本好きの伯爵令嬢は司書志望 (緑茶わいん)
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1巻相当分
わたしから、私へ
最後に見たのは、ハードカバーの本が無数に降ってくる光景だった。
本があるだけで満たされていた人生。
本に殺されて終わることになろうとは。
何よりも本が好きな女子大生・
二十二歳。
念願だった司書採用が決まった矢先のこと。
死の寸前、彼女は強く願った。
――神様、わたしを生まれ変わらせてください。
神が聞き届けたかは定かではないが、願いは叶った。
◇ ◇ ◇
鳥の囀りが聞こえてくる。
瞼に感じるのは太陽の光だ。
気がつくと、わたしはふかふかのベッドで横になっていた。
――あれ? わたし、死んだはずじゃ……?
ぼんやりとした寝起きの頭で思い返す。
揺れる世界。
自宅の書庫で本を読んでいたわたしは次々降ってくる本に頭を叩かれ、埋められ、空になった本棚が倒れてきたのが駄目押しになって死んだはず。
「じゃあ、これはどういうこと……?」
呟きながら身を起こす。
唇から漏れた声は高く、透き通るように綺麗だった。
わたしの声じゃないみたい。
思っていると、揺れた髪が一房頬を撫でた。
白い長髪。
細くしなやかで、光の加減によっては銀髪にも見えそう。綺麗だけど、
染めた記憶はもちろんない。
慌てて見下ろした身体は子供のように小さかった。手足は細く、肌は白い。わたしの子供の頃とも全然違う。
こうなると、思いだすのは死に際に願ったこと。
「……もしかして、ほんとうに?」
と。
ドアがコンコンとノックされる音。
ベッドから少し離れた入り口の方からだ。わたしがいるのは西洋のお屋敷にありそうな広い部屋。もちろんこれも見覚えはない。
――ないはずなのに、不思議と既視感を覚えるのは何故だろう?
疑問に気を取られたわたしはノックをスルーしてしまう。
そもそもなんと答えるのが正解なのか。
思っているうちにドアが開いて、一人のメイドが入ってきた。
「失礼いたします」
ブラウンの髪と目。
目立つ容姿ではないけれど、明らかに日本人とは違う西洋風の顔立ちの女性。
――彼女はアスカルト家に仕えているメイドで、主にわたしと兄の世話を担当している人だ。
待って。
アスカルト家ってなに? 兄って誰のこと?
ザッピングしてきた知識に動揺するわたしをよそに、メイドはにこりと微笑んで、
「おはようございます、
途端、すとんと腑に落ちた。
記憶が急速に蘇る。
いや、ずっとそこにあったものに今気づいた、と言った方がいいかもしれない。
二つが重なったことで、わたしは、いいえ、
私は、ソフィア・アスカルト。
父は宰相を務めるアスカルト伯爵。
家族は両親、それから一歳年上の兄が一人。
両親譲りの美形であるものの、突然変異によって髪は白、瞳は赤く生まれついた。とても珍しい容姿は羨望ではなく恐怖と侮蔑の対象となっており、「呪われた子」などと呼ばれている。
幸い、家族は深い愛情を注いでくれているが、どこかに出かけるたび、両親に来客があるたびに陰口を叩かれる日々。
蓄積していくストレスはソフィアの心を蝕み、やがてある想いを抱かせた。
逃げだしたい。
悪口を言われるのはもうたくさんだ。
誰かにこの生活を代わって欲しい。
想いが爆発したのは、屋敷に来客があった日の夜。いつにも増して辛い言葉を投げかけられたソフィアは、メイドに気づかれないよう、枕に顔を埋めて泣きはらした。
喉がからからになるまで泣き、気絶するように眠りについた彼女は咳を出して苦しみ――その中で不意に、前世の記憶を思い出した。
地味な黒髪黒目で、社交の煩わしさのない平民の娘。
本須麗乃の生活は、
――
願いは叶えられた。
本須麗乃の記憶が私の心に変化をもたらした。
入れ替わったわけではない。
ソフィアが麗乃を参考にイメージチェンジした、という表現がおそらく正しい。麗乃の意識が強かったのは目覚めてすぐの短い間だけで、記憶が馴染んでからは仕草も言葉遣いも礼儀作法も、ソフィアのものが自然に出てくる。
だから、そう。
「私は、ソフィア・アスカルト」
朝食から自室に戻り、一人呟く。
本当に
あのまま一人で苦しみ続けたら。
人生を変えるような出会いでも無ければ、自殺を考えていたかもしれない。
「少し、思い詰めすぎだったのですね」
今ならばわかる。
悪口を言われる程度、大したことじゃない。多かれ少なかれ誰にでもあることだ。本須麗乃だって「変人」だの「妖怪本スキー」だのと呼ばれたり、全く身に覚えがないのに恋愛関係のトラブルに巻き込まれたりした。
私には優しい家族がいる。
朝食もとても美味しくてお腹いっぱい食べられた。
部屋に戻る際に寄ったお手洗いも綺麗だったし、鏡に映った私は麗乃基準で見れば白髪赤目の美少女だ。アルビノかと思えば身長が低いのと多少病弱なくらいで十分に健康。日中散歩するくらいは全く問題ない。
部屋だって広くて整っている。
勉強用の机にベッド、その他に休憩のためのテーブルと椅子があり、戸棚にはティーセット等々が用意されている。
お茶が飲みたければメイドが淹れてくれるし、着替えだって手伝ってもらえる。
そして、なんといっても、
「本棚!」
部屋には自分用の本棚があった。
本好きが魂レベルで遺伝したのか、私の趣味も麗乃と同じだ。
子供向けの物語が中心だが、語学や数学、博物学の本などもある。もちろん、多くは一度読んだ本だが、今ならもう一度新鮮な気分で読めるだろう。
世を儚む必要なんてどこにもない。
私は笑顔を浮かべて嫌な気持ちを追い出すと、本棚から本を取り出しにかかった。
大人用の本棚なので、足場用の椅子が用意してある。それに乗って背伸びをするとようやく一番上段の本を引き出すことができる。
革の装丁がされた植物紙の本。
文字が手書きなので活版印刷の技術はないのだろうが、製紙技術は進んでいるらしい。子供部屋にこれだけの本が普及していることと、アスカルト家が裕福なことの証明だ。
「ああ、幸せ」
取り出した本を抱きかかえて机に運ぶ。
そんな時、部屋のドアがノックされて、廊下から幼い少年の声が聞こえてきた。
◇ ◇ ◇
「ソフィア。いるかい?」
「はい、お兄様。ただいま参ります」
アスカルト家の長男ニコルには妹がある。
一歳年下の妹・ソフィアは彼にとってかけがえのない大切な存在だ。ソフィアを守るのは自分の役目だと思っていたし、そうできることに幸せさえ感じている。
だから、メイドから「今朝のソフィア様は顔色が優れなかった」と聞いてすぐさま部屋に向かった。
昨日は来客があったから、また何か言われたのではと心配していたのだ。
極力妹の傍を離れないようにしてはいるが、貴族は子供でも周到だ。ニコルに何度も茶を勧めてトイレに立たせたり、世間話を延々と続けたり、陰湿な手で注意を逸らしてまで妹に嫌がらせを仕掛けてくる。
――思い詰めすぎて体調を崩したら。
そう思っていたのだが、部屋のドアから顔を出したソフィアは晴れやかな顔をしていた。
「お兄様? どうされました?」
「いや。顔色が良くないと聞いたから」
「そうでしたの」
ソフィアの口元に小さな笑みが浮かぶ。
ニコルは妹の笑顔が好きだった。花壇の隅に咲いている小さな花のような控えめな微笑みだが、だからこそ、自分だけの宝物を見つけたような幸せな気持ちになる。
けれど、妹が笑顔を見せてくれることは少ない。
だから、嬉しかった。
抱いている本が早く読みたいのかそわそわと視線を送っているあたり、昨日のことを気にしているようには見えない。どうやら大丈夫そうだ。
「ありがとうございます、お兄様」
と、まるでそんな内心を見透かしたかのように、ソフィアが言葉を付け加える。
「私は大丈夫です。お父様もお母様も、お兄様もいますし……それに、本の世界はどこまでも、ずっとずっと広がっているのですから」
「……ソフィア」
にこり。
もう一度微笑んだ妹の表情は、いつもより大人びて見えた。
――妹は変わったのかもしれない。
ニコルはそう思った。
そして、その想いは日に日に強くなり、やがて確信に変わっていくことになる。
妹が自分の手を離れるのは複雑だが、笑顔が多く見られるようになるのは、ニコルにとっても決して悪いことではない。
ふっと笑って告げる。
「本を読むところだったんだろう?」
「あ、はい。ですが、ご用があるのでしたら……」
「いや。もう用は済んだ。それより、一緒に読書をしてもいいかい?」
「あっ……はいっ」
ぱっと表情を輝かせて、ソフィアが頷いた。
それからメイドが昼食の報せを持ってくるまで、妹と一緒に読書をした。
といっても、ニコルは本よりも妹の横顔の方を眺めている方が楽しかったのだが。
五分に一回くらいちらちら見ても、ソフィアが気づくことは全くなかった。彼女は目をきらきらさせながらいつまでも、いつまでもページをめくっていた。
思えばこの日からだった。
妹が今まで以上の集中力を発揮するようになり、メイドをぼやかせるようになったのは。
「最近、ソフィア様がなかなか読書を中断してくださらなくて……」
メイドを困らせるのは考え物かもしれないが、ただまあそれくらい、ソフィアが笑顔でいてくれるなら安いものだ。
そう思ったニコルは、自分からは注意をしなかった。
※補足※
頭打ったカタリナは野猿と化しましたが、ソフィアは性格が呑気になった程度でそこまで変わっていません。
これは『本好き』側の原作設定に倣ったためです。
(マインの性格は元のマインの影響が強い→本作では転生先がソフィアなので性格はあくまでソフィアベース)
マインの前世の麗乃自身、無頓着ではあっても猪突猛進ではなかったようなので、そちらが強く出てもそこまで性格は変わらないのですが。
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司書という道
前世を思い出してから一か月が過ぎた。
その間、私――ソフィア・アスカルトの生活に大きな変化はなかった。
暇な時間に読書をして過ごすのも、お屋敷に来客がある度に陰口を叩かれるのも以前と同じ。
ただ、心持ちは大きく変わった。
本を読める幸せのお陰で、容姿のことを言われてもあまり気にならなくなった。
我が家の書庫には本がたくさんある。
自室の本はもう読みつくしてしまったので、毎日のように書庫へ籠もる日々だ。
夢中で文字を追っていると時が経つのが本当に早い。
朝食が終わってすぐ書庫に行って、次に気付いた時にはお昼になっていた、なんてことも珍しくない。一冊読み終えて次の本を取ろうと思ったら、いつの間にか隣にお兄様がいたこともある。
「全く気付きませんでした」
そう言っても、お兄様は怒るどころか微笑むだけだった。
「楽しそうに本を読んでいたからね」
お兄様はとても優しい。
本を読んでいる私が好きだと言って、静かに見守ってくれる。
せっかくなので読書を勧めると、快く手に取ってくれたが、じっくり派なのか読むスピードはあまり速くなかった。
でも、読書は嫌いではないようで、それからもよく一緒に読んでくれる。
――私は本当に幸せ者だ。
そんなある日。
私は両親からちょっとした呼び出しを受けた。
「ソフィア。最近、読書に夢中になりすぎじゃないかな?」
「あ……」
身に覚えのありすぎる指摘に言葉が詰まった。
「……申し訳ありません。ですが、お父様。私、本を読むのがとても楽しいのです」
「ええ。わかっています。本を読んで知識を深めることも、物語を楽しむことも決して悪いことではありません」
お母様が微笑んで頷き、それから困ったように首を傾げる。
「でもね、ソフィア。このところ、礼儀作法や音楽、絵画のレッスンが遅れ気味でしょう?」
「……はい」
私はしゅんとして頭を下げる。
貴族令嬢たるもの、身に着けるべき教養は色々ある。学問や礼儀作法、芸術等、外部から招かれた家庭教師に教えを乞うのも私の務め。
意図的にサボったり、逃げたりはしていない。
ただ、その。
教本を読むのが中心になる学問の講義はともかく、礼儀作法や芸術分野はあまり身が入らない。お稽古の時間までと本を読み始めたのに、先生が到着してなお気づかないことも頻繁にある。
そういう時は「声をかけられ」→「肩をゆすられ」→「視界を隠されて」ようやく気付く。
夢中になると周りが気にならなくなるのは悪い癖だ。
「学問の方は驚くほど覚えがいいと褒められているから、あまり心配してはいないのだが……」
「知識よりもまず品と礼法を身に着けなければ結婚に差し支えます」
男性が好むのは「頭のいい女性」より「品があって美しい女性」だ。
男の跡継ぎがいない場合などを除き、貴族女性は他家に嫁ぐもの。我が家にはお兄様がいるので私は跡継ぎにはなれない。
だが、
「私、結婚できなくてもいいのですけれど」
「呪われた子」と呼ばれて嫌われている私では、相手を見つけることも難しい。
ならばいっそ結婚しなくてもいいのではないか。
「あなたの気持ちもわかるけれど……」
すると、お母様は表情を曇らせる。
「ニコルが結婚すれば、この家に居ることも難しくなるのよ?」
現在のアスカルト家では「お父様→お母様」の順に偉い。
お兄様が成人した後は「お父様→お兄様→お母様」。
お父様が引退し、お兄様が当主になった後は「お兄様→お兄様の奥さん」の順になる。お嫁さんと小姑なんて現代日本でさえうまくいかないのだから、この貴族社会で私が歓迎されるのは難しい。
私もそのことは承知している。
「お父様、お母様。私、実はやりたいことがあるのです」
「ほう?」
「何かしら?」
「私、司書になりたいのです」
前世――本須麗乃がなるはずだったのと同じ職業。
「本に囲まれて過ごしたいのです。本の整理や案内のお仕事なら頑張れます。職業婦人としてお給料をいただけるようになれば、必ずしも結婚は必要ないでしょう?」
嫁ぐのでも婿を取るのでもなく、仕事をして生きる女性。
数は少ないけれど存在しないわけではない。
例えば魔法省の役人や、宮廷のベテランメイドにはそういった人がいる。結果的に職場結婚に至るケースも多いが、家同士の付き合いで相手を決めるよりは上手くいく可能性は高いだろう。
「司書か。ソフィアは本が好きだからね」
「なるほど。……頭の良いあなたには向いているかもしれませんね」
「本当ですか?」
「ああ。この国にも図書館はいくつかある。専属司書の多くは貴族だ」
代表的な図書館は二つ。
魔法学園の付属図書館と、王城に併設された王立図書館。
お母様が頷いて、
「ソフィアには魔力があります。魔法学園で好成績を収めれば、司書の道へ進むことも不可能ではないでしょう」
「でしたら……!」
司書になれるかもしれない。
ぱっと気持ちが明るくなる。
と、私の内心を見透かしたように、お母様が「ですが」と言葉を続けた。
「図書館には貴族や王族も出入りします。そういった方々のお相手ができるだけの作法や教養も必要よ?」
優しくて綺麗で上品なお母様。
口調もおっとりとしたものだが、締めるべきところはしっかりと締める。
お父様が頷いて、
「ソフィアの気持ちはわかった。司書は国の役にも立つ仕事だ。できるだけ応援してあげたい。……だが、勉強とお稽古はしっかりやりなさい。お前の魅力をわかってくれる殿方が現れないとも限らないのだから」
「かしこまりました」
お父様、お母様の言うことももっともだ。
お相手なんて現れないだろうし、もし現れてもなんとかして断りたいと思いながら、私は深く一礼して答えた。
「これからはもっと一生懸命頑張ります」
◇ ◇ ◇
それから、私は前よりお勉強、お稽古に力を入れるようになった。
お稽古が控えている時は本を我慢するようにした。
どうしても我慢できない時は「時間になったら本を取り上げてください」と前もってお願いしておくようにした。
歌や楽器の演奏も『前世の経験』のお陰か、ある程度はこなすことができた。
礼儀作法や芸術のために何度も何度も練習して、そのせいで本を読む時間が減ってしまうのは正直、苦痛だったけれど、司書になるためなら仕方ない。
学問以外の分野も少しずつだけど進歩して、お父様お母様が安心してくださるようになった。
でも、もちろん読書もしている。
暇を見つけては書庫に通った。
家に無い新しい本も求めた。
直接書店へ行くのは「危ないし、はしたない」と止められてしまったので、使いを出して代わりに買ってきてもらったり、出入りの商人から現物を買い求めた。
ファンタジーにしては本が流通しているこの世界だけど、作るのに手間がかかる分、たくさん買うと結構高い買い物になる。伯爵家の娘とはいえお小遣いは限られているので、欲しい本を全部、というわけにはいかないのが残念なところ。
――でも、そんな私の強い味方となってくれる本もあった。
大衆向けのロマンス小説。
平民向けの物語本で、前の世界で言う少女漫画やハーレクイン小説のようなもの。
貴族の間では低俗とされる傾向があるものの、話の筋がわかりやすく、なんといっても単価が安い。私はなんでも読むが、娯楽小説の類はこの世界に少ないのでとても嬉しかった。
特に気に入ったのは『エメラルド王女とソフィア』という本だ。
殆どが男女の恋愛ものであるロマンス小説では異色の、少女同士の友情もの。
繊細で引きこまれる文章。
メインキャラクターの片方が私と同じソフィアなのもあって、あっという間に読み終えてしまい、続きが読みたい病を発症してしまった。
「お父様、お母様。この本の作者の方とお話ができないでしょうか?」
我慢できなくなった私は思わず両親に申し出た。
最初は「ロマンス小説? 破廉恥な内容だろう?」と反対されたが、「この作品は男女の恋愛ものではなく同性の友情もの」「小さい子でも安心して読める」と主張したところ最終的には承諾してくれた。
お母様は最後まで読んだ上で「良いお話だった」と太鼓判まで押してくれたくらいだ。
ともあれ、私は無事に『エメラルド王女とソフィア』の作者を招くことができた。
やってきたのは若い女性だった。
作家と直接お話するなんて、思えば前世でもなかったことだ。ガチガチに緊張している作者さんほどではなかったが、私も緊張しながら話を始めると、お茶のお代わりが供される頃にはお互い穏やかに話ができるようになっていた。
お茶とお菓子を楽しみながら色々な話をした。
あの作品を書いたきっかけや次回作の構想。
残念ながら『エメラルド王女とソフィア』の続編は今のところ考えてないとのことだったが、別の百合――もとい、少女同士の友情小説を書くつもりだとのことだった。
逆に作者さんからは、平民には入ってこない恋や友情の話、あるいはストーリーの希望はないかと聞かれたので、前世で読んだ本から印象に残っているエピソードを話したりした。
女性だけが通える学校の話とか。
病弱な貴族令嬢と牧場の娘の友情物語とか。
文通をメインに進んでいく話とか。
湖の向こうに住んでいる不思議な少女は、実は過去の人だった話とか。
別れ際「次回作が出たら絶対に読みたいです」と手を握って伝えると、興奮した様子で「頑張ります」と言ってもらえた。
三か月くらいして手元に届いた二作目もとても面白かった。
私が何気なく話した内容がアレンジされて盛り込まれていたりもして、ついつい嬉しくなった。
それから、お小遣いが何故か増えた。
「貴族が作家を招くというのはパトロンになるということだ」
両親の教えにのっとって資金援助を行い、作品の権利を買ったからだ。
本が売れれば売れるほど利益が出る。
二作目の売れ行きが好調で黒字が出そうなので、そのご褒美ということだ。
「ソフィアには作家を育てる才能があるのかしら?」
二作目のヒットがきっかけで、彼女は一躍売れっ子作家になっていくのだが、この時の私はまだそのことを知らなかった。
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初めての読書仲間
「まるで絹のように綺麗な髪ね。少しだけ触れても構わないかしら?」
私が出会ったその少女は、とても不思議な雰囲気を纏っていた。
◇ ◇ ◇
切っ掛けはお城のお茶会に出席したことだった。
第三王子のジオルド様と第四王子のアラン様の双子王子が主催するお茶会。
気は進まなかった。
人の多い場所へ行くということは多くの悪意に晒されるということ。なら、お屋敷で本を読んでいる方がいい。どうせお城に行くなら王立図書館へ行きたい。
でも、お父様からの言いつけなので仕方ない。
王立図書館への就職にはコネも重要だ。
お茶会や舞踏会に出席して人脈を作ることにも慣れないといけない――そう言われれば、断る理由もなくなってしまった。
お兄様と一緒に馬車で移動し、お兄様の陰に隠れるようにして歩いた。
「ソフィア、無理はしなくていいから」
「ありがとうございます、お兄様。今日はお時間まで会場に居ることを目指したいと思います」
「そうだな。それがいい」
好んで私に話しかける人はいない。
お兄様と話す人にだけ私も挨拶をする。人の多いところで面と向かって悪口を言う人はいないので、お兄様の傍にいる限りは安全だった。
でも、私はお兄様とはぐれてしまった。
よそ見をして歩いていた大人の人にぶつかり、人波に飲み込まれたかと思えば誰かに手を引かれ、会場である庭園の一角から連れ出された。
後から思えば、計画的な行いだったのだろう。
喧噪から離れた大きな木の下で、ドレスを着た少女達に取り囲まれて罵声を浴びせられた。
「呪われた子」
「気味の悪い姿」
「場を弁えなさい」
心無い言葉の数々を私は俯いて聞き流した。
言い返すのは簡単だが、トラブルになればお父様やお母様にも迷惑がかかる。だったら我慢すればいい。以前の私のように思い詰めてしまうことはもうないのだから。
そうして、延々と続く悪口に耐えていると――。
「そこをどいてくださいますか」
軽い着地音と共に、一人の少女が現れた。
――この人、木の上から飛び降りてきた?
切れ長の目をした美しい少女だ。
容姿に負けない美しいドレスを纏っているのもあって、木登りをしていたとは信じられないが、他に考えられない。
魔法少女や戦隊ヒーローを知っている私でさえそうなのだから、いじめっ子達の目には本当に「突然現れた」ようにしか見えなかっただろう。
登場の衝撃、そして身に纏う妙な気迫もあって、彼女はあっという間にいじめっ子達を全て追い払ってしまった。
そして彼女自身、名乗るどころか私に声をかけることもなくその場を去ってしまったのだが……私が彼女に助けられたこと、それだけは確かだった。
◇ ◇ ◇
私はお礼を言うために彼女を探した。
幸い人目を惹く容姿をしていたし、テーブルにお皿を何枚も積み上げて目立っていたので、見つけるのは難しくなかった。
「あの」
声をかけると、水色の瞳が私を見つめる。
「先程はありがとうございました。一言お礼を申し上げたくて――」
「まるで絹のように綺麗な髪ね。少しだけ触れても構わないかしら?」
「え」
凛とした声で紡がれた台詞には覚えがあった。
「……エメラルド王女の」
一言一句同じだったのでつい呟いてしまうと、
「あなた『エメラルド王女とソフィア』をご存知なんですか!?」
「え、ええ。大好きな小説ですが……」
「なんということ! ついに見つけたわ、ロマンス小説仲間!」
不思議な人だった。
容姿から受ける印象はどちらかというと厳しそうなのに、ころころと変わる表情や明るい声はどこまでも親しみやすい。礼儀作法だけを身に着けた庶民だと言われても信じてしまいそう。
その後すぐ、弟と友人らしき人物が探しに来て連れて行ってしまったので、自己紹介くらいしかできなかったのだが、
「ソフィア様。今度、我が家に遊びにきてくださらないかしら」
私は彼女――公爵令嬢のカタリナ・クラエス様から、ご自宅に招待された。
◇ ◇ ◇
「すごいじゃないか、ソフィア。クラエス公爵家に招待されるなんて」
「はい。その、急なことであまり現実感がないのですが……」
後日、我が家にはカタリナ様のお名前で正式な招待状が届いた。
アスカルトは伯爵家。宰相という地位についているとはいえ、クラエス公爵家とは身分にかなりの差がある。位の高い方から個人で招待を受けた私は、お父様とお母様から褒められた。
「くれぐれも失礼のないように」
「もし、これをきっかけにカタリナ様と交流を深められれば、社交界で強い武器になりますよ」
「かしこまりました」
そう答えた私は、どこか落ち着かない気持ちで日々を過ごすことになった。
外の話に疎い私は、約束の日までの間にカタリナ様の情報を多少ながら集めた。
カタリナ様はクラエス公爵家の長女で、私と同い年。
弟のキース様は親戚筋から引き取られた義弟であり、ご当主様と奥様の間に生まれた子供という意味ではカタリナ様一人だけ。
あのお茶会を主催した双子王子の一方――ジオルド様の婚約者でもあり、貴族女性に畏怖と尊敬、憧れを受ける存在だ。
ただ、そんな情報は、あの日話した明るい少女の姿とはあまり重ならない。
あるいは、分け隔てのない広い心の持ち主だからこそ、ジオルド王子に見初められたのだろうか。
――あの時の印象通り、良い方であればいいのだが。
少しばかりの不安も心にあった。
お屋敷を訪れた方をおもてなしするのと、招待されてこちらから出向くのでは全く違う。相手の懐に飛び込むのだから、嫌なことがあったからといっても簡単には逃げ出せない。
もし、カタリナ様のあの態度が見せかけで、私をからかい、嘲笑い、踏みにじるのが目的なら、私は辛い目に遭うことになる。
でも、同時にわくわくする気持ちもあった。
だって、同性のお友達と本の話ができるのだ。
一人で本を読むのも楽しいが、一緒に感想を語り合ったり、一つの本をわくわくしながら一緒に読むのもとても楽しい。
前世――麗乃時代にはそういうお友達が何人もいた。
あの時のカタリナ様の目は、彼女達の目とよく似ていたような気がするのだ。
◇ ◇ ◇
約束の日、私はお兄様と一緒にクラエス家を訪れた。
「女同士の会ですし、退屈かもしれませんよ?」
そう言ったのだが、お兄様はそれでも行くと強く主張した。
もし、カタリナ様が私をいじめるつもりなら、お兄様にまで嫌な思いをさせてしまう。そういう理由もあったのだが、断り切れなくなった私は「ありがとうございます」と微笑んで、申し出を受けることにした。
「持ち物はどうしましょう。『エメラルド王女とソフィア』は当然持って行くとして、念のために何冊か他の本も持って行った方がいいでしょうか……。カタリナ様はロマンス小説がお好きなのかしら? だとしたらあの本とあの本、ああ、あの本もいいかもしれません」
「張り切ってるね、ソフィア」
準備からそわそわしていたせいか、お父様お母様はもちろん、メイド達からも苦笑されてしまった。でも、お兄様だけは優しい笑顔だった。
そして。
「ソフィア様。ようこそおいでくださいました。よろしければこの前のお話の続きをさせてくださいませ」
結論から言えば、カタリナ様はとても良い方だった。
ご挨拶もそこそこに、お茶とお菓子を楽しみながら本の話が始まった。カタリナ様も『エメラルド王女とソフィア』の本を用意していてくれて、実際にページを開きながら「ここが良い」「ここも素敵」と夢中になって話し合った。
せっかく付いてきてもらったお兄様をついつい置いてけぼりにしてしまったけれど、その分、キース様がお兄様のお相手をしてくださっていたようだった。
もしかするとお兄様も同性のお友達が欲しかったのかもしれない。
女の子に間違えられそうな美形のキース様と、同性でさえ見惚れる美形のお兄様が並んでいる姿はとても絵になる。
もし、お兄様にとっても良い出会いになったのであればとても素晴らしいと思う。
「お嬢様。そろそろお暇いたしましょう」
でも、楽しい時間は過ぎるのが早いもので、あっという間に帰る時間になってしまった。
「はい」
応えて、座っていたソファから立ち上がると、カタリナ様がじっと私の髪を見た。
「あの……?」
「本当に綺麗な髪ですね。少しだけ触ってもいいですか?」
「え、ええ」
咄嗟に頷きながら、私は思わず頬を染めた。
髪を褒められるなんて前世では殆どなかった。親戚のおばさんや美容室の店員さんから言われていた程度だ。しかも、相手はカタリナ様。
どこか凛々しさのある顔立ちは男装をしても似合いそうで、少しばかりドキドキしてしまうくらいは仕方ないだろう。
でも、
「……カタリナ様は、私の見た目が気味悪くはないのですか?」
「え?」
老人のように白い髪と血のように赤い瞳から中傷を受けていることを話すと、カタリナ様はさっと表情を曇らせ――。
「でも、私は綺麗だと思うけど……」
「……え」
再び胸が高鳴った。
不思議な人だ。
親しい相手以外の誰もが気味悪いと言うのに、彼女はそんなこと気にも留めない。貴族の間では評判の悪いロマンス小説を嬉々として読んでいるのも、物事を広く受け入れる並外れた度量から来ているのだろう。
もっと、カタリナ様とお話がしたい。
せっかくできた本好きのお友達と、この一回きりで終わりなんて嫌だ。
思った私は、気づくと口を開いていた。
「あの、カタリナ様。よろしければまた、本のお話をしていただけませんか……?」
綺麗な青色の瞳が丸く形を変え、それからきらりと輝いた。
「もちろん! こちらからもお願いするわ。私のお友達になってちょうだい、ソフィア」
「はい!」
こうして、私に初めての読書仲間ができた。
第一種接近遭遇は穏便に済みました。
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伯爵令嬢と侯爵令嬢
あれ以来、私は定期的にクラエス家に通うようになった。
初めての日は結局『エメラルド王女とソフィア』の話だけで時間になってしまったので、二回目からは他の本の話も加えた。
カタリナ様が好んでいるのはやはりロマンス小説のようで、主にそちらを中心に感想を言いあったり、手持ちの本を貸し借りする。
本の貸し借りは読書仲間との交流には欠かせない。
友達が勧めてくれる本ならきっと面白いだろう、とそれだけでわくわくするし、お小遣いの節約にもなる。相手が読んでいる本だから感想を言いあえるし、一石二鳥どころか三鳥、四鳥だ。
普通の本は難しくて投げ出してしまうというカタリナ様だけど、貴族向けの本の中から読みやすい物語本を紹介すると興味を持ってくれた。
自分では読まない本でも、私が内容や感想を話すと楽しそうに聞いてくれる。
「ソフィアは本当に本が好きなのね」
「はい。私は身体を動かすのがあまり得意でないので……」
本ばかり読んでいる私と違い、カタリナ様は多趣味だった。
外で運動するのも好きで、木登りをしたり(初めて会った時のあれは見間違いじゃなかったらしい)、剣の稽古をしたり、さらには自分の畑まで持っているという。
あまりにも楽しそうに話してくれるので、その畑を見せてもらった。
じゃがいもやナスなどの野菜が本当に育っていて驚いた。家庭菜園が趣味の公爵令嬢……当たり前だが、物凄く珍しい存在である。
カタリナ様と親しいというメアリ・ハント侯爵令嬢様とも知り合いになった。
駄目な私とは違い、メアリ様は優雅で堂々としていて、貴族令嬢の理想像そのもののようだった。それでいて私の容姿を悪く言うこともなく受け入れてくれる優しい方でもある。
婚約者は第四王子のアラン様。
「では、カタリナ様とメアリ様は義理の姉妹になられるのですね」
「ええ、そうですわ」
私が言うと、メアリ様は得意げに胸を張っていた。
第三王子と第四王子。
順当に行けば王妃になることはないものの、王族に見初められるのはとても名誉なことだ。誇るのも当然のこと。
でも、メアリ様の場合はそれだけではないようにも思えた。
カタリナ様とお話をしている時、とても楽しそうな顔をしているからだ。
「メアリ様はカタリナ様のことが本当にお好きなのですね」
「と、当然ではありませんか」
照れたようなメアリ様の顔はとても可愛らしかった。
「ソフィアだってそうでしょう? カタリナ様と本のお話をなさっている時、とても生き生きしているもの」
「はい。私、カタリナ様のことをお慕い申し上げております」
「………」
素直に答えたところ、メアリ様は何故か黙り込んでしまった。
お友達として大好きであると同時に尊敬の対象でもある、という意味で言ったのだが、もしかして言葉のチョイスを間違えただろうか。
ようやく動き出したメアリ様はむっとした顔で私を睨んできた。
「……カタリナ様は渡しませんから」
「? ええと、恋愛的な意味、ではありませんよね? 申し訳ありません、私、お二人のお邪魔でしょうか……?」
やっぱり何か気に障ることをしてしまったらしい。
おろおろと謝ると、メアリ様はため息をついて苦笑した。
「あなたは少しカタリナ様に似ていますわね」
「そうでしょうか……?」
私とカタリナ様では大違いだと思うが、メアリ様は「これからも仲良くしてくださいませ」と言ってくれた。
◇ ◇ ◇
新しいライバルが現れた。
ソフィア・アスカルトと初めて会った時、メアリ・ハントはそう思った。無自覚に人を惹きつけるカタリナがまた誰かを引っかけたのだと。
蓋を開けてみれば、メアリの予感は半分合っていて半分間違っていた。
ソフィアはカタリナを慕っているが、それは純粋な好意だ。
メアリやジオルド、キース(あと一応アラン)のような熱情を抱いているわけではない。
想いを一発で言い当てられた時はどうしようかと思ったが、純真な瞳で見つめられていると警戒していたのが馬鹿らしくなった。
カタリナと似ている、と言ったのはそういう無自覚な善良さのことである。
「私もお話の仲間に入れてくださいませ」
排除する必要はない。
むしろ、遠ざければカタリナが悲しむ。そう判断したメアリは、カタリナとソフィアを二人きりにしないことを選んだ。
教養のためする以上の読書には興味がなかったが、二人からお勧めの小説を教えてもらい、借り受けて読むと案外悪くなかった。カタリナに相応しい貴族令嬢になるために肩肘を張りすぎた結果、心に余裕がなくなっていたのかもしれない。
「この本、面白かったですわ」
「そうでしょう?」
本を返すついでに感想を告げれば、ソフィアは目をきらきらと輝かせた。
具体的にどこが、という話をしながら「不思議な子だ」と思う。
身体を動かすのは好まないと言いながら、カタリナの畑やメアリの庭園に誘えば文句を言わずやってくる。すごいのですね、と口にする表情に嘘は見られず、むしろ素直すぎて危なっかしいとさえ思う。
容姿は人形のように美しく、小さくて頼りない。
時折、どきっとするくらい聡明な面を見せる癖に、本の話をしている時以外はおっとりしていて覇気のかけらもない。
(本当に、不思議な子ですわ)
気づけば、ソフィアは「放っておけない妹」のような存在になっていた。
想い人はもちろんカタリナだが、彼女がソフィアと離れたがるとも思えない。ならばいっそ末永く交流を持って、関係をより華やかに――。
さすがにそれはやりすぎでは、と思いつつも、割と真剣に検討している自分がいた。
◇ ◇ ◇
「こ、これは……じゃがバター!?」
カタリナ様の歓声が心地よく響いた。
何度かお会いして仲良くなったことで、カタリナ様やメアリ様の家へ訪問するだけでなく、アスカルト家へ招くこともできるようになった。
本の話をする合間、ちょっとした軽食をと、料理人にお願いして特別な料理を出してもらった。
「これは……? 茹でたじゃがいもにバターを乗せただけに見えますけど……」
一目で喜ぶカタリナ様とは対照的に、メアリ様は困惑した様子。
ちなみにキース様もメアリ様と似たような反応だった。お兄様や我が家の使用人は既に経験済みなので平然としている。
「茹でるのではなく『蒸かす』という調理法を使っております。簡単な料理ですが、カタリナ様は素朴な味もお好きだと聞きましたので……」
「じゃがバターなんて大好物よ! ああ、また食べられるなんて思わなかったわ! いただきます!」
「姉さん、いきなり食べ始めるなんてはしたないよ……」
じゃがバター。
言うまでもなく、ソフィア・アスカルトではなく本須麗乃の知識を元にした料理だ。
この世界の料理、製菓技術はかなり発展している。貴族に生まれたお陰で幅広い洋食を美味しく楽しめているが、それでも前世でいう和食や中華をはじめ、知られていない料理もたくさんある。
そこで、私は時々、料理人に調理法を伝えて、食べたい料理を作ってもらっていた。
醤油や味噌がないので、こういった簡単なものに限られてしまうが、やはりカタリナ様はじゃがバターを喜んでくれた。
溶けたバターの絡んだじゃがいもをひとかけ口に放り込むと、「んー!」と幸せそうな声を上げる。
「これよこれ! ほらキース、メアリも、食べてみて!」
「う、うん」
「カタリナ様がそこまで仰るなら……」
恐る恐る、といった様子でじゃがバターを口にした二人は、驚いたように目を丸くした。
「これは……」
「美味しい、ですわ……」
「でしょう? ここにもあったのねー、じゃがバター。さすがソフィア、博識だわ」
「ありがとうございます。もしよろしければ、バターの代わりにお塩を振ったものもお試しください。また味が変わって面白いかと」
じゃがバターはどんどん減っていき、それにつられてお茶も進んだ。
――カタリナ様に褒められてしまった。
本当は前世の知識なのだが、カタリナ様が「ここにもあった」と言うあたり、別の国には存在する料理なのだろう。
博識なのは私ではなく彼女の方だ。さすが公爵令嬢。勉強は苦手などと自分では言っていても、きちんと見聞を広めている。
「ねえ、ソフィア。他にはないの、こういう料理!」
「ええと、そうですね……。私が提案して珍しがられた料理ですと、鮭や鯛を塩焼きにしたものなどが――」
「それ! それも食べたいわ! すごい、ソフィアには料理の才能もあるのね!」
「でしたら、今度来られる時にご用意いたしますね」
カタリナ様の本当に嬉しそうな様子にメアリ様は複雑な顔をしていたが、それでも笑顔を取り繕ってこう言ってくれた。
「素朴な料理ですのに……驚きましたわ。貴族の間では流行らないでしょうが、平民には好まれるのではないかしら?」
メアリ様の評価を受け、私とお父様は再び策を巡らせた。
色々考えた結果、お父様の発案で商人にレシピを売った。じゃがバターや魚の塩焼きなどいくつかのレシピが売れ、少なくないお金が入ってきた。
後に、この国の大きな街では必ずじゃがバターの屋台が見られるようになるのだが、それはまた別のお話である。
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伯爵令嬢と恋バナ
カタリナ様、メアリ様とのお茶会や読書会が日常になるのにあまり時間はかからなかった。
クラエス公爵家にはジオルド王子やアラン王子も頻繁に訪れる。
私も何度か通ううちに彼らと出会い、当然のように紹介を受けた。あの時は生きた心地がしなかったが、お陰で名実共にカタリナ様の友人になれた気がする。
位の高い方と接することで礼儀作法も鍛えられたし、他の貴族から「羨ましい」と言われることも出てきた。
やっかみに近いとは思うが、前よりも陰口が少なくなったのは事実だ。
カタリナ様達のお陰だろう。
王族や公爵家を敵に回せば一族もろとも地位を追われかねない。
実際はただの仲良し会なので、そんな物騒な集まりではないのだが――。
そんなある日のこと。
私はメアリ様だけを自宅に招待した。
申し訳ないがカタリナ様には内緒。お兄様にも「今日はキース様が一緒ではないので」という口実で二人だけにしてもらう。
「無理を言ってしまって申し訳ありません、メアリ様」
「いいえ。他ならぬソフィアの頼みですもの」
メアリ様は微笑むと、背筋を伸ばし優雅にソファへ腰かける。
私達はお茶とお菓子を楽しみながら、しばしの間、世間話を繰り広げて、
「それで、ソフィア。相談というのはなにかしら?」
「はい。その、お兄様でご相談が……」
「相談?」
「ええ。私がお出かけをする際は、お兄様もご一緒くださるでしょう?」
「ええ。仲の良い兄妹ですわよね」
「ありがとうございます。私もお兄様のことは大好きなのですが……最近、お兄様がカタリナ様のお話をなさることが多くなりまして」
お兄様が他人の話題を口にするのは珍しい。
しかも、普段はあまり表情が変わらないのに、カタリナ様の話題になると自然に微笑む。
あの笑顔は女性に対して絶大な威力がある。
実際、既に「やられ」かけているメイドもいる。
「……なるほど」
メアリ様はティーカップをことりと置くと息を吐いた。
「ニコル様がカタリナ様に懸想しているのではないか、と?」
「はい。恋自体は良いことだと思うのですけれど……」
今までなかったことなので心配だ。
「気のせいかもしれませんし、メアリ様のご意見を伺えないでしょうか?」
「ええ」
良かった、断られたらどうしようかと――。
「ニコル様は間違いなく、カタリナ様に想いを寄せていますわ」
「え?」
「むしろ、あなたが半信半疑だったとは思いませんでした。……ああ、いえ、ソフィアですものね」
「えっと、もしかして私、鈍すぎましたか……?」
「それよりもニコル様のお話ですわ」
「あ、はい。そうですね」
こくんと頷く。
話を逸らされた気もするが、今はお兄様のことだ。
「私が思うに、発端は――」
困ったように頬へ手を当てながら、メアリ様が話してくれる。
発端は、カタリナ様とメアリ様が初めてアスカルト家を訪れた時。
別れ際、短い会話を交わした時ではないかという。
私は覚えていない。どうしてだろうと首を傾げると、メアリ様が「ソフィアは本を取りに行っていらした時ですわ」と教えてくれた。
なるほど、言われてみればあの後のお兄様はどこか嬉しそうだった。
「私達に悪意がないことは十分に伝わっているはず。にもかかわらず、今もソフィアとご一緒しているのは……」
「お兄様自身がカタリナ様に会いたがっているから」
メアリ様は「違う」と言わないことで私の推測を肯定した。
「それで、ソフィアはどうしたいの?」
「正直、どうするべきかわからないのです。カタリナ様は魅力的な方ですから、お兄様が恋をなさるのも無理はないと思います」
私も男だったら好きになっていたかもしれない。
純粋で悪意のないカタリナ様は貴族社会においては稀有な存在。太陽のような方だ。
「ですが、カタリナ様にはジオルド様がいます。婚約の決まっている方へ想いを寄せるのは良いことではありませんよね?」
「う」
「それに、ジオルド様は王族です。王家の方の想い人を奪ったとなれば、どのような恨みを買うかわかりません」
「ぐ」
「最悪なのは結婚が成立しても諦めてくださらなかった場合です。浮気などということになれば、アスカルト家自体が責を問われかねません」
「……ソフィア。あなた、暗に私を責めているのではありませんわよね?」
「な、何のお話ですか?」
突然、我慢できないとばかりに問い詰められたが、私としては困惑するしかない。
お兄様の恋の話がメアリ様への攻撃になるということは……?
「もしや、メアリ様もカタリナ様のことを?」
「どうしてこういう時だけ勘がいいんですの……!?」
「え? 本当になのですか……?」
「っ。まさか、カマをかけたの?」
「いえ、冗談のつもりだったのですけれど……」
同性愛者はこの世界でも少数派。
偉い人の間で流行っているという噂はあるが、男色ならまだしも女性同士となると更にマイナーだ。
親しい女性作家さんは「身分差と性別を越えた愛って憧れますよね」とよく口にしているが、あれはあくまで作品の話。
実際、同性に恋している人に会ったことはなかった。
メアリ様は頬を染めて俯いている。
私は思わず深い息を吐いた。
カタリナ様へのメアリ様の強い想いは知っていたが、まさかそれが恋心だったとは。
「驚きました」
「……それだけ?」
と思ったら、何故か睨まれた。
「穢らわしいとか信じられないとか寄らないでほしいとか、言ってもいいのよ?」
「お友達にそんなこと言えませんわ」
私の中の
転生者である私の認識が特殊なのだろうが、気にならないものは気にならないとしか言いようがない。
「同性愛のお話は幾つも読んだことがありますし、理解があるつもりです。ジオルド様と争いにならないのでしたら応援します」
「あなた自身が対象になるかもしれなくても?」
「私、結婚は諦めているので……メアリ様が養ってくださるのでしたら、それでも構いません」
知らない男性の下に嫁ぐよりずっと良い。
愛人のような立場になるだろうが、同性なら子供はできないからアラン様の立場も危うくならないだろう。
ああ、でも、王族の奥さんが浮気なんて外聞が悪いから、表向きはアラン様の側室にしないといけないだろうか? となるとアラン様にも話を通さないと……。
もう少し練ったら作家さんが喜びそうなネタになるかも。
と、メアリ様が遠い目になって笑った。
「……私が無事に王族入りを果たしたら、ソフィアを司書として後援しましょうか?」
「是非お願いします!」
「冗談よ」
今度の笑顔は心の底から楽しそうな明るい笑みだった。
◇ ◇ ◇
結局、お兄様の恋は成り行きに任せることにした。
当人に問いただすのも野暮だし、私としてはお兄様を応援したい。メアリ様のこともそうだ。
ジオルド王子に不満があるわけではないが、三人とも素敵な方である以上、誰か一人に肩入れするのも違う気がする。
「ソフィア。この話は秘密にしてくださいな」
「はい。もちろんです」
メアリ様の秘密の恋については私の胸にしまっておく。
代わりに『エメラルド王女とソフィア』をはじめとした貴重な百合――もとい友情小説を貸して布教することにした。
幸いなことに私にはお抱えの作家がいる。私やカタリナ様、メアリ様の日常について話をしたら目を輝かせて張り切ってくれているので、次々に新作ができあがることだろう。
それから、私の日常は慌ただしく過ぎていった。
学問の勉強を進めたり、礼儀作法を身に着けたり、絵画や音楽のレッスンを必死にこなしたり、魔法の練習をしたり。
カタリナ様と本の話をしたり、メアリ様と本の話をしたり。
本を読んだり、本を集めたり、メアリ様の愚痴を聞いたり、ジオルド様やアラン様と世間話をしたり、本を読んだり、本を集めたり。
レシピを売ったお金で料理人を育成し、街に料理店を開いたり。
お抱え作家を増やしたり、資金援助のシステムを明確化するために印税制度を導入したところ、お抱え希望の作家が増えたり、本の収益で職人に活版印刷のための道具やその他諸々の開発を依頼したり。
色々なことをしているうちに、気づけば、魔法学園への入学が間近に迫っていた。
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ダンスパーティ
私が前世を思い出してから約七年。
社交界デビュー、そして魔法学園への入学が近づいてきたある日、私はカタリナ様の十五歳の誕生パーティに招待された。
ジオルド様とアラン様の二人の王子をはじめ、メアリ様やお兄様はもちろん、他にも多くの貴族が招かれた盛大なパーティ。
王子様と婚約も決まっている公爵令嬢様のパーティなのだから、力が入るのも当然だ。
アスカルト家でもパーティに先だって色んな準備が行われた。
お祝いの品や当日着ていくためのドレス、身に着けるアクセサリーの決定や手配、招待客のリストを入手して予想される会話の予行演習まで。
「カタリナ様はどんなドレスを着られるのかしら?」
「主役と色が被るのは好ましくありません。念のため二着か三着用意するとしても、ある程度の見当はつけておきたいかと」
「そうね。……ソフィア、どう?」
使用人や服飾職人の指揮を執っているお母様が私に尋ねる。
「そうですね……カタリナ様ご自身にそれとなく窺ったところ、『青いドレスじゃないか』と仰っていました。私もその可能性が高いと思っております」
「青ね。ちなみに、それはどうしてかしら?」
「ご本人の髪の色か目の色に合わせるのがセオリーだからです。そう考えた場合、カタリナ様の髪は少々落ち着いた色合いですので……」
カタリナ様ご自身はお洒落にあまり興味がない。
青いドレスじゃないか、と言ったのは普段の服も青色が多いからだ。そして普段着に青が多いのは使用人がセオリーを踏まえて選んでいるから。
お母様がにっこり微笑んで頷いてくれる。
「素晴らしいわ。よくできたわね、ソフィア」
「とんでもありません」
私は恥ずかしくなってそう答える。
本人と親交があるのだからわかって当然だ。
……ちなみに、さっきのセオリーで行くと、メアリ様のドレスは暖色メインの可能性が高い。メアリ様の髪と目はどちらも赤系だからだ。
ただ、あまり鮮やかな赤色だとカタリナ様と張り合うことになりかねない。ジオルド王子を立てる意味でも多少、淡い色合いを選ぶのではないだろうか。
侯爵家のメアリ様は私よりも格上。
私のドレスは更にもう少し地味なものが望ましい。
「ですので、私のドレスは落ち着いた色合いの寒色と白の組み合わせではいかがでしょう?」
「でしたら、深緑はいかがでしょう? ソフィア様の普段着にもよく用いておりますし、他の皆様も予測を立てやすいかと」
「私は良いと思います。お母様、いかがでしょう?」
「ソフィアが良いのなら構わないけれど……」
お母様は頬に手を当てて、
「本当にいいの? あなたの場合、髪や目の色に合わせると……」
「大丈夫です、お母様。昔ほど言われなくなりましたし、それに、何を言われたところで気になりません」
言いたい人には言わせておけばいい。
私は私。
大切なお友達もできた。他人といがみ合うより本を読む方が楽しい。司書になるという目標もある。
「お父様とお母様からいただいたこの髪と目は、私の自慢です」
「……ソフィア。本当に強くなったわね」
「お、お母様。服が皺になってしまいます……」
お母様にぎゅっと抱きしめられてわたわたしたり、使用人達から微笑ましく見守られて恥ずかしくなったりした後、念のため予備のドレスのデザインも決めた。
そして、当日は幸いにも予備のドレスの出番はなく、私は深緑に白のドレスでパーティに臨んだ。
「ごきげんよう、ソフィア」
「ごきげんよう、メアリ様」
メアリ様と私はかなり早い時間からクラエス邸を訪れていた。
控え室で合流した後、空いてしまった時間をお喋りにあてる。
「わざわざお手伝いに来ていただいて、ありがとうございます」
「いいのよ。……というか、何度も言うけれど、呼び捨てにしてくれていいのよ?」
「いえ。私、こちらの話し方の方が慣れているので……」
むしろ、家格が下の子達に堂々と接する方が緊張してしまう。
「ソフィアらしいわね」
メアリ様はくすりと笑った。
「らしいといえばカタリナ様もだけれど」
「パーティでアスカルト家の料理が食べたい、ですものね」
私達が早くから会場入りしたのはそれが理由。
じゃがバターなど、私が提案した料理の多くは素朴すぎてクラエス家では作ってもらえないらしい。そこで、あの味に飢えたカタリナ様から我が家にヘルプコールが来た。
料理人を連れてくるために早く来た、というわけだ。
「メアリ様も材料をありがとうございます」
「何言ってるの。私達は運命共同体でしょう?」
「はいっ」
メアリ様は街への料理店出店に協力してくれている。
野菜にまで及ぶ植物の知識(カタリナ様のお手伝いのお陰だ)を活かし、珍しい野菜の栽培や新種の研究などを行ってくれている。
採れた作物はハント家の出入り商人を通して料理店へ優先的に、かつ割安な価格で卸してもらえる。
私としては必要な作物を楽に手に入れられるし、メアリ様の側も安定した販売先が確保できるので、どちらにもメリットがある。
むしろ、作っているのが珍しい作物ばかりのため、私の料理店が買わないと大赤字になりかねない。料理店が繁盛して評判を呼べば作物の需要も高まる、まさに運命共同体だ。
「そうそう。ソフィアが欲しがっていたコメ? イネ? とかいう作物、それらしいものが見つかったと報告を受けたわ」
「本当ですか!?」
メイド達からは「パーティの日に商談をしなくても」と呆れられてしまったが、パーティ中に話しているわけではないので大丈夫だと思いたい。
時間が余るようなら本を読もうと用意もしていたのだが、メアリ様と楽しくお話しているうちに時間がやってきた。
(カタリナ様はおめかしに時間がかかっているようで事前に会うことができなかった)
「「お誕生日おめでとうございます、カタリナ様」」
「メアリ、ソフィア! ありがとう! 二人共相変わらず綺麗ね」
「そんな、カタリナ様には敵いませんわ」
「ええ、本当に。いつ見てもお美しいです」
カタリナ様はスタイル抜群の美女に成長した。
胸の大きさではメアリ様が上だが、メアリ様は規格外なので仕方ない。むしろ、すらっとした身体ときりっとした顔立ちが女性らしい起伏と上手くバランスを取っていて見事と言うより他にない。
それでいて、ややきつい顔立ちに浮かぶ表情は明るく柔らかいのだから、もしジオルド様と破局でもしたら大勢の男性が詰めかけるだろう。
まあ、ジオルド様がカタリナ様を諦めるとは思えないし、現時点でも十分に多くの男性がカタリナ様を狙っているのだが。
「メアリ。ソフィア。二人共とても素敵なドレスですね」
件のジオルド様はカタリナ様を心から愛しているようで、会う度に愛情の籠もった笑顔を浮かべ、カタリナ様に付き添っている。
「よう、メアリ。やっぱりソフィアと一緒にいたのか」
アラン様は、メアリ様曰く「私よりカタリナ様に夢中なくせに無自覚」とのことで、その評価の通り、カタリナ様と話しているととても楽しそうだ。メアリ様と仲が悪いではないのだが。
「こんばんは、お二人共。今日は姉さんのためにありがとうございます」
キース様はお兄様とはタイプの違う美青年に成長。女性からの人気も高いようだが、カタリナ様へ密かに懸想しているらしく、浮いた話は全くない。
「ソフィア。……メアリ様、妹をエスコートしてくださってありがとうございます」
お兄様も相変わらずカタリナ様に想いを寄せている。
しばらく前、それとなく確認してみたところ、ジオルド様から奪う気はない。ただ、黙って想う分にはいいだろう、ということだった。
このように、カタリナ様は少なくとも四人の男性に愛されている。
同性であるメアリ様も。
私の隣に立って笑顔を浮かべているメアリ様が、内心でどう思っているかはわからない。
私は彼女の、そしてみんなの想いをできる限り応援してあげたいと思っている。
そうして、パーティはつつがなく進行した。
主役であるカタリナ様はジオルド様を筆頭に、数々の男性からダンスを申し込まれて大忙しだった。でも、合間にじゃがバターや他の料理を食べてくれたようでにこにこと笑顔を見せてくれた。
私もお兄様、それからキース様に踊ってもらった。
二人にお相手してもらえれば格好がつくかな、と思っていたら、覚えのない同年代の男性からもダンスを申し込まれた。
踊っている最中に囁かれたのは、物語を書く方に興味があるという話。今度読んでもらえないかと言うので、売り込みならいつでも大歓迎です、と答えておいた。
かしこまった場なので女性同士で踊れないのが残念だったが、メアリ様がこっそりお相手をしてくれた。
こんなこともあろうかと男性パートも練習してきた、とのことだったが、本当は何のためなのかは考えるまでもない。
一緒に踊りながらメアリ様の動きを一生懸命覚えて、カタリナ様とも踊ってもらった。
とても楽しいひととき。
でも、学園に通うようになれば、みんなといられる時間がもっと増える。
何より心おきなく図書館へ通える。
早く学園に行きたい。
私の想いは日増しに強くなっていった。
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2巻相当分
入学
遂に入学の日がやってきた。
「ソフィア。しっかりと学んできなさい」
「ええ。この二年間の過ごし方はあなたの将来にも大きく関わってきます。大切に過ごすんですよ」
「はい。お父様、お母様」
我が家は去年、お兄様で経験済みだが、それでも入学に向けての準備は大変だった。
服、化粧品、アクセサリー、小物等々、持っていく品の選定。足りない分は買い揃えるか発注しないといけないし、連れて行く使用人の選定も必要。
私の場合、更に出版業やレストランなどの事業についての引継ぎもあった。学園にいる間はあまり関われないのでお父様お母様に代行をお願いした。
それから、一番大変だったのは持って行く本選びだ。
何しろ本は重くてかさばる。小分けして送ってもらうのもお金がかかるので、泣く泣く厳選を重ねることになった。
休日に街へ出ることは許されているので、向こうで買い足そう。
「ソフィアなら成績に問題はないだろうが……」
「くれぐれも、くれぐれも、お友達作りや情報収集も怠らないようにね」
「かしこまりました」
「……放課後や休日の度に図書館に籠もって、時間ギリギリまで粘る、なんていう生活では駄目よ? ましてや、夜更かししての読書はお肌に悪いのだから」
「お母様は私の心が読めるのですか……?」
「……もう、この子ったら」
お母様は苦笑して「生徒会に入れることを願っているわ」と言った。
「学園にはニコルもいるし、後は使用人に任せよう」
「そうですね。……それじゃあ、ソフィア。元気で」
「はい。長期のお休みにはなるべく帰るようにいたします。お父様お母様もお元気で」
私は一礼し、学園に付いてきてくれる使用人達と一緒に馬車へ乗り込んだ。
道中はあっという間だった。
景色に楽しんでいたから、と言えたら格好いいのだが、実際は途中から読書に夢中になってしまったせいだ。私としては全然問題ないものの、少し勿体なかったかもしれない。
でも、馬車から下りて直接、正門前から見上げた学園はとても綺麗だった。
国内最大の学び舎。
校舎だけでなく生徒・教師用の寮や魔法の研究機関、付属図書館など様々な建物を擁しており、ここで優秀な成績を収めれば魔法省等への就職も可能になる。
私としても、図書館に採用してもらうため、ここでの生活は疎かにできない。
「……頑張らなくては」
あらためて気を引き締め、私は学園の門をくぐった。
◇ ◇ ◇
「それにしても良かったわ。メアリもソフィアも同じ寮になることができて」
「はい。カタリナ様とご一緒できてとても嬉しいです」
「私もですわ。こうして気軽にお邪魔できるのは、同じ寮の特権ですもの」
カタリナ様とメアリ様、三人揃うとさっそく、ささやかなお茶会が開かれた。
学園は全寮制。
二つの寮があり、家柄によって入る寮が決まる。私達が入ったのは「王族、公爵家、侯爵家、伯爵家」の寮だが、今年は人数が多く、伯爵家の中で位が低い生徒はもう一つの寮に振り分けられた。もっと人数が多かったら私も下の寮だったかもしれない。
仲がいい友達と離れ離れになるのは寂しいから、私としてはほっとしている。
ちなみに寮と言っても、生徒の殆どが貴族の学校。
家から使用人を連れてくることが許されていて、公爵令嬢のカタリナ様は五人を、メアリ様と私も二人ずつ連れてきた。
部屋も使用人用の控え室などが含まれていて広々としている。
食事は寮と校舎にある食堂でとれるし、こまごました仕事の必要もない。家にいる時とそれほど変わらない生活を送ることができる。
「食堂のご飯ってどんな感じなのかしら。今から楽しみだわー」
「王族の方も利用するのですから、きっと美味なのでしょうね」
メアリ様が柔らかく答えると、カタリナ様は「そうよね!」と笑顔を浮かべる。
と思ったら残念そうに息を吐いて、
「でも、じゃがバターや
「軽食でしたら使用人にお願いすることもできるでしょうけど……」
厨房を借りないといけないし、材料の調達もあるから気軽にはいかない。
「でも、私達はこんなこともあろうかと策を練っていましたわ」
「え? なになに?」
カタリナ様が尋ね返すと、メアリ様が得意げな笑みを浮かべる。
メアリ様から「ねー?」とばかりに視線を送られた私は微笑んで頷く。
「ええ。実は去年、私の出資している料理店の二号店を開きまして――」
「その二号店があるのがこの街なのですわ」
材料の卸しに関わっているので、メアリ様は当然知っている。
「抜き打ちチェックも兼ねて定期的に訪ねるつもりなのですが、カタリナ様もいかがですか?」
「行く! 行くに決まってるじゃない! 約束よ! 私も連れて行ってね!」
「はい、必ず」
カタリナ様の嬉しそうな顔を見ると、本当に幸せな気分になる。
カタリナ様とメアリ様。
二人が一緒なら、寮での新しい生活も楽しくやっていけそうだ。
◇ ◇ ◇
寮の中を見て回ったり、他の寮生の方へ挨拶をしたりしているうちに入学式の日になり、遂に本格的な学園生活がスタートした。
翌日、最初の授業の日。
カタリナ様やメアリ様と一緒に教室へ向けて歩きながら、私は必死に眠気を堪えていた。
「ソフィア? すごく眠そうですけれど、また夜更かしですの?」
「ええ。その、つい夜遅くまで本を読んでしまいまして……」
「あー、夢中になるとつい時間を忘れちゃうわよね。わかるわ。それで、今度は何の本を読んでたの?」
「はい。教科書を」
「は? 教科書?」
てくてくてく。
妙な間が空いたまま足ばかりが進んで、
「気のせいかしら、ソフィア。教科書を読んで夜更かししたって言った?」
「そうですが、何か……?」
「教科書なんて授業中の暇つぶしに落書きして遊ぶか、試験前に必死に読み込むためのものじゃない! なんで授業が始まってもいないのに夢中で読んでるの!?」
がしっ。
立ち止まったカタリナ様が私の肩に手を置く。
向こう側でメアリ様が「ずるい!」みたいな顔をしているのに気を取られていると、綺麗な青い目が心配そうに私を見つめてくる。
「大丈夫、ソフィア? いくらソフィアでも、この症状は病気なんじゃ……?」
「か、カタリナ様。私は正気です。正気ですから、手をお離しください。その、お顔が」
「あ、ごめんね。あまりにも信じられなかったら、つい」
「いいえ。自分でも夜更かしはやり過ぎだったと思いますから……」
ほっとしつつ微笑んで答えた。
距離が離れると同時にメアリ様の機嫌も直っている。予習したせいでお友達と絶交、なんてことになったら洒落にならない。
魔法学園の授業形態は大学に近い。
午前中が座学で午後が実技。授業によってはクラス分けがされることもあり(属性によって内容が変わる魔法の実技など)、座る席は決まっていない。
「せっかくだし一緒の席にしませんか?」
「いいわね!」
メアリ様の提案で三人並んで座る。
時間差でやってきた男性陣――ジオルド様、アラン様、キース様が揃って私達の後ろの席に座った。この座り方はこの後、私達の基本スタイルとして定着していくことになる。
最初なので授業は自己紹介から。
位の高い方からと決まっているようで、最初がジオルド様でその次がアラン様、そしてカタリナ様という順番だった。
私の自己紹介は中盤にさしかかった頃。
名前と出身地、趣味などを口にして一礼すると、拍手はまばらだった。一つ前の生徒と比べると明らかに少ない。でも、拍手がもらえただけ良い。そう思っていたら、他の拍手が聞こえなくなりそうなくらい大きな拍手が同じ机から聞こえた。
続いて後ろの机からも。
「噂は本当なのか」
「アスカルト家の魔女」
「クラエス様と王族の庇護を受けるとは」
「妬ましい」
ひそひそとした声は、ジオルド様が「偶然」何気なく振り返るとぴたりと止まった。
「カタリナはぼんやりしていますから大丈夫だと思いますが、ああいった悪意の声は彼女に届かないようにしたいのです。ソフィア、協力してくれますか?」
授業後、ジオルド様に囁かれた私はそっと答えた。
「私にできることでしたら、ぜひやらせてください」
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伯爵令嬢と実力テスト
魔法の実技では実際に魔力を使った授業が行われる。
授業初日から属性ごとに分かれるそうで、残念ながらカタリナ様達とは別クラスだった。カタリナ様とキース様、メアリ様とアラン様はそれぞれ属性が同じなので一緒のクラスになっている。
友達と一緒じゃないのは正直不安だ。
「でも、頑張らなくては」
小さく自分に言い聞かせる。
ジオルド様から言われたこともある、
カタリナ様を悪意から守る。言うのは簡単だけど、私ではジオルド様達のように直接守ることは難しい。なのでせめて、私自身がお荷物にならないよう頑張らなければ。
実技で使われる訓練室に入ると、悪目立ちしない隅の方で授業開始を待った。
「では、授業を始める」
最初は個人ごとの実力を確認する、と先生は言った。
生徒のほぼ全員が貴族のこの学園では、入学前から基礎を学んでいるのが当たり前。同じ一年生であっても進度が全然違うことがあるからだ。
先生の指示で一人ずつ前に出て、自分にできる最高の魔法を披露するように言われる。
私のクラスは風の属性。
なので、基本は風を起こしたり、ある程度の方向性を持たせてつぶてや刃として打ち出したり、軽い物を浮かせたりといった感じになる。
他の生徒の魔法も威力はまちまちだが、概ねそういうものだった。
「次、ソフィア・アスカルト」
「はい」
中盤で指名された私は人込みからおずおずと進み出る。
大勢から見られているのを感じながら目を閉じて集中。身体の中から引きだした魔力を、イメージに従って形にしていく。
そして、解放。
「―――!」
どよめきがかすかに伝わってきた。
私と他の人達との間に生まれた渦巻く空気が音の殆どを遮断しているので、実際は結構大きな声だったのだろう。
と、先生が教科書を手に私に近づいてきた。
手を持ち上げて首を傾げる仕草。投げてもいいか、という意味だろう。こくんと頷く。
軽く放り投げられた教科書が私に近づいて――何かに弾かれたように地面へ落ちた。
もう、いいだろう。
魔法を止めて、ふう、と息を吐く。
「アスカルト君。その魔法は誰に教わったのかな?」
「自分で考えたものを、兄のニコルや家庭教師の先生と改良しました。私は、攻撃的な魔法が向いていなかったので……」
魔法の使い道として最もメジャーなのは戦闘用、もしくは自衛用。
私は他人に向けて魔法を放つのがどうしても怖かったので、防御特化の魔法を覚えることにした。
さっきのは私の周りに空気の渦――言ってしまえば小さな台風を作る魔法だ。私のいる場所は台風の目になっているので静かなものだが、台風部分に触れたものは弾き返される。
難点は風を維持しないといけないので魔力の消耗が激しく、精神的にも疲れること。殺す気で斬りかかられたりしたら防ぎきれないこと。
「地味な魔法ですみません……」
謝ると、先生は短く「いや」と答えて私を下がらせた。
「風の魔法には攻撃用以外のものが多くある。そういったものを学んで行けばよかろう」
同時に、ひそひそと聞こえてくる声。
「アスカルト家の」
「魔女」
以来、何故かそのあだ名が余計に定着した。
◇ ◇ ◇
『一位:ソフィア・アスカルト』
掲示されたテスト結果を、私はぽかんと見つめた。
入学後しばらくして行われた実力テスト。学問の部と魔法の部に分かれており、凄いところに名前があったのは学問の部だ。
魔法の部は十位。総合では四位。なので、凄いのはむしろバランス良く好成績を上げたジオルド様(総合一位)やアラン様(総合二位)なのだが。
「驚きました。想像以上の結果ですよ、ソフィア」
「ジ、ジオルド様……」
背後からかけられた声に一瞬、びくっとした。
柔らかな微笑みを浮かべる金髪の好青年――第三王子のジオルド様。
「おめでとうございます。僕もまだまだ頑張らないといけませんね」
「そんなこと……。私は座学だけですから」
「それでも、学年トップは十分な偉業でしょう?」
「あ、ありがとうございます」
おずおずと答えつつ、私はなんとなく緊張してしまう。
ジオルド様はとてもお優しい方だ。
私達のような目下の者とも親しくしてくれるし、偉ぶったところもない。紳士と呼ぶに相応しい男性。ただ、どこか素朴な愛らしさのあるカタリナ様と違い、ジオルド様には隙がない。
強硬な態度を取らずに水面下で動いてカタリナ様を「守って」いるのだろうとなんとなくわかって、私は頭が上がらない。
ジオルド様はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、微笑んだままで、
「これでソフィアも生徒会入りは確定ですね」
「確か、テストの上位者が選ばれるのでしたか?」
「ええ。基本的には上位から七人。私とあなた、アランと――マリア・キャンベルは確定でしょうね」
マリア・キャンベル。
学問の部でジオルド様に次ぐ三位に入っていた名前だ。
総合でも三位。
テストの上位にある名前は他にメアリ様とキース様と知り合いばかりなので、ぽつんと一つある知らない名前は気になっていた。
(ちなみにカタリナ様はちょうど中間の八十位。あの方の魅力はテストでは測れないので、不思議とは思わない。むしろ意図して平均を取られたのではないかとも思う)
「そのキャンベル様というのはどのような方なのでしょう?」
私が首を傾げて尋ねると、ジオルド様は可笑しそうに笑った。
「ああ、ソフィアは知らないのですね。マリア・キャンベルは平民ですよ。光の魔力を持った、ね」
「光の魔力を持った平民……」
どうやら学園では有名人らしい。
十年ぶりに出現した平民の入学者。現在数人しかいない「光の魔力」を持っている少女。興味を持っていないのは私くらいだろうとジオルド様は言った。
「カタリナと違って頭は回るはずですが」
「私、用事がある時以外は図書館で読書をしていますので……」
入寮の日にさっそく向かったら「入学式までは使えません」と言われてしまい、入学式後に出直したのはいい思い出だ。
以来、夕食に遅刻しないようにメイドが知らせてくれるまで読書をして、最後まで読み切れなかった時は貸し出しをしてもらうのが私の日常である。
我が家のメイドはすっかりみんな慣れて、時間が来ると容赦なく本を取り上げてくる。
借りた本は読み終わって次に暇な日、だいたい翌日か翌々日(カタリナ様達と遊ぶ日もあるので)に返して、ついでに本を読んでいって――その繰り返しだ。
というか、カタリナ様が馬鹿なはずがない。
私達が困っていると的確なアドバイスをくれるあの方は、頭の回転自体はとても速いはずだ。
「……本当に、カタリナの傍にいると退屈しませんね。ともかく、約束通りの『協力』に感謝します。生徒会、一緒に頑張りましょうね」
「は、はい。頑張ります」
しまった、生徒会に入ったら本を読める時間が減ってしまう。
テストを頑張りすぎただろうか。
でも、良い成績を取っておいた方が司書になるために有利だ。生徒会役員をやっていると進学や就職になるという話もよく聞くし、諦めるしかない。
せめて、少しでも読書時間が増えるように生徒会の仕事をてきぱきとこなさなければ。
◇ ◇ ◇
「ジオルド・スティアートです」
「アラン・スティアートだ」
「メアリ・ハントですわ」
生徒会メンバーが決定し、私もジオルド様の予想通りその一員になった。
ジオルド様、アラン様、メアリ様、キース様、それに私。
二年生メンバーとしてお兄様も参加しているので、私の幼少期からの知り合いの方はほぼ全員が生徒会メンバーということになる。
私としてはほっとする反面、カタリナ様だけが一緒でないのが寂しく思えた。
「マリア・キャンベルです」
マリア様はふわっとした金髪を持つ、可愛らしい方だった。
「よろしくお願いいたします、キャンベル様」
「………」
二年生メンバーは生徒会長とお兄様の二人だけなので、生徒会メンバーは友人以外の方が少ないくらいだ。
せっかく一緒になったのだからと挨拶をして回ると、最後に話しかけたキャンベル様は私を見て驚いたような顔をした。
「どうかされましたか?」
「あっ、大変失礼いたしました。ですが、その、アスカルト様。私は平民ですので、そのようなお言葉をかけていただく必要は……」
「あ、そうですね……そういえばそうでした」
うっかりしていたと私は頷いた。
「すみません。普段、目下の方と話す機会があまりないものですから。こちらの方が話しやすいので、許していただけると……」
「そんな、許すなんて。どうかご自由になさってください」
しゅんとして謝ると、逆に恐縮させてしまった。
「で、では、マリアさんと呼ばせてください」
「あ、はい。アスカルト様」
「アスカルトですと、お兄様――兄のニコルと紛らわしいでしょう? どうかソフィアと呼んでくださいませ」
「……かしこまりました、ソフィア様」
マリアさんは戸惑ったような表情を浮かべつつも、私のお願いを受け入れてくれた。
「ソフィア様は不思議な方ですね」
「そう見えますか?」
会ったばかりの方にも「抜けている」とか「変わっている」という風に見えてしまうとは。
「ええ。貴族の方とは思えないくらいお優しいですし――絹のような髪も、とてもお美しいと思います」
「あ……ありがとうございます」
それは、単なる社交辞令だったのかもしれない。
けれど、カタリナ様と同じように褒められた私は嬉しくなって、マリアさんともっと仲良くなりたい、とあらためて思った。
主人公を口説く主人公。
口説かれた主人公は別の主人公に口説かれて落ちる模様。
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伯爵令嬢と夜の密会
生徒会メンバーの顔合わせが行われた夜のこと。
「ソフィア様。ジオルド王子からお誘いが来ております」
「……お誘い、ですか?」
夕食と入浴も終わり、さあ、寝る前の読書だとうきうきしながら部屋に戻った私は、留守番をしていたメイドから伝言を受けた。
今日この後、ジオルド様のお部屋に来て欲しい――ということだ。
「急なお話ですね」
「はい。ですので、不都合であればその旨、お伝えして参りますが……」
私より一回りと少し歳の離れた彼女は、何故か頬を赤くしながらこちらをちらちらと窺ってくる。見れば、もう一人のメイドも似たような表情をしていた。
もしかして二人とも風邪気味なのだろうか?
学園での生活は快適だが、それは彼女達が頑張ってくれているからこそだ。逆に言えばメイド達には慣れない環境で負担がかかっている。
今日は早く休んでもらった方がいいかもしれない。
私は頷いて、読書は明日の楽しみにしよう、と決めた。
「わかりました。……では、私はジオルド様の元へ行って参ります。帰りがいつになるかはわかりませんから、二人はもう休んでくださいませ」
「え?」
「よろしいのですか……?」
驚いたように聞き返してくる二人。
今日はまだ休めないと思っていたのだろうが、私は体調の悪い中、無理に働いてもらうほど理解のない主ではないつもりだ。
普段も「ソフィア様は読書中、本当にお静かなので仕事が捗ります」と褒められている。
「私も、もう子供ではありません。この時間にお話があるということは大切なご用事でしょう? お断りしては失礼ですわ」
多分、生徒会関連の用事だろう。
私は二人に簡単な身支度と、最低限のお化粧だけをお願いした。疲れているところ申し訳なかったが、二人は意外と楽しそうに、きゃあきゃあ言いながら対応してくれた。
「ソフィア様。頑張ってくださいねっ」
「ああ、こんな、いけませんわ……。でも、どきどきしてしまいます」
「? よくわかりませんが、行って参りますね」
招待状を持って訪ねると、男子棟を警備している方は快く通してくれた。
小柄で幼く見られがちな私が頼りなかったのか、一人の方がジオルド様のお部屋まで案内してくれたくらいだ。
王族用なのか、私の使っている部屋より更に広く見えるジオルド様の部屋には、キース様とアラン様、それからメアリ様が既に到着していた。
カタリナ様はいない。
ということは、やっぱり生徒会の用事だったのだろう。
「ああ、よく来てくれましたね、ソフィア。この時間ですと読書をしていて気づかないかと思いましたが」
冗談めかして笑うジオルド様。
「ちょうど入浴を済ませたところでしたので」
微笑んで答えると、目じりをつり上げたメアリ様が寄ってきて私の手を引いた。
「さあ、ソフィア。こっちにいらっしゃい」
「め、メアリ様? 少し力が強いのですが……」
「あ、ああ。ごめんなさいね」
私はメアリ様に腕を抱かれるようにしながら、ソファに座らされる。
「もう、夜着に一枚羽織っただけだなんて……。もう少し身体に気をつけなさいな」
そう言うメアリ様は身軽な格好ながら、昼間の寮内でもギリギリ大丈夫かな? という程度にはおめかしをしていた。
貴族としての嗜みなのは理解できるのだが、メイドの手をあまり煩わせたくなかったし、お風呂上がりで本格的に着替えるのは面倒だった。
「大丈夫です。身体が冷えない程度には着こんでいますし、お話の内容もなんとなくわかっていますもの」
「さすがソフィア。そういう物怖じしないところはとても良いと思いますよ」
にこやかに頷くジオルド様。
と、アラン様とキース様、それからお兄様が渋面を作って彼を睨んだ。
「おいジオルド。そうやって脱線するのは止めろ。そもそもお前が招集をかけたんだろうが」
「ジオルド様。姉さんだけならまだしも――いえ、姉さん相手でも止めて欲しいのですが――ソフィアにまで手を出すのは我慢できませんよ」
「ジオルド様……? ソフィアに何か?」
「冗談ですよ。では、時間もありませんし話を始めましょうか。皆さんお察しの通り、議題はカタリナの生徒会入りについてです」
◇ ◇ ◇
ジオルド様のお話を要約するとこういうことだった。
生徒会のシステム上、テストの結果が平均点だったカタリナ様が選ばれなかったのは仕方ない。だが、あの奔放なカタリナ様を一人にしておくのは不安が過ぎる。
そこで、生徒会メンバーではないカタリナ様が生徒会室に出入りできるよう、先生方に特例を認めさせたい。
「確かに、あの女を野放しにするのは危ないな」
「僕にメアリ様、ソフィア様まで居ないとなると、アンの負担が大きすぎますね」
「何故、私とアランを省いたのか詳しく聞きたいところですが、そういうことです」
「私も賛成ですわ。……でも、そんな特例認められるかしら?」
首を捻るみんな。
私も同じように首を捻って、何気なく思ったことを口にしてみる。
「カタリナ様にはテストでは測れない魅力があるのですから、そこを評価していただけないでしょうか……?」
「ソフィアは本当に良いことを言いますわね」
メアリ様がにっこりして髪を撫でてくれる。
心地よいのでそのまま身を任せていると、こっちを見たジオルド様が何故か苦笑しつつ、頷いた。
「確かに、悪くありませんね。……カタリナ・クラエスには類稀なカリスマ、求心力が備わっています。それこそ、一年生の生徒会メンバー殆どを統率するほどの。よって、彼女を除け者にすることは我々全員を不要と断ずるに等しい……と、そんな論調でいいでしょう」
「……おい。ジオルドお前、それは『特例を認めないと全員で生徒会を辞める』って言ってるようなもんだぞ」
「そう言っているのですが、何か?」
アラン様のツッコミに爽やかな笑顔で答えるジオルド様。
やっぱり、ジオルド様は優しいように見えて時々凄く怖い、と、私はあらためて思った。
そして後日、私達による連名の訴えが受理され、カタリナ様は生徒会メンバー以外でありながら特別に、生徒会室への出入りが許されることになった。
◇ ◇ ◇
「ジオルド様も変なことするわよね。私に生徒会の仕事が手伝えると思ったら大間違いよ?」
「大丈夫だよ、姉さん。誰も姉さんにそんなこと期待してないから」
「そう? なら気軽に遊びに行けばいいのね!」
学園の一角を借り受けて作られたカタリナ様の畑――もとい『花壇』にて。
カタリナ様は楽しそうに作業をしながら、あの特例の件について感想を口にしていた。
最初は「なんでわざわざそんなこと?」と不満そうだったが、すぐににこにこと機嫌を直してくれる。先程のキース様の発言は嫌味になりかねないと思うのだが、キース様とカタリナ様、双方の人柄のお陰でそうはならなかった。
「遊びに行ってもいいのなら良かったわー。なんだか私だけ除け者みたいで寂しかったもの」
「生徒会にはお茶やお菓子などがたくさん贈られてくるそうですから、おやつを召し上がるくらいのつもりで来てくださって結構ですわ」
キース様と二人でカタリナ様を挟むように作業を手伝うのはメアリ様だ。
昔は花以外には詳しくなかったというメアリ様だが、今ではカタリナ様と同等かそれ以上に農業について詳しくなっている。
特に園芸には興味がないはずのキース様やジオルド様、アラン様でさえ助手としては十分な腕前と知識を持っているのだから、カタリナ様の影響力は本当に凄いと思う。
私はそんな彼らを日陰から見守りながら、カタリナ様のメイドのアンさんを傍らに、ひとかかえほどの壺を弄っていた。
正確には壺の中身を、だ。
中にはきゅうりやにんじんなどの野菜と塩水、そして米ぬかを入れて作った、いわゆるぬか漬けが入っている。
メアリ様にお願いし、ほうぼうを探して見つけてもらった米は以後、共同で研究、栽培を行っている。このぬか漬けはその副産物だ。
「さすがはソフィア様。手付きが淀みないですね」
「ありがとうございます。慣れないと難しいですよね?」
「……ええ。それと、感触が……」
引きつった笑みで答えるアンさん。
私が分けた米ぬかを使い、クラエス家でもぬか漬けが試作されているのだが、メイドや料理人からは「感触が」「匂いが」「色が」と不評らしく、比較的耐性の強かったアンさんがぬか床の番を任されているらしい。
ただ、彼女だけでは上手く行かない部分も多いので、私が時々お世話を手伝っている。
「でも、ちゃんと形になっていると思います」
「本当ですか?」
「ええ」
私はきゅうりを一本取り出すと付着したぬかを落とし、水で洗ってから一口齧る。
「うん、美味しいです」
「あー、ソフィアずるいわ! 私にも頂戴!」
「はい、もちろんですわ」
歩み寄ってきゅうりを差し出すと、カタリナ様は満面の笑顔で大きな口を開け、一口で半分以上を持って行った。
「んー、美味しい! このお漬物で白いご飯が食べたいわ!」
「……ソフィアったら、今のは間接キスじゃないかしら。いえ、残ったあれを私が食べれば逆に、でも……」
嬉しそうにもぐもぐするカタリナ様の横で、メアリ様が恨めしそうに、残ったきゅうりをじっと見つめていた。
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伯爵令嬢と公爵令嬢の義弟
「ソフィア様。こちらもお願いしてよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんですわ、マリアさん」
書類の束を抱えたマリアさんに、私は微笑んで答えた。
私の前には未処理の書類と処理済みの書類、それから計算用のミニ黒板が置かれている。
――生徒会に入ってからしばらく。
一年生を迎えた新体制も形が整ってきた。
各々、得意分野を生かした仕事をすることになり、交渉や折衝に向かない私は主に計算と、それから「字が綺麗だから」と書類の清書を担当している。
この世界の教育はかなり発展しており、筆算の概念も存在するのだが、それでも計算能力には個人差がある。麗乃時代にさんざん経験している私には一日の長があった。
外に出て他の生徒と話をして、利益を勝ち取って来い、などと言われても困ってしまうので、私にできることがあったのは幸いだった。
と。
「……むー」
「?」
何やらカタリナ様から不満そうな視線を向けられている。
どうしてなのかわからず、私は首を傾げるしかなかったが、その理由は数日後、カタリナ様のお部屋での雑談の際に明らかになった。
「ソフィアだけマリアちゃんから名前呼びなんてずるいわ。私も名前で呼んで欲しい!」
「……姉さんにしては自制のきいた方だね。それをキャンベルさんの前で口に出さなかったんだから」
同席していたキース様がため息混じりに呟く。
メアリ様はご用事があるということで、今日は私とキース様、カタリナ様の三人だけだった。異性の寮に入るには手続きが必要なため、ジオルド様やアラン様、お兄様はあまり頻繁にカタリナ様の部屋を訪れることができない。
弟であるキース様は審査が簡略化されるため、比較的容易にカタリナ様と会うことができる。
メアリ様はとても残念そうにしていたが、「ソフィアとキース様だけなら安心ですわ」とも言っていた。キース様以外の男性陣は油断ならない相手に分類されるらしい。
「私、カタリナ様を蔑ろにしたつもりはなかったのですけれど……」
「気にしなくていいよソフィア。いつもの姉さんの我が儘だから」
「何よー。せっかく知り合ったんだから仲良くしたいじゃない。キースだってそう思――はっ!?」
言葉の途中で何かに気づいたように言葉を止めるカタリナ様。
けれど、いったい何に気づいたのかは教えてもらえなかった。マリアさんとキース様があまり仲良くなると、大切な弟を取られてしまう……とか、そういうことだろうか?
私より何倍もカタリナ様の言動に慣れているキース様は苦笑を浮かべるだけで流し、
「キャンベルさんに無理を言っちゃ駄目だよ。姉さんが下手に『名前で呼んで』なんて言ったら命令になってしまうんだから」
「わかってるわよ。私だってマリアちゃんとはそういうの抜きでお友達になりたいもの」
「カタリナ様なら大丈夫だと思いますけど……」
「キャンベルさんも良い子だしね。お菓子も美味しいし」
先日から、マリアさんは生徒会にお菓子を持ってきてくれるようになった。
手作りなので恥ずかしいと言っているが、この世界に工場製品なんて存在しないので、プロか素人かの違いでしかない。気にする必要はないと思うし、貴族用のお菓子はどうしても趣向を凝らしすぎたり砂糖が多くなる傾向にあるため、マリアさんの素朴なお菓子はとてもほっとする。
少なくとも生徒会ではみんなから好評で、特にカタリナ様はマリアさんのお菓子を熱烈に愛している。
「はっ!? もしかしてキース、マリアちゃんの魅力にやられちゃったりとかした!?」
「突然何言ってるの姉さん!?」
動揺するキース様。
カタリナ様はこうやって、キース様やジオルド様を他の女性とくっつけたがるところがある。決して、彼らを疎ましく思っているわけではないようなのだが……。
女性としての自己評価が低いのだろう。敢えて人柄を無視して見ても、カタリナ様は十分に魅力的だというのに。
「ですが、キース様は確かに、浮いたお噂がありませんよね……?」
「ソフィアまで何を言いだすの!?」
「いえ、メアリ様はアラン様と婚約されていますし、お兄様は引く手あまたですからいつでも結婚を決められますでしょう? ですが、キース様は上手く求婚をかわしていらっしゃるので……」
カタリナ様に懸想していることは知っているが、それを知らないご両親から催促があるのではないか、と心配になってしまう。
と、キース様は、優しげな顔立ちを更に真っ赤に染めて狼狽える。
「そ、そんなの。ソフィアだって同じじゃないか」
「私はキース様のように見目麗しいわけではありませんもの。アスカルト家はお兄様が継ぎますから、大した財産も付きませんし……」
「いや、ソフィアの容姿は十分に綺麗だよ。姉さんじゃないけど、人形のようでとても可愛らしいと思う」
「まあ。お世辞でも嬉しいですわ」
身内以外の男性から褒めてもらえることは少ないのだ。
と、カタリナ様が何やらにやりと笑って、
「だったら、キースとソフィアで婚約しちゃえばいいじゃない!」
「「ええ!?」」
「何よ二人とも声を揃えて。息ぴったりみたいだし、満更でもないのかしら?」
「い、いやいや姉さん、変なこと言いださないでよ。僕は誰とも付き合うつもりなんてないんだから」
「そ、そうですわカタリナ様。私は職業婦人になるつもりですので、お相手がいるとむしろ困ってしまうのです」
キース様の婚約話はどこへやら、結託して言い募る私達。
けれど、のほほん、としたカタリナ様は話しを聞いてくれず、
「旦那様がお仕事を許してくれればいいんでしょう? キース、その辺どうなのよ?」
「え? えーっと……もちろん、ソフィアなら浮気とかそういう心配はないだろうし、やりたいことがあるなら応援するけど……。って、そうじゃなくて!」
「だそうよ、ソフィア! どう、うちのキースは?」
「え、ええ。先程も申し上げたように、キース様は私には勿体ない方ですが……」
「じゃあ問題ないじゃない! ほらほら、付き合う? 付き合っちゃう?」
私とキース様は顔を見合わせた後、とにかくその話は止めよう、と、必死にカタリナ様を説得にかかった。
後日、その話をメアリ様にすると「ソフィアとキース様が結婚すればライバルが一人……。ですが、キース様とはいえソフィアを渡すのは……。いえ、そうすれば私とソフィアの縁も……」と、何やら必死に考えてくれていた。
とにかく話はなかったことになったから、と言うとほっとしていたので、心配をかけてしまったのかもしれない。やっぱり、私は結婚とか考えない方がいいのではないだろうか。
ちなみに、キース様との縁談の話は放っておいたらなくなった。ほっと一安心である。
◇ ◇ ◇
「ソフィア様は私の魔力をどう思われますか?」
生徒会室に私とマリアさんしかいなくなったタイミングで、ふとそんなことを尋ねられた。
学園にひとりきりの平民ということもあって、マリアさんもまた「交渉や折衝には不向き」と判断されている。代わりに資料の整理や他のメンバーのサポート、手が空いた時にはお茶を淹れたりお菓子を補充したりと全般的な作業を担当してくれている。
なので、二人になることも時々あるのだが、
「そうですね……癒しの力なんて、とても素晴らしいと思います」
「素晴らしい、ですか?」
「ええ。人を傷つけるのではなく、人を助けることのできる魔法なのでしょう?」
私は荒事どころか運動も得意ではないので、誰かを狙ったり狙われたりといった状況には陥りたいと思えない。
その点、ゲームで言う
敵も味方も含めて傷つく人が少なければ少ないだけいいと思う。
「マリアさんは優しいですから、光の魔力はぴったりだと思います」
「ソフィア様……」
マリアさんの緑色の瞳が真っすぐに私を見つめてくる。
その瞳はかすかに潤んでいた。
「……あ、でも。お医者様や看護の職に就いてしまうと司書になれなくなってしまいますね。素敵ですけれど、私は風の魔力で良かったかもしれません」
「ソフィア様……」
マリアさんの緑色の瞳が呆れたように私を見つめてくる。
その瞳はどこか楽しそうにも思えた。
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伯爵令嬢と変な女(前編)
「カタリナ様と仲良くなられたのですね」
「はい。危ないところを助けていただいて――お名前で呼ぶことを許していただきました」
ある日。
いつものように生徒会の仕事をしていると、遊びにやってきたカタリナ様がマリアさんと「マリアちゃん」「カタリナ様」と呼び合っているのに気づいた。
なんでも、私達の知らない間にマリアさんがピンチに陥っていたらしい。
「そうなのよ! マリアちゃんをよってたかっていじめている子達がいてね! 許せなかったから私の土ボコでこらしめてやったの!」
「まあ、お怪我はありませんでしたか?」
「大丈夫! 私もマリアちゃんもこの通りぴんぴんしてるわ!」
「それは良かったです……」
通称『土ボコ』はカタリナ様が得意としている魔法だ。
名前の通り、地面の一点が突然ボコっと盛り上がるというもので、派手さはないものの、足場を崩して人を転ばせることができる。
剣で斬りかかってくるような輩には効果が薄いが、魔法でいじめをしようとしている令嬢相手なら効果的に隙をつくことができただろう。
「学園にいてもそうした危険があるのですね……。私ももっと気をつけなくては」
「ソフィアにはあの魔法があるじゃない。あ! あの魔法をマリアちゃんに教えることはできないかしら?」
「カタリナ様。残念ですが、私とソフィア様は魔力が違いますので、同じ魔法を使うことはできないかと……」
「ああ、そっかー……残念ね」
しゅんとするカタリナ様を見て、マリアさんと顔を見合わせて微笑み合う。
メアリ様はといえば、何やら難しい顔で小さく独り言を口にしていた。
「カタリナ様……まさかまたライバルを増やしてしまわれるなんて。確かにキャンベルさんは綺麗で優秀な方ですが、だからといって……」
マリアさんがライバルになった、と心配しているようだ。
そうなのだろうかと、カタリナ様とマリアさんの様子を窺ってみると、
「そうだ。カタリナ様、またお菓子を作ってきたのですが、いかがですか?」
「本当!? もちろんいただくわ!」
楽しそうなカタリナ様の笑顔はいつも通り。
マリアさんの方は、頬を赤く染めて「すぐにご用意しますね」と張り切っている。なるほど、確かに彼女の表情は恋する乙女のように見える。
彼女も大切なお友達だし、女の子の恋はできるだけ応援してあげたいが――その恋はなかなかに茨の道だ。成就させるのは難しいかもしれない。
と、振り返ったマリアさんと目が合って、
「あ。お菓子、ソフィア様もいかがですか?」
「よろしいのですか? もちろん、いただきます」
お腹が空いていると思われてしまっただろうか。
少し恥ずかしい気分になる私だったが、美味しいお菓子の誘惑には勝てず、計算仕事を切り上げて休憩を取ることにした。
◇ ◇ ◇
休日。
朝ご飯を済ませた私は心を弾ませながら図書館へ向かった。
今日は何の用事もない。
お昼ご飯にはお弁当を用意したので、時間を気にせず読書に耽ることができる。それだけで気分がうきうきして、道中、鼻歌まで口ずさんでしまった。
「おはようございます、ソフィア様。今日は何の本をお読みになるのですか?」
「はい。今日は魔法道具の本を読もうかと」
「まあ、素敵ですわね」
入り口をくぐってカウンターに向かうと、すっかり顔なじみになった司書の方が挨拶をしてくれる。
本好きの間では「何の本を読んだ」「今度はあれを読もうと思う」という会話が挨拶同然に交わされる。前世でもそうだったし、
「生徒会のお仕事は大変ですか?」
「そうですね。やりがいはあるのですけれど、お仕事をするよりもっと本が読みたいです」
「ふふっ。わかります。……はい。では、ごゆっくりお楽しみください」
「ありがとうございます」
受け付けを済ませたら意気揚々と奥へ向かう。
学園の付属図書館は広い。現代日本の図書館に比べると空間自体がゆったりと使われていて、読書スペースの椅子も間隔が大きく取られている。羊皮紙時代の本や巻物などもあるので本のサイズがまちまちなことや、利用者の多くが貴族であること、写本に用いられることもあるのでインクが飛ばないように、といったことからの配慮だろう。
利用者も案外多い。
大半は課題のための参考図書を探す生徒だが、敷地内に魔法省が併設されているため大人の姿も結構ある。基本的な資料は魔法省の各部署内に用意されているものの、図書館にしかない貴重な本などもやはりあるらしい。
王立図書館が前世で言う国会図書館とすれば、この学園の付属図書館は一流大学の付属図書館に匹敵する。
つまり、この図書館が果たしている役割は計り知れないものがあり、務めている司書の方々も選りすぐられたエリートであるに違いない。
……と、以前、生徒会メンバーの前で力説したところ「ソフィアは本の話になると早口になりますわね」とメアリ様にさえ苦笑されてしまったが。
「まあ、ソフィアの言うこともあながち間違いではありませんよ。家業を継がない場合、卒業後の進路として花形なのは当然魔法省ですが、図書館司書も重要な役職には違いありません」
と、ジオルド様が言っていたように、決して楽な道のりではない。
司書になるには学園の成績はもちろん、何より本の知識が必要なので、私は時間があればなるべくここへ通うようにしている。
決して、単に本が読みたいから通っているわけではない。ないと言ったらない。
さて。
私は魔法関連のコーナーへと足を運んだ。今日の目当ては魔法道具に関する本だ。
魔法道具とは、その名の通り魔法の力を利用して作られた道具のこと。前世の言葉でわかりやすく言えば『マジックアイテム』だ。
この世界には魔法が存在している。
特にこの国は魔力持ちが多く、こうして魔法学園まであるのだが、意外にも魔法道具の分野はあまり発達していない。
ライトなファンタジー世界では魔法の冷蔵庫や魔法の扇風機、果ては魔法で縮小できる家まであったりするのがお約束なのだが、現状では少しずつ研究が進められ、できあがった品も量産されたりはせず「珍しい玩具」くらいの感覚で取引されているようだ。
なので、あまり関連書籍もないとは思うのだが……。
魔法省には魔法道具の研究部署もある。
意外と面白い本に出会えるかもしれないと、私は期待を膨らませていた。
「ええと、魔法道具……魔法道具……」
あまり背が高くない身体を一生懸命に伸ばし、本棚を端から端までチェックしていく。
やっぱり関連する本はあまり多くない。
ひとまず、目についた本を片っ端から読んでみようと、私は『魔力の保存に関する研究』と題された本に手を伸ばして――。
「あ」
「む?」
伸ばした手が、別の手とぶつかった。
私の隣にいたのは背の高い大人の女性だ。気の強そうな鋭い瞳が印象的な人で、その瞳は本から私の方へと向けられてくる。
どこか値踏みされているような感覚の後、彼女がにこりと笑って、
「失礼。……君もこの本に用が?」
「は、はい。ですが、私は単なる興味本位ですので――」
魔法道具の本を求める成人女性。
教師か研究者だろう。ならば彼女が優先されるべきだと思い、そう告げるのだが。
彼女はむしろ興が乗ったとばかりに笑みを深め、私に言ってくる。
「ほう? 魔法道具に関する講義は二年時にほんの少しあるだけだったはずだが、勉強熱心だな、ソフィア・アスカルト」
「わ、私の名前をご存知なのですか?」
「知っているとも。大の本好きであり、その幅広い知識を生かして作家の育成や新しい料理の発明にまで手を出している。また、魔法の使い方に関しても他と違う発想を持つ『アスカルト家の魔女』」
「な、なんだか別の方の噂を聞いているようですが……」
「間違いなくお前の話だよ」
女性はくつくつと笑うと、伸ばしたままになっていた私の手を乗った。
「面白い。魔法道具の話なら私がしてやる。本が読みたいなら秘蔵の本を貸してやろう。その代わり、私の部屋まで付き合わないか?」
正直、少し怪しい誘いだと思った。
出会ったばかりの相手から部屋に招かれるなんて、淑女の心得から言えば乗ってはいけない。
だが、
「わ、わかりました」
私は気づけばそう答えていた。
別に、秘蔵の本というのに抗えなかったわけではない……と、思うのだが。
「そうか。それは良かった」
女性は私にラーナと名乗った。
なんと、彼女は魔法省で一部署を任されている方だそうで、招かれたのは部署内にある彼女の仕事用の部屋だった。
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伯爵令嬢と変な女(後編)
「適当にかけてくれ。茶でも淹れよう」
ラーナの仕事部屋は雑然としていた。
ガラクタなのか重要なアイテムなのかわからないものや多くの本、紙束が散乱していて触れるのが怖い。
「待たせたな」
「ありがとうございます」
湯気の立つカップを直接受け取る。
ソーサーなしでお茶をするのは久しぶりだ。彼女も貴族なのだろうが、あまり気取らない性格らしい。あるいは、単に面倒だからか。
と、私はカップの中身に視線を落として、そこに入った漆黒の液体に目を丸くする。
「コーヒー、ですか?」
「ああ。街の
「ええ。私はこちらも好んでおります」
当然だ。その料理店は私のプロデュースなのだから。
数年前、この国にコーヒー文化が根付いていないことを知った私はメアリ様にお願いし、外国からの輸入・栽培を始めてもらった。
細々と生産された豆は例によってアスカルト家の料理店に卸され、希望する者には量り売りも行っている。といっても、人々の評判はあまり良くなかったはずだが、ラーナは数少ないコーヒーのリピーターらしい。
「茶請けにこちらもつまんでくれ」
と、出されたのは、じゃがいもを薄くスライスして油で揚げ、塩をまぶしたもの。
ポテトフライは存在したがポテトチップスはあまり知られていなかったので、これも私が料理店で売り出した。
揚げてあるのと塩を使っているので多少は保存が効く。これは平民のおやつとしてよく売れており、貴族の間では真似する者も出てきている。
「いつもご利用ありがとうございます」
「なに。旨いから通っているだけだ。……まあ、値段設定が高めなのが残念だがな。我々はともかく、平民は気軽に利用できまい」
「なにぶん、材料費がかさむものでして……」
「生産量が増え、他の買い手が現れれば改善する、か」
「ええ」
もしくは、料理店が安定して大繁盛してくれれば、もう少し値段も抑えられる。
メニュー自体を値下げしてしまうと上げ直すのが難しいので、日や料理を決めて特別サービスをするとか、安いスペシャルメニューを出すとかの方向性になるだろうが。
「宰相殿の娘がこの国の『食』を変えようとしている。お前を跡継ぎにするつもりなのか、などという声も囁かれているが」
「滅相もありません。我が家の跡継ぎはお兄様ですわ。私がやっているのはただの道楽に過ぎません」
「道楽にしては規模が大きいがな」
コーヒーを一口啜ったラーナはカップを下ろすと私を見て、
「本題に入ろうか。……私は魔法道具の研究を好んでいる」
図書館であの本を読もうとしていたことからもそれは窺える。
ちなみに本は貸し出し手続きをしてラーナの手元にある。
「だが、この国では魔法道具の研究は下火だ。何故かわかるか?」
何故と言われても、碌に知識がないから本で知ろうとしていたのだが……。
私は少し考えて、当たり障りのない答えを返す。
「実用化が難しいから。あるいは、費用がかかりすぎるから……でしょうか?」
「そうだ」
ラーナが頷く。
「では、なぜ難しい、あるいは金がかかると思う?」
「魔法、あるいは魔力は基本的に使いきりか、維持し続けなくてはならないものだから?」
「良いな」
褒められた。
褒められたのだが……なんだか、大学の研究室で教授と話しているような気分になってきた。
「問題はそこだ。魔法道具が目指すのは、魔法使いがいなくても魔法が使える道具だ。しかし、道具は魔法使いではない。魔法とは、魔力を用いて発動するものだ」
「はい」
「道具に魔法の根幹――『式』のようなものを組み込んでおき、魔力を流すだけで発動できるようにする、というアプローチもあるが、これは根本的な解決にならない。魔力には属性があるからな」
風の魔法道具を使うのに風の魔法使いが必要になるのなら、その魔法使いが直接魔法を使えばいい。
「魔力そのものを賄う別の方法が必要だ。お前ならどうする?」
「魔力を蓄えられる物質を探して、それを組み込みます」
要するに電池だ。
「その通り。魔力の保存については様々なアプローチが試みられてきた。魔法自体を改良して魔力効率を上げ、長時間持続させる試みなどもあったが――媒介を用いるという手法が現実的かつ効率的だろう、と、研究者達による見解が出されている。ここまで来れば、問題の根幹は見えてくるな?」
「素材の選定、研究に時間と費用がかかりすぎる……」
ラーナが満足そうに笑みを浮かべつつ、息を吐いた。
「そういうことだ。魔力を込める実験にも魔力がいるしな。火、水、土、風、光。一定以上の各属性の魔法使いの協力が最低条件。素材を現地調達するにせよ商人から買い付けるにせよ問題がつき纏う。貴族の道楽で行うにしても困難な道のりだよ」
「ですが、ラーナ様は挑戦していらっしゃるのですね?」
「人と同じことを研究してもつまらないからな」
にやりと笑った彼女は、心の底から研究を楽しんでいるように見えた。
「ソフィア・アスカルト。お前ならわかるんじゃないか?」
「なんとなくは、わかります。でも、私は欲しいものを作っているだけなので……」
未知のものに挑戦しているわけではない。
現在存在しないものを欲する発想がどこから出てきたのか、それを説明できないので難しいが。
「ふむ。戦争をすると技術が発達する、という奴か」
「必要は発明の母、ですね」
「良い言葉を知っているな、ソフィア」
流し目で見られてどきっとする。
彼女は確実に女性なのだが、その言葉遣いと纏っている雰囲気のせいか、気を抜くと男性と勘違いしてしまいそうになるのだ。
「その調子で『欲しい魔法道具』の一つや二つ挙げてみろ。参考にしてやろう」
「あ、ありません」
「嘘だな」
ノータイムで見破られてしまった。
すっと立ち上がったラーナ……ラーナ様は、意味ありげに手を持ち上げながら、
「言う気になるまで愛でてやってもいいが」
「れ、冷気を発する食品保存庫ですとか、ひとりでに熱を発する調理台などがあれば、と思っております……」
気圧されて言えば、ラーナ様は「残念だ」と座り直した。
「どうだ、ソフィア。時々ここへ遊びに来ないか?」
「いえ、私は生徒会の仕事もありますし、図書館で読書がしたいので……」
「ああ、約束の本だが。ここには国に数冊しかない貴重な本もあるぞ。貸してやるから、読み終わったら返しに来い」
「ありがとう存じます。必ずお返しにあがります」
「礼には及ばん。一冊読み終わったら別の本を貸してやる。その時、少し雑談に付き合ってくれればいい」
「かしこまりました」
ちょっと怖い方なので、できれば関係はこれきりにしたい――そう思っていた私だったが、本の話を出された途端、それまで考えていたことなどすっかり忘れてしまった。
ラーナ様はとても良い方だ。
去年亡くなられたという研究者の書いた魔法道具の基礎理論の本(革の装丁がされた重い本だ)を抱きかかえて部屋を後にした私が「いいように誘導された」と気づいたのは、帰りに図書館へ寄って夕方まで過ごして、寮に帰りついた後のことだった。
以来、私はラーナ様の部屋を定期的に訪れては、研究の話に付き合うようになった。
そのうち部下の方からも顔を覚えられて「卒業後はうちにおいで」と言われてしまったりするのだが、そういう狙いを悟らせないのがあの人の巧妙なところだ。
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伯爵令嬢と夏休み
あっという間に日々が過ぎて、学園は夏休みに入った。
夏休み中は殆どの生徒が実家に戻る。
希望すれば残ることはできるのだが、両親に成果を報告したり、ご無沙汰だったお茶会や晩餐会に参加するのも私達の立派な務めだ。
なので、
「図書館の本を思う存分読めるチャンスですけれど……」
「ソフィア、帰らないのかい?」
「……帰ります」
お兄様にも優しく促された私は泣く泣く寮、というか図書館に籠もることを諦めた。
代わりに街の書店で本を買って持ち帰ることにする。来た時に持ってきた本は寮の部屋に置いて行って、実家に持ち帰った本はそのまま置いてくればいい。
そうすると学園に戻る時に荷物が空いてしまうので、向こうでも新しい本を揃えて持って来よう。
「馬車以外の方法でも本を運べればもっといいのですが……。風の魔法で運搬ができないか研究してみましょうか」
「ソフィアは勉強熱心だね」
「私は本を読むために努力しているだけですわ」
実家に帰るとカタリナ様達ともいったんお別れである。
といっても、昔から頻繁に遊びに行っている間柄だ。離れ離れになるという感覚は薄い。休み中も手紙のやりとりをしようと約束したし、空いている日に会おうと約束もしている。
「お兄様。私、馬車の中で本を読んでいても構いませんか?」
「ああ、もちろん」
物静かなお兄様は嫌な顔もせず了承してくれたので、私は帰りの道中を読書して過ごした。
「退屈ではありませんでしたか?」
「いや。ソフィアと一緒だったから退屈しなかったよ」
到着間際に尋ねると、お兄様はそう言って微笑んでくれた。
私の顔を眺めたり景色に目をやったり、夏休みの宿題に目を通したり、色々とやることはあったらしい。
「私もお兄様と一緒で良かったです」
こうして私は数か月ぶりにアスカルト家へ戻ってきた。
◇ ◇ ◇
「「お父様、お母様。ただいま戻りました」」
「お帰り、ニコル。ソフィア」
「二人ともお帰りなさい。元気そうで何よりだわ」
屋敷ではお母様と使用人達だけでなく、多忙なはずのお父様も一緒に出迎えてくれた。
懐かしい我が家。
図書館に後ろ髪引かれておいて現金なものだが、帰ってくるとほっとする。今すぐ書庫へ行って読書の続きがしたくなったが、
「ソフィア。疲れているところ悪いけれど、さっそくお話を聞かせてくれるかしら?」
「ニコルは私と話そう。問題ないか?」
「「はい」」
私はお母様に、お兄様はお父様とお話をすることになった。
荷物を置いて着替えを済ませたら、荷ほどきはメイド達にお願いしてお母様の部屋へ。
「いらっしゃい、ソフィア。あらためてお帰りなさい」
「はい、お母様。こちらはお土産です」
「まあ、ありがとう」
お兄様と相談して買ってきたお土産はあの街でしか買えないお菓子だ。
せっかくだからとそれなりの量を買い込んできたので、直接持ち込んだのはごく一部。残りはメイド達が適切に保管し、お茶の時間や食後のデザートに出してくれるだろう。
「本当はお母様のための本を買って来ようかと思ったのですが……」
「自分用の本をたくさん買ってきたのでしょう? そちらを貸してもらえれば十分よ」
「かしこまりました」
まず、求められたのは学園での生活についてだ。
成績については学校側から、生活態度についてはメイド達からも報告されているはずなので、誤魔化しても意味はない。
私は素直にあったことを話した。
「座学では一位を維持。総合成績でも十位以内をキープ。名誉ある生徒会メンバーにも選ばれるなんて、素晴らしいわ。よく頑張ったわね、ソフィア」
「あ……ありがとうございます、お母様」
お母様は笑顔で褒めてくれた。
前世で通信簿を渡した時もそうだったが、こういう場はどうにも緊張してしまうので、少しプレッシャーから解放された気がする。
私もお母様につられて笑顔を浮かべ、
「ところで。ジオルド王子のお部屋に夜着でお邪魔したとか、女性とはいえ見知らぬ方に招かれて一人でついていった、と聞いたのですけれど」
「じ、ジオルド様の件は生徒会の用事でしたし、女性のお誘いはおそらく魔法省のラーナ様のことかと……」
「ソフィア。あなたももう子供ではないのですから、自己責任という言葉は承知していることでしょう。でも、もう少し自分を大切にしなさい」
「……はい」
怒られている、というよりは心配で言ってくれているのがわかるので、私はしゅんとしてお説教を聞いた。
幸いというべきか長くは続かず、お母様は上品にため息をつくと小さく咳払いをした。
「嫌なお話はこれくらいにしましょう。本題が残っていますから」
「本題、ですか?」
報告はこれで十分だと思うのだが。
きょとんと首を傾げる私を前に、お母様は控えていたメイド達に指示。ティーセットが片付けられ、代わりにどさっと積まれたのは書類の山だった。
「あのう、お母様。これは……?」
「書類ですわ」
「それは見ればわかるのですけれど……」
「在学中、あなたの事業については私達が引き継ぎました。最低限はこなした自信がありますし、赤字は出していませんが、ソフィアでないと動かせない案件が多すぎるのです」
料理店の方なら既存商品の改善、新規商品の開発、三号店の出店時期と候補地の選定。
作家支援事業の方なら活版印刷機の試作品の確認や、印税制度の問題点の改善などなど。
時折、手紙で相談などは受けていたのだが、受け取って送り返してでは日数がかかりすぎてしまう。
「帰ってきたこのタイミングで処理してもらおうと思っていたのです」
「な、なるほど……」
自分で手を出したことなので「嫌です」とも言えず、私は延々と続くお母様との相談、意見調整に追われることになった。
◇ ◇ ◇
「大変でしたわね。ソフィアの発想は他にないものだから仕方ないけれど」
「ええ。事業のお陰で本がたくさん買えるのですから文句も言えませんし……」
動きやすい服装に身を包んだ私とメアリ様は、ハント家お抱えの農園を歩きながらお互いの近況報告を行った。
「メアリ様も大変でしょう? いくつもお願いをしてしまっていますし……」
「私はそれほどでもないわ。栽培や研究自体は専門家に任せるしかないし、未知の植物である以上、私にも意見を出す以上のことはできないもの」
「そうなのですね……」
「むしろ、こうしてお眼鏡に適うかどうか、ソフィアにチェックしてもらうのが一番大事な仕事だわ」
「うう、メアリ様はずるいです……」
頬を膨らませて上目遣いに見上げると、メアリ様は楽しそうにくすくすと笑った。
彼女の赤い髪は夜会の照明の下でも人目を惹くが、個人的には陽光に照らされている時が一番映えると思う。赤は活力の象徴だ。
そう考えると、カタリナ様の瞳が静かな青色であるのが不思議に思えるが、メアリ様だって活力に満ちた素晴らしい貴族令嬢なのだ。
じっと見つめていると、気づいたメアリ様がこつん、と額を指で突いてくる。
「痛いです、メアリ様」
「ごめんなさい。でもソフィア、今は作物を見てもらわないと困るわ」
「あ、そうでした……」
メアリ様には私の欲しいものや考えをできる限り伝えてあるが、どうしても勘違いや伝え漏れは出る。
もちろん、私の考えが正解かと言えばそうとも限らない、むしろ現場の人の意見で良いものができることも多いのだが、より良いものを作るためにこうして時々は作物の様子を見せてもらっている。
「ゆっくりするのは終わってからにしましょう。……そうだ、一緒にお風呂に入りましょうか」
「あ、いいですね! とっても楽しそうです!」
貴族である私はメイドに手伝ってもらって入浴するのが日常だが、お友達同士でお風呂に入る機会は多くない。
カタリナ様とアンさんの影響もあって、私もメアリ様もメイド達と仲が良い方だが、やっぱり主と使用人では壁がある。
楽しみだ。
私はうきうきしながら残りのチェック作業を終わらせにかかった。
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闇の影
「夏休み最終日はさんざんだったわ……」
楽しい時間ほど過ぎていくのは早いもの。
皆で湖へボートに乗りに行ったり、カタリナ様やお兄様と街でショッピングをしたり、懇意の作家さんとお話をしたり、料理店に視察に行ったり、新しい料理を開発したり、本を読んだり、お仕事をしたり、本を読んだり、お仕事をしたりお仕事をしたりお仕事をしたりしているうちに夏休みは終わった。
心なしか「楽しい思い出ばかりではなかったのでは?」という気もしてきたが、ともかく夏休みは終わって学園へ戻ってきた。
皆もそれぞれの夏を過ごしたようで、女子三人でのお茶会の席でカタリナ様やメアリ様の思い出を聞くことができた。
なんでも、カタリナ様は夏休みの宿題を最終日まで溜め込んでいたようで、キース様に泣きついて手伝ってもらったそうだ。
「まあ、カタリナ様らしいですわね」
「二人で宿題なんて、本当に仲がよろしいのですね」
義弟に泣きつく可愛らしいカタリナ様と、呆れ顔で小言を言いながらも「仕方ないなあ」と手伝ってしまうキース様が目に浮かぶようだ。
「最初からメアリやソフィアに写させてもらっていればあんな苦労はしなくて良かったのよね……。なんでもっと早く気づかなかったのかしら」
「カタリナ様、宿題は自分でこなさないと身につきませんわよ」
「それはそうだけどー……私はメアリやソフィアみたいに頭良くないんだってば」
ぐてー、っとするカタリナ様。
夏の暑さが堪えた……というよりは、勉強のことを考えて気が滅入ったのだろう。
傍に控えたアンさんが「注意したいけど今は無理」という顔をしていた。
「私だって宿題は苦労して終わらせましたわ」
メアリ様が心外だ、と顔を逸らして告げる。
本気で機嫌を損ねているわけではないのは、ひくひくと動く頬を見ればすぐにわかるが。
「ソフィアだってそうでしょう?」
「そうですね……。実家に向けて出発する前に全て終わらせるのは骨が折れました」
「「はぁ!?」」
数日のうちに宿題を片付けた苦労を思い出して語ると、カタリナ様とメアリ様が声を揃えた。
「どうしてまたそんなことを……。あ、いえ、大体想像がついたので言わなくて結構ですわ」
「宿題を運ぶ必要がなければ、その分だけ本を多く持ち帰れると思いまして」
「だから、言わなくていいって言いましたわ……」
◇ ◇ ◇
学園での日々が過ぎていく。
授業のある日は座学の授業、昼食を挟んで実技の授業、放課後には生徒会の仕事をこなし、少ない余暇の時間に読書をして過ごす。
休日はカタリナ様とメアリ様とお茶会やお出かけをして過ごすか、そうでなければ図書館に通う。
ラーナ様のところへは短いスパンで立ち寄らないようにしたが、時々図書館で待ち伏せされてそのまま連行されたりする。せっかくなので珍しい本を借りたり、欲しい魔法道具について相談している。
そうこうしているうちに秋が来て、冬にさしかかりかけた頃――学園で一つの事件が起こった。
それは私達生徒会メンバーも、生徒会以外にカタリナ様が作った友人達も、たまたま皆、同行していない日の昼休みに起こった。
「カタリナ・クラエス、私たちは今日、この場であなたの悪事の数々を公のものとするわ!」
事件を起こしたのは、貴族令嬢の中でも悪意の強い派閥に属する数人。
彼女達は一人でいたカタリナ様に強く声をかけた上、周囲の人達にわざと聞かせるようにして「悪事の告発」を行ったのだ。
罪状は権力の不正行使、およびマリアさんへの嫌がらせ行為。
もちろん、どちらもあるはずがない。だが、彼女達は証拠と証人を揃えていた。それにしても、あらかじめ息のかかった者に依頼すれば簡単なのだが、突然突きつけられれば一定の有用性を認めなければならない。
幸いだったのは、事の最中に私達が食堂へ到着したことだ。
嫌がらせについては当のマリアさんが強く否定。
権力の不正行使については私達全員で否定した。もちろん私も否定した。
「カタリナ様は聡明なお方ですが、誰かを騙したり貶めたりすることには致命的に向いていません! そんなこと、できるわけがありません!」
何故かカタリナ様本人が微妙な顔をしていた気もするが、おそらくは気のせいだろう。
ジオルド様やキース様に睨まれた令嬢達は一目散に逃げていった。普段は物腰の柔らかな人達だからこそ、怒ると物凄く怖いのだ。
食堂にいた人達を手分けして落ち着かせた後、私達は事件について相談した。
カタリナ様は善良な性格から多くの人に愛されているが、一方、公爵令嬢としての威厳に欠けていること、取り巻きを作ることを嫌うことなどから一部の者からは目の敵にされている。
とはいえ、地位的に劣る令嬢達が嘘の証拠をもってカタリナ様を糾弾するなど、通常であれば考えにくい。
それに偽とはいえ、証拠や証人はちょっとやそっとで作れるものではない。令嬢達が首謀したというよりは、裏で誰かが糸を引いていると考える方が自然だ。
とはいえ、その場で結論が出るようなものでもなく。
カタリナ様が話に入って来れず寂しそうにしていたこともあって、それぞれ個別に調査を進める、ということでいったん相談は打ち切られた。
「少しだけ行っておきたいところがあるので、皆さん、先に戻っていてください」
そんな中、教室に戻る段になってマリアさんが一人別行動をした。
事件の話は中断した。そう思っていた私達はさほど気に留めず彼女を送り出した。だが、私達はその判断を後悔することになった。
マリアさんは、それきり忽然と姿を消してしまったのだ。
◇ ◇ ◇
一夜明けてもマリアさんは姿を現さなかった。
あの事件の後だ。
不審に思った私達は手分けをして情報収集に当たった。彼女を見た者がいなかったか聞き込みをしたり、可能性がありそうな場所を虱潰しに探したり。
だが、一向に手がかりは見つからなかった。
まるで、マリアさんが突然透明人間になって、誰も知らない場所へ消えてしまったようだ。
現実的に考えてそんなことがありうるだろうか?
彼女は学園の中を移動していた。誰の目にも留まらなかったなんて普通に考えてありえない。光の魔法に姿を消すものがある、などという話も私は聞いたことがない。
マリアさんを見た者が全員口を閉ざしている? いくら平民とはいえ、学園の生徒が一人失踪したとなれば大事件だ。貴族の子息、令嬢が狙われる可能性もある以上、故意に隠匿した者は罪に問われかねない。
なら、幻惑させられて記憶を残していない、あるいは記憶を消されている可能性はないだろうか?
「ジオルド様。この事件、闇の魔法が関わっている可能性はないでしょうか?」
二日目の夜。
私はジオルド様の部屋を訪れて推測を口にした。
ちなみに、前回のように「はしたない」と言われないように服装には気をつけているし、使用人に部屋の外で待ってもらっている。内容が内容なだけに同席はさせられないが、これなら変な誤解はある程度避けられるだろう。
「闇の魔法……。ソフィア、知っているのですか?」
「ええ、聞いたことがあります」
闇の魔法。
この世界の魔法は火・水・土・風・光の五属性とされているが、実は六番目の属性である闇の魔法が存在している。
これは他の魔法と違い、生まれ持った属性によるものではなく、いかがわしい方法によって後天的に得られるもので、効果としては人の心を操ることができるらしい。
ジオルド様はため息をついて、
「国でも一部の者しか知らないはずなのですが……」
「私の本好きもたまには役に立つんですよ!」
本当は
その上でラーナ様にその存在を尋ねたら、極秘だと念を押した上である程度の情報を教えてくれた。
「どう、でしょう?」
「……可能性はあると思います」
やっぱり。
「ですが、まだそのことは口外しないように。僕の方でも更に調べてみます。……特に、カタリナには絶対に言わないでください」
「かしこまりました」
だが、事態は更に悪い方向に向かってしまう。
翌日。独自に調査を進めたジオルド様は闇の魔法に対してある程度の確信を持ち、それをカタリナ様に告げてしまった。
そしてその翌日、心労を溜めたカタリナ様は体調を崩し――倒れて、目を覚まさなくなってしまった。
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託された想い
カタリナ様は目を覚まさなかった。
声をかけても、身体を揺さぶっても、食事の時間になっても――夜が明けても、ずっと。
お医者様に診てもらっても異常は見つからなかったそうだ。
身体に異常がないのに眠り続けている。
それはつまり、医学的なところ以外に原因があるということ。
「……闇の魔力の影響ですわ」
「ああ、そうですね」
私の呟きに、ジオルド様が苛立たしげに答えた。
「だが、そんなことがわかったところで、犯人がわからなければどうしようもない!」
「落ちつけジオルド! ソフィアに怒鳴って解決するのか!?」
「っ。……すみません、取り乱しました」
「……いいえ。私こそ申し訳ありません」
しゅんとして項垂れるジオルド様に、私はそっと首を振って答えた。
このままでは何の解決にもならないのは、彼の言う通りだ。
それどころか、このまま眠り続けたままならカタリナ様は確実に死ぬ。食事も水分補給もできないのだから、徐々に衰弱していくのは当然のことだ。
この世界の文化は発達しているが、点滴は存在していない。
「口移しであれば、栄養を補給していただくことは可能かもしれませんけれど……」
そう言っても、ジオルド様もアラン様もキース様も、メアリ様もお兄様も反応しない。
いつもなら何人かが「じゃあ自分が」と言いだしそうなものだ。
私だって、大切なお友達がこんな目に遭っているのだから気が気ではない。
せめて、マリアさんがいれば。
光の魔力を用いれば、闇の魔力の影響を中和することができたかもしれない。
あるいは、闇の魔力を感知することだって。
だからこそ彼女がここにいない……犯人に先んじて対処されたのかもしれないが。
カタリナ様は医務室で休んだ後、一度目覚めて自分の足で医務室を出たらしい。
倒れているのが発見されたのは中庭。
目撃者は何人かいたが、廊下を歩くカタリナ様は一人で、誰かと一緒ではなかったそうだ。そして、肝心の中庭での目撃者はゼロ。
通常の方法で犯人を見つけることは難しいかもしれない。
でも、早く犯人を見つけないと。
マリアさんがいない以上、カタリナ様を元に戻せる可能性があるのは犯人だけなのだから。
◇ ◇ ◇
気ばかりが焦ってなかなか寝付けなかった私は、夜更けになってようやく眠りにつき――そして、夢を見た。
前世、本須麗乃の頃の夢だ。
私は書店の中にいて、何冊もの本を抱えながら更に本を物色していた。それだけなら何百回と繰り返していたのでよくある風景なのだが、なんだかんだお小言を言いつつもついてきてくれる幼馴染のしゅーちゃんがいなかったこと、そして、ライトノベルの棚で一冊の本を手に取った私に声をかける人物がいたことが特別だった。
「あ、あのっ、その本……」
高校生だろう。
学校の制服に身を包んだ女の子。素材は良さそうなのに、お洒落に慣れていない感じが勿体ない。素材自体が地味で目立たない
彼女もこの本が欲しかったのだろうか。
棚にはもう一冊同じ本があったので、抜き取って手渡す。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……。って、そうじゃなくて!」
瞬きをしながら本を受け取った彼女は、首を振って言ってくる。
「あの、好きなんですか? 『FORTUNE・LOVER』」
どうやら
『FORTUNE・LOVER ノベライズ1』。
手に取った本のタイトルにあらためて目を落として、首を傾げる。
「これ、有名な作品なんですか?」
それで私のスタンスを察したらしい。
彼女は少し残念そうに息を吐くと、笑みを浮かべて言った。
「乙女ゲームのノベライズなんですよ。私、これの原作が好きで、ノベライズも絶対買おうと思ってて」
「そうなんですね」
乙女ゲーム、というのはゲームのジャンルだろう。
ゲームはしゅーちゃんにお付き合いする程度だった私だが、乙女ゲームは物語を追っていくタイプの作品だというので興味はあった。
まあ、興味があるだけで、やっぱり紙の本の方がわくわくするので手を出してはいなかったのだが。
私は少し考えてから彼女に言った。
「良かったら、どこかで少しお話しませんか?」
「……あ、はいっ」
幸い、彼女は頷いてくれた。
近くの喫茶店に移動してケーキセットを頼む。お財布の中身を気にするようにメニューを睨んでいたので、ここは御馳走すると彼女に告げた。
「いいんですか?」
「これでも大学生なので、それくらいは」
もちろん、物語の話ができるという下心あってのことだが。
彼女はマンガやライトノベルも読むようで、お互いオタク気質なせいか話は合った。好きな作品について幾つか語り合った後、話題は『FORTUNE・LOVER』へ移った。
私達の鞄にはそれぞれノベライズ本が収まっている。
買ったばかりの本を取り出した彼女はぎゅっと抱きしめて、言った。
「思い出の作品なんです」
事故で亡くなった友達と一緒に遊んだゲームなのだと言う。
「あの子は身体を動かすのが好きで、でも、私の好きなことを一緒に遊んでくれて……『FORTUNE・LOVER』も腹黒ドS王子が攻略できないって楽しそうに言ってて、でも、最後までクリアしないで……っ」
最後まで言い切ることができず、彼女はぽたぽたと涙を流した。
好きだったのだ。
楽しかったのだ。そのお友達と一緒にいるのが。
「あの子が生きてたら、この本も一緒に読めたのに」
私はその子のことを知らない。
だから、言えることなんて殆どなかった。
「聞かせてくれないかな? その作品のこと」
「……あ」
彼女は目を見開くと、涙を拭って「はい」と頷いてくれた。
それから私達は門限が近づくまで話を続けた。
亡くなった友人と出会うまで、敦子ちゃんは一人だったらしい。
でも、その子のお陰で今の敦子ちゃんには友人がいる。
でも、だからこそ、自分の力で友達を作れるようにならないといけない、と一念発起して、本屋で見かけた
「あの、良かったら、私とお友達になってくれませんか……?」
「もちろん。わたしも、もっと本の話がしたいな」
それが、後に私の大学の後輩になる佐々木敦子ちゃんとの出会いだった。
◇ ◇ ◇
「どうして、今になってあの頃のことを……」
目覚めた私は、断片的に残った夢の記憶に困惑した。
「ソフィア・アスカルト。カタリナ・クラエス。そうだ、ここは……」
『FORTUNE・LOVER』。
あの作品の世界によく似ている。
前世の記憶が蘇った当初に思い出さなかったのは、ノベライズを読んだのが割と前だったのと、その話とはストーリーが違ったから。
ゲーム内では幼少期の話がほとんど出てこない上、私――ソフィア・アスカルトは性格が変わってしまっている。更に、カタリナ様はゲーム本編では悪役、私の出会ったカタリナ様とは似ても似つかない悪女だった。当然、取り巻く人々の動きも違う。
こんなことなら、もっとちゃんとストーリーを覚えておけば……。
思った時、私の頭に声が響いた。
『お願い。あの子のところへ!』
誰の声なのか。
考えるより前に身体が動いていた。
ベッドから下りた私は身支度もそこそこに、カタリナ様の眠る医務室へ向かった。
カタリナ様は大切な友人。
だが、それ以上に、何か強い想いが私をつき動かしていた。
敦子ちゃんの言っていた親友――明るくて、快活で、友達思いで、多くの人から慕われていた『野猿』が、どこかカタリナ様と被ったからかもしれない。
私はぎゅっ、と、カタリナ様の手を握って祈った。
次々やってきた他の人達と一緒に一生懸命に呼びかけた。
『ありがとう、先輩。私の想いを連れてきてくれて』
そして、奇跡は起きた。
カタリナ様が目を覚ましたのだ。
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闇が晴れて
それは本当に奇跡だった。
でも、奇跡を起こしたのはきっと、みんなの願い。医務室に集まった私達だけじゃない、みんなの想いだったのだろう。
目を覚ましたカタリナ様は預言者のごとく犯人の居場所を突きとめた。
隠れ家にいたのはマリアさんと――生徒会長を務めているシリウス・ディークだった。
予想もしなかった。
まさか、私達と一緒に仕事をしていたシリウス会長が犯人だったなんて。
でも、カタリナ様は居場所を暴いただけでなく、会長の真意さえも言い当てた。
会長の本当の名前がラファエル。
彼は、母親違いの兄弟――死にかけたシリウス少年を救うため、シリウスの母親の命令で闇の魔法を使われた存在だった。
しかし、生きることに疲れていたシリウスの魂は宿らず、記憶だけがラファエルに残った。
代わりに、施術を行った闇の魔法使いの魂がラファエルの中に残っており、彼の悪意に唆される形であらゆる悪事は行われていたらしい。
最後は、カタリナ様に許されたラファエル自身によって全てが語られた。
もう一人の被害者であるマリアさんもラファエルを許した。
結果的には二人とも無事だったのだ。
ラファエルはカタリナ様やマリアさんを殺すことができた。殺さなかったのは彼に善意が残っていた証拠だ。
自らの意志で闇の魔法使いの魂に打ち勝ったラファエルは、全てを私達に話した後、自ら自首した。
事件に関わっていたディーク侯爵夫人とその配下、そしてラファエルは捕らえられた。
後は役人達の管轄であるため、私達には干渉できない。
せめて、できることだけでもと、私達は役人にラファエルの事情と彼の減刑を訴えた。
「任せておけ。微力ながら協力してやろう」
意外にもラーナ様がそう言って力を貸してくれた。
彼女のお陰なのか、それともジオルド様やアラン様のコネクションが役に立ったのか、数か月が経った後、ラファエルは罪が許され、魔法省への勤務が決まった。
私がそれを知ったのは、すっかり慣れてしまったラーナ様の勤め先へ顔を出した時のことだ。
「初めまして。ラファエル・ウォルトです」
「まあ」
挨拶された私は、思わずぽかんと口を開けてしまった。
久しぶりに会ったラファエル――いや、ラファエルさんは人目を惹く容姿から一転、地味に見えるよう変装を行っていた。
しかし、憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていて、先日カタリナ様にも会ったのだと教えてくれた。
本当に良かった。
やはり、カタリナ様は心優しく、誰にでも手を差し伸べる素晴らしい方だ。
でも、どうしてラファエルさんの抱えている事情が、彼の居場所がわかったのだろうか。
◇ ◇ ◇
「カタリナ様は、どうしてあの時、迷わずラファエルさんの隠れ家へ行くことができたのですか?」
ラファエルが学園を去ってからしばらくして、役人への訴えも一段落した頃。
私――カタリナ・クラエスの元を訪れたソフィアは純真な瞳でそう尋ねてきた。
取材のためだと言って紙とペンまで取り出している彼女には悪いが、特に面白い話はできない。
夢の中に知らない女の人が出てきて、あっちゃんからのメッセージを伝えてくれた、なんて怪談っぽい話をしたら、大人しいソフィアのことだから怖がってしまうかもしれないし。
うーん、と悩んだ私は冗談めかした説明で誤魔化すことにした。
「実は私ね、前世の記憶があるのよ!」
「え、前世の記憶ですか?」
案の定、ソフィアは真っ赤な綺麗な瞳を真ん丸にして驚いた。
そうだろうそうだろう、そうこなくては。
そうやって驚いてもらえると私としても話し甲斐がある。ソフィアならキースみたいに「またわけのわからないことを言って」と呆れたり、ジオルドみたいに「カタリナは本当に面白いですね」と暗に馬鹿にしてきたりしないだろうし。
「そうよ。私の前世ではね、この世界の出来事が乙女ゲ――えーっと、物語として語られていたのよ」
「まあ。では、カタリナ様はご存知だったのですね?」
「そうなの! 私もね、最後のところまでは覚えていなかったんだけど、眠りから覚めた時に思い出したの。お陰でマリアちゃんもラファエルも、みんな救うことができて良かったわー」
「そうだったのですね」
うんうん、と、真剣な表情で頷くソフィア。
でも、心なしか手が動いていない。
「メモしなくていいの?」
尋ねると、ソフィアは微笑んで首を振った。
「カタリナ様の大切な秘密ですもの。小説のアイデアになんかできませんわ」
「ああ~~。ソフィアは本当に良い子ね! こっちに来なさい、頭を撫でてあげる!」
「か、カタリナ様。私、子供じゃありませんから」
そう言いつつも素直に寄ってきて撫でさせてくれるソフィア。
絹のような白い髪は小さい頃から変わらず細くてしなやかで指で梳いていると本当に気持ちいいのだ。
と、ソフィアが私を見上げて、
「カタリナ様。実は私にも秘密があるのですが」
「え? 秘密? なになに?」
「私にもカタリナ様のように、前世の記憶があるのです!」
ふふん、と、得意げに胸を張ってくる。
「ええ!? そうなの?」
「そうなのです!」
テストでいい点を取った小学生みたいなソフィアの顔。
ははーん、なるほど、そういうことか。
ソフィアってば、私に対抗して可愛い嘘をついちゃって。
それか、私の秘密も冗談だと思っていて、前世トークで遊びたいのかも。
「それじゃあ私達、同じ世界から来たのかもしれないわね」
「私がいたのは日本という国なのですが、カタリナ様もそうなのですか?」
「ええそうよ。なんだ、同じ国だったのねー」
やるな、ソフィア。
幸先のいい切り出しに、私は「せっかくだからこの遊びに乗ってやろう」とにんまりと笑みを浮かべる。
傍で聞いているアンが「お嬢様はまた……」と額に手を当てているけれど、ソフィアと楽しくお喋りするためだと言えば許してくれるだろう。
「私は女子高生だったんだけど事故で死んじゃってね。ソフィアは?」
「私は女子大生でした。恥ずかしながら、本に押しつぶされて死んでしまって……」
「ええ、本に!?」
本に押しつぶされて死ぬってなんだ。
ソフィアらしいといえばソフィアらしいけど、下敷きになって死ぬような量の本って日本でもそうそうお目にかかれないだろう。
学校の図書館とか? いや、私なら「ばしーん! うがー!」って怪獣みたいに立ち上がる自信がある。
まあ、作り話なんだからインパクトがある方がいいよね。
そう考えると、咄嗟にそんな話ができるソフィアはやっぱりすごい。
「ソフィアは前世でも本が好きだったのね」
「はい。私、本好きの妖怪なんて呼ばれていたくらいでして……。今は魔女なんて呼ばれているのですが」
「妖怪だとか魔女だとか、ひどいこと言う人もいるわよね。ソフィアはこんなに可愛いのに」
可愛いんだから妖怪でも魔女でも問題ないじゃないか。
いや、というか妖怪や魔女なんてちょっと格好いいかもしれない。私なんて野猿だ。木登りのテクニックを褒めてくれるのは嬉しいが、どうせならもうちょっと格好いいあだ名が良かった。
「あー、話してたらお寿司食べたくなってきたわー」
「お米は開発中なのですが、日本米のようなもちもちした食感はなかなか出せないんですよね……」
私達はそれからしばらく、作り話の前世トークで盛り上がった。
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お相手は?
「ソフィア様。ニコル様へのお祝いの品はいかがなさいますか?」
「そうですね……」
夜の静かな時間。
私が本を開くまでの僅かなタイミングを縫うようにして、メイドから確認の言葉が投げかけられた。
「お兄様へは花束がたくさん届くでしょうから、花瓶を贈ろうかと思っています」
「まあ、素敵ですね。よろしいかと思います」
返ってきた明るい声に、チョイスが間違っていなかったことを知ってほっと胸を撫でおろす。
私が学園へやってきたからもうすぐ一年。
二年生の卒業式が間近に迫っている。
つまり、お兄様も卒業だ。
生徒会メンバーとして式の準備に追われている時期だが、だからといって大切な人への贈り物を疎かにはできない。
この学園の卒業式でも、お世話になった先輩には花束を贈る風習がある。
花以外のものを贈ってもいいのだが、基本的にそれは「特に親しい間柄」に限られているらしい。
私の場合、お兄様とは兄妹なので花束でなくてもいい。
アクセサリーのような身に着けるものだと未来の奥様に気兼ねしてしまうが、ちょっとした調度品くらいなら問題ないだろう。
「品物の選定はいかがなさいますか?」
続けて問われて、少し考える。
気持ちという意味では私が自分で選ぶ方がいいのだろうが、街へ出かけている余裕があるかわからない。
加えて、花瓶の目利きなんて私にはできない。
先日、カタリナ様やメアリ様をお買い物に誘ってみたりもしたのだが、
『あー、私、贈り物はもう用意してあるのよ。でも、もちろん、遊びに行くなら一緒に行くわ!』
『私、ニコル様には花束を贈るつもりですの。というかそれで十分……こほん。ともあれ、外出するなら一緒に行きますわ』
快く付き合うと言ってくれたのは嬉しいのだが、用のない二人を連れまわすのは気が引ける。
無理して外出するくらいなら三人でお茶を飲む方がよっぽど有意義だ。
「申し訳ないのですが、手配をお願いしてもいいでしょうか? 男性のお部屋に飾っても違和感のない派手過ぎないもので、ある程度、口の広いものを」
「かしこまりました。……でしたら、ソフィア様。一緒に花を一輪だけ添えるのはいかがでしょう? ソフィア様の髪の色に合わせた白いお花を併せて手配いたします」
「ああ、素敵ですね。では、お願いいたします」
お兄様が喜んでくれるといいのだが。
ただ。
私自身のプレゼントもさることながら、卒業式の他の方の動向も気になるところだ。
◇ ◇ ◇
卒業のイベントはいわゆる卒業式と、生徒全員参加の立食パーティの二つで構成されている。
そしてその立食パーティの際、意中の相手とこっそり抜け出して思いを打ち明けると恋が叶うという、密かな伝統が学園にはあるらしい。
伝説の木の下と同じような効果ですね、と言ったらカタリナ様にさえ「なにそれ?」と言われてしまったが、それはさておき。
「卒業パーティではどうされるんですか?」
カタリナ様やメアリ様、マリアさんはもちろん、ジオルド様やアラン様、キース様、それからお兄様にも尋ねてみた。
例の噂をそれとなく匂わせて、だ。
女の子としては、やっぱりこういう恋バナはわくわくする。
特に、私の周りにいる方達はみんな想い人がいるのだから、何か特別な行動に出たとしてもおかしくない。
邪魔をするつもりはないが、想像できゃあきゃあ言うのと、事後に話を聞かせてもらうくらいは構わないはずだ。
その結果はというと――。
まず、ジオルド様とメアリ様は同じような反応だった。
「そんな噂があるんですか(あるんですの)?」
噂を聞くや否や眉を顰め、何かを考え始める。
「それはチャンスかもしれませんね。ですが、あのカタリナが素直に食べ物から離れてくれるでしょうか? いえ、それよりも……」
「重要なのはカタリナ様をお誘いする方法ではありませんわ。他の方の抜け駆けをいかにして防ぐか。これは綿密な計画が……」
真剣に考えているのは伝わってくるものの、恋の甘酸っぱい感じがない。
「ソフィア。君のことは信じていますよ」
「ソフィア。私達は親友ですわよね?」
「も、もちろんです」
少しだけ、二人の剣幕が怖いと思ってしまった。
アラン様からはいい返事がもらえた。
「あ? 立食パーティ? ……んー、まあ、普通だろ。王子の俺には黙ってても人が寄ってくるだろうし、メアリのエスコートもしてやらないといけない。後はあの馬鹿女がよくわからないちょっかいかけてくるだろうから、からかい返してやるくらいか」
実は一番大人なのではないか。
逆に失礼なことを考えてしまうくらい、その時のアラン様は格好良かった。
「アラン様に婚約者がいなかったら、女の子が放っておかないと思います?」
「ははっ。それは口説いてるのか? ……なわけないよな。ま、お前もどうせカタリナかニコルかメアリの傍にいるんだろ? 暇があったら声かけてやるよ」
ぽん、と、頭に乗せられた手は温かくて、お兄様とは違う「お兄ちゃん」とか「兄貴」っていう感じの頼り甲斐を感じた。
キース様は苦笑い。
「ああ、姉さんもその噂のこと言ってたよ。僕がマリアを誘うつもりなら止めないから、って。まったくもう、どこからそういう発想が出てきたんだか。誘うも何も、姉さんの奇行を止めるので手一杯だっていうのに」
生真面目で苦労人なキース様らしい。
口もとに笑みを浮かべてカタリナ様の心配をする彼を見上げて、私は微笑んだ。
「キース様はお優しいですね」
「ありがとう。ソフィアも、姉さんのことをこれからもよろしくね」
そう言って、キース様は優しく頭を撫でてくれた。
マリアさんは噂の話を聞いた途端、表情を曇らせた。
「あ、あの、マリアさん? どうかしましたか?」
「いいえ、ただその、少し考えてしまって」
顔を上げた彼女は、思いつめたように私を見つめてくる。
ほんのりと染まった頬。
ふわふわの金髪と、澄んだ青色の瞳が眩しい。
「ソフィア様。その噂……同性でも、有効なのでしょうか?」
「ええと、特に異性限定、ということはないと思いますけれど……」
しどろもどろに答えると、マリアさんは少し落ち着いたのか「すみません」としゅんとした。
「つい興奮してしまいました。……駄目ですね。カタリナ様のことになると、私」
「マリアさん。私も、噂のことはちらっと聞いただけなのです。だから、確かなことは言えませんが、きっとそれは『きっかけ』なのではないでしょうか」
彼女の寂しそうな顔を見た私はつい、そんなこと言ってしまう。
「きっかけ?」
「はい。好きな方に想いを告げるのは勇気がいるでしょう? その勇気を出すためのきっかけ。いつ言うかではなく、勇気を出すことが大切なのです。そのために必要なら、使えるものは使えばいいと思います」
「ソフィア様」
ありがとうございます、と、マリアさんは可愛らしい笑顔を見せてくれた。
最後に、カタリナ様はというと、
「え!? ソフィア、もしかして誰かに告白するの!? わー、誰? ね、ね、誰なの?」
噂の話をした途端、きらきらと目を輝かせて私に寄ってきた。
「え? い、いえ、カタリナ様のことをお伺いしたかったのですが……」
「私? 私みたいな地味な悪役顔に告白する人いるわけないじゃない」
地味? 悪役顔? 誰が?
脳内を疑問符が飛び交うが、これはいつものことだ。カタリナ様は自分のことを「地味な悪役顔」だと思っている。
「そんなことはないと思います。カタリナ様はとても魅力的です! 私が男だったら絶対に放っておきません!」
「ありがとー。私も、男だったらソフィアのこと好きになってたかも」
「ほ、本当ですか? えへへ……」
思わず照れ笑いを浮かべてしまった私は、カタリナ様が呟いているのを聞き逃した。
「私よりもマリアちゃんよ。一体誰とくっつくのかしら……」
なお、立食パーティはみんな一緒に楽しく終了した。
マリアさんは「カタリナ様に告白しちゃいました」と嬉しそうだった。
もしかしなくても、伝わっていないと思うのだが――嬉しそうなマリアさんの顔を見ているとそれを言うことはできなかった。
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番外編:不思議の国のソフィア
「図書館とは別に図書室があるなんて……盲点でした」
夏のお休みを終え、学園に戻ってきてしばらくが過ぎた頃のこと。
私はシリウス会長に教えていただいた「東棟の図書室」へと向かっていた。学園が拡大され、図書館が作られた結果、あまり利用する人のいなくなった古い図書室。そこにはマニアックすぎると判断された本や、教員の方がなるべく近くに置いておきたいと判断した本、卒業生が置いていった本などが収められているという。
中には図書館ではお目にかかれない本もあるということで、私としては目から鱗が落ちる思いだった。
「一体どんな本に出会えるのでしょう……?」
うきうきしながら廊下を歩き、件の図書室の扉を開くと――中には埃っぽい空気の中に、一定の湿気を吸い込んだ本の匂いが充満していた。
「ああ……っ」
埃っぽさは余計ではあるが、本のたくさんある部屋特有の空気は大好きだ。
危ない薬を服用したようにトリップしつつ、私は扉を閉じて奥へと進んだ。
メイド達には居場所を伝えてあるので、適当な時間になったら呼びに来てくれるはず。
それまではこの部屋で思う存分、時間の許す限り読書ができる。
「ここは天国でしょうか……」
図書館には遠く及ばない規模ではあるものの、この図書室にもかなりの蔵書があることがわかる。
一応、窓を開けて換気をした後、本棚の端からタイトルを眺めていく。
そうしていると――ある時、何かがきらりと輝いた気がした。
「? この本……?」
輝いたのは一冊の本だった。
タイトルは『欲望という名の物語』。
物語とあるからには読み物なのだろう。欲張ったせいで破滅した者を描いた寓話? それとも、強欲な主人公が己の欲望を叶えていく物語だろうか。
首を傾げた後、私はその本をそっと引き出した。
「きっと、これも何かの縁でしょう」
図書室自体が古いはずなのに、その本はまるで最近作られたように真新しかった。
保存状態が良かったのか、それとも最近の卒業生が置いていったのか。
最近の本だとすると私や図書館の司書さんのアンテナに引っかかっていてもいい気がするのだが……。
「読めばわかりますね」
定期的に掃除はされているのか、テーブルと椅子は綺麗だったので、腰を落ち着けてから本を開く。
直後。
視界を眩い光が覆い尽くしたかと思うと、私は光にかき消されるように意識を失ってしまった。
◇ ◇ ◇
気がつくと、そこは図書館だった。
否。
図書館といっても、学園の付属図書館ではない。
あの有名な王立図書館だろうかとも思ったが、おそらく違うだろう。だって、この図書館には「果てがない」ように思える。
左右には背の高い本棚があり、びっしりと本が並んでいる。
前後に見えるのも本、本、そして本。
天井は見えるが壁は見当たらず、窓の類もない。にもかかわらず、辺りには静謐な空気が満ちている。
少なくとも、さっきまでいた図書室でないことだけは間違いなかった。
「……あの本の中に吸い込まれた、ということでしょうか」
事実から推測するとそういうことになる。
前世の世界であればそんなこと「ファンタジーやメルヘンでもあるまいし」で一笑に伏すところだが、この世界には魔法が存在する。
どんな不思議な出来事が起こったとしてもおかしくはない。
「欲望という名の物語」
あの本のタイトルはそうなっていた。
どうやら、「物語」の主人公は私自身であるらしい。きっと、読んだ者の望む光景を描き出す魔法の本――あるいは呪いの本だったのだろう。
だとすると、私はこの「本の世界」に囚われてしまったことになるが、
「……ああ」
呟きが図書館に木霊する。
「一冊の本が、こんなにたくさんの本に変わるなんて!」
最高だ。
本の目的が私の欲望を叶えることである以上、私は本を読むしかない。だって、私の願いが「本を読みたい」以外にあるはずがないのだから。
「仕方ありませんね。……ここから出る方法を探すためにも、知識を得ることは無駄ではありませんし」
手がかりがない以上は向こうの思惑に乗るしかない。
誰もいない世界で虚空に言い訳をしつつ、手近な本棚から本を抜きだした。
ソフィア・アスカルトとしては椅子に腰かけずに読書をする、などということはついぞなかったが、前世ではそんなことは日常茶飯事だった。
幸い床には柔らかな絨毯が敷かれていて、お尻が痛くなることもなさそうなので、私はドレスの裾を手で撫でつけるとその場に座り込んだ。
◇ ◇ ◇
それからどのくらいの時間が経っただろう。
陽光が射しこまず、時計もないこの世界では時間の感覚は曖昧だった。
どれだけ本を読み続けてもお腹が空くこともなかったので、私はただひたすらに本を読み続けた。一冊読み終われば次の本を引き出し、それも終わればまた次の本を。
ここの本棚に収められている本は、どれも「欲に囚われた者の生涯」を描いたものだった。
生まれた時、あるいは幼少期から始まり、欲しいものを手に入れたいと焦がれる期間を経て、実際に手に入れた絶頂の時間へと至る。
どの物語も「そして彼(あるいは彼女)は幸せに暮らしました」で終わる物語だ。
下級の貴族に生まれ、富と名声を求め続けた少年。
恋人を上級貴族に奪われるも、あの手この手で奪い返して幸せになった少女。
使用人達に摂取を制限された甘味を思う存分食べることを望んだ少女。
もしかするとそれらは『欲望という名の物語』が虜にしてきた犠牲者たちの物語だったのかもしれない。
あまりにもリアルで、あまりにも詳細で、だからこそ目が離せず、私は次から次へと「続き」を求めた。
――もっと、もっと。
犠牲者になった人々は可哀想だと思う。
だが、だからこそ、せめて私くらいは彼らの生涯を知り、記憶しなければ。
だから、もっと、もっと、もっと。
「……あれ?」
そうしてある時、私はふっと現実に引き戻された。
「白紙……」
わくわくしながら手に取り、開いた本が白紙だったのだ。
二ページ目、三ページ目をめくってみても同じ。
指が走るに任せて最後のページまで確認した私は、喪失感と落胆、若干の憤りを胸に呟いた。
「どうして」
どうして続きがないんだろう。
この世界は私の望みを叶えてくれるはずなのに。本棚にはまだまだたくさん、いくらでも本が残っているのに、何故、物語が枯渇してしまったのか。
おかしい、これでは話が違う。
思った途端、まるで急き立てられるように、膝の上に載っている白紙の本に、文字が浮かび上がった。
――なんだ、あるじゃないか。
私は上機嫌になって、最初からページをめくり始める。
今度の物語はこれまでのものとは違っていた。
竜退治の冒険譚だったり、悲恋の物語だったり、明確な主人公のいない群像劇だったり。
まるで即興で書かれているように先の読めない展開に心躍らせながら、私は次から次へと「次の物語」を求めて――。
「え……?」
ある時。
ふと顔を上げると、
まるで、自分の負けだとでも言うかのように。
消滅していく本の数々を見つめて、私はいつになく大きな声を出した。
「ひどいです……! まだ読んでいない本がたくさんあるのに……!」
◇ ◇ ◇
気がつくと、私はあの図書室の床に倒れていた。
学園での世話役として連れてきた二人のメイド、それからカタリナ様やメアリ様、マリアさん、更にはジオルド様達までが私の顔を覗き込んでいて、私が目を覚ましたのを見ると、ほっと息を吐いた。
「あの、私は一体……?」
「夕食の時間をお伝えしに図書室へ来たところ、ソフィア様の姿がなく、本だけが落ちていたのです」
「あの本は古の魔法の本だそうでして……ソフィア様は本に囚われたのではないかと」
私が本をほっぽりだしてどこかに行くわけがない、ならば、本に囚われたに違いない、と大騒ぎになったらしい。
「ソフィアー! 良かったー! 心配したのよ!?」
「本当ですわ。……本が好きなのは結構ですけれど、程々にしてくださいませ」
「良かったです。ソフィア様。夕食の時間は終わってしまいましたので、せめて私の作ったお菓子をお召し上がりください」
みんなが優しく言ってくれるのを見て、聞いて、感じて、私はふっと微笑んだ。
「申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけして」
安堵からか、和やかな雰囲気に包まれた図書室の中で、ひっそりと『欲望という名の物語』がぼろぼろと崩れ去っていった。
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番外編:作家と料理店
作業が思うように進まなくなると街に出て、行きつけの店で食事をする。
不規則な生活を送っているため、昼と夜のかき入れ時を避けた客の静かな時間になることが多く、それが心地よくてついつい趣味になっている。
店は表通り、一般商店エリアと高級店エリアの境目あたりにある。
白い外壁とたくさんの窓を持った上品な店構え。
通りに面した壁には花壇があり、躾のなっていない子供が窓を覗き込むのをさりげなく防いでいる。一見、高級店としか思えないが、貴族や金持ちだけが行く本当に高い店と比べればまだ安い。
平民でも、たまの贅沢なら通えるレベル。
だからこその立地なのだと、私は仕掛け人本人から聞いたことがある。
入り口のドアを引くと、ちりんちりん、と小さなベルの音。
「いらっしゃいませ。……あっ、こんにちはっ」
近くに立っていたメイド姿の給仕が笑顔で挨拶してくれる。
顔なじみの彼女に私も微笑みを返し、尋ねた。
「こんにちは。席、空いてる?」
「あはは、見ての通りですよ。お好きな席にどうぞ」
店にいた客は一人だけだった。
学者か役人か、といった感じの彼女はこちらに目をやることもなく難しそうな本に没頭している。物語本の類ではなく学術書だろう、と、職業病的にチェックしてから、お気に入りである隅の席に座った。
「ご注文は何になさいますか?」
「ええと、い……」
いつもの、と言いかけてから、店内に貼られた紙に目を留める。
『新商品 アスカルト焼き』。
思わず、火あぶりにされる少女の姿を連想する。
「あれって、どんなもの?」
「ああ。えーっと……あんこ、っていう甘い食べ物を、ケーキに近い生地で包んだお菓子ですよ。中のあんこがかぼちゃのものと、お芋のものと二種類です。美味しいですよ」
「へえ」
ケーキに近い生地ということは、ある程度お腹にも溜まりそうだ。
甘いもので空腹を満たすなんてあまりにも贅沢――もとい、不健康だが、新しい商品の誘惑には抗いがたい。中のあんことやらに野菜が使われているなら栄養もあるだろう。
「じゃあ、その二種類を一つずつと、あとコーヒーを」
「かしこまりましたー」
厨房に小走りで駆け寄って、オーダーを繰り返す彼女。
多少ノリが軽い感じなものの、メイド服のスカートは大きく翻していないし、一つ一つの動作にも品が見える。
本物のメイドかと思ってしまうくらいだが、それもそのはず。この店での店員教育は本物の貴族家でのメイド教育に準じている。
いきなりお屋敷で使うには不安な新人メイドの研修代わりとしたり、平民から真面目で仕事熱心な者を発掘・育成してお屋敷に送り込んだりもしているらしい。
給仕の子が置いていった水(常温に近いが、レモンの風味付けがされていて美味しい)を口にしながらしばらく待つと、
「お待たせしました。アスカルト焼き二つとコーヒーです」
料理、もといお菓子と飲み物が運ばれてくる。
例の『アスカルト焼き』は見た目、デコレーションケーキの土台部分(クリームなどが何もない状態)だけを三分の一くらいのサイズで作りました、という感じのものだった。とはいえスポンジ生地ではなく、美味しそうな焼き目がついているので材料の配合が違うのだろうが。
表面には焼き印でかぼちゃと、横長の芋らしきものの印がついている。
「へえ。ちょっと可愛いかも」
「でしょう? ……あ、ナイフとフォークを使ってもいいですけど、おススメは手で持ってお召し上がりいただくことですよ」
「ふむ」
一緒に湯で濡らした布巾も出してくれたので、手を綺麗に拭いてから手づかみでいくことにする。
「まずは……芋の方からかな?」
そっちの方が甘さは控えめだろう。
メインディッシュ、それからデザートという手順を一応なぞることを決め、芋の『アスカルト焼き』を手にして一口。
柔らかい生地は抵抗なく解れてほんのりとした甘さが口の中に広がる。でも、あんことやらの味がしないような……と思ったら、断面の奥に色の違うものが埋まっているのがわかる。
なるほど、もう一口必要だったか。
ならば、と続けてぱくりと行けば、
「!」
甘い。
生地の甘さとはレベルが違う、明確な甘さが来る。甘い芋をペースト状にして、砂糖を加えたものなのだろうか。これは――。
「美味しい」
「ですよねっ?」
得意げな表情も納得だ。
甘味を生地で包み込む、という意味ではパイなどに近い発想だろうか。普段口にするお菓子とは少し違う味わいだが、間違いなく美味しい。
生地とあんこを一緒に食べることで両方の味わいが引き立つし、一緒に頼んだ漆黒の苦い飲み物――コーヒーがこの甘さにちょうどいい。
コーヒーはミルクや砂糖を入れることで味がまろやかになるのだが、今日はアスカルト焼きが甘いのでこのままで良さそうだ。
少量のコーヒーで味を中和しつつ、ぱくぱくと食べ進めて行くと、あっという間になくなってしまった。
もっと食べたい。
二つ注文しておいて良かったと、もう一つのアスカルト焼きを見つめる。
「でも、なんで『アスカルト焼き』なの?」
「なんでも、最初は『金貨焼き』になる予定だったらしいんですけど」
『金貨焼き』ならわかる。
丸くて焦げた感じが焼けた金貨に見えるからだろう。いや、実際には金貨は焦げないと思うが。
それが『アスカルト焼き』になったのは、国が発行している金貨を焼くというイメージが反乱に結び付く恐れがあるのでは、という意見が出たかららしい。
他に何か名前のアイデアはないのか、と聞かれた伯爵令嬢は「イマガワ焼き」と答えたのだが、
「イマガワって何だろ」
「お嬢様いわくとある人物の家名だそうです。なので、だったら発案者であるお嬢様の家名でいいだろうと」
「なるほど」
アスカルト家の令嬢の命名なら「アスカルト焼き」でも文句は出ない。
「ところで、この芋も随分甘いけど」
「フライドポテトやポテトチップスなどに用いる芋とは種類が違うそうです。甘いのでお菓子に使ったり、あるいはそのまま焼いて食べても美味しいとか」
「そうなのね」
頷きながら二つ目を口にする。
今度は最初から口を大きめに開けたので、一口目からあんこが入ってきた。先程の芋にも似ているが、どこか違う、かぼちゃの甘み。
半分くらい食べたところで、食べ終えるのが勿体なくなっていったん皿に置いた。
「……ああ。もっとお金持ちだったら毎日通ってるわ」
「毎日通っていただいていいんですよ?」
「破産するから、それ」
「またまた。人気作家様が何言ってるんですか」
「いやまあ、お陰様で人気はあるし、良くしてもらってるけど」
私は、あの有名なアスカルト家お抱えの作家だ。
といっても、雇い主は宰相様であるアスカルト伯爵ではなく、その長女のソフィア・アスカルト様だが。
ソフィア様は先進的、あるいは奇抜な発想の持ち主で、作家が商人に物語を売り、それを対価に金銭を得るという従来のやり方を変えた。
作家が売るのは「物語を売る権利」であり、権利を売ったことによるまとまったお金の他に、実際の本が売れるごとに若干のお金が入ってくるシステムを作った。
これは画期的なことだ。いくら本が売れても作家には大して関係がない――せいぜい次回作の値段が上がる程度だったのが、追加の臨時収入が得られるようになったのだ。
お陰で、私はこうして女だてらに『作家』を名乗っていられるのだが。
「良くしてもらってるからこそ、これ以上お金をくださいなんて言えないし」
「お嬢様のことですから、本当に上げてくださりそうですしね」
「そうそう」
だから余計に言えない。
小柄で人形みたいなソフィア様はちょっとお人好しなところがあるので、甘えすぎは禁物だ。
「知ってますか? お嬢様、一部で『魔女』なんて呼ばれてるらしいですよ」
「魔女ねえ」
くすりと笑ってしまう。
確かに、あの白い髪と赤い瞳は不気味にも見えなくはない。
幼い頃から幾つもの画期的なアイデアを出し、こうして店まで持っている彼女は『魔女』と呼んでも差し支えないかもしれないが。
「当人のことを知っちゃうと、とてもそうは思えないかな」
「ですよねえ」
二人して笑い合う。
魔女なんてとんでもない。彼女はちっちゃくて可愛らしい、私達のソフィア様だ。
「時々このお店にもいらっしゃるんですけどね」
「お友達と一緒でしょう? 声はかけられないわよ」
「ちょっと残念ですね」
小さくてお人好しで色んなことを思いつく、私のソフィア様。
私の書いた『エメラルド王女とソフィア』が縁で出会った彼女。私とソフィア様が出会ったのは、きっと運命なのだろう。
最近は、ソフィア様が学園に入学してしまったせいもあって、以前よりも会える機会が減ってしまった。
楽しそうに本の話をする彼女を見ているだけで、話のアイデアなんていくらでも湧いてくるのに。
「ああ、ソフィア様……」
「貴族の女の子と平民の女性の恋物語でも書いたらどうですか?」
「それだ!」
「私は、お嬢様とメイドの恋物語の方が読みたいですけど」
「それは気が向いたらで」
「えー」
お客さんが少なくて暇なのをいいことに、彼女と私はしばらくの間、雑談を楽しむのだった。
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番外編:とある貴族令嬢の苛立ち
「なんなんですの、あの女は!」
授業を終えて寮の自室へと戻った私は、苛立ちに任せて枕を壁に投げつけた。
王族も通う魔法学園の備品だけあってさすがというべきか、叩きつけられても大きな音は立たず、ぽすんという軽い音と共に床へと落ちたが――当然、それでは私の気が収まるはずもなかった。
落ちた枕に歩み寄ってもう一回同じことを繰り返そうとしたところで、お付きのメイドから制止がかかった。
「お嬢様、落ち着いてくださいませ。左右の部屋に声が響きます」
「……っ」
指摘を受けた私は唇を噛んで腕を下ろした。
寮の部屋と部屋の間隔は盗み聞きを防ぐ意味もあって広く取られている。また、使用人部屋などを挟んでいるため、ベッドルームとベッドルームが接しているわけでもないが、はしたないのは事実だ。
深呼吸をしてしばらく待つと、少しは気分も収まってくる。
「本当に、なんなんですの、あれは」
私が苛立ちを覚えている相手。
それは、一部の子息・令嬢達の間で「調子に乗っている」「不快だ」と思われている公爵令嬢カタリナ・クラエス――ではなく、その取り巻きの一人である伯爵令嬢、ソフィア・アスカルトだった。
◇ ◇ ◇
ソフィア・アスカルト。
国の宰相を務めるアスカルト伯爵の長女で、先日卒業されたニコル・アスカルト様の妹。
老婆のような白い髪と血のように赤い瞳という非常に目立つ容姿をしており、そのせいか幼少期から有名な人物だった。兄の影に隠れておどおどしている彼女には、私自身、侮蔑の眼差しを向けた記憶がある。
だが、彼女は変わった。
いったいどういう策を用いたのか、同世代の貴族令嬢の中ではトップに位置するカタリナ・クラエス様に取り入ると、その庇護下に入ったのだ。
カタリナ様の不興を買うことは貴族社会での死を意味する。
ソフィアと同じ伯爵家ではあるものの、アスカルト家に比べると幾分か家格の落ちる私は、表向き、ソフィアへの悪感情を封印しなければならなかった。
しかし、気持ちの上では別だ。
以前は私と一緒にソフィアを笑っていた両親が「なかなか世渡りが上手い」などと褒め言葉を口にした時には、怒りを押し殺すのにとても苦労した。
読書家で頭が良いというソフィア・アスカルト。
対抗意識から、私は勉学に励むようになった。自ら望んで名のある先生を呼んでもらい、教えを請うた。魔法についても同じだ。
魔法学園に入学する直前には「伯爵家の子供としては頭一つ飛びぬけている」とお墨付きをもらった。
これなら勝てる。
意気揚々と学園に向かった私を待っていたのは――入学後のテスト結果、座学一位に書かれたソフィアの名前だった。
魔法の実技でも、あの女はオリジナルの魔法を当然のように披露する始末。
荒れ狂う竜巻の中に平然と立つ、白髪赤目の少女。
誰かが自然と呼び始めた「アスカルト家の魔女」という異名が本当にぴったりだった。
「いい気にならないことね、ソフィア・アスカルト」
ある日。
カタリナ様もメアリ様も伴わず教室に現れた彼女に、私は牽制のつもりで声をかけた。
「この前のテストはまぐれに過ぎません。もし実力だったとしても、他の生徒もめきめきと力を付けるでしょう。もちろん私も、負けるつもりはありませんわ」
反感を買うならそれでも良かった。
騒ぎになれば、不利なのは目立つ容姿の彼女だ。
しかし、
「はあ」
返ってきたのは気のない返事だった。
「お気遣いありがとうございます。お互い頑張りましょうね」
微笑みすら浮かべて私の言葉を受け流したソフィアは、「話は終わりだ」とばかりに教科書を開き読み始めた。
気に入らない。
私はそれ以来、更に力を入れて勉学、魔法の訓練に励むようになった。
テストが近づくたび、徹夜に近いレベルで対策をし、必勝を期して臨み――ことごとく敗れた。
二年生に進級するまでの一年間、私は一度としてソフィア・アスカルトに勝てなかった。
◇ ◇ ◇
今日は図書館の近くでソフィアを見つけた。
教室ではカタリナ様やメアリ様と話しているか、そうでなければ本を開いているソフィア。放課後や休日は派閥メンバーとでかけることもあるが、基本的には生徒会の仕事をしているか、一人で寮に帰るか図書館へ直行している。
どうせ今日も読書だろうと様子を窺ってみると、彼女は何やら大人の女性と真剣に言葉を交わしていた。
「……なるほどな。遠話が可能な魔法道具を単に二セット作るのではなく、別の機能を組み込むことで精度と利便性を上げるか」
「はい。遠話の魔法は戦闘以外の用途に使える魔法としてメジャーなものですが、術者と対象が屋外にいなければ使うことができません。また、距離が離れすぎると精度が落ちてしまいます。そこでアンテナとスピーカー……いえ、遠話を拾う部分と、拾った声を増幅して聞き取りやすくする部分を設けるのです」
「画期的なアイデアだな。そのアンテナとやらを屋外に設置し、本体を屋内に置くことができれば――」
「はい。音とは空気の振動ですので、針のように細く長い金属を用いれば――」
何を言っているのか。
魔法道具というキーワードから、会話のテーマ自体は窺うことができた。しかし、彼女達が具体的にどういうことを話しているのかは全くわからなかった。
二年生になって間もない伯爵令嬢が、魔法省のお役人と対等に話をしている?
――私達同級生では相手にならないとでもいうつもりか!
私が憤るのも無理ないではないか。
カタリナ・クラエス様はいい。生まれ自体が高貴であるし、容姿も十分に恵まれている。あの愚か――もとい、操縦しやすい性格も、家格以外はどうとでもなる貴族令嬢の世界においてはむしろ良い条件といえるかもしれない。
だが、ソフィアは違う。
気味の悪い容姿。中途半端な家格。魔力自体も平凡。にもかかわらず座学の成績はずば抜けており、魔法の使い方に天賦の才を持ち、あまつさえカタリナ様やメアリ様に「可愛い」と褒められている。
許せるはずがないではないか。
だから、私は翌日、彼女に一言、文句を言ってやることにした。
カタリナ様やメアリ様が一緒だったが関係ない。胸に蠢く憤りのままに席を立ち、のほほんとした顔の小柄な身体に近寄って、
「あ、おはようございます」
振り返ったソフィアは、あろうことか私の顔を見るなり挨拶をしてきた。
挨拶の後に付け加えられた自分の名前、争いごと自体に興味がないかのような平和ボケした笑顔を見た私は、何故か胸が高鳴るのを感じた。
――何、この気持ち!?
苛立ちが募りすぎて胸がおかしくなったのだろうか。
好戦的な感情とは違う「何か」で頬が熱くなる。私が未知の感情に心奪われていると、
「ソフィア。そちらの方は?」
カタリナ様に尋ねられたソフィアがほんわかと答える。
「お友達ですわ。教室ではあまりお話しませんが、図書館でよくお見掛けする、私の読書仲間なのです」
「へー、そうなの。素敵なお友達ね!」
「ソフィアと仲良くしていただいてありがとうございます。私からもお礼を言わせてくださいな」
「え、ええ……」
こわい。
ソフィアに負けず劣らず平和ボケしたカタリナ様はともかく、気品あふれる笑顔を浮かべながら「釘刺し」をしてくるメアリ様が果てしなく怖い。
何より怖いのは、ソフィアの「お友達」という言葉にドキドキしている自分自身だ。
「こ」
「こ?」
「今度のテストこそ、貴女を倒してみせますから!」
私は動揺する心を無理矢理に抑えつけるようにそう告げると、ソフィア・アスカルトの前から退散した。
やっぱり、私は彼女――ソフィアが嫌いだ。
きっと、こればっかりは生涯変わることはないだろうと、この時の私は心底から思っていた。
原作三巻以降をあらためて確認して「あれ、ソフィアの出番殆どなくない?」となっている私がいます。
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司書の道、危うし?
私達は全員、無事に二年生へと進級した。
学園生活も残り一年。あっという間に半分が過ぎてしまった。
高校生活の三年間のうち、二年生の期間がまるまるスキップされていると言えば慌ただしさもわかるだろう。入学して一年が経って生活に慣れたかと思ったら、もう本格的な進路決定が始まるのだ。
とはいえ、この魔法学園は日本の高校と事情が違う。
派閥や家柄によって選べる道は決まってくるし、長男は基本的に親の跡を継ぐ。女子の場合、卒業後すぐに結婚することも珍しくない。
政治的配慮が絡むせいですぐには結婚できないこともあるし、親が進路を勝手に決めるケースだって珍しくない。
自分の進みたい道に進める者は一握りだ。
もちろん、自分の置かれた立場を理解した上で、最も自分に良い結果が出るようあらゆる手を尽くすのが貴族のやり方ではあるのだが。
私――ソフィア・アスカルトはそういう意味では恵まれている。
アスカルト家は家柄こそ上に多くの家がいるものの、お父様が宰相を務めていることもあってそれなりの地位と資産を持っている。
私を政略結婚に出さなくとも家の立場が揺らいだりはしないし、跡継ぎにはお兄様がいる。
まあ、私の場合、単に結婚先を見つけるのが難しいというのもあるが……お父様もお母様も、私が自分の道を進むことを応援してくれている。
私の目標。
それは、司書になること。
一年生の間もできる限りの努力はしてきた。
成績を維持することは忘れなかったし、本を読む時間を削ってまで生徒会の仕事を頑張った。
暇がある時は図書館へ通って司書や職員の人達と仲良くなった。偉い方にはそれとなく「司書になりたいんです」とアピールすることも忘れていない。
仲の良い司書さんなどは簡単な仕事を頼んでくれることもあって、良い感じに進んでいると思う。
良い感じ……の、はずなのだが。
「ソフィア」
「う」
進級して間もないある日。
いそいそと図書館へ向かった私は、入り口にさしかかったところで声をかけられた。
「……ラーナ様」
「こら。露骨に嫌そうな顔をするんじゃない」
咎めるように言いながら、面白そうにくつくつと笑うラーナ様。
初めて会って以来、図書館へ行くとかなりの確率で遭遇する。暇なんですかと嫌味を言いたくなるが、実際は行動パターンが読まれているだけだろう。
それに、ラーナ様と会わないために図書館行きを減らすなんて本末転倒すぎる。
「進級おめでとう。そろそろ、魔法省に来る覚悟は決まったか?」
「ありがとうございます。……生憎ですけれど、私は役人にはなりません」
「なんと」
もう何度も伝えていることなのに、ラーナ様は大袈裟に驚いて、
「良かれと思って、役職付きの人間やうちの部署の者に根回しを進めているのだが」
「お気持ちは嬉しいのですが、結果的にお騒がせするだけになってしまうかと」
やんわりと「やめてくれ」と伝えれば「冗談だ」と返ってきたが――果たして、本当に冗談だったかどうか。
◇ ◇ ◇
ラーナ様はある意味、私の敵だ。
司書になりたいという夢を阻もうとしてくる、という意味で。
普通に話をする分には、少々強引なこと以外はとても良い方で、私もよく魔法道具の話で盛り上がっているのだが。
私が司書になるのを阻もうとする敵は彼女だけではない。
「ソフィア様」
午前の授業が終わり、教室から人が減り始めた頃。
カタリナ様の何気ない一言を発端にジオルド様とキース様が言い合いを始め、それをメアリ様やアラン様が仲裁――しようとして火に油を注ぐ中。
教科書の片づけを終えて話に加わろうとした私は、とある方から声をかけられた。
「ごきげんよう」
顔を上げて微笑む。
声をかけてきたのは、大人しそうな風貌の青年。同じ魔法学園の一年生で、私にとってはちょっとした顔見知りの方だった。
名前を呼んでどうしたのかと尋ねると、彼は緊張した面持ちで、手にしていた紙束を私に差しだしてくる。
「こ、これ、読んでください!」
「これは……」
端に穴を開けて紐で纏められたそれの表紙には「愛しき月光」とタイトルが書かれている。
思わず口元が綻ぶのがわかった。
「今度も恋物語ですの?」
「は、はい。一生懸命書きました」
素晴らしい。
私は笑顔で紙束を抱きしめ、彼に「ありがとうございます」とお礼を言った。
「必ず読んで、感想をお伝えしますね。……きっと、それほどお待たせしないでお伝えできるかと思います」
「っ!」
青年の顔に喜色が浮かんだ。
「よ、よろしくお願いします!」
頭を去っていく彼をしばし見送ってから、私は紙束を荷物に加えた。
早速読みたい衝動にかられるが、これから昼食なのだからそうはいかない。夢中になった挙句にお昼ご飯抜き、などということになったらメイドから、ひいてはお母様から怒られてしまう。
読むのは寮に帰ってからのお楽しみだ。
と。
教室内にいた生徒達のうち、何名かの視線が集まっているのに気づく。
見てきているのは女子が多いようで、その中にはメアリ様も含まれていた。
「そ、ソフィア! 今の方はなんですの!?」
さっきまでわいわいと言い争いをしていたはずなのだが、私の話で邪魔をしてしまったらしい。
私はメアリ様に「お騒がせして申し訳ありません」と謝ってから説明した。
「物語好きのお友達です。何度か自作の物語の添削をお願いされておりまして……」
「自作の物語、ですの」
「へー。自分で書いちゃうなんてすごいじゃない。同人誌的なやつかしら」
「そうですね」
のほほんとした表情で会話に加わったカタリナ様に笑顔を返す。
この世界では出版関係のあれこれがしっかり固まっていないので、自作の物語を本にして直接書店に持ち込むこともできる。そういう意味では商業作品と同人誌の線引きは難しく、場合によっては普通の書店に一点ものの貴重な本が当たり前に並んでいたりもするのだが、そこを細かく訂正しても仕方ない。
女性陣が注目したことで男性陣も参加してくる。
「愛しき月光、ですか」
荷物に入れる前にタイトルを見たのか、ジオルド様が呟く。
美形かつ美声の彼がそんなフレーズを口にするとそれだけで意味深だ。と思ったらアラン様とキース様も唸って、
「小説っつーか、詩によくありそうなタイトルだな」
「月の光……色で表すなら白か銀。なるほど」
「?」
アラン様はともかく、キース様の発言がよくわからない。
確かにイメージとしては太陽はゴールデンで月はシルバーだが……月光の部分を置き換えると「愛しき白」か「愛しき銀」?
うん、考えてもよくわからない。
眉根を寄せたメアリ様が私を見て、
「ソフィア。……これまでの物語はどういう内容だったんですの?」
「ええと……。全て恋物語でした。内容としては、身分が上の女性を頑張って射止めようとする男性貴族の話が多かったでしょうか。ヒロインは相手の好意になかなか気づかない、少々抜けている方ですね」
一つ一つの物語は独立しているのだが、思い返してみるとテーマは割と一貫していた。
「これは……」
メアリ様の表情は一層険しくなる。
彼女が視線を送ったのはジオルド様で、彼もまた若干思案するような表情になっている。
「ジオルド様。
「ターゲットは誰か、という意味であれば、太陽ではなく月で間違いないかと。だから問題ないとは言い切れませんが」
「そうですわね。アプローチが続くようならなんらかの対処を――」
私は首を傾げ、カタリナ様やアランと顔を見合わせた。
「えっと、何のお話でしょう?」
「さあ? ジオルド様とメアリの話は難しくてよくわからないのよね」
「いや、ソフィアが受け取った話の件だろ? 深い意味はわからんが」
キース様が何故か遠い目になって呟いた。
「姉さん達はそれでいいと思うよ」
後日、物語は全部読んだ上、詳細な感想と意見を文にして手渡した。
彼自身が「真剣なんです!」と言っているので、毎回かなり辛口で書いているのだが、今回も「また書いてきます!」と意気込んでいた。
男の子なのだから、恋物語だけじゃなくて他の話も書けばいいと思うのだが……よっぽど恋の話が好きなのだろうか。
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幕間 妹王女の挑戦
新たな王族
それは、新しい学年での生活が始まって一週間と少しが過ぎた頃のことだった。
午前の授業を終え、いつものメンバー(生徒会役員+カタリナ様)で食堂へと移動した私達。
各々、席について注文を終えたところで、声をかけてきた人物がいた。
「ごきげんよう、お兄様方」
声につられ、私はその人物を見た。
少女だ。
美しい蜂蜜色の髪に、目の覚めるような青色の瞳。
愛くるしさと気品の同居する整った顔立ち。
装飾は控えめながらも仕立ての良い清楚なドレスを纏い、後ろに二、三人の貴族令嬢を従えた彼女の視線は、私達のうち、とある「二人」へ向けられていた。
――ジオルド様と、アラン様。
双子王子は彼女を見ると、驚いた様子もなく笑顔を浮かべた。
「ああ、アリス」
「よう。学園生活は大丈夫そうか?」
「ええ。お陰様で、不自由なく過ごしておりますわ」
柔らかな微笑みと共に答える少女。
彼女――アリス
生憎、話をする機会はなかったが、この国の貴族であれば覚えておくべき人物の一人だ。
「アリス様。お初にお目にかかります。ハント家四女、メアリ・ハントでございます」
「同じく、アスカルト家長女、ソフィア・アスカルトです」
学園内なので挨拶は略式で済ませる。
これが王宮内で、かつ正式な面会であれば「表をあげよ」と言われるまで礼を解けなかった。
それはアリス様も承知しているようで、鷹揚に答えてくれた。
「初めまして。アリス・スティアートです。メアリ様とソフィア様には早くお会いしたいと思っておりました」
◇ ◇ ◇
アリス・スティアート。
ジオルド様やアラン様より一歳年下の、れっきとした王女様である。
髪や目の色だけでなく、顔立ちもどこか双子王子と似通ったところがある。整った顔立ちのジオルド様達に似ているのだから、当然アリス様もかなりの美少女だ。
彼女は今年、学園に入学してきた新入生。
入学してくるという話だけは前もって聞いていたのだが――。
「ジオルド様。妹さんがいらっしゃったのですか?」
関係者のはずのカタリナ様がきょとんとした顔で大ボケを披露してくれた。
兄達と話をしたいから、と、学友と別れて私達と座ったアリス様は、幸いにも笑顔を崩さないままカタリナ様に答えた。
「お兄様達とは母親が違いますし、王位継承権はないも同然の、目立たない妹なんです」
「そんな。目立たないだなんて。ジオルド様やアラン様に似てとってもお綺麗です! あ、この場合は王様に似たのかしら?」
「カタリナ。アリスの話は何度かしましたし、ちらっと紹介したこともあるはずですが……」
「ええ、本当!? それっていつの話ですか!?」
一つのことに夢中になると、カタリナ様は他のことが頭に入らなくなる。
お茶会や舞踏会で紹介されたのなら、料理やお菓子に夢中で忘れてしまったのかもしれない。
アリス様はくすくすと笑って、
「お兄様達から聞いていた通りの方ですね」
と、これにはカタリナ様もバツの悪そうな表情を浮かべて、
「あの、ジオルド様? いったいどんな悪口を言っていたのですか?」
「別に悪口は言っていませんよ。並の感性をしている人間には、面白おかしい作り話にしか聞こえない話ではありますが」
「それ駄目なやつじゃないですか!」
すかさずツッコミを入れるカタリナ様だったが、ジオルド様の言い分も仕方のないものだと思う。
一生残るかもしれない額の傷を気にも留めず、花の栽培どころか野菜作りに興味を示し、お茶会や食事会では出されたものをお腹いっぱい食べる。
良くも悪くも形式というものを気にしない王者の器を持つ公爵令嬢。
私だって、噂だけを聞いていたら誇張か作り話だと判断するだろう。
アリス様はくすくすと笑って、
「ジオルドお兄様の婚約者が変わった方だと聞いて心配していたのですが、実際にお会いしてみると想像以上に楽しい方のようですね」
「あはは、ありがとうございます。……っていうかアラン様。アリス様ったらメアリとも初対面だったみたいですけど?」
「あ? 別にいいだろ。紹介する機会がなかっただけだ」
実際はカタリナ様を構いすぎてメアリ様が若干放置気味だったせいだろう。
といっても、メアリ様はメアリ様でカタリナ様にべったりだったので、お相子ではあるのだが。
「メアリ様のお噂は良く窺っておりますわ。貴族女性の鑑と言って良い方だと。ソフィア様も、博識な上、多方面の事業に手を出していらっしゃるとか」
「恐縮です」
「お褒めいただき、大変嬉しく存じます」
アリス様の青色の瞳が私とメアリ様をじっと見つめて、
「これからお会いする機会も多くなるかと存じますが、どうか皆様、仲良くしてくださいね」
私は微笑んで「はい」と答えながら、どことなく、アリス様の言動に違和感を覚えていた。
◇ ◇ ◇
数日後。
「アリス様は素晴らしい方ですね!」
プレゼントとして贈られてきた珍しい本を抱きかかえ、私は笑顔で言った。
「……ソフィア。少し落ち着きなさいな」
寝間着姿でテーブルの向こうに座ったメアリ様が額に手を当てて息を吐く。
そう言われても「お近づきのしるしに」と、こんな素敵な物を贈られてはテンションが上がって当然というものだ。
買収?
もちろん、そういう側面があることはわかっている。とはいえ、同性である以上は邪な目的も薄いだろうし、買収目的でもこの本をチョイスできるのだから、きっと本好きに決まって、
「わざわざ来てもらった目的を忘れたの?」
「……そうでした」
はっと我に返る私。
わざわざ持ってきた
私がレアな物語本をもらったように、メアリ様も珍しい図鑑を貰ったらしい。向こうも読んでみたい――って、今はそういう話ではなく。
私はティーカップに口をつけると、私達とメイド以外に誰もいない部屋を見渡す。
「メアリ様。では、やっぱりアリス様は」
「ええ。何か裏があって近づいてきたと見るべきですわ」
私だけが呼ばれた理由。
殿方を招くのは難しいことや、マリアさんは寮が違うこと、根拠が「乙女の勘」としか言いようのないレベルなのもあるが、一番は、
「ターゲットはカタリナ様、でしょうか」
「ええ。十中八九」
思えば、怪しい点はあった。
兄妹とはいえ年頃の女性が異性への好意を隠そうともしない。
言動の中にカタリナ様へのちょっとした嫌味が見え隠れしていた。
仲良くして欲しいと言った時、私とメアリ様だけを見て、カタリナ様を見ていなかった。
キース様が無視されたような格好なのは、まあ、異性だからだろうと納得がいく。
けれど、ジオルド様の婚約者であり公爵令嬢でもあるカタリナ様を意図的に省くのは、一種の宣戦布告と受け取ることができる。
女性の王族。
アリス様はカタリナ様よりも家格の面で上。アリス様の登場により、カタリナ様は二番手に落ちているのだ。
「この贈り物も離反工作の一環でしょう」
「こんなものでカタリナ様を裏切るわけがありませんけれど……」
「あら。先程、あの方を手放しで褒めていたのは誰だったかしら?」
「……え、ええと」
私は誤魔化し笑いを浮かべて視線を逸らした。
だが、アリス様に好意を覚えるのと、カタリナ様に悪意を覚えるのは全くの別問題だ。自慢ではないが、私は一般の貴族とは異なる価値基準を持っている。
派閥だのコネクションだのといったものにはあまり興味がない。
「ですが、アリス様の目的は一体なんなのでしょう……?」
「……わかりません。動機も含めて、現段階では不明ですわ」
残念そうに、メアリ様は首を振った。
「私としては、ジオルド様への禁断の恋ではないかと思うのですが」
「メアリ様。さすがにそれはないんじゃないかと……」
「ソフィアに言われるのは心外だわ」
私達は互いにジト目で睨みあった後、くすくすと笑いあった。
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伯爵令嬢と妹王女
アリス・スティアート様。
私達の一年後輩として魔法学園に入学し、さっそくその存在感をアピールし始めた王女様。
暗にカタリナ様への敵意を示した彼女について、私とメアリ様はまず、情報を集めることにした。
といっても、容姿のせいで目立つ私は大した役に立てない。
ほとんどメアリ様頼りの調査になってしまったのだが――。
「アリス様は品行方正、勤勉にして努力家、下々の者にも礼を尽くす素晴らしいお方のようですわ」
調査結果を語るメアリ様の表情は、手放しでアリス様を褒める内容と裏腹に、苦いものをはっきりと含んでいた。
「何か裏があるのではないか、と?」
「人格にも能力にも何ら問題のない公正明大な優等生――なんて、いるわけがないでしょう」
ふん、と、苛立たしげに鼻を鳴らして語るメアリ様。
貴族令嬢の鑑と謳われている彼女が言うと、色々と洒落になっていないのだが、
「目の前にお一人いらっしゃるので、私としては肯定しがたいです……」
おずおずと言えば、メアリ様はきょとんと瞬きした後、頬を赤く染めて、
「……お、お世辞でも嬉しいですわ。私が裏表なく、対等に話ができるのはソフィアだけですもの」
「私にとっても、メアリ様は大切なお友達です」
「ありがとう、ソフィア。そうだ。今日は一緒に寝ましょうか? 話が長くなってしまうと、静かな廊下を歩かなければならないでしょう?」
「それは楽しそうですね! ですが、先にお話を済ませてしまった方がいいのでは?」
メアリ様は「そうだったわ」と表情を戻した。
「人格についてはひとまず置くとしても、カタリナ様へ敵意を持っていることは事実。理由、あるいは目的がわかればいいのだけれど……」
「後ろ暗いところは見られない、のですよね?」
「ええ。入学からの短い期間で着実に派閥を形成し、優秀な成績を上げているけれど、地位や権力をもって誰かを貶める、などという素振りも一切なし」
カタリナ様が攻撃される気配も今のところない、ということだ。
「ただ、私達に関する情報を集めているような節はあるわ」
「私の料理店にも足を運んで、給仕から熱心に話を聞いていたそうです」
向こうも今は準備段階なのかもしれない。
「アリス様は優秀でいらっしゃるのですよね? 一年生は最初のテストが迫っているはずですけれど――」
「……十中八九、生徒会に入ってくるでしょうね」
王族ともなれば生徒会入りは当然と言ってもいい。
ジオルド様とアラン様に続き、アリス様が生徒会入りをすれば王族が三人。非常に華やかな生徒会ができあがることだろう。
加えて、アリス様は合法的にカタリナ様に近づくことができる。
私達は細かな情報を交換した後、今のところは何もわかっていないに等しい、ということをあらためて実感した。
「……とにかく、様子を見ましょう。不用意な行動を取れば向こうに利を与えてしまうかもしれないし、引き続き情報収集を進めるということで」
「わかりました」
私はメアリ様の提示した方針に、神妙な頷きを返した。
◇ ◇ ◇
次の休日。
「さあ、ソフィア様。狭い部屋ですけれど、どうぞ楽になさってください」
「は、はい」
どうしてこうなったんだろう……?
私やメアリ様の部屋よりも広い王族用の寮部屋に招かれた私は、にこやかなアリス様の声かけに、緊張を感じながら答えた。
その日。
私はいつものように朝から図書館に向かい、ラーナ様に出くわさなかったのに気をよくしつつ読書に勤しんでいた。
しかし、昼食はお弁当で済ませ、さあ、午後の読書と意気込んだタイミングで意外な人物――アリス様が声をかけてきたのだった。
『ごきげんよう、ソフィア様』
『ご、ごきげんよう、アリス様。本日はお勉強ですか?』
『ええ。魔法学園の図書館には、宮廷図書館にない本も所蔵されていますから』
学友を連れず一人きりのアリス様はそう言って微笑む。
『私、読書が趣味なんです。特に物語が』
『そうなのですか!?』
思わず興奮してしまう私。
私とメアリ様にあんな本をプレゼントしてくれたことから想像はついていたものの、本人からこうして打ち明けられるというのは格別の喜びだ。
目をきらきらさせる私を前に、アリス様は「ええ」と頷いて、
『ソフィア様。この後、特別なご予定はおありですか?』
『予定、ですか? いえ、特にありませんが……』
『でしたら、私の部屋で本のお話をしませんか? この前、お贈りした本、私も大変楽しく読みましたので、是非感想を語り合いたいと――』
『行きます!』
それで、気づいたら敵地に一人で乗り込む羽目になっていた。
……弁解させてもらうなら、私も完全に前が見えなくなっていたわけではない。
ただ、アリス様は一枚も二枚も上手だった。
用件の前に本の話をして私の注意力を奪う奇策。予定を聞く際、『特別な』と付け加えたのも私に「読書で忙しい」と答えさせないためだ。加えて、本の話をしようという誘いをかけて、私の本好きとしてのプライドにまで訴えかけた。
図書館ならばカタリナ様やメアリ様が一緒にいる確率は低いので、ほぼ確実に私だけを誘いだすことができる。
アリス様は自分のメイドにお茶やお菓子の準備をさせると(まるで予定していたかのようにスムーズだった)、あの本をテーブルの上に置いた。
私が貰ったのと同じ本。
本を部屋に取りに戻る、という逃げ口上を封じる目的かもしれないが、自分が読んで気に入った本をプレゼントしてくれた、と考えると、その、テンションが上がった。
というか、本当に本の話をするつもりなのだろうか……?
「? どうしました?」
「い、いえ。王族の方と二人きりなんて初めてなので緊張してしまって……」
「ふふっ。前にも言いましたが、私は王族と言っても目立たない存在ですから。どなたか貴族の男性に嫁ぐことになるでしょうし」
ジオルド様への禁断の恋。
メアリ様が口にしていた予想がふと頭をよぎった。
「それよりも、ソフィア様。さあ、もっと椅子を寄せましょう」
「え?」
「向かい合っていては本が読みにくいでしょう?」
それぞれの椅子をくっつけるようにして、肩を寄せ合う私とアリス様。
小さい頃、カタリナ様と似たようなことをよくやった。
二人で同じ本を覗き込み、わくわくしながらページをめくる。効率は物凄く悪いのだが、楽しくて楽しくて仕方がなかった。
最近はさすがになかなか機会がなかったが、
「ソフィア様。この書き出しからして秀逸だと思いませんか?」
「あ、わかります! これから何が起こるんだろう、ってわくわくします!」
私はアリス様に促されるまま、楽しい本トークに没頭していった。
◇ ◇ ◇
「……ふう」
満足。
気づけば、窓の外ではだんだんと日が傾こうとしていた。
長時間話し込んでいたこともあって、お茶もお菓子もしっかりいただいてしまった。途中でお菓子のおかわりとしてポテチが出てきた時は驚いたけど、そういえば、私の料理店のこともしっかりリサーチされていたのだった。
アリス様も満足げに息を吐いて、
「物語はいいですね。……現実では絶対にできないような恋もできますから」
「恋のお話は楽しいですものね」
貰った物語本は、王子に恋するあまり悪しき手段に手を出してしまった魔女の話だった。
「ええ。……特に、ソフィア様の周りは浮いたお噂が少ないでしょう?」
「そうですね……」
私も含め、まともな恋愛をしていない者ばかりだ。
――と、これはもしかして。
話が本題に入ったのだろうか。
私は少し身構えつつ、アリス様に尋ねる。
「アリス様には好きな方はいらっしゃらないのですか?」
「私ですか? いいえ、特にはいません」
さらりと答えるアリス様。
痛い所ではないのか、それとも、予想済みだから動揺しないのか。
「お近くにジオルド様やアラン様のような素敵なお兄様がいらっしゃると、男性を見る目も厳しくなってしまうのでしょうか」
「ふふっ。そうですね。でも、お兄様方も外から見えるほど素敵な方ではないのですよ?」
おや……?
「そうなのですか?」
「ええ。むしろ、私としてはあんな腹黒ドS王子や天然俺様系と付き合って疲れないのかと……あ、すみません。私ったら、つい」
ここだけの話にして欲しいと言うアリス様に微笑んで頷きつつ、私は内心で考える。
この様子だと禁断の恋はなさそうだ。
だとすると、カタリナ様を目の敵にする理由はなんだろう。
――まさか。
脳裏にふと考えがよぎる。
双子王子が関係ないのなら、カタリナ様に想いを寄せる他の男性が関係しているのかも。
つまり、キース様かお兄様が狙われているのでは!?
身内の危機に、私は危機感を募らせた。
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接近しはじめる王女
「確かに、ジオルド様やアラン様には癖がありますね。……でしたら、キース様や私のお兄様がお薦めですよ」
本当は、この段階でお薦めなどしたくないのだが、話を向けるための方便だ。
アリス様はにこやかに頷いて、
「どちらも素敵な男性ですね。お相手がいないのが不思議なくらいです」
「でしょう?」
「ですが、恋愛観に難のある方でしょう?」
笑みを苦笑に変えて、そっと頬に手を当てた。
「結婚相手に浮気されるのは私、あまり好みではないのです」
「お二人とも、とても一途な方だと思いますけれど……」
どうやらお兄様達にも興味がないらしい。
ないならないで全然構わないのだが、身内を悪く言われるのが癪でつい擁護してしまう。
「いいえ、彼らは不用意に女性を虜にしています。キース様はチャラ男に育つ素養がありますし、ニコル様はもっと危険です」
「それは……」
お兄様の美貌は貴族の中でも群を抜いている。
特に誘惑しなくても女性が寄ってくる、という意味ではアリス様の言う通りだ。
真摯な瞳が私に向けられて、
「というか、ニコル様が最も扱いづらいでしょう? 芸術的に整ったお顔は表情不足、感情を察することが苦手で、仕事人間の気質あり。
そのくせ、物理的距離を詰めることに抵抗がなく、無自覚に女性をダメにする。
キース様がチャラ男ならニコル様は天然女たらし――」
「お兄様を悪く言わないでください!」
しまった。
思わず感情的に告げてしまってから、私は自分の短絡的行動を深く後悔した。
読書トークの名残から肩が触れ合うほど近くにいる
言うまでもなく、さっきの発言は不敬にあたる。
相手の性格によっては「なに、この無礼な子? お父様達に言って実家ごと冷遇してもらうから」となってもおかしくない。
熱くなっていた気持ちがあっという間に冷える。
どうやって言い繕おう。
でも、兄の悪口を言われて不快だったのは事実だ。
さっきの発言を忘れてくれ、などと告げるのは私のプライドが――。
「ソフィアはお兄様思いなのね」
「え?」
理性と感情の狭間で揺れる私が見たのは、くすくす笑うアリス様の姿だった。
呼び捨て。
いや、それは立場的に問題ないのだが。
「申し訳ありません。年上の方にこんな態度失礼なのですが、つい、嬉しくなってしまいました」
「嬉しい、ですか?」
「ええ。やはり私の見込んだ通り、ソフィア様が最も、カタリナ・クラエスの影響から遠いようです」
カタリナ・クラエス。
私やメアリ様のことは様付けだったのに、カタリナ様のことは呼び捨て。
さっき私が呼ばれたような愛着も感じられない。
ここまで来たら、聞いてしまうしかない。
「アリス様は、カタリナ様のことがお嫌いなのですか?」
「ええ」
アリス様はにこりともせずに答えた。
「悪役令嬢カタリナ・クラエスはお兄様方やキース様、ニコル様、ソフィア様にメアリ様、そして
ぞくりとした。
違う。
この人の持つカタリナ様への敵意は、シリウス・ディークとも、彼に操られたカタリナ様の敵対派閥とも違うものだとわかってしまった。
そして私は、アリス様の企みにどう向き合えばいいのかわからなくなった。
◇ ◇ ◇
アリス様との間にあったことはメアリ様やジオルド様に伝えた。
『私達がカタリナ様に洗脳されているなんて、事実無根の大嘘ですわ! というか、誘惑してくださるのならむしろ望むところ――いえ、その、こほん』
伝えた途端、メアリ様は強く反発。
私以外誰もいない場所だったので問題はなかったが、欲望がダダ漏れだった。
一方、ジオルド様は苦い顔で「ああ、またアリスの悪い癖ですか」
『では、ジオルド様は知っていらしたのですか?』
『一応、兄妹ですからね。お兄様はカタリナ・クラエスに騙されている。今すぐ婚約を解消するべきです、などと、直接言われたこともありますよ』
とはいえ、アリス様についてはあまり心配していないらしい。
『アリスは思い込みが激しいですが、変なところで真面目な子です。カタリナを批判するにせよ、あの時のように根も葉もない話を持ち出したりはしないでしょう』
『それは、事実から批判することはある……ということでは?』
『それは、カタリナ自身の素行の問題なのでなんとも』
そうこうしている間に一年生の入学から約一か月が経ち、実力テストの結果が出た。
――結果、アリス様は総合一位。
文句のつけようがない成績で、彼女は生徒会入りを果たした。
「アリス・スティアートと申します。生徒会は学園のために働く場所であり、身分は関係ないと思っております。精いっぱい力を尽くすつもりですので、どうか遠慮なくご指導くださいませ」
突然カタリナに喧嘩を売るどころか、丁寧で謙虚な挨拶。
「アリス様、学年一位だなんてすごいのねー。こちらこそ、よろしくね!」
当のカタリナ様はアリス様の思惑なんて知る由もなく、新しい友人ができそうなことに喜んでいる様子だった。
「はい。クラエス様とも
「クラエス様だなんて。キースと紛らわしいからカタリナって呼んでいいのよ?」
「ありがとうございます、クラエス様」
でも、一見穏やかなアリス様がカタリナ様を嫌っているのは、傍目からは明らかだった。
そして、
「マリア先輩も、是非仲良くしてくださいませ」
より気になったのは、アリス様とマリアさんのこと。
基本的に(カタリナ様相手を除く)礼儀正しいアリス様。
マリアさんを「先輩」と呼ぶのは王族としての立場と相手への敬意からくる折衷案なのだろうが、やっぱり、他の人を相手にするのとスタンスが違う気がする。
それは、学園にたった一人の平民だからなのか、希少な光の魔力を持っているからなのか、それとも。
◇ ◇ ◇
『マリア』
あの時、アリス様はマリアさんのことをそう呼んでいた。
一人だけファーストネームで呼び捨て。
何らかの意図や感情が含まれていると考えるのが自然だろう。
そう。
例えばアリス様とマリアさんは幼少期、ごく短い期間だけ一緒に遊んでいたことがあって――それ以来、マリアさんのことを『特別』に思っているとか。
カタリナ様を敵視するのは、ようやく再会できると思ったマリアさんが彼女に心奪われていたから。
「私のマリアを取らないで!」という嫉妬が彼女をつき動かしたのだとか。
素敵だと思いませんか、とメアリ様に語ったところ「本になったら教えてくださいませ」と言われた上で、推測自体は全部却下された。
まあ、私も半分くらい妄想のつもりだったが。
――アリス様には何かがある。
二人での会話の際、彼女がこぼしたヒントは他にもあった。
『悪役令嬢カタリナ・クラエス』
悪役令嬢。
決してありふれた単語ではない。というか、現代日本だって一部の人しか知らなかっただろう。この世界では、私やカタリナ様が使いだしてから一部の作家に広がっている程度。
さらによくよく考えてみれば、腹黒ドS王子やチャラ男という表現も、原作『FORTUNE・LOVER』のファンが使っていた表現だ。
もし、アリス様が元の『FORTUNE・LOVER』を知っているとしたら。
ジオルド様達がカタリナ様に誘惑されている、という表現もあながち間違いではない。というかほぼ合っている。ジオルド様やアラン様はまだ原型をとどめているものの、キース様やメアリ様に至っては別人に近い。
そうなった原因は、原作を意識したカタリナ様が破滅フラグを回避しようと動いた結果だ……と、私はカタリナ様本人から聞いた(カタリナ様ご自身にはあまり自覚がなかったが)。
つまり。
「アリス様も、私達と同じ転生者なのでは……?」
私は、一つの結論に辿り着いた。
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アリス・スティアート
前世の記憶が目覚めたのは、ジオルドお兄様やアランお兄様が魔法学園に入学する一年前だった。
日本に生まれ、天寿を全うして死ぬまでの記憶。
未練はなかった。
だから、そうなったのはきっと、後悔があったからなのだろう。
『FORTUNE・LOVER』。
転生後の世界があのゲームと似ていることには、すぐに気づいた。
ジオルドお兄様やアランお兄様がかなり身近にいて、メアリやソフィア、キース、ニコルといった名前さえも現世――アリス・スティアートの記憶にあったのだから、疑う余地などなかった。
最初にプレイしたのは高校生の時だったが、その後、別ハードに移植もされたし、ダウンロード版の販売なんかもされ。
最後にプレイしたのは正直なところ、死ぬ数か月前だ。
だから、世界も登場人物もよく似ているこの世界に、原作と異なる点があることにはすぐに気づいた。
――カタリナ・クラエスが変だ。
カタリナは端的に言えば、典型的なやられ役の悪役令嬢だ。
ジオルドお兄様の婚約者であり、ゲームの主人公・マリアの敵役。他のライバルキャラであるメアリやソフィアが「立場が異なるだけの良い子」なのに対し、彼女は徹頭徹尾の悪役であり、どのエンディングでも基本、碌な最後は迎えない。
マリアに嫌がらせをしたり、嫌がらせをしたり、嫌がらせをしたり、ジオルドお兄様に露骨すぎるアプローチをしては嫌われる役どころだったはずの彼女が、この世界ではお兄様に「本気で好かれている」。
気づいた時には愕然とした。
あのジオルドお兄様が、腹黒ドS王子が、事あるごとにカタリナに会いに出かけていくのだ。
忙しいので間が開くこともあるが、幼少期の記憶を遡ってみると、本気で三日と開けず通っていた時期もあるようだ。
カモフラージュ?
否。お兄様、というかジオルドがそんなことをするわけがない。第一、原作ではカタリナの方がジオルドにベタ惚れだったのだ。放っておいても向こうが来る。
ということは、お兄様がカタリナ様に篭絡されている。
性別が違う上、王位継承権がほぼ無い私はお兄様と競う必要がないし、兄妹であるため男女の関係になることもない。お互い、気楽に兄妹づきあいができたからだ。
まあ、それでもどちらかというとアランお兄様との方が仲が良かったようだが。
「ジオルドお兄様、カタリナ・クラエス様との婚約を考え直していただけませんか?」
当然のように私はそう進言した。
カタリナとお兄様が本気で恋仲? 冗談じゃない。あの女は性格最悪だ。マリアに嫉妬した結果、殺しにかかったりする奴なのだ。
それはまあ、ゲームのキャラクターとして見たら愛すべき悪役ではあるのだが、リアルにあれと付き合うのは絶対に嫌だ。
下手したら私までいびられたり、兄妹だっていうのに「仲が良いから」と嫉妬されかねない。嫁と小姑の争いなんてもう味わいたくない。
だが、お兄様は聞く耳持ってくれなかった。
「アリス。カタリナには僕が付けた傷があるんです。責任を持って結婚してやらなければ、嫁の貰い手がなくなってしまうんですよ。それはあまりに可哀想でしょう」
「煩わしいさや当てを避けるためにしても、もっと良い方がいらっしゃるでしょう? それに、傷はもう治っているはずです」
「いいえ。傷は治っていませんよ。それにカタリナは面白い娘ですから」
面白い娘。
ジオルドお兄様が彼女に拘る理由はそこにあるようだった。
カタリナ・クラエスが面白い?
私は耳を疑った。イケメンに目がなく、権力が大好きで、下の者を顎で使うことに抵抗がなく、誰かを貶めることで喜びを得るような女が?
「アリス。君はカタリナのことをよく知らないでしょう? 知らない人物のことを悪くいうものではありませんよ」
彼女のことなら良く知っています、お兄様。
そう言いたいところだったが、前世の記憶がどうの、乙女ゲームがどうの、なんて言えば頭がおかしいと思われかねない。
私はお兄様に言われた通り、カタリナの情報を集めることにした。
悪女であることを示すにも証拠が必要なのだから一石二鳥だ。
そうしてわかったのは――カタリナ・クラエスの魔の手は予想以上に広がっていたということだ。
キースは義姉にくっついて過保護に世話を焼く苦労人になっており、原作のチャラ男の面影もない。
アランお兄様はジオルドお兄様へのコンプレックスをいつの間にか解消しており、代わりになぜかカタリナのことをとても気にかけている様子。
メアリはアランお兄様と婚約しているものの、どことなく原作のジオルドお兄様を思わせる淡白ぶり。そのくせ、カタリナの家へ頻繁に訪問してはお茶をしたり、雑談に興じたり、農作業を手伝ったり? しているらしい。
ニコルの変化はよくわからなかったが、強いて言えば棘のある雰囲気がなく、より落ち着いた物腰になっているようだった。
ソフィアはカタリナと読書仲間になっていた。また、メアリと組んで料理店を経営したり、独自に作家育成を行って収入を得ているらしい。
……ソフィアがよくわからないことになっているが、まあ、カタリナが後ろ盾になったことで前向きになり、知識量が増えた結果なのだろうか?
カタリナが派閥メンバーを使って財を増やしていると考えれば、作家育成や料理店経営にも納得がいく。
結論としては、カタリナは同世代――魔法学園で同学年とする著名貴族を軒並み篭絡し、己の派閥に加えることによって貴族社会を裏からコントールしているようだった。
やはり、カタリナ・クラエスは悪。
私は更に何度もジオルドお兄様に直談判したが、聞いては貰えなかった。婚約はお父様、国王陛下が承認しているものなので、お兄様本人の意志がなければ解消が難しい。
カタリナを糾弾して風評を下げる。
だが、狡猾にも彼女は表向き、悪事らしい悪事を何も働いていなかった。
必要以上に無能を装っているとしか思えない無軌道な言動を繰り返しており、畑を耕したり(なんで?)、ロマンス小説に傾倒したり(なんで?)、お菓子や料理をお腹いっぱい食べたりしているだけだったのだ(なんで!?)。
だが私は騙されない。
妙に庶民的な言動は下々の者の好感度を獲得するためのカモフラージュ。剣の腕を鍛えたり、土の魔法(原作にてマリアが土ボコと命名)を練習しているのは、暗殺者を手ずから撃退するための備えだろう。
彼女の本質は変わっていない。
ただ、原作よりも恐ろしいまでに狡猾になっている。
カタリナの動きが今後のこの国を掌握するためのものだと現段階で理解できるのは私だけだろう。前世知識だけで動くのは無理がある。
もうしばらく待つしかない。
せめて、そう、カタリナが魔法学園に入学して一年後くらいまでは。
幸い、そこまで待てば私も学園に入学できる。
カタリナは生徒会に入ってくるだろう。
私も同じように生徒会に入ればいい。そして、彼女が私の予想通り、生徒会メンバーを掌握しているようなら、どんな手を使ってでも糾弾する。
「カタリナ・クラエス。あなたの好きにはさせません!」
そして、私の予想は正しかった。
カタリナは自分自身は生徒会に入らず、それでいて干渉が可能な立場を手に入れていた。
二年生の生徒会メンバーはほぼ全員が――主人公であるマリアを含めて篭絡されており、隠し攻略対象である闇の魔法使いシリウス・ディークの凶行さえも止められ、ラファエルと名を変えたシリウスもカタリナの信奉者の仲間入りをしていた。
ゲームの全ルートを一人で攻略したようなものだ。
――許せない。
マリアの役目を奪い取ったこと。
『FORTUNE・LOVER』の物語を滅茶苦茶にしたこと。
私とあの子の絆だったこのゲームをこんな風にしてしまったこと。
私は決意した。
悪役令嬢であるカタリナと同じ手は使わない。根も葉もない噂や捏造の証拠で追い落とすようでは彼女と同じになってしまう。
正々堂々、悪事を暴いてみんなの目を覚まさせる。
手始めに、最もカタリナの影響が薄そうなソフィアに接触、カタリナへの疑念を抱かせ、テストで総合一位を取って生徒会に入った。
後は悪事の証拠を十分に集めるだけ――。
「あのー、アリス様? よろしければ、勉強を教えていただけませんか?」
思った矢先、
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カタリナとアリス
なんとか無事、二年生に進級することができた私、カタリナ・クラエスだったが、このところ一つの悩み事を抱えていた。
勉強が難しい!
一年生の時点でもギリギリついていけていた感じだったのに、二年生になったらさらに難しくなった。
多分、原因は一年生で習った内容が頭に入っていないせいだろう。
マリアやメアリやソフィアやキースやラファエルに教えてもらって乗り越えてきたが、自慢じゃないものの、私の頭はあんまりよくない。テストや宿題が終われば覚えた内容なんてすぱーっと抜けて行ってしまうのだ。
なので、わからない+わからないで余計にわからない。
ここは誰かに教えてもらうしかないのだが、みんな二年生になってから前にも増して忙しそうにしている。新しく入ってきた一年生の子に指導したりもしているからだ。私も時々聞かれるのだが、残念ながら私は生徒会業務に関わってないので答えられない。
どうしたものかと悩んでいると、きらきらした金髪の女の子が目に入った。
マリアかと思ったけど、そうじゃない。
今年生徒会に入ってきた、ジオルド様とアラン様の妹――アリス様だ。
「ごきげんよう、アリス様」
「ええ。ごきげんよう、クラエス様」
アリス様は私のことを苗字で呼ぶ。
名前で呼んでって言ったのだが、何故か私だけ苗字呼びのままなのだ。お兄ちゃんを取られるのが嫌で怒っているのだろうか。
でも、私としては仲良くしたいのでなるべく声をかけることにしている。
「お勉強ですか?」
「ええ。私は成績が良くないので、宿題をやるにも時間がかかってしまって……」
「そうですか。頑張ってくださいね」
言って、アリス様は生徒会の仕事を始める。
今のところは雑用のお手伝いをしているようだ。マリアが二年生になって、本格的にスーパーサブになり始めたので、内向きの仕事を代わっているのだ。
そういえば、アリス様って一年生で一番の成績なんだっけ。
「あのー、アリス様? よろしければ、勉強を教えていただけませんか?」
私は思い切って聞いてみた。
アリス様はぴたっと動きを止めると、不思議そうに私を見てくる。
「私、一年生なのですが……」
「それなら大丈夫です。私が今、詰まっている箇所はほとんど一年生の内容なので」
「……見せてください」
小さな溜め息と共に、隣に座ってくれた。
いい人だなあと思いつつ「ここなんですが……」と指さすと、アリス様は数秒、該当箇所を見つめただけで「ああ」と頷いた。
「これでしたら、ここがこうで、こうなりますから、こうです」
「え。ま、待って。ちょっと待ってください。ゆっくりお願いします!」
「………」
もう一度ゆっくりと丁寧に教えてくれたので、私はふんふんと頷きながらメモを取った。
淡々としていたが、順を追ってくれるのでわかりやすい。
気づけばあっという間に、詰まっていた箇所が解けてしまった。
「すごい! アリス様、教えるのがお上手なんですね」
「褒めても何も出ませんよ。わからないのは、これで全部ですか?」
「あ、えーっと、ここと、ここと、あとここと、ここもわからないんですが……」
「ほとんど全部なのでは……?」
面目ない。
アリス様はジト目になりつつ、結局最後まで教えてくれた。
「ありがとうございました。アリス様のお陰で宿題が捗りました」
私としてはほくほくである。
自分でやった方がいいのは重々承知ではあるが、これからも困った時はアリス様を頼っちゃおう。
と、アリス様が小さな声でぽつりと、
「……クラエス様は何を考えていらっしゃるんですか?」
「う」
痛いところを突かれた。
キースやアンやお母様からのお説教によく出てくるフレーズだ。
「わ、私だって色々考えてるんですよ。明日の食堂のメニューはなんだろうとか。この前読んだロマンス小説のこととか、この国を追われたらどうしようとか」
「もう少し考えることがあると思いますが。……というか、国を追われる心当たりがおありなのですか?」
「今なくても、これから現れるかもしれないではないですか。恋愛関係とか」
アリス様の目が馬鹿を見るようなそれになった。
と思ったら、急に「こほん」と咳ばらいをして、笑顔に戻って、
「でしたら、ジオルドお兄様と婚約解消されてはいかがです?」
「そうなんですよねー」
「は?」
「私もそれがいいかなー、と思うんですよ。私みたいな悪役顔がいつまでもジオルド様をひとり占めしてたら婚期逃しちゃいますし」
「………」
あれ、凍り付いちゃった。
「あの、アリス様? アリス様ー?」
「……はっ。ええと、その。クラエス様? そういった言動は、あなたとジオルド様の関係を悪化させるだけだと愚考しますが」
「はい。でも、私としては構わないんですよ。ジオルド様には『別れたくなったらいつでも言ってね』ってお伝えしてありますし。聞いてませんか?」
アリス様は更にしばらく黙った後、気を取り直したように宣言した。
「クラエス様」
「は、はい?」
「あなたの愚かな考えは、私が必ず正します」
「えええ?」
まさか、アリス様は「カタリナ・クラエスには王妃は務まらない派」ではなく「ジオルド派」だったのか! いや、ジオルド様の妹なんだから当然かもしれないけど。
◇ ◇ ◇
「クラエス様。これはなんでしょうか?」
後日。
生徒会室にて、アリス様は私に一枚の紙を突き付けてきた。
何だろう、と思ってしばらくじーっと見つめてわかった。私が一年生の時に出した、花壇の使用許可証だ。
「それがどうかしましたか?」
「どうかしましたか、ではありません。ここになんと書かれているか、読めますか?」
目の端をつり上げて尋ねてくる。
可愛い顔が台無しだ。このままではあだ名が「委員長」とかになってみんなから恐れられてしまう。かわいそうだ。
でも、怒られているのはわかるので、まずはちゃんと記載内容を読んでみる。
「季節の花を育て、主に鑑賞を行うため」
「では、実際に育てている
「ネギとか、ニラとか、でしょうか?」
「それは花ではなく野菜です!」
ふんがー! とばかりに私を睨んでくるアリス様。
少し離れたところで、キースやメアリが「あちゃー」という顔をしていた。
「で、でも、野菜にだって花は咲くんですよ?」
「花を育てると言った場合、一般には食用としない花が対象になるのです。先程の仰り方からして、あなたの言い訳が苦しいことは理解されていたように思いますが?」
「は、花も野菜も同じ植物ですよ?」
「では、花の育て方が野菜の育て方にそのまま応用できると?」
「あー、それは違います。野菜はやっぱり肥料のやり方とか量とかを調節しないと美味しくできませんし、花とは別の難しさが……」
「カタリナ様、カタリナ様! 今、その発言はマズイですわ!」
メアリの注意にはっと我に返った時には遅かった。
アリス様は「どうやら間抜けは見つかったようですね」と冷たい笑みを浮かべると、ばしん! と、テーブルに用紙を置いた。
「虚偽の申告で花壇を使用しているのであれば、これは立派な校則違反です。罪を認め、改める気がないのであれば、私はあなたを生徒会として糾弾します」
「で、でもでも、花は良くて野菜は駄目なんておかしいと思いませんか?」
「食用利用が可能なものは販売が容易です。しかし、専門の商人以外を通して販売された場合、食中毒等の思わぬ害をもたらす可能性があります。無断での転売は王国の法でも禁じられているのですが、ご存知でしたか?」
「わ、私、売ったりなんかしてません! マリアちゃんに頼んでお菓子にしてもらったり、お漬物にして食べてるだけです!」
「……お漬物?」
「ええ。きゅうりとか、茄子とか。とっても美味しいんですよ」
「そう、ですか」
一瞬、とても懐かしそうな目になりかけたアリス様は、すぐに我に返って、
「であれば、きちんと正規の許可を取るべきです! ただちに申請を撤回して、正しい許可を貰ってください!」
ええー、とは、さすがに言えなかった。
言いたいのはやまやまだったが、悪いことをしていたのは私の方だからだ。
私の周りにはジオルド様のような「バレなければ犯罪じゃないんですよ?」とか言うタイプもいるが、逆に言うとバレたら罪なのだ。
私は素直に「ごめんなさい」と言って頭を下げた。
「アリス様は格好いいですね。余計な人を傷つけないように、そうしていらっしゃるんですよね」
「……え?」
アリス様がぽかん、とした顔は、彼女が我に返るまでのしばらくの間、続いたのだった。
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ソフィアとアリス
転生の件をどう切り出すか考えている間に、アリス様とカタリナ様が仲良くなっていた。
「クラエス様? 昨日、食堂のデザートをAとB両方召し上がったとか」
「ええ。おばちゃんがいいよって言ってくれたので。それが何か?」
「デザートの数は生徒数から逆算しています。幾つも召し上がられては行き渡らない方が出るかもしれません。学園のスタッフには平民もおります。貴族としての強権を意図せず振るわないよう、気をつけなくてはならないと思いませんか?」
「う、で、でも一つくらいなら……」
「いいえ、三つです」
「うえ!?」
「AとBを二つずつ召し上がられたと、既に複数人から証言を得ています」
食堂のデザートの件でささやかな言い争いをしたり、
「クラエス様。一年生時に宿題をお忘れになった回数が十一回もあるそうですね」
「うええ!? 誰から聞いたの!?」
「先生方です」
「いえ、その。確かにそれくらい忘れたかもしれませんが……どうしてそんな細かくカウントされているんですか」
「評価に関わるのですからカウントするのは当然です。……ところで、ここに今年のデータもあるのですが」
「ひぃ!?」
宿題忘れの件でわいわいやってみたり、
「クラエス様。選択科目で剣術を取っていらっしゃるようですが、何故ですか?」
「え? 特にこれといった理由はありません。好きな科目を選んだのですが……まさか、また何か?」
「そのまさかです。歌もダンスも楽器演奏も絵画も、貴族令嬢に必要な教養科目が軒並み苦手だそうではありませんか。一つ二つでしたらともかく、全て苦手となれば、克服する方に重点を置いた方がいいと思います」
「ええー。でも、苦手な科目だと身が入らないのです。見逃していただけませんか、委員長」
「委員長ってなんですか!?」
授業の選択の仕方でがやがやしてみたり。
会話だけを抜きだすと、それこそ口うるさい委員長と勉強が苦手なやんちゃ少女といった感じで仲が良さそうには思えないかもしれないが――私には、カタリナ様もアリス様もとても楽しそうに見えた。
アリス様が小言を言うのは決まって生徒会室だ。
カタリナ様も、あれだけ色々言われながら平然と生徒会室にやってくる。うるさいことを言われないように逃げよう、という発想がない証拠だ。
なんだかんだ、カタリナ様もアリス様のことが気に入っているのだ。
そもそも、食堂のデザートとか宿題忘れとか、まるでスケールが小学校だ。
しかも全部事実。
ジオルド様のアリス様への評価が間違っていなかったことをまざまざと感じる。
わざわざ生徒会室でやっているあたり、アリス様もカタリナ様を追い落とすのではなく、素行を正すことに執心しているらしい。
キース様やジオルド様は「いい機会だから素行を叩き直してもらえばいい」とばかりに傍観の構えだし、メアリ様やマリアさんも、アリス様があまりにも堂々としているせいで何も言えないでいる。生活態度を指導してくれている人相手に「カタリナ様をいじめないでください!」とは言いづらいのだ。
それに、アリス様も注意したら注意しっぱなしではない。
「お菓子がたくさん食べたいのでしたら、個数制限のないフリーのデザートメニューからお選びください。そちらはむしろ、頼んでいただかないと用意が無駄になってしまうのですから」
「今日出た宿題が終わっていないのでしたら、勿体つけずに早く見せてくださいませ。終わり際に『実は終わっていない』などと泣きつかれて、あなたの部屋に教えに行くのはもう勘弁ですから」
「剣を嗜むのが悪いとは申しません。ですが、貴族令嬢が傭兵のような実践剣術を学ぶのは感心しません。それから、稽古の際は必ず稽古着に着替えてくださいませ。……どうしてもと仰るなら、私もご一緒いたしますから」
気恥ずかしそうに付け加えるのだから、カタリナ様に厳しくしているのか、それとも甘やかしているのかよくわからない。
なんだか、放っておいても大丈夫な気がしてきたが、メアリ様などは「このままではカタリナ様をアリス様に取られてしまいますわ!」と気炎を上げている。メアリ様、当初の目的とズレてきていないでしょうか……?
ともあれ。
私は一応、アリス様の真意を問いただすべく、彼女に面会依頼を出した。
◇ ◇ ◇
「ソフィア様から会いたい、と言ってくださるとは思いませんでした。今日も本のお話を?」
「いいえ、今日は別の用件がありまして……」
本の話がしたいのは山々だが、それはまたの機会にしよう。
「……そうですか? ソフィア様にでしたら、私のとっておきをお出ししようかと思ったのですが」
「っ。い、いえ、どうしても先に済ませたい用件ですので……」
とっておき? アリス様のとっておき? どんな本だろう。
うずうずが止まらなくなってきたが、ぐっと堪えて微笑む。
「アリス様。人払いをお願いできないでしょうか?」
「……でしたら、寝室に参りましょうか」
アリス様は微笑を真面目な表情に変えて答えた。
寮の寝室は窓が高めの位置にあり、かつ、人が通り抜けられない小さなサイズになっている。換気のための通風孔の多めに設置されているため、傍仕えや護衛なしでも危険が少ない。
私は了承し、互いに夜着+ちょっと上着だけの格好でアリス様の寝室へ移動した。
「それで、お話とは?」
「はい。……アリス様は、『FORTUNE・LOVER』という名前に心当たりがおありですね?」
「――!?」
アリス様が目を見開いた。
動揺を隠しきれないという様子の彼女は、それでも必死に平静を装い、こほんと咳払いをすると私をじっと睨みつけてくる。
「随分と直截な質問ですが……その名前をどこで?」
返答によっては権力で排除する、と言外に語る彼女に、私は、
「前世です。……私にも、日本で生きた前世の記憶があるのです」
「……まさか」
「私としても信じられませんわ。自分の記憶も、アリス様が私と同じであることも」
アリス様はしばらくの間黙り込んだ。
綺麗な青色の瞳はじっと伏せられた後、再び私を見つめてくる。
彼女の瞳に浮かんでいた色は、さっきの警戒の色から一転、同士を見つけた喜びに溢れていた。
「ソフィア様はれい……西暦何年頃に亡くなられたのですか? 『FORTUNE・LOVER』はどこまでプレイされましたか? 初期ハード版ですか? 2は? 移植で追加された百合ルートはプレイされました?」
2? 百合ルート? 初耳なのだが、私の死後も『FORTUNE・LOVER』には動きがあったらしい。
敦子ちゃんならきっと嬉々としてプレイしたことだろう。その感想を聞けなかったのは残念だ。彼女はきっと、素敵な笑顔で語ってくれただろうから。
そう、ちょうど目の前にいるアリス様のように。
「いえ、それが、私はプレイしていないのです。ノベライズは三巻くらいまで目を通したのですが……。私はゲームやアニメよりも本が好きだったので」
「勿体ない……。いえ、それよりも、原作ユーザーでないのによくノベライズに手を出されましたね?」
なんだろう。
貴族の言葉遣いを続けたままオタク会話をしていることに妙な違和感がある。
いや、まあ、カタリナ様やメアリ様とロマンス小説トークをしている時も大差ないのだが。
「その小説を書店で見かけた際、偶然に出会った友人がいまして。彼女の薦めで読んでみたのがきっかけでした」
「………」
「アリス様? どうされました?」
乙女ゲームのノベライズの棚に自力で辿り着いている時点で相当なオタクだよ、引くわー、とでも思われたのだろうか。
と、思ったら、アリス様はきらきらした金色の髪を指で弄りながら、濡れた瞳を私に向けてきた。
「……あの。ソフィア様? 前世のお名前をお伺いしても?」
「え? はい。本須麗乃です、けれど」
「麗乃先輩っ!!」
がばっとアリス様に押し倒された私は、アリス様のいい匂いで頭がいっぱいになった。
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メアリとアリス
最近、ソフィアとアリス様の仲が良すぎる。
私、メアリ・ハントは思わぬ展開に、何故なのかと首を捻らざるをえなかった。
例えば、生徒会室にて。
授業を終えてやってくるなり、アリス様はソフィアに寄っていって、
「ごきげんよう、ソフィア先輩」
心からの嬉しそうな笑みと朗らかな声。
「な、なんだか照れてしまいます」
かすかに頬を染めて微笑めば、ソフィアはソフィアでにこにこ笑って、
「アリス様は自然体が一番素敵ですわ」
「ま、まあ。ソフィア先輩。やめてくださいませ」
おかしい。
一体、何がどうしたというのか。
突然始めた「先輩」呼びを皮切りに、アリス様の態度が全体的におかしい。
「ごきげんよう、アリス様」
不審に思いつつ挨拶をすれば、アリス様も笑顔で返してくれるものの、
「ごきげんよう、
何故、ソフィアだけが「先輩」などと呼ばれているのか。
特定の相手だけ呼び名を変えるというのは、しばしば特別な関係に用いられる。
つまり――ソフィアに対し、アリス様は恋心を抱いているということ!*1
女性同士の禁断の恋。
胸が高鳴るのを感じると同時に、猛烈な憤りを覚える。大切なソフィアをアリス様に取られてしまうのは許せないと思った。*2
いや、まあ、一山いくらの貴族男性に取られるよりはずっとマシなのだが、そもそもアリス様はカタリナ様に手を出していたはず。*3
二股なんてはしたない真似を許すわけにはいかない。
私はアリス様に面会依頼を出すことにした。
◇ ◇ ◇
とはいえ、アリス様と二人っきりになるには最低でも夜まで待たなければならない。
私はもどかしさを抱えながら生徒会業務をこなしていく。
幸い、業務を始めてからはアリス様もソフィアとくっついたり、必要以上にお喋りをしたり、甘い声で囁いたりはしなかった。
ほっと胸を撫でおろしていると、生徒会室のドアが開いて、
「やっほー。みんなお疲れ様ー」
カタリナ様がいつも通り、見る者を和ませる素敵な笑顔と共にやってきた。
授業+業務による疲れが吹き飛んでいくのを感じていると、アリス様がカタリナ様へじっと視線を向けていることに気づいた。
はっとする。
まさかまた、何かしら理由をつけてカタリナ様を独占――もとい、カタリナ様と言い合いを始めるつもりなのだろうか。
見られていることに気づいたカタリナ様も警戒心を露わにしたようで、
「な、なんですか、アリス様?」
顔をかばうような仕草と共に言うのだが、
「クラエス様」
その日のアリス様はどこか様子が異なっていた。
カタリナ様をじっと真剣に見つめたまま、しばらく何も言わない。いつもならとっくに「〇〇を~~したそうですね!」が始まっている頃なのだが。
何気なくソフィアに視線をやれば、何故かいつも以上ににこにこして二人の様子を見守っている。何か知っているようだが、今の私には見当もつかない。
「クラエス様は木登りがお好きだそうですね」
と、ようやく紡がれた言葉は、いつもよりだいぶトーンの大人しい質問だった。
「へっ!? え、ええまあ、小さい頃はよく登りました。でも、最近は登っていませんよ。お母様やキースがうるさいですから」
「よく言うよ姉さん。夏休みに帰った時、『昔を思い出した』とか言って登ってたじゃないか」
「き、キース! 今は余計なこと言わなくていいのよ! またアリス様に怒られるじゃない!」
カタリナ様はキースを窘めるつもりで完全に尻尾を出している。
これはいつもの通り「貴族令嬢として……」とお説教が始まるコースだ、と思いきや、アリス様はくすりと笑って、
「そこまで慌てなくても、校則に『木に登ってはいけない』とは書かれていません」
「え? そ、そうなの? じゃあセーフなのかしら?」
「アリス様。この機会に加えていただいてもよろしいかと思いますが」
「だからキース! 余計なこと言わないで!」
「そうですね。『スカートで木に登らないこと』などと加えてもいいかもしれません」
キース様の冗談におっとりと返すアリス様。
と、二人のやり取りを聞いたマリアが「私も気をつけなくてはなりませんね……」と呟いたが、まさか、学園内で木に登ったことがあるのだろうか?
というか、いつものアリス様なら校則云々の前に貴族のあり方としてカタリナ様を叱りそうだが、
「あの、アリス様? カタリナ様はご自宅で木に登られていたそうですが……」
「ええ。ですが、まあ、ご自宅であればよろしいのではないでしょうか? 誰しも、自分の家では多少なりとも羽目を外すものですから」
これにはカタリナ様がぱっと目を輝かせて、
「アリス様! 私、きっとわかってくださると信じていました!」
「はい。あなたが仕方のない人だということはよくわかりました」
「? なんか棘があるような気もしますが、まあいいです! これからは仲良くしましょうね!」
「ええ、是非。もっとお話を聞かせてくださいませ」
これは、本当に、あのアリス・スティアート様なのだろうか?
「ジオルド様、ジオルド様。これは大丈夫なのですか?」
「ん……私としても、アリスのこの変わりようは謎ですが、まあ大丈夫ではないでしょうか。害になる様子もありませんし」
「ジオルド様がそう仰るならいいのですが……」
それからアリス様とカタリナ様は楽しそうに話をしていた。
朝なかなか起きられなくてメイドに起こしてもらっている話や、癖っ毛をメイドに梳かしてもらっている話や、朝食に遅刻してパンを咥えて教室に走った話などを聞いたアリス様はくすくすと笑い――何やらしきりに目元を擦っていた。
きっと、気づいていなかったのはカタリナ様だけだろう。
アリス様が笑いながら涙を流していたことに。
「本当に、
最後にそう言った彼女を見て、私は確信した。
この女は敵だ。
どんな犠牲を払ってでも排除しておかなければ、今後、もっと強大になって立ち塞がると。
◇ ◇ ◇
「それで、お話とはなんでしょうか。メアリ様?」
その夜。
アリス様は面会を承諾し、私を寝室に招いてくれた。
二人っきりで寝室に入るなど、本来であれば好いた方以外にすることではないのだが、密談に適しているのも事実なのでここは我慢しておく。
というか、アリス様は雰囲気が変わった気がする。
これまでは公正明大なお姫様――正しすぎて少々窮屈なのが玉に瑕、といった感じだったのだが、こうして相対した彼女はなんというか、もっと大らかな態度に見える。
カタリナ様が伝染ったのか。
なんというか、例えばマリアのような平民が王女様の役をこなしているような、そんな親しみやすさが生まれている。
「はい。単刀直入に言います。アリス様は、カタリナ様に何をなさるおつもりですか?」
「何を、ですか」
アリス様は何度か瞬きをしてから答えた。
「特に何も」
「嘘を仰らないでください」
鋭く追及するも、アリス様は動じなかった。
「嘘ではありません。少なくとも今の私にとっては」
「今の?」
「昨日の私であれば、答えは違ったということです」
やはり、心境の変化があったのか。
だとすると、その原因は。
「ソフィアから、何を聞いたのですか?」
「夢で見た物語ですわ、メアリ様」
夢? そのままの意味? いや、何かの比喩か?
首を捻るが、答えは出ない。
そんな私をアリス様は愛おしそうに見つめる。
「慌てなくても大丈夫です。私に、カタリナを独占するつもりはありません」
カタリナ、カタリナって。
年齢では下とはいえ、身分が上であるアリス様なら呼び捨てでも失礼とまでは言えないが。
私ができないことを易々と行ってくるあたりが腹立たしい。
と。
アリス様は胸に手を当てると、大切な宝物の話でもするように言った。
「私はカタリナが欲しいわけではありません。私の想いを明かすつもりもありません。ただ、彼女が思うまま、自由に生きて、長い人生を終えるのを、すぐ傍で見守りたいだけなのです」
彼女の発言を丸きり信じたわけではない。
それでも私は、その時のアリス様の表情を生涯忘れることができなくなった。
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ソフィアとアリス2
アリス様とカタリナ様は無事(?)、和解を遂げた。
いや、カタリナ様からしてみれば最初から喧嘩なんてしていなかったのだが。
アリス様が態度を軟化させたのは、カタリナ様に対する誤解が解けたからだ。
◇ ◇ ◇
二人が和解する前日の夜。
私達の話はこんな風に続いた。
「本当に麗乃先輩なんですか? 嘘とかじゃなくて?」
「こんな嘘、つこうと思ってもつけないよ」
昔の話し方に戻っているアリス様(in敦子ちゃん)をそっと受け止めながら、私もついつい麗乃時代の話し方で答えた。
「わたしもびっくりだよ。本当に、敦子ちゃんなの?」
「はい。先輩の後輩だった佐々木敦子です。元、ですけど」
「それを言ったら、わたしだって元、だよ」
私達は顔を見合わせあってくすくす笑った。
「先輩、どうして死んじゃったんですか」
ひとしきり笑ったあと。
細くて柔らかな手が私の頬を包み込んだ。
「死にたくて死んだんじゃないよ。突然ぐらってきて、周りの本と本棚に押しつぶされちゃったの。……そりゃ、死ぬときは本に埋もれて死にたいって思ってたけど」
「麗乃先輩らしい死に方すぎて、泣いたらいいのか笑ったらいいのか、わかりませんでした」
「ごめんね、迷惑かけて。みんな大変だったよね」
「はい。私達も、先輩のご両親も、お友達の方々も」
見てきた人からあらためて聞かされて、涙が出てくる。
再会の喜びとその他色々でひとしきり泣いた後、私達はそっと身体を離した。
気恥ずかしくてお互いの顔が見られない。
そわそわと視線を彷徨わせた後、こほんと咳払いして言った。
「
「いいえ。私は老衰なんです。ソフィア様――
敦子ちゃんはちゃんと天寿を全うできたのか。
良かったと胸を撫でおろしつつ、
「何十年って差があったはずですけれど、生まれたのはたったの一年差なのですね」
「そうですね……。何分、世界が違うわけですから、向こうの時間間隔が通用しないのかもしれません」
私達は身も蓋もない結論に達した。
◇ ◇ ◇
「まさか、こんな話になるとは思いませんでした」
ほっと一息ついたところでアリス様が微笑んだ。
「てっきり、クラエス様の件での抗議かと」
「そういうわけでは……」
言いかけて言葉を切る私。
「いえ。アリス様のご想像通りです」
「……と、いいますと?」
アリス様は表情を険しくした。
前世の件でより打ち解けはしたが、カタリナ様の件は別だということだろう。でも、私にとって二つの件は繋がっている。
私はアリス様の目を見返した。
「転生者はもう一人いるんです」
「……まさか、クラエス様がそうだと?」
「はい。その通りです」
さすがアリス様。
あれこれ言う前に言いたいことを察してくれた。
「根拠はあるのでしょうか」
そう問いかけながら、彼女は必死に頭を働かせているようだった。
自分の知識から、私の言った可能性がありえるかどうか検証しているのだ。
「カタリナ様ご自身から伺いました」
「クラエス様に『あなたは転生者ですか?』と尋ねたのですか?」
「いいえ。カタリナ様が自分から仰いました」
「詳しく話を尋ねましたか?」
「もちろんです」
私は、カタリナ様から聞いた限りの内容を話した。
日本で女子高生をしていたこと。
『FORTUNE・LOVER』のプレイヤーであったこと。成績はあまり良くなく、居眠りや遅刻はしょっちゅうであったこと。
木登りが得意だったこと。お兄さんが何人かいたこと。高校で知り合った友人の影響でオタク趣味にどっぷりと浸かったこと。
亡くなった原因は、ゲームに夢中になって寝不足、かつ遅刻しそうになり、きゅうりを齧って自転車を飛ばした結果、事故にあったせいであること――。
「それ、本当ですか麗乃先輩!?」
「え? う、うん、確かにそう聞いたけど……。ちなみに、これも私は誘導してないからね?」
「わかってます。麗乃先輩にはきゅうりの件まで話してませんから」
急に肩を掴んできたかと思えば、何やら凄い剣幕で問い詰めてきたアリス様。
興奮したような真っ赤な顔で「でも」とか「そんなことが」とか言っている彼女を見て、私は一つの予測を立てた。
「知っている人の特徴と一致していたのですか?」
「……はい」
宝くじの当選番号を何度も確認している人のような「まだ喜ぶのは早い」という顔で頷くアリス様。
「麗乃先輩にもよく話した子です」
「え、それって……もしかして、高校時代に亡くなったっていう、敦子ちゃんの……!?」
「はい。親友にそっくりです」
「そんなことが……」
今度は私が絶句する番だった。
「……ソフィア先輩。知っていることを全部教えてください」
「ええ。もちろんです」
私達はお互いの知識をすり合わせて確認した。
カタリナ様は『FORTUNE・LOVER2』の存在を知らないはずであること。
前世で「野猿」と呼ばれていたこと。
前世でも今世でも食い意地が張っていること。
思いつく限りの内容を照合した結果は、
「……間違いありません」
「……そうですね」
そもそも、きゅうりを齧りながら自転車を飛ばして事故に遭う日本の女子高生がそんなにたくさんいるわけがない。
トラックに撥ねられて転生する日本の男子高校生なら百人くらいは余裕でいるだろうが。
「アリス様。どうなさいますか?」
「確かめます」
尋ねると、アリス様は決然とした表情で答えた。
「クラエス様が『あの子』なのかどうか。私自身が見極めます」
「転生者であることをカタリナ様に明かすのですか?」
できればカタリナ様を煩わせたくない私は、複雑な気持ちになった。
まあ、そう言う私自身が「転生者である」とカタリナ様に明かしているのだが、当のカタリナ様は全く信じてくれていない。
でも、『FORTUNE・LOVER2』の存在を知るアリス様が話せばまた別だろう。
そうなった時、カタリナ様はどういう反応をするのか。
「ご心配なく。ソフィア先輩」
アリス様は、そんな私に向かって微笑んだ。
「クラエス様があの子かどうかは『それとなく』確かめるつもりです。正体がバレるような真似はいたしません」
「……よろしいのですか?」
「ええ。あの子は、この世界でもたくさんの友人達に囲まれているのでしょう?」
その通りだ。
カタリナ様にはたくさんの友人がいる。……私も、その一人を名乗っていい立場だろうと思っている。
「私が願えば、あの子はきっと私を優先してくれます。でも、それは『今のあの子』を『昔の縁』で縛り付けることになります」
「……アリス様」
言っていることはわかる。
でも、そこまで献身的にならなくてもいいとも思う。
でも、アリス様は首を振って、
「私は、あの子のお陰で前回の生を全うすることができました。佐々木敦子に残された後悔はあの子と、麗乃先輩のことだけだったんです」
「っ」
「私は見届けたい。あの子が笑って生きて、笑って死ぬのを。一友人として、最後まで見届けたいんです」
彼女の想いは、とても強く伝わってきた。
私は思わずアリス様を抱きしめていた。
「……ソフィア先輩」
「ご一緒してもいいですか?」
「え?」
「私も、アリス様にお付き合いします。私にとってもカタリナ様は、そして前世の『彼女』は恩人です。だから、お付き合いさせてください」
アリス様の腕が、応えるようにぎゅっと私の身体に回された。
「はい。喜んで」
そして、翌日。
アリス様は宣言通り、カタリナ様に幾つかの質問を行い――カタリナ様が亡くなった旧友である確信を得た。
必死に涙を拭う仕草は他の生徒会メンバーにもバレバレだっただろうが、みんな、指摘しないでくれていた。アリス様の変化を見て何かを感じてくれたのだと思う。
ただ。
「……またライバルが増えましたわ」
炎を燃やすメアリ様以下、「それはそれとして」恋敵になるならたとえ王族であろうと排除する構えの皆様は、なんというか逞しいと思った。
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3巻相当分?
学園祭に向けて
「そろそろ、一年生の皆さんも業務に慣れてきたことでしょう」
その日の生徒会では、メンバー全員を集めて会議が開かれた。
「そこで、いよいよ学園祭の運営について詳しい話を始めます」
「おおー」
一年生を中心に小さな歓声が上がる中、一番感心していたのはカタリナ様だった。
彼女の前にはお菓子の皿があり、クッキーやチョコレートがこんもり盛られている。マリアさんお手製の品のほか、みんなで持ち寄ったお菓子、差し入れで頂いたお菓子などの盛り合わせだ。
会議だからと除け者にするのは心苦しいけれど、意見を求めるのも心苦しい、ということで、単に見物してもらうことになったのだ。
議長は当然ジオルド様。
アリス様が書記として黒板にチョークを走らせる。
「お兄様――いえ、会長や先輩方は、ある程度のお話し合いを済ませていらっしゃるのですよね?」
「概要を説明し、各自、案を温めておくよう通達した程度ですが」
この魔法学園では二年に一回、学園祭が開かれている。
二年制の学校なので、今在籍している生徒にとっては初めてのイベントだ。『FORTUNE・LOVER』の物語は一年時で終わっているので、ゲーム内でも描かれていないことになる。
学校を舞台にしたゲームで、設定上も存在するイベントなのに作中で描かないなんて、と、アリス様から聞かされた時は驚いたものだ。
「引継ぎの面から見ても、非効率的な仕組みですわよね」
メアリ様が眉を寄せて呟けば、アラン様が面倒臭そうに「狙ってやっているらしいぞ」と言った。
これにはキース様が首を傾げる。
「どういうことですか?」
「魔法学園に入学するのは基本、貴族だ。そして、生徒会を運営するのは上位の連中になる。つまり生徒会と学園祭は『国政の練習』なんだよ」
「国政……そうか!」
ジオルド様が頷いて、
「もちろん、規模がまるで違いますが――自分達の責任において予算を動かし、運営しなければならないという点においては似通っています。開催を二年に一度とし、敢えて引き継ぎを行いづらくしているのは『独自色を取り入れろ』というメッセージなのですよ」
「慣習や前例をなぞるだけの国政など必要ない。チャンスが平等に訪れるとも限らない。時流を見極め、挑戦し、成功してみせよ……と、いうことですね」
「さすが、マリアは博識ですね」
「そ、そんなことは……」
恐縮するマリアさんの姿に空気が和んだ。
しかし、そう考えると、今回の学園祭にはプレッシャーがかかる。王族が三人も含まれている上、アリス様という「例外中の例外」まで含まれているのだから。
当日は来賓として多くの人が訪れる。
中には学園の出身者も当然含まれるのだから、先達に見せて恥ずかしくないものにしなければならない。
「まあ、と言っても、去年の卒業生に連絡しようと思えば簡単にできるのですが」
「おいジオルド。台無しだぞ」
「一つのやり方に固執するな、ということですよ。今生徒会が武器にできるとすれば、それは『多様性』でしょう?」
男女のバランスもいいし、身分の幅もこれでもかと広い。
ジオルド様は、どこか挑戦的な笑みを浮かべて。
「先に宣言します。この学園祭、必ず成功させます。そのために皆さんの力を貸してください」
「おう!」
もちろん、私達にも否はなかった。
◇ ◇ ◇
「研究発表に、作品の展示・販売。魔法の実演披露に、生徒会劇……。盛りだくさんですね」
ティーカップを両手で支えながら、私はほっと息を吐いた。
さすがに皆さんやる気満々で、会議は白熱した。そのせいで遅くなってしまい、夕食の時間に遅れそうになったくらいだ。
部屋の主であるアリス様はテーブルの向かいで微笑む。
夜のお茶会は、あれ以来、私達の密かな楽しみになりつつある。
「生徒会劇だなんて……百合の花が咲きそうですわね」
「?」
「あっ……。あの作品は麗乃先輩が亡くなった後でしたね。申し訳ありません」
恋がわからない生徒会長(女性)と、恋がわからない後輩役員(女性)の恋物語らしい。
私は「お気になさらないでください」と微笑んで、今度詳しく教えてもらえるようアリス様にお願いした。
「でも、アリス様にとっては昔の作品ですのに……よく覚えていらっしゃいますね?」
「百合作品の歴史に残る名作ですもの。電子書籍の発達で、古い作品の入手も容易ですし」
「うう、羨ましいです……」
手に入らないせいで読めない本がある、というのはとてももどかしいのだ。
「あら、ソフィア先輩はてっきり紙の本の方がお好きかと思いました」
「もちろん、紙の本は大好きです。重みも、匂いも、手触りも、一枚一枚ページをめくる感覚も――全部、愛おしくてたまりません」
「さ、さすがソフィア様。私より一枚も二枚も上手ですね」
アリス様にドン引きされてしまった。
私の時代もスマホやタブレットがかなり普及しだしていたが、ハイテク時代を生き抜いたアリス様とは感覚が違うのだろう。
「でも、独自色を出すという割には無難な内容ですよね?」
「独自性がないと文句を言う輩もいれば、伝統を重んじていないと文句を言う層もいるのですよ」
「……なるほど」
研究発表や魔法披露はこの魔法学園に欠かせないものだ。
魔法について学ぶための機関である以上、それを研究し、成果を発表する場は必要になる。
そういう意味では高校より大学に近いかもしれない。
「生徒会劇がありますし、他にも有志の催しがありますから、独自色は十分に出るのではないでしょうか」
「さすがアリス様。よくご存知なのですね」
「……一応、王女として教養を身に着けさせられましたので」
アリス様は照れながら笑った。
「ゆ、有志といえば、ソフィア先輩も出店なさるのでしょう?」
「そうですね。料理店の出店を許可していただきました」
学園祭に出店するには最低でも、貴族が利用するに値するだけの「格」が必要になる。
街の料理屋がぽっと出で出店するのは難しいが、うちの店はアスカルト家のプロデュースだし、私の知り合いを中心に貴族の利用者もいる。
ポテチなど、貴族に広まりつつある料理の火付け役でもあるのだから、それなりの箔づけはできていた。
「お陰で、カタリナ様からは料理のリクエストをいただいてしまいました」
「まあ。どんなお料理を用意するのですか?」
「どうやら、カタリナ様は日本の『お祭り』をイメージされているようでして……」
お好み焼きに焼きそば、たこ焼き、などの名前を挙げていた。
なので、屋台っぽいものを考えるつもりだ。
「ふふっ。カタリナらしいですね」
さすが、前世の親友であるアリス様は全く動じない。
くすくすと楽しそうに笑って喜んでいる。
「そうだ。アリス様にも手伝っていただけませんか? 私の知らないレシピや、食材の入手ルートをご存知でしょうし」
「あっ。はいっ。もちろんです。ソフィア先輩とお店づくりなんて楽しそうです!」
私達はそれからもわいわいと、相談という名のお喋りに興じた。
「……そういえば、ソフィア先輩。この間、お見せしようと思っていたものなのですが、見ていただけますか?」
「はい、もちろんです。確か、珍しい本でしたよね?」
「ええと、正確に言うと『本』ではないのですが……物語であるのは間違いありません」
「?」
私は首を傾げつつ、アリス様の取り出したものを受け取って――。
「あ、あの、できればお部屋で読んでくださいませ。恥ずかしいので」
「??」
言われた通りに部屋に帰って読んでから、言われた意味を理解した。
「アリス様、劇の台本を書きませんか?」
そして、後日、私はアリス様にそう提案した。
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学園祭に向けて2
「ど、どうして急にそんなことを仰るのですか?」
「え? それはもちろん、アリス様が書く方もお好きだとわかっ――もがもがっ」
「ソフィア先輩、それ駄目です、声が大きいです!」
殆ど敦子ちゃんに戻りながら、アリス様は私の口を塞いできた。
「だ、誰にも聞かれてませんね?」
授業直後でがらんとした生徒会室。
私達以外の人はまだ来ていない。
「そこまでお気になさらなくとも……」
「気にします! もう、麗乃先輩は自分で書いたことがないからそんなことが言えるんです!」
「あ、アリス様、完全に素が出ています」
「あっ……。もう、ソフィア先輩がひどいこと言うからですよ?」
いけない、と表情を戻したアリス様に可愛らしく睨まれる。
「申し訳ありません。……やっぱり、お恥ずかしいのですか?」
「そうですね。できれば、そのお話は二人っきりの時に」
「かしこまりました」
なんとなくひそひそ声で話を纏めていると、
「あの、何かあったのですか……?」
「「っ!?」」
やってきたマリアさんに声をかけられて、二人してびくっと身を震わせた。
「いいえ、なんでもありません。そうですよね、ソフィア先輩?」
「え、ええ。もちろんです」
「? なら、良いのですが……」
マリアさんは不思議そうな顔をで首を傾げていた。
◇ ◇ ◇
「ねえ、ソフィア?」
会計書類の確かめ算に熱中していると、耳元で声。
顔を上げる。
目の覚めるようなメアリ様の美貌がすぐ近くにあった。
「このところ、アリス様にかかりきりじゃないかしら?」
咎めるような目。
答えようと口を開くと「静かに」と人差し指を立てられる。
今のところ、誰もこっちを気にしていない。
「そろそろ私のことも構ってくださいな」
そういうのはカタリナ様にして欲しい。
ちょっと拗ねたように、甘えるように囁かれたら、同性だとわかっていてもどきどきしてしまう。
ただでさえメアリ様は綺麗で、品があって、スタイルも良い素敵な女性なのだ。
……ちなみに、スタイルの良さで序列を付けるなら、カタリナ様≧メアリ様>マリアさん≧アリス様>私の順だ。
胸の大きさで言うとメアリ様の方がカタリナ様より大きいのだが、カタリナ様は身長が高めで全体のバランスが素晴らしい。
この国では背の高い女性は好まれない傾向が強いので、男性からの平均評価ではメアリ様が上かもしれない。
なお、私とアリス様の間には『越えられない壁』がある。
「ええと……では、こうしましょう」
「え?」
右手を持ち上げてメアリ様の手を取る。
指だけで握手するような姿勢を取ったら、親指を伸ばす。
「これは、なんですの?」
指相撲です、と言いかけて、相撲じゃわからないだろうと気づく。
「こうやって、自分の親指で相手の親指を三秒間、押さえた方が勝ちになる遊びなんです」
代わりに遊び方を説明しつつ、メアリ様の親指を押さえる。
「んっ、くすぐったい……。でも、ルールはわかりましたわ」
笑みを浮かべたメアリ様は、すぐさま果敢に攻めかかってくる。
伸ばされる親指を私はさっとかわして、
「手を離すのはルール違反ですから、気をつけてくださいね」
「わかりましたわ。……っと、隙あり!」
「わっ」
鋭い攻撃。
脇を滑るようになんとかかわして、逆に攻めに転じる。
「えいっ」
「っ。やりますわね、ソフィア。ならば、こうですわっ」
「う、メアリ様、お上手です……。でも、これならっ」
「ああっ、そこ、駄目ですわっ、この、お返しっ」
「んっ。ひどいです、私の弱いところばっかり……!」
「ふふふ。ソフィアがぼうっとしているのが悪いんですわ。さあ、私の指で果てなさい」
「わ、私だって負けませんっ」
こほん。
「―――」
「―――」
「ソフィア。メアリ。何をしているのですか?」
ジオルド様の氷の微笑が炸裂していた。
気づけば、生徒会室にいた全員の視線が私とメアリ様に集まっている。心なしか顔の赤い人がちらほら。特にキース様とアラン様。それからアリス様は口元に手を当てて、目を爛々と輝かせている。
カタリナ様だけは頬を膨らませて、
「二人とも、こっそり指相撲で遊んでるなんてずるい! ね、私も混ぜて! そうだ、みんなで指相撲大会しましょうよ!」
「ね、姉さん、何馬鹿なこと言ってるの!? っていうか指ズモウって何!?」
「お、お前ら! そういうことは自分達の部屋でやれ!」
二人して反省して「仕事中に遊んでごめんなさい」と謝った。
でも、変なことをしていたわけでもないのに「部屋でやれ」は言いすぎではないだろうか。
◇ ◇ ◇
「会話だけを抜きだすと妙にいやらしいやりとり……。そういうのもありましたね。こちらの貴族語を用いた独自のネタを作れば面白いかもしれません」
「アリス様はそういった方面にもお強いのですね」
実際にやっていることは健全でも、十八禁扱いされて発禁になりそうだが。
というか、作者が王女様だと知れたらひどい事になる気がする。
「出産を経験すると女は強くなるのですよ」
「や、やっぱり痛いのですか?」
「それはもう。あっちは医療もかなり発達していましたが、それでも産むたびに『これで最後にしよう』って思いました」
「私、やっぱり結婚しなくていいかもしれません……」
子供を産まない、産めない正妻なんて貴族社会では許されない。
側室なら別だが、古来より「正妻じゃなくて側室が先に男子を産んじゃった」なんて話はたくさんある。
「あれはあれで、終わってしまえばいい思い出になると思いますよ」
「でも、痛いのは嫌です……」
「ふふっ。ソフィア先輩は本当に可愛いですね」
こっちでも私が先輩だというのに、アリス様は完全に大人の風格を漂わせている。
「そ、そんなことより作品のお話をしましょう。アリス様、これ、とても面白かったです」
「そ、そうですか? ……良かった」
白紙の本(日記・写本用として低価格で販売されている)に綴られていたのは、アリス様が自ら作った物語だった。
ファンタジー世界で、本の手に入らない平民に転生した本好きの少女が、本を読むために自作を始める……というのが大まかな内容。
主人公の少女は何度も失敗をするが、それでも諦めずに挑戦して、少しずつ前進していく。
「主人公に思わず共感してしまいました。読書をする人には必ず刺さる題材で、思わず『ずるい!』と叫んでしまったくらいです」
「……そうですか」
私が返却した本を抱きしめて、アリス様は微笑んだ。
「そう言っていただけて、良かったです」
「………」
幸せそうな、何かを懐かしむようなその笑顔を見て、ふと閃く。
「もしかして、この主人公のモデルって……」
「はい。麗乃先輩です」
「……そっか」
「
「ありがとうございます、アリス様」
どんな世界に行っても、私は本を読むことを諦めない。
彼女はそんなにも私を信じ、大切に思ってくれていたのだ。
「カタリナ様がモデルの物語もあるのですか?」
「ええ。……といっても、あの子に見せるつもりはありませんが」
「え? どうしてですか?」
「だって、恥ずかしいでしょう?」
それはわかるが、だからといって、見せないのは勿体ない。
正体を明かさないとしても、きっと、込められた想いが読む人の心を打つだろうから。
私は少し考えて、アリス様に言った。
「では、こうしませんか。アリス様」
「?」
「劇の台本を書くんです。カタリナ様が主演で」
「え……」
しばしの沈黙の後、アリス様の目が大きく見開かれた。
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学園祭に向けて3
今日はどんなお菓子があるのかしら。
教室での友達とのお喋りを終えた私――カタリナ・クラエスは、うきうきしながら生徒会室に向かっていた。
私の放課後の過ごし方は、自分の畑を耕すか、生徒会室に行ってお菓子とお茶を楽しむかのどちらかが多い。二年生になってアリス・スティアート様という新しいお友達ができて以来、差し入れのバリエーションがさらに増えてほくほくだ。
マリアちゃんの手作りお菓子も美味しいし、メアリが買ってきてくれるお菓子はどれも絶品だし、ソフィアもお店のお菓子を時々差し入れてくれる。もちろん、ジオルド様やアラン様、キースもだ。
勉強でわからないところがあれば、誰かしらが教えてくれるし、生徒会はとても温かくて、本当にいいところだ。
「こんにちはー」
こうやってドアを開ければ、みんなが笑顔で出迎えてくれ――。
「おや、カタリナ」
「カタリナ様」
「カタリナ様……」
「ん?」
なんか、みんなの反応がいつもと違う。
メアリとソフィアが意味ありげに視線を交わし合ったかと思えば、ジオルド様とアリス様が「ちょうどいいところに」と笑顔を浮かべる。
なんだろう。二人の笑顔が心なしか怖いんだけど。
「な、なにかあったの?」
いつも通りに見えるマリアに尋ねると、彼女は「いいえ、大したことではありません」とおっとり首を振った。
「学園祭で行う劇のお話をしていまして」
「ああ、あれね。みんなも大変よねー。忙しい中、時間を割いて演劇だなんて」
生徒会のメンバーは美男美女揃いだから、劇をやればとても絵になるだろう。男女問わず生徒達から歓声が飛ぶこと間違いなしだ。
でも、私だったらみんなの前で演劇なんて絶対無理――。
「はい。それで、アリス様とソフィア様から提案がありまして……」
「ふうん。どんな提案?」
その二人なら、劇の題材にぴったりな物語を見つけた、とかだろうか。
どんな小説だろう。
ロマンス小説だったら、私も結構読んでいるから知っているやつかもしれない。
と、ジオルド様が爽やかに笑って、
「アリスがオリジナルの台本を書いてもいい、と言ってくれているんですよ」
「え!? アリス様が!?」
びっくりだ。
「素敵じゃないですか! 是非書いてくださいな、アリス様!」
予想とは違っていたが、予想していた以上に楽しそうだ。
アリス様のオリジナル台本。
いったいどんな話になるのか楽しみだ。当日は絶対見に行きたい。
「ありがとうございます、カタリナ」
愛らしい笑顔を浮かべるアリス様。
その可愛らしさに思わず見惚れていると、彼女は困ったように首を傾げて、
「ですが、台本を書くにあたって、カタリナに一つお願いしたいことがあるのです」
「お願いですか?」
「はい。どうしても必要なことなのです」
ふーん、劇の台本に必要なこと……なんだろう? よくわからないけれど、私にしかできないことなんだろう。取材として畑を耕してみたいとかかな?
「いいですよ。私にできることならなんでも言ってください」
「あ」
「あ」
「ん?」
キースとアラン様が「あーあ」と額に手を当てる。
何だというのだろう。二人して「この馬鹿」みたいな反応してくれちゃって。
ほら、アリス様のこの天使のような笑顔を少しは見習って、
「さすがはカタリナです。では、劇の主演を引き受けてもらえますか?」
「……は?」
ぴしっ、と。
私は音を立ててその場に硬直した。
◇ ◇ ◇
案の定、カタリナ様はとても驚いた。
「無理よ無理! 私に劇なんて、しかも主役なんて!」
硬直から復帰するなりそう言ってぶんぶんと首を振る。
よほど嫌なのか、まさに必死といった様子だ。
でも、ジオルド様もアリス様も引き下がる気はなさそうだった。
兄妹なのだと良くわかる笑顔を浮かべて、カタリナ様に言う。
「あれ? カタリナ、君はさっきなんて言いましたか?」
「カタリナ。私のお願い、聞いてくれないのですか?」
うん、二人とも完全に面白がっている。
アリス様、カタリナ様を主演にしようと提案した時は渋っていたのに。
『で、でも。あの子に申し訳ないですし』
『まずは、カタリナ様に意志を確認してみましょう。その上でオーケーしてくださるなら構いませんよね?』
『そ、それはそうですけど』
『アリス様も、カタリナ様が主役の方が筆が進みますよね?』
こんな感じで説得したら了承してくれた。
なので、本人はそこまで乗り気じゃなかったはずなんだけど、内心、カタリナ様が主役をやるところを見たかったのかもしれない。
別にカタリナ様を陥れようとか、ミスをする姿を見て笑おうとかそういうわけでもない。
困り果てたカタリナ様を見るのが楽しくて仕方ないという、ちょっと困った意地悪が始まっているだけで、いたって平和な友達同士のじゃれ合いだ。
「カタリナ様! 私も、カタリナ様の主役、見てみたいです!」
「あ、ずるいですわソフィア。私も、私も見たいです、カタリナ様!」
「皆さん、無理を言っては……。ま、まあ、姉さんがやってくれるって言うなら、僕も見て見たいけど」
「お前にまともな主役が務まるとは思えんが、華はあるからな。黙って立っているだけでも客は呼べるんじゃないか?」
「わ、私も、個人の意見を言わせていただければ……カタリナ様の晴れ姿を拝見したいと……」
乗り気でなかったキース様やアラン様も本音のところは同じだ。
みんなからの熱い想いを受けたカタリナ様は「うっ」と呻くと、逃げるように視線を彷徨わせる。
「で、でも、本当に無理よ。ロマンス小説とかの物語本以外を読んでいると頭が痛くなってくるし」
「劇の台本ですから難しいお話にはなりません」
「そ、それはそうだけど……本当に台詞が覚えられないのよ?」
「台詞は極力少なくしますし、カンペを出しますから覚える必要はありません」
「え? そこまでしてくれるの? で、でも恥ずかしいし……」
アリス様の押せ押せペースにだんだん呑まれていくカタリナ様。
「……みんなで劇をやったらとても楽しいと思うのですが」
「う」
「カタリナは、学園で私たちとの思い出を作るのは嫌ですか?」
「ううう」
前世で、私は敦子ちゃんから「親友のいない学園祭」の話を聞いたことがある。
彼女達のクラスではミュージカルをやったらしい。
『あの子がいたら、一緒にできたのかなって思うと……』
その時の代わりになるかはわからないが、楽しい学園祭の思い出は、誰にとってもかけがえのないものになるはずだ。
まあ、
「わ、わかった! わかりました! 主役を引き受けます! その代わり、みんなで絶対、いい劇にしましょうね?」
そして、カタリナ様はいつだってカタリナ様だ。
腹をくくってしまえばもう「劇なんて無理だ」という考えは捨て去ったのか、最高の笑顔と共にアリス様へ、そして私たちに宣言してくれる。
アラン様が(ツンデレ風に)言っていた通り、そこにいるだけで人を惹きつけるカタリナ様が主役なら、きっと素晴らしい劇になることだろう。
「アリス様。劇は学園祭中に二度上演するというのはどうでしょう? 二度目の上演では私が主役をやりますので……」
アリス様に変な提案を始めているメアリ様を見つめながら、私はくすりと笑った。
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番外編:ソフィア様の商品開発会議
その日、私は朝からそわそわしていた。
ソフィア様から呼び出しを受けていたからだ。
馴染みの相手――私達の可愛いソフィア様とはいえ、貴族であることには違いない。あらたまっての呼び出しとなれば、それなりには緊張してしまう。
余所行き用の良い服を準備し、髪や化粧も整えて、昼過ぎ、空腹が限界に近づいた頃、約束の場所に到着する。
すっかり馴染みになった料理店。
表には「商品開発のため本日休業」と表示が出ている。
一般客は利用できないが、私は招待されているので問題ない。
そう考えると少し優越感があった。
軽快な音と共にドアを開けて、中に入る。
「こんにち……は?」
店内は、普段とは少し違っていた。
テーブルは等間隔に点在していて、メニューの類は置かれていない。
椅子はすべて壁際に並べられている。
メイドの衣装を纏った給仕の姿がいつもより多く、そして何より、人目を惹くドレス姿の少女が存在していた。
「あ、いらっしゃいませ!」
百合の花のような声(我ながら意味不明な形容だ)。
「本日はお越しいただきありがとうございます」
「そんな……とんでもないです」
ゆったりと歩み寄ってきて、カーテシーを見せてくれるソフィア様。
真っ赤になって手を振りながら「この光景は覚えておこう」と心に誓った。
「本日はどれだけ食べても無料ですので、是非、楽しんでいってくださいね」
「ありがとうございます。どんなものがいただけるのか、楽しみです」
応えつつ、私は周囲を見渡して、
「ところで……今日は他に、どのような方が来られるのですか?」
今のところ、店内にはスタッフ以外の姿がない。
「基本的には内向きの会なので、外部の方はほとんどお呼びしていないのです。なので、お店の関係者以外の方で他に来られるのはお兄様だけですわ」
「お」
お兄様、と仰いましたか。
頬がひくっと引きつる。私が戦慄を覚えるのと同時に店のドアが開いて――ソフィア様とは別の方向性に整った容姿を持つ、一人の青年が姿を現した。
ソフィア様の兄、ニコル・アスカルト。
私とは何度か顔を合わせているため、目が合うと軽く会釈をしてくれる。
――あ、これ。私、今日死ぬかも。
私は、男性にはあまり興味がない。
恋愛に現を抜かしていては物語を書く時間がなくなるからだ。だが、ニコル様はその程度の防御であればいともあっさりと貫通してくるだけの攻撃力を持っている。
あらためて気を引き締めようと、私は肝に銘じた。
◇ ◇ ◇
とはいえ、今日の目的はお喋りではない。
魔法学園の学園祭へ出店するにあたっての、新メニュー開発が主題だ。
「ソフィア。図書館はいいのか?」
「お兄様ったら。他のお仕事があるのに図書館へ向かうほど無責任ではありませんわ」
「責任感は信頼しているさ。ただ、ソフィアは本のことになると他のことを忘れかねないからな」
「それは……その通りですけれど」
学園祭には大人の貴族も多く訪れる。
彼らのお眼鏡に適うメニューを作れるかどうか、私達の意見が大きく左右することになる。責任は重大だ。
「で、では。お客様も揃いましたので、新メニュー開発のための試食会を始めたいと思います」
会にあたっては、料理店およびソフィア様の方で幾つかの料理を試作している。
その料理を私やニコル様を含めた全員で試食して、感想を言い合うというわけだ。
◇ ◇ ◇
【試作メニュー1 焼きパスタ】
最初の品は平らなお皿に盛られたパスタだった。
パスタの種類は最もポピュラーな細く長いもの。ただし、見た目が少し違う。ソースを絡めているから、という理由ばかりではなく、これは。
「焼いてある……?」
「はい。最初の一品は『焼きパスタ』です」
馴染みの給仕が、手にしたメモを元に読み上げる。
公正な評価ができるよう、誰が開発したメニューかわからないようになっているらしい。
こういった配慮はさすが、いい意味で貴族らしくないところのあるソフィア様だ。
「硬めに茹でたパスタを敢えて焼き、甘辛いソースに絡めてあります」
また面白いことを考えたものだ。
具材はタマネギ、ニラ。
フォークに一口分を絡めて食べると、言っていた通り甘辛い味が口の中に広がった。肉料理の味付けに近いだろうか。酒が欲しくなる味だ。この料理ならワインよりもエールだろうか。
「これだけで食べるには少し味が濃いですね」
「酒と一緒に販売するには良いですが……学園祭向け、とはいえないかもしれません」
「女性はもちろん、貴族男性も匂いを気にされる方は多いですから、ニラを使うのは受けが悪いのではないかと」
私としては結構好みだが、外よりは家で食べたい味だった。
出された意見は書記の係が逐一メモしていく。
【試作メニュー2 お好み焼き】
「次の品は『お好み焼き』です」
出てきたのはいびつな丸型をした焼き料理だった。
表面はこんがりと焼き目がついているが、内側の層は生地の色が見えている。
表面にはソースが塗られていて、更にマヨネーズがかかっている。
「これは……ケーキか何かでしょうか?」
「いいえ。これは主食と主菜を合わせた料理です」
パンに主菜を挟む、という発想はもともとある。
貴族階級でもサンドイッチなどは好まれているし、平民層などはもっと豪快にウインナーなどを挟むこともある。
ただ、これは、なんというか、パンケーキの生地に具材を混ぜて焼いてみました、といった感じで……デザートとメインを合わせてしまったような、危険な匂いを感じる。
「具材は豚肉、キャベツ、ネギです」
「と、とりあえず食べてみましょうか……」
警戒している表情の人が多い中、恐る恐る口に運ぶ。
と……驚いた。生地が甘くない。いや、小麦の甘みは感じるものの、デザートの甘味ではない。むしろ柔らかいパンのようなもの、と考えた方がいいのかもしれない。
更に肉、野菜の食感。
塗られていたソースは先の焼きパスタのものに似ていた。だが、これがマヨネーズと奇跡的に合う。それでも一味か二味、足りないような気もするが。
美味しい。
これも、合わせるならエールだろう。
「食べてみると意外に美味しいですが……見た目が……」
「彩りがないので貴族には好まれないかもしれません」
「下町の屋台で売っていれば、値段次第にはなりますが毎日のように通いたいですね」
【試作メニュー3 アスカルト焼き・改】
「あ、アスカルト焼きだ」
皿に載せられた甘いお菓子を見て、私は歓声を上げた。
アスカルト焼きは私の好物の一つだ。
デザートとしても美味しいし、お腹に溜まるので軽食にもなる。
今回のものは胴体の半分ほどが紙に包まれているが――それが「改」の所以なのだろうか?
「こちらは既にお店で出しているメニューですが、中身が更に改良されています」
紙に包まれているのは持ち歩きのための工夫だが、改良ではないらしい。
ならさっそく、と、ナイフやフォークではなく手で持ってぱくりと齧ると――なんと、柔らかいが、ごろっとした固形のものが入っている。
甘いこれは、芋?
「芋のあんに、甘く煮た固形の芋を混ぜ込んであります」
なるほど。
もともと好物だというのもあるが……これは、うん、文句なく美味しい。むしろ、アスカルト焼きは元の形でも完成していたので、これは「更なる改良点を無理矢理絞り出した」、百点を百二十点にしようとした感があるくらいだ。
「独特ですが、見た目も可愛らしいですね」
「他にはないお菓子なので人目を惹くと思います」
「強いて言えば、甘味は競合が多いのが難点、でしょうか」
幾つかの懸念点は出たものの、他の人にも概ね好評だった。
さすがはアスカルト焼きだ。
「では、しばらく休憩の時間とします。その後、第二部に移ります」
この分だとあと三つは出てきそうだ。
お腹を空かせてきて正解だった、と思いながらふと視線を向けると、ソフィア様とニコル様が並んでアスカルト焼きを頬張っていた。
ニコル様はソフィア様と一緒だと雰囲気が柔らかくなる気がする。
……兄妹を主人公に、百合の理念を取り込んだ物語はどうだろう。
二人の魅力に悶え死ぬと思っていた危機感はどこへやら、脇役に徹することにした私は、しばらくの間、美貌の兄妹の観察を続けたのだった。
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乙女とジャンクフード
「アリス様。ちゃんと睡眠をとっていらっしゃいますか? このところ顔色が良くありませんが……」
ここ数日、アリス様と夜の時間が取れていない。
生徒会劇の台本に集中していただくためだ。
アリス様としても気合いが入っているようで、毎日遅くまで執筆に励んでいるようなのだが――そのせいか、体調が悪そうだ。
しかし、見かねて尋ねてみても微笑んで、
「ご心配いただいてありがとうござます。でも、大丈夫です。あともう少しで完成なのです」
「昨日もそう仰っていましたよね?」
「ええ、まあ。書きたいことができて、頭から書き直していたので」
答えるアリス様は目だけが異様にきらきらしている。
王女様として最低限の身だしなみは整えている――決して、前世の私のように髪を適当にまとめただけ、お化粧はせず顔を洗っただけ、なんて有様ではないが、普段よりもクオリティが落ちている時点で「日常生活が負担になっている」という証拠だ。
焦っている、というのもあるかもしれない。
劇の台本である以上、書いて終わりではない。
みんなに配って練習するのが本番なのだから、完成するのは早ければ早いほど良い。
同時に、楽しくて楽しくて仕方ないから、なんとか期限までに「できるだけ良いものを」完成させようとしている。
私は深く頷くと、アリス様に言った。
「わかりました」
「わかっていただけましたか。ご安心ください。なるべくお待たせせずに仕上げますので」
「はい。アリス様に何を言っても無駄だということがわかりました」
「え?」
「今日の夜はお部屋に参りますので、そのつもりでいてくださいませ」
「えええ?」
戸惑いの声を上げたアリス様は、生徒会室にいた他のメンバーに視線を向ける。
――どなたか、ソフィア先輩の暴走を止めてください。
そんなメッセージを受け取った皆さんは、
「頼みましたよソフィア。アリスの体調をもう少し戻してやってください」
「お前は普段から頑張り過ぎなんだよ。もっと肩の力を抜け。いいか、人間ってのは力量以上のことをやろうとしても上手くいかないもので――」
「どうしてですか」
どうしても何も、みんなアリス様のことが心配だからに決まっているだろうに。
◇ ◇ ◇
「こんばんは、アリス様」
「こんばんは。……あの、ソフィア先輩。そのお荷物は?」
「差し入れとお世話グッズです」
生徒会のお仕事をしている間にメイドを呼んで、手配しておいてもらった。
「今日は一晩中でもお相手いたしますので、覚悟してくださいませ」
「え、あの。ソフィア先輩? 私は台本が……」
「ともかく、中に通してくださいませ」
遠慮なく部屋に入り込む。
さすがに使用人に止められたら無理だったが、彼女達はむしろ快く迎え入れてくれた。
おそらく、言っても聞いてくれないアリス様に困っていたんだろう。
「夕食はきちんと済ませましたか?」
「もちろん、ちゃんといただきました。子供ではないのですから、食事くらいきちんとできます」
「アスカルト様。アリス様は『食欲がない』と仰って主にフルーツを召し上がっておりました」
「食堂から足早に戻られると、そのまま机に向かわれて――」
「あ、あなたたちは誰の味方なのですか……」
「アリス様の味方だからこそ、言ってくださっているのです」
メイド達にお願いして、持ってきた食べ物をお皿に盛ってもらう。
「これは……」
「お菓子が多くなってしまうのも良くはないのですが、食べないよりは良いのではないかと」
サンドイッチはフルーツサンドを含め、気分が変わるように色んな具材を用意。コッペパン風のパンに焼きパスタや太いウインナーを挟んだものも。
コーンポタージュは丁寧に作り上げた一品。
大判焼き――もとい、物言いによって『アスカルト焼き』となった和菓子や、某チキンのお店風に仕上げたフライドポテト、更にはポップコーンなどもある。
「サラダも用意しましたので、栄養面もばっちりです」
「いえ、あの、でも、こんなには食べられないかと……」
「お好きな物をお好きなだけお召し上がりください。私も一緒にいただきますので」
アリス様が小さく「うう」と呻いた。
まだ温かい焼きパスタドッグやホットドッグ、フライドポテトをちらちら見ながら、
「で、でも時間が」
「お手伝いします」
「え?」
「清書や誤字の修正なら私でもできます。一から書き直しなんてなさらないでトルツメを活用してください」
「トルツメってなんでしたっけ……?」
「……え、未来だと言わないんですか?」
カルチャーショック。
「もう、仕方ありませんね」
ふう、と息を吐いたアリス様は、カチューシャで纏めていた髪をいったん下ろすと、言った。
「手を洗って参ります。インクに触れて汚れてしまいましたので」
◇ ◇ ◇
「んーっ。このジャンクな味、懐かしいです」
可愛らしい笑顔で歓声を上げるアリス様は、まるきり育ちざかりの少女だった。
「このラインナップですと、お酒が欲しくなりますね」
「あ……。さすがにそれは用意してきませんでした……」
「でしたら、私のとっておきをお出ししましょう」
アリス様は立ち上がると、自らいそいそと何かを用意し始める(前世の話をするので人払いをしてしまったのだ)。
部屋の隅に置かれた壺を開けると、中にもう一つ壺が。
二つ目の壺の中には更に壺――ということはなく、水と一緒に何本かのボトルが入っていた。
半透明のボトルの中に入っているのは、見たところ水に見えるのだが。
「アリス様、それは一体?」
「ふふっ。これはですね、炭酸の入った砂糖水なのです」
「えっ……」
炭酸入りの砂糖水。
それはつまり、
「ソーダとか、サイダーとか呼ばれるものでは……?」
「はい。私、前世では長らく炭酸水にハマっていたもので、炭酸が恋しくて恋しくてたまらず、自分で作ってしまいまして」
「作った!?」
「言っていませんでしたか? 私、ソフィア先輩やラファエルと同じく、風の魔力を持っているのです」
風の魔力――大気を操る力を応用して、水の中に炭酸ガスを封入する魔法を開発したらしい。
「よくそんなことができましたね……」
「王族の魔力と才能をふんだんに無駄遣いしてもなお、一年以上かかりました……」
遠い目で言いながら、アリス様は空のグラスに二人分、炭酸砂糖水を注いでくれた。
「お砂糖は控えめですが、味は保証します」
「では……」
グラスを傾けると、懐かしいしゅわっとした甘い液体が口に入ってくる。
「美味しいです」
「でしょう?」
味のしっかりしたジャンクフードにもよく合う。お酒が飲めないのなら、これが最適解だと思う。コーラでもいいのだが、個人的には甘すぎて合わない食べ物が出てくる。
私達は微笑みあい、食事を再開した。
「先程のトルツメのお話ですけれど、私、アナログな編集技術のことなんてすっかり忘れていました。キーボードが恋しいとはずっと思っていたのですが……」
「紙の本さえ消えて行ってしまったのですものね……。私にとっては学級日誌や卒業文集などもかなり記憶に新しいのですが」
「世代の違いを感じますね……」
「あ、アリス様、また私のことを子供扱いしましたね? 言わせていただきますが、私の方がお姉さんなんですよ?」
むっとして言うと、アリス様はくすくすと楽しそうに笑った。
「もちろんわかっています。ソフィア先輩は私の大切な先輩です」
のんびりと食事をしながら、私達は色々な話をした。
「先輩の方は、準備は順調ですか?」
「はい。学園祭用の新作も頑張って開発しています。……このポップコーンは、アリス様が思いついてくださったからできたのですよ」
「まあ。お役に立てて嬉しいです」
「是非、もっと知恵をお貸しくださいませ。……カタリナ様の好みに近づけようとすると『貴族らしくない』料理ができあがるようで、困っているのです」
少しずつ、学園祭が近づいてくる。
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台本の完成
「完成しました」
数日後、アリス様は生徒会室にて意気揚々と宣言した。
「遂にできたか」
「ソフィアが監修、アリスが執筆した台本ですか。早速読ませていただいても?」
「ええ、もちろんです」
自信をもって頷くアリス様の表情は明るい。
私がお手伝いした成果、などと言ってしまうとおこがましいが、食事と睡眠をたっぷりとったお陰で肌艶はしっかりと戻っていた。
目配せを受けた私は、持参した台本を皆さんに配っていく。
生徒会役員、全員分。
渡されたもの――小冊子の形の台本を見た多くの人は不思議そうに首を傾げた。
「薄い冊子なのね。てっきり本の形で渡されるかと身構えていましたわ」
「綴じ方も独特ですね。これなら簡単には解けそうにありません」
「そう? 台本って言ったらこれじゃない?」
何の躊躇もなく受け取ったのはカタリナ様くらいだ。
私とアリス様としても「そうですよね!」と同意したいところだが、この感覚が転生者特有のものだ。あまり大っぴらにするものではない。
「カタリナの意見はひとまず置いておくとして――ソフィア? これはあなたの仕込みですね? 文字も随分と整っているようですが」
「はい。完成した原本を皆さんに渡す冊子にする作業は、私が全面的に請け負いました」
といってももちろん、私が責任を持ったというだけで、実際には人を使って製本したのだが。
「この台本には活版印刷という技術を用いました」
「「活版印刷?」」
「ソフィアが――いえ。
ジオルド様が目を細めて呟く。
「同じ文字、見映えの紙を大量に生産するための技術、と聞いていましたが……まさか、ここまでとは」
「大量に生産……!? まさかこいつは、写本の業によるものじゃないってのか!?」
「はい。そういった装置を作るために熟練の業が使われていますが、これは写本ではなく印刷によって作られたものです」
「ソフィア。その『装置』とは魔法道具のことなのかい?」
「いいえ。印刷には魔法は一切関わっておりません」
生徒会室がしんと静まり返った。
「……ソフィアの思いつきがとんでもないのは知っていましたけど。これは、下手をしたら国の産業がひっくり返りますわよ?」
「はい。これがあれば、本がもっと手軽にたくさん作れるようになります!」
「いえ、そういうことではなく……」
メアリ様が何かを諦めたように首を振った。
アリス様はくすくすと楽しそうに笑いながら、
「活版印刷についてはお父様の許可も下りておりますわ」
「活版印刷機自体はかなり前から開発を始めていて、試作も繰り返していたのですが――金属活字の生産と職人の育成、認可を申請するのに時間がかかってしまいました」
それで、時期的にちょうどいいから学園祭で大々的に発表しよう、ということになった。
「でしたら、ついでに生徒会劇でも活用してしまおうと」
劇にお客さんが集まりそうなら、この台本をもっと量産して販売してもいいと思っている。
映画のパンフレットのようなものだ。
きっと、演劇が好きな人は買ってくれると思う。
「えーっと……よくわからないけど、この台本ってレアなのね?」
カタリナ様が本当に良くわかっていない様子で言う。
キース様が疲れた顔をして、
「姉さん。一応言っておくけど、売ったらいくらになるか、とか考えないでね?」
「うっ。な、なんでわかったのキース!?」
「わかるよ!?」
もちろん、本当に売るつもりではないだろう。
みんなの気持ちを和ませようとしてくれるなんて、さすがはカタリナ様だ。
なお、活版印刷の件は一応、学園祭まで秘密ということになった。
平民に守秘義務を順守させるのも限界があるし、台本が流出した程度で活版印刷機を真似できるわけがないのだが、一応の措置である。
◇ ◇ ◇
さて、肝心の中身はというと。
「私はどんな役になったのかしら?」
「私としては、カタリナ様と近しい役柄が望ましいのですが……」
恐る恐るといった様子のカタリナ様や、わくわくした様子のメアリ様など、台本をめくる皆さんの様子はそれぞれだ。
でも、共学の学校、しかも生徒会の劇で女性同士の恋人役とか、そうそう作らないのではないだろうか。
「アリス。この劇は一言でいうとどんな劇ですか?」
「無声劇(カタリナ限定)です」
「……は?」
「無声劇(カタリナ限定)です」
生徒会室がしんとした。
「え、もしかして私、しゃべらなくていいってこと!?」
「はい。カタリナは喋れない聖女の役です。なので、セリフは一つもありません」
アリス様は「カタリナ様の台詞を減らす」という公約をしっかり守ったわけだ。
しかも、セリフ0という、これ以上ない形で。
「ありがとうございますアリス様、愛してます!」
「か、カタリナ。こんな皆さんの見ている前で……いけません」
「いいじゃないですかーちょっとくらいー」
二人のいちゃいちゃが始まった。
とても微笑ましくて、いつまでも見ていたい光景なのだが、アリス様もカタリナ様もちょっとずるい。
それと、アリス様はノリで過激な台詞を口にしているせいか、メアリ様が形容しがたい表情になってしまっている。
「お、お二人ともそれくらいで……」
「あ、そうね。今は劇の話だもんね」
「そうですよカタリナ。いくら義理の妹になる相手だからって、馴れ馴れしくしすぎです」
「すみませんジオルド様、アリス様」
さすがジオルド様、さりげなく「義理の妹」をアピールすることで、キース様やメアリ様を牽制している。
「この劇は、いつも心優しく笑顔を絶やさない『無言の聖女』がどこからともなく現れて、その人柄で人々を幸せにしていく物語です」
優秀であるが故に人生に倦んだ王子。
気高い志を持っているが、貧しい平民出身故に絶望している青年。
財を増やし、名声を得ることに血道を上げる女商人。
聖女の存在が既存宗教にとって邪魔になると考える高位聖職者の男。
聖女を闇に堕として同胞を得ようとする悪い魔女。
彼ら、彼女らが、聖女との交流を通じて心を解きほぐされ、温かい心を取り戻していく。
「いいお話ですね……」
「そして後半では、聖女を取り合って争いが起きます」
「どうしてですか!」
マリアさんがひどくショックを受けた顔になった。
「聖女の魅力が高すぎたのです。魅了された者達は、聖女を独り占めしようとライバルを排除しようとし始めます。泥沼ですね、ソフィア先輩」
「ええ、泥沼です。アリス様」
「なんだその掛け合い」
「激化していく争い。そんな中、身を呈して争いを阻止したのは――他ならぬ聖女でした」
「……えっ」
「聖女は最後まで微笑んだまま息を引き取り――そして人々は目を覚まします。自分達は聖女のすばらしさに心を打たれながら、彼女が本当に望んでいたことを何もわかっていなかった、と」
そして、彼ら彼女らはそれぞれ、ほんの少しだけ優しくなって、日々を過ごしていく。
やがてそれは大きな流れとなってこの国を変えていくのだが、それはまた別のお話。
「……と、そういったお話になります」
「……ううっ。っく。ぐすっ。悲しいですが、いいお話ですね……」
「ま、マリアさん。ハンカチを使ってください」
「あ、ありがとうございますソフィア様。うっ、ひっく」
涙が止まらなくなっていたのはマリアさんだけだが、他の皆さんも感じるところがあったのか、神妙な面持ちになっている。
「寓話、ですわね。物語であると同時に、私達貴族への戒めでもある」
「はい。上の方々に受けそうでしょう?」
「絶対受けます! 生徒会には美男美女が揃っているのですから、真剣な顔をしていれば絶対に格好いいです!」
アリス様と私の主張に、何故か平等に生温かい視線が送られた。
「ところでよ、これ、配役が書いてねえぞ?」
「ええ。ある程度あて書きはしましたが、敢えて外しても面白いかと思いまして、皆さんで話し合って決めようと」
配役決めでもまたひと悶着あったが、台本自体は満場一致で採用された。
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学園祭
劇の練習に、生徒会としての仕事、それから自分達の出店準備。
私は慌ただしく日々を過ごし――とうとう、学園祭の当日がやってきた。
魔法学園は優雅で上品なところだが、生徒会の仕事がハードワークなのは変わらない。
前日まで準備に追われ、いつもより遅く眠り、朝早く起きて最後の調整や確認を行うことになった。
開会の言葉は生徒会長であるジオルド様。
「この学園祭が、皆さまにとって良い催しとなることを願っております」
きゃーっ、と、黄色い声(主に女子のもの)が沢山飛んだ。
生徒達が少しずつはけていく中、私達は一度集まって、
「では、後は手筈通りに」
「「はい」」
あらかじめ決めた持ち場へと散開した。
◇ ◇ ◇
「晴れて良かったですね、アリス様」
「ええ。せっかくの学園祭が雨天では、楽しさが半減してしまいます」
私はアリス様と一緒に劇の会場だ。
ファンタジー世界での学園祭。
現代と違い、スマホやトランシーバーのような便利な道具はない。そのため、生徒会役員は最初から役割を分担し、持ち場から極力動かない形になる。
その代わり、生徒のほぼ全員が貴族であるため、使用人を動員したり、期間中だけのお手伝いを雇うことができる。
劇の会場でも生徒からの協力者や雇われたスタッフが最後の設営や当日準備、ビラ配りや呼び込みが行われる。
生徒会役員の主な仕事は働いてくれる皆さんの監督、指揮になる。
「ソフィア先輩。ご自分のお店や展示はよろしいのですか?」
「ええ。そちらにも人を派遣しています。特に『目玉』にはお兄様が行ってくださっていますから」
「まあ、それは安心ですね」
アリス様は微笑んで頷いて、
「……ところで、どれが『目玉』なのですか?」
「……活版印刷のつもりでしたが、そう言われると、どれも『目玉』ですね」
「ああ。活版印刷は特に大きな事業ですものね」
活版印刷機に印刷物、出店の食品、魔法の研究発表では『渦の防壁』の魔法が披露される予定だし、ラーナ様に「お前の名前で発表しろ」と言われた魔法道具もある。
注目度と重要性は正直、どれが一番か読みづらい。
我ながら案件を抱え込みすぎな気もする。
「ところで、アリス様も大変ですね。カタリナ様と回られたかったでしょう?」
「そうですね……。そういう気持ちがあったのは事実ですが、でも、あまり気にしてはいません。私の希望はあくまで、あの子の行動を見届けることですから」
カタリナ様は劇のみの参加なので、他の時間は自由に過ごしていただくことになっている。
今頃はクラスメートの方と回っているのではないだろうか。
もちろん、私もカタリナ様と回りたかった。生徒会の方々はみんなそう思っているに違いない。でも、仕事なので仕方がない。
私はまだ「カタリナ様を独り占めできるわけがない」と諦めがつくが、他の皆さんはカタリナ様に焦がれながらもぐっと我慢しているのだから、根はとても真面目なのがよくわかる。
「劇に出演しないのも、観察のためですか?」
「ええ。傍観者に徹する方があの子をゆっくり眺められますから」
「そうだったのですね。申し訳ありません。アリス様だけ人前に立たないなんてずるい、などと思ってしまって……」
「……すみません、ソフィア先輩。実はそれも少しあります」
「ひどいですアリス様。私も台本をお手伝いしたので、出なくてもいいかと思いましたのに」
ほぼ満場一致で「ソフィアは駄目」と言われてしまった。
「良いではありませんか。ソフィア先輩は可愛らしいのですから、もっと皆さまに見ていただくべきです」
「うう。私が容姿のことを気にしているのをご存知なのに、そんな風に仰るのですね……」
「拗ねないでください。また新しい本をお貸ししますから」
「本当ですか? 約束ですよ!?」
我ながら簡単すぎると思うが、本の話を聞いたら気分は一気に明るくなった。
こうしてお友達と過ごすのももちろん楽しいが、本はいい。心が洗われる。
「カタリナには『あれ』を渡しましたし、安心です」
「そうですね」
カタリナ様に渡したのは、ちょっとしたお守りのようなものだ。
アリス様からは「学園祭は心配ないと思う」と聞いている。
でも、ラファエル様の時のことがある。念のため、用心しておいた方がいいと思い、アリス様の助けも借りて魔法道具を作った。
この魔法道具に関しては悪用されるとまずいので、研究発表には出していない。
……と、話をしているうちに会場が近づいてきた。
「頑張りましょうね、アリス様」
「ええ。こちらこそよろしくお願いします、ソフィア先輩」
◇ ◇ ◇
「ソフィア。こっちの方はどうだ?」
「お兄様」
アリス様と協力して宣伝等を行っていると、お兄様がやってきた。
「こちらは順調ですわ。そちらの方は?」
「問題ない。しばらくの間、他の者に任せてきた」
お兄様は学園を卒業後、お父様について回って仕事を教わったり、お手伝いしたりしている。
ゆくゆくは宰相の地位を継いで国の重要人物となる。
……まだ婚約者が決まっていないのが救いだが、タイムリミットは近づいている。きちんと司書になるためにも、この学園祭は失敗できない。
それから、お兄様の応援も。
「あ、ソフィア先輩。そちらはお兄様ですか?」
「はい。兄のニコル・アスカルトですわ」
気づいて歩み寄ってきてくれたアリス様に、お兄様が向き直る。
「初めまして、アリス様。ニコル・アスカルトと申します」
「アリス・スティアートです。初めまして、ニコル様」
微笑み合う(お兄様は無表情だが)二人。
端正な美形ながら実は運動神経が良く、程よく引き締まった筋肉を持つお兄様と、可憐で清楚な雰囲気を持っていて守ってあげたくなるアリス様。
美男美女、まさにお似合いだ。周りにいた女性達が歓声を上げている。
「ニコル様のお噂はかねがね。伺っていた通りの美しい方ですね」
「アリス様こそ。お兄様方と並んでも全く引けを取ることのないお美しさです」
「まあ。お上手なのですね」
アリス様は凄い、と、私は傍からぼんやりと思う。
あのお兄様を間近で見ているのに、外見からでは動揺が見えない。
お兄様の方は鈍感+カタリナ様に夢中+生真面目というコンボで全く気にしていないだろう。アリス様はあんなに素敵な方なのに、なんて勿体ないんだろう。
実際、ギャラリーはどんどん凄いことになっている。
「お兄様がいてくだされば、それだけで宣伝になりそうです」
「そうなのか? いるだけでいいならしばらく手伝っても構わないが」
「お願いしてもよろしいですか?」
「ああ」
お兄様が快諾してくれたので、とりあえず立っていてもらって、私とアリス様でチラシを配っていく。
「あ。私がいない方が効果が高いのではないでしょうか……!」
「「ソフィア(先輩)も十分客寄せになるから」」
「そうでしょうか……?」
お兄様効果は絶大だった。
彼を目当てにした女性が次から次へとやってくる。私とアリス様のところにも男性が結構来てくれる(割合としては私が二でアリス様が八くらい)。
お陰で用意したビラはどんどんなくなっていった。
「きゃー! ニコル様よー!」
「アリス様、握手してください!」
「ソフィア様。〇〇先生の新刊は読まれまして?」
どんどんなくなった。
――なくなったのはいいのだが、人が途切れない。
ついでに、劇自体には興味がない人が多かったのか(「え、ニコル様は舞台に出ないんですか? なーんだ」)、捨てられたビラがそこかしこに落ちる。落ちる。落ちる。
貴族の学校なのに。
とはいえ、同じ状況なら現代日本でもゴミは散乱する。近代的とはいえ、ファンタジー世界の住人に日本以上の倫理観を期待する方が無茶というものだ。
「あの、生徒会の皆様。申し訳ないのですが……ニコル様とお話をされるのでしたら裏でお願いできますでしょうか?」
「「申し訳ありませんでした」」
お兄様に協力してもらう作戦は失敗だった。
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王子と王子と婚約者たち
お兄様と別れた私達は再び劇の準備に励んだ。
そんな中、道行くお客さん達がざわざわし始める。
アリス様がいるせいかもともと賑やかではあったのだが、男女問わず悲鳴に近い歓声が上がっている。いったい何があったのだろう。
学園の生徒は慣れているので、ジオルド様とアラン様がセットで居てもここまでにはならないとおもうのだが。キース様もセットならあるいは……?
「どうしたのでしょう?」
「そうですね。ある程度の見当はつきますが……」
アリス様は何かを察しているらしく、苦笑いを浮かべていた。
やがて近づいてきたのは四人の美男美女だった。
もちろん、後ろにギャラリーを引きつれて、だが。
「ごきげんよう、お兄様方。スザンナ様にセリーナ様も、ごきげんよう」
動きやすい軽装が正装に見えるような優雅な仕草でカーテシーを披露するアリス様に、私もならった。
「初めまして、ジェフリー王子、ならびにイアン王子。バーグ様――ランドール様」
第一王子のジェフリー様と、婚約者のスザンナ様。
第二王子のイアン様と、婚約者のセリーナ様。
ジオルド様とアラン様、それからアリス様の上のお兄様方と、婚約者様。
ジェフリー様はジオルド様やアリス様と同じ目の色をした美形。
イアン様はアラン様似の美形。
金髪銀髪美形のオンパレードだ。一族全員が金髪というわけでもないのだから、せっかくならもっとバリエーションを出せばいい気もするのだが。
……後にアリス様が教えてくれたところによれば、
『ジェフリーお兄様とイアンお兄様は、ゲーム中ではちょい役なんです。というか、移植やリメイクの追加要素として出番が増えましたが、初代は一回しか出てきませんでした』
『全員メインなら、王子様のゲームになってしまいますものね。それで……?』
『初代の立ち絵は、ジオルドお兄様やアランお兄様の立ち絵の流用だったんです。以降で専用のグラがついた時も、名残で金髪と銀髪になりまして』
『なるほど……』
こんなところでゲームらしい仕様を目にするとは思わなかった。
……話を戻すと。
セリーナ様は大人しそうな、仲良くなれるんじゃないかな、といったイメージの方だ。
そしてスザンナ様。こちらは対照的に派手な女性。黒髪なのに欧米の目鼻立ちをしているので日本人的なイメージは全くない。意志の輝きの強い瞳をしていて、見るからに気が強そうだ。
――どこかで会った気がするのだが。
目が合った瞬間に「にやり」と笑った感じなどがなんというか……顔立ちは違う気がするものの、その、あなたラーナ様ですよね?
「初めまして、ソフィア・アスカルト嬢」
問い詰めてみようかとも思ったが、ラーナ様もとい、スザンナ・ランドール様は私にそっと近寄ってきて、囁いた。
「それは、二人だけの秘密にしておいてくれ」
「なっ!?」
なんだか、愛を囁かれたみたいになっているのですが。
「どうしたんだい?」
「いや、なんでもない。ソフィア嬢があまりに可愛かったものでな」
私の頭を撫でてから離れていくスザンナ様。
案の定ラーナ様だった。
ということは、あの「ラーナ様」の顔は変装? 偽名を使って別人になりすましているということになる。見た目の雰囲気や声は大分変っているものの、横柄とさえ言えそうな堂々とした態度がそのままだ。
ただものじゃないとは思っていたが、まさか次期王妃の最有力候補とは。
「君は可愛い女の子が好きだからね」
「まあ、理由はそれだけではないがな」
「……これは独り言ですが、私、卒業後は図書館で司書がしたいのです」
「ソフィア先輩、突然何を?」
「はははは、なるほど、なかなか面白いな。少し気持ちがわかった気がするよ」
「だろう?」
何故か楽しそうに笑ったジェフリー様にウインクされてしまった。その気がなくても一瞬、勘違いしてしまいそうになるからやめて欲しい。
このやりとりでわかる通り、ジェフリー様はだいぶノリの軽い性格で、
「……何をわけのわからないことを言ってるんだ」
イアン様はクール系というか真面目なタイプらしい。
「お兄様方は視察で?」
「そんなところ。やー、ソフィアちゃんにも会えたし来て良かったよ」
「カタリナ様にはお会いになられましたか?」
むしろ私なんかよりそちらだろう。
「まだだよ。でもまあ、その辺で会えるんじゃないかなって」
「カタリナ様も元気な方ですからね」
きっとジェフリー様達とばったり会って、楽しい会話を繰り広げてくれるに違いない。
◇ ◇ ◇
「良かったー、間に合ったー!」
「間に合ってません。遅刻ですよ、カタリナ」
「うえ!? で、でもまだ劇は始まってませんし」
「姉さん……着替えやお化粧もあるんだから早めに来るべきだよ」
「……さ、さー! 時間もないし準備しましょう!」
うまくかわしたカタリナ様は衣装合わせなどの準備に入った。
主役だけあって、カタリナ様の役は衣装が多い。
最初は平民の中でも貧しいところの生まれ、という設定にちなんだ簡素なものだ。まあ、貴族が見る劇なので、マリアさんに言わせれば「十分上等です!」ということだったが。
私達――アリス様以外の生徒会メンバーもそれぞれの衣装に着替える。
ちなみにアリス様はカンペ係で、カタリナ様が次にどんな動きをすればいいか、逐一文字で指示をする係だ。脚本と監督とADを兼ねているので、決して暇な役どころではない。
なお、配役は話し合いの末にこうなった。
◆聖女 :カタリナ・クラエス
◆語り :ソフィア・アスカルト
◆青年 :ジオルド・スティアート
◆王子 :キース・クラエス
◆司祭 :アラン・スティアート
◆女商人:マリア・キャンベル
◆魔女 :メアリ・ハント
私は舞台の端っこに立って逐一ナレーションを入れる係。
それなら後ろに引っ込んでいてもと申し立てたのだが、この世界には放送機器がないし、一々魔法を使うわけにもいかないから、という理由で却下された。
聖女以外の役では最もメインになる王子はキース様。
劇とはいえカタリナ様に近い男性ということでひと悶着あった。ジオルド様が「当然婚約者の自分が」と言い、メアリ様が「私が男装するのが一番角が立ちませんわ」と言い、最終的に「じゃあソフィアで」となりかけたので私が断固拒否した。
結局、義弟なら観客も納得だろう、とキース様に。
本人は「僕でいいのかな」なんて言っていたが、口元が嬉しそうに緩んでいたのを私は知っている。
ジオルド様は好青年という真逆の役に。
まあ、仮面通りに演じれば(滲み出る気品以外は)問題ないので楽といえば楽か。
司祭役にアラン様。
野趣のある美形の彼ならうさんくさい司祭役でも見事に演じられるだろう。
女商人がマリアさんで、魔女がメアリ様。
王子様の婚約者であるメアリ様に「魔女」をやらせるのも心苦しいのだが、マリアさんにはもっとやらせられない。ただでさえ敵視する者が多い彼女を魔女になんか据えたら「ほらやっぱり!」と鬼の首でも取ったように言ってくる輩がいるに決まっているのだ。
その点、完璧なメアリ様が演じる分には「そういう役も似合いますわね」「似合いすぎて怖いですわ」「逆らわないでおきましょう……」で終わる。
私が魔女でも良かったのだが、「威厳がない」と却下された。
「うー、緊張するわ」
「カタリナ様。人の字を書いて飲みましょう」
「そ、そうね。ありがとうソフィア。むしゃむしゃぱくぱく」
「食べすぎですカタリナ様!」
そんなこんなで、劇が幕を開けた。
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演劇:とある聖女の物語
ついに劇の本番がやってきてしまった。
ソフィアに思い出させてもらい、人の字をいっぱい書いて飲み込みまくった私――カタリナ・クラエスだったが、それでも緊張は収まらない。
平常心、平常心。
私がやることは決まっている。それを落ち着いてこなせばいい。何しろセリフは一つもないし、アリス様が逐一カンペまで用意してくれるのだ。
そう。
私のやるべきことは――笑顔!
『カタリナはとにかく笑っていてください。みんなと劇を楽しむことだけ考えてくだされば大丈夫です』
アリス様の素晴らしい演技指導に従い、私は「とにかく自然体でいよう」と決めたのだ。
「頑張ろうね、みんな!」
腕をぐっ! とやって気合を入れると、私はみんなに笑いかけた。
「ええ」
「ああ」
「はい」
「もちろんですわ」
「頑張りましょう、カタリナ様!」
「私もみなさんの活躍を見守っております」
メインは私の友人達が固めているが、サブキャラとして他の生徒会メンバーも参加してくれている。みんなでいい劇にしなくっちゃ。
頑張った後のご飯はきっと美味しいに違いないし!
◇ ◇ ◇
『ここではないどこかの大陸に、一つの王国がありました』
ソフィアの綺麗な声がステージに響く。
劇を見ようと詰め掛けたお客さんの数は、私の予想を遥かに超えていた。恐るべし、腹黒ドS王子率いる美男美女軍団。
これでアリス様が出演していればもっと凄かっただろうに、まことに残念である。
それはともかく。
物語の舞台はある架空の国だ。
そこにはたいそう美しく、有能な王子様がいたが――彼は退屈な世界に飽き飽きしていた。天から恵まれ過ぎたせいで何をやっても達成感というものがなかったのだ。
そんな彼は、お忍びでやってきた庶民の街で、ある女性を見つける。
「ああ、なんと美しい女性だろう。あの、お名前はなんとおっしゃるのですか?」
王子様役はキースだ。
自慢の可愛い弟だけあって衣装もきまっているし、セリフも「演じている」と思えないほど自然だ。個人練習に何度も付き合った甲斐がある。
でも、出会ったばかりの女性にいきなり名前を聞くとか、この王子はちょっとチャラ男が入っている気がする。これを機にキースが女遊びに目覚めたりしないかちょっと心配だ。当のキースは「ありえないから安心して」なんて言っていたが。
「………」
対する美しい女性――自分でもおこがましいと思うのだが、私のことだ――は、にっこりと微笑んで首を振る。
「答えたくないと? そんな……私は怪しいものではありません! どうかお名前だけでも教えてください!」
と、ここで王子は私の手にキスをする。
もちろんフリだ。
練習の時もずっとそうだったし、お芝居なんだから今更緊張したりしない。……と、思ったらキースが数秒間固まってしまう。私の手のひらを見つめてどうしたんだろう。まさか次のセリフを忘れちゃった!? どうしよう、カンペは殆ど私のばっかりで、他のみんなのは用意されてないのに!
と、キースはセリフを思い出したのか、何かを吹っ切るように私の手のひらにキスをした。柔らかい感触……って、勢い余ってキスしちゃってるし。キースったらセリフを忘れたからって自棄になりすぎよ、もう。
「見知らぬ方。彼女は口がきけないのです」
ここで現れるのは、貧しいけれど心優しく善良な青年――ジオルド様。
あの腹黒ドS王子のどこが善良なのだと言いたいのは我慢。客席からはきゃーきゃーと歓声が飛んでるし。
「なんと。そのような方がおられるのですか?」
「ええ、生まれつきそのような体質でして……。ご安心ください、私達の言葉はわかっておりますので、あなたの気持ちは伝わったでしょう」
アリス様が『王子の手をぎゅっと握る』とカンペを出す。そうだった。私は慌てて、にっこりと微笑みながら王子の手を握った。
◇ ◇ ◇
城に帰った王子は、一目惚れしてしまった聖女に何かできないか考えた。
「そうだ。せめて、彼女の暮らしが良くなるように」
聖女には、平民が数年は暮らせる額が贈られた。
きっと喜んでくれただろうと再び訪ねると、聖女の暮らしはさほど良くなっておらず、代わりに「彼女に救われた」という人々が募っていた。
「どなたかがお金をくださったのですが、彼女はそれを、他の人々に分け与えたのです」
青年から聞かされた王子は愕然とした。
「この世に彼女のように清らかな方がいるとは!」
ほんの一部の金しか自分のために使わなかった、と知った王子は一回目の数倍の額を贈った。すると聖女に救われる人は増えた。そして、金があってもなくても聖女は笑顔を絶やさず、人助けの労を惜しまなかった。
次第に有名になった聖女は人々の目や耳に留まるようになる。
「彼女を教会に住まわせ、シスターとしよう。あのような善人なら教会の看板にぴったりだ」
「彼女に楽器を教えて演奏させよう。いや、踊り子でもいい。あの美しさなら画家のモデルにするだけでも稼げるだろう」
「忌々しい女。あの子に絶望を教えて闇に取り込みましょう。そうすれば仲間が増えるし、きっと爽快だわ!」
利権に拘る聖職者、強欲な商人、悪辣な魔女。
様々な悪意が聖女に忍び寄ったが、王子と青年による支援と聖女自身の清らかさにより、あらゆる魔の手は退けられた。
むしろ、悪意を持って近寄ってきた者達の方が聖女の善良さにあてられ、身の振り方をあらため始めたのだった。
「教会の改革のためにあなたの力を貸して欲しい」
「吟遊詩人に平和のための歌を歌わせるから、一緒に演奏してくれないか」
「昔は私も、病に効く薬や怪我を治す呪いを主にしていた……いつからあの頃の気持ちを忘れてしまったのだろう。時々、ここに話をしに来てもいいかしら」
聖女は人から頼みごとをされれば断らなかった。
教会の掃除や懺悔の相手を快く引き受け、街の広場で楽器を演奏し、どんな相手に話しかけられても笑顔で応じた。
やがて国には聖女を愛する人が溢れた。
すると当然、一人一人が聖女と会える時間は減っていく。
「最近、彼女とロクに話ができていない。私が彼女のすばらしさを見出したのに」
「僕が一番最初に彼女といたんだ。なのに、みんな僕から彼女を奪っていく」
「あのような聖女は教会にこそ必要なんだ。なのに王家も商人も……くそっ!」
「金のためじゃない。私はあの方のすばらしさをもっと広めたい。そのために最も効率のいい方法を模索しているのに」
「憎い。憎い憎い憎い。あの子は私に優しくしてくれるのに、周りにいる奴らが私を排斥する。こんなことならいっそ――」
「「彼女を独り占めしてしまえばいい」」
聖女は王子から求婚され、青年から「元の家で元通りに暮らそう」と懇願され、聖職者から「教会のトップになってくれ」と頼み込まれ、商人から「旅に出て全ての人を救いましょう」と提案され、魔女から「私とずっと一緒にいて欲しいの」と願われた。
でも、聖女にはそれらを引き受けることができなかった。
困った顔をして首を振る聖女。
――私には、彼女の気持ちがわかる気がした。
王子にキスをされても、青年に抱きしめられても、聖職者に髪を梳かれても、商人から豪華な花束を贈られても、魔女に顔を埋めるように泣きつかれても、駄目だった。
彼女は自分の無力を知っていた。
彼女が救えるのは自分の周りにいる人だけ。お金がない彼女にできるのはたかが知れていたし、一時的にお金を手に入れても増やす方法がないので長続きしない。病気の人を看病することはできても病を治すことはできない。
だから、聖女は初めてノーを伝えた。
――争いが起こった。
聖女を独り占めしようとした者達が他の者を排除しようとし始めたのだ。
激化する争い。
騎士団が動員され、平民達が反乱を起こし、教会が独立を宣言し、金で集められた傭兵団が結成され、ゴーレムやゾンビの群れが国を襲った。
剣を交える王子と青年。
最初の二人の争いは、どちらかがどちらかを殺すまで終わらない、と誰もが思うほどのもので……。
だから、聖女は割って入った。
二本の剣に突き立てられ、赤い血を流しながら、聖女は微笑んだ。
「なんですか。何を、言いたいんですか」
「なんで何も言ってくれないんだ! 最後くらい、君の声を聞かせてくれないか!」
無理な注文だ。
台本では、聖女はただ微笑むだけで何も言わずにこと切れる。だって喋れないのだから当たり前だ。
でも、それでいいんだろうか。
カンペ通りに演技を続けてきた私は、初めて疑問を覚え――その疑問につき動かされるままに口を開いた。
「愛しています」
誰もが驚いた。
観客だけでなく、キースやジオルド様までがぽかんと口を開けて硬直する。
みんなそんなに驚かなくてもいいのに、と思いながら、私はもう一言だけを告げた。
「だから、泣かないで」
そうして、聖女は息を引き取った。
幕が下ろされた後、私達を待っていたのは、観客からの割れんばかりの拍手だった。
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劇が終わって
私達の生徒会劇は大成功に終わった。
幕が下りた直後から大きな拍手と歓声が上がり、カーテンコールでは各出演者に声援が飛んだ。
「カタリナ様ー!」
「キース様ー!」
「ジオルド王子ー!」
「アラン王子ー!」
「メアリ様ー!」
「マリアちゃんー!」
「ソフィアちゃーん!」
「アリス様ー!」
なんと、語り役の私に加え、裏方のアリス様にまで声は届いた。
もちろんマリアさんにもだ。
暖かい拍手と声に、思わず涙ぐんでしまっている人もいた。
私達貴族の生活というのは嫉妬と羨望と作為に満ちていて、例えば個人で楽器を演奏しても「王子様だから」「公爵令嬢様だから」と実力以外のところが評価されてしまいがちだ。
だが、こうして集団の劇になればどうだろう。
みんなで作り上げた作品自体が面白くなければ、こんな歓声にはならないんじゃないだろうか。
一同でステージに立って礼をした時は、ちょっと感無量だった。
◇ ◇ ◇
「いやー、終わってみると意外に楽しかったわね、演劇! 私、実は役者の才能があるんじゃないかしら!」
メイク落としや着替えを行う最中、カタリナ様がそんな声を響かせた。
「そうですわね。カタリナ様、もし役者になられるのでしたら是非、私にお世話係をやらせてくださいませ」
「何言ってるの、メアリにそんな大変な仕事させられないわ。それに、アランの奥さんで忙しいでしょうし」
メアリ様が「ちっ」と舌打ちをして(カタリナ様には聞こえていないと思われる)、すぐに表情を取り繕う間に、他の面々――主にジオルド様とキース様は苦い顔になった。
「僕としては心臓に悪かったですよ。カタリナときたら突然アドリブを入れるのですから」
「本当に……。姉さん、ああいうのは本当にやめてくれないかな。監督によっては大目玉だよ」
「いいじゃない、受けたんだし。それに……なんていうか、あの時はやらないといけない、って思ったのよ」
言って、どこか遠い目になるカタリナ様。
本人に自覚はないのだろうが、彼女には時々こういう時がある。
――終盤に発生したカタリナ様のアドリブ。
あれは本当に見事だった。
もちろん、それまで喋らなかった聖女が最後の最後で喋るというインパクトもあっただろうが、それ以上に『聖女』になりきったカタリナ様の名演が、役者を含む全員の心を惹きつけた。
『愛してる』
すっきりと澄んだ、それでいて慈愛に満ち溢れた声と表情であんなことを言ったのだ。
舞台端にいて古書(に偽装した台本)を手にしていた私でさえドキっとしてしまった。間近にいたジオルド様やキース様にどれほどの威力があったかは、今、二人が必死に平静を装おうとしているのを見れば明らかだ。
裏ではメアリ様とマリアさん、アリス様が揃ってきゃーきゃー言っていたし。
聖女カタリナ・クラエス伝説はこれで更に加速しそうだ。
「あの、カタリナ様?」
「ん? どうしたの、マリア?」
「私、カタリナ様のアドリブの際は裏にいたもので……その、もう一度、見せていただくことはできないでしょうか? できれば間近で」
「ええ? あれをもう一回やるの?」
「はい、是非」
と、まさかのマリアさんが大攻勢に出た。
劇の再現とはいえ、衆目のなくなったところで「愛してる」なんて、それこそ破壊力が高すぎるのではないだろうか。
「いいですね、カタリナ。私にも見せてください」
「あ、アリス様まで。嫌ですよ。あれは劇だから言えたんです。素面に戻ってからやるなんて恥ずかしいだけじゃないですか」
アリス様まで攻撃に加わると、さすがに困った顔になりながらノーと言うカタリナ様。
「いいではありませんか。カタリナ様の名演、同じ出演者だからこそ良い位置で見られないなんて不公平ですわ。……それに、ジオルド様やキース様だけいい位置で見られたのも」
「え? メアリ、後半聞こえなかったけど?」
「なんでもありませんわ。さあ、カタリナ様! こう、私の顎を持って、きりっとしたお顔でどうぞ!」
「くくくっ。はははっ。いいじゃないか。お前の友人達がこう言ってるんだ。せっかくだから見せてくれよ。俺も見たい」
「あ、アラン様! 絶対面白がっていますよね!?」
おっと、アラン様まで参戦してしまった。
ここは本来なら仲裁に入るところなのだろうが、なんだか私だけ仲間外れになったみたいで面白くない。
「カタリナ様! 私も、私も見たいです!」
「ソフィアまで!? もー、みんなどうしちゃったのー!?」
結局、カタリナ様は頑として『愛してる』と言ってくれなかった。
◇ ◇ ◇
学園祭の最後には舞踏会が開かれる。
日本の高校で言うキャンプファイヤー+マイムマイムの代わりのようなものだ。もちろん、これも生徒会が運営するため、私達は着替えや片付けが終わったら急いでそちらに向かわなければならない。
なので、舞台裏でひとしきり談笑した後はかなり慌ただしい動きになった。
劇用の化粧を落として衣装を脱ぎ、もともと着ていた服に着替えて、普段用のお化粧をし直す。
本格的な片付けはスタッフにお任せするので、いらなくなったアイテムを用途や返却先に合わせて手早く分別し、舞踏会の会場へ向かう。
――そんな風に余裕を無くしたのが良くなかったのだろうか。
それとも、楽しかった分だけ苦難が降りかかってくるとでもいうのか。
それは、何気ない報告から始まった。
「カタリナが来ていない?」
「はい、ジオルド様。会場にお姿が見えないのです」
舞踏会が始まってすぐ。
生徒会の一年生の一人がそう言ってくれたことで、私達はようやくカタリナ様の不在に気づいた。
劇には参加したが生徒会のメンバーではない彼女は急いで支度する理由がないため、着替えや休憩をゆっくりと行っていたはずだ。
本人も「後からゆっくり行くわー」と言っていて、特に変わった様子はなかった。まあ、次の瞬間に何かを思いついて畑の様子を見に行ったりするのがカタリナ様なのだが。
「姉さんのことだから遅れているだけだと思うけど……」
カタリナ様と最も近しいキース様が不安げに呟く。
「会長の時のようなことがないとも言い切れませんわね……」
「マリア。最近、何か変わった気配を感じたか?」
「いいえ。学園内に不審な人物は見当たらなかったと思います。ですが……」
「今日は学園祭。外部から不審人物が侵入した可能性はいくらでも考えられます」
アリス様がまとめて、私を振り返った。
「ソフィア先輩。しばらく様子を見た上で動きがなければ『あれ』を使いましょう」
「そうですね」
しばらく待ってみたものの、カタリナ様が舞踏会に来ることはなかった。
その間、劇の控え室に人を送ったり、クラスメートに話を聞いてみたものの、行方を知っている人はいなかった。確かに控え室で着替えをしていたこと、カタリナ様の服などはなくなっており、忘れ物と思しき小物が残っていたことだけがわかった。
「使いましょう、ソフィア先輩」
「はい」
頷いて、私はペンダントとして携帯していた魔法道具を取り出す。
ぱかっと蓋を開けると中はコンパスになっている。ただし、特別北を指してはいない。
「それはなんですの?」
「カタリナ様発見器です」
「は?」
「正確には、カタリナに渡した目印を探知する魔法道具、ですね」
カタリナ様に渡したのもペンダントだ。
首にかけるものならちゃらちゃらするので、着けているかいないかわかりやすいだろう。
後はコンパスの針をぐるっと一回転させると起動する。
針の指した方向は――。
「カタリナ様はこっちにいます!」
「おお!」
「あ、あの、皆さん?」
「早くカタリナ様を迎えに行きましょう!」
「全くカタリナときたらすぐ迷子に――」
「皆さん! そのペンダントとは、これのことですか?」
「「え?」」
針の指した先にはマリアさんがいて、ペンダントを持っていた。
「さっきの、忘れ物?」
「はい。……おそらく、着替えの際にお忘れになったのではないかと」
「わ、私の秘密兵器が……」
結局、手分けしてカタリナ様を探すことになった。
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カタリナ・クラエス誘拐事件
カタリナ様が行方不明になって数時間後、ジオルド様のもとへ脅迫状が届いた。
『カタリナ・クラエスの身柄は預かった、無事に返して欲しければ王位継承権を放棄せよ』
これによって誘拐が確定。
ジオルド様は特別、王位継に拘りを持っていないが、手続きが煩雑すぎるうえ、カタリナ様が返ってくる保証もない。
要求が身代金や、継承権を示すアイテム等であれば交換もできるのだが。
「どうせなら私を狙ってくれれば良かったのですが……」
「アリスを狙ったところで、僕は王位継承権を放棄しないよ。身内であると同時に政敵でもあるんだ。むしろ『アリス派』の陰謀を疑わないといけない」
アリス様の王位継承権はないも同然だが、彼女が王位を継ぐ方法はある。
――上位の王族が全員死ねばいい。
正気を疑うような発想だが、王位継承に関するごたごたは現実でも物語でもよくある。
下から上だけじゃなく、例えば第一王子がライバルになりうる第二王子を謀殺する、といったケースも。
「ですが、この要求から首謀者はだいぶ絞り込めますわね」
メアリ様が胸の下で腕を組みつつ(羨ましい)言うと、アラン様が似たような姿勢で腕を組んで、
「ジオルドに王位を継がれると困る人間――つまりは王族だな」
「そうすると、アランも候補に上がるわけですが」
「冗談を言うな。俺がそんな方法で目的を達すると思うか」
「思いませんよ。あらゆる意味でね」
となると、第一王子のジェフリー様か第二王子のイアン様が怪しい。
二人とも昼間会った際は好青年といった感じだったので、こういうことをするとは思えない――特に、ジェフリー様は「王になる気があるんだろうか?」と疑ってしまうような人柄だったのだが、何も本人が実行するとは限らない。
ジオルド様が言った『アリス派』のように『ジェフリー派』『イアン派』の人物、つまり、彼らに王位を取らせたい側近や縁者が首謀した可能性もある。
更には、ジェフリー派の仕業に見せかけたイアン派の仕業、などという可能性もあるわけで、ある程度、目星をつけられる一方、犯人を絞り込むほどの情報にはなりえない。
「アリス様。何かご存知ではないのですよね?」
私は念のため、アリス様に尋ねてみる。
彼女の知識に学園祭でのイベントはないと聞いているが、
「アリスは時々、妙な情報を拾っていますからね。どうですか?」
「……ちょっと待ってください。この状況、何か引っかかるような気がするのです」
なんと、思い当たる節があったらしい。
「思い出してくださいませ、アリス様! カタリナ様が大変なのです!」
「せ、急かさないでください、先輩。……ええと、そう。誘拐。王位継承権。ジオルド様……あ! 移植版の初回特典、オリジナルストーリーブック!」
「「は?」」
私以外の全員が「何言ってるんだこいつは、カタリナが乗り移ったか?」とでも言いたげな顔をした。
◇ ◇ ◇
「知らないと仰っていましたのに……」
「し、仕方ないのです。コンプリートエディションには基本、全部のストーリーが収録されていましたが、紙媒体の話までは入っていなかったのです」
アリス様の前世である敦子ちゃんは該当のゲーム機を持っていなかったので、移植版は購入しなかった。
いくら好きとはいえ、多種多少なグッズを全部集めきるほどの財力は無いのである。
「おいお前ら。仲が良いのはわかるが、何をこそこそ話してやがる」
「「な、何でもありません」」
「……ずるいですわ」
皆さんには「集めていた情報と状況を総合した上で、導き出した結論」と説明した。
「イアンお兄様の婚約者――セリーナ・バーグ様が関わっている可能性があります」
セリーナ様は、悪い言い方をすると「凡庸な女性」であるらしい。
博学でも、魔法の才があるわけでも、社交に長けているわけでもない。美人ではあるが絶世の美女ではない。活発な性格でないのは浮気の心配がないともいえるが、子を指導し立派に育てる力に欠けている、と見る者もいる。
「セリーナ様自身は努力家です。ですが、それでも目立った成果が上がらないことを気に病んでいるご様子があります」
「そんな自分でもイアンお兄様の助けになれる方法を考えた――ですか。少々短絡的というか、セリーナ様が首謀する計画にしては大胆すぎる気もしますが」
「ご本人が全てを計画する必要はありません。決断さえ引き出せれば、後は周囲の者が動けばいいのです。そして、決断を引き出す手段は――」
「闇の魔力」
静かに言ったマリアさんに全員の視線が集まる。
彼女は強く頷いて、言う。
「その方が闇の魔力に唆されているのでしたら、近くまで行けばわかるかもしれません」
更にメアリ様が、
「首謀者が特定できるのでしたら簡単ですわ。セリーナ様のここ数日の行動、所有する屋敷の使用状況を洗えば、おそらくは」
「そうと決まれば、手分けして動きましょう」
キース様が締め、私達は一斉に動きだそうとした。
そんな時、
「皆さん、ちょうどお集りでしたか」
「会長――ラファエル様」
「様、は不要ですよ、ソフィア様。皆さんにいい情報をお持ちしました」
魔法省勤めになったはずのラファエル・ウォルトが、カタリナ様に関する決定的な手掛かりと共に現れた。
◇ ◇ ◇
ラファエル様――ラファエルさんは配属された部署の上司と共に、とある事件の捜査を進めていたらしい。するとそれがカタリナ様誘拐事件と繋がったため、私達に知らせに来てくれたのだ。
魔法省って警察か何かなのか、とツッコミを入れたくなるが、あそこは要はなんでもやるお役所なのだ。
依頼されれば迷子のペット探しなどにも関わるし、今回のような誘拐事件や貴族の悪行を暴いたり、といったこともする。
普段は地味な書類仕事も多いらしいのだが。
「カタリナ様は、カタリナ様は無事なのですか!?」
「落ち着いてください、メアリ様。あの方は無事です。最強のボディガードが付いていますから」
最強のボディガード。
私の頭の中で「エンダァー!」と「ダダンダンダダン」が流れているうちに、ラファエルさんは「私の上司です」と説明してくれた。
なんでも上司の方は女性らしい。
だが、常に泰然自若としており、魔法にも長けている。魔法省でもそこそこのお偉いさんだから逆らったらひどいことになる。
「趣味の魔法道具製作ばかりしている困った人なんですが、仕事は異様にできるんですよね……」
誰のことかわかったような気がします。
「ソフィア様とマリアさんはご存知かもしれませんね」
誰のことかわかりました。
ラーナ様、そんなことまでやっていたとは。
というかそれは、セリーナ様の起こした誘拐事件の現場に、政敵であるスザンナ様(=ラーナ様)本人が居合わせているということで。
ちょっとセリーナ様が可哀想すぎるのではないか、と思ってしまった。
「できれば人手が欲しいところなんです。よろしければ協力していただけませんか?」
もちろん、私達が「ノー」と言うはずがなかった。
◇ ◇ ◇
ラファエル様と共に私達が行ったのは、いわゆる「強制捜査」というやつだった。
相手は悪だくみをしている貴族なので、当然、荒事も出てくる。
用心棒やら何やらが襲い掛かってきたりもしたのだが、ジオルド様やアラン様、キース様の剣の腕は並の相手が敵うものではない。
一方、メアリ様やアリス様が守られているだけかといえばそんなことはなく、襲い来る脅威には卒なく魔法を使って対処していた。
マリアさんは皆さんが怪我をした際にそれを治すことができる。
私も例の魔法で自分の防備だけはばっちりだ。下手に使うと風の渦に吹き飛ばされた人が連鎖的に追突事故を起こすので、注意が必要だが。
そうして、辿り着いた監禁場所。
「あら、みんな。勢揃いでどうしたの?」
カタリナ様は見知らぬ男と二人で、ベッドのある狭い部屋にいた。
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事件の顛末
カタリナ様が男性と二人っきり。
しかも、相手の男性はどこかワイルドな雰囲気を醸し出す、肉食系と思しき人。
何があったのかと動揺する私達だったが、途中で合流したラファエルさんの上司――「メイドのラナ」こと「ラーナ・スミス」(こと「スザンナ・ランドール」)が一緒だったし、カタリナ様救出と犯罪の摘発が先なので、男への詰問は後回し。
男――ルーファス・ブロードはあっさり罪を認め、お縄についた。
「こうしてここに残っているということは、覚悟はできているんだろうな?」
「はい。あなたたちの元に行ってすべてを話します」
去り際、ルーファスはカタリナ様へ「約束まで預かっとく」と言ってブローチを掲げた。
あのブローチは?
約束って?
私達が大量の「?」に襲われたのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇
結局、事件は私達が蚊帳の外のまま幕を下ろした。
実行犯はルーファス・ブロード。
命令者はセリーナ・バーグ。
黒幕は
ルーファスは元々は孤児で、メイスン侯爵が拾い育てた手駒だったらしい。
彼は盗み、殺人など何でもやるチンピラだが、闇の魔法についてはかつて人に儀式をさせられただけで、詳しいことは何も知らなかった。
メイスン侯爵はジェフリー王子の行き過ぎた信奉者。
王子を王にするため、イアン王子の婚約者であるセリーナ様を唆し、ジオルド様の婚約者であるカタリナ様を誘拐させた。
どう転んでも政敵が減り、両者脱落も狙える計画を立てた。
セリーナ様についてはほぼ、アリス様が推測として語った通りだ。
彼女は「イアン王子に相応しくないのではないか」という悩みを抱えており、ルーファスの闇の魔法によってそれを増幅されて利用された。
闇の魔法が用いられたことはルーファス本人、それからマリアさんの証言によって裏付けられたし、関わっていた用心棒等々の雇い主がメイスン侯爵だったことも裏付けが取れた。
何よりイアン王子がセリーナ様を許したので、重い罪にはならない見込みだ。
「ラーナ様は婚約者であるジェフリー王子の命を受け、部下であるメイスン侯爵の悪事を追っていた、というわけですね。先んじて動いていたことでジェフリー王子は『部下の独断』であることを周囲に印象付けることもできた、と」
「さて、何のことかな」
魔法省内の一室にて、私が推測も交えて尋ねると、ラーナ様は見事にしらばっくれた。
「スザンナ・ランドールと私は全くの別人だが、お前の推測が正しければ、かの御仁はなかなかの切れ者だな。ジェフリー王子などという昼行燈の婚約者なのが勿体ない」
「ラーナ様……」
色んな意味で心にもないことを言わないで欲しい。
ジト目で見ると、彼女はコーヒーを啜りながら肩を竦めて、
「ともあれ。メイスン侯爵が独断だったのは事実だろうよ。私がジェフリー王子ならあんな杜撰な計画は立てん」
「それは、その通りですね」
メイスン侯爵の関与が明らかになれば、王位を追われるのはジェフリー王子の方だ。
そういう意味では侯爵の献身は全くの無意味どころか、他勢力のスパイであることを疑わないといけないくらいのお節介だ。
それとも、侯爵も別の誰かに操られていた……?
「ま、ジェフリーとしては事を秘密裏に終わらせる気もあまりなかったのだよ。奴は王位に興味がないからな」
「ジオルド様もそんなことを仰っていましたが……大丈夫なんでしょうか、王家」
「なに。ああいったものはなりたい奴がなるより、なりたくない奴がなる方が上手くいくものだ。どちらも一定以上の能力がある場合、という条件付きだがな」
なんとなくはわかる。
王の仕事をどう考えているか、という話だ。
なりたいと願う者の中には王に与えられる特権目当ての者もいるだろう。そう言った者は熱意と裏腹に、王になってしまえば悪政を敷きかねない。
一方、なりたくない者は王の仕事がどれだけ大変で責任が伴うかわかっている。王になれば仕方なく、本当に仕方なくではあるが一生懸命に働くだろう。
「時にソフィア・アスカルト。魔法省への就職の件だが」
「私は純粋に本が好きで司書になりたいと願っております」
「残念だ」
「……私が『はい』って言うまで言い続ける気ですか?」
「当然だろう」
何があっても「はい」と言わないように気をつけようと思った。
◇ ◇ ◇
さて、カタリナ様とルーファスの件だが、こちらについてもひと悶着あった。
――いや、二悶着? 三悶着? もっとだろうか?
カタリナ様いわく、ルーファスというのはあの人の本名ではないらしい。
「彼はソラっていうのよ」
嬉しそうに思い出し笑いをするカタリナ様。
もうそれだけで発狂寸前になる方が出た。
本人いわく、ソラには何もされなかったというのだが、もちろん、私達の誰もそんなことは信じなかった。
「カタリナ。ソラとの間に何があったか、時系列で教えてください。単に『何もなかった』というだけでは信用できません。どれくらい信用できないかというと『何もしてないのに壊れた』と同じくらいです」
前世のお仕事トラブルか何かを思い出したのか、アリス様が常になく真剣に言った。
「えーっと、なら、思い出せる限りでお話しますが」
ソラが持っていたブローチはカタリナ様が渡したものらしい。
学園祭で買ったそうで、彼に似合いそうだから渡したとのこと。
――ちなみに、貴族でも平民でも、異性に装飾品を渡すのは殆どプロポーズだ。
約束というのは外国へ旅行に行くことらしい。
ソラが外国出身だと聞き、カタリナ様がねだった。ソラは怪訝そうにしながらも笑って承諾したとか。
――ちなみに、貴族でも平民でも、男女が一緒に旅行をするのは親しい仲である証拠だ。
ソラが連行された後のあの部屋では、ジオルド様がカタリナ様の首に小さな赤い腫れを見つけた。
腫れの正体はカタリナ様いわく「虫刺され」ということだったが、よくよく聞いてみると、ソラにベッドへ押し倒されたとか。
『なぁ、俺のものにならないか?』
『そんなにキラキラした目で見つめてきて、何されたって文句を言えないぞ』
囁かれたというセリフはもう、完全にロマンス小説の世界だ。
――ちなみに、貴族でも平民でも、一定以上の歳の男女が同じベッドに入るのは(以下略
話を聞いたメアリ様は「毒殺? 自然死に見せかけられる植物、図鑑にあったかしら?」などと呟き、マリアさんは手をぎゅっと握ったまま蒼白になり、アリス様は笑顔のまま「へえ?」と極低温を発していた。
私も「男性からそんな風に口説かれるなんて羨ましいです!」なんて言う余裕はなかった。どこの馬の骨ともわからない男にカタリナ様を持って行かれるなんて、もうロマンス小説ではなく昼ドラやレディースコミックの世界だ。
「カタリナ様。私がお渡ししたペンダントは……」
「あ。あー、ごめんねソフィア。ほら、劇の時に邪魔だから外したでしょ? 着替えた時にちゃんと持って行かないとなー、とは思ってたんだけど、ブローチの方を確保したら安心しちゃって、つい」
カタリナ様は、やっぱりカタリナ様だった。
「もう待つのはやめましょう」
ジオルド様がそう言ってカタリナ様の唇を奪ったのも無理はない。
無理はない、ないのだが。
「「か、カタリナ(様)(姉さん)!?」」
複数人の声が室内に重なり合った。
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番外編:とある調査官の学園祭レポート(前編)
「今回の学園祭は特に気合いが入っていますね」
学園内を行き交う大勢の人を眺めながら、私は呟いた。
思い思いに着飾った貴族たちは思い思いの方法でこの学園祭を楽しんでいる。
数多く出店している屋台で買い食いをするも良し、研究発表の一つ一つに感嘆するも良し、生徒の製作物を眺めつつ気に入ったものを購入するも良し、新しい出会いを探すことに努めるも良し。
――今年の生徒会長はジオルド様でしたね。
メンバーとしてはアラン様とアリス様、更にメアリ・ハント様やキース・クラエス様といった名だたるメンバーが参加している。
一人一人が才人、才女なのだから、集まればこれだけのことができるのも納得というものだ。
「屋台の出店数は五店舗の増加。参加者数はおよそ一割増し。生徒会メンバーが行うという演劇も話題になっているようですね。興味深い」
貴族女性の嗜みとして周囲から浮かない程度に着飾っているものの、私の目的は学園祭を楽しむことではない。何がどんなふうに行われていて、どれが目玉だったのか、学園祭での出来事が今後の国にどのような影響を及ぼすのか、調査することが目的だ。
敢えて堅苦しく言えば覆面調査である。
ちなみに調査官は複数人派遣されている。
一人では見落としてしまう部分を拾い上げるためであり、私見の入りがちな部分を客観的に判断するためであり、調査官の能力を比較するためでもある。
私自身の評価に繋げるためにも国のためにも、私は私なりの調査を行ってレポートに纏めなくてはならない。
さて、ではまず、屋台から見て回ろう。
腹ごしらえをしておいた方が後顧の憂いがなくなるし、学術的な意味合いの強い研究発表や産業的な価値の高い製作発表を先にしてしまうと時間配分を誤りかねない。
決してお腹が空いているわけではない。ないったらない。
「概ね参加店は例年通り。脱落店と新規参加店は――」
さりげなく見て周りながら、手元のメモに短く記していく。
前年の参加店舗リストは頭に入っているので、書くのは消えた店と現れた店の名前だけでいい。
「ああ、どこも美味しそうですね。どうしましょう。全て食べるわけにはいきませんし……人だかりの出来ている店に行くのがセオリーでしょうが、時間を使いすぎるのも」
ひときわ煌びやかなドレスを纏った、学園生とみられる令嬢がお菓子やサンドイッチを際限なく買いあさっているのが見えたが、あれは悪い例だ。
というか、目の錯覚でなければカタリナ・クラエス様だったような……?
「み、見なかったことにしましょう」
レポートで個人を名指しするのはあまり品が良くない。
特に悪い評価の場合、親からクレームがつく可能性もある。
私は気を取り直して屋台を厳選して食べ物を買っていく。有名なサンドイッチの店と、スイーツの店、後は――。
「ん、あれは……」
知る人ぞ知るマニアックな店として噂になっている料理店の屋台だ。
確か出資者はアスカルト家だったか。ダン・アスカルト伯爵はやり手だが食方面には疎かったはず。となれば息子のニコル様が新しい事業を開拓しているのか。
メニューは――変わったものを売っている。『りんご飴』に『塩からあげ』?
『リンゴ飴』はその名の通り、リンゴに飴を絡めて固めたもののようだ。使われているリンゴはかなり小ぶりなものだ。
『塩からあげ』は茶色の衣に包まれた何かにバジルがかかったもの。フライとは少し違うようだが……? というかそもそも、からあげとは何なのか。
仕方ないので両方買ってみる。
「お買い上げありがとうございます」
「あの、このリンゴ、かなり小さいですよね?」
「ええ。小さい方がリンゴ飴には向いてるってことで、ジャムにするくらいしか使い道のない安い余り物を買い上げたんですよ」
ふむ、それは上手いやり方だ。
大振りのリンゴまるまる一個では食べ飽きてしまうかもしれないし、果物商人としても有難いだろう。
「こちらのからあげというのは、なんなのです?」
「鶏肉に衣をつけて揚げたものになります。フライとは配合が違うんですが、美味しいですよ。味付けはバジルとレモンです。貴族様には好評ですが、個人的には何もかけずにいただくのも好きですね」
「へえ」
塩からあげは野菜と一緒にクレープに包んで提供された。食べやすいようにという配慮だろう。
味は、どちらも文句なく美味しかった。
斬新すぎて受けはよくないかもしれないが。
「ニコル様は面白いことを考えましたね」
「ニコル様? ……ああ、違います。この店の運営にはソフィア様が関わっております」
「ソフィア?」
妹のソフィア・アスカルトか。
特異な容姿をしていること、学業において優秀であること、異常に本を好むことは知っていたが、料理分野にも才能があるのだろうか。
まあ、金だけ出して、後は店の料理人任せなのだろう。
私はリンゴ飴とからあげクレープを美味しくいただきながらそう思った。
◇ ◇ ◇
「本日は生徒会メンバーによる演劇を行います。是非見にいらしてくださいませ」
購入した食べ物があらかた胃に落ち込んだ頃、当のソフィア・アスカルト様がアリス・スティアート様と劇の宣伝をしているのが見えた。
何やら薄い紙を道行く人に配っている。
受け取った人の中には物珍しそうに何やら尋ねている者もいる。植物紙自体は既に普及しており、珍しいものではないはずだが、
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ソフィア様から手渡された。
先程、少々失礼なことを考えたのはおくびにも出さずに受け取る。その場を数歩離れてから紙に目を落とすと、そこには精緻な文字で劇の詳細が書かれていた。
小さな紙とはいえ、劇の宣伝のためだけに一枚一枚、この精度で手書きを――!?
慌てて踵を返そうとすると、別の誰かの質問にソフィア様が答えるのが聞こえた。
「これは活版印刷という技術です。我が家が普及を進めているもので、同じ文字の並びを素早く、多くの紙に記すことができます。同じ技術を用いた劇のパンフレットも販売しておりますので、よろしければご購入くださいませ」
活版印刷。
噂には聞いていたが、これが……?
ソフィア様のスマイルと手にした紙を見比べた私は、いそいそと劇のパンフレットを購入した。
◇ ◇ ◇
活版印刷すごい。
頭を空っぽにした子供のような感想を抱きつつ、私は活版印刷の発表が行われている会場へ向かった。
そこではニコル・アスカルト様主導で活版印刷機の展示、および印刷物の配布が行われていた。
というか、配布されている印刷物は私がもらった劇の告知だった。
なるほど、最初から劇と活版印刷、ダブルで宣伝するつもりの印刷物というわけか。更に技術に感動した者からパンフレットの購入も見込める。
「……これは、書物の価格と普及率を一変させますわ」
活版印刷機は柵で守られていて傍に寄ることはできなかった。
私はご婦人方を中心に淡々と説明を行っているニコル様に目をやると、心に防壁を築きながらそっと近寄った。
「初めまして、ニコル・アスカルト様。とても素晴らしいものを発明されましたね」
「ありがとうございます。私としても多くの方に注目していただき、また、我が家の新事業としても期待しております。妹の発想には驚くばかりです」
「え? 妹?」
「はい。活版印刷機の原型を思いついたのは妹のソフィア・アスカルトなのです」
「……また」
「はい?」
またソフィア・アスカルトか。
思わず心の中で呟いてしまう私だったが、この後、別の発表を見に行ってもその名前を目にすることになるとは、この時にはまだ思ってもいなかった。
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番外編:とある調査官の学園祭レポート(後編)
ニコル様からひとしきり話を伺った後、私は活版印刷のブースを後にした。
話を聞いてわかったのは、ソフィア・アスカルト嬢が奇抜な発想をするのはもちろんのこと、兄のニコル様の才覚も確かなものだということだった。
極小の文鎮のような形の金属のピースを大量に作り、その表面に一文字ずつ彫り込む。彫ったピースを文章になるように並べて固定し、インクを付けて紙に押し付けるとあら不思議、一ページ分の紙が筆記したのと同じ――いや、プロが筆記したよりも綺麗に記される。
技術として確立した後で整理して聞かされれば「なるほど、可能だ」と理解できるが、写本屋の仕事に不満がない現状、なんでそんなことを思いついたのかと首を捻ってしまう。
しかし、ニコル様はそういった疑問を飲み込み、他人に説明できるまでに把握、実際の運用まで指示できるようになっているというのだ。
『ですが、一ページごとにセットを組みなおすのでは、下手をすれば書くより時間がかかりませんか?』
『ええ。ですから、印刷は複数冊を一度に生産することを前提としております』
『あ。一冊を作ってはもう一冊を作るのではなく……』
『三十冊なら三十冊分、一つのページを刷ってから次のページに向かうわけです』
『……なるほど』
仮に三冊分を一度に刷った場合で手書きと互角としても、三十冊刷れば十倍の効率になる。
人件費で言ってどちらが安いか、設備投資の分がどの程度かという問題もあるので、単純に十分の一の価格にはならないだろうが、
『まずは、アスカルト家が契約している数名の作家の本を活版印刷で製作、販売できるよう進めております』
これが恐ろしい。
アスカルト家が抱えている作家は娯楽小説を書く者が殆どらしいのだが――例を挙げれば、彼らの本はこれから他の作家の半額で、倍の量が発行されるかもしれない。安く字の綺麗な本が苦労しなくても手に入るとなれば、それは飛ぶように売れるだろう。
売れ行きが上がれば活版印刷機の数も増やせる。
発行量が更に増えれば外国の商人も買って行くだろうし、自分も仲間に入れてくれという作家が大挙するだろう。
『魔法学園の教科書や、情報を乗せた薄い紙面を発行できないかも検討・交渉中です』
『アスカルト家は写本屋を路頭に迷わせるおつもりですか?』
『まさか。現在、当家では印刷業への転向を支援すると共に、専属契約を希望する方を募集しております。温かみのある綺麗な文字は数を出す必要のない高級な本に向いているでしょう』
絶句した。
『そこまで喋ってしまって大丈夫なのですか……?』
『これから活版印刷機の試作から始めたところで、当家に追いつくことはできませんよ』
今回の調査レポートの大きなトピックが一つ確定した。
◇ ◇ ◇
もうアスカルト家の功績を見るのは十分だ。
次に向かったのは魔法の研究発表。
こちらでは生徒および教師が開発した新しい魔法や、既存の魔法の新しい使い方について知ることができる。魔法を使えるものが多いのはこの国の特徴だ。これも必ずチェックしなければならない項目の一つである。
明らかに軍事利用しやすい魔法――破壊力の高い魔法は公にされないのが残念なところだが、それでも生活に便利な魔法や、応用すれば戦に使えそうな魔法が転がっていたりする。
「ふむ。これは……アリス様の研究された魔法ですか」
なんでも、水に弾けるような口当たりを加える魔法だとか。
それをして何の意味があるのかはわからないが、これまで聞いたことがないのは確かだ。
実演してもらおうと顔を上げると、そのブースにいるのはメイドが二、三名だけだった。
「こちらでは、実際に制作されたお水を試飲していただいております」
「毒ではないのですよね?」
「もちろんです。アリス様はこのお水を好んで飲まれておいです」
ならばと、グラスに一口分注がれた水をぐいっと飲み干す。
慣れない刺激と共に口の中に広がった風味は――。
「甘い。それに、レモンの香りが……」
「はい。レモンの風味をつけた砂糖水に『炭酸の魔法』を加えております」
「不思議ですね、これは」
炭酸とやらに味はない。
なので味自体はレモン風味の砂糖水なのだが、全く別物に思えるから不思議だ。
夏の暑い時などはこの炭酸とやらが嬉しいかもしれない。
「アリス様はお酒に用いても良いだろうと仰っていました」
「! そちらの実例があるなら購入したいのですが……」
残念ながら酒での試作はしておらず、販売もしていないとのことだった。
「現状、使い手はアリス様だけなのですか?」
「いいえ。ご友人のソフィア・アスカルト様が覚えていらっしゃいます」
「なんでも、ご自分のプロデュースする料理店で振る舞えないか考えていらっしゃるとか」
またソフィア様ですか!?
◇ ◇ ◇
次に目に留まったのは風の防御魔法。
こちらは学園の風魔法教師が実演していた。
自分の周囲に小型の竜巻を生み出して何者も寄せ付けない魔法。
「……このように、この『渦の防壁』は防衛用の魔法です。無論、発動中の術者に体当たりでもしようものなら、相手は怪我をすることになるでしょうが」
術者に接近すれば弾き飛ばされて転ぶか、何かに衝突する。
飛び道具はもちろん効かないし、剣や槍などの細い武器では風で巻き上げられてしまう。がっしりした体格の男が槌でも使えば有効かもしれないが、そもそも戦えない非力な者の自衛用と考えれば、敵にそこまでさせている時点で十分なアドバンテージだ。
「風の属性を持つご婦人には是非覚えていただきたい呪文ですね」
「はい。現在、発案者の一人であるソフィア・アスカルト様、それからご友人のアリス・スティアート王女に協力いただき、使いやすい改良を考えております」
「ソフィア・アスカルト……」
誰かが「さすがは『アスカルト家の魔女』」と呟いているのを聞いて、私は遠い目になりながら納得した。
◇ ◇ ◇
ソフィア様の名前はまだ私を追いかけてきた。
「ソフィア・アスカルト発案、遠話の魔法道具……」
それは遠くにいる者と話ができるという魔法道具だった。
二つ一組であり、それぞれが外にいるか、あるいは魔法道具の一部である「アンテナ」とやらを屋敷の屋根や窓の外などに取り付けていることが条件。
一方が魔法道具を発動させるともう一方が感知し、アンテナと繋がった魔法道具本体のベルが鳴る。ベルが鳴ったのを感知したら駆け寄って、コップのような形をした器具を使って話をする。
持ち運ぶのは辛いサイズだ。
戦争中に軍として持ち運ぶのならアリかもしれないが、基本的には住居に設置して使うものだろう。購入する場合の試算額も馬鹿みたいに高いが、それでも「遠くにいる者と話ができる」というのは画期的だ。国の重要拠点、例えば城と魔法省の本部に置くだけでも便利だろう。
「……ソフィア・アスカルト」
私は「あの少女に常識を期待してはいけない」と理解した。
◇ ◇ ◇
今回の学園祭レポートは不本意ながら自己最長を大幅に更新した。
主にアスカルト家――というかソフィア様のせいである。
カタリナ様がすれ違う度に違うものを食べているのも面白かったが、ソフィア様のそれは種類が違う。
「……わかっているんでしょうか、ソフィア様は」
当人は図書館で司書を希望しているらしいし、貫き通せばそれは通るだろうが、まず間違いなく茨の道になるだろう。
何しろ、一人であれだけの成果を挙げているのだ。
しかも、未だに婚約者どころか浮いた話もなし。
保護者であるダン・アスカルトに変わって利権を握ろうとする家がこぞって縁談を持ちかけてくるだろうし、下手をしたら誘拐事件が起こってもおかしくない。
他国に誘拐されたソフィア様のせいで戦争に発展、などという事態だけは避けて欲しいものだが――。
「そのためにも、詳細に記載しなくてはなりませんね」
こうしてソフィア様の名前と『アスカルト家の魔女』の異名は今まで以上に知れ渡ることになったが、私はきっと何も悪くない。
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ジオルド・スティアート対策会議?(前編)
「本日はお集りいただきましてありがとうございます。皆様、議題はわかっておいでですね?」
学園祭から数日後の夜、メアリ様が据わった目で私達を見据えた。
「はい」
「ええ」
「もちろんです。……ですが、私までご一緒してよろしいのでしょうか?」
「別に貴女だけ除け者にする理由がありませんわ。寮に戻るのは難しいでしょうが、でしたら泊っていけばいいのです」
マリアさんのおずおずとした声に、メアリ様はふん、と鼻を鳴らして答える。
ツンデレの見本のような回答だったが、ふわふわした金髪の少女は思わず、といったように涙ぐむ。
「……ありがとうございます、メアリ様」
と、アリス様が半眼になって、
「というか、ここは私の部屋なのですが」
「……一番広いのですから仕方ないではありませんか」
メアリ様は視線を逸らした。
◇ ◇ ◇
アリス様の寝室に集まったのは家主のアリス様に加えて私、メアリ様、マリアさん。
招集をかけたのはメアリ様で、アリス様は場所を貸した形になる。
夜になってからの会合なので、寮の違うマリアさんには誰かの部屋で夜を明かしてもらうことになるだろう。
「幸い、ここにはベッドが二つありますので、マリアさんに使っていただいても全く問題ありません」
「恐れ入ります、アリス様」
「いえ、なんでベッドが二つ必要なんですの? 一人部屋ですわよね?」
婚約者、あるいは恋人を呼ぶわけではない。
寮の部屋で逢引きをするのもチャレンジャーだが、そこまで好き合っている相手を招いておいてベッドは別、というのも変な話だ。
これには別の理由があって、
「私がよくお泊まりに来るのでベッドを増やしてくださったのです」
「そ、ソフィア先輩!? それは内緒にしてください」
「? いけませんでしたか?」
アリス様の優しさをメアリ様達にも知って欲しかったのだが。
これにメアリ様は目を細めて、
「……へえ。ソフィアを招くために新しいベッドを」
「な、なんですか、メアリ様?」
「いいえ、別に。ただ、ベッドを別にする程度の分別はおありなのだな、と」
「わ、私とソフィア先輩はそういう関係ではありません!」
顔を真っ赤にしたアリス様が主張すると、メアリ様は微笑んで頷いて――私の身体をそっと抱き寄せた。
メアリ様の女性らしい柔らかさが感じられて私まで赤面してしまう。
「メアリ様。ソフィア先輩から離れてください」
「これくらい良いではありませんか。ね、ソフィア?」
「ええと、その、むしろ心地いいとは思いますけれど……」
「ソフィア先輩?」
アリス様の目が怖い。
「……あの、皆さん。話し合いを始めませんか?」
「「申し訳ありませんでした」」
マリアさんに窘められ、私達三人は揃って謝罪した。
◇ ◇ ◇
こほん、と咳払い。
「あらためて、議題はカタリナ様とジオルド様のことですわ」
「……お兄様にも困ったものですね」
「あら、アリス様。言葉の割に楽しそうに見えますけれど」
「そうですか? そうかもしれませんね」
休戦したと思ったらすぐさま小競り合いを始めるメアリ様とアリス様。
淑女の気品と貴族らしい威厳を併せ持つメアリ様の口撃に、アリス様はおっとりと対応しつつも譲ろうとはしない。
二人ともカタリナ様が好きすぎるせいで馬が合わない部分があるのだ。
「ですが、メアリ様。お兄様にとってあれは当然の権利でしょう?」
「そ、それは……そうですけれど」
あれ、というのは当然、カタリナ様とジオルド様がキスをした件だ。
これまでにも手の甲や額へのキスはあった。
だが、今回は唇と唇。
カタリナ様のファーストキス(だと思われる)を奪ったのだから、恋敵、ひいてはカタリナ様自身に対する宣戦布告と言っても過言ではない。
とはいえアリス様の言う通り、婚約者ならキスくらい当然だ。
婚約して何年も経っているのにキスもしていないなんて、一般論で言えばジオルド様が紳士過ぎるくらいだ。
「だ、だからといって見過ごせませんわ! 私のカタリナ様にあんなことを……! マリアだって許せませんわよね?」
「え、ええ、そうですね……」
急に水を向けられたマリアさんは驚きつつもさっと表情を曇らせる。
「……突然のことでしたし、現場を見せられるとさすがに胸が痛みました」
マリアさんもカタリナ様のことを慕っている。
最近はカタリナ様の傍にいるため、魔法省に入ることを考えているらしい。
「ですが、私にとっては『わかっていたこと』でもあるのです」
「わかっていた?」
「はい。カタリナ様はジオルド様か、そうでなくとも他の殿方のものになるのだと。私はお二人の仲睦まじい様子を端で眺めることになるのだと」
胸に手を抱いて微笑むマリアさん。
彼女の笑みは全てを覚悟している、大人びたそれだった。
マリアさんはカタリナ様に恋をしている。
だが、メアリ様のような混じりっけなしの恋心ではない。尊敬や親愛、感謝、果ては崇拝に近い感情が入り混じっているため、カタリナ様を独占したいとは思っていない。
身分の違いもあるだろう。
将来もずっとカタリナ様の傍にいられるのならそれでいい、というのがマリア・キャンベルの恋心なのだ。
「そんなの、私にはわかりませんわ」
悔しそうに唇を噛むメアリ様。
彼女の想いは単純明快だ。
カタリナ様を独り占めしたい。自分が男でなかったことを心から悔やみながら女であることを受け入れ、次善の策を常に模索している。
この国を出てどこか静かなところで二人で暮らす、というのは冗談でもなんでもない、彼女にとっての「幸せな将来プラン」なのだ。
「ジオルドお兄様なら、カタリナを幸せにして下さると思います」
言ったのはアリス様。
「……まあ、一生連れ添う方としては不向きだと思いますが」
アリス様の立場は特殊だ。
妹であること、敦子ちゃんだった頃の記憶があることから、ジオルド様を「腹黒ドS王子」として俯瞰視することができる。
自分なら彼と結婚したくはない、というのがアリス様の持論。
その上で、カタリナ様の行く末に幸があることを本気で願っており、ジオルド様なら不足がないことも理解している。
「わ、私の方がカタリナ様を幸せにできますわ!」
「メアリ様。もう少し歯に衣を着せた方がよろしいかと」
「どうせこの場にいる方は皆、わかっているではありませんか」
言われて顔を見合わせる私とマリアさん。
お互い苦笑いになってしまうのは、メアリ様の言う事が正しいからであり「わかっているならもう少し」と思ってしまうからだ。
もちろん、メアリ様はそういうところがとても愛らしいのだが。
アリス様は「困りました」というように頬に手を当てて、
「ですが、カタリナはノーマルですよ?」
「そ、そんなのわかりませんわ!」
「わかります。いくらスキンシップを望んでも、あの子の対処は友人のそれを逸脱してしませんし、なんなら男性に対してもほぼ同じ対応を取ります」
「うっ」
「それが『普通』です。……多くの方にとって、同性愛とは気持ちが悪い以前に『よくわからない』ものなのです」
男女で恋愛をして、結婚をして、子供を作る。
同性間で子供が作れないことを考えれば生物として普通であり、自然なことだ。
自然だからこその固定観念を打ち壊す『自由』が叫ばれ出したのは、私や敦子ちゃんの前世の世界でもそう昔のことではない。
この世界の貴族の場合、同性間での「恋愛」までなら割合許容される傾向があるが、結婚となると昭和の日本以上に困難だと考えていい。
年下とはいえ地位が上の、歳の割に落ち着いた同性にぴしゃりと言われ、メアリ様は口ごもる。
「……アリス様はその理屈に納得して、殿方と結婚できるんですの?」
「ええ、必要であれば」
アリス様はあっさりと頷いて、
「まあ、可能であればしないで済ませたいとは思っていますし、同性婚への憧れもないわけではありませんが」
手招きされた私はメアリ様の傍からアリス様のところへ移動する。
ぎゅっと背中から抱きしめられると、なんだか不思議な安心感が湧きあがった。
「それを望むのであれば、世界を変えるところから始めないといけないでしょうね」
「世界を、変える」
まるでクーデターのお誘いのようだが、もちろん、そんな大げさな話にはならないだろう。
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ジオルド・スティアート対策会議?(後編)
「具体的に何をしろと言うんですの?」
「皆の意識の問題なら、意識改革から始めればいいのです」
千里の道も一歩から。
同性愛を許容する土壌ができれば、メアリ様の愛も違った形で受け取られるかもしれない。
しかし、言うは易し。
「まずは実例を作りましょう」
「実例?」
「同性の恋人の先駆けを作って後続を刺激するのです」
「いえ、それができないから困っているのでしょう?」
一人目より二人目、二人目より三人目の方が心理的抵抗は小さくなる。
ある程度人数が集まれば社会的ムーブメントとして改革の切っ掛けになるだろうが――メアリ様の言う通り「できるならとっくにやっている」。
と、アリス様は首を振って、
「できない? 何故です?」
「何故って、それは……」
「そういった風潮がないから。一人目になるのは気まずいから。違いますか?」
「っ!?」
「どこか別の国に逃げて二人だけで暮らす。表向きは親友として、実際には夫婦のように。ええ、素敵だと思います。二人が納得していれば結婚の必要もないでしょう。ですが、それはメアリ様が無意識に『現状を肯定』し、逃げに走っているからではありませんか?」
思った以上に指摘は真摯で、かつ、容赦がなかった。
メアリ様は唇を噛み、身体をわなわなと震わせる。
傍にいたマリアさんが心配そうに手を差し伸べかけるも、
「私が弱虫だとでも言いたいのですか……!?」
「その通りです。……そもそも、メアリ様は本気でカタリナを『奪う』覚悟がおありなのでしょうか?」
「馬鹿なことを。私は、誰よりもカタリナ様を……!」
「親愛でも友愛でもなく、愛している。では、何故それを伝えないのですか? 手を尽くそうとしないのですか? 勝算がなければあらゆる手段で作り出す。優雅に上品に狡猾に。それが『貴族令嬢の鑑』メアリ・ハント様のやり方では?」
この国において、政治はまだまだ男性の世界だ。
私達、貴族令嬢は性別の時点でハンディを背負っている。だから私達は別方向から世の中を動かす。流行や噂話を操り、時には自身の恋愛さえも利用して流れを作り出す。
静かな政争。
上に何人もの姉を持ち、境遇として恵まれていたわけではないメアリ様が『貴族令嬢の鑑』と呼ばれるまでになったのは、死に物狂いで「貴族令嬢のやり方」を身に着けたからだ。
だからこそ、その指摘は重い。
「……なら、貴女はその努力をしているというんですの?」
「勘違いしないでくださいませ。私はカタリナを愛していますが、それは友人としてです。彼女を生涯の伴侶としたい、という気持ちはありません。結婚を忌避しているのは何人もの夫婦を見て、肌で感じたものがあるからです」
私やカタリナ様は前世で結婚していない。
というか恋人すらいなかったのだが、アリス様には旦那様がいた。天寿を全うしたわけなので心残りはないだろうが、それでも、今更他の人と――という思いもあるのだろう。
「メアリ・ハント様。貴女は私と同じですか?」
「……いいえ」
メアリ様は首を振った。
きっ、と、顔を上げた彼女はアリス様を睨みつけて、
「怖い。決定的な手段に出てしまえば後戻りできない。そう考えるのは悪いことですか?」
「いいえ。だからこそ、周りを巻き込んではどうか、と、申し上げているのです」
アリス様は微笑み、小さく頭を下げた。
抱かれている私の身体も一緒に傾く。
「申し訳ありません、メアリ様。挑発する形になってしまいましたが、貴女を嗤うつもりはないのです。むしろ、貴女がカタリナを幸せにしてくれるというのなら、私はそれを応援したい」
「……アリス様?」
「私、メアリ様のこともお友達だと思っているのですよ?」
「っ」
少し恥ずかしそうな声音で告げるアリス様は、控え目に言っても可愛らしく、私までどきっとしてしまった。
「……わ、私だって、アリス様を嫌っているわけではありませんわ。立場が違うせいで衝突しているだけで、カタリナ様への思いも本物だと思っていますし」
「ありがとうございます、メアリ様」
二人は少しだけ仲直りして、前より仲良くなった。
なんだか胸がぽかぽかしてくる。
前世の私はこんな風に、頻繁に集まって話をする友人はいなかった。正確には本の話以外では、だが。本好きの友人達との集まりにしても、本の話が一段落したらみんなそれぞれ本を読みだしたりしていたので、あんまり女子会って感じではなかったのだ。
お友達がたくさんいて、とても楽しい。
「皆さん、本当に仲良しなのですね」
マリアさんが他人事のように口にしたので、メアリ様に目配せして抱いてもらった。
「あ、あの、メアリ様」
「ふふっ。たまにはこういうのもいいでしょう、マリア?」
顔を真っ赤にしながらも、マリアさんはこくんと頷いた。
◇ ◇ ◇
「というか、アリス様の案には重大な欠陥があるのです」
こほん、と、可愛らしい咳払い。
「欠陥、ですか?」
「ええ。私が先駆者になるということは、カタリナ様以外の方と恋仲になるということでしょう? それではカタリナ様と結ばれることができませんわ!」
「気づかれましたか」
「今なんて仰いました、アリス様?」
「いえ、なんでも」
私にはばっちり聞こえましたよ、アリス様。
「メアリ様は本当にカタリナ一筋なのですね」
「当然ですわ」
「では、ソフィア先輩は私が貰いますね」
「あ、アリス様。く、苦しいです」
「すみません。ソフィア先輩があんまり可愛いので、つい」
ぎゅーっとアリス様に抱きしめられる私。
これにメアリ様は「ぐっ」と、あまり可愛いとは言えないうめき声を上げた。
「ず、ずるいですわ! ソフィアは私の……私の、そう! 親友なのですわ! お互いに結婚相手が見つからなかったら一緒に暮らそうと約束だって!」
「あら、ですがメアリ様はカタリナ様と結ばれるのでしょう? ソフィア先輩、そうしたら寂しいとは思いませんか?」
「あ……そうですね。一人暮らしも気楽だと思いますが、親しい方が傍にいてくだされば、きっと楽しいと思います!」
「そうでしょう? でしたら私と一緒に暮らしましょう」
「あ、アリス様! 貴女は味方なんですの、敵なんですの!?」
「私はカタリナとソフィア先輩と自分の味方ですよ」
きっぱり言い切るアリス様はやっぱり凄い。
「というか、ソフィア先輩だって他人事ではないんですよ?」
「わ、私ですか?」
「ええ。学園祭以降、婚約の申し出が殺到しているのではありませんか?」
「それは、確かに急に多くなりましたけれど……」
そう。
どういうわけか、こんな私と婚約したいという男性が何人も現れた。
花やプレゼントを幾つも貰い、手紙への返信も余儀なくされた。親御さんからの「家に遊びに来ないか」というお誘いも合わせるとかなりの数だ。
「一つ一つお断りするのが大変で困っています。そもそも、どうして急に増えたのか……。皆様、私のこの髪と目が見えないのでしょうか」
「……ああ、さすがはソフィア先輩ですね」
「……どうしてこんなになるまで放っておいたんですの」
「メアリ様とアリス様の影響も大きいと思うのですが……」
「え? え? なんですか、皆さん理由がわかるのですか?」
まず、私の髪と目はもう、以前ほど忌避されていないと言われた。
それはそうだが、結婚となれば話が別ではないだろうか? そもそも私と結婚したところでアスカルト家の権力は手に入らないわけで、なら、万に一つに賭けてアリス様に求婚する方が良くはないだろうか。
「なるほど……ソフィアの髪と瞳。固定観念の破壊は、もうカタリナ様が実例を作ってくれていましたわね」
「では、メアリ様?」
「ええ。恋人を作るわけにはいきませんが、先駆者になってみるのもいいかもしれません」
メアリ様は流行の発信からムーブメントの作成を試みることにしたらしく、活版印刷による百合小説の出版に出資してくれることになった。
「でしたら、私もソフィア先輩に出資しましょう」
「ありがとうございます! でしたら、株式の概念を導入して株主になっていただいた方がいいですね」
百合小説用の資金が増える→たくさん刷れる→百合作家を囲い込める→新作をどんどん売る→貴族社会に百合が浸透する、という流れだ。
同時に学園内で「百合小説同好会」を設立し、学園の生徒に百合小説を浸透させることに。
百合は主にロマンス小説界隈で流行しているため破廉恥と誤解されがちだが、むしろ性描写は控えめで、女性の世界が中心のため秘めやかで上品で、ゆったりとした世界が構築されるものが多い。教育にも決して悪いものではなく、親や姉妹へ広がることも狙う。
「売上向上と読書習慣の定着にも効果がありそうです」
「「さすがソフィア(先輩)」」
「え、あの、私、もしかして守銭奴みたいに思われてますか?」
「そんなことはないですわ」
「はい。並々ならぬ本好きだと思っているだけで」
「うう」
解せぬ。
と言えないどころか、むしろ嬉しいのだが、それでもちょっと釈然としない私だった。
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4巻相当分?
伯爵令嬢と結婚問題
「求婚を全て断っているそうだな」
学園祭が終わってから一か月後、私はお兄様――ニコル・アスカルトから『とある追及』を受けていた。
お兄様が学園に来るのは珍しくない。
宰相としてのお仕事を手伝いつつ、我が家が行う他の事業に関わっているからだ。
具体的に言うとレストランの運営や作家の育成、出版。
最初は私が軽い気持ちで始めたものがどんどん大きくなり、今ではハント家とも協力、王女であるアリス様からの出資まで受けているそれを、在学中の私に代わって運営してくれている。
この街のレストラン二号店への視察や魔法省での手続き、一応は最高責任者である私への確認・相談など、若く身軽なのを活かして飛び回っている。
多い時だと週二、三回のペースだろうか。
お兄様も忙しいので、普段は仕事の話が中心、終わってからお茶か食事をご一緒して「ではまた」というのが定番なのだが――今日は仕事が「ついで」だった。
本題は、お父様お母様から「くれぐれも」と言われてきたという、私の結婚問題。
……軽い気持ちで二人っきり(使用人は除く)になった私が馬鹿だった。
「え、ええ、まあ。そんなこともあったような……?」
「こっちを見ろソフィア」
とぼけてスルーする作戦、失敗。
こほんと咳払いをした私は「きりっ」とした表情を作って、
「ええ。全てお断りいたしましたが、それが何か?」
「何かじゃない。それが問題だと言っている」
開き直り作戦、失敗。
私は「うう」と呻くと、縋るようにお兄様を見つめた。
「お兄様だって知っていらっしゃるでしょう? 私、結婚なんかしたくないんです」
「知っているが、全て断るのはやりすぎだろう」
「お互い様ではありませんか」
お兄様は表情一つ変えないまま瞬きをして、
「俺は『まだその時じゃない』と思っているだけだ」
なら私だって引き延ばしても構わないじゃないか。
「茶や食事程度なら応じてやれ。それで気に入らなければ面と向かって断ればいい」
「それができるのは、お兄様が跡継ぎで男性だからです」
家格が上の方からの求婚もあるのだ。
跡継ぎでもない女の私が「お話した結果気に入りませんでした」なんて言ったら問題だ。お兄様は美形なので「相手なら幾らでもいらっしゃるでしょうし」と相手が勝手に納得するのもある。
「結婚する気がない、と言ってしまった方が角が立たないでしょう?」
「俺としても独り身よりは、ソフィアが嫁いでくれた方が安心するんだが……」
私とは違う、お父様に似た瞳が逡巡の色を宿して、
「……理由はカタリナか?」
「いいえ、単に貴族夫人は私に務まらないな、と」
「……はあ」
無言で溜め息を吐かれた。
「だ、だって、出産は痛いらしいのですよ! 私、死んじゃうかもしれません!」
「俺が『問題ない』とは言えない件だが……」
出産で死ぬケースは多くない。ごく稀、と言っていい。
逆に言うとごく稀には亡くなる方もいるのだ。
「……そう言われると心配になってくるな」
「でしょう!?」
「だが、それなら良い医者を雇えばいい。それでも心配ならマリア・キャンベルに依頼したらどうだ?」
「マリアさんに……」
光の魔法を使えば痛みや疲労は和らげられる。
特に帝王切開から亡くなるケースは防げるかもしれない。
痛くないなら別にいいかな、って、
「だ、騙されませんよ!?」
「騙してないが。……そもそもお前の場合、嫁いでも『自分の事業』最優先で問題ないだろう?」
「あっ」
求婚してくる方の多くが利権狙いだ。
ということは、私は夫の事業を支えるよりも、自分で稼いでお金を入れることを期待されている。
思ったよりは生活が変わらなさそうな気がするが、
「それでは本が読めないではないですか」
「余暇の時間が欲しいなら次々に事業を始めるな。司書をしながら本の流通を牛耳る気か」
最高じゃないですかと反射的に答えかけてから、少しだけ冷静になって、
「人を雇えば問題ありません」
「……実際問題ないのが問題だが」
お兄様は小さく首を振って、言った。
「このままだと延々求婚が続くぞ」
「う」
「どうしても嫌なら何か方法を考えろ」
「ううう」
「それから母上がこう言っていた。『妊娠中は暇になりますから、ベッドで本を読んでいても誰も咎めませんよ』」
「貴族夫人、悪くありませんね」
前向きに検討します、とお兄様に返答して半日くらい経ってから「唆されただけでは?」と気づいた。
◇ ◇ ◇
悩みに悩んだ私は、自分の気持ちに結論を出した。
「あのう、キース様」
「ん? なんだい、ソフィア?」
翌日の生徒会室。
お仕事が一段落したタイミングで、私はキース様を呼び留めた。
金髪青目の美青年。
お兄様の人気に目を奪われがちだが、彼もまた、ただ歩いているだけで黄色い声の絶えない男性。立ち居振る舞いも素敵で、こうして振り返っただけでもとても格好いい。
今から言う事を考えると途端に恥ずかしくなってしまう。
「ええと、その、お願いがあるのですが……」
「? うん、ソフィアの頼みなら大抵のことは聞くけど」
「っ。本当ですかっ?」
少し気持ちが軽くなった私は顔を上げ、ぎゅっ、と両手を握って想いを告げた。
「キース様。わ、私と婚約してくださいっ」
ぱりーん。
「………」
「………」
「………」
時が凍った。
「……は?」
キース様が笑顔のまま声を上げたかと思うと、
「「はあああああああっ!?」」
大騒ぎになった。
「な、ななな、何がどうなってそうなったんですの、ソフィア!?」
驚きのあまりティーカップを落として割ってしまったメアリ様は、破片を片付けるのも忘れて私に詰め寄ってくる。飛び散った破片にカタリナ様が近づきかけたところでマリアさんが止め、代わりに片付け始めた。
「そ、ソフィア先輩? 男女の過激な恋愛小説でも読まれたのですか?」
アリス様までがおろおろと聞いてくる。
片付けをしなくて良くなったカタリナ様も飛んできて、何故か目をきらきらさせて、
「え、なになに、ソフィアってばキースのことが好きだったの!? もう、そういうことなら言ってくれればいいのに! っていうか、こんなところで告白するなんて大胆過ぎるんじゃない!? でも、ソフィアになら大事な弟を上げてもいいわ。二人で仲良くするのよ、ね?」
「落ち着いてくださいカタリナ。まだキースはOKしていませんし、正式な話は両家を通さないといけないでしょう?」
「そうだぞアホ令嬢。お前の天然がソフィアに伝染ったんだから謝れ」
ジオルド様とアラン様が幾分か冷静に場を鎮静化させてくれたお陰で、私は事情を説明することができた。
◇ ◇ ◇
「……なるほど。求婚を回避するためか」
「はい。もちろん、そのまま結婚に至ってもいいとは思っているのですよ? キース様でしたら私のやりたいことを尊重してくださるでしょうし」
あの時は冗談だったが以前にも話が出ていた通り、私のお相手としてこれ以上の方はいないと思う。
「アスカルト家ではクラエス家と少々釣り合いが取れませんが……」
「いや、それは僕も養子だし。ソフィアなら箔付けも十分だと思うけど」
「そうですか? でしたら是非、ご検討くださいませ」
「いつになくグイグイ来るなあ」
「だって、気心の知れていない方と結婚するなんて本当に嫌なのです」
アリス様がうんうんと頷いてくれる。
「よくわかります。……そうだ、ソフィア先輩。私がキース様の第一夫人、ソフィア先輩が第二夫人というのはいかがでしょう? それでしたら司書の仕事に就いていただくことも簡単ですし、出版業などは私が手伝うこともできます」
「よろしいのですか!? アリス様とご一緒できるならとても嬉しいです!!」
「な、なんですのそれ!? 第二夫人でもいいのなら、アラン様がお相手でもいいではありませんの!」
「ま、待て待て。俺の嫁を勝手に増やすな」
と、騒ぎがまた大きくなってきた。
ジオルド様がくく、と、堪えるように笑って、
「残念ですが、父は一夫一妻を重んじる方ですからね。第二夫人は難しいでしょう。もちろん、僕の第二夫人でも、です。……ソフィアなら、個人的には『無し』ではありませんが」
「あらあら、キース? なんだか急にモテモテじゃない? どうするの? こんな可愛い子達から婚約を申し込まれて、断っちゃっていいのかしら?」
「姉さん、完全に面白がってるね……?」
疲れた顔で胡乱な目をするキース様。
想い人から「結婚しちゃえ」と言われるのは堪えるだろう。少々酷なことを言ったと思うが、お互いの合意で解消しやすいこの婚約は彼にとっても悪くないはずだ。私としては成立してしまってもそれほど問題ない。
そんな想いが通じたのか通じなかったのか、キース様は「でも、婚約者か……。そうだね」と呟き、何度かうんうん、と頷いて――。
蕩けるような笑顔と共に、言った。
「いいよ。ソフィアさえ良ければ、婚約できないか両親に相談してみようか」
「本当ですか!?」
「うん。……申し訳ないですが、アリス様にはご遠慮いただきたいのですが」
「なんでですの!?」
「なんでですか!?」
メアリ様とアリス様の悲鳴が生徒会室に響いた。
良く考えると四巻分の前振りとしても便利だな、と思ってこうなりました。
もちろん、キースにも(一応)考えがあってOKしてます
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キース・クラエスの企み
「おはよう、ソフィア。今日も可愛いね」
翌朝。
朝食のために食堂へ向かうと、キース様に声をかけられた。
優しい笑顔のおまけ付きで、その破壊力は――周りにいた女子達が「きゃー!」と黄色い声を上げたことからも明らかだった。
「ソフィア。重いだろう? 教科書を持つよ」
授業に向かおうとすると当然のようにエスコートされた。
本の重さなら気にならない私だが、嫌味のない気遣いに抵抗するなんてできなかった。
「昼食の時間だ。ソフィアはチーズが好きだったよね? 今日のBセットのメインはピザらしいよ」
食事の際も当然のように付き添ってくれて、私のために椅子まで引いてくれた。
「実技は別々になってしまうな。……僕の見ていないところで怪我なんかしないでくれよ?」
午後の授業に向かう際には私の手を取って微笑んでくれた。
◇ ◇ ◇
こうして、キース様の私へのアプローチはたった一日で学園中に広まった。
『あのキース様が遂に想い人を』
『お相手はあのソフィア・アスカルト様だそうよ』
『え、あの小さ――こほん。本ばかり読んでいて得体の知れな――こ、こほん。学年一の知識を誇るソフィア様と!?』
これには学園中が騒然となった。
ジオルド様やアラン様、アリス様にカタリナ様と濃いメンバーが揃っているせいで隠れてしまいがちだが、キース様はクラエス公爵家の跡取り――双子の王子様が既に婚約者を決めている以上、年頃の男性の中で一番の高額物件と言ってもいい。
今まで全ての求婚、交際の申し込みを断っていた彼が突然、自分からわかりやすいアプローチを始めたのだから、噂に尾ひれがついて広がるのは当然のことだった。
曰く、生徒会劇での私の語りに心を奪われた。
曰く、胸の小さな女性が好みだったらしい。
曰く、既に私と行き着くところまで行っていて、結婚も秒読みらしい。
曰く、義姉のお世話にはもう飽き飽きしている。
キース様がカタリナ様に飽きるわけがないのだが、実際、彼はあの日以来、義姉への態度を大きく変えた。
『おはようキース。今日もソフィアと仲が良いのねー』
『うん。ソフィアは僕の大切な人だからね。それじゃあ、行こうかソフィア。じゃあね、姉さん』
『え、ええ。またね……?』
殊更冷淡になった、というわけではない。
カタリナ様と会えば笑顔を浮かべるし、話もする。ただ、くっつきすぎなくらい一緒にいることはなくなったし、事あるごとに飛び出していたお小言もなりを潜めた。一般的な「仲の良い姉弟」の距離感になっただけなのだが――カタリナ・クラエスとキース・クラエスの仲を知っている者からすれば「喧嘩でもしたのか!?」としか思えない。
しかし、実際は喧嘩なんてしていない。
恋人ができたのに姉の世話なんかしていられないだろう、と一部の人が評した通り、カタリナ様へつぎ込んでいた時間が私に向けられたというのが正しい。
と言っても、私はカタリナ様ほど活動的な方ではないので、
『ソフィアはおしとやかで可愛いね。姉さんとは大違いだ』
手がかからない子、という評価を貰い、もっぱらエスコートされたり容姿を褒められたり、図書館に行くと言えば「じゃあ僕も一緒に行くよ」とついて来てくれたりするくらいだった。
いや、十分過ぎるくらいに嬉しいのだが。
むしろ、それでも過保護過ぎるくらいで、こんな生活が続いたら「もしかして私、モテるのでは?」と勘違いしてしまいそうだ。
……どうして、カタリナ様はこの熱意を向けられて平然としていられたのだろう?
ちなみにキース様は、どんどん広がっていく噂に対して平然としていた。
というか「してやったり」という感じ。自分から積極的に「勘違いされに」行っているのだから当然といえば当然か。
◇ ◇ ◇
キース様が私との婚約に前向きになったのには、もちろん理由がある。
度重なる求婚を避けるため、というのに加えてもう一つ。
――題して「北風と太陽」作戦(名前は私が勝手につけた)。
どれだけアプローチしてもわかってくれないカタリナ様に対し、逆方向から攻めることにしたのだ。
押して駄目なら引いてみよ。
飽きるほど一緒にいた仲のいい義弟が恋人を作り、素っ気なくなったとなれば当然、残されたカタリナ様は寂しがるはず。当たり前だったキース様の存在がどれだけ大切だったか、失って初めて気づくというわけだ。
まあ、私やメアリ様、アリス様の推測も混じっているので、本人的には「姉さんを嫉妬させたい」くらいのノリかもしれないが。
この狙いが伝えられたのは、カタリナ様周辺のメンバーのうち、カタリナ様本人とジオルド様以外の全員。
『アリス様との婚約をお断りしたのは、王女様がお相手となると気軽に破棄できないのと……その、本当に女性として見てしまいそうですので』
『え、ええと……。それは喜んでいいのでしょうか?』
『ふ、ふふふっ。良かったではありませんか、アリス様。婚約を断られたのは女性としての魅力に長けているから、らしいですわよ』
『メアリ様、完全に面白がっていますよね!?』
逆に言うと、私は女性として見られていないということ。
私としても気楽でいいので大歓迎だ。……どうせ子供みたいな体型だし。
『大丈夫か? あいつのことだ、口煩いのが減ってラッキーだ、くらいに思うんじゃないか?』
と、アラン様などは作戦に懐疑的だった。
実際、カタリナ様が全く堪えなかった場合、あるいは義弟離れできない寂しさにジオルド様がつけこんだ場合には逆効果なのだが、蓋を開けてみると、この作戦は一定の成果を挙げた。
『キースが口煩く言ってこない! これは、自由!』
最初の数日こそ晴れやかな顔で解放感を満喫していた(アンさんが悲鳴を上げていた)カタリナ様だったが、次第に「なんか調子が狂う」と感じ始めたらしい。
お菓子を大食いしたり畑を耕したりといったやりたい放題を止め、代わりに「弟ウォッチング」という新しい趣味を始めた。
最近ずっとキース様と一緒な私に代わり、メアリ様やアリス様から聞いた話では、
『ソフィアとキースの仲を見守らなくちゃ! こんな面白い……じゃない、微笑ましいこと、見逃してられないわ!』
と、ジオルド様そっちのけで私とキース様を見守っているらしい。
時には教室の入り口から。
時には生徒会室の片隅から。
時には中庭の木陰から。
時には食堂のテーブルの下から。
大体はすぐに誰かに発見されて未遂に終わるのだが、キース様は嬉しそうだった。
構うのを止めた途端、カタリナ様の方から興味を持ってくれたのだ。
「キース様。このままカタリナ様の気を引きますか?」
私とキース様の密談には「図書館」という好スポットがあった。
カタリナ様はここへはあまり来ないし、目立つ方なので館内では隠密行動が難しい。隣同士で座ってひそひそと言葉を交わし合えば、それだけで要件を満たすことができた。
「いや、もう少し姉さんの気を引きたい。それに実家からも手紙が来ていて」
「手紙ですか?」
「うん。婚約するつもりなら一度紹介しなさい、って」
「……バレてますね」
「それはバレるよ。学園中の噂になってるんだから」
カタリナ様とキース様の実家であるクラエス家には私は何度もお邪魔している。
ご当主様と奥様にも何度もお会いしているものの、キース様の恋人として顔を合わせるのは(当然ながら)これが初めてになる。
「今週末か来週末、時間取れそう?」
「よろしいのですか?」
のらりくらりと引き延ばすこともできると思うのだが。
「うん。あまり引き延ばしても逆効果だと思う。婚約だけでも結構時間がかかるからね」
貴族の婚約には手続きがいっぱいだ。
子供の頃に決める場合はそんなに複雑でもないのだが、この時期になってからの婚約の場合、利権や家同士のパワーバランス、将来の展望等をしっかりと確認しなければならない。
快く、疑いなく招き入れた嫁がスパイだった、なんてことになったら目もあてられない。
婚約する気もないのに熱愛している、と噂になるのも誰も得をしない事態だ。
「わかりました。ご挨拶に伺いましょう」
「ありがとう、ソフィア。好きだよ」
「キース様が好きなのはカタリナ様でしょう?」
「ソフィアのことだって好きだと思ってるさ」
メアリ様やアリス様によると、私達二人は「兄妹のようだけど、仲は良さそう」だということだった。
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伯爵令嬢と婚約のお願い
クラエス邸を訪れるのは久しぶりのことだった。
「どうしたんだい、ソフィア?」
「あ……いえ、懐かしいな、と思いまして」
つい立ち止まって見上げた私は、数歩先で振り返ったキース様にそう答える。
すると、キース様の柔和な顔立ちに笑みが浮かんだ。
「去年の夏も遊びに来たじゃないか」
「そうですね。でも、子供の頃はとても頻繁に来ていましたので」
屋敷の外観はあの頃と殆ど変わっていない。
なんでも、先代からの庭師がずっと仕えてくれているらしい。どこか職人肌な、質実剛健さが窺える仕事ぶりは、メアリ様の可愛らしいガーデニングとはまた違った美しさがあった。
その庭師はカタリナ様と大の仲良しだというのだから、さすがだと言うしかない。
「じゃあ行こうか、ソフィア」
「はい、キース様」
差し出された手に、私はそっと自分の手を重ねた。
◇ ◇ ◇
「ようこそ、ソフィア」
「いらっしゃい。お久しぶりね」
屋敷に入ったところで、ご両親が直々に出迎えてくれた。
「ご無沙汰しております、ルイジ様、ミリディアナ様」
ご挨拶の後で恭しくカーテシーを披露。
では中へ、と通され、応接間でお茶の準備が整ったところで、
「あらためてご挨拶させてくださいませ。宰相ダン・アスカルトの長女、ソフィア・アスカルトでございます。本日はお忙しい中、お時間を作って頂き光栄に存じます」
「ははは、昔から知っている子にそんな挨拶をされるのは、なんだかむず痒いね」
クラエス公爵は朗らかに笑ってカップに口をつけた。
私が持参してきたお菓子(悩んだ末にアスカルト焼きを選んだ)も器に並べられていたため、そちらは私が率先して手に取って一口食べる。包みからランダムに並べられたものを無造作に手に取ったので「悪いものではない」というアピールになる。
公爵夫人も「今日はカタリナは一緒じゃないのね?」と確認を取った上で、リラックスした様子で椅子に腰かけていた。
「勉強で急がしいでしょうに、私達の方こそ呼びつけてしまってご免なさい」
「いいえ。学生は身軽なのが最大の長所ですから」
「ソフィアが身軽……?」
キース様が不思議そうに呟いたが、気にしないことにする。
「腹の探り合いをする仲でもないですから、本題に入りましょうか」
「ありがたく存じます。……その、驚かれましたでしょう?」
「それはもう。まさかキースが自分から婚約者を選ぶなんて思いもよらなかったもの」
公爵夫人に見つめられたキース様は気まずそうに視線を逸らした。
仕方ない、という風に息を漏らす夫人だったが、カタリナ様に対する時のように心から言っている様子はない。
(子供時代、最初は私やメアリ様もお客様扱いだったのだが、カタリナ様があまりに色々やらかすので、そのうち私達に気にせずお説教が始まるようになったのだ)
と、今度は私に視線が向けられて、
「でも、ソフィアがお相手なら納得だわ」
「そう、ですか?」
「ええ。キースは心配性でしょう? 余計な気遣いをせずに済む相手の方が合っていると思うの」
「あ、そうですね。口うるさい女性ではキース様が気疲れしてしまいます」
その点、私は「騒がない」ことについては自信がある。
本さえ読ませてもらえれば朝から晩まで静かにしていられると断言してもいい。
「そうなの。この子にはただでさえ責任を背負わせているのに、これ以上問題児を増やしたくないでしょう?」
「カタリナ様は素敵な方です。ただ、型破りすぎてトラブルが多いだけかと」
「まあ、ソフィアはいい子ね。座学においては学年トップ、魔法の開発や経営にも手を出している秀才だし、何よりきちんと貴族令嬢をしているわ」
「私なんて、メアリ様に比べれば全然です……」
「気にしないで。比較対象がメアリでは単身ドラゴンに挑むようなものだわ。程々でいいの。そう程々で……」
あ、公爵夫人が遠い目になってしまった。
そこでクラエス公爵が口を開いて、
「二人とも、もう気が合っているじゃないか。女性同士がいがみ合っていると家の雰囲気は最悪になると言うからね。キースは良い相手を見つけたよ」
「ありがとうございます。……ですが、そういうものなのですか?」
「聞いた話だけどね。家の中では女性の方が強いものだ。その点、ソフィアなら、立てるべき時にはきちんとキースを立ててくれるだろう?」
「キース様を差し置いて家の実権を握ろうだなんて、そんなつもりはございません。私は読書さえできればそれで幸せですから」
「謙虚なことだ。嫁いでくれるなら、我が家の書庫は自由に使うといい」
「あ、ありがとうございます!」
公爵家の書庫を使い放題! 夢のような話ではないか。
これ以上を望むなら王子様に嫁ぐしかないだろう。生憎、現在相手のいない王族はアリス様だけだ。
「さて、ソフィア。そちらのご両親はなんと?」
「嫁いでくれるだけで重畳。クラエス家に貰っていただけるのであれば望外の喜びである、と」
「嬉しい言葉をいただいてしまったな。もちろん、詳しく今後、両家で何度も話し合いの場を設けることになるだろうが――」
空気が少しだけ緊張感を増す。
「実利面の話をしようか。君の起こした事業は嫁いだ場合、どの程度我が家にやってくるのかな?」
「魔法学園に在学している私に代わり、兄のニコルが現在差配を担当しています。婚姻の時期にもよりますが、全て私が持っていくことは実務的にも困難と考え、アスカルト家と私個人で権利を分割する予定です」
具体的に言うと、料理店については学園最寄りの一店舗が私の取り分となる予定。
作家育成や編集、印刷については一度、出版・印刷業として統合、一本化して整理した上で、あらためて「出版」と「印刷」に分割。
本の内容とレイアウトを決めて依頼を出すところまで+できあがった本を商人に卸す部分を担当する出版業を私が持ちだし、依頼内容に基づいて印刷し本を製作する印刷業をアスカルト家に残すつもりでいる。私は最大手出版社の権利を握れるし、アスカルト家は他の出版業者が出現した際に気兼ねなく依頼を受けられる。なんなら新たに出版部門を立ち上げることもできる。
ちょっと実家に権利を残しすぎな気もするが、料理店の仕入れをお願いしているハント家とは私経由の繋がりだ。ビジネス的な付き合いは続くだろうけど、私の方はメアリ様にお願いするだけで便宜を図ってもらえるのだから、有利なのは私といえる。
……大きい仕事を置いていけば、その分だけ余裕が出るし。
「アスカルト家の魔女は恐ろしいな。実家に残した事業にも結局君の助言が必要だろう? その度に見返りを得られる、というところまで計算の内か」
「え。いえ、そこまで考えていたわけでは……」
「あなた。そのあだ名はあまりいい意味で使われていませんから、お控えくださいな」
「おっと。これは失礼」
「い、いえ」
その後も話はとんとん拍子に進んでいった。
話がシリアスな方向に飛ぶことはあったものの、基本的な空気は終始和やかで、お開きになった後もご両親は穏やかだった。
「楽しみだわ。ソフィア、お義母様と呼んでいいのですよ?」
「いいえ、ミリディアナ様。正式に婚約が成った時の楽しみにいたしますわ」
「あら、そうね。それがいいかしら」
「姉さんより先に結婚するのも角が立ちますし、婚約も性急な話とは考えていません。ゆっくり話を進めていきましょう」
「ああ、そうだな。ゆっくり、ね」
「ゆっくり進めましょうね」
……なんだか二人の目つきが「獲物を狙う狩人の目」に見える。
歓迎してもらえたのはいいのだが、なんだかちょっと、歓迎されすぎたような気もする私とキース様だった。
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百合小説同好会
「ごきげんよう、ソフィア」
「ごきげんよう、メアリ様」
授業に向かう途中でメアリ様と合流し、挨拶をする。
私の日常生活はだんだん元の形に近づきつつあった。
キース様からのアプローチが少しずつ――クラエス家へご挨拶に行ってからは特に、穏やかなものへと変わったからだ。
周囲には「婚約の話が進んで、奪われる可能性がほぼなくなったから」と捉えられているだろう。
実際は私達の関係が十分周知されたので、目立つ行動が必要なくなったからだ。
昼食など一緒になる時は変わらずエスコートしてくれるし、休みの日の昼間に部屋へ招かれて二人でお茶をすることもある。実際はお茶はついでで今後の相談をしているのだが。
「婚約話は順調のようですわね」
「そうですね。といっても、まだまだこれからですけれど……」
私達としては早急に進められるのも困るし、あまり話が進まないのも困る。
実家からの手紙に上手く返信するなどして状況をコントロールしないといけない。
「おはよー、二人とも。今日もキースは一緒じゃないのね」
「「おはようございます、カタリナ様」」
最近少なくなっていたお友達との時間が戻ってきたことで、カタリナ様とお話する機会も再び多くなった。
「はい。……いくら婚約者とはいえ、四六時中一緒にいるのは褒められたことではないでしょう?」
「そういうものかしら? ソフィアとキースなら微笑ましくていいと思うけど」
「私は婚約者といつも一緒では息が詰まってしまいますわ。女性同士で肩の力を抜く時間も必要かと」
「そうねー。私はそういうの気にしたことないけど」
王子様の婚約者であるカタリナ様が気にしていないのは、それはそれで凄い。
――というか、カタリナ様はキスの件を忘れている気がする。
学園祭が終わった当初はあらかさまにジオルド様と距離を取ったりしていたのだが、私とキース様が恋仲(仮)になったあたりからすっかり忘れてしまったように見える。
距離感もいつも通り(あっけらかんとしたノリ)なので、それならそれで、私やメアリ様としては好都合だった。
「今日は生徒会お休みなんだっけ?」
「ええ。私達も徐々に引継ぎを考えなければならない立場……一年生に業務を任せていかなければいけませんので、交代でお休みを取っているのです」
「今日は私とメアリ様とマリアさんがお休みなので、百合小説同好会の活動をするんです」
「へえ。面白そう。私も行っていい?」
「「もちろんですわ」」
◇ ◇ ◇
「本が読める読めるぞ、本が読めるぞー……」
「ソフィア? 授業も終わりましたし、移動しませんか?」
「はっ!? ええ、そうですね、行きましょう!」
本が読めるのが嬉しすぎて鼻歌が漏れてしまった。
元の曲はあまり品の良い曲とは言えないので、「何の曲?」という問いには「下町でふと耳にしたのです」と答えた。
そもそもあの曲は何かにつけてお酒を飲もうとしているだけであって、毎月お酒を飲むイベントがあるわけではないではないか……と、鼻がむずむずしてきたので、小さく「くしゅん」とくしゃみをした。
「クラエス様達は生徒会ですの?」
「ううん。今日はメアリ達の部活にお邪魔しにいくの」
「部活?」
「課外活動ですわ」
ああ、と、尋ねてきたクラスメートが頷く。
魔法学園では申請して許可を取れば課外活動を行うことができる。
テニスに近い球技やチェスに近いボードゲーム等、同好の士が集まって活動するグループは幾つもあり、それを毎日の楽しみにする者もいる。
カタリナ様も「野菜を育てる部活を」と先生に話をして却下されたことがあったはずだ。ちなみにメアリ様は逆に「花を育てるグループを作りませんか?」と声をかけられていた。
「皆様は何の活動をされるのです?」
「百合小説を読むんです?」
「百合……小説?」
「女性同士の友情や恋愛を描いた物語のジャンルですわ」
「あら、それはまた……」
なんとも言えない、という表情をされる。
私達が少しずつ広めているジャンルなので知名度は高くない。やはり物語本を好むのは若年層が多いため、現在の子供世代にはもう少し浸透しているかもしれないが。
彼女は私達を順に見て、
「ですが、皆さまお相手がいらっしゃいますよね?」
「婚約者の有無は物語を楽しむ障害になりませんわ。ねえ、ソフィア?」
「はい! 別腹です!」
「それはそれは……素敵ですわね」
若干顔が引きつっているような気もするが、彼女の瞳には若干の興奮も浮かんでいた。
メアリ様が私達にだけわかるくらいかすかに「してやったり」と笑む。
「実際の活動はお茶とお菓子を楽しみながら読書をするものですので、よろしければ皆さま、お気軽に声をおかけくださいませ」
「私やメアリ様はかなりの蔵書がありますので、本は十分ご用意できます」
邪魔をしないようにと様子を伺っていたらしいマリアさんとも合流して、私達は学園から借りた課外活動用の部屋へと向かった。
こうして、百合小説同好会の活動開始以降、魔法学園内に少しずつ「カタリナ・クラエス派閥の女性達は婚約者公認で同性愛を楽しんでいる」という噂が流れ始めるようになる。
メアリ様とアリス様がのらりくらりとかわして否定せず、マリアさんは顔を赤らめて多くを語らず、私とカタリナ様が「(本を読んでるのは)事実ですけど?」という返事をするため、噂は「本当なんじゃ?」と一部の間で語られるようになる。
◇ ◇ ◇
学園から借りたのはそれほど広くなく、調度品もさほどない部屋だ。
その部屋にテーブルや椅子、本棚などを置き、部室のように利用する。
代表者二名(私とアリス様)が持っている鍵を使って中に入り、メイド達を呼んでお茶をしながら各々、好きな物語を読みふけったり、感動した場面を共有したりする。
要はメアリ様が言った通り「お茶をしながら本を読むだけ」の課外活動だ。
本のジャンル的に先生方から眉を顰められはしたが、通常のロマンス小説のように派手な交友関係や姦淫に繋がるわけではなく、あくまでもプラトニックな少女間の感情の揺れ動きがテーマ。また、読書の習慣自体は学園側も推奨している行為である。
本好きの先生方からは「どんどんやれ」と応援してもらえたくらいで、活動の障害になることはなかった。
本を読むのが主体なのでメンバー全員が揃う必要もない。
アリス様は一年生なので生徒会のお仕事等で来られない場合もあるし、逆に私やメアリ様、カタリナ様が婚約者に呼ばれて参加できないこともある。
参加できるメンバーで好きなように活動すればいい、というのも魅力だ。
「……はー。最近割と忙しくて読む量が減ってたけど、新しい作品がどんどん出てるのねー」
「ええ。主にソフィアの仕込みですけれど」
「『エメラルド王女とソフィア』から、一部の作家さんに百合小説ブームが起きているんです」
売れるジャンルを書きたいという作家はやはり一定数いる。
この世界においては割合新ジャンルに近かったため、感銘を受けて百合作家に転向する作家さんもいた。
メアリ様やアリス様が出資してくれたこともあって、百合小説は物語本の大ジャンルの一つになろうとしている。
「本はまだまだありますし、まだまだ作りますから安心してくださいませ」
「素敵ね。お菓子もいっぱいだし、ここは天国かしら。なんだか、子供の頃に戻ったみたいだわ」
「そうですわね。懐かしいです」
「わ、私も皆さまともっと前からお会いしたかったです……」
何度か活動を続けるうち、課外活動への参加希望者も出てきた。
私に何かと話しかけてくれる伯爵家の令嬢や、作家志望で私に添削をいらしてくる男の子、それからカタリナ様の非公式ファンクラブの方々などだ。
人数が増えたことで活動も賑やかになり、授業前や昼休みに本が取り出される光景も目にするようになった。
私の「国民総読書家化計画」はどうやら順調に進んでいた。
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伯爵令嬢と進路相談
「さあ、今日こそは決着をつけようではないか。ソフィア・アスカルト」
とある休日。
私は魔法学園内の応接室、兼会議室のような場所へと呼び出され、そうそうたる面々と顔を合わせていた。
学園の副責任者。付属図書館の館長。そして魔法省からラーナ・スミス。
更に、私の婚約者(暫定)であるキース・クラエス、ビジネスパートナーであるメアリ・ハント、王族代表という体でついて来てくれたアリス・スティアート。
以上、敬称略。
「あの、進路のお話と伺ったのですが……」
「合っている。お前の希望を聞いても話が進まない上、卒業までの日数も少なくなってきたのでな」
「私、図書館の司書には不足でしょうか? できる努力はしてきたつもりなのですが……」
座学トップを取り続け、総合でも十位以内に入っている。
これで不足と言われるのだとしたら、必要なのは戦闘能力だろうか。付属図書館では『図書館戦争』が行われていて、武装司書が配属されている……とかであれば確かに認識不足だった。自身で攻撃魔法を使うのは得意ではないので、代用になる魔法道具か何かを開発するべきか。
動力を私が供給する前提ならサイズは小さくできるので――圧縮した空気を筒から押し出して攻撃するものなどがいいだろうか。
サイズを合わせた鉄球を用意すれば構造物破壊にも用いられる。
と、ラーナ様は意味ありげに笑って、
「努力が過剰だ。ただの図書館司書をさせるには勿体なさすぎる」
「え?」
意外過ぎる発言に瞬きをする私だったが、隣で偉い方二人がうんうん頷いている。
「あの、頑張り過ぎだと言われるのは心外なのですが――」
「ごめんソフィア。その点については僕も何も言えない」
「司書になるために手段を選ばなさすぎですわ」
「ソフィア先輩らしいですね」
何故か味方が一人もいなかった。
呆然としてしまうが、ここで何も言わず引き下がるわけにはいかない。
「皆様のご希望は魔法省への就職、ということでしょうか?」
「良くわかっているな」
我が意を得たりと頷くラーナだが、だいぶ白々しい。
「魔法省に新しい部署を作る計画は知っているだろう」
「ええ、他人事ではありませんので」
新しい部署とは他でもない『出版部門』である。
アスカルト家――というか私が「作家の囲い込み」「印税の導入」「印刷機の開発」「出版業という概念の創設」などを行うので、このままでは誰もついていけなくなる、という話になってしまったのだ。
公文書の写本や広報活動を行っている部署は既にあるため、そこと連携する形で「出版業を管理・監督する部署」を設立、今何がどうなっているのかを把握することを目指すらしい。
「釣った魚を横から攫われるようなことはないと信じておりますが――」
「安心しろ、それはない。あくまでも管理と、公的文書の印刷が主な業務だ。むしろ担当者には給与を払うのだから収入の増加と考えていいだろう?」
「出版に対応した税制を検討中ですが、王家としても『活版印刷機を魔法省で一括接収』などといったことは考えておりません。この手の産業を公的機関が攫って成功した例などありませんから」
アリス様が補足してくれる。
「というか、ソフィア先輩にそんな仕打ちをするなら、私は本格的にクーデターを考えます」
「アリス王女。王族とはいえ不敬にあたりかねないぞ」
「これは失礼いたしました」
話が逸れたが、ラーナ様の言いたいことはわかった。
「私にその新部署へ入れ、ということですね?」
「入れというか、部署の長を務めて欲しい」
「え」
と、驚きの声を上げたのはメアリ様。
キース様もぽかんと口を開けているし、私だって十分驚いた。
「魔法学園を卒業したばかりの若輩者ですよ?」
「新しい部署に若者を配置して何の不思議がある? まあ、二、三年は分室という形を取り、既存部署の一部門として経験を積んでもらうかもしれんが」
責任者となれば、名ばかりだとしてもそれなりの収入になるだろう。
仕事が忙しいという名目で結婚を遅らせることもできる。
……あれ、悪くないのでは?
「官民の癒着――汚職を招くおつもりですか?」
と思ったら、アリス様が鋭い視線で偉い方達を睨んだ。
「独特の語なので意味を掴みにくいが、言いたいことはわかる。ソフィアが公正な、家から独立した態度を取らなければ問題だろうな。取らなければ」
「猫から生まれた獅子の牙を折る、と」
「獅子から生まれたドラゴンの鱗を剥いでいるだけだ」
なるほど。
私をアスカルト家から引き離す――出版・印刷を主導するのではなく管理・監督する立場に置くことで技術革新の速度を落とし、一介の伯爵家が力を持ちすぎるのを阻止しようというわけか。
学園の責任者や魔法省の役人の権限を超えている気もするが、あくまでも表向きは卒業生の進路相談兼、魔法省内の人事。
ラーナ様がスザンナ・ランドールであることを知っていれば、裏の意図は明確だが。
「ソフィアが主導しなければ活版印刷は頓挫します。せっかくの産業をフイにするおつもりで?」
「やけに断言するな、メアリ・ハント」
「スミス様もわかっていらっしゃるはずです。あの事業は、彼女の才覚によって支えられていると」
持ち上げられ過ぎで恥ずかしくなってきた。
「もっとはっきり申し上げましょうか? ラーナ様は新部署設立にかこつけて、お気に入りを手元に置いておきたいだけですわ。でしたら申し訳ありませんが、ソフィアには私がずっと前から目をつけておりますの」
「ちなみに私が二番目です。……いえ、三番目でしょうか?」
アリス様がおっとり首を傾げると、ラーナ様が「怖いな」と笑った。
にやり、という笑い方なので、まだまだ余裕を残した悪役にしか見えないのだが。
「ならば、どうする? 新部署設立はほぼ決定事項だ。ソフィアが参加しないのなら、魔法省と王家が選定した人員
「だ、だったら私が!」
「メアリ。落ち着いて」
売り言葉に買い言葉、無茶な発言をしようとしたメアリ様をキース様が窘める。
「君はアラン様の婚約者だ。卒業後は王家の決まり事を学んだり、各役職に挨拶に行ったり、王子の妻となる準備に忙しいじゃないか。現実的にそんな時間はないよ」
「で、ですが……」
と、ここで再びアリス様が口を開いて、
「ご安心くださいメアリ様。卒業後の進路が決まっておらず、
「……と、いうと? アリス・スティアート様?」
ラーナ様が初めて「嫌な流れになった」という顔をする。
アリス様はしてやったりと笑みを浮かべて、言った。
「その新部署の主、私――アリス・スティアートが務めさせていただきます。確か、設立は来年すぐという話ではないのですよね? でしたら一年、卒業を待っていただいても問題はないでしょう?」
「確かに」
頷くラーナ様。
私の代わりに、アリス様が新部署に行く?
「あの、アリス様? よろしいのですか?」
心配になって尋ねると、アリス様は微笑んで頷いてくれる。
「ええ。……魔法省への入省を婚期延長の言い訳にするケースは珍しくありません。私としても大義名分ができるのは嬉しいですし、どうせ仕事をするならソフィア先輩に近しい立場が好ましいのです」
「王族が揃いも揃って婚期延長か。嘆かわしいな」
「それは心苦しいのですが……スザンナ・ランドール様が覚悟を決めてくだされば、状況も変わるのでは?」
ラーナ様はふっと笑ってアリス様の攻撃を流した。
「なら、ソフィア・アスカルトの司書入りは許可するとしよう」
「本当ですか!?」
他の偉い方からも文句は出なかった。
遂に、遂に、私は念願の司書就職を果たしたことになる。
「ありがとうございます、アリス様。このご恩は一生忘れません」
「大袈裟です、ソフィア先輩。どうしてもと仰るのでしたらまた今度、夜通し本のお話をいたしましょう」
「はい、喜んで!」
「アリス様。女性同士ですから強く反対はしませんが、ソフィアは僕の婚約者です」
「ええ、存じております。ですが、女性同士の楽しさというものもありますので」
「………」
こうして、私達の卒業の時は日ごとに近づいていた。
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婚約者とプレゼント
「ソフィア、僕に確信をくれないか。僕達が婚約者だっていう確信を」
昼下がりの休日。
キース様から部屋へ招かれた私は、熱の籠もった視線と共に甘い言葉を向けられた。
室内には使用人がいるものの、彼らは『いないもの』として扱われる。そもそも、実際に婚約者なのだから、噂が広まっても特に問題はない。
私は真っすぐにキース様の視線を受け止め、微笑んだ。
「何らかの物証で『偽装婚約なのではないか』という疑いを防ぎたい、ということですね?」
「うん、そうだよ」
甘いムードは霧散して、いつもの作戦会議になった。
「でしたら丁度良いものがございます」
「? なんだい?」
「プレゼントです。気に入って頂けるといいのですが……」
小さな包みをそっと差し出すと、キース様は大事そうに受け取って包みを開いてくれる。
「これは……ネクタイピン?」
「はい」
臙脂色の宝石があしらわれた小さなネクタイピン。
キース様はよくネクタイを着けているので、これなら使ってもらえるだろうと思った。
「宝石の色を先に決めたところ、少々可愛らしいデザインになってしまったのですが……」
「確かに、男はあまり赤系の色は付けないかな」
端正な顔立ちに苦笑が浮かび、それからその笑みは優しいものに変わった。
「でも、気に入ったよ。この石、ソフィアの瞳の色に合わせたんだろ?」
「……実は、そうなんです」
私は少し恥ずかしくなって俯きがちになった。
「それともう一つ、秘密があるんですが、お分かりですか?」
「気づいてるさ。君の着けているブローチ、僕の目の色と一緒だ」
「うう、キース様は紳士的すぎます」
びっくりさせようと思ったのに、しっかり全部把握されている。
「お揃いってことか。いい趣向だね」
「といっても、装飾の方向性が似ているだけで、石の色も大きさも違います。邪推しなければそうとわからない程度ですが……」
「僕が『ソフィアからのプレゼントだ』って言えば別だろう?」
「少々恥ずかしいですけれど」
装身具を異性にプレゼントするのは親しい証拠だ。
贈るだけならアプローチの手段に用いられることもあるが、それを受け取る、更に身に着けるということは、親しい仲であることを強く主張する行為になる。
互いに贈りあったのなら猶更だ。
キース様は深く頷いて「大切に使わせてもらうよ」と言った。
「なら、そのブローチは僕からのプレゼントにさせてもらえないかな? 費用を支払うだけ、というのが少し格好つかないけど」
「とんでもありません。お財布に大打撃でしたので、とても助かります」
「ふむ」
今着けているネクタイピンとプレゼントの品を入れ替えながら、キース様は思案して、
「これはどんな効果の魔法道具なんだい?」
「はい。カタリナ様発見器の改良型です」
キース様は「そんなことだろうと思った」と笑った。
◇ ◇ ◇
「で、それがそのブローチなのね? ロマンチックじゃない」
ところ変わって女子五人でのお茶会。
キース様とお互いにプレゼントしあった話をすると、カタリナ様が真っ先に歓声を上げた。
「どこにいてもお互いの居場所がわかる。ロマンス小説みたい」
「えへへ……。そうですね」
ちょっと少女漫画っぽくなりすぎたと、私としても反省している。
「……仲が良くて羨ましいですわ」
「そうですね。キース様は愛されていらっしゃいます」
微妙に面白くなさそうなのはメアリ様とアリス様。
「お二人にも何か贈り物をいたしましょうか?」
本の表紙を捲った最初のページに「我が親友メアリ・ハント(アリス・スティアート)に捧ぐ」と書くのはどうかと提案すると、二人は曖昧な笑みと共に辞退を宣言した。
「ソフィアからの贈り物として最上級なのは伝わりますけれど……」
「その本が国中に広がるのはさすがに恥ずかしいです」
「では他のものにしましょう。アクセサリーか……あ、金属製の栞なんてどうでしょう?」
この提案にはメアリ様達も乗ってきた。
と、カタリナ様が「いいなー」と言って。
「ソフィア。私にはくれないの?」
「もちろん、カタリナ様とマリアさんにもお渡しします。同好会の仲間ですし、お友達ですから」
本を読む人なら栞は重宝するだろう。
この世界の本にはあまり『あの紐』はついていないし。
と、私は首を傾げて微笑み、
「ですが、カタリナ様? ロマンチックなプレゼントがお好みなら、キース様におねだりしてみてはいかがです?」
「え、キースに?」
「はい。『たまには姉さんにも何か贈ろうかな』と仰っていましたので」
たまにも何も、お菓子の類はしょっちゅう差し入れしてくれているのだが――装身具となると、さすがに遠慮してなかなか贈れない。
「でも、そんなことしてソフィアは嫉妬しない?」
「姉弟の仲が良いのは素晴らしいことではありませんか」
「……なるほど。上手くやりましたわね、ソフィア」
「ソフィア先輩、意外と策士です」
本当は半分くらいキース様のアイデアなのだが、ふふん、と胸を張っておく。
「あ、あの」
と、ここでおっとり話を聞いていたマリアさんが口を開いて、
「せっかくですし、皆さまでお互いに贈りあいませんか? その、卒業記念ということで……」
「いいわね! それじゃあ、キースにもおねだりするだけじゃなくて、何か買ってあげましょう!」
ナイスアシスト、マリアさん。
◇ ◇ ◇
「……ソフィア? ここへ呼ばれた理由はわかりますね?」
「ええと……? 私、最近は大人しくしていたと思うのですが……」
ジオルド様が冷たいオーラを放ちながらテーブルの正面で微笑んでいる。
「へえ? キースとの仲や、活版印刷の調子は?」
「どちらも順調で……はっ!? まさか、キース様との件ですか?」
「ええ。とても仲が良いようで結構です」
目が全く「結構」とは言っていない。
優雅にティーカップを傾けるジオルド様を前に、私はカップを両手で持ってゆっくりと傾けた。
あ、このお茶美味しい。
「なんでも、友人同士でプレゼントを贈りあい、それにキースも巻き込んだとか」
「え、ええ」
全部バレてる……!?
いや、まあ、この計画はカタリナ様に「キースからのプレゼントなの!」と触れ回ってもらうことまで含めてのものなので、バレるのは当然なのだが。
「僕からのプレゼントも、アンが薦めなければたまにしかつけないというのに、キースからのプレゼントは嬉々として自分でつけるようで」
「婚約者からのものと弟からでは気楽さが違いますものね」
「……まさか、ソフィアがここまで難敵になるとは思いませんでした」
溜め息をつくジオルド様。
「婚約の話を聞いた時はてっきり、僕の味方なのかと思ったのですが」
「ジオルド様は押しが強すぎるのではないでしょうか……?」
「引ける立場ならいいんですが、ね」
ジオルド様が「しばらく距離を置きましょう」などと言おうものなら、カタリナ様は「じゃあ婚約解消しましょう!」と言い出しかねない。
北風と太陽作戦は彼には不向き。
「まあ、いいでしょう。弟からのプレゼントを喜んでいるうちは大丈夫、とも言い換えられます」
「……そうですね、確かに」
既成事実を作ることには成功したが、後はカタリナ様の考え方次第だ。
姉弟という枠組みから離れてくれないことには、キース様との関係は変わらない。
「僕ももう少し出方を考えるとします。……今度の休み、カタリナとキースは実家に戻るのでしたか」
「はい。私も一度実家に戻り、それからクラエス邸へお邪魔する予定です」
「婚約の件ですね。では、是非そのまま話を進めてください」
私は曖昧に微笑んで「考えておきます」と答えた。
そろそろ四巻に入れそうな気がします。
(入ったら猛スピードで解決するパターン)
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キース・クラエスの失踪
「ただいま戻りました、お父様、お母様、お兄様」
「お帰り、ソフィア」
「よく帰ってきましたね。待っていましたよ」
「遠いところをわざわざすまないな」
生まれ育ったお屋敷に帰ると、家族総出で出迎えをしてくれた。
お父様とお兄様が優しく声をかけ、お母様は私をそっと抱きしめてくれる。
「ソフィア。クラエス公爵家との縁談、必ず成功させましょうね」
「え、ええ、お母様」
お母様が燃えている。
瞳はきらきらと夢見がちに輝いているのに、おっとりとした立ち姿のバックに炎が見える。
お父様が宰相をしているとはいえ、公爵家と伯爵家。キース様の姉のカタリナ様は王子様の婚約者。かなりの身分差があるというのに先方も乗り気なのだから、無理もないのだが、
「……貴女もいつかきっと理解してくれると思いました。私とお父様の娘なんですもの。幼少期からの幼馴染で、兄のように慕ってきた方との恋。それを掴み取るための数々の努力――ああ、なんて素晴らしいんでしょう」
「あ、あの、お母様? 帰ってきていただけませんか?」
実母の豹変に動揺してしまう私だったが、お兄様がそっと耳打ちしてきて、
「母上はお前の影響で恋愛小説に感銘を受けているんだ。おそらく、この縁談に一番乗り気なのは母上だろう」
「そうだったのですね!」
私は力強く頷いて、お母様に笑顔を向けた。
「お母様、本はいいですよね?」
「ええ、ソフィア。貴女が私の自慢の娘です」
目をきらきらさせて見つめ合う私達の傍らで、お父様が苦笑して、
「安心しなさいニコル。ラディアが夢見がちなのは昔からだ」
「……はあ」
お兄様は目をぱちぱちと瞬かせた。
◇ ◇ ◇
到着後、入浴と着替えを済ませた私はすぐさま、縁談に関する話し合いに入った。
といっても大体のところは手紙で詰めてあったので、行ったのは方針の確認と細かい調整程度だ。
「我が家から提示できるメリットは、ソフィアの起こした事業の一部――それからソフィア自身の才覚だ」
「ソフィアは座学で学年一位。メアリ・ハント様が婚約されている以上、ソフィアは同年齢の貴族令嬢の中で飛びぬけた才女です。対抗できるとすれば一学年下のアリス王女かフレイ嬢といったところですが……」
「私とキース様には深めてきた親交があります」
両家共に相手のことを良く知っている、というのが最大の強み。
敵対関係にない派閥、むしろ協力関係にある家の人間を迎え入れるということは、両家の結びつきを強めると同時に「スパイの心配をしなくていい」ということでもある。
私は承知していると頷いた上で、キース様と考えた『罠』を仕掛ける。
「……ここだけの話ですが、キース様は失恋をなさっています」
「まあ」
お母様が乗ってきた。
目がとても嬉しそうだ。恋バナは女子にとって大好物。
お父様がこほんと咳払いして、
「そうなのか、ソフィア?」
「俺も知らなかったが――」
「間違いありません。これまでどなたとも交際をなさってこなかったのもそのためです」
嘘は言っていない。
カタリナ様がジオルド様と婚約した時点で、キース様の恋は一度破れているのだ。いや、婚約の方が先なので、キース様は恋をする前に失恋していたことになるのだが。
「おそらく、私へ向けてくださっている愛情も妹に対するものに近いでしょう。それでも、私はキース様の想いに応えたい。あの方の傷を癒して差し上げたいのです」
「……良い覚悟です、ソフィア」
「うむ。それほどまでに好いた男ならば、私からも何も言う事はない」
「ありがとうございます、お父様、お母様」
話が終わったらすぐに出発の準備に入る。
クラエス家に向かうのは明日になるが、貴族の支度とは時間がかかるものだ。実家に帰る度に恒例になっている事業の相談は今夜と、それから移動する馬車の中で行うことになる。
お父様とお母様が談話室から出て行くと、お兄様がそっと近寄ってきて、
「ソフィア。……どこまで本気だ?」
「あら、お兄様? 私、キース様を本気で好ましく思っておりますわ」
キース様が私に向けいているのと同様、兄妹の情だが。
だから、もしもキース様の想い人――カタリナ様がキース様を必要だと言えば、すぐにでも身を引くつもりだ。
◇ ◇ ◇
そして翌日、クラエス家に到着した私は思いがけない知らせを受ける。
「キース様がいなくなった!?」
「そうなの。キースが家に帰らないなんて一度もなかったのに……」
軽薄な遊び人だったという原作のキース様(アリス様情報)なら朝帰りくらい珍しくなかったかもしれないが、私達の知っているキース様はカタリナ様一筋の純情青年だ。
婚約を決めたばかりの彼が夜明かしして街遊びとなれば破談にさえなりかねないが――幸い、これが夜遊びではなく失踪であることは疑いようがなかった。
キース様本人の字で置手紙があったからだ。
『公爵家の跡取りとしての責務に耐えられなくなったので家を出ます。探さないでください。キース』
文面を信じるなら家出ということになる。
だが、あのキース様が今更「責任が重いから家出」? そんなことがあり得るだろうか。
「……お母様は、私の存在が重荷になっていたんじゃないかって言うの」
「それはないと思いますが……」
カタリナ様のお世話が嫌になるなんてありえない。
ジオルド様との婚約がどうやっても破棄できない、という苦悩ならあり得るが。
「ありがとう、ソフィアは優しいのね」
カタリナ様は笑って、
「でもね、私もキースのお姉ちゃんとして、もっとしっかりしなくちゃと思ったの! まずはキースを探して謝らなくっちゃ」
「さすがカタリナ様です!」
最初から「ありえない」と切って捨てるのではなく、受け入れた上でキース様を探そうとする。私には真似できない行動だ。
感動しつつ、私も協力しようと心に決める。
と、お母様が口を開いて、
「ソフィア。カタリナ様。キース様が失踪なさるとすれば……彼が失恋をなさったことが原因ではないでしょうか?」
「え、キースが失恋!?」
「お、お母様、それは……!?」
「だってそうでしょう? 心労が溜まるとすればそれが一番の原因だわ。……まして、婚約の話が本確定する寸前。結婚前夜に不安になる、というのはよくある話だもの」
マタニティブルー的なものか。
それは、その、無い、とは言えない。キース様が失恋したという話を持ち出したのは他でもない私自身で、しかも自信を持って断言してしまったのだ。
だけど、この流れはまずい。
「……であれば、私にも責任があります」
私は決然とみんなに宣言する。
「カタリナ様。キース様の捜索、私も連れて行ってくださいませ。お邪魔にはなりません。きっとお力になるとお約束します」
「ソフィア……」
カタリナ様は目を細めて私を見つめた後、大きく頷いて、
「ええ! 一緒にキースを見つけましょう!」
◇ ◇ ◇
キース様捜索には秘密兵器がある。
もちろん、先日プレゼントしたネクタイピン――カタリナ様発見器・改だ。
「キース様のネクタイピンと私のブローチは互いの位置を知らせるようになっています」
「じゃあ、そのブローチがあれば!」
「ええ。
失踪に気づいたのは一夜明けてのことだという。
不自然な失踪。
これがキース様本人の意思ではなく誘拐だとしたら――。
私の予想は当たってしまう。
ネクタイピンは見つかった。見つかったが、その現場は街にある安宿の一室だった。貴族の服装では目立つからと着替えさせてから連れ去ったのだろう。
せっかくの手がかりが消えてしまったが――仕方ない。私だって犯人の立場ならそうする。
「カタリナ様。いったん学園――魔法省に参りましょう」
「え? 魔法省? どうして?」
「魔法道具を借りるんです。私が作ったカタリナ様発見器の原型――目印の位置ではなく、相手の位置を探す道具を」
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キース・クラエスを探して
出発は一泊してからのつもりだったが、カタリナ様たっての希望でその日に発つことになった。
「誘拐かもしれないんでしょ? だったら、キースは今、寂しくて泣いているかもしれないわ! 早く見つけてあげなくっちゃ!」
「かしこまりました。では、今日にも学園に発ちましょう」
とはいえ、両家の人間にも説明が要る。
私は準備や説明の時間を利用して早馬を出し、『あの方』に手紙を送った。保険として部下の『あの方』にも。それから人を使い、キース様が連れ込まれた安宿や周辺の聞き込み調査も。
こう見えて刑事ものや探偵ものの小説も結構読んでいるのだ。素人考えで思いつく程度にはなるが、やれるだけやっておきたい。
「話はわかりました。ですが、あなた達だけでキースの捜索など――」
「行かせてくださいお母様! キースは私が連れ戻さないと!」
「ご安心ください、ミリディアナ様。魔法省で責任ある立場の方に協力を求めます。私もご一緒して、無事に姉弟揃ってお帰しするとお約束します」
「ソフィアがそう言うなら……。ですが、約束して頂戴。カタリナとキースだけじゃなく、ソフィアも無事に帰ってくると」
「はい、もちろんですわ」
「あれえ……? ソフィアの方がお母様の娘っぽくない……?」
そんなことはない。
カタリナ様とミリディアナ様の会話は信頼関係がないと成り立たないし、二人の様子を見て「ああ、親子だ」と思わない人間はいないだろう。
◇ ◇ ◇
聞き込み(少々コインなどを握らせた)の結果、キース様を攫った主犯は顔を隠した男性のようだった。
彼の後ろで二人の男が大きなずだ袋を協力して抱え、更にその後ろに顔をフードで隠した女性がいたという。
――あからさまに怪しい。
女性? 主犯の男の召使いか……逆に女の方が主人? キース様狙いの貴族という線もありそうだ。宿の人間もキース様の顔は見ていない。怨恨が動機なら既に殺されている可能性もあるが、血等々で汚れるような状況ならわざわざ宿で着替えさせるだろうか?
眠らされていただけ?
でも、だとしたら手紙の筆跡は? カタリナ様の筆跡はキース様が真似られるが、逆ができる人間がいるだろうか? 本人に書かせたのだとすれば、最悪、闇の魔法が絡んでいるかもしれない。
◇ ◇ ◇
「待っていたぞ、ソフィア。キースが失踪したそうだな」
「ええ。手紙にも書いた通り、あれをお貸し願いたいのですが」
幸い、目的の相手――ラーナ・スミスとはすぐに会うことができた。
彼女は嬉しそうに笑みを浮かべると頷いて、
「構わない。だが、見返りに何をくれる?」
「あれの早期開発をお手伝いした分で足りませんか?」
「……相変わらず、切羽詰まると頭を働かせる娘だ。いいだろう」
例の品は既に用意されていた。
「本来の依頼人からいったん返却してもらってきた。非常事態だからな」
貸し一つとでも言いたげなのを微笑んで無視する。
「ね、ねえソフィア。
「はい。この可愛いくまさんが例の魔法道具です」
「可愛い……?」
一見、怪我をしたクマがモチーフのぬいぐるみ。
その正体は、魔法を組み込まれた動く人物探知機。ラーナ様命名、アレクサンダー君だ。ちなみにアリス様は初めて見たとき「ボコ」と呟いていた。
「カタリナ嬢。キースと縁の深い品物は持ってきただろうな?」
「ええ、こちらに」
キース様の秘密の小箱。
カタリナ様との思い出が詰まった品の中から、小さい頃にカタリナ様があげたハンカチが選ばれ、アレクサンダーに覚え込まされる。
アレクサンダーはハンカチを受け取った匂いを嗅ぐとオーケーのサインを出す。
「お久しぶりです、アレクサンダー。元気でしたか?」
(ああ。ソフィアも元気そうだな)
私達は握手を交わした。ちなみにアレクサンダーの台詞は私の想像である。
「ああ、そうだ。ソフィア。こいつの貸与には条件がある」
「一緒に来られるのですよね? 構いません」
「話が早いな。だが、私だけじゃないぞ。マリア・キャンベルとアリス・スティアートも連れて行く」
◇ ◇ ◇
アリス様とマリアさんにはラーナ様から連絡が行っていた。
二人を捕まえた後、生徒会メンバーと仕事の調整をする必要があったが、比較的スムーズに話が進んだと言っていいだろう。
二人とも事情を聞くとすぐに同行を了承してくれた。
マリアさんが同行するのは当然、闇の魔力への対策。
アリス様は、相手がこの国の貴族だった時用の切り札。王族に逆らうのか、という殺し文句は開き直っちゃった悪役以外にはだいたい有効だ。
他の生徒会メンバーには申し訳ないが、私達がいない間のフォローをお願いした。
特にジオルド様は来たがったのだが、生徒会長が抜けるのは困る。そのために代わりの王族(アリス様)に来てもらうのだ。
メアリ様も心配そうだったが、キース様を連れ戻してくるだけだから、と納得してもらった。
なお、護衛として同行する方が一名。
「女性ばかりで華やかですね。一人くらいお付きが必要じゃないですか?」
情状酌量の余地があると判断され、ラーナ様預かりとなった――カタリナ様誘拐事件の関係者、ソラだった。
今後はラーナ様の指導のもと魔法省へ入省、仕事をすることになるらしい。
◇ ◇ ◇
服は普段よりぐっと格を落とし、かつ動きやすいものに。
荷物は最小限。
私も泣く泣く本を持ち歩くのを諦めた。せめて一冊くらいと思ったのだが、ラーナ様から「それを持って長時間歩き続けられるか?」と聞かれて無理だと悟った。
本より重いものを持ったことがないのが自慢の私だが、まさかそのせいで本を諦めないといけないとは。
「アリス王女。傍仕えなしでの旅になるが大丈夫か?」
「問題ありません。その程度で音を上げるほど柔ではありませんわ」
「ほう」
一般家庭で主婦をやっていた経験があるのだ。
一人での脱ぎ着がしづらい(あるいはできない)上位貴族の服を着ていなければ、大抵のことはこなせるだろう。
「困ったら私がアリス様のお世話をします」
「ありがとうございます、ソフィア先輩。では、宿は同室にいたしましょうね」
「私はカタリナ様のお世話をしますね」
「ありがとう、マリア」
私達のやり取りを見ていたソラが肩を竦めて、
「意外と逞しいですね。セリーナ様みたいなのが標準かと思っていましたが」
「その認識で合っているさ。ここにいる貴族令嬢は規格外だ」
ソラはラーナ様を見て「ああ、なるほど」と深く頷いた。
「納得しました」
◇ ◇ ◇
予想通り、誘拐犯(暫定)はとっくに別の街へ逃げていたらしい。
馬車に乗って一つ目の街に着いても、アレクサンダーは遠方を示し続けていた。
ひとまず分散して聞き込みをすることになり、私とカタリナ様とソラ、マリアさんとアリス様とラーナ様、という分担で散策を開始。
ではさっそく、と、帽子の中に白い髪を詰め込んで気合いを入れると、ソラにちょんちょんと肩をつつかれた。
「なんですか?」
「そんなに気合い入れなくていいですよ。俺はこっそり、お二人のお守りを言い遣ってるんで」
「まあ」
私達は迷子にならず、無事にラーナ様達と合流できればいい、という話らしい。
子ども扱いされたみたいで少し不満だが――正当な扱いとも言える。来たことのない街。とりあえず書店巡りを! と、目的を忘れて暴走しない自信はない。
そういうことなら、
「カタリナ様。聞き込みがてら、キース様捜索に役立つものがないか探しましょうか」
「そうね! そうしましょう!」
途中、立ち寄った雑貨店でカタリナ様が見つけた謎のアイテムを、せっかくだからとプレゼントした。
手鏡のような形をしているが鏡の付いていない謎のアイテム。カタリナ様が気に入ったようだし、この間のプレゼント交換の話にちょうど良かったが――あれはいったい何に使うんだろうか。
手鏡(仮)がカタリナを呼んでいる。
今更になって「2」編を読み進めているのですが――「国内に米あるの!? っていうか醤油も小豆もありそうじゃん!」ってなった私です。
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決断
「思えば、遠くに来てしまいましたね」
「そうね……キースったら、どこまで行っちゃったのかしら」
私達の追跡行は続き、三日目の夜を迎えていた。
明日には国境を越えて隣国へと入るだろう。二日目あたりから私やアリス様、ラーナ様はそれを予感していた。隣国であればこの国――ソルシエ王国の王族・貴族の権威はあまり通用しない。場合によっては「政治的な武器になる」と逆に狙われる可能性さえある。
隣国の策謀だとは思いたくないが、覚悟はしておかなければならないだろう。
そんな中、私はカタリナ様に誘われて宿の裏庭へ涼みに出ていた。
危険といえば危険だが、逆に言うと明日の夜はもっと危険になっているだろう。今でないといけないのだ。お互いに。
「ねえ、ソフィア。絶対にキースに追いつきましょうね」
「ええ、もちろんですわ、カタリナ様」
やっぱり不安なのだろう。
そう思って元気づけるように微笑むと、カタリナ様は私の身体をぎゅっと抱きしめてくれた。
「え、ええ!? カタリナ様?」
「不安よね。苦しいわよね。……大丈夫よ、絶対、ソフィアのせいなんかじゃないわ」
「あ……」
真摯な、優しい言葉が心に染みこむ。
どちらかというと不安よりは心配の方が強かったが、心のどこかに自責の念がなかったかといえば嘘になる。ネクタイピン程度で済ませず、もっと何か別の方法があったのではないか。そうしたらキース様は誘拐されなかったのではないか、という思いだ。
アリス様も今回の事件については知らないらしい。『Ⅰ』と『Ⅱ』の話についてはノベライズ版や特典小説、ドラマCD等に散逸しているため彼女も全部は知らないし、もしアンソロまで影響しているようならお手上げだということだった。
「ありがとうございます、カタリナ様」
私は顔を上げ、もう一度微笑む。
「私は大丈夫です。むしろ、カタリナ様の方が心配ですわ」
「私? 私は大丈夫よ。ご飯だってちゃんと食べてるし」
「いいえ。たった一人の弟さんがいなくなったのです。不安でないはずがありません」
さっきとは逆にカタリナ様を抱きしめる。
といっても、身長差と体格差があるので、傍目には私が抱きついているようにしか見えなかっただろうが。
柔らかい。
「カタリナ様はあったかいですね」
「そう? ソフィアはひんやりしてて、お風呂上がりに触りたくなる感じよ」
二人で笑いあった後、身体を離す。
「カタリナ様。キース様が失恋したという話、覚えていらっしゃいますか?」
「ええ。詳しくは聞かなかったけど……」
「私から多くを語るのも筋違いだと思うのですが――キース様は今でもその恋を引きずっていらっしゃいます」
「それは……」
痛ましそうな顔になるカタリナ様。
「私、知らなかった。キースがそんな風に苦しんでいたなんて」
カタリナ様のせいなんですよ、とは、もちろん言わない。
「ソフィアはいいの? キースが、初恋を忘れられなくても」
「はい。私は、キース様に無理に忘れて欲しくありません
私とキース様の関係は兄妹に近い。それでいいと思っている。夫婦になってしまうより、その方がお互いを尊重しあえるし、適度な距離感を保てるだろう。
「でも、一つだけ。カタリナ様にお願いがあるんです」
「お願い?」
「はい。もう一度会えたら――キース様の話を聞いてあげて欲しいんです。キース様だけのことを考えて、二人きりで」
「……ソフィア」
「一度離れ離れになった今ならきっと、お二人とも前より素直になれると思うんです」
私にできるのはこのくらいだ。
ジオルド様はこれ以上ない形で好意を示し、あれからもアプローチを続けている。それでもカタリナ様は以前と変わりない。
なら、キース様にも同じくらいのチャンスがあって良いと思う。
だから、彼には必ず帰ってきてもらわないといけない。
「わかったわ。まずはキースを、絶対見つけましょう」
「はい! カタリナ様!」
帰りがけ、何やら「尊い……」とか言っているアリス様と合流した。
◇ ◇ ◇
翌日、私達は隣国へと入った。
調査の結果、幾つかのことがわかった。
ラーナ様が風の魔法道具で王国側と通信した結果、誘拐の際、キース様に声をかけた女が特定できた。彼の実母――娼婦だった女だ。ただし、闇の魔法の影響か細かい記憶を失っており、誘拐と断定するのが精一杯だった。
また、街の中に闇の魔法の痕跡が確認された。
更なる調査により、街はずれにある大きな屋敷に強い闇の魔法の気配があることが判明。まず間違いなく犯人達はそこに立てこもっている、と判断できた。
王国側に応援を呼んだものの、どう頑張っても明日以降になるという。
当然だ。
私達がここまで何日かけて移動してきたのかという話。もちろん、荒事に長けた人間が強行軍を敷くのとでは速度が違うが、それでも短縮できる時間には限界がある。
ここで問題なのは、待つか突入するか。
光の魔力を持ち、闇の魔力を感知できるマリアさんは「行くべきではない」と主張。強烈すぎる気配から、危険すぎるという判断。
カタリナ様は逆に行きたい、というか「待てない」と主張した。
「私もカタリナ様に賛成です。私達が今持っているアドバンテージは、事件発生から間を置かずに追跡できたこと、それだけです。であれば、それを逃すべきではないかと」
言外に「ぐずぐずしていれば状況が変わる」と匂わせる。
おそらくキース様はまだ生きている。動機は怨恨の線が強いが、会ってすぐに殺さなかった以上、苦しめて殺すのが目的だろう。
であれば、時間をかければかけるほど、犯人が満足して「後始末」を始める可能性が高い。
そんなことはさせない。
私はカタリナ様と約束した。キース様は絶対に連れ戻す。
「……私は反対です」
「アリス様!?」
驚いて振り返ると、アリス様は唇を噛んで私達を見つめた。
「女性ばかり、唯一の男性も専門家ではない。……こんな状況での強行突入は危険を通り越して無謀です。下手に刺激すればそれこそ犯人を怒らせかねない。応援を待つべきだと、王族として、キース様の友人の一人として進言します」
「アリス様、本気ですか!?」
「本気です」
彼女も言いたくて言っているのではないだろう。
アリス様はそれでも真摯な表情で、カタリナ様を見返す。
「キース様は確かに、クラエス家の跡取り――公爵家の男子です。ですが、重要度で言えばカタリナ、貴女の方がずっと上なのです」
「どうして!? 人の命に上も下もないじゃないですか!」
「私はジオルドお兄様の代わりにここへ来ました。カタリナ、貴女に傷一つでもつけるわけにはいきません。……それ以上に、私は、貴女が傷つくところを見たくない」
「………」
冷静で、冷徹な計算の裏には、悲痛な取捨選択がある。
アリス様は「カタリナ様の無事が第一」と決めている。だからこそ迷わない。迷わず、理論的に最もいい方法を導き出している。
だけど、計算だけで人の感情は導けない。
もし、応援を待った結果、キース様の命が失われたら――カタリナ様は一生後悔するだろう。そしてアリス様は一生、カタリナ様から距離を取るだろう。
だから――。
王族の少女は、決然と告げた。
「だから、行くのならみんなで行きましょう」
「「え?」」
「生存率を少しでも高めるため。危険を少しでも減らすため。『全員無事に帰るため』。それを考えたら、ここにいる戦力は一人も減らせません。当然、一人一人に危険が伴います」
ある意味、カタリナ様以上に失われてはならない命のはずなのに。
「みんなで行くか、応援を待つか。二つに一つです。さあ、どちらにしますか?」
もちろん、私達の答えは決まっていた。
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侵入と救出
「うむ、見張りは強敵だったな」
「わざとらしいです、ラーナ様……」
私達は街はずれの屋敷に夜襲をかけることにした。
夜だというのに屈強な見張りが付いていたが、ソラが別棟の作業小屋に火をつけボヤ騒ぎで注意を逸らし、ラーナ様が風の魔法であっという間に倒してしまった。
倒した見張りには猿轡をして転がしておいて、鍵はソラに開けてもらう。
「では行くか。作戦は覚えているな?」
もっともらしく言うラーナ様に、アリス様が苦笑して、
「出会った相手は全部吹き飛ばして気絶させる。別行動はとらずひと固まりで行動する――忘れようがありません」
「良し。特にカタリナは変なことをするなよ。はぐれたら探してる余裕はない」
「わ、わかってます!」
作戦がアバウトすぎるせいで遠足みたいなノリである。
ただ、闇の魔力を感知できるマリアとソラ(彼の方は以前に自分が使っていたせいだ)はかなり真剣な面持ち。それだけここは危険な場所。敵地であり、一歩間違えば死地なのだ。
「攻撃役は私と、アリス王女、それからソフィアだ」
「頑張ります」
私は、こういう時のための秘密兵器を取り出して頷いた。
◇ ◇ ◇
「な、何者だ――」「えい」どかん「ぎゃっ!?」ばたん。
「し、侵入――」「ばん」どんっ「ぐわっ!?」ばたん。
「え、あなた達誰――」「ふっ」どむっ「きゃっ……」ばたん、きゅう。
私達侵入者一行は快進撃を続けた。
ファンタジー世界の冒険者が見たら「ふざけるな」と言ってきそうなやり方だが、プランはただ一つ。見敵必殺、有無を言わさず風で吹き飛ばして気絶させる、以上終了、である。
何しろ、このパーティの属性は、
・風:私、アリス様、ラーナ様
・光:マリアさん
・闇:ソラ
・土:カタリナ様
このように物凄く偏っている。カタリナ様の「土ボコ」は範囲が狭く使いどころが難しいし、光と闇の魔力は戦闘に向いていないため、必然的に風チームが担当になる。
ちなみに私達が使っているのは、
「うむ。やはりこの魔法道具は使い勝手がいいな」
細めの筒にトリガー付きの持ち手を取り付けた道具。
言ってしまえば、銃の形を物凄く簡略化したようなそれは、使用者の魔力を吸って風の槌を作り出す魔法道具だ。護身用に思いついたものをアリス様、ラーナ様の協力で製作した。二人も欲しいと言ったのでまとめて三丁作り、それぞれが一丁ずつ持っている。
出力は注ぐ魔力で調整でき、圧縮された空気をぶつけられた相手は悶絶したり気絶したり、時には吹き飛んだりする。
魔力を注がないといけないので風の属性を持っていないと使えないが、一々集中する必要がないので、荒事が苦手な私でも攻撃できる。
空気を圧縮する行程を物理的手段に頼ったことで魔力効率も良くなっており、私達くらい魔力があれば気にせずどんどん使える。
「あれ、私達って強いんじゃ……?」
「「気のせいです」」
私とアリス様の声がハモった。
逃げ場のない屋敷内の通路で使っているから強いだけで、逃げ場がある屋内や広間で使ってもそこまで効果はない。銃口を向けた先に風が飛ぶとわかるのだから、多少の心得のある人間ならさっさと避けるだろう。
まあ、そうしたらラーナ様は銃を止めて自前の魔法で吹き飛ばすだろうが。
「なんだあの女は! 侵入者が来たからと俺を追い出して! せっかく楽しんでいた最中だったっていうのに!」
「早くお逃げください、危険です」
「はあ!? 侵入者ごときお前達が排除すればいいだろう!?」
そうしているうちに、何やら偉そうにしている男を発見。
護衛をさっさと吹き飛ばし、ソラが首にナイフを当てるとすぐに大人しくなったので、「キース・クラエスはどこだ」と尋ねると、あっさり場所を教えてくれた。
「ご苦労。もうお前に用はない」
「は、話が違――」
ばたん。ラーナ様が風の魔法で気絶させた(※殺してません)。
でもこれ、悪人の家に悪の組織が乗り込んできた、みたいな構図ではないだろうか。
◇ ◇ ◇
偉そうな人(仮)に教えられた通りに隠し部屋を開け、隠し部屋へ入る。
牢屋のような場所には簡素な服を着せられたキース様と、黒髪の女性が一人いた。マリアさんがびくっとして口元を押さえる。あの女性が原因だろう。私には闇の魔力はわからないが、妙に存在感があって人目を惹く人物であるのはわかる。
「くすくす。もうここまで辿り着くなんて、凄いわ」
楽しそうに――虫を潰して喜ぶ小さい子供のように笑う彼女。
「あ、あなた誰!? キースを離して!」
「そ、そうです、キース様を返してください!」
カタリナ様と二人で言えば、彼女はなおもくすくすと笑って、
「駄目。せっかく魔法が間に合ったんですもの。この子は私の闇の使い魔にさせてもらうわ」
「闇の――使い魔!?」
黒猫や蝙蝠の姿が脳裏に浮かぶ。猫だったら可愛いが――って、そういう問題ではない。闇の使い魔なんて字面からして碌なものではない。そんなものにキース様を変えられてたまるものか。
「そちらは一人。こちらは複数。いかに闇の魔力を持っていようと、荒事には対応できまい。観念して大人しく投降しろ」
ラーナ様が恫喝する。
「くすくすくす。どうして、そんなことをしなくちゃいけないのかしら。あなた達には何もできないというのに」
「何を――くっ!?」
辺りが一瞬、闇に包まれた。
次の瞬間、私は首筋に冷たいものを感じた。細い女性の指。あの女性が私の瞳を覗きこんでいる。
「ソフィア!?」
「ソフィア先輩!?」
「っ」
「ソフィア・アスカルト。『アスカルト家の魔女』。計算外を引き起こす異端者は……あなたかしら?」
怖い。
覗き込まれている。瞳だけではなく、もっとずっと奥――私の心を、見られているような感覚。全身がぞわぞわして、自制が効かなくなる。抵抗しないといけないのに、身体が動かない。
「ソフィア先輩から離れてください!」
「……アリス・スティアート王女」
女性はつまらなそうに、アリス様に視線さえ向けずに呟く。
銃口――それが何かわからなくても、武器だということは察しがつくはず――を向けられているのに、だ。
「ソフィアに傷をつけたくないなら、何もしない方がいいんじゃないかしら? ね、ソフィア? あなたもそう思うでしょう?」
「あ……」
心に、彼女の声が染みこんでくる。
あれ? ええと、私は、何をしていたんだっけ? わからない。わからないけど、目の前の女性は良い人な気がする。
そうだ。この人の言う通りにしていれば間違いない。
「ねえ、ソフィア? あなたの一番の望みは何?」
「本を、読むこと」
当然だ。私はそのために生きていると言っても過言じゃない。
「止めろ、ソフィア! そいつの声を聞くな!」
うるさい。
ラーナ様。私が図書館に行くと高確率で邪魔をする人。
「そうよ。……ソフィア。あなたは本が読みたい。他のことは二の次。なのにあなたに期待して、あなたに仕事を押し付けて、あなたを煩わせる者がいる。いいえ、他人なんて煩わしいばかり。どうしたらいいと思う?」
「他人。煩わしい。なら……いらない?」
「そう」
他人なんていらない。
煩わしい人々なんて押しのけて、私と本さえあればいい。本があれば生きていける。
「さあ、ソフィア」
優しくて親切な彼女が私の背後に回り、そっと両頬を包み込む。
「全部押しのけなさい」
「は、い」
『渦の防壁』を展開する。
周りにいた人達が悲鳴を上げるが――私には関係ない。閉じこもって、干渉を妨げて、一人になった方が面倒が少ない。
私は、私の心は深く静かな闇に落ちていって。
次に気づいた時には、カタリナ様やアリス様、それからキース様までもが私のことを心配そうに見つめていた。
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目覚めたソフィア
私が寝かされていたのは宿の一室だった。
あれ? 隠し部屋は?
あの女性は?
キース様まで一緒にいることを考えると、何もかも解決したのだろうが――記憶が飛んでいて何が何だかわからない。
「あの、いったい何が……」
「まだ起きないでください、ソフィア先輩」
優しい声と共に、アリス様が私を制した。
柔らかな手が胸に触れてそっとベッドに押し戻すと、覆いかぶさるように抱きつかれる。
「あ、アリス様?」
「良かった……ソフィア先輩。心配したんですよ? また、また、私より先にいなくなってしまうんじゃないかって」
「……私、そんなことに?」
あの女性に囁かれて、なんか本以外どうでもいい気分になったのは覚えているのだが、そこから先がわからない。
「何があったのですか?」
尋ねると、彼らは困ったように顔を見合わせて、
んー、と、唸ったカタリナ様が、
「なんていうか、ソフィアがラスボスだったって感じ?」
「何があったんですか!?」
反射的に髪に手をやるが、幸い、髪が盛られていたり、ロボットものの最終形態みたいな装備が取り付けられている気配はなかった。
「ええとね、ソフィア。……って、僕が説明するのも変な気がするけど」
苦笑したキース様がかいつまんで話してくれた。
◇ ◇ ◇
あの女性によって、私は闇の魔法にかけられた。
部屋の奥には眠ったまま、何やら危険な状態のキース様。
部屋の手前には洗脳されて暴走状態の私。
私の後ろで高見の見物をする女性をどうにかする余裕なんて、一行にはなくなった。
何しろ暴走した私は強かった。もともと頭のネジが一本外れている本好き(私も含めて誰も反論しなかった)がリミッターを外されたのだ、本気で邪魔者を排除しにきた。
『渦の防壁』のせいで、ラーナ様やアリス様の風魔法は相殺されてしまう。マリアさんに頼もうにもそもそも近づけない。
困り果てた一行を救ったのは――『土ボコ』だった!
運動神経なんてないに等しい私だ。突然、足元から土をボコっとされてあっさり転んだ。しかも、すぐ後ろにいたあの女性を巻き込んで、だ。
これで障害が片方消えた。
のろのろ起き上がっている間にソラが私に手刀を喰らわせて無力化。あの女性はさっと逃げたものの、それ以上の手だしはせずに高見の見物を決め込んだ。
と、更にカタリナ様が活躍。
数日前に雑貨屋で買った「手鏡っぽい謎のアイテム」をキース様にかざすと、なんということでしょう。カタリナ様はキース様を取り巻く闇の魔法に干渉可能になり(!)、ぺいっとはがして丸めてこねこねして捨ててしまった。
それを見たあの女性は興味深そうな反応を示した後「残念だけど捕まるつもりはないから」とかなんとか言って逃げていった。
一度披露した、視界を暗くする魔法? を使われたので追いかけようもなかった。
でも、お陰でキース様も助かり、意識を取り戻した。
私の方はすーすー眠ったままなかなか起きなかったので、仕方なくそのまま宿に運び込んで、今に至る……らしい。
◇ ◇ ◇
「あんあん!」
「で、この子がポチね」
「カタリナが丸めた闇の魔力が使い魔になったそうです」
「全くわけがわかりませんが……」
カタリナ様だから仕方ないんだろう。
黒い毛並みの子犬のようで可愛らしいが、闇の使い魔。カタリナ様は怖くないのだろうか。カタリナ様だから大丈夫なのだろう。
「その、皆さま、ご迷惑をおかけしました」
「なに。この通り、誰も死んでいない。問題ないだろう」
ラーナ様があっさりと言った。
彼女のことは苦手だが、こういう鷹揚なところは有難いと思う。
「あの、ソフィア先輩? どこか変なところはありませんか? 胸が苦しいとか」
「? いえ、特には……。魔力が殆ど空っぽになっているくらいで、むしろ気分的にはすっきりしています」
「良かった」
アリス様とマリアさんを中心にほっと息を吐くみんな。
「一時的とはいえ、闇の魔法に影響されたのですから、悪影響が残るのではないかと……」
「本への想いを増幅されたのですよね? ……はっ! そういえば本が読みたくて読みたくてたまりません! うううっ、今すぐ本を読まないと収まらない! は、早く本を!」
「どうやら大丈夫そうですね」
真面目で優しいマリアさんにさえ切って捨てられ、くすくすと笑われてしまった。
◇ ◇ ◇
こうして事件は一件落着した。
首謀者はキース様の兄弟。といっても、彼も「あの女性」に唆され、闇の魔法で操られていたらしい。公爵家に引き取られて何不自由なく生活するキース様への妬みを増幅され、復讐のために誘拐した、と。
つまり、黒幕はやはりあの女性。
途方もない闇の魔力を持ち、何人もの人間を操った彼女。きっとこれからも何かをしでかすだろう。彼女の動向は追わないといけない。もちろん、それは魔法省の管轄であって、私達がすることではないのだが。
「……私も、もっとしっかりしなくては」
マリアさんは闇の魔法に対抗するため、研鑽を重ねる決意をしたらしい。
ただでさえ真面目な人なので、あまり無理はしないで欲しいのだが。
私達は、ソルシエ王国内に移動した後、(私とキース様の体調的に)大事を取って一日休み、学園へと帰還した。
キース様を追っている間にお休みは終わっている。
縁談の話はまた後日ということになった。ちょうどいい。キース様も今回の件で「自分の心」を見つめ直すことができたようで、覚悟を決めてくれたからだ。
「帰ったら姉さんに打ち明けるよ」
移動中、そっと私に教えてくれた。
カタリナ様にも「大事な話がある」と伝えたらしく、「早く教えてよ」と急かされていた。姉弟は仲直りしたらしく(まあ、そもそも喧嘩していなかったのだが)、元通りだった。
「ソフィア先輩。これは」
「ええ。遂にこの時が来たようです」
「わくわくしますね。できれば一部始終を見守りたいところですが」
アリス様は意外といい性格をしていると思う。
くれぐれも無理に覗かないようにお願いしたところ、「バレなければいいのですね」との返答。まあ、確かにバレなければ問題ない。彼女なら下手に騒いで場を台無しにすることもないだろう。
キース様にとって、一世一代の大勝負。
私も「一緒にどうか」と誘われたものの、野暮な真似をするのは止めて素直に待つことにした。
学園に着いた途端、メアリ様に抱きしめられたり、ジオルド様から「余計なことはしなかったでしょうね?」という視線を向けられたりと大変で、そんな暇がなかった、とも言うが。
ちなみに、メアリ様――というか、あの場にいなかったメンバーには例の「闇堕ちソフィアちゃん」の件は内緒にしてもらった。
余計な心配をかけたくないし、無暗に他人に襲い掛かる、なんて思われたら大変だ。これでもちゃんと、本以外のことも考えられる人間のつもりなのに。
ああ、でも、とうとう。
「この学園での皆さんとの生活、楽しかったです」
「ソフィア? 卒業までにはまだだいぶありますわよ? ……はっ。まさかとは思いますが、お腹にキース様の子がいるので、一足早くクラエス家へ……? ちょっと待っていなさい。一度キース様とは『お話』しなければならないと思っていましたから」
「ないです! ないですから! ……ただ、その、さすがにもう、大きな事件は起こらないかな、って」
「そうですわね」
メアリ様は微笑んで私の髪を撫でてくれる。
「カタリナ様のお傍にいる限り、そんな保証はありませんが」
「……確かに」
で、でも、アリス様も「次は魔法省編だと思う」と言っていたし。マリアさん失踪、カタリナ様誘拐、キース様誘拐とどれも数か月は空いているから、大丈夫だと思う。
「はっ。もしかして次は私が誘拐されるんでしょうか……?」
「安心なさい。私とアリス様の目を盗んで誘拐されるようなこと、そうそうありませんわ」
「じゃあ、三人一緒に誘拐されちゃいますね」
冗談めかして言うと、メアリ様は「それもいいですわね」と笑った。
「……されるくらいなら誘拐したいですけれど。うふふ。カタリナ様と二人っきりの生活……」
「メアリ様。ダダ漏れです」
そうして、私がメアリ様と一緒にいたお陰か、キース様とカタリナ様のお話は無事に終了したらしい。
数時間後、部屋に招かれる形で伝えられた結末は、キース様にとってもカタリナ様にとっても熟慮の末に導かれたものだった。
私にできるのは、彼らの決断を尊重すること――ただそれだけだった。
キースの選んだ結末とは……?
→「僕は姉さんと一生添い遂げる。ソフィア、君には感謝しかない」
→「気を失った君を見てわかった。ソフィア、僕には君が必要だ」
次回よりエンディング突入の予定です。
どれからになるかはわかりませんが、独身司書ルート、キースと婚約ルート等、幾つか投稿したいと思っております。
その後は番外編やif編、お遊び編を書けたらいいな、と。
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エンディング
endA.婚約破棄
「姉さん――カタリナ・クラエス様。初めて出会った時から、貴女のことがずっと好きでした。できることなら弟じゃなく夫として、貴女の傍にいたい」
キース様は、カタリナ様に告白した。
出会った頃からこれまでの思い出を交え、その想いの丈を伝えた。さすがのカタリナ様も、これだけストレートに伝えられれば勘違いのしようはなかった。
思ってもいない告白に動揺した彼女は慌てて、幾つもの言い訳を募った。
姉弟だから。
ジオルド様と婚約しているから。
ソフィア(私)との婚約話もあるから。
キース様は一つ一つを受け止め、答えた。
姉弟と言ってもキース様は養子。家督を継がせるために引き取った子が娘と恋仲になることは稀にある。家同士の繋がりを得られないというデメリットはあるものの、家の形がこれ以上なく引き継がれる、という意味ではメリットと言えなくもない。
ジオルド様との婚約はカタリナ様も認める通りに形だけのものだ。むしろ、なあなあに引きずっている方が失礼になりかねない。加えて、キース様には「奪い取ってでも好きな人と結ばれる」覚悟がある。
ソフィア(私)には謝るしかないが、最初から事情を知っていて、それでも協力してくれていた。だから、彼女も納得ずくの話だ。
逃げ道を潰されたカタリナ様は「返事は今度に」と言ったが、キース様はそれを許さなかった。時間を置けばはぐらかされる、あるいは本気で忘れられると、誰よりも良く知っていたからだ。
「お願いだよ、姉さん。いや、カタリナ。断るならこの場ではっきり断って欲しい。でないと僕はここから先に進めない」
「キース……」
こう言われてはカタリナ様も覚悟を決めるしかない。
やんわりと、なあなあと、流してきた彼女の「弱さ」を初めて本気で他人に――異性に吐露した。
「私、わからないの。恋とかそういうのが。そりゃ、物語で読むのは好きよ? 美形の王子様とか、俺様男子の台詞にときめいたりもするけど――私が結婚して子供を産むなんて、全然ピンと来ないの。いつかは結婚しなきゃいけないっていうのも考えたくなくて、ジオルド様が諦めてくれないかなって先延ばしにしてるくらい」
「うん、知ってる」
もちろん、キース様はそのことも誰より知っている。
「姉さんのことは良く分かっているつもりだよ。だから、僕は普通の恋人同士や夫婦みたいな関係は求めない。……いや、もちろん、できるならしたいとは思うんだよ? でも、僕の一番の望みはそうじゃない。これからもずっと、姉さんの傍で世話を焼かせて欲しい。今までみたいに」
「そんなの、姉弟のままだって――」
「年頃の女性の世話を、婚約者以外の男が焼くのは褒められた行為じゃないんだよ。いくら姉弟でも、このまま続けていたら後ろ指さされかねない」
キース様が好きなのは、ありのままのカタリナ様だ。
公爵家の妻だとか、そんな肩書きや振る舞いを望んでいるわけじゃない。自分の隣で太陽のように輝いていて欲しい。一番近くで笑顔を見せて欲しい。ただそれだけ。
「お、お父様やお母様がなんて言うか」
「僕が説得する。絶対に説得して見せる。なんなら、二、三発殴られても構わないし、もし勘当されるっていうのなら――どこか他の家に拾ってもらってでも、貴女を迎えに行く」
式を急ぐ必要だってない。
魔法省に入りたいなら入ればいいし、入らないなら、これまで通りクラエス家での生活を続けられる。言い募る言葉にはカタリナ様への愛情が溢れていた。
やがて、真っ赤になって俯いたカタリナ様は、小さく一言だけ尋ねた。
「……本当に私なんかでいいの、キース?」
キース様は自信を持って答えた。
「もちろん。貴女じゃなきゃダメなんだ、姉さん」
「そっか。……じゃあ、まずは、ジオルド様とソフィアに謝らなくちゃ」
その言葉が何よりの――カタリナ様が出した答えだった。
◇ ◇ ◇
以上、アリス様からの報告により私――ソフィア・アスカルトが再現しました。
その後、私はカタリナ様から土下座する勢いで謝られた。
もちろん私としては否はない。微笑んで水に流すと抱きつかれて「お姉ちゃんって呼んでいいのよ!」と言われた。とても魅力的な提案だったが、メアリ様から刺されかねないので丁重にお断りした。
ジオルド様側への対処はもっとずっと大変だったようだが、キース様誘拐事件を引き合いに出して「最愛の義弟こそ最愛の男性だとカタリナ様自身が気づいた」という論調によって世論を納得させることができた。
長年婚約しながらカタリナ様が「ほぼ手つかず」だったことも、仮面の婚約者に過ぎなかったのではないか、という見解を補強した。
もちろん、ジオルド様にその気があれば、キース様のことを「王子の婚約者を奪った不貞の義弟」と罵り、徹底的に糾弾して排除することもできたのだが――それができない程度には善良なのがジオルド様であり、ジオルド様とキース様なりの友情だった。
婚約を破棄された王家とアスカルト家はたまったものではなかっただろうが、そこは意外となんとかなった。
アリス様が王家をとりなしてくれ、アスカルト家の方は私が仲裁したのが一つ(別に良いではありませんか、と言ったところ「良くありません」とお母様から数時間に渡ってお説教された)。
カタリナ様を王子様から奪ったキース様をクラエス家当主――二人のお父様が直々に叱り、一発殴った上で「一人前になるまでカタリナに傷をつけることは許さない」と約束させたこと、ミリディアナ様ともどもお詫びに奔走したことが一つ。
更にもう一つ、私とジオルド様に新しい縁談が決まったことも大きかった。
「お疲れ様です、ソフィア。晩御飯はどうしますか? 教職員寮の食堂ですか? 外に食べに行くのなら馬車を待たせてありますが」
学園を卒業した後、付属図書館の司書になり、職員用の寮に入った私の元には『新しい婚約者』が度々遊びに来るようになった。
そう。
何を隠そうジオルド様である。
「じ、ジオルド様。そんなに頻繁に来てくださらなくても、私は逃げませんから」
以前にも増して磨きのかかった腹黒ドSスマイルで仕事終わりを狙い澄ましてくる彼に引きつった顔で告げれば、寸分も笑顔を動かさないまま、
「逃げるだなんて思っていませんよ。ですが、君は放っておくと食事さえ抜きかねないでしょう? 以前と違い、メイドは週の半分、通いで来るだけではありませんか」
「新人用の職員寮には使用人部屋がありませんから……。ですが、特別困ってはおりませんし」
むしろ、先輩方は顔見知りの方ばかりだし、この図書館に「開かずの書庫」があるなんていうときめくような噂も聞いたし、何より寮が図書館のすぐ近くなので、私にとっては天国だ。仕事終わりに司書同士で貸し出し手続きをし、借りた本は夜更かしして読み切るのがここでの常識。
と、ジオルド様は私を軽く抱き寄せ、顎に手を当てて、
「僕が困るんですよ。将来の妻が不健康では、婚約解消を言い渡されかねません」
「それでいいのですけれど……」
「駄目です。カタリナを奪われた僕の哀しみを、何分の一かでも癒してもらわなければ」
もちろん、私達の婚約はジオルド様の陰謀だ。
キース様が誘拐事件をダシに使ったように、ジオルド様も「離れている期間中に彼女の魅力を発見した」とかなんとか適当なことを言って、あっという間に私との婚約を認めさせた。伯爵令嬢では婚約者に不適格だと思うのだが、そこはそれ。第一王子派や第二王子派が「ライバルが減るなら」と喜んで後援してくれた。
ジオルド様も「王族に相応しい婚約者なんて知ったことじゃないし、なんなら子作りも自分達のペースでさせてもらう」という態度を表明。王位継承レースから進んで外れた。
そこまでして結婚問題から逃げたいのか、と言いたかったが「僕達が相手を作った方がカタリナ達も安心しますよ」と言われてしまえば仕方ない。
「……当分、結婚なんてしませんからね?」
頬を膨らませて上目遣いに睨むと、ジオルド様は微笑んで、
「ええ、もちろん。兄二人が結婚するまではどの道できませんし。ソフィアの身体なら子作りを急かされることもないでしょう。印刷業でもお手伝いしながら気長に待ちますよ」
ソフィアもなかなか退屈しない性格ですから、と言う彼がどこまで本気かと言えば、ほぼ本気じゃないと思うのだが――。
「時間が勿体ないので今日は寮の食堂にします」
「了解しました。食後は部屋でご一緒しても?」
「狭い部屋で寝たいだなんてジオルド様も物好きですよね」
面倒事の少ない婚約者ならまあいいか、と、なんだかんだで受け入れた私は、しばらくした後、なんだかんだで結婚して、更にしばらくしてなんだかんだで子を儲けることになる。
あ、もちろん司書は辞めなかったのであしからず。
書いてたら何故か独身ルートじゃなくなりましたが、キースがカタリナとくっついた場合のルートでした。
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endB.次期公爵夫人
「キース。あなたは嘘をついているわ」
義弟の告白を受けたカタリナ様は、しばらく真剣な顔で考えた後――きっぱりと言った。
キース様は目を見開いて驚愕した。
彼は自覚がなかったのだ。自分の中に芽生えていた新しい想いに。
人の心に聡いカタリナ様だからこそ、一番近くにいた姉弟だからこそ、それに気づいた。
「あなたの気持ちは嬉しい。……本当にそれがあなたの想いなら、私だって真剣に答えなくちゃいけないと思う。でも、違うでしょう?」
「な、何を言ってるんだ、姉さん」
「もう一度よく考えてみて。あなたならわかるはずよ。キースはとっても頭が良くて、優しい子だもの」
優しく、諭すようにカタリナ様は言った。
「あなたが好きなのは、愛しているのは――本当に私? あなたの心の深いところには、誰がいるかしら?」
「僕の心の、深いところ……?」
キース様は端正な顔立ちに困惑を浮かべながら、自らの胸に手を当てた。
自分の気持ち。
ようやく打ち明けることができたはずの『本心』の、更に奥。
「辛かったでしょ? 苦しかったでしょ? ごめんね、気づいてあげられなくて。……でもね、そんな時に傍にいてくれたのは誰? 応援してくれたのは誰だった? あなたはその子が自分のために傷ついたのを見て、どう思った?」
青い瞳が見開かれる。
答えに辿り着いた――そして、それがとても意外なものだったのが、ありありとわかった。
立派な青年の真っすぐな瞳に涙が浮かぶ。
「……ソフィア」
「そうよ」
カタリナ様は慈愛の籠もった笑みを浮かべて、キースの頭を撫でた。
「言ってきなさい。随分待たせて、辛い思いをさせちゃったでしょ?」
「でも、姉さん」
「でもじゃないの! ほら、男なんだからしゃきっとしなさい!」
ばーん、と、背中を叩く仕草はおおよそ貴族令嬢らしくはなかったが、キース様は笑って、こくりと頷いたという。
「うん!」
◇ ◇ ◇
「姉さんに言われてやっとわかった。僕の中にはソフィア。いつの間にか君がいた。傍にいて、一緒に悩んで、協力してくれる君のことが、とても大切になっていたんだ」
「え。えええ、あ、あの……!?」
私は慌てた。
カタリナ様を射止めて誇らしげなキース様に「やりましたね!」と言う準備と、断られたキース様に「残念でしたね……」と励ます準備と、二人の話を台無しにした誰かに「もう!」と怒る準備はしていたのだが――まさか、私の予想を全部すり抜けて、私自身が告白されるとは。
一体どうしてそうなったのか。
「わ、私達の婚約はカタリナ様の気を引くためのものだったんですよね?」
慌てて尋ねると、キース様は微笑んで頷いた。
「最初はね。だけど、今はもう違うんだ。ソフィア。僕は本気で君と一緒に歩いていきたい」
「か、カタリナ様のことはもういいんですか!?」
「もう諦めた……って、言いきれるほど簡単じゃないけど、でも、自信を持って言える。君が好きだ」
「あ、あうう」
顔が真っ赤になる。
私の生涯――前世まで含めた上で、これだけ情熱的に告白されたことがあるだろうか。こんな格好いい男の人から熱い視線を向けられたことがあっただろうか。いやない。
これは何かの間違いだ。
ええと、そうか。
「ドッキリですね!?」
何がおかしいのか、キース様はくすりと笑って、
「違うよ。本気だ。……それともソフィアは、僕じゃ嫌かい?」
優しく、抱き寄せられて顔を覗き込まれる。
私は夢でも見ているんじゃないだろうか。
「私なんかを好きになったらキース様が困ります!」
「困らないよ。ソフィアとこうして話しているだけで楽しい。司書の仕事をしたい君を家に置いておく気もない。籍だけ入れる分には構わないだろう?」
「そ、それはそうですけど……元気な子供を産む自信とか、ありませんし……。もっと優良物件が幾らでもあると思うのですが」
私と恋愛するくらいなら、そう、メアリ様を奪い取るとか、アリス様に求婚する方がマシだ。
「まったく、姉さんもだけど、ソフィアも相当変わってるよね?」
「失礼ながら、キース様も相当な物好きかと……」
「それはまあ、そう思わなくもないけどね」
思うんだ、と、脳内ツッコミを入れてしまう私だったが、それよりも絶賛退路が無くなっている状況をどうにかしないといけない。
いけないのだが、
「ソフィア。君だって婚約に乗り気だったじゃないか。どうしてそんなに慌てるんだい?」
「キース様が格好いいからです!」
私のことを女として見ていなかったキース様と、今のキース様は全然違う。具体的には見えないオーラが違う。私の顔を見て幸せそうに目を細めないで欲しい。
しかし、キース様はなおも微笑んで、
「何も変わらないよ。司書になってもらって構わないし、結婚さえしておけば父上達も子供は焦らないだろう。幸い僕は女性を弄びたい性質ではないしね」
原作を知っているアリス様に聞かせてあげたい。
恥ずかしさでいっぱいいっぱいになっている私はどうでもいいことばかりを頭に思い浮かべた挙句、思いつくことがなくなって、深い息を吐いた。
本当に想定外すぎる。
「私、キース様のこと、男性として見られませんよ?」
「結構脈ありに見えるけど、構わないよ。兄妹みたいな夫婦、いいじゃないか」
キース様のしなやかな、でも頼りなくはない男性の手が私の髪を梳いて、
「綺麗な髪だ。ルビーのような瞳も見ていて飽きない。何より、ソフィアには邪心がない。それが僕には何より魅力的だ」
「こ、子供っぽいということでは……?」
「アスカルト家の魔女を野放しにしておいたら、この国がどうなるかわからないから、僕が責任を持つのさ」
嘯いて、彼は返答を迫ってくる。
「さあ。どうかな、ソフィア」
「あ、ああ……ええ、と」
もう、何も言えない。
「こ、後悔しても知りませんからね……!?」
精一杯強がって見上げると、キース様はしゃがんで目線を合わせた上で答えた。
「約束する。絶対に後悔なんかしない」
こうして、私とキース様の婚約は真実のものになった。
◇ ◇ ◇
二年後。
私とキース様の結婚式は大々的に執り行われた。カタリナ様やジオルド様、アラン様にメアリ様、アリス様にマリアさんといった親しい方々はもちろん、ラファエル様やソラ、更にはラーナ様――もとい、スザンナ様にセリーナ様、他の王子様さえ顔を出した。
テロが起こったら要人が一網打尽なのでは、という私の呟きにキース様は「縁起でもないから止めよう」と苦笑した。
式の後のパーティは大変だった。
酔ったメアリ様が「ソフィアを泣かせたら承知しませんから」とキース様に詰め寄り、アラン様に取り押さえられたり、セリーナ様から羨ましいという温かな言葉――と見せかけた「早く結婚したい」という惚気を聞かされたり、アリス様がお色直しでタキシードに身を包み「キース様とどっちが格好いいですか、ソフィア先輩?」などと言いだしたり。
そうそう。
アリス様と言えば、彼女はキース様とカタリナ様の会話から、その後のキース様の私への告白まで、ばっちり聞いていたらしい。
「よく乱入を我慢できましたね」
「私だってそれくらいの分別はつきます。メアリ様ではないのですから。……だって、ソフィア先輩にとって、人生を変える大事なお話でしょう?」
「ありがとうございます、アリス様」
結婚しても歳を取っても、百合小説同好会は不滅だと伝えたら、感極まったアリス様から抱きしめられた。ドレスが皺になると言っても聞いてもらえず、復活したメアリ様まで目ざとく寄ってきて、大騒ぎになった。
そしてパーティが終わった夜。
クラエス邸の一室で、私はキース様と、未だに慣れないキスをそっと交わしたのだった。
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endC.後輩と百合同棲
キース様の告白は失敗に終わった。
『……ごめんなさい。私は一応、ジオルド様と婚約してるわけだし。それに、キースのこと、男の人ととしてなんて見られない』
公爵家の跡継ぎ、キース・クラエスの失恋が噂として広がることはなかった。
しばらくの間、塞ぎきっていた彼の様子から様々な憶測が流れたものの、それでも「そういう話」にならなかったのは、ひとえに、こっそり覗いていたアリス様が口を閉ざしていたことと、それからまあ、なんというか、私の人徳の為せるわざ、だっただろう。
「ソフィア先輩がキース様を振る、なんて想像もできませんからね」
美しい月が上った静かな夜、金色の髪をした少女はお茶請けのクッキーを摘まみながら言った。
「実際、婚約は解消されなかったわけですし」
「本当に、アリス様には感謝しています」
苦笑気味に言ってクッキーを一つ口に入れると、正面に座った彼女は「む」と頬を膨らませて、
「ソフィア先輩? 昔を思い出したからと言って、呼び方まで戻らないでください。もう他人ではないのですから」
「あ。ええ、ごめんなさい――アリス」
アリス様――もとい、アリスは私の呼びかけにぱっと破顔すると「はい。わかればいいんです」と言った。
一緒に暮らすようになってから知ったことだが、彼女にはこういうところがある。寂しがり屋というか、親しい人とはとことん親しくないと気が済まないというか。
それでよくカタリナ様との距離感を保てるものだが、きっと、アリス様にとってもカタリナ様は特別な太陽なのだろう。
◇ ◇ ◇
私と婚約する意味はなくなったが、キース様は婚約解消を望まなかった。
『そんな失礼なことはできないよ』
少し辛そうにしながら口にした言葉に嘘はなかっただろう。
失恋というか、カタリナ様への想いを引きずったままの彼にとって、他の相手を考える余裕はなかった。それならば打算が薄く、兄妹のように付き合える私との婚約は「ちょうど良かった」のだと思う。
『だけど、ソフィアがもし望まないなら――』
私は断ることもできた。
告白の件を引き合いに出せば、我が家としては世間体を傷つけずに解消できる。というか、あの時点では正式に結ばれていなかったのだから、表向きは「条件が合わずに破談」になっただろう。
そうならなかったのは、アリスの影響かもしれない。
『キース・クラエス様。あらためてお願い申し上げます。ソフィア様と共に、私の想いも受け取って頂けませんか?』
アリスは正式な形でキース様に婚約を願った。
一度は断られているにも関わらず、だ。
当然、周囲は熱烈なアプローチと理解する。前回の個人に対する打診と違い正式なアプローチであるため、クラエス公爵家としても無碍にはできない。
婚約の場に王族、公爵家、伯爵家の人間が「当事者として」一堂に会するという特異な状況で話し合いが持たれ、結果、キース様とアリスの婚約は成った。
第一夫人がアリス、第二夫人が私――という、いつか話した通りの形での結婚を前提とした、基本的に破棄を考慮していない本格的な婚約。
叶ったのは主にアリスがゴネたからだ。
『ソフィア先輩――いいえ、大切なソフィア様を、今の腑抜けたキース様へ渡すわけには参りません。私も一緒にお受け取りください。キース様を立ち直らせることができるのはおそらく、私達だけかと存じます』
とかなんとか大きなことを言ってクラエス家、アスカルト家を納得させた。
いや、我が家に関しては「ソフィアが嫁に行ってくれるならなんでもいい」「むしろ王族の庇護まで得られるとは」くらいの緩いノリだったのだが。
求婚先の男性を指して「腑抜け」と言い切る態度にひと悶着あったり、否定するどころか肯定したキース様にふた悶着めがあったり、アリスの真の願いを察した王族側が難色を示した挙句、末の娘が可愛くて仕方のない国王が真っ先に折れたり、色々あって。
私とアリスは「いずれ同じ人の妻になる」間柄、家族になることが予約された関係になった。
◇ ◇ ◇
「でも、私が第二夫人なのですから、アリスを呼び捨てなんておかしいんですよ?」
「おかしくありません。歳の上でも、職業婦人としても、先輩の方が先輩だと、何度も申し上げたではありませんか」
現在、私達は一緒に暮らしている。
私は学園の図書館、アリスは魔法省。
同じ敷地内で仕事をするのならいっそ一緒に住んでしまえ、ということで、街に小さな家を一軒、アリスがぽんと買った。
アリスが卒業するまでの一年間、寮生活を送った後、私はそこに移ってきて、女同士の気楽で楽しい共同生活を送っている。
使用人はアリス様専属の方が一人。
ただし、私達が出勤している昼間に掃除や洗濯をするのが主な仕事で、帰宅した夕方以降や休みの日は何もしなくていい、という取り決め(命令ともいう)になっている。彼女にはすぐ傍の別棟で生活してもらっており、当人も最初は戸惑っていたものの「慣れてくると仕事がなさすぎて不安になるくらいです」と気軽に愚痴(?)をこぼしてくれるようになった。
王族付きのメイドなので下手したら私よりも上等な女性なのだが、私のことも「ソフィア様」と呼んでくれるのがとても嬉しい。
「アリスって変なところが頑固ですよね」
「ソフィア先輩こそ」
私達はむっと睨み合った後、どちらからともなく、くすくすと笑いあった。
「アリス。お仕事の方は順調ですか?」
「ええ。まだまだ下っ端で、持ち帰って行うような仕事はそもそも与えられていませんが。もちろん、いつまでもそれに甘んじるつもりはありません」
野心を込めた目で語るアリス。
澄んだ青色の瞳はどこまでも未来を見据えているようだ。
「あまり忙しくなられると私が寂しいのですが」
「ソフィア先輩こそ、お休みの日まで事業の差配で忙しいではありませんか」
「う」
それを言われると痛い。
慌てて視線を逸らすも、向かい合っているせいでじーっと見つめられてしまう。隣に座ってもいい間柄ではあるのだが、アリスは「ずっとソフィア先輩を見ていられるから」と向かい合って座るのを好む。
「そ、その時はアリスだって傍にいるでしょう?」
「それはもちろん。私も覚えておいて損はありませんし? ソフィア先輩と一緒ならなんでも楽しいですから」
お手伝いはできませんけど、とアリス。
今はまだ大丈夫とはいえ、ゆくゆくは出版事業を管理することになる彼女。私の仕事をじーっと見ているのは完全にプライベートでありながら、査察、監視にもなってしまう。
「お、お仕事の話はおしまいにしましょう!」
「先輩が始めたのですが」
くすくすと笑って、アリスは席を立った。
「飲みますよね?」
「では、いただきます」
「はい」
嬉しそうに頷いて、いそいそとグラスや氷を準備する王女様。自分がしたいからしているだけ、と、止めても聞いてくれないので、最近はお任せしてしまっている。
二人分の私財を投じて作った氷庫(冷凍庫)と食材保管庫(冷蔵庫)から取り出したものがグラスに投じられ、蒸留酒の炭酸割りが完成。
アリスが隣に座るのを待ってから、からからと氷を揺らしグラスを傾けると、まるで日本に戻ったような気分になる。
じわりとアルコールが回っていく感覚がまた心地いい。
こてん、と、アリス様が軽く寄りかかってきて、
「メアリやマリアも参加すればよかったのに」
「メアリ様は嫁入りで忙しいですし、マリアさんの本命は別ですからね」
この家に来るにあたっては二人も誘ったのだ。
だけど、二人とも悩んだ末に断ってきた。まあその最近思うのは、この、外とはうって変わって甘えん坊のアリス様を見たくなかったんじゃないか、ということだが。
私にとっては、この距離感が心地いい。
女同士ならあれもこれも、気兼ねなく預けてしまえるから。
「いつまでこうしていられるんでしょうね、私達」
クッキーの残りをつまみながら呟くと、アリス様が囁くように答えてくれた。
「もちろん、おばあちゃんになるまでですよ、先輩」
なお、キース・クラエスは百合小説にハマって立ち直った――かもしれない。
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if番外編:世界の真実?
壮大に何も始まらない話。
本好き設定とのクロスネタなので、あちらを未読の方には何を言ってるかわからないと思います。
続きませんし本編との関連もありません。
「ユルゲンシュミット」
アリス様の声が、付属図書館の開かずの書庫内に響いた。
「それが、ソルシエ王国ができる前――この地に存在した国の名前です」
ソフィアとしての人生はもちろん、
それなのに本能的に、「とても重要だ」とわかってしまう不思議な名前に、私はごくりと唾を飲み込んだ。これはきっと、世界の真実に繋がっている。
アリス様もまた、どこか興奮を隠せないように頬を紅潮させていた。
わざわざこんな、一部の人しか存在を知らない、どうやっても盗聴のしようのないような場所に連れてきたことがその証拠だ。
「王族専用の書架をあたり、歴史研究家を何人も尋ねてようやくたどり着きました。思いの他、たくさんの時間がかかってしまったと思います」
じっと、彼女の瞳が私を射貫いて、
「そう、あの日――私の前でソフィア先輩が
◇ ◇ ◇
今から二年近く前――学園を卒業して一年も経たない頃のことになる。
「ソフィア先輩? こんなところで人払いをして、何をするのですか?」
「アリス様。どうか驚かないで見ていてくださいね」
学園内にある小さな地下室にて。
私は一切の人払いをし、出入り口の扉を硬く閉ざした状態で、アリス様たった一人に「それ」を披露した。魔力を集中させた手のひらから小さな「炎の球」を作り出して放ち、壁に叩きつけて消滅させる、というデモンストレーションを。
振り返ると、アリス様は絶句していた。
震え、青ざめ、そしてそれ以上の知的探求心に目を輝かせていた。
「ソフィア先輩。それは、魔法道具を使ったんですか?」
「
身体検査なら好きなだけと言うと本気で全裸にされかけたが、お陰でアリス様はわかってくれた。
「風の属性のソフィア先輩が
「研究の成果です」
ちなみに土ボコもできる。
えっへんと胸を張って言うと、アリス様は「世紀の大発見です!」と声を荒げた。
「これ、誰にも言ってませんよね?」
「はい。アリス様にならと思ってお話しました」
「……ああ」
深いため息と共に頷くアリス様。
「不幸中の幸いというか……。ソフィア先輩。経緯を説明していただくのはもちろんですが、絶対に、絶対に、このことは誰にも言わないでください。これはフリじゃありませんから!」
「え、ええ。もちろんです。でも、そこまで言うほどですか……?」
「ソフィア先輩を王に、という世論が持ち上がってもおかしくありません」
「今すぐ研究成果を忘れたくなってきました」
もちろん、そんなことはできるはずもなかった。
◇ ◇ ◇
発端は、素朴な疑問からだった。
「アレクサンダー君って何の属性の魔法で動いているんです?」
人の記憶を辿ってその人物の居場所を突きとめることができる、動くぬいぐるみ――アレクサンダー君。
固形物を動かすのは基本的に「土」の管轄なのだが――ここで疑問。サブというか、なくてもいい機能である「動く」方ではなく、メインの機能は?
人の記憶を辿る?
心を扱う魔法は、四大属性のどれにも当てはまらない。マリアさんの持つ光でもない。認識操作や洗脳が可能な「闇」の範疇だ。
え、わざわざ闇の魔法を使って作ったの?
私が作ったカタリナ様発見器やキース様発見器は関連付けした二つの鉱物の共鳴を利用したもの――つまり「土」の範疇なのだが、アレクサンダー君はそれでは説明がつかない。
ラーナ様に尋ねると、拍子抜けするような答え。
「闇の属性など付与していない。素材の組み合わせによって、魔法を込めるのでは行えない機能を持たせられるだけだ」
「そうだったんですか……」
ここで、私は新たな疑問を覚えた。
それはつまり
私は魔法道具について更に詳しく勉強した。その結果わかったのは、ラーナ様が言ったことの詳細。素材によっては複数の属性に跨るような効果も得られるし、疑似的に光や闇の魔法を再現できる場合がある、ということ。
なにそれ?
誰も疑問に思わなかったのか、と、逆に疑問に思った。
ゲームっぽいと常々思っていたが、この世界の魔法はどこかおかしい。まるで、そうなるように誰かが規定したみたいだ。
私はラーナ様に疑問を伝えず、独自に研究を始めた。
素材の中には闇の属性を持つものどころか、複数の属性を持つものもあった。おかしい。属性とは一つではないのか。物質が複数属性を所持しているのに、生物が一つの属性しか持てない、などということがありえるだろうか。
そもそも、あらゆる魔法が六大属性にきっちり分けられる、なんていうことがありえるか?
普通に考えたら二属性の複合魔法などが出てくるはず。というか、闇の魔法には使い魔を作る魔法もあるのだが、生命を操るのは光の領分ではないのか。光と闇が別の属性、ということさえ怪しくはないか。
結論が、私の行使した「他属性の魔法」。
人間にも複数の属性がある。一人一属性と思われているのは、メインの属性が極端な形で決まっているから。可能だと信じて相当な試行錯誤を繰り返さない限りはメイン属性が引き出されてしまってうまくいかないから。
ちなみに私は水の魔法も使えた。
ただし、光と闇の魔法は使えなかった。あの二つは特殊なのだろう。推測では闇が希少な属性。そして光が「闇を含むあらゆる属性を持っている」者。
もちろん、何の根拠もなかったのだが。
私のデモンストレーションを受けたアリス様が二年近くかけて調べ上げ、結論を出した。
◇ ◇ ◇
「ユルゲンシュミットは数百年前――下手をすれば千年以上前に滅んだ王国です。その当時は今とは異なる形で魔法が存在していたようです」
「じゃあ、どうして魔法が今の形に?」
「国が亡ぶと同時にシステムが崩壊したからです」
当時は七つの属性が存在した。
神に祈ることによって魔力を増やし、追加の属性を得て、魔法を行使することが可能だったのだが、知識の失伝等の理由によって国を維持する基盤が崩壊、ユルゲンシュミットは滅亡し、魔力供給、あるいは信仰を失った神々は滅びた。
国が滅びて荒廃した地からは人が減っていき、少数の人間だけが残った頃――外国(ランツェナーヴェだとかいう名前があったらしい)が流入してきて、少しずつ復興させていった。大陸には複数の国が乱立し、そのうちの一つがソルシエ王国。
滅んだユルゲンシュミットの中心部にあたるため、今でも魔力持ちが多いらしい。
「じゃあ、今の魔法のシステムは」
「神が失われたことによって変化したもの――あるいは賢者や、私達よりも前に転生してきた者が形にしたもの、なのでしょうね」
神がいなくても機能するように。
ただ、システムが変わったからといって、人々の保有する魔力や属性までが変わったわけじゃない。私がやったように、やろうと思えば他の属性の魔法も使える。
実際、アリス様も四大属性を振るえるようになったらしい。
おそらく、私達転生者以外が真似してもなかなか上手く行かないだろう――前例がない状態なら生涯を賭しても不可能かもしれないが。
「当時のユルゲンシュミットには、選ばれた者だけが閲覧できる特殊な書物が存在し、読んだ者に知識を授けたようです」
「読んでみたい――じゃなくて、それって」
「ええ。カタリナ様やマリアが発見した、闇や光の書の原型。完全版にあたるものだったのではないでしょうか」
「それを手に入れる方法は……?」
「ソフィア先輩。読んでみたいというだけで手を伸ばすものではないと思いますが――伝承が遺失してしまっていますし、一度崩壊した国の話ですからね。可能性があるとしても、遺跡を掘り返さないといけないのではないかと」
なるほど。
じゃあ、もっと印刷業を発展させてお金を貯めないと。土木工事には巨額の費用がかかるし……って、アリス様が物凄いジト目で私を見ていた。
「ソフィア先輩はもうちょっとこう、何かないんですか!?」
「ええ……? そう言われても、何もありませんよ。それはまあ、昔は冷蔵庫とか普通にあったのかも、と思うと羨ましくはありますけれど」
「ああ、もう……。今まで誰にも辿り着けなかった真実に、ソフィア先輩が辿り着けた理由が分かった気がします」
「あ、私が馬鹿だって思ってますね?」
「ソフィア先輩は天才だっていうことです」
私とアリス様はひとしきりじゃれ合った後、開かずの書庫を後にした。
なお、数年後、私達は「儀式を用いず闇の魔法を行使する方法」更には「光の魔力の行使」にまで至るのだが、特にそれを公開することはなかった。
というか、どっちも普通に使ったら効果が低すぎてどうしようもなかったのだ。せいぜいお互いが指を怪我した時、癒し合う程度。
ただまあ、全く何もしないのもなんとなくもったいなかったので、アリス様が前に書いていた「転生した本須麗乃を主人公にした物語」にユルゲンシュミットの設定を加え、共同で書き上げたものを開かずの書庫にこっそり置いておいた。
あの書庫はエッチな本を隠すための場所なので、まあ見つかっても捨てられて終わるだろうけど、私達の悪戯を将来、誰かが見つけてくれたらいいな、と、そんなことを思ったりしなくもなかった。
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if番外編:貴族令息ソフィア爆誕
「ええっ!? ソフィアが男の子になっちゃったの!?」
「はい……。図書室で見たことのない古書を見つけたので読んでみたら、性転換の魔法の本だったようで……」
「なるほど。見たところ容姿はそんなに変わっていませんが……少し背が伸びましたか? それから多少血色が良くなったような」
「お前ら、文字数が少ないからって説明台詞を連発しすぎじゃないか?」
アラン様のメタ的なツッコミは無視するとして。
「ううう、どうしましょう……?」
親しいメンバー以外は人払いした生徒会室にて、みんなを涙目で見上げる。
しかし、全員「どうするって言っても」というような顔。
そんな中、キース様が首を捻って、
「うーん。もう一度本を読むわけにはいかないんだろう?」
「読んだ箇所は文字が消えてしまって、読みきったら本自体が崩れてしまいました」
「読みきらなくても良かったんじゃないかな?」
「あ!」
その発想はなかった。
ただ、性転換していることに気づいたのが読み終わった後だったので、一度読み始めた本を途中で放り出す、という発想もなかったのだ。
「やっぱり一生このままなのでしょうか……」
息を吐いて自分の姿を見下ろす。
ジオルド様が評した通り、見た目はそんなに変わっていない。着替える暇がなかったのでドレス姿のままなのもあるが、それを差し引いても大差ない。まあその、もともと胸なんてないようなものだったし、虚弱なのは体質と運動不足のせいだったからだ。
むしろ、男子になったことで多少体力がついたのか身体は楽になったくらいだ。
体型、特に下半身の違いについては違和感が凄いが。
「ソフィアが……ソフィアが男の子に……!?」
ちなみに、一番ショックを受けているのはメアリ様。
この世の終わりのような顔でぶつぶつと呟いている。
「お、落ち着いてくださいメアリ様。本を読むのに支障はありませんし、そこまで大ごとじゃありません」
「大ごとに決まってますわ! いいですのソフィア、貴女、これからは私達と夜に遊んだりできなくなるんですのよ!?」
「そ、それは困ります!」
あと、寮も男子側に移らなくてはいけないだろう。
キース様やジオルド様がいるので寂しくはないだろうが、本を移動するのが大変だ。本棚は備品なのでまるごと、というわけにはいかないし、いったん抜きだして運び、収め直すのはちょっとした引っ越し作業である。男手がないと辛い。
今は私も男手なのだが、この私に力仕事を期待しないで欲しい。
「ああ……。いざとなったらソフィアと二人、遠い異国で暮らす私の人生セカンドプランが……」
「おいちょっと待て初耳だぞ」
「というかメアリ様。ソフィア先輩が男性になったのであれば、異国に移る必要がないのでは?」
「「は?」」
私とメアリ様の声が重なる。
逆転の発想を披露したアリス様はとろけるような美しい笑顔を浮かべて、私の手を取った。
「というわけでソフィア先輩。私と結婚してください」
「そ、その手が……って、ちょっと待ってくださいませ! 私の許可なく結婚なんて許せませんわ!」
「おいメアリ。お前一応俺の婚約者だろうが」
アラン様のツッコミはまたしても無視された。
◇ ◇ ◇
驚くことにアリス様は本気だった。
王女の地位を利用して腕の良い医者を何人も呼び寄せ、私の身体に異常がないこと――つまり、元に戻る見込みが薄いことを確認すると、正式に婚約の申し込みをしてきた。
怒涛の展開に、私が男になったショックを受け損ねたアスカルト家の一同は「王族に婿入りなんて」と大喜びした。
「あ、あの。アリス様はいいんですか? 私と結婚なんて。普通、こんな状態、気味悪がって遠ざけるものだと思うのですが」
「元に戻る見込みがないのでしょう? であれば男性になったも同然ですし、ソフィア先輩はソフィア先輩です。……私、今更男性と結婚なんて、と思っておりましたが、先輩と結婚できるなら話は別です」
「でもその、男性的な甲斐性を期待されても困るのですが」
「汗臭い男性は好みではありません。それに、ソフィア先輩? 今の身体なら妊娠するのは私ですから、体調が崩れる心配もありませんよ?」
そんな利点が!?
「わかりました。結婚しましょう、アリス様」
「ソフィア先輩ならそう言ってくださると思いました」
司書の内定は既に出ているし、お婿に行く形になるから自由が利く。男性が働くことに異論は出にくいし、出版印刷業やレストラン経営をしながら司書をすればいい。
あれ、良いことの方が多い気がしてきた。
「男性の身体には生理もありません」
「なんと」
「服装もスーツさえ着ておけばそれほどうるさく言われません」
「天国ですか?」
「知識が豊富で魔法の才に優れているのは、男性であれば掛け値なく称賛されます」
「嬉しいは嬉しいですけど、割とどうでもいいのですが――」
「ソフィア先輩を狙った女性からの求婚が殺到しますよ?」
「アリス様は私の女神です」
つい女同士のノリで抱きつくと、アリス様も満更でもなさそうに抱きしめ返してくれる。
なるほど、こうなるのが私の運命だったのかもしれない。
「待ってくださいませ!」
「メアリ様?」
「ちっ」
なんかアリス様が舌打ちした気がする。
「何の用でしょうメアリ様? アラン様の婚約者のメアリ様?」
「ソフィアの相手には、ビジネスパートナーであるメアリ・ハントが相応しいのです。アラン様とは別れますのでご心配なく」
「あら、メアリ様。時代はもうレストランから印刷に移っているのですよ? ソフィア先輩の真のパートナーはこのアリス・スティアートです」
「くっ……。で、ですが、女としての器量では私の方が勝っています。男性になったばかりのソフィアには包容力が必要ですわ」
「ふふふ。アラン様と閨の経験もない生娘が何を仰っているのか。先輩、私が手取り足取り教えて差し上げます」
「馬脚を現しましたわね女狐! ソフィア、この女は経験豊富な魔女よ。貴女には相応しくありませんわ」
なんだか凄い騒ぎになってしまった。
私としてはアリス様との結婚で異論はなかったのだが……。でも、メアリ様との生活も楽しそうだ。一緒に本を読んだり、料理のレシピを考えたり、私の背格好ならドレス交換も普通にできるだろう。
と。
「ねえねえ、ソフィア。結婚なら私としましょうよ」
「「カタリナ(様)!?」」
「他に相手ができたならジオルド様も諦めてくれるわ。ね、ね? 司書のお仕事して構わないから。形だけ結婚して、二人でのんびり暮らしましょうよ?」
「いいですね、それ」
「「ソフィア(先輩)!?」
大騒ぎになった。
というかこれ、ひょっとして私はモテているのだろうか。
前世では幼馴染のしゅーちゃんと恋人同士に間違われたりした。そのせいで他の女性からやっかまれたりもしたのだが、あの時のしゅーちゃん以上にモテている。
これではまるでハーレム主人公ではないか。仲良しだったメアリ様とアリス様が喧嘩をするなんて、恋のさや当てとは恐ろしい。やっぱり恋なんてするものじゃない。
そこへ、何やら古い本を抱えたマリアさんが通りかかって、
「ふふふ……っ。見つけました、ソフィア様が読んだのと同じ本。これで私自身かカタリナ様を性転換させれば……!」
あれ、マリアさんまで良くない感情に取り憑かれている?
「ま、待ってくださいマリア。ライバルが増え――もとい、王族として危険物の使用を認めるわけにはいきません。それはキースにでも読ませてライバルを消す方が」
「ジオルド様? 物凄く邪な計画が聞こえたのですが、さすがの僕でも怒りますよ?」
「いや、ってゆーかもう一冊あったならソフィアに読ませればいいじゃねーか」
「「それだ!?」」
性転換の本をもう一度読んだ私は、無事に元のソフィア・アスカルトに戻った。
めでたしめでたし?
フリーのアリスが強すぎて、アランの婚約者というメアリが不利すぎる不具合。
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if番外編:本好きの公爵令嬢
「責任を取って、僕があなたに求婚します。お受けいただけますか、カタリナ・クラエス様?」
「……え」
本に押し潰されて死んだと思ったら、中世だかファンタジーだかの貴族令嬢に転生した挙句、王子様から婚約を申し込まれていた。
わたし──本須麗乃は、自意識が私──カタリナ・クラエスと混ざっていくのを感じながら状況を認識する。
転生してカタリナ・クラエスになった私は、転んで頭を打ったショックで前世の記憶を思い出した。
不思議な感覚だ。
先祖返りならぬ前世返りをしたわけではない。むしろ、自分がカタリナだという意識ははっきりあるのだが、同時に麗乃の記憶も自分のものとして思い出せる。
だから、なんとか王子の気を引こうと躍起になっていた私は、今の状況を遠い世界のことのように感じてしまっていた。
貴族令嬢と王子と言っても私達は八歳。
お相手のジオルド様は金髪美形幼児ではあるものの、日本で成人した麗乃の記憶が「この子と恋愛はちょっと。というか恋愛とか結婚自体ちょっと」と言っている。
「よろしいでしょうか、カタリナ様?」
「お断りいたしますわ」
だから、私は自然とそう答えていた。
「カタリナ様!?」
騒然となったのは私の使用人達だ。
王子と結婚して華やかな生活を送る! と気炎を上げていた私が、せっかくのジオルド様からの求婚を断ったのだから無理もない。
だが、ぶっちゃけ王子様なんてどうでもいい。
一昔前の昼ドラじゃないんだから、想いあってもいない相手との結婚生活なんてまっぴらだ。
「お気遣いいただきありがとうございます、ジオルド様。本日は私のような我が儘な娘にお付き合いいただき、きっと退屈なされたでしょう? その上、私の不注意であなたの将来を決めてしまうなど、とても我慢なりませんわ。お気持ちだけ受け取らせてくださいませ」
「な……。で、ですが!」
ジオルド様はぽかんと口を開けた後、いろいろと言い募ってきた。
転んでできた傷は小さなものではない。
命に別状はないが、後々まで痕が残るかもしれない。そうなれば結婚に差し支える。我がクラエス家は王族でこそないものの、貴族の中ではトップクラスの権力を持つ公爵家だ。その娘が行き遅れなどと外聞が悪いにも程がある、と。
私はそれに微笑んで答える。
「多少傷物でも公爵家の娘です。貰い手などいくらでもありますわ。それに私、どうしてもしたいことがあるのです」
「し、したいこと、ですか?」
「はい」
私はしっかりと頷くと宣言した。
「読書です。正直、今すぐにでも本が読みたいのです!」
「ど、読書? そんなことのために……!?」
「そんなことなんてとんでもない。本は人類の宝です。知識の宝庫です。本さえあれば世界中だって旅ができるのですよ!?」
この日、クラエス家の屋敷中に「お嬢様がおかしくなった」という話が一気に広まった。
◇ ◇ ◇
「公爵家のお嬢様って本当に良い暮らしをしてるのねー。ご飯は美味しいし、お屋敷は広くて部屋は綺麗だし。必要なことはみんな使用人がやってくれるなんて」
「なにか仰いましたか、お嬢様?」
「ううん、なんでも。いつもありがとう、アン」
少し離れたところで作業していたメイドがこちらを振り返ったので、私は微笑んで答えた。
するとアンは幽霊でも見たような顔をして顔を背けてしまう。
うーん、私がこうなってから一週間も経つのだから、そろそろ慣れてくれてもいいと思うのだが。
まあいいか。
「♪」
うきうきと本に視線を戻し、続きを読み始める私。
この一週間、ご飯や入浴、着替え、勉強や各種お稽古の時間以外は殆ど読書をして過ごしている。こまごましたことを全て、アン達メイドがやってくれるお陰で読書時間がいっぱいだ。
家庭教師の講義やレッスンは正直面倒なのだが、登下校の時間が無い分、学校に通うよりは時間的都合はつきやすい。それくらいは仕方ないと諦めている。
知識欲旺盛になった私にお父様お母様は大喜びだ。
高慢で、ファッションや恋愛にしか興味のなかった私に二人は密かに頭を痛めていたらしい。まあ、王子様からの求婚を断ろうとした件についてはお母様から怒られたが。
……結局、ジオルド様の求婚は断れなかったし。
「 」
「♪」
ジオルド様はよほど責任を感じたのか、お父様お母様に直談判して婚約を認めさせたのだ。
私としても両親から「他に心に決めた人がいるのか」「婚約と言っても結婚はまだまだ先の話だ」と言われてしまえばノーとは言いづらい。
渋々承諾して、丁重にお帰り頂いた。
「 様」
「♪」
ただ、困るのはジオルド様が度々クラエス家を訪ねてくることだ。
婚約者だからということだが、いくらなんでも二、三日に一回のペースは多すぎだろう。まさか暇なのだろうか。
「お嬢様!」
「うひいっ!?」
耳元で聞こえた大きな声に悲鳴を上げ、顔を上げると、アンが困ったように眉を下げてこちらを見ていた。
「ど、どうしたのアン。何かあった?」
「はい。ジオルド様がお見えになられております。早くお支度を」
「あら、そうなの。わかったわ」
またか、と思いつつも頷く私。
相手が王族である以上、こちらの身分が下。わざわざ訪ねてもらっておいて追い返すわけにはいかない。
「じゃあ、後三ページだけ読ませてちょうだい。そこで章の区切りなのよ。キリのいいところまで読まないと気分が悪いでしょう?」
「いえ、お嬢様。お時間が」
「大丈夫よ。三ページだもの。まだ馬車が着いたばかりでしょう? ジオルド様だって移動やお支度で時間がかかるはずだわ」
「それが、もう着いてしまっていたりするのですが」
「じ、じじ、ジオルド様!?」
気づくと部屋の入り口にジオルド様が立っていた。
いつの間に。
「ノックをしても返事がないので入ってしまいました。申し訳ありません」
「い、いえ、こちらこそお待たせして申し訳ありません……」
何でもっと早く知らせてくれないのかとアンに尋ねれば「何度もお呼びしたのですが」と申し訳なさそうに言われた。
ああ、私の癖のせいだ。
読書に没頭すると周りの音が入ってこなくなる。そうなったら視界を遮られるか本を取り上げられでもしない限り動かなくなる。
まあ、幸い、今は椅子に座って読書中だった。
服だって部屋着ではあるがラフな格好ではない。ベッドの上で寝間着のまま本を読んでいた状態よりはずっとマシだ。
「ようこそお越しくださいました、ジオルド様。今日はどうされたのですか?」
精一杯の営業スマイルで問いかけると、ジオルド様も微笑んで、
「はい。また、カタリナの好きそうな本を見つけたのでプレゼントに、と」
わあい、待ってました!
これが、私がジオルド様を邪険にできなくなった理由。
喉から飛び出そうになった歓声と、今すぐ本に飛びつきそうになる身体を抑え、私は「ありがとうございます」と恭しく一礼した。
◇ ◇ ◇
数年が経ち、私の額の傷はすっかり消えた。
「ジオルド様。この通り傷も癒えました。どうか私のことは忘れて、他の女性をお探しくださいませ」
そう申し出ると、ジオルド様は笑顔のまま首を振った。
「気遣いは無用です。それとも、僕が結婚相手では不満ですか?」
「そんなことはありませんけれど……」
「なら、いいではありませんか」
端整な美形へと成長した王子様が、指でそっと私の頬を撫でる。
間近で見つめられた上にそんなことをされるとどうにも緊張してしまうのだが。ジオルド様ときたら天然女たらしにも程がある。
更に、彼の唇からは甘い言葉が囁かれ、私の心を惑わす。
「僕と結婚してくれるなら、カタリナには読み切れないほどの本をあげましょう」
「え」
「魔法学園を卒業した後は王立図書館で司書ができるように取り計らいます。書架の整理など一部の業務以外は妊娠中でも可能でしょうし、僕も会いに行きやすいですし」
「う」
「王位継承にはもともと興味がないんです。なので、カタリナが社交や政治で煩わされないよう、極力配慮しますよ」
「ジオルド様は最高の男性です」
目をきらきらさせて浮かれる私は、ジオルド様の次の問いかけに反射的に答えてしまった。
「では、婚約は継続ということで」
「はい!」
あれ? なんか上手く乗せられたんじゃない? と後から思ったが、その時にはもう後の祭りだった。
変な子なのは変わらないですね。
代わりに野猿がソフィアに入っていた場合、性格が入れ替わったのでは? とか言われそうです。
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