人気者と静かな子 (あーふぁ)
しおりを挟む
人気者と静かな子
ジリリリリ、と不快な目覚まし時計の電子的な音が私のすぐ耳元で聞こえてくる。
体はまだ寝ていたいのに、うるさい音で脳は段々と覚めていく。
体の感覚が次第にわかるようになり、まだ冷たい春の空気や床張りの固い感触を肌で得て行く。
そうして気づくことは、ここが布団ではなく冷たい床で。寝づらい場所でうつ伏せの状態で寝ていたことに気づく私、軽巡の艦娘である五十鈴はまぶたを開けて目を覚ます。
目にうつる景色はカーテンの隙間から朝日が差し込み、初月から借りた少女漫画の本や読みかけの難しい本がそこらへと乱雑に置かれている。
寒さと硬い場所で寝ていたことで筋肉がこわばっているけど、私は深呼吸をしてから静かに、ゆっくりと立ち上がっていく。
目覚めはよくないけど、寝落ちするほど少女漫画を読んでしまった自分が悪いから、これからは気をつけないといけない。
幸いにして本を読むときは上下ともにパジャマであったため、制服よりは若干寝やすかったと思う。
寒い空気で少しは頭が起きてくるなか、私は部屋のカーテンを開けて陽の光を入れてからパジャマを上下共に脱ぎ、ショーツだけの姿になるとタンスから黒色のブラを取って大きい胸へと身につける。
それと白色のニーソックスも履くことを忘れずに。
前に忘れたときは生足を提督や他の艦娘たちに見られたことがなんだか恥ずかしかったから。いつもどおりのことを、いつもどおりにしないのは不安になって当然よね。
指差しして履いたことを2度確認したあとはクローゼットで巫女服のようなデザインをしたミニスカ肩出しの制服を取り出して着る。
そうしたあとにブラシとヘアゴムを取り、姿見の大きな鏡の前に立つ。
寝る前には髪もほどいていたから、変な寝ぐせはついていなくて一安心する。
安心の息をついたあと、腰まで届いている黒いロングヘアの髪をブラシで丁寧に髪の先まで梳いていく。
その次はヘアゴムで、耳の位置より少し上のほうでツインテールを作る。
髪型が完成したあとは姿見の前で一回転し、問題がないことを確認。
ツインテールのバランスもよく、今日もばっちりね! と満足げに頷いた私は白いリボンを取ってこようと歩き出す。
「うっ……、いったぁ……」
けれど、置いてあった本につまずいてしまい、私はまだ眠いままの頭ではバランスがうまく取れずに顔から勢いよく転んでしまう。
顔のひりひりとする痛みをこらえながら立ち上がると、私はリボンを手にとって鏡の前でいつもどおりにヘアゴムの上から結んでいく。
しっかりと身だしなみを整えたあとは、初月から借りて全部読み終わった漫画を集めてタンスの上に積んでおく。
持って行こうかとも思ったけれど、今から食堂で食事だし、本は後で返そう。
食堂で初月に会えたら漫画の感想を言うのと、初月の声や顔を見て癒し成分を手に入れなきゃ。
普段から無表情な子だけれど、本について語るときはとても嬉しそうに言うのはかわいくてたまらなかったし。
漫画を借りた昨日も、すっごく嬉しそうな表情と声だったのが今でもすぐに思い出して、私は表情がゆるんでしまう。
けれど、これから部屋の外に出るんだから、そんなのはダメだ。これでも私は鎮守府で頼れるお姉さんとしての評判があるのだから。他の艦娘たちにカッコ悪い姿を見られるわけにはいかない。
私は両手で頬を軽く叩くと、深呼吸をして部屋から出ていく。
食堂へ行くまでに、私へ嬉しそうに話しかけてくる艦娘たちに笑顔を見せながら話をしつつ食堂へたどりつくも、いつも1人でいる初月の姿は見当たらない。
そのことに少し落ち込むも後で探せばいいかと考え、私に憧れの感情を持っている若い駆逐の子たちと一緒のテーブルでご飯を食べていく。
ご飯が終わったあとは私と初月の訓練予定を思い出し、話す時間はちょっとだけあると考えて初月を探す。
初月が気に入っている鎮守府内の場所は、出会って5か月で把握している。
執務室がある建物の屋上、港湾にある灯台の真下、砂浜、図書室、そして寮の談話室。談話室にいると言っても、誰かと長いあいだ話をしている姿は見たことなく、いつも何かの本を読んでいる。
どこを探そうかと思ったけれど、私はなんとなく談話室にいるだろうと決めて向かう。
「あ、いたいた」
私の直観的初月レーダーが見事に仕事をし、談話室にいるのを見つけた。
少人数の艦娘たちが暖炉の前で楽しそうに話しているなか、初月は大きな窓際のそばにある、いつものテーブルでブックカバーをつけた何かの本を読んでいた。
私は声をかけたくなるも読書の邪魔にならないようにと、音を立てないよう慎重に椅子を引いて向かいの椅子に座る。
全体的に首筋までの短くつややかな黒髪。鉢巻状のものを頭に巻き、前髪をハネさせている。それを見るたびに、犬耳を連想してかわいいとよく思う。
目は吸いこまれるような深みのある黄色。
普段の声は低く落ち着いていて、いつまでも聞いていたいほどに安心する。
服装は首から下の全身は黒インナーを着ていて、その上から秋月型の制服を身につけている。
露出度の少ない服は、中学生ぐらいの幼い顔つきをしているも、クールで落ち着いている彼女にはぴったりだ。
声も仕草も顔も好きな駆逐艦娘の初月は5か月前に前線からやってきた、いわゆる『落ちこぼれ』と呼ばれた子だ。
秋月型の子なのに長所である対空射撃がダメであり、他の能力も平均よりも少し下といったところから物資事情が厳しい前線から、輸送護衛任務が主であるこっちへと送られてきた。
こっちに来てから教育した私でも、同じように思った。それに他の子に話しかけられても最低限の話しかせず、まともに話をしてくれるのは仕事の話だけだった。
そんな人を遠ざけて、能力が低い初月には他の子にはない部分があった。
それはあきらめないこと。
何度失敗しても怒られても決して心折れず、絶対にあきらめることがない、不屈の心を持つ子だ。
輸送護衛専門として8年を過ごした私は、簡単と思われている護衛任務すら簡単にあきらめる子がいるのを知っているから、この子は特別に思えた。
あきらめないことは戦いに勝つことよりも難しいことを私は知っている。
心が強いから興味を持ち続けて話しかけるようになり、仲良くなった今では愛おしく思っている。
そんな初月が本を読む姿を見るのはとても好き。本を読んでいるときに変わっていく嬉しそうな、または悲しい、そんな初月の表情が。
初月を見ているだけで自然と笑みが浮かぶ私は、いつ気づいてくれるかなと本を読む初月を見つめていた。
それが何分か、だいたい2分ぐらいの時間が経ったときに初月は本から顔をあげ、ぽかんとした表情で私を見つめてくる。
「おはよっ、初月!」
「え、あ……おはよう、五十鈴」
小さく手を振って挨拶する私に対し、初月は持っていた本で恥ずかしそうに顔を隠したあと、そっと本を下げて目を合わせてくれる。
……なんて子なの。恥ずかしそうに挨拶する姿がかわいくて、すぐにでも抱きしめたくなるわ。
でもダメよ、私。急にそんなことをしたら驚かれるし、一度やってしまったら歯止めが利かずに軽く抱き着くようになってしまうわ!
私は初月のほっぺたや頭をさわりたくなる衝動をぐっとこらえ、会話で楽しもうと意識する。
「何の本を読んでいるの? 昨日の続き?」
「今日は吉野弘の詩集を読んでいるんだ。この人の言葉は柔らかくてユーモラスだから、読んでいてウキウキとした気分になるよ。ひとつの物事を多くの言葉にして表現できる日本語ならではだね」
読んでいる作者のことは知らないけれど、物静かな初月がこんなにも楽しそうに喋ってくれる姿を見るだけで私は嬉しくなる。
ただ話をするだけでなく、興奮して嬉しそうに語ってくれる話が私は好き。
私は本を読むことなんて、初月と仲良くなるまでは軍の教本ぐらいしか読まなかった。だから、私が知らない詩や俳句、哲学をたくさんの言葉によって説明してくれるのは嬉しくなる。
「―――という言葉で有名な詩が『虹の足』なんだ。最も有名なのは結婚式で使われることの多い『祝婚歌』という……あ、ごめん。ボクばかり喋ってしまって」
「別に気にしてないわよ? 私は初月の話を聞くのが大好きだから」
「……そう言ってくれると嬉しいな。いつもボクの話を聞いてくれてありがとう、五十鈴」
「ううん、こっちこそ私が知らないことを教えてくれてありがとうと言うほうよ」
恥ずかしそうに嬉しい笑みを浮かべる初月を見て、私も笑みを返す。
初月と過ごす、ゆったりとした時間が私は好きだ。他の艦娘とする話も楽しくあるけれど、その中でも初月は特別。
外見や言葉遣い、仕草に話題。それらが好きなこともあるけど、特におだやかで優しい笑顔が私は大好き。
周囲が楽しそうな笑い声が聞こえる談話室。でも私と初月がいるここだけは別空間のように穏やかな時間が流れている気がした。
初月が続きを話す気配がないので、私は昨日借りて読み終わった少女漫画の話をしようと口を開くけれど、そんな時に談話室の入り口から私を呼ぶ声がした。
その声の主は提督の秘書をしている大淀だ。
大淀は私へ足早に近づいてくると、紙きれを1枚渡してくる。
書かれていた内容は、深海棲艦が出る恐れがある海域へ違法出漁した漁船の取り締まりを今すぐしてこいというものだ。これだと説得が主任務になるから、この鎮守府で最も経験が多い私に仕事が来るのは仕方がない。
仕方がないのはわかるんだけど……。
初月との楽しい時間の途中に仕事? 本当なら、あと30分は続けられたはずだし、このあとの訓練でも一緒にいれた。
そもそも初月とこうやって会えるのは、仕事によるすれ違いで2日ぶりだというのに。
せっかくの至福な時間を邪魔してくれた違反者は許さないわ。
いらだちが芽生えてくるも初月がいる手前、表面はおだやかな顔のままでいることに努力をする。
「ちょっとお仕事に行ってくるわ。帰ってきたら、借りた少女漫画の話をしましょう」
「わかった。いってらっしゃい、五十鈴」
「行ってくるわ」
見送ってもらえることに幸せを感じながら立ち上がると、談話室から出ていく大淀の後を追っていく。
工廠でいつもの艤装に拡声器を装備して港から1人出撃する。
目的海域までは1時間。あとは電探で目標を探して元いた漁港へと帰ってもらう。それだけの単純な仕事だ。
よく晴れた空と穏やかな風。感じる気温は少々肌寒いものの、春を感じさせる海の流れ。それらを感じながら、初月と会っているときほどではないけれど、平穏な心で海の上を進んでいく。
そうして、少しの時間が経ったあとに電探で目標を探知して近づくと、遠くに中型漁船の姿が見えた。船体に書かれている名前から日本の船だ。
鎮守府へ連絡をしたあとに民間漁船への周波数を合わせてから私は声を出す。
私がどこの所属で、どの漁船へ向けているかを。
2度繰り返すも返答はなく、仕方なく持っている砲で漁船から少し離れた水面へ威嚇射撃をする。
それで漁具をしまって動き出すも、港へ引き返す気配もなく速度を上げて走っていく。
追いかけながら警告するも返事はなく、段々と手間をかけさせてくれる船に少しいらだってくる。
いつもなら平静なのだけど、今日ばかりは初月との時間を邪魔されて落ち着けない。
強くやろうかと考え、次の威嚇射撃で私は船体のスクリュー部分を的確に撃ち抜いた。撃ち抜いてしまった。
「やったっ。これで終わりだけど……やってしまったわ。威嚇射撃なのになんで当ててんのよ、私! 提督になんて言えば……。全力の威嚇射撃をした結果といえば、なんとか……ならないわね」
自分のミスに落ち込んだあと、船に近づきながら持っていた拡声器で私の指示に従うよう言いながら近づいていく。
そのあとは船のロープを引っ張って帰ることになったけれど、戻って艤装を外してから執務室に行くと提督に怒られた。
普段の五十鈴らしくないとか、簡単なミスをするのは珍しすぎると静かな声で言われて。
大きな声で怒鳴られたほうが楽だった。
感情を抑えて言われると、ひどく失望されているように思えて苦しくなる。
部屋を出たときの私は朝とは違い、大きなため息が出て悲しい気持ちだ。
……初月に会おう。
こんなときは初月に会えば、私は元気になる。
ぎゅってしよう。なでなでしよう。そう心に誓い、初月に会う決心をした。
やることが決まれば後は行動だ。この夕方の時間なら初月の訓練は終わっているはず。
私は部屋へと早足で戻り、借りていた全8巻の少女漫画を重ねて持つと初月がいる部屋へと行く。
扉の前まで来てノックをしようとするも、なんだか緊張してしまう。
こうして部屋へ訪れるのは今回で2度目だ。1度目は初月の着任時に挨拶をしただけで部屋に入ることはない。
でも今回は部屋に入ることを目的とし、下心もあるため緊張しっぱなしだ。
別に変なことじゃない。仲がいい子に会いに行き、漫画を返して話をするだけ。なのに、なんでこんな緊張をするんだろう?
私は4度ほど深呼吸をして心を落ち着かせたあとに、扉をノックする。
………………出てこない。
本当にいないの? と、それを確かめるために左右を見て誰もいないことを確認した私は扉に耳をぴったりとくっつけ、息を止めて中の音を聞こうとするも静かすぎることからいないと確信する。
初月がいなかったことによって、さらに落ち込んだ状態で部屋を後にして歩き始める。
この時間帯なら外にはいないだろうと思い、食堂に行く。
食堂は暖炉の炎で暖かく、朝よりも艦娘たちでにぎわっていた。そんな場所のはじっこに初月はいた。
朝と変わらない、窓際のテーブルに。
窓から夕陽の光が入り込み、テーブルの上に積み重ねられた本を前にして本を読む初月の姿が見えた。その茜色に照らされた姿はまるで映画の美しいワンシーンそのものだ。
その姿を見た途端、私の世界から音が消えた。他の誰もが私の世界にはうつらない。
初月だけが私の心を強く惹きつける。初月の声だけを聞いていたい。
私はその美しい世界を壊さないように、歩く音に気をつけて1歩、また1歩と静かに近づいていく。
初月がいるテーブルのすぐ前まで近づくけれど、まだ集中して本を読んでいる。
その姿を間近で見ると、こうして来たのに声をかけるのがためらってしまう。普段の私なら、そんな姿を見て楽しむのだけれど今はそこまで余裕がない。
私は初月の声を聞きたいから。
甘やかしてまでとは言わない。ただ、おかえりと言ってくれるだけでいい。
初月が恋しい私は朝とは違い、持っていた本を机に置き、わざと音を立てて椅子を引いて座る。
「ん、おかえり、五十鈴」
「ただいま、初月」
本に栞を挟んで閉じた初月は私へと柔らかい笑みを向けてくれる。もちろん私も自然と出た笑顔で返すが、初月は私の顔を見つめたあとに何も言わずに立ち上がりいなくなる。
その行動に理解ができない私は呆然と去っていく初月の背中を見送る。
……急にいなくなった理由がわからない。私は何も変な行動をしていないし、見ていられないような服装の汚れや髪の乱れはないはずだ。
慌てて自分の体を確認するけど、やっぱり何も問題はない。持ってきた本の状態だって汚れていなく、折れ曲がってわけでもない。
なのに、いなくなった理由は?
何も思いつかなく呆然と椅子へ座ったままでいると、どれくらいの時間が過ぎたのか、誰かが隣にやってきた気配を感じた。
それへと振り向い見れば、そこにいたのは初月だ。手には2人分のコーヒーの香りがするマグカップを手に持っていた。
「五十鈴はブラックでよかったかな」
「私はいつもブラックよ」
「間違えなくてよかった」
安心した様子で言う初月はブラックコーヒーと、なぜかミルクが混ぜられているコーヒーも一緒に置く。
そのコーヒーをじっと見つめてしまったあと、なんで初月の分も私の前に置くのか聞こうとすると、初月は自分が座っていた椅子を私のすぐ隣まで持ってきていた。
「どうしたのよ、隣になんかきて」
「元気がないように見えたんだ」
「それは、そう見えるのは仕事で疲れただけで―――」
「五十鈴は頑張った。ボクは元気な五十鈴が好きだから、元気な姿をいつも見ていたいんだ」
初月はいつもの優しい笑顔ではなく、慈愛に満ちた表情と声で私をねぎらい、私の頭を優しく、何度も何度も繰り返し撫でてくれる。
本当なら私が初月の頭を撫でて、恥ずかしがる姿を見るのにこれでは逆。いえ、逆のその上。
こんなふうに優しくされるとなんだか泣いてしまいそう。
今日の仕事が特別辛かったわけじゃない。提督に失望されたっぽいのは辛かったけど、泣くほどじゃない。
でも、なんでだろう?
初月に褒めてもらえると、もう疲れも吹っ飛んでしまった気がする。
私は思う存分に撫でてもらったあと、初月と並んで本の話をする。
それは貸してもらった少女漫画がどれほど素敵で私の好奇心を刺激してくれたかを語り、初月は今読んでいるウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』とは何かを教えてくれた。
最も普段から読書や哲学に興味ない私だから、聞いてもさっぱりわからなかったけれど。
でも初月が嬉しそうに、悩み、思考の海に沈みながら一生懸命に話をしてくれるのは大好き。
こういうふうに、これからもずっと私は初月と一緒に過ごしていきたい。
いつかは初月が好きなことを一緒に語れるほど勉強をし、同じ話題を話していきたいと考えながら、この楽しく素敵な時間を過ごしていった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む