糖をたくさん入れたんです。駆逐艦たちには好評なんですよ」

 

「こんなの飲んでんのか、あいつら……。虫歯になっちまうぜ……」

 

「私たち艦娘は、虫歯とは無縁ですから」

 

「俺には縁があるんだっ!」

 

そう言ってやると、鳳翔はにっこりと微笑んで見せた。

なるほど。

どうやら気を遣われたらしい。

 

「ったく……。せっかく感傷に浸っていたのに……」

 

「素直に仰ったらどうです?『元気になった。ありがとう』って」

 

「恩着せがましい奴だな……」

 

「ちゃんと仰ってください。でないと、大和ちゃんにも言えませんよ。素直な気持ち」

 

言いたかったのはそういう事だったらしく、鳳翔はどこか、ドヤ顔をしているように見えた。

 

「……分かったよ。元気になった。ありがとう、鳳翔。愛している」

 

「――……はい」

 

仕返しだと笑ってやると、鳳翔は頬を膨らませ、ポカポカと俺を叩いていた。

 

 

 

その後の昼食、夕食ともに、潮が現れることはなかった。

同じように、雪風の姿もない。

 

「いつの間にか仲良くなったようで、潮ちゃんと食べるのだと……」

 

あいつ……。

一体、何を考えているのだろうか……。

 

 

 

その日の消灯間際の事であった。

 

「ったく……なんであんなところに……」

 

放った紙飛行機が戸棚の上にのってしまったとのことで、俺は雪風に食堂へ呼び出されていた。

 

「よ……っと! ほら、とれたぞ」

 

「ありがとうございます!」

 

「ったく……。こんな時間に紙飛行機で遊ぶもんかね……」

 

一人で遊んでいたようではあるが……。

紙飛行機で一人……。

 

「しれえ?」

 

やはり、何を考えているのか分からん奴だ……。

 

「……そろそろ消灯時間だ。もう部屋に戻れ」

 

「はい! では、おやすみなさい! しれえ!」

 

敬礼すると、雪風は紙飛行機を掲げながら、食堂を出ていった。

 

「……なんか、怖いぜ」

 

 

 

帰り支度をする為、執務室に戻る。

 

「さてと……」

 

明かりをつけた、その時であった。

 

「――っ!?」

 

部屋の隅の人影に、俺は声を上げることが出来ないほど驚いてしまった。

 

「う、潮か……?」

 

潮は立ち上がると――強調するように、手を後ろに回した。

 

「お前……なんで裸なんだ……?」

 

そう問う俺に、潮は答えない。

ただ顔を赤くして、俺をじっと見つめていた。

なんでこいつがここに……。

そして、どうして裸なんだ……。

 

「……もしかして、ハニートラップかなんかのつもりか?」

 

そう言ってやると、潮は急に悲鳴を上げた。

……なるほど。

そういうことか……。

 

「提督? 今の悲鳴は一体……って……!?」

 

部屋に駆けこんで来た大淀は、言葉を失っていた。

 

「大淀」

 

「て、提督……これは一体……!?」

 

「こ、この人が……潮を……」

 

潮は怯えるように、体を隠し、蹲った。

 

「フッ……」

 

俺はそのまま荷物を持って、部屋を出ようとした。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

「なんだ?」

 

「どういう事か、説明してください!」

 

「どういうこと……。それは潮が説明してくれるだろうよ。そうだろ?」

 

潮は答えず、ただ怯えるそぶりを見せるだけであった。

 

「俺はもう帰るぜ。消灯時間だからな」

 

「ちょ……!?」

 

困惑する大淀を尻目に、俺は家路についた。

 

 

 

翌朝。

目を覚ますと、そこには曙の顔があった。

 

「やっと起きたわね……」

 

「曙……? どうした……。こんな朝早くから……」

 

「どうしたもこうしたも無いわ。寮の方、大変なことになっているわよ……」

 

「大変? あぁ、もしかして、潮のことか?」

 

「そうよ……。あんた、なにも言い返さずに帰って来たんですって? なんで何も言わなかったのよ? おかげで、皆、潮の話を信じているわ」

 

「それならそれでいいさ。けど、お前だけは俺を信じてくれているのだろう? だからここに来た。違うか?」

 

曙は何も言わなかった。

 

「いずれにせよ、やっと潮が仕掛けて来た。簡単に返り討ちにするのは面白くない」

 

「面白くないって……。楽しむもんじゃないでしょ!?」

 

「いや、楽しんだ方がいい。そういう姿勢こそ、潮にとっては面白くないはずだ。あの手のやり方は、俺がどう対応するかによって、結果が変わるもんだ。いつも通りにしていればいいし、何なら楽しんでいる方が、あいつには都合が悪いはずだ」

 

「そういうこと……。本当、性格悪いわ……。あんた……」

 

「今からでも、潮につくか?」

 

曙は何も言わなかった。

 

「フッ、お前も大概だよ」

 

そう言ってやると、曙は顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。

 

 

 

寮に着き、食堂に入ると、皆一斉に俺へ視線を向けた。

食事は用意されているが、誰も俺に近づこうとはしない。

 

「まあ、そうなるよな」

 

大淀に視線を向けるが、潮の件とは別の何かを疑っているようで、ただ細い目で俺を見るだけであった。

まあ、今回は一人で飯を食うかな。

そう思った時であった。

 

「ん……」

 

曙が食事を持って、隣に座った。

 

「いいのか?」

 

「何がよ?」

 

「お前も変な目で見られるぞ」

 

「別に……。どんな目で見られようとも、困りはしないわ」

 

平然とする曙。

俺も別に平気だったのだが、こう、優しくされると、何だかホッとするぜ……。

そんな中、潮が食堂にやって来た。

俺と曙の姿を見ると、少し驚いた様子を見せた後、怯えるそぶりを見せた。

皆が心配そうに、潮を見つめる。

 

「そんなに怖いのなら、お部屋で食べたらいかがです?」

 

そう言ったのは、大和であった。

 

「大和ちゃん……!」

 

「鳳翔さん、潮さんの食事をお部屋にお願いできますか?」

 

「え……? でも……」

 

困惑する鳳翔。

そんな鳳翔を尻目に、大和は食事を持って、俺の前の席に座った。

 

「おはようございます、提督」

 

「お、おう……。おはよう……」

 

こいつ……。

雪風といい、大和といい、本当に何を考えているんだ……。

潮は、怯えるそぶりを見せながらも、大和を睨んでいるように見えた。

 

「私もいいかしら?」

 

そう言ったのは、夕張であった。

 

「大和さん、隣いいですか?」

 

「えぇ、どうぞ」

 

ドカッと席に座る夕張。

これでいいんでしょ? とでも言いたげに、俺をじっと見つめていた。

 

「私は納得していませんからね」

 

そう言って、夕張の隣に座る大淀。

 

「あ……わ、私も!」

 

続く明石。

 

「しょうがないにゃあ……。漣も!」

 

「お、朧も!」

 

それから、我も我もと、皆、俺の近くの席に座って行く。

しれっと、山城も――。

 

「うぅ……」

 

困惑する鳳翔。

一度、潮に目を向けた後、申し訳なさそうに席を移動していた。

潮は俺を睨み付けた後、食堂を出て行ってしまった。

 

「潮ちゃん……」

 

「心配なら、追いかけてもいいんだぜ、鳳翔」

 

「……そうやって、私をのけ者にするのですね。提督は……」

 

「そうじゃない。別に、こうしてくれと頼んだわけでも無いしな」

 

それでもやはり心配なのか、鳳翔は何度も食堂の入口に目を向けていた。

 

「鳳翔さん! 心配しないでください! 雪風が食事を持っていきます!」

 

「え? で、でも……」

 

「大丈夫です! 行ってきます!」

 

雪風は食事を持って、駆け足で食堂を後にした。

やはりあいつ……何か……。

 

「雪風ちゃん……」

 

「心配か?」

 

「えぇ……あんなに走って……転ばないと良いのですが……」

 

そっちかよ……。

でも確かに、今はそっちの方が心配だぜ……。

いずれにせよ、皆が今回の件をどう思っているのか(棚ぼたではあったが……)これではっきりした。

あいつもこの結果を受けて、次の手を打ってくるだろう。

 

「何度でも来いよ……潮……。何度でも受けてやるからな……」

 

 

 

食事を済ませ、執務室に入ると……。

 

「……フッ、懲りないな」

 

今度は水着を着て、潮は待っていた。

 

「こういうの……好きじゃないですか……?」

 

そう言うと、潮は水着をずらして――露出させた。

 

「どこで覚えたんだ? そんなの」

 

潮は答えず、ただ俺の反応を見ているようであった。

 

「見て欲しいのなら見てやるが、お前は嫌じゃないのか?」

 

そう言って、俺は潮の体に目を向けた。

確かに、駆逐艦にしては成熟しているように見える。

だが――。

 

「所詮は子供だな。顔つきも、とてもじゃないが、歴戦を潜り抜けて来たソレとは思えないほどに、幼く見える」

 

そう言ってやると、潮の表情は一気に険しいものとなった。

 

「何が目的なのかは知らない。過去を知っているからこそ、どうしてそんな行動が出来るのかも分からない。だが、それが有効ではないことは、お前が一番よく分かっているのではないのか?」

 

潮は何も言わない。

 

「まあ、色々試してみろ。もしかしたら、お前の望む結果になるかもしれないぞ。俺も、自分がロリコンではないって事が証明できるし、お互いにwin-winだ」

 

そう笑ってやると、潮は部屋を出て行ってしまった。

 

「やれ……」

 

しかし潮の奴、あんなやり方、一体どこで……。

 

『見ろ、慎二! この水着をずらすやつ、超エロくないか!? 全裸よりエロいって感じるの、脳がバグってんのかな?』

 

「フッ……」

 

鈴木との思い出に、俺は思わずニヤけてしまった。

この場面だけ見たら、潮の体に興奮した奴みたいで、ヤバいかもな。

 

 

 

それから数日間、潮はあの手この手で攻めて来た。

ある時は布団の中に、ある時は着替え中に――風呂、トイレに至るまで、あらゆる場所で自分の体を見せつけて来た。

 

「最近は、何処に行ってもいるような気がして、ちょっと怖くなってきたんだ」

 

「だからさっき、押し入れを開けて確認していたのね」

 

「どうやら覗きもしているようでな。まさか、天井裏とかないよな?」

 

「流石にないでしょ……」

 

「……だよな」

 

と、夕張と会話をしていたその日に、執務室押し入れの天井点検口がずれているのを発見した。

流石に上がらなかったようではあるが……。

 

「これは……いよいよヤバい領域に来たな……」

 

 

 

そんな事が続いたある日の夜。

流石に万策尽きたのか、普通に服を着た潮が、家で俺を待っていた。

 

「逆に驚いたよ。服を着ているお前を見る方が、珍しいと思えるまでになっていたから」

 

潮は、いつもと違い、真剣な表情で座っていた。

 

「……色々やってどうだった?」

 

「……貴方、本当に男ですか? 普通、ここまでされたら……」

 

「お前の事を襲う……か?」

 

潮は何も言わなかった。

 

「子供の裸を見たところで、何も感じんよ」

 

「そうでなくても……」

 

「そうでなくても?」

 

「……そうでなくても、男の人は普通……その……するじゃないですか……」

 

「何を?」

 

「ですから……じ……自分を慰める事……です……」

 

潮は顔を真っ赤にさせた。

 

「慰める……。あぁ……そういう事か……」

 

言わずもがな、あの行為のことだな。

 

「この数日間……貴方を見てきました……。でも、一回もしていないし、そういう痕跡もありませんでした……」

 

そういう痕跡って……。

 

「今までの男は、していたのか?」

 

潮は答えなかった。

 

「……まあいい。しかし、誘惑が駄目であるというのなら、別の方法を考えないとな。それとも、誘惑にこだわる理由でもあるのか?」

 

そう問うてやると、潮は俯いてしまった。

 

「……お前、本当に男が苦手なのか?」

 

「……苦手です。私を穢した存在ですから……。そうでなくとも、男の人の視線は……いつだって……」

 

初めて本心を吐露したな……。

 

「俺は男ではないか?」

 

「え……?」

 

「男ではないから、こうして話せているのか?」

 

潮は少し考えた後、驚いたような表情を見せた。

 

「こうして話せるって事は、俺を不快に思っていない証拠なんじゃないのか?」

 

「ち、違っ……! そんなことは……」

 

と、口にはしているが、本人も分かってしまったのだろう。

以前、俺の姿を見て嘔吐していた頃と比べたら、今の状況は――。

 

「もし仮に、今俺がお前を襲ったとしても、お前の悲鳴は寮には届かない。誰も助けてはくれない。なのにもかかわらず、ここに来た。それは、俺がお前を襲わないという、俺に対する信用があったからだ。違うか?」

 

潮は何かを言おうとしたが、閉口してしまった。

 

「万策尽きて、ここに来た理由はなんだ?」

 

「それは……その……」

 

「…………」

 

「……分かりません」

 

「分からない?」

 

「どうやっても……貴方は私の思い通りにならなくて……もう……どうしたらいいのか分からなくて……。雪風ちゃんも何も言ってくれなくなっちゃったし……」

 

雪風……。

やはり、あいつも一枚噛んでいたか……。

 

「気が付いたら……ここに居て……」

 

気が付いたら……か……。

 

「そうか……」

 

「あの……本当に興味ないのですか……? 潮の体……」

 

「あぁ、興味ない。もっと大人になれば、分からんがな」

 

「大人……。潮は……こんな体なのに……。それでも……子供に見えますか……?」

 

「見えるも何も、子供そのものだろう。そんな奴が、陸奥のようなハニートラップを仕掛けようとしてんだぜ。こりゃもう、微笑ましいだけだ」

 

潮はムッとした表情を見せた。

 

「なんだ、大人として見て欲しいのか?」

 

今度はキョトンとする潮。

忙しい奴だ。

 

「お前、自分が気づいているのかどうか知らないが、矛盾しているぜ。男を恐れるって事は、自分を大人のように見てほしくないって事だろう? なのに、子供だと言われたらムッとしていやがる」

 

「それは……貴方の言い方に、悪意があったからで……」

 

「悪意があるかどうかはさておき、お前は子供だよ。いい意味でも悪い意味でもな」

 

「いい意味……ですか……」

 

「例えば、素直なところとかな。追い出そうとしている男の話を、しっかり聴いているところとか」

 

潮は顔を赤くして、俯いてしまった。

 

「ほら、恥ずかしいと思っている。子供なのだから、別にいいのだと、反論したらいいのに」

 

そっぽを向く潮。

そういうところも――いや、大人でもするか。

尤も、夕張や明石――そいつらが、本当に大人であればの話だがな。

 

「……俺は男だから、お前の負った傷は癒せない。それでも、戦い方は教えてやれると思っている。生きる方法もな」

 

「生きる方法……」

 

「あぁ、そうだ。まあ、単純な話なんだ。子供なのに大人の体であるから、変な目で見られるわけで、それが嫌なわけだ」

 

「…………」

 

「だったら、いっそのこと、島を出て、本当に大人になってしまったらどうだ?」

 

俺の提案が、あまりにも間抜けなものだと感じたのか、潮は唖然としたあと、鼻で笑いやがった。

 

「真面目な話だぜ。それとも、皆がお前を子供としか思えない世界になるまで、待つつもりか?」

 

「…………」

 

「お前に世界は変えられない。それは、俺も同じだ。だからこそ、自分が変わらないといけない」

 

今までの生活が、フラッシュバックする。

本当、変わったよな、俺も……。

 

「俺はその手助けが出来ると確信している。後は、お前が決意するだけだ」

 

潮は拳を握り、俯いていた。

 

「時間が解決するとは言わない……。だが、ずっとここで苦しみ続けるよりは、幾分かマシだと思う……」

 

「…………」

 

「潮……」

 

潮は立ち上がると、そのまま家を出て行ってしまった。

 

「俺に出来るのは……ここまでだ……」

 

そう自分に言い聞かせ、その日はそのまま床に就いた。

後は、お前次第だ……。

 

 

 

翌朝。

食堂に入るなり、鳳翔に呼ばれた。

 

「提督、おはようございます。こちらです」

 

鳳翔の隣には、大和が座っている。

俺の飯はもう運ばれていて――どうやら鳳翔が気を利かせたらしかった。

 

「おう、おはよう。鳳翔、大和」

 

大和はただ、頷くだけであった。

さて、潮は……。

視線を食堂の入口へ向けた時、ちょうど潮がやって来た。

視線が合う。

そして何故か、俺の元へと歩み寄って来た。

 

「潮ちゃん……」

 

潮は足を止め、俺を――いや、俺ではない。

俺の後ろ――大和の事を見つめていた。

 

「……なにか?」

 

皆、ただならぬ空気を感じたのか、食堂内は静かになった。

 

「……大和さんは、どうしてこの男の味方をするのですか?」

 

皆が大和に注目する。

そんな視線もお構いなしに、大和は平然と答えた。

 

「その答えを、貴女はもう分かっているはずです」

 

本当にそのようで、潮は俯き、考えるように目を瞑った。

二隻にしか分からない会話に、皆は完全に置いてけぼりとなった。

当事者である俺ですらも……。

 

「大和も……本当は分かっていました。でも、目を背けて来たし、信じられないと、敵対してきた……。でも……」

 

大和が俺を見つめる。

 

「この人は純粋なのだと思います……。大和は、それが本当なのか確かめたくて、ここに居るのです……。貴女だって、そう思ったのだから、この数日、あんなことをしてきたのではないのですか……?」

 

潮は何も答えない。

大和は続ける。

 

「大和にはまだ、全てを曝け出すことは出来ません。けれど、貴女は違う。貴女の抱える全てを、この人にぶつけたはずです。その全てを、この人は受け止めてくれたはずです。貴女は……それにどう応えるのですか……?」

 

よく分からないが、どうやら大和が潮を説得してくれているようだ。

大和の言葉が響いている様子だし、ここは任せてみよう……。

 

「潮……潮は……」

 

「潮さん」

 

声をかけたのは、雪風であった。

 

「雪風ちゃん……」

 

「雪風も、しれえは信じられる人だと思います。でも、信じたからと言って、潮さんの問題が解決するわけではありません」

 

「え……?」

 

雪風は俺の前に立って、じっと目を見つめた。

 

「しれえは潮さんに言ったそうです。潮さんが負った傷は癒せないけれど、生きる方法は教えることが出来ると……。それって、結局のところ、自分の事は自分で何とかしなければいけないって事です。しれえは、潮さんが島を出てさえくれればそれでいいと考えています。そうでなかったら、そんな曖昧なことは言わないはずです。しっかりとした――潮さんを守るための――道筋を立てるはずです」

 

皆、雪風の言動に驚いていた。

俺は、ただただゾッとしていた。

こいつは、一体何がしたいんだ……?

 

「……自分で何とかしなければいけないのは当然です。この人は、その決意をさせる為に、そう言ったのです……」

 

大和が反論する。

もう、何が起きているのやら……。

 

「本当にそうでしょうか? でしたらしれえ、潮さんはどう生きればいいと思いますか? 傷を癒せないと言うのなら、どう克服するというのですか? 痛みを知らないしれえが、何を教えてくれるというのですか?」

 

俺は言葉に詰まってしまった。

それは、気圧されたからではない。

雪風の言葉が真実だったからだ。

確かに、生きる方法を教えてやるとは言った。

だが、そこに道筋はない。

具体性はない。

結局のところ、俺は心の奥底で、時間が解決してくれるだろうと思っていた。

だからこそ、まずは島を出て、本当の大人になってしまえばいいのだと言った。

尤もらしい言葉を並べ、潮を騙そうとした。

 

「しれえ?」

 

俺が答えられないでいると、遠くで誰かが机を叩きながら立ち上がった。

 

「ちょ……霞!」

 

霞……?

振り返って見ると、霞がゆっくりと、こちらに近づいてきていた。

 

「黙って聞いていれば……。あんたたち、揃いも揃って……誰を信じるだの、誰を信じられないだの……。本当、くっだらないったら!」

 

「か、霞!」

 

朝潮が飛んでくる。

 

「黙ってて……。大丈夫だから……」

 

朝潮はそう言われ、俺の顔色を窺いながら、下がっていった。

曙が出てくるのならまだしも、どうして霞が……。

俺はもう、何も理解できないと悟り、ただ傍観者側に回ることにした。

 

「これは、この男の問題でも、あんたら二人の問題でもない。これは……潮、あんたの問題でしょう!?」

 

指差す霞に、潮は何も言えずにいた。

 

「誰を信じる信じないよりも先に、あんたはあんた自身の事を信じられたわけ?」

 

「潮が……潮自身を……?」

 

「そうよ! あんた、本当は何がしたいのよ? この男を追い出せれば、それで満足なわけ? それとも、自分の抱える問題を解決したいの? どっちなのよ?」

 

潮は黙り込んでしまった。

霞は続ける。

 

「ほら、これが潮の答えなのよ。大和さんも雪風も、解決策ばかり話すだけで、根本的な部分を見落としている。潮は何も考えてない。どうしたいのかも、何も分からず、ただ足掻いていただけなのよ!」

 

雪風の表情は分からなかったが、大和は悔やむような表情を見せていた。

 

「潮……。どうしてこの男が、あんたに何もしなかったのか、分かる?」

 

「え……?」

 

「この男が本気を出せば、あんたなんかすぐに島から出せるはずよ……。なのにもかかわらず、ただあんたのくっだらない『足掻き』に付き合っていた。その理由に気が付いていないの?」

 

その場にいる誰もが、その理由について考えているようであった。

無論、俺も同じく……。

 

「あんたを信じていたからよ。あんたがどうしたいのか……あんた自身が見つけ、あんた自身が乗り越えられるように、あえてただ見守ることにしたのよ」

 

潮がハッとした表情を見せた。

皆も同じだった。

アホ面を晒す、俺一人を除いて……。

 

「自分ですら、自分の事を信じられなかったのに、この男だけは、あんたの事を信じていた……。それでもまだ、あんたはあんた自身の事を信じてあげられないわけ……?」

 

「…………」

 

「誰かに訊くのではなく……誰かを信じるのではなく……あんた自身の心に訊いてみなさい……。あんた自身の心を信じなさい……。そうすれば、きっと、どうすればいいのか分かるはずよ……」

 

潮は自分の胸に手をあて、考えるように目を瞑った。

そして、ゆっくりと目を開けると、俺をじっと見つめた。

 

「ったく……」

 

霞は何かを確信したようで、席へと戻っていった。

永い静寂が訪れる。

その間も、潮は俺をじっと見つめていた。

 

「……とりあえず、座ったらどうだ?」

 

そう言ってやると、潮は頷き、俺の隣に座った。

これには、流石の大和も驚いていた。

 

「わ、私! 潮ちゃんのお食事を持ってきますね!」

 

そう言って、鳳翔は席を立った。

気まずい空気が流れる。

 

「よいしょ!」

 

雪風が食事と椅子を持って、俺たちのテーブルに着いた。

 

「雪風もご一緒いたします! その方が、しれえ的に助かるのでは?」

 

先ほどの事が無かったらな……。

大和はどこか、居心地の悪そうな顔をしていた。

本当、なんなんだよ……。

この状況は……。

 

 

 

結局、食事中も、このテーブルだけは会話が無かった。

潮と鳳翔はどこか緊張している様子だし、大和は食事に手をつけず、何か考え事をしているようだ。

雪風は呑気に飯を食っている。

 

「……提督、今日のお味噌汁……いかがです?」

 

「え?」

 

「お味……薄くないですか……?」

 

気を遣ってくれたのか、鳳翔は恐る恐るそう訊いた。

 

「味……」

 

んなもん、分からん……。

この緊張感で、味噌汁の味なんぞ……。

 

「雪風的にはおっけーです!」

 

お前には訊いていないだろ……。

しかし、まあ……これはいい流れかもしれない……。

 

「あぁ、俺的にもおっけーだ。大和、お前はどうだ?」

 

「え……?」

 

「味噌汁の味だ。おっけーか?」

 

皆が大和に注目する。

大和は困惑しながらも、味噌汁を口に運んだ。

 

「どうだ?」

 

「……おっけー……です」

 

大和が答えると、皆の視線は、自然と、潮へ向いていた。

 

「…………」

 

潮が俯く。

 

「潮」

 

俺の問いかけに、潮は顔を上げた。

 

「お前は……どうだ……?」

 

食堂が、静寂に包まれる。

潮は、恐る恐る味噌汁に口をつけると、お椀を置いて、小さく言った。

 

「……おっけー……です」

 

永い静寂。

雪風も、大和も、鳳翔も、潮も――俺たちは互いに目を合わせると、思わず噴き出してしまった。

 

「フッ、なんだこりゃ? ははは」

 

「本当、おかしいですよ。みんなして! うふふ」

 

「おかしいです! えへへ」

 

大和と潮も、くすくすと笑っていた。

笑っていないのは、俺達以外の連中だけであった。

 

「はぁ、馬鹿馬鹿しい……。せっかくの朝食なのに、変に緊張してよ」

 

「本当ですよ! せっかく美味しく作ったのに……。大和ちゃんも、全然食べてないじゃないの」

 

「す、すみません! 食べます!」

 

「潮ちゃんも! そんなに肩に力が入っていたら、美味しく食べられないでしょう?」

 

「は、はい!」

 

一気に緊張がほぐれたのか、皆、いつもの調子で食事を始めた。

 

「ったく……」

 

何気ない事であったが、緊張が解けて良かった。

それもこれも、鳳翔のお陰だな。

……いや、それと――。

 

「しれえ?」

 

「……口についてるぞ」

 

「え? どこですか? とってください!」

 

こいつにも感謝だな。

何がしたいのか分からんが、結果として助けになっている。

…………。

もしかして、分かってやっているのか……?

 

「しれえ! 服にもついちゃいました!」

 

……そうでもないのか?

 

 

 

朝食後、俺は霞に声をかけた。

 

「霞!」

 

霞はゆっくりと振り向くと、一瞬だけ目を合わせ、すぐにそっぽを向いてしまった。

 

「霞、ありがとな」

 

「……別に。あんたの為じゃないし……。くっだらない話にイラついてしまっただけよ……」

 

思えば、霞とちゃんと話をしたのは初めてかもしれない。

 

「それは……悪かったな……」

 

「……どうしてあんたが謝るのよ?」

 

「俺が不甲斐無いから、お前をイラつかせてしまった。何も出来ず、ただ傍観者になっていた。悪かった……」

 

霞は何も言わず、そのまま食堂を去って行ってしまった。

 

「司令官」

 

「朝潮」

 

「霞、あんなことを言っていますけれど、きっと、司令官が非難されている事が許せなかったのだと思います。普段の霞だったら、ああやって仲裁に入ることはありませんから」

 

そう言うと、朝潮はニコッと笑って、霞の跡を追っていった。

普段の霞だったら……か……。

 

「俺はまだ、霞の事、何も知らないんだよな……」

 

あいつはあいつで、また何を考えているのやら……。

 

「さて……」

 

振り返ると、潮が俺をじっと見つめていた。

 

「どうした?」

 

恥ずかしいのか、潮はもじもじとするだけで、中々話せずにいた。

 

「潮さん」

 

声をかけたのは、大和であった。

 

「大丈夫です」

 

それだけ言うと、大和は俺に視線を送った後、食堂を後にした。

 

「しれえ、雪風の仕事はここまでです」

 

雪風は潮の背中を押し、食堂を出ていった。

 

「……俺もお前も、誰かの助け無しには、上手くいかないようだな」

 

「……そうかもしれませんね」

 

そう言うと、潮は微笑んで見せた。

 

「潮の話……聞いてくれますか……?」

 

「あぁ、聴かせてくれ。お前の気持ちを」

 

潮はゆっくりと頷くと、自分の事を語り始めた。

過去に起こったこと――。

守られることを覚えてしまったこと――。

俺を追い出そうとしたこと――。

それら全てを――時には涙を流しながら――話してくれた。

 

「――大和さんの言う通りです。本当は分かっていました……。貴方が……そういう人じゃないって……。でも……確かめたかったのかもしれません……。信じていい人なんだって……確信が欲しかったのかも……」

 

自分でも、どうしてあんなことをしたのか、よく分かっていなかったわけか。

霞の言った通りだったな……。

 

「して、お前がどうしたいのかは……見えて来たのか……?」

 

潮は頷くと、俺の目をじっと見つめ、言った。

 

「潮は……この苦しみから脱したいです……。貴方に……助けて欲しいです……」

 

「潮……」

 

「貴方を信じても……いいですか……? 潮の事……助けてくれますか……? 守って……くれますか……?」

 

「……あぁ、もちろんだ」

 

そう言って、俺は手を差し伸べた。

潮は少し驚きながらも、恐る恐る手を伸ばし、弱弱しく俺の手を握った。

 

「第一段階突破、だな」

 

「……ですね」

 

潮は微笑むと、小さく言った。

 

「――提督」

 

 

 

あれから数日が経った。

潮が心を開いてくれたことで、艦娘達の間にあったピリピリとした空気は無くなっていた。

 

「おはようございます、提督」

 

「おう、おはよう潮」

 

挨拶する潮の後ろには、第七駆逐隊の姿があった。

 

「今日は目を見て自然な挨拶が出来たわね」

 

「うん。提督、朝食の後、潮たちと散歩しませんか?」

 

「お! 潮ちゃん、攻めますなぁ」

 

「あぁ、構わないよ。じゃあ、朝食の後で」

 

「朧、お弁当、作ってきますね。潮ちゃんも、一緒に作ろう?」

 

「うん。では提督、また後で」

 

「おう」

 

潮は笑顔を見せると、第七駆逐隊と共にいつもの席へと向かっていった。

 

「潮ちゃん、提督と自然な感じでお話しできるようになりましたね」

 

「鳳翔。あぁ、まだまだ課題は多いが……まずは俺に慣れてもらうところから始めなければな」

 

「大和ちゃんも、見習わなきゃね」

 

そう言われ、大和は恥ずかしそうに俯いていた。

潮の件が一旦落ち着き、当初大和の考えていた『潮の為の交流』は済んでいるはずなのに、鳳翔のせいなのか分からないが、大和は未だに同じテーブルで食事をしていた。

 

「提督もですよ? あれから、大和ちゃんとの会話、していませんよね?」

 

「え? いや……まあ……どうだったかな……」

 

大和に視線を送る。

以前のように睨むことはしなくなったが、どこか複雑そうな表情を見せるようになっていた。

 

「でもこれで、提督と交流していない艦娘はいなくなりましたね。霞ちゃんも、なんやかんや言って、提督の味方をしていましたし」

 

その霞は、俺たちの会話など聞こえていないとでもいうように、退屈そうに頬杖をついていた。

しかし……そうか……。

これで、交流をしたことが無い艦娘は、居なくなったわけだ。

 

「……とは言え、問題はまだまだ山積みだ」

 

潮の件も、山城の件も――大和、雪風、霞……そして――。

 

「響……」

 

響はこちらをチラリと見ると、フイとそっぽを向いてしまった。

 

「……今はそれでいいじゃありませんか。確実に進んではいますよ。ね、大和ちゃん」

 

鳳翔がそう言うと、大和は小さく頷いて見せた。

まあ、そうだよな……。

とりあえず、進んではいるよな……。

 

「先が思いやられるぜ……」

 

「何を言っているのですか。貴方のお父さんは、一隻を島から出すのに、一年かかったのですよ? それに比べたら、まだまだ早すぎるくらいなんですから」

 

言われてみればそうか……。

何故かは分からないが、この島に来て二年以上が経っているような気がする。

それほどまでに濃厚な時を過ごしたという訳なのだろうが……。

 

 

 

その日の昼すぎ。

第七駆逐隊と散歩をし、昼食を済ませた帰りの事であった。

 

「弁当、美味かったよ」

 

「それは良かったです。潮ちゃんと、一生懸命作ったんです。ね、潮ちゃん」

 

「うん」

 

「そうか。ありがとな、朧、潮」

 

朧は嬉しそうに笑い、潮もどこか、照れているようであった。

本当、数日前の事が嘘のようだ。

このまま、外に出る決意をしてくれればいいのだが……。

しかし……。

 

『しれえは、潮さんが島を出てさえくれればそれでいいと考えています。そうでなかったら、そんな曖昧なことは言わないはずです。しっかりとした――潮さんを守るための――道筋を立てるはずです』

 

結局は、雪風の言う通りなんだよな……。

潮が心を開いてくれるようになったのはいいとしても、問題が解決したわけではない。

大きな一歩ではあるが、まだまだ問題解決には程遠い……。

 

「なんて顔してんのよ……」

 

曙がボソッと、俺に言った。

 

「なにか独りで思い詰めてんのなら……話くらい聞くけど……?」

 

そう言うと、どこか心配そうな瞳を俺に向けた。

 

「……いや、別に大丈夫だ。心配してくれてありがとうな」

 

「別に……そんなんじゃないけど……。これでも一応……あんたには感謝しているんだから……。困ったことがあったら……その……助けてあげたいって言うか……恩返しになればいいと……思ったり……」

 

言葉を重ねる度に、曙の顔は真っ赤になっていった。

 

「はにゃ? ぼのたん、どったの? なんか顔真っ赤じゃない?」

 

「べ、別に……? ちょっと暑いだけよ……」

 

曙は俺をチラリと見た後、そっぽを向いてしまった。

最近の曙は、いつもあんな感じだ。

ちょっと余所余所しくなったというか……。

大和と同じで、潮の件が落ち着いてしまったものだから、俺とどう接したらいいのか分からないって所だろうか?

 

「ひゃあ!?」

 

突如、潮の悲鳴。

 

「どうした!?」

 

怯える潮の視線の先――。

 

「マジかよ……」

 

今、一番、潮に会わせたくない奴が、そこに立っていた。

 

「お、よう! 慎二!」

 

「鈴木……。お前……今日は来る予定じゃないだろ!?」

 

「あぁ、ちょっと緊急の用事だ。電話も出なかったし、直接来たんだ」

 

マズい……。

潮が完全に怯えている。

それならまだしも、相手が鈴木となると……。

 

「なんだぁ? 子守り中だったか?」

 

鈴木は第七駆逐隊へ目を向けた。

曙は透かさず、潮の前に立って、鈴木を睨んだ。

 

「そんなに警戒すんな。俺だって、こいつと同じで、この島に来る提督の候補だったんだぜ?」

 

「おい、鈴木……」

 

俺は鈴木を駆逐艦から遠ざけた。

 

「おいおい、なんだよ? 話しかけちゃいけないってか?」

 

「お前も知っているだろ……。潮は男が苦手なんだ……。最近、やっと俺に心を開いてくれたんだから、余計なことはしてくれるな……」

 

「別に取って食おうって訳じゃねぇんだぜ? それに、いい機会じゃねぇか。お前以外の男にも慣れた方がいい」

 

「そうかもしれないが……」

 

「じゃあ、いいじゃねぇか」

 

そう言うと、鈴木は俺を退け、駆逐艦へ語り掛けた。

 

「よう。お前ら第七駆逐隊だろ? 俺は鈴木。お前らの物資を運搬している者だ」

 

駆逐艦たちは、困惑した表情を見せた。

曙は俺を睨んでいる。

なんとかしろ……って事か……。

 

「鈴木、もういいだろ……。用事ってなんだよ?」

 

「あぁ、それは後で話す。とにかく、船に乗ってくれ。本部がお前を呼んでいる」

 

「本部が俺を?」

 

「あぁ。しっかし、なんだ、噂に聞いていたほどじゃねぇな」

 

そう言って、鈴木は潮に目を向けた。

 

「何が良くて、あんな赤ちゃんみてぇな子供を好きになるのか……分かんねぇな……」

 

「あ、赤ちゃん……?」

 

潮は唖然とした表情を見せていた。

 

「ちょっとあんた……。さっきから何なのよ!? 潮をジロジロ見んじゃないわよ!」

 

「お、そのキツイ言い方……お前が曙か」

 

「だったらなによ? 用事があるのなら、さっさと済ませて出て行きなさいよ!」

 

「そんなに怒んなよ。可愛い顔が台無しだぜ?」

 

「かわっ……は、はぁ!?」

 

「心配しなくても、俺はそんな赤ちゃん興味ねぇよ。どっちかって言うと、そっちの……あー……」

 

鈴木が指差したのは、朧であった。

 

「お前、朧だっけ?」

 

「え? は、はい! 朧……です……」

 

「ああいう方が俺のタイプだな。お前、大人になったら絶対、美人になるぜ。俺が保証する」

 

「え……あ……はい……! ありがとう……ございます……」

 

朧はどこか、恥ずかしそうに俯いていた。

そんな顔も出来るんだな……。

 

「ねぇねぇ! 漣は!? きゅぴぴーん☆」

 

「あぁ……ねぇな……。なんか……歳食ってもそうしていそうで……」

 

「辛辣ゥ!」

 

本来であれば、鈴木を止めなければいけないはずなのに、俺はただ茫然と、そのやり取りを見ていた。

 

「ちょっとクソ提督! 早くあいつを何とかしなさいよ!」

 

「え? あ、あぁ……いや……」

 

これは……もしかしたら……。

 

「……鈴木」

 

「ん?」

 

「お前、潮を赤ちゃんと言ったな。どの辺が赤ちゃんなんだ?」

 

「ちょ!? なに訊いてんのよ!?」

 

「いや、赤ちゃんだろ……どう見ても……。顔つきがもう赤ちゃんのそれだよ」

 

潮に目を向ける。

潮は――ムッとした表情を見せていた。

 

「潮……赤ちゃんじゃないです……」

 

「あ?」

 

「さっきから何なんですか……!? 潮の事……赤ちゃん赤ちゃんって……」

 

「あ? 何言ってんのか聞こえねぇなぁ? 文句があんのなら、前に出て来いよ。それとも、曙ママに守られねぇと文句も言えねぇのか?」

 

鈴木が煽る。

 

「ちょっとあんた……! いい加減に……!」

 

俺は、曙を止めた。

 

「なんで止めるのよ!?」

 

「曙」

 

曙は俺の表情を確認すると、何かを察したのか、大人しく引き下がった。

 

「ほら、どうした? ん? お腹でも空いたのかな?」

 

「……っ!」

 

潮は鈴木の前に立つと、睨みつけた。

 

「潮は……赤ちゃんじゃないです……!」

 

相当ムカついたのだろう。

怯えることも忘れ、怒りの感情に支配されているようであった。

 

「フッ……なんだよ。ちゃんとできるじゃねぇか」

 

「はい……?」

 

「誰にも守られず、初対面の男である俺に、ちゃんと立ち向かえたじゃねぇか」

 

潮はハッとした表情を見せた。

ようやく我に返った……って所か。

 

「もしかして、わざと怒らせた……のですか……?」

 

朧がそう訪ねると、鈴木はニッと笑って見せた。

 

「怯える女を笑顔にするのが、いい男の仕事だからな」

 

「いやいやいや……笑顔になってねーから!」

 

漣がそう突っ込むと、何が面白かったのか、朧のツボにハマったらしく、くすくすと笑い始めた。

 

「ほら、笑顔に出来ただろ?」

 

「今のは漣の手柄じゃねー?」

 

「いや、俺だろ? なぁ? 朧?」

 

盛り上がる鈴木と二隻。

その光景に、曙は唖然としていた。

 

「あぁいう奴なんだよ。鈴木ってのは」

 

しかし……まさか、初対面で潮をやる気にさせるとはな……。

朧と漣は、もう鈴木を受け入れているようだし……。

これはもしかすると……もしかするかもな……。

 

「で? どうだ? 潮? 男に立ち向かってみた感想は?」

 

「し……知りません……!」

 

引くに引けなくなったのか、潮はまだ怒っている態度を見せた。

鈴木もそれを分かっているようで――。

 

「何をそんなに怒っているんだ? 感情をコントロールできないとか、やっぱり赤ちゃんなのかな?」

 

「――っ! 曙ちゃん、もう行こう!? こんな男の相手をする必要ないよ!」

 

そう言って、立ち去ろうとする潮。

 

「お、逃げんのか? 帰ってママのおっぱいでも吸うってのか?」

 

潮は振り返り、鈴木を睨み付けると、そのまま寮の方へと帰って行ってしまった。

 

「ちょ!? 潮!? 待ちなさいよ!?」

 

慌てて追いかける曙。

 

「潮ちゃんがあんなに怒るところ、初めて見たかも。鈴木っち、艦娘を怒らせる才能の方があるんじゃねー?」

 

「かもな。ま、あいつにとって、いい経験になったはずだ。男は怖がるもんじゃなくて、情けなかったり、ムカついたり、呆れるような存在だって、実感できたはずだ」

 

「確かに。鈴木っちは怖がられるような感じじゃないし、憧れるような存在でもないしにゃー。ね、おぼろん」

 

そう問われた朧は、鈴木の事をぼうっと見つめていた。

 

「おぼろん? 朧ちゃん……?」

 

「え……?」

 

「いや……鈴木っちって、デリカシーの無い最低な男だよねって話」

 

「辛辣ゥ……」

 

「えっと……その……朧は……いいと思う……ます……」

 

「え?」

 

「朧は……カッコいいと……思います……。鈴木さん……。えへ……」

 

恥ずかしそうにする朧に、漣はドン引きしていた。

 

「やっぱり、いい女にはいい男の良さが分かるって事だな」

 

「いやいや……ないわー……。おぼろん、ちょっと目洗ってこようか……? 何か悪いもの見えちゃってるから……」

 

「おい……」

 

「んじゃ、ご主人様、いってらー。大淀さん達には漣から言っておきまーす。さ、行こう? おぼろん」

 

「うん……。鈴木さん……また……」

 

顔を赤くする朧を押しながら、漣は去って行った。

 

「フッ、どうやら惚れられちまったようだぜ。モテる男ってのはつれーワ」

 

いつもなら呆れて言葉も出ないものだったが、今回ばかりは感心していた。

 

「お前……凄いな……。流石はモテ男だぜ」

 

「あ? 何だよ急に……。気持ちわりぃ……。俺はそういう趣味はないぜ」

 

「はは、俺もないよ。だが、今は惚れそうだよ」

 

「……マジで言ってんのか?」

 

ドン引きする鈴木と共に、俺は船に乗った。

 

 

 

船はゆっくりと、本土を目指していた。

 

「それで? 本部が俺に何の用事だ? それも、急に呼び出すなんてさ」

 

「あぁ、用事は二点だ。まず一点は、大井の件だ」

 

「大井?」

 

「大井の奴、先日『高等学校卒業程度認定試験』の模擬試験に合格しやがったんだ」

 

「え!?」

 

「びっくりだよな。まだ島を出てそんなに経ってねぇのによ。んで、その事もあって、大井に『社会適応試験』の訓練をさせることになった」

 

『社会適応試験』の訓練……。

普通は『高等学校卒業程度認定試験』の合格をして初めて、受けることが出来る訓練だ。

ただでさえ『高等学校卒業程度認定試験』の合格には、軽巡級で三年以上かかると言われている。

それを、たった数ヶ月で……。

 

「相当勉強したようだぜ? 本部もそれを評価して『高等学校卒業程度認定試験』の勉強と並行して『社会適応試験』の訓練を実施することを決めたらしい。お前も知っている通り『社会適応試験』の訓練は、訓練用に造られた『セット街』で行われることになる。今回、大井の訓練には、海軍の人間だけではなく、一般人も参加させる予定らしい」

 

「一般人も?」

 

「あぁ。より一層、リアル感を出すために……って名目だが、本当の目的は、世間へのアピールだ」

 

「世間への?」

 

「今回の訓練は、動画で配信する予定らしい。艦娘の人化に反対する勢力が力をつけていることもあって、マイナスイメージを払拭する目的があるようだ」

 

「なるほどな……。しかし……海軍の印象操作に大井が利用されるってのは……」

 

「その点は俺も気に入らねぇ。だが、大井はそれを承知しているらしい」

 

大井……。

 

「それが一点目だ。二点目は、その訓練初日に、お前も参加して欲しいって事らしい」

 

「俺が? 何故?」

 

「初日の訓練では、まず『セット街』に慣れる必要がある。数名の人間も参加するから、必ず同伴者が必要となるんだ。本来であれば、永い期間を経て、この訓練は実施される。その間、同伴者として適任である人間が見つかるはずなんだ。しかし、この短い期間であるし、大井は……なんつーか……気難しい奴だろ? 同伴者として適任なのは、お前しかいないんだよ」

 

まあ……この短い期間で、大井の心を開くことが出来る奴なんて、そうそういないだろうとは思うが……。

 

「それに、大井自身が望んでいるんだ。お前の同伴をな」

 

「大井が……?」

 

「本当、艦娘にだけはモテるな。んで、さっきの話だが……。訓練は配信されるって言ったよな? 初日も配信する予定だ。つまり、お前の顔が世間に割れることになる」

 

「!」

 

「この意味が分かるよな……? 今、世間では、島に出向しているのは誰なのか、色んな憶測が飛び交っている。海軍の中にも、艦娘の人化に反対する勢力はいるんだ。お前の名前が世間に晒されるのも、時間の問題だろう」

 

「……その先手を打つ目的で、俺を配信に?」

 

「そういうこった……。お前を本部に呼び出したのも、その事に同意してもらう必要があったからだ。知っての通り、島へ出向した人間の顔が割れた事例は、いくつかある。そいつらの未来が明るくなかったことも……分かるよな?」

 

その件については『適性試験』を受ける前に承知している。

だからこそ『死ぬ気』でここにいる。

 

「……本土へ帰る途中で、意志があるかどうか、訊いて来いと言われた。意志が無いのなら、島へ引き返すように、ともな……」

 

だから、ゆっくりと進んでいた訳か……。

 

「そんなの決まっている。さっさと船を本土へ向かわせろ」

 

「……おう! そう言うと思ったぜ!」

 

そう言うと、鈴木は船を加速させた。

 

「俺たちの意志はそんなヤワなもんじゃねぇって、クソ上司に叩きつけてやろうぜぇ!」

 

『俺たち』……か。

 

「あぁ! 顔でも裸でも、世間に見せつけてやるぜ!」

 

「ははは! 男だな慎二! もっとトばすぜ!」

 

『しれえは、潮さんが島を出てさえくれればそれでいいと考えています。そうでなかったら、そんな曖昧なことは言わないはずです。しっかりとした――潮さんを守るための――道筋を立てるはずです』

 

そうだよな。

島を出たらおしまい……って訳じゃないもんな。

俺に出来ることは少ないし、島での問題ですら、一人じゃ解決できない。

それでも、大井が前に進むために、俺が――大げさかもしれないが――俺の命が必要だというのなら――。

 

「かけるべきだよな……。それくらいの覚悟が、俺には必要だったはずだよな……」

 

雪風の言葉で、見失っていたものが見えた気がする。

もしかして、あいつはこれを分かっていて……。

 

『雪風は、最後まで、この物語を――いえ……貴方の物語を……見届けたいと思っているんです……。そして、そこに、雪風も一緒に居たいと、思っているんです……』

 

いずれにせよ、今は出来ることを精一杯やるだけだ。

これで死んでもいい。

全てをやり切ったのだと、思えるように――。

 

「そろそろだぜ。本当にいいんだな?」

 

「あぁ!」

 

俺の決意――いや、俺たちの決意をのせ、船は本土へと近づいて行く。

遠くでは、艦娘の人化に抗議するデモの声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

残り――18隻

 

 

 

――続く



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23話

寝不足の私に、貴方は「まるで遠足前夜の子供のようだ」なんて、笑いながら揶揄った。

でも、そんな事を許してしまうほど、今の私は――。

 

「どうした? 俺の顔に、何かついているか?」

 

「……いえ」

 

揺れるバス。

時折触れる肩。

緊張している私と比べて、貴方は余裕の表情で――それがとても嫌で――悲しくて――。

なのに――。

 

「楽しみだな」

 

そのたった一言で、私の感情は180°変わってしまって――。

ムカついて――自分にも腹が立って――。

八つ当たりしてやろうだとか、色々と考えているのに――。

 

「今日はやけに大人しいんだな」

 

いつもは鈍感なくせに。

 

「大丈夫だ。今日はあくまでもチュートリアルみたいなもんだし、失敗してもいいんだからな」

 

……そういうところは、鈍感なままなのね。

 

「私はデートだと思っているから」

 

少しでも優位に立とうと、そう言った。

動揺だとか、困った顔を見せてくれるものだと思っていたのだけれど――。

 

「なら、今日だけは恋人だな」

 

そう笑う貴方に、私はもう何も言えなくなってしまった。

ムカつく――けど、心地いい。

本当、私は、あんたの事が――。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「あ! 今、提督さんの顔が映りましたよ!」

 

「本当だわ! あ、ここもそうじゃない?」

 

「ここもです!」

 

「ここは……片目だけか……」

 

潮の件から一か月。

公開された『社会適応試験』の訓練映像を食い入るようにみているのは、陸奥、青葉、武蔵、鹿島の四人であった。

 

「あ……もう終わっちゃいましたね……」

 

「もう一度、再生しましょう?」

 

「もしかしたら、ガラスに映る司令官がいるかもしれませんよ」

 

「よし、次はガラスに注目してみてみるぞ」

 

再び再生する四人。

どうやら、数少ない俺が映る場面を探しているようで、見つけたらスクショし、印刷、というのを繰り返していた。

 

「結局、あれほどの決意をしたのに、顔が映っているのは、ほんの一瞬だったな」

 

「しかもブレブレだし! マジウケるんですけど!」

 

「こら鈴谷! そんなに笑ってはいけませんわ」

 

「でも、見てよ、これ!」

 

そう言うと、鈴谷は、一枚の写真を熊野に見せた。

映像を拡大したもののようで、ガビガビになった俺の顔が写っていた。

 

「ぶっ……!」

 

笑いをこらえる熊野。

 

「お、耐えるねぇ……。じゃあ……これはどう?」

 

ガビガビ過ぎて、ドット絵のようになっている俺の写真に、熊野はとうとう噴き出してしまった。

 

「ったく……。俺の顔をなんだと思ってんだよ……」

 

「ふふ、別にいいじゃない。ほら、これなんかよく写っているわ」

 

「よく写ってたら駄目だろ……」

 

「でも……ふふ、本当に楽しかったわ。あんたとのデート」

 

「あの後、すっげー怒られたんだからな……。訓練である自覚を持てって……」

 

結局、訓練では、大井があまりにもはしゃぎすぎて、困っている老人を無視したり、公共の場なのに大声で話すなど、社会性に欠ける行動を多くとってしまっていた。

 

「映像は上手く編集してくれているようだが……。これが生放送だったら、大問題になっていたかもしれないぞ……」

 

「まあ、生放送は無理よねぇ。あんな事とかあったし」

 

そう言うと、大井は映像に夢中な四人に目を向けた。

特に何があったわけでも無いのだがな……。

 

「大井さん、その写真、あたしにも見せてくれませんか?」

 

「えぇ、いいわよ」

 

写真を受け取ると、天津風は島風の元へと駆け寄って行った。

 

「島風、これなんかよく写っているわよ」

 

「べ、別に……見たくないし……」

 

「そう? すっごくかっこよく写っているのになー」

 

天津風がそう煽ると、気になるのか、島風はチラチラと写真を見ていた。

 

「そんなに気になるのなら、見たらいいじゃない。はい」

 

「ん……」

 

写真を受け取ると、島風は赤子のように大人しくなった。

 

「かっこよく写っているか?」

 

そう訊いてやると、島風は写真を放って、どこかへ行ってしまった。

 

「うふふ、照れているのよ、あの子」

 

嬉しそうな顔をしながらそう言うと、天津風は島風の跡を追っていった。

 

「最近、島風の態度が素っ気ないんだよな……」

 

「天津風の言う通り、照れているだけよ。心が成長している証拠だわ」

 

心の成長……か……。

 

「そういや、皐月たちも、その心の成長とやらのせいで、隔離されているんだってな」

 

皐月、卯月、望月の三人は、現在『隔離棟』と呼ばれる場所にいるらしい。

あの手の駆逐艦は、人化してある程度すると『Oedipus phase』という段階に入るようだ。

詳しくは分からないのだが、心理的な発達の事のようで、人間でいうところの3、4歳がその段階にあたるらしい。

 

「性的関心を持つようになるだとかなんだとか言っていたが、どうして隔離される必要があるのだろうか」

 

「あの子たちくらいの推定年齢では、そのナントカカントカって段階に、拒絶反応があるようなのよ。自傷行為を働いたり、人を傷つけたり――とにかく、不安定な精神状態になるから、隔離する必要があるんだって。北上さんと秋雲、山風は、その三人のケアの為、しばらくは戻って来ないそうよ」

 

だから、いつもの三人もいなかったのか……。

 

「代わり……と言うか、新しく『指導艦』が来るようね。誰になるのかは、まだ分からないけれど……」

 

新しい『指導艦』か……。

潮たちが人化したら、それこそ必要になるし、ちょうどいいタイミングなのかもな。

 

「――でも、この映像よりも、こっちの司令官の方がいいですよぉ」

 

「あ、青葉さん! その映像は!?」

 

「んふふ~。青葉の秘蔵コレクションですよぉ~。今なら、TMD一回分でお譲りします!」

 

……早く来てもらわないとな。

その指導艦に……。

 

 

 

寮を後にし、本部の休憩スペースでコーヒーを飲んでいると、何やらドタドタと足音が聞こえて来た。

何事だと思っていると、休憩スペースに複数人の女性が入って来た。

その女性たちと目が合う。

 

「本当にいた……」

 

「え?」

 

「司令官……。司令官……!」

 

突然、泣き出す女性たち。

 

「な……!?」

 

「私たち……大井さんの映像を見て……。そしたら……司令官がいてぇ……」

 

「大井の映像を見て……?」

 

あぁ……訓練の映像の事を言っているのか……。

 

「……って、ん?『司令官』……?」

 

よく見てみると、どうやら彼女たちは、元艦娘のようであった。

元艦娘……『司令官』……。

 

「――そういうことか」

 

この人たちは、映像で俺を見つけ、それが親父だと思ってここに来たわけだ……。

しかし、あんな映像でよく俺を見つけたな……。

注視しないと、普通は気が付かないレベルだぞ……。

 

「……すみません。皆さん、勘違いしているようだから言っておきますが――」

「――勘違いじゃないよ」

 

そう言って、前へ出て来たのは――。

 

「最上……」

 

「久しぶり、先生」

 

最上が微笑むと、あの風鈴の音が、また聞こえてくるようであった。

 

 

 

それからは、元艦娘達に揉みくちゃにされ――何故かサインを求められたり――とにかく、初対面であるのにもかかわらず、まるで旧友か有名人にでも会ったかのような対応をされた。

 

「ごめんね、先生。皆が急に本部へ押しかけて来てさ……」

 

「いや……。しかし、お前も来ていたのだな」

 

「うん。実は、指導艦を頼まれちゃってね」

 

「指導艦を? しかしお前、小説家なんだろう?」

 

「そうなんだけどさ……。まあ、執筆はここに居ても出来るっちゃできるし……。今はほら、執筆を終えたばかりで、充電期間中だから、引き受けてもいいかなって……」

 

「では……」

 

「うん。まずはお試し期間って事で、家から通う形にはなるのだけれど……受けることにした。先生にも、こうして会えることだし」

 

ということは、大井の言っていた新しい指導艦ってのは、最上の事であったか。

 

「そうか。しかし、なんだってこんなにも押しかけて来たんだ? 親父の件とは違うのか?」

 

「一応『先生』の……君のお父さんに導かれて島を出た艦娘達なんだけど……。君の事を『先生』だと思って、ここに来たわけじゃないんだ。そうだよね?」

 

皆が頷く。

 

「どういうことだ?」

 

「うーん……。なんて言うのかな……。ほら、この前、言ったじゃない? 先生とは、初めて会った気がしないって……。そういうのが、皆にもあるって言うかさ……」

 

なんだかふわっとした答えだ。

 

「君の事を夢に見たって娘もいれば、君をずっと探していたっていう娘もいる。皆、初めは『先生』の事だって思っていたみたいだけれど、やっぱり違うんだよね。『先生』じゃなくて、君なんだよ」

 

ますます分からない。

しかし、似たような事をどこかで言われた気が――。

 

『夢じゃないんですね……』

 

『貴方は……ここにいる……。どこにでも居て、誰にでも優しくて――でも、それはただの夢であって――貴方が本物だって分かるまで、時間がかかったけれど――夢じゃないんだって分かったから――』

 

雪風か……。

 

「先生だって、ボクに言ってくれたじゃないか。初めて会った気がしないってさ」

 

最上がそう言うと、皆が一斉に、自分はどうなんだと詰め寄って来て、再びもみくちゃにされた。

 

 

 

結局、解放されたのは、船が出発するギリギリの時間であった。

 

「別に、見送ってくれなくても良かったんだぜ」

 

「そんなこと言って、本当は嬉しいくせに」

 

そう言うと、最上は嬉しそうに笑った。

 

「さっきの人たちと一緒に帰らなくてよかったのか?」

 

「うん。今日は寮に一泊するつもりなんだ。顔合わせも兼ねて、慣れておこうと思ってね」

 

最上が来たら、皆はどんな顔をするのだろうな。

 

「しかし、ボクだけじゃなかったのかぁ……。先生を『知っている』艦娘は……」

 

「何か不満でもあるのか?」

 

「不満というか……。ボクだけだと思っていたし……。ボクだけが、先生の特別だって……思っていたからさ……」

 

拗ねているかのような、悲しんでいるかのような――最上は『いつもの顔』を見せていた。

 

「そんなに特別でありたいのか?」

 

「ありたいよ。むしろ『今度こそ』先生の恋人になりたいって、思っているくらいだし……」

 

「『弟子』では満足できないか?」

 

「事情が違うじゃないか。『鈴谷』も熊野に夢中だし」

 

「『今回は引かないのか』」

 

「『うん。逃げる理由はないからね』」

 

最上はそう言うと、ハッとした表情を見せた。

そしてそれは、俺も同じであった。

 

「先生……今……」

 

「……あぁ」

 

途中――ほんの一瞬ではあったが――自分が自分でないような感覚に襲われた。

無意識というか――別の誰かに体を乗っ取られたかのような――。

 

「なんだ……? 今の……」

 

「分からない……。でも……」

 

その時、海からの風が、俺たちの体を叩いた――ように感じた。

それでも、あの風鈴の音だけは、はっきりと――確かに聞こえていた。

 

「おーい! 慎二!」

 

鈴木の呼ぶ声で、俺たちは我に返った。

 

「ぼうっとしていると、マジで置いて行くぞ!」

 

「あ、あぁ! 悪い! 最上、悪いがここで――……」

 

それは、一瞬の出来事であった。

まるで、時が止まったかのように、辺りは静かになって――。

 

「――……」

 

最上は唇を離すと、何も言わず、走り去ってしまった。

 

「最上……」

 

「オイオイオイオイオイオイオイオイ……!」

 

透かさず、鈴木が飛んできた。

 

「お前……! マジかよ……!? いや……! なん……えぇ……!?」

 

困惑する鈴木。

だが、それ以上に、俺は――。

 

 

 

島に着くと、第七駆逐隊が待ち受けていた。

 

「鈴木さん」

 

語尾にハートマークがついていそうなほど、甘い声を出しているのは、朧であった。

 

「よう。元気だったか?」

 

撫でられると、朧は嬉しそうな顔を見せていた。

しっぽでも生えていたら、ブンブンだろうな……。

 

「相変わらず、おぼろんは鈴木っちに夢中だにゃ~。どこがいいのか、漣にはさっぱりンゴねぇ……」

 

「俺の魅力が分かるには、お前はチト若すぎるんだよ。その点、朧は大人だよな」

 

「はい! 朧は、大人です」

 

もはや鈴木の言う事を全肯定だ……。

 

「しかし、毎回毎回、ご苦労なこったぜ」

 

そう言うと、鈴木は、険しい表情を見せている潮に目を向けた。

 

「嫌なら来なければいいじゃねぇか」

 

「潮は……ただ、朧ちゃんが心配なだけで……」

 

とか言いつつも、朧はあんな様子だし、心配する必要はないのだがな。

潮は潮で、鈴木になにか、思うところがあるのかもしれない。

ここ数日、こうして来ているわけだし。

曙も、そんな潮の様子に気が付いているのか、フォローすらしなくなっていた。

 

「ま、最初に会った時よりかは、言葉や表情も柔らかくなっているようだし、何よりも怯えなくなったよな。いい傾向だ」

 

鈴木が笑顔を見せると、潮はそっぽを向いてしまった。

確かに、怯えなくなったし、やたらと突っかかったりしなくなった。

嫌そうな顔も、どこか――。

 

「さて、俺はそろそろ行くぜ。またな」

 

「あ……」

 

寂しそうに手を伸ばす朧。

そんな事にも気が付かず、鈴木は本土へと帰ってしまった。

 

「さ、あたしたちも帰るわよ」

 

皆がぞろぞろと歩き出す。

だが、朧だけは、鈴木の船を、じっと見つめていた。

 

 

 

寮に戻り、執務室で書類仕事をしていると、朧が部屋を訪ねて来た。

 

「提督、今、大丈夫ですか……?」

 

「朧。ちょっとだけ待ってくれないか? これだけ終わらせたい」

 

「あ、はい。じゃあ……えと……。朧、コーヒーでも淹れましょうか?」

 

「淹れられるのか?」

 

「はい。お砂糖、二つですよね?」

 

「よく知っているな。じゃあ、頼むよ」

 

「分かりました」

 

朧がコーヒーを淹れている間に、書類仕事は終わった。

 

「お待たせいたしました」

 

「おう、ありがとう。こっちも、ちょうど終わったところだよ」

 

朧の淹れたコーヒーは、少しだけ薄かった。

 

「して、どうした? 珍しいじゃないか。こうして一人で来るだなんて」

 

「はい……。あの……相談……というか……。悩み……というか……」

 

顔を赤くする朧。

なるほど。

 

「鈴木の事か?」

 

「え!?」

 

「顔に書いてあるぞ」

 

朧は自分の顔に触ると、近くにあった鏡で、自分の顔を確認していた。

 

「フッ、そういう意味じゃない。なんとなく、そう言っている表情に見えたって事だよ」

 

「そ、そういう事でしたか……。てっきり、本当に浮き出ちゃっているのかなって……」

 

朧って、たまに天然なところがあるよな。

 

「では、相談というのは、鈴木の事が好きになったとか、そういうことか?」

 

「えっと……はい……。提督、凄いです。エスパーですか?」

 

「はは、エスパーではないよ。ただ、エスパーでなくとも、みんな分かっているよ。お前が鈴木に惚れていることくらいは」

 

朧は赤くなった顔を隠すように、コーヒーに口をつけた。

 

「鈴木の事が好き……かぁ……」

 

「あの……朧みたいな子供が……大人の鈴木さんに恋をするって……変でしょうか……?」

 

「別に変ではないよ。お前くらいの年頃には、よくある話さ」

 

「そうなんですか……」

 

「今まで、恋をしたことは?」

 

「ありません……。だから……困惑しているというか……。本当に恋なのかどうかも……まだ分からないというか……」

 

初心だな。

しかし、最初に好きになった男が鈴木か……。

らしいと言えばらしいというか、朧のように初心な子供にとって、イケイケのお兄さん的な鈴木は、やはりかっこよく映るのだろうな。

 

「鈴木さんにとって、朧はただの子供なんだろうなって……。それが……とても苦しいというか……。悲しいというか……」

 

悲しい表情の朧に、こっちまで心が痛くなってくる。

おそらく、朧の恋が叶うことはないだろう。

鈴木はきっと、まだ香取さんを諦めきれていないから――。

それを知っているからこそ――。

 

「朧……」

 

「分かってはいるんです……。でも……好きなんです……。鈴木さんのこと……。ずっと一緒に居たいって……思っちゃうんです……」

 

船を見つめる朧の背中は、確かに――。

 

「提督……」

 

「ん……」

 

「朧……島を出たいです……」

 

「え?」

 

「七駆の皆と離れることになっても……朧は……鈴木さんと一緒に居たいです……。それくらい……朧は……朧は……うぅぅ……」

 

朧はぽろぽろと涙を流してしまった。

 

「お、おいおい……」

 

「でも……皆には言えなくて……。一緒に居たいけれど……うぅぅ……朧の我が儘だけで……付いてきて欲しいだなんて……。潮ちゃんの事も心配だし……う……うぅぅ……」

 

それで『相談』なのか……。

泣いてしまっているところを見るに、今までずっと、一人で悩んでいたのだろう。

朧のようなタイプは、誰にも言えず、一人で抱え込みそうだもんな……。

潮の件もあって、簡単に弱音を吐くことが出来ないと、思っていたのだろうな……。

 

「そうか……。ごめんな……。気づいてやれなくて……。ずっと、一人で抱え込んでしまって……辛かったな……」

 

「提督……」

 

「遠慮することはない。お前の本音を、俺に聴かせてくれ。全部受け止めてやるからさ」

 

「提督ぅ……。う……うぅぅぅ……!」

 

朧は泣きながら、俺にたくさん話をしてくれた。

鈴木を好きになった事。

島を出たいと思った事。

潮に悪いと思った事。

皆と離れたくない事――。

 

「そうか……」

 

「提督……。朧は……どうすれば……いいのでしょうか……?」

 

「お前はどうしたいんだ? 仮に、島を出るとして、皆が付いてこなかったら? それでも、本当に島を出るか?」

 

朧は答えなかった。

 

「……まあ、その心配はしなくてもいいさ。その点は、俺が何とかするよ」

 

「提督……。はい……」

 

問題は……。

 

「……朧。一つだけ、お前に言っておかなければいけないことがあるんだ」

 

「なんですか……?」

 

「重要なことだ……。ショックを受けるかもしれないが……聞いてくれるか……?」

 

朧は頷いた後、俺の言葉を待った。

 

「よし……。では――……」

 

俺は、鈴木の全てを、朧に伝えた。

生まれ。

境遇。

女性との交際経歴。

香取さんへの想い。

それら全てを――。

 

「――それが、お前が好きになった鈴木という男だ」

 

「…………」

 

「……島を出る決意をする前に、お前には鈴木という男を知っておいて欲しかったんだ。それでも尚、島を出る決意があるというのなら、俺は協力する……」

 

朧は考えるように、深く目を瞑った。

ショックを受けているだとか、そういう表情ではない。

どこか、分かっていたはずの事実を、現実として受け止めているかのような――そんな表情であった。

 

「……それでも」

 

「…………」

 

「それでも……朧は……島を出たいです……。例え、叶わない恋だとしても……この恋は……大事にしたいんです……」

 

「朧……」

 

「いつか、皆で島を出ることになると思います……。でも……きっと……その時には、もう、鈴木さんは……」

 

言葉を切る朧。

やはり、受け止めきれないよな……。

 

「朧には、必要なんです……。この恋も……失恋も……。ここを逃したら、きっと、もう、無いと思うんです……。だから……」

 

堪えていた涙が、再びあふれ出す。

だが、それを強く拭うと、朧は優しく微笑んで見せた。

 

「朧は、島を出ます」

 

「……そうか」

 

朧の決意に、俺はそれ以上、何も言うことが出来なかった。

朧もそれを分かっていたのか、冗談交じりに、こう言った。

 

「もし、朧が失恋したら、提督が朧と恋人になってくれませんか?」

 

「……フッ、それは、ちょっと都合が良すぎるのではないか?」

 

「でも、朧はきっと、美人になりますよ。それに、朧、提督の事も好きです。だから、大丈夫ですよ?」

 

真顔でそう言う朧。

冗談……だよな……?

 

「……とにかく、そうと決まれば、皆に伝えなければな。いつ伝える?」

 

「早い方がいいです……。皆の意見も……聴いておきたいですから……」

 

「分かった……」

 

「その時は……提督も一緒に居てくれると……嬉しい……です……」

 

「あぁ、もちろんだ」

 

再び涙を拭うと、朧は満面の笑みを見せてくれた。

本当、色んな表情を見せるようになったな。

それもこれも、きっと――。

 

 

 

その日の夜。

第七駆逐隊を家に集め、朧の決意を伝えた。

鈴木への気持ちは分かっていたが、まさか島を出ると言い出すなんて、誰も、思ってもみなかったようであった。

 

「おぼろん……」

 

「一緒に来て欲しいけど……これは……朧の我が儘だから……」

 

「あたし達が付いていかなくても……島を出るって事……?」

 

朧が頷く。

困惑する漣と曙。

そんな中、潮だけは、どこか思いつめた表情を見せていた。

 

「潮、どうした?」

 

そう訊いてやると、潮はハッとして、我に返ったようであった。

 

「大丈夫か? 何か、思いつめた顔をしていたが……」

 

「い、いえ……。急なことだったので、驚いていたんです……」

 

そんな反応には見えなかったがな……。

まあ、色々と思うところがあるのだろう……。

 

「急なことで困惑しただろうと思う。だが、これが朧の決意だ。すぐに答えを出してくれとは言わないが……」

 

俺は朧に目を向けた。

だが、逆に視線を返されてしまった。

自分からは言えない……よな……。

 

「……朧はすぐにでも島を出たいと思っているそうだ。なるべく早めに、お前たちはどうするのか、決めて欲しい……」

 

俺がそう言い終えると、朧は、皆に頭を下げていた。

 

「みんな……ごめんね……。急にこんなこと言って……」

 

「おぼろん……」

 

「……別にいいのよ。逆に……安心したわ……。あんたにも、やりたいことがあったんだって……。ちゃんと、我が儘を言えるんだって……」

 

長年一緒に過ごしてきた曙でも、そう思うほどに、朧は大人しい奴だったのだろうな。

 

『朧には、必要なんです……。この恋も……失恋も……』

 

本当にやりたいことを見つけたんだな……朧……。

 

「……以上だ。各々、考えることはあるだろう……。今日はもう、このまま帰れ」

 

「うん……。漣、潮……行くわよ……」

 

二隻を連れて、曙は家を出ていった。

 

「ふぅ……」

 

「提督……ありがとうございました……」

 

「いや……。あれで良かったのか……?」

 

「はい……。おかげで、心のモヤモヤも消えました」

 

「……島を出る決意に、変わりはないか?」

 

「はい!」

 

力強い返事であった。

それと同時に――。

 

「朧……」

 

俺はそっと、朧を抱きしめてやった。

 

「もう泣いてもいいぞ……。よく我慢したな……」

 

そう言ってやると、朧は声を上げて泣き始めた。

島を出る決意以上に、やはり、長年連れ添った仲間に別れを告げる方が、朧にとっては辛い事であったのだろう。

それを悟らせないように――同情を誘わないように、朧はじっと、涙を堪えていたのだ。

 

「ありがとう、朧……。お前のおかげで、あいつらは迷わずに済んだ……。よく頑張ったな……。後は……俺に任せろ……」

 

「はい……」

 

 

 

翌朝になると、鳳翔が飯を持って、俺を訪ねて来た。

 

「今、寮に向かおうと思っていたのだが……」

 

私がこうして来た理由が分かるでしょう? とでも言いたげに、鳳翔は微笑むだけであった。

 

 

 

朝食を摂りながら、鳳翔は事情を説明してくれた。

 

「そうか……」

 

「驚きました。朧ちゃんが――それも、一人で島を出るだなんて言い出したのには」

 

どうやら朧は、朝一番に目を覚ますと、皆の部屋を訪ね、自分の意志を伝えたようであった。

変わった奴だとは思っていたが、まさか、一部屋一部屋訪ねるとはな……。

 

「恋をした、とのことでした。珍しいです。駆逐艦の子が、そんな理由で島を出るだなんて」

 

「そうなのか?」

 

「えぇ。特に、朧ちゃんくらいの子には」

 

そう言うと、鳳翔は箸を置き、庭の向こうに見える海に目を向けた。

 

「相手は大人なのに、失恋が怖くないのでしょうか……?」

 

「あいつは分かっているようだったぜ。恋の結末を。それでも、大切にしたいのだと言っていた。自分に必要なことなのだとな」

 

「失恋が……必要な事……ですか……」

 

春の風が、潮の匂いを運びながら、鳳翔の髪を揺らした。

遠くを見つめるその瞳は、どこか――。

 

「……覚えていますか?」

 

「え?」

 

「竹取物語……。いつだったか、お話ししましたよね……?」

 

『竹取物語を知っていますか?』

 

『最後、天の羽衣を着たかぐや姫は、なにも思い悩むことなく月へ帰ったそうです。翁を愛おしいと思う気持ちも、何もかも……』

 

『私も同じだったら、きっと――』

 

俺が皿を洗ってしまい、鳳翔が怒った時の……。

 

「あの話をしたのには、理由があるのです……。私……本当は、貴方への恋を諦めるつもりだったのです」

 

「え……?」

 

「貴方は、私を選ぶことはないのだろうなって……。だから、諦めようって……」

 

「そ――……」

 

言いかけた言葉を、俺はそっと、心の中に仕舞い込んだ。

慰めの言葉――でもそれは、鳳翔を傷つける言葉でもあったからだ。

 

「でも、無理なんです。分かっているのです。貴方を諦めきれないこと……。チャンスはあるって――選ばれるかもしれないって……思ってしまうのです……」

 

鳳翔はゆっくりと、視線を俺に向けた。

 

「だから……忘れたいと思いました……。この恋心を……」

 

だから、あんな話を……。

 

「この島に残り続ければ、いつか、貴方への気持ちは薄れるって、思っていました。いつか、貴方に恋人が出来て、諦めがつくって……。そう思って……私は、今日までこうしてきました……。でも……」

 

「…………」

 

「朧ちゃんの気持ちを知って……私は、ただ逃げていたんだって思いました……。選ばれないという事から――失恋から、逃げていただけなんです。気持ちが薄れてしまえば、傷つかなくて済むって……」

 

「鳳翔……」

 

「ずっと、受け身でした……。自分に魅力は無いって――そんなことないと、貴方に言わせて――……。でも……逃げてばかりでは、いけませんね……」

 

鳳翔はゆっくりと俺に近づくと、そっとキスをした。

 

「今まで、色々と理由をつけて、この島に居ました……。けれど……私も、本気になりたいのです……。本気で貴方を愛したいのです……。本気で貴方を……振り向かせてみたいのです……」

 

その瞳には、いつもの優しさはなかった。

ただただ、強い意志があって――強い女が、そこにはいた。

 

「島を出る……ということか……?」

 

そう訊く俺に、鳳翔はムッとした表情を見せた後、俺の事を押し倒した。

 

「私の本気よりも、そっちの方が重要ですか……?」

 

「ほ、鳳翔……?」

 

鳳翔はもう一度、キスをした。

だがそれは、先ほどとは違い――。

 

「――っ……」

 

伝う糸を、鳳翔は恥ずかしそうに、手で拭った。

 

「貴方にとっては……危機なんですよ……? 私……抑えているだけで……本気になれば――」

 

そう言って、馬乗りになると、妖しげな表情を俺に見せた。

 

「なんなら、今からでも――」

「――何してんのよ?」

 

その声に、鳳翔は声を上げて驚いていた。

 

「ゆ、夕張さん!?」

 

「……朝から精の出ることで」

 

そう言うと、夕張は俺に視線を向けた。

いっつも俺を疑うよな……。

 

「え……あ……。そ、その……! ごごご、ごめんなさい……!」

 

我に返ったのか、鳳翔は顔を真っ赤にさせると、そのまま家を飛び出して行ってしまった。

 

「……言っておくが」

「えぇ、分かっているわよ」

 

そう言うと、夕張は縁側に座った。

俺も同じように、隣に座る。

 

「全部、聴いていたわ」

 

「分かった上で出て来たのか」

 

「本当にやりかねない状況だったし。それとも、邪魔しちゃったかしら?」

 

「いや……」

 

夕張は、鳳翔の食器を手にすると、退屈そうに言った。

 

「鳳翔さんが口紅をするだなんてね。それも、こんな朝早くから」

 

思わず唇に触れる。

確かに、少しだけ、口紅がついていた。

 

「鳳翔さんも島を出るのね……」

 

「……そんなニュアンスだったな」

 

「鳳翔さんが島を出る……。他の娘たちが島を出るのとは、大きく意味が違ってくるわ……。駆逐艦にとって――いえ、私たちにとっても、日常生活に大きく影響してくるはずだわ……」

 

「それもまた、この島の運命なのだろうよ。いつか起こりえる事が、今日起きた、というだけだ」

 

俺も夕張も分かっていた。

そんな事を話したいのではないのだと。

そんな事を話すために、夕張が出て来たわけではないのだと――。

 

「別にいいんだぜ。不安になっても」

 

「え……?」

 

「そういう話なんじゃないのか? 鳳翔が口紅をして俺の家へと向かったのを、お前は知っていて、様子を窺って、話を聞いて――違うのか?」

 

夕張は俺をじっと見つめた後、退屈そうに言った。

 

「朧ちゃんがさ、貴方の事、エスパーだって言っていたわ」

 

「朧の言っていることは……まあ、勘違いというか、あいつが分かりやすいって言うか……」

 

「私も同じ……?」

 

「お前のは分かりにくいが、まあ、慣れたもんさ」

 

「なによそれ……。もうちょっと言い方があるでしょ……」

 

「お前の事をよく知っているから……とか、言って欲しかったのか?」

 

「……エスパー禁止」

 

「はは」

 

永い沈黙が続く。

 

「お前も、島を出たらどうだ? そうすれば、きっと――」

「――私は島を出ない」

 

力強い目が、俺を見つめていた。

 

「不安でも……焦っても……私は、絶対に島を出ない。貴方がその役割を全うするその時まではね……」

 

「俺の役割……?」

 

夕張は立ち上がると、微笑んで見せた。

 

「ありがと、提督。元気出たわ。そうよ。別に、落ち込む必要なんてなかったのよ。だって――」

 

「だって……なんだ?」

 

「……ううん。なんでもない。ごめんね、邪魔しちゃって。私、もう帰るわ。じゃあ」

 

夕張は笑顔を見せると、そのまま家を飛び出していった。

 

「なんなんだあいつは……」

 

不安になったり、元気になったり……。

そういや、似たような事が前にもあったような……。

 

「……とりあえず、食器、洗うか」

 

 

 

食器を洗い終わり、寮へ向かうかどうか悩んでいると、潮が家へとやって来た。

 

「お前だけか?」

 

「はい……。今、寮は大変なことになっています……。鳳翔さんも島を出るって……」

 

鳳翔……。

やはり、本気であったのか……。

 

「しばらく、寮にはいかない方がいいです……。大和さんが……その……」

 

潮はそれ以上を言わなかったが、状況は容易に想像がついていた。

 

「それを伝えに来てくれただけ……という訳ではなさそうだな……」

 

思いつめた表情の潮。

朧が島を出るのだと聞いた時の表情と、同じであった。

 

「……何か飲むか?」

 

潮は頷くと、縁側に座り、静かに海を望んでいた。

今日は何かと、深刻そうな顔をした来客が多いな。

 

 

 

ココアとチョコレートを渡してやると、潮の表情が少しだけやわらいだ。

 

「美味しいか?」

 

「はい。とても甘いです」

 

大人に見られたいだなんて言ってはいたが、こうしていると子供だよな。

 

「して、どうした? 朧が島を出ることに、何か思うところでもあるのか?」

 

潮はカップを手のひらで回しながら、もじもじとするだけであった。

何か別の相談がある、という事だろうか。

 

「……あの」

 

「ん?」

 

「提督は……その……どう思いますか……? 朧ちゃんが……恋したって……」

 

「どう……というのは?」

 

「叶うと思いますか……? 朧ちゃんの恋……。お似合いだと思いますか……? あの二人……」

 

「……正直言うと、叶う確率は少ないと思う。朧もその事をよく分かっていたようだった。でも、可能性は感じるよ。鈴木も朧を気に入っているようだし、もしかしたら、もしかするかもな」

 

そう言ってやると、潮は何やら悲しそうな表情を見せていた。

 

「心配しなくても大丈夫だ。朧は覚悟しているようだったし、俺も応援するつもりだ。フラれたら、俺に「恋人になれ」と言ってきたやつだ。切り替えは早いんじゃないかな」

 

そう言っても、潮の表情は――。

 

「潮……?」

 

「……提督」

 

「うん?」

 

「もし……もしもですけど……。例えば……その……あ、曙ちゃんが……鈴木さんを好きになったとしたら……どうなりますか?」

 

「へ? 曙が? いや、それは無いと思うが……」

 

「もしもの話です……。もしそうなったら……」

 

曙が鈴木を……。

 

「……その想定は難しいが、鈴木はおそらく、曙か朧かと聞かれたら、朧を選ぶだろうとは思う。曙も、その事が分かっていながら、奮闘するんじゃないのかな」

 

「漣ちゃんだったらどうですか……?」

 

「漣か……。漣だったら……割といい線行きそうな気はするな。あいつはどこか……友達って感じがするし、そこから発展するってのも……あるかもしれないな……」

 

って、俺は何を言っているんだろうか……。

 

「じゃあ……潮は……どうですか……?」

 

「潮は……って、それはお前が一番よく分かっているんじゃないのか?」

 

「聴きたいんです……。提督の意見を……」

 

俺の意見……。

 

「そうだな……。あまり気を悪くしないで欲しいのだが……鈴木はお前のような大人しい子を好きになったことはない。もっと、こう……精神的に大人の女性を好きになるだろうとは思う」

 

香取さんもそうであったし、七駆の中で朧を選んだのも、それが理由だろう。

 

「そう……ですよね……」

 

「フッ、なんだ落ち込んで。もしかして、お前も鈴木の事が好きなのか?」

 

もう、そんなことありませんよぉ――なんて感じに返ってくるものだと思っていたのだが――。

 

「潮……?」

 

潮の顔は、真っ赤であった。

そして目には、涙が溜まっていた。

 

「え……まさか……」

 

俺のESPが告げている。

潮の鈴木への態度の変化。

朧の決意を聞いた時の潮の思いつめた顔。

鈴木との相性を問う意図。

それら全ての意味を――。

 

「……そういう事か」

 

全く気が付かなかったし、全く予想がつかなかった。

まさか、潮が鈴木を好きになっていたとは……。

 

「どこを……好きになったんだ……?」

 

潮は顔を上げると、否定しようと口をパクパクさせた。

しかし、俺の真剣な表情を見て、観念したかのように俯いてしまった。

 

「それを話しに来たのだろう? 違うのか?」

 

潮は空になったカップに口をつけると、消え入りそうな声で言った。

 

「よく分かりません……」

 

「よく分からない……?」

 

頷く潮。

長い髪が顔を隠すが、耳だけは正直に感情を見せていた。

 

「嫌な人だって思っていました……。潮に酷い事を言ってくるし……。でも……時々優しくて……いじわるなことも……結局は、潮の事を想ってやってたことだって気が付いて……」

 

鈴木の優しさに、潮は気がついていたのか……。

 

「これが恋だって……分からなかった……。今でも……よく分かっていなくて……。でも……朧ちゃんの決意を聞いた時……胸がチクチクする感じがして……寂しくなって……」

 

潮は胸に手をあてると、小さくなった。

 

「こんなこと……今までなかった……。初めて恋を知った時だって……こんなには苦しくなかった……」

 

「潮……」

 

「潮も……鈴木さんが好きです……。でも……潮は……朧ちゃんみたいに決意できない……。フラれるのが怖い……」

 

フラれるのが怖い……か……。

 

「提督……潮は……どうしたらいいでしょうか……?」

 

「お前は、どうしたいんだ? 朧についていきたいのか?」

 

「ついていきたいのですが……潮は……」

 

もはや、男が怖いだとか、そういう問題は頭の中から消えているのか……。

いや……それほどまでに、鈴木の事を――。

だが、それでは困る。

 

「仮に、鈴木がお前の想いに応えてくれるとして、その愛が永遠に続くという保証はないんだぜ。もしそうなった時、お前は生きて行けるのか……? 男が苦手だという問題は、どうなる?」

 

潮は黙ってしまった。

 

「……おそらく、漣と曙は、朧についていくつもりだろうと思う。お前も、それが分かっているから、悩んでいるのではないのか?」

 

図星なのか、潮は何も言わず、拳を握っていた。

 

「全てを取ることは出来ない。島を出れば、お前の苦手な男はいるし、鈴木にはフラれるかもしれない……。島に残れば、安全ではあるが、皆と離れることになる……。お前が悩む理由は分かるが、選択肢はその二つしかない。俺に三つ目の選択肢を求めてここに来たのだろうが、そういう事では力になれないぜ」

 

そんな事は百も承知だろう。

藁にも縋る気持ちなのは分かっている。

それでも……。

 

「選択するのはお前だ。俺ではないんだぜ」

 

今の俺に出来るのは、その背中を押してやることだけだ――というのは、嘘だ。

本当はある。

三つ目の選択肢とまではいかないが、潮――或いは朧にとっても、迷いを払拭できるような方法が――。

だが、それは、俺に――いや、この国にとっては――。

 

「…………」

 

だが……俺は……。

 

「潮……」

 

「はい……」

 

「一つだけ、方法がある。お前の迷いを払拭する方法が……」

 

俺は――。

 

 

 

潮の説得には、時間がかかった。

本人も、やはり怖がっていたし、勇気が出ないのだと言っていた。

それでも、島を出てからでは遅いのだと説得を続けると、ようやく決意してくれた。

 

「――確かに、そうかもしれません。もしそれで、朧ちゃんの気持ちが変わったら……」

 

「朧も、島に残るかもしれないな……。あいつが、それでも燃えるようなタイプであったのなら、話は変わってくるかもしれないが……」

 

「私自身も……そこで分かるかもしれません……。島を出るか、残るべきか……」

 

「……そうだな」

 

俺は思わず、本土の方に目を向けた。

 

「でも……そんな提案……して良かったのですか……? だって……」

 

「いいんだ……。俺は、お前たちがしっかりと自分の意志で島を出る決意をして欲しいんだ……。今の朧も、お前も……そして……鳳翔も……迷っている……。決意を固めたと言っても、それは迷いの中にある決意だ。闇の中を行くような決意だ。本当に目指すべき場所は、そこではないのかもしれないのに……」

 

本土の連中は怒るだろうな。

それでも、俺は――。

 

「七駆の連中と……鳳翔を呼んできてくれ……。俺は、鈴木を呼ぶ……」

 

「……分かりました」

 

 

 

泊地で鈴木の船を待っていると、何故か寮の全員がやって来た。

 

「どういうことだ……!?」

 

「ごめんなさい……提督……。鳳翔さんを呼んだら、皆もついてきてしまって……」

 

鳳翔を呼んだら……?

よく見ると、駆逐艦たちの目が真っ赤になっていた。

大和も、同じように――。

 

「……なるほど」

 

どうやら、鳳翔が島を出るという話は、まだ片付いていないようであった。

 

「また何か企んでいるようですね……」

 

そう言って前へ出て来たのは、大淀であった。

 

「どうして……私に話してくださらないのですか……? 鳳翔さんの事も……この状況の事も……」

 

怒りと悲しみの表情であった。

そりゃ怒るよな。

怒涛の展開に、追いつけないという感情もあるだろう。

だが、おそらくは、鳳翔の決意に対して、大淀は――。

 

「大淀さん」

 

「夕張さん……?」

 

「今は……ただ見守っておきましょう……。きっとそれが、鳳翔さんに対する敬意でもあるんだと思います」

 

そう言われ――あまり納得していない様子ではあったが――大淀は引き下がった。

夕張もまた、ムッとした表情を俺に向けていた。

今まで散々振り回されてきた夕張だからこそ、大淀の行動の意味が分かったのだろう。

止めたのも、おそらくはそういった理由からなのだろうな。

 

「提督、これは一体……」

 

「朧、鳳翔。急に呼び出して悪かったな。もうちょっと待ってくれ」

 

「あ」

 

潮の声に、皆が顔を上げる。

鈴木の船が、こちらへと近づいてきていた。

 

「す、鈴木さん!? どうして……」

 

船はゆっくりと泊地に停まり、中から何も知らない鈴木が、間抜けな表情で降りて来た。

 

「よう。なんだよ? 緊急の呼び出しってのは?」

 

「あぁ、悪いな。ちょっと、お前に用事があってな」

 

「用事?」

 

鈴木は、怪訝な表情を艦娘達に向けていた。

 

「まさか、全員島を出るだなんて言わないよな?」

 

「そうだったら、お前だけ呼び出すことはしないさ」

 

潮と俺以外、鈴木と同じ表情をしていた。

 

「用事があるのは、こいつだ。潮」

 

潮は、恐る恐る鈴木の前へと出ていった。

 

「おう、潮。なんだ? 告白でもしてくれんのかよ?」

 

そう言われ、一瞬、潮は俯いてしまった。

だが、すぐに顔を上げると、震える声で返事をした。

 

「はい……!」

 

「なんてな……って、え?」

 

「え……」

 

声を漏らしたのは、朧であった。

 

「お、おいおい……こりゃなんの冗談で――」

「――冗談ではありません!」

 

潮は深呼吸すると、真っすぐに鈴木を見た。

 

「潮は……潮は……貴方の事が……好きです……」

 

曙が俺を見る。

だが、状況を理解したのか、ゆっくりと潮へ視線を戻した。

 

「貴方は……とても意地悪で――だけど、優しくもあって――」

 

潮は、鈴木を好きになった理由を話した。

最初こそ、半笑いで聞いていたが、徐々にその表情は真剣なものへと変わっていった。

 

「――気持ちを伝えるのが怖かった。でも……ここで伝えないと……迷ってしまうって教えられたから……。ちゃんと……進みたいから……。潮は……潮は……」

 

潮はとうとう、泣き出してしまった。

勇気も、決意も――潮は、まだ未熟であった。

にもかかわらず、こうして鈴木へ気持ちを伝えたのだ。

無理もないだろう……。

 

「……そうか」

 

鈴木が俺を見る。

その表情は――。

 

「……いいんだな?」

 

「……あぁ」

 

鈴木が口を開いた、その時であった。

 

「待って……!」

 

叫んだのは、朧であった。

 

「朧……」

 

「待って……ください……」

 

朧はフラフラ歩きながら、鈴木と潮の間に立った。

 

「潮ちゃん……」

 

「朧ちゃん……」

 

「……ずっと、鈴木さんの事が、好きだったの?」

 

潮が頷く。

 

「そう……なんだ……」

 

永い沈黙が続く。

曙と漣は、動揺を隠せず――だが、何も出来ずに、行方を見守っていた。

 

「潮は……朧ちゃんのように……決意を持てなかった……」

 

「決意……?」

 

「島を出て……鈴木さんに好きになってもらう決意……。叶わない恋だって分かっていても……諦めない決意……」

 

朧は思わず俯いてしまった。

やはり、固まっていたと思っていた決意には、脆い部分があったらしい。

 

「潮には……やっぱり分からない……。失恋が大事だってことも……失恋を恐れないことも……。だって……どっちも……まだ経験していないんだよ……? 恋だって、まだよく分かっていないのに……それで島を出るだなんて……潮には……分からないよ……」

 

だからこそ、今、それをするべきなのだと、俺は潮に教えたのであった。

鈴木に告白し――失恋はするかも知れないが、島の外でそれを経験するよりも、今、経験した方が良いのだと。

失恋を知ってからでも、島を出るかどうかの決断は、出来るのだと。

そして――。

 

「潮ちゃん……」

 

潮の告白に、朧は必ず反応する。

そしておそらくは――。

 

「……そうだよね。そうかもしれない……」

 

朧が鈴木に向き合う。

 

「鈴木さん……。朧も……貴方の事が好きです……。その……恋人……したいです……」

 

「朧……」

 

再び鈴木が俺を見る。

 

「……お前、何考えてんだ? 俺の返事一つで、最悪な方向に行く可能性だってあるんだぞ……」

 

鈴木は知らない。

朧が島を出る決意をしたことを……。

だが、この状況に察しがついたようで、俺を睨み付けていた。

 

「構わない……。それが、俺のやり方だ……」

 

「……どうなっても知らねぇぞ」

 

鈴木は二隻に向き合うと、はっきりと言った。

 

「正直に言う。俺は、お前たちに恋心を抱いたことはないし、今後も抱くことはない」

 

鈴木らしからぬ、冷たい言い方であった。

だが、それこそが、鈴木の優しさであった。

俺には無い、優しさであった。

 

「勘違いさせてしまったのなら謝る。だが、これが俺だ。これが、俺という男だ。お前らは、俺に幻想を抱き過ぎたんだ」

 

鈴木の目は、とても厳しかった。

まるで、親が子を叱るような――そんなんじゃ島の外ではやっていけないのだとでも、言っているような――。

 

「慎二」

 

「なんだ?」

 

「てめぇのやっていることは、海軍の意に反している……。てめぇのやり方だか何だかしらねぇが……失敗した時は……まず俺がてめぇをぶん殴る……。俺を利用したこともそうだが……こうなると分かっていてやらせた、てめぇのやり方に……俺は腹が立っているんだ……」

 

鈴木の言っていることは尤もだ。

だが……。

 

「お前はただの船頭だろうが。俺に意見してんじゃねぇよ……」

 

ここは引けない。

これが、俺の決意だ。

俺のやり方だ。

ブレてはいけない。

ブレては、艦娘達を迷わせてしまう。

 

「……そうかよ」

 

鈴木は船に戻ると、エンジンをかけた。

 

「てめぇの言う通りだ。俺はただの船頭。だが、その船頭をこんなくだらない余興の為に呼び出してんじゃねぇよ」

 

「その点は悪かった」

 

そう言ってやると、鈴木は一瞬だけ、口角を上げた。

そして、中指を立てると、そのまま島を離れていった。

 

「さて……」

 

俺は、朧に向き合った。

 

「どうする……? 島を出るかどうか……もう一度考えてみろ……」

 

朧は俯くと、そのまま寮の方へと帰って行ってしまった。

 

「朧!」

 

曙が跡を追う。

漣は、ただ茫然と、その後ろ姿を見ることしかできないようであった。

 

「提督……」

 

「潮……。お前も考えておけ……。これから、どうするのかをな……」

 

「……はい」

 

そして俺は、視線を鳳翔に移した。

 

「この結果を見て、お前自身も考えなければならないぞ……鳳翔……」

 

俺の言う意味が分かったのか、鳳翔は険しい表情のまま、俯いてしまった。

 

「……以上だ。わざわざ呼び出して悪かったな。漣、怖かっただろう。もう大丈夫だぜ」

 

図星だったのか、漣は俺に近づくと、泣きそうな表情で俺の袖を掴んだ。

そっと頭を撫でてやると、顔を隠すように、寄り添っていた。

 

「――提督」

 

鳳翔が、俺を呼び止めた。

そして、近づくと――。

 

「――……」

 

その光景に、皆、息を呑んでいた。

 

「……これが、私の答えです。私は……知っていますから……」

 

何を知っているのかを、鳳翔はあえて言わなかった。

それでも、俺には伝わっていた。

伝わっていたからこそ、辛かった。

 

「私は島を出ます……。それが、私の決意です……!」

 

俺ではなく、鳳翔は皆に、そう宣言した。

 

「鳳翔さん……」

 

絶望の表情を向けたのは、大和であった。

 

「大和ちゃん……」

 

「貴女まで……私の前からいなくなってしまうのですか……?」

 

鳳翔は俯いた後、すぐに顔を上げた。

 

「貴女に必要なのは、私ではありません」

 

そう言って、俺を見た。

 

「鳳翔……」

 

「……朧ちゃん達の決意を聞いてから、島を出ることにします。一緒の方が、あの子たちも心強いでしょうから」

 

鳳翔はそのまま、寮の方へと歩き出した。

 

「鳳翔さん……!」

 

皆がそれを追う。

残ったのは、大淀、夕張、明石――そして何故か、山城であった。

 

「随分、想われているのね……」

 

話し始めたのは、山城であった。

その意外性に、皆も驚いていた。

 

「そのまま付いていったら良かったじゃない……。鳳翔さんのような人に想われるだなんて……そうそうないわ……」

 

「……山城、お前、何を考えている? この前も似たような事を言っていたよな? そんなに俺を追い出したいのか?」

 

山城は一瞬だけ沈黙し、すぐに返事をした。

 

「えぇ……」

 

なるほど……。

 

「だから、夕張を押し付けようとしたり、鈴谷とくっつけようとしたわけか……?」

 

「そうよ……。貴方がいると、トラブルばかり起きて――それだけならまだしも、貴方はいつも……私たちを巻き込むから……」

 

目を逸らしながら話す山城。

本当の理由を隠しているように、俺には見えていた。

 

「それは悪かったな。でも、お前なら分かるはずだ。俺がお前を利用しようとすることを……。なのにもかかわらず、お前は――」

「――避ければ避けるほどに、貴方は近づいてくる。だから、あえて乗っていただけよ……。川の流れに逆らう方が、疲れるものでしょう……?」

 

そう言うと、山城は寮の方へと帰って行ってしまった。

あいつ……本当に何を考えているんだ……?

 

「鳳翔さんも失恋した……。そう解釈してもいいの?」

 

そう言ったのは、夕張であった。

野暮な奴だよ、お前は……。

 

「さあな……」

 

「さあなって……」

 

「それは、迷っていると解釈しても? 鳳翔さんが島を出たら、分からないと?」

 

大淀が、真剣な表情で言う。

お前はお前で、鋭い所を突いてくるよな。

 

「……これだけははっきり言っておく。俺は、お前たち全員を人化するまで、恋愛はしない」

 

「どうかしら……?」

 

山風を好きになったことを知っている夕張からしたら、疑いたくもなるよな。

 

「私は……その言葉を信じています……。だから……待ちます……。最後の一隻になるまで……」

 

「明石……」

 

最後の一隻……か……。

確かに、言われてみれば、最後は明石だよな。

艦娘の『修理』が出来るのは、明石しかいないし、明石もそのことが分かっているから、島に留まるのだと言っていたしな。

 

「……別に、最後じゃなくてもいいんじゃないかしら?」

 

「え?」

 

「この島の艦娘達が少なくなったら、島を出てもいいんじゃない? その方が、きっと、皆も島を出るようになると思うわ……。だって……」

 

「だって……なに? 夕張?」

 

「……ううん。何でもない……」

 

夕張ははぐらかしたが、言いたいことは分かっていた。

明石がいるから、安心して島に留まっている連中がいる……という事を言いたかったのだろう。

だが、それを言ってしまえば、きっと明石は――。

 

「……とにかく、そういう事だ。お前たちも寮に戻れ……。俺は家に居るから」

 

「……分かりました。二人とも、行きましょう」

 

大淀は不満そうな表情を見せつつ、二隻を連れ、寮へと戻っていった。

 

「恋愛はしない……か……」

 

唇に残る感触。

 

『……これが、私の答えです。私は……知っていますから……』

 

『どうかしら……?』

 

「クソ……」

 

夕張の疑いは、山風への気持ちを知っての事か、それとも――。

そう思ってしまうのも、きっと――。

 

 

 

夜になると、目を真っ赤にさせた朧が、夕食を持って俺を訪ねて来た。

 

「て……提督っ……ひっ……の……お夕飯を……ひっ……持って……きましたっ……」

 

どうやら、まだ完全に泣き止んでいないようだが……。

 

「そ、そうか……。まあ、上がれよ」

 

 

 

夕食は簡単な物であった。

どうやら、鳳翔はまだ詰められているようで、他の連中が用意してくれたらしい。

 

「んっ……んぐぅ……」

 

飯を食いながら、ぽろぽろと涙を流す朧。

そのどちらも、あまりにも器用に熟すものだから、俺は思わず笑いそうになった。

 

「その涙は、失恋によるものか?」

 

そう訊いてやると、朧はとうとう、大声を出して泣き出してしまった。

 

「フッ……たくさん泣いておけ」

 

失恋が必要だと、朧は言っていた。

しかしそれは、潮の言う通り、経験していないからこそ、言えることだったのかもしれない。

朧には辛いことであっただろうと思うし、人化を進める上で、やるべきことではないとは思っていたが……。

 

「お前はよく頑張ったよ……朧……」

 

やってよかったと、今、思った。

朧の決断がどのようなものであれ、やはり、迷いのあるまま、島を出すのは正解ではなかった。

 

 

 

どれくらいの時間が経っただろうか。

俺の服が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった頃、ようやく朧は泣き止んだ。

 

「ご、ごめんなさい……。洋服……ダメにしちゃって……」

 

「いや。すっきりしたか?」

 

朧は頷くと、スンと鼻を鳴らした。

 

「……どうだ? 失恋は……辛いか……?」

 

「……辛いです。分かってはいたはずなのに……。潮ちゃんの言っていた通りでした……」

 

「……そうか」

 

これで、朧が島を出る理由は無くなった。

だが、これでいい。

これでいいんだ。

 

「……提督」

 

「ん?」

 

「朧と恋人になってください……」

 

「は、はぁ!?」

 

「言ったはずです……。朧が失恋したら、恋人になって欲しいって……」

 

あれは本気で言っていたのか……。

 

「……いいとは言っていないのだがな」

 

「駄目とも言っていないです……」

 

こいつ……。

打たれ強いのか弱いのか、どっちなんだ……。

 

「えへへ……」

 

「あ?」

 

「冗談です。提督の事は好きですけど、朧には、勿体ない人だと思います」

 

「お前……」

 

朧は涙を拭くと、にっこり笑って見せた。

本当、何を考えているのか、全く読めない奴だ……。

 

「提督……朧、島を出ます」

 

「え?」

 

「鈴木さんにフラれて……とっても辛かったです……。でも、それが自信になったと言うか……」

 

「自信?」

 

「はい。朧、大人になりたいんです。大人になったら、きっと、朧は美人になると思うんです。鈴木さんも、そう言っていましたし」

 

自分で言うか……? 普通……。

しかし、まあ……。

 

「あぁ、そうだな。きっと、美人になると思うぜ」

 

「朧が美人になったら、もう一度、鈴木さんに告白しようと思います。付き合えるとは思いますが、もし朧がフラれて……提督にもお相手がいなかったら、お付き合いしてあげますね」

 

「……あぁ、ありがとう。助かるよ……」

 

悪意のない笑顔が、俺に向けられていた。

 

「しかしお前、どうしてそこまでして、恋をしたがるんだ?」

 

そう訊いてやると、朧は一冊の単行本を取り出した。

 

「なんだこれ? 少女漫画?」

 

読んでみると、それは、年上の男に恋をする、女の子が主人公の漫画であった。

 

「もしかして……これに影響を受けて?」

 

「はい」

 

なるほど……。

すると、こいつ……鈴木や俺が好きなんじゃなくて、恋に恋をしている感じなんじゃないのか……?

 

「この漫画のように、朧も、年上の男の人に、よしよししたいんです。いつもは頼りになる男の人も、朧の前では、赤ちゃんみたいになるんです」

 

「そ、そうなのか……」

 

そういえば、以前、朧に撫でられたことがあったな。

すると、あの時の表情は――。

 

「鈴木さんが甘える姿、見てみたいです。えへへ」

 

無邪気に笑う朧に、俺は身震いした。

なんというか……色んな素質を持っているよな……。

 

「……島を出る事、もう皆に言ったのか?」

 

「これから言うつもりです」

 

「そうか……」

 

すると、明日の朝も、寮に行くことは出来ないだろうな……。

 

「潮ちゃんも……来てくれるかな……」

 

「きっと来てくれるさ。あいつもどこか、吹っ切れた顔をしていたからな」

 

「でも、泣いていました……。フラれて……やっぱり辛かったのかもしれません……」

 

泣いていた……か……。

 

「仮に、あいつが島に残ることになっても、お前は島を出ろ。すぐに潮も出してやるから」

 

「提督……」

 

「お前には、早く大人になって欲しいんだ。美人になった姿、俺に見せてくれよな」

 

そう言って笑ってやると、朧もまた、微笑んでくれた。

 

「はい! 提督、しゃがんでください」

 

「ん?」

 

しゃがんでやると、朧は俺の事を、ぎゅっと抱きしめ、頭を撫でてくれた。

 

「よしよし、です。いつも頑張って、偉いです。提督」

 

「お、おう……?」

 

変な返事をしてしまったのは、動揺していたのもあるが、こう、なんというか……。

 

「も、もういいよ……」

 

そう言っても、朧は撫でるのをやめなかった。

本気で抵抗しない俺の態度に気が付いているのか、朧はあえて、力を入れていなかった。

表情は見えなかったが、おそらくは――。

 

 

 

翌朝。

朧が帰った後、俺は謎の安心感で、ぐっすり眠れてしまっていた。

 

「クソ……」

 

恥ずかしさに顔が赤らむ。

朧はこういう表情が好きだと言っていたが……。

 

「今まで出会ったどんな奴よりも、自覚がない分、質が悪いぜ……」

 

それに甘んじてしまった俺も俺だけどな……。

 

「提督」

 

声に顔を上げる。

すると、そこには、鳳翔と七駆が立っていた。

 

「おう、おはよう。どうした? こんな朝早くから……」

 

「朝早くって……もう1000ですよ?」

 

「え!?」

 

思わず時計を見る。

なるほど……どうやら相当……。

 

「お寝坊さんですね、提督」

 

朧がくすっと笑う。

俺は思わず顔を背けてしまった。

 

「し、して……どうしたんだ?」

 

皆は顔を見合わせると、笑顔で言った。

 

「私たち、島を出ます」

 

「え?」

 

「ね、みんな?」

 

皆が頷く。

潮も、同じように。

 

「潮……」

 

「私も……朧ちゃんと同じです。大人になりたいです……。大人になって、ちゃんと、潮を……子供じゃない潮を見て欲しいです……」

 

その目には、決意の色が宿っていた。

どうやら、吹っ切れたようだな……。

 

「そうか……。そうだな。きっと、素敵な大人になるだろうよ。鈴木が、フったことを後悔するくらいにな」

 

そう言ってやると、潮は笑顔を見せてくれた。

 

「曙、漣……お前たちもそれでいいんだな?」

 

「もっちろん! 漣も、外の世界で見たいものがたくさんあるんです! アニメとか、漫画とか……ちょっとえっちな薄い本とか……うへへ……」

 

「な、なるほどな……」

 

漣の笑顔に、どこか、秋雲を感じるのは何故だろうか……。

 

「提督……」

 

「曙」

 

「その……あ、ありがと……。あたし……ずっと……こんな日が来るって思っていた……。でも……まさか、あんたに導かれるとはね……」

 

「……親父には出来なかったこと、成し遂げられたか?」

 

曙は頷くと、俺の目をじっと見つめた。

 

「……辛い思いをさせたな。俺の方こそお礼を言わせてくれ。ありがとう、曙……。これまで、よく頑張ったな……」

 

頭を撫でてやると、曙の目から、ぽろぽろと涙があふれだした。

 

「や、やめて……! クソ提督……! こんなの……別に……普通だし……っ! 褒められるような……ことなんかじゃ……うぅぅ……」

 

言葉とは裏腹に、曙は全く抵抗しなかった。

潮も辛かっただろうが、一番辛かったのは、こいつなのだろうな。

泣きたくても、涙を見せる相手がいなかったのは、きっと……。

 

「提督」

 

「鳳翔……」

 

「そんな顔、しないでください。これが私の決意なのですから。笑顔で見送ってください」

 

「……そうだな。それに、覚悟もしておかなければいけないしな。お前に惚れてしまわないように、気を引き締めることにするよ」

 

「その意気です! 私も、全力を尽くしますから!」

 

「あぁ!」

 

こうして、鳳翔と七駆――五隻の人化が決まった。

 

 

 

その日の夕食は、鳳翔と七駆を除く全員が用意してくれた。

 

「最後なのだから、私も手伝いたかったのですが……」

 

「最後なのだから、だろ。お前がいなくても、自分たちで何とかなると、証明したいのさ。少しでも心残りの無いようにという、あいつらなりの気遣いなんだ。受け取っておけよ」

 

そう言ってやると、鳳翔は申し訳なさそうに俯いていた。

明日の朝、鳳翔たちは島を出ることになった。

急なことではあったが、皆は皆で、鳳翔が居なくなっても大丈夫なように、ひっそりと準備を進めていたようであった。

 

「明日の朝……本当に島を出るのですね……」

 

「緊張するか?」

 

「えぇ……。こんなにも早く、島を出ることになるなんて、思ってもみませんでしたから」

 

こんなにも早く……か……。

70年以上も居て『こんなにも早く』とは……。

 

「そう言えば……大和がいないようであるが……」

 

「大和ちゃんは……」

 

鳳翔は俯くと、黙り込んでしまった。

どうやら、大和は最後まで、反対していたようだな……。

 

「大和の事は俺に任せろ。お前は心置きなく、俺を誘惑すればいいさ」

 

「提督……。はい、そうさせていただきますね」

 

鳳翔はにっこりと笑うと、周りを確認した後、こっそり、着物をずらして――露出させた。

 

「な……!?」

 

「こういう事は想定していませんでしたか?」

 

小声でそう言うと、鳳翔は目を細め、俺の反応を見ていた。

 

「うふふ……。提督を誘惑する方法、何となく分かっちゃいました。こうすれば良かったのですね」

 

「お前な……」

 

「けど、そうですか。だから提督は、潮さんの誘惑に負けなかったのですね」

 

「それは、どういう意味だ……?」

 

俺は少し考えた後、その意味が分かり、訂正した。

 

「……いや、だとしたら、俺が陸奥に反応してしまったのはおかしいだろ」

 

「陸奥さんに反応したのですか?」

 

「あ……!」

 

墓穴を掘った。

鳳翔はくすくす笑うと、着物をなおした。

 

「でも、良かった。こんな体でも、まだチャンスはあるという事ですね」

 

「……どうかね」

 

それは、俺なりの抵抗であったが、鳳翔的には満足であったのか、満面の笑みを見せていた。

 

 

 

翌朝。

海軍の船は、陽が昇る前に着いていた。

 

「段々早くなってねぇか……?」

 

 

 

泊地には、既に皆が集まっていた。

 

「おはよう」

 

「おはようございます、提督」

 

だが、大和の姿はない。

 

「あいつ……」

 

「いいのです、提督……。大和ちゃんは最後まで、私の人化に反対していましたから……。それが彼女の意志だというのなら、貫かせたいのです」

 

鳳翔の言いたいことは分かる。

だが……。

 

「それでは駄目だ。お前の人化には、しっかりと向き合ってもらわなければならない」

 

「て、提督!?」

 

俺はそのまま、寮の方へと向かった。

皆は困惑したまま、俺の背中を見送っていた。

 

 

 

寮に入ると、すぐに大和が出迎えてくれた。

 

「何をしに来たのですか……?」

 

「分かっているから、出迎えてくれたのではないのか?」

 

「えぇ……。分かっているからこそ、ここに居るのです……。無駄なやり取りは嫌いですから……」

 

なるほど。

俺が説得しに来ることは想定済みってことか。

そして、それに対して、大和は意志を貫くつもりらしい。

 

「人化に反対する意思を示すために、見送らないと?」

 

「えぇ……」

 

「そうした態度をとったところで、鳳翔は行っちまうんだぜ。ならせめて、認めてやれよ」

 

大和は何も言わなかった。

本人も分かっているはずだ。

本気で反対するのであれば、力ずくででも、鳳翔の人化を阻止すればよいのだと。

しかし――。

 

「気持ちは分かる。力ずくで止めたところで、鳳翔の意志は変わらない。変えることは出来ない。しかし、だからと言って、このまま「はいそうですか」と、見送るわけにはいかないよな」

 

図星だったのか、大和の表情は険しくなった。

 

「けど、その結果が、こういうやり方ってのは、どうなんだ? 俺には、意味がある行動とは思えないがな」

 

「……ここで見送っては、鳳翔さんの人化を認めたことになります。私は……そうしたくはないのです……」

 

頑固な奴だ……。

しかし……。

 

「そうか。なら、俺もここに留まることにしよう」

 

「はい……?」

 

「……俺は確かに、仕事として、鳳翔の人化には賛成だ。だが……個人的には、まだここに居て欲しいと思っているんだ……」

 

「それは……どうして……?」

 

想定外の事に、大和は思わずそう訊いた。

 

「あいつの決意に、俺がはっきりと応えられないからだ」

 

俺の言っている意味が分かったのか、大和は再び険しい表情を見せた。

 

「俺は……やはり、鈴木の様には言えない。はっきりと鳳翔をフることが出来ない」

 

「……好きなんですか? 鳳翔さんの事……」

 

「あぁ、好きだ。でも、それは、皆にも言えることで――つまり、鳳翔の求めるソレとは違う……」

 

「意味が分かりません……。だったら、尚更……」

 

「それでも俺は、好きになってしまいそうなんだよ。そういう意味でもな……」

 

「揺れている……という訳ですか……。仕事としての自分と、貴方という個人との間で……」

 

俺は精一杯の笑顔を、大和に見せた。

 

「お前と同じだよ。だから、お前がそうするのなら、俺もそうしようと思う。それしか、出来ないよな。俺たちは、揺れている。迷っている。この島ってのは、そういう象徴だもんな……。染まっちまうよな……」

 

遠くの方で、ゆらゆらと揺れる人影。

その光景を、大和も見つめていた。

 

「でもな、大和……。これに、鳳翔を想う気持があったらどうだろうか?」

 

「え?」

 

「俺たちの我が儘じゃなくてさ、俺とお前が想う鳳翔の為に出来る事って、一体何なんだろうな」

 

大和は考えるように、目を瞑った。

 

「あいつも揺れている。俺たちと同じようにな……。あいつを想うのであれば、何一つ心残りなく、行かせてやりたいとは思わないか?」

 

「……私は、行かせたくないと言っているのですよ」

 

「だったら尚更だ。揺れているあいつに、言ってやれよ。最後の最後まで、自分は反対しているのだと。残ってくれるやもしれんぜ」

 

大和は黙り込んでしまった。

そらそうだよな。

怖いよな。

それでも、あいつが行ってしまうって事が……。

 

「もし、お前が勇気を出せるというのなら、俺も、鳳翔を本気でフろうと思う」

 

「……!」

 

「俺がフった後に、お前が主張すればいい。お前も、その方が言いやすいだろう」

 

大和が何を考えているのかは、手に取るように分かっていた。

俺にとってのメリットデメリットを考えているのだろう。

俺が何を考えているのか。

俺が何を企んでいるのかを――。

 

「俺は、それでも鳳翔は、意志を貫くものだと考えている。お前の主張も、通らないだろう」

 

「……だとしたら、何故そんな事を?」

 

「お前の為だ」

 

「私の……?」

 

「鳳翔がそうするように、お前も認めなければならないんだよ。失恋と同じように、鳳翔がお前を置いて、島を出て行ってしまうという事実をな」

 

「……だから! 私はそんなこと……!」

 

「そんな勇気もないくせに、鳳翔を呼び留められると思ってんのかよ!?」

 

俺の声に、大和は体を強張らせた。

 

「向き合え、大和……。お前がお前自身に向き合う事こそ、お前にここまで尽くしてきた鳳翔への、最大の恩返しになるんだ……。このまま何もせず、恩を仇で返すのかよ!? 見せてみろよ! お前の勇気を……! お前の全力を、鳳翔にぶつけてやれよ!」

 

大和は目を瞑ると、一生懸命考えているようであった。

色んな思考が、大和の中で揺れている。

朧がそうだったように、潮がそうだったように、鳳翔がそうであろうとするように――その震えを止めるのは、誰でもない、自分自身なのだ。

 

「俺も勇気を出す……。力になってくれ……大和……。俺の為に……お前の為に……そして、鳳翔の為に……」

 

大和は俯き、黙り込んでしまった。

これ以上は、こいつをただ追いつめるだけになってしまうかもしれない。

 

「……先に行っているからな」

 

そう言って、俺は大和を置いて、寮を出ていった。

 

 

 

泊地に戻ると、皆が一斉に俺へ視線を向けた。

同時に、船から海軍連中が降りて来た。

 

「雨宮」

 

太い声で俺を呼んだのは、天音上官であった。

その後ろには、女性の海兵たちが……。

 

「天音上官。約束通り、女性のみで来てくださったのですね」

 

「潮君の件は聞いている。尤も、ここのいる連中は、男よりも男らしい者ばかりだがね」

 

確かに、天音上官を含め、その目は鷹の如く鋭く見えた。

 

「雨宮慎二。君の活躍に、敬意を表す。敬礼ッッッ!」

 

海軍連中が、一斉に敬礼する。

艦娘達も、思わず敬礼していた。

流石は天音上官……。

この気迫は、武蔵といい勝負かも知れないな。

 

「鳳翔」

 

「はい!」

 

「曙」

 

「はい」

 

「潮」

 

「はい!」

 

「朧」

 

「は、はい!」

 

「漣」

 

「あいあいさー!」

 

「以上、五隻です」

 

「うむ。では、五隻を船に」

 

天音上官が、そう言った時であった。

 

「あ!」

 

誰かが叫ぶ。

その声に振り返って見ると、そこには……。

 

「大和ちゃん……」

 

大和は息を切らしながら、そこに立っていた。

そして、息を整えると、じっと、俺に視線を送った。

……そうか。

 

「鳳翔」

 

「は、はい……」

 

「島を出る前に……お前に伝えなければいけないことがある……」

 

ただならぬ雰囲気を察したのか、鳳翔は真剣な表情で、俺の言葉を待った。

 

「お前は知っていると言った……。だが……俺はまだ、はっきりと伝えたことはない……。そうだろ?」

 

他の連中は、何のことだか分かっていないようであったが、鳳翔には、それが分かっているようで、俯いてしまった。

 

「鳳翔……俺は……お前の気持ちには応えられない……。この仕事と、お前への気持ちを天秤にかけても、俺は、仕事を取る……。それが、俺の決意だ……。お前が島を出ようとも……俺は……」

 

思わず閉口する。

駄目だ……。

ハッキリと言わなければ……。

 

「俺は――……」

 

皆が息を呑む。

鳳翔は唇を離すと、微笑んで見せた。

 

「言ったはずです。これが、私の決意だと」

 

「鳳翔……」

 

「……私には、最初から迷いなんてありません。でも、貴方は違ったようですね」

 

そう言われ、ハッとした。

そうか……。

俺は、勘違いしていた。

迷っていたのは、揺れていたのは、鳳翔ではない。

俺なのだ。

俺だけなのだ。

揺れていたのは、俺だけであったのだ。

 

「迷いは、消えましたか?」

 

「……あぁ。すまない……鳳翔……」

 

鳳翔は俺を抱きしめると、小さく言った。

 

「お慕いしております……。提督……」

 

俺は、何も言えなかった。

だが、それで良かったのだ。

俺は、俺で良かったのだ。

迷い、揺れる俺を、鳳翔は――。

 

「鳳翔さん……」

 

「大和ちゃん……」

 

大和は鳳翔の前に立つと、俯いてしまった。

 

「…………」

 

だが、ゆっくりと顔を上げると、精一杯の笑顔を、鳳翔に見せた。

 

「今まで……ありがとうございました……。武蔵に……よろしくお伝えください……」

 

「大和ちゃん……」

 

「大和……」

 

「大和は……大丈夫です……。これからは……提督と……上手くやっていきますから……」

 

今にも泣き出しそうな大和。

鳳翔もまた、涙を堪えていた。

 

「鳳翔」

 

「提……督……」

 

「後の事は、俺に任せろ。泣くのは、次に会った時まで取っておけ」

 

鳳翔は涙を拭うと、精一杯の笑顔を、大和に見せた。

 

「えぇ……! ありがとう、大和ちゃん」

 

そう言うと、鳳翔は大和に背を向けた。

これ以上は、野暮だよな。

 

「天音上官、行きましょう」

 

「へ? あ、あぁ……。そ、それじゃあ……」

 

五隻が船に乗り込む。

皆の――別れの言葉を背に受けながら。

 

「出港だ!」

 

船が汽笛を鳴らす。

エンジンが唸りを上げる。

 

「鳳翔さーん!」

 

「みんなー!」

 

「さようならー!」

 

船が離れるにつれ、大和の表情が崩れて行く。

 

「大和……ちゃん……」

 

だが、最後まで、大和が泣くことはなかった。

それが、あいつなりの答えであり、決意であった。

 

 

 

島を離れてしばらく、鳳翔が大号泣をしたため、俺はたまらず部屋を出てしまった。

 

「雨宮」

 

「天音上官」

 

「すごい泣き声だな。外まで聞こえて来たぞ」

 

「すみません……。私も、あそこまで泣かれるとは思っても……」

 

相当我慢したのだろうな。

俺への気持ちに迷いは無かっただろうが、大和への気持ちには、まだ未練があったようだ。

 

「そ、それよりも……。雨宮……。君に……訊きたいことがあったのだ……」

 

「はい」

 

「その……鳳翔君との……ちゅ……キ……せ、接吻は……どういう……あの……」

 

「鳳翔との接吻? 何か、まずかったですか?」

 

「い、いや……そう言う訳ではないのだが……。接吻というのは……何と言うか……然るべき関係でないとしないものであろう……? 君と鳳翔君は……そういう関係ではないようだが……」

 

「恋人という事でしょうか?」

 

「う、うん……」

 

「別に、恋人であるからキスをするという訳ではないと思うのですが……」

 

もしそうであるのなら、俺は浮気しまくりの男になってしまうが――いや、或いは既に、そういう目で見られているのやもしれないな……。

 

「そ、そうなのか……? 私……その……そういうの……分からなくてぇ……。君は……その……艦娘にモテるって聞いたのだが……。そういうのって……どんな感じなのか……教えて欲しい……」

 

「そういうのとは?」

 

「だ、だから……。ちゅ、ちゅう……とかもそうだけど……男女がそういう雰囲気になるのは……どういう時なのか……とか……」

 

顔を赤くする上官。

いつもの勇ましさから一変、恋する乙女のような表情をしていた。

 

「もしかして……意中の相手でもいるという事ですか……?」

 

「そそそ、そういうわけじゃないんだけどぉぉぉ……。なんというか……ね? ほら、私って……勇ましいイメージがあるでしょ……? でも、本当は少女漫画とか好きで――そういう話をしたいのだけれど、私は上官だし……イメージがあるしで……そういう話……出来ないから……」

 

なるほど……。

確かに、天音上官と言えば、男を泣かせてしまうほど、厳しい女性上官として知られている。

しかし、本当は恋に恋する乙女、という訳か……。

 

「私なら、その話が出来ると?」

 

「雨宮は……うちの部下たちからも評判がよくないから……私がこういう感じなんだとバラされても、誰も信じないだろうなって……」

 

かなり失礼な言い方だな……。

しかし、この感じ……どこかで……。

 

「あ!」

 

「え? な、なに?」

 

「それなら、私よりも適任がいますよ」

 

「へ?」

 

 

 

「あ、雨宮……一体どこに……?」

 

「まあまあ」

 

俺は、とある部屋の扉を叩いた。

 

「はーい」

 

中から出て来たのは、朧であった。

 

「朧」

 

「提督? どうしたんですか?」

 

「急に悪いな。実は、天音上官と話をして欲しいんだ」

 

「な!? 雨宮!?」

 

「この人と……ですか……?」

 

「あぁ。天音上官は、お前の恋の話を聞きたいそうだ。鈴木に恋をした話をしてやってくれないか?」

 

朧も上官も、困惑した表情を見せていた。

 

「頼む、朧」

 

「は、はい……。構いませんけど……。じゃあ……その……どうぞ……」

 

「上官」

 

「うぅ……。雨宮……後で知らんからな……」

 

文句を言いながらも、上官は朧の部屋へと入っていった。

趣味は合いそうだし、まあ大丈夫だろう。

……正直、乙女の顔の天音上官をずっと見ているのは、キツイものがあったしな。

 

 

 

鳳翔も泣き止み、船が本土に着く頃、俺は再び朧の部屋を訪ねた。

 

「もうそろそろ着きますよ」

 

「えー!? もう!?」

 

子供の様に言ったのは、上官であった。

 

「天音ちゃん、続きは朧が人化したらしよう? ね?」

 

「……うん。朧ちゃん……」

 

上官……すっかり仲良くなったようだな……。

というか、やはり、朧の母性が、上官のそういう部分を引き出したのだろうな……。

 

「……外に出ましょう」

 

 

 

船はやはり、屋根付きの工廠に停まっていた。

 

「五隻はあのバスに乗り込むように!」

 

先ほどとは打って変わり、上官はキリっとした表情を見せていた。

 

「あ!」

 

鳳翔が指をさす。

そこに居たのは、山風であった。

 

「もしかして……山風さん!?」

 

「「「「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」」」」

 

このリアクションにも、慣れたもんだ。

それでもやはり、こう、笑顔になってしまうのは何故だろう。

 

 

 

五隻を見送ると、天音上官は、俺に近づいてきた。

 

「ご苦労だったな」

 

「いえ」

 

「本部が君を呼んでいる。表彰したいのだそうだ。来てくれるか?」

 

また表彰か。

正直、かさばるだけなんだよな……。

そんな事を思っていると、上官は辺りを見渡し、俺にしか聞こえない声で言った。

 

「雨宮……ありがとう……。朧ちゃんを紹介してくれて……。私……あんなに楽しい時間を過ごしたの……初めてだった……」

 

「そ、そうですか……。それは……良かったです……」

 

「朧ちゃんが人化したら……また……話しに行ってもいいかな……?」

 

「えぇ、朧も喜ぶと思いますよ。何とか時間は作ります」

 

「あ、ありがとう。えへへ……じゃあ、行こうか……」

 

その時、ちょうど、船の準備をしていた鈴木と目が合った。

 

「おう、慎二! てめぇ、後で面貸せや! 一発殴らせろ!」

 

本気で怒っている、という訳ではなく、どこか冗談めいた言い方であった。

 

「あぁ、分かっ――」

「――貴様……鈴木だな……?」

 

上官が、鈴木を睨み付ける。

 

「あ、天音上官!?」

 

「貴様だけは……絶対に許さん……! 貴様は朧ちゃんを……朧ちゃんを……!」

 

「ななな、なんすか!? 俺、なんかしちゃいました?」

 

「あ、天音上官! 本部! 本部が呼んでいますから!」

 

「くっ……! 絶対に許さんぞ……! 鈴木ぃ!」

 

俺は何とか上官を宥めながら、本部へと向かった。

本当、色んな意味で怖いぜ……。

この上官は……。

 

 

 

それから色々と用事を済ませ、島に戻ることが出来たのは、消灯時間を過ぎた頃であった。

 

「なあ……俺……どうして天音上官に恨まれてんだ……? 俺……何もしてねぇのに……」

 

「まあ……素行が悪いせいなんじゃないか……?」

 

朧の事で怒っている……なんて、流石に言えなかった。

鈴木は、俺を殴ることも忘れ、ただただ、天音上官に怯えているようであった。

 

「昔、泣かされたことがあんだよなぁ……。慎二ぃ……お前からなんとか言っといてくれよ……」

 

「あ、あぁ……分かったよ……。お前も、普段から気を付けておけよ。色々とな……」

 

涙目で島を離れる鈴木を、俺は敬礼をして見送った。

 

 

 

家へと向かおうと歩いていると、寮の方から人影が……。

 

「大和……?」

 

大和は会釈をすると、付いて来いとでもいうように、海辺の方へと歩き出した。

 

 

 

月の綺麗な夜であった。

波は静かで、風は穏やかに吹いている。

 

「して、どうした?」

 

大和は立ち止まると、海を望んだ。

 

「鳳翔さん……無事に辿り着きましたか……?」

 

「……あぁ。本土に着くまで、大声で泣いていたよ」

 

大和も同じなのか、目の辺りが真っ赤であった。

 

「……どうしてあの時、鳳翔を止めなかった?」

 

大和は俯くと、少し考えるようなそぶりを見せ、俺の方へと視線を向けた。

 

「それが……私の決意だったから……」

 

大和の……決意……。

 

「本当は、駆け付けたその時まで、鳳翔さんを止めるつもりでした……。でも、鳳翔さんの真の決意を聞いて、目が覚めました……。あの人は、最後の最後まで、貴方の事を想っていた……。貴方がフる態度を見せても……迷っている貴方を救う事に力を注いでいた……。自分の事ではなく、貴方の為に決意したんだって……心の底から理解できたから……」

 

「お前も、鳳翔の為に……と?」

 

大和は何も言わなかった。

 

「……そうか」

 

永い沈黙が続く。

大和は俺の前に立つと、じっと、目を見つめた。

 

「大和……」

 

「貴方をここに呼んだのも……大和の決意を知って貰う為です……」

 

「お前の決意を……?」

 

「えぇ……。私は……貴方と真剣に向き合う事を決めました……。今までは……ずっと……逃げるような事ばかりしてきたし……鳳翔さんに言われるがまま、行動していました……。でも……」

 

月明りが、俺たちを照らす。

綺麗な瞳の中に、はっきりと、俺が映っていた。

 

「これが……大和が出来る……鳳翔さんへの恩返しだから……。大和にしかできない……恩返しだから……」

 

大和は、いつか渡したカッターナイフを取り出すと、それを海へと投げ捨てた。

 

「提督……」

 

そして、万年筆を取り出すと、言った。

 

「もう一度……私と文通してくれませんか……?」

 

「大和……」

 

俺がゆっくりと手を伸ばすと、大和はそれを取り、万年筆を渡した。

 

「……いいのか? いくら鳳翔の為とは言え、辛くないか……?」

 

そう言ってやると、大和はそっぽを向き、小さく言った。

 

「建前だって……分からないんですか……?」

 

「え?」

 

再び永い沈黙が続く。

まさか……。

いや……しかし……。

 

「今は……これが精いっぱいなんです……。これでも……頑張った方なんですから……」

 

大和がチラリと俺を見る。

俺は、ただただ、呆然とすることしかできなかった。

 

「……何か言ってくださいよ」

 

「い、いや……。その……急なことに困惑していると言うか……」

 

俺は深呼吸をしてから、大和に向き合った。

 

「その……嬉しいよ……。ただただ、嬉しいよ……」

 

「……ふふ、なんですか、それ」

 

「フッ……なんなんだろうな」

 

大和は初めて、俺に向けた笑顔を見せてくれた。

それが、なんとも可愛らしく見えて、俺は――。

 

「……これから、よろしくお願いいたします。提督」

 

「……あぁ、よろしくな。大和」

 

差し出した手を、大和は躊躇なく握ってくれた。

今まで踏み出したどの一歩よりも、大きな一歩に感じた。

俺は生涯、この日の事を忘れることはないだろう。

それを裏付ける表情が、俺の目の前にはあった。

そして、俺の表情もまた、きっと――。

 

 

 

鳳翔たちの人化が済んだのは、その数日後の事であった。

 

 

 

残り――13隻

 

 

 

――続く



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24話

「寂しくなっちゃったわね……」

 

そう言って、暁は食堂を見渡した。

 

「残る駆逐艦は、私たちを含めて8隻……。司令官が来た頃と比べたら、島を出た艦娘の方が多くなっちゃったわね……」

 

「なのです……」

 

皆の声は、とても暗かった。

本当は分かっている。

皆も、島を出たいんだって……。

でも……。

 

「…………」

 

誰も、そんな事は口にすらしない。

きっと、私に気を遣っているんだと思う。

 

「鳳翔さん……元気かしら……?」

 

「…………」

 

このまま、気を遣わせるくらいなら……。

 

「響?」

 

「みんな……。話があるんだ……」

 

私は――。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「推定年齢……二十歳!?」

 

驚く俺に、鳳翔はどこか、恥ずかしそうにしていた。

 

「私も驚きました。まさか、そんなに若いだなんて」

 

鳳翔たちの人化から数日。

皆の推定年齢が判明した。

 

「推定年齢二十歳って事は……」

 

あの鹿島よりも若いって事か……。

 

「お前の推定年齢については、かなり揉めたのだと、聞いてはいたが……」

 

「それにしては若すぎますよね」

 

確かに、肌質などは若くは見えるが……。

性格も、時々ではあるが、幼い様子もあった。

しかしそれは、あくまでも時々であって、普段の鳳翔は、もっと……。

 

「提督とは、少しだけ、歳が離れてしまいましたね」

 

少しだけ……なのか?

鳳翔はじっと、俺の目を見つめた。

 

「鳳翔?」

 

「提督、私、二十歳ですって」

 

「ん? あぁ……」

 

「二十歳ですよ? 私、二十歳です」

 

「いや……なんだよ? 二十歳だからなんだってんだよ?」

 

「ふふ、私、聞いちゃったんです。二十歳って、男の人にとって、より魅力的に感じる年齢なんだって」

 

何処情報だ……そりゃ……。

 

「人によるだろ……。誰に吹き込まれたのかは知らんが、全てがそうとは限らんぞ」

 

「提督はどうなんです?」

 

「俺は別に、いくつであろうとも……」

 

「年上の方が好みですか?」

 

「だから、そういう訳では……」

 

「へぇ……」

 

鳳翔は何故か、とても悪い顔を見せた。

 

「私、体は二十歳ですけれど、心は提督よりも大人だと自負しています」

 

「……なにが言いたいんだ?」

 

「艶のある果実の中身が、しっかりと熟されていたら……どう思います?」

 

細い目で俺を見る鳳翔。

そういうことか……。

 

「俺にはまだ、青すぎるように見えるが?」

 

「なら、中身を確認してみます?」

 

肩を露出させる鳳翔。

 

「……はぁ。分かったよ……。参ったから……その誘惑をやめろ……」

 

「ふふふ、はぁい」

 

とても嬉しそうにする鳳翔。

確かに、この笑顔は二十歳だな……。

 

「今日から寮に行くんだろ?」

 

「はい。潮さん達は、まだみたいですけれど……」

 

七駆の連中は、潮のメンタルケアの関係上、寮への進出はまだ先になるとのことだ。

潮以外の連中には必要のない事ではあるのだが、本人たちの強い希望で、一緒に隔離されているようだ。

 

「俺もこの後、寮へ行く予定があるんだ。良かったら、一緒に行くか?」

 

「よろしいのですか?」

 

「あぁ。許可は貰っている。そうだよな? 山風」

 

そう言ってやると、山風は、まるで悪事を暴かれた子供が如く、申し訳なさそうに部屋へと入って来た。

 

「なんで分かったの……? あたしが外にいるって……」

 

「一向に迎えに来ないものだから、聞き耳でも立てているのやも知らんと思ってな。しかし、まさか、本当に聞き耳を立てていたとはな」

 

「だって……気になるんだもん……。鳳翔さん、ずっと雨宮君の話しかしないし……。なんだか、ただならぬ関係のような感じがして……」

 

「ただならぬ関係ってなんだよ?」

 

「こういう関係の事ではないですか?」

 

そう言うと、鳳翔は、俺に寄り添って見せた。

 

「おい」

 

「いいじゃありませんか。いつものように……ね?」

 

山風はムッとした表情を見せると、俺を睨み付けた。

どうしてこう、俺ばかり睨まれるんだ……。

 

「うふふ、冗談ですよ。でも、今ので分かりました。山風さんは、提督の事が好きなのですね」

 

山風はそれに、何も言わなかった。

だが、鳳翔は何かを確信したようであった。

 

「ただならぬ関係なのは、どうやらそちらのようですね」

 

「痛っ!?」

 

鳳翔は俺の腕を抓ると、唇を尖らせて、ベッドを降りた。

 

「準備いたします。着替えもしなければいけませんので、少々お待ちください」

 

「あ、あぁ……分かった……」

 

「手伝います」

 

「えぇ、ありがとうございます」

 

二人が俺を見る。

 

「あら、提督。私が着替えているところ……見たいのですか?」

 

「雨宮君!」

 

「あ、わ、悪い……。今、出ていくよ……」

 

慌てて部屋を出る。

やれ……。

島を出て、センチになっているものだと思っていたが……どうやら杞憂だったようだな……。

 

「しかし……」

 

『艶のある果実の中身が、しっかりと熟されていたら……どう思います?』

 

「果実だけに……甘い誘惑、だな……。ははっ……」

 

余裕がある訳ではない。

ただただ、笑うしかなかったのだ。

 

 

 

寮を出る頃には、もうすっかり陽が落ちていた。

 

「じゃあ、また来るよ」

 

「えぇ、皆さんにもよろしくお伝えください」

 

「最上も、一人で大変だろうが、皆の事、よろしくな」

 

「大丈夫。鳳翔さんも来たことだしね。任せてよ」

 

皐月たちは、まだ隔離棟を出ていないようであった。

どうやら、発情期の動物のように暴れているらしい。

見舞いにも行けないし、今はただ、無事に帰ってくることを祈るしかないよな……。

 

 

 

船を待っていると、天音上官がやって来た。

 

「雨宮、ここにいたのか」

 

「天音上官」

 

「今、隔離棟から帰ってきたところだ。七駆の皆は、元気にやっているよ」

 

「そうですか。それは良かったです」

 

天音上官は、隔離棟の管理責任者でもある。

七駆を隔離棟で保護しようと提案したのも、天音上官であった。

 

「皐月たちはどうですか?」

 

「望月君は安定しているが、皐月君と卯月君は、まだ不安定だ……。特に、皐月君の暴れっぷりは凄まじくてな……。怪我をしないよう、手足を拘束している状態だ」

 

手足を拘束……。

そこまで深刻な状況なのか……。

 

「案ずるな。直に落ち着くさ。それよりも、島の方はどうだ? 鳳翔君がいなくなって、何か動きはあったか?」

 

「皆、忙しそうにしていますよ。鳳翔が居なくなって、悲しむというよりも、自分たちがしっかりしなければいけないと、積極的に働いています」

 

「しっかりしているな。しかし、あまり自立性を持たせぬことだ。鳳翔君がいなくなった今、跡を追おうとする者も増えるはずだ。鉄は熱いうちに叩くに限る」

 

「心得ております」

 

「うむ。さて、私はこれにて……」

 

「慎二、待たせたな!」

 

船から声をかける鈴木。

天音上官の目が、一気に厳しいものとなった。

 

「げっ……天音上官……」

 

「鈴木ぃ……」

 

天音上官、未だに鈴木の事を……。

上官を宥めようと、間に入ろうとした時であった。

 

「ふんっ……」

 

上官はそっぽを向くと、そのまま本部の方へと去って行った。

 

「あ、あぶねー……。今日は機嫌のいい日だったか……」

 

「鈴木、お前、未だに嫌われているんだな」

 

「そうらしい……。ったく、最近は大人しくしているってのによ……」

 

鈴木は未だに、なぜ天音上官に嫌われているのか分かっていないようであった。

説明してもいいが、天音上官に睨まれている方が、姿勢を正すいいきっかけになるだろうしな……。

鈴木にとっては、いい薬だ。

 

 

 

船はゆっくりと、島を目指した。

 

「鳳翔ってのは、いい女だよな。この前、話す機会があってさ。推定年齢の割には大人びていて、大和撫子って感じがしたぜ。お前の事を話してやったら、嬉しそうにしていたよ」

 

「そうか。しかし、お前にとっては、少しばかり若すぎるんじゃないのか?」

 

「あの手の女は、年齢を重ねれば重ねるほど、いい女になっていくもんだ。投資よ、投資。ああいう女と結婚したいもんだぜ」

 

「フッ、香取さんはどうすんだよ?」

 

そう言ってやると、鈴木の表情が曇った。

 

「どうした?」

 

「いや……。俺、香取に嫌われているんじゃないのかって思ってな……」

 

「嫌われている?」

 

「あぁ……。気持ちを伝えただろ? その日から、会う機会が少なくなってな……。本部にも、俺がいない時間帯を選んで来ているようなんだ……」

 

「避けられている……ってことか?」

 

「多分な……」

 

香取さんが鈴木を……。

確かに、最近は、一緒に居るところを見るどころか、姿さえ見ていない。

 

「嫌われている……というよりも、気を遣われているんじゃないのか? 告白、はぐらかされたんだろ? 香取さん的にも、自分よりもいい人を見つけて欲しい……って気持ちがあるんじゃないのか?」

 

「だとしても、だ……。避けられていることには変わりはねぇ……。告白をマジに受け取っていたとしても、実質、無いと言われているようなもんだ……」

 

肩を落とす鈴木。

本当に無いのであれば、香取さんはハッキリと断るはずだ。

それが出来ないという事は、俺と同じように――。

 

「でも、諦めるつもりはない……そうだろ?」

 

「どうかな……。今回ばかりは、流石に落ち込んでいるぜ……。朧と潮の告白を受けて、俺も色々考えたのよ。ここまでアプローチしても駄目であるのなら、引き際ってのも考えないといけないのかなってさ……」

 

「珍しく弱気だな」

 

「将来の事も考えているからな……。遊びではなく、真剣なんだ……」

 

「そこまで想っているのなら、簡単に諦めるなよ」

 

「てめぇにだけは言われたくねぇ台詞だ。けど、まあ、そうだな……。もう少しだけ考えてみる……。はぁ……はっきりと嫌いだって言われた方が、諦めもつくもんだがな……」

 

俺はそれに、返事をすることが出来なかった。

ハッキリと……か……。

 

 

 

島に着くと、敷波が俺を出迎えてくれた。

 

「おかえり、司令官」

 

「おう。今日はお前なのか」

 

最近は、本土から帰ってくるたびに、誰かしら迎えに来てくれていた。

 

「うん。本当は暁ちゃんの番なんだけど……ちょっと……」

 

「ん?」

 

 

 

食堂へ入ると、すぐにその異変に気が付いた。

 

「あ、提督……」

 

「大淀、こりゃ一体……」

 

第六駆逐隊が、響とそれ以外で、離れて座っていた。

 

「喧嘩した……と聞いているが……」

 

「えぇ……。どうやら響ちゃんが、自分だけが島に残るから、皆は島を出ていいと言ったようで……」

 

「その発言が原因で、こうなったと?」

 

「暁ちゃん達は反対したようですが、響ちゃんは頑なだったようで……」

 

ヒートアップした結果……という訳か……。

 

「状況はそんな感じです。いかがいたしましょうか?」

 

「とりあえず、様子を見よう。あくまでも、当人たちの問題だ。変に介入してもいけないしな。明日以降も同じ状況が続くようであれば、動くことにする」

 

「分かりました」

 

喧嘩……か……。

おそらく響は、暁たちが島を出たがっていることを察して、気を遣って言ったのだろうな……。

確かに、鳳翔が出て行ってからの六駆は、少し様子がおかしかったしな……。

響が気を遣ったって事は、やはり暁たちは……。

そして、響は……。

 

 

 

消灯時間近くになると、大和が執務室を訪ねて来た。

 

「大和」

 

「ノートを……」

 

そう言うと、大和はノートを手渡した。

あれからほぼ毎日、大和との文通は続いている。

以前の暗号のような文通ではなく、心の通った文通だ。

 

「わざわざ悪いな」

 

「いえ……」

 

いつもなら、ここで立ち去る大和であるが、今日は違った。

 

「どうした?」

 

「……第六駆逐隊の件、どうなさるおつもりなんですか?」

 

「どう……って……。とりあえず、様子を見ることにしたが……。何か、あるのか?」

 

「いえ……」

 

黙り込む大和。

六駆の事を気に掛けるとは、珍しい。

 

「鳳翔さんは……どうですか……? 元気にしていますか……?」

 

「あぁ。元気だったよ。今日から、皆と一緒に寮で暮らすことになった」

 

「そうですか……」

 

再び黙り込む大和。

一向に立ち去ろうとしないところを見るに、何か言いたいことでもあるという事だろうか……?

 

「……そろそろ消灯時間だ。家へ戻る前に、少しだけ散歩をしていこうと思うのだが、お前もどうだ?」

 

試すように言ってやると、大和は少しだけ躊躇った後「準備をしてきます」とだけ言い残し、部屋を去って行った。

 

「……マジで来るのか」

 

 

 

門の前で待ち合わせ、俺たちはゆっくりと海辺の方へと歩き出した。

 

「今日は冷えるな。昨日は暖かかったのに」

 

「そうですね……」

 

大和は終始、俯いていた。

何か話したいことがあるのは確実だろうが、中々切り出せない……と、いったところか……。

 

「もうすぐ桜が咲くな。そうしたら、皆で花見でもしようと思っているんだ。どうだろう?」

 

「いいと思います……。毎年、やっていることですし……。皆さんも、楽しみにしていると思いますよ……」

 

「なら良かった。本部に申請して、色々調達してこよう」

 

会話終了。

気を遣って話題を振ったのだが、却って話しにくくなってしまったのだろうか?

少し、黙ってみるか……。

 

「…………」

 

「…………」

 

波の音が徐々に大きくなってゆくだけで、会話を切り出そうとする仕草さえ、大和には無かった。

もしかして、特に理由はなかったのか?

無理やり連れだしてしまった……ということか?

 

「大――」

「あの――」

 

言葉が重なる。

 

「な、なんだ?」

 

「い、いえ……。あの……そちらから……どうぞ……」

 

「いや……俺は別に……。なんというか……つまらない話題だから……」

 

「わ、私も似たようなものですから……」

 

沈黙が続く。

俺たちはお互いの表情を確認すると、思わず笑ってしまった。

 

「フッ、考えることは一緒であったようだな」

 

「そのようですね」

 

どうやら『コリ』が取れたようで、大和は肩の力を抜いた。

 

「して、どうした? 何か、話があったように思えたのだが?」

 

「いえ……。何か話がある……という訳ではなくて、少しだけ……お話しができる時間があったら……と思いまして……」

 

「お話しができる時間?」

 

「えぇ……」

 

大和は大きな流木に座ると、隣に来るよう促した。

 

「なんでもいいんです……。大和と……お話ししてくれませんか……?」

 

俺を見つめるその瞳は、月の光に照らされているせいか、まるで宝石のように煌めいていた。

 

 

 

海は少しだけ荒れていた。

 

「嬉しい反面、どうしてなんだろうと思っているよ。理由を訊くのは、無粋なことだろうか?」

 

「どうでしょう……? でも……訊いてみたらいいじゃないですか……?」

 

大和から何故か、大淀みを感じる。

 

「……どうして俺と話す気になってくれたんだ?」

 

「さあ……何故でしょう……?」

 

「おい……」

 

大和は小さく笑うと、海を望んだ。

 

「文通でも良かったのです……。でも……いつまでもそれだけでは駄目というか……。文通以外が素っ気なくなると言うか……」

 

確かに、あれ以来、大和と文通以外で話すことは少なくなった。

尤も、その距離感が普通であったから、特に何も思わなかったのだが……。

 

「それに、貴方の文章は……何と言うか、凄く下手だから……」

 

「……そりゃ悪かったな」

 

「いえ……。悪いわけではなくて……。その……あまり、貴方らしくないと言うか……。他人行儀な感じがして、意味が無いと言うか……」

 

何か言葉を隠すように、大和の口調は、しどろもどろであった。

 

「俺の事を、ちゃんと知りたいと思ってくれた……という訳か?」

 

「……本当、無粋な人ですね」

 

そう言う大和の表情は、どこか嬉しそうであった。

無論、俺も同じで――。

 

「そうか……」

 

「えぇ……」

 

永い沈黙が続く。

それでも、何故かそれが心地よくて――それは、大和も同じようで――。

言葉のない交流が、これほどまでに心の通ったものだとは、思ってもみなかった。

 

「……昔」

 

「…………」

 

「戦時中の話です……。私は、艦隊決戦の切り札として、ある島に隔離されていました……。誰もいない場所で、ずっと、一人で過ごしていたのです……」

 

大和は思い出すようにして目を瞑ると、ゆっくりと語り始めた。

 

 

 

 

 

 

あの頃の私は、今と同じように、人間を恨んでいました。

――というよりも、怖かったのです。

艦隊決戦の切り札とは言え、出撃も無く、ただただ大食いのお荷物でしたから――人間たちからは、色々と酷い事を言われていました……。

 

『的にでもなって、沈んでくれた方がマシだ』

 

いっそのこと、そうしてくれた方が楽だと、思ったこともあるくらいです。

だから、島に隔離された時は、気持ちが楽でした。

このまま、誰にも迷惑をかけず、誰にも気にかけられず『活動停止』になったら……と……。

 

 

 

そんなある日の事でした。

あの人達がやって来たのは……。

 

「見てみて吹雪ちゃん! これ、ヤシの木ってやつじゃないの!?」

 

人間の女と――。

 

「も、もう! 佐伯さん! あまりはしゃがないでください!」

 

もう一人の少女――それが、吹雪さんでした。

自分以外の艦娘を見たのは、それが初めてでした。

 

「あ! 佐伯さん! あれ! あの方が大和さんでは!?」

 

「あ、本当! おーい! 大和ちゃーん!」

 

 

 

 

 

 

「吹雪さんと初めて接触したのは、その島での事であったのか」

 

「ご存じなかったのですか?」

 

「初めて接触した艦娘が、吹雪さんであったというのは知っていたが……。しかし、凄い出会いであったな。その佐伯って人は知らないが、中々に図々しい感じだな」

 

「貴方も似たようなものでしたよ。島に来て、大淀さん達に睨まれながらも、寮に向かって大声で挨拶をしたではありませんか」

 

確かに、そうであった……。

島に来たばかりの俺は、少し――いや、大分調子づいていたからな……。

 

「……人間が嫌いな私にとってもそうでしたが、あんなに図々しい人間を見たことがありませんでしたから、とても警戒しました」

 

大和はハッとすると、訂正するように「佐伯さんの事です」と付け加えた。

 

「――ですから、最初の内は、話すどころか、顔を合わせようともしませんでした」

 

 

 

 

 

 

それでも、佐伯さん達はとてもしつこくて――。

 

「ねぇねぇ大和ちゃん! ほら! ヤシの葉でスカート作ってみたよ~」

 

「佐伯さん! 下着がチラチラ見えていますから! って言うか、なんで脱いじゃったんですか!?」

 

「脱がないとスカートにならないじゃない?」

 

「もう……! ごめんなさい大和さん……。お見苦しいものを……」

 

「私の下着姿が見苦しいと申すか!? 吹雪ちゃんだってぇ……ほら! ズロースじゃない! 駄目よ! 可愛い女の子がそんなんじゃ……。時代は、おパンチーよ、おパンチー」

 

「そ、そうなんですか? おパンチー……」

 

変な人たちでした。

大和がいくら無視しようとも、いつもいつも明るくて、いつもいつも同じテンションで――。

 

「大和ちゃんは何穿いているのかなぁ? オヂチャンに見せてごらん……うへへ……」

 

「佐伯さん!」

 

本当……おかしな人たちでした……。

 

 

 

そんな事が続いたある日の事でした。

いつもお道化ていた二人――尤も、吹雪さんだけは真面目にやっていましたが――その二人が、真面目な表情で、私に話しかけて来たのです。

 

「大和ちゃん」

 

私はいつものように、無視をしていました。

 

「大和ちゃんは手ごわいねぇ。普通の艦娘だったら、怒ったり、笑ったり――何かしらのリアクションがあるものだけれど……。感情を表に出せないほど、人間たちが……ううん……私たちが、貴女に酷い事を言って来たのね……。私、ここまでだとは思ってもみなかったよ……。ごめんね……」

 

しおらしくする彼女に、心が痛くなりました。

この人が私を傷つけた訳じゃないのに……って……。

でも、所詮、この人も同じ人間なのだと、自分に言い聞かせました。

 

「でも、それでも私たちは、貴女の事が知りたいの。話すことが嫌だというのなら、まずは文通から始めない?」

 

そう言って、彼女は、ノートを一冊、私に渡しました。

 

「って、これじゃあ交換日記か……」

 

不安そうな表情で笑う彼女。

吹雪さんも、どこか――。

 

「……お返事、待ってるね。じゃあ」

 

 

 

 

 

 

大和はじっと、俺を見つめた。

俺も、同じように。

お互い、なにが言いたいのか、分かっていた。

分かっていたからこそ、何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

それから数日間、二人は私に話しかけるのをやめました。

顔を合わせても、お辞儀をするくらいで――私から返事があるまで、そうする気だったのでしょうね……。

絶対に返事なんか書かない。

そう思っていた。

そう思っていたのに――。

 

「…………」

 

ノートを開いてみたのです。

そこには、佐伯さんから私に宛てたであろうメッセージが――たった一行だけ、書かれていました。

 

『島の南西にテッポウユリが咲いていた』

 

意味が分かりませんでした。

もっと、こう、私との交流を促すような文章が書かれているものだと思っていましたから。

これじゃあ、本当に日記です。

 

「島の南西に……テッポウユリ……」

 

島の南西へは、海辺の岩場を越えて行かなければなりません。

私でさえ、危険だと判断し、その先へは行ったことが無かったのに。

本当、変な人たち。

 

「……なんなのよ」

 

 

 

それから、ずっとその事ばかりを考えるようになりました。

どういう意図があるのかだとか――色々と。

放っておくことも出来たはずなのだけれど――今思えば、それも佐伯さんの作戦だったのかもしれません。

 

「島の南西……か……」

 

これは別に、あの人たちに乗せられたから行くわけじゃない。

ただ、テッポウユリが気になるだけだから。

そう自分に言い聞かせ、私はその場所へと向かう事にしました。

 

 

 

岩場を越えて行くと――。

 

「こんな場所、あったのね……」

 

草原のような光景が広がっていました。

そこに何輪か、テッポウユリと思わしき花が咲いていて――。

 

「ぐすっ……」

 

その近くで、吹雪さんが泣いていました。

 

「あ……」

 

吹雪さんは私に気が付くと、隠すように涙を拭いて、私に笑顔を見せました。

 

「大和さん! どうしてここに?」

 

私が答えないでいると、吹雪さんは事情を察したようで――。

 

「……なるほど。佐伯さん……ですか……」

 

否定しようにも、言葉が出なかった。

それは、その通りだったというのもあるけれど、吹雪さんの涙の意味が分からなくて、動揺していたのもありました。

 

「あの人、私がここで泣いていることも知っていたんですね……。本当、凄い人だなぁ……」

 

「……どういう意味ですか?」

 

やっとの事で出た言葉。

それが、私と吹雪さんが初めて取ったコミュニケーションでした。

 

「あの人が書いたノートに、ここの事が書いてあったのではないですか?」

 

「……えぇ」

 

「やっぱり……。実は、この場所……佐伯さんには言っていないんです……」

 

「え?」

 

「ここは、私が落ち込んだ時とか、一人になりたい時とか――そういう時に、来る場所なんです。こんな所、わざわざ来ようと思わなければ、来られないはずの場所ですから……」

 

吹雪さんは座り込むと、悲しそうな表情で海を望みました。

 

「私は……戦う為に生まれてきました……。けれど、戦場では足手まといになってしまっていて――戦う事を許されず、こうしてここに連れてこられたのです……」

 

のちに知った事ですが、吹雪さんが連れてこられた理由は、そういう事ではなかったようでした。

でも、吹雪さんはそれを本気で信じていて――。

 

「私は人の為に戦いたいのに――私が生まれて来た意味って何なんだろうって……。きっと、佐伯さんも、私の気持ちを知っていたんだと思います……。でも、あの人は人間だから、その気持ちが分からなくて――それでも、理解してあげたいと思っていて――だから、同じ艦娘である貴女を、ここに送ったのだと思います……」

 

正直、そこまで考えるような人だとは思えませんでした。

吹雪さんの考えすぎなんじゃないかって。

 

「……本当、駄目ですよね。私は、佐伯さんと共に、大和さんの心のケアに来たのに……。私が気を遣われちゃうだなんて……。私……なんで生まれてきちゃったんだろう……」

 

吹雪さんは再び、ぽろぽろと涙を流していました。

私は、その涙に――。

 

「……そんなに重要なことでしょうか?」

 

「え……?」

 

「人のために戦う事……。それが、そんなに重要なことでしょうか……? 大和には……分かりません……。人間だって、別に、何か目的があって生まれてきた訳じゃないはずです……。艦娘だって同じはずでしょう……?」

 

「でも……私は兵器ですから……。戦う為に生まれて来たはずですから……」

 

「もしそうだとしたら、戦場に出せないという時点で、貴女は解体されているはずです……! でも、貴女はここにいる……。あの佐伯という人間だって、貴女が必要だと思ったから、私をここに寄越したのではないのですか!?」

 

吹雪さんにぶつけた言葉は、全て、自分が欲しかった言葉だったのだと思います。

それに気が付いたのは、もっと後の事でしたが……。

 

「ただの兵器に、心なんてないはずです……。でも、私たちには心がある……。人間と同じように……。だから……貴女は……」

 

不思議に思いました。

私の目からも、ぽろぽろと涙があふれていたのですから。

胸が締め付けられるような――何かが込みあげてくるような――初めての感覚でした。

 

「大和さん……」

 

吹雪さんは立ち上がると、私をそっと抱きしめました。

 

「大和さんも……そうだったのですね……。今……やっと分かりました……」

 

「別に……っ……私は……」

 

「ありがとうございます、大和さん……。私、初めて、生まれてきて良かったって思いました……。大和さんも……同じだと嬉しいです……」

 

その言葉に、私は――。

あんなに泣いたのは、後にも先にも、あの時だけでした。

 

 

 

それからは、吹雪さんの提案で、文通をするようになりました。

最初は恥ずかしくて、同情でやってあげているんだって気持ちでいたのですが――。

 

『それから、島の外では――。きっと、大和さんも気に入ると思いますよ! いつか、一緒に見に行きましょうね!』

 

吹雪さんの文章には、心があって――あんなにも小さいのに、しっかりしていて――いつしか、吹雪さんとの文通に夢中になっていました。

それだけではなく――。

 

「あ、大和さん!」

 

「吹雪さん……」

 

「よかったぁ。ここに居たら会えるかなって。えへへ。良かったら、お話ししませんか?」

 

顔を合わせて話すことも、出来るようになりました。

そうしてゆく内に、私は、吹雪さんを尊敬するようになって行きました。

戦場での経験も、生まれた年も――何もかもが、私よりも先輩であるのにもかかわらず、とても謙虚で――私なんか、子供のようで――小さいのに、とても大きな存在なんだって――そう思ったのです。

 

「私も戦艦だったら、もっと活躍できたのかなぁ……」

 

「そんなこと……。吹雪さんは、今のままでも立派です! 人間たちが、吹雪さんの実力を見誤っているだけです!」

 

「あはは……。ありがとうございます。でも、現実はこうですから。私なんかよりも、大和さんに活躍して欲しいです!」

 

「わ……私……! 吹雪さんが一緒じゃないと、出撃しません!」

 

「えぇ!? そ、それは駄目ですよ!」

 

完全に、吹雪さんに依存していました。

初めて心を開くことが出来る人でしたから――。

 

 

 

 

 

 

大和は寂しそうに、遠く、海を見つめていた。

何を考えているのか――いや、何を想っているのかは、分かっていた。

そして、俺も同じように、海を望んだ。

想う姿は違えど、確かにそこに、彼女はいた。

 

 

 

 

 

 

……そんな日々を謳歌していた、ある日の事です。

 

「そんな……」

 

「今度の作戦に、旗艦として起用されました。なんでも、変則的な艦隊になるようで……。まさか、駆逐艦が――それも、私なんかが旗艦になれるだなんて」

 

それはつまり、別れを意味することになります。

そんなのは嫌だと言いたかった。

けれど、彼女の夢を壊す事なんて、私には出来なかった。

 

「……おめでとうございます! 吹雪さん!」

 

「大和さん……。ありがとうございます! えへへ」

 

眩しかった。

私に見せる、いつもの笑顔よりも――。

 

「私はいなくなりますけど、この島には、まだ、佐伯さんがいます」

 

「…………」

 

「……大和さん。佐伯さんに、会ってはくれませんか? もし、大和さんがその気になってくれたのなら、私は、気兼ねなくここを去ることが出来ると思うのです。どうか、私の最後の我が儘を……きいてはくれませんか……?」

 

「…………」

 

「大和さん……」

 

「……分かりました」

 

吹雪さんが島を出るまででいい。

そう思い、了承しました。

 

 

 

「佐伯さん」

 

「お、来たねぇ」

 

ここ最近は顔を合わせていなかったせいか、佐伯さんは少し痩せて見えました。

 

「私が居ては意味がありません。あとはお二人で」

 

そう言って、吹雪さんは部屋を出て行ってしまいました。

 

「まるでお見合いの仲人みたい」

 

場を和ませようと言ってくれたのでしょうが、私はただ、睨むことしかできませんでした。

 

「……随分、吹雪ちゃんに入れ込んでいるようだね」

 

「これも、貴女の作戦だったという訳ですか……?」

 

「そうだと分かっていながら、付き合ってくれたんだ。優しい所があるんだねぇ、大和ちゃん」

 

初めて会った頃とは違って、どこか怖さを感じました。

――そう、貴方と同じです。

二人っきりになって、遠慮がなくなって――けどもそれは、お互いを信用している証拠でもあって――尤も、その時は気が付きませんでしたが……。

 

「吹雪ちゃんが島を出るまで……そう思っているのでしょうけれども、吹雪ちゃんが島を出た後も、ここの事は彼女の耳に届くようにしているから、本気で心配させたくないと思っているのなら、私を無視し続けることは出来ないよ」

 

「吹雪さんを利用するのですか……」

 

「それが人間だよ。貴女の嫌いな人間。そして、あの子が守ろうとしている存在よ」

 

私は思わず、彼女の胸倉を掴んでしまった。

少しは動揺を見せるものだと思っていたのだけれど、彼女は違った。

 

「殺すの……?」

 

「…………」

 

「やってみろよスカタン……。私は、てめぇみたいな戦場にも出た事のねぇクソガキに殺されるほど、ヤワじゃねぇぞ……」

 

瞬間、私の体は、宙を舞っていました。

そして、気が付くと、天井が見えていて――。

 

「どうしました!? なにか、凄い音がしましたが!?」

 

駆け付けて来た吹雪さんに、佐伯さんはいつもの笑顔を見せていました。

 

「あはは、なんか、大和ちゃんが躓いちゃってさぁ……」

 

「そうでしたか……。大丈夫ですか?」

 

「……えぇ」

 

「もう! 佐伯さん! だから部屋を片付けてくださいと、何度も言ったじゃありませんか!」

 

「ごめーん!」

 

 

 

 

 

 

そこまで言うと、大和は小さく笑って見せた。

 

「どうした?」

 

「いえ。本当、貴方と同じところがあるなと思いまして。人間で艦娘を投げ飛ばしたのは、貴方と佐伯さんくらいでしょうね」

 

微笑む大和の表情に、俺は何故か、恥ずかしくなってしまった。

 

「し、しかし……なんというか、裏表の激しい人だったのだな……。その佐伯さんってのは……」

 

「男社会の時代に、海軍にいた訳ですからね。元々、荒くれた人だったそうです。しかし、今でいうところのロリコンでもあって、吹雪さんには甘々になっていたそうです」

 

「なんというか……設定モリモリだな……」

 

性格にギャップがあるという点では、天音上官に似ているやもしれんな。

 

「結局、吹雪さんに心配かけるのはいけないと思い、交流することにしたのです。吹雪さんと同じように、文通から……。それでも、彼女の書いてくる文章は、いつも不可解なもので――」

 

 

 

 

 

 

『ヤシの木の下に、漂流物があった』

 

『裏山のてっぺんに、大きな石があった』

 

『家の軒先に、鳥の巣があった』

 

見た物をただ書き出しただけの文章ばかりでした。

文通になっていません。

尤も、私の返信も、似たようなものでしたが……。

 

「一体、何の意味があるのかしら……」

 

とにかく、吹雪さんが出て行ってしまって、特にやることもありませんでしたし、私は書かれていた場所へと向かう事にしました。

何か意味がある。

吹雪さんの時のように――。

けれど――。

 

「…………」

 

数日経っても、これといって佐伯さんからアクションはありませんでした。

書かれた場所には、書かれていた物しかなくて――どうしてこんな物を、どうしてこんな景色を書いたのだろうと、考えるようになりました。

 

 

 

やがて、書くこともなくなってゆき――それは、彼女も同じだったようで、何かないかと島を散策している途中、佐伯さんと鉢合わせました。

 

「大和ちゃん。奇遇だね。やっぱり、もうここしかないよねぇ。私たちが来たことない場所って」

 

彼女が何を言いたいのか、私には分かっていました。

それと同時に、彼女の思惑も理解できた。

 

「これが貴女の狙いだったわけですね……」

 

「うん。そうだよ。でも、大和ちゃんが律儀に付き合ってくれたから、成り立ったってのもあるけれどもね」

 

彼女は知っていたのです。

いずれ、題材も尽き、この場所を訪れることになろうと。

 

「文通にあった場所を訪れる度に、思ったものだよ。貴女はここに居たんだって。言葉はなくても、いつだって、こうやってお互いを感じていた。そうでしょう?」

 

私は答えませんでした。

その通りだったから――。

 

「人間嫌いな貴女が、私が何を考えているのかを真剣に考えていた。先入観を捨て、何か意味があるんじゃないかと――貴女を吹雪ちゃんに会わせた時のように――どちらかというと、ポジティブな意味に捉えていたんじゃないのかな?」

 

「そんな事はありません……。私はただ、吹雪さんの為を想って……」

 

流石に否定しました。

でも、それも想定済みだったようで――。

 

「うん、それでいいの。貴女は人間が嫌いなんじゃない。貴女以外の全てが怖かっただけ。最初に吹雪ちゃんを警戒したのも、その為でしょう?」

 

人間が嫌いだという訳じゃない。

それを聞いて、私はハッとしました。

 

「貴女には知って欲しかった……。全ての人間がそうなんじゃないんだって……。皆、貴女と同じように、怖いんだって……。それでも、お互いが寄り添おうと――理解しようとすれば、きっと、分かり合えるんだって、私は信じている。貴女はその第一歩を踏み込んだの。とても勇気がいる事だったと思う……」

 

「だから……そんなつもりは……」

 

「でも、吹雪ちゃんの為に行動したことは事実でしょ? 普通、人間が嫌いだというのなら、人間に協力したいのだという吹雪ちゃんに、あそこまで執着することはなかったはず。貴女は人間が嫌いなんじゃなくて、ただ、寂しいだけだった。そうでしょう?」

 

寂しかっただけ……。

 

「分かったような口をきかないで……!」

 

「事実を受け入れることも大事だよ、大和ちゃん。艦娘だったから――人間ではなかったから、吹雪ちゃんに心を開けた訳じゃない。誰でも良かったのよ。自分を受け入れてくれる人であれば、誰でも……」

 

「違う……!」

 

否定すれば否定するほどに、それを裏付ける為の理由が頭に浮かぶ。

けれど、それを受け入れることは、吹雪さんを傷つけることになって――それを否定することは、佐伯さんの発言を受け入れることになって――。

 

「この島では、貴女を傷つけるような人間はいないはずなのに、貴女はそうして苦しんでいる。気が付いているんでしょ? 貴女を傷つけているのは、貴女自身だということに」

 

「違います……! 貴女がここにいるだけで、不快なんです……! 貴女の存在が、私を苦しめているのです……!」

 

「だったら、どうにかしてみせろ……! 私を殺すなりなんなりして……! それも出来ない癖に、甘ったれたこと言ってんじゃねぇぞ……!」

 

そう言うと、佐伯さんは私の胸倉を掴みました。

とても小柄な女性なのに、その力は途轍もなくて――。

また投げ飛ばされる。

そう思った瞬間でした。

 

「ぐふっ……!」

 

佐伯さんの口から、何かが噴き出しました。

赤……というよりも、黒に近くて――それが、私が初めて目にした、血というものでした。

 

「な……!?」

 

「うぐっ……ぶしゅるる……」

 

血は止まりませんでした。

口からも、鼻からも流れていて――まるで水のような粘度でした。

 

「……こんなにも……早く……来るだなんて。やっぱり……――が無いと……」

 

そう言うと、佐伯さんは懐から注射器を出し、自分の腕に打ちました。

すると、不思議なことに、血はすぐに止まりました。

 

「ふぅ……。ごめんね……。驚かせちゃって……」

 

「病気……なのですか……?」

 

「まあ……そんなところかな……」

 

同情を誘う為の嘘だと疑いました。

けれど、あれだけ視線を合わせて話していた彼女が、俯きながら言うものですから――。

 

「実は、あまり永くは生きられないんだよね……」

 

「……同情を誘うつもりですか?」

 

「そうじゃないよ。ただ……私がここで貴女との交流を成功させられなければ、きっと、誰も貴女の心を開くことは出来ないのかもしれないと思って……」

 

「これが最後のチャンス……とでも……? 自惚れですね……」

 

「そう思っていないと、ここには居られないよ。そうでないと、私の事を信じてはくれないよ」

 

永い永い沈黙。

この時、彼女が何を思っていたのか、私には分かりませんでした。

ただ、そうしている時間も、彼女にとっては、とても貴重なものだったはずです。

それでも――。

 

「こんな何もない島でもさ、私たちはこうして二人でいる訳じゃない? ちょっとくらい、私に付き合ってくれてもいいじゃない。退屈はしないはずでしょう?」

 

さっきの重苦しい空気はどこへやら。

あまりにも軽々しい提案に、思わず――。

 

「やっと笑ってくれたね」

 

そう言う彼女の表情は、あまりにも儚く見えました。

今にも消えてしまいそうな、蝋燭の炎のような――。

 

 

 

それからは、徐々に会話をするようになりました。

――いえ、ただの同情です。

彼女の儚い表情を見ていると、邪険には出来なくて――。

 

「吹雪ちゃん、結構活躍しているみたいだよ。ほら、写真も送られてきた」

 

「吹雪さん……」

 

「大和ちゃんの事も書いてあったよ。ほら」

 

手紙には、私と佐伯さんの仲を心配しているという事が書かれていました。

 

「未だに二人の仲は微妙な感じだけれど、とりあえず、心配ないって返すね。何か、他に伝えたいことはある? 代わりに書くけど」

 

心配ない……と言っても、吹雪さんは信用しないと思いました。

きっと、佐伯さんが気を遣って書いたのだと、思ってしまうはずです。

だから――。

 

「写真……」

 

「え?」

 

「写真……送りませんか……? 私たち二人の……。きっと、二人並んでいる写真を見れば、吹雪さんも心配せずに済むのではないかと……」

 

「……いい考えだと思うけれど、大和ちゃんはいいの?」

 

「えぇ……。吹雪さんを安心させるため……ですから……」

 

今思えば、もうこの時には、佐伯さんの事を受け入れられていたのだと思います。

吹雪さんの為……だなんて、理由をつけてしまったけれど――だからと言って、別に一緒に写真を撮りたかったわけじゃないけれど――自分は敵意を持っていないと、佐伯さんに伝えたかったのかもしれません。

敵意はないから、そんな悲しい顔で――消えてしまいそうな表情で、私を見ないでって……。

 

「……そっか。じゃあ、撮ろう? 今度、写真屋を連れてくるからさ」

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 

そこまで言って、大和は黙り込んでしまった。

 

「そうか……」

 

俺は、遠く、海を望んだ。

俺も大和も、分かっていた。

だからこそ、言ってやったのだ。

 

「そんな表情で、俺を見ていた訳か……」

 

消えてしまいそうな表情とまでは言わない。

ただ、大和の表情は――。

そして、それを裏付ける場面は、幾度もあったのだと――それを皮切りに、大和との交流が進展していたのだと、理解してしまった。

 

「亡くなったのか……佐伯さんって人は……」

 

大和が頷く。

二人の仲が、どこまで進展したのかは分からない。

だが、俺が文通を提案した時の反応を見るに、大和は――。

 

「結局、私は人を信用することは出来ませんでした……。佐伯さんの為だって思い、頑張って来たけれど……。戦争に参加して……この島に来て……やっぱり、人間は信用できないと思いました……」

 

信用できない要素を例に挙げれば、キリがないだろう。

基本的に、艦娘は人間に従順であるとは言われているが、それ故に、人間がどんなに酷いことを艦娘に強いていたのかは、想像に難くない。

流石の艦娘も、そこまでの事をされては、大和のように考えることもあるだろう。

艦娘はただの兵器ではない。

心を持った存在なのだから。

ただ……。

 

「一つだけ、訊いてもいいか……?」

 

「……はい」

 

「佐伯さんの言う通り、お前、寂しかったのか……?」

 

大和は口を開き、再び閉じた。

 

「……否定はしないんだな。いや……出来ないんだな……」

 

「…………」

 

「確かに、人間は酷い奴らばかりだ。俺ですら、自分が人間であることを恥ずかしいと思うこともある。でも、お前、本当にそれだけで、人間をここまで嫌いになれるものか?」

 

俺の言いたいことを、大和は理解しているようであった。

 

「本当は、佐伯さんのような人間がいなくて、ただ絶望していたのではないのか……? 寂しくて、辛くて――人間を恨むことで、その寂しさを紛らわせていたのではないのか……?」

 

「そんな……ことは……」

 

「だったら……俺との交流にはどんな意味があると言うんだ……? 俺が、ただただ可哀想に見えたからか? それとも――」

 

大和は答えなかった。

 

「同情……誰かの代わり……。俺は、いつもそんなのばっかだな……」

 

「…………」

 

「……話す時間を作ってくれたのは嬉しかったよ。お前の事も、色々聞けたしな……」

 

俺は立ち上がり、大和に目を向けた。

大和は座ったまま、俺の目をじっと見つめていた。

 

「でも……お前が知りたかったのは――お前が見ていたのは、どうやら俺ではなかったようだな……」

 

こんなことを言う必要はなかったはずだ。

それでも、思わず言ってしまった。

大和が人を嫌う理由と同じように、俺もまた、寂しさを覚えてしまったのだ。

クソ……。

なんだか急に恥ずかしくなってきた……。

大和が俺を見ていないと分かって、拗ねている感じに――いや、確かにその通りなのやもしれんが……。

 

「そろそろ戻るか……」

 

あまりの恥ずかしさに、その場を去ろうとした時であった。

 

「貴方は……佐伯さんではありません……」

 

振り返ると、大和は俺を、じっと見つめていた。

 

「確かに……佐伯さんに似ているところはあるし……私が佐伯さんを求めていたこと――貴方にそれを求めていたことも確かです……。でも……貴方は佐伯さんとは違います……」

 

それは、いい意味でなのか、悪い意味でなのか。

どちらか分からず、俺はただ、大和の言葉を待つことにした。

 

「思えば、佐伯さんは、私に真っすぐ向き合ってくれたことはありませんでした……。あの人は、吹雪さんを利用して――結果的に、私の孤独を埋める存在になっただけで――あの人しかいなかっただけで――」

 

大和は、佐伯さんを否定するような事ばかり話し始めた。

 

「――そんな、酷い人でした。そう……思えるようになりました……」

 

そう言って、再び俺を見つめる大和。

俺の言葉を待っているようであったが、何を言ってやったらいいのか、俺には分からなかった。

 

「……伝わらないものですね。貴方の苦労が……貴方の苦しみが、ようやく分かったような気がします……」

 

大和は深呼吸すると、緊張した面持ちで、言った。

 

「佐伯さんを酷い人だと思えるようになったのは……貴方がそれ以上の存在だったから……って、事です……」

 

「え……?」

 

顔を真っ赤にする大和。

 

「貴方は……いつだって、真っすぐ大和に向き合ってくれた……。誰も利用せず……大和を利用してもいいのだと言っても、そうはしなかった……」

 

「…………」

 

「佐伯さん以外の人間を認めれば、佐伯さんを否定することになるって――だから、私は人間を嫌ってきました……。同時に、佐伯さんのような人間を求めてきました……。その矛盾に、私は苦しんでいて――でも、鳳翔さんが居たから、考えないように出来ていて――」

 

だが、鳳翔は――。

だからこそ、大和は――。

 

「貴方に佐伯さんを重ねるか、佐伯さんを否定し、人を愛するか……。私は前者を取ろうと思いました。でも、比較すれば比較するほど――あの人を想えば想うほど、貴方はそれ以上に――佐伯さんの存在を否定するように――」

 

大和の表情が和らぐ。

優しさに包まれた表情は、他の誰でもなく、俺に向けられていた。

 

「貴方は佐伯さんになれない……。けれど……それでもいいと思えたのです……。佐伯さんを否定することも、佐伯さんを求めることも――そんな事はしなくても……それでいいって……」

 

俺は、何も言うことが出来なかった。

大和の気持ちは、単純に嬉しい。

だが、どうしてそう思えたのか、理解できなかったから――。

その理由を、欲してしまったから――。

 

「……こんな虫がいい話、すぐには信じてくれないでしょうね」

 

図星。

 

「そう思わせてしまうのは、大和が貴方を遠ざけて来たからで、傷つけて来たからで――。貴方への同情も、貴方の影も――それらを無しにしてでも、貴方に近づきたいと思った時には、もう……」

 

大和は悔いるように、俯いてしまった。

 

「今度は、大和が色々と試す番です……。貴方がそうしてくれたように……私も……貴方に近づきたいのです……」

 

「大和……」

 

「いつか……大和の気持ちが本物だって――貴方が大和に抱いてくれた気持ちと同じだって――そう信じてくれる日を……大和は……」

 

そう言うと、大和は俺を置いて、寮へと帰って行ってしまった。

それを止めなかったのは――追いかけなかったのは――。

 

「…………」

 

 

 

翌朝。

食堂へ向かうと、やはり第六駆逐隊は離れて座っていた。

 

「昨日も話し合っていたようですが、結局、響ちゃんの結論は変わらないようでした……」

 

「……しかたない。気が引けるが……ちょっかいを出してくる」

 

そう言って立ち上がった時であった。

 

「響ちゃん」

 

響に声をかけたのは――。

 

「大和……」

 

大和は俺をチラリと見ると、そのまま響と会話を始めた。

あいつ……。

 

「大和さん、響ちゃんに何を……?」

 

「さあな……。とにかく、俺は暁たちに事情を訊いてくることにするよ」

 

大和の奴……まさか……。

 

 

 

朝食後、響と食堂を出ていこうとしていた大和を、俺は呼び止めた。

 

「響ちゃん、また後でね」

 

「うん」

 

響が去って行くと、大和はじっと、俺を見つめた。

 

「お前……」

 

俺が何を言いたいのか、大和は分かっているようであった。

 

「いけませんか?」

 

その瞳は、いつか見た、夕張と同じ目をしていた。

だからこそ、俺は少しだけ、嫌な気分になっていた。

 

「いけないことはない……。だが……」

 

「だが……?」

 

どう言ってやればいいのか分からず、俺は黙り込んでしまった。

 

「……響ちゃんの件、私に任せてはくれませんか?」

 

「え?」

 

「提督は暁ちゃん達の方をお願いします」

 

「けど、お前――」

「――勘違いしないでください」

 

言葉を切るように、大和はそう言った。

 

「貴方では響ちゃんを説得できない。そう思っただけです」

 

「……だからお前が出て来た、という訳か? どうしてお前なんだ……?」

 

「この島で、貴方の言う事をきかない軽巡以上の艦娘は、もはや私と山城さんだけです。響ちゃんが心を開いてくれるとすれば、そういう艦娘でしょう? 山城さんが協力するとは思えませんし、私が適任かと……」

 

「確かにそうかもしれない……。だが、どうしてその役を引き受けた……?」

 

大和は退屈そうな表情を見せると、大きくため息をついた。

 

「それが分からない貴方ではないはずです。大和は、認めましたよ。貴方という存在を――貴方の想いを……」

 

瞳が、俺を責め立てていた。

 

「……不思議ですね」

 

「え?」

 

「こうして、逆の立場で接してみると、貴方という人がよく分かるような気がします。そして、私が貴方に、どういう事をしてきたのか……貴方がどう思って来たのか……。それが、痛いほど伝わって……」

 

大和は目を瞑ると、何かを決意したかのように、再び目を開け、俺を見つめた。

 

「とにかく、そういう事です。私は、好きなようにやらせていただきます。いいですね?」

 

それは、確認というよりも、むしろ、決定事項を伝えるような、そんな言い方であった。

 

「……あぁ、分かったよ。好きにやってみろ」

 

「ありがとうございます」

 

そう言うと、大和は会釈して、響の跡を追っていった。

 

「複雑ですね」

 

キッチンの方から顔を出したのは、大淀であった。

 

「盗み聞きとは、趣味が悪いな」

 

「食器を片付けていたら、二人が勝手に話し始めただけです。出ていくにも、そういう雰囲気ではなかったので」

 

確かに、出ていくには、少し空気が重かったかもな。

 

「……大和さんが貴方に近づこうとしているのは分かりました。しかし、貴方がそれを避けようとしていることに納得できません。どうして立場が逆転しているのですか……?」

 

「どうして……か……」

 

その理由が、分かっているようで分からない。

大和が歩み寄ってくれていることは喜ぶべきことだ。

だが、俺は――。

 

「大和さんは、どうやら本気で貴方に協力しているようですよ。あの人の言う通り、提督はその事に気が付いているはずです」

 

「……そうかもな」

 

「それを信じられないのは、鳳翔さんのせいなんじゃないですか……?」

 

「え?」

 

「鳳翔さんは、貴方が告白に対する答えを出せなくても、それを許し、前に進めるよう救っていました……。鳳翔さん自身、貴方の答えが分かっていたのにもかかわらず……です……。貴方はその気持ちが理解できなかったはずです……。大和さんにも、その理解できないものがあるから、貴方は素直に喜べないのではないのですか……?」

 

そう言われ、俺はハッとした。

そうか……。

大和の瞳に夕張を感じたのも、それが理由だったのか……。

 

「しっかりしてください……! 貴方は、何のためにこの島に来たのですか……!? 自己犠牲や、理解できない想いなんかに流されないから、貴方はここまでやって来れたはずです……! 貴方がしっかりしなければ、艦娘もまた、道に迷ってしまうものです……! 貴方の背負っているものは、そんな安い人間ドラマに左右されていいものではないはずでしょう!?」

 

大淀の言葉に、俺はようやく、眠りから覚めた気持ちになった。

そうだ。

俺は、何をやっているのだ……。

俺は俺の為にここに来たわけじゃない。

人類の為――艦娘の為――想いを託してくれた人たちの為に、ここにいたはずだ。

なのにもかかわらず、こんな、個人的な感情に足を止めて……俺は……。

俺は、自分の頬を思いっきり叩いた。

 

「そうだよな……。クソ……お前の言う通りだよ……。俺は……何を迷って……」

 

頬の痛みが、より目を覚まさせてくれた。

 

「目は覚めましたか?」

 

「あぁ……。すまん……大淀……。そして、ありがとう……」

 

大淀は微笑むと、赤くなった俺の頬を、優しく撫でた。

 

「鳳翔さんや大和さんも同じ気持ちだったはずです。少しは、あの二人の気持ちを信じてあげられそうですか?」

 

鳳翔や大和も同じ……か……。

なるほど……そうか……。

 

「損得ではないよな……。そういうつもりで、ここまで来れた訳じゃないもんな……」

 

「そうです。そんな貴方に、皆さんは魅かれ――好きになり――島を出たり、貴方に協力してきたのです」

 

大淀は近づくと、そっと、俺に口づけをした。

 

「私も、その一人なんですよ……?」

 

「大淀……」

 

「……ほら! 目が覚めたのなら、早く行動してください! 早くしないと、もう一回キスしちゃいますよ?」

 

「フッ……分かったよ。けど、いいのか? もう一回しなくて」

 

「どうせしないのでしょう? それが貴方だって、分かっていますよ。提督」

 

そう笑う大淀に、俺の心は完全に晴れやかな気持ちになった。

 

「ありがとう、大淀。でも――」

 

俺は、大淀に近づくと――。

 

「……なるほど。そう言えば、ペテン師でしたね……貴方は……」

 

それでも大淀は、少し恥ずかしそうに微笑んでくれていた。

 

 

 

お昼になると、大和と響は、二人して食堂へとやって来た。

何がきっかけなのかは不明であるが、二隻は意気投合したようで、仲良さそうに手を繋いでいた。

 

「大和」

 

声をかけると、響は大和の後ろに隠れてしまった。

大和が俺を睨み付ける。

……なるほど、響とは『そういった仲』になった訳だ。

 

「話したいことがある。少し、いいか?」

 

「……貴方と話すことなんてありません」

 

「なら、勝手に話すが、それでも構わないか?」

 

その言葉に、大和は表情を曇らせた。

俺の言っている意味が、大和にはよく分かっているはずであった。

 

「山城さん!?」

 

誰かの驚く声。

振り返って見ると、そこには、山城が突っ立っていた。

 

「うぉ!?」

 

「山城さん……」

 

山城は響の手を掴むと、そのまま連れて行ってしまった。

 

「お、おい! 山城!」

 

「……話があるのでしょう? この子の事は私に任せて、早く行ってきたら……?」

 

響が不安そうな表情で、山城を見つめていた。

 

「……大丈夫よ」

 

そう言うと、山城は、響に優しく微笑んで見せた。

その表情に、誰もが驚いていた。

無論、俺もその一人であった。

 

「早く行ったら……?」

 

「え? あ、あぁ……。大和、行こうか」

 

大和は困惑しながらも、俺の後をついてきてくれた。

しかし山城の奴……まさか、今度は俺と大和をくっつけようと企んでいるんじゃなかろうな……。

 

 

 

執務室に入ると、大和はわざとらしいほどの真顔で、言った。

 

「何か?」

 

とぼけるような――だが、そうしている理由もよく分かっていないのか、言葉には感情が込められていないように感じた。

 

「俺を敵として見ることで、響に近づいたわけか」

 

「えぇ、それが一番手っ取り早いと思いまして」

 

まるで、あの頃の夕張と話しているようであった。

悪気も無く、開き直りのような、そんな喋り口。

 

「確かに、お前に任せるとは言った。だが、そのやり方は気に食わない」

 

大和の眉が、一瞬だけ、ピクリと動いた。

 

「おそらくお前は、潮にとった戦法をとるつもりなのだろう。一旦は味方となり、俺を追い出そうと共闘する。そして、時期を見て見放す。孤立した響は、戦いをやめることが出来ず、俺との交流を図らざるを得なくなる……違うか?」

 

大和は答えず、ただ俺の言葉を待っているようであった。

 

「潮と響は違う。響は戦わない。俺を追い出そうともしない。あいつは、徹底的に俺を避けるだけだ」

 

「……大和のやり方は間違っていると?」

 

「あぁ」

 

永い沈黙が続く。

大和は相変わらず、俺の言葉を待っていた。

ここで、俺に方法を問わないのは、やはり――。

だとしたら、俺は言わなければならない。

近付かなければならないだろう。

 

「……お前だけに任せては、響は離れて行くばかりだ。だから――」

「――俺も協力する。もしくは、協力させろ……ですか?」

 

大和の表情は、とても優しいものであった。

なるほど……。

 

「……気を遣わせたか」

 

肩を落とす俺に、大和は近づき、そっと背中をさすってくれた。

 

「強がっちゃって……」

 

「……そんなんじゃないさ。俺は、ただ……」

 

「えぇ……分かっていますよ……。分かっていますから、いいんですよ。そんなに強がらなくても」

 

これでは結局、鳳翔の時と同じだ……。

クソ……。

どうして俺は、この島に来た頃のように振る舞うことが出来ないんだ……。

大淀に言われ、目が覚めたと思っていた。

だが、こうして優しい表情を向けられると――強がっているのだと理解されると、俺は――。

 

『……私には、最初から迷いなんてありません。でも、貴方は違ったようですね』

 

『貴方がしっかりしなければ、艦娘もまた、道に迷ってしまうものです……!』

 

俺は、迷っている。

だが、何に迷っている?

鳳翔や大和の気持ちが理解できず……だからなんだ?

何故、理解できないことを悩む?

仕事を度外視してまでも、理解したいことはなんだ?

何故、理解したい?

 

『揺れている……という訳ですか……。仕事としての自分と、貴方という個人との間で……』

 

揺れている……?

何に対してだ?

 

『……好きなんですか? 鳳翔さんの事……』

 

『あぁ、好きだ。でも、それは、皆にも言えることで――つまり、鳳翔の求めるソレとは違う……』

 

『意味が分かりません……。だったら、尚更……』

 

『それでも俺は、好きになってしまいそうなんだよ。そういう意味でもな……』

 

「……なるほど。そういうことか……」

 

俺は、大和に目を向けた。

そうだ。

そういうことだ。

 

『気持ちは分かるぜ。今はお前を好きでいてくれても、相手が何も知らない艦娘と来れば、いずれ何処かに行ってしまうのではないかと、不安になるよな』

 

『お前、変わったよ。昔はさ、何かに取り憑かれたかのように島を目指していたのに、今はなんて言うか……人間らしくなった』

 

『あたしは、雨宮君の逃げ道にはならない……』

 

理解できなかったわけじゃない。

『理解してあげたかった』のだ。

『応えたかった』のだ。

俺は――。

 

「提督?」

 

俺は、好きだったんだ。

鳳翔も、大和も――皆を愛していたんだ。

恋をしていたんだ。

鳳翔のソレと、違いはなかったのだ。

 

「仕事の俺と、男の俺……か……」

 

大淀の言う通り、仕事を取るべきだろう。

だけれど、何故だろうか。

大和には――。

 

「大和」

 

「……はい」

 

「俺に、協力して欲しい」

 

大和は一瞬、ぽかんとした表情を見せた。

 

「……何かいい考えがある、という事でしょうか? それとも――」

「――俺がお前と、二人でやりたいと思っただけだ」

 

表情を険しくする大和。

疑うよな。

同じ状況だったら、俺もきっと、同じ表情をするよ。

だが――。

 

「……こんな虫がいい話、すぐには信じてくれないだろうな」

 

そう言って、俺は微笑んで見せた。

大和は少し驚いた表情を見せた後、真剣な表情で俺に向き合ってくれた。

 

「もうやめるよ。疑う事は。お前の気持ちを、素直に受け止めるよ」

 

「一体、どういう風の吹き回しなんです?」

 

「仕事の自分と、男の自分……。それは両立しないと思っていたし、両立してはいけないと思っていた。だが、お前も知っての通り、俺はその狭間で揺れていた。この島に来た頃は、仕事しか見ていなかった。だけれど、ここで過ごすうちに――分かるだろ?」

 

大和は何も言わず、ただ言葉を待っていた。

 

「仕事を取らなければいけない。分かってはいるんだ。そう決意したし、大淀にも説教されて、こうしてお前を呼びだした。けれど……気づいてしまったんだ。結局俺は、仕事以上に、好きになってしまったんだ。お前たちの事を……。異性として、見てしまうのだ」

 

いたたまれなくなったのか、はたまた恥ずかしかったのか、大和は視線を逸らしてしまった。

 

「仕事としてでは、きっと、お前を一生理解することは出来ないと思った。だから俺は、俺の本心でお前に接しようと思う」

 

「……大和の事が好きだから――好きな人と一緒に手を取りたいから、協力して欲しいと?」

 

「あぁ、そうだ」

 

胸に突っかかっていたものが、無くなったような気分であった。

開き直りに近いものなはずなのだろうけれど――それでも、気分が良かった。

好きになってはいけないと、ずっと思っていた。

だがそれは、同時に、自分を好きになれていなかったことでもあったのだ。

俺は、恋をする俺自身を、好きになれていなかったのだ。

だからこそ、俺は――。

 

「……本当、呆れる人ですね」

 

大和は小さく笑うと、これまた小さくため息をついた。

 

「お前は違うのか? 大和」

 

「……全然違いますよ」

 

「じゃあ、なんだってんだ?」

 

大和はゆっくりと視線を俺に向けた。

永い沈黙が続く。

 

「……分かりました。もう、やめましょう。気を遣うのは……。そのかわり、貴方も、可哀そうな表情を見せないでくださいね?」

 

やはり、そう言う事であったか。

 

「あぁ」

 

「……なんてことはないですよ。ただ、貴方が可哀想だったから……。佐伯さんのように、儚い表情だったから……」

 

本当にそれだけだったのか、大和はそれ以上、理由を言わなかった。

 

「俺は佐伯さんじゃないぜ」

 

「だったら、やめてください……。あんな表情を見せるのは……。同情を誘わないでください……」

 

「あぁ、分かった。だがそれには、お前にも協力してもらわないといけない」

 

「……?」

 

「同情でもなんでもなく、俺の事が好きだから、協力するのだと認めて欲しい」

 

それには流石の大和も、顔を真っ赤にして怒り出した。

 

「そ、そんな事、認める訳ないでしょう!? そもそも、大和は同情しただけで、別に、好きになった訳では……!」

 

「では、協力しないか? 響から、手を引くか?」

 

大和は一瞬だけ、答えに詰まった。

 

「……そうさせていただきます。そう言う事であるのなら……」

 

俺は思わず、笑ってしまった。

 

「……なんですか?」

 

「いや、何と言うか、ようやくお前に向き合えたような気がしてな。やっと、本当の意味で、隣に立てたのかなって」

 

大和は答えず、ただ視線を逸らすのみであった。

 

「同情はいらない。同情するというのなら、響から手を引いて欲しい。そうでないのなら、そういう意味として受け取ることにする。それでいいな」

 

「……いいわけないでしょう?」

 

「お前の意見は関係ない。恋は盲目だって、鳳翔も言っていた。だから、自分勝手に、都合よく解釈させてもらう」

 

そう言って、俺は部屋を出た。

その足取りは、とても軽くて――。

 

「フフッ……」

 

晴れやかな気分、というのは、こういう事を言うのだろうな。

まるで、生まれ変わったかのような――。

 

 

 

食堂へ戻ると、皆は昼食を摂り始めていた。

 

「提督、お先に頂いております」

 

「おう」

 

辺りを見渡す。

だが、響と山城の姿が無い。

 

「あいつらは?」

 

「何故かは知りませんが、二人とも、食事を持ってどこかへ行ってしまいました。多分、山城さんの部屋ではないかと……」

 

山城の部屋?

どうしてわざわざ、そんなところで……。

 

「それよりも、大和さんとはどうなったのです?」

 

「あぁ、まあ、色々話したよ。きっと仲良くやっていけるさ」

 

そう言ってやると、大淀は何故か、目を細くした。

 

「なんだよ?」

 

「いえ……。なんだか変な言い方だなって……。それに、大和さんが帰ってこないことも気がかりです……。何があったのです?」

 

「別に、何もないよ。ただ、もっと仲良くなれるかもなって、話をしただけだ」

 

「それにしては、なんだか吹っ切れた表情をしていますね……。もしかして……大和さんに告白でもされました? もしくは、告白したとか……」

 

告白……か……。

 

「確かに、告白といえば告白かもしれんな。そういう意味では、お前にもしたよ。告白」

 

「え?」

 

「お前の事が好きだって、言わなかったか?」

 

そう言ってやると、大淀は急に立ち上がった。

驚いた表情を見せながら。

 

「おい」

 

「な、何を……! いや……確かにそんな事……言われたようなものですけれど……! でも、それはあくまでもlike的な意味というか……!」

 

「LOVE的な意味でも好きだ。俺はお前が好きだよ。異性としても。でも、仕事柄、恋人になってくれだとか、そういう事は言えないだけで……って……」

 

気が付くと、食堂の艦娘全員が、俺たちを囲っていた。

 

「し、司令官……。大淀さんの事が……好きなの……?」

 

「あぁ、好きだ。異性として」

 

全員が、唖然とした表情を見せていた。

 

「鳳翔の事も好きだし、鹿島も好きだ。明石、陸奥、大井――駆逐艦は流石に異性として見られないが――でも、皆大好きだ。異性としてな」

 

そう言ってやると、皆、呆れたようなため息をついて見せた。

 

「なんだぁ……。そういうこと……」

 

「それじゃあ、結局はlikeと変わらないじゃない……」

 

「呆れた……」

 

大淀も同じなのか、呆れた表情を見せていた。

 

「何を言うのかと思えば……」

 

「でも、本当の事だ。俺はもう、決めたんだ。自分を追い込むことはやめようって……。好きだという気持ちを抑え込むのではなくて、仕事の俺も、男としての俺も認めようって。もっと、素直になろうってさ」

 

そうさ。

鳳翔にも、言ってやれば良かったのだ。

お前の事は好きだけど、仕事だからごめんなって。

素直になれな過ぎて、変に勿体ぶってしまっていたが、正直な気持ちを伝えれば、ある程度気持ちに整理がつく。

傷つけたくなくて、答えを出せなかったわけじゃない。

自分が傷つきたくなくて、答えを出せなかっただけなんだ。

仕事を取ると言って、相手が自分の事を諦めてしまう事が、恐ろしかったのだ。

俺は、好きでい続けて欲しいのだ。

貪欲なのだ。

俺も好きで、相手も好きでいてほしい。

自分勝手な人間だったのだ。

 

「恋を否定しないって事?」

 

そう訊いたのは、夕張であった。

 

「あぁ」

 

「じゃあ……場合によっては、その好きな人と島を出る……って事……?」

 

「それはない。仕事は仕事だ。そっちも尊重する。要するに、好きだという気持ちを抑えないってことだ」

 

皆は再びため息をつくと、席へと戻って行ってしまった。

 

「まさかとは思いますが……大和さんにも同じことを……?」

 

「そうだ。仕事として接しても、あいつに近づけないと思った。お前の言う通り、安い人間ドラマではなく、リアルな人間ドラマで接するべきだったよ」

 

「……そういう意味じゃないのですけれども」

 

呆れる大淀。

それでも、俺の心は晴れやかなままであった。

 

 

 

昼食を済ませ、そのまま食堂で待っていると、案の定、山城が食器を片付けにやって来た。

 

「よう」

 

山城は嫌そうな表情を見せると、食器をシンクに置いて、洗い始めた。

 

「手伝うよ」

 

「……じゃあ、拭いて」

 

「あぁ」

 

邪魔者扱いされるものだと思っていたが……。

 

「部屋で食事を摂ったらしいじゃないか」

 

「えぇ……。あの子がそうしたいって……」

 

「響が?」

 

「徹底的に貴方を避けるつもりのようね……。「司令官を近づけないようにしてほしい」と、私に頼んで来たわ……」

 

俺を近づけないように……か……。

 

「大和さんにも同じお願いをしたみたいだわ……。尤も、大和さんにその気はなかったようだけれども……。それでも、あの子は賢いから、大和さんを利用しようと企んでいたみたいね……」

 

だから響は、素直に大和を受け入れたのか。

そして、大和もまた、俺に敵対するような態度で臨んだ訳か……。

それにしても――。

 

「……なに?」

 

「いや……。やけに協力的というか……。今の話もそうだけれど、どうして響を連れて行ってくれたのかとか、色々気になってな」

 

山城は少し考えた後、いつもの口調で言った。

 

「貴方と大和さんがお似合いだから、協力しただけよ……」

 

「俺と大和が結ばれれば、俺が島を出て行ってくれるから……か?」

 

山城は答えず、食器を洗うのみであった。

 

「追い出したければ、他にも方法はあるだろうに。どうしてそこまでして、誰かを娶らせようとする?」

 

「貴方にはそれが一番効く方法だと思ったからよ……。心当たりがあるはずよ……」

 

図星。

 

「……そんなに俺の事が嫌いか?」

 

「別に……。ただ……鬱陶しいだけ……。私は、静かに暮らしたいだけなのよ……」

 

「静かに暮らしたいだけの奴が、労力を費やしてまで、俺を追い出そうとするものかな」

 

山城は、あからさまに不快であるという表情を見せた。

 

「嫌いじゃないって事は、好きか? 俺の事」

 

「はぁ?」

 

「俺は、お前の事が好きだぜ。異性としても」

 

山城の手が止まる。

そして、何か不快な物を見るような目で、俺を見つめた。

 

「なに……それ……?」

 

「何って、何がだ?」

 

「皆にやったように……私も堕とそうって訳……?」

 

「そんなつもりで言った訳じゃない。ただ、知っておいて欲しいと思ったんだ。俺を好きになって欲しいと思ったのだ」

 

山城は、理解できないとでもいうように、表情を歪ませた。

 

「その人、本気で言っているみたいですよ……」

 

そう言ったのは――。

 

「大和」

 

大和は呆れた表情で食堂へと入ってくると、山城に向き合った。

 

「大和も同じことを言われました。最初は、山城さんと同じように、何か裏があるんじゃないかって疑いました……。でも、この人は本気で言っているようなんです。先ほども、大淀さんに同じことを言ったみたいで――本当、呆れた人ですよ……」

 

大淀の奴、大和にバラしたのか?

大和が俺に目を向ける。

 

「でも……不思議と悪い気はしません……。貴女も同じだったのではないですか? 山城さん……」

 

思わず山城に目を向ける。

だが、その表情は、相変わらず不機嫌そうで――。

 

「大和はこの人に、昔の知人を重ねていました。似ているところもたくさんありましたし、その人の代わりになるんじゃないかって……。でも、知れば知るほど、全然違うって実感して――。それでも大和は、この人の方がいいって……この人がいいって、思えるようになったのです」

 

「大和……」

 

「……勘違いしないでください。今は、ちょっとだけ……そうは思えなくなっていますから……」

 

だよな……。

 

「似たような事……思っているんじゃないですか……? 山城さんも……」

 

山城は答えない。

ただ、明らかに大和から視線を逸らしていた。

 

「貴女は……この人に、佐久間さんの影を見ているのではありませんか……?」

 

親父の影……。

 

「好きだったんじゃないですか……? 佐久間さんの事……」

 

山城は――。

 

「……別に。好きだったわけじゃないわ……」

 

「影を見ていたことは、否定しないんですね……」

 

山城は答えない。

まさか、本当に?

 

「山城……お前……」

 

その時であった。

 

「うぉ!?」

 

閃光と、空気を裂くような轟音。

どうやら、季節外れの雷が、近くに落ちたらしい。

 

「雲一つない空だったはずだが……。いつの間に?」

 

二隻に視線を戻す。

大和はポカンとした表情を見せており、山城は――。

 

「お、おい……山城……。お前、大丈夫か……? 顔が真っ青だぞ……?」

 

発汗と震え。

かつて、大淀が血を見た時に見せたような反応が、山城に表れていた。

 

「急にどうした……? まさか、今の雷か……?」

 

山城は答えない。

いや、俺の声が聞こえていないようであった。

 

「よく分からんが……ちょっと待ってろ。今、明石か大淀を――」

「――待って!」

 

俺の腕を掴んだのは、山城であった。

 

「や、山城……?」

 

「行かないで……。行っちゃ……駄目……」

 

その手は、震えていた。

そして、俺を見つめると――いや、その目の中に、俺は居なかった。

 

「行かないで……『提督』……」

 

先ほどの雷に打たれたような衝撃だった。

それほどまでに、山城の表情は――。

 

「や、大和! 明石を呼んできてくれ!」

 

「え……あ、は、はい!」

 

その後、駆け付けてくれた明石により、山城は部屋へと戻されていった。

 

 

 

「一体、何があったのです?」

 

大淀は、山城の食器を片付けながら、俺に問うた。

 

「分からん……。雷が鳴ったと思ったら、急に山城の様子がおかしくなったんだ。そうだよな?」

 

大和に同意を求める。

だが――。

 

「雷なんて、鳴っていませんでしたよ……」

 

「え?」

 

「私も、雷なんて知りません。騒ぎの直前まで備蓄庫に居ましたが、雷なんて……」

 

「そんなはずはない。あんなにも大きな音を立てて鳴っていたんだ。光だって、そりゃ凄かったんだ。他の連中に訊いてみてくれよ」

 

そう言ってやると、大淀は陰で様子を窺っていた駆逐艦たちに、落雷があったか確認した。

しかし、雷どころか、外は静か過ぎるくらいだったと、皆は答えた。

 

「今日は、雲一つない空だよ」

 

寮を出て、空を見てみる。

確かに、雲一つなく、風も吹いてはいなかった。

 

「馬鹿な……」

 

「……何があったのかは分かりませんが、提督もお疲れなのでは? 様子がおかしいのは、貴方も同じだったわけですし……」

 

昼食での事を言っているのか、大淀の言い方は、どこか嫌味っぽかった。

 

「……そうだな。そうかもしれんな……」

 

「山城さんの事は、とりあえず明石に任せてください。提督は、その茹で上がった頭を冷やして来てくださいね」

 

大淀はニコッと笑うと、ドスドスと足音を立てながら、食堂を後にした。

 

「怒ってんな……大淀の奴……」

 

「当然です……。全く……貴方って人は……」

 

大和は呆れた表情を見せた後、小さく笑って見せた。

 

「大淀さんの言う通り、少しお休みされてはいかがでしょう? 響ちゃんの件もありますし、ゆっくりと作戦を考えては?」

 

そうだ。

響の方も何とかしなければいけないのであった。

 

「……響ちゃんですが、どうやら大和の思惑に気が付いていたようです」

 

「お前の思惑?」

 

「えぇ……。大和は、響ちゃんに近づくため「鳳翔さんの為に交流してきたが、やはりあの男を追い出したい」「協力して欲しい」と、お願いをしたのです。そうしたら――」

 

『協力はするけれど、私に司令官を近づけないようにして欲しい』

 

「――そう言ったのです。山城さんにも、同じことを言っていたようですね」

 

「そのようだな……」

 

「そう考えると、おかしいのです。昼食前、山城さんは、大和と貴方を二人っきりにするよう、響ちゃんを連れて行きました。それはつまり、山城さんが、貴方に協力したことになるのです。それは、誰が見ても明白だったはずです……」

 

大和が何を言いたいのか、俺には分かった。

 

「……そんな奴に、普通、協力を仰がないと?」

 

大和が頷く。

 

「響ちゃんは分かっていたんじゃないでしょうか? 大和が、貴方の為に動いていることを……。そして、それを利用しようとした……。山城さんは分かりませんが、少なくとも、大和を利用すれば、貴方は響ちゃんに近づくことは出来ません。大和は、そういう交流を響ちゃんに求めてしまった訳ですし、大和経由で響ちゃんの情報を得られるというのなら、貴方はそれに頼らざるを得なくなる……。その一本だけでしか、勝負が出来なくなる……」

 

「まさか……。響がそこまで考えてるとは……とても……」

 

「実際、貴方は大和に頼らざるを得なかった。大和は、逆に利用されてしまったのです……。貴方の……足枷となってしまったのです……」

 

大和が俯く。

己の行動を悔いるように。

 

「……そうか。響は、そこまで……」

 

「…………」

 

「しかし、これは大きな収穫かもしれないな」

 

「え……?」

 

「そこまでの策士であるというのなら、俺の専門分野だ。作戦も、見えて来たよ」

 

そう言ってやると、大和は少しだけ寂しそうに笑った。

 

「慰めてくださるのですね……」

 

「分かるか?」

 

今度は呆れるように、笑ってくれた。

 

「フッ、まあ、作戦が見えて来たのは本当だ。響を攻略しつつ、一歩先に進むことの出来る……かもしれない作戦だ」

 

俺は大和に、作戦の内容を説明してやった。

 

「そんな事、響ちゃんが同意するとは思えませんが……」

 

「どうかな。あいつは、誰よりも姉妹想いな奴だ。暁たちの為となれば、乗ってくれるやもしれんぜ」

 

「そうかもしれませんが……」

 

「まあ、駄目だったら駄目だったらで、また考えるさ。それよりも、もしこの作戦が成功したら……」

 

「……?」

 

「俺の事を、好きになってくれるか?」

 

大和は、呆れるような、怒っているような表情を見せながら、食堂を出ていった。

 

「フッ……」

 

 

 

夕食の時間になると、響はようやく部屋から出て来た。

 

「よう」

 

声をかけても、視線を合わせることもしなかった。

 

「暁たちを島から出してやるよ」

 

響の足が止まる。

 

「それが望みなんだろ?」

 

響は答えない。

ただ、すぐに去らないところを見るに――。

 

「大和や山城から聞いたよ。お前、中々の策士だな」

 

「…………」

 

「けど、俺を近づけさせない為だけに、大和や山城を利用したわけじゃない。そうだろ?」

 

そうだ。

大和も山城も、気が付いていなかったようであるが、もし、響がかなりの策士であるとするのなら――。

俺が、同じ立場であったのなら――。

 

「お前、俺に暁たちを説得させるよう仕向けただろ? 俺を近づけないことを条件に、あえてあの二隻に情報を流し、俺の行動を制限させた。確かに、その制限下では、俺がお前に近づく手段はない。成り行きを見守るしかない……。こうなると、俺が取るべき行動は、とにかく、暁たちを説得し、島から出す事しかなくなる……。艦娘の人化の為でもあるが、実際に暁たちが島を出たら、お前もその気になるんじゃないか……と、俺が考えると、お前は考えた……。違うか?」

 

響はゆっくりと、視線を俺に向けた。

 

「そこまで考えるような奴なら、今の状況は分かっているはずだ。暁たちを島から出すには、俺の直接的な協力が必要だと……。大和も山城も、利用できないと……」

 

響一人では、暁たちをどうにかできないはずだ。

それが分かっていたからこそ、こいつは――。

響は、少し考える素振りを見せた後、疑いの目を向けながら、俺に問うた。

 

「……私は、仲違いしてでも、暁たちを島から出したいと思っているし、貴方の思い描いている計画――協力関係からの交流――その通りにはならないし、させないつもりだよ……。貴方だって、分かっているはず。思い描いている計画が、上手く行くわけがないのだと……。なのに、どうして協力するんだい……?」

 

『貴方』……か……。

 

「勘違いするな。お前との交流が目的ではない」

 

今は、な……。

 

「ただ、俺にも成し得たいことがあって、それにはお前の協力が必要なだけだ」

 

「成し得たいこと……?」

 

「あぁ」

 

それが何なのか、本当に分かっていないのか、響は、どこか期待するような瞳で、俺を見つめていた。

このまま、そんな目で俺を見つめていてくれると、嬉しいのだがな。

なんて。

 

「暁たちを島から出してやる。その代わり……」

 

どんな条件が飛び出すのか。

響は、何かに備えるように、唇をキュッと噛み締めた。

 

「そう構えるな。なんてことはないさ」

 

緊張する響に、俺は少し真剣な口調で、言ってやった。

 

「山城を島から出したい。協力して欲しい」

 

予想外と驚愕。

その二つに、響の唇は、パッという音を立てながら、大きく開かれていた。

 

 

 

 

 

 

残り――13隻

 

 

 

――続く



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25話

扶桑姉さまの幸せが私の幸せだって、ずっと思っていた。

だから、姉さまが提督と島を出るのだと聞いた時、あんなにもショックを受けるだなんて――嫌悪感を抱くだなんて、思ってもみなかった。

 

「山城……。お願い……。部屋から出て来てちょうだい……。このまま……こんな形で、貴女と別れたくないの……。せめて最後に……顔を見せてちょうだい……?」

 

姉さまの呼びかけに、私は最後まで応えることが出来なかった。

姉さまの幸せは、私の幸せ。

でも、姉さまはそうじゃなかった。

私がいなくても、幸せそうで――むしろ、私が足を引っ張っているんだって……。

 

「山城さん、お食事、ここに置いておきますね」

 

いるだけで、迷惑をかけてしまう。

姉さまも、本当は私の事を疎ましく思っていたのかもしれない。

私に関わる人達は、どこか、気を遣っているように見えた。

気にも留めてこなかったことで――だからこそ、私は疎ましく思われていて――。

存在しているだけで、人を不幸にしてしまう。

自分だけが不幸であれば良かったのに……。

 

 

 

永い事、塞ぎ込んでいた。

その間、様々な人間が、私を説得しに来た。

それでも、私は――。

 

 

 

「あれ? 開かないな」

 

また、人間が来た。

今度は、どれくらいで諦めるだろう。

 

「鍵がかかっているんです。内側からしか、開けられません」

 

「なら、ぶっ壊すか」

 

ぶっ壊す?

瞬間、大淀さんの制止する声と共に、大きな音を立てて、扉が開いた。

 

「お、なんだ。簡単に開くじゃないか」

 

男の声。

その声の主は、ずかずかと部屋に入ってきてカーテンを開けると、光に包まれながら、私を見て言った。

 

「お前が山城か。佐久間肇だ。よろしく!」

 

眩しい笑顔。

本当、嫌になるくらいに。

それでも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけれど、安心している自分がいた。

これほどまでに明るい人なら、きっと、私の不幸も――って……。

けれど――。

 

「山城さん……提督が……提督がぁ……」

 

私のせいだ。

私が『あんな約束』をしなければ。

 

「提督……」

 

もう二度と、光には近づかない。

そう誓い、私は暗闇へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「司令官……!」

 

隔離棟から出て来た皐月は、俺を見つけるなり、胸へと飛び込んできた。

 

「おっと……! お帰り、皐月。寂しかったか?」

 

「うん……うん……! ボク……ずっと司令官に会いたくて……でも……でもぉ……」

 

そう言うと、皐月はわんわん泣いてしまった。

 

「よしよし……。怖かったな……。頑張ったな……。もう大丈夫だ……。一緒に、皆のところに帰ろうな……」

 

「うぅぅ……。うん……」

 

 

 

皐月が泣き止むのを待ってから、寮へと向かった。

 

「しかし、なんだか大人っぽくなったな、お前」

 

「そう?」

 

「あぁ、背も伸びたようだし……。顔つきも、何だか……」

 

そんなに永い事会っていなかったわけではないはずなのだがな。

 

「ボク的には、これといって変わった感じはしないんだけれど……。あ、でも、もっちーと卯月は、結構変わってたよ」

 

「そうなのか?」

 

「司令官、まだ会っていないの?」

 

「あぁ、さっき帰って来たばかりだからな。望月と卯月は、昨日、隔離棟を出たんだろ?」

 

「うん。あれ? って事は、司令官、真っ先にボクに会いに来てくれたのかい?」

 

「そうだ」

 

「へぇ……。ふぅん……。そうなんだ……。そんなにボクに会いたかったんだ? かわいいね?」

 

そう言うと、皐月は、どこか揶揄うような、珍しい表情を見せた。

 

「会いたがっていたのはお前の方だろ。さっき、自分で言っていたじゃないか」

 

「そ、それは……。その……勢いで言っちゃったっていうか……。安心しちゃったって言うかさ……」

 

これまた珍しい表情。

照れているような――今まで、皐月がしてこなかった表情だ。

 

「なんか、雰囲気変わったよな。本当。大人っぽくなったと言うか、子供っぽくなくなったと言うかさ」

 

「そう言う司令官も……なんか……」

 

「なんか……なんだ?」

 

俺をじっと見つめる皐月。

 

「皐月?」

 

「……何でもない」

 

今度はムッとした表情を見せる皐月。

こう、表情がコロコロ変わるところとか、敷波を思わせるな。

身長や顔つきも、どこか雰囲気が似ているし、こいつも成長しているってことなのかな。

子供の成長は早いと聞いたことがあるが、本当だったんだな。

 

 

 

寮に着くと、皐月は皆の元へと駆け寄って行った。

労いの言葉をかけられ、嬉しそうに笑う皐月。

ああしていると、まだまだ子供なんだって、思ってしまうな。

 

「司令官」

 

声をかけて来たのは、望月であった。

 

「よう。お疲れ。大変だったんだって?」

 

「まあ、あたしはそんなでも無かったけどな」

 

笑顔を見せる望月は、皐月と同じく、どこか大人びて見えた。

 

「寂しかったぜ、司令官」

 

「フッ、なんだよ? やけに素直じゃねーか」

 

「意地張ってても仕方ねーしな。甘えられる内に甘えとかねーと、多分、後悔するかもなってさ……」

 

なんと言うか、達観しているな。

これも、成長している証拠だということなのだろうか。

だとしても――。

 

「おーい、卯月。隠れていないで、こっち来いよー」

 

望月が呼ぶと、卯月は物陰からチラリと顔をのぞかせた。

 

「卯月」

 

いつもの元気な感じとは違い、どこか大人しい様子を見せる卯月。

 

「どうした? 具合でも悪いのか?」

 

そう言って近づくと、卯月はどこかへ逃げて行ってしまった。

 

「あ、おい! なんなんだ?」

 

「卯月の奴、帰って来てからずっと、あんな感じなんだよなー。あんたの写真を見て、ぼーっとしたりさ」

 

俺の写真を見て……か……。

俺はチラッと、島風に視線を向けた。

島風もまた、俺を見ていたようで、視線が合うと、卯月と同じように逃げて行ってしまった。

 

「どうやら、卯月も島風も、あんたに恋をしているようだな」

 

「俺に? バカな。なにもきっかけなんてなかっただろ。隔離される前だって、そんな素振りは……」

 

「島風はわからねーけどさ、あたしたちは隔離棟で、心が成長したらしいじゃん? その影響で、卯月に恋心が生まれたんじゃねーの?」

 

恋心が生まれる……か……。

性的関心を持つようになるとは聞いていたが……。

異性を意識し始めるようになった……という事だろうか……。

 

「親しい異性はあんたしかいないし、ああなるのは仕方ねーよな。実際、あたしもその一人な訳だし」

 

望月はしれっと、そう言った。

 

「大胆な告白だな」

 

「まあ、あたしは何となく、隔離される前から、恋心ってやつを知っていたからな……。余計な駆け引きとかめんどくせーし、気持ちを知ってもらってくれていた方が、色々と楽なわけよ」

 

「色々と楽、とは?」

 

「まあ、例えばさ」

 

望月は俺に抱き着くと、頭を撫でるよう促した。

 

「こうする理由とか、してもらう理由とか、一々考えたり、考えさせなくて済むだろ?」

 

「フッ、なるほどな。お前らしい考え方だ」

 

「だろ? まあ、恥ずかしいっちゃ恥ずかしいんだけどさ……。あんたは笑わずに居てくれるし、甘えさせてくれるからさ……」

 

要望通り撫でてやると、望月は微笑んで見せた。

こう、どこか、大人の女性が見せるような、余裕のある微笑みであった。

 

「あ~まみやくぅ~ん。秋雲さんにもぉ……よしよししてぇ~ん」

 

そう言うと、秋雲は、体をくねくねさせながら、俺にすり寄って来た。

 

「秋雲。お疲れ。お前の方も大変だったそうだな」

 

「そうなんだよ~……。隔離棟ってさ……女性しかいないし、しかも秋雲さんとは違うタイプの処女ばっかでさ……。秋雲さんの崇高なる趣味を『汚らしい』って、全否定してくるんだよぉ……」

 

「そういう意味での『大変』なのかよ……」

 

崇高なる趣味なるものが何なのか、俺はあえて訊かないことにした。

どうせ、碌でもないものなのだろう……。

つーか、秋雲とは違うタイプの処女ってなんだよ……。

 

「まあ、そんな事はどうでもよくてさぁ……。その……秋雲さんも、雨宮君の事が好きだしぃ……もっちーみたいに、よしよしされても……いいよね……?」

 

俺の事が好き……。

 

「それは、異性として、俺が好きだという事か?」

 

「へ……?」

 

「likeなのか、LOVEなのか。どっちだ?」

 

「え? え?」

 

何故か困惑する秋雲。

 

「おーおー。秋雲の奴、冗談を真に受けられて、困惑してやんの」

 

望月が茶化す。

 

「なんだ、冗談なのか?」

 

「え……あ……じょ、冗談……かも……だけど……」

 

「だけど?」

 

「……雨宮君はさ、秋雲さんが、冗談じゃなく好き――LOVEだって言ったら……どうするの……?」

 

どうする……。

 

「っていうか……雨宮君的にはさ……秋雲さんとか……どうなのよ……? 異性として……見られる……?」

 

「好きかどうか……ってことか?」

 

秋雲が頷く。

いつものふざけた(と言うと失礼だが……)表情とは違い、どこかしおらしい表情に、女性らしさ――可愛らしさを感じた。

本当、大人しくしていれば、美人なのだがな。

しかし……そうか……。

秋雲が好きかどうか……か……。

 

「おいおい司令官……真剣に考えるまでも無いだろ。別に、こいつに気を遣わなくてもいいよ」

 

「そ、そうそう! 別に、秋雲さんは慣れているし! って、誰が万年モテない女やねん!」

 

「ほら、こいつもこう言っているし……って、司令官?」

 

思えば、俺って、異性のどういうところを好きになったのだろう。

駆逐艦に恋心を抱かないのは当たり前だとして、島の連中や、ここの連中や――こいつらの何処に魅かれたのだろうか。

容姿?

性格?

俺を好きでいてくれるところ?

艦娘?

 

「…………」

 

「あ、雨宮君? そんなに真剣に考えてくれなくても……」

 

まあ、割と直感というか、恋心ってのは、理解するよりも先に、生まれるようだしな……。

そういう意味では、俺は秋雲に――いや、陸奥の時のように迫られた時、結構ドキドキしていたか……。

仮に、秋雲が裸で俺に迫ってきたら、きっと俺は――。

 

「お、おーい……。雨宮君?」

 

「……好き、なのかもな」

 

「へ?」

 

「俺は、好きだよ。お前の事。異性として」

 

「え……」

 

いつものうるさい(これもまた失礼な話だが……)声とは違い、小さく声を漏らす秋雲。

 

「お、おいおい……。マジかよ……。正気か……?」

 

「正気だ」

 

「気を遣っているとかではなく?」

 

「あぁ。秋雲に対してドキドキしたこともあるし、異性として意識している証拠だ。秋雲も、俺の事は好きか?」

 

「え……あ……」

 

「俺の事、好きでいてほしいんだ」

 

秋雲は、何も言わず、ただ茫然としていた。

 

「て、提督さん……」

 

「鹿島」

 

「秋雲さんの事……好きなんですか……?」

 

「あぁ。異性として意識している。お前もそうだ」

 

「へ?」

 

鹿島に説明している間、皆も何事かと集まって来た。

 

「――だから、俺は皆が好きだし、その気持ちに嘘をつくのをやめたんだ」

 

説明し終えると、島の連中と同じように、皆、呆れた表情を見せた。

 

「貴方って、そういうところあるわよね……」

 

「まあまあ、陸奥さん。ちょっとアレなところもありますけれど、これも司令官の魅力ですから……」

 

「相変わらずだな、貴様は……」

 

大井には無言で蹴られるし、鈴谷と熊野には嘲笑された。

 

「ふふ、先生らしいや」

 

「最上……」

 

「ボクには分かっているよ。先生は、色々悩んだ結果、そういう選択をしたんだよね。皆の為を思って、気を遣って――自分を傷つけて来たのだけれど、どっちの自分も大事にすることが、皆の為にもなるって、気が付いたんだよね」

 

最上が微笑む。

何と言うか、別に大丈夫だったのだが、救われた気持ちになるのは何故だろう。

 

「――だからさ、ボクにしなよ。ボクと婚約しようよ。ボクも、先生の事が好きだからさ。皆と違って、先生の事、理解できるし。誰を好きになっても、ボクと婚約してさえいれば、呆れられても問題ないでしょ?」

 

婚約……か……。

確かに、結婚をしていなければ、今の仕事は続けられるしな。

って、そういうことではないだろ……。

 

「聞き捨てなりませんね」

 

そう言ったのは、鳳翔であった。

 

「提督の事を理解しているという意味であれば、私が一番かと思います。初めて好意的に接したのは私ですし、提督のそういうところを理解し、好きになり、島を出たのですから。そうですよね? 提督」

 

確かにそうだ。

鳳翔は俺のそういうところを受け入れ、許してくれたしな。

 

「ま、待ってください! それなら、鹿島だって、鳳翔さんと同じ理由で島を出ましたし……。鳳翔さんよりも、それは早かった訳で……」

 

対抗するように、鹿島はそう言った。

そうだよな。

鹿島も、そうだったよな……。

 

「でも……雨宮君をそんな風にしたのは……私ですけど……」

 

小さい声で対抗する山風。

四者の間に、不穏な空気が流れる。

 

「まぁまぁ、四人とも、それくらいにしたらー?」

 

「北上……」

 

「なーんかギスギスして怖いよねー。ってことでさ、間を取って、あたしにしたらー? お姉さんが、色々教えちゃうよー?」

 

北上のこの発言に、今度は大井が参戦し――結局、連鎖的に、言い争いが始まってしまった。

 

「あーあ……。めんどくせーことになっちまったなぁ、司令官」

 

そう言う望月は、俺の膝の上に座り、言い争いを傍観していた。

勝者と敗者を決めるつもりはないが、ここでの勝者は、確実に望月だろうな。

 

 

 

散々言い争った後、何故か俺が悪いという事で意見がまとまったようであった。

 

「じゃあ、島に帰るけど……」

 

そう言っても、誰も俺を見送ってくれる奴はいなかった。

まあ、別に、見送って欲しいとも思ってはいないのだがな……。

 

 

 

寮を出てしばらくした時であった。

 

「あ、雨宮君……!」

 

声をかけて来たのは、秋雲であった。

 

「秋雲。どうした?」

 

「えっと……その……待っていたんだよね……。ずっと……外で……」

 

「待っていたって……。俺をか?」

 

「うん……。なんか、言い争いが始まっちゃったから……話しかけにくくてさぁ……。こういうタイミングじゃないと……話せないかなぁ……って……」

 

そういや、言い争いが始まってから、秋雲を見なかったが……そういう事であったのか……。

 

「そうか。そりゃ、悪かったな。して、どうした?」

 

「あ……うん……。あの……さ……。さっきの事……なんだけどさ……」

 

「さっきの事?」

 

「ほ、ほら……。秋雲さんのこと……好きとかなんとか言ってたやつ……。あれさ……本気……だったり……したりする……?」

 

「あぁ、本気だよ。お前の方は、冗談だったのか?」

 

「冗……談……なのかは……分からないけど……」

 

何やら歯切れの悪い秋雲。

 

「あ、秋雲さんはさ……その……男の人に、そういう事……言われたことなくて……さ……。冗談とか……そういうのはあるんだけど……。だから……本当に本当……なのかなって……」

 

恋愛に対して、あまりいい経験が無いという事だろうか。

まあ、確かに、ああいう迫られ方をしたら、誰でも引いてしまうのかもしれないが……。

 

「本当に本当だ。お前の事が好きだし、好きでいてほしいとも思っている」

 

「――っ!」

 

「ただ、お前も聞いていた通り、それはあいつらにも言える事であって――……って!?」

 

ギョッとしたのは、秋雲が泣いていたからであった。

 

「ど、どうした!?」

 

「え……あ……ご、ごめん……ね……。なんか……その……驚いたと言うか……」

 

「え?」

 

「あ、雨宮君は……っ……秋雲の事……そういう……目で……見ないって……思って……たから……」

 

秋雲は涙を拭うと、落ち着くように深呼吸をした。

 

「秋雲は……キラキラした恋愛とか……絶対に出来ないって……思ってた……。だから、汚い恋愛っていうか……セフレみたいな感じだったら……愛してくれるのかなって……」

 

だから、あんなことを俺に……。

 

「……笑ってくれていいよ? 雨宮君は……そんなつもりで言った訳じゃないだろうし、誰にでも言う事だって……分かっているからさ……。でも……冗談じゃないって分かるし――皆の言うような本気ではないだろうけれど――本気でそう思っているんだって、伝わっちゃっているっていうか……。あ、秋雲さんみたいな万年モテない女には、結構効いちゃったんだよね~……とか言っちゃって……あはは……」

 

「…………」

 

「そ、そんだけ! じゃあ……その……また……ね……」

 

去ろうとする秋雲の手を、俺は――。

 

「雨宮君……?」

 

「……いや。悪い……」

 

手を離すと、秋雲は何かを察したように、俺をじっと見つめていた。

 

「……よく踏みとどまってくれたね」

 

「……!」

 

「……雨宮君が秋雲の事、同情とかじゃなく、本気で想ってくれているんだって、今、理解できたよ。誰にでも言うとか言って、ごめんね……」

 

「いや……俺は……」

 

「雨宮君は、秋雲さんが思っているよりもずっと、ピュアだったんだねぇ……。そんな雨宮君に、秋雲は……気付かせちゃったかな……?」

 

そうだ。

俺は、気が付いてしまった。

そして、ようやく理解した。

島の連中や、鈴蘭寮の連中が、どうしてあんなに呆れた表情を見せていたのかを――。

そして『好意があるだけ』という感情は、誰かを傷つけてしまうのかもしれないということを――。

 

「雨宮君はどう思っているのか分からないけれど、秋雲は、嬉しかったよ? そりゃ、雨宮君が秋雲さんの恋人になってくれたら、もっと嬉しいけどさ?」

 

秋雲が笑う。

 

「でもさ……そう出来ないもんね……。そっか……。だから雨宮君は、好きっていう気持ちを隠さなくなったんだね……。納得いった……」

 

「秋雲……」

 

「ねぇ、雨宮君」

 

「なんだ……?」

 

「秋雲と、セックスしない?」

 

「……へ?」

 

秋雲の表情は、真剣そのものだった。

 

「好きって気持ちを隠すのは大変だし、でも、発散もしないといけないでしょ? 男の人の恋愛って、心情よりも、性欲にあるって、聞いたことがあるんだ。きっと、雨宮君は……その……所謂、溜まっているってやつなんだと思う……」

 

「な、なにを言って……」

 

「心当たり、ない?」

 

確かに、言われてみれば……。

異性を意識したきっかけだって――。

俺は、陸奥や山風の裸を思い出してしまい、赤面した。

 

「きっと、秋雲を抱けば、異性に対しての気持ちも抑えられるんじゃないかなって……。雨宮君が気が付いたであろうことも、解決できるんじゃないかなって……」

 

いつだったか、秋雲に言われた『win-win』という言葉が、頭に浮かんだ。

 

「……今すぐ返事してとは言わない。でも、考えておいて欲しい……」

 

「秋雲……」

 

「じゃあ……ね……」

 

そう言うと、秋雲は少し躊躇った後、小走りで寮へと戻っていった。

残された俺は、しばらくそこから動くことが出来なかった。

 

 

 

気が付くと、鈴木の船に乗り込んでいた。

どうやら考え事をしたまま、無意識に乗っていたらしい。

 

「おう、慎二。なんだ、先に乗っていたのか」

 

「鈴木……」

 

「どうした? そんなアホ面晒して」

 

「鏡でも見ていたのか?」

 

「ぶっ飛ばすぞ」

 

鈴木は俺に拳骨をくらわせると、缶コーヒーを手渡した。

 

「で? どうしたんだよ?」

 

「……いや、なんていうか、俺って最低な奴なのかもしれないなと思ってさ」

 

「やっと気が付いたか」

 

「……やっぱり、そういうところがあるのか?」

 

俺が真剣に訊くものだから、鈴木はキョトンとした顔を見せた。

 

「んだよ。真剣な話だったのかよ。冗談だよ、冗談。どうしてそう思ったのか、話してみろよ」

 

俺は、鈴木に事の経緯を話してやった。

 

「――という感じだ。秋雲に言われて、気が付いてしまったんだ。俺は、自分の気持ちばかり考えていたんじゃないかってさ……。それと、俺が恋だと思っていたのは……ただの性欲なんじゃないかって……」

 

それを聞いて、鈴木はコーヒーを噴き出した。

 

「……なんだよ?」

 

「いや、悪い悪い。なんだ、お前、あいつらに欲情してんのか!?」

 

「そういう事だろ……。秋雲の言うように、俺は性欲の発散に悩んでいて、それを解消するが如く、皆に好意を伝え、好意を伝えられ――気持ちよくなっているだけなんじゃないかって……」

 

「はぁ~……。そこに気が付くとは……お前も成長したなぁ……」

 

鈴木はしみじみと、そう言った。

 

「ただ、まあ、男ってそういうもんだしなぁ……。お前がピュアなだけで、世の男なんて、そういうもんよ」

 

「だとしたら、俺はどう振る舞うべきだったんだろうか……」

 

「そりゃ……難しいな……。なんせ、あいつらは、お前のそういうピュアなところに魅かれて、島を出たり、味方をしているわけだしな」

 

ピュアな俺……か……。

思えば、こうなってしまったのも、大和と交流する理由を求めた結果だしな……。

大和との交流は割とうまく行っているし、もう素直になる必要はないんだよな……。

 

「どうして急に性欲が湧き始めたのかは不明だが、秋雲の言う通り、解消しなければそのままだぜ? 秋雲にシてもらうか、上官に掛け合って、そのテの女性を呼ぶってのも出来るらしいぜ」

 

確かに、そんな話を聞いたことがある。

俺には関係ないものと思っていたが……。

 

「とにかく、誰彼構わず好意を伝えるのはNGだ。お前の目的を忘れるんじゃねぇよ。坂本上官や、吹雪さんの顔を思い出せ」

 

坂本上官……吹雪さん……。

 

「……そうだよな。クソ……」

 

大淀に言われた時も、気が付いたはずなのだがな……。

どうも、俺はまだまだ未熟らしい……。

 

「いっそのこと、去勢手術でも受けたらどうだ?」

 

鈴木が笑う。

 

「去勢手術か……。いいかもな。それで、性欲は無くなるのだろうか? だとしたら――」

「――いや、冗談だからな?」

 

 

 

島に着くと、大淀が出迎えてくれた。

 

「今日はお前か」

 

「えぇ。皆さん、提督を出迎えたくないのだとか。好き好き言われてうるさいから、と」

 

「いや、ただお前の番なだけだろう……」

 

「知っているのなら、確認なんて必要なかったのでは?」

 

俺が黙り込むと、大淀は嬉しそうに笑って見せた。

最近のこいつは、やたらと俺を言い負かそうとしてくるというか、何かと突っかかってくる。

 

「それで? 今日は言ってくれないんですか? 大淀に「好き」って」

 

「……もう言わないことにしたんだ」

 

「それはまたどうして?」

 

「皆が迷惑がっているというのもあるが……俺自身、色々思うところがあってな……。応えられないのに、一方的に好意を伝えることは、良くないって……」

 

大淀は、様子を窺うようにして「ふぅん……」と返事をした。

 

「なんだよ?」

 

「いえ、また成長したなと思いまして」

 

「成長した?」

 

「提督があまりにも変な感じだったので、皆さんと、そうなった原因を話していたんです。医学書を読んでみたり、心理学の本を読んでみたり……」

 

そんなアプローチの仕方、あるんだな……。

 

「私たちの結論はこうです。『提督は心の成長期を迎えている』」

 

「こ、心の成長期?」

 

「艦娘がそうなように、提督も、体の成長と心の成長が伴っていないのではないかと。思春期……かどうかは分かりませんが、そういう時期なんだろうという事で、皆さん、納得したんですよ」

 

思春期……。

しかし……あながち間違っていないように思えるのは何故だろうか?

 

「でも、ここに来て、また成長したようですね。おめでとうございます」

 

拍手する大淀。

ほくそ笑んでいる表情が絶妙にムカつくぜ……。

 

 

 

大淀は早速、俺の成長を皆にも伝えたようで、帰るなり、速攻で弄られることとなった。

 

「お前らなぁ……」

 

「自業自得ってやつよ……。全く……」

 

「提督……。私……たちへの好意が無くなった……という訳ではないですよね……?」

 

不安そうにする明石。

こういう顔をさせちゃうから、駄目だって話だよな……。

そんな事で騒いでいると、大和がやってきて、小さくため息をついた。

 

「お前も揶揄いに来たのか?」

 

「呆れているんです……。本当、理解に苦しみます……。貴方のような人間、初めてです……」

 

「人間じゃないんじゃないのかしら?」

 

皆が笑う。

まあでも、否定はできないよな……。

ロボットみたいだと言われたことがあるし、案外、この島へ派遣するためにつくられたアンドロイドか何かなんじゃないのかとも思ってしまう。

 

「……そう言えば、山城はどうだ? まだ、引きこもってんのか?」

 

そう訊いてやると、皆は表情を曇らせた。

 

「響ちゃんが定期的に面倒を見ているようだけれど、まだ部屋にこもっているわ……。私も、訪ねてはみたのだけれど、言葉どころか、視線すら合わせてくれなくて……」

 

まあ、山城からしたら、夕張は俺に近しい存在だからな。

それに比べて、響の事は『まだ』俺に敵対している存在だと思い込んでいるだろうから、近づけているという感じか。

 

「何かできないかなって、思ってはいるのだけれど……」

 

夕張の気持ちは嬉しいが、今はあまり……。

 

「下手に関わっては、却って山城さんのストレスになるかと思います。響ちゃんには話をしているとのことですし、今はそっとしておくことが一番かと」

 

そう言ってくれたのは、大和であった。

これでいいんでしょ? とでもいうように、俺に視線を向けていた。

 

「大和の言う通りかもな。それよりも、お前たちは花見の準備があるだろ。そっちに集中しろよな」

 

「そっちの方は問題ないわ。明石の料理が上達しないこと以外はね」

 

恥ずかしそうにする明石。

本当、変なところで不器用だよな。

 

「あ、そうだったわ! 大淀さんと備蓄庫で待ち合わせしていたんだったわ! 明石、行きましょう!」

 

「そうだった! 急がないと!」

 

二隻は慌てて食堂を出ていった。

残された大和は、俺の前に座ると、再びため息をついた。

 

「ため息ばかりついていると、幸せが逃げて行ってしまうぞ」

 

「誰のせいだと思っているのですか……」

 

「止めようと思えばできるだろうに」

 

「……そんなことよりも、響ちゃんの件です。あれからどうなったのです? 協力は受けられているようですが……」

 

「ちょくちょく報告は受けているよ。消灯後、たまに家に来てくれるんだ」

 

そうなのだ。

結局、響は、俺の提案を受け入れてくれた。

尤も、受け入れざるを得ないといった具合なのだろうが……。

 

「では、交流は上手く行っていると?」

 

「どうかな……。報告は事務的な感じだしな。雑談をしようものなら、交流しようとしていることを勘付かれてしまうだろう」

 

「それではあまり……」

 

「まあ、今回は響との交流というよりも、山城をどうにかするというのが目的だしな。山城にコンタクトをとれるのは響だけだというのなら、それを利用しないテは無いだろ」

 

「時間がかかりそうですね……」

 

「そういうもんだろ。今までが早すぎたんだ。ゆっくりやらせてもらうさ」

 

そう言ってやると、大和は再びため息をついて見せた。

 

「まだ何か呆れることが?」

 

「いえ……。ただ、貴方も自分の心配をした方が宜しいのではと思いまして」

 

「俺の心配?」

 

「私たちへの不安定な態度の事ですよ」

 

大和はフイとそっぽを向くと、そのまま食堂を後にした。

 

「なんか、怒っていたか?」

 

 

 

その日の夜。

家で報告書をまとめていると、響がやって来た。

 

「よう」

 

響は座ることもせず、淡々と、いつものように報告を始めた。

 

「山城さんは相変わらず、何も語らない。私の話題に返事はするけれど、本当にただ返事をするだけ。食事の量は、特に変わりない」

 

「そうか。話題ってのは、どんな?」

 

「天気の話とか、花見の話とか――何でもない、ただの日常会話さ」

 

「なるほど」

 

「そっちはどうなんだい? 暁たち、何か変わりは?」

 

「少し、変化があったよ。ゲームに飽きたようでな、本やビデオなどを与えてやったら、何かに感化されたようで、島を出ることでお前の為になることがあるかもしれないと話していたよ」

 

本当の事であった。

最近の暁は、どこか、響を一緒に連れ出そうという気概が見られない。

このまま島を出てしまいそうな勢いだ。

 

「そう……。それはいい傾向だ。それを焚きつける方向で動いてくれると……」

 

「あぁ、そのつもりだ。特に暁なんかは、お前の為になることであれば何でもしそうな勢いだし、そこを突くつもりだ」

 

「私の方も、それとなく貴方の現状を伝えているつもりだから、安心して欲しい。それとも、一切伝えない方がいいかな?」

 

「やり方はお前に任せるよ」

 

「了解。私からは以上だ」

 

「俺も、もう報告することはないよ」

 

「じゃあ、また」

 

「あぁ」

 

響は何の躊躇もなく、スタスタと帰って行ってしまった。

今日は割と話した方だ。

当初は睨まれながら報告を受けていたし、まあ、それが無くなっただけでも、大分進展しているようには感じる。

 

「まあ、これ以上はないだろうがな……」

 

山城を部屋から出すには、響の協力が必要だ。

そして、逆もまた然りだ。

山城が島を出ることになるとすれば、その時、おそらく響は――。

 

 

 

 

 

 

寮に戻ると、トイレに行っていたであろう暁と鉢合わせた。

 

「響……」

 

暁は少し考えた後、優しい表情で言った。

 

「もう消灯時間なんだから、部屋に居ないと駄目よ。じゃあね」

 

そして、そのまま部屋へと戻って行ってしまった。

 

『島を出ることでお前の為になることがあるかもしれないと話していたよ』

 

『あの人』がさっき言っていたことは、本当なのだろう。

暁は最近、私を説得するようなことを言わなくなった。

嘘の報告をされているものだと思っていたのだけれど――どうやら本当に暁たちを島から出そうとしてくれているらしい。

けど……。

 

『山城を島から出したい。協力して欲しい』

 

どうして、あの人は……、

山城さんがああなった以上、私に協力を求める選択をするのは分かる。

けど、本当にそれだけなのだろうか。

あまりにも浅はかというか――あの人らしくないというか――そもそも、私に、山城さんをどうこうする力は――。

私に交流を求めてくる様子も無いし、私たちをバラバラにさせる選択をとる人では――。

 

「…………」

 

分からない……。

でも、そういう分からないところが、司令官にそっくりで――。

 

『不死鳥もやがて死ぬ。そして生まれ変わる。お前たちも同じだ』

 

司令官……貴方は違うのかい……?

貴方は……生まれ変わって、私に会いに来てくれないのかい……?

どうして……どうして運命は、司令官にそっくりなあの人を……私の元に寄越したんだ……。

 

「司令官……」

 

 

 

翌朝。

いつものように、山城さんに朝食を持ってゆく。

 

「山城さん」

 

山城さんはいつも、暗くした部屋の隅で、小さく座っている。

早起きなのか、それとも眠っていないのか――とにかく、いつ訪れても、同じ場所に、同じ格好で座っている。

 

「おはよう。朝食だよ」

 

「えぇ……ありがとう……」

 

モソモソと朝食を摂り始める山城さん。

私も、同じように。

食事中の会話は、基本的に無い。

食後に、業務連絡を兼ねた会話をするくらいだった。

――今日も、そのはずだった。

 

「貴女は……」

 

思わず、食事する手を止めた。

顔を上げると、山城さんと目が合った。

 

「貴女は……本気で信じていたの……?」

 

「え……?」

 

「あの人が……『提督』の生まれ変わりだって……」

 

山城さんから話しかけてくるとは思ってもみなかったというのもあるけれど、まさか『司令官』の話題を出して来るだなんて――。

 

「……ごめんなさい。変な事を訊いたわね……」

 

視線が外れる。

私は何故か、慌てて返事をしてしまった。

 

「し、信じていた……けど……」

 

再び、山城さんと目が合う。

 

「……そう。私も……同じよ……」

 

「え……?」

 

「私も……信じていたわ……。もしかしたら、あの人は……提督は、私を救いに来てくれたのかもしれないって……」

 

「救う……?」

 

「でも……すぐにそうじゃないって分かった……。でも……それでも私は……」

 

そこまで言うと、山城さんは俯いてしまった。

薄々勘付いてはいたのだけれど、やっぱり、山城さんも司令官の事を……。

 

「……山城さんと司令官は、仲良かったよね。司令官、よく言っていたよ。山城が、山城が~って……。正直、嫉妬していたんだ」

 

「……私も同じよ。提督は、私と話す時、必ず貴女との話題を出すの。「響が中々離れてくれなくて……」って、毎回、話の始まりに言うの」

 

そう話す山城さんは、どこか嬉しそうだった。

……なるほど。

そういう事か……。

だから、あの人は私を……。

だったら……。

 

「……実は、ずっと、山城さんと、司令官について話したかったんだ」

 

「え……?」

 

「山城さんも、同じだったんじゃないの? だから、私を受け入れてくれたし、こうして話題を振って来た……。違う?」

 

山城さんは答えない。

でも、視線を外したところを見るに、おそらくは――。

 

「気分を悪くさせてしまったのならごめんなさい。でも、山城さんなら、きっと、私の気持ちを理解してくれるんじゃないかなって思ったから……」

 

悪い事をしているようで、気が引ける。

でも、その気持ちは嘘ではないし、司令官の話が出来るというのなら――。

 

「貴女が謝る必要はないわ……。貴女の……言う通りだから……」

 

「…………」

 

「最近……提督の夢を見るの……。あの頃と同じ笑顔を私に向けて来て――でも……目が覚めると、提督は居なくて――。忘れていたはずの喪失感が、私を襲って来て――寂しくて――思い出ばかりを振り返ってしまって――」

 

司令官との仲を否定し続けていた山城さんが、こんなにも司令官を想っていただなんて……。

 

「あの人は……私の光だった……。私の不幸をもかき消すような……。その光を……私は……奪ってしまった……」

 

「光を……奪う……?」

 

しばらく黙り込んだ後、山城さんは話題を逸らすように、私を揶揄った。

 

「それにしても貴女、提督と居る時と違って、案外大人なところがあるのね……」

 

「え?」

 

「それとも、あんなに甘々になるのは、提督の前だけなのかしら?」

 

私は思わず赤面してしまった。

確かに、司令官の前での私は、もっと――。

山城さんは箸を置くと、膝を抱え、小さくなってしまった。

これ以上は話したくない、という合図だった。

 

「……また、お昼に来るね」

 

そう言って、食器を持って部屋を出ようとした時だった。

 

「提督の事……」

 

「え?」

 

「提督の事……後で……また聞かせてちょうだい……。嫌じゃ……なければだけど……」

 

そのお願いに、何故か、嬉しくなっている自分がいた。

 

「……うん! もちろんだよ。じゃあ、後で」

 

「えぇ……」

 

微笑む山城さん。

だけれど、どこか不安にさせるような、そんな表情だった。

 

 

 

それからも、昼食後や、夕食後――消灯時間ギリギリまで、私たちは、司令官との思い出を話した。

たった十年ほどの付き合いだったはずなのに、いつまでも話題が尽きることはなかった。

 

「凄いな、山城さんは……。私よりも付き合いが短かったはずなのに、私よりも濃密な時間を、司令官と過ごしていたんだね」

 

「どうかしらね……。私が勝手に濃密だと思っているだけで、あなた達にとっては、なんでもない些細なことの連続だったのかもしれないわ……」

 

私たちにとってはそうかもしれないけれど、山城さんはずっと引きこもっていたから、なんでもないようなことだとしても、非日常になり得る。

そうでなくとも、司令官との時間は、濃密で、濃厚で――失うことが怖くなってしまうほどに――大事にし過ぎて、触れられなくなるような――そんなものだったはずだ。

 

「……そろそろ消灯時間ね」

 

「本当だ。あっという間だったね」

 

「そうね……」

 

微笑む山城さん。

少し、疲れが見えていた。

 

「今日はぐっすり眠れそうかい?」

 

「えぇ……そうね……。夢の中であれば、提督にも会えるし……」

 

そう言うと、山城さんは恥ずかしそうに、一枚の写真を枕の下から取り出した。

 

「司令官の写真?」

 

「枕の下に挟むと、その人の夢が見られるって……誰かが言っていたの……。絶対ではないのだけれど……おまじないというか……そんな感じ……」

 

恥ずかしいはずの秘密。

誰にも言えないはずの秘密。

そのはずなのに、私に教えてくれたという事は――。

 

「もう一枚あるから……貴女にも貸してあげるわ……」

 

「いいの?」

 

「えぇ……」

 

受け取った写真には、勇ましいポーズをとる司令官が写っていた。

 

「ヘンテコな写真だね」

 

「ヘンテコな提督が出てくるかもしれないわね」

 

小さく笑う山城さん。

完全に心を許してくれている。

それなのに、どうして私は、この笑顔に不安を覚えてしまうのだろうか。

 

「それじゃあ、お休み」

 

「うん、お休みなさい」

 

部屋を出て、もう一度写真を見る。

見れば見るほど、ヘンテコな写真。

そして、見れば見るほど――嫌になってしまうほど、あの人にそっくりで――。

 

「…………」

 

 

 

その日の夜も、私はあの人の家へと向かった。

 

「よう。来たか」

 

待っていた、とでも言うように、笑顔を見せる男。

山城さんと話し過ぎたせいか、司令官が重なって見えてしまう。

本当に親子なんだって、嫌でも思ってしまう。

 

「……今日の報告の前に、貴方に言いたいことがある」

 

「なんだ?」

 

「山城さんと話していて、気が付いたんだ……。貴方が何を企んでいるのかをね……」

 

「俺が企んでいること?」

 

とぼけるように、首をかしげる男。

動作一つ一つに、司令官の面影が見え隠れする。

 

「山城さんがああなってしまったのは、司令官が関係していると考えた貴方は、司令官と距離の近かった私を山城さんの元へ送ることで、手掛かりをつかもうとした……。そして、それは私にも同じことが言えて――あわよくば、一石二鳥のように、私をも攻略しようと考えた……。違うかい……?」

 

男が笑う。

それがどういう意味なのかは分からない。

分かる必要もない。

 

「なるほど。山城と、親父の話をしたんだな?」

 

驚きはしなかった。

 

「半分あっているが、半分間違っている。俺は、お前を攻略しようとは考えていない」

 

「山城さんの手掛かりを引き出す為だというのは、合っているんだね……」

 

「お前の大好きな司令官を利用されて、怒りを覚えるか?」

 

そう言われ、気が付く。

そうか……。

普通は、そう怒るところなんだ、と……。

けれど――。

 

「……まあいい。報告は、山城が親父の事を話し始めた、ということだけか?」

 

「……そうだよ。詳しい話は……」

 

「しなくていいよ。お前も、話せない、と言うつもりだったのではないのか?」

 

何もかもを見透かしているかのような目だった。

この人は、一体、どこまで先の未来を見ているのだろうか……。

 

「俺からも報告することがある。お前にとっては朗報になるかもな」

 

「朗報?」

 

「暁が、島を出る決意を固めた。今朝、俺に相談して来た」

 

……なるほど。

暁の考えそうなことだ……。

この男が言っていることは事実だろう。

けど、暁の本心は違う。

暁は、本気で島を出ようとは考えていないはずだ。

 

「電と雷が、それに反対している。だが、暁は、一人になろうとも島を出る決意があるようだ」

 

そんな勇気もないくせに。

おそらく暁は、私を動揺させるために、そんな嘘をついているのだろう。

すると、最近になって説得をやめたのは、この嘘の為だったわけだ……。

そんなことまで、暁は――いや、違う。

暁が、そこまで考えられるはずがない。

考えるとすれば……。

 

「どうした?」

 

「……いや」

 

「……もし、暁一人で島を出るというのなら、俺はそれを止めるつもりはないぜ」

 

「うん、それでいいよ。尤も、暁が本当に一人で島を出ることが出来るのかは、疑問だけれどね」

 

そう言って、私は男を見つめた。

少しは動揺を見せるものだと思っていたのだけれど、男は――。

 

「そうか。分かった。報告は以上だ。お前から、他に何かあるか?」

 

「……ないよ」

 

「じゃあ、また、何かあったら」

 

「うん……」

 

動揺を誘うつもりが、却って私が動揺してしまっている。

けれど、その動揺の正体が分からない。

私は、何に動揺している?

この男の策略に?

それとも――。

 

 

 

その日の夜、山城さんのおまじない(?)が効いたのか、司令官の夢を見た。

私は、司令官に肩車されていて――大淀さんに切ってもらったのだという司令官の短い髪を、平手でポンポンと叩いていた。

 

『怪しい雨雲が見えるな』

 

司令官は立ち止まると、遠くの雨雲を見つめた。

 

『ありゃ、雷雲になるな……。今日の夕方辺り、こっちに来そうだ……。また、山城のところに行ってやらないとな……』

 

『山城さんのところ? どうして?』

 

『あいつ、天災を恐れているんだ。台風とか、雷とか――人間も艦娘も、深海棲艦でさえ、天災には勝てなかったのだと、あいつは言っていた』

 

『私も雷は怖いって思っているけれど……。山城さんほどの艦娘が、そこまで天災を恐れるって、何かトラウマでもあったのかな?』

 

『さあな……。あいつは、神様だとか、運命だとか――そういう、俺たちにはどうしようもないものを恐れている節があるから、天災も、そのテのものであると認識しているのやもしれん』

 

『神様、運命……。どっちも、天災と同じように恐れるものだとは思えないけど……』

 

『そうかな……? 神様は絶対にいいやつだと言い切れるか? 運命に残酷なものはないと言い切れるか?』

 

そう問う司令官の声は、少しだけ怖かった。

 

『神様がどんなもんかは俺にも分からない。だが、山城が解釈している神様ってのは、俺たちにはどうしようもない存在で、運命と同じものなんだ。運命は、時として残酷だ。神様の選択も、また然りだ』

 

遠くの雲が光る。

遅れて、音も――。

 

『そろそろ戻るか』

 

寮へと引き返す司令官。

暗くなって行く視界。

そうだ、これは夢だった……!

夢から覚めてしまう……!

最後に、司令官の顔を――!

その顔を確認した瞬間、私は――。

 

 

 

窓を叩く雨音に、目が覚める。

 

「雨……」

 

久しく感じていなかった、憂鬱な気分。

そうだ……。

こういう雨の日は、一日中ずっと、司令官は、山城さんの傍にいるんだ。

忘れていた憂鬱。

忘れていた寂しさ。

 

「司令官……」

 

枕の下にあったはずの写真は、いつの間にか、部屋の隅で裏返っていた。

 

 

朝食を貰いに、食堂へと向かうと――。

 

「あ……」

 

――という声と共に、皆が一斉に、私を見る。

何事かと思っていると――。

 

「響」

 

私を呼んだのは、暁だった。

何故か、皆に囲まれている。

 

「相変わらずお寝坊さんね」

 

暁は私の前に立つと、いつもの優しい表情で、言った。

 

「暁ね、島を出ることになったの」

 

私はすぐに、あの男の姿を探した。

けど……。

 

「でね……? 一応、皆にも話しておこうと思って……。これから、話し合いをするところなんだけど……。もし……嫌じゃなければ……響にも参加して欲しくて……」

 

だからか……。

だから、あの男は――。

 

「本気で言っているのかい……?」

 

「うん、本気よ。電と雷は、反対しているようだけれど……。二人は、暁を止めるよう、司令官を説得しに行っちゃった……」

 

そう言えば、あの二人の姿も無い。

 

「……そう。私は反対しないよ。島を出るつもりもないから」

 

冷たく言ったつもりだったけど、暁の表情は、相変わらず優しかった。

 

「ひ、響ちゃんはそれでいいの!? だって……もう二度と、暁ちゃんに会えなくなるかもしれないんだよ!?」

 

敷波……。

相変わらず、あの男に騙されているね……。

それどころか、暁にさえ――。

 

「いいのよ、敷波。響がそういう選択をするというのなら、暁からは何も言うことはないわ」

 

「暁ちゃん……。で、でも……!」

 

「いいの。いつか、こういう日が来るかもしれないって、薄々感じてはいたの。でも、それが嫌で、色々理由をつけて一緒に居たけれど――ずっと、暁の我が儘に付き合ってくれていたのだもの。そろそろ、独り立ちしないといけないわよね」

 

どこか、寂しそうに笑う暁に、私は思わず顔を背けてしまった。

 

「山城さんのところに行くんでしょ? ごめんね、呼び止めちゃって」

 

「……いや」

 

「暁ちゃん……」

 

「皆もごめんなさい。話の続き、朝食を摂りながらでもしましょう?」

 

そう言って、暁は皆の方へと去って行った。

 

 

 

「どうかしたの……?」

 

山城さんが、心配そうに問い掛ける。

 

「え……?」

 

「何だか……悩んでいるように見えるのだけれど……」

 

「な、なんでもないよ。ちょっと、色々考えちゃって……。ほら、写真、枕の下に置いたら、司令官が夢に出て来て――」

 

『ずっと、暁の我が儘に付き合ってくれていたのだもの。そろそろ、独り立ちしないといけないわよね』

 

嘘じゃなかった。

暁のあの表情に、偽りはなかった。

あの男の策略じゃなく、暁は本当に――。

 

「そしたら司令官が、山城さんのところに行かなきゃって言ってて――」

 

――別に、いいじゃないか。

これは、私が望んだことで――雷と電が付いていかなかったのは誤算だったけれど――とにかく、これで解決したじゃないか。

いや、或いは、あの男の策略が、一歩先を行っていて――そうさ、安心できていないのは、まだ暁が島を出た訳じゃないからで――あの男の策略を警戒しているからで――。

 

「……こういう雨の日は、いつも、司令官は山城さんのところに行くから……それを思い出して……憂鬱になっちゃったのかも」

 

そうさ。

司令官の事を思い出して、少しだけ、胸が痛くなっているだけさ……。

なんてことはない。

暁が島を出てさえくれれば、きっと――。

 

 

 

その日の夜。

私は、あの男に呼び出された。

 

「よう」

 

いつもと違い、縁側に座る男。

隣に座れと言わんばかりに、座布団が置かれていた。

 

「交流する気はないよ」

 

「分かっている。別に、座りたくなければ座らなくてもいいさ。ただ、雨上がりの夜空があまりにも綺麗だったから、眺めながら報告でもと思ってな」

 

「随分ロマンチストなんだね」

 

嫌味のつもりだったのだけれど、男はフッと笑って見せた。

 

「……私から報告することは特にないよ。貴方にはあるのかな?」

 

「あぁ、ある。暁が島を出ることは、もう聞いただろ?」

 

「うん……」

 

「では、電と雷も、島を出る決意をしたことは?」

 

「え?」

 

「今朝、あの二隻が俺のところに来た。暁の決意を覆してくれとな」

 

それは知っている。

結局、説得できず、帰ってきたことも――。

 

「暁がどうして島を出るのか――如何にお前の事を想っているのか――それらを説明してやった。あいつらは、それでも納得できず、諦めて帰っていったよ」

 

知っているさ。

 

「知っているよ……。なのにどうして、島を出ると……?」

 

「さあな……。あいつらなりに、色々考えたんじゃないのか? 結局、夕食が済んだ頃、俺のところにやって来て、一緒に島を出るのだと聞かされたよ。明日にでも、皆に言うんじゃないか?」

 

嘘だ。

 

「……そんな話、信じられない。今まで反対してきたのに、急にどうして……。それに、仮にあの二人が島を出るとして、貴方がその理由を知らないのはおかしいじゃないか……」

 

「理由を問う必要が何処にある?」

 

男が私を見る。

恐ろしく見えてしまうのは、きっと――。

 

「……貴方らしくないよ。全部、おかしい……。暁が島を出ると言い出したのも、電と雷の心変わりも……。一体、貴方は何をしようとしているんだい……!?」

 

熱くなる私とは対照的に、男の表情は、冷め切っていた。

 

「何をそんなに疑っている? お前の望み通り、あの三隻は島を出ると言っているんだぜ?」

 

「私を動揺させるための――」

「――お前はそんな事で動揺する質なのか?」

 

男の目――声――全てが恐ろしく感じた。

いつだったか、司令官が――さんを問い詰めた時と、同じ表情だった。

 

「こんなことで動揺するな……。あいつらは本気なんだよ……。そんなんじゃ、今後、お前一人でやっていけねぇぞ……」

 

「……っ」

 

「現状、山城を島から出すのに、お前は必要不可欠だ。そういう意味で言えば、今、お前に島を出られちゃ困るのは、俺なんだぜ。だからこそ、あの三隻がどうして島を出るのか、お前には知られたくない。その意味……分かるだろ……?」

 

私は、何も言い返せなかった。

怖かったからじゃない。

納得してしまったからだ。

 

「……動揺する気持ちは分かる。もし、それに耐えられないというのなら……俺に出来ることがあれば、なんでもする。親父の真似事でも、なんでもな……」

 

「……いや。大丈夫……。大丈夫だよ……」

 

「……本当か?」

 

「うん……」

 

永い沈黙が続く。

男は、しばらく私の様子を窺った後、安心したように夜の海を望んだ。

 

「三隻が島を出たから、もう協力はしない……ってのはナシだぜ。こう見えても、俺は――お前の言った通り、らしくないやり方を選んだ。苦渋の決断だったんだぜ」

 

夜空を仰ぐ男の表情は、どこか――。

そう見えるのも、きっと――。

 

「報告は以上だ。寒いのに、悪かったな」

 

そう言うと、男は黙り込んでしまった。

私が去るのを待っているようであった。

 

「……一つだけ、訊いてもいいかい?」

 

「ん?」

 

「貴方は司令官を……自分の父親の事を……どう思っているんだい……?」

 

曖昧な質問だった。

する必要のない、質問だった。

けど――。

 

「……最初は、恨みの対象だったよ。どうして母さんを捨てたんだ……って……。でも、今は尊敬している。けどそれは、父親としてではなく、一人の人間としてだ。親父の親父らしいところなんて――それどころか、思い出だって、思い出す方が大変で――だからさ……」

 

男が――司令官の息子が、私を見た。

暁が見せた、どこか寂しそうな笑顔を向けて――。

 

「お前が羨ましいよ」

 

 

 

家を出た後、私はしばらく、静かな夜の海を見つめていた。

これは同情なんかではない。

そう言い聞かせても、頬をなぞる風は、冷たいままだった。

 

 

 

翌朝。

食堂を訪れると――。

 

「響」

 

「響ちゃん」

 

皆が、電と雷を囲んでいた。

男の言っていたことは、本当だった。

 

 

 

その日の夜中に、三隻を迎えに来る船はやって来た。

いつもの仰々しい感じとは違って、夜逃げのように、ひっそりとしていた。

 

「響ちゃん……! 響ちゃん……!」

 

敷波が、部屋の扉を叩く。

 

「響ちゃん! いるんでしょ!? 暁ちゃん達、行っちゃうよ!?」

 

私が黙り込んでいると、山城さんが言った。

 

「行かなくていいの……?」

 

「うん。いいんだ。暁たちも、お別れを言いには来ないし、私の事は諦めたんだと思うから」

 

本当に島を出るつもりであるのなら、それでもいい。

でも、私はまだ疑っていた。

昨日は、あの男にそれらしいことを言われて納得してしまったけれど、冷静に考えると、やっぱりおかしいじゃないか。

電と雷が、急に意見を変えるなんてありえないし、たった一日二日で島を出る決意を固められる訳がない。

お花見だって、あの三人が一番楽しみにしていたのに、それをしないで――そもそも、いつもは早朝に迎えに来ていた船が、今日に限ってどうして夜中に――それも、あんなに小さな船で、夜逃げのようにして――。

 

「……別れの言葉くらいは、言っておいた方がいいんじゃないかしら?」

 

「別に、大丈夫だよ」

 

「どの会話が最後になるか……分からないわよ……」

 

そう言う山城さんは、どこか悲しそうな表情を見せていた。

 

「……司令官との別れの時も、同じだった……という訳かい?」

 

山城さんは――。

 

「提督との最後の会話は……たった一言だったわ……」

 

「……なんて言ったんだい?」

 

「『また明日』……よ……」

 

また明日……。

 

「今思えば……あの日の夜から、私の世界に夜明けは無かったのかもしれないわね……。だから、私の世界は、ずっと――今も――」

 

そう言うと、山城さんは膝を抱えてしまった。

 

「…………」

 

いつの間にか、敷波は居なくなったようで、辺りは一気に静まり返った。

私はそっと、カーテンを開けて、海を望んだ。

そこには、小さな船が一隻だけ浮かんでいて――月明りに照らされた航跡が、キラキラと光っていた。

 

 

 

翌朝。

食堂へ向かうと、皆が一斉に私に目を向けた。

 

「響ちゃん……」

 

いつもの席に、暁も、電も、雷も居ない。

本当に島を出た――はずがない。

きっと、あの男の家にでも匿われているのだろう。

 

「おはよう」

 

男が食堂へ入ってきて、皆に挨拶をする。

男は私の表情を確認すると、席に着いた。

やはりそうだ。

私が動揺していないか、確認したんだ。

暁たちは島を出ていない。

島を出たのだと思い込ませ、私を動揺させるつもりだったんだ。

 

「皆さん、揃いました……よね……? あの三人が島を出て、なんだか一気に少なくなった感じがしますね……」

 

皆が俯く。

そんな事、わざわざ言わなくても――もしかして、大淀さんも、この男の共犯で――或いは、私以外全員が――。

 

「本日は、明日開催のお花見の準備と、島を出た三人の部屋の掃除があります。掃除を担当するのは――」

 

部屋の掃除……か……。

本当に出ていった、ということをアピールしたいんだね。

回りくどすぎて、逆にキナ臭くなっているよ……。

これ以上は付き合っていられないと思い、私は食事を持って、山城さんの部屋へと向かった。

 

 

 

その日の夜、家へと帰ろうとしていた男を、私は呼び止めた。

 

「これから報告に行こうと思っていたんだ」

 

「そうか。別に、わざわざ家に来なくてもいいんだぜ。暁たちも島を出たことだし、山城が部屋から出ることも無いしな」

 

当然、そうやって牽制するよね。

家には暁たちがいるんだから。

 

「他の人たちに知られたくない。言っていないんでしょ? 他の人には」

 

逃げ道を塞ぐように、そう言った。

どんな答えが返ってくるものかと期待していたのだけれど、男は「そうか。じゃあ、行くか」と言って、歩き始めた。

もしかして、家で匿っている訳じゃない……?

 

 

 

家は真っ暗だった。

誰かがいた形跡も無いし、実際、誰もいなかった。

 

「分かっているとは思うが、俺から報告することはないぜ」

 

「うん。私の方は――」

 

いつものように、適当に報告をする。

男の視線に注目したけれど、動揺したり、何かを隠しているような動きはなかった。

 

「――以上だよ」

 

「つまり、いつも通りって事だな」

 

男はため息をつくと、私に言った。

 

「今後、特に何もなければ、こうして報告する必要はない。俺の方から報告することも無いしな」

 

報告は必要ない……か……。

やはりおかしい。

私との交流の機会は、この報告しかない。

それを、わざわざ放棄するなんて……。

どこかに匿っているであろう暁たちの場所を悟られないため……?

 

「お前もその方がいいだろうと思う。出来ることであるのなら、俺と居たくはないだろうしな」

 

「……そうだね」

 

「なら、後はお前に任せるよ。山城の事、頼んだぜ……」

 

そう言うと、男は「風呂に入る」と言って、居間を後にした。

隙を見せるという事は、やっぱり、暁たちはこの家に居ない……?

念のため、庭に出て、倉庫や遊具などを探してみたけれど、やはり人がいた形跡はなかった。

家ではないとすると、島のどこかだろうか……?

 

 

 

翌日の早朝。

私は寮を出て、心当たりのある場所をひたすら探した。

夏に海水浴をする入り江。

岩場を越えた反対側。

畑。

備蓄庫。

風力発電のある島の頂上。

他にも、昔、皆で秘密基地をつくった場所や――。

寮に戻って、空き部屋――道場、鶏小屋、倉庫、焼却炉、天井裏、床下収納、執務室――全て、確認した。

でも、やっぱり――。

 

「…………」

 

私は何故か、焦りを感じていた。

本当に、暁たちは島を出たのだろうか……?

いや、でも――。

――違うよ。

どうして、暁たちが島を出たことを否定しようとしているんだ……?

本当に島を出たというのなら、それでいいはずだ……。

なのに、どうして――。

 

「……違う」

 

暁たちがいなくなって、ショックを受けている訳じゃない。

これは……違う……。

これは……ただ……。

ただ……。

 

「違うのに……どうして……」

 

食堂が騒がしくなって行く。

私は『ソレ』を隠すように、顔を洗ってから、食堂へと向かった。

 

 

 

お昼になると、寮は静かになった。

 

「今日は天気がいいから、お花見日和だね」

 

そう言って、私は部屋の窓を開けて、春の風を部屋に招き入れた。

 

「お花見……行かなくていいの……?」

 

「山城さんは行かないんでしょ? だったら、私もここにいるよ。ここでも、お花見は出来るしね」

 

昼食は、お花見用のお弁当から、おこぼれを貰った。

日本酒も、少しだけ。

 

「……平気なの?」

 

「え?」

 

「六駆の子たち……全員島を出てしまって……」

 

「……うん。平気だよ」

 

お猪口に注いだ日本酒に、春の風が桜の花びらを添えてくれた。

 

「……本音を言うと、少し――ううん……結構、寂しいと言うか……辛いと言うか……。本当に出て行っちゃったんだなって……」

 

「…………」

 

「でも……本当にそうなんだって確信したら――泣いてスッキリしたら――簡単に受け入れられたんだ……」

 

もう戻らない。

そう確信できた時、未練は消え失せる。

昔、大切に育てていた兎が病気になって、死んでしまうんじゃないかと、皆、不安になった。

でも、いざ死んでしまったら――受け入れられないほどの絶望があるものだと思っていたのだけれど――二日も経ったら、誰もその兎の話をしなくなっていたし、新しく来たハムスターに夢中になっていた。

 

「不思議だよね……。ずーっと一緒に居たのに、別れは突然やってきて――それでも、案外受け入れられちゃうんだなって……」

 

死――別れ――。

兎も、暁たちも――それらを簡単に受け入れられるのなら、私は……私たちは、どうして司令官を――。

……いや。

そうじゃない。

そうか……。

私は――。

 

「……山城さん」

 

「なにかしら……?」

 

「司令官は……もう戻って来ないの……?」

 

山城さんは答えない。

答えられないのか、それとも、気を遣っているのか。

いずれにせよ、きっと、山城さんは――。

それでも、山城さんは――。

 

「私は……」

 

私は……違う……。

山城さんとは、違う……。

気が付いてしまった。

暁たちがいなくなって――兎を思い出して――そして、司令官が居なくなったあとの事を、思い出して――。

 

「山城さんは……司令官の事、忘れたことはある……?」

 

「……いいえ。ずっと、毎日、想っているわ……」

 

……やっぱりね。

そうさ……。

私は、山城さんとは違って、司令官がいなくなった後でも、ちゃんと笑えていた。

クリスマスも、お正月も、お花見も――全部全部、楽しめていた。

司令官がいなくても――司令官を忘れても――悔やむことなく、健全に、前向きに、生活できていた。

泣いて、すっきりして、司令官の事を言わなくなって、想わなくなって――あの男がやってきて、ようやく私は、思い出して――。

そうか……。

私は、もう、司令官の事を――。

 

「う……うぅぅぅぅ……」

 

司令官……。

私は……やっと……貴方の死を受け入れられたようだ……。

死んだ者は生き返らない。

不死鳥は生まれ変わっても、それは新しい命でしかない。

私の知る司令官は、もういない。

同じように生まれ変わることはない。

そうさ……。

 

【沈んでしまった艦娘が、そうだったじゃないか――】

 

だからきっと、司令官も――。

泣き続ける私の背中を、山城さんは困惑しながら撫でてくれた。

その手は恐ろしいほど冷たくて、生気を感じなかった。

 

 

 

大きな桜の木の下で、男は微笑みながら、騒ぐ皆の様子を見つめていた。

 

「ん……?」

 

酔っているのか、少し赤くなった顔を、私に向ける。

 

「よう、どうした?」

 

そう問い掛ける男の顔は、とても優しくて――司令官の顔にそっくりなはずなのに、全く別人のようにも感じて――。

 

「貴方に、訊きたいことがあるんだ」

 

男は少しだけ驚いた表情を見せた後、何も言わず、私の言葉を待ってくれていた。

 

「司令官は――貴方の父親は、もう、戻って来ないの……?」

 

男は空を見上げると――本当に嫌になるほど、空は澄み渡っていて――男の目も、また――。

 

「そうかもしれないな」

 

らしくない、曖昧な回答。

酔っているからなのか、それとも――。

 

「もし、生まれ変わることが出来たとしても、親父はきっと、ここには戻って来ないんじゃないかな」

 

「……どうしてそう思うの?」

 

「親父は、俺の母さんを――自分の妻を、心から愛していた。死後の世界があるのかは知らんが、生まれ変わって来ないところを見るに、きっと、あの世で二人、楽しく暮らしているんじゃないのかなってさ。あまりにも幸せなもんだから、こっちに戻れないんじゃないのかな」

 

男が笑う。

 

「お前らの事は心配だろうけれど、俺がいるしな。心配事は息子に任せて、自分は妻との幸せな時間を謳歌しているんだよ。全く、勝手な親だよな」

 

潮風が、桜の花びらを攫ってゆく。

その合間に見える男の顔は――。

 

「だから、親父の事なんて気にするな」

 

嗚呼、そうか……。

この男は――この人は、そうやって――。

私も、いつか、そう思えるかな……。

 

「――思えるさ」

 

それは、風の空耳だったのかもしれない。

けど、それは確かに――彼の優しい表情が、そう言っているようだったから――そう、受け入れることが出来たから――。

 

 

 

その日の夜、私は、山城さんに全てを告白した。

別に、男を信用したからではない。

ただ、知っておいて欲しかった。

司令官が生まれ変わらないのは、幸せに暮らしているからだって……。

共有したかった。

山城さんが受け入れてくれたら、きっと、私も前に進めるって――男がそう受け入れたように――私も、信じられるはずだって――。

 

「――ごめんなさい。嫌な気分になったよね……。私が……あの男と繋がっていただなんて……。でも……山城さんにも知っておいて欲しかったから……。そう、信じて欲しかったから……」

 

山城さんは――。

 

「……そうね。きっと、そうだわ。提督は、きっと、死後の世界で、幸せに暮らしているはずだわ。貴女の言う通りだわ」

 

山城さんが笑う。

その表情は、とても幸せそうだった。

 

「山城さん……」

 

「ありがとう、響。そうよね。きっと、そうよね」

 

「うん……! そうだよ! あの男だって――司令官の息子だって、そう言っているし、きっとそうさ」

 

その時、消灯時間を知らせる時計が鳴った。

 

「あ……もう……こんな時間……」

 

「本当ね」

 

「……あの。山城さん……私の事……あの男と繋がっていたこと……怒っていない……?」

 

「えぇ、怒っていないわ。むしろ、感謝しているくらい」

 

「本当……?」

 

「えぇ。とっても大切なことに気が付けたわ。ありがとう、響」

 

「山城さん……」

 

嗚呼、私はなんて馬鹿な女なんだろう。

 

「そろそろ、部屋に戻ったら?」

 

どうして、気が付くことが出来なかったのだろう。

 

「うん……。山城さん、許してくれてありがとう……」

 

山城さんの笑顔に隠された、その意味に――。

 

「それじゃあ、山城さん――」

 

どうして――。

 

「――また明日」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。

 

司令官が亡くなっていたあの場所で、血まみれになった山城さんが発見された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り――13隻

 

 

 

――続く



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26話

会議室に居る誰もが、彼を責め立てた。

国家への反逆だとか、人類の敵だとか――それはもう、言われ放題だった。

私は気の毒に思ったが、彼を庇う立場にはなかったし――何よりも、上官の怒号に委縮していた。

彼も同じなのだろうと、恐る恐る表情を確認すると――私は、あの時の彼の表情を、一生忘れないであろう――。

それを裏付けるように――或いは、そんな思い出に添えるような――そんな言葉を、彼は、さも当たり前のように口にした。

 

「『そうする』用意もある」――と。

 

静寂。

全員が、彼の言葉の意味を理解していた。

そして、それが可能であることも――。

それが、本気であろうことも――。

 

――思えば、この時だったのかもしれない。

 

私が、海軍を去ろうと決意したのは――。

 

――この時だったのかもしれない。

 

私が、彼を――彼の功績を、世に伝えて行くことになるであろうと、予感したのは――。

 

『柊木紫 著『戦争を終わらせた男』より』

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

島に戻ると、夕張が出迎えてくれた。

 

「夕張」

 

「大丈夫だった……?」

 

「何がだ?」

 

「何がって……。山城さんを『修理』したこと……責められたんじゃないかって……」

 

「まあ、責められはしたが……黙らせてきたよ。それよりも、山城はどうだ? まだ、目覚めないか?」

 

「えぇ……。もうそろそろ起きてもいいはずなんだけど……。響ちゃんが付きっきりで様子をみているわ……」

 

響……。

 

「それより……明石のところに行ってあげて……。あの子……自分の判断で山城さんを修理しちゃったこと――貴方が庇ってくれたことに、責任を感じちゃっているようだから……」

 

「そうか……。明石は部屋に?」

 

「うん……。山城さんの修理に体力を使ったみたいで、部屋で寝込んでいるわ……」

 

大きな『修理』には、体力を使うらしい。

山城の『傷』は大きくなかったが、人間で言うところの『失血』に近い状態であったため、修理には相当な体力を使ったようであった。

 

「明石の部屋に行ってくる。お前は、引き続き、山城と響の事を頼む」

 

「うん、分かった」

 

 

 

部屋の扉をノックしても、中から返事はなかった。

 

「……入るぞ」

 

明石は案の定、布団をかぶり、顔を隠していた。

 

「よう。体調はどうだ?」

 

返事はない。

俺は傍に座り、布団の上から明石を撫でてやった。

 

「いらん心配をさせたようで、悪かった……」

 

そう言ってやると、明石は布団から顔を出した。

目の辺りが真っ赤になっているところを見るに、泣いていたのであろう。

 

「私が……修理しなければ……」

 

明石が涙を流す。

本人も分かっているのだろう。

修理しなければ、山城は『機能停止』となり、強制的に人化されることを……。

海軍はそれを望んでいるはずで、それに反した行動をしてしまった自分を――それを庇った俺に、何らかの処罰があるという事を――。

 

「誰でもそうするさ。俺だって同じことをしたはずだ」

 

あの日、山城は大怪我を負った。

第一発見者である響は、俺を呼び、俺の判断で明石に無理やり修理をさせた――というのが、海軍への報告だった。

だが、現実は違う。

あの日、山城は自殺を図った。

原因は不明だが、響曰く『自分のせい』だとか。

第一発見者である響は、明石を呼び、その明石は――咄嗟の事もあったのだろう――俺の判断を待たず、山城を修理したのだ。

山城の自殺未遂――明石の独断修理――そんな事を海軍には報告できず、俺は――。

 

「明石」

 

明石の手を取る。

温かく、華奢な手であった。

 

「山城を助けてくれて、ありがとう」

 

明石は布団からとび起きると、俺の胸の中で泣き始めた。

不安や罪悪感――それら全てが、涙となって溢れ出ているようであった。

 

 

 

明石はしばらく泣いていたが、落ち着いたのか、はたまた泣き疲れたのか、急に大人しくなった。

 

「落ち着いたか?」

 

頷く明石。

だが、離れようとはせず、深く身を預けた。

 

「……山城を修理しなければ、島を出る大きな一歩になっただろうに」

 

明石は答えない。

だが、思ったことではあったのだろう。

どこか、悔いるような表情を見せていた。

だがそれは、山城を修理した後悔ではなく、そう思ってしまった事に対する表情であった。

 

「相変わらずお人よしだな……」

 

「……そんなんじゃないです」

 

明石は顔を上げると、俺をじっと見つめた。

 

「不純なんです……。提督なら……きっと……山城さんを修理するよう……言うと思ったから……。何も言わずに修理したら……きっと……喜んでくれると思ったから……」

 

再び泣き出しそうになる明石。

なるほど……そういう事か……。

 

「だから……こんなことになるって……提督が責任を問われることになるだなんて……想像出来なかった……。私は……私の利益しか考えられていなかったんです……。貴方を危険にさらしてしまったんです……」

 

とうとう泣き出す明石。

不純――だが、それはあまりにも純粋すぎるようで――。

とても明石らしいと思ってしまうのは、悪い事だろうか?

 

「その選択に、誤りはないよ。現に、俺はお前に感謝しているんだ。だから、もう泣くな」

 

涙を拭ってやると、明石は目を逸らしながら、小さく言った。

 

「お人好しなのは提督の方です……。もっと……叱ってくれてもいいんですよ……?」

 

「叱って欲しいのか?」

 

明石は答えない。

だが、何故だろう。

明石の言いたいことが、手に取るように分かるのは。

 

「皆とは違う態度をとって欲しいという訳か」

 

そう言ってやると、明石は焦りだした。

図星ってことか。

 

「不純だな」

 

「ち、違うんです……! 別に……そう言う訳じゃ……」

 

「だとしたら、どういう訳なんだ?」

 

揶揄うように言ってやると、明石はようやく、いつもの態度を取り戻した。

 

「……提督は、誰にでも優しいですよね」

 

言葉とは裏腹に、表情はどこか、怒っているように見えた。

 

「別に、誰にでもって訳じゃないさ。普通に叱ることもあるし、厳しい態度で臨むこともある」

 

「じゃあ……私にも……そうしてくださいよ……。優しいだけだと……不安になっちゃいます……」

 

不安になる……か。

 

「自分がどうでもいい存在なんじゃないかと――他人行儀な感じだと、言いたいのか?」

 

明石は驚いた表情を見せた。

 

「なんでもお見通しなんですね……」

 

「長いからな」

 

そう言ってやると、明石は俺をじっと見つめた後、そっとキスをした。

 

「……抵抗した方が良かったか?」

 

「……長い付き合いでしょう?」

 

察しろ、とでも言うように、明石は赤くなった顔を隠すよう、そっと寄り添って見せた。

 

 

 

山城の部屋に向かうと、ちょうど体を拭いている最中だったらしく、夕張に追い出されてしまった。

 

「ノックくらいしなさいよ!」

 

そう言って、夕張は部屋の扉を思いっきり閉めた。

少しして、申し訳なさそうな表情の響が、部屋から出て来た。

 

「響……」

 

「……私の部屋に来て。ここじゃあ……人目につくから……」

 

 

 

部屋に着くと、響は俺に頭を下げた。

 

「やめろ……。お前のせいじゃないさ……」

 

首を横に振る響。

 

「私のせいだよ……。私が……司令官は死後の世界に居るだなんて、言っちゃったから……」

 

曰く、俺の言ったことをそのまま山城に伝えたようで――。

 

「――きっと、山城さんは司令官に会おうとして――死んだら会えるんだって思って――だから……」

 

悔いるように、響は拳をぎゅっと握った。

 

「そう思わせた俺が悪いんだ……。お前はよくやってくれていたよ……」

 

再び首を横に振る響。

こいつは賢い所があるから、どんなことを言ったとしても、慰めにはならないだろうし、自分は悪くないのだと納得はしないだろうな……。

 

「……分かった。お前も悪いし、俺も悪い。今は、それで手を打とうじゃないか」

 

響はどう返していいのか分からないのか、反応を見せなかった。

 

「それよりも、今後の事だ。山城が目覚めたとして、再び同じことを起こされてはかなわん。何か、手を考えなくてはな……」

 

「……今度は目を離さないよう、ずっと一緒に居るよ」

 

そういう話ではない。

だが――。

 

「……貴方は、否定しないんだね」

 

俺の考えを読んだかのように、響はそう言った。

 

「司令官が死後の世界で幸せにしているってことを否定すれば……山城さんだって、きっと……」

 

「……そうしたところで、現状は変わらないだろう。あいつだって分かっていたはずだ。仮に『機能停止』になったとしても、死ぬことが出来るわけではないのだと……。それでもあいつは、ああいった手段を取った。言い聞かせたところで、まともな判断が出来る状況ではないのだろうと思う」

 

尤も、それは俺の憶測でしかない。

だが、それでも――。

 

「私の為……なんでしょ……?」

 

やはり……。

 

「私が……そう信じているから……否定しないでいてくれるんでしょ……? 私が……それを希望にしているから……貴方は……」

 

響だって、本当は分かっているはずだ。

だからこそ、山城に話したのだ。

そういう事であるのだと、自分に言い聞かせるために……。

 

「……死後の事なんて、誰にも分からないことだ。だからこそ、何を思うのかは自由だし、それを否定できないだけだ……」

 

「でも――」

「――なら、何を根拠に否定できるというのだ?」

 

少しキツイ言い方であった。

それでも、こうでもしなければ、響は納得しないままであろう。

 

「お前に、山城を納得させられるか……? 俺が否定したところで、あいつは納得できると思うか?」

 

響は俯くと、黙り込んでしまった。

 

「……とは言え、いい考えがある訳ではない。俺も色々考えてはみるが、何か、いい案があれば協力して欲しい……」

 

そう言って、反応を待たず、部屋を出ようとした時であった。

 

「……一ついいかい?」

 

振り返ると、響が俺を見つめていた。

 

「なんだ?」

 

「貴方は……どうして私を責めないんだい……? それどころか……どうして私を想ってくれるんだい……?」

 

「……責める必要なんてないし、別に、お前を想っているわけではないさ」

 

「……嘘だよ。貴方は……私の知っている貴方は――。それに、私には分かっているから……。そうやって突き放すのは、私を納得させるためだって……。そういう……優しさだって……」

 

「俺の事を知った気でいるのなら――」

「――分かっているから」

 

響の目は、いつだったか、似たような事を言った夕張のものと同じであった。

 

「……その答えを聞いたとして、お前は俺を許せるのか?」

 

首を横に振る響。

許せないのかよ。

 

「でも……許したいと思っている自分がいるんだ……」

 

意外な答えであった。

 

「俺が、親父に似ているからか……? 親父の息子だからか?」

 

「……分からない。でも……」

 

響は再び、俺を見つめた。

力強く――或いは、何かを堪えているかのような――そんな目であった。

 

「私の想っていた司令官は……もういないから……」

 

「お前……」

 

それは、つまり――。

 

「しれえ! しれえ、居ませんか!?」

 

廊下の方で、雪風が俺を呼んでいた。

 

「雪風? なんだってんだよ……」

 

部屋を出ようとした時、響が俺の袖を掴んだ。

 

「響……?」

 

「いつか……貴方の本心を聞かせて欲しい……。そうしたら、きっと、私も……」

 

響はゆっくりと手を下げると、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 

「響……」

 

そうしたら、きっと……か。

 

 

 

部屋を出て、雪風を呼び止めた。

 

「おい、一体なんだってんだ?」

 

「あ、しれえ!」

 

相変わらず声がでけぇ……。

いや、声量も然ることながら、こう、キンキンする声が……。

 

「それで? どうした?」

 

「ちょっと、お話ししたいことがあるんです。二人だけになれる場所に行きませんか?」

 

明るい声とは裏腹に、雪風の表情は――。

それが意味しているのは――。

 

「……分かった。外に行こうか」

 

 

 

俺と雪風は、いつだったか敷波に案内された、入り江のような場所へと向かった。

 

「ここまで来れば、大人のお前になれるだろう?」

 

少し皮肉っぽく言ったつもりであったが、雪風は何故か嬉しそうに頷き、岩場に座って見せた。

 

「気が付いていたんですね。流石はしれえです」

 

微笑む雪風。

しかし、毎回驚いてしまうな。

見た目は変わっていないはずなのに、どうしてこうも印象が変わってしまうのか。

 

「お前には、色々と訊きたいことがあるのだが、先にそちらの用件から聞こうか」

 

雪風は目を瞑ると、風をなぞるように、髪を手で梳いた。

 

「山城さんの事です。雪風も協力します」

 

雪風は、力強く、頼もしそうな目で、俺を見つめた。

 

「……具体的に、どう協力すると?」

 

「山城さんの夢の中に、しれえを送ります」

 

サラっと言ってはいるが、冷静に考えると意味が分からんよな。

夢の中に入る……。

曙が俺にしたことと同じことをする……という意味なのだろうが……。

 

「……艦娘の夢、というか、ヘイズによる脳への影響については、色々と聞いてはいる。お前の異常な感染量も、お前が何かを知っていることもな……」

 

「…………」

 

「だからこそ、答えはこうだ。『余計なことはするな』」

 

少しキツイ言い方をしたつもりであったが、雪風は平静を保っていた。

 

「なら、具体的にどうするつもりなのか、訊いてもいいですか?」

 

その質問に、俺は思わず閉口してしまった。

 

「……しれえの考えていることは分かります。雪風の正体が分からないまま、協力を受け入れることは出来ない……と言いたいのですよね?」

 

図星であるし、その先の――いや、或いはもっと手前にある『苛立ち』や『プライド』の事を言っているのだと分かる。

何故そう理解できたのかは分からない。

それでも、それを確信させるだけの圧というか――そういうものが、今の雪風にはあった。

 

「……隠すつもりは無かったんです。いつかは、雪風の正体について、詳しくお話ししようと思っていました。でも、あまり雪風が関わるのも良くないって思っていましたし、何よりも……」

 

「何よりも?」

 

雪風の頬が、ほんのりと赤くなって行き――子供のソレであるはずなのに、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

「……恥ずかしいのです。だって、雪風は、貴方を――……」

 

春の風が、雪風の言葉をかき消した。

その事を分かっているのか、訊き返そうとする俺の言葉にかぶせるよう、雪風は話し始めた。

 

「今から30年ほど前の事です。雪風はある日を境に、夢を見るようになったのです……」

 

 

 

 

 

 

その夢は、とっても鮮明で――まるで、誰かの記憶を追体験しているかのような――そんな夢でした。

そして、その夢には必ず、顔の見えない男の人が登場するんです。

雪風は、その男の人の活躍を傍で見ていて――友達、恋人、夫婦なんかにもなったことがあって――とにかく、その男の人を中心とした夢を多く見てきました。

 

 

 

そんな夢が続いた、ある日の事です。

雪風は、日常に違和感を覚えるようになったのです。

最初は、些細なことでした。

いつも遊んでいる玩具や、皆との遊びに、物足りなさを感じるようになったのです。

何をやっても退屈というか、面白くないというか。

それでも、皆は楽しそうに遊んでいるし、雪風の感性に合わないだけなのかもしれないと思っていました。

けど――。

 

「あれ? 雪風、お菓子いらないの? 早くしないと、無くなっちゃうよ?」

 

「え、えぇ……大丈夫です。雪風は、あまりものを貰います……」

 

「そう? いつもなら、真っ先に選ぶのに。変なの」

 

あれだけ好きだった支給品のお菓子にも、何故だか心がときめかなくなっていました。

それどころか、お菓子に群がる姿が恥ずかしく思えてきて、雪風は徐々に、駆逐艦たちと距離を置くようになりました。

 

 

 

夢は徐々に、リアリティーを帯びていきました。

味覚、嗅覚――触覚に至るまで、全てを夢の中で感じることが出来ました。

その頃には、雪風も、なんとなく心の変化に気が付いていて――でも、そんなことはないはずだと、自分に言い聞かせていました。

――決定的だったのは、雪風に訪れた『反抗期』でした。

いつもは素直に従えていた小言に、苛立ちを覚えるようになったのです。

そして、それを他者にぶつけるようになりました。

抑えきれない苛立ち、周りの動揺――雪風の心に、何か不思議な事が起こっているのだと、ようやく理解したのです。

このままでは、皆との関係は悪化するだけだと思った雪風は、子供を演じるようになりました。

 

 

 

やがて、反抗期が終わった頃、一人の男がこの島に来ました。

――そうです。

貴方の父親である、佐久間さんです。

初めて彼を見た時、とても驚きました。

今まで見て来た夢の中の男は、彼であると理解できたからです。

何故だかは、雪風にも分かりません。

ただ、夢の内容を思い出す度に、夢の男の顔は佐久間さんの顔になったし、新しく見る夢にも、佐久間さんが出てくるようになりました。

 

 

 

佐久間さんが島に来て数年が経った頃、雪風は、あることに気が付きました。

それは、佐久間さんと数隻の艦娘が、同じ夢を見ているという事です。

そして、雪風は、その世界に干渉でき、かつ、思いのままに夢の世界を創りかえることが出来るという事です。

夢の共有については昔から知られていましたが、佐久間さんが来てからは顕著な現象として認識されるようになって、海軍も本格的に調べるようになりました。

その過程で、ヘイズが関係しているとの仮説が生まれ、雪風たちの感染量も調べられました。

結局、ヘイズが関係しているのかどうかは不明とされましたが、佐久間さんの感染量が増えた時期と、雪風が夢に干渉できることが分かった時期が重なったのを知って、ヘイズの影響であると、雪風は確信しました。

それを裏付けるように、霞さんと曙さんの感染量が佐久間さんと同じだと判明し、その二隻は、雪風と同じように――尤も、佐久間さんと夢を見ている間だけだったようですが――夢の中で味覚などを感じることが出来て、自由に夢を創造できるようになっていました。

 

 

 

しれえが曙さんから聞いた通り、佐久間さんを夢の世界に導いたのは、霞さんが初めてでした。

正確には、霞さんが佐久間さんの感染量を上げた……というのが正しいです。

霞さんは、佐久間さんの事が好きだったようで――それでも、あの性格ですから、現実では素直になれなかったようで――佐久間さんが眠ったのを見計らって、同じ寝床に就き、甘えていたようです。

その過程で、霞さんは……。

 

 

 

 

 

 

そこまで言うと、雪風は黙り込んでしまった。

 

「霞は……なんだ?」

 

「……いえ。とにかく、接触が多かった霞さんのヘイズが、佐久間さんの感染量を上げ、やがて同じ感染量になったようです」

 

接触が多かった……か……。

雪風が俺にしたことを考えると、つまりそれは――。

 

「……話が逸れましたね。でも、しれえが知りたかったことの一つだと思います。ここからは……雪風の……いえ、しれえの話です」

 

 

 

 

 

 

佐久間さんが島に来て、十年目になろうという時でした。

佐久間さんも人間ですから、年齢に比例するように、表情にも貫禄が出てくるようになっていました。

それはもう、出会った頃とは比べ物にならないくらいでした。

けど、不思議なことに、夢の中に出てくる佐久間さんの顔だけは、成長しなかったんです。

それどころか、現実の佐久間さんを知れば知るほどに、夢の中の男とは違う気がしてきて――それは、佐久間さんが年齢を重ねるほどに増してくるようで――徐々に、夢の男の顔も、曖昧になって行きました。

 

 

 

佐久間さんが亡くなっても、夢は続いて行きました。

けれど、とある日を境に、雪風は、男の夢を見ることが出来なくなったのです。

その日というのが、しれえがこの島に来た日でした。

 

 

 

 

 

 

雪風は、ゆっくりと視線を上げると、俺の目をじっと見つめた。

 

「しれえを初めて見た時、佐久間さんと出会った時以上の衝撃を受けました。それだけではありません。今までの夢が全てフラッシュバックしてきて――その男の顔は、しれえそのままで――夢の中での『貴方』への想いだとか、貴方との思い出など、それら全てが流れ込んで来て――気が付けば、貴方を好きになっていました……」

 

雪風の雰囲気が、一気に変わる。

いや――。

 

「お前……」

 

俺は……夢でも見ているのだろうか……?

雪風の姿は、いつだったか山城の夢で見た大人の雪風そのものだった。

 

「佐久間さんには無かった事です……。貴方が夢の男の人と同一人物ではないことは分かっています……。それでも……雪風は思ってしまうのです……。今……この瞬間の貴方は……雪風と共にある貴方なのだと……。言うなれば、夢で見た物語の一つが、今、この瞬間なのだと……」

 

「雪風……」

 

「夢で見たことのように……雪風は……貴方と関わって行きたいのです……。貴方という物語の最後を……雪風は見届けたいのです……」

 

『貴方は……ここにいる……。どこにでも居て、誰にでも優しくて――でも、それはただの夢であって――貴方が本物だって分かるまで、時間がかかったけれど――夢じゃないんだって分かったから――』

 

『雪風は、最後まで、この物語を――いえ……貴方の物語を……見届けたいと思っているんです……。そして、そこに、雪風も一緒に居たいと、思っているんです……』

 

いつだったか雪風に言われたことを思い出していた。

あれは、そういう意味であったのか……。

 

「……本当は、話すつもりはなかったんです。理解してくれないだろうし、これは貴方の物語だから……。雪風が……関わっていいものではないと思ったから……。でも……『雪風』がそれを許してくれなかった……。いつも見ている夢と違って、雪風は、ただの傍観者じゃなかったから……」

 

雪風は近づくと、恐る恐る、俺を抱きしめた。

 

「夢の中では、何度も恋をしました……。でも……『雪風』にとっては、これが初恋なのです……。貴方に迷惑が掛からないようにと、間接的に――時には、敵として――貴方に協力してきました……。お節介だったかもしれない……。迷惑だったかもしれない……。邪魔を……してしまったかもしれない……。でも……」

 

いつの間にか、雪風は、子供の姿に戻っていた。

 

「でも……それでも……しれえに雪風を認めて欲しくて……雪風を知って欲しくて……」

 

だからこそ、雪風は――。

 

「こんな雪風ですけど……どうか……貴方に協力させてください……。この物語の一人として……雪風を……貴方の傍においてください……」

 

俺は、どうして雪風が子供の姿に戻ったのかを理解した。

だからこそ、しゃがみ込み、そっと、雪風を抱きしめてやった。

 

「しれえ……?」

 

「そんな寂しい事を言うな」

 

「え……?」

 

「これは、俺だけの物語じゃない。お前の物語でもある。そうだろ?」

 

雪風が、俺の目を見つめる。

今まで見たどんな子供よりも、純粋な目をしていた。

 

「お前の力を借りたい。お前だけにしかないその力を、俺に貸してくれ」

 

俺が言っている意味を理解したのか、雪風は一筋の涙を見せると、いつものような、やかましい声とやかましい笑顔で、俺に言ってくれた。

 

「……はい! もちろんです!」

 

その瞬間――。

 

 

 

 

 

 

「んん……?」

 

目を覚ますと、何故か執務室に居た。

 

「あれ……? 雪風……?」

 

部屋には誰もいない。

 

「失礼します。あ、ようやく起きましたね」

 

部屋に入って来た大淀は、呆れた口調でそう言った。

 

「何度も起こしたんですよ? なのに、全然起きなくて……」

 

窓の外を見てみると、もう夜になっていた。

 

「……俺は、どれくらい眠っていた?」

 

「私が気が付いたのは――」

 

大淀の言った時間は、ちょうど、雪風に呼ばれた時間と一致していた。

すると、さっきのあれは夢だったわけか……。

確かに、雪風が大人に見えたりしていたもんな……。

 

「そうか……」

 

「そろそろお夕飯の時間ですよ。だいぶお疲れのようですし、こちらにお持ちしましょうか?」

 

「いや……。食堂に行くよ。夕張から山城の話を聞かなきゃいけないし、明石の事も心配だからな」

 

「分かりました。では、失礼します」

 

「あぁ……」

 

夢……か……。

俺は、雪風が最後に見せてくれた笑顔を思い出していた。

 

 

 

食堂へ行く途中、雪風と鉢合わせた。

 

「しれえ」

 

「雪風……」

 

雪風は微笑むと、小さく言った。

 

「いい夢、見られましたか?」

 

それが、何を意味しているのか、俺には分かっていた。

 

「……消灯時間になったら、山城さんの部屋に来てください」

 

それだけ言って、雪風は食堂の方へと去って行った。

 

「……まさか、まだ夢の中だとか、ないよな?」

 

 

 

消灯時間を少し過ぎた頃、山城の部屋を訪ねた。

 

「しれえ」

 

部屋は常夜灯のみで、暗かった。

 

「すみません……。明るいと、皆にバレてしまいますので……」

 

まあ、確かに……。

こんな時間に山城の部屋に俺がいるってのは、流石にマズいよな……。

 

「……お前、俺に夢を見せたのか?」

 

「二人っきりになれる場所、と言ったではありませんか」

 

「いや……まあ、確かに言ったが……。一体、どうやって俺を眠らせたんだ? だって、確か俺は、響の部屋に居て、お前に呼ばれて……」

 

いや、そんなことは、もうどうでもいい。

 

「まだ夢の中にいる……だなんて言わないよな?」

 

「大丈夫です。ここは現実です。もし、ここが夢の世界だったら、別にここまで部屋を暗くする必要はないはずです」

 

まあ、そりゃそうか……。

 

「それで? やるのか? 山城の夢に入るってのを……」

 

「はい」

 

「……そもそも、夢の中に入ったからといって、解決できるとは限らんぞ。所詮は夢だしな……」

 

「でも、このままでは、山城さんは目を覚ましませんよ?」

 

「え?」

 

「今、山城さんは夢を見ています。正確には、ヘイズによって精神を支配されています」

 

「……どういうことだ?」

 

「説明するには、まず、ヘイズについて話さなければなりません。ヘイズは、記憶に影響を与えるものだと言われていますが、艦娘の超回復にも一役買っているんです。明石さんの修理も、艦娘の体内に存在するヘイズを活発化させ、超回復を促す力なんです」

 

ヘイズを活発化させる力……。

 

「ヘイズの活発化というものは、なにも超回復を促すだけではありません。記憶への影響も活発化させます。明石さんの修理を……あれだけの修理を受けた山城さんの影響力は、とても大きいものでしょう」

 

「それが、夢を見る要因になっていると?」

 

「そうです。あくまでも推測ですが、山城さんはヘイズの影響で夢を見ていて――雪風たちが見たような、感覚のある夢です――それを脳が現実の『覚醒状態』と認識し、起きられないのではないかと思われます」

 

『もうそろそろ起きてもいいはずなんだけど……』

 

確かに、夕張もそう言っていたしな。

しかし、信じられんな……。

推測でしかないとのことだし……。

 

「よし、試しに起こしてみよう」

 

俺は、山城に起きるよう呼びかけたり、体をゆすったり――申し訳ないと思ったのだが――軽くビンタしてみた。

だが、一切反応を示さなかった。

 

「マジか……」

 

「眼球は動いているようなので、やはり夢を見ているようですね」

 

「……こりゃ、どうしようも無いんじゃないのか?」

 

「だからこそ、夢に入るんです。夢に入るという事は、外部からヘイズに影響を与える行為と言えます」

 

「なるほど……。ヘイズに影響を与えれば、活動を抑えられるかもしれないと?」

 

「そうです」

 

「だったら、お前が行けよ。俺よりも、お前の方が感染量は多いんだ。影響力はお前の方が強いはずだ」

 

「確かに、雪風が行けば、山城さんを起こすことは出来ます。ですが、それは、ただ起こすだけで、山城さんの抱える問題を解決することにはつながりません。しれえには、山城さんの夢に入ってもらい、何故自殺を図ったのか、その真相究明と問題解決をして欲しいのです。おそらく、山城さんの夢は、山城さんにとって都合のいい世界となっているはずです。目覚めた時、その都合のいい世界が無いと知った山城さんは、どう思うでしょう?」

 

質問するように言ってはいるが、雪風は答えを求めず、続けた。

 

「山城さんの夢は、山城さんの問題に関係しているものと思われます。或いは、問題そのものを否定する世界なのかもしれません。そんな世界を否定し、問題を解決できる人は、しれえを措いて適任者はないでしょう」

 

他にもいそうなもんだがな……。

だが……。

 

「……分かったよ。適任者かどうかは分からんが、やれることはやってみよう」

 

そう言ってやると、雪風は嬉しそうな表情を見せた。

 

「ありがとうございます。では、準備しますので、しゃがんでくれませんか?」

 

準備……。

 

「……まさか、またキスするのか?」

 

「えぇ、そうですよ? しれえの感染量では、山城さんのヘイズにのまれてしまいますから」

 

それが何か? とでも言いたげに、雪風はキョトンとした顔を見せた。

初恋がどうとか言っていたくせに、こういうところは鈍感というか、キスごときでは動揺しないってか?

 

「……まあいい。ほら、さっさとしてくれ……」

 

しゃがみ込むと、雪風は躊躇なく、唇を重ねた。

 

「――……」

 

それにしても、永くないか?

以前された時とは違って――それほどまでに、山城のヘイズは強力だという事か?

 

「は……ぁ……」

 

やっとの事で唇を離した雪風は、常夜灯の暗さでよく分からなかったが、どこか、少しだけ――。

 

「……まさかとは思うが、こんなに永くする必要は無かったんじゃないのか?」

 

そう言った瞬間だった。

 

「あ……? な……んだ……?」

 

急激な眠気が俺を襲う。

体の力が抜けて行き、やがて、俺は床に伏せてしまった。

 

「シンクロが始まったようです」

 

「シン……クロ……?」

 

視界が暗くなって行く。

 

「しれえ、これだけは忘れないでください。どんな夢が待ち受けていたとしても、決して動揺してはいけません。そうでなくては、夢にのみこまれてしまいますから」

 

「…………」

 

雪風の声が、段々と遠くなって行く。

 

「……しれえ」

 

「雪……風……」

 

「――……」

 

雪風が何か言ったのを最後に、俺の意識は、まさに夢の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

『ここは……』

 

気が付くと、寮の前に居た。

 

『夢の中……でいいんだよな?』

 

辺りは静かで、誰かがいる気配はない。

遠くの海や空は、何故か静止画のようで――まるで時間が止まったかのような世界であった。

 

『なんか……気持ちわりぃ夢だな……』

 

これが、山城が見ている夢……か……。

しかし、せっかく夢を見ているのだから、島ではなく、もっと楽しい場所に居りゃいいのにな……。

 

『……とりあえず、寮に入ってみるか』

 

山城がいる……はずだよな?

しかし……会えたとして、どう説明したらいいのだろうか?

そもそも、夢を見ているという自覚があるのだろうか?

そんな事を考えている内に、寮の玄関へとたどり着く。

いつものように、自分の下駄箱へ靴をしまおうとすると、そこにはすでに誰かの靴が置かれていた。

 

『これは……』

 

大きな、男性用の靴。

サイズは俺の物と同じであるが、これは確か……。

 

『思い出した……。こりゃ、海軍から支給されていた旧式の靴だ……』

 

以前、海軍の資料館を訪れた時、鈴木がやたらとカッコいいだなんだと騒いでいたのを思い出す。

しかし、何故この靴がこんなところに……。

 

「山城、行くぞ」

 

どこかの部屋の扉が開き、男の声が聞こえて来た。

二つの足音。

それが、段々とこちらに近づいてくる。

そして――その二人……いや、正確には、一人と一隻を目にした時、俺は――。

 

「ん?」

 

『親父……?』

 

佐久間肇。

俺の知っている顔よりも、少しだけ老けた親父が、驚愕の表情を見せる山城と一緒に、俺の目の前に立っていた。

 

 

 

永い永い沈黙が続く。

最初に沈黙を破ったのは、山城であった。

 

『どうして貴方が……』

 

対する俺は、山城には目もくれず、親父の事を見つめていた。

 

「お前、誰だ? ここは、決められた人間しか立ち入られない場所だぜ」

 

親父の言葉に、ふと我に返る。

『どんな夢が待ち受けていたとしても、決して動揺してはいけません。そうでなくては、夢にのみこまれてしまいますから』

そういう事か……。

 

『てめぇこそ、もう死んだはずだろ? そうだよな? 山城』

 

雪風の言葉を思い出す。

『山城さんの夢は、山城さんの問題に関係しているものと思われます。或いは、問題そのものを否定する世界なのかもしれません』

つまり、山城の抱える問題ってのは、親父の死に関係するものであり、ここはそれを否定する世界――つまり、親父が生きている世界って訳だ。

親父が生きていること。

俺は、それを否定すればいいってことだな。

 

「なるほどな……。俺は死んでるってことか……。つまり、ここは死後の世界って訳だな?」

 

親父がそう言うと、山城はハッとした後、何度も頷いた。

……なるほど。

そう来たか……。

 

『なら、俺も死んだって訳か?』

 

山城に問いかけると、何故か親父は、庇うように前に立ちはだかり、言った。

 

「そうかもしれないし、或いは仮死状態になっているのかもな」

 

山城はおそらく、頭では理解しているんだろうな。

だが、どうしても、親父の存在を否定されたくないらしい……。

 

『……まあいい。理解してくれるかは分からないが、とにかく、俺の話を聞いてくれ』

 

俺は、山城に全てを話した。

ヘイズの事も、夢の事も、俺がここに来た方法、目的についても――。

 

「なるほどな……」

 

山城ではなく、何故か代わりに返事をする親父。

 

「ここは山城の夢の世界で、俺もその一部……つまり、夢の産物って訳か……」

 

否定するように、山城は首を横に振った。

まあ、否定したいよな……。

 

『感覚がある夢だなんて……聞いたことが無いわ……。見たことも……ない訳だし……』

 

「だ、そうだが?」

 

それについては説明したはずなんだがな……。

でもまあ、普通は信じられないか……。

 

『死後の世界で感覚があるという話も聞かないがな』

 

「夢に感覚がない事は、実際に夢を見ることが出来ているのだから、証明できる。だが、死後の世界はどうだ? 誰も体験したことが無いはずだ。話を聞かないのも当然だろう?」

 

俺はそれに、閉口してしまった。

夢の産物とは言え、理屈を通すのが上手いな……。

山城の中の親父ってのは、こういう奴なのだろうか……?

 

「……まあいい。ここがどんな世界で、俺が存在しているのかどうかはどうでもいい。つまり山城は、俺とここにいることを選んだって事だろう?」

 

『あ?』

 

「お前よりも俺を選んだ。ただそれだけの事だろう?」

 

『何を言って……』

 

親父は山城の頬に手をあてがうと、優しくキスをして見せた。

 

『な!?』

 

「そうだよな? 山城?」

 

山城は少し驚いた表情を見せた後、乙女の顔を見せ、小さく頷いた。

 

「ま、そういうことだ。山城は、お前がいる世界よりも、俺がいる世界を選んだって事だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

それを聞いて、厄介なことになったと思った。

この世界は、山城が理想とする世界だ。

雪風は、山城の脳が、この夢に対して『覚醒状態』であると錯覚していると言ってはいたが、少なくとも、山城もこの世界に対して、何か違和感を覚えているのは間違いないだろう。

死後の世界と現実の世界――山城は、そのように世界を分けている。

そして、親父の言う『選択』。

山城は、自ら『選択』し、どちらかの世界に残ることが出来ると思っている。

つまり、これは、親父の否定だとか、そういう問題ではない。

親父の話を信じれば、山城が、どちらの世界を選択するか――親父と俺、どっちを選ぶか――それが、この世界を攻略する鍵のようだ。

 

『じゃあ、なんだ……? 山城が、俺に惚れればいいってことか?』

 

「そうなるかもな。まあ、もう手遅れのようだがな」

 

そう言うと、親父はもう一度、山城にキスをした。

山城は、もう、親父しか見えていないようであった。

 

『……くだらねぇ。おい、山城。親父は既婚者だぞ……。お前を愛するようなこともしなかったはずだし、大分『解釈違い』だろ……』

 

まさか、秋雲の言葉を借りることになろうとはな……。

 

『……今は私を選んでくれた。ただそれだけでしょう……?』

 

「あぁ、そうだ。嫉妬は醜いぞ、少年」

 

『誰が少年だ……』

 

理想……か……。

山城は、親父に愛されたかった……ってことか……。

山城が自殺しようとした理由――山城が抱えている問題が、何なのかは分からない。

だが、確実に親父に関わることだし、選択が鍵だというのであれば――。

 

「そういう事だ。じゃあ、俺たちはこれで」

 

親父は山城をお姫様抱っこすると、そのまま寮を出て行ってしまった。

 

『…………』

 

どういう訳かは分からない。

ただ、一つだけ言えることがある。

 

『俺も、その鍵の一部になることが出来るかもしれない……か……』

 

山城は俺を否定しなかった。

俺を追い出す事も出来たはずなのに――。

それだけではなく、選択の一つとして、俺を受け入れた。

もしかして、山城は――。

 

 

 

とりあえず、俺は親父たちを追う事にした。

 

「ははっ」

 

『フフッ……』

 

山城は、終始楽しそうであった。

見たことも無い笑顔を、親父に向けている。

 

『好きではない、とかなんとか言っていたのだがな……』

 

親父と山城が、普段、どんな風に接していたのかは分からないが、山城的には、恋人のように振る舞ってほしかったのだろう。

親父はそれをしなかった。

故に『理想』として、こうしているのだ。

 

「ん? おい、何見てんだよ?」

 

親父が俺に気が付いた。

 

「羨ましいのか? ん?」

 

余裕の表情。

山城も、どこか――。

 

『まさか。気持ちの悪い光景だと思ってな』

 

山城の眉が、ピクリと動いた。

それに連動するかのように、親父の表情が険しくなる。

 

「嫉妬かよ……? 見苦しいぜ……」

 

『嫉妬して欲しいのか? 山城?』

 

山城は、ほんのわずかに――本当に、気が付くことが難しいほどに――動揺を見せた。

やはり、そうなんだな……。

 

『……お前、俺に惚れて欲しいと思っているのか? だから、俺を追い出そうとしないんじゃないのか?』

 

山城は――。

 

「おい……」

 

瞬間、親父が俺を投げ飛ばした。

 

『ぐぁっ!?』

 

いてぇ……。

夢であるのに、いてぇ……。

地面が砂浜であったから、そこまでダメージはないが……。

 

『そういや……痛覚もあったな……』

 

起き上がろうとする俺の胸倉を、親父は掴んだ。

 

「自惚れが過ぎるぜ……。どうして山城が、てめぇに惚れて欲しいと……?」

 

親父の力は凄まじく、武蔵を思わせるほどであった。

 

『だったら……どうして俺を否定しない……? どうして俺も、選択肢に含まれているんだ……?』

 

「…………」

 

『山城……お前は親父の姿を借りて、俺に訴えているだけなんだろ……? こいつは、親父の姿をしているが、本当はお前自身なんだ……。親父という『個』ではない……。親父は、お前を愛さない……。それは、お前が一番よく分かっているはずだろう……?』

 

山城は答えない。

だが、親父の力は増してゆく。

 

『……へっ! 本当の事を言われて、怒ったか……? そうさ……。親父が生涯愛したのは、俺の母さん――雨野真奈美ただ一人だけだ……! お前と親父がどんな関係だったのかは、詳しくは知らねぇ……。けどな……少なくとも、親父は最後の最期まで、母さんを愛していた……。母さんを想っていた……。想うが故に……島を出なかったんだ……』

 

ふと、親父に目を向ける。

その表情は――。

 

『親父……?』

 

親父は俺を放すと、山城の肩を抱き、寮へと去って行ってしまった。

 

『…………』

 

あの表情が、山城によってもたらされたものなのかは分からない。

それでも――。

 

『……嫌な表情だったな』

 

親父の苦悩が、今になってようやく実感できた気がするのは、俺が夢にのまれそうになっているからなのか、それとも――。

 

 

 

山城たちを追いかけようとした時であった。

 

「提督」

 

声に振り返ると、そこには――。

 

『大和……?』

 

何故か水着の大和。

これは……。

 

『……なるほど』

 

以前、山城が言っていたことを思い出す。

どうして俺に誰かを娶らせたがるのかと訊いた時だ。

『貴方にはそれが一番効く方法だと思ったからよ……。心当たりがあるはずよ……』

つまり、こいつは……。

 

『親父と同じ、夢の産物ってわけか……』

 

おそらく、俺を近づけさせないためのものだろう。

 

「提督。提督は、こういうの、好きじゃありませんか……?」

 

胸を寄せる大和。

分かってねぇな……。

 

『大和はそんな事しない。俺が……』

 

一瞬、言葉に詰まる。

だが、まあ、夢だし、素直になってもいいよな。

 

『……俺が好きな大和は、そんな下品なことはせず、もっとこう……おしとやかで、鳳翔に見せるような――そんな態度の大和なんだよ』

 

何を言っているんだ俺は……。

でも、そうなんだよな……。

俺は、大和にもっと、鳳翔と同じように接して欲しいと言うか……。

 

「なら、私はどう?」

 

大和は居なくなり、そこには陸奥が立っていた。

――裸で。

 

『……それは、ちょっと、効くかもな』

 

体が熱くなるのを感じる。

熱もまた、感覚の一種って訳なのだろうか……。

 

「お姉さんと、いいことシましょう?」

 

陸奥が近づく。

どう否定しようかと考えていると――。

 

「陸奥さん!」

 

聞き覚えのある声。

振り返って見ると、そこには――。

 

『青葉……』

 

青葉は陸奥にカメラを向けると、シャッターを切った。

 

「きゃっ!?」

 

「スクープです! 司令官!」

 

青葉が嬉しそうに俺を見る。

 

「ちょっと、青葉!」

 

「あはははは!」

 

陸奥が青葉を追いかける。

そして、そのまま、二人の姿は消えてしまった。

 

『どういうことだ……?』

 

「提督さん」

 

次に現れたのは、鹿島であった。

 

「鹿島とデート、してくれませんかぁ?」

 

やたらとぶりっこな鹿島であった。

これも、山城の夢の産物だとしたら、山城の中の鹿島って、一体……。

 

「鹿島さんとのデート……して欲しくないです……」

 

そう言って俺の袖を引いたのは、明石であった。

 

「明石さん、邪魔しないでください! デートを邪魔するのは、ルール違反ですよ!?」

 

「で、でも! 私だって……提督の事が好きなんです! 最後に島に残るのは私ですし……そうなったら、きっと、私の事を……」

 

明石が俺を見つめる。

 

『明石……』

 

鹿島と明石が消える。

一体、何が起こっているんだ?

山城が起こしていることは確かなのだろうが、どうしてそれを邪魔するような……。

『霞さんと曙さんの感染量が佐久間さんと同じだと判明し、その二隻は、雪風と同じように――尤も、佐久間さんと夢を見ている間だけだったようですが――夢の中で味覚などを感じることが出来て、自由に夢を創造できるようになっていました』

 

『……もしかして』

 

仮に、山城が自由に夢を創造出来ているのだとして、大和や陸奥、鹿島を創造したのだとしたら――。

 

『青葉と明石は……俺が……?』

 

思えば、明石のあの台詞は、俺しか知らないはずだよな……。

 

『シンクロしているわけだし、感染量は同じって事だよな。だとしたら、俺にも同じことが……?』

 

俺は、深く目を瞑り、集中してみた。

これであっているのかは分からないが、とにかく、イメージしてみた。

すると、徐々に、波の音が聞こえて来て――目を開けて見ると――。

 

『はは……』

 

温かい風と共に、桜の花びらが舞う。

空には、うっすらとした雲が流れており、その中をトンビか何かが飛んでいた。

 

「あはははは」

 

俺の横を、暁が走り抜けて行く。

皐月や卯月も居て――というよりも……。

 

『みんな……』

 

山城以外の全員――島を出たはずの連中も――山風や北上、秋雲に最上まで居て――。

 

「提督」

 

大淀が俺に語り掛ける。

 

「山城さんを連れて来てくれませんか? お花見、もう始まっちゃいますよ?」

 

皆が俺を見つめる。

その顔は、とても幸せそうで――。

 

『……あぁ、分かった。ちょっと待ってろ』

 

嗚呼、そうか……。

これが、これこそが、俺の――。

 

 

 

寮の玄関で靴を脱いでいると、再び親父と山城が出て来た。

 

「しつこいな、お前」

 

『それは、お前が一番よく分かっているだろう? 山城』

 

俺は、もう親父を見ることはしなかった。

見たくなかった訳ではない。

これは、俺と山城との会話なんだ。

親父は関係ないのだ。

 

『皆が待っているぜ?』

 

『え……?』

 

キョトンとする山城。

その時、どこかの部屋で、時を知らせる音が鳴った。

 

『どうして……』

 

やはり、時間が進んでいない事に気が付いていたんだな。

 

『死後の世界は、時が止まっているものだと?』

 

親父が慌てた様子で、寮を飛び出し、空を見上げた。

 

「馬鹿な……」

 

流れる雲と、舞う桜の花びら。

その向こうに見える、皆の笑顔。

 

『山城』

 

俺は真っすぐ、山城を見つめた。

 

『皆が待っている。行こうぜ、山城』

 

そう言って差し出した俺の手を、山城は――。

 

「山城」

 

親父が山城に駆け寄る。

 

「天気が悪くなってきた。部屋に戻ろう……」

 

『あ?』

 

その時――。

 

『うぉっ!?』

 

雷鳴。

俺は驚き、外を見た。

 

『馬鹿な……』

 

豪雨と強風、それに加えて轟く雷鳴。

あんなにも天気が良かったのに――皆の姿も、そこには無かった。

 

『山城……お前……』

 

山城は、あの時と――俺と山城にしか分からなかったであろう雷鳴が轟いたあの時と――同じ表情を見せていた。

 

「行こう……。山城……」

 

親父は山城を連れ、部屋へと戻っていった。

俺は、もう一度、空を見上げた。

そう言えば、そうだった……。

山城は何故か、雷を恐れていたな――。

『行かないで……『提督』……』

 

『…………』

 

あれは、一体どういう……。

 

 

 

何度か天候を変えてみようと、先ほどと同じように目を瞑ってみたが――。

 

『駄目か……』

 

雨は激しさを増すばかりであった。

そればかりか、風も強くなっていって――。

 

『ん……?』

 

そんな天気の中で、誰かがこちらへと歩いてくる。

大きな傘をさしているせいか、誰であるのかは分からない。

小さい子供のようではあるが……。

そいつは俺の前に立つと、傘を少し上げ、顔を見せた。

 

『響……?』

 

少し悲しそうな表情の響が、俺をじっと見つめていた。

 

 

 

雨が激しくなって行く。

時々、雷鳴も――。

 

『お――』

『――私は夢の産物ではないよ』

 

俺の考えを読んだかのように、響は言葉を重ねた。

 

『雪風に頼まれたんだ……。貴方を助けてあげて欲しいって……。山城さんの夢の中に、入って欲しいって……』

 

雪風に頼まれた……か……。

どうやら、本当に夢の産物ではないらしい。

しかし、どうして雪風は響を……。

 

『最初は、信じられなかったよ……。でも、少しでも助けになればと思って……。こうなったのも……私の所為だし……』

 

『いや……それは……』

 

――いや、そんなことはどうでもいい……。

 

『聞いたのか……。この世界の事……。ヘイズの事を……』

 

響が頷く。

 

『ここに来るまで、信じられなかった……。でも、こうして感覚もあるし、何よりも……』

 

視線が、山城の部屋へと向けられる。

 

『……見ていたのか』

 

『うん……』

 

だとしたら、先ほどの悲しい表情は……。

 

『やっぱり、司令官に関係することなんだね……。この天気も、きっと……』

 

『天気?』

 

響は、山城と親父の関係について、話してくれた。

 

『天災を恐れている……か……』

 

『こういう天気の日は、必ず、司令官は山城さんの傍にいたんだ……。きっと、さっきも、司令官がみんなのところに行ってしまうと思って、こういう天気にしたんじゃないかな……』

 

山城が雷を恐れていたのは、それが理由か……。

 

『……山城さんは、貴方を完全に否定しなかった。本当は、山城さんも気が付いているのだと思う……。貴方が……司令官の代わりになってくれるんじゃないかって……』

 

どうしてそう思ったのか、響は言わなかった。

だからこそ、俺もあえて訊かなかった。

 

『山城さんにとって、司令官は光だって言っていた……。自分の不幸をかき消してくれる光だって……。そして、その光を奪ってしまったのは、自分だとも言っていた……』

 

『…………』

 

『もし……貴方もその光になれるんだって、山城さんが考えていたのなら……。貴方を避け続けた理由――島を追い出そうとした理由は――きっと――』

 

 

 

俺は、響と共に、山城のいる部屋の扉を叩いた。

 

『山城』

 

中から返事はない。

 

『……入るぞ』

 

そう言って部屋に入ろうとしたが、鍵がかかっているようであった。

 

『壊して入るか……?』

 

瞬間、扉は金属製の物へと変化した。

 

『マジかよ……。こんなことも出来んのか……。って言うか、俺の声が聞こえているんじゃねぇか……』

 

どうしたものかと思っていると、響が俺の袖をちょいちょいと引いた。

 

『響? どうかし……』

 

振り返ると、何故か魔女のような格好をした響が立っていた。

 

『な、なんだその格好は……?』

 

『魔法だよ。こういうのは、魔法で開くんだ』

 

何処から取り出したのか、響は、魔法の杖のようなものを扉へと向けると、呪文を唱え始めた。

 

『チチンプイプイアブラカタブラテクマクマヤコンテクマクマヤコンピリカピリララポポリナペペルト』

 

杖の先が光り出す。

よく分からんが、何故かワクワクしている自分がいる。

 

『開け、ゴマ!』

 

瞬間、杖の先から光が照射されて――。

 

『おお! って……』

 

響は、照射された光――レーザーでシリンダー部分を切り取ると、扉を開け、得意げな表情を俺に見せた。

 

『……これは、魔法と呼べるのか?』

 

『杖から出たんだ。魔法に決まっている』

 

こいつの中の魔法って何なんだよ……。

まあいい……。

 

『行くか……』

 

 

 

部屋はとても暗く、それでいてジメジメとしていた。

 

『夢の中でくらい、もっといい部屋にしておけよ……』

 

スイッチをONにしても、明かりは灯らなかった。

そう言えば、初めて山城の部屋に入った時も――。

 

『チチンプイプイアブラカタブラテクマクマヤコンテクマクマヤコンピリカピリララポポリナペペルト』

 

響の杖が光る。

なるほど、杖の光で照らしてくれるって訳か。

っていうか、いちいち呪文(?)を言わないといけないのか……。

やがて、杖の光は、山城の顔をぼんやりと照らし出した。

 

『……よう。響が来てくれたぜ』

 

親父の姿はない。

 

『山城さん……』

 

山城は響をチラリと見ると、すぐに膝を抱え、小さくなってしまった。

 

『親父はどうした?』

 

山城はゆっくりと、首を横に振った。

 

『……分からないわ』

 

『あ?』

 

『いなく……なってしまったの……』

 

いなくなった……?

 

『いなくなったって……。お前が生み出したんだろ?』

 

山城の視線が下がる。

それを見て、ハッとした。

 

『……自覚したんだな。ここが……夢の世界だということを……』

 

思えば、扉を鉄製に変えたのだって――。

 

『どういう心境の変化だ……?』

 

山城は答えない。

代弁するように、響が口を開いた。

 

『思い出してしまったんだよね……』

 

山城は膝を抱える力を強め、更に小さくなった。

 

『確かに司令官は、こういう天気の日には必ず、山城さんの傍に居てくれた……。だから、山城さんはこの天気に変えた……。でも……』

 

響は少し躊躇った後、悲しそうな表情で言った。

 

『でも……この天気は……あの日と同じ天気だ……。司令官が亡くなった……嵐の前兆……』

 

親父が亡くなった日の……。

 

『ここから天気が荒れて行くことになるんだよね……。山城さんは無意識に――やっぱり、あの日の嵐が頭の中にこびりついていたから――この天気にしてしまって、気が付いてしまったんだよね……。あの日……司令官は……貴女の傍には居なかったから……。貴女の元へと駆けつけようとした司令官は――……』

 

突然、窓ガラスが激しく揺れ出した。

光と共に、雷鳴が寮を揺らす。

どうやら、近くに雷が落ちたようだ。

 

『山城……』

 

山城は震えていた。

そうか……。

やはり――。

 

『親父が死んだのは、自分の所為だと思っているんだな……。お前の元へと駆けつけた所為で――その道中で――親父は亡くなったのだと……』

 

山城は答えない。

 

『俺も同じか……? だから、俺を突き放そうとしたのか……? 俺を……守ろうとしてくれたのか……?』

 

山城は答えない。

 

『俺は……お前の光になれるのか……? そう……思っているのか……? だからこそ、俺は選択肢に含まれているのか……?』

 

山城は答えない。

 

『お前は……俺を……』

 

山城は――。

 

「理想だけでいい……」

 

突然、親父が姿を現した。

 

『司令官……』

 

『提督……』

 

響と同じように、山城は驚いた表情を見せた。

 

「ここには、それがある。本当は分かっていたはずだ。自分が死んでしまえば、慎二を守れるはずだと。光を失うことはないはずだと。だが、お前は死を恐れていた。天候を恐れていたんじゃない。死が怖かったのだ。死んでしまえば、何もかもが無くなってしまう。光を感じることも無くなってしまう」

 

親父は山城の傍に寄ると、安心させるように肩を抱いた。

 

「ここには俺が居るのだと知って、お前は自分の死を受け入れた。そして、実際に俺は居た。それでいいじゃないか。それだけでいいじゃないか。お前が守ろうとした慎二も、こうして生きているんだ。だから、お前はずっと、ここに居ればいい。ここでは、恐れるものは何もないんだ」

 

山城は――自分の創り出した男の言葉に、何故か、安心する訳ではなく、どこか迷っているかのような――困惑している表情を見せていた。

 

「俺はここにいる。お前を守りに来た。あの日の続きを――夜明けを見ようじゃないか」

 

親父は響に目を移した。

 

「お前もだ、響」

 

『……!』

 

「お前が信じた通りだ。俺は、こうしてまた、お前の目の前に現れた。夢の産物なんかではない。不死鳥のように、復活したんだ」

 

響は、明らかに動揺していた。

夢の産物だと分かってはいても、やはり……。

 

『山城……お前……』

 

山城が首を横に振る。

自分が生み出したのではない、とでも言いたいのだろうか。

だとしたら、響か……?

いや、しかし……。

 

「慎二」

 

思わず親父を見る。

先ほどの、山城とイチャイチャしていた姿とは違い――どこか、逞しいと言うか――明らかに雰囲気の違う親父が、そこには立っていた。

 

「お前に山城は守れない。山城に守られていたお前にはな」

 

言い返せなかったのは、それが正論であったからだという事だけではない。

どこか、こう、上官に詰められた時のような――そんな気分に陥ったからであった。

 

『山城を……守る……』

 

「俺は、山城を守ると約束した。まあ、結果として、それが守られることは無かったようだが……。それでも、俺は守られるようなヤワな人間ではなかった。守り続けることが出来たはずだったし、それだけの力も、信頼も、俺にはあった。こいつを惚れさせるだけの力もな。だが、お前はどうだ? 守られ、信頼もされず、惚れられることも無く、恋に翻弄されているばかりではないか」

 

言い返せなかった。

だがそれは、気分などに影響された訳ではなく、本当の本当に正論であったから――。

 

「山城が夢から覚めたところで、お前に山城は守れない。いつまでも死に怯え続ける山城を、ただ見ていることしかできない。それは、響にも同じことが言える。そうだよな?」

 

響は返事をしなかったが、思うところはあったのか、ただ俯くだけであった。

 

「分かったか? これがお前の実力だ。響がこうして来たのも、雪風が協力したのも、全部全部、お前の力が足りなかったからだ。お前の覚悟が足りなかったからだ」

 

俺は……。

俺は、やはり、何も言い返せなかった。

そうだ……。

響も、雪風も――夢に出てきたあいつらだって――全部、俺が弱いから、こうして――……。

俺に力がないから。

覚悟が足りないから。

覚悟が……。

 

『覚悟……か……』

 

母さんが死んだ時、俺は何を覚悟して、ここまでやろうとした?

島への出向が決まった時――吹雪さんの死を知った時――。

明石の――坂本上官の――重さんの――山風の――大井の――……。

そして――。

 

「…………」

 

それら全てを背負った時、俺の覚悟は――。

 

『……山城』

 

山城は不安そうに、俺を見ていた。

 

『俺は……親父とは違う……』

 

「そう言っているだろう?」

 

『そうじゃない……。俺は、親父のように約束を破ることはしないし、簡単には死なない……』

 

嘲笑する親父。

それを無視して、今度は響に目を向けた。

 

『響……。お前には、随分甘ったれたことを言ってしまったな……。親父は生まれ変われないのではなく、生まれ変わろうとしないだけだとか……死後の世界で、幸せに暮らしているだとか……』

 

『…………』

 

『だがな……。本当は……そんな事は微塵も思っていない……。思っていたのなら、俺はお前と同じように、親父の影を追い求め続けていたはずだ……』

 

響は怒ることもせず、ただじっと、俺を見つめ、言葉を待ってくれていた。

 

『正直な気持ちを伝えられなかったのは――お前たちを慰めようとしたのは、俺が弱いからだ……。お前たちを傷つけたくないのだという――傷ついたお前たちを見たくないという――俺の弱さだ……。だから……』

 

 

 

 

 

 

男が目を瞑る。

瞬間、山城さんの部屋は消滅して――気が付くと、私たちは大嵐の中に居た。

 

「山城!」

 

司令官が、山城さんを抱き、しゃがみ込んだ。

案の定、山城さんは震えていた。

 

『山城』

 

男の声に、山城さんは恐る恐る、目を開いた。

雷鳴が轟き、海は荒れ、木片や木の葉が物凄い勢いで横切って行く。

 

『よく見ていろ』

 

男が、天に手を掲げた。

ふと、思い出す。

 

 

 

 

 

 

『やめて……!』

 

思わず叫んだのは、姉さまが言っていたことを思い出したからだった。

『雷は、高い所に落ちる性質があるの。だから、姿勢を低くしていれば、落ちてくる心配もないわ』

辺りを見渡す。

彼以外に、高いものはない。

艦娘寮も――風力発電機も――それどころか、島の形さえ――。

 

「山城! 姿勢を低くするんだ……!」

 

『でも……!』

 

「これは夢だ……! あいつは大丈夫だ……! それが分かっていて――自分は守られる存在ではないのだと証明するため――あいつはああしているんだ……!」

 

安心と呆れ――それを受け入れる前に、響は言った。

 

『夢でも……これは普通の夢じゃないよ……! 痛覚があるはずだ……! 雷が本物かどうかは分からないし、実際どうなるかも分からない……。でも……』

 

響と同じように、私も彼を見た。

その顔は――。

そして、次の瞬間――。

 

 

 

 

 

 

空が光った瞬間、轟音と共に、空気が揺れた。

 

『……っ!』

 

思わず息を呑んだ。

親父の言う通り、自分の強さ――守られなければならないという事への否定――その証明の為に、俺は山城の部屋を消滅させた。

だが、少しだけ意味合いが違う。

俺は――。

 

『山城』

 

山城は、怯えた表情で、俺に目を向けていた。

 

『目を逸らすなよ。俺は、俺の弱さを克服するために、あえてお前たちの前で死んで見せる。俺の死にざまを、お前たちに見せる。それが、俺の覚悟だ。俺の意志だ。お前たちを守るってことだ』

 

『どうして……!?』

 

叫んだのは、響であった。

 

『確かにこれは夢だよ……。でも、痛みはある……! 人間は、痛みのあまり、死を選ぶって聞いたことがあるんだ……。本当に死んでしまうかもしれない……! それに……もし貴方が本当に死んでしまったら、私たちは、司令官が死んだ時と同じ道を辿ることになるんだよ!? それじゃ、意味がないじゃないか……! 守れないじゃないか……! 貴方だって、それが分かっていない訳じゃないはずだ……! なのにどうして……!?』

 

『言っただろ。俺は親父とは違うって』

 

『え……?』

 

『俺は、死を恐れずに死ぬ。覚悟を持って死ぬ。天災も、死も――それらを恐れるよりも、お前たちが前へと進む決意を持ってくれることに望みをかける。こんな人間もいた。死の恐怖に打ち勝った人間がいた。だから、自分たちも……って……』

 

響も山城も、何も言えずにいた。

呆れているのか、それとも――。

 

『死んでも、生き返ることは無い。死後の世界も無い。だからこそ、今を必死に生きるんだ。俺は親父とは違う。死の恐怖からお前たちを守るのではない。死の恐怖に打ち勝って見せるんだ』

 

再び、手を掲げる。

 

『山城、響』

 

二隻が俺を見る。

いや――。

 

『二人……か……』

 

二人の表情は――。

 

『死を受け入れろ。それが、生きるってことだ』

 

瞬間、空が光って――。

目の前が、真っ白になって――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

目を覚ますと、そこには、雪風の顔があった。

 

「しれえ、おはようございます」

 

「雪風……ここは……」

 

見覚えのある天井であった。

 

「ここは執務室です。しれえ、やりましたね」

 

「え……?」

 

「山城さん、目を覚ましました。成功です」

 

成功……?

あぁ、そうか……。

結局、俺は死ねなかったって訳か。

 

「痛っ……!」

 

体を動かそうとしたが、全身に力が入らない。

それだけではなく、頭痛もする。

 

「大人しくしていてください。水分を摂りましょう。はい、お水です」

 

雪風は、吸いのみで水を飲ませてくれた。

 

「しれえが夢の中に入ってから、丸三日経っているんです。脱水症状もあったので、しばらくは大人しくしていてください」

 

「丸三日……!? 俺は、丸三日、夢を見ていたと言うのか!?」

 

「いえ……。正確には、夢を見ていたのはほんの一時間くらいです。山城さんと響ちゃんは、しれえが夢の中に入って一時間後に、目を覚ましましたが、しれえは、そこから丸三日間、夢も見ず、ずっと眠っていました」

 

一時間……。

あの夢での出来事が、たった一時間か……。

逆浦島太郎状態だな……。

 

「まあいい……。山城と響はどうしているんだ?」

 

そう言った時、ちょうど、扉がノックされ、誰かが部屋へと入って来た。

そして、目を覚ましている俺を見ると――。

 

「響ちゃん、山城さん、今、ちょうどしれえが――」

「――司令官……!」

 

響は俺に駆け寄ると、心配そうに顔を覗き込んだ。

 

「司令官……」

 

「響……。お前、今、俺の事……」

 

「司令官……。う……うぅぅ……良かった……。司令官……司令官……」

 

ぽろぽろと涙を流す響。

何だ……?

どうして響が俺の事を……?

まさか、まだ夢の中なのか……?

 

「…………」

 

山城がゆっくりと近づいてくる。

そして、俺の顔を確認すると、力が抜けたかのように座り込んでしまった。

 

「山城……?」

 

「良か……った……」

 

「え?」

 

「良かった……。無事で……良かった……。うぅぅ……」

 

「山城……」

 

突如、意識が朦朧としてきた。

 

「司令官……!?」

 

「なんか……意識が……」

 

視界が靄に包まれる。

嗚呼、やはり、これは夢なのか……?

それとも――。

 

「司令官……! 司令官!」

 

「しれえ!」

 

瞼が重い。

声が、響と雪風の声が、遠くに――。

 

「提督……!」

 

山城……お前、今……。

その声を最後に、俺の意識は――。

 

 

 

再び目が覚めた時、部屋は夕焼けに染まっていた。

 

「ん……」

 

体を起こす。

怠さは少し残るが、頭痛は消え、体もしっかりと動いていた。

 

「一体……どこからが夢で、何処からが現実なんだろうか……」

 

そんな事を思っていると――。

 

「あ……」

 

声の先に、響が立っていた。

 

「響……」

 

響はゆっくりと俺に近づくと、傍に座り、額に手をあてがった。

 

「うん、熱は下がったみたいだね」

 

「熱?」

 

「今朝、一度起きたことは覚えているかい? どうやら、熱と貧血を起こしていたみたいでね。気絶するように眠ってしまったんだよ?」

 

そうだったのか……。

 

「まさか、まだ夢だという訳ではないよな……?」

 

そう言ってやると、響は微笑んだ後、ポケットから魔法の杖のようなものを取り出した。

まさか……!

 

「チチンプイプイアブラカタブラテクマクマヤコンテクマクマヤコンピリカピリララポポリナペペルト」

 

しかし、杖の先は光らず、何も起きなかった。

 

「夢じゃないよ。これも、自分で作った、ただの玩具さ」

 

よく見ると、確かに、割りばしか何かでつくられた、粗末な杖であった。

 

「そうか……」

 

窓の外に目を向ける。

夕焼けの中を、大きな鳥が悠然と飛んでいた。

 

「……死ねなかった訳か」

 

思わずつぶやく。

響は一瞬だけ悲しそうな顔を見せた後、すぐに表情を戻した。

 

「おにぎり、作って来たんだ。お腹が空いていると思ってね」

 

形がバラバラなおにぎりであった。

 

「皆で作ったんだ。山城さんが握ったものもあるよ」

 

「山城も……?」

 

「うん。後で、呼んでくるよ」

 

「山城は何か言っていたか……? あれから、どうなったんだ……?」

 

響は塞ぐように、俺の口におにぎりをあてがった。

 

「それは、山城さんから直接聞いた方がいい。今は、食べて」

 

「……分かったよ」

 

飯を食っている間、響はじっと、俺の顔を見つめていた。

 

 

 

食い終わり、落ち着いた頃、俺は響に問うた。

 

「今朝……になるのか……。夢でなければ、お前は俺を、司令官と呼んだな……」

 

「うん……呼んだよ……」

 

「……何故だ?」

 

響は肩の力を抜くように、小さくため息をついた。

 

「どうしてだろうね……」

 

「どうしてだろうねって……」

 

「でも……そう呼びたいって思ったんだ……。『司令官』――貴方のお父さんは、もういないし、この島の習わしでもあるし――いや……」

 

青色の瞳が、俺を見つめていた。

 

「認めてしまったんだ……。貴方が司令官だって……。貴方のお父さんの代わりだとか、そう言う意味ではなくて……。なんて言えばいいのか、分からないけれど……。とにかく……そうだな……」

 

少し考えた後、響は言った。

 

「ずっと一緒に居たい人――守りたい人――そう言う、私にとって大切な人を、司令官って、私は呼んでいたように思う」

 

「それはつまり……俺も、そうであると……?」

 

「……そうかもね」

 

照れる響。

そんな顔も、出来るんだな。

 

「そうか……」

 

どうしてそう思ってくれたのかは分からない。

だが、それでいいと思った。

それ以上の理由は、要らないと思った。

 

「司令官」

 

思わず顔を上げる。

 

「ふふっ、自覚はあるんだね」

 

今度は俺が照れてしまった。

自惚れているようで――いや、そうであるのだと言ってくれたから、別に照れる必要はないはずなのだが……。

ふと、響は、俺の胸に頭を預けた。

 

「司令官……」

 

「響……」

 

「ごめんね……。本当は……分かっていたんだ……。『司令官』はもういないって……。貴方が……その穴を埋めてくれる――ううん――それ以上の存在になれるんだって……。分かっていたんだ……。でも……」

 

それ以上の事を、響は言わなかった。

だが、なにが言いたいのか、俺には分かっていた。

 

「……気にするな。でも……ありがとな……。親父の事を想ってくれて……。俺を……受け入れてくれて……。ありがとな……響……」

 

そっと、その背中を抱いてやると、響は、深く身を預けた。

この小さな背中に、大きな不安を背負っていたんだな……。

 

「司令官……」

 

「なんだ……?」

 

「私……生きるよ……。司令官と……貴方と……一緒の時間を生きるよ……。だから……」

 

響は大声で泣き出してしまった。

それは、親父との――佐久間肇との決別を意味していた。

 

「響……」

 

響の不安が消えるまで、俺は、いつまでもいつまでも、その小さな体を抱きしめてやった。

 

 

 

響を慰めてやっていると、山城が部屋を訪ねてきた。

 

「じゃ、じゃあ……私はこれで……」

 

響は恥ずかしそうに俺から離れると、空になった皿を持って、部屋を出て行った。

 

「別に、今更恥ずかしがらなくてもいいのに……」

 

そう言う山城の表情は、どこか穏やかそうに見えた。

 

「山城……」

 

山城は、響と同じように、俺の額に手をあてがった。

 

「もう大丈夫だ。心配かけたな」

 

「……そう」

 

山城は、俺の傍に座ると、窓の外に広がる薄明の空に目を向けていた。

永い沈黙が続く。

 

「……戻って来てくれたんだな」

 

山城はゆっくりと頷くと、愚痴を零すように言った。

 

「嫌でも目覚めてしまうわよ……。跡形もなく消えてしまったものだから……」

 

跡形もなく……か……。

 

「……結局、生きてしまったな。かっこよく散りたかったもんだが……」

 

「貴方らしいと言えば貴方らしいじゃない……」

 

それは、褒めているという訳ではなく、どこか、馬鹿にしているかのような言い方であった。

 

「でも……貴方の言った通りになったわね……」

 

「え?」

 

「『死の恐怖に打ち勝つ』って……。尤も、無謀だとか、ヤケクソみたいな感じではあったのだろうけれども……」

 

まあ、確かに、ヤケクソなところはあった。

親父に追い詰められ――。

 

「……ムキになっていたのかもしれないな」

 

「それもまた、貴方らしいわ」

 

先ほどとは違い――馬鹿にするような言い方ではなく――どこか、感心するかのような、そんな言い方であった。

 

「……あれから」

 

「…………」

 

「貴方が雷に打たれてから……『提督』も居なくなってしまって――世界には、私とあの子だけが残されてしまった……」

 

「親父も消えたのか……」

 

「えぇ……。響が、貴方の事を心配して、目覚めようとしたのだけれど、方法が分からなくて……」

 

確かに、目覚める方法を雪風から聞いていなかったな……。

 

「そうしたら、物陰から雪風が現れて……。起きるかどうか尋ねてきたわ……。起こすことが出来るのだと言ってね……」

 

なるほど……。

雪風も、俺と一緒に、最初から夢の中に居てくれていたのかもしれないな……。

 

「響はすぐに承諾したわ……。でも……私は……」

 

山城は目を瞑ると、考えるように俯いた。

 

「山城……」

 

「……私は、すぐに返事が出来なかった。そんな私に、雪風は言ったわ……」

 

『山城さんさえ望めば、この世界に佐久間さんを呼ぶことも出来ます』

 

「雪風が……?」

 

「えぇ……。あの子は、それだけの力が自分にあるのだと言っていたわ……。その証拠に、本当にあの子は『提督』を……」

 

雪風はどうして、そんな事を……。

いや……それよりも……。

 

「それでも……目覚めることを選んでくれたのか……。俺がいる世界を……選んでくれたのか……」

 

山城は膝を抱えると、頷き、顔を隠してしまった。

 

「どうして……って訊くのは、野暮なことだろうか……?」

 

「……野暮だって分かっているのなら、訊かないで欲しいものだけれど。そういうところじゃない……? 皆が貴方を笑うのは……」

 

どうやら、雪かきの時の事を言っているようであった。

 

「……そうだな。なら、言い方を変えようか」

 

「…………」

 

「聞かせてくれ。どうして、目覚めることを選んでくれたのか。お前の気持ちが知りたいんだ」

 

山城は俺をチラリと見ると、すぐに視線を逸らしてしまった。

 

「……そういうところよ」

 

「え?」

 

山城はしばらく黙り込んでいたが、やがて観念したのか、零すように語り始めた。

 

「『提督』を失うよりも――死を受け入れなければいけないという恐怖よりも――貴方を失うことが恐ろしかった……」

 

俺を……失う事……。

 

「目覚めることをすぐに受け入れる事ができなかったのは、『提督』への未練だとか、死への恐怖なんかではないわ……。貴方を失ってしまった喪失感や――仮に生きていたとしても、また不幸にしてしまうんじゃないかって――そんな理由だった……」

 

「山城……」

 

「でも……それでも……貴方は信じてくれたから……。私たちが前に進めるのだと――自分を死に追いやってまで――それに応えないと……いえ、応えたいって……思ったから……」

 

どうしてそう思ってくれたのかを、響と同じように、山城も説明してくれなかった。

 

「……俺に、光を見てくれたのか? 自分の不幸をかき消してくれる光だと……」

 

「……最初から、見ていたわ。だからこそ、私は貴方を避け続けた……。けれど……」

 

山城は、俺をじっと見つめた。

 

「……俺はしつこいからな」

 

頷く山城。

 

「本当にしつこい男だわ……。それでいてしぶとくて――あの子に言わせれば、貴方はまるで、不死鳥のようだわ……」

 

そう言う山城の表情は、どこか――。

 

「そんなカッコいいものではないよ。せいぜい、ゴキブリとか、そういうのだろ」

 

俺が笑うと、山城もまた、笑ってくれた。

 

「ようやく、お前の笑顔が見れたよ」

 

「……何度か見ていたはずでしょう?」

 

「俺だけに見せる笑顔を……だよ」

 

山城は顔を赤くすると、そっぽを向いてしまった。

その表情も、だなんて、いつか言える日が来るといいな……。

 

「山城」

 

「……なに?」

 

「ありがとな……」

 

何に対してとは言わなかったが、山城は分かっているようで――そっぽを向いたまま、そそくさと部屋を出て行ってしまった。

 

 

 

それからも、皆が部屋を訪ねて来てくれた。

心配する者、怒る者、呆れる者――。

それぞれが違う反応を見せてはいたが、そのどれにも、優しさがにじんでいた。

 

「事情は全てお聞きしております。今は、ゆっくりお休みください。提督」

 

「あぁ、悪いな、大淀……」

 

再び眠気が襲ってくる。

三日も眠っていたはずなのにな。

しかし、何と言うか……。

 

「安心したな……」

 

山城が目覚めてくれたこともそうだが、響の件も、親父の事も――全てが解決したわけではないが、一歩だけ、ほんの一歩だけだが、進んだ気がする。

それに……。

 

『みんな……』

 

俺が望む未来。

それが、はっきりと見えた気がする。

それだけでも、俺は――。

 

 

 

翌朝。

食堂へ向かうと――。

 

「!」

 

山城と響が一緒に座っていた。

 

「行ってあげてください。待っているようですよ」

 

そう言うと、大淀は俺の背中を押した。

確かに、響と山城の席には、俺の食事も置かれている。

 

「あ、司令官」

 

響は俺を見つけると、手招きし、山城の隣を指さした。

山城は、背中越しではあるが、俺の存在に気が付いたのか、少しだけ小さくなっていた。

 

「おはよう、司令官」

 

「おう。用意してくれたのか。悪いな」

 

山城の隣に座る。

響はチラリと、山城に目を向けていた。

 

「…………」

 

山城は俯いたままであったが、やがて、観念したかのように顔を上げると、小さく言った。

 

「……おはようございます」

 

どこか嬉しそうな表情の響と目が合う。

 

「あぁ、おはよう、山城」

 

再び俯く山城。

その状況を察してか、大淀が朝の挨拶を始めた。

 

 

 

食事中、響は気を遣うように、俺と山城に話しかけ続けた。

 

「――だと思うんだ。山城さんはどう思う?」

 

「……そうね。私も、そう思うわ……」

 

「司令官は?」

 

「ん? あぁ、俺もそう思うぜ」

 

しかし、中々話が発展しない。

響が出す話題もそうだが、俺も山城も、どこか緊張していると言うか……。

気を遣っていると言うか……。

やがて、話題も尽きたのか、響は閉口してしまった。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

お互いに、何か話した方がいいとは思っているはずだ。

だが……。

 

「山城さんって、しれえの事が好きなんですか?」

 

いきなりぶっこんできたのは、言わずもがな……。

 

「お、おい……」

 

「だって、山城さん、佐久間さんの事が好きだったんですよね? 夢で、あんな事やこんな事、していたじゃないですか」

 

あんな事やこんな事って……。

そんな、疚しい事をしていたかのような……。

 

「しれえの事を選んだって事は、しれえともそういうこと、したいんじゃないかなって」

 

山城に目を向けると、その表情は……。

 

「山城さん?」

 

「……別に、そう言う訳ではないけれど」

 

「じゃあ、どうして起きてくれたんですか?」

 

山城は少し考えた後、そっぽを向きながら言った。

 

「別に……。ただ……この男はすぐムキになって死のうとするし……。私が起きないと知ったら、また無茶な事しそうだし……。もし私の所為で死んでしまったら……後味が悪いし……」

 

それを聞いた響は、笑いながら「確かに」と言った。

 

「守ってあげないといけないって思ったんだよね。子供みたいに、すぐ無茶をするものだから」

 

山城は小さく頷くと、空になった湯呑に口をつけた。

 

「……そりゃ悪かったな」

 

危なっかしいか……。

まあ、しかし、山城の言う通りだ……。

もし、山城が起きなかったら、きっと俺は……。

 

「……貴方には」

 

「?」

 

「貴方には……私の不幸をかき消すような光になってもらわないといけないのだから……。もっと……しっかりしてもらわないといけないわ……」

 

「山城……」

 

「私も……前に進むから……。だから……その……」

 

山城の目が、俺に向けられる。

いつもの虚ろなものとは違い、どこか――。

 

「だから……これからも……よろしくお願いします……。……提督」

 

「――……」

 

俺は――……。

 

「……司令官、口にソースがついているよ」

 

「しっかりしてください、しれえ」

 

響と雪風は、俺のそれを隠すように、念入りに拭いてくれた。

その光景を見ている山城の口元が、ほんの少し、ほんの少しだけ、微笑んでいるように見えた。

 

 

 

朝食後、響は俺に、島を出る決意をしたのだと伝えた。

 

「響……」

 

「司令官が眠っていた三日間で、皆にはその事を話していたんだ。島を出る準備も済んでいるから、海軍への連絡を頼みたい」

 

皆も、その事を承知していたようで――敷波なんかは、どこか悲しそうな表情を見せていた。

 

「……分かった。けど、どうして……」

 

「……私も、前に進みたいって思ったから。もう、ここにいる必要も無いしね」

 

その言葉に、本当に響は、親父と決別できたのだと実感できた。

 

「それに、これ以上、暁たちに先を越されるわけにはいかないしね。このままでは、本当に暁がお姉ちゃんになっちゃうからね」

 

笑顔を見せる響。

それでもやはり不安なのか、拳はキュッと握られていた。

 

「……そうか。分かった。海軍には連絡しておく。おそらく、今日の夕方にでも迎えが来るだろうから、今一度、皆と話しておけ」

 

「うん。分かった」

 

そう言うと、響は皆と共に、食堂へと戻っていった。

 

「さて……どうなるかな……」

 

 

 

海軍に連絡を済ませ、家で手続き用の書類を整理していると、雪風がやって来た。

 

「しれえ」

 

「雪風。話し合いはどうした?」

 

「まだ続いています」

 

「いや、お前はどうしてここに?」

 

「響ちゃんから、皆に話す前に、島を出ることを聞いていましたから」

 

そう言うと、雪風はちょこんと座り、書類仕事に目を向けた。

 

「面白いものではないぜ」

 

「えぇ、知っています。何度か、夢で見たことがありますから」

 

夢で……か……。

 

「……そういや、まだお礼を言っていなかったな。色々と助かったよ。お前のおかげで、あいつらは前に進むことが出来た。ありがとう」

 

「いえ、お役に立てたのなら本望です。それよりも、どうするおつもりなんですか?」

 

「どうするつもり、とは?」

 

「響ちゃんの事です。真実を知ったら、島に留まる選択をしてしまうかもしれませんよ」

 

全て分かっている、とでも言うように、雪風はじっと、俺を見つめていた。

 

「……それも、夢で見たのか?」

 

「いえ、しれえが電ちゃんと雷ちゃんに説得されている時、こっそり話を聴いていたんです」

 

なるほど、聞かれていた訳か……。

 

「また、響ちゃんに嫌われちゃいますよ? せっかく雪風が、仲を取り持ってあげたのに……」

 

そう言うと、雪風は頬を膨らませた。

 

「嫌われてもいいさ。俺を嫌いになったとしても、響が島に残る理由はもうない」

 

「……暁ちゃん達が島に残るのだと言い出したら?」

 

「それでもいい。また、奮闘するだけさ」

 

雪風は、わざとらしくため息をついて見せた。

 

「本当……しれえは変な人です……」

 

「これは、夢に無かったか?」

 

雪風は頷くと、どこか嬉しそうに笑って見せた。

 

「お前こそ、変な奴だよ。何がうれしいんだ?」

 

「さあ、なんでしょうね? その意味が分かったら、きっと、山城さんの気持ちにも、気が付けるかもしれませんよ」

 

「なんだよそりゃ?」

 

そんな事を話していると、大淀と響がやって来た。

 

「おう、話は終わったようだな」

 

「海軍の方には?」

 

「連絡した。今日の夕方……夕食を済ませた後ぐらいに来るそうだ」

 

「分かりました。響ちゃんの方は準備が済んでいるようですので、私の方で、何かお手伝いできることがありましたら」

 

「いや、俺も方も、もう少しで終わるところだ」

 

そう言うと、響が前に出てきた。

 

「司令官、時間、あるの?」

 

「ん? あぁ、まあ」

 

「そうか。その……お願いがあるのだけれど……」

 

「お願い?」

 

「今日一日……私と過ごしてくれないかい?」

 

「お前と?」

 

「うん……。ダメかな……?」

 

大淀に目を向ける。

何か事情を知っている様子で、小さく頷いてくれた。

なるほど、だから、手伝う事があるのかと……。

 

「あとの事はお任せください。雪風さんも、手伝ってくれますか?」

 

「もちろんです!」

 

二隻の心遣いに、響は恐縮しているようであった。

 

「ありがとう、二人とも。そういう事なら、お言葉に甘えさせてもらおうぜ、響」

 

「……うん。大淀さん、雪風、ありがとう」

 

二隻に見送られ、俺たちは家を後にした。

 

 

 

外は、雲一つない快晴であった。

 

「良かったのか?」

 

「え?」

 

「今日一日、俺なんかと過ごすって」

 

「うん……。司令官とは、仲違いしてから、こうして一緒に過ごしたこと、無かったから……」

 

「報告の時は、一緒だったじゃないか」

 

「あれは、ただの報告だったから……」

 

そう言うと、響は俯いてしまった。

仲違いしていた頃を思い出して、申し訳なくなっているのだろうな。

 

「響」

 

「?」

 

「肩車、してやろうか」

 

「え?」

 

「仲違いする前は、よくせがんでいたじゃないか」

 

そう言ってやると、響は少し恥ずかしそうにした後「いいの……?」と、小さく言った。

 

「嫌ならいいんだぜ?」

 

「い、嫌じゃないよ! じゃあ……その……お願い……します……」

 

何故敬語なんだ。

しゃがんでやると、響は、恐る恐る、俺の肩に乗った。

 

「よっと……。さて、どこに行きたい?」

 

「え?」

 

「何かしたいとか、あるんじゃないのか?」

 

そう言ってやると、響は少し考えた後、小さく言った。

 

「……特にないよ。ただ、一緒に過ごせればいいなって……思っただけだから……」

 

何故、そう思ったのかは、やはり言わなかった。

だが――。

 

「そうか。じゃあ、適当に歩くぜ」

 

「うん……」

 

一緒に過ごせればいい……か……。

 

 

 

俺たちは何をするわけでも無く、ただ海辺を歩きながら、色々と話をした。

 

「雪風に聞いたんだ。島を出たら、もうあの夢は見れなくなるかもしれないって」

 

「そうなのか。だとしたら、もっと好き放題やっておけばよかったな」

 

「ふふ、そうだね。味覚があるから、お菓子の家とか食べてみたかったな」

 

こうして話していると、やはり子供なんだなと実感する。

それでも、出会ったばかりの頃とは違い、少しだけ、大人になった感じはするが――。

 

「そういや、初めて海辺を歩いた頃は、もっとこう、甘えん坊だったよな。お前」

 

「あれは……何と言うか……。貴方の事を『司令官』だと思っていたからで……」

 

「親父には、ああして甘えていたと?」

 

響は答えなかったが、頭を掴む手に力が入っていた。

 

「別に、同じように甘えてもいいんだぜ。そうしたいから、こうした時間を設けたんじゃないのか?」

 

「そ、そんなことは……。私はただ……仲直りしたかっただけというか……。それに……司令官だって……嫌でしょ……。『司令官』の代わりだなんて……」

 

なるほど、気を遣われていた訳か。

 

「俺が嫌じゃなかったら、甘えたかったって事か?」

 

響は答えなかった。

俺は足を止めると、響を降ろし、じっと目を見つめた。

 

「司令官……?」

 

「俺は、親父のようにはなれないか……?」

 

そう言う俺の表情を見て、響は――。

 

「……なれないよ」

 

「…………」

 

「『司令官』は『司令官』だし、貴方は貴方だ……。同じようには……なれない……」

 

「……そうか」

 

「だから……」

 

響はそっと、俺を抱きしめた。

 

「貴方は貴方でいいんだ……。『司令官』とは違う、貴方だからいいんだ……」

 

「響……」

 

「『司令官』のように甘えられないのは……貴方に……甘えん坊だって……思われたくないだけだから……」

 

そう言う響の耳は、真っ赤に染まっていた。

そうか……。

 

「別に、恥ずかしい事ではないよ。まだまだ子供なんだから、甘えておけばいいだろうに」

 

「でも……」

 

「そういうのは、島を出て、もっと大人になってから見せてくれればいいさ。今は、自分に正直であって欲しい。甘えん坊だなんて、思わないからさ」

 

そう言ってやると、響は少し考えた後、消え入りそうな声で言った。

 

「……だっこして欲しい」

 

「よし来た」

 

そのまま抱き上げてやると、響は俺の胸に、そっと、頭を預けた。

 

「撫でてやろうか?」

 

頷く響。

長い髪を梳くように撫でてやると、響はより小さくなった。

 

「……司令官」

 

「ん?」

 

「ありがとう……。本当は……ずっと……こうして欲しかった……」

 

「……そうか」

 

俺はそれ以上、何も言わなかった。

それだけで、十分だった。

 

 

 

夕食を済ませた頃に、海軍はやって来た。

 

「それでは皆さん、行きましょう」

 

皆がぞろぞろと寮を出て行く。

 

「しれえ」

 

「雪風」

 

「雪風は、知りませんからね……」

 

そう言うと、雪風は頬を膨らませながら、皆の方へと駆けて行った。

そうだった……。

すっかり忘れていたが、この後――。

 

「一緒に過ごすんじゃなかった……かもな……」

 

 

 

泊地には、天音上官を筆頭に、海兵連中が集まっていた。

いつもの挨拶を済ませ、響を前に立たせる。

 

「響ちゃん、またね!」

 

「響ちゃん!」

 

皆が声をかける中、天音上官は、俺に気まずそうな表情を見せた。

 

「雨宮……本当にいいのか……?」

 

「……はい。お願いします……」

 

上官は頷くと、海兵連中に声をかけた。

そして、船から降りてくる三つの影――。

 

「え……」

 

声を零したのは、響であった。

答え合わせをするように、敷波が叫んだ。

 

「暁ちゃん!? 雷ちゃんに電ちゃんも!?」

 

それと同時に、皆が驚愕する声。

雪風だけは、白い目で俺を見ていた。

 

「響……」

 

暁が響に駆け寄る。

 

「あ、暁……どうして……」

 

暁は困った表情で、俺を見た。

仕方ない……。

覚悟を決めるか……。

 

「悪い、響……。暁たちは……その……人化していないんだ……」

 

「え……!?」

 

「確かに、島を出るとは言った……。けどそれは……その……検査の為だったんだ……」

 

「検査……?」

 

「暁は確かに、島を出る決意をした。だが、知っての通り、電と雷が反対してな――」

 

 

 

 

 

 

「第六駆逐隊がバラバラになるだなんて嫌よ!」

 

「なのです!」

 

どうにか暁の決意を変えられないかと言われたが、暁は暁で、頑なでな。

俺としても、暁が島を出ることになれば、お前の気持ちも変わるものだと思って、電と雷を説得したのだが……。

 

「すまん……。分かってくれ……」

 

「……嫌よ。私たちは、諦めないから!」

 

「なのです!」

 

結局、説得はかなわなかった。

どうしたものかと悩んでいた時、天音上官から連絡が入ったんだ。

 

「『検査艦の協力要請』……ですか?」

 

『あぁ。長らく艦娘の検査は実施されていなかったのだが、関係が良好な今、再開されることになった』

 

検査艦とは、読んで字のごとく、検査対象の艦娘の事だ。

どのような検査が実施されるのかは分からないが、おそらく、親父の時代にあったのだという、ヘイズの感染量等を調べるものなのだろう。

 

『検査は私の管轄下で行われる。あくまでも協力要請であるから、強制ではないのだが……』

 

電話口の天音上官の表情が、手に取るように分かった。

 

「ご心労お察しします」

 

『……すまない、雨宮』

 

「いえ……。検査はどこで行われるのです?」

 

『それは言えない……。ただ、島の外で行われる……とだけ……』

 

「島を出ることになるのですか?」

 

『あぁ……。島を出るという事に抵抗がある艦娘も多かろうと思う……。やはり、難しいだろうか……?』

 

島を出ることに抵抗の無い艦娘……。

それを考えた時、俺は――。

 

 

 

 

 

 

「そういうことか……」

 

話を切ったのは、響であった。

 

「検査艦の事を隠し、あたかも人化するために島を出たかのようにして見せた……ってことだね……。私に島を出る決意を持たせるために……」

 

「……流石だな。電と雷に説明したら、すぐに検査艦になることを了承してくれたよ。『響の気持ちが変わるなら……』って……」

 

「……変わらなかったら、どうするつもりだったんだい? 暁が島を出ることに変わりはないはずだ。なのに、どうして……」

 

響は、電と雷に目を向けた。

だが、答えたのは暁であった。

 

「その時は、暁も島に残るつもりだったわ」

 

「え?」

 

「そうじゃなかったら、きっと、電も雷も、納得してくれなかっただろうから……。それでも、暁は信じていたわ……。響ならきっと、決意してくれるって……。そうでなくても、司令官がなんとかしてくれるって……」

 

電と雷も同じなのか、何度も頷いていた。

 

「響、騙してしまって――」

 

いや……。

 

「……まんまと策略に嵌ったな、響。だが、人化するだなんて、俺は一言も言っていなかったんだぜ」

 

俺は、あえて響を煽った。

選択するのは、あくまでも響だ。

怒りが勝るか、それとも――。

 

「……そうか。私は……貴方に騙されていたって訳か……。利用されていたって訳か……」

 

「…………」

 

永い永い静寂。

暁は――天音上官でさえ――不安な表情を浮かべていた。

 

「司令官……」

 

「……なんだ?」

 

「ちょっと……しゃがんではくれないか……?」

 

「……うん?」

 

しゃがみ、響に視線を合わせる。

次の瞬間――。

 

「ぶっ……!?」

 

響は拳を振りかざすと、思いっきり俺の顔面を殴った。

 

「あ、雨宮!?」

 

「ぐっ……!?」

 

体勢を崩し、そのまま倒れ込んでしまった。

駆逐艦とはいえ、なんつう力だ……。

 

「司令官……! 大丈夫……!? ひ、響! なにしているのよ!?」

 

響がゆっくりと俺に近づいてくる。

暁は俺を庇うように、響の前に立ちふさがった。

 

「暁……っ……大丈夫だ。響の好きにさせてやってくれ……」

 

「でも……!」

 

俺は起き上がり、再び響の前にしゃがみ込んだ。

 

「響……」

 

「…………」

 

「……好きなだけ殴ったらいいさ」

 

そう言って、俺は歯を食いしばり、目を瞑った。

だが、響は、殴った俺の頬に、優しく手をあてがうだけであった。

 

「響……?」

 

「……流石だね、司令官。私に、手を出させるだなんて」

 

「え……?」

 

「貴方にしてやられたのは、とっても腹が立つし、何か仕返しをしたいって――島に残って困らせてやろうって――そう思ったのだけれど……」

 

響は小さくため息をつくと、降参だと言うように、手を上げて見せた。

 

「そうは出来なかったよ。それでも島を出たいって――生きてみたいって、思ってしまった」

 

「響……」

 

「でも、腹の虫はおさまらなかったから、これでお相子にさせてもらったよ」

 

「……許してくれるのか?」

 

「そうしてほしくないのなら、もう一発叩き込むけど?」

 

俺が何度も首を横に振ると、響は嬉しそうに笑って見せた。

 

「響……」

 

「暁……」

 

「本当に……いいの……?」

 

「……うん。心配かけて……ごめんなさい……。それと……」

 

「…………」

 

「信じてくれて……ありがとう……。本当は私も……皆と一緒が良かった……。待っていてくれて……ありがとう……」

 

響がぽろぽろと涙を流すと、暁たちも――ずっと、我慢していたのだろう――大声で泣き出してしまった。

 

「響……」

 

思わずもらい泣きしそうになっていると、どこからか奇妙な音が聞こえてきた。

 

「うぐぅ……ぐぎゅぅぅぅぅ……」

 

振り向いてみると、天音上官が泣いていた。

 

「よ、よがっだなぁぁぁぁ……! うぐぎゅぅぅぅぅぅ……!」

 

その泣きっぷりに、俺はドン引きしてしまい、涙も引っ込んでしまった。

それは第六駆逐隊も同じだったようで、皆して天音上官を慰めにかかることになってしまった。

 

 

 

結局、天音上官が泣き止むことは無く、船は島を離れることになった。

 

「悪かったな、皆……」

 

「ううん。おかげで、皆とゆっくり話すことが出来たわ。お別れもちゃんと言えたし。それよりも、司令官……。まだ、ちゃんとお礼を言っていなかったわね……。ありがとう……。響を連れてきてくれて……」

 

暁が頭を下げると、電と雷も同じように、頭を下げた。

 

「俺の方こそ、礼を言わせてくれ。検査とは言え、島を出るのに、相当な勇気が必要だったと思う。お前らのおかげで、響は決意出来たんだ……。山城も救えた……。ありがとう……」

 

今度は、俺と響が頭を下げた。

 

「ふふ、じゃあ、お相子って事ね」

 

「あぁ、そうだな。お相子ってやつだ」

 

そう言ってやると、皆は笑顔を見せてくれた。

四人の笑っている姿に、俺は思わず――。

 

「……悪い。ちょっとだけ、風にあたってくるぜ」

 

その理由が分かっているのか、四人は何も言わず、俺を見送ってくれた。

 

 

 

本土に着くと、いつものように山風が出迎えてくれて、いつものように驚愕の声が響いた。

 

「四人はウチ(隔離棟)で預かることになった。『Oedipus phase』に移行する可能性も否定できないし、七駆のケアにも一役買ってくれるだろうという判断からだ」

 

「皐月たちと同じように……ですか……」

 

「あそこまで酷いものになるかどうかは分からないがな……。人化もこの後すぐに行われる。しばらくは会えないから、今の内に挨拶しておけ」

 

「分かりました」

 

皆に、しばらく会えないのだと説明してやると、覚悟はしていたようで、俺と一言二言交わしてから、バスへと乗り込んでいった。

――響以外は。

 

「響……」

 

「しばらく会えないって……どれくらいなんだい……?」

 

「……さあな。だが、またすぐに会えるさ」

 

「……せっかく、仲直りできたのに。これから……もっともっと……仲良くなれたらって――お話ししたいことも――まだ、知らないことも――……」

 

響はたくさん、俺とやりたいことを挙げた。

それが時間稼ぎであることは分かっていた。

それでも――。

 

「それから……それから……」

 

それ以上思いつかなかったのか、響は黙り込むと、俯いてしまった。

 

「響」

 

俺はしゃがみ込み、響の手を取った。

 

「司令官……」

 

「それ以上思いつかないのなら、じっくり考えて来い。次会えた時、全部叶えてやるからさ」

 

そう言ってやると、響は顔を隠すように俺の胸の中へと飛び込み、ぎゅっと抱きしめた。

 

「響……」

 

そっと抱きしめてやると、響は小さい声で言った。

 

「約束だよ……?」

 

「あぁ……」

 

俺はそっと、響の頬にキスをしてやった。

 

「お前が教えてくれたおまじないだ。元気出たか?」

 

響は微笑むと、俺の唇にキスを返した。

おまじないの返しにしては――。

その証拠に、響の耳は――。

 

「……唇にするのが本当なんだ」

 

目を逸らす響。

 

「フッ……そういう事にしておいてやるよ」

 

響はゆっくりと俺から離れると、そのままバスへと駆けて行った。

 

「やれ……」

 

「雨宮……」

 

天音上官は、俺に白い目を向けていた。

 

「艦娘にモテるのは知ってはいたが……その……子供にまで手を出すのは……」

 

「…………」

 

 

 

響たちを見送った後、俺はお偉いさんたちに呼ばれ、再び表彰された。

 

「残り9隻か……。いやはや、一年も経たずに21隻もの艦娘を人化させるとは……。大変すばらしい功績ではあるのだが、想定外の事で、本部のみならず、国の方も対応に追われているようだ」

 

「はぁ……そうですか……」

 

「そうですかって、君……。まあ、確かに、君には関係のない事なのかもしれないがね……」

 

「実際、関係がない事ですから」

 

「……まあ、その件はどうでもいい。問題なのは、人化の速度も然ることながら、世論への対応だ。人化の速度が増すに連れ、我々への批判も増してくる。選挙が近い事から、艦娘の問題を利用してくる政治家も多くなってくるだろう。そうなった時、国民が艦娘をどう思っているのかによって、流れは大きく変わってくる。もし、批判の声が多くなれば、当然、政治家連中も批判の声を高めるだろう。そうなれば……」

 

どうなるかは、想像に難くなかった。

 

「そこで、君には、艦娘の印象をよくするために、人化した者たちと共に、メディアやネットなどを通じて、情報発信をお願いしたい」

 

「情報発信……ですか……。そういったものは、広報の仕事では?」

 

「私もそう思ったのだがね……。大井を中心に情報発信を行おうと思っているのだが、北上曰く、君でないと大井を制御できないと……」

 

まあ、確かにそうかもしれないな……。

大井の奴、何をしでかすか分からないしな……。

 

「本土での活動が主になるから、島での活動は少なくなる。だが、人化の速度を抑える目的もあるから、了承して欲しい」

 

正直、山城の事もあるから、島での活動を中心として行きたいのだが……。

 

「艦娘の今後の事も考えると、今動くしかないのだ。頼む、雨宮……。何とか力を貸してほしい……。このとおりだ……」

 

艦娘の未来の為……か……。

そうだよな。

それも、俺の仕事だよな……。

 

「……頭を上げてください。分かりました。私に出来る事であれば」

 

「ありがとう……。詳しい事は、追って連絡する。部屋を用意してあるから、今日はそこで休め。島へは私が連絡しておくよ」

 

 

 

用意された部屋に着くと、緊張の糸が切れたかのように、体から力が抜けていった。

 

「はぁ……。なんか……くたびれたな……」

 

思えばここ数日、色々あったからな……。

ずっと気を張っていたと言うか、気を遣っていたと言うか……。

 

「ようやく、ここまで来たか……」

 

山城が心を開いてくれた時、なにかこう、ようやく報われたような気がした。

目標にしてきたことが達せられたと言うか――山を乗り越えたと言うか――。

 

「残り9隻か……」

 

交流度合いを考えると、後は霞だけなんだよな。

実質、残り1隻とも言えるやもしれんな……。

 

「まだまだやることはある……。けど……流石に、よくやっているのだと自分をほめてもいいよな……?」

 

謎の達成感が湧いてくる。

それと同時に、眠気も――。

 

「ふわぁ……。なんか、ぐっすり眠れそうだぜ……」

 

心が軽い。

思えば、いつも、不安や焦燥感を抱きながら眠っていたように思う。

それが無くなった今――いや、完全には無くなっていないはずなのだが――でも、忘れてもいいと思えて――……。

 

「…………」

 

瞼が重くなって行く。

このまま寝てしまおう。

そう思った瞬間だった――。

 

「……っ!?」

 

突如、起床ラッパが鳴り、俺は思わず飛び起きてしまった。

 

「んえっ……!?」

 

なにがなんだか分からないでいる俺の前に現れたのは……。

 

「てってれー! ドッキリ大成功!」

 

カメラを構える青葉。

そして『ドッキリ』と書かれた看板を掲げていたのは、大井であった。

 

 

 

 

 

 

残り――9隻

 

 

 

――続く



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27話

画面に映る男の顔を見て、私は大変驚きました。

――フフッ、すみません。

いえ、この話をすると、あの動画を思い出しまして。

精悍な顔つきの彼が――ああ、これを言うと、皆、そんな顔をするんです。

一体、どこが精悍なのだ……とでも言いたげな――あの人に仕えていたから、惚れていたから、そう思えるのだろうって……。

確かに、惚れていました。

でも、艦娘であれば、誰でもそう思えてしまうものなのです。

こればかりは、仕方がない事なのです。

彼は提督だから。

艦娘は、提督が大好きだから。

人類の為だ、なんて言って戦っていたのだけれども、本当は、彼の為だった。

彼が、人類の為に戦ってほしいと言ったから――。

 

――どうでしょうね。

 

彼はそんな事、絶対に言わないけれど、きっと――少なくとも、私は、彼の望みを叶えていたでしょうね。

 

――フフッ。

 

えぇ、提督に感謝しなきゃいけませんね。

あなたが此処に在るのも――この世界の平和も――全ては――。

 

『戦後70周年記念番組-あの頃の鈴蘭寮-より』

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

『このまぬけな顔の男こそ、島へ出向している『提督』よ。今後もこのチャンネルに顔を出すことになるだろうから、よーく覚えておきなさいよ。それじゃあ、今回はここまで。次回の動画でまた会いましょう。チャンネル登録と高評価を忘れるんじゃないわよ!』

 

軽快なBGMと共に、チャンネル登録と高評価を促す画面が映り、動画は終わった。

 

「……これを公開したのか?」

 

問い掛ける俺に、大井と青葉は得意げな顔を見せた。

 

「いや~編集大変でしたよぉ~。けど、司令官の顔出し一発目の動画だったんで、気合を入れて寝ずに仕上げたんです!」

 

「いや、まあ、大変だってのは分かるが……」

 

再び動画を再生する。

ドッキリを仕掛けられた俺の間抜けな顔と共に、デカデカと字幕で『雨宮慎二』と本名が晒されていた。

 

「……確かに協力するとは言ったが、まさか、こんな形になろうとはな。もっとこう……アドバイザー的なものかと……」

 

「反響、凄い事になっているわよ。世間はこの話題で持ちきりだし、雨宮慎二なる人間が何者なのかを考察するサイトまで現れたわ」

 

大井が見せてくれた考察するサイトとやらは、俺については何も知らないらしく「~かもしれませんね!」といった形で締めくくられていた。

 

「海軍本部にも、司令官についての問い合わせが殺到しているみたいです。その中には、司令官に会いたいって言う、元艦娘達の声もあるみたいですよ。流石は司令官、艦娘にだけはモテますねぇ」

 

普通、こんな間抜け面を見て、会いたいと思うものだろうか……。

艦娘の感性はよく分からん……。

 

「それで? この動画の反響を見せるために、わざわざ俺の部屋に来たって訳か? というか、昨日は急なことだったから訊けなかったが、どうしてここに来れた? 寮からだいぶ離れているはずだし、誰かに連れてきてもらったという感じでもなさそうだが……」

 

「あら、知らなかったの?『高等学校卒業程度認定試験』を合格した艦娘は、海軍本部敷地内での行動に制限が無くなるのよ」

 

「『高等学校卒業程度認定試験』の合格って……。お前ら、合格したのか!?」

 

「あら、知らなかったの? てっきりもう知っているものだと」

 

いや、まあ、大井は模擬試験で合格点を出していたから――それにしたって、海軍はどうしてそんな重要な事を俺に伝えてくれなかったんだ……。

……まあ、それはいい。

一番驚いたのは……。

 

「青葉……お前……いつの間に……」

 

「……まあ、青葉は、島にいる頃にも勉強はしていましたから。海軍へ島の状況を報告する関係上、どうしても知識は必要でしたし……。試しに模擬試験を受けてみたら、合格点を出してしまって……」

 

「マジかよ……。いや、それにしたって、このスピードは……」

 

「青葉は凝り性なのよ。本試験を受けるって決まってから、それはもう凄い集中力で勉強を始めてね? 食事も忘れるくらいだったんだから」

 

確かに、編集も寝ずにやったのだと言っていたしな……。

 

「凝り性だというのもありますけど……。頑張った一番の理由は……」

 

青葉はじっと、俺の目を見つめた。

 

「この試験に受かったら……司令官の世界に……ちょっとだけでも近づけるのかなって……。そう思ったら……なんだか頑張れちゃったんですよね……とか言ってみたり……。えへ……」

 

赤面する青葉に、俺は思わずドキッとしてしまった。

透かさず、大井が俺に蹴りをいれた。

 

「いってぇ!? なにすんだよ!?」

 

「何鼻の下伸ばしてんのよ!? そんな事よりも、まずは私たちを褒めたらどうなのよ!?」

 

「え? あ、あぁ……。本当、よく頑張ったな。おめでとう」

 

「フンッ……相変わらず鈍感な男ね……」

 

そう言うと、大井はフイとそっぽを向いてしまった。

しまった……。

そうだよな……。

デレデレしている場合じゃなかった。

本当、俺という男は……。

 

「司令官、大井さんをもっと褒めてあげてください」

 

「え?」

 

「大井さん、すっごく頑張ったんです。模擬試験で一度合格点を出したとはいえ、その後はあまり成績が芳しくなくて……。『社会適応試験』の訓練や、周りからの期待に耐えられず、体調を崩すことも……」

 

本当にそうだったのか、大井は俯いてしまった。

 

「それでも、自分が先陣を切っていくんだって……司令官の為に頑張るんだって……。今回の動画だって、どうしたら司令官が世間に受け入れられるかって、一生懸命考えていたんです」

 

「……そうなのか?」

 

大井は答えなかった。

だが、無言であることが、全ての答えであった。

 

「本当は、そういうところを褒めて欲しいんですよね? 司令官に認めて欲しいんですよね? でも、大井さんはそういう事、隠しちゃう人だから……」

 

「……別に、そんなこと」

 

「ほら、そうやって」

 

青葉の言葉に、大井は少し苛立っているようであった。

 

「そうか……。褒めて欲しいかどうかは分からないが……その気持ちは素直に嬉しいよ。よく頑張ってくれたな、大井。それと……悪かった……。そんな大きなものを背負わせているだなんて、思ってもみなかったよ……」

 

「……あんたが謝る必要なんてないわよ。私が勝手に背負っただけだし……」

 

「そうだとしても、それに気が付けなかったのは俺の落ち度だ。すまない……」

 

謝る俺に、大井は悲しそうな表情を見せた。

そんな事をさせるつもりじゃなかった、とでもいうように――。

 

「――っていう表情をしてますよ、大井さん」

 

青葉の言葉に、大井は蹴りをくらわせていた。

……案外、仲がいいのだろうか?

 

 

 

結局、大井から逃げるようにして、青葉は部屋を出て行ってしまった。

 

「ったく……」

 

だが、それが青葉の気遣いだと分かっているのか、深追いすることはせず、大人しく椅子に座っていた。

 

「気を遣うのが上手いよな、あいつ」

 

「そうね……。私とは、大違いだわ……」

 

大井は深くため息をつくと、退屈そうに頬杖をついて、窓の外を見つめた。

 

「……周りからの期待だとか、そういうのを気にする質だったか?」

 

そう訊いてやると、大井は再びため息をついた。

 

「気にしないわよ……。まあ、先に島を出たことだし、先陣を切ってやるか……ってな程度だったわよ……」

 

「だった、とは?」

 

「……青葉よ。あの子、試しに模擬試験を受けて、簡単に合格点を出しちゃうんだもの……。それも、私よりも高い点数で……」

 

「それでムキになって?」

 

「別に、そっちの方向で負ける分にはどうでも良かったし、私の代わりに先陣を切ってくれるのなら、こんなに楽なことは無いと思ったわ……。でもね……」

 

大井はじっと、俺の目を見つめた。

 

「そうなったらきっと……私はあんたの隣に居られなくなると思ったから……」

 

「俺の隣に……?」

 

「先に島を出た艦娘として、色々と特権を受けてきた……。訓練にあんたを同行させたこともそうだし、今回のPR活動も、本当だったらあんたと二人でやるつもりだった……。でも……青葉が合格点を出して、海軍の考え方も変わってきて――私は扱いにくい存在だからと、青葉を推す声も大きくなっていって――」

 

それから大井は、たくさんの『不安』を口にした。

退屈そうな表情は、徐々に崩れてゆき――そして――今まで溜め込んでいたものが、一気にあふれ出たかのようであった。

 

「……ごめんなさい。あーあ、ばっかみたい……。本当、あほらしいわよね」

 

顔を隠すように、大井は窓の外に目を向けた。

 

「……なるほどな。だから、あんなにイラついていたのか。青葉があんなに頑張る理由が、自分と同じだったから――そうなのだとしたら、自分は勝てないと――追い越されてしまうと、不安になった訳か」

 

「……なんでそういうところだけは鈍感じゃないのよ? ったく……ウザイったら……」

 

確かに、何故か変なところだけ冴えてしまうな。

 

「そんなに想ってくれていたんだな」

 

「言ったでしょ……? 私が勝手に背負っただけだって……。あんたの隣に居たいのだという、私の我が儘なのよ……」

 

だから、謝る俺に悲しい顔を見せたのか。

 

「青葉は、私のそういう気持ちに気が付いているようだし、それをあんたに悟られないよう――されど、慰めさせるように、こうして二人っきりにしたんだと思うわ。そうやって気を遣われることも、私にとっては――」

 

それでも、青葉に悪気はないはずだ。

それを分かっているからこそ、大井は――。

 

「……ごめんなさい。こんな雰囲気で、PRなんて出来ないわよね。でも、もう大丈夫だから。私も試験を受かったことだし、青葉に負けるつもりも無いから。あーあ、気持ちをぶちまけたら、なんだか楽になったわ。聴いてくれてありがとう。私は先に寮に戻っているから、あんたも支度を済ませたら、寮に来て。じゃあ」

 

大井はそそくさと、部屋を出て行ってしまった。

こういう時、なんて声をかけてやればよかったんだろうな……。

大井が一番望んでいる言葉は、おそらく――。

けど、少なくとも、今は――だからといって――。

 

『でもさ……そう出来ないもんね……。そっか……。だから雨宮君は、好きっていう気持ちを隠さなくなったんだね……。納得いった……』

 

秋雲の言葉が、俺の胸を締め付ける。

同時に、鳳翔や大和の言葉――皆の顔も――。

 

『きっと、秋雲を抱けば、異性に対しての気持ちも抑えられるんじゃないかなって……。雨宮君が気が付いたであろうことも、解決できるんじゃないかなって……』

 

「やはり、そういう事なのだろうかな……」

 

大井にはっきりとした言葉を伝えられないのは、俺の中に迷いがあるからなのだろう。

夢の中の親父も『恋に翻弄されているばかりではないか』とか言っていたしな……。

 

「性欲……。性欲なのかなぁ……」

 

いっそのこと、本当に――……。

 

 

 

寮に向かおうと準備をしていると、鈴木が部屋を訪ねてきた。

 

「よう。しばらく本土に残るんだってな。いい部屋じゃねぇか」

 

「あぁ、まあな。ただ、大変なことになってな……」

 

「知っているよ。動画、見たぜ。すげぇ反響だよ。香取も動画を見たようだぜ」

 

「香取さんも? っていうか、お前、香取さんと仲直り(?)したのか?」

 

そう訊いてやると、鈴木は少しだけ困った表情を見せた。

 

「なんだよ?」

 

「いや……実はよ……。娘の芽衣ちゃんがさ、どうしても俺に会いたいって言うらしくてさ……」

 

それを聞いて、全てを察した。

 

「……香取さん自身は、会う気はなかったと?」

 

「直接そう言われた訳じゃないが……。まあ、仕方なくって所だろうな……」

 

仕方なく……か……。

 

「でも、会って話すことは出来るんだし、とりあえずは良かったじゃないか」

 

「まあな……」

 

永い沈黙が続く。

どう慰めてやろうかと考えていると、鈴木が話題を変えてくれた。

 

「……そんなことより、いいものを持って来たぜ」

 

「いいもの?」

 

「ほら、性欲がどうとか言ってたろ? しばらく一人になる時間も多くなるだろうから、これを機に解消させた方がいいんじゃないかってさ」

 

そう言うと、鈴木は、エロ本や変な形の筒(?)をたくさん俺に渡した。

 

「てめぇの好みが分からなかったから、色々と揃えてみたぜ。熟女ものとか、巨乳ものとか――」

 

俺は、鈴木に冷たい視線を送った。

 

「なんだよその目は? 好みのジャンルじゃなかったか?」

 

「いや、そうじゃなくて……。解消ってお前……そういうことかよ……?」

 

「ったりめぇだろ。溜まっているもんださねぇと、あいつらとヤリかねないしな。性欲に負けたくないのなら、一発抜いて、冷静になってから会いに行くことをお勧めするぜ」

 

「一発抜いてからって……」

 

俺は、ストライプの入った変な筒を手に取った。

 

「これは何なんだ?」

 

「知らねぇのか? これは、ほら、ここを開けて、この穴にこう……な?」

 

鈴木の手の動きで、全てを察した。

 

「最低だな……」

 

「まあまあ、一度使ってみろよ。とにかく、性欲で悩んでいるというのなら、自分で解消すればいい。そうすりゃ、去勢しなくて済むし、しゅきしゅき症候群も治まるってもんさ」

 

「しゅきしゅき症候群……」

 

「寮へ行くにはまだ時間があるんだろ? 鈴木弥太郎はクールに去るから、ちゃんと済ませてから出て行けよな」

 

そう言うと、鈴木はクールに去って行った。

 

「ったく……」

 

しかし、そうか……。

自分で性欲を解消すれば……。

確かに、以前、山風で――。

 

「うぅぅぅぅぅぅぅ!」

 

山風への罪悪感に身悶えしながらも、俺は今一度、ソレの有効性について考えた。

確かに、性欲さえなければ、しっかりとした気持ちであいつらの前に立てるかもしれないし、大井にもはっきりとした言葉をかけられたかもしれない。

 

「…………」

 

 

 

寮に向かうと――。

 

「あら、噂をすれば」

 

青葉のカメラが俺に向けられる。

 

「……またドッキリか?」

 

「違うわよ。ほら、皆の紹介動画を撮っているのよ」

 

「紹介動画?」

 

「人化した艦娘の紹介動画よ。私と青葉だけだと華が無いし」

 

「再生数もきっと伸びるはずですよぉ!」

 

そう言うと、青葉は舐め回すように陸奥を撮影し始めた。

 

「紹介動画って……。許可は取っているのか?」

 

「本部にも本人にも取っているわよ。むしろ、動画に出たいって、ね?」

 

本当にそのようで、何とか映ろうと、皆、カメラの前を忙しなく動いていた。

 

「提督、しばらくこちらにいるそうですね」

 

「鳳翔。あぁ、撮影の手伝いをすることになってな。しかし、まさか、出演することになろうとはな……」

 

「ふふ、でも、却って良かったです。世間では、提督の存在は謎に包まれていて、変な憶測まで飛び交っているようですから、少しでもその誤解が解けたらいいなって、思っていたんです。こんなにも素敵な人なのにって」

 

「鳳翔……」

 

「それに……青葉さん!」

 

青葉のカメラが俺たちに向けられる。

すると、鳳翔は、俺の腕に抱きついて見せた。

 

「お、おい!」

 

「いいではありませんか。私たちの仲、皆に知ってもらいましょう?」

 

透かさず、鹿島達がとんできた。

 

「鳳翔さん!」

 

「うふふ、私たち、こういう仲です! なんちゃって!」

 

はしゃぐ鳳翔。

こいつ、こういうキャラだっけか。

 

「もう! て、提督さん! 鹿島とも映ってください!」

 

「青葉! いつまで撮影しているのよ!? こんなの使える訳ないじゃない!」

 

ギャーギャー騒がしくなる現場。

本当、賑やかになったよな、ここも。

 

「あんたも! 鼻の下伸ばしてないで、さっさと離れなさいったら!」

 

 

 

結局、俺が居たら撮影の邪魔になるのだとかなんだとか言われ、寮を追い出されてしまった。

 

「ったく……」

 

ベンチに座り、缶コーヒーを飲む。

 

「こんな事している場合じゃないはずなんだろうけどな……」

 

しかしまあ、たまにはこういうのも悪くない。

思えば、最近はずっと、何かと戦っていたからな……。

まだまだやらなきゃいけない事はあるが、こうして人化した連中と一緒に過ごしていると、ここまでやって来れたんだなって、何だか安心してしまう。

 

「一発抜いたからってのもあるのかもしれないがな……」

 

所謂――。

 

「賢者タイムってやつ?」

 

その声に、心臓が止まりそうになるくらい驚いた。

声の方へ向いてみると――。

 

「あ、秋雲……」

 

「ども、秋雲さんで~す」

 

秋雲は隣に座ると、ニヤニヤしながら俺の目をじっと見つめた。

 

「言ってくれたら、秋雲さんが抜いてあげたのに~」

 

「い、いや……。そ、それよりも、どうした? 撮影、参加しなくていいのか?」

 

「あ~いいのいいの! 秋雲さんだと、絵にならないからさ。そんなことより、雨宮君、一発抜いたんだ? 自分で? それとも、誰かに?」

 

俺が答えないでいると、秋雲は粘度のある笑顔を見せた。

 

「雨宮君は偉いね。そうだよね。さっきみたいに、鳳翔さんなんかに抱きつかれたら、自分を制御できなくなるかもしれないもんね? なら、一発抜いて、賢者モードになったほうがいいもんね?」

 

秋雲は全て分かっているようであった。

 

「……別にいいんだよ? 秋雲を使ってくれても。誰にも言わないし、何も付き合ってくれだとか、結婚してくれだとか言っている訳じゃないし。ヤることだけやって、ただ気持ちよくなればいいだけ」

 

まるで誘惑するかのように、秋雲は耳元で囁いた。

本当に経験が無いのか疑うレベルの誘惑だ。

 

「……もっと自分を大切にした方がいいぞ、秋雲」

 

「あや、本当に賢者モードなんだ。少しは焦ってくれるものと思っていたのだけれど」

 

確かに、いつもより冷静に対処できているように思う。

誘惑されていることよりも、抜いたことがバレた恥ずかしさの方が勝っているというのもあるが……。

 

「なるほどねぇ……。それが、雨宮君の出した結論か~。まあ、出したのは結論だけじゃなさそうだけど~?」

 

「下品な奴だな……。だが、まあ、どうやら俺は、本当に性欲で動いていたようだ。色々と迷惑かけてしまったよ。皆にも、お前にもな……」

 

「秋雲さんの事は気にしなくっていいよ。むしろ? 秋雲さん的には? 素直に抱いてくれた方が良かったんだけど?」

 

「……そうかい」

 

ため息をつく俺に、秋雲は何やら微笑んで見せた。

 

「なんだよ?」

 

「いや? 何て言うかさ、皆が雨宮君に夢中になるの、なんだか分かるなぁって。真面目というか、素直というかさ……。私達艦娘にとって、人間って存在は、完璧で、厳格で――そういう人たちとばかり接してきたというのもあるけれど――雨宮君は、そういうタイプとは違って、私たちに近い存在というか……なんというか……」

 

どう表現したらいいのか、秋雲は悩んでいるようであった。

 

「……とにかく、艦娘を惹き付けるような要素を持った人だなって。守ってあげたくなると言うか、雨宮君の為に、色々したくなるというかさ……」

 

守ってあげたくなる……か……。

 

「単純に、頼りない男って事だろうな……。危なっかしいとも言われるし、赤ん坊を見守るようなもんだろ」

 

「まあ、そういう感じもあるのだろうけれど……。なんというか……そう! 提督! 提督みたいな存在!」

 

「提督?」

 

「秋雲さん達は、人類の為ってのもあるけれど、思えば、提督の為に戦っていた感じがあるんだよね。提督の事は尊敬していたし、守りたいとも思ったし、何かしてあげたいとも思ってた。そうだよ。雨宮君は提督って感じだわ~。すっきりしたわ~」

 

ケラケラ笑う秋雲。

提督、か……。

戦時中の『提督』についてはよく知らないが、俺みたいなのが指揮を執っていたら、萎えそうなもんだがな……。

 

「『提督』も、艦娘を導く存在として【童貞で悪所通いをしない高潔な人物が選ばれた】って言われているし、まさに雨宮君そのものじゃん!」

 

「童貞で悪所通いをしないってのは合っているが、高潔ではないと思うがな……」

 

「まあ、実際の提督も、高潔って感じではなかったしね。そっかぁ。提督かぁ。だったら尚更、童貞は捨てられないよねぇ」

 

「別に、そういう意味で童貞なわけではないのだが……」

 

「じゃあ、どんな意味? 相手がいないって訳じゃないよね? 秋雲さんがいる訳だし」

 

「うーん……。そう言われるとな……。ただ……そういう関係になってしまっては、きっと、俺はあの島には行けなくなる気がするし、そうでなくても、結局は何故か踏みとどまってしまうんだよな……」

 

「高潔だねぇ」

 

「高潔な人間は、きっと自慰なんてしないだろうよ」

 

「確かに」

 

秋雲は再びケラケラと笑った。

 

「そっかぁ。残念。秋雲は、本気で雨宮君とヤるつもりだったんだけどなぁ」

 

「別に、もう俺でなくてもいいだろ。お前の魅力に気付いてくれる人はいるだろうし、俺よりもいい人はたくさんいる。それこそ、お前を抱きたいって奴だって……」

 

って、俺は何を言っているんだ……。

 

「それってさ、雨宮君がそう思ってくれているから、そういう可能性があるんだって言ってくれてる?」

 

「え?」

 

「だって、そうじゃなかったら、そんな無責任な事、雨宮君は言わないはずだよね。一発抜いているし、この前みたいに、言葉を呑み込まなくてはいけない状態ではないだろうし」

 

俺は思わず閉口してしまった。

そんな俺に、秋雲は――。

 

「――……。んへへ……嫌じゃなかった……?」

 

「い、嫌……ではないが……。お前……」

 

秋雲は顔を赤くしながら、小さく言った。

 

「雨宮君がそう思ってくれているのなら――秋雲にも『そういうチャンス』があるなら、ちょっとだけ、努力してみようかなって……。性欲とか……そういうのじゃなくて、本気で――山さんや皆のように――雨宮君をドキッとさせられたらって……」

 

「秋雲……」

 

「……なーんて! それに、あんまり雨宮君をムラムラさせちゃったら、秋雲さんではなくて、別の人とヤり始めちゃいそうだし。実際、右手に解消させた訳でしょ? あ、それとも左手派だった?」

 

いつもの調子で笑う秋雲に、俺もまた、微笑むことが出来た。

 

「フッ、俺は右手派だよ」

 

「秋雲さんも同じ~。んへへ~」

 

秋雲の笑顔に、俺は救われたような気持ちになった。

 

「ねぇねぇ、雨宮君。秋雲さんと握手しようよ」

 

「え? あぁ、まあ、構わないが。何故?」

 

秋雲は右手で握手をすると、粘度のある笑顔を見せた。

 

「んへへ……これってさぁ、実質セックスだよね?」

 

「……お前な」

 

 

 

それから数日間、撮影に協力したり、大井や青葉の訓練に参加したり――とにかく、今までしてやれなかったことを全部やった。

動画を見て駆け付けた元艦娘との交流などもあり、忙しくはあったものの、楽しく過ごすことが出来た。

 

「よう慎二。最近、顔色が良さそうじゃねぇか。あんなに忙しいのに。やっぱ、一発抜いたからか?」

 

「抜いたのが関係しているかどうかは分からんが、自分でも不思議なくらい楽しめているよ」

 

「本部でも評判になっているぜ。明るくなっただとか、人間味が出てきただとかさ」

 

「人間味って……」

 

「とにかく、男が上がったように見えるぜ。隔離棟でも、お前の話題をよく耳にするのだと、天音上官が言っていた」

 

「天音上官が? というか、まともに話せるようになったんだな、お前と」

 

「朧たちが誤解を解いてくれたらしい。何を誤解していたのかは知らねぇが……」

 

朧たちが……。

 

「七駆のみんなは、元気にやっているのかな?」

 

「あぁ、六駆の連中が来て、賑やかにやっているそうだ。六駆が隔離棟を出られるようになったら、試験的に、七駆も鈴蘭寮へ通うようになるらしい。そん時に会えるだろうよ」

 

試験的に、か。

 

『しれえは、潮さんが島を出てさえくれればそれでいいと考えています』

 

『潮さんはどう生きればいいと思いますか? 傷を癒せないと言うのなら、どう克服するというのですか? 痛みを知らないしれえが、何を教えてくれるというのですか?』

 

今度はちゃんと、サポートしてやらないとな……。

 

「っと、そうだ。お前に伝えないといけないことがあったんだった」

 

「なんだ?」

 

「『準備が出来次第、島に戻れ』とのお達しだ。どうやら、島の方が人手不足で、てんわやんわしているらしい。お前がいつ戻るのかと、何度も問い合わせがあったようだ」

 

「人手不足か……。まあ、もう9隻しかいないしな……」

 

「こっちでの活動も必要ではあるが、やはりまずは、あいつらを島から出さないとな」

 

「そうだな……」

 

ため息をつく俺に、鈴木は缶コーヒーを手渡した。

 

「お前はよく頑張っているよ。色々大変だろうけど、お前の功績は、マジで歴史の教科書に載るレベルなんだぜ」

 

「フッ、急にどうした? 気持ち悪い」

 

「んだよ。せっかく慰めてやったのによ」

 

コーヒーは、少し甘めのものであった。

 

「……少しは息抜きできたのかよ?」

 

「あぁ、おかげさまでな。すっきりしたよ。色々とな」

 

ニヤリと笑う俺の顔を見て、鈴木は少し、驚いた顔を見せた。

 

「なんだよ?」

 

「いや? なんつーか、変わったよなって。一皮むけたって言うか、いい男になった」

 

「そういう趣味はないぜ?」

 

「そりゃ残念だ」

 

鈴木が笑う。

それにつられて、俺も――。

――そうか。

俺も、何か変わったと思ってはいたが、良く笑うようになったんだ。

下品な冗談も言えるようになったし、鈴木が言うように、人間味が出てきたのかもしれないな。

 

 

 

島へ戻ることを皆に伝えると、残念がる声をあげつつも、送別会のようなものを開いてくれることになった。

 

「大げさだな」

 

「それほどまでに、提督との時間が、貴重で大切なものだったという事ですよ」

 

本部も協力もあり、幾分か豪華な送別会となった。

 

「司令官!」

 

「皐月。どうした?」

 

「あのね、ボクたちから渡したいものがあるんだ! ほら、卯月! 島風!」

 

皐月の視線の先に、恥ずかしそうに俯く二人がいた。

 

「ほら島風も! 早く行きなさいよ」

 

「わ、分かっている……」

 

天津風に背中を押され、前に出る島風。

本土へ帰って来てから、この二人とは会話できていなかった。

 

「どうした?」

 

「…………」

 

「…………」

 

卯月と島風は、黙り込んだまま、紙袋を手渡した。

 

「これは……?」

 

答えぬ二人を見かねたのか、望月が説明してくれた。

 

「あんたへのプレゼントらしいぜ~? この前、授業で作ったやつなんだと」

 

「そうなのか。開けてもいいか?」

 

頷く二人。

開けてみると、中にはプラ板のキーホルダーや、貝殻などで装飾された写真たてが入っていた。

 

「これ、いいのか? ありがとう。嬉しいよ」

 

そう言って笑ってやると、卯月の表情が、徐々に崩れていった。

 

「卯月?」

 

「……だぁ」

 

「え?」

 

「行っちゃ……やだぁ……。う……うぅぅぅ……」

 

とうとう泣き出す卯月。

 

「どどど、どうしたってんだよ!? 行っちゃヤダって……」

 

助けを求めるように、俺は望月に目を向けた。

 

「卯月の奴、ずっとあんたに話しかけようとしていたようだけど、余所余所しくしちまっただろ? 今更態度を変えることも出来ず、タイミングを失っちまったんだと。んで、プレゼントを用意して、きっかけをつくろうとしたってわけ」

 

やれやれ、とでも言いたげに、望月はため息をついて見せた。

 

「そうなのか?」

 

頷く卯月。

そうだったのか。

俺はてっきり……。

 

「そうか……。気がつけなくてごめんな、卯月……」

 

頭を撫でてやると、卯月は俺をぎゅっと抱きしめ、顔を埋めた。

 

「お前もそうなのか? 島風」

 

島風は目を逸らすと、不機嫌そうに「別に……」と言った。

 

「こんなこと言っているけれど、卯月と同じで、貴方に話しかけるタイミングを失っちゃったみたい。そうよね?」

 

「別に違うし!」

 

「じゃあ、このプレゼントはどうして?」

 

「そ、それは……。い、いらないから……あげただけだし……」

 

ほらね? とでも言いたげに、天津風は俺に困った顔を見せた。

 

「島風」

 

「……なに?」

 

「俺の事、そんなに嫌いか?」

 

「そ……んなことないけど……」

 

「俺は好きだぜ。お前の事。もっとお前の話を聴きたかったし、遊びたかったんだけどな」

 

こういう場合のしゅきしゅき症候群は、許されるよな?

 

「島風」

 

手を差し伸べてやると、島風は少し躊躇った後、卯月と同じように、そっと寄り添ってくれた。

 

「ごめんな、気付いてやれなくて」

 

そう言ってやると、島風もまた、ぽろぽろと涙を流した。

 

 

 

結局、船に乗り込む寸前まで、卯月と島風が離れることは無かった。

 

「またすぐ戻るよ。だから、そろそろ離れてくれ」

 

「やだ……。うーちゃんも……島に戻る……」

 

「お前はもう人間なんだから、そりゃ無理だろ。ほら、島風、お前も離れろ」

 

島風は何度も首を横に振り、より密着するように俺の体に顔を埋めた。

 

「参ったな……」

 

皆に目を向けるが、こればかりは仕方がないというような表情を返された。

さて、どうしたもんか……。

 

「仕方ねぇな」

 

そう言ったのは、鈴木であった。

 

「島風、卯月。慎二から離れないというのなら、俺がお前らに濃厚なキスしちまうぜ? それでもいいのか? ん?」

 

二人は眉をしかめたが、俺から離れることはしなかった。

 

「よーし、いいんだな? それじゃ、遠慮なく……。んもももも……」

 

わざとらしく唇をせり出しながら迫ると、二人ともサッと引いていった。

 

「なんだよ? 嫌なのか?」

 

「絶対嫌だぴょん!」

 

「鈴木の口、たばこ臭いんだもん!」

 

「臭くねーよ! なぁ?」

 

鈴木が俺にウィンクする。

なるほど……。

 

「いや、臭いな。うんこみたいな臭いがする」

 

「オイ!」

 

「あははははは! 鈴木、うんこ食べてるウンコマンじゃん!」

 

「えんがちょー!」

 

そう言うと、二人は鳳翔の方へと逃げていった。

 

「んにゃろぉ……。もういい、行くぞ慎二!」

 

「おう」

 

「ウンコマン帰れー!」

 

「うるせぇ!」

 

鈴木はそそくさと俺を船に乗せると、すぐにエンジンをかけ走らせた。

 

「悪いな、鈴木」

 

「おう。しかしてめぇ……うんこの臭いってのは酷くねぇか?」

 

俺が何も言わないでいると、鈴木は不安になったのか、ずっと自分の息のにおいを確認していた。

 

 

 

「なあ慎二、俺の口臭、マジでうんこの臭いすんのか……?」

 

「しないよ。だから、早く帰れ」

 

「本当だな!? 本当に大丈夫なんだな!?」

 

「本当だよ。ほら、行った行った」

 

鈴木は納得していない表情を見せながら、島を後にした。

 

「さて……」

 

「おかえり……」

 

「――っ!?」

 

声に驚き、振り返ってみると――。

 

「や、山城……。びっくりした……。いつの間に後ろに……」

 

「別に、驚かせるつもりはなかったのだけれど……」

 

そういや、前にもこんなことがあったな……。

影が薄いと言うか――いや、他の連中の存在感が強いだけか……。

 

「迎えに来てくれたのか」

 

「えぇ……。皆が行ってやれって……。そういう決まりになっているからって……」

 

「別に、決まりでもなんでもないけどな。わざわざ悪いな」

 

「いえ……」

 

「んじゃ、行くか」

 

そう言って歩き出したが、山城は――。

 

「どうした? 行かないのか?」

 

山城は俺をちらっと見た後、何やら視線を逸らしてしまった。

先ほどの卯月や島風と似た態度に、俺は――いや、正直、信じられはしなかったのだが――。

 

「……少しだけ、散歩していくか?」

 

恐る恐る訊いてやると、山城は小さく頷いてくれた。

 

 

 

波の静かな海辺をゆっくりと歩く。

 

「俺がいない間、大変だったそうだな。何度も、戻るように連絡があったとか」

 

「そうでもなかったわ……。戻るように連絡したのは、夕張達がうるさかったからで……」

 

「夕張達が?」

 

「貴方が帰ってこないのかもしれないって、不安になっていたみたい……。それに感化されてか、皆も不安になったみたいで……」

 

それで、人手が足りないなどと……。

 

「ったく、人騒がせな連中だ……」

 

「無理ないわ……。貴方が電話の一つでも寄越したのなら、こうはならなかったはずよ……」

 

「忙しかったんだ。あとで見せるが、動画の撮影に付き合わされてな」

 

「それでも、数分くらいは話す時間があったはずよ」

 

そう言う山城の表情は――。

 

「……もしかして、怒っているのか?」

 

山城は不機嫌そうな表情を俺に見せた。

だがそれは、怒っているから、というよりも、怒っていることを指摘されたことに対する表情であった。

 

「別に怒っていないわ……。夕張達と違って、貴方が居ようが居まいがどうでも良かったし……」

 

「じゃあ、なんの表情だ?」

 

「私は元々こういう表情よ……」

 

「いや……。なんか、明らかに怒っていたと言うか、不機嫌だったと言うか……。声色も、どこか……」

 

「怒ってないわよ。何を怒る必要があるっていうのよ?」

 

「いや、それが分からないから訊いている訳で……」

 

山城はムッとした表情を見せた。

 

「あ、ほら」

 

「これは……! 貴方がしつこいからでしょう……!? 怒って無いって言っているのに、怒っている怒っているって……! そんなに怒って欲しいのなら、怒ってあげるわよ……!」

 

キッと睨む山城に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「はぁ!? 何がおかしいのよ……!」

 

「いや、悪い。そんなに感情丸出しのお前を初めて見たから、何だか嬉しくなってな」

 

「嬉しいって……! はぁ……。なんなのよ……」

 

山城はフイとそっぽを向いてしまった。

 

「そうか。怒っていないか。俺はてっきり、お前も寂しがってくれたのかと」

 

「誰が……」

 

「だから、迎えてくれたのだと、すぐに寮へ帰りたがらなかったのかと思ったのだがな」

 

山城は何も答えず、より一層不機嫌そうな表情を見せた。

 

「そろそろ戻るか。機嫌も悪いようだしな」

 

そう言って寮へと歩き出すと、山城は俺の袖を掴んで、それを止めた。

 

「……もう少しだけ歩くか?」

 

山城はやはり答えず、寮を背に歩き出した。

時折、俺が隣にいるかどうかを確かめながら。

 

 

 

「見て! 皐月ちゃん、すっごく可愛くなってる!」

 

「本当だ! 身長も伸びたように見えない!? やっぱり人化すると変わるもんねぇ」

 

本土で撮った動画に、皆は夢中になっているようであった。

 

「お疲れ様です、提督」

 

「大淀。あぁ、本当に疲れたよ。そっちも大変だっただろう」

 

「いえ、まあ、色んな意味で大変ではありましたが……」

 

そう言うと、大淀はわざとらしくため息をついて見せた。

夕張達が騒いだことを言っているのだろうな……。

 

「動画、見ましたよ。皆さん、元気そうで安心しました。島を出た艦娘がどうなったのか、あまり見る機会がないので、何だか不思議な感じです」

 

「時の進み方が違うもんな。皐月や卯月なんかは、ちょっと大人びた感じに見えるだろう?」

 

「えぇ。けど、それよりも驚いたのは、山風さんや秋雲さんです。あんなに美人になるものなんですね」

 

「あぁ、そうだな」

 

大淀はじっと、俺の顔を見つめた。

 

「なんだよ?」

 

「いえ、動画の提督、美人に囲まれて、何だかまんざらでもなさそうだなって。私たちの前では、あまり見せない表情を見せているなって」

 

大淀は少し、ムッとしていた。

 

「まあ、俺も男だからな」

 

「私たちの前では男ではないと?」

 

「そうであってはいけないと思っている。なるべく、精悍な顔つきであらねばと心がけているつもりだ。無論、お前と居る時だって同じだよ」

 

それがどういう意味なのか、大淀は理解したようで、フイと顔を背けると、皆の方へと戻っていった。

 

「フッ……。さて……」

 

ふと、敷波が口を開け、ぼうっと動画を見ているのに気がついた。

その口に、チョコレートのかけらを放ってやる。

 

「うにゃあ!? ひ、ひれいはん!?」

 

「よう。そんなに面白かったか? その動画」

 

「んぐ……う、うん……。面白い……というか、凄いなぁって……。まるで、テレビみたいだなって……」

 

確かに、編集が凝っているせいか、バラエティー番組のようにも見える。

 

「青葉が編集しているんだぜ。凄いよな」

 

「うん。皆もキラキラして見える。有名人って感じ」

 

動画を見る敷波の目は、どこか煌めいているように見えた。

まるで、憧れの世界を目の当たりにしているかのような――。

 

「もしかして、お前も動画に出てみたかったりするのか?」

 

揶揄うつもりで言ってみたが、どうやら図星だったようで、明らかに動揺していた。

 

「べ、別にアタシは……! そ、それに……アタシなんかが出たところで……。地味だし……可愛くないし……」

 

なるほど……。

 

「自分が可愛かったら、出てみたいと?」

 

「そ……ういう訳じゃないけど……。別に……」

 

何と言うか、本当にベタな奴だよな。

自分は地味で可愛くないと思いつつも、煌びやかな世界に憧れを持つってのは――。

お姫様に憧れる普通の女の子って感じだ。

 

「お前が動画に出たら、きっと人気出るだろうよ。お前には、お前が気が付いていないであろう可愛さがあるからな」

 

「アタシが気が付かない可愛さ……? そ、そんなの……ないし……」

 

「ほら、気が付いていない」

 

敷波はムッとした表情を見せた後、恥ずかしくなったのか、そっぽを向いてしまった。

しかし、そうだよな。

俺の他にも、きっと、敷波を可愛いと思える奴らはたくさんいるだろうな。

 

「…………」

 

もし、この島にいる連中を動画に出したら、世間はどんな反応を見せるだろうか。

 

『君には、艦娘の印象をよくするために、人化した者たちと共に、メディアやネットなどを通じて、情報発信をお願いしたい』

 

「と、とにかく! アタシは別に……興味ないから……!」

 

「…………」

 

 

 

その日の夜、本部より連絡が入った。

 

「――そうですか。分かりました。ありがとうございます。では……」

 

電話を切ると、敷波がやって来た。

 

「司令官、お夕飯の用意が出来ましたよ~っと」

 

「敷波。あぁ、今行くよ。っと、その前に……」

 

俺は、転がっていたビデオカメラを起動し、敷波に向けた。

 

「司令官?」

 

「敷波、自己紹介」

 

「え? 急になにさ?」

 

「いいから」

 

敷波は少し戸惑いながらも、自己紹介を始めた。

 

「えと……駆逐艦の敷波……です……。ねぇ……何なのさ、これ……?」

 

「夕飯、準備できたんだろ? みんなのところに案内してくれ」

 

「え? う、うん……いいけど……」

 

敷波を撮影しながら、食堂へと入る。

 

「ここが食堂か?」

 

「え……うん……」

 

「提督、何を撮影しているんです?」

 

明石が覗き込むように、カメラの前へ顔を出した。

 

「明石、自己紹介」

 

「え? あ、はーい! 明石でーす! えへへ、可愛く撮れてます?」

 

「撮れているよ。他には誰がいるんだ?」

 

そう訊く俺に、何かを察したようで、明石は右手でマイクを持つかのような動作を見せ、その手を大淀に向けた。

 

「こちらに居るのは大淀でーす。大淀、自己紹介自己紹介!」

 

「えぇ……? 何なの急に……」

 

「いいからいいから! ね?」

 

明石がウィンクして見せると、大淀も察したようで――。

 

「えと……軽巡の大淀です。主に、提督のサポートをしています」

 

「続いて~?」

 

夕張にカメラが向く。

 

「あぁ……そういうこと……。夕張よ。よろしくね」

 

それから、次々と自己紹介していく艦娘達。

霞と山城だけは、何も言ってはくれなかったが……。

 

「以上、9隻の艦娘が島にいまーす! では、次の動画でお会いしましょう!」

 

ノリノリでしめる明石。

その言葉に、動揺する敷波。

 

「し、司令官……。もしかして……その動画……」

 

「あぁ、本土に送る動画だ。お前たちの事、もっとみんなに知ってもらおうと思ってな」

 

「な、なにそれ!? 聞いて無い!」

 

「今言ったからな」

 

何やら焦っている敷波とは対照的に、他の皆は割と冷静であった。

 

「私たちも大井さん達のように?」

 

「あぁ。島を出た艦娘だけではなく、島に残る艦娘の事も知りたいという声が大きかったからな。動画に出たがっている艦娘がいるのだと伝えたら、試験的にやってみようと海軍から連絡があったんだ」

 

「動画に出たがっている艦娘?」

 

俺は、視線を敷波に移した。

 

「な……!? で、出たがってない!」

 

「そうなのか? あんなに目をキラキラさせていたじゃないか」

 

「させてない! 消して! そんな動画……皆に見せられないよ!」

 

「これは公開しないよ。ちょっとしたテストのつもりだ」

 

まあ、本部には見せるがな。

 

「動画に出たくない方もいると思いますので、次撮影するときは、許可を取ってからお願いしますね?」

 

「あぁ、分かったよ。敷波、お前はもう出たくないってことでいいか?」

 

そう訊いてやると、敷波は言葉を詰まらせていた。

 

 

 

動画を本部に送ってやると、すぐに返信があり、引き続き撮影し、送って欲しいとのことであった。

公開できるか見極める為、というよりも、貴重な資料としての意味合いが強いようではあるが……。

 

「失礼します。海軍の反応はいかがですか?」

 

「大淀。引き続き動画を送って欲しいとのことだ。もっと艦娘や島の様子を映してほしいらしい」

 

「なるほど。海軍としても、貴重な資料となるでしょうからね。むしろ、そっちの方がメインなのかも」

 

「やはりそう思うか……。俺としては、世間にいい印象を持って貰う為ってのがメインなのだがな……」

 

海軍の都合で撮影するのは、気が進まないな……。

しかし……。

 

「……いずれにせよ、公開を決めるのは海軍でしょうから、まずはそちらにいい顔をしませんと。だから、撮影は続けましょう? ね?」

 

そう言うと、大淀は優しく微笑んでくれた。

 

「……気を遣わせたか」

 

「ふふ、本当、手のかかる人」

 

そう言うと、大淀はそっと近づき、座る俺に寄り添った。

 

「どうした?」

 

「提督がいなかった数日間、本当に大変だったんです。たまには労ってほしいなって」

 

大淀らしくない、ベッタベタな甘え方であった。

 

「フッ、珍しいじゃないか。そんなになるほど大変だったのか?」

 

「大変でしたよ……。本土で鼻の下を伸ばしていた誰かさんとは違って……」

 

「そんな嫌味が言えるのは、まだまだ余裕だったって証拠だ」

 

大淀はそれに抗議するよう、より一層体重をかけ、俺に寄りかかった。

 

「重いよ」

 

「レディーに向かって重いだなんて、失礼な人……」

 

大淀はとうとう、俺の体から滑り落ち、そのまま畳の上に寝ころんでしまった。

 

「寝跡が出来るぞ」

 

「いいですよ……。別に……」

 

いじけている、とでも言うように、大淀は退屈そうに畳の目をなぞり始めた。

 

「……本当にどうした?」

 

そう訊いてやると、大淀はズリズリと、寝転がりながら体を移動させ、俺の太ももを枕にした。

 

「大淀」

 

「……別に。私だって、たまには甘えたい時があるだけです。提督は最近、ずっと、山城さん達に構ってばかりじゃないですか……。大淀はこんなにも頑張っているのに……」

 

大淀は仰向けになると、虚ろな目で俺の顔を見上げた。

 

「だから、自分も困らせてやろうと? さすれば、構ってもらえると?」

 

「……そうかもしれませんね」

 

俺の鼻の下を指でなぞると、大淀はどこか悲しそうな表情を見せた。

 

「やっぱり私には……そういう顔をするんですね……」

 

「え?」

 

「秋雲さんや山風さんには……あんな顔を見せていたのに……。私が艦娘だからですか……? それとも……私に魅力が無いからですか……?」

 

俺を見つめるその目は、少しだけ潤んでいた。

 

「……何をセンチになってんだ」

 

「……私にも分かりません。でも……あの動画を見てから――大淀には見せない、貴方の嬉しそうな表情を見ていたら……」

 

大淀は顔を隠すように、体を横に向けてしまった。

艦娘は時折、些細なことでセンチメンタルになるよな。

夕張や鳳翔もそうであったし。

いや、俺がそうさせてしまっているのかもしれないが……。

 

「さっきも言ったが、俺は、お前たちの前では精悍な顔つきであらねばと心がけている。それは、お前たちが艦娘であるからだ。そして、俺が人間であり、男であるからだ」

 

「……もし、大淀が人間であったら?」

 

「鼻の下がデロデロになっているかもしれないな」

 

そう言ってやると、大淀は小さく笑ってくれた。

 

「いつか……見てみたいです……。その為には、もうちょっと頑張らないと……ですね……」

 

そう言う大淀は、どこか――。

そうか……。

 

「……あぁ、そうだな。でも、頑張るのは俺だけでいい」

 

「え……?」

 

「大淀」

 

「は、はい……」

 

「お前は、先に島を出ろ」

 

その言葉に、大淀は一瞬、キョトンとした表情を見せたが、すぐに体を起こし、何やら焦り始めた

 

「ど……どうしてそんな事を言うんですか……? 私……そんなつもりで言った訳ではありません……! 気を悪くさせたのなら謝りますから……!」

 

どうやら、俺が呆れて言ったものだと思い込んでいるようだ。

 

「あぁ、違う違う。そういう意味ではないよ。ただ、島を出てみたいんじゃないかと思って言ってみただけだ」

 

「そ、そうでしたか……。てっきり、大淀は……」

 

そう言うと、大淀は俯いてしまった。

 

「俺がそんな事、思うわけないだろ。何度お前に助けられてきたと思っているんだ。お前がいなかったら、俺は今頃、武蔵に殺されていただろうよ」

 

「……フフ、そうかもしれませんね」

 

「……でも、いつまでもおんぶに抱っこってのは、やっぱりいけないと思っている。もし、お前が本当に島を出たいと思っているのなら、正直に言ってくれ……」

 

「いえ……大淀は……」

 

大淀は口を噤むと、少し考えた後、俺の目をじっと見つめた。

 

「……提督は、どう思いますか?」

 

「え?」

 

「大淀に……島を出て欲しいですか……?」

 

「……どうして俺の気持ちが関係してくるんだ? 今は、お前の気持ちを訊いているんだぜ……」

 

「だから訊いているんです……」

 

それがどういう意味なのか、俺も大淀もよく分かっていた。

 

「最初は……というよりも、佐久間さんが亡くなってから、私はずっと、この島に縛られてきました……。佐久間さんが忘れられなくて――あの人の影を、この島に見ていて――島を出ることは、佐久間さんを忘れる事なんだって……」

 

「…………」

 

「でも……貴方に出会って、恋をして――。貴方が私を必要としてくれたから――貴方を守りたいって――力になりたいって――だから……」

 

「……だから、島に残っている。だから……俺の気持ちが関係している……」

 

頷く大淀。

その瞳の中にいる俺は――。

 

「……質問を変えます」

 

「…………」

 

「貴方は……大淀をどう見ていますか……? ただの艦娘ですか……? それとも……」

 

俺にとっては、そっちの方が答えにくい質問であった。

だが、そうであるが故に、俺の答えは――。

大淀もまた、それを理解しているようであった。

 

「提督……」

 

大淀は近づくと、そっと、俺にキスをした。

 

「大淀……」

 

「今なら……鳳翔さんの気持ちがよく分かります……。提督ってば……本当、押しに弱いんですね……」

 

俺は思わず赤面してしまった。

俺って男は、結局は何をどうしようとも……。

 

「でも……島を出るかどうかは、もう少しだけ考えさせてください……。私は鳳翔さんと違って、慎重なんです……。やることだって、まだまだたくさんありますし……。貴方だって、まだ私が必要なはずですから……」

 

それを否定できない自分が、本当に……。

そんな俺に、大淀はもう一度、キスをした。

 

「……元気は出たか?」

 

それは、俺のささやかな抵抗であった。

だが――。

 

「えぇ、安心しました」

 

大淀は俺の鼻の下を指でなぞると、小さく笑って見せた。

どうやら大淀の方が、一枚上手なようであった。

 

 

 

消灯時間になり、俺は家へと戻った。

 

「…………」

 

無意識に、唇に触れてしまう。

 

「性欲ではなかったのかな……」

 

結局、大淀に対して、はっきりと答えを出すことが出来なかった。

こうなったのも、性欲が原因なのだと思っていたが、別に今は――。

だが、少し安心もした。

つまりは――。

 

「誰かを抱くだとか、そういう問題ではない……ということだよな……」

 

俺はただ、何かの所為にしたかっただけなのかもしれない。

自分の問題であるのに、何か、別の要因があるのだと――どうしようもない事なのだと、思いたかっただけで――。

 

『ただ、まあ、男ってそういうもんだしなぁ……。お前がピュアなだけで、世の男なんて、そういうもんよ』

『だとしたら、俺はどう振る舞うべきだったんだろうか……』

『そりゃ……難しいな……。なんせ、あいつらは、お前のそういうピュアなところに魅かれて、島を出たり、味方をしているわけだしな』

 

「…………」

 

ピュアな俺に……か……。

もしかしたら、余計なことをしない方が――ナチュラルでいる方が、むしろ、あいつらの為になるのだろうか……。

いや、それは思考の停止というか――だが、失敗続きなのも事実で――むしろ、失敗とは一体――。

 

「……とにかく頑張るしかない、か」

 

思考停止でもいい。

そうさ。

俺には、それしかない。

上手くやろうだとか、親父のようにだとか――それらをこなせるほど、器用な人間ではないはずだ。

それが分かっているのなら、それでいいはずだ。

慣れないことはするもんじゃない。

 

「…………」

 

俺は、念のためにと持って来ていたジョークグッズをゴミ箱に放って、そのまま床に就いた。

 

 

 

翌朝。

目を覚ますと、明石の顔が目の前にあった。

 

「んわぁ!?」

 

俺の驚く声に、笑いが起こる。

 

「あ、起きちゃいました。残念、チャレンジ失敗ですね~」

 

夕張がカメラを構えている。

なるほど……。

 

「……俺なんかよりも、お前たちの方が絵になると思うぜ」

 

「そんなことありませんよ! きっと、提督のことを詳しく知りたい人だっているはずです!」

 

皆が頷く。

明石と夕張以外に、見学なのか、敷波と朝潮も一緒に居た。

 

「……夕張、カメラ」

 

夕張は素直にカメラを渡すと、一歩下がった。

素直に渡してやるから、自分は撮るな、と。

 

「はい……このように起こされることもあります……。元気でーす……。可愛いでーす……」

 

明石がアイドルピースをして見せる。

その後ろで控えめにピースしているのは、朝潮であった。

 

「お、朝潮、意外にノリノリだな」

 

「そ、そんな事はありませんが……。その……こういう事なのかなって……」

 

なるほど。

真面目な朝潮の事だから、真剣に動画制作へ協力しているつもりなんだろうな。

 

「概ね合っているよ。な? 敷波」

 

「うぇ!? ア、アタシに訊かれてもぉ……」

 

オロオロする敷波。

これはこれで正解のリアクションな気がする。

 

「はーい! という事で、今回はここで終わりー! 次回はもっと凄いドッキリを提督に仕掛けようと思いまーす!」

 

「おい」

 

「それでは、次の動画でお会いしましょう! さよならー!」

 

明石は録画を止めるまで、笑顔で手を振っていた。

なんか、凄い慣れてるよな……。

 

「いい絵、撮れました?」

 

「あぁ。それにしても、プロ顔負けだな。大井といい勝負……どころか、それ以上なんじゃないか?」

 

「そうですか? えへへ。提督が可愛いって言ってくれるからかな~なんて!」

 

明石の奴、テンション高いな。

撮影の為にテンションを上げたのか、元々こういう奴なのか……。

 

「今回の企画は、朝潮ちゃん考案なんです! ね!」

 

「そうなのか?」

 

朝潮は恥ずかしそうに頷いた。

 

「朝潮ちゃん、大井さんの動画を見て研究したようです。どうやったら艦娘の印象をよくできるのか、とか、どうやったら提督の魅力を引き出せるのか、とか!」

 

研究、か。

何故研究しようと思ったのかは分からないが、『研究』としているところが、真面目な朝潮らしくて面白い。

 

「研究か。研究した結果、ドッキリだと?」

 

「司令官の魅力は、『司令官』であるのに、少し抜けているところだと思いました。真面目で精悍な顔つきだけど、可愛げがあると言いますか……。ギャップがあって、親しみやすいと言いますか……」

 

皆も同じように思っているのか、何度も頷いていた。

秋雲にも同じことを言われたし、やはり俺は自然体でいる方がいいのだろうか……。

 

「だから、俺の間抜けな姿を?」

 

「ま、間抜けとまでは言いませんが……。その……可愛い姿を見せられたらって……」

 

つまり、俺の慌てふためく姿は、朝潮にとって可愛げがあると……。

朝潮……俺の事をそんな目で……。

 

「でも、朝潮ちゃんが言っていることは的を射ているわ。提督、このままプロデュースしてもらったら?」

 

状況を楽しんでいるのか、ニヤニヤ笑う夕張。

だが、朝潮本人は真面目に捉えたようで――。

 

「ぜ、是非やらせてください!」

 

目を輝かせる朝潮。

鼻息も、少し荒い。

 

「い、いや……俺よりも、皆のプロデュースをだな……」

 

「司令官がいいのです! 以前より、司令官をプロデュースしたいと思っていたのです!」

 

「い、以前から?」

 

「はい! だ、駄目でしょうか……?」

 

皆の視線が、俺に向けられる。

……分かっているよ。

 

「……別に駄目ではないよ」

 

「で、では!」

 

「あぁ、よろしく頼むよ、朝潮」

 

そう言ってやると、朝潮は満面の笑みを見せた。

 

「はい! 朝潮、精一杯頑張ります! えへへ!」

 

 

 

早速企画を練るのだと、朝潮は、何故か敷波も連れて家を飛び出していった。

 

「ったく……。夕張……」

 

「ごめーん。まさか、こんなことになるなんて」

 

「まあ、朝潮が楽しそうで良かったが……。しかしなんだって、朝潮はあんなにノリノリなんだ……」

 

そう訊いてやると、夕張と明石は、目を点にしていた。

 

「なんだよ?」

 

「提督、まさかそこまで鈍感だとは……」

 

「え?」

 

「本当に気が付いていないのね……。朝潮ちゃんがあそこまで乗り気なのは、提督に気があるからよ」

 

「俺に? 冗談だろ? そんなに多く絡んだことも無いし、そんな素振りだって……」

 

「いや……。貴方が気が付いていないだけで、結構好意を見せる場面があったわよ……。それこそ、貴方以外の全員、朝潮ちゃんの気持ちに気が付いていたくらいなんだから……」

 

「もしかしたら、朝潮ちゃん自身も気が付いていないのかもしれませんけどね」

 

まさか、朝潮が……。

いや、まあ、俺が鈍感なのは認めるが……。

しかし……今まで俺に好意を持ってくれた艦娘は、なんとなくそんな素振りが見られたが……。

 

「まあ、好意があるかどうかは別にしても、朝潮ちゃんと交流するきっかけが出来た訳だし、いいんじゃない?」

 

「そうですよ。それに、朝潮ちゃんと関わっていれば、霞ちゃんと交流するきっかけにもなるでしょうから、これを機に、駆逐艦全員を人化へ導いては? 私も協力しますから!」

 

駆逐艦を全員……か……。

残る駆逐艦は4隻……。

雪風は分からんが、もし朝潮が島を出る決意を持てば、きっと霞も――。

敷波だって、或いは――。

 

「……そうだな。やってみるか。協力頼んだぜ、明石」

 

「はい!」

 

元気よく返事をする明石の横で、夕張は唇を尖らせていた。

 

「……私の協力は不要ってわけ?」

 

「もちろん、お前にも協力してもらう。というよりも、こうなった原因はお前にある。責任を取って協力しろ。いいな?」

 

夕張はムッとした表情で――だが、一理あると思ったのか、不機嫌そうに頷いていた。

 

 

 

朝食を摂るために食堂へ向かうと、早速、朝潮がカメラを向けて来た。

隣には敷波もいる。

 

「よう。早速撮ってんのか」

 

「はい! まずは、司令官が皆さんと食事を摂っている姿を撮ろうと……あ! 今のはギャグじゃありませんよ!?」

 

まずは、か……。

どうやら、何かの企画が既に始まっているらしい。

辺りを見渡すと、端っこに座っているグループと、早く来いとでも言いたげに視線を向けているグループがあった。

なるほど、端っこに座っている連中は、カメラに映りたくない組って訳か……。

 

「えと……し、司令官……」

 

「敷波」

 

「きょ、今日は……その……えと……」

 

透かさず、朝潮がカメラを止める。

 

「敷波さん! 緊張し過ぎです!」

 

「だ、だってぇ……」

 

どうやら、朝潮の演出に、敷波も参加しているらしい。

 

「今回は、司令官の一日に密着するという企画なんです! 敷波さんがインタビュアーなんですから、こんなところで緊張されては困ります!」

 

俺の密着企画か……。

誰がそんなもんを喜ぶのだろうか……。

しかし、インタビュアーは敷波か。

 

「そもそも、敷波さんがどうしてもインタビュアーをやりたいのだと――」

「――ワーワーワー!」

 

朝潮の声をかき消すように、敷波が騒ぐ。

……なるほど。

 

「なんだよ、ちゃんと声出るじゃないか。今日は一日よろしくな、二人とも。俺の魅力をしっかり引き出してくれよ?」

 

「はい!」

 

元気よく挨拶する朝潮とは違い、敷波はどこか、ムッとした表情を見せていた。

俺が背中を押してくれたのだと察して、ムッとしているのだろうな。

恥ずかしさもあるのだろうが、こういう気の遣われ方は、自分の惨めさを突き付けられているようで――そんな表情にもなるよな。

 

 

 

敷波も落ち着いたようで、撮影は再開された。

 

「こ、今回は、司令官の一日に密着しようと思います! ア、アタシは敷波。こっちが、司令官」

 

「司令官です。提督とも呼ばれています」

 

「今日は……その、よろしくお願いします!」

 

「おう。敬語じゃなくてもいいよ。いつものように、フランクに話しかけてくれ」

 

「う、うん……。了解……」

 

敷波の奴、まだ少し緊張しているな。

けど、インタビュアーに立候補したって言うし、徐々に慣れていくだろう。

そういう覚悟は出来ているだろうし。

 

「早速だけど、今は何を?」

 

「朝食を摂っている。食事は基本的に、寮の皆で食べることになっているんだ」

 

カメラが皆に向けられる。

明石、大淀、雪風の三隻が、カメラに映ってもいい組であった。

 

「今日はこの三人と一緒の席だ。本当はもっといるんだが、カメラを恥ずかしがってしまってな」

 

そういう訳ではない、とでも言いたげに、映りたくない組が俺を睨む。

 

「今日の朝食は、乾パンに自家製のオレンジジャム、支給品のヨーグルトだ。いつもは白飯と味噌汁、卵焼きといった和食が多いのだが、あいにく米を切らしていてな」

 

「提督が手配を怠ったせいですよね?」

 

大淀はわざとらしく、ムッとした表情を見せた。

動画用の表情、といったところか。

案外分かっているじゃないか。

 

「悪かったよ……。とまあ、こんな感じで、いつも大淀に怒られながら食事を摂っているよ」

 

「そ、そんな、いつも怒っているわけでは……」

 

「大淀はいっつも怒ってるよね~。その点! 私、明石は、提督の事が大好きで、いつも甘々でーす! ね? 提督! えへへ」

 

大淀は再び――いや、先ほどとは違い、ごく自然なムッとした表情を見せた。

朝潮はノリノリでその表情を撮ってはいるが、まあ、明石の発言を含めてカットだろうよ……。

 

「敷波さんも、しれえの事が大好きですよね!」

 

敷波が何も出来ずにいたのを見かねて話題を振ってくれたのだろうが、雪風よ、それはキラーパスってやつだぜ……。

 

「う、うん……。まあ……嫌いじゃない……かな……」

 

その反応は予測していなかったのか、皆、驚きの表情を見せていた。

――俺も含めて。

 

「な、なにさ……」

 

「いや……」

 

先ほどの――朝潮の声をかき消したのは、好意を持っていることを悟られたくないという意味ではなかったのか。

単純に、映りたがっていると思われたくなくて――。

 

『アタシ……司令官が大好きだよ……』

 

そういや、以前、そんな事を言われたな……。

島を出る時は、俺と一緒がいい……とも……。

 

「……フッ、そうか。そりゃ嬉しいな。俺も大好きだぜ、敷波」

 

「な……! も、もう! 絶対からかってんじゃん! ニヤニヤしてるし!」

 

俺と一緒に……か……。

 

 

 

それからも、敷波と朝潮は、本当に一日密着すると決めたようで、消灯時間ギリギリまで、俺の撮影を続けていた。

 

「以上、司令官の一日でした! 司令官、今日一日、密着されてどうだった?」

 

敷波は、もうすっかり慣れているようであった。

 

「そうだな……。カットされているようだから言っておくけど、まさかトイレや風呂まで密着されるなんてな……」

 

「そ、そんなことしてないじゃん!」

 

「フッ……。でもまあ、お前たちが楽しそうにしている姿を見られて良かったよ」

 

俺はカメラを受け取り、朝潮を映した。

 

「今日の企画発案者兼カメラマンの朝潮だ。朝潮、最後に挨拶しておけよ」

 

「あ、はい! えーっと……もっともっと、司令官や皆さんの魅力を伝えられるように努めます! なので! チャンネル登録と高評価をよろしくお願いします!」

 

チャンネル登録と高評価のあるプラットフォームに公開されるかどうかは不明だが、まあ、言ってみたかったんだろうな。

 

「……よし、終わりだな。お疲れさま」

 

「ありがとうございます! 最後に映していただけるだなんて……」

 

「艦娘の魅力を伝える動画だ。お前が映るのは当然だろ」

 

そう言ってやると、朝潮は少し恥ずかしそうにしていた。

 

「敷波も、お疲れ。最後の方はノリノリだったじゃないか。やっぱり、こういうのがやりたかったんだろ?」

 

「べ、別にノリノリなんかじゃ……」

 

やりたかったということは否定しないんだな。

 

「動画は本部に送っておくよ。もしかしたら、大井たちの動画と同じように、編集して公開されるかもな」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「まだ分からないから、そんなキラキラした目で見ないでくれ」

 

期待に胸躍る様子の朝潮。

敷波も、どこか――。

 

「……二人とも」

 

「はい」

 

「ん?」

 

「楽しかったか?」

 

その問いに、二隻はためらうことなく、満面の笑みを見せ頷いた。

 

「…………」

 

 

 

翌日の夕方ごろ、本部より連絡があった。

動画は、本部や元艦娘たちの間で好評だったらしく、一般公開を前向きに検討する、とのことであった

 

「『――引き続き、広報用として動画を送って欲しい』とのことだ」

 

それを聞いた朝潮は、飛び跳ねて喜びをあらわにした。

 

「『広報用』としていることから、資料としての意味合いではないことが分かりますね」

 

「大淀。そうなんだよ。どうやら、これならいけると思わせたらしい」

 

俺も、朝潮と同じように、飛び跳ねたい気持ちであった。

喜び、というよりも、見たかコノヤロウ、といった感じではあるが。

 

「朝潮の企画も好評だが、敷波が可愛いという声も多かったようだぞ」

 

「うぇ!? アタシが!?」

 

「あぁ。という訳だから、今後もパーソナリティーとしてよろしくな、敷波」

 

敷波は複雑そうな表情を見せていた。

喜びと困惑――羞恥心――全てが混ざっているかのような表情であった。

 

「司令官の事はどうでしたか?」

 

「俺?」

 

「はい。司令官が可愛いとか……そういった声は……」

 

「んなもんないよ。むしろ、俺は邪魔だとさ」

 

まあ、元艦娘には好評だったらしいが、本部としては、もっと艦娘にスポットライトを向けて欲しいだろうからな。

 

「そうですか……。だったら尚更、司令官を主役にした方が良いと思うのですが……」

 

「気持ちは嬉しいが、皆が求めているのは俺じゃない。それよりも、映りたくないって奴らが映りたくなるようなコンテンツを考えて欲しい」

 

「……分かりました」

 

朝潮は、納得していないといった表情を見せていた。

珍しい表情だ。

 

「需要と供給ってのは、中々釣り合わないもんだ。お前のやりたいことが、皆の望むものとは限らない。ただやりたいだけならそれでもいいが、もっとみんなに見てもらいたいって思っているんだろ?」

 

「そうですけど……」

 

「だったら尚更、俺なんか撮るな。そうでなくとも、俺はお前の動画に希望を見ているんだ。人間と艦娘の間にある隔たりを無くしてくれる、希望だってさ。だから、頼む。どうか、俺の力になって欲しい」

 

そう言って頭を下げると、朝潮は驚き、顔を上げるよう促した。

 

「わ、分かりましたから! どうか顔を上げてください! 司令官!」

 

「そうか……。ありがとう、朝潮。頼んだぞ」

 

「は、はい! で、では、早速企画を練ってきますので……し、失礼します!」

 

朝潮が去ると、大淀と敷波が、俺に白い目を向けた。

 

「なんだよ?」

 

「司令官……ああすれば朝潮ちゃんが諦めてくれるって分かっていて、わざと頭を下げたでしょ……?」

 

「朝潮ちゃんの善意につけこむとは、流石ですね、提督」

 

大淀はわざとらしく拍手を送った。

 

「何とでも言え。俺は艦娘の為なら、悪役にでもなんでもなってやると決めたんだ。格好つけず、ありのまま――ナチュラルな俺であろうと決めたんだ。その方が嬉しいと思っている奴もいるようだしな」

 

敷波はキョトンとしていたが、大淀はどこか、微笑んでいるようにも見えた。

俺としては、皮肉を言ったつもりであったのだが、逆効果であったか……。

いや、こういう必死さもまた、需要があるってやつで――俺のナチュラルな部分なのかもしれないな……。

 

 

 

翌朝。

食堂に向かってみると……。

 

「あ、おはよう司令官」

 

「……おはよう」

 

カメラが俺に向けられている。

どういうことか説明を求める前に、朝潮が口を開いた。

 

「すみません司令官。カメラに映りたくない組に参加をお願いしたら、司令官と一緒になら映ってもいいとのことでしたので」

 

すみません、と謝りつつも、朝潮はどこか、してやったり、という表情を見せていた。

なるほど……。

朝潮が思いついた、というよりも、入れ知恵した奴がいるな……。

おそらくは――。

俺の視線に気が付いたのか、大淀は首を横に振った。

違うのか。

だとしたら一体――。

 

「そういう事みたいだよ、司令官。今日もよろしくね」

 

「……分かったよ」

 

 

 

それから、なんと、全員と動画を撮った。

映りたくない組にいた夕張と大和は、まあ、しぶしぶ映ってくれるだろうというのは予測できたが、山城と霞――特に霞が撮らせてくれるとは、思ってもみなかった。

 

「――じゃあ、霞ちゃん。霞ちゃんは、司令官の事、どう思っているの?」

 

「別に……どうとも思っていないわ……。ただ、手がかかると言うか、今までの司令官と比較しても、ダントツで情けないと言うか……出来損ないというか……」

 

どうとも思っているじゃねーか……。

 

「でもまあ……実力は認めているわ……。これだけの艦娘を人化した訳だし……。無理やりだとか、脅しただとか、そういったことはせず、ちゃんと艦娘の気持ちに寄り添って――尊重して、人化に導いているわけだし……」

 

「霞……」

 

「……これだけヨイショすれば十分かしら? 全く……変なことに付き合わせるんじゃないわよ……」

 

それは、俺に対して言ったようで、霞は俺を睨むと、そのまま部屋へと戻って行ってしまった。

なるほど……。

 

「ありゃりゃ……怒らせちゃったね、司令官」

 

「……俺の所為なのか?」

 

 

 

その日の夕食後。

皆がワイワイ撮影しているのを横目に、食堂を出て行く艦娘が一隻。

 

「……悪い、ちょっと外すぜ」

 

 

 

部屋へ戻ろうと扉に手をかけるそいつに、俺は声をかけた。

 

「霞」

 

霞は手を止めると、ゆっくり――不機嫌そうな表情を見せながら、俺に目を向けた。

 

「なによ……?」

 

「話がある。ここではなんだし、外に行かないか?」

 

「はぁ? 普通に嫌……。言いたいことがあるなら、今ここで言ったら?」

 

「なら、言わせてもらう。お前だな。朝潮に入れ知恵したのは」

 

「入れ知恵? 何の事よ?」

 

「分かっているだろ?」

 

食堂の方が騒がしくなって行く。

 

「このまま話を続けてもいいか?」

 

「…………」

 

 

 

夜の帳が下りゆく空に、霞は退屈そうな表情を向けていた。

 

「いっつもそんな顔しているよな」

 

俺の言葉を否定するように、霞はキッと睨んで見せた。

 

「あぁ、そんな顔もするんだったな。そういや、もっと別の表情があったような……?」

 

俺の言葉に、呆れるようなため息が漏れる。

 

「流石に付き合わないわよ……」

 

「フッ、そりゃ残念だ」

 

霞は再びため息を漏らすと、その余力で言葉を繋いだ。

 

「……で? なによ? 姉さんに入れ知恵したのは、確かに私だけど?」

 

朝潮の事、姉さんって呼んでるのか。

 

「やはりそうだったか」

 

「何よ? 確信があった訳じゃないの?」

 

「そうなんじゃないかっていう、勘があっただけだよ。試しに訊いてみたら、勘が当たったって所だ」

 

「勘な訳ないでしょ? あんた、誰よりも鈍感じゃない。そんな奴の勘が当たる訳ないわ」

 

そんなのはいいから、ちゃんとした理由を言え、と目が訴えかけてきているのが分かる。

いくら鈍感な俺でも、それくらいは分かるぜ。

 

「簡単なことさ。朝潮があんなことを思いつく訳ないし、可能性の高い大淀は、入れ知恵したことを否定していた。残る連中から考えても、あんな悪知恵が働くのは、雪風か夕張、あとは明石くらいだろう。夕張はわざわざ映りに行くようなことは言わないだろうし、明石だったら、俺を独占する方に頭を使うだろうしな」

 

「なら、雪風じゃない」

 

「そう思っていたんだがな。お前が撮影に協力しているのを見て、考えが変わったんだ」

 

「…………」

 

「大方、朝潮の相談を受けてアドバイスをしたものの、そこに自分が含まれていることに気が付いてしまい――だが、引くに引けなくなった……と言ったところじゃないか?」

 

霞はフンッと鼻を鳴らすと、風に靡く髪を手で梳くった。

 

「あんたじゃないんだから……。アドバイスをした時点で、協力は覚悟の上よ」

 

「それでも尚、アドバイスしたのか」

 

「それが最善だと思ったし、姉さんもお手上げだったようだしね……。私がしなくても、大淀さんがアドバイスしたはずよ。それも、もっと陰湿なやり方をね……」

 

それに巻き込まれるくらいなら……と言ったところか。

 

「知りたいのはそれだけ? なら、もう戻ってもいいかしら?」

 

「いや、もっと知りたいことはある。答えてくれるのかは分からんがな」

 

「なら、訊いたらどうなのよ? 答えるかどうかは分からないけど」

 

そう言うと、霞は俺の言葉を待った。

聴いてはくれるんだな。

 

「じゃあ――」

「――言っとくけど、一個だけだからね」

 

一個だけなら答えてくれるのか。

 

「一個だけ……か……。そうだな……」

 

「さっさとしてよね。私だって暇じゃないんだから」

 

一個だけ……。

 

「……じゃあ、一個だけ。以前、雪が降った時――俺が寮に泊まることになって、皆で食堂に布団を持ち寄った時があったよな? あの時――皆が寝静まった後、お前、俺の布団に入って来ただろ?」

 

「……ふぇ?」

 

「あれ、なんだったんだ?」

 

もっと訊くべきことはあったはずだ。

ヘイズの事とか、夢の事とか、親父との関係とか――。

にもかかわらず、俺はどうしてこんな質問をしたのだろうか……。

 

「そ……そそそ、そんな事してませんけどぉ!? 何言ってんのよ!?」

 

「いや、確かに入って来ていたぞ。俺に寝ているかどうか確認もしていたし、寝惚けていた訳ではなさそうだったが……」

 

「し、してない! 寝惚けていたのはあんたの方じゃないの!?」

 

確かに、あの後、すぐに眠ってしまったしな……。

しかし、それまでは意識もはっきりしていたし、むしろ、眠れなかったくらいで……。

 

「と、とにかく! そんなことしてないったら! 変な勘違いしてんじゃないわよ! このクズ!」

 

「ク、クズってお前……。そ、そうか……。俺の勘違いか……。すまん……。変な事訊いて……」

 

項垂れる俺を見て、霞は怒るわけでも無く、何やらショックを受けたような表情を見せ、そっぽを向いてしまった。

 

「……そ、それだけ? じゃあ……帰るから……」

 

立ち去ろうとする霞を、俺は呼び止めた。

 

「……なに?」

 

「あぁ、いや……。その……ありがとな。少しだけだけど、お前の事、知れた気がするよ。ずっと、避けられているものだと思っていたからさ……。こうして来てくれたこと、嬉しかったよ」

 

「……別に。あんたの為じゃないし……。私はただ……」

 

霞は目を瞑ると、何かを考え――そして、決意を固めたかのように目を開けると、俺に向き合った。

 

「私はただ……姉さんを人化させたいだけ……」

 

「……へ?」

 

「その為だったら、あんたと交流するし、撮影にだって協力するわ……」

 

そう言う霞の表情は、どこか寂しげであった。

 

「……どうして朝潮を人化させたいと?」

 

「……姉さんがこの島に残るのは、私がいるからなの。他の姉妹艦が島を出た時、姉さんも一緒に行くはずだった……。けど、私が残るって言ったから……。姉さんは、私みたいなのを放っておけないから……」

 

「罪悪感がある、という訳か。自分が、朝潮の足枷になっているのだと……」

 

頷く霞。

 

「……だったら、お前も島を出ればいい――という訳にはいかない理由があるんだな? そして、その理由は言えない、と……」

 

「変なところだけ鋭いわね……。分かっているのなら話は早いわ……。姉さんは今、撮影に夢中になっている。あれだけ夢中になることなんて、今までなかったわ……。だから――」

「――それを材料に、島を出るきっかけを作って欲しい、という訳だな。これはチャンスなんだと、言いたいわけだな?」

 

霞は大きなため息をつくと、呆れた表情を俺に見せた。

 

「あんた……普段からもっと、それだけの鋭さを見せなさいよ……。なんで肝心なところだけ鈍感なのよ……」

 

確かにな……。

 

「……なるほどな。だから、こうして来てくれたわけか……。朝潮を人化する為のきっかけになるのなら、なんだってするってわけか……」

 

霞は何故か、返事をするわけでも無く、ただそっぽを向くだけであった。

 

「お前に頼まれなくても、朝潮を人化させるつもりだ。だが同時に、俺はお前にも一緒に島を出て欲しいと思っている」

 

「……私は出ないわ」

 

「だが、朝潮を人化させたい。それには、俺と関わる必要がある。俺は俺で、お前を人化させるきっかけをつくるため、交流を持ちたいと思っている」

 

「利害が一致している……とでも言いたいわけ?」

 

「そうだ」

 

「おめでたいわね……。私は他の連中と違って、簡単にいかないわよ……。ただあんたを利用するだけ……」

 

「あぁ、分かっているよ。簡単ではないことはな。だからこそ、今もこの島にいる。そうだろ?」

 

「それでもなお……ってわけね……」

 

そう言うと、霞は背を向け、寮の方へと歩き始めた。

 

「もう行くのか? もっと話してけよ」

 

「言ったでしょ……? 一個だけって……」

 

「その割には、結構話していたように思うが? 一個どころでは無かったぜ?」

 

その指摘に――顔は見えなかったが、耳が赤くなっているところを見るに――。

 

「……あんたに一つだけ言っておくことがあるわ」

 

「なんだ?」

 

おそらく、何か嫌味の一つ――捨て台詞が来るものだと思い、俺はそれを余裕の表情で待った。

しかし――。

 

「私は絶対に人化しない……。それが……あんたを守ることになるから……。もう、あんたを戦わせない……。決して……死なせないから……」

 

「え……?」

 

立ち去ろうとする霞。

 

「ちょ、ちょっと待て! どういうことだ……?」

 

「言ったでしょ……? 一個だけしか答えないって……。これは仕返しよ……。せいぜいモヤモヤすることね……」

 

フンッと鼻を鳴らすと、霞は寮へと戻って行ってしまった。

 

「俺を守るって……。どういうことだよ……?」

 

何の意味もない事を意味ありげに言ったのだとしたら、大したもんだが……とにかく……。

 

「してやられたな……」

 

あまり煽るんじゃなかったぜ……。

 

 

 

それから数日間は、徹底的に朝潮の撮影に付き合わされた。

企画も、細々としたものから、明石にセットを造らせるなど、大掛かりなものまで出始めた。

 

「司令官、これ、今日の台本ね。大まかな流れだけ書いてあって、基本的には司令官のアドリブに任せる感じだから」

 

ついに台本まで……。

 

「フッ……」

 

台本を見て唖然としている俺を、霞は鼻で笑い、去って行った。

あれから霞とは話せていない。

撮影が忙しいというのもあるが、俺をモヤモヤさせる為に、わざと避けているようであった。

 

「まあ……これも交流の一種ってやつなのかもな……」

 

少なくとも、気を悪くさせるよりはマシだろう……。

 

 

 

そんなこんなで過ごしていると、本部より連絡が入った。

 

「『艦娘居住区の一時移転』ですか……?」

 

『そうだ。過去にも何度か行われたことでね。詳しい場所は言えないが、もう一つ、艦娘の居住区に指定された島があるんだ。そこへ一週間程度、艦娘を移動させることになった。まあ、艦娘にとっては、一種の旅行のようなもんだ』

 

「なるほど……。しかし、どうしてそんなことを?」

 

『君たちが送ってくれた動画を見ていて、寮や家の老朽化に気が付いてしまってね。これを機に、点検・補修を実施することになった』

 

なるほど……。

確かに、ボロいもんな……。

 

『急な事で申し訳ないが、出発は二日後の深夜になるから、艦娘達に準備するよう伝えて欲しい』

 

「本当に急ですね……。準備が間に合うかどうか……」

 

『もう9隻しかいないことだし、艦娘にとっては初めての事でも無いから、何とかなるだろうとは思う』

 

相変わらず適当というか、勝手というか……。

 

『それと、いい知らせがある。君たちのこれまでの動画が、一般に公開されることが決まった』

 

「本当ですか!?」

 

『あぁ。大井達のチャンネルとは別に、専用のチャンネルを設けることになった。編集は本部で行う事になるから、検閲は厳しくなるとは思うが、そこは了承して欲しい』

 

「大丈夫です。本人たちもそのことを意識して、企業名を言わないようにしたり、色々考えているみたいですから」

 

『そのようだね。いつも楽しく見させてもらっているよ。私は君のファンになったくらいだ。今度、握手してくれないか?』

 

その冗談に、俺は愛想笑いを返す事しかできなかった。

 

 

 

電話の後、俺はすぐに二つの事を皆に報告した。

 

「『大和島』に行けるのね!」

「チャンネル開設だって!」

「やったー!」

 

皆、内容は違えど、喜んでくれているようであった。

 

「で?『大和島』ってなんだ?」

 

「知らないの? 昔、大和さんが隠されていた島の事よ」

 

俺は思わず大和に目を向けた。

 

「いい所ですよ。星が綺麗な常夏の島です」

 

『詳しい場所は言えないが――』

 

なるほどな……。

 

「はぁ……」

 

「どうした山城? わざとらしくため息なんてついて」

 

「いえ……。ただでさえ引きこもりを脱却したばかりなのに、島を出ることになるだなんてと思って……」

 

「なんだ、嫌なのか? いい所らしいじゃないか」

 

「いい所な訳ないわ……。あんな暑くてギラギラした場所……。皆のテンションも変になって、私はいっつも太陽の下に引っ張り出されて……」

 

何かトラウマがあるようで、山城はガクリと頭を下げた。

 

「そうならないように俺が守ってやるから、安心しろ」

 

そう言っても、山城は顔を上げることをしなかった。

期待していない、って事だろうな。

 

「提督、水着を用意しておいてくださいね」

 

「水着? 構わないが、去年のがあるんじゃないのか?」

 

「私たちのではなくて! 提督の水着ですよ!」

 

「なんで俺のなんか……。遊びに行くんじゃないんだ。俺のは必要ない……」

 

そう言ってやると、何隻かが、俺に視線を向けた。

 

「な、なんだよ?」

 

誰も、何も言わない。

無言の圧力。

 

「……水着を用意しろと?」

 

やはり何も言わない。

いや、なんなんだよ……。

こえーよ……。

 

「向こうでも撮影するんでしょ……? だったら、必要なんじゃないかしら……?」

 

そう言ったのは、霞であった。

だがそれは、俺に向けて言っている、というよりも、まるで独り言のようであった。

 

「そ、そうですよ! きっと、海で遊ぶ姿も撮るはずですから、提督も水着でないとおかしいですよ!」

 

「いや……だったら尚更、俺はいらないだろ……。男の水着なんぞ、邪魔にしかならんぞ……。花畑にうんこを置くようなもんだ……」

 

「いいじゃない。いい肥料になりそう」

 

「いやいや……」

 

「司令官……」

 

朝潮の目が、俺を見つめていた。

皆のギラギラした視線とは違い、悲しそうな目をしている。

やめてくれ朝潮……。

その目は俺に効く……。

ふと振り返ると、山城が虚ろな目で俺を見ていた。

ほらね、とでも言いたげに……。

 

「しれえ……」

 

雪風は俺の背中に手を添えると、手遅れだとでも言いたげに、首を横に振った。

憎たらしい笑みを浮かべながら……。

 

「…………」

 

 

 

五日後。

島を出発して三日、俺たちはようやく『大和島』に上陸した。

 

「あっちぃ……。なんだよこの暑さは……」

 

ついこの前まで花見をしていたはずだが……。

本当、ここは一体どこなんだよ……。

 

「あそこに見える建物が、私たちが泊まる場所です。行きましょう」

 

大和の案内で、島を歩く。

そういや、以前大和が話してくれた過去に出てきたのが、この島なんだよな。

ここに、吹雪さんもいたって事なんだよな……。

 

「あ、ヤシの木……」

 

『ねぇねぇ大和ちゃん! ほら! ヤシの葉でスカート作ってみたよ~』

 

「フッ……」

 

こりゃ、とんだ聖地巡礼だぜ。

 

 

 

『大和ホテル』と名前の付けられた建物は、とてもじゃないが、ホテルと呼べるような代物ではなかった。

 

「寮と変わんねぇじゃねーか……」

 

「内装は違うわ。ほら、何処となく南国感ない?」

 

確かに、わざとらしいくらいには……。

 

「しかしあちぃな……。流石にエアコンくらいあるよな?」

 

「ないよ、先生」

 

どこからか、最上の声がする。

 

「やべぇ……暑すぎて幻聴が……」

 

「幻聴じゃないやい」

 

次の瞬間、何かが破裂したかのような音と共に、後頭部に激痛が走る。

 

「いってぇ!?」

 

「これで目が覚めたかしら?」

 

この声は……。

振り向くと、そこには――。

 

「お、大井!?」

 

苦笑いをする最上、カメラを構えている青葉、そして、巨大なハリセンを持った大井が、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

残り――9隻

 

 

 

――続く



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28話

『そうか……』

 

その声色に、私は思わず振り返ってしまった。

司令官の表情は――。

 

『あれは、俺ではないようだ』

 

『え……?』

 

『確かに、俺と似ている。だが、奴を見るお前の目は、俺に向けるものとは違って、もっと輝いているようだぜ』

 

『……だからと言って、アレがあんたじゃない証拠にはならないでしょう?』

 

『いや、俺じゃない。分かるんだ。何故かは分からないけどな』

 

いつもの笑顔に、私は呆れる事しかできなかった。

 

『お前が心配しているのは、この事だったか……』

 

『……えぇ。夢とは言え、私には分かるの……。これと同じことが、いずれ起きるって……。だから――』

 

【「神様……。もし、生まれ変われるのなら……その時は――……」】

 

【霞】が、海の上で祈りを捧げる。

 

『こんな夢の為だけに、生きると言うのか?』

 

『私は艦娘よ。戦う事が、本来の生き方。守ることが、私の存在価値よ……』

 

そう言う私に、司令官は悲しい顔を見せた。

 

『あんたを守る……。こんな未来は……【二度と】起こさせない……』

 

『霞……』

 

『その為に、私は――』

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「お、大井……!? それに……青葉に最上まで……!?」

 

驚きの声を上げたのは、俺だけではなかった。

 

「えーーーーーーー!?」

「どうして……!?」

「最上……!?」

 

皆、驚愕の表情のまま、三人へ駆け寄って行く。

 

「みんな、久しぶりね」

 

山城や霞、雪風までもが、驚きの表情を見せていた。

 

「こりゃ……一体、どういうことだ……?」

 

「説明はあと。とりあえず、荷物を置いて来なさいな」

 

 

 

大和ホテルは、部屋の配置や間取りに至るまで、艦娘寮と同じであった。

 

「食堂もまんまだな……」

 

小物などは南国風だから、違いは感じられるが……。

 

「集まったわね。ようこそ、大和ホテルへ!」

 

『大和』ホテルであるのに、大井が挨拶するのか。

 

「さて、まずは皆が疑問に思っているであろう、私たちが此処にいる理由を説明するわね」

 

食堂が暗くなり、目の前の何もない壁に、何やら画像が映し出された。

そして、そこには、クソダサいフォントで『コラボ企画!』と書かれていた。

 

「じゃあ、説明するわね」

 

大井は、文字が回転したり、七色に光る文字などを駆使しながら、説明を進めた。

 

 

 

「――という訳で、これから四日間、このコラボの為に、私たちがやって来たというわけ!」

 

大井の説明を要約すると、艦娘側のチャンネルが開設されるにあたり、大井側のチャンネルとのコラボを実施することになった、という事らしい。

 

「コラボと言っても、動画が公開されるのは、そっちのチャンネルにのみらしいわ」

 

「なるほど……。お前たちが此処にいる理由はよく分かった。だが、それが許可された経緯と、最上が同行している理由はなんだ?」

 

「それについては、撮影外で話すわ。まずは、再会を喜び合う画を撮りましょう?」

 

 

 

結局、日付が変わる直前まで、撮影は続いた。

 

「ふぅ……」

 

シャワーを浴びた後、食堂へ向かうと、皆が酒盛りをしていた。

 

「あ、ようやく来たわね」

 

「駆逐艦たちは眠ったのか?」

 

「えぇ、先ほど。寝かしつける必要もなく、ぐっすりと眠っていますよ」

 

席に着くと、最上が酒を注いでくれた。

 

「ありがとう。さて、そろそろ聞かせてもらおうか。お前たちが此処に至る本当の経緯を」

 

「その前に、乾杯しようよ。ボク、こうして先生と飲みたかったんだ」

 

「……分かったよ」

 

乾杯すると、最上は経緯を説明してくれた。

それによると、コラボという名目で来たが、本当の目的は、現艦娘と人化した元艦娘が接触した場合、艦娘にどのような影響があるのか、という実験の為に来た、とのことであった。

 

「あの島でそれをやることは難しいようなんだ。今回、たまたま大和島に行くとのことだったから、この実験も一緒に実施されたって訳さ」

 

なるほどな……。

確かに、今後、こいつら(艦娘)を島から出すのに、人化した元艦娘との接触も必要となるかもしれないしな……。

案外、本部の連中も、色々と考えてくれているという事なのだろうか……。

それにしたって、俺に何の説明も無いとはな……。

 

「大井さんも青葉も、接触するのに適任だったし、接触する理由としても、世間に説明がつくからさ。本当、ちょうど良かったんだと思うよ」

 

「お前はどうして?」

 

「あはは。一応、ボクも小説家として、そこそこ有名なんだよ? それに、ボクは人化して長いから、大井さん達とは別のデータが取れるって事で、選ばれたんだ」

 

「そういうことか……」

 

それだったら、山風でも問題なかったと思うがな……。

有名ではあるし、大井達のケア役という意味でも――。

 

「……山風の方が良かった?」

 

俺の心を読んだかのように、最上は悲しそうな表情で、そう訊いた。

 

「……そんな事ないさ。お前で良かったよ、最上。山城も、どこか嬉しそうにしているしな」

 

山城は、そんなことは無いとでも言いたげに、そっぽを向いてしまった。

あんな態度をとってはいるが、真っ先に最上へ話しかけにいったのは、山城であった。

 

「そっか……。ボクも、先生とこうして過ごせるのは嬉しいよ。一緒に生活できるなんて……『あの時』みたいだし……。また、ボクの水着姿が見られるよ? それに……」

 

最上が顔を赤くする。

それと当時に、何処からか、波の音が聴こえて来て――。

 

「また……寝たふり……して欲しいな……。そうしたら……ね?」

 

微笑む最上。

風が無いはずなのに、最上の髪が揺れて――。

 

「え……」

 

何故かは分からないが、一瞬、最上の水着姿が――。

 

「……えっち」

 

そう言う最上の表情は――。

 

「ちょっとぉ! 何見つめ合っているんですかぁ!?」

 

間に割って入ってきたのは、大淀であった。

 

「提督ぅ! 最上さんばかりじゃなくて、大淀にも構ってくれなきゃ嫌ですぅ!」

 

どうやら酔っ払っている様子で、いつか見せた『大淀ちゃん』が出ているようであった。

 

「あはは……。大淀さん、相変わらずだね……」

 

「大淀……。お前……」

 

「むぅ……。なんですかなんですか……。ちょっとくらい、いいでしょう……? 大淀だって『最上さんみたいに酔っ払ってみたかった』んですからぁ……」

 

「え? ボクみたいに?」

 

「そうれすよぉ……。私らって……『先生に呆れられるような存在になりたかった』んれすぅ……」

 

「え……」

 

「そういう……親しい関係にぃ……大淀も……」

 

そう言うと、大淀は床に倒れ込んでしまった。

 

「お、おいおい……」

 

すかさず、明石がとんできた。

 

「もう……大淀ったら……。ごめんなさい二人とも……。さ、行くわよ、大淀ちゃん」

 

「んむぅ……」

 

明石に抱えられ、大淀は食堂を出て行ってしまった。

 

「ったく……。悪いな、最上」

 

「…………」

 

「最上?」

 

「え? あ、あぁ……うん……。大淀さん、相当ストレスが溜まっていたようだね……」

 

「そのようだな。ま、今日くらいは許してやろう……」

 

「うん……。ねぇ……先生……」

 

「ん?」

 

「……ううん。何でもない。ボク、山城さんのところに行ってくるね」

 

「あぁ、たくさん構ってやってくれ」

 

最上と山城は、一言二言話すと、そのまま一緒に食堂を出て行った。

山城に配慮しての事だろうな。

大淀の姿を見て、ドン引きしていたようだし……。

 

「し、司令官~……。青葉も、酔っ払っちゃったぁ……」

 

「……お前は推定年齢的に飲めないし、飲んでもいないだろうが」

 

 

 

結局、残ったのは飲めない(飲みたくない)組となった為、お開きとなった。

 

「ったく……。なんだかくたびれたぜ……」

 

しかし、まあ、皆が楽しそうで良かった。

山城も喜んでいるようだし、敷波や朝潮なんかも、まるで有名人にでも会ったかのように目を輝かせていたしな。

 

「ん……っと……。しかし、夜は涼しいんだな……」

 

外へ出てみると、視界の端から端まで、無数の星で埋め尽くされた。

 

「おぉ……すげぇ……」

 

ふと、海辺に誰か立っていることに気が付いた。

そいつが誰なのかは、すぐに分かった。

 

「大和」

 

大和は振り返ると、小さく会釈して、再び星空に目を向けた。

 

「これが、お前の言っていた星空か。確かに綺麗だ」

 

「えぇ。あの頃と全く変わっていません。もう70年以上経っているはずなのに……」

 

「地球の70年なんて、宇宙からしたらほんの一瞬に過ぎない。何も変わらないはずだ」

 

「変わったのは、大和の方……ですか……」

 

そう言うと、大和は目を瞑り、風を感じていた。

 

「やはり、思い出すか? 佐伯って人を……」

 

「えぇ、まあ……。でも、以前来たほどではないかな……」

 

そう言うと、大和は俺に視線を送った。

その意味が分かってしまって、俺は思わず目を逸らしてしまった。

 

「どうも酔っているようだな……」

 

「大和は飲んでいませんよ」

 

それはつまり、酔っているのは――飲まれているのは……。

 

「……あまり長居するなよ」

 

そう言って立ち去ろうとする俺の手を、大和は掴んだ。

 

「大和?」

 

「もう少しだけ、一緒に居てくれませんか……?」

 

「え?」

 

「そうしたら、きっと――……」

 

波の音が、大和の言葉をかき消した。

だが、俺にはハッキリと、その言葉が聞こえていた。

 

「……それで酔っていないってんだから、驚きだぜ」

 

「飲んでないと言っただけで、酔っていないとは言っていませんよ」

 

「ハッ……はしゃいでるぜ……」

 

「そういう場所なんです、ここは。山城さんが言っていませんでした?」

 

「……言っていたな」

 

「そうでなくても……」

 

大和と目が合う。

星空以上に、大和の瞳は――。

 

「……綺麗だよな。星空……」

 

「ふふ。えぇ、そうですね」

 

それから俺たちは、何を話すわけでも無く、ただずっと、星空を眺めていた。

時折、隣にいる事を確認し合いながら――。

 

 

 

翌朝。

朝食を済ませると、皆が一斉に浮輪などを俺に渡した。

……空気が入っていない状態で。

 

「膨らませておけと……?」

 

「私たちは色々と準備に時間がかかるのです。提督はどうせ、海パンを穿くだけでしょう?」

 

「その時間で済ませておけと……。まあ、構わないが……。そもそも、俺は水着なんぞには……」

 

皆の視線が、俺に向けられる。

それも無言で。

 

「それ、怖いからやめろ!」

 

 

 

結局、圧力に負け、水着に着替えさせられた。

 

「ったく……」

 

「あ、司令官!」

 

青葉のカメラが、俺に向けられる。

 

「撮んな撮んな……。俺なんかよりも、あいつらを撮ってやれよ……」

 

そう言っても、青葉は舐め回すように、俺を撮り続けた。

 

「あ、提督! えへへ、見てください! どうです? 明石の水着姿!」

 

「おう。よく似合っているよ」

 

「本当ですか? えへへ、提督も、凄くカッコいいですよ」

 

「ありがとう」

 

海パン姿のどこがカッコいいのやら……。

 

「し、司令官……。アタシは……どうかな……?」

 

「ああ、似合っているよ」

 

「私は?」

 

「お前も、似合っているよ」

 

「雪風はどうですか?」

 

「似合っているよ」

 

そう答えてやっていると、ブーイングが起こった。

 

「なんだよ?」

 

「あんた……似合っているしか言わないじゃない……」

 

「いや……だって、似合っているじゃないか……」

 

「それだけ? って言っているのよ!」

 

「それだけって……。他になんて言えばいいんだよ……」

 

そんな事を話していると、大和が山城を引きずるようにして連れて来た。

 

「お待たせいたしました」

 

二隻の姿を見た瞬間、皆は言葉を失っていた。

 

「み、皆さん? どうしました?」

 

「い、いえ……その……」

 

皆の視線が、大和と山城の胸に集中する。

 

「……海、行きましょうか」

 

「う、うん……」

 

トボトボと海へと向かう皆に、大和は首をかしげていた。

 

「何かあったのです?」

 

「いや……」

 

まあ、自信を無くすよな……。

胸の大きさ云々を無しにしても、大和の水着姿は――。

 

「提督?」

 

前かがみで俺を覗き込む大和。

思わず目を逸らしてしまう。

 

「や、山城を連れて来てくれたのか……。悪いな……」

 

「いえ。山城さん、水着を着たのはいいものの、頑なに動こうとしませんでしたから、大和が仕方なく……」

 

大和ほどの『馬力』が無ければ、山城を連れ出すのは難しそうだしな……。

 

「そうか。しかし、着るまでには至ったんだな?」

 

そう訊いてやると、山城は目を逸らし、膝を抱えて小さくなってしまった。

 

「案外、提督に見せたかったのかもしれませんよ?」

 

「まさか……」

 

そんな事を話していると、夕張と最上がやって来た。

 

「海、行かないの?」

 

「あぁ、俺はここでいいよ。もう十分撮っただろうしな」

 

「そんなこと言わないで、一緒に遊ぼうよ、先生。楽しまなきゃ損だよ」

 

「いいよ、別に……。それよりも、山城を連れて行ってやってくれ」

 

そう言ってやると、山城は全力で首を横に振った。

 

「ふぅん……。じゃあ、ボクも先生と一緒に居ようかな!」

 

最上が座ると、何故か夕張も座り込んだ。

 

「いや、遊びに行けよ。ほら、青葉がカメラを向けているぞ。行って来いよ」

 

「先生が一緒に行ってくれるのなら、行ってもいいよ?」

 

「なんでだよ……」

 

ふと、夕張が、まるで独り言のように、言葉を零した。

 

「大和さんは……どうして海に行かないのかしら……?」

 

「え?」

 

「最上と同じ理由……だったり……?」

 

海を見つめながら問う夕張。

どうして大和を見ないのであろうか……。

 

「そういう訳ではありませんけど……。ただ、カメラに映るのが恥ずかしくて……」

 

「ふぅん……」

 

何やら膝を抱え、退屈そうにする夕張。

 

「はぁ……」

 

ため息をついたのは、山城であった。

 

「どうした?」

 

「いえ……。なんというか……貴方って本当……」

 

「本当……なんだよ?」

 

「……何でもないわ。海……行こうかしら……」

 

「え?」

 

「貴方が行くなら……行ってあげなくもないけど……」

 

そう言って、目を逸らす山城。

 

「ですって、提督。行ってきたらどうです?」

 

「……急にどうした?」

 

山城は答えない。

 

「先生」

 

最上は立ち上がると、俺に手を差し伸べた。

 

「せっかく山城さんが海に行こうって言っているんだからさ、行こうよ」

 

「そうよ……。行ったら……?」

 

これまた退屈そうに言う夕張。

海にいる連中も、俺たちに視線を向けている。

 

「……分かったよ。ほら、行くぞ、山城」

 

手を差し伸べてやると、山城は恐る恐る手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

 

「熱中症にお気をつけて。喉が渇きましたら、ラムネを用意しておりますので」

 

「あぁ。ありがとう、大和」

 

「行こ、山城さん」

 

最上は山城を引きずるようにして、海へと向かっていった。

 

「お前は行かないのか?」

 

そう言ってやると、夕張は首を横に振った。

 

「そうか」

 

「司令官ー! こっちでーす!」

 

「早く来なさいったら!」

 

「おう」

 

夕張と大和を残し、俺は海へと向かった。

 

 

 

結局、海で遊んでいる間、大和と夕張は、何やら二人で話をしているだけで、海に入ることは無かった。

なんで着替えたんだよ、あいつら……。

 

「提督、この中で一番、提督の視線を奪ったのは、誰の水着姿ですか?」

 

「山城だな。目を離した隙に溺れちまうんじゃないかと心配になってな」

 

「そういうのじゃなくて!」

 

 

 

日が暮れて来たのもあり、皆はホテルへと戻っていった。

残された俺は、皆が着替え終わるまで、浮輪の空気を抜いたり、後片付けをする羽目になってしまった。

 

「ったく……。ん……?」

 

ふと、パラソルに目を向けると、そこには――。

 

「おう、帰らないのか?」

 

そう問う俺に、悲しみを少しだけ含んだような笑顔を見せるだけであった。

 

「……ラムネ、まだ残っているか?」

 

「えぇ。どうぞ」

 

「ありがとう」

 

大和の隣に座り、同じように海を見つめる。

雲一つない夕焼け空は、少しだけ寂しさを思わせた。

 

「何を見ている?」

 

「え?」

 

「何もない空と、何もない海。そこに、何を見ているんだろうって」

 

大和は答えることなく、ただラムネの瓶を手のひらで転がすだけであった。

 

「夕張と、何か話していたな。何を話したんだ?」

 

「……別に。ただ、世間話をしただけです」

 

「世間話か……。そうか……」

 

その内容を訊いているんだがな……。

どうも会話が続かないな……。

 

「提督は、どうしたんです? 大和なんかに構って。皆さんのところに行かなくていいのですか?」

 

「いいんだよ。どうせ、着替えるのに時間がかかるだろうし。それに、遊びもせず、帰ることもせず、ただじっと海を見ている奴が心配でもあるしな」

 

そう言ってやると、大和は小さく笑って「すみません」と謝った。

 

「水着に着替えたのに、結局海には入らなかったのだな」

 

「カメラが回っていましたから」

 

「今は回っていないぜ」

 

そう言って立ち上がり、ビーチボールを手に取った。

 

「来いよ」

 

「……遠慮しておきます」

 

「何故だ? 俺が相手じゃ、不満か?」

 

「そういう訳ではありませんけど……」

 

「ほら」

 

ビーチボールを投げてやると、大和はそれをキャッチした。

 

「ナイスキャッチ」

 

大和は、ビーチボールをじっと見つめた後、俺に視線を向けた。

 

「どうした?」

 

「……いえ。仕方がないですね。付き合ってあげます」

 

そう言ってボールを投げ返すと、大和はゆっくりと立ち上がり、海の方へと歩きだした。

 

 

 

空では、夜の帳が下りつつあった。

 

「行くぞ。そら!」

 

「えい!」

 

「上手いな。よっ!」

 

「はい!」

 

バレーのように、ラリーを続ける。

こんなの、わざわざ海でやらなくても良いはずなのだが、こう、何かに集中していないと、間が持たない気がして――それは、大和も同じようで――。

 

「えい……あ!」

 

「おわっ!?」

 

ボールが風に煽られ、遠くへ飛んで行ってしまった。

 

「すみません」

 

「いや、大丈夫だ」

 

ボールを拾おうと近づくが、何故かどんどん流され、遠ざかって行く。

 

「くそ……待ちやがれってんだ……」

 

やっとの事で拾い上げ、大和の方へと向く。

俺を見つめるその目は、どこか――。

 

「大和……?」

 

「え……?」

 

「どうした? そんな顔して……。つまらなかったか?」

 

大和は確かめるように、自分の顔に手をあてた。

 

「……どうした、本当に」

 

大和は答えない。

 

「……分かった。無理に誘って悪かったな」

 

「え……?」

 

「しばらく一人にしてやる。皆には俺から言っておく」

 

俺はビーチボールの空気を抜きながら、陸へと上がった。

 

「消灯時間前には戻ってこい。じゃあな」

 

そう言って去ろうとした時であった。

 

「……提督」

 

振り返ると、大和はやはり、どこか思い悩むような表情を見せていた。

 

「話す気になったか?」

 

首を横に振る大和。

違うのかよ……。

 

「一つだけ……お伺いしてもよろしいでしょうか……?」

 

「あぁ、なんだ?」

 

「……大和の水着姿、どうですか?」

 

その質問に、俺は動揺してしまった。

何故、今、そんな事を……。

そもそも、どうして俺の評価なんぞ……。

 

「…………」

 

似合っている……ってのは駄目なんだよな……。

いや、逆に、皆への評価と合わせた方がいいのか……?

言葉を選ばんとする俺を催促するよう、大和はパレオの結び目を緩めた。

 

「お、おい……」

 

風に運ばれてゆくパレオ。

強調するように、手を後ろにする大和の顔は、ほんのりと赤くなっていた。

風に揺れる艶やかな長い髪。

俺を見つめる美しい瞳。

 

「――……」

 

思わず、見惚れてしまった。

思えば、大和の水着姿をはっきりと見られていなかった。

 

「提督……?」

 

「……綺麗だ」

 

「え……」

 

思わず零れた言葉に、自分でも驚く。

 

「あ、あぁいや……! その……」

 

焦る俺とは違い、大和は――。

 

「……ありがとう……ございます……」

 

目を逸らし、さらに顔を赤くする大和。

その姿に、俺は――。

 

「提督ー! どこですー?」

 

遠くで、俺を呼ぶ声。

 

「明石?」

 

その声の方を向き、大和に背を向けた時であった。

 

「――っ!」

 

驚きのあまり、呼吸が止まる。

背中に伝わる感触は、間違いなく――。

 

「や……大……和……?」

 

彼女の心臓の音が、徐々に伝わってくる。

肌は濡れているはずなのに、その体温はとても熱くて――。

背中に触れるその手は、小さく震えていて――。

 

「はっ……はっ……」

 

俺の心臓の鼓動も、徐々に大きくなって行く。

呼吸が浅くなり、大和の体温と同じくらい、全身が熱くなって――。

 

「……ごめんなさい」

 

かすれた声でそう言うと、大和は走り去ってしまった。

 

「はっ……はっ……」

 

俺は、ただ突っ立っていることしかできなかった。

心臓の鼓動も、体温も――大和が去って行ったのにもかかわらず、そのままで――。

 

「な……んだったんだ……?」

 

俺は振り返り、海を望んだ。

当然だが、そこに大和はいない。

それでも――。

 

「あ、提督。ここに居たんですね。結構探し――」

 

気が付くと、俺は海へ飛び込んでいた。

が、結構浅瀬だったようで……。

 

「うげぇ……!?」

 

「ちょ……! なにしているんですか!?」

 

「明石……。ははは……。本当、何してんだろうな……俺は……」

 

「えぇ……?」

 

 

 

その日の夕食時、大和が食堂に現れることは無かった。

 

「食欲がないとのことでした。体調に問題は無いようでしたが、今日はもう寝ると……」

 

「そうか……」

 

やはり、先ほどの事があって、顔を合わせにくいという事だろうか……。

 

「提督の方はどうです? あんなにはしゃいで……凄い勢いでお腹打ってましたけど……」

 

「あぁ、問題ないよ。ちょっと痛むが……」

 

「本当、ばっかみたい。はしゃぐならはしゃぐで、カメラの前でやりなさいよ」

 

「そうですよぉ。せっかく青葉が、ずっと司令官を撮っていたのに……」

 

朝潮も同じように思っているのか、何度も頷いていた。

 

「お前ら、少しは俺を心配したらどうなんだよ……?」

 

 

 

消灯時間になる頃には、皆、床に就いていた。

 

「あんだけ遊んでいたらな」

 

ふと、食堂の方が明るくなっていることに気付く。

 

「誰か起きてんのか? それとも、明かりの消し忘れ?」

 

そんな事を呟きながら、食堂へ入ろうとした時であった。

 

「じゃあ、霞ちゃんも先生を……?」

 

最上の声。

 

「えぇ……。でもまさか、あんたも同じだったなんてね……」

 

相手は霞か……。

珍しい組み合わせだな……。

っていうか、俺の事を話しているのか……?

 

「…………」

 

俺は、食堂へは入らず、二人の会話を盗み聞きすることにした。

 

「あんた、あいつの事、何処まで知っているの……? あいつの夢は見る訳……?」

 

「夢……は、見たことがないかもしれないけど……。時々、先生と一緒に居ると、不思議な感覚に襲われることがあるんだ……。初めて会った時もそうだったけれど……。初対面な気がしなかったと言うか……。ずっと探していた人に出会ったと言うか……」

 

「それは、佐久間肇に感じていたことと同じ……だったりする……?」

 

「あ……そうそう!『佐久間さん』に感じていたことは、本当は、先生……雨宮君に向けるべきものだったんだって感じがしたんだ!」

 

「……やっぱりそうなのね」

 

「霞ちゃんも同じ?」

 

「えぇ……」

 

話の内容はよく分からないが、親父の事と『夢』の事を言っているのは分かる。

霞は、親父を『夢』の世界に導いたのは自分だと曙に言っていたようだから、それに関連したことなのだろうか……?

 

「霞ちゃんは、先生に何を感じるの?」

 

「私は……あいつの夢を見るの……」

 

「夢?」

 

「どこか、私の知らない世界の夢よ……。知らないはずなのに、私の中にはっきりと存在する世界……。その世界では、私とあいつは家族で、あんたはあいつの弟子で……」

 

「ボクが先生の弟子……。霞ちゃんが家族……。それ、ボクも見たことがあるかも! 島にいた頃……まだ、佐久間さんが島にいた頃に……。そうか……。あの『先生』は、雨宮君だ……! あ……大淀さんや青葉なんかもいなかった!?」

 

「……居た。鈴谷もいたし、あきつ丸も……」

 

「そうそう! っていうか、鈴谷は先生の奥さんになって……! 子供まで出来て……! そして……!」

 

瞬間、二人の会話が止んだ。

 

「……?」

 

恐る恐る、食堂を覗く。

最上は何やらフリーズしていて――霞の表情は分からないが、最上の言葉を待っているようであった。

 

「そして……」

 

最上が俯く。

 

「再び深海棲艦が現れて、あいつは艦娘を率いる提督になって――そして……死んだ……」

 

最上の深刻そうな顔たるや……。

夢の話ですよね?

 

「所詮は夢だって分かっている……」

 

俺は思わず、ドキッとしてしまった。

 

「でも……分かるの……。いずれ、同じようなことがこの世界でも起きるって……。そして……艦娘を率いて戦うのは……」

 

「先生……」

 

霞が頷く。

 

『もう、あんたを戦わせない……。決して……死なせないから……』

 

なるほど……。

あの時、霞が言っていたのはこの事か……。

 

「…………」

 

いや……マジか……。

じゃあ、なんだ?

霞は、そんな夢で見た事を本気で信じているのか……?

それで、俺を守ろうという事か?

いや、それよりも……。

 

『私は絶対に人化しない……。それが……あんたを守ることになるから……』

 

夢を信じているのは……まあいいとして……。

霞が人化しないことが、何故、俺を守ることに繋がる……?

……もしかして、艦娘であり続ければ、深海棲艦が来ても戦えると?

結果として、俺を守れると……?

いや、それにしたって――。

 

「何しているのよ?」

 

体が強張る。

振り返ると、夕張が怪訝そうな表情で俺を見ていた。

 

「夕張か……。びっくりさせるなよ……」

 

「別に、驚かせるつもりはなかったわよ……。それよりも、こんなところでなにして……」

 

その時、食堂から、最上と霞が出てきた。

しまった……。

 

「先生……」

 

「お、おう……。消灯時間を過ぎても食堂が明るかったから、誰かいるのかと思ってな……」

 

訊かれてもいないのにペラペラと……。

別に、会話を聴いていたのだと、素直に言えば良かったのに……。

 

「……珍しい組み合わせだな」

 

「あぁ……うん……。ちょっと……ね……」

 

最上が霞に視線を送る。

霞はため息をつくと「ちょっと島の外の事を訊いていただけ……」と答えた。

それに同意するよう、何度も頷く最上。

 

「そ、そうか……」

 

「ごめんね、消灯時間を過ぎているのに……。もう部屋に戻るよ。じゃあ、おやすみなさい!」

 

そそくさと去る最上。

霞は俺をじっと見つめた後、何も言わずに、部屋へと戻って行ってしまった。

霞の奴、俺が盗み聞きしていたことを知っていたかのような目をしていたな……。

いや、そう見えてしまうのは、きっと……。

 

「……で? お前は何しているんだ?」

 

「別に……。ちょっと喉が渇いたから、何か冷たいものでもと思って……」

 

「そうか。冷蔵庫にラムネがあったぞ。こんな夜中に飲むものではないのだろうが……って、艦娘は虫歯にならないんだったな。羨ましいぜ」

 

「一応、飲んだ後は歯を磨くわ。炭酸は歯を溶かすって、聞いたことがあるから……」

 

「磨き過ぎも良くないと聞くぜ。口をゆすぐ程度でいいんじゃないのか?」

 

知らんけど。

 

「とにかく、飲んだら部屋に戻れよ。明かりの消し忘れに注意な。じゃあ」

 

「……ねぇ」

 

「ん?」

 

「一つ……訊いてもいい……?」

 

「なんだ?」

 

「私たちが海から上がった後……提督はまだ、海に残っていたんだって……?」

 

「あぁ、そうだが……」

 

「なんで、残っていたの……?」

 

「え?」

 

夕張は目を逸らしながら、そう問うた。

その表情は、大和に理由を問うた時と、同じものであった。

 

「普通に、片付けの為だが……」

 

「それだけ……?」

 

「それだけって……。まあ、お前たちが着替え終わるのを待っていたってのもあるが……」

 

「本当にそれだけ……?」

 

夕張の目が、俺を見つめる。

その目は、何処か――。

 

「なにが言いたいんだ?」

 

「……大和さんの帰りが遅かったから、二人で何かしてたのかなって……」

 

そう言われ、何故かドキッとしている自分がいた。

 

「あぁ……。大和が物思いにふけていたようだから、少し話をしたよ」

 

「何を話したの……?」

 

「別に、ただの世間話だ」

 

「どんなことを話したの……?」

 

しつこいな……。

 

「どうでもいい話だよ……。もう忘れたくらいだ……」

 

「嘘……。だとしたら、大和さんが食堂へ来なかったのは何故……? 体調も問題ないって聞くし……。貴方と顔を合わせられないほどの何かを話したんじゃないの……?」

 

顔を合わせられないほどの……か……。

 

「俺との会話でそうなったのかは分からんが、仮にお前の言う通りだったとして、それを聞こうってのはどうなんだよ?」

 

「認めるのね……。そういう話をしたって……」

 

「そんな事は言っていないだろ……。お前、なんなんだよ……? なにをそんなに疑っているんだよ……?」

 

呆れた口調で言ってやると、夕張は少し躊躇った後、観念したかのように言葉を零した。

 

「皆が海で遊んでいた時……私と大和さん……二人で話していたでしょ……?」

 

「…………」

 

「私……どうかしていたのもあるのだけれど……大和さんに訊いちゃったの……。提督の事、好きなんですかって……。だって……大和さんは貴方と文通しているって聞いているし……。ビーチでも、提督と一緒に居ようとしていたから……もしかしてって……」

 

「なんちゅうことを訊いてくれているんだよ……」

 

「ごめんなさい……。でも……もしそうだったら……って……」

 

夕張は不安そうに俯いた。

 

「……で? なんて返って来たんだ?」

 

「『分かりません』よ……」

 

分かりません……。

 

「普通……否定してもいいじゃない……。好きじゃないとか……嫌いだとか……。そうでなくても、なんとも思っていないだとか……。なのに……大和さんは……」

 

なるほどな……。

 

「それで、不安になった訳か……」

 

「質問をした後の大和さんは、どこか思い詰めた顔をしていた……。皆が帰っても、一人だけ、海を見つめていた……。あれは、自分の気持ちに向き合っていたんだと思う……。自分は、提督をどう思っているのだろうって……。そして、貴方と話して、その気持ちに気が付いて――。食欲がないだなんて言っていたけど、それは嘘で――」

 

色々と考えたのだろう。

夕張は、あらゆる『不安』を口にした。

いつもであれば、夕張の妄言であると――聞き流し、どう慰めてやろうかと考えたものだが――。

 

『……ごめんなさい』

 

大和……まさかお前……。

 

「――だから、教えて欲しいの……。二人で……何を話したのか……」

 

夕張が俺を見つめる。

その瞳に、俺は――。

 

「……ただの世間話だよ」

 

そう言うしかなかった。

実際、その程度の話だったようにも思うし、大和の気持ちが分からない以上、下手な憶測を伝えるのは良くないだろうと思ったからだ。

…………。

…………。

…………。

……嘘だ。

ありのままを伝えることが出来たはずだ。

その上で、なんてことない話だったのだと、何も感じることは無かったのだと、嘘の一つでも付けばよかった。

それを突き通す自信はあったし、それが夕張を慰める事にもつながるはずだ。

だが……。

 

「……よく分かったわ」

 

夕張は深呼吸をすると、どこか安心したかのような表情を見せた。

 

「下手な嘘よりも……貴方の気持ちがよく分かったわ……。ありがとう……」

 

その言葉に、安心することは無かった。

だがそれは、不安が残ったからではない。

夕張がそう納得するのだと――俺の気持ちを理解してくれるのだと、分かっていたからであった。

当然の結果だからであった。

 

「大和さんかぁ……」

 

夕張は壁に寄り掛かると、目を瞑った。

 

「しんどい相手か?」

 

そう訊いたのは、答え合わせの為であった。

だが、夕張も分かっているのであろう。

驚いたり、不安そうにしないあたり、こいつも――。

 

「……うん。貴方がそこまで言葉を濁すのは……そういう事だと思うから……。今まで以上に……不安になるわ……」

 

「その割には、いつもより余裕そうに見えるがな」

 

「だってそれは……」

 

夕張はじっと、俺を見つめた。

 

「……単純な奴だな」

 

「誰でもそうなると思うわ……。皆が、貴方と同じ夢を見たのだとはしゃいでいた気持ちが、今になって分かったのだもの……。分かってしまった事を……貴方に知ってもらえたのだもの……」

 

俺は思わず笑ってしまった。

夕張も、小さく笑った。

 

「もう寝ろ、馬鹿」

 

「うん」

 

去ろうとする俺を、夕張は呼び止めた。

 

「なんだよ?」

 

「あ……ううん……。その……おやすみなさい……って……」

 

「あぁ、おやすみ、夕張」

 

「おやすみ、提督」

 

俺の姿が見えなくなるまで、夕張はその場から動くことをしなかった。

 

 

 

部屋へと戻ると、一気に疲れが出て来て、そのまま布団へと倒れ込んだ。

 

「疲れるほど遊んだ訳ではないのだがな……」

 

精神的に……って感じだろうな。

気がかりなことがあまりにも多すぎて――。

特に……。

 

『普通……否定してもいいじゃない……。好きじゃないとか……嫌いだとか……。そうでなくても、なんとも思っていないだとか……。なのに……大和さんは……』

 

『……ごめんなさい』

 

大和……。

もし、お前が本当に俺の事を――そうだったとして、どうして俺は、こんなにも動揺しているのだろうか……。

心がざわつくのだろうか……。

 

「…………」

 

……いや、分かっている。

分かっているからこそ、俺は――。

 

「……明日の深夜には、この島を出るんだよな」

 

大和は明日、顔を見せてくれるのだろうか……。

仮に顔を見せてくれたとして、俺はどのように振る舞えば――あいつは、どんな表情を見せてくれるのだろうか――。

 

「ふわぁ……。なんか、急に眠気が……」

 

なんか……すげぇ眠い……。

というか、この感じ……どこかで……。

 

「……!」

 

俺は、飛び上がり、必死に起きようとした。

しかし――。

 

「くそ……!」

 

瞼が重くなって行く。

 

「……おい! 雪風……! いるんだろ……!?」

 

そう問い掛けた時、押し入れの襖が開き、雪風が顔を出した。

 

「やっぱりお前か……! 山城の時と一緒だ……! 今度は何をするつもりだ……!?」

 

半ばパニックになっている俺とは対照的に、雪風は冷静であった。

 

「大人しく寝てください。ほら、霞さんはぐっすりですよ」

 

雪風の後ろ――押し入れの中で、霞は眠っていた。

 

「お前……!」

 

「勘違いしないでください。雪風は、霞さんに頼まれただけです」

 

「霞に……?」

 

全身の力が抜けて行き、俺はとうとう床に倒れ込んでしまった。

 

「大人しく寝ていないからですよ……」

 

「そう言うのは……事前に……言え……ってんだよ……」

 

雪風は少し考えた後、手を広げながら「サプラーイズ」と言った。

流行ってんのか? それ……。

 

「なにが……サプライズ……だ……よ……」

 

意識が途切れる刹那――。

 

「先生……!」

 

最上の心配そうな顔が見えたのを最後に、俺の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

『ここは……』

 

気が付くと、どこかの家の縁側に座っていた。

そこから見える庭には彼岸花が咲いていて、花の傍には、日本語にそっくりな文字が書かれている墓標のようなものが刺さっていた。

そして――。

 

『……!』

 

風鈴の音。

最上と居る時に聴こえた、あの――。

 

『やっと来たのね』

 

振り返ると、柱に寄り掛かった霞が、退屈そうな表情で俺を見つめていた。

 

『状況は理解できているのかしら?』

 

そう言われ、ハッとする。

そうだ。

俺は、またしても雪風に……。

 

『……ある程度はな。ここはどこで、お前の目的が何なのかは全く分からないがな……』

 

『そ。それは上出来だわ』

 

霞は庭に出ると、花壇に水を撒き始めた。

 

『海で遊んでいる時、雪風から聞いたの。ヘイズのこと。曙や山城さんとの交流――それを可能にしたのは、雪風の力なんですって?』

 

海で遊んでいる時って……。

何がきっかけでそんな話を……。

 

『……あぁ、そうだ』

 

『雪風の感染量が多い事は知っていたのだけれど、まさか、その感染量をコントロール出来るだなんてね……』

 

『感染量をコントロール?』

 

『だって、そうじゃない。感染量が同じでなければ、同じ夢をみることは出来ないはず。雪風は……その……キス……をすることによって、感染量を上げているのでしょう? 雪風の感染量から考えて、あんたの感染量を曙や山城さんに合わせる事なんて、そんなに簡単に出来ないはずよ。そもそも、感染量がどれくらいだなんて、分からないはずじゃない。それなのに、どうして雪風は……』

 

霞は、考えるだけ無駄だと思ったのか、そこで言葉を切った。

 

『……理由は分からないが、とにかく、雪風に頼み込んで、俺をここに連れてきたと?』

 

『えぇ、そうよ』

 

なるほど……。

しかし、雪風の奴……。

こうなると分かっていて、霞にヘイズの事を話したな……。

霞に頼まれただけだと……?

ペテン師め……。

 

『ここにあんたを連れて来た理由だけど……。さっきの――食堂での会話、聴いていたんでしょ?』

 

やはりバレていたか……。

 

『あぁ……』

 

『話の中で出てきた夢っていうのが、ここの事なのよ……。尤も、ここまではっきりとした夢は初めてだから、少し驚いているのだけれど……』

 

驚いている……か……。

割と冷静に見えるがな……。

 

『あれか? なんか、最上が俺の弟子で、鈴谷が妻で……えーっと……なんだっけ?』

 

『……見ていれば分かるわ』

 

霞がそう言った瞬間であった。

 

「先生~?」

 

最上の声。

声に振り返った時、俺の体から、もう一人の俺が飛び出した。

 

『な……!?』

 

驚き、霞の方を見ると、霞もまた、二人になっていた。

 

「最上」

 

「遊びに来たよ、先生」

 

「遊びにって……。小説はどうした?」

 

「たまには息抜きしないと、やってられなくってさ。霞ちゃん、先生の新刊、もう買った?」

 

「えぇ、発売日にね。もう三回読んだわ」

 

唖然とする俺に、霞――夢の産物ではない方――が、冷静に説明してくれた。

 

『これは夢の産物ではないわ。私の中にある、誰かの記憶……とでも言うべきかしら?』

 

『誰かの記憶……?』

 

霞は、もう一人の霞の頭をひっぱたこうとした。

が、その手は体をすり抜けていった。

 

『干渉できないのよ。シンクロした夢の産物であれば、普通、干渉できるはずでしょう?』

 

そういえば、以前、似たような事が――。

 

『あ……』

 

明石だ。

明石と同じ夢を見た時、似たような事があった。

確かあの時も、俺の体から、もう一人の俺が出て来て……。

 

『私は、あんたの父親がこの島に来る以前から……具体的には、三十年くらい前から、この夢を見るようになったの……。夢の内容は、いつも同じで――尤も、ここまではっきりとしたものではなかったのだけれど――男の顔だけは、いつも曖昧だった……』

 

三十年くらい前……か……。

確か、雪風の心に変化が出始めたのも、それくらいの時期だったような……。

偶然か……?

 

『しばらくして、あんたの父親がこの島に来て、夢の男の顔も、あんたの父親そっくりに変わって――でも、段々と違和感を覚えるようになって――』

 

――いや、偶然ではないかもしれない。

雪風も、同じような事を言っていた。

夢の男の顔が、親父のようで――だが、結局は違うように思えて来て――。

 

『――やがて、親父が死んで、俺が来て……その男の顔は……』

 

俺は、もう一人の俺に目を向けた。

 

『俺と同じ顔になった……。それどころか、今まで見て来た男は、俺であったのだと確信した……。違うか……?』

 

霞は驚いた表情を見せていた。

 

『どうして……』

 

『似たような事を言われたことがあるんだ』

 

しかし……そうか……。

雪風と同じ……か……。

だとしたら、ますます信じるべきかどうか、悩むところだな……。

正直、雪風の話も、まだ完全に信じられてはいないと言うか、やはりただの夢に過ぎないと言うか――そう思ってしまっているところがあるしな……。

だが……。

 

『……なるほどな。それで? 夢ではこの後、俺は死ぬようだが?』

 

『……えぇ』

 

突如、風景が変わった。

どうやら、船に乗っているらしい。

 

「しかし、俺が提督とはな……」

 

「信じられませんか?」

 

白い制服に身を包んだ俺に話しかけているのは、大淀であった。

 

「あぁ……。だが、これが俺の運命だったのだろうと、受け入れるしかないよな……」

 

「売れない小説家よりも、よっぽど立派ですよ」

 

「フッ、慰めになっていないよ。だが、まあ、そうだよな……。【向こうの俺がそうだった】ようであるし、俺は元々、こっちの畑に就くべき存在だったのかもな……。そして、同じように――……」

 

大淀が悲しそうな表情を見せる。

だが――。

 

「そうならないように、私が此処にいるんでしょ……」

 

霞――少し大人な姿をした霞は、独り言のように、そう呟いた。

 

「フッ……そうだったな……。だが、人間と艦娘では勝手が違う。新たに誕生した艦娘とは違い、お前はもう人間なんだ。無理はするなよ」

 

「……うん」

 

再び場面が変わる。

先ほどまで乗っていた船は沈み、辺りには、深海棲艦のものと思われる死骸も浮かんでいて――。

それを傍で見ている霞は、泣いていた。

そして、祈りを捧げるように手を合わせると――。

 

「神様……。もし、生まれ変われるのなら……その時は――……」

 

海面から、どこか見覚えのある手帳のようなものが、浮かび上がって来た。

それを見つめていると、風景が徐々に遠くになって行き、やがて、辺りは真っ暗になった。

それでも、俺と霞の姿だけは、はっきりと見えている。

 

『……死んだのか? 夢の中の俺は……』

 

霞が頷く。

……なるほど。

 

『これと同じことが再び起きると?』

 

『えぇ……』

 

『どうしてそう言い切れる?』

 

霞は少し考えた後、小さく「分からない」と答えた。

 

『分からないってお前……』

 

『でも……そうなるってことだけは分かるの……。そして、それには、私が艦娘であり続ける必要があるって……』

 

『……夢と同じように、自分も戦えるからって事か?』

 

『いえ……。理由は分からないけれど、人化しても、艦娘と同じように戦うことが出来るみたい……。夢でも、霞が人化しているって言っていたでしょう?』

 

そういえば、そんなことを言っていたな……。

 

『私が人化しないのは……そもそも、この戦いを起こさせない為なの……』

 

『戦いを起こさせない為……?』

 

『深海棲艦……。どうしてそんなものが、存在するのか……。そして、どうして、それを唯一倒すことの出来る存在――艦娘が存在するのか……。あんたは考えたことがある……?』

 

『そりゃ、無いことは無いが……。戦後70年以上経っている今も、それは謎とされている訳で……』

 

『この夢――さっき見た夢の世界では、一応、その結論が出ているの……』

 

『……一応、話半分に聞いておこうか?』

 

霞は小さくため息をつくと、遠くに目を向けた。

その視線の先に、小さな光があって――それが近づいてくるにつれ、辺りは再び、最初に見た家の風景へと変わった。

 

「――艦娘が人間化して、この国に兵器は無くなりました。最近、世界情勢が悪化しているのは、そのせいかと思われます」

 

大淀が、俺――夢の中の俺と、少し大人びた霞に話しかけている。

 

「艦娘がいなくなったことで、均衡が崩れつつあるという訳か……」

 

「深海棲艦がいなくなったことで、世界中で結ばれていた協定や同盟は破棄され……復興の為の資源が不足していることから、全世界で資源確保による争いが目立ち始めてきました。このままでは、人類同士の戦争が起きるのやもしれません……」

 

「……それが、新たなる艦娘が現れたことと関係していると?」

 

新たなる艦娘が現れた……?

そういえば、さっきもそんな事……。

 

「えぇ……。以前もお話しした通り『戦いの記憶』の世界では、人間同士の争いがありました。そして、この世界は、艦娘が現れた事によって起きた、バタフライエフェクトによる『戦いの記憶』の別世界線ではないか、という事です。もし、その説が正しければ、この世界は【人間同士の戦いが起きようとした時、艦娘が現れる世界】だとも言えるのではないのでしょうか?」

 

俺の表情と、夢の俺の表情がリンクする。

いや、こんな顔にもなるって……。

その表情を読み取ったのか、大淀が続ける。

 

「私だって信じられません……。しかし、実際に艦娘がドロップされたのです。海軍は、再び深海棲艦が襲ってくる可能性が高いと踏んで、海での偵察を強化しています」

 

「最近報道されていた、この国が戦争の準備をしているとかいうのは、それが理由って訳ね……」

 

大淀が頷く。

 

「……で? どうしてそれをこいつに伝えたのよ?」

 

「……先生に、折り入ってお願いがあるのです」

 

「俺に?」

 

「もし、深海棲艦が現れることになった場合……先生に艦娘を率いて欲しいのです……」

 

「『「はぁ!?」』」

 

三人の声が響く。

尤も、大淀には二人の声しか聞こえていないのであろうが……。

 

「どうしてそうなるんだ!?」

 

「先生ほど、艦娘に愛されている人間はいませんし、海軍も、先生に注目しているんです」

 

「んなこと言ったってな……。俺はしがない小説家だし……。もっと適任というか、前回の戦争で艦娘を率いていた連中の方が……」

 

「そ、そうよ! 意味が分からないったら!」

 

「……詳しい理由は、今はお話しできません。しかし、これは運命なんです……! 貴方でなければいけないのです……! 雨野勉の――いえ【提督の素質】を継承しているであろう貴方でなければ……!」

 

「提督の……」

 

「素質……?」

 

再び辺りが暗くなる。

霞はじっと、俺を見つめていた。

 

『……話の内容は、ほとんど理解できなかったが……つまり、お前が人化しない理由ってのは、艦娘がいなくなることで人間同士の争いが起きそうになり、それが原因で艦娘と深海棲艦が生まれて――何故か俺が提督に抜擢され、死ぬ……ってのを防ぐためってか?』

 

頷く霞。

 

『……確かに、この夢の通りになる可能性はある。ああ、いや……俺が提督として艦娘を率いるかどうかの可能性は低いだろうが……。それにしたって、人間同士の争いが起きる時、再び艦娘と深海棲艦が現れるってのは……』

 

『私たちの世界でも、深海棲艦が現れる直前の世界情勢は、人間同士の大戦争に発展するのではないかと言われていたようだわ』

 

確かに、そんな話を聞いたことはあるが……。

 

『それに、夢の話でも出たけれど、今世界中で結ばれている協定や同盟は、艦娘が存在してこそのものばかりじゃない。艦娘は兵器よ……。戦争の道具に使う事も出来るし、深海棲艦に唯一対抗できる存在……。そんなものが存在している状態で、大規模な戦争を仕掛けることが出来ると思う?』

 

『だからと言って、艦娘がいなくなったから戦争します……ってのもおかしいだろ。それに、さっきの夢では、資源確保の為の争いと言っていたが、資源が不足していることも無ければ、世界情勢もある程度安定している。協定や同盟が無くとも、大規模な戦争に発展するほどの火種なんぞは……』

 

俺も霞も、分かっていた。

こんなのは、ただの方便であるのだと。

信じる為の理由の一つでしかないという事を。

 

『どんな理由であれ――現実がどうであれ、お前はそれを信じているのだな……』

 

『そして、あんたは信じられない……。そうでしょう……?』

 

俺は何も言わなかった。

 

『でも、それでいいわ。私がどうして島に残るのか……。それを知ってもらえただけでも――体験してもらえただけで、満足だわ』

 

『霞……』

 

『……本音を言えば、信じて欲しかったけどね。でも……そうよね……。信じたところで、あんたは――』

 

霞の声が、だんだん遠くなる。

 

『……時間のようね』

 

霞の姿もまた、曖昧になって行く。

 

『……ねぇ、最後に訊かせて』

 

『なんだ?』

 

『さっきの夢……。あの男は……あんただったわよね……?』

 

俺……ではないはずだが……。

しかし……。

 

『……姿はまんま俺だった。それに……あの風鈴の音は……』

 

『……そう』

 

霞が小さく笑う。

 

『やっぱり、あんたは――』

 

霞が近づく。

そして、俺にしゃがむようせがむと――。

 

『――……。ばーか……』

 

赤くなった霞の顔が見えたのを最後に、俺は――。

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、目の前に最上の顔があった。

 

「おはよう、先生」

 

「……何してんだ?」

 

「添い寝だよ。いい夢、見られた?」

 

いい夢……。

俺は起き上がり、辺りを見渡した。

霞や雪風の姿はない。

 

「はぁ……クソ……」

 

頭が重い。

 

「先生、大丈夫?」

 

「あ……? あぁ……。大丈夫だ……。それよりもお前、どうしてここに……?」

 

「あぁ……うん……。先生と一緒に眠ったら、ボクも夢を見られるのかなって思ってさ……」

 

夢……。

そういや、眠る直前、雪風と一緒に最上も……。

 

「……お前も知っていたんだな。雪風の事……夢の事を……」

 

「……うん。霞ちゃんや雪風から……」

 

雪風……余計なことを……。

 

「夢……見られたんだ……?」

 

「あぁ……」

 

正直、ただの夢であって欲しかったが……。

 

「お前は見られなかったのか?」

 

「うん……。人化したら、見られなくなるのかも……」

 

人化したら見られなくなる……か……。

 

「霞ちゃんから色々聞いているよ……。ボクと先生が、師弟関係な世界の夢――記憶、と言うべきなのかな……? そういうのを一緒に見たって……」

 

「記憶……」

 

「ボクもね? そんな感じの夢を見たことがあるんだ……。はっきりとは覚えていないんだけど……。でも、霞ちゃんが言ってたよ……。夢の中に出てくる『先生』は、雨宮君だって……。ボクも……そう思っている……。あ、でも、雨宮君自身の事ではなくて、もう一人の雨宮君というか……」

 

どう説明したらいいのか、最上は悩んでいるようであった。

 

「……お前も信じているのか? あの夢の世界で起きる事が、この世界でも起きると……」

 

頷く最上。

マジかよ……。

 

「でも、ボクは霞ちゃんほど信じてはいないんだ……。先生が死んじゃったら嫌だなって思っているだけで……。不安から――心配からくることであって……」

 

最上から見ても、霞の心配は異常なのかもしれないな……。

いや、最上の心配も、俺からしたら――。

 

「俺は全く信じていない。確かに夢は鮮明であったし、艦娘がいなくなれば、世界の情勢に変化はあると思う。しかし、それがきっかけで深海棲艦が現れたり、俺が提督になるってのは、ちょっとというか、かなり無理がある。そもそも、なんだってそんなタイミングで深海棲艦が現れるんだ……」

 

いや、それもどうだっていい……。

 

「とにかく、霞の抱えている問題は分かった。分かっただけに、厄介だ……」

 

「そうかもね……。でも、こうも考えられないかな?」

 

「あ?」

 

「人化へのヒントが得られたって……。問題さえ解決してしまえば、霞ちゃんは人化するって……」

 

まあ、そうなのかもしれないが……。

 

「解決できる気がせん……。夢での出来事はありえないことなのだと、証明する手立てがないからな……。悪魔の証明ってやつだ……」

 

「それでも、霞ちゃんは先生に夢を見せた……。信じて欲しいって、ただ知って欲しいって気持ちもあったのだろうけれど……。ボクには、先生に問題を解決してほしいから、夢を見せたようにも思えたよ」

 

とてもじゃないが、そんな感じには見えなかったがな……。

 

「しかしお前、そんな事言っていいのか? 霞の味方じゃなかったのか?」

 

最上は少し考えた後、どこか呆れたような表情で、答えた。

 

「霞ちゃんの言う事――夢での出来事が起きるかもしれないって……そういう不安はあるよ……。そうなって欲しくないし、霞ちゃんを信じて、協力したいって気持ちも無くはない……。でもね――自分でも呆れちゃうんだけどさ――先生はそんな事にはならないと、思っちゃう自分もいるんだよね」

 

「そう思いたいだけなのかもしれないけど」と、最上は付け加えた。

 

「どっちに転ぶかは分からないけれど……ボクは先生を信じてみたかったんだ。だから、雪風を止めなかったし、先生に味方するような事を言っているのかも……」

 

自分でもよく分かっていないって感じか……。

 

「けど、それ以上に……」

 

最上が俺をじっと見つめる。

 

「先生……」

 

その時、あの風鈴の音が聴こえて来て――。

 

「……もう少し、眠るとするかな」

 

そう言って寝転がり、目を瞑る。

最上は躊躇っていたようだが、やがてゆっくりと顔を近づけ――だが、唇が触れそうになる直前で、動きを止めた。

そして離れると、俺の演技に応えるよう、声を小さくして言った。

 

「ボクは『あの最上』とは違う。だから、キスはしない。あの時みたいに、先生を諦めたくはないから……」

 

そう言うと、最上は部屋を出て行ってしまった。

 

「あの時みたいに……か……」

 

どうやら俺もまた、あの夢に――。

 

 

 

食堂へ向かうと、皆は既に集まっていた。

一瞬、霞と目が合うが、すぐに逸らされてしまった。

 

「しれえ、おはようございます。いい夢見られましたか?」

 

平然と挨拶する雪風。

 

「てめぇ……」

 

「おや、どうやら寝起きで機嫌が悪いみたいですね」

 

そう言って、雪風はほくそ笑みながら、俺から離れていった。

 

「ったく……」

 

今度は最上と目があう。

が、小さく微笑みを返すのみであった。

 

「提督」

 

夕張に呼ばれ、振り返ると――。

 

「大和……」

 

夕張と大和が、二人並んで座っていた。

正面には、俺のと思わしき朝食が置かれている。

 

「おはよう、提督」

 

「……おう、おはよう」

 

大和に目を向ける。

 

「……おはようございます、提督」

 

目を合わせることなく、挨拶する大和。

そんな大和に、夕張は優しい目を向けていた。

こいつ……。

 

「皆さん集まりましたね」

 

大淀の声に、顔を上げる大和。

一瞬、目が合うが、すぐに逸らされてしまった。

 

「今日は最終日です。深夜には出発となりますので、清掃や荷物整理を忘れずにお願いいたします」

 

最終日か……。

あっという間だったな……。

つーか、島にいるよりも、船での移動時間や、上陸までの手続き・検査にばかり時間を取られていたような……。

 

「では、いただきます!」

 

 

 

朝食を摂っている間、夕張はやたらと大和に話を振っていた。

 

「――もし大和さんさえよかったら、後で海に行きませんか? 撮影も、昨日である程度終わったみたいなので、撮られることもないですよ」

 

「そう……ですね……。えぇ、行きましょう」

 

「提督も来るわよね?」

 

「「え?」」

 

声を漏らしたのは、俺と大和であった。

 

「い、いや……俺は……」

 

大和に目を向ける。

どんな表情かは分からないが、様子を窺うように、俺をじっと見つめていた。

 

「……お前ら二人で遊んで来いよ。俺は、色々とやらなきゃいけないことが――」

「――来て……下さらないのですか……?」

 

言葉を重ねる大和。

その言葉に、俺は――。

 

「駄目です!」

 

そう言ったのは、朝潮であった。

 

「司令官には、編集を見ていただかないと! 素材撮りもあるんです!」

 

「そ、素材撮り?」

 

「編集で使う写真とか、音声とか、そういうやつよ。本土でやってもいいけど、編集をやってみたいんですって」

 

何度も頷く朝潮。

敷波も同じなのか、じっと、大和と同じような視線を俺に送っている。

 

「そ、そうなのか……。分かったよ」

 

俺は、恐る恐る、夕張と大和に視線を向けた。

大和は寂しそうに微笑み、夕張はムッとした表情を見せていた。

 

 

 

朝食を済ませた後、俺は夕張を呼び止めた。

 

「なによ?」

 

「お前、どういうつもりだよ……?」

 

俺の質問に、夕張は小さくため息をついて見せた。

 

「……私なりに色々考えたのよ。貴方と大和さん……とってもお似合いだと思う……。だからこそ、不安になるし、近づけさせたくないって思った……」

 

「だったら……」

 

「でも、大和さんが島を出る決意を持つきっかけとして、貴方を想う気持ちは利用できると思ったし、そうする為には、貴方が大和さんに向き合う必要もあった……。貴方だって、大和さんの恋心を利用できると、一度は考えたんじゃないのかしら……?」

 

俺はあえて返事をしなかった。

――いや、出来なかった。

 

「でも、そんな酷い事、貴方には出来ないわ……。いえ……そうでなくても、貴方はきっと、大和さんから逃げてしまうはず……。それほどまでに、貴方は――……」

 

「……だから、背中を押してくれたと? しかし、なんだってそんな事を……。お前にとっては、不利なことじゃ……」

 

「そうかもしれないわね……」

 

「そうかもしれないわねって……」

 

「でも、仮に貴方が大和さんの気持ちに向き合ったとしても……島に残る艦娘を見捨てることはしないはず……」

 

「!」

 

「私は……貴方が言ってくれたことを……ずっと信じている……。信じているからこそ、私は……」

 

夕張は俯くと、何かを堪えるよう、こぶしを強く握った。

 

「……お前が信じている俺の言葉が何なのかは分からないが、無理はするな」

 

「無理はするわ……。それほどまでに、貴方の言葉は……」

 

俺の……言葉……。

 

「一体……俺はどんな呪いを、お前にかけてしまったんだ……?」

 

夕張はゆっくりと顔を上げると、俺の目をじっと見つめながら、言った。

 

「覚えてない……? 貴方が武蔵さんに勝って……明石には、私が必要なくなって……」

 

『ほら、明石ももう一人で大丈夫そうだし、いつまでも一緒に居るのは違うかなって……』

 

「……あぁ、覚えているよ。お前がお前自身の為にどうしたいのか、悩んでいた時だな……」

 

「それを見つけるまでに、皆が島を出て行ってしまうかもって言った私に……提督はなんて答えてくれた……?」

 

俺の答え……か……。

確か……。

 

『……見つかる前に、皆島を出て行ってしまうかもしれないわね。提督、そんな勢いを持っているし……』

 

『フッ、かもな。でもまあ、その時はその時だ。例えこの島の艦娘がお前だけになっても、見つかるまでずっと一緒に探してやるから、安心しろ』

 

俺はハッとした。

それに気が付いたのか、夕張が小さく頷く。

 

「……そういうことか」

 

「その言葉に……偽りはないはず……。それは、今も変わらない……。そうでしょう……?」

 

その通りだ……。

しかし……それにしたって……。

 

「私は……最後の艦娘として、貴方と共にこの島に残る……。だからこそ……よ……」

 

記憶の中にある、夕張に対する疑念や疑問――点々としていたものが、一本の線で繋がり、やがて俺の心に突き刺さった。

そうか……。

いつだったか、不安がっていた夕張が、急に立ち直った時――。

あの時――あの時も――あの時だって――。

いつだってこいつは――不安になって、それが揺らいだ時もあっただろうが――こうして、今日まで――。

大和を俺に近づけようとしたのも――。

 

「……ずっと、信じてきたと言うのか?」

 

夕張が頷く。

俺は、よく分からない感情に支配されていた。

恐れだとか、憐憫の情だとか――そういったものではない。

だが、それらに限りなく近い感情……。

 

「司令官、マイクテストするから、早く来てよ」

 

敷波の呼びかけに、我に返る。

 

「お、おう……。今行くよ……」

 

俺は再び、夕張に目を向けた。

夕張の表情は、どこか穏やかであった。

 

「やっと、貴方の心を動かせたわ……」

 

そう言うと、夕張は小さく笑い、そのまま食堂を後にした。

残された俺は、敷波に尻をひっぱたかれるまで、その場を動くことが出来なかった。

 

 

 

素材撮りは、膨大の量であり、同じくらい膨大なリテイクに見舞われたが、色々なことがあって混乱している俺にとっては、却って有意義なものであった。

 

「うーん……。この演出に、さっきのような素材が欲しいのですが……」

 

「それなら、ネットに落ちていたものが使えそうね。確か、ライセンスフリーだし、使えたはずよ」

 

「ライセンスフリー?」

 

「えっとね?」

 

朝潮は、演出に強いこだわりがあるようで、それを実現出来る編集や、素材や演出の手本などが落ちているインターネットに、興味津々のようであった。

一方の敷波も――。

 

「ねぇねぇ青葉。この作業ってさ、もっと効率よくできないかな? 何度も何度もやることだし……」

 

「そうですねぇ……。じゃあ、一連の動作をショートカットキーに登録して、自動化させましょうか」

 

「え!? そんな事出来るの!?」

 

「えぇ! それだけではなく、こういう拡張ガジェットもあってですねぇ……」

 

敷波は敷波で、編集が楽しくて仕方が無いようであった。

 

「本当、こんなことが出来ちゃうなんて、凄いなぁ……。ねぇ、司令官。アタシたちも、パソコンとか、編集ソフトとかって……」

 

まるでおねだりするかのように、敷波は上目遣いで俺を見つめた。

朝潮も、同じように……。

 

「それは難しいわね……」

 

俺の代わりに答えたのは、大井であった。

 

「この編集ソフトは、ネットに繋がっていないと使えないの。あの島にはネット環境が無いし、仮に環境を整えたとしても、艦娘である貴女たちにネットへのアクセス許可が出るとは思えないわ」

 

確かに、言われてみれば……。

 

「そっか……」

 

「どういう編集をして欲しいか伝えてくれたら、私たちが何とかするわ。だから、しっかり素材だけは撮っておきなさいな」

 

「はい……」

 

「うん……」

 

二隻のガッカリする表情とは裏腹に、大井と青葉の表情は、どこか――。

 

 

 

結局、編集が終わり、動画が完成したのは、夜中の事であった。

その動画を、夕食を食べながら、皆で見ることになった。

 

「わぁ……! 凄い……!」

 

「あはははは!」

 

反応は上々のようで、皆、食事を摂る手が止まっていた。

 

「良く出来ているよ。演出も凄いし、編集も凝っている。まるで人気番組を見ているみたいだ」

 

そう言ってやると、朝潮も敷波も、少し照れくさそうにしていた。

本人たちも出来に満足しているようで、上映会が終わった後も、二隻して何度も何度も動画をリピート再生していた。

 

 

 

片付けを済ませ、施設の無人化を済ませた頃、船が静かに俺たちを迎えに来た。

 

「大井達とは、ここでお別れのようだ」

 

そう言ってやると、皆、別れを惜しむかのように、三人を囲っていた。

 

「山城さん、元気でね」

 

「えぇ……。貴女もね……。最上……」

 

山城は珍しく、どこか寂しそうな表情を見せていた。

 

「司令官」

 

青葉と大井は、皆から少し離れた場所で、俺に話しかけた。

 

「おう。二人とも、色々とありがとうな」

 

「いいのよ。それよりも……」

 

大井は朝潮と敷波に視線を向けると、小さく言った。

 

「あの二人に、発破をかけておいたから。しっかりやりなさいよ」

 

「え?」

 

「編集の件ですよ。ネットが無くても使える編集ソフトは、一応あるんです。でもまあ、今回使っている編集ソフトや素材は、ネットがないと使えないから、嘘ではないんですけどね」

 

なるほど……。

 

「色々と考えてくれていたんだな」

 

「でも、島を出るだとか、私たちについていきたいだとか、そこまでには至らなかったわ」

 

「あとは司令官次第、ですね」

 

そう言うと、大井と青葉は、俺の胸に軽く拳を突いた。

 

「大井……青葉……。ありがとう……」

 

何故だか、泣きそうになっている自分がいた。

色々あって、一人で戦っている気になっていたものだから、安心しちゃったんだろうな……。

 

「先生」

 

「最上……」

 

「ボクも……何か力になれないか、色々考えてみるよ。だから……その……」

 

不安そうな表情を見せる最上。

最上が何を考えているのか、俺には分かっていた。

 

「……お前にも、色々と助けてもらったな。これからも、力になってくれ」

 

そう言ってやると、最上は目に涙を溜めて、元気よく「うん!」と返事をした。

 

 

 

最上たちに別れを告げ、船へと乗り込む。

月明りに照らされた島は、不気味なほど静かで、別れを惜しむ艦娘達も、どこか静かであった。

そんな中――。

 

「寂しいか?」

 

大和は少し驚いた後、小さく頷いた。

 

「きっと、これが最後になるだろうなと思いまして……」

 

どうしてそう思ったのか、俺は訊くことが出来なかった。

 

「いつも……これが最後かもって思いながら、島を後にしていました……。でも……結局は戻ってきちゃって……。だけど、思うんです……。今回ばかりは、本当の本当に、そうなるだろうなって……」

 

大和はもう一度、島に目を向けた。

船はゆっくりと、島から離れて行く。

 

「なに、また来られるさ。人化しようともな」

 

揶揄うように言ったつもりであったが、大和は首を横に振った。

 

「いえ、もういいんです。あそこには、ちょっとした思い出しかありませんから」

 

「ちょっとした思い出って……。佐伯さんが聞いたら泣くぞ?」

 

「そうかもしれませんね。でも、それ以上の思い出が、ここにはありますから……」

 

そう言うと、大和は俺をじっと見つめた。

その表情に、思わずドキッとしてしまう。

 

「……なんて。大和にこんなこと言わせたんですから、ちゃんと応えてくださいね。提督」

 

白い歯を見せ、ニコッと笑う彼女に、俺は――。

 

 

 

船での長旅を終え、島に戻ると――。

 

「なんじゃこりゃ!?」

 

なんと、寮までの道が、アスファルトで舗装されていた。

それだけではなく――。

 

「提督! 丘の上を見て!」

 

丘の上……。

視線を向け、ようやく気付く。

 

「風力発電機が無くなっている……」

 

 

 

寮へと向かうと、内装だけではなく、あらゆるものが新品、もしくは原型も残らないほどの補修が施されていた。

 

「なんか……別の島に来たみてぇだな……」

 

ここまでの改修は、ここ数十年でも無かったことだろう。

ここまで変わっちまうと、長年親しんできた艦娘達の反応は……。

 

「すっごく綺麗になってるー!」

 

「畳も張り替えられているし、布団とかも新しくなっているわ!」

 

「大浴場も変わっていますよ! 綺麗なタイル張りになっています!」

 

……思い出よりも、利便性か。

 

 

 

家の方は、特に大きく変わりはなかった。

 

『そうか。反応は上々か』

 

電話口の上官は、満足そうであった。

 

「えぇ。しかし、たった一週間でよくここまでやりましたね」

 

『人海戦術さ。君たちが島を出た後、すぐに取り掛かったんだ。作業員はおよそ50名。24時間、交替制で作業していたよ』

 

すげぇな……。

 

「しかし、どうしてこんなに大規模な工事を? 老朽化を是正するにしては、あまりにも……」

 

『あぁ、それは、君の活躍の賜物だろうね』

 

「私の?」

 

『このまま順調に進めば、すべての艦娘が人化するのも、そう遠くはないだろう。海軍としては、艦娘が去った後の寮を、将来的に資料館のようなものとして利用していこうと考えているんだ。そうなった時、老朽化の進んだ寮に艦娘を住まわせていたと知られてしまえば、どうなることか……』

 

そういうことか……。

 

『君としては、あまり面白くない話かもしれないがね』

 

「いえ……。艦娘達も喜んでいることですし、結果的に良かったかと……。不満があるとすれば、私に一言も報告が無かった事です」

 

俺がそう言うと、上官は少しの間を置いた後「サプラーイズ」と言った。

……それ、マジで流行ってんのか?

 

 

 

島に戻ってからの数日間は、いたって平和であった。

大和も夕張も、大和島での事なんてなかったかのように、いつも通り振る舞っている。

変化があるとすれば――。

 

「司令官!」

 

「朝潮。どうした?」

 

「どうしたもこうしたもありません! 動画を拝見しましたが……どういうことですか!?」

 

「どういうこと……ってのは?」

 

「編集です! 私が指示した編集になっていませんし、素材だって、あんなに撮ったのに使われていません!」

 

島から戻って来てから、何本か動画を撮影し、本部へ送った。

素材撮りや、編集の指示に至るまで、朝潮と敷波は、こと細かく本部へ伝えた。

が、何故か要望通りの動画が送られてくることは無かった。

 

「そうなのか?」

 

「そうなのかって……。あんなにたくさん素材撮りしたじゃないですか! 動画を見ていないのですか!?」

 

「見たけど、悪くないじゃないか」

 

「そうかもしれませんが……。もっと良くなるはずなんです! おかしいです……。大井さんと青葉さんだったら、あんな編集はしないはずです……。私の指示、本当に伝わっているのですか!?」

 

 

 

『大井たちの指示で、君たちには別に編集した動画を見せているんだ』

 

電話口の上官は、平然とそう言った。

 

「……やはりそうでしたか」

 

『ほう、気が付いていたのかね』

 

「えぇ。大井の考えそうなことです。わざと朝潮の要望を無視し、憤りを感じた朝潮は、自らが編集するべく、島を出る決意をする……というのが、彼女たちの考えるシナリオでしょう」

 

上官は大いに笑って見せた。

 

『いや、失礼……。大井たちも同じことを言っていたよ。君ならそうするだろうと……。全く……。大した信頼だよ』

 

「……しかし、いつまでも通用するとは思っていません。動画撮影だって、今はやる気に満ち溢れていますが、今後、編集のクオリティーが低い状態が続けば、呆れてやらなくなる可能性もあります」

 

『なるほど……』

 

「要望通りに編集した動画も、時々送ってください。無視し続けると、却って怪しまれますから」

 

『分かった。大井達にはそう説明しておく。では、また』

 

電話を切り、振り返ると、敷波が俺をじっと見つめていた。

 

「うぉ!?」

 

「……司令官」

 

「し、敷波……」

 

今の話、聞かれていたか……?

 

「はぁ……なるほどねぇ……」

 

「うっ……」

 

「ま、そんな事だろうとは思ってたけど……」

 

「え?」

 

「だって、おかしいじゃん。大井さんや青葉が、あんな編集する訳ないし……。それに、朝潮ちゃんの不満を、司令官があんな簡単に流す訳ないじゃん。もっと抗議していいはずでしょ?」

 

らしくないよ、と、敷波はため息をついて見せた。

 

「……随分と信頼してくれているんだな」

 

「そうじゃなかったら、こうして司令官の前に現れませんよーだ」

 

そう言うと、敷波はそっぽを向いてしまった。

 

「そうか……。すまんな。お前には一言、言っておくべきだったな」

 

「…………」

 

「お前を信用していない訳じゃない。ただ……」

 

「……分かっているよ。それが、司令官の仕事だもん……。仕方ないよ……」

 

俺は、何も言えなかった。

 

「……司令官はさ、アタシに、島を出て行って欲しいって……思っている……?」

 

「……あぁ、思っている。その為に、色々やって来たからな……」

 

俺はあえて、本音でぶつかった。

そうすることを、敷波も望んでいたであろうから……。

 

「だがそれは、お前だけに言えることではない。それだけは分かって欲しい……」

 

それが慰めの言葉でないことは、敷波も分かっているはずだ。

だからこそ、微笑みを見せてくれていた。

 

「やっと、本音を言ってくれたね……」

 

「…………」

 

「アタシさ……前に言ったじゃん? 島を出るなら、司令官と一緒がいいって……」

 

「俺の事が好きだって、言ってくれた時だな。それと、キスした時だな」

 

「ふ、普通に、散歩した時、でいいじゃん! なんでわざわざ……」

 

「はは、悪い悪い」

 

「もう……」

 

敷波は頬を膨らますと――だが、すぐに、少し悲しそうな表情を見せた。

 

「あの時……司令官と一緒に島を出たいと言ったのは……司令官が心配だったからなんだ……」

 

「俺が……?」

 

「もし……司令官が……佐久間さんみたいになったら……」

 

『アタシはあの時、『司令官』と一緒に、島を出ることが出来なかったから……』

 

あれは、そういうことだったのか……。

 

「でも……司令官は司令官で……佐久間さんとは違うって分かったから……」

 

「お前も、俺をしぶとい人間だと?」

 

「みんな言っているよ。不死鳥みたいだって」

 

ゴキブリでないだけ良かったぜ。

いや、或いは気を遣われているのかもしれないが……。

 

「アタシ、島を出るよ。もちろん、朝潮ちゃんも連れてく」

 

「敷波……」

 

「そんな顔しないでよ。アタシを島から出したいんじゃなかったの?」

 

「……出したかったさ。仕事としてはな……」

 

そう言ってやると、敷波は俯いてしまった。

 

「ズルいよ……。なんでそんなこと言うのさ……」

 

「悪い……。でも……言いたくもなるさ……。なんせお前は、初めて俺を真っすぐ見てくれた艦娘だからな。親父と違うって言ってくれた時、俺は、本当に――」

 

似たような事を言ってくれた奴はいたが、はっきりと言ってくれたのは、敷波が初めてだった。

――だったよな?

 

「……そんな事言われたら、島を出たくなくなっちゃうじゃん」

 

その言葉が、何かの前置きであることは分かっていた。

だからこそ、俺は言葉を待った。

 

「アタシを島から出したいなら……それなりの理由が必要だと思う……」

 

「……どうすればいい?」

 

「……アタシに、恋させて? 司令官が……貴方が好きだから……同じ時間を生きたいと……アタシに思わせて……?」

 

「……いいのか?」

 

それが、なんの確認なのかは、敷波も分かっていたはずだ。

それでも敷波は、誓うように言った。

 

「それが例え叶わない恋だとしても――朧ちゃん達がそうだったように――アタシは……」

 

敷波が目を瞑る。

俺はそっと、その小さな唇にキスをした。

もう二度と、同じことが起きないことは、お互いに分かっていた。

だからこそ、永く――そして――。

 

「――……」

 

敷波は恥ずかしそうに、口から伸びた糸を拭った。

 

「大胆だな」

 

「……押し負けたけどね」

 

そう言って、俺たちは小さく笑った。

そうすることが本当の誓いであったことは、お互いに分かっていた。

 

 

 

その後、敷波は、島を出るよう、朝潮を説得してくれた。

朝潮自身も、今すぐ島を出て、編集に文句を言いたかったようで――。

 

「じゃあ……」

 

「でも……霞の事が心配で……」

 

やはり、そうなるか……。

敷波が俺を見る。

霞の問題を解決してやれたらいいのだが、望月の時と違い、何か解決策があるわけでも無いし、何よりも、あまり時間がない……。

上官に言った通り、時々、要望通りの動画を送ってもらったとしても、おそらく朝潮は……。

 

「私の事は気にしなくていいわよ……」

 

「霞……!」

 

どこで聴いていたのか、霞はひょこっと現れると、退屈そうに朝潮を見つめた。

 

「姉さん……私の事が心配で島に残っていたって言っているけど……本当は、自分が何をやりたいのか、分かっていなかっただけなんじゃない?」

 

「え……?」

 

「戦争が終わって、やりたいことも無く、やれることも無くなって――他の艦娘達はみんな、やりたいこと、やるべきことを見つけていったのに、姉さんだけは、何がしたいのかよく分かっていなくて……」

 

「…………」

 

「私が心配だなんて……そんなのは、この島に残る為の言い訳であり、何も見つけられない自分を隠す為の言い訳でしかない……。違う……?」

 

反論しようとした敷波を、俺は止めた。

朝潮は、完全に否定できないようで、ただ俯くだけであった。

 

「……それでも、私が心配をかけているのは事実だし、そういう言い訳が通るだけのことを、私が姉さんにしてきたことは自覚しているわ。ごめんなさい……」

 

「霞……」

 

「でも、もう大丈夫。私は、司令官と上手くやっているし、心配する役は、司令官に任せてもいいはずよ」

 

霞は、俺に笑顔を見せてくれた。

だがそれは、朝潮を島から出す為の笑顔であることは、分かっていた。

分かってはいたが、俺は――。

 

「……あぁ、そうだな」

 

そう言うしか、なかった。

 

「姉さんは気が付いていないようだけど、動画を撮り始めてから、私と一緒に居る時間は短くなっていたわ。心配しているのなら、そうはならないはず……そうでしょう?」

 

「そ、それは……」

 

「それくらい、夢中になれることを見つけたってこと……。私は、今の姉さんの方が好きなの……。もっと、自分の為に生きて欲しい……」

 

「霞……」

 

「だから……」

 

霞が涙する。

この涙は偽りではないようであった。

 

「だから、行って……。姉さんが本当にやりたいことで……この人を……司令官を助けてあげて……」

 

忠犬朝潮。

そう呼ばれる朝潮にとって、誰かの為になることを実行せよという霞の言葉は、霞が思う以上に刺さった事だろうと思う。

それを証明するかのように、朝潮の目からは、大粒の涙が溢れ出していた。

 

「姉さん……」

 

「霞……」

 

抱き合う二隻。

だが、お互いの心にある晴れやかなる気持ちには、どこか温度差があるように感じた。

いや……そう思うのは、きっと――。

 

 

 

結局、朝潮が島を出る決意をするのには、数日かかった。

というのも……。

 

「いいですか? 司令官。この時の霞の表情は、機嫌が悪い時とは違ってですね?」

 

朝潮は、霞の全てを俺に伝えるべく、ここ数日、写真等を用いながら、霞についてレクチャーしていた。

 

「ね、姉さん……もうその辺でいいでしょ……?」

 

「駄目よ! 司令官に霞を任せる以上、完璧になってもらわないといけないわ! そうでなければ、安心して島を出られません!」

 

なーにが「霞を心配する気持ちは、ただの言い訳でしかない」だよ……。

すげぇ心配してんじゃねーかよ……。

 

「では司令官! この時の霞の気持ちを答えてください!」

 

「……呆れて物も言えない表情。今、霞がしている表情だ……」

 

「正解です!」

 

嬉しそうにする朝潮に、霞は「逆に怖いと思っている時の顔」を見せていた。

そして、俺が霞の表情を全て把握した頃、ようやく朝潮は島を出ることを決意してくれたのだった。

 

 

 

例の如く、早朝に船が到着し、俺たちは寝惚け眼を擦りながら、泊地へと向かった。

 

「姉さん、これ」

 

霞は、朝潮に弁当を渡した。

 

「朝食よ。船の中で食べて」

 

「霞……。ありがとう。料理、出来るようになったのね」

 

「教えて貰ったのよ……。司令官に……」

 

「その俺も、大和に教わったのだがな」

 

そう言って、俺は敷波に弁当を渡してやった。

 

「司令官……ありがとう……。大切に食べるね……」

 

「フッ、何も今生の別れじゃないんだ。人化したら、また作ってやるよ」

 

「司令官……。うん! 約束だよ!」

 

やがて、泊地に着くと、いつもの如く、天音上官が歩み寄って来た。

上官……すっかり定着したな……。

いつもの挨拶を済ませると、二隻はもう一度、俺に向き合った。

 

「「司令官……」」

 

「……悪いな、同行できなくて。だが、向こうで大井と青葉が待っているらしいから、安心してくれ」

 

「はい!」

 

元気よく返事をする朝潮と違って、敷波は――。

 

「敷波」

 

「な、なに?」

 

俺は、敷波にしか聞こえないよう、耳元である言葉をささやいた。

 

「な……!? なんてこと言うのさ……!?」

 

「お前が言ったのだろう? 恋させてほしいと」

 

「だ、だからって……! うぅぅ……。こんなの……モヤモヤしちゃうじゃん……。早く……人化したくなっちゃうじゃん……」

 

そういうと、敷波は顔を真っ赤にさせ、自分の唇をそっとなぞっていた。

その光景を白い目で見ていたのは、天音上官であった。

 

「雨宮……お前……」

 

「……さぁ! 早く行かないと、別れ惜しくなってしまうぞ。そら、乗った乗った!」

 

半ば強引に、敷波と朝潮を船に乗せる。

船が動き出そうとした、その時であった。

 

「明石さん!」

 

朝潮が叫ぶ。

 

「撮影! よろしくお願いします! 教えたような素材撮りとか、ナレーションとか、それから――」

 

「わ、分かった分かった! 分かったから! 危ないから、早く船の中に!」

 

そういえば、明石も明石で、朝潮に色々とレクチャーを受けていたな……。

あれはこういう事であったのか……。

 

「司令官ー!」

 

敷波が手を振る。

 

「また会おうな! 敷波!」

 

「うん! 大好きだよー! 司令官ー!」

 

今度は顔を赤くさせず、とびきりの笑顔で言う敷波。

さっきの一言は余計だったか。

 

「提督、さっき、敷波さんに何を言ったのですか?」

 

「ん? さぁな」

 

「きっと、えっちなことです! 敷波ちゃん、とってもえっちな顔してました!」

 

雪風の言葉に、皆、少し引き気味な表情を見せていた。

 

「雪風……てめぇ……ぶっ飛ばすぞ……」

 

と、怒ってはみたものの、案外えっちだったのかもしれないと、少しだけ反省した。

 

 

 

二隻が人化したのは、その翌日の事であった。

 

「朝潮も、無事に人化そうだ」

 

「そう……。っていうか……」

 

霞は、カメラを向けている明石を睨み付けた。

 

「あ、霞ちゃんが怒ってまーす」

 

「別に怒っていないけど……。私なんか撮ったって面白くないわ……」

 

「えー? でも、朝潮ちゃんから、霞ちゃんをたくさん撮ってって言われているの。だから、協力して!」

 

「……まあ、そういうことなら」

 

霞はしぶしぶ、明石の撮影に付き合ってやっていた。

 

「残り7隻ですか」

 

大淀はアイスコーヒーを手渡すと、隣に座った。

 

「ありがとう。まあ実質、残り5隻とも言えるかもしれないな」

 

「残り5隻……ですか? 大和さん、霞さん、雪風さん、山城さん……後はどなたです?」

 

「夕張だよ」

 

「夕張さん? どうしてです? それこそ、先に挙げた4隻が島を出たら、みんなと一緒に島を出て行くのでは?」

 

『私は……最後の艦娘として、貴方と共にこの島に残る……。だからこそ……よ……』

 

「……どうだろうな」

 

含みのある言い方であったが、大淀は深く追求することはしなかった。

 

「いずれにせよ、霞さんと山城さんは大変そうですね」

 

「そうだな……」

 

そして……。

 

「お前もな、大淀」

 

俺は、あえて大淀の顔を確認しなかった。

大淀はただ小さく「えぇ」と答えるのみであった。

 

 

 

家へ戻り、報告書をまとめながら、今後の事を考えていた。

大淀の言う通り、霞や山城を攻略することは、困難を極めるだろう。

特に霞は、夢の世界を否定しなければいけないし、そうでなくても、別ベクトルからの攻略が思いつかない。

朝潮に付いていかせる手も、通用しなかったしな……。

 

「うーん……」

 

ふと、一冊の手帳が目に入った。

 

「ん? なんだっけこりゃ……?」

 

それは、いつだったか海辺で拾った、漂流物の手帳であった。

 

「あぁ、あれか……」

 

何と無しに、手帳を眺める。

 

「……なんかこれ、どっかで見たような」

 

ペラペラとページをめくってみる。

相変わらず、何が書いてあるのか分からない。

日本語にそっくりな文字であるようだが……。

 

「……日本語にそっくりな文字」

 

その時、何処からか、あの風鈴の音が聴こえてきた。

俺は真っ先に最上を思ったが、それと同時に――。

 

「――……」

 

大和島で見た夢の世界――。

確か、あの時――墓標のようなものに書かれていた文字も――。

 

「あの文字にそっくりだ……」

 

それだけじゃない。

 

「この手帳……確か……」

 

船が沈み、海上で祈る霞の傍で、海面に浮かんできた――。

 

「……あの手帳だ。これは、あの……!」

 

驚きと同時に、俺は深くため息をついた。

 

「……んなわけあるかーい」

 

そう言って、手帳を放る。

おそらく、あの夢に出てきた文字や手帳は、俺の記憶を基に創られた、夢の産物なのだろう。

 

「だとしたら、やはりあの夢は、ただの夢か……?」

 

霞の言う通り、誰かの夢であるというのなら、俺の記憶を基にした手帳や文字が出てくるのはおかしいもんな。

霞も『夢の内容は、いつも同じで――尤も、ここまではっきりとしたものではなかったのだけれど――』と言っていたし、俺が夢に入ったことで、より一層夢がリアルになったというだけなのだろう。

 

「……けど、最上も同じような夢を見ていたんだよな」

 

いや……ただの勘違いだろう。

もしくは、夢を見ていたのだと錯覚したか……。

そもそも、夢の内容なんぞ、覚えている方がおかしいんだ。

覚えていたとしても、それは曖昧だろうし、霞の話を聞いて、影響を受けてしまっただけなのだろう。

 

「…………」

 

でも……。

 

「あの風鈴の音だけは……」

 

あれもおそらく、夢の産物であるはずなのだろうが、俺は何故か、それを信じられることが出来ずにいた。

 

「…………」

 

手帳を拾い上げ、再び手帳を観察する。

 

「ん……?」

 

ふと、手帳のカバー裏に、写真――プリクラくらい小さな写真が数枚、貼られていることに気が付いた。

カバーを取り、写真を見てみると――。

 

「え……」

 

そこには、霞や最上――大淀や鈴谷などが写っていた。

そして、その中の一枚――たった一枚だけ、霞とのツーショットで映っていたのは――。

 

「なんだ……こりゃ……」

 

そこには、顔の無い男が写っていた。

霞の顔ははっきりと映っているのに、男の顔だけは――。

だが、分かる……。

この男が、誰なのか……。

何故かは分からない。

でも、分かってしまう。

 

「これは……俺だ……」

 

風鈴の音が、まるでエコーがかかったかのように、いつまでもいつまでも、俺の耳に残り続けていた。

 

 

 

 

 

 

残り――7隻

 

 

 

――続く



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29話

――そこは、人里離れた有料老人ホームであった。

一番ランクの高い――号室に、その人はいた。

 

「――そのお金を元手に、起業して――この通り、十分すぎる余生を過ごせているのです」

 

彼女の手には、被災した際に出来たであろう傷が、未だに残っていた。

 

「そんな貴女が、どうして私に連絡を?」

 

「彼について、取材している人がいると聞きましてね……。どうしても伝えたいことがあって、連絡させていただいたのです」

 

彼女は、テレビに映っていた彼を指しながら、そう言った。

 

「彼と認識があるのですか?」

 

「いいえ……。私ではなく……昔、私の村に居た女の子――佐伯お姉ちゃんが、彼の事を……」

 

「佐伯って……まさか、佐伯ゆうみですか……!?」

 

彼女が頷く。

驚いた。

佐伯ゆうみの名が出たことにでもあるが、何故、彼女が――歴史から抹消された『艤装部隊』の一員である彼女が――彼の事を……と。

生きる時代が違うのにもかかわらず……。

 

「誰も信じてはくれなかったのだけれど……私は確かに見たのです……。初めて深海棲艦による攻撃が確認されたあの日――爆撃の直後だというのに――確かに被弾したはずなのに――傷一つなく佇むお姉ちゃんの姿を……」

 

 

 

『お姉……ちゃん……』

 

『ウメちゃん……!? 大丈夫……!?』

 

『大丈夫……』

 

『あぁ……可愛いお手手が……舐め回したいくらい可愛いお手手に怪我が……。ってか、舐めていい!?』

 

『……お姉ちゃんは平気なの?』

 

私の手に頬ずりするお姉ちゃんは、その質問に、一瞬、動きを止めました。

 

『……うん。どうやらそうみたい……。私は……ヘイキ……だったみたい……』

 

そう言うと、佐伯お姉ちゃんは、まるで何かに呼ばれたかのように、遠くの空に目を向けました。

 

『お姉ちゃん……?』

 

『――そっか……。そう……なのね……。私は、人類を――あの人を守る為に――……』

 

お姉ちゃんは私に目を向けると、じっと見つめた後、言いました。

 

『これから、永い戦いが始まるみたい……』

 

『永い……戦い……?』

 

『でも、安心して。この戦いを終わらせる人が必ず現れるから……。私はその時まで、戦い続けなければいけないみたい……。守り続けなければいけないみたい……』

 

『どういう……こと……?』

 

『ウメちゃん……お願いがあるの……。いつか……この戦いを終わらせる男が貴女の前に現れる……。その人に、伝えて欲しいの……。【貴方を想う人がいた】のだと……。【貴方の為に、今の世界は存在している】のだと……。【貴方がその人でなくとも、貴方の中にその人はいる】。どうか……貴方を想う【彼女】の為に……生き延びてください……と……』

 

 

 

「それからお姉ちゃんは、海軍に連れ去られてしまいました……。目撃者である私は、口止め料として……」

 

彼女が――松永ウメさんが咳き込む。

 

「……佐伯さんの言う『貴方』というのが、彼であると?」

 

「そうだと思います……。彼の姿をテレビで見た時――その戦う姿を目にした時、何故か、佐伯お姉ちゃんを思い出しました……。お姉ちゃんの言葉を一言一句――ずっと、忘れていたのにもかかわらず――」

 

私は驚かなかった。

彼について語る人達は、決まって不思議な体験をしているからであった。

むしろ、信用するに足る体験談であるとも言える。

 

「佐伯お姉ちゃんは……彼の事を予言していました……。そしてきっと、その通りに……」

 

突如、ウメさんの呼吸が荒くなった。

 

「ウメさん!? 大丈夫ですか!? だ、誰か!」

 

席を立とうとする私を、ウメさんは止めた。

 

「柊木さん……どうやら私もまた……佐伯お姉ちゃんと同じだったみたい……」

 

「ウメさん……! だ、誰か来てください! 早く!」

 

「柊木さん……どうか……彼にお姉ちゃんの言葉を伝えてあげてください……」

 

そう言う彼女の力は、とてつもなく強くて――。

 

「ウメさん……!? どうされました!?」

 

ようやく施設の人がやってきて、彼女に駆け寄る。

だが――。

 

「佐伯お姉ちゃん……私……伝えたよ……。だからもう……私も……そっちに……」

 

「ウメさん……!」

 

「また……一緒に……遊び……」

 

そう言い残し、ウメさんは息を引き取った。

電源が入りっぱなしのテレビからは、戦況を伝えるニュースが聴こえていた。

 

『柊木紫 著『戦争を終わらせた男』より』

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

手帳は、すぐに海軍へ回収されてしまい、拾った経緯を訊かれたり、謎の検査などで、半日拘束された。

 

「ったく……。こんなことになるのであれば、本部に報告するんじゃなかったぜ……」

 

「そう腐るな、雨宮」

 

振り返ると、天音上官が缶コーヒーを持って立っていた。

 

「天音上官」

 

「検査、ご苦労だったな。あれでも控えさせた方なのだが……最近の若い連中は融通が利かないし、君も恐れられているからね……。慎重にもなるのだ」

 

そう言うと、上官は俺に缶コーヒーを渡した。

 

「ありがとうございます。私が恐れられている……というのは?」

 

「山城の件で叱責されし時、言い放ったそうではないか。「そうする用意もある」とかなんとか」

 

何が面白いのか、天音上官はニヤリと笑った。

 

「その程度で恐れるとは。冗談の通じない連中です」

 

「冗談に聞こえなかったのでは? それほどまでに、君はミステリアスな存在なのだ。尤も、最近は、動画に出ている所為か、暴かれつつあるようだがね」

 

「どちらもいい評判ではないですがね……」

 

「そうでもないさ。後で紹介させてもらうが、君を尊敬している者もいるのだ。それも、私と同じ女だぞ」

 

私と同じ、と言うのは必要なのだろうか……。

そもそも、男だろうが女だろうが、どっちでも構わん……。

 

「臆病者ほど、知識や情報を欲する。実態の分からないものを、人は恐れる」

 

「私は実態の分からない存在という事ですか」

 

「臆病者の集まりだと言いたいだけさ。そう卑屈になるな」

 

どうやら上官は、ガス抜きに来てくれたようであった。

 

「……上官も大変ですね」

 

「分かっているのなら、もう少し気を遣ってほしいものだがね」

 

「すみません」

 

そう言って頭を下げると、上官はニッと笑顔を見せてくれた。

 

 

 

しばらく雑談してから、俺は本題に入った。

 

「それで? あの手帳は一体何なんですか? 何故、霞たちの写真が? 本部は、何か知っていそうな様子でしたが……」

 

霞と一緒に写っていた【俺】については、あえて口にしなかった。

言ったところで信じてもらえないだろうし――。

しかし、あれは確かに――何故、そう思ったのかは分からないが――。

 

「それは、彼女の口から説明してもらった方が良さそうだ。柊木君」

 

上官が呼ぶと、部屋の扉が開き、小柄な女性がこちらを覗き込んできた。

 

「柊木君……。いい加減入ってきたまえよ……」

 

「で、でも……」

 

柊木……。

 

「柊木って……柊木紫ですか?」

 

「知っているのか。いや、そう言えば、君たちは同期だったね」

 

「えぇ。同期の中でもトップクラスの成績でしたから。有名ですよ」

 

柊木は、部屋にも入って来ず、恥ずかしそうに俯くだけであった。

大人しい性格で、友達も少なく――孤高の天才という異名を持つ彼女の功績は、嫌でも耳に入るくらいであった。

 

「そう言えば、山城の件で叱責されている時、同じ会議室にいたよな?」

 

そう訊いてやると、柊木は小さく「気づいていたの……?」と返した。

 

「彼女が、さっき話した、君を尊敬している者だよ。柊木君、いい加減こっちに来たまえ」

 

柊木は恐る恐る、部屋へと入って来た。

俺を尊敬している……か……。

柊木の功績に比べたら、俺を尊敬する要素なんぞなさそうなものだが……。

 

「柊木君の活躍は、君も耳にしていると思う。彼女は今、艦娘や深海棲艦を研究する部門に居てね。まあつまり、私の部下にあたるのだ」

 

「艦娘や深海棲艦を?」

 

「そうだ。特に『ヘイズ』や『時代錯誤遺物』について研究している」

 

「時代錯誤遺物……オーパーツ……ですか……」

 

「君が拾った手帳もその一つだ。手帳の解析も、彼女が担当している。柊木君、説明を頼む」

 

「え……あ……は、はい……」

 

柊木は俺をチラリと見た後、すぐに俯き、早口で説明を始めた。

 

「えと……あ、雨宮君が拾った手帳は、時代錯誤遺物と呼ばれていて、戦後から現在まで、50点以上見つかっている、異世界、或いは、並行世界から来たのではないかと考えられる、謎の漂流物です。漂流物は、手紙や日記などの紙媒体、金属片など様々で――全て、日本語にそっくりな文字が見受けられ――ヘイズに汚染されていて――全く劣化しないという性質があります」

 

そう言うと、柊木はポケットから、一枚の写真を取り出した。

 

「これは、戦後すぐに発見された写真です……。つまり、70年ほど前に発見されたものです……。見ての通り、当時の技術では撮影・現像が不可能な、鮮明なカラー写真です……」

 

写真には、大和島にそっくりな島が写っていた。

 

「複製されたものではありません……。鮮明なカラー写真なのもそうですが、一切劣化していません……。とっても不思議な写真ですよね」

 

写真を見る柊木の目は、どこか輝いているように見えた。

 

「……それが本当なら、確かに時代錯誤遺物のようだな。これが、異世界や並行世界から来たと?」

 

そう訊いてやると、柊木はようやく顔を上げ、俺をじっと見つめた。

 

「異世界や並行世界……。そんな話を……雨宮君は信じられる……?」

 

その目は、どこか不安そうであった。

その不安を証明するように、天音上官が言った。

 

「実は、異世界や並行世界から来たとする説は、柊木君が提唱したものなのだ。しかし、中々受け入れられないどころか、異端な説とされてね……」

 

その説にどんなことを言われたのか、天音上官は詳しく説明をしなかった。

しかし、柊木の表情を見るに、おそらくは――。

 

「……柊木が言うのだから、俺は信じますよ」

 

「え……」

 

正直、異世界だとか、並行世界だとか、そんなもんは信じてこなかったし、未だに信じ切れない。

だが、妙にしっくりくると言うか――柊木ほどの人間が言うのだから、おそらくは……。

それに――。

 

「俺にも、異端とされるであろう話があるんだ」

 

俺は、今まで体験した全てを柊木に話してやった。

夢の事、霞の事、最上や風鈴の音の事――手帳に貼ってあった写真の男が、俺であると感じた事――それら全てを――。

 

「――もし、夢の世界が、霞の言う『誰かの記憶』であるのなら、俺が追体験した『誰かの記憶』は、異世界や並行世界のものなのかもしれない」

 

「だとすると……あの手帳は、その『誰かの記憶』の世界から来たものなのかも……」

 

確かに、写真に写る人物も、夢の世界の人物と一致しているし、あの変な日本語も、夢で見たものにそっくりであった……。

 

「なるほどな……。なるほど……」

 

すると、霞の言っていたことってのは――。

――いや、再び深海棲艦が現れるってのは、まだ信じられないが……。

永い沈黙が続く。

 

「いずれにせよ、あの手帳は、柊木君の説を後押しするものになろうと思う。無論、公表は出来ないだろうし、するべきものでもなかろうかとは思う。口外は控えて欲しい」

 

したところで、誰も信じてはくれないだろうな……。

なるほど……。

柊木はずっと、こんな思いを……。

 

「……それよりも、雨宮君に話したいことがあるの」

 

柊木は天音上官に目を向けた。

天音上官は小さく頷くと、そのまま部屋を出て行ってしまった。

どこか緊張した面持ちの柊木は、もじもじと手を揉んでいた。

 

「なんだ、人払いまでして。愛の告白でもしてくれるのか?」

 

そう訊いてやると、柊木は顔を真っ赤にして、慌てだした。

 

「そ、そそそそんな事しないよぉ……!」

 

「なんだ、してくれないのか?」

 

「し……して……欲しいの……?」

 

「そうだと言ったら?」

 

微笑む俺の表情に、柊木は肩の力を抜いた。

 

「……いじわるしないでよ」

 

「でも、話しやすくなっただろう?」

 

「……もう」

 

ようやく笑顔を見せる柊木。

だがすぐに、表情を険しくさせた。

 

「上官には都合の悪い話か……?」

 

「うん……。雨宮君にとっても……或いは……」

 

俺にとっても……か……。

それでも、俺に伝えたいというのは……。

 

「言ってくれ」

 

柊木は小さく頷くと、どこか言いにくそうに説明を始めた。

 

「雨宮君は……『高速修復材』って知っている……?」

 

「あぁ……。確か、艦娘の治癒時間を早めるとかなんとか……」

 

「厳密には、唯一、艦娘を治療できる薬のようなものなの……。深海棲艦からドロップするもので、製造方法は解明されていない……というよりも、戦後において、製造方法を研究するのはタブーとされてきたし、研究したところで、材料の元になるであろう深海棲艦は、もういない……」

 

何故タブー視されているのかは、訊くまでもない。

 

「その高速修復材の製造方法が……雨宮君の持ってきた手帳には……記載があったの……。それも、深海棲艦を材料としない方法が……」

 

「え……?」

 

「手帳に、日本語そっくりな文字が書いてあったでしょ……? 実は、あの文字はもう解読されているの……。日本語にそっくりどころか、日本語そのものなの……。少しだけ形が違うだけで、文法も日本語と同じなの……」

 

日本語そのもの……。

いや、そんなことよりも……。

 

「本当に、高速修復材の製造方法が……?」

 

「……ちゃんと検証してみないと分からないけど、現在の技術でも製造可能だと思う。材料も、そこまで難しいものは無くて……量産も可能……だと思う……」

 

「……そう言える根拠は?」

 

柊木は黙り込んでしまった。

 

「……もしかして、研究したことがあるのか? 製造方法について……」

 

柊木はやはり反応を見せなかった。

 

「なるほど……」

 

おそらく、天音上官も、研究の事は知っていたのだろう。

だからこそ、部屋を出て行ったのだ。

 

「この事を本部は知っているのか……?」

 

「ううん……。まだ、報告していない……」

 

「どうするつもりだ……?」

 

そう訊いてやると、柊木はじっと、俺の目を見つめた。

 

「雨宮君は……どうしたい……?」

 

「え……?」

 

「必要……? 高速修復材……」

 

「……何故、俺の意見が必要なんだ?」

 

「どうしても必要なの……」

 

その理由を問うているのだがな……。

しかし……高速修復材……か……。

もし、そんなものがあったのなら、きっと、島の艦娘達は――。

それどころか、島を出た元艦娘達だって――。

そんな事、本部や国が認める訳がない……。

でも……。

 

『提督……私は、やっぱりこの島を出たいです……。『生きたい』のです……』

 

もし、高速修復材があったら、きっと、明石は――。

しかし……。

 

「必要……なんでしょ……?」

 

「…………」

 

「でも、言えないよね……。分かっている……。だからこそ、私に言って欲しい……。必要だって……」

 

「それを聞いて、どうするつもりなんだ……?」

 

「製造に着手する……。成功したら、公表する……。もちろん、非公式でね……。存在が明るみに出れば、海軍も、高速修復材を艦娘に使用せざるを得なくなるはず……」

 

その目には、並々ならぬ決意が見てとれた。

 

「そんな事をすれば、お前は……。どうしてそこまでする……?」

 

その問いに、柊木は黙り込んでしまった。

 

「柊木……」

 

柊木は何やら顔を赤くすると、何かを決意したかのように拳を握り、かすれた声で言った。

 

「雨宮君の……助けになりたいだけなの……」

 

「え?」

 

「……雨宮君は覚えてないかもしれないけど、昔――私と雨宮君は【児童養護施設】で会っているの……」

 

「施設で……?」

 

「私……施設出身なの……。雨宮君のいた施設とは、違う施設だったけど……。改装とかで、一時的に、雨宮君と同じ施設に預けられたことがあって……その時に……」

 

確かに、別の施設から、何名か来ていたことがあったな……。

 

「その時の私は、今以上に内気で……友達もいなくて……。自分の世界に閉じこもるように、一人でずっと、小説を書いていた……」

 

小説……。

 

 

 

『慎二、こいつ、小説なんか書いているぜ!』

 

『小説? へぇ、どんなの書いているんだ?』

 

『え……えと……SF……です……』

 

『SFか。俺もSFが好きなんだ。読ませてもらってもいいか?』

 

『うぇ……俺はパスだぜ……。小説なんて陰気くせぇよ……』

 

『そんなことないよ。いいかな?』

 

『う、うん……』

 

 

 

「――……」

 

思い出した。

数日間ではあったが、小説を書く女の子がいて――皆の輪に入れず、いつも寂しそうにしていたから、話しかけて――。

 

「え……もしかして、あの時の女の子って……」

 

「え……」

 

「あれだよな? SFを書いていて、タイトルは確か……『トウケイ都物語』だよな……?」

 

そう訊いてやると、柊木は――。

 

「お、おい……」

 

「覚えてて……くれたんだ……。うぅぅ……」

 

涙を流す柊木。

なんの涙か分からず困惑していると、柊木は零すように語り始めた。

 

「私……ずっと……あの時の事が忘れられなくて……。初めて声をかけてもらえて……小説も褒めてくれて……。数日間だけだったけど……雨宮君は毎日……独りぼっちの私に話しかけてくれて……。それが嬉しくて……私……うぅぅ……」

 

そんなに泣くほどの事であったのか……。

いや、それほどまでに、柊木は……。

 

「そうだったのか……。あの時の女の子は、お前だったのか……。そういや、名前も聞いていなかったな……」

 

そのことに気が付いた頃には、もう柊木は居なかったしな……。

 

「同期として雨宮君を見かけた時……とっても嬉しかった……。声をかけようかと思ったけど……私の事なんて覚えていないだろうと――勇気が出なくて……。すぐに別の部署に配属されて――でも、ずっと忘れられなくて――ここで活躍すれば、雨宮君に気が付いてもらえるかなって――だから――それで――……」

 

どうやら、俺が思っている以上に、柊木に与えた影響は大きかったようで――だがそれは、少し異常にも思える程であって――。

 

「そ、そうだったのか……」

 

まるで、365日――今日に至るまで、俺の事を想い続けていたのだとでも言うかのような言動に、少しだけ引いてしまっていた。

だがそれが、柊木が天才と称される所以なのだろうと、妙に納得してしまっている自分もいた。

夢中になれる事には、異常だと言われるまでに没入してゆく性格なのだろうな。

そういえば、小説を書いている時だって――。

 

「――だから、恩返しがしたくて……。雨宮君が望むなら……私は……海軍を辞めてもいいって思っている……。辞めさせられてもいいって……思っているよ……」

 

「柊木……」

 

「それに……私は……やっぱり小説が書きたいの……。皆を楽しませられる小説が書きたいの……。雨宮君が小説を褒めてくれた時の事が……忘れられないから……」

 

本当に小説を書きたいのか、はたまた俺の背中を押してくれているのか……。

いずれにせよ、柊木の決意は固いようであった。

 

「雨宮君……言って……。私の背中を……押して……」

 

柊木は顔を上げると、俺の目をじっと見つめた。

吸い込まれそうなほど純粋な瞳には、不純な気持ちが隠れていた。

 

「……いいんだな?」

 

「うん……」

 

俺が口を開こうとした、その時であった。

 

「言うな、雨宮」

 

そう言ったのは、いつの間にか部屋へ入って来ていた、天音上官であった。

 

「上官……」

 

「君がそれを言ってしまえば、君自身の立場も危うくなるのだぞ……。あの島に居られなくなるぞ……」

 

それに反論したのは、柊木であった。

 

「雨宮君は命令する訳ではありません……。私の背中を押してくれただけです……。実行するのは、私の独断です……」

 

「同じことだ……。それに、雨宮が、君だけに責任を負わせる人間だと思うか……? きっと、君に下るであろう処分に対し、雨宮は抗議するか、はたまた、柊木君に命令したのは自分なのだと言いかねない……」

 

それに対して、柊木は反論しなかった。

天音上官の言う通りであった。

俺は、そうするつもりであった。

そうでなければ、柊木の背中を押すことは、俺には出来なかった。

 

「……それでも、高速修復材は必要だ。だからこそ……」

 

天音上官は、ため息をつくと、優しい表情で言った。

 

「柊木君、君に、高速修復材の製造を命令する」

 

「え……?」

 

「上官……!?」

 

「無論、この事は秘密裏に進めること。責任者は私だ。いいね?」

 

上官は俺に目を向けると、やはり優しい表情を見せた。

 

「上官……」

 

「そんな顔をするな。私も、隔離棟で艦娘と接してゆく内に、色々と思うところがあったのだ。それに、先ほどの話――再び深海棲艦が攻めてくるというのが本当であるのなら、高速修復材の製造は必須となるだろう。早めに手を打った方がいいはずだ」

 

「……自分の立場を危めようとも、ですか?」

 

「私も柊木君と同じで、別の夢があるのだ。その夢に邁進するさ」

 

別の夢……。

 

「それは……一体何です……?」

 

即答できなければ、おそらく上官は――。

しかし、上官は顔を赤くすると、小さく言った。

 

「……お嫁さん」

 

その答えに、俺も柊木も、思わず笑ってしまった。

 

「わ、笑え笑え! どうせ……私には無理だと思っているのだろう……!?」

 

「い、いえいえ……。そうじゃなくて……。なんというか……可愛らしい夢だなと思いまして」

 

「あ、天音上官なら……きっと、素敵なお嫁さんになれると思います……!」

 

俺たちの言葉に、半信半疑な視線を向ける天音上官。

 

「俺が言うのもなんですが、天音上官はまだお若いのですから、朧に見せたような乙女さを見せれば、男もイチコロですよ」

 

「そ、そうです! 私たちとそんなに歳が離れていない訳ですし……。男勝りな性格さえなければ……きっと……」

 

「や、やはり……今のままだといけないのだろうか……?」

 

そう問う弱弱しい姿に、再び笑みが零れる。

 

「それですよ。天音上官」

 

「う、うん! 可愛いです!」

 

「え? え?」

 

困惑する上官に、俺は深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます……上官……。それと、柊木も……」

 

「雨宮……」

 

「雨宮君……」

 

「俺も、艦娘の人化に、より一層邁進します。また、上官のお相手を探す際には、何なりとお使いください」

 

「……あぁ、頼んだぞ! 雨宮!」

 

「柊木も、俺に出来る事であれば、なんでもする。遠慮なく言ってくれよな」

 

「う、うん……。だったら……雨宮君……」

 

「ん?」

 

「小説……雨宮君の事を……書かせてほしい……。だから……雨宮君の事……これからも……たくさん教えてくれると……嬉しい……です……」

 

そう言うと、柊木は恥ずかしそうに俯いてしまった。

内気な彼女にとって、それは精一杯の勇気が必要であったのだろう。

 

「……あぁ、俺で良ければ! かっこよく書いてくれよな」

 

「う、うん! えへ……」

 

微笑む柊木に、天音上官は何やらニヤニヤと笑みを浮かべながら、小突いていた。

 

 

 

「それじゃあ雨宮君、またね」

 

手を振りながら去る柊木を見送ると、天音上官は俺を小突いた。

 

「な、なんです?」

 

「いや? 相変わらずモテるな、雨宮」

 

「……それだけ、柊木の交遊関係が乏しい証拠です。艦娘と同じですよ、彼女は……」

 

「だから、少し残念そうな表情なのか?」

 

俺は思わず、顔に触れてしまった。

 

「柊木君に言える事……それは、君にも言える事なんじゃないのか? 雨宮」

 

「え?」

 

「交友関係が乏しいのは、君も同じだろう。卑屈になるのは結構だが、柊木君が君を想う気持ちは本物だと、何故素直に受け入れることが出来ないのだ?」

 

上官の厳しい瞳が、俺を責める。

 

「……いや、すまない。そんなことは、君自身がとっくに気が付いていることなのだろう……。それでも……そう思ってしまうのだろう……」

 

上官は、俺の答えを待たなかった。

無論、俺もまた、反論は無かった。

 

「……上官」

 

「なんだ?」

 

「気持ちを伝えてはいけない相手に……気持ちをぶつけられてしまったら……上官はどのように応えますか……?」

 

上官は、俺の表情を見て、小さくため息をついて見せた。

 

「そういうことか……」

 

「…………」

 

「……今は、自分に出来ることを精一杯することだ。その先に、きっと答えはあるはずだ」

 

天音上官は、俺の肩をポンと叩いた。

 

「私は、仕事での君しか知らない。無論、私も、仕事の顔しか見せたことがない。お互い、仕事の顔では無くなった時、本当の顔が見えてくるのだろうと思う。それは、自分自身が認識している顔についても、同じことが言えるのだろう」

 

「……なればこそ、仕事をやめた上官は、乙女な顔になり得ると?」

 

「そうかもしれないな。それを確かめるには、やはり今の仕事に邁進することが必要なのだろうと思う。君だって、見たいだろう? 私の本当の可愛い顔が」

 

上官が笑う。

なるほど……。

そういう事か……。

 

「ありがとうございます、上官。俺は、今の上官のお顔も好きですよ」

 

「私は、君の誘惑には負けないぞ」

 

「本音ですよ。それを理解されないとは、上官もまた、経験に乏しい一人なのですね。なれば、あまり偉そうなことを言わんでください」

 

俺の言葉に、上官は怒るわけでも無く、どこか嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

 

「気張れよ、雨宮」

 

「……はい!」

 

去って行く上官が見えなくなるまで、俺は敬礼をやめることはしなかった。

 

 

 

鈴蘭寮に寄ってみると、隔離棟にいた連中や、敷波・朝潮のコンビも、俺を出迎えてくれた。

 

「「「司令官ー!」」」

「「「提督!」」」

 

久々に会う第七駆逐隊や第六駆逐隊は、どこか大人びているように見えた。

 

「久しぶりだな、お前たち……。よく頑張ったな……」

 

潮・漣・朧は、久しぶりの再会に、涙を見せていた。

 

「提督……」

 

「曙……」

 

曙は俯くと、そっと寄り添い、涙を流した。

 

「よく頑張ったな……。皆を守ってくれて、ありがとな……」

 

「うん……」

 

曙を抱きしめてやると、響が思いっきり俺の頭を叩いた。

 

「いってぇ!? な、なんだよ?」

 

「司令官、私も抱きしめて欲しい」

 

「え?」

 

「言っていたじゃないか。『次会えた時、全部叶えてやるからさ』って。やって欲しい事、たくさんあるんだ」

 

「ひ、響だけズルい! あ、暁も……その……なでなで……してほしかったり……」

 

「じゃあ、朧は、提督の事、なでなでしてあげます」

 

「朧ズルい! 司令官? 雷に甘えてもいいのよ?」

 

ギャイギャイ騒ぐ駆逐艦。

その様子を、朝潮は大きなカメラで撮影していた。

 

「……こんな所まで撮るのか?」

 

「色恋沙汰が、一番、人間の感情が出やすいんです! そういった感情のぶつかり合いこそ、数字になるのです!」

 

興奮する朝潮を見て、まるで子供の成長を実感する親のように、青葉が何度も頷いていた。

 

「さあ、敷波さんも参加してください! 敷波さんのじめっとした感情も、コアな層に人気があるんです!」

 

「じ、じめっとした感情って何さ!? し、司令官! アタシの感情……じめっとしていないよね!?」

 

「…………」

 

「な、なんで目を逸らすのさ!? 司令官!?」

 

 

 

しばらく揉みくちゃにされた後、ようやく解放された俺は、大人組に労われていた。

 

「すまんな」

 

「いえ」

 

鳳翔から出されたお茶を飲み干し、皆の方へと視線を向ける。

 

「本当、賑やかになったな……」

 

これ以上の人数に囲まれたことはあれど、警戒されていたせいか、ここまで賑やかだったことは無かったしな。

 

「残り7隻……か……」

 

「次は一体、誰を惚れさせるんだろうね~」

 

ニヤニヤ笑う北上。

 

「別に、惚れたから島を出るとは……」

 

「そお? そんなことないよねぇ~?」

 

そう言うと、北上は舐め回すように大人組を見た。

何名かは目を逸らし、何名かは怖い顔を見せていた。

――何故か俺に対して……。

 

「しっかし、雨宮君も凄いよね~。まだ童貞なんっしょ?」

 

「まあな……」

 

「誰が最初に雨宮君の童貞を奪うんだろうねぇ……。そして、誰が最初に雨宮君に処女を奪われちゃうんだろうねぇ~?」

 

再び舐め回すように大人組を見る北上。

秋雲だけは、不気味にほくそ笑んでいた。

 

「……そんなことより、雨宮君、体調はどう? あまり顔色が良くないように見えるけど……」

 

「あぁ、大丈夫だ。駆逐艦に揉みくちゃにされて、疲れているだけだと思う」

 

「無理しないでね? 何かあったら、あたしに言ってね?」

 

「あぁ、ありがとう、山風」

 

そこに、再び北上がニヤつきながら割り込む。

 

「おやおや~? 第一号は山風かなぁ~?」

 

「き、北上さん!」

 

「にひひ~」

 

北上の奴、なんか秋雲化していないか……?

 

 

 

島に戻ったのは、消灯時間後であった。

が、何故か寮の明かりは灯ったままであった。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい」

 

出迎えてくれたのは、明石であった。

 

「もう消灯時間だろ。なんで明かりがついているんだ?」

 

「えへへ、いいから来てください」

 

明石に連れられ、食堂へ向かうと、何故か全員が集まっていた。

 

「……何事だよ?」

 

「まあまあまあ……」

 

席に座らされ、何故か目隠しをされる。

 

「お、おい……」

 

「大丈夫です! 変なことはしませんから!」

 

一体、なんだってんだよ……。

 

「いいですか? 今からいくつか布を渡すので、ニオイを嗅いでください」

 

「はぁ?」

 

「いいから! はい!」

 

段々と強引になって行く明石。

仕方ねぇ……。

従うか……。

 

「まずはこれです。どうです?」

 

「どうって……。洗剤の匂いがする……」

 

「なるほど……。では、次はこれです」

 

「……なあ、何なんだよこれ?」

 

「いいから! 次っ!」

 

それからも、何枚か布を嗅がせられる。

なんか怖くなってきた……。

 

「はい、以上です! 今嗅いでもらった布の中で、どれが一番いいニオイだと感じましたか?」

 

「どれが一番……? いや……どれも似たようなニオイではあったのだが……」

 

「その中でも、こう……あったでしょう!?」

 

その中でも……か……。

 

「そうだな……。三番目のやつは……どことなく違ったような……」

 

「……いいニオイって事ですか?」

 

「まあ……そうだな……」

 

「ファイナルアンサー?」

 

「……ファイナルアンサー」

 

目隠しが取られる。

どうやら嗅がされていたのは、Tシャツのようであった。

 

「おい、何だってTシャツなんぞ……」

 

皆の視線は、俺に向かれていなかった。

その視線の先には、何故か赤面する大和が立っていた。

 

「大和さんかぁ~……」

 

「ふぅん……」

 

何が起こっているのか分からない俺に、雪風が大きな声で説明してくれた。

 

「このTシャツは、皆さんが今日一日着ていたものです!」

 

「はぁ!? なんちゅーもんを嗅がせてくれてんだ!?」

 

「ニオイの相性ってあるじゃないですか! しれえと相性がいいのは誰だろうって話になったんです!」

 

ニオイの相性……。

 

「しれえと相性がいいのは、大和さんのようです!」

 

そう言われ、小さくなる大和。

そういう事か……。

 

「……こんなくだらない事の為に、起きていたのか?」

 

「だって、気になっちゃって……。そうですよね?」

 

明石が皆に問う。

山城と霞は呆れた表情を見せ、大淀は少し困った顔を見せていた。

夕張は……言うまでも無いだろう……。

 

「くだらねぇ……。そもそも、お前らは体臭なんぞあまりしないはずだろ……。誤差だろ、誤差……」

 

「やけに否定したがるじゃない……」

 

目を合わせず、まるで独り言のように零すのは、夕張であった。

 

「大和さんが相手だと、都合が悪いのかしら……? それとも、意識しているのが恥ずかしいとか……?」

 

こいつ……。

 

「いいから寝ろ! 大淀! お前も何やってんだ!? 注意しろよ!」

 

「……別に、私はお世話係じゃありませんから。私にだけあたらないでください……」

 

ムッとする大淀。

確かに、その通りだな……。

 

「す、すまない……。と、とにかく! 解散だ! さっさと寝ろバカヤロー!」

 

そう言われ、皆はぞろぞろと食堂を後にしていった。

――ただ一隻を除いて。

 

「……大和?」

 

「え……?」

 

「どうした? もう明かりを消すぞ……」

 

「あ……はい……。すみません……」

 

歩き出す大和。

すれ違う時、大和は一瞬、動きを止めた。

 

「どうした?」

 

「……いえ」

 

そして、そのままそそくさと、部屋へと戻っていった。

 

「……ったく」

 

 

 

消灯を確認し、家へ帰ろうと、玄関を出た時であった――。

 

「……そこで何している?」

 

門に寄り掛かる明石は、どこか寂しそうな表情を俺に向けていた。

 

 

 

言う事を聞く感じでもなさそうだったので、仕方なく海辺を歩くことにした。

 

「さっきの事で、落ち込んでいるのか?」

 

そう訊いてやると、明石は小さくなってしまった。

 

「……アホかお前は。そもそも、何に影響されたのかは知らんが、ニオイごときで相性が決まる訳ないだろ……」

 

「そうかもしれませんけど……」

 

「……つーか、お前だろ? あんなくだらない事を言いだしたの……」

 

「……なんで分かるんです?」

 

「皆の呆れ顔を見たらな……。それに、お前の考えそうなことだとも思った……。確かなモノを欲しがる性格だからな、お前は……」

 

そう言われ、明石はムッとした表情を見せていた。

反論があるというよりも、当たっているからムッとしているのだろうな……。

 

「俺はあんなの信じていない。だから、お前も信じるな」

 

「でも……提督があんなに必死に否定したの、初めて見ました……。それだけ、結果に対して、何か思うところがあったんじゃないですか……? 本心を悟られまいと、あそこまで必死になったのでは……?」

 

「……俺が大和を好きであると?」

 

明石は何も言わなかった。

 

「結果が大和で無かったとしても、同じ反応だったよ。俺はただ、消灯時間なのにもかかわらず、馬鹿をやっている連中を叱っただけだ。それが、否定しようと必死に見えたのは、お前がそう納得したかったから、だろ?」

 

そう言って、俺は明石を見た。

責めている、とでも言いたげに、わざとらしく瞳を向けたのは、明石が言っていることを完全に否定できない自分が居たからなのだろうと思う。

動揺を隠そうと――ほんのわずかに生まれた疚しい気持ちから、目を背けたかったからなのだろうと思う。

 

「……そうかもしれませんね」

 

そう言うと、明石は流木に座り込み、膝を抱え、そこに顔を埋めた。

 

「明石……」

 

「相手が大和さんじゃなかったら……きっと……こんな気持ちにはならなかったと思います……」

 

「え……?」

 

「それほどまでに……大和さんは……。それに、きっと、大和さんも提督を――そうなったら、私は――……」

 

夕張も似たような事で悩んでいた。

それに対し、あいつは、島に残る最後の艦娘になればいいのだと、不安を押しのけた。

当然、明石も――明石こそ、そうして不安を押しのければいいはずだ。

それをしないのは、おそらく――。

 

「……俺は、艦娘に恋はしない」

 

「…………」

 

「それでも……不安にさせてしまうよな……。それが覆ることもたくさんあったし……その度に不安になったよな……」

 

明石は何も言わなかった。

 

「…………」

 

俺は、悩んでいた。

ここで、高速修復材の事を言えば、きっと明石は――。

だが、まだ製造できると決まった訳ではないし、希望的観測で話すのは、却って悪い気もする。

…………。

希望的観測……か……。

 

『卑屈になるのは結構だが、柊木君が君を想う気持ちは本物だと、何故素直に受け入れることが出来ないのだ?』

 

『柊木が言うのだから、俺は信じますよ』

 

『今は、自分に出来ることを精一杯することだ。その先に、きっと答えはあるはずだ』

 

「今出来ることを精一杯……か……」

 

今、俺に出来る事――。

 

「……明石」

 

「はい……」

 

「話がある……。お前にとって、重要なことだ……」

 

俺に今できる事――それは、柊木たちを信じることだ。

 

 

 

翌朝。

目が覚めると、縁側に明石が座っていた。

 

「明石……」

 

「おはようございます、提督」

 

その笑顔に、俺は不安を覚えた。

昨日、俺は明石に全てを話した。

高速修復材が出来るかもしれない事――そうなれば、明石が島を出ることが出来ると……。

それを聞いた明石は、喜んだり不安になったりするわけでも無く、ただただ、呆然としていた。

そして、何も言わず、寮へと帰って行ってしまったのだった。

 

「……どうした? こんな朝早くから」

 

「昨日の事、気にしているんじゃないかなって思いまして。話を聞いて、私がどう思っているのかって……」

 

俺は何も言わなかったが、明石は続けた。

 

「もし、高速修復材が出来たら……私は島を出ると思います。だから、素直に嬉しかったですよ。内心、凄く喜んでいたんです」

 

「……だったらもっと、喜んでほしかったぜ。何も言わずに帰るものだから……」

 

「だってそれは……色々と考えちゃって……」

 

「色々?」

 

明石はじっと俺を見つめると、顔を赤くして言った。

 

「艦娘に恋はしない……。提督は、そう言いましたよね……?」

 

「あぁ……」

 

「そのタイミングで……どうして人化の話をするのかなって……思っちゃって……」

 

なるほど……。

そういう事であったか……。

確かに、誤解を招くタイミングだったな……。

 

「提督にその気が無いって分かっています……」

 

心を読まれたようで、俺は思わずドキッとしてしまった。

 

「でも……」

 

明石はそっと、俺の手を取った。

 

「私は……提督の言う通り……確かなモノを欲しがる性格なんです……。だからこそ……教えて欲しいんです……」

 

明石の手が、小さく震える。

 

「提督は……私が人化したら……恋……してくれますか……?」

 

『明石が……もし明石が、最後の艦娘として『人化』して、提督と一緒に島を出ることになったら……提督はどうするの?』

 

『どうするってのは?』

 

『だから……明石は『人化』したら、きっと提督に告白すると思うから……どう応えるのかなって……』

 

以前、夕張に同じような事を問われた時、俺は答えから逃げた。

それは、明石の気持ちに良い答えを出せなかったからだ。

答えてしまっては、せっかく築いた明石との関係が、壊れてしまうと思ったからだ。

けど……。

 

「提督……」

 

俺は……明石の事が好きだ……。

好きになってしまった……。

だが、それと同じくらい、皆にも恋をしていて――皆はそれを、恋とは違うものなのだと言うのだが――やはり俺にとっては、それもまた恋であって――。

明石の求める恋と、俺の抱く恋は、おそらく違うものだろうと思う。

だとすれば――。

 

『提督は……私が人化したら……恋……してくれますか……?』

 

「…………」

 

いや、待て……。

どうして明石は、恋人にして欲しいと言わないのだ……?

どうして『恋』で止まるんだ……?

夕張の懸念していたことや、明石の抱く不安を考えれば、明石はここで『恋人にしてくれますか?』と問うべきであろう。

『自分だけ愛して欲しい』のだと――。

なのに、どうして――……。

俺は、明石に目を向けた。

 

「…………」

 

嗚呼、そうか……。

そう言わないのは――……。

 

「恋人にして欲しいと言わないのは……お前の優しさか……。そう言ってしまっては、俺が迷うのだと……知っているのだな……」

 

明石は何も言わなかった。

ただ、優しく微笑むだけであった。

 

「明石……」

 

「はい……」

 

「約束は……出来ない……」

 

明石は何かを堪えるように、下唇をキュッと噛み締めた。

 

「俺は……艦娘に恋はしない……と思っていた。してはいけないと……思っていた……」

 

「…………」

 

「だが……そうは出来ない自分がいた……。認めたくはなかった……。認めたこともあったが……それは気休めでしかなくて――そうあればいいのだと思っただけで――。結果として、お前たちを傷つけてしまって――求める恋と、求められる恋は違うのだと知って――だが、俺の求める恋もまた……」

 

考えがまとまらず、俺は頭を抱えた。

――本当は、たった一言で片付くのだ。

考えをまとめる必要も、悩む必要も、本当は――。

 

「提督」

 

明石はそっと、俺の頬に手をあてた。

 

「大丈夫……。私は……受け入れます……。だから……言ってください……」

 

明石がどんな言葉を想定しているのかは分からない。

だが、その表情は――。

だからこそ、俺は――。

 

「明石……」

 

俺は――。

 

「俺だって……」

 

「…………」

 

「俺だって……お前たちが好きだ……。艦娘だとか関係ない……。認めたくはないし……認めてはいけないと思っているのに……。お前たちの求める恋と同じで――俺だって本当は――でも――だからこそ――傷つけたくないのに――耐えるのだって――でも――でも――」

 

何かが決壊したかのように、本音と弱音が溢れ出す。

明石はそれを、どんな表情で聴いていたのかは分からない。

ただ――。

 

「だから……だから……」

 

全てを吐ききったところで、明石はそっと、俺にキスをした。

吐瀉物のような言葉が――口に残る苦い言葉たちが、明石によって浄化されてゆくのを感じる。

 

「――……」

 

明石は唇を離すと、俺を見つめ、もう一度キスをした。

 

「――明石……」

 

「提督……」

 

「…………」

 

「私が島を出たら……『認めて』くれますか……? 私に……『恋をしている』……のだと……」

 

それを約束したら、認めるのと同じなのだがな……。

だが――。

 

「あぁ……。認めるよ……。お前が人化したら、な……」

 

明石は涙を流すと、そっと俺を抱きしめた。

 

「明石……」

 

嗚呼……駄目だ……。

 

「提督……」

 

俺は……本心から認めてしまった……。

艦娘に恋をすることを――こいつらの求める恋と同じ恋心を抱いていることを――。

そして、その先にあるのは――。

 

 

 

朝食後、執務室でぼうっとしていると、大淀が部屋を訪ねてきた。

 

「考え事ですか?」

 

「え?」

 

「朝食の時、何やらぼうっとされていましたが……」

 

そう言うと、大淀はコーヒーを手渡した。

 

「ありがとう。まあ、色々とな……」

 

恋を認めたことは、以前にもあった。

だが、この島の艦娘が少なくなった今、どうしても意識してしまうのは、将来の事であった。

まだまだ課題は残っているはずなのだが、終わりが近づくにつれ、どこか安堵している自分がいたのだ。

自分を押し殺し、仕事に邁進してきた。

だが、艦娘が少なくなるにつれ、俺の中の欲が――いや……。

 

『仕事の顔では無くなった時、本当の顔が見えてくるのだろうと思う。それは、自分自身が認識している顔についても、同じことが言えるのだろう』

 

俺という男は――仕事の顔でない本当の俺は、欲に塗れた醜悪な顔をしているのだろう。

そうでなければ、きっと、俺は明石を――それが出来ないのは――。

 

「――督! 提督!」

 

「んぁ!?」

 

「もう……またぼうっとしている……。本当にどうしたのです……?」

 

「……いや。なんでもないよ。ちょっとだけ、今後の事を考えていただけだ」

 

嘘は言っていない。

思惑通り、大淀はしっかりと勘違いしてくれた。

 

「今後ですか……。そうですね……。やはり、山城さんと霞さんをどうするか……ですね……」

 

「……あぁ、そうなんだよな」

 

いかんな……。

今は、そっちを考えないと……。

山城は……どうにかするとして、問題は霞だ……。

拾った手帳の事は、まだ霞に伝えていない。

伝えてしまえば、霞の見た『夢』を認めることになるし、そうなれば、霞はますます――。

 

「ん……」

 

大淀の手が、俺の頬にあてがわれた。

 

「お一人で悩まないでください……。昨日、私が怒った事……気にされているのですか……? だから、私に何も相談してくれないのですか……?」

 

悲しそうな表情の大淀に、俺は何故か、ドキッとしてしまった。

 

「そ、そういう訳ではない……。ただ……その……うぅむ……」

 

大淀が、不安そうに俺を見つめる。

 

『貴方が私を必要としてくれたから――貴方を守りたいって――力になりたいって――だから……』

 

そうだったな……。

島に残る一番の理由がそうであるのなら、そんな表情にもさせてしまうよな……。

 

「しっ!」

 

俺が急に自分の頬を叩くものだから、大淀は少し引き気味に驚いていた。

 

「スマン、気合を入れたんだ」

 

「き、気合……?」

 

「大淀」

 

「は、はい……」

 

「相談があるんだ。今から言う事は、俺とお前だけの秘密にして欲しい」

 

それを聞いた大淀は、どこか寂しそうな表情を見せた。

 

「フッ、別に、お前に気を遣った訳じゃないぜ。本当に重要なことなんだ」

 

真剣な表情で言ってやると、大淀も仕事モードに入ることが出来たのか、姿勢を正し、俺の言葉を待った。

 

「よし。まず、何から話したらいいか――」

 

俺は、大淀に全ての事を話した。

霞が見たという夢の事や、大和島で夢を共有したこと――そもそも、夢を共有することが出来る事――拾った手帳の事、そこに大淀の写真もあった事――それら全てを――。

 

「山城さんとの交流を成功させた時、雪風さんから、夢を共有しているようだとは聞いていましたが……まさか、夢を共有させているのが雪風さんだったとは……」

 

「詳しくは分からんが、ヘイズの感染量が関係しているらしい。霞曰く、ヘイズの感染量をコントロールできるのではないか、とのことだ」

 

「もしそれが本当なら、凄い事ですよ……」

 

雪風の力にも興味があるようだが、本当に興味があるのは――。

 

「手帳の話……本当に、大淀の写真だったのですか……?」

 

「……あぁ、あれはお前だった。夢にもお前が出て来ていたし、柊木の言う通り、あの夢の世界は――手帳の持ち主がいる世界ってのは、異世界か並行世界で、実在するものなのかもしれない……らしい……」

 

「異世界か並行世界の……もう一人の大淀……という事ですか……」

 

「あぁ……」

 

「そして、顔の無い男は、提督だと……?」

 

「……かもしれない。確証はないが、確信はあった……」

 

こんな話、信じてもらえないだろう。

そう思い、大淀の表情を確認すると――。

 

「……何を笑っているんだ?」

 

「え?」

 

自分で気が付いていなかったのか、大淀は自分の顔に触れ、確認していた。

 

「あ……すみません……。その……嬉しくて……つい……」

 

「嬉しい……?」

 

「だって……異世界か並行世界かは知りませんが……そっちでも、大淀と提督は、出会っているのですよね?」

 

あぁ……なるほど……。

 

「こうしているのは、運命だとでも?」

 

大淀は答えなかったが、少し恥ずかしそうであった。

 

「俺とお前が出会う運命、というよりも、俺が艦娘と関わることになるってのが、運命な気がするがな」

 

「……どうして水を差すような事を言うのです?」

 

「ロマンス気分でいられては困るってことだ。それが出来ないのなら、今の話は忘れて欲しい」

 

そう言ってやると、大淀は唇を尖らせた後「すみません……」と、不貞腐れたように謝った。

 

「……とにかく、そういうこった。この事を霞に話すかどうか、悩んでいる。話してしまえば、霞は、俺が死ぬって事を完全に信じて、ますます人化から遠ざかることだろう。だが逆に、霞を人化させる為には、この話は必要なのかもしれないとも思っている……」

 

「提督は……霞さんの言っていることを信じていないのですか……? 再び深海棲艦が現れて、提督が亡くなるということを……」

 

「お前は信じるか?」

 

大淀は答えなかった。

信じたくはないが、ありえなくはない、と考えているのだろう。

 

「俺は信じていない……。異世界だか並行世界だかは知らんが……仮にそれらが本当であったとしても、同じ未来を辿るとは限らないしな……。そもそも、どうして俺が戦う事になるんだ……」

 

それを聞いて、大淀は何か言いたそうにしていた。

 

「なんだ?」

 

「いえ……。その……提督なら……戦う事を選ぶんじゃないのかなって……」

 

「え?」

 

「今は違うかもしれませんけど……本当に深海棲艦が現れたら、きっと、提督は戦う事を選ぶと思います。私も――皆も、提督とならと、戦う決意をするのではないかと……」

 

「……何を根拠に」

 

「……分かりません。でも……分かるんです……」

 

大淀はじっと、俺の目を見つめた。

 

「分かるんです……」

 

念を押すように、大淀はそう言った。

その瞳は、どこか――。

 

「……霞さんの件、私に任せてくれませんか?」

 

「え?」

 

「考えがあるんです。その為には、提督にも協力してもらわなければいけませんが……」

 

「……何をしようってんだ?」

 

「霞さんが心配していることを解決します。ですから……提督……」

 

「なんだ?」

 

「ここで、決断してください……。もし、霞さんの言う通り、本当に深海棲艦が現れたら――」

 

大淀の提案に、俺は――。

 

 

 

昼食の時間になり、皆が食堂へと集まる。

が、大淀と霞、雪風の三隻は、時間になっても現れることは無かった。

 

「大淀が遅刻なんて珍しいですね。私、呼んできましょうか?」

 

「いや、いいよ。なんか来ていない組で話し合っていたようだし、放っておこう」

 

「放っておこう、って……」

 

明石以外の三隻は、また俺が何かを企んでいるのだと分かっているのか、何も言わず昼食を摂り始めた。

 

「まあいっか……。それにしても、ここのいる方だけ見ても、面白いメンバーが島に残りましたよね。まあ、それぞれが訳アリって感じですけど……」

 

訳アリ……か……。

その訳が何なのか、分かったような分からないような……。

 

「皆さんは、島を出るタイミングって、決めていたりするんです?」

 

その質問に、食堂の空気がピリつく。

おそらく、今までタブーとされてきた話題なのだろう。

その原因は、質問した本人にあるのだろうが、高速修復材の事を知った明石にとっては、もう――。

 

「って……言いたくない……ですよね……。ごめんなさい……」

 

流石に場の空気を察したのか、明石は小さくなってしまった。

仕方ない……。

 

「いいじゃないか。ここまでの人数になったんだ。これからは、お互いを信用し、協力していかなければならん。変な蟠りというか、隠し事無しでいこうじゃないか」

 

そう言って、明石を見る。

明石は察したのか「そ、そうですよ!」と言った。

 

「別に、言ってもいいけど……。その前に、明石の話を聞かせて欲しいわ……」

 

「え? 私?」

 

夕張は何故か、俺に目を向けた。

 

「私たちは今まで、明石に配慮して、そういう話題を避けてきた……。島を出たくても、出られない明石にね……。それは本人もよく分かっているはずだし、それ故に話題にしてこなかった。なのに、今になって何故、明石自らその話題を出してきたのかしら……?」

 

本当……変なところで鋭いよな……。

 

「そ、それは……提督の言う通り、隠し事を無くしたいと思っただけで……」

 

明石が困った表情で俺を見る。

隠し事は無し……か……。

ブーメランになっちまったな……。

けど、そうだよな……。

 

「明石」

 

「は、はい……」

 

「いいか? 話しても……」

 

それが何の確認なのか、明石も分かっていたのだろう。

少し考えた後、小さく頷いてくれた。

 

「この際だ。全てをお前たちに話そうと思う。だから、お前たちも、本音で俺にぶつかって欲しい」

 

そう言って、俺は皆に隠してきたことを全て話してやった。

高速修復材の事、夢の事、霞の不安――それら全てを――。

 

「――以上だ」

 

話し終えると、皆は黙り込んでしまった。

それぞれが何を考えているのかは、容易に想像がついた。

高速修復材の存在――そして、再び深海棲艦が現れる可能性と、それに伴う俺の死――。

 

「……どうして」

 

そう言ったのは、明石であった。

 

「どうして……提督が死ぬんですか……!? どうして、提督が戦いに!? なんでさっき、その話をしてくれなかったんですか!?」

 

「落ち着け明石。所詮は夢の話だ」

 

「で、でも! 手帳は見つかっているし、そこに高速修復材の製造方法が書かれているって……。写真だってあるんですよね!?」

 

「それはそうだが……」

 

「霞ちゃんが言うように、艦娘が人化して、深海棲艦が現れることになるのなら――提督が死んでしまうというのなら、私は人化なんてしません……!」

 

そう言うと、明石は拳を握りながら、俯いてしまった。

まさか、ここまで話を信じるとは……。

 

「山城さんだって……信じているんじゃないですか……? だからこそ、夢での出来事でも、あれほどまでに――提督の意識が戻らないのかもしれないと――心配していたんじゃないのですか……?」

 

そう訊かれ、山城は俯いてしまった。

夢の影響力を山城はよく知っている。

たとえ現実でないにしても、何かしらの大きな意味を持っているという事も……。

 

「貴方がそこまで言うのだから、明石の心配も仕方がないわ……。落ち着けと言うのなら、はっきりと夢を否定したらどうなのよ……」

 

夕張はムスッとした表情で――だが、どこか悲しそうな表情でそう言った。

永い沈黙が続く。

 

「それで?」

 

皆の顔が、声の主――大和に向く。

大和の表情は、いつもと変わらず、どこか穏やかそうに見えた。

 

「提督は、どのようにお考えなのですか? 人化を諦めることも、死ぬことも、提督の頭には無いのでしょう?」

 

そう言って、微笑む大和。

その表情に、俺は冷静さを取り戻すことが出来た。

どうやら、気を遣われたらしい。

 

「……あぁ。諦めたり、死ぬつもりもない。正直、深海棲艦が現れるだとか、俺が戦う事になるだとか、そういったものは信じていない」

 

「でも……あり得なくはないし……。そうなったら……どうするのよ……?」

 

そう訊いたのは、山城であった。

流石に心配になったのか、はたまた助け舟を出してくれたのか……。

 

「それを皆さんで考えませんか?」

 

そう言ったのは、いつの間にか食堂へ入って来ていた、大淀であった。

 

「大淀」

 

「……皆さんに話してしまったのですね」

 

何やら、怒っているのだとでも言うように、目を細める大淀。

 

「……まあいいです。逆に、都合がいいです。ですよね? 霞さん」

 

隠れていたのだとでも言うように、霞が姿を現した。

カッコいいな、その登場の仕方。

霞は俺の前に立つと、キッと睨んだ。

 

「大淀さんから全部聞いたわ……。どうして、私には話してくれなかったのよ……」

 

「話したじゃないか。大淀経由で」

 

「先に話してほしかった……!」

 

「どうしてだ?」

 

「どうしてって……。それは……」

 

何やらモゴモゴとする霞。

 

「と、とにかく! 大淀さんを巻き込むんじゃないわよ! 結果として、皆も巻き込むことになるじゃない!」

 

「お! という事は、大淀の案に賛成って事か?」

 

霞が言葉に詰まっていると、大和が挙手した。

 

「はい、大和さん」

 

「その案とは? 私たちで、何を考えるのです?」

 

大淀は、メガネをスチャリとかけなおすと、ドヤ顔で言った。

 

「皆さんが心配している『本当に深海棲艦が現れたら、提督はどうするべきなのか』という事を考えるんです」

 

あまりにも間抜けな案だと思ったのか、皆は黙り込んでしまった。

その静寂を切り裂いたのは、雪風の声であった。

 

「雪風は、しれえが戦えるように、皆さんで鍛えるのがいいと思います!」

 

「鍛える?」

 

「はい! しれえは戦略の事、なっっっっっんにも分かっていません! ただのペテン師です! ですから、上手に戦えるよう、実戦を経験した雪風たちが、提督としての立ち回りを指南するんです!」

 

俺が何も分かっていないのは事実だが、そんなに強調する必要あるか……?

 

「私もそれに賛成です。霞さんも、そうですよね?」

 

霞はモゴモゴしつつも、小さく頷いた。

 

「ちょ、ちょっと待って! はい!」

 

挙手したのは、明石であった。

……ってか、挙手制なのか?

 

「はい、明石」

 

「えと……じゃあ……提督が戦うってことに、大淀も霞ちゃんも……雪風ちゃんも賛成って事!?」

 

「えぇ、そうね」

 

「そうねって……。鍛えるって言っても、提督が戦う必要ないじゃない……! 死んじゃうかもしれないのよ!? そんなの……」

 

明石は、山城たちに目を向けた。

 

「私は……反対です……。深海棲艦が現れたとしても、提督には関係のない事です……。皆さんもそうですよね!?」

 

大和も山城も、何も言わなかった。

いや、言えなかったのかもな……。

 

「でも、もし戦う事になってしまった時の事を考えたら、やっぱり鍛えた方がいいはずよ」

 

そう言う大淀に、明石は眉をひそめた。

 

「だったら……戦わなくていい方法を考えるべきだわ……。別に戦う必要は無いし、提督だって戦うつもりはないって言っているじゃない……」

 

「信じていないってだけで、戦わないとは言っていないわ」

 

らしくない、どこかイカレているかのような雰囲気で返す大淀。

明石は俺に視線を向けた。

そうなのか? とでも言いたげに。

 

「確かに、言っていないな」

 

「提督……!」

 

「落ち着け。俺は信じていないよ」

 

「……なら、言ってください。もし、深海棲艦が現れても、戦わないのだと……」

 

ここで「戦わない」と言ってもいいのだが……。

 

「戦うわ……」

 

そう言ったのは、霞であった。

 

「この男は……戦う……。たとえ、ここで約束したとしてもね……。深海棲艦が現れたら、戦うのは私たちになると思う……。そうなった時、この男が黙っていると思う……? 自分の安全だけを考えられると、本気で思っている……?」

 

「……思っていないわ。思っていないから、私は……!」

 

「……私も、明石さんと同じ気持ちよ。だからこそ、人化は絶対しないと誓った……。でも……大淀さんに言われて気が付いたの……。そうは言っても、いつか、私たちは強制的に人化される時が来るって……。それがいつかは分からないけど、そう遠くない未来であったのなら――実際、この寮の改装が行われたのだって、私たちが近いうちに人化することを想定されて――そうなった時、この男は、何の準備も無いまま――されど、戦う事を決意して――」

 

霞は、色んな不安を口にした。

大淀の脅しが相当効いているらしい。

――いや、それだけではないはずだ。

おそらくは――。

俺は、雪風に目を向けた。

いつもの間抜けな表情ではあるが、それが却って不気味に感じた。

 

「戦う事に賛成はしない……。けど、そうなってしまった場合の対策はするべきだと思った……」

 

なるほど……。

これが、大淀の考えたシナリオという訳か。

しかし、ここまで決意させるとは……。

 

「それでも……それでも、私は反対です! 確かに、霞ちゃんの言う通りかもしれませんが……却って提督の背中を押すことになるのではありませんか!? 戦う気にさせてしまうのでは!?」

 

「じゃあ……明石さんは、何も出来ないこの男を、戦場に放るつもり……?」

 

「だから、戦わせるつもりは……!」

 

「戦うのよ……! この男は、そういう男なのよ……!」

 

反論しようとする明石を止めたのは、山城であった。

 

「山城さん……」

 

「私も……提督は戦う人だと思います……。この男は……自分を犠牲にすることに躊躇がありません……。そうよね……?」

 

山城は雪風を見た。

 

「そうです! 死んでしまうかもしれないのに、夢の中で雷に打たれたのが、その証拠です!」

 

そうか……。

山城が一番、それを痛感しているはずだよな……。

 

「私も同じ意見です。提督は戦うような人だと思います。それに、ここで「戦わない」と約束したところで、守るような人だと思う?」

 

大淀がそう言うと、大和がフッと笑った。

 

「ペテン師、ですしね」

 

「えぇ」

 

和やかな雰囲気に、明石は眉をひそめ、夕張に目を向けた。

 

「夕張はいいの!? 提督にこんな事……」

 

「私は信じていないけど……別にいいんじゃない……? 何もしないよりはマシよ。それに、たとえ反対されても、提督は、霞ちゃんと交流する為に、大淀さんたちの話にのると思うわ。そうよね?」

 

夕張は、どこか不貞腐れた表情で、俺を見た。

これでいいんでしょ? とでも言いたげに。

 

「よく分かっているな」

 

「提督……!」

 

「まあ落ち着け。深海棲艦が現れるだとか、俺が戦う事になるだとか、そういうのはどうでもいい。今は、霞の不安を解消してやることが第一優先だ。俺を鍛えることで解消されるってんなら、付き合うぜ。所詮は遊びみたいなもんだろうし、暇つぶしにもなる」

 

その言葉に、霞はムッとした表情を見せていた。

俺の意図も気が付いたのか、大和ものっかるように言った。

 

「ゲームみたいで楽しそうですね。そういう感覚であれば、大和も協力しますよ」

 

その流れを見逃すまいと、大淀が続ける。

 

「遊び感覚では困ります! やるからには、実戦に近い形でやりますので、覚悟してください!」

 

「実戦に近い形……?」

 

「そうです。それには、雪風さんの力が必要です」

 

「雪風の力?」

 

「はい! リアルな戦場を夢の中で再現して、そこで戦ってもらうんです!」

 

だから雪風なのか……。

というか……。

 

「……当たり前のように言っているが、また夢の世界に入るってことか? つーか、リアルな戦場を再現するってなんだよ……?」

 

「皆さんの夢にアクセスして、その記憶から戦場を創造します! 深海棲艦の行動パターンも、大淀さんがしっかり記憶していますから、完璧です!」

 

「夢にアクセスし、記憶から創造……ね。ははは……」

 

いや、もう笑うしかねぇよな……。

何だよその無茶苦茶な設定……。

原作設定を無視した二次創作小説かよ……。

 

「……なんか、完全にやる流れになっていますけど」

 

明石は目を細めると、じっと俺を見つめた。

 

「まあ、やるしかないだろうな。協力してくれるだろ? 明石」

 

「……そう訊くのは卑怯ですよ」

 

「フッ、決定だな。さ、この話はもう終わりだ。俺は部屋に戻る。昼食がまだな奴らは、早く済ませておけよ。冷めちまうぞ」

 

そう言って、俺は足早に部屋へと戻った。

 

 

 

しばらくして、執務室に大和がやって来た。

 

「またトンデモナイ事を考えましたね……。食堂では、皆さん、まだ色々と話し合っていますよ……」

 

そう言って、お茶を渡す大和。

まだ色々と話し合っている、か……。

やはり、先に食堂を出て正解だったな。

俺が居ては、気を遣い、踏み込んだ議論が出来ないだろうしな。

 

「ありがとう。別に、俺が考えたことではないよ。大淀の案だ」

 

「そうなんですか? 如何にも貴方が考えそうなことなのに」

 

「フッ、確かにな」

 

お茶に口をつけると、大和は近くの座布団に座った。

 

「……さっきは助かったよ」

 

「何の事ですか?」

 

「ゲームみたいだと言ってくれたことだよ。おかげで、ピリピリした場が和んだし、明石も納得してくれたようだ」

 

「別に、大和は、提督にのっかっただけですから」

 

「それに対してのお礼だよ」

 

そう言ってやると、大和は顔を隠すように、両手で湯呑を持ち、口をつけた。

 

「……そういや、皆の本心を聴きそびれてしまったな。俺からは、あれだけの話をしてやったというのに……」

 

「別にいいじゃないですか。それに、皆さんも、まだ色々と悩んでいるのだと思いますよ。提督に心を開いて、まだそんなに時間も経っていないわけですし……。すぐに島を出る方が特殊で、普通は私たちと同じように、悩むはずなんですよ?」

 

「私たちと同じように、ねぇ……」

 

俺は、あえて大和に目を向けなかった。

大和もそれが分かっているのか、何も言わず、手のひらで湯呑を転がすのみであった。

 

「ま、お前の言う通りだな。普通、すぐに、どうしたいだとか、分かるものでもないよな」

 

「えぇ……。皆さん、色々と悩むことがあるはずですよ」

 

「……色々と悩むこと、か。つまり、悩めるだけの何かは、もう掴んでいるという事か?」

 

大和は一瞬の躊躇いを見せた後、「そうかもしれませんね」と言った。

それが、大和自身に向けられた質問であることは、大和も分かっているはずだ。

だとしたら、大和は一体、何に悩んでいるというのだろうか……。

 

「……訓練の件、くれぐれもお気をつけください。夢とはいえ、特殊なもののようですから」

 

「あぁ」

 

「では、私はそろそろ失礼します……」

 

「――大和」

 

俺の呼びかけに、大和は振り向かず、ただ足を止めるだけであった。

 

「いつか、聞かせてくれよな……」

 

何をとは言わなかったが、大和は訊き返すことも無く、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 

「…………」

 

 

 

結局、俺が家へと戻る時間になっても、皆は話し合いを続けていた。

 

「まだまだ話し合いは続くみたいです。消灯時間ではあるのですが、今回は目を瞑ってくださいませんか?」

 

申し訳なさそうに頼む大和。

 

「あぁ、分かったよ。つーか、お前がそんな顔する必要はないだろ。むしろ被害者なのに」

 

「大和が煽ったところもありますから……。それに、一度は、こういう感じで、提督に接してみたかったのです」

 

「こういう感じとは?」

 

「業務というか、一緒にお仕事をしている……みたいな……。鳳翔さんとか、大淀さんとか――そういった方たちみたいに、信頼されているような――パートナー……みたいな……感じです……」

 

自分で言っていて恥ずかしくなったのか、大和は顔を赤くして、小さくなってしまった。

その姿に、俺もまた、赤面してしまった。

 

「まあ……パートナーかどうかは分からないが……信頼しているよ……。色々と……助かっているしな……」

 

永い沈黙が続く。

 

「……じゃあ、俺は家に帰るよ。あまり長くなるようであったら、中断するよう説得してくれるとありがたいのだが……」

 

「は、はい。分かりました」

 

「悪いな。じゃあ、おやすみ」

 

「……提督」

 

振り返ると、大和はじっと、俺の目を見つめていた。

 

「な、なんだ?」

 

「その……いつでも、大和を頼ってくださいね?」

 

「え?」

 

「これから、大淀さんも忙しくなるでしょうから……。大和は、そんなに忙しくないので……」

 

何やらもじもじと手を揉む大和。

何か、俺の言葉を待っている様子であるが……。

 

『パートナー……みたいな……感じです……』

 

――そういう事か。

 

「……あぁ、そのつもりだ。メンツを見ても、大淀以外では、お前くらいしか頼れそうもないしな」

 

それが俺の照れ隠しであることは、大和も分かっていたのだろう。

小さく笑うと「消去法じゃないですか」と、唇を尖らせて見せた

 

「フッ、冗談だよ。頼りにしているよ、大和」

 

「もう……ふふっ。えぇ、大和にお任せください」

 

大和の優しい笑顔に、俺も思わず微笑んでしまった。

……嗚呼、この感覚は――。

 

「……じゃあ、今度こそ。おやすみ、大和」

 

「はい。おやすみなさい、提督」

 

俺はゆっくりと、家へと歩き始めた。

途中、振り返ってみると、大和が見送りを続けていた。

そして、俺の視線に気づくと、小さく手を振って見せた。

 

「あぁ……クソ……」

 

俺はそのまま、早歩きで家へと戻った。

一度も振り返ることはせずに――。

もう一度振り返ってしまったら、きっと、俺は――。

 

 

 

翌朝。

目を覚ますと、目の前に大淀の顔があった。

 

「んぉぁっ!?」

 

「あ……」

 

大淀は、驚いたとでも言いたげに、自分の口に手をあてた。

 

「お、大淀……?」

 

「……おはようございます、提督」

 

「……おはよう」

 

時計を見ると、朝の六時であった。

 

「……こんな朝早くから、何してんだ?」

 

「え? あ、えと……朝食を持ってきたんです」

 

そう言って、風呂敷包みを見せる大淀。

 

「朝食? どうして?」

 

「昨日の話し合い、結構遅くまでやってしまって……。皆さん、まだ眠っているんです。起こしたら悪いかなって……」

 

「そうだったか……。お前は平気なのか?」

 

「私はコーヒーで目が覚めるタイプなんで」

 

確かに、目を覚ました時、ほんの少しだけ、コーヒーの香りがした。

というか……。

 

「提督?」

 

「……俺も、コーヒーで目が覚めるタイプなんだ。おかげで目が覚めたよ」

 

そう言ってやると、大淀は一瞬、何を言っているのか分からないというような表情を見せたが、すぐに理解できたのか、顔を真っ赤にして「すみません……」と謝った。

 

 

 

朝食は、おにぎりと昨日の残り物であった。

 

「それで? 昨日は何をあんなに話し合っていたんだ?」

 

「はい。提督をどのように訓練するか、について話し合っていました」

 

どのように訓練するか……か。

てっきり、まだ明石が反対していて――或いは反対に賛成する奴が出て来て――そういう話をしているものだと思っていたが……。

 

「まずは、提督に座学を受けてもらった方がいいという結論になりました。昨日の話し合いの大半は、その座学の内容や、テキストの作成についてでした」

 

大淀は、何冊かノートを手渡した。

そこには、様々な用語や、図解入りで戦術などが記載されていた。

 

「すげぇな……。一晩でこれを?」

 

「おかげで一睡もしていないんですよ?」

 

そう言って、コーヒーを啜る大淀。

なるほど……。

早起きしたのではなく、そもそも寝ていなかった訳か……。

 

「座学を担当するのは大淀です。朝食後から消灯時間まで、みっちり勉強してもらいますので、覚悟しておいてくださいね」

 

「座学か……。面倒だな……」

 

「どうせ暇でしょう?」

 

「俺にだって仕事はあるんだぜ?」

 

「書類仕事は大和さんが担当してくれるそうですので、ご安心を」

 

「……きっちりしてんな」

 

すると、昨日、大和が言っていたパートナーってのも、実はそういう意味だったのか?

 

「本来であれば、座学は一年以上受けて欲しいのですが……時間もありません。一か月で詰め込みます」

 

「一か月!? そんなかかるのか……!?」

 

「一年でも早すぎるくらいなんです。それに、最も重要な夢の中での実践(?)も控えています。だらだら座学をやっている訳にはいかないんですよ」

 

「そうなのだろうが……。そこまで真剣になる必要あるか? そもそも、これは霞との交流がメインの『作戦』であって……」

 

「真剣にやらなければ、霞さんも勘付きますよ。それに、本当に深海棲艦が現れてからでは、遅いんですよ……」

 

そう言うと、大淀は俯いてしまった。

 

「……話し合いの中で、お前も明石に感化されたって訳か」

 

大淀は何も言わなかった。

 

「……分かったよ。やるよ。やればいいんだろ?」

 

「仕方がなくやる……という訳ですか……。そういう態度では、いつまで経っても座学を終わらせられませんよ? テストだってしますし、そこで合格点を出せなければ……」

 

「大丈夫だよ。完ぺきなテキストもあることだしな」

 

そう言ってやっても、大淀は細い目を俺に向けるだけであった。

 

 

 

お昼過ぎになると、皆も起き始め、結局眠ってしまった大淀の代わりに、俺が勉強しているかの監視を始めた。

 

「提督! 何サボっているんですか!?」

 

「明石。サボっている訳じゃないよ。ちょっと休憩だ」

 

「休憩って……。テキストはどこまで読みましたか?」

 

「あー……3ページくらいか?」

 

「全然じゃないですか!」

 

「理解するまで次に進めない質なんだ。分かりやすいとはいえ、イメージが掴めんのだ」

 

「戦場に出たことがない分、難しいのかもしれませんね」

 

大和がそうフォローすると、明石はどこか不機嫌そうな表情を見せた。

 

「単純に、理解しようとしていないだけでしょ……。そんなに難しい事、書いていないはずよ?」

 

「そら、戦場に出たことがある奴にはそうなのだろうが……」

 

「夕張の言う通りよ……。もっと真剣になったらどうなのよ……」

 

山城まで責め始め、俺は助けを求めるように大和を見た。

が、少し困った表情で微笑むだけであった。

 

「霞さんは、しれえを責めないんですか?」

 

「オイ、わざわざ焚きつけんなよ」

 

霞は俺をチラリと見た後、退屈そうに答えた。

 

「別に……。やる気がなければ、ただ時間が過ぎるだけだし……。私にとっては、そっちの方が都合がいいわ」

 

何故都合がいいのか、霞は詳しく説明しなかった。

俺がその都合をよく理解しているからこそ、説明はしなかったし、良い『焚きつけ』になると考えたのだろう。

 

「……分かったよ。やるよ……」

 

そこから消灯時間になるまで、皆に睨まれながら、勉強に励んだ。

 

 

 

 

 

 

その日の夜、俺は夢を見た。

 

『……オイ、いるんだろ?』

 

俺の呼びかけに、大人の姿をした雪風が姿を現した。

 

『てめぇ……』

 

『流石しれえですね。一瞬で状況を理解されるとは』

 

『どういうつもりだよ?』

 

そう問うた時、辺りの風景が、いつか曙との夢で見た執務室へと変わった。

 

『ここは……』

 

『――鎮守府の執務室です。しれえは基本的に、こちらでお仕事をされることになります』

 

窓の外で、何かが爆発するかのような音が聴こえる。

見てみると、遠くの海で、駆逐艦とみられる艦娘が訓練していた。

 

『……なるほど』

 

俺は雪風に目を向けた。

 

『座学はまだ済んでいないが……?』

 

『だからこそです。イメージが掴めないというのなら、体験してもらった方がいいかと思いまして』

 

『それで俺を夢に? そりゃありがたいね。睡眠中でも勉強できるなんて、最高だよ』

 

嫌味っぽく言ったつもりであったが、雪風は表情一つ変えなかった。

 

『今から体験してもらうシチュエーションは、戦時中の『司令官』の仕事を再現したものとなっています。雪風はいないものとしてくださいね。では、スタートです』

 

『スタートって……。俺はまだやるだなんて一言も……』

 

始まりの合図をするように、扉がノックされる。

仕方ねぇ……。

やらなかったらやらなかったで、皆にチクるだろうしな……。

 

『……どうぞ』

 

『しれえ、そこは、入れ、でお願いします。しれえは偉いんですから、威厳を見せつける意味でも、言葉は強い方がいいです』

 

こまけぇな……。

いないもの、なんじゃねーのかよ……。

 

『……入れ』

 

「失礼します」

 

入って来たのは、大淀であった。

雪風に目を向ける。

 

『夢の産物です。この世界には、しれえと雪風しかいません』

 

そりゃ安心だネ。

 

「偵察艦隊、帰還いたしました。こちらが成果となります」

 

『ご苦労』

 

大淀から書類を受け取る。

そこに書かれている内容は、何が何だかさっぱり理解できなかった。

 

「いかがでしょうか?」

 

『え?』

 

「えと……見解をいただきたいのですが……」

 

見解……。

 

『これはテキストに書いてありましたよ。ちゃんと読んでいないから、書類の内容が理解できないんです』

 

確かに、書いてあったような、なかったような……。

 

『……お前はどう思う?』

 

そう言って、大淀に書類を渡す。

 

『ペテン師らしい対応の仕方ですね』

 

うるせぇ。

 

「そうですね……。やはり、北緯――東経――その辺りでは、深海棲艦のイ級の活動が活発で――ですから――」

 

何を言っているのか全く分からん……。

まるで、外国の言葉を聞いているようだ……。

こんなん、座学で分かるようになるもんなのか?

 

「――以上が大淀の見解です。いかがでしょう?」

 

『あ、あぁ……俺も同じように考えていたよ。そこまでの分析が済んでいるのなら、次はどうするべきか、分かっているな?』

 

「えぇ。お任せいただければ、その通りに」

 

『よし。この件はお前に一任する。必要なことがあれば、随時言ってくれ』

 

「ありがとうございます! では、失礼いたします!」

 

『うむ』

 

大淀が部屋を出て行くと、雪風は呆れた表情を俺に見せた。

 

『なんだよ? その顔は……。上手く切り抜けただろ?』

 

『全然ですよ……。ほら、見てください……』

 

雪風は、目の前にモニターのようなものを出現させた。

そこに、大淀と明石が映し出される。

 

「大淀、どうだった?」

 

「いつものペテンが発動したわ。本当、しょうがないんだから……」

 

「相変わらずねぇ……」

 

「まあ、そのおかげで、こっちは好きにやらせてもらっている訳だし、下手な指揮を執られるよりも、客寄せパンダになっててくれていた方がマシよ」

 

「本当、人気だけはあるからね~。提督の下で戦いたいって艦娘が、跡を絶たないって話じゃない」

 

「おめでたいわよね。配属されても、実際の指揮を執っているのは提督ではないから、実態が分からないのよね。まあ、そっちの方が幸せかもね」

 

「言えてるわ」

 

遠ざかる二隻の笑い声と共に、モニターが消える。

 

『完全にナメられてますね、しれえ』

 

夢であると分かっていても、何故かダメージを受けている自分がいる。

それはおそらく、こういう未来があってもおかしくないと、不安になっている自分がいるからなのだろう……。

 

『まあ、実際のお二人だったら、あんなことは言わないでしょう。しかし、そう思われても仕方がないと、しれえも分かっていますよね?』

 

俺はそれに、返事をすることが出来なかった。

 

『さて、ここからは、大淀さんに一任したしれえの判断が正しかったのかを見てみましょう』

 

そう言うと、辺りの風景は、どこかの海上へと変化した。

 

『先ほど、大淀さんが話していた地点のようですね』

 

俺と雪風は、どうやら宙に浮いているようであった。

 

『見てください』

 

雪風の指す方向。

そこに、艤装した艦娘達がいた。

 

『鳳翔さん、鹿島さん、大井さん、卯月ちゃん、皐月ちゃん、霞さんの艦隊ですね。絶対にありえない編成ですが、まあ、夢ですので』

 

あり得ない編成なのか……。

ありそうなもんだがな……。

ふと、遠くから小さな飛行機が飛んでくるのが見えた。

それが鳳翔の持つ甲板(?)に着陸(?)した。

 

「――の方向、距離として――にイ級を数隻確認。こちらに気が付いている様子はありません」

 

「敵の位置は、今回の作戦海域外ですね。もう少し様子を見て、侵入するようであれば、迎撃しましょう」

 

そう言う鹿島の言葉に、皆が頷く。

大井と霞を除いて……。

 

「様子を見る必要なんていないわ。すぐに攻撃を仕掛けるべきよ」

 

「お、大井さん……。しかし、勝手な行動は……」

 

「あいつは言ったそうじゃない。大淀さんに一任するって。その大淀さんも、臨機応変に対処していいと言っていたし、ここは先制攻撃するべきよ」

 

皆が困惑する中、霞が言った。

 

「私も大井さんに賛成よ……。相手はイ級だし、私たちだけで対処できるはず……」

 

「けど……」

 

「少しでも、あいつの脅威となる存在を消しておきたいのよ……。それは皆も同じはず……。違う……?」

 

駆逐艦連中が俯く。

 

『不穏な流れですね。大淀さんの指揮を無視しそうですよ』

 

雪風の目が、俺を見つめる。

……分かっている。

俺が指揮を執っていれば、こうはならないとでも言いたいのだろう?

 

「確かに……イ級だったらボクたちでも……」

 

「司令官の安全を考えるのなら、ここで倒すべきかもしれないぴょん……」

 

「みんなまで……。ほ、鳳翔さん……」

 

助けを求めるように鳳翔を向く鹿島。

しかし――。

 

「……鳳翔さん?」

 

「確かに……イ級程度だったら……」

 

「決まりね。鳳翔さん、後援をお願いします。皆、行くわよ!」

 

「はい!」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

陣形が崩れ、各々が速力を上げて海を走る。

それを追う鹿島。

無線のようなもので、誰かと連絡を取っている。

鳳翔が矢を射ると、それが小さな戦闘機へと変化し、大井達の頭上を通過してゆく。

 

『これが……艦娘の戦闘……』

 

海の上を滑るように走り、戦闘機を射る。

そんな、アホみたいな光景が――夢であるとはいえ――俺の目の前で繰り広げられている。

文献を読んで、鼻で笑った光景が――今、目の前で――。

 

『しれえ、見てください』

 

雪風の言葉で、我に返る。

遠く、何かが爆発したのが見え、それを知らせる音が、少し遅れて聴こえてきた。

 

『あれが、深海棲艦です』

 

煙から飛び出す、黒い何か。

水しぶきをあげ――時折煙をあげながら、こちらに近づいてくる。

 

『なんだ……あれは……』

 

言葉で表現するには難しい何かが、こちらに向かってきている。

人工物?

いや、それにしては動きが――。

それと――。

 

「ウォォォォォォォ……」

 

鳴き声――いや、雄叫び……?

クジラだとか、大型の動物でも、あそこまで大きな声では鳴かない。

あれが、深海棲艦……。

 

「上空に敵機確認! イ級だけじゃなかったの!?」

 

上空――謎の飛行物体が、ものすごい速度でこちらへ飛んでくる。

それを迎撃する駆逐艦と、小さな戦闘機。

だが――。

 

「うっ……!」

 

「皐月!」

 

敵の爆撃に、再び陣形が乱れる。

それに構うことなく飛び出したのは、霞であった。

 

「霞ちゃん! 単独行動は……!」

 

「大丈夫よ……!」

 

敵の一隻に、狙いを定める霞。

 

「あいつには……指一本触れさせないんだから……!」

 

砲撃と魚雷の発射によって、数隻の敵艦が沈んでゆく。

 

「次っ!」

 

霞に続くように、皐月や卯月も――。

 

『…………』

 

俺はその光景に、ただただ何も言えずに、立ちすくむことしかできなかった。

 

『これが戦争です。しれえ』

 

辺りに漂う火薬のニオイ。

敵艦隊の断末魔。

 

『――っ!』

 

突如、俺の目の前に現れる深海棲艦。

 

「グォォォォォォォ!」

 

一気に血の気が引き、体が震え出す。

声が出ない。

それどころか、呼吸が出来ない。

怖い……。

怖くて叫びたいのに、何も出来ない……!

 

「くらえ……!」

 

皐月の砲撃で、沈む深海棲艦。

 

「次っ! 二時の方向、来るよ!」

 

『間一髪でしたね、しれえ。と言っても、攻撃される心配なんて無いのですが』

 

『……どうして』

 

やっとの事で声を絞り出し、俺は雪風を見た。

 

『どうしてあいつらは……平気なんだよ……?』

 

体の震えは、まだ続いている。

 

『どうしてあんなのと戦えるんだ……。俺は……』

 

雪風は、俺をそっと抱きしめると、背中をさすってくれた。

 

『だからこそですよ……』

 

『え……?』

 

『あんなに怖いものを、しれえに近づけさせない為に、彼女たちは戦うのです』

 

『……怖くないのか?』

 

『怖いはずです。でも、それ以上に――』

 

突如、悲鳴があがる。

 

「皐月……!」

 

流血する皐月。

腕が一本、無くなっていた。

 

「だ、大丈夫だよ……! まだ、一本残っているから……!」

 

遠くの方で、何かがキラリと光る。

瞬間――。

 

「あ……」

 

『皐月……!』

 

叫んだ時には、もう遅かった。

皐月の体が、爆風によって、遠くへ飛ばされてゆく。

そして、海に叩きつけられ、数回跳ねたのち、すべるようにして止まった。

 

『皐月……!』

 

近付き、顔を見た時、俺は――。

 

「あ……あれ……なんだろう……。海が……暗いよ……? なにも見えない……どうして……」

 

『……っ』

 

まただ。

声が出ない。

震え、発汗――。

そして――。

 

『う……うっ……』

 

嗚咽。

悲しみというよりも、絶望。

いや、それ以上の――。

 

「司令官……」

 

『……!』

 

「ボク……司令官に……まだ……」

 

『皐……月……』

 

「司令官……大好……き……」

 

突如、皐月の体が沈みだした。

 

『皐月……? 皐月……!』

 

声が届かないことは分かっている。

触れられないことも――それでも――。

 

「タ級を確認! どうやら罠だったようね……!」

 

大井が冷静に対処している。

皐月が沈んだことを忘れているかのように、皆も戦闘に集中している。

 

『…………』

 

どうしてそんなに冷静でいられるんだ……。

 

『皐月が沈んだのに、どうして……!』

 

『それが戦場というものです。沈んだ者は、【同じように】は戻ってきません。人間の死と似ています』

 

雪風もまた、冷静であった。

先ほど慰めてくれた彼女は、もういなかった。

 

「これ以上は危険です! 撤退しましょう!」

 

「そんなこと言ったって、この数じゃ……!」

 

「うーちゃんが囮になるぴょん!」

 

「卯月……!?」

 

「全滅するよりはマシぴょん。この中で、居なくなってもそこまで影響がないのは、うーちゃんだぴょん……。だから、早く行って欲しいぴょん!」

 

「でも……!」

 

「それに、皐月を一人にするわけにはいかないぴょん。せめて、最後まで一緒に居てあげたいんだぴょん」

 

無理して笑う卯月。

それを分かっているのか、皆の表情は――。

 

「……分かったわ。卯月……あんたの事は、必ずあいつに伝えるから……。最後まで、勇敢だったって……」

 

「うん……! 司令官によろしくぴょん!」

 

皆が撤退してゆく。

卯月は大きく旋回すると、砲撃しながら、敵をけん制し始めた。

 

「うーちゃんは不沈艦ぴょん! 鬼さんこちら~手の鳴る方へ~」

 

そう言って、敵に背を向けた瞬間であった――。

 

『卯月……!』

 

砲撃が、卯月の足に命中し――。

 

「痛っ……」

 

今にも泣き出しそうな卯月。

だが――。

 

「う……うぅぅぅ……!」

 

残った片足で、海を走る卯月。

 

『やめろ……』

 

俺は、雪風に目を向けた。

 

『頼む……! もうやめてくれ……! これは夢なんだろ!? こんな酷いものを見せなくてもいいじゃないか……!』

 

雪風は、ゆっくりと俺を見た。

その瞳は――。

 

『目を逸らすのですか……?』

 

『え……?』

 

『そうやって、逃げるんですね……。しれえが逃げたところで、戦いは避けられませんよ……。この光景が変わることは無いんです……』

 

瞬間、俺たちの目の前を、何かが通り抜けていった。

そしてそれは、皐月と同じように跳ねると――。

 

『あ……あぁぁ……』

 

美しいピンクの髪は、黒に近い赤に染まっていた。

 

「みんな……逃げられたかな……。うーちゃんは……これでお別れぴょん……。司令官……泣かないで……ね……」

 

沈みゆく体に手を伸ばす。

だが、掴めるわけも無くて……。

 

『卯月……。う……うわああああああああああああああ……!』

 

深海棲艦が撤退してゆく。

俺はただ、泣き叫ぶことしかできなくて――そんな俺を、雪風はただ、何も言わずに見つめるだけであった。

 

 

 

 

 

 

強い光に目が覚める。

 

「……!」

 

起き上がると、ものすごく汗をかいていて、汗と混じった涙が、頬を伝っていた。

 

「夢……か……」

 

安堵する以上に、俺は――。

 

「夢で良かったですね」

 

そう言ったのは、雪風であった。

 

「雪風……」

 

「いつものように、怒りますか?」

 

俺の心情を理解しているのか、あえてそう問う雪風。

 

「…………」

 

「どうやら、夢に呑まれたようですね。霞さんと同じように」

 

なるほど……。

 

「それが……お前の本当の狙いって訳か……」

 

「どうやら、効き過ぎたようですけどね」

 

「……あぁ」

 

俺は目を瞑り、夢を思い出していた。

 

「なあ……雪風……」

 

「はい」

 

「俺に……あの『夢』のような惨劇を防ぐことが出来るって……思うか……?」

 

「えぇ、しれえなら、必ず出来ると信じています。皆さんも同じでしょうし、その為に色々と考えましたから」

 

「……そうか。そうだよな……」

 

項垂れる俺の背中を、雪風は夢と同じように、そっと撫でてくれた。

 

「今日はお休みください。色々と気持ちの整理があるでしょうから。皆さんには雪風から伝えておきます」

 

「あぁ……頼む……」

 

そう言うと、雪風はその場を後にした。

 

「はぁ……」

 

所詮は夢だ。

そう割り切ってもいい。

だが――。

 

『夢に呑まれたようですね。霞さんと同じように』

 

霞は、ずっとこんな思いを……。

 

『私は絶対に人化しない……。それが……あんたを守ることになるから……。もう、あんたを戦わせない……。決して……死なせないから……』

 

霞の覚悟が、身に染みて分かった。

 

「皐月……卯月……」

 

涙が頬を伝う。

それが乾いた時、俺は――。

 

 

 

それから数日間、俺は必死に勉強した。

 

「提督……勉強熱心になったのは結構ですが、あまり寝ていないのでは……? 顔色があまり……」

 

「寝ているよ。人間は四時間寝ればいいらしいんだ。だから、四時間は寝るようにしているよ」

 

「四時間って……。もっとちゃんと寝てください……。真面目に勉強して欲しいとは言いましたが……ここまでしろとは……」

 

「それよりも大淀、この場合の編成なのだが、やはり、島を出た奴らやここにいる艦娘では、戦力が足りないよな?」

 

「え? あぁ……そうですね……。せめて、空母が二隻は欲しいですね」

 

「空母か……」

 

鳳翔がいるが、軽空母では駄目だろう……。

正規空母レベルでなければ……。

しかし……。

 

「はぁ……この場合どうすれば……」

 

「提督……少し、休憩されてはどうでしょう?」

 

「……そうだな」

 

体を伸ばそうと、立ち上がった時であった。

 

「あれ……なんか……」

 

目の前の景色が、靄に包まれ――。

 

 

 

気付くと、俺は寝かせられていた。

 

「あれ……?」

 

「あ、起きたわね……。ほら、体起こせる? 水、飲みなさい」

 

霞は、呆れたというような表情で、吸いのみで水を飲ませてくれた。

 

「すまん……。もしかして、倒れたのか……? 俺……」

 

「えぇ、凄い音を立ててね……。ついに死んだかと思ったって、大淀さんが……」

 

ついに、か……。

 

「……雪風から聞いたわ。夢、見せられたんだって……?」

 

「……あぁ」

 

「だから、ここ数日頑張ってたのね……。たかが夢の一つで倒れるまで頑張るなんて、本当、ばっかみたい……」

 

「……それはお前も同じだろ」

 

「私は倒れた事ないわ。それに、たった一回の夢で影響を受けた誰かさんと違って、私は何千回と同じ夢を見せられてきたのだもの。誰かさんとは全然違うわ。誰かさんとは」

 

「……そうかよ」

 

俺は倒れるように、再び寝ころんだ。

 

「悪かったよ……」

 

「え……?」

 

「正直、たかだか夢の話だと、なめていた……。勉強だって、お前との交流がメインだって、真剣に取り組まなかった……」

 

霞は何も言わず、ただ俯くだけであった。

 

「怖かった……。夢とは言え、大切な者たちが沈んでゆく光景に、俺は……」

 

思い出し、泣きそうになるのをぐっとこらえる。

 

「正直、こんな勉強をしたところで、あの悲劇を変えられるとは、とても思えない……。それでも、こうしていないと、不安に押し潰されそうになる……」

 

そう言って、俺は霞を見た。

 

「お前も同じように思っているから、訓練の話にのってくれたんじゃないのか?」

 

霞は何も言わなかった。

 

「夢を見せられて……こんな訓練なんてと思った。俺が思うんだ。お前なら、最初から気が付いていたはずだろ。それでも、すんなり話を受けたのは、どうしてだ?」

 

霞は小さくため息をつくと、退屈そうに言った。

 

「やらないよりはマシというのもあるけど、なによりも、大淀さんが本気で、何とかなると思っているようだったからよ……」

 

大淀がどう霞を説得したのかは分からない。

だが、俺に作戦の提案をした大淀の目は、確かに、どこか――。

 

「すると、大淀はお前の不安を解消するために動いてはいたが、本当に不安を解消させられていたのは、大淀だったという訳か……」

 

「他の皆も同じよ……。全く……わざわざ皆に話しちゃうなんて……。何も知らなければ、幸せだったのに……」

 

『先に話してほしかった……!』

 

あの時怒ったのは、それが理由だったか……。

 

「優しいんだな……」

 

「そんなんじゃないわ……。ただ……どうしようもない事だし、無駄に不安にさせるだけだと思ったから……」

 

それを優しいのだと言っているのだがな……。

 

「そうか……。だとしたら、この作戦は失敗だな……」

 

「ただの失敗じゃないわ……。私と同じように不安になった皆の為に、無駄に勉強し続けなきゃいけないわ……」

 

「あぁ……そうか……。クソ……」

 

大きくため息をつく俺に、霞は優しい表情で言った。

 

「私の事は、もう放っておいていいわよ。あんたがいい人だって分かっているし、だからこそ、守りたいって思っているの……。私が人化しなければ、戦争は起こらない。あんたは命あるその時まで、私の人化を阻止する方に、力を使ってほしい……」

 

そして、霞は執務室を出て行ってしまった。

残された俺は、しばらく動くことが出来ず、ただ天井を見つめる事しかできなかった。

 

 

 

倒れた事はすぐに本部へ連絡されたようで、俺は検査の為に呼び戻されることになった。

 

「しかし、お前、倒れること多くねぇか? いくら運ぼうとも給料は変わらないんだから、もっとしっかりしてくれよな、マジで」

 

「スマン……」

 

 

 

本部での検査も済み、その日は本土で過ごすことになった。

 

「雨宮君、気分はどう?」

 

「あぁ、大丈夫だよ。ちょっとした貧血だったようだし」

 

「あまり眠れていないんじゃない? 駄目だよ? しっかり休まなきゃ……。前に会った時よりも、顔色が悪くなっているよ……?」

 

そう言うと、山風は俺の頬に、そっと手を置いた。

 

「し、失礼します。雨宮君、体調は……」

 

皿ごとラップされた握り飯を手に持って、部屋へと入って来たのは、柊木であった。

 

「柊木」

 

「あ……えと……山風さん……?」

 

「あ……柊木さん……?」

 

リアクションが似ている二人。

顔見知りなのか。

 

「えっと……えっと……おにぎり……持ってきたんだけど……。お取り込み中……だった……?」

 

「いや、ちょっと診てもらっていただけだよ」

 

「…………」

 

山風は視線に気が付いたのか、サッと手を引いた。

 

「握り飯を持って来てくれたのか」

 

「あ……うん……。倒れたって聞いて……。何も食べていないとも聞いていたから、作って来たんだ……。雨宮君、おにぎり好きだったよね?」

 

「ん? あぁ、まあ、好きだけど」

 

おにぎり好き、だなんて話、したことあったか?

別に、特別好きって訳でもないが……。

 

「よかった。昼食の時は、いつもおにぎり食べてたもんね」

 

昼食の時は、いつもおにぎり……。

確かに、島へと出向する前は、楽だからと、いつも昼食におにぎりを食べていたが……。

 

「雨宮君、柊木さんと知り合いなの?」

 

「同期だよ。尤も、最近まで接点は無かったんだが……。まあ、色々あってな」

 

「へぇ……。色々……」

 

「そういう二人は? 知り合いって感じのようだが……」

 

「あ、うん……。柊木さんとは、色々とお話しする機会があって……ね?」

 

「う、うん……。山風さんは、人化してくる艦娘を担当しているから、研究や検査の時、色々とお話しすることが多くて……」

 

なるほど。

確かに、柊木は天音上官の部下だし、かかわることも多いはずか。

 

「なるほど。そうだったのか」

 

「うん。それにしても……柊木さん、いつも引っ込み思案なのに、雨宮君には積極的なんだね。おにぎりなんか作っちゃって」

 

そう言う山風の目は、どこか――。

 

「う、うん……。雨宮君の為に、色々頑張ろうって決めたから……。それに、もっと雨宮君の事を知らないといけないし……ね?」

 

柊木は、小説の事を言わなかった。

 

「ふぅん……。愛されているね、雨宮君?」

 

山風は、ムッとした顔を俺に見せた。

 

「ま、まあ……愛されていると言うか、それが柊木の仕事だからな……」

 

「仕事……。じゃあ、このおにぎりも仕事なんだ?」

 

そう言うと、山風は柊木に笑顔を見せた。

 

「柊木さん、雨宮君のケアはあたしの仕事だから、次からは大丈夫だよ」

 

笑ってはいるが、どこか怖さを感じるのは何故だ。

 

「わ、私は……個人的にお見舞いに来ているのであって、仕事じゃ……」

 

「個人的な面談は控えるように言われているよね? 仕事以外で雨宮君に会う時は、予め、あたしに話してほしいな」

 

「そ、それを言ったら……山風さん、今日は非番だよね……? 個人的に雨宮君に会っていることになるけど……」

 

「あたしは雨宮君の担当だから、非番でも、何かあったら駆け付けるよ」

 

「担当って……。そんなの聞いて無いけど……」

 

なにやら静かな戦いが繰り広げられている。

どう収めようかと悩んでいると――。

 

「ん?」

 

何やら、廊下の方が騒がしくなってゆく。

ドタドタと走る音と、それを咎めるいくつかの声。

やがて、足音が止むのと同時に、部屋のドアが開かれた。

 

「「あ……」」

 

中学生くらいの、二人の少女。

 

「ほ、本当にいた……」

 

「本物だぁ……」

 

視線は、俺に向けられている。

本物……?

 

「こらぁ! 二人とも! はしゃがない! 私の鉄拳が炸裂するわよ!」

 

「貴女の大声も大概よ。もう少し声を抑えなさい」

 

遅れて入って来た二人は――子供とそっくりで、おそらく母親なのだろう――俺を確認すると、驚いた表情を見せた。

この二人、どこかで……。

 

「加賀さんに瑞鶴さん!?」

 

加賀に瑞鶴……って……。

 

「正規空母の……加賀と瑞鶴か……!?」

 

「え? う、うん……そうだよ」

 

正規空母……。

 

『そうですね……。せめて、空母が二隻は欲しいですね』

 

二人は俺に近づくと、零すように言った。

 

「「提督(さん)……?」」

 

それを聞いた瞬間、俺は何故か、二人の手をとり、叫んでいた。

 

「加賀、瑞鶴!」

 

「「は、はい……!」」

 

二人は嫌がる顔はせず、俺の言葉を待ってくれていた。

 

「俺と一緒に……戦ってくれ……!」

 

 

 

 

 

 

驚愕の表情を浮かべる二人の顔は、実はよく覚えていない。

覚えているのは、二人の後ろ――のちに『加賀』『瑞鶴』を継ぐことになる娘たちの、決意に満ちた表情であった。

 

 

 

 

 

 

残り――7隻

 

 

 

――続く



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30話

――結局、その時は、提督の精神が不安定になっているのかもってことで、すぐに部屋を出ることになったのです。

でも、私とあの子は、どうしても提督とお話がしたくてね……。

二人でこっそり、誰もいない時を見計らって、提督に会いに行ったんです。

 

――えぇ、今でもよく覚えています。

話した内容を一言一句。

それほどまでに、あの時間は――。

 

――フフッ、すみません。

いえ、あの子が――そうね、今の人にとっては、あの子が瑞鶴なのね――瑞鶴が、突然、提督に求婚したのを思い出して。

あの時の提督の顔ったら――。

 

――話が逸れましたね。

とにかく、そこで初めて、聞いたんです。

のちに起こるであろう戦争の話を……。

そして、それに向けた訓練の話を……。

 

――信じる信じないなんて、私たちには関係無かった。

提督の言ったことは――いえ、提督が言うから、それは真実となるのです。

他の艦娘は分かりませんが、少なくとも、私とあの子は――。

 

――いえ、私たちから言ったのです。

「一緒に戦わせてほしい」と。

戦争の事は、よく分かっていませんでした。

だから、とにかく、自分たちがどれだけ優秀なのかを説いてね――。

あの子なんて「母親よりも胸が大きいです」って、服を脱ごうとしたりして――。

そんな私たちに、提督は――。

 

――この鈴蘭寮が修復された時、真っ先に思い浮かべたのは、提督の姿でした。

そう、この執務室。

ここに、いつも提督が居て――。

私たちが今みたいに騒いでいると、あの扉から顔を出して――。

――……。

え……?

うそ……。

 

『戦後70周年記念番組-あの頃の鈴蘭寮-より』

 

 

 

 

 

 

『不死鳥たちの航跡』

 

 

 

 

 

 

「俺と一緒に……戦ってくれ……!」

 

そう言った後、すぐ我に返った。

 

「あ、雨宮君……?」

 

皆、驚きの表情で俺を見ていた。

娘二人なんかは、怖がっているのか、どこか険しい表情を見せていた。

 

「あ……えと……」

 

自分でとったはずの行動に、俺は困惑していた。

俺は何故、こんなことを……。

いや……まあ……空母が必要なのは事実だが……。

あれはあくまでも訓練で――しかも、夢の中で行っていることで――そもそも、ここにいる誰も、俺が訓練していることを知らなくて――柊木は分かってくれるかもしれないが――だが、説明したところで――つーか、最初から説明するのは面倒で――。

どう説明したらいいのかを考えていると、山風が小さくため息をついた。

 

「加賀さん、瑞鶴さん、ごめんなさい。雨宮君、色々あったのか、精神的に不安定になっているみたい……」

 

山風が俺に、視線を送る。

そういうことか……。

 

「そうかもしれない……。いきなり手を掴んでしまって、申し訳ございませんでした……。加賀さん、瑞鶴さん……」

 

「い、いえ……」

 

「こ、こっちこそ……ごめんなさい……。いきなり押しかけちゃって……」

 

そう言って、頭を下げる二人。

 

「お二人とも、雨宮君に会いに来たんですか?」

 

「え、えぇ……。娘二人が、提……彼のファンなの……」

 

俺のファン……。

 

「最近、動画を配信しているでしょ? それで、ね」

 

娘二人は、どこか恥ずかしそうに頷いていた。

あれだけ醜態をさらしている俺の何処に、ファンになる要素が……。

いや……朝潮が言っていた通り、何か需要があるのかもしれないな……。

 

「どうしても会いたいって言うから、検査のついでに来てみたの。そしたら、ちょうど本土に戻っていると聞いて……」

 

しかし、俺の現状を知らされていなかったのだろう。

瑞鶴さんは申し訳なさそうに俯いていた。

 

「ごめんなさい……。もう出て行くから。ほら、行くわよ二人とも」

 

娘二人は、俺をチラリと見ると、そのまま部屋を出て行った。

 

「加賀さんも、行きますよ」

 

「え、えぇ……」

 

「えと……雨宮……君……。本当にごめんね……? その……私たちはしばらく滞在しているから、元気になったら、お話し、してくれる? あの子たちも喜ぶと思うから」

 

「は、はい! 俺も、明日までいますので……。許可が出たら、こちらからお伺いいたします」

 

「うん、ありがとう。じゃあ、またね」

 

どこか呆然とする加賀さんを引きずりながら、瑞鶴さんは部屋を出て行った。

 

「さて、柊木さん?」

 

山風は、どこか圧力をかけるように、笑顔で柊木を見た。

 

「……分かっているよ。雨宮君、急にごめんね……?」

 

「い、いや……。おにぎり、ありがとな。いただくよ」

 

「う、うん……。じゃあ……またね……」

 

柊木はチラリと山風を見ると、ゆっくりと部屋を出て行った。

 

「……それで? 戦ってくれ……って、どういうこと?」

 

「え?」

 

「精神的に不安定になっている……訳じゃないよね……? ちゃんとした理由があって、言ったんだよね……? それも、雨宮君がそこまで必死になるほどの……体調を崩すほどのめり込んでいる何かか……」

 

山風の目は、疑っているというよりも、どこか心配そうであった。

 

「……こうして人払いまでしているのに、あたしには話せない事?」

 

「いや……」

 

「……夢の事だったら、あたし、知っているよ」

 

「え!?」

 

「天音さんから聞いているの……。天音さん、雨宮君が倒れた時、もしかしたら夢が関係しているのかもしれないって……あたしに教えてくれたの……」

 

それから山風は、自分が知っていることを話し始めた。

どうやら天音上官は、山風が俺を担当しているのを知っていて、山風を信用した上で、夢の話をしたようであった。

 

「――天音さんは、雨宮君を心配して、あたしに話してくれたみたい……。雨宮君はきっと、そういうの隠しちゃうから……一人で戦っちゃうだろうから……寄り添ってあげて欲しい……って……」

 

天音上官……。

流石というか、何と言うか……。

 

「そうだったのか……」

 

「……いつか戦争が起きるって、本当なの?」

 

「……分からない。だが、起きても不思議ではないと思っている……」

 

「もしかして、雨宮君は戦うつもりなの……? だから……あの二人にあんなことを……? 雨宮君は、一体何をしようとしているの……!?」

 

そこまで分かっているのなら……。

 

「実は……」

 

俺は、山風に全て話してやった。

雪風の事も、何もかも――いや、全てというのは間違いかも知れない。

高速修復材のことだけは――どうやらその事だけは、天音上官も山風には話さなかったようだ。

だからこそ、山風は、柊木と俺の関係を知らなかったのだろう。

 

「じゃあ……雨宮君は、戦う準備をしているって事……?」

 

「そう……なるのかな……」

 

山風は何か言おうとして、閉口した。

その意味が、俺には分かっていた。

 

「……言いたいことは分かっているよ。やめろって言いたいんだよな……。でも、島の艦娘達に、さんざん言われたのだろうと思って――気を遣わせたな……」

 

山風は何も言わなかった。

 

「俺も、本気で戦争が起きるとは思っていない。それでも、あんな光景を見てしまったら、何もせずにはいられなくてな……。意味はないのかもしれないけど……それでも……」

 

山風はそっと、俺の手に自分の手を重ねた。

 

「山風……」

 

「あたしは……やめろだなんて言わないよ……。本当は言いたいけど……雨宮君はそういう人だって、分かっているから……。だからこそ、天音さんは、あたしに教えてくれたんだと思う……」

 

そう言って微笑む山風の表情は、どこか寂しげであった。

そうだよな……。

山風が一番、それをよく分かっているよな……。

俺の逃げ道にならない選択をしてくれた、山風なら……。

 

「あたしは雨宮君の味方だよ……。だから、もう、一人では悩まないで……。あたしに……なんでも話して……。もっとあたしを……頼って……」

 

涙を見せる山風。

憐憫の情なのか、それとも――。

 

「――あぁ。悪かった……。寂しい思いをさせたな……」

 

そう言ってやると、山風は俺の手を、自分の頬にあてた。

どうやら、後者のようであったらしい。

 

「今後は、隠し事はしないでね……?」

 

「あぁ、分かったよ」

 

「じゃあ……」

 

山風は涙を引っこめると(どうやったんだ……)、細い目で俺を見た。

嫌な予感がする……。

 

「柊木さんとどういう関係なのか……教えてくれるよね……?」

 

「え……?」

 

「ただの同期って訳じゃないよね……? 色々あったって言っていたけれど……何があったの……?」

 

顔を近づけ、疑いの目を向ける山風。

 

「や、山風……? なんか……怒ってる……?」

 

「なんで? なんであたしが怒るの? あたしはただ、柊木さんとの関係を訊いているだけなんだけれど? それとも、怒られるような関係なの?」

 

ニコッと笑う山風。

だが、目は明らかに笑っていなかった。

まあ……別に隠すこともないか……。

 

「ひ、柊木とは――」

 

 

 

一通り説明を終えると、山風は退屈そうに「ふぅん……」とため息をつくだけであった。

小説を書いていること、高速修復材の事については、流石に伏せた。

 

「じゃあ、雨宮君と柊木さんは、昔に出会っていたんだ……」

 

「そうらしい……。名前も聞いていなかったから、言われるまで気が付かなかったけど……」

 

「そうなんだ……。だから、柊木さんはあんなに……」

 

山風はチラリと俺を見ると、呟くように言った。

 

「雨宮君は……柊木さんの事……どう思っているの……? 柊木さんは、雨宮君の事、好きそうだったけど……」

 

「どう……ってのは、異性として……か?」

 

指で髪をくるくると巻きながら、恥ずかしそうに頷く山風。

 

「だって……柊木さんって……その……あたしとタイプが似ているっていうか……。あ、あたしの認識が間違っていなければなんだけど……雨宮君は……あ、あたしの事……その……好きだった……訳だから……? もしかしたら……柊木さんもタイプなのかなって……。柊木さんは……純粋な人間だから……その……あたしと比べたら……」

 

段々と、声のトーンが落ちる山風。

言いたいことは分かっている。

だが――。

 

「……別に、山風と似ているからタイプだとか、相手が純粋な人間だからってのは、別にないよ。それに……その……山風を好きになった理由ってのは……容姿だとか、そういうのじゃないと言うか……」

 

ああ、クソ……。

こんな恥ずかしい事、言いたくないのだが……。

 

「山風だから……ってなだけで……。だから別に、似ているから好きになるってことは……」

 

そう言った瞬間、俺はあまりにも恥ずかしくなって、思わず顔を逸らしてしまった。

山風と居る時は、いつもそうだ。

こう、どうして恥ずかしい事を……。

 

「じゃあ……あたしと柊木さんだったら……どっちが好き……?」

 

「え?」

 

山風は俺の手を、自分の胸にあてた。

 

「ちょ……!」

 

「あたし……柊木さんより……その……大きい……よ……?」

 

「や、山風……」

 

「だから……あたしを選んで……? 選んでくれたら……あたし……」

 

そう言って、山風が顔を近づけた時であった。

 

「山風さん!? 貴女、何をしているの!?」

 

ノックもせず部屋へ入って来たのは、いつぞやの看護主任であった。

 

「今日は非番のはずでしょう!? それに……なんです!? 一体、ナニをおっぱじめようとしていたの!?」

 

「え!? あ! ちちち、違います! これは……その……熱! 熱が無いかを……おでこで……」

 

「おでこ? ちゃんと体温計を使いなさい! そもそも、どうして非番の貴女がここにいるのですか!?」

 

「そ、それは……雨宮君が倒れたと聞いて……。あたしは……彼の担当だから……」

 

「仕事に対する姿勢は認めます。けれども、お見舞いに来た方たちを無断で締め出す権限はありません!」

 

看護主任の後ろに、柊木が立っていた。

どこかほくそ笑んで見えるのは、気のせいだろうか……。

 

「とにかく! 貴女は非番なんだから、後の事は私に任せなさい! 貴方も貴方よ! あまり女の子をたぶらかさないで! まったく……」

 

そう言うと、看護主任は山風を連れて、部屋を出て行った。

 

「……俺も悪いのか?」

 

 

 

消灯時間になったが、部屋の照明が消えることは無かった。

 

「えーっと……そうなると……あー……やはり、正規空母は必要か……」

 

気が付くと、俺は勉強していた。

無駄だと分かってはいても、やはり不安になってしまうのか、無意識にノートを手に取っていた。

 

「正規空母……か……」

 

俺は、加賀さんと瑞鶴さんの顔を思い浮かべていた。

何故か、娘二人の顔も一緒に……。

 

「奇跡的な出会い……ではあったはずなのだが……」

 

一緒に戦ってくれ……か……。

そもそも、今いる島の艦娘達はいいとして、人化した艦娘達が一緒に戦ってくれる保証はないよな……。

戦いの事を話してもいないし……。

それなのに、勝手にシミュレーションしていいものなのだろうか……。

もしも戦いたくないと言ったら?

つーか、霞の夢では人化した艦娘も戦えていたようだが、それが間違っていたら?

 

「ますます意味のない事のように思えてきたぜ……」

 

なるほど……。

だからこそ、霞は――。

 

「やめだやめだ……」

 

倒れるようにして、ベッドに寝ころぶ。

 

「人化……か……」

 

そうなんだよな……。

本来は、霞を人化させることが目的なんだよな……。

起こるか分からない戦争に備えるのではなく、その先にある霞の不安を解消し、人化に導く……。

そのはずなのに、今はどうだ?

俺が今戦っているのは――。

 

「俺自身の不安……か……」

 

この先、一体どうすればいいのだろうか……。

そんな事を考えながら、目を瞑った時であった。

 

「寝てる……?」

 

女の子の声。

目を開けると、先ほどの娘二人が、こちらを覗き込んでいた。

 

「うぉ!?」

「「ひゃあ!?」」

 

互いに驚き、それぞれ部屋の隅へと逃げ込む。

永い沈黙が続く。

 

「……君たちは、加賀……さんと瑞鶴さんの……娘さん?」

 

二人は戸惑いながらも、ゆっくりと頷いた。

 

「え……どうしてここに……? 加賀さんと瑞鶴さんは……?」

 

「え、えと……」

 

困惑する、加賀さんの娘さんらしき子供。

一方、もう一人は、ゆっくりと俺の方へと近づいてくる。

 

「ひ、雛菊ちゃん……!」

 

雛菊……。

こちらに向かって来ている娘の名前だろうか。

 

「…………」

 

彼女は足を止めると、俺の目をじっと見つめた。

そして、意を決したかのように、口を開いた。

 

「あ、あの……!」

 

そして、頭を下げ、こちらに手を伸ばすと、大きな声で言った。

 

「好きです! あたしと……結婚してください……!」

 

 

 

永い永い沈黙が続く。

その間も、彼女は、手を伸ばし続けていた。

 

「え……えっと……」

 

どうしたものかと困惑していると、もう一人の娘が我に返り、駆け寄って来た。

 

「ひ、雛菊ちゃん……! 急に何を言っているの……!? 提督……さんが、困惑しているから……!」

 

「アン姉は黙ってて! あたし、ビビっと来ちゃったのよ。やっぱりこの人は、あたしの旦那さんになる人だって!」

 

「そ、そうだったとしても……。急に、結婚して、は無いよ!」

 

「ん~……それもそうね……。じゃあ、結婚を前提にお付き合いしてください!」

 

「そうじゃなくてぇ……!」

 

騒ぐ二人に、俺は、ただただ唖然とすることしかできなかった。

 

「あ! 自己紹介がまだだった……。あたしは雛菊! 瑞鶴の娘! で、こっちがアン姉! ほら、アン姉! 自己紹介して!」

 

「え? あ……えと、加賀の娘の……杏子……です……。よろしくお願いします……」

 

「あ、あぁ……よろしく……。俺は……」

 

「雨宮慎二、30歳独身。生い立ちは謎に包まれているけれど、児童養護施設出身だという事は分かっている。好きな食べ物はコロッケで、嫌いな食べ物は梅干し……だけど、梅を使ったお酒やお菓子は好き」

 

言い終えると、雛菊ちゃんは、フフンと鼻を鳴らした。

 

「どう? 凄いでしょ? 何でも知っているんだから!」

 

「全部、動画で言っていたことだけどね……」

 

「アン姉は黙ってて!」

 

雛菊ちゃんは、ズイッと顔を近づけると、俺の顔をジロジロと観察し始めた。

 

「やっぱり生は違うわ。すっっっっっっっごく、カッコいい! アン姉も、ほら!」

 

「え、う、うん……」

 

杏子ちゃんは、遠慮がちに近づくと、スンスンとニオイを嗅ぎ始めた。

 

「いいニオイ……ですね……」

 

「うっっっわ! アン姉キモっ! 普通、ニオイ嗅ぐ!? しかも、感想まで言っちゃってさ……」

 

「で、でも……ニオイで相性が決まるってこともあるし……。結構重要なことで……」

 

「そうなの? じゃあ、あたしも嗅いじゃお!」

 

ニオイを嗅ぐ雛菊ちゃん。

俺はもう、何が何だか分からず、ただただされるがままであった。

 

「本当だ! いいニオイかも!」

 

「ね? あ、雛菊ちゃんのニオイも嗅いでもらったら? 相思相愛かもしれないよ」

 

「そうね。じゃあ、はい! 提督さん、あたしのニオイも嗅いで?」

 

「え……い、いや……急にそんな……」

 

「大丈夫、臭くは無いから。アン姉と違って」

 

「あ、あの時は! 部活の後で汗をかいていたから……! て、提督! 私、臭くないですよ? ほ、ほら!」

 

「ちょちょちょ! ちょっと待ってくれ!」

 

思わずベッドからおりて、距離をとった。

 

「どうしたの提督さん? あ、もしかして、照れてたりする? や~ん! 可愛いかもー!」

 

「照れている……っていうより、引いている感じだけど……」

 

俺は、一旦深呼吸をして、二人に向き合った。

 

「えーっと……雛菊ちゃんに杏子ちゃん……。お母さんたちはどうしたのかな……?」

 

「マ……お母さんは検査中。あたしたちは暇だから、提督さんに会いに来たの」

 

「会いに来たって……。許可はもらっているのか?」

 

二人は不思議そうに顔を見合わせると、首を横に振って見せた。

 

「もらっていないのか……」

 

まあ、消灯時間は過ぎているし、許可をもらっている訳ないか……。

 

「わ、私たち……どうしても提督に会いたくて……。お話しもしたくて……」

 

「いや……その気持ちは嬉しいが……」

 

ここは、はっきり言ってやった方がいいよな……。

 

「……二人とも、すぐに部屋を出て行くんだ。今日の事は内緒にしてやるから」

 

「で、でも……」

 

「話なら、明日にでもしてやる。見つかる前に、さあ」

 

そう言ってやると、何故か、雛菊ちゃんは目を輝かせた。

 

「カッコいい~……」

 

「え?」

 

「アン姉、聞いた? 提督さん、あたし達のこと庇ってくれたんだよ? 優しいし、あたし達を傷つけないように、優しく諭してくれたんだよ?」

 

「大人の対応だね。カッコいい……」

 

何度も頷く雛菊ちゃん。

無敵か……。

仕方ない……。

 

「……いい加減にしろ。俺も、いつまでも優しくはいられないぜ……」

 

そう言って睨んでやったが……。

 

「キャー! 睨んだ顔も凛々しくてカッコいい! その顔であたしを叱ってください!」

 

「わ、私も! 怒られてみたい……かも……」

 

期待するような二人の眼差しに、俺はとうとう参ってしまった。

 

「はぁ……分かったよ……。何を言っても無駄なようだ……」

 

「あれ? 叱ってくれないの?」

 

「それは瑞鶴さんにでもやってもらえ……。話をしたいんだろ? 少しだけだぞ……」

 

そう言ってベッドに座る。

二人もまた、近くの椅子を持ち出し、座った。

 

「それで? 何を話したいんだ? つーか、ファンとかなんとか言っていたけれど……本当なのか……?」

 

「ほ、本当です! 特に……雛菊ちゃんが……」

 

「ファンなのはアン姉でしょ? あたしは、提督さんのお嫁さん候補だから。一緒にしないで?」

 

「……まあ、どっちでもいいが。あの動画の何処に、ファンになる要素があったんだ?」

 

そう訊いてやると、二人は再び顔を見合わせたあと、不思議そうな表情で俺を見た。

 

「要素……というか……」

 

「運命の人を見つけたって感じなのよね。アン姉と動画をみていたんだけど、こう、今までモヤモヤしていた気持ちが晴れたと言うか、貴方を探していた気がしたと言うか……」

 

なんだそりゃ……。

 

「一目惚れ……なのかもしれないよね」

 

「そんな生ぬるいもんじゃないわよ! もっと……そう! あたしが生まれて来た理由というか! そういうのを感じちゃったのよ!」

 

鼻息を荒くさせ語る雛菊ちゃんに、俺は少し引いてしまった。

柊木もそうだったが、なんというか、何かに夢中になっている奴は、どこかネジがぶっ飛んでしまっているように見える。

 

「あ、あの! 質問……いいですか?」

 

「ああ、どうぞ」

 

「そ、その……提督は、その……好きな女性のタイプってありますか……?」

 

「え……。そ、そうだな……。そういうのは……まだよく分からないな……」

 

「じゃあ、私と雛菊ちゃんだったら、どっちがタイプですか……?」

 

「え、えーっと……」

 

「答えにくい質問するんじゃないわよ! ま、当然あたしだろうけれど。それよりも提督さん、この前の動画で話していた――」

 

それから俺は質問攻めにあった。

簡単なものから、キワドイ質問まで――。

 

「――い、いや……。流石に、その質問には答えられないな……」

 

「そうよ! なに訊いているのアン姉!? 変態!」

 

「ひ、雛菊ちゃんが、かわりに訊いてって言ったんじゃない……!」

 

本当、何を訊かれているんだか……。

 

「そ、それじゃあ……次の質問……」

 

杏子ちゃんが、雛菊ちゃんを見る。

二人は頷くと、真剣な面持ちで口を開いた。

 

「さっき……お母さんたちに言っていたことって……どういうことですか……?」

 

「え?」

 

「一緒に戦ってくれって……」

 

「あぁ……あれは、何と言うか……」

 

ここで真実を話したら、変な奴だと失望されてしまうかもな。

加賀さん瑞鶴さんにチクられても嫌だし……。

 

「……あの直前まで寝ていてな。なんというか……変な夢を見てしまって……。寝惚けていたんだ」

 

「夢……ですか……」

 

「……本当に夢を見たの? なにか、別の理由があったんじゃなくて?」

 

どこか、深刻そうな表情の二人。

この表情は――そうだ、さっきの――あれは、怖がっていた訳じゃないのか……?

 

「……どうして別の理由があると?」

 

「そんな予感がしたんです……。そうだよね……?」

 

杏子ちゃんは、雛菊ちゃんを見た。

 

「えぇ……。提督さんが「一緒に戦ってくれ」って言った時、あたしとアン姉は、まるで、貴方に命令されたかのような気持ちになった……。そして、その気持ちに応えたいって……一緒に戦いたいって、思った……」

 

なんだそりゃ……。

 

「その戦いが、何を指しているのかは分かりません……。でも、いてもたってもいられなくて……!」

 

「だから、こうして会いに来たの……。お母さんたちには、言いたくても言えなかったことだろうと思って……」

 

それは、二人にも言える事なんだがな……。

 

「そうだったのか……。しかし、本当に寝惚けていただけなんだ。変な期待をさせてすまなか――」

「――そんな訳ない!」

 

叫んだのは、杏子ちゃんであった。

 

「そんな訳……ないはずです……!」

 

「え……?」

 

「提督のあの言葉は、絶対、私たちに向けるはずだった言葉なんです……!」

 

「何を言って……」

 

「あたしもそう思う……。提督さんが言葉をのんだのは、本来、あたしたちに向ける言葉だったからだと思う……。お母さんたちに言う言葉じゃなかったから、提督さんは言えなかった……」

 

再び深刻そうな表情を見せる二人。

杏子ちゃんにいたっては、泣きそうになっている。

 

「…………」

 

正直に言うと、俺は引いていた。

いつだったか、秋雲が「妄想も行き過ぎると、現実になってくるんだよねぇ。何なら、秋雲、この前、雨宮君とシたし。シたよね?」と言っていたのを思い出す。

もしかしたらこの二人も、妄想が行き過ぎた結果、こんな考えに……。

 

「……まあ、どう思うのかは勝手だ。だが、本当に寝惚けていただけなんだ」

 

「どんな夢を見たら、あんな言葉が出てくるんですか……?」

 

「そうよ……。それに、寝起きなんて嘘でしょ……。そんな感じじゃなかったし「正規空母の……加賀と瑞鶴か……!?」って、状況をしっかり判断しようとしていたし……」

 

言うほどしっかりだったか……?

 

「提督が教えてくださらないのなら、山風さんに訊きます……。あの人は、何か知っていそうでしたから……」

 

俺が何も言えないでいると、雛菊ちゃんが席を立った。

 

「どうやら、そうなったら困るようね……。あの人、あたしみたいなのに迫られたら、しゃべっちゃうかもね……。訊きに行こう? アン姉」

 

「うん……」

 

こいつら……。

 

「……今すぐ叫んで、お前らの親を呼んでもいいんだぜ?」

 

「なら、やったらいいじゃない」

 

出来るものならね、とでも言いたげに、視線を送る二人。

 

「……分かったよ。その代わり、誰にも話さないと約束しろ。それと、話を聴いたら帰れ……。それが条件だ……」

 

二人は返事もせず、ただ席へと戻った。

俺の嘘が下手なのか、こいつらが鋭いのか……。

とにかく、本当の事を話さなければ、納得しなさそうだしな……。

仕方ない……。

 

「実は――」

 

 

 

俺は、柊木や高速修復材の事を伏せ、全てを二人に話してやった。

艦娘の事情をある程度知っているのか、話の内容は理解できているようであった。

 

「――ということだ。馬鹿馬鹿しい話だろ? だから言わなかったんだ。どうせ信じないだろうってさ」

 

夢で訓練しているだとか、再び戦争が起きるだとか、普通は信じないよな。

俺も完全に信じている訳じゃないし……。

そんな作り話信じられるか! ってな感じの言葉を吐かれるだろうと、恐る恐る二人を見た。

 

「だから提督さんは、ママ……じゃなかった……。お母さんたちに戦ってほしいと……? 二人が必要だと思って……?」

 

「多分な……。あの時は、本当にどうかしていたから……。けど、正規空母が本当に必要だと思っていて――そんな時に出会ったものだから、運命を感じてしまったのかもしれないな……。それでつい、あんなことを……」

 

その言葉に、二人はムッとした表情を見せた。

 

「お母さんより……私たちの方が戦えます……」

 

「え?」

 

「戦争の事はよく分かりませんけど……私たちの方が提督のお役に立てます! 弓道だって、大会で優勝したことありますし……。身長だって、お母さんより高いです……!」

 

「し、身長?」

 

「それならあたしだって! ソフトボール部のキャプテンやっているし、ママよりおっぱい大きいもん! 何なら、見せてあげてもいいわ!」

 

服を脱ごうとする雛菊ちゃんに、俺と杏子ちゃんは思わず駆け寄り、それを止めた。

 

「わ、分かった分かった……。凄さは分かったから……。つーか、こんな話を信じてくれるのか?」

 

二人は躊躇うことなく、頷いた。

 

「だって、提督さんが言う事だもん」

 

「し、信じます……!」

 

理由になっていないが……。

まあ、信じている信じていないってのは、この二人にとっては関係のないことなんだろうな……。

おそらく、俺が二人の目の前で、加賀さんと瑞鶴さんにあんなことを言ってしまったばかりに、対抗意識を燃やしてしまったのだろう……。

こっちとしても、その方が都合がいい……。

 

「……そうか。さて、話は済んだぞ。約束した通り、帰ってくれ。時間も時間だし、巡回の看護婦に見つかるぞ」

 

「わ、分かりました……。行こう? 雛菊ちゃん」

 

「むぅ……」

 

二人は、しぶしぶ立ち上がると、もう一度俺に目を向けた。

 

「どうした?」

 

「提督さん、これだけは約束して……。もし、本当に戦争が起きたら……あたしたちを使うって……」

 

「……あぁ、分かった。約束するよ。その時は頼んだぜ、雛菊ちゃん、杏子ちゃん」

 

そう言ってやると、二人は満足そうな笑顔を見せた。

強情だったり、鋭かったりするくせに、こういうお世辞は簡単に信じるんだな。

やはり、まだまだ子供なんだな。

 

「あ、あと……その……私の事は……アン……って、呼び捨てにして欲しいです……」

 

「あー! アン姉ズルい! じゃあ、あたしも! ヒナって呼んで!」

 

「……分かったよ。アン、ヒナ。分かったから、そろそろ帰れ」

 

「それは、命令? それともお願い?」

 

何の確認だよ……。

まあ、この場合、喜ばれるのは……。

 

「……命令だ。アン、ヒナ、直ちに帰還せよ」

 

それを聞いて、二人はビシッと海軍式の敬礼を見せ、嬉しそうに部屋を出て行った。

 

「はぁ……やっと帰ってくれたか……」

 

あの年頃の女の子を相手にしたことが無いから、勝手が分からん……。

まあ、他を分かっているわけでも無いが……。

 

「島にあのテのタイプがいなくてよかったぜ……。ったく……」

 

ベッドへ倒れるように寝ころぶと、一気に睡魔が襲ってきて、まるで気絶するかのようにして、その日は眠りに就いた。

 

 

 

翌朝。

島へ戻る許可がおり、船の準備が出来るまでの時間で、加賀さんと瑞鶴さんを訪ねた。

 

「雨宮君」

 

「おはようございます。昨日はすみませんでした……」

 

「ううん。いいのよ。ここ、座って?」

 

促されるまま、椅子に座る。

娘二人はまだ眠っているのか、部屋には加賀さんと瑞鶴さんの二人しか居なかった。

 

「昨日、娘たちが部屋に行ったんだって?」

 

「え?」

 

「娘から聞いたわ。迷惑かけてごめんなさい」

 

「い、いえ……」

 

結局、自分から親に言ったのか……。

はたまた、バレて自白したのか……。

 

「驚いちゃったわよ。検査を終えて、寝ようと思ったら、二人が私たちの部屋に来て言うわけ!「戦争の事を教えて欲しい!」って……」

 

「なんでも、再び戦争が起きるから、貴方の為に戦いたいのだと言っていたわ。詳しくは教えて貰えなかったのだけれど、どういう事なのかしら?」

 

加賀さんの鋭い目が、俺を見つめる。

俺は、まるで蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなってしまった。

 

「ちょっと加賀さん! 雨宮君が怯えちゃっているじゃない! 雨宮君、別に加賀さんは怒っている訳じゃないのよ? 元々こういう顔なの」

 

「怯えさせてしまったのならごめんなさい。これでも、柔らかい表情をしているつもりなのだけれど……」

 

「そ、そうなんですか……」

 

正直、めっちゃ怖かったけどな……。

 

「それで? 娘二人にどんなファンサービスをしちゃったのよ? あの子たち、寝る間も惜しんで、図書室で戦争関連の本を読み漁っていたらしいのよ」

 

だから、ここに居ないのか……。

 

「再び戦争が起きるって、どういうこと?」

 

まあ、そこまで話が通っているのなら……(つーか、誰にも話さない約束だったろ……)。

 

「実は……」

 

 

 

説明している間、山風が部屋を訪ねてきた。

事情を説明すると、少しムッとしながらも、俺を気遣ってか、二人への説明を買って出てくれた。

 

「――今のような話を、雨宮君は娘二人に話しちゃったんだよね?」

 

そう言う山風の目は、どこか――。

 

「納得してもらうには仕方がなかったんだ……。加賀さん、瑞鶴さん、娘二人に変な事を吹き込んでしまい、申し訳ございませんでした……」

 

謝る俺に、二人は怒ったりするわけでもなく、何やら考え込んでいるようであった。

 

「雨宮君の言うその夢……私も、似たようなの見たことがあるの」

 

「え?」

 

「島にいる時にね。そうよね、加賀さん」

 

「えぇ」

 

「どういう事ですか?」

 

「いやね? ある時から……そう、赤城さんが島を出て、私と加賀さんが同室になってからかしら? 夢を見るようになったのよ。それも、かなりリアルな夢でね? 雨宮君の言うように、ニオイとか色々感じ取れる夢で――何故か加賀さんも同じ夢を見ていて……」

 

間違いない。

シンクロだ。

 

「成長した艦娘や、私たちの知らない艦娘達が、深海棲艦と戦う夢なんだけど、そこで指揮を執っていたのが、提督さん――あ、佐久間肇って人がいたんだけど――その人にそっくりでね。夢の中にまで出てきちゃうんだって、二人して笑った記憶があるわ」

 

そうか。

二人は、親父がいた頃、まだ島に居たのか。

 

「加賀さん? どうしたの? ぼうっとして……」

 

「え? え、えぇ……ごめんなさい……。その……夢で指揮を執っていたのは、確かに提督そっくりなのだけれど……」

 

加賀さんは、じっと、俺を見つめていた。

その目は、先ほどとは違い、どこか感情が込められているように見えた。

なんの感情なのかは分からなかったが……。

 

「んん? なんとなくだけど、雨宮君の方が、夢に出てきた人に似ているような……」

 

「似ているなんてものじゃないわ……。貴女は提督が好きだったからそう思えるのでしょうけれど……」

 

「べ、別に好きだったわけじゃ……!」

 

加賀さんは近づくと、俺にしか分からないように、スンスンとニオイを嗅ぐ仕草を見せた。

 

「夢と同じ……」

 

そう言うと、加賀さんは表情を和らげた。

そう分かるほどの変化であった。

 

「確かに、戦争が再び起こる可能性はあるわ」

 

「え?」

 

「私たちが見た夢も、貴方の話と似たような展開だった。そして、指揮を執っていた人は……」

 

その先を、加賀さんは言わなかった。

だが、その目は――。

 

「それ、覚えています。早朝から、瑞鶴さんが「提督さんが死んじゃったー」って、泣き出した時ですよね?」

 

「や、山風! あんた、そんなこと覚えて……」

 

「忘れられませんよ。けど、まさか、その夢がそうだったなんて……」

 

「もしかしたら、お二人が見た夢は、俺が見たものと同じかもしれません……」

 

「それって……」

 

永い沈黙が続く。

皆、何かを確信してはいるのだろうが、それが何なのか分からず、閉口してしまっているのだろう。

 

「……とにかく、そういう話です。だからこそ、お二人にあんなことを言ってしまったのかもしれません……。巻き込むような事を言ってしまって、申し訳ございません……」

 

そう言って頭を下げると、加賀さんと瑞鶴さんは、そっと、俺の手を取ってくれた。

 

「別にいいわよ。それに、もし再び戦争になったら、頼まれなくても、きっと私たちは参加するわ」

 

「え?」

 

「それが、私たちが生まれてきた意味だと思っているわ。もう一度戦えるのかどうかは分からないけれど、力になれるのなら本望よ」

 

「そーそー! 他の艦娘が参加してくれるのかは分からないけれど……夜戦以外だったら、私と加賀さんだけで十分よ! ね、加賀さん!」

 

「私だけでも十分。せいぜい足を引っ張らないことね」

 

「何よそれ!? こっちの台詞なんですけど!?」

 

ぐぬぬと睨み付ける瑞鶴さんに、クールな加賀さん。

戦時中の二人を知らない俺でも分かる。

これが、本来の二人の関係性なのだろう。

 

「フフフ、相変わらず仲がいいですね、二人とも」

 

「「良くない(わ)!」」

 

 

 

船の準備が出来たようで、それを知らせる警笛が、遠くから聴こえてきた。

 

「そろそろ行かないと……」

 

「あら、もうなの? 残念ね」

 

「すみません。貴重なお話をありがとうございました」

 

「いいのよ。それと、なんか気持ち悪いから、今度から敬語はやめてね。さん付けも禁止、ね?」

 

加賀さんもそうして欲しいのか、ゆっくりと頷いていた。

 

「恐れ多いですが、努力します」

 

「雨宮君、そろそろ……」

 

「あぁ。では、また。娘さん二人によろしくお伝えください」

 

「うん! あ、そうだ。雨宮君!」

 

「?」

 

「シミュレーション、正規空母には、私たちを配置してね?」

 

「え?」

 

「それとも、他に当てがあるわけ?」

 

「い、いえ……そういう訳ではないのですか……」

 

「なら、私たちを選んで! 損はさせないわ!」

 

「少なくとも、五航戦よりは役に立つわ」

 

そういう瑞鶴さんと加賀さんは、どこか頼りになりそうな顔を俺に見せてくれた。

 

「……ありがとうございます! そうさせていただきます!」

 

「うん! 私たちの事、たっくさん勉強して、上手に運用してよね! 提・督・さんっ!」

 

「期待しているわ……提督」

 

「お二人とも……。あぁ、任せてくれ! よろしくな、加賀、瑞鶴!」

 

加賀と瑞鶴は、娘二人と同じように、海軍式の敬礼で俺を見送ってくれた。

本当に親子なんだな。

 

 

 

島に戻ると、皆は、いつだったか怪我の治療をして帰ってきた時のように、それはそれは丁寧に俺を出迎えてくれた。

 

「……で、なんだこれは?」

 

「なにって……リアカーですよ」

 

「んなことは分かってんだよ! 俺が訊きたいのは、どうして俺をリアカーに乗せたんだってことだよ!」

 

リアカーを引く大和は、どこか申し訳なさそうな表情をしていた。

 

「だって、病み上がりなんでしょ? 本当は車いすみたいなのがあればいいのだけれど、そんなものは無いし、ちょうどいいのがこれだったってわけよ」

 

「別に、車いすに乗らなきゃいけないほどの事じゃ……」

 

「それでも心配なんですよ。提督は覚えていないのかもしれませんけれど、倒れた時、頭を打っていたんですよ? 人間にとって、脳は重要な役割を持つと言いますし、もし何かあったらって……」

 

以前の大淀だったら、却って体に障ると、皆を遠ざけてくれていたんだがな……。

今回は、目の前で倒れてしまったものだから――しかも頭まで打っているし――流石に心配になっているんだろうな……。

 

「だとしても過剰だ……。それに、全員で来る必要あったか? 山城なんて、押してもいないじゃねぇか……」

 

「私は……提督が落ちてしまわないか、見守っているのよ……」

 

「んなもん、お前が見ていなくても分かるし、落ちやしねぇよ……」

 

そう言ってやっても、やはり心配なのか、山城はじっと、俺のことを見つめていた。

 

 

 

結局その日は、過剰に介護され、一人にさせられないと、寮に泊まることとなった。

 

「はぁ……」

 

「お疲れ様です、提督」

 

「大和……。なんだ、今度はお前が俺を監視する番か?」

 

「えぇ、そのようです」

 

どうやら、交代制で俺を監視することが決まったらしく、何をするにも、誰かしらがついてきていた。

 

「ったく……さっきは焦ったぜ……。夕張の奴、風呂にまで入ってこようとしていたんだぜ?」

 

「一緒に入ったら良かったじゃないですか。裸の付き合いも大事だと、聞いたことがあります」

 

「冗談じゃねーよ……。全く、いつまでこんなことが続くのやら……」

 

「ご心労お察しいたします。大和は過剰に介護することはありませんので、ご自由におくつろぎください」

 

と言っても、やはり目を離すことは出来ないようで、大和が部屋を出ることは無かった。

 

「さて……」

 

ノートを取り出すと、大和はササっと近づき、それを没収した。

 

「……過剰な介護はしない、のではなかったのか?」

 

「えぇ、しません。過剰な介護は、です」

 

「勉強くらいはいいだろう?」

 

「勉強のし過ぎで倒れたんです。その様子だと、本土でも勉強していたのでは?」

 

俺が何も言えないでいると、大和は小さく笑った。

 

「不安になる気持ちは分かりますが、倒れては元も子もないですよ」

 

雪風から事情を聞いているのか、分かっているとでも言いたげに、俺の反応を待っていた。

 

「……分かっているさ」

 

なら、どうしたらいいのか。

そう訊くことも出来ず、永い沈黙が続いた。

 

「……戦時中」

 

「?」

 

「戦時中、こんなことがあったんです。あれは、私が初めて――鎮守府へ挨拶に行った時の事です――」

 

大和は突然、過去の話を始めた。

何故、急に……と思いつつも、戦時中の暗い話なのだろうと、身構えて聴いていたのだが――。

 

「――そうしたら、皆さん大慌てで! そこに、武蔵も来たものだから、もうパニックになっちゃいまして。間宮さんなんか、仕入れを大量にしちゃって――でも、結局、赤城さんと加賀さんを呼んだら、むしろ足りなくなってしまいまして――」

 

戦時中の笑い話であった。

大和の話し方が上手いのもあるが、あまりにも可笑しそうに、笑いながら話すものだから、気が付くと俺も、笑ってしまっていた。

 

「――そんな事が、たくさんあったんです。本当、愉快な艦隊でした」

 

「フッ、そのようだな。しかし、緊張感のない艦隊だ。戦時中だというのに、そんな」

 

「えぇ、そうです。戦時中でも、そうだったんですよ。実際は」

 

そう言うと、大和は俺をじっと見つめた。

その目を見て、ハッとした。

 

「……なるほど。気を遣わせた……か……」

 

戦時中の暗い話しか知らない俺に、大和はわざと、明るい話をしてくれたのだ。

 

「大和たちは何も、辛い経験ばかりしてきたわけではありません。それを知って欲しかっただけです」

 

「だから、倒れるまで勉強する必要はない、と?」

 

「それもあります。けど……」

 

大和はそっと、俺の手を取った。

 

「戦いに目を向けるばかりが、提督のお仕事ではありません……。敵ばかり見ていないで、少しは私たちの事を見てください……」

 

そう言う大和の目は、どこか――。

しかし……そうか……。

 

「……そうだよな。悪い……。自分の不安ばかりに目がいっていた……。本当に守らなきゃいけないのは、お前たちなのにな……。お前たちの……笑顔なのにな……」

 

「それが、貴方が目指すべき強さであり、最も得意とすることでしょう? ペテン師さん」

 

そう笑う大和に、俺もまた、笑顔になることが出来た。

 

「あぁ、そうだな。すまん……いや、ありがとう、大和。確かに、過剰ではない介護だったよ」

 

「加減する方も大変なんです。それに、あれでも皆さん、抑えている方なんですよ?」

 

あれで抑えている方なのか……。

だとしたら、一体……。

 

「でも、そっか……。提督には、厳しい戦時中よりも、そっちの方がいいのかもしれませんね……。きっと、その方が艦娘達も――……」

 

そう言うと、大和は何か思いついたかのように、顔を上げ、俺を見た。

 

「そうだ。提督」

 

「ん?」

 

「今夜、大和と一緒に寝ませんか?」

 

「……へ?」

 

突然の事に、俺は思わずフリーズしてしまった。

コンヤ、ヤマトトイッショニネマセンカ?

 

「え……あ……え……?」

 

フリーズする俺を、大和は不思議そうな表情で見ていた。

聞き間違いか?

 

「えーっと……え? 一緒に寝よう……って言ったのか?」

 

「え? はい、そうですけど……」

 

聞き間違いじゃない!?

 

「え……は……なんで一緒に……?」

 

様子のおかしい俺に、大和は怪訝そうな表情を見せた。

そして、何かに気が付いたようで、目を大きく見開き、顔を赤くさせると、必死に説明を始めた。

 

「あ……そそそ、そういう意味ではないですよ!? その……! あの……! だから、夢! 夢を……雪風さんに頼んで……明るい方を……暗い方じゃなくて……だから……あの……えと……」

 

焦る大和を見て、俺は少しだけ冷静になることが出来た。

そして、大和が何を言わんとしているのか、なんとなく理解できた。

 

「お、落ち着け……。言わんとしていることは、なんとなく分かったよ。雪風に頼んで、戦時中の明るい夢を一緒に見ようって言いたいんだろ?」

 

大和は何度も何度も頷いた。

 

「そ、そう……だな……。それは……名案だな……」

 

永い永い沈黙が続く。

 

「そ、そうと決まれば! 雪風さんに相談してきますので……」

 

「あぁ……分かった……」

 

「で、では……失礼します……」

 

大和はそそくさと、部屋を出て行った。

監視、しなくていいのか……。

 

「はぁ……」

 

焦る大和を――赤くなった表情を見て、俺は何故か――。

 

「あんな表情を……見せてくれるようになったんだな……」

 

 

 

消灯時間になると、何故か、明石が部屋へとやって来た。

 

「……なんで枕を持ってきているんだ?」

 

「え、だって……か、監視? しないといけないと思って……」

 

明石を部屋からつまみ出してやると、入れ替わるようにして、雪風がやって来た。

 

「一番害が無いだろうと、雪風が選ばれました」

 

「……だろうな。つーか、こんなところまで監視はいらねーよ……。まあ、今回は都合が良かったな。大和から話は聞いているだろ?」

 

そう訊くと、雪風は何故か、不機嫌そうに頷いて見せた。

 

「なんだよ? 不満か? 戦闘の夢の方がいいと?」

 

「いえ……そういう訳では……」

 

「じゃあなんだよ? 不貞腐れたような顔しやがって……」

 

雪風はムッとした後、小さく言った。

 

「雪風だって……同じように考えていたんです……」

 

「え?」

 

「戦闘ばかりじゃなく……戦時中の艦娘達の雰囲気を体験してもらって……羽休めしてもらおうって……。辛い事ばかりじゃないと……知ってもらおうって……」

 

雪風は、見たことも無いような表情で、俯いていた。

 

「……もしかして、嫉妬しているのか? 先に提案されたものだから――お前じゃなく、俺が大和を頼ったと、思っているのか?」

 

雪風は何も言わなかった。

 

「フッ……はははは」

 

「な、何を笑っているのですか……!」

 

「いや、悪い。なんだ、案外かわいい所があるんだな」

 

「……雪風をなんだと思っていたんです?」

 

「つかみどころのないガキだと思っていたよ。けど、そうか。なんやかんや言って、お前はお前なんだな」

 

「……どういう意味です?」

 

「お前は、お前が夢に見て来た『雪風』なのではなく、今、ここにいる雪風なんだってことだよ」

 

「なんですか……それ……。意味が分かりません……」

 

雪風は、そっぽを向いてしまった。

こんな事を言ってはいるが、しっかりと俺の言っていることが理解できているのか、耳はほんのりと赤くなっていた。

 

「さて、ぼちぼち始めようか」

 

「……はい」

 

大和は先に隣の部屋で寝ているらしく、俺たちは跡を追うように、眠りに就いた。

 

 

 

 

 

 

気が付くと――いつだったか曙と会話した『執務室』そっくりの場所に居た。

 

『ここは……』

 

『わぁ……!』

 

驚く声の方を向くと、大和が窓の外を眺めていた。

 

『大和』

 

『あ……提督……。ここが、夢の世界……なんですか?』

 

『あぁ、そうだ』

 

なんて、涼しい顔して言ってはいるが、実は動揺している。

やはり何度来ても、不思議な感じというか、キモチワルイ感じがして……。

 

『しれえ』

 

振り返ると、何故か大人の姿をした雪風が立っていた。

 

『今回はお前もいるんだな』

 

『いけませんか……?』

 

『いや、いけないことは無いが……』

 

ムスッとする雪風。

ずっと機嫌が悪いんだな。

 

『雪風さん!? その姿は一体……』

 

雪風が何故か説明しなかったので、俺が代わりに説明してやった。

しかし、なんだ……。

自分で説明していてなんだが、本当、意味不明だよな……この状況……。

 

『……よく分かりませんが、なんとなく分かったような気がします』

 

『その認識で正しいぜ。現に、俺もよく分かっていないんだ。本人(雪風)もそうらしいし』

 

雪風はやはり、何も言わなかった。

大和も、これ以上は不毛だと感じたのか、再び窓の外に目を向けた。

 

『で? ここはどんな世界なんだ?』

 

『大和さんの記憶を頼りに、創造した世界です。雪風には覚えのない場所ですが……』

 

『ここは――鎮守府です。空母を中心とした艦隊が集まる場所なので、馴染みは無いと思います。大和も、何回か訪れたことがあるだけで、そこまで詳しくは無いのですけれど……』

 

なるほど。

だからか、何だかキモチワルイ感じなのは……。

よく見ると、本棚にある本の背表紙は、何か文字のようなものがぼんやりと書かれているだけで、読むことが出来なかった。

曖昧な記憶を頼りに創造された世界……か……。

 

『――鎮守府って、お前が話してくれた鎮守府だよな? ってことは、加賀や赤城なんかもいるのか』

 

『えぇ。瑞鶴さんや翔鶴さんもいて、その四隻とは、よくお話ししましたよ。特に、加賀さんと瑞鶴さんは、喧嘩しているようで実は仲が良くて――』

加賀と瑞鶴がいるのか……。

しかも、大和は二隻について詳しい……。

 

『その加賀と瑞鶴に会いたいのだが』

 

『お二人に……ですか?』

 

『あぁ、実は――』

 

俺は、島の外で二人に会ったことを話してやった。

共に戦う約束をしてくれたことも――。

 

『――本当にそうなるのかは分からないが、二人の事をよく知っておきたいんだ。出来る事であれば、二人の戦闘スキルもみたい』

 

『なるほど。演習や実戦も、多くはありませんが見てきましたので、それがこの夢で再現できるのであれば……』

 

大和は雪風に目を向けた。

 

『できますよ。出来るだけ鮮明に思い出していただければ』

 

『だ、そうです』

 

『そうか。そうしてくれるとありがたい』

 

『少しだけ、思い出す時間をいただけませんか? なんせ、70年以上前の事ですから……』

 

むしろ、時間さえあれば、70年以上前の記憶も思い出せるのか……。

 

『では、その間に、二人と日常会話してみませんか? 加賀さんと瑞鶴さんなら、雪風もお話ししたことありますし、再現できると思います』

 

『そうか。じゃあ、頼む』

 

『はい』

 

雪風が目を瞑る。

すると、辺りが急に騒がしくなって、廊下の方から、ドタドタと誰かが走ってくる音が聴こえてきた。

 

『来ますよ』

 

そして、扉が急に開かれると――。

 

『え……』

 

声を漏らしたのは、雪風であった。

 

「提督さん!」

「て、提督……!」

 

そこには、加賀と瑞鶴――ではなく――。

 

『アン……ヒナ……!?』

 

二人の娘である杏子と雛菊は、目を輝かせながら、俺を見つめていた。

 

 

 

二人は俺に近づくと、嬉しそうに話し始めた。

 

「聞いてよ提督さん! あたしたち、すっごく優秀らしいのよ! なんと、百発百中だったのよ!? しかも、ア……じゃなかった……。加賀姉なんかは全部中心に当ててね!?」

 

「瑞鶴ちゃんほど動いていないから、実戦で使えるかは分かりませんが……。一応……一番優秀だと言われました……」

 

そう言うと、二人は反応を待つよう、じっと俺を見つめていた。

思わず雪風を見る。

だが、雪風は驚きの表情のまま、首を横に振って見せた。

 

「もしかして提督さん……疑っている? あたしたちが優秀な訳ないって……」

 

『え……いや……』

 

「だ、だったら! 証明しようよ! 提督、演習場に来てください……! 私たちの動き、見てください……!」

 

「そうね。それが一番手っ取り早いわ。じゃ、提督さん、演習場に来てね。じゃーね!」

 

二人は、そそくさと部屋を飛び出していった。

まるで嵐が過ぎ去った後のように、執務室は静まり返っていた。

 

『今のは、一体誰なんです!?』

 

雪風がそう問い掛けたのは、大和に対して、であった。

 

『え……』

 

『この夢は、大和さんの記憶を頼りに創造されているはずですから、知っているはずですよね!? どうして加賀さんと瑞鶴さんが、あの二人になるのですか!?』

 

『い、いえ……大和も……知りません……。あの二人……加賀さんと瑞鶴さんに似てはいましたが……。会ったことない人たちです……』

 

『では一体……』

 

困惑する二人。

だが、あの二人の正体を知っている俺は、もっと困惑していた。

 

『あれは……加賀・瑞鶴の娘たちだ……』

 

『『え!?』』

 

『本土で加賀と瑞鶴の二人に会った話をしたが、実は、娘二人とも会っているんだ……』

 

驚く二隻。

だが、何に驚いたのかは、違っているようであった。

 

『加賀さんと瑞鶴さん、娘さんがいたのですね……』

 

まあ、大和はそっちだろうな……。

 

『雪風、どうして俺の記憶の方から二人が? これは、大和の記憶のはずだろう?』

 

『……分かりません。しれえの記憶からは何も……。それに、あの二人……雪風の影響を一切受けていませんでした……』

 

『影響を?』

 

『間違ったものを生み出してしまったと思い、消そうとしたのです……。しかし……』

 

二人は消えなかった……か。

雪風の影響を受けないなんて、あり得るのか……?

ヘイズの感染量によって、夢での自由度は変わると考えていいだろう。

だからこそ、感染量の多い雪風は自由に夢を創造できるし、干渉できるのだ。

それが間違っていたのか、はたまた俺の感染量が……。

いや……。

おそらく、雪風が嘘をついているのだろう。

なぜ嘘をついているのかは分からないが――そうでなければ、この状況はありえない。

ありえないはずだが……。

 

『と、とにかく……演習所に行ってみませんか……? 二人が待っているとのことですから……』

 

『そ、そうですね……。大和さん、案内をお願いします……』

 

雪風の反応……。

これが、嘘をついている奴の反応か……?

だとしたら、大した役者だが……。

 

 

 

演習場は海上にあるようで、的のようなものがいくつか浮かんでいた。

 

「あ、来た来た! 提督さん、遅いよ!」

 

『す、すまない……』

 

「雪風さんと大和さんも来てくれたんですね……。なんだか緊張しちゃうなぁ……」

 

二隻は返事をしなかった。

一応、認識されてはいるんだな……。

 

「まずは、あたしからね! ほいっと!」

 

海へと飛び込む雛菊。

だが、全身が浸かることは無く、海に立っていた。

 

「見てて、提督さん!『瑞鶴』を継承した、あたしの実力を!」

 

そう言うと、雛菊は海を滑り始めた。

 

「よっ!」

 

まるでスケートのように、軽快に海を滑る。

そしてそのまま弓を構えると、的に向かって矢を放った。

 

「はい、命中! 次はもっと凄いよ!」

 

それから雛菊は、アクロバットな姿勢だったり、目を瞑りながらなど、芸でも披露するかのように矢を放って見せた。

その命中精度は、百発百中。

中心からズレての命中とは言え、あれだけの動きで――しかも、的は波に揺れているのにもかかわらず――。

 

「ふぅ……ざっとこんなもんかしら? 提督さん、どお!? あたし、凄くない!?」

 

俺は、思わず大和を見た。

凄い事は凄いが、正直、これが戦闘で役に立つのかは分からなかったのだ。

 

『凄いです……。海上であれだけの動きが出来ることもそうですが、どんな体勢からも矢を放てるというのは、見たことも……』

 

雪風も同じなのか、何度も頷いていた。

 

『……大和が褒めるくらいだ。その腕は本物なんだろうよ』

 

「本当!? やったー! 提督さん、褒めて褒めて~! なでなでして~!」

 

『お、おう……。よ、よくやった、ヒナ』

 

「もう、提督さんったら! 今のあたしは瑞鶴よ! ヒナって呼ぶのは、二人っきりの時だけにして?」

 

そう言いながらすり寄る瑞鶴を見て、アン――いや、こちらは加賀か――は、何やら不機嫌そうな表情を見せていた。

 

「……提督、次は、私の番です」

 

『え? お、おう……』

 

加賀は静かに海上へおりると、深呼吸をしたのち、海を走り始めた。

 

「私だって――……」

 

何やらぶつぶつ呟きながら、弓を構える。

そして、矢を放つと――。

 

『『『え!?』』』

 

放った矢は、一本ではなかった。

複数の矢が、それぞれ別の軌道を描き、そして、別々の的へと命中した。

それも、ど真ん中へ……。

 

「私だって――だし――提督に――だし……」

 

体幹がブレることはなく、次々と矢を放つ加賀。

瑞鶴ほどの動きはないが、矢を放つ速度、本数、命中精度は、瑞鶴以上であった。

 

「加賀姉ー! もう、矢、無くなっているよー!」

 

「え? あ、本当だ……」

 

どうやら集中していたようで――というよりは、何か別の事に気を取られているように見えたが――我に返ったようであった。

加賀は海から上がってくると、感想を求めるように、俺をじっと見つめた。

 

『す、凄いな……。なんというか……』

 

俺は再び、大和を見た。

 

『集中力もそうですが、一度にあれだけの矢を放てるのは、見たことがありません。そうですよね?』

 

『あ、あぁ……そうだ……』

 

「本当ですか……? じゃあ……えへへ……」

 

加賀は目を瞑り、頭を俺に向けた。

撫でろってことか……。

 

『よくやったな、加賀』

 

そう言って撫でてやると、加賀は満足そうに笑っていた。

 

「司令官! 私も見てください!」

 

『え?』

 

見知らぬ顔の少女。

 

「私も、お願いします!」

 

「あ、ズルい! 提督、アタシも!」

 

次々と出てくる少女たち。

中には、陸奥や鹿島と同じくらいの歳であろう女性も――。

 

『こりゃ、一体……』

 

思わず雪風に目を向ける。

その雪風は――。

 

『雪風……?』

 

 

 

 

 

 

「んん……」

 

目を覚ますと、そこはいつもの執務室であった。

 

「あれ……もう起きちまったのか……」

 

暗くてよく分からないが、どうやら陽が昇り始めたばかりの時間帯に目を覚ましたようであった。

 

「うっ……」

 

頭が重い。

軽く頭痛もする。

 

「クソ……そうだった……。夢を見た後だと……」

 

ふと、隣に目を向けると、何やら思いつめた表情の雪風が、自分の手の平をじっと見つめていた。

 

「雪風……?」

 

「しれえ……」

 

雪風は俺に目を向けた。

その目は、どこか悲しげであった。

 

「……変な夢だったな。どうして娘二人が出たんだろうな?」

 

雪風は何も反応しなかった。

 

「雪風?」

 

突如、電話が鳴った。

 

「びっくりした……。こんな朝早くからなんだ……?」

 

電話に出ると、何やら騒ぐような声が聴こえてきた。

 

「なんだぁ!? もしもし!?」

 

『――しもし! 本部の――だ!』

 

本部の?

あぁ――上官か……。

 

「どうかされましたか? 随分騒がしいですが……」

 

『今すぐ本土に戻ってきなさい! 元艦娘達とその子供が君に会いたいと……えぇい! 今、呼び出しているところだ! 邪魔しないでくれ!』

 

ギャーギャー騒ぐ声。

司令官、だとか、提督、だとか聴こえるが、どれも聞き覚えのない声であった。

 

『とにかく! 早急に戻って来てくれ! 鈴木を行かせたから……だから! 今! 呼んで! いる! んだ!』

 

そこで電話は切れてしまった。

 

「なんだったんだ……?」

 

ふと、雪風が居なくなっていることに気が付く。

 

「……あいつも、なんだったんだ?」

 

 

 

皆が起きてくる前に、鈴木はやって来た。

 

「こんな朝早くからご苦労だな。しかも、昨日の今日で」

 

「本当だぜ……。ったく……。たまたま夜勤だったから良かったけどよ……」

 

「それで? 何があった? 元艦娘とその子供がどうだとか言っていたが……」

 

「あぁ……まあ……行けば分かるぜ……」

 

「あ?」

 

 

 

本土に着くと、すぐに多目的室に連れていかれた。

 

「早く! 早く行きなさい!」

 

急かされながら、部屋に入ると――。

 

「あ! 来た来た! 提督さーん!」

 

「ヒナ……?」

 

と、アンに、鈴蘭寮のメンバーや――加賀と瑞鶴もいて――それと、見知らぬ顔の女性たち――いや、どこかで見覚えのある顔もいくつかあったが――そいつらに囲まれる。

 

「司令官!」

「提督!」

「この人が?」

「佐久間さんそっくり!」

 

何が何だか分からず、俺は助けを求めるように鈴蘭寮の連中に目を向けた。

 

「皆、雨宮君に会いに来たみたいだよ」

 

そう言う山風は、どこかムッとした表情を見せていた。

 

「俺に会いに……」

 

そういえば、以前もこんなことがあったな……。

最上が指導艦になると聞いた時――あぁ、そうか……。

見覚えのある顔は、あの時の……。

 

「司令官、私たちも戦います!」

 

「え?」

 

「雛菊ちゃんから聞きました! 必ずお力になれるかと!」

 

今度はヒナに目を向ける。

 

「協力者は多い方がいいと思って。ほら、あたしって人望は厚い方だから! 現に、これだけ集まった訳だし!」

 

いや、まあ、人望が厚いのかもしれないが……。

 

「心配しなくても、この事は、ここにいる人たちにしか言っていないわ。尤も、情報が漏れたところで、誰も信じないでしょうけれどもね」

 

もう一度、山風に目を向ける。

どこか呆れたように、小さく頷くだけであった。

 

「まあ、あたしの人望があったのもあるけれど、皆、あたしほどではないにしろ、提督さんの事が気になっていたのよ。と・い・う・わ・け・で! 自己紹介ターイム! 皆、これから提督さんと一緒に戦うのだから、たくさん自分たちの事を知ってもらおー!」

 

オー! という掛け声と共に、皆、一斉に自己紹介を始めた。

 

「お、おいおい……。一斉に喋られても……」

 

それから、何が何だか分からないまま、自己紹介を受けたり、交流としてゲームをしたりと、とにかく揉みくちゃにされた。

 

 

 

結局、解放されたのは、陽が落ちた頃であった。

 

「はぁ……疲れた……」

 

鈴木が夜勤明けだったため、その日は本土で過ごすことになった。

 

「で? お前らは帰らなくていいのか?」

 

残ったのは、大井と青葉、そして、指導艦四人であった。

 

「いいのよ。行動は自由だし、色々と訊きたいこともあるし」

 

そう言う大井は、どこか怒っているように見えた。

まあ、大方、戦いの事を聞いていなかった、そして、それを又聞きで知ったことについて、何かしらの不満があるのだろうな……。

 

「司令官、大井さんは怒っているんですよ? どうして私には話してくれなかったのかって!」

 

そして青葉……。

お前、本当に野暮だよな……。

あぁ……ほら、大井の機嫌が一気に悪く……。

 

「まあまあ、仕方ないよー。雨宮君は、皆に心配かけたくなかったんだよねー?」

 

そして、北上が庇ったことで、大井の機嫌は更に悪く――いや、もう触れないようにしよう……。

 

「でも……それでも、杏子ちゃんや雛菊ちゃんだけじゃなく、あたしたちにも教えて欲しかったなって……。知ったのも又聞きだったし……。皆も、雨宮君に信用されていないんじゃないかって、落ち込んでいたよ……?」

 

そう言う山風は、どこか寂しそうな表情を見せていた。

 

「悪い……。島の連中に話した時も、結構揉めてしまってな……。心配させたくなかったのもあるが、信じてくれないと思っていたし、俺も信じ切れていないと言うか……」

 

「だからって……どうしてあの二人なのよ……。私たちの方が……」

 

ボソッと言う大井。

訊きたいことが何なのか、今のでよく分かった気がする。

機嫌が悪い理由も……。

 

「でも司令官……司令官が戦いに出る必要はないんじゃないですか……? 戦うだけなら、青葉たちだけでも……」

 

「それで納得する男じゃないわよ……。分かってんでしょ……?」

 

大井がそう言うと、皆は黙り込んでしまった。

島でも、似たようなやり取りがあったな……。

 

「……でも、良かったよね。結果として、あれだけの人数が集まった訳だし。ボクたちだけだったら、きっと、あれだけの人数を集めることは出来なかったと思うよ。実際に戦うかどうかは分からないけれど、貴重な話も聴けたし、霞ちゃん攻略の参考にはなったんじゃないかな? ね、先生」

 

「あ、あぁ……そうだな……」

 

ほどんどが質問攻めであったのだが、確かに、元艦娘から、戦術などの貴重な話も聴けていた。

 

「それにしても、凄いメンツだったねー。みーんな独身で、完全に雨宮君を狙いにいっている感じがしてさー。ま、あたしも狙っているんですけどねー。なんちって」

 

「北上さん!」

 

北上の冗談で、ようやく場が和み始めた。

そんな中、どこか深刻そうな表情で俯いているのは、秋雲であった。

そう言えば、今日はまだ一言もしゃべっていなかったような……。

 

「秋雲、どうした?」

 

「え……?」

 

「珍しいじゃないか。今日は一言も、童貞がどうとか聞いていないぜ?」

 

皆が笑う。

釣られて秋雲も――と思っていたが、秋雲は――。

 

「あ……うん……。ちょっとね……」

 

「流石に反省したってことでしょ? 全く……秋雲はいつもいつも――」

 

山風の説教に、再び笑いが起きる。

秋雲は苦笑いを見せるだけで、結局その後も、何も話すことは無かった。

 

 

 

翌日。

また囲まれたらまずいと思い、早朝に本土を出ることとなった。

 

「ふわぁ……。さて……行くか……」

 

船へと向かう道中、秋雲に声をかけられた。

 

「雨宮君」

 

「秋雲、おはよう。早いな。散歩か?」

 

「ううん……。雨宮君が早朝に出るって聞いて、待ってた……」

 

どこか、しおらしい秋雲。

昨日も様子がおかしかったが……。

 

「そうか。何か用か?」

 

「あ……うん……。用って言うか……。伝えたいことがあるって言うか……」

 

「なんだ? 童貞ならやらんぞ」

 

冗談っぽく言ってやったつもりだったが、秋雲は真剣な表情で「うん……」と答えた。

 

「うんってお前……。ようやく諦めてくれたのか?」

 

首を横に振る秋雲。

諦めはしないのかよ……。

 

「雨宮君……」

 

「うん?」

 

「絶対……童貞でいてね……」

 

「へ?」

 

「どんなに誘惑されても……艦娘の人化を終わらせたとしても……絶対……童貞でいてね……」

 

いや……どういうことだよ……。

 

「……お前がもらいたいから、ってことか?」

 

「それもあるけど……。そうじゃないと……きっと、皆は――……」

 

俯く秋雲。

その表情は――。

 

「……秋雲?」

 

秋雲は、しばらく黙っていたが、顔を上げると、弱弱しく笑って見せた。

 

「……なーんてね。ほら、昨日来ていた人たちもさ、みーんな独身で、処女っぽかったからさ。心配になったって言うか、若い人たちもいて、危機感を覚えちゃったーみたいな……」

 

いつもの冗談――ではないように見えた。

それは「本当にそういう危機感を持っているから」というよりも、何かを隠すような――そんな冗談に見えたのだ。

 

「――……」

 

それが何なのかを問おうとしたが、秋雲の手が小さく震えているのを見て、俺は何故か、何も言うことが出来なかった。

 

「おーい、慎二!」

 

遠くで鈴木が呼んでいる。

 

「……行かないと」

 

「……うん。あ、ちょっと待って……。これ……」

 

秋雲は、何やら封筒を俺に手渡した。

中身は――。

 

「お、おい……これ……」

 

中には、秋雲の生まれたままの姿を写した写真が何枚も入っていた。

 

「な、なんつーもんを渡して……! こんなもん――」

「――それで我慢してっ!」

 

秋雲の表情は、真剣そのものであった。

 

「それで抜けないというのなら……雨宮君の性癖に合わせた本を描くから……。だから絶対……童貞でいて……」

 

何やら真に迫る秋雲に、俺は気圧されてしまった。

 

「じゃあ……ね……」

 

秋雲は、名残惜しそうに離れると、そのまま寮の方へと走って行ってしまった。

 

「秋雲……」

 

写真の秋雲は、いつも見せる粘度のある笑いなどしておらず、真っ赤な顔で、どこか恥ずかしそうな表情をしていた。

 

 

 

島に戻ると、雪風が出迎えてくれた。

 

「おう。今日はお前か」

 

「……はい」

 

雪風の表情に、俺は妙な既視感を覚えた。

――あぁ、そうだ。

さっきの秋雲と同じような表情をしているんだ。

そういや、昨日、目が覚めた後にも、同じような顔をしていたような……。

 

「……しれえ」

 

「ん?」

 

「少し、散歩しませんか……? 少しでいいんです……」

 

「あぁ、別に構わんが……。どうした? 珍しい」

 

そう訊いてやっても、雪風は答えず、どこか困ったような表情で微笑むだけであった。

 

「雪風?」

 

「……行きましょう」

 

歩き出す雪風。

小さな背中が、今日に限って何故か、本当に小さく見えていた。

 

 

 

小さな背中と、小さな足跡。

それを追う、俺の大きな影。

駆逐艦の中でも、かなり小さな奴だなとは思っていたが、どうして今日に限って、より強く、そう思えてしまうのだろうか。

やがて、雪風は足を止めると、近くにあった流木に座った。

俺も同じように座り、海を見つめた。

永い沈黙が続く。

 

「……何かと縁があるぜ、この場所には」

 

「え……?」

 

「色んな奴と、ここに座って話をしたんだ。何故か皆、ここを選ぶんだよな」

 

そう言って笑って見せると、雪風も小さく笑ってくれた。

 

「昔、よくここでキャンプファイヤーをしたので、それでかもしれません」

 

「キャンプファイヤー?」

 

「えぇ。キャンプブームになったことがあって、毎日のように、ここでキャンプしたんです。寒くなってから、全くやらなくなっちゃいましたが……」

 

辺りを見渡してみるが、そんな痕跡は一切見当たらなかった。

一体、いつ頃の話なのだろうか……。

 

「……して、どうした? お前も皆と同じように、話したいことがあって、俺をここに連れ出したのだろう?」

 

「えぇ……」

 

と、言いつつも、雪風は中々切り出せずにいるようであった。

 

「フッ……」

 

「……なんで笑ったんです?」

 

「いや、珍しい顔をするもんだと思ってな。何でもお見通しって感じだったのに、今は、どうも子供っぽく見えてしまうと言うか、可愛げがあると言うか」

 

「……前々から思っていましたが、しれえの趣味というか、好みというか……悪すぎます……。敷波さんの時もそうでしたが……そんなに、女の子が憂いているような表情が好きですか……?」

 

「確かに、そうかもな。尤も、そうさせてしまう時に――そういう表情を見ている時に、交流に大きな進展があったりするから、パブロフの犬のように、反応してしまうのかもしれないな」

 

それが俺の気遣いだと分かっているのか、雪風は小さく笑った後、肩の力を抜いて、話し始めた。

 

「実は……雪風の力……というか、夢を支配できる力が、弱まっているようです……」

 

「え?」

 

「この前見た夢で、雪風の力が及ばない存在が出てきましたよね?」

 

アンとヒナの事か。

 

「その他にも、雪風の知らない存在が出て来ていて――そんなことは初めてで――目が覚めた後も、何が起きたのか、ずっと考えていたんです……」

 

だからか。

様子がおかしかったのは。

 

「そして、昨日の夜……。もう一度確かめてみようと思い、大和さんに頼んで、夢の中に入ったのです……。しかし……」

 

「しかし……?」

 

「夢を見ることは出来ました……。けど、やはり雪風の力が及ばない存在が現れて……。全てではないにしろ……力が弱まっているように感じて……」

 

雪風の手が、小さく震えていた。

なるほど……。

 

「自分の存在価値が無くなると思い、恐れているのだな」

 

雪風は驚いた表情で、俺を見た。

 

「最近、余計なことばかり気が付くようになってしまってな。尤も、お前が大和に嫉妬している姿を見れば、誰でも察しがつくのやも知れんがな。だが、俺にしては冴えている、だろ?」

 

「……フフ、そうですね。しれえにしては、察しが良すぎます」

 

俯く雪風の頭を、俺は撫でてやった。

 

「そんな事で悩むなんて、やはり可愛げがあるじゃないか」

 

「そんな事ってなんですか……。こっちは、原因はなんだとか、どうすればいいのかとか、必死に悩んでいるんですよ……?」

 

「そんな事だろ。確かに、お前の力は凄いし、色々と役にも立つ。霞との交流にも、必要な力だろう」

 

「…………」

 

「だが、そんなものが無かったとしても、お前の存在価値が消える訳ではないだろ。お前にはお前の魅力がある」

 

そういや、鳳翔とも、同じような話をしたな。

まさに、この場所で。

 

「雪風」

 

雪風は顔を上げると、俺の目をじっと見つめた。

 

「お前は、様々な俺を見て来たし、様々な『雪風』にもなって来ただろうと思う。けど、俺の知っている雪風は、お前だけだ。そして、お前の目の前にいるこの俺も、お前だけが知っている俺なんだ」

 

なにが言いたいのか、雪風は分かっているようであった。

そう思える根拠が――零れそうになっているその『証拠』を、俺は指で、そっと拭ってやった――。

 

「フッ……やはり俺は、そういう表情が好きらしい。それが分かっているから、そんな顔をするのだろう?」

 

そう笑う俺に、雪風は――。

 

「……えぇ、そうです。ちょっとは、ときめいてくれたりしましたか?」

 

「俺には、まだまだ子供に見えるよ。だが、可能性はあるかもな」

 

そう言ってやると、雪風は俺にそっと寄り添い、小さく言った。

 

「悪党ペテン師ですね……」

 

「それが分かっていて、離れないのは何故だ?」

 

雪風は小さくため息をつくと「本当、余計なことばかり……」と零した。

 

「フッ……」

 

それでも、雪風が離れることは無かったし、俺も離そうとはしなかった。

 

 

 

しばらくすると、大和が俺たちを探しにやって来た。

 

「ここに居ましたか。雪風さんが迎えに行ったきり、中々帰ってこなかったので、心配していたんです」

 

「そうであったか」

 

雪風は何事も無かったかのように、大和に笑顔を向けていた。

大和の声が聴こえる直前まで、顔を赤くして寄り添っていた癖に……。

大した女優だぜ。

 

「お二人で何を話していたのです? もしかして、夢のことですか?」

 

事情を説明してやると、大和はどこか、深刻そうな表情を見せていた。

 

「雪風さんの力が弱まっているのかもしれないというのは、昨日の夢で大和も感じています……。徐々に弱まっているのか、一時的なのかは分かりませんが、前者であった場合、時間がないと言えるのかもしれませんね……」

 

時間がない……か……。

確かにそうかもしれない。

だが、本当にそうなのだろうか……。

 

「しれえ……急ぎましょう……。この力が無くなったら、きっと、霞さんは……」

 

そうだ。

元々は、霞を説得するために始めた事なのだ。

だが、徐々にその意味は無くなって――己の不安を解消する為となってしまい――皆を巻き込み――そして――。

 

「しれえ……?」

 

こいつを――……。

 

「……やめだ」

 

「え……?」

 

「もう、やめだ。馬鹿らしい」

 

雪風は、困惑した表情を見せていた。

だが、大和は何かを察したのか、小さくため息をついて見せた。

 

「冷静に考えて、夢の中で戦ったからなんだってんだ。実戦に近いからとは言え、結局は実戦と異なるだろう。そもそも、実際に戦いが起きるかも分からないし、力をつけたとて、霞が人化するわけでも無い」

 

雪風は、俺が何を言わんとしているのか、徐々に理解しているようであった。

その証拠に、表情もまた、徐々に険しくなって行く。

 

「……雪風に気を遣っているのですか?」

 

「そうだ」

 

あっさり認めたところで、大和は思わず笑ってしまっていた。

 

「すみません。あまりにも可笑しくて。だって、提督の仰っていることって、最初から分かり切っていたことですから」

 

嘲笑の中に、どこか、安心している表情があった。

なるほど、どうして大和が夢を見せようとしたのか、今、分かった気がする。

 

「ようやく、不安を解消したようですね」

 

「どうかな。不安はある。だが、それ以上に……」

 

雪風の表情に、大和もまた、俺と同じ気持ちになった事だろうと思う。

 

「雪風さん」

 

「……はい」

 

「あとは、大和にお任せください。夢なんてなくても、大和なら、必ず、提督と霞さんを――霞さんの人化に貢献できますから」

 

そう言う大和は、どこか、馬鹿にするかのようにして、雪風を見ていた。

そんな大和に、雪風は――。

 

「…………」

 

雪風は何故か、俺を睨んでいた。

その顔は、赤く染まっていて、どこか恥ずかしそうであった。

 

「……なーんて。もうやめましょう。雪風さん、貴女は提督の事が好きなのでしょう? 大和は知っています。だから、貴女を煽ったのです。貴女もそれを察してしまい、そうして提督を睨んでいるのでしょう?」

 

「ん? どういうことだ?」

 

そう訊く俺に、今度は二隻が一緒に噴き出していた。

 

「ね? こういう人なんです。だから貴女も、気を遣わせるようなことをしない方がいいですよ」

 

「……そうですね。分かりました……。もう、やめましょう。でも、協力はさせて欲しいです」

 

「それは、どういう理由で?」

 

「大和さんと同じ理由、とでも言っておきましょうかね」

 

そう言われ、大和は俺を睨んで見せた。

もう、何が何だか……。

 

「……そっか。確かに、しれえには――しれえだからこそ――……」

 

雪風は、何か考えるようにして、しばらく目を瞑っていた。

そして、結論が出たのか、大和に視線を送った。

大和も何かを感じたようで、小さく頷いていた。

 

「雪風にいい考えがあります」

 

「いい考え?」

 

「えぇ、しれえが、ずっとやってきたことです。ですよね、大和さん?」

 

「ふふ、そうですね」

 

二隻が笑う。

 

「……して、そのいい考えとは?」

 

「それは、自分で考えてください」

 

「はあ?」

 

「大和達で、舞台を整えますから。そこからは、提督がいつもしていることをなさってください」

 

「いや……意味が分からんのだが……」

 

「それでいいんです。それだからいいんです」

 

再び笑う二隻。

マジで何を言っているんだ……。

 

「とにかく、そういう事です。これから、雪風さんと作戦会議をします。提督は今日、寮に来ないでください。作戦が固まり次第、皆さんにも伝えなきゃいけませんので」

 

「俺が知ってはマズい作戦……ということか?」

 

「その方がいいと思います。一つだけ言えることは、もう戦いの事は忘れてください。しれえはしれえのままで――『提督』ではない、いつものしれえでいてください!」

 

よく分からんが、とにかく『鈍感な俺』で居ろ、という事らしい。

それが分かってしまう時点で、鈍感とは違うように思えるが……。

 

「……分かった。夢を見るのをやめたとはいえ、いい作戦があるわけでも無いしな。お前たちの作戦とやらに乗ってやるよ」

 

「乗る、のではなく、乗せられる、ですよ」

 

「フフ、間違いないですね」

 

俺はとうとう参ってしまい、何も言えず、二隻が寮へと帰っていく背中を、間抜けな表情で見守ることしかできなかった。

ただ、分かることが一つだけある。

 

「……こんな姿が役に立つ、ってことだろう?」

 

それは強がりか、それとも――。

 

 

 

家でぼうっとしていると、霞が朝食を持ってやって来た。

 

「あんたの調子が悪いから、大和さんが持って行けって」

 

なるほど、そういうテイで……。

すると、俺だけではなく、霞も作戦を知らされていない訳か。

俺と霞をどうにかする作戦……ということなのだろうか……。

 

「そうか。そりゃ悪かったな」

 

「ご丁寧に、私の朝食も持たせてくれたわ。あんたと一緒に食べろ、ってことなんじゃないかしら?」

 

どこか、試すような瞳を俺に向ける霞。

どうやら、何かを察しているらしい。

 

「フッ……俺は何も企んでいないよ。大和と雪風に、こうして家に居ろと言われただけだ」

 

「……あの二人がなにか企んでいるとは思っていたのだけれど、あんたは何も知らないって言うの?」

 

「信じられないかもしれないが、そうなんだ。何も知らない方がいい……そう言われている」

 

霞は俺をじっと見つめた後、信じたのか、小さくため息をついた。

 

「せっかくだ、乗せられてみようぜ。こうして二人っきりで何かするってのも、あまりなかったことだしな」

 

「それもそうね……」

 

霞は素直に座って見せた。

どんなことであろうとも、自分を説得するに至らないという自信の表れだろうか。

 

 

 

朝食を摂っている間、霞は、やたらと話しかけて来た。

 

「本土の方はどうだったのよ?」

 

「元艦娘たちや、その子供が押しかけてきたようでな。その対応に追われていたよ」

 

「そう……。あんたに会いに来たってわけ?」

 

「そのようだな」

 

「ふぅん……」

 

霞は味噌汁を啜ると、俺をチラリと見た。

 

「どうした?」

 

「……別に。訓練の方は進んでいるの?」

 

「あぁ……それなんだが……やめることにしたんだ」

 

霞の手が止まる。

 

「どういうことよ……?」

 

俺は、今朝の事を全て、霞に話してやった。

 

「……つまり、雪風を想って、やめることにしたと?」

 

「そうだ。あの二人も、それに賛成してくれたのか、こうして俺とお前を二人っきりにしているらしい」

 

二人っきり、か。

もしかして、それこそが、作戦の根幹なのか?

 

「不安はどうなるのよ……? あんたはいいとしても、大淀さんたちは……」

 

「分からん。それも含め、何か作戦があるという事なのだろうとは思う」

 

「何よそれ……。そんな事でいいわけ?」

 

「それでいいらしい。いや……それでないといけないというような言い方であった。俺は俺のままで居てくれとのことだった」

 

霞は納得していないのか、ムッとした表情のままであった。

 

「不安という点なら、あの二人も、皆と同じように思っていただろう。それでも『戦いは忘れろ』とのことだから、何か、あいつら自身も、不安を解消する術を見つけたのかもしれないぜ。そして、皆も同じように思えるのだと、確信したんじゃないか?」

 

「そんなものがあるとは思えないけれど……。それに、最終的には私を人化に導くってことでしょ? 私は絶対人化しないし、そもそも、不安を解消する術があるというのなら、まず私に試すべきだわ……」

 

確かに、その通りだな。

 

「不安……か……。お前の不安ってのは、戦争が起きた時、俺が死んでしまう事を指しているんだろ?」

 

「それだけじゃないわ……。戦争は起きない方が良いに決まっているじゃない……」

 

「お前が人化しなければ、戦争は起きないという保証はあるのか?」

 

「……少なくとも、人化した後のリスクはあるでしょ。全ての艦娘の人化は、確実に世界情勢の変化に関わるわ……」

 

夢でも言っていたしな……。

 

「……もういいでしょ?」

 

そう言うと、霞は食器を持って、立ち上がった。

 

「あの二人の思惑には乗ってあげる。それでも、私は人化しないから……」

 

「あの二人が皆を味方につけることが出来たのなら、それも分からんぜ……」

 

霞はそれに返事をせず、そのまま家を出て行ってしまった。

 

「さて……どうなることやら……」

 

 

 

その日の昼に、寮へ戻れることとなった。

 

「随分早かったのだな」

 

「えぇ、皆さんが早々に納得してくださったので。山城さんだけは、あまり納得していないようでしたが……」

 

山城だけか……。

どんなことを話したのやら……。

 

寮に着くと、ちょうど昼食の時間だったようで、食堂に皆が集まっていた。

 

「お、来ました!」

 

何故かカメラを構えている明石。

 

「……何してんだ?」

 

「何って……動画を撮っているんです! チャンネル用の!」

 

あぁ、そうか……。

そういや、最近撮っていなかったな。

 

「だったら、もっと他の連中を撮ってやれ。俺になんか、誰も興味ないだろうに」

 

「ありますよ! 雪風ちゃんから聞きましたよ? 本土に戻ったのは、元艦娘やその子供に会いたいとせがまれたからだって」

 

雪風にその事は話していないはずだが――ああ、そうか。

昨日、電話があった時、傍にいたもんな。

いつの間にか居なくなっていた癖に、ちゃっかり内容を聴いていたんだな……。

 

「そのニーズに応えるためにと?」

 

「そうです! それに、朝潮ちゃんに頼まれましたから。提督と霞ちゃんの仲を定期的に動画で報告して欲しいって!」

 

そんな事、頼まれていたのか……。

 

「だからか? 霞の隣の席に、俺のと思わしき食事が置かれているのは……」

 

霞はムスッとした表情で、俺を睨んでいた。

面倒ごとに巻き込まれたのは、お前の所為だ……とでも言いたげに……。

 

「分かっているのなら、ささ……」

 

明石に促され、霞の隣に座る。

 

「あら~! なんだかお似合いな感じ!」

 

明石の謎のノリに、霞は心を閉ざすように目を瞑っていた。

朝潮の為、と言われたら、断れないのだろうな……。

 

 

 

食事中も、明石はノリノリで俺たちを撮影していた。

 

「――提督は、本当にコロッケ好きですよね~。提督が寮に来てから、週に三回くらいはコロッケが出るようになりましたし。今日だって、ほら」

 

「まあな。コロッケ定食がある店をわざわざ選ぶほどには好きだぜ」

 

「コロッケ定食って……」

 

そう呟いたのは、霞であった。

 

「なんだよ? 文句あんのか?」

 

「コロッケ定食って……コロッケだけをおかずにご飯を食べるってことでしょう? 合わないったら……」

 

「いや、合うだろ普通に……」

 

「炭水化物と炭水化物じゃない……。ナポリタンとご飯を一緒に食べるくらいあり得ないわ……」

 

「ナポリタンと米は合うだろ」

 

「合わないわよ……。気持ち悪い……」

 

「おっと~? 痴話げんかですか~?」

 

痴話げんかって……。

 

「……お前な、あまり変なこと言ってくれるな。その動画、世界に公開されるんだぞ? 俺がロリコンだと思われたらどうするんだよ?」

 

「年齢なんて関係ありませんよ。愛があれば、どんなことでも乗り越えられるってもんです」

 

俺は、チラリと霞を見た。

案の定、心を殺しているようであった。

 

「……却って朝潮を心配させてしまう。もうこれくらいでいいだろ……」

 

そう言って、俺は席を移動しようと立ち上がった。

――が……。

 

「駄目ですよ! 今日は一日、提督と霞ちゃんのラブラブ動画を撮るつもりなんですから!」

 

「「はぁ!?」」

 

と、動画のコンセプトふさわしく、二人同時に反応してしまった。

 

「なんだよそりゃ!?」

 

「そ、そうよ! そんなの……姉さんに見せられる訳ないじゃない!」

 

「お、息ぴったりですなぁ~。雨×霞てぇてぇってやつですね!」

 

コイツはマジで何を……。

つーか……。

 

「……どうして誰も止めないんだ?」

 

大淀も、夕張も――何か言い出しそうな奴らが、どうして……。

 

「……そういうこと」

 

霞は食器を置くと、大和と雪風に目を向けた。

 

「これが、作戦ってわけ……」

 

「え?」

 

大和と雪風は、何か反応するわけでも無く、ただただ霞の発言を待っていた。

 

「おかしいと思ったのよ……。姉さんに頼まれて、コイツと私の仲を報告して欲しいって……。そんな事、頼むわけないわ……。頼むとしたら、私が元気にしているかどうかで、コイツと絡める必要はないもの……。だって姉さんは、私がコイツを……」

 

そこまで言って、霞は閉口した。

 

「……とにかく、作戦ってのは、こういうことでしょ? 私とコイツをくっつけて、私に恋をさせ、島を出て行った皆と同様に――ここに残っている皆と同様に、コイツと同じ時間を生きたいと思わせるように仕向ける……でしょ?」

 

俺は、二隻に目を向けた。

その二隻の表情は――。

 

「え……そうなのか……?」

 

俺の問いかけに、やはり二隻は答えない。

だが――。

 

『大和達で、舞台を整えますから。そこからは、提督がいつもしていることをなさってください』

 

俺がいつもしていること……。

 

『しれえはしれえのままで――『提督』ではない、いつものしれえでいてください!』

 

いつもの俺……。

鈍感な俺……。

 

『島を出て行った皆と同様に――ここに残っている皆と同様に、コイツと同じ時間を生きたいと思わせるように仕向ける……でしょ?』

 

『皆さんが早々に納得してくださったので。山城さんだけは、あまり納得していないようでしたが……』

 

俺は、山城に目を向けた。

目が合うと、山城はムスッとした表情のまま、顔を背けてしまった。

……なるほど。

 

「……いずれにせよ、私はあんたたちとは違うわ。コイツに恋なんて……」

 

「では、どうしてしれえの布団に?」

 

「ふぇ……?」

 

「雪が降った日――しれえが寮に泊まって、食堂で眠った日です。霞さん、何故かしれえの布団に入って行きましたよね?」

 

「な、ななな……何言ってんのよ!? そ、そんなことするわけ……!」

 

「しれえは気が付いていましたよね? 気が付いた上で、寝たふりしていましたよね?」

 

霞が俺を睨みつける。

いや、雪風には話していないはずだが……。

つーか、やはり俺の勘違いではなかったのだな……。

 

「それに、雪風は知っています。霞さんは、しれえの夢を何度も見ていて、その夢での霞さんは、しれえに――んぐっ……」

「――ワ―ワ―ワ―!」

 

霞は顔を真っ赤にさせ、雪風の口を塞いだ。

 

「……なるほど、事情は分かった。だからこそ、俺には話してくれなかったのだな……。自然体の方が、受けがいいと?」

 

それに、誰も反応しなかった。

 

「それにしても、流石は霞さんですね。まさか、作戦の事を察していたとは。そうならないように、提督にも伝えなかったのですが……」

 

「……まるで、伝えたらすぐにバレるとでも言いたげだな?」

 

まあ、実際そうなるのやも知れんが……。

 

「バレるのは時間の問題だと思いましたけどね……。明石が隠し事出来ないのは、周知の事実でしょうし……」

 

そう言うと、大淀は明石の横っ腹を突っついていた。

本当、仲いいよな……。

 

「……まあ、バレる前提であったのなら、これで正解なのでしょうが」

 

今度は、大和に視線を送る大淀。

その通りなのか、大和はニコッと笑うのみであった。

 

「……だ、そうだが? どうするよ、霞?」

 

「……どうでもいいけど、皆はそれでいいわけ? コイツ、戦う準備をやめるとか言っていたけれど……」

 

それに答えたのは、何故か夕張であった。

 

「大丈夫じゃない? だって、元艦娘がこぞって提督に会いに来ているんでしょ? 夢の話が本当なら、人化した艦娘も戦えるようだし、その元艦娘達も戦ってくれるはずよ。そうさせるだけの魅力が、提督にはあるってことでしょ? むしろ、そっちを伸ばすことに専念した方がいいと思うわ」

 

言い終えた夕張は、何故か不機嫌そうな表情を見せていた。

 

「そういう事です。しれえには、それだけの力があります。むしろ、それしかないのかもしれませんが」

 

皆が笑う中、霞は何か考えているようであった。

 

「霞さん」

 

雪風が、霞の手を取る。

 

「霞さんが救いたいのは、誰ですか? 朝潮さんですか? 世界ですか? それとも、夢の住人にそっくりな、しれえですか?」

 

全部――であろうと思うのだが、何故か霞は、答えられずにいた。

 

「……どうやら、まだ迷っているようですね。でも、いずれ分かります……。雪風がそうでしたから……」

 

そう言うと、雪風は俺をじっと見つめた。

 

「雪風?」

 

「しれえ……大好きです……」

 

「へ?」

 

「雪風は……貴方が……ここにいる【雨宮慎二】が、大好きです……。誰でも無い――誰の代わりでもない、貴方が好きです……」

 

その表情は、今まで見て来たどんな雪風の表情よりも、幼く見えた。

 

「霞さんも、同じようになります。いえ……雪風が必ずして見せます……。気づかせてみせます……。それが、雪風が出来る、最後の仕事です……」

 

最後の仕事……。

 

「雪風は、霞さんの人化を以って、島を出ることにします……」

 

皆が驚きの声を上げる。

それと同時に、雪風は宣言した。

 

「ですから、この作戦だけは必ず成功させます! 霞さんに恋をさせる……その作戦名は――」

 

雪風が、大きく息を吸う。

 

 

 

この時の発言は、のちに起こる戦争を象徴するものとして、語り継がれることになる。

 

 

「作戦名は……」

 

 

いや……『なってしまう』のであった……。

 

 

「【ドキッ! 推しと夢の中でイチャイチャしていたら、現実に推しのそっくりさんが現れて、私を奪おうと戦争を始めた件について~The War of Love~】です!」

 

 

 

 

 

 

……だっせぇ。

 

 

 

 

 

 

残り――7隻

 

 

 

――続く



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