元医者のアラサー女が銀魂世界にトリップして、元の世界に帰るまでの話 (匿名希望くん)
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プロローグ

私は、ヒーローになりたかった。

 

幼い頃は、リカちゃん人形で遊ぶ女の子たちを尻目に、赤いマントをひるがえし、男の子に混じって遊んでいた。

ヒーローの赤いマントを身に纏っている時だけは、私は無敵だったのだ。

 

努力は必ず報われる。

どんな逆境も力に変える。

敵も味方も、私の登場を固唾を飲んで見守り、私の熱く真っ直ぐな言葉は、みんなの心を感動で震わせる。

そして高らかに叫ぶのだ。

「正義は、必ず勝つ!」

 

しかし、よくある幼稚なヒーロー願望は時と共に現実を突きつけた。

ヒーローは英雄だ。

選ばれし者しか正義の名を語れない。

その現実が、私の赤いマントを引っ剥がそうとにじり寄ってくるのだ。

 

ヒーローは理屈で動かず、己が正義に真っ直ぐ進む。

傷付いた仲間を見て、全てを投げ捨て無鉄砲に飛び込んでいく。

 

私には出来ない。

怖くてどうしようもなくて逃げ出すだろう。

でも、それの何が悪いというのか。

恥ずべき行為でもない。

普通の人間は、自分が一番かわいいに決まっているのだから。

 

問題は、私にある。

愚かにも自分がヒーローになれる器だと勘違いしてしまった。

その結果が、今の私である。

 

 

未婚、恋人なし、恋愛経験ほぼなし。

今月で契約が切れる崖っぷち派遣社員。

年収200万。

1R風呂無しアパート。最寄駅徒歩20分。

 

 

 

年齢:アラサー

 

 

 

なんだこのとんでもないパワーワードは。

十分ヤバイ臭いがプンプンする情報に、『年齢:アラサー』が付くだけで救いようがなくなってくる。

一気に辛い情報になってくる。

 

同世代の女子が恋と青春に瞳を輝かせ、結婚し、妻になり、母になっていく頃。

私は必死に夢を追ってきた。

偽善とプライドの海に溺れながらも、赤いマントを必死に手放さないように。

誰も私の助けなど必要としていないのに。

そんな私だから、何者にもなれず、何様ばかり積み重なってしまったのだ。

 

 

だから、余計に嬉しかったのだろう。

 

「……さくら」

 

ある夜の夢の中。

懐かしい声が私を呼ぶ。

 

「たすけて、桜」

 

たとえ夢の中でも、私を必要としてくれる人がいる。

泣き果てた末の縋るような声に私は答える。

今まで言いたかったセリフだ。

今まで言えなかったセリフだ。

 

 

「必ず助けます」

 

 

私の正義が燃えている。

 

 

 

…………

 

なぜ昨日見た夢のことばかり思い出すのだろう。

走馬灯は、人生のフラッシュバックが相場のはずだ。

血に塗れた日本刀が、私に向かって振り下ろされている。

コマ送りのようにジリジリと刃が迫るが、どれだけ「逃げろ!」と念じても足は動かない。

タキサイキア現象。

危険を感じると脳が誤作動を起こし、世界がスローモーションに見えるアレだ。

よく見えるからと言って避けられるわけでもない。

自分が殺される瞬間をじっくり見学できるなんて最悪すぎる。

まさか身体に刃が通る間もこの速度なんだろうか。

嫌な可能性に思い至り心の中で絶叫するも、実際の唇はほんの1㎜開いたかどうかだ。

無駄な足掻きと分かっていても、胸中の喚きを止められない。

嫌だ。死にたくない。

 

死の瞬間を待ちながら、また昨日の夢がフラッシュバックする。

生まれたままの姿で現れた彼女は、真っ白な空間に溶け込むような白い肌を震わせる。

鎖骨まで伸びた髪の毛と、必死に訴えかける瞳だけが異様に黒く、まるで白い空間にそれらだけがポツンと浮かんでいるかのようだ。

彼女の乾燥した色の無い唇が開く。

「たすけて、桜」

 

バカヤロー。

どう見ても助けて欲しいのは私の方だ。

とうとう白刃が私の前髪に触れ、同時に私の唇も動き出した。

おそらく彼女と同じような土気色の唇から言葉が溢れる。

 

「たすけて、ヒーロー」



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一話 はじまり

いつもの昼下がりのことだった。

 

晴天。

8月の太陽光が、冷房で冷えきった肌をじんわりと焦がす。

しまった。

日焼け止めを塗るのを忘れたな。

1日の大半を室内で過ごしていると、どうにも季節を忘れがちだ。

なるべく紫外線を浴びないように顔をふせ、長年愛用している少々くたびれた長財布を片手に高層マンションが入り混じるオフィス街を足早に抜ける。

以前から目をつけていた定食屋は、職場から約徒歩10分のところにあり、お昼休みの間に訪れるには少々距離があった。

そのため、お昼始まりのチャイムと共に長財布をひっ掴み、エレベーターを待つ時間も惜しんで階段を駆け下り、恥ずかしくない程度の早歩きでサラリーマン達を追い越して急いでいるのである。

 

アラサーにあるまじき安月給のせいであまり贅沢はできない。

普段は弁当を用意して社員食堂で食べるのが日課だ。

しかし、今朝は寝坊してしまい、そんな余裕はなかった。

どうせランチ代がかかるならと、久々に贅沢な食事で疲れた心身を癒そうと考えたのである。

 

肩凝り。

頭痛。

主に寝不足。

私は疲れていた。

なぜか最近よく見る不思議な夢のせいで、碌に寝た気がしない。

只でさえ短い睡眠時間の中、ギリギリの休息で生きてきたのだ。

若い頃と違って寝不足がモロに体調に直結してくる。

 

肉だ。

これはもう贅沢に肉を食して、元気を取り戻すしかない。

完全に寝不足の目をシパシパさせて、片道1時間ちょっとの通勤電車に揺られながら、今日はもう肉しかないと決めていた。

私の腹は、朝からすっかりステーキ腹になっていたのである。

毎日12時間程度仕事に拘束されていると、自然と息抜きは限られ、食に収束していくのは仕方ないことだと思う。

だからこそ、ランチ限定10食1500円の和牛ステーキ定食を逃すわけにはいかないのだ。

決意を新たに、パンプスのヒールで刻むリズムをもう少し早めようと意気込んだ時だった。

 

 

突然、爆音といえる高音が鼓膜をぶん殴った。

反射的に両耳を手の平で抑えるが、脳をつんざく音は少しも手を緩めない。

 

「くっ……」

 

モスキート音。

たしか猫除けでよく使われる音に似ている。

ただし音量はそれの比ではない。

まだモスキート音が聞こえる年齢だと喜ぶべきだろうか。

音の矢が脳を貫き、肌は一斉に泡立ち、視界にチカチカと青い光が瞬く。

私は堪らずギュッと目を瞑り、その場に座り込んだ。

なんだこれは。耳鳴りってレベルじゃない。

両耳からスライディングで滑り込んだ毒は、脳を侵し、視神経を侵し、血液を介して全身に巡る。

先程から必死に耐えていた吐瀉物を、放そうと諦めた時。

奏者が指揮者の結びに合わせるようにピタリと騒音が止まった。

 

嵐のように去っていった音風。

完全に聴覚が壊れたのだろうか。

恐る恐る両手を耳元から離してみる。

 

「うぐぇッ……」

 

踏みつけられた牛蛙のような呻き声が聞こえる。

どうやら私の耳は無事らしい。

むしろ音声器官の方が問題ではないかと、私は眉をしかめた。

突然倒れ込んで、のたうち回り、極め付けに無様な鳴き声を上げてしまった。

やばい。めちゃくちゃ恥ずかしい。

気まずすぎて小島よしおポーズから顔を上げられない。

 

これでまだ体調が悪ければ、それなりの格好も付こうが、みるみると元気になってしまったからタチが悪い。

先刻の吐瀉物はどこに吸収されていったのだろう。

人体は不思議に満ちているなぁと軽く現実逃避してみる。

 

しかし、時間は私の味方をしない。

ご親切な誰かに声をかけられて恥ずかしい思いをする前に、サッサと退散しよう。

となれば、現在の体勢を鑑みると、クラウチングからのスタートダッシュしかないな。

速やかにこの場を去ることが出来るし、何より和牛ステーキ定食にまだ間に合うかもしれない。

最も合理的な選択だ。

先ほどの尋常じゃない体調不良は気になるが、きっと大丈夫だ。

肉を食べれば治るはずだ。

もし本格的に倒れるにしても、和牛ステーキを食べてからにする。

 

決意を新たに、スタートダッシュに備えてモゾモゾとセットを整える。

おっと、前方確認を怠っては事故になりかねないな。

 

そう思い至り、チラと薄眼を開けて前方を確認してみると、一寸先は闇だった。

いえ、私の人生ではなく。

 

闇。

目の前にあるはずの両手すら見えない。

完全な暗闇に、自分が本当に目を開けているかすら分からない。

突然の出来事にパニックに陥りそうになる自分を叱咤する。

 

と、とにかく落ち着くんだ。

少なくともクラウンチングスタート決めてる場合じゃないことは分かった。

和牛ステーキも一旦置いておこう。

一つ、大きく深呼吸をしてから決める。

よし、病院に行こう。

病院に行くためには、助けを呼ばないとな。

助けを呼ぶためには、現状を正しく認識しないとな。

よーし、落ち着いてるぞ。

 

身の安全を確認するため、慌てて自分の顔を弄る。

震える手は、頬を滑り鼻の凹凸を確かめ、瞼に到達した。

なるほど、どうやら目は開けているらしい。

その場で立ち上がり、ボディタッチよろしく、あちこちをポンポンと叩く。

とりあえず身体に目立った外傷も異常もなさそうだ。

 

ほうっと胸をなでおろし、浅くなった呼吸を整えるように努める。

大丈夫だ、私は生きている。

五体満足、結構なことじゃないか。

今のところ命に別状はないはずだと、心臓に言い聞かせる。

 

となると、失明だろうか。

聴覚に続き、視覚もおかしくなるなんて私の身体は一体どうなってしまったんだろう。

荒い息遣いと乱れた鼓動が身体に反響する。

 

何も見えない状態で道の真ん中にいるのは危険だ。

とにかく隅によって安全を確保してから、助けを呼ぼう。

たしかすぐ右手に建物があったはずだ。

右手はお箸を持つほうだぞ。

暗闇に慄きながら、両手を前に突き出してソロリソロリと慎重に寄っていく。

2〜3m移動すると、トンっと指先にザラリとした感触。

 

よし、ミッションクリアだ。なかなか順調だぞ。よくやった。頑張った。

お目当のものを見つけたとホッと胸をなで下ろす。

夜勤明けのぬくい布団並みの安心感だ。

普段は目に入るだけで職場が近いと鬱を感じるが、この瞬間だけありがとう成金住んでる高層マンションの壁……。

心理的に何かに縋りたかったのだろう。

愛しの恋人に寄り添うようにマンションの壁にピッタリと張り付く。

すると、特有の古ぼけた臭いが鼻をついた。

ん?なんだこの臭い……。

 

ふと違和感を感じ、壁に鼻先をつけてフンフンと嗅いでみる。

カビ臭い……?

古い家特有のカビ臭さ。

今度は、おそるおそる手のひらで壁面を撫でる。

ざらりとした感触。

ベタベタと触る範囲を広げ、記憶のあらゆる物と照合していき、思い至る。

 

「これは、木……?」

 

いや、この辺りはコンクリートジャングルだ。

私の知る限り木造の建物はない。

自分で出したAnswerを即否定する。

 

視覚情報は、全感覚の約80%を占めている。

その視覚情報が遮断されたことにより、情報を補う為、他の感覚が一斉に活動を始めた。

ほつれた糸のように周囲の異変が紐解かれる。

 

なぜ誰も声をかけてこないのだろう。

いくら東京人が他人に無関心と言っても、目の前で倒れたら誰かしら駆け寄るはずだ。

話し声、着信音、車、信号機。

普段なら当たり前にあるはずの喧騒が消えている。

いくらなんでも静かすぎる。

冷たい風がひゅるりと音を立てて通り、耳たぶを凍らせる。

 

……寒い?

いつのまにか冷え切った身体を抱きしめる。

待て待て。いまは8月だ。真夏だぞ。

そもそもさっきまで太陽はカンカン照りで、紫外線に参っていたじゃないか。

寒さからか、それとも緊張からか、身体がガタガタと震え出す。

かじかんだ手を温めようと、ハァーっと息を吹きかけた。

指の隙間から白い息が漏れ、ハッとする。

まじまじと両手を見つめると、ぼんわりと輪郭が縁取られた。

なんてことはない。

明るいところから急に暗いところに来たから何も見えなかったのだ。

目が慣れ始め、情景がおぼろげながら見えてくる。

先ほどよりはずっとマシになった暗がりの正体を暴こうと、周囲にじっと目を凝らした時だった。

まるで私の仕草に合わせるように金色の光がすうっと周囲を照らす。

目を凝らすまでもなく、舞台の幕が上がるかのように情景が浮かび上がった。

足元に転がる空き缶。

不法投棄らしき粗大ゴミ。

その痕跡を辿ると少し先にゴミ置き場がある。

誰も回収に来ないのだろうか、ゴミ箱はゴミで溢れ返り、最早その用途を果たしていない。

お世辞にも綺麗とは言い難いこの道は、私が知る道よりもずっと狭かった。

両脇には昔ながらの日本家屋が立ち並び、古ぼけた木肌を晒している。

およそ路地裏と言うに相応しい道に、私の影だけが生き物のように黒々と蠢いて伸びている。

 

ご丁寧に照らしてくれた金色の光源を追って、私はゆっくりと後ろを振り返る。

探すまでもなく、光の正体は空に君臨していた。

丸々と真っ黄色な身体で、空の高みにドデンと座している。

爛々と輝くそれは、本日食べ損ねたステーキ定食の付け合わせで添えられる卵の黄身を連想させた。

一瞬にして太陽から月にクロスチェンジした空模様を眺め、私は呟いた。

 

「心療内科かな」

 

診療科が決まった。

 



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二話 人生の振り返りは走馬灯に任せろ

さ〜て、前回の桜さんはァ?

どうも。

職無し・文無し・男無しの3拍子が揃う崖っぷちアラサー、桜です。

契約終了を脅し文句に、超絶ブラック企業でシコシコ働かされる悲しき派遣社員の私。

そんな普通のOLがご褒美ランチ♡と会社を飛び出したら異世界に迷い込んじゃってもう大変(*><*)

これは異世界なの? それとも夢? 働きすぎて社畜鬱の幻覚⁉︎

私ってば、一体これからどぉなっちゃうの〜⁉︎

次回、桜死す。

ゲームスタンバイ!(ここまで一息)

 

動揺のあまりどこかのアニメからツギハギしたような次回予告が頭に流れる。

というか、異世界?

いやいやいやいやどこのレーベルのアニメですか勘弁してくださいよ。京アニなら許します。

どれだけ否定しようとお月様は美しく私を照らしている。

異世界なのか、夢なのか、はたまた幻覚なのかは知らないが、とりあえずここは私の知るオフィス街じゃないことは確かだ。

 

「どうしよう……」

 

呟いた声がやけに大きく聞こえて、余計に不安を掻き立てる。

 

あまりの異常事態に呆然としていると、俄かに人の声がした。

弾かれたように振り向いて、ゴミ置場の奥の曲がり角を見つめる。

曲がり角の向こうで、数人の男達が大声を上げている。

酔っ払いだろうか。

もはや人間なら誰でもいい!

 

理解不能な出来事の連続に、ポッキリ折れそうになった心が蘇る。

自分以外の人間がいることが、こんなに心強いとは。

おっさんずラブ!っと満面の笑みで駆け寄ろうとした瞬間——

 

「ぎゃああああああアアアアアァァァァ!」

 

男の絶叫が響き渡る。

走り出そうとした足は、驚いて動きを止めた。

バトンタッチとばかりに心臓が全力疾走を始める。

「ダルマさんが転んだ」の遊びのように指先1つ動かすことができない。

 

男の絶叫がファンファーレのように。

次々と男達が叫ぶ。

絶叫が怒声を呼び、呼応するように奇声が上がる。

絶叫。

怒声。

奇声。

阿鼻叫喚の大合唱。

 

全身に鳥肌が立ち上り、凍りついた血液が無理矢理心臓へねじ込まれていく。

痛いぐらいに暴れまわる血潮が、とうに思考を放棄した私の脳みそに単語を叩きつけた。

 

断末魔。

やばい。

逃げろ。

死ぬぞ。

 

しかし、脈打つ体は縫い付けられたように動かない。

バケモノの気配を感じながら、その正体を見極めようと曲がり角から目が離せないのだ。

 

おいおいおいおい。

まじなのか私。

生粋のホラー好きと自負しているが、このパターンは大体ヤバいやつだろ!

絶対ぐがァって何か出てきて、追いかけられるパターンのやつだろ!

分かってんだろお前!

バカなの? ねぇバカなの?

いくら自分を罵倒してみても一向に身体は動かない。

理屈ではない。

本能が、自分を脅かす正体を見極めようとしている。

 

一際強い風が辺りを吹き荒れ、空き缶が派手な音を立てて、私が見つめる曲がり角へ転がっていく。

強風に煽られた雲が月光を遮る。

仄暗くなった舞台から、次第に声が1つ、また1つと消えていき、いつの間にか再び静寂が訪れていた。

緊迫した静けさに耐えられず、自分の心臓の音に耳を傾け、おまじないのように「落ち着け」を口ずさむ。

 

そして、雲間から月光のスポットライトが辺りを照らす。

地面に大きく写り込んだ人影。

その人物よりも一足お先に曲がり角から姿を見せた刃は、月の光を浴び、血に濡れたそれを妖しく光らせていた。

 

パーン!

頭の中で、運動会よろしくスタートの合図が聞こえる。

先程まで得体の知れない恐怖に身を縮めていた身体は、危険をその目で確認した途端、驚くほど速やかに逃げの態勢を整え、最高の滑り出しでスタートを切った。

危険人物とは反対方向に全力で駆けていく。

 

後ろは振り向かない。

いや、振り向けない。

速く。

もっと速く走らなければ追いつかれる。

 

男達の怒号と何かを蹴飛ばしたような凄まじい音が、私の背を追う。

ついさっきまでクーラーの効いたオフィスで果てのない事務作業に追われていたのに、なんで私は殺人犯に追われているんだ⁉︎

少しでも時間を稼ぐため、目についた物を手当たり次第道にブチまけていく。

日頃の自分の働きぶりを労い、ちょっとリッチなランチでもと会社を出たのが間違いだった。

いつものように安いだけが取り柄の社員食堂で値段に見合ったそれなりのランチを大人しく食べていればよかったんだ!

直線勝負では男の足に敵うはずがないと、目に入る曲がり角に片っ端に飛び込む。

男達の声は、いつの間にか怒号の中に、また断末魔が入り混じっている。

その凄惨な叫び声が耳に入る度、血に濡れた刃が脳裏を掠める。

私の何が悪かったって、会社に来たのが何よりまずかった。

そもそも今日は体調が悪かったんだ。

何度も休もうと思い、ケータイに伸ばした手を押し留めたのは、つい先日眠いという理由で会社をサボったバツの悪さがあった。

今回は本当に体調が悪かったのだが、さすがにそう何度も休むわけにもいかない。

私がもう少しだけ真面目だったら、今日は大手を振って休めたはずなんだ!

つまり、こんな訳のわからない事態に巻き込まれることもなかった!

汗が噴き出し、足は思うように前に進まない。

会社勤めで弛んだ身体は限界を告げていた。

乱れきった荒い息は、私の息遣いなのか、私を追う男の息遣いなのか最早わからない。

ガクガクと震える足に鞭を打ち、目に入った曲がり角に飛び込もうした瞬間、くんっと引っ張られる感覚があると、足から力が抜け崩れ落ちた。

何事かと見上げると、息を切らした男が私の髪を力任せに引っ張り、怒りの形相を向けている。

身体中の酸素が抜け、アドレナリン大放出中の私にとって痛覚は頼りにならない。

そのため気付かなかったが、どうやら私はこの男に髪の毛を掴まれ地面に引き倒されたらしい。

美容院に行く手間を惜しまず、ショートカットとは言わないまでも、ミディアムヘアぐらい、いやたとえ今と同じ長さの髪でもポニーテールにさえしていなければ、よしんば数瞬ぐらいは命を繋げたかもしれない。

今日の私は不運過ぎる。

後悔の小々波に溺れそうだ。

 

男はすぐに息を整え、勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「ちょこまか逃げ回りやがって……。女ァ、覚悟は出来てるんだろうなァ」

 

男に比べて、全く収まりそうもない荒い息を無理矢理整える。

声が震えないように細心の注意を払いつつ、私は不敵に笑う。

 

「出来てないって言ったら、見逃してくれるんでしょうか?」

「——ッ! この(アマ)…!」

 

私の精一杯の強がりに、男は激昂した。

掴んだ髪をそのまま力任せに引っ張り上げて無理矢理私を立たせると、私の頭を今度は壁に強かに叩きつけた。

 

「ぐッ——」

その衝撃に一瞬頭が真っ白になるが、頬に訪れた新たな痛みに意識を引き戻される。

壁に叩きつけるだけでは飽き足らず、張り手もお見舞いされたらしい。

 

「おいおい、こんなことで気絶するんじゃねぇぞ?」

 

男の下卑た笑みが視界に広がる。

控え目に言って、最悪な眺めだ。

吹き出した血が額をつたい、目に入ると私の視界を赤く染めた。

マジでめちゃくちゃ痛い。

立ち止まったことで酸素を得た体が正常に機能し始めたのか、痛覚が戻りつつあることに気付く。

あちこちがジクジクと痛い、というより熱い。

頭から流れる血は、ドクドクという効果音がぴったりだ。

この男は女をいたぶる事が趣味なんだろうか。

どうせ殺すなら一思いにやってほしい。

そして殺される前に片目ぐらい潰してやりたい。

怒りと苦痛に歪んだ顔に気を良くしたのか、男は饒舌に語り始める。

 

「クククッ……。大人しくしておけば、手荒なこたァしねーよ。テメェは大事な人質なんだ。真選組も民間人が人質とくれば、さすがに手出しできまい。一緒に来てもらうぞ」

 

既に手荒なことしまくっている気がするんだがというツッコミは置いておこう。

まだ私にも一応生存ルートが残されているらしい。

たとえ一縷の望みでもそれに賭けるしかない。

普段聞き慣れないワードが耳に入り、思わず男に問いかける。

 

「……真選組とはなんですか?」

 

男は訝しげに眉根を寄せる。

 

「お前、江戸の者じゃねーな? 真選組を知らないとは、よほどの田舎者と見える。まあ、江戸の奴らが夜更けにあんな路地裏入り込むわきゃねーか。突然切りかかられたって文句も言えねぇ場所だ。幼児でも入っちゃいけねぇことぐらい分かるぜ。まあ、お前みたいなバカが居てくれて俺ァ大助かりだけどな」

 

男がゲバゲバと笑い、下品な声にますます気分が悪くなる。

どうやら男は私の質問に答える気はないらしい。

そもそも「江戸」に「真選組」ってなんだ。

時代劇マニアですか? 中二病ですか?

よくよく見れば男は着物に日本刀という、今時珍しいかなり日本的な格好をしており、それこそ時代劇の悪役そのものだ。

ということは、時代劇の序盤で殺されるような町娘ポジションなのか私は……。

こんなふざけたシュチュエーションで殺される趣味はない。

どうせなら吸血鬼に襲われる美女的な設定とか、もっとドラマチックでオシャレな殺され方をしたいというキラキラ乙女心ぐらい持ち合わせている。

言うまでもなく『ただしイケメンに限る』だ。

つまりテメーみたいなオッさんじゃ萌えねーんだよォォォオオオ!

胸に溜まるドス黒い感情を押し込め、なんとか会話を繋ぎ止めようとする。

 

「貴方の目的はなんですか? 場合によっては、私も協力を……」

 

言い終わる前に、強引に髪を引っ張られる。

突然の痛みに飲まれ、最後まで言葉を発することは叶わない。

 

「ぐッ……!」

「おっと……。お喋りはもうしめぇだ。見え透いた時間稼ぎはするもんじゃねぇぜ」

 

くそ、バレてやがる。

苦痛に顔を歪め、胸中で悪態をつく。

 

「お前があちこち逃げ回ってくれたおかげで真選組の奴らも巻けたらしいな。感謝してやらァ」

 

なるほど、助けに来る奴らもいないと。

状況はいよいよ絶望的だ。

警察に準ずる機関だろうか。

どんな集団か知らないが真選組ちょー頑張れ。

このままでは善良な納税者が死んでしまうぞ。

バカ高い税金納めてんだから、今こそ税金分の働きをしてくれ!

 

今でこそ生かされてはいるが、安全を確保した後に私がどのような運命を辿るかは月光に煌めく血を帯びた日本刀が雄弁に語っている。

俺の刀の錆にしてやるってヤツですか。冗談じゃねぇぞ。

 

何かないか、何かないかと焦る私の目に意外な希望が飛び込んだ。

 

男の背後の曲がり角、死角になる位置に1人の青年が屈みこんでいた。

着用している黒服が、影に紛れてうまく潜伏している。

クリクリとした目元が印象的な青年は私と目が合うとニィ〜と笑い、人差し指を口元に持って行き静かにしろと合図を送る。

何ちょっと楽しそうに笑ってるんだ。

こちとら文字通り命かかってるんだぞ。

この殺伐とした状況に不釣り合いな飄々とした態度がカンに触るが、救世主登場と言っても過言ではない。

 

チラリと目線だけで男を確認すれば、これからの逃走経路を考えるに忙しいらしく、私の様子に気付いていない。

これはひょっとするとチャンスではないか、と期待を込めて青年に視線を戻すと、あろうことか彼は銃器を担ぎこちらに標準を合わせていた。

 

え、待ってそれバズーカだよね⁉︎

男どころか私も死ぬよね⁉︎

 

私の必死な視線に気付いたのか、青年はスコープから目を離し、こちらにジェスチャーを始める。

私を指差し、次に男を指差し、パンチのポーズ、そして爽やかな笑顔でガッツポーズを取り、私へエールを送った。

つまり私が男に攻撃しろと……?

たしかに男は未だ私の髪を鷲掴みにしているため、青年が助けに入ってもすぐに人質として囚われるのが関の山だろう。

まずは男を私から引き剥がす必要がある。

しかし、一瞬引き剥がしたところで、抵抗を示した私は次の瞬間バッサリと切り捨てられる可能性が高い。

人質は生きてさえいればいいのだ。

半殺しまで痛めつけられることは想像に難くない。

というか、既に痛めつけられてんだけど。

心身共にボロボロなんだけど。

 

男を引き剥がした一瞬に、救出なんて出来るのだろうか。

そもそもバズーカ掲げてる時点で助ける気あるのだろうか。

懐疑に満ちた目を向けるが、青年は意に介さず、カウントダウンを始める。

心の準備も出来てないうちから、突然の無茶振りに戸惑うも、他に頼れるものもない私にとって青年の提案を受け入れる他なかった。

 

青年の合図『3・2・1・キュー!』に合わせて、渾身の蹴りを男の股間に叩きつける。

 

「ッグギィ!」

男はヒュッと息をのみ、苦痛の声を漏らした。

お前そこは反則だろ…という苦悶に満ちた表情を見せるが、時代劇男の生殖器がどうなろうが私の知ったことではない。

 

怯んだ男に追撃を加える。

髪を鷲掴む手に噛みつき、男の手を振りほどくと全力で突き飛ばした。

とは言っても、満身創痍の全力なんてたかが知れていて、男との間に半歩ほどの距離が空いたに過ぎない。

力尽きた私は、立っていることが出来ずその場に崩れ落ちる。

これが今の精一杯だ。

さあ、私の仕事は終わった! 助けろ! と青年を仰ぎ見る。

しかし、バズーカを掲げる青年は身動ぎ一つせず、その標準を静かに男に合わせているだけだった。

いやいやいやいや約束が違うんじゃないの⁉︎

スコープ越しに私の表情が見えたのか、青年の口元が歪むように笑う。

 

「この糞女ァ……!」

 

案の定、男は激昂して刀を振りかざした。

なおも青年は微笑んだまま動かない。

このまま大人しく斬られるぐらいなら、いっそバズーカでもなんでもいいから吹き飛ばしてほしい。

だって、このまま殺されるにしては些か不公平すぎる。

どうせ死ぬなら、この男も道連れに……などと物騒なことを考えはすれど、恐怖と痛みで身体が動かない。

 

振り下ろされる刀がスローモーションで私の頭に降ってくる。

 

あ、これダメだ。死んだな。

死を間近に感じた途端、脳内で動画が流れる。

幼稚園の先生の顔から、よく遊んだ公園と友達。小学校の教室。

人生のダイジェストが次々と通り過ぎ、動画の中の私はドンドン成長していく。

「これが走馬灯か」と物珍しく眺めるが、思い出たちの大半が消し去りたい黒歴史で、アラサーまで生きてこんなもんかと、まるで他人事のように思える。

やがてプツンと私の出番が終わると、彼女がひょっこりと顔を出した。

夢だ。

最近幾度となく見る同じ夢。

真っ白な空間に浮かぶ真っ黒な双眼。

頬の輪郭を縁取るように漆黒の髪がサラリと揺れる。

ふとしたら境目を見逃してしまうほど白い肌が、痛々しく、儚く、か弱く震える。

彼女は色のない唇を開いて私に助けを求める。

そして、約束をするのだ。

必ず助けると。

 

たったこれだけの夢が、何度も何度も何度も頭の中をループする。

走馬灯とは、人生の振り返りのはずだろう。

私の人生よりも夢のが印象的ってことですかね。

そう考える間にも刀はじわじわと、だが着実に距離を縮めて、私の前髪に着地する。

いよいよかと静かに覚悟を決めた。

その刀の切っ先が、しかし私に届くことはなかった。

 

刀が私に突き刺さる直前、ブォンと空気を切り裂く音が聞こえたと思ったら、男が後方に吹っ飛ばされた。

人間が吹っ飛ぶ所なんてなかなか見れるものではない。

助かった事実よりも、その劇的な展開に開いた口が塞がらない。

 

「真選組だァ。御用改めである。攘夷浪士過激派一派だな。大人しくお縄につけ」

 

男を吹き飛ばした命の恩人は、最早その耳に届いていないだろう文句を常套句のように投げかけた。

闇に溶けるような黒服にサラサラV字前髪の黒髪。

開ききった瞳孔と抜身の刃が爛々と光る。

時代劇男よりも数段ヤバそうな面構えだ。

 

これが真選組……。

御用改めであるって今時そんなこと言う人いるんだ……。

こちらもなかなかどうして時代劇臭がする。

 

「おい、あんた大丈夫か? 」

 

見ればわかるだろう。

大丈夫なわけがない。

警察に準ずる機関が今まで何をやっていた、と嫌味の一つも返したいところだが、満身創痍の体からは呻き声しか出ない。

 

「意識はあるみたいだな。いま病院に連れて行ってやる。少し待ってろ」

 

わりと重傷な市民を前に随分とおざなりな態度だ。

やたらと瞳孔開き気味の男は、私の非難の目を介さず、倒れたままピクリともしない男に歩み寄っていき、その手に手錠をかけた。

 

「それにしてもあの場面で反撃するたァ、あんたもなかなか度胸あるじゃねぇか。おかげで手間が省けたぜ」

 

それは貴方のお仲間であるバズーカ青年の指示に従っただけですよと、心の中で返答する。

この男は仲間の存在に気付いていなかったのか?

そういえば無事に犯人が捕まったにも関わらず、なぜ青年は姿を現さないんだろう。

同じ制服着てるし、彼も真選組で間違いないと思うんだけどな。

ふと疑問に思い、青年に視線を向けると、相変わらずバズーカを構えたまま、しかしその標準は犯人と真選組の男に向けられていた。

そして、しなやかな指が引き金にかかる。

 

「御用改めである!攘夷浪士諸共死ね土方ァァァァ!」

 

え、今打つの?

私の意識とツッコミは、爆風によって掻き消された。



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三話 アンパンの黒魔術師

「お姉さん、お名前は?」

「お腹が減りました。カツ丼下さい」

 

何度となく続けられる噛み合わない会話に、瞳孔を開いた男——もとい、土方さんが切れる。

 

「テメーはどんだけカツ丼食えば気がすむんだ!」

「朝ご飯は豚の生姜焼きです。昨晩は味噌カツでした。カツ丼は3日ぶりです」

「豚ばっかりじゃねぇか! 少しは栄養考えろ!」

 

あの悪夢のような出来事から早1週間。

私は屯所にいる。

サクッと言えば逮捕されている。

 

最初は前科者になるのか……と、それなりに落ち込んだりしたものの、タダ飯は美味いしお風呂にも入れるし、特に不自由はない。

なんなら前の生活よりも贅沢な暮らしぶりな気がする。

いい歳の大人の暮らしが、刑務所暮らしに負けるってそれはそれで悲しいが事実だから仕方ない。

特にご飯が美味いのが最高だ。

私の希望に沿って、基本的になんでも出してくれる。

しかし、なぜか用意される料理は豚料理に限られる。

これでは屯所ではなく豚所である。

 

「土方さん。名前聞かれてカツ丼と答えるたァ、コイツァ豚扱いしてほしいってことじゃないですかィ?」

 

私たちの会話を横目に聞いていたバズーカ青年——沖田総悟が心底どうでも良さそうに答えた。

まるで他人事のように言っているが、私の食生活が豚料理ばかりなのは、彼が原因だ。

私がどんな料理を所望しようと、彼を通して豚料理にすり替わってしまうのである。

その真意は計り知れないが、豚料理責めで私の胃をムカムカさせ、こんなところ早く出て豚料理以外を食べたい!と仕向ける北風と太陽の太陽的作戦ではないかと踏んでいる。

ちなみに北風はもちろん土方さんの恫喝だ。

そこで彼の作戦にピンときた私は、その挑戦受けて立つと自分から豚料理縛りで注文するようになった次第である。

 

沖田さんには悪いが、私は豚が好きなのだ。

というか、肉から始まり口に入るものは大歓迎だ。

君たちのように毎日肉が出てくる生活が当たり前と思っている税金泥棒警察とは腹の出来が違うのだよ。

給料前の1週間をモヤシと豆腐で過ごし、油揚げをなんとか肉のような味わいにするために休日返上で悪戦苦闘している小市民の生活など想像もつかないに違いない。

こんな作戦で私の口を割ろうたぁ笑止千万。

とはいえ、一週間にも渡る豚責めに、さすがの私の胃も悲鳴をあげている。

くッ……、敵ながらアッパレな作戦だ。

このギリギリの攻防でカツ丼をチョイスするとは、私も腕が鈍っている。

これは作戦変更をせざるをえまい。

 

「分かりました……。注文は酢豚に変更しましょう」

「何を分かったんだよ! 名前教えろって言ってんだろーが!」

 

酢豚ならば、他の豚料理と味の傾向は一線を画す。

さらに豚のみならず、ナス、ピーマンなど豊富な野菜が入っている上、何と言ってもフルーツの王・パイナップルが付いてくるのだ。

私は酢豚には絶対パイナップル派だ。

ククッ……、ここに来て究極の答えに辿り着いてしまったな。

悪いな沖田総悟、この勝負私の勝ちだ。

どこぞのデスノート所有者ばりの悪役スマイルを浮かべた私の前に、豚のみの酢豚が出てきたのは5分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

バズーカの爆風に吹き飛ばされて意識を手放した後、目が覚めると知らない天井だった。

二度寝に旅立ちそうな靄のかかる頭をブンと振って起き上がり、周囲をぐるりと見回す。

アスファルトと鉄が剥き出しになった灰色の空間。

刑務所でよく見るような鉄格子がズガンと設置され、4畳程の狭いスペースと外部を隔てている。

鉄格子の対面にある壁には、天井付近に鉄格子付きの小さい窓。

囲われた狭いスペースにベッドが1つあり、その上に私は腰掛けていた。

 

「よかった。気が付いたんですね」

 

突然声をかけられて、思わずビクリと肩が震える。

 

「すみません。驚かせてしまって」

 

そう言って鉄格子の向こうに現れた気弱そうな男は、申し訳なさそうに頬を掻いた。

黒服に身を包み帯刀をしているものの、およそ刀を抜く姿など想像出来ないような優しげな顔立ちっつーか地味だ。

あと10回は見ないと覚えられないモブ顔。

人畜無害そうな人間にやっと出会えて安堵する。

 

「あの、ここは……?」

「覚えてないですか? ここは真選組の屯所ですよ。攘夷浪士に人質にされていたところを真選組が助けたんです」

攘夷浪士……?

どこかで聞いたことがある名前だ。何かの犯罪組織だろうか。

内心で首をかしげるが、警察の専門用語だろうと推察する。

 

「いえ、そこはバッチリ覚えていると言いますか。忘れることの出来ないトラウマです。途中までは確かに助けて頂いたと思ったんですが、最後に真選組の人にバズーカでぶっ飛ばされたような……」

「ああ、そいつは攘夷浪士ですね」

「攘夷浪士なんですか⁉︎ でも、あなたと同じ制服だったんですけど……」

「間違いなく攘夷浪士ですね。真選組の人間が市民にそんなことするはずないですから」

 

真選組の隊服を盗んで追手の目を欺こうとしたんでしょうと、男は爽やかな笑顔でそう言い切る。

「それよりも体調はいかがですか? 見たところ軽傷だったので、勝手ながら手当てさせて頂きました」

「あ、ご丁寧にどうもありがとうございます」

 

頭や腕に巻かれた包帯を確認する。

綺麗とは言い難いが、素人ながらも丁寧に手当てされていて手際の良さが伺えた。

流血沙汰のわりには確かに大した怪我ではないみたいだ。

 

それよりもスーツが目に見えてボロボロになっているのがショックだ。

スーツ2着でギリギリ着回していたのに……。

そういえばパンプスも逃げている間にどこかに落としてしまったんだったと裸足を見て思い出す。

買い替えが必要だろうか、通帳残高を脳裏に浮かべて胃が痛くなった。

スーツって結構高いんだよなぁ。

私の視線に気付いたのか、男が遠慮がちに話す。

 

「すみません。さすがに女性を勝手に着替えさせる訳にはいかなかったもので。よければコレに着替えてください」

 

照れ笑いを浮かべて、彼は鉄格子の隙間から衣服を手渡してくれた。

 

「いえ、そんな! ありがとうございます」

 

色々と疑問だらけだが、存外紳士な人じゃないか。

本当に久しぶりに出会ったまともな人間にホッとする。

いきなり斬りかかったりしないし、追っかけ回さないし、バズーカ持ってないし、瞳孔開いてないし十分すぎる待遇だろう。

 

今の心境だと、爪楊枝よりも低いハードル設定だから、大体の疑問は無視できる。

気にしなければ平和なままなんだ。

ツッコんだら負けだぞと自分に言い聞かせて、受け取った衣服に目を落とした。

 

「あの……コレなんですか?」

「何って着替えですよ?」

「いや、コレ囚人服ですよね? ものっそいシマシマですよね?」

 

痛いところをつかれたような顔をして、彼は照れ臭そうに笑った。

 

「最近若者たちの間でハロウィンイベントが流行ってるみたいで、ハロウィン当日の歌舞伎町は無法地帯なんですよ。ほら、DJポリスとか話題になったじゃないですか。恥ずかしい話なんですが、うちの局長がそれに憧れちゃって。当日はみんなで『ウォーリーを探せ!』の白黒バージョンのコスプレでパトロールしたんです。それが結構盛り上がってキャーキャー言われちゃってね。楽しかったなぁ〜。その時の衣装の余りなんです。かわいいでしょ?」

「コスプレ衣装じゃなくて、単に囚人服使い回しただけじゃないですか」

 

囚人服を着たオッサン達が町を彷徨くなんて、完全に集団脱獄の絵面だ。

そりゃキャーキャー言われるわ。別の意味で怖すぎる。

 

「あの……もう一つ質問してもいいですか?」

「はい? 俺が答えられる範囲であれば何でも聞いてください」

 

彼は心底不思議そうに首をコテっと傾げる。

そのキョトン顔を憎たらしく思いつつ、ついに無視することが難しくなった疑問をぶつけてみる。

 

「あの、もしかして私って逮捕されてますよね。ここ牢屋ですよね」

 

彼は驚いた表情で、オーバーリアクション気味に両手を前方に突き出してブンブンと振りながら答えた。

 

「まさかそんな! 怪我していたので、手当てして保護しただけですよ! そりゃ重要参考人として事情聴取にはご協力願いますけど。牢屋だなんてやだなぁ〜、俺もよく使うただの仮眠室ですよ」

 

男は心外だとばかりに眉毛を八の字にして困ってみせる。

 

「じゃあ、この壁に書いてある血文字は何ですか? なんかめちゃくちゃ怖いんですけど。完全に呪われてるんですけど」

 

これが証拠だ!とばかりにビシッと牢屋内の壁を指差す。

灰色のコンクリート壁に『たすけて』『痛い』『怖い』『死』『殺』『あんぱん』などと、おどろおどろしい血文字で負の言葉が連なっていた。

ところどころに乾いた血痕とお札が散りばめられ、さらに牢屋の四隅には盛り塩がある。

まるで数多の囚人たちが嘆き怨み嫉み、長い年月をかけて蓄積された怨念を無理矢理封じ込めているような……。

そんな禍々しいオーラを感じた。

 

「ああ、その文字は俺が魔除けで書いただけなんで大丈夫ですよ」

「お前かい!」

 

男は悪びれもせずシレッと答える。

え、なんでさも当たり前のように言ってるの。

こんな呪詛書いといてどんだけ純粋な瞳してんのこの人。

人の良さそうなオーラ放っといて、もう闇落ちにしか見えない。

 

「それに血じゃないので安心してください。ただのアンコですから」

「アンコ⁉︎ あんぱんのか⁉︎ それあんぱんのヤツだな⁉︎」

 

呪詛の中にやたらあんぱん出てくるから何かと思った。

伏線の回収の仕方がワンピース超えてるぞ。

というか、何であんぱん? なにそれめっちゃ怖い……。

いや、アンコが詰まった美味しい菓子パンのはずがないだろう!

私の勘違いだ。きっとそうなんだ。

よくわからないけど、たぶん真選組の専門用語なんだろう。

なんとか理解不能な行動原理に説明をつけて、彼に視線を戻す。

 

第一印象では澄んでいると感じた純粋な瞳をそのままにして、私を真っ直ぐに見つめながら、男は『あんぱん』をムシャムシャと食っていた。

 

普通にあんぱんだった!

もうやだ怖い!

なんで真顔であんぱん食ってるの?

何が彼をここまであんぱんに執着させるの?

すっごい見てくるんだけど、どんな感情⁉︎

引き攣る頬をギリギリで押し留めて、声をかけるのも憚られる彼に頑張って質問を続ける。

 

「あ、あの……。魔除けって言ってましたけど、何を除けてるんでしょうか。やっぱり幽霊ですかね……?」

「幽霊だと⁉︎ そんな生温いもんじゃないですよ!」

 

ガシャーン!と大きな音を立てて、男が鉄格子にへばりつく。

加えたままのあんぱんが鉄格子の柵に沿って、ぐにゃりと形を変えた。

目が一瞬にして血走り、何かに怯えるかのようにギョロギョロと落ち着きなく黒目が動き回る。

 

「奴らはそう……悪魔だ。いつもいつも何かと言えば俺をこき使って……。やれタバコ買ってこいだ、やれマヨネーズ買ってこいだ、イライラするから殴らせろだ、バズーカの的になれだ、ゴリラのお守りしてこいだ。俺のことなんだと思ってるんだっつーの!」

 

男は日頃の鬱憤を吐き捨てるかのように捲したてる。

 

「そこは俺の絶対領域なんだ。その部屋に籠っている限り、どんな悪魔も寄せ付けない。あんぱんが悪魔たちから俺を守ってくれるんだ……」

 

この男、完全に常軌を逸している。

久しぶりに出会った話の通じる人間が、あんぱんを使用した黒魔術の遣い手だったとは。

もはや私に安息の地はないのかもしれない……。

あまりの禍々しさに思わず後ずさると、男はカッと目を見開いて叫んだ。

 

「動くな!五芒星(ごぼうせい)が崩れる!」

 

怖いよぉぉぉぉおおおお!

なんだコイツ!

1ミリも理解できないよ!

怯える私など御構い無しに、男は取り憑かれたようにうわ言を呻く。

 

「あ、沖田隊長。え? これからですか? これから俺ミントンやるんで無理ですね。そんな脅したってダメですよ。大体それやって副長に怒られるの俺なんですから。とにかくダメです。いや、だからダメって……ヒイィッ! 助けてアンパンマン!」

 

何かのショック症状のように、男はアンパンマンに助けを求めて泣き叫ぶ。

 

「あ、副長……。い、いや違うんですよ! 俺は無実です! 沖田隊長に脅されたんです。俺もまさかマヨネーズの代わりにボンド入れるなんて思わないじゃないですか! 俺はただ中身入れ替えろって命令されただけで……ギャァァァアアア!」

 

「いっそ殺せェェェエエ!」とのたうち回る男を見ていると、恐怖の中にフツフツと同情の念が芽生えてきた。

日常的に上司にパワハラを受けているんだろう。

真選組なんてふざけた組織名でも、やはり仕事は辛いものだなとしみじみと彼を哀れに思う。

世の中って世知辛いよね……。

 

「ミントン! カバディカバディ! ミントン! カバディ! ……え、偵察ですか? いや、いまやってるじゃないですか。ミントンとカバディの融合の先に何があるか偵察中ですよ。は? いや……だから、いまカバミントンしてる途中でしょうが! ァァアア俺のラケット折らないでェェエエエエ!」

 

何の話かサッパリ分からないけど、最後のは君が悪いんじゃないかな。

これは上司だけでなく、彼自身にも問題がありそうだ。

すっかり同情してしまったが、よく考えるとアンパン中毒者がまともなはずがない。

 

もう茶番は十分だ。

変人にばかりぶち当たる悲運にイラついていた私は、鉄格子の隙間からヒョイと腕を突き出して、死にかけの虫のように地面でバタついていた男の髪をムンズと掴みあげた。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い! 毛根がァァアア! ぶちぶち言ってるからァァアア!」

 

やっと現実に帰ってきた男がギャーギャーと騒ぎ出す。

騒ぎたいのは私の方だ。

牢屋に閉じ込められて、変人のトラウマショーを見せつけられて、一体私が何をしたっていうんだ。

怒りがフツフツとこみ上げて、男の髪を握る手に力がこもる。

なんとか男を牢屋に引き込めないかと、全体重をかけて引っ張ってみるが、当然頭蓋骨が鉄格子に引っかかってどうしても抜けない。

 

「ほ〜らアンパンマン。新しい顔よ〜〜。古い顔は早く取りましょうね〜〜」

 

アンパンマンネタに乗っかって、なんとなくバタ子さん風に言ってみる。

 

「ああああああああ頭蓋骨ゴリゴリいってるぅぅぅううう! 無理だよ無理無理無理無理! 頭取れないから! アンパンマンこんなグロい頭の取り方してないから! お願い一旦落ち着こう! 俺が悪かったら一回落ち着いてみよう⁉︎ 本当すいまっせんんんん」

 

男が涙ながらに謝罪してくるので、少しだけ力を緩めてやる。

 

「いいですか? 生まれて初めて命の危機に晒されて、起きたら牢屋の中だわ変人が奇声あげるわで、私はとても怖くて怯えています。私の要求は1つだけです。まともな人間と話がしたい。いいですか? まともな! 人間と! 話がしたいんです!」

 

私の熱いパトスを伝えるために、セリフと共にリズムをつけて髪を引っ張りあげる。

 

「痛い痛い痛い! 分かりました! 君の言いたいことは分かったから髪の毛やめて! つーか怯えてる人間の態度じゃねーよ!」

「次ふざけたら、頭の中クリームパンダちゃんにして、体内からジャムおじさん撒き散らして、パンツの中カレーパンマンだらけにした後に、人生とバイバイキンしてもらいますからね」

「たすけてアンパンマン! 俺殺されちゃうよ!」

 

だから助けて欲しいのは私の方だ。

目下でバタつく男を冷めた目で睨みつける。

 

「それで、結局私って逮捕されてるんですよね。 いつ釈放してくれるんでしょうか」

「だから逮捕じゃないですって。怪我してたので保護しただけってァァアアアア痛い痛い痛い!」

 

これ以上、男の戯言に付き合う気はない。

聞こえるようにブチブチと彼の髪を一房むしり取る。

 

「本当は?」

「ウチの沖田隊長があなたをバズーカで吹っ飛ばしました! 表沙汰になると面倒なので、不祥事揉み消すために病院に連れて行かず、こちらで介抱させて頂きました。これも沖田隊長と副長の指示であって俺の責任じゃないです! だから髪むしるのやめてェェェエエ!」

 

揉み消す⁉︎ おいおい、アンタ等本当に警察ですか?

ツッコミどころしかない話だが、どこかで聞いたような単語がさっきから頭の中をグルグルと回って離れない。

そんなわけない。そんなわけがないと頭では否定しつつも、心のどこかで1つの可能性を無視できずにいた。

 

「あの、さっきから出てくる人ですけど。沖田隊長って? あれですよね。文久3年に設立した新選組の一番組組長、沖田総司さんですよね」

 

いや、そもそも新撰組の人間でもおかしいんですけどね⁉︎

本当に彼の有名な沖田総司なら、タイムスリップしたことになっちゃうからね。

しかし、タイムスリップよりも始末の悪い妄想に取り憑かれてしまっているのだからタチが悪い。

どこぞの『仁』のようにペニシリンを製造するために江戸の町を駆け回る運命の方が、よほどリアリティがあるように思えてしまう。

って、私は何をアホなことを聞いているんだ……。

口に出してから気恥ずかしくなり、顔の火照りを感じる。

 

「沖田総司? それ間違えて覚えてますよ。ウチの隊長は沖田総悟です」

 

こともなげに男はサラリと爆弾を投下した。

その衝撃を受け止められないのか、鼓膜から脳までの電気信号がやけに遅い。

思考が追いつかずにたっぷりと間を取った後、急速に乾いていく唇を湿らせて、私は言葉を紡ぐ。

 

「……じゃあ、副長は? 土方歳三ですよね。さすがに土方歳三ですよね?」

「いや、土方十四郎ですよ。なんでちょいちょい間違えるんですか」

 

アンパン大好きっ子が呆れ顔をこちらに向けて、その冴えない地味顔に該当する人物が1名脳裏をよぎる。

 

「……貴方は山﨑丞(すすむ)さんですよね。お願いだから山崎の進んでる方ですよね。イケてる方ですよね。まさか退がってるなんてダサい……いやいやいや。それはない! それはないよ今時〜〜! 今の若い子はみんな進んでますからね。退がってる名前なんてダサダサネームすぎて私なら生きていけないです」

「アンタ絶対知ってるだろ! 知ってて言ってるだろ! 退ですよ! 山崎退です! いや、なんて顔してるんですか。俺の名前って、そんなに絶望するほどダサいかなぁ⁉︎」

 

すみません山崎さん。

絶望してるのは、貴方の名前がやたらトンチきいててムカつくとか、そんな理由じゃないんですよ。

自称:山崎退がギャンギャンと噛み付いてくるが、私の耳はそれを言葉として拾い上げるほど暇ではない。

事実と妄想と理性がせめぎ合い、ほとんどの感覚機能が総出で事態の収拾に努めていた。

バズーカと沖田総悟。

マヨネーズと土方十四郎。

そして、アンパンと山崎退。

バラバラだったピースがカチリと当てはまる音がする。

いやいやいや当てはまるなよ!

某なんちゃって江戸時代ハートフル下品コメディ『銀魂』に似てる世界だからって、銀魂世界にトリップしちゃった☆的なトンデモ展開なわけがない。

そんな非科学的なことがそうそうあってたまるか!

まだ大丈夫だ。まだギリでリカバリー可能な範囲だから、考えることを諦めちゃダメだ。

 

次々に起こる不測の事態に頭を痛めながらも、そうやって自分を何とか励まして1週間。

やたらリアリティのある山崎退の愚痴をBGMに、沖田総悟としか思えないドSをかわして、それでも銀魂トリップなわけがないと否定してきた。

こいつらは銀魂大好きなコスプレイヤーなんだ。

動機は不明だが、私は誘拐されてこの茶番に付き合わされてるに違いない。

完成度たけーなオイ。

 

 

私は、ずっと信じていた。

常識外れのファンタジーが、自分の身に降りかかるわけがないと。

そう、あの男と対峙するまでは……。



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四話 豚にとっても沈黙は金なり

男は、タバコの端を噛みちぎらんとばかりにギリギリと歯を擦り合わせた。

長時間続く取り調べに辟易としたのだろう。

まるでタバコの灯火が彼の鬱憤に火をつけたかのように、怒りは口元だけに収まらず、ピクピクと痙攣する筋肉を通って鍛え抜かれた右腕に宿る。

逞しい右腕に誘われて、ついに皮の厚い掌が丸みのある愛くるしいフォルムを握りつぶした。

 

ぶりりゅりゅりゅりゅぶりぃぃぃぃぃいいいいいいい

 

耳を塞ぎたくなるような下品な音を撒き散らして、乳白色のソレがお椀の中にブチまけられる。

ダシ汁の黄金比率がシットリとしみ込み、なおかつ揚げ物の命である衣はさっくりとした食感を失わず、優しく閉じられた卵の中で悠然と座していた世紀の大発明、カツ丼。

美味しく食べられたいという料理の本願は叶わず、カツ丼は無念の表情でマヨネーズの海に沈んでいった。

男は口元からタバコを引き抜き、乱暴に銀の灰皿に押し付ける。

タバコの代わりに割り箸を手に取ると、いよいよカツ丼……いやマヨ丼に向かう。

パキンと小気味良い音を立てた割り箸が、どこから箸を付ければ良いか悩むほどのマヨネーズマウンテンに踏み込む。

常人では戸惑うだろうに、男は慣れた手つきで山を切り崩し、とても美味しそうに頬張った。

……鼻についたマヨネーズが、ラブリーである。

 

私の視線に気付いたのか、男がこちらに視線をよこす。

 

「なに見てんだよ」

「……」

 

 

コンビニの前にたむろす不良のように男がメンチを切ってくる。

こんな悪人面がNo.2の警察ってどうかしてる。

私の心情をどう捉えたのか、男は突然嬉しそうな訳知り顔で言う。

 

「ったく……、しょーがねェなー。まァ、普段だったら不審者の頼みなんて聞かねーんだけどな? お前がどーーーーーーしてもっつーならマヨネーズかけてやってもいいんだぜ? ……ほら、早くその酢豚よこせよ」

「……お願いだから死んで下さい土方さん」

「なんでだ!」

 

絶望のため息を吐き出す私に、土方さんが怒鳴る。

柄にもなく頬染めて嬉しかったんか?

マヨネーズ求められてツンデレっちゃうぐらい嬉しかったんか?

こちとら土方さんのマヨネーズボケにツッコム余裕ないんですよ。

 

だって貴方のマヨネーズボケのせいで確信しちゃったもの。

こんなドギツイマヨネーズ丼を「わぁ〜〜ご馳走だァ!」顔して食べれる人間、私の世界に絶対いないもの。

こんな犬の餌好んで食べれる人間存在しないもの。

絶対この人、土方十四郎だもの!

 

今まで必死になって否定していた銀魂トリップを、思わぬベクトルから確信させられてしまった。

少しぐらい悪態ついたって許されるはずだ。

 

「なんでィ。口きけるんじゃねーか。ビビっちまって言葉忘れてんのかと思ったぜィ」

 

沖田さんが取調室の壁に背を預け、色のない瞳でこちらを見やる。

 

「黙秘しますって最初に言ったじゃないですか。それに必要な時には話してましたよ」

「テメーが口開くのは飯の注文だけだろ」

「ご飯以上に大事な用事なんてないです。それよりも沖田さん、カツ丼食べないんですか? それなら私にください」

「そのカツ丼は俺のモンだ」

 

伸ばした手がカツ丼に届く前に、沖田さんがヒョイと掠め取っていく。

私の方が距離的に近かったのになぜだ。

腕のリーチの問題か。

さほど腹が減っているわけでもないだろうに、優しさの欠片もない男だ。

ジト目で沖田さんを軽く睨むが、彼はさして気にした様子もなく私の隣にあるパイプ椅子にドカリと座る。

 

「だいたいテメーが酢豚がいいって言ったんじゃねーか」

「甘酢ダレに揚げた豚を入れただけのモノを酢豚とは呼びません。いいですか。ナス・ピーマン・ニンジン・タマネギ・そしてパイナップルが入って初めて酢豚と——ッ! なにするんですか!」

「いらねーなら俺が頂きまさァ」

 

沖田さんはそう言うと、豚のみの酢豚の中から素早く豚を掠め取っていく。

私が必死になって両手で阻んでいるのに、上手いこと間をぬってさらっていくのだ。

ひどすぎる!

肝心の豚を取り上げられたら、残るのはただの甘酢ダレではないか。

 

「なんて事するんですか! この鬼畜! 警察が泥棒なんてして許されるんですか⁉︎」

「ここでは俺が法律でィ」

「横暴だ! おまわりさん逮捕してください!」

 

あまりの蛮行に頭にきて、土方さんに助けを求める。

そもそもなんで私には白米がないんだ⁉︎

酢豚の相棒は白米だと古来から決まっている。

チャーハンでも可だ。

 

「うるせェェェエエエ! テメーら何をほのぼのしてんだ!」

「これのどこがほのぼの⁉︎ 土方さんは部下の監督もまともにできない無能ですか⁉︎」

「テメーいい加減にしろよ⁉︎ しょっぴくぞ!」

「既にしょっぴかれてます!」

 

ハードな怒鳴り合いにゼェゼェと肩で息をする。

朝から続く取り調べ。

未だに名前すら名乗らない町娘に土方さんは手を焼いているらしい。

とはいえ、黙秘権は庶民に与えられた立派な権利だ。

自分の思い通りにならないからといって八つ当たりはしないでほしい。

そんなだからチンピラ警察と言われるんじゃないか。

 

「チッ……急にベラベラ喋りやがって。俺たちもなァ、暇じゃねぇんだよ。お前の身元さえハッキリすれば、釈放してやれんだ。いい加減名前ぐらい吐きやがれ」

 

大抵の攘夷浪士が竦み上がるだろう鋭い眼光は、鼻についたマヨネーズで台無しだ。

これがデートでパフェでも食べてるシュチュエーションなら胸キュンの一つもするだろうが、ここは屯所で目の前には食べかけのマヨ丼。

胸焼けはすれど、胸キュンなど程遠い。

むしろ可哀想なカツ丼を思うと無い胸が痛む。

漫画を読んで知ってはいたが、なんて残念な人なんだと自然と溜息がこぼれた。

 

「おい。なんでやれやれこの人は……顔されなきゃならねぇんだ。何を困った人ねぇ顔してんだ。腹立つなお前!」

 

私の態度が癇に障ったのか、青筋を立てて怒鳴り散らす。

チラリと隣を見ると、ハッスルする上司を呑気に見物しながら、沖田さんはカツ丼と酢豚をガツガツと食べている。

あぁ……、私の酢豚とカツ丼……。

食に貪欲な私が譲ってやったんだ。

食事分ぐらいの働きはしてほしいと、沖田さんを睨み付けていると、私の視線に気付いたのか鬼畜がカチャンと箸を置いた。

どうやらやっと助け舟を出す気になったらしい。

 

「まあまあ、土方さん。落ち着いて下せェ。トン子も反省してるじゃねぇですか」

 

なぁ? と優しく微笑みかける慈愛顔の沖田さんの手には、いつのまにか鎖が握られている。

伸びる鎖の先は私の首につながり、ご丁寧にも首に掛かる木製の名札には『トン子』と手書きで記されていた。

この一瞬でいつ仕込んだのか。

さすが沖田総悟。

目にも留まらぬ早業だ。

 

「トン子ってなんだァ! なんで不審者を調教してんだァ!」

「何ってこいつの名前でさァ。なぁ、トン子?」

「ぶー」

 

不審者扱いは大変遺憾だが、ひとまず沖田さんの作戦に乗っかっておこう。

豚の真似事ぐらい造作ない。

 

「ほら、返事したじゃねぇですか。こいつの名前はトン子。好物は豚でさァ。名前も分かったことだし、コイツァ俺が釈放しておきやす」

 

ほ〜ら野生に帰ろうなァ、と優しく引く鎖に連れられて出口に向かう。

 

「ちょっと待てェェェ!」

 

案の定かかる待ったの声に、私と沖田さんの溜息がシンクロする。

意外にもこの三人の関係図は、土方さんVS沖田さん&私だ。

 

 

 

あの日、重要な攘夷浪士の取り調べを土方さんが担当し、私の取り調べは早々に終わるだろうと沖田さんがやってきた。

しかし、予想に反して黙秘権を主張する私に少々驚きはしたものの、これ幸いとばかりに取り調べと称して堂々とサボっていたのである。

私としても、この異常事態について考えたいことは山ほどあり、愛用のアイマスクで惰眠を貪る沖田さんの存在は都合が良かった。

WinWinの関係という奴だ。

 

この関係に変化が訪れたのは、今朝のことだった。

攘夷浪士への取り調べが終わり、数日経っても被害者の女の情報が上がってこない。

沖田さんに聞いてものらりくらりとはぐらかされる。

痺れを切らした鬼の副長が朝一番に私の取り調べに乗り出したのだ。

こうなっては格好のサボり場を確保することも難しく、頑なに黙秘権を貫く私が面倒になった沖田さんは適当な理由を付けて釈放しようとしていた。

 

「おい、総悟。今回はただの浮浪者を保護したって訳じゃねぇんだ。こないだの大捕物、あの報告書仕上げるために被害者の身元も書かなきゃいけねぇんだよ! それぐらい分かってんだろ!」

 

被害者の身元。

土方さんの言葉を脳内で反芻する。

私が頑なに黙秘権を主張する理由はここにあった。

素直に名前を言って調べられては困る。

この世界に、私の戸籍は存在しないのだ。

ここが銀魂世界だと確定したならなおさら、目下の目標として、ここで生きる足掛かりが必要だった。

真選組の仕事を邪魔してしまって申し訳ないが、私も譲るわけにはいかない。

ただでさえ残念なステータスに『戸籍無し』が追加されてしまったのだ。

この先が不安すぎて心臓の辺りがキュッとなる。

 

「本人が黙秘するってもんは仕方がねぇでしょう。誰でも言いたくない名前の一つや二つあるじゃねぇですか。それを無理矢理言わそうなんざァ、土方さんは俺以上の鬼畜ですゼ。なあ、トン子」

 

とりあえずここは沖田さんに任せようと、ぶんぶんと肯定の印に首を振る。

跪き、主人の顔色を伺う姿は待てをされた犬、いや、豚だ。

豚扱いに抵抗すると思いきや、思いの外ノリがいいものだから、沖田さんも満更ではなさそうだ。

 

「なんでお前は無駄に従順なんだよ!」

 

土方さんがツッコミを入れてくるが、私にとってこれは当たり前のことだ。

私は、こう見えて常識人である。

受けた恩を返すぐらいの仁義はある。

バズーカで吹き飛ばされたが、あそこで沖田さんに出会っていなければ死んでいただろう。

それにサボりたい一心の沖田さんがいたからこそ、この一週間平穏に暮らせたのだ。

豚三昧とはいえ、タダ飯の恩も忘れていない。

原作では何かと危険人物だったが、私はこの青年にそれなりの恩を感じていた。

彼を喜ばせるためならば、豚の真似事ぐらい造作ない。

大した言葉は交わしていないが、二人の間には言葉にしがたい絆が確かにあった。

そう、それは主従関係で——

 

「そんな歪な関係作ってんじゃねぇよ! 思い直せ! そいつは1番主人に選んじゃいけない男だぞ、トン子! 帰ってこいトン子!」

 

誰がトン子だ。まったく失礼な男である。

 

「とにかく、この雌豚……じゃなかった。トン子が、瞳孔開きまくりの変態侍には身元明かしたくねぇって言ってるんでさァ。そんなに書類仕上げてェなら、アンタがトン子の身元保証人でもなってやらぁいいじゃないですか」

「そんなコロコロ飼い主代わってたらトン子が可哀想だろうが。身元保証人ならご主人様であるテメェが適役だろうよ」

「恥ずかしがらなくていいでさァ。こないだ豚プレイにハマってるって言ってたじゃねぇですか。トン子ぐらいいつでもあげまさァ」

「どんなプレイだァァァ! テメェいい加減にしろよ⁉︎」

 

土方さんの怒声が響くと、上司煽りが趣味のドSは煩わしそうにやれやれと鞘から愛刀を抜いた。

 

「ったく。土方さんは解決策も出さねーくせに文句ばっかりでイケネーや。分かりやしたよ。とりあえず豚足の1、2本飛ばせば吐くでしょう」

 

触れるだけでスッパリいってしまいそうな光る刀身を見て、私と土方さんがギョッと目をむく。

 

「バカか⁉︎ 一般人にそんな事してみろ! さすがに揉み消せねーぞ!」

「そ、そうですよ! 今は無能な上司の言うこと聞いときましょうよ! 普段どんだけ下に見ててもここぞという時に従っとけば、後々上手いこといきますから!」

「よし、豚足3本までならいいだろう」

「ちょっと⁉︎ なんてこと言うんですか土方さん! この鬼!」

 

ユラユラと獲物を狙うように刀を揺らして、ドSがにじり寄ってくる。

ヒイイッッ! 目がマジだ!

予定とはだいぶ違うが、作戦に移るほかあるまい。

黙秘権を主張する事で出てくる代替措置。

真選組が焦れて、妥協案を提案してくる時を待っていた。

 

「ちょっと待ってください! 私の知り合いが歌舞伎町にいます! その人が身元保証人になってくれるかもしれません!」

 

恐怖のあまり叫び声に似た声を上げて、私は訴える。

思わぬ話の進展に、土方さんは目を白黒させ、脱力した。

 

「お前……、そういうことは早く言えよ……」

「すみません。聞かれなかったもので」

「総悟……テメェ。取り調べサボってやがったな」

 

土方さんが鬼の形相でドSを睨みつけると、彼は渋々といった風に刀を鞘に収めた。

舌打ちが聞こえたのは気のせいと思いたい。

下げられた刀にホッと息を吐き、『沖田さんには絶対服従』と固く決意する。

こんなお手軽に刃物向けられるとトラウマになってしまいそうだ。

私の話が気になるのか、沖田さんは目線で話の続きを促す。

 

「そもそも私が江戸を訪ねたのは、その人に会うためです」

 

なぜ私は銀魂の世界に来てしまったのか。

何を信じて良いのかも分からない。

しかし、少なくともあの男には会うべきだろう。

 

「坂田銀時という名前に、お心当たりはありませんか?」

 




土方さんの扱いがひどいかもしれません。
作者は土方さんとても好きなので、愛故ですが苦手な方はご注意ください。
作者はケンカップル好きなので、各キャラとも基本喧嘩腰からはじまりがちです……
愛故ですが苦手な方はご注意ください。


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五話 ウソも突き通せば真になるはず

「……そんな名、知らねぇな」

 

たっぷりと間を取った後、土方さんはそう言って懐からお馴染みのマヨネーズ型ライターを取り出し、タバコに火をつけた。

てか、え、ウソ、銀さんと知り合いじゃないの?

想定外のセリフに内心動揺しまくる。

 

「何言ってるんでィ。土方呆けたかコノヤロー。そりゃ、万事屋の旦那のことだろ」

「そうです!それです!江戸で万事屋やってるって聞いたので、警察の方ならご存知かと思いまして!」

 

思わず身を乗り出してブンブンと首を縦に振る。

よかった、とりあえず漫画の知識通り知り合いではあるらしい。

 

「バッ……総悟!アイツと関わると碌な目に合わねぇんだ!」

 

土方さんは、苦虫を10匹ぐらい噛み潰したような顔で、忌々しそうに私を睨みつけた。

そういえば土方さんと銀さんは犬猿の仲だったっけ。

漫画で見てる分にはケンカするほど何とやらに見えるため忘れていた。

 

「……あの男とはどういう関係だ」

 

完全に開いた瞳孔を向けられて、その迫力に思わず喉がなる。

さすが泣く子も黙る鬼の副長。

その気になれば私のような一般人吐かせることは容易いという訳か。

しかし私もここで引くわけにはいかない。

異世界に1人きりで放り出されたんだ。

自分だけが頼りだ。

震える手をぎゅっと握り込み、爪が手のひらに食い込む。

痛みは、緊張を和らげるに長ける。

この男相手に無駄な足掻きな気もするが、 努めて平静に、私は口を開こうとした。

 

「そんなの旦那に聞きゃァ分かりまさァ。行くぜェ、トン子」

 

緊迫した場に不釣り合いな楽しげな声を上げ、沖田さんは牢屋を飛び出していく。

私の首に繋がる鎖を握ったまま。

 

「ぐぇッ、ちょ、沖田さん締まってます!」

 

突然の行動に対処しきれず、私は引きずられるように牢屋を出た。

もちろん思わぬ釈放を喜ぶ余裕はない。

そうだった、この青年はドエス同士通じるものがあるのか、坂田銀時にはそれなりの好意を持っていた。

 

「おい、総悟! 何勝手なことしてやがる!」

「何って仕事でさァ。ちょっくら旦那の所に行って、トン子との関係調べてきやす。土方コノヤローは待ってて下せェ」

 

鼻歌交じりに歩く姿は、とてもこれから仕事に行くとは思えない。

その楽しげな後ろ姿に心底関わりたくないと思いつつ、今夜締め切りの報告書が、その願いが叶わぬと告げている。

男は面倒なことになったと頭を掻きむしると、一人と一匹の後を追うのであった。

 

 

 

 

 

ピンポーン。

鳴り響くインターホン。

『万事屋銀ちゃん』の看板を掲げる昔ながらの日本家屋は、アニメや漫画で描かれた印象よりもずっと立派に見えた。

年季の入った木製の建物は、古びているというよりも良い具合にこなれて味が出ている。

意外と良い家に住んでるなぁと、そろそろマイホームを意識し始める年齢の性で、なんだか普通に羨ましい。

 

ピンポーン。

沖田さんが再度インターホンを鳴らした。

磨りガラスの向こうには未だ人影は現れない。

埒があかないと思ったのか、沖田さんがドアを叩く。

 

「旦那ァ、俺です。総悟です。開けてくだせェ」

 

いつもの間延びした声を上げると、にわかに人の気配がしてガラガラとドアが開く。すると、気だるそうに一人の男が出てきた。

 

「……なぁんだ、総一郎くんね。あんまりしつこいからババアの取り立てかと思ったぜ」

「旦那。総一郎じゃなくて総悟です」

「あー? ンなのどっちでもいいだろーが。朝っぱらから何の用だよ。こちとら二日酔いで気分最悪なんだからよー。手土産にイチゴ牛乳持ってきただろうな? ウチの玄関はそういう仕組みだからね。イチゴ牛乳1個につき入国を許可してるから。持ってきてねーなら帰れ。そしてイチゴ牛乳を手に入れてそっと玄関の前に置いて帰れ」

「ただの配達じゃねーですか」

 

冷静に沖田さんがツッコむと、「イテテテでっけー声出すんじゃねーよ……。俺の頭は割れ物なんだよ」などと呻きながら頭を抑える。

昨日はどれほど飲んだのか、だいぶ具合が悪いらしい。

ちなみにとっくにお昼は過ぎており、そろそろ3時のおやつの時間だ。

全く朝っぱらではない。

 

「げっ……、なんだよテメーもいんのかよ。何? 暇なの? 暇すぎて遊びに来ちゃったの? 友達いないの?」

 

土方さんを見つけると、銀さんは露骨に嫌な顔をする。

負けず劣らず鬼の副長も渋い顔をして、今にも噛みつかんばかりに低く唸った。

 

「ンなわけねーだろ。テメーみたいな万年プー太郎と一緒にするんじゃねェ。仕事だ」

「ちょっと……。マジで今日はお前の相手する元気ないんだって。見りゃわかんだろ。今日は店じまいだ」

 

そう言って銀さんがガラガラと引き戸を閉めようとすると、「そうはさせるか」と土方さんは右足をねじ込んで阻止する。

 

「仕事持ってきてやったんだから有り難く引き受けやがれ! どーせ碌に依頼も来ねーんだろーが!」

「いえ、本当に結構ですんで。ウチそういうの間に合ってるんで」

 

なおも戸を閉めようとする銀さんにムキになって、土方さんは力任せにこじ開けようとする。

2人の男の馬鹿力で、戸がミシミシと心配になる程の音を立てはじめた。

 

「何なんだよテメーは⁉︎ 帰れっつってんだろーが! 住居不法侵入で訴えんぞ税金泥棒!」

「テメーこそいい加減にしとけよ……。捜査に協力しないなら公務執行妨害でしょっぴくぞ糖尿野郎」

「頼むから帰ってくれ! お願いだから酢あげるから!」

「なんで酢⁉︎ 数ある調味料の中でなんで酢⁉︎ 作れってか? 帰ってマヨネーズ作れってか⁉︎」

「うるせーーー! だから頭に響くっつってんだろ! デケー声出すんじゃねーよ!」

 

一番うるさいのはアンタの方ではと思うが、ある意味阿吽の呼吸の応酬に口を挟む隙もない。

ギャンギャンと大人気なく罵り合う2人の声が聞こえたのだろう。

磨りガラスの向こうで、ドタドタと足音が近付いてくると、銀さんの影に並んだ。

 

「アンタは何やってるんですか! 玄関のドア壊れたらまた修理費かかりますよ! 先々月の家賃もまだ払えてないのにお登勢さんに何て言う気ですか!」

 

男性の割には特徴的な高い声。

なおもウニャウニャと文句をたれる銀さんをあしらうと、途端に戸がシャッと開いた。

 

「あれ、土方さんと沖田さんじゃないですか。どうしたんですか、お揃いで」

 

万事屋の訪問者としては珍しい組み合わせらしい。

真選組の凸凹コンビをメガネに写すと、志村新八は不思議そうな声をあげた。

やっとマトモに話ができる奴が出てきたかと、土方さんはタバコの煙を深く吐き出す。

 

「仕事だ。お前らに聞きたいことがあんだよ」

 

すると新八くんはすぐに合点した様子で眉毛を八の字にしてみせる。

 

「そうでしたか。ウチの馬鹿が本当すみません……。どうぞ、上がってください」

 

新八くんの言葉に誘導されて万事屋に踏み込もうとすると、ゾンビが生き返ったかのようにゆらりと新八くんの背後に佇む男がいた。

この家の主人であるマジでダメな大人、略してマダオだ。

家主であるマダオは、自分を蔑ろにして場を取り仕切る歳下の従業員を睨みつける。

 

「新八ィ! 何勝手なことしてやがる!」

「勝手なのはどっちですか。平日から飲み歩いて、二日酔いも自分のせいでしょ。依頼選り好みしたいんなら僕らの給料払ってからにしてください」

 

新八くんがド正論を叩きつけると、心外だとばかりにマダオは眉をしかめた。

 

「何言ってやがる。昨日お前には払っただろーが」

「はァ? アンタ昨日はシコタマ飲んで帰ってきてゲロしか吐いてないでしょーが」

「だから現物支給だろ」

「ゲロで現物支給って何⁉︎ まさか僕の給料で飲みやがったな⁉︎」

「ネチネチ細かいことでウルセーんだよ。現金だろーが、物だろーが価値は同じだろ。お前の給料で手に入れた食材をお前に返したわけだからね。世の中等価交換なの。エドも自分の身体の一部と等価交換で弟の魂取り戻したわけだからね。あの子は立派だよ。普通そこまで出来ねーよ」

「うん、同じじゃないよね。さすがのエドもゲロからは何も錬成できねーよ」

「何言ってんだよ。あの子の本名知らないの? エドワード・ゲロリックだからね」

「エドワード・ゲロリックって何⁉︎」

 

新八くんはガミガミと一回りほど歳上のマダオを罵倒はしても、どことなく諦念のオーラが見え隠れしている気がする。

どうやらこの職場では給料のピンハネが慢性化しているらしい。

若い身でありながらとんだブラック企業で働いているようだ。

彼のような真面目っ子下っ端タイプは、こき使われた挙句に安月給で過労死する運命にある。

早急に転職をオススメしたい。

 

「さっきからうるさいネ。NHKの回し者アルか?」

 

透明感のある透き通る肌。

一度見たら忘れられない綺麗なピンク色の髪。

パジャマ姿の美少女が、銀さんの背後からヒョッコリと顔を出した。

 

「神楽! いいとこに来た。お前の天敵が来てんぞ! 砂糖まけ! 砂糖!」

「銀さん。そういう時は塩です」

 

少女はまだ事態が飲み込めていないのか、銀さんと新八くんのやり取りにキョトン顔を向ける。

ちょっとした仕草が愛らしい。

絵に描いたような美少女だ。

寝癖頭とヨダレの跡さえなければザ・ヒロインである。

そして、お人形のような青い双眼がこちらに向けられると、彼を発見した途端、大きな丸い目は三角に吊り上がった。

 

「オイコラ。ここを誰の島だと思ってるネ」

「テメーみたいなガキに用はねェ。話ややこしくなるから引っ込んでろ鼻糞女」

「お前みたいなションベン臭いガキに言われたくないアル」

 

さっきまでの美少女は裸足で逃げ出したのだろうか。

女の子としてはNGすぎる顔で、沖田さんにメンチを切っている。

あまりに衝撃的な変顔に思わず周りの様子を伺うが、誰も気にしていないところを見ると序の口らしい。

神楽ちゃんと比べると沖田さんは冷静に見えるが、その目は爛々と光っている。

彼の眼差しに、ついさっき刀を向けられたことを思い出して背筋が冷たくなる。

これが殺気という奴なんだろうか。

 

「フハハハハ! そうだ、ゆけ神楽! この馬鹿共を追い返せ!」

「なんだと⁉︎ 総悟いけ! 小娘なんか今すぐぶった斬れ!」

 

無責任な保護者2人が、ヤイヤイと喧嘩を煽る。

沖田さん今にも刀抜きそうな勢いだけど大丈夫なの⁉︎

こんな殺伐とした喧嘩が日常なの⁉︎

これでもライトな方なの⁉︎

止めた方がいいのではとチラッと思っても、私が割り込めば確実に死ぬ気がする。

プロレスのガヤのような声援を背負って、鼻を膨らませた神楽ちゃんが咆哮する。

 

「今日という今日こそ許せないヨ! ブチのめすアル!」

「上等だァ。やってみやがれ」

「言ったアルな! ボッコボコにしてやるヨ!」

 

威勢良く叫ぶと、彼女はクルリと回れ右をしてドカドカと家の奥に走り入った。

間髪入れず、沖田さんが当然のように彼女の後を追っていく。

一瞬の出来事に呆気にとられた後、まさか家の中で大喧嘩でも始めるのではなかろうかと心配に思っていると、2人の言い争う声が聞こえてきた。

 

「後で吠え面かいても知らないヨ」

「バカ言ってんじゃねェ。俺ァ64の頃からやり込んでんだ。Switchから入ってきた素人に負ける訳ねーだろ」

「そうやって古参ぶってる奴に限ってピチューにボッコボコにされて涙目になるアル」

 

言い争う声だけを捉えるとまるでチンピラの喧嘩だが、その内容は仲良く某ゲームについて話しているようにしか聞こえない。

お子様二人とは対照的にしばしの沈黙が降りると、いつもの死んだ魚の眼で家の奥を見つめていた銀さんがポツリと呟いた。

 

「……何アレ?」

「スマブラですね」

「いや、それは分かってんだよ。なんでゲーム? なんでスマブラ? 何平和的な大乱闘始めようとしちゃってんの。つーかなんでSwitchなんて持ってんの」

「前田くんをボコボコにして貰ったみたいですよ」

「カツアゲじゃねーか!」

「違いますよ。なんでも賭けスマブラで勝ったらしいです。Switchだけじゃないですよ。酢昆布から洋服まで、神楽ちゃんは最近ありとあらゆるものを賭けスマブラで奪ってるらしいんです」

「いちいちスマブラで勝負しなきゃいけないの? スマブラ内の力関係はリアルに直結してる仕組みなの?」

「銀さんが悪いんですよ。いくら年の瀬だからって飲み歩いてばかりで、神楽ちゃんの面倒みないから……」

「俺のせいかよ⁉︎」

「そうですよ。昨夜も一晩中スマブラやってたみたいで、今朝なんか大変だったんですよ。僕と目が会う度に賭けスマブラ仕掛けてくるんですから」

 

よほど大変だったのか新八くんがゲンナリした様子で答える。

出会ってまだ数分なのに、彼が相当な苦労人だということはよくわかった。

まるで子供の面倒を見ない夫に小言を言う主婦のようだ。

生活への疲れを滲ませる主婦は「さて」と言って場を区切ると、トレードマークのメガネを定位置に押し上げた。

 

「何にせよ、話の続きは家の中でしましょう。いいですね? 銀さん」

 

すでに沖田さんが家に上がってしまった以上、自然な流れだろう。

忌々しげに舌打ちをしても何も言わないところを見ると、銀さんもようやく観念したようだ。

それでも最後の抵抗とばかりに、ガチャリと鞘を揺らして敷居を跨ぐ土方さんを濁った瞳でじっと睨みつけている。

 

「そちらの方もどうぞ入ってください」

「……」

「あの……、どうかしましたか?」

「…………え⁉︎」

 

遠慮がちにかけられた声が、まさか自分へ向けられた言葉だとは露ほども思わず、奇妙な間をおいて頓狂な声をあげてしまった。

すっかり銀魂の演劇を見ているような感覚に陥っていた。

完全に傍観者と化していたが、これは現実なんだと戸惑う新八くんを見て再認識する。

いかんぞ。

土方さんや沖田さんのような変人にどう思われようと痛くも痒くもないが、新八くんのような常識人に怪しまれるのは胸が痛い。

さらにこれから行う予定の愚策を思い出して、胃が急速に悲鳴をあげる。

やっと出会えたまともな人間の前でとんだ羞恥プレイだ。

生き恥を晒すような真似が、私に出来るのか……?

いや、今更計画を無に帰すことは出来ない!

あの冷たい監獄の中で誓ったじゃないか!

 

「えーっと……。大丈夫ですか?」

 

「やらなければ」と「でもでもだって」を繰り返して完全にフリーズした私に、そうとは知らない新八くんの戸惑った声が降ってくる。

思いっきり不審がられている!

居た堪れない!

一体どうすればいいの⁉︎

羞恥と目的達成の狭間で葛藤を繰り返していると、遠ざかっていたはずの鞘の音がガチャガチャと近付いてきたのに気付く。

どうやら土方さんが見かねて戻ってきたらしい。

 

「おい、メガネ。不用意に近づくなよ。その女は身元不明の不審者だ。普通の女に見えるが、腹の中では何企んでるかわかったもんじゃねェ」

 

その言葉を聞いて、冷水をぶっかけられたように急速に心が冷えていくのを感じる。

「厄介事を持ち込むな」と三度はじまった喧嘩の声がやけに遠くに感じる。

真選組から借りていた安っぽい草履を見つめながら、私は考える。

 

そうだった。

私は不審者だった。

突然異世界からやってきた女。

この世界では、家族も知り合いも金も職も戸籍すらもない。

それが私。

初期設定からして間違いなく異常じゃないか。

 

ならば、今更何を躊躇することがあるのか。

 

視線の先はゆっくりと角度を上げて、戯れているのか暴れているのか理解できない三者を捉える。

異常量のマヨネーズ・タバコを常に摂取していないと生きられない男。

異常量の糖分・酒・ギャンブルを常に摂取していないと生きられない男。

メガネ。

 

こんなデタラメな連中よりも、私の方が異常だなんて全く受け止められない。

しかし、現実は残酷だ。

この世界の住人にとって異端分子は私。

その事実を受け止めてこそ、前に進める。

 

さぁ、胸を張ろう。

不審者は不審者らしく、立派に不審な行動でもしてみようではないか。

すっと息を目一杯飲み込み、酸素を全身に巡らせる。

そして男たちの小競り合いに負けないように、私は大声で叫んだ。

 

「兄さんッ!!!」

 

もちろん涙声の演出も欠かさない。

呆気に取られる面々を前に、私は悠然と走り出し、銀髪の侍めがけてタックルをお見舞いする。

 

演じきろう。

最高にキュートで健気な妹を。

身元は、自分で作り出すものだ。



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六話 戸籍がなければ作ればいいじゃない

 

「んじゃ、つまりこういうことか」

『イアアアアアアアエエエエエエエエエイイイ!』

「アンタは」

『イアアアアアアアエエエエエエエエエイイイ!』

「あの日」

『イアアアアアアアエエエエエエエエエイイイ!』

「た」

『イアアアアアアアエエエエエエエエエイイイ!』

「うるせぇぇぇええええ! なんで2人ともリンク遣い⁉︎ 叫び声がいちいちうるせえんだよ!」

 

仲良くスマブラで遊んでいるお子様2名の背中に、土方さんが怒声を浴びせる。

 

土方さんに身元の提示を迫られ、戸籍など存在しないと困り果てた末に選択した苦肉の策。

その名も『ドキドキ☆銀さんの妹になっちゃえ♡』大作戦だ。

要は、万事屋の依頼として身元を証明してもらおうってだけだが。

私の知る坂田銀時ならば、金さえ払えばポンと引き受けてくれるだろうと踏んでいた。

恥も外聞もかなぐり捨て、良い歳こいて妹キャラを演じようなんて黒歴史すぎるが、背に腹はかえられない。

不審者認定、牢屋暮らしルートよりはきっとマシだ。

年齢を鑑みれば姉設定でもいいのだが、私は結構な童顔だ。

まず間違いなく年相応には見られないだろう。

いつもなら嬉しい利点でも、いまは足枷である。

妹萌えの全ヲタクの皆様を思うと、申し訳なさすぎて罪悪感で胃がよじれそうだ。

 

衝撃カミングアウトのどさくさに紛れて抱きついた折に「報酬は弾むから話を合わせろ」と素早く耳打ちすると、銀さんは「あー! お前アレだな⁉︎ こないだ生き別れた妹的なアレだな⁉︎」と下手くそな芝居で合わせてくれた。

予想を上回る大根っぷりだったが、獄中で散々イメトレしたお陰で私の泣きの演技はバッチリだ。あまりに温度差のある即席の兄妹愛を見せつけられて、しばし呆然としていたメガネとマヨラーだったが、「玄関先ではなんだから」とまたもやお気遣いメガネの一言で遂に万事屋の居間に足を踏み入れたのだった。

 

先程まで仲良く遊んでいた2人は、ゲームでは決着がつかなかったようで、いつのまにか取っ組み合いの大乱闘を始めている。

相変わらず自由すぎる部下を横目に、眉間に深いシワを寄せて、土方さんがため息をつく。

予想の斜め上を行く展開に苛立ちを隠せないのだろう。

タバコから立ち昇る煙の量が尋常でない。

 

「つまりアンタは普通の女ならビビって入り込まねーような路地裏をたまたま彷徨き、その日がたまたま俺たちの大捕物の日で命を助けられ、たまたま俺たちと面識のある万事屋が兄だったと。ずいぶん偶然が続くじゃねーか。よほど運命って奴に好かれてるらしい」

整った薄い唇から、ふーっと紫煙をくゆらす。

 

「何が目的だ。場合によっちゃー、女でも容赦しねぇぞ」

 

目だけで人を射殺せそうな双眼が、私の瞳に照準を合わせる。

平和な現代日本でぬくぬくと育ってきた身の上では、命が脅かされる危険はそうそうない。

殺意を向けられるのは、人生で三度目だ。

その三度ともがこの世界に来てからだというのだから、先が思いやられる。

あれ、銀魂ってもっとギャグ中心の平和な世界じゃなかったっけ。

なんでこんなに心臓に悪い場面が続くのだろうか。

キモヲタ属性に片足突っ込んでるマヨネーズ中毒者に脅されてビビってると思われても癪なので、頑張って睨み返してみる。

それを敵対と見なしたのか、開ききった男の瞳孔が一層鋭くなった。

 

「……上等だ」

 

土方さんがニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、私に一歩近付こうとした瞬間、視界の端に毛玉……いや、銀髪が飛び込んだ。

 

「たまたまたまたまウルせーんだよ!!!」

 

叫び声と共に、銀さんの繰り出したドロップキックが土方さんに見事に決まる。

人が吹っ飛ぶ瞬間を初めて見てしまった。

いや、二度目だったか。

思い返すと、うっすらバズーカで飛んで行く土方さんを見た気がしなくもない。

どちらにしてもトラウマものである。

 

「タマタマだか、タマキンだか知らねーが。俺の妹に堂々とセクハラしてんじゃねぇよ。テメーのとこのゴリラといい、税金使ってセクハラ三昧って良い仕事してるじゃねーの」

 

そんな美味しい仕事転がってねぇかなぁと愚痴りながら、銀さんが視線を投げてくる。

分かりやすいアイコンタクトに内心苦笑しつつ頷いてみせると、銀さんは満足そうにニヤついた。

 

「テメェ……。今日こそ公務執行妨害でしょっぴいてやる」

 

怒気をはらんだ声に振り返ると、土方さんが早々に復活していた。

かなり激しく壁に激突したのに、全く堪えてなさそうだ。

マジで空気にプロテイン入ってるとしか思えない。

 

「しょっぴかれんのはテメーの方だろォが、変態税金泥棒。なに、俺の妹にどうして欲しかったの? マヨネーズでヌルヌルプレイでもしたかったの? それともテカテカプレイがお好みですかー?」

「マヨネーズは神聖なソウルフードなんだよ。いやらしい目で見るんじゃねぇ」

 

ツッコミどころはそこでいいんだろうか。

そもそもマヨネーズが神聖ってどういう精神なんだろうか。

 

「だいたいテメェの妹って言ったって、全然似てねーだろ。見えすいた嘘ついてんじゃねぇ」

 

いい加減にしろとばかりに土方さんが眼光鋭く睨みつけても、銀さんは意に介さず飄々と答える。

 

「はぁー? どこをどう見てもクリソツだろーが。頭のてっぺんから足の先まで完全に一致だろーが」

「どこがクリソツだァ! 共通点一つも見当たらないんですけど! 白髪に天パの時点で頭のてっぺんから不一致なんですけどォ!」

 

こればかりは土方さんに軍配が上がるだろう。

私は純日本人らしく黒髪セミロングストレート。

男はだいたいこんなのに弱いらしいと、婚活友達に聞いて2年前からずっとコレである。

ちょっとぐらい美容院に行かなくてもバレないし、ヘアカラー代は浮くしで割と気に入っている。

効果の程は私の左手薬指を見てくれ。

言わせんな。

 

「土方くんよぉ。兄貴っつーのは、妹の分まで厄介事背負いこむ運命なのよ。母ちゃんの腹ん中で、天パっつー災厄を引き受けてやったの。つまり、この天パにも妹を過酷な運命から守ったっつー意味があるんだよな? 今までの天パの苦しみは、全部コイツのためにあったんだよな?」

「今更天パの存在意義悩んでんじゃねーよ。お前の天パは何も守れてねーよ」

「いやいやいや、天パの呪いはすげぇから。天パなめんなよ。俺の力を持ってしても、妹の上の毛しかサラサラストレートにできなかったんだよ? この子の下の毛は、天パの呪いを脈々と受け継いでるからね。そこは銀さんの上の毛とクリソツだからね」

「そっちのモジャモジャは人類が生まれ持ったモジャモジャだろーが! 人類みな兄弟になっちまうだろーが!」

「いやいやいや! モジャモジャ具合が全然ちげーんだって! 見れば一発で『うわぁ、クリソツだー!』って思うからね。つーわけで、ちょっとコイツにクリソツなところ見せてやってくんない?」

 

ちょっとイチゴ牛乳買ってきてみたいなノリで私に話を振ると、

「どんなわけだー!」

新八くんが叫び声と共に、銀さんの脳天に踵落としを食らわせた。

 

「なんて角度からセクハラしてんですかアンタ!」

「いってーなぁ、パッツァン。俺はただクリソツなところを見せて、いっちょ妹だという事実確認をしようとだなぁ」

「何のための事実確認なんですかそれ。セクハラで捕まるための事実確認ですよねそれ」

 

この人が失礼な事ばかり言って……と、平謝りする新八くんの姿は、相当似合っているというか板についていて切ない。

当の本人は、彼の背後で鼻くそほじってるぞ。

こんな健気な少年に迷惑ばかりかけるなんて、マジでダメな大人、略してマダオだ。

 

「まあまあ、土方さん。落ち着いてくだせェ。いいじゃねーですか。真偽はともあれ、身元保証人になってくれるってんだ。この話に乗らなけりゃ、今日中に報告書あげるなんざ無理な話ですぜ」

 

先程まで神楽ちゃんと取っ組み合いのケンカをしていた沖田さんが、何事もなかったように飄々と会話に加わる。

 

「誰のせいでこんなことになったと思ってんだよ。元はと言えばお前が取調べサボってんのが原因だろーが」

「責任転嫁とは頂けねーや。アンタの部下監督不足でしょう。責任とって腹切れよ土方」

「お前が意図的に監督されねーんだろォが! なんで俺が腹切らねーとイケネーんだ!」

「なんで俺がアンタに監督されなきゃイケネーんですか」

「部下だからだよ!!!」

 

シレッと暴言を吐く沖田さんとは対照的に、青筋を立てて怒鳴る土方さん。

一般的な上司と部下の関係とは思えないが、これが今時の職場関係という奴なのだろうか。

なにしろ、モンスター新人という言葉が浸透しているぐらいだ。

こんな部下がいるなら上司の方が参ってしまうのも頷ける。

 

「あー? なに、身元保証人ってどういうことだよ」

 

気だるそうな声を上げて、銀さんが疑問符を浮かべた。

すると、沖田さんは黒革のカバンを引き寄せ、中から書類を抜き出すと銀さんに手渡す。

沖田さんの言うことも最もだと考えたのか、土方さんは事の成り行きを静観している。

何にせよ私の思惑に乗ることが気に入らないのだろう。

何人か殺ッてきたような犯罪者面で睨みつけてくるが、正直全く怖くない。

相当恨みを買っているらしいが、私は一般市民だ。

手出しはできまい。

この件が片付けば真選組とはオサラバ。

ハッハッハ! 政府の犬め! せいぜい今のうちに噛み付いているがいい!

 

「いやー、よく考えたら俺に妹なんていなかったわ」

「なんで⁉︎」

 

沖田さんから事情を聴き、ザッと書類に目を通した銀さんは開口一番に私を切り捨てた。

 

「なんでもクソもねーよ。不審者の上に身元不明って怪しすぎんだろ。アンタ本当に金あんの? そうは見えねーけど」

「ありますよ! モチロンありますよ! いま助けてくれれば報酬は弾みますって」

「んじゃ、前払いな」

「いや、それはちょっと……」

「あっそ。じゃあ、この話はなかったってことで」

「そんな! 困ります! 必ず働いて返しますから! 私、なんでもしますから!」

「ほう、なんでもねぇ……。口約束だけじゃなァ。誠意を見せて頂かないと」

「いや、どこの闇金ですか。てゆーかめちゃくちゃ聞こえてるんですけど。もうちょっと隠す努力して下さいよ」

 

難航する交渉に、呆れた新八くんが合いの手を入れる。

しかし、これはマズイ。

ここで万事屋の援助がなければ打つ手なしだ。

どうにか銀さんを説得しなければと焦る私に助け舟を出したのは、意外にもドSの国の王子様だった。

 

「まあ、待ってくださいよ旦那。女なんて脱げばそこそこ稼げまさァ。そこいらでチョチョイと働かせた後にじっくり絞り取ればいい話です。金は必ず後からついてくる。アンタに損はネェはずだ」

「ほほう確かにな。……しかし、沖田くんが他人の肩を持つとは珍しいねぇ」

「さすが旦那。話が早いお人だ」

 

沖田さんはニヤリと笑うと、銀さんにソッと耳打ちをする。

すると途端に銀さんの表情は華やぎ、鼻歌交じりに身元保証人の書類にサインをした。

一体どんな奥の手を使ったのだろう。

ロクなものじゃない事は確かだと、沖田さんの横顔を見て思う。

 

「ほら、よかったなトン子。これでアンタも晴れて自由の身でさァ。情けをかけてくれた旦那に感謝しなせェ」

「なに、トン子って名前なの? 随分豚寄りの名前だな」

「違います!!!」

 

いま否定しておかないとこの先ずっとトン子と呼ばれてしまいそうだ。

相変わらず忌々しげにこちらを眺めている土方さんが目に入り、反射的に身を縮めるが最早怯える必要もないと気付く。

只今をもって私は釈放されたのだ。

善良な市民に怒鳴り散らす犯罪者面の無能警官ともやっと縁が切れるというもの。

じわじわと嬉しさが全身を占めていく。

ああ、自由って素晴らしいなァ!

 

しかし、思えば土方さんにもそれなりに世話になった。

腹立たしい事の方が多すぎてすっかり忘れていたが、そういえば浪人から助けてもらったではないか。

今後はお世話にならないように十分気をつけるとしても、大人の礼儀として名前ぐらい名乗っておこう。

『終わり良ければすべて良し』『立つ鳥跡を濁さず』だ。

この世界に来て初めて心からの晴れ晴れしい笑顔を引き出す。

真選組の両名を真っ直ぐに見据えた。

言葉に収まらない気持ちを持って、私は深くお辞儀をする。

 

「沖田さん、土方さん。今更ですが、山田桜と申します。今まで大変お世話になりました。もうお会いする機会もなかなか無いとは思いますが、お元気で。オフホワイトの善良市民にした数々の恫喝・脅迫・暴力行為を忘れません」

「白じゃねーのかよ! オフホワイトなら文句言えねーだろ!」

 

『疑わしきは罰せず』という言葉を知らないのか、このマヨネーズ男は。

切れ者に見えても、所詮は田舎侍。

力に訴えれば全て治ると思っているのが気に入らない。

まあ、いいだろう。

危機的段階は脱したものの、まだまだ問題は山積みだ。

私は半歩下がり、くるりと身体の向きを変える。

真選組の代わりに広がる、新たな山に向き直った。




なぜかこの話だけ数倍閲覧数が多くて怯えています。
下ネタ過ぎて引かれているんでしょうか。
アカバンにならないかなど、色々と怒られないか不安ですが、ご不快になられた方がいれば申し訳ございません……。
ここまで読んでくれた方&これからも読んでくれる方、本当にありがとうございます。励みになります。


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七話 妹キャラって何しても許されると思ってた

社会人たる者、第一印象は最重要。

人は見た目が9割。

見た目とは外見のみに留まらず、表情・声色・醸す雰囲気に滲み出る。

営業スマイルをバリッと貼り付け、これからお世話になる新しい宿主に優雅に挨拶をする。

 

「万事屋の皆さん。お騒がせして申し訳ありません。本日より坂田銀時様の妹を務めさせて頂く、山田桜と申します。以後、お見知り置きを」

「いや、どんな挨拶⁉︎ なんかとんでもないこと言ってるんですけど⁉︎」

「えっと……、どこか変でしょうか? 誰かの妹になるなんて初めてのことでして……。失礼があったなら申し訳ございません」

「生まれた瞬間から妹じゃない人間は、一生妹にはならないからね。なろうと思ってなるモノでもないからね」

「さすが! お詳しいですね! どうか妹キャラについて、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します!」

「キャラって言っちゃってるよ! この人キャラ付けする気満々だよ!」

「ご安心ください。生計が成り立つまでの間、戸籍を間借りさせて頂くだけなので。早急に対処方法を検討し、速やかに退去致しますので」

「いやいや、間借りって……。そんなアパートじゃあるまいし」

「大丈夫です。先っぽだけなので。先っぽだけ入れたらすぐに抜くので」

「妹キャラはそんなド下ネタ言わねーよ!」

 

銀魂の要であるツッコミメガネは、その属性を遺憾なく発揮する。

坂田銀時の妹になるにあたり、目下の敵は志村新八かもしれない。

突然現れた女が雇用主の妹になろうと言うのだ。

自分でやろうとしていることだが全く意味が分からない。

彼のような常識人には、さぞ受け入れ難いことだろう。

しかし、戸籍ゲットは最重要ミッション。

私とて簡単に退くわけにはいかない。

なかなか手強い相手にどうしたものかと悩んでいると、鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえてきた。

 

「お前、銀ちゃんの妹になるアルか」

 

その可愛い声の主に目を向ける。

緑がかった異国の瞳が、上目遣いに私を見上げていた。

彼女の目線に合わせるために、膝を折って少しだけ屈みこみ、好奇心に湧く大きな瞳を覗きこむ。

 

「そうですよ。銀時兄さんの妹になりました、山田桜です。これから宜しくお願いしますね」

「銀ちゃんだけずるいアル! 私も妹欲しいアル。一緒に朝までスマブラとかしたいネ」

「銀時お兄ちゃんの妹になるということは、あなたは私のお姉ちゃんのような方ですね」

「お、お姉ちゃん⁉︎」

「兄上と一緒に、これから色々と教えて下さいね」

「し、仕方ないアル! 銀ちゃんなんか全然頼りにならないヨ! コントローラーの持ち方から復帰の仕方まで私がバッチリ教えてやるネ!」

「わぁい! ありがとうお姉ちゃん! これでより兄者とも仲良くなれます」

「妹キャラぶれまくりじゃないですか。呼び方ぐらい統一してください」

 

ブレているのではなく、試行錯誤と言って欲しい。

なにせ妹キャラは初体験だ。

どんな妹キャラがしっくり来るのか、試してみないことには分からないではないか。

そう新八くんに切り返そうと口を開く前に、何かが突然目の前に現れた。驚きと同時に反射的に伸ばした手で、ソレを掴む。

 

「受け取りな。選別でさァ」

 

つまらなそうな声色に振り向くと、口元だけ微妙にニヤついているドSと目が合う。

そのセリフに、沖田さんが投げて寄越したのモノだと気付いた。

あやうく顔面に当たりそうになったと喉まで出かかった文句をなんとか飲み込む。

やっと解放されたというのに、変にイチャモン付けられては敵わない。

そう思い直して、大人しく沖田さんからの選別に目を向けた。

見慣れた長方形。

薄ピンクのパステルカラーの生地に、若い子達に人気のブランドロゴが刻印されている。

少しは女の子らしく可愛いものを身に付けた方が良いと、誕生日プレゼントにもらったソレは、長年使い込まれて少々黒ずんでいた。

 

「これは……」

 

元の世界と今の私を繋ぐ。

あの日、和牛ステーキ定食を食べる為に、唯一握りしめていた長財布。

異常事態のどさくさに紛れて無くしてしまったと、すっかり諦めていた。

いや……違うな。

もはや始めから私の頭の中だけの出来事だったのではないかと。

私が帰る世界は存在しないのではないかと。

そう思ったこともあった。その怯えは、ずっと頭の片隅にあった。

震える指で財布のジッパーに括り付けられた赤いキーホルダーを摘み、パンドラの箱を開く。

 

「免許証、保険証、社員証、スーパーのレシート。ああ、現金も少し入ってやした」

 

普段よりも数倍ブサイクな自分の顔が飾られた免許証。

雇用契約満了を控え、廃棄予定の健康保険証・社員証。

合計金額がオール7で、記念にとっておいた近所のスーパーのレシート。

給料日前のせいで諭吉さんがいない、寂しいラインナップ。

全てが懐かしく見える。

確かに私の人生は存在していたと、証明する唯一の証拠。

 

「おいおい。今時の警察は、被害者の財布まで差し押さえかよ? そんなことして大丈夫なんですかねぇー」

 

ソファにドカリと座り込んでいる銀さんは、鼻糞を深追いするついでとばかりに問いかける。

 

「コイツの財布は、この世に存在しねーんですよ。だから貴重品とも言えねぇ。警察が押収したって問題ねぇってことです」

「はー? そりゃ、どういう意味だよ?」

「そのまんまの意味でさァ。財布に入ってるもの、全部パチモンだ。かといって、偽造したってほど精巧でもねェ。見ればすぐに偽物だとわかる」

「あ、本当だ。この免許証、変ですね。見たこともないデザインです」

 

背後からヒョイと私の手元を覗き込んだ新八くんが興味深げに呟く。

 

「それだけじゃねーぞ。記載された氏名・住所・会社。この世界のどこにも存在しねー。そんなもん作って手元に置いて、一体何してたんだか分かりゃしねーよ」

 

よほど疲れたのか、鬼の副長は咥えていたタバコを一気に吸い込むと、目に見えるデカイ溜息を吐き出す。

 

「ったく、今時の税金泥棒は本当無神経だねー。人間誰しも人に言えない楽しみの一つや二つあんだろ。リアルおままごとにでも使ってんじゃねーの? コイツの家にはデケー兎のぬいぐるみとかあんだよ。今日帰ったらお前らの名前叫びながらボッコボコにすんのが唯一の楽しみなんだよ。そういう暗いアフター5を楽しむ今時のOLなんだよ」

「残念ながら、その予想はハズレですぜ。旦那」

「なんでだよ」

 

沖田さんが、真っ直ぐに私を見つめる。

怒鳴られたわけでも、凄まれたわけでもない。

ただ静かに私に瞳を合わせた。

まるで容疑者を追い詰める警察官のようだ。

その正義の視線に、堪らず容疑者は視線を伏せる。

 

「問題は、長年使い込んだ形跡があるってことでさァ。おままごとでチョチョイと、なんてレベルじゃねぇ。そのパチモンの財布で、普通に生活してたみてーだ」

 

西日が柔らかに居間を照らし、沈黙が落ちる。

 

「アンタ、一体何者でィ」

 

この質問をされるのは何度目だろう。

沖田さんも土方さんも、バカなやりとりをしていたように見えて、私の出方を伺っていた。

まさか財布を盗られているとは知らない私は、まんまと泳がされていたわけだ。

しかし彼らの誤算は、当の本人は全くの無実だということ。

巨大な秘密を抱えていることに間違いないが、私は善良な異世界渡航者だ。

どうせ言っても理解されない秘密を喋る気力も無く、黙秘を貫いていた。

だけど、やっと沈黙とは違う答えが出せる。

一度外した視線をゆっくりと上げ、今度は彼の真っ直ぐな瞳を迎え撃つ。

 

「……私の名前は、山田桜。坂田銀時の妹です。さっきからそう言ってるじゃないですか」

 

ニッコリと効果音付きの笑顔で、私は答えた。

 

「……まぁ、今はそういうことにしといてやりまさァ」

 

沖田さんは尋ねたわりに、さほど興味なさそうにアッサリと引き下がった。

彼らの元々の目的は、報告書を仕上げて仕事にケリをつけること。

目的を達成した今、少々疑問に思ってはいても興味を引かれる程ではないのかもしれない。

そうであってくれると大変有り難い。

警察に目を付けられるのとはまた別の意味で、沖田さんには敵意を持って欲しくなかった。

少年と青年の狭間にいる、あの頃特有の危うさと鋭利さ。

加えて元々の気質であろう攻撃性があいまって絶妙なバランスの上に、沖田総悟という男が悠々と寝っ転がっているように思える。

そう感じるのは、少なからず彼を知っているからだろうか。

 

そんな要注意人物の彼が「報告書仕上げなきゃいけねーんで帰りまさァ」と、まるで公務員のようなことを言い出し、本当にあっさりと身支度を整えて帰ってしまったことには拍子抜けしてしまった。

真選組の両名がいなくなった万事屋には、相変わらずくだを巻く坂田銀時と荒れた室内を小言混じりにせっせと片付ける志村新八がいた。

やっと万事屋の日常が帰ってきた空間に、私という異物が混入している違和感。

しかし、その違和感を感じることができるのは、きっとこの世界で私一人だ。

なんとも言えない心許なさに、どうしたものかと居場所を探っていた。

 



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八話 運命とは自分で勝ち取るもの也

「その財布かわいいアルな! ちょっと見せろヨ」

 

可愛らしい声に振り返ると、万事屋の3人目のレギュラー、神楽ちゃんが瞳を輝かせて私の財布を見つめていた。

ちょうど持て余していた時間に割り入ってくれた彼女に安堵する。

とんでもない変顔を披露したり、男の子と取っ組み合いをするおてんばな神楽ちゃんにも、女の子らしい一面があるんだなぁと微笑ましく思う。

「どうぞ」と、その小さな手の平に財布を預けた。

彼女は興味津々で、勝手知ったる自分の財布かのようにパンドラの箱を暴いていく。

早々になけなしの野口を見つけると、神楽ちゃんは大きい瞳をさらに見開いて興奮気味に叫んだ。

 

「おお! 何アルかこの紙! めちゃシブいネ!」

「私の故郷のお金よ。ちなみにコインバージョンもあったりします」

 

神楽ちゃんがしがみ付くように持っている財布に手を伸ばし、小銭入れから500円玉を引き抜く。

姿が見えないように手の平に隠して、神楽ちゃんの目の間に持っていくと、まるで手品師がそうするように光る銀色のコインを優雅に掲げてみせた。

すると予想通り、神楽ちゃんはさらに興奮して身を乗り出す。

 

「うおーーーーっ! かっけーアル!」

「でしょう? とても貴重なコインで、集めてる人も多いんだから」

 

嘘ではない。

500円玉貯金は、庶民に親しまれる由緒正しい貯金方法だ。

 

「マジでか!」

「ほしい? ……それじゃ、かわいい女の子にはプレゼントね」

「本当アルか⁉︎ お前いい奴ネ!」

 

神楽ちゃんは満面の笑みで、すぐさま掲げられた500円玉に手を伸ばす。

素早く伸びてきた手を避けるようにして、私がヒョイと交渉材料を引っ込めると、彼女は不満そうに鼻を鳴らした。

まるでお預けをされた子犬のような彼女に、イタズラっぽく笑いかけてみせる。

 

「そのかわり。あなたの名前、教えてくれる?」

「名前アルか?」

 

意外なお願いだったのか、神楽ちゃんは目をパチクリさせた後、元気よく答える。

 

「そんなのお安い御用ヨ! 私は、万事屋銀ちゃんの社長にして歌舞伎町の女王! 完全無欠の神楽ちゃんアル!」

 

わかりやすい誇大広告が張り付いた自己紹介に、私はクスリと笑って改めて自己紹介を返す。

 

「たくさん役職が付いてるのね。よろしくね、神楽ちゃん。私は山田桜よ」

 

そう挨拶しながら、お預けにしていた500円玉を彼女の小さな手の平に乗せた。

神楽ちゃんは、手に入れた硬貨を指で摘み上げ、頭上に掲げる。

感嘆符をもらしながら、クルクルとコインを動かして、チラチラ反射する光の集合体を楽しげに見つめると、無邪気な子供らしい笑顔を私に向けた。

 

「桜! そこそこ良い名前ネ! よろしくしてやってもいいアル!」

 

彼女の弾ける笑顔を見ていると、その気になれば500円玉硬貨などアルミホイルのように捻り上げられる怪力娘だなんて嘘みたいだ。

まだその現場を見ていないのが救いである。

是非嘘であってほしい。

 

「ちょっと神楽ちゃん。初対面の人のお財布触るなんて失礼だよ」

 

新八くんは、未だブツクサモードの渋い顔をして嗜めると、神楽ちゃんは不服そうにブーたれる。

 

「桜はもう友達ネ。友達の財布をどうしようが私の勝手アル」

「どこのジャイアン⁉︎ たとえ友達でもやっていいこととダメなことがあるでしょ」

「大丈夫ですよ。神楽ちゃんは既に私の姉ですから」

「そうだったネ! 妹の財布をどうしようが私の勝手アル」

「ちょっとアンタ黙っててもらえます⁉︎ ややこしいんで!」

 

助け舟を出したつもりが怒られてしまった。

神楽ちゃんと呼んでいるのも、神楽お姉ちゃんの略なのに。

せっかく妹になるんだからと親交を深めていただけなのに、全く心外である。

そのまま話し込んでしまった二人を見て、なんとなく悔しくなり、私は奥の手を出すことにした。

 

「神楽ちゃん。この激レア&激渋なお札もあげちゃおう」

 

野口柄のお札を献上品としてピラリと見せつけると、神楽ちゃんの瞳は億千万の星の輝きで埋め尽くされた。

 

「うおーっ! マジでか⁉︎ 桜は良く出来た妹ネ!」

「あっ、コラ! 知らない人から物をもらっちゃいけません!」

「さっきからうるさいヨ、ダメガネ。お前はそーやってダメダメばっかり言ってるからいつまでたってもダメガネなんだヨ。サングラスに進化できねーんだヨ」

「メガネの何が悪いんだよ! サングラスがメガネの進化系だと思ってるのはEXILEグループの皆様だけだからな⁉︎」

 

万事屋のオカンは、今日も育児に手を焼いているらしい。

私を警戒しているらしく、神楽ちゃんとコミカルな言い合いを繰り広げながらも、きちんと私に注意を払っている様は、まさに子を守る獣のソレだ。

しかし、本来そうあるべきな保護者は何をしているのかとチラと見ると、ソファにふんぞり返って死んだ目でこちらを眺めているだけだ。

新八くんが万事屋の母ならば、銀さんはリストラされて毎日飲んだくれの父といったところか。

 

「ったく。そんなもん貰って喜ぶなんてお前もまだまだ鼻ッタレのガキだねぇ。んなもん一銭にもなりゃしねー」

「ちなみに神楽ちゃんにあげたお金は、こっちではイチゴ牛乳15本分相当ですよ、銀時兄様」

「散れェ! ガキども! その財布はオレのモンだ!」

「アンタどんだけ浅ましいんですか!!」

 

あちらの世界では紙幣でも、こちらの世界では紙くず同然。

これで信頼を買えるなら安いものである。

 

「これは私が貰った財布アル! 桜のモノは私のモノ、私のモノは私のモノネ!」

「いーや、アイツはオレの妹なんだよ。加えてオレは大人で、お前はガキだ。金の管理は兄であり、大人の銀さんに任せなさい」

「毎日ゲロまみれで帰ってくるマダオを大人とは言わないネ。私の給料払ってから言えヨ! 万年金欠プー太郎」

「プーじゃないですぅ〜。ちゃんと働いた上で、なんやかんやの設備投資でお金が足りなくなっちゃうだけですぅ〜」

「何が設備投資アルか。ただのパチンコだろ」

「ドカンと当たれば、ドカンとお前らにも還元してやろうっていう銀さんの粋な計らいだろーが。ボーナスってやつだよ」

「そんなボーナス今まで貰ったことないネ。やっぱりこの財布は私が管理するアル!」

「1時間あれば、3倍にして返すから! 今日は新台出てっから絶対当たるんだって!」

「オィィイ! アンタら警戒心は0ですか⁉︎ どう見ても怪しいでしょ、この人。関わらない方がいいですって。その財布返して、とっとと追い返して下さいよ!」

「バカヤロー! こんな久しぶりの金ヅルそうそう手放せるわけねーだろ!」

「そうネ! 今夜も卵かけご飯だけなんて御免アル! 骨までしゃぶってダシまで取ってやるヨ!」

「いや、どう見ても僕らよりお金なさそうじゃないですか! 既にシワシワのミイラじゃないですか! こんなミイラから絞れるものなんて厄介事以外ないですよ!」

 

三者三様。好き勝手なことを言いながら私の財布を奪い合う。

アマゾン川に投げ入れられた生肉に群がるピラニアのようだ。

これが銀魂世界で生きていくための野生味なのかと呆気に取られていると、揉み合いになった彼らの腕の中から、渦中の財布が宙に舞った。

勢いよく飛び出した財布は、万事屋の床に不時着すると、中身を吐き出しながら私の足元にスライディングで飛び込む。

 

「あ、すみません……。僕が拾いますから! ちょっと、何やってるんですか。人様の財布なんですから乱暴に扱わないで下さいよ」

 

乱暴に扱っていた内の一人である新八くんが、溜息混じりに苦言を呈して、散らばった中身たちを急いで拾い上げていく。

そして本体の財布を手にすると、申し訳なさそうにポンポンと財布の表面を手で払った。

すると、ある一点を見つめて新八くんが不思議そうな声をあげた。

 

「あれ、コレって桜さんですか?」

 

彼の視線をたどって覗き込むと、本来は定期券などを入れる透明なカードフォルダーに折りたたまれた1枚の写真が飾られていた。

 

それはいつだったか。

珍しく仕事も落ち着いて、よく晴れた桜の美しい日だった。

普段はめったに写真など撮らないけれど、せっかくだからと桜をバックに撮った。

春の陽気にふさわしい太陽光のレフ板が良かったからか、良く撮れているとは思う。

ピンクの花びらが愛らしい桜と、幸福そうな柔らかな笑顔。

今日の私の仏頂面とイメージが違って、新八くんも疑問符が付いたのだろう。

 

「実物よりもかなりかわいく写ってるネ。詐欺も大概にした方がいいアル」

「つーか自分の写真持ち歩くって意外とナルシストなんだな」

 

いつのまにかそばに来ていた二人は、写真を見たとたん求めてもいないコメントをしてくれる。

 

「お見合い用の写真ですよ。いつ運命の人に出会うともしれないじゃないですか」

そう言って誤魔化すと、銀さんは意外そうな顔をして、

「お前ってそうゆうの気にすんの?」

「そりゃ、麗しき年齢の乙女なので。素敵な人がいたらこっそりカバンの中に詰めてあげようと思って持ち歩いてるんです」

「こわ! 知らない女の写真入ってたらすげー怖いだろーが! それホラーだから!」

 

怖いことが苦手な銀さんは顔を青くしてみせる。

そのコミカルな反応にニヤつきかけた口元を正し、わざと渋い顔を貼り付けて、3人から財布を取り上げた。

財布に付けられた赤いキーホルダーが揺れる。

 

「そもそも私は財布をあげるとは言ってませんよ。親しき仲にも礼儀ありです。妹だからってなんでも奪われたら困ります」

 

新八くんはわかりやすくホッとした表情を見せ、銀さんは不満げに鼻を鳴らした。

神楽ちゃんは、名残惜しそうに財布ばかりジッと見つめている。

すると物欲しそうにしていた彼女は、新しいオモチャをみつけたように顔を華やがせた。

 

「そのキーホルダーも可愛いネ!」

 

弾んだ声をあげて、輝く陶器のような白い肌を財布に寄せ付ける。

突然迫ってきた綺麗な顔に驚いて、私は半歩ほど身を引いた。

神楽ちゃんの興味を惹きつけたストラップが、私の動きに合わせて小さく揺れる。

 

「ビンの中には何が入ってるアルか?」

 

彼女のキラリとした瞳を吸い寄せる小瓶。

ちょうど彼女の白く細い小指の第一関節程度の大きさ。

小瓶の中身は、赤い液体で埋められている。

その首に括り付けられたストラップは、まるで中身が滲み染まったような赤色で、財布の金具に繋がっていた。

 

「何が入ってるかは秘密。これは御守りなの。これだけはいくら神楽ちゃんでもあげられないのよ。ごめんね」

「御守りアルか?」

「そうよ。お金が貯まるおまじない」

「どう見たって効果ねーだろ」

 

銀さんがからかい調子に言う。

 

「この御守りは、長期戦なんですよ」

「長期戦?」

「いくらご利益があったって、突然億万長者とはいかないってことです。億への道は1円からですから」

「なるほどねぇ。ま、ともかく億万長者になる前に、きっちり妹分の借金返してくれよ。お前の支払いに俺らの生活かかってんだからな。よろしく頼むぜ、桜」

「任せてください。こちらこそしばらくお世話になります。銀兄」

 

私が丁寧にお辞儀をすると、銀さんは微妙な顔をして、

 

「そのキャラ設定決まってない呼び方やめろよ。俺は万事屋のオーナー。みんなの銀さんだ。お前もそう呼びな」

「なるほど。銀時お兄さんの略ですか」

「いや、全然ちげーよ」

「それでは改めてよろしくお願いしますね、銀さん」

「おう。しっかり働いてもらうぜ」

 

意地悪そうにニヤリと笑う銀さんに、私も作りかけの笑顔を返した。

しばらくすると挨拶もそこそこに、騒々しく、しかし楽しげに騒ぎはじめる万事屋の三人。

私は、万事屋の日常を夢うつつに眺める。

 

そして、見惚れながら思う。

私は、ここに居てはいけない。

取り返した財布を、爪が白くなるまで強く握りしめる。

たしかに手の中に感じる手ごたえ。

この世界に来た時から、暗闇の大海を根無し草のようにゆらゆらと浮いていた心臓が、ようやく小舟を見つけた。

帆を張った。

オールを手にした。

そして、向かうべき進路が決まった。

私は何があっても、元の世界に帰る。

私のことなど誰も待っていない、何もない世界に帰らなければならない。



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九話 銀魂世界はバケモノばかり

 

 

夕暮れに近くなった西日が、薄暗い部屋を照らす。

オレンジ色の日差しを照明がわりにして、チークを頬の高いところにサッと乗せる。

色のついた光のせいで、自分の頬が何色なのかさっぱり分からない。

まあ、付けたのだから何色かにはなってるだろう。

100円ショップで購入した卓上鏡を片付ける。

外の喧騒が微かに聞こえ、歌舞伎町の住人が本格的に活動を始めたことを知らせてくれた。

 

ピーッピピ。

ピーッピピ。

丸机に置かれた目覚まし時計がきっちり2回鳴く。

15時55分を指した針達を確認してから、テレビの電源を入れた。

 

『ニューーースゼローーー』

 

某ニュース番組をパクった綺麗なイントロが流れる。

15時55分から始まる5分間のニュース番組。

1日の出来事を端的かつ短時間で把握できるため、唯一テレビから得る情報源として重宝している。

化粧品を片付けて、身支度を整えながら結野アナの声に耳を傾ける。

 

『昨日未明。歌舞伎町〇〇交差点付近に、血液を全て抜かれた女性の遺体が発見されました。警察によりますと、同様の手口での殺人は3件目になり、いずれも同一犯の可能性が高いとのことです。また、警察は天人(あまんと)の犯行である可能性を示唆し、近隣住民に夜間の外出を控えるよう呼びかけています——』

 

血液を全て抜かれた死体。

争った形跡はなく、目立った外傷もないが、首筋には1つの噛み傷。

現場には、血液を抜かれて青白くなった死体と黒い羽が1枚残される。

そして、3人の被害者は絶世の美女——。

 

通称・ヴァンパイア事件と呼ばれ、最近歌舞伎町を騒がせている猟奇的殺人事件だ。

これだけの情報を並べ立てただけでも、人間の所業じゃないことだけは容易にわかる。

つまり天人の犯行だとする警察の見立ては、至極当たり前のことであり、それは他に手掛かりはありませんと宣伝しているようなものだった。

まるでスティーヴンキングの小説から飛び出してきたような妖しきヴァンパイア。

突如現れた怪物に、歌舞伎町に生きるうら若き乙女たちは恐怖で身を震わせているらしい。

 

まあ、私には関係のないことだ。

未だ解決の糸口が掴めないヴァンパイア事件について熱弁する結野アナを見て、今日の5分間は潰れるだろうと悟り、いつもより早くテレビを消す。

ようやく着慣れてきた着物の(えり)を正して、決戦の日に備えて購入したスタンガンとボイスレコーダーを(たもと)に忍ばせた。

「いってきます」

静かなワンルームに、挨拶のような呟きが吸われて消えていった。

 

 

 

 

歌舞伎町はなんでもありのカオスな町だと、外を歩くたびに思う。

大通りの道に出ると、お弁当屋さんがあり、その向こうには居酒屋、その隣にはパチンコ屋、さらにその隣にはピンクのお店、そして信じ難いことに保育所が隣接されている。

ダメな人間が住む町と言われたら大きく頷いてしまうだろう。

とりあえず寄せ集めたような混沌さは、店の並びだけでなく、歌舞伎町を闊歩する生き物たちにも起因する。

 

夜も始まっていないというのに道の端で酔いつぶれている男。

胸元は大きくはだけ、際どい格好で呼び込みをかける毛ダルマの(心は)女。

でかい図体を揺らし、肩をいからせて歩く虎人間。

ヌメリを帯びた液体を滴らせているイカ型のUMA。

5メートルと歩かぬうちに、それらの異様な者共を足早に追い越していく。

特にこの世界特有の天人とは実に不思議で興味深い生き物だと、足元の小人の群れを踏み潰さないように神経を尖らせながら思う。

天人とは、俗にいう宇宙人らしい。

はじめこそ度肝を抜かれ、あまりに常識外れな生態に恐怖し卒倒したものの、慣れてしまえば日常に紛れてしまった。

宇宙人といっても、威張り散らす嫌な虎人間もいれば、花を愛でる優しい怪物もいる。

種族ごとにどうというよりも、人間と同じように個体差があり、彼らなりの感情や論理を持ち合わせている事実は、私の脳に強烈な衝撃を与えた。

だからこそ『ヴァンパイア事件』に動揺し、むやみに天人を避け回るような女性たちの反応には首を傾けずにはいられない。

人間だろうが天人だろうが、悪人もいれば善人もいる。

 

身体はムキムキの筋肉マンに、ティラノサウルスの頭部を持つ天人。

たしかに凶暴そうで、いかにも危険に見える。

しかし、そんな天人を避けて通ったところで、隣を歩くイケメンが殺人犯でない保証はどこにもないのに。

大通りの往来に立ち止まる奇天烈な恐竜人間を、皆はあからさまに避けて歩く。

見えないバリアでも張っているかのように、彼の周りには綺麗なサークルが作られていた。

まだ犯してもいない罪で差別を受けるのはさぞ辛いことだろう。

私はスッと一息吸って、速度を緩めることなく彼のバリアを一直線に突っ切る。

ほら、なんともないじゃないか。

彼のそばを通っただけで何かが起こると思うのは、なんの根拠もない無知の恥を晒すことだ。

心の中で彼にエールを送りつつ、なんとなく満ち足りた気持ちで歩を進める。

 

「キャー! 誰か助けて! 筋肉ムキムキのティラノサウルスが、突然彼の頭を飲み込んだの!」

 

突如、後ろから聞こえてくる悲鳴。

金切り声の合間に、野性味を帯びた恐竜の雄叫びが聞こえる。

……天人は見かけによらないとはいえ、人間と同じ判断基準を持ち合わせているかは別問題らしい。

少なくとも、所構わず食事を始めるような礼儀のない天人には気を付けようと、背を追う悲鳴を聴きながら心に決めた。

 

 

 

 

 

「いやー、桜さんもココで働きはじめてもう1ヶ月だっけ⁉︎ 月日が経つのは早いもんですなーお妙さん」

「そうですねぇ。毎晩キャバクラ遊びして酔い潰れてる人にとってはさぞ早いでしょうねぇ」

「いやはや手厳しいですなぁ! 年の瀬ですから少々目をつぶってほしいものです。やはり日頃の鍛錬も、休息あってのものですからな。つ、つまり……その、お妙さんの笑顔が俺の原動力……みたいな⁉︎」

「すみませーん。ドンペリ1つお願いしまーす」

 

煌びやかなシャンデリアの下、夜の蝶があちらこちらと優美に飛び回る。

その楽園で、黒光りする隊服に身を包み、頬を蒸気させるゴリラ——真選組局長、近藤勲。

そのゴリラの熱烈な求愛行動を、お妙さんは華麗に受け流す。

菩薩のような慈愛の微笑みを綺麗な顔にたたえつつも、容赦のないドンペリコールは止まらない。

さすがスナック『スマイル』のNo. 1キャバ嬢だ。

 

「あら、桜さんもグラスが空いてるみたいね?」

 

ドンペリがなみなみと注がれたグラスを見て、お妙さんは柔らかな声色で言った。

その美しい佇まいに魅了されながらも、ふわふわとした心地で彼女の勘違いを正そうと、

 

「いえ、私はまだ——」

 

その瞬間、日向ぼっこをする猫のような山なりの眼が薄く開き、お妙さんの瞼の奥にある黒々とした瞳が現れた。

闇にドップリと沈んだ双眼は、「空気読めよオラ。今日こそゴリラすっからかんにして二度と面見なくて良い快適生活にするんじゃボケ」と語っていて、私は恐怖のあまりドンペリを一気にあおり、

 

「私も! ドンペリお願いしまーす!」

「あらあら。桜さんったら、元気がいいのね。ごめんなさいね、近藤さん。なんだか今日は飲みすぎちゃって」

「いやいや気にせんでください。しかし、お妙さんは本当に優しいですなぁ!」

 

呑気にガッハッハと笑う近藤さんを見て、『恋は盲目』という常套句が頭に浮かぶ。

お妙さんは、普段はよく気遣いのできる優しい女性だ。

しかし、たまにこうして大魔王でも竦みあがる殺気を放つことがある。

さらに私を焚きつけておきながら、まるで彼の懐具合を案じるような甘言を口にするしたたかさ。

一癖も二癖もある強気な女性だ。

いや、もはやそこに惚れたのだろうか。

急激なアルコールの摂取により、ひりついた喉をさすりながら近藤さんに話しかける。

 

「あの、真選組はキャバクラで遊んでていいんですか? 」

「いいの、いいの! たまには隊士たちにも羽伸ばさせねーと。これも局長の立派なお勤めですからね」

 

近藤さんは胸をはって言う。

今日のスナック『スマイル』は真選組の貸切で、数十人の隊士たちが飲めや歌えやの大忘年会をしている。

といっても、もともと近藤さんはお妙さんに会うために足繁く通っていて、少なくとも私が働き始めてからは皆勤賞だ。

いつになく騒がしい男たちの陽気な声を聞きながら、私は新しく注がれたドンペリをちびりと舐めて、さりげなく話を振る。

 

「例の殺人事件。また出たらしいじゃないですか」

「あー、ヴァンパイア事件だっけ? ったく、メディアも面白がって大層な名前付けちゃってさー。こっちは必死で捜査中だっつのに」

 

近藤さんは赤ら顔でぐいっと大ジョッキを傾ける。

 

「世間があんなに騒いでいる中、警察が飲み遊んでるなんて知れたら大バッシングですよ」

「だーいじょぶ、だいじょぶ! 俺らもともと評判わりーから。これ以上落ちようねーの」

 

近藤さんは茶目っ気たっぷりに私に笑いかけると、チラチラとお妙さんに視線を送って、

 

「それに吸血鬼が狙うのは絶世の美女だからね。つまり、この世で一番美しいお妙さんが狙われるのは必然。安心してください、お妙さん。あなたの勲が24時間バッチリ監視していますから!」

「あら、近藤さんったらお上手なんだから。堂々と宣言してんじゃねーぞ、ストーカーゴリラ」

「ぎゃぁぁぁああああ目がぁぁぁぁあああ!」

「近藤さん⁉︎」

 

お妙さんに容赦なく目潰しをされた近藤さんが転げ回る。

彼女が黒い笑みを浮かべ、若々しく透き通る白い手を頬にそえる。

 

「ごめんなさいね。ストーカーゴリラがあまりに怖くてつい……」

「ストーカーですと⁉︎ 今日のお妙さんの下着は、いつもよりちょっとセクシーな黒……。卑劣なストーカーめ。まさか黒の下着が好みとは。許しません。許しませんぞ!」

「テメーのことだろーが! どたまカチ割られてーのか!」

「近藤さん⁉︎」

 

ブチ切れたお妙さんが、近藤さんの胸ぐらを掴み上げ、灰皿で殴りかかる。

私は素早く自分のグラスを持つと、巻き込まれないように反射的に飛び退いた。

この1ヶ月何度となく繰り返された定番のやりとり。

酒を作るよりも、まず一番に身体に覚えこまされた。

私の場合、特に命に関わってくるので必死だ。

お妙さんの怒声に合わせて、近藤さんの身体が糸の切れた人形のようにガクガクと激しく揺さぶられると、トドメの巴投げで壁に叩きつけられる。

何かが爆発したとしか思えない破壊音が鳴り響き、その衝撃で壁が凹み、大きな亀裂が走った。

私はいつもの救急箱とミネラルウォーターを引っ掴み、血相を変えて近藤さんに駆け寄る。

 

「無事ですか⁉︎」

 

いや、無事なわけがない。

目潰し。

灰皿による頭部への殴打。

壁を破壊するほどの衝撃。

どう考えても重症だ。

命に関わる。

即死かもしれない。

頭からドクドクと血を流して伏せる彼を見て、サッと血の気が引く。

私は急いでペットボトルの蓋を開け、患部に向けて放流した。

鮮血が水に混じり、薄い朱色に変わりながら流れていく。

一気に跳ね上がった心拍数を全身で感じる。

その一つ一つの心音を数えて、宥めるように静かに深く息を吐いた。

瞳を閉じて、視界から赤を排除する。

 

この大事故に居合わせて、冷静でいられる人間がいるだろうか。

そして、この光景を見て、目を疑わない者がいるだろうか。

 

覚悟を決めて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

私の視線の先には、近藤さんが何事もなかったようにムクリと起き上がっていた。

何度見ても信じられない。

こいつらはバケモノだ。

その健全たる姿を見るたびに、そう実感するのだ。

 



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十話 ゴリラ界ではモテ男

 

「いや、本当大丈夫だって! 全然たいしたことねーから! 桜さんの着物も汚れちまうし……。ほら、壁も修理しねーと!」

「ちょっと黙ってて下さい」

 

私の手から逃れようと、しどろもどろに訴える近藤さんをピシャリと黙らせる。

鈍器で殴られた額にソッと指を滑らせる。

赤みがかって腫れた患部に触れられると、近藤さんは痛そうに小さく身動ぎした。

かなりの出血があったはずだが、既に血は止まっている。

皮膚の表面だけが裂かれた小さい傷に薄く滲んだ血液を見て、相変わらずデタラメな身体に溜息が出る。

どうやら大きめのタンコブですんだ傷を、手早く消毒しながら、スナック『すまいる』に初出勤した日を思い出していた。

 

初めて見たお妙さんVS近藤さんの喧嘩。

お妙さんの渾身の右ストレートが、近藤さんの顔面にクリティカルヒットして、屈強な男の身体がオモチャのように空を飛んでいく。

それはわかりやすく例えるならば、時速100キロのダンプカーに轢かれた衝撃に等しい。

そんな大事故を目撃して半狂乱になる私に、

当然、殴った衝撃でグシャグシャに潰れるはずの手をプラプラと振りながら私を慰めるお妙さんがいて。

当然、陥没しているはずの顔面に、八の字眉を垂れ下げながら私を落ち着かせる近藤さんがいて。

二人の必死の説得があり、ようやく私は冷静さを取り戻したのだった。

 

そしてなぜ無事なのか、という当然の問いに、

女は「うちは剣の道場なのよ」と答え、男は「毎日鍛錬を欠かさないですからな」と答えた。

全く答えになっていない返答に、ますます混乱する私を見かねて、おりょうさんが補足説明をしてくれる。

それによると、なにも全ての人間がこんなに頑丈なわけではなく、並々ならぬ鍛錬を積み重ねることによって身体能力が異常に向上するらしい。

「私がお妙にパンチされたら顔面吹っ飛んじゃうわよ」と、カラカラ笑うおりょうさんに、

「身体鍛えたぐらいでどうにかなる問題じゃねーよ!」

と、口には出さなかった私を褒めて頂きたい。

 

そんな馬鹿げた話でも、近藤さんの手当てをしていると信じざるを得ない。

この一ヶ月。

彼がぶっ飛ばされる度に、今度こそ死ぬんじゃないかと戦々恐々していた。

しかし私の心配をよそに、本人は数分で復活するのだからゴキブリ並みの生命力である。

もはやゴリラなのかゴキブリなのか分かったものではない。

大事には至らないと知っていても、いざ現場を目の前にすると駆け寄らずにはいられない。

それぐらい彼のヤラレっぷりは壮絶なのだ。

といっても、スナック『すまいる』の従業員は慣れきっている様子で、のたうち回るゴリラに一瞥すらくれない。

それに比べていつまで経っても慣れない私だが、それで良いと最近は思う。

この惨劇に慣れてしまったら元の世界に帰る頃にはドライモンスターになってしまいそうだ。

動物園で苦しむゴリラを見ても眉一つ動かさないような——いや、ゴキジェットをかけられて苦しむゴキブリを薄笑いで見守るような——あんまりに嫌な考えに行き着いて、慌ててブンブンと頭を振る。

どんだけ失礼なんだ私は!

いくらなんでもゴキブリはひどすぎる。

よく見るんだ。

超犯罪級のストーカーといえど、良く見ようとさえすれば——

 

「人間寄りの可愛いゴリラですね……」

「え?」

思わず声に出していた。

呼応して、手負いのゴリラが頓狂な声をあげる。

「いえ、なんでもないです」と、慌てて取り繕ろってなんとか真面目な顔を貼り付けた。

 

そんなこんなで甲斐甲斐しくゴリラの世話をしていたせいで、いつのまにかお妙さんのヘルプ兼ゴリラの世話係に任命されていた。

夜の蝶になるべく心構えをしていたのに、正直拍子抜けだ。

キャバ嬢の仕事は確実に向いていないから、助かったともいえる。

そもそもキャバクラという職場は、10代から20代そこそこの若き乙女が日々磨き上げた美を競い合う場である。

その商品棚に自分が並べられると思うとゾッとする。

賞味期限ギリギリのアラサーが、在庫あまりで店の悩みのタネになるのは必至だ。

そう考えると、近藤さんの世話係は私にとって有難い話である。

 

とはいえ、一応女としてのプライドもなくはない。

少しはキャバ嬢らしく軽快なトークでも弾ませてみるかと思い、大人しく手当てを受けていたゴリラに話を振ってみる。

 

「近藤さんって変態ですよね」

いささか唐突すぎる話題に、

「え、俺⁉︎」

と、近藤さんは目を丸くして言った。

「あなた以外誰がいるんですか。殴られて喜ぶ人間はドMって言うんですよ」

「別に殴られたいワケじゃねーよ⁉︎ ほら、お妙さんって照れ屋だからさ。俺のストレートな愛にちょーっとばかし暴力的に答えちゃうだけなんだよね」

「よかった。暴力振るわれてる自覚はあったんですね」

 

さすがの恋愛フィルターも、お妙さんの攻撃には効かないようだ。

私は使い終わった消毒液を片付けながら、

 

「それにしても今日はいつにも増して絡み酒じゃないですか。殴られたがってるようにしか見えませんよ」

「俺としては癒されたいんだけどね⁉︎ おかしいなぁ! キャバクラ来て女の子に話しかけるとそんな風に見えんの⁉︎」

「どちらかというと相手の問題では……」

 

お妙さんと近藤さんが絡むと悲惨な結末しか見えない。

彼は気まずそうに頬をポリポリとかいて、

 

「まぁ、当たってるんだけどさ……」

「なるほど。何があったんですか?」

「何がってほどじゃないよ。色々と、ね。ちょっと仕事で大ポカやっちまって、落ち込んでただけ。俺は頭わりーから、うまくいかねーことも多いんだわ。でも、見抜かれるぐらいバレバレなんて恥ずかしいなー」

 

お妙さんに情けないと思われただろうかと心配する近藤さんは、普通に恋する大人の男だ。

お妙さんのヘルプとしてずいぶん彼と話す機会もあったけど、近藤さんは意外と普通だ。

会話の内容も仕事の話がほとんどで、自由すぎる部下の愚痴や剣についてだったりする。

女性が喜ぶ話題はないけれど、仕事のことを生き生きと語る近藤さんは、ザ・働く男って感じで好印象だった。

そのままの彼を保ってくれれば、真選組局長という肩書きも相まって、十分女性にモテそうだ。

 

しかし、女性が絡むと途端に彼はポンコツになる。

下心が隠せない。

若い女の子の生足を見て鼻血を出したり、不自然に下半身の着物を正したり、とくにお妙さんが絡むと性犯罪者にメタモルフォーゼだ。

滲み出る童貞臭がモテない原因だと、いつ本人は気付くのだろうか。

とんでもなく失礼なことを考えながら、返答する。

 

「ゴリラも落ち込んだりするんですねぇ」

「俺ホモサピエンスだから! いや、もはやゴリラなのかな⁉︎ 自分で気付いてなかっただけでゴリラだからこんなに頭わりーのかな⁉︎」

「……驚きました。本当に落ち込んでるんですね」

「だからそう言ってるじゃん!」

「というか、これぐらいで泣かないでくださいよ」

 

男らしい精悍な顔をぐしゃぐしゃにして、近藤さんは涙目で訴える。

「別に泣いてねーし!」と強がる姿はどこぞの中学生みたいだ。

こういう子供っぽいところも、良く言えば親しみがあって魅力の一つと言えなくもない。

だが、真選組局長としては威厳のカケラもなく、そんなお偉いさんだなんてちょっと信じ難い。

なぜこんな男がトップなのか。

真選組という組織は大丈夫なのか。

歌舞伎町の住人が抱く懐疑心の半分は、近藤さんのせいなんじゃないかと思う。

何も知らなければ、私だって同じように感じただろう。

しかし、私は知っている。

この男がどれだけ純真で、正義の心をその胸に秘めているかを。

 

「落ち込んでることって、もしかしてヴァンパイア事件に関係あります?」

 

涙ぐむ近藤さんを適当に慰めて、話を振った。

隠されると聞き出したくなるのが、人間の性だ。

 

近藤さんは少し躊躇って、

「……さっきも聞いてきたけど、桜さんってヴァンパイア事件に興味あるの?」

質問に質問で返された。

私は新しいガーゼを取り出しながらさりげなく答える。

 

「そりゃー、ありますよ。首の噛み傷に、血液を全て抜かれた死体——まるでホラー映画じゃないですか。こんな猟奇的殺人事件が身近で起こってるなんて。歌舞伎町の人間なら、少なからず気になってるんじゃないですか」

彼はどこかホッとした様子で、

「そっか。……そーだよな」

と小さく呟いた。

 

「そうですよ。ただの好奇心です」

彼を安心させるようになるべく軽やかな声で言う。

その返答を聞くと、近藤さんはいつになく真面目な顔で声を潜めた。

 

「……それなら、むやみに事件のことは聞き出さない方がいい。いらぬ誤解を受けるからよ」

「いらぬ誤解って……どんな誤解ですか?」

彼らしからぬ忠告に眉をひそめて聞き返すと、近藤さんはしどろもどろに、

「へ⁉︎ い、いや別に……。アレだよアレ! 色々だよ!」

「色々ですか……」

「うん! そうそう! 色々ってことはつまり、あの、その——」

彼には悪いが、あわあわとパニクる姿はちょっと微笑ましい。

 

一方で、近藤さんを困らせてしまったことに反省もしていた。

気になることがあると、ダメだと分かっていてもつい好奇心に負けてしまう。

私の悪い癖だ。

過ぎた好奇心は身を滅ぼすことを、胸に留めなくては。

相変わらずお人好しの困った人だなと思いながら、さすがにかわいそうになってきたので助け舟を出そうと——

 

「色々ってのは、テメーに話すことなんざ何もねぇっつー意味だよ。なぁ、近藤さん」

唐突に、頭の上から冷ややかな声が落ちる。

ギクリと身を固まらせた近藤さんは、おそるおそる視線を私の後方上部に固定した。

 

「ト、トシ……」

 

 



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十一話 現実は夢小説みたいに甘くない

 

しまった。

嫌なヤツと会ってしまった。

内心で舌打ちをしながら、そそくさと救急箱を片付ける。

 

「それじゃ、近藤さん。手当ては終わったので、私はこれで失礼しますね」

「え、ああ。ありがとうね」

 

面食らう近藤さんに早口でまくしたてる。

急いでその場を離れようと腰を浮かせると、鬼の手が私の腕をむんずと掴んだ。

 

「そんなに邪険にしなくてもいーじゃねーか。一杯ぐらい付き合えよ」

「……うちの店お触り禁止なんですけど」

 

土方さんは馬鹿にしたように鼻で笑い、

「そういうことはキャバ嬢らしく指名の1つでも取ってからにするんだな」

「お妙さぁああああーーーん! この人タッチしてきまーーーす!」

「し、してませぇぇぇえええん! 指一本も触れてませーーーーん!」

 

土方さんは真っ青になって即座に私の腕を解放した。

さすがの鬼の副長も、最終兵器お妙さんは怖いとみえる。

土方さんに冷たい視線を向けて、これみよがしに鬼が触れた部分を手で払ってやる。

彼はこめかみの血管をピクつかせ、期待通りの表情を披露してくれた。

 

「テメー、調子乗んのもいい加減にしろよ……!」

「会って10秒でセクハラかましといてよく言えますね」

「誰がテメーみたいな女にセクハラすんだよ! 精一杯着飾って男に媚びても、結局ゴリラの世話しか出来ねー女だもんなぁ! お前なんの仕事してんの? 飼育員? 獣医? あれれ〜、ここってゴリラにも会えるキャバクラなんですかぁ? めずらしいっスね〜」

土方さんが怒気をはらんだ声で言い返す。

 

「はぁ? 何言ってるんですか。このゴリラはお客様ですから。いまウホウホに口説かれてたところですから。いつもの雌ゴリラに飽きて人間への性の目覚めを体感してたところですから」

「え、お前ゴリラに口説かれて喜んでんの〜⁉︎ え、マジで? いくら人間に相手にされないからってさすがにヤバくね? 女として終わってね? 」

「嬉しいなんて一言も言ってないんですけど。雌ゴリラにすら相手にされない哀れなゴリラを慰めてやっただけなのに、なんか勘違いされて迷惑してるのはこっちなんですけど。ヤバいといえば、こんな下半身暴れん坊将軍なゴリラの下で働く人間がいるらしいですよ。笑っちゃいますよね〜。なんの仕事してるんですかね? あらゆるゴリラの下半身でも取り締まってるんですかね? ヤバくね? 人として終わってね? 」

「その言い方はどうかと思うな〜。いわゆる職業差別的な発言じゃないかな? ゴリラの下で働いてたって良い仕事する人間はたくさんいると思うけど」

「土方さんこそ、ゴリラの恋愛に否定的すぎでは? 種族間を超越した恋愛なんてロマンチックじゃないですか。これぐらいも許容できない心の狭さが露呈していますよ」

「え? 俺は別に否定も肯定もしてないつもりだけど。そう聞こえちゃうってことは、それはつまり君自身がそう思ってるからじゃないのかな? 俺は本当全然否定とかしてないけど。めちゃくちゃゴリラ応援してるけどね。 ゴリラと君の恋愛を心から祝福しているけどね〜」

「はい? ゴリラと恋愛なんて出来るわけないじゃないですか。何を意味わからないこと言ってるんですか」

 

わざと大袈裟にやれやれと肩をすくめてみせる。

土方さんはさすがに我慢ならない様子で、

「テメーが言い出したんだろーが! 本当腹立つなお前! 」

「そのセリフそっくりそのままお返しします」

「それをまた返すわ!」

「それをさらに返すわ!」

「返すな!」

互いにゼーハーと息切れしながら怒鳴りあう。

こんなくだらないことで温存すべき体力を使ってしまった。

この男に関わると本当にロクなことがない。

 

「まあまあ。落ち着いてくだせーよ、土方さん。あんまり虐めると可哀想ですぜ」

涼やかな声がふらりと立ち入る。沖田さんだ。

「いい歳こいて風俗落ちの女なんて見るにたえねーや」

「……風俗じゃなくてキャバクラなんですけど」

「男に媚びて金せびる点では一緒だろーが。悲しいねぇ。若い女の引き立て役で金もらうってどんな気分?」

ずいぶんな言い草にさすがにムッときて、言い返そうと口を開いたけれど言葉が出てこない。

 

10代の若さに、公務員という立派な肩書き。

どんな言葉をぶつけても負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろう。

大人しく口を閉じた私を見て、沖田さんはふんっと鼻で笑った。

その様子を見た土方さんは意気揚々と、

「そうだそうだ! 本当いい歳こいて恥ずかしくねーのかお前は!」

「うっせーぞ。マヨネーズ臭いんで息しないでもらえますか」

「総悟との扱いの違い!」

 

マヨネーズと話していてもラチがあかない。

私は沖田さんに向き直り、ため息混じりに言う。

「それで、何か用ですか? そろそろ仕事に戻りたいのですが」

「何言ってやがる。キャバクラ来てやることなんて1つしかねぇだろ。酒飲みに来たんでィ」

相変わらず捉えどころのない瞳が、私を探るようにチラチラと色を変えた。

 

「お前、酌しろよ。指名してやらァ。俺がお前のはじめての客だ」

舌なめずりする音が聞こえたのは、幻聴だと思いたい。

軽い死刑宣告を受けてショックを受ける暇もなく、ドSに強制連行されるのだった。

 



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十二話 蝶と蛾はだいたい同じ

 

「局長のぉ! ちょっといいとこ見てみたい! はーい、ウッホウッホウッホッホ!」

「ウッホウッホウッホッホ!」

沖田さんの号令を追いかけて声を張り上げる真選組の面々。

独特なコールに合わせてゴリラ——もとい近藤さんが泣きながら酒を飲み干していく。

 

「いつもこんな風にコールしてるんですか? ずいぶん賑やかに飲むんですね」

土方さんがタバコを咥えたタイミングで、ライターの火をサッと掲げてやる。

彼はタバコの先端を見つめながら、そっと火をうつした。

伏し目がちの瞳をそのままにして、まるで周りの喧騒から切り取られたような時間の中、ゆっくりと紫煙をくゆらす。

 

「べつに楽しくてやってるわけじゃねーよ。ありゃー、近藤さん潰す時の合図だ」

「潰すって、そんな物騒な……」

「お前も近藤さんと飲んでんなら分かるだろ。今日は相当悪酔いするパターンだぞ。そうなる前に潰しちまったほうが楽なんだよ、色々と。あの馬鹿力で暴れられたらたまったもんじゃねぇ」

 

眉間に深いシワを寄せて、土方さんは忌々しげに言う。

かくいう私も、たった1ヶ月の付き合いだというのに思い当たる被害が多すぎて、彼の言い分に深く頷いてみせた。

 

「上にも下にも問題児を抱えて、フォローも大変ですねぇ」

「そーだな。いまは変な女のフォローにも手こずってるんで、さらに大変だな」

「失礼ですね。土方さんにフォローされるほど落ちぶれてないですよ」

 

含みのある言い方に軽く言い返すと、土方さんは呆れ顔で、

 

「本当、口の減らねー女だな」

「安心してください。土方さんだけの特別待遇ですから」

「どんなオプション⁉︎」

「いまはツンデレを3:2の比率で提供中です」

「デレあった? どこらへんにデレ要素あった?」

「どうぞ。チョコレートパフェのマヨネーズトッピングになります」

「いや、そーゆー甘さ⁉︎」

「なに勘違いしてるんですか。ツンデレは、マヨネーズをツンとするほどデレーっとかけるの略です」

「俺の知ってるツンデレと違う!」

「でも、お好きでしょう?」

 

にっこりと微笑みかけて、マヨネーズを追加していく。

甘味とマヨネーズの素敵なコラボレーション。

絶対に直視しないようにするのがコツだ。

常人に耐えられる光景ではない。

 

「な、なかなか分かってるじゃねーか」

「お褒めにあずかり光栄です」

 

おいしくなーれ☆ おいしくなーれ☆と呪詛を唱えつつ、さらに悪魔を投入していく。

するとあら不思議。

鬼の副長も大喜びだ。

土方さんにはマヨネーズさえ与えとけば満足してくれるので、客としては大変手間のかからない相手といえる。

 

「なんでィ。ずいぶん楽しそーにしてるじゃねーか」

 

いつのまにかコール隊長を抜けてきた沖田さんが、土方さんの隣にドカリと座る。

 

「あれ、いいんですか? 抜けてきちゃって」

「ああ、もう3番に入ったからな。99番歌い切るまでにはゴリラも潰れるだろ」

「それどこの地獄のロード? 」

 

近藤さんにちらりと視線を向けると、真選組の面々は慣れたコールに飽きたのか既に好き勝手に飲み始めていた。

ざわめきの中で、近藤さんが一人で酒をあおっている。

 

「……なんか自分でコールしてるんですけど。もはや誰も見てないのにウホウホ言いながらゴリラが一気してるんですけど」

「あー、ちょうど4番入りやしたね」

「あと95番この地獄続くの⁉︎ すごい可哀想! 見てられない! 見てられないよ! だって泣いてるもの! ウホウホの声が震えてるもの!」

「馬鹿野郎! うかつに見るな。仲間だと思われるぞ」

 

土方さんがやけに真剣な声色で言い、私の頭をむんずと掴んで無理矢理伏せる。

 

「いいの⁉︎ 君らの大将あんな切なくていいの⁉︎」

「いいも悪いもねーでさァ。一度優しくするとつけあがるからな。10のうち、9は無視、1は嘲笑(ちょうしょう)で十分でィ」

「デレがツンを超えてます」

 

いや、待てよ。

放置プレイ(ツン)のあとでは、嘲笑(デレ)はご褒美になるのかもしれない。

完璧な調教レシピすぎる。

さすがドSの王子様。

ツンデレの使いっぷりが違う。

とはいえ、酔った近藤さんがとてつもなく面倒なのは確かだ。

彼には悪いけれど、私も慣習に準じさせてもらおう。

 

マヨネーズパフェと孤独なゴリラ。

若干難易度が上がったトラップをなんとか目に入らないよう回避して、沖田さんのお酌に向かう。

 

「沖田さん、お酌します」

「俺ァ、いまは八海山しか飲まねーぞ」

「心得てます」

私は微笑んで、目の前で徳利をふってみせた。

沖田さんは少し驚いた顔をして、

「意外と気がきくんだな」

「ゴマをするべき相手のリサーチぐらい当然ですよ」

「悪くねぇ」

 

満更でもなさそうに、彼はふんと鼻を鳴らしてお猪口を差し出す。

私は徳利を両手で持ち、なるべく手のひらを見せないように注意して酒を注いだ。

なみなみと注がれた透明な液体。

日本酒の豊かな香りがふわりと広がって鼻先をくすぐる。

沖田さんは慣れた手つきでくいっと一口含む。

青年というべきかも悩む年齢なのに、日本酒をあおる姿はなかなか様になっている。

 

「なかなか様になってるじゃねーか」

「え?」

「お前のキャバ嬢っぷりだよ。こないだまで無愛想だったくせに、リップサービスできるんだな」

 

心の中を言い当てられたのかと一瞬ギョッとした。

沖田総悟。

若干18歳にして、真選組の特攻隊長を務める剣の天才。

自他共に認めるドSっぷりは凄まじく、彼の歩いた後には屍の道ができるという。

今後とも是非当たり障りない関係でいたい。

触らぬサドに祟りなしだ。

私は営業スマイルを浮かべて答える。

 

「仕事ですから。お給料分の働きぐらいはしますよ」

王子様のお気に召さない回答だったのだろう。

ふーんとつまらなそうに言って、骨ばったしなやかな手でお猪口をもてあそぶ。

 

「そーいや、兄貴はお前の仕事っぷりを見に来ねーのかよ」

「……私に兄はいません。知ってるでしょう? 誰のせいで作り損ねたと思ってるんですか」

 

まだ癒えていない古傷に塩を塗りたくる沖田さんを睨みつけると、マヨネーズに夢中になっていた土方さんが顔を上げる。

 

「バーカ。ありゃ、お前が無茶苦茶言ってただけだろ。常識的に考えて、なんの証拠もねーのに戸籍登録なんて無理に決まってんだろーが」

 

そうなのだ。

あの日、あんなに坂田銀時の妹になる!と妹キャラをゴリ押したにも関わらず、結論からいうと坂田銀時妹計画は失敗に終わっていた。

というのも、まあ普通に考えれば当たり前の話になるが、妹として戸籍登録しようにも証拠がいる。

最大のネックはDNA鑑定を求められたことだった。

結果なんてわかりきっている。

鑑定するまでもなく銀さんと私は赤の他人。

さらに言えば、妹うんぬんの前に、私の素性が怪しすぎたからだろう。

誰かの妹になる以前に、まず自分の身元をはっきりさせろという話だ。

当然だ。

至極もっともな話だ。

 

しかし、私にも言い分はある。

私にとって、ここは某ギャグ漫画『銀魂』の世界だ。

……イケると思うじゃん⁉︎

なんやかんやでヌルッとそこはオッケーな雰囲気になると思うじゃん⁉︎

バズーカをモロに受けても髪の毛が爆発するぐらいのダメージしか負わない人間に、常識がどうとか本当に言われたくない。

 

私の憤りはこの世界で私一人にしかわからないんだ。

こんなところでも世界からの疎外感を感じて虚しくなる。

厳しい状況ではあったが、なんとか銀さんの好意で身元保証人を確保できただけでも幸運と言えるだろう。

計算外の出来事があったわりには、その後の生活はトントン拍子に整った。

戸籍のない私に代わって、銀さんは迅速に住居・職場・当面の金銭を用意してくれた。

いくら生業の性質上厄介ごとが多いとはいえ、普段から何かしらやってるんじゃないかと疑うほどの仕事っぷりだ。

とにかく当面の目標は、銀さんへの借金返済である。

 

元の世界へ帰る糸口どころか、目の前の日常を生きることで精一杯だ。

そんな私の苦労も知らないマヨネーズ馬鹿にバカにされたのが悔しくて、

「警察も大変ですね。私みたいなバカに振り回されて」

含みのある言葉をからかうように投げかけた。

土方さんはピクリと眉を動かすと、

「それはどういう意味——」

 

その時——

「出ました! 吸血鬼です!」

一人の真選組隊士——山崎退が宴会会場に転がり込んだ。

 

「どこだ!」

腰を浮かせた土方さんが鋭く問う。

「B地点です。既に1番隊、2番隊が向かっています!」

「わかった。テメーら!  仕事だ!  3番隊、4番隊はAルート。5番隊、6番隊はCルート。山崎はゴリラ。吸血鬼かなんだか知らねーが、今夜血を抜かれるのは奴の方だ。血祭りにあげてやれ!」

 

眼光鋭く、土方さんが決起する。

真選組の面々は、気合の入った雄叫びを返して、次々に剣を握りしめて飛び出していく。

ついさっきまで酒に溺れていた連中とは思えない。

 

ただ一人、山崎さんだけが情けない声で、

「いや、俺だけゴリラってどうゆうこと⁉︎」

「そのまんまだ。そこに酔いつぶれたゴリラがいるから、屯所に連れ帰っとけ。今夜は近藤さんの出番はねぇよ」

また貧乏くじかよ、とブツクサ言いながら山崎さんはゴリラの回収にいく。

 

その姿を横目で追ってから、私を睨み付けている土方さんに視線を戻す。

「そんなに熱く見つめられると照れちゃいます」

軽い冗談を微笑んで返してみると、彼の眉間のシワはさらに深まった。

 

「茶化すんじゃねぇよ。さっきの言葉、どういう意味だ」

「どういうって……、そのまんまの意味です。これだけ毎日警察に出入りされて、気付かない方がどうかしてますよ」

まあ、一番の根拠は近藤さんですけどねと語尾に付け加える。

 

思い当たる節があるのだろう。

土方さんは忌々しげに舌打ちをして、「使えねーゴリラだな」と低い声でうなった。

 

「お妙さんに会いに来ているって名目は納得できますけど、容疑者に助言しちゃまずいでしょう」

 

近藤さんの言葉——ヴァンパイア事件について聞くな——は、明らかに私の立場を案じてのセリフだ。

たった1ヶ月の付き合いで容疑者に情をうつすなんて甘っちょろいにも程がある。

 

「ともかく、これで本当の意味で私の容疑は晴れたと思っていいんですかね? 」

身に覚えのないことで警察に見張られるなんて気分が悪い。

 

しかし、私もつくづく間の悪い女だ。

ヴァンパイア事件は、私が釈放されて数日後に起こった。

釈放した不審な女。

その直後に起こった猟奇的殺人事件。

何かしらの繋がりを疑うのも無理はない。

けれど、ついに事件は起こったのだ。

この場で警察と一緒にいた私には完璧なアリバイができたことになる。

土方さんは苦虫を噛み潰したような顔で答える。

 

「ああ、残念なことにな……」

「私もです。これから土方さんにもめっきり会えなくなると思うと、寂しくて震えが止まりませんよ」

私はニッコリと笑顔を返し、別れの言葉を送った。

 

 

 

 

真犯人を捕まえるために飛び出していった真選組。

騒ぎの主を失い、途端にガランと静かになったシャンデリアの下。

同じくらい静かな闘志を胸に、私は立っていた。

ちょうどいま、戦いに身を投じているだろう彼らに想いを馳せる。

去り際の沖田さんの何か言いたげな瞳を思い出す。

彼らの手は借りない。

誰の助けもいらない。

というか、すでに返せるか分からないほどの恩がある。

 

万事屋のみんな。

スナック『すまいる』のみんな。

あと一応、真選組。

 

これ以上借金を増やすのはごめんだ。

別れることを決めている世界。

しがらみは少ないに限る。

私はざわめく心を落ち着かせようと、無心で散乱した宴会の後片付けをはじめた。

 



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十三話 ストーカーは殺人のはじまり

いつだか姉さんが言っていた。

 

「知ってる? 男の子が勇敢なのは、女の子を守るためなのよ。女の子がピンチになるとね、いつだってカッコよく助けに来てくれるの」

姉さんは最愛の婚約者をうっとりと見つめながら、熱のこもった瞳をキラキラと潤ませていた。

 

私は呆れて答える。

「姉さん、それは違うよ。心理学的見地で言うなら、男のソレはいわゆる見栄(みえ)だね」

「……見栄?」

キョトンとして、彼女は黒目がちの瞳を私に向けた。

大真面目に私はうなずく。

「理想主義からくる虚栄心だよ。有事の際に、女性が逃げ腰なのは現実的思考が強いから。負けた時のリスクを秤にかけるからだ。それに比べて、男性は圧倒的に危機感が薄い。他者からの評価やあるべき理想像を追求する傾向にあるから。特に他者──女性と一緒にいるときは顕著だよ。自分を大きく見せたい。好意を持ってほしい。あるいは、弱い者を守る自分に浸りたい——。そりゃ、姉さんからすれば完璧に見えるのかもしれないけど、宏人(ひろと)だって──」

 

彼女の白く華奢な腕が伸びて、異様に細い指たちが私の口を塞いだ。

姉さんは頬を膨らませて言う。

 

「もー、桜ってば。またそういう可愛くないことばっかり言うんだから! 女の子はね、好きな男の子に守られている時が一番幸せなのよ。大好きな人の腕の中にいると、他にはもう何もいらないってとろけちゃうんだから」

そして姉さんは本当にとろけるような笑顔言った。

「桜もそのうちわかるよ。いつか桜だけのヒーローが現れたらね」

「でも、私は——」

——私は、ヒーローが欲しいんじゃなくて、ヒーローになりたいんだけど。

口を出かけた言葉は、途中で尻すぼみになって消えた。

 

 

 

 

 

 

当時、まだ夢を見ていた私にはぴんとこなかったけれど、清らかで純粋な姉の言葉は年を経るにつれてふしぎな重みを帯びてきた。

守る男と守られる女。

その理想的な対比。

大半の男女は、その役割をこなすことに幸せを感じている。

 

しかし、その大半に私はどうしても入りこめないのだ。

姉から受けた「可愛くない」の評価もめずらしいことではなかった。

それは時に遠回しに、時に直接的に異性から向けられる態度や言葉にまざまざと刻まれていた。

姉のような可愛い女の子には、そのピンチに駆けつけようと男の子が列をなしているのだろう。

けれど、私にはそんな大行列ができるわけもなく、閑古鳥がないている。

なので、私は私を守り続けるしかない。

ヒーローにはなれなくても、自分の身ぐらい守れると張りつめることは、意地っ張りな可愛くない女だろうか。

 

 

 

 

 

真冬のしんと冷えた空気が満ちる。

深夜0時を迎えて、歌舞伎町は第二形態に移行する。

明日の会社のために終電に走るサラリーマン。

オールを覚悟して三次会の会場を探す大学生風の青年。

酔いつぶれた女をラブホテルに連れ込むチャラ男。

それを横目にタクシーですごすご帰るおじさん。

それぞれの思惑が交錯し、長い夜がはじまる。

 

こうして眺めていると、圧倒的に女性が少ないのはやはりヴァンパイア事件の影響だろう。

スナック『すまいる』からの帰り道。

家路を歩みながら思う。

 

男とは、実に危機感の薄い生き物だ。

いまのところ被害者は全員女性だが、男性が襲われないという保証はない。

けれど、男は自分が事件に巻き込まれることを考えもしない。

警戒心の強い乙女を捕まえられず、飢えたヴァンパイアは仕方なく男の血をすすることもあるとは想像しないのか。

しないんだろうな。

なぜなら、事件ごときにビビる男じゃないと、謎の余裕を周囲に見せつけたいからだ。

くだらない。

男のプライド──虚栄心は、女からみると無意味で非合理的としか思えない。

 

それだけじゃない。

常に男は加害者で、女は被害者だという優越感に浸っている。

自分は圧倒的に優位な立場であり、さながら獣が獲物を追いつめるがごとく、狩る側であることを疑わない。

ヨダレを垂らしながら、獲物が怯える様を楽しんでいるのだ。

 

だんだんと男女差別的思考に脱線していく。

もちろん全ての男性がそうじゃないと、頭では分かっているのに止まらない。

織物がほつれるように次々と思考が連なっていく。

ふつふつと沸き上がる怒りが、思考の暴走を加速させていく。

 

そもそもなんで私なんだ。

夜を飛び回る美しい蝶たちなら納得もできる。

お妙さんもおりょうさんも、性格に難ありではあるが美人なことは間違いない。

わざわざくたびれた引き立て役のアラサーを狙うあたり性根が腐っている。

——いや、逆か?

婚期を逃した寂しいアラサーなら、タダでやらせてくれるとでも思ってるとか?

または、美人じゃない方が低いハードルで手が出しやすいとか?

なるほどなるほど。

そういうことか。

よほど死にたいとみえる。

いいだろう。受けて立ってやる。

こうなったら全面戦争だ。

ばっちり証拠を抑えて、示談金をふんだくった後に、社会的にジワジワとくびり殺してやる。

グツグツと煮えたぎる怒りが脳みそを焦がしていき、姿の見えないストーカーを消し炭にしてやらんと、私は怒りを燃え上がらせていた。

 

 

 

 

事の発端は、スナック『すまいる』で働きはじめた当初に立ち戻る。

最初は些細なことだった。

ほんの少しの違和感。

なんとなく誰かに見られているような気がした。

そんな正体不明の「なんとなく」が積み重なって、見えない棘が刺さったみたいにどうにも気持ち悪い。

その棘は日増しに確かな存在感をもって、じくじくと私の心に不安の膿を生んだ。

それでも、あの頃は慣れない異世界生活に疲弊していたし、柄にもなくキャバ嬢なんてやって神経過敏になってるんだろうと気にしないようにしていた。

 

 

しかし、不意に確信のときは訪れる。

1週間ほど前のことである。

その日はゴリラのからみ酒に付き合わされてグッタリと疲れきって、家に帰った。

化粧を落とす気力もなくて、このまま寝てしまおうかと思いながら、今にも壊れそうなボロい戸を開く。

手探りで電気のスイッチを探して、パチンと明かりを付けた瞬間に気付いた。

数センチ開けていたはずのカーテンがぴったりと閉まっている。

気のせいではない。

日中は電気代を節約するため、窓から入り込む明かりを頼りにしていた。

だから常にカーテンは少しだけ開けている。

本当は全開にしたいところだが、誰かに見られているかもしれない状況でさすがの私もそこまで図太くはなかった。

それも自意識過剰かと思っていたが——。

部屋の入口で呆然と立ちすくむ。

微動だにせず、ただじっと不気味な垂れ布を見つめていた。

今日の外出時刻は16時。

それから現在の深夜1時までに犯行が行われたことになる。

単純に人目につかないことを考えると、真夜中の侵入が濃厚だろう。

ついさっきまでここに居たのかもしれない。

いや、まだ部屋の中にいる可能性も——。

真っ白な頭に危険信号が灯る。

ハッと我にかえって、部屋をぐるりと見回した。

こんな狭い部屋、隠れるスペースもないはずだ。

もし身を隠せるとすれば——私はすり足でこの部屋唯一のクローゼットに近寄る。

その取っ手にかじかんだ指をかけて、ノータイムで開け放つ。

——そこには数着の着物と洋服がかけられていた。

外出前と何も変わらない光景。

人影がないのは明らかなのに、思わず乱暴に服たちを引っかきまわす。

大丈夫だ。

誰もいない。何もいない。

止まっていた心臓がドッと音を鳴らし、震えるほど寒いはずなのに額には汗がにじんでいた。

 

被害の確認をはじめる。

いくらかの金銭、洋服と下着類──ものの5分で調査はおわった。

もともと持ち物なんて数えるほどしかない。

何かしら欠損はないかと慎重に見たが、金銭はもちろん何も盗られた形跡はなかった。

それどころか配置もかわっておらず、誰にも触られていないことは確かだ。

……侵入者は一体ここで何をしていたのだろう。

ただこの家に入って、ご丁寧にカーテンを閉めて帰ったとでもいうのか。

無意識に避けていた窓辺にそろりと近付く。

紺色のカーテンに指先で触れて、遠慮がちにゆっくりと両端に寄せた。

深夜の暗闇をうつした真っ黒な窓の世界に、反射した自分の顔が透明に浮かぶ。

窓が割られていないこと、鍵がかかっていることを確認して、カーテンを元のように戻した。

いつものように隙間を数センチあけて。

窓辺を離れようと身を引いたけれど、ふと思いついてもう一度顔を寄せる。

カーテンのあいだにできた闇の空間をのぞきこむ。

すると、ガラスに反射した自分の透明な目が、同じように私を見つめ返していた。

こんな風にいつも見られていたのだろうか。

そして、いまも見られているのだろうか。

 

想像してみる。

私が家を出た直後。

夕闇に沈みゆく部屋に影が落ちる。

その影が静かにゆらめいて、ずぶりと何者かが顔を出す。

そいつは部屋の暗がりを通って窓辺にたどり着くと、そっとカーテンを閉じる。

そうして出来上がった暗闇の部屋で、ただ立ち尽くすのだ。

私が帰ってくるときまで。ずっと。

 

その日は電気をつけっぱなしにして朝日が昇るまで眠れなかった。

もはやここは私の家ではなかった。

 

 

 

 

 

いま思い返しても衝撃と恐怖がべったりと心臓に張り付いている。

ボロくさいながらもやっと自分の家だと感じはじめた矢先のことだった。

どこに行っても私は世界の異物だったけれど、それでも自分の家でだけはかろうじて息が出来ていた。

外界から隔離された6畳1間のアパートには、たしかに私だけの世界があったのだ。

それを土足で踏みにじった下劣な行い、万死(ばんし)(あたい)する!

ストーカーのほくそ笑む姿が目に浮かび、怒りのままに噛み締めた唇から血の味がにじんだ。

まんまと犯人の思うように怯えてしまった自分が情けない。

この屈辱は、今日ここで晴らしてみせる。

熱い決意を胸に秘めて、予定通りに三丁目の駄菓子屋がある角を右折する。

いつもとは違う帰宅コース。

人気のない裏道に入る。

無論、醜悪なストーカーを誘い出すための罠である。

 

私に張り付いていた真選組が引き上げたいま、ストーカーにとっては絶好のチャンスだ。

警察の目がなくなり、犯人の緊張は弛緩しただろう。

さぞ安心して私の前にのこのこと現れるはず……。

まっすぐに前を見つめて砂利混じりの土を踏みしめながら、後方に耳をそばだてる。

はやる心音を諌めるようにゆっくりめのリズムを刻む自分の足音を数える。

ひとつ、ふたつ、みっつ——。

ちょうど「10」を数えたとき、後方で砂利を蹴り上げたような大きな音がした。

きた!

興奮気味に着物の袂に手を伸ばし、震える指先をもどかしく思いながら用意していたボイスレコーダーの電源を速やかにいれる。

 

落ち着け。

ハートは熱く、頭はクールに。

戦術の基本だろう。

焦る必要はないんだ。

ゲス野郎を地獄に叩き落とす準備は万全なのだから。

あとはゆっくりと料理してやるだけ。

冷静になるまでのあいだ、練り上げた計画を頭の中でサッとなぞる。

 

まずはこの路地裏で犯罪を自供させる。

ぶるぶると怯える弱者を演じて上手く誘導してやれば意気揚々と話すだろう。

そこをボイスレコーダーでバッチリ録音&証拠ゲットだ。

つぎに、男が襲ってきたら事前に確保している逃走経路で繁華街に出る。

0時をまわってこそ真の姿を見せるのが歌舞伎町という町だ。

それなりの賑わいがあるのだから誰かしら助けてくれるはず。

まぁ、当てが外れてもたいした問題ではない。

いざとなればピンクの店に駆け込んで「お客様やめてください!」と叫んでやればいい。

黒服の屈強なお兄さんたちがボコボコに懲らしめてくれるだろう。

そして、万一、私に危害を加えようものなら容赦はしない。

ボイスレコーダーと一緒にしまっていたスタンガンを確かめるように指先で感じる。

これの威力はテスト済み。

人知を超えた生命力を持つ近藤さんを一発で失神させた代物だ。

どのようなルートをたどろうと男のボコボコ失神ENDは免れない。

そして、その後は破滅の一本道。

意識を失った男の荷物を拝借して、個人情報の入手。

会社や家族にバラすと脅して、金をしぼるだけしぼった後に真選組に引き渡す。

 

最高のエンディングが頭に流れて、俄然勇気がわいてくる。

自然と震えの止まった手をギュッと握りこんだ。

どこでどのように捕まえても最大限の屈辱を味あわせてやることは間違いない。

哀れなアラサーだと私を侮ったこと、社会的死をもって泣いて悔やむがいい!

 



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十四話 計画通りにいかないことも逆に計画通り

 

歩みはそのままに、全身の神経を後方に集中させる。

近づいてくる不穏な足音が鼓膜を震わせる。

敵に背を向け続けるチキンレース。

もう少しだ。あともう少しだけ引きつける。

 

一刻も早く牙を剥きたい気持ちを抑えつけて、ゆるりとした歩みで暗がりをさらに奥へ進む。

飾り気のない木塀がまっすぐに続く。

その木塀に沿って、アクセントのようにぽつぽつと街灯が並んでいるが、そのほとんどは電球が切れてただの黒い棒に成り下がっていた。

一本の街灯だけが弱々しい光を灯して、虫たちの羨望を独り占めにしている。

そこから漏れた光がぼんわりと道に広がって不気味に飛びまわる虫たちの影をうつした。

足元で蠢く影たちを眺めながら、目印の街灯をくぐり抜ける。

ここまで来れば曲がり角はすぐそこだ。

男と対峙するとき、逃げ道を確保できる位置にいなければならない。

立ち位置にたどり着き、全ての条件を満たしたことを確信すると、私はついに足を止めた。

 

そうして震えた声をしぼる。

 

「誰ですか……?」

 

哀れっぽい、弱者の声に聞こえるだろうか。

敵意が声の調子に乗っていないといいのだが。

 

街灯の向こう側。

光の届かない向こうへ目を凝らす。

 

出てこい、卑怯者。

心の中で呼びかける。

 

すると、蛍光灯に照らされてキラリと光る刀身が先に姿を現した。

液体がその刀の反りを通って刃先を濡らし、地面にポタリポタリと赤黒いシミを残す。

廃刀令の世で、日本刀を腰にさげる人間は堅気ではない。

予想外に物騒なモノが登場してたじろぐと同時に、強烈な既視感におそわれた。

この暗がりに、光に照らされる血濡れた日本刀。

そして——

 

「……お、お久しぶりですね〜」

ついに光の下に現れた犯人の顔を見て、驚愕のあまり開いた口から軽口がこぼれる。

 

あの時の侍だ。

この世界に迷い込んだ私に、はじめて殺気というものを叩き込んだ張本人である。

たしか土方さんに斬られて捕まったものと思っていたが——。

 

しかし、それよりも私が驚いた理由は男の顔にある。

その顔は大火傷でも負ったかのように醜くひきつり、無数の刀傷が生々しく唇を引き裂いてめくれあがり、血走った双眼はちょうど飛び回っている虫たちのように黒目をビュンビュンと四方に絶え間なく散らしていた。

原型をとどめないほどの変貌ぶりにもかかわらず、あの侍だと一目でわかったのは既視感からくる直感の閃きのおかげでしかない。

男の身に何があったのかは知らないが、話や駆け引きの通じる状態じゃないことは明らかだ。

どうする。こんなバケモノは想定外だ。

身の毛もよだつ男の風貌を見張りながら、じりじりと後退する。

 

私が考えあぐねていると、男はふらつきながらもまた一歩進みでる。

右手には日本刀を握り、左手には何か大きいものを引きずっているようだが、暗がりの中に埋もれて正体がわからない。

背骨でも抜かれているかのようにぐにゃりと揺れていた男の身体が動きを止める。

そして何かを探して蠢いていた黒目が、私の姿を見咎めて収束した。

あまりのおぞましさに全身が粟立つ。

 

「ああ、おまぇは……。よく俺たとわあったな」

めくれあがった唇のせいでうまく話せないらしい。

本人は気付いていないのか不思議そうに自分の言葉に首をかしげた。

 

「いやー見違えましたよ! ちょっと見ないあいだにワイルドになっちゃって〜。アレですか。最近流行りのちょい悪系ですか」

ちょい悪系って流行ったのいつだよ。

自分のよくわからない発言にツッコミをいれつつ脳をフル回転させる。

 

「おまぇはあいかあらず口がへらない女た」

意識があるのか?

頭をぐらぐらとさせながらも、私を覚えている様子の男をみて思う。

それなら多少は話が通じるかもしれない。

 

私が口を開こうとすると、

「ちだ」

「……え?」

ぼそりと呟かれた男の言葉を聞き返す。

「血た! 血か! 血かないとおれあだめになる!」

 

咆哮に似た叫びをあげて男が左腕を振り上げる。

その手に掴まれていた荷物が、どさりと重力をもって街灯の下に投げ出された。

次の瞬間、侍は獣じみた動きでソレに覆いかぶさりグチャグチャと嫌な音を立ててむしゃぶりついた。

 

突然の奇行に圧倒され、私は呆然とその様子を眺める。

私の存在など忘れたかのように男は一心不乱に食っている。

 

食っている?

ナニを?

 

彼が興奮して頭を振るたびに液体が飛び散り、無機質に薄く照らされた地面を赤黒い斑点で汚した。

ちがうだろ。

液体だなんてトボけた言い方はやめろ。

男が再三叫んでいたじゃないか。

 

そうだ。血だ。血。血。

 

味を確かめるように単語を口の中で転がす。

——なんの血だ。一体なんの。

 

冷たい地面に無造作に投げ出された肉。

ビリビリに引き裂かれた桃色の着物は、待ちきれずに破いてしまった包み紙のようで、男は夢中になってその中身を食い散らかしていた。

飛び散る鮮血が肉の青白い肌をコントラストに照らす。

力なく横たわる細い腕は、首は、潰れて、ねじれて、めちゃくちゃに曲がって、まるで——

 

知覚した途端、むせ返るような血の臭いが鼻孔を犯す。

唐突な吐き気に襲われ、慌てて口元を手で抑えた。

だめだ。吐くな。吐けば気付かれる。

現実とは思えない恐ろしい光景に、けれど目をそらすこともまた同様に恐ろしく、私は浅ましくも自分の身の安全のために人間が食われる様をじっと見つめていた。

男が噛み付くたびに女の頭部が人形のようにガクガクと揺れて、その虚ろな瞳に冷たい街灯の光がチラチラと写りこんだ。

 

女は死んでいる。

首は3周ほどねじれていて絶命していることは間違いない。

そうだ。私にできることなどない。

私が助けられる人間などここにはいない。

 

音を立てないように静かに息を吐く。

胸が苦しい。心臓が痛い。

バケモノが獲物に夢中になっているうちに、逃げなければ。

そう思った瞬間、膝が笑っていうことを聞かず大きな音を立てて砂利を踏みしめた。

ちょっと待って。ちょっと待って。本当に待って泣きそう。

 

私の願いは届くはずもなく、首まで真っ赤な血に染まった男が、勢いよく振り向いた。

傍に投げ出されていた日本刀を右手に握り直し、ねじれて通常の3倍ほどに伸びてしまった女の首を左手で掴んで、男は流れるような動作でこちらに突進をしかける。

 

それを合図に、はじかれて私も駆け出す。

捕まったら死ぬ。

確実に死ぬ。

いや、考えるな! これは鬼ごっこ! 断じて鬼ごっこだ!

風になるんだ桜!

 

目の前の曲がり角に飛び込んで、事前に確認していたルートを駆け抜ける。

まるでこのあいだのやり直しだ。

しかし、丸腰だった前回とはちがう。

邪魔にならないよう着物の裾をたくしあげて、この時のためにこっそり履き替えていたスニーカーで思い切り地面を蹴りあげる。

 

相手がバケモノでも焦ることはない。

さすがに当初の予定通りブチのめすとは言えないが、この場を逃げきるだけの準備は十分に整えている。

肩越しに振り返ると思ったよりも遠くに男の姿が見える。

持っている荷物が大きすぎるのだ。

左手で引きずっている大きな餌が地面に削れて引っかかり、男の走りを鈍らせていた。

 

馬鹿め。

人を人とも思わぬ獣の脳みそでは、せっかく仕留めた獲物を置いていくという発想がないらしい。

男との距離はぐんぐんと開いていく。

変わり果てた人間の残骸がなおも痛めつけられている様は見るに耐えず、唇をかんで己の無力さを呪う。

 

ごめんなさい。私は逃げることしかできない。

心の中で彼女に謝罪の言葉を告げ、さらにバケモノを突き放そうと前を向く。

 

そのとき視界の端で男の不審な動きをとらえた。

なんだ……?

ふしぎに思って、男に視線を戻す。

 

すると突然男は勢いよく木塀に突進していき、あわやぶつかるかと思った瞬間、当たり前のように壁に足をかけてそのまま駆け上った。

男の足の裏に壁が吸い付いたかのように、軽やかに走り出しぐんぐんとスピードを上げる。

人間の成れの果ては壁に並行して垂れ下がり、邪魔な呪いを見事に無効化していた。

私はぽかんと口を開けて、バケモノが私の上空をすり抜けていくところを見送る。

そしてヤツは私の行く手を阻むように華麗に着地を決め、満足気に血みどろの歯茎を見せつけながらニヤついた。

その下卑た笑みに、ぞわりと鳥肌が立つ。

 

壁渡りってそんなのアリ⁉︎

こちらの世界に私の常識が通じないことをまた痛感する。

しかし、それなら私の予測が世界の非常識を超えればいいだけのこと——!

次に踏み出した1歩目で地面を踏みしめて方向転換。

右手にある木塀に向かって一直線に走る。

出来る限り勢いをつけて木塀の下部にスライディングで突っ込み、板張りを蹴破って、そのままの勢いで壁の内部へ滑りこむ。

その拍子にざらついた地面と棘のある木片に引っ掻きまわされて、顔面を守った両腕から血が噴き出た。

少しでもスピードを落とせば命取りになる。

スライディングの勢いを殺さないように一回転した後、素早く体勢を立て直して走り出す。

壁を越えた先は不法投棄の吹き溜まりになっていて、冷蔵庫や大型のタンスなどが障害物になっていた。

追跡者を撒くには絶好の立地だ。

事前に確認していた最短ルートを通って、障害物をぬうように進む。

振り返ると、木塀には女性がやっと通れるぐらいの穴ができていた。

成人男性が通れる幅ではない。

これで少しは時間が稼げるだろう。

ここで撒ければよし。

ダメでもこのゴミ山を越えれば繁華街に出られる。

あらかじめ壁の一部を蹴破れるように細工しておいて助かった。

多少怪我は負ったが上々の出来だろう。

 

見たか!

知性のかけらもない下衆め!

私を捕まえられるものならやってみるがいい!

勝利の捨て台詞を胸中で叫び、このまま繁華街に出ようと——

そのとき、しんと沈んでいた深夜の空気を引き裂くような爆発音が鳴り響いた。

音の源泉を思う暇もなく、衝撃波に背を突き飛ばされる。

咄嗟に頭を抱えてその場に倒れ込む。

ハッとして上空を見上げると、不法投棄された大量のゴミたちが宙を舞っていた。

大きなブラウン管テレビが鼻先をかすめて、すぐそばの地面に突き刺さる。

 

「血た! 血のニオイがスル……!」

 

粉々に吹き飛んだ木塀。

降り注ぐ木片とゴミの中で、バケモノが咆哮をあげた。

 

「アア……、ウマソウナチノニオイ!」

 

その美味そうなニオイってもしかしなくても私ですかねぇ。

両腕から流れ出る血液が皮膚をつたい落ちる感触。

恍惚な表情で酔いしれるバケモノを尻目に、私は一目散に走り出す。

 

「マテ。オレノチ! チ! チ!」

 



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十五話 これが本当のリアル鬼ごっこ

悪役の見せ場を待っているほど私は優しくない。

振り返らず、最速を叩き出すことだけに集中して走る。

あとを追う獣の威圧が背中に重くのしかかり、足の動きが異常に鈍く感じる。

 

もっとだ! もっと早く動け!

夢の中にいるようなもどかしい感覚。

今にも腹を喰いつかれる恐怖に耐え、やっと到達した藪に飛びこむ。

そうして夜の街、歌舞伎町の中心部に転がり出た。

 

そこには見慣れた光景が広がっていた。

快楽を享受する人間や天人が混在し、相変わらずデタラメなこの世界の住人が目を丸くして、突如現れた満身創痍の私を見ている。

 

「誰か——!」

 

「ニガサヌ! チノ、チノ、チノカイラクヲ!」

 

助けての声をあげる前に、私の背後で奇声をあげながらバケモノが飛び出した。

誰かがヒュッと息を飲む気配があると、いっそうバカでかい声で叫ぶ。

 

「バケモノだ! 逃げろ!」

 

一瞬にしてパニックに陥る群衆。

ハチの巣をつついたような大騒ぎに、人々が逃げ惑う。

 

「ですよね! うん! 知ってた!」

 

人々にまぎれて逃げまどいながら、私はヤケクソで叫ぶ。

ほかの生物になど目もくれず、バケモノは一直線に私を目指して追ってくる。

元より助けてもらえるなんて楽観視してなかったけどさ!

もう少し何かしらの救済アイテムとかあってもいいんじゃないですかねぇ⁉︎

ここ銀魂でしょう⁉︎

ちょっぴり泣きそうになりながら、それでも足を止めることはできない。

ゼエゼエと切れ切れの息を整えることもできず、バケモノとの距離ばかりがぐんぐん縮まっていく。

 

くそ、このままじゃ追いつかれる!

 

劇的な打開策も浮かばない。

仕方なく当初の予定通りピンク色のネオンが眩しい風俗店に駆けこむ。

 

「逃げろ! 殺されるぞ!」

 

叫びながら店内に入ると、事の真っ最中だった客はギョッと目を剥き、嬢は怯えて叫び声をあげた。

 

お楽しみ中に本当に申し訳ない!

でもアレだから! 命の方が大事だから!

心の中で懺悔の言葉を唱えていると、奥から帯刀した黒服の男たちがゾロゾロと出てくる。

私はハッとして立ち止まる。

 

「逃げてください! 相手は人間ではありません!」

 

渋い顔をした頑強な男は「どけ」と短くいうと、丸太のような腕で私を押しのけた。

いずれの男たちも相当腕っ節に自信があるらしい。

ボディービルダー世界代表が集まったような暑苦しい威圧感がある。

私は壁際に退かされ、酸素不足に痛む腹部をおさえることしかできず、その逞しい背中たちを見送る。

 

待てよ。

これはチャンスかもしれない。

筋肉隆々の男たちは思っていたよりも頼りになりそうだ。

あんなバケモノに勝てるわけがないと直感的に感じたが、この世界の人間のタフさは常軌を逸する。

私から見れば全員バケモノみたいなものだ。

ならば、多勢に無勢。

こちらにも分があると考えるのが道理ではないか。

荒い息を整えながら算段をつけていると、店のガラス扉を盛大に蹴破ってバケモノが姿を現した。

 

「ドコダ! オレノチ!」

 

頭をぶんぶんと振り乱してヨダレを撒き散らす。

ボロ雑巾のようになった女の遺体を引きずり、異常な行動を繰り返すバケモノを前にしても、黒服のマッチョたちは怯む様子もない。

 

リーダーらしき黒服が進み出ると、バケモノの前に立ち塞がった。

眉ひとつ動かさず、その大きな手を伸ばしてヤツの首を掴み、そのまま片手で宙吊りにする。

バケモノは逃れようとジタバタ暴れる。が、黒服は微動だにしない。

凄まじい力で首はしめあげられ、こちらまでメキメキと骨の軋む音が聞こえると、バキリと嫌な音を立てた。

その音に合わせてバケモノはビクリと2度震える。

ヤツの両手から日本刀と女の死体が地面に転がる。

そして糸が切れた人形のようにぐったりとぶら下がった。

 

命が失われる様を冷酷に眺めていた男は、勝利を確信すると自慢げにこちらを振り返る。

腕を組んで鑑賞していた仲間たちは、当然のように薄ら笑いを浮かべた。

 

終わった……のか?

いささか呆気ない幕引きに拍子抜けする。

しかし、首を折られてはどんな生物も死ぬ。そう、死ぬはずだ。

リーダーの活躍を褒めそやして盛り上がる男たちを尻目に、私は漠然とした不安を拭えずにいた。

 

黒服の男は、バケモノの亡骸を高々と掲げた。

力の抜けきった身体。

生気を失った物体は振り子のように揺れる。

その瞼は死人のごとく大人しく下げられ、そうしていると普通の人間にしか見えない。

何かとんでもない殺害現場を目撃してしまった気がして、私の心をざわめかせた。

なんにせよ、死人に鞭を打つマネは許されない。

たとえそれが罪人で、さらに言えば人の血をすするバケモノだとしても。

 

私は黒服を諌めようと口を開こうとした。

しかし、その瞬間、突如としてバケモノの双眼が見開かれる。

あの無数のハエのような黒目がギョロリと黒服の男を睨みつけた。

私はほとんど脊髄反射的に叫ぶ。

 

「まだです!」

「何⁉︎」

 

黒服は信じられないとばかりに驚愕の表情をバケモノに向ける。

 

「そんなはずは——」

 

黒服の語尾が戸惑いに鈍り、しかし瞬時に行動にうつった。

 

「大人しく死ね!」

 

両手をバケモノの首にかけると太い腕に血管がくっきりと浮き出るほど強く締め上げる。

顔を真っ赤にして力を込める黒服。

にもかかわらず、バケモノは痛みを感じていない様子でただ不気味に敵を睨みつけ続けた。

 

「な、なんなんだコイツ……。なぜ死なない⁉︎」

 

理解を越える相手に、黒服は言葉の端々に恐怖をにじませる。

バケモノは垂れ下がっていた両腕をゆっくりと持ち上げ、己の首を絞めつける丸太のような豪腕にそっと触れた。

 

「ああああああああああ!」

 

たったそれだけで黒服は凄まじい叫び声をあげる。

大量の卵の殻を一斉に踏み潰したような音。

明らかに人体から出ないだろう音があたりに響き、黒服の両腕は握られた箇所を折線として、不自然に二の腕の途中で折れ曲がった。

バケモノの首を捉えていた両手がダラリと垂れ下がり、ヤツは優雅に地に足をつける。

 

「ああ、俺の腕が! 腕が!」

 

黒服は涙を浮かべて自分の腕を呆然と眺める。

 

「なぜだ……。お前は一体何者な——」

 

最後の言葉を待たず、バケモノは黒服のアゴを蹴り上げる。

一瞬にして、黒服は木製の天井に突き刺ささった。

天井から下半身だけがぶらりと垂れ、パラパラと木片が落ちる。

一部始終を静観し、呆気にとられていた黒服の仲間たちはようやく我に返る。

 

「き、貴様! よくも——ッ! 殺してやる!」

 

口々に暴言をわめきながら、一斉に剣を掲げる。

バケモノは構える様子もない。

丸腰。棒立ち。隙だらけのバケモノをぐるりと取り囲み、すでにボロボロに見える身体に、黒服たちは容赦なく数多の剣を突き立てた。

無事ですむはずもない。

当たり前に訪れるだろう死を、しかし、もはや私は信じることができなかった。

期待にこたえるように、バケモノは群がる煩わしいハエをまとめてなぎ払う。

一斉に血を吹き出しながら飛んでいく黒服たち。

あっという間に十数人の屈強な男たちは地に伏せ、そこにはバケモノが一匹。

返り血によってドス黒く汚れたバケモノはよろよろと数歩進み、

 

「……チガウ。コノチハチガウ」

 

歩くたびに、折れた首のせいでぶらぶらと頭が揺れる。

バケモノはまだ意識のある黒服たちに近寄る。

腰を抜かした黒服の残党は「ヒィッ」と言葉にならない悲鳴をあげた。

 

どう考えたって私がどうにかできる相手ではない。

しかし、ヤツをここに招いたのは私だ。

私のせいで人が死ぬ。

それだけは避けなければならない。

本当に嫌だ。

嫌だけど——私は観念して声をしぼりあげた。

 

「味の違いがわかるなんて美食家なんですねぇ〜」

 

なるべく余裕そうに。

くすぐるような調子で声をかけた。

取りこぼした獲物に向かっていたバケモノは歩みをとめて、その場でウロウロと二の足を踏む。

 

私を探しているのだ。

伸びきった頭部が身体を揺するたびにゆらゆらと動くせいで、視線が定まらず、探し物を見つけにくいのだろう。

腹部には数本の日本刀が深々と刺さっている。

間違いなくダメージは蓄積されている。

大丈夫。よちよち歩きのうちは怖くない。

人気のない場所に誘導して、うまくすれば逃げ切れる。

ちがう。逃げ切ってみせる。

こんなバケモノに殺されてたまるか!

そんな理不尽で無意味な死があってたまるか!

次の手を考えながら「鬼さんこちら」の要領で声をかけ続ける。

 

「どこ見てるんですか? 私はこっちですよ!」

 

呼び声に反応してバケモノの身体がこちらを向く。

揺れ続ける視界のせいでうまく歩けないのか、ふらつきながら近付いてくる。

距離を詰められないように同じ分だけ離れながら、私もゆっくりと窓際に移動し、そっと窓を開ける。

いいぞ。その調子だ。

窓のふちに足をかけて、

 

「何モタモタしてるの? ほら、あなたの大好きな血が逃げちゃうわよ!」

 

挑戦的に煽ってやると、バケモノはぴたりと歩みを止めた。

おもむろに両手で頭を掴むと、しっかり固定された頭がこちらを向いた。

そうしてヤツはニヤリと笑い、一足飛びで私に飛びかかる。

 

すんでのところで身をかわした。

窓から転がり出て、超スピードで走り出す。

振り返ると、バケモノが壁を破壊したところだった。

さながらチャンピオンベルトを掲げるレスラーのごとく、頭部を高々と掲げている。

 

やだ、すっごい頭イイーーーッ!

第二形態じゃないですかやだーーーッ!

 



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十六話 轟け!唸れ!これが私の千鳥だ

やばいやばいやばいさすがにやばい!

パニックに陥りそうな脳味噌を叱咤し、フル回転させる。

助けは呼べないか?

もうヤツに対抗できる人類は、万事屋か真選組ぐらいしか思いつかない。

脱兎のごとく、繁華街を駆け抜けながら必死に考える。

 

——万事屋は反対方向だし、銀さんはたしかどっかで呑んでるって言ってたけど……スナック「ペロペロ」ってどこだよ⁉︎ どこをペロペロしてるんだかされてるんだか知らなけど、ろくなところで呑んでねーなあのマダオ!

 

——たしか真選組はヴァンパイア事件の犯人を追って……B地点でどこだよ! 場所ぐらい詳しく言っとけ土方ァァァァアア!

 

切羽詰まって理不尽な八つ当たりをしてしまう愚かな私をお許しくださぁぁぁぁあああいいいい!

誰でもいいから助けてぇぇぇぇええええ!

 

散々胸中で喚き倒してから、我にかえる。

……ないものねだりをしても仕方ない。

しっかりしろ。私が自分でなんとかするしかない。

覚悟を決めるんだ。

怯えて曇った頭では、無駄死にするだけ。

心は熱く、頭はクールに。

ここまで来たら一か八か、賭けるしかない。

 

背後を見ると、バケモノは、腹部の日本刀を邪魔くさそうに抜きながら四足歩行で迫っていた。

 

……見なきゃよかった! 見なきゃよかったよぉぉぉぉおおお!

 

——まずはヤツの視界から消えることだ。

曲がり角を急旋回して、路地裏に飛び入る。

バケモノに追い込まれるままに、路地裏をずんずん進んでいく。

まるで迷路のような道をぐねぐね進みながら、どうか私の期待通りの場所に繋がることを祈る。

バケモノの気配をすぐ背後に感じる。

そのプレッシャーに唇を噛み締めて耐える。耐え続ける。

息苦しさで肺が破裂するんじゃないかと思った頃。

 

——見えた!

私の行く末。

暗くて、臭い路地裏は最終地点に私を導いた。

薄汚いコンクリート壁が立ち塞がる……行き止まりだ。

 

私は振り返って身構える。

袂からスタンガンを取り出し、急いでボルトレベルを最大出力にした。

このスタンガンは銀さんに頼み込んで、あのカラクリ技師「平賀源外」に格安で作ってもらった代物だ。

最小出力で近藤さんを失神させたんだ。

最大出力なら、あのバケモノだって倒せるかもしれない。

それに、ちょっとした仕掛けもある。

上手く使えばあるいは——もう一縷の望みに賭けるしかない。

 

「オニごっこは、ぉわりカナ?」

 

狂気に満ちた声が響く。

獲物を追い詰めた余裕からか、少し理性が戻ったようだ。

悠然と歩み寄るバケモノに、警告の意味を込めてスタンガンを突き出す。

ヤツは立ち止まって、私の武器を一瞥すると鼻で笑った。

完全に舐め腐っている。

 

「私は逃げてたつもりないんですけどね」

「ククッ……。ソんなに震えテ……ナニヲ言う」

 

指摘されて気付く。

スタンガンを握る右手が、情けないぐらいに震えている。

演技力がなさすぎる右手に、我ながら笑える。

その笑みを不適な笑みに変えて、今度は両手でスタンガンを握りこむ。

 

「計算通りと言ってるんです。あなたを倒す準備は整いました」

 

一発勝負だ。

全ては一瞬の選択で決まる。

相手が私の罠にハマるか、それとも回避されるか。

まだ考えはまとまっていない。

けど、やってやる!

考えろ! 喋りながらでも考えるんだ!

アルミン・アルレルトもそう言ってた!

 

私は慎重に言葉を選ぶ。

 

「取引をしましょう」

「といひき……?」

 

まず敵の観察だ。

ヤツの肉体は、致命傷をいくつも負っている。

というか首も折れてるし、もはや致命傷どころじゃない。

平然と動き回っているところを鑑みると、痛覚がないのだろう。

ゾンビみたいに、肉体を動かせる限りは活動できそうだ。

ゾンビ映画のお約束ならば、頭部を潰せば肉体運動は停止するかもしれない。

けど、それは無理。

そこまでの戦闘力が私にあるなら、とっくにやっている!

 

「そうです。まあ、取引というよりは脅迫になってしまいますが」

「きようハク……? ククク……ドウいうイミだ?」

 

いや本当にどういう意味だよ!

こっちが知りたいわ! そんなんこっちが知りたいわ!

時間稼ぎしようと思ってたら空気でとんでもないこと口走っちゃったよ!

なーんにも考えてないよ勘弁してください!

 

しかし、なんだろう。

何かが引っかかる気がするけど——やっぱり何も浮かばない。

クソ!

とにかく時間を稼がないと——

 

 

威嚇(いかく)の演出をかねて、スタンガンのスイッチを気軽に押してみる。

途端に、その先端から予想以上に激しい火花——というかほとんど雷に近い閃光がバヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂと鳴いて散った。

 

バケモノが感心したように「ナルほド……」と呟いてくれたが、私の内心は穏やかじゃない。

 

平賀源外ィィィィイイイ!

限度が! 限度があるでしょうよ!

バヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂなんて効果音そうそうないよ!

千鳥レベルだよ! カカシ先生かよ!

こんな危険物を2000円で気軽に売ってはいけない!

「なんか知らねけーど丁寧に扱えだとよ。とりあえずジャンプと同じコーナーに飾っとけ」とか適当なこと言うマダオに気軽に渡してはいけない!

 

バケモノに悟られないよう、さりげなくスタンガンのレバーを切り替える。

そして心臓がバクバク鳴っていることはお首にも出さず、私は見事なポーカーフェイスを決める。

 

「この電撃は、雷と同じ200万ボルト。人間に当てれば、一瞬で黒焦げになります」

「ホウ……ソイツでおれヲコロすのか?」

 

弱者の必死の抵抗を、バケモノはニヤつきながら見守る。

余裕そうだ。それもそうだろう。

どんなに強力な武器でも当たらなければ意味がない。

そして当てるほどの戦闘力が私にあるなら、とっくにやっている!

そしてこの()()()もとっくにやっている!

 

「当たるはずないって思いますか?」

 

含みのあるセリフに、バケモノは沈黙で返した。

本当に何か策があるのではと多少警戒しているようだ。

真冬の冷えた空気に、緊張が走る。

 

次に口を開く数秒の間に、私は思考を巡らせる。

 

そもそも敵の目的はなんだ?

ヤツは狂っているように見えて、無差別ではない。

一直線に私を狙った。

何度も殺されそうになったけど、殺すこと自体が目的じゃない。

キーワードは——血?

 

「スタンガンは、あなたに当てるのではありません。——私です」

 

そう言って、スタンガンの先端を自分の首元に押し当てる。

ヤツの爛々と光る目が、驚愕に染まった。

 

「あなたが固執しているのは、私じゃない。私の血液ですね?」

「……ソレガどうしタ? どうせオマエハシヌ! シヌ! コロす!」

「200万ボルトの電撃を身体に受ければ、血液は沸騰します。いいんですか? 一度沸騰すれば、血の味は変わる。味だけじゃない。あなたが欲しがっている新鮮な血液とはまったく別物になりますよ」

 

私の血液に固執する理由はわからない。

けど、このバケモノにとっては価値あるものなんだろう。

確信はない。

が、ここで勝負をかける!

 

空気をいっぱいに吸い込み、私は声を張り上げた。

 

「わかったならそこを退()け! お前に殺されるぐらいなら、死んだほうがマシだ!」

 

もちろん死ぬ気はない。

でも、大人しく殺される気はもっとないのだ。

 

半分本音を含んだハッタリは、それなりに迫力があったらしい。

私のゴリ押しにバケモノはグッと押し黙った。

 

震える足を叱咤して、私は一歩踏み出す。

さらに一歩。

もう一歩。

バケモノから目を離さない。

損傷がひどい顔面からは、ヤツの表情は読み取れない。

ごくりと鳴る喉に、さらに強くスタンガンを押し付ける。

 

数メートル幅のある道。

その端を通って、いよいよバケモノとすれ違う。

 

 

 

 

 

最も二人の距離が近付いた瞬間——ヤツは獣の咆哮をあげて私に襲いかかった。

抵抗する間もなく、あっという間に組み敷かれる。

 

「あたたかいチ……それはそれで——ウマソウダ」

 

そう言って、両手で固定した頭部をグッと近付ける。

バケモノは異様に長い舌を見せつけながら、舌舐めずりをした。

 

……なるほどなぁ〜

そういうもんか〜

トマトソースとかもあったかいの美味しいもんな〜

……ッて馬鹿野郎!

まだだ! まだ終わってない!

 

現実逃避してしまいそうな脳味噌を叩き起こして、右手に握った武器をヤツの身体に押し当てようと振りかざす。

しかし、追い詰められた弱者の攻撃が当たるわけもない。

バケモノはにやけ面で、頭部を支えていた左手を使い、私の右手を悠々と払いのけた。

 

その衝撃で、私の手から飛んでいってしまった——ボイスレコーダーが。

 

ヤツは「ンン?」と首をひねり、飛んでいったボイスレコーダーに気を取られている。

攻撃を防ぐことに使った左手は所在なさげに停止し、右手は頭部を支えるために高く上げられている。

 

 

 

つまり——右ボディがガラ空きだぜ?

 

——ここだッ!

私は左手に隠し持っていた大本命——スタンガンをヤツの右腹部に押し当てた!

 

 

 

 

 

 

 

しかし、その渾身の一撃がヤツの腹に埋まることはなかった。

黒服たちの攻撃で、スクランブルエッグ化していた腹部から突如として腕が生えると、私の左手首を捻り上げたのだ。

 

 

……なんじゃそりゃあああああああ!

 

 

バケモノの新しい腕は、当然のようにスタンガンを奪い取ると、自分の左手に手渡す。

 

「ククク……ザンネンだったナ」

 

驚愕と絶望に顔を歪ませる私を見下ろして、今度こそバケモノは勝ち誇った。

ヤツは楽しそうに、奪ったスタンガンを、私の首筋に押し当てる。

 

 

ドッと熱くなった身体。

その柔らかな血管に、ヒヤリと冷たい感触がした。

恐怖でビクついた反応がおもしろかったのだろう。

バケモノはスタンガンの先端を押し付けながら、それをゆっくりと移動させる。

首筋をすべり、頬をすべり、額に到達すると、スタンガンで殴るように押さえつけた。

 

無理やり正面を向かされた眼前に、バケモノの醜悪な面が覆いかぶさる。

私の反応を楽しんでいるのだ。

怯え、震え、泣き喚いて命乞いをするのを待っているのだ。

 

殴られた額が熱い。

痛みで生理的に滲んだ涙が熱い。

怒りで震える声帯を根性で押さえつける。

 

「……近付かないでもらえます? 息が臭いんですが」

 

 

一拍置いた後、ヤツは大声で笑い出す。

狂気じみた痙攣的な笑い声。

 

耳障りだ。

吐き気がする。

 

「スグにオトナしくなル……こいつヲくらえばナ」

 

生意気な私の恐怖心を煽りたいのだろう。

演技じみた大振りな動きで、ゴリゴリ音がするほど、額に強く強くスタンガンを押し当てる。

 

そうして、私に見せつけるように——

 

スイッチを——押した。



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十七話 人生は博打という大人は総じてマダオ

その瞬間——

 

バヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂッ!

 

(すさ)まじい音を立てて電撃が(とどろ)く。

目の眩むような閃光が(またた)く。

200万ボルトが走り流れ、肉を焦がし、血液を沸かす。

衝撃で激しく身体を揺らし、何度も痙攣した。

そして数瞬後、バケモノは白目をむいて天を仰いだまま動くことをやめた。

 

 

ぷんと鼻をつく異臭。

電撃により瞬間的に発生した強烈な熱。

動きを止めたバケモノの下——私は生きていた。

 

 

自分の鼓動を感じる。

自分の呼吸を感じる。

自分の身体を感じる。

私は——生きている!

 

——そうだ。

——やった……やったぞ!

極度の緊張と絶望と何やらがないまぜになり、しばし呆然とした後——じわじわと喜びがわいてくる。

 

作戦は成功したんだ!

間違いなくトラウマコースの衝撃映像が脳裏に刻まれてしまったが、命あればすべてよし!

なぜか涙がこぼれちゃうけど仕方ないだって女の子だもん!

手の舞い足の踏む所を知らず!

歓楽極まりて哀情多し!

有頂天外! 恐悦至極!

 

生死を賭けたギャンブルを勝ち抜き、自分でもよくわからない喜びの境地に至る。

それぐらい分の悪い賭けをしていた自覚はあった。

 

賭けの内容は、言ってみればシンプル。

敵がスタンガンを奪ってスイッチを押すかどうか、だ。

もしもヤツがスタンガンに見向きもせず、獣のように私を襲っていたなら、いまごろ私は死んでいただろう。

 

スタンガンの特注を頼む際、私はある仕掛けを頼んだ。

それはレバーの切り替えにより、電気の流れる方向を逆にするという仕掛けだ。

通常はスイッチを押すと、スタンガンの先端に電気が流れる。

が、レバーを切り替えてからスイッチを押すと、逆方向——つまり持ち手側に電気が流れ、スイッチを押した人間が感電するという仕組み。

万が一、敵にスタンガンを奪われた時の小細工だったが——まさかこんな土壇場で頼ることになろうとは思わなかった。

 

だが、勝算はあった。

幸い、バケモノがかつてどんな男だったかを、私は知っていた。

暴力を好み、人を痛ぶることが好きな男だった。

あの夜、私の恐怖に歪む顔を、男は気色満面に眺めていたのだ。

 

どうやったら人が絶望するかを、あの男は知っている。

方法は簡単だ。

徹底的に希望を潰してやればいい。

もしかしたら助かるかも。

そういった希望や抵抗を、目の前で潰す。

わざと希望を持たせ、奈落に突き落とすのだ。

 

あれはそういった類の人間だ。

 

ならば、方法はある。

生意気な女があれこれ試行錯誤した抵抗を、わざと防がせてやればいい。

そうすればヤツは上機嫌。

私の最後の切札——スタンガンを無効化した時、ヤツは有頂天になる。

あとはいかに私を絶望させるか、その一点にしか興味はないだろう。

となれば、最後にスタンガンを使って私を殺すことは必然。

なぜなら、人は最後の希望を潰され、それを横取りされることに最も憤りを覚えるからだ。

 

ここまでは、それほど悪くない勝率だと踏んでいた。

 

しかし、問題は二つあった。

バケモノと化した男に、まだ理性は残っているのか。

それと、平賀源外のカラクリはきちんと作動するのか、だ。

銀魂のイメージが強すぎていまいち彼の腕を信用できない。

こんなことなら近藤さんでもう一発試しておくんだった! と何度自分の怠慢を悔やんだことだろう。

 

 

何はともあれ、そうした賭けを乗り越えて、私は勝利したのだ!

ありがとう平賀源外!

ありがとう千鳥!

ありがとうカカシ先生!

 

ひとしきり生きている喜びを享受した後、バケモノの下から這い出そうと試みる。

私の腹の上で、ヤツは上半身を起こしたまま天を仰いで絶命していた。

グロテスクな見た目が丸焦げでさらに悲惨だ。

なるべく直視しないように、私は目を伏せる。

正直触りたくもないが、ヤツを押し退けようと仕方なく手を伸ばす——と、ふいにその手を掴まれた。

 

 

 

 

「……へ?」

 

 

 

伸ばした手〜を〜♪

掴むのはだ〜れ〜〜?♪

 

嫌な予感しかしない。

ギギギと首を軋ませ、私は恐る恐る顔を上げる。

バケモノの腹部から生えている左手?が、私の右手とガッチリ握手していた。

 

のけぞって天を仰いでいたバケモノが、ピクリと動く。

同時に、鼓膜をえぐられるような不気味な音が鳴りはじめた。

その音は、バケモノの口から溢れているようだった。

 

「グガグガグガグガガガガ——ッチ! チ! チチチ!」

 

私はふーっと一息ついてから、彼に話しかける。

 

「オッケーです。わかりました。血液、飲みたいんですっけ? では、こうしましょう。200mLまでならいいですよ。あ、注射器あります? 私、買ってきましょうか?」

「ウマイウマイウマイウマイイイイイイ!」

「アレェーッ? なんか今日は体調いいみたいです! こりゃ400mLまでいけるな! あなたのために400mLまで頑張っちゃおっかな⁉︎」

「チチチチチチチチチチチチチ! オレノオレノオレノオレノ!」

「うんうんうんうん! わかるわかるそれって超わかるぅぅぅぅうううう! 血って美味しいよねぇ! あの鉄分吸収してるぅぅぅうううーって感じ⁉︎ クセになるぅぅううみたいな⁉︎ 次の日お肌ツヤツヤ☆ みたいな⁉︎ 」

 

バケモノは全身を小刻みに震わせる。

というか、さっきからずーっと握手しっぱなしなんだけど。

なんで? そんなに私と握手したい?

——アレなにこれちょっと泣きそう。

 

「よく考えてくださいよぉ! 百歩譲っていま飲んじゃってもいいですよ? けどね、人体の血液は全部で約4リットルなんです。それってすっっっっごく少なくないですか? そんなのすぐに飲み終わっちゃいますよねーっ! 本当共感しかない! それがなんと! 今回見逃して頂ければ、半永久的に私の血液はあなたのもの! 毎朝6時に400mLをお届け! 三ヶ月続けて頂ければ元は取れちゃうんです! どう考えてもこっちのほうがお得——」

 

バケモノはブルブル痙攣しはじめると、前後に激しく頭を振りはじめる。

なんのリズムに乗ってるの?

メタル? ヘビメタ聴いてんの?

なにそれどういうメカニズム?

 

「グガグガグガグガグガグガグガグガガガガッ——」

「ちょ、ちょっとぉぉぉおおお! いい加減にしてくれる⁉︎ その『グガ』ってのやめてくれる⁉︎ 怒ってんの⁉︎ 何キレてんの⁉︎ 何本気になっちゃってんの⁉︎ 怖いんですけど! なんかものっそい怖いんですけど! 謝るから! 電気ショックのことなら謝るから! だからお詫びに血あげるって言ってますよね!」

 

私の叫びが届いたのか、バケモノはぴたりと動きを止めた。

上半身を姿勢良く正し、頭部は重そうにぶら下がっている。

ヤツの両手が奇妙な動きで頭部を持ち上げ、その顔面を私に見せつける。

電撃で黒焦げになった顔。

そこに浮かぶ二つの白目。

その下には、まるでブラックホールのようにぽっかりと空いた一つの穴。

そこから、この世のものとは思えない憤怒の雄叫びが上がる。

その衝撃波を、私は肌で感じた。

 

そして悟る。

 

あ、終わった。

いよいよダメだ。

死を目前にして、恐怖よりも怒りが勝った。

理不尽で、非論理的で、非合理的で、絶対的で、無意味。

私はそういったものが嫌いだ。

「死」という概念が、私は死ぬほど嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

けれど、私は死ぬ。

そう理解した時だった。

 

 

 

 

 

バケモノに握手という名の拘束をされていた右手が、ふいに解放された。

一瞬の出来事。

何かが目の前を横切り、そして鮮血。

私の手を握っていた——バケモノの腕が宙を飛んだ。

唖然とした私とは対照的に、ヤツは瞬時にその何かに反応した。

獣じみた動きで飛び退くと、あっという間に数十メートルの距離をあける。

四つん這いの姿勢で、見えているのかわからない白目を私の後方に向けた。

 

 

何が何やらわからぬまま。

頭の中は真っ白だ。

ヤツの視線に誘導されて、ぽかんと口を開けたまま私はゆっくりと振り向いた。



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十八話 いくつになってもガキのまま

「なんでィ。もっとぐっちゃぐちゃに泣くかと思ったのに、つまんねーなァ」

 

栗色の髪。

飄々とした口調。

ベビーフェイスに似合わない好戦的な瞳。

そしてブレないドSっぷり——

 

「お、沖田さん⁉︎ なんで⁉︎」

 

沖田総悟は、抜き身の刀を(するど)く構える。

すでにバケモノの腕を斬り飛ばし、一仕事終えた刀身は、血を吸ってさらに飢えているようにみえた。

 

「それはこっちのセリフでさァ。何勝手に死にそうになってるんでィ」

「私だって好きで死にかけたわけじゃ——」

 

そう言いかけると、沖田さんが「来るぞ」と鋭く呟く。

 

何が? と疑問を口にする暇もなく、沖田さんは私の首根っこを掴み、軽々と後方に飛びすさる。

その勢いのまま、私は乱暴に投げ捨てられた。

痛む身体をさすって顔をあげると、目の前の光景に息をのむ。

さっきまで私が転がっていた地面に、バケモノの腕が深々と突き刺さっていた。

 

「グガグガグガグガチチチチチチチチチ! アノカタニチ! アノカタニチヲオオオオオ!」

 

 

あの方に血を……? 誰のことだ。

バケモノの咆哮(ほうこう)に、私は眉をひそめる。

最終形態と化したバケモノは、闇の中でも浮かび上がるほど禍々しい。

いまだ(くすぶ)り続ける身体からは、熱気がゆらゆらと揺れている。

その異様な光景に、私は釘付けになる。

ヤツの邪気が空気を介して身体に入り込みそうで、息をするのも(はばか)られた。

 

その時、私の視界が(さえぎ)られる。

沖田さんだ。

散歩でもするように、ゆらりと私の前に進み出る。

 

ダメだ。あんなバケモノに勝てるはずない。

「逃げ——」

逃げましょう! と言おうとして、私は言葉を失う。

 

沖田さんは、ただ静かに刀を構えていた。

しかし、その背中からは剣山のような鋭い殺気が立ち昇る。

一瞬にして空気が重くなる錯覚。

()れられない。

この人には誰も触れられない。

直感的にそう感じた。

 

「アンタ、ずいぶんタフそうですねィ」

 

口調だけは軽やかに。

沖田さんは悠然と言う。

 

強敵を見咎めたバケモノの雄叫びが、冷たい夜気を引き裂いた。

 

「まあ、どんなにタフでも——」

 

タンッと軽い足音を立てて、沖田さんが軽やかに飛び出す。

ひらめく稲妻のごとく一瞬でバケモノの脇を通り過ぎると、蝶のようにふわりと着地した。

そして振り返ることもなく、刀についた血を振り払う。

 

(きざ)んじまえば、文句ネーでしょう」

 

彼がそう言った直後、バケモノの身体が崩れる。

左腕が飛ぶ。

右腕が飛ぶ。

左足が飛ぶ。

右足が飛ぶ。

最後にダルマのようなフォルムで残ったバケモノは、断末魔の叫びを上げると、肉片となって崩れ去った。

 

 

 

 

これが真選組一番隊隊長——沖田総悟。

 

 

 

 

その圧倒的な強さに戦慄を覚える。

私は呆然とへたり込んだまま、彼の姿を目で追っていた。

沖田さんはずんずんこちらに近付いてくると、気付けば目の前にいて、私を見下ろしていた。

 

我にかえって、緊張で乾ききった唇を開く。

「あ、ありがとうございました! 助けて頂いて——」

「なんで言わなかった」

私の言葉を遮る、彼にしてはめずらしく低い声。

言わなかった? 何を?

その質問の意図がわからず、私は疑問符を浮かべる。

沖田さんは静かに言い放つ。

「だから、なんで誰にも相談しなかったって聞いてんだ」

 

苛立ちを隠さない声色に、ハッとする。

いつも飄々(ひょうひょう)としている、あの沖田さんが怒っている。

なぜ彼が怒っているのか理解が追いつかず、私はしどろもどろに答える。

 

「あの……ただのストーカーだと思っていたので。自分で撃退できるかと——」

「それで死んでも、全部自分(テメー)の責任ってことか」

沖田さんの言葉に息をのむ。

間違ってはいない。

その考えは、たしかに頭の片隅にあった。

しばしの沈黙の後、私は小さく肯定した。

 

 

沖田さんは大きなため息を吐いて、

「近藤さんにすら相談できねーほど、俺たちのことは信用できねーってか」

「そんなこと——!」

顔を上げると、思ったより真剣な瞳とぶつかって戸惑う。

何かがジンと胸にくる。

こんなに真剣に怒られたのはいつぶりだろうか。

 

 

「……すみませんでした。沖田さんにはご迷惑をおかけして——」

申し訳なさに消え入りそうな声が、大事なことを思い出す。

「——ッ真選組はどうしたんですか⁉︎ ヴァンパイア事件は⁉︎」

「知らねー。土方の野郎がどうにかしただろ」

沖田さんはこともなげに言った。

ヴァンパイア事件は、いまの真選組にとって間違いなく最優先事項。

斬り込み隊長の沖田さんがいなくていいはずがない。

 

 

「どうにかってそんな……なんでわざわざ私を追ってきたんですか」

私が襲われるなんてこと、沖田さんが知っていたはずがない。

大事な仕事を投げ出すほどの、根拠と策があるはずで——。

その考えをなぎ倒すように、「(かん)でさァ」と沖田さんはさらりと言ってのける。

 

「勘って——そ、そんな運任せな……」

「バーカ。俺は運がいいんじゃねぇ。勘がいいんでィ」

 

そういうものだろうか。

たしかに彼の鋭さは(あなど)れないと思うけど。

 

沖田さんはついと視線をそらして、

「それに今日のアンタは様子がおかしかったんでねィ」

と、ついでのように付け足した。

 

……本当に鋭い人だ。

沖田さんの前では下手なことはできないと改めて思う。

変なタイミングで彼が視線をそらすものだから、私まで目線の行き場を失ってしまった。

視線の置き場に困ってさまよわせると 沖田さんの腕に目が止まる。

 

 

隊服は裂かれ、そこから(あふ)れる血が、黒色の隊服をさらにドス黒く染めている。

「沖田さん! 腕が!」

思わず小さく叫ぶと、

沖田さんは今しがた気づいた様子で、

「かすり傷でさァ。これぐらいなんともねェ」

と、ひらひら手を振ってみせた。

 

「何を言ってるんですか! 早く手当てしないと、血が——」

そうだ、早く治療を——

そう思った途端、ドクンと心臓が大袈裟に鳴った。

うまく息ができない。

傷口から流れる血から目が離せない。

苦しい。

真っ青になった顔を、沖田さんに悟られたくなくて(うつむ)く。

 

「止血します。少ししゃがんでください。」

 

沖田さんは何も言わずに、私の前にあぐらをかいて座った。

私も無言で、傷の具合を見る。

大丈夫。たしかにひどい傷ではない。

しっかり止血さえすれば——大丈夫、大丈夫だ。

私は応急処置さえすればいい。

手早く自分の帯締(おびじ)めを(ほど)く。

それを沖田さんの腕に巻こうと手を伸ばして、その手を握られた。

 

「自分で()()まさァ」

「……そうですか」

 

小刻みに震える私の手から帯締めを受け取ると、彼は慣れた手つきで患部を止血した。

 

真冬の夜に音が吸い込まれたのかと思うほど、しんと静かだ。

荒くなった呼吸が、少しずつ落ち着いてくるのを感じる。

沖田さんは何も言わなかった。

いまはそれが有難(ありがた)い。

 

 

気まずい沈黙の後、

沖田さんはおもむろに立ち上がると私の背後にまわる。

そして私の着物に手をかけた。

 

 

「ちょちょちょちょ⁉︎ 何するんですか⁉︎」

思わずギョッとして小さく叫ぶと、沖田さんは呆れ顔で言う。

「バーカ。勘違いすんじゃねェ。そんな格好で歩かれたら変な誤解されんだろーが」

 

その言葉に、自分の格好を省みて納得した。

着物は着崩れているし、髪もぐちゃぐちゃだ。

たしかにこの格好で出歩けば、あらぬ誤解を受けるかもしれない。

そもそも沖田さんみたいな美青年が、年増のアラサー女に変な気を起こすはずもない。

さらに言えば、腰が抜けてしばらく動ける気もしなかった。

私は気恥ずかしさに小さく「すみません」と呟いて、肩の力を抜く。

 

 

 

よれた着物を、沖田さんは手際良く伸ばしていく。

人間の手のひらの温かさを背中に感じて、少しホッとした。

 

「悪かったな」

 

背後から沖田さんがぽつりと呟く。

彼の口から絶対出ないような言葉で、内心驚く。

というか、沖田さんが謝る要素は一つもないと思うんだけど……。

私が黙っていると、彼はいつもの淡々とした調子で続けた。

 

「勘違いすんなよ。別にアンタのためじゃねぇ。俺はただ——女が死ぬところは見たくねぇってだけでさァ。意地張ってどこで野垂れ死のうがアンタの勝手だけどな」

 

冷たい言葉とは裏腹に、帯を整える手つきは優しい。

——ミツバさんのことだろうか。

沖田さんの言葉に、亡くなった彼の姉を思い出してしまう。

いまが原作のどの時点なのかは分からない。

けれど、原作知識があるということは、人の秘密を盗み見ているようで気持ち良いものではない。

 

「わかりました。沖田さんの前では死なないように気を付けますね」

 

大真面目にそう言った私を、「相変わらず変な女でさァ」と沖田さんは小さく笑った。

 

 

この世界は漫画『銀魂』の世界だ。

けれど、ここの住人は生きている。

漫画もアニメも銀魂も関係ない。

私は沖田さんと——彼らと同じ世界で生きているのだ。

 

そう思ったら自然と口を開いていた。

 

「私、実家が大病院なんです。医者家系の娘で、生まれた時から医者になることが決まっていました。といっても、双子の姉がいたので、家督を継ぐのは姉さんなんですけどね」

 

なんでこんな身の上話をはじめたんだろう。

命拾いして、気が抜けたんだろうか。

それでも一度話し出すと止まらない。

 

「幸い勉強は好きだったので、医者を目指すことに不満はなかったんです。姉さんと一緒に、たくさん勉強して、大学は医学部に入って、そこでもたくさん研究して、実家の病院に就職しました。姉妹そろって無事に医者にはなれたんですが——三年前、姉が亡くなったんです。血液の病気でした」

 

沖田さんは聞いているのかいないのか、黙って(かんざし)をはずす。

ぱさりと肩に落ちた髪が、夜風にさらって気持ちいい。

 

「トラウマって言うんですかね。それから血が苦手になりました。日常生活に支障はないんですけど、医者として治療しないと——って思うと、もうダメで。手術(オペ)できない医者なんて、いらないじゃないですか。だから医者を辞めて、普通に就職して——でもダメですね。なんか上手くいかないんです」

 

返事がないと、独り言をいってるみたいだ。

私のことを誰も知らないこの世界自体に、自己紹介でもしてる気分になってくる。

そんなことを想像すると、不思議とおかしくて笑えてきた。

 

「姉が死んでからは本当に散々ですよ! 婚約者には浮気されて捨てられるし! しかも浮気相手って私の親友だったんですよ⁉︎ 不幸すぎて逆に笑っちゃいます!」

 

ぜんぜん面白くもないのに、一人でケタケタ笑った。

アラサーなのに、結婚はしてないし、恋人はいないし、いまさらキャバクラで働き始めるし、借金はしてるし、死にかけるし、挙げ句の果てにひと回り近く年下の青年に助けられて愚痴ったりしてる。

自分がダメすぎて情けなくて、アラサーなのにぜんぜん大人じゃない。

 

「なるほど。だからアンタは幸薄い顔してるんですねィ」

 

いつもの憎まれ口を叩いて沖田さんが立ち上がる。

私の髪の毛はいつのまにか綺麗に結われていた。

嫌味なくらい、そつなく出来る男だ。

将来が有望にもほどがある。

 

「大きなお世話です!」

 

ようやく力が入るようになった足で、私は立ち上がる。

大人として、一社会人として、この青年にどれぐらいの御礼の品を送るべきか考えながら。

借金持ちの懐具合とよく相談してから決めるとしよう。

 




とにかく沖田さんをカッコよく書きたい&桜の身の上話をしたい回でした。


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十九話 大人のプライドは安い

 

次の日、みんなの反応は様々だった。

 

銀さんは「彼女の友達ってやたらとエロく見えんだよなぁー」と頷き、

新八くんは「世の中には浮気しない男性もいますから!」と慰め、

神楽ちゃんは「桜はなんで浮気されたアルか?」と問い、

お妙さんは「今度合コンするときは絶対呼びますからね」とエールを送った。

極め付けに、スナック『すまいる』の店長は「真選組から圧力があってね……ごめんなさいね。ただでさえ婚約者に捨てられて大変だっていう時に」と申し訳なさそうに解雇を言い渡した。

 

……ふう。

私としたことが大人気ない。

いくらなんでも一回り近く年下の子供に怒るなんて、そんなみっともないことはやめよう。

昨日、口止めしなかった私も悪いじゃないか。

そうだ。

きちんと理性をもった抗議をすることこそ、大人のやり方だろう。

怒りの感情は一度抑えて、おさ、おさ、お、お——

沖田ァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアア!!!!!!

あんのクソガキィィィィィィィィィィィイイイ!!!!!!

 

 

 

 

 

怒りのボルテージは最高潮。

真選組の屯所に乗り込むと、通された部屋には三人の男がいた。

明らかに怯えている様子のゴリラ。

渋い顔でガンを付けるマヨラー。

ふざけたアイマスクを頭に付けているクソガキ。

 

日本家屋らしい畳張りの部屋は、男所帯のわりには清涼な空気が漂っていた。

私は鼻息も荒く、無遠慮に部屋に入る。

なんせこちとら年甲斐もなくブチ切れている。

こんなにキレたのは、二年前、転職の際に4月入社と5月入社の違いでボーナスが出なかったとき以来だ。

まったく悪びれる様子もなく、それどころかちょっと楽しそうに、沖田さんは私に目を向けた。

そのなめくさった態度に、私は怒鳴る。

 

「一体どういうつもりですか⁉︎ プライバシーの侵害にもほどがあります! SNSの在り方(ありかた)が問われる昨今(さっこん)、言っていいこと悪いことの区別もつかねーのか土方ァ!」

「え、俺ェ⁉︎」

 

沖田さんの隣で、我関せずといった風情の土方さんが思わぬ飛び火に驚いた。

部下のセキュリティ意識低下は上司である土方さんの責任だ。

いざ目の前にしたら沖田さんにビビったなんてことは断じてない。

私の考えを見透かしたように、沖田さんは鼻で笑う。

 

「俺ァ、アンタの悩み事をみんなで共有しようと思っただけですけどねィ。助け合いの精神を理解する余裕もねェ哀れな人間だな土方ァ!」

「はぁ? ぜんぜん悩んでないですけど? とっくに吹っ切れてるんですけど? 女の機微もわからない哀れな男だな土方ァ!」

「ああ、そういうことか。俺にだけ特別に打ち明けた悩みを、みんなに話されたから嫌だったんですねィ。それならそうと素直に言えよ、腹切っとけ土方ァ!」

「沖田さんって自意識過剰ですよね。私は夜空のお星様に話したんですよ。ドSの王子様はご自分の星にお帰りください、マヨネーズ星に埋まっとけ土方ァ!」

「お前ら打ち合わせでもした?」

 

土方さんが青筋を立てて、睨み合いに参戦する。

三者の険悪な空気に耐えられなかったのだろう。

大人しくしておけばいいものを、近藤さんが慣れないケンカの仲裁に入る。

 

「おおおおおお落ち着いて! 桜さん! 俺の顔に免じて! 総悟には俺からもよーーーーく言っておくから! ね⁉︎」

「ゴリラの顔で何が免除されるって言うんですか。動物園にでも行った気になっとけって言うんですか。それなら餌やり体験でもさせてくださいよ。癒されるんで。ほら、バナナ食っとけよ」

ぎりぎり残っていた大人の理性で持ってきた手土産——フルーツバスケットの中からバナナを放り投げる。

「すっげーキレてんじゃん!」

涙目の近藤さんは怯えながらもバナナに飛びついた。

 

 

 

もちろんプライベートな事情を言いふらされたことには腹が立つ。

だが、そのリスクを考慮しなかった私にも多少の落ち度はあるだろう。

そこまでは100歩譲って、許そう。

アラサーの度量として、寛大な心で、人生の勉強代だと考えよう。

しかし、収入源である「すまいる」の解雇処分についてはどうしても納得できない!

 

「なんで『すまいる』までクビにならないといけないんですか! 税金泥棒と違って、私は毎日生きるための銭稼ぎで必死なんですよ!」

 

税金泥棒に反応したのか、土方さんが青筋を立てて言い返す。

 

「キャバ嬢って言ってもゴリラの世話係だったんだからさ〜。自販機の世話係にでもシフトすればいいんじゃない? 自販機の下でも(あさ)って銭稼ぎすればいいんじゃない?」

「私がそんなところにシフトしたら、自販機漁り職人『はせがわ』が困るじゃないですか。プロの島荒らすようなこと怖くて出来ませんから。あれ〜、町を取り締まる警察の方なのにプロがいるって知らないんですかぁ?」

「べっつに〜。プロがいるなんて知ってたけどね。俺も(いにしえ)から知ってたけどね。ちなみに『はせがわ』って屋号は、お仏壇の『はせがわ』にあやかって付けたらしいよ。なんでも自分が仏壇に入るまで、一生現役自販機漁り職人でいたいという熱い職人魂が込められてるんだってね〜。いや、すげぇわ職人ってやっぱ死ぬまで職人だわ〜」

「自販機漁り職人って、ただの住居不定無職のマダオのことじゃないですか。『はせがわ』って、ただのマダオの個体名じゃないですか。何言ってるんですか?」

「自分から振っといて冷めてんじゃねーよ! そういうとこあるよお前本当! 乗ってやった俺に少しは感謝すべきだよ本当!」

「迎合されても気持ち良くないんですよね」

「テメェ二度と俺の前でボケんじゃねーぞ!」

 

土方さんをおちょくっても、気が済まない。

なぜ解雇されるのか、私は明確な理由を知りたいのだ。

そして謝罪と妥当な補償を求める!

私が鼻息荒く追撃しようとしたとき、

「あ、あの……」近藤さんが拳をぶるぶる震わせて言った。

すっかり蚊帳の外だったゴリラに、みんなの視線が集まる。

そして、近藤さんは真っ青な顔でスライディング土下座を決めた。

 

「すんまっせええええーーーん! 桜さんが(クビ)になったの……全部俺のせいなんです! 本当すいまっせええええーーー!」

突然のことに私は呆気にとられる。

土方さんは「バカヤロー! こんな女に簡単に頭下げるな!」と近藤さんを叱責し、近藤さんは「いいやトシ! 止めてくれるな! 全部俺の責任なんだ!」と反抗している。

渦中の沖田さんは、このやりとりに飽きた様子で大あくびをした。

 

……まったく話が進まない。

私はため息を吐いて、フルーツバスケットを畳の上に置く。

部屋の隅に重ねてあった座布団を一つ持ってきて、座る。

沖田さん用に持ってきた洋菓子を開けて、三人の前に突き出した。

「お茶、お願いします」

ようやく矛を収めた私に、ゴリラはぶんぶん首を縦に振って部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

洋菓子と茶を囲んで、円になる四人。

遠慮なく菓子を摘む者もいれば、土下座スタイルから頭を上げない者もいて、決して雰囲気がいいとは言えない。

頭をあげない近藤さんにかわり、土方さんが話し出す。

 

「……上から圧力があった。真選組に常駐の医者を置けっつー話だ。今まで簡単な治療は山崎が診て、定期的に医者を招いて診察をしていたんだが——」

沖田さんが、言葉尻をとって続ける。

「それが突然、あちらさんご指名の医者を置けときた。お上(おかみ)が俺らの身を案じてるとも思えねぇ。——きなくせぇ話でさァ。」

「で、適当に相槌打って誤魔化せばよかったものを、このバカが話ややこしくしやがって——」

「謝ってるじゃん! だからすっごい謝ってるじゃんんんん!」

土方さんの冷たい視線に、近藤さんがまた泣きわめく。

 

そういえば、昨日、やけに近藤さんが落ち込んでいたことを思い出す。

これが原因だったのか。

……なんだか嫌な予感がする。

 

厳しい視線に晒されて、近藤さんはもごもご白状した。

「そ、その……。俺もね? いったん持ち帰ってトシや総悟に相談しなきゃって思ったんだよ? でもさ〜そのとき酒も入ってたしさ〜なんかよくわかんなくなっちゃってさ〜。言っちゃったんだよね。もうすっげー腕のいい医者が、うちに来る予定だからお断りしますって」

「……へ〜。腕のいい医者ですか、いったいどこに——」

 

三人が一斉に私を指差す。

私は無言で、体を右にずらす。

それでも付いてくる指先の光線。

——私は無言で立ち上がり、一直線に脱出を試みた。

 

 

「総悟! 逃すな!」

 

 

当然捕まる。

逃げ出さないように、縄でぐるぐると巻かれて、乱暴に転がされた。

 

「拉致監禁で訴えてやる。善良市民への暴力行為をマスコミにリークしてやる」

「残念だったな。戸籍がないヤツは市民じゃねー」

 

土方さんは悪役さながらに紫煙(しえん)をくゆらせた。

それが警察官の面だろうか。

確実に犯罪者だろう。

 

沖田さんは、畳に転がる私を黒い笑みで見下す。

その笑みを見て確信した。

これは罠だ。

私を怒らせて屯所に乗り込むように誘導し、捕獲することが目的。

こうなっては雇用契約書に(はん)を押すまで解放されない。

くそ、見事にやられた。

 

こうなったらシラを切り通すしかない。

証拠はどこにもないんだ。

私は絶対に認めない!

こんなヤクザ警察には負けない!

私は不適に笑って言う。

 

「沖田さんから何を聞いたか知りませんけど、私は医者じゃありません。医療なんてまったく知りません。一体どこにそんな証拠が——」

 

沖田さんが無言で、縛られた私の前にボイスレコーダーを置いた。

……ボイスレコーダー?

あれ、なんか見たことある。

そういえば、ストーカー対策で使った私のボイスレコーダー……どこやったっけ?

昨日、たしか……ヤツに(はじ)かれて……道に転がって……それで——

 

ボイスレコーダーから流れる。

昨日の、沖田さんとの会話。

私の独白。

流れる証拠。

 

「誰が医者じゃネーって?」

私の肩にポンと手を置いて、沖田さんが微笑んだ。

 

このクソガキィィィィイイイ!

おかしいと思った!

ああ、おかしいと思ったさ!

昨日の沖田さんはやたらと優しかった!

あれ? こんなキャラだっけ? って思うほど優しかった!

映画版ジャイアン的なアレかなと納得してしまった自分を殴りたい。

漫画通りの人格だと先入観を持つのは人としていかがなものかという私の反省を返せ!

 

なんとかドス黒い感情を抑える。

まんまと騙され、言質を取られた。

まぁ、証拠があるなら仕方ない。

私は観念して話し出した。

 

「知ってるなら話は早いです。……私に医者は無理ですよ。沖田さんから聞いてますよね? だって私は、血が苦手なんです。血が苦手な医者なんて、何をすればいいんですか」

「何もしなくていい」

間髪入れずに、土方さんが言った。

 

「……はい?」

「そもそも今までだって抱えの医者なしにやってきたんだ。お前の働きなんて必要ねーよ。この件が片付くまで、体裁(ていさい)がほしいだけだ。お飾りの医者でいい」

「……そこらへんの医者に金でも握らせて連れてくればいいじゃないですか! なんで私なんですか?」

「……色々事情があんだよ」

土方さんは渋い顔で言う。

私にだって事情ぐらいあるわ!

そう言いたい気持ちをぐっと堪える(こらえる)

 

私じゃなきゃダメな理由っていうと——

 

「ヴァンパイア事件が関係あるんですか?」

 

タイミング的にこれしかないだろう。

昨晩、犯人を捕まえられなかったのか?

沖田さんの助けを借りた手前、少し責任を感じなくもない。

 

「お前が知る必要はねェ。とにかく、黙って俺らに囲われてりゃいいんだ」

 

土方さんは眼光鋭く圧力をかけてくる。

遥か高みからの命令口調。

癪に触る(しゃくにさわる)

カッと頭に血がのぼり、怒りで心臓が熱くなった。

私は憤りを含んで、静かに言う。

 

「……それが人に物を頼む態度ですか? 説明もなく黙って従えって何様なんですか。何もしなくていいなんて、私にだってプライドが——」

「うちで働くなら戸籍を作ってやる。社保、社宅完備。給料は今の二倍出す」

「是非よろしくお願いします。土方副長」

 

秒で(ひざまず)いた私に、沖田さんが小さく「やっすいプライドでさァ」と呟いた。

 

 



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二十話 告白は大人になってもドキドキする

忙しない歌舞伎町の一角で、時間が切り取られたような空間。

レトロでノスタルジックな雰囲気のある古民家カフェ。

木の温もりがあるテーブルとイスがどこか懐かしい。

つるりとした木肌のベンジャミンの木や、テーブルに一輪挿しで飾られる小さな花も目に楽しい。

 

私は、少しぬるくなったコーヒーに口をつけた。

豊潤な香りが口の中に広がって鼻を抜けていく。

思わず、ほぅっと息をつく。

さすがにインスタントコーヒーとは格が違う。

丁寧に豆から挽かれたコーヒーは、予想以上に私の心を満たした。

 

こういう時、最近の若者は何というんだったか。

……エモい?

なるほど。

これがエモい。

たしかemotionalを由来としたスラングだったか。

奥深いものだ。

 

「なーにがエモいだ」

 

いつもの着流しを着た銀髪の男がだるそうに現れると、私の向かいに座った。

 

「10分遅刻ですよ」

「あー? 15分内は遅刻のうちに入んねーから」

 

アンティークチックな可愛らしいメニュー表を見て、銀さんはぶつぶつ文句を言う。

 

「小洒落たカフェっつーのはなんで余計なもん使いたがるかねェ。やれ全粒粉だ、やれにんじんケーキだ。こちとら健康になるために食ってるわけじゃねーの。むしろ不健康になりに来てるわけよ。体を犠牲にしてでも好きなもん食いに来てるわけよ。往生際悪いんだよなぁ。その点、オレは覚悟してるからね。たとえ糖尿病になろうとも関係ねーという精神でやらせていただいてるからね」

「幸せの全粒粉入りパンケーキでお願いします」

「お前ないわー。邪道だわー。スイーツ(笑)みたいなの許さねーからな。俺はもっと真剣だから。スイーツ(怒)だからね。んじゃ、俺チョコレートDXパフェで。あ、あと苺牛乳」

 

店員さんは「かしこまりました」と私にだけスマイルをくれた。

わざわざ店員さんの前でぼやくことないのに……と思いつつ、銀さんだから仕方ないかと諦める。

デザートが到着すると、結局文句言いながら私のパンケーキまで食べてしまうのだから意地汚い男だ。

 

 

 

しばしの間、カフェスイーツについて激論を繰り広げ、

私のパンケーキが残り半分ぐらいになったところで、ようやく銀さんが会話らしい会話を投げた。

 

「お前、真選組で働くんだって?」

「なんだ。知ってたんですか」

「あんなヤクザ警察でよく働く気になったな。あいつらと仲悪かっただろ」

「それには海より深い怨みがありまして」

「理由じゃねーのかよ」

 

ヤクザ警察の雇用契約書に判を押したのはつい昨日のことだ。

それにしても情報が早い。

私のため息にさして興味もないようで、銀さんはいつも死んでいる目を輝かせてチョコレートDXパフェを頬張っている。

……うん。マヨネーズパフェより心穏やかな光景だ。

 

「そーいや、あいつら取り逃したらしいじゃねーか」

「何をですか?」

「犯人だよ、犯人。ほら、パンパン事件だかパイパイ事件だか知らねーけど」

「それどんな事件ですか。ぜんぜん違います。ヴァンパイア事件ですよ」

「あー、それそれ。ったく、本当役立たねー税金泥棒だぜ。パンパン事件もパイパイ事件もヴァンパイア事件も解決できなくて、一体何を解決してるっつーんだよ。しまいにはアラサー女雇うって何してんの? アラサー女で事件解決できんの? それで解決できるのはパンパン事件くらいだっつーの」

「勝手に卑猥な事件解決させないでくれます? というか、なんでパイパイ事件は解決しないんですか。なんでパイパイ事件は荷が重いんですか。むしろそっちの方に腹が立ちます」

 

私はそこまで貧乳じゃない。

少し着痩せする、少し慎ましやかなだけだ。

 

「——けど、犯人に逃げられたのって若干私のせいでもあるんですよね」

「何、お前またなんかやったの?」

「またってなんですか。失礼なこと言わないでください」

 

話そうかどうか少し迷ったけれど、やっぱり銀さんには話しておくことにした。

隠し事は少ない方がいい。

だって、彼は大事なパートナーになるんだから。

 

 

 

 

ここ数日で起こった出来事を話し終えると、聞いていたのかいないのか、銀さんは「ふーん」とだけ気のない相槌をした。

その言葉を聞き流して、私はパンケーキの残りを口に入れる。

幸せの味が広がる。

すっかり冷めたコーヒーにも口をつけ、さりげなく銀さんに尋ねる。

 

「どう思います?」

「何が」

「無理やり働かせてまで、私を手元に置きたい理由ですよ。土方さんは教えてくれなかったですけど」

「俺が知るかよ」

 

興味なさげに銀さんは言った。

私の話より、次の注文を選ぶことに夢中らしい。

 

まあ、銀さんも詳しい理由までは知らないか。

そう考えていると、メニューに目を落としたまま銀さんがぼそりと言う。

 

「別物だろうな」

「……何がです?」

「物好きなストーカーと、沖田くんが()ったバケモノだよ」

なんだ。しっかり聞いてたんじゃないか。

銀さんは間の抜けた声で、

「いちおー気をつけた方がいいんじゃねーの。まー、豚箱で暮らすなら安全か。あいつら腐っても警察だからな。あー店員さんすんませぇーん! 追加で幸せの全粒粉入りパンケーキくださぁーーい」

「全粒粉気に入ってるじゃないですか」

 

私もストーカーとあのバケモノは別だと思っていた。

部屋に侵入した犯人は、理性的だ。

あの攻撃的なバケモノとはどうしても結びつかない。

しかし、あの夜以降、私を見張っていた視線がパタリとなくなったことも確かだ。

——銀さんの言う通り、用心しておくに越したことはないだろう。

 

 

 

 

「そうでした。忘れないうちに、お渡ししますね」

私は大事なことを思い出して、用意していた茶封筒を、銀さんに手渡した。

銀さんは中身をのぞいて、満足そうに頷く。

 

「確かに受け取ったぜ。これで全額返済だな」

「おかげさまで。今までお世話になりました」

 

ホクホク顔の銀さんに、私は頭を下げる。

皮肉にも真選組に就職したおかげで、予定よりも早く借金を返済できた。

「うちで働く以上、悪徳業者に借金するんじゃねェ」と土方さんがポンと出してくれたのだ。

もちろん毎月の給料から引かれるものの、たしかに悪徳業者よりはマシだろう。利子もないし。

 

 

 

 

 

さて、そろそろ泳がせるのも飽きてきたところだ。

ここらが潮時だろう。

私は頬杖をついて身を乗り出す。

「銀さんも、かなり儲かったんじゃないですか? 私と真選組の両方から報酬もらって」

 

パンケーキを口に運ぶ、銀さんの手がピタリと止まった。

 

「……え? 何が? 何のこと?」

「依頼の件ですよ。即日で、私の家と職場と当面の資金まで準備してくれて——かなり優秀ですよねぇ。でも、おかしくないですか? だって銀さんお金なかったんですよね? どこから準備したんですか?」

「……それはお前あれだよ。ヘソクリ? 的な?」

銀さんの目が宙を泳ぎまくる。

 

「でも、おかしなことがもう一つあるんですよねぇ。なんでかわからないんですけど、話した記憶がないことをちょくちょく近藤さんが知ってたんですよ。例えば、いつ銀さんと会ったとか、どんな話をしたとか——」

あのお喋りゴリラ……と、銀さんが毒づく。

「真選組からの依頼で、私の動向を報告してたんですね。親身になってくれてると思ったのに、すっかり騙されました。銀さんのこと信用してたのにショックです……。でも、私って事件の容疑者だったし、仕方ないですよね……」

私は悲しげに目を伏せて、

「あれ、そういえば新八くんや神楽ちゃんは知ってたんですかねぇ? まさか知らないはずないですよねぇ。でもショックだなぁ新八くんも神楽ちゃんも、損得勘定なしに仲良くしてくれてるって思ってたのに……」

 

銀さんの顔色がみるみる青くなった。

それもそうだ。

こんなこと新八くんと神楽ちゃんに知られたら、大変なことになる。

なにせこの一ヶ月ちょっとで、二人との絆はバッチリ深めてある。

新八くんとはぬか漬けを交換する仲だし、神楽ちゃんには会うたびに酢昆布を差し入れている。

この件が二人にバレれば、銀さんがボッコボコにされることは間違いないだろう。

 

「安心してください。べつに私は怒ってないんですよ。銀さんにはいつもお世話になってますし。ただ秘密にしておくかわりに、私の依頼を受けてほしいんです」

 

銀さんはめんどくさそうにガシガシ頭を掻いて、

「……なんだよ。依頼っつーからには報酬はきっちりもらうからな」

 

絶対ガキどもには言うんじゃねーぞ!と、銀さんは何度も念押しする。

私はニヤリと笑って、

「もちろん報酬は払います。明日から私もお役人ですよ? 任せてください。それで依頼なんですけど——銀さん、私と友達になってください」

「……は?」

「友達という名前が嫌なら、スイーツ仲間とかどうです? 銀さんが行きつけのお団子屋さんも行ってみたいし、私も行きたいカフェがあって——」

「いやいやいや、ちょっとよく分かんねーんだけど。……友達ってどういう意味? もしかして銀さんのことが好きになっちゃった的な愛の告白——」

「全然まったく違います。恋愛感情じゃなく、友愛です」

 

バッサリ言い切られて、ぽかんとしている銀さんに説明を続ける。

 

「この一ヶ月、歌舞伎町で暮らしてみてわかったんです。最初に助けてもらったっていうのもありますけど、銀さんは特別っていうか……。だらしなく見えるけど、頼りになるし、話してて楽しいし、歳が近いから話も合いますし! 私、銀さんといると肩の力が抜けるというか……。銀さんを見てると、私みたいな人間でも生きてていいんだなって思えるんです」

「後半褒めてる? 見下してるよね? 自分より下の人間見て勇気付けられてるよね?」

「とにかく! 私が安心して愚痴ったり、相談したりできるのは銀さんだけなんです! だから私と友達になってください」

 

嘘ではない。

銀魂の知識から、間違いなく頼りになる男だということは知っている。

なんせ銀さんはジャンプヒーローだ。

私が頼るとしたら主人公の彼を置いて他にいない。

 

日頃の行いから罵倒されることが多く、正面からの褒め言葉に慣れていないのだろう。

銀さんは照れ臭そうに頬を掻いて、

「……まあ? 俺もそこまで言われたら悪い気しないし? スイーツ仲間っつーのも悪くねぇな」

「本当ですか⁉︎」

「それになんつーか、俺にとっても桜みたいな女は意外と貴重? 良い意味で普通? 殴りかかってこねーし、蹴り飛ばしてこねーし、まず命の危険を感じないっつーとこがお前の長所だよな。ああ、あと酒乱でもねーし、料理は食えるもん作るし、ドMの変態でもねーよな」

「女性に対するハードル著しく低いですね」

たしかに銀さんの周りの女性はクセが強すぎる。

うんうんスイーツ仲間としては申し分ない人材ではあるな、と銀さんはしきりに頷いた。

 

「ただし報酬はなしだ。仲間内でつるむだけっつーのに金取れるかよ。ま、飯代出してくれりゃ十分だぜ」

「爽やかな笑顔で言ってますけど、それって完全に紐男ですよね」

 

まあ、いいだろう。

銀さんと二人きりの時間を確保することが目的。

そして、ここからが本題だ。

 

思わぬところで、無料飯(ただめし)の算段がついてニヤつく銀さんに、私は本題を切り出す。

 

「それでは、友達の銀さんにさっそく相談があるんですけど——」

 

相変わらず濁った瞳を覗き込んで、私は一世一代の告白に踏み切る。

 

「私、異世界から来たんです。元の世界に帰るためにはどうしたらいいと思いますか?」

 

銀さんはニヤついていた顔をすっと真顔に戻して、パンケーキの最後の一口を食べ終わった。



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二十一話 何かにつけてセカンドオピニオンはもらっとけ

「はい。じゃーおつかれー」

「ちょっと待って! ちょっと待ってあげよ! ウチら友達じゃん⁉︎」

 

席を立ち、颯爽と歩き出す銀さんに、私は縋り付いて止める。

引きずられていくアラサー女に、カフェ中の注目が集まる。

 

「電波女と友達になった記憶なんてねーよ。どこが普通の女だよ。地雷原だよ。一番やばい地雷踏んじまったよ」

「私の話はここからなんです! ここからめちゃくちゃ面白いから一回聞きましょうよ! ここから壮大な物語がはじまるんで!」

「いえ、もう結構ですから。漫画界アニメ界では異世界は飽和状態ですからね。よほど独創的なストーリーじゃないと売れないから」

「なんでもします! 私なんでもしますから! なんでも頼んでいいから! なんでも食べてって!」

 

私の必死の説得で、銀さんはようやく席についてくれた。

そしてメニューを開き「んじゃ、()()から()()までよろしく」と、どこぞの富豪のごとく店員さんに言い渡す。

このマダオは相変わらず容赦がない。

——ここの代金はなんとかして真選組につけておこうと心に決める。

 

 

とにかく、なんとかして言いくるめなければ。

「えーっと、あのですね。こんな遊びがあるの知ってます?」

 

私は咳払いをして、居住まいを正す。

この男は弁が立つ。

一筋縄ではいかないだろう。

気を引き締めなければ。

 

「ストレスばかりの現代社会。有給も使えず、長期休暇は取れず、たまの休みは体力の回復と家事で消費して終わっていく……。来る日も来る日も、朝起きてご飯食べて仕事してご飯食べながら仕事して仕事して帰ってご飯食べながら仕事して寝て——起飯仕事飯仕事仕事帰飯仕事寝、起飯仕事飯仕事仕事帰飯仕事寝、起飯仕事飯仕事仕事帰飯仕事寝! あれ早口言葉?」

「そんな悲しすぎる早口言葉知らねーよ」

「ともかく! 悲しい社畜に許される遊びは一つしかないんです。そう——妄想です」

 

妄想……、と銀さんは口の中で繰り返す。

 

「社会で生きるということは、毎日毎日同じことの繰り返し。都合よく助けてくれるスパダリ上司は現れないし、空から女の子は降ってこないし、トンネルの向こうに異世界が広がったりはしないんですよ。それが日常なんです。けど、それではあまりに味気ないですよね。だから妄想するんです」

「つまり異世界から来たんです〜っつーのは、お前の息抜きの妄想ってわけだな?」

「その通りです」

さすが銀さん。話が早い。

私は食い気味に大きく頷いてみせた。

 

一ヶ月も経ったのに、元の世界へ帰る手かがりが一つも見つからない。

焦った私が導き出した苦肉の策。

その名も『妄想ってことにしてセカンドオピニオンを頂いちゃおう☆』大作戦だ。

人間は自分のことになると意外と客観視できないものだ。

異世界トリップ——特異な状況ならば、なおさらだろう。

何か……私が気付かない見落としがあるはず。

その見落としを探すために、第三者の意見を聞く必要があった。

「異世界から来ました☆」とか言っても信じてくれるわけがないので、そこは妄想ということにしてゴリ押し通す荒っぽい作戦である。

そこで白羽の矢が立ったのが、坂田銀時だ。

言わずもがな彼は銀魂の主人公。

何かヒントを持っているかもしれない。

それに万事屋というのも都合がよかった。

依頼という形なら、妄想話をする痛さも多少は和らぐと思いたいし、沖田さんのような情報漏洩も防げるだろう。

我ながら完璧な作戦である。

 

銀さんは大声を上げて言った。

「店員さぁーん! テイクアウトにしたいんで詰めてもらえます?」

「なんでですか! 友達になるって言ったくせに嘘つき!」

「うるせぇぇぇえええ! 私異世界から来たんですぅ♡って妄想話する女がまともなわけあるか! 何その高度な遊び。リアルおままごと超越しちゃってるよ。K点超えちゃってるよ!」

「だから、依頼だって言ってるじゃないですか! 私の妄想話を真剣に聞くことが依頼なんです! こんな話をタダで聞かせるのは悪いと思ってるから依頼してるんです! お願いします……こんなこと銀さんにしか言えないんです。銀さんじゃなきゃダメなんです……」

「桜……お前……」

 

いつになく真剣な瞳と視線が交わる。

羞恥で顔が火照るのを感じる。

私は喉をつまらせ、

 

「私……こんな恥ずかしいことマダオの銀さんにしか言えません! 自分よりも恥ずかしい人間にしか、話せないんです!」

「テメー本当いい加減にしろよ! 俺のことめちゃくちゃ下に見てるよね? 遥か彼方に見てるよね?」

「お願いします。どうかここは一つ、山田桜は異世界から来たという設定で話していただけないでしょうか。日々に疲れた社畜の妄想に、銀さんという一時をください!」

よろしくお願いしまぁぁぁぁす! と、プロポーズよろしく手を差し出す。

気まずい沈黙が流れる。

ここまで来て引けない。

女には絶対に引けない時がある。

私にとっては、それが今だ。

頭を下げたまま、真っ直ぐに手を差し出し続ける。

 

しばらくすると空気が抜けるような、銀さんのため息が聞こえた。

差し出した手に何かを握らされる。

ヒヤリと冷たい感触に驚いて顔を上げると、

私の手にはパフェ用の長いスプーンが握られていた。

いつのまにかスイーツで埋め尽くされたテーブルを眺めて、銀さんが言う。

 

「頼みすぎたぜ。お前も食うの手伝えよ——スイーツ仲間だろ」

「銀さん——ッ!」

「まあ、暇つぶしと思えばいいか。付き合ってやるよ」

「ありがとうございます!」

私は深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

「ぜんぜんダメだな」

一部始終を聞き終わると、銀さんは真面目な顔でスプーンを置いた。

「何がダメなんですか」

さすが主人公。もう見落としを発見したらしい。

厳しい表情で腕組みをする銀さんに、思わず身を乗り出す。

 

「アラサーものなら恋愛は必須でしょ? 酔っ払って朝起きたらイケメンと寝てるぐらいのハプニングは必須でしょ? なのに異世界まで来て、借金してキャバクラで働いて節約生活——ってどんだけ地味なの。異世界まで来てどんだけ地味なの。そんなんで読者喜ぶと思う? そんで、主人公の……桜さんだっけ? 主人公に魅力を感じないんだよねー。コンセプト的に地味顔なのはいいとしても、胸はもうちょっとあった方がいいんじゃない?」

「初期設定にケチつけるのやめてくれます? 私の人生にケチつけるのやめてくれます? 読者とかいないんで。編集者目線のダメ出しとかいらないんで」

 

銀さんは鼻をほじりながら、

「んじゃ、何にダメ出しすりゃいーの」

「ダメ出しはしなくていいです。アドバイスをください。元の世界に帰る方法を考えてくださいって言いましたよね⁉︎ 依頼なんですからきっちりお願いしますよ。なんかこう——異世界もののお約束展開とかないんですか。この際、漫画知識でもいいので……」

「あー、異世界召喚ものならだいたい魔王倒したら終わりだな」

「この世界魔王いないじゃないですか! 世界観ぜんぜん違うじゃないですか!」

「いるだろーが。ゴリラを蹂躙する魔王がキャバクラ城に君臨してるだろーが」

「それお妙さんのことですよね。属性的には魔王ですけどギリギリ人間ですからね。もし魔王だとしたらその瞬間に詰みますよ。あんなん倒せる勇者いねーよ」

 

銀さんに頼んだのは間違いだったのだろうか……。

不毛なやりとりにうんざりして、私はやけくそ気味にショートケーキを頬張る。

甘いものの食べすぎで胸焼けするけれど、かまうものか。

むしろ胸にたまる不安感がまぎれていい感じだ。

二杯目のブラックコーヒーで、それらをなんとか胃に流し込んだ。

 

銀さんはそんな私を横目で眺めて、

「異世界に来る前、普段と違うこととかなかったのかよ。例えば夢の中で『目覚めろ勇者よ! そなたは選ばれたのだ!』的なやつ。テンプレだろ?」

「そんなベタなこと……。だいたい勇者は世界観が違うって言った——ああああああ!」

 

私は突然大声をあげて、勢いよく立ち上がった。

その拍子に椅子が後ろにひっくり返り、和やかな店内にものすごい音が響く。

 

「なんだよ! びっくりすんだろーが!」

「みみみみみみみました! ゆめゆめゆめゆめ!」

「はぁ? 何。とりあえず落ち着けって追い出されんぞ」

 

めずらしく引き気味の銀さんに諭されて我にかえると、店員さんがニコニコしてこちらを眺めている。

目が笑っていない。

私はそそくさとイスを戻して座りなおすと、興奮を抑えきれず、勢いで捲したてる。

 

「だから夢です! 夢を見たんです! この世界に来る前、何度も同じ夢を見ました。……なんで忘れてたんでしょう」

「どんな夢だよ?」

「女の人が——出てきて、私に言うんです。『お願い桜。たすけて』って……」

今まで忘れていたのに、突然頭の中にはっきりと映像が流れる。

 

真っ白な空間に浮かびあがる女性。

全裸の身体は境目がなく、まるで空間に溶けているようだ。

彼女は真っ青な唇で私の名を呼ぶ——何度も何度も——。

 

そういえば銀魂世界に来てから一度もあの夢を見ていない。

 

「それなら話は簡単じゃねーか。その女を見つけて助けることが、お前のミッションだ。そしたら元の世界に帰れるんじゃねーの? 知らねーけど」

銀さんは私を指差すように、行儀悪くスプーンを向ける。

「助ける……それは無理です」

「なんでだよ?」

 

トーンを落とした声に、銀さんが眉をひそめる。

私は財布の中から一枚の写真を抜き出し、スイーツでごった返すテーブルの隙間に置いた。

皿に隠れて見えないのか、銀さんは写真に近付いて覗き込む。

 

「この写真って、お前の財布に入ってたやつだろ? 運命の男に出会ったらこっそりバッグに入れるって——は? これ……桜が二人?」

 

ちょうど縦半分に折り目のついた写真。

その折り目を境界線にして、白衣姿の女性が二人写っている。

右側には、以前万事屋に見せたふんわりと花のように笑う女性。

左側には、仏頂面でコーヒーを啜る女性。

同じ顔でも、二人の印象は対極だ。

 

「財布にはいつも半分に折って入れてるんです。以前、万事屋に見せた可愛い方が、私の双子の姉です」

「そんで左の仏頂面が桜か。へ〜、同じ顔でも違うもんだな」

何か言いたげにニヤつく銀さんを無視して、さっさと写真を回収する。

 

「それで? お前の姉ちゃんに何の関係があんだよ」

「夢に出てくる女性は、私の姉なんです」

「へー。んじゃ、姉ちゃん助ければいいんじゃねーか」

「無理なんです。……姉は三年前に他界しましたので」

「……そりゃ、助けようがねーな」

 

そうだ。今となっては助けようがない。

銀さんの言葉に、胸中で頷く。

 

死人が夢枕に立つことはままあることだろう。

しかし、今思い出しても、あの夢は異質だ。

人も声も匂いも——あまりにリアルすぎる。

姉さんが私をこの世界に呼んだのだろうか?

一体何のために?

どうやって死人を助ければいい?

記念すべき第一回の作戦会議は、大きな発見とさらに大きな謎を残して終わった。

 

 

 

 

 

塗装の剥げ具合がレトロかわいい緑のドアを押し開けると、小さな呼び鈴がカランコロンと可愛い音を立てた。

私たちを押し出すように、「ありがとうございました〜」と店員さんの挨拶が背を追う。

いつのまにかすっかり日は暮れて、赤と橙色が混じったような光が辺りに広がっていた。

歌舞伎町の夕焼けは優しい。

この町のカオスを丸ごと包むような包容力を感じる。

その中に私も含まれていたらもっとよかったんだけど——。

 

じゃあまたなー、間延びした声でひらひら手を振りながら銀さんが歩き出す。

私はその背中を小走りに追って、隣に並んだ。

 

「まだ別れは早いですよ。私も万事屋に寄っていくので」

このあとは神楽ちゃんとスマブラで遊ぶ約束だ。

銀さんはうんざりした顔で、

「何。もしかしてまだ妄想話続くの?」

「いえ、今日の分は終わりです。言ったじゃないですか。銀さん以外に話すつもりないんです。あと、依頼なので大丈夫だとは思いますが、もし誰かに喋ったら——」

「わかってるって。俺だってプロですからね。守秘義務ぐらいありますぅ〜」

ふざけた調子で口を尖らせるから、いまいち信用できない。

 

真冬の風がキリリと肌を刺激する。

あと数日で、年が明ける。

一ヶ月前、元の世界では夏だったのに、もう年越しなんてタイムスリップでもした気分だ。

全く実感がない。

この世界で年を越すのは最後にしたいものだ。

 

私は冷たくなった手をこすり合わせて、横目でちらりと銀さんを盗み見る。

顔の造作だけで言えば、整った顔立ち。

実写版銀さんが某イケメン俳優であることも頷ける。

けれど、濁った魚のような瞳に、緩みきった表情筋は「何も考えてないでーす」と張り紙でもしてあるようで間抜けだ。

さっきから続いている沈黙も、どうせ気にしてないんだろうと思うと、少しほっとした。

 

このまま黙っているのも、なんだかもったいない気がして、私は口を開く。

 

「あの……銀さん。これは依頼じゃなく、個人的なお願いなんですけど——」

「何。まだなんかあんの?」

「気が向いたらでいいんです。私が『助けて』って言ったら助けに来て欲しいんです」

「はぁ? なんだよそれ」

「……なんでしょう? 気休め……ですかね?」

 

銀さんに問われて、自分でも首を傾げる。

なんでこんな話になったんだっけ。

 

私にとって坂田銀時は、絶対的なジャンプヒーローだ。

どんなにバカやってても、鼻ほじってても、下ネタ言ってても、この人はきっとすごい。

誰にも思いつかない方法で、誰にもできないことをやってのける。

しかも余裕そうに、いかにもヒーロー然として。

 

それは努力で到達できる境地ではない。

才能とかカリスマ性とかスター気質とか——そういった眩しいものを魂に持って生まれた人間だ。

 

「じゃあ、俺のことも助けに来いよ」

「……はい?」

 

私は目をぱちくりさせて、思わぬ銀さんの言葉を聞き返した。

彼は呆れたように、

 

「はい? じゃねーよ。当たり前だろ。なんで俺だけが律儀に助けに行かなきゃいけないの。世の中()()()()だよ?」

「それはそうですけど……私の助けがいる時なんてあります?」

「何言ってんの。めちゃくちゃあるわ。神楽の機嫌が悪い時だろ、ババアの取り立てがうるさい時だろ、あとはパチンコで負けたときだろ、競馬で負けたときだろ——」

「ほとんどお金絡みじゃないですか」

 

銀さんらしいと思った。

間抜け面にふさわしい、間抜けな回答。

銀さんといると、いろんなものが曖昧になる気がする。

根無し草のように世界の境界線がゆらゆら揺らいで、ふとした拍子に私の足元まで広がる。

 

それが、良いのか悪いのかはわからないけれど。

少なくとも今は心地いいと思えた。




ここまで読んで頂いてありがとうございます!
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二十二話 山崎退の監察日記1

12月29日 監察1日目

今日から、ある人物の監察日記をつけることになった。

監察対象は山田サク太郎という男。

今日から配属になった新人隊士だ。

なんでも真選組はじまって以来の非戦闘員で、医者らしい。

さらに例のヴァンパイア事件の重要参考人で、犯人の標的になる可能性が高いとのこと。

今回の入隊は、ゴリラの尻拭いと彼の身柄保護が目的だ。

俺は、ボディーガード係兼、監視係兼、教育係兼、医療助手係——。

一体いくつの係を兼任すればいいんだろう。

この間、隊士たちが鬼ごっこをしていたので監察していると、「はいタッチー! お前山崎係な!」「ふざけんなよ!」という声が聴こえた。

ちょっと泣いた。

 

12月30日 監察2日目

山田サク太郎は、妙な格好をしている。

シャツとパンツスタイルは真選組指定のものだが、ジャケットは着用しておらず、代わりに白衣を羽織っている。

副長から目立つことはさせるなと言われているため、注意する。

と、山田サク太郎は「土方さんとペアルックは生理的に受け付けないです」と言った。

なかなか目の付け所が良い。

 

12月31日 監察3日目

山田サク太郎は暇らしい。

仕事はないかと聞いてくるが、副長から「何もさせるな」と言われているので、部屋でじっとしているように言った。

今日は大晦日だ。

何度目かわからない大忘年会でバカどもが騒いでいる。

俺も日頃の鬱憤から飲み過ぎた。

途中から記憶が飛んで、気が付いたらゴリラの股間に顔を埋めていた。

最悪だ。

 

1月1日 監察4日目

今日も山田サク太郎は暇らしい。

どうしてもと言うので、新年会の準備を手伝ってもらう。

なかなか手際がよく、頭の回るやつだ。

俺の指示がなくても、こちらの意図を理解して動いている。

今日は元旦だ。

祝い酒だと樽酒を開けるが、なぜか俺の酒にだけマヨネーズをぶち込まれる。

曰く、日頃の労いと新年の喝をくれたらしい。

アンパンマンはいつ助けに来てくれるんだろう。

 

1月2日 監察5日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

俺はあんぱんを食べる。

 

1月3日 監察6日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

俺はあんぱんを食べる。

 

1月4日 監察7日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

俺はあんぱんを食べる。

なぜだろう。

最近あんぱんの量が増えている。

食べても食べても満たされない。

 

1月5日 監察8日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

「どうせ暇だから」といって、手料理を作ると俺のところに持ってきた。

曰く、あんぱんばかりでは身体を壊すと。

男の料理にしては、やたらと美味かった。

 

1月6日 監察9日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

あまりに暇だと言うので、一緒にミントンをして身体を動かした。

久しぶりに汗をかいた。

 

1月7日 監察10日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

あまりに暇だと言うので、一緒に街をぶらつく。

俺のお気に入りの店に連れていくと喜んでくれた。

 

1月8日 監察11日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

副長の悪口ではちゃめちゃに盛り上がる。

こんなに楽しいのはいつぶりだろう。

 

1月9日 監察12日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

良いあんぱんが入ったので、サク太郎の所に持っていく。

彼は喜んで、「ちょうど良い緑茶があるんですよ!」とニコニコしながらお茶を入れてくれた。

あんぱんは一つしか食べてないのに、なぜか腹は満たされている。

 

1月10日 監察13日目

今日も山田サク太郎は暇だ。

俺が仕事のことで落ち込んでると、サク太郎が声をかけてきた。

「あんぱんは手作りも美味しいですよ」と、一つのあんぱんを持ってきてくれた。

なのに……俺は言ってしまった。

「あんぱんが何の役に立つっつーんだよ! お前のせいで余計な仕事が増えたんだ! 責任とれよ!」

思ってもない言葉だった。

完全な八つ当たりだった。

サク太郎は……、俺に何も言い返さなかった。

いつもはよく回る口も、その時だけは何も語らなかった。

彼は黙って手作りのあんぱんを半分に割ると、片方を俺の口に入れた。

今まで食べたあんぱんの中で、一番美味かった。

その時、俺はやっと気付いた。

俺のアンパンマンは、すぐ近くにいたんだって。

 

1月11日 監察14日目

今日もサックーは暇だ。

そういえばサックーは、真選組隊士と折り合いが悪い。

ちょっとした喧嘩になって、十番隊隊長「原田右之助」と決闘することになったみたいだ。

でも、大丈夫。

サックーは、簡単に負けたりしない。

だってサックーは……俺の心を救ってくれたヒーローなんだから——

 

 

 

 

「なんでだぁぁぁあああああ!」

土方さんは怒声とともに、監察日記を真っ二つに引き裂く。

 

「サックーってなんだ! なんで監察対象と仲良くなってんだ! つーか、コイツが問題起こさねーように見張っとけって言ったよね? 決闘って何⁉︎ 一番監察してほしいところぜんぜん監察してないんですけど。お前とサックーとあんぱんの思い出話死ぬほどどうでもいいんですけど」

「副長。俺ね、気付いたんですよ。この世で一番大切なことは友情だってね」

「山崎……テメーわかってんのか? くだらねぇ感情に絆されやがって士道不覚悟で切腹だぞコラ」

土方さんは青筋を浮かべ、ザッキーの胸ぐらを掴む。

ザッキーは勇敢にも土方さんを睨みつけて、

「いくらでも罵ってください! 俺はもうアンタなんて怖くない! なぜなら俺にはサックーという親友がいるから!」

「お前バカだろ。ウルトラバカなんだろ」

 

夕食後、呼び出された和室にはいつものメンバーが出揃っていた。

何が始まるかと思いきや——

まぁ、土方さんの荒れっぷりは予想通りだ。

本当に面倒なことになったと思いつつ、仕方ないので仲裁に入る。

 

「まあまあ。土方さんもザッキーも落ち着いてくださいよ」

「ザ、ザッキー……?」

土方さんは口元をヒクつかせた。

 

彼の反応にかまわず、私は続ける。

「土方さんも辛い立場なんです。真選組副長の肩書きを背負っている以上、僕のことを認めるわけにはいかないんですよ。……ご迷惑をおかけして申し訳ないです」

「そんな……サックーが謝ることねーよ! こんなパワハラ上司に頭下げるなんてサックーらしくねーだろ!」

「けど、僕が謝らないとザッキーが——ッ!」

「バカヤロー! 俺がパワハラに負けるような男に見えんのか⁉︎ 黙って俺に任せとけ!」

「ザッキー……まったく君ってやつは——」

私はやれやれと首を振って、大きな丸メガネを押し上げる。

 

ザッキーは不適に唇を歪ませると、土方さんを睨みつけた。

「聞いたか土方ァァァ! やるなら俺を殴れ! サックーには手を出すな!」

「うんわかった。そうさせてもらうわ」

「え、ちょっと待って——ギャァァァァアアアアアアアアア!」

綺麗にマウントを取られ、ザッキーがタコ殴りにされる。

土方さんも相当キレているらしい。

リズムのある良い拳だ。

 

 

「なんでィ。ザキとよろしくやってるんじゃねーか、サックー」

「……沖田さん。その呼び方やめてくれません? 背筋が寒いんですけど」

「沖田隊長だろ? テメーこそ間違えるんじゃねーよ、山田ァ」

「……失礼しました。沖田隊長」

ストンと一瞬で差し向けられた刀が、顔の真横を通り、ピタリと止まる。

この危険人物に刃物を与えたのは誰だ。

鎖でグルグル巻きに封印してほしい。永遠に。

私は微笑んで、刃を手の腹でそっと押し返す。

正座する私を見下ろして、ドSの王子様は鼻を鳴らし、ゆっくりと刀を戻した。

本日も絶好調のようで何よりだ。

 

「原田と決闘するらしいじゃねーか。やるからにはもちろん真剣勝負だろ?」

沖田さんは楽しげに言う。

その真剣は「本気で」という意味か、それとも「本物の刀剣」という意味か。

十中八九、後者だろう。

 

「何言ってるんだ総悟! 山田先生はお医者様だ。戦闘はからっきしだって知ってるだろ? だいたい彼女は女の——あ……いやいや。彼は、えーっと……そう! 彼は女の子みたいに細いんだから、真剣で決闘なんてしたら怪我じゃすまないだろう」

近藤さんは冷や汗を流して、薄目でザッキーの様子を盗み見る。

土方さんにボコられて、彼が気絶していることを確認するとホッと息を吐いた。

 

 

決闘は明日の12時。

わずかだが、まだ時間は残されている。

最初から諦めるのは性に合わないし、こう見えて私は負けず嫌いだ。

というか、命がかかっている。

 

帯刀した日本刀に手をかけて、私は立ち上がる。

 

「どこに行く。話はまだ終わってねーぞ!」

土方さんの声に、私はふすまに手をかけたまま振り向く。

 

「ご心配なく。もちろん真剣勝負です。売られた喧嘩は買いますよ。僕だって男ですから——真選組(ここ)ではね」

 

部屋を出て、後ろ手にふすまを閉める。

外は暗く、月の光もおぼろ雲に隠れて届かない。

鳥とも虫ともわからぬ声が微かに聞こえる。

 

——自然と溜息がこぼれた。

幸せが逃げると言うけれど、すでに私の中の運は尽きていると思うので問題ないだろう。

なぜこんな事態になったのか、自分でも疑問だ。

さすがに大人しくしていようと、勤務初日に決意したはずだったのに。

 

しかし、落ち込んでいたって仕方ない。

私は二週間の真選組生活を振り返る。

じっくり振り返って、反省と対策を練ろうではないか。

 




決闘相手の原田右之助さんは、よくパトカーの助手席に乗ってる人です。スキンヘッドで強面のキン肉マンです。


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二十三話 前髪が長いヤツは何かを隠している証拠

早朝。

ドアを激しく叩かれる音で目が覚めた。

何事かと時計を見ると、午前5時を回ったところ。

こんな非常識な時間帯にアポ無しで訪ねてくる人間はそうそういない。

ちなみに私は超低血圧だ。

ふらつきながらも、怒りを原動力に玄関までたどり着く。

 

「うるっっっっっっさいんですよ! 一体何時だと思って——」

「おはようございまーす。じゃあ、みなさん後はお願いしまーす」

 

咥えタバコをした土方さんは、パジャマ姿の私の首根っこを捕まえる。

彼の号令に、某クロネコのユニフォームを着た男たちが「ウィーーース」と返事をすると、次々に私の部屋から荷物を運び出していく。

 

「ちょっと! 突然何してるんですか!」

「勤務初日に逃げられると困るからな。迎えに来てやった。ありがたく思え」

「どんな迎え方⁉︎」

「社宅付きって言ったろ。引越しはこっちでやっとくから」

「社宅強制なの⁉︎ 聞いてないんですけど! 住宅手当にしてって近藤さんに言ったんだけど⁉︎」

「あれそうなの? 近藤さんからは、住宅は手が当たらないぐらい広い部屋にしてほしいって聞いてたんだけど」

「どんだけ聞き間違えてんだよ! うちん家そんな狭くねーよ! 手広げても余りある広さだよ! バカにしてんのか!」

 

私は抵抗も虚しくパトカーに詰め込まれ、屯所に連行される。

到着すると隊士たちが寝静まる中を隠れるようにして、奥の和室に通された。

「着替えてから来い」と土方さんに隊服を渡され、それ以上の説明もなく彼はさっさと出て行ってしまう。

 

 

私は一人取り残され、呆然とした。

寝込みに乗り込まれて家宅捜索からの強制連行。

これは社員扱いではなく、完全に容疑者扱いだ。

昨日、銀さんに言われた「豚箱」という単語が脳裏に浮かぶ。

……転職先を間違えただろうか。

しかし、これも私の甘えが招いた惨事だ。

ひとしきり諦念のため息をついてから、渡された隊服に袖を通した。

 

 

 

 

着替え終わり、指定された部屋に入るとお決まりの三人が待っていた。

とにかく文句からはじめようと私が口を開く前に、沖田さんが私の足元に手帳らしきものを投げ捨てる。

無作法な挨拶にムッときたものの、ドSの無言の圧力には勝てず、私は手帳を拾いあげた。

それは警察手帳だった。

開いてみると、見開きのページには「山田サク」と氏名が記載されている。

 

「あの、すみません。警察手帳の名前なんですけど、一文字印刷し忘れてますよ。あと名前はカタカナじゃなくて漢字です」

「あー……山田桜って名前だっけ? テメーには贅沢な名前なんで一文字取っておきやした」

「アンタはどこの湯婆婆(ユバーバ)ですか」

 

暴虐不尽っぷりは似ているけども。

もとより沖田さんからまともな回答は期待していないので、近藤さんと土方さんに説明を求めようと——思いっきり目を逸らされた。

明後日の方向に遠く目を泳がせる二人に、嫌な予感がつもる。

 

「土方さん……。さっき渡された隊服にさらしが入ってました。一応巻きましたが、これはどういう意図が?」

「あーそれはだな。……説明してやってくれ近藤さん」

「俺ェ⁉︎ ズッリーよ! なんで俺なわけ⁉︎」

「もともとはアンタがまいたタネだろーが! ここまでお膳立てしてやったんだ。あとは自分(テメー)でなんとかしろ」

「近藤さん。私からもお願いします。是非局長の口からご説明を」

気まずそうにタバコに火をつける土方さんを、私はめずらしく援護する。

事態は深刻だ。

ここまで話がこじれては、最高責任者から直々の説明がないと収拾がつかない。つーか早く説明しろ。

怒りを含んだ私の微笑みに、近藤さんは曖昧に笑い返す。

すると、彼はおもむろにマジックペンを取り出して、私の警察手帳——『山田サク』の後ろに、汚い字で『太郎』と書き込んだ。

 

「どうか、これでひとつ……」

ヘヘッと照れ笑いをした近藤さんの頭を、私は警察手帳で引っぱたく。

スパーンといい音がした。

脳味噌が入っていない証拠だ。

 

「太郎付けときゃいいわけないでしょう。もはや名前とかどうでもいいわ。バカなの? もう一回言いますよバカなの?」

「安心しろ。健康保険証に戸籍諸々——大至急『太郎』付きで直してやる」

「アンタはどこにフォロー入れてんですか! そこは心配してねーよ! どうでもいいよ! 性別変わってるのが問題なんですよ!」

 

土方さんは開き直って呑気にタバコを吸っているが、絶対に私と目を合わせようとしない。

 

「というか、土方さん。私って男になるんですか? 戸籍上も男になるんですか?」

「真選組は女人禁制だ。女の入隊は許されてねェ」

「だから私は女ですよね!」

「諦めろ。既に戸籍も作ってある。お前は今日から頭脳は女、見た目は男。その名も名男諦(めいだんてい)サク太郎だ」

真実(せいべつ)はいつも一つってやかましいわ」

 

マガジン派のくせにサンデーぶっ込んでくるのはやめてほしい。

怒りと混乱で頭痛がしてくる。

リアルに頭を抱える私に、畳み掛けるドSがいた——沖田総悟だ。

獲物を品定めする蛇のように、私を上から下まで眺めると、

 

「グチグチうるせー女でさァ。決まったことにいつまでも文句つけてんじゃねーよ。アンタも了承済みだろ」

「私がいつ了承したって言うんですか」

「ここに書いてあんだろ」

 

沖田さんは、先日私が判を押した雇用契約書を取り出す。

彼が指差す最終行に目を凝らすと、ギリギリ読める程度のサイズで記載があった。

 

※とにかく何があっても沖田さんに服従します。

 

「なんでだァァァァアアアア!」

私は反射的にそれを破り捨てる。

「なんで沖田さん限定なんですか。私はどこのSMクラブに入会したんですか」

「つーわけで逃げても無駄だぜィ」

「よくやった総悟。これで話はまとまったな」

「前から思ってましたけど土方さんって耳付いてます?」

 

話は終わりだとばかりに、土方さんはタバコを灰皿に押し当てると「山崎!」と廊下に向かって大声で叫ぶ。

まもなくドタバタと廊下を走ってくる音が近付き、スターンと勢いよくふすまが開いた。

口にはあんぱんを咥え、バドミントンのラケットを手にした山崎さん。

どう見ても勤務中の格好ではない。

 

私の背後に立つ沖田さんがボソリと言う。

「ちなみにアンタが女だと知ってるのは、俺ら三人だけでィ。バレねーように全力を尽くせ」

「え? 山崎さんにも秘密なんですか⁉︎ 無理ですよ! あの人と面識ガッツリありますし、人生の愚痴を聞いた仲ですよ! 絶対にバレますって」

山崎さんに聞こえないように私は小声で叫ぶ。

だいたい今の私が男装と言えるのかも疑問だ。

一応さらしで胸をつぶし、隊服は着ているだけ。

セミロングの髪は低めのポニーテールでまとめて、アラレちゃん風のデカい眼鏡をかけている。

申し訳程度の変装だ。

 

「大丈夫でさァ。前髪もっと出しとけ。たいていのサブカルバンドはそれで誤魔化してるんで」

沖田さんが私の前髪を乱暴にかき混ぜる。

「前髪で顔隠したぐらいで誤魔化せませんよ!」

「大丈夫でさァ。ヤバくなったらオロロって言っとけ。それで9割は剣心だと思われる」

「私の剣心要素髪型だけなんですけど」

「さらにヤバくなったらオロロロロロロって言っとけ。るろうに要素も出せる」

「それ吐いちゃってますよね。るろうに要素物理的に出ちゃってますよね」

「ちなみにバレたら全員切腹でさァ。死んでもヘマすんなよ」

 

最後にとんでもなく物騒なお知らせを言うと、沖田さんは私の背中を足蹴に突き飛ばした。

 

「おーい山崎。紹介しまさァ。こいつが例の新人隊士だ。ほら、挨拶しなせェ」

 

真選組(ここ)にはバカしかいないのか。

絶対バレるでしょ絶対無理でしょもれなく切腹でしょ!

顔をあげると、山崎さんと視線がぶつかった。

まごまごしている私を見て、緊張していると思ったのか彼は饒舌に喋りはじめる。

 

「はじめまして。今日から君の教育係になった山崎退です。よろしくね。何か困ったこととかあったら何でも言って。とりあえず今日は屯所内を案内しながら、隊士たちに挨拶回りをしたり真選組の仕事について説明したりするから」

「……あ、はい。山田サク太郎と申します。……よろしくお願い致します」

 

山崎さんは地味に爽やかな笑顔で挨拶をしてくれた。

——今のところ気づいた様子はない。

まあ、さすがに話してれば気付くはず……。

 

 

 

 

 

 

「山田くんって話しやすくて助かるよ。威圧感がないっていうか物腰柔らかっていうか。ほら、ここの連中は無駄にいかつくて暑苦しいからさー。やっぱりお医者様だから気品的なオーラが出てるのかなぁ」

——うん。まだ午前中だからね。

 

「ここが食堂だよ。もうお昼だし食べて行こうか。山田くんはトンカツでいい? いやでも本当不思議なんだけど、君とは初対面な気がしないんだよね。会ったことあるっけ⁉︎ そんなわけないか〜アッハッハ!」

——なぜなら初対面じゃないからね。

 

「おーいみんな。こちら山田サク太郎くんです。仲良くするように」

………………

 

 

 

 

「えーっと、真選組の仕事はだいたいこんなとこかな」

山崎さんは一通りの案内を終える。

思っていたよりも屯所内は広く、隊員数も多かった。

いつのまにか日は暮れて、カラスがカーカー鳴いている。

 

私の心は謎の虚無感に苛まれていた。

なぜだ。なぜ誰一人として気付かない。

こんなことがあっていいのか。

そういえば漫画でも山崎さんや桂小太郎の変装を誰も見破っていなかった。

おそらく世界がギャグターンに入ると、網膜になんらかの異常をきたす仕組みになっているんだろう。

でないと説明がつかない。

恐ろしい……なんて恐ろしい世界なんだ銀魂……。

 

衝撃によろめきながら山崎さんの後をついていく。

そして屯所の一番奥——廊下の突き当たりに位置する部屋の前で山崎さんが立ち止まる。

 

「ここが山田くんの部屋だよ。好きに使っていいから」

「……部屋? 誰のですか?」

「もー何言ってるの。君の部屋だってば。ほらね」

 

山崎さんがそう言ってふすまを開けると、そこには見慣れた家具や私物が配置されていた。

 

「……わーすごーい。これはたしかに手が当たらない広さですねぇ〜」

 

新住居はたしかに広かった。

唯一狭く感じたのは私の常識の範囲である。

思考回路はショート寸前。

私は真新しい部屋の畳の上に崩れ落ちたのだった。

 

 



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二十四話 職場の人間関係と女心と秋の空

 

真選組の朝は早い。

6時起床。

時間だけ見るとさほど早くもないように思えるが、2週間前はキャバクラで働き、昼夜逆転の生活を送っていたのだ。

それを鑑みると十分早いと言えるだろう。

 

顔を洗い、身支度を整える。

慎ましい胸をさらしで潰し、隊服に身を包む。

ジャケットを着ないかわりに、白衣を羽織る。

手ぐしで整えた髪はローポニーテールにまとめ、仕上げにアラレちゃん眼鏡を装着し、前髪を崩せば完成だ。

化粧をする時間が削減されたことはわりと嬉しいけれど、アラサーとしては終わってるんじゃないかと思う。

——まぁ、いまの私は男なので問題ないだろう。

女は三十路まで。男は三十路過ぎてから、だ。

 

自室を出ると、一日がはじまる。

6時30分〜7時30分まで、食堂が一番賑わう時間帯だ。

夜勤明けと早朝勤務と早朝稽古——各自の食事の時間がちょうど重なる。

パッと見ればどこに属しているかは簡単に判別できた。

夜勤明けは闇のオーラを纏っているし、早朝勤務は眠たげな緩い空気が流れ、稽古組は快活なビタミンが弾けている。

 

その中で、いずれにも属さない私が目立つのは言うまでもない。

 

「くそ、山田いんのかよ……。食堂で飯食うのやめてくんねーかな。飯が不味くなるぜ」

「本当だよなー。あいつ何もしてねーのに飯だけは食うのかよ」

「ケッ。お医者様ってヤツァすかしてて気にくわねぇ」

「軟弱ヤローが。あの細っこい腕見てるだけでへし折りたくなるぜ」

 

それらの声を聞こえないフリをして通り過ぎる。

券売機の前には、食堂と同化するほど地味な男が立っていた。

 

「おはようサックー! 朝飯にあんぱん持ってきたよ」

子犬のように走り寄ってきたザッキーに、私は挨拶を返す。

「おはようザッキー。悪いけど朝からあんぱんは重いかな。僕はフルーツとかヨーグルトとかが今の気分かも」

「そうなの? じゃあ俺もそうしようかな」

「べつに僕に合わせることないのに」

「バーカ。そんなんじゃないっつーの」

なぜかザッキーは頬を赤らめる。

いつのまにツンデレ属性を身につけたのか。

 

昨日落ち込んでいた山崎さんにあんぱんを分けたところ、なぜか親友認定されてしまった。

そこからはザッキー&サックー呼びを強制されるというウサインボルト並みの距離の詰めっぷりだ。

よほど人に優しくされたことがないんだな……とは思ったが、会社の同僚とも婚活仲間とも違う、リアルな友達は久しぶりでちょっと嬉しい。

 

朝食をトレーに乗せ、席を探そうと歩き出すと何かに躓いて私は盛大にすっ転んだ。

「サックー⁉︎ 大丈夫⁉︎」

驚いたザッキーが慌てて私に駆け寄る。

 

「おいおい。軟弱なモヤシ野郎が転んじまったぞ。骨でも折れてんじゃねーか?」

「クク……もし怪我してたって大丈夫だろ。なんせお医者様だからな。自分で治療できんじゃねーの」

 

私の足を引っ掛けた張本人が、仲間たちと嘲笑の笑みを浮かべる。

なんつー古典的なことをする奴らだ。

 

「お前ら……ふざけたことしやがって!」

「ザッキー、僕なら大丈夫だから。これぐらいで怒ることないよ」

 

男たちに飛びかかる勢いのザッキーを宥めて、私は衣服の埃を払って立ち上がる。

 

「陰湿な嫌がらせは結構ですけど、相手は選んだ方がいいですよ。僕と関わると下手をすれば命を落とします」

「あ? 意味わかんねーこと言いやがって……やんのかテメー!」

「頭が悪いですね。僕ならいつでも腹を切らせるぐらい簡単だと言ってるんです」

「やれるもんならやってみろよ——」

 

私は黙って、男たちの背後を指差す。

ヒートアップしていた彼らは瞬時に固まり、ギギギと音を鳴らして振り向いた。

 

「ヒッ——土方副長……お、おはようございます!」

 

真選組副長——土方十四郎。

鬼の副長に血走った目で睨みつけられると、彼らは蜘蛛の子を散らすように消えていった。

 

「おはようございます。また徹夜ですか? 目がイッちゃってますよ」

「……ちょっと来い。局長がお呼びだ」

 

あまりの剣幕にドン引きするザッキーを置いて、私は土方さんの後を追った。

 

 

 

 

 

部屋に入ると、近藤さんはめずらしく難しい顔で私を出迎えた。

どっしりとあぐらをかき、眉間にシワを寄せて腕組みまでしている。

こうして見ると本当にお偉いさんみたいだ。

 

私もつられて背筋を伸ばして歩み、神妙な顔つきで腰を下ろす。

 

「ただいま参りました。局長、お呼びでしょうか」

「うむ。ご苦労。……山田先生の様子が気になってな。もう二週間経つと思うが、ここでの生活には慣れただろうか」

「はい。未だ戸惑うこともありますが、お陰様で不自由なく過ごしております」

「なるほど、なるほど……」

無精髭の生えた顎をさすって、近藤さんはうなずく。

 

「何か気がかりなことでも……?」

彼の煮え切らない態度に、私は眉をひそめた。

 

「いやー、俺の気のせいだったらいいんだけどね? 本当になんとなーくなんだけど……もしかして山田先生って隊士たちとあの、ほら……あんまーり仲良くないのかな? みたいな?」

「死ぬほど嫌われてますね」

「やっぱりぃぃぃぃ⁉︎ えーーーーもうなんでぇぇええ⁉︎ まだ二週間じゃん! たった二週間で普通こんなに嫌われる⁉︎ トシでもなかなかねーよ!」

「素で驚かれると傷付くのでやめてもらっていいですか。あと二度と土方さんと比べないでください。シンプルにムカつきます」

「それは俺のセリフだ」

不機嫌そうにタバコをふかし、土方さんがドカリと座る。

 

「べつに驚くほどでもねーだろ。コイツの腐った根性がヤツらにバレただけだ」

「腐ってるのはヤツらの眼球です。男装も見抜けない人間に何が見抜けるって言うんですか」

「でもそこまで嫌われるって——やっぱり女っつーのがバレたんじゃ……」

青ざめる近藤さんに、私は断言する。

「それはないですね。バレるわけないですよ。片乳見せても気付きませんよあいつら」

「バカ言うんじゃねェ。さすがに両乳見せたらバレまさァ」

いつのまに入ってきたのか、沖田さんは軽い調子で会話に混ざる。

 

「なんだ、総悟。何か心当たりでもあるのか?」

近藤さんに水を向けられると、沖田さんは肩をすくめた。

「そんなの近藤さんと土方さんのせいに決まってるじゃねーですか」

 

名指しに挙げられた二人は、心外だとばかりに目を丸くする。

「当たりめぇーでしょう。ヒョロい弱そうな男が入隊したかと思えば、非戦闘員で医者だときたもんだ。局長は『山田先生』なんて呼び、副長はわざわざ自室の奥——いつでも守れる位置に男の部屋を用意した。特別待遇にも程がありやす。古い(もん)はともかく、若手は納得しねーでしょう」

「そっ、そりゃーだってお医者様なんだから先生だろう!」

「バカ言うんじゃねェ。守ってんじゃなくて見張ってんだよ!」

「事実がどうであれ、客観的にそう見えちまうって話でさァ」

沖田さんは双方の反論をゆらりとかわして、冷ややかな瞳で私を見る。

「それに加えて、仕事はしねーんだからムカつかねー方が難しいでしょう」

「……私のモットーは『お給料分きっちり働く』ですよ。何もするなって言ったのはそちらじゃないですか」

 

私だってロクな働きをしていない自覚ぐらいある。

ザッキーに頼みこんでやっと貰えた仕事は、庭の鯉に餌をやるとか——その程度の仕事で、他の隊士から見れば遊んでいるようにしか見えないだろう。

 

これでは職場にいること自体が仕事みたいだ。

そして、実際にそうであることを私は求められている。

 

ザッキーに聞いたところ、私の入隊には二つの理由があった。

一つは聞いていた通り、近藤さんの失言の尻拭い。

土方さんが教えてくれなかったもう一つは、私の身柄の保護だ。

 

私を襲ったバケモノは、ヴァンパイア事件の犯人ではなかった。

しかし、血を欲していたぐらいだ。

何かしらの関与があることは間違いないだろう。

ヤツは言っていた。

「あの方に血を——」

あの男をバケモノにした何者かが、血を欲している。

そいつこそがヴァンパイア事件の犯人ではないか——と真選組は睨んでいる。

そしてバケモノは私の血に異常な執着を見せていた。

真選組は懸念しているのだ。

最後の事件の日から鳴りを潜めるヴァンパイアが、私を襲うことを。

 

もちろん私にとっては有難い話である。

衣食住の面倒を見てもらい、そこそこの給料をもらって、守られるのが私の仕事だ。

……一体どこのお姫様の話をしてるんだ。

そんな働き方、私は望んでいない。

 

けれど——

唇を噛み締めて、そうしていることに気付かれないように注意して、私は深く頭を下げる。

 

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません。これ以上の波風を立てぬよう、努力致します」

 

……自分のやりたい仕事と、求められる仕事は違う。

元の世界でも散々経験したことだ。

となれば、雇用主に従うのは当然だろう。

せめて人様の仕事の邪魔をしないよう、大人しくすべきだ。

青い畳の目を数えながら、私はそう思った。

 



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二十五話 地味に鬼神が宿ってる!

 

……いや〜大人しくしようって思ったんだけどなァおっかしいなァ!

 

 

お昼時が過ぎ去り、職場にも一息の暇ができるころ——鯉に餌をやろうと歩いていたところを五人の隊士に囲まれた。

あっという間に人目につかない屯所の一角に連れ込まれ、突き飛ばされる。

無様に尻餅をついた私を囲んで、彼らはせせら笑った。

 

「さっきの続きをしようじゃねーか」

「なんだっけ? 僕ちんが本気になれば俺らなんて瞬殺——とかなんとか言ってたなァ」

 

見た顔だと思えば、今朝絡んできた若い隊士たちだ。

俗に言う『テメーちょっと面貸せよ』から始まる、校舎裏でボコボコにされるパターンである。

集団リンチとは情けない。

私はか弱い善良市民だぞ。

彼らに殺す気がなくとも、下手をすれば私の血の海が出来上がる。

 

——敵前逃亡待ったなしだ。

私はゆっくり立ち上がり、ズレた眼鏡を定位置に押し上げた。

 

「記憶力が悪いですね。僕はこう言ったんです。——いつでも腹を切らせるぐらい簡単だ……ってね」

「上等だァ! やれるもんならやってみろや!」

「誰も僕が切るとは言ってませんよ。腹を切らせる——つまり使役の助動詞です。脳筋には難しい日本語ですかね」

 

そう煽ると、ちらりと視線を彼らの背後に走らせる。

五人はサッと青ざめ、一斉に後ろを振り向いた。

 

——その隙に私は一目散に逃げ出す。

幻覚で鬼でも見てくれると助かるんだけど、現実は無情だ。

すぐに「卑怯者!」と罵る声が追ってくる。

どっちが卑怯者だ! 五人がかりの方がよほど悪いだろ!

 

速度を落とさないように背後を振り返ると、つり目のリーダーを筆頭に抜刀した男たちが迫ってくる。

 

えええええええ嘘でしょ⁉︎

最近の若者キレやすすぎない⁉︎

理性弱すぎない⁉︎

 

抜刀に驚愕して固まる身体——足がもつれ、「あれ」と思った時には転んでいた。

すかさず距離を詰めた男が刀を振りかざす。

私は動けない。

地面に突っ伏して体勢は崩れている。

避けようとしても間に合わない!

 

というか斬りかかるとかイジメのレベル超えてるでしょ⁉︎

こんなことなら大人しく殴られとけばよかったァァァアアア!

 

選択ミスを後悔しながら、せめて急所を外そうと腕でガードする。

男は容赦なく刀を振り下ろし、それが私の腕に埋まる直前に、鞘に阻まれると怒声のような金属音を立てて止まった。

 

「ここは屯所内だよ。何をやっているのかな」

 

彼は鞘で受け止めた刀を押し返す。

弾かれた刀の反動で、つり目の男は数歩よろけた。

 

「君たちの顔は覚えた。大人しく刀を納めた方がいい。悪いけど、屯所内で抜刀した隊士は見逃せないよ。この件は上に報告させてもらう。——俺は監察だからね」

 

そう言って、山崎退は和やかに微笑んだ。

 

ザッキィィィィィィィイイイイイイイ!

ザキザキザキサギザッキー!

アンタって子は! まったくアンタって子は!

あたしゃー信じていたよ!

 

「怪我はない? 決定的瞬間を抑えようとしたら出遅れちゃってさ」

敵を見据えたままのザッキーに、私はようやく言葉を返す。

「……見てたならもうちょっと早く助けてくれてもよかったのに」

「監察ですから。タイミングは重要でしょ? 職業柄ってことで許してよ」

 

男たちは少し怯んだものの、相手がザッキーとわかると余裕の笑みを浮かべた。

 

「誰かと思えば、存在感ゼロのジミー先輩じゃないですか」

「監察なんて大層な役職名ですね。臆病者のネズミのくせに」

「ジミー先輩はいてもいなくても変わらないんで、普段は誰も話題にあげないんですけどね。最近は評判悪いですよ。軟弱な医者モドキに媚び売ってるって——誰の味方をするのが得か、よく考えた方がいい」

 

よほど腕に自信があるのだろう。

いずれも引き締まって逞しい男たちと比べると、ザッキーはお世辞にも強そうには見えない。

しかも実質5対1だ。

 

ザッキーは鞘に収めたままの刀を構える。

「君たちにどう思われようと、俺は自分の仕事をするだけだ。もう一度言うよ。刀を引くんだ」

「——地味のくせに! なめやがって!」

 

つり目の男がザッキーに斬りかかる。

ザッキーは力強く振り下ろされた刃を鞘で受け流し、軽くいなすと男の鳩尾に刀の(つか)を叩き込んだ。

たまらず、男は咳き込んで膝をつく。

ザッキーは男を見下ろして言う。

 

「俺は弱いから監察をやってるんじゃない。地味だから監察なんだ。相手の力量も測れないガキが、地味なめてんじゃねーよ」

 

ジ、ジミ様ぁぁぁぁぁぁあああああ!

なんかすごい地味かっこいいいいいいいい!

そこまで地味るには眠れない夜もあったろう!

地味に鬼神が宿ってる!

なにこれどんな現象⁉︎

 

「——ク、クソがァァアアア!」

逆上した男が再びザッキーに斬りかかる。

攻撃が効いているのか、先ほどの勢いもない大振りな刃筋。

ザッキーは毅然として迎え撃とうと——

 

その時、二人の間に大きな影が飛び込んだ。

そいつは右手で男の手首を握り、左手でザッキーの鞘を掴んで止める。

ボディビルダーの大会なら間違いなく「大胸筋が歩いてる!」とかけ声が上がるであろう肉体。

いかついスキンヘッドが特徴的な——

 

「十番隊隊長、原田右之助……」

めずらしい男の登場に、私は思わず呟く。

 

原田さんはすぅーっと息を吸い込むと、顔を真っ赤にして怒鳴った。

「テメー等は何をやってんだァァァァアアアア!」

鼓膜を破るほどの怒声に、私は慌てて耳を塞ぐ。

 

5人の男たちは顔面蒼白になって狼狽えた。

「は、原田隊長。これは誤解なんです。ただ俺たちは——」

「言い訳するんじゃねェ! さっさと刀を納めろ馬鹿者共が!」

 

「ハヒィ!」と情けない声をあげて、男たちはすぐさま納刀した。

 

銀魂ではあまり出番のない原田さんだが、やはり隊長だけあって迫力が違う。

性格は熱血で情熱的——バリバリの肉体派だ。

暇さえあれば隊士たちに稽古をつけており、原田さんに捕まればぶっ倒れるまでしごかれると恐れられている。

厄介なことに、彼は貧弱野郎を見つけると鍛えずにはいられない性癖で——当然のように私は目をつけられた。

しかし、原田さんは勘違いをしている。

私は貧弱レベルではなく、脆弱レベルかつ割れ物危険レベルだ。

原田さんに稽古をつけられたら、冗談ではなく普通に死ぬと思う。

なので、彼の姿を見るたびに逃げ出していたら、原田隊長を軽んじる無礼者と悪評が流れてしまった。

私の割れ物っぷりを証明できないのが歯痒い。

 

 

「うちの隊の(もん)がすまねーな。こいつらは俺がよく躾直すからよ。まあ、今回は見逃してくれや」

原田さんは凶悪な顔を歪ませて笑うと、ザッキーの肩に手をかけた。

ザッキーはその手を払いのけて言う。

「それは出来ません。原田隊長も知ってますよね。局中法度第9条、私闘厳禁。第20条、許可なく屯所内で抜刀厳禁。これを犯した者——切腹」

「そこをなんとか黙ってろとお願いしてんだろーが。同期のよしみだろ、山崎。頼むぜ」

「黙らないよ。どんな形だろうと、山田サク太郎は真撰組の隊士だ。俺たちの仲間だ。その仲間が不当な扱いを受けているのに見過ごせるか!」

 

ザッキーは毅然として原田さんに言い返した。

 

ジミィィィィィィィイイイイイイイ!

君ってヤツァ!

あんぱんがどうとか親友がどうとか言ってたときは、正直やばい人だと思ってたけど今日の地味さ仕上がってるよ!

 

その返答に、原田さんは眉をピクリと動かす。

冷蔵庫のようなデカい身体をズッシリと揺すってザッキーに向き直ると、彼の胸ぐらを掴み上げた。

ザッキーの足が宙を浮き「ぐ……ッ」と苦痛の声を漏らすが、原田さんはさらに強く力を込める。

 

「あ? 仲間だと? ふざけたこと抜かすんじゃねェ! 仲間っつーのはな、肩並べて死地に乗り込み自分(テメー)の背中預けられる奴のことだ! 俺から言わせりゃ、真選組(ここ)じゃ弱ェやつが悪だ」

ゴミでも捨てるように、原田さんはザッキーを投げ捨てる。

「ザッキー⁉︎」私は驚いて叫び、彼に駆け寄った。

 

原田さんは私を睨みつけて、

自分(テメー)が弱けりゃ勝手に死ね。けどな、その時は背中預けた仲間も死ぬことになる。俺らはそういう覚悟でやってんだ。一太刀も浴びたことのねぇ医者風情が仲間だと? 笑わせんな」

紛うことなき殺気が私の肌に突き刺さる。

その圧に耐えきれず、どっと冷や汗が噴き出た。

 

彼は私の怯えを鼻で笑い、咳き込むザッキーに言い捨てる。

「仲良しごっこじゃねーんだぞ、山崎。わかってんだろ。背中預ける仲間はきっちり選べや。弱い奴といれば、お前も死ぬことになるぜ」

 

私だって真選組(あんたら)の仲間になるつもりはない!

反駁した憤怒の感情がたぎる。

私は喉まで出かけた言葉を飲み込んで、落ち着こうと大きく息を吐いた。

……原田さんは間違ってない。

真撰組には、真撰組の覚悟がある。

その覚悟に生半可な気持ちで踏み込んだのは私だ。

もちろん私だって好きで踏み込んだわけではない。仕方なく真選組(ここ)に身を寄せたに過ぎない。

けれど、踏みにじって荒らしたことは事実だ。

 

ここで事を荒立てれば、また真撰組に迷惑がかかる。

仕事もしないで守られて、これ以上足を引っ張るのはごめんだ。

 

「……僕が出過ぎた真似をしました。申し訳ございません。——山崎さん。行きましょう」

 

私はザッキーの腕に手をかける。

——と、その手を思いっきり振り払われた。

 

……ザッキー?

ザッキーは肩をわなわなと震わせて叫ぶ。

 

「仲良しごっこだと……? 誰が弱いって⁉︎ もういっぺん言ってみろや原田コラァ!」

「だーかーらー! テメー等の仲良しごっこには反吐が出るっつってんだよ! 山崎アンコラァ!」

「うるせェェェェエエエエ! テメーの部下の不祥事揉み消してぇだけだろ! ハゲ野郎アンコラァ!」

「いまハゲ関係ねーだろアンゴラァ!」

「その頭光ってんだよ眩しいんだようぜぇんだよアンゴラァ!」

「アンコラアン?」

「アンゴラアンコラコラ?」

「アンコラアンアンコラアンゴラァ!」

「アンゴラアンゴラアンアンコラコラァ!」

 

二人は額をゴリゴリぶつけ合い、メンチを切る。

「アンコラ」と「アンゴラ」の応酬が続く。

……なにこれ。なんで会話成り立ってんの?

どういうメカニズム?

 

どうすべきか戸惑っていると、原田さんは一際気合いの入った「アーンゴラァ!」と捨て台詞を吐き、部下を引き連れて去っていった。

 

 

ザッキーは鼻息荒く原田さんを見送ると、呆気にとられる私を見据えて言った。

 

「ということで、あのハゲ野郎とサックーで決闘することになったから」

「……なんでだァァァアアアア! アンコラの応酬の間に何があったんだよ!」

「決闘は明日の12時。絶対に勝って、俺らの友情が本物だって見せつけようぜ!」

「なんでそんな詳細な取り決めまでしてんの⁉︎ アンコラしか言ってないよね? つーか勝てるわけないだろ!」

「あんなこと言われて悔しくないのかよサックー!」

「悔しいよムカついたよ! 尿取り検査のときは原田さんの分だけ食堂でぶちまけてやろうと決心したくらいにはムカついたよ! でも、それとこれとは別じゃん? 怒りと悔しさで強くなるのはジャンプの中じゃん? あんなプロポーションおばけと決闘なんて——」

 

ザッキーは真剣な顔で、私の両肩を掴む。

 

「大丈夫。サックーなら……やればできる!」

「できねーよ」

 

私の即答も、ザッキーの心には届かないらしい。

作戦会議だ! と意気込む彼の背を、私は呆然と眺めるしかなかった。

 




ボディビルダーの掛け声ネタを入れてみました。
一番好きな掛け声は「肩にちっちゃいジープ乗せてんのかいっ!」です。

原田さんと山崎さんは同期らしいです。
イメージ的に原田さんは脳筋お兄さんキャラにしてしまいました。体育会系なので目上の人には腰が低いです。解釈違いあれば申し訳ないですが、うちの原田さんはこんな感じでお願いします。


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二十六話 鬼の目にもマヨネーズ

夜の廊下を足早に歩き、自室に戻る。

時計を見るとすでに21時を回っていた。

私は思わず舌打ちをする。

 

夕食後に急遽呼び出された説教大会が、思ったより長引いたのだ。

特に土方さんの説教は長くて困る。

言わんとすることは最もだが、終わったことをチクチク突かれたってなんの解決にもならない。

原田さんとの決闘は私にも非があるけれど、ザッキーの監察日記でキレられても困る。

 

私は急いで隊服を脱ぎ、普段着の男性用着物に袖を通した。

桶、タオル、シャンプー、石鹸、下着——お風呂セットと手土産を持って、急いで正門に向かう。

 

いつも18時には訪問しているのに、今から行っても迷惑にならないだろうか。

何もなければ遠慮するのだが、何せ緊急事態だ。

明日相談するにしても、今日中に頭出しぐらいはしておきたい。

 

屯所の長い廊下を渡り正門をくぐると、スクーターに跨った銀さんが私に軽く手を振った。

スウェットにダウンジャケットにマフラーに手袋に——銀さんは完全防備でモコモコになっている。

 

「おせぇーよ」

「すみません。色々ありまして……。寒いのにわざわざ迎えに来てくれたんですね。ありがとうございます」

「神楽が心配だってうるせーんだよ。つーかマジでさみーわ。責任とってなんか奢れよー」

 

そう言って投げられたヘルメットを受け取る。

奢ってるのはいつものことではと思ったけれど、わざわざ迎えに来てくれたのだから目をつぶっておこう。

受け取ったヘルメットを被ろうとしたところで、背後から特徴的な低い声がかかった。

 

「こんな時間に外出か、山田」

 

振り向くと、私服の着流しにマフラーを巻いた土方さんが立っていた。

薄暗がりにライターの火が灯り、土方さんは伏し目がちに咥えたタバコに火をうつす。

 

「面倒ごと起こしといて呑気に夜遊びかよ」

「近藤さんに許可はもらってます。土方さんに報告する義務はないと思いますが」

「近藤さんが? んなわけねーだろ。お前は24時間屯所にいることが——」

「就業時刻は9時から17時までの契約です」

「何それどこのOL?」

 

あのゴリラまた勝手なことしやがって……、と土方さんはガシガシ頭をかいた。

よほど心労があるのだろう。いつもより眉間のシワが深い。

その原因の一つであろう私が言うことでもないが。

 

「心配しなくても大丈夫ですよ」

「……は? 何が? べつに何も心配してないけど?」

「いやツンデレとかいらないですから。ザッキーから聞きましたよ。私ってヴァンパイア事件の犯人に狙われてるんですよね」

 

山崎……そうかやはりあいつか……、土方さんは低い声で呟く。

どう見てもブチギレている。

上にも下にも問題児を抱えて、さぞかし心労もたたるだろう。

さすがに気の毒になって私は下手に出る。

 

「不要な外出は控えてますし、日のあるうちは人通りのある道を選んでいます。夜間の外出は必ずボディーガード付きという条件で、近藤さんから許可を頂いてます」

「ボディーガード?」

 

土方さんは訝しげに眉根を寄せる。

 

「お父さんどうも〜。ボディーガードの銀さんで〜す」

 

私の影に隠れて見えなかったのだろう。

銀さんがひょっこり顔を出すと、土方さんは一層厳しい表情になった。

 

「誰がお父さんだ」

「9時過ぎの外出ぐらい今時のガキでも普通だぜ。それをネチネチギトギト(あぶら)ギッシュなんですよ〜お父さん」

「誰が脂ギッシュだ!」

「マヨネーズなんて脂の塊じゃねーか。顔の半分脂みたいなもんじゃねーか」

「それを言ったらテメーも糖分でできてるだろーが顔の半分生クリームだろーが」

「そんないきなり褒めんなよ……」

「褒めてねーよ」

 

いつも通りマイペースに煽りまくる銀さんは、いまの土方さんにとってはいつにも増して毒だろう。

銀さんは相変わらずのだらけた目付きで、私を指差して言う。

 

「だいたいね。お宅の娘さんなかなかの年齢ですよ。ボディーガードいる? ボディー守る必要ある? むしろどんどん売らなきゃいけない年齢だよね?」

「ふざけないでください。さっきからなんで土方さんの娘設定なんですか。せめて近藤さんでお願いします」

「お前はあくまで俺を攻撃してくるよね。もっと別に文句つけるべきところあったよね」

 

土方さんを無視して、銀さんは微妙な顔をした。

「嘘だろ。ゴリラの娘の方がいいの?」

「まあ、マヨネーズの娘よりはましでしょう」

「マヨネーズがゴリラに劣るわけねーだろ! つーかマヨネーズの娘ってなんだよ。出会いたいわ。むしろお目にかかりたいわ」

 

了承したとばかりに、銀さんはさっきと同じポーズを取る。

 

「だいたいね。ゴリラの娘さんなかなかの年齢ですよ。ボディーガードいる? ボディー守る必要ある? むしろどんどん売らなきゃいけない年齢だよね?」

「ゴリラにとってはドラミングが命ですよ。ボディーは大事にすべきでしょう」

「結局ゴリラ守る話になってんじゃねーか」

 

たしかにいつのまにか話がズレている。

銀さんが会話に混ざると延々と本題に入れないのが困りものだ。

私は話を戻して、土方さんに答える。

 

「夜遊びにいくわけじゃありません。これから万事屋にお風呂を借りに行くんです」

 

私はそう言って、桶に入ったお風呂セットを土方さんに見せる。

当然だが、屯所には女風呂はなく風呂場は共同だ。

人目を忍んで行くにしてもリスクがありすぎるため、私は毎日万事屋のお風呂を借りていた。

土方さんは眉をひそめて、

 

「風呂だと? ——ったく、今日ぐらい我慢しろ。あんだけ大騒ぎ起こしといて」

「何? またお前なんかやったの」

「またとは何ですか。少しトラブっただけです。ゴリラの息子たちに脅されて()られそうになっただけです」

「おいおいとんだToLOVEるだよ。ゴリラの娘がゴリラの息子たちにヤラレそうなの? 何やってんだよ先生〜。いくらアニマル使ったってアウトだろ。ジャンプ本誌いられなくなっちゃうよ」

「アウトなのはテメー等の頭の中だ」

 

銀さんと一緒にしないでほしい。

私は下ネタを言ったつもりはない。

私がゴリラの娘なら、隊士たちはゴリラの息子だろう。

真選組という組織を家族に例えた詩的表現じゃないか。

 

「とにかく今夜の外出は禁止する。副長命令だ」

 

土方さんは眼光鋭く言い、場には緊迫した空気が流れる。

 

「いーや。桜は万事屋の風呂に入る運命だから。テメーが勝手に決めるんじゃねーよ」

「外部の人間が口出さないでくれるかなー?」

「父親気取りもいい加減にしろよ。ゴリラに托卵されてんの気付かない?」

「ゴリラの托卵ってなんだ! ゴリラは卵生じゃなくて胎生だからね」

「土方さん。ツッコミどころはそこじゃないです」

 

鬼の副長は相当お疲れらしい。

ツッコミにキレがなくなっている。

この二人は一度喧嘩を始めると長い上に、ムキになると非常に面倒くさい。

こうして言い争っている間にも夜は深まるばかりだ。

銀さんに決闘の件を相談したかったのだが、仕方ない。

諦めて明日にしよう。

 

「迎えに来て頂いて申し訳ないんですけど、うちの副長がこう言ってるので今日は遠慮しますね」

「なんだよ桜。そいつの味方かよ。すっかり真選組の一員じゃねーの」

お得意のダル絡みをはじめる銀さんに、私はすかさず手土産を渡す。

 

「これ、本日のおかずです。神楽ちゃんと夜食に食べてください」

豚の生姜焼きとポテトサラダを覗いて、銀さんは「ほーん」と感嘆符を漏らす。

さらに私は畳み掛ける。

 

「あと、これは気持ちですが次のジャンプ代にでも——」

財布から千円札を抜き出すと、銀さんはまるで引ったくりのようにそれを奪い取ってそのままスクーターを走らせる。

離れていく背中に私は慌てて叫ぶ。

 

「明日の朝一でお邪魔するので起きててくださいねー!」

「おー! 任せろ!」

 

銀さんは振り返ることもなく、左手だけブラブラ揺らして返事をした。

風のように去っていった現金なボディーガードを、土方さんは呆気にとられて見送る。

 

さっきまで場に満ちてきた熱量が嘘のように引いて、とたんに冷気を思い出した。

二人の白い息とタバコの白い煙だけがゆらゆら揺れる。

自然と二人の目が合うと、土方さんはきまりが悪そうに背を向けた。

 

「……よかったのかよ。行かなくて」

「行くなって言ったのは土方さんじゃないですか」

「そりゃ、そうだが。……お前、俺のこと嫌いじゃねーか」

そう言うと、彼はそっぽを向いたままタバコの煙を吐き出す。

 

隊服を着ていないせいだろうか。

いつもの高圧的な真選組副長ではなく、そこらへんを歩く普通のお兄さんに見える。

その背中に若干の親しみを感じつつ、私はしみじみと答える。

 

「土方さんってそういうの気にするんですね。……意外と狭いんですね、心」

「お前は本当に隠そうとしないよね、悪意」

「心外です。言っときますけど、嫌いじゃないですよ。ただ土方さんが言うことにはとりあえず否定から入りたいだけです」

「それすごい嫌いって意味だよね?」

 

土方さんは怒気を抑えて、

「とにかく! 保護されてるって自覚があんなら、むやみに外出——しかも女の姿で出歩くんじゃねーよ。男の格好させてる意味がなくなるだろーが」

 

……女の姿で?

なんのことだろう。

真選組で働き始めてから、私はずっと男装をしている。

私の男装は、女性しか狙わないヴァンパイアの目を欺く意味もある。

命が狙われているのに、わざわざ女の姿で出歩くはずがない。

それこそ意味がないじゃないか。

私は内心首をひねったが、足早に立ち去ろうとする土方さんに気付いて慌てて彼の腕を取る。

 

「ちょっと待ってください!」

「なんだよ。まだなんかあんのか」

「あるに決まってます。私のお風呂に付き合ってくれるんですよね」

「……はぁ⁉︎ なんでそんな話になってんだよ!」

「万事屋に行くなって言ったのは土方さんじゃないですか。責任取ってくださいよ」

「なんで俺が——ッ! 他のやつに頼めよ!」

「下半身暴れん坊将軍ゴリラと超ド級ドSの二択なんですけど」

「……一日ぐらい入らなくたって死にやしねーよ。我慢しろ」

 

彼の言い分に、私は肩をすくめる。

 

「わかりました。一人で行きます。大丈夫ですよ。深夜の誰もいない時間帯にしますので。ただし何かあったら土方さんの責任ですよ。私は相談しましたからね」

 

土方さんは眉間に深くシワを刻み、しばらく私を睨みつけると、観念したように大きなため息をついた。

 



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二十七話 企業にはカラーがある

時刻は深夜二時。

丑三つ時を迎え、夜勤組はパトロールに向かい、隊士たちは寝静まる。

屯所が一日のうちで最も静かになる時間帯だ。

 

暗闇の中をマヨネーズ型ライターの灯りを頼りに、私は滑るように廊下を歩く。

目的地に到達すると、土方さんは脱衣所に繋がる戸に『風呂場に入る者、切腹』と乱暴な看板をぶら下げた。

 

「じゃあ、俺はここで見張っててやるから早く済ませろ」

「何言ってるんですか。土方さんも一緒に入るんですよ」

「はぁ⁉︎ バッ——バカかテメーは! なんでそうなるんだよ!」

 

土方さんは器用に小声で怒鳴る。

さすがツッコミ担当だ。

彼の過剰反応に、私は呆れて返す。

 

「いや、普通に廊下の真ん中で突っ立ってたら目立ちますよ。脱衣所に目隠し用の衝立(ついたて)があったじゃないですか。あれ置いとけば問題ないでしょう」

 

こんな真夜中の廊下に鬼がたってたら誰だってびびるだろう。

屯所の新しい七不思議にでもなったら面倒だ。

 

「ああ、そうか……。いやいやいやだとしてもダメだろ色々と少年ジャンプ的にもダメな展開だろ」

 

一瞬納得しかけた土方さんは、何と格闘しているのかぶつぶつ自問自答をはじめる。

 

「ジャンプ的には余裕でありがちの展開です。というか土方さんマガジン派ですよね」

私は構わず戸を開けて、『男』と書かれた暖簾をくぐる。

がらんと広い脱衣所の壁に立てかけてある衝立。

それを壁と水平になるように設置して、目隠し用の壁を作る。

私に促されると、土方さんは渋々脱衣所に入った。

 

「……お前さ、ちったー警戒心とかねーのかよ?」

「他の人なら遠慮しますが、土方さんは問題ないです」

「どういう基準だよ……」

 

疲労困憊の土方さんに、銀魂という漫画を読んで貴方が良い人だって知っているからですよー、とは言えない。

私は逡巡して答える。

 

「土方さんが私のこと相手にするはずないじゃないですか」

「そういうことじゃねーだろ。あれだよ……男は好きな女じゃなくてもアレしたりできるじゃねーか。いや俺は違うけどね? 気をつけた方がいいーんじゃねーの的なあれだよ」

「それぐらい分かってますよ。私のこといくつだと思ってるんですか。……ほら、土方さんって士道不覚悟切腹マンじゃないですか。だから大丈夫なんです」

「なにその頭悪そうな奴」

 

途中で理由を探すのが面倒になり、私は土方さんを残して衝立の壁を越えてロッカーに向かう。

衝立越しに土方さんに声をかける。

 

「なるべく早く終わらせるので、よろしくお願いします。」

 

ああ、と無愛想な返事が聞こえた。

10分あればなんとかなるだろう。

忙しい仕事の合間に付き合ってくれているのだ。

出来るだけ最速のタイムを叩き出そうと、着流しの帯に手をかけたところで、土方さんから声がかかった。

 

「あー、お前アレだ。——今後は俺に言えよ」

「……何をですか?」

衝立越しで姿は見えない。

真意を図りかねる発言に私は首を傾げ、帯を解く手を止める。

土方さんは言い淀みながら続ける。

 

「今後は何かあったら近藤さんじゃなく、俺に相談しろ。近藤さんは人が良すぎる分、悪意に鈍感だ。お前のわがままを真に受けてなんかあってからじゃ遅ぇだろーが。最初から俺に相談してりゃ、今みたいな面倒ごとも起きてねェ。わかったな。これは副長命令だ」

 

ぶっきらぼうな声色が顔が見えない分顕著に感じる。

 

また副長命令——上司だから当然かもしれないが、私はこういった命令口調が嫌いだ。

昔の血が騒いで、つい反発してしまいたくなる。

土方さんに悪意はないと頭では理解していても——待てよ。

 

私はふと思いついたことをどうしても確かめたくなって、衝立をぐるっと回って土方さんに詰め寄った。

胡座をかいていた土方さんは、私の勢いに驚いてのけぞる。

「うお! な、なんだよ! やんのか!」

 

彼の様子に構わず、私は至近距離で土方さんの顔をじっと見つめる。

 

——客観的に見て男前だ。

元世界でも銀魂の土方十四郎といえば主人公にも劣らぬ人気っぷり。

そして真選組内ではめずらしく童貞臭——というか女に飢えた感じがしない。

余裕があって、仕事もできて、役職持ちの公務員で高給とり——

 

私は神妙な顔で結論を導く。

 

「さては土方さん……モテますね?」

「……は?」

土方さんは間抜けな声をあげた。

 

「だから副長命令だ——とか高圧的な言い方をするんでしょう。下手に優しくして、私が惚れないように牽制してるんですね?」

「はぁぁぁ⁉︎ そ、んなんじゃ——ッ」

 

この手の話題に慣れていないのか、土方さんは顔を赤らめて怒ったように否定する。

が、逃げきれない私の視線に負けて、彼はため息をついた。

 

「そんなんじゃねーよ。……昔、惚れた腫れたの揉め事があった。めんどくせーから必要以上に女と関わらねーようにしてるだけだ」

 

多くを語らないところが色男の証拠だ。

 

事件に巻き込まれて精神的に不安定なとき、颯爽と現れて助けてくれる男がいれば、さぞ頼れる良い男に見えるだろう。

しかも土方さんみたいなイケメンなら恋に落ちる確率は高い。

けれど、彼にとっては日々の仕事に過ぎない。

事件が起きるたびにヒロインといい感じになっていたら、今頃土方さんは士道不覚悟で切る腹がなくなっている。

 

「なるほど。だからいちいち高圧的なんですね」

「うるせー、余計なお世話だ。俺は人付き合いにゃ向かねーよ。まあ、人タラシの才能ならウチにはその筋の天才がいるんでな」

 

ああ……近藤さんか。

たしかにあの人は人タラシの天才だ。

 

真選組に入ってわかったが、ここには曲者(くせもの)しかいない。

ヤクザ紛いの暴れ者。

正義感の形がいびつなヤンデレ気質。

ただ戦いたいだけの戦闘狂。

本当にいろんな人がいて、いずれも協調性とはかけ離れている。

 

全員の共通点はただひとつ。

近藤さんだ。

みんな近藤さんが好きだ。

 

「何笑ってんだよ」

 

真選組随一の曲者が不機嫌そうにギロリと私を睨みつける。

 

「いえ、なんでもないです。あと、安心していいですよ。今後土方さんが何を言っても、身を挺して私を守ってくれても、それは仕事の内だと理解してますから。絶対勘違いしないし、まったく感謝もしないです」

「感謝はしろよ」

 

土方さんのツッコミを聞き流し、衝立の向こう側へ戻る。

手早く着替え、バスタオルを身体に巻いて浴場に踏み入る。

 

大浴場はそこらの銭湯みたいに広くて、一人でぽつんといる優越感の一方で、心細くもあった。

ずらりと並んだシャワーヘッド。

その一番手前に陣取って座る。

持ち込んだシャンプーで素早く頭を洗いながら考えていた。

 

真選組という組織は不思議なもので、一見バラバラなのに妙な一体感がある。

その求心力になってるのが近藤さんだ。

 

近藤さんは、ゴリラだしバカだし頼りない。

能力だけでいえば、間違いなく土方さんや沖田さんの方が上だろう。

それでも、真選組(ここ)の頭は近藤さんでないとダメだ。

誰も何も言わないけれど、きっとみんな同じように感じている。

 

もし真選組にそういった目に見えないセンサーがあるなら、私という存在が引っかかり、浮いて嫌われ弾かれるのは当然に思えた。

 

身体に残る泡を流し終え、毛先から落ちる水滴をタオルに染み込ませていく。

身体を拭いてから、タオルを巻いて脱衣所に戻る。

 

衝立の向こうには土方さんがいるはずなのに、人のいる気配がしなかった。

誰もいないだだ広い脱衣所は、静かすぎてなんだか入るのに勇気がいる。

私は雑談でも話しかけようと思って、やめた。

とくにこれといった話題もないし、楽しく会話をするような間柄ではないと思ったからだ。

私は黙ってロッカーに戻り下着を身につけ、寝巻き用の着流しに袖を通す。

なんとなく沈んだ気持ちで帯に手を伸ばすと——突然、電気が消えた。

瞬時にパニックに陥って、土方さんを呼ぼうと開いた口を大きな手に塞がれる。

耳元で低い声が囁いた。

 

「静かにしろ。誰か来た」

 

背後の土方さんの気配で、彼が廊下を気にしているのがわかった。

 



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二十八話 絵面が気になったらアラサーの仲間入り

戸の向こうから隊士の声が漏れ聞こえる。

 

「あれ、今電気ついてなかったか?」

「まさか。見間違いだろ」

「でも何か物音が聞こえたような——」

 

やばいやばいやばい!

私の心臓がドクドク音を立てる。

バレそうなことに対してか、土方さんに軽くバックハグ決められていることに対してか、そんなことより下着姿に着物を羽織っているだけというザ露出狂ファッションに対しての焦りなのか判断がつかない。

 

フォローの鬼才、土方さんが「俺に任せろ」と再び囁いた。

さすが真選組副長。

数多の修羅場をくぐった男だ。

決断力が違う。

土方さんがごくりと喉を鳴らす気配があると、「ニャオーーーン」と鳴いた。

 

私は反射的にエルボーを彼の腹にスティックする。

 

「——ッいってーな! 何すんだテメーは!」

「こっちのセリフですよ! 猫で誤魔化すとか(いにしえ)のボケすべってんですよ! つーか異常に鳴きマネ下手ですねよくやろうと思ったな逆に!」

 

隊士たちも戸惑っているようで「猫……? 明らかに人の声だったような」「そんな古典的な……」とか言ってる。

うんだよねそうだよねそうなるよね!

私は焦りに焦って、

 

「ちょっとどうすんですかコレ! 逆にどうする気なんですかコレ!」

「もうこれは逆にお前が猫になるしかないな」

「逆に⁉︎ この流れでよく言えたな逆に!」

「大丈夫だ。なんかお前鳴き真似うまそうな顔してるから逆に」

「いや意味わかんねーよ!」

 

そうこう揉めているうちに、がらりと戸の開く音がする。

衝立(ついたて)越しに二人の隊士が入ってくる気配があった。

 

——どこかに隠れないと!

 

そう思うと、突然土方さんに肩を掴まれた。

ロッカーはちょうど二人が隠れられそうな大きさで、そこに押し込まれそうになったところで、私は咄嗟にロッカーの縁を掴んで抵抗する。

 

「山田テメー何やってんだ! 早く入らねーと見つかるだろーが!」

「無理無理無理無理! だってこれアレじゃないですか! ロッカーという密室で『ドキドキ♡密着♡壁ドン』的なイベント発生じゃないですか!」

「少年ジャンプでありがちな展開だって言ってたろ! それぐらい我慢しやがれ!」

「いやそれは少年だからいいんです! 少年と少女の青春だから楽しいんです! いいですよ別に! 私がぷりぷりのJKだったら余裕でやってますよ喜ばしい展開ですよどんとこいですよ! でも私アラサーですから! 絵面(えづら)的に大丈夫なの⁉︎ アラサーにそんな人権ある⁉︎」

「どんだけ卑屈なんだよ!」

「女は20代後半に入ると絵面を気にするもんなんです! 今まで何も考えてなかったのに、ある日ふと『あれ……私この服着て絵面的に大丈夫?』とか悩む日が来るんです!」

「なんの話⁉︎」

 

青筋を浮かべてブチギレている土方さんは、もはや私の背中を足蹴にして押し込もうとしてくる。

私は必死でその攻撃に耐える。

 

冷静になって考えろ。

どう考えても土方さんが正しい。

この場を乗り切るにはロッカーに隠れる選択肢しかないのは自明の理!

すでに答えは出ているじゃないか!

それでも条件反射的に身体が拒否ってしまう……!

クソ! こんなところでもアラサーの足枷は重い。

私は歯噛みする。

 

ならば逆に考えるんだ。

ポジティブに考えたらいけるかもしれない。

 

まず問題は私の格好だ。

下着姿に着流しを羽織るという、公園で局部を見せつける露出狂となんら変わらないスタイルだ。

やばい。やばすぎる。これが許されるのはラッキースケベを喜ばれる一定レベルを超えた女——つまり美少女だけだ。

しかし、この問題は解決している!

なぜなら電気は付いておらず暗闇だ。誰にも見えちゃいないし、万一にも見えないようにしっかり着物の前を合わせて隠していればいい。

 

次の問題は、ロッカー内で土方さんと密着する件について。

憎らしいことにロッカーの大きさはちょうど二人で入ってシンデレラフィットサイズだ。

私の身長は165cm。土方さんの身長は目測で177cm。

その差は12cm——その時、私の脳裏にいつしか読んだ恋愛コラムの文字が浮かぶ。

「キスしやすい身長差は12cm♡」

……いや無理ィィィィィィィイイイイイイイ!

 

こんな拷問レベルの嬉し恥ずかしシチュエーションを受け入れるぐらいなら全部バレて仲良く切腹の方がいいさ!

もうそれが大正解だよどうにでもなるよきっと!

 

そうこうしているうちに、二人組の隊士はずんずんこちらに近付いてくると——未だ混乱中の私の頭に、まさに天命のごときナイスアイディアが舞い降りた。

私は声を上擦らせ、

 

「わかりました! じゃあ、こうしましょう!」

私の提案に、土方さんはまさしく鬼の形相を呈した。

 

 

 

 

 

 

隊士Aが衝立の奥を覗きこむ。

蝋燭で奥の方までよくよく照らすが、人影は見えない。

彼は首をかしげ、

「……誰もいねーな。声が聞こえたと思ったんだが」

「気のせいだろ。ほら、早く行こうぜ。『風呂場に入る者、切腹』だからな。副長に見つかったら面倒だ」

「……あぁ、そうだな」

彼らは踵を返して、脱衣所を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

隊士たちの気配が完全に消えると、ギーッと音を立ててロッカーの扉が開く。

その中には、奇妙な体勢で詰め込まれた二人の男女。

なぜか男は四つん這いになり、その背の上で女は姿勢よく正座をしていた。

 

土方さんは怒りのあまりブルブル震え、地を這うような声を絞り上げる。

 

「山田ァ……テメー覚えとけよ」

「土方さん。信じて頂けないかもしれませんが、私は本当に申し訳ないと思ってるんです。今回だけは、さすがに失礼すぎると猛省してるんですよ」

「そう思ってんなら()()()()どきやがれ!」

 

彼の抗議に促されて、座布団のような扱いをしている背から、私はそっと降りた。

 

まあ私が悪い。

私が悪いことはわかっているが、だって仕方ないじゃないか!

さっきのは私のキャパを容易に超える行為だった。

土方さんは屈辱だったろうけど、同じロッカーに隠れるという最終的な目的を達成するためには仕方のない体勢であって——

 

「……というか、同じロッカーに隠れる必要はなかったのでは?」

 

ここは脱衣所。

ロッカーならたくさんある。

土方さんは数秒沈黙してから、

 

「……さて、そろそろ帰るか」

「おい土方コノヤロー」

 

私はこうして無事に決戦前夜の禊を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ轍を踏むまいと、私たちは無言で廊下を歩む。

無事に土方さんの居室の前まで辿り着き、私はようやくホッと息をついた。

私の自室は、もう一部屋隔てたさらに奥にある。

ここまで来ればゴールは目前だ。

 

それは土方さんも同じ気持ちのようで、彼の肩の力が緩むのを月明かりでぼんやりと見えた。

私は久しぶりに穏やかな心で頭を下げる。

 

「今夜はお世話になりました。ありがとうございました」

「まったくだ。テメーのせいでどっと疲れたぜ」

 

セリフの割には穏やかな声色で土方さんは言った。

私のせいで疲れているというのは嫌味ではなく、単に事実だろう。

より一層暗さを増した彼の目のクマを見て、土方さんに言おうとしていたことを思い出した。

 

「そうだ。言い忘れてましたけど、明日の決闘は本当に心配いらないですからね」

「はなからテメーの心配なんざしてねーよ。俺が気にしてんのはいつだって真選組のことだ」

「もちろんです。近藤さんや土方さん——真選組に迷惑がかからないように解決してみせます」

土方さんは難しい顔で私に鋭い瞳を向ける。

私はその瞳を正面から受け止めた。

 

「原田さんとの決闘は避けられません。既に決闘のことは隊士全員が知っています。みんな注目してますよ。……生意気な私が、原田隊長にボコボコにされることを期待してるんです」

 

土方さんが何か言おうとするのを、私は遮る。

 

「局長や副長が決闘を止めれば、反発はさらに大きくなりますよ。私を贔屓してるってただでさえ隊士たちの鬱憤は溜まってるんですから。土方さんもわかってるでしょ? もう止めようがありません」

 

この決闘のベストな落としどころは、勝敗に関わらず私の強さをアピールすることだろう。

女社会と違って、男社会——特に真選組(ここ)でのヒエラルキーは単純だ。

強ければ上で、弱ければ下——強者こそが正義。

力さえあれば認められる。

私が強ければ、バカにされて絡まれることもなくなるだろう。

まあ、まずは死なないことが大前提だが。

 

「私も簡単に()られるつもりはありません。副長のフォローは必要ないですよ」

 

これ以上負担をかけたくない。

これ以上誰の世話にもなりたくない。

 

異世界から来た私は異端分子。

誰かの足を引っ張るくらいなら、私なんていない方がマシだ。

 



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二十九話 GANTZは人生のバイブル

下ネタ多めです。
苦手な方はスルー推奨でお願いします。


立派な一軒の日本家屋。

『からくり堂』と書かれた看板がデカデカと掲げられている。

言わずもがな、あの天才からくり技師、平賀源外の工房だ。

 

開店時間の11時きっかりに到着すると、すでに戸は開かれているようだった。

「ごめんください」と声をかけると、奥の方から小さなお爺ちゃんが出てくる。

煤けたツナギにゴーグルという現役バリバリな()()()()

ユニークなハゲっぷりに白髭をもふもふ生やしている。

……どう見てもおもしろお爺ちゃんだ。

 

しかし、この人が私の命運を握っている。

約1時間後に私は生き残れるか、否か。

それも全ては彼の返答次第だ。

挨拶もそこそこに、私は緊張の面持ちで商品の有無を尋ねた。

 

「——それでですね、源外さん。GANTZスーツってありますか?」

「あるわけねーだろォォォォオオオオオ!」

 

朝っぱらから勢いのあるツッコミは若さの為せる技だろうか。

丸メガネをぶっ飛ばす勢いで、新八くんが叫ぶ。

 

「桜さん……まさか秘策ってGANTZスーツのこと言ってたんですか? そんなもんあるわけないでしょ! 世界観崩壊しますよ!」

「いや、だいたい一緒でしょ? 大丈夫だよ。ほら、宇宙人いるし」

「凶悪さのレベルが違いますからね」

 

新八くんは呆れ顔でツッコミをいれる。

 

昨日の約束通り、私は朝一で万事屋を訪ねると、決闘対策ということで源外さんのところに連れてきてもらった。

一朝一夕で戦闘能力はどうにもならないので、道具に頼ろうという卑怯極まりない作戦である。

 

銀魂世界の人間と私の決定的違いは肉体の強度にある。

私の生存ルートには肉体——身体能力の底上げが必須だろう。

むしろ体感からすると、GANTZスーツを着てようやく同じ土俵に立てるぐらいの差があると思う。

もちろんGANTZスーツそのものがあるとは私も期待していない。

しかし平賀源外ならそれに準ずる何かが出てくるはずだ。

だって銀魂って基本なんでもありの世界じゃん!

源外さんっていわばドラえもんと同じじゃん!

 

ここで当てが外れると私の人生が詰んでしまう。

 

「新八くん……私にはどうしてもGANTZスーツが必要なの! なんとかして()()()

「無理やり世界観合わせにくるのやめてくれます?」

「ケチ臭いこと言うなヨ、新八ィ。世界観ぐらい合わせてやる優しさもないアルか。これだから童貞星人は困るネ」

「誰が童貞星人だ!」

 

愛らしい釘宮ボイスで毒を吐く神楽ちゃんはトレードマークの日傘をくるりと回す。

その隣で、銀さんは鼻糞をほじりながら神楽ちゃんに言う。

 

「そうだぞ〜神楽。見た目だけで決めつけるんじゃねェ。星人は地球人に化けて生活してんだからなァ。そこらへん歩いてるヤツだって星人の可能性は五分五分だからね」

「マジでか。めちゃくちゃ怖いアル。それなら童貞星人はどうやって見分けたらいいネ」

「童貞星人のプロフィールは、『特徴:よわい。イカ臭い 好きなもの:アイドルの〇〇〇(ピー) 口ぐせ:おぃぃぃいい! メガネ掛け機ってなんだぁぁぁぁああ!』だな」

「童貞星人ピンポイントで僕じゃねーか。狙い撃ちじゃねーか」

新八くんはため息をついて、

「あのね、いくら源外さんでもGANTZスーツなんて——」

「あるぞ」

「あるんですか⁉︎」

 

まさかの二つ返事をしてくれた源外さんに、私は食い気味に身を乗り出す。

さっすがなんでもありの平賀源外! 天才!

これなら原田さんにも対抗できるし、何より死なない!

私が心の中で狂喜乱舞していると、

「いっちょ試しに着てみるか!」どっこらしょと源外さんがいそいそ準備をはじめる。

あからさまに不審がる万事屋メンバーとは対照的に、私は心躍らせてGANTZスーツとのご対面を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……これって……」

「GANTZスーツだ」

「いやでも……ちょっとこれ私が思ってたよりも江頭っぽいというか……」

「GANTZスーツだ」

「いやもうどう見てもただの全身黒タイツじゃないですか! よく言えんな!澄んだ瞳でよく言えんな!」

 

頑なにGANTZスーツと言い切る源外さんに、私は疑惑の商品を指差してブチギレる。

私の代わりに全身黒タイツ姿になった新八くんが、心なしかモジモジしてこちらを見ている。

モジモジくんじゃねーか。

 

ツッコミ役を放棄してボケに徹する新八くんを見て、銀さんは感心したように呟く。

 

「おー。こいつァすげーな。やれば出来るじゃねーかジジイ」

「どこが⁉︎ どこに褒める要素ある⁉︎ ただの黒タイツじゃん! ドンキに売ってるヤツじゃん!」

「何言ってんだよ、桜。よく見ろよ、あの股間のあたり——黒い玉が付いてるじゃねーか」

「いやそれただモッコリしてるだけだろーが!」

「GANTZスーツだけじゃなく、黒い玉まで再現するなんてなかなかできねーぞ完成度たけーなオイ」

「そこに注目するとはさすが銀の字。わかってるじゃねーか。おまけも付けといたから二つあるんだぜ」

「そりゃありますよ。金の玉だからね。生まれた時から彼に備わった二つの玉だからね」

意気消沈する私の肩に、銀さんはポンと手を置くと、

「いーや、こいつのすげーのは玉だけじゃねェ。二つの玉の間にとんでもねーのが隠されてんだよ——Xガンだ」

「とんでもねーのはアンタの方だよ! Xガンじゃねーよ! それただの〇〇〇(ピー)でしょ!」

「ヤツのXガンから白い光線が飛び出て敵を殲滅すんだよ。ジジイ! なんつー恐ろしいもん作ってんだ……!」

「アンタの方が恐ろしいわ。社会的地位がない人間のセクハラ発言いとわない感じ本当に怖いんですけど」

 

失うものがない大人はたちが悪すぎる。

見るに見兼ねたのか、万事屋のヒロインこと神楽ちゃんが進み出る。

 

「ごちゃごちゃうるさいネ。本物か見分けがつかないなら試してみるヨロシ」

 

そう言うと、彼女はおもむろに新八くんに近寄って、彼の腹に膝蹴りを叩き込む。

オボロロロロロと効果音を吐き出す新八くん。

神楽ちゃんはそれを指差して、無邪気に振り向く。

 

「桜ァ〜。やっぱり偽物だったヨ。銀ちゃん嘘つきアル。口から茶色い光線が出たネ。ぼったくられないように気をつけるアル」

「うん。ありがとう神楽ちゃん。けど今の絶対に私にはやらないでね。酢昆布に誓ってやらないでね」

 

ぐったりした新八くんを神楽ちゃんが引きずっていく。

このやりとりは割といつものことなので放っといて大丈夫だろう。

慣れてしまった自分が怖い。

原作では比較的弱キャラ扱いの新八くんでも、神楽ちゃんの攻撃を受けて3分たてばピンピンしてるんだからバケモノだ。

 

そんなことより今は自分の心配である。

……本当にどうしよう。

完璧に当てが外れてしまった。

GANTZスーツなくして死亡フラグを回避するのは難しい。

 

「いい商品なら高値で購入するので……」と、なんとかお願いすると、源外さんはしぶしぶ別の商品を漁り始めた。

他の商品で役に立つものがあるといいんだけど——もはや大喜利状態になりそうで憂鬱だ。

死亡フラグをビンビン感じて遠い目になってしまう。

銀さんはようやく依頼人を気遣う気になったのか、暗い顔の私に言う。

 

「オイ。お前さ、そんなんで大丈夫なのかよ」

「これが大丈夫に見えますか? 決闘の時はすぐに救急車呼べるようにスタンバっといて下さいね。間違っても原始的に叫んで救急車呼ぶとかボケかまさないで下さいね。銀さんが思ってるより私はとてつもなくか弱いんです。——わかりやすく例えるなら、豆腐をスムージー化したものをシャボン玉で包んでる程度の強度だと考えてください」

「どんだけ繊細なんだよ。つーか、そっちじゃねーよ」

 

そっちじゃないならどっちだと言うんだ。

今の私にこれ以上の話題など存在しないだろう。

怪訝な顔を向けると、銀さんは腕組みをして難しい顔で首を振る。

 

「さっき高値で買うとか言ってたけどよ、いくら切羽詰ってるからってもうちょい考えた方がいいんじゃねーのってことよ。たしかに俺も昨日言ったよ? アラサーなんだからボディー守ってる場合じゃねェって。けどよ、ほらお前ってそういうタイプじゃねーと思うし? なんつーか自分をもっと大切にすべきだと、銀さんは思うよ?」

「……はい? なんの話ですか」

 

まったく意味がわからない。

要領を得ないアドバイスに、私は冷ややかな声で言う。

銀さんはめずらしく少し気まずそうにして、

 

「だーかーら、お前働いてんだろ? 吉原で」

「……はァ⁉︎」

「いやー、さすがに俺もおかしいとは思ってたんだよ。お前やたらと金払い良いし。ダブルワークっつーの? まー、別に職業は人の自由だしな。桜みたいな地味顔っ子は正直訳あり感あって一定層から需要あると思うし」

うんうんと銀さんは頷いて、

「でももう少し胸はないと単価厳しいんじゃねーの?」

護身用で持ち歩いていた催涙スプレーを、私は無言でバカの目に噴射する。

 

ァァァァアアアアアアアアア! と、叫び声をあげて転がり回るバカ。

効果は抜群だ。

案外ツッコミ用でも使い道があるなァと、催涙スプレーの汎用性に感心する。

 

「テメェェェエエエ! 何しやがんだ! 失明したらどうしてくれんだよヤブ医者!」

「銀さんが変なこと言うからでしょう。次ふざけたこと言えば、酒に薬混ぜて昏倒させたところで視神経切断しますよ。そして私はヤブ医者ではなくマッドドクターです」

「より悪いわ!」

銀さんは真っ赤に充血した目を擦りながら怒鳴る。

 

「銀さんがたちの悪い冗談言うからじゃないですか。自業自得です」

「冗談じゃねーよ! 昨日、お妙がめずらしく電話よこしてよ。お前が吉原に入っていくのを見たっつーから——てっきり俺はだなァ」

「私がそんなことするはずないでしょ! 人違いです! だいたい真選組に入ってからずっと男装してるんですから——」

 

あれ、なんかデジャヴだ。

私は話の途中ではたと気付く。

そういえば、昨日も土方さんが妙なことを言っていた。

 

『保護されてるって自覚があんなら、むやみに外出——しかも女の姿で出歩くんじゃねーよ。男の格好させてる意味がなくなるだろーが』

 

なんだろう。

歌舞伎町に私のそっくりさんでもいるのか。

まあ、世の中よく似た人は3人いると言うし、私のような地味顔は見間違いやすいのだろうけど。

 

「じゃあ、なんでそんな金払い良いの。ゴリラがスポンサーになってお小遣いくれるとか?」

 

儲け話には敏感な万事屋のオーナーは、やたらと食い下がり聞き出そうとする。

大方、儲け話なら一枚噛みたいとか、あわよくば報酬を弾んでほしいとか、そうゆうことだろう。

 

「普通に真選組から頂いたお給料だけですよ。食費以外は使い道もないので、全額使い切ろうとしてるだけです」

「へー、そりゃ意外だな。せこせこ貯金とかしてそーなのに。アラサーのくせにそんな金遣い荒くていいのかよ」

「万年借金地獄の人に言われたくありません。……だって、私にとってここは異世界ですし。どうせ元の世界に帰るんですから貯金する必要もないじゃないですか。だったら良好な人間関係の構築に使った方がよほど建設的です」

「そういうもんかねェ」

 

相変わらずの異世界設定に萎えたのか、銀さんの反応は薄い。

他人の妄想話を聞かされてるんだ。

まあ、仕事とはいえこんな反応にもなるだろう。

それでも私にとっては公然と『異世界』とか『帰りたい』とか言えてしまう数少ない機会で、勝手に救われた気分になったりする。

 

相変わらずどこを見てるのかわからない濁った瞳で、銀さんがぼやく。

 

「なーんか桜が来てからおかしいんだよなァ」

「何がです?」

「何がっつーか……俺が?」

「そんなのいつものことじゃないですか」

銀さんは眉間にシワを寄せて、

「そんなんじゃねーよ。なんかうまく言えねーけど、リズムが狂うっつーか……最近変な依頼も増えたしなァ」

「私のせいですか」

「ま、疫病神ってヤツだな」

 

意地悪そうに銀さんはニヤリと笑う。

私はツンとそっぽを向いて、

 

「心配しなくても、近いうちに元の世界に帰りますよ。もし帰れたらもれなく私の全財産は銀さんに贈呈します」

「マジかよ!!!!!」

 

今日一のテンションで喜ぶ彼に、今後の活躍を期待しよう。

主人公の働きによって開ける道もあるはずだ。

 



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三十話 ご利用は計画的に

 

そうこうしている内に、源外さんが戻ってきた。

彼はチョイチョイと私を手招きする。

 

「やっと見つけたぜ。これならオメェも文句ねーだろ」

 

そう言うと、源外さんは私の刀の(つか)に装置を付ける。

それは細い腕輪のような機械で、(つば)の下——(ふち)の部分にガッチリ固定された。

じっくり見ないとわからないぐらいで、まずバレる心配はなさそうだ。

 

「そこに赤いボタンがあるだろう。押してみろ」

 

たしかに小さな赤いボタンがあったので、言われるままに押してみると、ボタンの隣に付いていた小さな液晶画面が点灯する。

 

「その明かりが付いているうちは電源ONになってるっつーこった」

「なるほど。……それで、これをどうしろと?」

「それで終わりだ。あとは普通に戦ってりゃー勝てる」

「あの……普通に戦うことがない人生だったんですけど……。もう少し具体的に教えていただけると嬉しいのですが」

「あー? そりゃ構わねーがなァ。オメェさんの決闘って12時からじゃなかったか?」

 

源外さんが親指で背後の時計を指すと、時刻はすでに45分を回っていた。

 

——って、あと15分しかないの⁉︎

 

焦る私の頭に、銀さんが乱暴にヘルメットを被せる。

 

「飛ばせば3分で着くだろ。任せろ」

「とてつもなく不安なんですけど! 刀に変な機械付けただけで勝てるとか言われても——ッ」

「そこはジジイに頼みにきた時点で腹ァくくっとけよ。任せろ、運に」

「運かよ!」

 

しかし、なんだかんだ言って源外さんのカラクリには一度命を救われている。

これだけ自信満々に言うんだから……なんとかなると信じるしかない。

銀さんに引きずられるようにして私はスクーターに乗り込む。

 

「神楽ァ! ちょっとコイツ送ってくっからメガネ連れ帰っとけよ」

「おおー、任せろヨ。桜ァ! ハゲ頭なんかぶっ飛ばすアル!」

 

神楽ちゃんは気絶したままの新八くんを傘の先で持ち上げてエールをくれる。

これが最後の別れにならないことを祈るばかりだ。

銀さんがアクセルを踏むと、ブロロロロロと燃費の悪い音を立てながらスクーターが走り出す。

その時、「オーイ!」と源外さんの大声が聞こえて、私は反射的に振り向いた。

 

「こいつァーおまけだ!」

 

そう叫んで、彼が投げたモノがナイスコントロールで飛んでくる。

慌てて手を伸ばして受け取ると、それはスタンガンだった。

私が初めて源外さんに依頼したカラクリだ。

例のバケモノに破壊され、修理に出していたが——新品同様に直されている。

 

「ありがとうございます! 代金は振り込みしときますねーっ!」

 

源外さんに叫び返して、私は決戦の場に赴くのだった。

 

 

 

 

 

 

江戸大通りをスクーターが飛ばす。

銀さんの言う通り、このペースなら決闘には十分間に合うだろう。

 

けれど、また別の問題が私を困らせていた。

スクーターの二人乗り——というか、二人乗り自体が初めてで……手はどこに置くのが正解なんだろう。

婚活時代にあらゆる少女漫画を読み漁り、こういった場面の淑女たる振る舞いは勉強したはずだ。

たしか自転車で二人乗りのシーンもあったが、「道路交通法57条2項に違反している。社会の闇も知らない学生風情が呑気なことを——ッ!」という感想しか抱けず、どういう体位をしていたかサッパリ思い出せない。

クソ! もっと純粋な気持ちで勉強していればこんなことには……!

 

自然と眉間に力が入り、眼前の問題——銀さんの背中を睨みつける。

そもそも彼の体つきはおかしい。

普段から酒と甘味を過剰摂取して、特に運動してるってわけでもなく毎日ゴロゴロしてるだけなのに、このやたらと広く逞しい背中はなんだ。

なぜ筋肉質なんだ。

まさか、これが主人公補正というやつか!

どんなに荒れた生活をしても崩れないスタイル……なんて羨ましいんだ。

私は悔しさのあまり唇を噛み締める。

 

「何。そんなに睨まれたってなァー、これ以上早くはならねーぞ。銀さんは安全運転がモットーだからね。次違反食らったら免停なんだよ」

「へ⁉︎ 別に⁉︎ 別に睨んでませんよ!」

 

サイドミラー越しに、銀さんと目が合う。

考えてるところに突然声をかけられ、私は焦って銀さんの脇腹をガッチリ掴んだ。

 

(イテ)ェーよ! 突然何⁉︎ なんで脇腹つねんの⁉︎ 何が気に入らねーんだよ口で言えよ!」

「ああ、すみません。いえあの……どこに掴まればいいのか迷ってしまって……」

「ああー? 普通に肩とかでいいだろォーが。そっとだぞ⁉︎ ソーっと両手を添えるだけだからな!」

 

肩だと——ッ!

なるほど。いい距離感だ。

私は安堵して彼の両肩に手を置いた。

 

「よしよしよし。やれば出来るじゃねェか。運転中なんだから頼むぜ。銀さんマジで免停リーチだからね」

「……銀さん。あれ、なんでしょうか」

「オイ! バカかテメーは立ち上がんじゃねェ! あぶねーだろォが!」

 

彼の肩越し——前方に違和感を覚え、銀さんの肩に手を置いたまま私は立ち上がる。

……前方の車の流れがおかしい。

私は目を凝らして、身を乗り出す。

渋滞だろうか……いや、この時間帯に渋滞はないだろう。

事故か?

それにしては静かすぎるような気も——

 

「桜ちゃぁぁぁん! 聞いてる⁉︎ 次免停だっつってんだろ! いいから座れよヤブ医者!」

「銀さん……前! 前見てください前ェェェエエ!」

「あ? ……何アレ」

 

彼のヤブ医者発言を訂正する余裕もなく、私は絶叫する。

 

目の前には信じられない光景が広がっていた。

私たちの行先で、車が次々と宙を舞う。

ベルトコンベアーのような一本道は、容赦なく私たちをその現場に連れて行く。

すぐ前方を走っていた車が、凄まじい音を立てると一瞬で宙に舞い上がった。

開けた視界が犯人を捉える——道路に佇む女性。

身に纏う漆黒のワンピース。

その黒さが、病的なまでに白い肌を際立てる。

彼女の顔は、角の生えた悪魔を模した仮面で隠されていた。

銀さんの息をのむ気配が、手のひらを通して伝わる。

 

「桜ァ! 掴まれェェェ!」

 

銀さんの怒声に返事をする暇もなく、私は彼の腰にしがみつく。

直後、スクーターはボディーを道路に擦り付けて見事なドリフトを決めながら、横の小道に走り込む。

 

「ななななんですかアレ!」

「俺が知るかよ!」

 

後ろを振り返って驚愕する。

悪魔の仮面を被った女性が、走り迫ってくる。

その足は残像で見えないほど早いのに、上半身は静止画のように微動だにしない。

 

「あああああああの! なんかついて来ちゃってるんですけど! めちゃくちゃロックオンされてるんですけどォォォォオオオ!」

「クソ! なんだっつーんだよ!」

 

スピードからは想像できぬほど和やかな動作で、彼女が私たちを指差す。

すると、どこから湧いて出たのか抜刀した浪人が一人、二人——九、十——二十、三十……いや多すぎでしょォォォォオ!

 

「ぎぎぎぎ銀さぁぁぁん! なんかすんごい敵が増えてます! リボ払いの利息並みに増えていきます!」

「何その例え怖すぎんだよ! 恐怖の伝え方天才的じゃねェーか!」

 

銀さんはアクセルを一層踏み込んで加速する。

スクーターはガタガタ音を立て、今にもバラバラに壊れそうだ。

背後に敵が迫り、私は刀身に絡めとられそうな身体を必死によじる。

デコボコの小道が続いていたのが、ようやく前方に道が(ひら)け——開……開けすぎでは?

銀さんがヤケクソに叫ぶ。

 

「リボ払いはァァアアア! 一括返済がおすすめですぅぅぅううう!」

 

小道を走り抜けると、目の前は大きな川だった。

スクーターが勢いよくガードレールに突っ込む。

唐突に感じる浮遊感。

身体が宙を舞って、視界もぐるぐる回る。

空の青さと川の青さが高速で入れ替わり——わぁ〜すんごい! 人ってこんなに飛べるの? とか思っていると——気付けば目の前は銀髪一色になっていた。

一拍遅れて、銀さんに抱えられていることに気付く。

数メートルある川幅を物ともせず、彼は私を抱えて対岸に着地したらしい。

 

「よォーし。だいぶ減ったな」

 

勢い余って川に飛び込んだ浪人たちを見て、銀さんは頷く。

 

「私は寿命が減りました」

 

放心して呟いた言葉は、彼に届いているだろうか。

それにしてもこの場合のお姫様抱っこはアラサー的に大丈夫なんだろうか、とか考えたっていいじゃないか現実逃避も時には大事だ。

 

浪人の生き残りがこちら目掛けて跳躍するのを見つめながら、口元をへらりと緩ませる。

なんつーか笑うしかない。

 



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三十一話 お色気お姉さんは好きですか?

まだ追ってくる浪人たちに舌打ちをすると、銀さんは私を抱えたまま屋根の上に飛び上がる。

 

「ぎゃああああああああああああ! 高い高い高い!」

 

さすがは白夜叉。

人を抱えているとは思えぬほどのスピードで走り抜け、家の屋根から屋根に次々と飛び移っていく。

 

「ああああああ内臓があああああ!」

 

それでも浪人たちは追いすがり、

 

「いやああああああああああああああ!」

 

私たちは覚悟を決めて立ち向かうという選択肢を迫られつつ——

 

「ひいいいいいいひいいいいいいいん!」

「うるせぇぇぇぇえええ! いちいちうっせーんだよテメェは!黙ってらんねーのか! せめて『キャー♡』とか可愛く叫べねーのか!」

「これが叫ばずにいられますか! 人間である限り叫びますよ普通ですよ! せめて飛ぶときは合図をしてください! 『1、2、3、ハイ!』のリズムでお願いします。『3』じゃないですよ⁉︎ 『ハイ!』で飛んでくださいね!」

「わーったわーった。行くぞ。いーちィ」

「あああああああああ! 2すら言ってくれないいいいいいい!」

 

銀さんは一際背の高い屋根から、一気に開けた広場に飛び降りる。

綺麗な着地を決めて、すっかり魂の抜けた私を地面に転がすと彼は木刀を構えた。

 

「絶対に許さない……。毎日糖分注射して一刻も早く糖尿病にしてやる……」

「不穏な計画立ててんじゃねーよヤブ医者! 約束通り助けてやってんだから大人しくしてろよ⁉︎」

 

大人しくも何も腰が抜けて立てないです、と思いつつ私は気合いで立ち上がり刀を抜く。

真選組の隊服を着ている以上、今の私は山田サク太郎だ。

敵前逃亡は切腹——真選組ブランドに傷を付けないためにも情けない姿は敵に見せられない。

 

その時、追手の浪人たちと悪魔の仮面を被る女が降り立った。

両軍は対峙する。

 

「よぉ、鬼ごっこはシメェにしよーぜ。そこの個性的な仮面をしてる子はどうしたのかな? カッコいいと思ってつけてんのかな?」

 

銀髪の侍は挑発的に笑う。

 

私にはその大きな背中が別人のように見えた。

侍は刀を構えるだけでこうも違うものか。

 

仮面の女が銀さんを指差し、生き残った六人の浪人が一斉に斬りかかる。

が、銀髪の侍は木刀で一直線に薙ぎ払い、浪人たちを吹き飛ばした。

彼は木刀を肩に乗せ、

 

(かり)ーなァ。こんな軽い剣、何本あっても足りゃしねーよ。人に指図ばっかしてねーで自分(テメェ)で来な」

 

伝説の白夜叉——銀さんの軽口にその片鱗を垣間見る。

 

すると仮面の女が返事をするように右手を軽く上げた。

その人差し指を下から上に——呼び寄せるように動かすと、倒れた浪人たちが奇妙な動きで立ち上がった。

銀さんは瞠目し、

 

「こいつら操られてんのか⁉︎」

「彼らの目を見てください! 私を襲ったバケモノと同じ目です!」

 

血走った双眼に、異常に小さな黒目がビュンビュン動き回る。

間違いない。

あの時のおぞましい瞳だ。

私たちの驚愕をよそに、仮面の女がパチンと指を鳴らす。

すると全身ずぶ濡れになった浪人たちが、敵陣営に降り立った。

先ほど川に落ちて戦闘不能になったはずの浪人たち——合わせてざっと三十人若。

 

銀さんは口元を引きつらせ「走れ!」と叫ぶ。

私は慌てて彼の後を追いかける。

 

「何本あっても足りゃしねーとかカッコつけるからァァァアアア! 足りるじゃん! 全然ピンチじゃん!」

 

私は走るのに精一杯で背後を気にする余裕はない。

銀さんが何度も振り返って敵を薙ぎ倒していくが、すぐに復活する操り人形には焼け石に水だ。

 

「うるせぇぇえええ! なんかそういう雰囲気だったんですぅ! 男の子は決め台詞言いたい時があるんですぅ! 文句言う余裕あるなら足止めんな! 囲まれたら終わりだ! 絶対俺の後ろ離れんなよ!」

「そ、そんなこと言われても……私の肺はホオズキと思ってください」

「いやどんだけ繊細⁉︎ ちょっとオシャレな例えすんな腹立つわ! いま情緒いらねーんだよ!」

 

緊迫の連続。

そのためか、いつもより息が上がるのが早い。

肺が裂けそうだ。

私は苦痛に顔を歪ませる。

 

その時、三人の浪人が銀さんに斬りかかった。

銀さんは私を背後に押し除ける。

浪人Aの刀を木刀で弾き飛ばし、そいつの手首を掴んで浪人Bに投げつける。

次に迫る浪人C。

その腹に強烈な突きをお見舞いした。

が、そいつは血を吐き出しながら踏ん張る。

木刀を両手で掴んだまま離さない。

その顔は無表情で不気味だ。

銀さんはハッとし、瞬時に振り払おうとするが、遅い。

浪人Cに続けとばかりに、浪人たちが次々と捨て身で群がる。

明らかな足止め。

 

その隙をついて、一人の浪人が私に襲い掛かった。

 

「桜ァ! クソ! テメー等どきやがれ!」

 

ダメだ、間に合わない。

銀さんの叫ぶ姿を視界の端で捉え、私は冷静に思う。

斬られる——身を固くすると、銀さんの鋭い叫びが耳に突き刺さった。

 

「腰引くな! 構えろ!」

 

その声に私はハッとして踏ん張り、刀を構える。

敵の刃が迫る。

逃げたくなる身体をなんとか押し留める。

一撃だ。

この一撃さえ防げれば——ッ!

頭上から振り下ろされる刃を受け止めようと、私は刀を真横に構える。

 

そして刃と刃が交わった瞬間——浪人が大きく痙攣し、倒れた。

 

……は?

何が起こったの?

鼓動の急ピッチ。

自分の荒い息遣いが聞こえる。

呆気にとられる私に、愛刀は得意げにビリリとスパークを纏った。

——電流⁉︎

 

「これが——私の秘められし力⁉︎」

「ちげーだろ!」

 

一度言ってみたかっただけだ。

 

これが源外さんがくれたカラクリの威力——「普通に戦ってりゃー勝てる」というのも頷ける。

つまり戦わなくたって刃を交えさえすれば、相手は電撃を受ける……。

卑怯だ。

卑怯すぎる。

こんな刀で決闘だなんて——最高じゃないですか!

 

「ボサッとすんな! また来んぞ!」

 

銀さんが私の頭を掴む。

そのままグッと下に押され、私は慌てて頭を抱えて伏せた。

直後、敵の襲撃。

浪人たちが四方から一斉に襲いかかる。

何本もの刀が頭上で交錯する。

敵に埋もれ、一瞬辺りが真っ暗になった。

が、次の瞬間、銀さんがそれらを斬り倒す。

無数についた刀傷にも怯まず、咆哮をあげて剣を振るう姿は——まさに夜叉。

 

斬って、

斬って、

斬りまくる。

 

強い。

この人数を相手でも、敵を圧倒している。

けれど、いくら銀さんでも相手が不死身では終わりがない。

少しずつボロボロになっていく様を見ていることしかできず、私は歯噛みする。

 

このままじゃジリ貧だ。何か突破口さえあれば——

 

その時、浪人の影に潜む女の姿が目に入った。

私がハッとして「銀さん!」と叫んだ時には遅かった。

メキッと鈍い音と共に、銀さんの横腹に強烈な蹴りが入る。

ガハッ——苦しげな呼吸音と共に彼の身体が吹っ飛び、その先にある古びた納屋に突っ込む。

 

「銀さん!」

慌てて彼に駆け寄ろうとした私に、女は一瞬で間合いをつめる。

「クッ——!」

苦し紛れに突き出した剣——女は刃を躱し、軽々と私の刀を蹴り飛ばす。

私は丸腰だ。

悪魔の仮面が眼前に迫る。

 

彼女の素手が、ビキビキ音を立てて変形するのがスローモーションに見える。

 

ちょっと待って!

それキルア=ゾルディックくんのやつじゃないですか!

ハンター試験の最中に心臓抜きとってグシャっとするやつじゃないですか!

やだー! すっごい名シーン!

いまから体験できちゃうなんてファンとして胸熱!

 

避けることなんて出来るはずもない。

私は涙目で、ただ彼女の腕の動きを凝視する。

すると、突然女が何かに反応して後ろに飛び退った。

直後、飛んできた木刀が先ほどまで女がいた場所——木壁に深々と突き刺さる。

木刀に刻印された『洞爺湖』の文字。

その持ち主は、倒壊した納屋の中——柱に背を預けて座っていた。

 

「そいつァ俺の金ヅルなんだわ。簡単に殺られちゃ困るぜ」

 

ぐったりと座り込んだままの銀さんが、鈍色の瞳で女を睨みつける。

 

木刀は——ダメだ、抜けそうにない。

女が引いたのを見計らって、私は彼に駆け寄る。

銀さんは腹を抑えて咳き込んでいた。

しばらく立ち上がれそうもない——骨折しているかもしれない。

 

「……お前がいると満足に戦えねェ。屯所はすぐそこだ。俺が——」

「立ち上がれもしない人が何を言うんですか。私は医者です。怪我人を置いて逃げるほどヤブじゃありません」

 

銀さんを背にして、私は敵に対峙する。

血がダメな半端者のくせに、恥を忍んで再び掲げた看板。

ここで逃げるぐらいなら死んだ方がマシだ。

私は助からないにしても、少しでも時間を稼げば銀さんならなんとかするだろう。

 

懐からスタンガンを取り出す。

すると仮面の女が手を振り、浪人たちは糸が切れたように崩れ落ちた。

私はゆっくりと発音する。

 

「わざわざお仲間減らしちゃって、余裕そうですね? その選択が後悔に変わらないといいですが」

「ふふ——それが切札かしら? スタンガン……触れるとビリリ〜って痺れちゃう?」

 

艶っぽい声色。

よく見ると胸元は谷間が強調され、身体のラインにそった黒のワンピース——アップにした黒髪からこぼれる後毛が白い頸にかかる。

……お色気お姉さん系か。

敵だ。

 

「試してみましょうか?」

「そうねぇ。私、痛いのは嫌いじゃないのよ。けど——まどろっこしいのは苦手なの」

 

仮面の女が跳躍する。

一瞬で、女は私の目の前に現れた。

 

ここはもうちょっと会話して駆け引きとか楽しむ場面じゃないの⁉︎

銀さんが私の名を叫ぶ声が聞こえる。

ああ、ごめんなさい銀さん。

時間も稼げない弱キャラで……私の遺産は全部受け取ってくださいね。

 

——けど、タダでは死ねない!

死ぬ前に一撃だけでも……ッ!

 

そう願って、私はスタンガンのスイッチを押した。

 



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三十二話 矛盾ばかりが人生だ

その時、私は目を疑った。

 

バヂヂヂヂヂヂと迸る電流。

スタンガンの先端で、電気の塊が球体に浮かぶ。

そしてまさしく閃光のごとく、それは発射された。

仮面の女は恐るべき反射神経で飛び上がって回避する。

が、弾けた電撃が悪魔の仮面に直撃した。

彼女は顔を抑え、空中でくるりと回って屋根の上に着地する。

 

スタンガンから発射された球電は地面を抉り焼き、まっすぐに進むと、行手の小屋を吹き飛ばして空に消えた。

 

……千鳥はこんな技じゃねェェェェエエエ!!!

つーかスタンガンですらねェェェェエエエ!!!

 

驚愕のあまり心中穏やかでない私に、お色気お姉さんはクスクス笑う。

 

「今のすっごく危険ね。私、久しぶりにドキドキしちゃったわ」

 

彼女のスカートは電撃で焼き切れ、大胆な素足を晒している。

「あなたの生足もなかなか刺激的ですよ」と軽く言おうとして、私は言葉を失った。

 

電撃によって割れた彼女の仮面が、落ちる。

そこから現れた素顔は——私の顔だった。

 

土方さんと銀さんの言葉が脳裏をよぎる。

『保護されてる自覚があんなら——女の姿で出歩くんじゃねーよ』

『お妙が——お前が吉原に入っていくのを見たっつーから』

 

そうか。

私のそっくりさんの正体は——。

 

「……オイオイ。桜ちゃーん。あれどう見てもお前なんだけど。ドッペルゲンガーってやつ? ちょっと俺そういうオカルト話は専門外なんだけど」

 

さすがの銀さんも戸惑った声色で、冗談まじりに言う。

私は呆然として「パラレルワールド」と呟く。

 

「はぁ? パラレルワールド? なんだよまたお前の妄想話?」

「ある世界から分岐し、存在する並行世界のことです。ちょっとした選択の違いで分岐される——並行世界には、もう一人の自分が存在すると言われています」

「いやまあ、なんとなくは知ってるけどよ。……つーことは、何。あのお色気お姉さんは——この世界のお前ってこと?」

 

わからない。

ここは銀魂の世界だ。

もう一人の私が存在するなんて——そんなバカなこと。

だが、そもそも銀魂の世界に来たこと自体が常識から外れている。

もう何が起こっても不思議じゃない。

 

彼女——もう一人の私は艶やかに微笑んだ。

 

「あら、もうバレちゃったの。もう少し秘密にしておきたかったのに……残念ね」

「……私をこの世界に呼んだのはあなたなの?」

「んん〜せっかちね。もう一人の自分のはずなのに、私たちって気が合わないみたい。そう思わない?」

「ふざけないで! いいから質問に——」

 

私は興奮して語気を荒げる。

が、彼女の姿を見て唖然とした。

 

彼女の背が波打つと、そこからコウモリのような黒い羽が生えたのだ。

その大きな翼を動かし、ふわりと宙に浮かぶ。

彼女は形の良い唇を吊り上げて言う。

 

「まずは自己紹介が必要よね? 私の名前はサクラ。苗字はないわ。この地球では『ヴァンパイア星人』って呼ばれてるみたい。あんまり可愛くない名前だと思わない?」

サクラはお色気たっぷりに吐息を漏らす。

 

あまりの衝撃に私はふらつき後ろに倒れそうになったところを、銀さんに支えられた。

 

一体どういうことなの。

こっちの世界の私——まさか人間ですらないとか!

そんでヴァンパイア星人って!

薄々気付いていたけど完璧に黒じゃないですか。

巷のヴァンパイア事件の犯人絶対こいつじゃないですか。

私と同じ顔の天人が犯人……。

これが真選組にバレたら——私は即刻、打首獄門だ。

 

放心する私の体を銀さんが揺り動かす。

 

「しっかりしろォ! 大丈夫だ!」

「銀さん……」

「たしかにあっちのサクラさんの方がセクシーだ。そんでなぜか胸もデカい。けどな、お前にもいいところあるから! 銀さんはわかってるから!」

「アンタは本当こんな時にどこ見てんだトドメ刺しますよ」

「大丈夫だ。あのヴァンパイア星人は俺のXガンで退治しておくから」

「ちょっと黙っててくれますかマジで。今めちゃくちゃシリアスなんで」

 

私たちの掛け合いを見て、サクラは妖麗に笑う。

 

「私も驚いたのよ。まさか異世界の私が脆弱な地球人なんて……。挨拶がわりに遊んでいたつもりだったのに、うっかり殺してしまいそうになったわ。でも、楽しみはまだ取っておかないとね」

「待って!」

飛び去ろうとする彼女を私は急いで呼び止める。

 

銀魂の世界にもう一人の私がいる。

信じ難いことだ。

が、それが本当ならば——確かめずにはいられない。

 

「あなたが私なら——姉がいるはずよ! 姉さんは……春香はどこにいるの⁉︎」

 

私がその名を口にすると、サクラはゆっくりと振り返った。

その瞳に冷酷な色をたたえて、

 

「姉……ええ、確かにいたわ。三年前に死んだけれど」

 

脳を揺さぶられたように、目の前が歪む。

「死んだ……?」と私はかすれた声で繰り返した。

 

「んん〜、私が殺したと言った方が正しいかしら?」

「殺——ッ⁉︎ なんで……なんでそんなこと!」

「だって、うざいんだもの」

「……え?」

 

サクラは真っ赤なルージュをひいた唇を醜く歪めて笑う。

「ハルカ姉さんってうざかったでしょ。あなたの世界では違った?」

 

その問いに、私は答えられなかった。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

かつて私は天才だった。

幼い頃から好奇心旺盛な性格で、勉強好きだったことも良い方に転んだのだろう。

物心ついたころから神童と呼ばれ、飛び級は当たり前。

学生の頃から様々な研究論文を発表しては、いくつも賞を貰った。

自室では飾り切れないトロフィーや賞状は、いつのまにかリビングや家中を占拠していた。

 

それに比べて、姉は凡人だった。

普通の子供たちと同じようによく笑って、よく遊んで——宿題が間に合わないと私に泣きついていた。

成績は中の上。

とても医者になれるような頭脳ではなかった。

しかし、その代わりに姉には別の才能があった。

人タラシの才能だ。

彼女の周りには不思議と人が集まった。

 

そんな姉から見れば、勉強ばかりで友達もいない私はさぞ孤独に見えたのだろう。

何かにつけて、姉は私を遊びに連れ出したり、パーティーに参加させたりした。

その場所は姉を慕う人たちばかりで、「妹だ」と紹介される度に透明人間にでもなりたい気分だった。

なぜなら会う人みんなに言われたからだ。

「姉妹なのに似てないんだね」

その言葉は私にとって魔法の呪文みたいだった。

その呪文を言われる度に、私はますます学問の世界に没頭していった。

最初は親に敷かれたレールを走ることに疑問を持っていたが、学問の面白さに触れ、人々を直接助けることができる——まるでヒーローのような『医者』という職業が私の夢になっていた。

 

高校の頃、両親は私の才能に惚れ込み、すっかり病院を継がせる気でいた。

歴史ある大病院のため、古くからの慣習で家督は長女に——と言われていたが、そんなものは建前だった。

すでに姉が医者になる必要はなくなっていた。

けれど、姉は「桜が心配だから」と言って医者の道を選んだ。

「姉さんの成績で医大は難しい」と私が何度諭しても、譲らなかった。

それから私は研究の傍ら、毎晩姉の勉強を見た。

その甲斐あって、姉は無事に医大に進学。

姉妹揃って、実家の病院に勤めることになる。

 

そうしてやっと医者になってからも、私と姉は鏡のように対極的な存在だった。

 

私はとにかく合理的に、効率的に——一人でも多くの患者を救うために躍起になっていた。

人の命は儚く、時間は限られている。

患者の診察や手術、学会の研究発表、新薬や新治療法の開発——。

使える人材はフル稼働させ、削れるものは極限まで削った。

 

そうして私が削ったものを拾い上げるのが、姉の仕事だった。

軽度の患者の診察、看護スタッフの愚痴、私腹を肥やす古狸の嫌味——一般雑務に至るまで。

私から見れば無駄に思えることにも姉は幅広く気を配り、姉の周りにはいつも人が溢れ、私の周りには書類の山が溢れた。

 

月日は流れ——どちらを院長に推すか、次第に病院内では派閥ができていた。

実力主義の私か、人望の厚い姉か。

 

そして院長に選ばれたのは、姉の春香の方だった。

それから間もなく、姉は幼馴染みで同僚の菊池宏人(きくちひろと)と婚約。

半年後に病に倒れ、数ヶ月後あっさりとこの世を去った。

姉は最後まで「桜のことが心配だから」と口癖のように言っていた。

 

姉が死んだ日。

その日、私は自分自身に深く失望した。

 




伏線というか、一応前振りはしましたがパラレル展開ですみません……笑。
やはり異世界といえばパラレルかと思いまして。
超展開ですがついてきて頂けると嬉しいです……!


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三十三話 お一人様でもカッコよく生きたい

 

「桜! しっかりしろ!」

 

激しく肩を揺さぶられ、私は目が覚めた。

「え、あれ……」

頭にモヤがかかったように思考がはっきりしない。

目の前の男性は——銀さんは安堵のため息をつく。

 

「ったく驚かせんなよ! お前は突然倒れるし、あの女は意味わかんねーこと言うし」

「あの女……? ——ッどこですか⁉︎ 彼女はどこに⁉︎」

「もうとっくにいねーよ。飛んでいきやがった」

「……そうですか」

 

まだ聞きたいことは山ほどあったのに、彼女がいないことにホッとしている自分もいた。

 

……そうか。

この世界の姉さんも死んだのか。

もう一人の私——サクラさんは三年前と言っていた。

私の姉も死んだのは三年前——命日も同じだったりするんだろうか。

もしそうなら……姉さんが死んだのは運命と言えるかもしれない。

誰が悪いでもなく、山田春香はあの日に死ぬことが決まっていたのかもしれない。

 

運命論なんて本当は嫌いなくせに、こんな時ばかり都合よく縋り付く

自分に反吐が出る。

 

「……おい、大丈夫かよ」

「あ……ええ、大丈夫ですよもちろん」

 

銀さんが心配そうに私の顔を覗き込む。

彼には似合わない真摯な瞳に見据えられて、私は曖昧に微笑んだ。

気にもしていない服の汚れを丹念に手で払ってから、立ち上がる。

 

なんだっけ……ああ、そうだ。

銀さんにはちゃんと説明しないと。

 

「えーっとですね。今のは……そう、エキストラみたいなものです。異世界妄想を盛り上げるためのちょっとしたスパイス……みたいな? 銀さんに依頼してもいまいちリアリティが足りないんですよね——」

 

いくら依頼とはいえ、銀さんを危険な目に合わせてしまった。

これ以上、彼に迷惑はかけられない。

元の世界に帰りたい、なんて私の個人的事情……もともと一人で解決すべき問題だったのに。

なまじ銀さんの人柄を知っているから——甘えて頼って、自分が弱いことを理由にして……彼を利用した。

目の前に困っている人がいれば、銀さんは愚痴りながら助けずにいられないことを知っているのに。

打算づくしで動く——つくづく私は嫌な女だ。

 

「それよりもケガは大丈夫ですか? まずは手当てを——え? もう歩けます? こんなのかすり傷って……相変わらず驚異的な回復力ですね——」

 

銀さんを頼らずとも——まあ、なんとかなるだろう。

そう悲観することでもない。

敵の正体を暴けたことは大きな一歩だ。

まずはヴァンパイア星人とやらについて調査して、そして……私は何をすればいいんだろう。

……なんにせよ、自分でどうにかするしかない。

もしそれが出来なければ、異世界の地で一人、骨を埋めることになる。

ただそれだけだ。

 

「とにかくまずは病院に行きましょう。でないと——」

 

話を遮って、銀さんは「桜」と私の名を呼んだ。

その声はいつものふざけた感じではなく、かといって高圧的な諌めるような感じでもなく——静かな優しい響きで、自分の名前じゃないような不思議な感じがした。

私は少し驚いて、唇を結ぶ。

喉が乾いて痛い。

しゃべり過ぎていたことに、そこでようやく気付いた。

 

お前さァ……、と銀さんは大きなため息をついたかと思うと突然「ああクソ!」と天然パーマの銀髪を激しくかきむしり、意を決したように私に向き直った。

 

「ったく、わかったよ! ……信じてやるから」

 

……信じる? 何を?

首をかしげる私に、彼は少し怒ったように言う。

 

「だーかーら! 信じてやるっつってんだ。本当に異世界から来たんだろ?」

 

耳を疑う言葉に、私は絶句した。

……この人は本当にお人好しすぎる。

誰のせいで面倒事に巻き込まれたのか理解していないらしい。

私は心底呆れたし、「何をバカなこと言ってるんですか」と流そうとして——声が出なかった。

なんでか唇が縫い付けられたように開かない。

それに心臓が絞られるように痛む。

彼の瞳が胸の奥を覗いているようで、私は懸命に言葉を探した。

 

「……信じるって、何を根拠に言ってるんですか。どこにも証拠なんてないですしそれに」

「根拠なんざいらねーよ。ましてや証拠も必要ねェ」

グネグネ曲がる天然パーマと違って、まっすぐな言葉。

「いいか? オメーが言うから信じるっつってんだ。……だから、世界で一人ぼっちみてーな辛気臭(しんきくせ)ぇ面ァやめろ」

 

いつもの締まりのない顔が、やけに整って見える。

これだからヒーローはずるい。

脇役が一番欲しい時に、一番欲しい言葉をくれる。

渇いた体にすぅっと馴染むミネラルウォーターみたいだ。

 

「まァ、前も言ったけどよ。桜は周りの連中に比べたらかなりマシな頭の部類だし? ギリだぞ。ギリギリのラインでだからな。異世界だから天涯孤独とか思うかもしんねーけど。ほら、うちのガキどももいるしよ。なんなら特別に銀さんの胸貸してやるから!」

 

ほら、と冗談まじりに銀さんは両手を広げた。

私は黙って彼の背中に回る。

 

「……いやなんでそっち?」

「ちょっと正面からは絵面的に耐えられないので」

 

あっそう、と素っ気ない返事。

なのに不思議だ。

手の置き場所ぐらいであんなに歯痒い思いをした背中なのに——今は触れずにいられない。

腕を回して、ぎゅっと抱きしめてみる。

私の腕の中で、彼の背中は少し硬くなったけれど、すぐに柔らかく弛緩した。

 

「あったかいですね。湯たんぽを思い出します」

「何その微妙な感想」

「褒めてるんですよ。落ち着くって意味です」

「そりゃどーも。鼻水はつけんなよ」

「……善処します」

 

銀さんの背中——着物に水滴が落ちる。

あとからあとから落ちては、吸われて消えていく。

ずっと溜まっていた色々なものが剥がれ、落ちて、消えて——その過程を私は眺めていた。

 

ごちゃごちゃした頭の中、丸ごと空っぽにしてるみたいだ。

ダメなのに。ちゃんと考えて、自分で決めなきゃダメなのに。

今だけは何も考えなくたっていい——温かい背中が許してくれる気がした。

 

どれぐらい経ったろう。

小さな嗚咽がようやく吐息に変わる頃、ずっと黙っていた銀さんがボソリと言う。

 

「落ち着いたか?」

「ええ、まあ。……お世話になりました」

 

気恥ずかしさに、私はおずおずと彼の背中を解放する。

銀さんは私に背を向けたまま、

 

「ところで桜。今何時か知ってるか?」

「へ? 何時って……あああああああああああ!」

 

そこでようやく大事なことを忘れていたことに私は気付いた。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

真選組屯所内の庭では、久しぶりの娯楽を一目見ようとギャラリーの大きな円ができていた。

 

その円の中心で、鋭気に満ちた男が一人。

スキンヘッドの頭には白い鉢巻。

肉体美を見せつけるように、上半身の裸体を晒している。

原田右之助は誰がみたって決闘(それ)とわかる格好で、男らしく相手を迎え撃たんと仁王立ちに立ち尽くしていた。

 

ひゅるりと冷たい一陣の風が吹く。

 

張り詰めた空気の中、決闘を見守る群衆はこそこそと言葉を交わす。

 

「……おい、山田はいつ来るんだよ。もう1時間も遅刻してるぞ」

「決闘に遅れてくるとは武士の風上にもおけねぇ。まさか佐々木小次郎でも気取ってるつもりか?」

「もう俺見てらんねーよ。この真冬に原田隊長なんかずっと上半身裸だぜ? 鼻水出ちゃってるよ。鳥肌ハンパねーよ」

「誰か言ってやれよ。もう決闘は中止にしましょうって……」

「いやいやいやバカか言えねーだろ! だって原田隊長すっげーやる気満々じゃん! すっげー筋肉パンパンじゃん! あの感じで1時間もいるんだぜ? 今更すごすご服着るって恥ずかしいよ相当なもんだよ。この場を納められる人がいるとすりゃ——」

 

隊士たちの視線は、一人の男に注がれた。

この決闘の審判を申し出た——真選組副長、土方十四郎だ。

男はクールにタバコをふかす。

灰皿にはすでに何十本のタバコの残骸が山盛りになっていた。

土方は静かに「山崎」と部下の名を呼ぶ。

 

「はい。副長、お呼びでしょうか」

「もうシメーだ。これ以上は待てねェ」

「そんな……お願いします! もう少し待ってくださいよ副長! サックーは絶対に来ます!」

「諦めろ。所詮奴ははぐれ者。真選組(うち)の一員にゃなれねーよ」

 

山崎は土方の前に進み出ると、額を地面に擦り付けた。

 

「どうかお願いします。ここで引けば、ますますサックー……山田サク太郎の立場はなくなってしまう! 真選組(ここ)に居れなくなります!」

「くどい! わからねーのか。山田は逃げたんだ。ここにいねーのが奴の出した答えだろ」

「トシ、それは違うんじゃねーかなァ。俺にはどうにもあの子が逃げるようなタマには思えんよ」

 

山崎は顔をあげ「局長……」と呟く。

近藤は顎をさすりながら、チラリと土方に目を向ける。

 

「本当はオメーもそう思ってるんじゃねーのか? だから1時間も待ったんだろ」

「……だとしても、だ。真選組は組織だ。一人の勝手は許されねぇ。そうだろ」

 

土方の言葉に、今度は誰も何も言わなかった。

無言の圧力を跳ね返すように、土方は大きなため息をついてから声を張り上げる。

 

此度(こたび)の決闘! 山田サク太郎の棄権により——」

「待ちなせェ」

 

皆が立ち尽くす中、ブルーシートの上に寝そべっていた男——沖田総悟は緊迫した場に不釣り合いなアイマスクをずり上げて言った。

 

「どうやらおいでなすったようですゼィ」

 

その時、けたたましいエンジン音と共に大きな影が地面に映し出された。

 

「ちょっと待ったァァァァアアアア!」

 

ド派手な登場に度肝を抜かれ、誰もが空を見上げる。

人垣の真上をスクーターが悠々と飛び越え、決闘の地に土埃を上げて降り立った。

スクーターに跨る二人の影。

後方に乗っていた男——いつもの白衣ではなく、隊服姿の男は決戦の地に足をつける。

ヘルメットをはずし、土方の前にツカツカと歩む。

 

「山田サク太郎、ただいま参上致しました」

「……遅ェ。半端なことしやがったら切腹だぞ」

 

不器用に唇を歪ませた男に答えて、山田もニヤリと笑う。

 

「もちろんですよ、副長。僕に任せてください」

 

山田が振り返った先には、雄々しく待ち構える原田右之助。

 

さァ、ここが男の見せ所。

大一番のはじまりだ。



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三十四話 どんな恋愛でも個人の自由だァァァァアアアア!

 

私は堂々たる足取りで原田さんの前に進み出る。

 

空には一面に暗雲が広がり、のしかかるような圧迫感がある。

にごった空をいただく決闘場で蹴り上げた砂埃が冷たい風に流れいった。

睨み合う両者——いよいよ始まる決闘に、群衆はワッと沸いた。

 

いけー!

医者崩れなんてぶっ殺せ!

やっちまえ!

原田隊長ォォオオオ!

今日も筋肉キレてるッスよ!

 

男たちの口汚い野次が飛び交う。

 

私はちらりと銀さんに目を配る。

スクーターにもたれるようにしていた彼は私の視線に気付くと、ひらひらと手を振った。

……大きな欠伸をしていたのが激しく気になる。

セコンドとして、白いタオルを投げる役割だけはきっちりこなしてほしい。

 

いけない。

集中しなければ……。

不安を打ち消してスッと深く息を吸い、腹に力を込める。

そして私は愛刀をすらりと抜いた。

原田さんも同様に刀を抜く。

睨み合う互いの刀身。

 

気付けば、群衆は先ほどとは打って変わってしんと静まり返っていた。

 

土方さんが声を張り上げる。

「これより原田右之助、山田サク太郎の決闘を行う! なお両者の強い希望により、真剣での勝負を認める。勝利条件は相手が負けを認めるか戦闘不能になった場合に限る。それでは——はじめ!」

 

いよいよ始まった大一番に緊張で汗ばむ手で、刀を握り直した。

しかし、さほど恐怖を感じてはいなかった。

なにせ先ほどまで坂田銀時という名の強制ジェットコースターに乗せられるわ、もう一人の私にガチで殺されかけるわ——とにかく大変な目にあったのだ。

そりゃ恐怖も枯渇するってもんだ。

だいたいもう一人の私って何?

今後彼女と絡む度に「もう一人の私!」とか呼びかけるの?

遊戯王でしか聞いたことないワードだよ厨二病待ったなしだよ勘弁してくださいよ。

こちとらアラサーだぞ遊戯王リアルタイムで見てんだぞ。

 

……いけない、思考がズレている——目の前の問題に集中しなければ。

私は深呼吸してなんとか気持ちを切り替える。

 

けれど、さほど気合を入れる必要もないのか……と途中で思い直した。

なぜなら100%勝てるからだ。

源外さんにもらったカラクリ——先の戦いでの威力は凄まじかった。

刀を合わせるだけで相手は電撃を受けて失神する。

 

とはいえ油断は禁物だ。

原田さんの刀を受けるのは危険すぎる。

理想は、私が打ち込んで原田さんが受け止める形。

そのためには布石がいるだろうが、そんなに難しい事ではない。

適当に挑発して私から打ち込むような流れを作ってやればいいのだ。

 

私はリラックスした気持ちで、意気揚々と口を開こうとした。

 

 

 

その時、小さな光が視界をちらついた。

その光源に目を向ける。

愛刀に取り付けられた小さなカラクリ——液晶板が点滅していたのだ。

嫌な予感が私の背筋を駆け抜けた。

 

ん? あれ? ……なにこれ。

 

私に見られているの知っているかのように、それは点滅をやめると、液晶画面を右から左に向かってアルファベットが流れた。

 

 

 

Low battery

 

 

 

そして、力尽きたように液晶の光が消えた。

 

……うん、ちょっと待って?

 

瞬時に視界の端でモジャモジャの毛玉が動くのが見えた。

「セコンドォォォォオオオオオオ!」と私は叫びながら、すかさず白髪頭を掴む。

 

「イテテテテ! んなにすんだテメーは!」

「何逃げようとしてんですか! どうしてくれんですか! Low batteryってアンタ……一回しか使ってないのに充電切れって何⁉︎ 100均の電池でも使ってんの? ロー100か? ローソンのやつか⁉︎」

「知らねーよ! もともとジーさんの紹介までが俺の仕事だからね。品質についてはあちらに文句言ってくれる?」

「一丁前にたらい回しにしてんじゃねーぞ! 役所かここは!」

 

銀さんは目をそらしながら、

「大丈夫だろ。なんとかなるって。いったん話し合ってみろよ。意外と話し合いで解決することもあるからな」

「決闘で話し合いってバカなの? あちらさんの血管めちゃくちゃ浮いてるんですけどやる気満々ですけど」

「大丈夫だ。お前ならできるって。信じてるからな。銀さんは桜ならできるって信じてるから」

 

そう言って銀さんは私の背中を思いっきり押して、原田さんの目の前に突き出した。

 

ふざけんなよ白髪頭ァァァァアアアアアアアアア!

 

心の中で銀さんに毒づく。

が、ここぞとばかりに原田さんがご立派な胸筋をピクピクさせながら近付いてくるのが見えて、私は言葉を失った。

 

——もうダメだ。

これはとにかく謝るしかない。

プライドや勝負よりも命の方が大事だ。

土下座でもなんでもして、いやその前に謝罪を——

 

「どうもすんませんでしたァァァァアアアア!」

「そうそう、まずは謝罪を……って……はい?」

 

原田さんはずんずん私に近付いたかと思うと、見事なスライディング土下座を決めた。

 

……一体何が起こったのだろう?

 

私を含め、その場にいる全員が凍りつく。

周囲の反応に構わず、原田さんは頭を地面に擦り付けながら叫ぶ。

 

「山田殿には大変失礼なことを致しました! 男、原田右之助……今までのご無礼を誠心誠意謝罪させて頂きます! 腹を切ります!」

「いやいやいや! 切らないで! 切られても困りますから!」

 

切腹しようとする原田さんを説得するが、男泣きに暮れる彼はまったく聞く耳を持たない。

呆然と見守っていた観衆も我にかえり「見損ないましたよ原田隊長!」「いや、山田の野郎が汚いマネしやがったに決まってる!」などと口々に野次を飛ばす。

 

すると、雑音を切り裂くような怒声が響いた。

土方さんだ。

 

「何やってる原田ァ! 真選組の隊長が決闘中に土下座とは……それ相応の理由があるんだろうなァ?」

 

まさに鶴の——いや、鬼の一声。

副長の怒声にピタリと群衆は静まる。

ギロリと睨まれて、原田さんは息を飲むと再び深々と頭を下げる。

 

「申し訳ございません! 知らなかったとはいえ……副長の大切なお方に傷をつけるような真似を……!」

「……大切なお方? 原田……テメー何を言ってやがる」

「見てしまったんです! 昨晩、副長と山田殿が二人で風呂場に消えていくところを——」

 

土方さんが咥えていたタバコを落とした。

 

「立ち聞きをするつもりはなかったのですが、まさか副長が良からぬ策略に嵌められるのではないかと胸騒ぎがし……失礼ながら風呂場を改めてさせていただきました」

 

わざわざ脱衣所まで入ってきた二人組の隊士を私は思い出していた。

そうかあれは原田さんだったのか。

 

原田さんは言いにくそうに口ごもりながら続ける。

 

「すると……その、副長と山田殿の声が聞こえてきて……。どちらが猫になるだの、どちらが上になるだのと——」

 

瞬間、空気が凍りついた。

誰も何の反応もできず、一瞬の静寂が訪れる。

その中で恐らく私一人だけが脳味噌をフル回転させていた。

 

——どちらが猫になる。

そういえば猫の鳴き真似をするかどうかで揉めたっけ。

 

——どちらが上になる。

そういえばロッカーに隠れるとき……どっちが四つん這いになるか上になるかで揉めたっけ。

 

原田さんは男泣きをして続ける。

 

「まさか副長に男色の気がおありとは露ほども知らず……! まさか山田殿と男女の——いえ、男男の関係とは! そんなことにも気付けず、副長の大切なお方に傷をつけようとするなんて……これが腹を切らずにいられましょうか!」

 

土方さんも含め、誰もショックから抜けられない。

その静けさに私は好機を見て、真っ先に動き出す。

怒りと羞恥にわなわなと唇を震わせる土方さんを押し除けて、私はここぞとばかりに怒鳴る。

 

「この無礼者め!」

 

重い沈黙を断ち切った怒号は、群衆の注目を一挙に集めた。

私は勢いのままに怒鳴り散らす。

 

「何を言うかと思えば! 真選組の副長ともあろうお方が男色だと⁉︎ それも僕が相手なんてバカなことを! 僕のことなんかトシさんが本気にするわけ——ッ! あ……」

 

自らの失言に気付き、私は耳まで朱に染めて口元を手で覆う。

周りから見れば、羞恥で赤面しているように見えるだろう。

が、見る人が見れば、笑いを堪えているのだとすぐにわかるはずだ。

 

トシさん……?

いまトシさんって言ったか……?

あっという間に隊士たちに広がる波——もう止めることはできない。

 

ちらりと土方さんに目をむけると、何本も青筋を浮かべ、まさしく鬼の形相で私を睨み付けていた。

 

「山田ァァァアアア! テメー覚えとけよ絶対コロス。あとで絶対コロス」と瞳孔の開いた瞳からテレパシーを送ってくる。

 

テレパシーまで受信できる仲になれたとは感慨深いと思いながら、私は恥じらいの微笑みを返した。

そろそろ土方さんの血管が切れないか心配である。

 

「ほらな? 意外と話し合いでなんとかなるもんだろーが」

 

銀さんがぽつりと呟く声が背後から聞こえた。

 



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三十五話 再現Vは本当に必要なのか

 

真選組の朝は早い。

 

桜はいつものように身支度を整える。

慎ましい胸をさらしで潰し、隊服に身を包む。

ジャケットを着ないかわりに、白衣を羽織る。

手ぐしで整えた髪はローポニーテールにまとめ、仕上げにアラレちゃん眼鏡を装着し、前髪を無造作に崩す。

 

自室を出て、桜はまっすぐに食堂へ向かった。

 

早朝にも関わらず、すでに大勢の隊士たちが食卓についていた。

ただし、どこかいつもと様子が違う。

いつもならガヤガヤと賑やかなはずなのに、今日ばかりは皆の食器の音ばかりが響く。

その音の合間に、忍ぶように隊士たちは囁き合い、顔を青くしたり赤くしたりしていた。

 

そんな異様な雰囲気の食堂に、桜は足を踏み入れる。

——と、真っ先に彼女に気付いた一人の隊士はヒィっと小さな悲鳴をあげた。

 

「お、おはようございます! 山田先生!」

 

バカでかい挨拶が響くと、軍隊のように皆が一斉に立ち上がって野太い声を合わせる。

 

「おはようございます、山田先生!」

 

桜は「おはようございます」とポーカーフェイスに挨拶を返し、クロワッサンとコーヒーを受け取ると、席を探そうと振り返った。

すると、まるでモーゼが海を割るがごとくザァっと人垣が左右に割れる。

奇妙な現象を気に留める様子もなく、彼女はちょうど空いた手近な席についた。

その様子を見守る隊士たちがヒソヒソと言葉を交わす。

 

「……今日は山田先生お一人なんだな」

「そりゃそうだろ。お二人の関係をカミングアウトなさったのは昨日だぞ! 突然開き直られても我らも反応に困るというもの。だいたい副長はご多忙だ。乳繰り合っている暇などなかろう」

「おい、待てよ。副長と山田先生の場合は、乳繰り合うという表現であっているのか? 繰り合う乳はないのでは……」

「口を慎め! 副長がいらっしゃったぞ」

 

しんと静まる食堂。

隊士たちの注目を一身に浴びて、鬼の副長——土方十四郎がまっすぐに桜に近付く。

瞳孔の開いた瞳で彼女を見下ろし、「局長がお呼びだ」と短く告げた。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

眉間にしわを寄せて、真面目な顔で座り込む近藤さん。

その脇に沖田さんと土方さんが控える。

なんだかデジャヴを感じるなァと思いつつ、一応私も畏って着座する。

 

「局長、お呼びでしょうか」

「うむ。ご苦労。——それにしても昨日の決闘は実に見事だった。まさか山田先生が勝ってしまうとはなァ」

「もったいなきお言葉。昨日の勝利は、日頃からお目をかけてくださる局長のおかげですよ」

「そんなに畏まらんでくれ、山田先生。隊士たちとも無事に和解できたようだし、これで名実ともに真選組(おれら)の仲間じゃねーか」

「仲間……そうですね。嫌がらせもなくなりましたし」

「いやー、良かった良かった! なんだかんだで丸く収まって!」

「じゃねぇだろォォォォオオオオオ!」

 

ガッハッハ! と豪快に笑い声をあげた近藤さんに向かって、土方さんが青筋を立てて怒鳴り散らす。

 

「何なかったことにしちゃってんの? ぜんぜん丸くねーよ。犠牲者がいるだろーが! 俺という屍を踏み台にしてんだろーが!」

「おいおい。みっともねーですゼィ。終わったことにぐちぐち言うのはやめなせェ、ホモ方さん」

「総悟……次同じこと言ってみろ。叩っ斬るぞ」

「沖田隊長に八つ当たりはやめてくださいよ。僕たちの問題でしょう。ホモ方ゲイ四郎さん」

「お前ら実は仲良いよね? 綿密に打ち合わせ重ねてるよね?」

 

土方さんの怒りは想定内……というか当然の結果だろう。

鬼の副長と恐れられていたのに、今では新参の隊士と夜な夜なチョメチョメするド変態だと思われている。

どんなに取り繕ったって一度バレてしまった性癖は、彼のイメージとして付いて回ることになるだろう。

尊敬していた上司に失望した隊士も多いに違いない。

 

しかし、だからといって私を責められても困る。

本来ならば正々堂々決闘で勝つべきところを、カラクリの充電切れによって絶体絶命。

そこに渡りの船があれば飛び乗ってしまうのも仕方ないじゃないか。

そう考えるならば、平等に私だって被害者だろう。

 

温かい日本茶をずずーっと一口すすり、ほうっと息を吐いてから私は口を開く。

 

「お怒りはごもっともですが、よく考えてくださいよ。決闘の目的は、真選組内で私の立場を確立すること。その点で言えば大成功と言ってもいいじゃないですか。鬼の副長の後ろ盾のおかげで、私に逆らう隊士はいなくなりました。あとは経費を掌握すれば権力は確固たるものになります」

「お前は何を目指してるんだ。どこのホリエモン?」

「何を寝ぼけたこと言ってるんでィ。ホモエモンはアンタの方でしょう」

「お前は本当に黙っててくれるかな。ろくなこと言わねーから話が進まねーから」

 

横から茶々を入れる沖田さんに、土方さんは怒気を強める。

私はやれやれと肩をすくめて、

 

「そもそも風呂場に入ったところを見られたのが原因ですよね? それなら土方さんの責任でもあるじゃないですか。もともと私は万事屋に行こうとしてたんですし。……そういえば、ふと思い出したんですけど。なんか風呂場で言ってましたよね。『俺がお前を守るのは仕事なんだから勘違いして惚れるんじゃねーよ』的なこと言ってましたよね」

「え〜⁉︎ そんなこと言ってたのォ⁉︎ あいたたたた! いったいよォ〜! モテ男気取ってるのきっついよォ〜!」

「あいたたたたた! 絶対インスタとかで高級ブランドの酒のボトルとか見切れさすタイプですよ! 怖いよォ! 酒の肴にされてるのは自分の方だって気付いてないタイプだよォ!」

「殺す。ゼッテー殺す」

 

今日の沖田さんと私のシンクロ率は200パーセント。

どこぞのシンジくんも驚きのシンクロ率だ。

いよいよブチ切れて抜刀寸前の土方さんを、「待って待って待って! 落ち着いてトシ! 話せばわかるから! きっとわかってくれるから!」と近藤さんが必死に止めてくれる。

 

冗談が通じない人はこれだから困るなぁと思いながら、私はもう一口と日本茶をすする。

職場の人間関係が良好になるというのは、やはり精神衛生上良いものだ。

目下の問題が一つ片付いたことに私は安堵していた。

……まぁ、代わりに別の問題が浮上しているのだが。

 

「冷静になって考えてみろ。むしろこれは好機。恋人という形なら堂々と山田先生を守れるじゃないか。吸血鬼はどこから襲ってくるかわからんからな」

 

心を読んだかのようなタイミングで近藤さんが深く頷くものだから、日本茶が変なところに入ってむせてしまう。

ようやく怒りのおさまった土方さんにすかさず突っ込まれる。

 

「何焦ってんだよ」

「いえ、何でもないです。恋人とか言われて、私の乙女の部分が照れちゃっただけです」

「……乙女?」

「シンプルなキョトン顔はさすがに傷付きますよ、土方さん」

 

副長の探るような視線。

それをさらりと躱して、なんとかポーカーフェイスを保つ。

 

……とてもじゃないが言えない。

渦中のヴァンパイア事件の犯人が、もう一人の私だなんて。

というか、説明しようにも「私の出身は異世界です☆きゃぴ☆」から始めることになるわけで——想像しただけで頭が痛くなる。

話したところで信じてもらえるとも思えない。

 

そこまで考えたところで、ふと銀髪の間抜け面が脳裏に浮かんだ。

……たしかにあの人は信じてくれたけれど。

 

「わかりやした。愚痴ばかり言ってても仕方ねーでしょう。山田の処分は俺に任せてくだせェ」

 

ドSの緩い声に、私はハッとした。

……いま何と仰った?

「俺に任せろ」史上、一番任せてはいけない人間に不吉なことを言われた気がする。

恐る恐る顔をあげると、愉快そうに光る眼が私を見つめていた。

拒絶する暇もなく、彼はあっという間に私の首根っこを捕まえるとずるずる引っ張っていく。

 

「ぐぇ——ッおおおお沖田さん! マジで首締まってます! 私の首取れやすいんで気をつけて下さい! 繊細なんでリカちゃん人形と同じぐらい取れやすいんで!」

「安心しろィ。俺ァ小さい頃からあらゆる人形の首をもぎ取って遊んでたんでねィ。そこらへんはプロ並みだぜィ」

「殺されるゥゥウウウ! 私殺されますよ助けてステディィィィィイイイ!」

 

窒息で()られないように必死で首と襟の間に指を入れる。

私の抵抗もむなしく、ソリでも引いているみたいに廊下を引きずられていく。

かつてこんなに分かりやすい殺害現場があっただろうか。

普通なら現行犯逮捕だ。

しかし犯人はズブズブの警察関係者である。

この世界にまともな警察はいないのかァァァアアアア!

 

本格的に意識が遠のきそうになったその時、腕を掴まれる感触があるとふわりと身体が浮いた。

自然と床に足がついて、私はよろけながら腕を引かれるままに歩き出す。

 

「こいつは俺の監督下にいる。勝手なことしてんじゃねーぞ」

 

瞳孔を開いた瞳が沖田さんを睨みつけていた。

私は涙声で「トシさぁん……」と呟くと、「次にその名で呼んだら即刻叩っ斬る」なんてつれない返事が返ってくる。

 

鋭い殺気を向けられた沖田さんはすぐに私を解放して、余裕たっぷりにニヤついた。

 

「さすが恋人ですねィ。山田のことがそんなに心配ですか」

「俺が心配してんのはテメーの方だ。一体何する気だ」

「俺ァただこいつが望みのものを与えてやろうとしてるだけでさァ」

 

心外だとばかりに沖田さんは肩をすくめた。

 

望みのもの……?

 

眉根を寄せた私を見て、沖田さんは満足げに唇をつりあげる。

 

「仕事でさァ」

そう言って、彼はチャリンと鍵を振って見せた。

「こいつが問題ばかり起こすのは、要するに暇だからでしょう。それなら他に何もできないぐらい暇なしにしてやりゃーいいじゃねぇですか。本人も仕事したいって言ってたぐらいだ。文句はねーでしょう」

「仕事⁉︎ ……それは一体どういうものでしょう」

「そんなに警戒すんなよ。ただの書類整理でィ。真選組(うち)は体育会系ばかりだからな。ちまちました仕事は柄じゃねーんで、雑多のまま放置されてるんでさァ」

 

書類整理。

もしかして捜査資料とかだろうか。

そこにヴァンパイア事件の手がかりがあるかもしれない。

もしくはもっと直接的に元の世界へ帰るヒントがあるかも——。

いや、なかったとしても問題ない。

少なくとも暇で死にそうだった日々から解放されることは間違いないのだから。

 

好奇心に胸が躍る。

華やいだ顔色を察して、沖田さんは「決まりだな」と呟いた。

相変わらず仏頂面の土方さんが何も言わないところを見ると、一応は納得してるんだろう。

 

また歩き出した沖田さんの後を、私は軽やかに、土方さんはしぶしぶついていく。

 

「そういや本当に何もなかったんですかィ?」

「あ? 何の話だ」

「深夜の風呂場に男女が二人っきり……。何もねー方がおかしいでさァ」

土方さんは眉間にシワを寄せて、

「バカ言うな。あるわけねーだろ」

「……ふーん。土方さんはむっつりですからねィ。でも、さすがにこれぐらいはしたでしょう」

 

これぐらいとは、どれぐらいだ?

 

私はまだ見ぬ仕事に期待を寄せて、いつもの二人の掛け合いを聞き流していた。

だから反応が遅れたんだろう。

沖田さんの顔が急速に近付いたかと思うと、彼と私の唇がくっつく。

自然と歩みを止める二人。

ゆっくり唇を離して、伏し目がちの沖田さんがにやりと笑った。

 

えーっとこの行為は俗に何と言うんだったか。

……マウストゥーマウス?

 

土方さんはギョッと目をむいて、

 

「テメー何やってんだ総悟!」

「え? 土方さんもやりましたよねィ?」

「やってねーよ! バカか!」

 

悪びれもなくしれっと答える沖田さんに、土方さんは真っ赤になって怒鳴る。

 

ギャーギャー騒ぐ二人とは対照的に、私は呆然と立ち尽くしていた。

 

……アラサーにもなって久しぶりの接吻が、再現Vみたいな流れってどういうことなの?

 




遅くなりまして申し訳ないです。
若干スランプでした。
話の流れは決まってるんですけどね……いまいち進みが悪いのはなぜなのか。


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三十六話 山崎退の監察日記2

 

1月13日 監察1日目

一回目の監察日記は破かれてしまったので、今日から新しくサックーの監察日記をつけることになった。

というのも、昨日の決闘を受けて副長からキツくお叱りを受けたからだ。

なんでも「山田は何をするかわからないからよくよく見張っておけ」とのこと。

サックーがいい奴なのはもちろん親友である俺が一番わかっているけれど、仕事とあらば仕方ない。

ちなみに副長とサックーの仲が誤解であることは、当然親友として説明を受けている。

まぁ、説明などなくとも親友である俺は一瞬で見抜いていたけれど。

何せ先日も「副長のタバコを電子タバコに変えるにはどうすればいいか」という議題で飲み明かしたばかりだ。

タバコに薬物を混ぜるのはどうかと張り切っていたサックーが手のひらを返すとは思えない。

 

今日はただならぬ様子で副長から呼び出しがあった。

俺が駆けつけると、廊下のど真ん中で真っ赤な副長と真っ青なサックーと(腹の)真っ黒な沖田隊長が並んで突っ立っていた。

一体何があったんだろう。

 

1月14日 監察2日目

今日からサックーは仕事を始める。

沖田隊長が口利きしてくれた仕事らしい。

その時点で嫌な予感しかしないが、サックーを見捨てるわけにはいかないだろう。

沖田隊長から受け取った鍵は書庫の鍵。

扉を開くと、そこには本や書類、解決済みの事件簿などが山となっていた。

よく使う資料や捜査中の書類は別室にて保管しており、書庫は言うなれば倉庫扱い。

まさかここまで手遅れの状態とは思わなかった。

この量をたった二人で片付けるのか……完全に貧乏くじだ。

さぞかしサックーも気落ちしているだろうと顔色を伺うと、彼は見たこともないほど喜色満面にあふれていた。

上擦った声で「一週間で片付けましょう」と彼は言う。

どう見たって無茶だけど、サックーは出来る男だ。

彼の気が済むまで付き合おうと思う。

〈特記事項〉

サックーは何か心に傷を負ったようで、昨日のことを聞くと瞳が薄暗く濁る。何があったんだろう。心配だ。

 

1月17日 監察5日目

もう俺はダメかもしれない。

正直限界だ。

あれから三日三晩ぶっ通しで書類整理をしている。

俺はほとんど寝てないし、サックーに至っては一睡もしないどころか食事すらしていない。

なのに彼の集中力は一瞬たりとも途切れず、ものすごいスピードで書類の山を片付けていく。

このペースでいけば本当に一週間で片付くかもしれない。

「少し休もう」と言っても聞く耳を持たず、サックーは書庫から一歩たりとも出ようとしない。

試しにちぎったあんぱんを口元に持っていくと口を開いた。

どうやら書類整理の邪魔にならない程度なら食べてくれるみたいだ。

同じ要領で水を飲ませようとストローを彼の口元に運ぶ。

……途中から動物の世話でもしている気分になってきた。

弱音を吐いている場合じゃない。

俺がなんとかしないと。

 

1月21日 監察9日目

やった……やったぞ!

まさか本当に一週間で片付くなんて……!

奇跡だ。

しかも仕上がりも美しい。

天井まである棚には、分類されたファイルがア行から並んでいるし、テプラで揃えてある背表紙も見やすくて綺麗だ。

素晴らしいビフォーアフターに俺はボロボロになって泣き崩れていると、信じられない発言を聞いた。

分厚いメガネ越しにもわかるほど真っ赤に充血した眼をギラつかせて、サックーは笑いながら言った。

「一週間で全てに目を通します」

彼は自分の背よりも高い脚立を持ってくると、その最上部に座って本棚のア行の一番端の本を手に取った。

2、3回パラパラめくると、元の位置に戻し、また次の本に手を伸ばす。

どうやら彼は速読を身につけているらしい。

時折「実に面白い」とか「なるほど」とか独り言レベルでない興奮した声を漏らしている。

親友の俺から見ても、それは狂人の域に達している。

しかし、見捨てることはできない。

朦朧とする頭を叱咤して親友の行く末を見守ろうと思う。

 

1月22日 監察10日目

底無しに思えたサックーの体力もさすがに陰りが見えてきた。

新たな奇行が現れる。

彼は速読により約100冊に目を通すと——時間にして約15分ごとに意識を失って5分だけ眠る。

眠っている間に、記憶の定着と体力の回復を同時並行させているようだ。

俺の仕事は、眠るたびに脚立から転げ落ちる彼を怪我のないよう受け止めることである。

万が一にも取りこぼすわけにいかないが、ぶっちゃけ俺も体力の限界だ。

そこで彼の腰にロープを結び、天井の柱に引っ掛けて、その端を手に持って眠ることにした。

彼が脚立から落ちればロープが引かれる。

手のひらに伝わる感触に、反射的に目覚めてロープを握れば、無事に彼をつり上げられるという寸法だ。

……HUNTER×HUNTERでこんな修行があった気がする。

俺はこの先に何を手に入れるんだろう。

念能力なんてなくてもいいから今すぐ眠りたい。

 

1月23日 監察11日目

過去の事件簿に目を通していたサックーがボソリと呟いた。

「補足説明が必要ですね」

何冊かピックアップして小脇に抱えると、10日ぶりに書庫を出た。

乱れ髪に眼は血走り、白衣はシワだらけで身体を引きずるように歩く——彼の鬼気迫るオーラに気圧され、隊士たちは飛び退いて道を開けていく。

もはや腐れ神レベルだ。

どこに行くかと思えば、行き着いた先は沖田隊長のところ。

変わり果てたサックーの風貌と噛みつくほどの勢いに、沖田隊長はめずらしく驚いてギョッと目をむいた。

以下が二人の会話の内容である。

 

「〇月×日のバルタン星人の事件の容疑者……拷問担当は沖田さんですね?」

「まあな。その事件に関わらずほとんどの拷問は俺が担当だ」

「実に素晴らしいッ! 彼らの生体について是非詳しくお聞かせください!」

「——……斬った時は△△△(ピー)⚪︎⚪︎⚪︎(ピー)だったな」

「なるほど。では、⚪︎⚪︎⚪︎(ピー)×××(ピー)の関節を△△△(ピー)したということですね?」

(あまりに過激な内容のため記述は控えることにする)

 

食堂で楽しそうに話し込む二人。

俺には既にそれを止めるだけの元気はなく、こうして記録することしかできない。

およそ食事中に聞くべきでない言葉の応酬だ。

食堂にいる隊士たちが続々と口元を押さえてトイレに駆け込んでいく。

そうして沖田隊長が話疲れると、サックーは取り憑かれたようにまた書庫に帰っていく。

 

1月24日 監察12日目

今日も沖田隊長に話を聞きに行く。

終わると、サックーは書庫に帰る。

 

1月25日 監察13日目

同上。

 

1月26日 監察14日目

同上。

 

1月27日 監察15日目

同上。

俺は土に帰ることにした。

 

 

 

 

****

 

 

 

真っ赤に充血した目で、山崎は庭に穴を掘り続ける。

どこか嬉々として顔色は妙に明るく、それが彼の狂気を際立てていた。

 

「早まるな山崎ィィィィイイイ!」

 

近藤が懸命に山崎を引き止めている。

その様子を不機嫌そうに眺める土方は、タバコを深く吸い込みさらに深く吐き出すと、こちらを睨みつけて言った。

 

「どうすんだよ」

「どうするって、なんで俺に聞くんでさァ」

「なんでもクソもねーだろ。テメーがあんなことすっから山田が変なんだろーが」

「……俺のことは関係ねーと思うんですけどねィ」

 

沖田は愛刀の刀身を綺麗に磨き上げながら、土方に答えた。

恨まれることの多い仕事だ。

いつ斬りかかられてもいいように刀の手入れは抜かりない。

刀は武士の魂だと近藤はよく言うが、愛刀にそこまでの思い入れは必要ないと沖田は常々思っていた。

斬れ味がよけりゃー問題ねェ、敵を仕留められるなら何でもいい。

しかし、自分の殺意を乗せるには幾ら刀を磨き上げても足りないような、そんな焦燥感に駆られることがたまにあった。

 

最近で言えば、山田桜という女。

あの女がいると、同じような焦燥感に駆られることがある。

今までどんなに刃を向けようとも、あの女は本当に怯えたことなどなかったように沖田には思えた。

もちろん本気で嫌がってはいるし、殺意を向ければ怯えて震えもする。

けれど、感じないのだ。

命のやりとりの刹那、死に抗う人間の必死さを桜からは感じない。

バケモノに襲われ死の淵に立たされた時でさえ、彼女の顔に浮かんだのは諦念だった。

「頑張ったけれど、死ぬのなら仕方ない」とでも言っているような——。

 

あの女は図太くて強い。

が、その一点に関しては儚くすら思える。

ついでに言えば、幸薄そーな地味顔も良くない。

 

「俺ァ、幸薄い女と儚い女は苦手なんでさァ」

 

ボソリと呟いた声は、誰にも聞こえなかった。

 

 

 

****

 

 

 

穴を掘ることに執着する山崎を引きずって、書庫に赴く。

到着すると、真選組幹部の3名は驚きの声を上げた。

 

「おおーっ! さっすが山田先生!」

「……まぁ、悪くねーな」

「こんなことなら早くこき使っときゃーよかったですねィ」

 

この間までは、昼間でもなぜか薄暗くて、湿気のせいか紙と墨汁の臭いが充満して、本棚に収まりきらない書類が机や床に平積みにされていた書庫。

今では、太陽光が差し込んで明るく、清涼な空気が流れ、本棚には整頓されて全てきっちり収まっている。

ほう……と素直に感心する彼らの視線が、書庫の奥に邪気を見つけて止まった。

小さく丸まった生物。

それが、本棚の影に隠れて這いつくばっている。

黒髪は乱れて散り、その合間から血走った目がこちらを一瞥する。

が、すぐに興味を失った様子で手元に目線を落とした。

どうやら本を読んでいるようで紙をめくる音が静かな書庫に響いている。

 

涙目の近藤が土方に声を潜めて言う。

 

「ねぇ……なんかあそこだけ空気濁ってない? すげー怖いんだけど。あれなんかいるよね? 見えてるの俺だけじゃないよね⁉︎ 生きてんだよね妖怪とかじゃないよね⁉︎」

「バババババッカ言ってんじゃねーよ。大丈夫だろ。落ち着けよ。とりあえず寺に電話してくれ」

 

もはや見慣れた桜の姿に、沖田だけは冷静だった。

ほらな。俺のせいとかの次元じゃねーだろ。

震えた指でタバコを吹かす土方に、心の中で言う。

 

書庫の怪異と化した女を眺めながら、沖田は考えていた。

 

別に意味のあるキスではなかった。

強いて言えば、どことなく柔らかい雰囲気になっている二人——特に土方の面にムカついたんだろう。

しかし、こうまで何事もなかったようにされるのは、なんとなく気に入らない。

普通に……ではある意味なかったが、忘れたみたいに話しかけて来やがって。

三十路女がみっともなく慌てる姿を密かに楽しみにしていたのに。

 

山崎の報告通り、近藤と土方に話しかけられても桜の耳には届かないようだ。

沖田はおもむろに彼女に近付くと、その耳元にそっと唇を寄せて囁いた。

 

「いい加減にしなせェ。また一発やられてーんですかィ? 俺ァべつに構いませんけどねィ」

 

ビクリと硬直する彼女の身体。

黒髪からチラつく耳が朱に染まり、飛び退って自ら本棚に激突すると、大量に落ちてきた書類に埋もれてしまった。

いつのまに復活したのか、山崎が大慌てで彼女に駆け寄る。

予想以上のリアクションに、沖田はくつくつとのどを鳴らした。

(こら)えられると思ったのにどうにもおさまらない。

顔を背け、唇が緩むのを片手で隠す。

そうして彼にしてはめずらしく、好青年のように爽やかな笑い声をあげた。



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