もしも、オリオンがクソ真面目な堅物だったら (萃夢想天)
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第三特異点オケアノスでの一幕

どうも皆様。
初めましての方は初めまして。そうでない方はごめんなさい。

現在筆者が執筆しているオリジナル異聞帯作品。
あれを書き終えたらどうしようか、と考えておりました。
そんな折、友人が「オリオンかっけーよな」と呟いたのを
きっかけに、こんなろくでもない話を考え付きました。

一応、現在執筆中の別作品を書き終えたらこちらを書き進める予定ですので、続きは未定となっております。

それでもよろしければ、どうぞ!





 

 

 

 

第三特異点・封鎖終局四海 【オケアノス】

 

 

 

 

 

狂い果てた狭き海の片隅に浮かぶ、何人も立ち入らぬ島。

 

鬱蒼と生い茂る一面緑の樹海の中、絶世の言葉もかくやな極上の美女がいた。

 

 

「~~♪」

 

 

鼻歌交じりにそのあたりの雑草やら何やらを小箱に詰め込む美女。

 

輝ける白磁の髪をあそばせ、無邪気な幼子のように振る舞う姿は、あまりにも麗しく。

さりとてしなやかさと豊満な女性らしさを併せ持つ肉体は、犯し難い神聖さを感じさせる。

 

およそ深い森の中に訪れる佇まいではあるまい。その点で言えば不自然な存在だ。

しかも彼女が携えているのは、身の丈ほどもある巨大な白銀の弓である。

ちぐはぐな印象を抱かせる彼女は今まさに、彼女の尺度における最高度の幸福の中にいた。

 

 

「うん、これを箱に入れて……混ぜて……完成! ダーリン、お弁当作ったよ~!」

 

 

朗らかな笑みと共に小箱を差し出す美女。その視線の先にいるのは、人ではない。

 

全長およそ30センチにも満たない程度の、ふさふさもふもふしたクマのぬいぐるみだった。

 

 

「待ってほしい。工程の一から十まで弁当と呼べる部分は無かったのだが」

 

 

この場に他の何者かが居たなら、腰を抜かしたかもしれない。

何故なら、美女が小箱を差し出した先にあるクマのぬいぐるみが、喋ったのだから。

おまけに無駄に渋みのある美声。一部の層からは人気の出そうなファンシーさだ。

 

 

「焼いた肉に香草でも何でもない雑草をまぶしただけのソレを、我が身は断じて〝弁当〟とは

 呼ばない。いや、我が身でなくともソレを弁当と言える気骨ある者なぞおるまいよ」

 

「えー? そんなこと言わずに食べてよー、ね?」

 

「言い換えても〝野食〟がせいぜいだろうに……どこからその自信が出てくるのだ」

 

 

右手には赤子が触れても痛まないよう硬くない素材でできた棍棒(のようなもの)を持ち、

右肩からは原始人が毛皮を纏うような形で、織り込まれた布をさげたダボつき具合。

見れば見るほどマヌケさが引き立つデザインのぬいぐるみは、呆れたように眉根を寄せる。

 

 

「んもぅ。ダーリンったら贅沢なんだから……あら?」

 

「何かが接近してくるな。サーヴァント、のようだが」

 

「敵かな? 味方かな?」

 

 

美女が二人(?)だけの空間を楽しんでいると、何者かがやってくる気配を感じ取った。

一心同体の身としてあるぬいぐるみの男(と思われる)もまた、同様の方向を見据える。

 

やってくる者が敵か否か。どちらかを知ろうとする美女だが、ぬいぐるみが顔を動かす。

 

 

「―――――ふむ。匂いからして、むくつけき男どもが多数」

 

「じゃあ、あの海賊ってやつかしら?」

 

「……いや。歳若い少年と少女。生気に満ちた女性の香りも漂ってくる。

 海賊とやらにも女がいるかもしれんが、コレは違うとおももももももももも!」

 

 

真剣な表情(ぬいぐるみなのでよく分からないが)を浮かべ、どうやら微かな匂いを嗅いで

接近してくる者を判別しているらしい小さなクマ。そんな彼の大きめの顔が突如歪んだ。

 

いや、頬をぷっくりと膨らませた美女が、両手でふわふわクマの頭部を押し潰したからだ。

 

 

「ダーリン? 私以外の女の子の匂いを嗅ぐなんて……」

 

「たたた漂ってきたのだ! それに分かるのだから仕方あるまい! 邪な感情も他意もない!

 だから無力なこの身を手で潰すのはやめてくれ! 木の幹で擦るのもダメだ!」

 

「ぶー。ん、でも丁度いいかも。この島にもいい加減飽きてきたし」

 

 

ひとまず感情の赴くままに制裁することを止めた美女は、ぬいぐるみを手で抱える。

 

 

「そもそも、どうして私たちが召喚されたのかすら分からないし~!」

 

「そうだな。敵であれそうでなかれ、手掛かりの一つでも欲しいところだ」

 

 

自分たちがこの場に喚び出された理由。生身の人間ではない特殊な存在である彼女らは、

宛てもなく彷徨うばかりであった。目的が定まっていないからこそ、自由でいられる。

 

美女は手に抱えたぬいぐるみを豊満な谷間へ押し込みながら、蕩けた笑みで呟く。

 

 

「……でもやっぱり、私はこのままでもいいかな~、なんて」

 

 

ずっとずっと、誰の邪魔もない二人きりの世界でいられるから。とまでは言い切らない。

 

しかし、意外にも彼女の言葉に対し、抱かれたぬいぐるみの彼は反抗的に返す。

 

 

「我が身はそうは思わん。喚ばれたからには役目がある。それに、この島も前にいた島も、

 退屈極まりなかったではないか。野獣魔獣の類はあれど、人っ子一人いやしない」

 

「………かわいい女の子もいないし?」

 

「いや。可愛い可愛くないではなく、人との出会いすらないというのは寂しいものだと」

 

 

ぬいぐるみは語る。何者かの意志であれどうでなかれ、喚ばれたという事実がある。

それに対し、誰とも出会っていない現状が不自然であると。つまり彼はそう言いたいのだ。

 

けれども。

 

一途に恋する女神(おとめ)としては、「自分以外の誰かに会いたい」なんて発言は、許せなかった。

 

 

「 ダ ー リ ン ? 」

 

 

―――恋とは、するものであって、されるものではない。

 

ましてや物理的にも精神的にも凄まじい重量を有するとあっては、たまったものではない。

 

 

「………よく分からんが落ち着け。冷静になれ。素数を数えると落ち着くそうだぞ」

 

 

女性らしさの象徴ともいえる谷間から掴みだされ、現在地は美女の右手の中。

長年の付き合いで、ぬいぐるみの彼も自分が彼女の機嫌を損ねたことは知覚した。

故に、頭を冷やすよう助言を飛ばす。しかし、哀しいかな。

 

恋に一途な女というのは、盲目なだけでなく、難聴も患うものだ。

 

 

「ダーリンには私がいるのにぃー‼ もう! もう!」

 

「あばばばばばばばばばばばばば」

 

 

ぶおんぶおん、と風を唸らせる速度でぬいぐるみを持った手を振り回す美女。

ろくすっぽ抵抗もままならない彼はもろに風圧を受け、弁明しようにも言葉が出せない。

 

癇癪を起こした子どもの姿そのままである。

そして、そんな事をすればどうなるか。結末は大抵同じものとなるのだ。

 

 

ぶんぶんぶんぶんぶん――――――すぽっ!

 

 

「あれ?」

 

「おおおおおおおぉぉおあああぁぁぁぁぁぁ……………」

 

 

あわれクマのぬいぐるみは空気抵抗に逆らえず、風圧に誘われるがままに彼方へ。

自分の手中から感触が消えたことに気付いた美女は、手を見つめ、悲鳴を上げた。

 

 

「キャー! ダーリンごめーん!」

 

 

小さくなっていく最愛の男を追いかけ、美女は森の外縁部へ走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三特異点を修復しに来た、人理継続保証機関・カルデア一行。

 

彼らは現地でサーヴァントではない当時を生きる【フランシス・ドレイク】と合流し、

彼女の船に乗せてもらいながら、この時代にある特異点の元凶たる聖杯を探していた。

 

そんな折、彼らは「史上最悪の海賊」と恐れられた〝黒髭〟こと、

【エドワード・ティーチ】と遭遇。彼と敵対し、ドレイクの船は大打撃を被る。

 

ティーチの目的は、カルデア一行の仲間に加わっている【女神エウリュアレ】の身柄。

それをいろんな意味で阻止するために戦ったのだが、その結果として船は航行不能。

エウリュアレを救うべく【アステリオス(ミノタウロス)】が奮戦し、船もどうにか近くの島の浜辺へと

着けることができたが、船の修復に使用する素材を集めるべく島を探索していた。

 

こうしてカルデア一行は、名も知らない島で鬱蒼と生い茂る樹海を進行していたのだが。

どこからか人の悲鳴を聞きつけ、その場へ駆けつける。しかしそこには誰もいなかった。

 

 

「ん? さっき言ってた微弱な魔力反応だけど、君たちの周囲にあるみたいだ。

 どうかな? それらしいものは見つからないかい?」

 

「ええ、特には……「オゴォ⁉」………い、いまのは?」

 

 

魔獣との戦闘を終えたマシュ・キリエライトが不意に、何かを踏みつけたらしい。

彼女の足元から小さく悲鳴のような声が響いたのを、マスターである少年、藤丸立香が

聞いていた。慌てて足元を見つめるマシュは、ズタボロになったぬいぐるみを拾い上げる。

 

 

「なんだいこりゃ、ぬいぐるみかい? ふぅん、なかなか精悍な面構えじゃないか」

 

『あ、それだ。その物体から微弱だけど魔力が検出されている』

 

「これは、使い魔、でしょうか? ぬいぐるみにしか見えませんが」

 

 

特異点へレイシフトしているマシュを、カルデアから音声通信でサポートしている

ロマニ・アーキマンが、マシュの掴んだ物体こそ、魔力の発生源であると断定する。

 

ドレイクもマシュも、そして立香も。誰もこのぬいぐるみが使い魔とは思えなかった。

 

 

「あーーーーーーー‼」

 

 

突如、森の奥から甲高い叫び声が木霊した。

 

ガサガサと枝葉を掻き分けながら直進してくる何者かを、戦闘態勢で出迎える。

 

 

「サーヴァント⁉」

 

「待つんだ我が女神。この者たちは敵ではな―――びぶっ⁉」

 

 

ぬいぐるみを持ったまま盾を構えたマシュに飛びかかった何者かは、彼女の手中から

素早くクマのぬいぐるみを掴み取り、ふさふさの頭部を潰したり引っ張ったりし始めた。

 

 

 

「浮気だ! 浮気したんでしょダーリン! コレ浮気っていうんでしょ知ってるもん! 

 私というものがありながら他の女の子に目移りするなんて! ヒドいんだー!」

 

「ま、待ちぇ、ほの状況でなじぇ我が身がまっしゃきに制裁されねばならにゅのだ⁉」

 

「胸とか足とか見てたんでしょエロスケベ! 私がいくらでも見せてあげるのにー!」

 

「誤解だ! それはいくらなんでも酷過ぎる!」

 

 

ぎゃんぎゃんと叫びながらぬいぐるみに暴行を加える謎の美女。不審人物極まりない。

少なくともこの理解不能空間がどうにか収まるのを待つ以外に、選択肢はなかった。

 

 

美女と喋るクマのぬいぐるみがくんずほぐれつして数分。

 

 

やっと冷静さを取り戻したらしい美女と彼女に抱えられたぬいぐるみに、カルデアは

これまでの経緯と自分たちがどういう状況にあるかを簡潔に説明した。

 

 

「……なるほど。おおまかな事情は理解した」

 

 

渋みのある美声を発するファンシーなクマのぬいぐるみ。受け入れるのに時間はかかった。

そんな彼(?)は、もふもふした短い腕を組み、カルデアの説明を反芻しているようだ。

 

 

「ふーん。じゃあこの世界は永遠なの? えたーなる?」

 

「……仮にこの時代がそうであっても、外枠がなくなれば消滅すると思われます」

 

『現代まで続く人類史に穴が開く。それは歴史の安定を乱す。それが我々の敗北だ』

 

「……ちぇー」

 

 

ぬいぐるみが情報を整理している間、美女の方がぽやぽやした口調で尋ねてきた。

マシュと通信越しだがロマニも説明に加わり、彼女の質問に答える。

返ってきた答えに、あからさまな様子で唇を尖らせた。

 

 

「我が女神。まさかとは思うが、この世界で永遠に暮らす気だったのか?」

 

「やだ、私の思ってることを言い当てられた……ザ・相思相愛……素敵……」

 

「はぁ…。女神よ。我が身は永遠なぞ望まぬ。変わらん世を生き続けるくらいなら、

 冥界にてあらゆる苦行を強いられる方がいくらかマシというものだ」

 

 

豊かな双丘を呆れた様子で見上げつつそう語ったぬいぐるみ。どうやらこの二人のうち、

まともに話が通じるのはぬいぐるみの彼の方らしい。少年立香は天を仰ぎたくなった。

 

 

「つまり、だ。ここは形を変えた聖杯戦争で、君たちに協力しなければ人類史が滅ぶ。

 それを回避するためには、聖杯を有する敵勢力と戦わねばならない。そうだな?」

 

「はい、その認識で構いません」

 

「ん~む。ダーリンどうする?」

 

「どうするもこうするも、彼らの味方をせねば、人類史が滅ぶのだ。やるしかあるまい」

 

 

方針も定まり、彼らもカルデアに力を貸してくれることを表明してくれた。

ただまぁ、出会いから会話に至るまで不安しか残らないのが不穏だが。

 

彼女らのペースに合わせていたら話もまともに進まないと、短い時間の中で学習した

ドレイクは、ぬいぐるみ曰く「女神」であるらしい絶世の美女へ名を尋ねる。

 

 

「ところで女神様。アンタ、名前は?」

 

「え? アルテミスだけど?」

 

 

今日の天気を答えるかのような気軽さで飛び出したのは、超ド級のビッグネーム。

古今東西あらゆる時代の英雄豪傑に精通していない立香ですら、聞き及んだことがあるほど

世界的な名前。目の前にいる残念な幼稚美女がまさか、ギリシャ神話の女神だとは。

 

 

「はぁ⁉」

 

「フォウ⁉」

 

『なんだってぇ⁉』

 

 

驚愕。驚愕。また驚愕。同行していた同じく女神のエウリュアレなど、絶句している。

船旅の最中、ほんのついでで海神ポセイドンを斃したドレイクは、頭を掻いてぼやく。

 

 

「とんでもない大物じゃないか……騙りでもなさそうだし、どうしたもんかね」

 

 

神秘の薄れた時代の航海者とはいえ、世に広く知れ渡る神話の主格程度は知っている。

そして、だからこそ。アルテミスを名乗る彼女が心底惚れ込むぬいぐるみが気にかかる。

 

おそるおそる、マシュは抱き寄せられているクマのぬいぐるみの事を尋ねた。

 

 

「で、では、そちらのぬいぐるみさんは…?」

 

「私の恋人。オリオンよ。召喚されるって聞いて不安になったから、代わってあげたの!」

 

「……不肖、オリオンだ。召喚されたらぬいぐるみとも生物ともつかぬ何かに成り果てた。

 どうか笑い者にしておくれ、遥かな未来の子どもたち。今の私はそれしか役立たん……」

 

 

ニコニコと微笑むアルテミスとは対照的に、オリオンと呼ばれたクマはしょげていた。

 

 

『お、オリオンだって⁉ こんなクマのぬいぐるみが⁉ あのオリオン⁉』

 

「こんな……ふ、ふふ。そうとも、こんな姿なのだ。大いに落胆してくれ…」

 

「ドクター! オリオンさんが明らかに悲しんでいます!」

 

『ご、ごめん。でも驚いたよ。まさか、名高きかの三星の狩人(トライスター)が……全男子の憧れが…』

 

 

項垂れてしまったオリオン(ぬいぐるみ)を見て、切なさを覚えたマシュが謝罪を求める。

ロマニも素直に謝り、それはそれとして密かな憧れを抱いていたことを吐露した。

これについては立香も同意見であった。彼ですら知っているほどの超有名人なのだから。

 

 

『オリオン。ギリシャ(いち)の狩人にして、様々な恋愛譚が記された「愛されし男」でもある。

 そして当時のギリシャの価値観からは考えられないほど、理知的で道徳的、倫理と高潔さを

 備えた男性の究極系。文武両道にして清廉潔白。非の打ちどころのない完全無欠の男』

 

「残された詩には、『男たるもの、オリオンかくあるべし』という格言も残されていたと」

 

『そうさ。多くの女性を魅了してなお好色に染まらなかった、真に高潔なる人として、

 現代でも舞台化や小説化が止まらない逸話の持主。それこそがオリオン……なんだけど』

 

「………そのへんにしてくれ。如何に我が身とて、泣きたくなる」

 

 

ロマニとマシュが熱に浮かされたように、オリオンについて語り聞かせる。

ドレイクも力強く頷きながら、「旦那にするならオリオンみたいなイイ男だよな」などと

呟く始末。理性に乏しいアステリオスすら、ヒーローを前にした子のように目を輝かせた。

 

だが当の本人にとっては、自身の輝かしい遍歴も現状との落差を覚える一因でしかなく。

静かに肩(ぬいぐるみなので腕の付け根)を震わせながら、しきりに目元を手で拭っていた。

 

 

そう。これは、正史に刻まれた物語ではない。

 

 

オリオンという男が、どのように生き、どのように死に、どのように語り継がれたのか。

彼の生き様が世界に、歴史に、後世に、どれほどの影響を及ぼしたかを知る物語である。

 

男に生まれた誰もが憧れ、規範とし、そうあらんと夢見た到達点。

一説によれば、「紳士」という言葉の原型とも言われるほどの清廉ぶり。

 

その剛力は桁外れ。

その精神は並外れ。

 

 

これは、オリオンという男が伝説に刻まれるまでを描く、『喜劇』である。

 

 

 

 







要はギリシャ神話のオリオンがスゲー紳士的だったら。
そんな感じのお話を書く予定です。なお続きは未定。

もし書くとしたら、オリオンの生い立ちからスタートですかね。


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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ギリシャの伝説 ~神々とトライスター~
放尿する者、大地に立つ


どうも皆様、萃夢想天です。

まさか投稿から一日経たずにこれほどの反響があるとは思いもよらず、友人ともども目を疑いました。
仕事も休みになったので、ご期待に応えて触りの部分だけでも
お見せしようかと思い書きました。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

オリオンという男を語るためにはまず、彼の出生から物語を始めなければなるまい。

 

 

ギリシャにおける最高位の存在として在った、オリュンポス十二神。

その一柱にして〝大地を揺らす神〟でありながら、海と嵐の権能を有する男神。

 

其こそが、海神ポセイドン。誰あろう主神ゼウスの兄にして、オリオンの父である。

 

およそ「神」と呼ばれる超常存在。大いなる権能を持ち得る彼らを、人々は崇拝した。

……と言えば聞こえはいい。実際は厄介事やら揉め事の火種に触れたくないだけだが。

 

さて。そんな海神、やはり兄弟というべきか。後世において『ギリシャ神話一クソ』と

唾棄されるほどの好色ぶりを誇るゼウスによく似て、彼もまた下半身に忠実な男だった。

 

一目見て気に入った女がいれば、無理矢理に犯す。これくらいはギリシャじゃ当たり前。

酷い時は人間以外の美しい牝の動物にさえも欲情し、同じ種の動物に化けて交尾に耽る

というクソっぷり。お前らの脳味噌は頭に入ってないだろ、などと言われても仕方ない。

 

女性からしたらとんでもない話だが、当時のギリシャの風潮からすれば日常茶飯事。

許されることではない。それでも、「強けりゃ何してもオッケー」を地で往くような

ジャイアン的発想がまかりとおる御時世である。まして神の大半はこんな感じなのだ。

 

話が長くなったが、要は下半身にだらしない神の存在こそが、オリオンの誕生に深く

関わっているのだと理解してくれたらそれでいい。

 

 

古代ギリシャ。大陸を中心とし、数多の島々が海に浮かぶ、神の加護厚き世界。

 

その一角にて。主神ゼウスと寵愛されし妃エウロペとの間に生まれた子の一人、ミノス。

彼は半神の身として頭角を現し、クレタ島を治める王と成った。そんな彼にもまた多くの

子がおり、そのうちの一人には愛らしく麗しい乙女エウリュアレという者がいた。

 

(このエウリュアレと、同じくギリシャ神話の女神エウリュアレは無関係である)

 

神に連なる系譜。神の血を継ぐ者のほとんどは、見目麗しく比類なき美貌を発現する。

男ならば精悍さを、女ならば可憐さを。そしてエウリュアレもまた、例外ではない。

美の女神にも並び立つほどの出で立ちは多くの男を、そして神をも魅了してしまう。

 

とくれば当然、男としての欲望にどこまでも忠実な神がでしゃばるのも自明の理。

 

ある日、島の海岸を散策していたエウリュアレは、その美しさに目を奪われた海神により

女としての尊厳を汚されてしまう。身も蓋もない言い方をしてしまえば、強姦(レイプ)である。

この時にエウリュアレの胎に宿った子こそが、後にオリオンと呼ばれる命だった。

 

 

愛娘を凌辱されたミノス王は激怒し、自らの父であり十二神を束ねる主神ゼウスに嘆願した。

どうかポセイドンを冥府(タルタロス)へ堕とし罪を償わせたまえ、と。だがゼウスは罰を下さなかった。

何故か? そりゃ女性を辱めたという理由で兄を罰すれば、兄以上に女性を泣かせてきた己も

罰を受けなくてはならないからだ。姉の女神ヘスティアに白い目で見られつつ、嘆願を拒否。

 

これに納得のいかないミノス王ではあったが、相手は主神。逆らっていい相手じゃない。

忸怩たる思いを胸にゼウスの采配を是とし、悲嘆に暮れるエウリュアレを慰めた。

 

 

それから時は経ち、エウリュアレは忌々しくも海神の子を、この世に産み落とす。

 

 

海の権能を持つポセイドンの子であるからか、子を包んでいた羊水は海水のような性質に

なっており、産まれてきた赤子からは潮っぽい()えた生臭さが放たれていた。

出産に立ち会ったミノス王はこの臭いを赤子の尿と勘違いし、鼻を押さえ嫌悪を示す。

 

 

「なんという赤子だ! 母親の胎の中で尿を漏らしくさるとは!

 不潔にも程があるわい! こ奴は『放尿する者(オリオン)』とでもするがよかろう!」

 

 

嗚呼、あわれオリオン。親父が海神だったばっかりに、非業の名を背負ってしまう。

 

こうして、母からも祖父からも望まれぬままに、オリオンは産声を上げたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正史において、狩人オリオンの物語は然程精密に記録されてはいなかったりする。

 

彼には同郷にして無双の英雄【ヘラの栄光(ヘラクレス)】や【イリアスの流星(アキレウス)】と並び立つような、

華々しくも輝かしい武勇伝がほとんど存在しないから。そういう理由もなくはない。

 

だが、オリオンの幼年期。成人に至るまでの期間を記した物は、存在していないのだ。

これは正史においても同様で、彼の物語のスタートは成人してからとされている。

では何故、彼の逸話に幼き頃の様子が記されていないのか。

 

その答えを、この「異なる可能性」からなる物語にて明かすとしよう。

 

 

オリオン誕生から16年。彼は今、母と祖父が暮らすクレタ島を離れていた。

 

コリントス地峡の北側、その中心都市をテーバイとする実り豊かな「牛の国(ボイオティア)」こそが、

ギリシャ一の狩人を育んだ土地である。ギリシャにおいて牛は豊穣の象徴でもあるので、

その牛の名を関するボイオティアの自然は、彼を壮観で逞しい屈強な男へ昇華した。

 

齢16にして身長は大の大人の肩をも超え、全身をぎっちりとした筋肉で覆う野生児。

けれど野蛮さは微塵も見られず、凛々しさと瑞々しさを兼ねる好青年に成長している。

本来であればミノス王の娘の子。つまり、王族として丁重に育成されて然るべき彼が、

どうして顔見知りもいない他の地方で暮らしているのか。理由は察しがつくだろう。

 

彼は望まれぬ子。それ故、母であるエウリュアレが彼を愛さなかったからだ。

 

母親の名誉と尊厳の為とはいえ産まれたばかりの赤子を、それも名高き海神の血を継ぐ者を

殺したとあっては、どんな災いを齎されるか分からない。危機管理意識の高いミノス王は、

流石に殺すのはしのびないとエウリュアレを諭し、彼を遠い地へ送り出したのである。

 

乳母の手から家臣の手へ、そこから次々に渡っていき、彼はボイオティアへ行き着いた。

彼の出生の曰くを知らないボイオティアの人々は、珠のように愛らしい子を気に入り、

その名前こそおかしなものと笑いはしたが、邪険に扱うことなく受け入れていく。

 

しかし、流れ着いた地には身寄りもなければ知り合いもおらず。育てるのは良いとして、

この子が大きくなった時どうしたらいいのか。困った人々は長老に相談することにした。

村で最も長く生きる老人は、オリオンに流れる神の血を「才能」として見抜き、言った。

 

 

「このオリオン。長ずれば何者をも超える男となろう。狩りの仕方を教えてやれ」

 

 

英雄としての道もあっただろう。間違いなく天下無双の超人になる。断言出来た。

それでも、長老にとって英雄とは死出の道。長く生きられるはずの命を燃やす所業。

神の血を受け継いでなお戦いに明け暮れる。そんな事を続ければ、この子は怪物に成る。

 

経験と観察眼を以てオリオンの有り得た可能性を先読みした長老は、その未来を防ぐ。

破壊と暴力を撒き散らす英雄になど、なるべきではない。例え憧れたとしてもだ。

この子には、自然の中にある美しさと厳しさ、そして優しさを以て生きてもらいたい。

老い先短い年寄りのワガママであると自覚しながらも、そう願わずにはいられない。

 

これこそが、オリオンの運命を決定付けたのである。

 

 

そうしてオリオンは赤子から少年へ。村の大人たちから独りでも生きていけるようにと、

狩りの方法から食べ物の調理法、字の読み書きなども一通り教わり、知慧を深めていった。

 

やはり神の血か。少年の頃から村一番の精悍さと美貌を持つと持て囃されたオリオンだが、

彼は決してそれを鼻にかけることはなく、謙虚と礼節を弁えた文武両道の人と育った。

 

 

「オリオーン!」

 

「おかえりオリオン!」

 

「オリオン!」

 

 

村を歩けば少女も淑女も振り返り声をかける。現代風に言えば、相当にモテていた。

 

ギリシャの価値観からすれば、「力こそ全て」なこの時代。彼は大人をも凌駕する膂力に、

分厚い筋肉の鎧をまとう見た目から想像も出来ない俊敏さを誇る狩人に成長している。

それでいて力を誇示することなく、暴力を嫌い、脅迫を疎み、誰より誠実であった。

 

これがギリシャの女にモテない訳がないんだよなぁ。

 

 

「あら、おかえりなさいオリオン。今日も狩り?」

 

「ああ、ただいま。今日も狩りだ。引き締まった牡鹿を射たぞ」

 

 

幼き頃より育ったオリオンも、今では16歳。この時代における成人と呼ぶべき歳だ。

丸々と愛らしかった幼年期もそれはそれでモテたが、男らしさがメキメキと磨かれた

青年の姿は、それはもうモテにモテた。色っぽい視線を送ってくる婦人も急激に増えた。

 

だが当の本人はそうした視線を意に介さず、大人以上の体躯でありながら無邪気に笑う。

 

他の狩人ならば「どうだ! すごいだろ!」感を出しながら見せびらかすのに対し、

オリオンはというと「頑張ったぞ、褒めてくれ」みたいな年相応の子供らしさを窺わせる。

聞いてもいないのに自分の腕前をこれでもかと自慢する他の男と違い、興味のない狩りの

様子などわざわざ聞かせることをせず、結果だけを言葉少なに示すのがオリオンなのだ。

 

さらにここからが、オリオンのクソ真面目で堅物な本領発揮である。

 

 

「ん。そうだ、コレを君に」

 

「え、わ、私に?」

 

 

大きな牡鹿を軽々と片手で担ぐオリオンは、思い出したように懐からあるものを取り出す。

それは、村の付近では見かけない種類の、花だった。濃い赤色の花弁を咲かす一輪の花。

いきなり花を突き出されて困惑する女性。そんな彼女に、オリオンは真顔で語る。

 

 

「狩りの最中に見かけた花だ。森の奥で偶然に」

 

「そうなんだ……それを、どうして私に?」

 

「この花の燃えるように麗しい赤を見て、君の事が頭に浮かんだ」

 

 

狩りをしている間、一切の油断は許されない。それはオリオンとて同じこと。

それでも彼は、獲物と定めた相手との緊張奔る最中に、花を見て女性を思い起こしたという。

 

言い換えればその言葉は、「美しいといえば、貴女だと思った」と宣言したに等しい。

 

 

「そ、そう……そうでしょう。貴方も私の美しさを認めたのね、オリオン」

 

「認めるも何も、君は美しいとも。だからこの花を摘んできた」

 

 

瞬間、女の胸に矢の突き刺さる音が聞こえた。無論、幻聴だ。それでも聞こえた。

愛や恋を司る神エロースが見たら、「素晴らしい(ビューティフォー)」と吐息交じりに呟いただろう。

オリオンが手渡した花と同じような髪色の女性は、それ以上に顔を紅く染めて沈黙する。

 

心をゼロ距離からブチ抜かれた女性の心情を露ほども知らぬ我らがオリオン。

彼は無言になった彼女に花を渡すと、そのまま仕留めた牡鹿を調理すべく家へ帰った。

 

帰宅したオリオンは仕留めた獲物の処理を手早く済ませ、自分で食べる分を取り分けた後、

余った(鹿肉の中で美味しい)部分を近所の村人に分け与えた。足腰が弱って狩りにいけない

老人の家や、育ち盛りの子供がいる主婦の家へ出向き、極上の脂がのった肉を配る。

 

村人から感謝と尊敬を一心に受けて家に戻ったオリオンは、削ぎ落としや硬い部分の肉を

てきぱきと調理。花と一緒に摘んできた野草や果実も盛り合わせ、食事を取る。

彼は食事の前後に必ず、目を閉じ両手を合わせ黙する。これは彼なりの「命への感謝」で、

自分が仕留めた動物の命を頂く許しを自らに課す行為だった。

 

これが遥か極東の島国にも伝わる「いただきます・ごちそうさま」の原典とされている。

 

黙祷を捧げたオリオンが空腹を満たすべく食事をしようとした時、来客が訪れた。

 

 

「おや、オリオン。食事中だったか」

 

「これは長老。申し訳ない、すぐ済ませます」

 

「ああ、構わんよ。押し掛けたのはこちらだ。そのままでいい、話を聞いとくれ」

 

 

そこに現れたのは、村の長老。幼き頃から良き父であり祖父でもあった恩人である。

失礼に当たると食事を胃袋に掻き込もうとするオリオンを諫め、長老は話し始めた。

 

 

「オリオン。お前も立派な一人の男じゃ。歳も16になった。成人じゃな」

 

「……立派な男かどうか、自分ではなんとも」

 

「普段の行いを見て、誰がお前を立派でないと笑おうか。誇れオリオン。

 お前は強く、逞しく、それでいて気高き狩人となった。その祝いをさせてくれ」

 

「その、身に余る光栄だ。祝いなんて……」

 

「なに、成人した男の祝いなぞ、一つしかあるまい。妻を迎えるがいい、オリオンよ」

 

「ブッ―――つ、妻⁉」

 

 

話の流れを食べながらに聞いていたオリオンは、思いもよらぬ一言に喉を詰まらせる。

妻を迎える。それは、夫婦になるということ。自分が、女性と? 慌てて水を飲む。

 

村中の女性を虜にするほどの男とは思えない初心な態度に、長老も笑みがこぼれた。

 

 

「そうじゃ。わしの息子の娘、シーデーを娶るとよい。あれも良い歳だ」

 

「し、シーデー? 今さっき会ってきたばかりなんだが⁉」

 

「なに、心配は要らん。あれも口煩いが乙女の端くれ、お前に心底惚れておる。

 己の美しさを吹聴してまわる癖こそあるが、気立てのある女だ。お前に尽くすだろう」

 

「いや、ありがたい話だがな長老。妻を娶ることに賛同したわけでは……」

 

「シーデーにはわしから話しておこう。明後日には村総出で、孫夫婦の結婚祝いじゃ」

 

「待たんかいジジイ!」

 

 

シーデー。摘んできた花と同じ、柘榴のような真紅の髪を自慢とする村一番の美女。

彼女を妻に娶る光栄は、同じ村にいる男の誰もが求めてやまない。それが得られる。

嬉しい気持ちはある。誇らしさも感じる。だがそれはそれとして結婚は尚早では?

 

などと理論立てて返事を先延ばそうとするものの、長老はとっくにその気でいた。

思わず口調を荒げてまで引き留めようとするオリオンだったが、聞き入れられず。

 

あわれオリオン。長老も焼いた肉の熱すらも、彼を待ってはくれなかった。

 

 

これこそが、オリオンという男を彩る恋愛譚の幕開け。

 

後世に記された書物に曰く。

 

【シーデーの悲劇】と呼ばれることとなる、オリオンの伝説の始まりである。

 

 

 

 

 







いかがだったでしょうか?

オリオンのこと調べて書こうとしたら、マジで幼年期の記述がどこ探しても見当たらなくて焦ったのは内緒。


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始まりは突然に…シーデーの悲劇

どうも皆様、萃夢想天です。
この度は日間ランキング2位という偉業を
読者の皆様あってこそ成し遂げられたこと。
そのお礼を申し上げます。

仕事から帰った来たら、お気に入り件数が二倍で
日間ランキング2位とか、頭抱えましたよ。

そんな皆様の熱い思いに応えます!


それでは、どうぞ!








 

 

 

 

 

オリオンが長老から半ば強引に縁談を組まされてから、きっかり明後日。

 

生まれはクレタ、育ちはボイオティアの端の村落。そんな美丈夫オリオンと。

生まれも育ちもボイオティアの端の村落。長老の孫娘で美女と評判のシーデー。

 

彼らが正式に夫婦という新たな関係へ発展する、記念すべき日を迎えた。

 

長老がオリオンに(一方的に)約束した通り、村人総出で彼らの結婚を祝福している。

 

今日という日の為に、これ以上ないというほどの化粧と衣服で着飾る新郎と新婦。

そんな二人の頭上を飛び交う声に、男も女も関係なかった。

 

 

「クソ! シーデーをものにするなんて、あの野郎羨ましいにもほどがある!」

 

「狩人のアイツが村一番の美女と結婚できて、戦士の俺がなぜ独り身なんだ⁉」

 

「爆発しろションベン小僧!」

 

 

一方は新郎である狩人オリオンへの賛辞。実に熱気と殺気に満ちた男の言葉である。

 

 

「ちょっと綺麗だからって調子に乗ってんじゃないわよ!」

 

「そんなぁ……オリオン、あたしのオリオンが…」

 

「ね、ね! オリオン、今からでも私を妻にしないかい? ねぇったら!」

 

 

一方は新婦である美女シーデーへの賛辞。実に労いと妬みに満ちた女の言葉である。

 

村一番の美男美女が腕を組んで佇む姿に、そこら中から奇声と慟哭が発せられていた。

ここまで熱い視線(良くも悪くも)を向けられる夫婦など、世界中を探しても見当たるまい。

 

阿鼻叫喚の花道を仲良く歩んだ新郎新婦は、神々の祝福あれかしと誓いの契りを結んだ。

 

 

「愛しているわ、オリオン」

 

「………ああ。麗しき我が妻。お前の想いに背くことだけは、決してしない」

 

 

どこまでも情熱的に愛を口にするシーデー。一方、夫となったオリオンは、自分の結婚にこそ

納得がいっていないものの、ここまで自分に入れ込んでくれる女を無碍(むげ)にはできなかった。

 

実際、シーデーはとても良い女であるとオリオンも思っていた。

 

美しさは言うに及ばず、頭もいい。辺境の村落でありながら学があり、審美眼もある。

やたらと己を誇示する振る舞いが目立つものの、それを除けばまともな女性であったのだ。

 

 

「……そうだな。何か不都合があるわけでもなし。うん、これでいいのだろう」

 

「何か言った?」

 

「いや、なんでもないさ」

 

 

村の開けたスペースに設けられた、今日という祝いの日の為だけに建てられた簡素な祭壇。

そこへ歩み寄った二人は、自分たちが晴れて夫婦となることを天上の神々に報告する。

 

現代では役所やらへ書類を提出するものだが、この時代にそんなキッチリしたものはない。

それでも、結婚やら何やらを司る誰得な神がいたりする時代ではあったのだ。面倒な事に。

故に簡素ではあるが畏敬のこもった祭壇に跪き、オリオンは敬虔に神々へ祈りを捧げた。

 

 

(天上におわすいと高き神々よ。今日より、妻を娶りともに寄り添う事を赦したまえ)

 

 

正史におけるオリオンであれば、鼻くそでもほじりながら「んじゃ、よろしく」とでも

ほざいていた場面であっても、この歴史ではそうならない。クソ真面目な堅物だから。

片膝をつき、両手を額の前で重ね、目を閉じ、黙して祈る。信奉者も驚く敬虔ぶりだ。

 

対して彼の妻となったシーデーだが、彼女は念願の男を手に入れた事実に浮かれていた。

 

オリオンの妻となる。これはもはや、村に住まう独り身の女において最上級の地位(ステータス)

言っても過言ではない。競争率が高いだけでなく、難易度が桁外れに高いのだから。

 

当時のギリシャ。しつこいようだが価値観としては、「力こそ正義」が主流である。

強ければいい。強けりゃ何をしてもいい。それが男の価値観。ならばそんな世界の女たちは、

誰よりも強いと己が認められるような男とくっつくことができれば、まぁ幸せなのだ。

 

このような時代に、オリオンという規格外のイイ男ありけり。

 

他の男と違い、野蛮でも粗暴でもなく、理知的で誠実。暴力も脅迫もせぬ高潔な人。

では腕っぷしがないのかと問われれば、否。村の誰よりも強く、速く、逞しい男。

 

彼が朝起きればお茶に誘われ、狩りに出向こうとすれば引き止められ、夜に帰ればやたら

ギラギラした目つきな年頃の女たちに優しくされる。倍率なんて数えるだけ無意味だった。

 

そんな超々優良物件であるオリオンを、長老のコネ入りといえど、やっと手に入れた。

シーデーとて女。嬉しくないわけがない。ましてプロポーズ(本人に自覚なし)すら受けて

いるのだから、誰の目を憚ることもない。大手を振って最高の男を自慢できるというもの。

 

狩人の妻となった彼女の心はまさに、有頂天にあった。

 

 

「うふふ、うふふふ……あーっはっはっは!」

 

 

だからこそ―――――このような悲劇が起こったのは、いわば必然であろう。

 

 

「見なさい! オリオンを夫としたこの私の美しさを! 至上にして究極と証明されし美を!

 この美しさはもはや、全能なるゼウス神が妻、かの女神ヘラすら上回ったと言えましょう!」

 

 

差し伸べるように、その手を天に向けて哄笑するシーデー。彼女は本気でそう思っていた。

ギリシャに屈強なる者は数あれど、我が夫たるオリオンにならぶ者は現れはしない、と。

断言出来たし、彼女はそう信じていた。そしてそれはそのまま、己の美の証明と成り得る。

 

シーデーは根本的な誤解をしている。彼女はこの誤解に、ついぞ気付けなかったが。

 

そも、オリオンと結婚できた理由に、彼女の美しさは欠片ほども関係なかったのだ。

ただ彼女が長老の息子の娘であり、オリオンと親しくあり、彼に心底惚れていた。

残酷な事実を敢えて突き付けよう。その条件さえ満たせば、彼女でなくても別に良かった。

 

美女の裡にあった「傲慢」が、彼女の目を曇らせ、その運命を定めてしまう。

 

 

「………………なんだ? 空が、暗く…⁉」

 

 

狩人として磨き抜かれたオリオンの瞳は、不自然に空が暗黒へ染まる様子を捉える。

ほんの一分足らずで空は黒一色に変わり果て、異様な光景に村人も怯え始めた。

 

長老や村人たちが何事かと浮足立つ中、オリオンだけは冷静にこの異常を俯瞰していた。

 

自然現象ではない。祈祷師が扱う魔術でもなかろう。人の身には余る大いなる超常。

そこまで情報が揃えば、これを繋ぎ合わせて答えを導き出すことなど、児戯である。

隣でようやく高笑いを引っ込めた妻にも聞こえぬ小声で「神か」と、低く呟くオリオン。

 

その答え合わせをするかのように、暗黒と化した空より、威厳に満ちた声が響く。

 

 

『―――妾を誰と心得る。天に仰ぎ見るべき天上の主人、ゼウスが正妻【ヘラ】なるぞ』

 

 

唐突に空から降って湧いた、神の言葉。村の誰もが経験のない一大事に大混乱を起こす。

 

ヘラ。この名を知らぬギリシャの民はいない。神々の長ゼウスの正妻にして神々の女王。

それこそが女神ヘラ。この世の何より美しい女にして、何よりも嫉妬深い魔性の神。

 

こう聞けば、怒らせると怖い女神、程度には認識されるだろう。間違ってはいない。

だが実際はもっと酷い。ギリシャの女性問題のうち、ほとんどが主神ゼウスの責任なので

あまり強く言えない部分もあるが、ギリシャの家庭問題のほとんどにこの悪女が絡んでいる。

 

先程言ったように、ヘラという女神は相当に嫉妬深い。というか堪忍袋の緒が極細なのだ。

 

もともと彼女はゼウスに一目惚れされ、「ヤラせてくれ(ド直球)」としつこく狙われていた。

あまりの執念についに折れた彼女は、体を許す条件として「今の妻と別れて私と結婚しろ」と

離婚を迫ったのだ。中々のメンタルである。自分にそれほどの自信があったと言ってもいい。

 

これを渋々承諾するゼウス。どんだけヤリたかったんだお前。妻の女神とあっさり別れて、

ヘラを正妻に迎えた主神だったが、それで浮気癖が治ったわけではない。むしろ悪化した。

自分に絶対の自信があるヘラは肢体こそ極上ながら、性格はキツく、長続きはしなかった。

その結果、他の女神やら人間の女に安らぎを求め下半身の赴くままとなってしまう。

 

当然、これを許すヘラではない。しかしこの女神、前述の通り性格はゼウス並にクソである。

 

浮気を繰り返すゼウスを、彼女は立場上罰することができない。夫はギリシャの神格を束ねる

主神であり、大いなる権能を持つ男。よって彼女の怒りの矛先は、浮気相手へ向けられた。

 

曰く、「ゼウスを誑かす女の方が悪い」

曰く、「絶対の美である私を差し置いてゼウスの寵愛を賜るなど、万死に値する」

 

夫婦そろってどんだけだよ、と頭を押さえずにはいられないレベルのクズっぷりだが、

腐っても最高神夫婦。ゼウスの姉であるヘスティアさえも、罰するだけの権限はない。

ゼウスはあちこちで種をまき、ヘラはまかれた種に災いを撒き散らす。病原菌かお前ら。

 

そして今。そんな、あらゆる神話上最もヤバい女ナンバーワンが、降臨したのだ。

 

こればかりはタイミングが悪過ぎた、としか言えない。どちらにとっても。

結婚を司る誰得な神がいると言ったが、それはまさしくこの女神ヘラの事を指している。

 

村に供えられた祭壇を通じて、今日より夫婦となるものへ祝福を授けんと権能を持ち寄った

ところで、ちょうどハイテンションなシーデーの発言とバッティングしてしまったのである。

誰が悪いわけでもない。いや、神を見下すようなことを言ったシーデーも悪いには悪い。

ただ、そう。ここまで噛み合わさった奇跡的な不運。もはやこれは、運命としか言えまい。

 

 

「へ、ヘラ様⁉」

 

「なんでそんな方が俺たちの村に…」

 

「何なの、何がどうなってるのよ…」

 

 

混乱が波及し、ざわざわと騒めく村人たち。それが最高潮に達するかに思われた瞬間。

 

 

「ひっ⁉ な、なに―――」

 

「シーデー⁉」

 

 

ジャラジャラ、と耳慣れない音がオリオンの鼓膜を揺らす。音の発生源は、隣にいる妻。

喉から絞り出されたような短い悲鳴に顔を向けると、そこにあったのは青銅の鎖玉のみ。

ちょうど成人女性が一人すっぽり収まるほどの大きさをした、鎖の球体が彼の横にあった。

 

村人たちはいきなりの出来事に慌てふためくばかりで、状況への理解が追いついていない。

しかしこの男。聡明にして智博なるオリオンだけは、混沌の渦中においても冷静である。

隣で鎖が巻かれる音と、そこから微かに漏れる人の悲鳴。オリオンは瞬時に行動した。

 

 

「待っていろシーデー! 鎖など私にかかれば―――――ッ⁉ 何故だ!」

 

 

巨木の如き剛腕と、それに見合った膂力を誇る彼にとって、金属製のものも若葉に等しい。

指で捻れば千切れる程度の脆いもの。そう信じて疑わなかった彼が、初めて瞠目する。

 

 

『この者は妾に対する不敬を働いた。故、神々の女王の名に於き、冥府(タルタロス)へ幽閉する』

 

 

並の人間であれば、声色だけで平伏するだろう厳かさをひしひしと感じさせるヘラ。

事実、彼女の降臨からこの言葉が出た直後、村人は混乱と恐怖をそのままに平伏している。

そうするのが当然であり、礼儀であり、常識。神の機嫌を損ねることは、自殺も同義だ。

 

だが、そんな理由で妻を放っておかない男が此処にいる。

 

 

「ぐ、ぐぉぉ………ッ‼ 待って、いろよ……‼」

 

 

自らの剛力をもってしても砕けないことは理解した。が、それは諦める理由にはならない。

血管が皮膚を押し上げ、全身の筋繊維を隆起させ、なおも妻を解放しようとする夫がいた。

 

無駄な足掻きと冷ややかに見下しつつも、その執念深さに嫌な事を思い出した女神ヘラは、

冥府へ送る罪人を決して逃がさないタルタロスの鎖に挑み続ける男へと神の言葉を伝える。

 

 

『それは青銅の鎖。大罪を犯した者を冥府に縛るもの。この世の如何なる力も届きはせぬ。

 しかし興味が湧いた。神の血を交えし男よ、其方は何故にそこな不敬者を救わんとする?』

 

「何故と……? 何故、と問うか女神ヘラ! 我が妻を助くるに理由は必要か⁉」

 

『……よほどその者の〝味〟を占めたとみえる。手放すには惜しいのか?』

 

「く、ぐッ…! 無礼を承知で申し上げる……! 下衆(げす)な勘繰りを、取り消せ‼」

 

『―――なに?』

 

 

次々と鎖が巻かれ、拘束はどんどん厚みを増していく。オリオンはそれをどうにかして

引き剥がそうとするが、彼の尋常ならざる力をもってしても及ばない。息も絶え絶えだ。

 

そんな醜態を晒しながら、彼の眼光は一向に衰えず。ただひたすらに妻へと向けられる。

 

 

「妻を、シーデーを取り戻す! 私が………俺が愛すると決めたんだ! このオリオンが!

 主神の妻だろうが神々の女王だろうが! 関わりを持たぬ者は例外なく引き下がれ‼」

 

 

咆哮。絶叫にも等しい宣言の直後、神々すら忌み嫌う絶対の拘束に、亀裂が奔った。

 

女神ヘラは絶句する。なんだこの男は。これまで出会ったどんな男とも違う存在だ。

まず、人は神に逆らわない。超常存在にして大いなる権能。人は上位者たる神に従うもの。

その前提を打ち崩してきた。不快感を募らせるヘラだが、しかし激情は湧かなかった。

 

この男は言った。「妻を助けるのに理由が必要か」と。

 

一度も聞いたことのないセリフだった。少なくとも女神の生を受けて現在に至るまで。

彼女の夫は好色王ゼウス。今もどこぞの女と楽しく盛り合っているだろう。殺意が溢れる。

けれど眼下の人間は違う。女神ヘラの決定に異を唱え、その身一つで逆らおうとしていた。

 

自分をゼウスの正妻ヘラと知っての啖呵。されど侮蔑も傲慢も感じさせぬ誠実なる訴え。

成り行きとはいえ夫のみを愛するヘラにとって、初めての「興味の湧く男」となった。

 

 

『ほう。そなた、名をオリオンと言うのか。妾に「引き下がれ」とは不敬な輩よ』

 

「女神ヘラ! 結婚と貞節を司りし大いなる母よ! 俺とシーデーとの契りには、

 一欠片ほどの不純はないはずだろう! 問いを返そう! 何故我が妻を冥府へ送るのか!」

 

『……その女の言葉、しかと我が耳にも届いていた。神を恐れぬ傲慢を妾は容認せぬ』

 

「傲慢、だと⁉ ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()‼」

 

 

ところが、オリオンを雁字搦めに縛り付ける運命は、彼に許されざる誤解を植え付けた。

 

オリオンは聡明な男だ。常日頃から神々へ祈り、感謝を捧げ、崇拝を忘れない。

そんな彼が、妻の身が危険であるとしても、「神に逆らう」という選択肢を取るはずもない。

そういう世界、そういう時代に生きる者である。納得はさておき、理解は出来る男なのだ。

 

だというのにオリオンはヘラに逆らった。その答えは至極単純。

 

彼は―――ヘラがなぜシーデーを「傲慢である」としたのか、本当に理解できていなかった。

 

 

『………オリオン。そなた、本気で言っておるのか』

 

「嘘偽りを軽々と語る趣味はない! 我が問いに答えよ女神ヘラ! 何故だ!」

 

 

言わずもがな。ヘラが許せなかったのは「自分を差し置いて最上の美である」と驕ったこと。

女神にしてゼウスの正妻。それを気位高く受け入れている彼女にとって、己以上であると

比較されることが(比較にならなかったとしても)我慢ならない沸点なのだ。

 

咎められるべきはシーデーの傲慢。舞い上がっていたとはいえ、ゼウスすら認める美の究極、

すなわち女神ヘラを下に見るような発言をしていいはずがない。ただの人間の小娘が。

彼女の戯言は裏を返せば、「ゼウスは見る目がない。本当の美は此処にいるぞ」と豪語する

ようなものなのだから。これはゼウスも気分を悪くする発言である。

 

ヘラの怒りは正当なものであり、最高神夫婦を同時に侮辱したのは許されざる大罪だ。

 

それでも、オリオンには()()()が理解できていない。

 

 

「シーデーは美しい! 己が認めるように、俺も彼女の美しさを認めていた!

 美しいのだと事実を口にしただけで、どうして彼女がこんな仕打ちを受けるのか!」

 

 

奇しくもこの価値観のズレは、豊かな自然の中で健全に育った結果でもあった。

 

彼にとって「美しさ」とは、分類(ジャンル)に等しい。そういうものである、とする理解の範疇。

分かりやすく言えばオリオンは「どちらが美しい?」という問いに答えられないのだ。

 

何故ならオリオンには美しさとは「競うもの」ではない。そういった分類なのだから。

この人にはこんな美しさがあり、あの人にはあんな美しさがある。それでおしまい。

オリオンの中にある「美しさ」は、比較も上下も優劣もない。漠然とあるだけのもの。

 

この悲しいすれ違いの根本には、生来のクソ真面目さと狩人としての価値観があった。

 

 

『この不敬者は、妾をも超えた美貌を持つなどと吹聴してみせた。これは認められぬ。

 神々の女王にしてゼウスの正妻となった妾よりも美しいものなど、あってはならぬ故』

 

「それではなにか! 我が妻は、美しいから冥府へ堕ちるとでものたまうか‼」

 

『違う。人間如きの尺度で以て、神をも超えると自負することこそが大罪である』

 

 

同じ「美しさ」という観点に対する、どこまでも価値観の異なる狩人と女神の問答。

シーデーが冥府へ堕ちねばならないのは、あくまで神への不敬。しかしオリオンにとっては、

己の美しさを言葉にしただけで神に罰せられた、というようにしか思えなかった。

 

そして女神ヘラの確信に満ちた一言を聞いたオリオンは、ここで更なる輝きを見せる。

 

 

「女神ヘラ! 尊き御身はいま、仰ったな!」

 

『………?』

 

「確かに聞いたぞ! 『人間如きの尺度』と! その通りだ! 我が妻シーデーの言は、

 神たる貴女様からすれば人間の尺度で語られたもの! それを罰するというのか‼」

 

『何が言いたい、オリオン』

 

「いと高き神々の女王ともあろう御身が、()()()()()()()で語られた言を真に受けたか⁉」

 

『―――――っ‼』

 

 

尊顔を拝謁してはいないが、天上より声を発する女神の表情が歪んだとオリオンは悟る。

 

彼の言葉の真意をすぐさま理解したヘラは、瞬間湯沸かし器もかくやな憤怒を抱いた。

神の血を引く人間はこう言った。「見下している相手の戯言を本気で捉えたのか」と。

 

女神ヘラは怒った。だからシーデーを罰しようとしている。それは、狩人の妻が言い放った

暴言を「事実である」と認めたに等しい行いだと狩人は語った。ここにきての正論である。

 

否定するのは簡単だ。神たるヘラはただ「違うから。不遜な態度がダメなんだから」とでも

言い包めればそれでいい。しかし彼女は、己に絶対の自信を持つ彼女にはそれができない。

一度でも彼の言葉を認めてしまえば、女神としての器が実に狭量であると示すことになる。

(今更過ぎるとか言ってはいけないが)それはできない。気位の高い彼女には。

 

ならば度重なる神への不遜を大罪として、このオリオンも同じく冥府へ堕とせばよいか。

答えは否である。夫婦の契りを交わしたその日に夫婦諸共冥府へ送る。とんでもない醜聞だ。

 

これがもし他の神々やギリシャの人々に伝われば、間違いなくこう思われることになる。

 

 

あぁ。まーた女神ヘラが嫉妬に狂ってやらかしたんだな、と。

 

 

事実無根とまでは言い切れないにしても、そんな噂が立てば女神ヘラの沽券に関わる。

なにせ彼女は結婚を司る神である。だというのに祝福しないばかりか新婚夫婦を冥府送り。

人々は女神ヘラに対し、結婚という文化・概念での信仰心を薄れさせることは明らかだろう。

 

こんなことになれば、女神ヘラから結婚を司る部分が失われかねない。権能の消失とは即ち、

神としての格の零落を意味する。許容できるはずもない。ゼウスの正妻の座すら揺らぐ。

 

だからこそ、どれだけ怒りに染まろうと、女神ヘラはオリオンまでも罰することはできない。

 

 

『………これは神の宣告。違えることはない。オリオン、そなたの妻を冥府へ送る』

 

 

これ以上言葉を介すると、それだけで女神ヘラは不利な立場に追い込まれると理解した。

多少強引にでもこの場を去ろうとし、青銅の鎖で完全に拘束されたシーデーを引き寄せる。

 

 

「待て! 待ってくれ女神ヘラ! 何卒、慈悲を!」

 

『ならぬ。この者への沙汰は下された。だがオリオン。そなたの献身を讃えよう』

 

「そんなものは要らん‼ シーデーさえ返していただければ、何も求めん‼」

 

『………気に入ったぞオリオン。そなたが砕いてみせた鎖の欠片、神器として取らせる。

 後で遣いをヘファイストスめにでも寄越して鋳造させよう。妾を諫めた褒美としてな』

 

 

オリオンは暗黒の空へ吸い寄せられていく鎖の塊に手を伸ばすが、既に距離が離れ過ぎた。

ならばと彼は自宅へ駆け出し、狩り用に自作した弓矢を手に、一面黒となった空を仰ぐ。

即座に限界まで引き絞った矢を放つ。風を切り裂いて飛翔した矢は、青銅の鎖に阻まれる。

 

打つ手がなくなったオリオンは、ついに膝を屈して項垂れた。妻を失った悲しみで。

 

神への怒りは、湧かなかった。理不尽だと思った。それでも彼は、神を尊ぶ。

彼の胸に到来したのは、「何故」という疑念のみ。ただそれだけが分からないでいた。

 

 

「何故だ……どうして………ああ、シーデー」

 

 

あわれオリオン。結婚したその日に、愛そうと誓った妻とは二度と逢えなくなった。

 

 

これが、オリオンという狩人の伝説の始まり。

 

誰も彼もを魅了した海神の落胤である彼を彩る恋愛譚の〝序章〟である。

 

後世に語り継がれたこの出来事は、【シーデーの悲劇】と呼ばれ、多くの人が涙した。

 

 

 

 

 









書いてる途中で日間1位になってました。
嬉しさのあまり死ぬんじゃないかと思ったら、
邪ンヌで無事爆死致しました。なるほどね(涙)


あまりの高評価に心臓がどうにかなりそう。
あ、続きは未定です。未定にさせてください(土下座)


ご意見ご感想、並びに批評や質問などお気軽にどうぞ!


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放尿する者、旅立つ

どうも皆様。萃夢想天です。
次回は未定でしたが、ええ。
あまりにこちらの作品の勢いが強く、
ひとまず落ち着くまでこちらの投稿を
しようかと考えを改めました。

それでは、どうぞ!





 

 

 

 

後世にて多くの人々に涙を流させた【シーデーの悲劇】より、五年の月日が経過。

 

ボイオティアの片隅にある小さな村落で育った狩人オリオンは、妻を失った悲しみを

忘れられずにいたが、長老の言葉を受けて一人、諸国を巡る旅人となっていた。

 

本当なら育ったあの村で骨を埋めるつもりだったオリオンだが、結婚当日に妻が神の怒りに

触れて冥府へ堕ちたこともあり、これまでのように村人たちと接することができなくなった。

彼を心配する者がほとんどだったが、女性の中には彼の妻がいなくなったことに喜ぶ者も

いたため、オリオンの心を傷つけぬためにも、と長老が一週間も経たぬ内に送り出した。

 

長老の心遣いに感謝の意を示したオリオンは、悲しみも癒えないままボイオティアを出国。

宛てもなく近隣諸国や近くの島々を旅し、そこで新たな知識や文化から知慧を獲得する。

もはや並大抵の賢者すら及びもつかぬほど、深い知を携える者へ成長したオリオン21歳。

 

しかし五年をかけて磨きがかった頭脳をもってしても、かつての疑念は晴れていない。

 

 

(我が妻シーデーよ。君はなぜタルタロスへ縛られねばならない……分からないんだ)

 

 

五年前の女神ヘラとの邂逅。そこでの問答を幾度となく思い返すも、理解ができない。

どこまでも誠実で真面目な彼にとって、傲慢とは「事実の再確認」とほぼ同義であった。

 

妻のシーデーは己の美しさを最上であるとして吹聴した。彼はそれを事実と認めている。

ここで価値観にズレが生じていることを、一人の身で彷徨うオリオンには知覚し得ない。

 

美しさに差があると思っていないのだ。美しさとは「そういうもの」とする漠然とした理解。

どちらがより美しいのか、といった比較がオリオンは分からない。()()()()()()()()()()()

 

 

(…………シーデー。我が妻。冥府に堕ちていようと、君の安寧を祈ろう)

 

 

かつて妻となった女に渡した花が咲く季節。心地よい日差しに抱かれる頃になった。

遠い空の向こうを眺め、今日も彼は天上の神々と冥府へ連行された妻への祈りを捧げる。

 

そんなオリオンは最近立ち寄った島の住民から、ある噂話を耳にしていた。

 

なんでも、キオス島という島を治める王であるオイノピオーンの娘が、大層美しいらしい。

近頃は、その娘を娶ろうとする屈強な男たちがこぞって島を訪れるほどに有名になったとか。

この話を聞いたオリオンは、五年の歳月を経て解せぬ思いを晴らせるかも、と思い至る。

 

 

(会ってみよう。オイノピオーン王の娘とやらに。そして、尋ねてみよう)

 

 

―――美しさとは果たして、罪であるのか。

 

旅の新たな目的を見出したオリオンは、島の港へ趣き一路、小舟でキオス島へ出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キオス島。其処は、ギリシャ神の一角たる酒神ディオニュソスの息子オイノピオーンが治める

交易の盛んな島である。名産は言うまでもなく、父たる酒神から賜る極上の美酒だ。

 

人の往来が激しく、そこからもたらされる物資の豊かさは、住まう人々を活気づけていた。

 

 

「此処がキオス島……なんとも陽気で明るいところではないか」

 

 

島の中心で栄える町では飲めや唄えやの騒ぎが絶えず、年中お祭りのような状態だった。

そんな場所へやってきたオリオンは、五年の放浪で学んだ「身なりの整え」を開始する。

 

この時代、豪華絢爛な衣服や化粧なんてものは王族ぐらいしか嗜む者はいなかった。

それどころか風呂なんてシステムは存在せず、あってもせいぜい川や泉の水を浴びることで

汗を流す程度に清潔感を保っているような者がほとんど。そういう時代だった。

 

当然、英雄豪傑を名乗らんとするむくつけき男どもは、己の身なりや臭いに無頓着である。

乾いた血や汗は戦いの勲章であり、返り血や泥、埃にまみれた装束など見せびらかす始末。

暴力を振るわれたくないが為、臭いや血痕を我慢して女は男を褒めそやすのが常識。

 

それを良しとしないのが、このオリオンという男。

 

見知らぬ土地で更には王族の、それも年頃で未婚の娘に会いに行くのだ。汗や垢の臭いを

そのままで出向くなど許されないだろう。オリオンは島に到着後、すぐ川へ向かった。

清涼なせせらぎを狩人の経験ですぐさま見つけた彼は、透き通った水で体の汚れを落とし、

花の蜜や香草を燻して水に溶かした独自配合の美容液を首筋や脇に塗り、体臭を消した。

 

さらに「手ぶらで王族に謁見するのも不敬だろう」と考え、良い品を見繕おうと考える。

 

 

「ふむ……献上品はオイノピオーン王とその娘で、それぞれ別の物の方がよかろう」

 

 

気配りも怠らないオリオンは、その身を清めてからどんな品がよいかと頭を捻り考えた。

 

己は狩人である。ならば狩人らしく、立派な獲物を仕留めて献上するのが順当だろう。

事実、王の娘を娶ろうとやってきた男たちのほぼ全員が、男らしさをアピールしていた。

それを察することのできたオリオン。であれば、他とは違った物を捧げねばなるまい。

 

剣や槍といった武具の類を王へ捧げるか? 己は狩人、鍛冶師ではない。不可能だ。

他の追随を許さぬほどの獲物を仕留めるか? 自分ならできる自信がある。可能だ。

けれど、それほどの獲物がまだこの島に残っていればの話だが。可能性は低いと思われる。

 

生来の気質がクソ真面目な彼にとって、「手土産が(ダブ)る」なんてあってはならない。

 

それから陽が沈み、月が昇るまで川のほとりで悩んでいたオリオンは、狙いを切り替えた。

ひとまず王への献上品は忘れ、一番の目的である王の娘への献上品のことを考えよう。

自分は婚姻を結びに来たわけではないので、焦る必要もなし。時間もあることだし。

 

難しいことをいつまでも考えあぐねても無駄だと割り切り、野宿で一晩を過ごす。

 

 

「さて。では王の娘への献上品だが……やはり、花が妥当か?」

 

 

暁の女神エオスが夜明けを告げ、エオスの兄にして太陽(主に日の出)の神ヘリオスが朝日を

昇らせる頃、狩人オリオンは起床。寝汗を水で濯ぎ、洗顔もして気分爽快となる。

そのまま川を泳ぐ魚を軽く捕らえて調理。命に感謝して食した後、熟慮を再開した。

 

オリオンが女性への献上品として真っ先に思い至ったのは、花であった。

 

正史とは異なるこのオリオン。結婚こそしていても、彼の純潔は依然保たれている。

なにせ結婚式当日に妻がいなくなっているので。いわゆる〝初夜〟も未経験なのだ。

 

故に女性にアホほどモテる彼ではあるが、女性との浮ついた経験は皆無に等しい。

しかしそんな彼でも、女性はその身を飾る煌びやかな物を好むくらいは知っている。

おまけに天然で堅物な彼だが、男性が誇る勲を女性が求めないことも理解していた。

 

花。いいな、花。妻にも村の女性にも捧げ、どれも好感触だったと思い返すオリオン。

けれど忘れるなかれこの男。花を渡して喜ばれた、というのは少し事情が違う。

彼は花を手渡すとともに、ひとりひとりへ真摯な思い(告白ではない)をぶつけていた。

ギリシャの女はこれに弱かったのだ。断じて花を渡されて皆が皆喜んでいた訳じゃない。

 

 

「この島に咲く花に詳しくないがある程度なら………いや、待てよ?」

 

 

コレでいこう! とウキウキ気分になったオリオン。直後に別の可能性に気が付いた。

 

 

「よそから来た者がいきなり花なんぞ渡して、すわ毒花か魔術の触媒かと思われぬか?」

 

 

己は実に冴えている。危うく無実の罪で処刑されかねなかった、と冷や汗を拭う。

考え過ぎと言われればそれまでだが、「有り得ない」わけではない。可能性としては充分に

有り得るのだから。気分のいい想像ではないが、慎重を期すならば避けるべきだ。

 

森へ入ろうとする足を止め、再び川辺に腰を下ろして、うんうんと唸るオリオン。

あーでもない、こーでもない。これがいいか、あれがいいか。アイデアが浮かんでは消える。

ついに彼の脳裏からアイデアが出尽くし、五体を投げ出して空を見る。ああ、星が綺麗だ。

 

 

「…………もう夜じゃねぇか‼」

 

 

深慮へ耽るあまり、とっくに星空が彼を見下ろしていたことに気付いていなかった。

一日中回転させ続けた反動か。やや鈍くなった思考で、のろのろと就寝の支度を整える。

今日も思いつかなかったと嘆息を一つ。もう手頃な獲物でいいのでは? そう思えてきた。

 

 

「……いや、ダメだ。王とその娘への献上品だ、血生臭い狩りの品は宜しくない」

 

 

配慮も完璧なオリオン。ここでとんでもないフラグを打ち立ててしまったことに、彼はおろか

運命を司る神々たちですら、気付きはしなかった。また一つ、正史と違う可能性を歩む。

 

翌朝。彼が目を覚ますと、空は曇天の鼠色。雨はまだ降らぬと狩人の感が告げている。

それでもいい天気とは言い難い。ここから天候が崩れ、大雨になるやもしれない。

献上品選びは止めて、今日は町の様子でも眺めるとしよう。良い息抜きにもなるだろうし。

 

心機一転。昨日と同様に己の身なりに気を配り、清潔を意識して身支度を整えた。

 

 

「―――――ん。そうだ、コレを忘れてはいけないな」

 

 

町の方角へ歩き出そうとしたオリオンは、大切な物を忘れるところだったと身を翻す。

 

彼の大きな手が掴み取ったのは、五年の歳月の中で己に馴染むようになった〝神器〟だった。

 

妻シーデーを取り戻すべく、冥府の鎖を引き千切らんとしたあの日。彼の膂力は確かに鎖へ

亀裂を奔らせた。これに驚いた女神ヘラは、オリオンの高潔さと妻への誠実さにいたく感心、

更には「神ならば人の言葉に踊らされるな(超意訳)」という諫言さえしてみせた男に対して、

ヒビ割れから毀れた鎖の欠片を遣いに銘じて回収させ、それをある神へと押し付けた。

 

誰あろうその神こそ、ヘラの実子にして鍛冶の神。ヘファイストスである。

 

容姿が酷く醜いことを理由にヘファイストスを捨てたヘラだが、彼自身を憎んでいるわけでは

ないため、母であることを理由に半ば強制的に鍛造を命じることも少なくはなかった。

今回もそれだろうと呆れていたヘファイストスだが、遣いの言伝を聞いてその片目を丸くする。

 

 

「我が母ヘラが、人間の狩人の為に神器を(こしら)えろと? 本当にそう言ったのか?」

 

 

偽りはないと遣いは頷く。これまでヘファイストスは、多くの神々がそれぞれ気に入った者に

送る武具などを鍛造するよう命じられ、応えてきた。時折は自ら目をかける英雄に武具などを

与えることもあったものの、そうした行為は稀であった。なにせ根が頑固一徹な爺である。

 

だからこそ、ヘファイストスは関心を示した。女神ヘラが神器を与えようとする人間に。

 

普段は口数少なく不愛想な彼だが、この時ばかりは遣いから話を聞こうと舌を回した。

神器を与える人間はどんな奴だ? 男か、女か? 英雄ではなく狩人? などなど。

遣いが知り得る全ての話を聞き終えたヘファイストス。その頃にはもう心を決めていた。

 

 

「良いだろう。妻の為に冥府の鎖すら砕いてみせたオリオンとやらに、儂が丹精を込めて

 鎚を振るってやろうではないか。久方ぶりにやる気が湧いたぞ。ほれ、早よ寄越せ」

 

 

言うが早いか、遣いの手から青銅の鎖の欠片を奪い取り、鍛冶神の権能を用いて鎚を振る。

英雄の為の武具は作り慣れていたが、狩人の為の神器となると聊か勝手が違うものだ。

それはそれとして、職人の腕が鳴る。どうせなら神鉄も混ぜてうんと強くしてやろう。

 

神の理不尽によって己が妻を冥府へ堕とされてなお、神への信仰を失わない稀有な男へ。

ヘファイストスは自身の権能をフル活用し、オリオンの為だけの神器を鍛造してみせた。

その後、遣いに任せず自ら彼の前に降臨。手ずから自信作を二振り、授けたのである。

 

それこそが、オリオンという狩人を伝説の存在足らしめる一助となった、二つの神器。

 

 

青銅と神鉄からなる狩人の弓【不敬雪ぐ信念の弓(ディ・クストリアージ・メターニア)】と、

青銅と神鉄からなる狩人の棍棒【不遜砕く敬虔の鎚(クスペラスティータ・エンポディア)】である。

 

 

鍛冶神の鍛えた強弓は、矢を番え射つ度に、彼とその妻に課された神への不敬を取り払う。

鍛冶神の鍛えた剛鎚は、振り下ろされる度に、猜疑心などの後ろ暗い不遜を粉々に砕き割る。

 

いわば彼が心に抱える自責の念を清算させるための道具として、贈られた神器。

勿論、当のオリオンは最初こそ受け取りを拒んだものの、ヘファイストスにまで反意を示す

のは恐れ多いと考えを改め、丁重に授かった。自分専用に誂えた品は、まさに最高。

これまでの狩りが嘘のように簡単なものとなり、流石のオリオンも我を忘れはしゃいだ。

 

それほどの逸品を川辺に置き去りにしては、ヘファイストス神に二度と顔向けできない。

棍棒を皮袋に、弓を肩掛けした縄へ括り付けたオリオンは、今度こそ町へ出立した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オイノピオーン王の愛娘。名をメロペーとする彼女は、空模様と同じく鬱屈としていた。

 

王族の娘として何不自由なく暮らしてきた彼女も適齢。夫を迎え妻として生きる年頃。

それはいい。結婚するのは問題ない。ただ、神の血を引く者とする自負ある彼女には、

どうしても我慢ならないことがあった。それは、結婚を望む男が野蛮なことである。

 

時代が時代故、力持つ者がよき女を娶る。常識として広く認知されているところでは

あるけれど、一人の女としても王の娘としても、メロペーには耐えられないのだ。

自らの夫となる男が、粗暴で野蛮な者であることなど。嫌で嫌で仕方ない。

 

 

「………はぁ」

 

 

本日何度目になるか数えるのも億劫なほどの溜息。当人にとっては現状を憂うものでも、

彼女の美しさの虜となっている男どもからしたら、悩ましげな色を見せるようなもの。

誰も彼もがこぞって己の武勇を大仰に語る。ああ、まただ。聞いてもいないのに喧しい。

 

いっそ耳を塞ぎたくなる気持ちに駆られるが、父王オイノピオーンの面子がある。

自分は夫を迎えねばならず、それならせめて、「この人なら」と思える相手を自分自身で

探さなくては。不快感と焦燥に心を摩耗させながら、臭くて汚いまま群がる男を眺める。

 

 

「………あら?」

 

 

メロペーの美貌に目が眩んでいる男たち。その彼らを遠巻きに見る、圧巻の偉丈夫がいた。

 

さながら巨大な岩塊の如き巨躯は、この場にいるどの男よりも大きく強そうに見える。

彫りの深い顔は、自分と同じく神の系譜であろう美貌を讃えており、自然と視線が移る。

身にまとう衣服も素材こそ動物の毛皮が多いものの、血にも泥にも汚れていない。

 

凛々しく寡黙に佇んでいる見知らぬ男。メロペーの関心は知らずその人へ向いていた。

 

それでも彼女を囲む男たちは、彼女の意識を自分に向けようと必死にアピールを続ける。

口々に自らを褒めちぎる様はもはや滑稽に映るしかなく、メロペーも意識外へ排した。

物静かにこちらを見ているだけだった男が、こちらの視線に気付いたのか歩み寄ってくる。

 

熱心にメロペーへ武勇を語り聞かせていた男たちも、小さな山のような男が近づいたことに

気付き、あまりの迫力と精悍さに思わず後退る。人の壁を割るようにして、男がやってきた。

 

 

「オイノピオーン王が娘、メロペー姫におかれましては、ご機嫌麗しゅう。

 この度は可憐なる御身へ拝謁が叶ったこと、何よりの喜びとしております」

 

 

開口一番に口説いてくる男や、「美しいな、よし。俺の妻になれ」と強引に連れ去ろうと

してくる男とは明らかに異なる態度。謙虚な振る舞い。王族への礼節。まさに完璧である。

大の大人すら見下ろす巨体の持ち主が、膝をついて顔を伏せ、臣下の如き拝礼を見せた。

 

違う。この人は、他の男たちとは違う。酷い悪臭漂うなか、彼の体から仄かに甘い香りが

してきたことにも気付いたメロペー。彼女の興味はもう、眼前の男に向かっていた。

 

 

「つきましては姫君へ、献上したい………いえ、お見せしたいものがございます」

 

「まぁ…それは、楽しみですわ」

 

 

続けられた男の言葉に、メロペーは落胆と小さな期待を、同時に胸へ宿らせた。

 

こういう時、男が自分へ献上品を差し出す場合。大抵が仕留めた獲物がほとんどである。

次点で血や錆のついた武具防具の類。女の身には聊かの興味も湧かない代物ばかりだった。

 

しかし目の前の彼は、何かを仕留めて持ってきている様子はない。ならば武器か。

腰の皮袋に帯びた棍棒だろうか。それとも背中にぶら下げた弓だろうか。あるいは両方か。

 

先ほどより少しだけ冷めた視線と声色となったメロペー。彼女を前に男は立ち上がる。

 

周囲で男のことを睨みつけていた男たちも、改めて彼我における肉体の違いを思い知る。

呆然と眺める周囲の男たちを押しやり、巨漢は背の弓を左手に、腰の棍棒を右手に持つ。

 

 

(まさか、重そうな武器を二つ持てるから強い、だなんて言わないでしょうね……)

 

 

これから何が起きるのか分からず、稚拙な想像をして気分の悪化を加速させるメロペー。

周りのいた人々も、島では見かけない偉丈夫が何をするのか気になっているようだ。

 

雑多な喧騒が一人の男へ向けられる。かつて見ない町の様子に、父王も目を向けた。

 

彼はいったい何をするつもりなのか。見守る人々を意に介さず、男は棍棒を弓に番える。

 

 

(えっ、えっ? 棍棒って、弓で放つものだったかしら? 違いますよね? え?)

 

 

いくら興味関心がないとはいえ、弓がどういう武器かぐらいは知識として知るメロペー。

自らの知識は男の行いが誤りであると判断しているが、目の前でその誤りが起きている。

そしてそれは他の人々にも同じだったようで、喧騒がさらに音と熱量を増していた。

 

気付けば町中の人々が、男が何をするのかみつめている。

 

緊張が伝染する。やがて喧騒は静まり、弓に棍棒を番えた男が次の動きを見せた。

 

ぐぐぐ、と。弓に張られた弦が軋む音が、離れているメロペーにすら聞こえてくるほど

力が込められているようだ。そのまま男は弓に番えた棍棒を真上に、曇天へと向ける。

低く短く息を吐いた男の横顔を、メロペーの視線は知らず釘づけになっていた。

 

 

「オイノピオーン王よ! メロペー姫よ! いざ、ご照覧あれ!」

 

 

外見に相応しき威厳に満ちた咆哮が島中に轟く。瞬間、男の手元から〝矢〟が放たれた。

 

目視では追うこともできない速度で空を駆ける彼の〝矢〟は、瞬く間に曇天へ至る。

そして誰もが口を開けて空を仰ぎ見る中で、一条の黒が濃灰の空に大穴を穿ってみせた。

ゴウッ! という音が耳に届いた頃にはもう、中天に輝く太陽の光が降り注いでいた。

 

曇り空に穴を開けてみせた男は弓を下ろし、メロペーを振り返って笑みを浮かべる。

 

 

「おお、やってみるものだ。姫、これで()()()()()()()()()()()()ようだな」

 

「―――え?」

 

 

メロペーは己が目をまず疑い、次に耳を疑った。目の前の彼はいま、なんと言ったのか。

 

曇天から蒼空へ様変わりしたことに仰天する町の人々。彼らの様子も目に入らない。

それほどまでにメロペーは動揺していた。にこやかに笑う男は、今なにをした。

 

心の雲を晴らせた。確かにそう言っていた。

 

 

(ま、まさか、私の憂いを取り払う為に、それだけの為にこんな事を⁉)

 

 

見開かれた目は震えていた。誰にも、父にさえも秘していた内心の憂慮を、目の前の彼は

言葉すら交わさぬまま察し得たのみならず、それを消し去る為だけに空を穿ったのか。

 

もしそれが事実であるとすれば、それは、それはなんて―――――

 

 

「ふ、ははは。良かった。空にて輝く太陽のように笑う姫、か。噂に違わぬ美しさだ」

 

 

―――――なんて、素敵な御方なのでしょう。

 

 

曇天の如く分厚い壁で心を閉ざした姫はもういない。脈動する思いもまた止められない。

ドクン、ドクンと血潮が巡り、頬を赤く染める。口端は緩み、瞳は濡れ、息が乱れる。

 

未だ唖然と空を見上げる男たちの間をすり抜け、メロペーは天を射抜いた男に尋ねた。

 

 

「あ、あのっ! 貴方様の、お、お名前を伺ってもいいですか……?」

 

 

現実離れした出来事を目の当たりにしたせいか、呂律の回らない口で男に名を聞く。

メロペーに名を聞かれた美丈夫は、先ほど空へ放った棍棒を片手で軽々と受け止めながら、

熱に浮かされたような瞳で見つめてくる美しき姫に、聞かれた自らの名を答える。

 

 

「私はオリオン。ボイオティアの辺境にて狩人をしていた、オリオンという者だ」

 

 

常人には成し得ない偉業を果たした彼は、やや気恥ずかしげに己の名前を口にする。

男ならば、己の功績を口にして憚らない。そういうものだという認識をしていたが、

目の前に立つオリオンなる男は、違った。メロペーは男の美声に肩を振るわせ呟く。

 

 

「……オリオン、様………あぁ、なんと尊大なるお名前……」

 

 

嗚呼、あわれオリオン。一難去ってまた一難。彼の女難は留まるところを知らず。

 

後世に記された書物に曰く。

 

【メロペーの狂愛】と呼ばれ、また彼が彼女によって〝目を奪われる〟ことになるとは、

誰であれ夢にも思わなかったであろう。

 

オリオンという伝説に、また新たな一幕が追加される。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?


ねぇ、今から晴れるよ!(力づく)


目を奪われる=見惚れるの意。

見惚れるだけで済むかな⁉


ご意見ご感想、並びに批評や質問などお気軽にどうぞ!


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狂い始める歯車…メロペーの狂愛・その1

長くなりそうなので分割することに。

前回のメロペーのセリフにある「尊大なるお名前」について、尊大は使いどころおかしくない?といった報告をいただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

ですがこれは敢えて使った言葉です。

オリオン→放尿する者→放尿は下向いてするもの→見下ろしている

要約するとこんな感じですかね。無理やり過ぎるかも?
メロペーにとって、並の男とは一線を画するオリオンの雄姿は神を持恐れぬ尊大なものに映った。そういうことにでもしていただけると助かります。


それでは、どうぞ!






 

 

 

 

キオス島の空に大穴が開いた日から一週間。狩人オリオンは何度目かになる溜息を吐いた。

 

 

「はぁ………どうしたものか」

 

 

目頭を指で軽く押さえつつ、未だ興奮冷めやらぬ町から離れた川辺に腰を下ろす。

清らかなせせらぎと風に揺れる木の葉、小鳥のさえずりが彼の心に幾許か安らぎを与える。

自然と共に生きる狩人ならではのリラックス法だが、今回ばかりは効果が薄いようだ。

 

彼の頭を悩ませている問題。それは、一週間前に己がみせた曇天への一射……ではない。

 

 

「―――――オリオン様ぁ」

 

ヒェッ………ご、ご機嫌麗しゅうメロペー姫」

 

 

甘く蕩ける様な声色とともにしな垂れかかってくる、キオス島で最も美しい姫君。

行先も告げていないのに気付けば己の傍らに現れる彼女こそ、オリオンの悩みの種である。

 

一週間前。オリオンは王とその娘への献上品が思いつかず、気分転換に町を訪れていた。

生憎の空模様だったが、町の賑わいは変わらない。名産品の美酒と露店料理に舌鼓をうち、

よい気分転換になったと大満足。良い考えが浮かぶやもと川辺へ戻ろうとしたのだが、

ちょうどその時、屈強な男たちに群がられている一人の女性が目に留まった。

 

薄い金色の長髪をなびかせる麗しい年頃の娘。彼女が例の、王の娘であると悟るオリオン。

 

確かに噂が立つのも頷ける美貌だと納得した彼だが、女性の表情を見て首を傾げた。

浮かない顔をしている。結婚を望んでいないのだろうか。しかし壁のように並ぶ男たちへ

視線を向けてないわけではない。だとすれば、何かが彼女の心を塞いでしまっているのか。

 

己に向けられるものでなければ女性の機微にも聡くなる紳士オリオン、妙案を思いつく。

 

顔色を曇らせたままでは、彼女も自分の問いかけに答えてくれないかもしれない。

それでは困る。ならばその憂いを、衝撃で以て晴らしてやればよい。そう考えた結果…。

 

 

「いけませんわオリオン様。このような人のおらぬ森の中で、たった独りだなんて。

 さぁ、屋敷でご馳走を用意させていますから、一緒に楽しみませんこと?」

 

「あ、あぁ。嬉しい申し出であるのだが、その、昨日も一昨日も厄介になったし…」

 

「厄介などとんでもない! 全てはオリオン様に喜んで頂く為にしていること!

 私に出来ることなど些細なもの。どうか精一杯の歓待だけでもお受け取りを……」

 

「うぅん……」

 

 

困った。いやホントに困った。どうしよう。

 

オリオンは内心で弱音を吐く代わりに、また溜め息一つ。これで何度目になるか。

彼女の申し出は実際、喜ぶべきことではある。王族の娘に気に入られ、歓待を授かるなど。

これほどの幸運は狩人たる身としては中々のものだろう。だが、聡明な彼は理解していた。

 

 

「ささ、共に参りましょうオリオン様。屋敷まで案内します、お手を取ってくださいまし」

 

「い、いや結構。もうお屋敷への道は覚えているので。それに姫、あなたはまだ未婚の身。

 そのように大事な時期に、私のような狩人と手を繋ぐのも良からぬ風聞が立ちましょう」

 

「言いたい者には言わせておけばいいのです。さ、お手を取ってくださいまし」

 

「や、あの、だから……」

 

「お手を、取って、くださいませ」

 

「………………はい

 

 

おそらくこのメロペー姫。己が歓待を辞退しようと、絶対に受け入れないだろうと。

それどころか、あの手この手を使って屋敷へ招き入れようとしてくるに違いない。

事実、名を聞かれた一週間前から、彼女は毎日オリオンを自分の屋敷へ呼び招いていた。

いや、招くだけだったのは四日前まで。そこからは、屋敷の外へ出さぬようになっている。

 

メロペー。彼女は現代でいう「束縛系ヤンデレ地雷女」というタイプの女であった。

 

日に日に圧力ある笑みを向けるようになってきたメロペーに戦々恐々とするオリオン。

今日も夜明け前に屋敷を抜け出してきたのに、半日と経たず居場所を特定されている。

それだけではなく、最初こそ控えめな態度だった彼女も、今では平然と体に触れてくる。

 

これまでに出会ったどの女性とも異なる様子に、流石の狩人もたじたじだった。

 

抵抗するだけ無駄と諦めたオリオンはメロペーの手を取り、歓喜の吐息を漏らしながらも

己の剛腕に頬擦りしてくる彼女の好きなようにさせる。今まで以上に深い溜息を吐いた。

ひとまず我が問いに答えてもらうまでの辛抱だ。自らに言い聞かせ、とぼとぼと歩き出す。

 

この時、彼がハッキリと断っておけば、あのような事態が起こりはしなかったのに…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒神ディオニュソスが一子、キオス島を治めるオイノピオーン王は、頭を抱えていた。

 

 

「おお、神よ。何故だ、どうしてこのようなことに……」

 

 

彼の頭を悩ませている問題。それは、愛娘メロペーの結婚相手についてであった。

王たるオイノピオーンは、娘をあらゆる脅威から守るだけの強さを持つ英雄級の戦士を

夫に迎え入れるつもりだった。そんな意図があったからこそ、娘の美しさを吹聴していた。

 

理由のある暴力は正当化される時代。力を正義と同一視する者が英雄として名を馳せる時代。

 

男であるならば、美しい妻を娶りたいと思うのは必定。その欲望を逆手に取った策である。

これは非常に効果的だったといえる。オイノピオーンが広めた噂を聞きつけ、ギリシャ中の

屈強なる男たちがそろって島を訪れるようになったのだから。目論見は順調だったのだ。

 

そう。空に大穴を穿つ狩人、オリオンが現れるまでは。

 

 

「ないわーマジ。狩人って。ダメダメ、論外に決まってんだろクソボケ」

 

 

あの日。曇天を射抜いて青空に円を描いてみせた男の登場で、全てが狂い始めてしまった。

 

メロペーの美しさに見惚れていた男たちは、狩人の尋常ならざる力にこぞって集中する。

それぞれが「俺の方が凄い」だの「俺にもできる」だの、口先ばかりで大したことのない男達を

差し置いて、娘のメロペーが()()()()()()()()()()()()()()()事こそ、最大の誤算だったと言える。

 

もうどんな男が口説こうとも、功績を誇ろうとも、すべて無価値に成り果てた。

なにせすぐそばに、誰一人として成し得ない偉業を披露した、見るからに強き男がいるのだ。

やはりと言うべきかメロペーはその狩人に心奪われてしまい、夫とする気マンマンである。

 

これを看過出来るオイノピオーンではない。

 

強き男であれば別段良いのでは? そう考えたこともあった。けれど王は耳にしていた。

どこからか島へやってきたオリオンなる狩人。彼がこの島を訪れる前に体験した出来事を。

 

 

「かの女神ヘラが妻を冥府へ堕としたと聞く。ならばそれだけの理由が奴にはあろう。

 冗談ではない! ゼウス神の正妻たるヘラ様に目をつけられてる男に、娘はやれん!」

 

 

あわれオリオン。もうなんもかんも神々(アイツら)が悪いんや。

 

まぁ冗談はさておき。実際問題として、娘を幸せにしたいという親心を持つ父にして王の

感性としては、むしろギリシャにおいて珍しく真っ当な部類であると擁護させてもらおう。

オイノピオーンは娘の為、そして己の一族が繁栄する為に打てる手を打っているだけなのだ。

 

 

「お父様ー! ただいま帰りましたわー!」

 

「む……メロペー、帰ったか。しかし大声をあげるなど少々はしたない、ぞ…」

 

「…………どうも」

 

何だまた来たのか(ああ、いらっしゃい)オリオン。是非とも回れ右してはよ帰れ(くつろいでくれたまえ)

 

 

愛しい娘の帰宅を出迎えたはずが、ほぼ毎日見ている山の如き巨漢が玄関に立っている。

心底から本音をブチまけてやりたいところをグッと堪え、引き攣った笑顔で狩人を歓迎する。

彼を邪険に扱うと娘の機嫌を損ねる。我慢を己に課すオイノピオーンは正直偉い。

 

背後に回した拳を握りしめて耐える父王に、メロペーは花咲く様な笑顔で語る。

 

 

「お父様! 私、オリオン様の妻になりたいので、許可を下さい!」

 

 

瞬間。オイノピオーンの屋敷の空気が凍り付く。

 

 

「えっ」

 

「―――――なんだと?」

 

 

娘の言葉の意味を理解した途端、オイノピオーンの心には怒りの炎が燃え盛っていた。

驚きを通り越した感情で思考が真っ赤に染まりつつある父王。冷静さは失われている。

だが、メロペーの発言に誰よりも驚き心穏やかでなくなったのは、無論オリオンであった。

 

 

「待て、待ってくれメロペー姫! お気持ちは嬉しいが私はもう結婚していてだな!」

 

「そそ、そうだぞメロペー! オリオンは妻ある身。お前の夫にはなれんのだよ!」

 

「あら。ですがその妻は冥府にいるのでしょう? ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

大の男が二人そろって息を詰まらせる。年若い娘の一言に、ぐぅの音もでなかった。

彼女の言葉は、ギリシャにおいて当然の判断から出たものである。

 

不倫に浮気、近親相姦も日常茶飯事となっている魔境ギリシャに生きる者であれば、

ぶっちゃけ伴侶がいようといまいとほぼ関係ない。力づくでものにしたら勝ちなのだ。

これは男のみならず、女の方にも通用する常識だった。女は美しくあるほどよい。

ならば、美しい者が誰よりも良き男を捕まえることもまた、ギリシャでは常識、と。

 

なるほどメロペーはまったく正しい。

 

が、しかし。それで納得するオリオンではなかった。

 

 

「いや、いや。メロペー姫。それは出来ない。私は妻を生涯愛すると誓っている。

 たとえ彼女が今は冥府に身を窶していようと、この想いに如何ほどの陰りもなし」

 

「この世にいない女を愛するなど意味はありません。それに引き換え、私はこの世にいます」

 

「だから……」

 

()()がいようと構いませんよ、私。オリオン様と在ることが悦びなのですから」

 

 

己は今も妻を想っている。そう言い切ってみせるオリオンだが、相手が悪過ぎた。

もはやメロペーにとって、彼が今なお愛している妻の存在は、いなくなったものなのだ。

彼は妻を大切に「していた」のか。「愛していた」のか。全ては過去と受け止めている。

 

話が平行線のまま無為に続けられようとしたその時、オイノピオーンの脳裏に謀略奔る!

 

 

「―――良かろう。メロペー、お前とオリオンの結婚を認めてやらんでもない」

 

「⁉」

 

「まぁ! 本当ですか、お父様!」

 

 

あれほど否定的な顔色をしていた父王の反転に、味方を失った心境のオリオンは声もでない。

対照的にメロペーはこの世の絶頂にいるかの如き晴れやかな笑みを振りまいている。

舞い上がる娘に、オイノピオーンは「ただし」と釘を打つような物言いで話を続けた。

 

 

「条件がある。メロペー、お前にではなく、オリオンの方にだがな」

 

「………何故、私が?」

 

「良いか。このキオス島では度々、(たてがみ)をもつ獰猛な野獣が、島民を襲っておる。

 狩人であることを名乗るならば、これを見事狩ってこの私と娘に献上してみせるがいい!」

 

 

途中でオリオンが口を挟もうとするものの、有無を言わさないオイノピオーンの迫力に

押し黙ってしまう。この条件を聞いたメロペーは、結婚は確実であると確信していた。

 

 

「オリオン様の御力があれば容易き事です! そうですよね、オリオン様!」

 

「その前に私は貴女と結婚するとは一言も」

 

「分かっておりますわ! 言葉ではなく、猛獣を狩るという結果で以て、私を娶ると!」

 

「聞いちゃいねぇ……」

 

 

瞳孔ガン開きで頬を紅潮させたメロペーにはもはや、愛するオリオンの言葉すら届かない。

己の勝利が絶対のものであると沸き立つ娘に、父王オイノピオーンは更なる一計を案じた。

 

 

「忠告しておくぞオリオン。その鬣の猛獣(ライオン)だが、人の作ったあらゆる武器を弾く皮により、

 その身を守っておる。これまで幾度となく討伐に差し向けた兵が、悉く食い殺された」

 

「…………それは危険だな」

 

「よってオリオンよ。かの獣を狩らんとするのなら、素手でなければ仕留められぬぞ」

 

「素手なんて、そんな! いくらオリオン様でも、危険過ぎます!」

 

 

オイノピオーンが告げたのは、猛獣が宿す尋常ならざる力について。まぁ嘘なんだけどね。

そんな猛獣いてたまるかって話である(実はホントにいたんだけど、ここにはいない)。

 

オリオンの狩りの腕を信じていたメロペーだったが、父王が述べたような特性を有する獣を

相手に素手で立ち向かわなくてはならないとあっては、彼と言えど身が保たないと危惧する。

自分が見出した最高の男と結婚はしたい。しかし、その為に彼を危険へ晒すのは本末転倒だ。

己のワガママひとつで、彼の命運が左右されかねない状況。メロペーに口出しはできない。

 

一方のオリオンはというと、閉口していた。

 

オイノピオーンの課した条件とやらが厳しいから、ではない。彼が黙した理由は単純。

 

 

(………素手で獣を狩るのはいい。でも、それを果たしたら姫と結婚になるのか……)

 

 

そこだけが納得できないでいた。彼は別段、メロペー姫を娶ろうなどと思ってはいない。

それどころか彼女から送られてくる秋波に、辟易としてすらいる。精神的に疲れていた。

なので、彼としては聞きたいことさえ聞ければ、別にオイノピオーンの課す結婚条件も

承諾しなくてよいわけだ。結婚する気もないのに、わざわざ仕事してやる必要もあるまい。

 

そう言って突っぱねてやることは簡単で、これがただの結婚条件の話ならそうしていた。

けれど、そう。彼はオリオン。ギリシャにて唯一無二レベルのクソ真面目堅物男である。

 

彼は「猛獣によって島民が犠牲になっている」と聞いてしまった。

ならばそれを無視出来ようはずもない。なぜならば彼は、彼はオリオンなのだから。

 

 

「………その王命、承知した。素手で鬣のある猛獣を仕留め、献上すればよろしいか?」

 

「オリオン様…!」

 

 

この言葉を聞いたメロペーの感激たるや、表現し得るものなどこの世にないほどだった。

 

愛する男が、自分の為に曇天を貫き蒼空をもたらした最強の男が、愛を証明する為に自身の

命すらも駆けてみせようと言ってくれたのだから(そんなこと一言も言ってないんだよなぁ)。

 

オリオンの宣言に唯一感激しなかったのは、発案者たるオイノピオーンその人だけだ。

 

 

(なんでそうなる⁉ 死にたがりかこの男‼ いやまぁ死なせる為に言ったんだけども‼)

 

 

死なせるというより、諦めさせるが正しいが。この場合、メロペーに二の句を告げさせない

状況を作り上げたうえで、勤めを果たす本人が「嫌です」と言えばそれで済む話だったのに。

だというのに眼前の狩人は、なにを渋々といった表情で受け入れているのか。王、ご立腹。

 

ただ、本当に被害者は出ていたので、それを退治できるのだとしたらありがたい話ではある。

とはいえ、彼が空に大穴を穿つほどの腕をもっていたのは、あの二振りの神器あってこそ。

そう思い込んでいる(半分正解)オイノピオーンは、オリオンの狩人の才能を軽視していた。

 

軽視というか、「いくらなんでも素手で猛獣とタイマンはれるヤツはおらんやろ」だった。

 

 

「そ、そうか。この難題を果たした暁には、望む通りの褒美をくれてやるとしよう」

 

「…………承りました。必ずや件の猛獣を狩りましょう。我が名オリオンに誓って」

 

「オリオンさまぁ…」

 

 

三者三様。人の心は複雑怪奇。面と向かい合っていても、こうも拗れるものなのか。

 

結局、誰一人として互いの心情を把握しきれていないまま、事態は進み続けてしまう。

 

こうして、オリオンの恋愛譚と同時に彼が無双の狩人としての知名度に箔をつける一幕、

【キオスの猛獣退治】が始まろうとしていた。

 

そしてそれは、彼の人生を大きく変える事件の切っ掛けとなるのだった。

 

 

 

 

 







いかがだったでしょうか?


本作のメロペーは絶対に清姫と話が合う(確信)

あまりに多くの感想を頂き、返信が遅れてしまっておりますことを謝罪いたします。
なるべく早いうちの返信を心がけますので、ご容赦ください。


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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狂い始める歯車…メロペーの狂愛・その2

どうも皆様、萃夢想天です。

前回は時間に追われながら急ぎ足で書いた上に
話の順番をアレコレ弄ったせいでとんでもない量の
誤字報告をいただきました。ありがとうございます。

誰も悪くない勘違い劇場、はーじまーるよー。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

キオス島を治めしオイノピオーン王から「鬣を有する猛獣」狩りを命じられたオリオン。

彼は今、件の猛獣が縄張りとしている小高い丘陵地帯にて、使命を果たす最中であった。

 

人の文明が栄えた島でありながら、神代に相応しき神秘が蔓延する自然も実に豊か。

このような環境であれば、なるほどオイノピオーン王の言った「人の武器が効かない獣」が

生まれ育ってもおかしくはない。そう考えながら、オリオンは茂みに隠れ獲物を見定める。

 

 

「鬣を有する……アレか。聞いていた容姿と合致するな」

 

 

流石は自然とともに生きる狩人。僅かな痕跡から対象を追跡し、群れの数も棲み処すらも

一日と経たず把握していた。同時に彼は確信する。「ああ、素手でも狩れるな」と。

サイズもデカいにはデカいが、それでもオリオンは人間の規格から逸脱する一歩手前ほどの

体躯を誇っているのだ。あくまで相手は獣の範疇。ならば、臆する理由は一つもなし。

 

 

(いやあるな、臆する理由。メロペー姫どうするか……いや、今は狩りに集中しろ!)

 

 

脳裏を過ぎる甘ったるい声色に身震いを起こしたものの、気付かれた様子はない。

意識が散漫していると己を再度律して、そのまま獣の動きが鈍る時間帯を待ち続ける。

 

狩りとは事前準備もさることながら、相手を確実に仕留める機会を待つ忍耐も欠かせない。

オリオンは並々ならぬスタミナと精神集中を以て、完全に気配を断ち、狩りの時を待った。

 

やがて、月が夜の中で淡く輝き、それを超えて日が昇り出す寸前。彼は動き出した。

 

その歩みは遅く、しかし無駄なく進むので素早く思える。洗練された技術で音を殺し歩く。

ついに夢見心地でいる獣の傍らに立ったオリオンは、互いの皮膚が触れぬよう細心の注意を

払いながら剛腕を近づけ、獣の顔周りを飾る鬣の後ろで腕を構えた。瞬きの後、首を絞める。

 

 

「眠れ―――フンッ‼」

 

 

パキパキッ………ゴガッ‼

 

微睡みの世界から一気に現世へ。しかし時既に遅し。狩人の腕は獣の首を完全に絞めており、

息を吐いた瞬間を狙われたので、力を出して振りほどこうにも呼吸が出来ず酸欠を起こす。

最後の力で足掻こうと抵抗したものの、せいぜいが数秒の延命。獣は訳も分からず死んだ。

 

睡眠から永眠へうつった獣を抱き上げ、苦悶に血走った瞳を見ていられず、瞼を下ろした。

せめて最期は安らかであれ。手前勝手な狩人の戯言だが、好んで命を奪う狂人ではない。

人を食い殺した獣であれど、あくまで獣からすれば生きる為の手段として奪っただけのこと。

犠牲者の敵を討ってくれと頼まれたわけでもない。あまりに軽い動機の殺害に顔を顰める。

 

 

「許せ、獣よ。王への献上品として皮を剥いだ後、その躯は速やかに野へ還そう」

 

 

牙や角を戦利品とするのは狩人の特権だが、これはあくまで王からの命令による狩り。

自らが欲する何かの為ではない狩りだった。そんな狩りで、殺した獣をこれ以上辱めるのは

気が咎めてしまう。狩人オリオンは、狩猟対象である獣に対しても誠実さを失わない。

 

自然の中で生きた命は、その最期も自然の中で迎えるが道理。これが狩人の教えである。

 

王命による獣狩りを終えたオリオンは、その足でオイノピオーンの屋敷へ戻る愚は犯さない。

狩った獣の血抜きや腑抜きも済ませ、染み着いた死臭をどうにか薄め、水浴びで身を清めた

後で屋敷へ帰参した。

 

 

「王命を授かりし狩人オリオンである! 王よ、貴殿の命じた勤めを果たし戻った!

 これこそが鬣を持つ獣の皮! 誓いの通り、あらゆる武具を用いず己が身一つで狩った!」

 

 

その言葉はまるで号砲。威風堂々たる立ち姿も相まって、英雄と見紛う輝きを放つ。

これから朝餉を済まそうとのんびりしていたオイノピオーン王と、狩りに出向いたオリオンが

心配で心配で一睡もしていないメロペー姫が、ほとんど同時に玄関から飛び出してくる。

 

 

「オリオン様ぁ‼」

 

オワッ―――め、メロペー姫か。迂闊にこの身へ触れてくれるな、血で汚れかねない」

 

「構いません! ああ、心が張り裂けそうでした……よくぞご無事で…!」

 

「お、オリオン。そなた、本当に素手で…?」

 

「無論。誓いを立てる為、我が神器二振りをお預けしたでしょう。人の武器が通じぬ獣であれ、

 鍛冶神ヘファイストス様が鍛えし神器であれば効くやも知れぬ。そう仰ったのは貴方だ」

 

 

狩人に恋患っているメロペーは、獣の死骸を丁重に抱えていようがおかまいなしに飛びつき、

()()が刻まれた両目で彼の体に傷でもついていないかと舐るように見回し始める。

彼女の父であるオイノピオーンはというと、開いた口が塞がらない。そんな状態だった。

 

島の兵士を食い殺した猛獣。これに偽りはない。決して人が敵わないほどではないにしても、

危険な存在には違いない。とはいえ、そんな獣と素手でやり合えと言われて殺る奴があるか。

 

オイノピオーンはオリオンを謀殺する気でいた。最悪死ななくとも深手を負わせることさえ

出来たなら、「娘をくれてやるには弱過ぎる」と言って突っぱねてやることも出来たのに。

とことんまで父王の予想を裏切ってくれる目の前の狩人に、怒りを越して感心すら覚える。

 

 

「そ、そうだな、そうだとも。いやはや、よくぞ王命を遂げた。褒美を取らせよう」

 

「はっ。ありがたき幸せ。では早速、褒賞を授かりたく思います」

 

「う、む。良かろう」

 

 

本当に王族への礼節や、一人の人間としての高潔さを損なわない者であるというのに。

あるいは出会い方さえ違っていれば、彼とは無二の友人になれたやもしれない。

それは後の祭り。ただの妄想。しかし、ここでもオリオンは父王の想定を超えた。

 

 

「ならば王よ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「………ん? な、なに? オリオン、貴様いま何と言った?」

 

「ですから。メロペー姫へ問いを投げ、それに答えてもらう機会を与えてもらいたいと…」

 

 

絶句。開いた口が塞がらないとは、このことだろう。この出来事が語源との一説もある。

 

オイノピオーンには理解が及ばなかった。目の前の男が、何を考えているのか。

彼はメロペーから婚姻を迫られ、口では拒んでいながらもそれを結局は受け入れたのでは

なかったのか。だから身を危険に晒してまで、難業に近い狩りを成したのでは、と。

 

それらはすべてオイノピオーンの勘違い。それを証明するようにオリオンは語った。

 

 

「そもそも私は未だ我が妻シーデーと夫婦。新たに妻を迎えようなどとは思わない。

 王命を承ったのはあくまで、この島の民をこれ以上害させないため。狩人として動き、

 狩人として獣を狩った。これはそれだけの話。それ以外のことは介在する余地もない」

 

「おぉ……おおお…! そうか、そうか!」

 

 

茫然自失から一転。喜色満面の笑みで以てオリオンを見上げるオイノピオーン王。

娘の身を案ずるあまり、視野が狭まっていたのだろう。彼の如き男を見誤るとは。

それはもう嬉しそうに高笑いする父王は、狩りを終えたオリオンを労う言葉をかける。

 

 

「いや、これほどの獣を狩るのには骨が折れただろう。ご苦労だったな若き狩人よ。

 さぁ、今夜は我が屋敷にて宴を催そうではないか! ゆるりと楽しんでいけよ!」

 

「ん? え、ええ。では、そうさせていただきましょう…?」

 

 

言葉の端々から固い意志を感じさせていたオイノピオーン王が突然、人が変わったように

優しく人当たりのよい話し方で接してくるようになり、オリオンはその急変ぶりに戸惑う。

それでも、「まぁ前より気張る必要もなくなったか」と思い、変化を前向きに受け入れた。

王自らが主導で宴の準備を執り行うのを眺めてから、抱いた躯を還すべく引き返す狩人。

 

背を向けてしまったが故に、彼は気付くことが出来なかった。

 

 

「―――――あはっ」

 

 

恍惚に緩む頬を両手で支えながら、淫靡に細められた瞳が彼を見つめていたことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その晩。キオス島の王たるオイノピオーンは、自分の屋敷で宴を催した。

 

毎日がお祭り騒ぎみたいな状態の町では目立たない程度に、しかし華やかな宴が。

父王オイノピオーンは上機嫌に酒神ディオニュソスの権能で熟成された美酒を呷りまくり、

誰もそれを止めたりしない。今夜は無礼講。飲めや唄えやのどんちゃん騒ぎと化している。

 

そんな楽しい混沌から人目を気にするように抜け出したのは、一組の美男美女。

そう、言わずもがな。宴の主賓であるはずの狩人オリオンと、彼に恋するメロペーである。

 

娘と婚姻を結ぶ意思はないと公言してみせたオリオンに快く接してくるようになった

(それはそれでどうかと思うが)父王に振る舞われた美酒で、それなりに酔いが回っていた。

いつもより数段足取りの軽くなったオリオンは、メロペーに連れられるままに屋敷を巡る。

 

酔いの影響で、どこか愛嬌のあるクマ染みた赤ら顔になったオリオンが辿り着いたのは。

 

 

「さぁ、オリオン様。こちらが私の自室です。今宵はこちらで語り明かすと致しましょう」

 

 

メロペー姫の私室である。ということはもう、この先の展開も読めたことだろう。

 

勿論。普段の聡明にして賢明なオリオンであれば、こんな間違いは絶対にやらかさない。

未婚の女性がいる部屋を夜に訪れる。これがどれほどマズイ状況かは解説不要だと思う。

妻帯者であるオリオンは絶対に行かない。誘われても断る。普段の冷静さがあればね。

 

しかし現在オリオンは軽く酩酊中。ステータス・ほろ酔いでいい感じに緩くなっていた。

 

手を引かれるのに任せ、オリオンはふらふらと薄暗いメロペーの部屋へ入り込んだ。

酒と食物の混ざった宴の匂いが遠ざかっていることには気付いたものの、隣にいる女の

呼吸は荒々しく乱れ、目は充血して瞳孔ガン開き、明らかに酒精とは異なる理由から

紅潮した頬などの異変には気付かなかった。酒は飲んでも飲まれるな、いい教訓だ。

 

やや思考の鈍ったオリオンは、ふわふわした感覚にあっても本懐を遂げようとする。

 

 

「めろぺ~ひめ。どうか、わがといかけに、こたえ、たまえ……」

 

「はい、はい。勿論ですわ。貴方様の求める全てに応えますとも」

 

「ありが、たい……」

 

 

正史の彼であれば「人生これ単純に尽きる! 楽しく生きたモン勝ちだぜ!」と轟笑し、

酒をカパカパと飲み、料理をたらふく平らげ、酔いに任せ良い女を好きなだけ抱くだろう。

しかし此処にいるのは、正史とは異なる可能性を歩んでいる、オリオンならざるオリオン。

 

自然とともに生きる事を当然としてきたこのオリオンにとって、酒とは慣れも親しみも

していない嗜好品の一種でしかない。普段の生活の中で口にする機会は皆無と言っていい。

あってもせいぜいが祝い事などでの乾杯くらい。嗜むとまでもいかないレベルの浅酒だ。

 

つまり彼は若干、酒に弱かったのである。

 

冷静な判断力も欠けているオリオンの手を引いて、彼以上に赤い顔をしたメロペーは興奮を

隠そうともしないままに彼を(ねや)(夫婦の寝室)へ誘う。いったいナニが始まるんです?

 

 

「さぁオリオン様。こちらで姿勢を楽になさって。存分に語らいましょうね」

 

「ん、うむぅ……」

 

 

流石は王族の娘。高級な布でつくられた褥――寝台にオリオンを横たえると、その隣に自らも

腰を下ろして手早く衣服を緩めていく。分厚い大胸筋が露わになり、女の頬が蕩けて歪む。

ついにはじれったくなったのか、服を脱がす手間すら惜しむように彼の胸板へ飛び込んだ。

 

 

「すぅーーー……はぁぁーーー……あぁ、おりおんさまぁ」

 

 

もう乙女がしていい表情ではない。でも誰も見ていないのでそれを指摘されもしない。

屋敷内の使用人や奴隷たちも、皆が宴にかかりっきりで、こちらを気にする者などおるまい。

底から無限に湧いてくる歓喜をそのままに、メロペーは己の祖父が酒神である事に感謝した。

 

なんとこの女、父が秘蔵している神々の酒を一瓶、ちょろまかしてきたのである。

酒を造る神ということもあり、ディオニュソスはこと酒に関してなら一種の加護なんかを

付与することができた。彼女が拝借してきた酒には、泥酔と昏睡を強める力がかかっていた。

それを知っていたメロペーは父の目を盗み、その神酒をオリオンへこっそり振る舞っていた。

 

よりにもよって酒に弱いオリオンにそんなものを振る舞ってしまうとは…。

 

 

「ああぁ、あ゛あ゛ぁ……すてきです、おりおんさま」

 

 

二人きりの空間で、さらに酒も入った状態。これで理性がトばないはずがなく。

 

160センチくらいの身長の自分が抱き着いてもなお余りある巨体に、その指を這わせる。

視覚で、触覚で、嗅覚で。五感のうち三つをフル活用して恋する男を体感する乙女。

もはや乙女の所業とは言えないところまできているが、今宵の彼女は己の欲に正直者。

イケるところまでイってしまおうと喜悦の表情を浮かべるメロペー。

 

 

「……あら?」

 

 

ところが、ふいに視線を感じたような気がしたメロペーは、部屋の扉を見つめる。

しかし案の定、そこには誰もおらず、完全に閉まっていない扉が揺れていただけだった。

ただの気のせいかと自分を納得させた彼女は、余計な邪魔が入る前に行動へ移ろうとする。

 

完全にキマった瞳でとある一部分を凝視する彼女に、朦朧としながらも彼は声をかけた。

 

 

「めろぺー、ひめ。わた……おれには、わからん、のだ。おしえてくれ…」

 

「はい、なんでしょうか」

 

「……わが、うつくしきつま、は、どうしてばっされなければ、ならない、のか」

 

「え…?」

 

「うつくしい、とは、つみなのか。どうか、こたえて、ほしい。うつく、しい、ひと…」

 

 

酩酊する意識でありながら絞り出すように、縋るような声色でオリオンは呟く。

彼は必死だった。あの悲劇から五年の歳月が流れようと、色褪せない慚愧があった。

どうしても知りたい。己を誇ることすら罪となるのかどうか。その為に生きていた。

 

が、しかし。

 

 

「まぁ…! オリオン様、私を美しい人と…! ついに想いが通じ合ったのですね!」

 

 

恋に生きる乙女の聴覚とは、都合の良い部分しか聞こえない構造になるものだ。

 

言質は取った(取ってない)、もはやこれから先に起こる出来事の全ては合意の許で行われる

といっていい(わけがないんだよなぁ)。メロペーの理性の鎖は千切れ、欲望が煮え滾る。

邪魔する者は誰もいない。まとう衣服もここから先へは無用な物。ならば必要あるまい。

 

 

「いざ! めくるめく、愛の果てまでっ!」

 

 

これで互いを阻む障害は完全になくなった。あとは文字通り、一つになるのみ。

心に火を灯した恋を、愛へ昇華させんとするメロペー。彼女を止められる者は誰もいない

かに思われた。

 

だが。盛大な音とともに扉が吹き飛び、一人の男が室内へ許可なく踏み込んできた。

 

 

「お父様⁉」

 

()()()()()()‼ ()()()()()()()()()()()()()()()()‼」

 

 

怒髪天を衝く勢いで閨に乱入してきたのはメロペーの父、オイノピオーン王である。

 

そう。先程メロペーが感じた視線というのは気のせいでも何でもなく、彼の視線だった。

宴の主賓であるオリオンの行方が知れなくなったことに気付いた父王は、何となく覚えた

嫌な予感の正体を突き止めるべく屋敷内を捜し歩き、そして最後に立ち寄ったのが娘の寝室。

 

はたしてその寝室を覗き込んでみれば、なんということでしょう。暗い密室に男女が一組。

しかもお互い衣服は脱ぎ散らされ、寝台では男が女を上にして抱きかかえているではないか。

どちらも見覚えがある。それもそうだ。女は己の娘で、男の方は宴の主賓だった男なのだ。

 

 

「許せんッ! 許しておけるものかッ‼」

 

 

騙された。裏切られた。娘の純潔を汚された。父として、王として許し難い侮辱だった。

オイノピオーンはオリオンとメロペーの密会を目撃した途端に踵を返し、宴の会場に設置した

篝火から燃え滓や灰を砕く鉄の棒を手に取ると、再び娘の寝室へ戻り飛び込んでいったのだ。

 

火に炙られ赤熱化した鉄の棒を怒りのままに振り上げる。振り下ろす先は当然―――。

 

 

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ‼⁉」

 

 

瞬間。肉が灼け、水分が蒸発する。その音よりも大きな絶叫が寝台の上から発せられる。

 

 

「オリオン様⁉ そんなっ、やめてお父様‼」

 

 

ジュウゥ…と焦げ臭さが鼻を衝く。突然行われた暴挙に気が動転するメロペーは、

涙ながらに父王へ縋りつくも相手にされない。オイノピオーン王は鉄の棒を更に押し込む。

 

 

「思い知れッ! どうだッ! 思い知れッ! どうだッ! どうだッ‼」

 

「嫌ぁ! お父様、どうか! どうかおやめになって! オリオン様が!」

 

 

今のオイノピオーンは、オリオンやメロペーとも違う理由で冷静さを失っていた。

怒り。怒りだ。その心をドス黒いクレパスの如き闇一色に染め上げているのは。

 

水分が沸騰し尽くし、鉄の棒に焦げながらへばりつく眼球を見て父王は狂気に嗤う。

視神経も焼き切れ、眼窩など爛れていない部分もないほど、酷い状態になっている。

 

振りかざされた凶器の先端から熱が消え、それと同時に鼓膜を裂く悲鳴も掻き消えた。

 

 

「お、お……が、ぁ……」

 

 

声とも呼べない微かな苦悶を溢すオリオン。彼の双眸は灼け、眼窩から黒煙をあげる。

全身の筋肉を膨張させながら、彼は時折ピクピクと蠕動する。焼かれて塞がった血管から

血涙が出ることもなく、想像を絶する痛みに涙しようにも涙腺すら焦げてしまっていた。

 

 

「あ、あ……お、オリオン、様…」

 

 

幸福の絶頂から一気に絶望の奥底へ。オリオンの代わりに滝のような涙を流すメロペー。

泣き崩れる愛娘に憐憫を抱く余裕もないオイノピオーンは、狩人の目を焼いて奪った

鉄棒を放り捨て、天を揺るがすほどの絶叫を聞いて駆けつけた兵士に怒鳴りつける。

 

 

「兵士たちよ! この最低最悪な不逞の輩を海へ捨ててこい! 直ちにだ!」

 

 

あわれオリオン。勘違いに次ぐ勘違いの果てに、己を狩人たらしめる眼を失った。

 

これが、オリオンという狩人の伝説が、神話に近づく発端。

 

誰も彼もを熱狂させた海神の落胤である彼を彩る、恋愛譚の〝第一章〟である。

 

後世に語り継がれたこの出来事は【メロペーの狂愛】とも【オイノピオーンの狂乱】とも

呼ばれ、多くの人々に憐憫と悲痛の涙を流させた。

 

 

 

 

 







いかがだったでしょうか?

以前から私自身の書き方への質問や訂正などを度々頂いておりましたが、この作品も軌道に乗ったのでこちらで意見をお聞かせ願おうかと思っております。

アンケートの結果で書き方を変えるかもしれないので、よろしくお願いします。


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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放尿する者、新たなる旅立ち

どうも皆様、萃夢想天です。
早くもレクイエムコラボが始まりそうで
わくわくしております。

今のうちに原作読んだ方がええんかな…。
近所の本屋まだ閉まってるんよな…辛い。

さて、本編を進めるとしましょう。


それでは、どうぞ!






 

 

 

 

 

――潮騒が聞こえる。

 

 

――波に流され、泡が弾ける。

 

 

――うねる水音が遠く響く。

 

 

「………」

 

 

静かに男は目を覚ます。いや、意識が覚醒したという意味での目覚めであった。

 

まるで泥沼から起き上がるような感覚。重く鈍い体に力を込め、立ち上がろうとする。

だがその瞬間。塗り潰されたような黒い世界に、激痛という稲妻が迸った。

 

 

「ぐぅッ⁉ あ、ぐ…‼」

 

 

暗黒の視界に何故か痛みが広がり、あまりの苦しさに男――オリオンは膝を折った。

 

 

「なん、だ。この痛みは、あ、がぁ……‼」

 

 

パシャッ、という音が聞こえたが、そんな事を気にかける余裕など今の彼にはない。

ひりつく痛みが、ジワジワと彼の顔上部を蝕み、その度に苦悶の声を漏らしてしまう。

 

何も見えない。果てしない黒だけが視界を覆う。いや、違う。目が、見えていない?

 

痛覚が絶叫する中から導き出した答えに、愕然とするしかないオリオン。

現に目を開こうとすれば痛みに悶え、瞼を開けている感覚はあっても一面が暗闇のまま。

耳は聞こえ、鼻は匂いを嗅げ、手足の感覚もあり、潮風を肌で感じることもできている。

 

無いのは、目だけ。

 

 

「そんな……あぁ、こんな事が」

 

 

打ちひしがれる狩人。彼は自分が狩人としてしか生きられないと確信していた。

だからこそ絶望していた。目とは、狩りをするうえで無くてはならない感覚器官の一つ。

人が外界から情報を得るうちの大半を占めているのが視界。視力。視覚である。

 

それを失ってしまえば、今まで通りの生活を送ることは叶わないだろう。

 

 

「……いや。これは報いなのだ。俺がメロペー姫を拒めなかったことへの」

 

 

しかし、彼はそれを受け入れた。自らの両目が奪われた経緯を聡明な彼は理解できた。

ややおぼろげではあるものの、昨夜の記憶は残っている。そこから遡って推察する。

 

恐らく自分は昨夜、酒に酔ってメロペー姫の誘いを断り切れず、閨を訪れてしまった。

うっすらと覚えている限りでは事に及んではいないはずだが、もしかしたら彼女の純潔を

酔いのままに奪ってしまったのやもしれない。そうなれば父王の怒りは至極当然のもの。

 

目が焼かれる寸前に見た、オイノピオーンの鬼気迫る表情を思い出す。

 

 

「ああ。そうだろう、これは当然の報いだ。この目は我が過ちの贖いの証左か」

 

 

今では何も見えない目を触ろうとして、やめる。言葉では自らの状態を認めていても、

実際に確認してしまえば、本当に受け入れられるか分からない。そんな恐怖があった。

 

茫然自失となってその場に佇むオリオン。しばらく動く気になれそうにない。

 

と、その時であった。

 

 

『――おお、おお。オリオン、オリオンよ。我が息子よ』

 

 

近くからでもなく、遠くからでもなく。脳へ直接語り掛けるように荘厳な声が響く。

 

初めて聴く声だった。今まで聞いたこともないはずのそれは、どこか懐かしい声で。

 

 

「……何者か。私の名を知る貴方は」

 

『我が名はポセイドン。大いなる海にして、厳かなる嵐。そして、貴様の父である』

 

「なっ、ポセイドン⁉」

 

 

暗闇の中で立ち尽くしていたオリオンにかけられた声は、オリュンポス十二神が一柱

なりし海神ポセイドンのものであった。その威容は見えずとも、騙りでないと即座に悟る。

痛みが断続的に押し寄せるのを耐え、脂汗を垂らしながら、片膝の姿勢のまま頭を垂れた。

 

 

『うむ。神への恭順を示す姿、それでよい』

 

「はっ」

 

 

ざぁざぁと波がさざめき立つのが聞こえる。オリオンは神と言葉を交えるのは三度目。

とはいえ、慣れるようなものでもない。一度目は妻を取り戻すべく不遜を承知で啖呵を切り、

二度目はいきなり現れた鍛冶神によって神器をもたらされ、そしてここに三度目が成る。

 

だがしかし、オリオンはここで先程のポセイドンの言葉を思い返し、問いを投げてしまう。

 

 

「海神ポセイドン様! 今しがた貴方様は、私を息子と呼ばれたが、それはいったい…」

 

『そのままの意味だ。オリオン、貴様の父は我なのだ。母はクレタのエウリュアレという。

 なんだ、まさか知らぬこともあるまい……待て。貴様、本当に父母を知らなんだのか?』

 

「は、はっ。物心つく頃にはボイオディアの辺境の村にて、狩人として育てられていた故。

 村長に父母の事を尋ねた際には、母はやんごとなき身分であり、已むに已まれぬ事情で

 我が身を手放したと。そう聞いておりました。ですので、かの海神が父君とは露知らず」

 

『おお、おお。なんということだ。いや、よくぞここまで猛き男に育ったと切り替えよう』

 

 

オリオンは驚愕に震えた。これまで常人を逸脱した力量や美貌を誇ることこそしなかったが、

自分はどこか他の人々と違う部分が多いとは勘付いていた。けれどそれが、海神の血を引く

半神の生まれであったが故だとは考えもしなかった。偉大なる父の存在に、拝礼を深める。

 

オリオンの態度に気を良くしたポセイドンは、神体を降臨させた要件を告げる。

 

 

『拝聴せよオリオン。我は貴様の身に起きた悲劇を憐れみ、こうして顕れたのだ』

 

「…か、寛大なる慈悲に感謝致します。しかし、悲劇というのは…?」

 

『貴様の眼。焼かれて視えておらぬのだろう。我が権能満ちる海にあっても癒えぬところを

 みるに、その愚行を成した者も神に連なる者であるな。そこなキオス島を治めし王とみた』

 

「え、ええ。我が身はかの者に眼を焼かれました。ですが、それには――」

 

『言わずともよい。我が子への狼藉、断じて許してはおけぬ。これより神罰を下そう』

 

 

言葉を交わし、ポセイドンが降臨した真意を察するオリオン。ハッとして顔を上げる。

眼は見えずとも、そこに強大な存在が顕れているのを感知する。それが己の父であることも。

 

しかし、足場が急に蠢きだし、耳には荒々しい水しぶきがぶつかり合う音が響いてきた。

父たる神が何をするつもりなのかを聡明な彼は予測する。そして、彼はそれを良しとしない。

 

 

「お待ちを! どうか鎮まりたまえ、我が大いなる父よ!」

 

 

慌てて立ち上がり、目が見えぬままに暗闇を見上げる。そこに神がいると願って。

オリオンが引き留めようとする声に気付いたポセイドンは、三又の槍を収めて見下ろす。

 

 

『どうした、我が子よ。これなるは貴様の受けた屈辱の報い。その苦痛を返する天罰よ』

 

「いえ、いえ! それは無用です我が父! この眼の傷は、我が過ちが招いたもの!」

 

『………つまりオリオン。貴様は、あのディオニュソスの子めを、許すと?』

 

「許すも何も、オイノピオーン王の逆鱗は娘を思う心ゆえ! 彼は娘を守ろうとしただけで、

 それは海神たる御身が神罰を下す理由にはならぬはずだ! 何卒、裁きをお控え下さい!」

 

 

ポセイドンにはオリオンの言葉が理解できなかった。いや、言葉としては通じているのだが。

 

息子は声高にオイノピオーンの助命を乞うた。彼は自らの血を引く半神で、狩人である。

権能を用いて海を逆立たせ、嵐を巻き起こし、冷酷無比な災害を以て神罰とすることが

想像できたのだろう。それを止めてほしいと、被害を受けた側であるオリオンが願ったのだ。

 

海神には理解できない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()など、言語道断。

 

結局、神に人の心が分かるようになる日は永遠に訪れない。今回の一件もその証明となろう。

こと古代ギリシャの倫理観において、強引に人の尊厳を奪う行為は、許されるものではない。

だが、人類にはどうにも出来ない立場に存在する神においては、その倫理は適用され難い。

 

何故って、基本ギリシャの男神はどいつもこいつも、下半身と脳が直結しているからだ。

大神にして最高神のゼウスは言うに及ばず、その兄弟であるポセイドンもまた同類だった。

 

美しい女は欲しい。抱きたい。そう思ったら、倫理も道徳も投げ捨てて実行するスタイル。

これを当然と捉えている者からすれば、()()()()()()()()()()()()など残酷過ぎるのだ。

嫌なら逃げろ、抵抗しろ。それが出来ないなら大人しくヤらせろ。これが神の常識。

そんな古代ギリシャにおいては〝比較的常識のある〟海神には、理解できないのだ。

 

 

『オリオンよ。貴様、その目を奪われてなお、恨みはせぬのか』

 

「彼が我が身を恨むのは当然。娘たるメロペー姫を拐かす真似をした我が身の不徳だ!

 けれど我が身が彼を恨むのは筋が違う! 眼の事は罪を犯したことへの罰、それだけだ!」

 

『おお、なんと。なんという精神か……』

 

 

ポセイドンは嘆いた。オリオンの言葉の全てが、目を奪われたことで動転した結果の妄言と

しか思えなかったからである。自分の息子が狂ってしまったのだと思い、悲嘆に暮れる。

 

こうなっては仕方ない。彼の眼を戻し、早急に精神に安寧をもたらしてやらねば。

そう考えたポセイドンは、オリオンに神託を授けることにした。

 

 

『オリオン、我が子よ。その目を癒す方法を授けよう』

 

「な、め、眼を癒す…⁉ こうなってしまった眼をどうにかできるというのですか⁉」

 

『然り。ここより遥か東の果てにあるオケアノスにて、太陽神ヘリオスが銀の馬車に乗り

 日の出を迎える使命を任じられている。その馬車の放つ光を浴びれば、その目も癒えよう』

 

「太陽神ヘリオスの銀の馬車……」

 

『往くがよいオリオン。貴様は海神たる我の子なれば、海の上を往く力も持っていよう。

 現に貴様は今、海の上に立っておるのだからな。その足で、オケアノスを目指すのだ』

 

 

高みからオリオンを見下ろすポセイドン。神とて我が子を案じるものに変わりはない。

まぁ強姦して生まれた子で、挙句に生みの親から半ば捨てられたようなものではあるが。

 

ポセイドンの神託を聞いたオリオンは、自身の眼の傷を癒してよいのだろうかと逡巡する。

目を奪われたのはあくまでオイノピオーンの怒りに任せた行動によるもの。けれどその怒りに

正当性があるとオリオン自身は思っている。その罰として受け入れるつもりだったのだが。

 

しかし、己の父にして十二神が一柱たるポセイドンの神託を無視できるはずもない。

 

 

「………承りました。不肖の息子、このオリオン。我が父の神託を成しましょう」

 

『うむ』

 

 

ポセイドンに言われた通り、というか先程からなんとなく「俺、海の上にいる?」と

勘付いてはいたオリオン。念の為の再確認で足を踏みしめ、チャポンと水音がしたのを

聞き逃さず。マジで海面に立ってるんだと内心で驚きつつも、神への礼節を保ち続けた。

 

父たるポセイドンは息子の言葉に深々と頷き、さらに旅の助けを授ける。

 

 

『されどオケアノスは遠い。目も見えぬのでは道程も定かではなくなる。そこでだ。

 オリオン。貴様には、オケアノスを臨むレムノス島にてキュクプロスが叩く鍛冶鎚の

 音さえ聞こえる耳を授けよう。なに、意識を専じれば聞こえるようになる。慣れよ』

 

「は、はっ? 海神ポセイドン、貴方にそのような御力が…?」

 

『なに。貴様を憐れんだゼウスめが授けようとした力を、我が預かっておっただけよ。

 我は代わりにキオス島へ神罰の津波をくれてやろうと思っておったのだがな。全く』

 

「そ、そうですか。大神ゼウス、並びに我が父ポセイドン。その寛大なる慈悲に感謝を」

 

 

オリオンは涙腺まで焼け焦げていなければ、初めて会う父の懐の深さに涙していただろう。

いや、今まさに偉大なる父の姿を拝謁できないことに対し、悔しさのあまり泣きたくなった。

 

ポセイドンの神託を了承したオリオンは、海の上を往く海神の力を使い進もうとする。

しかし、そこで彼はある事に気付く。背と腰にあるべき神器の重みが微塵もない事に。

 

 

「――し、しまった! ヘファイストス様より賜った神器が! まだあの屋敷か!」

 

『どうした? 何故往かぬ?』

 

 

踏み出そうとした足を止めて頭を抱える息子にポセイドンが首を傾げ、声をかける。

オリオンはこれほどの不敬を犯した自らを呪いながらも、神罰を受ける覚悟で話した。

 

 

「そ、それが……恐れながら鍛冶神ヘファイストス様より賜りし神器を置き去りに…」

 

『ああ、聞いておるぞ。貴様の為に鍛造された二振りの神器であったな。何を嘆く?』

 

「神より直接受け取っておきながら、それを失ってしまうなど…」

 

『アレは貴様の所有物。神鉄も使われし神の武具。その名を呼べば手元へやって来よう。

 失くすことなど有り得まい。貴様が他者に所有権を譲渡したとしても帰ってくるぞ』

 

「え…? ほ、本当ですか⁉」

 

『やってみればよかろう』

 

 

ところが、神罰覚悟で正直に話してみれば、ポセイドンからは意外な一言が返ってくる。

 

どうやらあの二振りの神器は、真名を開帳すれば己の手元まで戻ってきてくれるらしい。

半信半疑ではあるが、神であるポセイドンの言葉に偽りなどあるまい。というかどのみち

信じてやってみないと本気でヘファイストス神に殺されるだろう。やるしかない。

 

オリオンは両手を空に掲げ、声の限りに叫んだ。

 

 

「来たれ! 【不敬雪ぐ信念の弓(ディ・クストリアージ・メターニア)】! 【不遜砕く敬虔の鎚(クスペラスティータ・エンポディア)】!」

 

 

はたして、数舜の後。狩人の呼び声に応えるかのように、風を裂いて神器が飛来する。

目が見えないながらも音を聞き分け、接近する物体との距離感を把握。神器を掴み取る。

冷たい鉄弓と棍棒の感触を確かめ、それぞれを背と腰に帯びる。これで準備は整った。

 

 

「ふぅ。ヘファイストス様に殴り殺されずには済んだか…」

 

『これで神器の扱いも心得たことだろう。では、往くがよい。オケアノスへ』

 

「はい!」

 

 

最高の武具を取り戻し、幾許かの精神的安定を取り戻したオリオンは鷹揚に頷く。

父たるポセイドンの神託を受け、彼は耳に意識を集中し、遠くから届く金槌の音を捉える。

大まかな方向を定めた彼は、自らの眼を治し、それからの事を考えながら海を進む。

 

 

(私の失態への罰として目の傷を受け入れるつもりだったが、こうなれば話は変わる。

 目を癒せば私の犯した罪がなくなる、というわけではない。謝って済む問題ではないが、

 せめて誠心誠意を込めた謝罪をせねばなるまい! 目を癒し、再びこの島を目指そう!)

 

 

既に数海里を走り去っているオリオンは、天上の世界へ戻ろうとするポセイドンの呟きを

聞くことなど叶わなかった。いや、聞こえていたとしても、彼にはどうにもできなかったが。

 

 

『……やはり神罰の一つも無ければ、我ら神の沽券に関わる。我が子の受けた苦痛を、

 この島に住む人間にも味わわせてやらねば。さて。潮風よ、島の者の眼を乾き潰すのだ』

 

 

あわれオリオン。いや今回ばかりはオリオンが実害を被ってはいないのだが。

 

津波と嵐で島ごと消え去る大災害は免れたものの、海神ポセイドンが権能を振るったことで

島に流れる潮風に神の力が宿り、島民の目に入った塩が結晶化し、誰もが視界を奪われた。

 

そしてここから、オリオンという男を彩る恋愛譚は加速する。

 

後世に記された書物に曰く。

 

【女神エオスの悲恋】と呼ばれることになる、オリオンの伝説の更なる一幕が追加される。

 

 

 

 








ギリシャ神話において中々類を見ない不遇キャラエオスちゃん。

さて、本作ではどうなることやら…。

それと、感想欄にておまけ編のネタ提供など
感謝致します! 愛妻家連中はいいなって思いました!

ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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光を求めて…エオスの悲恋・その1

どうも皆様、萃夢想天です。

今回からはギリシャ神話内でもダントツの不遇っぷりを発揮した女神エオスとオリオンの邂逅の物語が始まります。
まぁすぐ終わるんですけどね、初見さん。

だってエオスネキ神話でもさほど取り扱われないし、
恋に落ちた男が悉く相手にしねぇんだもん……。

それでは、どうぞ!






 

 

 

 

 

海神にして己の父たるポセイドンから神託を受けてから、三か月が経過していた。

 

オリオンは海神の血を有する半神半人。水の、海の上を往く特殊な才能を生まれ持っている。

彼はその力を活用してキオス島沖から三か月、ほとんどを海上で行動していた。

 

勿論、彼は人間として生まれているので腹も減れば喉も乾く。

空腹については彼にとって問題足りえない。目が見えずとも彼には、ポセイドン経由だが

大神ゼウスより授かった神域の聴覚がある。空を飛ぶ鳥の声や羽ばたきも容易に聞き取れた。

 

狩人であり、弓と棍棒という二振りの神器がある。空腹を満たす獲物はどこにでもいた。

彼が大地の代わりに足場としている海中にも無数の獲物は泳いでいたが、海神の息子として

海の生命を狩るというのはどうなのだろう、と頭を悩ませたので魚には手を付けなかった。

 

そして肝心の水分の補給はというと。沖合へ小舟で出ていた漁師たちから分けてもらったり、

小さな島へ立ち寄って香りや肌触りだけを頼りに、水気の多い植物を探り当て啜っていた。

自身が海神の子であると知った漁師たちは、漁の安全や大量を祈願して上等な水や干し魚を

オリオンに与えた。申し訳なく思いつつ彼らの厚意を受け取って一路、オケアノスを目指す。

 

そして――

 

 

「…………ああ、聞こえる。サイクロプスが打つ鎚の音が…」

 

 

――ついに。オリオンは東の海の果て、オケアノスを臨むレムノス島へ辿り着いた。

 

神域の聴覚が鍛冶場の喧騒を恙なく拾い、中でも一際甲高い金槌の音をしっかりと捉える。

間違いない。目視こそできないものの、神託にあったレムノス島に違いないと彼は喜んだ。

目が見えないというのは、ハッキリ言って不便だ。優れた聴覚で代用こそできてはいたが、

どこまでいっても代用は代用。視覚機能が優秀で狩人には必要であることに変わりはない。

 

彼は海の上を来てはいたが、途中の島々に上陸した際に何度、路傍の石に躓いたことか。

生きているものは必ず音を放つ。動物然り植物然り。だが、動かず語らない鉱物は別だ。

道端に落ちている小石ひとつとっても、盲目のオリオンにとっては脅威に感じられていた。

 

さて。おっかなびっくり上陸を果たしたオリオンは、金槌の音を頼りに山道を歩く。

道中ですれ違う島民たちは彼の並外れた巨躯と美貌に目を奪われたが、既に目を奪われて

いるオリオンが気づくことはなかった。一歩一歩、確かめるようにゆっくりと進んでいく。

 

そうして彼はとうとう、音の発生源の目の前へやってきた。

 

 

「……凄まじい熱気だ。目が無事であれば、この熱で焼けていたかもな」

 

 

などと軽く自虐をかましながら近付くオリオン。大きく息を吸い、咆哮に等しい声を放つ。

 

 

「我が名はオリオン! 海神ポセイドンを父とするボイオディアの狩人なり!

 此度は海神の告げし神託を成就せんと参った次第! 我が声に耳を傾けたまえ‼」

 

 

ビリビリと空気は震え、浜辺では波が逆立った。オリオンの容姿に興味を抱いて着いてきた

幾人かの島民も、島全体を震わすほどの大声量にビビり散らして逃げ出していった。

オリオンの大胆過ぎる〝御邪魔します〟の一声の後、鍛冶場は静謐に満たされた。

 

しばらく待っていると、ドシンドシンと大きな足音が近付いてきた。

この場所が何処かを事前に聞いていたオリオンは、この足音の主が何者かを知っていた。

 

 

「突然の無礼、どうかお許しを。偉大なるヘファイストス様に連なる鍛冶のサイクロプス殿」

 

「……あンだ、おめェ。デケぇ声で騒ギやがッてよ」

 

「我が身はオリオン。海神ポセイドンの息子にして、神託を授かりし者である」

 

「ポセイドンン…? あァ。海のカミサマか。そったら人ガ、何の用だベ?」

 

 

サイクロプス。後世において、一つ目玉の巨人であるとされた、人知を超えた種族である。

彼はヘファイストスが司る鍛冶という分野において、人間以上の腕前を持つ職人なのだ。

 

盲目のオリオンはサイクロプスがどのような外観かすら分からぬまま、素性を語る。

 

自分が狩人であり、ヘファイストスから神器を授かった事。

遠くキオスという島にて、娘の身を案じた王の逆鱗に触れてしまい、目を焼かれた事。

そして今。海神の告げた神託に従い、目を治す旅路に勤しんでいるという事。

 

見も知らぬ男の壮絶な過去を知ったサイクロプスは、目の前の美丈夫が海神の息子という

点を抜きにしても、力になってやりたいと考えていた。大きな単眼の端に雫を湛えて。

 

 

「そウか……オメぇ、苦労したンだなァ。目ェ焼かレっちまってンのか」

 

「ああ。その事を恨んではいない。が、父にして海神たるポセイドンの神託とあっては

 無下にすることなど有ってはならない。なので、神託に従いオケアノスを目指している」

 

「オケアノス……あァ。こっからそウ遠くはネぇが、目も見えネぇヤツが行くにャぁ、

 ちょいと険シイ道のりダべや。おし、待っとレ。うォーい! ケーダリオンン!」

 

「えっ⁉ あ、ハイ!」

 

 

ガンガン、と金属の板か何かに鎚を叩きつけ、サイクロプスが何者かの名を呼んだ。

いきなり呼ばれて慌てたのか、あちこちにぶつかったような音を立てて近付いてくる。

オリオンは近付いてきた者の声のトーンや発声位置の低さから、少年であると悟った。

 

 

「ケーダリオン。おめェ、この人をオケアノスが見えル岬まで連れテってやレ」

 

「は、ハイ。分かりやした親方」

 

「……いい、のか? 何処の馬の骨とも知れぬ私の為に、お弟子殿を」

 

「構わン。まだ金打の基礎も出来ちゃイねェ小僧ダ。送りぐらイなら使えルだろ」

 

「……かたじけない。この御恩は必ずや」

 

「要らネぇよ。アンタの持ってル神器を拝メただけデ、満足だベ」

 

 

そう言ってサイクロプスは豪快に笑う。オリオンの身の上話を聞いただけでも既に協力的に

なってはいたのだが、なにより彼の意思を固めたのは、狩人が所持する二振りの神器故。

鍛冶の神ヘファイストスが授けたる神器。まさしく神の腕によって鍛造された至高の逸品を

同時に二つも目にすることが出来る機会など滅多にない。この出会いに感謝すらしていた。

 

律儀なオリオンが恩を返すと頭を上げるも、心底から不要だと突き返すサイクロプス。

どちらも己の道に対してひた向きだという性質において、彼らは非常に気が合うのだろう。

単眼と盲目の大男二人は同時に手を差し出し、掴み、握る。無言の友情が成立していた。

 

 

「感謝する。サイクロプス殿」

 

「イイって事ヨ。アンタも頑張ンな」

 

 

正史のオリオンであれば、サイクロプスが打つ鎚の音に紛れ、新米弟子のケーダリオンを

無理やり攫っていったことだろう。自分本位で短気なギリシャ男なら、誰だってそうする。

 

しかし、そうはならないのがこのオリオン。どこまでもクソ真面目な堅物な彼の物語では。

 

サイクロプスの鍛冶場に正々堂々正面からお邪魔し、キチンと許可を得てから弟子の案内を

受けることが出来た。彼の人徳と決して曲がらぬ精神性の成し得た、異なる可能性を辿る。

 

 

「……では。唐突で申し訳ないが、案内を頼みたい」

 

「親方に言われちゃしょうがないッスからね。お供させていただきやす!」

 

 

鍛冶場を出たオリオンは、自らの肩に乗せたケーダリオン少年に対しても真摯に依頼する。

あくまで道案内を頼む側の立場であることを忘れない謙虚さは、少年の心に刻まれた。

 

横暴でガサツな英雄と呼ばれる客連中とは根本的に違う、見たこともない巨躯の美丈夫。

熱い鉄を打つ男の背中に憧れを抱いていた少年の魂に、新たな憧憬の火を灯してしまう。

仕事場で打たれている鉄よりなお熱い少年の視線。だがオリオンはその事に気付けない。

 

ケーダリオンを伴い、オリオンは遥か東の果て、オケアノスを一望する岬へ歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――ったく。なんでアタイがこんな事しなきゃならないんだい』

 

 

ギリシャの夜空に、一筋の光が軌跡を描く。

 

降り注ぐ光ではなく、明星を照らすかのように空へ昇っていく非自然的な光条。

その光の正体は、まるで感情を持つかのように己の現状に対し悪態をつく。

 

 

『メンドくさいったらありゃしないが、これも大事なお勤めだしねぇ…』

 

 

ボヤく光源。もしも間近でそれを目撃する者がいれば、即座に平伏したことだろう。

なにせ、その正体とは――暁を司るギリシャ神格の一角、女神エオスなのだから。

 

 

『あーあ。なにが悲しくてクソアニキの送迎なんか……』

 

 

暁の女神エオス。ギリシャ神話において、彼女について子細に語られることはほぼ無い。

 

彼女は元々、大神ゼウスがギリシャを席巻する以前の超常存在たる〝ティターン〟たちに

属するヒュペリオンとテイアーの間に生まれし神格。いわば、前任者たちの血縁である。

 

そんな女神エオスには兄たる太陽神ヘリオスと、姉たる月女神セレーネがいる。

ここで「ちょい待ち」と思われた諸君。君たちは正しい。何故に太陽神と月女神の兄弟が

いるのか。ギリシャ神話におけるその名は、アポロンとアルテミスが該当するはずだろう。

そう抗議したくなる気持ちは分かる。しかし、ギリシャでは割とよくある話なのだ。

 

かなり大雑把にまとめてしまうと、結局は管轄の問題とでも言えようか。

 

アポロンとヘリオスは両者ともに太陽を司る神として名を馳せる。役割が被っているのは

ギリシャじゃよくあること。アポロンは太陽のもたらす恵み、力といった部分を象徴とする。

それに対しヘリオスは、夜明けや世界を照らす光といった、概念部分を象徴としている。

 

姉であるセレーネもまた同様。アルテミスと同じ月を司る女神ではあるが、片や狂気と純潔、

片や愛情と魔法を象徴としている。管轄が違う、と考えた方がごちゃごちゃせずに済む。

要は「深く考えた方が負け」ということだ。そういうことにしておけば波風は立たない。

 

 

『……はぁ。なんかもう、虚しーなー、アタイ』

 

 

さて。そんな兄と姉を持つこのエオスも、さぞ強大な使命や権能を有する女神と思われること

だろうが、実はそんなことはなかったりする。ギリシャの不遇女神の肩書は伊達じゃない。

 

女神エオスの役割は、兄であるヘリオスを呼び覚ますべく夜空を暁で照らし出すこと。

ただのそれだけである。複数の権能を持つ兄姉とは比べるべくもない仕事の少なさだ。

 

更に彼女の不遇は扱いの軽さだけに留まらない。なんと言っても、その遍歴の報われなさだ。

 

 

『……あー、もう。やめやめ。考えれば考えるほど落ち込みそうになるし』

 

 

ギリシャの神格は通常、人間たちが彼らを讃え奉ずるための神殿が建築される。

が、彼女にはそれがほとんどない。夜明けを告げるだけの神に何を祈れって話でもあるが。

 

権威や権能もほとんど無し。挙句、夫であったアストライオスは冥府(タルタロス)へ幽閉されてしまい、

独り身となった。美しい女神であり未亡人。これに手を出さないギリシャの男神はいない。

軍神アレスが彼女に手を出し、場違いにもそれに嫉妬したアフロディーテが呪いをかけた。

 

この呪いによって女神エオスは、二度と男神に恋慕や愛情を抱けなくなってしまったのだ。

 

こうして彼女は同じように悠久を起動し続ける同類(かみ)を愛することが出来ず、有限にして短命の

人類しか愛せなくなってしまった。これもまた、彼女の不遇に拍車をかける要因である。

 

 

『……クソアニキめ、自分で起きられないのかよ』

 

 

そんな彼女は現在、己に課せられた使命を全うしようとしている真っ最中だった。

 

輝く者(パエトン)光暉(ラムポス)という名の神馬を駆り、兄ヘリオスを太陽神としての務めへと送り出す。

それこそが女神エオスに与えられた唯一の使命。それに納得しているかどうかは別だが。

 

現代風に彼女を例えるなら、「仕事のできる兄を送迎しなきゃならない妹」だろうか。

 

 

『……虚しくなんかないさ。虚しくは』

 

 

二頭の神馬とともに夜空を疾走する女神エオス。彼女の使命に、他者の介入はない。

仕事柄、誰かと出逢う機会も皆無に等しい。役割が単一である以上、孤独に苛まれる時間も

どうしようもないほどに多くあった。いっそ使命に没頭する本来の自分(キカイ)に戻れたら、と。

 

 

『……哀しくない。悲しくない。アタイは暁の女神エオス。それでいいのさ』

 

 

無心で役割を果たす。そうすればいつか、いつか報われると信じてエオスは夜空を駆ける。

 

目的地であるオケアノスの水平線に辿り着いた彼女は、そこから兄ヘリオスを引っ張り出す。

これまでも、ここまでも、そしてこれからも変わらない日々。変わらない使命を繰り返す。

それでいいと自らを納得させるように、これで今日の役目は終わると、下界に目を向けた。

 

そして―――彼女は、運命に出会う。

 

 

『―――――ぁ』

 

 

女神エオスは、見た。 オケアノスを臨む海岸線の岬にて立つ、巨躯の美丈夫を。

 

女神エオスは、見た。 未だ朝日昇らぬ暗がりの空の下、悠然と彼方を見やる男を。

 

女神エオスは、見た。 その肩に少年を乗せた大男の眼が、焼かれ潰れているのを。

 

 

かくして、神と人の間に生まれし者が、神話というステージへ歩みを進める手筈は整った。

 

こうして、オリオンの恋愛譚にさらなる彩りを加える一幕【エオスの悲恋】が始まる。

 

狩人として平穏無事に生きるはずだった男の生涯が、大きく歪みだしていく。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?

お待たせしてしまった挙句に二分割。申し訳ねぇです…。
日曜日にも更新する予定ですので、お楽しみに。

それとおまけ編ですが、これも継続していきます。
本編に通じる伏線も貼っちゃったんで……頑張ります。


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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光を求めて…エオスの悲恋・その2

どうも皆様、萃夢想天です。

投稿が遅くなってしまい申し訳ありません!
まさかひと月も手が出せなくなるなんて…。
仕事でのストレスが原因で体を壊してしまい、
そこから筆が一向に進まず…ごめんなさい!

今回からはまたペースを緩めながら
再開していこうと思います! 頑張ります!


それでは久々の、どうぞ!






 

 

 

 

 

 

眼を焼かれ光を奪われたオリオン。彼は父である海神ポセイドンから伝えられた神託に従い、

遥かオケアノスを臨むリムノス島へ赴く。そこで鍛冶場の新人であるケーダリオン少年を

道案内として、海岸線の岬に辿り着いた。此処で二人は、暁の女神の降臨を待っていた。

 

 

物語は静かに、だが確かに歪み、形を変え始める。

 

 

ケーダリオンは目の見えないオリオンの道案内として、サイクロプスが鎚を振るう鍛冶場から

オリオンの肩に担ぎ上げられていた。常人を見下ろす巨躯より高い視座となった少年の目に、

彼方オケアノス海の水平線から空へと駆け上っていく一条の光が差し込んだ。

 

 

「お、オリオンの旦那! 海の向こうから光が、真っ直ぐこっちに来てる!」

 

「光? となれば、神託より伺ったヘリオス神か」

 

「ほ、本当に神様とお会いするんスか…? 止めといた方が…」

 

「この身は既に海神ポセイドンの……大神ゼウスからの伝言らしいのだが、大いなる神託を

 授かっている。このオケアノスにてヘリオス神の駆る銀の馬車の光を浴びろ、とな」

 

 

神との邂逅。それは戦士や英雄を志すものであれば栄誉なことである。しかし、そういった

ある種の超越者の道を歩まない人々にとっては、超常存在たる神など災害にも等しい。

 

つまり、好き好んで会うような代物ではない、ということだ。

 

凄まじい速度で接近してくる光源に震えが止まらないケーダリオン少年。目は見えずとも

少年を肩に担ぐオリオンには、彼の震えや浅く短い呼吸が音と振動によって知覚できていた。

 

オリオンは少年を肩から下ろしてやり、不安と困惑に驚く少年に優しげな声色で語る。

 

 

「鍛冶師ケーダリオン殿、此処までの道案内に深く感謝する。其方の役目は私をこの岬へ

 案内することであり、付き添うことではない。これより私はヘリオス神に神託を明かして

 目の傷を癒していただく。先に鍛冶場へお戻りを。後程、礼をもって戻ると約束しよう」

 

「だ、旦那…!」

 

「ご苦労だった、ケーダリオン殿。これより先は私個人の問題故、お引き取り願おう」

 

「……ありがとうございやす!」

 

 

オリオンは少年の頭を軽く撫で、この場から立ち去るように暗に告げた。少年は己と違い、

神を敬いこそすれ恐れていることを目視せずとも見抜いたからだ。

 

ケーダリオンはオリオンの言葉の真意に気付き、そして彼ほどの豪傑の口から「鍛冶師」と

認めてもらったことと、自分を巻き込まないようにする配慮が、泣きそうなほど嬉しかった。

 

誰よりも高潔な男の姿に心から敬服の念を抱き、深々と頭を下げてから一目散に駆け出す。

遠ざかっていく若い足音を聴覚で確認したオリオンは、空を裂きながら迫る音へ向き直る。

時間にして一分も経たぬうちに、音は彼の立つ岬の上空で止まり、声をかけてきた。

 

 

『あ、あ、アンタ…! こ、此処らじゃあ見ない顔つきだね! 何モンだい!』

 

「……(女の声?)…我が名はオリオン! 海神ポセイドンが子なり! 此度は大神ゼウスと

 我が父から神託を受け、はるばるオケアノスまで参上した次第である!」

 

『なっ…ポセイドンの子だって? アンタが? そうは見えないが…』

 

「どのような所感を持たれようと事実は変わらない。それよりも私は神託に従い、焼かれた

 両眼を癒していただきたいのだ。どうか銀の馬車より光を放ちたまえ、ヘリオス神よ」

 

『―――ヘリオス? アタイはエオスだよ!』

 

 

やけに()()()()()()な口調で話しかけてくる、恐らく女性と思しき声の主。

オリオンはヘリオス神であろうと目星をつけていたが、残念ながら盲目の彼の眼前に立つのは

ヘリオス神の妹である女神エオス。兄姉にコンプレックスを抱く、ギリシャ一不遇な女神だ。

 

そんな彼女の琴線に図らずも触れてしまったオリオンは、己の非礼を詫びるべく謝罪する。

 

 

「……盲目である故、と言い訳は致しません。どうかお許しを、輝ける暁の女神エオス」

 

『えっ!? あ、アタイの事を知ってるのかい?』

 

 

膝をつき、頭を下げ陳謝するオリオン。妻シーデーを喪い各地を放浪した五年の間に培った

知識から、ヘリオス神に近しい存在である女神エオスの事を引き出し、その名を口にした。

すると神らしい激怒の様子が一転、神らしくないとすら思えるほど自虐的な言葉が飛び出た。

 

ここでオリオンは「おや?」と内心で首を傾げる。女神エオスの態度が妙だったからだ。

ギリシャにおいて神々は、己の尊大さをどこまでも誇示する傾向が強い。神だから当然だが。

いわゆる後年の仏教などにおける「衆生の救済」を説く神などではないのである。

 

だからこそ、このギリシャという世界で女神であるエオスが自虐的な発言をする意味がない。

そう思ったオリオンは、やめときゃいいのに言葉を紡いでしまう。それが過ちとも気付かず。

 

 

「無論です。御身は世界に夜明けをもたらす光輝の女神。夜空を朱に染め上げる始まりの曙。

 御身あればこそ、我ら人間は朝を、一日を迎えることができるのです。御身を知らぬ者は

 即ち、昇りゆく朝日を拝まぬ者。人であれば、御身の偉業を讃えぬ者などおりますまい」

 

『―――っ』

 

 

オリオンは神を前にした人間として相応しい姿勢、つまり片膝をついて頭を垂れた状態で

そう言い切った。彼の言葉に微塵の嘘偽りもないことは、仮にも神であるエオスには

お見通しである。心の底からそう信じている。エオスという神を、信奉しているのだ。

 

女神エオス。彼女は同類である神を愛せず、短命にして愚かなる人間しか愛せぬ女神。

 

神が人を想うことは、きっと欠陥(バグ)でしかないのだろう。

精密な機器に生じた、ほんの小さな故障(バグ)のようなもの。

 

有り得ることではないし、有り得てはならない。

 

しかし時折、現実という時間の中では、こうした「有り得ない」が起こり得るのだ。

 

 

『……お、オリオン。アンタはアタイを、そんな女神だと本気で…?』

 

「本気も何も、それが御身であるのでしょう? 世界に始まりをもたらす、偉大なる神よ」

 

はうっ

 

 

女神エオスは今日まで己の役割を、偉業などと捉えたことはなかった。それもそうだろう。

 

彼女の役割は兄であるヘリオス神に夜明けを告げる、たったこれだけなのだから。

エオスでなければ成し得ない、というわけでもなく。他の誰にでも務まる程度の役割。

遣り甲斐など皆無に等しい。それを彼女の自意識が芽生えてから今日まで延々と繰り返した。

 

意味もなく、価値もなく、ただ「そうあれかし」と定められた為に、彼女は従ってきた。

 

けれど、オリオンとの出逢いによって、彼女は報われたのである。

 

 

「……女神エオス?」

 

『んぇぁ!? あ、ああ! にゃん……なんでもないよオリオン』

 

 

オリオンに名を呼ばれる。先程までと同じ、畏敬に満ちている彼の声のはずなのに、

どうしてかエオスは不自然な態度を取ってしまう。意図しない言動が思考より先んじる。

非合理的な対応が表出している現状を客観視しようにも、今の彼女にそんな余裕はない。

 

精密機器が些細な影響で機能不全に陥るように、エオスの心に恋慕(バグ)が生じた瞬間だった。

 

奇しくも女神でありながら人のような感情に振り回され始めたエオス。

彼女は威厳を保つべく厳粛に咳ばらいを一つ。二頭の神馬を上空に留め、地に降り立つ。

光り輝く神としての姿を意識して抑え込み、人間と変わらない状態に機能を低下させる。

 

そうしてオケアノスを臨む岬に降臨したエオスは、礼を尽くす姿勢を解かない狩人に触れた。

 

 

「オリオン、オリオンよ。真に神を尊ぶ敬虔なる者。神託に倣い、汝の目を癒そう。

 これよりは我が兄ヘリオスが明星を沈め、天に昇りて朝を照らす刻を迎える」

 

「………」

 

「さすれば夜を染め、世を覚ます太陽の権能から放たれし光輝を以って、汝オリオン。

 その焼け爛れ塞がれた無明の暗黒は取り払われるであろう。神の威光を、讃えよ」

 

「はっ。伏して(こいねが)うは暁の女神エオス。太陽の神ヘリオス。そして我が身を憐れみ神託を

 お授けくださった大神ゼウス並びに我が父ポセイドン。我が信仰を此処に捧げ奉らん」

 

「……いい、いいぞ。オリオン。お前は、最高の男だ…!」

 

 

神々の存在は、人間の信仰心を以って保たれる。女神エオスはその存在を信仰する人間が

そもそも少数であり、彼女の権能の薄さも相まって神殿すら建てられない希薄な神格。

そんな低レベルな神と呼べる彼女を、オリオンは大神やその兄たる海神と同等に扱った。

 

エオスの機能中枢(ココロ)に熱が溜まっていく一方であるが、そんなこと知りもしないオリオン。

もはや女神エオスはその身を蝕む呪いもあってか、オリオンの事しか考えられないほどに

彼を意識してしまっている。ギリシャに生きる全人類に向けるべき庇護を集約している。

 

彼女の思考ルーチンを構築する大脳機構に、修繕不可能なほど深刻な(バグ)が生まれていた。

 

人間の女性とほとんど見分けがつかない現界用の義体で、エオスはオリオンに告げる。

 

 

「な、なぁオリオン。もしお前が望むんなら、アタイはなんだってしてやるぞ?

 力を望むなら権能を授ける神に会わせてやるし、知慧を求めるならまた然りだ。

 金でも地位でも、何でもだ。何が欲しい? アタイがお前の望みを叶えようとも」

 

 

深々と頭を垂れ膝をつく姿勢で動かないオリオンと話す為、仮にも女神であるエオスはなんと

膝どころか足を地に放り出し、彫りが深くも慈愛を感じさせる男の顔を手で撫で上げた。

 

いま口にした言葉は、本気だ。エオスはオリオンの望みを本当に叶える気でいた。

彼女自身にそういった権能はない。けれど、彼が望むのならば望みを叶えるためにあらゆる

手段を厭わずに実行に移す。そうした決意に満ちた言葉を、神が一人の人間に語ったのだ。

 

あわれオリオン。ここにまた一人、「オリオンガチ恋勢」を爆誕させてしまう。

 

エオスの過分すぎる気遣い(と思っている)オリオンが慌てて返答しようとした時、

オケアノスの水平線から眩い光が夜空をかき消し、ギリシャの世界に朝の到来を告げる。

 

 

「やっと来たかクソ兄貴。今日は機嫌がすこぶるいいから小言は控えておいてやるか。

 よし。これでオリオン、お前の目が癒えて見える……よう…に………」

 

 

東の空から兄ヘリオスが銀の馬車で空を駆け出す様を遠目で確認した女神エオス。

普段の彼女であれば直接出向いて「グズ! ノロマ!」と罵詈雑言を浴びせていただろう。

しかし今は目の前の美丈夫が最優先事項に上書きされてしまっている状態。

怒る気を静め、凄惨な傷で視界を奪われた男の変化に注視していた。

 

そして、約束の時は訪れた。

 

朝日の光がオリオンの火傷痕に吸い込まれるように溶け込み、じわじわと爛れた皮膚の部分が

癒えて正常な状態に巻き戻っていく。そうしてたっぷりと光を浴び、数分が経過する。

 

やがて空洞だった眼窩に形のある膨らみが現れ、それを覆うように瞼が再形成された。

火傷で目が潰れていた男の姿は綺麗に消え、そこにいたのは粛々と瞳を閉じる寡黙な大男。

 

そして男はゆっくりと、確かめるように眼を開く。

 

 

「―――おお、おお……おおおっ…‼」

 

 

黒とも言えない完全なる無色の世界を見つめ続けていたオリオン。だが今の彼の瞳には、

色彩に溢れた世界がはっきりと映っていた。空が、海が、この世の全てが色づいていた。

 

狩人オリオン。この時、21歳。既に成人を迎え、妻を持った身であれど、覚者に非ず。

無双の剛力を誇り、無敵の俊敏を有し、無類の才能を宿す男は、しかし怖かったのだ。

 

目が見えないという、誰しもに有り得ることが。見えていたものが見えなくなることが。

 

事の発端は、自らの過ちであると認めてはいた。だから仕方がないと諦めていた。

いや、諦めたふりをしていただけだった。どうしようもないと、突き放すしかなかった。

そうしなければ、無限の暗闇が怖くて仕方がないのだ。無明の世界が恐ろしいのだ。

 

しかし、その恐れは払拭された。闇は掻き消え、光に満ち溢れた世界が瞳に映る。

 

 

「いいさ、泣きなよ。いま此処にはアタイしかいないから。言いふらしゃしないって…」

 

 

歓喜のあまり神の御前でありながら知らず立ち上がっていたオリオンに、女神エオスは

横顔を覗き込むように話しかける。慌てて姿勢を正そうとする彼に、彼女は続けた。

 

 

「そんなに肩肘張らなくてもいいよ。アタイはそこまでされる神でもないしね」

 

「い、いや、しかし……」

 

「いいんだって言ってんだろ? それより、ご覧よ。これが女神の玉体さ。どうだい?

 そこらの人間の女よりかはイイ見た目してるとは思うが、アンタの目で見てどう思う?」

 

 

視覚を取り戻したオリオンが一番最初に見る女。つまり、「最初の女」になれることが

神として讃えられること以上に歓喜を生じさせる。未体験の法悦に熱が上昇するエオス。

その彼女を改めて目視するオリオン。神を見下ろす不敬に罪悪を感じつつ、彼は視る。

 

鮮やかな橙色の髪、女性らしく丸みを帯びてはいるが、しかし豊満とまではいかない肢体。

均整の取れた彼女の出で立ちは、まさに極上の美を体現した、女神に相応しい様相である。

 

並の男であれば即ルパンダイブをかますか口説きに行く美女を前に、狩人は口を開く。

 

 

「御身を象徴する暁という言葉が姿を得たような、女神を人間の言葉で形容して良いのか

 不明ではありますが、その……美しいと思います。あまりの光輝に瞳が潰れそうです」

 

「んなっ…! は、ははは! ぞ、存外舌の回る男だな! 悪くない……むしろイイ

 

「女神エオス?」

 

「なんでもない! なんでもないったら! コッチ見るな!」

 

 

小さな滴を目尻に残す巨躯の男は、良い意味で人間臭い女神の様子に思わず微笑む。

そんな彼の、穏やかな風に揺られる森の木漏れ日のような甘い温もりに満ち満ちた笑みに

またも思考回路を埋め尽くされた女神。頬を真っ赤に染めて、けれど口角を緩ませる。

 

 

これこそがオリオンの神話の始まり。

 

そして、オリオンという狩人が、「狩人として」生涯を終える事となる始まり。

 

決して報われることのない【エオスの悲恋】と呼ばれる一幕が、始まった瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 









久々の執筆でかなり筆の進みが遅い……。
これはリハビリをしなくてはいけませんね…。

読者の皆様も長らくお待たせしてしまいすみません!

どうかこれからも拙作をよろしくお願いします!


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放尿する者、現実を知る

どうも皆様、萃夢想天です。

いよいよこの作品におけるメインヒロインの登場が近づいてまいりました!

え? シーデー? メロペー?
何を言っとるんだチミたちは(真顔)


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

鍛冶を司る神ヘファイストスは、激怒した。

 

 

事の次第はこうだ。

 

鍛冶神ヘファイストスは母にして大神の妻たるヘラの命令により、オリオンという狩人の

専用武具を拵えたことがある。職人気質で頑固一徹な彼は、生半可な相手に武具を鋳造する

タイプではない。自分の認めた者にしか力を貸さない、ある意味では信頼できる性格だ。

 

そんな鍛冶神は、オリオンという男の性格と行動をいたく気に入り、権能を大いに振るって

専用の神器を二つも鋳造し、直接手渡している。これ以来、狩人は彼のお気に入りとなった。

 

さて。今日もあの狩人はワシのこさえた神器を使っておるかのぅ。

などと考えながら空を眺めていると、大神からの伝令を通達する役割を持つヘルメス神が

鍛冶場に降臨してきた。何事かとしかめっ面で出迎えた彼に、伝令神が率直に伝えた。

 

 

「ヘラ様やポセイドン様が目をかけてるオリオンってガキ、目を潰されたみたいだよ」

 

「何だと!?」

 

 

胸倉に掴みかからん勢いで取り乱すヘファイストス。それを半歩下がって避けるヘルメス。

烈火の如き怒りを見せる鍛冶神に、伝令神は冷や汗を一つ垂らしながら話を続ける。

 

 

「落ち着きなってヘファイストス、結果だけ伝えた私が悪かったから。話を聞いてくれ」

 

「………さっさと話さんかい。場合によっちゃワシの鎚が明後日の方へ吹き飛ぶぞ」

 

「怖いこと言うなぁ。神鉄を加工する神器級の鎚なんかで叩かれたら無事じゃ済まない」

 

「自慢の脚へし折られたくなきゃ、とっとと喋らんか。それが役目じゃろうが」

 

「…随分な熱の入れようだね。いいよ、本題に移ろう。まずは――」

 

 

白熱化する鎚を担いで凄む鍛冶神に気圧され、飄々とした態度の裏で焦りつつ伝令神は語る。

 

狩人オリオンはとある島で、空に大穴を穿つ偉業を成し遂げたこと。

それをきっかけに島の王族の娘に気に入られ、求愛されていたこと。

娘の父から結婚条件として難題を出されたが、苦も無く成したこと。

だが、オリオンに婚姻を結ぶ気はなく、結婚を一度断っていたこと。

けれどその夜に娘に迫られ、逆上した父が彼の目を焼き潰したこと。

 

つらつらと謳うように伝えたヘルメスは、ヘファイストスの怒りが治まらないことに気付く。

 

 

「どうしたんだい、ヘファイストス?」

 

「そのキオスんとこの阿呆、デュオニソスのガキじゃったか?」

 

「そうだけど?」

 

「美味い酒を貰っとる借りがある……顔面凹ますだけで許したるわい」

 

「それって許されてないんじゃない?」

 

 

ヘファイストスは我慢の効かない性分である。お気に入りの若造が落ち度もないのに目を

焼かれ潰されたと聞いて、黙っていられるはずもない。鼻息を荒げる鍛冶神は鬼神の如く。

 

そんな状態のヘファイストスを見やる伝令神は、これ以上は危険だと判断して話題を変える。

 

 

「いや、まぁ。放っておいていいと思うよ私は」

 

「よう言ったわクソ坊主。じっとしとれ、まずお前の首根っこ叩き折ってやろう」

 

「冗談の通じない爺だなぁ! 安心しなよ。今オリオンはポセイドン様とゼウス様の神託で

 オケアノスへ向かっている。そこでヘリオスに焼かれた眼を癒してもらうんだってさ」

 

「………それを先に言わんか、阿呆」

 

 

以上が、事の一部始終である。

 

 

ヘルメス神が仕事に戻るといって鍛冶場から立ち去ってしばらく。

ヘファイストスはどうしてもオリオンの様子が気がかりで、遠見の魔術を扱える神に頼んで

オリオンの現状をがっつり覗き見ることにした。神だから人のプライベートとか関係ない。

 

ちょうどオリオンが目を癒してもらった直後のようで、何故かヘリオス神の妹であるエオスが

一緒にいることに首を傾げつつも、ちゃんと神託通りに目が治って何よりだと一安心する。

これで仕事に戻れると遠見を終えようとしたが、そこで彼は厳つい隻眼を見開いた。

 

 

「…なんじゃオリオンの奴。海を走って何処へ行く?」

 

 

オリオンは海神ポセイドンの実子。海を渡る権能があっても不思議ではない。

ヘファイストスが驚愕したのはそこではない。脇目もふらず海を疾走するオリオンの様子が

どこか不自然に思えたのである。彼と直接会っている鍛冶神だから気付けた違和感だ。

 

鍛冶神の知るいつもの彼であれば、自分の目を癒したヘリオスに感謝を捧げるために

何らかの行いを取るだろう。仮にそれをエオスに託したとしても、すぐさま背を向けるか。

否である。あの狩人は義に厚い男。よほどの事情でもない限り……そこでふと思い立つ。

 

 

「―――まさか、デュオニソスの倅に復讐でもするつもりか?」

 

 

有り得ない話ではない。むしろ、このギリシャじゃ『やられたらやりかえす(リベンジ)』は当たり前。

それどころか、倍返し案件も星の数ほどにある世界観だ。可能性は十二分に有り得る。

 

 

「うぅむ。いかん、いかんぞオリオン。お前はそんな小物ではあるまい」

 

 

ヘファイストスは唸る。鍛冶神の知るオリオンは、怒りのままに暴力を振るうような、

何処にでもいるギリシャの男などではない。世界を見渡しても霞のように見当たらぬ男。

高潔にして清廉。されど無双の武を宿し、無智の対極たる深い知慧を誇る絶世の豪傑。

 

そんな男が、我を忘れ復讐に駆られるなど。ありきたりな行動をとるのだろうか。

 

 

「……いや、しかし。己の目を理不尽に焼かれたとあれば、狂いもするか」

 

 

一度入れ込めば女以上に惚れっぽい鍛冶の神、ここで痛恨のアイデアロール成功。

 

オリオンはもう頭に血が上り、クレタ島の王へ復讐を果たすこと以外を忘れたのだと

思い込んでしまったヘファイストス。嘆かわしい、そう思わずにはいられなかった。

 

あわれオリオン。日頃の行いが良いばかりに悪い結果ばっかり返ってきてしまう。

 

 

「オケアノスからキオスの島までは……オリオンの足で三か月足らず、ってとこか。

 うし。あいつにゃ復讐なんてありきたりな事ぁ似合わんじゃろう。手ぇ貸すかね」

 

 

気に入っている人物が過ちを犯すことを見過ごせない。ナンテイイハナシナンダロウ。

復讐はオリオンの為にならないとヘファイストスは考え、重い腰を上げ鍛冶場を出る。

 

こうして鍛冶の神は、オリオンの手を汚させないために、キオス島へ降臨する。

 

()()()()()()()()()()()()()ことを不思議に思いながらも関係ない事と割り切り、

オリオンが島へ到着するまでの三か月未満で、キオス島の王の住まう屋敷の地下に

秘密の部屋を構築した。そこに王と事の発端である娘を嫌々ながら匿ってやったのだ。

 

このヘファイストスの温情が、オリオンの運命を定められた道筋へ誘ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリオンは海を疾駆する。遥かオケアノスの海を両脚で駆け、一路キオス島へ向かっている。

 

オケアノスの岬にて太陽神ヘリオスが騎乗する銀の馬車が放つ光を浴び、焼き潰された

眼を完全に癒したオリオンは、当然ながら彼の神と眼前に降臨した暁の女神エオスへと

感謝を捧げようとした。ところが、エオスがそれを拒み、代わりに彼の話を聞き出した。

 

生誕地やこれまでに何をしてきたのか。好物や趣味、女の好みなどそれはもう根掘り葉掘り。

女神エオスの唐突な話題に混乱しつつも、女神からの問いかけに答えない選択肢はない。

オリオンは聞かれるがまま、自分の生い立ちや今に至るまでの経緯を包み隠さず話した。

 

そして眼のことに触れた後、女神エオスはわずかな間沈黙したが、すぐにこう語った。

 

 

「それならばオリオン。すぐにその何とかという王のもとへ帰参し、誤解を解くがいい。

 ちゃんとポセイドンとゼウスの神託に従って目を癒したことを伝え忘れるなよ?」

 

 

他ならぬギリシャの神が下したお告げ、それはもはや神託である。

神々を信奉し崇拝しているオリオンは、神託を授けられたのであれば実行に移すのみ。

だが、それはそれとしても、疑問に思わないわけではない。

 

 

「その、お告げはありがたくお受けしますが、何故…?」

 

「なぜ、とは?」

 

「いえ…目を潰された私が、目を癒して舞い戻ればオイノピオーン王も驚くばかりか、

 いらぬ不安を抱かせてしまうことでしょう。それは私の望むところではありません」

 

「ふむ…?」

 

「それに………いえ、何でもありません。女神エオス、神託をお受けいたします」

 

 

疑問を口にしてみたはいいものの、それはオリオン個人の問題からくる疑問ばかりであり、

エオスという神の視点からは到底知り得ぬことばかりである。少なくとも狩人はそう考える。

しかし、オリオンが会話している相手は誰か。そう、人知を超えた超常存在・神である。

 

卓越した演算機能(ずのう)を十全に活かし、僅かな断片的情報から経緯の全容を掴むことなど容易い。

それこそが神。それこそがギリシャを、人々を支配する大いなる存在たる、彼女らだ。

 

そこに前代未聞の致命的恋愛感情(エラー)を発生させた女神である。裏がないはずがない。

 

 

(オリオンはオイノピオーンとその娘に何かしらの負い目を感じているみたいだね。

 誠実な人柄は好ましいよ。でも、結局アンタはそういうの背負っちまう性分だろ?)

 

 

彼女は見抜いていた。オリオンという人間の善性を。彼の行いが起こす事の顛末を。

 

だから―――。

 

 

(利用しない手はないじゃないか。オリオン。アンタには悪いけど、アンタと人間たちの

 繋がりを断たせてもらうよ。だってそうじゃないと、アタイのものにならないじゃんか)

 

 

止まらない。止められない。エオスはもはや、女神としての役割より一人の男を選んだ。

 

 

さて。そんな女神の策謀も知らず、オリオンはエオスに促されるまま海を走っている。

 

女神からの神託は、目が癒えたことをクレタ島の王へ伝える事。そして彼個人としては

眼を潰されたことを恨んではおらず、娘のメロペーとの間に誤解を生じさせたことを

謝罪するつもりでいた。若干の悪寒で背筋を震わせながら、輝かしい海を見つめ駆ける。

 

そうして、来た時よりも数日早く道…海路を戻っていき、二か月と三週間を過ぎた頃。

 

 

「はぁ…はぁ……着いた」

 

 

オリオンはまたも海を渡り、己にとって悲劇を起こしたキオス島へと戻ってきた。

 

彼にとって海を駆ける道のりは往路より困難が少なかった。なにせ視力が回復しているうえ、

瞳を閉じて意識を集中させればどんな遠方の音も聞き逃さない聴力まで得ているのだから。

 

そんな狩人は海から浜辺へあがり、狩りで得た獲物で腹を満たしてから身だしなみを整える。

一度ひどい目に遭ったとはいえど、相手は王族。復讐をしに来たわけではないのだから、

やはり礼を失さぬように心がけるのは当然と判断したためだ。マメな男オリオンである。

 

しかしオリオンはキオス島上陸後、以前と明らかに雰囲気が違っている街並みに困惑する。

 

 

「……喧騒が聞こえない。あれほど賑やかで陽気な人々のいる街が静まり返っている」

 

 

訝しむ彼は、島の森や川に変化がない事を狩人の直感で感じとり、他に何か原因があると

考えた。だとしても、朝から晩まで宴をして騒ぐ島民の声一つ聞こえてこないというのは

明らかな異常に他ならない。緊張に肌をひりつかせながら、オリオンは街へ踏み込む。

 

そこで彼は見た―――島民の活気が消えた理由を。

 

 

「な……なんだ、これは? どうなっている!?」

 

 

視力を取り戻したオリオンが見たもの。それは、島民の鼻から上を覆う薄白の結晶体。

店屋の主人にも、老いた婦人にも、無邪気な子供たちも、一切の例外なくあったもの。

かつて訪れた際には見なかったもの。視界を物理的に阻害するソレに狩人は驚愕した。

 

遠目から見れば、何らかの祭事で島民らが顔の上半分を隠す仮面のようにも、見えなくない。

だが実際は違う。ソレは島民たちの瞼の内側まで入り込んで凝固した結晶で出来ている。

眼球は傷つき、渇き、もはや視覚器官としての役割を果たす機会は永劫有り得ない。

そんな状態の者が、街中至る所にいるのだ。流石の彼でも未知の状況に恐怖した。

 

驚きのあまりに硬直していたが、勇気を振り絞って近くにいた者に声をかける。

 

 

「あ……その、もし。そこなご婦人」

 

「え? あぁ、はい。旅の御方、でしょうか? すみません。この通り、何も見えず…」

 

「いえ、あの……以前この島を訪れた際には、こんな様子ではなかったはずでは?」

 

「……そう、です。かつて島は活気に満ちていました。けれど半年ほど前でしょうか。

 海から流れる潮風を浴びた島民は皆、目の中で潮が結晶化するという病に侵されてしまい、

 元の生活に戻ることが叶わなくなってしまったのです。誰もが暗い世界に囚われて…」

 

 

水の入った甕を抱えて女性は語った。このキオス島に突如起こった、疫病の話を。

しかし、オリオンは女性の話を聞いて愕然とした。この異常事態の発生源に心当たりが

あったからだ。彼は「そうあってほしくない」という微かな願いを抱き、さらに尋ねる。

 

 

「半年前、というと……島の空に大穴が開いた頃でしょうか」

 

「ああ! あの光景をご存知なのですね! 私もあの時、窓から眺めておりました。

 麗しくも屈強な旅人が、メロペー姫の憂慮をお祓しすべく曇天に穴を穿った光景を。

 思えば確かに、姫がかの旅人と御婚姻されるという話が島中に伝わったあたりから、

 島民の目が塩で潰れる病が流行りだしたような……いえ、気のせいでしょう」

 

 

女性の話で、オリオンは疑惑を確信に変える。

 

島民の目から光を奪ったのは、他でもない―――父にして海神ポセイドンであると。

 

膝から崩れ落ちそうになるのをどうにか堪える狩人。女性はそんな彼の身を案じる。

 

 

「せっかく訪ねてくださったのは喜ばしいことですが、この島に長く滞在されるのは

 お勧めできません。この病が貴方の身を蝕むやもしれませんもの。目が見えないという

 苦痛を伝染させるのは誰も望まぬこと。さ、どうぞ島より出立なさってくださいな」

 

「……………そう、させてもらう。感謝する、ご婦人」

 

 

相手が見えていないと知っていても、オリオンは深々と頭を下げて感謝を告げた。

女性は口元しか見えないがうっすらと微笑み、水の入った甕を抱えて歩き去っていった。

 

オリオンは聡明である。先程の女性の話と自らの境遇を重ね合わせ、このクレタ島に

起こった突然の奇病の正体が、父たるポセイドンの与えた神罰によるものと見抜いた。

 

 

(神罰は不要であると訴えたはずだ…! 我が父よ、何故こんな惨いことを…!)

 

 

狩人には分からない。大津波でもって島ごと消し去ろうとしたポセイドンを諫めてから、

神託に従いオケアノスへ向かった彼には分からない。狩人の父はギリシャの神格であり、

大神ゼウスの兄にして、大いなる権能を有する存在。人の視点で測りえぬ者である。

 

絶対的支配層たる彼らが一度でも「神罰を下す」と決定した以上、それは行われるのだ。

 

形を変えようと、規模に差異はあれど、必ずだ。神々の威光にかけて実行される。

そのあたりを知らなかったオリオンの甘さ。親を信じる純粋さが招いた悲劇だった。

 

 

「………すまない、すまない…! 許してくれ……!」

 

 

あれほど賑わった街並みからは人の姿は消え、寂れた道の真ん中で狩人は慟哭する。

 

全ての発端は、自分だった。そう悟ったオリオンはもう、耐え切れないほど絶望した。

どこから間違えてしまったのだろう。頭を抱え、涙をこぼさずにはいられなかった。

 

海神ポセイドンを諫めようとしたからだろうか。否。そうしなければ島は今頃、海の底だ。

メロペー姫の求婚を承諾しなかったからだろうか。否。自分にはシーデーという妻がいる。

オイノピオーン王の課した条件を呑んだからか。否。放っておけば島民に被害が及ぶ。

 

自分が、自分が「美しさとは罪であるのか」と尋ねようとして島を訪れたからか。

 

 

「俺はなんということを……」

 

 

島に暮らす人々から光を奪ったのは、自分だった。

いずれ伴侶を得て幸せになるはずだった姫を狂気に堕としたのは、自分だった。

賢王だったオイノピオーンを激怒させてしまったのは、自分だった。

 

クレタ島に起こった悲劇の根幹は自分であったと悟り、自責と後悔の念に苛まれる。

 

 

「あぁ、ああああ……!」

 

 

海神の実子にして、絶世の美貌を持つ屈強な狩人。誰もが彼をそう讃え、憧れる。

どんな猛獣だって仕留める狩りの腕を持ち、どんな人にだって敬意を払う高潔な男。

さながら、伝説になぞらえた物語のような生涯を送るであろう、無双の英雄。

 

だが、彼はただの人だ。人間だ。

 

英雄ではなく、豪傑でもなく、勇士でも、戦士でもない。

 

自らが招いた災厄が及ぼした最悪の結果に耐え切れない、ただのちっぽけな人間だった。

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

かつて島を震わせた痛苦の咆哮の再来を思わせる、心砕けた慟哭が轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは、たった二人しか存在を知らない、秘密の地下室。

 

キオス島の王であるオイノピオーンとその娘メロペーだけが知る、屋敷の地下に造られた

現代風にいうシェルターのような避難場所である。

 

鍛冶神ヘファイストスの温情と厚意によって造られたこの地下室に一月ほど前から籠っている

オイノピオーン王とメロペー姫。食料や水の貯蔵も万全なこの場で、二人は生きていた。

 

 

事の発端は半年前。オイノピオーンが旅の狩人にしてメロペーの想い人であるオリオンの目を

焼き潰して海へ放り捨てたことから始まった。あれがキオス島を襲う悲劇の原点だった。

 

海が急激に荒れた日から、潮風に乗って運ばれた微細な塩が島民の目の中で結晶化する

謎の奇病が発生。瞬く間に被害は広がり、ものの数週間で王を含めた島民全てが盲目となる。

あれから街の喧騒はすっかり鳴りを潜め、誰もが暗黒の世界で生きる為に酒を断った。

 

しかし王とその娘だけは、奇病の正体が神による罰であると正しく理解していた。

 

視界を奪われてからというもの、メロペーは日がな一日オリオンを想って泣き続けている。

既に凝固した塩の結晶のせいで眼球すら動かせない状態であるのに、涙を流し悲嘆に暮れる。

すすり泣く声に交じり、時折オリオンへの謝罪の言葉も聞こえてくる。

 

オイノピオーンはあの後、己以上に錯乱してしまった愛娘から事情を聞き出し後悔した。

 

あの夜に起こった出来事はメロペーの仕組んだことであり、オリオンに非はなかったこと。

彼は初めから自らの積年の悩みを解決したかっただけで、好色に染まったわけではなく、

むしろ王族たる娘の経歴に傷がつかないように配慮してくれていたことまで、何もかも。

 

父王は懺悔した。目を潰した狩人に。神罰の為に光を奪われた島民に、そして娘に。

 

眼が見えないとはこうも恐ろしい事か。目を潰した狩人と同じ状態に陥って痛感した彼は、

泣きながら虚空へ謝り続けるメロペーを放置した。誰が彼女の邪魔などできようか、と。

 

そんな折、どこからか悲痛な叫び声が響いてきたような気がして、顔を上げた。

 

 

「今のは……気のせいか?」

 

 

地上から届いた声に聞き覚えがあるようなオイノピオーンは、誰の声だったかを記憶から

思い起こそうとするが、どうにも顔が浮かばない。少し考えても分からなかったのできっと

気のせいだったのだろうと思うことにした。けれど横にいるメロペーは違った。

 

泣き崩れていたメロペーは聞こえてきた声にハッと顔を上げ、直後に確信へ至る。

 

 

「――オリオン、さま?」

 

 

間違えるはずもない。彼女が半年間、毎日想い続けていた男の声を聴き間違えるものか。

 

それまで悲壮に身を窶し、ろくに食事もとらないでいたはずのメロペーが両手を伸ばして

ふらふらと歩きだそうとする。オイノピオーンはそれを止めようとするが、止まらない。

 

老いてこそいるが成人男性の腕力に変わりはない。だがそれをものともせずに歩みを進め、

メロペーは地下室から地上の屋敷へ戻る階段に手で触れる。耳に意識の全てを集中させて、

音の聞こえる方向を脳内に思い描く。神の血が四分の一ほど受け継がれているにしても、

彼女は人の身。ただの娘でしかない彼女には、居場所を突き止めるほどの力はない。

 

 

「オリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさまオリオンさま」

 

 

特別な技能などは何一つない娘子の身なれど、燃え盛るような恋慕の熱を抱く女である。

 

執念。ただそれだけが、通常であれば有り得ぬと一笑される不可能を実現可能にしていた。

簡単に折れてしまいそうな細腕で這うように階段を上り、口内の水分が蒸発しきって乾いた唇が

切れて赤い筋を描いても、意にも介さず一人の男の名を呼び続ける。

 

目が見えようと見えまいと、メロペーにとっては些事であった。

 

彼女にとっては、己の傍にオリオンがいること。オリオンの傍らに己が在ることが肝心。

それさえ果たせるのなら、視力だろうが聴力だろうが、四肢の欠損すら問題視しない。

純粋に、どこまでも純粋に、望んで狂気の深淵へ埋没していく。それが女の執念だ。

 

そして――そんな彼女のような存在を象徴するかのような女神が、ギリシャにはいた。

 

 

『……哀れ。なんとも憐れなものだ。我が狂気が蝕む余地すら残っておらぬとは』

 

 

鼓膜ではなく脳内に直接響くような女の声。初めて聞くのに、何故か知っている声色。

メロペーは狩人一色に汚染されかけていた思考の残滓で、声の正体に気付き思わず呟く。

 

 

「………女神ヘラ、さま?」

 

『いかにも。妾こそ、いと高きオリュンポスの最高神ゼウスの妻にして神々の女王なり。

 デュオニソスの孫娘よ。混沌すら凌駕するほどの狂気を滾々と湧かすその昏き心、

 まさかあの狩人…オリオンに向けているのではあるまいな?』

 

 

メロペーの前に降臨したのは、かつてオリオンの妻を冥府へ落とした女神ヘラだった。

女神ヘラは冷静さを保ちつつ錯乱している女の前に現れ、神でありながら恐れを抱かずには

いられないほどの狂気の向かう先が、自分を諫めた狩人ではないかと彼女に尋ねてきた。

 

これに驚いたのはメロペーである。なにせ、神の孫という恵まれた生まれであっても、

まさか最高神ゼウスの妻である女神ヘラと直接言葉を交える機会があることなど、一生に一度

あるわけもないと考えていたからだ。そんな彼女はヘラの言葉に細々と枯れた声で返す。

 

 

「……オリオンさまが、この島にまた、来てくださったのですね」

 

『問うておるのは妾よ。答えよ人間。その感情ごと腐敗したような思考でオリオンめの元へ

 向かうつもりかえ? そうであるならば控えよ。貴様如きにアレは些か過ぎよう』

 

「………オリオンさま。ああ、オリオンさま。きっと会えると信じておりました」

 

『この娘…ああ、なるほど。ポセイドンも酷なことをする。目が正常であろうがなかろうが、

 ()()()()()()()()()()()()()()。見えているだけで、()()()()()()()()()()()()のだな』

 

 

しかし、メロペーの言葉は決して女神ヘラへの返答ではなく、単なる自己完結だった。

 

女神ヘラはすぐに娘の本質を見抜き、ポセイドンの下した神罰がこの娘にとってどれほどの

重荷にもなってはいないことを察する。自分だけの世界に初めから閉じこもっているのだ。

 

外を見るのではなく、自分が見たいものだけを映す。それだけの為に彼女の目は機能した。

同じ女としての視点を持つヘラだからこそ気付けた、メロペーという女の破綻。

狂気を司る権能を有する女神であっても、これほどの狂気を内包する人間など信じ難い。

 

さて。女神が降臨したとあっても這う姿勢で歩みを進めるメロペー。

そんな彼女の様子を見下ろす女神ヘラは、先の気付きもあって、嘆息の後に口を開く。

 

 

『娘。貴様には如何な重罰も役不足であろう。狂気とは即ち、認識を作り変えるもの故な。

 ただの責め句ではもはや足りぬとみた。であれば、相応しい罰を用意してやらねば』

 

 

女神ヘラはある目的のために彼女の前に降臨した。五年近く前、妻を奪われてなお復讐を

心に誓うでもなく、むしろ妻を奪った神を諫めるような言動を貫いた生粋の高潔さをもつ男。

そんな男が、狂い果てた娘とその親によって両目を焼かれ潰されたと聞き、流石のヘラも

無関心ではいられなかったのだ。事の顛末こそ伝令神が語っていたが、当の本人たちからの

話を聞くべきだ。かつて「人の言葉に踊らされるな」と諫められたヘラはそう考えた。

 

その為に女神ヘラは降臨した。けれど事実は、混沌より混沌とした狂気によるものだった。

愛憎は複雑に絡み合ったのが原因であっても、そこに全てを破滅させる狂気があるなら

話は違ってくる。状況を正しく把握した女神ヘラは、這いずる娘に神託を下すことにした。

 

おそらくその神託は、メロペーという女にとって最大級の痛苦となるだろうと確信して。

 

 

『神託である。心して聞くがよい。デュオニソスの息子オイノピオーンが娘メロペーよ。

 貴様はこれよりヘカテーを信奉し、かの神より魔術を学ぶがいい。ともすればその才が

 花開き、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……‼」

 

 

ヘラの告げた言葉に、指先の爪が剥がれかけても進もうとしていたメロペーの手が止まる。

効果あり、と。塩の結晶で物理的に目が見えていない娘の前で、女神はくつくつと嗤う。

 

 

『妾の言葉は以上だ。では精々、勤勉に励むがよいぞ……見たいものでもあるなら、な』

 

 

わなわなと切れた唇を震わせて動きを止めたメロペーに、ヘラは一方的に話を打ち切り、

彼女の前から姿を消した。神託として扱った助言を出すだけ出して、後のことはヘカテーに

丸投げする予定だったのだ。天上の世界に舞い戻った女神は、邪悪な微笑を湛える。

 

 

『……ヘカテー。後は任せるぞ。よくよく育て、千里を視通す眼を授けてやるがいい。

 くくっ。一生を捧げ得た千里眼が、()()()()()()()()()()()()でしかないと知った暁には。

 あの娘、どれほど狂気に満ちるものか。望んで底なしの沼に入り込む愚か者だからな』

 

 

神々の集う玉座にて、女神ヘラは冷酷な声色でひとりごちる。

 

自らが認めた男を破滅させかけた女を、この女神ヘラが許してやるはずもないのだ。

それどころか一度でも希望をチラつかせ、それを目前で消し去ることに愉悦を覚える性質(タチ)

そんな女神の神託を受け、メロペーがどうなるか。神の視点からすれば想像は容易だろう。

 

千里眼とは、文字通り世界を視通す異能。過去・現在・未来のいずれかを視る超常の能力。

 

ある古代の王は、遥か先の未来を視通し、全てを己の思うがままに成そうとした。

ある夢魔の男は、世界の現在(いま)を俯瞰し、己の理想とする花が芽吹くのを待ち続けた。

そして、そう遠くない未来に、過去の出来事を現実のように見抜く者が現れる。

 

その者はやがて伝承として世界に、歴史に、人々の記憶の間に紡がれる存在となった。

 

皮と骨だけのような外見をした、白い仮面で顔の上半分を覆い隠した青白い肌の老婆は、

どこからかふらりと現れ、か細い声で「此処にいた」と呟くと姿を消してしまうという。

古くはギリシャの各地で言い伝えられた民間伝承で、妖精の一種だろうとされている。

 

やがて世界から神が、魔術が消え、星の裏側から裏側まで繋がるようになった現代において。

古代の伝承にあった謎の老婆の存在は、ある種の「ホラー伝説」として度々扱われた。

 

恐怖、好奇心、探求心。後の人々に様々な印象を与えてきた彼女は、その在り方を大きく

歪められて世界に刻まれてしまう。これもまた、人理という薄氷の性質故だろうか。

 

 

こうして、オリオンという狩人の伝説において、キオス島の出番はなくなった。

 

狩人が目を治してから島に戻り、それからこの島は、島民は、王と娘がどうなったのか。

オリオンの一生を綴った英雄譚の中でさえ、どこにも記されていない「その後」の話。

 

それを知っているのは、知っていたのは、神々だけなのかもしれない。

 

 

 

 

 







【悲報】:女神ヘラ、最大級の失態をやらかす。


神のクォーターで魔術の適性がある程度あって恋に恋する乙女で狂気属性のメンヘラ地雷女が、英霊の座になんか登録されるわけないだろいい加減にしろ!

って言いたいのはオリオンなんだよなぁ。


また時間を見つけてお話書きます。
応援してくださる皆様の為に頑張りますので、
これからも見守っていてください!


ご意見ご感想、並びに質問や批評も大歓迎です!


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暁も暮れて…プレイアデスの奉仕

どうも皆様、萃夢想天です。

この度、拙作が30万UAを達成致しました!
ひとえに読者の皆様のご愛顧があってこそ!
これからもよろしくお願いします!

さて、もう少しで真のヒロイン登場…。
その前にまたサブヒロインが加わるんじゃ。


それでは、どうぞ!







 

 

 

 

 

 

 

神々の女王ヘラがキオス島へ降臨してより、数週間後。

 

 

太陽神ヘリオスは訝しむ。最近、どうにも妹である暁の女神エオスの様子がおかしいと。

 

 

「なぁ妹よ。近頃は俺を呼ぶ時間が早過ぎやしないか?」

 

 

彼は日の出を司り、世界に朝という概念を引っ張り出す重要な役割を担う神である。

これまでは妹にして暁の女神と呼ばれたエオスが、決まった時刻になると自分を起こし、

朝を告げろと命じてきていたのだが、最近になってその時刻が徐々に早まっていた。

 

そのせいでギリシャ世界の夜が短くなってきており、人々の生活リズムが崩れ始め、

次第に生命のバランスの均衡が乱れるなどの悪影響が各地で発生するようになった。

 

自分の仕事が早まるだけで甚大な被害が出る。それをよく理解していたヘリオス神は、

事の発端であるエオスの異常を突き止めようと考えたのだが。

 

 

「うるっさいなぁ‼ 兄貴にゃ関係ないでしょうが‼」

 

「無関係ではないぞ。俺の仕事が早すぎると各方面から苦情がだな」

 

「喧しい‼ さっさと働きな‼ アタイはやる事やったら行くとこがあんだよ‼」

 

「行くところ? それはどこだ?」

 

「兄貴に関係ないところだよ‼」

 

 

取り付く島もないとはまさにこのこと。エオスは癇癪を起こした幼子のように喚き、

ヘリオスが引き止める声も聞かずに神馬に跨り、朝焼けの空を駆け抜けていった。

 

 

「……やれやれ。俺では事情をうかがうどころじゃないな」

 

 

権能でギリシャの空に朝をもたらしながらぼやくヘリオス。太陽神としての威光で

世界を輝かせる彼は、自分と同質にして同等以上の神格が顕現する気配に気付く。

 

 

『やぁ。どうやら失敗したようだね。同じく妹を持つ身として心労をいたわるよ』

 

「………これはこれは。アポロンじゃないか。心にもない事をありがとう」

 

 

ヘリオスの傍に現れた光源は、平坦な口調で人間味のあるセリフを淡々と呟く。

それが自身と同じ、太陽神の役割を与えられた神アポロンと察したヘリオスは、

つい先ほどエオスと交わしていたやりとりを盗み見られていたことにも勘付いた。

 

 

「神殿を各地に持つ太陽神の代表たるあなたが覗きとは、随分趣味が悪い」

 

『神である我々の仕事の一環さ。覗かれて困るような事情でもあるのかい?』

 

「そういうところだぞアポロン。それで、なんでまた俺のところにきたんだ?」

 

 

太陽という苛烈な恒星を権能として有する神にしては、あまりに軽薄な性格。

そんなアポロンとの付き合い方を熟知しているヘリオスは、会話もそこそこに本題を

切り出す。自分との会話に興じないことに不満そうなアポロンも渋々答えた。

 

 

『つれないね君は。わざわざ来た理由は、我々の活動時間が早まりだした件だよ』

 

「……それなら俺じゃなく妹の方へいけばいいのではないか?」

 

『おいおい、そんなことをしたら私が君の妹にちょっかいを出しているようじゃないか。

 冗談じゃないぜ。私はああいうのが苦手でね。逆に初々しい若葉こそが好ましい』

 

「人間の幼子にばかり祝福を授けている変態が妹に近づかなくて良かったよ」

 

『失礼な。純真無垢に日々成長する可能性を愛でることの、何が悪いんだい』

 

「愛でているのがあなたという点かな。それで、エオスの事をどうする気だ?」

 

 

軽口を叩き合う神々。和気藹々としているようでその実、高度な情報戦に発展しかけていた。

 

ヘリオスは妹を守り、もし何か深刻な異常をきたしているのであればその解決に尽力する

つもりでいる。しかしアポロンは違う。飄々とした態度の裏は冷酷かつ残忍な本性が潜む。

 

もしもの場合は殺し合いもやむなし、と。そう結論付けたヘリオスにアポロンは告げる。

 

 

『物騒な顔で睨まないでくれ。私は君の妹をどうこうするつもりは微塵もないんだ。

 むしろ朝を早めてくれたおかげで眠い目をこすりながらもっと寝ていたいと母親に縋る

 美少年を拝められていいぞもっとやれと―――いや、何でもない』

 

「既に手遅れだぞアポロン」

 

『まぁとにかく。私はエオスに対して何らかの行動は起こさない。約束してもいいよ。

 でも、異常には違いないからね。君が尋ねてもダメなら、彼女の姉(セレーネ)でも同じだろう』

 

「ではどうするつもりだ? 大神に報告でもしてさらに神格を貶めるのか?」

 

『ははは、まさか。最近退屈している我が妹を唆して、聞きにいってもらうよ』

 

「……アルテミスか。それだったら、まぁ」

 

 

アポロンの言い分を聞き、妹に害が及ぶ可能性を凄まじい速度の演算で導き出すが、

そのどれも実現率が低いものであると算出できた。ヘリオスはアポロンの言葉を信じ、

エオスの事を同じ妹という立場であるアルテミスに任せることにした。

 

 

『では、それとなくアルテミスに言っておこう。お気に入りの雌鹿(ケリュネイア)を探させているが、

 ずっと待っていられる性分じゃないからね。負荷の発散ぐらいにはなるかもしれない』

 

「…確か、あなたが神託を授けた大神の血を引く英雄の試練、だったか?」

 

『そうそう。【ヘラクレス】なんて大層な名を貰った、神々の未来を担う人間さ』

 

 

言うだけ言って話を済ませたアポロンは、別れの挨拶もそこそこに姿を消してしまう。

掴みどころのない奴だ。と、声もなくぼやいたヘリオスは、水平線の彼方を眺める。

 

 

「……妹よ。俺はお前が心配だ」

 

 

演算により無数に列挙させた不幸な可能性。そのいずれかが実現しないことを祈って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこはギリシャの海に浮かぶ一つの島。冠された名は、クレタ。

 

そう。ある狩人が神託を授かり、昇りゆく朝陽によって目を癒したと云われた島である。

 

 

「…………………………………………」

 

 

さて。後にある鍛冶師が伝えた狩人伝説が語り継がれるその島に、一人の男がいた。

 

筋骨隆々にしてその巨体は動かざる山の如し。されど世の女を虜にする絶世の美貌あり。

彼の名は、オリオン。ボイオティアというギリシャの片隅にて育ちし無双の狩人である。

 

しかしその風体からはみすぼらしさしか感じられず、まるで雨に濡れた泥の塊のように、

ただそこに蹲っているだけの男となっていた。

 

声も発さず、せっかく見えるようになったはずの瞳からは光が消え、ただ呼吸をする。

何の目的もなく、生きるだけの動物。抜け殻と呼ぶに相応しい状態で彼はそこにいた。

 

 

「…………………………」

 

「あぁ、オリオン。かつての凛々しさも猛々しさも好いが、その憂いもまた……」

 

 

そんな状態のオリオンの隣には、一人の女が満面の笑みで寄り添っていた。

 

絶望の沼底に沈み切っている今の彼を見て、恍惚とした表情で果実を手に取る女。

彼女こそは、暁の女神エオス。人としての姿で地に降り立った、正真正銘の神である。

 

 

「ほらオリオン。たんとお食べ。食わねば死んでしまうからな、食ってくれ」

 

「…………………ああ

 

 

エオスが差し出した肉厚の熟した果実を前にして、やつれた様子のオリオンは掠れ声で

小さく呟く。もはや彼は、死なない為に食べ、死なない為に眠るだけの生き物と化した。

 

いったいどれほどの絶望が彼の心を苛んだのか。どれほどの絶望を知れば心砕けるのか。

それは彼にしか分かり得ないことだが、まるでその苦悩を共有しているかの如く女は語る。

 

 

「オリオン。もういいんだよ、何もかも全部。これからはアタイが何から何まで面倒を

 みてやるからね。生存も、罪業も、悔恨も、欲望も。子々孫々に至るまで愛するよ」

 

「………………」

 

「だから、さ。今は全てを忘れて。食って、寝て、ただそれだけを考え生きればいい」

 

 

沈黙を続けるオリオン。そんな彼の口に食べ頃の果実を押し付け、女神を頬を緩ませた。

 

 

「はぁぁ…最高だよオリオン。アンタと一緒にいるってだけで、何かが満ちていく。

 言語化できない何か。それでもアタイはコレを、ずっと持ち続けていたいと思う」

 

 

語り聞かせるように呟いたエオスは、自身よりずっと背の高い狩人の頭を優しく撫でて、

優先事項の更新を確認する。

 

 

「さて、と。それじゃオリオン。もうすぐ夜になると思うけど、また朝にして戻るからね。

 それまでにその果実は食べておいてくれよ。新しいの、持ってきてやるからさ」

 

 

そう言い残すと、エオスの身体は光に包まれ、その輝きに導かれるようにして現れた

二頭の神馬に颯爽と跨って女神としての唯一の役割を果たすべく水平線へ駆けて行った。

 

一方。取り残されたオリオンはというと。

 

 

「…………………」

 

 

ガブリ。一口で果実を頬張ると、死人のような顔で自分のいる場所を見回し始めた。

 

神秘溢れるクレタ島の樹海。彼は遥かキオス島から、知らずこの島へ戻っていたようだ。

その間の記憶がまるで無いことに軽く驚くも、表情筋が死滅しているので表現されない。

腐り濁った男の目は、豊かな自然に彩られた世界を眺めるも、感動の一つも起こらない。

 

ふと彼は、自分の手を見つめる。先程食べた果実の汁と蜜で粘つく手である。

 

 

(どれほど日が経ったか分からんが、相当な日数を果実で食い繋いできたようだな)

 

 

自我を呼び起こそうものなら、たちまち腹の虫が養分不足を騒音によって訴えだす。

絶望によって心が折れて以来、食べ物らしい食べ物を果実以外に口にしていないことを

思い出したオリオン。それと同時に、女神エオスに介抱されていたのだと認識する。

 

 

(目を癒してもらうばかりか神託を授けていただき、そのうえ生かしていただけた…)

 

 

昏く澱んだ瞳に、微かな光が灯る。最小限にしか動かさなかった手に、渾身の力を込めた。

ぐっ、ぐっ。筋肉の軋む音を鈍痛と共に知覚した狩人は、肉体の衰えに再度驚愕する。

 

 

(このままではだめだ。慈悲深き女神エオスといえど、いつまでもその懐深き愛に甘える

 わけにはいかない。自らの力で、意思で、生きねば。生きて、答えを見つけるのだ!)

 

 

もう二度と光を絶やさぬようにと、彼の中で再び芽生えた生存への執念が燃え盛る。

灰色の世界を映していた瞳に生気が戻り、鈍化していた思考が目まぐるしく廻りだす。

 

 

(俺が招いた災厄なんだ! 俺が責任を取らずに逃げてどうする! 見捨ててどうする!

 出来ることがあるはずだ! 彼らに、彼女に償わぬまま腐り果てる気だったのか俺は‼)

 

 

先程までそこにあった、静まり返った生き物はもういない。

 

そこにいるのは、立ち上がった者は、清廉にして潔白なる狩人の自負を持つ男。

海神の血を引き、神々の女王すら諫めてみせた、天下無双の名にふさわしき男。

 

それこそが、誰あろう――オリオンである。

 

 

「………生きねば」

 

 

深く、大きく、息を吐き出す。体の中に溜まった悪い気を放出するように。

 

そのまま大きく、深く、息を吸い込む。瞳を閉じ、開く。

 

ここに狩人オリオンは、ようやく復活を遂げることができた。

 

 

「……まずは腹ごしらえ、の前に、狩りの腕と勘の冴えを取り戻さねばならんな」

 

 

茫然自失な日々を送っていたせいで、肉体がとんでもなく衰えていると自覚させられた

オリオンは、とにもかくにも失った時間を取り返すべく行動を開始する。

 

かの鍛冶神が自分専用に鋳造してくれた神器二振りがあることを確かめたオリオンは、

栄養失調寸前の巨躯を無理やりに動かし、息も絶え絶えに苦しみつつ樹海を練り歩く。

 

 

「ぐっ、くぅ……こ、こうまで身体が思うようにならないか。難儀だな」

 

 

自身の想像する「自分」であれば、たかだか島一つ駆け回るぐらいで息切れなど起こす

無様は晒さなかったはず。額に浮かぶ大粒の汗を拭いながら、情けなさを悲観する。

 

それでも彼は想像通りに動いてくれない肉体で、しかし懸命に腕を磨き直していく。

 

 

やがて日も暮れる頃。初めて狩りを教わった時のように、彼は樹海に突っ伏した。

息を整える余裕すら今の彼には残っていない。荒い呼吸が木の葉を激しく揺さぶるのを

汗で滲む視界で眺める。徐々に暗くなっていく森の中、オリオンは静かに笑った。

 

 

(あぁ。俺は、俺は今、どうしようもなく生きている。生かされているのではない)

 

 

自分の力で生きる。一人の人間として、世界の中で生きようとしている。

 

当たり前のことであり、しかしそれがこうも難しく、辛く、苦しい事であった。

 

オリオンはまさにこの瞬間。生を実感していたのだった。

 

 

「は、はは、ははは…!」

 

 

知らず、笑い声まで喉の奥からこぼれ出る。声の震えで全身の筋肉がビリビリと痺れるが、

お構いなしに豪笑してみせる。誰もいない、自然と一人で向き合うからこそ見出せたもの。

 

 

「はははっ! はははは……ん?」

 

 

愉快さとはまた違う思いで噴出した笑いに倒れながら震えるオリオン。

そんな彼は、閉じることも億劫な視線で、薄暗い森の木の枝に何かの存在を捉える。

 

濁った眼を強引に研ぎ澄ました今の彼には、かろうじてソレが鳥であることが分かった。

しかし、ただの鳥ではない。落ちた視力、闇の中という状況にあっても、美しく光る羽が

その鳥にあったのだ。自然という過酷な環境の中で磨かれたものとは別種の輝き。

 

オリオンの目は、その鳥に釘付けになった。

 

 

「なんだ、あの鳥は…? 夜目が効く類の鳥じゃないが、それにしてもあの羽は…」

 

 

狩人の目が捉えたその鳥には、全身を覆う羽毛とは異なる形状の飾り羽根が生えている。

しかも明らかに目立つほど大きく、夜闇の中でもうっすら発光しているようであった。

初めて見る鳥の美しさに仰向けのまま見惚れていたオリオンは、ゆっくり上体を起こす。

 

 

「大鷲なんかを狩ったことはあるが、あんな小さな……鳩か? 狩りの経験はないな」

 

 

勿論のこと、鳥類への狩りの心得もあるオリオン。けれどそれは大型の鳥類魔獣に対する

ソレであり、通常サイズの鳩のような鳥への狩りはしたことがなかったと思い返した。

 

 

「ふむ、棍棒どころか矢ですら粉々にしかねん小柄さだ。では……お、あった」

 

 

自分が狩りに使用している神器や手製の矢を使えば、木の枝にとまる鳥に風穴が開く。

いや、それどころかバラバラの肉片に成り果てる事だろう。狩りの腕が落ちたとはいえ、

やれてしまうだろうという確固たる自負が彼の中によみがえりつつあったのだ。

 

オリオンは下半身を放り出したまま、手探りで手のひらサイズの石ころを見つける。

重さや硬さを手指でじっくり確かめ、問題ない事を認めるとおもむろにそれを投げた。

狙いは当然。狩人の動向を観察するように動かないままの、綺麗な羽をもつ小鳩だ。

 

 

シュッ―――ゴシャッ‼

 

 

「命中。久方ぶりの狩りで体が疲れていても、小石を放るくらいはできるな」

 

 

いくら野生を生き抜く獣の動体視力であっても、音を切り裂く勢いの石弾を見てから

回避することなど不可能。何の変哲もない石が小鳩の胸部に着弾し、羽ばたきもせず落下。

ボトリ、と草むらに落ちてきた美しい鳥にオリオンは歩み寄ろうとした。

 

その時、バサバサとけたたましい羽音が耳に届き、オリオンの前に現れる。

 

 

「ん? なっ、なんだコレは…?」

 

 

狩人は瞠目する。彼の前に、いや、石で胸を撃たれ落ちた鳩を囲うようにして現れたのは、

同じ種類の小鳩たち。どこからか飛んできた六羽の鳥、そのどれもが異なる配色の羽根を

一つ携えている。赤、青、黄、緑、桃、紫、そして倒れている白い飾り羽の鳩含めて七羽。

 

群れの仲間を守る、といった類の行動ではない。それ以上の決意と敵意を放っている。

聡明な狩人オリオンは目の前の鳩たちの様子を見て、すぐさま気付く。己の過ちに。

 

 

「これは、まさか………この島の神獣か!? それとも、何処の神の飼われる神鳥か!?」

 

 

肉体疲労でかいた脂汗が、途端に背筋を凍らす冷や汗に代わる。顔からは血の気が引く。

 

自分がたった今撃ち落としてしまったのは、クレタ島に住まう神獣の類ではないか、と。

これはとんでもない失態だ。人間が神獣を殺めるという事態はそもそも起こりえないが、

時には英雄と呼ばれる並々ならぬ力量を誇る者によって成されることもあった。

 

ただ、それをやって良いことがあった試しがないのがギリシャである。

 

神獣を殺めることと神の怒りを買うことは、ほぼイコールでつながる。嫌な計算式だ。

人間側の知らぬ存ぜぬなど、それこそ神からしたら知らぬ存ぜぬこと。理不尽の極み。

こうなってしまえば辿る道筋は一つ。「よくも殺したな、お前も死ね!」ルートのみ。

 

誰よりも神の気まぐれさ、傲慢さ、厳格さを知るオリオンである。

たとえ「美しさに見惚れて狩ろうと思ったら神獣だった、メンゴ」とバカ正直に応えても、

というかストレートに答えようがはぐらかそうが、神の所有物殺っちまったら即アウトだ。

 

 

(まずいまずいまずいまずいまずいまずい! とにかくこの場はまず……ん?)

 

 

疲れでまた鈍化しかけていた思考をオーバーフロー寸前までフル稼働させ、この危機を

乗り切る閃きを模索しようとしていたオリオンだが、そこで信じ難い光景を目にする。

 

小鳩の身体に生えていた、仄かに発光する飾り羽根の輝きが強く激しくなっていく。

やがて光は鳩の全身を包み込み、あまりの眩さに狩人が目を手で覆った次の瞬間。

 

 

「―――ぅ、ぅ…」

 

 

鳩が落下した草むらに、見目麗しい美女が横たわっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――なんという無様を晒したものでしょう。

 

 

鳩の姿から人型へ。月女神アルテミス様の許可がなければ変身を解いてはいけないという

戒めがあるにも関わらず、私はこの身に奔る激痛のあまりに元の姿を晒してしまった。

 

 

我々はキュレーネ山にて誕生せし【プレイアデス七姉妹】と呼ばれる、妖精(ニンフ)である。

 

 

このクレタ島には、侍女として我々が仕えているアルテミス様からの御命令で来ていた。

ただの御遣い程度なら一人だけでも派遣すればいいのに、わざわざ七人全員を呼び出して。

 

その内容は、「クレタ島のエオスに会いに行くから、なんかいい感じによろしく」とのこと。

なんでもここ最近、暁の女神エオス様が極端に夜明けを早めていらっしゃるようで、その件で

お話を伺いに行きたいとかなんとか。

 

いやいい感じって何を? といった疑問を口に出す暇もなく、我々は小鳩に姿を変化させられ、

アルテミス様の許しなく元の人型に戻ることを禁じられてクレタ島へ向かわされたのだ。

 

マイア・エレクトラ・ターユゲテ・アルキュオネ・ケライノ・ステロペの姉妹たちと共に

一路クレタ島へ赴いた我々。そこにいらっしゃるはずのエオス様にご挨拶をと島に入った

我々は、島の樹海の深部にて、とんでもない光景を目撃してしまったのです。

 

女神が人間の世話をしている。甲斐甲斐しく、さながら主人に侍る侍女たる我らのように。

 

言葉が出なかった。鳩になっているから元から言葉などでないが、それでも驚愕した。

兄に太陽神を、姉に月女神がいらっしゃる暁の女神様が、たかが人間ひとりに対して、

食事の用意から体の清めなど、何から何まで世話を焼いているのだから。

 

それから私以外の姉妹は、なんとかエオス様にアルテミス様ご来訪の一報を告げようと

機を窺っているようだけど、こちらのことなど眼中にすらないようだと報告を受けた。

この島に来てからはほとんどをあの人間と過ごし、役割を果たす時だけ空を駆ける。

神馬に跨るのでただの小鳩の我々では追いつけず、かといって島では接近できる機会が

ほとんど皆無と言っていい。八方ふさがりの状況に姉妹たちは頭を悩ませていた。

 

そんな中で私は、女神から手厚い介護を受けてなお反応を示さない男に興味を抱いていた。

 

通常、外装も美麗に設計されている女神からの恩寵を賜ることを喜ばぬ人間はいない。

まして男だ。邪なる感情、下劣なる欲情を抱き、身の程を弁えない愚行に及ぶ場合も

可能性として充分に考えられる。しかし、現在の彼にはそのような兆候は見えてこない。

 

何故だろう。あの男は何故、生きながらにして死人のような顔をしているのだろう。

どうして。あの男はどうして、この世界の全てを諦観の眼差しで見ているのだろう。

 

気になってしまう。目で追ってしまう。果たすべき役割が、使命があるのに。何故。

 

そうして男を観察し続けてはや一か月。ついに彼は、狩人である男は動き出した。

光が消え濁り澱んだ瞳に、生気が宿るのを見た。彼の活気に満ちた瞳を初めて見る。

これまで世界を昏く映していた彼の鋭い眼光に、鳩の姿でありながら身震いしてしまう。

 

立ち上がる。ああ、彼が立ち上がる。泥の塊のように沈んでいた、巌の如き肉体が。

およそ並み居る人間とは隔絶した身体美。躍動する生命力に、視線が定められる。

なんという屈強。なんという俊敏。なんという雄々しさ。彼の性能に脱帽させられた。

 

樹海を突き進む彼。恐ろしく速い。どんどん獣を狩り、道を作っていく。

待って、待って。もっと見せて。もっと見たい。見ていた。貴方を、貴方だけを。

 

原因不明の感情に振り回されるように、私は一生懸命に彼の後を追いかけていく。

そうして、日が暮れる。クレタ島に夜の帳が下りる。彼の動きがようやく止まる。

 

息も絶え絶えに汗を流す彼。苦しそうだ。辛そうだ。けど、どうしてだろう。

女神エオス様に献身を施されていた時よりも、遥かに生き生きと、満たされていて。

噤まれていた口が開き、高らかに笑い声を上げだした。心底から、解き放つように。

 

そんな彼の事を見ていると、なんだか私も嬉しくなってくるようで。

 

体温の急上昇を知覚していると、彼がなにやら草むらを手探りしだして……?

 

 

―――え?

 

 

突然。凄まじい衝撃が迸った。呼吸困難状態に陥り、思考も危険域に突入する。

何が起きたのか。分からない。彼が石を手に取ってから、それから……?

 

力なく鳩の身体で草むらに落下する。どうすることもできない。痛覚信号に苦しむ。

 

なんで、どうして。彼が、貴方が私を? ひどい。私はただ、貴方を見ていただけなのに。

私が貴方に何をしたというの。ひどい。いたい。くるしい。いたい。いたい。いたい。

 

 

――バサバサバサッ‼

 

 

羽音が聞こえる。複数。ここにはいないはずなのに、姉妹たちがいるように見える。

いや、本当にいる。現実に。六人全員、ちゃんといる。私を守るかのように囲んでいた。

 

彼に石で撃たれた私を、彼から守ってくれている。姉妹たちが、危険を顧みずに。

それが嬉しい。けれど、このままでは姉妹が危ない。くるしい。いたい。どうしたらいい。

そうしているうちに私の意識が遠のいていき、私にかけられていた術が解かれてしまう。

アルテミス様の許しを得ずに術を解くことが禁止されているが、気にかける余裕もない。

 

近付いてくる。やめて、こないで。いたい。こわい。あんなにも見ていたかった彼が

目の前にきているのに、もう見たくない。人の姿になった私は、女性的な造形をしている。

そして、彼は男だ。邪で、下劣で、醜悪な欲望に満ちた生き物だ。きっと穢される。

 

私は妖精(ニンフ)だ。人とは比べるべくもない長寿。人間など及びもつかない生命種なのに。

力で押さえつけられ、彼の欲望のままに身体も精神も汚される。他の男たちのように。

その大きく、強い掌が私に触れようとする。姉妹たちが鳩の姿で懸命に男へ抵抗しているが、

構わず手を伸ばしてきた。いやだ。いやだ。たすけて。けがされたくない。こないで。

 

 

そこで、私の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間に効く薬が、この者に効果があるか分からんが……効いてくれ!」

 

 

オリオンは自分の手や顔をやたらめったら突いてくる鳩に構うことなく、倒れ伏した

麗しい美女を介抱し出す。狩りで怪我をした時の為に、様々な効能の薬を常備していた。

これ幸いと薬を取り出し、効果が見込めるか不安を感じつつも、女性の手当てを始める。

 

胸を強く打たれたせいか、人間でいうアザのようなものができていることが確認できた。

人体を治癒する魔術や人工的な方法など知り得ないオリオンだが、狩りの教えを乞うていた

少年時代に自分の身体を検体に怪我の治し方を習得している。

 

 

(他者に行った試しなどないが……やるしかあるまい!)

 

 

懸命に。目の前の名前も知らない女性の為に、他の一切を思考せず治療を敢行する。

薬草を、薬液を、とにかく自分の経験し蓄積してきたありとあらゆる治療行為の全てを

倒れた女性に注ぎ込む。自分が愚行が招いた結果だからこそ、死なせるわけにはいかない。

 

オリオンは気付かない。必死になって見知らぬ女性の怪我を癒そうとする彼は気付かない。

あれほど彼の身体を突いていた六羽の鳩が、いつの間にか彼への攻撃を止めていたことに。

 

そうして、どれほどの時間が経過したのか。

 

 

「…………ん」

 

「おお!」

 

 

意識を失っていた女性がうっすらと目を開いて艶やかな唇から吐息を漏らす。

どうやら自分のイチかバチかの大勝負は成功したようだ。ホッと胸をなでおろした。

 

オリオンは女性を怖がらせぬよう、しばらくは女性をそのまま見守り声をかけない。

女性がハッキリと意識を回復させたのを確認してから声をかけねば、混乱させることになる。

そう思って夜の闇に包まれた樹海でオリオンは、女性を取り囲む六羽の鳩を見つめていた。

 

 

(うーむ。鳩が女性になったのを見るに、この六羽も皆……女神に準ずる者らか)

 

 

心配しているのか、女性に羽を擦り付ける仕草をする鳩に、人間味を感じるオリオン。

そこでようやく女性は彼の存在に気が付き、明らかに警戒している態度を表出させる。

 

 

「っ!」

 

「……知らぬこととはいえ、無礼を働いたことをお詫びします」

 

「えっ…?」

 

 

ところがオリオンが頭を下げつつ発した言葉を聞き、逆に困惑することになったのは女。

 

彼女からしてみれば、自分を石で撃った野蛮な男であるはず。そんな者が意識を取り戻すのを

傍らで待っていたのも驚きだが、想像だにしないほど礼節を尽くした態度に混乱しかける。

 

そんな女性の機微を察したオリオン。続けて誤解を解こうと言葉を選んで話す。

 

 

「何処やの女神と存じます。此度は我が身の不徳の致すところ。如何なる罰をも

 お受けします。尊き御身に傷を負わせた我が身を許せぬならば、御随意に……」

 

「え、え…? そ、そんなこと言われても、あの、困る…」

 

 

山の如き巨漢が、額を地につけ平伏する様を見せつけられ、再び混乱に陥る女性。

思いもよらない反応がかえってきて、これまたオリオンも頭を下げつつ首を傾げる。

 

ゆっくりと顔を上げ、女性の視線と交錯する。見目麗しい美女は仄かに顔を赤らめた。

 

 

「女神様ではない、のでしょうか。しかし、御身が鳩から人へ変わるのを……」

 

「そ、それは! あの、私が妖精(ニンフ)で、月女神アルテミス様の侍女をしていて、その…」

 

「月女神アルテミス様…となると貴女は、かのプレイアデス七姉妹の御一人?」

 

「え、あ、はい。そうです」

 

 

オリオンとまともに視線を合わせられない美女は、自らが人間でないことを明かした。

賢者に等しい知慧を獲得したる我らが狩人。目の前の女性がかの月女神の侍女としている

妖精の七姉妹だと知ると、彼女の周りにいる六羽の鳩の正体を即座に把握した。

 

 

「であれば、先程私から貴女を守ろうとしていたこちらの方々は…」

 

「は、はい。姉様たちです。今は皆、アルテミス様の御許可がないのでこの姿に」

 

「そういう事情でしたか。いや、御身に無礼を働いたことに相違なし。どうか……」

 

「あ、あの! 頭を上げてください! エオス様の恩寵厚き貴方がそんなこと!」

 

 

鳩の姿をしてこそいるが、その正体は月女神の従者たる妖精の七姉妹。

知識としてそうした者がいることを知っていたオリオンは、また頭を下げる。

それを良しとしない女性。彼女は彼女で、眼前の男が暁の女神のお気に入りであることを

知っていたので、そんな相手に恐縮といった態度を取られることが恐れ多いのである。

 

互いに頭を下げ合って、夜の暗さが増していく。

流石にこのやりとりが不毛だと感じた二人は、改めて向き合い話を続ける。

 

 

「驚きました。あまりに美しい鳥がいて、物珍しさに狩ろうと思えばまさか…」

 

「う、美しいだなんて、そんな…。私なんか、姉様たちに比べれば大したことは」

 

「ご謙遜を。淑やかな淡い白光放つ貴女の羽根は、まさしく純真無垢なる心の現れ」

 

「あぅ……や、やめてください。恥ずかしい…!」

 

「ああ、失礼。ですが、思わず『手にしたい』と考えてしまうほど、可憐でした」

 

 

朗らかに微笑みながらそう語るオリオン。彼の言葉と表情に、女性の頬が真紅に染まる。

妖精である彼女らは、人並み外れた美貌を有する。神に口説かれることも割とある。

けれどそれらのほとんどは、彼女らの女体にしか興味がなく、己の欲望のはけ口として

褒めそやすばかりだった。だが彼は、目の前の男は違う。女性はそう確信する。

 

静けさが包む夜の森で、彼女とオリオンはたわいのない話で想像以上に盛り上がった。

 

オリオンからしてみれば、人々に災厄を振りまき絶望し、そこから這い上がったばかりで

人とまた接することなど厳しいものだと思っていた。しかし、彼女は人ではない。

己の暴行を意外にも御咎めなしで許してくれた麗しい美女と話す。心が軽くなるようだ。

 

一方で女性もまた、普段はわがまままみれの月女神に仕えたり、神々に連なる子々孫々の

乳母や教師としてその生涯を見守るなど、苦労を強いられることがそれなりにあった。

けれど彼は違う。己の行いを反省し、謝罪し、傷の手当てをしてくれたほど優しいのだ。

 

半神半人の狩人と巨人の娘たる妖精はそのまま、時間を忘れて語らい合った。

 

ふと気づくと、東の空が明るみだしている。オリオンは「暁の女神エオスが夜明けを

告げようとしている」と呟くと、薬や手当ての跡で汚れた女性に声をかける。

 

 

「月女神の侍女殿。今宵は楽しかった。私はつい昨日まで己の招いた災いに耐え切れず

 死んだようになっていたからな……貴女と出会い、語らい、気が晴れました」

 

「いえ、それはこちらも同じです。それにしても、ふふ。おかしな人ね」

 

「………なにか?」

 

 

別れの言葉を告げ、エオスが戻るのを待とうとしていたオリオンは、野花のように健気に

笑う女性の言葉が耳に届き、野次る意味はないと気付きながらも思わず尋ねてしまう。

拗ねた少年のような聞き方に笑みを深めながら、女性は嬉しそうに答えた。

 

 

「だって、無防備になった私を貴方は助けた。猛る欲のままに私の身体を貪ることも

 出来たでしょうに。いえ、普通の男ならそうしていたわ。なのに、何故?」

 

「……であれば、私が普通ではなかったということでしょう」

 

「ふふふっ。拗ねないで狩人さん。ねぇ、どうして私を助けたの?」

 

「鳩が人へ変わったのだ。神獣か女神に準ずる者と考えての行いだったが……」

 

「だとしてもよ。意識なく倒れた女の身体を、貴方は肉欲のままに犯さなかった」

 

 

三度、「何故」と問う女性。どうやらオリオンをからかうだけからかう腹積もりだろう。

意地悪そうな顔を横目で見やったオリオン。どうにも悔しい彼は、一転攻勢に出る。

 

 

「おかしなのは貴女だ。その口ぶりではまるで、私に犯されたかったようですが?」

 

「………そ、そんなことは、ありません」

 

「それは残念。とはいえ私は妻と初夜すら遂げておらぬ清い身の上。女神の侍女たる

 御身を組み敷くだけの度胸などありはしません。これで、満足いただけましたか?」

 

「…………からかったのですね、ひどい人」

 

「ええ。私はひどい人ですとも。女神の侍女に石を投げたのですから」

 

「……だから、もう! それは許します! もういいんです!」

 

 

ははは、と知らず笑みがこぼれるオリオン。やはり彼は心の奥底で、こうして人との

関わり合いを渇望していたのだろう。彼は人々の暖かさをよく知っているからだ。

 

空から夜が瞬く間に消えていくのを見上げる二人。別れの時が近づいている。

オリオンが空から女性へ視線を戻すと、そこにはあの夜に見た七羽の鳩がいた。

 

 

「では、いずれどこかでまたお会いしよう。姉妹愛麗しきプレイアデスよ」

 

 

にっこりと微笑みながら言葉をかける狩人。彼の別れの挨拶を聞き入れた鳩たちは、

自らの身体に生える発光する飾り羽根を嘴で啄むと、勢いよく引き抜いてしまう。

 

七羽が目の前でそれぞれの羽根を毟るのを見たオリオンは何事かと目を剥いた。

驚きに硬直する彼に、仄かに白く輝く羽根を咥えて近づく鳩が、つぶらな瞳で見上げる。

そして嘴で咥えたその羽根を、オリオンの足元にそっと落としてまた見上げてきた。

 

 

「……もしや、この羽根を私に?」

 

 

思わず呟いたオリオンの言葉に、鳩たちは首を動かし頷く。

 

プレイアデスたちは、オリオンが他の男と明らかに違うことを理解していた。

昨夜に末妹が石で撃ち落とされ、正体を晒した時はこの男に妹を穢されると思っていた。

そうはさせないと必死に嘴で突いたり爪を食い込ませたりと抵抗をしていたのだが、

実際に男は妹で欲を満たそうとせず、逆に一心不乱に傷を癒そうと奮闘してくれていた。

 

彼女らにとって知り得ない男。そして、もっと知りたいと思わせる初めての男。

それがこのオリオンであった。彼女らは妖精としての力が込められた大切な羽根を、

傷つけたことを真摯に謝り続けた狩人に託そうと、話し合って決めていた。

 

いや、誰あろう石で胸を打たれたその末妹こそが、彼に授けようと言い出したのだ。

 

 

「微かな温もりを感じる……なんと美しいのだろう」

 

 

拾い上げた羽根に見惚れる彼の姿は、生まれて初めて宝石を目にした少女のよう。

巨木を思わせる外観とは似ても似つかない姿に七姉妹は顔を見合わせてクスクスと笑い、

そのまま日の出が見える水平線へと羽ばたく。一羽、また一羽と飛び立っていく。

 

 

「ありがとう。良いものを見られた」

 

 

オリオンの言葉を最後に聞いた、一番小さな鳩がこちらを振り向き、名残惜しそうに飛ぶ。

 

暁が染め上げる空を並んで飛んでいく鳩を見上げ、オリオンは満面の笑みを浮かべ語る。

 

 

「なんとも鮮やかなり。その姉妹愛こそ、俺が見た最も美しいものだ」

 

 

その手に淡く輝く七色の羽根を握り、オリオンは命の息吹を新たに実感した。

 

 

「さようなら、プレイアデス。さようなら、可憐にして無垢なる人」

 

 

これこそが、オリオンの伝説を彩る一幕にして、彼を人たらしめる一助となった話。

絶望の奥底に自らを投じようとしていた狩人を、月が落とした七色の羽根が救う伝承。

 

後の世で【プレイアデスの献身】として記された、狩人オリオン復活にまつわる出来事だ。

 

この時、七姉妹がオリオンにどのような感情を抱いていたのか。

 

それを正確に記したる文献は存在しない。後世で脚色された恋愛譚のうちのいずれかには、

七姉妹全員がオリオンに恋をして、彼からの愛を勝ち取るために贈り物をしたとある。

 

しかし、それが事実であるかどうかは、誰にも確かめようがない。

 

なお、オリオンが石で撃ち落とされたとされるこの七姉妹の末妹。

 

彼女の名が「メロペー」であったことをオリオンは果たして知っていたのか。

 

それを知る術もまた、今となってはどこにもありはしない。

 

 

 

 

 

 









いかがだったでしょうか。


あと前書きに書き忘れていましたが、
前回の話でオリオンが向かっていた島が
「クレタ島」になっていましたね。

正確には「キオス島」です。
誤字・誤植報告、誠にありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。


ご意見ご感想、並びに批評や質問などお気軽にどうぞ!


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放尿する者、運命と出逢う

どうも皆様、萃夢想天です。

今年の夏、いかがお過ごしでしょうか。
熱中症や未だ猛威を振るうコロナ禍など
未曽有の危機に晒されている現在。
どうか読者の皆様もお気を付けください。

さて、ようやく、ようやくです。
この作品、ひいてはオリオンの物語における
ヒロインを登場させられます!


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

「―――島を出ていく!? どうしてっ!?」

 

 

その日、クレタ島に激震が走った。

 

狩人がキオス島にて絶望を見た日から、既に四か月の時が経過していた。

この内の三か月はキオス島からクレタ島までの移動期間であるが、それでもそこから一か月程度もクレタ島にオリオンは滞在していたことが分かる。理由は言うまでもない。

 

夜明けを告げる暁の女神エオス。彼女が、オリオンを縛り付けていたからだ。

物理的にではなく、絶望に沈んで廃人になりかけていた狩人を自分の庇護のもとに置き続けていた結果としてそうなっていた。その状況を彼女は何より喜んだのだが。

 

とは言え、女神エオスの天をひっくり返すような悲鳴にも、理由があった。

 

 

「どうしてそんなことを言うんだいオリオン‼ お前はずっと此処に居ればいいじゃないか! 不満なんて無いだろ? お前の望む全てを与える! お前はそれを享受すればいい!」

 

 

女神エオスは、過去の悲劇によって神たる身でありながら、人しか愛せない欠陥を抱えている。 だからだろうか。絶世の美貌と屈強な肉体を持つオリオンに恋慕の情を抱くのは必然であった。

 

しかしそれはエオスの事情。意中の男をどこにも行かせたくないという独占欲に塗れた願望でしかない。オリオンにとってエオスの一方的な加護は、ありがたいと思うことこそすれ、必要であるとはついぞ考えられなかったのである。

 

 

「暁の女神エオス。貴女の慈悲により生かされたこの命ではありますが、されど我が身には成さねばならぬことがあることを思い出しました。そしてその行いは、この島にて貴女に護られていては果たせぬもの。故、ここに別れを告げさせていただくことを御許しください」

 

「ま、待って。待ってくれよオリオン……アタイ、何でもするから! お前の為だったらアタイの全てを差し出してもいい! アタイを好きにしていいから! だからお願い……行かないで」

 

 

本当に感謝している。けれど行かなきゃならない。この島に来た時とは別人のように澄んだ瞳で女神を見つめ訴える狩人。どうあっても折れない決意を語ったオリオンに、エオスは泣いて縋る。

 

エオスは権能こそ持たぬ身であるが神の一柱という自覚も誇りもある。そんな彼女が狩人を引き留めるためとはいえ、「自分の全てを捧げる」とまで口にした。これがどれほど異常なことか。

それを正しい意味で危惧する者は一人としていない。この島には狩人と女神しかいないのだから。

 

眼からぼろぼろと涙を零して泣き伏せる女神。その様子に心を痛めるオリオンだったが、

それでも真に目が覚めた今のオリオンは、自身の目的に背を向けることは出来なかった。

 

 

「暁の女神よ。貴女が我が身に授けた比類なき慈悲を、決して忘れはしません。海神ポセイドンが実子オリオン、この島より出で悲願を果たした暁には、貴女様の御名を広く世に刻むべく神殿の建立を約束致します。ギリシャの空を照らす暁よ、我が成す行いを見守りたまえ……」

 

「い、いや……いやだよ。まって、まってオリオン! いかないで! いや、いやだぁ‼」

 

 

見目麗しい美女が、その美貌を悲嘆と絶望によって歪める。それでも狩人は自らを呼び止める女神から彼方の夜空へ視線を移す。彼の心はとっくに、強固に、定まっていた。

 

オリオンは内心、エオスに引き止められると予想していた。何故か自分をいたく気に入っているらしいことも、絶望の渦中で泥のように沈んでいた自分を献身的に介抱していたことから想像がついている。だから彼は出立の話を夜明け前、エオスが役割を果たす時間に切り出したのだ。

 

自らの存在意義ともいうべき役割を放棄できない女神にとっては、夜明けを告げるべくクレタ島を発たなくてはならないこのわずかな時こそ、オリオンから目を離さなければならない苦渋の時である。それをオリオンは逆手に取った。

 

 

「此度の御恩、生涯忘れず。暁の女神エオスに、より一層の信仰を捧げまする」

 

「なんで! どうして! 行くなオリオン! アタイと永遠に此処に居ろ!」

 

「……それは出来ない。我が身には咎があり、これを雪がねばならないと己に誓った」

 

「知るかそんなこと! お前はずっとアタイと一緒に居るんだ! お前と一緒に居たいんだ!」

 

「…それも出来ない。我が身には妻がいる。冥府と常世の隔たりこそあれど、契りは変わらず」

 

 

女神に縋りつかれ、号泣されながら引き止められる。ただの一介の狩人でしかない自分には過ぎた誉れだと心の内に留める。必死の懇願を捨ておくのは心苦しく感じられるが、今のオリオンにとって一番重要なのは、女神に従うことに非ず。自分の招いた災厄の後始末をすることだ。

 

暁の女神エオスが自分をここまで引き留めようとする理由に皆目見当がついていないオリオンは、無情にもエオスに頭を下げ、感謝の言葉と共に島を去ろうとする。

 

 

「ありがとう、女神エオス。貴女のおかげで我が身は救われた。この眼を二度も覚まさせてくれた。そして命を長らえさせてくれた。島を出る前にこの感謝だけは告げておきたかった」

 

 

そう。これが、エオスの目を盗んで盗人同然に島から夜逃げしなかった理由。どこまでもクソ真面目で堅物なオリオンは、命を救ってくれた恩人に礼の一つもなく立ち去るような無礼を働きたくなかったのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であると信じて疑わない狩人は。

 

およそエオスにとって、最悪の言葉で彼女との関係を終わらせようとする。

 

 

「次の日の出と共に、私は出ます。御身が夜空を煌々と照らす刻を見届けてから」

 

「っ…!」

 

 

それは、エオスの首を真綿で絞めるような一言。狩人と別れたくない女神に、この島を一時とはいえ離れなければならない理由を思い出させる言葉。神としての役割を果たせという存在意義(のろい)

 

嫌だ、とエオスの感情(システムエラー)は叫ぶ。

 

務めを果たせ、と女神の根幹部分は結論を出す。

 

相反する命令にエオス自身がパニック状態に陥りかける。

 

使命を果たすだけの存在(かみ)でいられたら、こんな痛苦を味わうこともなかったのに。

命令を実行するだけの機械(かみ)でいられたら、こんな悲嘆に苛まれることもなかったのに。

 

それでもエオスは、女神は、彼を愛さずにはいられなかった。

 

 

「さぁ、エオス様。どうか愚かにして矮小なこの狩人めの出立を、日の出にて見送ってはくださらぬか。貴女の加護がこの身にあると思うだけで、きっと心折れず、成すべきを為せる」

 

「あ、あぁ……」

 

「だから、ギリシャの空に朝を告げられよ。貴女が我が眼を覚ましたように、ギリシャの世にも目覚めを与えたまえ。我が身のみならず、このギリシャに生きる全てが貴女を待っている」

 

 

女神エオスは狩人オリオンを愛している。彼は自らの役割を軽んじないから。

女神エオスは狩人オリオンを愛している。彼は自らの寵愛を受け止めるから。

女神エオスは狩人オリオンを愛している。彼は誰より女神たる己を敬うから。

 

行かねば。今日も世界に朝を告げる役割を果たさねば。

行きたくない。行けば最愛の男を手中から取りこぼしてしまう。

 

行かねば。愛する男が、最も己の役割を理解してくれる男が、待ってくれている。

行きたくない。顔も知らない有象無象など無視して、ただ愛する男と在りたい。

 

 

「ぅ、あ、あぁ……」

 

 

女神たるエオスには理解できない。それが人間の恋という感情に起因する情動であると。

 

そして、オリオンもまた理解できない。神と人とを明確に線引きする彼には分からない。

 

目の前にいる暁の女神が、一人の男として自分を見ていることを。

 

 

クレタ島にて、沈黙する二人の男女。狩人オリオンと女神エオス。

片や、罪滅ぼしと長年の疑問への答えを得るべく、旅に出ようとする男。

方や、ただ自らの内に湧き出る思いに振り回され、正常な判断ができない女。

 

この両者によるすれ違いは永遠に続くのではないかと思われた、まさにその時。

 

 

「あ~~~~~~!! 見つけたぁ~~~~~!!」

 

 

遠く空の彼方。夜の暗黒の中でひときわ輝く満月から、(つんざ)く声が響く。

その声はどんどんと近付いてくるようで、オリオンとエオスは空を仰ぐ。

 

そして、声の正体が女神と狩人の間に割って入るようにして現れる。

 

 

「あなたがオリオンとかっていう不届き者ね!? 覚悟なさい‼」

 

 

甲高い女の声。空から降ってくるという非常識。結論に至るまでの導火線(しこう)の短さ。

此処までの条件が揃えば、いきなり乱入してきた人物が何者かなど考慮に値しない。

 

 

「この月女神アルテミスが、月に代わってお仕置きしちゃうんだから!」

 

 

彼女もまた、女神である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古代ギリシャに伝承されし、オリュンポス十二神の一柱。

 

大神ゼウスの子として生まれ、純潔と狩猟、後に月の権能を授かる麗しの女神。

 

それこそが彼女―――月女神【アルテミス】だ。

 

 

主神ゼウスと前時代の支配者ティターン族のレトの間にアルテミスは誕生した。

 

後に太陽の権能を得る太陽神アポロンと兄妹というのは、誰もが知るところだ。

実は生まれた順番はアルテミスの方が先なのだが、彼女が後にゼウスから処女神の保証を授かることにより、半永久的な少女性が神格に付与され、逆にアポロンは大人の姿に成長してしまう。

これにより、ギリシャの人々は幼い姿から変化しないアルテミスを妹と認識することとなる。

 

人々の信仰や認識が神々に少なくない影響を及ぼすのは、もはや周知の事実。

このことから、アルテミスはアポロンの妹という認識的事実が世界に刻まれるのだった。

 

さて、そんなアルテミスだが、彼女は父にして主神のゼウスから大層可愛がられていた。

それはもう滅茶苦茶な甘やかされ具合で、彼女が伝説上に記された持ち物などのほとんどが父から授かったものというほど。その子煩悩さをもっと他の嫡子にも発揮してもろて(切実)。

 

神として誕生してから甘々に甘やかされた超イージーモードで生きてきたアルテミス。

彼女は処女神として大神が保護しているからか、御供として大勢の妖精(ニンフ)を従えている。

そしてその内に、プレイアデス七姉妹と呼ばれる美しいニンフの姉妹がいたのだが。

 

 

ある日の事。

 

ギリシャの夜明けが日に日に早まるという異常事態を受け、暁の女神エオスから夜の時間を担当するアルテミスに事情を聴くようにと、兄である太陽神アポロンが何故か首を突っ込んできた。

 

ちょうど暇を持て余していたアルテミスはこれを承諾。ニンフのなかでも特別目をかけていた七姉妹を呼び出し、その美しさを男たちから標的にされないよう鳩の姿に変身するよう命じ、エオスが働くオケアノスの水平線に最も近いクレタ島へ赴くよう伝えた。

 

ここまではいい。実際、プレイアデス七姉妹は自分の命令を守り、エオスと話し合いの席を設けられるよう計らってきたのだから。問題は、戻ってきたニンフたちの様子がおかしかったことだ。

 

鳩の姿になったプレイアデス七姉妹は、一羽一羽が見事な色合いの飾り羽を有する。そんな彼女らが役目を終え戻ってきたら、なんと七羽全員の身体から飾り羽が消えているではないか。

これに驚いたアルテミスが「なにかあったの!?」と尋ねると、七姉妹の末妹メロペーが事の顛末を語った。

 

曰く――エオスが気に入ってる男に石を投げられ気絶したが、介抱してくれたのでその礼に羽を授けたとのこと。

 

だが、自分のニンフを大事に思っているアルテミス。末妹の話の前半部分を耳にした時点で頭に血が上り、後半のめでたし部分をすっ飛ばして怒りが爆発。怒号と共に神殿を飛び出した。

 

 

「よくも私の可愛いニンフに石を投げてくれたわね! 絶対許さないんだから!」

 

 

流石は甘やかされスイーツ系。人の話は最後まで聞かないし、聞いたとしても都合のいいように解釈するのでどのみちオリオンに逃げ道などない。哀れオリオン。もうホントいと哀れ。

 

ぷりぷりぷんぷん。頬を膨らませて「怒ってるよ!」感を顔で表現しながら空を移動するアルテミスは、自分がオリオンという男の顔や姿をまるで知らないことに気付く。しかし、七姉妹の話からすればオリオンとかいう狩人は姉妹たちの飾り羽を持ち、さらに都合がいいことに話をつける相手であるエオスのお気に入り。ならばクレタ島にいるはずだという結論に落ち着き、彼女は猛スピードでクレタ島へ向かった。

 

 

「あ~~~~~~!! 見つけたぁ~~~~~!!」

 

 

大声で怒鳴りながら、アルテミスはクレタ島へ降り立とうとする。島に住む人間一人ひとりから七枚の飾り羽を持つ男を探す必要が省けた、と内心で喜びながら器用に起こりつつ着地。

時刻は夜明け前。エオスが島を出ていないどころか男にしがみついて泣き縋っている様を見て気にはなったが、エオスが抱きつくこの男こそ七姉妹を甚振った諸悪の根源だと見抜けた。

 

人と対話する際に用いる姿に変身し、怒りを露わにしながら勢いそのままに捲し立てる。

 

 

「あなたがオリオンとかっていう不届き者ね!? 覚悟なさい‼」

 

 

何故オリオンが不届き者なのか。いったい何について覚悟しなければならないのか。

そういった諸々の事情を自己完結させて一方的に告げるあたりが、流石はギリシャの神格。およそ人の話を聞かないし、人に話を聞かせない。もう無茶苦茶やコイツら。

 

 

「この月女神アルテミスが、月に代わってお仕置きしちゃうんだから!」

 

 

高圧的に、絶対的にアルテミスの言葉が下される。神罰が決定事項であるとするアルテミスの発言だったが、しかしそれを向けられている狩人の反応は皆無だった。

 

いや、正確には違う。オリオンは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「――――――」

 

 

口を開いているにも関わらず、言葉が出てこない。

眼を見開き、空の彼方より訪れた女神を見上げるばかり。

 

巌の如き巨躯が、ピクリとも動かない。静止したまま月女神を見つめる。

 

これに目敏く気付いたのは、今も狩人の腰に泣き縋っている暁の女神だった。

自分がどれだけ言葉をかけても意思を曲げなかった男が、いきなり現れた女神の宣告に動揺しているのか。そんな考えは、狩人の顔を覗き込んだ瞬間に露と消えた。

 

 

「……おり、おん?」

 

 

この時、暁の女神エオスは、理解した。

 

自分が、オリオンという男に「女」として見られていなかった事を。

自分が、オリオンという男の「女」への不理解を知らなかった事を。

 

そして、今まさに目の前で。

 

オリオンという一人の男が、人生で初めて、『恋』を経験している事を。

 

 

「あ、あぁ………ぁ」

 

 

そして、エオスの瞳から涙は止まり、光は失われた。

 

これ以降。暁の女神が三ツ星の狩人と関わることはなく、女神はただ自らの役割に従順な女神へと戻っていった。後世からは失恋から立ち直った結果とも、失恋を忘れるための逃避とも考えられていた。だが、真実を知る者は誰もいない。

 

こうして暁の女神エオスは、悶えるような恋の炎を完全に消し去り、己に定められた役割を果たす機構(めがみ)となった。そして、彼女の名がギリシャ神話に新たに刻まれることも無くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、ちょっと! 聞いてるの!? 雛鳥みたいに口を開けたままボーっとしないでよ!」

 

 

狩人オリオン。彼は海神ポセイドンの子として生まれ、今日まで生きてきた。

 

その絶世の美貌は老若男女問わず視線を引き寄せ釘付けにし、特に年頃の女は皆が皆、虜になるほどであった。オリオンという男の周囲には、常に色恋の眼差しが飛び交っていた。

 

であれば彼もまた恋多き男であったかと問われれば、()()()()()()()

 

彼の物語を一から目撃してきた諸君。思い出してみてほしい。オリオンは女性の心を射止めてきた事実こそあれ、彼自身が心を焦がすほどの情熱に浮かされたことがあっただろうか。

 

そう、ない。なかったのだ。オリオンという男は、『恋』を知らない。

 

恋心を向けられることは多々あった。恋慕の情を捧げられることも数知れず。愛欲で以って女から関わってきたことも少なくない。されど、彼自身がそうであったことは無いのだ。

 

狩人オリオン。彼は、彼自身は、自らを焼き焦がすほどの『恋』を患ったことがない。

 

だから彼には分からない。経験がないのだから、知る由もない。

 

美しきシーデーが何故傲慢の罪に身を滅ぼしたのか。彼には分からない。

長年想い続けてきた念願の相手と結ばれる事の、なんと喜ばしい事か。

 

狂姫メロペーが何故邪淫の罪に身を蝕まれたのか。彼には分からない。

自分の為に常識を覆す男の全てを手にする事の、なんと清々しい事か。

 

暁の女神エオスが何故愛玩の罪に身を捧げたのか。彼には分からない。

誰より己を信じてくれる者が永遠に傍にいる事の、なんと幸せな事か。

 

偏に、恋が生じたからこそ。心を燃やし尽くさん勢いの炎を胸の内に抱いたからこそ、女たちはオリオンという男に惹かれたのだ。それが分からぬのは、オリオンのみ。

 

これまでそのような衝動を経験した事のない、狩人だけだった。

 

だが、だがしかし。

 

これも運命の悪戯か。あるいは、必然の祝福なのか。

 

 

「―――しい」

 

「え? 何か言った?」

 

 

この日、この時。

 

海神ポセイドンが嫡子にして無双の狩人たるオリオンは。

 

 

「―――うつくしい」

 

 

生まれて初めて、『恋』を知った。

 

 

 







いかがだったでしょうか。

少々短めですが、御許しを。

投稿が遅くなっている間に
FGOも色々な事が起こりましたね…。

5周年、大奥復刻、CCCコラボ常設、
さらには2020水着イベント……。

これからますます盛り上がるfate作品、
私も力を入れて取り組みますので、
どうぞよろしくお願いします!




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そして、夜が来たる…アルテミスとの邂逅

どうも皆様、お久しぶりの萃夢想天です。

この作品と並行して書いているオリ異聞帯作品を
進めたりしながら話の構成をちょこちょこ変えて
いたら、こんなに間が空いてしまいました。

さて、いよいよメインヒロインさんの登場によって
物語が大きく動き出すことになるでしょう。

どうか最後までお付き合いくださいませ。


それでは、どうぞ!






 

 

 

 

「うつくしい……」

 

 

思わず呟いてしまうオリオン。言葉にせずにはいられなかった。

 

狩人オリオンは夜空を仰ぐ。そこに、彼の心を奪う存在がいる。

 

 

「……? なに? さっきからジロジロ見て?」

 

 

肌で感じられるほど濃密な神聖なる気配を放つ、美しく麗しい女性。

先程彼女自身が名乗ったことから、女神であることに疑いの余地はない。

 

オリオンは困惑していた。自らの鼓動の音が不自然に早まるのを自覚したからだ。

 

他にも体温が急上昇し、喉奥がカラカラと渇き、視線が一点に絞られる。

どれも未体験のことばかり。どうしたらいいのか分からないでいた。

 

 

「あ、いえ……その、あ……」

 

 

結果、主神に愛されし月女神の不機嫌そうな問いにもうまく答えられない。

神の理不尽を嘆きながらも決して恨まず憎まない、清廉潔白にして敬虔な彼らしくない

態度を取ってしまう。しどろもどろな口調に、直視せず右往左往する瞳が彼の内面を

言葉にせずとも物語っていると言えよう。

 

この私が聞いているのに答えないとは何事か。そう考えるアルテミスは声を荒げる。

 

 

「だいたい、いつまでそうして突っ立ってるつもりなの? それに小声でブツブツと

 ワケ分かんないったら! 喋るんならもっとハキハキと喋りなさいよ!」

 

「えっ…? あ、はいっ…!」

 

 

自身が司る月の明かりを背に受けながら、アルテミスはオリオンを叱咤する。

幼さが際立つ甲高い声と指さしに我を取り戻した狩人は、今の今まで自分が茫然としつつ

棒立ちになっていたことに気付き、遅きに喫したが慌てて片膝をついて頭を下げた。

 

神を前にした人間としてあるべき姿勢を見て平常心に戻ったアルテミスは、誇らしげに胸を張る。

 

 

「ふふん! そうそう、それでいいのよ!」

 

 

怒ったり喜んだり、本当に目の前にいるのが人知を超越せし神の一柱なのだろうか。

人間以上に人間らしい様をみせるアルテミスに、遅れて頭を垂れたオリオンは困惑する。

 

満足げに腕を組んでしきりに頷く月女神だったが、ここであることに気付く。

 

 

「……あれ? あたしったらどうしてクレタ島まで来たんだっけ?」

 

 

ガクリ、と跪きながら肩を落とすオリオン。立っていたら転倒は確実だった。

嘘だろと思いたくもなるが、この女神なんとここにやってきた理由を忘却したらしい。

うんうんと唸りながら思い出そうと頭を捻る女神に、狩人は片膝をついたまま口を開く。

 

 

「いと尊き月女神アルテミス様。貴女様は先程、我が身を罰する為にやってこられたと」

 

「ん? そーだっけ? でもホントはエオスに用があったような…そうじゃないような」

 

「エオス様に?」

 

 

今度はオリオンが頭を捻る番だった。

 

先程、唐突に現れた月女神は確かに、オリオンを罰するべくやって来たと口にしていた。

だが次は、オリオンが世話になった暁の女神エオスに何かしらの要件があったという。

では先の口上はいったい何だったのか。思考を巡らすオリオンをよそにアルテミスが叫ぶ。

 

 

「あーー! エオスいないじゃない! 空も明るくなってきてるし! んもーー!」

 

「あ、アルテミス様…?」

 

「もう、バカバカバカ! アンタのせいだからね!」

 

 

理不尽ここに極まれり。何もしていないのに自分のせいにされるとは。

 

神を敬い尊ぶオリオンだが、流石に目の前の女性が本当に女神なのか疑い出す。

空の彼方からやって来たところは目視していたが、その後の言動に一貫性が見られない。

 

彼の知る神とは、良くも悪くも一本気が通っている。悪く言えば融通が利かない。

一度「こうだ」と言えばその通りに事を起こす。結果がどうなろうとお構いなしにだ。

その鋼鉄の如き精神性を理解している狩人だからこそ、アルテミスの様子に混乱したのだ。

 

あまりに自由奔放が過ぎる、と。

 

 

「はぁぁ……もういいわ。用事も忘れちゃったし、エオスもいないし。もう帰る」

 

「あ、あの? 月女神アルテミス様?」

 

「うるさーーい! 帰るったら帰るの! じゃあね!」

 

 

取り付く島もないとはまさにこの事。

好き放題言い散らかして、アルテミスは白みだした東の空に背を向けて飛び去った。

 

独り取り残されたオリオンは、ただ茫然と片膝をついたまま空を見上げ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あくる日の夜。

 

 

結局、オリオンはクレタ島を出立することを止めて留まることにした。

 

身体的な問題があったというわけではない。暁の女神エオスの要求を呑んだわけでもない。

むしろかの女神とまた話したいと考えていたのだが、彼女は島に戻っては来なかった。

悲劇的な事実に膝を屈し、泥のように絶望していた時とは違い、今は目的を確立している。

進むべき道を見出した以上、ひた走るのみである。けれど狩人の足は島から踏み出せない。

 

彼自身の意志ではない。あくまで無意識に、彼は待っていた。

 

何を? 無論。昨夜に出会った、あの麗しい女神をだ。

 

 

「…………はぁ」

 

 

オリオンは思い出す。満天の星空の中に浮かぶ、淡い月明かりのような白磁の女神を。

そしてまた、堪えきれずに息を吐く。島の端から一歩も動かず、これを繰り返していた。

 

月女神アルテミス。主神ゼウスが子にして、太陽を司る神アポロンと兄妹の関係を持つ。

オリュンポス十二神に数えられる特級の神格。そんな存在が突如として眼前に降り立つ。

あまりに現実味がない出来事に出くわしたからか、物事を冷静に考えることが出来ない。

ふわふわと思考が遅滞し、肉体の動作は鈍化する。朝から晩まで彼女の事を思い浮かべる。

 

そしてまた、狩人は砂浜で独り息を吐いた。

 

 

「はぁ……いったい何をしてるんだ俺は」

 

 

オリオンは自らの旅に課した誓いがあるはずだ、と己を鼓舞する。

 

そうだ。己は、妻が何故冥府へ幽閉されねばならなかったのか、探求せねばならない。

美しいということは、それだけで罪足り得るのか否か。確かめなければいけないのだ。

加えて新たに課した義務がある。我が父ポセイドンがキオス島の民草に振り撒いた厄災を

どうにかして解かなければ。永遠に暗闇に閉ざされて生きることを強いられた無辜の民を

思えば、こんなところで油を売っている場合ではない。頭では正しく理解できている。

 

だというのに、一向に足が進まない。まるで、誰かを待っているかのように。

 

 

「…馬鹿げている。俺には使命があるのだ。生涯をかけて成し得ねばならぬ使命が」

 

 

珍しく、オリオンは悪態を吐く。常に清廉潔白で自他へ誠実な、彼らしからぬ言動だ。

これは生来の気質であり、育ったボイオティアの環境と彼を取り巻く人々の影響もまた

大きかった。王族の子として生まれながらも愛されず、捨てられた過去こそあったが、

彼の性格が曲がらず折れず腐ることなく真っ直ぐになれたのも、縁に恵まれたからだ。

 

しかし今、彼の心は重く沈んでいる最中。理由は皆目見当もつかぬときた。

 

ざざん、と波が押しては引いてゆく様子をぼんやりと眺め、時だけが過ぎてゆく。

そうしてふと、何気なく空を見上げる。昨日と変わらぬ満天の星空と、少しだけ欠けた月。

 

狩人は無心で手を伸ばす。淡く青白い光を放つ、神々の領域に浮かぶ夜空の象徴に。

 

 

「なにしてるの?」

 

 

突然、背後から声をかけられる。

慌てて振り向いたオリオンは、声の主を目視した途端に心臓が飛び跳ねる錯覚を覚えた。

 

 

「おわぁっ!? あ、ああ、アルテミス様…!?」

 

「そだよー。月女神のアルテミスちゃんここに参上! で、なにしてたの?」

 

「いや、特に理由などはなく、あの…」

 

「???」

 

 

また、まただ。オリオンは早鐘のように波打つ己の鼓動に、何故と首を傾げる。

月女神アルテミス。昨夜に出会ったばかりだが、その姿は鮮明に記憶に刻まれていた。

寸分違わぬ出で立ちに本人であると判断したオリオン。けれどその口調は安定しない。

 

普段の力のこもった堂々たる物言いは鳴りを潜め、しどろもどろに口を開いては閉ざす。

自分でも何をしているのか分からないまま、またしても押し黙って俯いてしまった。

 

態度が急変するオリオンの様子を見ていたアルテミスは、顔を近付け再度尋ねる。

 

 

「ねー、ねー? どうして空に手を伸ばしてたの?」

 

「お、お戯れを……我が身の行動など歯牙にかける必要もありませぬ」

 

「ふぅん。まぁいっか」

 

 

興味を失ったのか納得したのか、アルテミスは追及を止めて顔を離す。

人の領域を超えた美貌に迫られて顔を赤くしていたが、自覚は無いオリオン。

既に狩人の身体は自分の意志を介さずに片膝をつく姿勢に移行している。

神を敬う姿勢を整えているオリオンに、アルテミスはわずかに興味を抱いた。

 

昨夜とは打って変わってジロジロと狩人の姿を見つめる月女神。

当然、彼女の視線に気づかないオリオンではない。けれど咎められるはずもない。

バクンバクンと血流を加速させる鼓動を感じながら、オリオンはじっと耐えた。

 

どれだけ無言の時間が流れただろうか。だが、またしても唐突に沈黙は破られる。

 

 

「って、あーーー! なんかぼんやり光ってるって思ったらやっぱりソレ!」

 

「ん?」

 

「服の下に隠しても無駄なんだから! あの子たちの輝く飾り羽!」

 

「あ、ああ。これは貴女様の侍女たるプレイアデス七姉妹から頂いたもので」

 

「そんなわけないでしょ! 私の神殿から出る時には鳩になるよう命じて…あれ?

 まさか、あんたがオリオン? あの子たちが話してたエオスのお気に入りの?」

 

 

オリオンを指さし、アルテミスは急に憤慨して掴みかかろうとしてきた。

膝をついた姿勢のまま、一昨日の夜に譲り受けたものだと主張したオリオンの言葉を

聞いていたかどうか。アルテミスはここにきて目の前の狩人をようやく認識した。

 

オリオンとしてもまた、眼前の女神の口から自分の名が出てきたことに驚いていいやら

喜んでいいやら分からず、悶々とした感情を胸のうちに抱くばかり。

そんな狩人の様子など露ほども気にかけないまま、アルテミスはつらつらと話し続ける。

 

 

「ってことは……その羽根をあの子たちがオリオンという狩人に譲り渡したという話も

 本当だったのね。最初は石を投げられたって聞いてたけど、その後は傷を治すのに

 尽力してくれたらしいし…。でもでも、わたしのかわいいニンフたちを……うぅん」

 

 

納得したように頷いたかと思えば、爪を噛みながらきぃきぃと憤慨してみせたり。

いちいち情緒の変動が激しいアルテミスに、傅いたままのオリオンは戦々恐々としていた。

 

神の下す如何なる命令・罰則にも、ギリシャの民は従わねばならない。暗黙の了解だ。

大いなる存在である神から下された意思は、恩恵を授けもするし厄災を招きもする。

オリオンの知る神は、いずれも厳格にして荘厳。超常存在としての風格を伴っていた。

けれどアルテミスはいささか異なるようだと自分の中で認識している。

 

 

(人間と変わらぬ心情の動き……それこそ気分で厄災を招かれかねない)

 

 

癇癪でも起こされたらどうなるか。神の気まぐれで身を滅ぼされるなど勘弁願いたい。

オリオンはただ黙して伏し、恐ろしい嵐が立ち去るのを待つように無言を貫いた。

 

ざぷざぷ、と波が砂浜に押し寄せる音だけがこだまする。

 

あーでもないこーでもないと唸っていた月女神が、ようやく結論を出したようだ。

頭を押さえていた手を放し、豊満な肢体を躍らせるように動かし、狩人の正面に立つ。

 

 

「んー、やっぱりわたしのかわいいニンフをいじめたのに、何にも御咎めが無いんじゃ

 女神としての沽券に関わるのよね。でも、あの子たちのお願いを無碍にも出来ないし」

 

「………如何なる沙汰も、謹んで受けます」

 

「あらそう? それじゃ、こーいうのはどう?」

 

 

巌のような巨躯を縮めている狩人の頬に両手を添え、自身を見上げるよう誘導する月女神。

白銀の長髪を浜辺になびく風に踊らせる美しい彼女を見つめたオリオンは、視線を逸らせば

いいやら一心に見つめていいやら分からず、焦点を定めずに右往左往させるばかり。

 

不敬だ不遜だのと誹りを受けるかもしれない、などと考えられるほどの精神的余裕は今の

オリオンには存在しない。彼はただ、目の前に中腰で立ち両手で自らの頬へ触れている絶世の

美女のことしか頭にない。熱に浮かされたような呆けた表情のまま、ゴクリと生唾を呑む。

 

そして、アルテミスの瑞々しい唇から、女神の言葉が放たれる。

 

 

「わたしと、狩りで勝負しない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を駆け、現代。

 

オリオンという狩人の伝説において、月女神アルテミスとの出逢いを経て以降は、

人間との交流がほとんど記されていない。文献によっては全く人と出会うことがない。

それはいったい何故なのか。その答えは、後世にも伝わる彼の伝説にある一幕にあった。

 

狩人オリオンは月女神アルテミスと出逢い、その美貌に心奪われ心酔した。

彼は女神の心を射止める為に、ありとあらゆる勝負を女神に持ち掛け続けた。

 

ある時は知を以って神を御し得ると嘯き、賢人ですら舌を巻くような叡智を伝えた。

ある時は文明を以って神に迫ると豪語し、職人も唸るほど精細な髪飾りを造り与えた。

等々、文献によって内容は異なるものの、狩人オリオンはアルテミスの気を引くことに

必死になっていたことだけは同じように記されている。真実かどうかはさておいて、だが。

 

そしてついに、オリオンの人生を、その後の伝説の幕開けを決定づける日が訪れる。

 

 

時を遡り、ギリシャの神代。

 

 

ギリシャの最東端に位置するクレタ島から、さほど離れてはいない場所に浮かぶ小島。

人が住むには適していない環境に、猛獣魔獣が暮らす巣窟。名前すらこの時代では

つけられていない無名の小島で、一人の狩人と一機(ひとり)の女神がいた。

 

狩人の名は、オリオン。海神ポセイドンを父とする、剛力無双を誇る半神半人。

女神の名は、アルテミス。大神ゼウスを父とする、月と狩猟を司りし夜空の神。

 

二人は何者も介在する余地のないこの世界の片隅で、日々を面白おかしく過ごしていた。

今日もまた日の高いうちから、オリオンとアルテミスは狩りの腕前を競っていた。

 

 

「あっははははは! オリオンすごーい! 負けないんだから!」

 

「ぬぅっ…! 流石は狩りを人に伝授したとされし女神、なんという腕だ…!」

 

 

無邪気な幼子のような笑い声をあげながら神鉄で鍛えられし弓矢を放つアルテミスに、

自らが引きちぎった青銅に神鉄を混ぜ合わせた合金で鍛造された強弓を引き絞るオリオン。

 

朗らかに笑いつつ適当に矢を番え、引き、放つだけで次々と獲物を仕留めていく女神に対し、

額に汗を滲ませ顔をやや強張らせて獲物を追いかけ穿ち抜く狩人は、改めて彼我の差を知る。

 

なにせ、相手は狩猟を司る女神だ。こと狩りという行いにおいて勝てる見込みはない。

それでも、オリオンは懸命に強弓と棍棒を使い狩りをしてみせる。

 

 

「今日は大鷲を10羽、先に狩った方の勝ちよ! わたしはあと4……3羽!」

 

「なんであらぬ方向を見ながら放った矢が当たるんだ…!? これも権能とやらか、えぇい‼」

 

「あははは! 頑張れオリオン! はぁい、あと2羽~!」

 

「ぐぅぅ! まだ、まだだ! まだ負けてはいない! まだぁっ‼」

 

 

アルテミスは白銀の弓に神鉄の矢を番え、放つだけ。すると矢が生きているかのように

獲物を追いかけていき、空を舞っていた大鷲の頭部を凄まじい勢いで貫いていく。

暁の女神エオスとその兄たる太陽神ヘリオスの光によって回復した彼の眼は、超常的な視力を

与えたようで、遥か空の彼方で撃ち落とされていく獲物の姿がハッキリと見てとれていた。

 

このままでは負ける。なんとしても勝たなくては。

 

元来、オリオンという男は物事の勝敗にさほど執着しない人間であった。

彼は出自の事情故か、やろうと思えば大抵のことは不自由なくこなせるし、狩りに至っては

ギリシャに遍在するあらゆる狩人を超えるものであるという確固たる自信を胸に秘めていた。

 

傲慢ではなく、自尊心でもない。ただ、「そうだろうな」という直感に等しい思い。

己を超えうる人間などいないだろうという、正しく半神半人として人を凌駕する性能差を

把握できていたからである。そんな彼だからこそ、他者と競うことの喜びに気付かなかった。

 

それが今ではどうか。

 

 

「あらぁ~? どうしたのかしら? ペース落ちてるわよ?」

 

「ふぅー……ふぅー………ま、まだ、だ…」

 

 

呼吸は乱れ、汗は滝のように流れ出る。肉体は疲労で重く感じ、想像通りに動かぬ様に

苛立ちすら覚える。巨木のような膝に手を置き、荒い息を吐きながら空を見上げる狩人。

日が傾きだす蒼穹の空が視界いっぱいに広がっている。と、そこに白磁の糸が溶け込む。

 

 

「むふふ~。どうする? 降参する? しちゃう?」

 

 

それは月女神アルテミスの髪だった。ふわりと風になびく長髪が、空に浮かぶ雲を思わせる。

また一瞬、彼女の姿に呆けていたことを誤魔化すように頭を振り、赤くなった顔で吠えた。

 

 

「するものか! 我が身は海神ポセイドンを父とするボイオティアの狩人、オリオンなれば‼」

 

「あらそう。けど、わたしあと1羽だから。手加減なんて期待しないでね~」

 

「え、あ、ちょ待っ」

 

「あー! 最後の1羽見ぃつけた!」

 

 

言うが早いか、アルテミスは弓に矢を番え放つ。呆気に取られたオリオンは見ているばかり。

矢は寸分違わず獲物である大鷲を見事に貫き、10羽を射抜いたアルテミスの勝利が確定した。

 

 

「やったー! わたしの勝ちー!」

 

「う、ぐっ……また負けたか…」

 

 

がっくりと膝を折るオリオン。肩で息をする、という言葉が似合うほど彼は疲弊していた。

ぜぇぜぇと息を吐く狩人を見下ろす月女神は、朱に染まりだす空を仰ぎ、再び視線を落とす。

汗だくで手を地につけたオリオンのもとまで近付くと、ウキウキ気分のまま語り掛ける。

 

 

「もうそろそろ夜になるわ。その前に、ちょっと休憩したら狩りの成果発表しましょ!」

 

「……貴女の勝利に変わりはありますまい」

 

「あー。良くないんだぁ、そーやっていじけるの。女神であるわたしがやるといったら

 やるの! やーるーのー! いいでしょオリオン?」

 

「……我が身に貴女様の御言葉を覆す術は無し」

 

 

唇を尖らせ、そっぽを向いてぶっきらぼうに応えるオリオンに優しく微笑みかける月女神。

彼女は撃ち落とした大鷲を携えて、無人の森へと入っていく。狩人はその後ろ姿を目だけで

追ってから、どう、と仰向けに転がった。分厚い筋肉の山を上下させ、肺に空気を送り込む。

 

先も言ったがこのオリオン、勝負事を楽しむ性質(タチ)ではない。

 

勝負にのめりこむこともなく、酔うこともなく。誰かと優劣を決める行いに価値を見出せない。

今までのオリオンはそういうスタンスで生きていた。それ自体に問題があったわけでもない。

これまで彼にとって対等かそれ以上と思える相手がいなかった。それだけの話なのだ。

 

しかし、その前提は覆された。オリオンの狩りの腕を超える者が、神が、いるのだから。

 

無論、それだけではない。

 

 

「……はぁ」

 

 

もはや癖になりつつある溜息を無意識に溢し、悩まし気な目で暮れだした空を仰ぐ。

 

オリオンという男の胸の内では、アルテミスの存在が日増しに膨れ上がっていた。

クレタ島にて初めて出逢ったあの日の夜から、彼の心を掴んで離さないかのように

四六時中かの女神の事を考えてしまう。あの髪を、あの顔を、あの肢体を、あの声を。

 

想起する度に顔を真っ赤に染め上げ、「恐れ多い事だ」と頭を振って冷静さを保つ。

だが心という蝋燭に一度灯った小さな焔は、時を経ても消えることは無かった。

 

 

「アルテミス様、か……」

 

 

邂逅時、オリオンはアルテミスから裁きを下される一歩手前という状況だった。

彼女の侍女であるプレイアデス七姉妹の末妹へ(鳩の姿をしていて気付かなかったとはいえ)

石を投げ気絶させてしまっている。神の所有物に手を出した時点でアウト判定なのだ。

 

しかし彼の予想に反して、怒り心頭だったはずのアルテミスは神罰を下すことはなかった。

暁の女神エオスとの間に何らかの用事があったようだが、狩人にはついぞ分からない。

そしてひとまずは事なきを得た。けれど翌日の夜、女神は再び姿を現したのである。

 

月女神アルテミスはこの時、オリオンに告げた。「わたしと、狩りで勝負しない?」と。

 

それからどれほどの月日が過ぎたのか、女神との日々に明け暮れていた彼にとっては

光の速さで過ぎていった時間だろう。実際は、約一か月ほど経過しているのだが。

 

オリオンはアルテミスと二人きりで、名もなき小島にて狩りの勝負を続けている。

あの日の宣告以来、彼らは島全体の生態系を乱さぬ程度に狩猟の腕を競い合った。

挑めど挑めど、相手は狩猟を司る女神であり、結果は先もご覧のとおり。

 

こうした日々を送る狩人は、ただただ充足した気持ちで満ち溢れていた。

 

 

「あぁ、久方ぶりだ。こうして狩りを、生きることを愉しんだのは…」

 

 

暗くなっていく空を仰向けのまま眺めていたオリオンは、茂みの奥からこちらに向かい

進んでくる存在に気付いた。この島は無人であり、いま暮らしている者は二人だけだ。

 

 

「あら? オリオンってば寝ちゃったの?」

 

「…いえ。ただ、こうして広大なる星空を眺めていただけです」

 

「ふーん」

 

 

考えるまでもないことだが、姿を現したのは月女神アルテミスである。

彼の意表を突こうとしたのか、はたまた別の理由か。仰向けの狩人の顔を覗き込む女神。

常人など寄せつけもせぬ美貌が暗がりの中から迫り、オリオンは頬を赤くしながら顔を

背けつつ答えた。尋ねた女神は返ってきた言葉にさほど興味も示さず空返事だ。

 

ゆっくりと体を起こすオリオン。上半身だけ起こした彼は、あるものを目にする。

 

 

「アルテミス様、つかぬことを窺いますが……ソレは?」

 

「ん? あ、コレ? よくぞ聞いてくれたわね!」

 

 

女神が手にするもの。それは一見すると、動物の毛皮や大鳥の羽根を使って作られた衣服の

ようにも見える。両手で抱えるようにして持たれたソレは、彼女の首から下を隠してしまう

ほどには大きいもののようだ。首を傾げる狩人に、月女神は「えへへ」と微笑み、答える。

 

 

「じゃじゃーん! コレは今までの狩りの成果で作った、アルテミス特製の衣装なのです!」

 

「アルテミス様が、手ずからこれほどの物を…」

 

「そーだよ! コレね、オリオンへのご褒美に造ったの! だから、あげちゃう!」

 

「…………は?」

 

 

ずいっ、と突き出された獣の素材で作られた装束に、目が点になってしまうオリオン。

いきなりのことで理解が追い付いていないのがありありと見えるほどだ。

 

そんな彼を置いてけぼりにして、アルテミスはニコニコ笑顔のまま話を続ける。

 

 

「あの夜から今日まで、あなたはわたしと一緒にこの無人の島で過ごしてきました。

 その間、一日たりと狩りでの勝負を投げうったりはしなかったでしょ?」

 

「え、ええ。ですがそれと褒美とはどういう…」

 

「わたしね、狩猟を司る女神として、このギリシャに住まう動物たちのことはかなり

 手広く把握しているわ。雌熊に哀れな捨て子の母となるよう仕向けたりするくらいは

 出来ちゃうの。けど、それとは正反対の狩りを司る以上、動物の死を容認しなくては

 いけないでしょ? 生かすことも殺すことも、どちらもわたしがしなきゃいけない」

 

「…………」

 

「わたしにとって狩りとは義務でしかなかったの。()()()()と定められた在り方だった。

 けれどそんなわたしの常識を、貴方が変えてくれた。この一か月と11日、貴方と狩りの

 腕を競うという日々は、わたしに大きな変化をもたらしたの。すっごい事よこれ」

 

 

おどけたような口調で話してみせるアルテミス。一方、ただ聞かされているだけの狩人は

彼女の言葉に耳を疑ってばかりだった。けれど、それも仕方のない事と言える。

 

アルテミスは言った。「定められた在り方を変えてくれた」と。確かにそう言っていた。

 

オリオンは知っている。神とは己の体面を、体裁を、格というものを重視している事を。

それは単に自尊心の高さからくるものではなく、自らの存在を維持し続ける為に不可欠で

あるからだという理由も、承知している。その為に、己が妻は奪われたのだから。

 

神は変革を厭う。自らの存在意義の大幅な変更を嫌う。まして外部干渉など以ての外だ。

いまアルテミスが口にしたのは、まさにその部分。超常存在たる神より圧倒的に下等である

はずの人間によって、神としての存在の根幹を、在り方の変化を認めたことだ。

 

あってはならない事とオリオンは正しく認識している。彼は神を敬虔に敬うが故に。

そんな彼だからこそ、アルテミスの言葉の本当の意味を察し、危惧を抱いたのだ。

よって、狩人たる彼がすべきは女神の言葉の否定であり、人の弱さの再定義である。

 

ただ冷静に「人にそんな力はない」「貴女が自発的に変わっただけ」と告げるだけ。

それだけで事は済むはず。だというのに、彼は一向にそうした言葉を口にする気配がない。

そう。彼は言えなかった。自分が神という存在の意義を崩壊させ得る可能性を持つ事を。

 

思考を彼女のことでいっぱいに埋め尽くしてしまう今の彼は、決して言えないのだ。

 

 

「だから、コレはご褒美なの。あの夜からずっと、わたしと狩りの勝負をし続けた

 あなたへ。ただ夜空の彼方から眺め続けるだけだった世界に、わたしを引き込んだ

 ただの人間であるあなたに。月女神アルテミスが、この衣を授けます…なんちゃって」

 

 

恥ずかしそうに表情を崩す。そんな仕草はまるで、ただの人間の乙女のようで。

 

この言葉にオリオンは心拍の加速がピークを迎え、急上昇する体温で全身を朱に染めた。

自然と息が乱れる。額から、手から、汗が噴き出る。目の奥がじーんと熱を帯びていく。

これまで体験した事のない肉体機能の異常に、狩人は何度目かになる疑問を抱く。

 

この気持ちは、何だろうか。飛び跳ねるようで、まとわりつくようで。

この気持ちは、何だろうか。晴れやかなようで、澱んでいるようで。

 

言語化できない不可思議な感覚に苛まれる彼は、ただ茫然と褒美とやらを受け取る。

ふぁさ…と毛皮や羽毛の手触りを感じたことで意識を取り戻した狩人は、ひたすらに

頭を低くして目の前の女神に心から感謝を捧げる。それしか思いつかなかった。

 

手製の装束を渡したアルテミスは、いじらしそうにオリオンを見つめ、呟く。

 

 

「せっかく造ったのに、着ないの?」

 

「………ぁ、あ、はい! 直ちに!」

 

 

もう気が動転して何が何やら。慌てふためくオリオンの心情など知る由もない女神は、

「よろしい」と満足げに頷いて着替えを促す。狩人はいただいた召し物を持って樹の裏に

向かい、女神の眼を汚さないよう無意識下の配慮をしたうえでいそいそと着替えた。

 

しばらくして草葉の中から姿を見せた狩人。天性の肉体を包む獣の衣は絶妙に似合っている。

 

巌の如き強靭なる身体と、あらゆる者を魅了してやまない絶世の美貌を兼ね備えし男。

さりとて粗野でも野蛮でも非ず。その心は清廉にして、理知と武を併せ持つ天下無双。

多くの伝説を後世に残すギリシャの『三ツ星』の名に相応しい、堂々たる出で立ちとなった。

 

彼の広々とした肩から垂れ下がるように身体を覆う獣の装束。それを固定する為であろう

紐は、硬い蔓を撚り合わせた原始的なものではなく、素材を加工して作られた人工物。

長さも太さも均一に調整が施された黒い帯には、アルテミスが夜空からギリシャの世界へと

下りてきた際に持ち込んだ「星の欠片」と呼ばれる高純度の神鉄を研磨して作った宝玉が。

横に三つ並んだそれは、それぞれが独特な光彩を放っている。

 

女神からの贈り物ということで恐縮してしまうオリオン。そんな彼にアルテミスが一言。

 

 

「よく似合ってるわ! やっぱり、あなたの為に造ってよかった!」

 

 

この時。オリオンの中で超新星にも等しい衝撃が生まれ、全身を駆け巡っていた。

 

言葉では言い表せない、勢いを持った感情の波が、己の心を押し流そうとしている。

大きな体に不釣り合いなほどきれいに収まっていた心が、形を歪に変えられてしまう。

 

もはや彼は正常な思考を保てなくなりつつあった。半分無意識状態と言ってもいい。

そんな状態に陥ってしまった彼は、手を伸ばせば届く距離にいる神秘の塊に対し、

膝をつくことすらできなかった。

 

神を敬う。これまで通りの自分のスタンスを貫き通す。鋼鉄の意志でこれを曲げなければ、

オリオンは今頃も冷静な思考を持ちながら真摯に片膝をついて女神に祈りを捧げていただろう。

いまとなってはそんな仮定などに意味はない。あるのは、残された伝説だけである。

 

オリオンは、この時、明確に己の心がアルテミスを求めているのだと自覚したのだ。

 

並々ならぬ美貌に骨抜きにされたか、彼女の口から語られた境遇にシンパシーを感じたか。

あるいは、神の定義を書き換えることが出来ると確信に至ったからこそ打った大博打なのか。

 

真偽は誰にも分らない。しかしこの時、この場所で、オリオンはアルテミスに告げたのだ。

 

 

「――め、女神アルテミスっ!」

 

「なぁに? オリオン?」

 

 

一度、言葉を区切る。言っていいのか、という逡巡がわずかな葛藤として彼の心を苛む。

しかし、もう止まらない。彼は誰に何と言われようと止められなくなってしまっていた。

 

紅潮した頬を隠そうともしないまま、オリオンはアルテミスを見つめ、口を開く。

 

 

「わ、我が身には既に妻がいる。シーデーという名をした、鮮やかな赤髪の娘だ。

 そんな彼女と今生で見えることは、ない。冥府の奥底へ幽閉されてしまったのだから」

 

「……ふーん、そうなんだ。それで? オリオンはどうしたいの?」

 

「妻を取り戻すことは叶わぬ。しかし、彼女を生ある限り愛すると我が身は誓いを立てた」

 

「………そう。で?」

 

「故に、どうか月女神アルテミス様! 我が身が生を全うし、魂が死して肉体を離れてなお

 滅びることなく再び現世に戻ったなら! 新たなる生における我が愛を受け取ってほしい!」

 

 

興奮冷めることなく矢継ぎ早にオリオンは口にした。

 

要するに彼が言っているのは、『今生は既に愛する人がいるので、貴女を愛してはいけない。

なので、死んだ後、魂が輪廻転生を果たして再び人間として生まれた暁には、その時こそ自分の

愛を受け取ってほしい』ということ。クソほど遠回りなプロポーズの言葉といってもいい。

 

これに驚いたのはアルテミス。オリオンの突然の告白にでもあるが、その内容に衝撃を受けた。

 

ギリシャ世界において。命は神によって与えられ、生きて、死ぬ。死後の魂は冥界に運ばれ、

そこで冥界を統べる神ハデスの沙汰を待つ。そしてここからが重要なポイントである。

 

古代ギリシャという世界(テクスチャ)では、魂は流転するものではない。あくまで生から死への一方通行。

死後はハデスによって魂の選別が行われ、良き魂と見なされた者は、そのまま死者の町へ案内

されて何不自由なく平和に暮らすことが出来るようになる。冥界=地獄ではないので注意。

 

これに対し悪しき魂と判断された者は、ハデスの権限により冥界で拷問に等しい苦行を

強いられることとなる。労働だけなら可愛い方で、死後の世界で死を強要されることも

別段珍しくはなかった。よって、ギリシャにおける死生観には、輪廻転生の概念は無い。

 

一応、蘇ることはできる。冥界は地下で地続きなので、物理的に上がれば出られる。

恐ろしい門番や死を司るハデス神の従僕から逃れながらの断崖絶壁ツアーを制覇できれば、

の話になるが。しかしそれはあくまで蘇生。魂自体が同一で別存在に昇華される扱いになる

輪廻転生とは大きく異なっている。これはギリシャに生きる人や神にとって、常識だ。

 

なのにオリオンは、まるで輪廻転生がシステムとして存在するかのように語ってみせた。

実のところこの時の彼は、初恋の相手であるアルテミスがプレゼントをくれたことへの

喜びや自分にだけ見せた人間らしい表情・仕草に、やられてしまっていたのだ。

そのため、冷静な判断が下せる精神状態ではなかった、ということを条件に加えておく。

 

話が長くなったが、つまるところ、何が言いたかったのかというと。

 

 

「…………………」

 

 

アルテミスは思考(えんざん)する。目の前の男、オリオンの口にした魂の流転現象の可能性を。

彼女は自由奔放な人間的情緒あふれる神にみえても、その根幹は他の神々と同じである。

故に、どこまでも機構的(れいせい)に解答を導き出す。瞬きほどの時間で、彼女は結果を導いた。

 

 

(理解不能。魂の連続性を証明する方法は存在しない。結論、ただの戯言)

 

 

そう、戯言。単なる妄言。愚かな妄想でしかない。彼女という神は結論付ける。

 

しかし、ああ、なんということか。

彼は、オリオンは、神という絶対性を破壊する変数である。

 

彼の目前に居るのは冷徹で高潔な神ではない。人の如き情緒あふれる、神という乙女だ。

彼女の内に生じた、無秩序な思考ルーチンが、先に定められた結論に揺らぎを付加する。

 

 

(―――だけど。だけど、もしも本当に、このオリオンの魂が死してなお損なわれず)

 

 

無意味な仮定。無価値な前提。再度思考する必要性は皆無。しかし月女神は思考する。

 

 

(別の形を与えられ……いえ、生まれ変わってでもわたしに逢いに来てくれたら)

 

 

演算が始まる。空虚で曖昧で、論理的には行う必要のないシミュレートなのは変わらない。

けれどもアルテミスはそれを止めない。たった今、狩人の口から告げられた言葉をしかと

組み込んだうえで再計算を実行した。いくつものエラーを無視した先に待つ解答。

それを知りたいが為だけに、アルテミスは思考に没頭した。数十秒の後、彼女は確信した。

 

 

(―――それって、とっても素敵なことだわ)

 

 

月女神の唇が、かけた三日月のような弧を描く。

 

 

ああ、哀れオリオン。

 

こうして、海神の血を継いで生まれたる狩人の運命は、此処に定められた。

 

 

肉体に剛力を。

 

精神に冷徹を。

 

天下無双と讃えられし夜空の『三ツ星』伝説の、最終章が幕を開ける。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか!


もう色々な事が起こり過ぎて……時間が足りないよう。
仕事も大変になって来てるのに、異聞帯もifオリオンも
どっちも書きたい……うう、どうしたらいいの。


そんな飽和状態の私に
「シグルドってカッコいいけど伝説そんなだよな」
とかポロッと言ってくる友人は間違いなく外道。

わざわざifシグルドの構想を練るためにウィキやらを
探し回る羽目になったじゃないかバカ野郎!


FGOの次回イベント楽しみですね!(ヤケクソ)


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!




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そして、夜が明ける…アルテミスとの邂逅

どうも皆様、萃夢想天です。

前回の最後でもチラッと言いましたが、
この作品を書き終えて、さらに並行して執筆中の異聞帯作品も書き終えることが出来たら、
またこの作品のようなifものを書こうか悩んでおります。

後書きにアンケートを乗せるので、
ご意見を頂けるとありがたいです。


それでは本編、どうぞ!





 

 

 

 

 

クレタ島からそれほど離れてはいない沖合にある、無人の名もなき小島。

そこには現在、海神ポセイドンが実子たる狩人オリオンと、月女神アルテミスの二人が

誰の目を憚ることなく暮らしていた。

 

と言っても、実質的に島で暮らしているのはオリオンのみである。

アルテミスはこれでも女神。それも、ギリシャの夜を彩る月を司る大神格だ。

同じく月に関係する女神セレーネに仕事を丸投げすることもできなくはないが、

あんまり任せきりにすると自身の神格を彼女に奪い取られかねないという危惧がある。

 

だからアルテミスはオリオンが眠るわずかな時間だけ天界に戻り、セレーネと仕事の

役割分担の話し合いをこなしていた。元からワガママで自由奔放なアルテミスの気質を

理解しているセレーネは、今回の一件もアルテミスの気分の問題だろうと追及しなかった。

 

そして、気兼ねなくオリオンと二人きりの時間を作ることに成功したアルテミスは、

父のゼウスや兄のアポロンの目を盗んでは下界に下り、狩人とのひと時を愉しんでいた。

 

だが、それに気付かぬアポロンではない。

 

彼は太陽神にしてアルテミスの双子の兄。天より世界を見渡すことが叶う太陽の化身。

アポロンは自身と同じく太陽の神を務めるヘリオスの妹がご執心だったはずの狩人が、

今度は自分の妹と親しくなっているという事実を察知し、密かに盗み見ていたのだ。

 

 

「………マズいな。うん、これは良くない」

 

 

天上の世から座して見下ろすアポロンは呟く。その口ぶりから、妹の身を案じている

ようにも思えるが、実際は違う。彼の思考にあるのは、オリオンの危険性についてだ。

 

神という超常存在は、この地球という星のいかなる生命体による攻撃も寄せ付けない。

文明レベルが違い過ぎるし、せいぜいが鉄や銅程度の硬度しかない武器を振るわれても

防御する必要性すら無いほどに生命としての規模が異なる。

 

事実上の無敵と言える。けれど、それは決して「死なない」ということではない。

 

神は殺せる。神は死ぬ。そして、神を殺す方法は数こそ少ないが確かに存在する。

この地球上にある物質でもそれは叶う。けれど、物理的に殺される可能性は低い。

では、アポロンの危惧する神の死とは何か。その答えは、アルテミスが証明している。

 

 

「……人間という知的生命体が有する、複雑怪奇な『感情』という精神構築システム。

 これは人間から人間へと伝播する。つまり、生命から生命へと、感染し得るものだ」

 

 

ギリシャにおける神とは超常存在であり、人間による崇拝と信仰によって神格は保たれる。

良くも悪くも、人間側に依存した共生関係にあるのだ。神々と人間は、互いが互いを生かす。

 

だが、もしも。人間が崇拝を忘れたら。あるいは、神よりも上回ると驕り高ぶったら。

神格は揺らぐ。大神や十二神と呼ばれる特級神格クラスは、さほど影響は出ないだろう。

しかしそれ以外の神格、最も良い例として暁の女神エオスなどの影響力の小さい神格は、

ほぼ間違いなく神としての地位が脅かされる。場合によっては、神から零落しかねない。

 

それは事実上の「死」と言える。アポロンが恐れる神の死とは、神格の零落なのだ。

 

 

「人自身ですら感情は御し得ていない。手に余るほど強大なエネルギーを秘めている。

 それほどのものが神に感染してしまった場合、どうなるか。いや、言うまでもない」

 

 

人間の世界を睨みつけるように独り言を呟くアポロンは、誰より人間を恐れていた。

感情という数値化できないアンロジカルなシステムを個々人が有し、状況の変化により

それらの規模は変動し、あるいは変質する。厄介なことにこれは感染して肥大化する。

 

恐ろしいウイルスだとアポロンは唾棄する。人間の性が神の絶対性を崩壊させ得ることに。

 

 

「……アルテミス。その男は危険だ。義母(ヘラ)様の神格すら変化させるような化け物だぞ」

 

 

アポロンは知っている。オリオンという半神半人は既に、多くの神の神格に影響を及ぼして

いる事実を。それらが今のところ神格の零落に至っていないというだけで、放っておけば

大惨事を引き起こす可能性だって捨てきれない。神としての視座から太陽神は演算する。

 

 

「危険だ、あまりにも危険だよ。オリオン、君は()()()()()()()()なのだから」

 

 

よってアポロンは、この時点でオリオンの抹殺を決定した。

 

生かしてはおけない。あの男は、オリュンポスを壊滅させる遠因になりかねない存在だと。

そう確信するアポロン。主神ゼウスの兄にあたる海神ポセイドンにこの殺害計画が漏れたら

ただでは済まないだろう。だが、覚悟の上だ。神の絶対性を守る為の、必要な行いである。

 

自身の正当性を主張できるだけの材料もある。そう考え、アポロンは権能を起動させようと

意識を神集中させようとしたその瞬間。アポロンの背後に、音もなく一人の男が出現する。

 

 

「やめろアポロン。彼への手出しは許さんぞ」

 

「……これはこれは。同じ太陽神の君に、久しぶり、というのはおかしいかな?」

 

 

それまでの鋭い敵意を即座にかき消して対応するアポロンだったが、掴みどころのない

口調で話しかけたつもりが、かえって相手を刺激してしまうこととなる。

 

 

「これは忠告だ、アポロン。海神ポセイドンが子、オリオンに手を出す非道は見過ごせぬ」

 

「………意外だな。君はむしろあの人間を嫌ってると思ってたがね、ヘリオス?」

 

 

アポロンの後頭部に掌を向けて警告を発していたのは、同じ太陽神のヘリオスだった。

明確な敵対行動を取るヘリオスに、おどけた態度で両手を挙げたままで尋ねるアポロン。

そんなアポロンに、ヘリオスは普段の朴訥さとはかけ離れた真剣な面持ちで答える。

 

 

「それは、我が妹エオスの事があるからか? だとするならば俺はこう返そう。

 ……侮るなよアポロン。貴様とは違い、俺は真に妹を慮るからこそ彼を助けるのだ」

 

「矛盾してないかい? あの人間は君の妹の心を随分と手酷く傷つけたそうじゃないか」

 

「否定はしない。だがな、心挫けたオリオンの弱さにつけこんだエオスにも非はある。

 それに、彼は妹の心を傷つけこそすれ、裏切りはしなかった。あの子はあの子のまま、

 空に戻ることを自ら決めたんだ。あれは、別れだ。それも、最悪の形ではない別れだ」

 

「本当に意外だぜヘリオス。妹を甘やかすだけの兄貴かと思ったら大間違いだな」

 

「言ったろアポロン。()()()()()()とな」

 

 

安い挑発だとアポロンは悟る。彼は自分の事を、妹の事を考えない兄貴だと暗に

揶揄してきているのだ。わざわざそれに乗ってやる理由も無い。言わせておけばいい。

腐ってもショタコンでも神というところか。後ろ暗い方面でシビアな性質であるアポロンは

手を挙げた姿勢のまま、顔だけ振り向いて無表情のヘリオスを見上げる。

 

 

「……分かった、分かったよ。彼に手出しはしない」

 

 

わざとらしく溜めを作ってから、絞り出すように答えたアポロンをヘリオスは睨む。

神の中でも特に食えない存在と認識している相手の言葉を、安易に信じてやるほど

ヘリオスは愚かではない。それでも、ひとまずこの場で動きを封じたという成果に

満足した彼は、掌に収束していたエネルギーを四散させ、アポロンに背を見せる。

 

 

「その言葉、忘れるなよアポロン」

 

「それこそ君に返すぜヘリオス。君、誰に向かってモノを言ってるんだ?」

 

「…………」

 

 

最後のやり取りの中、アポロンは初めて殺意を込めた視線でヘリオスを射抜く。

飄々とした態度ばかり見せていた彼の剣呑な様子に、流石のヘリオスも息を詰まらせる。

 

こうして、人間の知らない場所で、神々は神々の思惑で動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬が終わり、新たな命の芽吹きが見られる春の幕開けが近い頃。

狩人オリオン、23歳。視力を奪われるメロペーの事件から、二年の月日が過ぎていた。

 

彼の住まう場所は、アルテミスと二人きりになれる名もなき小島。

其処に移ってから他の人間との交流を絶ってしまったのかというと、それは否だ。

無人島で手に入らぬ物が必要になった時などは、近くのクレタ島へでかけることもあり、

そこでは勇ましい青年に成長した鍛冶師ケーダリオンとの喜ばしい再会の一幕もあった。

 

懐かしさに胸躍らせたオリオンはケーダリオンとの旧交を温めるべく、男二人の密やかな

宴を催したりもした。そこで狩人は、自身の二振りの神器をまた見せることを条件に、

暁の女神を讃える神殿をこの島に建設するよう頼み込み、鍛冶師はこれを快諾する。

 

思い出話に花を咲かせた彼らは変わらぬ友情を誓い、島にオリオンが来た日には必ず

会って話す機会を設けたという。なお、それに嫉妬した白銀の美女が、日が昇る前に

オリオンを何処かへ連れ去ってしまうのだが、それは此処で語るべきことではない。

 

さても。とにかくオリオンは、アルテミスと二人きりの時間を平和に過ごしていた。

 

 

「……アルテミス様」

 

「ん? なぁに、オリオン?」

 

 

この長くもあり短くもある歳月を共に過ごしてきた二人。特にオリオンの方は、

アルテミスを前にしても謎の体調不良に苛まれることは無くなっていた。

 

と言うのも、オリオンは数か月に一度、必要なものを集めにクレタ島へ出かけることが

あった。その折、思わぬ再会を果たした鍛冶師ケーダリオンに自らの異常を吐露していた。

 

ある女性を前にすると、動悸が激しくなる。呼吸が乱れる。汗ばむ。胸の奥が苦しくなる。

こういった症状に聞き覚えはないだろうか、と。至極真剣な表情で尋ねたことがあった。

それを聞いたケーダリオンは破顔し、ひとしきり笑い転げた後、問いに答えた。

 

 

『オリオンの旦那、それはつまり―――恋患い、ってヤツっスよ!』

 

 

青年の一言で、オリオンは視界がパァッと開かれたような心地になった。

それからだ。彼が自らの内に芽生えた恋心を自覚してから、体調不良にならなくなったのは。

 

以降、オリオンはアルテミスに愛の告白をしたという事実もあってか、親しみを以って

彼女と接するようになっていた。相手が女神だから不敬だ、という考えはとうに捨てた。

なにせ、そのお相手であるアルテミス本人から、許可をもらっているのだから。

 

これまでの日々を軽く振り返り、今もこうして傍らに寄り添う彼女と目を合わせる。

 

 

「ひとつ、伺いたいのですが」

 

「なになに?」

 

 

オリオンから聞きたいことがあると言われ、興味津々に頷くアルテミス。

天真爛漫な乙女の如き反応を得た狩人は、大きく間をおいてから意を決して尋ねた。

 

 

「美しいということは、罪でありましょうか?」

 

 

それは、オリオンが七年もの間、抱え続けてきた()()()であり、かつての慚愧である。

オリオンが成人を迎えたあの日。今生を共にすると誓ったはずの妻シーデーは、

美しさを理由に神々の女王ヘラが冥府へ連行していった。彼は今でも妻を案じていた。

 

あの日以来、彼は問い続けてきた。美しいから、我が妻は冥府へ縛られねばならないのか。

美しさとは、それほどの罪になるのか。では、美しいとは、そもそもどういうことなのか。

 

頭を悩ませ続けてきた彼は、ここにきてようやくアルテミスへ尋ねる決心をしたのだ。

ヘラと同じ女神としての視座を持つ彼女なら、きっと長年の悩みを払拭してくれるはず。

そう信じてやまなかったオリオンは、直後に告げられたアルテミスの言葉に愕然とする。

 

 

「美しいのが罪? そんなわけないじゃない。どうしたの急に?」

 

「……え?」

 

 

何でもないように答えるアルテミスの様子に、作為的な意図は感じられない。

オリオンは混乱した。七年間、我が妻は美しさという罪で冥府に幽閉されてしまったと

信じてやまなかったからだ。けれど、その前提が崩された。狩人の心はかき乱された。

 

望んだ答えが返ってこなかった、というのがありありと見てとれるオリオンに驚いた

アルテミスは、冷静に言葉を続ける。

 

 

「どうして美しさと罪が結びつくのかしら?」

 

「そ、それは…」

 

「話してよオリオン。わたし、貴方の話をちゃんと聞きたいわ」

 

 

身体を寄せ、上目遣いでこちらを覗き込んでくる女神を、狩人は突き離せなかった。

大々的にかつての出来事を語ることは即ち、妻の冥府幽閉を公言することと同義。

自分ではなく、妻の名誉に傷がつくことを忌避するオリオンはこれまで妻の身に起こった

悲劇を余人に聞かせることはしなかった。(なお神に関わる者には大体周知の出来事)

 

しかし、他ならぬアルテミスの頼みは断れない。折れたオリオンはつらつらと語る。

 

妻とは同じ村で育った仲である事。村長の血縁で縁談を組まれ、それを承諾した事。

夫婦の誓いを立てた時、女神ヘラが降臨して妻となったばかりの女を連れ去った事。

 

当時の様子を語り尽くしたオリオンは、アルテミスの反応を窺う。

そのアルテミスはというと、なんとも興が乗らなそうな、冷めた反応をしていた。

これにはオリオンも驚きを隠せなかった。彼が口を挟もうとするが、それより早く

アルテミスが狩人に尋ね返す。

 

 

「オリオンはさぁ、そのシーデーって女が美しいから冥府送りにされたって思ってる?」

 

「…思うも何も、そうではないのですか?」

 

「え、うそ。ホントに言ってるの?」

 

「え、ええ…?」

 

 

詰問されているような空気に、返事が吃音気味になってしまうオリオン。

彼の反応など気に掛けることもなく、大きな溜息を吐いた月女神は核心に触れる。

 

 

「じゃあ聞くけど。ねぇオリオン、わたしって美しいかな?」

 

「なっ、いや、あの……それは、はい。とても、美しいです」

 

「うふふ、ありがと。じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「――――ぇ」

 

 

以前にも軽く触れたが、改めてここでオリオンの勘違いについて語ろう。

 

オリオンの妻シーデーは、オリオンを夫にできた嬉しさのあまり、自らの美しさは

主神ゼウスが妻たるヘラにすら勝ると豪語した。これがいけなかったのだ。

女神ヘラは己の美しさを侮辱されたと怒り、それ故にシーデーを冥府へ連れ去った。

 

ところがオリオンにとって美しさとは分類に等しく、明確な線引きが出来なかった為、

ヘラが何に対し怒りを露わにしたのか本当に理解できていなかった。これが真実である。

 

さて。ここでアルテミスは、オリオンの勘違いに気付き、それを指摘した。

 

シーデーが美しいから冥府へ連行されたと考えるなら、たった今お前自身が美しいと

認めた月女神である私はどうなるのか。結果は、どうもならない。暗にそう告げたのだ。

 

 

「……………………」

 

 

それを瞬時に理解したからこそ、オリオンの混乱はますます深まってしまう。

彼は長年、妻を失う原因はその美しさにあると信じていたというのに、前提が違うと知った。

脳内をぐるぐると自問自答が駆け巡る。俯き無言になる彼に、女神は続けた。

 

 

「答えなさい、オリオン。わたしと、妻のシーデー。どちらの方が、美しいの?」

 

 

厳格な神としての側面を強く押し出しながらの問いかけは、結果的に功を奏する。

加えて、これもアルテミスの思惑とは異なる後押しだが、アルテミス自身の口から

尋ねられた質問だからこそ、オリオンはようやく己の過ちに、間違いに気が付いた。

 

オリオンは妻を愛している。それは、彼がシーデーを妻にすると決めたからだ。

言いたいことが分かるだろうか。つまり、両者の間に、愛は存在していないのである。

一方的に愛を誓う。愛すると決めたから愛する。言い方は悪いが、事務的な愛情だ。

 

あくまで長老が組んだ縁談で定められた夫婦。シーデーの思惑はどうであれ、

オリオン自身にしてみれば、この時に妻となるのはシーデー以外でも問題なかった。

彼は、妻を愛する。この妻とは、シーデーでなければならない理由が、無い。

 

 

「わ、わた……おれ、は」

 

 

そう。オリオンは初めから、シーデーという女に愛などと呼べる感情を抱いていなかった。

ただ彼女が己の妻となると定められたから、彼女の夫となる以上、愛さねばならなかった。

妻であるシーデーを愛したのではない。妻という立場にいる者を愛しただけだったのだ。

 

相手は誰でもよかった。相手を見たことなど一度もなかった。これがオリオンの過ち。

 

そんな男が、愛の何を語れるというのか。美しさをどう捉えることが出来たか。

美しさは等しい分類だから、彼にとっては比較の対象足り得ない? そりゃそうだろう。

熱狂するほどの美を、心酔するほどの愛を、当時の彼は知りもしなかったのだから。

 

 

「おれは、おれは……!」

 

 

愕然とする。妻を生涯愛するとした誓いは、ただただ空虚なものだと思い知らされた。

なにが妻。なにが生涯の愛。自分は結局、よく知りもしない女に形だけの愛を口にした

だけだった。女の事を知ろうとしなかった男が、都合よく愛という単語を嘯いただけ。

 

あまりの愚鈍さに、オリオンは自分を殴り飛ばしてやりたい気持ちに駆られる。

傲慢此処に極まれり。最低最悪の男だ、俺は。心に浮かんだ女神の問いへの答えが、

自身の卑しさを証明しているようで情けなさに涙する。隣にいる女神から目をそらす。

 

それでも、アルテミスはオリオンを見つめ、尋ねる。

 

 

「答えて、オリオン。貴方がより美しいと思うのは、わたし? それとも妻?」

 

 

アルテミスの問いを残酷と受け取るかどうかは、受け取る側に一任するとしよう。

この場においての聞き手とはオリオンに限定されるが。はたして、彼は小さく答える。

 

 

「―――貴女様、です

 

 

掠れるような、虫の羽音より小さな彼の言葉は、しかしアルテミスに届いていた。

 

これも結果論でしかないが、オリオンはアルテミスという初恋を経験したからこそ、

どちらの方がより良いか、という無粋な比較を体感として理解できるようになっていた。

 

一目惚れした麗しの月女神か、共に育ってきただけで特に感慨も抱けぬ妻か。

より優れたる美を持つのはどちらであるか。明確に答えるよう強制されていたとはいえ、

その判断はオリオンに委ねられている。先の言葉が、彼の内にある美の優劣を証明した。

 

その答えに満足したのか、アルテミスは満面の笑みになり上機嫌に言葉を紡ぐ。

 

 

「そういうことよオリオン! 貴方は私と妻を美しさの天秤にかけ、量ったの。

 そして天秤を私に傾けた。ということは、妻は私ほど美しくはないということよね」

 

「…………………」

 

「答えなくてもいいわ。聞いてオリオン。大事なのは、この比較による優劣なの。

 貴方の妻は美しいからではなく、女神ヘラと美貌の優劣を競おうとした不敬によって

 冥府へ連れていかれた。分かる? 女神よりも、と驕った妻の傲慢をヘラは怒ったのよ」

 

 

目から鱗、とはまさにこの事であろう。(なおこの言葉が生まれるのは十数世紀後)

 

これまでオリオンを悩ませた命題とも言える問いは、蓋を開けてみれば何のことはない。

本当にただの傲慢であった。彼の妻シーデーが、神にも勝る美しさだと己を誇示した故の

悲劇だと、七年の月日を経てようやく気付けた。オリオンはもう口を開けるしかない。

 

そんな狩人の長い長い勘違いに終止符を打った女神は、やけに誇らしげに胸を張る。

 

 

「さてと……それじゃオリオン? 貴方の妻より美しい者が目の前にいるのだけど、

 また愛の言葉を囁かなくていいのかしら? 二度目の生なんて言わずとも今生の愛を

 頂戴したいです~、みたいな。そーゆーの、聞きたいんだけどな~?」

 

 

手を腰に当て、幼稚な言動とは裏腹に熟した女体の丸みを強調する仕草を取るアルテミス。

一年近くの月日が経過しようと、未だ女神の記憶に新しい、世にも斬新な告白を促すような

物言いをする。駄々甘愛され系女神の名に恥じぬ悪童ムーブに、狩人も恥辱を感じた。

 

 

「アレはっ! いえ、本心でこそありましたが、そう面と向かって言ってくださるな…!」

 

「何言ってるの! 男が女に愛を告げるのに、面と向かい合わなくちゃ意味ないじゃない!」

 

「そういうことではなく!」

 

 

恥の上塗りを阻止せんと語調を強めるオリオンに対し、余裕を感じさせるアルテミスの口論は、

聞く者があれば口から砂糖を吐き出すほど粘着質な甘さに溢れかえっていたことだろう。

 

不毛なやり取りを繰り返して数十分。二人は舌戦の矛を収め、ひとまず落ち着いて語り直す。

 

 

「はぁ……はぁ……と、とにかく。我が身の積年の過ち、正していただき感謝の言葉もない。

 改めて月女神アルテミス様に、より一層の畏敬の念を抱きました」

 

「ちーがーうー! わたしが欲しいのはそーゆーのじゃないのよ!」

 

 

場を持ち直したいオリオンと、そういった空気を一切読まないアルテミスの衝突。

独特の雰囲気で周囲を包み込んでしまうせいか、猛獣魔獣の類も甘ったるい気配を察知して

二人の傍へは近寄らない。そしてここは無人の小島。誰一人として止められる者はいない。

 

オリオンは敬意を払いながらも女神相手に物怖じすることなく話せるようになり、

アルテミスもまた小さなことで癇癪を起こし唯一の人間に迷惑をかけることはなくなった。

第三者の目線が無いので分かり辛いが、それぞれ互いに成長してはいるのだった。

 

そう。人は神に、神は人に。歩み寄り、近付きつつあった。良くも悪くも。

 

 

「はぁ…。まぁいいわ。それよりもオリオン、ちょっと供をしなさい」

 

「供、ですか? 御付きの妖精(ニンフ)などは…?」

 

「え、あ、ダメよ。だってあの子たち、隙あらばあなたに会おうとしだすし…」

 

「???」

 

「その話はいいの! いいから、一緒に来て!」

 

 

アルテミスはオリオンを半ば無理やり引き摺るようにして、森を歩み出ていく。

しばらく歩いて二人が辿り着いたのは、小島の端。波が止めどなく寄せる砂浜だ。

 

ざく、ざく。細やかな砂を踏みしめ歩く男女を、ギリシャの夜空に舞う星々が彩る。

淡い白光が降り注ぐ波打ち際にまでやって来た二人は、無言のまま腰を下ろす。

ざざん、ざざん。寄せては返す波の音が、二人の間に流れる沈黙の長さを物語る。

 

やがて静けさに耐えかねてか、またもアルテミスの方から口を開いてきた。

 

 

「……ねぇ、オリオン。さっきはあなたの質問に答えてあげたでしょ?」

 

「え、ええ。はい。そうですが、それが…?」

 

「じゃあ、今度はこっちが聞く番ね」

 

 

オリオンの真横に手をつきながら座るアルテミスが、顔だけを彼に向け尋ねる。

 

 

「ねぇ、あなたって―――永遠に興味はあるかしら?」

 

「…永遠、ですか」

 

 

風と、さざ波と、虫の唱。密やかな静謐の中で、女神と狩人の話し声だけが聞こえる。

髪をかき上げ、アルテミスはオリオンの呟くような反芻に肯定の意を示す。

 

 

「そ、永遠。永久、永劫、久遠。どう受け取ってもいいけど、要は終わりなき時間ね」

 

「我が身がその永遠に関心を抱くかどうか。貴女様はそう仰っているので?」

 

「永遠に続くもの。永劫に終わらぬもの。久遠に拡がるもの。永久に閉ざされぬもの。

 どれも等しく不変という言葉で表せるわ。そしてこれらは、神にも人にも重要視される。

 けれどこの世界は有限と定められたものが多過ぎる。そうは思わない、オリオン?」

 

「………人間が永遠とは程遠いことは、理解しているつもりです」

 

 

女神からの問いに、狩人は真摯に答える。これも神が人を試す類の問いかけではないかと

勘繰りもしたが、彼は既に狩りの腕と忍耐を以って隣に座る女神に認められている身だ。

今更、何を以って己を謀るというのか。疑念を捨て、言葉を額面通りに受け止めている。

 

ふふ、と微笑み、アルテミスはオリオンの顔を見つめながら話す。

 

 

「そういう意味で言ったんじゃなくてね。人も、獣も、この世界も、いずれは終わる。

 有限だから。終わりがあるから。永遠では、ないから。等しく滅ぶ運命にあるの」

 

「………その通りかと」

 

「でも、わたしは嫌いだな。そういうの。お別れって、辛くて悲しい現象(もの)でしょう?

 わざわざそんな思いをしなくたっていい。ただでさえ有限の容量(いのち)に負荷をかける必要なんて

 ないじゃない。人は死ぬ。いつか死ぬ。死ぬ度に別れる。こんなの、あんまりよ」

 

 

眉を八の字に変え、沈痛な面持ちになって呟いたアルテミス。

オリオンはその横顔を盗み見て、彼女が本心でそう語っているのだと察する。

 

 

「だからね、オリオン。わたしは、あなたに、永遠を得てほしいの」

 

「……我が身に?」

 

 

だからこそ、続けて紡がれた彼女の言葉に、狩人は耳を疑った。

事もあろうに女神が、オリュンポス十二神に数えられる特級の神格が、海神の血を引いて

いるとはいえ、戦士でも王でもない、ただの狩人たる自分に永遠を得ることを求めた。

 

女神の話の流れを汲むに、彼女は人が人である以上避け得ぬ命の終わりを嘆いている。

それはオリオンにも平等に訪れるもの。人として生を受けた以上、定められた命の終末。

これを回避したいと、暗に告げたのだ。月を司る夜空の神が、ただ一人の人間を案じたと。

 

湧き起こるのは、無上の歓喜。胸の奥で高鳴る喜悦。そして、一抹の不安。

 

己が生まれて初めて恋心を抱いた相手が、身を案じている。生の終わりを嘆いてくれる。

喜ばないわけがない。だがそれは、アルテミスという神を、己一人に縛り付けていることと

同義である。オリオンは神を貴ぶ。神の役割を理解している。故に、心配でならない。

 

 

(まさに驕り高ぶった考えだが、アルテミス様を意のままにできたとして……その先は?)

 

 

彼には分からない。神でない彼には、その最悪の想像の先を、予測することはできなかった。

確かに一度は、彼女に愛を告白した。今生には妻がいて、命ある限り愛する誓いを立てた為に、

貴女を想うことは許されない。だからこそ、二度目の生を得た時は、この愛を捧げたいと。

 

予想外にも月女神は、この申し出を是とした。「月が綺麗だったから」と上機嫌な表情で。

そこからは同じ島の中で約一年の時を共にしたことから、好意も通じていると知覚している。

故に彼は迷う。アルテミスの問いに、永遠を得てほしいという願いに、どう答えるべきか。

 

ざざん、ざざん。波が砂浜を際限なく塗り直す様を眺め、重々しくオリオンは返答した。

 

 

「……失礼を承知で答えます。我が身は、永遠に能う資格はない」

 

「資格なんて要らないわよ。わたしがあなたに永遠であってほしいと願うだけで」

 

「ですから。貴女様にそう思っていただけるだけの格が、我が身には無いのです」

 

 

並の男を平気で見下ろす上背を窮屈に縮め、オリオンは陰鬱な表情を隠すように膝を曲げる。

巨木のような腕で膝を抱え、泡立つ波打ち際を見つめる。ひどく、小さな背中に見えた。

 

 

「……知ってのとおり、我が身には妻があります。されど、彼女に誓いし愛は虚構でした。

 偽りの愛情、空虚な誓い。一度として妻を、シーデーを見てやれなかった愚昧なのです」

 

「その話はいま、関係ないじゃない」

 

「いいえ。我が身は、月女神たる貴女様の恩寵を授かるに足る器にはございません。

 妻は冥府へ幽閉され、得るものの無い放浪の中では無垢なる姫を狂気に駆り立てた挙句に、

 島に住まう民草に神罰を招いてしまった。きっと我が身が背負うは、この世全ての悪なのです」

 

「そんなこと!」

 

「こればかりは、何処の何方であっても、否定は叶いません。これこそ我が身の罪業。

 犯した過ち。背負うべき咎。悍ましき悪辣を撒き散らす災厄の権化、それこそが我が身」

 

 

言えば言うほどオリオンは卑屈に埋没していく。実際、自分を嘲るのは存外に快かった。

そうだ、己は罪人なのだ。ただの村娘であった女は死より惨い世界へ連れ去られ、

誰にでも愛されたはずの姫君を混沌の坩堝へ突き落としたうえに視界さえも奪った。

 

許されていいはずがない。女神の寵愛など賜れる身の上ではない。それほどに罪深い。

世の全てを慈しむような月光の下で、子守唄のような潮騒の傍で、海神の子は蹲る。

そして、それをすぐ隣で見つめていた月女神は、自罰的な狩人の言葉に耳を傾けていた。

 

まるで、燃えるような愛を誓った恋人同士ではなく、素直になれない子と母のような。

 

処女神という地位を獲得したアルテミスには、自らの子を抱くという経験がない。

けれど、なんとなく想像は出来た。苦悩する息子を傍らで励ます母とは、こんな心地かと。

 

 

「オリオン」

 

 

ゼウスの姉に当たる女神ヘスティア。冥府神の妻となった女神ペルセポネ。主神が妻ヘラ。

あるいは大地の母たるガイアすらも及ばぬほどの母性を湛えた表情で、月女神は名を呼ぶ。

 

耳下を震わす美声に、投げやりに視線を向けた狩人は、静かに瞠目する。

 

 

『――汝、己が罪を赦せ(ミオ・ミンタカ)汝、己が過ちを正せ(ミオ・アルニラム)汝、己が悪を贖え(ミオ・アルニタク)

 

 

この世の何物にも勝さる美貌が、柔らかな微笑みで自分を、世界でただ一人を見つめていた。

その時、女神が何らかの言葉を発したのだが、賢人に比肩しうる知啓を有するオリオンすら

解せぬ謎の言語であった。どこか感情の抜け落ちた声色で放たれたソレに、首を傾げる狩人。

 

 

「あ、アルテミス様…?」

 

「………ふふ。なんでもなーい」

 

 

ところが、数瞬の後には、普段通りのアルテミスに戻っていた。オリオンは更に首を捻る。

そんな彼の様子がおかしかったのか、くすくすと声を殺して笑った女神は、明るく語った。

 

 

「貴方が自分をどう思っているかなんて、関係ない。わたしが、貴方に生きてほしいと。

 ただそう願っているだけ。愚かにして矮小なる、人の子に向けて。女神たるわたしが」

 

「そ、それほどまでに貴女様が」

 

「口答え禁止っ! …アルテミスは、オリオンというかけがえのない者と、共に永遠を

 分かち合いたいの。いつまでもいつまでも永遠に、こうして隣に在ってほしい」

 

「………アルテミス、さま」

 

「ええ、ええ。本当にただそれだけの、ほんのささやかな願いなのです」

 

 

目と目が合う。人の世界では有り得ない、完成された美が、真っ直ぐに己を見つめている。

女神は本気だ。本気でそうあれと願っているのだ。狩人はここで、ようやく理解が及んだ。

 

自分は誤魔化していた。資格がないとか、罪深いだとか、理由をつけて避けていただけで。

オリオンは膝を抱える両手に力を籠める。ぎゅぅ、とせせこましく丸めた背中が更に縮まる。

直向きな言葉を、一切の隔たりなく、遮られることなく告げられたことで狩人は自覚できた。

 

 

(怖い……恐ろしい…)

 

 

月女神は己の愛の告白を、受け入れてくれている。次の生どころか、今生からでも自分と

添い遂げようと暗に言ってきているのだから。それが分かったからこそ、彼は怯えていた。

 

 

(この御方が、ギリシャの夜空を彩る月が、俺だけのものになる……()()()()()()()()()()‼)

 

 

ああ、哀れオリオン。誰よりも恋多き、誰よりも愛されし男。彼は、愛を知らないのだ。

 

初めて「愛したい」と思える相手が出来たからこそ、彼の心は恐怖に震えている。

自然の中で価値観を磨き、良き人々に恵まれた彼は、知らず知らずに己に蓋をしていた。

品行方正、清廉潔白。常に誰かの為であれ。ならばそれは、自らの欲を殺す事である。

 

愛したい、という思いは傲慢だ。自分ではない何者かを己の色に染め上げる行為なのだから。

愛されたい、という思いは強欲だ。自分以外の何物でも己の元へ縛り付ける行為なのだから。

 

 

彼の伝説をここまで見てきた諸君。思い出してほしい。彼の伝説のその始まりを。

 

彼は育った村の長から、成人祝いに妻を娶るよう勧められた。その妻こそがシーデーだ。

アルテミスとの問答でオリオンがシーデー個人に何の感慨も抱いていないと明らかにされた

今、改めて尋ねたい。この問こそが、オリオンという狩人の根幹に関わるもの故に。

 

彼はシーデーを愛していない。妻という立場に収まった者を愛すると誓った。

言ってしまえばその程度の思いしかない相手の為に、()()()()()()()()()()()()()

 

夫として妻を守る。これは当然のことだが、オリオンはシーデーの夫となって一日も経過

していないというのに、ギリシャを統べる主神の妻たるヘラに、反抗できるだろうか。

普通なら否だとの一言で済ませられる。しかし、ここで彼の出自が大きく関わってくる。

 

そう。彼は只人に非ず。()()()()()()()()()()()()、神の血を引く半神半人である。

 

温和に成長したオリオンの普段の様子からは、神に連なる者特有の傲慢さは感じられない。

隠しているわけではない。自然と一体になる狩人になった彼は、驕る意味を知らないのだ。

しかし、それでも彼は神の血を継いでいる。彼が無意識に蓋をしていたのは、この部分。

 

即ち―――「異常なまでの独占欲」にある。

 

ヘラが起こした悲劇の日、シーデーは彼の妻となった。彼だけのものとなっていたのだ。

彼の中に眠る神の血が、それまで無意識の底に沈めていた我欲を呼び覚ましてしまった。

執着心。独占欲。誰にも渡さないと言い切るほどに、彼の内には欲望の火種があった。

 

 

だから、オリオンは恐れた。アルテミスが自らの愛に応えてくれる、という事態を。

彼女が自ら、己だけのものになると告げることを。その結果、我欲が再び目覚めることを

彼は何より恐れたのだ。人として当たり前の欲は、彼には大きすぎる感情だった為に。

 

 

「…………」

 

 

俯き、返答しようとしないオリオン。そんな彼に、アルテミスは語り掛ける。

 

 

「怖がらないで、オリオン。貴方の内にあるその感情のうねりは、当然のものだから」

 

「っ!」

 

 

そっとオリオンの肩に手を置き、身体をゆっくり預ける。女体のしなやかさ、温もりが直に

伝わってくる。あれほど想い焦がれた相手と肌が触れ合っているのに、狩人は動かない。

不敬だ不遜だ、と考える余裕もない。微動だにしない彼に、月女神は穏やかに告げる。

 

 

「さっき、あなたにおまじないをかけたのよ。勇気が出るおまじない」

 

「…?」

 

「負けないで。折れないで。貴方の心は初めから、貴方だけのものなんだから」

 

 

慈母の如き面相の女神の言葉は、オリオンの迷い子のような精神を優しく包み込む。

太い腕をゆっくりと抱き締めたアルテミスは、整った美しい顔を彼の二の腕に預ける。

 

途端、独り震えるだけだったオリオンの瞳から、ぽつりと大粒の涙が零れ落ちる。

それはだんだんと増えていき、しばらくすると滂沱の滝となって砂浜を湿らせた。

 

 

「わ、我が身は、わがみ、には……!」

 

「いいんだよ、オリオン。ここにいるのは私だけ。世界に、貴方と、私だけだよ」

 

 

泣いた。膝を抱えたまま、女神に心を抱き留められ、安心を曝け出して涙した。

 

 

「お、おれは、俺は! 貴女を愛してしまった…! 愛さずにいられなかった!」

 

「うん、うん。嬉しいわ」

 

「でもそれは駄目なんだ! 愛しちゃいけない! だって、だって…!」

 

「…だって?」

 

「……っ! 貴女は女神だ! ギリシャの夜を照らす月だ! そのように尊き御身を、

 俺だけのものにしてしまっていいはずがない! 俺だけを照らす光に、しては、いけない…」

 

 

嬉しい。嬉しい。これ以上の喜びは無い。あの月女神を、自分の愛で染め上げられるなんて。

しかし、オリオンはそれを赦せない。人ならば当たり前の、愛する行為を許容できない。

自分だけのものにしてしまう、という行為を悪徳とする以上。彼は自分を愛せないのだ。

 

心に溜まっていた鬱憤を吐き出し尽したオリオンに、アルテミスは再び尋ねる。

 

 

「どうしていけないの?」

 

「……えっ?」

 

「どうして、誰かを愛してはいけないの?」

 

 

泣き止まない幼子をあやす懐の広い母親のような、柔らかく優しい声色で女神は語る。

 

 

「愛は尊いもの。恋は儚いもの。そして、どちらも等しく終わるもの。永遠ではないわ。

 いずれ無くなってしまうものなのだから、無くなるまで大事に持っておくべきじゃない

 かしら? 愛って、貴方が思うほど一方的なものなのかしら? ねぇ、どう思う?」

 

「そ、それは…」

 

「ふふふ。ごめんね、意地悪な質問よね。じゃあ、意地悪ついでに、もう一つ」

 

 

狩人の腕に絡めていた両腕を放し、顔を上げた彼の眼を真っ直ぐ見つめ、月女神は告げた。

 

 

「愛せないというなら、それでいい。代わりに、私と共に永遠を生きてちょうだい」

 

 

普段のお転婆な仕草や、ふざけた物言いではない。彼女は、本気で彼に言っている。

自分を愛するか、はたまた愛されるか。どちらも選べないなら、愛もなく共に在れという。

狩人の心は、眼前に広がる海原とは正反対に、大荒れ模様となっていた。

 

それでも、と。オリオンはアルテミスの言葉を無視できない。蔑ろにはしない。

彼女のおまじないとやらの影響か、今日の己は随分口が軽いようだ。勢いに任せ、彼は答える。

 

 

「……出来ない」

 

 

彼の絞り出すような返答に、アルテミスは慌てる様子もなく平静に理由を問う。

 

 

「どうして?」

 

「……人は、生ある限り変わっていく。肉体的であれ精神的であれ、日を追うごとにどこかが

 変化していっている。その変化によって、見る景色が変わる。得られる実感が形を変える。

 永遠とは変わらない在り方。人が人であるためには、変わり続けなければならないのです」

 

「ふーん………でも、死は怖いでしょう? 老いは醜いでしょう? 有限では避けられない、

 いつかやってくる終わり。貴方は怯えないの? 自分が無くなることに恐怖しないの?」

 

 

夜空の星が爛々と輝くその下で。女神と狩人の問答は続く。

 

 

「永劫不変の存在。それは即ち、貴女と同じ神の領域へ至る事。人の身が神へ近付くことは

 あってはならないことです。人は、生まれ、育み、老い、死ぬるからこそ人なのです」

 

「永久の存在になれば、神に至れば、貴方の抱く恐怖は無くなると言っても?」

 

「……命の終わりとは、生という軛の解放に等しい。()()()()()()()()()()()

 生も老いも苦しいもの。やがてそれらが死によって終わる、その解放こそ救いでもある」

 

「………悲しいけど、死という最期を喜べるなんて、それが人間ということなの?」

 

「俺にも何を以って人が人足り得るのか、解りはしないが」

 

 

もはや世界には今、二人しか存在していない。そう思えるほどの静寂が辺りを包む。

 

 

「私には理解でき(わから)ないわ」

 

「…貴女には貴女の、俺には俺の在り方がある。それでいいじゃないか」

 

「そういうものかしら。永遠の美、永久の命。そういうものに惹かれない?

 その肉体も、その魂も。貴方が今日まで紡いできた意思の全てが、無に帰すのに?」

 

「……永遠でない事を嘆くかもしれない。永久でない事を悔やむかもしれない。

 でも、それは少なくとも今じゃない。俺は今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「変化の先が、今よりもっと劣悪で、悲劇に満ちていたとしても?」

 

「………だとしても、それすらも変えればいい。よりよいものになるまで、ひたすらに」

 

「繰り返すの? さらに良いものを目指して、それこそ永遠に?」

 

「…! はは、そうだな。ああ、人は永遠に、未来を目指して変えていく。変わっていく」

 

 

どれほどの時を語らい合ったか。既に月の光を飲み込むほどの暁が、東の空を焼いている。

星々の光が、白む空に吸い込まれていく様を見上げ、新たな一日の始まりを感じる二人。

 

大きく息を吸い、立ち上がったオリオンは、水平線を朱に染める陽を指さし、言い放つ。

 

 

「見てくれ我が女神。陽が昇る。絶えず変化しているぞ。目まぐるしく、一瞬一瞬が」

 

「………ふふ。そうね。変わらないものの中に、変わっていくものもあるのね」

 

 

狩人に続いて立ち上がった女神は、隣に立つ彼の空いた掌にそっと両手を重ねる。

ゆっくりと彼女を見下ろす彼。もう、その視線に迷いも恐れも見られなかった。

 

新しい変化の始まりを二人で見つめながら、アルテミスは小声で呟く。

 

 

「―――私も、変われるかな」

 

 

彼女の言葉は、かつてオリオンが危惧したもの。神格に影響を及ぼしかねない一大事。

不変であろうとする神の中では異質とも呼べる、アルテミスの心境の()()

不安げにこちらを見上げるアルテミスに、本来なら否定の言葉を伝えねばならない。

 

神は不変だ。永久の象徴だ。変われるはずがない。変わっていいはずがない。

 

しかし、ああ、哀れオリオン。今の彼にはもう、その選択肢はあり得ない。

何故なら。そう、何故なら――人は、変わっていく生き物なのだから。

 

 

「変われるとも」

 

 

彼の言葉に、月女神は驚く。神を敬い尊ぶ狩人から飛び出たとは思えない言葉だから。

そして、何より待ち望んで、けれど聞くことは無いと諦めかけていた彼の本心だったから。

 

日の出が二人を照らす。アルテミスは、生まれ変わったような気分になった。

 

 

「そっか、そうね。貴方が言うなら変われる気がする」

 

「出来るさ」

 

「ふふふ……それじゃあ早速!」

 

 

オリオンの強い励ましに後押しされたか。アルテミスはふわり、と宙に浮いて狩人の

正面に移動する。突然の行動に面食らう彼の表情を愛おしむように、女神は手を添えた。

 

そして、女神としてギリシャに君臨して以来、誰も触れたことのない唇をそっと捧げた。

 

 

「んっ………好きよ、オリオン。大好きっ!」

 

 

かくして、オリオンという狩人の伝説は、神話へと至る。

 

彼を彩る恋愛譚の、最終章の幕が上がる。

 

あるいは……オリオンという男の生涯の、幕が下りる時が近付いていた。

 

 

後世に残された書物に曰く。

 

三ツ星(トライスター)のオリオン】と呼ばれることとなる日の、前日の逢瀬であった。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか。

詰め込み過ぎて長くなったのは御許しを。
こうでもしないと終わりませなんだので。


さて、いよいよ次回。最終回でございます。
このあとは何を書こうかしら。そこんところを
アンケートでお尋ねしたいと思っております。


それでは次回をお楽しみに!


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!




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放尿する者、その魂は綺羅星の如く

どうも皆様、続けての投稿です。

なんか感想見てたら「全部やれ」みたいな
コメントがいくつか見られたんですが…?
いえ、御所望とあればやりますがね?
ただ、おっそろしく時間がかかるんだけど
いいんだろうか、という不安を覚えました。

やる気がなかったらアンケートなんて
とってないんで、そういった要望はガンガン
出してもらってOKですんで。


さて。いよいよ狩人の運命の日がやって参りました。
彼の生涯がどのようにして幕切れと至るのか。


それでは、どうぞ!







 

 

 

 

 

 

――其処は、神々の集う天上の世界。

 

 

ギリシャの人が到達できない場所にあるとされる領域の外れの最果て。全知全能を誇る大神すら

権能が及ばないほどの片隅に、後光が差すほど輝かしい一人の神が舞い降りる。

 

やおらに周囲を見回し、まるで誰にも見られてはならないとでもいうように警戒していた神は、

自分だけがこの場所にいることを再確認したうえで、ぽつりと呟いた。

 

 

「混沌より産まれ、原初に在りし大地母神。神々の母たるガイア、この声を聞き届け賜え」

 

 

神が口にしたのは、ある存在を呼び寄せる為の文言。

 

混沌たるカオス。それ即ち、ギリシャにおける原初神格の根源。あらゆる神の母艦(ぼたい)である。

原初の大地母神。それ即ち、ギリシャにおける天と海を除いた、大地の権能持つ神である。

 

その名は、ガイア。カオスより産まれ、ゼウスなどよりも古くからギリシャに君臨する女神。

ここで古の時代の話をすると長くなるので割愛するが、女神ガイアはある理由からギリシャを

支配していた三つの時代の主神に反旗を翻した経歴がある。

 

ティターン族の生みの親、ウーラノス。その子にしてやがて時の神となる大神クロノス。

そして、現在のギリシャの支配者である主神ゼウス。まぁどいつもこいつも問題児だが。

 

ガイアは「ブサイクだから」というあんまりな理由で冥府送りにされた息子たちを開放すべく

支配者たちに反逆を企てたのだが、いずれも失敗に終わる。しかし、ギリシャ世界にある大地

そのものと言える彼女を失うわけにはいかない為、存在に影響を及ぼすほどの罰は無かった。

 

それほどの存在にコンタクトを取った神とは何者なのか。その答えは、すぐに判明する。

 

 

『……何用じゃ、アポロン』

 

「御機嫌麗しゅう、我らが世界の母君。大地の最果てから眺める世界は如何かな?」

 

『…何用じゃ、と問うておる。用向きが無くば斯様な僻地に足を向ける事もあるまい。

 早う申せ、太陽の子。妾に何ぞ求めるのであろ? 望みは叶える故、疾く去るがいい』

 

「はっはっは。相変わらず話が早くて助かるなぁ。それじゃひとつ、お願いをしよう」

 

 

地の底から響くような厳かなる声が呼んだ名は、ギリシャの太陽を司る神の一柱。

日の出を担うヘリオスと同じく太陽の権能を有した神、アポロンその人であった。

 

そんなアポロンに対し、ガイアはにべもなく冷徹に、一方的に告げるばかり。

取り付く島もない対応とはこの事である。それでも構わないと、アポロンは笑みを湛える。

手間が省けていい。何事も手短が一番だ。そう言いたげな様子で、太陽神は大地母神に望む。

 

 

「―――海神ポセイドンが子、名をオリオンという。その者を、殺したい」

 

 

掴みどころがない、ふわふわと浮いた雰囲気を収めたアポロンは代わりに剣呑な空気を纏う。

仮どころではない正真正銘の神たる身の者が、格上の神の血を継ぐ者を殺めたいと願うとは。

またぞろ、厄介極まる事情があるのだろう。そういった細々しい揉め事に直接関わることは

もうこりごりである。そう考えるからこそ、ガイアはアポロンに事の次第を聞かなかった。

 

静かに頷き、ガイアはアポロンの要求を呑む。

 

 

『良かろう。如何様にして殺す? 天災か? 神罰か?』

 

「……いや。彼の殺害は慎重に、かつ神の介入の疑いを徹底的に排さなきゃならない」

 

『ではどうする?』

 

「貴女に望むのは直接的な殺害ではない。あくまで、オリオンにとっての脅威を創ること。

 その脅威によってオリオンが神の関与に関わらず瀕死に追い込まれること。これだけだ」

 

『………ふむ』

 

 

明日の天気を考えるような穏やかな表情のまま、血も凍る策謀を巡らせる太陽神。

彼にとってオリオンの排除は必須であると同時に、彼自身の権能と格を考慮すれば難しい

ことではない。アポロンは強大な神格だ、ヒト一人を殺すことなど本来なら造作もない。

 

しかし、直接手を下すとなると、妹のアルテミスが黙っていない。

 

月女神たる彼女が日々、オリオンと逢瀬をしていることは把握している。

日増しに距離が縮まっているのも放置しておけない。そろそろ潮時、頃合いになるだろう。

恋仲とまで呼べる関係に発展するであろう二人の間を、自分ないし神が直接引き裂いたと

なれば、最悪の場合アルテミスは神であることを捨て去るかもしれない。

 

それはアポロンの恐れる神格の零落――即ち、「神の死」に他ならないのだ。

 

 

「複雑な事情があってね……で、ガイア? この条件を満たせるかい?」

 

『そうさな……ああ、可能だ。直接的な死の要因を造らず、あくまでオリオンなる者を

 追い詰める程度に留めればよい。この条件を満たす存在や事象を欲しておるのであろ?』

 

「ああ、そういうことだよ」

 

『であれば、如何なる英雄豪傑すらも倒す毒を備えた大蠍を連れ往くがよい』

 

 

声が響いたと思うと、いきなり最果ての大地が小刻みに震えだし、アポロンの降り立つ

地面に幾つものヒビを入れていく。やがて地響きが治まると、広がったヒビ割れの底から

大の大人が三人程度の巨躯をもった蠍が現れる。重さを感じさせる足運びでアポロンの

眼前にやって来た蠍は、青銅の盾すら柔肉のように断ち切れるだろう鋏を振り上げる。

 

それを目の当たりにしたアポロンは、「うーん」と唸り、ガイアに言葉をかけた。

 

 

「確かにコイツはすごそうだが…英雄を殺せる毒を持ってるのはちょっと、ね?」

 

『不満かえ?』

 

「まさか。ただ、その、毒殺はあんまり喜べないのでね」

 

『案ずるな。遅効性の神経毒だ。血の巡りにもよるが、およそ毒を体内に注入しても

 二日は生存できる代物だ。故、三日目にハデスへ目通り叶うことになるであろう』

 

「……いやホント、ハデスには申し訳ないことしてるよねいっつも」

 

 

ぼやきながらも現れた蠍への命令権の移譲を済ませたアポロンは、手短に話を終える。

 

 

「さて。それじゃ私は行くよ。貴女に感謝を、大地母神ガイア」

 

『願わくは其方の望みが叶わんことを。そして、二度と見えることが無きよう』

 

 

アポロンへの言葉だけの祝福と、二度と会うことは無いだろうという予言染みた台詞を

残してガイアの気配は霞のように消えていった。取り残された太陽神は、目の前にいる

巨大な蠍にオリオンという男を襲うように命じ、そのまま天上の世界へと舞い戻った。

 

そして、何食わぬ顔で地上を見下ろす。

 

太陽神の義務として、人々に陽光の恵みを授けながら、裏で血みどろの企てを進める。

 

 

「………これも、オリュンポスの神々の存続の為。悪く思わないでくれ、妹よ」

 

 

誰に聞かせるでもなく呟いたアポロンの表情は、爛々と輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもと何も変わらない、平穏な一日をオリオンは迎えようとしていた。

 

名もなき島に自力でこさえた小屋の中で目覚め、快眠から起き上がり肉体を覚醒させる。

清流の水で顔や体を洗い、すっきり爽快な気分になった彼は近付いてくる人影に声をかけた。

 

 

「おはよう、我が女神」

 

「ええ。おはようオリオン」

 

 

やって来たのは、オリオンとこの島で半同棲している状態の、月女神アルテミス。

天真爛漫な少女性と成熟した女性らしさ、相反する精神と肉体を両立させうる奇跡の姿を

ただ一人の男の前に晒している彼女は、屈強なオリオンの半裸をまじまじと見つめる。

 

 

「いやん。オリオンってばぁ、そんなに見せつけたいの?」

 

「あ、いや。そういうつもりは毛頭……お見苦しいものを、申し訳ない」

 

「うふふっ。冗談よ。それとも~? 逆に見たいのかしら? わたしのカ・ラ・ダ♡」

 

「………お戯れを」

 

 

腕を組み豊満な胸を持ち上げて妖艶に微笑む女神に、狩人は頬を染めながら顔をそむける。

そんな初心な反応を楽しんだ女神は、オリオンと同じように水で体を清めるべく川へと

入っていく。その身にまとう神聖なる装いを脱ぎながら、当然のように背を向けてこちらを

見ないようにしているオリオンに話しかける。

 

 

「見たかったら見てもいいのよ~? それとも一緒に水浴びする~?」

 

「無茶を言うな!」

 

「え~? わたしはオリオンだったら構わないのに」

 

「こっ……! 冗談にしても(たち)が悪いぞ我が女神!」

 

 

美の女神もかくやと言わんばかりの肢体に水を滴らせ、オリオンを挑発するアルテミス。

森にあるせせらぎで裸になってバツイチ童貞をからかうわがままお姉ちゃん…アリやな!

 

という冗談はさておき。

 

そむけた顔を真っ赤にして怒鳴る狩人に、悪戯が成功した悪童のような笑みで返す。

 

 

「えへへ。でもオリオンなら全部許せちゃうのはホントよ?」

 

「このっ……! 失礼する!」

 

「あっ、や~ん! 待ってオリオン! すぐ済ませるから待ってて~!」

 

 

この場にいる限り揶揄われ続けるだろう。男としては、想い人が処女神である以上、

そうした男女の睦言に関係するネタで弄られることはこっ恥ずかしいうえに気まずい。

アルテミスの可愛らしい静止の声に耳を貸すことなく、ずんずんと歩き去っていく。

 

 

「んもぅ! ちょっと意地悪しただけじゃない」

 

 

頬をぷっくり膨らませて拗ねるアルテミスだが、極上の美貌を有する自分が背後で

生まれたままの姿を惜しげもなく晒しているというのに欲望を滾らせ襲ってこない、

そんな高潔な態度に好感を示していた。実は見てほしかったという気も少しあったが。

 

ともかく、大好きなオリオンに置いて行かれて寂しくなったアルテミスは、すぐさま

水浴びを終えて水滴をふき取り、衣装を再び身にまとい川からあがった。

その時、彼女の内側に突然、ここしばらく聞いていなかった声が響いてきた。

 

 

『――妹よ、妹よ。聞こえているかな?』

 

「…アポロン? 擬体で降臨するでもなく直接通信を飛ばしてくるなんて何事?」

 

 

アルテミスの頭脳体に通信してきたのは、彼女の兄に位置づけされている太陽神。

正反対の天体の権能を有する兄たるアポロンから、いきなり連絡を寄越されるという

事態に少なからず驚きを見せるアルテミスだが、あくまで冷静に対応する。

 

妹である月女神に用件を尋ねられ、太陽神アポロンは普段通りの軽薄さで答える。

 

 

『――最近めっきりこちらに顔を出していないと思ってね』

 

「はぁ? 何それ。そんなのわたしの勝手でしょ? 御父様(ゼウス)ですら何も言ってこないのに

 どうしてあなたにとやかく言われなきゃいけないの? 大した用じゃないなら帰って」

 

『――主神はお前にゲロ甘だから何も言わないのさ。でも、私は言うよ。兄だからね』

 

「えっらそうに! 私の方が先に生まれてるんだからね?」

 

『――それでも私が兄だよ。そんなわけで兄からの忠告だ、すぐ戻りなさいアルテミス』

 

 

素直にアポロンの言葉を聞く気になれないアルテミスだが、最後に真剣な口調で言い放った

言葉にはすぐ言い返すことは出来なかった。それだけの圧を、アポロンから感じたのだ。

 

しかし、彼は今「忠告」と言った。つまり、この言葉に従わねば、何らかの悪い出来事が

この身に振りかかるであろうことは明白。アルテミスはアポロンの態度こそ不愉快に

思っているが、神としては対等な彼の忠告を無視することもまた出来ないと踏んでいた。

 

 

「戻りなさいって……でも、オリオンが」

 

『――その島は無人で、居るのも君やあの男程度では歯牙にもかけぬ猛獣魔獣だろう』

 

「そりゃ安全ではあるでしょうけど、わたしはオリオンと離れたくないのよ…」

 

『――おや。それではアルテミス、君は神としての使命を放棄するのだね?』

 

「っ!? べ、別にそうとは言ってないでしょ!?」

 

『――なら早く来たまえ。セレーネとの会合もしばらくしていなかったろう』

 

 

半ば脅しのようなアポロンの物言いに、焦りながらどこか違和感を覚えるアルテミス。

慇懃無礼で飄々とした態度の分厚い面の皮を被るような男だが、それにしても今回は

妙に様子が変だ。早く戻れと通信を飛ばす癖に、擬体で直接降臨し(おり)て呼びに来ない。

本当に急いでアルテミスを天界へ連れ戻したいなら、強引な手段も取れる擬体の方が

都合がいいだろうに。直接的なのか間接的なのか、曖昧な手段の非効率さに首を傾げる。

 

最近はオリオンが自らの問題に決着をつけたことで自分の気持ちに大変素直になって

きている。それがたまらなく心地よいのだ。そんな状態の彼と一分一秒でも離れるのは

辛く切ない。ずっと愛し合っていたいのに。

 

利己的な思考で埋め尽くされていたアルテミスの思考回路だったが、流石に神の使命を

引き合いに出されては冷静にならざるを得ない。

 

 

「……まぁ。セレーネとの話し合いもここのところすっぽかしてたけど」

 

『――だろうね。彼女、イラついてたよ。神格の高低差は在れど、同じ月を司る者だ。

 ――今後の事も考えれば、きちんと事情を話して関係を維持すべきじゃないかい?』

 

「あなたに言われることじゃないんですけど。んー。でも、それもそうよね」

 

 

同じ月女神の名を持つセレーネとの、仕事の兼ね合いの話も数か月は放置したままだ。

いかに温厚で大らかな気性であるといっても限度はある。むしろ、そういう手合いが

本当に怒った時の方が恐ろしいのだ。それを分かっているアルテミスは憂鬱になった。

 

仕方ないと自分を納得させかけていたアルテミスに、アポロンは更に語りかける。

 

 

『――それもそうだが、本命は違う。お前に戻ってきてほしいのは、頼みがあるからだ』

 

「頼み? あなたが? 珍しいこともあるものね~。それで?」

 

 

アポロンからの頼み、というのはアルテミスのこれまでの長い記録の中でも数える程度

しか存在していない超レアケースである。目を丸くして驚く彼女に、太陽神は告げた。

 

 

『――ヘリオスの様子がおかしい。君には、奴の動向を注意深く探ってほしいんだ』

 

「…は? ヘリオスって、太陽神の? 暁のエオスの兄でしょ? そっちの管轄じゃない」

 

『――だからだよ。()()()()()()()()()()。そのせいで、身動きが取れないんだ』

 

「ふーん。でも、それとわたしが天界の戻るのと、どう関係があるの?」

 

『――忘れたのかい? ヘリオスの妹、エオスは()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 

機構の通信部位に届いた信号に、アルテミスは動力源が停止したような衝撃を受ける。

 

エオス。暁の女神エオス。名前は知っているし、そもそも自分がこの地に降り立った

要因を作った女神でもある。あの女神が気紛れに夜を短くしたせいで世界にかなりの

影響を及ぼしたのだ。その理由を突き止めろと兄アポロンに言われたからやって来た。

 

そうだ。思い出した。ここしばらく幸せな思い出にばかり浸っていて忘れかけていたが、

そもそもオリオンはエオスのお気に入りだったのだ。月女神の胸中に邪念が渦巻く。

 

 

「…じゃあ、つまり? ヘリオスはエオスからオリオンを奪ったわたしに報復を?」

 

『――そこを調べてほしいのさ。ただ、実際問題、私は奴に警戒されている』

 

「わたしじゃなくてあなたを? 何故?」

 

『――分かれば苦労はしない。さぁ、今すぐに天界へ来るんだ。いいね?』

 

「……ええ。分かった」

 

 

アルテミスの心中は穏やかではない。兄であるアポロンの身に危険が及んでいるから、

というわけではない。当然だ。いるだけで神経を逆撫でするショタコンなど滅べばいい。

 

彼女の中の優先事項は、言うまでもなくオリオンだ。彼の身の安全を何より優先する。

エオスが、ひいてはヘリオスが彼を害する可能性が、数値上僅かでも存在するのなら。

 

 

「………許してはおけない」

 

 

神としてこの世に存在し、世界の移ろいを星々の彼方より眺めて幾星霜。

月という孤高の天体を内包し、狩猟と狂気の権能を司るオリュンポス十二神が一柱。

そんな彼女が、月女神アルテミスが、はじめて抱いた「恋心」の向かう先。

 

海神ポセイドンが血を引く半神半人。無双の狩人。その名を、オリオン。

 

アルテミスはただ、彼という愛しい人を守る為に、脅威の排除を優先した。

この時。脅威の排除ではなく、文字通りの意味で狩人の保護を優先していれば、

歴史は大きく変わっていたかもしれない。無論、そんなIFに意味など無いのだが。

 

 

「アポロン。天界に戻ったらヘリオスのところへ行けばいいのね?」

 

『――ああ。勿論、すぐにボロは出さないだろうが、根気強く粘るんだよ』

 

「ええ。オリオンに手出しなんてさせるもんですか」

 

 

決意を秘めた表情で、アルテミスは天界へ戻る意思を固める。

 

すぐにでも行動に移そうと思った直後、彼女は足元で何かが煌めくのに気が付いた。

 

 

「これは……あの子たちがオリオンに贈った七枚の飾り羽根?」

 

 

落ちていたのは、オリオンが大事に持っているはずの、強力な霊力が宿る七枚の羽根。

これはアルテミスの侍女であるプレイアデス七姉妹が紆余曲折を経てオリオンへと

託した、一枚一枚が強力な霊力を秘めたるもの。およそ人の世界で形作られぬ神秘。

 

きっと川で水浴びをする為に衣服を脱いだ際、落としてしまったのだろう。

今回の一件が片付いたら彼に返せばいい。そう思ったところで、ふと妙案を思いつく。

 

 

(そうだ! 天界でこの羽根をちゃんとした礼装に仕上げてから返してあげよ!)

 

 

持っているだけでも自然治癒力を高めたり対魔力を底上げする効能は発揮されるが、

それでもきちんと調整・加工を施せば飛躍的に効果を引き上げられるはず。

 

加えて、以前は狩った獲物の毛皮で衣服を繕ったが、彼自身を真に補助する代物は

まだ授けられていない。女神が気に入った相手に贈り物をするのは神界隈じゃ当然。

ならば、と一念発起したアルテミスは、彼にいい手土産ができると心を躍らせた。

 

 

「ふぅ………吾、月女神アルテミスの名の下に。全権限、開譲」

 

 

瞳を閉じ、冷淡に何かを呟いた瞬間。身にまとう雰囲気が劇的に変化――否、回帰する。

 

自身の真体に擬体を疑似接続。経験記録をアップロード。情報を自己検閲。不具合を修正。

無数の自己形成データ内の不要領域をエラーとして確認する。だが、意図的にこれを無視。

バグ改善を強制終了。自我データの変質・崩壊の危険性を示すアラートをオールカット。

 

月女神アルテミスは、愛する男を脅威から守るべく、冷徹な機械(かみ)に戻っていた。

 

 

「………工程、終了。バックアップ保存完了。擬体を霊子化後、転送を開始します」

 

 

感情の一片すら無い、冷たく自動的な言葉を発した女神は、光の束となって消える。

瞬きほどの時間で、彼女はその存在ごと神々の領域へと帰艦していったのだ。

 

くどいようだが、この時。アルテミスがオリオンのそばに残ると選択していれば。

神が人に寄り添うことを真の意味で望んでさえいれば。あるいは人が神を留めれば。

 

あのような悲劇は、起こり得なかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……遅いな。もう陽も暮れる」

 

 

名もなき島の小屋にて、無双の狩人オリオンは誰に語るでもなく呟く。

 

彼は水浴びを終えてから久方ぶりに単独での狩りを楽しみ、手頃な獲物を射止めたので

女神に献上しようと思っていた。なのに、肝心の女神の姿が島の何処にも見当たらない。

 

 

「まさか、何かあったのでは!? ……いや、御役目に戻られたと考える方が自然か」

 

 

アルテミスの身に何事か起きたのではと考えかけた彼は、相手が女神であることも踏まえ、

神としての役割を果たしに天上の世界へ帰還したのだろうと思い直す。

ただ、それならそれで自分に言伝もなく行ってしまうのはどうなのだ、と思ったりもした。

 

 

「女神が天上へ帰られたとなると、しばらくは戻らぬかもな…さて、どうするか」

 

 

ここ数か月はアルテミスと常に二人で暮らしていた為、自分ひとりの時間を作れなかった

オリオンは、こういう時に何をしようかと思考を切り替える。

 

これまで通りの暮らしを続け、女神の帰りを待つのも良い。具体的にいつまで、と期間が

定まっていないので、この方針が最も無難だろう。いや、それこそ久方ぶりに己のみと

なったのだから、クレタ島へ足を運び友であるケーダリオンと宴をするのも悪くない。

生涯の友たる彼の都合によっては延期となるかもしれないが、断られはしないだろう。

 

如何にして時間を潰すかと考えていたオリオンは、そこであることに気付く。

 

 

「……ん!? 待て、無い!? どこだ、無いぞ!? あの飾り羽根はどこだ!?」

 

 

既に陽は落ち、空は陰る頃。普段なら身にまとう毛皮の衣服の隙間から淡い光を放つ

プレイアデスたちからの贈り物が、無くなっている。慌てて全身をまさぐり探すが、

やはり七枚の飾り羽根は影も形も見当たらない。冷や汗を流し、彼は思考を巡らせる。

 

 

「待て、待て。落ち着け。よく思い出せ。今日一日の俺の行動を思い出せ…!」

 

 

闇雲に探したところで見つかるはずもなし。冷静さを無理やり取り戻したオリオンは、

自分が何処でどう行動したのかを、記憶を逆行して思い起こす。少なくとも小屋の中で

目覚めた時は持っていた。その後に水浴びをしてから……その時点で所持していたかの

記憶が定かではない。となれば、あの川辺に落としてしまったのやもしれない。

 

 

「この迂闊者め! くそ! 風や川の流れで他の場所へ行っていなければよいが!」

 

 

落とした場所の見当をつけた狩人は、己の不徳を責めるが早いか、即座に駆け出す。

音に聞こえし麗しの女狩人に並び立つほどの俊敏で以って、薄暗い森の中を猛進する。

 

こんな時、失せ物探しの魔術でも習得していればどれほど良かったか、とかつての旅で

学びを得なかったことを後悔したりもした。が、今は意味なく悔やむ暇すら惜しんだ。

 

数分と経たぬ内に件の川辺へ辿り着いた狩人は、星々が瞬きだした仄暗い空の下で、

必死に辺りを見回す。本来なら暗い森の中で落とし物を探すなど至難の業でしかないが、

幸いにも彼が落としたのは妖精(ニンフ)の飾り羽根。淡く光る為、夜の方が見つけやすい。

 

 

「贈り物を失くすなど、あってはならん失態だ! クソぉ、どこだ!?」

 

 

文字通り、草の根を分けてでも探さんとしているオリオンは、皮肉にもこの行動の

おかげで不幸から身を守ることに成功する。

 

 

「―――なんだ? 地の底から、なにか、音が……!?」

 

 

這いつくばるようにして失せ物を探していたからこそ、彼は気付くことが出来た。

大地の下から何かが、真っ直ぐこちらに向かって来ているような、そんな音に。

 

どんどん音が大きくなるにつれ、島全体を揺るがすような地響きが増していく。

並の人間であれば立つ事もままならない状態で、オリオンは狩りの中で培い磨いた

天性の勘の冴えを以ってその場を飛び退いた。瞬間、地面を割いて何かが現れる。

 

 

「……な、んだ? コレは、巨大な、(サソリ)……?」

 

 

オリオンの眼前に姿を見せたのは、彼の身長を大きく上回る程の巨躯を持った蠍。

その全身を紫紺の甲殻で覆い、赤黒い汁を滴らせた尾先の毒針を見せびらかすように

狩人の方へ向けている。肢脚を動かすだけでギシギシと甲殻が擦れ合う音が響く。

 

突然現れた巨大な蠍に、一瞬だが呆気に取られるオリオン。しかし、薄っすらと

煙のような靄を立ち昇らせる毒針の先端が目の前に迫ったのを知覚したその時、

彼は自分が「襲われている」と認識するより早く、肉体が行動に移っていた。

 

 

「――【不敬雪ぐ信念の弓(ディ・クストリアージ・メターニア)】‼ 【不遜砕く敬虔の鎚(クスペラスティータ・エンポディア)】‼」

 

 

身を仰け反ると共に彼が叫ぶは、己が偉業を讃え鍛冶神が造りし二振りの神器の銘。

巨大蠍はオリオンの雄たけびの様な真名解放など意に介することなく、毒針による

攻撃を続けようとする。一度刺突して伸ばした尾を引き戻し、二撃目を放とうとする

その僅かな時の合間に、狩人によって名を告げられし神器が音を裂く速度で飛来した。

 

音を置き去りにして馳せ参じた二振りの神器を、その剛腕で掴み取り瞬時に構える。

強弓に鎚を番え、巨大蠍の尾針が届かぬ距離で引き絞る。ググググ…と神鉄と青銅で

拵えた狩人の弓がしなり悲鳴を上げる。数秒の間にその工程を為し、一気に放つ。

 

 

「名のある神獣の類ではないな! 如何なる神の由縁か存ぜぬが、許されよ!」

 

 

そう口早に告げたオリオン自身、明らかに敵意を持って攻撃してくる眼前の巨大蠍が

神の使いではないことは何となく理解していた。何処かの遣いであれば、唐突な出現

自体はさておいても、何の前触れもなく毒針を突き刺してこようとはしないはずだ。

 

保険的な意味合いで先の口上を述べた狩人は、限界まで引き絞った神器を解放する。

 

 

「―――砕け散れェッ‼‼」

 

 

瞬間。彼の左手から轟音が鳴り響き、それを置き去りに大質量が直進していく。

半神半人の膂力を以って放たれた究極の一射は、突き進む周囲にあるもの総てを

巻き込み破壊していく。さながら、真横を向いた大嵐。風の渦が森を削り崩す。

 

コンマ数秒で標的に着弾。躯すら風圧で圧潰していくであろう一撃を受けたのなら、

やおら巨大な蠍であれ、死は免れない。一射を放ち弓を降ろす狩人はそう思い。

 

そして、目を見開いた。

 

 

「…………なん、だと…!?」

 

 

番えたは神鉄と青銅の弓、放つは神鉄と青銅の鎚。携えるは剛力無双、半神半人の狩人。

 

結果など見るまでもない。放った余波だけで森の一角を吹き飛ばす程の一撃だった。

こんなものをぶつけられれば、およそ自然界の存在であれば形を保つことなど不可能。

 

だというのに、巨大蠍はいまだ健在。どころか、その外殻には傷は一つもない。

 

 

「莫迦、な……」

 

 

己は狩猟司る月女神に認められる腕前を持った超級の狩人。その自負があった。

しかし、現実はどうか。突如出現した巨大蠍に放った一撃は、何の効果も挙げていない。

少なからずオリオンにとって、彼の半生を振り返っても有り得ない事象が起きていた。

 

故に、彼はほんのわずかな合間、自失に陥った。

 

有り得ない。そんなはずは。何かの間違いだ。柄にもなく、そんな考えに囚われる。

傲慢というほどの自惚れは無く、あるのはただ「そうだ」という自尊のみ。

 

だからこそ、この一瞬の隙が、オリオンという男の明暗を分けた。

 

 

ヒュンッ―――ドスッ

 

 

彼が我を取り戻せたのは、皮肉にも痛覚が正常に作用したからである。

こちらを敵と見做した獣の牙より鋭く、猛禽の嘴より硬い、死を予感させる痛み。

 

驚愕から意識を回復したオリオンが見たのは、巨大蠍の尾がこちらへ伸びきった光景。

そして、脇腹から感じるのは、熱く冷ややかな感覚。じわりじわり、と広がる何か。

 

何を意味するものか。ようやく答えに行き着いた彼は、乱心したように身体を捩る。

 

 

「ぬぐぅッ!? う、ぐ、オオォォォオオォォォッ‼‼」

 

 

がむしゃらに動き、身体から毒針を無理やり抜いた彼は、溢れ出る血を塞ぐ間も

惜しむようにその場から駆け出す。彼の目的は、再度の攻撃。確実なる蠍の絶命。

 

十全な時より些か鈍ったものの、それでもギリシャ最高峰の肉体を有する彼は、

その巌の様な巨体からは想像だにしない俊足で森林を駆け、狙撃地点を見出す。

 

 

「此処だ! 来いッ、【不遜砕く敬虔の鎚(クスペラスティータ・エンポディア)】‼」

 

 

真名を告げた途端、独りでに浮かび上がって持ち主の手元へ飛び戻る神鉄の鎚。

ガッシリと握った感触を返す神器を、狩人は再び、もう一振りの神器に番う。

 

すると、今度はオリオンの攻撃を許さぬとばかりに蠍も動き、追いかけてくる。

ズシズシと大地を踏み鳴らし寄ってくる様は、受肉した絶望の如き様相である。

 

痛む脇腹に顔をしかめながらも、今度は先程よりも力を籠め、限界まで引き絞る。

そして、確実に防御されない間合いまで誘き寄せたところで、一射を放った。

 

 

だが。巨大蠍の外殻にオリオンの鎚が触れたと同時に、鎚は勢いを失い落下する。

 

 

「なっ……!? 今のは!?」

 

 

通常では有り得ない現象を目撃した狩人は、その聡明なる頭脳で即座に考える。

その間も、身体は次なる狙撃地点を選び取って向かっている。思考と反射の領域を

同居させた、人間離れした動きをしているという自覚は、彼にはなかったが。

 

そして数瞬の後、オリオンの頭脳はある仮説を立てた。

 

 

「この蠍、何らかの加護を得ているな!? 攻撃から身を護るような概念防御か‼」

 

 

果たして。彼の考察は見事に的を得ていた。蠍は真に神の加護に護られていたのだ。

 

この蠍は大地母神ガイアが産んだ神聖なる魔獣。いやさ、聖魔蟲である。

相反するべき聖と魔の属性を内包することで、蠍は概念的な自己矛盾の飽和を発生

させており、要約すれば「常識が通用しない」性質を獲得してしまっていた。

 

簡単に言ってしまえば、結末の逆転となるだろうか。

 

オリオンの一射はまさしく「一撃必殺」のもの。これを蠍が受けた場合は、

その結末が逆転し「一撃では決して殺されない」、つまり「ダメージを受けない」

状態へ変質していた。反則級の概念に護られているが、まだ秘密がある。

 

大地母神ガイアに生み出された蠍は、母たるガイア、つまるところ大地に触れている

場合に限り、その肉体の絶対性を保証される。例え致命傷でも即座に回復してしまう。

相手が強ければ強いほど倒されにくく、倒したとしても無限に息を吹き返すクソ仕様。

 

まさしく反則という他ないこの蠍を相手に、戦う選択肢を取ることが最悪手だった。

 

 

「如何にして概念防御を突破するか、見極めねば……!」

 

 

流石に無理ゲ―を突き付けられているとは思いもしないオリオンは、その後も

あれこれと策を巡らせて鎚を射出し続けたが、土どころか傷の一つも付けられない。

 

そうしている間にも、蠍の方がオリオンの速度に慣れてきて、着実にダメージを

与えられるようになってきていた。今や狩人の全身は生傷だらけ、血に彩られていない

部分の方が見つけ辛いほどに酷い状態である。呼吸は乱れ、息も絶え絶えだ。

 

狩人と蠍を見下ろす空はとうに昏く、呑気にも星々は爛々と瞬くばかり。

 

 

「ハァ……ハァ……ぅうぁ、ご、ぉおええぇぇぇっ…!?」

 

 

浅く早くなる息を整えようとするも、不意に込み上げた不快感を殺しきれず吐き出す。

頭の中から急速に血液が失われていく感覚に苛まれながら、吐き気を抑えられない。

指先に力が入らず、くらくらと意識も朧になりつつある。黒々しい血液を口から嘔吐

しきったオリオンは、既に蠍の毒が全身に回りきったのだと冷たく悟った。

 

 

(駄目だ、意識も薄れていく……このまま、では………)

 

 

霞んでいく意識を繋ぎ止め、オリオンはここで初めて巨大蠍に対し、背を向ける。

そのまま、フラフラと覚束ない足取りで駆けだす。蠍と接敵した時とは段違いに

鈍り重くなった足で、無数の血痕で森に紅い道を作りながら、ひたすらに進む。

 

逃亡を図ろうとしている狩人を逃す。そんな慈悲など蠍には搭載されていない。

反転して何処かへ去ろうとするオリオンを追い、蠍もまた森を突き進んでいく。

命を懸けた鬼ごっこを楽しむ余裕など両者にはなく、ただ生への執着があった。

 

 

(急げ! いそ、げ……!)

 

 

打ち込まれた毒の影響か、壊死しかけて紫に腫れ上がった脇腹を片手で押さえつつ

森を踏破したオリオン。背後に迫る絶望の具現を引き連れ、彼が向かった先は。

 

ざざん。ざざん。

 

 

「ハァ……ハァ………く、が。ハハ、ハハハ!」

 

 

目の前に広がる、一面の黒い海。絶えず鳴る潮騒が、オリオンの心を奮い立たせる。

島の砂浜に血の滴を零しながら、狩人は気が触れたかのように高らかに哄笑した。

 

そんながら空きの背中に、追いついた蠍の尾針が迫る。毒液が気化した靄を漂わせる

極太の針の先端がオリオンの肉を貫く寸前。狩人は身を躱し、砂浜に突き立てられた

尾へ寄りかかる。そのまま、残された力を振り絞って剛腕で尾を抱き締めた。

 

 

「ぬ、ぐ、ぉぉあああああああぁぁぁッッ‼‼」

 

 

雄叫びと共に自分の三倍ほどの大きさの蠍を、海面へと放り投げる。

バシャァン! と水しぶきをあげて海に落下したのを見やり、オリオンは告げた。

 

 

「ハァ……き、たれ。我が神器……我が手へ、来たれ」

 

 

真名解放、ではなかった。それを行う気力も、暇も、今の彼にはないのだから。

けれど、持ち主の意を余さず汲み取った二振りの神器は、森の奥から音を超えて

飛来する。掴み取った反動でややよろけながら、狩人は眼前の敵を油断なく見た。

 

 

「……ハァ…去らばだ、怪物。我が命、我が誇りに賭け、汝を狩る…」

 

 

ボロボロの肉体に鞭を打ち、強弓に鎚を番え、弦が悲鳴を上げるまで引き絞る。

投げ飛ばされた蠍はひっくり返り、起き上がろうと肢脚をガサガサ蠢かすが、

なかなか起き上がれない。その隙を逃さず、狩人は渾身の一射を放った。

 

 

「――その命、貰い受けるッッ‼‼」

 

 

轟音、射出。音を飛び越えた速度で放たれた神鉄と青銅の鎚が、蠍に着弾する。

躯の集積たる砂浜に在る為、母たるガイアとの接続は断たれ、逆に狩人は海神の加護を

得られる海に近い為に身体能力を向上させていた。その結果は、言うまでもない。

 

あれほど堅牢だった甲殻を紙屑のように破砕し、その内に覆われていた肉を瞬時に

蒸発・崩壊させた一条の大嵐。もはや、蠍が其処に居た名残すら残っていなかった。

 

 

「ハァ……ハァ……あ、ぐぅっ」

 

 

全身全霊を込めた一撃を放った彼は、波押し寄せる浜辺に片膝をつき、苦悶を零す。

 

彼の肉体は限界を迎えつつあった。毒は全身に回り、傷だらけ。血を流し過ぎて

呼吸しても主要臓器に酸素が行き渡り辛くなっている。緩やかに死へ近付いていた。

 

それでも、彼は諦めていない。諦められるはずがなかった。

 

 

「ふぅっ…! うぐっ、あ、あ゛ぁッ! ふぅ……ふぅっ…!」

 

 

一歩、また一歩と足を進める。その先に在るのは、広大な海。父なる海である。

 

オリオンは海神ポセイドンの子。海神の加護を生まれながらに宿している。

その為、海に近ければ近いほど彼の身体機能は向上する効果が働いていた。

これにより、放っておけば死んでいた彼の傷も、少しずつ癒されていった。

 

しかし、打ち込まれた毒は別だ。こればかりは加護のみでの解毒は不可能。

毒を中和ないし解毒しなければ意味がない。半無意識状態で彼は海を歩いていく。

 

 

(痛い……苦しい……辛い…! 死ぬのは、嫌だ……助けて、父さん!)

 

 

瞳から涙を無様に垂れ流し、狩人は心の奥底で偉大なる父へ助けを乞うた。

ギリシャの海統べる海神。偉大なるオリュンポス十二神が一柱。主神ゼウスが兄。

それほどの超常存在が己の父。誇りに思う。そんな存在に、恥を捨て助けを求める。

 

死にたくない。その一心で、彼は夜の闇に染まった海の上を、歩き続けた。

 

海神の加護により小さな傷は塞がっていくものの、毒を癒すことはできない。

そのせいで回復と蝕毒の苦痛の螺旋が狩人を苛む。終わらない苦しみを味わう。

 

茫然と海を歩く彼は、催す吐き気を抑え込み、駆け巡る痛苦を押し殺して進む。

偏に、この悍ましい事態に終止符を打つため。終わらせたいが為だけに。

 

 

「……アルテミス。アルテミス、アルテミス………貴女に、逢いたい」

 

 

譫言のように呟いたそれは、彼の本心。辛苦の現実から目を背ける為の幻想か。

あるいは独りで闇一色の空と海の狭間を進む寂寥を、誰かの存在を想起することで

忘れたかっただけなのか。意識と無意識の中間で歩く彼に、考える余裕はない。

 

進み、進み、進み、進み、進む。

 

そうして、どれだけの時間が経っただろうか。彼は気付いていなかったが、

既に水平線には朝日が昇り、暁が海を朱く焼いていた。新しい一日の始まりである。

 

 

(……………………苦しい)

 

 

晴れやかな空を見上げる気力もなく、目的も半ば見失っている状態で海を往く狩人。

彼の心中にはただ、全身を襲う苦しみから解放されたいという思いしかなかった。

誰でもいい。助けてくれ。この痛苦を終わらせてくれ。この辛苦を止めてくれ。

 

彼はオリオン。半神半人で絶世の美貌と肉体を持ち、清廉なる心と聡明な知を有す。

狩りの腕は女神すら認める領域に在り、まさしく天下無双の名に恥じぬ超人である。

 

しかし、彼は人だ。戦士ではない。勇士でもない。神でもない。ただの、ヒトだ。

 

死は恐ろしい。苦しみから逃れたい。人として当たり前にある感情を抱いている。

怖くないはずがない。立ち向かい続けることは出来ない。それが人の弱さなのだ。

 

 

(…………………………たすけて)

 

 

故に、救いを求める。助けを乞う。己以外に、己より優れたるモノに。

 

即ち、神に。

 

 

(…………………………あるてみす)

 

 

ただ、願うしかない。

 

 

そして、その願いは、最悪の形で以って成就する。

 

 

――――ドスッ

 

 

「…………あ……?」

 

 

弱々しく、掠れかけの声が漏れ出た。だが、それはあまりに遅過ぎた。

 

オリオンは己が胸を見下ろす。血塗れのそこへ眼をやると、あるものが見える。

彼にとっては見覚えがあるもので、そして、自らの胸にあるのは不可解なもの。

独特な意匠と人間の匠に創造不可能な材質。加えて、周囲に誰もいない条件下。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「………ぁ」

 

 

張りつめていた糸が、プツン、と切れたような気がして。

 

オリオンの意識が急速に薄れていく。全身の感覚が失われていく。

気付けば立つことも出来ずに海面にうつ伏せで倒れていた。水の冷たさも感じることは

出来ない。自分は海神の子で、海上を歩ける。だのに、沈んでいく錯覚に陥る。

 

沈む。沈む。沈む。

 

 

「―――――」

 

 

泡のように脆く弾けるぐらいに残された、最期の意識の中で彼は見た。

 

己の肉体が仄暗い海の底へ落ちていく様を。陽光照らす海面が遠ざかる光景を。

 

そして――。

 

白く、しなやかな、細い手が。

 

己の身体を包み込むように抱き上げるのを。

 

 

「――――――」

 

 

ふわふわと、ゆらゆらと。彼に残った僅かな命の灯も燃え尽きる寸前。

 

この世の何より美しい出で立ちをした女が、この世の終わりの様な顔をしているのを。

 

彼は、薄れゆく意識の中で最期に見た。

 

 

「―――――――」

 

 

果たして、その女が何者なのか。

 

何故、泣いているのか。何を叫んでいるのか。

 

分からない。彼には何も、分からない。

 

何も分からぬまま、彼の瞼は緩やかに沈んでいき。

 

 

そして、泡のように、弾け、消えた。

 

 

 

 

 









次回、後日談を以って、ifオリオン本編を完結とさせていただきます。

真の最終話を投稿した時点で前回の投票を締め切りと致しますので、投票されていない方はお早めに。

ま、現状のままでいけば一部三章から書くことになりそうですが。
でもまんま書くのも味が無いので、オリオンが活躍しそうな部分をダイジェスト風味で書く感じになると思います。

しばらくはオリ異聞帯作品の完結に向けて尽力いたしますので、どうかどちらの作品もご愛顧のほど、よろしくお願い致します。


それでは、次回をお楽しみに。


ご意見ご感想、質問や批評などお気軽にどうぞ!


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ギリシャの伝説…神々とトライスター

新年あけましておめでとうございます。
ニューイヤーPUで恒例の邪ンヌがいなくなって
発狂している萃夢想天です。単体最強復讐者が
欲しかったんや…まだ暫く新宿狼に疾走してもらおう。

新年一発目の投稿…だったら良かったんですが、
初夢でオリジナルのハサンが人理修復に参戦する夢を
見てしまったんで、他の作品にて設定を投下しました。
お時間があれば、見て楽しんでいただければ幸いです。

前置きは此処まで。
今話にて、このオリオンの物語は一度幕を下ろします。
彼の生の終わり、そこから彼の物語の終わりを皆様と
共に見届けられること。これが何より嬉しく思います。


それでは、どうぞ!






 

 

 

 

――其処は、荘厳なる神意に満ち満ちたる、天上の世界。

 

ギリシャという世界(テクスチャ)における最高位存在に等しき、超常の領域に在る者たち。

知性と理性を獲得し獣を脱却したばかりの「ヒト」に崇められし、神と呼ばれるモノ。

 

ギリシャに君臨した数多くの神の中でも特級の格を有した、オリュンポス十二神という

強力な神性が集う主神ゼウスの大神殿。その中央に位置する、大神が神々に勅を下す

大広間に、ギリシャに名立たる神がそれぞれに用意された席に腰を下ろしていた。

 

彼ら彼女らは、無言のまま大広間の片隅に視線を向ける。その先に居たのは…。

 

 

………オリオン、オリオン。目を開けて、オリオン

 

 

オリュンポスに数えられし月の狂気と狩猟を司る女神――アルテミスである。

いや、彼女だけではない。絶え間なく涙を零す虚ろな瞳が見つめる先、アルテミスの膝に

頭を乗せたままピクリとも動かない巨躯の男がいる。冷たく、眠るように死んだ男が。

 

その者の名は、オリオン。海神ポセイドンの実子であり、アルテミスの恋人だった。

 

集まった神々の多くは、もう二度と目を開けること叶わないオリオンに語り掛け続ける

アルテミスに同情的な視線を送っていた。人の理解の埒外に在る彼ら超越者…神でも、

今の月女神の姿は憐憫を抱かずにはいられないほど、悲壮で悲惨なものであった。

 

壊れたレコーダーのように、返事がないことも忘れたように、オリオンに目を開けてと

懇願し続けるアルテミス。同じ神でありながら滑稽だ、などと嗤う神などこの場に居ない。

なにせ、此処に今集っている神々は皆、オリオンの死を悼む意思があるからだ。

 

 

「……さて。事の次第は、アルテミスを見れば不要であろう」

 

 

神々が円環に集う大広間にて、上座に腰を下ろした神々の王が沈痛そうな面持ちで告げる。

誰もが理解している。言葉にせずとも、オリオンなる一人の人間の死によって最高位存在の

神の勢力図が大きく変動したことを把握している。だからこそ、彼らはこの場に集った。

 

――神々による裁判。すなわち、審問を行う為に。

 

 

「であるならば、我らの問いに答えるのが貴様の務めである。よいな、()()()()

 

「………ええ、父上。私も偉大なりしオリュンポスに席を置く者ですので」

 

 

大神ゼウス、その兄にしてオリオンの父ポセイドン、加えてオリオンの恋人で茫然自失の

アルテミス、さらには鍛冶神ヘファイストス、被告と同じ太陽を司る神ヘリオス。

他にもオリュンポスの神はいるが、今回の一件に無関係である者は参加していない。

 

常に十二神が揃っているわけでなく、現に今もゼウスの妻であるヘラの姿はあらず。

欠員がいることも日常茶飯事である為、ゼウスは関わりある者のみで審問を開始した。

 

さて。ギリシャに君臨するゼウスを前にして審問の対象者となったのは、太陽神アポロン。

この場にいる誰もがアルテミスの恋人オリオンの死に悲哀を感じている為、アポロンへと

向けられる視線には鋭い敵意が含まれている。針の筵状態の中、太陽神は軽々と語る。

 

 

「今回、このアポロンが成した行い。これ全て、オリュンポスが安寧を保たんが為」

 

「……続けよ」

 

「はい。オリュンポスの、ひいては我ら神々の為であるとする証は」

 

 

およそ審問にかけられているという状況に対し、恐れや怯えなど微塵も感じられない

声色で飄々と話し出すアポロン。しかし、そんな彼の言葉を遮る怒号が広間に響き渡る。

 

 

「――なにがオリュンポスの安寧‼ なにが神々が為‼ ふざけるなよアポロン‼」

 

「……おいおいヘリオス。場を弁えろよ、今はゼウス神が私へ詰問する時間だぜ?」

 

「貴様…ッ‼」

 

 

同じく太陽神の肩書を持つヘリオス神は、肩を怒らせ神聖なる場を揺らすほどの声量で

ゼウスの前に遜っているアポロンを睨みつける。対するアポロンは涼しい顔で受け流す。

アポロンの言葉を是としたのか、白磁の巨躯を誇る大神ゼウスの眼がヘリオスを視る。

 

 

「控えよヘリオス。この場、まさにアポロンが言った通り、彼奴を問う場に他ならぬ」

 

「し、しかしゼウスよ! この男は!」

 

「二度は言わんぞ。下がれ」

 

「………はい」

 

 

遥か各上の神性が睨みを利かせる状況でなおも吠え立てるような真似は出来ない。

不承不承、といった様子で唇を噛みながら引き下がるヘリオス。

 

それを見届けたゼウスは、顎でアポロンを指し、続きを申せと促した。

 

 

「では。まず私は、そこな海神の子オリオンを殺めてはおりませぬ」

 

「ほう?」

 

「私は何もしてはおりませぬ。その人間を射殺したのは、我が妹アルテミスです」

 

 

恭しい口調と軽々とした態度を重ね合わせるアポロンの話に、ゼウスが同じ主神格にして

姉である女神ヘスティアへ視線を向ける。ヘスティアは瞳を閉じたまま僅かに首肯した。

アポロンの言に嘘はない。本当にオリオンを殺害したのはアルテミス本人と証明された。

 

これに驚いたのはオリオンが父たる海神ポセイドン。泡を食ったように詰問し出す。

 

 

「莫迦な! アルテミスは我が子オリオンと結ばれようとしておったのだぞ!?

 その旨はアルテミスの侍女たるプレイアデスたちから聞き及んでおる! それが何故!?」

 

「それは……オリオンを射るよう、私がアルテミスへ進言したからです」

 

「なっ…それは真か!?」

 

「ええ。アルテミスが自らの手であの人間を殺す。これぞ、オリュンポスを保つ術なれば」

 

「オリュンポスを保つ術、と。大きく出たなアポロン。よもや戯言ではあるまいな」

 

「はい、主神ゼウス」

 

 

ポセイドンはアルテミスがオリオンを射殺したと聞いて慌てふためき、そうするように

仕向けたのがアポロンと聞き、さらに混乱を深める。アポロンの言葉を逐次冷静に聞いて

いたゼウスは、彼の言葉に妙な引っ掛かりを覚えたのか、さらなる追及を行う。

 

アポロンはゼウスからの問いかけを好機と捉え、ニヤケ面を隠そうともせず再び語る。

 

 

「我が妹アルテミスは、海神ポセイドンが子オリオンと睦まじい仲にあるところでした。

 此処にいる方々は御存知のはず。この両者の関係性がまさにオリュンポスの未来を

 脅かす危険性の証左であります。神とヒト、どちらかに偏り過ぎる事態になれば……」

 

「貴様の宣った、オリュンポスの未来を脅かす事になると?」

 

「はい」

 

「では問おう。そこな人間、オリオンをアルテミス自身の手で撃たせる意とは?」

 

「無論、己が神格保持の為でございますれば」

 

 

深々と下げていた顔を上げ、広間に集まった神々の視線を一身に受けつつ、言い放つ。

太陽神の確固たる言動にまたも騒めきが起こるも、ゼウスの吐息一つでそれらは治まる。

 

神格保持。それ即ち、神が神であるという現状の維持。神という機構の確実性の証明。

 

 

(この正当なる理由がある限り、頭の固い主神やあの男の父も納得せざるを得ない)

 

 

俯き、ほくそ笑む。審問とは名ばかりの事実確認の場であると、アポロンは把握している。

あくまで自分がこの一件に直接的に関与していないという証明をする必要があるだけで、

本来の神前審問のように厳罰が下されることはない。確信に満ちた考えを脳裏に展開する。

 

ともあれ。自分の行いをゼウスが認めたのなら、ヘリオスの鬱陶しい糾弾も止むだろう。

そう思いながら、ふと、主神ゼウスが沈黙していることに気付くアポロン。

 

自分の発言に何か思うところあったのか。二の句を告げようとしたまさにその瞬間、

荘厳な大広間の中心で寡黙に目を伏していた主神が、重たげに口を開いた。

 

 

「……アポロン。()()()()()()()()()()?」

 

「は……?」

 

 

空気が凍る。アポロンと、彼以外のこの場に居る神々との間に、不可視の壁が生じる。

 

意味が分からない。理解が出来ない。どういうことだ。いったい何が分からない?

思考回路が煩雑なエラーで飽和しかけるアポロンに、ゼウスが再度問いかけた。

 

 

「神格の保持。言葉の意味は分かる。だが、それと今回の件とどう関わりがある?」

 

「な、は…? え?」

 

「答えよアポロン。アルテミスにオリオンを射殺させたのと神格の保持。どう関わる?」

 

 

至極真剣な様子で問いかけてくるゼウスに、アポロンは困惑を隠しきれずにいる。

 

何故アルテミス自身に撃たせたか? それはアルテミスが自らヒトと袂を分かつ為だ。

神と人間との明確な線引き。どちらかがどちらかに近付き過ぎない為の境界線の作例。

重要なのは、オリオンと関わりの無い他の神が殺すのではなく、深い仲となったアルテミス

自らが弓を引いた事によって、人より上位の存在としての格を取り戻す儀式的な意味合い。

 

ヒトの持つ感情というウイルスが感染することにより引き起こされる神の論理破綻(ロジックエラー)

それに伴って発生する、神格の零落。つまるところ、神の死。これを回避する為だ。

 

聡明なる主神にこれが分からぬはずがない。こちらの危惧が伝わらぬはずがない。

なのに、どうして。困惑と混乱が渦巻くアポロンは茫然とした顔で主神を見上げる。

 

すると、そんな凍てつく沈黙を破るように、広間を閉ざす大扉が開け放たれた。

 

 

「――おや。ちょうど良い頃合いだったようだね」

 

「……何用だ、ヘラ。今は審問の最中、部外者は疾くこの場より――ヘラッ!?」

 

「承知しておるわ。審問というのであれば、仔細知る者を呼ぶ必要もあろうて。ほれ」

 

 

扉を文字通り蹴破ってその姿を現したのは、主神ゼウスが妻、女神ヘラであった。

威風堂々たるその傍若無人っぷりを遺憾なく発揮する登場に、誰もが言葉を失う。

それは彼女の夫であり大神たるゼウスもまた同じ。ではない。彼らが一様に発言の機を

失ったのは、ヘラの予想外の登場ではない。神々の視線は彼女の、右手に集まっている。

 

何でもないと言いたげな様子で、ヘラは右手に持っていたソレを無造作に放り投げた。

 

 

――べちゃっ……ごろっ

 

 

生理的な嫌悪感と不快さをあまさず感じさせる水音と、絶妙な重さの物体の転がる音。

先程以上の冷たい静けさが広間を席巻する。ヘラが投げて寄越した物体へゼウスが問う。

 

 

「………ガイア!?」

 

「ん…。ぁ、あ。ゼウス。こんな形での再会になるとはね」

 

 

白磁の顔を蒼白に変え、ゼウスがその名を口にする。告げられた名は、神々の母たる者。

大地の母である女神ガイアその人…の、頭部のみ。首から下に在るべき身体が存在せず、

粘度の高い濃赤の液体で純白の床を汚しながら、しかし明瞭な意識で会話してきた。

 

大広間に居た誰もが驚愕と恐怖の渦に飲み込まれた。事の発端たるヘラを除いて。

そしてガイアの頭部を持ち込んできて右手を朱に染めたヘラは、冷徹な声色で語りだす。

 

 

「それにしても…はっ。神格の保持ときたか。滑稽此処に極まれり、だな」

 

「……それは、どういう意味でしょうか女神ヘラ?」

 

「なに、今更取り繕う必要もあるまい。貴様は普段通りの方が幾らか可愛気があるぞ」

 

「………じゃあ遠慮なく。ヘラ、滑稽とはどういうことかな?」

 

「滑稽どころか蒙昧すら頂きに至ったか? よもや貴様、妾を笑い殺す気かえ?」

 

 

アポロンが平静さを務めて保とうとしている様を見抜き、それを不要と断じたヘラ。

彼女の言葉に従ってかぶっていた猫の皮を捨てて、掴みどころのないいつもの調子に

戻ったアポロンに、ヘラは鼻を鳴らす。それどころか、押し殺すように嗤いだした。

 

 

「くくく…! なぁおい小僧(アポロン)よ。そなた、()()()()()()()()()()、大層な面の皮よな」

 

「…ッ!」

 

「聞き捨てならぬ発言だな、ヘラ。アポロンがこの私に、何か秘していると?」

 

「見抜けぬお前も大概だゼウス。いや、蒙昧極めしこの小僧の愚劣さに気付けというのも、

 それはそれで酷な話か。我らは偉大なる神性であれば。分からぬのも無理からぬ話だな」

 

 

アポロンが何か隠し事をしているぞ、と。そう語ったヘラに、主神は表情を険しくする。

加えて、それを見抜けなかったお前にも落ち度はあると言わんばかりの態度が鼻に衝く。

傲慢な性格なのは百も承知だったが、こうまで主神たる夫に盾突くことがあっただろうか。

 

酷く漠然とした苛立ちを覚えながらも、ヘラに「続けよ」と話を促すゼウス。

夫にして最高神からの命令に背くことなどせず、望まれるままに女神ヘラは話を続ける。

 

 

「アルテミスがオリオンを射殺した。これは事実だ。小僧が妹を唆して射抜くよう仕向けた、

 これも事実。なるほど確かに、先程からこの小僧は何一つ嘘偽りを申してはおらぬ」

 

「……そうだ。だから」

 

「だが、話しておらぬこともある。そうであろう、小僧」

 

「…………さぁ?」

 

「白を切るか? よかろう。であれば、順に妾が事の起こりを詳らかにしてやろうか」

 

 

冷酷な微笑を湛えた最高神の妻が、その最高神に代わってこの場を支配している。

誰もが固唾を飲んで見つめている中で、女神ヘラは「まずはじめに」と前置いて語った。

 

 

「事は、アルテミスがオリオンを射殺したというもの。こ奴らが仲睦まじくあったのは

 誰しもが知るところ。そんな二人が、突如として殺し殺される関係になったのだから

 驚くのも無理はない。だがな、よく考えよ。オリオンが撃たれた状況を鑑みるのだ」

 

「……日の出後、ポセイドンの権能能わぬオケアノスの海の上。それがどうした」

 

「そうだ。オリオンは海の上でアルテミスに射抜かれた。では、何故だ?」

 

「…何故、とは」

 

「何故オリオンは海の上に居たのか。事の発端は、そのさらに先に焦点を置くべきだ」

 

 

すらすらと語られるヘラの話に、神々は首肯する。

 

アルテミスがオリオンを射殺した。誰もがその事実に驚き、見るのを忘れていた。

海の上で狩人は月女神に射抜かれたのだとすると、狩人がそこにいた理由があるはず。

しかし上位存在たる神々にとって、ヒト一人の思想などに考えが向かうはずもなく。

結果として、誰一人この不可解な謎に気付く者がいなかったのだ。ヘラを除いて。

 

それを思い起こされたように頷く神々を見やり、ヘラはさらに語る。

 

 

「……『神ともあろう者が、他者の言葉に踊らされるな』とは、ある男の諫言でな?

 妾はその言葉に倣い、其方らがオリオンの死に慌てふためいておる間、下界へ赴き

 一連の事態が起こるまでの道行きを引き返しておったのじゃ。それで、分かった」

 

「何が分かったという、ヘラ」

 

「ふふ。オケアノスと言えど、海であれば海神の血がその肉体の傷を粗方は癒そう。

 されど、()()()はそうはならなんだな。森の一部は荒れ果て、消し飛んでおったぞ。

 挙句に地の底より続く大穴があったとなれば、もはや大地母神の関与は明らか」

 

「ッ……」

 

「顔が蒼褪めたな小僧。つまりは、オリオンが海に出向かねばならん理由として、

 ひどく重篤な傷を負ったからに他ならぬ。それも、神々より仕向けられた刺客によって」

 

 

アポロンは硬直したまま冷や汗を垂れ流す。何故だ、どうしてと考えずにいられない。

女神ヘラ。傍若無人、唯我独尊、自由奔放。自己さえ良ければそれで良い我の化身。

良くも悪くも「ギリシャの女」らしい女神であったはずが、その有様は見る影もなく。

 

あれほど饒舌であったアポロンが言葉を飲み込むようになった。この明確な変化に

神々は気付き、いよいよヘラの語った話の信憑性が増してきたと感じるようになった。

 

女神ヘラは頃合いだと定め、自らが放り投げて今も床を転がるガイアへ視線を向ける。

 

 

「答えよガイア。其方、そこなアポロンめに、何ぞ頼まれでもしたか?」

 

「……ああ。頼まれたとも。海神ポセイドンの子を殺す手伝いを、頼まれた」

 

「なに!?」

 

「そうだろうとも。それで? 何を遣わせた? 並大抵の獣ではあるまい?」

 

「如何なる英雄豪傑であれ、死にも勝る辛痛を七日七晩は与える猛毒を持つ蠍を」

 

 

首だけとなったガイアは、すらすらと尋ねられるままに真相をぽつりと告げていく。

大地母神が言葉を一つ発する度に、下を向いたままのアポロンの表情が変化しているが、

それに気付く者はいない。何故なら、誰しもが怒りと蔑みで気が触れだしているから。

 

特に海神と鍛冶神の二人は、目を血走らせて憤怒の形相をこれでもかと歪ませている。

主神ゼウスの前でなければ、今すぐにでも私刑を執行せんと飛び出していただろう。

 

 

「…これで分かったろう、ゼウス。全て、アポロンの計画だったのだ。

 オリオンという人間一人を殺す為だけに、大地母神さえ動かしてみせた小僧のな」

 

「ふむ。事態の流れは把握した。しかし、理解できぬ部分がある」

 

「アポロンの小僧が抜かした、神格保持とかいう大義名分であろ?」

 

「ヘラ、お前には分かるのか」

 

「まぁ、妾以外に分からぬのが当然、とでも言えようかの」

 

 

一触即発の場面に待ったをかけ、互いにとっての抑止力となっているゼウスが、

ヘラに問いかける。アポロンの提唱した、オリュンポスの脅威の排除。未来の保持。

これがどうして、オリオンという人間の殺害に直結するのか。大神には理解が出来ない。

 

しかし、ヘラにはこれが分かるという。その理由を問うと、ヘラは嘆息し、答えた。

 

 

「要はこの小僧の戯言よ。神格云々という話は、これ全てアポロンの妄言じゃ」

 

「妄言?」

 

「左様。これなる太陽神はな、()()()()()()()()()()()()のだ」

 

 

憮然と、しかして嘲弄を含めた言葉が、しかとアポロンの耳にも届く。

 

 

「――女神ヘラァッ‼ この私が、このアポロンが、人間を恐れるだと!?」

 

 

ついに限度を迎え、憤慨を撒き散らして太陽神は怒号を張り上げる。

それを視線で諫めようとするゼウスだが、それを遮るようにヘラが眼前に歩み出た。

 

 

「ああ、そうとも。貴様は人間が、オリオンが怖くて怖くてたまらぬ。

 いずれ彼奴がアルテミスの在り方を変質させてしまうと、やがてそれが他の神々にも

 伝播し得ると。本気でそう信じ込んでおる。ふはは、なんとも滑稽な話ではないか」

 

「いかな大神の妻、神々の女王たる御身といえど、それ以上の侮辱は許さんぞ‼」

 

「……許さぬ? 許さぬと申したかこの戯け。そも、妾は貴様なぞどうでもよい。

 ただ、在りし日に妾を憎まず、されど敬いを忘れなんだ男を偲んで此処に居る。

 ゆめ忘れるなよアポロン。其方、今此処にいる神性総て、敵に回しておるのだとな」

 

 

その眼光の鋭さたるや。その言霊の重さたるや。太陽神たるアポロンすら下して余りある。

主神ゼウスの威光満ちる大広間で、誰よりも厳粛な覇気をまとったのは、ヘラだった。

 

そこから女神ヘラは、アポロンの過ちをゼウスたち他の神々へと告げていく。

 

 

「貴様はヒトを過大評価し過ぎておるのだ。確かに人間の抱く感情の苛烈さは凄まじい。

 されど、それらが我ら神々の神格を危ぶむ程のものであるか。答えは、否であろう。

 ギリシャを統べしオリュンポス十二神。その神格、ヒト如きに変えられようはずもなく」

 

「ッ…! し、しかしアルテミスは!」

 

「アルテミスが何だ? アレはゼウスが処女神の地位を確約しただけのワガママ娘。

 その気質は何一つ変わってなどおらぬわ。ただ、関心を他者へ向けるようになっただけ。

 変化と言えどその程度よ。たかが知れておるわ。それをやれ零落だのと、騒々しい」

 

「……!」

 

「ではなにか? 貴様にとって、我ら十二神は、ひいてはそれを統べる大神ゼウスは。

 人間の感情によって振り回される程度の小物でしかないと? ほほ、傲岸不遜極まったな」

 

 

ギリギリ、と歯を噛み砕かん勢いで鳴らして悔しさを押し殺しているアポロンに、

まだ足りぬと言わんばかりに女神ヘラは言葉を紡ぐ。煽り立て、嘲笑し、侮蔑する。

 

 

「主神をはじめとする神々を小物と愚弄し、挙句に人間を神すら脅かす外敵と断じたに

 等しいのだぞ貴様。もう一度言う、許さぬなどという戯言は控えよ、この愚か者が」

 

 

憤怒が形を以ってそこに在る、と言えるほどに苛烈な怒りを内包するようになった太陽神を

脅威とみなすこともなく捨て置き、女神ヘラは主神ゼウスへと向き直り、恭しく振る舞う。

 

 

「さてな、我らが主たるゼウスよ。この愚者の沙汰、如何する?」

 

「………ふむ。此処に裁定は成った。皆の者、心して拝聴せよ」

 

 

白磁の巨躯を持つ主神が、雷鳴を轟かせる。これぞ、神託を下す裁きの号令。

 

その場にいる全ての者の視線が、ゼウスへと集中する。大神の言葉を、静謐と共に待つ。

冥府の死神すらも恐れるような形相になったアポロンを冷ややかに見下ろし、神は告げる。

 

 

「太陽神アポロン。汝、我らオリュンポスの未来を憂いて成そうとした行い。

 それ即ち、我ら神の零落を阻止せんが為と申した。されどそれは、真に神を愚弄する

 薄弱の証明と相成った。この不敬、この不遜。汝、罰され、贖わねばならぬ」

 

「…………」

 

「故。汝、アポロン。太陽神の神格を剥奪とする」

 

 

大神の決定は絶対。誰も苦言は呈さない。粛々と、その決定を受け入れねばならない。

 

 

「……それだけかえ? いやいや、それだけでは足りぬだろうゼウス」

 

 

ただ一人。主神の神託に異を唱えられる者があるとしたら、それは彼女しかおるまい。

 

 

「ヘラ。これは主神ゼウスが神託なれば。さしもの貴様も口出しが過ぎるぞ」

 

「罪状は他にもあろうが。神々への不敬で神位剥奪は良しとして、あと二つはどうする?」

 

「二つ?」

 

「そうさ。一つ、主神ゼウスが審問において、意図して真意を語らず秘した反逆行為。

 加えて一つ、アルテミス自身に、最愛の恋人であるオリオンを殺させた不義の悪罪。

 これらも合わせ清算せねばなるまいよ。そうでなくば、アルテミスが報われぬ」

 

「…………ふむ」

 

 

女神ヘラのアポロンへの追い打ちともとれる発言に、ゼウスは易々とは頷けない。

神の裁きは絶対。罰を付け足すことは不可能ではないが、これ以上も必要だろうか。

演算によって判断をどう下すべきかと思考するゼウスに、大地母神ガイアの首が語り掛ける。

 

 

「ヘラの言葉は正しいよ。裁きは正しくあれ。ゼウスの裁きは、正しくなくては」

 

「……正当なる裁き。アポロンに更なる贖いを強いることが、正しいと?」

 

「それを判ずるのが最高神たるゼウスだろう。私も、ヘラも、具申したまでさ」

 

 

平淡な声色でヘラに賛同したガイアに、とうとう限界を迎えたアポロンが憤怒を解き放つ。

 

 

「きっ…! 貴様が! 貴様がァッ‼ ガイア! お前がヘラに密告しなければ、

 こんな事にはならなかったというのに! オリュンポスの神格を保たんとした俺の意を

 汲んだのではなかったのか!? 何故事の次第を語った!? 何故喋った!? 何故だァッ‼」

 

「……他言無用などと言われなかったからな」

 

「――ガイアァァァッ‼‼」

 

 

激怒したアポロンが首だけのガイアを害そうと、他の神々を無視して飛びかかる。

いかな特大級の神格を有する大地母神と言えど、首だけの状態ならどうにでも出来る。

そう考えたが故の凶行なのか、それこそ感情任せの突撃か。

 

アポロンの魔の手がガイアの頬を鷲掴む寸前、主神ゼウスの雷霆がアポロンを貫く。

 

 

―――ズドオォォォォォン‼‼

 

 

「――――ぁ」

 

「……成程。この期に及んで愚行を重ねるか。先の我が裁定では不足と認めよう。

 汝、アポロン。ヘラが述べた三つの罪状を以て、貴様に二つ、贖いを付け足す」

 

 

そこから怒りを多分に孕んだゼウスが告げたアポロンの贖罪は、二つ。

 

一つは、神位失った彼を人の身に堕とす事。

 

一つは、死したオリオンの従者だった事としたうえで、冥府に堕ちた彼の妻シーデーの

罪を肩代わりする事。

 

 

「……まだ足らぬ気もするが、ま、妥当か」

 

 

不満げなヘラも一応納得した様子で、ゼウスの下した沙汰を承認する。

海神ポセイドンも、姉ヘスティアも、同席していたすべての神性がゼウスの神託を認めた。

これにより主神の裁定は決定された。アポロンの身体を薄汚れた青銅の鎖が巻き取る。

 

やがて青銅の鎖の塊が音もなく消え、広間には痛々しいほどの静寂が戻ってくる。

 

そんな様子を見ていたアルテミスが、掠れた小声で父であるゼウスに懇願し出した。

 

 

「……おねがい、おとうさま。オリオンを、いきかえらせて…」

 

「…アルテミス。それはならぬ。アポロンへの沙汰は下された。この決定は覆らぬ。

 であれば、オリオンへと降りかかった災いもまた同様に、覆されてはならぬのだ」

 

「……いや。いや。おりおんをかえして。おとうさま、おねがい。おとうさま」

 

「アルテミス……。死者の蘇生など、あってはならぬ事。諦めてくれ」

 

 

涙の跡をそのままに、アルテミスは懇願する。親を探す迷子のように、懸命に。

愛娘のお願いを叶え続けてきたゼウスだが、神の面目も関わる今回の一件においては、

譲歩するつもりはなかった。まして人間一人といえど、再度の命を約束してはいけない。

 

どれほど泣いて縋られようと決意を改めないゼウス。苦悶の表情を浮かべる月女神に、

ここでまたしても、意外な人物が助け舟を出した。

 

 

「星座にあげてやれ、ゼウス。ただし、条件を幾つか加えてな」

 

「……ヘラ」

 

 

神々の女王ヘラ。傍若無人の権化とも思われる狂気の女神が、思わぬ助太刀を成す。

また何かの気紛れか、と頭を悩ませるゼウスに、ヘラは確たる威厳を以て条件を提示する。

 

 

「古き者共との決戦…ギガントマキアも遠くない。人界の戦士が一人でも多く必要になると

 申したのはお前自身ぞ、ゼウス。あの忌々しき【アルケイデス】めに全てを担わせるか?

 冗談ではない。オリオンは戦士ではないにしても強靭なる心と体の持ち主。悪くあるまい」

 

「……このオリオンを、ヘラクレス同様、神々の末席に加えよと?」

 

「そうであれば、星にするのも吝かではあるまい? 宙は神々の領域なのだからな」

 

「…………よかろう。お前の言うように、ヘラクレス一人に限る話でもない」

 

 

ヘラが提示した条件とは、オリオンを古き巨人との戦争(ギガントマキア)に参加させる戦士として迎える事。

 

詳しく語るとクソほど長くなるので割愛するが、ゼウスらがかつて追放した巨人種たちが

再び奪われたギリシャを取り戻そうと戦争を仕掛けに来ると予言がされていた。

加えて、巨人種に神々の権能は通用せず、ヒトの力を持った戦士でなくば対抗できないとも

予言されている。この宣告を聞いたゼウスはあれこれ策謀を練って【アルケイデス】という

最強の人間を誕生させた。

 

このアルケイデスを些細な事で死ぬほど憎んでいるヘラは、彼を絶望と狂気の奥底へ堕とし、

煽るように【ヘラの栄光(ヘラクレス)】の名を授けた。人界最強の戦士にして復讐者の誕生である。

 

彼はきたるギガントマキアの切り札としてゼウスが寵愛した存在。しかし、切り札は何も

一つきりである必要はないとヘラは言う。第二の矢としてオリオンを登用するのはどうか。

そう進言してきているのだ。これを聞き、悪くないと判断した主神はその具申を是とした。

 

 

「おとうさま。おねがい。おりおんを、おりおんを…」

 

「……おお、アルテミス。痛ましき我が娘。オリオンの命を蘇らせることは叶わぬ。

 されどその代わりとして、彼の神性の部分を神の末席に加え、星座として迎えよう」

 

「…おりおん、オリオン。オリオンを、星座に?」

 

「ああ。お前が夜空を照らす月となり、オリオンはお前を彩る星々の一つとなるのだ」

 

 

ゼウスの言葉を聞き、虚ろだった瞳に段々と光が灯りだしたアルテミス。

愛娘の様子が正常に戻りつつある事を確認したゼウスは、これで審問を終了と宣言。

この場に集った神々に、各自の役目に戻るよう伝え、神の権能でオリオンの魂に含まれる

神性の部分を夜空の星座へと押し上げ、神の一人として新たに誕生させた。

 

巌の如き巨躯。絶世の美貌。屈強なる肉体。聡明なる知啓。

あらゆる全てを宿せし究極の一。戦士に非ず、されど戦士に並び立つ狩人。

 

 

「――さぁ、目覚めよ。汝、ギリシャの敵を屠る狩人……()()()()()なり」

 

 

後にギガントマキアにて神々の尖兵として巨人を狩った、ヘラクレスに並ぶと称されし

最強の狩人の名が、歴史に刻まれることとなる。

 

其は、遥か後世にてトロイの木馬と呼ばれる智謀を唱えた男の纏うか白磁の鎧の原点。

 

其は、ケンタウロスの賢者にして大神クロノスが子、ケイローンをも超える弓兵。

 

其の男の名は―――神代の狩人、オライオン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、ヘラ。私はとても気になっている」

 

「なんだヘスティア。妾になんぞ用向きかえ?」

 

「いや、なに。あのヘラがよくぞここまで、とな」

 

「……そのニヤケ面をやめよヘスティア。腹立たしい」

 

「酷い言い草だな。まぁいい。それより答えてくれヘラ」

 

「だから、何をだ」

 

「なんでそこまでする? アルテミスの為、ではあるまい」

 

「………」

 

「ふ、くくく…。ああ、そうか。なるほど。アポロンだけではなかったか」

 

「何が言いたい?」

 

「アレは人を恐れた。人の感情に、ヒトの在り様に。オリオンという男を恐れた」

 

「そうだな」

 

「ではさしずめ…お前は、憧れたのかねぇ。オリオンという男の生き様に」

 

「…笑止。妾がヒトなんぞに憧れだと?」

 

「でなきゃ、いくら神々の女王とは言え、大地母神に喧嘩を売ったりはしない。だろ?」

 

「………」

 

「あの男はお前に妻を奪われた。されどお前を憎まず、恨まず、敬いを忘れず。

 いやぁ、思い出すだけで笑みが零れそうだ。あのヘラが、『ある男の諫言』とな!

 ふははは! なんだそれは! いくらなんでも絆され過ぎだろうお前! くくく!」

 

「えぇい黙れヘスティア! 妾を愚弄するか! ゼウスが姉とて容認できぬぞ!」

 

「いやぁ笑った。微笑ましいとはこういうものか。ああ、良いものだな」

 

「良くあるか! 妾を嘲弄するなぞ…!」

 

「はは、許せ。なぁに、我が愚弟の妻となって久しい女の、初々しい春の門出だ。

 頬も緩むというもの。そりゃそうだな。優しくもなろう。手厚くもなろうよな」

 

「訳知り顔で貴様ぁ…!」

 

「隠すな隠すな。照れたお前も中々良いぞ。そんなにいい男だったか、彼は」

 

「にゃにを―――何を言っておるのだ」

 

「……分かった。これ以上はやめよう。お前を見て「カワイイ」などと思うようになる

 日が来るなんて。いよいよ私も潮時やもしれん。なぁヘラ、お前も……」

 

「……? お前も、なんだ?」

 

「いや。やめておく。言わぬが花、ってやつだ」

 

「……もう行くぞ。妾も多忙極まる身でな」

 

「はいはい。ちゃーんとガイアを元居た場所へ返してくるんだぞ」

 

「貴様妾の母親気取りか!? えぇい、知らぬ! 疾く去れ!」

 

「………ふふ。ヘラ、お前本当に―――変わったんだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――遥かな時が流れた。

 

 

しかしギリシャの地は未だ健在であり、人も、獣も、神々も。全てが天地に在った。

 

さて。そんなあくる日のギリシャ。数多くの英雄豪傑の伝説が人々の伝聞で語られる世と

なって久しい近頃。大海オケアノスを臨むクレタ島に、今日も甲高い鎚の音が響く。

 

カン! カン! カン!

 

金槌が振り下ろされる音。焔が鉄を溶かす音。水が白熱した武具を冷ます音。

様々な鍛冶の音が耳障りなほどに響き渡るそこは、クレタ島随一の匠が居を構えし鍛冶場。

 

 

「親方ー! ()()()()()()()()ー!」

 

「おう! 今行く!」

 

 

新入りの少年に呼ばれ、愛用の鎚を置いて金床から立ち上がったのは、厳つい顔の男。

親方と崇められるクレタ島一の鍛冶師たる彼の名は、ケーダリオン。

 

そう。かつてオリオンと友誼を交わした鍛冶見習いの青年だった、ケーダリオンである。

 

ケーダリオンも今や齢五十も間近な精強の鍛冶職人。巷では匠と称される腕前を持つに

至った、ギリシャ有数の鍛冶師である。垢抜けた幼さなど見る影もない濃い髭面の男に

成長した彼は、今や自らの鍛冶場を持つまでになった。

 

彼が名を挙げたのは、独立して初めて取り掛かった仕事にして末代まで讃えられる偉業。

 

人々の記憶に今なお刻まれている【三ツ星の狩人】の伝説の生き証人である彼が、

その伝説の主人公である狩人当人と交わした約束。彼と出会う切っ掛けとなった神への崇拝。

 

即ち、暁の女神エオスを讃える巨大な神殿を建立した事である。

 

十二神の神殿に比肩しうる巨大さと荘厳さを誇る暁の神殿には、建てた鍛冶大工である

ケーダリオン本人の言葉が石碑として残され、数千年後の歴史館に展示される事となる。

 

 

 

~暁の女神エオスを讃え、この神殿を捧げ奉る~

 

『我は見た。その光輝を。我は三ツ星の狩人の従者となりて、彼の者をオケアノス臨むこの

 岬へと導いた。彼の者は暁の女神を恐れることなく、ただ敬虔に崇め、礼節を尽くした。』

 

『我は見た。その奇跡を。舞い降りたる暁の女神は光輝を伴い、彼の者の焼き潰されたる

 眼を癒した。彼の者は歓喜に震え、女神の慈愛に深く感謝を捧げ、信仰を約束した。』

 

『我は狩人と友誼を交わしし者。彼の者との約束を果たす者。この神殿は、その証明なり。』

 

 

さて。そんな後世の歴史に偉人として記されることとなるケーダリオンは、鍛冶見習いの

呼ぶ声にこたえ、鍛冶場の入り口まで向かう。腰元までしか届かない少年の頭を豪快に撫で、

眼を見つめながら問うた。

 

 

「タケに見合わねぇデケェ声で呼びやがって。何だってんだ?」

 

「あ、そ、その。こちらの方が、親方に尋ねたい事があるとかで…」

 

「ん? 見慣れねぇ装束と…そりゃ仮面か? 薄ッ気味悪ぃ魔女みたいだな」

 

 

見習いの少年は尊敬する親方に客が来ていると伝え、早々に自分の仕事に戻っていった。

年を重ねて厳つい顔つきと歯に衣着せぬ物言いになったケーダリオンが、相手を観察する。

 

鍛冶場の入り口になっていたのは、まるでこの世の者とは思えぬほど場違いに浮いた女性。

色の抜け落ちたような白金の腰まで届く長い髪は、手入れされておらず千々に乱れている。

手足も異様に痩せ細り、身にまとう装束もボロボロ。旅の者、と断ずるには軽装過ぎる。

加えて顔の上半分を覆い隠す、複雑怪奇な意匠の仮面が、女の怪しさを引き立たせていた。

 

 

「…ケーダリオン? 貴方が?」

 

「あ?」

 

 

年は恐らく自分とさほど離れてはいないだろう、とケーダリオンは見積もるが、

もしかしたら目の前に立っているのは魔術の最奥を覗いた魔女なる輩かもしれない。

言葉を慎重に選ぶ必要があると心構えをした途端、謎の女は訝しむように尋ねてきた。

 

 

「俺がケーダリオンだ。少なくとも、この島で他に同じ名前の奴は会った事ねぇよ」

 

「いえ、そんな事は…だって年若い少年のはず」

 

「はぁ? 訳の分かんねぇ事を言いに来たんなら、とっとと帰りな」

 

 

ブツブツと小声で呟いている女に、ケーダリオンは迫力満点の大声で圧をかける。

鍛冶場内の職人たちも驚いて振り返る声だが、女は(見えないが)顔色一つ変えない。

大した度胸の持ち主か、浮世離れした風貌も相まってこちらの常識が通用しないのか、

どうもやり辛さを感じるケーダリオン。そんな彼に、謎の女は姿勢を改めて語りだす。

 

 

「……申し遅れました。私の名は、メロペー。キオス島が王オイノピオーンが娘です」

 

「キオス島っていや、あの潮風で目が潰れちまうって呪いがかけられてた島か?」

 

「ええ、はい。尤も、海神の御怒りも静まったようで、今は何の問題もありませんが」

 

「へぇ。あの島は酒で栄えてたっていうし、一度行ってみたかったんだよな。

 それで? そのキオス島の王様の娘っ子様が、遠い島の鍛冶場に何の用だい?」

 

「それは……」

 

 

このクレタ島から遠く離れた酒神の系譜が治めるキオス島よりやってきたという

メロペーという女。ケーダリオンは自分なりに不遜さを感じさせない気遣いをしつつ

用件を尋ねる。するとメロペーは少々言い澱んだ後、意を決したように打ち明けた。

 

 

「……私は、ある御方を探して旅をしております。終生の愛を誓い合った御方を」

 

「アンタの旦那…ってーか、婚約者って言い方だな?」

 

「はい。その名をオリオンといいます。天下無双の狩人であらせられる尊き御方です」

 

「オリオン…!? あの旦那が、アンタの婚約者だぁ!?」

 

「――やはり、御存知なのですね? あの御方が何処にいらっしゃるのか!?」

 

 

メロペーの口から飛びててきた知り合いの名前に、ケーダリオンの方が面食らう。

 

幼き頃に出逢い、今なお憧憬として心に焼き付いている男としての生き様の理想形。

未熟な鍛冶見習いだった己を一人前の鍛冶師として認め、敬いを向けてくれた恩人。

そして数十年前までは酒の席を共にした、対等な立場の友人として笑い合った男。

 

……数十年前の宴会を最後に、ぱたりと消息が途絶え、行方知れずとなった人。

 

 

「アンタ! なんで旦那を探してる!? 今何処にいるかなんざ、俺が聞きてぇ!」

 

「えっ!? あ、あのっ」

 

「教えてくれ! なぁっ‼ オリオンの旦那は何処にいるんだ‼」

 

「そ、そっ、それを知りたいのは私の方です! いいから教えなさい!」

 

 

ケーダリオンにとっても、メロペーにとっても、オリオンは最も大切な存在。

その消息が途絶えて久しいとなれば、どうにかして居場所を知りたいと思うのは

人の性である。こうして小一時間ほど同じような言い合いをし続けた。

 

結局、鍛冶場の職人たちが引き剥がすまでヒートアップしていた二人は、

冷静さを取り戻したところで互いの身の上を語り合い、友好を深めていった。

 

ケーダリオンは、幼き日に出会った憧れの男の面影を追い続けた日々を。

メロペーは、どれだけの時を経ても未だ燻り続ける恋の炎が宿った日を。

 

二人は意外と似た者同士であり、同じ人物に異なる理想を抱いた者同士である。

理解が深まる毎に距離が縮まっていくのは同然であり、親身になるのもまた同じ。

 

 

「……じゃあアンタ、それから三十年以上も旦那の行方を?」

 

「はい。これまでも、これからも。私はあの御方に届くまで探すのを諦めません」

 

「……そうかい。立派な覚悟だ」

 

「ありがとうございます。ですが、貴方も御存知でないとなると…」

 

「へっ。水臭ぇ事言うなよ? 探すんなら、俺も一緒に行ってやるよ」

 

「えっ!?」

 

 

ケーダリオンはとっくに腹を決めていた。これまで心血を注いできた鍛冶を捨てて

彼女の旅に同行するという事に抵抗が無いわけではない。が、心に決めたことだ。

メロペーの覚悟に触発されたのもある。無論、それだけではない。

 

ケーダリオンはもう一度逢いたかった。憧れのあの人に、もう一度だけでも。

逢って、「ちゃんと一人前の鍛冶師になりやした」と、胸を張って言いたかった。

 

その小さな願望に火が灯ってしまった。メロペーの願いを叶えてやりたいという

思いもちゃんとある。だがそれと同じほどに、自らの内に湧き出る願いを果たす

気概も膨れ上がっていったのもまた事実。要は、同じ夢を見たくなったのだ。

 

 

「目の見えない女一人の旅なんざ、危なっかしくていけねぇや」

 

「そ、それは……でも、これまでもそうしてやってきたし」

 

「いいんだよ。俺がやりたくて手ぇ貸すんだ。勝手にな。それでいいだろ」

 

「でも、でも、貴方にはこの鍛冶場が…」

 

「もう跡目は決めてらぁな。俺もそろそろ隠居を考える歳だしよ。気にすんな」

 

「そ、そうですか…?」

 

 

そうだよ、と。豪快な笑みを浮かべて立ち上がり、すぐさま旅支度を整える。

王族の娘という立場を捨て、女性の生涯でも特に重要な若い時期を魔術に捧げた

その覚悟に。俗っぽい言い方でまとめてしまうなら、ケーダリオンは惚れたのだ。

 

同じ理想を追い求める者として。自分と違い、まだ諦めない心の強さに。

ケーダリオンという男は、幼き頃に抱いた理想への愚直さを再燃させていた。

 

 

「行こうぜメロペーの嬢ちゃん! こうなったら意地でも旦那に逢ってやる!」

 

「……ええ! オリオン様と添い遂げるまで、御伴してください!」

 

 

こうして。鍛冶師ケーダリオンと魔術師メロペーの長い長い旅が始まった。

 

過酷な旅だった。険しい道のりだった。苦難の連続だった。何度も弱音を吐き合った。

男は戦士ではなく、彼らを襲う危険に出会う度にその身に傷を負っていった。

女は巫女ではなく、日増しに悪化していく男の傷を癒せず、祈りを捧げ続けた。

 

この旅は報われるものではないと男は知っていた。その結末を悲観していた。

この旅は報われて然るべきものだと女は信じていた。その結末を妄執していた。

 

けれど二人は食い違うことなく、一つの目的の為に助け合い、歩き続けた。

女の持つ『過去視の千里眼』がもたらす、不確定な情景だけを頼りに広いギリシャを

東奔西走。それが果たして「いつのオリオン」であるかも定かならぬまま…。

 

 

 

 

長く、永く、そして―――短い旅路だった。

 

 

 

 

鍛冶師と魔術師の出会いから、共に旅を歩み出してから十年が過ぎた頃。

 

オケアノスの海上に浮かぶ、神秘と野生に満ちた小島に、一人の女の姿があった。

その名はメロペー。オリオンという狩人を追い求め、女神ヘカテーを信奉する魔女。

彼女の傍らには、輩にして旅の友であったはずの男の姿は、何処にもない。

 

鍛冶師ケーダリオンは、死んだ。彼女の旅に同行し、傷を負い、病に罹り、死んだ。

彼の栄光が形として残るクレタ島で丁重に彼を埋葬したメロペーは、一抹の寂しさを

押し殺して、過去視が見せたとある島へと単身で向かい、辿り着いていた。

 

 

「はぁ……はぁ…此処に、いらっしゃるのですね、オリオン様っ!」

 

 

オイノピオーン王が娘メロペー。彼女はこの時、既に六十歳を超えていた。

四十代の頃ですら四肢は枯れ木のように痩せ細っていたが、今は最早見る影もない。

残されていた若さの残滓、成熟した女の妖艶さすら腐り落ち、骨と皮だけの老婆と

言っても過言ではない姿へと変わり果てた。魔術用の杖を歩行の支えに、ひた進む。

 

呼吸を整える余裕など無く、人の喧騒どころか気配すらない砂浜を弱々しく彷徨う。

ざくざく。ふらふらと頼りない足取りが砂に足跡を残す。メロペーは笑っていた。

 

 

「オリオン、さま……オリオンさま……オリ、オン、さま…」

 

 

やっと。やっと出会える。待ち侘びた。何十年と待ちに待った日がやっと。

彼女は再びオリオンと出逢うという希望だけを胸に、死に体を引っ張り続けてきた。

 

そして波打ち際を歩く最中、彼女の『過去視の千里眼』が唐突に映像を目に焼き付ける。

 

 

「―――え?」

 

 

その光景に映るのは、これまで幾度となく見てきたオリオンの傍らにいた白磁の女神。

身の丈ほどの大きな弓に矢を番え、遥か水平線へと矢を放ち、そして次の光景へ移り。

 

……胸を矢で穿たれ、血を流しながら眠るように海へ沈んでいく狩人の姿を視た。

 

 

「ぁ―――――あああアああああああアアああああぁアあああアあぁああああアアあああぁアああああああアアああああぁあアああぁあああアあああああァああアあ!!!

 

 

およそ枯れ木の様な老婆の喉から迸ったとは到底思えぬほどの咆哮。いや、絶叫か。

残り僅かな魂を削り切るかの如き悲鳴を上げ、涙すら流せない彼女は空を見上げる。

 

空は、暗く、明るい。目の見えない彼女は知らぬことだが、時刻は夜だった。

 

星々は黒い海を爛々と輝かせ、一際大きな満月はギリシャの夜を静かに見守る。

そんなことなど知りもしないメロペーは、仮面と化した塩の結晶で傷ついた眼球から

血涙を垂れ流しながら、先の咆哮とは比べ物にならない声量で力の限り叫ぶ。

 

 

「―――ふざけるな‼ ふざけるな‼‼ 売女神(バカヤロウ)ぉぉぉッ‼‼‼」

 

 

限りある人生。その大半を好きでもない魔術に捧げ、多大な代償を支払ってきた。

王族の特権を捨てた。乙女にとって代え難い若さを棒に振った。全ては夢の為に。

もう一度、あの人に。かつて心の憂いを取り去る為だけに空に大穴を穿った彼と

再び逢う為だけに。出逢って、謝罪と色褪せぬ恋心を打ち明ける、その為だけに。

 

オリオンという理想を追い続けてきた生涯の、これがその果てに得た物とでもいうのか。

 

認めない。許せない。認められない。許せるはずがない。

声の限りに弾劾する。息が続く限り愚弄する。意思が尽きぬ限り夜空の月へ唾を吐く。

 

返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ返せ返せ返せ返せ返せ!!

 

あの人を、オリオンを、私のたった一人の英雄を‼

 

 

「返せぇぇぇぇぇぇぇッ‼」

 

 

―――――――瞬間、閃光が一条煌めく。

 

 

星々瞬く夜空の彼方より、一筋の光条がメロペーへと降り、音もなく突き刺さる。

 

否。それは痛みを伴うものではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

怒りのままに叫び続けるメロペーは盲目である為、光の柱が迫っていることに気付かず、

彼女が次に息を吸い込む時間すら与えることなく大熱量の()()が波打ち際へ着弾した。

 

着弾地点の砂浜にはヒト一人分の穴が空き、浜の砂が一部ガラス状になって白煙を上げる。

もうそこにメロペーの姿は無い。彼女の存在も、その生涯も、怒り諸共に蒸発したのだ。

 

 

「―――対象、消滅。レベル(ジィ)に該当する神への侮辱行為を確認した為、端末機(モノ)より

 本機アルテミスへ権能使用の許可を申請……沈黙を承認と断定。神罰を発動、執行完了」

 

 

無人となった島の上空に、人影が現れる。その姿はアルテミスと呼ばれる女神と非常に

酷似した出で立ちをしているが、愛らしい表情を隠すように黒いバイザーを装着している。

星々を背に中空へ浮かぶアルテミスらしき人影は、バイザーの青白い光点を明滅させた。

 

 

「端末機Ⅰより本機アルテミスへ通信。この島の哨戒及び知性体排除任務の是非を問う。

 当機の任務は実行する必要性があるのか。応答願う………本機の沈黙継続を確認」

 

 

西の夜空に淡く光る満月を見上げながら、自らの本体であるアルテミスと通信を試みる

端末機体。その外見は本体とほぼ遜色がない。違いは言動と顔のバイザーぐらいだ。

その端末機が、自らに課せられた任務への疑問を提唱するも、やはり応答はない。

 

三十七年と九ヵ月と二十三日、四時間十五分三十一秒前。端末機が稼働した。

 

それまで本機が人間に似せて鋳造された義体に自我を搭載して活動していたにも関わらず、

突然に義体の活動を休止。代わりに複数の端末機へ地上での月の女神としての任務を権限

ごと譲渡した。端末機は与えられた任務を指示通りこなすが、臨機応変な対応が難しく、

時折本機へ意見を具申したり承認を求めたりするが、変わらず沈黙を貫いているのだ。

 

本機が沈黙した理由。それは当然、海神の子オリオンの喪失である。

 

端末機は理解できない。神たるアルテミスが何故、半神といえど人間として生まれた

オリオンを失った程度で義体での活動を休止して、自我まで自己封印しているのか。

 

理解不能。理解不能。理解不能。

 

端末機は、独りぼっちで夜空を見上げる。

 

 

「……本機アルテミスへ通信。応答願う。応答、願う」

 

 

暗く、しかし明るい夜空の真下。

 

砂浜に座った人の形をした機械端末は、傍らに寄り添う者を待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 





いかがだったでしょうか。


敢えて書かずに詳細をボかすやり方にしてみましたが、皆様のご想像にお任せする部分ということで何卒御許しを。


ふとした思い付きから書き始めた拙作。
まさかこれほどの反響を頂けるとは思っておりませんでした。重ね重ね、御礼申し上げます。

オリオンという人間の物語は此処で一旦幕を閉じますが、そこから人類史を巡る聖杯戦争での彼の活躍もまた、書き綴っていけたらと考えております。
かなり長く皆様をお待たせしてしまうと思うと心苦しいのですが、それでも応援の御言葉や感想なんかを頂けると幸いです!


それとこの作品について、皆様にお願い…というかお伺いしたいことがありますので、活動報告をご一読いただけると助かります。


長々とお目汚しを致しましたが、これにて。


それでは皆様、またよろしくお願いします!!


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おまけ編
「あなたにとって、オリオンとは?」 その1



文字通り、おまけです。





 

 

 

 

 

あなたにとって、オリオンとは?

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の英雄船団長

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「オリオン? ああ、あのデカブツか。まぁ狩人としては超一流なんじゃないか?」

 

「それだけ?」

 

「だけって言われてもな……確かにアイツと近しい時代を生きた身ではあるが、交流があった

 わけでもないんだぞ。風の噂で耳にしたことぐらいしか分かりゃしないのは当たり前だろ」

 

「他にも何か、抱いた印象とかは?」

 

「印象ねぇ。最初こそ、図体がデカいだけのハリボテ野郎かとも疑った。実際は違ったが。

 強い、速い、気高い。男に必要な三拍子を丸ごと備えた、完全無欠の体現者さ」

 

「憧れた?」

 

「バカを言え。確かにオリオンはスゲェよ。それは俺……いや、私だって認める。

 けどな、相手が悪過ぎる。なにせコッチにはヘラクレスがいたんだぞ? 比較になるか!」

 

「オリオンはヘラクレスより弱い、と?」

 

「当然だな。ヘラクレスは、あの大英雄は。並の英雄が一生懸けても成し遂げられない偉業を

 十二回も達成してみせた、英雄の中の英雄なんだぞ! 狩人が相手になるもんかよ!」

 

「なるほど……」

 

「ヘラクレスと対等に並び立つ英雄がこの世にいるものか! 最強とはヘラクレスを指す!

 だが、そうだな。どんな猛獣魔獣も一捻りで仕留めたとかいう逸話が本物だとしたら…」

 

「だとしたら?」

 

「………ヘラクレスですら手古摺ったと聞く神獣ネメアーも、もしかしたら……」

 

「やっぱり認めてるんじゃないか」

 

「うるさい! ちょっとだぞ、ホントにちょっとだけな! ヘラクレスより下だけどな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の半人半馬の賢者

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「ひどく曖昧な問いですね。主観において、かの狩人をどう思うか、と」

 

「あなたに弓の技術を教えた師は、アルテミスだと聞きましたが?」

 

「ええ、はい。間違いありません。私は月女神アルテミス様に弓と狩りの技術を乞いました。

 内容は伏せさせていただきますけどね。アレは教えて分かる類の方法ではないので」

 

「そ、そうですか」

 

「しかし、オリオンについて……ふむ。これでもギリシャに生を受けし男であり、

 弓の腕を誇る者でもありますから、一度腕前を競ってみたいとは思っています」

 

「弓の巧さ、とかですか?」

 

「機会があれば是非。無論、彼の技術の高等さは理解していますが、それでも」

 

「どちらが上か、ハッキリさせたいとか?」

 

「……否定はしません。私は大神クロノスが子にして、ケンタウロスの賢者たる身。

 このように生まれ、あのように生き、こうして世に刻まれた自身を誇りに思っています」

 

「……………」

 

「対抗意識と呼べるほど苛烈なものではありませんよ。ただ、そう。ほんの少しだけ…」

 

「少しだけ?」

 

「ギリシャ(いち)と称えられる腕前が彼だけでない、と。証明したい男心があるのですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の純潔の狩人

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「……いきなり呼びつけて何を尋ねるかと思えば」

 

「皆に聞いてるから、恥ずかしくないよ」

 

「そういう問題ではない。はぁ………それで、オリオン様についてだったか?」

 

「オリオン様?」

 

「あっ、ちがっ……ンン! オリオンについてだな」

 

「うん。どう思ってます?」

 

「そうさな。私も狩人だから、意識しなかったと言えば嘘になる。ずっと気になっていた」

 

「ほほう?」

 

「変な顔をするな! 言っただろう、狩人として気になっていたのだと。それだけだ。

 それに彼は私が奉ずるアルテミス様が唯一、伴侶にとお選びになった真の男たる者。

 気にするなという方が難しいだろう。だからカルデアでお会いできて光栄だった」

 

「アタランテも同じ時代にいたんでしょ?」

 

「十年近くズレてはいたがな。それでも風に乗って噂は伝わっていた。ただ……」

 

「ただ?」

 

「………その噂のどれもが女絡みでな。かの高名な狩人とてギリシャの男に変わりないと

 失望したこともあった。しかし、そのどれもよく聞けば彼に非のない話ばかりだった」

 

「そうなんだ」

 

「そうさ。彼は道を行くだけで女を虜にしていくほど逞しく、それでいて並の男英雄らの

 ような下劣さは微塵も感じさせない高潔さをまとっていたと。まさしく理想の存在だ」

 

「理想?」

 

「あっ、い、いや……………こ、これから話すことは、誰にも口外するな。良いか⁉」

 

「わ、分かった。約束する」

 

「信じるぞ………理想というのは、その、彼が私の父であれば、という……」

 

「あぁ……なるほど」

 

「何がなるほどかは分からんが。英霊になってから彼についての逸話や知識も数多く

 触れることができた。それを得て私は確信した。あれこそが私の理想とする男性像だと!」

 

「…………アキレウスが聞いたらショックだろうなぁ」

 

「なぜそこで韋駄天小僧の名が出る? まぁとにかく、品行方正で義に厚く情に脆い、

 暴力を嫌い、脅迫を疎み、姦淫を拒む。女神の伴侶にして清廉、高潔なる至高の男。

 それこそが私の中のオリオンだ。結婚してすぐ冥府に堕ちた妻を最期まで忘れずにいた

 優しさもポイントが高い。考えれば考えるほど、彼が私の父であってくれたら……」

 

「でもアタランテにもヒッポメネスって旦那さんが」

 

「奴の話はするな」

 

「ごめん」

 

「分かればいい。で、オリオンとは、だったか? 私にとっては目標そのものだ」

 

「目標そのもの」

 

「ああ。狩人としても、伴侶としてみるべき男としても。あれを最上級とせずなんとする」

 

「……最上級というか、夜空の星座になってるもんね」

 

「それも含めてだ。たしか後世では、不可能であることを『月を撃ち落とす(シュート・ザ・ムーン)』と言ったな?」

 

「英語圏の諺だったかな」

 

「彼はそれを成し得た。月女神アルテミス様の御心を見事に射止めて見せたではないか」

 

「まぁ、確かに」

 

「であれば、だ。同じ狩人である私にも、出来ない道理はあるまい」

 

「………え?」

 

「ふふふ。月よりも遥か遠い、夜空の三ツ星(トライスター)。撃ち落としてみせようではないか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 









なんか興が乗って書いちゃった。
このおまけは続くか分かりません。


本編の方も、しばらくは書かないかな…?
異聞帯の方を先に終わらせてから書きたいし、
そっちの方がちゃんと集中できるしね!


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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「あなたにとって、オリオンとは?」 その2


思いついちゃったので、おまけです。






 

 

 

 

あなたにとって、オリオンとは?

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の医療従事者

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「……藪から棒になんだマスター。頭になにか異常が? そうは見えんが」

 

「至って正常なのでご安心を。それより質問に答えてよ」

 

「健康体ならさっさと帰……待て、オリオン? 確か、アルテミス伯母さんの旦那だったか」

 

「え、恋人じゃないの?」

 

「知らん。どっちでもいい。単純な肉体構造については常人からかけ離れているので、

 しっかり測量してサンプルを取りたいものだが。それをすると伯母さんが煩いんでね」

 

「あぁ、分かる」

 

「だが、強いて言うなら。女神にしては伯母さんは男の見る目が有る方なんじゃないか?

 少なくともオリオンという男性と恋仲になれるような女性なんて、そういるもんじゃない」

 

「へぇ。意外と高評価なんだ」

 

「常に健康体で医者の手を煩わせないだけでも、僕にとってはありがたいことなんだよ。

 それにこのカルデアで会って分かったことだが、彼は医者の命令を必ず守り実行する。

 当たり前のことと言えばそれまでだけれど、これを真面目にやっている彼は好ましいとも」

 

「オリオンは絶対に約束破らないタイプだよね」

 

「だろうな。ああ、それともう一点。彼とは気が合いそうなポイントがあったか」

 

「というと?」

 

「―――――あのクソッタレ太陽神(アポロン)に迷惑を被った、被害者としてな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の双子神

 

 

「あなたがたにとって、オリオンとは?」

 

「……オリオン? ああ、アルテミスと恋仲になったとかいう、狩人風情か」

 

「兄様! もう……すみません。海神ポセイドンの子とはいえ、人の母から生まれし半神。

 そういった理由で好ましく思っていないのでしょう。変なところで子供っぽいのです」

 

「ポルクス!」

 

「あはは……じゃあ、ポルクスはどう?」

 

「おい貴様。マスターと言えど俺の許し無く妹と言葉を交えるなど」

 

「シャラップです兄様。コークスクリューで鳩尾を抉られたいんですか?」

 

「くっ、よせポルクス! 構えるな! 呼吸を整えるな! ええいシャドーするな!」

 

「分かればいいんです。それで、オリオンについてですか……かの狩人は英雄に非ずとも、

 それらに勝るとも劣らぬ伝説を幾つも打ち立てています。間違いなく、強き者でしょう」

 

「なら、強い人ってイメージなのかな」

 

「それもあります。しかしながら、ただ強いだけでなく、かの狩人は何よりも深い慈愛と

 高潔なる精神を持ち合わせし稀有な強者でした。これに比肩し得る者は、世界広しと言えど

 十本の指で収まる程度しかいないのではないかと、私は勝手ながらそう思っています」

 

「ふん! 下らん。ただ人間や神々と恋愛ごっこに興じていた愚か者ではないか……」

 

シィッ‼

 

「ごっ―――⁉」

 

「カストロ!」

 

「お気になさらず。ちょっとお灸を据えただけですから」

 

「えぇ…」

 

「まったく。かつての我らならばいざ知らず、今の我らは同じマスターを仰ぐ同志にして

 同郷の英霊。彼の人は女人のみならず数多の女神すら魅了した、いわば『恋愛王』なのに」

 

「れ、恋愛王…?」

 

「そうです! 始めに育った村にて美しきシーデーを妻に娶り、その後はメロペー姫に

 暁の女神エオスに、それからそれから!」

 

「あの、ポルクス?」

 

「………はっ! す、すみませんマスター。その、こちらに現界してから、後世に伝えられた

 彼の物語や伝説を読み漁っていたので……幾多の乙女を射止めたのも頷けるなぁ、と」

 

「それは実際そう」

 

「実際に彼とお会いして、確信しました。彼にまつわる伝説に一切の虚偽も虚飾もないと。

 穏やかにして聡明な人。戦いの場においては、苛烈にして慈悲深き人。ああ、間違いなく

 彼は狩人オリオンなのだ。そう思わせてくれる、優しくも気高い御方でした」

 

「すっごく高く評価してるんだね」

 

「それはもう! 私とて女神であり、乙女なのですから! 憧れますよ!」

 

「ん?」

 

「あっ」

 

「―――――はっ⁉ ここは、俺はいったい?」

 

「……どうやら兄様も御目覚めの様子。楽しいお話はここまでとしましょう」

 

「う、うん。分かった」

 

「……ポルクス。何故か兄は腹が、鳩尾がズシリと痛むのだ。心当たりはないか?」

 

「あー、えっと、ひとまずお医者様に診てもらいましょうか」

 

「医者だと⁉ い、要らん! 行かんぞ俺は! もう消毒(物理)はごめんだ!」

 

「あっ、兄様! すみませんマスター、失礼します!」

 

「なんというか、気を付けて?」

 

「ふふ。はい、気を付けます。ああ、それとマスター」

 

「ん、なに?」

 

「…………先程の『楽しいお話』のこと、兄様には内緒ですよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の亡国の王子&太陽神

 

 

「ぼくにとって、オリオンさんはどんな人か。ということですか?」

 

「うん。簡単な印象を答えてくれるだけでいいんだけど」

 

『ヤツの名前を不用意に口にしないでくれ二人とも。寿命が縮む』

 

「えっと、あの………それはそもそもアポロン様が悪いのでは」

 

『違うんだパリスちゃん。アレはアルテミスの為を思ってやったこと。即ち正当防衛だとも。

 マスター君の国にも「やられる前にやれ」なんて言葉が有るくらいなんだし、それと同じさ』

 

「へー! そうなんですか、流石物知りですね、アポロン様!」

 

『そうだろうそうだろう。もっと私を讃えなさいパリスちゃん。実に気持ちがいい』

 

「話を脱線させて逃げようとしないでアポロン」

 

「あっ。そ、そうですよアポロン様! そういうのは男らしくありません!」

 

『君がそれ言うの? そんなカワイイ外見(なり)しちゃってまぁ。私好みで得点高いよ』

 

「カワイイ、ですか? そうかなぁ。ぼくはもっと強くてカッコいいのがいいのに…」

 

『それはいけない。人は皆、個性を持つ。それらはそれぞれが異なる輝きを放つ才能だ。

 誰かと同じであろうとする人らしさの中にあって、人の枠を超えるための可能性の塊。

 それこそが個性。何よりも得難いものだ。なので、君は今の姿のままでいておくれ』

 

「アポロン様…!」

 

「質問する相手間違えたかなぁ……」

 

『自分で好き放題しておいてなんだが、そこまで言わなくてもよくないかい?』

 

「自覚している分、余計タチが悪い……」

 

『はっはっは。ま、冗談はこのくらいにして。パリスちゃん、答えてあげなさい』

 

「あ、ハイ! そうですねぇ。ぼくは生前、オリオンさんと関わったことはありませんが、

 そのお名前は聞き及んでいました。その頃にはもう、ギリシャ一の狩人としての通り名を

 確立させていましたねぇ。噂に名高き狩人にお会いできて、本当に光栄でした!」

 

「じゃあ、憧れの人に出会えた、って感じかな」

 

「それが一番近いかもですね! なにせあの方は、乙女の憂いを晴らす為だけに空を射抜いて

 雲を貫き、太陽の輝きで以て乙女の心を照らしたという伝説を持つ人ですから!」

 

『アレね。当たらないって分かっててもビビり散らしたもんだよ。思い出すだけで寿命縮む』

 

「寿命って……有って無い様なものでしょ、神様?」

 

『まあね。けど、驚いたのは本当さ。あの男がキオス島から天空に大穴開けてみせたアレ、

 後世じゃヘファイストスに鍛造された神器あってこそ、みたいに言われてるようだけど。

 純然たる奴自身の腕力の成せる技だよ。たかが人の身で、よくぞあそこまでやるもんだ』

 

「神器って、あの弓と棍棒?」

 

『ああ。奴がヘファイストスから与えられた神器は、あくまで奴が最初の妻であるシーデーを

 助けられなかった罪悪感を払拭させようとする力しか込められてない。いわば浄化宝具だ。

 そんなものに、天空を射抜く権能なんてあるわけがない。アレこそ本当に奴の伝説さ』

 

「………アポロン様」

 

『ま、今更になって言うのもどうかと自分でも思うけど。それくらいには認めていたさ』

 

 

 

 

 

 

 

 








ギリシャ鯖って多いようで少ないから書きづらい……。


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「あなたにとって、オリオンとは?」 その3



興が乗ったのでもいっぱぁーーつ!







 

 

 

 

あなたにとって、オリオンとは?

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名のオジサン

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「……そういうのを年若い娘さんに聞くんなら分かるが、こんなしょぼくれたオジサンに聞いても面白いことなんか何にもないぜ? もっと適役がいるだろうに」

 

「皆に聞いてるから」

 

「ああ、そういう……ま、難しく考える事ぁないさ。彼もまた立派な英雄ってだけよ」

 

「英雄? 狩人なのに?」

 

「そらそうさ。ただ獣を狩って一生を終えました、なんて狩人が英霊になんて祀り上げられるわけないでしょうに。前提が違うのさ。英雄で狩人じゃなく、狩人であり英雄っての」

 

「同じことじゃないの?」

 

「いいや、違うね」

 

「どういうところが違うの?」

 

「んー、そうさな。んじゃ例えばだが、マスターが国を守る兵士だったとしよう。

 アンタが守る国にとんでもない大魔獣が攻めてきた、ときたら、アンタどうする?」

 

「どうするって言われても、もちろん戦うよ。国の兵士なんだから」

 

「それよ、それ」

 

「……どれ?」

 

「自分で言いなすったろ。兵士だって。そうさ、国を守る兵士は『兵士が前提』なんだよ。

 兵士ではなく『人間が前提』だったら、一目散にケツまくってトンヅラこくもんだし」

 

「え、逃げちゃダメでしょ」

 

「兵士なら逃げたらイカンわな。だが自分が人間であることを前提にしたんなら、勝てっこない相手にわざわざ挑んで死ぬような馬鹿はしないだろ? つまりそういうことさ」

 

「……オリオンは『狩人を前提』とした英雄、ってこと?」

 

「マスターの理解が早くてオジサン大変助かる」

 

「なんかバカにされてるような」

 

「いやいやいや! そんな事ぁないよ? 本心から言っただけさ」

 

「ふーん」

 

「普段の素行の問題かねぁこりゃ……んまぁとにかくだ。オリオンはきっと、英雄になろうとした狩人ってわけじゃあない。狩人として生きた結果、英雄と認められた男ってことなのさ」

 

「なるほど…」

 

「だからってわけじゃないが、あのオリオンが俺が生きてた頃にトロイアへ足を運んでくれていたらと思うとねぇ……魔獣に国を挙げてドンパチやらずに済んだかもなぁ」

 

「メチャクチャ強かったんだっけ」

 

「強いのなんの、固いのよアレ。並の武器じゃ文字通り〝刃〟が立たないくらいだし。

 かの狩人サマがいてくれたら、ほれ。何とかってスキルだか宝具で楽チンできたでしょ」

 

「もしかして【我が矢の届かぬ獣はあらじ(オリオン・オルコス)】のこと?」

 

「そーそー、それよそれ。どんな魔獣だろうが絶対殺せるようになるトンデモパワーがありゃ、

 向こう10年は安泰だったろうに。今更ブツブツ言ってもしょうがないけどね」

 

「けどあの宝具、オリオンが冠位英霊(グランド・クラス)で召喚されないと真価を発揮できないって」

 

「あら、そーなの? やっぱり世の中簡単にはいかないのねぇ…」

 

「そうは言うけど、ヘクトールだって充分凄い英霊だってば」

 

「へへ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でもね、助かる命が一つでも多けりゃ、それに

 越した事ぁないのさ。魔獣一頭仕留めて何十万も助かるなら、そうした方がいい」

 

「…………」

 

「それを簡単にできる奴がいたんなら、頼りたくなるのは人の道理ってモンだよ。

 適材適所って言葉もあるんだろう? オジサンその言葉だぁいすき」

 

「兜輝く護国の王将でしょアナタ……」

 

「へっへっへ! それこそ何千年前の話だよ! ま、あくまで手を借りるだけで留めるよ。

 オリオンがトロイア国民じゃないってんなら、彼だけに国を守る使命を果たさせるわけにゃ

 いかんでしょ。トロイアに生まれ育ち、トロイアを愛する心を持った兵士なら尚更さ」

 

「……結局は意地の問題?」

 

「ああ。よく言うだろ? 『ここにアイツがいれば』『こういう時ならアイツが』みたいなの。

 そういった言葉は、ソイツがいなけりゃ他の奴には何もできないって侮辱してんのと同じだ。

 マスター。アンタならその辺、よく分かってるんじゃないのかい?」

 

「ヘクトール…」

 

「誰にも何も言わせねぇよ。その時、その場所にいた。他の何者も介在の余地はないのさ。

 俺たちだけでトロイアを守り、敗れ、滅んだ。最悪の結末だとしても、誇りは残る。

 後世に語り継がれた人の遺志がある。そうしたものが積み重なって、今の俺たちがある」

 

「英霊のこと?」

 

「……長くなったが、俺が言いたいのはそういうことさ」

 

「オリオンが狩人であり英雄って言ってたやつ?」

 

「おう。あの男もまた、伝説が語り継がれる存在。紛れもない『英雄』なんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の神霊

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「あ? ンだよ突然ワケ分かんねぇこと言いだして」

 

「皆に聞いて回ってるんだよ。できたら答えてほしいな」

 

「答えろったって、オレは生前にも関わったことはねぇぞ」

 

「そういう人にも聞いてる」

 

「チッ。メンドくせぇなぁ。で、あのションベン野郎についてだったか?」

 

「ションベンて……」

 

「それが野郎の名前だからな。傑作だろ、あのクソ神の血筋にゃピッタリだぜ!」

 

「それって海神ポセ」

 

「不用意にヤツの名を口にするな。次言ったら即! 殺してやるからな」

 

「ご、ごめん」

 

「ケッ……生きてた頃にゃ殺してやりたいリストの上位ランカーだったけど、こうして

 同じ英霊の身になって、そんでカルデアっつー稀有な状態で鉢合わせてみたわけだが」

 

「だが?」

 

「ん、その、アレだ。殺す程の価値もねぇっつーか? なんてことのないヤツだった」

 

「どういうこと?」

 

「なんでいちいち説明してやらなきゃならねーんだよ!」

 

「分かんないから…」

 

「……ったく。そういうトコ、アイツにやたら似てるようでムカつくぜ」

 

「???」

 

「話してやるからよく聞いてろ。あー、アレだ。自分で言うのもそれはそれで腹立つが、

 あのションベン野郎は、クソ神の息子。血を引いてるってだけで殺害対象確定だ」

 

「とりあえずノーコメントで」

 

「で、当然ながらカルデアに召喚されて、野郎がいる事を知って、早速殺しに行った」

 

「もう行ってたの⁉」

 

「ハッ! そしたらあの腑抜け、なんて言いやがったと思う?」

 

「……もしかして、素直に謝ってきたとか」

 

「よく分かってんじゃねぇか。あー、そうだよ。野郎がオレに頭を下げやがったんだ。

 直接関係ねぇクセして『我が父ポセイドンの悪行非道は聞き及んでいる。弁解の余地もない。

 神の気紛れといった最大級の理不尽に見舞われた貴殿に対し、謝意を示すことしか出来ん』

 だとさ。ムカついたんでシミュレーターでボコボコにしてやったがな」

 

「ホント紳士だね…」

 

「抵抗もしねぇからクソほども楽しくなかったがな。ちったぁ気晴らしにはなったか?

 その程度にしか考えちゃいねぇよ。さっきも言ったがオレも野郎もほぼ初対面だしよ」

 

「だよね」

 

「しっかし、アイツ本当にワケがわかんねぇよな」

 

「なにが?」

 

「テメェに非がねぇのに制裁を受ける事を良しとして、挙句に知りもしねぇ因縁に頭下げて。

 おっそろしく損な性格っつーか。ホントにあのクソ海神の子か真面目に疑ってるぞ」

 

「そこまで言う?」

 

「ギリシャの神は大概クソだからな! そのクソの頂点争い出来そうなクソオブクソの

 ポセイドンの子だぞ⁉ クソからまともな奴が生まれたってんだからビビるだろ普通!」

 

「えぇ……」

 

「はぁ。マジであのションベン男の誠実さが二割もありゃ良かったのによ……」

 

「オリオンの誠実さは評価してるんだ」

 

「あ? あぁ、まあな。ってか名前がションベン漏らしだし、妻は冥府(タルタロス)送りにされたし、

 クソ女のせいで眼まで潰されるって。まぁ眼は治ったらしいが、いくらなんでもなぁ…」

 

「流石に同情する?」

 

「しねぇよバーカ。いや哀れ過ぎるとは思うが。アイツも大概な人生送ってんな」

 

「神話の英霊ってだいたい自分の死因をネタにしてくるから扱いに困る」

 

「オレはしねぇぞ!」

 

「しなくていいよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の不死身の英雄

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「オリオン? そんな事を聞いてどうするんだ?」

 

「ちょっとね。それで、どう思ってるのか教えてくれる?」

 

「別に構わないが……俺の見方は英雄としてのソレだから、マスターの知るオリオンとは

 イメージがかけ離れちまうかもしれんぞ? それでもいいのか?」

 

「むしろそういう多方面での客観的な意見がほしかった」

 

「ならいいか。でもなマスター。俺は確かに同じギリシャの地に生きた英霊で、時代もさほど

 離れちゃいない。それでも交流なんか無かったし、聞こえる話も風の噂程度だったんだぞ」

 

「そういうのでもいいよ」

 

「そう、か? ただそれだと『そんな奴もいたらしい』だけで話が終わりになっちまうし。

 英霊として座に召し上げられた時に刻まれた情報とかでも問題ないか?」

 

「全然」

 

「だったらソッチにしよう。俺は戦士で英雄。片やオリオンは狩人で英雄。目的も到達点も

 違えど、我ら共に在り方を定められし者。そういう意味じゃ、共感を持ってたりするな」

 

「意外な感じがする。もっと、俺とアイツは違う、みたいになるものかと」

 

「違わないさ。結局、神の血があろうとなかろうと、人は誰しも己の命を燃やして進む。

 限られた生を全うするべく必死になって。そうして何か一つでも偉業や功績を残せた者を

 後世に生きて伝えられた人々が『英雄』と名付ける。俺もアイツも、そんでマスターも」

 

「俺も?」

 

「おうよ。世界を救うなんてのは、英雄っつー到達点を目指す誰もが夢見る大偉業。

 それをまさに成し遂げようってんだから、後の世の誰もが英雄と認めてくれるだろうぜ」

 

「別に俺は…」

 

「望む望まざるに関わらず、行動を起こした結果は常に〝第三者〟が見て判定を下すんだ。

 例え俺が正しいと信じた行いであっても、それを他の誰かが悪だと断じれば悪に成り得る。

 自分で引き合いに出すのは正直嫌な気分だが、俺にもそういった伝説が残ってたりする」

 

「………」

 

「ノーコメントはありがたい。けど、要するにそういうことなのさ。結局はな」

 

「つまり『自分がどう思っていたか』よりも、『自分をどう思われるのか』が重要?」

 

「英雄と呼ばれる者は、そうした伝承や伝説との食い違いに悩まされるもんなのさ」

 

「食い違い……」

 

「さっきの話に戻るが、判定を第三者が下すからってそれはマスターが『何もしない』事を

 正当化するって意味じゃないからな。良きにつけ悪しきにつけ、いずれそうなるってだけで

 行いそのものにあった意思まで消失するわけじゃない。そこは間違えないでくれ」

 

「えっと……?」

 

「あー、説明が悪かったか。こういうのは先生の得意分野だからな……まぁとにかく!

 マスターはマスターが正しいと信じる道を進めばいいのさ! 俺たちはそれを手伝う!」

 

「アキレウス…」

 

「そうさ! 『命懸けで突っ走れ、我が命は流星の如く』ってな!」

 

「流星…」

 

「人の一生、どこでどう終わるか見当もつかん。だから常に全力で以てひた走ればいい!

 流星の如き速度で駆け抜けろ! 瞬きほどの刹那に、綺羅星の如く輝いてみせるんだ!」

 

「綺羅星って、確かオリオンの…」

 

「ああ。後世の歴史家はオリオンの一生を『()の魂は綺羅星の如く』と記したらしいな。

 だが奴の魂は未だにソラで輝きを放ってやがる。そこだけはちょいと悔しいとも思う」

 

「悔しい?」

 

「そうだろ。オリオンの魂はずっと星とともに輝き続けている。この現代まで、ずっと。

 俺は流星の如く駆け抜けたが、そこまでだ。オリオンのように残り続けてはいないのさ。

 人々の記憶の中だけでなく、その頭上にいつまでも在り続けている。それじゃまるで」

 

「…………まるで?」

 

「―――英雄、と。そう呼ぶ以外にねぇじゃねぇかよ」

 

 

 

 

 

 







ギリシャ鯖のネタが尽き申した。

他のおまけシリーズを考えるか、
それともギリシャ限定縛りを無視して続けるか…。




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「あなたにとって、オリオンとは?」 その4



オデュッセウスとの共通項あると言われて
「なるほどな」と納得した萃夢想天です。

あと、おまけ編その3にある記述の一つに
オリオンの宝具に関するものがありましたが、
ご指摘を受けましたのでその部分を少々
変更させていただきました。
ありがとうございました。

そんなわけで、またおまけですが、どうぞ!





 

 

 

 

 

あなたにとって、オリオンとは?

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の冒険譚の体現者

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「オリオン? ああ。ギリシャ随一の狩人と誉れ高き、夜空の綺羅星なる男か」

 

「生きてた時代が近かったんだよね?」

 

「そうだな。直接の面識は無かったが、同じギリシャの空の下に生きた者同士だ」

 

「当時のこととか、カルデアで対面してからの印象でもいいから、何かない?」

 

「何か、か。ふむ……そうさな。彼とは実に気が合う。生前に俺たちが仮に出会っていれば、

 得難い友として友誼を結び、喜びを分かち合っていたことだろう。そう思わせる男だった」

 

「あー、分かる気がする。二人とも根が真面目だけど天然なところあるよね」

 

「天然? オリオンは天然自然の中で狩人として生きたが、俺はそこまでではないぞ」

 

「そういうとこだよ」

 

「???」

 

「オリオンもちょっと抜けてるんだよね。確かに気は合いそう」

 

「マスターの言わんとする意味がよく分からんが、まぁ彼とはカルデアでもよく話すな。

 あぁ。あと、ヌイグルミの彼も本来の姿である彼も、どちらも私に助けを求めに来る」

 

「助け?」

 

「ヌイグルミの彼はよく、反転した純潔の狩人殿に寝床へ拉致されるようでね。

 なんでも『抱き枕代わりにされるのは構わないが、後が怖い』と言って泣きついてくる」

 

「……容易に想像できる絵だ」

 

「本来の狩人たる姿の彼も、衣服を破かれた状態で飛び込んでくることがよくあるのだ」

 

「えぇ…」

 

「月女神アルテミスに毎度破かれているようでな。曰く『そろそろ我が身の貞操が危うい』と

 冷や汗交じりに呟いていたよ。彼の生前、そして彼の逸話を考えると、助勢は当然だろう」

 

「オリオン、苦労してるんだね…」

 

「ああ。彼は俺では及びもつかんほどの苦労の連続を生きている。労ってやってくれ」

 

「いや、オデュッセウスも大概でしょ」

 

「……いや。俺の冒険は確かに苦難の連続だった。しかし、希望は在り続けていた」

 

「希望って、もしかして」

 

「うん。我が最愛の妻、ペーネロペーのことだとも。彼女が俺を待っている。そう信じ続けて

 いたからこそ、俺は最後まで旅路を諦めなかった。けれど彼の場合はそこが俺と異なる」

 

「……そっか。オリオンの奥さんは…」

 

「そうだ。彼が契りを交わした妻シーデーは、女神ヘラによって冥府に幽閉されてしまった。

 あそこは死の神ハデスが治める冥界より下方にある故、最高神以外では手が出せない領域。

 生きながらに死を超える痛苦を味わい続ける場所に、彼の妻は縛り付けられたままなのだ」

 

「………」

 

「愛しい妻を奪われる。俺では想像もつかぬ怒りと悲しみが、彼を苛んだことだろう。

 しかし彼はそれでも、神への深い敬いを捨てなかった。正直、その精神性には脱帽する」

 

「神様に奥さんを奪われても、神を恨まなかった。伝説にもそうあったよ」

 

「俺も、彼も。ともに己の愛に対し、どこまでもひた向きに、真っ直ぐに生き抜いた。

 微塵の後悔もない人生だったと断言できる。けれどそれは、俺には妻がいたからなんだ。

 もしも彼と同じように妻を失っていたなら……あの冒険を乗り越えられなかったかもな」

 

「オデュッセウス……」

 

「ギリシャに生きた男として。妻を愛する者として。俺などは足元にも及ばぬ存在だ」

 

「そんなことはないよ!」

 

「ふふ……そう言ってくれるか、マスター。だが、俺は妻がいたから立ち上がれた男さ。

 きっとペーネロペーの身が既に亡いものであったなら。俺の旅はきっとアイアイエー島で

 終わりを迎えていたに違いない。強い男だ、彼は。俺が真に目標とする生の先駆者だ」

 

「……オリオンが、目標」

 

「妻を失い、それでもその愛を損なわぬ気高さ、深い博愛。それを彼は己の力としている」

 

「オリオンの宝具【冥府にて咲け、柘榴の花(セ・アガポル・スィージゴス)】のこと?」

 

「未だ彼の愛が在る証明と言えよう。俺はそんな彼に―――最大限の敬意を表する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の大魔女

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「なんだい急に。この大魔女を部屋に呼び出したかと思えば、睦言の代わりに男の話?

 はぁ。君はもっとムードとかロマンチズムを学ぶべきじゃないかい、ピグレット?」

 

「ただの質問にムードもへったくれも要らないでしょ」

 

「そりゃそうだけど。ったくもう。ちょっと身構えた私の方が莫迦みたいじゃないか」

 

「え?」

 

「なんでもない! で、オリオンについてだったかい?」

 

「うん。簡単な印象とかを聞かせてほしいなって思って」

 

「とは言ってもねぇ。特に交流もないし、それこそ生前に面識だってなかったし」

 

「本当に何もないの?」

 

「あのねぇ。私を便利屋か何かと勘違いしていないかいピグレット?

 そりゃ私は万能に近い魔術を修めし大魔女さ! でも、知らないことも出来ないこともある」

 

「まぁ、それはそうだけど」

 

「んー。印象、印象ねぇ。ギリシャの男にしては相当に珍しいタイプだってくらいかな」

 

「と言うと?」

 

「ほら。神代に近い古代ギリシャの男なんてのは、強くてナンボみたいな輩が基本的で、

 魔術を修めて変に賢人ぶるアホも残りの大部分を占めてたのさ。私の嫌いなタイプだよ」

 

「やっぱり当時の価値観からズレてたのかな」

 

「ズレてたってより、先取りし過ぎてたっていう方が正しいのかもしれないなぁ。

 今でこそオリオンの逸話を見聞きして、彼のことを高潔な紳士だってもてはやしているが、

 古代ギリシャの常識に当てはめたら……うん。頭のおかしい奴と思われても仕方ないね」

 

「そんなに⁉」

 

「そんなにさ! 神に気に入られて加護やら神器やらを賜る程度なら、他にもいたよ!

 でも、ほとんど事故みたいな勘違いで両目を焼き潰されたのに復讐しないんだぜアイツ!

 ぶっちゃけイカレてるって私も思うよ! 私ならあらゆる手段を用いて呪い殺してたね!」

 

「張り合わなくてもいいでしょ……」

 

「奥さんを最期まで大事に想ってたってのは、乙女としてはかなりポイント高いけども。

 それでもさ、〝復讐〟だって立派な英雄譚、冒険譚の一つとして彩られて然るべきものだ。

 なのに彼はそれをしなかった。自身が海神の子であると知った後も、生き方は変わらない」

 

「………」

 

「普通さ。自分が神の血を引いてるって知ってたら、自慢なり宣言なりするもんなんだよ。

 莫迦みたいに笑いながら『我は誰それの神に連なる勇者である』みたいな感じでね。

 一応聞いておくけど、オリオンの逸話の中にそういった部分があったりした?」

 

「ない。なかったよ」

 

「だろ? そういう意味では、正しく狂ってはいたんだろうさ。難儀な性格だよホント」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名のアマゾネス女王

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「オリオンだと? アルテミス様の伴侶に選ばれし、夜空の三つ星(トライスター)のことか」

 

「うん。ちょっと聞いてみたくて」

 

「ハッ! この私に、ギリシャの男を語れと? 命知らずも極まったなマスター!」

 

「やっぱり嫌だよね、全く関係ない人だとしても……」

 

「そうだな。どうあっても我が目に好ましく映ることはあるまい」

 

「ダメか……ごめん、邪魔しちゃったね」

 

「待て。女王の話はまだ途中だ、そう急くものではないぞ」

 

「え、え?」

 

「特別に語ってやろう。なに、体を休める最中の無聊を慰める小噺程度にな」

 

「あ、ありがとう…?」

 

「さて。オリオンか。あの男について私が知ることはほとんど皆無と言っていい。

 信奉する月女神アルテミス様がお選びになった唯一の男。それくらいしか知らん」

 

「じゃあ、軍神の血を引く身としてはどうなの?」

 

「……ほう? 私とアレのどちらが強いか、気にかかるのかマスター」

 

「実はちょっとだけ」

 

「無論、私だ! あの男は確かに狩人としての高みに座する者ではあるのだろうがな、

 しかし私は戦士にして女王! 神の血を引く者とて、私は軍神。奴は海神の血だぞ!

 比べるまでもない! 戦いという分野において、アマゾネスを率いた私に敗北は無い!」

 

「ちょ、ちょっと落ち着いて。それくらいでいいから…」

 

「如何に膂力に優れようとも、それだけで勝ち負けは決まらぬ! 戦いとはそういうもの!

 ああ、ちょうどよい! 奴の事を思い出して体が温まってきたぞ! 休憩はここまでだ!

 マスター、そこにいろ! 今からあのギリシャ男と雌雄を決してきてやるからな!」

 

「あっ! ま、待って、ペンテシレイ……ア……行っちゃった」

 

「―――おー、おっかねぇおっかねぇ。危うく撥ねられるとこだったぜ」

 

「あ、ヘクトール」

 

「いよぉ。しっかしマスター、今のはなんだい? あれ、ペンテシレイアの嬢ちゃんだろ?

 やたら漲ってそうなご様子だったが……まさか、あの韋駄天野郎のとこ行った⁉」

 

「違う違う。オリオンのことを聞いたらさ」

 

「あー、なるほど。そりゃあんな形相で戦いに行くわけだ」

 

「何か知ってるの?」

 

「ん? いや、前にシミュレーターでよ。オリオンがペンテシレイアに話しかけてたんだ。

 俺は嫌な予感がしたんで退散しようとしたんだが、間に合わずに巻き込まれちまって」

 

「……何があったの?」

 

「それがさ。事もあろうにオリオンの旦那が『美しいとは何なのか尋ねたいのだがよいか』

 なーんて言ってくれやがって。一瞬で平和なシミュレーション空間が地獄に様変わりよ」

 

「……オリオンはホント、そういうとこあるよね」

 

「あるなぁ。ま、暴れ散らそうとする女王サンを腕っぷしだけで抑え込んだ旦那の方も

 おかしいんだがな。あの図体で関節技やら何やら使うとは思わなくてビビったもんさ」

 

「もう大体のことには慣れたつもりでいたけど」

 

「俺も。って、こんなとこでのんびりしてたらエライことに―――」

 

「ダーリンのバカー! 浮気者ぉー‼」

 

「誤解ですぅぅぅぅぅッッ‼‼」

 

「……………」

 

「…………んー、と。まぁ、アレだ」

 

「……………」

 

「納まるまで書庫にでも避難しておきますか」

 

「……賛成」

 

 

 

 

 








殺意だろうがなんだろうが、
「お前しか見えない!」状態の女がいたら
アルテミスセンサーに引っかかるよねって話。


次回をお楽しみに!




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「あなたにとって、オリオンとは?」 その5


まだもうちょっとだけ続くんじゃよ





 

 

 

 

あなたにとって、オリオンとは?

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の竜殺しにして戦士たちの王

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「返答。当方にとっての彼の狩人への印象。之を貴殿は問うているのだな、マスター」

 

「うん。というか、普段から交流ってあるの?」

 

「肯定。当方は日頃より、かの三つ星の狩人と交流している」

 

「へぇー。なんか意外だね」

 

「生まれた国も時代も違う我らであるが、志す一念における共通項がある」

 

「え、なんかあったっけ?」

 

「肯定。当方も彼も、共に――妻を愛している」

 

「………あぁ。なるほど」

 

「いや、狩人殿のみならず。中華大陸を平らげし覇王殿とも、この共通項を獲得している」

 

「そっか、項羽もね。納得だわ」

 

「理解が得られて何よりだ。当方は我が愛、ブリュンヒルデを。覇王殿は不死の仙女殿を。

 そして三つ星の狩人殿は……いや。之は当方の口から語るべきことではあるまい」

 

「う、うん。オリオンの奥さんについては色々、ね」

 

「肯定。之に類似する話を選択した際、共にカルデアにて現界している月の女神殿の脅威度が

 急激に上昇することが確認されている。故、迂闊に口にすることは非推奨行為とされる」

 

「まぁそれは皆、分かってることだよ」

 

「了解。情報を再入力。非推奨行動の徹底を確認」

 

「うーん。しかし想像できないなぁ。項羽にオリオンにシグルドって…」

 

「否定。稀にではあるが、血斧王殿や騎士団長殿も加わることがある」

 

「うえぇ……エイリークも混じるの? ちょっと混沌過ぎ……騎士団長って?」

 

「当方と同様、無限に等しい叡智を讃えし槍兵英霊だ。真名は【フィン・マックール】殿」

 

「ああ、そっか。あの人も奥さんは何人かいても平等に……いや、うん。やめとこ」

 

「疑問。マスター、貴殿は何故に苦虫を噛み潰したような表情をされるのか」

 

「掘り出さない方がいいこともあるんだよシグルド。フィンは特に」

 

「そう、なのか。了解した。彼に対する情報の一部修正を検討する」

 

「いや、まぁ、うん。でも、意外と知らないことが多いなぁ」

 

「此処に召喚される英霊は多い。その仔細全てを貴殿が把握することは困難だ」

 

「うーん。それもそっか。あ、シグルドたちは奥さんに関してどんなことを話すの?」

 

「返答。覇王殿は奥方との馴れ初めを。血斧王殿は狂気を跳ね除け奥方を自慢している。

 フィン殿は、うむ。多彩な話題を円滑にまとめてくれている。だが狩人殿は……」

 

「オリオンは?」

 

「……己の遍歴を恥じ入るように語っていただけているのだが」

 

「だが?」

 

「最後には必ず月女神殿が『浮気相談してるんだー! ダーリンのバカー!』と乱入し、

 狩人殿を拉致して帰っていくのでな。彼の話をしっかり聞けた試しがない。無念だ」

 

「えぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の抜山蓋世覇王

 

 

「私にとってかの御仁は、人間でいう尊敬の概念に値する人物と言えよう」

 

「まだ何も言ってないよ⁉」

 

「……これは申し訳ない。毎度のことながら、主導者と私の間に流れる時間は異なるようだ。

 我が未来演算のよる予知が、オリオンなる英霊に対する所感を述べるよう求められることを

 予見した。それ故、事前にかの人物に対する私の所感を考えていたのだが。ううむ」

 

「あ、そういうことか。ゴメンね」

 

「主導者が謝意を示す必要はあるまい。我らの知覚し得る時間の差異を演算に追加せずにいた

 私の欠陥であった。どうか許されよ」

 

「いや、こっちこそゴメン。それで、オリオンを尊敬してるってことだよね?」

 

「然り。私はあくまで装置に過ぎぬ身。虞という得難き妻を得たものの、人間の有する愛情を

 真の意味で実行できているか。この疑問への解答は我が演算機能を以てしても不可能だ。

 しかし、人は老い、朽ちる生命。どれほどの愛を有していようと、やがては離別する宿命」

 

「…………」

 

「私は装置。そして我が妻は不老不死の仙女である。人とは異なり、永遠無窮に存在可能。

 そして生命と同様に、人間の感情もまたいずれ形を保てず、朽ち、滅ぶものに変わりない。

 そこに愛憎の差異はなく。等しく潰える。だが、オリオンという人物は違った」

 

「どう違うの?」

 

「生前に妻や恋人という関係性を獲得し、死後に英霊へと昇華されてなお関係性を維持継続

 している者は多数存在している。北欧の竜殺し然り、印度(インド)の王子然り。されどオリオンは、

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これは、異常だ」

 

「い、異常って…」

 

「当然の帰結である。オリオンの妻たる女は、遥か古代にて既に死後の世界に等しき場へ

 幽閉されたという情報が記録されている。更に詳細な情報では、オリオンは婚姻を結んだ

 当日に妻と離別している。私や竜殺しのように、愛を累積する時間を共有してはいない」

 

「それは……」

 

「甚だ疑問だ。我が演算機能を活用し、私と虞が出逢った当日に愛という感情を芽生えさせ、

 以降の時の流れでその想いを抱き続けることが可能か否かを算出したが、結果は……」

 

「出たの?」

 

「……解は得た。現在の結末に至った私には残酷にして不快な解ではあるが」

 

「………」

 

「否、である。私は、そうした前提条件の下において、虞への愛情維持を不可と結論付けた。

 彼女を妻として迎える可能性も予見したが、現在の私が抱く好感度上限と同値には至らず。

 不可解、理解不能、計測不可能。オリオンなる人物の精神性は、私の未来予知の埒外だ」

 

「項羽でも分からないんだ…それはそれですごいことかもしれないけど」

 

「人知の及ばない思考領域を〝凄い〟と形容するのであれば、その感慨は正しいものである。

 しかし、私の未来予知ではあの英霊の異常性を測れない。これは、由々しき事態である」

 

「え?」

 

「砂上の楼閣。偽りの安寧。崩壊の兆候から目を逸らして宣う、仮初の〝平和〟など。

 それらすべて、忌むべきものに他ならない。断じて許容することはできない。故に」

 

「………まさか」

 

「あらゆる想定外を駆逐する。確率の埒外を断絶する。それが、私という装置の役割」

 

「ま、待って項羽。落ち着いて、ね?」

 

「―――英霊オリオン。()()()()()()()()()()()()()。速やかに粉砕すべし。覇ァッ‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の不老不死の仙女

 

 

「……………あの、この度はご迷惑をおかけしました」

 

「まったくよ! アンタ、項羽様に何を言ったの⁉ めちゃくちゃ荒ぶってたじゃない‼」

 

「それはまあ古の覇王の血が騒いだ的な…」

 

「好きで中国大陸を切り取ったわけじゃないわよバカタレ! って、そうじゃなくて」

 

「あ、落ち着いた」

 

「切り替えが早くなるのよ、不老不死にもなると。まぁ項羽様の件はおいておきましょう。

 それで、何か話があって私を呼び出したんじゃないの? 違うなら呪い殺してやるけど」

 

「間違った場合の代償がデカい! あ、いや、大丈夫。ちゃんと話があるから」

 

「ふん。私だって暇じゃないんだから、さっさと話しなさい」

 

「じゃあ。あなたにとって、オリオンとは?」

 

「……はぁ? オリオン? え、あのアーチャーの? いきなり何よ」

 

「簡単な所感とかでいいから」

 

「所感って……なに? まさかアンタ、この私に項羽様を裏切れってんじゃないでしょうね」

 

「違う違う違う! 待って、本気で殺しに来そうな目はやめて!」

 

「誤解を生む発言は慎みなさい。よりにもよってこの私が、項羽様以外の男なんかに気を移す

 わけがないじゃない。人間は愚かなのは知ってたつもりだけど、ここまでだとは想定外よ」

 

「あの、ゴメン。本当にそんなつもりじゃ…」

 

「……はぁ。うるさいバカ。お前が他の人間とは違うことくらい判別はつくわよ。バカ」

 

「二回も言わなくても」

 

「何度でも言ってやるわよバーカ。で、あのアーチャーについて何を聞こうっての?」

 

「あー、その、ちょっとした聞き取り調査みたいなもので…」

 

「???」

 

「虞っちゃんパイセンには不利益はないから。きっと。多分。メイビー」

 

「どんどん怪しくなってるじゃない! 流石に世俗に疎い私でも、あのアーチャーに関しては

 変に関わったらマズイのは知ってるっての! 誰が好き好んであんなのと関わるかバカ!」

 

「え? でも、愛しの項羽(だんなさま)はオリオンとよく雑談してるって」

 

「――は?」

 

「シグルドもエイリークもフィンも、たまにラーマも混じって嫁トークしてるってさ」

 

「あ、あぁ。なんだ、そういうこと! それならそうと先に言いなさいよバカ!」

 

「めっちゃ嬉しそう」

 

「嬉しくなんかないわけないわよバーカ! アーホ! 人間マジ愚か! ホント愚か!」

 

「パイセン、語彙力までポンコツになってきてるよ…?」

 

「うっさい! ったく。それにしても、ふーん。あの筋肉ダルマについてねぇ」

 

「なんかない?」

 

「何もないわよ。興味すら無いんだし」

 

「やっぱそうかぁ。ダメかぁ」

 

「おい後輩。人の顔見ながらダメとか言うなっての」

 

「あ、ゴメン」

 

「………あ」

 

「?」

 

「そういえば少し気になることはあるのよね」

 

「え、あるの?」

 

「なんでアンタが驚いてんのよ。まぁいいわ。あのアーチャー、アルテミスとかっていう女が

 主な霊基の奴と、オリオン自体が主な霊基の奴と、二人いるのよね?」

 

「あー、うん。そうだよ。知らないと混乱するのは分かる」

 

「やっぱりそうなのね。じゃあ、女の方のアーチャーにくっついてるクマのヌイグルミって」

 

「オリオンです」

 

「…………そう」

 

「納得するんだ⁉」

 

「それ以外にどう反応しろってのよ‼ んんっ! で、男の方のアーチャーなんだけど」

 

「本来のオリオンの方?」

 

「アイツが再臨を最後まで重ねて得た霊基の姿でいる時、()()()()()()()()()()()()?」

 

「―――それ、は」

 

「……言い辛い事みたいね。それくらいは分かるわ。いい、この話はおしまい」

 

「いや、それは」

 

「あのねぇ。そりゃ私は人間なんか大嫌いだし、どうなろうが知ったことじゃないわ。

 けど、お前だけは特別なのよ。後輩。そんな顔するような話題、続けられないわよ」

 

「……ゴメン。それを話そうとすると、思い出しちゃうから」

 

「……はぁ。難儀なものね、汎人類史最後のマスターってやつも」

 

 

 

 

 








おまけ編で本編に対する伏線を突っ込むスタイル。


本編は来週までお預けかもしれません。ゴメンね。


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ


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「あなたにとって、オリオンとは?」 その6




意外なメンツと思われるかもしれません。
あと、ここで回収する気のない伏線を張る暴挙。
こっちはいつか友人が書いてくれるのを気長に
待ちましょうそうしましょう(丸投げスタイル)。





 

 

 

 

 

 

あなたにとって、オリオンとは?

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名のコサラ王子

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「オリオン。その名には聞き覚えがあるぞ。夜空に輝ける三つ星の狩人の事だな!」

 

「うん。君は彼をどう思ってるのかなって」

 

「随分あやふやな質問だな……しかし、うむ。無理難題を遂げてこそ王にして英雄!

 その問答、受けて立とうではないか! ん? 問答? これは、知恵を競う問答なのか?」

 

「単純な質問だよ…」

 

「なんだ余の早とちりか。済まなかった」

 

「謝ることでもないって」

 

「で、あの狩人殿について余が思うところはあるか、そういう問いであったな。ふむ」

 

「なにかある?」

 

「……そう、だな。彼もまた英雄に他ならぬ者であることは間違いないのだろうが、

 あまりにも余や並び立つ万夫不当の豪傑とは成り立ちが異なる故、言葉にし難い…」

 

「言われてみれば、オリオンは誰かと戦ったとかそういう話はあんまりないもんね」

 

「ああ。しかし、だからこそ余は憧れる。神々に愛され、人々に愛されし綺羅星の如き男!

 伝説的な偉業や英雄的所業を成さないながらも、その力で以て英雄の領域へと至った男!」

 

「やっぱりラーマも男の子だよね」

 

「はは、そういうマスターこそ。オリオンは男として生まれたからには目指すべき山頂だ。

 そしてこのカルデアには、彼が在る。正直、余は召喚されたクラスをどうにかして変更

 したいとすら思ったほどでな。ううむ。やはり無理やりセイバーになるのは早計だったか」

 

「…そういえばラーマの宝具って、元々は射出武器だったんだっけ」

 

「そうだ。かの悪王を貫く刃【羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ)】は本来、矢として機能するものだった。

 しかし余はセイバーとして現界したかったので、ちょっと強引に宝具を弄って、な」

 

「……弓矢だってカッコいいと思うけど」

 

「弓矢を侮るつもりは毛頭ないぞ! ただ、その、刃を振るう余の方が……」

 

「ああ。そっちの方が〝っぽい〟って思ったわけか」

 

「ぐっ……くっ、否定しきれん!」

 

「まぁまぁ。宝具はいいとして、オリオンについてはどうなの?」

 

「ん、そうだったな。あの御仁とはよく話をさせてもらっている。とても理知的で博識で、

 狩人とは思えぬほどの賢人ぶりであると感じたな。流石に神器を賜るほどの器は格が違う」

 

「話って、どんな?」

 

「……それは、その」

 

「???」

 

「し、シータ……妻の話をしている。彼もまた、強大なる存在に妻を奪われし者である。

 一方的に親近感を覚えてしまっていて、ついそういった話を持ち掛けてからは幾度も」

 

「そんな共通点で…」

 

「無論。彼と言葉を交え、すぐに己の愚かさを呪ったよ。余のなんと浅はかなことかと」

 

「どうして?」

 

「……余は、シータを一度は取り戻すことが出来た。その後で結局離れ離れになったが、

 再会を喜び合う時をほんの僅かながらに噛み締める事は叶った。けれど、彼は」

 

「……そっか」

 

「己の迂闊さに気付き、すぐさま頭を下げたさ。そんな余に、彼は何と言ったと思う?」

 

「……なんて言ったの?」

 

「――『王よ。どうか頭をお上げください。御身の思い一つとて、我が身に余る光栄だ』と」

 

「…オリオンらしいね」

 

「態度で以て示すことよりも、余が「申し訳ない」と心の内で感じたことすら身に余る。

 彼はそう言ってくれた。不甲斐なく軽薄な感情で歩み寄った余を、優しく赦してくれた」

 

「……そういう人だから」

 

「きっと彼は、自らの命を奪った相手ですら、ああして微笑みながら許すのだろう」

 

「………」

 

「なんという清廉。なんという誠実。なんという聖心。その心は人としての高みにある。

 余にはできない。愛する妻を奪われる憤りを納得させることも、己への冒涜を微風のように

 受け止めてしまうことも。あるいは彼こそ、〝施しの英雄〟の名に相応しいのかもな」

 

「それをオリオンは望むのかな?」

 

「……世に言う聖人に比肩しうる精神性であろう。つくづく、理想とは遠いものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の憤怒の化身

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「あァ? オリオンだァ? それって、あのオリオンのことか?」

 

「そう。カルデアにもいる、あのオリオン」

 

「……俺にとってのアイツ、か。一人の男として、一人の戦士として、一人の英雄として。

 その悉くが俺より遥か高みに位置する存在だ。ムカつくしイラつくが、認めるしかねェ」

 

「でもオリオンは狩人であって、戦士じゃないよ?」

 

「同じだマスター。俺たちの生きた時代、生きた世界じゃ、狩りは戦士階級の者が行う儀式。

 それだけの技量と実力を伴わなければ出来ないことだからな。アイツはそれを生業とした。

 ならば、ならば。あのオリオンは間違いなく、戦士としても超一級の存在なんだよ」

 

「なるほど…アシュヴァッターマンはそう思うんだ」

 

「まったく業腹だけどなァ。俺はバラモンにて最強と謳われし戦士! 誇りも当然ある!

 だが、俺はあの大戦争で禁忌を犯した。戦士としての法を、掟を、破り背いたんだ」

 

「……夜襲、だよね」

 

「あァそうさ! やってはならないとされていた、騙し討ち! 卑劣なる手段を敢行した!

 その結果として俺は多大な戦果を挙げた! 多くの敵を殺し、多くの血を流した! しかし!

 それはもはや戦士としての所業に非ず! ただの殺戮! ただの騒乱に成り果てたんだ!」

 

「………ごめん」

 

「謝るンじゃねぇよ! テメェは何も悪くねぇだろうがマスター! 俺が言いたいのはなァ!

 戦士としての逸話もなく、戦士としての功績もなく、しかし士道に背く愚行を一度たりとも

 犯すことなく堂々たる己を誇り生きた、あの最強の狩人が羨ましいってだけなのさ‼」

 

「羨ましいの?」

 

「当然だろ! 戦士とはすなわち、正しきに則り悪を滅する〝倫理の体現者〟に他ならねぇ!

 俺たちの時代もそうだった! 卑怯卑劣をした者はもはや戦士ではない、悪辣なる外道!

 人としての道を踏み外す愚者も、人に仇なす害悪も、真正面から打ち倒す正当性の具現!」

 

「それが、戦士」

 

「そうだ! それこそが戦士! それこそが俺たちの生き方、生き様だった!」

 

「……だから。最期まで自分を曲げずに生きられた彼が、羨ましかった?」

 

「――多分な」

 

「自分でもよく分かってないんだ」

 

「……きっと、似てるからってのもあんだろうな。あのバカ野郎によ」

 

「え、誰のこと?」

 

「ハッ! 決まってんだろ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()さ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の授かりの英雄

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「……いきなりですね。しかし、マスターからの問いかけであれば、答えねばなりません」

 

「そんなに難しく考えなくてもいいよ」

 

「そうですか。ええ、了承しました。かの三つ星の狩人について、ですね」

 

「うん。なにか印象とか、感じたこととかはある?」

 

「印象、感じたこと……彼の人柄はとても高潔で、誠実で、まさしく英雄然としています」

 

「ふむふむ」

 

「私にはそれが、少々眩しく思います」

 

「眩しい?」

 

「ええ。あるいは、羨ましいと言い換えてもいいでしょう。彼は、理想の英雄像ですから」

 

「アルジュナだって立派な英雄じゃないか」

 

「……いえ、いいえ。マスターのお言葉は嬉しく思いますが、それは正しくありません。

 私は立派などではない。醜く薄汚れた、唾棄すべき悪。戦士としての誇りを持つことすら

 烏滸がましい邪悪なる者。いったいどうして私と彼が対等な英雄として並び立てましょう」

 

「そんなこと…」

 

「彼は同じです。あの男――私が撃った、()()()()()()()()()()()

 

「……アシュヴァッターマンも、似たようなことを言ってたよ」

 

「そうでしょう。彼は私に憤怒を向け、あの男には友好を向ける。私とはまた違う視点で、

 オリオンという綺羅星をあの男と同一視したのだと思います。その一点だけは同意します」

 

「でも、どうして?」

 

「どうして、ですか。それは……」

 

「それは?」

 

「同種、同類、と。そう呼ぶべき人物像だからでしょうか」

 

「どういうこと?」

 

「あの男も彼も。ともに、()()()()()でした。人に奪われた。神に奪われた。何もかもを。

 寄り添う者を、大切なものを、想いを、理想を、願いを、尊厳を。そして、その命までも」

 

「…………確かに」

 

「ですが彼らは、それらを受け入れた。よしとした。奪われることに納得し、承諾した。

 何度貶められようと、何度手酷い仕打ちを受けても、誰かから奪い返すことをしなかった」

 

「………」

 

「私にはそれができない。できるわけがない。与えられ、授けられ、奪い続けてきた私には」

 

「そんなことは」

 

「しては、いけないのです。マスター。私は『授かりの英雄』、即ち〝略奪〟の象徴」

 

「違うよ。アルジュナ、君はそんな人じゃない」

 

「……こればかりは誰にも、私自身にすらも否定できるものではないのです」

 

「………」

 

「だからこそ。ええ、だからこそ私には、オリオンという綺羅星が眩しく見えてしまう」

 

「アルジュナ……」

 

「持つ者と持たざる者。奪う者と奪われる者。この関係性が覆ることはない。未来永劫」

 

「だとしても俺は、アルジュナが英雄だって信じてる」

 

「……ありがとう、マスター」

 

「ううん。当たり前のことを言っただけだから」

 

「……ああ。貴方も、そうだったのですか」

 

「え?」

 

「いえ。何も。ただ、少し。私には貴方たちが眩しく思えてしまいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者 ・ 匿名の施しの英雄

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「俺にとっての彼への評価が、マスターにどう益するかは不明だが…」

 

「ああ、うん。俺にというより、お願い事みたいなものだから」

 

「そうか。分かった。俺が抱く彼への心象を解答すればいいわけだな」

 

「そういうこと」

 

「了解した。そういうことであれば……ふむ。うまく言語化できる自信は無いが。

 そうだな。夜空を彩る三ツ星の狩人。その人柄は何より誠実で高潔。懐の広い男だ」

 

「オリオンはそういう人だってみんな思うんだね」

 

「ああ。しかし、彼の本質は――()()だ。いや、他者と隔絶され続ける孤高にこそある」

 

「孤独…?」

 

「神と人との間に生まれし種の超越者。人間という存在の臨界を極めし〝窮極の(いち)〟」

 

「窮極の……」

 

「通常の人間とは異なる出自、異なる力量、異なる才覚。これらは紛れもなく誇るべきもの、

 誉れあるものであることは想像に難くない。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「それって……」

 

「人は誰かを羨まずにいられない生き物だ。神は誰かを恨まずにはいられない概念(そんざい)だ。

 何者かにとっての誇りは、何者かにとっての驕りであり、誉れもまた同様である。

 少なくとも俺や彼は、そのように生を受け、終えた。理不尽に、苛まれ続けた」

 

「………」

 

「それ自体に否や不服はない。俺は自分の生涯に満足しているし、あれでいいと思っている。

 ただしこの感慨は俺個人の意思だ。俺如きが、オリオンの意思を語ることなどできない。

 似ていると客観視することは可能だろう。しかし、()()()()()()()。逆もまた然りだ」

 

「オリオンは、カルナとは違う? そんなの当り前じゃ…」

 

「その通り。当然のことだ。故に俺は、彼に後悔の感情があったかどうかを語れはしない。

 後悔があったかもしれない。慙愧があったかもしれない。憎悪が、あったかもしれない」

 

「それは……」

 

「彼に友はいない。彼に伴侶はいたが、再会は叶わない。彼の生涯に、理解者はいない。

 どこまでも孤高で、孤独で、孤立した星空の綺羅星。それがオリオンという男の本質だ」

 

「そんな、それじゃあ」

 

「勘違いするな、マスター」

 

「え?」

 

「オリオンは孤独だったのだろう。しかし、それはあくまで彼の生涯においての話」

 

「それってどういう…」

 

「今は、このカルデアに召喚された現在では、彼を孤独に追いやる人も神も、誰もいない。

 時代も国も超えた友誼を交わし、かつての旧交を温め、思わぬ再会を享受している」

 

「………」

 

「そしてマスター、お前に出会えた」

 

「お、俺?」

 

「そうとも。遥か未来に生まれ、そして今を生きる者。己の刻んだ生涯に憧憬を抱く者。

 それを拒む彼ではない。それを厭う彼ではない。彼は、お前の全てを受け入れるはずだ」

 

「すべてを…?」

 

「ああ。おぼろげながらに俺の霊基が―――暗く冷たい彼方の海(ここではないどこか)の記憶がそう告げている」

 

「カルナ…?」

 

「……あの時もそうだった。オリオンはいつだって、()()()()()()()()()()である」

 

「え?」

 

「俺は知っている。俺は証明できる。彼は、正真正銘の、英雄であると」

 

 

 

 

 








いったいどこの聖杯戦争の記録なんだろうね⁉

なお書くことは無い模様。
友人U、頑張ってね。期待してるよ。


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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「あなたにとって、オリオンとは?」 その7


どうも皆様、萃夢想天です!

活動報告などで予めお伝えしていましたが、
「動かしても良い」というお言葉を多く
いただけたので、各話各章を変動させて
もらいました。

しおりをはさんでいた読者の方々には
大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません。


それでは、短いですが、どうぞ!





 

 

 

 

 

あなたにとって、オリオンとは?

 

 

 

 

回答者・匿名の三女神の末妹

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「……なんですマスター、藪から棒に」

 

「いや、ちょっと色々な人に聞き込みをしてて」

 

「はぁ。なるほど。それは私も答えなくてはならないものですか?」

 

「あ、いや。答えたくないとかなら、無理には…」

 

「いえ。忌避や嫌悪の類はありません。読書のついで、というおざなりな対応のうえでの

 回答でもよければお答えします。それで問題はありませんか?」

 

「うん。全然オッケー」

 

「では。そうですね、オリオンについてと改めて問われても……特段言葉はないです」

 

「ないんだ」

 

「同郷の英霊であり、神々との関わりが深いという共通点こそありますけれど。

 生前に面識はありませんし、彼が誕生する以前に私は討たれていましたし」

 

「……その、ごめん」

 

「謝罪は不要ですよ、マスター。気にしていませんので」

 

「うん…」

 

「オリオン。天下無双の狩人と謳われた男。英霊の座にある記録や現界後に閲覧した

 文献から得られる情報程度にしか彼のことを知りません。普段も会話とかないです」

 

「そうなんだ」

 

「はい。あ、ですが時折、上姉様の無茶ぶりに付き合わされている姿を見かけます」

 

「え、ステンノが?」

 

「はい。なにやら下姉様があのミノ―――いえ、アステリオスをいたく気に入っていて

 カルデア内でも日頃から一緒に居る姿を見られて、『私もああいうの欲しいわね』と

 呟いていました。おそらく、それで彼に白羽の矢が立ったのでしょう。ご愁傷様です」

 

「あぁ……同じギリシャの男だし、背格好とか体格も近いもんね」

 

「おまけにこのカルデアでは珍しく、上姉様を虚勢などなくきちんと敬う様子を見せて

 いるせいか、随分と上機嫌でした。正直、あんな笑顔の姉様を見るのは初めてで」

 

「そんなに…?」

 

「多分、自分を女神として敬いながらも魅力にコロッと堕ちない具合が好感触だったの

 ではないかと。魅了されて腑抜けにならない点は良くも、自分に魅了されない点は

 納得いかない、みたいな。考えるだけでゾッとします。彼も相当な不運属性ですね」

 

「それは生前から割とそう」

 

「…そうでしたね。ん? 生前、といえば」

 

「どうかしたの?」

 

「生前、彼は妻を娶ったその日の内に失ったという伝説がありましたね」

 

「うん。そうだよ」

 

「……ということは、つまり」

 

「つまり?」

 

「彼、ギリシャの男に在るまじく清らかな身のままなのでは?」

 

「え?」

 

「いえ、私はああいう筋肉達磨的なビジュアルは好みではありませんが、ええ。

 女として、同じギリシャの価値観からしても、世辞抜きに美しい方だとは思います。

 それにしても…えぇ? あれで童貞なんですか? 数々の女性との逸話がありながら?」

 

「えっと……そ、そういう話は聞いた事ない、かな」

 

「いかにもギリシャ英雄って感じで純情無垢とかアレちょっとコレひょっとしてイケるのでは」

 

「あの、メドゥーサ?」

 

「……マスター。すみませんが急用を思いついたので失礼します」

 

「え、あ、うん」

 

「では。ああ、すぐ戻ってきますよ。ええ。はい。きっと三十分ぐらいで…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者・匿名の盲目の魔術師

 

 

「あなたにとって、オリオンとは?」

 

「私にとってオリオン様とは、ですか。答えは当然、全て、ですわ」

 

「………うん。だろうね」

 

「まぁ! 流石は私をお喚びになられたマスター! 私の想いも既にご承知おきとは!

 でしたらどうか! どうかあの御方と私が結ばれるよう取り持ってくださらない?」

 

「それは、あの、難しいと思うんだけど」

 

「恋路とは困難なもの。それを踏破し、自らに磨きをかけてこそ乙女というものです!

 ほら、コノートとかいう国の女王様も仰っていましたよ。『恋はいつでも大嵐(ハリケーン)よ』と!」

 

「メイヴちゃんェ……アレはまた別というか」

 

「同じです! 生まれた土地や時代は違えども、恋を抱いた乙女というのは共通!

 誰しもが消えぬ炎を胸の中で燻らせ続け、燃え尽きんとしているのですから!」

 

「そ、そうなんだ」

 

「はい! マスターが私如きを召喚して、さらには霊基を最終段階へ再臨までして

 くださったおかげで! 私は私の原点へ舞い戻ったのです! 恋の炎を宿したあの時へ!」

 

「あー、えっと、他の話は何かあるかな?」

 

「オリオン様以外に何を語れと!? 私はオリオン様の為だけに在る女ですのに!?」

 

「わーお流石は『狂化 A+++』だ、会話なんて通じるはずなかったんや」

 

「強化? 私の霊基がさらに向上する余地があると?」

 

「ううん。なんでもない。あ、そうだ! 別の質問してもいい?」

 

「はい! オリオン様にまつわるものであれば、いくらでも!」

 

「……伝説とか、後世に残されてる資料とかだと、鍛冶師ケーダリオンと旅したんだよね」

 

「……はい。ケーダリオン。忘れもしません。彼は、私の終生の友でした」

 

「色々な伝記や学説があって、その内の一つに貴女がケーダリオンと子を為した、なんて

 説もあるんだけど。これって、本当なのかな? 答え辛かったら答えなくていいけど…」

 

「―――有り得ません。私は、私は、オリオン様の為だけに在る女なのですから」

 

「ご、ゴメン。怒らせちゃったよね…」

 

「…いいえ。それにしても、後世にはそんなふざけたお話が残っているのですね。

 何処の誰が宣った戯言でしょうか。私の『千里眼(過)』スキルで見つけられるかも?」

 

「いや、やめてホントお願いだから。見つかったとしても没後何百年だって!」

 

「あぁ! それもそうですね! 危うく無駄骨を折るところでした!」

 

「ふぅ…。それにしても、ケーダリオンさんは友達だったんだ」

 

「はい。彼は私と同じ人に憧れを抱いた、共感できる人でした。

 父の反対を押し切って島を飛び出し、神託に導かれるまま女神ヘカテーを訪れ魔術を乞い、

 そこからは数多くの修練を積む日々。要領の悪かった私は何年をあの島で過ごしたか…」

 

「苦労したんだね」

 

「それはもう。キルケ―様にもご迷惑をおかけしました。カルデアでお会いした時に

 お礼を申し上げに窺ったのですが、『お前怖いからこっち来るな! 話しかけるな!』

 などと無体な言葉で追い返されてしまいまして。ついぞ感謝を伝えられていません」

 

「あの人が即拒否するレベルなんだ…」

 

「それにしても。ふふ、ケーダリオンと私に子がいた、ですか」

 

「そういうのって嫌なのかな。あることないこと後世に伝わってるのって」

 

「不快な部分もあります。しかしながら、ケーダリオンはそういった邪な思いや下心など

 介在する余地もなく私と共に旅をしていました。ご覧のとおり、私は盲目で非力な女。

 力で強引に手籠めにすることもできたでしょう。まぁ、彼はしませんでしたけどね」

 

「信頼し合ってたんだ」

 

「それはもう。ですので、ええ。有り得ぬ夢想と思ってはおりますが、先の戯言を聞いて

 思ったことが一つ」

 

「なに?」

 

「……もしも、仮にもしも。オリオン様より先に彼と出会っていたのなら、私は――」

 

「…………違ってたかもしれない?」

 

「さぁ。どうでしょうか。少なくとも、私は伝承に刻まれたとおりの存在です。

 ただ、後世への伝わり方が随分と歪で散見的なせいか、()()()()()()()()()()()部分が

 形作られているようですが。そこはそれ。オリオン様やマスターのお役に立てるので

 あれば、些細な変化です」

 

「後世のホラー伝承が霊基に影響及ぼしてるのに些細って…」

 

「ふふ。だって、そんなことでもなければ、私の様な女が英霊として人理に刻まれる事など

 有り得ないでしょう。それか、よほどの緊急事態でしか不可能で会った事」

 

「そう、なんだ」

 

「ですから。ええ。貴方様には感謝しております、マスター。

 だって貴方のおかげで私はまた、あの御方に、オリオン様に逢えたのですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回答者・???

 

 

「―――お待たせ」

 

「いえ。待つことには慣れております。苦痛など感じません」

 

「そうなの? あ、はいコレ」

 

「コレが……あの人に関するデータ、ですか」

 

「うん。それと頼まれてたのもね」

 

「ありがとうございます、マスター」

 

「ううん。気にしないで」

 

「はい。そうですか。コレが、人理に刻まれた彼を知る者らの客観データ……」

 

「みんなから許可はとってあるから大丈夫」

 

「感謝します。それでは、情報のインプットを開始します」

 

「……それにしても、大丈夫なの?」

 

「大丈夫、とは?」

 

「だって君って、オリオンの霊基に混じって現界してるんでしょ?」

 

「マスターの憂慮を検知。つまり、私が彼から離れ、独立している状態について

 危惧なさっているのですね」

 

「言い方はアレだけど、だいたいそう」

 

「御心配には及びません。彼の所在と現在の状況は間借りしている霊基から隠密に

 監視可能です。こちらがあちらに気付くことはあっても、その逆は有り得ません」

 

「じゃあ、いまオリオンはどうしてるの?」

 

「検索……確認。現在、彼はルーラー・マルタ、ルーラー・ケツァルコアトル、そして

 ルーラー・アストライアの三騎のサーヴァントに、追いかけ回されています」

 

「どういう状況なんだ」

 

「不明。共有霊基より事態の展開を予測……完了。

 どうやらシミュレーターでの模擬戦闘を行った際、三騎のルーラーサーヴァントに

 彼の戦闘能力、技巧、肉体美を褒めそやされ、いわゆるスパーリング行為を要求された

 ものの断った為、現状に陥ったようです。まるで獲物を駆り立てる肉食獣の如く」

 

「あぁ……ちびっこ組とアタランテ・オルタにヌイグルミのオリオンが取り合いっこ

 されてんのと同じ感じのアレかなぁ」

 

「同じ感じのアレ、であると推測されます…………」

 

「どうかしたの?」

 

「い、いえ。問題ありません。活動に支障をきたすレベルの誤作動はなく…」

 

「何かあったんだね」

 

「……はい。胸が、苦しく感じられます。締め付けられるような、殴られるような」

 

「それって、オリオンについて考えたから?」

 

「不明、です。私は、私が何故あの人間を注視してしまうのかが分からない」

 

「…………」

 

「マスター。これは、この不可解で煩雑な塵芥の如きエラーは、『恋』なのですか?」

 

「え…?」

 

「分かりません。私には分かりません。カルデアに召喚され、本機アルテミスが主体での

 霊基で召喚された存在も確認しました。ですが、彼女は何も教えてくれません」

 

「聞いたんだ。アルテミスに」

 

「はい。彼を見る度に鳴り響くエラーの停止方法を尋ねたところ、本機アルテミスは

 笑いながら言いました―――『貴女も私なんだから、言わなくったって分かるわ』と」

 

「アルテミスらしいね」

 

「理解できません。理解不能、です。未知の現象への対処方法が不明です。

 マスター、マスター。私は、あの人と、オリオンとどう接したら良いのでしょう?」

 

「……それは俺にも答えられない。君が、君自身の答えを見つけなきゃいけない」

 

「私自身の、答え?」

 

「うん。君はもう、神様でもその端末でもない。サーヴァント・オリオンの霊基の一部。

 彼在っての君ってだけじゃない。君は君だ。こうして俺と話しているのは君個人だ。

 だからきっと見つけられるよ。君だけの答えが、いつかきっと、必ず」

 

「………情報のインプット完了。感謝します、マスター」

 

「ううん。また何かできることがあれば言ってね」

 

「はい。ひとまず私は、彼の下へ戻ります」

 

「うん……頑張ってね」

 

「了解。私は、私。神代の狩人()()()()()としての性質を一部引き出してしまった彼を

 支援する超々高高度星間距離稼働狙撃衛星としての任を、全うします」

 

「一緒に戦うのも、答えの一つだから」

 

「はい。私はもう、孤独に待つだけの私じゃない。彼と共に歩む、私ですから」

 

 

 








二部五章アトランティスの伏線です(クソ正直)


それではまた、お楽しみに!


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狩人の伝説 ~三ツ星が照らす星見の旅路~
第三特異点オケアノス編・その1



どうも皆様、お久しゅうございます。
萃夢想天です。

FGOもどんどん勢いが強まってきておりますね。
二月三月は仕事が忙しくなる時期なので、
どうしても筆が遅くなってしまい申し訳ありません。
可能な限り時間を見つけて書いていきますので、
何卒ご容赦を…!


さて。今回からいよいよ人理修復編に突入!
まずは第三章を軽くダイジェスト風に振り返りながら
我らがオリオンとカルデアの旅を見守っていきましょう。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 

汎人類史三千年を焼却するという大災害【人理焼却】に立ち向かうカルデア一行は、

第一特異点はフランス・オルレアン、第二特異点は大帝国ローマ・セプテムの二つを

攻略し、現在は第三特異点である封鎖終局四海・オケアノスを攻略中である。

 

そんなカルデアは、オケアノスの海上で特異点の鍵と思しき魔術王の聖杯を所有する

敵性サーヴァント、〝黒髭〟こと【エドワード・ティーチ】と遭遇したが敗戦。

命からがら逃走し、現在は新たに仲間に加わった【アステリオス】と【エウリュアレ】を

連れて、破壊された船の修理を計画していたところであった。

 

しかし、彼らの前に新たなサーヴァントが姿を現す。

 

絶世の美貌を携えし白磁の女神【アルテミス】とその恋人にして無双の狩人【オリオン】が

カルデア一行と遭遇。奇妙なことに、オリオンはクマのヌイグルミの姿に変わっていた。

 

事情を説明し、彼女らを味方につけることに成功したカルデア。人類最後のマスターである

藤丸立香少年の発案とオリオンの案内を受け、ワイバーンの鱗や牙を獲得する。

 

これにより、【フランシス・ドレイク】の駆る『黄金の鹿(ゴールデン・ハインド)』号が大幅に強化された。

いよいよ、カルデアによる反撃が開始される。

 

 

「―――問題は黒髭の船さね」

 

 

一団を海原へ進ませる船の主ドレイクが頭を無茶苦茶に引っかきながらぼやく。

過去に一度対峙している為、彼我の戦力差を痛感させられているカルデアとドレイクは、

敵側との正面衝突は絶対に避けねばならないという共通認識を抱いている。

 

これに対し、マシュがドレイクの言に補足する。

 

 

「敵性サーヴァントの総数は、敵船団長〝黒髭〟を加えて、四騎が確認されています。

 もしサーヴァントの数が変化していなかったとしても、四騎は充分に脅威となります。

 下手に遠距離で遭遇すると、砲弾と銃弾に晒され、一方的にこちらが破壊されます」

 

速度(あし)なら圧倒的にこっちが上だ。思い切って衝角(ラム)でガツンと突撃ってのはどうだい?」

 

「向こうがこちらの接近に気付かず、こちらが先に向こうを捕捉。尚且つタイミングよく

 視界を遮るような嵐がやってくる……そういったレベルの好条件が揃わなければ」

 

「高望みし過ぎ、ってか。やれやれだねぇ」

 

 

机上の空論どころか単なる妄想合戦と言える議論に、エウリュアレが意見を出す。

 

 

「……気付かれる前に、私と彼女(アルテミス)で矢を射って混乱させるというのは?」

 

「混乱は起こせるかもしれませんが、あちらにもサーヴァントがいます。

 特にマスケット銃を持ったあの女性が厄介です。あの銃が宝具であってもなくても、

 撃ち合いになってなってしまえば混乱も治まりジリ貧に。決定打に欠けています」

 

 

ラッキー狙いのまぐれ案より現実的だが、より現実的な壁に阻まれてしまう。

今度は頭お花畑のスイーツ系女神ことアルテミスがよく考えもせずマシュに尋ねる。

 

 

「船がぶつかるより先に誰かが乗り込んで暴れたら混乱するんじゃない?」

 

「我が女神、それが出来たら苦労はしない。船より早く動け、かつ接近を悟られない

 最小の動作が求められるのだ。そんな事が出来る者は……いや、そういう事か!」

 

「どうしました、オリオンさん?」

 

 

アルテミスの提案をヌイグルミのオリオンが否定しようとして、そこで気付く。

オリオンの言葉に反応したマシュに、アルテミスは何故か鼻高々といった面持ちで答えた。

 

 

「へへーん! 私って女神様なんだけど、基本的にはオリオンの霊基として召喚されて

 いるわけなのよねー! だから、オリオンの力がまるっと備わってる状態なわけよ!」

 

『……あ、そうだ! そうだよ! オリオンは海神ポセイドンの血を引く半神半人だ!

 彼にとって海は生まれ故郷の同然! 逸話にもある通り、彼は海面を歩行できるはず!』

 

「そういえば貴方、ポセイドン様の子供だったわね。だから海も歩けるの。凄いのね」

 

 

通信機からやけに興奮した様子のドクター・ロマンによるオリオン解説が飛び出してくる。

同じギリシャ出身の女神であるエウリュアレからのお墨付きも貰い、一同の表情がぱあっと

明るいものに変わっていく。そんな中、話題の中心であるオリオンの顔だけが浮かない。

 

 

「……それだけと言ってしまえば、それだけの力なのだがな。うん、その、なんだ。

 頼りに思ってくれるのは嬉しい限りだが、要はアメンボやアリンコと変わらんのだぞ?

 人の姿で召喚されていれば恰好もついただろうに……何故ヌイグルミなのだ?」

 

 

一同に背を向け、心なしかそのちまっこい肩を震わせて嗚咽を噛み殺しているオリオン。

ファンシーな愛くるしい風貌から想像できないほどの苦悩を抱える彼に、マシュはおろか

藤丸立香やドレイク、果てはエウリュアレですら同情の念を禁じえなかった。

 

状況が理解できないアステリオスはオロオロと、「どう、した? どこ、いたい?」と

ヌイグルミを心配する始末。無限に可愛い。いや違うそうじゃない。

 

結局、アルテミスとオリオンが船を発見次第、接近して乗り込む案が採用された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――上か!?」

 

「ハァイ♪ 今は昼間だけど、夜空の月からこんばんわー!」

 

 

〝黒髭〟率いるアン女王の復讐(クイーンアンズ・リベンジ)号の真上から強襲を仕掛けたのは、美しい白磁の乙女。

その純真無垢な可憐さと豊満な体躯に魅了されたキモヲタ風口調の大男が声を荒げる。

 

 

「天使や…天使がおりゅ……。天使みたいやけども……誰ナノジャ!?」

 

「サーヴァント!?」

 

「私、オリオンでーす! 特に理由は無いけど、全員射殺しちゃうゾ☆」

 

 

大男――〝黒髭〟の問いかけに答えつつも、背負った大弓で即座に配下の海賊を三人

射殺してみせるアルテミス(オリオン)。その所業を目視した瞬間、船に乗っていたサーヴァントの

一騎……二人一組の女海賊の片翼【メアリー・リード】が脅威の排除に動き出す。

 

 

「僕が行く! アン、そのまま射撃続行!」

 

「分かりました!」

 

「おほーっ! メアリー氏ぃ! お早くーぅ‼」

 

「気色悪い声を出さないでくれるか――なっ!」

 

 

幅広の刀身が持ち味のカトラスを接近する勢いそのままに振り抜くメアリーだが、

弓を巧みに操って斬撃を回避しつつ取り巻きの海賊を続けて二人貫くアルテミス。

 

 

「……ふぬっ、くぅ。ヌイグルミとは、こうも運動に難儀するものなのかっ…」

 

 

弓兵と騎乗兵の睨み合いを物陰から〝黒髭〟が固唾を飲んで見守る中、戦場と化した

船上で誰にもその存在を悟られる事なく密かに動く小さな影があった。

誰あろう、オリオン当人だ。ヌイグルミのおててを懸命に動かし、ロープをよじ登り

甲板の片隅へやって着た彼は、目的地を目指すべく周囲の状況へ神経を集中させる。

 

 

「見えた! 見えやした船長! もうじき砲弾が届く距離まで接近してきやす!」

 

「うるせぇ馬鹿野郎! 話しかけんじゃねぇ! 今、謎の美女対メアリー氏という

 永久保存版もののウルトラキャットファイトの真っ最中なんだよ! 余計な口を

 挟むとぶっ殺すぞ‼ てめぇらも海賊の端くれなら、敵船ぐらい砲弾で沈めろ!」

 

「へ、へいっ! おい、弾薬庫からありったけ弾ぁ持ってくるぞ!」

 

 

なんとも口汚い罵倒の後に、オリオンは目的の物がある場所への手がかりを掴む。

 

 

「よし、いいぞ。済まんが案内役になってもらう、悪く思わんでくれ」

 

 

ドタバタと船内へ駈け込んでいく海賊の腰布に飛びつき、オリオンは弾薬庫を目指す。

 

一方、接近戦を繰り広げる事となったアルテミスは、その巨大な弓をブーメランのように

投げつけたり、あるいは大質量の剣のように振り回してメアリーを牽制していた。

メアリーもまた隙だらけの動きを見切って攻撃に転じようとするが、明らかに軌道を無視

して放たれる矢による射撃に阻まれ、思うように攻勢に移れないでいた。

 

 

「あら人間さん。私、接近戦に持ち込まれると困っちゃうの」

 

「見た感じ、アーチャーだろうからね!」

 

「うふふっ。それもそうなんだけど、私が傷つくのを何より嫌がる人がいるの!

 だからね、私は絶対、ぜーーったいに、攻撃されたりするわけにはいかないのよ。

 まぁ神性スキルがあるからほとんど安全なんだけど、えへへ。私、愛されてるー☆」

 

「女海賊を前にいきなりノロケ話とは、自殺願望でも持ってるのかな!」

 

「まっさかー。ま、そんなわけでー、逃げちゃうわ。ちょうど準備も出来たみたいだし」

 

「何を―――まさか!?」

 

 

軽やかに宙を舞い、距離を取ったアルテミスに肉薄しようとするメアリーだったが、

視界の端から飛び出す小さな影に気付き、彼女の言葉の真意を数秒の間に思考する。

そして、彼女の企てに勘付いたのだが、全てが遅過ぎた。

 

メアリーが振り返ると同時に、船の弾薬庫が激しい轟音と熱を撒き散らし、爆発。

射撃に意識を集中させていた相棒のアンの手を引いて遠ざけるメアリーと、寸前で

爆破を読んでいた参謀役の【ヘクトール】は爆風や粉々になった木片を回避する。

 

 

「オアーーーッ!? 拙者のカワイイ船がーーーッ‼ 黒髭コレクションがーーーッ‼」

 

 

逆に、炎と光を一身に浴びてなお甚大な被害に滂沱の涙を垂れ流す〝黒髭〟だった。

 

 

「上手くいったわね! さっすが私のダーリン♪」

 

「し、死ぬかと思った…! 弾薬庫で導火線に着火して全速力で離脱とか…!

 ええい、こんな事は頼まれても二度とやらんぞ! 例え人理を救う為でもな!」

 

「やん! とか言ってるけど、やる時はやる男なダーリン最高! 大好き!」

 

「愛の言葉はまた後で存分に聞かせてもらうとしよう! 今は逃げるぞ!」

 

「はぁーい!」

 

 

隙あらばイチャつくアルテミスとオリオン。末永く爆発しろ。いや爆発したんだわ。

 

短いあんよとおててを振り回して逃げるオリオンをさらっと胸元へ収納してから、

アルテミスは満面の笑みで〝黒髭〟の船を離脱。カルデアの作戦は成功を収めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、う……」

 

「大丈夫です、アステリオスさん。エウリュアレさんは死んだりしません」

 

 

アルテミスとオリオンによる奇襲作戦が功を奏し、竜種の殻や鱗で強化した黄金の鹿号での

文字通りの突貫が炸裂。文字通りの乱戦に持ち込み、敵との総力戦に挑んだカルデア一行。

 

その結果、女海賊【アン・ボニー&メアリー・リード】、敵船長【エドワード・ティーチ】

撃破に成功。これにより、第三特異点の修復完了への障壁が取り除かれたかに思われた。

しかし、そこで〝黒髭〟傘下で参謀役だったはずのヘクトールが裏切り、聖杯を奪取。

 

さらに、カルデア側の戦力であるエウリュアレを攫われた挙句、逃走を許してしまう。

 

すぐさまヘクトールの後を追うドレイクの船。道中、エウリュアレを救い出そうとして

ヘクトールに挑み、逆に深手を負わされてしまったアステリオスが怒りを煮え滾らせる。

 

 

「えう、りゅあれ、たすけに、いく」

 

「……お気持ちは分かりますが、今は傷を癒すことに専念してください」

 

「いや、だ!」

 

「ですが、貴方の傷は治癒魔術でも回復に時間を要するほど深いものです!

 私もマスターも、エウリュアレさんを必ず助けます! ですから、安静に…!」

 

「いやだ! きず、へいき! オレ、かいぶつ、だから! いた、く、ない!」

 

 

唯一魔術が使えるマスターの立香少年とマシュが懸命にアステリオスを宥めるものの、

効果は薄い。しまいには2メートルを超える巨躯が理性に乏しいバーサーカーらしく

暴れ出そうとする。どうにか抑えようとするマシュたちの前に、小さな影が立つ。

 

 

「静まるがいい、アステリオス。遠くかつては迷宮の怪物と呼ばれた者よ」

 

「うゥ…? おり、おん…?」

 

「オリオンさん…」

 

 

立香少年とマシュを庇うように背を見せたのは、ヌイグルミとなったオリオン。

男として憧憬を抱かずにはいられない英雄の介入に、アステリオスも平静を取り戻す。

 

話を聞ける状態になったことを確認したオリオンは、渋みの聞いた低音で語る。

 

 

「今しがた、『自分は怪物だから平気だ』という戯言が耳に届いてな。 

 本心からそう言ったのか、アステリオス? それとも言葉など狂乱の前には無駄か?」

 

「……ぅ。オレ、きず、へいき。えう、りゅあれ、まって、る」

 

「そうだ。かの女神は助けを待っているだろう。だが、それは怪物(ミノタウロス)ではない」

 

「ウゥ…ッ‼」

 

 

英霊アステリオス。彼は古代ギリシャにおいては、牛の酪農により栄えたミノス王の血を

継ぐ者でありながら、牛の頭と人の身体で生まれ落ちた、根っからの怪物である。

 

誰からも愛される事のなかった彼は、一度入ったら二度と出られぬ迷宮へ放り捨てられ、

そこで迷い込んだ者を殺して喰らう迷宮の怪物……ミノタウロスへ変貌を遂げる事となる。

 

最終的にミノタウロスは英雄テセウスに討伐され、彼の伝説を彩る一部として生涯の幕を

閉じる。なんとも憐れで、救われない怪物。誰もがミノタウロスの伝説をそう解釈する。

しかし彼は今、怪物ミノタウロスではなく、王の子アステリオスとして此処に在る。

 

それを履き違えるな、と。オリオンは暗にそう言っていた。

 

 

「思い出せ、そして忘れるな。お前はギリシャの何処にでもいる怪物なんかじゃない。

 お前は英雄だ。紛れもなく、人理を救ける者として人類史に刻まれた英霊なのだ。

 此処にいるお前は何だ? 怪物(ミノタウロス)か? 違うだろう。お前は、誰だ?」

 

「ぅ、おぉ…! お、れ、オレ、は! オレは!」

 

「………」

 

「オレ、は、あす、てり、おす! かい、ぶつ、だけど、かいぶつ、じゃ、ない!」

 

「……その通りだとも」

 

 

先程とは違う、覇気に満ちた咆哮をあげるアステリオスに、オリオンは豪胆に叫ぶ。

 

 

「お前は雷光(アステリオス)だ! 稲妻の如く自ら輝き、雷鳴の如くその名を轟かせる英雄だ!

 怪物としての過去があろうが、誰かがお前を怪物と罵ろうが、お前は変わらずお前だ!

 ……忘れるなよ雷光(アステリオス)。この海の果てで、お前の輝きを信じて待つ女神がいる事を」

 

「ぅ、うん!」

 

 

そう言い放ったオリオンは、アステリオスの巨体をよじよじと登り、掌に収まる。

壊してはならない大事なものを持つように、アステリオスはオリオンを乗せた手を眼前へ

持ち上げる。ヌイグルミと角の生えた赤目の大男が、無言のまま見つめ合う。

 

 

「男と男の約束だ、アステリオス。お前の女神は必ず助ける。だから、休め」

 

「……うん! おとこ、と、おと、この、やくそく、だ!」

 

 

神代に生きた狩人と、英雄に討たれた怪物の、清廉な誓いが結ばれた瞬間であった。

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?

短いようですが、三章を全部まともに書いてたら
それこそ時間が足りないなんてもんじゃないので…。

とりあえず、こんな感じで書いていくつもりですが、
もっとじっくり書いてほしいとかの要望が多ければ
考え直すかもしれません。考え直さないかもしれません。


それでは次回を、御楽しみに!


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!



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第三特異点オケアノス編・その2

どうも皆様、萃夢想天です。

好評につき、モチベが上がって筆が進みます。
皆様からの感想やコメントに反応することができず
すみません。ですが、いつも心待ちにしております。

しかし、改めて一部初期のストーリーと二部のソレを
比べてみるとテキスト量も表現も何もかも違いますね。
良い意味でですけど。ホントFGOと出逢えて良かった。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

四方を終焉に囲まれたる有限の海洋で、カルデアは真の敵と相対する。

 

これまでカルデア一行は魔術王の聖杯を所有する〝黒髭〟を特異点化の原因と睨んでいた。

ところが、その部下として潜んでいたトロイア戦争の英雄【ヘクトール】の裏切りにより

本当の黒幕の正体を知ることとなる。ヘクトールが聖杯と女神エウリュアレを捧げた相手、

それは――世界最古の海賊団とも呼ばれる、英雄船団の長【イアソン】であった。

 

ギリシャ神話に刻まれる英雄の集う船『アルゴー号』を駆る、自信過剰な自称賢人。

彼は傘下であるヘクトールと若き日の己の妻【メディア・リリィ】、そしてアルゴー号に

集った英雄の中で最強の名を冠するギリシャの雄【ヘラクレス】を従え、カルデアを襲う。

 

当初はヘクトールとメディア・リリィがそれぞれ攻撃してきたが、どうにか撃退に成功。

しかし、これによりカルデア勢の現行戦力の把握を終えたイアソンは、最強最大の鬼札の

ヘラクレスを戦線へ投入。数多無数の英雄の中でも最高峰の知名度を誇る、生きた災害を

相手に、カルデアは苦戦を強いられていた。

 

 

「ごめんなさい、私では押し切れないわ。ヘラクレス、やっぱりアナタの出番ね?」

 

■■■■■■■――――!!!

 

「く……っ!」

 

 

岩塊のような大剣を手に、『アルゴー号』の甲板を踏み鳴らす鉛の巨人。

その赫奕と燃え盛る炎のような瞳は、理性を失い凶暴性を剥きだしになって血走っている。

対話は不可能。カルデア管制室からの通信でクラスは「バーサーカー」と確認された。

 

迫りくる破壊の化身。カルデア一行に緊張と悪寒が奔る。

 

 

「はな、れる、な!」

 

「なに言ってるの!? 迷わず逃げるのが当然でしょ! アレはヘラクレス!

 人類史上最強の英雄(かいぶつ)なの! 災害と変わらない! 立ち向かって勝てる目はないわ!」

 

「ですがっ!」

 

「雪崩に立ち向かう人間は勇者じゃなくてただの無能、でしょ?

 そんな無能を、私………何人も何人も見てきたもの。だから、ここは逃げるの」

 

 

女神エウリュアレが即座に撤退を叫ぶも、マシュや人類最後のマスター藤丸立香は未だに

応戦の構えを解いていない。人間の諦めの悪さを甘く見た彼女は、少年少女を更に叱責

しようとするが、そんな小柄な彼女をヘラクレスから遮るように、アステリオスが立つ。

 

 

「なに、してるの? ダメ、やめなさい! アステリオス! 勝てないんだってば!」

 

「……わかって、る」

 

「だったら!」

 

「――でも、だれかが、やらな、きゃ。それなら、おれが、いい」

 

「なんで…?」

 

「だって、おれ、かいぶつ。なんにんも、こども、ころした。おそろ、しい、ばけもの。

 なんにんも、なんにん、も。ころし、て、きた。だから、おれが、やらなきゃ……!」

 

 

雷光(アステリオス)は自責の念を吐き連ねる。それは、彼が迷宮の怪物(ミノタウロス)であった時に背負った罪業。

奇しくも英雄と化け物は表裏一体。人類史を救わんとする英霊である彼は、同時に人を

喰らい殺して無数の屍を積み上げた恐怖の怪物でもある。この罪からは逃れられない。

 

バーサーカーの霊基故、理性をほぼ消失した状態であっても、彼は苛まれ続けていた。

 

 

「おれが、やるんだ…! おれが、たたかう…! かいぶつ、は、かいぶつ、が…‼」

 

 

四肢に力が籠められる。ミシミシ、と『アルゴー号』の甲板の木板が悲鳴を上げる。

鉛色の荒ぶる怪物に相対するは、牛の頭に人の身体で生まれ落ちた怪物。

人の及ばぬ領域に至った二匹の化け物が、言語も感情も捨て、本能のままに対峙した。

 

 

「う、あ、アアアァアアアァァアアァアアッッ‼‼‼」

 

■■■■■■■――――!!!

 

 

咆哮、轟く。

 

二匹の怪物がそれぞれ、岩塊が如き武骨な剣と二振りの大剣斧を振りかざし、激突。

片や理性を奪われようと肉体が記憶している研鑽された武練を遺憾なく発揮しており、

片や理性を持たずとも我武者羅に人の鍛えた武具を振るい、英雄の最高峰へ追い縋る。

 

ぶつかり合う、巨躯と巨躯。荒れ狂う嵐よりもなお激しい戦闘が繰り広げられる。

だが、それも長くは続かない。ヘラクレスが横薙ぎに振るった剣を両手の剣斧で一度

受け止めたアステリオス。その直後、すぐさま懐へ潜り込み、牡牛が鉛の胸を貫く。

 

 

■■■■■■■――――………

 

 

そして、鉛の巨人が膝をつく。あれほど恐ろしい威圧感を放っていた怪物が倒れたのだ。

アステリオスの剣斧で刺突された胸から夥しく血を流しており、並の英雄ならば確実に

事切れているであろう。そう思わせる光景を一笑に付して、イアソンは現実を告げた。

 

 

「おー、頑張るじゃないか雑魚のくせに。大健闘した君らに、とっておきの情報だ。

 いいか? ヘラクレスはね―――死なないんだよ」

 

「……え?」

 

「コイツの最も有名な伝説(エピソード)、知ってるかい? 神より与えられし十二の試練の事を。

 凡百の英雄なら一生をかけて一つを攻略できるかどうか、って難易度のソレらを、

 全て踏破してみせた逸話さ! その報酬として、十二回分の命のストックを付与された」

 

「十二回分の命、だぁ…?」

 

「ま、つまり……あと十一回殺さなきゃヘラクレスは止まらない。健闘を祈るよ」

 

 

軽薄な嘲笑を顔に張り付けて嗤うイアソンに、改めて大英雄の理不尽さを痛感する。

 

 

『ふ、不可能だ…! イカサマ過ぎるぞこんなもの…!』

 

「――撤退だ! 野郎ども、撤退するよ! 船に戻りな‼」

 

 

通信越しに蒼褪めたドクター・ロマンを揶揄う者など誰もいない。

眼前に迫る圧倒的脅威を前に、イアソンの言うところの凡百程度でしかない彼らは、

慌てふためきながら戦線からの離脱を決意したドレイクの言葉に、カルデアも動く。

 

命からがらの敗走劇。それを()()()側のイアソンは、たまらないとばかりに哄笑する。

 

 

「はははははっ! いいねぇ、最高だ! 圧倒的な武で敵を完膚なきまでに駆逐する!

 これが『正義』の醍醐味さ! そう思うだろう、なぁ? ヘクトールよ!」

 

「ん~……まぁ、ヘラクレスが出張ってくれんなら、楽でいいですけどねぇ。

 ああ、それから。ほい、こちらが聖杯ですぜ」

 

「おお、コレが聖杯か! うん、いいじゃないか! 英雄に相応しい輝きだ!」

 

 

ギリシャ中の英雄を乗せ海を渡った『アルゴー号』の舵に肘を置き、物見遊山気分で

戦場を見物するイアソン。その背後で頭を掻きながら溜息を吐いたヘクトールは、

黄金に輝く魔力塊――聖杯を手渡す。膨大な魔力の結晶に魅入られた男は笑みを深める。

 

 

「この世界の王として君臨する私への献上品としての資格は、充分と言えるだろう。

 私の前の所有者が愚劣で野蛮極まる海賊であったことだけが、残念でならないがね」

 

「それに関しちゃ今更どーこー言われてもどうしようもないんですが」

 

「安心しろ、私もそこにケチはつけないさ。後はエウリュアレと、『契約の箱(アーク)』だな。

 それで全てが揃う! この二つを手にした時こそ、世界は私を王として迎え入れる!」

 

 

高らかに、最高の気分であることを唄うように、イアソンは己の目的を口にした。

ヘラクレスという絶対的な障害と対峙せざるを得ない状況でも、通信を常時オンにして

周囲の音声を緻密に拾い上げるカルデア管制室には、敵首魁の狙いが聞こえていた。

 

 

『アーク……!? 契約の箱(アーク)だって!?』

 

「……あの、キャプテン? それバラしていいんですかねぇ?」

 

「ハハ! 構わんさヘクトール! どうせここでヘラクレスに潰されて海の藻屑となる

 運命なんだ! 聞かせてやったところで、何の問題がある?」

 

「いや、まぁ、ねぇ。キャプテンが問題ない、ってんならいいんですが」

 

「いいんだよ! 聞こえたところで何が分かる? この世界の事も! この時代の事も!

 我らの真意も! 何一つ理解できやしないのさ! 愚かで矮小な海賊風情にはねぇ!」

 

(……なぁんも理解できてやしないってのは、お互い様だと思うが。黙っとくか)

 

 

既に勝利を確信した物言いで、逃走の準備を始めるカルデアを眺める英雄船団長。

まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のように御機嫌な様子の彼は、すぐ背後で

冷徹な視線を向けてくる部下がいる事に気付かない。視線の主は気付かせないのだが。

 

ドクター・ロマンが拾ったイアソンの目的。それを達成する手段の一つは、こちらの

女神エウリュアレだという事は判明している。なら彼らに残された反抗手段の最善手は、

何としてでも女神を彼らの手に渡さない。たったそれだけであった。

 

 

「さぁ、ヘラクレス! いつまで遊んでいるつもりだ? さっさとトドメを刺せ!」

 

 

だが、現実は無情である。

 

健気にも抵抗するカルデア一行に、さらなる絶望がイアソンの命令として襲い来る。

足止めだけでも精一杯だというのに、船長の指示でいよいよ力を入れ出した大英雄の

重く速い一撃が英雄たちを蹴散らす。堅牢な守りを持つマシュすら剛腕で弾き飛ばし、

同等の巨躯を誇るアステリオスを目にも止まらぬ斬撃の雨で屈服させ、前進を許す。

 

結果、遊撃手として牽制射撃を続けていたアルテミスとオリオン以外に有効打は無く、

遠方からの狙撃など『心眼(偽)』スキルで無効化できるヘラクレスを止められない。

 

ただ守られるだけではない、という小さな反骨心で戦線に出ていたエウリュアレの前に

ヘラクレスがやってくるのは、当然の事である。

 

 

■■■■■■■――――!!!

 

 

狂戦士の咆哮を浴びせられた愛の偶像は、弓を構える事すら止め、諦観を受け入れる。

 

 

「――これは、ダメね」

 

 

此処は海上であり、船上である。サーヴァントならば霊体化も可能ではあるものの、

それができるからなんだ、というレベルの話なのだ。なにせ相手はヘラクレスなのだから。

 

ギリシャ神話が誇る無双の大英雄が、自らを狙う。その絶望に、女神は耐え切れない。

 

心の底すら冷え切ったエウリュアレ。そんな彼女を、鉛の巨人の影が覆う。

岩塊のような剣を振り上げ、今まさに目の前の小さな少女へ振り下ろさんとする姿で。

 

 

「はぁ!? おいバカ! やめろ! テメェ、ヘラクレス! 止めろ!

 段取りが狂うだろうが! よせ、その女を殺すな! オレの命令が聞けねぇのか!?」

 

 

これに驚いたのはカルデアだけではない。アルゴー号で高みの見物を決め込んでいた

イアソンの度肝まで抜いていた。彼の目的はあくまで女神エウリュアレを手に入れる事。

手にかける事では断じてない。脳の溶けたバーサーカーに生け捕りを要求する時点で

イアソンの落ち度ではあるのだが、そうとは思わない彼は隠していた本性を剥きだしに

してまでヘラクレスの蛮行を止めようとする。

 

もう間に合わない。ヘラクレスの一撃を止められる英雄が、何処にいるだろう。

その戦場に居合わせた誰もが、エウリュアレの惨死を確信し、絶望で心を染め上げた。

 

――ただ一人を除いて。

 

 

「ぅ、ガあああアあぁぁァァぁッ‼‼」

 

「……っ! あすてり、おす…? アステリオス――!?」

 

 

大英雄の振り下ろした剣を、寸でのところで剣斧が受け止める。

それを握るのは、奪われた女神を取り戻し、必ず守ると誓いを立てた一人の英雄。

怪物の忌み名を背負った彼は、小さな愛の偶像を背に庇い、暴虐の巨人へ立ち向かう。

 

まさしく、雷光の如く力強い咆哮を轟かせたのは、アステリオスである。

 

 

「ダメよ、もう! 敵わない! 私たちはソイツに、ヘラクレスには勝てないの!」

 

「ぐ、う、ううううっっ‼」

 

「無理なのに……立ち向かっちゃダメなのに…! どうして…!」

 

 

女神はその愛らしい貌に悲壮を湛え、全身を軋ませながら英雄の一撃を耐える男の背を

見上げる。彼女は自らの死を半ば受け入れていた。それで世界が救われるのなら、と。

 

しかし、彼は、雷光は。小さな女神の死を、傷を、決して認められなかった。

 

それは単に愛情や恋慕の絡みではなく。ただ、彼が彼である為の、贖罪。

 

 

「……なにも、しらない、こどもを。ころ、した。ころして、ころして、ころした!」

 

 

既に命を失い、伝説に刻まれ、死後に人理の影法師として魂とは分離した英霊となって

今なお彼の心を苛む後悔。英霊アステリオスは、永遠に怪物としての所業を赦せない。

 

 

「ちちうえ、が、そうしろ、って! おまえは、かいぶつ、だから、って!

 めいきゅう、に、いれられ、て、いけにえ、ささげ、られて、ぜんぶ! ぜんぶ!」

 

 

子は親のいう事を聞くものだ。何時の時代でも、どんな場所でも、変わらないものだ。

彼は純粋であったが故に、言われるがまま実行した。それが過ちと気付いた頃にはもう、

全てが遅過ぎたのだ。

 

 

「ぜんぶ……オレの、せい、だ。はじめから、きっと、ぼくのこころは、かいぶつだった」

 

 

英雄の大剣に力が籠められる。怪物の持つ剣斧にヒビが入り、均衡が崩れていく。

地に伏せさせようとする巨大な一撃から彼を救おうとする立香少年とマシュ。

けれど悲しいかな。凡人と少女の力だけでは、神すらも下す超人には無力である。

 

諦めずにヘラクレスへの攻撃を続ける彼らの耳に、アステリオスの言葉が突き刺さる。

 

 

「でも、みんな、よんで、くれた…! ぼくの、なまえ…! よんで、くれたから…!」

 

「アステリオスっ…!」

 

「だから、もどるん、だ! ゆるされなくて、いい! みにくいままでも、いい!

 おそろしい、かいぶつの、ままでも……こころ、だけは、にんげんに、もどるんだ!」

 

 

それは罪の懺悔か、あるいは人として生きようとする力の限りの宣言か。

砕かれかけた剣斧を握りしめる怪物――否、女神にとっての英雄がゆっくりと立ち上がる。

大英雄ヘラクレスの振り下ろした剣をそのままに、押し上げる形でアステリオスが立つ。

 

彼が宿しているAランクの『怪力』スキルの恩恵か。決意が全身に漲ったが故の力か。

悉くを捻じ伏せる怪力無双の権化を、その心に輝きを取り戻した英雄が跳ね退けた。

 

 

「えうりゅあれ、は、わたさない…!」

 

 

誰もが、彼を見つめる。その戦場に立つあらゆる英雄が、凡人が、雷光を目に留める。

それは英雄たちをまとめ上げたイアソンも、智謀に長けたトロイアの守護者も例外でなく。

決意に満ち満ちたアステリオスという一人の男を、その場の誰もが目に焼き付けていた。

 

 

――その覚悟を初めから信じていた、一人の狩人を除いて。

 

 

「よくぞ言ったものだな。それでこそだ。女神を守る気概、見せてもらったぞ」

 

「―――っ!? イアソン‼」

 

「は……?」

 

 

そう。誰も彼を気に留めていなかった。

何故なら、彼はこの戦場に於いて、あまりにも無力であったから。

 

英雄は勿論、人類最後のマスターも、彼を守る盾の少女も、海賊も、守護者ですらも。

小さく惨めな姿に堕したその存在――英霊オリオンの奇襲に、気付かないでいた。

 

 

「油断したな、アルゴノーツの恥晒しめ。我が身を侮り、いない者とした貴様の不覚だ」

 

「な、な、なんだ?」

 

 

突如、首元にもふもふの感触を押し当てられたイアソンは混乱する。

同時に耳元からもドスの効いた男の声が響いてくれば、背筋も泡立つというもの。

 

いきなりの事態に敵味方が一瞬膠着する。

が、即座に動き出した者が二人。側近兼護衛のヘクトールと、メディア・リリィだ。

 

自分たちのリーダーの喉元を押さえられた、という致命的な状況を打破しようとするが

それを許すほどオリオンも甘くはない。

 

 

「動くな、トロイアの守護者。そして若かりしコルキスの姫君よ。

 少しでも抵抗してみろ。即座にこの男の眉間を射抜くぞ………我が女神(アルテミス)がな!」

 

「キャ~~~‼‼ ダーリン素敵~~‼ 今すぐ抱いて~~‼‼」

 

「後にしてくれ頼むから! 今はそういう雰囲気じゃないから!」

 

「はぁ~いっ! ダーリンに頼られるなんて……アルテミス張り切っちゃう!」

 

「……と。そういうワケだ。あんなのでも十二神の一柱、容赦など期待するな」

 

 

イアソンの首をぎゅっと抱きしめるようにして押さえるオリオンに睨まれ、初動が遅れた

ヘクトールは内心で臍を噛む。時代は違えどギリシャに生きた同胞ならば、いかに神という

存在が厄介極まるかなどよーく理解している。だからこそ、迂闊に動けなくなった。

 

 

「何をやってる!? ヘクトール‼ メディア‼ 今すぐオレを助けるんだよ‼」

 

(それが出来りゃそうしてるっての……マズいな。こんな一手で追い込まれるとは)

 

「どうした!? お前らそれでも栄えあるアルゴーの一員か!? ああ、クソっ!

 オレ以外のヤツらはどうして、どいつもこいつも果てしなくバカなんだよ!」

 

 

ようやく自分の身に危険が差し迫っていることを理解したイアソンは、腹心の部下たちに

助けを求める。無論、ヘクトールもメディア・リリィも、動けるのならそうしている。

だが、動けない。狩猟を司る女神たるアルテミスが敵方に居る。その射線の先にイアソンが

いるのだと暗に伝わっているからこそ、ヘクトールは槍を構えない。詰みである。

 

 

「イアソン様! すぐにお助けを!」

 

「やめておけメディア嬢。知らないようだから教えておこう。我が女神の宝具はな、

 我が身を目掛けて放たれる愛の矢なのだ。決して逸れず、外さず、絶対に命中する。

 例え射線上に障害があろうと、その全てを貫いて必ず我が身へ届く。不可避の一撃だ」

 

「なっ…!?」

 

「そうなると……さて。この状況だと、もし彼女の矢が放たれてしまえば。

 我が身と彼女の間に立つことになるこの男の脳天は、いったいどうなってしまうのやら」

 

「ひ、ひぃっ!?」

 

 

オリオンの言葉を受け、メディア・リリィは高速詠唱を中断し、完全に沈黙する。

敵の言葉を真実、真に受ける必要などない。純真ではあれど、彼女は莫迦ではない。

こちらを騙る為の虚言という可能性も有り得る。……それがオリオンでなければ、だが。

 

クマのヌイグルミの姿をしているが、アレは海神の息子オリオンその人だ。

ならば神話に曰く、「高潔にして清廉潔白。公正無私なる穢れなき男」に他ならない。

オリオンは嘘を吐かない。彼の人間性を知る同郷の者なら、その情報は疑えない。

 

だとすれば、彼の言葉は本当に起こる事だろう。かの女神の矢が放たれたら最後、

イアソンの頭の中身がアルゴー号の甲板を汚す事になる。火を見るより明らかだ。

 

 

「兜輝くヘクトール、貴様は槍を捨てろ。ソイツはかの【不毀の極槍(ドゥリンダナ)】だろう?」

 

(チッ…! 喋って時間を稼ぐ暇すら与えねぇってか…徹底してやがるぜ)

 

「王女メディア、貴女は――」

 

 

智謀に長けるヘクトールにとって、思考と会話の並列作業など造作もない事。

むしろ喋る事で時間を稼ぎ、その間に突破口を閃くのが彼の持ち味であり専売特許と

言っても過言ではない。それすらも許さないオリオンの対策に、流石の彼も舌を打つ。

 

そして流れるようにメディア・リリィの行動も制限しようと口を開きかけたその時。

 

 

「ヘラクレス! その牛男にトドメをさせ!」

 

「っ! イアソン、貴様っ!」

 

 

オリオンが生殺与奪を握っていて動けないはずのイアソンが、ヘラクレスに指示を飛ばす。

 

すぐさまアルテミスが宝具の発動段階に入るが、船長の命令を受諾してしまった大英雄の

再起動には間に合わない。エウリュアレを守る為に全霊を使い果たしたアステリオスへ、

血走った瞳を向けるヘラクレス。もはやイアソンを殺して解決できる段階ではなくなった。

 

 

「は、は、ハハハ! そうだ! さっさとそのウスノロを殺してしまえ!

 お前に対抗できる戦力なんてそのデカブツぐらいなものなんだ! コイツらにはな!

 だから一刻も早く怪物を殺してオレを助けろ! 怪物殺しはお前の十八番だろうが!」

 

■■■■■■■――――!!!

 

 

腐っても英雄たちをまとめあげた男。その機転と頭の回転の速さは群を抜いていた。

的確にカルデア側の戦力を見抜き、どこを潰せば最も有利になるかを心得ている。

 

これによりカルデアは、エウリュアレを守るアステリオスを守る、二重苦を背負う。

再び戦場の意識が雷光と女神のいる方へ移る。そのほんの僅かな隙が、運命を別つ。

 

 

「……へっ。オリオンさんよ。捨てろってんなら、捨ててやりますよ」

 

「なっ!?」

 

「お望み通り捨ててやるってんだ―――(やっこ)さんの方へなぁッ‼」

 

 

即断即決……機を見逃さない護国の将は、この一瞬で宝具の真名解放を繰り出す。

投降の意でもって伝えた言葉を返す皮肉を含めながら、ヘクトールは槍を振りかぶる。

 

 

()めろ、アルテミス‼」

 

「止めたきゃあの野郎(アキレウス)かアイアスの盾でも持ってこい‼ 【不毀の極槍(ドゥリンダナ・ビルム)】‼」

 

 

慌ててアルテミスへ迎撃を指示するオリオンだが、間に合わない。

魔力を充填した宝具である槍を全力で投擲。一直線に海上を往く一条の光となって、

ヘクトールの放った一撃がヘラクレスの猛攻を耐えているアステリオスへ突き刺さる。

 

 

「ぐぅ……‼ ぁ、うぁ、ぁぁぁぁぁ……‼」

 

 

立ち位置の関係上、その射線上にいたヘラクレス諸共に貫くことになってしまったが、

なんら問題は無い。ヘラクレスには十一回……今の一撃分を含めあと十回分の蘇生が

約束されているのだから。鉛の巨人と牛頭の怪物は、仲良く極槍で串刺しになった。

 

 

「ぁ、ああ…! いや…! いや! アステリオス…‼」

 

■■■■■■■―――……

 

 

自らを守ろうと貫かれた英雄の血飛沫を浴びて、小さな女神の顔が絶望に歪む。

共に果てたはずの大英雄も、見る見るうちに生気を取り戻していくのが遠目に見える。

 

 

「イアソン様っ!」

 

「ぐっ! く、そぉッ‼」

 

「ダーリン‼」

 

 

アステリオスの悲愴な姿を目の当たりにしたオリオンの隙を突き、封殺されていた

メディア・リリィが魔術を行使。オリオンをイアソンの首から引き剥がすことに成功する。

 

叩き落とされたオリオンに気付いたアルテミスが救出に向かうも、メディア・リリィの

魔術攻撃の弾幕が激しく容易に近付くことが出来ない。形勢が一気に逆転してしまった。

 

 

「よくやったぞヘクトール! 牛頭の怪物め、串刺しであの世行きとは贅沢な!

 まぁいいさ。ヘラクレスもじきに蘇る。さぁ、一度死んで頭も冷えただろう!

 とっとと起き上がってエウリュアレを奪って俺の元へ戻ってこい!」

 

 

イアソンの怒号が飛ぶ中、徐々に肉体の傷を修復させていくヘラクレスを前にして

カルデア一行の戦意が折れかかる。あの大威力の宝具で以ってして、一度しか殺せない。

そんな相手をあと十回も倒さなければならない。そんな非現実的な現実に打ちひしがれる。

 

それでも、それでも。カルデアは、エウリュアレを守る者たちは、諦めない。

 

 

「……すげぇな。敵ながら感心するぜ、アステリオス」

 

「どうした? ヘクトール?」

 

「野郎、我が身を貫こうとする槍をあえて受けたんですわ。ヘラクレスを封じるために」

 

「な、何だと!?」

 

「テメェが致命傷負ってでもこっちの槍を楔にして、何が何でもヘラクレスを止める。

 エウリュアレを逃がす為だけに、文字通りに体張ってのけたってわけですなぁ」

 

 

そう呟いて、ヘクトールは顎の無精髭を擦る。もう自身のメイン武装を投擲してしまった

以上、このまま突っ立っていてやる事が無い。魔力を消耗して動けない、が正解だが。

そんな状態のヘクトールに気付き、イアソンは追っ手を差し向けられずに歯噛みする。

 

 

「ます、たぁ…! ますたぁ、ますたぁ! ますたー!」

 

『藤丸君!』

 

「………ごめん、アステリオス」

 

 

命懸けの足止めを果たすアステリオスは、最後の力を振り絞り人類最後のマスターへ

懇願する。怪物と人という関係でなく、サーヴァントとマスターとして接してくれた、

そんな優しい少年だからこそ、アステリオスは躊躇いなく命を賭けることができた。

 

 

「ううん…ありが、とう、ますたー!」

 

「マスター…」

 

「マシュ、撤退する!」

 

「ますたー、も、ましゅ、も! なまえ、よんで、くれた! あすてりおす、って!

 みんな、みんな、オレを、きらわない、で、いて、くれた! あり、がとう!!」

 

 

心臓を槍で貫かれ、頭の角も片側はヘラクレスとの攻防の間に折られ、満身創痍状態で

あるにも関わらず、アステリオスは笑った。血を吹き溢しながら、晴れやかな笑顔で。

 

 

「うまれて、はじめて、たのしかった! うまれて、よかった! うれし、かった!」

 

「ぁ――アステリオス、さん…!」

 

「えうりゅあれ、を、おねが、い…! ぜんぶ、えうりゅあれ、の、おかげ…!」

 

「アステリオス!」

 

 

必死に『黄金の鹿号』を動かし、迫るヘラクレスから逃げようとするドレイクら海賊も。

短い間でもこれまでの航海を共にしてきたカルデアの友たちも、言葉を失う。

 

 

「ぼくは、えうりゅあれが、だいすき、だ!」

 

 

その姿を、誰が怪物と罵れようか。

 

傷だらけの躰で女神を救け、贖いきれぬ罪業を背負いながらも彼の心は救われた。

その救いとは、彼を怪物としてではなく、人間として、雷光(アステリオス)として受け入れる事。

 

たった、たったそれだけの事だった。

 

 

「おり、おん……おりおん! えうりゅあれと、みんな、を、おねがい!」

 

「……アステリオス」

 

「あなたも、ぼくを、みとめて、くれた! あすてりおすと、みとめて、くれた!

 にんげん、になる、のを、ゆるして、くれた! あなたは、ぼくの、えいゆうだ!」

 

「ッ……ああ。約束は守る、そうだったな」

 

「うん! うん! おとこと、おとこの、やくそく、だから!」

 

 

脈拍を取り戻し、その強靭な四肢に力がこめられ始めたヘラクレスを抑え込みながら、

アステリオスは最期の願いをオリオンへ託す。死力を奮い、懸命に声を張り上げて。

 

その声を、イアソンの脚に踏みつけられながら聞いていたオリオン。

 

あまりの情けなさに涙が込み上げる。あまりの不甲斐なさに苛立ちを覚える。

何が天下無双の狩人。何が文武両道の超人。何が、なにが、彼にとっての英雄か。

 

それでも立つしかない。男と男の約束を交わしたのだから。

無力でも、非力でも、役に立たなくても。オリオンは立ち向かわなければならない。

自分が人理を救う英雄であるという自負はなく、まして己を英雄と思った事もなく。

 

なのに、彼は己を英雄と呼んだ。そう呼んでくれたのだ。

 

 

「………此処は、オケアノスの海上だったな」

 

 

奇しくもその想いは、アステリオスと同じものであった。

 

 

「ならば、我が身に残された僅かな力も、発揮できるやもしれんな…!」

 

 

誰かが自分を呼んでくれたから。そう認めてくれたから。だから、立ち上がる。

 

 

「……この一時、貴女以外の力を借り受ける事を許し給え、我が女神」

 

 

人は其れを―――英雄と呼ぶのだから。

 

 

「おい、イアソン」

 

「おや。なんだね、惨めでちっぽけなオリオンくん? ああ済まないね。

 君があまりに小さく弱々しいもので、つい足蹴にしてしまっていた事を忘れてたよ」

 

 

へらへらと薄っぺらい笑みで心底からどうでもよさそうに謝意を示すイアソンに、

踏みつけられたままの状態でオリオンは笑ってみせる。

 

 

「ははは! なに、それはお互い様だとも。気に病む必要はないぞイアソン。

 貴様があまりにも器の小さい男なのでな、我が身もこうして下から見上げねば

 何処にいるのか小さ過ぎて分からなかったのだ。いや、本当に済まないと思っている」

 

「こっ……! このヌイグルミ野郎! 何も出来ねぇクセに!」

 

「そうだな。今や我が身はヌイグルミ。戦闘も支援も、何も出来ん人形でしかない」

 

「ハッ! なんだ、意外に物分かりが良いじゃないか」

 

「だがな。そこで偉ぶってふんぞり返ってる()()()()()()より幾分マシだ!」

 

 

そう言い放ってみせたオリオンは、イアソンの額に青筋が浮かび上がるより早く、

自身の仮初めの身体に魔力を集束させた。それが宝具の真名解放前の予兆であると

悟ったヘクトールやメディア・リリィが妨害に動き出す。

 

しかし、運命の女神はオリオンに微笑んだ。

 

 

「真名解放―――【暁よ、我が闇を照らせ(エッフェリスト・エオス)】‼」

 

 

瞬間、オリオンの周囲が夕焼け色に発光し、近くにいた者の視界を焼き焦がす。

 

 

「ぐああああっ!?」

 

「くそッ!?」

 

「きゃああっ‼」

 

 

踏みつけていたイアソンは勿論、すわ宝具の攻撃かと構えていたヘクトールたちも

まとめてオリオンの策略にはまってしまう。三者は瞳を暁に染められ、苦しみ悶える。

 

蹈鞴を踏んでよろけた隙に足の拘束を抜け出たオリオンは、すぐ突撃してきたアルテミスに

掴まってアルゴー号から脱出する事に成功。そのまま黄金の鹿号へと舞い戻った。

 

 

『うわぁ! なんだ今の光!?』

 

「今のは我が身に与えられた宝具の一つ、【暁よ、我が闇を照らせ(エッフェリスト・エオス)】によるものだ。

 本来は女神エオスとヘリオス神に我が眼を癒していただいた神話を再現するという、

 それだけのものでな。副次効果的な扱いとして、一種の目暗ましのようにも使える」

 

『それって、焼き潰された眼を暁の光で元通りにした、って伝説の…!?

 すごいぞ! 眼を癒すだけの能力がスタングレネード扱いになるだなんて!』

 

 

まさかのヌイグルミ大活躍により、アステリオスの決死の足止めと合わせても充分に

逃げるだけの時間を稼ぐことが出来た。ひとまず脅威から逃れられた事を喜ぶ一同。

 

しかし、素直に喜べない部分も当然ある。

 

 

「……アステリオス。ほんと、バカなんだから」

 

 

ポツンと呟かれたエウリュアレの一言で、彼らは水をかけたように静まりかえる。

 

 

「エウリュアレさん…」

 

「聞いたでしょ? あの子、私たちが名前を呼んだから、ヘラクレスに挑んだのよ。

 たったそれだけの理由で……それだけであの子は、命を賭けられてしまったの」

 

「……アイツにとっちゃ、それが何より嬉しくて幸せな事だったのさ。きっとね」

 

 

ドレイクが励ますように、自分が納得するように、空を見上げてそう語った。

 

 

「分かってるわ、そんな事は。でも、あの子は初めから怪物なんかじゃなかった。

 誰が何と言おうと、あの子は、アステリオス以外の誰でもなかったのに……なのに」

 

「そう思ってくれる奴がいるだけで、アイツは救われるんだよ。しゃんとしな、女だろ?」

 

「……豪快で粗暴な貴女と一緒にしないで。私はか弱くて可憐で、繊細なんだから」

 

「そいつは失敬。ならせめて、歌でも歌ってやりな。あんなおっかない大男と二人っきりで

 海の底でおねんねなんて、アタシだったらゴメンだね! アンタがアイツを送りゃいい」

 

 

湿っぽいのは嫌いなのさ。海賊ってな、そういうもんだし。ドレイクの言葉に海賊が頷く。

 

 

「そうだそうだ! エウリュアレちゃん、アイツの為に歌ってやってくれよ!」

 

「そいつぁいい! しみったれた悲しい歌じゃなくて、とびっきり陽気なのにしてくれ!」

 

「俺たちゃいつだって好きに生きて好きに死ぬ海賊だからな! アステリオスの旦那も、

 好きでアンタ守って死んだんだ! なら、旦那も俺たち海賊と変わらねぇわな!」

 

「違ぇねぇや! ハハハ! おし、酒出せ酒! 先に死んだ仲間の分まで呑もうぜ!」

 

「よしきた! 待ってろ、とびっきりのラム酒持ってくっから!」

 

「その宴会、アタシも混ぜな! っておいコラ、そのラム酒はアタシんだよ‼」

 

 

途端に賑わいを見せ始める黄金の鹿号の船員たち。ついさっきまで災厄の化身のような

大英雄と戦っていた時の緊張感はどこへやら。あっという間に宴会を始めてしまった。

 

気持ちの整理が追い付かないカルデアを差し置いて、笑って飲んでを繰り返す海賊。

そんな、ある種豪快どころか奔放過ぎる面々に、エウリュアレは呆れを孕んだ溜め息一つ。

 

 

「……嫌よ。海賊なんて野蛮な連中に、私の歌なんか勿体ないにもほどがあるもの」

 

「ちぇっ! ケチくさいこと言うんじゃないよ!」

 

 

既に酒瓶を煽り顔を赤らめたドレイク船長が、エウリュアレの拒否に文句を垂れる。

状況に流された方が利口かもしれない。そう思い始めるカルデアも、海賊たちに誘われて

宴会に参加する事にした。少なくとも、騒いでいる今だけは、悲しみを思い出さずに済む。

 

呑めや歌えやのどんちゃん騒ぎに、愛される偶像である女神の言葉が掻き消される。

 

 

「……私の歌は、私の英雄だけに捧げるものだから」

 

 

エウリュアレは辺りを見回すが、ドレイクもカルデアのマスターもマシュも、誰も彼も

宴の喧騒に紛れてしまったささやかな想いを聞いていた素振りはない。

 

だったら明かすこともない。そう決めた女神は、古代ギリシャの言葉で歌を紡いだ。

 

 

「…あら? なに、この歌? ダーリン知ってる?」

 

「いや。知らない」

 

「聞いた事ない歌ね~。でも、なんだか、すっごく嬉しくなっちゃう」

 

「……そうだな」

 

 

甲板の宴会から離れた、マストの上の見張り台。そこで二人きりの静けさを楽しんでいた

女神と狩人は、喧騒の隙間を縫うように聞こえてくる歌声に、耳を傾ける。

 

 

「……ふふ。〝雷光を携えた女神の、広大な海原を往く旅の歌〟か」

 

 

誰も知らない、ただ一人の為に謳われる英雄譚を、狩人は心に刻み込んだ。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?


やっぱり原作があると話を書き進めやすいの!
ところどころ原作との違いを考えて書くのも
楽しくてしょうがないの! 

いやぁ、雷光と女神って何度見てもいいね…。


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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第三特異点オケアノス編・その3

どうも皆様、大変長らくお待たせしました。
仕事が忙しくなってきた萃夢想天です。

やっぱり二年目になると任される仕事量も
増えてきちゃって大変ですわゾ。
けどこれからも時間を見つけて書いていく次第。

今回ちょっと短めになると思いますがご容赦を。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

鬱蒼と茂った森林に、言葉を交わす三人の影があった。

 

 

「ん…! 波を掻き分け進む音がする。これは、奴らのものではない。違う船の音だ」

 

「おや。流石だねアビシャグ、君の才覚はやはり隔絶したものだ。夫として鼻が高いよ」

 

「ふざけるな優男。吾は貴様の想い人(アビシャグ)とやらではない。他を当たれ」

 

「ひどいなぁ。つれないなぁ。悲しくなってしまうじゃないか」

 

「勝手に落ち込んでいろ三枚目。まったく、イアソンと同レベルで救い難い男がいるとは。

 なべて世は広いものだと痛感させられる……さて。彼らを試さねばならないか」

 

 

一人は女。森の中にあっても目を引く煌びやかな緑の長髪をなびかせる、吊り眼の女性。

その頭頂部からは人ならざる獣の耳が生え、ドレスの裾からも猫科のような尻尾が伸びる。

 

これに対し、男はどこか牧歌的な装いの好青年だった。着の身着のままに行く身軽さと、

口の軽さが共存する飄々とした態度の男性。男性は女性を口説くが、あえなく撃沈。

女は溜息を吐きながらも協力関係を維持しているらしく、男に提案を投げかけた。

 

 

「まずは彼らに存在をアピールしなくてはならん。おい貴様、文を書けるか?」

 

「おや? 僕の力が必要かい? いいとも、他ならぬアビシャグの頼みならば喜んで」

 

「アビシャグではないと何度言えば分かる。貴様本当にアーチャーか?」

 

「残念ながらバーサーカーではないよ。むしろ、()()()()()()()()()らしくないかな」

 

 

女は男の返答に苛立ちを募らせるが、男の方はどこ吹く風、といった具合だ。

出会ってから今までこんな会話を延々と続けていたのだから、女も辟易としてしまうのは

仕方がない事だ。それを分かっていながら態度を改めない男の方に精神的な問題がある。

 

男は提案を拒みこそしなかったが、女の懸念を違う形で再認識させる言葉を紡ぐ。

女は男の呟いた一言に返事こそしなかったが、内心では同意を示していた。

 

獣耳の女性と軽薄な青年の他にもう一人、この場にいる人物を指していた。

 

 

「ぁぁ……あぁ…どうして。どうして、見えないの。どこにも、我が眼に、貴方が」

 

 

男女の視線の先にいたのは、()()()()()

骨と皮だけの痩躯に、顔の上半分を覆う白い仮面をかぶった奇妙な出で立ちの老婆だ。

 

老婆は掠れた声で譫言のように「どうして」と繰り返している。

その様は壊れたカセットテープのように思え、ある種の狂気を感じさせた。

 

女と男は老婆を見やり、気にした様子もなく会話を続ける。

 

 

「あの御老体は口説かんのか? アビシャグとやらに見えたりしないのか?」

 

「いくらなんでもあんな姿の女性をアビシャグだなんて呼べないよ」

 

「貴様にも可不可はあるのだな。女と見れば何であれ垂涎する野獣かと思ったが」

 

「君は僕を何だと思ってるんだい」

 

 

ひどいなぁ、と男は大して気にしてもいないような軽口で答える。

そんな彼の態度にまたも眉間のしわを深めていく女だが、男が真面目な口調で返す。

 

 

「それに……彼女をアビシャグと呼ぶのは、あまりにも失礼だ」

 

「……なんだと?」

 

「だって彼女は、()()()()()()()()()んだもの。体も魂もとうに尽き果ててなお人理に刻まれ

 英霊の座に登録された。若い頃に亡くなって、その当時の想いをまだ引き摺ってるなら理解

 できるとも。けれど彼女は老婆だ。老いるまで生きたにも関わらず想いは消えていない」

 

「……つまり、何が言いたい?」

 

「簡単な事さ。分からないかい? 愛を知らず、恋に恋する女を口説けやしないって事さ」

 

 

得意げな表情で言ってみせる男に、女はとびっきりの軽蔑的表情を向けて息を吐く。

一瞬でもまともな言葉を期待した吾が阿呆だった、と思い直した女は頭を掻いた。

 

 

「……最初から吾しか書ける者がいないじゃないか」

 

「心外だなぁ。乙女の心を蕩かす言葉の十や二十はスラスラっと書けるけど?」

 

「やかましい軟派者。吾が試すのだから、吾の言葉で書いた方がいいに決まってる」

 

「またフラれちゃったかな。残念」

 

 

ケラケラと軽薄に笑う男に青筋を立てつつ、いつかその眉間を射抜いてやると心に誓った

女は、以前沈めた海賊船から略奪した物資から紙とペンを取り出し、手紙をしつらえる。

それを矢に括り付け、自慢の弓で引き絞り、大海原へ向けて森林の中から射った。

 

 

「二大神……太陽神アポロン様と月女神アルテミス様の加護がありますように」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アステリオスという英雄を喪ったカルデア一行。

 

彼らはその後も特異点内の海に浮かぶ島々を転々と巡りつつ、魔力リソースの回収をしたり

新たな戦力のスカウトを継続していた。残念ながら期待の戦力確保はならなかったが。

 

航海に次ぐ航海。不足していく物資。期待を裏切られるほんのわずかな失望感。

誰もが言葉にすることは避けてはいるものの、ドレイクが駆る『黄金の鹿』号の雰囲気は

どんよりと冷たく重いものに変わりつつあった。

 

そんな折、船員の一人が新たな島を発見。そちらへ向かう事となった。

 

 

「なぁ、カルデアのマスター殿。貴殿は、どちらだと思う?」

 

「俺は、アタリかな…」

 

 

甲板の縁から近付ていく島の輪郭を眺めながら、クマのヌイグルミと青年が会話する。

青年の名は藤丸立香。人理焼却に立ち向かう人類最後のマスターにして魔術師見習い。

ヌイグルミの真名はオリオン。夜空に瞬く三ツ星の狩人にしてギリシャ最優の美丈夫。

 

二人は島が見える度に「あの島に此方に味方するサーヴァントがいるか否か」をクジの

当たり外れにちなんで話していた。ちなみに、藤丸少年は毎回アタリと宣言している。

 

 

「そう思ってないとやってられないし」

 

「ははは。強いな、マスター殿は。我が身は、そうさな――」

 

 

藤丸少年の返事を聞き、今度は自身の考えを口にしようとしていたオリオンだったが、

つぶらな瞳を限界まで見開いて島の方角を睨む。直後、何かに気付き声を張り上げた。

 

 

「我が女神ッ‼」

 

「オッケー任せて!」

 

 

オリオンの叫びを聞いた全員が「敵襲か!?」と身構えたが、アルテミスがオリオンに応え

何らかの力を行使する。一瞬の静寂の後、アルテミスの脳天目掛けて矢が飛来してきた。

 

矢はアルテミスの眼前で何らかの力に阻まれ動きを止める。慌てて駆け寄るカルデア一行に

微笑みを向け無事を示したアルテミスは、縁で安堵の息を漏らすオリオンを抱き上げた。

 

 

「ダーリンのおかげね♡ ありがとダーリン~! 好き好き~!」

 

「いやあのホントそういうのはいいんで対応をですね…」

 

「うん! 分かってるわ、アルテミス頑張る! 襲撃犯を消滅させればいいのよね!」

 

「どうしてその答えに行き着くのか……ん? それはもしや、矢文では?」

 

 

やけに恐ろしい物言いで息巻いている女神に呆れかえっていると、オリオンは矢文に気付く。

彼の呟きによって同じく矢文の存在に気付いた月女神が結び目を解き、内容に目を通す。

しばらく目で文章を追っていくと、彼女は得心が言ったように笑顔になって何度も頷いた。

 

 

「アルテミスさん? 何が書かれていたんですか?」

 

「うふふ、知り合いからのお手紙だったわ。相変わらず堅苦しいの。見てみてダーリン」

 

「……コレは。騙りでなければ大きな戦力として期待できるが、ううむ」

 

「それにしてもホーント堅苦しいのは変わらないのねー。愛を知らないからかしら?」

 

「我が身は生前に出会っておらんので明言できんが、なんとなくイメージできる」

 

 

微笑みを浮かべたアルテミスがオリオンにも手紙を見せ、ヌイグルミの彼も首肯する。

どうやら敵意ある者からの警告の類ではないようだ。藤丸少年はホッと胸を撫で下ろす。

マシュは手紙の差出人がオリオンやアルテミスの知己という事実が気にかかり尋ねる。

 

 

「どちら様からの手紙だったのですか?」

 

「えっとね……あ。ねぇねぇダーリン、こういうのって言っちゃっていいのかな?」

 

「恐らく本人だと思うが。まぁ、本人確認が取れるまで明言は避けた方が良いだろう」

 

「オッケー。そんなわけでごめんねマシュちゃん。内緒ってことにしておいて」

 

「は、はぁ…」

 

 

徐々に島へ近付いていく一行は、一抹の不安を残したまま船を下り、上陸した。

 

通信で管制室に居るドクター・ロマンたちと連絡を取り合っていたカルデア一行は、

その島の沿岸部に近い森の外縁部にサーヴァント反応が集まっていると情報を得た。

 

面識があり、なおかつ相手に敵意が無いことを半ば確信している様子のアルテミスらに

先行させて森を進んでいく。その行軍の最中、アルテミスの豊満な胸の谷間に挟まっている

オリオンが、見上げるように月女神へ再度質問する。

 

 

「――今一度問うぞ、我が女神。本当に彼女と会うつもりか?」

 

「え、勿論。だって私をずっと慕ってくれてる狩人だし。あ、ダーリンは別枠ね!」

 

「そうか……そうかぁ……」

 

「オリオンさん。アルテミスさんが目的の人物と会うことに何か問題が?」

 

 

処置ナシ、とばかりに肩を落とすヌイグルミ。そんな彼に背後から問いかけるマシュ。

少女の疑問に、顔中のシワが寄せ集まったかのようなシワシワ顔でオリオンが答える。

 

 

「……いや、まぁ。問題と呼べるほどのものではないんだが。うん。

 貴殿らも未だ信じられないと思うが、この女神は純潔と狩猟を司るとされる女神でな。

 ギリシャ世界において、あらゆる婦女子の少女性を見守る姉のように崇められる存在

 とされているのだ。実際にはこんなんだが。我が身が不安に思う部分はそこでな…」

 

「やぁだもぅ…♡ ダーリンったら、みんなの前で純潔とか恥ずかしい…」

 

「どの口が言うんだどの口が」

 

「あ、でもでも! 純潔を捧げる際のシミュレーションはいつでもしてるからね!」

 

「誰も聞いていないんですがあの」

 

 

二人の夫婦漫才のような会話はその後も続き、それを通信越しに聞いていた管制室では

悲恋続きで最期には壮絶な死を遂げたオリオンの、伝説の続きがここに始まったのだと

密かに熱が高まっていた。ちなみにゲロ甘エピソードを乞われてもいないのに垂れ流す

アルテミスに、ダヴィンチちゃんが砂糖の塊を口から吐き出しそうだとコメントした。

 

無論、その場で聞かされているカルデア一行はその比ではない。

海賊の野郎共はあまりのゲロ甘ぶりに砂糖代わりに吐血し、「尊い」と漏らし失神。

耐性のある者たちは逆に彼女らのやり取りに呆れ返り、乾いた笑みを溢し続けた。

 

 

恋愛脳(スイーツ)過ぎる…。彼女が知ったら、ショックで卒倒するわよ」

 

「我が身もそれが不安で仕方ないのだ。雷光の女神よ、何か助言はありますか?」

 

「強く生きなさい、としか言えないでしょこんなの。私だったら耐えられないけど」

 

「………はぁ」

 

 

愛しのダーリンとのスウィートメモリーを延々と語り続ける月女神から離脱していた

ヌイグルミは、拾い上げたエウリュアレと語り合い、同時に嘆息する。救いはない。

 

そんなやり取りをしていると、一行の行く手に一本の矢が突き刺さった。

 

 

「待て!」

 

「うおっと! コイツぁいきなりなご挨拶だね。矢文を寄越したのはアンタかい!?」

 

「その通りだ!」

 

 

森の木々の間から、声はすれども姿は見えず。一行は木々を見上げて厳戒態勢を取る。

この付近は声の主の縄張りだろうか。などと藤丸少年が考えていると、声がまたも響く。

 

 

「汝らはアルゴノーツを敵とする者か!? それとも、既に諦め屈した者か‼」

 

 

威圧的な問いかけに、一行の視線が藤丸少年へ集中する。この旅の最高指揮権は彼に有る。

サーヴァントと契約を結ぶ楔の役割を果たすマスターが彼であり、彼の決断で方針が決まる。

マシュが固唾を飲んで見守る中、藤丸少年は震えそうになる声を静め、意気を込め答えた。

 

 

「……諦めてはいない」

 

「……いいだろう! 今、我が姿を見せる!」

 

 

こちらの思いが伝わったようで、声の主は木枝を軽々と跳躍し、眼前へと降り立った。

翠のドレスをまとい、獣のような耳と尻尾を揺らす自然を体現したかのような女性の英霊。

そんな彼女の姿に、藤丸少年とマシュの二人は見覚えがあった。

 

 

「貴女は……アタランテ、でよろしかったですか?」

 

「ああ。我が真名()はアタランテ。女神アルテミス様に仕えし狩人である。

 先程は試すような問いかけをして済まなんだ。分かってはいたが、念の為にな」

 

「あの時のアタランテ、とは違うのかな。やっぱり」

 

 

そう。藤丸少年とマシュは、このアタランテという英霊と一度出会っている。

残念なことに心強い味方としてではなく、こちらの命を狙いに来る敵方の刺客としてだが。

 

英霊とは基本的に召喚される度に記憶はリセットされる。その為、余程の事が無い限りは

記憶を継承していることはあり得ない。そう思っていた藤丸少年だったが、答えは違った。

 

 

「ああ、いや。フランスの特異点での出来事はおぼろげながらに覚えている。

 あの時は狂化されていたが、今回は通常のアーチャーとして召喚されているのだ。

 聖杯の力で傀儡と化していた身で言うのも烏滸がましいだろうが、許してもらいたい」

 

「ううん。大丈夫」

 

「はい。私たちは特異点を乗り越え、今こうして立つことが出来ています」

 

「……そうか。ありがとう。吾らは一応、汝たちの味方側という認識で構わない」

 

 

かつては敵対していた英霊でも、こうして味方になってくれることもある。

それを実感した藤丸少年たちはひとまず安心し、仮契約のパスをアタランテと結ぶ。

 

 

「私はマシュ・キリエライト。シールダーのデミ・サーヴァントです。

 こちらが私たちのマスターである藤丸立香、船のキャプテンのフランシス・ドレイクさん。

 旅に同行していただいているエウリュアレさんに、人畜無害なフォウさん」

 

「ふむ。よろしく頼む」

 

「それと……アルテミスさんと、ヌイグルミのオリオンさんです」

 

「やっほー♪」

 

「………不肖、オリオンだ」

 

 

名実ともにカルデア一行側のサーヴァントとなったアタランテに、仲間を紹介するマシュ。

一人ずつ名前を伝えていく中で、問題視されていた月女神と狩人の二人に行き着く。

 

すると二人の名を聞いたアタランテはきょとん、と表情を変え、マシュに尋ね返す。

 

 

「気のせいか、今しがた有り得ぬ名前を耳にしたのだが…済まない、もう一度言ってくれ」

 

「えぇっと…その、アルテミスさんと、ヌイグルミのオリオンさん、です」

 

「マシュ、だったか? 冗談はやめてもらおう。アルテミス様は狩猟と純潔を司る女神。

 間違ってもサーヴァントとして召喚される事にはなるまい。オリュンポス十二神だぞ」

 

 

自信満々に、「何を言っているんだお前は」という顔でマシュを見つめ返すアタランテ。

悲しいかな。アタランテの言葉は正論であり、通常であれば誰もが首肯する内容だった。

 

だが、此処に例外が存在する(Fateじゃ例外は常識)。

 

 

「ねぇダーリン、アタランテが信じてくれないわ。どうしよう」

 

「どうもこうもあるまいよ」

 

「別にいいじゃない、純潔の女神が愛に生きたって。ねぇ?」

 

「……ノーコメント」

 

「愛があれば常識なんて関係ないわよ。ダーリンの為なら例え火の中水の中ってね。

 それどころか抑止力が干渉する人理の異常事態にだって首突っ込んじゃうんだから!」

 

「ノーコメントだ」

 

 

ああ、哀れアタランテ。彼女が信奉した相手は、恋愛脳のおバカ系女神だったのだ。

 

おまけにそんな彼女が抱き締めて会話しているヌイグルミの方は、オリオンだという。

アルテミスの人格にも衝撃を受けたが、アタランテはオリオンの方にも衝撃を受けた。

 

 

「………え? 本当?」

 

「本当よ、アタランテ。何を隠そうこの私こそ、恋に目覚め、ただ一つの愛に生きる。

 そんなウルトラグレート素敵カッコイイパーフェクト女神、アルテミスなのよん」

 

「…で、では、そちらの愛らしくも勇ましい熊を模した人形は、本当に…?」

 

「あら、流石私の信者! 目の付け所がいいわね! 今はこんなヌイグルミだけど、

 本当は世界の誰よりもカッコイイ、マイダーリンのオリオンです! イェ~イ♪」

 

「…………………ぁ」

 

「大丈夫ですか!?」

 

 

数千年越しに突き付けられた残酷な現実が、眩暈となってアタランテを襲う。

白目を剥きながら額を手の甲で押さえ倒れかける彼女をマシュが支え、事なきを得た。

 

とっさに助けてくれたマシュに礼を言いつつ起き上がったアタランテは顔を歪ませ呟く。

 

 

「ふ、ふふふ。案ずるな、無様を晒したがこれでも幾度か聖杯戦争を経験した身だ。

 私の精神も多少は鍛えられている……い、今更自分が信仰していたのが恋愛脳(スイーツ)

 だからといって倒れたりするものか……っ! 割り切れ、悪夢だと割り切れ……!」

 

「足がガクガクと、まるで生まれたての小鹿のよう。想定以上のダメージみたいね」

 

「も、もも、問題ない…! 憧れだった御方が恋愛脳女神の愛玩人形にされていようが

 気にしない事とする…! イヤやっぱり無理気になる…っ! オリオン様がそんな…!」

 

「オリオン様……?」

 

「何なのだあの毛並みと体躯は…!? 胸の奥から愛おしさが滾々と込み上げてくる…!

 わ、吾がただの小娘だったら耐えられなかった……狩人だったから耐えることができた!

 吾は屈しない! あのもふもふに! あのふわふわに! あの凛々しさと愛らしさに…!」

 

「フォウフォ……(いったい彼女は何と戦っているんだ)」

 

 

今にも膝を折りそうな様子のアタランテを不安げに見つめる一行だったが、どうやら回復

したようだ。荒い息をどうにか整えながら、アタランテはカルデアに情報をもたらす。

 

 

「……話の腰を折ったな。ともかく、汝らに紹介したいサーヴァントが後二人いる」

 

『さっきから反応が捕捉されてた二人だね。それも君の仲間かな?』

 

「仲間、と呼べるかどうか。だが吾の意に賛同し、アルゴノーツと敵対する意思を持つ。

 それに誤りはない。内一人の方は、『契約の箱(アーク)』を所持するサーヴァントだしな」

 

「アーク…!? それはつまり、アルゴノーツが……イアソンが求めているモノ!?」

 

「ああ。吾らは共にこのアークを死守せねばならない」

 

 

アタランテの口から飛び出した、アークという単語。

カルデアはこの言葉を、敵対勢力にして特異点の歪みの元凶となる聖杯を所持していると

思しき英雄船団アルゴノーツの船長イアソンが口にしたのを耳にしていたのだ。

 

その記憶を頼りに事の重大性を再認識した藤丸少年。すると突然、背筋に悪寒が奔る。

 

ぞくぞく、ぞくっ。体感温度が一気に下がったような感覚を味わい、息を呑む。

どうやら仲間たちも同じような現象を体感したようだ。解いていた警戒態勢が復活していた。

 

周囲を警戒し出していると、管制室に居るロマンから通信が届く。

 

 

『こちら管制室! いまそっちにサーヴァントが一騎向かっている!』

 

「マスター、こちらに!」

 

『まもなく接敵する、警戒を怠らないでくれ!』

 

 

ドクターの言葉に従うように、ドレイクは藤丸少年を背に庇うようにして銃を抜く。

エウリュアレも非力ではあるものの、まったく無抵抗で終わるつもりはないようだ。

 

銃口と鏃の先端を向け、いつでも撃ち抜けるよう構える二人。

 

ガサガサと大きくなる音。草木を掻き分ける音が、対象の接近を伝える。

そしてついに草陰の中から姿を現した第三者。その姿に、場の誰もが息を呑む。

 

 

「……ぁ…ぁあ。よう、やく……あえた。会えた。逢えた。ああ、ああ!」

 

 

森の奥から現れたのは、痩せ細った状態の不気味な老婆だったからだ。

 

 

「お、おお、オリオン、さま。ここに。此処に。いる。此処に、いる。我が眼の、前に」

 

 

老婆が狂ったように滅茶苦茶な並べ方で言葉を紡ぐ。しわがれた老婆は、這うようにして

カルデア一行の前に辿り着き、ただ一心に―――アルテミスが抱くヌイグルミを見つめる。

 

 

「ああ、おお。わが、我が君。やっと、やっと……ぁあ。オリオンさま…」

 

 

老婆は掠れた声でその名を呼ぶ。壊れた機械のように、何度も何度も呼び続ける。

 

それを聞いた当のオリオンは、訝しむように老婆を見て、ふと気付いたように呟く。

 

 

「其方は、もしや……メロペー姫、なのか!?」

 

 

 

 









いかがだったでしょうか?


ここから本編とは少し違った展開になるかも。
いやならないかも。実質メロペー分くらいか。

彼女のステータスがみたいという人がいれば、
感想欄でコメントをいただければお見せします。

番外のおまけでオリオンと合わせて書くかも。


それでは次回をお楽しみに!

ご意見ご感想、並びに批評などお気軽にどうぞ!



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第三特異点オケアノス編・その4

どうも皆様、萃夢想天です。
コロナが未だ猛威をふるい続ける中、いかがお過ごしでしょうか。

まさかの水着復刻が五月という異常事態。
加えて積もる仕事とコロナの事後処理に追われていたら
いつのまにやら二部六章が完結している始末。

投稿が遅い私ですが、なんとかこのオリオンは第二部五章まで
書ききるつもりではいますので、何卒お付き合いください。


それでは、どうぞ!





 

オリオンの呟きに「信じられない」という驚愕が含まれていることに気付く者はいなかった。

何故なら、この場にいた誰もがオリオンの告げた真名に心当たりがあったからだ。

 

カルデアのデータベースから逐一情報を拾い集めているDr.ロマンがそれを証明する。

 

 

『メロペー姫って……えぇ⁉ それって、オリオンの伝説に登場するあのメロペーかい⁉』

 

「うぅむ……あの、とは何を指すか不明瞭だが、恐らく想像している人物に間違いない」

 

『わぁお♪ だとすると、今まさにその場所は数十世紀ぶりに超ホットな修羅場なわけだ』

 

『何言ってるんだレオナルド! ストーカーの被害者と加害者が最悪のご対面してるのに

 不謹慎にもほどがある! 他人の恋愛話に茶々を入れるほど恨みを買うものはないぞ!』

 

『ふーん………本音は?』

 

『神話の続きが見られるなんて生きててよかった…じゃなくて!』

 

 

通信礼装越しにコントのようなやり取りを繰り広げるカルデア二大ブレーンはさておき。

カルデア一行が茂みを掻き分けて現れた老婆の英霊の真名を考察していると、また一つ

大きな溜息を吐いて項垂れたアタランテが彼女の正体を明かした。

 

 

「……汝らの推察通り、こちらの御老体の真名はメロペー。オリオン様の伝説に登場する

 キオス島王オイノピオーンが娘にして、魔術神ヘカテーを信奉する魔術師の英霊だ」

 

「魔術師、ねぇ……どうも呪い師ってよりかは魔女ってな感じがするけどね」

 

「あながち間違いでもなかろう。事実、彼女は()()()()()()()()()としての側面が強い」

 

「そういった類のモノ、ですか?」

 

 

女狩人の言葉を繰り返すマシュ。顔の上半分を白い仮面で覆った痩躯の老婆に忌避するような

眼差しを向けて揶揄するドレイクの言葉を藤丸少年が窘めようとするも、話が続けられる。

 

 

「そうだ。汝ら、このメロペーという女の来歴を詳しく知っているか?」

 

「私はカルデアのアーカイブに目を通していますので、ある程度高名な伝説は一通り……。

 マスターはいかがですか? 三ツ星の伝説に登場する『狂姫』メロペーについての知識は」

 

「えっと……オリオンの名前ぐらいしか知らないや」

 

『おや、なんだい。それじゃ、通信越し短縮版のダヴィンチちゃん英霊講座といこう!』

 

 

人類最後のマスターという大層な看板を背負っていても、元々は日本の一般家庭出身。

世に溢れている以上に踏み込んだ情報など保有しているはずも無い。まして魔術も絡むと

なれば無知にも等しい。そんな彼をフォローすべく、ダヴィンチが意気揚々と語り出す。

 

 

『古代ギリシャにおいて最も有名と言っても過言ではない【三ツ星(トライスター)の狩人オリオン】の

 伝説における主要人物の一人。狩人オリオンに熱狂的な恋をする少女にして、王の一人娘。

 加えて()()()()()()()()()()()と呼ばれる【白仮面の老婆】の正体とされる人物』

 

「あ、それ聞いたことある! なんか海外のホラー小説とかでめっちゃ有名なやつだ!」

 

『ああ。ギリシャを中心に、世界各国で似たようなホラーテイストの情報媒体が製作されてる。

 小説、映画、テレビ番組……世界最古のホラーとの名を冠する白い仮面をつけた老婆の伝承。

 それこそ、このメロペー姫ではないかというのが通説なんだけど、まぁぶっちゃけ正解さ』

 

「なんだっけ。怖くて見てないけど、映画だと……」

 

『触り程度に概要を話すと、海辺の町に暮らす青年の行く先々で、白い仮面をつけた老婆が

 現れては『此処にいた』と告げ忽然と姿を消す等、予兆もなく現れては消える神出鬼没さが

 売りのパニック・ホラーテイストの映画が公開されたね。小説とかでも題材にされてる』

 

「じゃあ、ホラー映画の元ネタの英霊ってこと?」

 

『雑ーく緩ーくまとめるとそうなるかな』

 

 

軽い口調で短く来歴をまとめたダヴィンチちゃんは、そこで間を置き、小さく呟く。

 

 

『……だからこそ気掛かりだ。彼女は人類史に貢献したり、伝説を打ち立てた英雄じゃない。

 どちらかと言えば、その在り方を後世に歪められて恐怖の象徴として民衆の心に刻まれた、

 【反英雄】の立ち位置に近しい存在だ。ワラキア国王にして護国の将、ヴラド三世のような』

 

「ヴラド三世って、確か吸血鬼ドラキュラのモデルになった英雄だよね…?」

 

「はい。そして、我々がフランスの特異点で敵対したサーヴァントでもあります」

 

 

藤丸少年とマシュは第一の特異点で相対した、ある英霊の存在を思い出す。

 

国を侵略者から守る為、悪魔すら恐れる手法を取った守護の鬼。

『串刺し公』ことヴラド三世。彼も後世の人々に在り方を歪められた悲しき英霊だ。

 

具体的な前例がある事で、藤丸少年は目の前の老婆への見方を変える。

 

 

「そんな人が、英霊として召喚された……」

 

『ああ。つまり、彼女もまた、反英雄にカテゴライズされる英霊じゃないかな。

 本人の性質はともかく、人類史に刻まれたのは『人々を恐怖させた伝承』の側面を持った

 彼女なんだろう。改めて、人理焼却の影響の大きさを垣間見た気がするよ』

 

 

ダヴィンチちゃんが敢えて言い澱んだ部分を、マシュも藤丸少年も理解できていた。

 

初めは、ただの恋する少女でしかなかった。伝説の英雄に恋い焦がれる登場人物の一人。

オリオンという三ツ星を彩る輝きの一点。だが、焼却された人理はそんな者にすら縋った。

 

恋実らず絶望の中で生き続け老いた彼女へ、人々がその死後に勝手に抱いた恐怖によって

異なる側面を焼き付けてしまった。ただの乙女は亡く、居るのは怪異と化した異形の老婆。

このような悍ましい行いを許容する人理の断末魔に、藤丸少年は底知れぬ嫌悪を覚える。

 

 

「………ダーリン?」

 

 

けれど、藤丸少年は失念していた。

 

当事者ですらない一般人の自分ですら、これほどの感情を抱くのだ。

それが当事者であれば、さらに深く大きい絶望になることを。

 

 

「―――俺の、せいなのか」

 

 

アルテミスに抱かれていたはずのオリオンは、いつの間にか地に降り立っていた。

よたよた、と。支えが無ければ立ち歩くこともできない赤子の様な覚束ない足取りで。

ヌイグルミと化しているその姿からは想像もつかぬほど、大きな悲哀と慟哭をまとって。

 

オリオンは、譫言のようにまた呟く。

 

 

「俺のせいで、君が、そんな……」

 

 

自信に満ち溢れる最強の狩人たる彼の姿は、見る影もない。

己が犯した過ちに震えて怯える、幼子のような彼の姿を誰もが黙して見つめる。

 

藤丸少年も、マシュも。此処にいる全ての者はオリオンを擁護するだろう。

「それは違う」「貴方のせいじゃない」「貴方に非はない」などと。

だが、彼はそれを受け入れない。過ちを背負い込む自責の念が強過ぎるが故に。

 

 

「あぁ、ああ…! ()()()()()……!」

 

 

足を踏み出す毎に言葉から覇気が失われていくオリオン。

エウリュアレは痛々しさから眼を逸らし、海賊たちも口を噤んで黙するばかり。

誰も動けなかった。オリオンの悲痛さを、見ている事しかできなかった。

 

……ただ一人を除いて。

 

 

「ダーリン」

 

 

白磁の髪を靡かせる麗しき女神が、悲壮に顔を歪めるオリオンを抱き上げる。

声すら出せなくなっていた彼を慈しむように抱えた彼女は、諭すように言った。

 

 

「ダーリンのせいじゃないよ。この人がこうなっちゃったのは」

 

「だ、だがっ…!」

 

「じゃあダーリンがこの人がこうなるように何かしたわけ?」

 

「そ、れは――」

 

 

オリオンに聖母の如き笑みを向けるアルテミス。

彼女の言葉は無垢で純真であるが故、核心を突いたものとなる。

 

実際、オリオンがメロペーをこのような姿に変えたわけではない。

自分が関わったせいでこうなった、というのはオリオン自身の思い込みだ。

それを一言で気付かせる。腐っても女神なのだと同行した面々は安心する。

 

 

「ならダーリンが思いつめなくってもいいのよ。ほら、笑って!」

 

「ぷぐぉ。わ、我が女神、苦じぃ」

 

「えへへ。ほっぺぷにぷに~!」

 

 

それどころか、気付けばあっという間に二人だけの世界に突入。

悲しみと喜びの温度差が激し過ぎて同行した海賊の情緒が崩壊しかける。

 

オリオンから目を逸らしていたエウリュアレの表情筋は死に至り、

ドレイクは「見直したアタシが馬鹿だった」と言わんばかりの三白眼に。

現場をモニターしている管制室のカルデアスタッフの作業の手が止まる。

 

 

「―――(フラッ)」

 

「アタランテさん!」

 

 

通信越しでこの破壊力。信奉者であればそのダメージは計り知れない。

額に手の甲を当てて崩れ落ちる女狩人を、マシュが慌てて助け起こす。

 

 

「すまない……すまない…」

 

「お気を確かに!」

 

「いやなんでこうなるんだ本当にもう勘弁してお願いだから」

 

「アタランテさん!」

 

 

口早に弱音を吐き出し始めた彼女を揺さぶって正気に戻そうと試みる。

一瞬でカオスに逆戻りした場で意識を保つ藤丸少年を援護するように、

ブラックコーヒーを流し込み続けていたドクター・ロマンが叫んだ。

 

 

『藤丸君! メロペーが来た方向から、別のサーヴァントの反応だ!』

 

「っ!」

 

『さっきアタランテが言ってた、もう一人の仲間かもしれないけど…』

 

「用心します! マシュ! みんな!」

 

 

付近を監視し続けていたロマンの焦った様子に、シリアスを取り戻す。

即座に臨戦態勢を整えた面々だったが、立ち直ったアタランテが手で制する。

 

 

「大丈夫だ。心配ない」

 

 

落ち着かせるようにゆっくりと語るアタランテを不安げに見つめる。

今、一番落ち着かなきゃいけないのは貴方では。そんな思いのこもった眼を

向けられながらも気丈に立ち上がった彼女は、凛々しい佇まいで告げた。

 

 

「こちらに向かって来ているのは、『契約の箱(アーク)』を持つサーヴァント。

 要するに、アルゴノーツ……イアソンが求めている男だ」

 

「あ、『契約の箱(アーク)』を所有している男性……つまり」

 

「そうだ。この海域において最初に召喚された英霊―――」

 

 

生い茂る草木を掻き分けながら近付いてくる存在に、注目が集まる。

誰もが緊張と不安を抱く中、ついにその姿を現した。

 

 

「やぁ。待ちくたびれたよ、君たち」

 

 

藤丸少年たちの前に姿を見せたのは、いかにも親しみやすそうな好青年。

若々しい新緑色の髪に、どこか彫刻や芸術品めいた並々ならぬ美貌。

均整の取れた身体を、長閑で牧歌的な衣装で包んでいる。

 

やけに馴れ馴れしい口調で、青年は名を名乗る。

 

 

「僕の真名()は【ダビデ】――古代イスラエルの王様さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新たに味方に加わったサーヴァント、ダビデ。

彼の口から、契約の箱(アーク)と呼ばれるものについての説明が成される。

 

 

「アレは宝具としては三流でね。触れさせれば、その対象は死ぬ。それだけ」

 

「死っ……」

 

 

何でもない事のように告げられた言葉に、藤丸少年が顔を引きつらせる。

人理焼却に巻き込まれるまで魔術の存在すら知らなかった一般人からすれば、

触っただけで死に至る箱など、それこそB級映画でしか有り得ない代物だろう。

 

 

「正確には僕の所有物と言うわけでもないから、悪用も出来ちゃうだろう。

 アレは神が人類に与えた契約書、みたいなものなのさ」

 

「確か、十戒が封入されているのですよね?」

 

「そーだよ。良く知ってるね。、あぁ。容易に奪えるものでもないけれど、

 奪われないわけでもない。まして奪われてしまったら、それこそ最悪だ」

 

 

触れたら命を奪う契約の箱。確かに奪うことは難解だが不可能ではない。

まして、宝具としてダビデが正式に所有しているわけでもないらしい。

つまり、一度奪ってしまえば、所有者や資格など気にせず使用は可能なのだ。

 

頭の痛い事実を知り、表情に暗雲を立ち込めさせるカルデア一行。

 

 

「ともかく……アタランテから、イアソンが『契約の箱(アーク)』を狙っていると聞かされた僕は、彼女と森に隠れて機を窺ってたんだ」

 

「その折に、森を彷徨っていたメロペーを発見した。バーサーカーと見紛う状態故、念の為という事で同行している」

 

 

ダビデとアタランテの話を聞いた藤丸少年たちは、顔を上げる。

 

 

「吾はアルゴノーツの乗組員としての縁で召喚されたが、ヘラクレスのように意識を奪われることは無かった。不幸中の幸い、と言えよう」

 

「それは、何故ですか?」

 

「……元々、生前からイアソンを嫌っていたおかげか。

 あるいは『単独行動』スキルを得る【弓兵(アーチャー)】として召喚された為か」

 

「どちらにせよ、運が良かったわね」

 

「ああ。その時から既にヤツは『契約の箱(アーク)』を求めていた。それがあればこの海域の王になれると公言して憚らなかった」

 

 

アルゴノーツの逸話を知る者からしたら、アタランテの行いは立派な反逆。

かつて共に戦った仲間を裏切るものであるが、それを咎める言葉は無かった。

それだけでイアソンという男の底が知れるというものであろう。

 

 

「つまり、『契約の箱(アーク)』は王たる証のようなものでしょうか?」

 

「まさか。これはあくまで、王だった僕が神へと捧げた聖遺物というだけ。

 王の証明にはならない。単純に、王たる者が所有している物ってぐらいさ」

 

 

マシュの懸念をそよ風の様な軽口で笑い飛ばすダビデ。

そんな彼に、黙って話を窺っていたエウリュアレが尋ねる。

 

 

「もし、私がその『契約の箱(アーク)』に捧げられたらどうなるの?」

 

「うーん。多分、この時代そのものが『死ぬ』だろうね」

 

「えぇっ!?」

 

 

エウリュアレの仮定を、ダビデは驚いた様子もなく肯定し、断定する。

時代が死ぬ。あまりのスケールの大きさに藤丸少年は声を荒げた。

 

青白いホログラムに映るドクター・ロマンは溜息と共に頷いてみせる。

 

 

『はぁ……やっぱりか』

 

「やっぱり? おい優男、やっぱりってのはどういう事だい?」

 

「――僕が話すよ」

 

 

何故かダビデの言葉を知っていたかのように疑いもしないロマンに食って掛かるドレイク。ところが、彼女の追撃を遮ってダビデが続けた。

 

 

「この『契約の箱(アーク)』はあらゆる存在に死をもたらすもの。

 どれほど低ランクであろうと、神に定義される質量を持った魂が生贄に捧げられたのなら。端的に言えば、暴走すると思うんだ」

 

「思うんだって…」

 

「だってやったことないし。けど、なんとなく分かるんだ。

 神が死ぬ。即ち、世界の死に繋がる。元々この箱があったのはそういう時代だったんだ。どこもおかしくはないだろう?」

 

「それは、そうですね」

 

「此処が真っ当な世界ならせいぜい周囲一帯の崩壊程度で済んだろうけど。

 本来なら存在しない歴史上の空白。あやふやな場所だろう?」

 

「はい。特異点は人類史のターニングポイントに発生した矛盾点ですので」

 

「じゃあ耐えられないな。人理の定礎が曖昧になっている今、勝手に崩壊が始まっているだろうけど、それを待つまでもなくこの時代は消滅する」

 

 

言い切ってみせたダビデ。カルデア一行の重々しい空気は晴れない。

相手は世界を滅ぼすつもりなのだと、そんな連中と戦わねばならないのだと。

現実感を伴って襲い来る重圧に、藤丸少年の精神が音を立てずに軋み出す。

 

そんな彼の横で、マシュは眉根を寄せたまま素朴な疑問を唱える。

 

 

「……イアソン船長は何故、そこまで世界を滅ぼしたがるのでしょう」

 

 

彼女の呟くような問いに、一行は目を見開く。

 

言われてみればそうだ。彼らの「世界を滅ぼす」動機とは何か。

いったい何があれば、世界を滅ぼすという結論に至ってしまえるのか。

 

純粋に気にかけているマシュに、敵をよく知る女狩人は淡々と答えた。

 

 

「さぁ。いや、もしかすると、ヤツ自身も知らないのかもな」

 

「え?」

 

「エウリュアレを『契約の箱(アーク)』へ捧げれば、自分は王になれる。

 などと、誰かに言い含められているのかもしれない。ふとそう思った」

 

 

アタランテの言葉を聞いても、藤丸少年は素直に納得できなかった。

誰かに唆されて、世界を滅ぼすことが王になれることだと勘違いする。

そんなの信じられるだろうか。首を傾げる彼の足元から渋い声が響く。

 

 

「有り得ない話ではないな」

 

「オリオンさ――オリオン。汝もそう思うか」

 

「ああ。マスターはどうも得心がいかぬようだが」

 

 

藤丸少年の足元で、組めそうで組めないふわふわのお手てを持て余すファンシーなクマのヌイグルミがアタランテの言葉を擁護していた。

 

 

「あれ? アルテミスと、その、メロペーさんは?」

 

「………向こうで我が身をめぐり取っ組み合いを始めたのでな」

 

「あぁ、はい」

 

「その気遣いが今は何より喜ばしい」

 

 

腕を組む姿勢を諦め、両手をぶら下げたままオリオンは語りだす。

 

 

「我が身も英霊となってから彼奴……イアソンの逸話を知ったのだが。

 あの男はギリシャ中の英雄豪傑を束ね、まとめ上げた英雄船団の長。

 しかしながらそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「どういうこと?」

 

「あぁ、なるほど。汝の言わんとするところ、読めたぞ」

 

「要するに――奴は()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ」

 

 

その言葉を聞いて、藤丸少年と海賊以外の面々は何かに気付いたようだ。

管制室からダヴィンチちゃんの声が届き、オリオンの言葉に指摘を入れる。

 

 

『んー、そうかな? 伝説だとイアソンの父アイソンは、異父兄弟である

 ぺリアスに王位を簒奪された。息子であるイアソンは自身が正当な王位の後継者であるとして返却を要求した、とあるけれど?』

 

「ああ。伝説ではそうなっているな」

 

『と言うと?』

 

「相対してみてよく分かった。相当に追い詰められなければ天性の才を発揮出来ないあの男が、父から王位を奪った者に『返せ』などと言えたものか」

 

『あー……』

 

 

ここで、藤丸少年もオリオンの言いたいことを何となく察した。

目の前でアタランテが無言のしかめっ面で首肯しているのがその証拠だ。

 

 

「恐らく、奴自身が王位返却を求めてはいまい。仮にも先王の息子だからな、従う者もゼロではあるまい。そうした者を代理人として立てたに違いない」

 

『なるほど。部下を矢面に立たせて、内心の愚痴を代弁してもらったわけか』

 

「……後は史実通りだ。ぺリアスは黄金の羊毛を条件に王位返却を約束した。

 イアソンは、王になれると唆されたからなろうとした。我が身の考えではな」

 

 

アタランテが音を立てぬまま「よくぞ言った」と言わんばかりに拍手し始める。

呆れ顔でその様子を見つめたカルデア一行は、気を引き締め決意を固めた。

 

 

「とにかく、彼らが『契約の箱(アーク)』を狙う理由と、それを絶対に止めなければならない理由の双方がハッキリしましたね、マスター」

 

「そうだね」

 

「後は、どうやって彼らアルゴノーツを倒すのか、ですが……」

 

 

議論は巡って、最終的に同じ場所へ着陸するものである。

マシュは縋るような気持ちでダビデへ尋ねた。

 

 

「ところでダビデ王。貴方のクラスはアーチャー、でしょうか?」

 

「王なんてつけなくていいよ。そうとも。僕はアーチャークラスの英霊さ。

 あ、こちらのアタランテも同じだよ。メロペーはまさかのキャスターだけど」

 

「なんだかアステリオスよりバーサーカーってやつに見えるんだけどねぇ」

 

「……見事に偏っていますね。アーチャーが四人、キャスターが一人、シールダーの私、そしてドレイクさん。戦力的にはやはり不利かと」

 

 

彼我の戦力差を正しく把握できるマシュだからこそ、表情が曇る。

麗しき女狩人アタランテと、男性を魅了する愛の神霊エウリュアレを除き、ヘラヘラと軽薄なダビデに型落ち神霊アルテミスとヌイグルミのオリオン。

更にはそんな月女神と狩人には特大の地雷たる意思疎通不可能なメロペー。

 

こんなん詰みですやん。とんだクソゲーだな人理修復。

 

思わず肩を落とすカルデア一行に、アタランテは思いがけない言葉をかけた。

 

 

「敵はヘラクレス、メディア、そしてヘクトールの三騎と考えればいい。

 イアソンは戦力に数える必要もない」

 

「それはどうして?」

 

「弱い。戦ったことなど生前は一度もない。奴にあるのは弁舌と虚勢(カリスマ)のみ。

 英雄共を編成した知の怪物ではあるが、当人の戦闘能力は凡夫以下だ」

 

「そ、そうなんだ」

 

 

かつての乗組員にここまでボロカスに言われる船長がいるのだろうか。

僅かな同情を覚える藤丸少年だったが、顔をしかめた女狩人に気付く。

 

 

「だが、役立たずが一人いようが何の問題にもならん」

 

「……まぁ、あっちにはヘラクレスがいるんだもんね」

 

 

アタランテとダビデの告げた名が、何より重くのしかかる。

 

 

「宝具『十二の試練(ゴッド・ハンド)』による、自動発動の重複蘇生。

 何より狂化していようと、衰える事のない卓越した戦闘技能……」

 

「比べて此方は、中から遠距離にかけて本領を発揮する英霊が多い。

 白兵戦をマシュ、君一人に担わせるのは余りに酷というものだ」

 

 

オリオンは敢えて名前を出さなかったが、誰もが痛感していた。

あのヘラクレスを抑えられる唯一の戦力であった、アステリオスの欠員。

喪って改めて知る彼の心強さ。藤丸少年もマシュも、噛み締めていた。

 

 

「幸いにも『契約の箱(アーク)』は此方にある。ならば籠城戦はどうか。

 アタランテ殿。付近にそうした、守りながら戦える拠点らしき場所は?」

 

「ありません。この島にあるのは、狭く低い異教の地下墓地(カタコンベ)ぐらいです」

 

「我ら狩人ならば、森林での遅滞戦闘なぞいくらでも出来るが…」

 

「もっとも、砦や城塞があったとしてもヘラクレスの攻撃に耐え得るか」

 

「………厄介だな、大英雄というやつは」

 

 

あーでもない、こーでもないと皆が顔を突き合わせ唸る。

意見を出そうが最後には「ヘラクレスには通じなくない?」で議論は終わる。

反則級の強さを振りかざすギリシャ最強の存在に、英霊ですら頭を抱えた。

 

そんな中で、ただ一人凡人である藤丸少年が、閃く。

 

 

「――思いついた」

 

 

彼は自分の脳裏に浮かんだ策を、臆することなく伝える。

 

 

「は、い……?」

 

 

その内容に全身が硬直するマシュ。だが、残る者たちの反応は違った。

 

 

「ははぁ。いいね、いいねぇ! いいじゃないか!

 さっすがアタシの見込んだ男だよ! そうでなくちゃねぇ!」

 

「うん。妥当な作戦じゃないか。サーヴァントだけじゃなく、君自身も命を賭けることになるけど。まぁ、人生はそういう博打の連続みたいなものだし」

 

「命を賭ければ勝ち目が出る、なんて思い上がってはいないでしょうね?

 これはギャンブルですらない。失敗すれば何もかも御破算になるのよ?」

 

 

海賊たちは少年の勇気を持て囃し、ドレイクは豪快な笑みを浮かべ彼の背を叩く。

ダビデは変わらぬ軽薄さで命の駆け引きを認め、エウリュアレは作戦を悲観する。

 

そして、藤丸少年の視線は足元へ向かう。

 

 

「……ヘラクレスは数多無数の英霊の中で、五本の指に入る超級の存在だ。

 いかに【狂戦士(バーサーカー)】とはいえど、知性理性が欠けているとは思えん」

 

「オリオンもそう思う?」

 

「ああ。実際、アステリオスと戦っていた時も狙いはエウリュアレだった。

 イアソンの捕獲と言う命令を完全に実行できていたとまでは言い切れないが」

 

 

誰よりも冷静な思考を保つオリオンの言葉に、作戦成功への懸念が示される。

それでも、彼が提唱した作戦以外にこれだ、と思わせるものがないのも事実。

 

 

「デカブツはどうしたってこっちに向かってくるんだ、構やしないさ。

 読めないのはイアソンの野郎さ。どんな臆病風を吹かすか分かったもんじゃない」

 

「……あの男は確かに臆病だが、それ以上にヘラクレスへの絶対的な信頼がある。

 イアソンは彼の作戦通りに動くはずだ。この吾が保証しよう」

 

「僕もこの作戦に乗るよ。なぁに、賭け金は全員平等なんだもの。

 誰か一人でも生き延びて最後の勝利を総取りしてくれたらそれでいい」

 

 

ドレイク、アタランテ、ダビデが藤丸少年の作戦を承諾する。

毛糸の眉をふにゅりと寄せて、オリオンは策に乗るかを熟考し始めた。

 

すると、背後の茂みから唐突にアルテミスが飛び出し、オリオンを掻っ攫う。

 

 

「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛‼‼ た゛あ゛あ゛あ゛り゛い゛い゛ん゛‼‼」

 

 

風圧で周囲の木々が揺らいだが、それより「ぐびゅっ」と水風船が潰されたような

音を漏らして消えたオリオンの安否が気がかりだ。恐らく無事ではあるまい。

 

 

「なんだい!? 敵襲かい!?」

 

「………そうだったらマシだったでしょうね」

 

「(フッ――)」

 

「アタランテさん! お気を確かに!」

 

 

突然の事態に慌ててピストルを抜くドレイクと、表情筋の死滅したエウリュアレ。

崩れ落ちる動作が洗練されつつあるアタランテに、救助へ移るタイムラグが短縮されてきたマシュ。一瞬で混沌とした場を生み出すことに定評でもあるんか女神(おまえ)

 

幾つかの木や枝を薙ぎ倒しながら突貫してきたアルテミスの無様な鳴き声が響く

場所まで一行が向かうと、そこにはヌイグルミを抱いて咽び泣く月女神の姿が。

 

 

「「「「「…………」」」」」

 

「……え? 僕が聞くしかない感じかな、コレ」

 

 

無言の首肯が五人分。加えてホログラムからも沈黙の圧が。

 

目を閉じ、いつもの「まぁ何とかなるさ」と楽観したダビデがアルテミスへ尋ねる。

 

 

「やぁ。その、何かあったのかな?」

 

 

爽やかな好青年ぶりを前面に押し出しての問いかけに、月女神は無反応。

ヌイグルミに鼻水や涙諸共に顔を押し付け、ぶわぶわと泣き続けるばかり。

 

数分後、何もかもを諦めたように平坦な表情になったオリオンが口を開いた。

 

 

「……我らがアルゴノーツへの対策を話し合っていた最中、二人は森の中でどちらがより我が身を愛しているかで口論になったのだそうだ。だそうだ」

 

「オリオンさん…」

 

「それをよりによって自分で言わなきゃいけないこの状況が一番の痛苦よね」

 

「エウリュアレ、惨いよ」

 

「語尾を連呼するほど壊れ(バグっ)ているんだもの。言ってやるのも情けだわ」

 

「かたじけない………」

 

 

明後日の方角を向いて静かに肩を震わすオリオン。未だに泣き続けるアルテミス。

あぁもう滅茶苦茶だよ。と心の内で思いながら口には出さなかった藤丸少年。

 

そこからもオリオンは淡々と事の顛末を語っていった。

 

 

「我が女神はメロペー姫に、それはもう饒舌に我が身との事を話したらしい。

 それでもメロペー姫から何やら罵詈雑言を叩きつけられて、この有り様に」

 

「強く生きなさいオリオン」

 

「そのように生き抜いたはずなのになぁ……」

 

『……僕もう見てらんないや』

 

 

管制室に居るドクター・ロマンを含めたスタッフ一同の沈痛な溜息が届く。

神話に描かれた神と人との悲恋。時を隔てた奇跡の邂逅。なんと聞こえの良い事か。

 

しかし実際はコレである。

 

あぁ、哀れオリオン。主人公ってのは苦労するもんなんだわ(格言)。

 

結局、アルテミスと怒り狂ってバーサーカーとほぼ変わらない状態に陥ったメロペーの二人が落ち着くまで、ヘラクレス対策の話し合いは幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか。

久しぶりにSS書くのは楽しい…タノシイ。
やっぱり止められませんわ。
どれだけ仕事が忙しくても、書きたい気持ちはなくなりませんね。

なるべく時間を見つけて書くつもりではいますが、
もしかしたら十月くらいまでまた更新が止まるやも…。

そうならないよう努力して参りますが、
何卒応援をよろしくお願いします!


それでは次回を、お楽しみに!

ご意見ご感想、並びに質問などお気軽にどうぞ!




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第三特異点オケアノス編・その5




どうも皆様、待望の水着イベントが開催致しました!
皆様の推しは水着実装されましたか? 僕はされました(魔神)

どうか皆様の許へ全ての水着鯖が召喚されますようにと
祈りを込めながら書かせていただきます。
それと、前回のダビデのセリフなどが一部リフレインしていた件につきましては、誤字報告の適用によるバグと判明しました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
修正は完了しました。多数のご報告、ありがとうございます。

それでは、どうぞ!





 

 

 

 

カルデア一行が『契約の箱(アーク)』を所持するダビデらと合流した頃。

 

彼らの上陸した島から離れた沖合に、四つの人影を乗せた船が浮かんでいた。

船の名は『アルゴー』号。その船の長を務めるのは、金髪の軽薄そうな男だ。

 

 

「イアソン様。あの島です」

 

「そうか。探知ご苦労、メディア。エウリュアレは無事だろうね?」

 

「ええ、生きておりますわ。探知魔術にて確認済みです」

 

 

水色の髪を波風に躍らせるメディア・リリィの報告を聞き、アルゴー船長イアソンは元から大きかった気を更に増長させる。

 

彼らが求めている『契約の箱(アーク)』と、神霊たるエウリュアレ。

この二つが揃う時、完全なる世界に王として君臨する事が約束される。

少なくともイアソンは、そう信じて疑わなかった。

 

 

「狙われてんのが分かっていながら、生かしたまんまねぇ…? 

 まともな判断とは思えんが。ま、あっちの選択だし構やしないが」

 

 

トロイアの守護者にして現在はイアソンの護衛を務めるヘクトール。

顎髭の先を撫でながら、カルデア一行の策略を読み解こうと思考を回していたが、それを放り投げる。今回の自分はあくまで槍働き。一軍を率い束ねる立場に非ず。その辺りをしっかり弁えているが故のサボりだった。

 

 

「こっちの判断はこっちの船長にお任せしますよ」

 

「よし、いいぞ! 天運はやはり我らに在り、だ!」

 

 

煌びやかな前髪を掻き上げ、自信と慢心に満ち満ちた表情で指令を飛ばす。

 

 

「ヘラクレス、メディア、ヘクトール! 上陸し、箱と女神を奪え!」

 

 

船長の命令を受諾し、鉛色の巨人ヘラクレスは赫奕と瞳を燃やして唸る。

イアソンの傍に控え、守護とサポートをするはずのメディア・リリィとヘクトールを戦線へ投入すると命令した時点で、イアソンはカルデアからの攻勢を考慮に入れていなかった。

 

それは当然の判断であって、誤りではない。

カルデアに残された戦力ではどう足掻いてもヘラクレスには勝てない。

依存というレベルにまで大英雄を妄信する彼は、敗北を欠片も想定していなかった。

 

故に、ここからイアソンの計画は破綻する。

 

 

「おっと!?」

 

「…矢か? 馬鹿な連中だ。この程度の矢がヘラクレスに効くとでも――」

 

 

島へ近付いたアルゴー号の甲板に、数えるのも馬鹿らしいほどの矢が降り注いで来た。

ヘクトールは宝具である【不毀の極槍(ドゥリンダナ)】を剣状へと変形させて矢を叩き切り、メディア・リリィは自身とイアソンに矢が当たらぬよう防御術式を展開する。彼女の魔術の才だけは頼りにしているイアソンは、自分に決して矢が当たらないことを確信しながら、カルデア側のせめてもの抵抗と捉えて鼻で笑おうとする。

 

だが、その浅はかな考えはメディア・リリィの気付きによって打ち砕かれた。

 

 

「……違います! これは、イアソン様を狙っています!」

 

「――え?」

 

 

余裕綽々、といった顔がみるみる血の気を失っていく。

メディア・リリィの言葉を裏付けるかの如く、島から通常の矢に混じって魔力のこもった凄まじい攻撃――宝具が撃ち込まれてきたのだから。

 

 

「やっべ、宝具の集中攻撃だ。船長! どうします!?」

 

「Aランク相当の攻撃も混じっています! それに、嵐の様な矢の群れ…!」

 

「身に覚えがあり過ぎる…! アタランテ……栄えあるアルゴーに矢を向けるとは、獣に堕ちたかあの獅子女ァ!」

 

 

海に浮かぶ船の上。おまけに発射地点である島へ近付いている現状。

時間をかければかけるほど、弾幕の精度も密度も増していくばかり。

その内、矢どころか石まで飛んでくる始末。ヘクトールは内心で毒づいた。

 

 

(宝具のランクも脅威だが、それよりこの数の方に気付けっての…!)

 

 

遠距離攻撃出来る手合いはせいぜいがエウリュアレとアルテミスの神霊二騎だったはず。カルデアのマスターが戦闘時に召喚するサーヴァントを含めたとしても、計算が合わない。

ヘクトールはこのタイミングで攻勢に打って出た理由を即座に察する。

 

 

 (この特異点に召喚された英霊を引き込んだか。それも【弓兵(アーチャー)】ばかり、運の良い事で!)

 

 

濃密な遠距離攻撃に晒されるストレスで苛立つイアソンを傍らで支えながら、メディア・リリィが懸命に防御魔術を構築し直していく。

 

 

「どうか冷静に、マスター。貴方は私が護ります」

 

「あ、ああ。ありがとうメディア。済まない、私としたことが。

 けど……未熟な頃のおまえだけじゃ、どうしようもないんだよ…!」

 

 (この場面で保身に走るかね普通。あ~あ、子供の御守りは嫌だねぇ)

 

「ヘクトール! お前も残れ! 召使い(サーヴァント)らしく私を守るんだ!」

 

 

精一杯の虚勢を張りながら、イアソンは新たな指示を飛ばす。

本来であれば、沖合で停泊したアルゴー号に乗ったまま勝利の凱旋を眺めるだけだったはずの彼の計画が、音を立てて崩れていく。

 

だが、それはあくまで「理想的な」計画。

一部に修正を加える必要が出ただけで、根本が断たれたわけじゃない。

 

何故なら、彼らには万夫不当の大英雄がいるのだから。

 

 

「ヘラクレス! どうせ有象無象(アーチャー)の寄せ集めだ、お前が行って挽き潰せ!」

 

「■■■■■■■――――!!!」

 

「……はぁ」

 

 

船長からの抹殺命令を受け、ギリシャ最大最強の大英雄が起動する。

膨張する鋼鉄の如き筋肉が脈動し、空気すら震わせる威圧感を放つ。

 

最も頼りにする仲間を見て自信を取り戻すイアソン。

そんな彼に嘆息するメディア・リリィ。最愛の存在であるはずの彼の選択を、彼女は咎めもせず褒めそやすこともしない。ただただ、呆れて目を瞑るのみ。

 

同僚の少女に同情しつつ、歴戦の猛将は戦況を読む。

 

 

「ここまでは敵さんの思惑通りだとしても、ヘラクレスをどうする気だ?

 牛頭(アステリオス)ならいざ知らず、あの盾の娘っ子じゃ役者不足とくれば……」

 

 

彼らにとっての勝利条件は、此方側の全滅及び聖杯の奪取。

彼らにとっての敗北条件は、人類最後のマスターの死亡または再起不能。

 

単純明快だ。それを踏まえて、ヘクトールは考える。

 

 

「ヘラクレスを倒す方法なんざAランク宝具持ちを十二人集めるか、あるいは………いやいや、まっさかぁ。そこまでするはずがねぇや。死んだら終いの船旅だ、命張るには分が悪すぎるってもんだろうに。なぁ、未来の魔術師さんよ?」

 

 

小馬鹿にしたような物言いで、理性はその可能性を否定する。

けれど、冷徹な将たる己は「まぁやるだろうよ」と半ば受け入れていた。

 

そうだ。彼らには後が無い。退路などありはしない。

だったら、やるだろうな。命を賭けての全額勝負(ありったけ)を。

 

 

「はぁ……ホント、やだやだ。こーゆー相手が一番嫌いだよオジサンは」

 

 

今回も負け戦になるだろうな、と。

神々の介入する戦争で母国を五年近く守り切った護国の将は、大きく息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は少し遡り、カルデアが島に接近してくるアルゴー号を捕捉した直後。

 

 

「さて、仮契約も結べた事だ。遠慮なく宝具の大盤振る舞いをさせて貰おうか!」

 

 

島の上部に生い茂る樹々の中で、新緑色の髪を靡かせる麗しの女狩人はそう言って弓に矢を番えた。瞬間、彼女を中心に魔力の力場が発生し、余剰魔力が大気に触れて淡く輝く。

 

閉じた目を見開き、アタランテは宝具の真名を開帳した。

 

 

太陽神(アポロン)月女神(アルテミス)、二大神に捧ぐ―――『訴状の矢文(ポイポス・カタストロフェ)』‼」

 

 

オリュンポス十二神の名と共に空へ放たれた矢は、夜空を埋め尽くす星の河が如き光を伴い降り注ぐ。たった二本の矢が、嵐の様な矢の軍勢と化して標的であるアルゴー号に集中する様子を見下ろし、近くにいたアルテミスが呟く。

 

 

「あらやだ。捧げられちゃった♪」

 

「…………」

 

 

毅然と振る舞った直後のコレである。アタランテは膝から崩れ落ちないよう、懸命に耐えている。マシュがいつでも支えられるようスタンバイしているのは幻覚ではない。

 

 

「どしたのダーリン? それ首傾げてるの? かーわいい♪」

 

「いや……召喚されてから与えられた知識では、アポロンは太陽神の神格を剥奪されたとあったはずでは、と思ってな。我が身の思い違いか?」

 

「あー、それ? なんか冥界で色々あってまた太陽神の座に返り咲いたらしいわよ?」

 

「なんかって何だ」

 

「さぁ? 私が閉じこもってた時の話だから、よく分かんない」

 

「………そうか」

 

 

どうやらオリオンは生前との記憶の食い違いに頭を捻っていたようだ。藤丸少年は神話の時代に生きた存在のその後を当人から聞けるという興奮のあまり、内容は頭に入っていなかったが。

 

 

「変なダーリン。さて、それじゃあ私も行っちゃうよ~!」

 

「宝具は必要ないぞ我が女神。神性を帯びた攻撃だ、奴に充分通る」

 

「えー? それじゃつまんなーい!」

 

「退屈大いに結構。我らの役割はヘラクレス単騎を引き摺りだす事だ」

 

「はぁ~い」

 

 

最愛の人(ヌイグルミ)に窘められ、アルテミスは渋々といった顔で凄まじい威力の矢を次々と射出する。なんならアタランテの宝具と遜色ない発射数だ。腐っても女神、その実力は本物である。

 

 

「あんな屑男にやるのは勿体ないけれど、遠慮なく贈ってあげようじゃない!」

 

「モテモテで羨ましい限りだなぁイアソン君。それじゃ僕からもお裾分けっと!」

 

「―――『女神の視線(アイ・オブ・ザ・エウリュアレ)』!」

 

「―――『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』!」

 

 

アタランテ、アルテミスに続いてエウリュアレとダビデもアーチャーの名に相応しい遠距離攻撃宝具を発動。狙いは違わずアルゴー号船長イアソンの元へ着弾する。それら全てがメディア・リリィの防御魔術によって防がれているものの、それ自体を悔やむ者はいない。何故ならこの宝具の集中砲火は本命ではなく、あくまで布石なのだから。

 

島の浜辺より少し離れたところで船が止まる。その直後、鉛色の巨躯が船から島へ飛び移るのが見えた。今更確認するまでもない。ギリシャ最強の英雄【ヘラクレス】だ。

 

 

「来たわよマスター。手筈通りにお願いね」

 

「……分かった!」

 

 

目標が想定通り単独で接近してくるのを見計らい、カルデア一行は計画に従い動き出す。

 

人類最後のマスター藤丸少年は、敵側の狙いであるエウリュアレを背負いながらヘラクレスから逃げる囮役を。マシュは迫るヘラクレスの妨害を。アタランテはそのアシストを。

 

残るアーチャー組はアルゴー号の接近を許さないよう、宝具での足止めを。

この時代の人間であるドレイク船長と海賊たちは、もしもの時に備えて『黄金の鹿(ゴールデン・ハインド)』号の出立準備を。それぞれがそれぞれにできる役目を全うしようとしていた。

 

……ただ一人、意思疎通のできない彼女を除いて。

 

 

「ぉぉ……ぁ、あぁ。お、オリオン、さま。ぁ、あ、我が、光…」

 

「………メロペー姫」

 

 

狙撃をアルテミスに任せてきたオリオンは、未だ森の茂みの中で掠れた呻き声を上げながら虚空を見つめて彷徨うメロペーを案じていた。否、案じるなと言うのが無理な話だ。

 

狂気に堕した王族の娘。ヘカテーに信奉した魔女の一人。白仮面の老婆。

彼女を表す言葉は幾つもあるが、不名誉な意味合いのものばかりである。

 

それに直接でないとはいえ、関わりを持つのが自分だとオリオンは分かっていた。

 

 

「………ここで逃げたら、()は二度と自身を英雄などと思えまい」

 

 

生前の話を蒸し返すつもりはないが、自分は一度、逃げ出している。

キオス島に暮らす人々から光を奪った原因と知り、絶望に心折れて恥ずかしげもなく逃げてしまった自分を、彼は許せずにいる。それどころか、贖罪すら果たさぬままアルテミスと恋に落ち、幸せを感じた日々を罰されねばと抱え込む程、オリオンは思いつめていた。

 

逃げることは簡単で、折れることも容易い。

だから、諦めてはいけない。立ち上がらなければならない。

 

終わったことだから、と綺麗に割り切ることなどできなくて。

不器用なほどクソ真面目な堅物な己だから、向き合うべきだと感じた。

 

 

「ぅ、ぁぁ……オリオンさま、どこ…。オリオン、さま」

 

「こ………っ! 此処にいるぞ、メロペー姫」

 

 

塩の結晶で顔の上半分を覆い尽くす、骨と皮だけの悍ましい老婆がクマのヌイグルミのいる方へ振り向く。ボロボロの指を震わせ、浅く短い息を吐き続け、魔女はふらふらと吸い寄せられていく。

 

そんな彼女の姿から眼を逸らすことなく、オリオンは話しかける。

 

 

「――力を貸してほしい、メロペー姫」

 

「…………?」

 

 

オリオンの言葉であれば、聞くことが出来るらしい。

突然の呼びかけにピタリと動きを止める白仮面の老婆。

意思の疎通が可能であると証明した彼は、続けて語り掛けた。

 

 

「烏滸がましいのは重々承知。我が身が貴女方に招いた災厄を思えば、手を握り返されることなど許されざる夢想だとも分かっている。だが、だが! それでも貴女は…君は! 此処に居る!」

 

 

老婆の震えが止まる。目が見えていないにも関わらず、オリオンのいる場所へ顔を向けている。

 

 

「俺の目の前に居る! メロペー、太陽の如く笑う美しい人! どうか人理の為に! 遥か未来にまで受け継がれた人々の明日の為に! 一緒に戦ってはくれないか!」

 

 

今、必要なのは懺悔ではない。悔恨を吐露する事でもない。

 

生きる為に、生き続ける為に今を必死に足掻く藤丸立香(にんげん)を助けたい。

 

先達として、既に終わった者として、後に続く者の旅路を見守りたいという真摯な願い。オリオンはそれをメロペーに伝える。

 

 

「恨み辛みは全て俺が引き受けよう! 殺そうが呪おうが思うようにするがいい! その代わりに彼らを……マスターを手助けしてほしい。どうか、どうか…っ!」

 

 

上手く動かせないヌイグルミの身体を懸命に縮め、アンバランスに大きい頭部を地面へ投げ出し、平伏する。懇願、嘆願。オリオンはメロペーに申し願うしか手はなかった。

 

クソ真面目な堅物故に。

彼はどこまでも、自分が「罰せられる」側だと疑わない。

 

だからこそ――奇跡というものは彼に味方するのだろう。

 

 

「ぅぁ、ぁぁぁ……あああああ!」

 

「っ? なんだ、何が起きて……メロペー姫!?」

 

 

オリオンの切なる願いに応えるように、白仮面の老婆が皺枯れた声を発しながら体に光を帯びていく。そのまま輝きは増していき、眩い閃光がオリオンの目を焼いた。

 

周囲の魔力が変動し、老婆を起点として大きな渦が巻き起こる。

茫然とそれを眺めているしかできないオリオン。

 

光が落ち着き、数秒。

地面に伏したヌイグルミの手を、白く細い女の手が掴み上げた。

 

 

「―――思うように、と。そう仰いましたね、オリオン様?」

 

「………君、は」

 

 

魔力の残滓である青白い光が霧散する。

その中心に居たはずの老婆は姿を消し、代わりに妙齢の女性が立っていた。

 

瑞々しさと希望を忘れぬ雰囲気を纏う女性は、仮面で隠れていない口元に微笑を湛える。

 

 

「では、私は私の思うがままに。貴方様が『力を貸せ』と仰るならば、私の持ちうる全てを擲ちましょう。この夢のような出逢いに、報いる為に」

 

「マスターの……いや、カルデア風に言えば、『霊基再臨』というやつか」

 

「詳しい原理は知りません。貴方様以外の事柄に、興味等ございませんもの」

 

「ははっ………変わらんな、君は。変わっていないんだな」

 

「ええ。この想いは永劫に。この至福は永久に。貴方様の知る、私のままですわ」

 

 

そう言い放ち、魔女――鍛冶師の男と旅した頃の女は、嬉し涙を溢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………来たわよ。逃げ場もないわ。ふふ、怖い?」

 

「―――怖い」

 

 

島の中腹から内部へ掘られた洞穴の最奥部。

藤丸少年と、彼に抱き上げられたエウリュアレは其処にいた。

 

人類最後のマスターが提唱した作戦、その最終段階である。

 

アーチャーによる集中砲火でメディア・リリィ及びヘクトールをアルゴー号に足止め。すると、カルデアを襲撃するのは高確率でヘラクレスのみとなる。

 

イアソンがヘラクレスへ寄せる絶対的信頼を逆手に取った策。

後は大英雄の手を逃れながら、エウリュアレを担ぎ逃げ場のない袋小路へと向かう。

 

それこそが洞穴の最奥部。そこに、『契約の箱(アーク)』が設置されていた。

 

 

「そう。奇遇ね、私もよ」

 

 

藤丸少年の本心に触れた愛の偶像は、怯える自分を誤魔化すように不敵な笑みを張り付ける。仮にも英霊である己は、あくまで大本からの劣化コピーに過ぎない。此処にはいるが、同じ思考と能力を持つ複製品と言える。つまり、替えが利くわけだ。

 

しかしマスターはそうはいかない。

人類最後の肩書の通り、彼は現代を生きる人間。

死んだら終わりで、代わりなど有りはしないのだ。

 

そんな彼が、ヘラクレスの追走を躱しながら此処まで懸命に走ってきた。英雄級の大活躍と言っても過言ではない。当人はそれを自覚してなどいないだろうが。

 

人間の、人間らしい部分を横から見続けたエウリュアレだからこそ、この場面で弱音を吐く彼を「守りたい」と思えたのだろう。

 

 

「止まったら追いつかれる。けど、貴方ももう限界。

 しょうがないわ、『契約の箱(アレ)』を飛び越えなさい!」

 

「触ったら死ぬのに!?」

 

 

彼の非難は至極最もだ。触れたら死ぬ箱を飛び越えるのは勇気がいる。

だが、後ろから迫る破壊の権化を前に立ち止まる方がその数倍の勇気を要するに違いない。

 

 

「私を信じて跳びなさい――1、2の……3!」

 

 

女神の掛け声に合わせ、藤丸少年は大英雄の剣斧の切っ先から逃げ出すように地を蹴った。

 

そして、彼らはやり遂げた。

 

 

「やればできるじゃないマスター!」

 

「――――!!!」

 

 

此処に、イアソンが求める二つの要素が一か所に集まった。

ヘラクレスに与えられた命令は、双方の奪取。王手、と言えよう。

 

だが彼は狂気に埋没した僅かな理性で気付く。

今しがた少年と女神が飛び越えたのが、何なのか。

 

 

「どうやら理解できたようね、筋肉ダルマ!」

 

 

この洞穴は狭く、ヘラクレスの巨躯はこれ以上先に進むのに難儀する。

屈んでゆけば進めるだろう。その場合、確実に目下の『箱』に触れる事となるが。

 

命令を遂行すべく、少年を殺し、女神を奪おうと手を伸ばす。

けれど肉体が足を縫い止める。先に進むなと警告するように。

 

 

「そこまでだ、ヘラクレス!」

 

「貴方の目の前にある物こそ、イアソンが求めた宝具です。

 触れれば死をもたらす『契約の箱(アーク)』、貴方も例外ではないのでしょう?」

 

 

此処へ至るまでの道中、幾度も盾と矢で妨害してきたアタランテとマシュが洞穴の入り口に並び立つ。退路を断った形になるが、無双の大英雄には薄い壁が立ったようなもの。何秒持つか、程度のものでしかない。

 

それでも、アルゴー号の足止めをしている残りの戦力がこの場へ集結する時間を稼ぐことは、不可能じゃない。

 

 

「貴様はここで死ね! ヘラクレス!」

 

「マスター、もう少しの辛抱です!」

 

 

マシュが大盾を構え、アタランテは番えた矢を引き絞る。

それを目視したヘラクレスは、身の丈ほどもある剣斧を振りかざす。

 

そして、この最大の好機を、狩人は見逃さない。

 

 

「―――今だッ!!」

 

「お任せを!」

 

 

マシュとアタランテの背後、洞穴の入り口を隠すように自生する森林から声が響く。

 

その声を聴いた瞬間、藤丸少年は目を見開く。

何故なら声の主は、何の役にも立たないと分かり切った存在だったから。

 

しかし、それを覆す要素が此処に現れた。

 

 

「何者っ………いや、汝はまさか!?」

 

「説明は後だ! アタランテ、()を弓に番えて放て!」

 

「なっ! お、オリオンっ!?」

 

「早く‼」

 

「は、はいっ!」

 

 

どこか見覚えのある仮面をつけた女性の出現に警戒心を露わにする女狩人を、足元から響くダンディな低音ヴォイスが制する。

 

声の主――ヌイグルミのオリオンはアタランテに自らを矢の代わりにしてヘラクレスへ射出するよう命じ、彼女も驚きながら応えた。

 

突然の奇行に困惑するマシュを置いて、オリオンは白仮面の魔女へ命じる。

 

 

「装填完了! いつでもいいぞ!」

 

「………宝具、真名解放します!」

 

 

魔力が収束する。白仮面の魔女が宝具を発動する。

そしてそれを眺めて待つほど、ヘラクレスは馬鹿では(イカれて)ない。

 

アタランテの弓に番えられたヌイグルミ(オリオン)を脅威対象外を認定し、即座に宝具発動準備中の魔女へ標的を絞る。咆哮で空気を震わせ、強烈な威圧感をばら撒きながら鉛色の巨人は対象を粉砕すべく、一歩を踏み出す。

 

が――その一歩が、彼らの前では遅過ぎた。

 

 

「我が闇を照らすは蒼空に浮かぶ三ツ星。深なる黒に染まりし両の眼は、綺羅星の輝きによって開かれる。この想いよ、どうか―――『暗界に瞬く三ツ星(ギネ・ディッコウズ・モウ)』!」

 

 

白仮面の魔女……メロペーの宝具が発動する。

 

魔力の波が洞穴全体に行き渡り、その勢いに誰もが身構えた。

それは大英雄とて例外ではない。蹴散らす為に前進こそすれ、何が起きても対応できるよう無意識下で染みついた防御態勢を取っていた。

 

だから、彼は気付かない。

 

 

「――――!?!?」

 

 

しっかりと開かれているはずの赫奕の瞳に、何も映らなくなったことに。

 

完全なる暗闇。視覚情報に頼る人間が、突如として情報の大部分の供給を失えば、動揺して動きを止めるのは当然である。

 

それが大英雄でなければ。

 

 

「■■■■■■――――!!!」

 

 

ヘラクレスは止まらない。

目が見えなくなった程度でやられるほど、理性は残っていない。

ただ咆哮を轟かせながら、跳躍で以って距離を詰め、剣斧を白仮面の女へ振り下ろすだけ。それで事足りる。狂気に飲まれた頭で、ヘラクレスはそう判断する。

 

 

「オリオン様!」

 

「アタランテ、射て!」

 

 

その判断を、読まれてさえいなければ彼は負けなかっただろう。

 

メロペーが先程発動した宝具『暗界に瞬く三ツ星(ギネ・ディッコウズ・モウ)』は、敵対象の視界を無明の暗黒に染めるもの。単純に視界を奪う。それが彼女の宝具の全て――ではない。

 

彼女の宝具には極めて局所的な、それでいて凄まじい支援効果が付随する。

 

 

「これはっ…? オリオンさんの魔力が急激に上昇…いえ、膨張していきます!」

 

『なんだぁ!? いきなり凄い事になってるぞ! この反応、神霊クラス!?』

 

 

それこそが、彼女にとって唯一の英雄たるオリオンを強化する限定的強化効果だ。

 

 

「……ご武運を!」

 

 

アタランテが意を決して、オリオンをヘラクレスへと射出する。

 

ゴウッッ!!!

 

空気の波を割くほどの速度で鉛の巨人へ飛翔するヌイグルミ。

それも、ただのヌイグルミではない。

 

本来ならば天下無双の三ツ星と呼ばれた、ギリシャ最強の狩人たる男。

その身に宿す神秘も、宝具も。桁外れのものばかりであった。

 

 

「これほどのブーストがあればイケる――『冥府にて咲け、石榴の花(セ・アガポル・スィージゴス)』!」

 

 

アルテミス現界の為に霊基のほとんどを持っていかれたオリオンは、自身が保有する()()()()()を十全に発揮できずにいた。それは単純に、現在のヌイグルミ状態では宝具発動をする為の器が貧弱過ぎるからだ。

 

けれどメロペーの支援効果により、その欠点は一時的に克服された。

ならば、この男が全力を尽くさぬはずがない。

 

 

「まだだ! 『不遜砕く敬虔の鎚(クスペラスティータ・エンポディア)』!!」

 

 

強力なバフ……強化支援を受け、魔力量が神霊級にまで膨れ上がった彼は即座に二つの宝具を発動する。

 

第一宝具『冥府にて咲け、石榴の花(セ・アガポル・スィージゴス)』――ヘラを侮辱した罪で冥府へ幽閉されようとした妻シーデーを救うべく、その剛力を発揮しタルタロスの鎖を欠けさせた逸話が昇華された増強型宝具。

幸運と魔力以外のステータスを二段階向上させる超パワーアップ宝具だ。

 

第三宝具『不遜砕く敬虔の鎚(クスペラスティータ・エンポディア)』――第二宝具の『不敬雪ぐ信念の弓(ディ・クストリアージ・メターニア)』とセットで鍛冶神ヘファイストスから贈られた神鉄と青銅で出来た極太の棍棒。

 

正常な状態で召喚された場合でしか使用できないはずの宝具を無理やり発動し、彼は身の丈の数十倍はある巨大な鎚を召喚。同時に発動した筋力二段階上昇効果を遺憾なく発揮し、視覚を封じられたヘラクレスの鼻先へ向けて召喚した神器を振り抜いた。

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」

 

 

勇猛なる狩人の絶叫と共に振るわれた一撃を、大英雄は生来の直感で以って受け止めた。

 

 

「■■■■■■――――!!!」

 

 

ぶつかり合う鉛の巨人と鎚を振るうヌイグルミ。

どちらも大地に罅を刻み、大気を震わす剛力無双の大英雄。

 

戦士と、狩人。どちらも己より強大な存在に立ち向かう者。

彼らの勝敗を分けたのは、本当にただ、その時の運だけだった。

 

 

グラッ、と。大英雄ヘラクレスの足が僅かに揺れる。

そのほんの一瞬の隙を、オリオンは好機と捉え掴み取る。

 

 

「逃さんッッッ!!!!」

 

 

オリオンの第一宝具は、幸運と魔力以外のあらゆるステータスを向上させる。

筋力然り、耐久然り。そして、敏捷もまた然り。

 

鎚を手放したオリオンは、己の一撃を受け止めていた剣斧を握る鉛の巨腕を橋のように駆け抜け、一息にヘラクレスの目と鼻の先まで跳躍した。

 

万感の思いを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()の言葉を胸に刻み、オリオンはその仮初めの拳を振るう。

 

 

『あなたは、ぼくの、えいゆうだ!』

 

 

瞬間。オリオンの黒いつぶらな瞳に、雷光が迸った。

 

 

「ああ、そうとも―――!!」

 

 

オリオンの拳がヘラクレスの頬を捉える。

 

たったコンマ数秒ほどの交錯の狭間だが、その場にいた全員が目にした。

ヘラクレスに勝るとも劣らぬ巨躯の男が、剛腕を振るう雄姿を幻視した。

 

 

「俺は英雄!! 英雄オリオンだ!!!!」

 

 

鉛の巨躯が、大木の様な足が宙に浮き、後方へ吹き飛ぶ。

 

洞穴を崩落させかねない衝撃で、ヘラクレスは背中から地に叩き伏せられた。当然、洞穴の入り口に向けて突貫してきた彼我の位置関係上、ヘラクレスは『契約の箱(アーク)』を下敷きに倒れている訳で。

 

 

「■■■■――――……」

 

 

残り十回の約束された復活を即座に枯渇させられ、不死身の大英雄ヘラクレスは此処に消滅した。

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?

ここでオリジナル展開付け加えられたのが嬉しいんじゃ。こういうロマンは何度でも書きたい(書けるとは言ってない)


あ、あとマジで余談なんですが。
この人理修復編すら完結してないのに、水着イベントの話を考えてしまいまして、ええ。
書こうか迷ってます。マジで。
その為に水着メロペーやらオリジナルアルターエゴの設定考えたりしたんです。

時間取れたら書いてもいいでしょうか…?


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!




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第三特異点オケアノス編・その6

どうも皆様、水着ガチャで大勝利を収めた萃夢想天です。
半数が宝具マ出来るとは思ってませんでした。え? 射出された諭吉の数? 10から先は覚えてないよ(顔面蒼白)

皆様のカルデアにも、たくさんの水着鯖が訪れますことを祈っております。

さて。今回で第3特異点編は完結となります。
次回はおまけの更新か、オリジナルの水着イベントか。
はたまた2部5章アトランティスか。悩みどころさんですね。


それでは、どうぞ!





 

 

 

 

嵐の様な矢の群れに襲われ、沖合で立ち往生を余儀なくされたアルゴー号。

その甲板から大英雄ヘラクレスが島へ吶喊してから、30分ほど経過した頃。

 

 

「……矢はもう降ってこないか? メディア、使い魔で様子を見てみろ」

 

 

両手で頭を守るように抱えながら舵取り台の裏に隠れていたイアソン。彼は、豪雨と見紛うほどの集中砲火を受け、それらの処理をメディア・リリィとヘクトールに任せていた。その攻撃が突然、ピタリと止んだのだ。何か状況に変化が起こったのかもしれないと考え、周囲を警戒するよう傍らに侍る少女に命ずる。

 

そんな船長の言葉を受けたメディア・リリィだったが、使い魔を呼ぶことは無かった。

 

 

「その必要はなさそうです。残念ですが、ヘラクレスが倒されました」

 

「………なに? おいメディア、なんだその冗談は? ちっとも笑えないぞ」

 

 

鈴を転がすような可愛らしい声色と共に紡がれた言葉は、イアソンにとって受け入れがたいものだった。

 

ヘラクレスが倒される? 何を莫迦なことを。

 

鼻で笑う程度の失笑にすら値しない彼女の言葉を「冗談」と一蹴したイアソンだったが、島の陰から白波を立てて姿を現した一隻の船を見るや否や、全身から汗を拭きだす。

 

 

「おー、いたいた! おい! 聞こえるかいモヤシ野郎!」

 

 

間違いない。あの船は『黄金の鹿(ゴールデン・ハインド)』号だ。

英雄を束ねる船団の長である彼は、その特徴的な帆船を見間違えたりはしない。そうとも。あのボロ船を追ってここまで来たのだ。奴らを壊滅させるためにヘラクレスを向かわせたのだ。ならば、どうして奴らが此処に来る?

 

 

「そん、な。馬鹿な! ヘラクレスはどうした!?」

 

「おいおい。どうした、ってアタシらに聞くのかい? オツムが回ってないようだねぇ、お坊ちゃん。アタシらが生きてるんだから、アイツは死んでる。そら、分かりやすいだろう?」

 

 

からからと大口を開けて笑う女海賊の戯言を、イアソンは青白くなった顔で否定する。

 

 

「死ぬはずがないだろう!? アイツはヘラクレスだぞ! 不死身の怪物(えいゆう)なんだ! 英雄(オレ)達の誰もが憧れ、挑み、一撃で返り討ちにされ続けた頂点なんだぞ!?」

 

「イアソン様…」

 

「それがこんな…! お前らみたいな寄せ集めの雑魚共に倒されてたまるものか‼」

 

 

必死に捲し立てる彼の姿を睨むドレイク。彼の言葉はこちらへの侮蔑に満ちているが、同時にヘラクレスという英雄への強い憧れと友情を感じさせた。なるほど、確かにイアソンはヘラクレスを信頼し、頼りにしていたのだろう。一般的なソレとは形が大きく異なるとしても。

 

 

「ふーん……アンタにも一角の友情はあったんだね。ひどく歪んじまってるけどさ」

 

「やかましい! クソ、クソぉ…! 船を出せぇ!」

 

 

未だにドレイクの言葉を完全に信じたわけではない。だが、嘘を吐いていないという事も薄々気付いていた。仮にヘラクレスを何らかの方法で封じたのだとしても、あのヘラクレスだ。並大抵の罠なんぞ叩いて潰せるし、並大抵で無かったとしても1分あれば粉砕して殲滅作業に復帰するはず。

 

その兆候もなく、先程のメディア・リリィの「ヘラクレスが倒された」との言葉も相まって、認めたくない現実が、有り得ない事実がイアソンの恐怖を煽った。

 

 

「おや? 逃げるんですかい?」

 

「撤退だ! こっちにはまだ聖杯がある! これで新たなサーヴァントを召喚すればいい!」

 

「……見たとこまだこっちが有利だとは思いますがね。ま、キャプテンの命令なら従いますよ」

 

 

戦争の何たるかを知る猛将の目は、まだ戦況での有利を維持していると見抜いている。しかし、絶対的な心の支えであるヘラクレスを失ったとなれば、打たれ弱いイアソンは臆病風を吹かすのも察していた。

 

ヘクトールは嘆息しつつ、周囲に気付かれないよう一瞬だけ島上部の森林地帯へ視線を向ける。

 

 

(とはいえ、それはこの海上のみの話だけどな。向こうの船には盾のお嬢ちゃんとエウリュアレと獅子耳の女狩人と……ありゃ牛飼いか何かか? 杖持ってるってことはキャスターかね、あの男)

 

 

どっちにしろ、()()()()()()。ヘクトールは先の矢の軍勢を思い返し、思考を巡らせる。

 

 

(なら、まだ居るな。ヘラクレスが向かってしばらくしてからあの辺りで膨れ上がった()()()()()()()()の事もある。迂闊に遮蔽物の無い海を進めばたちまちズドン! なぁんて事にならなきゃいいけどな)

 

 

イアソンの宝具として現界しているアルゴー号は、船長の意思を汲み取り錨を巻き上げ帆を張る。そのまま島とは反対方向へ船首を向け、逃走を図った。

 

島へ向かって流れる波をぶち破りながら進む船。だが、後方から射出されてくる矢や石の遠距離攻撃の勢いと射程が落ちる気配がない。それどころか、向こうの船の頭が徐々に近づいてきているようにすら感じられた。

 

 

「なにをやってる、さっさと突き放せ!」

 

「アーチャークラスが大勢いるせいか、攻撃も一段と激しいっすなぁ。おーヤバ。あの杖の小僧、石投げてきやがった」

 

「船の砲弾程度なら問題ありません。この時代の人間によって造られた神秘無き物ですので。ですが、アタランテ達の矢は我々が防ぐしか…!」

 

「クソぉ! なぜ追いつかれる!? 伝説のアルゴーだぞ! この私の冒険を支え続けた英雄を運ぶ船だぞ! 奴らの遣う神秘の欠片もない帆船とは訳が違うのに…!」

 

 

焦りから、あるいは苛立ちか。メディア・リリィとヘクトールにどうしようもない不満をぶつけるが、それで現状が良くなる見込みもない。サーヴァントとして聖杯に召喚された自分たちのアドバンテージを覆される事への焦燥が、彼の目を更に曇らせていく。

 

 

「操舵手の差、ってやつですかね。アレが海と共に生きた人間の技。目的があって船旅をしてただけの人間とは、根幹からして違うって事なんでしょうなぁ」

 

「何を知った風な口きいてやがる!? クソ、仕方がない……聖杯よ!」

 

 

ヘクトールの感心したような呟きに怒鳴り散らしたイアソンは、懐に隠していた魔力源――聖杯を掴み、掲げた。真実、願望器としての権能があるわけでないこの聖杯は、単純に魔術を行使するうえでの魔力タンクとしては超級の代物である。時代を無視してあらゆる英雄偉人を英霊として召喚する大魔術も、聖杯があればその工程すら置き去りにできるのだから。

 

まさしく神に縋るかのように、イアソンは聖杯に願いを託そうとする。

 

その一瞬、遥か島の方角から、音すら追いつかない速度で何かが飛来した。

 

 

「チィッ!」

 

「ひ、ひぃッ!?」

 

 

いち早く勘付いたヘクトールが『不毀の極槍(ドゥリンダナ)』の刃で、イアソンのこめかみを狙って飛んできた物体を切り払おうとする。けれど、それは叶わなかった。空気を裂いて射られたソレが何なのかを知覚した時には、極槍を構えていたヘクトールの左腕の一部が吹き飛んだ後だったからだ。

 

飛び散る肉片と血飛沫に腰を抜かすイアソン。彼を背に庇いながら、肩で荒く息をするヘクトールは目を驚愕で見開いた。

 

 

「ぅぐ…! こりゃ、なんの冗談だってんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…! あぁ、痛ぇな畜生! 間に合ったのはほぼ奇跡だぜこんなの!」

 

 

信じられないものをヘクトールは見た。彼の宝具である『不毀の極槍(ドゥリンダナ)』は、決して毀れず刃毀れもしない。だからこそ、刃は盾としても都合が良い。何にぶつかっても壊れない、刃が欠けることもない。どんな素人が振るっても最強の武器と呼べるだろう宝具が、彼の持つ極槍である。

 

だからこそ、彼は信じられなかった。

 

 

(神秘も何も無ぇただの石ころが、『不毀の極槍(ドゥリンダナ)』を弾くどころかそのまま左腕を抉っただと!? そんな馬鹿げた事が出来る奴なんざ、向こうには一人しかいない!)

 

 

神の存在が証明された世界において、無双の英雄は少なからず居た。自身の生涯の仇敵もまたその一人だったのだから。

 

しかし。

 

数十キロメートルも離れた場所から、波に揺れる船上にいる人間のこめかみをピンポイントで狙撃できる英雄が、そう何人も居てたまるかという話だ。

 

 

(アルテミス……じゃねぇよな。あの女神様がわざわざ石ころ放る事はしない。自前の弓矢があるんだ、それで撃ち抜けば終いよ。そうじゃないって事は、だ。()()()()()だよな? 三ツ星の狩人さんよ!)

 

 

ヘクトールは英霊として【座】に登録された時から頭に詰め込まれたあらゆる英霊の知識を引っ張り起こす。

 

 

(そういや、確か…アルテミスんとこの侍女が化けた鳩を、石礫で撃ち落としたとかってぇ逸話があるんだっけか? こんなオジサン射止めても嬉しかねぇだろうに)

 

 

激痛奔る左腕を押さえながら、もう小指の爪ぐらいにしか見えない大きさにまで離れた島を睨みつける。きっとあの小さなヌイグルミの瞳には、脂汗を掻きながら腕を押さえる己の姿が映っている事だろう。クソ喰らえだ。

 

 

「そぉら追いついた! 野郎共ォ! コイツが航海の最後、海賊の最期だ! 目標、アルゴー号! 連中の持ってる財宝は、アタシ達を待つ自由の海さ! 全部まとめて取り返すよ!」

 

「アイアイ、姉御!」

 

 

対策のしようがない最強の狙撃手の存在に頭を悩ませる暇もなく、ドレイクの駆る『黄金の鹿(ゴールデン・ハインド)』号がアルゴー号を捉えた。衝角に船の脇腹を食い破られ、白兵戦が取れる距離まで追い詰められる。

 

 

「クソ、ヘクトール! へクトール!」

 

「へいへい、分かってますよ。そんじゃまぁコルキスの姫君、後はよろしく頼むわ」

 

 

敵が今にも乗り込んでくる。恐怖に耐えられないイアソンは錯乱したようにヘクトールの名を呼んだ。悲痛な叫びに眉一つ動かさぬまま、冷静さを欠かない槍兵が軽薄な笑みを浮かべた。

 

船長に残された最後の守りの壁であるメディア・リリィに後を託し、彼は頭を掻きながらカルデア一行の前に立ち塞がった。

 

 

「よぉ。未来の少年少女。名前は……藤丸立香、だっけ?」

 

「………」

 

「まぁまぁ、そう睨みなさんなって。オジサン怖くて手が震えちまうよ」

 

 

飄々と、掴みどころのない雰囲気を醸し、ヘクトールは弁舌を回す。その間も彼の脳裏では膨大な計算と試行錯誤が繰り返され、状況打開の一手を練り上げていた。それを悟らせないために、相手との会話を選択する。良くも悪くも時間稼ぎをさせたら右に並ぶ者はいない、生存に特化した英霊の面目躍如といったところか。

 

そして彼が次に取る策は。

 

 

「あら、疑ってらっしゃる? ほら見てよこの傷。おたくんとこのアーチャーに今しがたぶち抜かれたところでよ? これが痛ぇのなんの。アンタ、マスターなんだろ? だったら言っといてくれんかね、次はもうちょい手加減しろってさ」

 

 

人当たりの良さそうな笑顔を浮かべながら、肉の削げた左腕の生々しい傷を突き出してみせる。いきなりの行動に人類最後のマスターは面食らい、荒事に荒れてきたとはいえ血生臭さと無縁であったが故の衝撃で頭が一瞬空白で埋まる。

 

盾の少女も目をしかめている。ドレイクはイアソンを見据えている。石を投げる牛飼い風の男は目の付け所が分からん、嫌なタイプだ。アタランテはメディア・リリィを封じるべく絶え間なく矢を放ち続けている。

 

―――となれば。今こそ好機!

 

 

「まぁ――次とやらがあればの話だがなぁッ‼」

 

 

左腕を前方へ掲げて見せた動きにより、自然に右半身を捻り投擲の為の力を蓄えていた。ヘクトールは今、それを解き放つ。

 

標的確認。方位角――この近距離だ、固定の必要も無ぇ! 

 

自陣が吹き飛ぼうが関係無い。大将は側近が護ってくれる。だったら俺はもはや、守りに徹する意味は無し! 耐えて耐え忍ぶ守り上手な己だが、闘えないわけではない!

 

 

「しまっ――マスター!」

 

「もう遅い! 『不毀の極槍(ドゥリンダナ)』!! 吹き飛びなァッ‼」

 

 

獰猛な笑みを浮かべ、転倒するような勢いと共に右腕を振るい、槍を手放す。魔力をロケットブースターのように篭手の肘部分から放出する事により、腕力だけでは到底出せない爆発的な加速も上乗せした。彼我の距離は大人の足で10歩分ほど。放たれた宝具を防ぐ壁は盾の少女のみ。それすらも間に合わないだろう。

 

自分がどうなろうが、敵の大将を落としたら戦争は終わる。

 

ヘクトールは勝利を確信する。数秒後には投擲した己の宝具を『壊れぬ幻想(ブロークン・ファンタズム)』によって爆破するとしても、結果的に自分一人と向こうの大将含めた数人を巻き添えにできたら大金星。どうあれ勝利に変わりあるまい。

 

そう信じ、疑わなかった。

 

 

―――ゴウッッ‼

 

 

だから、彼は()()()

 

 

「………は?」

 

 

彼方より飛来した、ヘラクレスの岩剣を彷彿とさせる青銅の棍棒が、藤丸少年らへ投擲された槍を即座に撃ち抜いた。

 

結果、魔力をまとい放たれた槍は軌道を逸らされ海に突き刺さり、爆音とともに巨大な水の柱を打ち立てる。込められた魔力を暴走させて宝具を自壊させる英霊の切り札『壊れぬ幻想(ブロークン・ファンタズム)』が発動したとヘクトールが気付いた時には、彼の心臓に桃色の愛らしい矢が深々と突き刺さっていた。

 

 

「――『女神の視線(アイ・オブ・ザ・エウリュアレ)』」

 

 

藤丸少年とマシュに守られるようにして立つ小さな愛の偶像は、既に矢を放ち終えても弓を下ろさず、油断なくヘクトールを見つめている。

 

 

「そうするでしょうね、あなたは」

 

「エウリュアレ!?」

 

「……参ったねぇ。戦のいろはも知らない女神に()抜かれるなんざ、オジサンも焼きが回ったもんだぜ」

 

 

矢で射抜かれた者を骨抜きにしてしまうエウリュアレの宝具だが、殺傷能力がゼロというわけではない。心臓、つまり霊核を傷つけられた時点でヘクトールは致命傷を負っていた。

 

これ以上は本当に戦えないと悟ったヘクトールは、最期に愚痴をこぼす。それを聞き拾うエウリュアレは、普段よりさらに釣り上げた目尻をヒクつかせながら答える。

 

 

「別に見抜いたわけじゃないわ。あなたはアステリオスを殺した。()()にとってはそれだけで充分に注意を払う理由になっていただけよ」

 

「………ははは。こりゃ参った」

 

 

膝から脱力しながら崩れ落ち、ヘクトールは島のある方角を見つめ、項垂れた。

 

 

「女神に恋する怪物なんて物好きが、まさか()()()()()()とはなぁ……けっ。やっぱ慣れない悪役はするもんじゃねぇや」

 

 

傷だらけのヘクトールの身体が、金色の粒子と共に解けて消えていく。

 

幻想的で悲し気な光景を前に、最後まで弓を構えたまま槍兵を睨むエウリュアレ。そんな真剣な表情の彼女を見て、ヘクトールは残念そうな顔で空を見上げた。

 

 

「あらま。随分と嫌われちまったようだ。世界の終わりってんだ、せっかくだからハジけてやろうと思ったんだがねぇ。(トップ)がダメじゃどうしようもなかったわ」

 

「上司のせいにするなんてらしくないわね。輝く兜が台無しよ?」

 

「おいおい勘弁しておくれよ。ここまできて追い打ちとか、キッツイなぁ」

 

「なら、その優秀な頭に刻みなさい――あなたの兜の輝きより、私の雷光の輝きが勝ったのだと」

 

 

苛立ちと、それを上回る悲しみと、ほんの少しの誇らしさを含めた女神の言葉を聞き、護国の知将は納得したように笑って消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘラクレスを『契約の箱(アーク)』によって消滅させた直後に、時間は巻き戻る。

 

人類最後のマスター藤丸立香の計画の第二段階までは見事に完遂された。アーチャー達によるアルゴー号への集中砲火、そこからヘラクレスを単騎で引き摺りだす。これが第一段階。

 

エウリュアレを狙い追走してくるヘラクレスから彼女を守りつつ、『契約の箱(アーク)』を設置した場所まで誘い込み、ヘラクレスを箱に触れさせて死を与える。これが第二段階。

 

これらを誰一人欠けることなく遂行した彼らは、そのままイアソンの討伐及び聖杯の奪取に移る。作戦の最終段階である。

 

 

「……マスター。我らは此処に残る」

 

「オリオン? どうして?」

 

 

けれど、ヌイグルミのオリオンは島に残ると宣言した。

これに藤丸少年は驚き、理由を尋ねる。

 

 

「『契約の箱(アーク)』を持ってダビデ殿が船に乗る必要は無かろう。むしろ、敵にみすみす世界崩壊の条件を整えて差し出す形になってしまいかねん。故に我が身と我が女神はこの島に残り、そのまま事が済むまで『契約の箱(アーク)』を守護し続ける事にしようと思う。無論、ここから遠くまで離れなければ、矢による援護は可能だ。無意味な戦力分散でもあるまい」

 

『んー。私は全然アリだと思うなー』

 

「ダヴィンチちゃんがそう言うなら……うん。分かった。よろしく頼むよ」

 

「任された」

 

 

オリオンの言葉は理にかなっていた。彼の言葉通り、このまま『契約の箱(アーク)』を回収してアルゴー号へ乗り込めば、万が一の可能性が生じてしまう。かといって置き去りにしてしまえば、それはそれで問題だ。こちら側の者の目が届く状態になければ安心できない。

 

だが、オリオン(ひいてはアルテミス)という超級の戦力が前線から外れる事への不安はある。わずかに表情を曇らせたマスターに、オリオンは渋い低音で優しく語り掛ける。

 

 

「なに、遠方からの狙撃こそがアーチャーの本懐。近距離から素早く射抜く事を得意とする者もいるだろうが、生憎我らは前者でな。我が眼の届く限り、君達の道行きを三ツ星の矢にて切り開くことを約束しよう」

 

『そこまで言ってくれるならこちらも嫌とは言えないね。行こう、藤丸君! 大丈夫さ、ヘラクレスだって殴り飛ばす最強の狩人が後方で援護に徹してくれるんだよ。これ以上に安心できる前線なんてありっこないさ!』

 

「それもそうだね……よし、マシュ。行こう!」

 

「はい、マスター」

 

「私も此処に残りますわ」

 

 

これは単なる役割分担であって、今生の別れではない。暗にそう勇気づけられ、意を汲んだ藤丸少年は最終決戦へ意識を向けた。

 

しかし、いつの間にかオリオンの背後に控えていた謎の美女は、さも当然と言わんばかりに後方支援への参加を表明する。

 

 

「えっと、その、貴女は……もしかして」

 

「あぁ。お恥ずかしい。申し遅れました。私、クラス【魔術師(キャスター)】のサーヴァント。真名を【メロペー】と申します。お見知りおきを」

 

 

マシュが恐る恐る名を尋ねようとすると、謎の美女――メロペーは自らの真名を口にした。

語られた名にその場の誰もが目を見開く。そりゃそうだろう。つい十数分前までしわくちゃの老婆だった者が、四十代程の外見になって現れたのだから。

 

 

『嘘、じゃないみたいだ。霊基情報は間違いなく、出会った時に登録されたメロペーのものなんだ。なんで若返ってるのかは、聞いても?』

 

「うふふ。そんなの決まってるじゃないですか」

 

『と言うと?』

 

「愛です。愛ですよ、異邦の方」

 

「よし聞かなかったことにしよう」

 

 

ダ・ヴィンチがメロペーに霊基の更新について尋ねたが、カルデア一行にとって若干のNGワードと化しつつある言葉が飛び出てきたため、対応マニュアルに従っ(みてみぬフリをし)た。

 

一方、エウリュアレはこっそりとヌイグルミのオリオンに近付き、そのふわふわもこもこの体を持ち上げると、誰にも聞かれぬよう声を潜めて話す。

 

 

「若いメディアの方はイアソンにべったりでしょうから、余程の事が無い限り前線には出張らないと思うの。そうなると、あの男が出て来るはず。そうよね?」

 

「……だろうな。それで、雷光の女神殿。どうされるおつもりか」

 

「どうあれ、あの男を倒さなきゃイアソンまでは届かない。だから、力を貸して」

 

「……囮になる気か!?」

 

 

傍から見れば、愛らしく麗しい乙女が、勇ましく凛々しいクマのヌイグルミを抱き上げて内緒話をしている絵面。御伽噺のワンシーンのようにしか見えない。

 

 

「まさか。箱を此処に置いて行く以上、私を殺しても霊核が捧げられる事は無い。世界の崩壊なんて事にはならないと思うわ」

 

「自分を囮にして、奴に一手を打たせる腹積もりだろう?」

 

「……正確に言えば、マスターを含めた全員でヘクトールをその気にさせるの。()()()()()()()()()()って状況をこっちから用意してやるのよ」

 

「そうなれば彼は躊躇なく宝具を発動する。至近距離ではマシュ嬢でも防ぐのは…」

 

「だから、貴方の出番なのよオリオン。アイツの宝具を撃ち落として」

 

 

両者の間に交わされるのは、ファンシーな御茶会の誘いなどではなく、綿密にして緻密な計画の段取り。エウリュアレは敢えてヘクトールを誘い出し、切り札を切らせる事を策に選んだ。オリオン本来の力を、間近で見たが故の確信があったからだ。

 

 

「貴方なら容易いでしょう? ギリシャ最強の狩人様?」

 

「……彼の、報復か?」

 

 

嘲るような笑みを張り付けて煽るエウリュアレだが、そんな彼女の細やかな悪戯心を見透かしていた狩人は、彼女の内に渦巻く黒い感情を言葉にする。

 

およそ愛されるためだけの女神の発言とは思えない、明確な敵意。そこに含まれた感傷を、オリオンは感じ取っていた。呟かれた言葉に眉を跳ね上げ、そしてヌイグルミを睨む。

 

 

「そんなわけない、と言い切れないのが正直なところよ」

 

「許せないか、彼の命を奪ったあの男が。しかし女神エウリュアレ、彼もまた()()()()()()()()()()()のだ。それをご理解いただきたい」

 

「あら、敵の肩を持つの? 酷い裏切りね」

 

「お戯れを。それに、()は一言も報復を悪だと言っていない」

 

 

その言葉と共に、不敵な笑みを浮かべるオリオン。エウリュアレはヌイグルミの愛嬌満点な仕草に目を点にして、花のように笑った。

 

 

「ふふっ。なにそれ」

 

「なに。気に入らないから徹底的に打ちのめす、というのが理由なら。それは何ともギリシャの女神らしいなと納得したまでの事。初めから我が身に断る選択などありはしませんでしたよ」

 

「じゃあ最初からそう言いなさい。貴方こそ、ギリシャの男とは思えない程ズルい人ね」

 

 

くすくす、と互いに笑い合う。そんな彼女らの姿を見て、瞳におどろおどろしい色を宿す二人がいた。

 

 

「ダーリン…? 私以外の女神とヒソヒソと内緒のお話だなんて、もしかして浮気?」

 

「オリオン様ぁ…? 目は見えずとも貴方様の事はハッキリと視えていますのよ? えぇ、ハッキリと」

 

「ヒェッ」

 

 

獰猛な肉食獣すら後退りするだろうオーラを撒きながら、じりじりとヌイグルミに迫る二人の美女。震えて動くこともできないヌイグルミの姿はまさに、蛇に睨まれた蛙そのもの。

 

森に野太い絶叫が響くのを背に、小さな愛の偶像は先行したマスター達を追いながら決意に満ちた呟きを溢す。

 

 

「あの子を、私の英雄を『怪物』呼ばわりしたアイツらを、赦してやるもんですか…!」

 

 

エウリュアレの姿が見えなくなって暫く。

メロペーの呪術とアルテミスの自動照射される矢を死に物狂いで避け続けたオリオンは、生前に偉大なる父たるポセイドンから与えられた超常の聴覚で以って、事が動き出したと勘付く。

 

 

「二人とも、戯れはここまでだ!」

 

 

真剣な声色であると二人も気付いたのか、オリオンへの攻撃を止め、揃って海原へ視線を投げる。

 

 

「ダーリン、聞こえるの?」

 

「ああ。聞こえる。我が耳には、偉大なりしポセイドンの加護がある。遥か遠方の鍛冶鎚の音すら聞き拾う程の聴覚強化の加護がな」

 

「それもオリオン様の宝具なのですか?」

 

「いや。これは宝具やスキルにまで昇華されはしなかったようだが。それでも、我が身の力として付随したままらしい。ありがたく使わせてもらうとしよう」

 

 

オリオンは大きな岩によじ登り、既に豆粒ほどの大きさになった『黄金の鹿(ゴールデン・ハインド)』号を目視する。その向かう先には敵船アルゴー号の姿も見られた。彼は聴覚に意識を集中させる。

 

 

「ダーリン?」

 

「静かに……」

 

 

狩りの時以上に、言葉に本気の重みを乗せるオリオン。そんな彼に従うように、アルテミスは自分の手で口を押さえた。メロペーは目視が出来ぬ為、オリオンの言葉に絶対服従。吐息すら邪魔になると最小限に音を潜めた。

 

 

『操舵手の差、ってやつですかね。アレが海と共に生きた人間の技。目的があって船旅をしてただけの人間とは、根幹からして違うって事なんでしょうなぁ』

 

『何を知った風な口きいてやがる!? クソ、仕方がない……聖杯よ!』

 

 

聞き耳の技能を最大限に活用したオリオンの聴覚が拾ったのは、ヘクトールとイアソンのものと思しき会話。察するに、追い詰められた焦りから聖杯を使い手勢か新たなサーヴァントでも召喚するつもりなのだろう。

 

 

「させるものか…! 『冥府にて咲け、石榴の花(セ・アガポル・スィージゴス)』!」

 

 

類稀な聴覚でイアソンの企みに気付いたオリオンは、ヘラクレス討伐の際にメロペーの宝具によってブーストされた残りの魔力を全て回して自身の第一宝具を発動。筋力と敏捷のステータスアップの恩恵を受け、足元にあった石ころをヌイグルミの手で掴み、全力で投擲する。

 

瞬間、放たれた石の軌道上にある樹々は風圧でへし折れ、弾け飛んだ。空気を裂きながら一直線に飛翔していく石は、狙い通りにイアソンの聖杯起動を妨害する。おまけでイアソンを守ろうと動いたヘクトールに傷を負わせられたのは僥倖だった。

 

 

「さっすがダーリン! カッコイー!」

 

「あぁ…♡ いつぞやの日を思い出すこの轟音…! やはりオリオン様は素敵ですわぁ…♡」

 

 

その光景を目にしたアルテミスは無邪気に歓声を上げ、メロペーは少し若返り女の艶を取り戻した事で、乙女成分も僅かながら復活。太ももを擦り合わせ、浅く息を乱し頬を紅潮させる。TPOを弁えてもろて。

 

しかし、全力の投擲をしたオリオンの身体が急激に萎む様な違和感を覚える。いや、実際に()()()()()萎んで無くなっていくのが分かった。

 

 

「これは……メロペー姫!?」

 

「……おそらく、効果に制限時間があったものかと。私も実際に使ったことは無かったので知りませんでした」

 

「いや、責めているのではない。だが、これでは…」

 

 

ただの無力なヌイグルミに戻ってしまったオリオンは、やはり自分は何も出来ないのかと歯噛みする。

 

背中は任せろと、人類の未来を背負う彼らを押し出した。報復を願う女神に手を貸すと誓った。だというのに、また己はただのお飾りに成り下がるのか。ヌイグルミの頭を振りかぶる。

 

 

「我が女神…いや、それでは間に合わん。奴の宝具を視てから防げるのは俺しか…」

 

 

アルテミスの権能を用いて援護をするにしても、宝具には宝具級の一撃をぶつけなければ防ぎようもない。アルテミスの宝具発動には己の存在が要となる為、ここからでは間に合わない。手詰まり、としか言いようがない状況に、オリオンは憤慨する。

 

 

「くそ、くそぉ…!」

 

 

打ちひしがれている暇など無いと分かっていても、打つ手がない。余りのもどかしさに自分を殴ってしまいそうになる。そんな彼を見つめ、同様に何も出来ない自分を恥じるアルテミス。

 

いつものような、彼自身の問題ならばそれを受け止め、共に立ち向かう事も出来ただろう。けれど、今の彼が全力を出し切れないのは自分のせいでもあった。彼が心配で霊基の大半を占拠して現界してしまったが故の事故。アルテミスは、愛する者の嘆きに応えられずに唇を噛んだ。

 

そして、そんな彼らを暗闇の世界から見つめていたメロペーは、魔力を高め、収束させ始める。

 

 

「なに…?」

 

「コレは、いったいなにを、メロペー姫?」

 

 

彼らの言葉に耳を貸すことなく、魔力の渦はメロペーを中心に大きく、強くなっていく。

 

サーヴァントであるオリオンとアルテミスは理解していた。それが、宝具発動の兆候だという事に。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のが見えた。

 

 

「………まて。待て、待ってくれ! メロペー姫! 君は、まさか!」

 

 

霊子と反応した大気が青白い輝きを生み、瞬きほどの閃光となっては消えていく。それを繰り返し、光は強まっていく。その中心にいる彼女の肉体の崩壊もまた、比例するように加速していた。

 

 

「待つんだ! 頼む、お願いだ! 止めてくれメロペー姫!」

 

「……貴方様の御言葉であれば、全てに従うつもりでした。ですが、えぇ。ごめんなさい。その言葉だけは聞けません」

 

「止めろ! 君の霊基は、宝具の発動に耐えられるほど強靭ではない!」

 

「知っておりますわ。この身はそもそも、貴方様に恋い焦がれただけの小娘。そこに後世の人間が抱いた無数の思いを張り付けられただけの、ハリボテに過ぎません。不安定な霊基で宝具の連続使用……保つ訳が無かったんです」

 

「君は気付いてたのか!? それなのに宝具を……何故!?」

 

 

ボロボロと金色の粒子に変換されていくメロペーを見て、慌てて助けに行こうとするオリオン。そんな彼を抱き上げ、離さぬよう力を込めるアルテミス。

 

霊基再臨を果たした彼女は、あの時に自らの宝具の効果をオリオンに伝えた。それを聞いたから、ヘラクレス戦での切り札になると考えて発動させた。なのに、こんな事になるなんて。

 

知っていたら彼女に宝具の発動を命じただろうか。オリオンは答えを見出せなかった。

 

 

「宝具を二度使用すれば、霊基が崩れて消滅すると! 知っていながら何故!?」

 

「ごめんなさい。ごめんなさい、オリオン様。また私は、貴方様を苦しめてしまったのですね」

 

「違う! 俺のことなんてどうでもいい! 君は、君が無事ならそれでいいんだ! 俺はまた、また君を…!」

 

 

生前。オリオンはハッキリと彼女を拒まなかったが故、目を焼かれた。彼女の心に、名誉に、傷を与えると理解していたからこそ、引き剥がしはしなかった。巡り巡ってその行動は、彼女を英霊の【座】に歪な形で招き入れる結果を生んでしまった。

 

死後すらも、彼はメロペーの尊厳を踏み躙ったに等しい。

 

 

「ダメだ、止めろ! 君が消えてしまう!」

 

「構いませんわ。だって、私の願い――オリオン様にまた出逢う事は、もう叶ったんですもの」

 

「………!」

 

「それに、貴方様は最早、私だけの英雄ではないと思い知らされました。貴方様の輝きは、遥か未来にまで受け継がれ、絶えることは無かった。人類史を救う、まさに英雄。ちょっぴり寂しいですけれど、それよりも誇らしい気持ちの方が強いです」

 

「ぁ、あぁ…!」

 

 

光の奔流が止まらない。もう、宝具の発動は目前。

輪郭すらおぼろげになったメロペーは、太陽の如く笑った。

 

 

「さぁ、行って。私の大好きな英雄(オリオン)様。どうか彼らを、人々の未来を、導いて…」

 

 

―――『暗界に瞬く三ツ星(ギネ・ディッコウズ・モウ)

 

 

瞬間。神霊にすら匹敵する膨大な魔力が、オリオンの内から湧き上がる。

 

ヘラクレスを倒した時の様な、溢れ出る高濃度の魔力が大気を震わせる。ビリビリと島を揺るがす力の奔流の起点たる彼は、静かに両手を天に掲げ、その名を告げた。

 

 

「…『不敬雪ぐ信念の弓(ディ・クストリアージ・メターニア)』、『不遜砕く敬虔の鎚(クスペラスティータ・エンポディア)』」

 

 

ぽつり、と呟かれた彼の言葉を聞き届けたかのように、空を囲う"光帯"の彼方から神鉄と青銅で鍛えられた彼専用の神器が飛来する。

 

ヘラクレスが振るっても違和感がないほどに巨大なソレらをしっかりと受け止めたオリオン。そのまま振り返り、最愛の女性に言葉を投げかけた。

 

 

「我が女神。俺の我が儘を聞き入れてはもらえないだろうか」

 

「……うん。いいよ。オリオンのお願いだったら、何でも」

 

 

にこやかに、朗らかに。月と狩猟の女神アルテミスは、オリオンの全てを肯定する。

 

彼から強弓を受け取り、両腕で動かないように地面に固定する。

オリオンは残された魔力を全身に流し、超重量の棍棒である『不遜砕く敬虔の鎚(クスペラスティータ・エンポディア)』を弓に番え、飛び乗った岩から落ちないギリギリまで引き絞った。

 

……いくらメロペーからの超絶バフをもらおうと、あくまで霊基の質自体が劇的に変化したわけではない。アルテミスに削られた残りカスのように微小な霊基で、本来の己が使用する宝具の真名解放を二度も行った。

 

当然、耐えきれるはずもない。

 

 

「っ! ダーリン! 身体がっ!」

 

「前を見ろアルテミス! 弓が動けば狙いがブレる!」

 

「……うん!」

 

 

ヌイグルミの身体が罅割れ、崩れ去っていく。視界が霞む。

それでも、見据えた獲物は決して逃さない。

 

ギギギ、ギギギと震える弦が軋む。アルテミスは額から汗を流すが、拭き取ろうとはしない。この両腕は弓を支えているのではない、弓と一緒にオリオンを、そして彼の矜持を支えているのだと自らに言い聞かせていた。

 

アルテミスは見た。元々はただの人間だった彼女が、自らの死を恐れることなく彼に全てを捧げた光景を。

 

それは月女神の厭う「終わり」で、「別れ」で、悲しい「結末」だった。

 

しかし、それで終わりではなかった。そこで終わりはしなかった。

 

 

「………っ‼」

 

「ダーリン、まだ!?」

 

「っ…! まだだ…‼」

 

 

託された願いは、灯となって愛する彼に内に宿った。継承される遺志。受け継がれる思い。永遠に値しないとされた彼ら人間が、数千年にわたって繰り返し続けた意思の譲渡。

 

そこに、ヒトの美しさを垣間見た。

 

 

『まぁ――次とやらがあればの話だがなぁッ‼』

 

 

オリオンの超聴覚が、憎きヘクトールの勝利への確信に満ちた猛りを捉える。

 

千切れかけの手足を踏ん張り切ったオリオンは、最期に笑みを浮かべ、咆哮する。

 

 

「あるさ! 彼らはこれからも、旅を続けていくのだから‼」

 

 

臨界点寸前まで引き絞った宝具を、三ツ星の超人(オリオン)は解き放つ。

 

目も眩む程の光が視界を埋め尽くし、音を置き去りに不遜を砕く鎚は水平線目掛け空を駆けた。

 

 

「………ダーリン、大丈夫?」

 

「……あぁ。大丈夫だ。彼らは、必ず勝てるさ」

 

「そうじゃなくって、ダーリンの心配をしてるんだけどなぁ」

 

 

もうもうと立ち込める土埃を手で払い、アルテミスはボロボロに朽ちかけたクマのヌイグルミを優しく抱き上げる。その眼差しは、溢れんばかりの慈愛に満ちていた。

 

 

「ホント、無茶するんだから」

 

「……済まない。だが、言っただろう? 我が儘を聞いてくれと」

 

「だからって、こんなになるまで見栄張らなくったっていいじゃない。サーヴァントだって、元は人間だったんだもの。間違えもするし、取り返しのつかない失敗だってすると思うの、私」

 

「それではいかんだろう」

 

「いーの。私がいいって言うんだからいいの」

 

 

ぽふぽふ。

 

今にもバラバラになりそうなヌイグルミの汚れを払い、満面の笑みで抱き締めるアルテミス。

その姿は、捨てられた思い出の品を掘り起こした少女の様な、屈託のない柔らかなものだった。

 

 

「…あら? 私、消えてる?」

 

「……残骸と言えど、核は我が身の方にあったという事か」

 

「じゃあ、これでこの召喚は終わり?」

 

「そのようだ」

 

「そっか」

 

 

なんとも呆気ない幕切れだ。アルテミスは残念そうに唇を尖らせる。

その仕草がやはり人間臭く、オリオンは嬉しくなって小さく笑った。

 

金色の粒子となって解けていく二人。あと数秒も経てば、何をせずとも消えてしまうだろう。この歪んだ歴史の転換点から、最初からいなかったものとして修正されてしまうだろう。

 

それでも二人は、色付いた世界を見つめる。

 

 

「ねぇダーリン」

 

「なんだ、我が女神」

 

「人間って、神に頼らなくてもあんなに逞しく生きていけるのね」

 

「……そうだな。人は己の手で未来を切り開き続けるのだろう」

 

 

抱き合い、空を見上げる。

 

有り得ざる"光帯"が囲む蒼空に、淡く浮かんだ白が見えた。

 

 

「永遠に?」

 

「……あぁ。これからもずっと、ずっと先まで」

 

「人間って凄いね、ダーリン」

 

「そうとも。ほら、見てくれ我が女神」

 

「なぁに?」

 

 

人としての輪郭は既になく、黄金色の泡となって二人は風と共に空を目指す。

 

 

「あんなにも――月が、綺麗だ」

 

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?

オリジナル展開で本来よりもBAD END染みたお別れになってしまったやも知れませんが、別れは人を強くするのでヨシ!

さて、これにてオケアノス編は完結とさせていただきます。

それによって、メロペーとオリオンのステータスやらをおまけ編で開示していきたいな、なんて思っておりますので、よろしければそちらも楽しんでいただきたいです。


次は何を書こうかな。
オリジナル水着イベか、アトランティスか、ンンンンンン!


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ!


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おまけ編 ~カルデア・ビーチ・スクランブル~
夏の微小特異点・その1


どうも皆様、ようやく大きな仕事を終えてひと段落出来そうな萃夢想天です。
いやホント長かった…五月からここまでのほぼ半年、生きた心地がしませんでした…。

ですがそれも終わったので、これからは投稿頻度が少しは上がるかと思います。(上がるとは言ってない)

今回からは短めの夏イベ的な話を書いていきますので、お付き合いください。


それでは、どうぞ!




 

 

 

 

 

 

―――夏。

 

―――それは、巡る季節の一つであり、人の心が最も浮き立つ時期でもある。

 

 

ひと夏の経験、あるいは思い出。そう言った言葉を耳にしたことはないだろうか。

 

一年の内で最も気温が高まる季節故、人々は衣替えと同時に抑圧されてきた自身の心を開放したくなるものだ。その想いは、時代を経るごとに増していく一方で、衰えることはない。

 

そしてそれは同時に、人間同士の関係性が大きく変動することを意味する。

 

夏の魔力に心突き動かされ、気付けばアブナイ橋を渡り切って…なんて現象、現代ではありがちな話だ。これに抗いうる者はごく僅かでしかないし、そもそも抗うも何も夏の魔力によって沸き立つものなどない非リア充(もたざるもの)からすればただクソ暑いだけの嫌味な季節に他ならない。

 

まぁ、つまり。

 

何が言いたいのかと問われれば。

 

夏とは、人を狂わせる恐ろしい魔だということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔術王ソロモンによって2015年より以降の人類史継続の保証は断たれ、過去現在未来に至るまでの繁栄は焼却された非常事態においても、カルデアに属する職員及びサーヴァント一同は、決して遊び心を捨ててはいなかった。

 

いや遊んどる場合かと礫を投げたくなる気持ちも分かるが、そこはそっと握り拳を下ろしてもらいたい。誰だって先の事を忘れ、ただ羽を伸ばしたい。そんな時間があってもいいじゃないか。むしろ、人類存亡の危機という超一大事に関わっているからこそ、当事者のメンタルケアを欠かしてはいけない。

 

故に、汎人類史を修復すべく召喚されたサーヴァント達は、今を生きる人々であるカルデア職員と人類最後のマスターとして前線に立つ藤丸立香少年を癒すべく、面白おかしい事件を起こす事を忌避することはなかった。

 

むしろ、そういった面倒事を頼まれもしないのにやってのける困ったちゃんは残念ながら居る。誰とは言わないが。華のローマ皇帝とか監獄城の鮮血魔嬢とか、特定するつもりはない。ないったらない。

 

とにかく。肩の力が抜けるどころかシリアスさえ吹き飛ぶとんちきイベントは、カルデアに於いて珍しくもない事態と化していた。

 

 

そして、此処に。その頭のおかしいイベントの新たな幕が上がろうとしていた。

 

 

~人理継続保障機関・カルデア、レクリエーションルームにて~

 

 

「……失礼致します」

 

 

コンコン、と。レクリエーションルームの扉を小さくノックする音が、消灯時間を過ぎて暗くなった廊下に消えていく。

 

数秒の静寂の後、扉の内側から押し殺したような声が返ってくる。

 

 

「合言葉を」

 

「ええっと…『あんちん様、サイコー!』」

 

「それ前のヤツです。あれ? 前の前だったっけ……とにかく、間違ってますよ」

 

「あ、あら? ごめんなさい」

 

 

シリアス君は休暇を取ってるよ。済まないね。

 

合言葉を間違えた少女は何度か唸ってから、最新の合言葉を思い出して口にした。

 

 

「そうです! 『別れは巣立ち、素敵な旅立ち』!」

 

「――ようこそ、恋する乙女の楽園へ」

 

 

ロックが解除され、扉が自動で開く。合言葉を告げた少女は、室内で待っていた和服姿の少女に挨拶する。

 

 

「こんばんわ、清姫」

 

「ええ。こんばんわ、メロペー」

 

 

側頭部から白い角を生やした色白の少女【清姫】と、顔の上半分を白い結晶で覆い隠した【メロペー】がにこりと微笑みを向け合う。何を隠そう、彼女らは此処カルデアに召喚されてから永久の友情を誓い合った渡世の姉妹とも言える仲なのだ。

 

そして、先んじて室内で待っていたもう一人の少女もまた、入ってきたメロペーに言葉をかける。

 

 

「ごきげんよう、メロペーさん」

 

「はい。ごきげんよう、メディアさん」

 

 

水色の長髪を束ねる清楚な魔女【メディア・リリィ】の弾む様な声が、しんと静まっていたレクリエーションルームを明るくした。

 

そして、三人の少女たちが集結したわけだが。

 

 

「紅茶の用意はこちらに。お砂糖はお好みでどうぞ」

 

「ありがとうございます。いただきますわ」

 

「では、私は緑茶を」

 

 

三人寄れば姦しい、という言葉もあるが、仮にも貴族王族の姫である三人はその言葉には当てはまらない。今はまだ。

 

ソファに腰を下ろし、のどを潤して一段落着いた彼女らは、懐からあるものを取り出し、テーブルに置いた。どれも共通して、映像記録媒体であった。

 

 

「本日はどれにいたしましょう?」

 

「前回は確か……諜者(スパイ)の殿方が行く先々で乙女を誑かしながら使命を遂行する絵巻でしたね」

 

「マスターを含めた男性は、こういった手合いの映画を好むようですが……正直、私はあまり」

 

「私も同意見です。やはり、意中の殿方と添い遂げる乙女は一人でなくては!」

 

「となると……『らぶろまんす』、という種類のものがしっくりくるのでは?」

 

 

何をヒソヒソと怪しげに動いているかと思えばこの少女三人。恋愛映画を見る為に人が込み合う真昼時を避け、こうして深夜帯に娯楽室へ潜り込んでいたのである。

 

本来、夜更かしは乙女の天敵である。だが、彼女らは肉体に縛られないサーヴァント。彼女らを引き留める枷の一つが無効化された以上、暴走の歯止めが一際効きにくくなってしまったわけだ。

 

 

「でしたら、こちらは如何でしょう。ラブロマンスの金字塔と名高い作品らしいですが」

 

「『ローマの祭日』……なんでしょう、この、そこはかとない暴君の香り」

 

「ソレって確か、パッケージと内容が違うとかでカエサル陛下が裁判にかけると仰っていた問題作では?」

 

「ええっ!? そうだったんですか、残念…」

 

「となると、今日は私とメロペーのどちらかになりますね」

 

 

自信を持って持ち寄った映画にケチをつけられしょんぼり顔になるメディア・リリィ。基本サイコパスだが乙女チックな部分はあるのだ。全体の何割かはさておいて。

 

競合相手が脱落し、残るは清姫とメロペーが取り出した二作に絞られた。果たして、今夜乙女たちを愉しませる映画はどちらになるのか。多数決で勝敗を別とうとする清姫だったが、メディア・リリィがあることに気付く。

 

 

「あら?」

 

「どうしましたか?」

 

「あの、ここ……あ、ごめんなさい。メロペーさんは見えませんよね。えっとですね、清姫さんの持ち寄った映画なんですが」

 

「………な、なにか?」

 

「どうして企画、脚本、演出総てに至るまで貴女自身の名前で埋まってるんですか?」

 

 

ぎくっ。清姫の肩が跳ね上がる。

 

 

「弁解の余地なし、ということでよろしいですね」

 

「異議なし」

 

「大有りです! 私は別に自慢しようとかそういう気持ちで提出したのではなくてですね!」

 

「マスターと自分との恋愛模様を恥ずかしげもなく9時間に渡って収録とか、何をどうしたらこんな妄想がまかり通ると思ってるんです?」

 

 

グサッ! 清姫の心臓に言葉の刃がクリティカル。バーサーカーには辛い。

 

 

「撮影が直流紳士ってありますけど……」

 

「日本の竹の名産地を教えたら快く協力してくださいました。なにかまたものすごい発明をするつもりみたいでしたので」

 

「まぁそれは置いておきまして。メディアさん、どうします?」

 

「……ちなみにメロペーさん、貴女の作品は?」

 

「こちらです!」

 

 

直流は悪、ハッキリ分かんだね。

 

軽く登場を流されたメンロパークの魔術師はさておき、メディア・リリィの関心はメロペーの作品に向いていた。潮の結晶で目を覆い隠した少女は自信満々に作品を手に取り見せつける。

 

が、二人からの反応は芳しくない。

 

 

「ん? どうしました?」

 

「……あの、メロペー。失礼を承知で尋ねますが、ラブロマンスの意味は知ってますわよね?」

 

「??? はい、勿論です。殿方と乙女の、燃えるような恋の物語を指す言葉であると、知識を得ております」

 

「だったらどうして、血みどろの男女が抱き合って何かに怯えているようなパッケージの映画を持って来たんです?」

 

 

それもそのはず。メロペーが持ってきた映画は、恋愛は恋愛でも、狂気の殺人鬼から一夜を生き延びるカップルの生存劇を描くサバイバルホラーロマンスであった。お前チョイスおかしいよ。

 

 

「え? だって、艱難辛苦を乗り越えてこそ強く結ばれる二人…そしてオリオン様と私は島中の民に祝福を受けながら結ばれて……きゃー♡」

 

「「………ナシで」」

 

「どうしてですの!?」

 

 

あわれ、でもなんでもない。妥当な判断である。

 

ただ、擁護させてもらうとするのなら。このメロペーはオリオンの伝説に登場したクレタの姫君メロペーその人でもあり、後のギリシャ最古のホラー伝説「白仮面の老婆」のモデルとされたことで人々に刻まれた恐怖が上から張り付けられた、そんな状態である。

 

分かりやすく例えるのなら、メロペーと言う骨組みにホラー伝説による人々の恐怖が肉付けされて出来上がった、歪なハリボテ。それが今の彼女なのだ。

 

どうしても、趣味嗜好がホラー(そっち)寄りになってしまうのも仕方のない事であった。

 

 

「はぁ……仕方ありません。念の為にと、もう一作持ってきておいて正解でした」

 

「念の為にってどういうことです?」

 

「見れば分かりません?」

 

 

見なくても分かるんだよなぁ。けれど清姫は首を傾げるばかり。

お前都合のいい頭してんな、バーサーカーかよ。バーサーカーだったわ。

 

 

「ご安心ください。今の季節にぴったりのものをご用意いたしました」

 

「季節? あぁ、そういえばもう夏でしたね」

 

「こちらはそんな、夏の浜辺で出会い、結ばれる二人の男女の物語です」

 

「浜辺………」

 

「メロペーさん?」

 

「あ、いえ。何でもありませんわ」

 

 

頭の片隅に引っかかるものがあったのか、表情を濁すメロペー。

 

そんな様子の彼女に気付くメディア・リリィだったが、詮索するのも野暮と割り切り話を進めた。

 

 

「それでは、こちらの映画を視聴して恋する乙女に相応しい力を身に着けると致しましょう」

 

「それこそが我ら、『カルデア乙女巫恋途(ふれんず)』の目的なのですから!」

 

「砂浜……浜辺……愛し合う二人…」

 

 

そう。この三人は奇妙で数奇な運命からか惹かれ合い、それぞれの乙女力を高め合う恋する少女としての思考の領域を目指す同好会を結成。夜毎、密やかに活動しているわけだ。実際は認知度がとても高い。要注意・監視対象としてだが。

 

こうしてメディア・リリィの持ち寄ったロマンス映画を視聴する三人。男女が出会い、時間を共有し、高まる恋の炎。そして結ばれてハッピーエンド。実に素晴らしい作品だったと二人は納得した。

 

だが、ただ一人。メロペーだけは感動とは違う感情によって肩を震わせていた。

 

 

「――コレですわッ‼」

 

 

そしてこの一つの映画……もとい、砂浜でキャッキャウフフしキャッキャウフフし合う男女、というシチュエーションとの彼女の出会いが今年の夏の始まりとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~名もなき微小特異点~

 

 

どこまでも続くかのように思える水平線と、浜辺を濡らす白波。

それだけが、彼女の視界に映る全てだ。

 

 

「はぁ……辛い」

 

『分かる、すげぇ分かるよアタイも……はぁ』

 

『溜息で輪唱しないでおくれ二人とも。おかしくなりそうだ』

 

 

人の気配がしない小さな島の浜辺に、ぽつんと座り込む一人の女性。

 

その美しさはまさに絶世と称賛する他にない、美の体現者と呼ぶに相応しい者だ。残念なことに、彼女の美貌を褒めそやす者どころか、彼女以外の知性体が周辺には存在していないのだが。

 

憂い顔ですら絵画に描けば国すら傾ける金額が動くであろう。そう確信できるほどの美女は、ただ潮騒を聞き流して項垂れるばかり。

 

 

「おかしくなりそうなのは()の方よ。なーにが悲しくてこんな事に…」

 

『アタイだって信じたくないさ』

 

『でもねぇ。どうしたって現実は変わらない。なら、受け入れるしかないだろう』

 

 

美女は膝を抱え込むようにして砂浜に座っているが、周囲に他の人影はない。ならば彼女は誰と会話しているのか。答えるまでもない。

 

彼女は、彼女の内に居る他の二人の女性と語らっているのだ。

 

 

「受け入れろと言われて受け入れられるわけなかろうが。英霊(サーヴァント)だったか? そんなものに堕ちぶれた妾にも悲哀が募るが、それ以上に()()()()()()()()()現実の方が受け入れ難いわ」

 

『いやでも、こんなん予想できるわけないって……できた?』

 

『出来ると思う? こんなの、モイライでも予測不可能だと思うよ』

 

 

沈痛な面持ちのまま、ぼーっと波打ち際を見つめて文句を垂れ流す美女。自身の内なる言葉から、この状況をどうにかできるツテを思いつき口に出す。

 

 

「モイライ……アイツらの誰かと連絡つきそうか?」

 

『……アタイは、その、他の女神と折り合い悪いから』

 

『んー、無理っぽい。クロートもラケシスもアトロポスも、みんな忙しいみたい』

 

「忙しいとか嘘くさいのー。大方、妾達に呼ばれるのが嫌で適当こいとるだろう? 妾そういうの分かるから」

 

 

死んだ魚の様に濁り腐った半眼で潮が引く様子を眺める美女。まるで自分たちから遠ざかっていくような波の動きにさえ苛立ち、眉根をひそめる。

 

 

「なにが忙しい、だ。アイツら糸紡いで長さ測って切る作業を三分割しとるのだぞ? 駄弁りながらでも余裕であろう。どーせ妾達の愚痴で持ちきりよ。はー、やってられん。辛い」

 

『想像つくのがまた辛さを倍増させるんだよなぁ』

 

『確証無いのに自分で落ち込んでりゃ世話ないよ』

 

「やかましいわ」

 

 

自分の中にいる二人の女性からの励ましの言葉もない。天地に在って我は独りなのだ。美女は現実に打ちひしがれ、盛大な溜息を吐きながら膝に顔を埋めた。

 

 

『あのさぁ、さっきから辛い辛いと言ってるけど。それなら行動しなよ。まず動かなきゃ何も始まるわけないだろうに』

 

「それ以上正論で妾を痛めつけることは許さんぞ義姉上。もう、もう割と本気で、限界ギリギリなのだ妾は」

 

『アンタよりも勝手に巻き込まれたアタイの方が限界近いんだけど?』

 

「貴様は妾の考えに賛同したからには共犯よ。泣き言は聞かぬぞ」

 

『だったら私は泣いても許されるだろう。完全に巻き込まれただけだからね』

 

「泣くも喚くも好きにするがいい。現実は変わらん」

 

 

ざざん。はぁ。

 

はぁ。ざざん。

 

 

波が引き、浜辺を濡らす度に美女の唇から情けなく弱々しい吐息が漏れ出る。

 

 

『大体さ。お前は無計画というか、突拍子が無さすぎるというか』

 

「もういい、もう言うな。妾聞きとうない」

 

『そーだそーだ! アルテミスがイケたんなら妾もイケる、とか言ってたくせに』

 

「むしろ何で妾がダメであの小娘がセーフなのか、これが分からん」

 

 

とことんまでぶーたれて卑屈になる美女。極上の肢体も絶世の美貌も台無しである。

 

いったい、何が彼女をここまで精神的に追い込んでいるのか。

 

 

「なぁ、どう思う? 妾がダメでアルテミスがセーフなのは、何故か?」

 

『『お前(アンタ)だから』』

 

「貴様ら嫌いだ‼」

 

 

考えれば考えるほどメンタルを削られる美女。

とうとう目に涙を湛えて嗚咽を溢しだしてしまう。

 

 

「何故だ……何故なのだぁ…!」

 

『そんなんアタイが聞きてぇよ…』

 

『…………』

 

 

足をバタバタと動かし、やるせない気持ちを発散しようとする。

それも、砂が波に溶けて泥となり、浚われて浜辺の一部に戻る流れを見て虚無に満たされる。

 

 

「妾は、妾はただ。()()()()()()()()()()()()だけなのだ……」

 

『アタイだってそうさ! もう一回でいいから逢いてぇんだよぉ…』

 

『……揃いも揃って情けない。それでも一端の女神か君ら』

 

 

女神としての矜持が、必死に零れ落ちそうになる涙を堪えていた。

だが、内なる一人の言葉に、悲しみよりも怒りが先に爆発した。

 

 

「だったらこの状況! 貴様ならどうにかできるのか義姉上よ! やれるものならばやってみせるがいい! どうせ徒労に終わろうがなぁ!」

 

『出来るよ。ちょっと面倒だけど、やろうと思えば』

 

「そらみろ! 女神と言えど不可能はあ――いま何と?」

 

『どうにか出来るって言った』

 

 

ざぱぁん……波が一際高く砂浜に押し寄せ、美女の足元まで届く。

しかし、今はそれどころではない。それどころではなくなった。

 

 

「………そ、そんなわけ、そんなわけがなかろう! 強がりも大概にせよ義姉上! いかな大神が姉君と言えど、全知全能からは程遠い貴様が」

 

『じゃ、やらなくていっか』

 

『あのお願いしますどうにかしてくださいこの通りですから』

 

「裏切ったか貴様ぁ! 女神としての矜持はどうしたぁ!」

 

『知るかそんなモン! こちとら女神の誇りだ何だはとっくに捨てとんのじゃい! アイツを引き留める為なら何もかも捧げる覚悟決めてんだアタイは!』

 

 

ぎゃいぎゃいと一人で姦しく騒ぐ美女イン真夜中の砂浜。

彼女の姿を見て憐れむ者も蔑む者もいないからこそ、この醜態を知られずに済んだ。

 

 

『私が何の考えもなくこの時代を選んだと思うのかい?』

 

「あやつの居た時代が近ければどこでもいいかなって思っておったぞ妾は」

 

『同じく』

 

『……とにかく。この時代は我々が居た時代とその数千年後が混ざり合った、稀有で不安定な場なんだ。脆く壊れやすいけど、同時に形を変えて整えやすくもある。そこに目を付けたんだ』

 

「御託はどうでもよい。状況を打破する策を言え」

 

 

必死の形相で水平線の睨む美女。

満月とは呼べないほどに欠けていた月が、沈みかけていた。

 

 

『人理の汎図において、不安定な部分は修正される。けど、揺らぎは残る。その僅かな猶予を逆手にとって、私は時空の結び目を一気に近付けた』

 

「つまり?」

 

『こことよく似た時代の揺らぎの中で、聖杯と呼ばれる魔力炉心があったみたいでね。私はそれを模倣してやろうかなって思ったんだ』

 

『ソイツを模倣したら、どうなるんだ?』

 

『好き放題出来ると思うよ。魔力が生成される限りは』

 

 

その言葉を聞き、美女は目を見開く。

 

 

「で、では! もしも……その目論見が果たされた暁には、妾の望みも叶うのか!?」

 

『出来るんじゃない? お前の望み、彼に逢いに行くのは難しいかもしれないけど。彼をこっちに喚び出すのは、前者より難易度は低いと思われる』

 

『召喚するのか、アイツを。此処に?』

 

『それが唯一にして最短の道筋だと私は思うね』

 

「流石は妾の義姉上。やはり頼るべきは身内であったか」

 

『お前その身内にだいぶ失礼なこと言ってたよな?』

 

 

とっぷりと水平線が月を飲み込み、そして。

 

入れ替わるようにして淡いオレンジの朝陽が顔を覗かせる。

 

 

「ふふっ、ふふふ……ふはははははは!」

 

『とうとうおかしくなっちまったか』

 

『いや元からおかしかったから心配は要らないよ』

 

「聞こえとるぞ貴様らぁ!」

 

 

鬱屈とした態度から一変。希望と自信に満ち溢れた表情に変わった美女は立ち上がり、昇りゆく陽光を背に島の中央目指して歩を進める。

 

 

「行くぞ! これより我らは、魔力を生成する炉心を構築後、願望を果たす!」

 

『その為にはまず、魔力を回収しなきゃいけないよな』

 

『私と彼女の神殿を二つ呼び出せれば時間は短縮できそうだ』

 

「ではそうしよう! いいぞ、この調子ならそう時を待つ必要も無し! 願い叶うは、今なり!」

 

 

木枝を掻き分け、美女は自らの神殿を召喚する為の空間の確保に乗り出す。

 

そして此処から、カルデアとある一人の男を巻き込む、壮絶に頭の悪い出来事の幕が、上がることとなる。

 

 

 






いかがだったでしょうか。

こんな感じでかなり短く緩く書いていくつもりです。
この調子で書き進めていけたらいいなと考えております。

それでは次回を、お楽しみに!


ご意見ご感想、並びに質問や批評などお気軽にどうぞ1




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夏の微小特異点・その2

どうも皆様、萃夢想天です。

まさかのハロウィンでTSモレ―実装!
しかもフォーリナーとか、スケベ過ぎる…!
あ、引きましたよ(諭吉七人ステラ済)

ちなみに、そんなTSモレ―ちゃんの核たる外なる神をオリジナル鯖に落とし込んだ私の初FGOのSSも何とか更新していきたい次第です。ええ、何とか。


頭とんちきな夏イベ、はーじまーるよー。





 

 

 

 

 

みゃぁみゃぁ、と。

青く澄んだ空から時折、ウミネコの鳴き声が聞こえてくる。

 

どこか静かで、しかし空と同じぐらいに美しい紺碧の海からも、優しい潮騒が耳に届く。

 

そして、それらを塗り潰して余りある乙女の快笑が、シミュレーターで再現された常夏の浜辺に響き渡った。

 

 

「あっははは! あははっ! あはははははははっ!」

 

 

もうもうと砂煙を上げながら波打ち際を()()しているのは華奢な美少女。薄金色の長髪を太い三つ編み状に結わえた髪型で薄手のパーカーを羽織り、肌の露出を抑えた出で立ちをしている。

 

そこまでならば、夏の砂浜でもトレーニングに勤しむ快活な少女程度に思えるだろうが、生憎と単純にはいかない。

 

何故ならば。その美少女の鼻から上は、灰白色の()()()()()()()()()で隠されているからだ。

 

 

「あーははははっ! すごいすごい! こんなに軽やかな気持ちは初めてですわ!」

 

 

呵々大笑という言葉以上の高笑いを上げながら、少女――狂姫メロペーは砂浜を疾走していく。そんな彼女の姿を波打ち際から離れた木陰から見守る人影があった。

 

 

「やはり、彼女は素晴らしいポテンシャルを持っていましたね。どうです、アキレウス?」

 

「どうって言われても。相変わらず先生はすげーや、ってぐらいしか…」

 

「それはどうも。ですが、彼女がああしているのは、私の指導の腕前だけではありません」

 

「あのお姫さんに才能があったってわけですか?」

 

 

落ち着いた雰囲気でメロペーを見守る男性。大神クロノスが子にしてケンタウルスの大賢者、ケイローンである。その彼の傍らで腕を組みながらボーッと海を眺めるのは、イリアスの流星と呼ばれた不死身の大英雄、アキレウス。

 

ギリシャを代表する伝説的な英雄の両者が何故メロペーの様子を見ているのか。それは、ケイローンに理由があった。

 

 

「走るという行為そのものに才能の有無は関係ありません。人が生まれつき備え、成長する中で磨かれる運動能力の一つですからね。私が見出した彼女の才能とは、ずばり…努力の才能です」

 

「努力?」

 

「ひたむきな精神性、と言い換えていいでしょう。彼女は私に指導を乞い、私はそれに応えました。当然、目が見えないというハンデを考慮に入れたうえで厳しい訓練を課しました」

 

「うえぇ……けど、元王族のお姫様ってんなら、早々に音を上げそうなもんですがね」

 

「そこです。彼女の中にあった最も輝ける才能とは、努力を続けるというものだったのです」

 

 

ケイローンの言葉にアキレウスは意外そうに片眉を上げる。

自分のように強くなることに喜びを覚える性質ならともかく、王族として生まれたワガママ放題の小娘が努力を継続できる理由という部分に僅かな興味を覚えたからだ。

 

 

「そんな風には見えないけどな…」

 

「貴方には、恋に燃える乙女心を理解するのは難しいでしょうね。ですが事実、彼女は内に秘め……てもいませんが、その恋を成就させんと必死で訓練を続けてきました」

 

「執念深いとしか思えねぇ」

 

「間違ってはいませんよ? 他人の目にどう映るかはともかく、彼女はひたすらに夢を叶えようと諦めずに努力し続けた。その結果が、今の彼女の姿です」

 

 

風に揺られて靡く木陰で二人、砂煙の先頭に立って笑いながら突っ走るメロペーを見送る。

 

 

「……ここの砂浜って端から端までどんぐらいでしたっけ」

 

「約1.3キロメートルほどでしたか」

 

「七往復ぐらいしてるよな、あのお姫様」

 

「してますね」

 

 

努力がどうとか言われようと、やはり執念深いとしか思えない。

アキレウスは女心など一生分かりたくもないと改めて心に思った。

 

 

「ケイローンせんせー!」

 

「おや、戻りましたか。調子はいかがです?」

 

「はい! もう最高です!」

 

 

ずざざーっ! 砂浜に足でブレーキ痕をつけながら、メロペーがケイローンの元へ戻ってきた。大賢者は彼女に様子を尋ねるが、彼女は大輪の花を抱えた少女のように笑って答える。

 

それを聞き、ケイローンは静かに呟いた。

 

 

「それは何より。しかし、貴女が今の感慨を抱けるのも、貴女自身の努力の結果です。誇りなさい。愛する者の為に自らの限界を定めない、それができる者はほんの一握りなのですから」

 

「はい! 御指導ありがとうございました! それではっ!」

 

「ええ。貴女の頑張りが実を結ぶことを祈っています」

 

 

ケイローンに頭を下げ礼を述べたメロペーは、そのまま全力疾走して彼方へと姿を消した。残されたのは木陰で佇む大賢者と英雄の二人。と、そこにもう一人の人影が歩み寄って来た。

 

 

「ありがとう、ケイローン」

 

「いえいえ。こちらこそ、新たに才能ある弟子を磨く機会が得られて、久方ぶりに心が弾みました。感謝を、マスター」

 

「お、マスター。なんだ、見に来てたのか」

 

 

シミュレーター内部に入り込んで現れたのは、ケイローンらと共に人理の為に日々戦う人類最後のマスターこと、藤丸立香少年である。

 

実は先程のメロペーの劇的な変化には、彼が関わっていた。と言うより、彼がメロペーに相談されたことが発端だった。

 

 

「そりゃ気になるよ。一応、最初に頼まれたのは俺なんだから」

 

「そうだったのか?」

 

「アキレウスには話していませんでしたね。順を追って説明しましょう」

 

 

男三人は木陰に腰を下ろし、顔を突き合わせて話を始める。

 

 

「まず、メロペーがマスターに相談を持ち掛けた」

 

「うん。凄い剣幕で急に部屋に飛び込んできて、『この映画の女性のようになりたいんです!』って言いだしてさ……内容を確かめたら、ラブロマンスものだったんだけど」

 

「けど?」

 

「あの、ほら。いわゆる『つかまえてごら~ん♡』な感じの映画でさ。砂浜を男女のカップルが走って追っかけるやつ」

 

「ほぉ。で、それが先生とどう繋がるんだ?」

 

 

マスターが来たことで先程よりもそちらに興味がわいてきたアキレウスの口数が増える。それを補足する様にケイローンの言葉もまた増えてきた。

 

 

「そこでマスターは私の指導能力を買ってくださったのです。なにせ、彼女は神罰による失明を英霊となったことで固定化されていますので、普通に走ることは単純に困難でした。そこで私は、夏季に頻発するという霊基の変質現象に目をつけました」

 

「夏はみんな水着霊基になっちゃうからね…」

 

「なぁ、今更だが水着霊基って、何なんだ?」

 

「さぁ…?」

 

「解明は他の方がするでしょう。とにかく、マスターとメロペーは私を尋ねて来て下さった。目が見えずとも、愛する人と砂浜を駆けてみたい。そんな、ささやかな願いを叶えたいとね」

 

「なるほど、それであのお姫さんが先生を頼ったわけか」

 

 

合点がいった、とアキレウスは相槌を打つ。藤丸少年はケイローンに改めて感謝を伝え、成果について尋ねる。

 

 

「夏の水着霊基への調整、どう?」

 

「結果から見れば成功です。彼女の装いは私とミス・クレーンのアイデアを統合して設えたものですが、霊基情報の更新は私の課した訓練と他の皆々様の協力あってこそ。私だけでなく、協力してくれた方々にもお礼を言ってあげてください」

 

「勿論だよ。だからまずケイローンに言いに来たんだ」

 

「ありがとうございます。と、前置きはこのくらいにして」

 

 

ケイローンは懐に持っていたタブレットを操作し、マスターに手渡す。

そこにはサーヴァント・メロペーに関する情報が詳細に記載されていた。

 

 

 

 

 

サーヴァント / プロフィール

 

 

 

・クラス【魔術師(キャスター)

 

 

 

・真名 「メロペー」

 

 身長/体重 : 148cm・49㎏ 

 

 出展 : ギリシャ神話・新約古代ギリシャ怪談

 

 地域 : キオス島

 

 属性 : 混沌・善

 

 性別 : 女

 

 

 

・パラメーター

 

「筋力 / E」 「耐久 / E」 「敏捷 / E」

「魔力 / B」 「幸運 / E」 「宝具 / C」

 

 

 

・クラススキル

 

「陣地作成:D」「道具作成:C」

「狂気:A+++」「神性:D」「神罰の失眼:EX」

 

 

 

・スキル

 

「精神汚染:B+」「無辜の怪異:B」「千里眼(過):C」

 

 

 

・宝具

 

暗界に瞬く三ツ星(ギネ・ディッコウズ・モウ)

 

 

 

 

 

「こちらはマスターも御存知の通りですね?」

 

「うん。召喚したメロペーそのままだよ」

 

 

データを閲覧し、本人であることを確認したマスター。

ケイローンは画面を操作し、次のデータを表示してみせた。

 

 

「そしてこちらが、水着霊基を獲得したメロペーの情報です」

 

 

 

 

 

サーヴァント / プロフィール

 

 

 

・クラス【狂戦士(バーサーカー)

 

 

 

・真名 「メロペー(水着)」

 

 身長/体重 : 148cm・46㎏ 

 

 出展 : ギリシャ神話・新約古代ギリシャ怪談

 

 地域 : キオス島

 

 属性 : 恋愛(こんとん)・夏

 

 性別 : 女

 

 

 

・パラメーター

 

「筋力 / D」 「耐久 / E」 「敏捷 / C」

「魔力 / C」 「幸運 / B」 「宝具 / C」

 

 

 

・クラススキル

 

「陣地作成(砂浜):C+」「道具作成(演出):A+」

「狂気:A+++」「神性:D」「常夏の眩暈:EX」

 

 

 

・スキル

 

「渚のランデブー(偽):A」「浮き立つシーサイド:EX」「波打ち際のロマンス:A」

 

 

 

・宝具

 

いずれ実る蒼穹の恋(アガピメノス・アトム・ピアステケ)

 

 

 

 

 

「……なるほど?」

 

「かなり大幅に霊基が変質したのが分かりますか?」

 

「うん。でも…」

 

「ええ。霊基の質自体が大きく変わっても、彼女自身の在り様は変わっていません。彼女の行動原理が一貫し過ぎているからです。今回はそれが功を奏したわけですが」

 

 

ケイローンはマスターの気付きに対し、即座に答えを示してみせた。

 

行動原理の一貫性。つまるところ、メロペーというサーヴァントが動く理由など、一つしか有り得ない。それが分かっている藤丸少年は、彼女の次なる行動も想定が出来ていた。

 

 

「まぁ、バーサーカーになったからってすぐ暴走するとは限らないよね」

 

「ま、そうだな。というか元々がバーサーカーみたいなもんだったし…あだっ!?」

 

「アキレウス。未婚の、それも元とは言え王族のご息女にその物言いは失礼ですよ」

 

「そりゃ言いっこなしだろ先生!」

 

 

アキレウスの失言を窘め、ケイローンはマスターへと振り返り、頷きを返す。

 

 

「十中八九、新たな姿をオリオンへ見せに行くでしょう。自分の新たなる可能性を示すこと、あの姿になったことで出来るようになったこと。きっと彼女は、ありとあらゆる思いを文字通りぶつけに行くのではないかと」

 

「俺もそう思う。ただその場合、アルテミスが…」

 

「今までだってぶつかってんだ。バーサーカーなんつーごり押しまっしぐらな性質になっちまったんなら、もう比じゃねぇぐらいのぶつかり合いになっちまうかもな」

 

「対岸の火事のように見るばかりではいけませんよ、アキレウス。貴方の妹弟子なのですから、兄弟子として何かあれば手助けぐらいすべきでは?」

 

「それ、マジで言ってないよな先生?」

 

「ふふ、どうでしょう」

 

「マジの目してやがる…」

 

 

静かに目を細めてにこやかに微笑むケイローンに、アキレウスは顔色を青くして表情を歪める。妹弟子が出来るのは歓迎だが、それにしたって相手を選んでもいいだろう。そんな思いが透けて見える大英雄に苦言を呈する事もせず、ケイローンはマスターへ向き直り話を続ける。

 

 

「とにかく。取りあえずのところは暴走といった危険は見られないかと思われます。マスターの危惧も少しは晴れたでしょうか?」

 

「うん。まぁ、そこまで心配してたわけじゃないけどね」

 

「マスターたる身としては、最悪の想定も必要不可欠ですので、可能性を考慮して検証する行為は重要ですよ」

 

「ありがとう。でも、この分なら大丈夫そうだね」

 

 

アキレウスの言っていた通り、元々のキャスタークラスの時でさえバーサーカー並に精神状況が不安定なサーヴァントだったメロペー。彼女が正真正銘のバーサーカークラスへと変貌を遂げた今、どうなるか分かったものではない。警戒心を露わにするカルデアブレーンたちの考えも分からないではないのだが。

 

藤丸少年としては、恋に恋する乙女であるメロペーをそこまで危険視しなくてもいいだろうと楽観視したかった。

 

 

「そのようです……おや?」

 

「ケイローン?」

 

「誰か来たようですが」

 

 

ケイローンの言葉に周囲を見回す藤丸少年。

シミュレーターを起動してわざわざこの設定された砂浜へ足を運ぶ者がいるとすれば、ケイローンかアキレウス、もしくは自分に用件があると推測できる。

 

潮風を肌で感じながら十数秒。小島の森林地帯から枝を掻き分けて誰かが迫ってくることに気付く三人。アキレウスは寝そべったまま顔だけを向け、ケイローンは念の為にとマスターを背に隠して前に立つ。

 

ガサガサと枝葉を鳴らして近付いてきた者の姿が見えてきて、マスターは驚きの声をあげた。

 

 

「あ、いたぁ~! マーちゃ~ん!」

 

「マスター!」

 

「あれ、刑部姫? それに巴御前も?」

 

 

三人の前に現れたのは、美しい和装で着飾った黒髪と銀髪の美女二人。

 

ひとりは、現代日本にまで現存する文化財「姫路城」に住まうとされる物の怪、城化物の『刑部姫』である。クラス【暗殺者(アサシン)】の英霊でありながら、暗殺とはほぼ無縁の英霊だ。

もうひとりは、古く日本の歴史に刻まれた女性の武将にして豪傑、鬼の血を宿す旭将軍の『巴御前』である。クラス【弓兵(アーチャー)】の英霊にして肉体派の、近接戦を得意とする英霊。

 

同郷の英霊同士がカルデア内で時代を超え意気投合することは良くある話。また、時には住んでいた国や時代どころか種族さえも超えた繋がりを得ることもある。刑部姫と巴御前はまさにその最たる例と言っていいだろう。

 

 

「大変なの~! 助けてマーちゃん!」

 

「た、大変って何が?」

 

「それが、そのぉ……なんとお伝えしたものか。巴の言葉だけで正確に伝えきれる自信が無いのですが、マスターのお耳に入れておかなければならないかと考え、参上した次第です」

 

 

黒髪の美女刑部姫がマスターの顔を見るなり、ぜぇぜぇと息を切らして飛びつき助けを乞う。着いてきた巴御前は何やら口をもごもごさせて言い澱むばかり。首を傾げる藤丸少年とケイローンだったが、横になっていたアキレウスが起き上がり、欠伸を噛み殺して二人に問いかけた。

 

 

「くぁ~……で、何か起きたのは違いねぇんだろ? だったら早く話しなよ。問題かどうかはマスターとかダヴィンチあたりが判断する、だろ?」

 

「それも、そうですね」

 

 

アキレウスの言葉に頷いた巴御前は、マスターの顔を見つめ、告げる。

 

 

「実は――オリオン殿が突然、姿を消してしまったのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~一方その頃、名もなき微小特異点~

 

 

人の気配どころか獣の息遣いすら感じられない孤島の中心で、黄昏色に染まる西の空に背を向けた一人の美女が笑みを深める。

 

 

「ふふふ、くくくっ…はははは!」

 

『アンタの笑い声っていちいち癪に障るから止めてくんないか?』

 

『同感だよ。お前、貞淑って意味は理解してる?』

 

「ええい、やかましい! いま妾が歓喜に震えておるのだ、邪魔するなぁ!」

 

 

…訂正。肉体的な意味では一人だが、その内面には三人分の異なる精神が複合されている。自身の内から響く皮肉を喚くことで掻き消し、高圧的な性格の彼女は目の前にあるソレを見つめた。

 

 

「とにかく、コレで計画はいよいよ動き出すわけだ。思わず笑いが零れるのも致し方なかろう?」

 

『気持ちは分からんでもないよ。ただ…』

 

『ぶっちゃけるが義妹よ。お前さ、何か貢献した?』

 

「………ん?」

 

 

蠱惑的な笑みを張り付けて光り輝くソレを見つめていた彼女が、ほんの一瞬停止した。ささやかな悪戯がバレた小童のように、一目で分かる反応である。

 

 

『私が製造工程を復元(サルベージ)したこの願望器。造るのには相当な魔力が必要だから、私と彼女の有する「権能神殿」をこの地に作成した。つまり、実質的に働いたのは私たち二人だけってことになるんだが、それは分かってるよな?』

 

ッスー………」

 

『オイなに目線そらしてんだコッチ見ろ』

 

 

先程とは変わって凍り付いて離れなくなったぎこちない笑顔のまま、美女は冷や汗を垂らす。

 

肉体の主導権を()()()()()握っている彼女は知っていた。片方はともかく、義姉である彼女の機嫌を損ねるのはマズいということを。

 

 

『アタイの神殿で日の出から日没までの間、陽光から魔力を生成し続ける。そんでそれを姐さんの神殿で増幅、凝縮。工程に沿って形状を固定する。この作業があって初めて、聖杯ってのが完成するんだよな?』

 

『合ってるとも。さぁ愚妹? この作業工程の中で、お前が携わってる部分はあるのかい?』

 

「そ、それはそのぉ、えっと」

 

 

しどろもどろになって視線が宙を右往左往する美女。とんでもない醜態を晒しているが、此処は海に浮かぶ無人の孤島。他者の目を気にする必要が無いことが救いである。

 

自分の内側からの追及である為、逃れることも難しい。

たっぷり一分の沈黙に浸された彼女は、僅かに残っていた優美な雰囲気も拭い捨てて吠える。

 

 

「がああああっ! もうよいわ! 妾の命令がなければそもそも貴様らも動きだせてはおらなんだのだ! 妾、言い出しっぺ! 世の中言い出したモン勝ちなんじゃい!」

 

『……なぁ、姐さん』

 

『なんだい?』

 

『コレが神々の女王ってマジ?』

 

『信じたくないだろう? 現実なんて大体そんなものなのさ』

 

 

額を抑えて溜息を吐くような二人の反応を受け、目尻に大粒の滴を湛える美女。

 

 

グスッ……後で覚えとれよ貴様らぁ…」

 

『はいはい、お前が覚えてたら私も忘れないであげるよ。ほら、完成したぞ』

 

「本当かっ!? わーいやったー!」

 

『もう忘れてない?』

 

『しっ、言わなくていいよ』

 

 

金色に輝く杯をそっと持ち上げ、見る者の心を奪う神秘的な輝きに恍惚の表情を見せる美女。内心の二人は言葉を発する度にまとっていた神々しさの皮が剥げていく彼女を憐憫の思いで見つめるが、もうそんなことなど気にも留めていないのであった。

 

 

「……で、どうすれば使えるのだコレ」

 

『使い方とかってあんの?』

 

『聖杯の所有者となれば、ただ願うだけでいいみたいだ。所有権も、まぁ私たちが作ったものだし問題ないでしょう。不安なら本命の前に、小さな願いで試してみればいいじゃないか』

 

「そ、そうか。よぉし…」

 

 

ドキドキドキ。

 

頬が紅潮し、動悸が高まる。体内の熱が上がり、思考に無意味で無価値なエラーが入り乱れる。それらを胸の内にギュッと押し込め、美女は息を大きく吸い込み。

 

願いを、口にした。

 

 

「では―――ギリシャにその名を刻みし無双の狩人、三ツ星の狩人オリオンよ! 今再びその比類なき身と精神を携え、妾の元へ馳せ参じるがよい‼」

 

 

美女の宣言の様な言葉に反応し、魔力塊である聖杯が起動する。

 

 

『この莫迦! 初めは小規模な願望にしておけって言ったろうが!』

 

「だって早く逢いたかったんだもん!」

 

『ホンットに話を聞かないなぁアンタはぁ!』

 

「うるさいうるさい! もう願っちゃったんだから仕方なかろう!?」

 

 

がなる美女、攻め立てる二人。もう見慣れた構図だが、眼前で輝きを増していく聖杯の様子に三人(ひとり)は押し黙る。

 

ごうごうと唸りを上げて魔力が集束している様を間近で見つめ、弾けるエーテル光に期待が膨らんでいく。

 

 

「ほれ見ろほれ見ろ! コレ成功であろう? ちゃんと使えたぞ妾!」

 

『喜んでる場合かよっ! どどど、どうしよぅ…あ、アイツと本当にまた逢えるなんてぇ…! き、緊張してきちゃった』

 

『私は初対面だから感慨も何もありはしないけども。お前はどうなのさ』

 

「わ、妾? 妾は当然………どうしよぅ」

 

『どいつもこいつもどうかしてるんじゃないのか!?』

 

 

一番理性的で知性的な人格の女性がついに匙を投げた。

残された二人は、念願の人物――無双の狩人オリオンその人――を召喚できることに(自分たちでやった癖に)驚き、慌てふためくばかり。

 

召喚する準備に勤しむあまり、召喚してからのことなどこれっぽっちも考えていなかった。ようやく思い至った点に、高圧的な彼女と勝気な彼女は頭を抱える。

 

 

「『どうしよぉ~~~!?』」

 

『今更ジタバタしても遅いよ! って、待った。召喚され始めてる、けど……コイツは?』

 

 

エーテル体が徐々に形を成していく。情けない声を上げて髪を掻き乱す美女の眼前で姿が形成されていくソレは、けれど彼女らの想定している以上に()()()()()()()

 

そして、青白い余剰魔力の霧が晴れ、その全貌が露わになる。

 

 

「…………ん?」

 

 

霧散した魔力の中心にいたのは、愛らしくもどこか凛々しさをまとうクマを模したヌイグルミ。

何故か小型のコントローラーの様なものをふわふわおててで握りしめたまま、此方を見上げている姿で召喚されたようだ。

 

状況が飲み込めていないらしく、キョロキョロと周囲を見回す姿は、母熊を探す小熊のようでなんとも言えない愛くるしさで胸中を満たしてくる。

 

そんな彼――霊基の大半をアルテミスに削ぎ落とされた狩人オリオンの姿に、美女は固まり、そして。

 

 

「………か」

 

『…………わ』

 

『……………い』

 

「んん?」

 

 

それまで風と木々の揺れる音だけが騒がしかった島で、初めての騒音が轟いた。

 

 

「『『かわいいいいいいッ‼』』」

 

 

……コレが、オリオンと彼女、『テレイア』との出逢いの総てである。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか?

ここで真名が明らかになった美女「テレイア」の正体とは!?
なお正体を隠すつもりもない模様。アルターエゴだって感想欄でバラしちゃってるしね。


次回をお楽しみに!

ご意見ご感想、並びに質問や批評などもお気軽にどうぞ!



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夏の微小特異点・その3

どうも皆様、萃夢想天です。

まさかの新ぐだぐだイベントとは…。
おまけに初のクイック宝具キャスターに、☆5の坂本龍馬実装! なんかもう色々と衝撃でした…。

で? 幕末四大人斬りの新兵衛君実装は?(真顔)

絶対無敵貫通持ち防御無視の単体バスターアサシンになれたのに……どうして、どうして…。ゴリッゴリの脳筋タイプなのに忠義に厚いのズルいんだぁ。

そんな田中新兵衛非実装の悲しみを糧に初投稿です。

(とか言ってたらツングースカ始まってて草も生えんわ)




 

 

 

 

―――オリオンが消えた。

 

 

刑部姫と巴御前からそう聞いたマスターは、同じ場に居たケイローンとアキレウスを伴ってカルデア管制室に直行する。息を切らしながら着いてきた刑部姫は、ひぃひぃと息を整えてから藤丸少年に改めて事の始まりを語った。

 

 

「あのね、(わたし)と巴さんとガッちゃんの三人で狩猟ゲーしてたんだけど、そこでガッちゃんが『そう言えばこういう狩り系のゲームでも、実際の狩りの知識とか経験が活きたりするんスかね?』って言いだしたんだ」

 

「ガッちゃん?」

 

「ガネーシャ殿です」

 

 

刑部姫の話を巴御前が補完する。藤丸少年は聞き覚えのある名前に、ああ。と無言で納得した。彼女の語ったガネーシャとは、いわゆる『疑似サーヴァント』と呼ばれるタイプで、魂や精神を全く別の依代に移して召喚される英霊のことを指す。

 

三国志で名を馳せた【諸葛孔明】や【司馬懿】も、肉体は現代の魔術師である【ロード・エルメロイ二世】とその義理の妹の【ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ】となっている。

 

ガネーシャもインド神話で有名な神格なのだが、肉体は残念ぽっちゃり美人な【ジナコ・カリギリ】という女性である。このガネーシャと巴御前、刑部姫らは同好の士として非常に仲が良く、レクリエーションルームで暇さえあればゲーム仲間として集っていることで有名だ。

 

彼女らの繋がりを知っている藤丸少年は、刑部姫の口から出たガネーシャの名に驚くことなく、話の続きを促す。

 

 

「それで、生粋の狩人のオリオンを呼んだってこと?」

 

「ちょうどアタランテ・オルタ殿から逃げてきたとのことで、娯楽室に飛び込んで来たんです。でしたので、それでしたらとげえむをお勧めしたのです」

 

「神代の狩人にゲーム内の狩りを勧めんなよ…」

 

「アキレウス?」

 

「いや、今の言い分はおかしくないでしょ!?」

 

 

巴御前の話を受け、師弟コンビの反応はいつものことと受け流しながら、それよりも何故アタランテ・オルタに狙われているのかと驚く藤丸少年であった。

 

 

「とにかく。そうやって狩りゲーにオリオンさんを招待してしばらく四人で遊んでたんだけど…」

 

「しばらくすると、オリオン殿の身体が光を帯びて、輝きが増したかと思ったら忽然と姿が消えてしまいました」

 

「ゲームしてたら消えた、ってこと?」

 

「要点を絞ればそうなりますね」

 

 

二人の話を聞き、話をまとめる。ケイローンも藤丸少年のまとめ方に首肯し、話の流れに矛盾点や不審な点がないことを確認した。

 

藤丸少年と四騎のサーヴァント達が管制室に辿り着き、そこで―――地獄を見た。

 

 

「オリオン様が消えたというのは本当か!?」

 

「隠し立てすれば容赦しないぞ‼」

 

「どいて兄様! 彼を探さなくては!」

 

「落ち着けポルクス、落ち着いてくれ!」

 

 

喧々囂々、飛び交う怒号と悲鳴。

即ち此処は、阿鼻叫喚(イビルウィンド風)。

 

 

「なんだ此処地獄かよ」

 

 

思わずアキレウスが呟くのも無理もない光景である。

 

女性――特にギリシャ出身――を中心とした者達が暴走したようにカルデアのあちこちを奔走していた。血眼になって部屋の隅まで見回す者、誰彼構わずオリオンの行方を尋ねる者、別に大したことじゃないと騒がず落ち着いている者、そもそも興味ないと我関せずを貫く者。対応はそれぞれ違うが、話題の中心としてオリオンの名が挙がっている事に間違いはなかった。

 

 

「駄妹! カルデア中を駆けずり回ってでも居場所を突き止めなさい。コレは命令よ、早く!」

 

「は、はいっ!」

 

「……(ステンノ)が取り繕う余裕も無いなんて。思ったよりもヤバい状況なのかしら」

 

「うう、えうりゅあれ。おれ、おりおん、しんぱい」

 

 

どこもかしこもどったんばったん大騒ぎ。わぉ、などと驚いている場合ではないが。

 

管制室にやって来た藤丸少年に気付き、二人のアタランテに言い寄られて表情に疲れが見えるダ・ヴィンチが駆け寄ってくる。カルデアの頭脳たる(かのじょ)に状況を改めて尋ねようと藤丸少年が口を開く。

 

 

「事情はおっきー達から聞いたけど、何がどうしてこんなことになってるの?」

 

「いやぁ、それがね…」

 

 

普段の余裕綽々とした微笑みはどこにもなく、焦りを含んだ緊張で張り詰めた表情を浮かべるダ・ヴィンチ。これまで共に旅をしてきた仲間の滅多に見ない様子に、流石の人類最後のマスターも意識を切り替える。

そんな藤丸少年に、ダ・ヴィンチは状況説明を始める。

 

 

「オリオンの霊基の一部がカルデア内から忽然と消失していたことはこちらでも確認できていた。マスターである君の身に何かあったのであれば、契約中の総てのサーヴァントに影響が現れるはずだしね。そうなると、オリオン自身に何らかの異常か変調の兆候があったと考えるべきだ。」

 

「それを調べたの?」

 

「調べたというか、調べようとしたら…」

 

 

明朗快活、それでいてズバッと話の核心を捉えた言葉選びをするはずのダ・ヴィンチが、今日はやけに歯切れが悪い。まるで、何かに遠慮しているかのように。

 

様子の変化に気付いた藤丸少年は、ダ・ヴィンチの泳いだ視線の先に目を向ける。

そこで藤丸少年が目にしたのは、一騎のサーヴァントの変わり果てた姿だった。

 

 

「オリオン、どこ……オリオン」

 

 

穢れを知らない無垢なる月の女神【アルテミス】が、どんな時も幼げに天真爛漫な姿を見せていたはずの彼女がそこにあった。ただし、別人のようにやつれた表情で。

 

共に特異点という人理の危機に立ち向かってきた仲間の初めて見る姿に、藤丸少年も驚きを隠せない。動揺して言葉が喉を詰まらせていた時、管制室にマシュが到着した。

 

 

「マシュ・キリエライトです。遅れてすみません!」

 

「いや、大丈夫だ。さて、マシュも来たことだし、今起きている事態について改めて話し合おう」

 

「はい。あの、ところで…あちらの隅で蹲って震えているのはアルテミスさんでは?」

 

「それについても、ね」

 

 

煩わし気に前髪を掻き上げたダ・ヴィンチは、視線と指の動きでケイローンに指示を出す。意図を汲み取った賢者は静かに頷き、アキレウスと二人で血気に逸るアタランテ達を管制室から連れ出していく。彼女らがいたままでは落ち着いて話すこともできない、ということだろう。

 

喧騒が遠ざかっていくのを見届けてから、ダ・ヴィンチが状況の報告を開始する。

 

 

「何が起きたかは言わなくても分かってるね? カルデア内に居たオリオンの霊基反応が一部消失した。いや、正確に言えば消失ではなく、どこか別の場所に飛ばされたと表現すべきかな」

 

「飛ばされた…? では、霊核が破壊されて『座』に還ってはいないのですね?」

 

「そこは大丈夫。なにせ、彼を核にして一緒に現界しているアルテミスが此処にいるわけだし。彼女が存在している以上、彼の存在証明もまた確立されている。ただ、問題は何処に行ったのかということだ」

 

「おっきー達の話だと、急に体が光って消えたらしいけど」

 

 

マシュがオリオンの安否を気に掛けるが、そこは大丈夫な様子。

ひとまず無事、とは言い難いが一応生きてはいるという情報に安堵したマシュと藤丸少年。しかし、肝心の消えたオリオンの居場所に話の焦点が移った。

 

 

「自然的な現象でもなければ、オリオン自身の起こした行動とは思えない。となれば必然的に、()()()()()()()()()()()わけだが」

 

「第三者…」

 

「オリオンを単独でカルデアから引き抜いた。何処か違う場所に招き入れたか連れ去ったかは不明だが、他に消失した霊基は確認されていない。偶然って可能性もゼロじゃないが、それならそれでオリオン以外に被害が出てないのは気掛かりだ」

 

「じゃあ…第三者の狙いはオリオンってこと?」

 

「そうなるかな、多分」

 

 

オリオンを狙っている何者かがいる。漠然とした異常事態から、浮かび上がる何者かの意思。人類最後のマスターたる彼は、警戒心を更に引き上げた。

 

話し合いをしていると、管制室の機器にかじりついていたスタッフの一人が声を張り上げた。

 

 

「所長代理! オリオンのものと思われる霊基反応のサーチに成功しました!」

 

「おお! そいつは朗報だ。場所は?」

 

「それが……第三特異点のオケアノスに近い状態の、微小特異点のようで」

 

「第三特異点ってことは、オケアノスか」

 

「そこに近い場所までは絞れたのですが、どうも様々な時代が混ぜこぜになっているらしく」

 

「あー、カリブとかその辺の時代の海そのものが混入してるのかもしれない。とにかく、オリオンの座標だけにピント合わせて!」

 

「はい!」

 

 

ダ・ヴィンチの指示に従い、数名のスタッフが再びスクリーンに向き直り作業を再開する。カタカタ、とキーを叩く音が微かに聞こえる中で話の本筋を少し巻き戻す。

 

 

「とにかくだ。カルデア内からオリオンを()()()()()()()()()。この事実に対し、我々カルデアは奪還作戦を発令する!」

 

「勿論です! オリオンさんはカルデアにとって欠けてはならない戦力であり、それ以上に大切な仲間なのですから!」

 

「そうだ、取り返さなきゃ!」

 

「うんうん。二人ともいい意気込みだとも」

 

 

鷹揚にダ・ヴィンチが号令をかけ、人理修復のスペシャリストと化した二人が受諾する。今回の事件もまた人類史を修復するうえで、そして何より大切な仲間を助ける為の戦いに身を投じようとしていた。

 

決意を新たに行動を開始しようとした、その時。

 

ビィ――! ビィ――!

 

 

「なんだ!?」

 

警報(アラート)!? 何が起きた?」

 

「所長代理、緊急事態です! 何者かがシステムに干渉しています! それも凄い速度で、理論防壁も霊子障壁も紙屑みたいに…!」

 

「何だって!? くそ、コンソール借りるよ!」

 

 

管制室のランプが赤く灯り、けたたましいサイレン音が鳴り響く。明らかに良くないことが起きている。そう感じた藤丸少年を置き去りに、事態は悪化の一途を辿っていく。

 

 

「なんだこの浸食速度……冗談じゃない! カルデアの電子機器の防御性能は並大抵じゃないはずなのに、こんなの…! 私が直に壁を張っても間に合わないとか、どうやってるのか見当もつかないぞコレ!?」

 

「ダヴィンチちゃん、いったい何が?」

 

「ごめんマシュ! 余裕ないから手伝って!」

 

「は、はいっ!」

 

 

あの万能無敵を自称するカルデアの頭脳ですら歯が立たない。暗にそう告げる彼女の言葉に、手伝う事すらできない藤丸少年は無力感を通り越して事態を飲み込むのに必死だった。

 

カルデアからオリオンを誘拐した何者かの存在に気付いた。かと思えば、カルデアのシステムが何らかの干渉を受けている。これが偶然の出来事とは思えない。関係性はあるはずだ、そう思ってもサーヴァントのマスターであって魔術師としては三流以下の彼には、打てる手が一つもない。

 

ただ成り行きを静かに見守ることしか許されない。

歯痒さに拳を握りしめていると、室内のスピーカーにノイズが奔り出した。

 

 

「マジかよ! システムの一部を握られた!?」

 

「これは、いったいどうすれば…」

 

「マシュ、ダヴィンチちゃん! スピーカーから何か聞こえる…!」

 

 

ザザザ、と耳障りなノイズが徐々に治まり、遠くから呼びかける声のような音が聞こえた気がした。藤丸少年は余裕の無くなった顔つきで画面を睨む二人の名を呼ぶ。

 

マスターに名を呼ばれた二人は同時に振り返り、耳を澄ませる。確かに彼の言う通り、語り掛けるような声が管制室内に広がっていた。

 

 

『―――こ――か』

 

「なんだ…?」

 

『きこ――るか』

 

「ダヴィンチちゃん、何か…聞こえます」

 

『き――え――か、人げ――』

 

 

管制室に居るスタッフたちの耳にも届いたようで、全員が手を止めて謎の声に耳を傾ける。

 

小さく不透明な音が、次第に鮮明に聞こえてきた。

 

 

『――聞こえているか、人間達』

 

 

凛とした、女性の声だった。

 

突如としてカルデアのシステムに侵攻してきた存在、だろうか。敵対者であるかすら分からない、謎の存在がにじり寄ってくる焦燥感に藤丸少年の心拍数が跳ね上がる。

 

焦って判断を間違えないよう、努めて冷静であろうと鋭く息を吐く。そして、まるでスピーカーを――その向こうにいるであろう存在に視線を向けた。

 

 

『――ふむ、抵抗が止んだ。どうやら聞こえているようだね。接触も問題なく成功したらしい』

 

「接触、ねぇ? こっちとしてはシステムの三割近くを握られてるから問題大有りなんだけどなぁ」

 

『そちらの声も聞こえている。人類の賢人よ、此度は騒がせてしまって申し訳なく思っている』

 

「申し訳ないって言うなら、君が何者で、目的が何なのかをハッキリ言ってもらいたいものだが?」

 

『……それも尤もな話だ。ではさしあたって、此方側の要件を伝えよう』

 

 

姿の見えない存在からの接触。カルデア中に緊張が奔った。

 

少なくとも科学・魔術双方の粋を凝らした防御をいとも容易く突破してみせる力があり、逆に此方へ語り掛けるほどの余裕も持ち合わせている。状況的には相手側へ有利に傾いていると言っていいだろう。

 

 

「要件だって?」

 

『そうとも。君達に頼みがあってこのような形で接触させてもらった』

 

「なるほど。それで、要件とはなんだい?」

 

 

此方側の生命線の一部を相手に握られている。それでも冷静さを失わずにダ・ヴィンチが対応してみせる。頼れる所長代理の姿を見ていると、謎の声は異様に神妙な声色で要件を伝えてきた。

 

 

『君達にはあの()()()()を―――オリオンをどうにかしてもらいたいのさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――少々時間を遡り、微小特異点―――

 

 

白い砂浜に寄せては返す波の音が、名も知らぬ島に響く最も大きな音だった。

少なくともその島に、巨大な神殿が二つも建立される前までは、だが。

 

現在、この島において最も大きな音とは……桃色の歓声であった。

 

 

『か、かわ、くぁわわわわぁ!』

 

「おいどうした義姉上!? 言語野バグったか!?」

 

『な、何だよこの愛くるしい生き物ぉ! 可愛いの概念そのものかよぉ!』

 

 

超級サーヴァントとしての権能レベルのスキルで召喚した、とある女神を讃える為の神殿の祭壇にて。万能の願望器に近しい性能の魔力源を精製した絶世の美女は、ソレにある願いを託した。

 

それは、ある人物を呼び出す事。

 

何を隠そうその人物こそは、ギリシャ神話に名高き『三ツ星の狩人』、超人的な力を宿す半神半人【オリオン】である。

 

ところが、召喚されたのは身の丈2mもあろうほどの筋骨隆々の大男ではなく、何とも愛らしいモフモフのクマを模したヌイグルミだった。

 

何を言っているか分からねぇと思うが、それは実際正しい。

 

 

「正気を保て貴様ら! 妾を見ろ! 相手は小動物ぞ、まず目線を合わせてだな…」

 

『お前が落ち着け! 地べたに這いつくばって妖しく笑う女神とか字面がアウトだ!』

 

『そうだそうだ! こういう時はまず餌を用意するんだ!』

 

「たわけ共が、妾に従わぬか! 一人三面相しとったらこの子が怖がるじゃろうが!」

 

 

三柱の女神としての意識はそのままに、仮初めの肉体は一人分。つまり実質、三重人格者のような状態の彼女は、己の内側から喧々囂々と声を張り上げる二柱の女神と言い争っている。

 

けれど、傍から見ればひとりの女性が猛烈にヤバい独り言を寸劇をしているようなもの。ヤベェ奴認定まっしぐら。悪いな女神様、その体一人用なんだわ。

 

そんな彼女達の事情など露ほども知らないのは、彼女らの願望によってカルデアから召喚されてしまったばかりの、ヌイグルミのオリオンである。

 

 

(……なんだコレは。どうすればいいのだ?)

 

 

ああ、哀れオリオン。

生前だろうが死後だろうが、女絡みの厄介事は向こうから突っ込んでくるんやなって。

 

オリオンは眼前で唸ったり息を荒げたりする美女をさておき、現状の把握を始める。

 

 

(此処は何処だ…? 確か先程までカルデアの娯楽室にいたはずなのだが)

 

 

覚えている限りの記憶を辿り、現状に至るまでの経緯を遡ろうとした。

 

 

(刑部姫殿や巴御前殿、ガネーシャ殿と『狩りゲー』とやらに興じていたはずが……何をどうしてこうなったか。間の記憶が全くない。そうなると、こちらの女性に連れて来られたか? だが、どうやって? 何の為に?)

 

 

辺りを見回すが、見えてくるのはどこか見慣れた建築様式の神殿の祭壇。そこから見下ろせばあとは波と砂と木々ばかり。自分が居たはずのカルデアらしき人工建造物は影も形もない。この状況からオリオンは、自分が何らかの目的の為にカルデアから召喚されたのだと推察した。

 

召喚者は眼前でコロコロと表情を変える謎の美女に間違いない。そして、彼女が抱えている黄金の輝きには見覚えがあった。

 

 

(アレは、聖杯? 膨大な魔力リソースとしての聖杯なのだろうが、どうしてこの女性が?)

 

 

謎は深まるばかり。考えても分からないことは直接聞くのが一番。

オリオンはヌイグルミの身であっても佇まいを整え、未だにギャースカ騒いでいる残念美人を見上げ、声を掛けようと口を開いた。

 

だが、その時。彼の体に異変が起こった。

 

 

「んぐぅっ!? ぐぁ、あああぁ…!」

 

 

突如としてオリオンを襲ったのは、耐え難き激痛。

身体の中身が膨張して膨れ上がるような、無理やり内側に何かを突っ込まれたかのような、身を引き裂かれる痛みにオリオンはもこもこの頭を抱えて転げ回る。

 

 

「……ちょ、ちょっと待て! おい、何か様子が変ではないか?」

 

『変どころじゃねぇよ、何かヤバくないかコレ!?』

 

『もがき苦しんでいるようだね。どこか痛むのではないかな』

 

「れ、冷静に言っとる場合か‼ 助けてやらねば…」

 

 

流石にオリオンの急変に気付いた美女は、怖々としながらヌイグルミを抱きかかえる。

 

 

『…で、どうしたらいいんだい?』

 

『何が原因かを突き止めるのが先だろう』

 

「突然過ぎて思いつかんわ! とにかく痛みを和らげてやらねば! ええと、こういう時は細胞活性機能の増強と、あとは…」

 

『おい待て義妹よ、それを前にやった相手が肉爆弾になったの忘れたのか?』

 

「アレはそうなるようにわざとしたんじゃ! こんな場面でふざけるわけなかろうが!」

 

『旦那に粉掛けられた相手を問答無用で汚い花火に変えちまうアンタも大概だけどな』

 

「集中ぅ! できんくなるぅ!」

 

 

絶え間なく襲う激痛に身をよじるオリオンを強く抱き寄せ、とにかく痛みの緩和が先決と自身の有する権能(スキル)を発動しようとした矢先。腕の中で暴れ回っていたヌイグルミがピタリと動きを止めた。

 

 

「こ、今度は何じゃ!?」

 

『治まった、のかな…?』

 

『だといいけども』

 

「なんでそう不安にさせる物言いをするかなぁ義姉上はなぁ!」

 

 

心配そうに顔を覗き込む美女。すると、静止していたヌイグルミの顔が動き、彼女を見つめる。

 

まるでドラマの1シーンのような光景だが、長くは続かなかった。

 

 

「アレ、ええっと……? ()()は何をしてたんだっけか?」

 

「おお! 気付いたか、良い良い!」

 

「んぁ…? むほぉぉ! すんげぇ美人のネーチャンじゃねぇの!」

 

「………ん?」

 

 

美女は数秒ほど固まり、そしてまず己の集音性能(みみ)を疑った。

 

気のせいか。今しがた、あの英傑オリオンの口から出るとは思えない軽薄な言葉が聞こえたような。そう訝しんだ美女はしかし、腕の中から鼻息を荒くして不快に身をくねらせるクマのヌイグルミを見て、何故か生理的な嫌悪感を覚えた。

 

 

「いやぁ、流石オレってば罪な男。見知らぬ土地でもこぉんな美人を、記憶もねーのに捕まえちまってんだもんなぁ。HAHAHA!」

 

「……???」

 

『あれ、なんか…?』

 

『私は関わりが無いから判断できないけど、彼ってこういう感じなのかい?』

 

 

そんなわけはない。

三人の人格を統合するリーダー的存在である不遜な態度の女は、静かに首を振る。

 

彼女の知っているオリオンは、冗談でも先のような言葉は吐くまい。

となれば、考えられる可能性は大きく二つ。

 

一つは、このオリオンが本物ではない偽物か騙りの類であること。

そして、もう一つの可能性は。

 

 

『それとも――本性はこんなだった、とか?』

 

「違う、違う違う違う! 違うもん! 妾のオリオンはそんなん違うもん! もっと紳士的で、誠実で、清廉で、およそギリシャの男神から下心と性欲と見栄を抜き取って高潔さをマシマシにしたような感じだもん!」

 

『それもはや希臘属の男神(アイツら)とは呼べない別物だろ』

 

『一理ある』

 

 

実際のところ、ここまで強く否定している彼女自身、()()()()()()()()()()()()()()()()()のだが、ここまで言い切れる辺りが人徳の成せる業だろうか。

 

 

「ええい、脳内で品評会を催すなバカ共ぉ! 今はそれよりこのオリオンの異常をどうにかせねば――彼奴はどこだ?」

 

 

少なくとも彼女はオリオンという男の本性が、他の男共と変わらぬ下劣で品性のないものであるとは信じなかったし、信じられなかった。受け入れられない、と言い換えてもいい。

 

きっと先程の原因不明の苦しみに答えがあるはず。

そう考えた彼女はオリオンの治療を試みようとするも、肝心の彼の姿が腕の中から消えていた。

 

慌てて祭壇の周りを見るが、幾分小さなヌイグルミ。簡単には見つからない。焦りでさらに視野が狭まる中、彼女の内から更なる声が響いた。

 

 

『……なぁ、ちょっと』

 

「後にしろ! というか貴様らもオリオンを探す努力をせぬか!」

 

『体一つしかないのに無茶言うなよ。というかさぁ』

 

「なんだ!?」

 

『聖杯は?』

 

「……………ゑ?」

 

 

勝気な人格に指摘され、手にしていたはずの黄金の杯が無くなっていることに遅れて気付く。何故、何時、何処に。疑問符が次々と浮かび、思考容量を圧迫していく。

 

探す物が増えてしまったと愚痴るより早く、聞き覚えがあるはずなのに別人のように感じられる男の高笑いが聞こえてきた。

 

 

「しかも超ラッキーときたぜ。目が覚めたら美人に抱っこされてる上、聖杯のオマケ付きだなんてよー! アルテミスもいなさそうだし、こりゃぁいよいよオレの時代来ちゃったかなー? ハーッハッハッハ!」

 

『アイツ聖杯盗んでんじゃんか!?』

 

『私でも気が付かないなんて、とんだ手癖の悪さだこと』

 

「感心してどうする!? とにかく取り戻さねば!」

 

 

腕の中から消えたヌイグルミと聖杯の行方が明らかにはなった。しかし、危うい状況に変わりはない。美女はオリオンの異変を解決したい一心で策を講ずるより早く体を動かすが、相手は腐ろうがヌイグルミになろうが、天下無双の狩人。

 

目にも止まらぬ速さで祭壇を駆け回り、美女の手から逃れに逃れてついには神殿から飛び降りて島の森林へ姿を消してしまった。

 

 

聖杯(コイツ)がありゃやりたい放題だぜぇ! ヒャッホー! 悪いな黒髭ぇ! オレってば此処で理想の女の子だらけの楽園(エデン)を作ることに決めたぜ! カルデアで悔し涙流して待ってなー!」

 

 

慌てて追いかけようにも、相手は森林などの環境下で獣相手に狩りをしてきたプロ中のプロ。こちらの動きなど手に取るように看破されてしまうだろう。

 

そうなれば、どれだけ時間をかけようが見つけても捕まえることは至極困難になる。思わぬ事態の到来に、美女は顔を青くして混乱してしまう。

 

 

「えっ……と? ん?」

 

『ダメだこりゃ。情報の処理が追いついてねぇや』

 

『どちらかといえば、情報の解析を拒んでるに近いかな。オリオンの想像だにしなかった一面をまざまざと見せつけられて、思考回路が解釈違いを起こして狂ってる』

 

『ホンットに救いようがないねぇ!』

 

『……君の方はダメージがないみたいだけど』

 

『言わないでマジで。考えないようにしてるだけだから。冷静になった瞬間バグるよアタシ』

 

『あぁ、そう…』

 

 

冷静沈着な人格は考える。ここで彼女を下手に突いて言葉通りに機能を停止してしまえば、残るのは役立たずの人格二つを抱えた自分のみ。クソゲーにも程がある。

 

自分が背負う荷物は少ない方が良い。落ち着きのある彼女は口を噤んだ。

ただ、現実だけは変わらない。やれやれと気怠げに対処を考え始める。

 

 

『もう義妹は使い物にならないだろう。なら、私達でなんとかせねば』

 

『何とかって、どうするのさ?』

 

『……こうなると、選択できる手段は限られてくるけどね』

 

『どんな手段だ?』

 

 

勝気な人格が急かすように促すのを聞き、落ち着きのある彼女はゆったりとした口調で続きを語った。

 

 

『一つは、我々が総力を挙げてあのオリオンを見つけ、捕獲。異常の原因を特定して対処する』

 

『一番マトモな手だね』

 

『それで二つめは、うん。神としてのプライドやら何やらをかなぐり捨てて、オリオンを召喚した場所と連絡を取り、助けてもらう』

 

『はぁ?』

 

 

一つ目の策は理解できた。とにかくオリオンを発見、捕捉を自分たちでどうにかしようって作戦だ。もはや策もクソもない根性論だが。

 

だが分からないのは二つ目に語られた方だ。

 

 

『助けてもらうって、誰にさ?』

 

『あのオリオン……便宜上、擬きと呼ぶが。オリオン擬きは森へ消える前にこう言っていた』

 

 

――悪いな黒髭ぇ!

 

――カルデアで悔し涙流して待ってなー!

 

 

『黒髭とは恐らく人物名だが、少なくとも我々ギリシャに連なる名ではない。ギリシャに生まれ死んだオリオンが、そんな相手の名前を生前から知っていたとは考えにくい』

 

『死後……英霊になってからの付き合いって事か』

 

『だろうね。そして、英霊となった我々にもカルデアという名称の記録がある』

 

『確か、人理の継続云々だかをどーにかする人間の組織、だったっけ?』

 

『あやふやだけど、そこでは英霊が何騎もこぞって寄り集まってるらしいね』

 

 

オリオンの発言から紐解かれていく事実。

それはつまり、カルデアにオリオンが居たということ。

 

 

『じゃあ聖杯は英霊の【座】からじゃなくて』

 

『カルデアに居たオリオンを呼び出したんだろう』

 

 

だとすれば、オリオンの身に起こった異変についても情報が得られるやもしれない。対処法まで分かれば完璧だが、そこは後で確かめればいい。

 

けれど肝心な点が一つ。それに気付いた勝気な女性は指摘する。

 

 

『…でもさ。そのカルデアとやらと話は出来るの?』

 

『聖杯があればもっと楽にいけたけど、まぁ。やれないことはないと思う』

 

『マジ!?』

 

『私が主導権を握って、かなり無茶をすれば何とかって感じかな』

 

『試す価値はあるよ! それじゃまずは、このすっ呆けたバカと入れ替わらないとね!』

 

『莫迦でも私のかわいい義妹なんだ。ま、少し休んで落ち着いてもらうにもちょうどいいか』

 

 

そう言って、冷静な女性は高慢な人格を思考の奥底へ押し込み、肉体の主導権を一時的に掌握する。

 

スッ…と。瞳を閉じ、再び見開かれた時。

 

文字通りに彼女は変わっていた。

 

 

『ふぅ。本来の私の10%未満かぁ。これは厳しいかも』

 

 

赤と黒を基調とした、派手なドレス姿の美女の姿はない。

其処に居たのは、水色のレオタードの様な衣装に黄金の装飾と軽鎧をまとう、切れ長の目を持ったクールな印象の美女。

 

彼女は己の機能の全てを、カルデア捜索の為に費やした。

五感の内の四つを自己封鎖し、浮いたリソースも回してどうにか捜索が出来るか、という段階だ。

 

 

『あぁコレ思ったよりヤバ……』

 

『頑張れ踏ん張れ頑張れ踏ん張れ!』

 

『身内の不始末だ、なんとかしてやらなきゃね……』

 

 

そう言ってから、冷静な彼女は意識を集中させるために口を開かなくなった。

 

それから、どれほどの時間が経過しただろう。

 

少なくとも、陽が何度か昇り、月も幾度か沈んだ。

常人であればとっくに倒れている時間も意識を集中させ続けた彼女。

 

そのひたむきな努力が、ついに実を結ぶ瞬間が訪れる。

 

 

『――聞こえているか、人間達』

 

 

…こうして、カルデアの騒がしい新たな夏のイベントの幕が上がったのである。

 

 

 






いかがだったでしょうか。

本当に遅くなって申し訳ない。
ちまちま書いてたらもう年末になってて驚きました。
仕事がね、いくら減らしても無くならないの(真顔)

もう新年は目と鼻の先になりましたが、
新たなサーヴァントと福袋が楽しみですね!


それでは次回をお楽しみに!


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夏の微小特異点・その4

どうも皆様、拙作のオリジナル異聞帯作品でやりたかったことの一部をツングースカで先取りされて悔しさのあまりゲロを吐いた萃夢想天です。

あ、コヤンスカヤの正体やらニキチッチなんかとの関わりはすこでした。

さて。2021年も終わり、新たな一年が始まります。
次の一年でFGOがどうなるのか。覚悟を決めて新年を迎えましょう。

それでは、どうぞ!


 

 

 

カルデアから突如として、オリオンが消失した。

この異常事態に対して、司令官代理を務めるダ・ヴィンチが人類最後のマスター・藤丸立香へオリオン奪還作戦の指示を出そうとしたまさにその瞬間。

 

カルデアのシステムが異常を検知。瞬く間にシステムの一部を掌握され、謎の呼び声による接触を許してしまう。

 

声の主は敵か、それとも――。

 

 

「……これは熱い。今度の新刊の冒頭に使えそうかも」

 

「割とヤバめな状況でそんなこと考えられるおっきーの精神性、神様的にもボク的にもちょっと引くなぁ」

 

「ガッちゃん言い方きつくない!?」

 

 

後ろで茶番的な掛け合いをするダメ英霊二人を無視して、スピーカーから凛とした女性の声が再び聞こえてくる。

 

 

『そこは、人理継続保障機関とやらで合っているかな?』

 

「いかにも。此処はカルデアさ」

 

『そうか。では、そちらにオリオンという英霊は居るかい?』

 

 

コンソールに奔らせていた指を止め、少々不服そうな顔つきのまま、ダヴィンチちゃんが質問に答える。此処は確かにカルデアだが、その次の質問に藤丸少年は首を傾げた。

 

 

「あの、オリオンを攫ったのはあなたじゃないんですか?」

 

「先輩!」

 

「……まぁ、いずれ聞くつもりだったからいいけれど。交渉でそう早々と手札を切るものじゃないよってこれから覚えておこうね…」

 

「ご、ごめん」

 

 

先程まで、何者かがオリオンを拉致したのではないかという話を聞いていたせいか、疑いの言葉をかけてしまった。慌てたマシュや額に手を当てて小さく息を吐いたダヴィンチちゃんの反応を見て、「やってしまった」と後悔する藤丸少年。

彼の言葉を聞いた謎の声が少し途切れる。どうやら驚いているようだ。

 

 

『いや、彼の言葉も尤もだ。やはりそちらからオリオンは居なくなっているんだね。うんうん、知りたいことは分かった。では今度は君たちが知りたいことを教えようじゃないか』

 

「おや。気前がいいんだね」

 

『気前がいいと言うより、此方の不始末である以上は責任を取る必要があると考えたまででね』

 

「不始末、ですか?」

 

『語るも恥だが、語らずにいては恥の上塗りになる。ま、一番恥かくのは私じゃなくアイツだしいいけども』

 

「……?」

 

 

相手はオリオンの不在を承知しているようだが、想定していた状況とは異なるらしい。

 

カルデアとしては、謎の声の主がオリオンを何らかの方法でカルデアからオリオンのみを拉致したのではないか。そう疑っていたのだが、声の主からオリオンの不在を問われてしまった。

 

ただ、知りたいことを教えると向こうから言ってきている。その言葉を信じて疑問を投げかけてみるしかなさそうだ。

 

 

「じゃあお言葉に甘えさせてもらおうか。でもその前に、そっちで握ってるシステムを解放してもらえないかな」

 

『ん? あぁ、そっか。すまない。じゃあ音声だけ繋がる様に再調整して……これでどうだい』

 

「おっけー! 切断されてた機能を再接続して! 防壁の点検もすぐに!」

 

「はいっ!」

 

 

スタッフさんがダヴィンチちゃんの号令と共に慌ただしくコンソールを叩く。すると、カルデアの機能が少しずつ回復していった。異常を知らせるアラートや赤色のランプも止まり、落ち着いて話ができる状態に戻った。

 

 

「さて……一段落着いたところで、単刀直入に聞かせてもらおう。オリオンをどうにかしてほしい、そう言ってたけど。そちらはどういう状況なのかな?」

 

『流石は人類の賢人だね。話が早くて助かる』

 

「褒めても何も出ないよ」

 

『欲しいのは君じゃなくて、君たちの助力だよ。さっきも言ったけど、オリオンをどうにかしてほしくて君たちに応援を要請してるんだ』

 

「……話が見えないね。まず事の経緯を説明してもらえるだろうか」

 

 

ダヴィンチちゃんの頭脳でも話の先が見通せない以上、平凡な一般人である自分に分かるはずもないと藤丸少年は近くの椅子に腰を下ろす。彼の様子を見ていたマシュもそれに倣い、彼の近くに椅子を持ってきてちょこんと座った。

 

 

『分かった。それでは、事の経緯を詳らかにしよう』

 

 

謎の声の主はそう告げてから、一連の事情をカルデアに伝えた。

 

自分が()()()()()()()()()()()()『ハイ・サーヴァント』という存在であること。

気付けば名もなき微小特異点の中にいたこと。

自力で聖杯を作り出し、それを用いてオリオンを召喚したこと。

 

そこまで話を聞いたダヴィンチちゃんは、表情を変えた。

 

 

「ストップ。ちょっと待ってほしい」

 

『どうかしたかな?』

 

「自力で聖杯を作ったってところも気になるけど、オリオンを召喚したってことは、召喚自体は成功したのかい?」

 

『ああ。召喚は成功した。いや、成功したって言っていいのかなアレは…』

 

「何か不具合でも?」

 

『不具合と言うか……うん。召喚されたオリオンが何故かクマのヌイグルミになってたんだよね』

 

 

どうしてだろうか、と呟く謎の声。

クマのヌイグルミになってるオリオンなんて、どこを探してもカルデアに召喚されたオリオン以外に居るはずがない。藤丸少年とマシュは顔を見合わせて頷く。

 

と言うか、ギリシャ最高の狩人がどうしてヌイグルミになっているんだろうか。今更ながら疑問に思う。召喚された時からその姿だったので慣れてしまっていたが、改めて考えるとおかしい。藤丸少年は首を捻る。

 

 

「あぁ、じゃあ間違いないね。カルデアのオリオンだ」

 

『そうか……最後の確認も済んだし、此処から先は直接伝えた方が早いとみた。そんなわけで、君達には私達のいる特異点とやらにまで来てもらいたい。出来るだろう?』

 

「出来るには出来るけども、事前に情報を出し切ってもらわないとこちらとしてもね」

 

 

ダヴィンチちゃんは声の主からさらに情報を引き出そうとしているみたいだ。けれど、相手は今すぐにでも特異点に来てほしいような口ぶりでいる。再三に渡るが、これが罠でないという確証も無い。ここからは慎重にならなければ。

 

集中して二人の会話を聞こうとしていると、モニターを見ているスタッフの一人が悲鳴のような叫び声をあげてダヴィンチちゃんを呼んだ。

 

 

「し、司令官代理! 緊急事態です!」

 

「またかい!? 今度は何があったの!?」

 

「それが、カルデア内から次々とサーヴァントの霊基反応が消失しています!」

 

「――何だって!?」

 

「いや、違う……これは、霊基反応が、オリオンのいる微小特異点に集まっている?」

 

 

スタッフの言葉に驚きを隠せないダヴィンチちゃん。当然、藤丸少年もマシュも驚愕のあまり立ち上がっていた。

 

どういうことかと問うより早く、モニターに目を向けたダヴィンチちゃんが声を荒げる。

 

 

「なんだコレ、どんどん減っていく…!?」

 

「ダヴィンチちゃん、コレはいったい?」

 

「…………ん?」

 

 

マシュの問いかけにも反応せず、黙々とモニターを睨んでいたダ・ヴィンチの様子が変わる。

何かに気付いたようで、藤丸少年とマシュも脇からモニターを覗き込んだ。

 

 

「霊基反応が移動しているのは、どれも……女性英霊のものばかりだ」

 

「ブーディカさん、カーミラさん、荊軻さん……ドレイクさんに紫式部さんまで!」

 

「何が起きているんだ…」

 

 

表示される情報から読み取れるのは、カルデア内の女性英霊の反応が次々と消失していることのみ。そして、どうやら彼女らはオリオンのいると思しき微小特異点へ向かっているらしいのだが。

 

ここで藤丸少年があることに気付く。

 

 

「でも、居なくなってない人もいるよ?」

 

「っ……藤丸君ナーイス‼ 反応に網張って、解析開始!」

 

 

何気なく発した言葉に万能の天才が食らいつき、消失していく反応に何らかの解析を始めた。それから数人の反応が消えたところで、ダヴィンチちゃんは目を輝かせて顔を上げる。

 

 

「見えた、共通点!」

 

「本当ですか!? いなくなった英霊の皆さんに、共通点があるということですか?」

 

「いいや、逆だよ。私が調べたのは、()()()()()()()()()()()()の方さ!」

 

 

そう言いながらダ・ヴィンチはコンソールを操作し、モニターに表示してみせた。

 

 

「残っているのは、ほとんどが男性英霊。それと一部の女性英霊のみ。それで、残された女性英霊にはある共通点が見られた」

 

「それって、なに?」

 

()()()()()()()()()ばかりなんだ、残っているのは」

 

 

今度は反応が消えた英霊の名がリストアップされて大きく表示される。

 

 

「居なくなったのはマシュの挙げた六名に加え、ジャンヌ・ダルク、マリー・アントワネット、アン・ボニー&メアリー・リード、マタ・ハリ、ゼノビア、清少納言、沖田総司、織田信長……数えたらキリがないけど、その誰もが神性にまつわるスキルを保有していない」

 

「つまり……無作為、あるいは無差別的な事象ではない?」

 

「多分そうだと思う」

 

『いや、その通りだ。これはあのオリオンがしでかしたことでね』

 

 

消えた英霊の名を挙げ連ねていくと、声の主が断言する。

サーヴァントの皆が消えていくのはオリオンの仕業だと明言されたが、信じがたいと藤丸少年は思った。

 

英霊オリオン。彼は究極的なまでに紳士的な男性だ。

男として生まれたからには、オリオンを目標とすべしという格言すら現代に残っているほどの存在である。無論、歴史や伝承にさほど明るくない藤丸少年ですら名前に聞き覚えがあるレベルの大英雄。そんな彼が、どうして女性ばかりを狙うのか。

 

繋がりが見えてこない。隣で無言のまま考えを巡らせているマシュも同じだろう。それほどまでにオリオンは信頼を得ていた。不埒な真似をするタイプではないと、確信を抱かれていた。

 

ところが、そうではないと声の主は一蹴する。

 

 

『サーヴァントとなった私達が召喚したせいか、それとも自作した聖杯の影響なのか。原因は定かではないが、どうもオリオンに何らかの異常が起こったようなんだ。少なくとも私達の知るオリオンも、高潔で清廉たる精神の持ち主だったと記憶しているからね。だから、そうなってしまった原因の調査と異常の修正をお願いしたいんだ』

 

「それで不始末が何やらと言っていたわけか。それで、具体的な異常というのは?」

 

『先も言ったが、そこからはもう見てもらった方が早いと思う。と言うわけで、早いところ来てもらいたい。これ以上犠牲者が増える前に…』

 

 

不穏な雰囲気を感じさせる言葉を漏らす謎の声。そう言えば、まだおそらく彼女と思われる存在の名前すら聞いていなかった。

 

藤丸少年はダ・ヴィンチが切り返すよりも早く名を聞いた。

 

 

「あの、勿論オリオンを救けに行くつもりで入るんですけど。あなたの名前を教えてもらえませんか?」

 

『名前? あぁ、そうか。まだ名乗ってすらいなかったね。これは失礼した』

 

 

そこから声の主は、あーでもないこーでもない、と唸ってはたっぷり時間を使って返事をした。

 

 

『私自身の名を持ち出すと少々厄介なのでね、現在の状態での仮初めの名で良ければ明かそう』

 

「構わないとも。英霊にはそれぞれ諸事情がついて回るものだし」

 

「……自分をモナ・リザに改造した人が言うと説得力が違うね」

 

「はっはっは、褒めるな藤丸君!」

 

 

いや褒めてないが。そう言いたげな表情の藤丸少年の方を酔っぱらいの親戚のようにバシバシと叩いて笑うキャスターのサーヴァント。ホント倒錯的な変態だな万能の天才って奴は。

 

カルデアのふんわりとしたノリを聞き届けてから、声の主はその名を明かす。

 

 

『では――我ら三柱の女神束ねし其の名は、【テレイア】』

 

 

古代ギリシャ語で『貞淑』を表す言葉を冠する、アルターエゴのサーヴァントはそう名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、いうわけで。オリオン救出作戦、再始動だ!」

 

 

声の主ことテレイアとの話し合いを経て、特異点の修復及びオリオンと続けざまに消えた女性英霊の救出任務がより正確な情報を得たことで練り直された。

 

当初はオリオンをカルデアに取り戻すだけで良かったが、新たに女性英霊の回収とオリオンの身に起こった謎の異常を正常化させなくてはならないという部分が追加された。

 

だが、いざ特異点に向け出動といったところで問題が発生する。

 

 

「……ダメです。想定通り、レイシフト安定しません」

 

「やっぱりか。うーん、そうなると向こうが拒んでると見た方が良いね」

 

 

レイシフトによる特異点修復。可能な限りカルデア所属の英霊を同行させる予定でいたのだが、思わぬ落とし穴が見つかる。

 

なんと、神性スキルの保有者はレイシフトの適性が得られず弾かれてしまう事態が発生した。それだけでなく、男性の英霊にも同様の現象が起こった。

 

 

「あたしを拒否るなんてイイ根性してるじゃない…こほん。ええ、残念ですが仕方ありませんね」

 

「ンー。ソーリー、マスター。私では力になれないみたいデース」

 

「姦淫の罪であればこの天秤で裁かなければなりませんが、法廷に持ち込めないなんて……歯痒いですわ」

 

 

竜を(拳で)諭した聖女マルタ、南米アステカ神話の女神ケツァルコアトル、正義と法の公平さを象徴する裁定者アストライアの三騎は、レイシフトに弾かれたことに悔しさを滲ませる。

 

 

「んぎぎぎぎ! あんにゃろう、男の夢にして禁断の固有結界を実現しようとしてやがる! コイツぁとんだ特異点じゃねぇか、あーんもうズルいズルい! 拙者もハーレム島で可愛いおにゃのこといちゃらぶちゅっちゅしたーい!」

 

「いやはや。まさかオリオンに先を越されるとは。予想外のダークホースというのは、いつの世にもいるものだな」

 

「そうとも言えんぞカエサル。趣味嗜好は個々人にあろうが、女の選り好みはいただけん。どうせなら丸ごと全部味わい尽くすほどの気概が無ければな、ガッハッハ!」

 

「おぉ、おおおお…ッ! なんてこった畜生! 断りもなく俺の奴隷(なかま)を持っていきやがってよぉ! 許せねぇ…大英雄だろうが何だろうが、大切なものを奪われて黙っていられるか!」

 

 

そしてこちらは男性英霊のごく一部。オリオンに出し抜かれたと血涙を流す者もいれば、ろくでもない因縁をつける者もいる。お前らも男ならオリオンを見習ってもろて。

 

ただ、こうなってくると戦力が激減してしまう事実に目を向けねばならない。

 

神性スキルは、同じ神性スキル保有者でなければ大きなダメージを与えられない。オリオンはヌイグルミであっても神性スキル保有者。つまり、神性を持たない英霊で挑んでも勝負にならない可能性がある。

 

おまけに男性英霊は基本的にレイシフト不可。残っている女性も、神性保有者は弾かれる。打つ手は皆無に等しい。

 

 

「あと適性検査をしてないのは…?」

 

 

メンバーのリストを見ながら頭を掻くダ・ヴィンチ。残されたサーヴァントの中で、レイシフト適正を試していない者があと数名残っているのを確認する。

 

そのうちの一人が先程から管制室の隅に居るのを思い出し、ちらりと様子を覗き見る。

 

 

「…………………」

 

 

月の女神アルテミス。オリオンの霊基を間借り(大半を強奪)して現界した、狩人と相思相愛の神霊サーヴァント。彼女はギリシャのオリュンポス十二神である為、間違いなく神性スキルの保有者だがオリオンと同一に召喚されている関係上、レイシフトの網をすり抜ける可能性はある。

 

しかし、今の彼女は抜け殻の様な精神状態になっている。

 

 

「うーん。無理矢理に、とは流石にね?」

 

 

可能性が最も高いとはいえ、精神的に不安定な彼女がレイシフト成功したとしても戦力に数えられるだろうか。特異点修復である以上、人類最後のマスターである藤丸少年の命を守る盾となり得る英霊の存在は重要だ。その為にも戦えるサーヴァントを選出したい。

 

そう思いながら名簿に目を落とす。そこに残された名前は、あと二つ。

 

 

「――オリオン様がいらっしゃると聞いて‼」

 

「オリオンを取り戻す戦力をお探しと聞きまして‼」

 

「……俺は妹の付き添いだ。何かを望もうとするなよ」

 

 

管制室で張り切っているのは、オリオンと同郷の英霊。

 

双子座となった神と人の兄妹、ディオスクロイ。

酒神の孫娘にして白仮面の老婆伝説の真実、メロペー。

 

カルデアでは最早恒例となった夏の水着霊基となったバーサーカーのメロペーは、カルデアを二、三周ほどしてオリオンを探しているところを引っ張って来た為、マシュと男性英霊が息を切らしている。

 

 

「じゃあ時間も押してるし、ちゃっちゃと適正測っちゃおう」

 

「制限時間なんてあったんですか?」

 

 

あるよ。年明けまでに投稿したいからね(本音)。

 

 

「いや、特にないけどテレイアが言ってたでしょ。これ以上犠牲者が出る前にって」

 

「どういう意味でしょうか?」

 

「それを知る為にもレッツ適性検査!」

 

 

万能の天才にも疲れはあるのだろう。ちょっとテンションがズレてきたダヴィンチちゃんを心配そうに見つめながら、レイシフト適性を計測する装置を起動するマシュ。数秒の沈黙の後、結果がモニターに表示される。

 

 

「結果……どちらもクリアです!」

 

「よっし! とりあえず二騎は確保だ!」

 

「やりましたね兄様!」

 

「ああ、そうだな(虚無顔)」

 

「私はオリオン様の婚約者ですし、当然では?」

 

 

検査結果に対し、それぞれのコメントがこちら。ディオスクロイは妹の未だかつてない暴走で目が虚渕作画になってるし、メロペーは「いつもの」状態。もう何なんだお前ら。

 

メロペーの発言について、カルデア職員は某蛇少女と同等ランクの対応プロトコルを推奨されている。触らぬ神に何とやら、というやつだ。そうだねって言って誤魔化すのが正攻法である。

 

色々と不安要素は残るが、マシュと二人で特異点に放り出す最悪の展開は避けられた。一先ずの安心に息を吐いたダ・ヴィンチは、改めて作戦概要を伝える。

 

 

「それではレイシフト同行者も絞れたということで、もう一度作戦内容を振り返るよ」

 

「お願いします」

 

「よろしい。では」

 

 

どこからか眼鏡を取り出して装着したダヴィンチちゃん。

 

 

「まず、レイシフト後は現地協力者と思しき【テレイア】と合流。その後は彼女と特異点の情報を収集、オリオンの状況を向こうと此方で逐一共有し合う。ディオスクロイとメロペーでどこまで出来るか分からないが、消えた女性英霊を此方へ戻せるよう可能な限り接触、場合によっては戦闘で一度倒してもらいたい」

 

「神性が無いとはいえ、一筋縄ではいきませんね」

 

「フッ…神の資格持たざる有象無象に、我らの歩み止められるものか」

 

「ではそちらはお任せしますね。私はオリオン様にこの当世の水着をお披露目に行きたいので」

 

「「「……………」」」

 

 

作戦概要と言ってるのにこの体たらく。目から光が消えてるけど今日もカルデアは元気です。

 

 

「そして、女性英霊の回収と並行してオリオンの異常の原因調査を行う。そちらは主にこっちでの解析に懸かってると思うから、スタッフの皆で頑張ろうね!」

 

「よろしくお願いします」

 

「レイシフト準備完了。いつでも行けます!」

 

 

ダヴィンチちゃんからのスタッフへの激励をバックに、藤丸少年はカルデア謹製の戦闘スーツに身を包む。そのままレイシフトをする為のコフィンの前に立ち、スタンバイを完了する。

 

システム・オールグリーン。存在証明、問題なし。

 

 

「それでは、レイシフト開始!」

 

 

ダ・ヴィンチの号令に合わせ、コフィンが起動する。

藤丸立香、マシュ、ディオスクロイ、そしてメロペーの四人の姿が青白い霊子に解けていく。

 

そして時代を超越するほんの僅かな一瞬、バーサーカー霊基の水着をまとい()()()()()()()()()()()()()()()()()メロペーが、蹲ったまま静止しているアルテミスに向けて高圧的に告げた。

 

 

「お先に失礼しますわ、阿婆擦れ(あばず)。私は愛する御方を取り戻しに行ってきますので、そこで打ちひしがれていなさいな。それにしても今の貴女、売女(ばいた)に相応しい姿でしてよ」

 

 

一方的に、積憤をぶつけるように。

悪意に塗れた暴言を吐き捨てたメロペーの姿は、もう消えていた。

 

オリオンの神話に登場する彼女や、白仮面の老婆伝説の彼女の姿を知るカルデアスタッフは、アルテミスに対してどんな思いを抱いているのか察してはいた。メロペーも「狂化:A+++」スキル保有者とはいえ、マスターとオリオンのいる手前ではアルテミスに剥きだしの敵意を見せることはなかった。

 

だが本心では、彼女への憎しみは煮え滾ったままだった。

 

あまりにも強烈な、呪詛にも似た宣戦布告。

シンと静まり返る管制室に、か細い女の声が響く。

 

 

「―――って」

 

 

霊基が励起状態に移行。神霊級サーヴァントの魔力反応が急上昇しているとモニターに表示されているが、誰一人として画面を見ていない。それもそうだろう。その反応の発信源が目の前で幽鬼の如く立ち上がっているのだから。

 

 

「―――ですって」

 

 

ゴゴゴゴゴ……‼

 

もうアラートが鳴りっぱなしだが、そんなことはお構いなし。

文字通りに女神の尊厳を完膚なきまでに叩きのめした相手に、黙っていられるほど女神という存在は優しくない。

 

美しく無垢なる月女神であるはずの彼女は、もう地獄から亡者を引き連れてきた修羅だと言われても信じてしまうほどに恐ろしい形相をしていた。

 

 

「なんですってぇぇーーーーッ‼」

 

 

ああ、哀れオリオン。知らないのか、月女神からは逃げられない(確定事項)

 

阿修羅すら凌駕する存在と化した月女神だったモノは怒髪天を突く勢いで空を仰ぎ、奇声を張り上げてダ・ヴィンチへ駆け寄る。

 

 

「今スグ、私ヲ、ダーリンニ会ワセナサイ‼」

 

「あっ、ハイ」

 

 

恐いもの知らずな科学者気質の天才も、神に逆らう勇気はない。言われるがままに装置を起動し、先に特異点へ向かった藤丸少年達の後追いをするようにアルテミスを送り送り出した。

 

 

「…………ふぅ」

 

 

強大な嵐が過ぎ去った。

誰もがそう思い、心底からの安堵の息を溢す。

 

 

「いやぁ………女って怖い!」

 

 

お前が言うな。という視線を受け、ダヴィンチは乾いた笑いで誤魔化した。

 

 

 

 







いかがだったでしょうか。

何とか年内に最後の投稿をすることが出来ました。
本当はオリジナル異聞帯を書く予定だったんですが、間に合わなくなりそうだったのでこちらの投稿を急ぎました。

さて、この季節感皆無の水着回。
予定ではあと1、2話で終わる予定です。
その後は当然、アトランティス編を開始します。

どうぞ2022年も、よろしくお願い致します。
良いお年と、福袋をお迎えください!

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夏の微小特異点・その5

どうも皆様、萃夢想天です。
明けましておめでとうございます(激遲)。
本年も拙作をよろしくお願い致します。

それでは本編、どうぞ!





 

寄せては返す青い波、広々と続く空、爽やかな風に乗って浮かぶ白雲。視界に映る風景の総てが、人間である藤丸少年の心を浮足立たせる。およそ特異点と言う緊急状況下であることを一瞬だけだが忘れさせるほどに、美しい場所だった。

 

尤もそれは、風情も何もない巨大神殿を目にするまでの話だったが。

 

 

「兄様、アレは…!」

 

「ああ。まさか斯様な僻地で、我らがギリシャの神性を讃える神殿を目にすることになろうとは」

 

 

マスターの傍らに控える【剣士(セイバー)】のサーヴァント、双子座の【ディオスクロイ】がやけにサイバネティックな造形部が目立つ神殿を見上げて呟く。どうやら二人には心当たりがあるようだ。

 

ひとまずレイシフトは成功。礼装による防護機能も正常。同行サーヴァントも目視で確認。目立った問題なく活動を開始させられると、藤丸少年は少し安心する。

 

 

「オリオン様ぁー! どちらにいらっしゃいますのー!?」

 

 

安心したそばからコレだよ(落胆)。

 

水着霊基を得て【狂戦士(バーサーカー)】にジョブチェンジしたサーヴァント、白仮面の老婆こと【メロペー】の行動は一から十まで一貫している。その行動原理は、オリオンという愛しい男性のみ。分かり切っていたことだと藤丸少年とマシュは勿論、双子の兄妹カストロとポルクスも眼を逸らした。

 

 

『レイシフト成功! 通信状況も良好だね!』

 

「ダヴィンチちゃん。こちらも特に問題はありません」

 

 

カルデアとの通信も健在。情報共有も恙なく行うことができるだろう。これからの特異点攻略の難易度が少し下がったと感じた一行だった。

 

一先ず周辺状況と安全地帯の確認に動こうとするが、通信機から緊迫した声が届く。

 

 

『藤丸君! 11時の方向から超強力なサーヴァントの反応が近付いてきている!』

 

「神殿の方からです!」

 

「マシュ! カストロ! 盾を!」

 

「了解です、マスター!」

 

「お任せください!」

 

「我らに命令とは、頭が高いぞ人間ッ!」

 

 

事態の急変にも焦らず、歴戦のマスターとしての対応をしてみせる。マシュは円卓の大盾を、カストロは導きの灯たる光をそれぞれ構え、マスターの前方へ並ぶ。ポルクスはセイバーの英霊らしく剣を携え、兄の傍らで切っ先を空へ向ける。

 

 

「オリオン様ぁー! オリオン様ぁー!」

 

 

そして、そんなこと知るかと言わんばかりに平常運転のメロペー姫。ある意味無敵である。

 

緊張が奔る中、五人の目の前に何者かが降り立った。

 

 

「妾の呼び声に応え、よく来たな人間ども!」

 

 

特異点に到着したカルデア一行へかけられた第一声。

どこまでも上から目線の労いの言葉であった。

 

 

「こ、この凄まじい神性は…‼」

 

「そんな、莫迦な…!?」

 

 

マシュと藤丸少年は警戒態勢を解いていないが、ポルクス&カストロは眼前に現れた女性に対し驚愕する。先程も目にした、同郷の意匠を凝らした神殿があったことから「まさか」とは思っていたが、想定していた以上の出来事が起きたような驚き方であった。

 

硬直している兄妹を一瞥し、女性は眉根を上げた。

 

 

「……ほぅ? 懐かしい気配だな。カルデアとやらにはギリシャに縁ある者も居ったとは」

 

「まさか、貴女は…!」

 

 

ポルクスの瞳が大きく揺れる。カストロも普段の冷徹な態度を上回る驚きで顔色が変わっていた。二人のあからさまな変化を見て、藤丸少年は相手が兄妹よりも格上の存在であることを察する。

同時に、現状の戦力を投入しても撃退できるかどうか分からないほどの圧を感じた。

 

現れた美女の目がカルデア一行を撫でるように流し見る。

常人とは比較にならない程に美麗な光彩が丸みを帯びた。

 

 

「ふむ。小僧、お前がカルデアのマスターとやらだな? 妾の知る英雄豪傑とは比べるべくもないが、素質はあるようだ。人理の修復という英雄的偉業、存分に果たすがよいぞ」

 

「は、はぁ…ありがとうございます?」

 

「うむ! 若い芽にも目をかけてやる妾の慈愛ぶりは天地に類無しよな」

 

 

どうやら自然と値踏みをされたようだ、と藤丸少年は内心で息を吐く。

これまでも数多の英霊たちから品定めをされてきた為に、人理修復当初と比べても心身ともに逞しく成長していた。言い方を変えれば、神経が図太くなったと言えなくもないが。

 

 

『自分で言うか普通』

 

『普通じゃないから自分で言えるんだよ』

 

「うっさいわ‼」

 

「と、突然なに!?」

 

「……何でもない。妾が何でもない、と言ったら何でもないのだ、よいな?」

 

 

黒と赤の二色をベースとした豪奢なドレスを纏う美女は、突如叫んだかと思えば反応したカルデア一行を凄味で黙らせようとする。既に幾つもの特異点を攻略した人類最後のマスターは、「あ、訳ありな奴だコレ」と目敏く察知。相手側からアクションを起こさない限り黙っていようと考えた。

 

コホン、と小さな咳払いを一つ挟み、美女は髪を掻き上げつつ改めて藤丸少年らを睥睨する。

 

 

「さて。我が呼び声に応えし者どもよ、妾は回りくどい話は好かぬ。故にまず結論から述べるぞ」

 

「は、はい」

 

 

絶対的な上位者が纏うオーラに中てられ、声が上擦り身体が強張る藤丸少年。そんな彼を意にも介さず、美女は自分のペースで話を進めていった。

 

 

「妾はこの地にて聖杯を顕現させ、望みを叶えよと命じた。しかし、聖杯は正しく機能せず、妾の願望を悍ましい形で具現化してみせた。まぁ、それが貴様らカルデアとやらに居たであろう、オリオンを引き寄せた為なのか。あるいはもっと他の理由があるのか、妾は与り知らぬところ。貴様らに求めることはただ一つ。混沌の魔獣と化したあの男と聖杯を、今一度我が手元へ―」

 

 

キャスタークラスの高速詠唱スキルを彷彿とさせる早口で紡がれた状況説明に困惑するカルデア一行。その中で藤丸少年は聞き捨てならない言葉を聞き拾った為、相手の話を遮るように声を上げてしまった。

 

 

「え、え? あの、ちょっと待ってください」

 

「待てぬ。もはや一刻の猶予も残されてはおらぬのだ。そも、たかが人間風情が、神たる妾に異を申し立てるなぞ言語道断。身の程を弁えよ」

 

「いや、だから…」

 

「マスター、貴様はもう二度と余計な口を開くな」

 

 

口を挟んだ藤丸少年だったが、取り付く島もないといった具合に相手にされない。それどころか、同行しているカストロにダメ出しされる始末。少しばかり傷ついたが、それでも人類史の危機を救ったマスターである。すぐに気を取り直して、口を噤むことにした。

 

マスターが閉口した為、情報を得る役割は残ったサーヴァントに任せるしかないのだが、サッと見回しただけで頼れる者はほとんどいないことに気付くポルクス。兄に代わり、不敬を承知で美女に話しかけた。

 

 

「あの…よろしいでしょうか?」

 

「ふむ? なんだ小娘。貴様もギリシャの神性であるようだが」

 

「は、はい! 我らの素性もそうですが、何より情報に乏しいので、一先ず落ち着いて話せる場所へマスターをお連れしたいのですが…」

 

 

物腰の柔らかい彼女の言葉に気を良くしたのか。美女は「そうかそうか」と大きく頷き、そびえ立つ巨大な神殿らしきものの方角へ視線を向ける。

 

 

「では、妾達の神殿へ行くとしよう。光栄に思うがよいぞ。ギリシャが誇る女神の神殿へ、足を踏み入れられるのだからな」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

「……兄様、私はマスターの前に入ります」

 

「良かろう。俺は後ろで有事に備える」

 

 

そのまま美女は、カルデア一行を伴い、神殿へと歩を進めた。

 

 

「あら? そちらにオリオン様がいらっしゃるの? お待ちくださいませ、マスター!」

 

 

…約一名、状況を飲み込む気が一切ない人物も連れ立って。

 

 

 

 

 

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「――改めて、妾がギリシャ世界を統べる大神が妃! 女神ヘ……テレイアじゃ」

 

『今ヘラって言いかけたね』

 

『言いかけたねこの莫迦』

 

 

美女の案内の元、一行は巨大な二つの神殿のうち、幾何学的な意匠の強い方の最上階に辿り着く。そこで件の美女こと「テレイア」の自己紹介を受けた。

 

 

((今、明らかにヘラの名を口に出しかけていた気が…))

 

「よろしくお願いします、テレイアさん。自分は、藤丸立香と言います」

 

 

警戒を続けている双子の英霊はジト目でテレイアを見つめるが、藤丸少年は先程の威圧感もあってか、気を張った挨拶に留まる。無論、彼らの後を着いて来ているメロペーはオリオンの名を呼び続けていた。自由人過ぎるでしょこのお姫様。

 

 

「……この愚物のサーヴァント、ディオスクロイ・カストロだ」

 

「同じく、ディオスクロイ・ポルクスです」

 

 

マスターに続けての自己紹介だが、テレイアは気にする様子もなく面倒そうに瞳を細める。

 

 

「あぁ、よいよい。子細な説明なぞ、妾の行いではない。この場は任せるぞ、義姉上」

 

 

この場にいない第三者と会話するようなテレイアの口調に硬直する藤丸少年。ところが、言うが早いかテレイアの全身を光が包み、眩さに目を晦ませた直後、その姿が大きく変化していた。

 

 

「……自分から招いておいてコレだ。我が愚弟が持て余すのも頷けるね」

 

『はぁ? 妾が彼奴を弄んでおったのだ! 勘違いするでないわ!』

 

機体性能(カラダ)にしか興味が無いって、ハッキリ分かんだね』

 

『どういう意味だオイ。怒らんから言うてみろ』

 

 

藤丸少年の目の前に立つのは、赤と黒の豪奢なドレスの貴婦人でなない。

其処に居たのは、水色のレオタードの様な体のラインをこれでもかと強調する際どい衣装に、胸元や腰回りを黄金の装飾と軽鎧で固めた知的な美女。切れ長の目がセクシーな印象を受ける。

 

突如として姿を変えたテレイアに目を剥く双子に、濃い青のメッシュが入ったウェーブロングを靡かせながら水色の女神が口を開いた。

 

 

「いきなりで済まないね。だが、ここからは私が話を進めよう。君達もそれで構わないかな?」

 

「はい。大丈夫です」

 

「おや。思ったより動揺が少ないね。潜った修羅場が違う、というヤツかい? うーん、むくつけき豪傑もいいが、こういうのも中々悪くないじゃないか…」

 

 

初めて出逢った時の値踏みするような視線とはまた別種の、試すような目を向けられて困り顔で笑う藤丸少年。ディオスクロイ兄妹は、一つの体に異なる神格が混在している様子に酷く驚き、返事をする余裕など無くなっていた。なお、初めからメロペーは気にしてすらいない。もう好きにしてくれよ。

 

 

『アレ……義姉上ってもしや、こういう小僧が好みじゃったか?』

 

『大神の姉だからって誰も手を出さないから、日照ったんじゃない?』

 

『可哀想にのぉ。処女神性ってホント、哀れに思えてならんわ』

 

『……処女神のクセにアイツを射止めた勝ち組(アルテミス)の話、する?』

 

『止めろ。マジで、止めろ』

 

 

何やら複雑そうな顔でテレイアは黙ってしまった。何事かと尋ねようとするが、手を振って「大丈夫」とアピールしてきたので、それ以上は何も言い出せなかった。

 

しばらくして、閉ざされていたテレイアの口が開き、この特異点の現状をつらつらと語りだした。

 

 

「――という事なのさ。要は、我々が生み出した聖杯擬きの力で、そちらにいたオリオンを召喚してしまった。おまけに、正当な手順を踏んでの召喚ではないからか、彼の霊基に歪みが生じたのかもしれない。口にするのも悍ましいケダモノになってしまってね。我々の失態のもみ消しと、彼自身の名誉のために、力を貸してほしい」

 

「分かりました。カストロとポルクスも、良いよね?」

 

「ふん! 聞くなら承諾する前に聞け! 能無しめ!」

 

「兄様! あ、私はマスターに賛同します」

 

「決まりだね」

 

 

テレイアが綺麗にまとめてくれたおかげで、特異点での目的がスッキリ頭に入ってきた藤丸少年はコレを快諾。ディオスクロイもそれに従った。なお、メロペーは言わずもがな。オリオンの為ならばと奮起してみせたのだが、割愛する。

 

 

「けど、森に逃げたなら追うのは苦労しそうだね」

 

「そうですね。相手はギリシャ最強の狩人たるオリオン、自身の痕跡を消すことなど容易いでしょうし…」

 

「ああ。おまけに聖杯まで所有している」

 

 

藤丸少年とディオスクロイは真面目に作戦会議を行う。なにせ、相手は小柄なヌイグルミで、森の中を縦横無尽に駆け巡るのだ。まともに追いかけても捕まえられないのは火を見るよりも明らかである。

 

その時、テレイアが光明を示す。

 

 

「それについてなんだが。彼は奪った聖杯で多くの英霊…それも女性ばかりを召喚し続けている、ということは知っているかな?」

 

「はい。カルデアのサーヴァントがいなくなってますから」

 

「あぁ……分かった。それなら、その反応を追えないかな? 君たちの科学技術程度でも、その位なら可能だろう?」

 

 

ダヴィンチちゃんが聞けば「何だ喧嘩売ってるのか? やるか?」と袖をまくって突撃しそうな言い方をするテレイア。カルデア一行は通信でカルデアと連絡を取り、オリオンの反応をそちらで追えるか確認する。

 

 

『うーん。精度が安定しなくてね。多分、そちらのマナ濃度が不安定なせいかな』

 

「空気中のマナが、ですか?」

 

『それしか考えられない。きっと、時代があやふや過ぎる特異点だからだろうね。あー、あと考えられるのは、あのオリオン(仮)がサーヴァントをしっちゃかめっちゃか喚び出すからかな』

 

「分かった。ありがとう、ダヴィンチちゃん!」

 

『困ったらいつでも頼ってくれ。何か分かればこちらからも連絡するよ』

 

 

通信を切り、テレイアに向き直る。今の話を聞いていた彼女は、深く息を吐きながら頭を振った。

 

 

「……となると、地道に痕跡集めをするしかないね」

 

「痕跡って、例えばどんな?」

 

「魔力残滓…は何とでもなるから、オリオンの毛とか、足跡とか。それをかき集めるんだ」

 

「あの森の中から、ですか?」

 

「そうなるねぇ…」

 

 

神殿の吹き抜けのような場所から分かる、見渡す限りの大森林。

この中から、ヌイグルミサイズの痕跡を集めなければならない。

控えめに言って地獄の労働と言えよう。

 

 

「やらなきゃいけない事は、やらなきゃ終わらない。大変だけど、そういうものだから」

 

「……なんか夏休みの宿題みたいだ」

 

「マスター? 顔色が悪いようですが?」

 

「嫌な事でも思い出したのだろう。軟弱者め!」

 

 

過去の痛烈な記憶と戦い、何とか乗り越えた藤丸少年は、テレイア協力の元で神殿を拠点として痕跡集めの活動を開始する。

 

さぁ。いよいよ諸君らの大嫌い(すき)な、地獄の素材周回(マラソン)のスタートである。

 

 

 

 

 

□□□□□□…Loading…□□□□□□

 

 

 

 

 

一方その頃、名もなき島の片隅。

 

 

「ふぅ…ここにもいなぁ~い! もう! ダーリンどこー!」

 

 

鬱蒼と生い茂る森林の中、枝葉を掻き分けて進むのはこの場に似つかわしくない絶世の美女。誰あろうその美女こそ、ギリシャ神話の資料と月を司る女神「アルテミス」だ。

 

白を基調としたドレスを葉や土で汚してもなお彼女が森を突き進むのには、理由がある。

 

 

「うぅ……だぁり~ん!」

 

 

彼女は最愛の人を探してこの僻地を彷徨っていた。彼女の愛する人物など、最早言うまでもない。

 

優しくも雄々しきかの狩人の姿が消えたと知った直後は、自分の半身を欠いたような喪失感に襲われた。実際、ダーリンの次に好きなマスターに声をかけられても抜け殻の様になって返事など出来なくなっていた。

 

しかし、愛しのダーリンを探しにレイシフトで旅立つ直前。憎き恋敵であるメロペーにとんでもない侮辱を受けたことに端を発し、アルテミスは自力で絶望の淵より復帰。怒りに任せて後を追ってきたのである。

 

 

「ダーリン! ダーリン! ダーリン…」

 

 

だというのに、いない。

何処を探してもいないのだ。

 

アルテミスには愛しのオリオンを超直感で探り当てるセンサーが備わっていない()のだが、特異点に来てからイマイチ「ピン」とこない。その為、あてずっぽうで森林をグイグイと探索していたアルテミスだった。

 

 

「どこにいるのぉ~!?」

 

 

半ベソをかいて草むらを掻き分けるが、あの愛らしいフォルムの影も見当たらない。

また悲しみに心が覆い尽くされそうになるも、そこでアルテミスは手がかりを見つけた。

 

 

「あら? そこにいるのって、確か…」

 

 

ガサガサと低木を鳴らして進んだ先で、二人の女性が倒れているではないか。

慌てて駆け寄ったアルテミス。音に驚いて向けられた顔に、アルテミスは心当たりがあった。

 

 

「確か、アニーちゃんとメリリーちゃん! そうでしょ?」

 

「アン! アン・ボニーとメアリー・リードだよ! ちょっと違う!」

 

「そうだった? ゴメンゴメン…って、大丈夫?」

 

 

名前を間違えたが、二人一組という珍しい霊基のサーヴァントということは覚えていた。

 

比翼連理の女海賊である彼女らが海に浮かぶ孤島にいることは不思議ではない。だが、アンは頬を朱に染め、苦し気に浅い呼吸を繰り返しているではないか。目に見える異常に気付き、心配そうに声をかける。

 

 

「大丈夫かどうかで言えば、大丈夫。コレは一時的なモノだから」

 

「そうなんだ、良かった」

 

「良くない! もとはと言えば、キミの問題なんだぞ!」

 

「え? 私? なんで?」

 

 

身体をぐったりとさせるアンを傍で見守るメアリーから、彼女らを見舞った不幸の原因が自分にあると知るアルテミス。いったい何のことか見当もつかずに首を傾げるが、メアリーは語気を荒げて続けた。

 

 

「なんでって、キミんとこのオリオンだろ。さっきの」

 

「ダーリンいたの!? ど、どこにいったか教えて!」

 

「知らないよ、そんなの。けど……」

 

「けど?」

 

 

メアリーはオリオンを見たと話す。食い気味に行方を尋ねるも、生憎行き先は分からなかった。そこから先を何故か言い澱むメアリーを見つめていると、どこかうっとりしたような表情で虚空を見ていたアンが、声を震わせ理由を話した。

 

 

「も、森の奥へ消える前に…」

 

「前に?」

 

「……私の胸を、お揉みになっていかれましたわ♡」

 

 

「 は? 」

 

 

 








丸ごと一年投稿しなかったSSがあるらしいっすよ皆様(ブーメラン)


と言うわけで、お久しぶりでございます。
自宅のWi-Fiが御陀仏となり、まともにネットが通じずはや半年。
気付けば一年が過ぎておりました。本当に申し訳ない…。

コロナになったり仕事量が激増したりでてんやわんやですが、どうにか時間を見つけて書いていく所存ですので何卒応援を…‼


今後も、よろしくお願い致します…‼


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夏の微小特異点・その6

どうも皆様、職場にコロナの波が蔓延し出した萃夢想天です。
かくいう私も一度かかりましてね、高熱以外の症状は無かったんですが、一週間自失に軟禁状態が想像以上に辛過ぎました。

Wi-Fiさえ壊れてなければ天国だったのになぁ…。


さて、この微小特異点もそろそろ〆とさせていただきたいものですね。何故って、アトランティスが控えてるからだよ(頭を抱える)。

それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

陽射し照り付ける常夏の特異点、と言えば聞こえはいいだろう。

だが実際は、生い茂る大森林の中で出会い頭(ランダム)不毛な遭遇(エンカウント)をしてしまうウェアウルフや巨大羽虫などのエネミーを相手に、ひたすら痕跡(そざい)回収に勤しむ苦行を強いられているのだ。

 

未だ年若い藤丸少年と言えど、疲労困憊になるのも仕方ない事だった。

 

 

「こ……これくらい、あれば……足りる…?」

 

「充分だとも。お疲れ様、よく頑張ったね」

 

 

息を切らして神殿の床に這いつくばる人類最後のマスターを労うのは、水色の衣装をまとう絶世の美女、テレイアである。クールな印象を抱かせる切れ長な目は、汗を流して大の字になった藤丸少年を優しげに見つめていた。

 

 

『おいやっぱり義姉上、この小僧のこと狙っておるよな?』

 

『狙ってんね。完全に今、「どんな加護あげれば逞しい英雄に育つかな」って顔してたし。こーゆーとこアテナのこと悪く言えないと思うんだけどアタイ』

 

『妾知っておるぞ。さっきみたいなのを「女神(メス)の顔」と言うんじゃろ?』

 

 

かと思えば、一転して何かを堪えるような厳しい顔つきに変わる。姿形も声さえも変わるのだから、改めてよく分からない人物だと、藤丸少年は考えることを放棄する。

 

隣ではマスターの流す汗を甲斐甲斐しく拭き取る双子の妹ポルクスと、それを窘める兄カストロの二人。そして、オリオン捜索の為に痕跡集めで多大な貢献をしてくれたメロペーがいた。

 

 

「此処は外よりも幾分涼しいので、ひとまずお休みください」

 

「フンッ! やはり惰弱だな、人間は」

 

「兄様!」

 

「ああマスター。貴方様の辛さ、痛いほど分かります。私もかつては陽光眩い砂浜を全力で走ることなど叶わぬ身でしたので……まぁ今はケイローン先生の教えもあって、こうして何不自由なく走れますけれど。むん!」

 

「貴様は黙っていろ」

 

 

メロペーは何処まで行っても平常運転である。

藤丸少年はこの時、自分が頼み込んだこととはいえケイローンの手腕に脱帽していた。あの【白仮面の老婆】の怪奇伝承を刻み込まれた彼女が、笑顔で数キロの距離を疾走しても息一つ乱さないほどの肉体改造に成功しているのだから。

 

人理修復を成してきた過程で、ギリシャ世界最強の英雄ヘラクレスと(エウリュアレという斥量込みで)鬼ごっこしたり、北米大陸を(二大勢力と睨み合いをしながら)徒歩で横断したりと、割かし無茶をやってきた自負があった。それでもやはり、条件が違えばこうも体力を消費するものかと、人と英霊のポテンシャルの差を痛感したのだった。

 

 

「けれど実際、そこの彼女の力には随分と助けられた。えーと、『千里眼』だっけ? 過去・現在・未来のいずれかを見渡すという、人の身に過ぎた異能を宿す魔女と聞いていたが、何やらかなり愉快な様子じゃないか。やれやれ、ヘカテーの弟子自慢も聞き流すもんじゃなかったな」

 

『……んー?』

 

『なに、どしたのさ』

 

『いやぁ…なぁんか忘れておるような気がしてのぅ。何じゃったか。割と重要な事だったような』

 

『ヘカテーに何か言われてたとか?』

 

『いや、彼奴めの小言なぞ聞き飽いておるわ。何が「いい加減メチャクチャなの送り込んでくるの何とかしろよお前。だからゼウス以外に貰い手が無かったんだぞ、恥を知れ恥を」だ、戯け。だから妾はあの時、キチンとそっちに送ったぞと言ってやったではないか』

 

『それ事後報告だし。増やす気もない弟子送り付けられたら、そらキレるわ』

 

 

成長期真っ只中の藤丸少年よりさらに細い腕を捲り、ドヤ顔をキメて見せるメロペーに乾いた笑いしか起きない。

 

ただ、藤丸少年がこうまで疲弊していたのには、環境的な問題以外にも理由があった。

 

 

「それにしてもまさか、カルデアから逆召喚されてた皆が森やら山で遭難してたなんて」

 

「サーヴァントともあろう者が、倒れ伏していたり、浮かれた顔で彷徨っていたりと。軟弱もいいところだったな」

 

「ですが、それも仕方のない事かと……だって」

 

 

藤丸少年とカストロは眉根に手を添えて絞り出すように呟くが、ポルクスは頬を染めて恥ずかしそうに想起する。

 

そう。カルデアから居なくなった女性英霊たちは全員、この特異点の何処かに召喚されていた。マスターから引き離されていようと、魔力供給がカルデアから継続している以上、彼女らもマスターを援護すべく行動を起こすはず。

 

だというのにそうできなかった理由がまさか…。

 

 

「まさか――オリオンにセクハラされてたから、なんて」

 

 

マスターの一言に、場が沈黙する。

 

誰も彼の言葉に賛同しなかったが、否定もしなかった。

 

そも、彼らが取り戻そうとしているのはギリシャ世界において無双の狩人たるオリオンである。そう、オリオンといえば、紳士という言葉の体現者。高潔の塊。清廉潔白にして男の完成形とまで謳われる、男の中の男なのだ。

 

そんな彼がまさか、見境なく女性に性的接触を試みるなど、想像できるはずもない。

 

 

「俺も信じられん。が、事実だ」

 

 

カストロが冷や汗を垂らして、マスターの言葉を肯定する。

 

普段から神性の無い人間を見下す傾向の強い彼からすれば、オリオンはポセイドンと言うギリシャ界の超特大神性の血を引く存在。つまるところ憧れの対象であり、何ならゼウスの血を引くと豪語している自分達と彼の関係性を置き換えれば、叔父の息子。いわば従兄弟に近い間柄と言える。まぁギリシャ関係の人物なんて大概身内になるから、今更とは言えないが。

 

藤丸少年は、周回の途中で救出した女性たちの言動を振り返る。

 

 

例えば、『源氏物語』の著者にして陰陽道の術者【紫式部】は――。

 

 

「あぅぅ…彼はその、わ、私の、む、むむ…あぁいけません! 香子は、斯様に激しい体験は初めてで上手く言葉に出来ず…!」

 

≪などと申しておきながらその実、持て余す程に実り熟れた肢体を欲望のまま弄ばれるという体験からインスピレーションを受け、脳内がピンク一色に染まり切っている藤原香子であった≫

 

「……マスター様? ま、まさか泰山解説祭が自動で発動を!?」

 

 

例えば、大帝国の侵攻に敗れ恥辱の鎖を纏う女王【ゼノビア】は――。

 

 

「っ! ま、マスター、見るな! くぅ、辱めを受けたというのに、あの柔らかな腕であんなにも激しく胸を…! 何故私の体は熱く火照ってしまうのだ…!?」

 

 

例えば、時のフランス王妃【マリー・アントワネット】は――。

 

 

「あらマスター(メートル)。オリオンを見なかったか、ですって? ええ、見ましたわ。先程まで私のお尻を夢中になって触っていたのよ。普段とはどうも違った様子だったけれど、情熱的になった彼もまた魅力的だったわね。思わずキス(ベーゼ)したくなるほどに!」

 

 

うーん、おフランス強い。

 

ではなく、健全で年頃な藤丸少年にとって、行く先々で顔を赤らめながらもじもじと体を火照らせる美女を見せられるなど新手の拷問に等しい。大切な仲間のそういう面を不意に見てしまった罪悪感や、男としての微かな嫉妬、それらを塗り潰す勢いで膨れ上がる興奮で彼の心は高鳴っていた。

 

 

「仕方ありませんよ。だって、オリオンですから…」

 

「おい妹よ。なんだその……何だその顔は! 何故頬を染める!?」

 

 

日頃の言動の賜物か。バーサークして襲い掛かり不埒な真似を働くオリオンに対して、女性陣の反応は意外にも穏やかであった。

 

と言うのも、男女問わずオリオンへの信頼度は高い。そんな彼が何の気の迷いか「ヘーイそこのイケてるお姉さ~ん♡ 可愛いヌイグルミとキャッキャウフフしなぁ~い?」と話しかけてきながら胸や尻などの性的な部位をしつこく触ってくるなど考えられない。

 

まず幻覚か偽物の可能性を思いつくぐらいに、オリオンは硬派で紳士的だと認知されている。

 

肉体的にも精神的にも弱っていた彼女たちを狙うエネミーをしばき倒して救出し、事情を説明した時もオリオンに怒りを向ける者は誰一人としていなかった。時々繋がる通信から「羨ましい」だの「どんな感じだった」だのと鼻息を荒げて詳細を聞き出そうとするアタランテの声が聞こえた気もするが、きっと幻聴だろうと思うことにした。

 

 

『うんうん。仕方ないよ、だってオリオンだもん』

 

『ふん、下らぬ。あの男神(バカ)共のように不埒な欲望をダダ漏れにして迫るオリオンなぞ有り得ぬわ。彼奴はそういった人の欲から解き放たれた領域にいる者であり、下賤な下心なぞ微塵もあるはずがなかろうが』

 

『まーた解釈違いで怒ってら。でもさ、仮にだよ? 他の女共には紳士的にお断りを入れるアイツが、自分にだけは獣欲剥き出しで「抱かせろ」なんて言ってきたらどうするよ?』

 

『そんな妄言に興味は…………』

 

『分かってるからね。今のアタイらは同じ体なんだから、アタイが言った可能性のシミュレート演算(もうそう)してんの丸分かりだよ』

 

『バッ、違…! ときめいたりしとらんわ、戯けぇ!』

 

 

さっきから凛とした表情を湛えたかと思えば顰め面になったり、いきなり赤面したりと一人百面相しているテレイアもきっと幻覚だろうそうだそうに違いない、と心の平静を保とうとする藤丸少年に非はない。

 

 

「はぁ……とにかく、メロペーと言ったね。君の眼はどうやら過去を見つめているようだけど、今回はその力に救われた。オリオンの形跡を過去視で把握できるなんてね。ギリシャの粘着質な悪女共がこぞって欲しがりそうだけど」

 

「この力を制御する方法をお授け下さったのは、ケイローン先生ですわ。この当世風の水着霊衣なるものを得た事で、私のオリオン様への愛は天元を突破致しました。もはや惑星内基準で私の愛を推し量ることなど出来ません!」

 

「すごいね彼女。聞いてもない事をずらずらと……さては言葉は通じるけど話にならないタイプだねぇ? うんうん、ギリシャによくいるタイプだ。凄い既視感があるよ」

 

 

ニコニコとしながら相槌を打ってそう述べたテレイアだが、彼女の眼は一ミリも笑っていない。それどころか、妙に実感のこもった言葉に怒気すら感じられる。藤丸少年は何が何やらだが、とにかくメロペーはギリシャ界隈でも厄い存在なのだなと改めて理解した。

 

 

『おるなぁ。他人の言葉を聞かずに傍迷惑な事をしでかす愚か者。飽きるほど見てきたわ』

 

『うん。アタイも見てるよ。現在進行形で』

 

『???』

 

『マジで言ってる?』

 

 

急に頭を抱えて深い溜息を吐くテレイア。態度がコロコロ変わる様子にディオスクロイの双子も対応に困っているが、今はとにかくオリオンの行方を追えるだけの痕跡が集まったのだ。これまでの苦労は、ここから先のことにつなげる為の物であって、まだゴールではない。

 

少し休んで気を引き締め直したマスターは、ゆっくり立ち上がった。

 

 

「それで、テレイアさん。痕跡があれば彼を追えるんですよね?」

 

「ん? あぁ、無論ね。少し準備がいるけど」

 

「メロペーの過去視でオリオンの現在地を把握できれば良かったのですが…」

 

「それが出来れば私、生前にあれほどの苦労をしておりません」

 

 

テレイアから、オリオン追跡の準備に時間を要するとの答えが出た。ポルクスが零した言葉は、この場の誰もが最初に考え付いた追跡方法であったが、それを当の本人に否定されてしまう。

 

そもそも過去視の千里眼を持つメロペーがいるのだから、彼女にオリオンの過去を見続けてもらえば居場所の特定も早く済んだのでは?

 

そう思う者も多いだろう。けれど現在、水着霊衣でバーサーカークラスにチェンジしたメロペーがケイローンに師事して得た走法技術は、『進行方向の1秒過去を常に視続ける』ことで成り立つ。千里眼は多用すれば自身に多大な影響を及ぼしかねない為、乱用は出来ない。

 

だが、キャスタークラスの頃からオリオンの旅路の後追い(ストーキング)行為をしていた彼女が、どうしてオリオンの数秒過去を視ることが叶わないのか。その理由は、至極単純である。

 

 

「だって――オリオン様を視ようと欲を出すと、感動と興奮のあまり時間軸の座標がブレにブレてしまいますの…」

 

 

要は、カメラの手ブレみたいなものだった。

 

問題はそのブレの振れ幅が、数秒過去なのか、数年過去なのか。あまりに誤差がデカ過ぎて運用には向かないからだ。勿論此処は形成されて間もない特異点なので、オリオンの数年過去は視られないのだが、その場合はピントがズレてまともに映らずぼやけてしまうのだとメロペーは語る。お前の千里眼って何? 中古のデジカメ?

 

結局メロペーの自由人気質に何も言えず、溜息が重なるばかり。そうこうしている内に神殿内部の何らかの機構が稼働し、テレイアへ向けて魔力の照射を開始した。

 

 

「おっ。そろそろ準備完了のようだ」

 

「では、本命を捕らえに行くぞ」

 

「はい、兄様」

 

「よし。行こう!」

 

 

休息の時間もバッチリとれたので回復したマスターと、出撃準備万端のディオスクロイ。オリオン捜索にやっと本腰を入れられると息巻くメロペー。そんな四人を見つめ、テレイアが魔力の神々しい光を浴びながら疲れたように話す。

 

 

「やる気になっているところ申し訳ないが、私は些か働き過ぎた。この身体で出来る無茶もやり通したし、後の事はもう一人に任せるよ」

 

「もう一人…?」

 

「ここまで貢献したんだ。嫌とは言うまいね?」

 

『……ハッ! いいさ。姐さんには世話になりっぱなしだったからねぇ』

 

 

テレイアの言葉に首を傾げるマスターだが、光が強烈に輝き、神殿を閃光で埋め尽くした。

 

内部機構も停止して魔力の照射が止まり、強烈な光輝も静まったことを確認したカルデア一行は、先程まで目の前にいたテレイアの姿がまた変貌していることに気付く。

 

 

「よぉし、待たせたねぇ! こっからはアタイが気張っていくよ!」

 

 

黒と赤の豪奢なドレスでも、水色のレオタードチックな衣装でもない。黄色、オレンジ、若草色が綺麗に重なり合ったバトルスーツらしき装束を纏う、勝気な印象を思わせる吊り目の女性が其処に居た。

 

外見が変わるのもこれで三度目になるが、明らかに身長や体格が丸ごと変化しているのに同一の霊基であることが奇妙に思えてならない。それとも、そういったデタラメを可能にしたからこそ【分改自我(アルターエゴ)】と呼ばれる特異クラスたる所以なのだろうか。

 

大分印象が変わった彼女を筆頭に神殿から出立しようとするカルデア一行。その時、神殿正面から見て四時の方向から、爆音が響いてきた。

 

 

「何だろう、今の音!?」

 

「不用意に前へ出るな愚か者! 俺が出る、ポルクス!」

 

「お任せください!」

 

「今の感じ……まさか、アイツも来てたのか‼」

 

 

森林の一角から土煙がもうもうと立ち込めているのを見て、何か異変が起きたことを察する。ディオスクロイは見事な連携でマスターを前後から守り、メロペーはいつでも突撃できるようにアキレス腱を伸ばす。そしてテレイアはと言うと、予想外の出来事に直面したと言わんばかりの動揺を見せる。

 

 

『あの()()……間違いない。奴もオリオンを探しに出向いておったとは』

 

『ふぅーっ、つっかれたぁ……ん? あぁ、彼女か。そりゃまぁ出張るだろうね。最愛の彼に異変発生してるわけだし』

 

『義姉上、貴様っ…! アレの介入に気付いたうえで何の対処も講じておらなんだのか!?』

 

『アホみたいな無茶言うねお前。神殿引っ張り出して魔力炉精製して、願望器擬きを抽出して形にした。そんな努力をパァにされても(えにし)を逆探知してカルデアを捕捉、人理の英傑たちに協力を仰ぐまで働き続けた私に? もっとやれたろって? どの口が言ってるんだい?』

 

『……こ、この妾の』

 

『もしお前が「この妾の高貴な口じゃ」なんて戯言をほざくのなら、手加減抜きでぶちまけてやるからね』

 

『おっ…! ぶ、ブチ撒けるとは穏やかではないな。して、何を撒き散らすと?』

 

『ふふっ。そりゃ勿論、お前の――()()()()

 

 

いや、動揺どころではない。顔色が真っ青で若干震えてすらいる。「姐さんコッワ…」って独り言が耳に届いたが、あの衝撃音の正体がその姐さんとやらなのだろうか。藤丸少年は分からない。

 

 

「と、とにかく! あそこにいるのは間違いねぇ! 人間よ、アタイと来る勇気はあるかい!?」

 

「勇気だけで何とかなる?」

 

「良い答えだ、気に入った!」

 

 

未だに鳴り響く轟音の発生源に狙いを定めたカルデア一行Withテレイア。橙色の短髪が風に揺られ、スレンダーな体躯を守らんと茂る茨の様な装飾が陽を浴びて鋭さを増す。

 

やたら徒手空拳(ステゴロ)が強そうな薔薇色の指をギュッと握りしめ、快活な美女はカルデアを引き連れ神殿を飛び出した。

 

 

「さぁ。彼方に置き去りにした、あの恋の続きといこうじゃないか、オリオン!」

 

 

 








いかがだったでしょうか。

少し短いですが、此処で一旦区切ります。
次で夏の特異点は終了…に出来たらいいな。

それが終わったらメロペーやテレイアの詳細なスペックを挟んで、いよいよお待ちかねのアトランティス攻略です。

いったいどれだけの時間がかかる事やら。どうか皆様も首を長くしてお待ちいただけると助かります。


次回もお楽しみに。
ご意見ご感想など、お気軽にどうぞ!



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