少年指揮官の日常 (トレモ勢)
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プロローグ 募集:指揮官からの好感度を上昇させる方法

プロローグと最新話は
先駆者様リスペクトの掲示板ネタ回です
本文にIDなどを書き込むと文字数が嵩んでしまったので、
キャラ名だけになっています
掲示板と言うよりも、チャット風かもしれません


※キャラ崩壊濃いめですので、ご注意をお願いいたします……



募集:指揮官からの好感度を上昇させる方法

 

 

■エンタープライズ

こうして相談用のスレッドを立てさせてもらったものの

皆も忙しいだろうからな。

時間に余裕があれば気軽に覗いて、何か意見を残して貰えると助かる。

 

 

■エンタープライズ

現在、私達と指揮官の関係は良好だ

ただ“友好的”と言えるほどのものではないだろう

 

無論だが

今のままでも円滑な作戦遂行、母港の運営に支障はない

 

だが、そのうえで私達KAN-SENと指揮官との絆を深めることは

決して悪いことではない筈だ

 

 

■エンタープライズ

ちなみだが、私としては

指揮官と一緒にお風呂に入るのが最善だと考えている

重桜には“裸の付き合い”という言葉もあるそうだしな

どうだろうか?

 

 

■赤城

どちらかと言えば大賛成ね

ちょうど明日は、この赤城が秘書艦の日……。

重桜寮の大露天風呂で、指揮官様との執務に参りましょうか

うふふふふふ……

 

 

■加賀

申し訳ないが姉さま、風呂場での執務は

大事な書類や資料が湿気でフワフワになるのでNG

 

 

■エセックス

そもそもの話ですけど、

“指揮官が一緒にお風呂に入ってくれる”っていう

ハードル自体が高過ぎませんか……?

 

 

■エンタープライズ

本気を出せば何とかなる

弱気になってはいけないぞ、エセックス

 

 

■エセックス

いや、前向きなのは大切だと思うんですけど、

気合で何とかなる問題なんですかね……

 

 

■ビスマルク

エンタープライズも赤城も、戦場では聡明で理知的なのにね

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

母港に帰ってきた途端、

甚だ判断力や思考力が低下するのはどういう理屈なのだろうな

 

 

■赤城

恋は盲目、という言葉があるでしょう?

熱く滾る指揮官様への激しい愛情は、この赤城をも狂わせるのよ。

……あと言わせて貰うけど、

貴女達も人のことを言えたものではないわよ?

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

そうは言うが

執務室に隠しカメラを持ち込もうとした空母には、

流石の我らも負けを認めざるをえんがな

 

 

■エセックス

えぇ……。そんな空母の人が居たんですか?

 

 

■エンタープライズ

けしからん空母も居たものだな……

加賀か? 赤城か? アークロイヤルか?

 

 

■ビスマルク

いや、貴女の事よ?

エンタープライズ

 

 

■赤城

私に謝りなさい

エンタープライズ

 

 

■加賀

私にも謝ってもらおうか

エンタープライズ

 

 

■エンタープライズ

いや待って欲しい、ビスマルク

言っていることがおかしいぞ?

私は隠しカメラなど持ち込もうとしたことなど無い

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

よく言う……

我とビスマルクが秘書艦であったときのことだ

忘れたとは言わせんぞ

 

 

■プリンツ・オイゲン

私の知らないところで、

面白そうな大事件が起きていたのね

 

 

■エンタープライズ

違う。あれは、隠しカメラではない

“ユニオン製・指揮官見守りカメラ”だ。

 

 

■ビスマルク

ものは言いようね……。

 

 

■エンタープライズ

含みのある言い方は止めて貰おう

あの小型カメラは、指揮官を守護せねばならないという

私の強烈な使命感と責任感、情熱と献身、そして

その他諸々の象徴でもある

決して盗撮用などではないし、

私の動機も、アークロイヤルのようなものではない

圧倒的にポジティブだ

 

 

■加賀

動機がポジティブであれば

その行為が許されるというものではないぞ?

 

 

■赤城

常習犯の言い訳みたいよね

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

“その他諸々”の要素が大半であろうしな

 

 

■シェフィールド

この母港には、KAN-SEN達の優秀な思考能力に

多大な悪影響を与える何かがあるのかもしれませんね

 

 

■プリンツ・オイゲン

この母港は呪いの地か何かなの?

 

 

■エセックス

早くもスレッドの趣旨が崩壊しつつありますね……

 

 

■ベルファスト

では、話を戻しましょう。

共に湯浴みをすることについてですが、

水着を身に着けるという条件つきであれば、

御主人様も了承してくれるのではないでしょうか?

 

 

■大鳳

確かに、そういったことであれば

指揮官様も御一考して下さるかもしれませんわ

 

 

■ティルピッツ

えぇ、そうね。

彼との関係をより親密にしたいと真摯に伝えたのなら、

彼も、きっと応えてくれると思うわ

 

 

■アドミラル・ヒッパー

まぁ、ティルピッツとかベルファストの言う通り、

私達が真剣に頼めば、アイツは了承してくれるだろうけどさ

多分、アイツとこれ以上仲良くなるって、

相当難しいと思うけどね

 

 

■モナーク

それは、どういう意味だ?

我々と指揮官との距離は、これ以上は縮まらないと言いたいのか?

 

 

■アドミラル・ヒッパー

そうだけど、そうじゃないって言うか……。

まぁ、ニュアンスとしては逆よ。

前も言ったかもしれないけど、ほら、アイツってさ、

余計なところまで踏み込んでこないし、踏み込ませないでしょ?

 

 

■プリンツ・オイゲン

姉さんの迫真の推理が始まる予感

 

 

■アドミラル・ヒッパー

茶化すんじゃないわよ、オイゲン。

アイツはアイツなりに真剣に私達に向き合って来たし、

それはモナークも、私達も同じでしょ?

その一杯いっぱいの結果が、今の平穏な母港の姿なんだから

こっから更に親密になるのは、難しいんじゃないのって話よ

私が言いたいのは

 

 

■モナーク

あぁ。そうだな……。貴方の言うことも尤もだ。

噛みつくような真似をして、悪かった。

 

 

■アドミラル・ヒッパー

良いわよ別に、謝って貰わなくても。

私も勘違いされるような書き込みしちゃったし

こっちこそ、悪かったわ。

 

 

■加賀

ヒッパーの言う通り、

私達との距離感に対して、アイツは慎重だ。

だが、私達に対する態度に関しては和らいだ部分もある。

 

 

■エセックス

それは私も思います。

仕事中に遣り取りするときの声音とか、柔らかくなりましたよね。

 

 

■グロスター

時折見せる御主人様の微笑みも、

ようやく年齢相応のものに近づいてきていて安心しています。

今までは全く子供らしさのない、落ち着き払った微笑みでしたから。

 

 

■シェフィールド

少しずつですが、

指揮官様が心を開いてくれるようになったのは私も感じます

あぁ。もちろん、今までご主人様が私達を遠ざけ、

心を閉ざしていた、という意味ではありませんよ

 

 

■ベルファスト

誤解を招くことを承知で申し上げるなら、

御主人様と我々の間にある壁のようなものが、薄くなったと……

日々のメイド業務の中で私も、そのように感じております

 

 

■大鳳

指揮官様はお優しい方ですから、

きっと私達の気持ちにも応えてくれようとしているのでしょう

ですが、その私達の期待そのものが、

指揮官様の御負担になってはなりません。

 

 

■加賀

何か言いたそうだな?

 

 

■大鳳

そんな大層なことではありません。

もしも指揮官様とお風呂を御一緒するような機会があっても、

私達は飽くまで、指揮官様を癒すための時間を提供すべきではと

そう思ったのですよ

 

 

■エンタープライズ

む。どういう意味だ?

無論、そのつもりなんだが……

 

 

■赤城

回りくどいわね、大鳳

 

 

■大鳳

簡単なことですよ

少し想像してみて下さいまし

お風呂で水着とは言え、指揮官様の肌は露わになっています

 

 

■エンタープライズ

うん

 

 

■赤城

うん

 

 

■加賀

姉さまもエンタープライズも、

仲の良い子供みたいな反応だな……

 

 

■大鳳

更に、想像をしてみてください

お二人も御存知でしょうが、指揮官様は日々鍛えておられます

私達を預かる責務を全うするべく、己を律し、強くあるためにです

指揮官様は小柄ではありますが、

無駄な脂肪の無い、実に見事な肉体をしておられることでしょう

 

 

■ビスマルク

そうね。

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

うむ。

 

 

■大鳳

さて、ここからが重要なことですよ。

 

その指揮官様と水着で、

お風呂を共にするということを想像してみてください

 

指揮官様の肌は露わになっていますよ

しなやかな筋肉と、きめこまやかな白い肌

優しそうでありながら、憂いを湛えた薄く蒼い、黒い瞳

湯気によって微熱と艶を帯びた、白皙の頬

意思の強そうな唇は形も良く、

水気を含んだ髪は艶を持ち、湯の雫を滴らせています

 

 

■シリアス

なんだか、ドキドキしてきました……

 

 

■加賀

いや、そこまで想像する必要があるのか?

 

 

■シェフィールド

はやく続きを

 

 

■大鳳

想像力は優しさですよ。

ほら、想像してみてください。

 

指揮官様は、火照った身体を少し冷ますように

湯の縁に腰掛けて、不意に空を見上げられました

その遠い眼差しには、晴れた夜の星々が移っているのでしょう

 

水着だけの指揮官様の肌は、

濁り湯に温められ、ほんのりと桜色に滲んでいます

儚さと力強さが同居した美しい肉体が、

湯気を纏いながら、此方に無造作に曝されています

 

あまりにも無防備なその佇まいは、

此方への信頼の顕れに違いありません

 

指揮官様の健やかな肉体は、

弾けるような瑞々しさを湛えながら、此方を拒みません

そう。私達に対して、どこまでも無力です

一切の抵抗を放棄して、ただ私達の傍に儚く在るのです

 

 

■ローン

私、大鳳さんと凄く仲良くなれそうです

 

 

■リシュリュー

えぇ。えぇ。解釈一致です

 

 

■ジャン・バール

くそ……

俺は何を読まされてるんだ……

 

 

■マインツ

コーヒーを淹れてくるから、続きは少し待ってくれ!

 

 

■キング・ジョージ5世

読みながら真剣に夢想していたら

カップ麺が伸びてしまった……

 

 

■ワシントン

姉さんが突然バニーガールに着替えて、

部屋をウロウロソワソワしはじめたのは此処のせいかよ……

 

 

■加賀

通りすがりにスレを覗きに来た者を

次々と飲み込んでいるような状況だな……

駆逐艦たちのアクセスは禁止にしておくか

 

 

■赤城

よくやったわ、加賀

これで遠慮はいらないわ

大鳳、本気できなさい

 

 

■大鳳

えぇ、言われずとも

そもそも、これは

手加減などというものの及ばない領域の話ですし

大鳳は、ただ有り得る可能性を、語っているに過ぎません

ほら。想像してみてください。

 

もう、すぐ目の前に、指揮官様の肉体が在るのです

指揮官様の息遣い、鼓動も、表情も、声も、眼差しも、

その全てが、何者にも遮られずに、です

手を伸ばせば、指揮官様の全てに触れることができる

そうです。言葉を裏返すなら、指揮官様は何も拒みません

全てを此方に委ねて下さることでしょう

 

あぁ、今ならば、

指揮官様の愛おしい体温も

そのぬくもりに息衝く優しさも

この場で独り占めにすることができる……

 

 

■エンタープライズ

 

 

■エンタープライズ

 

 

■エンタープライズ

 

 

■エンタープライズ

おおs

 

■エンタープライズ

 

 

■加賀

……おい、エンタープライズ

無言の連投稿はスレが不穏になるからやめろ

というか、大丈夫か?

 

 

■赤城

 

 

■赤城

ぉぽぽ

 

 

■赤城

私は問題無いわわわ

 

 

■加賀

姉さまも落ち着いてくれ

 

 

■ビスマルク

別に疚しい意味ではないのだけれど、

今からちょっと本気で想像力を駆使したいわ

大鳳、そのシチュエーションは

重桜寮の露天風呂ということでいいのね?

別に疚しい意味ではないのだけれど

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

うむ。我も本気を出そう

もう少しディティールが欲しいところだ

セリフも頼めるか?

 

 

■ベルファスト

私からも、お願い申し上げます

 

 

■モナーク

指揮官の描写を増やしてくれると、なおいい

可愛い感じでお願いしたい

 

 

■天城

それでいて、少しパパ味も感じたいところね

 

 

■加賀

天城さんも緊急参戦か……

これは参ったな

 

 

■愛宕

ここは甘々な感じの方が、指揮官らしいと思います!

 

 

■高雄

しかし注文が多いな……

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

書き込みを追いかけてたら、

なんだか凄いことになってるわね……

 

 

■アドミラル・ヒッパー

というか、これは誰視点なのよ……?

 

 

■プリンツ・オイゲン

そこに触れるのは無粋よ、姉さん

 

 

■エンタープライズ

まぁ、私だろうな

 

 

■エセックス

その自信はどこから来るんですかね……

 

 

■大鳳

指揮官様の白い首筋から流れる汗が、胸元に伝います

その雫は、肌に乗る他の水滴を吸いながら、滑り落ちていきます

指揮官様の濡れた肌を滴り、形の良い筋肉のついた胸へ、

脂肪を削いだ筋肉の溝を伝い、脇腹へ

そして、力強く健康的で、形の良い太腿へ

脚の付け根に滑り込んだ雫の行方は――

 

 

■エンタープライズ

大鳳、書き込む速度を落としてくれないか

臨場感が欲しい。私がシャワー室に入るまで待って下さい

 

 

■赤城

私はすでに露天風呂に到着しているわ

大鳳、いつでも来なさい

 

 

■エセックス

あの、ユニオン寮のシャワー室が一杯になってるんですけど……

 

 

■ローン

鉄血寮も騒がしいですねぇ

 

 

■プリンツ・オイゲン

物音がすると思って鉄血寮のロビーをちらっと覗いたら、

まるで試合直前のボクサーみたいな顔つきになった

ビスマルクが、迫真のフットワークを踏んでたわ

 

 

■ティルピッツ

多分、じっとしていられなくなったのよ

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

何処も似たようなものだな

今、ロイヤルの中庭でモナークが腕立て伏せを始めている

隣にはネルソンやヨークたちの姿もあるな

 

 

■シェフィールド

ウォースパイト様もスクワット始めましたね。

シリアスも、何も存在しない空間にハタキをかけはじめました。

興奮のあまり、

誤作動と熱暴走を起こしているKAN-SENが多いようです。

 

 

 

■加賀

しかし、何と言うか

結構な人数がこのスレを覗いているようだな

 

 

■土佐

重桜寮も騒がしいと思ってみれば、ここが原因か

 

 

■大鳳

指揮官様は微笑みを湛え、こちらに向き直ろうとしました

しかし、少々長湯をしてしまい、のぼせてしまったのでしょう

指揮官様の身体が、僅かにふらつきました

それを支えるべく、腕を伸ばし、指揮官様の肩を抱きます

あぁ、なんと甘美な重みでしょう

 

掌に触れる肌の柔らかさと、微熱を含んだ肉の感触は

圧倒的な実感として胸に迫ってきます

 

指揮官様は少し弱々しい笑みを浮かべて礼を述べ、そして謝ってくれます

此方に身体を預けきった指揮官様に対して、

ただ、お気になさらずと返しつつも、目が離せなくなるでしょう

 

この腕に抱き留められ、収まる指揮官様と目が合います

指揮官様と見つめ合う形になり、数秒が経ちます

やはり指揮官様は、笑みを崩さず、しかし、どこか恥ずかしそう

さきに視線を外したのは指揮官様……

お顔が赤い。照れているのでしょうか。それとも……。

何かを期待し、待っているのでしょうか。

 

唇を舐めて唾を飲み込み、指揮官様の息遣いに耳を澄ませば

微かに震え、熱を帯びていることが分かります

 

潤むような光を湛えた指揮官様の眼差しに気付き、

もう、指揮官様は、何も拒まないということを改めて実感します

この場を覗いているのは、星と月だけ。

何を遠慮することなどあるでしょうか。

ただ、望むままに在ればいいのです。

指揮官様の御身体を抱きよせ、そのまま――

 

 

■大鳳

――という展開になることも考えられます

 

 

■加賀

今、鉄血寮とユニオン寮の方でスゴイ音がしたな……

 

 

■シェフィールド

そこかしこから絶叫が聞こえてきましたね

 

 

■ワシントン

いや、重桜の方からも

だいぶヤバい感じの振動が来たけどな……

 

 

■加賀

あぁ、気にしないでくれ

アレは天城さんが壁ドンか床ドンでもしたんだろう

書き込みも無いしな

 

 

■大鳳

良いですか?

指揮官様とお風呂を共にするというイベントは、

無限の可能性を秘めています

そもそも、指揮官様が私達を拒まないのですから

 

 

■大鳳

指揮官様と私達の間にある距離を健全に埋めることこそが

皆さんが望む、指揮官様との未来の姿でしょう?

 

ですから、

私達を誘うように濡れた指揮官様の肢体が

どれだけ蠱惑的で魔性であっても、大鳳たちは凛然と己を保ち、

落ち着きと余裕をもって、指揮官様と接するべきであると

私はそう言いたかったのですよ

 

 

■加賀

大興奮して大暴れしている今の状況では、

確かにリスクの高いイベントだな

……まぁ、何を今更と言った感じではあるが

 

 

■エンタープライズ

うむ。なるほどな……。

 

 

■エンタープライズ

そうか。なるほどな……

 

 

■エンタープライズ

なるほど……

 

 

■加賀

動揺し過ぎだろう

ブツブツと何を繰り返しているんだ

 

 

■エンタープライズ

自分を落ち着かせているんだ

冷静になって気付いたんだが、逆のパターンも考えられるぞ

 

 

■加賀

冷静かどうかは此処では判断できんが……

逆のパターンとは、どういうことだ?

 

 

■エンタープライズ

つまり、

私達が指揮官を求めるのではなく

指揮官の方こそが、私達を求めるというパターンだ

 

 

■赤城

ありえるわね!

 

 

■高雄

いや、その可能性は低いのでは……

 

 

■愛宕

そうね、高雄ちゃん……

 

 

■エンタープライズ

うむ。今のこのスレでは、指摘は貴重な財産だ

何か意見があるなら、是非聞かせて欲しい

 

 

■高雄

いや、これは話していいものかどうか……

 

 

■愛宕

別に構わないわ。高雄ちゃん

ちょっと体調が優れないから、横になるわね

 

 

■赤城

そんな深刻な話なの……?

 

 

■高雄

いえ、深刻な話でもないのですが……

愛宕が水着を新しくして、それを指揮官に披露しに行ったものの

胸の谷間を強調する渾身のポーズすら徹底的にスルーされたのです

 

 

■愛宕

あんなに落ち着き払った微笑みのまま、

「似合っていますね」「素敵ですね」しか言われなかったら

流石に凹みますよ……、えぇ……

 

 

■加賀

その場面が容易に想像できるな……

 

 

■プリンツ・オイゲン

でも愛宕だって、男なら黙ってないぐらい魅力的な筈でしょう?

指揮官も内心はドキドキしてたんじゃないかしら。

その胸を強調するようなポーズだって、

指揮官が気付かなかっただけじゃない?

 

 

■愛宕

オイゲンは優しいのね……。

でも、気付かなかったという可能性は無いわ

だって、そのポーズは指揮官の前で17回ぐらいしたもの

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

頑張りすぎよ……

よく途中で折れなかったわね

 

 

■愛宕

8回目からは祈る様な気持ちだったし、

12回を超えたあたりからは半泣きだったわよ?

 

 

■モナーク

水着を見せに行ったら、

思いがけない苦行に変わったということか

悲劇だな……

 

 

■高雄

あの夏の景色は、今も忘れられん

蒼い海、青い空、白い砂浜、

色鮮やかなパラソル、涼やかな風

砂浜で呻く愛宕、看病する拙者……

 

 

■愛宕

思い出したら呼吸困難になりそう

 

 

■エンタープライズ

か、かわいそうに……

 

 

■プリンツ・オイゲン

これは大きな問題ね

こうなったら、

半ケツで勝負するしかないわね、姉さん

 

 

■アドミラル・ヒッパー

ねぇ、どういう意味?

なんで私に振ってくんのよ?

喧嘩売ってんの?

 

 

■大鳳

その手の色仕掛けは、

指揮官様には効果がありませんからねぇ

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

大鳳が言うと、かなりの説得力と迫力があるな

 

 

■エセックス

いやでも、それは良いことですよ

部下の女性の色香に惑わされて、

いつも鼻の下を伸ばしているよりは、よっぽど

 

 

■グロスター

同感です。御主人様は紳士なのですよ

 

 

■ベルファスト

それにメイド服が似合います

 

 

■シェフィールド

最後まで理性を保って下さい、ベルファスト

御主人様は、常に御自身の立場に誠実なのでしょう

或いは、その立場の枠こそが、

御主人様の纏う壁の正体なのかもしれませんが

 

 

■ビスマルク

指揮官という立場で礼節や威厳を保ちつつも、

彼が私達に心を開いてくれているというのは、私も感じるわ

 

 

■加賀

礼節はともかく威厳と言われると、少々疑問があるな

 

 

■エンタープライズ

いや……、

指揮官が怒ると、途轍もなく怖そうだぞ?

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

うむ……。恐らく、

母港で怒らせると最も恐ろしいのは指揮官であろうな

 

 

■土佐

流石に母港を任せられているだけはあると言うべきか

素手の組手では天城さんと互角、

木刀を用いた立ち合いでも、私や高雄と互角だからな

海上でKAN―SENとしてのスペックで戦うならともかく

陸の上で指揮官とサシで戦うとなれば、それなりに覚悟が必要だ

 

 

■ローン

そうなんですよねぇ

普段の指揮官は小柄で可愛いのに、

軍刀を手に黙って歩いている後姿には、

武人然とした趣と貫禄があって素敵ですよねぇ

隙や油断は無いのに、余裕はあって……

一度でいいので、

いつか本格的な手合わせをお願いしたいものです

 

 

■加賀

そこまで言うなら、今度、重桜の道場を貸してやらんこともない

綾波の奴も、近いうちにアイツと鍛錬すると言っていたしな

ローンも見学に来るといい

 

 

■ローン

えぇ。

ありがとうございます。是非。

 

 

■オーディン

指揮官の剣の腕については、私も興味がある

御一緒させて貰ってもいいだろうか

 

 

■赤城

えぇ。指揮官様も、御断りにはならないと思うわ

 

 

■加賀

だが、オーディンよ。

指揮官の前では、発言には気を付けてくれ

前に冷や汗をかいたお前なら、

もう分かっていると思うがな。

 

アイツは色仕掛けも通用せんが、

同時に冗談や照れ隠しも通じにくい

何でも本気にするからな

 

 

■オーディン

うむ。忠告、痛み入る

 

 

■赤城

何か在ったの……?

 

 

■ビスマルク

気になるわね。

 

 

■加賀

あぁ。大したことじゃない。

前にオーディンの奴が秘書艦のとき、

「誰かに依存するのはよくない」と

そういう旨の話をしたことがあるんだ

そうしたら、指揮官の奴がそれを本気にしてな

秘書艦制度を廃止にしようかと言い出したんだ

 

 

■ビスマルク

 e

 

 

■エンタープライズ

 

 

■赤城

 

 

■ベルファスト

 

 

■モナーク

 

 

■高雄

 

 

■エセックス

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

 

 

■愛宕

 

 

■シェフィールド

そんな

 

 

■大鳳

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

 

 

■グロスター

 

 

■加賀

おい。さっきも言ったが、

無言の連続投稿はスレを不穏な空気にするので本当にNG

 

 

■土佐

天城さんが倒れた

 

 

■ワシントン

マジかよ、そんな話が出てたのか……

 

 

■加賀

まぁ、そのときは私も秘書艦だったからな

「流石に、それは早計だ」と、アイツを考え直させたんだ

 

 

■オーディン

あの時は本当に世話になってしまったな……

 

 

■加賀

なぁに、気にするな

お前より糾弾されるべきKAN-SENは、まだまだ居るぞ

なぁ、キングジョージ?

 

 

■キングジョージ5世

ん? なんだ、私がどうかしたのか?

 

 

■加賀

とぼけても無駄だ。私は知っているぞ。

指揮官にホットケーキを焼いて貰った上に

“あーん”で食べさせてもらったそうじゃないか?

 

 

■赤城

何ですって……

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

ほう……。これは協定違反だな?

 

 

■大鳳

羨ましいですわ

羨ましいですわ

羨ましいですわ

羨ましいですわ

うううううううううううううううううう

 

 

■エセックス

大鳳さん、

さっきまで落ちついたこと言ってたのに……

 

 

■加賀

まぁ、大鳳の取り乱しっぷりも理解できるぞ

流石の加賀ちゃんも、こればかりは嫉妬する羨ましさだ

 

 

■赤城

加賀ちゃん……?

 

 

■キングジョージ5世

何を騒いでいるのか、イマイチ理解できんが……、

何かを誤解しているのではないか?

 

アレは私が指揮官に“あーん”をしたお返しに、

私もまた“あーん”を返してもらっただけだ

一方的に指揮官に奉仕して貰ったわけではない

 

 

■ビスマルク

誤解しているのは貴女の方よ?

 

 

■エンタープライズ

そうだぞ?

なお羨ましいんだが?

 

 

■モナーク

血の涙が出てきたぞ

 

 

■キングジョージ5世

どうやら今の私は、羨望の的となっているようだが

それこそ的外れ、というものだ

私のことを羨むよりも、

エセックスの方を羨む方が道理に適っていると思うがな

 

 

■エセックス

えぇ……、私ですか?

 

 

■エンタープライズ

どういうことだ?

 

 

■キングジョージ5世

あぁ。私は見ていたぞ、エセックス。

以前のパーティーで酔い潰れきった貴女が

まるで姫君のように指揮官に抱き抱えられて、

寝室まで送られて行くのをな

 

 

■アドミラル・ヒッパー

えぇ……

 

 

■高雄

これはいけない

 

 

■愛宕

高雄ちゃん!

私……、私、悔しいっ……!!

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

なんだ戦争か?

 

 

■赤城

羨まし過ぎて吐きそうだわ……

 

 

■大鳳

同上

 

 

■ベルファスト

同上

 

 

■シェフィールド

グロスターとモナーク様が呼吸困難に陥ったので、

母港の特別医務施設をお借りします

 

 

■ジャン・バール

ロイヤルの方は被害が甚大だな……

 

 

■プリンツ・オイゲン

お酒の力を借りて素直になるのは大人の流儀だけれど

ちょっと羨まし過ぎるわね……

 

 

■加賀

おいアホックス

初耳だぞ

 

 

■エセックス

誰がアホックスだと貴様

 

 

■ジャン・バール

そう言われてみれば、アイツ……

確かに会場から姿を消していた時間があったな

 

 

■リシュリュー

えぇ。なるほど、

では、その間にエセックスさんは

指揮官の腕の中に抱かれていた……

ということですね?

 

 

■ビスマルク

エセックス、

何か言い残すことはあるかしら?

 

 

■エセックス

ちょっと待って下さい!

記憶にありませんよ!

指揮官にお姫様だっこされたことなんて

ちっとも思い出せませんし!

 

 

■キングジョージ5世

まぁ、それはそうだろうな

アレだけ酒が回った様子では、

何かを記憶することなど無理だろう

しかし勿体ないことをしたな、エセックス

 

ちなみ、貴女は

抱き抱えられたままで指揮官の首に腕を絡めて

そのまま頬と喉首の境目辺りに唇を寄せていたぞ

なかなかの豪胆ぷりで、私も驚いたものだよ

 

 

■エセックス

こんなタイミングで

そんな話聞きたくありませんでしたよ!

開き直ることもできないじゃないですか!?

何も覚えてないんですから!

 

 

■エンタープライズ

エセックス、今どこに居るんだ?

 

 

■ワシントン

うわでた!

 

 

■エンタープライズ

部屋か?

 

 

■エンタープライズ

自室だな?

 

 

■エンタープライズ

今から行くから、そこを動かないでくれ

 

 

■アドミラル・ヒッパー

え、こわ……

 

 

■加賀

おいアホックス

取りあえず逃げた方が良いぞ

重桜寮まで来い、保護してやろう

 

 

■エセックス

アホックスって言うな!

とにかく、重桜寮まで行けば良いんですね!?

 

 

■加賀

あぁ、お前から訊きたい話もあるからな

その内容と返答次第では、

お前の脳を明石に提供することになるが

 

 

■エセックス

私を捕らえる気じゃないですかー!?

やだーー!!

 

 

■ビスマルク

なるほど……。

明石の技術によって、エセックスの脳に眠る

指揮官にお姫様だっこされた記憶をサルベージするワケね

 

 

■加賀

そういうことだ

これで皆が幸せになれるぞ

さぁ、エセックス

お前が忘却した経験を、重桜の前に差し出しに来い

 

 

■エンタープライズ

そうだとも、エセックス

君が通過した筈の幸せな時間は、皆で分かち合うべきだ

 

 

■エセックス

身に覚えのない無いものを寄越せだなんて、

理不尽過ぎる……!

 

 

■ベルファスト

エンタープライズ様、

ユニオン寮から重桜寮への通路は、我らメイド隊が塞ぎます

 

 

■シェフィールド

お任せ下さい

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

我らも援護しよう

 

 

■ティルピッツ

過剰戦力も甚だしいけれど、止むを得ないわね

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

スレの趣旨が完全に崩壊しているけれどね……

 

 

■キングジョージ5世

真面目な話もいいが、こういう盛り上がりも悪くない

何より、陽気で楽しいほうが食事も美味に感じるものだ

やはり指揮官の母港は、こうでなくてはな

 

 

 











今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
また次回更新があれば、またお付き合い頂ければ幸いです……。


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お姉ちゃんと呼ばれたい

※ちょっと強めのキャラ崩壊にお気をつけ下さいませ……(震え声)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「指揮官様、お茶が入りました」

 

 今日の秘書艦である赤城さんが、僕の執務机の端に湯飲みを置いてくれた。上品な茶托に載った湯飲みからは湯気が上り、とても良い香りが広がるのが分かった。

 

「昨日も夜遅くまでお仕事をされていたのでしょう? 少し休憩なさって下さい」

 

 僕の傍に立つ赤城さんは目許を緩め、艶のある声で優しい言葉をかけてくれる。執務用の椅子に座ったままの僕は、恐縮しそうになりながら赤城さんに頭を下げた。

 

「あぁ、ありがとうございます」

 

「羊羹もあるぞ。食べると良い」

 

 僕が礼を述べるのと、加賀さんがお茶菓子を用意してくれるタイミングが重なる。「すみません。いただきます」と加賀さんにも礼を述べて腕時計を見ると、いつの間にか午後の3時を過ぎていた。窓から入り込んでくる陽射しの色にも、僅かに橙色が滲んできている。じきに夕刻だが、片付けなければならない仕事は、赤城さんと加賀さんの御蔭で大方終わっていた。

 

「書類も殆ど処理できましたし、お二人も休憩を取ってくださいね」

 

 お願いするように僕が言うと、赤城さんは微笑みを深めて「はい♪」と頷き、加賀さんも目許を緩め「そうさせて貰おう」と頷いてくれた。秘書艦としての彼女達の仕事ぶりは優秀というより他なく、未熟な僕が二人の足を引っ張ってはいないだろうかと緊張と不安を感じる程だった。

 

 秘書艦用の執務机に戻った二人は、自分たちの分のお茶を品のある佇まいで啜っている。会話が無くなるが、決して気まずい静けさでは無かった。夕暮れ前の陽射しに暖められた執務室に、穏やかな時間が流れ始める。湯飲みを口につけると、ふわりと昇る湯気が僕の顔を暖めた。

 

「……美味しいですね」

 

 赤城さんが淹れてくれたお茶を一口啜り、僕は思わず、そう呟いていた。

 

「指揮官様の御口に合って、良かったですわ」

 

 僕の呟きが聞こえていたのだろう。赤城さんが僕の方を見て、艶美な微笑みを浮かべていた。ただ、「あぁ、そう言えば……」と、何かを思い出したかのように言葉を続けた赤城さんの眼の奥は、笑っていないように見える。

 

「指揮官様は先日、ロイヤル寮の庭先で行われたお茶会に出られたそうですね?」

 

 赤城さんの声音は穏やかだったが、彼女の紅い眼は僕をじっと捉えたままだ。

 

「あぁ、はい。あの日は確か、ベルファストさんと、グロスターさんが秘書艦をしてくれた日で、二人が僕を誘ってくれたんです」

 

 ロイヤルのメイドであるあの二人も、赤城さんと加賀さんに負けない程に──卑屈になるわけではないが、未熟な僕にとっては肩身が狭い程に秘書艦として優秀で、いつも仕事が早い。

 

「ふふ、そうでしたか。あの二人が……」

 

 声のトーンを落として言いながら、すぅっ、と眼を細めた赤城さんが僕から視線を外し、酷薄そうに唇の両端を釣り上げる。だがそれは一瞬の表情だった。すぐに上品で温和な微笑みに戻った赤城さんは、僕に視線を戻した。そして、力の籠った眼差しで見詰めてくる。

 

「ロイヤルの紅茶と、この赤城のお茶……、指揮官様は、どちらが美味と感じますか?」

 

 そう訊いてきた赤城さんの声音は穏やかでありながらも、先ほどまでとは違い、何処か剣呑な雰囲気が滲みだしていた。いや、剣呑さと言うよりも、焦燥だろうか。赤城さんの尾がザワザワと不穏に揺れている。加賀さんが湯飲みを持ったまま目を細め、僕と赤城さんを交互に見たのが分かった。僕は赤城さんの質問の意図が見えずに、「えぇと」と戸惑うが、答えは一つしか無かった。

 

「そ、そうですね。両方とも、とても美味しいので……、どちらが美味しい、というふうに言い切ることは僕には出来ません」

 

 僕が赤城さんに答えると少しの沈黙が在り、すぐに「私の思った通りの答えだな」と、加賀さんが喉を低く鳴らして笑った。

 

「優柔不断のお手本のようだぞ、指揮官」

 

 加賀さんの口振りは、大人びた姉が、年の離れた弟の悪癖を嫌味無く笑うようであり、妙に気恥しく、くすぐったかった。僕は「そ、そうでしょうか」と歯切れ悪く言いながら、頬を指で掻きながら加賀さんから目を逸らす。優柔不断と言われても、それは濁りけのない僕の本心だった。赤城さんは何かを言いたげな顔をしていたが、一つ息を吐きだしてから視線を落とした。

 

「……そうね。指揮官様なら、そう御答えになるわよね」

 

 自分に言い聞かせるように小さく洩らしてから、赤城さんは僕に向き直った。そして、一瞬だけ視線を彷徨わせたあと、何かを決心するかのように一つ息をつき、僕の眼を真っすぐに見詰めてきた。

 

「この赤城、指揮官様にお願いが在ります」

 

 赤城さんの眼差しには、僕の瞳の中にある何かを確かめようとする真剣さに満ちている。思わず背筋が伸びた。「は、はい。何でしょう?」と頼りなく答えながら、僕は手にした湯飲みを茶托に戻して、居住まいを正す。微笑ましい光景を見守る表情になった加賀さんが、ずずっとお茶を啜る音が聞こえた。

 

「今夜、少しだけお時間を頂けませんか? 重桜寮の、私達の部屋で、その、ぉ、お話したいことが在るのです」

 

 言葉の途中で、真剣な表情のままの赤城さんが僕から視線を逸らす。声も少し揺れていて、最後の方は掠れて小さく萎んでいた。沈黙が訪れ、僕が何かを話す番だと気づく。赤城さんは、きゅっと下唇を噛んでいる。僕はその様子を見て、これはきっと深刻な内容の相談だぞ、と思った。

 

 重桜陣営の中でも赤城さんは、長門さんや三笠さん、それに天城さんに引けを取らない重要な人物であり、人望も厚く周囲への影響力も大きい。そんな赤城さんが、わざわざ時間を調整して話し合いたいという内容であるから、これは執務室で済ませるような仕事の話ではなく、更に込み入った事情を含んだ深刻な相談なのだろうと予想できた。僕が暇であろうとなかろうと、是が非でも今夜のうちに話は聞いておくべきだろう。僕はすぐに赤城さんに頷く。

 

「僕はいつも赤城さんのお世話になっていますし、僕が力になれることなら、何でもしますよ」

 

「えっ!?」前のめりになって目を輝かせた赤城さんが高い声を出し、キラリと眼を光らせた加賀さんが「ん?」と重厚な低い声を出すのが聞こえた。

 

「えっ」と僕は、加賀さんに振り返ってしまう。

 

 加賀さんは僕を鋭い視線で射貫きながら、「指揮官、今、何でもすると言ったな?」と、僕の覚悟を確かめるような妙に圧力のある口振りで訊いてくる。そんな加賀さんに僕が何かを答えるよりも先に、赤城さんが秘書艦用の執務机から離れ、此方に駆け寄って来た。

 

「ではっ、では今夜、私達の部屋に足を運んで頂けるのですね!?」

 

 感激した様子の赤城さんは僕の手を両手で握り、ぐっと体を近づけてくる。高級な石鹸にも似た、清潔感のある甘い香りが押し寄せてきた。くらくらしそうになる。ぼんやりすると赤城さんの胸元に目が行きそうになり、僕は慌てて視線を横に向けた。

 

「え、えぇ。僕に協力できることがあるのなら、助力は惜しみません」

 

 僕がそう答えたのと、執務室の扉がノックされたのは殆ど同時だったろうか。入室してきたのはエンタープライズさんだった。

 

「指揮官。この前の演習報告、届けに来た……、ぞ……」

 

 エンタープライズさんは執務室に入ってきた瞬間は凛とした笑みを浮かべていたが、僕と赤城さんと、赤城さんの両手に包まれた僕の手を高速で見比べながら、すぐに表情を強張らせていった。エンタープライズさんが立ち尽くしている間、加賀さんが可笑しそうに小さく笑うのが聞こえる。そんな中で僕は、エンタープライズさんが硬直している理由も、加賀さんが何を面白がっているのかも、よく分からなかった。

 

「あら、ご苦労様」

 

 エンタープライズさんの方へと首を曲げた赤城さんが、艶っぽい笑みを湛え、妙な優越や余裕を隠そうともしない雰囲気であることの理由も、イマイチ掴めなかった。だが、ぼんやりしている訳にもいかない。

 

「お忙しいところ、わざわざありがとう御座います」

 

 僕は赤城さん手を包まれたままで、エンタープライズさんに礼を述べて頭を下げる。

 

「こ、これくらいは別に……」

 

 明らかに動揺した様子のエンタープライズさんは、視線を彼方此方へと泳がせた。その様子は、いつも凛々しくリーダーシップを発揮し、ユニオンにその人在りと言わしめる彼女らしくない。どうしたのだろうと思っているうちに、エンタープライズさんは真っ直ぐに僕の執務机の前まで歩いてきて、演習報告書を机の上に置いてくれた。

 

「確かに受け取りました。有難うございます」

 

 赤城さんに手を握られたままの僕は、実際に手で受け取ることは出来なかったが、重ねて礼を述べる。

 

「あぁ、いやっ、礼を言って貰うようなことでは、全然……」

 

 用事は済んだ筈だが、エンタープライズさんは僕の執務机の前から動こうとしない。難しい表情を浮かべて、赤城さんと、赤城さんが握っている僕の手を、飽きることなく交互に睨んでいる。その真剣な様子はまるで、薄暗い遺跡の奥深くで、壁面に刻まれた象形文字を解読する考古学者のようだった。声を掛けるのも憚られる気迫に満ちている。

 

「どうしたんだ? 戻らなくて良いのか?」

 

 エンタープライズさんに気圧される僕の代わりに、愉快そうに声を掛けたのは加賀さんだった。低く艶のあるその声音は、明らかに普段よりも弾んでいて、今の状況を面白がっている様子だった。

 

「そうね。貴女も忙しいのでしょう?」

 

 赤城さんが僕の指に、自分の指を絡めながら言う。ひんやりとした赤城さんの手は嫋やかで、細く、しなやかだった。赤城さんの長く奇麗な指が、強く、強く絡んでくる。僕は顔が熱くなる。「あ、あの、赤城さん、そろそろ手を……」と、僕が言いかけたところで、エンタープライズさんが完全な無表情になっていることに気付く。

 

「……これは、どういう状況なんだ?」

 

 エンタープライズさんが僕や赤城さんではなく、加賀さんへと訊いた。感情を潰したようなまっ平な声だった。ちょっと怖い。「まぁ、見ての通りだな」と加賀さんが肩を揺らす。次の瞬間だった。エンタープライズさんが動いた。

 

 いや、動いたというよりも、踏み込んできた。明らかに戦闘の時に見せる身のこなしであり、赤城さんも反応が遅れていた。目にも止まらぬ早業だった。気付いた時には、エンタープライズさんは半ば執務机の上に乗り上げるような態勢で腕を伸ばし、僕の手を包む赤城さんの手を、さらに包んでいた。しかも、もの凄く優しい手つきで。

 

「私も混ぜてくれ」

 

 地の底に続く洞穴のような眼をしたエンタープライズさんが、冷気そのものと言った声で言う。一瞬、赤城さんが呆気に取られたような表情でエンタープライズさんを見ていたが、すぐに、「えっ、えっ!? 何っ!? 何っ!??」と、怯えた声を出し、エンタープライズさんの手を振り払い、後ずさった。赤城さんから手を放して貰ったものの、僕も硬直してしまう。加賀さんが俯いて震えている。前髪で隠れて表情が見えないが、笑っているのだろうか?

 

「……指揮官」

 

 エンタープライズさんは、瞳に光を無くした笑みを浮かべて、小刻みに体を震わせていた。夕暮れに近づく陽の光が、彼女の横顔に影を作っている。

 

「別に、私を選んでくれなくても構わないんだ。指揮官の意思こそが重要だからな。指揮官の選択を責めるつもりは無い。本当だ。ただ、ただな……、どうか私を置いていかないでくれ。お願いだ。頼むよ。指揮官の傍に置いてくれることを赦してくれないか。……なぁ、赤城?」

 

 全く抑揚のない、しかし、暗く澱んだ情熱が溢れてくるかのような声で言いながら、エンタープライズさんはグルンっと首を曲げて赤城さんを見た。赤城さんが小さく悲鳴を上げるが、僕は、エンタープライズさんの言葉を頭の中で反芻し、納得するものを感じた。つまり、エンタープライズさんも赤城さんの相談の相手になり、力になりたいのだろうと思い及んだ。

 

 赤城さんの手を包み込んだのも、その意思表示だ。指揮官の意思が重要で、僕の選択を責めないというエンタープライズさんは、赤城さんの相談相手として自分を選んでくれなくてもいいが、今回は、どうしても赤城さんの力になりたいということに違いない。

 

 エンタープライズさんは他のKAN-SENとの交流も広く、情報網も深く正確だ。赤城さんが僕に相談したいらしい重要な何かについても、もう既に十分な情報を得ていると考えられる。エンタープライズさんと赤城さんの仲が悪いという話を聞いたことはあるが、秘書艦が交代制になってから、二人が言い争いをしているというようなことも聞かなくなった。演習でも顔を合わせることが少なくない二人の間に、確かな友情が芽生えるだけの時間と切っ掛けが在ったのだ。

 

「赤城さん、今夜の件ですが、エンタープライズさんに同席して貰っても構わないでしょうか?」

 

 僕は、エンタープライズさんと赤城さんの間にある、深い友情を羨ましく思いながら訊ねる。

 

「えぇぅっ!?」

 

 赤城さんが今まで見せたことがない表情で高い声を出し、僕とエンタープライズさんを交互に見比べた。その間、赤城さんは「ぉ……!」とか「ほ……!」とか言いながら口をぱくぱくと動かし、何とか自分の混乱を鎮め、状況を飲み込もうとしている様子だった。

 

「赤城。そう心配しないでくれ。私の事は、部屋の隅にでも置いてくれればいい。無視してくれ。観葉植物のようにな。余計なことはしない。約束しよう。ただ、指揮官の傍に居させてくれればいいんだ。まぁ断られても、地獄の果てまで着いていくつもりではあるんだが」

 

 幽鬼のように佇むエンタープライズさんが、薄い笑みを浮かべながら言う。地獄まで付き合う心意気を見せるなんて、やっぱりエンタープライズさんは、友達想いのいい人なんだなぁと改めて思う。さっきから秘書艦用の執務机に突っ伏し、笑い疲れたかのようにヒーヒーと息を乱している加賀さんのことが気になった。

 

「ゾっとするようなことを言わないでよ……」

 

 信じられないものを見る顔になった赤城さんも、エンタープライズさんから向けられる熱い友情には内心では大きく喜びつつも、表面上は戸惑いを見せているのだろう。

 

「くっくっく……、このままだと、エンタープライズが居る場所が地獄になりそうだな」

 

 目の端に浮かんだ涙を拭った加賀さんが、執務机から顔を上げた。面白いものが見れたという満足が浮かんだ、清々しい表情である。「何がそんなに面白いのよ……」と、赤城さんが恨めしそうに加賀さんを睨んだ。

 

「そう怒らないでくれ、姉さま。すまなかったな、エンタープライズ。勘違いさせるようなことを言ってしまったようだ。まぁ、茶でも飲んで落ち着いてくれ」

 

 すまないと言いながらも、加賀さんは飄々とした様子で湯飲みに茶を注ぎ、エンタープライズさんに手渡した。

 

「……どういうことだ?」

 

 光の無い瞳をしたエンタープライズさんは、手にした湯飲みを覗き込むついでのように加賀さんに訊いた。相変わらず感情を窺わせない平板な声で言う彼女の湯飲みの中では、茶柱が4本立っていて、縁起が良いのか不吉なのか分からない。

 

「あぁ。別にな、指揮官と姉さまの間に、特別な進展が在ったわけではないんだ」

 

「! そ、そうなのか!?」

 

 加賀さんが言うと、エンタープライズさんの瞳に光が戻った。赤城さんが面白くなさそうに眉間に皺を刻んでいる。僕は若干の混乱を覚える。赤城さんは、僕に何らかの相談が在ったというワケではないのか……? 僕は今までの経緯を頭の中で辿ろうとしたが、それよりも先に、加賀さんが肩を竦めた。

 

「あぁ。ただ指揮官が、今夜、私達の部屋で何でもしてくれると言ってくれたのでな。姉さまが舞い上がってしまっていただけだ」

 

 加賀さんが言うと、落ち着きを取り戻しつつあったエンタープライズさんが、啜りかけていたお茶を「ぶふぉっ!?」噴き出した。傍に居た赤城さんが「熱っ!?」と短く悲鳴を上げて飛び退り、その拍子に足を滑らせて後ろにひっくり返った。その拍子に、倒れていく赤城さんの尻尾が、執務机の端に置いてあった書類を巻き込み、ばさばさっと派手に紙の山が散らばった。赤城さんは尻餅でも就いたのか。声も出ない様子で座りこんで俯いている。

 

「あ、赤城さん、大丈夫ですか!?」

 

 僕が赤城さんに駆け寄ろうとしたが、誰かに横から肩を掴まれた。乱暴な手つきではなく、むしろ優しいほどだったのだが、ただ、もの凄い力だった。「指揮官」と呼ばれ顔を上げると、出撃前のような引き締まった表情をしたエンタープライズさんが僕を見下ろしていた。

 

「何でもしてくれるとは、本当か……」

 

「えっ」 

 

 僕は間抜けな声を出してしまう。確かに僕は、赤城さんが何らかの問題を抱え、それを解決するためにならば、僕に出来る範囲で助力を惜しまないという意味で、“何でもする”とは言ったが、こうも熱の籠った口調で詰め寄られると返事に困るというか、身の危険を感じた。

 

「指揮官」

 

 僕の肩を掴んでいた手を放してはくれたものの、今のエンタープライズさんには異様な迫力が在り、僕はたじろいでしまう。思わず二歩下がった。

 

「詳しく聞かせてくれないか?」

 

 すると、エンタープライズさんが三歩寄ってくる。

 

「私は今、冷静さを欠こうとしている……!」

 

「そ、そんな力強い宣言を僕にされても……」と、僕は本気で弱ってしまう。エンタープライズさんの声には相当な迫真性が籠っており、頬も紅潮し、息が荒い。普段は澄んだ輝きを宿している彼女の瞳にも今は、ぬめるような暗い光が蹲っている。

 

「待て待てエンタープライズ。執務室で指揮官に襲い掛かるのは流石にNGだ」

 

 僕を庇うように、すっとエンタープライズさんとの間に割って入ってくれた加賀さんは、やれやれと緩く首を振った。ただ、エンタープライズさんは此方にも正当な言い分があるといった堂々とした態度のまま、僕と加賀さんを順に見た。

 

「しかしだな、指揮官も悪いんだぞ。いつも私の夢の中に出てきて、いやらしい恰好で誘惑してくるから……!」

 

 まるで自分が被害者のような物言いをするエンタープライズさんは、かなり本気の顔だった。僕の不安が加速する。

 

「いや、あの……、夢の中に現れた僕と、実在する僕を同一視されても……」

 

 弱った声で僕が言うと、目の前で加賀さんが「その言い分も、わからんでもないんだがな……」と、エンタープライズさんの言う無茶苦茶な理論に一定の理解を示したので、僕は思わず「えっ」と素の声が出てしまう。

 

「エンタープライズ……!」

 

 さっきまで座りこんでいた赤城さんが、埃と書類の紙束をバサバサバサーっと巻き上げ、お尻を摩りながら勢いよく立ち上がったのは、その時だった。立ち上がった赤城さんは間髪入れず、射貫くような鋭い視線でエンタープライズさんを睨みながら、ずんずんと距離を詰める。凄い気迫だった。

 

「むっ、な、なんだ……」

 

 エンタープライズさんが僅かに身を引きながら、赤城さんに向き直る。取っ組み合いの喧嘩でも始まるのではないかと思い、「あの、暴力はいけませんよ……!」と、二人の間に割って入ろうとしたのだが、「なぁに、心配はいらない」と、加賀さんに襟首を掴まれた。

 

 結果的に、本当に心配は要らなかった。赤城さんはエンタープライズさんに対して、殴りかかるでも掴み掛かるでもなく、ただ強く握手を交わしただけだったからだ。突然のことに、エンタープライズさんも訝し気に握られた手と赤城の顔を交互に見ていた。だが、赤城さんが、「分かる……!」と力強く頷いたところで、エンタープライズさんも「そ、そうか、分かってくれるか……!」と、熱い何かを共有できた喜びを見せた。

 

 二人の固い握手を見守る僕は、遠い異国に置いてけぼりにされたような薄ら寒さを何故か感じていた。

 

「姉さまもエンタープライズも、盛り上がっているところ悪いんだがな……。執務室をこうも散らかすのは感心しないぞ。まずは片付けてくれないか」

 

 溜息混じりに言う加賀さんの言葉に、赤城さんとエンタープライズさんは顔を見合わせて頷き合い、散らかった書類や資料を素直に片付け始める。

 

「あぁ、構いませんよ。僕が片付けますので……!」

 

 慌てて僕も、書類や資料を拾うのを手伝おうとしたのだが、やはり加賀さんに襟を後ろから掴まれた。

 

「構わないさ。騒いだのはあの二人だ。指揮官はゆっくりしているといい。ふふ……、せっかく羊羹も用意したのに、食べる暇も無かったな」

 

 愉快そうに言った加賀さんは、「少し温めの茶を淹れてやろう。喉を潤すといい」と付け足し、僕が使っていた湯飲みを持ち上げた。「あぁ、すみません」と礼を述べたところで、赤城さんとエンタープライズさんが何やら声を潜めて話し合っていることに気付く。耳を澄ますつもりは無かったが、その内容が薄らと聞こえてくる。

 

「ほう、夢の中に入り込める装置を、明石に頼んでいると……?」「えぇ。近いうちに完成すると思うわ」「ふむ。成程、これで私の夢の中に出てくる指揮官にも、ようやく分からせ……、いや、オシオキが出来るというワケだな」「ただ、使用するとIQが120程低下するらしいわ」「リスクが甚大過ぎるだろう……。夢から帰ってこれなくなるじゃないか……」「装置が完成した暁には、貴女にも協力して貰いたいの」「私の脳を差し出せとでも言うのか?」「そうよ」「何だと?」

 

 仲が良いのか悪いのか分からない話をしている二人は、床に散らばった書類を拾い集める為に四つん這いの格好で、お尻をこっちに突き出している態勢だ。二人の長く奇麗な脚と、その付け根に下着が見えそうだ。そんな、はち切れそうな程にエッチな光景を前に、僕は興奮よりも疲れを感じ、すぐに目を逸らした。窓に近づいて空を見上げた。雲はなく、よく晴れている。

 

「さて。そろそろ仕事を再開するとしよう。指揮案を招くにしても、このままでは間に合わん」

 

 空を見上げながら深呼吸しようとすると、後ろから声を加賀さんに声を掛けられた。振り返ってすぐに湯飲みを手渡される。

 

「少しずつ飲むと良い。気持ちが安らぐぞ」

 

 手の中の湯飲みは熱くはなく、ほんのりと暖かい程度だった。ほっといい香りがする。先程、赤城さんが淹れてくれたものとは、また少し違うようだった。

 

「……赤城さんが、何か悩みごとを抱えて居られる、という訳ではないんですね?」

 

 確認するように僕が訊くと、加賀さんは「あぁ、さっきの話か」と喉を鳴らした。

 

「まぁ、何でもするという文脈から見れば、指揮官は、姉さまから何か相談事を持ちかけられると思ったんだろうがな。早合点だったな」

 

 言いながら、加賀さんは僕の頭をワシワシと撫でてくる。

 

「……指揮官は、姉さまを心配してくれていたのだな。礼を言う」

 

「いえ、でも、僕の早とちりで良かったです。立場上、赤城さんも気苦労が絶えないでしょうし」

 

 僕は言いながら、安堵と一緒に心の中で頷く。うん。勘違いで良かった。少なくとも、赤城さんが苦悩に縛られ、それに耐えきれずに僕のような未熟者を頼らねばならないような事態になるよりは、ずっと良い筈だ。そう考えた僕の心の内を、加賀さんは見透かしたのかもしれない。

 

「……私達は、お前を信頼しているよ。同じくらい、心配もな。秘書艦の今日だから言うが、お前も体に気を付けるんだぞ。働き過ぎは体に毒だ」

 

 心の籠った声でそう言ってくれた加賀さんは、僕の頭をさらにワシワシと撫で始めた。髪の毛がぐしゃぐしゃになるが、別に気にならなかった。

 

「はい。僕も気を付けますね。心配していただいて、有難う御座います。加賀お姉ちゃん」

 

 そう言ってから、手にした湯飲みに口を付けようとしたら、僕の頭を撫でていた加賀さんの手がピタリと止まった。それどころか、床に散らばった書類や資料を拾い集めていた赤城さんとエンタープライズさんまで黙り込み、ガバっと僕の方へと振り返った。執務室が水を打ったように静まり返る。窓から吹き込んでくる風の音だけが微かに響く。時間が止まったかのようだった。あ、あれ? みんな、どうしたんだろうと思うと同時に、「……あっ!」と声を上げてしまった。

 

「す、すみません! 僕は、失礼なことを……」

 

 恐る恐る隣に居る加賀さんを見上げると、驚いたように目を丸くしたまま僕を見つめ、目を瞬かせていた。加賀さんの狐耳だけが、ぴこぴこと動いている。その2秒後、驚いた表情のままの加賀さんの頬に朱が差したかと思うと、ニヤニヤとした意地悪な笑みを浮かべながら、尻尾をゆらゆらと機嫌良さそうに振り始めた。

 

「ほほう、『加賀お姉ちゃん』とな?」

 

 僕を見下ろす加賀さんは、ニヤニヤ笑いを深めながら僕のすぐ隣にしゃがみ、肩を抱いてくる。僕の顔のすぐ近くに、加賀さんの胸元がある。とても高級な石鹸にも似た、清潔で甘い香りを感じた。赤城さんと同じようで、少し違う香りだった。僕は視線をそっぽへ逸らす。

 

「あの、それは、す、すみません、僕の不注意で……」

 

「なぜ謝る? 謝ることなどないぞ」

 

 嬉しそうに言う加賀さんは、ボリュームのある尾で僕の身体を探るように包み込んでくる。僕を包囲する加賀さんの香りがより濃くなる。

 

「くく、そうか。指揮官は、私のことを『お姉ちゃん』のように思っていたのだな? それが、気の緩んだ拍子にポロっと零れてしまったワケだ。くふふふふふ……、可愛いヤツめ」

 

 気恥ずかしくて弱った僕の顔を覗き込んできた加賀さんは、無防備に頬を緩め、さらにグリグリワシワシと僕の頭を撫でてくる。こんなにも楽しそうな加賀さんを僕は見たことが無かった。

 

「からかわないで下さいよ」

 

 僕が恨めしく言うと、「からかっている訳ではない。本心で言っているんだ」と、加賀さんは余計に機嫌を良くし、「寂しい時や困った時は、いつでも『加賀お姉ちゃん』を頼ると良いぞ」と、優しい言葉を繋いでくれた。

 

「し、し、指揮官様!!」

 

 その直後、僕の背後から悲鳴にも似た叫びが上がる。加賀さんが苦笑を漏らすのが分かった。加賀さんは僕の身体を包んでいた尻尾をゆるゆると解いてくれたので振り返ると、何故か半泣きの赤城さんが凄い速さで駆け寄ってきて、僕の両肩をガッシリと掴んだ。

 

「この赤城のことも、『赤城お姉ちゃん』と、そう呼んで頂いて構いませんよ……!!」

 

「いや、あの……」

 

「えぇもう、是非、私のことは『赤城お姉ちゃん』と呼んでください! 加賀のことを『加賀お姉ちゃん』と呼ぶのであれば、この赤城のことも、『赤城お姉ちゃん』と呼んで頂かなれば、摂理に反すると言うものです! さぁ!! さぁ!!」

 

 まさに鬼気迫ると言った様子の赤城さんの笑顔には、途轍もない焦燥が滲みだしており、ちょっと怖かった。さらに怖かったのは、そんな赤城さんのすぐ隣に、音もなく距離を詰めて来たエンタープライズさんが、涼しげな笑みを湛えて佇んでいたからだ。僕は軽くのけぞってしまう。瞬きをした次の瞬間に姿を現したかのようであり、全く気付かなかった。彼女の二つ名であるグレイゴーストという言葉が頭を過る。

 

「指揮官」

 

 何処か空虚な声で言うエンタープライズさんの顔には、執務室に差し込む光の加減の所為か、物凄く影があるように見えた。彼女の纏う不穏さが濃度を増し、執務室の空気を重く沈ませるようだった。

 

「『エンタープライズお姉ちゃん』というのは、少々長くて言い難いだろう? ここはシンプルに、『お姉ちゃん』か『姉さん』が良いと思うんだが、どうだろうか?」

 

 能面にも似た笑顔のエンタープライズさんは、赤城さんに肩を掴まれたままの僕を見下ろしながら言う。その口振りは、思い付いた素晴らしいアイデアを惜しみなく披露するかのような爽やかさに満ちているのに、エンタープライズさんの顔の上半分が一切動いていないせいで酷く不気味だった。

 

「えぇと、その……、ど、どうだろうと言われましても……」

 

 僕が弱り切った声を出すと、赤城さんが僕の方から手を放して立ち上がり、迷惑そうな表情を作ってから、わざとらしい大きなため息をつきつつ、エンタープライズさんに向き直った。

 

「エンタープライズ。今は私が指揮官様と、とても大事な話をしているのだから、そういうタワけた話は後にして貰えないかしら? ほら、貴女が訳の分からないこと言い出すから、指揮官様もお困りになっているでしょう?」

 

「指揮官を困らせている『赤城お姉ちゃん』にだけは言われたくないぞ」

 

「何ですって……?」

 

 さっきまで固い握手を交わしていた二人が、もう取っ組み合いを演じそうな程に険悪なムードを作り出していることに僕は参ってしまう。ただ、僕はふと思う。ここぞという戦況の時には阿吽の呼吸で見事な連携を見せ、不思議な力を発揮するこの二人にとっては、こういう言い合いはレクリエーションみたいなものかもしれない。ただ、このまま執務室で遠慮の無い言葉の応酬を続けられても困ってしまうので、何とかこの場を収めたいのだが、白熱しだした二人の言い合いは勢いを増すばかりだ。

 

「此処は、平和で良いな」

 

 僕のすぐ後ろでこの場の成り行きを見守っていた加賀さんが、皮肉なのか本心なのか判断に迷うような低い声で言う。肩越しに加賀さんを振り返って見上げると、彼女は遠くを眺める眼差しで、エンタープライズさんと赤城さんを眺めていた。緩く息を吐いた加賀さんは、自身の記憶を辿りながら、過去と、今の執務室の光景とを重ねているようだった。

 

「平和であるのは、皆さんのおかげですよ」

 

「それもあるが、指揮官が居るからだ」

 

「まさか」

 

「そうやってすぐに自分を卑下するのは、利他的なお前の悪い癖だ」

 

 加賀さんに優しい声で言われ、僕は俯く。

 

「……気を付けます」

 

「お前はもう少し我儘になっても良い。卑屈な子供は可愛くないぞ」

 

「では……、一つお願いをしても?」

 

「あぁ。言ってみろ」

 

「あのお二人の仲裁に入って頂けませんか?」

 

「む」

 

 加賀さんは意表を突かれたような声を出してから、言い合いを続ける赤城さんとエンタープライズさんの方を見て、すぐに渋そうな顔を作った。

 

「そういうのは勘弁してくれ」

 

「お願いします、『加賀お姉ちゃん』」

 

 僕が言うと、加賀さんは「……可愛くないヤツめ」と苦り切った表情を浮かべていたが、一つ溜息を吐き出し、やれやれといった様子で、赤城さんとエンタープライズさんの方へと足を向けた。

 

「指揮官……」

 

「はい、何ですか?」

 

「此処は、平和でいいな」

 

 先程とは真逆の意図を含ませた加賀さんの、心底イヤそうな顔を見て僕は、「えぇ。僕もそう思います」と答えつつ、少し笑ってしまった。

 












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憎んでいる、全てを


※タグを修正させていただきました。
 少し強めのキャラ崩壊と、独自設定や解釈の匂わせにご注意下さいませ……
 





 

 

 閉じた瞼の向こうに、微かに光を感じた。眠気を頭の中から払いながら、執務室のソファに横になって仮眠を取っていたことを思い出す。一度大きく息を吸いこんで、ゆっくりと吐き出した。窓を開けていたからだろう。風が入ってきている。緩く、涼やかな空気の流れを頬に感じた。心地よい微睡のなかで、先ほどまでの記憶を手繰る。

 

 

 今日の秘書艦は、ビスマルクさんとツェッペリンさんだった。二人とも、とにかく仕事ができる。でき過ぎる。今日もデスクワークの大半があっという間に終わり、昼過ぎには時間に大きく余裕ができてしまった。そこでビスマルクさんが、「少し顔色が悪いわね。……しばらく横になるといいわ」と、僕に仮眠を取るように勧めてくれたのだ。僕は反射的に「いえ、大丈夫ですよ」と答えそうになった。だが、ツェッペリンさんが口を開く方が早かった。

 

「遠慮はいらんぞ。片付けられそうなものは此方で処理しておく」

 

 言いながら僕を横目で見たツェッペリンさんの声音は、有無を言わさない圧力を感じさせた。それで結局、「で、では、15分だけ仮眠を頂きます」と頭を下げ、僕は二人の厚意に大人しく甘えさせて貰うことになった。

 

 まだ目を覚ますように声を掛けて貰ってはいないから、15分が経ったわけではないのか。それとも、ビスマルクさんとツェッペリンさんの二人に、僕をもう少し長く休ませてくれようとする気遣いや意図があって、あえて僕を起こそうとしていないのか。いずれにせよ、そろそろ体を起こして仕事に戻ろうと思った時だった。

 

「ふふふ……」

 

 誰かの気配をすぐ近くに感じた。

 

「あら、おはよう」

 

 僕が目を開けると、悪戯っぽい笑みを浮かべるオイゲンさんが居た。携帯用端末をカメラのように構え、僕が寝ころんだソファの横にしゃがみこんでいる姿勢だった。

 

「あ、お、おはようございます」

 

 慌てて身を起こした僕は、髪が乱れていないか涎で口許を汚していないかを確認する。どうしてオイゲンさんが此処に? 僕の頭に浮かんだ疑問を察してくれたのだろう。

 

「今しがた、オイゲンが演習の報告書を持って来てくれてな。卿の寝顔は貴重だと、はしゃいでいたのだ」

 

 書類に目を落としていたツェッペリンさんが僕の方へと顔を上げ、唇の端に小さく笑みを浮かべた。

 

「……もう少し寝ていても、仕事の方は大丈夫よ?」

 

 ツェッペリンさんと同じく、ソファに身を起こした僕の方へと顔を向けたビスマルクさんは、僕を気遣うように言ってくれる。腕時計を確認すると、僕が仮眠を取り始めてから20分ほどが経っていた。15分で僕を起こさず、そのまま寝かせておいてくれたのだ。やはり二人は、より長く僕に休息をとらせてくれるつもりだったのだと分かった。

 

「お気遣い感謝します。でも、もう休ませて頂きましたから」

 

 そうと答えつつ、僕はソファから立ち上がろうとしたが、出来なかった。

 

「ビスマルクが言ってるんだから、指揮官はもう少し休んでいればいいのよ」

 

 オイゲンさんが僕の肩を抱くというか、しなだれ掛かるように身体を寄せてきたからだ。僕の太腿にオイゲンさんのお尻が乗ってくる勢いだったし、肩のあたりにも柔らかい体温がのしかかってくる感触が在った。

 

「私、凄く良いタイミングで執務室に来ちゃったみたいね」

 

 嬉しそうに言うオイゲンさんの手には携帯用端末があり、そのディスプレイには僕の寝顔が映っていた。端末のカメラ機能によって撮ったものなのだろうと分かる。

 

「それ、消してくださいよ……、恥ずかしいです」

 

 抗議するように僕は言うが、オイゲンさんは涼しい顔のままで更に身を寄せてくる。いや、それだけじゃなくて、ぺろっと唇を舐めて湿らせた彼女は、そのまま僕の耳元に顔を寄せてきた。

 

「それじゃあ今夜、指揮官のベッドで一緒に添い寝して、私も寝顔を見せてあげるわ。それでおあいこにしましょう」

 

 僕の耳朶を擽るように、オイゲンさんは小声で言う。妖艶で蠱惑的な囁きだった。オイゲンさんの体温を含む吐息が、ゆるゆると僕の首筋を撫でていく。ゾワゾワとしたものを感じた。僕は思わず首をすっこめる。その仕草を見て、オイゲンさんは可笑しそうに笑う。悪戯が成功した少女のようだった。

 

「……オイゲン。そうやって貴女がはしゃいでいては、指揮官が休めないわ」

 

 秘書艦用の執務机で書類の束を揃えながら、ビスマルクさんが低い声を出した。じとっとした視線を向けられたオイゲンさんは「それもそうね」と肩を竦めて、すぐに僕から離れる。彼女の澱みの無い身のこなしは、まるで大きな猫のようだ。オイゲンさんから解放された僕は、自分の執務机に戻るか、このままソファに座っていていいものかと迷う。

 

 このまま仮眠を続けるにしても眠気は覚めてしまったし、ビスマルクさんとツェッペリンさんの厚意に遠慮して仕事に戻るのも気が引けた。かといってぼんやり座っているのも居心地が悪い。やることが無くなって手持無沙汰になるのは、僕にとっては贅沢過ぎる悩みに思えて落ち着かない。

 

「えぇと……、では休憩を頂いている間に、皆さんにコーヒーを淹れてきますね」

 

 何かできることは無いだろうかという思いで、僕はソファから立ち上がる。すると、「我も手伝おう」とツェッペリンさんも執務机から離れようとしたので、「いや、これくらいは僕にさせてください」と、僕はそれを慌てて手で制した。ビスマルクさんも何か言いたげな表情をしていたが、僕は気づかないフリをしてコーヒーの用意を始める。

 

「せっかく指揮官がコーヒーを用意してくれるなら、皆で一息つきましょうよ。もうすぐオヤツの時間だし。それにビスマルク達が秘書艦をしているんだから、どうせ仕事も殆ど片付いているんでしょ?」

 

 ソファに深く凭れ掛かったオイゲンさんが、ぐぐぐっと大きく伸びをしながら言う。実際その通りであるため、ビスマルクさんとツェッペリンさんの二人が顔を見合わせるタイミングで、「えぇ。そうしましょう」と僕も頷いた。秘書艦の二人から特に反対の声が挙がることも無く、4人でソファテーブルを囲むことになった。

 

 さっきは気づかなかったが、オイゲンさんは差し入れを持ってきてくれていた。高級そうな箱型パッケージに納められた、トリュフチョコレートの詰め合わせだ。それをソファテーブルの真ん中に置いて封を開けると、上品で濃厚な香りが広がってくる。

 

「……こんな高価そうなものを、我らに振舞っても良いのか?」

 

「もちろん。皆で食べようと思って取り寄せたんだから。ヒッパーやニーミ達の分もちゃんとあるから、遠慮しないで」

 

 オイゲンさんはツェッペリンさんに答えながら、チョコレートのパッケージに付属していたオシャレなプラスチックの楊枝でチョコを突き刺し、ひょいと口の中に放り込む。その仕草には、相手に気を遣わせない為の気遣いのような、オイゲンさんの繊細な心の配りようが見てとれた。

 

「そうか。では……」

 

「頂くわね」

 

 ツェッペリンさんとビスマルクさんも、プラスチックの楊枝を使ってチョコレートを口に運んだ。僕も一つ貰って口に含むと、すぐにチョコレートが舌の上で溶け出す。ほろ苦くも上品な甘さの後に、芳醇な香りが抜けていく。とても美味しい。僕は小声で「うわぁ、美味しい」と漏らしてしまう。

 

「コーヒーとよく合うでしょ?」

 

 嬉しそうな笑みを浮かべるオイゲンさんは、僕が淹れたコーヒーを啜りつつ、僕や、ビスマルクさん、ツェッペリンさんの反応を順に見ていた。位置的に、オイゲンが僕の隣に座り、僕とオイゲンさんと向かい合う格好で、ビスマルクさんとツェッペリンさんがソファに腰を下ろしている。だから僕からは、チョコレートをゆっくりと味わい、満足そうに息を漏らすビスマルクさんとツェッペリンさんの様子がよく分かった。

 

「濃厚だけど、甘過ぎず口溶けも良いのね。好きな味だわ」

 

 ビスマルクさんは更に一つ、チョコレートに手を伸ばす。

 

「うむ。甘美なものだ……」

 

 チョコレートの余韻に浸るように瞳を閉じたツェッペリンさんは、ゆったりとした仕種でコーヒーを啜る。

 

 二人の様子を見ていたオイゲンさんが、嬉しそうな笑みをそっと深めていることに僕は気付く。その笑顔には僕をからかう時に浮かべるような妖艶な雰囲気はなく、自分が美味しいと思ったものを誰かと共有できた喜びから、自然と零れたものなのだろうと思えた。僕は、この場に暖かい温度が満ちていくのを感じながら、目の前に居るビスマルクさんとツェッペリンさんを順に見た。

 

 今のような平穏な時間を享受できるようになる前の、鉄血陣営を率いていた頃のビスマルクさんのことを思い出す。かつてのビスマルクさんは、張り詰めた空気を纏う、隙も余裕も全くないような人物だった。ツェッペリンさんも、周りの者を払うような強烈な威圧感を常に放っていたのを覚えている。オイゲンさんにしてみても、今のような悪戯っぽさのある親しい雰囲気など微塵も感じさせない、剥き出しの冷徹さを隠そうともしていなかった。

 

 それが今では、僕も一緒になって皆でチョコレートを食べながら、穏やかな時間を過ごしている。彼女達は、あの頃に比べて確かに変わったと思う。明確に笑顔が増えた。その変化を齎したものは、他の陣営の人々との交流であり、戦場海域での信頼であり、その中で育まれた友情なのだろう。人の精神を形作るのは、その人の交流関係と環境だ。

 

 ビスマルクさん達に大きな変化を与え得る貴重な出会いの場となったのであれば、この母港や指揮官としての僕の存在も、セイレーンとの戦争の為の基地や立場以上の意味が在ったのではないか。コーヒーを啜りながら、そんな勝手なことを考えた時だった。

 

「指揮官」

 

 隣から声を掛けられた。オイゲンさんだった。チョコを突き刺したままのプラスチック楊枝を僕に向け、小悪魔的と言っていい笑みを浮かべていた。状況が上手く理解できない僕が、オイゲンさんとチョコを見比べていると、さらにズイっとチョコが突き出されてきた。

 

「はい、あーん」

 

「えっ」

 

 僕は間抜けな声を漏らし、もう一度、突き出されたチョコとオイゲンさんを交互に見た。オイゲンさんは笑みを深めつつ、「ほら、口を開けて?」と、妙に色っぽい声で言ってくる。食べさせてくれる、という事だろうか。子供扱いされる気恥ずかしさから、オイゲンさんから視線を逸らした時だった。

 

 コーヒーカップに口を付けようとする姿勢のまま微動だにしないビスマルクさんと、チョコレートを口に入れる寸前の姿勢のままで動きを止めたツェッペリンさんが、僕の方を凝視していることに気付く。ただ、「あの、ど……、どうされました?」などと僕が二人に訊ねる間もなく、再びオイゲンさんが体ごと寄ってくる。

 

「いや、あの、一人で食べられますから……」

 

「遠慮しないの。ほら」

 

 オイゲンさんは全く引かない。

 

「ぅ……、ぃ、いただきます」

 

 ソファの端に追いやられた僕が殆ど観念したように口を開くと、オイゲンさんは優しくチョコレートを食べさせてくれた。ビスマルクさんとツェッペリンさんの視線を強く感じる。刃物の切っ先を向けられているような感覚だった。怖い。チョコを咀嚼するものの、ちゃんと味が分からなかった。

 

 僕にチョコを「あーん」で食べさせたことに、とりあえずは満足したのか、オイゲンさんは機嫌よさそうな笑みを浮かべ、それ以上はチョコを突き出してくるような事はなかった。僕が胸の内でホッとした次の瞬間だった。

 

「指揮官よ」

 

 真剣な表情のツェッペリンさんが、ソファテーブルから身を乗り出すようにして僕にチョコを突きつけてきた。彼女の纏う雰囲気が余りにも迫真で、僕は一瞬、チョコレートではなく大型の拳銃でも向けられているのかと錯覚し、ビクリと肩を撥ねさせてしまった。

 

「口を開けるがいい」

 

 彼女の紅い眼が、真っ直ぐに僕を視ている。

 

「あ、あの、まだ口の中に、チョコレートが残っていますので」

 

 舌の上で溶けかかっているチョコレートを頬の内側に寄せ、口許を手で隠し、僕はモゴモゴと喋る。すると、ソファテーブルに身を乗り出したままのツェッペリンさんが眉尻を下げて、傷ついたような顔になった。

 

「わ、我のチョコレートは、口に入れることは出来ないと?」

 

 明らかにしょんぼりとした彼女の声音に、僕は焦る。

 

「いえ、ぃ、いただきますね……」

 

 相変わらずモゴモゴと喋った僕は、ツェッペリンさんが差しだしてくれたチョコレートを口に含み、必死に味わう。

 

「うむ」

 

 低い声を出したツェッペリンさんはと言えば、妙に晴れやかな顔になってソファに深く凭れ掛かり、長く奇麗な脚を組もうとしているところだった。静かな貫禄と聡明な優雅さに満ちた彼女だが、こういう時に僕の遠慮が全く伝わらないというのはどういうことなのだろう。理不尽を通り越して神秘的ですらある。大粒のトリュフチョコを2つも頬張り、不可解な顔をしたリスみたいになっているだろう僕を見たオイゲンさんが、可笑しそうに笑った。

 

「……次は、私の番ね」

 

 緊張を押し殺すかのような硬い声を出したのは、ビスマルクさんだった。いそいそとチョコレートにプラスチック楊枝を突き刺している。そんなビスマルクさんを横目に見たオイゲンさんが、また僕の方へと身を寄せてきた。

 

「前から訊きたかったんだけど、指揮官はどんな女性がタイプなの?」

 

 隣にいるオイゲンさんから、何の脈絡もない質問を投げかけられる。突然のことに僕はうまく受け止めることが出来ず、一瞬の間だけ固まってしまった。この場の空気に奇妙な緊張感が走るのが分かった。中途半端に腕を伸ばし、チョコレートを僕に向けて差しだそうとしていたビスマルクさんは、ソファから半分ほど立ち上がった姿勢で動きを止め、オイゲンさんに抗議するような視線を向けている。

 

「ちょっとオイゲン、次は私が……」

 

 ビスマルクさんが言いかけたところで、「ふむ、興味深いな」と、足を組みかえたツェッペリンさんが鋭い眼差しを向けてくる。「でしょ?」とオイゲンさんが、楽しそうに相槌を打ちつつ、僕の口にチョコレートを押し込んできた。僕は再び、必死に口を動かして、口の中一杯にあるチョコレートを必死に溶かす。美味しいのだが、もうちょっとゆっくりと味わいたい。ビスマルクさんは釈然としない様子でソファに座り直し、僕に差し向けていたチョコを自分の口に含み、もむもむと唇を動かしている。

 

「それで、さっきの質問なんだけど」

 

 オイゲンさんが、僕をからかうような流し目を送ってくる。

 

「……明確にお答えするのは、僕にはまだ難しいですね」

 

 僕は苦笑を返すしかない。

 

「それじゃ、もっと大雑把な訊き方に変えるわ」

 

 楽しげに言って、オイゲンさんは質問を重ねてくる。

 

「指揮官は、私達みたいな重巡や戦艦、空母より、駆逐艦とか潜水艦の子の方が好み?」

 

「ぃ、いえ、誰と比べて、誰の方が好みとか、そういうことはありませんよ」

 

 母港にいる彼女達に優劣をつけて、区別するつもりは僕には毛頭なかった。「ふぅん……」と、何かを探るかのような目つきになったオイゲンさんは、「じゃあ、髪の色は?」と、ついでのように言葉を足した。

 

「髪、ですか?」

 

「そう。噂では、指揮官はビスマルクみたいな金髪が好きって聞いたんだけど」

 

 オイゲンさんが言うと、ハッとした顔になったビスマルクさんが、コーヒーカップを口に付けた姿勢のままでガタっと立ち上がって、すぐに座り、慌てた手つきでコーヒーカップをテーブルに置いてから、自分の髪にさっと触れながら何かを言いたげに唇を動かし、結局なにも言わず、またソファから立ち上がりかけて、すぐに座り直した。

 

「……挙動不審だぞ、どうした?」

 

 半目になったツェッペリンさんが、自分の豪奢な銀髪を弄りながら面白くなさそうに言う。

 

「い、いえ、何でも無いわ」

 

 そう答えたビスマルクさんは、俯きがちにコーヒーを啜った。

 

「ねぇ、どうなの?」

 

 こちらの顔を隣から覗き込んでくるオイゲンさんは楽しそうだ。

 

「その噂がどういったものなのかは知りませんが、僕は、そういう話を誰かと話したことはありません」

 

 僕は、やはり苦笑を返すしかない。

 

「そういった容姿の一部だけを切り取って、特別に心を惹かれた経験は、まだありませんから」

 

「じゃあ、ティルピッツと一緒にお風呂に入ってたっていう話は?」

 

「えぇ……」

 

 そんな噂が出回っているのか……。強い困惑を感じながらも、その噂の内容を早急に否定しようと僕が口を開くよりも早く、ビスマルクさんとツェッペリンさんが同時にソファから立ち上がった。二人はソファテーブルを蹴飛ばすような勢いだった。コーヒーカップがガチャンと揺れる。

 

「それは本当!?」

 

「それは本当か……」

 

 揃った二人の声は、いまにも艤装を纏い出撃しそうな程の迫真性と緊張感に溢れていた。そんな二人の様子を楽しそうな顔で眺めたオイゲンさんが「冗談よ、冗談」と、肩を竦めながら茶目っ気たっぷりに言う。

 

「そういう冗談はやめてくださいよ……」

 

 僕は思わず疲れた声を出てしまう。

 

「指揮官は真面目な話ばかりするから、これくらいの冗談でバランスが取れるのよ」

 

 全く悪びれないオイゲンさんが、この場の空気を混ぜっ返して面白がっているのは明らかだったが、一方で僕は痛いところ突かれた気分になる。僕は何をするにしても遠慮と逡巡ばかりで、場を和ませるような冗談を言うのが得意でないのは事実だ。

 

「……でも、そういう冗談は感心しないわ。オイゲン」

 

「全くだ。焦ったぞ」

 

 ビスマルクさんとツェッペリンさんがソファに腰を下ろし、ふぅ……と息を吐いているのを見てから、「あっ、そうだ」とオイゲンさんがソファに座ったままで二人に向きなおった。

 

「さっき指揮官が仮眠を取っていた時のことなんだけど」

 

 人差し指で自分の唇に振れたオイゲンさんは、そこで勿体ぶるようにそこで言葉を切って、横目で僕を見詰めてくる。視線を向けられて黙っているわけにもいかず、とりあえずと言った感じで、「は、はい……」と頼りない相槌を打つ。

 

「ビスマルクが、指揮官の寝顔をチラチラ見てたわよ」

 

「いえ、み、見ていないわ」

 

 即座に答えたビスマルクさんだったが、その落ち着いた声には微かな動揺が見えた。

 

「そう言われてみれば……、指揮官が仮眠についてからは、ビスマルクの手元の書類もなかなか片付いていなかったな」

 

「……そんなことは無いわ。気のせいよ」

 

 ソファに姿勢よく腰掛けているビスマルクさんは、ゆったりとした仕種でコーヒーを啜る。穏やかさのある余裕に満ちた態度だ。だが、僕の方を見た彼女の視線が、一瞬だけ泳ぐのが分かった。なんとなく気まずさを感じた僕はソファに座ったままで、秘書艦用の執務机を見遣る。ビスマルクさんは背も高いし、秘書艦用の執務机で仕事をしていても、ソファで横になっている僕の全身が見ることが出来るだろう。

 

 仮眠を取るように勧めてくれたビスマルクさんは、僕の体調を気遣ってくれていた。仮眠を取っている僕のことをチラチラと見ていたのなら、それはきっと、僕の様子を気にかけてくれていたのだろうと思う。ただ、そのことで僕に気を遣わせまいとして、ビスマルクさんが否定をしているのであれば、僕はどうやって礼を述べるべきだろうか。そんな風に考え始めた時だった。

 

「見たければ見せてあげるわよ」

 

 軽やかな口調で言うオイゲンさんが携帯用端末を取り出し、指を滑らせ、ディスプレイをビスマルクさんとツェッペリンさんに見せるように持った。きっと僕の寝顔が表示されているのだろう。気恥ずかしさを覚えるが、まぁ、別に良いかと思う。僕の間抜けな寝顔で、場の空気が重くならずに済むのなら。

 

 そう思ったが、どうやら違うようだ。ビスマルクさんが飲んでいたコーヒーで噎せ帰り、ツェッペリンさんが「ほぅ……」などと、新種の花でも発見したかのような声を出している。何事かと思い、僕はオイゲンさんの方へと顔を向ける。

 

「あら、間違えちゃった」

 

 ワザとらしく言うオイゲンさんは、携帯用端末の画面を僕にも見せてくれた。そこに映し出されていたのは、書斎か何かの机の上に突っ伏し、分厚い本やセイレーンに関する資料の束、書類の山に囲まれたままで居眠りをする、ビスマルクさんの寝顔だった。組んだ腕に乗った彼女の頬が、柔らかそうに形を変えている。普段の怜悧な美貌を剥がした、リラックスしきった無防備な姿がそこにある。

 

「どう、ビスマルクも中々可愛いでしょ?」

 

 微笑みながら言うオイゲンさんは、友人を自慢する口振りだ。

 その嫌味のない笑顔に、僕は素直に頷いてしまう。

 

「オイゲン……!」

 

 一頻りゲホゲホとやったビスマルクさんは、前のめりにソファから立ち上がった。ついでに、オイゲンさんの持つ携帯用端末を奪い取ろうと腕を伸ばす。プロボクサーのフリッカージャブのような疾さだった。だが、ビスマルクさんの手は届かない。オイゲンさんもソファから立ち上がり、すっと身を引いたからだ。

 

「そんなに怒らないでよ。ちょっとした冗談でしょ?」

 

「そういう冗談は感心しないと言っているのよ……!」

 

「指揮官にも可愛いって言って貰えたし、素直に喜べばいいのに」

 

 そう言いながら、オイゲンさんはそのままソファから離れ、執務室を後にしようとする。

 

「指揮官もビスマルクも、働き過ぎると死ぬわよ?」

 

「待ちなさい……、ちょっと……!」

 

 ビスマルクさんがソファから離れた時には、オイゲンさんは執務室の扉に手をかけ廊下に出ていくところだった。「指揮官、美味しいコーヒーをありがとう。御馳走様」と言い残し、颯爽と執務室を後にした。此方こそ、美味しいチョコレートをありがとうございますと礼を言おうとしたのだが、間に合わなかった。

 

「指揮官、すぐに戻るわ……!」

 

 早口で言うビスマルクさんも、オイゲンさんを追いかけていく。その背中に、あまり急ぐと危ないですよ、気を付けてくださいね、と声を掛けたものの、果たして届いたのだろうか。執務室には、僕とツェッペリンさんが残される形になる。

 

 

 

「ふん。騒がしいことだ」

 

 コーヒーの残りを飲み終えたツェッペリンさんは口元に微笑みを浮かべ、さっきまで騒がしさの余熱を楽しむように言う。

 

「それだけ、あの二人の関係が良好だということでしょう」

 

「……ビスマルクもオイゲンも、あの頃から変わったものだ。それに我ら鉄血と、他の陣営との在り方もな。卿の下では過去も現在もなく、多くの蟠りが独りでに解消されていくかのようだな」

 

 口許の笑みを残したままのツェッペリンさんは、伏し目がちに遠い眼になって、低い声を洩らす。

 

「僕は、この母港を機能させるための神輿みたいなものですよ。僕の手腕が皆さんを取り纏めている訳ではありません」

 

 僅かに居心地の悪さを感じた僕は、食べ終えたチョコレートの箱と、コーヒーのカップを片付け始める。

 

「セイレーンと戦うために、皆さん一人ひとりが積極的に協力態勢をとってくれているからこそ、その交流の中で、皆さんの中に良好な関係が築かれ、補強されて、今のような平穏を享受できるまでになったのは間違いありません」

 

 カップを片付けながら、人に影響を与えるのは、その人の持つ交流であるという言葉を思い出す。ビスマルクさんやツェッペリンさん、それにオイゲンさんもまた、波音が響き合うように、誰かに良い影響を与えているのも間違いない。

 

「誰か一人でも欠けていれば、母港が今のような平穏さを保っていることも無かったでしょう」

 

「……ならば卿も同じだ。卿が欠ければ、この母港は在り様を一変させるであろう」

 

 ツェッペリンさんは言いながらソファから立ち上がり、テーブルの上に置かれたコーヒーカップやソーサー、スプーンを手に持つ。片づけを手伝ってくれるようだ。

 

「恐らくだが卿は、自分の代わりなどいくらでも居ると考えているのだろう? 以前、この母港にセイレーンの襲撃が在った時もそうだ。……卿は己の傷よりも他者のことを気に掛けていたな」

 

 片付ける手を止めたツェッペリンさんが、僕の方を見下ろす。

 

「数日間の昏睡の後、眼を覚ました卿が開口一番に何を言ったのか覚えているか? 『ビスマルクさんとオイゲンさんは、無事ですか?』と、卿は言ったのだ」

 

 滔々と語るツェッペリンさんの声に力が籠るのが分かった。彼女の紅い眼が、今は怒っているように見える。僕は反応に困りつつも、直ぐにあの時の記憶が色濃く蘇ってくる。

 

 

 

 

 鉄血の駆逐艦、潜水艦を逃がすため、時間を稼ごうとしたオイゲンさんとビスマルクさんが、人型のセイレーン──、オブザーバーの触手に捕まったのだ。ちょうどその場に居合わせた僕は、手にしていた軍刀を抜き放ち、駆け出していた。僕の身体は、逃走よりも攻撃を選択していた。

 

 今にして思えば、すべてが仕組まれたようなタイミングだった。

 

 生物型の艤装を駆るオブザーバーは、その艤装から生える触手をゆらゆらと揺らしながら、僕を見下ろしていた。あの眼は何かを確かめる眼だった。試験管の中の化学反応を観察する冷徹な眼差しだった。同時に、年の離れた弟を遊びに誘うような、不気味な親近感を孕んだ眼差しでもあった。ただ、あの時の僕はそんなことを気にしなかった。そんな余裕も無かった。文字通り必死だった。何の工夫も創意もなく突っ込んで行った僕は、オブザーバーの触手の標的にされた。

 

 伸びて伸びて伸びまくって押し寄せてくる触手は、僕の腕や脚や肩の肉を切り裂き、打ち据え、削った。ひどい出血であることは僕も分かった。自分の体の中から、生きていくために大切な何かが零れていく感覚は今でも覚えている。それでも、僕は止まらなかった。自分の中から出発する何かが、僕を衝き動かしていた。無力に逃げるよりも、オイゲンさん達を助けられる可能性に賭け、微力ながらも戦って死ぬことを無意識に選んだ僕の身体は、傷ついても信じられないほどに速く動いた。

 

 迫ってくる無数の触手を躱し、潜り、飛び越え、飛び乗り、触手から触手へ飛び移り、触手の上を駆け上がっていた。興味深そうな表情を作った彼女が、唇を動かしていた。何を言っているのかは、どうでもよかった。僕は、少女の姿をしたセイレーンへと刀を振り上げて、そして──。

 

 

 そこまで思い出すと、急速に口の中が渇いてきて、喉の奥に血の味がした。

 

 

 

 

「あの時は、僕も無我夢中だったんですよ……」

 

 自分が何を弁解しようとしているか分からなくなる。

 

「すまない。卿を責めるつもりでは無かったのだ。我は、オイゲンのように話をするのが得意ではなくてな。……訊き方を変えよう」

 

 ツェッペリンさんは暫く黙ってから、一つ息を吐いた。

 

「卿は、我が沈んでも、我の代わりが居ると思うか?」

 

「そ、それは……!」

 

 思わず語気が強くなりそうになり、僕は慌てて言葉を飲み込む。そんな僕の様子を見たツェッペリンさんは、ふっと微笑んだ。

 

「我にとっても、卿の代わりなどいない。卿さえ居なければ、我は未だ、全てを憎んでいられたのだろうがな。……卿が、我の憎悪の破れ目になったのだ」

 

 普段よりも幾分か柔らかく、しかし、何処までも心の籠った声だった。ツェッペリンさんはカップやソーサーを持った手とは反対の手で、僕の頬に振れた。その手袋越しに、ツェッペリンさんの体温を微かに感じる。

 

「命を粗末して、我らの前から居なくなるようなことは許さん。そうなれば我は全てを差し置いて、卿こそを憎むぞ」

 

「それは、……怖いですね。気を付けます」

 

 僕の答えは全く気の利いたものでは無かったかもしれないが、ツェッペリンさんは気に入ってくれたようだ。

 

「精々、肝に銘じておくことだ」

 

 威圧的な言葉とは裏腹に、声音は優しいものだった。

 













 最後まで読んで下さり、ありうがとう御座います!
 


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朝のひととき

※強めのキャラ崩壊にご注意下さいませ……


 

 

 

 

 

 

 

 

 微かな雨音で目を覚ます。一瞬、此処がどこなのか分からなかった。何度か瞬きをして目を擦る。欠伸を飲み込んで軽く頭を振った。自分の態勢から、机に突っ伏して眠っていたのだと分かる。続けて、此処が母港の資料室兼書斎であること思い出す。

 

 停滞して澱んだ空気を感じながら、周りを見回した。背の高い本棚が僕を見下ろすように並び、背後に置かれた立ち作業用の机には、開いたままの分厚い本が積み上がっている。目の前にある書斎の机には、セイレーンに関する資料や書類が広がっている。腕時計を見ると、かなりの早朝だった。執務を始めるにはまだまだ時間がある。

 

 伸びをしながら窓を見る。カーテンの隙間から見える空は暗く、雨雲が詰まっているのが分かった。喉が渇く。それに空腹も覚えた。昨日の夜は、執務を終えてからシャワーを軽く浴びただけで、夕食を摂っていなかったことを思い出す。この資料を纏めてから食事をしようと思っていたが、途中で寝てしまったのだ。

 

 僕は、書斎の椅子に座ったままで自分の格好を見下ろした。書斎に向かう途中で誰かと出会うこともあるため、シャワーを浴びたあとだったが、一応は指揮官服を着ている。大きく皺も寄っていないし、このまま仕事に出ても問題無いだろうと思いつつ、僕は襟を引いて、自分の匂いを嗅いでみる。……汗臭いだろうか。

 

 いや、と首を振ってから、僕はもう一度、襟や裾の匂いを嗅いでみる。クリーニングした指揮官服の人工的な洗剤の匂いと、昨日の夜に僕が使ったボディソープの匂いはするが、汗臭くはない筈だ。そう思うのだが、寝起きの所為で嗅覚が正常に動いていない気もする。もう一度シャワーを浴びて、上着だけは変えて来ようと思った時だった。書斎の扉がノックされ、僕は軽く肩を跳ねさせてしまう。眠気が吹き飛んだ。

 

「御機嫌麗しゅうございます」

 

「誇らしき御主人様」

 

 ベルファストさんと、シリアスさんだった。一瞬してから、今日の秘書艦が彼女達であったことを思い出す。二人は姿勢よく僕にお辞儀をしてくれるのだが、僕は慌てて二人に挨拶を返しつつ、腕時計をもう一度確認する。僕の様子を見ていたベルファストさんが、微笑みを湛えたままで一つ頷いてみせた。

 

「昨晩の御主人様が、夜遅くに此方で仕事に戻られた御様子でしたので」

 

「恐らく夕食も摂っておられないのではないかと思い、早めの朝食を御用意できるよう準備しましたので、それをお伝えに参りました」

 

 ベルファストさんの後に、シリアスさんが続く。そこで、僕の頭に疑問が浮かんだ。昨日の夜は結局、誰にも出会わなかった筈だ。僕が数秒だけ視線を彷徨わせるのを見たベルファストさんが、眼の中に炯々とした光を薄く灯しながら「御主人様のことを熟知するのも、我々の務めです」と微笑みを深めてみせた。

 

「お気遣いばかりさせてしまって、申し訳ありません」

 

 僕は恐縮しながら頭を下げて、もう一度腕時計を確認する。

 

「あ、あの、執務を始めるのも朝食を摂るにしても、まだ時間がありますので……。お二人も、もう少しゆっくりしてから、執務室にいらして下さい」

 

「お優しいお言葉を頂き、有難う御座います。……では、執務を開始するまでの時間で、書斎の掃除をさせて頂きます」

 

 ベルファストさんは僕の言葉を一旦は受け止めてから、綺麗に畳んで手渡してくれるかのような暖かい声を返してくれた。確かに、書斎は片付いているとは言い難い状態だ。ただ、散らかし放題にしたままで眠りこけてしまったのは僕であるから、このままでは、まだ執務を始める前の早朝から余計な仕事を彼女にさせることになってしまう。

 

「あぁ、いえ! 僕が片付けておきますよ!」

 

 僕は焦った声で言うものの、「お任せください」とシリアスさんに力強く頷かれて、言葉が続かない。彼女は既に、作業台に積まれた分厚い本を何冊も手に抱えていた。

 

 以前のシリアスさんは、SPとしては申し分ないものの、メイド業務や事務については得意ではなかった。しかし、他のメイド隊の仲間からの指導と特訓、それに、一生懸命な彼女の努力が実り、今ではメイド長であるベルファストさんと並んでも遜色ない仕事ぶりを見せている。シェフィールドさんが言うには、たまに大きなポカをやらかすのだそうだが、そんな気配は全くない。

 

 彼女達の凛然とした美貌と、無駄の無い仕事ぶりが、この書斎に吹き溜まっていた澱んだ空気を浄化していくかのようだった。テキパキと動く彼女達の姿を見ていると、これ以上の遠慮の姿勢を見せるのも、無理に手を止めて貰うのも申し訳なかった。

 

「……では、すみません。お願いします」

 

 僕は彼女達に一度頭を下げてから、書斎の机の上を片付ける。手を動かしながら、以前に、「此方の厚意に大人しく甘えてくれる方が、私達にとっては嬉しいものですよ」と、シェフィールドさんが僕に言葉をかけてくれたのを思い出す。自分が恵まれている立場であることを改めて自覚すると同時に、昨晩、僕の携帯用端末に届いたシェフィールドさんからのメッセージが脳裏を過った。

 

『明日の秘書艦である、ベルファストとシリアスには少々お気を付けください。特にベルファストは、以前の秘書艦業務から間が開いており、御主人様と接する機会も少なかったので、破裂寸前の風船のようになっています。何らかの切っ掛けがあれば、容易く暴走するでしょう』

 

 僕はこの内容から、どのような忠告を汲み取ればいいのか判断できなかった。「お二人の体調が悪い、ということでしょうか?」とメッセージを返して訊いてみると、すぐに返答が在った。

 

『いえ。彼女達の体調は、これ以上ない程に絶好調です。その心配は要りません。ただ、二人が御主人様を想う感情が、行き場を無くしている期間が長かったですから。グツグツと過熱した彼女達の御奉仕欲が、危険な領域に突入しているという感じですね。とはいえ、彼女達もメイド隊の一員です。余程のことが無い限りは、御主人様の貞操の危機といった事態にまでは、発展しないでしょう』

 

 文面からもシェフィールドさんの冷静な表情が見えてくるのだが、やはり僕はメッセージの内容を上手く読み取れない。御奉仕欲なる単語は、ロイヤル陣営で扱われる専門用語か何かなのだろうか。この文脈の中で語られる、僕の貞操の危機というのも理解が難しい。ただ、シェフィールドさんの言う通り、書斎の片付けをしてくれているベルファストさん、シリアスさんの二人の体調が悪そうであるとか、疲れが溜まって無理をしているという様子ではなさそうである。

 

 僕は一先ずの安心と共に、机の上の書類をファイルに纏め、広げていた資料文献としての本を揃えて持つ。書斎にしては広い空間を持つこの部屋は、もともと資料室であり、大量の文献を備えるための本棚は大型で背の高いものが揃えられている。大人でも本棚の上部にまではギリギリ手が届くか届かないかといった具合なので、僕はといえば当然、脚立が無ければ本を元の場所に戻すこともできない。

 

 脚立を視線だけで探した時だった。分厚い本を抱えたシリアスさんが脚立にのぼり、本棚の上部に手を伸ばしているのが目に入った。それからすぐ、脚立の上で背伸びしたシリアスさんの態勢がフラ付いた。彼女はたまに大きなポカをやらかします。シェフィールドさんの声が頭の隅で聞こえる。ベルファストさんは少し離れた位置で本棚に向き合っているため、シリアスさんのピンチに気づいていない。

 

 1秒後。シリアスさんの体が後ろに傾く。それを見た僕の身体は、勝手に動いていた。手にしていた数冊の本を机に放りながら、僕はすっと重心を落として床を蹴る。倒れてくるシリアスさんの頭を右腕で守るようにして、滑り込みながら横抱きをする姿勢で受け止める。ギリギリ間に合った、というほどでは無かったので、右腕と右脚をクッションにする要領で、そっと衝撃を殺して彼女の身体を支えることが出来たし、彼女の手から零れた数冊の本も左手でキャッチすることが出来た。

 

 シリアスさんを受け止めた時に、僕の指揮官服のボタンが一つ飛んでしまったが、そんなことは些末なことだ。それら一連の動作は殆ど無音のまま一瞬で終わり、本が落ちる際にページが風を受ける音と、ボタンが床を転がる音だけが書斎に木霊した。僕の腕の中に居るシリアスさんに怪我はない様子で、ほっとする。

 

「誇らしき御主人様、あ、あの……」

 

 ふるふると唇を震わせるシリアスさんは、自分の胸の前でぎゅっと両手を握り、何度も瞬きしている。何が起きたのかは理解していて、脚立から落ちて尻餅をついたり、床に倒れ込む痛みに備えてはいたものの、今の状況は予想していなかった、という反応だ。ベルファストさんが僕とシリアスさんの様子に気付き、ぎょっとして体を硬直させているのが分かった。

 

 窓の外から、微かな雨音が響いている。その束の間の静寂のあと、混乱か判断ミスか、澄んだルビーにも似た赤い眼で僕を見つめるシリアスさんは、僕の首に両腕を回しかけて、「いや、違う違う!」といった風に首を振った。そしてすぐに立ち上がり、ガバっと僕に頭を下げる。

 

「シリアスは、また粗相を……!」

 

 ぶんぶんと何度も僕に頭を下げるシリアスさんの勢いは凄まじく、まるで剣の素振りでもしているかのような迫力があった。

 

「二人に怪我が無くて、何よりです」

 

 微妙に羨ましそうな表情をシリアスさんに向けつつ、ベルファストさんが低い声で言う。飛んで行った指揮官服のボタンを拾ってきてくれた彼女は、僕の顔を見ていなかった。もう少し下だ。僕の指揮官服のボタンが外れた個所に向けられている。それに気づいたシリアスさんは、更に恐縮しきって僕に頭を下げてくれている。

 

「申し訳ありません! 御主人様の御召し物に傷をつけた、この卑しいメイドに、どうか罰をお与え下さい……!」

 

「い、いえ、そんな!」

 

 もう謝らないで下さいと、僕も恐縮して謝罪を述べる口振りになってしまう。

 

「そもそも、書斎の片付けをして貰わねばならない状況を作ったのは僕です。こんなことで怪我をさせてしまっては、エリザベスさんに申し訳が立ちません。シリアスさんに謝って頂くようなことは、何もありませんよ」

 

「この程度のことでは、シリアスは傷一つつきません! それよりも、御身に何かあっては……!」

 

「僕だって体を鍛えていますから、大丈夫ですよ。あ、あの、それより、僕……、汗臭くなかったですか?」

 

 昨日は此処で眠りこけていたので……。そう言葉をつぎ足しながら、僕はシリアスさんに頭を下げ、自分の指揮官服の袖を襟に鼻を付ける。

 

「受け止めた際、シリアスさんに不快な想いをさせてしまっていたら、やっぱりそれも申し訳ないと思いますし……」

 

 僕が言うと、「ほう」などと重く鋭い声を出したベルファストさんの眼が、ギラリと光った気がした。そう思った次の瞬間には、彼女は僕のすぐ近くまで歩み寄って来ていた。いや、歩み寄ると言っても、暗殺者がターゲットとの距離を詰める時に使うような、一切の気配を感じさせない独特な歩法と気配の消し方、そして、絶対に反応できないタイミングだった。足音も全くしなかった。優秀なSPである筈のシリアスさんも驚きを見せている。

 

「御主人様」

 

 微笑みを浮かべるベルファストさんは、先ほど拾い上げた指揮官服のボタンを左手に持ち、右手をそっと僕に差し出してくる。

 

「指揮官服の修繕は、このベルファストにお任せ下さい」

 

 僕を見下ろすベルファストさんの声音は穏やかなものだったが、屈服を迫るかのような妙な凄みを備えていて、「い、いえ、これくらいは自分で直しますよ」と、断りの言葉を紡ぐのに勇気が必要な程だった。「それに、汗臭いです」自身の遠慮を正当化するように、僕は再び、指揮官服の臭いを気にする仕種を見せつつ、数歩下がる。

 

 その瞬間、ベルファストさんは口許の微笑みを全く崩さないまま、「そうでしょうか」と片方の眼を、すぅ……と物騒に窄めた。相手の急所と隙を見つけた肉食獣さながらの眼差しに、僕はさらに後退りかけるが、出来なかった。既に一歩目を踏み出していたベルファストさんが、次の二歩目で間合いを完全に盗んできた。僕との距離を0にした彼女は、此方を見下ろしながら唇の端をチロリと舐めて湿らせる。

 

「確かめさせて頂いても?」

 

 その問いかけは、優雅に勝利宣言を述べるかのようだった。

 興奮した時の愛宕さんにも似た、急激な雰囲気の変化である。

 

「た、確かめるというのは……」

 

 当惑した僕が、ベルファストさんの浮かべる笑みの種類が変わっていることに気付いた時には、彼女は僕の前で身を屈めていた。彼女の腕が、僕を抱きすくめるように動く。とても良い香りがした。香水だろうか。

 

 そんな暢気な疑問が僕の頭に過る頃には、ベルファストさんの白い頬が、僕の頬のすぐ隣に在った。僕が身を捩る動きなどを許さないように、彼女の両手が、僕の両手首に掴んでいる。僕の胸には、たっぷりとした重量のある柔らかな何かが押し付けられ、むにゅむにゅと形を変えているのが分かった。更にその感触の奥から、ベルファストさんの拍動が此方にも伝わってきて、強張った僕の鼓動と混ざり合う。

 

「汗臭くなどありませんが……、ん……、もう少し、詳しく調べてみないと……」

 

 いつも気品に溢れ、上品な美しさに満ちたベルファストさんが僕の首筋や胸元に顔を突っ込むような状態になり、人懐っこい大型犬さながらに、ふんふんと鼻を鳴らしているのは酷く煽情的で倒錯的だった。ただそれ以上に、自分の体臭をこんなにも熱烈に探られていることに顔が熱くなる。

 

 何か妙なスイッチが入り切ったベルファストさんの肩越しに、シリアスさんと目が合う。彼女の赤い眼はぐるぐると回っており、その顔を真っ赤にしながら両手で口元を抑え、「あわわわわ……ッ!!?」となっていた。多分、僕も似たような顔をしていることだろうと考える冷静さは、ギリギリ残っていた。

 

「あ、あのっ、もう、そろそろ放していただけると……っ」

 

 僕は解放を望む意思表示をするが、ベルファストさんは灼熱の吐息を僕の耳元で洩らしながら、「いえ、あと7時間の延長を……」などと、謎のシステムと非常識な権利を主張するだけで、この情熱的過ぎる抱擁を解いてくれる気配が一向に無い。7時間もこんな事をしていては、午前の仕事を完全に飛ばしてしまう。

 

「ま、不味いですよっ!」

 

 身動きを押さえ込まれた僕が抵抗代わりに言うと、ベルファストさんは、自らの熱い吐息に声を溶かすように呟く。

 

「では、9時間コースの方を……」

 

「何で時間が延びる必要があるんですかっ!?」

 

 僕が叫ぶようにツッコむが、ベルファストさんには全く届かない。

 

 それどころか、ベルファストの呼吸が荒くなり、僕へのボディタッチが更にエスカレートしていく。母港でのベルファストさんの評価は『完璧なメイド』であり、それを疑う人は居ない。僕もその通りだと思う。僕の身体の動きを巧みに抑え、抵抗しようとする力を全て受け流してしまう彼女の近接格闘技術は、本当に完璧だった。

 

 ベルファストさんは重心をずらしながら、僕の正面から右へ、それに背後へと移動しながら、僕の匂いを丹念に確かめていく。無論、その間も彼女の身体が強く密着している。柔らかく形を変える重みが、僕の身体の接点で潰れ、擦れ、もにゅもにゅと揺れる。彼女の熱く切なげな吐息と共に、生々しい感触が付きまとう。それを引き剥がせない僕は、翻弄されっぱなしだ。

 

「あ、あのっ、シリアスさん!」

 

 僕は、首筋を這い回るベルファストさんの吐息を感じつつ、シリアスさんに助けを求める。シリアスさんの様子は先ほどから少々変わり、「はわわわわ……」と言った感じで顔を両手で覆いながらも、その指の隙間から此方を凝視している状態だった。

 

 それでも、メイド隊の中でも屈指の戦闘力を誇る彼女は、僕の縋るような視線に気づいてくれた。我に返ったように表情を引き締めたシリアスさんは、むんっ! と言った感じで両手を体の横で握る。私にお任せくださいと言わんばかりの彼女の眼差しには、力強さが溢れていた。あぁ、これで安心だと思った。シリアスさんなら、ベルファストさんを止めてくれる。

 

「では、シリアスも9時間コースを所望します!」

 

 僕は我が耳を疑った。シリアスさんは我に返ったのではなく、我を失いつつあるのではないか。あんな真剣な顔で、一体何を言いだすのだろう。彼女の声に冗談が全く見受けられないのも怖かった。

 

 ロイヤル陣営の間では、僕の知らない特別な言い回しや、合言葉や暗号的な言葉の組み合わせがあるのだろうか。僕は目の前が暗くなる思いだったが、今の状況に打ちのめされている場合ではなかった。ベルファストさんが背後から僕の動きを掌握している状態であるため、「ボディがガラ空きです!」と、正面からシリアスさんが突撃してくる。

 

「ちょ、ちょっと待っ……!」

 

 僕はシリアスさんに制止の声を掛けたが、その言葉の途中で、僕はシリアスさんにムギュっと強く抱きすくめられた。シリアスさんの胸の膨らみが、僕の顔に押し付けられる。というか、深く挟み込まれるような勢いだった。僕の喉の奥で、むぁ──! という変な悲鳴が逆流する。息が上手くできない。

 

 そう思った次の瞬間には、僕を抱きすくめたままのシリアスさんが、屈むような動きを見せた。それに合わせて、僕の顔面を圧迫していた、ふわふわとした柔軟な重みが下に動いていく。もにゅもにゅと形を変えながら、僕の喉首、胸、鳩尾のあたりへと押し付けられて移動していく。

 

「ぁ、あの、シリアスさんっ……!」

 

 そのタイミングで僕は大きく息を吸う。重く連なる大きな波から必死に顔を出し、何とか呼吸をするような感覚だった。目の前の2センチほど先で、シリアスさんと目が合う。彼女の可憐で整った顔が、すぐ鼻の先に在る。呼吸が混ざり、縺れ合うほどの距離だ。身体を引いて上半身を逸らしそうになるが、背後のベルファストさんに動きを封じ込められているため、それも出来ない。

 

 赤い彼女の眼が、熱を帯びて潤むような光を湛えていた。いや、色っぽく潤みながらも、やはりグルグルと回っている。混乱というか、若干の錯乱状態に陥っている様子だった。不味いと思った時には、シリアスさんは恐るべき行動を開始した。

 

「誇らしき御主人様……。上着を脱いで頂かないと、汗の匂いがよく分かりません」

 

 目を回しながら険しい顔を作るシリアスさんは、僕のベルトをカチャカチャとやり始めたのだ。僕は我が目も疑った。

 

「それは上着じゃないですよ!?」

 

 僕は本気で焦った声を出すが、シリアスさんの方も、何もそこまでと言いたくなるほどの真剣な表情であり、手を止める気配が全くなかった。さらにこの事態に便乗してきたベルファストさんが、僕の背後から上着のボタンを外してくる。彼女達の豊満で官能的な体温に圧し潰され、完全に着せ替え人形と化しつつある僕の脳裏に、少し前にテレビで見た映像が過った。

 

 強靭な強さを誇る2匹のライオンに、喉首と背骨をガッチリと噛まれ、押さえ込まれている子供のガゼルだ。あの姿が、今の状態の僕と重なる。映像の中で、絶体絶命のガゼルは抵抗を止め、自分の運命を粛々と受け入れている様子だった。僕も、そうすべきなのかもしれない。そんな風に思った時だった。

 

「嫌な予感がして来てみれば……」

 

 書斎の扉が開いた。

 

「朝から騒がしいですね。何をやっているのです」

 

 雪を纏った透明な風が滑り込んでくるかのように、この書斎に踏み入って来たのはシェフィールドさんだった。ちょっと不機嫌そうな半目の彼女は、シリアスさんとベルファストさんを順に睨んでから、腰に手を当てた。彼女の迫力のある睥睨に、流石の二人も動きを止めている。

 

「こ、これは……!」

 

 ようやく我に返ったという様子のベルファストさんが、珍しく狼狽を見せ、ばっと僕から離れた。いつもの冷静沈着な彼女が戻って来たのが分かる。シリアスさんも落ち着きを取り戻したらしく、「わ、私は一体何を……」という感じで一瞬だけ視線を泳がせてから、僕を見上げてきた。そして僕のベルトを外そうとしている自分の状態に気づき、「はぅっ!?」と、裏返った声を出し、石像のように凍り付いた。

 

 僕は彼女達を刺激しないように気を付けながら、二人から少しの距離を取り、ベルトを締め直した。まだ仕事が始まってもいないのに、ひどく疲れているのが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

「あの二人は優秀ですが、御主人様のことになると途端にポンコツになるので困ったものです」

 

 騒ぎのあと、書斎から執務室に移った僕はソファに深く腰掛けて、シェフィールドさんが用意してくれた紅茶を啜っていた。ほっと息を吐きだす。暖かいストレートティーが、じんわりと体に沁み込んでくる。緊張が緩んだ所為か、それとも、ベルファストさんとシリアスさんに揉みくちゃにされて消耗した所為か。さっきまで吹き飛んでいた筈の眠気が、妙な疲れと共に蘇りつつあった。彼女達の温もりやエッチな感触を思い出し、一人で興奮するような余裕は微塵もない。

 

「あの二人には朝食の用意を任せてあります。もう暫く、お待ちください」

 

 今の執務室には、メイド業務の準備を進めるシェフィールドさんと、暢気に紅茶を振舞って貰っている僕の二人だけだ。憔悴しきった顔で紅茶を御馳走になっているのは少々居心地が悪かったが、「御主人様は、ごゆっくりなさっていてください」と彼女に強く言われてしまい、仕事の準備を進められずにいる。

 

 じっとしていると、瞼の重さが耐えられないものになってきた。微かに響いてくる雨音が心地よい。出そうになる欠伸を飲み込み、眠気を払うように指で瞼を押さえた時だった。

 

「……今日からは、ちゃんとベッドでお休みを取ってくださいね」

 

 隣から、淡々とした声が降ってくる。横目で見ると、僕のすぐ傍に控えるようにして、シェフィールドさんが立っていた。下目遣いで此方を見下ろす彼女は、替えの指揮官服の上着を、皺が寄らないように丁寧な手つきで持ってくれている。これに着替えろということだろう。

 

「シリアスを受け止めた際、腰などを痛めませんでしたか?」

 

 書斎での騒ぎがどのような経緯で起きたのかを、ベルファストさんやシリアスさんから既に聞き出している彼女は、僕の肩や首筋、額、腕などに、怪我が無いかを確かめるように視線を巡らせたあと、軽く息を吐きだした。

 

「えぇ。上着のボタンが取れただけで済みました」

 

「では……、そちらの指揮官服は私が直しておきます。此方をどうぞ」

 

「わざわざすみません……。ありがとうございます」

 

 僕は上着を脱いで、彼女が用意してくれていたものを手に取り、着替える。そのまま、僕が来ていた上着をシェフィールドさんに手渡しそうになる。余りにも自然な流れだったので、自分の上着が汗臭いかもしれないなどという懸念を殆ど忘れていた。

 

「やっぱり汗臭いですから、僕が自分で直しておきますよ」

 

「えっ」

 

 彼女に手渡しそうになった上着を慌てて自分で抱え直す。すると、上着を受け取ろうとしていたシェフィールドさんは、一瞬だけ悲しそうな顔になったが、すぐに眉間に皺を寄せる半目とにあって、此方をジトっと睨んでくる。僕を氷結させるかのような眼差しだった。

 

「御主人様」

 

 迫力のある声で言われ、僕は思わず背筋が伸びる。

 

「は、はい」

 

「そうやって細かい仕事を幾つも抱え込むから、御自身の時間を圧迫するのです。御自身を痛めつけるかのように仕事に没頭するのは勝手ですが、部下に振り分ける業務を選別するのも、御主人の仕事の内ではありませんか?」

 

「そ、そうかもしれません。でも、上着のボタンが取れたのも、元を辿れば僕が……」

 

「秘書艦業務の時間外に、書斎の片付けを申し出たのはベルファストとシリアスの方だと聞いています。ならば、責任の所在が全て御主人様にあるとは思えませんが」

 

 僕の言葉を両断するように言うシェフィールドさんは、つべこべ言わずに上着を渡せとでも言うふうに手を出してくる。僕は彼女の迫力に飲まれ、「では、お、お願いします」と、おずおずと上着を手渡した。

 

「……はい。お任せください」

 

 僕の上着を手に取る瞬間、シェフィールドさんがきゅっと下唇を噛み、動揺を押さえ込むために呼吸を強張らせる気配があった。それから、その動揺の気配そのものを誤魔化すかのように、僕の上着を丁寧に畳んでから、ぎゅっと両手に抱えるようして持った。ほぅ……と息を漏らす彼女は、僕の方を見ようとしない。若干、顔が赤いように見える。

 

「……お預かりした此方の上着は一度、ロイヤル寮の自室に持って行っておきます」

 

 そう告げたシェフィールドさんは、既に執務室の扉に向けて歩き出していた。

 

「えっ、いや、わざわざ悪いですよ。シェフィールドさんがメイド業務を終えるまで、どこか適当なところに置いて貰っても……」

 

「早朝の今のうちにロイヤル寮まで持ち込まないと、妨害や邪魔が入りそうですので」

 

「えっ」

 

「……いえ、何でもありません。掃除の邪魔になりますし、埃を被らせるわけにもいきませんから」

 

 此方に背を向けたまま、珍しく声を上ずらせた彼女は、ぎゅぎゅぎゅーっと僕の上着を抱きしめているように見えた。ついでに言えば、首筋や耳朶も、少し赤くなっている気がするし、肩も微かに震えている。シェフィールドさんこそ体調が悪いのではないかと思ったが、それを訊くよりも先に、「すぐに戻ります」と言い残した彼女は、執務室をあとにしてしまった。

 

 一人残された執務室で、僕は一つ深呼吸をする。今日は朝から濃密だったなと、鈍い頭で思った時だった。軽いで電子音が響き、窓の外から届いてくる微かな雨音と混ざる。携帯用端末にメッセージが届いたのだ。エンタープライズさんからだった。端末の画面に指を滑らせ、メッセージを確認する。題名の頭には宛名として、赤城さんの名前がある。誤送信だろうか。画面にポップアップに表示された。

 

『第72回 指揮官の好感度解析・ケッコン作戦会議について』

 

「…………んん?」

 

 僕は思わず、端末のディスプレイに顔を近づけてしまう。

 

 











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ワカラセVRと、良妻の視野











 

 

 執務室のソファに腰掛けた僕は、明石さんが用意したのだという台本を開き、眺めていた。いや、台本と言うよりも、セリフ集と言った方が正しいかもしれない。何かの劇やドラマなどで使われたセリフを集めたらしいのだが、これを読みあげる僕の声を素材として集めて、音声を合成できるソフトを作りたいとのことだった。各陣営の寮内のアナウンスであったり、各人が持つ携帯用端末のボイスアプリとしての活用を目的としているらしい。

 

「……これ、僕の声なんかで良いのでしょうか?」

 

「何を仰るのです。指揮官様の御声であるから、意味が在るのではありませんか」

 

 僕の隣でマイクを構え、録音作業を今か今かと待ち構える様子の大鳳さんが、ぐぐっと身を乗り出してくる。今日の秘書艦である彼女の御蔭で、仕事は殆ど片付いてある。

 

 もう秘書艦業務を終えて貰っても問題無いのだが、それを頑なに拒んだ大鳳さんは何かを思いついた顔になり、重桜寮に一度戻ってから、明石さんから幾つかの機材を借りて来ていた。彼女が手に持つマイクも明石さんが用意したものであり、鍬形に似た特殊な形状をしていた。バイノーラルマイクというものなのだろうか。

 

「明石の研究結果でも、指揮官様の御声には我々のストレスを大幅に軽減して、深いリラックス状態に誘うというデータが得られています!」

 

「そんな研究、いつの間に……」

 

 僕が思わず呟いてしまった声を掻き消すような勢いで、物凄い熱量を秘めた大鳳さんは更に詰め寄ってきた。

 

「他にも! 我々の脳細胞の活性化し、血流促進させて冷え症を改善、睡眠の質を向上させ、記憶力と思考力を80%上昇させるというデータが出ていますわ!」

 

 前かがみになった彼女は、僕の声に纏わる効果を誇らしげに語りながら握り拳を作って見せる。胸元が大きく開いた彼女の衣装の中で、柔らかな膨らみが、“たゆん! ”と揺れるのが分かった。妙な気まずさを感じて、僕はソファに腰掛けたままで体と視線を逸らす。

 

「ぃ、いや、そこまで行くと完全に眉唾ものでしょう……。80%も思考力が上昇したら、もはやそれは別人ですよ……」

 

「もう、指揮官様は、細かいことを気にし過ぎです。さぁ、まずは“あ行”から。お願いします」

 

 僕のすぐ隣まで秘書艦用の執務椅子を寄せてきた大鳳さんは、鍬形にも似たマイクを此方に差し出しながら、無邪気な笑みを作っている。細められた彼女の紅い眼や甘ったるい声音には威圧感はないものの、この録音作業を断ったり、逃げたりすることを僕に許そうとしない妙な迫力を備えていた。

 

「えぇと、は、はい」

 

 僕は気圧されつつも頷いてから、台本、というか、セリフ集に目を落とす。そこには発声練習を兼ねるためなのか、“あいうえお”表が載せられていた。僕は言われるがまま「あ。い。う。え。お……」と、大鳳さんが持つマイクに、ぎこちなく声を渡していく。だが、声のボリュームが不十分だったらしい。

 

「あぁん指揮官様、もう少し大きな御声でお願いしますわぁ」

 

 媚びと催促を綯い交ぜにしたような声で言いながら、マイクを突き刺すかのようにして、大鳳さんが僕の肩を抱いてくる。僕と大鳳さんの体格差もあってか、まるで銀行強盗が子供の人質を抱え込み、銃を突きつけるような態勢になった。僕の顔のすぐ傍で、無防備な大鳳さんの衣装から、彼女の豊満な膨らみが零れそうになっているのが分かる。僕は興奮してドキドキするよりも、緊張でハラハラした。

 

「ゆっくりと、心を籠めて、さぁ……!」

 

 甘い声を漏らす大鳳さんは遠慮も何も無く、グイグイと僕の頬に胸を押し付けてくる。僕を圧し潰そうとするかのようだった。

 

「あのっ、大鳳さん、もう少し離れて頂けると……!」

 

「あん。そんなにもぞもぞと動かれては、くすぐったいですわぁ」

 

 情けなく狼狽えた僕の声をマイクで拾いながら、大鳳さんは楽しそうに肩を揺らす。それに合わせて、頬に密着している彼女の豊かな胸も弾んだ。ふわふわとして柔らかいと言うよりも、ずっしりとした存在感に溢れた感触だった。押し返すわけにもいかないし、気まずくて仕方がない。

 

「……大鳳。私はいつまでこうしていれば良いんだ?」

 

 僕が参っていると、向かいのソファからドスの効いた低い声が飛んでくる。

 

 今日の、もう一人の秘書艦であるエンタープライズさんだ。半目で此方を、と言うか、大鳳さんを睨むような目つきの彼女は、両耳、首筋、側頭部、後頭部を覆うような機材を装着し、背中を伸ばしてソファに座っている。彼女が身に着けた装置は、非常に高い集音機能を備えた機器らしく、“明石特製”の文字が彫り込まれていた。

 

 刻まれた明石さんの銘を見て、僕はふと、数日前のことを思い出す。『第72回 指揮官の好感度解析・ケッコン作戦会議について』というメッセージを受けとった朝のことだ。あの日は確か、執務を始める前、雨の早朝だった。

 

 

 

 

 

 

 メッセージを受け取った後、すぐにエンタープライズさんから着信が在った。とりあえず通話を繋ぐと、裏返りまくった彼女の声が飛び出して来た。

 

『しっ、指揮官!! 今のメッセージは、もうひっ、開いたか!!?』

 

「いえ、まだ何も操作はしていませんけども……」

 

 僕が答えると端末の向こうで『ぁ……、焦ったぁ……』という、小声ながらも心の籠り過ぎたエンタープライズさんの呟きと、特大サイズで安堵の溜息を吐き出すのが聞こえた。余りにも盛大な彼女の溜息は、壊れた掃除機みたいだった。

 

「あの、このメッセージは、僕も開ければ良いんですか?」

 

『ちょ……ッ!! 待ってくれ!! 違うんだ!! それは、あの……、誤送信と言うか、とにかく、すぐに消して欲しいんだ!! あの、あれだ……、えぇと……、そう! まだ、誰にも相談していなかったんだがな! 今、私の自室で、ポルターガイスト現象が頻繁に起きていてな!! それで、そのメッセージも勝手に送られてしまったと言うか……! こう自動的に……、ぉ、オートマチックにだな!! 私は何もしていないのに、文章がひとりでに作成されて、私の端末から複数人に送信された様子なんだ!!』

 

 いつも冷静沈着である筈のエンタープライズさんだが、あの時に見せた狼狽ぶりは、話を聞いている僕を逆に落ち着かせるほどだった。

 

「そ、そうだったんですか……? ユニオン寮でのポルターガイスト現象なんて、初耳です」

 

『いやぁ~、これはもう参ったな!!?』

 

 端末の向こうに居るエンタープライズさんの声からは、無理矢理に今の状況を笑い飛ばそうとする必死さが伝わってくる。口振りは軽いのに、物凄く懸命な雰囲気だ。エンタープライズさんの声の背後からは、誰かが走り込んでくる騒がしい足音と、それに続いて、『エンタープライズ! 貴女、なんて迂闊なことを……!!』と、責めるような赤城さんの声が伸びてくる。端末の向こうの状況は見えないが、どうも大きなトラブルの気配がある。

 

「でも、起きていることがそれだけ詳細に分かっているのなら、対策は今日中にできそうですね。準備が整い次第、僕も秘書艦の二人と一緒に、ユニオン寮の方に伺います」

 

『えぇっ!!?』

 

「えっ?」

 

『あっ、いや……ッ、大丈夫だっ!』

 

 短く答えた彼女は端末の向こうで、すぅ~~……と呼吸をしていた。そこから、唾を飲み込むような少しの間があってから、エンタープライズさんは声の調子を整えて喋り出した。

 

『そのメッセージは開かず、すぐに削除して欲しい。ポルターガイスト現象が、指揮官の端末に感染するかもしれないからな。うん。すぐに消してくれれば大丈夫だ。お姉ちゃんとの約束だぞ。うん。指揮官も忙しいだろうしな。うん。こっちはこっちで、何とか対策する。任せてくれ。うん、大丈夫。本当に大丈夫だから。メッセージだけ、すぐに消してくれれば、うん、大丈夫だ』

 

 僕を全力で説得するかのように連呼される「大丈夫」は、まるでエンタープライズさんが自分自身に言い聞かせているようでもあり、僕に新しい不安を与えてくる。……本当に大丈夫なんだろうか。取り合えず、通話を繋いだままでメッセージを消去し、それを伝えると、端末の向こうでエンタープライズさんがへたり込むような気配が伝わって来た。

 

『あ、ありがとう……、指揮官。騒がせてすまなかった。あとは、此方でなんとかする』

 

 随分と消耗した様子のエンタープライズさんとの通話を切ると、再び執務室に静けさが訪れた。携帯用端末を胸ポケットに仕舞いながら、窓の外へと目を向ける。ポルターガイスト現象か……。もしもユニオンの皆だけで解決できないのであれば、明石さんなどに相談してみるのがいいかもしれない。

 

 あの後、すぐに明石さんに連絡を取ったのだが繋がらず、代わりに、血相を変えた天城さんが執務室に走り込んできて、「ここは私達にお任せください」と、問題解決に取り掛かることを申し出てくれた。ただ、その言葉の丁寧さの裏には、“どうか余計な詮索などなさいませんように”と言う、強い威嚇が込められているようでもあった。天城さんに殆ど気圧されるような形で僕は頷き、「あぁ、はい。では、お願いしますね」と答えたのを覚えている。

 

 あれから、ユニオン寮でのポルターガイスト現象は確認されていない様子だった。こっそりと明石さんにあの時のことを訊ねてみると、「もう解決したにゃ」と、肩を竦めるようにして答えてくれた。詳細は省かれたが、この問題を蒸し返すのはNGであるらしい。

 

「あのメッセージについては他言無用にゃ。特に、駆逐艦とかには……、にゃ」と、明石さんは何気ないふうを装いつつも、これだけは守るようにと言った真剣さを声の裏に滲ませていた。まぁ、天城さんを始めとした重桜の実力者に加え、そこにユニオンやロイヤル、鉄血陣営の強者が揃い、ゴース〇バスターズよろしく除霊活動を行ったなら、並みの怨霊や悪霊など、たちどころに霧散してしまうことだろう。

 

 実際のところ、この母港の平和が保たれているのは、各陣営のパワーバランスが拮抗しているから、と言うよりも、それを維持するための厳重な取り決めだ。今日のように、異なる陣営の二人が秘書艦業務を担当するのも珍しいことではない。誰が秘書艦をするのかという点についても、指揮官である僕は殆ど関知していない。彼女達が作り上げた独自のルールにより、日々の秘書艦が決定されている。業務の引継ぎなども含め、あらゆる実務を極めてスムーズに行う彼女達の仕事ぶりには助けられてばかりである。

 

 基地としての機能を備えた母港に於いて、指揮官という立場に居る僕が重量な役割を演じる時は往々にしてあるが、日々の平穏さを頑丈にし、それを着実に積み重ねていく堅実さは、彼女達がいなくては成り立たない。

 

 

 僕が彼女達への感謝を改めて実感しているうちに、大鳳さんは思案気な表情を浮かべてからエンタープライズさんに向き直り、緩い息を吐いた。

 

「そうですねぇ。まずは、“あいうえお順”で、指揮官様の御声を集めてからと思いましたが……」

 

 僕の肩に顎を乗せるような姿勢になった大鳳さんは、僕が持っているセリフ集のページに手を伸ばしてページを捲った。セリフ集の後半では、発声練習的な言葉の羅列が無くなり、長めの台詞が幾つも用意されていた。中には、『今日もお疲れ様です』といった事務的なものから、『頑張れ、お姉ちゃん』、『お姉ちゃん大好き』、『よく頑張ったね、お姉ちゃん。えらいえらい』など、“これいる? ”と、首を傾げてしまうものもある。

 

 ただ、セリフ集を最後までめくってみると、監修者のところには、赤城、加賀、土佐、天城、三笠、といった、重桜でも指折りの実力者の名前が連なっていた。彼女たちが制作に携わっているセリフ集なのであるから、これらのセリフが選ばれているのにも、何か深い理由があるのだろう。

 

「このままでは、エンタープライズさんが退屈してしまいますものね。……先に、シチュエーションボイスの録音を行いましょうか」

 

 台詞ページを見下ろす僕の困惑を他所に、大鳳さんは甘ったるくも落ち着いた声で言う。すると、眉間に皺を刻んだエンタープライズさんの不機嫌そうな顔に、電球が取り換えられたかのようにパッと明るい笑顔が灯った。

 

「むっ、そうか。それじゃ、し、指揮官。私の準備は出来ているから、いつでも始めてくれて大丈夫だ」

 

 俄かにソワソワとし始めたエンタープライズさんは、ソファに座った姿勢をさらに正した。そして僕に二回ほど頷いて見せてから、明石さんが用意したという分厚いゴーグルを被った。VRと言うのか、立体映像を出力する装置らしい。準備を整えたエンタープライズさんは、まるでボクシングのスパーリング直前のように呼吸を整え始めた。精神統一を図るかのような慎重なリズムで、息を吸って、吐いている。

 

 ……これから彼女は、何か激しい運動でもするんだろうか? 戸惑っていると、「では指揮官様、此方へお願いします」と大鳳さんに促され、エンタープライズさんの背後に移動することになった。その間も、大鳳さんは僕を背後から抱きすくめるような態勢のままだ。

 

「まずは、此方の台詞を、エンタープライズさんの右耳の後ろあたりから、……そう、そのあたりでお願いします」

 

 僕は大鳳さんの言葉に従いながら、ちょっと物々しい機器を装着したエンタープライズさんの右耳に顔を近づける。喉の調子を整えるため、一つ小さく咳をしてから、彼女の右耳部分に装着されてあるマイクに声を届ける。マイクの上部には小さなモニターが在り、そこには『VR・ASMRモード起動中』と表示されていた。

 

「あの、聞こえますか……?」

 

 尋ねるようにして僕が言うと、エンタープライズさんが「ひぃっ」と裏返った声を出して、ビクッと肩を震わせた。僕までビクッとしてしまう。その様子を見ていた大鳳さんが、「ちゃんと聞こえているみたいですねぇ」と、クスクスと可笑しそうに笑みを零した。エンタープライズさんは浅い息をしながら、下唇をきゅっと噛んでいる。

 

「あの、音が大きくて耳が痛かったり、具合が悪いといったことは無いですか?」

 

 僕は声の量を押さえながら再び尋ねる。僕が何かを喋るたびに、エンタープライズさんの肩がピクピクと震えているのが分かった。

 

「あぁ、いや! そんな事は全くない。むしろ、心地が良過ぎて、どうにかなりそうだ」

 

「えぇ……、そ、それはそれで大丈夫ですか?」

 

 エンタープライズさんの堂々とした口振りには僕の方が不安になってしまうものの、大鳳さんは特に気にしたふうでもなかった。

 

「では、このあたりの台詞から参りましょう」

 

 そして再び、僕の肩に顎を乗せるように体を密着させる姿勢になってから、僕が手に持ったセリフ集のページに指を添わせた。「ちょっとだけ刺激的かもしれませんが、心の準備は大丈夫ですか~?」などと、エンタープライズさんの背後から囁くように声を掛ける大鳳さんはノリノリだ。

 

 対するエンタープライズさんも、「あぁ、望むところだ」と凛とした勇ましい声で応答している。僕は二人の様子を観察してみるが、今の録音状況に置いてけぼりを喰らいつつあるのは僕だけだ。ただ、このまま困惑しているだけでは、彼女達がつくってくれた今の時間が無駄になってしまうとも思えたし、何より、僕にできることがあるのなら協力したい気持ちも本心だった。

 

 僕は息を一度吸ってからセリフ集に視線を落とし、読み上げる。

 

「“お姉ちゃんは、もう降参しちゃうんですか? ”」

 

 ゆっくりと僕が言うと、ソファに座って背筋を伸ばしていたエンタープライズさんが、ビクビクっと体を大きく震わせた、そして、ふぅぅぅ~……!! と、念願の強敵と相まみえたかのように、臨場感たっぷりの呼吸を始めた。ついでに、膝の上で握り固められた拳が震えている。そんなエンタープライズさんの様子を見ていた大鳳さんが、愉快気に「んふっ」と鼻から息を吐きすのが分かった。

 

 このまま続けて大丈夫なのかと訊ねるつもりで大鳳さんを振り返ると、彼女が殆ど笑っているのが気になった。

 

「さぁさぁ、どんどん参りましょう。次は左耳の後ろから、そして次は、右耳のすぐ近くから……、そう、もっと臨場感をだしていきましょう」

 

 大鳳さんは楽しげに声を弾ませ、セリフ集のページの上を指でなぞり、僕の肩をより強く抱いてくる。彼女の笑みの気配を含む吐息が、僕の耳の後ろを擽っていった。僕は首を少し竦めつつ、大鳳さんの指示通りに動き、次のセリフを読み上げていく。

 

「“あれあれ? お姉ちゃんは大人なのに、もう降参しちゃうんですか? ”」

 

 僕が言うと、エンタープライズさんが歯軋りを始めた。呼吸に宿る迫真さが増して、彼女が膝の上に置いた拳がぶるぶると震えている。緊張を堪えきれなくなった様子の大鳳さんは忍び笑いを始めつつも、次に読み上げるべきセリフを指差してくれる。

 

「“さっきまでの威勢は何処に行ったんですか? ”」

 

 僕はその台詞へと言葉を繋げる。

 

「“ほら、もう脚なんてガクガクしちゃってますよ”」

 

 僕は、これは一体どういう状況を想定した台詞なのかが気になった。文脈からしてエンタープライズさんは、ゴーグル内に展開された映像を介して誰かと、何らかの戦いを繰り広げているのは分かる。そして、劣勢に立たされているらしい。脚が震えている、ということは、大きなダメージを受けているのかもしれない。そこまで想像してから僕はセリフ集から視線を上げ、エンタープライズさんの様子を窺う。

 

「くそ……ッ! くそぉ……!!」

 

 汗ばんだエンタープライズさんは歯を食い縛り、ソファの上で体を強張らせ、悔しげで切なげな、しかし、どこか嬉しそうな低い声を漏らしつつ、本当にガクガクと脚を震わせていた。

 

「ま、負けない……! 負けんぞ……ッ!!」

 

 ふっ……! ふっ……! と荒い息を吐きながら時折、体を強く波打たせている。彼女の頬は燃えるように紅潮していて、恍惚と屈辱を全身で味わい、楽しんでいるかのようでもあった。一方で、むにむにと唇を震わせる大鳳さんは、「あらあら。もう負けそう」などと楽しげに洩らしつつ、忍び笑いを必死に堪えるような半笑いだ。とりあえずと言った感じで、僕は台詞を続ける。

 

「“腰も浮いてきていますし、やっぱり負けちゃうんですか? ”」

 

「ぐっ、ぐぅぅ……!! 」

 

「“もう認めたらどうです? そんなに体を震わせて”」

 

「ぅ、あぁ……っ!!」

 

 エンタープライズさんの声が高くなる。ゴーグルの中に広がる映像を介して、彼女が誰と戦っているのかは分からないが、彼女の敗北の気配が色濃く伝わってきた。いや、そもそも何をどうやって戦っているのかすらも、具体的な事は何もわからない。だが、彼女の苦しそうと言うか必死な姿を見ていて、僕はハッとする。そう言えば、先ほど開いたセリフ集のページには、応援の言葉が並んでいたなと思い出した。それを探す。すぐに見つけた。僕はエンタープライズさんを元気づけ、応援したい一心でセリフを読んだ。

 

『“頑張れ、お姉ちゃん! ”』

 

「なっ!? きゅ、急に優しく……!!?」

 

 僕が言うと、エンタープライズの声がひっくり返り、上擦った。効果があったのだろうと思い、僕は更にセリフを繋げた。

 

『“よく頑張ったね、お姉ちゃん。えらいえらい”』

 

「くそぉ……! 変化球責めだとぉ……! ひ、卑怯なっ……!!」

 

 僕の肩に抱くような姿勢の大鳳さんが口を手で押さえ、全身を小刻みに震わせているのが分かった。笑っているのだろうか? 僕は訝しく思い横目で彼女の様子を窺おうとすると、大鳳さんは唇を波打たせながら真顔を装い、すっとセリフ集の一つに指を差した。これを読めということなのだろう。彼女はもう片方の手でマイクを構え、僕が声を出すのを待つ構えを取った。録音作業を続ける姿勢を見せる大鳳さんに従い、僕は視線だけで頷いてから、セリフを続ける。

 

『“お姉ちゃんは、もう十分頑張ったよ。よしよし。いい子いい子”』

 

 このセリフを読み上げながら、そもそもこれは、リラックス効果やストレス軽減効果を求めるため、僕の声を録音しようという作業だったのだと思い出す。このセリフは緊張を解し、心の強張りを和らげるためのものなのだろうと、なんとなく分かる。僕は出来るだけ感情を籠めた。

 

『“もう負けても良いですよ。ほら。僕の他には、誰も見てませんから”』

 

「ひぎぃっ……!! も、もう……ッ!!」

 

 その間にも、エンタープライズさんと何者かの戦いは、クライマックスに差し掛かろうとしている様子だ。低く呻いた彼女は、白い喉を反らせて舌を突き出し、ハッハッと息を切らした。そして次の瞬間には、脚をピンと張って体を仰け反らせ、歯を食い縛った。そのまま数秒の硬直の後、彼女は深く息を吐きだしながら、ソファに体を投げ出すかのようにして体を弛緩させた。そのまま断続的にピクンピクンと体を震わせる彼女は、恍惚とした熱っぽい吐息を漏らしている。

 

「はぁ……ッ、はぁ……ッ!」

 

 胸と息を弾ませて頬を上気させているエンタープライズさんは、そのままソファに沈んでいくかのような脱力具合だった。激しい運動は血流を促進させる効果があり、健康にも良い影響があるという話は聞いたことはある。だが、今のエンタープライズさんの消耗っぷりは尋常ではなく、流石に心配になる。僕が声を掛けるよりも先に、僕の肩を抱いたままで半笑いになった大鳳さんが、面白がるような口調で言う。

 

「……どうでしたぁ? 今回は勝てましたか?」

 

 大鳳さんに尋ねられたエンタープライズさんは一つ深呼吸をしてから、ゴーグルを外した。いつもよりも若干、とろんとした眼をした彼女は僕を見ると、すぐに目を逸らし、「あぁ、バッチリだ」などと要領の得ないコメントを大鳳さんへと返し、すぐに「最後が気持ちよかった」と、小学生みたいなストレートな感想を付け加えた。

 

 一体、何がバッチリで何が気持ち良かったのか。ゴーグルの中で展開されていた映像を含めて僕には想像できないのだが、「そうですかぁ。それはそれは、お疲れさまです」と、朗らかなに対応する大鳳さんを見るに、悪い影響を及ぼすものではないのだろう。ちょっとだけ安心する。

 

「し、しかし、あれだな。流石は明石と言うか、この装置は、ちょっと凄過ぎるな」

 

 汗ばんだ額を手の甲で軽く拭ったエンタープライズさんは、呼吸を整えながら頭から装置を外しながら、ご満悦な様子で言う。

 

「どのような映像が見えたのですか?」

 

 僕は素朴な疑問をぶつけてみる。

 

 すると、エンタープライズさんは「えっ」と、一瞬の動揺を見せてから、「えぇと、そうだな」と、説明する言葉を頭の中で探すように視線を彷徨わせた。相変わらず僕の肩を組んだまま黙っている大鳳さんの息遣いには、笑みを逃がすような小さな膨らみがあり、エンタープライズさんの反応を面白がって観察している風情である。そのうち、エンタープライズさんが、これ以上はない程の真面目な表情をつくり、僕に向き直った。

 

「そうだな。……このVRに現れたのは、私の宿敵と言えばいいのかもしれない」

 

 過剰なまでに厳かさを伴った彼女の言葉に、僕は姿勢を正してしまう。急激に醸し出された彼女の真剣な雰囲気は、僕の問いかけをはぐらかすような勢いがあった。それに、奇妙な達成感に満ちた彼女の表情にも気圧されて、僕も「あぁ、なるほど……」などと、ワケが分かるような分からないような相槌を返すのがやっとだった。何となく、濃い闇の中に足を踏み入れたような気がした。僕が心細さを感じはじめたところで、大鳳さんが一つ息を吐きだした。

 

「なかなかにクオリティの高いボイスサンプルが集まりましたが、まだまだ、足りませんねぇ」

 

 大鳳さんはマイクに繋がれた端末を操作しながら、僕とエンタープライズさんを見比べる。そして、妖艶な笑みを過らせてからワザとらしく肩を落として、しょんぼりして見せた。

 

「また違うシチュエーションボイスを録音したいのですが、エンタープライズさんもお疲れのようですし……」

 

 消沈した大鳳さんの態度の背後には、エンタープライズさんに対して引き続いての録音作業の協力を催促する意図が透けて見える。僕でも分かった。ただ、つい今まで仮想現実の中で激闘を繰り広げていたエンタープライズさんは、その疲労感の所為か、大鳳さんがチラチラと見せる意図には気づいていない様子だった。「いや、私はまだイケるぞ」と頼もしい声で言う。

 

「原子力空母だからな。次こそは負けん」

 

 エンタープライズさんは、キリっとした凛々しい表情を作った。それは、どんな過酷な海域からでも必ず勝利を持ち帰ってくる、普段の彼女の顔だった。ただ、澄んでいる筈の彼女の声音の奥からは、暗く澱んだ微熱の気配が漂ってくる。「分からせてやる」と、口の中で重く呟くように言ったエンタープライズさんの瞳にも、僅かな濁りと期待、それに妙な必死さも窺えた。

 

「まぁ、頼もしい!」

 

 大鳳さんは両手を合わせて感激を表すポーズを大袈裟に作り、録音作業を再開させるべくマイクを携えた。エンタープライズさんも、荘厳な儀式を続行するために衣装を整えるような、粛々とした様子で再び集音装置を頭に装着しなおしていた。

 

「えぇと、少し休憩を挟みませんか? 急ぎの仕事も終わっていますし、もう少しペースを落としても……」

 

 僕は少し焦って二人に声を掛ける。今の彼女達からは、どこまでも突き進んでいこうとする妙な熱気を帯び始めているのを感じたからだ。一度ストップを掛けておくべきだと思った。だが、僕が喋るのを遮るように、大鳳さんが再び肩を抱いてきた。そして、マイクを持っていない方の手の指で僕の唇にそっと触れてくる。セリフ集を手にしたままの僕は突っ立ったまま黙り込み、大鳳さんを見詰めてしまう。

 

「指揮官さまも、もう少し、お付き合いくださいね?」

 

 妖しく潤んだ声で囁く大鳳さんは、僕の視線を促すように、エンタープライズさんを一瞥した。彼女は僕を見ていない。ゴーグルを装着しようとしているのだから、当然と言えば当然だ。僕がエンタープライズさんから大鳳さんへと視線を戻そうとしたが、出来なかった。耳元に息を吹きかけられたからだ。湿った温度を乗せた吐息が、僕の耳を撫でていく。思わず背筋が伸びた。

 

「ふふふ……エンタープライズさんが仮想現実に入り込んでいる今、この瞬間こそ間違いなく、指揮官様を見詰めているのは、この大鳳ただ一人……。この数分だけ、どうか指揮官様を一人占めさせて下さい」

 

 僕の右肩に顎を乗せる大鳳さんは、言いながら悪戯っぽく小さく笑う。だが、その声音は哀願にも似た切実な響きを含んでいて、僕と大鳳さんの二人だけを、この執務室に流れる時間から切り離すようにして薄く響いた。僕は黙り込んでしまう。

 

「いつも指揮官様の周りには、誰かが居ます。秘書艦でなくとも、報告を持ってくる者や、ただ指揮官様の御顔が見たくて執務室に足を運んでくる者も……。指揮官様が一人でいる時など、本当に限られていますわ」

 

 滔々と語る大鳳さんの声は、エンタープライズさんには届かないよう小さく抑えられ、微かに震え、早口だった。ゆっくりと時間をかけて語りたい言葉を、ぎゅっとこの場で押し固めているかのようだ。

 

「指揮官様が御一人で過ごす時間を無遠慮に奪うのは、大鳳も望むことではありません。あんまり鬱陶しく纏わりついて、指揮官様に嫌われてしまいたくありませんもの。指揮官様が、指揮官様の為だけに過ごす時間は、大鳳にとっても大切な時間です」

 

 意図的に柔らかさを演出しようとする大鳳さんの口調は、自身の語る内容に深刻さを持たせないためなのかもしれない。

 

「指揮官様は無益な摩擦を望まれません。それは皆が理解しています。この穏やかな時間を愛する優しい指揮官様のことを、皆が慕っています。だから大鳳も、指揮官様が愛情を注ぐこの母港の日常を愛していますわ。……でも今だけは、その愛の枠を一度外し、指揮官様だけを見詰めていたいのです」

 

 大鳳さんは言い終わると、僕の返事など待たずに抱きしめてくる。ぎゅうぎゅうと力の籠められた抱擁には遠慮がない。その控えめな乱暴さは、駄々をこねた子供が感情を鎮めるために、ぬいぐるみに抱き着く姿を連想させる。僕は、彼女の言う“愛”が、兄弟愛や家族愛に類するものだと解釈するより他ないのだが、大鳳さんが僕と過ごす時間を特に大切に思ってくれているということは理解できた。

 

 僕が大鳳さんを抱きしめ返すことはせず、曖昧な微笑みを返した時だった。

 

「さぁ。次はどんな刺激的な冒険が、私を待っているんだ?」

 

 ゆったりとソファに腰掛けたエンタープライズさんが、ゴーグルの向こうの景色を見渡すように首を動かした。凛々しいのに、どこか暢気でワクワクしている様子の彼女の声に、僕と大鳳さんは引き摺られるようにして笑ってしまった。同時に、僕と彼女との間にあった妙な緊張感や深刻な空気も霧散し、穏やかな空気が広がる。ほぅと息を吐いた大鳳さんが、僕を抱きしめていた腕を解き、僕の顔を覗き込んできた。

 

「……また、独り占めさせて下さいね」

 

 冗談めかして言いながら、大鳳さんは一度ウィンクをして見せてから、気持ちを切り替えるようにエンタープライズさんに向き直った。

 

「はいはーい。えぇと、次のシチュエーションは……、“囚われの女戦士を尋問する、ナマイキな少年軍師”という設定みたいです。……これは、モナークさんのリクエストですねぇ」

 

「ほう。面白いじゃないか」

 

 ゴーグルの向こうを睨んでいる様子のエンタープライズさんは、ソファに凭れ直しながら力強く言う。その様は、戦闘機のコックピットに乗り込み、敵陣に突っ込むエースパイロットの風格すら滲ませていた。

 

 ……まぁ、10分も持たないでしょうねぇ。大鳳さんが僕と顔を見合わせつつ、小声で言うのが聞こえた。その大鳳さんの読み通りなのかどうかは分からないが、エンタープライズさんが甘い悲鳴を上げたのは、録音作業を再開してから5分ほどしてからだった。

 

 

 

 

 








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何を今更!

※ちょっと強めのキャラ崩壊にご注意下さいませ……



 

 

 各陣営の戦艦や巡洋艦、空母などが参加する『ケッコン作戦会議』は文字通り、指揮官とのケッコンを実現するために議論を行う会議である。円滑に議論を進め、実りのある時間にするためには、その下準備は欠かせない。

 

「……先輩。一応、こちらで預かった資料は纏め終わりました」

 

「あぁ。ありがとう。助かったよ、エセックス」

 

「いえ……、お役に立てたのなら光栄です」

 

 凛々しく、そして颯爽とした笑顔を振り撒くエンタープライズに、エセックスは椅子に座ったままで姿勢を正して頭を下げる。

 

 此処は、母港のとある会議室の一つだ。会議室にはエセックスとエンタープライズの他にも、赤城と加賀、それに、ビスマルク、ツェッペリン、更には、アークロイヤルとサン・ルイの姿があった。彼女達は会議用の机に資料を山積みにし、タブレット端末を睨み、端末に接続されているキーボードを叩いている。無言のまま粛々と作業を続ける彼女達は、皆一様に真剣である。

 

 それもその筈。彼女達が扱っている資料に記されているデータは、明石が独自の方法で算出することに成功した、“指揮官の好感度”だ。言い換えれば、“指揮官からの好感度”である。現在、この母港にいる全員分のデータがこの大会議室に集積されており、これらのデータを処理し、次回の『ケッコン作戦会議』で活用すべく、資料として纏める作業をエセックス達は行っていたのだった。

 

 明石が測り出した好感度は、

 

『友好』

『好き』

『ラブ』

 

 この3つに分類されており、エセックスは『友好』に分類されていた。

 

 好感度などという曖昧なものを測定した分類ではあるが、あの“明石”が算出したものであると意識すると、『友好』という言葉がエセックスの中で妙な信憑性を帯びてくるのも確かだった。友好。解釈の余地が大きすぎる気もするが、確かに、エセックスと指揮官との関係は友好と言える。だが、気掛かりな点があった。

 

「あの……」

 

 声を潜めるエセックスは周りを見回してから、この『ケッコン対策会議』に参加するようになって、ずっと心に引っかかっていたことをエンタープライズに尋ねた。

 

「指揮官の好感度って、今回もみんな同じではありませんでしたか? 変化が無いって言うか……、少なくとも私が今まで預かった資料の中で、『友好』以外の好感度はありませんでしたが……」

 

 エセックスの言葉に、「あぁ。私が纏めた資料でもそうだった」とエンタープライズは頷き、少し寂しげな思案顔になる。

 

「もともと指揮官は、誰も特別扱いしないからな。指揮官の前では、誰もが平等だ」

 

「……上官としては、尊敬できる対応ですけれどね」

 

 誰もを平等に扱う者は、大抵、一目置かれるものだ。

 

「あぁ。それに、指揮官は遠慮の塊だ。私達にも気を遣っている」

 

 俯き加減になったエンタープライズは、慎重に記憶を辿りながら、自分と他者に向けられる指揮官の反応の中に、何らかの差異を探すような遠い目つきになる。

 

「各陣営への対応にも、殆ど差がありませんしね」

 

 言いながら、追想に耽るエンタープライズの静かな雰囲気に引き摺られ、エセックスも自身の記憶に目を凝らしてみる。脳裏に浮かんでくる指揮官は困ったように微笑みながらも礼儀正しく、誰に対しても常に適切な距離を保とうとしていた。そういった指揮官の振舞いと、円滑に進む日々の業務を見比べれば、確かに、指揮官は母港にいる全員と『友好』と呼べる関係を築いているとも思えた。

 

 そんなことを考えているうちに、赤城やビスマルク、それにアークロイヤル達も作業を終えたらしく、其々に緊張を解いた様子で伸びをしたり、寛いだ態度で資料を見返したりし始めていた。加賀とツェッペリン、サン・ルイも、端末を操作していた手を止めて、落ち着いた様子で互いに言葉を交わしている。

 

 事件が起こったのはその時だ。

 本当にいきなりだった。

 

『新しいメールが届きましたよ、赤城お姉ちゃん』

 

 赤城の懐から、指揮官の音声が再生されたのだ。しかも、ただの音声じゃない。赤城への親しみが溢れんばかりに籠っていた。柔らかく深みのあるその音声によって、空調による人工的な涼しさが立ちこめる会議室に、春の訪れを知らせるような爽やかな温もりが通り過ぎるのを感じた。

 

 無論、それは錯覚であることに間違いなく、会議室は一瞬だけ静まり返り、次の瞬間にはエンタープライズとビスマルクが殺気立った。サン・ルイやツェッペリンも険しい表情を浮かべて赤城を見詰めている。アークロイヤルだけは、私には関係の無いことだと言わんばかりの様子で、のんびりと首を回していた。

 

「い、今のは、一体……」

 

 会議用の椅子に腰かけたままのエセックスは、戸惑いながらも赤城の方を窺う。

 

「あぁ。これかしら?」

 

 流すように視線を向けてきた赤城は、たっぷりとした余裕を含ませた声で言いながら、優雅な仕種で携帯用端末をひらりひらりと振って見せる。エンタープライズやビスマルクからの突き刺すような視線については、気付いていながら、あえて気付かないフリをしているのだろう。ゆったりと鼻から息を吐きだした赤城は、そのまま勿体ぶるように一同の顔を順に眺めてから、勝ち誇ったように笑みを深めた。

 

「明石が作った、指揮官の声を加工したボイスアプリだ。動作テストを兼ねて、私と姉さまの端末にインストールしてある」

 

 だが、赤城が喋り出すよりも先に、赤城の隣に居た加賀が説明してくれた。自分のセリフを奪われた赤城が「ちょっと、加賀」と責めるような声をだしたが、加賀の方は軽く肩を竦めた。指揮官の音声を扱った、ボイスアプリ。なんて魅力的な。エセックスは「いっ、いいなっ!」と思わず言いそうになって、慌てて口を噤んだ。

 

「いっ、いいなっ!」

 

 エセックスの代わりに、エンタープライズが子供のような素直な感想を、勢いよく口にした。

 

「私達にもインストールさせて欲しいのだけれど」

 

 会議用の椅子に深く腰掛けなおしたビスマルクも、腕を組んで唇を尖らせている。ツェッペリンとサン・ルイにしても同じような様子だが、やはりアークロイヤルだけが我関せずといった態度のまま、この場に居る全員に紅茶を淹れてくれた。

 

「まぁまぁ、一仕事終わったところだ。話をするにも色めき立たず、ちょっと落ち着こうじゃないか」

 

 アークロイヤルは場の空気を和らげつつ、感情と意見が過剰にぶつかり合うのを避けるように言う。彼女は極度のロリコンであるが、駆逐艦が絡まないかぎり、非常に優秀な人物である。彼女が用意してくれたのは暖かいレモンティーだった。レモンが苦手なエンタープライズには、ストレートティーを用意してくれている。殺伐としかけた会議室に、ふわりと良い香りが広がった。一同の緊張が緩んだのを見て、加賀が口を開く。

 

「アプリの完成版は、どのみち母港に居る全員に配信される。寮内のアナウンスでも使われる予定なんだ。そんな見せびらかして自慢するようなものじゃない」

 

 目の前に積まれた資料の山を片付ける加賀は、エセックス達を順に見ながら「楽しみにしておいてくれ」と、落ち着いた声で言う。そう言えば少し前から、明石特製のVRヘッドセットに集音機能を搭載したものを用いて、指揮官の音声を集めているという話を聞いたのを思い出す。

 

 

「配信はいつ頃だろうか」

 

 透かさず言葉を滑り込ませたのは、サン・ルイだ。ティーカップを手に持つ彼女の表情は静かなものの、その眼差しは赤城の持つ端末を絶えずチラチラと追っていて、明らかにソワソワとした様子だった。

 

「出来るだけ早いほうが望ましいな」

 

 低く鋭い声でサン・ルイに便乗したツェッペリンは、既に自分の端末を取り出し、準備は万全であることをアピールしている。ビスマルクも自身の端末に会議室用の机に置いて、「今からでもいいわよ」と真剣な表情を作って見せた。みんな必死である。エセックスも知らず知らずのうちに前のめりになっていたし、真顔になっているエンタープライズに至っては既に会議用の椅子から立ち上がっていて、何をしでかすか分からない迫力を醸し出している。

 

「あの、先輩、ちょっと座りましょう」

 

「あ、あぁ」

 

 エセックスが控えめに声を掛けると、エンタープライズは渋々と言った感じで席についたが、物騒な目つきのままで赤城の持つ端末を見詰めたままだ。

 

「まだテスト段階だって言ってるじゃない……」

 

 自慢するどころか攻撃的な催促を受けることになった赤城は、困惑を見せつつも、自分の端末を護るような仕種を取った。矢のように飛んできて突き刺さってくる鋭い眼差しを前に、見せびらかそうとしていた大事な宝石を再び仕舞い直すかのようだった。流石の一航戦も、ちょっと身の危険を感じたのかもしれない。

 

「そのボイスアプリは、具体的にどんな事が出来るんだ?」

 

 赤城とエンタープライズの様子に苦笑したアークロイヤルが、加賀の方を見ながら尋ねた。アプリの配信時期はいつになるのかという殺伐とした話を、どうにか違う方向へ逸らそうとしてくれているのだろう。加賀は「あぁ。そうだな……」と思案顔を過らせながら、自身の端末を取り出し、手早く操作を始めた。アプリの機能にはエセックスも興味があったので、加賀に向き直る。

 

「基本的には、指揮官の音声をカスタマイズして、アラームなどに設定するアプリだ。こんな風にな」

 

 加賀が端末に指を滑らせると、落ち着いて温みのある、指揮官の優しい声が再生された。

 

『そろそろ時間ですよ。ツェッペリンお姉ちゃん』

 

「なんだ、国宝か?」

 

 腕を組んだツェッペリンが深刻な顔になって言う。

 

「ねぇ、加賀。今晩だけ、ちょっと貸してくれないかしら」

 

 ソワソワと視線を揺らすビスマルクが、頬を染めて切なげな声を出した。ただ、加賀が残念そうな表情を作って、「すまないな……」と緩く首を振った。加賀が首を振っているのにも関わらず、「じゃあ、次は私だな」などと、出撃するときの顔になったエンタープライズが、刺し込むように言いながら挙手をした。

 

「おいポルターガイスト。すまないと断っているところだろうが」と加賀がエンタープライズに文句を言っている間にも、「しまった、先手を取られたか!」という苦い表情を浮かべたサン・ルイが、透かさずエンタープライズの挙手に続く。じゃあ、私もという感じで、エセックスも手を挙げた。完全に出遅れたツェッペリンも「あっ、あっ……」という心細く焦った顔で挙手をする。

 

「誰がポルターガイストだと」

 

 怒った顔になったエンタープライズが加賀に言い返した時には、アークロイヤルが愉快気に肩を揺らした。自分の質問一つで、簡単に場が賑やかになったのが可笑しかったのだろう。彼女は口許に笑みを湛えたままで、エンタープライズと言い合う加賀から視線を外し、今度は赤城に向き直って尋ねた。

 

「なるほどなるほど。音声はカスタマイズが可能と。参考までに幾つか聞かせてくれないか?」

 

 軽快な口調で言うアークロイヤルは、さっきまでは場を落ち着かせようとしていたくせに、今度は場の空気を混ぜ返して面白がっている。

 

「えぇ。まぁ、聞かせて欲しいと言うのであれば」

 

 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの赤城は艶美な笑みを湛え、その豊かな胸を傲然と反り返らせた。アークロイヤルに尋ねられて、披露したくてたまらなかった自慢話のネタを今更ながらに思い出し、高揚感を漲らせている様子である。アークロイヤルは、そこをくすぐるように「重桜の明石が作り上げ、一航戦の赤城が扱うアプリなんだ。やはり興味をそそられるよ」と、赤城の高揚を更に煽った。

 

「ふふん。いいでしょう」

 

 ご機嫌な顔つきになって大きく息を吸い込んだ赤城は、自らの高揚を燃え上がらせるかのように陶然とした口調で言い、携帯用端末を操作した。

 

 エンタープライズと言い合いをしかけていた加賀が、赤城を止めようと声を掛け変えたが、途中で諦めるように口を噤んだ。エンタープライズとサン・ルイが、会議用の椅子に座ったままで赤城に体ごと向き直った。ビスマルクとツェッペリンも、鬼気迫る真顔になって、赤城の端末から音声が発せられるのを待っている。エセックスも唾を飲み込み、背筋を伸ばしてしまう。

 

 全員が見守る中で、赤城は聖火を灯すような仰々しさまで醸し出しながら一同を見回し、携帯用端末を軽くタップした。再生される音声は、奇妙な緊張感が満ち始めた会議室の空気を、その沈黙ごと芯から震わせた。

 

『赤城さん』

 

 再生されたのは、明らかに指揮官の声だ。そよ風が吹き抜けるような、優しく健気な声だ。耳というよりも胸に沁み込んでくる。合成された音声なのかもしれないが音質は良く、臨場感に溢れ、居ない筈の指揮官の存在感を、即席でこの場に作り出すかのようだった。不覚にもドキッとしてしまったのはエセックスだけではないだろう。ごくりと音を立てて唾を飲み込んだサン・ルイや、頬を僅かに紅潮させて親指の爪をガリガリと噛んでいるビスマルクだって、平常と言うには程遠い様子だ。

 

『ずっと前から、赤城さんにお伝えしたかったことがあります』

 

 指揮官の音声が続く。温みのある声には、何かを飛び越えようとする決心を窺わせる、清らかな力みがあった。透き通る指揮官の声に、この場にいる誰もが囚われていた。「ふぅぅぅうう……」と深く息を漏らしたのは、瞑目しているツェッペリンだ。加賀も瞳を閉じ、じっくりと音声に聞き入っている。

 

 余裕の無い表情をしているエンタープライズは、不揃いの貧乏揺すりを始めている。エセックスは思わず、迷惑そうな表情でエンタープライズの方へと首を捻りかけたが、出来なかった。指揮官の音声によって、甘酸っぱい緊張感が限界を超えてこの場に注ぎ足されたからだ。

 

『僕と……』

 

 そこまで再生させたところで、赤城は端末を操作して音声を停止させた。エセックスは愕然とする。そんな、と。一番いいところじゃないかと立ち上がり、叫び出しそうになった。さっきまでの興奮と緊張を持て余すサン・ルイとビスマルクは顔を両手で抑えて呻いているし、ツェッペリンも辛そうな表情で目をきつく閉じて、天井を仰いでいる。

 

 完全な無表情になったエンタープライズは、背筋を伸ばしたままの虚ろな瞳で、会議用机の一点を見詰めていた。噴火寸前の火山の静けさを思わせる。かなり怖い。エセックスと加賀はさりげなく、エンタープライズから距離を取った。

 

「指揮官様のボイスサンプルを合成することによって、まぁ、こんな感じにカスタマイズできるのよ」

 

 この場を掌握した満足感を振り撒く赤城に、「ほうほう。音声のクオリティも高いし、配信が楽しみだな」とアークロイヤルは儀礼的に言いながら、自分の紅茶に口をつける。

 

「でも、この機能は、配信するにあたって削除することも考えているわ」

 

 えっ。加賀とアークロイヤルを除く全員が、そう声を揃えた。赤城は音吐朗々、演説でもするかのように舌を滑らかに動かしている。

 

「私のように、健全な形で指揮官様との絆を携えるのが理想だけれど、ポルターガイストみたいな不埒な輩が、収録されている音声をカスタイマイズすることで、いかがわしい音声を作り出す者が現れないとも限らないもの」

 

「今の合成音声だって健全とは言い難いだろうが!」

 

 椅子から立ち上がったエンタープライズが喚き、赤城に指を突きつけた。赤城は「はいはい、そうね」などと、躾のなっていない犬が吠えてくるのを払うように言いながら、端末を手早く操作した。『エンタープライズさん』と、音声が紡がれる。

 

「えっ!? あっ、は、はい!」

 

 不意打ちを食らったような顔になったエンタープライズが、赤城に向き直ったままで背中を伸ばした。「何をする気だ……」という不審そうな表情を浮かべる加賀と、何が起こるのかと興味深そうに赤城とエンタープライズを見比べるアークロイヤルが対照的だ。

 

『ずっと前から、エンタープライズさんにお伝えしたかったことがあります』

 

 先ほどと同じ温もりと真摯さに満ちた音声が再生され、エンタープライズは目を丸くして体を強張らせた。更に音声が継ぎ足される。

 

『実は僕、エンタープライズさんの事が、少し苦手だったんです』

 

「ぐわっ!?」

 

 脇腹を槍で貫かれたかのような悲鳴を上げて、エンタープライズは椅子の上に崩れ落ちた。だが、すぐに闘志の炎を瞳の中に灯して立ち上がった。それを見た赤城が、エンタープライズが口を開く度に音声を端末から再生し、被せに行く。

 

「赤城! そういう悪質な音声は……!」『エンタープライズさんの事が、少し苦手だったんです』「おい! 本当にやめ……!」『エンタープライズさんの事が、少し苦手だったんです』「も、もう許さんぞ! いい加減に……!」『実は僕、エンタープライズさんの事が、少し苦手だったんです』「ご、ごめんなさい! やめてやめて……!」

 

 指揮官の『失望ボイス』を容赦なく浴びせ欠ける速射攻撃には、流石のエンタープライズも半泣きになって、心細い声で謝り始めた。エセックスも震えあがる。なんて強烈な精神攻撃だろう。指揮官の声であんな事を言われたら、自分だって半泣きになる。見れば、ビスマルクやツェッペリン、サン・ルイも青い顔をしている。加賀だけは、「そういう使い方もあるのか……。今度、天城さんが無茶を言って来たら、この方法で追い払うか……」と、思案顔で俯き、ぶつぶつと何かを呟いていた。

 

 勝ち誇ったような顔になった赤城が紅茶を一口啜るのを見ながら、「覚えていろよ……」と底冷えするような小声で呟くあたり、やはりエンタープライズの精神的なタフさは相当なものだと、エセックスは改めて感じる。

 

 ただ、エンタープライズと赤城の二人は、互いにどれだけ強く言い合っていても、不思議と険悪な空気を引き摺らない。陰湿さも無い。それどころか、停滞した場の空気を攪拌して、余計な重苦しさや緊張感を佩き出してしまう。「あの二人、またやってるよ」という、何処か牧歌的な雰囲気を齎すのだ。キツイ言い方や少々黒い冗談をぶつけ合うのは、互いを信頼している証でもあるのだろう。

 

「相変わらず、仲の良いことだ」

 

 肩を揺すって嫌味無く言うアークロイヤルは、優雅な仕種で紅茶を啜りながら緩く笑った。エンタープライズと赤城の二人は、目で噛みつくような顔になってアークロイヤルに向き直り、「何処がだ」「何処が」と声を揃えた。「そういう所だよ」と、楽しげに言うアークロイヤルは、眼の前にある真理を指すように人差し指を伸ばし、交互に二人を指してから笑みを深める。

 

 含みの無いアークロイヤルの長閑な表情に、毒気と気勢を削がれたのだろう。エンタープライズと赤城は互いに顔を見合わせてから、ちょっと気まずそうに眼を逸らし、また紅茶に口を付ける。次の瞬間だった。席に腰掛けなおしたエンタープライズが、紅茶を噴き出した。間違ってエセックスのレモンティーを飲んだからだ。激しく咳き込んだエンタープライズは再び半泣きになり、「毒だ!」と騒ぎ出した。

 

「毒を盛られたぞ!」

 

 自分の命の危機を一同に訴えるエンタープライズは、必死そのものだった。

 

「いやいや、毒なんて入ってませんよ……。それ、私のレモンティーなんで」

 

 エセックスが半ば呆れながら指摘すると、「な、何だ、そうだったのか……」と、エンタープライズが、あからさまな安堵の息を漏らし、椅子に崩れるように座った。その様子を見ていたビスマルク達から可笑しみを含んだ笑みが漏れ、場の空気がふっと暖かく膨らんだ。こういう時のエンタープライズはポンコツ美女といった風体だが、ひとたび戦場に出れば、表情一つ変えず次々と敵陣を火の海に沈めていくのだから恐ろしくもある。

 

「あぁ、そう言えば、少し気になっていたんだが」

 

 控えめに声を上げたサン・ルイが、赤城の持つ携帯用端末に視線を向ける。

 

「メールか何かを受け取ったんじゃないのか?」

 

 あっ、と声を上げた赤城が、思い出したように端末を操作した。

 

「指揮官からか?」

 

 腕を組んだ加賀が、赤城の手元を覗き込んだ。

 

「いえ、明石からよ。これは……」

 

 端末の画面を見つめる赤城の顔が強張り、その瞬きが早くなっていた。

 

「何か在ったのか?」

 

 深夜が迫る時刻を腕時計で確かめたツェッペリンが、硬い声で訊いた。低い彼女の声に、緩んでいた場の空気に緊張が走る。緊急の出撃が必要な事態なのだろうか。エセックスも姿勢を正した。黙り込んだビスマルクが、冷静な面持ちで赤城の発言を待っている。エンタープライズとサン・ルイも表情を引き締めていた。

 

「いえ、そう深刻にならないで。えぇと、でも、ちょっと深刻になった方がいいかもしれないと言うか……」

 

 端末から顔を上げた赤城は、曖昧に言葉を濁しながら、エセックス達を見回した。その表情は硬く、眼の中には動揺が窺えた。「明石から、ということは……、解析が終わったか。思ったより早かったな」一人で納得している様子の加賀に、「解析とは何のことだ?」とツェッペリンが低い声で訊いた。

 

「あぁ。さっきまで私たちが処理していた“好感度”の、さらに細かい解析が終わったんだ」

 

 会議用の椅子に深く腰掛けた加賀は、くっくっくっと喉を低く鳴らしてから、唇の端を吊り上げる。「これは、なかなか面白いものが見れるかもしれんぞ?」 その酷薄そうな笑みを見て、エセックスは嫌な予感を覚えつつも、「それは一体……」と訊かずにはいられなかった。

 

「まぁ、見てのお楽しみと言うやつだ」

 

 安全圏から高みの見物を決め込むような口ぶりで、にやにや笑いの加賀が言う。赤城が一つ頷いてから、手にしていた端末をタブレットに繋いだ。データを共有したのだろう。タブレット端末の画面が立ち上がると、そこには赤城の携帯端末で開かれている図表データが展開されていた。タブレットの画面を覗き込み、エセックスは唾を飲み込んだ。

 

『友好』

『好き』

『ラブ』

 

 に分類されていた好感度の中で、新たにレベルが明示されていたのだ。エセックスは無意識のうちに、表示されている図表データから自分の好感度のレベルを確認していた。エセックスの好感度は、『友好・Lv84』と評価されていた。ビスマルクとツェッペリンも、『友好・Lv84』である。加賀は『友好・Lv85』であり、サン・ルイは『友好・Lv87』と、この面子の中では最高値を記録していた。

 

「そ、そうか……。指揮官は私との関係を、そこまで深く友好的に捉えてくれていたのか……」

 

 大きな歓びを滲ませる声で呟くサン・ルイは頬を染め、自然と綻んできてしまう表情を必死に引き締めている様子で、右手の掌で顔を頻りに擦っていた。「どういうことだ……、思ったよりも低いな……」と、眉間に皺を刻んだ加賀は腕を組み、不服そうに下唇を突き出している。エセックスは会議用のテーブルに置かれたタブレットをもう一度覗き込もうとして、エンタープライズがやけに静かであることに気付いた。

 

 隣に視線を向けると、顔色を失ったエンタープライズがカタカタと体を小刻みに震わせ、タブレットの一点を見詰めていた。ビスマルクとツェッペリンも、どうも気まずそうな空気で顔を見合わせている。どうしたんだろうと思い、エセックスもエンタープライズの視線の先を探し、あっ……、と声を漏らしてしまう。

 

 エンタープライズの項目には、『友好・Lv20』という無慈悲な表記が、聳えるようにして刻印されていたのだ。「えっ、低っ」と、眉を顰めたエセックスは思わず呟いてしまい、自分のその迂闊な失敗に動揺して、慌てて口を抑えながらも、「あっ、やばっ」と洩らしてしまった。

 

「なぁ、エセックス……。今、『低っ』て言ったのか?」

 

「ぃ、いえ、す、すみません……」

 

 打ちひしがれたような声で言うエンタープライズは半泣きであり、エセックスは反射的に謝罪の言葉を口にしてから、さっきまで調子に乗りまくってエンタープライズを弄り倒して遊んでいた赤城が、妖怪と遭遇したような顔になって黙り込んでいることに気付く。

 

 まさかと思った。加賀が「おぉ……」なんて変な声を出していたので、嫌な予感がした。その通りになった。

 

 タブレットに表示されている赤城の項目には、『友好・Lv20』とあり、あいたたた……、とエセックスは顔を覆いたくなった。あまりのショックに脳の言語野にバグが発生したのか、タブレットを見詰めたままの赤城が「えぇ、嘘やろ……」などと、関西弁でボソッと言う。

 

 誰もが何も言えず、会議室が静まり返った。

 お通夜のような、しめやかな空気が立ちこめ始める。

 そのうち、エンタープライズと赤城が顔を見合わせた。

 

「この数値、ちょっとおかしくないか?」

「この数値、少しおかしいと思わない?」

 

 同じ境遇に立たされた二人は、声を揃えてから、頷き合った。

 

 絶体絶命の窮地の中に、心強い仲間を見つけた顔になった彼女達は、すぐさま意気投合し、「今から明石にクレームをつけ、この好感度分析をやり直して貰おう」などと熱の籠った意見を口にしている。

 

「やっぱり仲が良いじゃないか」

 

 アークロイヤルが微笑ましいものを眺める顔になって、エンタープライズと赤城を見比べた。

 

 二人は「何を今更!」と言わんばかりの表情でアークロイヤルに視線を返してから、顔を見合わせ、お互いの肩まで組みだし、挙句の果てには、「赤城は、私の大事な仲間だからな」「えぇ……、今は私も同じ気持ちよ。ポルターガイスト……」「グレイゴーストだ二度と間違えるな」「あら、ごめんなさい。ポルタ―プライズ」「おい混ざってるぞ」などと、互いの友情を必要以上に確かめ合うような遣り取りまでし始めた。

 

 そんな彼女達の唐突な親密さを、ビスマルクとツェッペリンは不吉な天気雨を見上げるような顔つきで見守っている。若干の怯えを見せるサン・ルイも同様だった。こんな光景にはもう慣れているのか、加賀の方は特に興味も無さそうに鼻を鳴らして、すぐにタブレットに視線を戻している。

 

 エンタープライズの後輩であるエセックスとしては、こんなワケの分からない仲間意識に身を任せた二人から容赦のないクレームが飛んでくる明石の身を思うと不憫でならず、それだけは止めさそうと声を掛けようとしたところで、「まぁ、そこまで心配することも無いんじゃないか」と、加賀と並んで再びタブレットを覗き込んでいたアークロイヤルが緩い声を出した。

 

「単純な好意や苦手意識だけではなく、もっと様々なものが影響を及ぼし合った結果として、この『友好』のレベルが決まっていると考えるのが自然だろう」

 

 アークロイヤルはタブレットから顔を上げて、エンタープライズと赤城に気遣うように表情を柔らかくした。

 

「特に、尊敬や畏怖、憧れの感情が強ければ強いほど、自然と『友好』という親近的な感情からは遠のいていくものだ」

 

 黙ってアークロイヤルの話を聞いていたサン・ルイが、静かな面持ちのままで頷いた。

 

「確かに。エンタープライズと赤城の名は、アイリスの間でも特別さを帯びている。謙虚で礼節を重んじる指揮官ならば、貴女たち二人に、大きな尊敬や畏怖を抱いているというのは、十分に在り得るのではないだろうか」

 

 穏やかな口調で語るサン・ルイが、赤城とエンタープライズを順に見た。話を聞いていたエセックスも指揮官の立場を想像してみると、アークロイヤルが指摘した内容は的を射ているのではないかと思えた。

 

「私達を預かる身である指揮官からすれば、多くの戦友を取り纏める先輩や赤城さんの姿に、劣等感とまではいかなくとも、憧憬に近い思いを抱いていると考えれば……。えぇ、先輩たちの友好レベルの値も、納得できるものなのかもしれません」

 

 エセックスがサン・ルイに続いて自分の考えを述べると、タブレットを見詰めていた加賀が、にやにや笑いを浮かべながら顔を上げた。

 

「……とは言え、鉄血陣営を率いてきたビスマルクの友好レベルは高いからな。これを見るに、姉さまとポルタ―ガイストに対して──」「グレイゴーストだ」

 

 加賀が喋るのをエンタープライズの不機嫌そうな低い声が遮る。そこに、「加賀。大切な仲間の名前を間違えてはいけないわ」などと、やさぐれた妹を優しく諭すような、穏やかな面持ちになった赤城が続いた。そのキモチの悪い友情ごっこは一体なんなのだという表情を作った加賀は、すぐに「あぁ、すまない」と、ぞんざいに謝って話を再開する。

 

「要するに、だ。姉さま達と、ビスマルクとの違いは何か、という点だな」

 

「母港で指揮官と仕事する中でなら、私と赤城、それに、エンタープライズとの間に大きな差異は無いと思うけれど」

 

 加賀によって話題の中心に引きずり出されたビスマルクは、少しの困惑を窺わせながらも、「戦場での役割ならともかく」と、落ち着いた様子で首を緩く振った。ふむ……、と思案顔になったツェッペリンが、最近の記憶を掘り起こすついでのように宙へと視線を投げる。

 

「セイレーンに関する資料や文献、それに知識を借りる相手として、指揮官はビスマルクを頼りにしているからな。他の者にはない信頼や親しみを、ビスマルクに覚えている可能性はあるだろう」

 

 ツェッペリンの冷静な言葉に、ビスマルクは意表をつかれたような表情を浮かべたが、すぐに取り澄まし、「ふぅん。……そうかしら」と興味が無さそうな無表情を作った。

 

「あぁ。思い出した。そう言えば、指揮官の携帯用端末のロック画面は、凛々しいビスマルクの立ち姿が設定されていたはずだぞ」

 

 すっとぼけたように加賀が言うと、この場に居る全員の顔つきが変わった。エセックスも、自分が真顔になっているのが分かる。背中を伸びあがらせたビスマルクは、今度こそ目を丸くして驚いていた。そしてすぐに、少女が照れ笑うようにはにかみ、それを慌てて誤魔化すように俯き、ぎゅっと唇を噛んで表情を引き締めた。呼吸を整えるような間があって、ビスマルクは軽く咳払いをしてから、探るように加賀を横目で見詰めた。

 

「しょ……、それは本当かしら?」

 

「あぁ、すまない。やっぱり気の所為だった。忘れてくれ」

 

 よりいっそう惚けた口調で応じる加賀の唇は、意地悪くニヤけたままだ。悪趣味な冗談に付き合わされているのだと察したビスマルクは、腕を組んで鋭く舌打ちをした。加賀が笑う。「くっくっく……。悪かったよ。そう怒らないでくれ」「別に……、怒ってなんていないわ」「ふぅん、それは本当か?」「……いえ、やっぱり気の所為だったわ」「おっと、怖い怖い」などと、遠慮の無い軽口を叩き合う様子は、ビスマルクと加賀の仲の良さを窺わせた。

 

 陣営を超えた気軽な付き合いは、この母港では珍しいものではなくなっている。セイレーンとの戦いは続いている以上、平和ボケするほどの平穏は無い。だが、礼節を持って互いを尊重し、助け合うだけの寛容さと視野の広さを、エセックス達は今の指揮官の下で携えることが出来ていた。今にして思えば、なんだか遠いところまで来たような気もする。ぼんやりと追想に耽りそうになった時だった。

 

「あぁ。そうか。分かったぞ」

 

 加賀とビスマルクの遣り取りを見ていたアークロイヤルが、一人で納得するような声を出した。

 

「エンタープライズと赤城の友好レベルが低いのは、閣下が二人に遠慮をしているからだ」

 

「遠慮……、というのは?」

 

 断定口調で言うアークロイヤルに、サン・ルイが訝し気な視線を送る。エンタープライズと赤城の二人は仲良く肩を組んだままで、「何を言いだすんだ、この変態空母は……」という不審者を見る目になっている。ビスマルクと加賀も似たような目つきだった。

 

「……ふむ。そういう見方も出来るか」

 

 アークロイヤルの言わんとすることを理解したのであろうツェッペリンが、その形の良い顎を左手で撫でながら、何度か頷いて視線を下げた。

 

「指揮官様が、私達に遠慮をしているなんて……」

 

「どういう事なんだ?」

 

 相変わらず肩を組んだままの赤城とエンタープライズは、不安そうな顔になって一同を見回した。二人の余裕のない顔つきを見るに、互いの肩を組んでいるのも厚い友情の証というよりは、溺れる者が必死になって浮き輪に抱き着いているかのようでもある。或いは、地獄への道連れを何とか確保しようとする、仄暗い執念の顕れにしかみえない。

 

「今の貴女たちは、場所を弁えずに熱い抱擁を交わす恋人のようだな」

 

 可笑しそうに上品な笑みを湛えたサン・ルイが、冗談めかして言う。

 それが不味かった。

 

「何だと」

「何ですって」

 

 “恋人”という部分に過剰に反応し、顔色を変えたエンタープライズと赤城が肩を組んだまま、サン・ルイに詰め寄って行ったのだ。突撃したと言ってもいい。会議用の机や椅子を跳ね飛ばす勢いだった。相当に怖かったのだろう。後ろに仰け反ったサン・ルイが、「きゃあ!」なんて滅多に聞けないような悲鳴を漏らしている。

 

「姉さま、サン・ルイが怯えているじゃないか」

 

 困った顔になった加賀が、姉を嗜めるように言う。腕を組んだビスマルクも、困ったちゃんを見守る顔つきで、エンタープライズと赤城を見ている。エンタープライズの後輩であるエセックスは、なんだか申し訳ない気分になった。

 

「サン・ルイが言っていることは、本質を突いている」

 

 ツェッペリンが騒がしくなった空気を片付けるように、静かだが重みのある言い方をした。そこで、エセックスの頭にも閃くものがあった。気付けば、「あぁ、なるほど……」と、小さく呟いていた。

 

 エンタープライズと赤城が首を此方に捻り、何がなるほどなのだ、という槍のような視線を飛ばしてくる。そこで解放されたサン・ルイが、ほっとした様子で息を吐いていて、ビスマルクと加賀に、よしよし怖かったね、というふうに頭を撫でられていた。

 

「つまり、だ」場が和んだところで、アークロイヤルがエンタープライズと赤城に向けて、交互に指先を向けた。「閣下の立場からすれば、二人の間だけで共有されている、特別な感情の領域があるように見えるんだ。二人の親密な世界に、自分が入り込むべきではないと考える。だから遠慮する。そこに、二人への信頼と尊敬が綯い交ぜになって、閣下からの友好レベルが低くなった、というワケだな」

 

 朗々とした口ぶりで言うアークロイヤルの言葉に、肩を組んでいたエンタープライズと赤城は互いの顔を見てから、再びアークロイヤルに視線を戻した。二人は示し合わせたように、苦虫を噛み潰すどころかゴキブリをしゃぶるような苦悶の表情を浮かべ、「冗談じゃないぞ」「冗談じゃないわ」と声を揃えてから、再び顔を見合わせ、「お前の所為か」「貴女の所為ね」と、肩を組んだままで指を差し合い、睨み合った。

 

 エセックスは、こんなシーンを何処かで見たことがあるなぁ、などと、ぼんやりと思う。あぁ、そうだ。アレだ。怪獣映画で、双頭の龍っぽい怪獣が、頭同士でケンカをしあうシーンだ。二人の様子を眺めていたエセックスは危うく、「仲良しですねぇ……」と洩らしそうになり、慌てて口を噤んだ。

 

「エンタープライズと赤城の関係が、この母港でも特別な意味を持っているのは違いないとは思うわ」

 

 ふふ、と可笑しそうに笑みを零したビスマルクが言う。「もしも貴女達が、もっと真剣に殺意や敵意をぶつけ合ってギスギスとしていたら、この母港に流れる日常の時間は、今とは全く違う表情をしていたことでしょうね」

 

「少なくとも、こんな会議を70回以上するようなことは絶対に無かっただろうな」

 

 口許を緩めたツェッペリンが頷く。遠くを見る目つきになった赤城は眉間に皺を寄せ、そっぽを向いていた。纏う空気を柔らかくしたビスマルクとツェッペリンの言葉に何らかの感慨を抱き、母港での日々を振り返っているのかもしない。黙り込んだ赤城の静かな雰囲気に引き摺られたのだろう。穏やかな表情になった加賀も、何かを思い出そうとするように視線を斜め上に向け、腕を組んだ。

 

「そう言えば……、姉さまとエンターガイストが、この母港のムードメーカーになったのはいつ頃だったか」

 

「おい加賀、ポルタ―ガイストと混ざってるぞ」

 

 赤城と肩を組んだままのエンタープライズが、瞬時に目を怒らせた。

 加賀は素直に頭を下げる。

 

「あぁ、すまない、ポルポル」

 

「おい誰がポルポルだと」

 

「なんだ、このあだ名が気に入らないのか。せっかく考えてやったのに」

 

「なぜ偉そうなんだ貴様」

 

 噛みつくように言うエンタープライズを、「ま、まぁまぁ。一旦落ち着きましょう、先輩」とエセックスは必死に宥める。「友好レベルが低い理由も分かったんだ。肩の力を抜いてみたらどうだろうか」と、困り眉になったサン・ルイもフォローしてくれる。

 

「そうだな。二人の言う通りだ。少し落ち着いた方がいい」などと、全く悪びれない加賀に、エンタープライズはまだ何かを言いたそうに唇を動かしていたが、結局は何も言わず、そのうち赤城とエンタープライズはどちらともなく、組んでいた肩をようやく解いた。

 

 気まずそうにして互いを見ようとしないエンタープライズと赤城を見て、不意に、エセックスの頭の中で先ほどのビスマルクの言葉が膨らんできた。

 

 エンタープライズと赤城が、同じ母港内でも徹底的に対立し、相手を受け入れる友好さなど微塵も見せず、互いを峻拒し続けた世界。それを詳細に想像しようとすると、胸が詰まった。キューブやセイレーンなどと言ったものと関わってきたせいか、この世界と“似て異なる世界”を想像することに、妙な忌避感を覚える。

 

 エセックスはそっと息を吐きだし、顔を掌で擦った。今の指揮官の下で、エセックス達はこの世界を選び取ったのだ。誰もが命を懸けて、最善の選択を積み上げた結果として、今が在るのだ。此処とは違う母港。違う指揮官。違う自分。違う世界。そういったものが、波が折り重なるようにして何処かに並んでいたとしても、何を今更と言うしかない。エセックスはもう選び直せないし、選び直すつもりもない。

 

 自分たちの生きる時間と掴み取った日常を、愛しく、そして尊く思う。例え誰であっても、この想いをエセックスから引き剥がすことなどできない。自分自身を握り締めるように、エセックスはテーブルの下で一度、右手で拳を握った。瞑目し、静かに呼吸を整えながら、陰鬱な気分を手放すつもりで、そっと拳を開く。瞼を開く。

 

 此処は、自分たちが生きる世界だ。

 

「まぁしかし、……これはある意味で、厄介な話じゃないか?」

 

 会議用の椅子に腰掛けなおしたアークロイヤルが、タブレット端末を手に取り、データをざっと眺めてから、エンタープライズと赤城に視線を戻した。

 

「閣下からの友好レベルを上げるには、二人は不仲になる必要があるかもしれないぞ」

 

 緩い笑みを湛えたアークロイヤルの表情は全く真剣でなく、その口振りも冗談を言う軽いものだった。

 

「なら、何の問題も無いわ」

 

 赤城は薄い笑みを浮かべながら、エンタープライズを一瞥すると、傲然と胸を張った。

 

「もう十分過ぎるほど不仲ですもの」

 

 艶のある声音で言い切る赤城を横目で見ていたエンタープライズも、アークロイヤルに向き直ってから強く頷いた。

 

「赤城の言う通りだ。指揮官の誤解を解くなど、造作もない」

 

 つい先程までは肩まで組み、何処に向けてかも分からないような必死過ぎる友情アピールをしていた者達のセリフとは思えず、エセックスは表情を歪めてしまう。ビスマルクとツェッペリン、それにサン・ルイ達も、微笑みながら呆れるような、しょっぱそうな顔をしている。くっくっく……と、喉を鳴らす加賀は愉快そうだ。

 

 肩を竦める代わりに緩い息を吐きだしたアークロイヤルは、エンタープライズと赤城を順に見た。

 

「なんだ、二人は仲が悪いのか?」

 

「何を今更!」「何を今更!」

 

 過ごしてきた時間を確かめるように、二人が声を揃えた。

 











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熱々トレーニング?










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「指揮官、テニス上手いんだねー……」

 

 タオルを差し出してくれたブレマートンさんが、驚いた表情を浮かべたままで感嘆の声を漏らす。

 

「い、いえ、そんなことは……、ボルチモアさんに負けてしまいましたし」

 

 テニスコートから少し離れた場所で、僕はタオルを受け取る。僕たちの頭上に広がる空は晴れ渡り、抜けるように高かった。今日は湿度も低く、適度に涼しい風もあって、身体を動かすには最適な天候だ。コートの方へと首を曲げると、ボルチモアさんが、僕に代わったクーパーさんと試合を始めようとしていた。

 

 

 

 今日の秘書艦であるボルチモアさんが、「指揮官、少し体を動かさないか?」と誘ってくれたのは、昼食を済ませてからだった。昼休憩に体を軽く動かすと、午後からの仕事が捗ると言う話は僕も聞いたことがあった。「まぁ、今日は天気も良いし。いい気分転換になるかもね」と、同じく今日の秘書艦であるブレマートンさんも、ボルチモアさんに対して特に反対もしなかった。

 

「えぇ。では、業務に支障がでない範囲で、僕もお付き合いさせて貰います」

 

 仕事の出来る彼女達のおかげで時間に余裕も在ったので、僕はその提案を了解した。僕が自室に一旦戻って、市販の運動着に着替えている間に、ボルチモアさんは非番であったバッチさんやクーパーさんにも声を掛けていたようだ。

 

 残念ながらバッチさんには先約があったようで、「次は絶対に参加するから、また誘って! 約束よ!!」と、僕の携帯用端末に連絡があった。クーパーさんの方も仲の良いKAN-SENの誰かと約束が在ったらしいが、その時間までは余裕があるということで参加してくれたのだ。

 

 母港に拵えられた広々とした運動スペースは本格的で、僕たちの他にも何人かが思い思いに体を動かし、汗を流している。或いは、ボルチモアさんとクーパーさんの試合に興味を惹かれ、観戦をしようという人影もテニスコートの周囲に集まりつつあった。

 

 汗を拭きながら、テニスコートの内側で行われる試合に目を向ける。テニスボールが跳ねる音が響き、ボルチモアさんとクーパーさんが左右に素早く動き、鋭く体重を移動させていた。審判はおらず、対戦する二人の頭の中で点数を把握している様子だ。

 

 二人の試合は、勝ち負けを意識して緊迫に満ちている、というよりは、真剣な空気ながらも伸び伸びとしていて、互いを高め合うための特訓の趣がある。KAN-SENである彼女達が移動するスピードと、打ち返されて飛び交うテニスボールの迫力は凄まじく、二人の鋭い呼吸、集中力を漲らせた息遣いなどは、少し離れた場所にいる僕にも十分に伝わってくる程だった。

 

「いやぁ……、あのボルチモアと互角以上に打ち合ってたんだから、勝ったとか負けたとか関係なく、かなり凄いと思うんだけどなぁ」

 

 僕の隣で、腰に手を当てたブレマートンさんが苦笑交じりに嘆息した。テニスウェアに着替えた彼女は、コートに着いてからの準備運動を終えてすぐに、ボルチモアさんと試合を行っていた。結果は、ボルチモアさんの快勝だった。ブレマートンさんがテニスを苦手としているというよりも、単純にボルチモアさんが強かったのだ。

 

「プロの選手でも、ボルチモアが相手だと滅多打ちにされちゃうんじゃないかな……」

 

「ボルチモアさん、体力も集中力も凄いですよね。ブレマートンさんの後に僕の相手をして、更にクーパーさんと試合をしてるんですから」

 

「いっつも誰かの助っ人になって忙しく走り回ってるから、色々と鍛えられてるのかも」

 

 冗談めかして言うブレマートンさんは、肩を竦めて人懐っこい笑みを見せた。

 

「指揮官もテニス上手かったけどさ、誰かに教えて貰ったの?」

 

「えぇ。少し前ですけど、フォームなどの基本的な部分などは、バッチさんに教えて貰いました」

 

「ほほぅ、なるほど。秘密の特訓をしてたわけだ」

 

「特訓と言うほどのものではありませんけどね」

 

「ぅえ~。頑張らずに上手くなれるなんて、ちょっとズルくない?」

 

 わざとらしく苦い表情を作ったブレマートンさんは下唇を突き出して、恨めしそうな眼差しを僕に向けてきた。僕は緩く首を振って、苦笑を返す。

 

「僕の素質ではなくて、バッチさんの教え方が上手だったんですよ」

 

「そうかなぁ? 何かを吸収して、すぐに実践に応用できるのって凄い才能だよ」

 

 励ますように言ってくれるブレマートンさんは、「そういえばさ」と僕の顔を悪戯っぽく覗き込んできた。

 

「指揮官てさ、一人の時ってどんなカンジなの?」

 

 かなり漠然とした質問だ。解釈の余地が在り過ぎる。

 

「どんなって、……普通ですよ」

 

 曖昧で当たり障りのない答えを返す。

 

「ふぅん……。いやぁ実は、前にボルチモアと話をしたことがあるんだけどさ」

 

 猫みたいな口になったブレマートンさんは人差し指を伸ばし、くるくると回した。

 

「いつも真面目な指揮官だけど、一人の時は意外とドジっ子だったりして~、って話で、盛り上がっちゃってさ」

 

「そんな失礼な」

 

 屈託のないブレマートンさんの笑顔につられるようにして、僕も笑った。

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 ブレマートンさんは僕に言いながら、手にしたタオルで汗を拭う。そして、テニス用の敷地を囲うように張られたフェンスに凭れ掛かり、蹲踞に似た姿勢でしゃがみ込んだ。その姿勢の所為か、汗ばんだ彼女の健康的な太腿が大胆に強調され、引き締まった肌色のお腹が、テニスウェアの隙間からチラリと覗いた。

 

「それにしても、今日は暑いね~」

 

 無防備な彼女は、傍に置いてあったスポーツバッグを引っ張りよせ、中からスポーツドリンクを取り出した。青いボトルだった。それをゴクゴクと飲み始める。顔を上げた彼女が喉を鳴らすと、テニスウェアを力強く持ち上げる彼女の豊かな胸も、一緒になってぽよぽよと弾むようだった。勿論それは錯覚に違いないのだが、ブレマートンさんが無防備にしゃがみ込んでいる姿は、途轍もなく煽情的に見えた。

 

 どうにも気まずくて、僕は視線と意識をテニスコートへと逃がす。

 

 コートでは、ボルチモアさんとクーパーさんの試合が続いている。明確に点数が表示されていないため、その試合展開までは分からないが、ボルチモアさんが優勢に見えた。苦手な運動種目を探す方が難しいと豪語する彼女の表情には、まだまだ余裕がある。対して、クーパーさんの顔には緊張感が漂い、息が乱れはじめている。

 

 テニスボールを追うボルチモアさんの動きには、本当に無駄が無い。澱みも無いし、流麗で、隙も無い。僕は、ボルチモアさんのフォームを観察した。ラケットを手に、彼女の動きを真似てみる。手に持ったラケットの振り方や、移動するときの自分の重心に意識を向けて、ゆっくりと体を動かす。

 

「指揮官それ、フォームの確認? ボルチモアに寄せるの?」

 

 フェンスに凭れたままのブレマートンさんが、僕の方を見ながら興味深そうな声で言う。

 

「えぇ。まぁ体格的には、差がありますけど」

 

 ボルチモアさんのように背が高いわけでもない僕は、ちょっと肩身が狭い思いで自分のフォームを確認しながら、視線だけを彼女に返した。すると、ブレマートンさんが、「そういうことなら、アタシの出番だね~」と、何故か得意げな笑みに猫みたいな口をつくって、「むふふん♪」と鼻先を上げるようにした。

 

「アタシ、こう見えてボルチモアからフォームの基礎とか教えて貰ったからさ~。指揮官にも伝授してしんぜよう」

 

 たわわな胸を張りながら師匠顔をしてみせるブレマートンさんは、凭れ掛かっていたフェンスから立ち上がった。そして、ラケットを手に足を踏み出そうとした時に、事件は起こった。先程、彼女がスポーツドリンクを取り出すために引っ張りよせたスポーツバッグ、その肩紐部分が、彼女の足元部分にあったのだ。

 

「ぅわわっ!?」

 

 バッグの肩紐に足を取られたブレマートンさんの身体が、前のめりに多く傾く。彼女が腕を回すようにしてバランスを取ろうとしたが、すでに体は倒れ始めていた。近くにいた僕は、すぐに支えようと地面を蹴った。間に合わない。

 

 自分の脚を、ブレマートンさんと地面の間に滑り込ませるのがやっとだ。背の高い彼女を支えきれずに、僕も後ろに倒れてしまった。ただ、後頭部を打つようなことは無かったし、中途半端ではあったが受け身も取ることができた。大きな痛みも怪我も無いのは、自分でも分かった。

 

 だが、その分、僕の身体に圧し掛かってくるブレマートンさんの感触が際立った。ドキリというよりも、ビクリとしてしまう。倒れた衝撃と同時に、うわぁ柔らかいという感想が頭に浮かんだ程だ。僕の胸のあたりに、彼女の顔がある。制汗スプレーや、デオドランドスプレーのものだろうか。もぎたての桃の香りのような、爽やかで甘い香りがした。

 

「ご、ごめん指揮官! 大丈夫!?」

 

 物凄く焦った様子で、ブレマートンさんが顔を上げる。その拍子に、たぷたぷと柔らかい感触が、僕のお腹の下の方に密着しながら、大胆に揺れ動くのが分かった。たっぷりとした重量と暴力的な肉感には狼狽するしかなく、自分の顔が引き攣るのが分かった。そんな僕を心配そうに見詰めてくる彼女に、「えぇ。僕は大丈夫ですよ」と答えかけて、心臓が止まるかと思った。

 

 押し倒された状態の僕がブレマートンさんの顔を見る角度だと、彼女の胸の谷間が丸見えだからだ。瑞々しく汗ばんだ彼女の胸元に陽射しが照り、健康的で透明な煌めきを反射させている。テニスウェアの中で美しく揺れ動く大きな膨らみは、チョモランマやエベレストなどといった雄大な単語が脳裏を過るほどの、問答無用の凄い迫力だった。

 

 余りの絶景に僕の方が悲鳴を上げそうになりながら、慌てて斜め左上方向へと視線を向ける。下手をすると、汗に濡れた彼女の胸元どころか、その深い谷間の向こう側に、彼女のお腹まで見えそうな強烈なアングルなのだ。これでもしも彼女が下着をつけていなかったら、僕の目は潰れていただろう。

 

「怪我とかしてない!?」

 

 黙り込んでいる僕が、痛みに耐えているとでも思ったのだろう。心配そうな顔をしたブレマートンさんが、慌てて立ち上がろうとしたが、それも不味かった。倒れる時には、彼女はスポーツドリンク用のボトルを手に持っていたのだ。

 

 地面に手を付き、身体を起こそうとした彼女の掌の下で、そのボトルが外向きに転がる。持ち上がった筈の彼女の身体が、ずるっと傾いた。「ひゃあ!?」そして再び、僕の身体に遠慮なく落ちてくる。青空の爽やかな空気など容易く吹き飛ばしてしまう、火力とも威力ともいえない何かを秘めた衝撃と密着感が、僕の下腹部を貫いていった。

 

「ごっ、ごめっ……、ごめんなさい!」

 

 ちょっと泣きそうな声で言うブレマートンさんの胸が、僕の太腿の付け根あたりで弾む。変な声が出そうになる。“どたぷーん!! (怒)”という擬音が聞こえてきそうだった。僕の下腹部と脚の間で、豊満に揺れ動く彼女の胸の感触から、必死に意識を逸らす。呼吸が上手くできないし、下手に身動きも取れない。視界の下隅で、彼女のテニスウェアがめくれ上がっているのが分かった。スカートの方もだ。黒い三角形みたいなものが見えた気がしたが、アレは下着なのだろうか。

 

 もうここまでくると、それがどうしたのだという気分になる。

 

「ぃ、いえ、大丈夫ですから」

 

 何とかそう答えるが、とにかく顔が熱い。僕は歯を食い縛る思いで空を見上げる。テニスボールの跳ねる音を吸い込む空は、相変わらず高く澄んだままだ。漫然として頭上に広がる空は、今の僕の大変な状況を微笑ましく見守っているというよりも、ノーコメントを決め込んだすげない態度に見える。雲の無い能天気な青さを、こんなに恨めしく思ったのは初めてだった。

 

「い、いやぁ~、こういうハプニングも、偶にはあるものだよねぇ」

 

 立ち上がったブレマートンさんは、さっきまでの状況を笑い飛ばそうとして失敗したかのように、「たははは……」と言った感じで笑いながら、僕の手を引いて体を起こしてくれた。「ぁ、ありがとうございます」と、僕は礼を述べるものの、ブレマートンさんの方をすぐに見ることが出来なかった。

 

 その気まずさの中で、テニスコートの方が静まり返っていることに気付く。顔を上げて視線を向けると、さっきまで試合をしていたボルチモアさんとクーパーさんが試合を中断していた。彼女達は「何やってんだアイツら……」と言わんばかりの、眉根を寄せた不審そうな、それでいて険しい顔をして此方を凝視している。二人の様子に気付いたブレマートンさんが焦った様子で、テニスコートの二人に両手を振った。

 

「なっ、何でもないから! さっきのは、ちょっとしたハプニングだから!」

 

 腕をぶんぶんと大きく振るブレマートンさんは、自分の無罪を主張するかのような口ぶりだった。彼女が腕をふるたびに、彼女の豊かな胸がテニスウェアの中で、“ばるんばるん! ”と力強く揺れているのが分かった。主張が強すぎる。テニスコートの二人が顔を見合わせ、此方に向かって歩いて来た。

 

「ちょっ!? 大丈夫だから!! 本当に何にも無いから!!」

 

 二人が此方に歩み寄ってくるのを押し返そうとするかのように、ブレマートンさんが更に焦った声を出す。その必死さが功を奏したのか。此方に足を踏み出していたボルチモアさんとクーパーさんは再び顔を見合わせ、釈然としない表情で此方を一瞥したあと、とりあえずと言った感じで試合に戻った。テニスボールが弾む軽快な音が、再び戻ってくる。

 

 俯き加減になったブレマートンさんが、ほっとしたように息を吐く。

 

「さっきは指揮官のこと、意外とドジっ子だったりして~、なんて言っちゃったけどさ。アタシの方がドジっ子だった……、ていうね」 自分の笑えない冗談を、俯きがちに反省するかのように言う。

 

 消耗した気力と頭を休めていた僕は、殆ど無意識と言うか反射的に「そうですね……」などと応答してしまった。ちょっと驚いた顔をしたブレマートンさんが、じっと僕のことを見詰めてきていることに気付いてから、自分の失言に思い及んだ。思わず、「あっ」と声を漏らして顔を上げてしまう。意地悪そうな笑みを浮かべたブレマートンさんと目が合った。

 

「指揮官ひどーい! そこはさぁ、“そんなこと無いですよ”って言って、優しく慰めてくれるところじゃないの?」

 

 腰に手を当てたブレマートンさんは、僕を見下ろしながら威勢よく言う。さっきの自分の失態を無かったことにしてしまう勢いだ。それでいて、軽口の応酬に誘うような口ぶりでもある。

 

「いや、でも……」

 

 僕はちょっと身を引きながらも、反論の姿勢を見せる。普段なら謝罪の言葉を口にするところだが、今の彼女は明らかに、僕が何かを言い返してくることを期待している雰囲気だった。実際、ブレマートンさんは嬉しそうに「えぇ~、何なに~?」なんて、うきうきした様子で言ってくる。

 

「指揮官はさ~、アタシのこと、ドジっ子だって言いたいの?」

 

 僕はどう答えるか迷いつつも、敢えて、ちょっと長めの間を置いた。

 

「………………そんなこと無いですよ」

 

「あれぇ!? だいぶ含みのあるカンジなんだけど~!?」

 

 ブレマートンさんは言いながら、可笑しそうに笑った。僕との言い合いを楽しむようでもある。

 

「まぁ、冗談はこの辺にしとくとしてさ。指揮官も、偶にはそういう軽いカンジで良いと思うな。ずっと真面目だと肩がこっちゃうよ」

 

 声のトーンを優しく落としたブレマートンさんが、お姉さん然とした柔らかな笑みを浮かべていた。僕は言葉に詰まり、曖昧に頷いて視線を逸らした。

 

 彼女の本心からの気遣いの言葉に、僕はどのように返せばいいのかを迷っているうちに、テニスコートの方から歓声が聞こえてくる。ボルチモアさんとクーパーさんの試合が白熱し、ギャラリー達も盛り上がっているようだ。その興奮と熱気を満載させた空気は、少し離れた場所からテニスコートを眺める僕とブレマートンさんを、二人きりにさせていた。

 

「そ、そう言えばアタシって、さっき何をしようとしてたんだっけ?」

 

 沈黙が深まってくる前に、ブレマートンさんが不意に眉間に皺を作って、顎を触った。ハプニングに見舞われて、その前後での自分の目的を見失っている様子だ。

 

「えぇと多分、ボルチモアさんのフォームを、僕に教えてくれようとして……」

 

 そこで、さっきのハプニングが起こったのだ。

 

「あぁっ、そうだよ! 思い出した!」

 

 ぱっと顔を明るくしたブレマートンさんは指を鳴らし、「えっと、ちょっと待ってね!」と断ってから、スポーツバッグに駆け寄った。またコケるのではないかと若干、冷や冷やしながら彼女の行動を見守る。何をするのだろうと思ったら、バッグからピンク色のデオドランドスプレーを取り出して、首元や胸元などに念入りにシューシューとやり始めた。

 

 それから、着ているテニスウェアや自身の身体をクンクンとやって、「よし」と頷く。スプレーの噴射をふんだんに浴びた彼女は、再び丹念に汗も拭いてから、こっちに駆け寄って来る。汗を拭くのとスプレーをする順番は逆ではないのかとツッコミそうになりながらも僕は、やはり途中で彼女がまたコケるのではないかと警戒し、ハラハラとした気分だった。

 

「お・ま・た・せ。ボルチモアの試合が盛り上がってるうちに、アタシたちも特訓、始めよっか」

 

 敬礼っぽいポーズを取って胸を弾ませたブレマートンさんは、僕にフォームを教えてくれると言うが、ラケットを持っていない。手ぶらである。そのことを指摘するよりも先に、彼女が「はい、じゃあ一回、ラケットを構えてみて」と、先ほどの師匠顔をつくって見せた。

 

「えっ」

 

「ほら、はやくはやく」

 

「こ、こうですか?」

 

 楽しげな彼女にせっつかれた僕は困惑する間もなく、取り合えずといった感じでラケットを構えた。腕を組んだブレマートンさんは、「うむうむ」などと満足そうに頷いてから、するするっと僕の背後に回りこんだ。

 

「それで、手と足の位置、運び方なんだけど……」

 

 言いながら彼女は、僕の背後から長い腕を回してきた。背中に、柔らか過ぎるブレマートンさんの体温が密着してくる。桃の甘い匂いが強くなり、その官能的な香りが纏わりついてくる。思わぬ不意打ちに背筋が伸びそうになった。

 

 彼女がスプレーを念入りに噴射していた理由が分かった。一難去ってまた一難なんて言葉が頭を過り、身体が硬直する。彼女の唇が僕の右耳のすぐ後ろに在るのは、耳朶をくすぐってくる呼吸の気配で分かった。彼女のしなやかな手が、僕の腕の上を優しく滑る。そのまま、ラケットを持つ僕の手首を握った。ひんやりとした掌だった。

 

「ボルチモアの腕の振り方はね、こんなカンジで……」

 

 囁く声が耳元で聞こえる。その甘いくすぐったさが、僕の緊張感を煽った。ブレマートンさんが僕の手首を握ったままで、僕の腕を動かす。親切で丁寧な指導に違いないのだが、むにむにと背中で形を変える柔らかな感触の所為で、全く集中できない。フォームがどうとか、脚の運び方がどうとか、そういうことを意識する余裕が全然ない。

 

「そうそう、良い感じだよ」

 

 一体、何が良いのかと思う。

 為されるがままの僕の耳の中で、ブレマートンさんの優しい声が実在的に響く。

 

「いやぁやっぱり、アタシの教え方が良いのかなぁ~」

 

 彼女はご満悦な様子だが、僕の意識は朦朧としている。背中の方で、彼女の体温がふわふわと弾む。ダメだ。意識を背中に向けちゃいけない。いや、背中と言うか、肉体から意識を逸らさないといけない。僕は身体の感覚をブレマートンさんに明け渡して、呼吸に集中する。息を吸って、吐く。一体、これは何なのかという思いになる。

 

「指揮官、凄い集中してるね。教え甲斐があるよ~」

 

 嬉しそうなブレマートンさんには申し訳ないが、今の僕は、自分の呼吸に全神経を注いでいる。瞑目し、背中に密着する魅惑的な彼女の感触から、全力で意識を引き剥がす。自分の内側にある意思の力を搔き集め、精神力を全て使い切る思いだった。何が何なのか分からなくなってくる。そこで僕は気づいた。これはテニスの指導じゃない。瞑想だ。

 

 以前、土佐さんや天城さんに教わったことがある。瞑想は、心に浮かんでくる思考に逸れた意識を、再び呼吸に戻すときに、集中力や注意力が鍛えられるのだと。呼吸瞑想や歩行瞑想といったものがあるが、これは、そう、ブレマートン瞑想とでも呼ぶべき何かだ。彼女の豊満な肉体の感触から、呼吸に意識を戻すのだ。いや。戻すのだ、じゃない。無理だ。あまりにも難易度が高過ぎる。出来っこない。

 

 僕が挫けそうになった時だ。

 

「……ねぇ指揮官。何か悩みごととか在ったら、遠慮なく相談してね?」

 

 声を潜ませた彼女の吐息が、僕の耳元で燻ぶった。

 

「指揮官は、皆に平等に優しくしてくれるけどさ。誰にも本心を許さないっていうか、心に踏み込ませないところがあるからさ。……ちょっと心配なんだ。前にボルチモアと話をしてたのも、そういう話なんだけどね」

 

 聞き分けの無い子供に、教え諭すような口調だった。

 

「一対一じゃないと出来ない話とか、こっそりとしか出来ない話とか、気軽にできない話とか、何でもいいんだけどさ。一人で抱え込んじゃ、ダメだよ」

 

「お気遣い、ありがとうございます。でも僕は、もう十分過ぎるほど助けて貰っていますよ」

 

「ふぅん……。その割には、いっつも遅くまで書斎に籠ってるみたいじゃん? セイレーンに関する何かを調べてるの? 何かアタシにも手伝えることない?」

 

 ブレマートンさんの声の質が変わった。僕の役に立つ為に、意欲や熱意をこめ、身を乗り出してくるかのようだった。僕の手首を掴む彼女の手が、力が籠められて微かに震えている。僕の背に密着している彼女の胸からも、緊張を抱えて早足になった鼓動を感じた。

 

「こう見えてアタシってば、結構みんなの相談にのってるから。指揮官も遠慮しないで」

 

 その言葉には、仲間想いのブレマートンさんの持つ優しさが隅々まで通い、とても親身で真剣なものであることが分かった。それと同時に、聞き流すことを僕に許さない、切実な響きを含んでもいた。

 

「いえ……、あれは、僕の個人的な考えで夜更かしをしているだけなので……。わざわざ手伝って貰うのも申し訳ないですよ」

 

 咄嗟に答えたが、僕はちゃんと笑顔を作れている自信が無かった。テニスのフォームを教えて貰う姿勢のままで良かったと思う。僕の首のすぐ後ろで、俯き加減になったブレマートンさんが下唇を噛む気配があった。一つ呼吸を置くような間があって、「……そっかー」と彼女は呟いた。

 

 僕の言葉を、拒絶と受け取ったのかもしれない。ぽとりと地面に落ちるような彼女の呟き声は僅かに掠れていて、落胆と悲哀が滲んでいるように感じられた。僕から、彼女の表情は見えない。数秒の沈黙の間を、テニスコートからの歓声が白々しく埋めていく。ブレマートンさんの手が、僕の手首から離れる。

 

「いやー、やっぱり、アタシの出番なんて無いか~」

 

 ワザとらしい程に明るい声と共に、僕の背中に触れていた彼女の温度が離れていく。その空隙に、透明感のある桃の香りが、ふわっと広がり、すぐに風に攫われていった。僕は振り返り、ブレマートンさんに向き直る。彼女は悪戯っぽく笑ってはいたが、頬の端が引き攣り、下がった眉は寂しげだった。

 

 指揮官としての僕は、こういう時、何を言うべきなのだろう。何を伝えればいいのだろう。考えても答えは出ない。それでも、今度は僕が何かを言う番だった。

 

「ブレマートンさんの出番がないとか、僕が誰にも心を開いていないとか、そういうことでは無いのです。……これは本当に、僕の個人的な問題ですから」

 

 自分の心の内を全て晒すつもりで、僕はブレマートンさんを見上げる。

 

「それなら……、うん。いいんだけどさ」

 

 笑みを強張らせた彼女は、僕の言葉を待つように俯き加減になった。また、テニスコートの方で歓声が沸く。

 

「……僕は、皆さんから得難いものをたくさん貰っていますよ」

 

 こっそりと深呼吸をした僕は、盛り上がりを見せるテニスコートの方へと視線を向けた。今では各陣営の交流試合の様相を呈しはじめ、先ほどまで試合を行っていたボルチモアさんとクーパーさんは一息つきながら、ダブルスの組になろうなどと唇を動かしている。

 

「この母港の役割から見れば、僕は基地機能の一部でしかありません。今の平穏さを勝ち取ったのは、間違いなくKAN-SENの皆さんの活躍の御蔭です。どれだけ感謝しても、しきれないくらいですよ」

 

 言いながら、僕は自分の爪先と足元を一瞥した。健全な賑やかさ、溌溂とした騒がしさが、熱気と共に溢れるテニスコートを、僕は少し離れた場所から眺めている。この距離感や位置関係こそが、この母港に於ける僕の立ち位置でもある。

 

「艦船通信の御蔭で、皆さんの良い関係が循環しているのも間違いありません。先程、僕を支えようとしてくれたブレマートンさんの優しさの中には、見返りも感謝も求めない真剣な誠実さを感じました。それはきっと、重要なことで苦しむ誰かに手を差し伸べる、正しい精神なのだと思います」

 

「大袈裟だよ、そんなの」

 

 ブレマートンさんは笑顔を作ってはいたが、拗ねたような口調だった。

 

「いえ、大袈裟などではない筈です。その尊さはブレマートンさんの美しさであり、きっと誰にも引き剥がせないものだと思います」

 

 僕は自分の言葉の芯を握り締める思いで、静かに言い切る。今度は、僕が諭すような口調になる番だった。

 

「誰の苦悩であっても否定しないブレマートンさんを、この母港に居る誰もが必要としています。出番が無いなんて、在り得ませんよ。悩み相談だって、同じことをしたのでは、きっと誰もブレマートンさんに敵いません」

 

 慎重に言葉を選ぶと言うよりも、僕の眼から見える景色を信じるままに紡いだ言葉だった。僕の身勝手な語り草を黙って聞いていたブレマートンさんは、少し驚いたような顔で何度か瞬きをしたあと、斜め向きの俯き加減になって、上目遣いのように僕を見る。

 

「……指揮官はホント、真面目な話ばっかりするよね~」

 

「オイゲンさんにも、似たようなことを言われました」

 

「やっぱり。モテないぞ~、そんなんじゃ」

 

 冗談めかして彼女は言いながら、髪の毛をいじいじと触りつつも控えめな笑みを作った。それから、僕の言葉を胸の奥に仕舞い込むように、胸元で左手をぎゅっと握る。

 

「まぁ、それが指揮官の良いところでもあるんだろうけど。……さっきも言ったけどさ、指揮官も、いつでもアタシの悩み相談室に来てよ」

 

 柔らかな表情になった彼女の瞳の、繊細で澄んだ輝きが増したような気がした。僕は曖昧に頷いたが、それを予想していたに違いない。すっと体を近づけて来た彼女は、両腕で僕をぎゅっと抱きすくめてきた。テニスウェアと、その中にある豊満な膨らみの中に沈み込んでいくような感触だった。

 

「ぁ、あのっ!?」

 

 官能的な感触の中で、殆ど溺れかけている僕を見下ろしたブレマートンさんは、ペロッと唇を舐めてから茶目っ気たっぷりにウィンクをして見せた。

 

「辛いときは、アタシの胸の中で泣いても良いんだからね?」

 

 快活な彼女に良く似合う、明るい笑顔だった。さっきまでは恨めしくて仕方なかった青い空も、ブレマートンさんの笑顔とコントラストを作ると、陳腐かもしれないが、曇りの無い彼女の優しさに、その澄んだ青さが呼応しているのではないかと思った。冗談めかした彼女の口振りにも丸みがあり、僕の胸の内にそっと触れてくるかのような心地よさが在った。

 

「ブレマートンさんも、辛いときは、無理をなさらないでくださいね」

 

 その温もりに甘え、重心を預けてしまいそうになるのを、僕は堪える。

 

「うん」

 

 弾むような声で短く答えた彼女は、僕を抱擁から解放して、ぐぐっと一つ大きく伸びをした。その動きに合わせ、彼女の胸が“たぷん! ”と揺れるのが分かった。本当に視線を落ち着ける場所が無い。僕はテニスコートの方へと視線を逃がすと、携帯用端末を手にしたボルチモアさんが此方に手を振っていることに気付いた。ほぼ同時にフェンスの近くに置いてあったスポーツバッグから電子音が響いてくる。

 

「あっ、ボルチモアからだ」

 

 バッグから携帯用端末を取り出したブレマートンさんは、その画面を見てからスピーカー通話を繋ぎ、テニスコートの方で手を振るボルチモアさんを眺めた。端末からの通話内容を聞いていると、これからダブルスのトーナメントを行うということで、僕とブレマートンさんにも参加して欲しいというものだった。

 

「声を掛けて貰ったのは嬉しいのですが、そろそろ時間ですね……」

 

 僕は腕時計を確認してから、申し訳ない気分で言う。

 

「僕は先に執務室に戻っていますので、ブレマートンさんはボルチモアさん達と一緒に、試合を楽しんで来てください」

 

 残してきてある仕事を思い出してみると、僕一人でも片付けることが出来る量であった筈だ。僕はブレマートンさんに頭を下げて、この場を去ろうとしたら、「ちょぉっと、待ったぁ!」と威勢のいい声をと共に、ぐいっと手を引かれた。

 

「一人で執務室に帰るなんて、そんな寂しいのは無し。残ってる仕事の量なんて知れてるじゃん。今日の秘書艦はアタシだったんだから、それくらいは把握してるんだからね」

 

 ちょっと怒ったような口調のブレマートンさんに気圧され、身を引いた僕はたじろいでしまう。だが、体重を後ろにかけ切ってしまうよりも先に、彼女が僕の腕を強引に引っ張っていく。

 

「アタシもボルチモアも今日は徹夜で付き合うからさ。今は、一緒に楽しもうよ」

 

 それは、殆ど懇願に近い言い方だった。僕は何も言えなくなる。視線を逃がすようにテニスコートの方を見ると、ボルチモアさんを含め、集まったギャラリー達が此方を見て大きく手招きをしてくれていた。はやくはやく! と言った感じだ。

 

「ほらほら! 皆、指揮官を待ってるよ!」

 

「……分かりました。僕もお邪魔させて貰います」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

 楽しそうに指を鳴らしたブレマートンさんは、テニスコートに向けて走る速度を上げようとして、「ぉよよっ!?」またコケそうになってよろめいた。だが、今度は僕がブレマートンさんの手を掴み、引っ張り上げるようにして体を支えたので、地面に倒れ込まずに済んだ。ただ、テニスウェアが翻り、パンツが見えそうだった。急激に居心地が悪くなる。

 

「……やっぱり、ドジっ子だって思ったでしょ?」

 

 微妙な表情になったブレマートンさんが、僕を振り返った。僕は何とか笑顔を作る。

 

「えぇと……、はい」

 

「えぇ!? すごい素直じゃん!?」

 

 大袈裟にブレマートンさんが仰け反ると、また彼女の胸が“ぶるん”と揺れた。

 















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唯一のあなたへ










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「指揮官、これを。戦局に関するメールだ。確認するといい」

 

「えぇ、有難う御座いざいます」

 

 秘書艦であるモナークさんの集中力は凄まじく、大量のデスクワークに追い掛けられるどころか、逆に追い回して蹴散らす勢いだった。仕事中の彼女は静かなもので、僕との会話も必要最低限度の遣り取りだけだ。粛々と書類の山を片付ける彼女の仕事ぶりは、僕の出る幕などないのではないかと思う程だ。

 

「指揮官様ぁ、此方にも新しいメールですぅ~。毒見は、大鳳が舌でしておきましたわ」

 

「あ、あぁ……、えぇと、はい、ぁ、有難う御座います……」

 

 もう一人の秘書艦である大鳳さんも、楽しげな高揚を巻き散らしつつ、モナークさんと甲乙つけがたい仕事ぶりを見せてくれている。はしゃぎながら書類を捌く彼女だが、実務でもミスが皆無であることは、その優秀さの証だろう。

 

 秘書艦である彼女達に補佐されて仕事をこなす。それは普段と変わらない僕の仕事風景だが、ここ数週間の間は、少しだけ変わっていた。秘書艦の片方をモナークさんに固定しているのだ。勿論、理由もある。

 

「手を止めてすまない。指揮官、この報告書の確認を」

 

 かなり重そうな書類の束を抱えたモナークさんが、僕にそれを手渡すため、秘書艦用の執務椅子から立ち上がった時だった。

 

「ぐっ……!」

 

 モナークさんが低く呻き、その体がガクンと傾いた。倒れかけた彼女は執務机に手を付き、何とか身体を支える。すぐに動いてくれたのは大鳳さんだった。モナークさんの手から書類の束がバサバサと音を立てて零れるが、それよりも先に、大鳳さんは素早く椅子から立ち上がって駆け寄り、モナークさんの身体を支えてくれていた。僕もすぐに執務用の椅子から立ち上がり、モナークさんの傍に駆け寄ろうとしたが出来なかった。

 

「大丈夫だ……! 指揮官は座っていてくれ」

 

 血を吐くように言うモナークさんに強く睨まれ、近づくことを拒絶されたからだ。僕に心配されることを極端に恐れているようであり、自身の状態を何とか軽く見せて、己の矜持を必死に守ろうとしているようにも見えた。

 

「……やはり、まだ傷が痛みますか?」

 

 大鳳さんは気遣わしげに言いながら、支えたモナークさんの額に浮かぶ汗を、そっと指で拭った。

 

「すまない……。礼を言う。この程度、問題は無い」

 

 大鳳さんに軽く頭を下げたモナークさんは、支えてくれる大鳳さんの手から逃れるように体を放し、一人で立とうとした。だが、やはり体がふらつくようで、すぐに執務机に寄りかかった。そのまま俯いて歯を食い縛り、自身の身体に巣くう苦痛をねじ伏せようとするモナークさんの様子は、僕も大鳳さんも声を掛けるのも憚られるほどだった。

 

 前の任務でモナークさんは、大きな損傷を負った状態で母港へ帰還してきた。その身を挺した彼女の活躍のおかげで、同艦隊の他のKAN-SEN達も無傷とまではいかないまでも、無事に母港に帰還することが出来ていた。戦果よりも、一人も欠けることなく帰還してきてくれたことに、僕は本当に感謝していることも伝えた。

 

 だがモナークさん自身は、ここ数日間、任務を完遂できなかった自分を強く責めている節が在った。束の間、緊迫した静寂が執務室に満ちる。その間に大鳳さんは、床に散らばった書類をテキパキと集めてくれていた。僕は一つ息をついて、椅子から立ち上がる。そして大鳳さんから書類を受け取るべく、彼女達に歩み寄った。モナークさんが顔を此方に上げ、眼の端を吊り上げる。

 

「……問題無いと言っているだろう」

 

 彼女の低い声には怒気が僅かに滲んでおり、僕を威嚇するようだった。

 

「いえ、そうは見えません。……今日は、医務室へ行きましょう。僕も送っていきます」

 

 僕はモナークさんに緩く首を振って見せてから、彼女の傍に居る大鳳さんから、拾い上げてくれた書類の束を受け取った。ざっと見てみると、報告書の束に混じる幾つかの書類には、次の任務に関するものもあった。

 

 モナークさんの視線が、僕の手の中に注がれていることには気付いてはいたが、気付かないフリをした。僕は内容を軽く確かめてから、書類の束を自分の執務机に置きに行こうとした時だった。後ろから右肩を掴まれた。痛みを感じるほど、かなり強い力だった。ほとんど無理矢理に近いかたちで、僕は振り向かされた。

 

 そして、僕の肩を掴んだモナークさんと目が合う。彼女は右手で僕の肩を掴み、左手で秘書艦用の執務机に捕まるようにして立っていた。その不安定な姿を、すぐ傍で大鳳さんが見守ってくれている。

 

「指揮官……。その任務は、私に任せて貰えないか」

 

 強張った彼女の眼が、真っすぐに、縋るように僕を見詰めている。凛とした彼女の声が震えているのが分かった。その響きは哀願に近く、彼女が抱えている深甚な焦燥と不安をそのまま表しているようでもある。その理由も、僕は理解しているつもりだった。

 

 ここ数週間の出撃任務では、僕は彼女を一度も選んでいない。それは彼女の身体の傷が完全には癒えてはいないと判断したからであり、決して、僕が彼女に不信を抱いたからという理由では無かった。そのことも十分に説明してあるし、彼女も納得していた筈だ。実際、今もこうして苦しげに執務机に寄りかかっているのだ。

 

 戦闘行動を控える為、暫くは秘書艦としての僕の補佐に入って貰っていたが、その判断は正しかったのだと、今のモナークさんを見て改めて思う。だが、戦場から遠のいている感覚は、僕が考えているよりも彼女を蝕んでいたのだろう。彼女が口癖のように言う、“最優”という言葉が脳裏を過る。任務を任せて欲しいと請うモナークさんの瞳には、自分の存在価値を取り戻そうとするような、余りにも必死な光が宿っていた。だが、僕は彼女に頷きを返す訳にはいかなかい。

 

「……それは、無理です」

 

 僕は、モナークさんに首を振る。

 

「何故だ」

 

「僕が説明するまでもなく、モナークさん自身が理解している筈です」

 

 眉間を険しく寄せた彼女が僕を睨み、見下ろし、ゴリゴリと奥歯を噛む音がした。凄い迫力だった。傍に居た大鳳さんが、「ひぃん……」と、肩を竦めて小さく悲鳴上げるのが分かった。

 

「……では、私が出る筈だった任務は、代わりに誰が出ている?」

 

 その問いの答えは、既に彼女自身も知っている筈だった。

 僕の手の中にある書類にも、その答えが散見できる。

 

 ロイヤル陣営に任せる筈だった任務において、モナークさんが出撃できないとなれば、代わりが務まるKAN-SENと言えば、自ずと限られてくる。誰が、自分の代わりに戦果をこの母港に持ち帰っているのか。それは彼女自身が最も良く知っているし、それこそ、僕が答える必要などない。だが、唾を飲み、歯を食い縛るモナークさんの眼差しには、僕に沈黙を許さない気配が漲っていた。

 

「ジョージさんや、ウェールズさん、それに、ヨークさんですよ」

 

 僕が答えると、モナークさんは一瞬だけ息を詰まらせ、頬を強張らせた。僕の肩を掴む右手に力が籠められ、彼女の指がギリギリと僕の肩に食い込んでくる。僕の肩の骨と筋肉が、ミシミシと音を立てるのが聞こえた。僕は痛みを覚えるが、その痛みよりも遥かに大きな苦悩を、モナークさんがこの数週間の間に味わい抜いたことを思った。

 

「指揮官、私は……!」

 

 そう言い掛けた次の瞬間には、「ぐ……ぅ!」と呻き、身体を折り曲げるようして彼女はしゃがみ込みかけた。身体に力が入り、また痛みが走ったのだろう。

 

「あぁ!? はやく医務室に参りましょう!」

 

 すぐに大鳳さんがモナークさんを後ろから支えてくれた。僕も、モナークさんの腕の下と肩に手を添え、彼女の身体を支える。倒れかけたモナークさんの顔が、僕のすぐ横にある。彼女が苦しそうに眉間を絞ったままで、また歯軋りをするのが聞こえた。

 

「……教えてくれ。私は」

 

 彼女は、自身の不甲斐なさを呪うような、重く沈んでいくような声を洩らした。そのままゆっくりと身体を起こしたモナークさんは、支えてくれる大鳳さんの腕を解き、僕を見下ろし、両手で僕の指揮官服の襟首を掴むようにして、寄りかかって来た。彼女は僕に掴まり、立っている。彼女の体重を、僕が支える態勢になる。

 

「奴らよりも、劣っているのか……?」

 

 それは問いかけと言うよりも、刃物で僕を斬り付けるかのような負の気迫に満ちていた。今までにない程に暗鬱な翳りを兆した彼女の眼は、どこまでも冷たく澄んだままで僕を見下ろしている。モナークさんの背後で、彼女の身体を支えなおそうとしていた大鳳さんが、息を呑んで体を硬直させる気配が伝わってきた。

 

 ただ、モナークさん自身が己の自制を振りきり、あらゆる覚悟を乗せて発した問いかけに対しては、僕は明確に答えを持っていた。

 

「こんな事を偉そうに僕が言うのも難なのですが……、モナークさんは、間違いなく“最優”です。ただ、同じだけ、ウェールズさん達も優れています」

 

「私が訊きたいのは、そんな通り一辺倒の慰めではない……!」

 

 歯を剝いたモナークさんは、僕の襟をねじり上げ、今にも僕の身体を持ち上げてネックハンギング状態にしそうだった。大鳳さんがモナークさんを制圧しようと、すっと身を沈めるのが見えた。僕は視線だけで大鳳さんに待ったをかける。大鳳さんは戸惑いを見せたが、ぐっと飛び出すのを堪えてくれた。それを確認した僕は、話を続ける。

 

「えぇ。分かっています。でも、それ以外に答えようがないのです」

 

 モナークさんを追い詰めたのは、彼女を戦場から少し遠ざけようとした僕の判断にも一因があるはずだった。僕は申し訳ない想いで言う。

 

「……お前はいつもそうだ。綺麗事を並べて、私達を黙らせる」

 

「綺麗事のつもりはありません。僕にとっての……、いえ、この母港の基地機能から言って、“最優”とは、“最適”であることを意味していますから」

 

 僕はこれ以上、この執務室の空気を深刻にしたくなかった。だから意識的に、少しだけ笑みを作った。命を預け合う彼女達の日常の背後には、各々のKAN-SENの過去と抱えた想いがあることを改めて思う。そこには未だに烟る因縁や、熾火のように燻ぶる怨恨の切れ端だってあるだろう。そういった複雑な想いや感情を力強く嚥下し、少しずつ互いの摩擦を希釈しながら、命と背中を預け合い、この日々を大切に紡いできた彼女達に、僕は毅然として平等でなくてはならない。

 

「駆逐艦である方も、潜水艦である方も、巡洋艦である方も、空母である方も、誰もが重要で、欠かすことのできない役割があります。僕も含めて、それを必要な時に演じることこそが、僕たちの使命でしょう」

 

 僕は、指揮官服の襟を掴んでくるモナークさんの手に、そっと触れる。

 

「だから今のモナークさんには、身体の回復に努めて貰おうと考えています」

 

 そのことを、今は頬を強張らせているモナークさんだって、頭では理解している。ただ、冷静で聡明な筈の彼女の判断を、これほどまでに大きく狂わせるほどに、その心の中で彼女の背負う過去が、制御できる許容範囲を超えて膨らんで来ているのだろう。

 

「今の御身体のままで出撃を求められるようでしたら、……モナークさんがいくら優秀であったとしても、僕は、貴女を必要とすることはできません」

 

 僕はモナークさんの眼を見詰め返しながら言う。彼女は明らかに動揺していた。瞳が揺れ、唇を噛み、息を詰まらせている。僕の襟を掴んでいる手も、小刻みに震え始めた。

 

「指揮官、……やめてくれ。貴方は、私を必要だと言ってくれたじゃないか」

 

 眉尻を下げたモナークさんの声は、涙の気配と共に掠れていた。指揮官服の襟を、また強く掴んでくる。ただその手つきも荒々しく乱暴なものではなく、縋る様な弱々しいものだった。僕は、触れていた彼女の手を握り返す。冷たい手だった。

 

「もちろん、僕はモナークさんを必要としています。でも、それは、モナークさんが“最優”だから、という理由ではありません」

 

 僕は自分の言葉を、今の彼女の心に圧しこむような気分で紡ぐ。

 

「モナークさんが、自身の存在価値を“最優”であることに強く求めることを、咎めるつもりは僕にはありません」

 

 この話は、笑顔ですべきだと思った。僕は頬の笑みを保ちながら緩く首を振って、この話の行方が、決して僕とモナークさんの関係を破壊するためのものではないと表明したかった。

 

「存在を証明する為に、“最優”であろうと自身を律し続けるのはきっと、モナークさんが自身の過去を克服し、自分の人生を愛しなおす為に必要な努力なのだと思います。でも今は、その努力そのものが、今度はモナークさん自身を追い詰めているのではありませんか?」

 

「私は……」

 

 目を伏せたモナークさんの手の強張りが散って、余計な力が抜けるようにして、彼女の肩が少し下がっていくのが分かった。彼女が紡ごうとした言葉は途切れながら、その細い吐息の中に滲んでしまい、輪郭を持たなかった。僕とモナークさんを見守る大鳳さんも、静寂を守るようにして佇んでいる。少しの間、誰かの発言を待つような、遠慮深い静けさが執務室に流れていた。

 

「……“頼るがいい。この艦隊を、一隻も欠けることなく連れ帰って見せる! ”」

 

 不意に、モナークさんの背後に居た大鳳さんが、凛々しい口調で言った。それは明らかに、モナークさんの口調を模したものだった。こんな時に何事かと、モナークさんが肩越しに大鳳さんを振り返ると、大鳳さんは茶目っ気のある笑顔を浮かべていた。

 

「小耳に挟んだのですが……、前の任務の時に、傷だらけになったモナークさんが、同じ艦隊の子たちを鼓舞する為に言い放った台詞だそうですね。なんと頼もしいお言葉でしょう!」

 

 今の大鳳さんの笑みには嫌味も悪意も無く、純粋にモナークさんの勇敢さを湛える口振りだった。それに、堂々としている。大鳳さんが自分の言葉に、自信を持っているのが分かる。

 

「“最優”であろうとするモナークさんの強さも、それを支える弛まぬ鍛錬も、大鳳たちは知っています。でも、死地にあっても他者を救おうとするモナークさんの高潔な勇気は、“最優”という性質に帰らないものだと、大鳳は思います。あの言葉は、モナークさん自身の心から発せられたものでしょう?」

 

 大鳳さんに尋ねられ、迷うように視線を動かしたモナークさんは、すぐには答えなかった。俯きがちに伏せられたモナークさんの瞳の中に、その真実を窺うように少し身を屈めた大鳳さんは、口許に優しい微笑を灯していた。

 

「きっと指揮官様は、そういう“最優”という言葉に回収されない、モナークさん“そのもの”を必要とされているのですよ?」

 

 諭すように言う大鳳さんの言葉に、唾を飲み込んだモナークさんが顔を上げた。大鳳さんへと何かを言おうとして唇を動かした彼女は、結局は何も言わず、すぐに僕へと向き直った。モナークさんはやはり、何かを言いたげに唇を動かすだけで、黙したままだった。僕は微笑を崩さないままで頷く。

 

「えぇ。大鳳さんの仰る通りです。僕は、モナークさんが“最優”であるから必要としているのではありません。モナークさんが、モナークさんであるから、必要としているのです。そしてそれは、他のKAN-SENの皆さんにしたって同じですよ」

 

 大鳳さんの言葉を引き受けることで、僕も、自分の気持ちをすんなりと言語化することが出来た。自身の存在価値を“最優”であることに括り付ける苦しみは、モナークさんを鼓舞してくれる強靭なものなのかもしれない。でもそれは翻って、柔軟さの無い脆さを孕んでいるのも、今のモナークさんの様子を見れば明らかだった。

 

「先程も言いましたが、モナークさんが“最優”を求めることを止める権利など、僕にはありません。でも、その“最優”という性質に関係なく、モナークさん自身を必要する皆さんが居ることは、忘れないで欲しいと思います」

 

 モナークさんの持つ理想や信念が、その強さゆえにモナークさん自身を追い詰める時は、またやってくるだろう。その時になって、“最優”であること以外に、彼女が依って立つ存在価値の新しい足場として、この母港の仲間の姿があればと思う。それは、モナークさんの言う通り、青臭い綺麗事なのかもしれないが、僕の本心だった。

 

「指揮官……、私は……」

 

 黙り込んでいたモナークさんが、何かを言い掛けた時だった。

 

「失礼する」

 

 執務室の扉がノックされた。「先日の演習についての報告書だ」颯爽と執務室へと踏み込んできたのは、ウェールズさんだった。報告書を持ってきてくれた礼を僕が述べたところで、彼女は、「……むっ」と低い声を洩らした。そして、僕と、僕の胸倉を掴み上げているような態勢のモナークさんを見て、一瞬だけ立ち止まっていた。だが、すぐに深々と眉間に皺を刻んでから、ずんずんと此方に近づいてくる。

 

「何をやっている。モナーク」

 

「……何でもない。指揮官の襟の釦が外れていたから、直していただけだ」

 

 僕の襟から手を離したモナークさんが、むすりとして答えてから、軽く舌打ちをするのが聞こえた。ウェールズさんの前では身体の痛みを我慢しているのか。モナークさんは辛そうに顔が歪んでいるのを不機嫌な表情で誤魔化しながら自力で立ち、見下ろすような下目遣いでウェールズさんに向き直った。

 

 それと殆ど同じタイミングで、「此処からは大鳳の出る幕ではありませんねぇ……」と、僕に目配らせしてくれた大鳳さんが自分の執務机に戻りながら、ちょっと申し訳なさそうな小声で言うのも聞こえた。その間に、僕とモナークさんのすぐ近くまで歩み寄って来ていたウェールズさんは、僕に報告書を差し出してくれてから、横向き加減でモナークさんの方へと首を傾けた。

 

「……そうは見えなかったぞ」

 

「別に、お前には関係の無いことだ」

 

「何か、指揮官と揉めていたんじゃないのか」

 

「何度も言わせるな。お前には関係が無い」

 

 一貫して、ムスッとした態度でモナークさんは応答する。

 ウェールズさんが緩く息を吐いた。

 

「貴女が関わる任務や作戦なら、関係が無いことはない」

 

「何だと?」

 

 モナークさんが詰め寄ろうとしたところで、彼女が短く呻いた。その体が僅かにふらついた。傍に居たウェールズさんが透かさず片腕を伸ばす。その腕をモナークさんの脇に潜らせる要領で、しっかりと支えた。まるでモナークさんがよろめくのを予測していたかのように、滑らかな動きだった。

 

「……今の貴女に無理をさせれば、貴女を危険に晒すだろう」

 

 眉間に皺を寄せたままのウェールズさんだったが、その声音は険しいながらも、何処か気遣わしげな響きが在る。それにモナークさんに向ける眼差しにも、身体の具合を気に掛けている気配が滲んでいた。

 

 モナークさんは何かを言いたげに唇を動かしていたが、その間にもウェールズさんは、モナークさんの身体を自然な形で支えたまま、彼女を執務用の椅子へと座らせてしまう。女性の扱いに慣れた男性が、デートの相手をエスコートするかのような優雅さと優しさに満ちていた。余りにも自然なその流れに、万全ではないモナークさんは、ウェールズさんに為されるが儘だった。

 

 それが気に喰わなかったに違いない。

 

「……そうやって私から戦場と戦果を奪い続け、私の存在意義まで奪う肚か?」

 

 モナークさんは執務椅子に座った姿勢のままで目に警戒を漲らせ、ウェールズさんを鋭く睨んだ。だが、ウェールズさんの方は「いったい何を言っているのか」という風に、怪訝そうに眉を下げるだけだった。

 

「次回の大規模任務では、貴女の力が必要だ。それまでに身体を癒して、調子を取り戻しておいて貰わねば、我々も困る」

 

 そこまで言ってから、ウェールズさんは「そもそも……」と、ごく自然に言葉を継ぎ足した。

 

「貴女の任務の代わりを私達がいくら務めたところで、貴女の存在意義は揺るがない。貴女が何を危惧しているのかの見当はつくが、それを一々こちらが指摘する段階は、とうに過ぎている筈だろう」

 

 何気なしに放たれた筈のウェールズさんの言葉には鋭い確信を籠められており、同時に、有無を言わさない説得力に満ちていた。僕が言葉を尽くしてモナークさんに伝えたかったことを、ウェールズさんはいとも簡単に口にして、モナークさんを動揺させている。心持ち目を瞠ったモナークさんは、ウェールズさんを見詰めたまま、喉の奥に何か言葉が閊えてしまったように黙り込んでいた。

 

「指揮官にとっても私達にとっても、貴女は一人しか居ないのだからな。……貴女が戦果に拘る性分なのは理解しているが、今は自愛してくれ。休むことも戦闘の一部だ」

 

 滔々と語られるウェールズさんの顔色には、気負った様子はまるでないし、モナークさんに媚びを売っている訳でも決してない。ロイヤル陣営で十分に共有されている認識を、ただ冷静に言葉にしているだけだ。だからこそ、それを聴くモナークさんの心には深く響き、狭まった彼女の視野に、冷静さと客観を通し直すのではないか。

 

 僕が特に何も言わず、ただ二人の遣り取りを見守っていると、大鳳さんと再び目が合う。彼女は「もう大丈夫そうですね」という風に、片目を瞑って見せた。誰にも気づかれない程度に息を吐いた僕は、大鳳さんに頷くように、ゆっくりと瞬きを返す。

 

 ウェールズさんも、“最優”であるモナークさんではなく、この母港で存在を開始した“姉”を心配しているのは、傍から見ていても明確だった。モナークさんの過去が彼女自身を追い詰める時、彼女の手を引いてくれるのは僕などではなく、やはり、モナークさんの存在を継いだウェールズさん達なのだと思えた。

 

「それに、だ。貴女がこれ以上傷つけば、前の任務で貴女が救った子たちが悲しむ。それぐらい、貴女だって理解できるだろう?」

 

 ウェールズさんが見せるぶっきらぼうな優しさを振り払うことが出来ないまま、モナークさんは不味そうな顔をして、ただ居心地が悪そうにそっぽを向いていた。どのような態度を取ればいいのか迷っている様子でもあった。

 

 僕から見える二人の間柄は、互いの強さには信頼を置いているものの、仲が良いとは言えず、しかし憎み切れてはいないといった、慎重な距離感を保っているように見える。そして、その距離を少しずつ縮めようとしているのがウェールズさんの方で、モナークさんの方は、そのウェールズさんの態度に上手く対応できていない、といった感じだろうか。

 

「指揮官と何を揉めていたのかまでは訊かないが、それは肝に銘じておくべきだ」

 

 ほんの僅かな苦笑を言葉尻に滲ませたウェールズさんは、姿勢を正してから僕と大鳳さんに礼をして、執務室をあとにした。入室してきたときと同じく、颯爽とした彼女の後ろ姿を見送った僕は、モナークさんを横目で見上げた。

 

「アイツ、言いたいことを言ってくれる……」

 

 険しい表情のままで鼻を鳴らしたモナークさんだったが、ウェールズさんを見送ったその眼差しには、もう敵意も嫌悪も窺えなかった。彼女の唇の端には、本当に薄らとではあるが笑み浮かんでいる。モナークさんを見上げる僕からだとその表情は、お節介な妹に向けられた呆れ笑いを萌したようにも、妹にお節介を焼かれている自身への自嘲が漏れたようにも見えた。ただ少なくとも、張り詰めた執務室の空気が緩んだのは確かだった。

 

「……指揮官。見苦しいところを見せてすまなかった。……もう大丈夫だ。医務室ではなく、此処にいさせてくれ」

 

 そう言って僕に向き直り、すっと頭を下げてくれたモナークさんからは、“最優”という言葉から少し距離を取るような落ち着いた余裕が窺えた。

 

「身体の痛みは、もう鎮まりましたか?」

 

「あぁ。問題ない。これから書類の束を持つときは気を付ける」

 

「分かりました。……では、少し休憩を入れましょうか」

 

 僕はモナークさんと大鳳さんを順に見てから、笑みを作り直す。

 

「はぁい! では、飲み物の準備は大鳳がいたしますわぁ~」

 

 明るい声を出した大鳳さんが、席を立った。緩みかけた執務室の空気を掻き混ぜ、先ほどまでの深刻な雰囲気を有耶無耶してしまう勢いだった。賢明な賑やかさを生み出してくれる彼女の存在は、とても有難かった。僕にはとても出来そうにないことだ。

 

「モナークさんは、お茶にしますか? コーヒーにしますか? あぁ、もちろん、大鳳は紅茶も御用意できますので、遠慮なく言ってくださいね~」

 

 席から立ち上がったところで、大鳳さんがモナークさんへと微笑みかけた。含みの無い大鳳さんの爛漫さに背中を押されるようにして、モナークさんは絞っていた眉間を解いて、眉尻を下げた。

 

「……あぁ、では、指揮官と同じものを」

 

 モナークさんは頬の端に、微かな笑みを過らせている。余計な力の抜けた、自然な佇まいだった。「はい、了解ですぅ!」と答えた大鳳さんは、次は僕にくるっと回って向き直り、「では、指揮官様は、如何いたします?」と、僕にしか見えない角度で上目遣いになった。その口振りは殆ど、「一件落着ですね♪」と言うようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日の仕事が終わってから僕は一人、陽が沈んだ埠頭で夜の海を眺めていた。砂浜ならば波音も大きく響いてくるのだろうが、整備された足場からは、水面が揺れるようなちゃぷちゃぷとした水音が時折、聞こえるだけだ。設備としての照明が設置されているため、埠頭に立つ僕の周りは完全な暗闇ではない。だからその分、海の暗さが際立って見える。

 

 じんわりと夜の暗さが薄まっているこの場所から、空を見上げる。明る過ぎる市街地では、星の瞬きもなかなか見えなくなっていると聞くが、この埠頭からは眺めることが出来る。今日は月も出ている。満月でも三日月でもない、半端に欠けた、痩せた月が浮かんでいた。その月をぼんやりと見ていると、視界の中で、その月以外が暈けやけていく。夜の海と空の境界が曖昧になって、黒々とした無限遠の空僻が目の前に広がっているような感覚だった。

 

 この余りにも茫漠で輪郭すら掴めない広大な闇は、いつも僕の心を落ち着かせてくれた。足元を見ると、薄い影が出来ている。当然、それは僕の影だ。埠頭施設から漏れる光が僕の背中に当たり、夜の海に向けて僕の影が伸びている。僕の影の上半身は黒い海の中に溶け込んでいて、埠頭の足場に残っているのは、細長くなった僕の脚の影だけだった。

 

 夜風が吹いた。海の匂いを含んだ風が、僕を荒々しく触っていく。水の揺れる音が聞こえる。その音に誘われるように、一歩、海へと近づく。母港と海の間に立つ僕の影が、より深く海に飲み込まれる。僕を執拗に手招くように、またちゃぷちゃぷと水の音が上ってくる。更に一歩、海に近づく。母港からは二歩分離れる。更に一歩。そして、また一歩踏み出そうとした時だった。

 

「今日もお勤め、お疲れ様ですぅ」

 

 ぎゅっと、後ろから抱きつかれた。背中に柔らかい感触があり、僕の右肩に呼吸の気配が乗ってくる。清潔感のある爽やかな香りがした。柑橘系の香水だろうか。僕に纏わりついていた、冷たい潮水の匂いが剥がれて、代わりに、彼女の体温が僕を包んでくれていた。

 

「いえ、大鳳さんもお疲れ様です」

 

 僕は顔を動かさず、視線だけを右肩へと動かした。首を回すと、僕の頬が彼女の唇に振れそうな距離だったからだ。ただ、身体が密着しているからと言って、夜の海を恋人同士で眺めるようなロマンチックな空気と言うには程遠い。僕は、物凄く大きな猫にじゃれつかれているような風情だし、大鳳さんにしたって、人畜無害の、大型の愛玩動物に抱き着いているような雰囲気であるからだ。

 

「もう指揮官様は、お食事を済まされましたか?」

 

「いえ、まだですよ。……もう少ししてから、自室で摂ろうと思います」

 

「まぁまぁ! では、この大鳳に夕食を作らせていただけませんか?」

 

「えっ、でも、大鳳さんに悪いですよ。今日は秘書艦としてもお世話になったのに」

 

 僕が言うと、僕の右肩に顎を乗せていた大鳳さんは、拗ねた子供みたいに下唇を突き出して、じとっとした眼差しで僕の横顔を見詰めてきた。

 

「……大鳳は指揮官様に尽くすことを喜びとしているのですから、そのような意地悪なことは仰らないで下さいませ」

 

「い、意地悪のつもりなんて無いですよ」

 

 少し焦った声を出した僕を見て、大鳳さんは悪戯が成功した少女のようにクスクスと笑みを零してから、「分かっております」と呟いた。彼女の澄んだ声は、暗い海を前にしても良く通る。

 

「指揮官様は、どうして此処に?」

 

「いえ、少し考えごとを……」

 

「それは、今日のモナークさんのことですか?」

 

 僕の右肩に顎を乗せたままの大鳳さんは眉を少し下げたが、口許の微笑みを崩していない。優しく問いかけてくるような口調の彼女に、僕は観念するように頷いた。

 

「僕のような者が、なんだか偉そうなことを言ってしまったな……、と。反省と言うか、ほとんど自己嫌悪に近い感情なんですが、それを上手く消化できなくて。ぼんやりと海を眺めに来たんです」

 

 僕が答えると、「えぇ~?」なんて言いながら、大鳳さんはあからさまに不味そうな顔になった。

 

「夜戦に向けて士気を高めるならともかく、陸の上から真っ暗な海を眺めるだけでは、気分転換どころか気が滅入ってしまいませんかぁ?」

 

 黒い海と僕を見比べながら、大鳳さんは不可解そうに言う。

 

「大鳳と一緒にお風呂に入って体を温めたほうが、きっと元気が出ると思いますよ?」

 

 その言葉がどこまで本気なのか判然しないが、大鳳さんが僕を励まそうとしてくれているのは分かった。「上手く言えないのですが、此処に居ると不思議と落ち着くんです」僕は苦笑を洩らしながら答えて、「……今日は、有難う御座いました」と、遅くなった礼を述べた。

 

「大鳳さんの御蔭で、僕の気持ちを上手くモナークさんに伝えられました」

 

「何を仰います。あの時に大鳳がしたのは、ただ指揮官様の御言葉に、余計なものが付着しないように気を付けただけですわ」

 

 大鳳さんは昼間のことを思い起こすように視線を海に流しつつ、緩く息を吐いた。

 

「より真実に近い形で、指揮官様の御言葉をモナークさんに受け渡したのは、大鳳ではなく、ウェールズさんの方です。ああやって遠慮も気遣いも無く、心の壁を軽々と飛び越えていけるのは、やっぱり姉妹の特権なのでしょうねぇ」

 

 しみじみとした様子で言ってから、僕の右肩に顎を乗せたままの大鳳さんは、横目で僕を見詰めてくる。

 

「自分の心を圧し潰すほどに苦悩が積もってくると、誰の言葉も素直に受け取れなくなりますから。モナークさんのような実直な方や、指揮官様のような方は特に……」

 

 赤い瞳をすぅっと細めた大鳳の口振りは、此処からはモナークさんの話ではなく、指揮官についての話をしますよ、という意思表示に違いなかった。ここからの質問の答えを、半端にはぐらかすことを僕に許さない雰囲気も、にわかに漂い始めていた。

 

「このような暗い場所で一人で居られるなんて、やはり、指揮官様も何か御悩み事がありますの?」

 

「僕は他の誰よりも恵まれていますよ。悩みごとなんて、贅沢な話です」

 

「……本当ですかぁ?」

 

「えぇ。僕は、この日常に感謝しています」

 

 はっきりと僕が答えると、大鳳さんが抱きしめてくる腕の力を強めた。

 

「指揮官様がモナークさんに語った内容は、そのまま翻って、指揮官様にも当てはまりますよ? 指揮官様が、指揮官様だからこそ……、大鳳は身も心も捧げているのです。大鳳は、もうこれ以上、同じ質問はいたしません。真偽を探る様な真似も。でも……」

 

 ゆったりとした口調で語る大鳳さんは、悩みごとなど無いと言い張る僕を責めるかのようだった。彼女の赤い眼が、動きを止めて僕を映している。

 

「指揮官様。どうか大鳳に、嘘だけは吐かないでくださいね……?」

 

 そう言い終えて微笑んだ大鳳さんの声音は、しっとりとした艶を持っていて、切実に僕のことを案じてくれているものだった。僕と彼女の会話は少し遠回りしたかもしれないが、今の言葉こそが、この場で大鳳さんが僕に伝えたかったことなのだと、なんとなく分かった。目の前に渺茫として広がる暗い海と、実体と過去を持つ彼女の体温の狭間で、僕は頷きを返した。

 

「えぇ。嘘は言いませんよ」

 

「……指揮官様は、お優しいですからね。それも嘘でしょう?」

 

「やめてくださいよ。まるで僕が、ろくでなしみたいじゃないですか」

 

 僕が言うと、大鳳さんは微笑を湛えたままで、すっと体を引いた。僕を捕まえていた腕を解き、身体から離れる。と見せかけて、僕の横顔に唇を近づけてきた。驚く間もなかった。ぷっくりとした大鳳さんの唇が、僕の顎と頬の中間あたりに一瞬だけ触れて、すぐに離れた。

 

「えっ」

 

 間抜けな声を上げた僕が振り返るあいだ夜風が滑り込んできて、彼女の唇の感触はすぐに攫われていった。だが、彼女の切なげな熱を含んだ吐息の余韻は、僕の肌の上に残ったままだった。向き直った僕と目が合うと、大鳳さんはチロリと自分の唇を舌で舐めて見せた。そして、その濡れた唇に白い指を這わせながら、悪戯っぽくも嫣然と赤い眼を細め、僕を見下ろしてくる。

 

「ふふ、大鳳に嘘を吐いた罰ですよ」

 

「ば、罰って……」

 

 僕が戸惑っていいのか、恥ずかしがっていいのか分からないままで大鳳さんを見上げていると、軽い電子音が響いた。携帯用端末に通信が入ったのだ。一瞬だけムッとした表情を浮かべた大鳳さんだったが、すぐに「どうぞ」というふうに、何も言わずに掌を差し出してくれた。通話にでてくれても構わないということだろう。

 

 携帯端末を懐から取り出してから大鳳さんを見ると、彼女は自分の唇にゆっくりと触れながら頷いてくれた。色っぽい仕種だった。顎と頬の間に残る彼女の唇の感触が思い出してしまいそうになりながらも、僕は大鳳さんに小さく頭を下げてから、携帯用端末の通話を繋いだ。

 

『やっほー! 指揮官! いま、暇かな~!?』

 

 通信の相手はアルバコアさんだった。彼女の物凄く元気な大声が、端末の向こうから塊となって飛んでくるかのようだ。僕は思わず、耳に近づけた端末を離してしまう。

 

「あっ、アルバ……ッ」

 

 声を上擦らせた大鳳さんがビクッと肩を震わせ、一歩後ずさった。それが不味かった。大鳳さんが埠頭から転げ落ちそうになった。真っ暗な空間に吸い寄せられるように、彼女の身体が傾く。僕は端末を持っていない方での腕で、咄嗟に大鳳さんの腰に手を回して、ぐっと抱き寄せる。「ひんっ!?」と、腕の中の大鳳さんが体を強張らせて、背中を伸び上がらせるのが分かった。

 

 見れば、大鳳さんは驚いたような顔のままで硬直し、頬を染め、激しく動揺したように唇を震わせていた。つい先程までの妖艶な雰囲気など吹き飛んでしまって、その代わりに、まるで初心な少女のような反応を見せている。その変わりように、いったいどうしたのだと僕の方が困惑してしまうが、一先ずは、彼女が海に落ちずに良かったと安堵する。

 

『あれぇ? なんか変な声が聞こえた気がしたけど……』

 

 僕が大鳳さんを放したタイミングで、端末の向こうアルバコアさんが暢気な声で言う。その背後では、綾波さんやロングアイランドさんの声も聞こえる。何やら白熱している様子で、盛り上がった雰囲気が伝わってくる。ゲームの音が聞こえてくるので、何らかの対戦を行っているのだろうと予想できた。

 

『ねぇねぇ指揮官、おっきい犬でも近くに居るの?』

 

「だっ、誰が躾のなっていない雌犬ですってぇ!?」

 

 はっと我に返った様子の大鳳さんが、僕の手ごと端末を引っ掴み、噛みつくように叫んだ。誰もそこまでは言っていませんよと僕がツッコもうとするよりも先に、端末の向こうのアルバコアさんが『わっ、びっくりした!』と、愉快そうな声を上げた。

 

『大鳳も一緒だったんだ。そっか、今日は大鳳が秘書艦だったもんね』

 

 楽しげに言うアルバコアさんの声には、大鳳さんに対する含みらしきものは全くない。

 

『まだ仕事中なの?』

 

「取り込み中でしたわ!」

 

 僕の代わりに、大鳳さんが威勢よく答える。

 

『過去形じゃん。今も忙しいの?』

 

 アルバコアさんの問いに、今度は僕が答える。

 

「いえ、仕事は終わっていますよ。……そちらは盛り上がっている様子ですね。ゲームのお誘いですか?」

 

『そうそう! 話題のレースゲームなんだけど、一緒に遊ぼうよ!』

 

 仲の良い友人を誘うようなアルバコアさんの無邪気な声は、埠頭の暗がりをパッと明るく照らすようだった。僕も自然と頬が綻んでくる。大鳳さんと目が合うと、「指揮官様さえよろしければ、行ってあげてください」と、彼女は肩竦めて笑みを作った。その大鳳さんの笑みの気配を、端末の向こうで察したのかもしれない。

 

『大鳳も一緒にどう?』

 

 アルバコアさんの声は視線でも流すかのように、自然と大鳳さんにも向けられていた。

 

「……大鳳は遠慮しておきます」

 

 ワザとらしい程にすげなく答える大鳳さんに、僕は苦笑を洩らす。どうも大鳳さんは、アルバコアさんと仲が悪いわけではないが、相性がよくないらしい。

 

『そっかー。大鳳、ゲーム下手っぴだもんね……』

 

「そんな残念そうに言われる筋合いはありませんわ! それに、この大鳳……、そのレースゲームに関してはなかなか腕だと自負していますわよ?」

 

『えぇ~、うっそだぁ。前にやった時は散々だったじゃん』

 

「あの時の悔しさをバネに、密かに特訓を積んでいますもの。今の大鳳は、この母港で最速であることは間違いないですわ」

 

『へぇ~、言うじゃん。是非そのスピードを見せに来てよ』

 

 賑やかに言い合う二人を眺めているだけで、僕は何物にも代えがたい幸福感を覚えていた。二人の間を行き交う言葉の中には、過去に向けられた生々しい憎悪や、暗い屈託が垣間見えることも無い。互いに持つ因縁も、彼女たちの遠慮のない遣り取りに影を落とす気配も感じられなかった。今の大鳳さんとアルバコアさんの関係の中に、昼間のモナークさんとウェールズさんの関係が重なって見えた。

 

 それは恐らく、彼女達の背負う過去に帰属しない、彼女たち自身の交流だからだろう。過去は過去であり、現在とは関係ないと切り離してしまうのでもなく、その過去を見据えた上で、相手の人格に敬意を払っている。そしてそれは、大鳳さんとアルバコアさんだけではない。KAN-SEN皆の、そういった誠実さの実践と努力の集積こそが、この母港の日常なのだ。

 

 自分たちが過ごす日々を美化するつもりはないが、僕のこういう考え方も、モナークさんは“綺麗事”だといって嫌がるだろうか。二人が楽しそうに言い合う声を聞きながら、僕は肩越しに夜の海を見遣る。

 

 この広漠とした暗がりは、僕たちの日常になど全く関心を払わない。ただ、その徹底された無関心さは同時に、この母港に流れる時間や、KAN-SEN達の尊さも否定しない。その強硬な姿勢に触れる時、僕はいつも心強さを覚える。この世界の僕たちに対する不干渉と無関心は、つまり、その存在や在り方を許容されているということだ。

 

 こっそりとため息を吐き出した僕は、視線だけで空を見る。僕のすぐ傍に居る大鳳さんとアルバコアさんが、遠慮なく言葉を交わし、日常の小さな一コマ紡いでいる。その様子を、囁くようにして瞬く星々と、黙ったまま澄んだ月だけが見下ろしていた。

 

 

 

















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雲間

※タグを修正させて頂いております。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執務室のソファに浅く座った僕は、湯飲みでお茶を一口啜る。熱過ぎず、ぬる過ぎず、また程よい渋みがあって美味しかった。肩から力を抜くように、そっと息を吐きだす。今日の仕事も大方終わっていて、時間にはかなり余裕がある。執務室の窓から空を見遣ると、遠い青空の中で、のんびりとした羊雲がぽつぽつと漂っていた。

 

 ゆったりと過ぎていく雲と同じように、今の執務室にも穏やかな時間が流れている。つい数分前までは僕も純粋にそう思っていたのだが、今はその穏やかさに若干の陰りが見え始めていた。僕は窓から視線を戻し、目の前のソファテーブルを眺めた。

 

 テーブルの上には将棋盤が置かれている。重厚感を放つ本格的なものではなく、テーブルゲームとして手軽に持ち運べるようなものだ。随分と前に、三笠さんが秘書艦の時に持ち込まれたものである。その盤上を、僕の正面のソファに腰掛けた加賀さんが、ぐっと前のめりになって睨みつけている。

 

「さて、どうしたものか……」

 

 顎に手を当てる加賀さんは険しく目を窄め、眉を絞り、熟考している。自らが纏う空気を研ぎ澄ますような真剣な面持ちだ。彼女の配下にある駒達も、心なしか背筋を伸ばしているかのように見える。加賀さんは次の一手を考えている。なかなか動かない。

 

「これはもう、不味いんじゃないか?」

 

 そんな加賀さんに遠慮がちに声を掛けたのは、彼女の隣のソファに腰掛けたエンタープライズさんだった。

 

「飛車も角も落ちているし、巻き返せるのか?」

 

 盤面の駒の並びに視線を走らせたエンタープライズさんは、どこまでも冷静に言う。すると、前のめりの姿勢からゆったりと体を起こした加賀さんは、表情の強張りを解きながら、エンタープライズさんの方へと首を曲げた。それから、「なに、気にするな」ふっと口許に笑みを浮かべる。

 

「私と指揮官となら、これぐらいのハンデがあった方が、実力が拮抗するんだ」

 

「いや、対局が始まった時はハンデなど無かっただろう……」

 

「分かっていないな。私はこの戦いの中で、敢えて飛車角を譲ったのだ」

 

「……本当か? そうは見えなかったぞ」

 

 実力者然とした口振りの加賀さんと、盤上の戦況を見比べたエンタープライズさんは、普通に負けているだけじゃないのか……? と言わんばかりに眉を寄せた。

 

 エンタープライズさんが将棋に興味を持ち始めたのは、重桜のKAN-SEN達との交流が深まって来てからだと聞いている。もともと負けず嫌いである彼女は、勝利への執着が強く、その成長も目覚ましかった。駒の動きや戦術の定石などを瞬く間に身に着け、有名な対局を繰り返し観戦し、あとは吸収した知識のアウトプットを兼ね、天城さんや三笠さん、それに、赤城さんや加賀さんの都合がつけば、ひたすら対局を重ねているとのことだった。

 

 エンタープライズさんと対局をした三笠さんが、「ああいう真っ直ぐで勝ちたがりな者の相手にするのは気持ち良いが、あやつの“勝つまでやるぞ”という姿勢は、妙な圧力を感じて恐ろしい」と、苦笑していたのが印象に残っている。

 

 実戦を重ねてきたエンタープライズさんは、すでに加賀さんとも拮抗する実力を備えているという話であり、今の加賀さんの戦況を理解できないということは無い。ただ、加賀さんも加賀さんで負けず嫌いであり、エンタープライズさんに「お前、圧されているぞ。負けているぞ」と思われるのが嫌なのだろう。

 

「傍目に分からないように手を抜くのも、私の腕の為せるワザだな」

 

 エンタープライズさんを横目に見た加賀さんは、鷹揚として言いながら次の手を指した。

 

「……では、僕はこうしますね」

 

 ここまでかなりの時間の使った加賀さんに対して、僕は即座に指し返す。

 

「あっ」

 

 思わずという感じで、加賀さんが声を洩らした。

 

「あぁ……」

 

 まぁそうなるな、という感じで、エンタープライズさんが頷きながら腕を組み、顎に触れていた。束の間、誰も喋らない時間が流れる。そのうち、ぎゅぎゅっと眉間を絞った加賀さんが、歯の隙間から深刻そうな長い息を「スゥゥゥゥ──……」と吐きだしながら、先程よりも前のめりになって将棋盤を睨みつけた。

 

 加賀さんはその姿勢のままで、片手の掌で額を覆ったり、下唇を引っ張たり、首を回しながらソファに凭れ直し、すぐにまた前のめりになるなどして、必死に打開の道を探っている様子だった。エンタープライズさんは何も言わないが、『これはもう、勝負あっただろう』という顔だ。追い詰められた加賀さんが、如何なる悪あがきを披露するのかを見届けるようにして盤面を、というか、加賀さんの様子を窺っている。

 

「待った無しと言ったのは、加賀の方だったな」

 

 僕に視線を寄越してきたエンタープライズさんが、確認するように言う。

 

「えぇ、加賀さんが仰いましたね」

 

 控えめに苦笑を浮かべた僕が答えると、加賀さんが「ふぅぅぅ──……」と、疲れたような溜息を吐き出した。その後、また黙り込む。盤面を睨んだままでボリボリと頭を掻いた加賀さんは、ハッとした顔になり、次の手を指した。これでどうだ!? といった、力の籠った眼差しで僕を見た加賀さんは、唇の端に笑みを乗せている。

 

 加賀さんにとっては会心の一手だったようだ。息を吐いた加賀さんは、ふんぞり返るようにしてソファに凭れた。これから反転逆撃を開始するぞという意気込みが溢れていたが、僕は再び、即座に指し返す。黙ったままの加賀さんが、起きた現象を確認するような慎重な顔つきになって、また前のめりになった。加賀さんは険しい眼つきになったままで、唇を窄めている。

 

「……加賀、ひょっとこみたいになってるぞ」

 

「ちょっと黙っていろ。ここが勝負の分かれ目だ」

 

「もう勝負は付いているだろう……」

 

「いいや、まだだ……!」

 

 力強く言い放った加賀さんは、盤上に手を伸ばしたが、どの駒を手に取るか迷った。そしてそこで、盤面ではなく僕の顔を見た。真剣な眼だった。加賀さんは僕の眼を、と言うか、表情を窺いながら、これか? いや、こっちか? という様子で駒を順番に触っていく。僕は啜ろうとしていたお茶を危うく吹き出しかけた。

 

「おい、ババ抜きじゃないんだぞ」

 

 眉を顰めたエンタープライズさんが、流石にそれはどうなんだと言った感じで、加賀さんを横目で見た。

 

「そうですよ……。僕の顔じゃなくて、盤面を見て下さいよ」

 

 僕も言うと、加賀さんはいつものクールな笑みを浮かべた。

 

「ふっ、表情を探られて困るということは、まだ挽回の手が在るということだな」

 

 その自分本位の捉え方は何なのだと思うが、往生際の悪い加賀さんは、諦めることなく次の手を指し返してくる。だが、それも僕の想定の範囲内だった。すぐに僕も指し返そうとしたところで、「……と、見せかけて」などと言いながら、加賀さんが指した駒を引っ込めた。もはや自由自在、縦横無尽である。

 

「おい。良いのかそれは」

 

 エンタープライズさんが異議を申し立てる。だが、「今のはフェイントだ」などと言って、加賀さんは涼しい顔でそれを退けようとした。その態度は、リング上のレフェリーに対して、ダウンでは無くスリップだと主張するかのようだった。

 

「やりたい放題だな……」

 

 呆れとも感心とも言えない声を出したエンタープライズさんが、「良いのか?」と僕を見た。このまま続行するのかという問いかけは、まさに公平公正なレフェリーのようだった。

 

「えぇ、大丈夫ですよ。続けましょう」

 

 僕はエンタープライズさんに頷いてから、手に持っていた駒をもとの位置に戻す。すると加賀さんは、今度は駒を手に持ったままで僕の表情を観察しながら、先ほどのように、「ここか? いや、ここだな?」というふうに、駒を置ける場所を探り始めた。これはもう将棋ではないのではないかと思いながらも、僕は思わず笑ってしまった。

 

「ふん、……ようやく笑ったな」

 

 そこで、僕の表情を追っていた加賀さんが鼻を鳴らし、優しげに眼を細めた。飄々としたものとは違う、穏やかで、安堵が滲むような笑みだった。気付けば、エンタープライズさんも、加賀さんと似たような表情になって僕を見ている。二人してどうしたのだと思い、ソファに座ったままの僕は背筋を伸ばしてしまう。

 

「ここ数日、駆逐艦の者達から、お前に元気が無いと聞いていてな。また一人で何やら抱え込んでいるのではと思って、心配していたんだ」

 

 なぁ? と、同意を求めるようにして、加賀さんは隣に腰掛けているエンタープライズさんに視線を向けた。その視線を受け止めたエンタープライズさんは僕に向き直ってから、軽く肩を竦めるような仕種をして見せる。

 

「指揮官は、自分のことを殆ど何も言わないからな。あの明るいブレマートンも、少々嘆いていたぞ。指揮官が頼ってくれないと」

 

「酔っぱらった大鳳の奴も、似たようなことボヤいていたな」と、加賀さんが肩揺らすと、エンタープライズさんも吊られていた。その優しい笑みのまま、再び僕を見たエンタープライズさんは、何かを確認するかのように、ゆっくりと小刻みに僕に頷いてみせた。

 

「ただ、そういう部分で、私達が指揮官への信頼を損なうこともないし、指揮官が何に悩んでいるのかを無理に訊きだそうなんて思っていない。そこは安心してくれ」

 

「“なぜ私達に打ち明けてくれないのだ”などと、お前を責めるつもりもない。……まぁ、任務についての海域や敵情報を伏せられたりしたら堪らんがな」

 

「いや……、指揮官として、そんなことは絶対にしませんよ」

 

 僕は居住まいを正し、加賀さんを見据える。

 

「なら良いんだ。お前の苦悩は、お前のものだ」

 

 寛ぐようにソファへと座り直した加賀さんは、その尻尾をゆらゆらと揺らしながら、僕を見据えた。何気ないふうを装いながらも、それが真剣な話であることは、加賀さんの眼を見れば分かる。そして、その何か重要で正直な話を、場の空気が出来るだけ重たくなってしまわないように、この将棋の間の遣り取りに紛らわせてしまおうとする気遣いも、十分に伝わって来ていた。

 

「心配する私達にお前が気を遣って、何かを話さねばならないと思う必要もない。……お前が話したくなったら、話したい者に打ち明けてくれればいい」

 

 落ち着いた余裕のある声で言ってくれた加賀さんは、そこで僕から視線を外して、腕を組み、また前のめりになって将棋盤を見下ろす。言いたいことはこれで終わりだと言うふうだった。そんな加賀さんを横目で一瞥したエンタープライズさんも、小さく顎を引いた。

 

「……重要な話なら、それを明かすのも、聴いて受け止めるのも、互いにタイミングと余裕が必要だろうからな」

 

「ありがとうございます。それに、すみません。気を遣って頂いて……」

 

 僕が頭を下げると、加賀さんが鼻を軽く鳴らした。

 

「謝る必要はない。そういう話をしたところだろう?」

 

 言いながら、加賀さんは将棋の駒を手に、軽やかに次の手を指した。その乾いた音は、この話はここまでというふうに、はっきりとした輪郭を伴って、執務室に余韻を残した。エンタープライズさんも何も言わず、穏やかな表情のままで盤面に視線を戻した。彼女達の思い遣りに満ちた言葉に対して、胸の芯が詰まる。

 

 彼女達に甘えようとする心のぐらつきを戒めるように、かつてのオブザーバーの言葉が脳裏を過っていく。何もかもを見透かしたような彼女の琥珀色の眼差しが、僕の内側で今も息衝いている。僕は、喉元にせり上がって来ている言葉を必死に飲み込んだ。加賀さんとエンタープライズさんが作ってくれた、この暖かい沈黙を守りたかった。

 

 僕の苦悩は、僕のものである。加賀さんのその言葉は、既に僕の心と並走を始め、僕を鼓舞してくれていた。日常の時間へと立ち返る力をくれる。もう、余計なことは言うべきではないと思えた。僕はただ、加賀さんの指した手に、黙って指し返す。

 

「待って」

 

 加賀さんが素の声を出した。

 

「えっ」

 

 はっとして僕も顔を上げると、向かい合って座っている加賀さんが、僕を非難するような表情になっていた。「“待って”とは何だ? “待った”じゃないのか?」と、エンタープライズさんも不審そうに眉を顰めて加賀さんを見ている。それから、改めて盤面に目をやり、「……これはもう、ほぼ詰みだな」と小さく苦笑する気配があった。

 

 加賀さんの方は苦い表情で、盤面と僕を見比べてから、「スゥゥゥゥ……」と、辛そうに細く息を吐いた。

 

「お前……、話の流れ的に、こう、手心と言うかお前……、ここはお前……、もうちょっと対局を長引かせて、加賀お姉ちゃんとのコミュニケーションを楽しもうというか……、そういう可愛さを見せるところだろうお前……」

 

 俯き加減になった加賀さんは、空気を読めていない僕を責めるような口振りになって、理不尽なことをブツブツと零している。

 

「いや、手加減も待ったも無しの真剣勝負だって言ったの、加賀さんじゃないですか……」

 

「そこはお前……、私やエンタープライズに分からないよう、上手いこと手加減するのがお前の腕の見せどころだろう?」

 

「まるで僕が悪いような言い草はやめてくださいよ……」

 

 僕が加賀さんに抗議したところで、「よし。指揮官。次は私とやろう」と、エンタープライズさんが熱意を見せた。実力が伯仲する加賀さんが破れたのを見て、闘志に火が付いたのかもしれない。僕を見据えてくる彼女の瞳には、既にメラメラとしたものが揺らめいていて、一局終えるまでは一歩も動かないような頑固さまで窺える。

 

 エンタープライズさんを視線だけで見た加賀さんは僅かに表情を歪め、「これは面倒くさいスイッチが入っているぞ」と、僕に警戒を促すような視線を寄越してから、エンタープライズさんに場を譲った。僕は苦笑しつつその視線を受け取りながら、エンタープライズさんに一つ頭を下げる。

 

「えぇ、お願いします」

 

 

 その後。

 

 対局が進むにつれて、エンタープライズさんの表情は強張って行った。僕の隣に腰を下ろしていた加賀さんが、楽しそうなニヤニヤ笑いを深めていく。

 

「ぐ、……なんだ、天城や三笠と対局している時と、全く違う感覚だ……!」

 

 先程の加賀さんと同じく、ソファに腰掛けたエンタープライズさんは盤上を睨みながら前のめりになっている。

 

 口許に拳を作った彼女は、作戦資料を読み込んでいるときのような真剣そのものの様子で、駒達の並びを眺め、そこから己が執るべき手を一心に探ろうとしている様子である。盤面に集中するエンタープライズさんは、長く、細く息を吐きだしながら、駒に触れ、すっと動かした。

 

 一方の加賀さんは、エンタープライズさんの苦戦ぶりに機嫌を良くし、「これは良い勝負だな」などと楽しそうに言う。眼だけを動かして、エンタープライズさんがジロリと加賀さんを睨んだ。

 

「まだ気持ちでは負けていないぞ、私は」

 

 エンタープライズさんが抵抗の意思を漲らせた低い声で言うと、加賀さんはフンと鼻を鳴らしてから首を伸ばし、「気持ち以外の全部が劣勢のようだが、それは大丈夫なのか?」と、ざっと盤面に視線を走らせた。戦況を揶揄するように言う加賀さんにも、エンタープライズさんは揺るがない。

 

「好きなように言うと良い。愛と正義は、必ず勝つ」

 

「まるで僕が悪者みたいな言い方ですね……」

 

 僕のツッコみは届かなかったのか、エンタープライズさんは気持ちを切り替えるようにして短く息を吐き、盤面に視線を戻した。次に指す僕の手を見定めようとしている。僕は迷わず、すぐに指し返す。

 

「ぉっ……」

 

 エンタープライズさんが、喉にモノが閊えたような、くぐもった声を洩らした。僕が指した手と、その周囲に配置されている駒と状況を見たエンタープライズさんは、眼を窄めて呻き、右の掌で顔を摩るようにしながら更に前のめりになった。その様子を見ていた加賀さんが「くくく」と、愉快そうに忍び笑いを漏らす。盤面を睨んでいたエンタープライズさんは、またジロリと加賀さんを視線だけで睨んだあと、僕を見た。

 

「もしかして指揮官は、とんでもなく強いのか……?」

 

「いえ、どうなんでしょう。特別、強いという訳ではないと思います」

 

 僕は曖昧な笑みを浮かべて、「勝負は時の運とも言いますし」と言葉を継ぎ足す。すると加賀さんが唇の端を持ち上げ、「よく言う」と、やはり愉快そうな声を出した。そして、遠慮も何もなく、がっしりと僕と肩を組んでくる。

 

「殆ど誰も寄せ付けない強さだぞ、コイツは」

 

 嬉しそうに語り出す加賀さんの胸元が、姿勢や体格的に僕の顔のすぐ近くに在るので、居心地の悪さと言ったらなかった。

 

「……どうして加賀が偉そうなんだ?」

 

 エンタープライズさんが憮然とした半目になって、僕と密着する加賀さんを睨んだ。

 

「将棋を教えたのは私だからな。つまり、指揮官は私が育てたようなものだ」

 

 懐かしい思い出を大切に味わうような顔になった加賀さんは、「なぁ?」と、僕に同意を求めてきた。何を無茶苦茶なことを言い出すのだと抗議したかったが、確かに将棋を教えてくれたのは加賀さんだったので、「えぇ、まぁ……」と曖昧に答える。加賀さんが「うむ」などと、偉そうに頷いた。

 

「そういうワケで指揮官は、この加賀お姉ちゃんが大好きということだな?」

 

 意味不明で強引な論理展開を見せる加賀さんは、僕ではなくエンタープライズさんを見ながら、穏やかな表情を浮かべていた。ソファに座りなおした彼女は、「何を言っているんだお前は」と即座に一蹴してから、加賀さんの重要なミスを告発するように指を向けた。

 

「指揮官は“妹キャラ”が好きだと言う情報を私は得ている。“お姉ちゃんキャラ”である加賀に、出番は無いぞ」

 

「えぇ……」 

 

 僕は困惑する。また妙な噂が出回っているのか。疲れたような気分になりかける僕の正面で、エンタープライズさんは自身の優位性を主張するかのように背筋を伸ばし、胸を張った。

 

「そして私には姉が居る。つまりは、“妹キャラ”だ。そう。“妹キャラ”だ」

 

 加賀さんに引けを取らないくらいに無茶苦茶なことを言い出したエンタープライズさんは、自身が妹という属性を持つことを強く推しつつ、僕に鋭い眼差しと笑顔を向けてきた。

 

「指揮官、私は妹キャラだぞ?」

 

 推すなぁ……、などと気圧され気味な感想を僕が抱いていると、そこで加賀さんが全く動揺することなく肩を竦め、「私だって妹キャラだぞ?」などと言い出したので、僕は将棋どころではなくなりつつあった。眉をハの字にしたエンタープライズさんも「は?」という顔をしている。

 

「良く考えてみろ。私には赤城姉さまが居るし、さらに、その赤城姉さまが、姉さまと慕う天城さんも居るんだ。誰がどう見ても、妹キャラ重桜代表だろう?」

 

 平然とした顔で言う加賀さんは、僕の肩を抱く手に力を籠めた。それから、僕の顔を覗き込んできて、「なぁ、兄さま?」などと、ちょっと高い声を出した。

 

「いや、待って下さいよ。さっきまで、自分のことをお姉ちゃんだ何だのと言ってたじゃないですか……」

 

 ほとんど呆れ気味になった僕は、寄ってくる加賀さんの顔から逃れるようにして言う。

 

「ユニコーンがお前のことを“お兄ちゃん”と呼んでいるのが、実はちょっと羨ましくてな。私も呼んでみたいと思っていたんだ」

 

 加賀さんは本心を悟らせない薄い笑みを浮かべていて、この場を混ぜ返して楽しんでいる様子である。先程までの、少し陰りのある話題の名残を、攪拌しようとしてくれているのかもしれない。ただ、それに付き合わされたエンタープライズさんの方は、「ぐぬぬ……!」と言った感じで、僕と加賀さんを見比べている。

 

「……そう言えば兄さま、ビスマルクやキングジョージが秘書艦の時、チェスでコテンパンにしたらしいじゃないか?」

 

 ごく自然に兄さまと呼んでくる加賀さんに、もう僕が何を言おうが無意味では無いかと思えてきて、もうツッコむこともしなかった。「そうなのか?」と、意外そうな顔をしたエンタープライズさんが顎に手を触れ、何かを思い返すように視線を斜め下へと流した。

 

「確かに、最近になって鉄血やロイヤルのKAN-SEN達が、食堂やサロンでチェスをやっている姿はよく見るが……。そうか。あれは皆、打倒指揮官に燃えていたのか」

 

「えぇ……」

 

 僕は困惑と同時に慌てる。別に疚しいことなど何もしていないのに、なぜか弁解しなければという気分になった。

 

「コテンパンだなんて……。あれこそ、運良く勝ちを拾えた勝負ばかりでしたよ」

 

「傍目に分からないように手を抜いたんだろう?」

 

 加賀さんが喉を鳴らすようにして、意地悪く笑った。

 

「もう言い掛かりですよ、それは」

 

 僕が横目で加賀さんを見上げたところで、エンタープライズさんが次の手を指していた。彼女は盤面を見詰めながら、「なるほど……、では次は、チェスでも指揮官に挑むとするか……」などと、零した小声に情熱を滾らせている。彼女を呟きを拾うようにして、僕は駒を指し返した。

 

「あっ」

 

 僕の動かした駒と状況を見て、短く声を洩らしたエンタープライズさんが天井を仰いだ。その様子を見ていた加賀さんが、また軽く笑った時だ。僕の携帯用端末に通信が入った。メッセージだ。対局中であるエンタープライズさんは、拳を額にあてるような姿勢になってから「あぁ、確認してくれて構わない」と頷いてくれた。盤面の戦況に、ちょっと意気消沈した声だった。

 

「正義は勝つ。これは真理だな」

 

 盤面を覗き込んだ加賀さんが、感慨深そうに言う。エンタープライズさんが何かを言い返そうとして、息を吐きだすのが分かった。二人の遣り取りを横目に見ながら、僕は携帯用端末を懐から取り出して、届いたメッセージを確認した。「……誰からだ?」 加賀さんが視線を落としてくる。

 

「三笠さんからです。次のお花見について、今夜にでも少し相談したいことがあると」

 

「気が早いな」

 

 加賀さんは笑ったが、すぐに思い直したように表情を落ち着けて、「……いや、花期は人を待たないと言うしな。迎える準備ぐらいなら、今からしておいた方がいいかもしれん」と、僕の端末を遠い眼になって見詰めた。「前のお花見の時は、比叡さんがてんてこ舞いだったらしいですから」端末に指を滑らせてメッセージをスクロールしながら、僕も頷く

 

「お花見を楽しみにしている方も多いですし、規模も大きい催しですからね。今のうちに、ある程度の細かいことも決めておきたいのだと思います」

 

 酒肴や場所の準備などは、すぐに出来るものと出来ないものもある。担当する者の負担を軽減するためには、事前の取り決めと用意は必要だろう。エンタープライズさんも記憶の中に目を向けるような顔になって、顎に手を触れる。

 

「重桜寮……、いや、重桜領内の並木は、見頃になると圧巻だからな。ユニオンの者達も、花見を楽しみにしている者ばかりだよ」

 

「ロイヤルや鉄血の方たちも、お花見の日は大騒ぎでしたね」

 

 エンタープライズさんの追想に付きそうように言うと、加賀さんが若干、顔を歪めた。

 

「酒好きの奴らは手に負えん状態だったからな。……特にオイゲン」

 

「あぁ……、確かにそうでしたね」

 

 僕は苦笑と共に頷く。

 

 お花見の日は、それぞれの陣営のKAN-SEN達が、各々に気に入っている酒を持ち合ったりする。物凄く機嫌の良さそうな顔をしたオイゲンさんはといえば、持ち寄られた数々のお酒の間を、自由自在に言ったり来たりしていた。その様子は鉄血陣営やロイヤル陣営で開かれるパーティーでも同じで、黒いドレスを纏ったオイゲンさんが華やいだ会場を練り歩き、数々の種類のお酒を次から次へと飲んでいく姿は印象に残っている。まるで美しい黒アゲハ蝶が、花から花へと蜜を求め、優雅に羽を揺らすかのようだった。

 

 ただ、アルコールで蕩け始めた彼女の笑顔は厄介な酔っ払いのそれに過ぎず、「もう指揮官たら、こんなに酔わせてどうするつもり~?」などと、勝手に出来上がっておきながら、何か問題が起こったら僕の所為にしようという気楽さを全開にして近づいて来られると、ちょっと恐ろしかったのも印象に残っている。とにかくお酒の席になると、超スピードで簡単に出来上がってしまう笑い上戸のオイゲンさんだが、そんな彼女の相手を前のお花見の時に務めたのが、加賀さんだった。

 

「オイゲンが楽しそうに呑むのは見ていても賑やかでいいが、あれで絡み酒だからな」

 

 エンタープライズさんが苦笑した。

 

「だからタチが悪いんだ。前の花見の時もそうだが、途中からは私とオイゲンのサシ呑みのようになっていたからな」

 

 思い出して胸が焼けてきたのか。顔を歪めた加賀さんは、僕と肩を組んでいない方の手で喉元や胃のあたりを摩っていた。だが、満更でも無さそうにも見えるのは、やはり二人の関係が良好であるからだろうと思えた。

 

 そこで、再び電子音が響いた。今度は、僕の端末ではなく加賀さんの懐からだった。「おっと、すまない」と、端末を取り出して確認した加賀さんは、緩く息を吐きだして、僕と組んでいた肩を解いて立ち上がった。

 

「秘書艦業務中で悪いが、天城さんからだ。大した用では無いだろうが、少し顔を出してくる」

 

 加賀さんにも呼び出しがかかるという事は、重桜寮で何らかの取り決めが為されているのだろうと推察できた。やはり加賀さんのように陣営内での重要人物となると、こういう時には顔を出すよう求められるのも無理はない。

 

 秘書艦である者が、所属している陣営で重要な立場にある場合、こういったことも茶飯事である。そして、秘書艦を二人置こうと取り決めがなされた理由の一つでもあった。三笠さんからも僕にメッセージが来たところを見るに、やはりお花見に関する会合か。

 

「此方の仕事は殆ど片付いているので、お気になさらないで下さい。加賀さんが出席する会合か何かであれば、重要な話にも触れるかもしれません」

 

「そこまで深刻な話なら私などではなく、まずお前に連絡が行くさ。だから、そう気を張るな。もっと気楽にしていろ」

 

 ソファから立ち上がった加賀さんは、ぐしゃぐしゃと僕の頭を乱暴に撫でて、執務室を後にしようと扉に向かう。そしてエンタープライズさんの隣を通り過ぎる際、「これで指揮官と二人きりだな。頑張れよレベル20」と、励ますような声を掛けて肩を軽く叩いていた。

 

 瞬間的に眼の端を吊り上げたエンタープライズさんは何か言いたげな顔になって加賀さんを見上げたが、すぐにムスッとした顔になって将棋の盤面に視線を落とした。「くっくっく」と喉を低く鳴らした加賀さんは、機嫌良さそうに尻尾を揺らしながら執務室を後にした。

 

 

 

 

 

 残された僕とエンタープライズさんの間に、束の間の沈黙が通り過ぎてから、彼女は将棋盤を改めてざっと眺めた。そして軽く笑みを浮かべて、頭を下げる。

 

「……これは、私の負けだな」

 

 エンタープライズさんにそう言われるまで、僕は対局中であったことを半ば忘れ掛けていた。僕も対局を終えたということで頭を下げる。負けず嫌いの彼女であるから、もう一勝負となるだろうと予想していたが、そうはならなかった。潔く負けを認めたエンタープライズさんは、テキパキと駒を片付けてからソファから立ち上がった。そして、僕の隣へと移って来る。

 

 その距離の詰め方には、加賀さんのように何気なく身を寄せてくる自然さは無かった。むしろ、やぁやぁ我こそはと、戦いを始める前に名乗り出てくるような勇ましさを感じた。一体どうしたのだろうと僕が身構えていると、エンタープライズさんは強張った笑みを浮かべる。

 

「指揮官。疲れていないか?」

 

「えっ」

 

「その疲れを、今日は私が癒そう」

 

 その会話の不自然さや唐突さについて僕が言及する間もなく、ソファに座るエンタープライズさんは、自分の太腿をポンポンと叩いた。僕はエンタープライズさんの真意を測れず、彼女の太腿を2秒ほど見詰めてしまった。魅力的な、長くて綺麗な脚である。そこで僕はハッとした。失礼な視線を向けてはいけないと思ったからだ。

 

 慌てて顔を上げると、エンタープライズさんが微笑んでいた。手には耳かき棒を持っている。いつの間に。耳かき棒は梵天のついたシンプルなものだ。だが、唐突に出現した耳かき棒の存在感は、まるで暗殺者が忍ばせていたナイフを取り出したかのような不穏さに満ちている。

 

「……それ、どうしたんですか?」

 

 僕が尋ねると、エンタープライズさんは「あぁ、これか?」と、手の中の耳かき棒を軽く揺らして、頷いた。

 

「こんなこともあろうかと、いつも持ち歩いているんだ」

 

 冗談でしょうと言い掛けて、慌てて「そ、そうなんですね」と答えた。

 

「さぁ、指揮官」

 

 緊張した笑みのエンタープライズさんは、再び自分の太腿をポンポンと叩いた。膝枕をしてくれるという意味なのだろう。

 

「耳かきをするから、ここに寝てくれないか」

 

「だ、大丈夫ですよ、僕はそんなに疲れていませんから」

 

「いいから」

 

「で、でも……」

 

「いいから」

 

 僕の遠慮が、全く伝わらない。平穏だった執務室の空気が、僅かに翳ったように感じられたのは気の所為だろうか。耳かきをしなければ気が済まないと言った様子のエンタープライズさんは、じりじりとお尻を移動させ、僕に肩を寄せてくる。

 

 僕の疲れを癒そうとしてくれる気持ちは有難いのだが、今日の執務の補佐をして貰いながら、更に耳かきまで秘書艦にさせている指揮官というのは、客観的に見ればあまり良いものでは無いように思えた。そこで、僕の頭にある閃きが浮かんだ。

 

「あぁ。では、僕がエンタープライズさんに耳かきをさせて貰いますよ」

 

「し、指揮官が?」

 

 彼女は奇襲を受けたような顔になった。

 

「えぇ。今日の執務が早く終えたのも、加賀さんやエンタープライズさんの御蔭ですし。疲れを癒すというのは寧ろ、僕の役目ですよ」

 

 僕は言いながら、お尻の位置を寄せて来ていたエンタープライズさんの手から、耳かきをそっと受け取ってから、先ほどの彼女がしたように、「どうぞ」と自分の太腿をポンポンと叩いた。エンタープライズさんが黙り込み、僕の太腿を凝視してから、視線だけで僕の顔を窺ってくる。

 

「……い、いいのか?」

 

 唾を飲み込んだ彼女の表情は、作戦を確認する時の顔だった。

 

「良いも何も」

 

 僕が肩を竦めるようにして答えると、動揺を静めるように深呼吸をしたエンタープライズさんが、「……そ、そうか」と緊張した様子で頷いた。

 

「じゃあ、先にシャワーを浴びて来る」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

「いや、シャワーなんて別に良いですよ」

 

「そうか。なら、先に指揮官が先にシャワーを」

 

「えぇ……」

 

 真面目な顔をしたままで妙な困惑を見せるエンタープライズさんは、いったい何をテンパっているのか。

 

 僕も当惑していると、「そ、そうだな。これは耳かきだからな……」と小声を洩らし、冷静さを取り戻したのであろうエンタープライズさんが再び深呼吸し、唾を飲み込んで、ゆっくりと僕の太腿へと頭を預けてくる。

 

「……では、出撃すゆ」

 

 噛み噛みで言うエンタープライズさんは、横目で僕を一度見上げてから、眼を閉じた。

 

「いや、出撃はしないでくださいね」

 

 取り合えずツッコんでから「失礼します」と断り、エンタープライズさんの、形の良い綺麗な耳にそっと触れる。ぴくんと彼女の身体が一瞬だけ強張るのが分かった。僕は彼女の肌を傷つけないよう、それに、耳の奥深くまで耳かき棒を入れ過ぎないよう気を付けながら、ゆっくりと動かした。耳掃除というよりも、マッサージに近いだろうか。

 

 エンタープライズさんが身体を波打たせながら、あっ、はっ、あっ、うっ、あっ、あっ、と艶やかに掠れた高い声を上げ始めた。膝枕から見下ろす横顔も紅潮しているように見えるし、普段は凛然とした眼差しも今は蕩けて揺れている。微かに汗ばんだ彼女が、流し目を送るように僕を見上げてきた。その切なげに湿った熱い吐息も、僕の太腿に零れてくるようだった。

 

「あの……、い、痛いですか? やっぱり止めましょうか?」

 

 ちょっと普通じゃない様子の彼女に、僕は一度手を止めて尋ねた。エンタープライズさんは呼吸を整えるような、ゆっくりとした瞬きを何度かした。それから、膝枕されたままで唇を舐めて湿らせながら僕を見上げ、小さく頷いた。

 

「あ、あぁ。どうにかりそうだが、だっ、大丈夫だ」

 

「……それは大丈夫なんですか?」

 

 僕が手を止めていると、少し頬を染めたエンタープライズさんが横目でチラチラと僕を窺い、続きをせがむように、もじもじ、もぞもぞと体を揺らした。

 

「ぃ、いいから……。その、続きを」

 

「わ、分かりました。でも、痛かったりしたら、すぐに言ってくださいね?」

 

 僕は言いながら、先ほどよりも更に力加減に気を付けて耳かき棒を動かす。すぐにエンタープライズさんが艶のある息を細く吐き出して、身体を弛緩させていくのが分かった。時折、ピクンピクンと肩が跳ねているが、横顔から窺える彼女の表情に、苦痛らしきもが浮かんでいないので安心する。

 

 暫く続けた後で、僕は耳かき棒を持ち替え、梵天の部分で彼女の耳の表面を優しく撫でた。フワフワとした感触が心地良かったのか。エンタープライズさんが上擦った声を漏らし、ソファに身体を横たえたままで背筋を上した。白い喉を反らせる彼女の横顔が、艶っぽく陶然としていて、本当に大丈夫なのか再び心配になった時だった。

 

「指揮官様!! 加賀から訊きましたわ!!」

 

 執務室の扉がノックも無く、乱暴に開かれた。血相を変えた赤城さんが執務室に飛び込んでくる。

 

「エンタープライズと二人きりで、御無事でしたかぁぁあああああん!?」

 

 赤城さんは執務室に踏み入ったところで、僕とエンタープライズさんの姿をソファの上に見つけ、声をひっくり返していた。目玉が飛び出しそうな勢いだった。「なっ!? なっ……!?」と激しい狼狽を見せつつも、赤城さんはすぐに険しい表情で僕たちを眺めて、「い、いいなっ!」などと、子供のような素直な感想を勢いよく口にした。

 

「赤城。ここは執務室だぞ。そうやって大きな声を張り上げるのは感心しないな」

 

 僕に膝枕されたままのエンタープライズさんが、かなり余裕のある声で言う。寝ころんでいるのに妙な貫禄を漂わせる彼女の存在に圧倒されつつも、「何かありましたか?」と、僕は赤城さんに向き直る。

 

 赤城さんが執務室にやってきたということは、僕に何らかの話があるということであるから、エンタープライズさんに耳かきをしながら話を聴くわけにもいかない。加賀さんが参加しているという重桜の会合には、赤城さんも参加している筈ではないかと思った。加賀さんから何かを訊いて執務室に来てくれたようだが、僕に直接報告すべき何かが在ったのだろうか。

 

 赤城さんの話を聴く姿勢をとるため、僕はエンタープライズさんの耳から耳かき棒を離したのだが、エンタープライズさんは起き上がろうとする気配を見せない。それどころか、またもぞもぞと身体を動かして、僕に膝枕されるのに最適なポジションを探っている。赤城さんの方はと言えば、「むぐぐ……!」といった感じで、悔しそうな顔で僕たちを凝視している。

 

「指揮官様の御膝に、エンタープライズの涎が……!」

 

「なっ!? 適当な事を言うな! 私は涎など零していない!」

 

 エンタープライズさんは僕に膝枕をされたままで、さっと口許を触って、一応確認していた。

 

「別にそれくらいは気にしませんよ」

 

 苦笑しつつ僕が答えると、エンタープライズさんは「ほらな?」という顔つきを赤城さんに向けてから、むふんと鼻息を漏らした。それから、ぐるっと身体を回転させたエンタープライズさんは、僕のお腹に顔をくっつけるような姿勢になり、ぎゅっと僕の指揮官服の裾あたりを指で掴んできた。

 

「し、指揮官、その……、反対の耳も、ぉ、お願いしても良いだろうか?」

 

 僕を横目で見上げるエンタープライズさんが、頬を染め、ちょっと恥ずかしそうな声で言う。

 

「おい……っ!」

 

 それを見ていた赤城さんが、ドスの効きまくった声を出した。かなりおっかない声だった。僕は咄嗟に「まぁまぁ」と宥める様に言うと、赤城さんは一つ息を吐いてから「……取り乱して、申し訳ありません」と、すっと頭を下げってくれた。そして、静々と僕たちの居る応接スペースへと歩み寄ってくる。

 

 赤城さんは、僕たちの居るソファの、その近くにソファに腰掛けた。急に静かになってどうしたのか、という不審がる表情になったエンタープライズさんが、身体を起こして赤城さんの方を窺っていた。すると、赤城さんが懐からすっと何かを取り出した。僕はぎょっとしてしまう。

 

「指揮官様、エンタープライズの耳かきには、此方をお使いください」

 

 赤城さんが恭しく僕に差し出してくれたのは、彫刻刀だった。

 

「ちょっと待て!」

 

 顔色を失ったエンタープライズさんも、流石に立ち上がった。

 

「私の耳を何だと思っているんだ!?」

 

 エンタープライズさんは自分の耳を守るように、両手を耳に当てている。

 

「そもそも何でそんなものを持ち歩いているんだ……?」

 

 僕も同じことを思った。警戒を漲らせた声で言うエンタープライズさんは、薄い笑みを浮かべる赤城さんと、差し出された彫刻刀を交互に見ている。赤城さんはエンタープライズさんの方は見ずに、僕に向き直って穏やかに頷いて見せた。

 

「こんなことをも在ろうかと、いつも持ち歩いていますの」

 

「冗談だろう……」

 

 僕も同じことを思った。掠れた声で何とかそう言ったエンタープライズさんは、一歩後ずさる。そこで、赤城さんが手にしていた彫刻刀が、炎となって揺らめき、ふっと消えた。まるで手品のようだったが、式神を操る力の応用なのだろう。その間に、赤城さんはするするっと僕の座っているソファに近づき、寝転がって来た。僕はあっという間に、今度は赤城さんを膝枕する状態になる。

 

「指揮官様……、この赤城にも、どうか御寵愛を」

 

 縋るように潤む眼差しを赤城さんから向けられてドキリとしてしまう。僕が反応に困っていると、肩をいからせたエンタープライズさんが、「おい、赤城!」と抗議の声を上げた。そしてそこから、普段のような彼女たちの言い合いが始まる。ああ言えばこう言う状態で、遠慮ない言葉の応酬が繰り広げられていく。この光景は、僕の大切な日常の一部に違いなかった。

 

 不意に、オブザーバーの言葉が頭の中で甦ってくる。だが、エンタープライズさんと赤城さんの騒がしい遣り取りが、僕の心の中に忍び寄ってきた感情を濯いでくれる。僕もいつか、彼女達のような誤解を恐れない間柄になりたかった。傍から分からぬよう、手を抜くのだという加賀さんの言葉を思い出す。それは恐らく、抱えた感情にも同じことが言えるのではないか。

 

 僕は、エンタープライズさんや赤城さんに対して抱く、幼稚で淡い憧憬と、心からの深い尊敬と、途方もない暗い諦観を綯い交ぜにした想いを、そっと胸の中に圧しこみ、何とか苦笑を浮かべる。軋む胸から、溜息にも似た吐息が漏れてきた。それを誤魔化すようして窓を見遣ると、彼方に見える空は青々と澄みながらも、散り散りになった雲が陽を隠すように漂っている。執務室に差し込む光が薄く翳っていく向こう側で、空も雲も、僕たちに関心を見せない無表情を浮かべていた。

 

 

 




















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無力の象徴


※削除させて頂いていた話の修正版です。
 修正不足な内容などあれば、また御指摘、御指導いただければ幸いです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日のデスクワークの殆どを終えた夕刻前、書類や何やらがぎっしりと詰まった分厚いファイルを、ウェールズさんが執務室に届けに来てくれた。先日、KAN-SENの何人かにレースクイーンの衣装を着てもらうようなイベントが行われ、ファイルには、その時に撮影された多数の写真が報告と共に綴じられていた。

 

「わざわざ有難う御座います」

 

「このくらい、礼には及ばない。むしろ、こんな嵩張るものを仕事の終わり際に持ってきてしまって、申し訳ないな」

 

 ウェールズさんが苦笑と共に、ファイルを執務机の上に置いてくれる。ズシン、という音が聞こえてきそうな重量感だった。報告書というよりも、ほとんど写真集の束である。

 

「データ化すべきだと陛下にも進言したんだが、『こういうものは写真として残しておくほうが良いに決まっている』の、一点張りでな」

 

「確かに、これだけの量になると流石に圧巻ね」

 

 今日の秘書官である愛宕さんも、秘書艦用の執務机から僅かに身を乗り出し、そのファイルの厚みに目を瞠っていた。

 

「あぁ、前のイベントの……。あの時は不覚であった……」

 

 同じく今日の秘書艦である高雄さんが、酷く疲れた声を出した。彼女は秘書艦用の執務椅子に深く腰かけ、前屈みになって机の上に肘をつき、左手で額を抑えるような姿勢になっている。そういえば、このファイルを持ってきてくれたウェールズさんと一緒に、愛宕さんと高雄さんの二人も、レースクイーンの衣装を着て撮影を受けている筈だった。

 

「もっと色々と経験したほうが良いなどという、愛宕の言葉など聞かなければ……」

 

 俯きがちに言う高雄さんの頬は赤く、低い声は微かに震えていた。ただ、その声音自体に嫌悪や後悔は見受けられなかった。初めてレースクイーンというものを経験する中で抱えた緊張と高揚を今になって思い出し、未だに強く残っているその余韻を、自分でも持て余している風である。いつも落ち着いており、質実剛健で実直な性格である高雄さんが、ここまで動揺している姿は新鮮だった。

 

 

「ふふ、高雄ちゃんったら、そんな風に恥ずかしがらなくてもいいのに」

 

 愛宕さんが微笑みながら言うと、ウェールズさんもイベントの時を思い返すような顔つきになって、「あぁ。愛宕の言う通りだ。そもそも、高雄は美しいのだからな」と、まるで芸術品を鑑賞するかのような、純粋な賞賛を口にしていた。

 

「イベント会場の傍で、福引をやっているブースが在っただろう? 仕事を終えた私たちが戯れに立ち寄った際にも、高雄の凛とした立ち姿は一際、男女を問わず魅了していた」

 

 微笑みを湛えたウェールズさんの断定口調には、一切の他意や揶揄の入り込む余地のない、高貴な自信に満ちている。

 

「ぐ、ぅぅ、そ、そうか……」

 

 高雄さんの方は、いかにも褒められ慣れていないといった様子で視線を彷徨わせ、唇を小さく噛み、何とか頭の中で言葉を探しているようだった。彼女の反応から、レースクイーンというものを毛嫌いしているだとか軽蔑しているということではなく、自分には似合わないものだと決めつけていたのだと分かる。

 

 落ち着かない様子で頬を染める高雄さんは、自分の中に残った違和感を羞恥の対象として思い出しているのだろう。もしも何かの機会が在って、僕が夜のクラブでDJをやってみろと言われてみれば、高雄さんがレースクイーンというものに対して抱いているのと同じ種の抵抗や違和感を抱くのでないかと想像できた。

 

 イベントのことを振り返り、話をしている彼女達の間には寛いだ空気が流れ始めている。窓の外を見ると、空は薄い飴色になりつつあった。僕は執務用の椅子から立ち上がり、愛宕さんと高雄さん、それにウェールズさんを順番に見る。

 

「少し遅くなりましたが、休憩にしましょうか。今からお茶を淹れるので、お時間に余裕があるのでしたらウェールズさんも如何ですか?」

 

「む、気を遣って貰ってすまないな。……では、御相伴に預からせてもらおう」

 

 特に時間を気にする様子もない彼女は、今日の仕事の大半を片付けてきているのだろう。エリザベスさんを支えるキングジョージV級の彼女たちは、ロイヤルが誇る優秀な人材だ。時間にも仕事にも優雅さがある。それから結局、愛宕さんと高雄さん、ウェールズさん達は、僕がお茶の用意をするのを手伝ってくれた。全員でソファに移ってすぐに、先日のイベントについての話が盛り上がりを見せた。

 

 

「ねぇ、指揮官? 指揮官は今回のイベントで、誰のレースクイーン衣装が一番良かったと思う?」

 

 隣に腰掛けている愛宕さんが嫣然とした笑みを浮かべて、こちらの顔を覗き込むようにして訊いてくる。彼女の手には、さきほどウェールズさんが持ってきてくれたファイルが広げられており、目につくページには瑞鶴さんや翔鶴さん、それに大鳳さんのレースクイーン姿があった。

 

 愛宕さんが手にしたファイルのページを捲ると、今度は、レースクイーン衣装を難なく着こなし、艶やかなポーズを決めた愛宕さんの写真が並んでいた。そのページを見せつけるように、愛宕さんがお尻の位置を僕の方へと寄せてくる。ソファが軽く軋む音が響いた。

 

「このお姉さんなんて、どう?」

 

 愛宕さんは、熱烈に自分の写真をアピールしてくる。

 

「なかなか意地の悪い訊き方をするものだ」

 

 僕の斜向かいに座って湯飲みに口を付けるウェールズさんが、可笑しそうに小さく笑った。普段から高級な紅茶を味わっているであろう彼女が、僕の用意したお茶を美味しそうに啜ってくれていることに内心でほっとする。

 

「指揮官殿のことだ。誰が一番などと、順位をつけるようなことはしないだろう」

 

 僕の答えなど分かり切っているという風の高雄さんは、眉間に薄く影を残しながらも背筋を伸ばし、落ち着いた様子でお茶を啜っていた。彼女達へと横目で視線を流した愛宕さんは、僕へと視線を戻してから「……やっぱり、そうなの?」と、ちょっと拗ねるような言い方をした。愛宕さんは唇を尖らせて見せるが、僕は肩を窄めるようにして頷くしかなかった。

 

「皆さん、とても魅力的で奇麗でしたよ」

 

 本心であるし、嘘では全くない。

 

「カメラを前に堂々としていて、カッコ良くもありました」

 

「指揮官らしい感想だ」

 

 ウェールズさんが肩を揺らすと、高雄さんも「全くだ」と頷いた。愛宕さんは面白くなさそうに二人に同意した後で、「あっ」と小さく声を漏らし、何かを思いついた顔になった。それから、一瞬だけ悪戯っぽい笑みを浮かべたかと思うと、少しだけ寂しそうな表情を作りつつ、僕からすぅっと離れた。

 

「あのね、指揮官……。お姉さん、指揮官に伝えておかなくちゃいけないことがあるの」

 

 伝えにくい事実を言葉にするための重大な決意を滲ませた愛宕さんの声は、執務室に良く通った。僕を見詰めてくる愛宕さんの表情は、優しげでありながらも、真剣さを帯びている。

 

「……はい。何でしょう?」

 

 僕は思わず姿勢を正してしまう。ただ、その様子を見ていた高雄さんは、「またぞろ、つまらないことを思いついたのだろうな……」といった、仲の良い友人の悪癖を見守るような表情だ。ウェールズさんの方も、まるで劇か何かを鑑賞しているような顔つきである。この二人の悠長な態度と愛宕さんの深刻さに随分と差があって気になったが、すぐに愛宕さんが一つ息を吐いた。

 

「実は、お姉さんね。あのイベントで、ある男の人と仲良くなったの」

 

「えっ」

 

「今も連絡を取り合っているのだけど、ついこの間、……告白されたの」

 

 僕は一瞬だけ驚いてしまったが、じんわりと喜びを滲ませた愛宕さんの声を聞いていると、彼女の幸せを願う素直な気持ちが、心の中に大きく立ち昇って来た。運命の出会いとは、通り雨のように降ってくることもあれば、走り過ぎた風に追いつくような巡り合いもあるのだと、そう聞いたことがある。

 

 愛宕さんの運命の人が、あの日あの時のイベントに訪れていて、そして二人が互いを見つけ出したという事実は、他愛もない偶然かもしれない。でも、こうしてその話を聞いている僕にとっては、祝福すべき大切な奇跡だった。僕は愛宕さんに頷き、向き直る。

 

「では……、その方と愛宕さんの想いは、ちゃんと通じ合ったのですね」

 

「えっ」

 

「とても喜ばしいことじゃないですか」

 

「ねぇ、待って」

 

「えっ」

 

 祝福の言葉を述べようとしたところで、先程とは別種の深刻さと焦燥に満ちた表情の愛宕さんに、話を遮られてしまった。

 

「指揮官……、どうしてそんなことを言うの?」

 

「え……」

 

「こういう時は、お姉さんに告白をしてきた男性に対して、可愛らしく嫉妬して見せるのが正解なのよ。礼儀と言ってもいいかもしれないわ」

 

 愛宕さんの顔は大真面目だった。

 

「そ、そうなんですか?」

 

 “正解”が存在しているということは、この遣り取り自体が一種のとんち話か何かなのだろうか。僕を責めるような顔つきの愛宕さんに困惑しつつも、僕は一応の頷きを返そうとした。そこで、「指揮官殿、そんな話は真に受けなくともよい。イベントの後にも先にも、愛宕に声を掛けてきた殿方など居らぬ」と、お茶を啜った高雄さんが言葉を刺し込んでくる。

 

「あぁ、確かにそうだったな」

 

 楽しげに頷いたウェールズさんが、記憶を辿るように視線を宙に向けた。

 

「何故かヨークも機嫌が悪そうだったが、それを上回る勢いで愛宕と大鳳は殺気を放っていたからな。何がそんなに気に喰わなかったのか知らないが、まぁ、周りから見ている男性客にとっては、恐ろしくて近づけなかったんだろう」

 

 ゆったりとソファに凭れ直したウェールズさんは、愉快そうに言いながら愛宕さんを見遣った。

 

「だって……、他所のレースクイーンの子たちが、指揮官に言い寄ろうとしていたんだもの」

 

 愛宕さんは唇を尖らせてからそっぽを向いて、目だけで僕を見詰めてくる。

 

「言い寄ろうとしていたと言うか、あれは単に挨拶に来てくれていただけですよ。僕たちだって、イベント関係者には挨拶に回ったじゃないですか」

 

 愛宕さんに答えながら、僕はイベント当日の様子を思い出していた。礼節を重んじる高雄さんやウェールズさんは、率先して挨拶しに行っていた筈だ。翔鶴さんや瑞鶴さんにしても、担当してくれるカメラマンや現場スタッフの人達とも、円滑な関係をすぐに構築していた。

 

 あの日のイベント業務は大きな問題も無く、盛況のままで終わったと僕は記憶している。愛宕さんや大鳳さんが殺気を漲らせ、他者を寄り付かせていなかったなんていう事態は初耳だった。それに、他所のレースクイーンの人達が僕に言い寄って来ていた、なんてことも無かった筈だ。しかし、僕の方に向き直った愛宕さんは、僕の肩をがっしりと掴んでから、確信を滲ませた様子で言う。

 

「いいえ、指揮官が気づいてないだけよ。指揮官に挨拶をしに来た子たちは皆、指揮官を見詰めて、目をうるうるさせていたわよ」

 

「そ、それは気の所為では……」

 

「いいえ。間違いないわ。指揮官のお尻を見詰めながら、舌舐めずりしていた子も居たもの」

 

「それは本当か?」「それは真か?」

 

 寛いでいた筈のウェールズさんと高雄さんが、急に深刻な声を出した。

 

「いや、そんな妖怪みたいな仕種を見せる方は居ませんでしたよ……」

 

 僕はすぐに否定したが、愛宕さんは残念ながらといった口ぶりで、「それも、指揮官が気付いていないだけよ」と緩く首を振って見せた。

 

「拙者がその場に居れば、即刻斬り捨ててやったものを」

 

 無念そうに呟く高雄さんに至っては、いつの間にか軍刀を手に携えていた。険しい表情になったウェールズさんも、「ヨークが妙に殺気立っていたのも、その所為か……」などと、形の良い顎に触れながら得心がいったという様子で頷いている。彼女達の声音には冗談めかしたところがなく、諧謔らしいものも全く感じられない。

 

 あのイベントの成功は、もしかしたら取り返しのつかない悲劇と隣り合わせだったのかもしれないと、今更ながらに僕は思った。少し気持ちを落ち着けるようにして、僕が湯飲みに口を付けようとした時だった。慈しむような表情になった愛宕さんが再び、じりじりと僕の方へと身を寄せてきた。

 

「こうやって思い返してみると、改めて指揮官の無防備さが心配になってきたわ。悪い女性に捕まらないように、お姉さんが守ってあげるからね?」

 

 その言葉通りのお姉さん然とした優しい口調で言いながら、愛宕さんは、よしよしと僕の頭を撫でてくる。

 

「安心すると良い、指揮官。私も貴方の傍らに居るからな」

 

 頼もしい声で言うウェールズさんも僕の隣に座ってきた。そして彼女も、愛宕さんと同じようにして反対側から僕の頭をよしよしと撫でてくる。二人に為されるがままの僕は、大人しい大型犬が撫でられているような状態であり、無力の象徴だった。僕は少々憮然としつつ、お茶を啜る。高雄さんが妙にソワソワしながら、愛宕さんとウェールズさんを羨ましそうに見比べているのは気のせいだろうか。

 

 執務室の扉がノックされたのはその時だった。

 扉の向こうから、間延びした可愛らしい声がする。

 

「指揮官、前に頼まれてたものを持ってきたにゃ~」

 

 僕が入室を促すよりも先に執務室に入って来たのは、のほほんとした笑みを湛えた明石さんだった。彼女は僕と高雄さん、それに愛宕さんを見てから、ソファに腰掛けているウェールズさんに気付いて、「おっ」という表情を浮かべ、とてとてと歩み寄ってきた。

 

「ちょうどいいところに。エリザベス陛下から頼まれていたものもあるから、これを預かっておいて欲しいにゃ。ロイヤル寮まで足を運んだけど、肝心の陛下とウォースパイトは鉄血寮に出向いてるらしくて、すれ違いになっちゃったんだにゃ」

 

 そこで、頼まれていた品とやらをウェールズさんに預け、ロイヤル寮に戻って来たエリザベスさんに渡してもらおうということなのだろう。自身の特徴的な袖から何かを取り出した明石さんは、それをウェールズさんに大事そうに手渡した。

 

 それは、いつぞやのVRゴーグルと、指先に装着するタイプの端末だった。ゴーグルの方は以前のような大掛かりなヘッドセットでは無く、目を覆う部分だけのスマートな造形である。

 

「陛下が……? いや、そもそも何だこれは……。以前のものとは形が違うようだが……」

 

 呪いのアイテムでも持たされたかのような表情になったウェールズさんは、手の中にあるゴーグルと端末を暫く見詰めてから、明石さんへと視線を上げた。その眼差しには警戒の色がありありと浮かんでいる。

 

「簡単に言えば、前の装置の映像特化バージョンみたいなものだにゃ」

 

 明石さんは軽やかに答えながら、ひらひらと袖を振った。「映像特化……?」 興味深そうにその言葉を繰り返したのは、すっと眼を細めた愛宕さんだ。高雄さんも眉根を寄せて、ウェールズさんの持つ装置と明石さんを見比べている。

 

「何が出来るんだ、これは?」

 

「ざっくり言うと、バーチャル空間で指揮官にメイド服を着せたり出来るんだにゃ」

 

「えぇ……」

 

 僕は困惑と共に軽く呻いてしまう。そう言えば……、と記憶を辿ってみると、思い当たる出来事はあった。

 

 あれは確か、エリザベスさんとウォースパイトさんが秘書艦だった時のことだ。「貴方、きっとメイド服が似合うから、ちょっと着てみなさい!」などと、エリザベスさんが唐突に言いだしたのだ。勿論、僕はやんわりと断ったが、あの時のウォースパイトさんが、やたら真剣な顔つきで僕の身体を眺めていたのは印象に残っている。

 

「エリザベスさんの思い付きの為に、この装置を開発したんですか?」

 

 僕が訊ねると、明石さんは肩を竦めて見せた。

 

「ちゃんと報酬を用意してくれるんなら、明石はそれに報いるものを拵えるだけにゃ」

 

 飄々とした口調で職人然としたことを言う明石さんに、「すまない。ちょっと良いか」と、強張った声を掛けたのはウェールズさんだった。僕は彼女の方へと向き直って唖然とした。「次はどうすれば良いんだ?」などと説明を求める彼女が、既にゴーグルを装着していたからだ。さっきまであんなに警戒していたのに。

 

「これを使うんじゃないかしら?」

 

 真剣な表情の愛宕さんが、指先に装着させるための端末をウェールズさんの手に嵌めていく。二人はノリノリだ。

 

 彼女達の傍に居る高雄さんは、「……爆発したりしないだろうな?」と、おっかなびっくりでありながらも、興味深そうな表情をつくっていた。とにかく、彼女達は明石さんが持ち込んできた装置を楽しもうとしている。

 

「そのゴーグルは、エリザベスさんが頼んであった品なのでは……」

 

 僕は控えめにウェールズさんに声を掛ける。

 

「いや、やはり陛下が身に着けるものである以上、その安全性は確かめておかねば」

 

 熱い使命感を漲らせたウェールズさんは、愛宕さんによって装着して貰った指先の端末を動かした。どうやらそれで、ゴーグルの映像出力が始まったようだ。ほどなくして、「おぉ」と短く声を漏らしたウェールズさんが、ゴーグル越しに周囲の風景を見回すように首を巡らせた。

 

「大丈夫? それを付けたままで、私が見える?」

 

 愛宕さんが、首を巡らせるウェールズさんの前に立って、両手を軽く振って見せる。

 

「あぁ、見えるぞ。愛宕も、高雄も、それに、この執務室の光景もな」 ゴーグルをしたウェールズさんは、愛宕さんに手を振り返した。「……これは、内蔵されたカメラか何かで、景色を取り込んでいるのか?」

 

「そうだにゃ。機能が立ち上がってきたら、ゴーグル内の景色の中に空間ディスプレイが表示されるから、あとは端末を付けた指先で、そのディスプレイを操作すればいいんだにゃ」

 

 落ち着いた様子の明石さんはウェールズさんに簡単な説明をしながら、僕に向き直った。

 

「それで、こっちが指揮官に頼まれていたものにゃ」

 

 言いながら明石さんは、再び、あの大きな袖をゴソゴソとやり始めた。今度は何が飛び出してくるのかと僕は警戒してしまったが、次に彼女が取り出したのは、携帯ゲーム機と、あるゲームソフトがセットになって梱包された商品だった。少し前に僕が頼んでいたものだ。

 

 どう見ても明石さんの服の中に納まりきらないような大型のパッケージが、ずるずると袖の中から出てくるのは、一種のマジックのようでもある。僕はパッケージを受け取りながら、軽く頭を下げた。

 

「有難う御座います。わざわざ取り寄せて貰って」

 

「入荷に時間が掛かっちゃったけど、そこは許して欲しいにゃ~。……今更だけど、こういうのを指揮官の仕事の最中に届けに来るのは、ちょっと不味かったかにゃ?」

 

 本当に今更だが、それを分かった上でおどけて見せる明石さんからは、各陣営を飛び越えて活躍する彼女の、商売人らしい強かさが窺えた。僕は緩く首を振って、その大型のパッケージを受け取る。

 

「いえ、今日の仕事の殆どは、もう片付いていますから」

 

「流石は指揮官、仕事が早いにゃ」

 

「補佐してくれる皆さんが、とても優秀だからですよ」

 

 明石さんに答え、ゲーム機が梱包された箱を執務室の隅の方へと置きに行こうとした時だった。

 

「ぬぉっ!!?」

 

 変なと言えば失礼だが、奇妙な声を上げたウェールズさんがビクリと肩を跳ねさせた。僕もギクリとしてしまう。見れば愛宕さんと高雄さんも驚いた顔になって、「急に変な声を上げて、いったい何ごとか」という目つきでウェールズさんを見守っていた。

 

「装置の機能が立ち上がったみたいだにゃ」

 

 何が起きているのかを一人だけ理解している様子の明石さんが、ふぅん……と軽く鼻から息を吐いた。

 

 ゴーグルを装着したままのウェールズさんは、さっきからずっと僕の方へと顔を向けたままで、彫像のように動きを止めている。石化魔法でも受けたかのようだ。

 

「ウェ、ウェールズ殿、如何なされた? どこか、具合でも悪くなられたか?」

 

 動かなくなったウェールズさんの顔を覗き込むようにして、高雄さんが心配そうに言う。合わない眼鏡をかけたりすると、一時的に気分が悪くなったりするという話は僕も聞いたことはある。ウェールズさんの息は少し荒いように見えるし、頬も紅潮している。体調が優れないのであれば、すぐに医務室まで付き添い、送って行こうと思った。

 

 だが、どうも今のウェールズさんの様子をよく見てみると、体調が悪いというよりも、とんでもない衝撃を受けて絶句し、その動揺を必死に鎮めようとしているような風情がある。

 

「あぁ、その、なんだ……」

 

 上手く舌が回らない様子のウェールズさんは、一瞬だけ高雄さんの方へと向き直ってから、またすぐに僕の方へと顔をグルンと向けてくる。彼女はそのまま腕を組みながら顎を触り、「そうきたかぁ~……」であるとか「これは新時代の幕開けだな……」などと、何らかの深い感慨を催していて、高雄さんを当惑させていた。

 

「……ねぇ、いったい何が見えているの?」

 

 ウェールズさんの身体を支えるように立った愛宕さんが、恐る恐ると言った様子で尋ねた。

 

「あぁ……、いや、実はな、このゴーグルを通して見るとだな……」 歯切れ悪く言うウェールズさんの様子は、高名な芸術作品を鑑賞した感想を自分の中で構築しているかのようでもあった。

 

「指揮官が、執事服を着ているように見えるんだ。凛々しくて良く似合っている」

 

「あらあら」

 

 興味深そうな声を出した愛宕さんが目を瞠り、ウェールズさんの装着したゴーグルと僕を高速で見比べ始めた。

 

「ほぅ……」

 

 低い声を出した高雄さんも、ウェールズさんの装着したゴーグルと僕を交互に見て、名のある武具を鑑賞するような顔になっていた。

 

「一応、メイド服だけじゃなくて、色々とバリエーションを持たせてあるにゃ」

 

 明石さんが説明口調で言うと、「ほう。是非鑑賞したい」などと、ウェールズさんが興奮気味な声を出した。それと殆ど同じタイミングだったろうか。ウェールズさんの懐から携帯用端末の電子音が響いた。

 

「ぐっ! こんな時に、陛下からの呼び出しだと……」

 

 ゴーグルを額にずらしたウェールズさんは、懐から取り出した携帯用端末を睨んだ。そして名残惜しそうな顔になって、僕に軽く頭を下げてくれた。

 

「すまないな指揮官、私は一度ロイヤル寮に戻るとする」

 

 エリザベスさんから呼び出しが掛かった以上、彼女の下へと向かわないわけにはいかないだろう。ウェールズさんは「茶をありがとう、御馳走になった」と礼を述べてくれて、すぐに執務室を後にした。その背中を見送った高雄さんが、「あのゴーグルは外して行った方が良いのではないか……?」と、控えめに声を洩らすのが聞こえた。

 

「残念……。お姉さんも指揮官の執事姿、見てみたかったわ~」

 

 愛宕さんはそう零してから、傍にいた明石さんにぽしょぽしょと耳打ちを始める。

 

「ねぇ、あのゴーグルのスペアは無いの?」

 

「スペアは用意してないんだにゃ……。でも、作れないことはないにゃ?」

 

「流石、商売上手ね」

 

 愛宕さんが感心したように言ったところで、明石さんがハッとした顔になってから、執務室の時計をキョロキョロと探して急に慌てだした。

 

「危ない危ない、ぬいぬいとの約束をすっぽかすところだったにゃ」

 

「時間を知りたいの? はい」

 

 愛宕さんが腕時計を見せると、明石さんはほっとしたように息を吐きながらも、慌ただしく身を翻した。用事をすっぽかしかけていた様子だ。明石さんは去り際に、「都合の良い時に連絡をくれれば、すぐに出張するにゃ」と、愛宕さんに頭を下げていた。忙しい中でも次の商談の取っ掛かりを作っておく逞しさは、明石さんらしいと思った

 

 

 

 執務室に残された僕と愛宕さん、それに高雄さんの足元に、橙色になりかけた陽の光が窓から伸びてくる。さっきまでの賑やかさを濯ぐように、緩い夕風が吹き込んできた。落ち着いた静寂が訪れる中で、僕たちは何を言うでもなく顔を見合わせてから軽く笑いあった。

 

「明石が居ると、急に騒々しくなるな」

 

 口許を緩めた高雄さんは、嫌味や含みを持たせない言い方をしてソファへと戻る。

 

「えぇ。でも明石が居なかったら、この母港の空気も、もうちょっと元気の無いものになっていたでしょうね」

 

 愛宕さんもソファへと戻りながら、肩を竦めるようにして優しく言う。確かにその通りだろうなと、僕も思う。明石さんはトラブルメーカーな側面もあるが、それを自力で解決する技術力も併せて持っているから、信頼を失わない。

 

 彼女の起こしたトラブルが陣営の垣根を超えてKAN-SEN達を巻きこみ、そのトラブルが収まるころには、関わったKAN-SENの間に交流が生まれ、深まっていくようなことも在った。結果だけを見れば、この母港を巡る幅広い交流関係が出来上がったのにも、明石さんの存在が大きく影響しているのも間違いない。

 

「不思議な方ですよね、明石さんって」

 

 僕は彼女から渡して貰ったゲーム機のパッケージを、ソファの隣に置いてから座り直し、高雄さんが温め直してくれたお茶を啜る。思い返してみると、明石さんに纏わる逸話は枚挙に暇がないというか、母港で起きた大きな騒ぎの裏には、常に明石さんの影が見えていた。ただ、そこに悪意が無いのも確かだった。

 

「もしかしたら今までの騒動は全て、彼女なりの母港への貢献だったのかもしれませんね」

 

「その解釈は余りにも好意的過ぎるぞ、指揮官殿……」

 

 僕の正面のソファに腰を下ろした高雄さんが、呆れたような渋い顔になって腕を組んだ。

 

「でも指揮官らしいわ。お姉さんは好きよ、そういうところ」

 

 愛宕さんは僕のすぐ隣に腰掛けて、ぐりぐりと僕の頭を撫でてくる。気恥ずかしくて身を引くのだが、愛宕さんは更に身を寄せてきて、殆ど抱き着いてくる勢いだった。

 

「そう言えば、指揮官は何のゲームを明石から渡して貰ったの?」

 

 そこで、愛宕さんが思い出したように言いながら、僕の顔を覗き込んできた。

 

「もしかして、お姉さんに言えないようなエッチなゲーム?」

 

 からかい口調で言う愛宕さんを、腕を組んだままの高雄さんが無言のままでジロリと睨んだ。「全然違いますよ……」と、思わず僕も半目になってしまう。

 

「ほのぼのとした島や村で暮らして、住人たちと交流を楽しむゲームですよ。綾波さんやロングアイランドさんから誘って貰ったので、明石さんに入荷をお願いしていたんです」

 

 僕が愛宕さんに説明すると、意外そうな表情をつくった高雄さんが「……“●●の森”か」と呟いた。

 

「えぇ、そうです。高雄さんも御存知なんですね」

 

「あぁ。ちょうど、前のイベント会場の福引ブースで当たった景品が、そのソフトと本体を抱き合わせたものだったのだ」

 

 すっと視線を逸らした高雄さんは、少し照れ臭そうな笑みを口の端に過らせた。

 

「拙者もゲームというものには疎く、開封もせずに自室に置いていたのだが、折角だと思ってな。つい最近、始めてみたのだが……。のんびりとした時間をゲーム内で味わうのは、中々に面白いものであった」

 

「あの牧歌的な雰囲気は、やっぱり魅力的ですよね」

 

「技術や強さを競うものではないからな。気分転換にも良い。……いずれ、指揮官殿を拙者の島に招待しようか」

 

「良いんですか? えぇ、是非お願いします。いろいろと教えて下さい」

 

 僕と高雄さんの会話が、意外な方向へと盛り上がりを見せる。そのあいだ、愛宕さんは子供みたいに唇を尖らせて、話に入れないことを拗ねるような上目遣いで僕と高雄さんを見ていた。「一体なんだ、その顔は」と、高雄さんが軽く苦笑を洩らした。

 

「だって……、高雄ちゃんだけ指揮官と凄く仲良さそうにしてるんだもの。そのゲーム、お姉さんも始めてみようかしら。……始めてみようかしら?」

 

 愛宕さんは僕の方を窺うように横目で見ながら、ずいっと体を寄せてくる。そして、いかにも誘って欲しそうに「始めてみようかしら~?」と更に繰り返した。もちろん、それを拒む理由は無いし、この手のゲームは人数が多いほうが楽しい筈だ。

 

「えぇ、一緒にやりましょう」

 

 僕が頷くと、愛宕さんは満足そうな表情になって頷き、ゆっくりと僕の肩を抱いてきた。

 

「ふふ。お姉さんと指揮官の、新しい生活が始まるのね」

 

「そういう趣旨のゲームでは無いぞ……」

 

 渋い顔になった高雄さんが透かさずツッコむ。すると、愛宕さんが僕に耳打ちをするように、ヒソヒソと囁いてくる。

 

「指揮官、高雄ちゃんの島に行くときは気を付けてね。高雄ちゃん、ああ見えてムッツリだから、隙を見せたら丸呑みにされちゃうわよ?」

 

「誰がムッツリだと!?」

 

「ま、まぁまぁ」と、僕は両手を出して、今にもソファから立ち上がりそうな高雄さんを宥める。

 

「そんなに怒らないでよ高雄ちゃん、冗談よ。冗談」

 

 愛宕さんも、冗談めかしつつも両手を合わせて“ごめんなさい”のポーズを作っていた。高雄さんは苦々しい表情になって、腕を組みなおした。

 

「愛宕がどのような内容を期待しているのかは知らんが、健全なゲームだ。丸呑みだとか、そんな機能やコマンドは無い」

 

「実装されていたら、そもそものゲーム趣旨が崩壊しますからね……」

 

 僕が苦笑と共に頷いた時だった。隣にいる愛宕さんが、何かを確かめるような目つきになって、「……指揮官って、ゲームが趣味なの?」と、尋ねてきた。

 

「いえ、僕も疎いほうですよ。ゲーム機を持つのも、今回が初めてですから」

 

「ふぅん……、そう」

 

 短く相槌を打った愛宕さんは、言うべき言葉を探すように視線を彷徨わせたが、すぐにいつものお姉さん然とした微笑みに戻った。ただ、僕を見下ろす眼差しが少しだけ硬くなっていることに気付く。

 

「今まで聞いたことが無かったけど、指揮官の趣味って何なのかしら?」

 

「僕の趣味……ですか?」

 

「そう。ほら、指揮官って、いつも夜遅くまで書斎に籠ってるでしょ? 仕事を終えてから、誰かと世俗的な趣味の話をしているところも見たことが無いし……。だから、指揮官が本当に寛いでいる時は、どんな風に一人の時間を過ごしているのか、ちょっと気になったの」

 

 僕に対する愛宕さんの問いかけに、お茶を啜ろうとしてた高雄さんも興味を惹かれた顔をしていた。

 

「そうですね……。えぇと、僕の趣味、趣味ですか……」

 

 改めて訊かれ、僕は自分の生活を思い返してみせる。だが、純粋に何かに打ち込み、熱中するようなものが思い浮かんでこなかった。

 

 僕は自分自身のつまらなさに愕然とする思いで、慌てて記憶の中を探そうとすると、不意に、以前のオブザーバーの声が頭の中で甦りかける。咄嗟に思考を打ち切って意識を逸らした。湧き上がってくる動揺をゆっくりと沈め直すように唾を飲み込んでから、顔を上げ、愛宕さんに笑みを返した。

 

「……言われてみれば、趣味らしい趣味を持っていないかもしれません」

 

 そう、何とか答える。この場を白けさせてしまうのも心苦しく、僕の喋り方はぎこちなかった。僕の話をじっと見守るように聴いていた愛宕さんが、そこで優しい笑みを浮かべて一つ息を吐いた。

 

「それじゃあ、何か指揮官が好きになれることを、お姉さんと一緒に探してみない?」

 

「えっ」

 

「やっぱり何か好きな事がないと、生活にも張り合いが無いでしょ?」

 

 表情を明るくした愛宕さんは、僕の腕を掴んでグイグイと引っ張っていくかのような力強い声で言う。「ふむ……」と神妙な声を洩らした高雄さんは瞑目し、自分の顎に触れた。

 

「仕事だけの一日では、肉体的にも精神的にもメリハリが無くなるからな」

 

 此方に向き直った高雄さんも、唇の端に笑みを含ませていた。

 

「拙者と愛宕は後で道場に寄るつもりなんだが、指揮官殿が身体を動かすのが嫌いでないのなら、拙者と組手でも如何だろう?」

 

「如何だろうって……、僕などでは高雄さんの相手になりませんよ……」

 

「謙遜する必要は無いぞ、指揮官殿。徒手での組手では、あの天城殿を相手取る腕前だと聞いている」

 

「いや、あれは殆ど体術指南の範囲であって……」

 

「ならば尚の事、実践することで身に馴染ませる必要があるのでは?」

 

「高雄ちゃんの言うとおりね。それじゃ指揮官、さっさと仕事を終わらせて、重桜寮へ向かいましょう」

 

 僕の逃げ場を塞ぐようにして楽しげに言う愛宕さんは、首を伸ばし、ざっと自分たちの仕事机の上を眺めてから、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「むしろ、今から行きましょうか? 仕事らしい仕事は、もう殆ど片付いているし」

 

「善は急げと言うが、いくらなんでも急ぎ過ぎだろう、それは」

 

 高雄さんは呆れ顔になるが、その声音には冗談に付き合うような弾みがあった。明るく振舞ってくれる愛宕さんと高雄さんを順に見て、僕は言葉が詰まる。二人からの僕に対する何らかの気遣いめいた優しさを感じて、申し訳なさと有難さに胸が軋んだ。どのような言葉を返すのが相応しいのか、すぐに分からない自分がもどかしい。

 

「……有難う御座います。ではこの後、僕も着替えてから道場に向かわせて貰いますね」

 

 二人に向き直って答えてから、僕は飲みかけていた湯飲みを手に取り、お茶を啜った。高雄さんが温め直してくれたお茶はまだ熱を持っていて、やはり美味しかった。湯飲みから薄く上る湯気は優しく揺らめいて、夕刻を前に飴色が滲んでいく執務室の空気の中に、ゆっくりと溶けていく。趣味など無くとも、この穏やかな時間を彼女達と過ごせる自分は、とても恵まれているのだと思えた。

 

「いつも気を遣って頂いて、すみません」

 

 茶托に湯飲みを戻し、俯き加減で僕が零すと、愛宕さんが小さく微笑む気配があった。

 

「そんなに肩肘張らなくて良いのよ、指揮官。もっとお姉さんに甘えていいんだからね?」

 

 言い終わるよりも早く、愛宕さんはするするっと体を寄せてきた。そして、また僕の頭をよしよしと撫で始める。ここまで自然に撫でられていると、本当に大型犬にでもなったような気分になる。だた、それに抵抗するのも今更だった。僕は愛宕さんに撫でられるがままで、「十分、甘えさせて貰っていますよ」と、誰にも聞こえないような声で答えた。

 

 

 



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ゆるせない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。僕は、夜の埠頭を歩いていた。埠頭設備の照明に照らされ、僕の足元からは影が伸びている。僕の影はやはり、その上半身を黒い海へと投げ出していた。影の半分を海に沈めたままの僕は、潮の匂いを感じながら視線を少し上げた。夜空には月も星も見えず、曇っているのだと分かる。吹いてくる風も、身体に纏わりついてくるかのように湿っていた。一応の護身用として佩いていた軍刀の柄に触れると、その表面には微かに濡れたような感触があった。

 

 雨の気配を抱えた空気を吸い込んで、視線を海へと戻した。

 闇夜の海は変わらずに無表情で、揺るがずに其処にある。

 

 気持ちが沈んで鬱屈とした時であったり、何か考え事をしたりする時に、僕は一人で夜の埠頭を歩くことが多かった。今日は悪夢を見て眠気が飛んでしまい、次の眠気が訪れるまでの時間を持て余していたから、此処に来た。気圧の所為か、心理的なものの所為か、目の奥に鈍痛を感じた。ぼんやりとしている頭を緩く振りながらも、僕の背後から慎重に距離を縮めてきている彼女の存在には気づいていた。

 

「お疲れさまです、ローンさん」

 

 僕は足を止めて振り返る。彼女は、照明が届かない暗闇の中から滲み出すようにして、明かりの下に踏み入って来ているところだった。物々しい鉄血の戦闘装束に身を包んだ彼女は僕を見て、ふんわりとした柔和な笑みを浮かべた。

 

「……はい。お疲れ様です」

 

 ローンさんの優しい声は、暗がりの中に不穏な響きを残した。立ち止まった僕に、彼女が歩み寄ってくる。その彼女の頭が上下していない。そして不気味なほどに、足音も全くしない。まるで影が滑ってくるかのようだった。

 

「良く気付きましたね、指揮官。完全に気配を殺したつもりなのに」

 

 笑みを湛えたままで、ローンさんは首を少し傾げて見せる。

 

「……何処から気づいていました?」

 

「えぇと、そうですね……。広場の前を通り過ぎたあたりでしょうか」

 

「では、殆ど最初からバレていたんですねぇ」

 

 笑顔のままで眉を少しだけ寄せたローンさんが、お腹のあたりで手を組み合わせながら残念そうに言う。彼女の両手は攻撃的な装甲で覆われており、ギチギチと金属が擦れる不穏な音を鳴らした。

 

「それなら、もう少し早く声を掛けて下さっても良かったのに」

 

「すみません。ローンさんが夜の母港を出歩いているのも、何か、ローンさんの目的があってのことだと思ったんです。ローンさんが僕に話しかけて来られる気配も無かったので、僕の方からお声を掛けるべきか、迷っていたんですよ」

 

「あぁ、そうでしたか。私に気を遣って下さっていたんですね。でも、私には特に目的はありません。眠れなくて、なんとなく母港をうろついていたんです。そうしたら、広場を横切る指揮官の姿が見えたので……」

 

「僕と同じですね。僕も眠れなくて。でも気配を消してついてこられるのは、ちょっと怖かったですよ?」

 

「ふふ。すみません。こんな夜更けに指揮官が何をしているのか、少し気になって。何か、私達の知らない指揮官の姿が見られるのではないかと、そう思って、あとをつけました」

 

 ローンさんが笑顔のままで眼を動かし、僕の佩いている軍刀をチラチラと見ていることにも気付いていた。だが、それを指摘することはせずに、「……少し、歩きましょうか?」と、僕は彼女に半身を向ける。

 

 このまま立ち止まって向かい合っていると、妙な方向に話が進んでいきそうな気配があった。だから僕は、歩きながら話の続きをしようと提案したつもりだった。一瞬だけ眼を細めたローンさんはすぐに柔和な笑みになって、「はい」と頷いてくれた。だが、動きを見せない。僕の背後を歩きたいのだろう。

 

 僕は一つ頷きを返して、ローンさんに背を向けて先に歩き出す。肩越しに彼女を振り返ると、彼女は音も無く僕の背後に着いてくる。まるで足元に伸びる僕の影が実体を持ったかのようであり、同時に、ローンさんが僕の影の中に踏み入ろうとしているかのようでもあった。少しの間、二人で黙って歩く。

 

 ローンさんの歩く速度は、僕と全く同じだ。振り向かずとも分かる。歩く速さどころか、歩幅や、呼吸の間隔、深度も、彼女は僕に合わせようとしている。理由は分からないが、僕の動作と一体化しようとしている。先にローンさんが口を開いた。

 

「指揮官は、私を警戒しないのですね」

 

 緩やかな彼女の声が、周囲の暗がりに溶けていく。

 

「まさか。警戒なんてしませんよ」

 

 振り向かないままで、僕は少しだけ冗談めかして言う。背後のローンさんが軽く笑うのが分かった。だが、彼女は相変わらず足音を一切たてない。呼吸も静か過ぎる。先程よりも遥かに気配が無い。振り返って見ると、誰も居ないのではないかと思う程だった。

 

「ローンさんも、よく夜に散歩をされるんですか?」

 

 確かめるつもりで肩越しに振り返って見ると、ちゃんと彼女は居る。優しげで柔和な笑みを湛えて、無音のままで僕と一定の距離を保っている。本当に僕の影のようだった。

 

「そう頻繁にではないですよ。時々、夜の海を眺めたくなって、ふらっと出歩いているんです」

 

「……僕も同じです。夜の海は見ていると落ち着きますよね」

 

 僕はローンさんに言いながら、視線を隣に向けて海を眺めた。視界の焦点が曖昧になるほどに、茫漠とした黒い海がそこにある。夜の海は気が滅入るという大鳳さんに言葉を思い出す。この暗い海を見て落ち着くという精神作用というのは、結局のところ、自分の感情に浮かんでくるものや、喜びや悲しみといった心の動きを深く沈め直しているからなのかもしれない。ローンさんが頷く気配が在った。

 

「でも、あまり長く眺めていると、自分が飲み込まれてしまうような感覚になります」

 

 まぁ、それが心地よくもあるのですが。そう小声で付け足したローンさんと、夜の海を眺めながら他愛の無い話をした。今日の演習の内容であるとか、鉄血寮で流行っているものなど。そういった何気ない世間話を重ねるついでのように、「あぁ、そういえば……」と、ローンさんが笑みを含んだ声を出した。

 

「……指揮官は、誰を専属艦になさるおつもりですか?」

 

 僕は一瞬、言葉に詰まる。肩越しにローンさんを窺うと、彼女は薄い笑みを浮かべていた。優しげであるはずなのに、今は随分と印象が違って見える。僕は彼女から目を逸らし、前を向き、そして俯きながら、口許にだけ笑みを作った。

 

「“誓いの指輪”については、色々と考えているところです」

 

 ローンさんに答えている途中から、意識の隅にオブザーバーの言葉が膨らんでくる。それを遮る思いで、努めて明るい声を出した。僕は多分、KAN-SENの皆に誓えることなど何もない。ローンさんが背後で、「ふぅん……」と、僕の言葉の真意を探るような相槌を打つのが聞こえる。これ以上、この話はあまりしたくなかった。「あの、こういう機会にしか訊けない話なのですが」と、僕は少々強引に話題を変える。

 

「この母港での生活に、何か大きな不満はありませんか?」

 

 肩越しに振り返ると、ローンさんは変わらずに笑みを湛えている。

 

「えぇ。ここの皆さんは、とても親切ですし。でも、少々平和過ぎるでしょうか。こうも穏やかな日々が続くと、色々と発散したくなりますね」

 

「……それはやはり、居心地が悪いということですか?」

 

 僕は訊ねながら、KAN-SENとしての彼女の姿を思い返していた。

 

 母港での生活の中でのローンさんは、鉄血陣営の他のKAN-SEN達がそうであるように、礼儀正しく、他者への心配りや、他陣営への敬意も忘れることはない。心優しい彼女は間違いなく母港の平穏さに馴染んでいた筈であるし、そんな彼女を必要として慕う者も多い筈だった。だが一度出撃すると、ローンさんは自身の価値を証明すべく、戦闘を強く求める傾向があった。それはモナークさんと似て非なるもので、ローンさんの場合は戦闘に於ける破壊行為を楽しみながら、残忍な興奮と快楽を見出し、そこに没頭したがるのだ。

 

 母港で仲間たちと過ごす穏やかな時間と、海の上で戦闘行為に溺れる時間の狭間で、ローンさんが自分自身を調節することに疲れ、苦悩しているのならば、僕に何かできることが在ればと思った。僕の気遣わしげな視線に気づいたのであろうローンさんは、緩く首を振って見せる。

 

「居心地が悪いだなんて、そんなことはありませんよ。ただ、何か物足りない……と、いった感じですね」

 

 笑みを崩さないローンさんの声音には、柔らかい温もりが籠っている。そして同時に、自分の感情を調節しているような響きを感じた。

 

「……でも、この物足りなさこそが、私の本質なのでしょう」

 

 諦観とも自嘲ともつかない声で言いながら、ローンさんが小さく笑う気配がした。僕は振り返ろうしたが、出来なかった。音も無く距離を詰めてきた彼女が笑顔のままで、すぅっと僕の隣に並び、身を屈め、僕の顔を覗き込んできたからだ。

 

「指揮官は、私のことをどう思います?」

 

 優しい声で言いながら、ローンさんは僕の顔を両手で包み込んでくる。彼女の手を覆う黒いガントレットは夜の湿り気を帯びて、ひんやりと冷たかった。その鋭い親指の先端が、僕の両目のすぐ近くにある。

 

「私は指揮官と一緒に居ると、戦場で敵を殺すよりも充実感を感じます。それでも、私は満たされませんでした。ぽっかりとしたこの心の穴を、この隙間を埋めたものは、……“嫉妬”という憎悪なのだと確信しています」

 

 僕の頭部を両手で包み込んだ彼女は、陶然とした面持ちでありながらも力強い声で言う。

 

「指揮官。私は貴方を愛するよりも、もっと深く、深く、他の子たちを憎悪していますよ? この感情が膨れ上がる感触は、今まで味わったことがないほどに甘美で、どうしようもない程に私の心を捉えています」

 

 徐々に彼女の声が大きくなっていく様子は、彼女の抱えた感情によって穏やかな口調に負荷がかかり、軋みを上げるかのようだった。僕の眼を見詰めたままのローンさんは、その鈍色の瞳孔を開きながら息を荒くしている。

 

 ガントレットの指先が、僕の眼球に迫ってくる。だが、僕は不思議と恐怖を抱かなかった。もしかしたらそれは、命の危険が迫っている瞬間なのかもしれず、悲鳴を上げて助けを求めるなり、佩いた軍刀でローンさんを攻撃すべきなのかもしれなかった。だが僕は何もせずに、自分の命を彼女に預けたままで、その眼をじっと見つめかえしていた。

 

 彼女の周囲にある夜の闇が、彼女を少しだけ自由にしているのだと思った。雨の気配を含んだその暗がりは、ローンさんが一人で背負っているようにも見える。夜の海も、雲が敷き詰められた夜空も、僕たちを見ていながら完全に無関心だった。

 

「指揮官。私は、まだ足りないのです」

 

 ローンさんは唇を舐めて湿らせてから、僕を呼ぶ。

 

「私は指揮官に愛されたい。残忍な殺戮に浸る私のままで、指揮官に愛されたい。そして、他の子たちに嫉妬もしていたい……。憎悪を募らせていたい。えぇ。今まではそれで満足でした。満足できていると、思っていたんですよ。でも、やっぱり駄目ですねぇ。……次から次へと欲しくなって……。ふふふ、こうやって言葉にしてみると、私は何て欲深いんでしょう」

 

 僕は、黙って彼女の語る声を聴く。

 

「指揮官は、綺麗な顔をしていますねぇ……」

 

 彼女は僕に顔を近づけ、その鈍色の瞳で、僕の眼の中にある感情の動きを全て捉えようとするかのように覗き込んでくる。僕と、ローンさんの吐息が抱き合う。体温を感じる。あれだけ巧みに気配を消して見せていたローンさんの全存在が、今は、僕の眼の前にある。僕の鼓動と呼吸は乱れていない。夜の海を眺めている時と同じように、僕の心は落ち着いていた。

 

「美しいものは、それが二目と見られないほどに粉々に砕かれる瞬間にこそ、その尊さや美しさが永遠になると思いませんか……?」

 

 ひゅるっと呼吸を震わせたローンさんが、僕の頭部を抱えた両手に力を籠めてくるのが分かった。彼女の力を持ってすれば、無抵抗の僕の頭など容易く潰せることだろう。今のローンさんが浮かべる笑みは、美麗な絵画に穴が空き、それが徐々に広がっていくような不吉さに満ち、狂暴で残虐な悦びの予感に打ち震えているようだった。

 

「指揮官も、この母港の皆も、築き上げてきた交流や信頼も、全てが頽れて、地面に叩きつけられ、無残に砕け散ったそれらを足元に見下ろすとき……、私の物足りなさは完全に満たされるのではないかと、……そんなふうに思います」

 

 ローンさんは凄絶な笑みを浮かべたままで、煮え滾るような黒々とした情熱を吐露する。そして恐らく、その破滅的な願望は、僕以外の誰かに曝されることのなかったものだろうと思えた。彼女の心の奥底で息衝いていたものが、生まれて初めて、彼女の外部と接触している。

 

「こんな私を、指揮官は……、どう思いますか?」

 

 僕の答えを待つローンさんは、ゆっくりと顔を傾けた。ローンさんはその瞳を通して、僕の内面から何かを引き摺り出そうとしているかのような、力の籠った眼差しだった。彼女の瞳の中に、黙り込んだ僕の顔が映っていのが見える。そこに映る僕は、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「僕は、ローンさんのそういった欲望や感情を、善悪や正誤で語るべきではないと思います」

 

 答えながら、彼女の眼差しを受け止める。

 

「良いんですか? 私がこのまま、指揮官の頭を潰しちゃっても」

 

 顔を傾けたままのローンさんが喉を鳴らし、肩を揺らした。

 

「この場で指揮官を無茶苦茶にしてしまえばきっと……、私は永遠に、指揮官を独り占めできますね」

 

「……たとえ、そういった願望を抱いていたとしても、それだけがローンさんを表しているわけではないでしょう。僕は、出撃しているローンさんだけではなく、母港で穏やかに過ごすローンさんの姿を知っています」

 

「“これ”が私の本性だとは、思いませんか?」

 

「ならば尚の事、僕はローンさんの“本性”を尊重したいと思います」

 

 僕が言うと、笑みを消して怪訝な表情になったローンさんがゆっくりと眼を窄めた。僕の言葉の真意を測りかねているかのようだった。ただ僕の語った言葉には、深読みして貰うような大した意味などない。その言葉通りだった。黙り込んだローンさんを、僕は見上げる。

 

「ニーミさんやドイッチュラントさん達と一緒に過ごしているローンさんは、あれは、偽りのローンさんというワケでは無かった筈です。作戦行動において、ローンさんは幾度となく身を挺して彼女達を助け、また、助けられている筈です」

 

 事実として、そういった報告も受けている。それに、ローンさんを中心とした交流関係を見ても、大きな軋轢や摩擦を生んでいることは無かった。

 

「戦闘を強く望み、破滅主義的な哲学を“本性”としてのローンさんが持っていたとしても、その“本性”の欲望を抑えるローンさんもまた、真実だと思います」

 

 感情も思想も一面的なものではなく、常に立体的なものだ。表があれば裏もあり、側面もある。心の奥底に暗い想いを宿していたとしても、それを抑え、他者に優しさや気遣いを向けることが出来る尊さは、たとえ仮面的な行いであったとしても、それは間違いなくローンさ自身のものだ。

 

「もしもローンさんが、この母港に被害を齎し、誰かを傷つけようと本気で考えているのなら、それは悲しいことです。……でも、今まで自分を律してきたローンさん自身が、それを自分に許さないのではないかと思っています」

 

「いくら何でも、それは楽観が過ぎるのでは無いですか? 私のことを美化し過ぎだと思いますよぉ?」

 

 眉を顰めたローンさんは苛立った口調で言い、僕の頬を包む手に力を籠めてきた。それでも僕は抵抗を見せない。死という言葉が脳裏を過る。だが、やはり恐れは無かった。ここで僕が命乞いをすれば、ローンさんは喜ぶだろうか。それとも、落胆するだろうか。僕は、自分の命が失われるその瞬間を目前に控えてなお、ローンさんの心の動きに注視しようとしていた。

 

 ローンさんは僕を殺して、その刹那的な満足感と高揚を、その精神の中で永遠に出来るのだろう。だが、僕を殺害することによって彼女はこの母港に居られなくなるだろうし、鉄血陣営にも還ることはできなくなるだろう。そうなったとき、漂泊の身となった彼女は先ほど僕に語ったように全てを敵に回して、戦い抜くつもりなのか。自らの手で僕を亡き者にした、その事実だけを友にして、自らの破滅的な願望を、この世界に遠慮なく振り下ろすために──。

 

 そういった未来の可能性を、僕は瞬きの合間に想像した。僕が死に、ローンさんが母港から外れ、他の陣営が反逆者としてローンさんを追撃する。何の捻りもない陳腐な想像だ。だが、陳腐であるがゆえに、妙な現実性を備えていた。

 

「この場で僕が殺されることで、ローンさんの心に寄り添うことが出来るのなら……。僕は抵抗しませんよ」

 

 ローンさんが、威嚇するように僕に近づけていた顔を僅かに引いた。細められた彼女の眼は、怯んだようでもある。

 

「ローンさんが自分の欲望と幸福を信じ抜いた結果として、この母港のKAN-SENの皆を敵に回したとしても、僕はそれを責めるつもりはありません。……そもそも、そこまでの覚悟を決めたローンさんの行動を、完全に阻むことが出来るひとなど居ないでしょう」

 

 僕は自分が生きることよりも、孤独となったローンさんの姿や、鉄血陣営や、この母港の未来を想う。ローンさんと戦う、エンタープライズさんや赤城さんを想う。あの二人が負けるところを思い浮かべることが出来ない。能天気で楽観に満ちた希望的観測なのかもしれないが、彼女達の存在は僕を冷静にさせてくれる。

 

「しかし、ローンさん一人では、複数の陣営からなるこの母港の戦力には絶対に敵いません。必ず、ローンさんは敗北します」

 

 僕がそこまで喋ったところで、ローンさんの両手が動いた。つつつと僕の頬を滑り落ちて、僕の喉首に絡まって来る。そろそろ黙れと言わんばかりだ。僕を見据えるローンさんの眼も、これ以上、僕に何かを語らせるべきでは無いといった緊張に満ちている。ちゃぷちゃぷと海の表面が揺れる音が響く。

 

「ローンさんが選び取った未来に於いて、……ローンさんは孤独です。それでも、この母港の日常は続いていくでしょう。仮に、この母港が解体されるような事態になったとしても、KAN-SENの皆の日々は続いていきます。僕とローンさんを弾いたまま……。この暗い海と同じように、穏やかで、誰にも止められません」

 

 僕は黙らない。

 

「ローンさんだけが、ひとりぼっちです」

 

 伝えねばならない。

 

「でも……。ローンさんが誰かに討ち果たされる、その最期の時に、僕の記憶がローンさんに寄り添えるなら、その孤独も少しは紛れるのではないかと思います」

 

「だから、私に殺されても良いと? ……どうして私に、そこまで肩入れをするのです?」

 

「余計なお世話でしたか?」

 

 僕の首を絞める姿勢のままで、不可解そうに眉を絞ったローンさんが、僕の内面を探るように訊いてくる。僕はゆっくりと息を吐きだしてから、両手を無抵抗に垂らしたままで笑みを浮かべようと思ったが、途中で失敗した。困ったような顔になってしまったと思う。でも口許にだけは何とか笑みを乗せることができた。

 

「僕にとって、ローンさんが大事なひとだからですよ」

 

「御自分の命よりも、私の方が大事だと?」

 

「えぇ。そうです」

 

「……私と同じぐらい、他の子たちも大事なのでしょう?」

 

「勿論ですよ。皆、僕の大事なひと達です」

 

 平静な口調で応じ続ける僕に、ローンさんが息を一つ吐いた。そして、僕の喉首を掴んでいた手をゆるゆると離してくれた。

 

「指揮官は本当に、御自身に執着をお持ちではないのですね」

 

 これ以上の問答は無意味だと悟ったかのように、ローンさんは何とも言えない、参ったような笑みを過らせている。「どうやら、そのようです」と、他人事のように答えた僕も、似たような表情を浮かべていることだろう。ローンさんは再び、ガントレットを嵌めた手を伸ばし、僕の頬に触れてくる。その手つきは先ほどのように、僕を破壊するためのものではなく、僕の肌に傷がないかを確かめる為の優しいものだった。

 

「今まで、指揮官の中には私と似たようなものがあると感じていましたが……。それが何なのか、分かった気がします」

 

 眉尻を下げたローンさんの声音には、先ほどのような高揚も興奮は見られなかった。僕の良く知る。優しく落ち着きのある声だった。

 

「自分の命を容易く捨てるような自身への冷酷さを持っていながらも、穏やかな日常を大事に想う指揮官の姿は、随分とひずんで見えます。でも、……その“ひずみ”こそが、私が抱いた親近感の正体だったのですねぇ」

 

 ローンさんは何かを確かめるような口振りで、僕の眼の中を再び覗き込んでくる。僕の瞳を通して、ローンさんは今の自分の表情を確かめているふうでもあった。

 

「……指揮官、私、本当は知っているんですよ?」

 

 ローンさんの声が、明確に僕の内部に入り込んでくる。僕が一瞬の戸惑いを見せる間に、彼女が言う。

 

「指揮官はそう遠くないうちに、……この世界から消えてしまうのでしょう?」

 

 彼女の言葉の意味を理解するよりも先に、夜風が僕に纏わりついた。それでいて、僕の存在には無関心であり続けている。雲の詰まった空も、暗い海も、無機質なほどに、僕とは繋がりを持たないままで、ただ存在していることを感じた。僕の頬の触れているローンさんのガントレットだけが、この世界に僕を繋ぎとめてくれているかのような感覚だった。差し迫った自分の死に対して動揺は抱かなかったのに、僕はローンさんの言葉に明確に狼狽していた。

 

「……どうして、それを?」

 

 彼女の視線から逃れるように俯くと声が揺れた。ローンさんは僕の動揺が鎮まるのを待ってくれているのか、少しの間、黙っていた。僕が自分の爪先を見詰めていると、ローンさんが、僕の頬に触れていた手を動かし、僕の髪を梳くようにした。暗がりの足元で、彼女の影も動くのが分かった。

 

「以前、この母港の鉄血領にセイレーンが襲撃した時、指揮官はオブザーバーと戦闘し、瀕死の重傷を負いましたよね」

 

 僕はローンさんに頷きだけを返した。足元から響くちゃぷちゃぷとした水音がやけに大きく聞こえる。軽い眩暈がして、意識が遠のいていく。その意識を掴み止める思いで、腰に佩いた軍刀の柄を握り締めた。海風に湿った金属は冷たく、その感触に導かれるようにして、頭の中でオブザーバーの声が響いてくる。

 

 あの時のことは、よく覚えている。不気味に微笑むオブザーバーに斬りかかっていった。ビスマルクさんとオイゲンさんを助けなければと思った。あの時の光景は、何度も夢に見る。つい先程も見たところだ。僕に語り掛けてくるオブザーバーの声は、生々しく僕の記憶にこびりついていて、引き剥がせない。鳴りやまない。

 

「重傷を負った指揮官を回収した私に、指揮官は丁寧に礼を伝えに来てくれましたね」

 

 懐かしむように言うローンさんを見上げる。僕を見下ろす彼女の眼差しは、もの悲しく澄んでいた。

 

「私が指揮官を回収するのと同時に、オブザーバーは撤退していきました。その際に、オブザーバーは笑みを湛えながら私にこう言ったんです。“この枝の……、いえ、貴女たちの指揮官は中々に面白いわね。消滅させるには惜しいわ”、と」

 

 ローンさんを見上げたままで、僕は唾を飲み込む。

 

「そして彼女は、楽しげにこう続けました。“自身が消え去る存在であることを伝えられても、恐れも惑いも見せない者は珍しいもの”……」

 

 オブザーバーが語った言葉は間違いなく、僕たちに無関心なこの世界において、明確に僕に向かって意味を持っている。

 

「指揮官がオブザーバーと斬り結んでいる際も、何か、言葉を交わしている様子だったとツェッペリンさんは言っていました。それがどのような内容であるのかは、私には分かりませんが……。きっとそこに、今の指揮官の内面を形作る何かがあったのだと、私は勝手に思っています」

 

 微笑みとも泣き顔ともつかない表情のローンさんは、黙ったまま連続で唾を飲み込んでいる僕の髪を梳いてくれていた。埠頭の設備照明の位置関係により、俯いて見た足元に燻ぶる僕の影が、ローンさんの影と部分的に重なり、溶け合っている。

 

「この事は誰にも口外していません。ビスマルクさんにもです。全く確証を得られない情報ですし、オブザーバーが仕掛けてきた精神的な罠である可能性を疑っていましたから。それに……、何事にも誠実な指揮官が、私達に何も語らないという事実は、私に沈黙を選択させました」

 

「そう……、だったんですね」

 

「えぇ。これは意識しておいて欲しいのですが、ビスマルクさんとオイゲンさんの二人を、命を賭して守った指揮官の存在は、仲間を第一とする鉄血の者達に沈黙を強いるのですよ」

 

 少しだけ声を明るくしたローンさんは笑みを浮かべようとしていたが、険しく眉間を絞ったままで唇を横に開いた表情は、泣き笑いのようだった。

 

「指揮官が語らないということは、それは翻って、指揮官にとって語られたくない、語りたくない内容であると判断したんです。……余計なお世話でしたでしょうか?」

 

「いえ、……そんなことはありませんよ。有難うござまいます。あの時は、襲撃された母港の機能回復こそが最優先でしたから。僕の消滅がどうだなどと、不確かな情報で皆さんを振り回すべきでは無かった筈です」

 

 基地機能を取り戻した後も、海の上でのセイレーンたちの活動は活発であったし、激しい戦いが続いた。その日々の中で、多くのKAN-SENが陣営を超えた仲間意識を共有するようになっていった。彼女達の心の変化と交流の深化こそが、今に続く日常を築くための、最初の一歩だったように思う。

 

 意識を取り戻した僕も、日々の業務に忙殺されていた。だが、この母港に流れる時間が生まれ変わっていく様子を間近で眺められる幸福は、何物にも代えがたかった。僕の存在を必要としない、慌ただしくも美しい時間が流れ始めているのを感じていた。それを濁らせたくなかった。だから僕は、自身の消滅というこの深刻な問題を、新しく始まる日常の中に埋没させてしまうことを選んだのだ。事実、もう僕が居なくとも、基地の機能は死なない。

 

 主体性に溢れた各陣営のKAN-SENの皆が、それぞれにリーダーシップを発揮し、協力することで、運営も戦果も変わらない筈だ。僕が消滅しても、彼女達の日常が保証されている。闇夜の濃淡の中に、僕が絞り出した吐息が解けていく。以前、加賀さんや、エンタープライズさんが言っていた言葉を思い出す。

 

 重要な話は、それを打ち明けるにも、受け取るにも、タイミングが必要であると。そして、そのタイミングとは、僕が話したいときに、話すべき相手にすべきだと。それが、今なのだと思った。

 

「……オブザーバーが言っていました。僕は恐らく、そう遠くないうちに消滅するだろうと」

 

 俯いたままで僕が答えると、僕の髪を梳いていたローンさんの手が止まった。彼女の手は、これからどうするかを迷うように宙を撫でたあとで、また僕の頬に触れ、そのまま首筋に滑り降りてから、肩の上で止まった。僕という存在を確かめ、掴み止めるかのようだった。ローンさんは黙ったままだ。僕は顔を上げることが出来なかった。

 

「僕のような存在は、彼女達の間で“プレイヤー”……、祈る者という意味で、揶揄されているようです」

 

 地面を見詰めながら、僕は下手糞な苦笑を浮かべるのがやっとだった。

 

「……消滅を前にして、挙って何かに祈り縋る様になることから、そう呼ばれているそうです。悪趣味な呼び方だと思いませんか」

 

 震えや強張りを、僕は自分の声から必死に引き剥がしていく。

 

「“枝”という表現から察するに、やはり彼女達は、この世界とは違う何処かを観測しているのかもしれません。荒唐無稽な話かもしれませんが、キューブに纏わる高い技術を持つ彼女たちのことですから、可能性は捨てきれません」

 

 僕はそこまで言ってから、失笑とも溜息ともつかない、微かな息を吐きだした。

 

「……僕たちの居るこの母港も彼女達から見れば、無数に重なった枝葉の一つに過ぎないのでしょうね」

 

 語り終わると、不穏な沈黙が僕たちを取り囲んでくる。参りましたね、とでも言うように、僕は少しだけ肩を竦めて見せた。だがそれは、空虚な沈黙を取り繕うための空元気でしかなかった。

 

「その消滅から、免れる方法は……」

 

 瞳を揺らすローンさんの声が、僅かに震えていた。僕は彼女から目を逸らし、また自分の足元を見詰めた。

 

「それに関しても、オブザーバーは言っていましたね。“貴方の消滅は、私達の力の及ぶ現象ではない”と。恐らく、彼女達を討つことで解決できるようなものではなさそうです」

 

 そこには変わらず、やはり僕の影が黒々と燻ぶっている。

 

「……ビスマルクさんからセイレーンに関する資料や文献を幾つも用意して貰ったのですが、どこにも、それらしい内容は在りませんでした」

 

 以前、ブレマートンさんに何か協力できることが無いかと聞いて貰った時は、嬉しくも在ったが、それ以上に、自分が何について調べているのかを悟られる動揺の方が大きかった。他にも、早朝にベルファストさんやシリアスさんが書斎に訪れた際にも、僕は内心で大いに焦りながらも、何事も無かったことに安堵していた。

 

「この母港を襲撃したのは、彼女達にとっての何らかの調整作業なのかは分かりませんが、僕を消すつもりだったのは間違いないでしょう。“剪定に来た”と、彼女自身が言っていましたから。……今も僕を生かしているのは単なる気紛れか、それとも、僕が何かに縋るような様を見物したいのかは分かりませんが」

 

 悪趣味な知人を揶揄するような自分の口調に、僕は少し戸惑う。僕はオブザーバーに対して、憎悪や敵意以外の何らかの感情を抱いているのだろうか。分からない。僕は右の掌で顔を覆い、緩く頭を振った。

 

「……オブザーバーは、僕が消滅する時になれば、また逢いに来ると言っていました」

 

 まるで死神のように、決定事項を語るような口振りの彼女を思い出す。自身の消滅が、どのような現象の下に訪れるのかは全く予想できない。ただ、その時を待つしかない。この運命は、誰とも取り換えることはできない。僕は一体、何者なのか。消滅を運命づけられた僕には、誰かを愛し、愛される資格があるのか。その問いかけに答えてくれる者は誰も居ない。そもそも、そんな問いは発すべきではないとも思えた。

 

 ただ、ローンさんと過ごすこの今の時間が、何よりも貴重であることを改めて思う。僕を見下ろし、僕の肩を掴んだままのローンさんは、言葉を探すように瞳を揺らしている。つい先ほどまで、ローンさんは自身の全存在を曝け出し、僕を圧倒していた筈だった。

 

 だが今は、僕の存在がローンさんを組み伏せ、無力感の中にゆっくりと沈めていこうとしているような、そんな気がしていた。足元に澱んだ僕の影もまた、ローンさんの影の上に覆いかぶさり、浸食しているようにも見えた。

 

 先ほどまでのローンさんの真剣さが、僕の消滅と無関係である筈がないと、今更ながらに気づく。

 

「……ローンさんは、僕を“生かそう”としてくれていたんですね」

 

 僕は、左の肩を掴んでいるローンさんの手に頬を寄せ、両手で触れる。僕の体温を受け取り続けていたガントレットの装甲は、そこまで冷たくは無かった。

 

 ローンさんは自身の暴力や残忍さを理解している。同時に、それを誰かに理解して貰おうという姿勢は見せない。自身の愛する信条や理念や哲学を他者に押し付けることもない。索漠とした孤独にも、一切の恐れを見せない。そんな強靭な彼女が、僕を愛していると言ってくれた。家族愛か兄弟愛かは、僕には判然としない。だが、愛する誰かを失うことが分かって──、それが、絶対に逃れられない今生の別れならば猶更、全身全霊を掛けて抵抗してくれたのだと、分かった。

 

「ローンさんは、やっぱり優しいひとですよ」

 

 彼女は僕の消滅という事態を知りながらも、それを誰にも打ち明けず、たった一人で抱えてくれていたのだ。ローンさんが僕を殺害する意思表示とはつまり、消滅するしかない僕の存在を、何とか自分の中でだけでも永遠にしたいという、歪んでいながらも、何処までも切実な彼女の願いに違いないのではないか。

 

 僕を殺害したローンさんは、自身を縛るあらゆる帰属から解き放たれる。それは、ローンさんが大事にしていたもの全てを、僕の為に投げ出す行為に等しい。ローンさんは、その覚悟を完了させていた。だから、この夜に、僕を埠頭までつけてきたのだ。彼女はひとりぼっちになっても、自分が抱いていた破滅的な願望に己を全て預けることによって、僕を“生かそう”としてくれたのだ。狂気的な試みかもしれないが、自身の命を賭してまで籠められた彼女の真剣な愛情は、混じりけのない真実を宿しているのだと思えた。

 

 そして、僕の、僕自身への執着心の無さが、彼女は踏みとどまらせた。それが正しいのか、間違っているのかは分からない。もしも僕が、泣きわめき、死にたくない、死にたくない、殺さないでと懇願したら、どうなっていたのだろう。やはりローンさんは、僕の生きることへの執着を永遠にすべく、僕の頭を粉々に握り潰していたのだろうか。

 

「……こんな方法しか、思いつかなかっただけですよ」

 

 僕の肩を掴むローンさんの手が、微かに震えていることに気付く。彼女の唇も震え、そこから零れるようにして紡がれた声は、笑みを取り繕おうとしながらも潤み、涙を兆しながら掠れていた。

 

「余計なものを背負わせてしまって、本当に申し訳ありません」

 

 僕の謝罪の言葉に、ローンさんは一度、いつもと変わらない柔和な笑みを作った。だが、その笑顔はいかにも無理矢理にといった感じで、顔全体を強張らせていた。

 

「……私の心の隙間を埋めたのは、“嫉妬”という憎悪です。でも、その“嫉妬”は、指揮官が居なければ起こり得ない感情です。不和と緊張に満ちた日常を望む残忍な私を、私は否定しません。悪いとも思いません。誰かに理解されようとも思いません。今も、他の子たちを強く、強く、強く、憎んでいますよ? でも……」

 

 血を吐きだすように語る彼女の目尻から、透明な雫が零れた。彼女の笑みが崩れる。彼女は左手で僕の肩を掴みながら、空いていた右手で僕の胸倉を掴み上げた。その生々しい暴力の気配に、彼女の本質と余裕の無さと、僕に対する真摯な想いを感じた。

 

「指揮官が消えてしまう喪失の感覚は、……この憎悪と同じくらい大きく、現実的で、耐えがたいのです。私は、こんな感情を知りませんでした。これこそが、……恐怖でしょうか?」

 

 声を震わせるローンさんは、涙を零しながらも、震える口許に力を籠め、笑みを作ろうとしている。一方で彼女の鈍色の眼は鋭く細められて、僕を睨みつけていた。今の彼女は、自身の感情をどういった表情に預ければ良いのか分からず、激情に任せた混乱のままに言葉を紡いでいる様子だった。

 

「ローンさんの感情を、僕が定義することはできません。でも、その憎悪も、恐怖なのかもしれない感情も……、戦闘や破壊を望むローンさんの哲学と一緒に、大事にして欲しいと思います」

 

 僕は彼女の視線を受け止めながら、緩く首を振るしかなかった。誰かの涙を、こんなに近くで見たのは初めてだった。彼女は歯を食い縛り、渾身の憎悪を籠めて僕を睨みつけてくる。「こんな感情を私に植え付けるなんて……」 その憎悪によって、自身のうちに膨れ上がってきている、恐怖らしき感情を払おうとしているのが分かった。

 

「指揮官……、赦せない……!」

 

 戦場では思うままに残虐な破壊を振り撒き、殺戮を撒き散らし、KAN-SENとしての価値を証明し続けた彼女にとって、“恐怖”などという感情は不要で、唾棄すべきものであり、全くの無縁だったに違いない。彼女は、自身の持つ憎悪で抵抗している。必死だ。彼女が泣いている。「許せない……、赦せないっ……!」 と、自分に言い聞かせるように繰り返している。ローンさんは、僕を睨みながらも、ぶるぶると身体を震わせていた。

 

「赦せない……! 赦せな……、ぃ、ぅ、ぐっ、ぐ、ぅ……うっ……!」

 

 彼女の憎しみの声は次第に、彼女自身の呼吸の自由を奪うほどの嗚咽に覆われて、形を成さなくなった。今の彼女の心を埋めているのは、憎悪ではなく悲哀なのではないかと、ぼんやりと思った。彼女の眼から零れた涙が頬を伝い、ボロボロと地面に落ちていく。その涙を、僕の影が飲み込んでいく。

 

 彼女の震える体が折れ曲がり、僕の前に膝をついた。まるで何かに圧し潰されるかのように、ローンさんは僕の胸に額を預けるようにして頽おれていった。ローンさんの嗚咽は時折、何らかの言葉らしい輪郭を持つ。それはやはり「赦さない」というふうにも聞こえるし、「消えないで」とも聞こえた。

 

 僕は自分の無力さを想いながら、ローンさんの泣き崩れる姿に、為す術もなく打ちのめされていた。“誓いの指輪”という言葉が、不意に頭にチラついた。こんな僕が一体、誰に何を誓えるのだろう。

 

「僕が消えることで多少は形を変えるかもしれませんが、この母港の日常は続いていきます。僕は、そこにローンさんも居て欲しいです。ひとりぼっちは、きっと寂しいですよ」

 

 立ち尽くす僕は、ローンさんを抱きしめることも出来なかった。そんな資格などない。ローンさんの肩の手を添えるのがやっとの僕は、やはり、無力の象徴だった。暫くの間、何かに抵抗するかのようなローンさんの必死な鳴き声だけが、夜の埠頭に物悲しく響いていた。

 

 

 

 






最後まで読んで下さり、ありがとうございます!

キャラクターの解釈は、CWなどのストーリーも参考にさせて頂いています。
どうしても違和感を感じさせてしまう解釈であれば、申し訳ありません……。


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散るなかれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 自我が芽生えてから覚えている範囲で、僕は泣いたことがない。僕の記憶の始まりは軍属の孤児院だった。僕は捨て子だったと聞いている。両親や故郷と言ったものを持たない僕は、一体どこから来たのか。“プレイヤー”と呼ばれる自分は何者なのか。それを探るのも、僕はもう倦んできていた。

 

 僕は、得体の知れない自分自身の存在に疲れている。

 それを改めて意識すると溜息が漏れた。

 

 真夜中の書斎の空気は冷たく澱んでいて、僕が吐き出した溜息と混ざり合い、微細に振動した。椅子に深く腰掛けた僕は前かがみになって、机に左肘をつき、左手で額を覆うようにして頭の重さを預ける。右手でセイレーンに関する資料を捲っていく。ビスマルクさんが新たに手に入れてくれたものだ。その内容に視線を走らせていくが、どれだけ探しても僕の存在に纏わる何かや、僕の消滅に関するような内容は見つけられない。

 

 ゆっくりと瞬きをしてから少し目線を上げ、書斎を見回す。そろそろ片付けないといけないなと、苦笑の搾りかすのようなものが漏れた。今の書斎は酷い有様だ。書斎の机や作業台はおろか床にまで、付箋がいくつも張られた分厚い書籍が何冊も読みかけで放置され、いたるところで積み上がり、その隙間を埋めるようにして資料の束が捲れたままで散乱している。どれもセイレーン関連のもので、先ほどまで僕が手をつけていたものだ。

 

 今まで読み見込んでいたものを含め、改めて全てに目を通し直してみたものの、やはり何らかの成果が得られることは無かった。膨大な量の資料の中にも、僕の存在を繋ぐような希望の気配が全くないというには、ある意味で清々しかった。希望が無いのなら、そもそも絶望のしようがない。僕はもう一度だけ息を吐きだしてから開いていた資料を閉じ、背凭れに体重を預けた。俯きがちに瞑目する。そのまま、静寂の中に耳を澄ますような感覚で、ゆっくりと呼吸を繰り返した。

 

 自分の存在が消えてなくなるということに関しては、オブザーバーと戦闘を行い、重傷を負って、目が覚めた時から意識していた。何かのメロディが頭の中で延々と繰り返される時のように、何をしていてもオブザーバーの言葉が思考の裏でチラつき、消滅の恐怖や不安は僕に付き纏っていた。普段は全く表には出さなかったが、最初のころは夜に一人になると、のたうち回るほどにこの世界を本気で呪った。

 

 消滅から免れるべく自分なりに足掻いてみたが、やはり具体的な解決策は見えてこない。暗い部屋に閉じ込められたかのような気分だった。どれだけ必死に資料や文献を探っても、その部屋から脱出するための鍵は見つけられず、ただ窒息するのを待つだけだった。恐ろしかった。平常心を失う寸前の、綱渡りのような日々が続いた。誰か助けて。誰か。誰か。僕は毎日、自室で一人蹲り、頭を抱えて、心の内部でそう叫んでいた。

 

 そのうち、僕の心に変化が兆し始める。

 これ以上はないという程に、精神的に疲弊していたからだろうと思う。

 

 ──でも、誰かって、誰だろう? 

 

 ある時、そう考えた。

 

 この世界が、どこまでも僕に無関心であることを意識し始めたのも、その頃からだった。それと同時期に、恐怖や不安というものが、それを新鮮なままで維持するのに、ある程度の集中力や精神力が必要であるらしいことにも気づいた。自身の消滅というものに対し、鬱屈とした忌避感を燃え上がらせるエネルギーも、僕の中に残り少なくなっていたのだろう。

 

 ある種のそういった倦怠の中で、僕は自分の消滅を受け容れようと思った。

 

 それは、どうせ何をしても無意味であろうという諦観からではなく、KAN-SENの皆と過ごす賑やかな日々が、僕を明確に救ってくれていたからだ。僕には全くの無関心であるこの世界においても、彼女達と過ごす時間の中には、間違いなく僕が存在していた。僕の役割があり、僕が在るべき場所が在った。

 

 暗い自室で一人、のたうち、呻き、この世界を呪っていた時間で、その日一日にあったことを噛み締めるようになった。過ぎていく日々の時間を目で追いながら、その光景を心に焼き付けていく作業に没頭した。それは幸福な時間だった。

 

 秘書艦であるKAN-SENとの会話や、彼女達の表情や、一緒に食べたお菓子や、コーヒー、紅茶の味、僕に向けてくれる真摯な優しさや思いやり、或いは、彼女達の間にある信頼や友情、過去の因縁を拭いながら新たに友好的な関係を築こうとする、力強い彼女達の精神の息遣いを具に想い、自分の記憶にしっかりと縫い留めていった。陣営を超えた彼女達の貴い正義感や慈しみは、僕が自室や書斎で一人になって思い出すとき、より大きな波紋を僕の内部に広げた。そういった彼女達の暖かい記憶が堆積し、消滅に対する僕の恐怖心は希釈されていった。

 

 そうして、自分が消えてしまうことに関して大きな恐怖心が膨れ上がってくることは無くなった。もちろん、全く何も感じないということは無かったが、以前と比べれば遥かに落ち着いた。今はもう一日一日を心に彫り込む思いで、指揮官としての自分の役割をこなし、粛々と日常を過ごすことができている。

 

 意識して呼吸をしてみる。

 書斎の空気が静寂を保ったままで、また微かに震えた。

 身体を動かすのが酷く億劫だった。

 

 僕はぼんやりとしたままで、僕は机の上に広げていた資料を揃えて置いた。そろそろ書斎を片付けようと思ったが、まぁ、朝までに片付ければいいだろうと後回しにした。此処を使うのは僕だけである。散らかっていても誰にも迷惑を掛けないし、KAN-SENの誰かが訪れて来ても、入室して貰うのではなく僕が退室して対応すればいいのだけのことだ。

 

 そこまで考えてから、僕は何となく、引き出しの中からゲーム機を取り出した。

 

 先日、愛宕さんや高雄さんが秘書艦であった時に、明石さんに届けて貰ったものだ。ゲーム機の電源を入れる。立ち上がってくるゲームは、“●●の森”だ。僕のアバターが画面の中に現れ、ゲーム内の牧歌的な島の中を歩き回る。僕のアバターは、僕とは無関係にゲーム内の暮らしを楽しんでいる。

 

 僕の島は、この母港を模してある。ユニオン、重桜、鉄血、ロイヤルなど、各陣営領の土地を広げて寮舎を模した建物を作り、埠頭や講堂、演習場、広場などを拵えてある。ユニオンの広大な領地と、それに比例した巨大な寮舎や、お茶会などが開かれるロイヤル領内の美しい庭園、鉄血寮内の豪奢で重厚なホール、そして、重桜領内にある絢爛な桜並木など、実際の母港の施設や光景を、可能な範囲で再現した。

 

 ただ、KAN-SENの誰も存在しない。無人の母港である。

 

 僕だけが存在しているこのデータは、愛宕さんや高雄さんと共有しているものとは別のものだ。想い出の詰まったこの母港の姿を何処かに映し、それを、僕が消滅する際に一緒に持って行けないかと思い、このデータを作った。

 

 ゲーム内の母港を、僕のアバターは暢気にテクテクと歩いている。ゲーム内の時間も夜だ。その暗がりの中を目的も無くアバターを歩かせた僕は、ふと思い立って、重桜領の方角へと向かわせた。しばらく母港内の敷地を歩いていくと、見事な桜並木が見えてくる。エフェクトとしての桜吹雪が画面を走った。細かい桜の花弁がヒラヒラと優雅に待っている。ゲームの設定により、常に桜が咲いているのだ。

 

 ゲーム内の月明かりと、その仄かな光に照らされた満開の桜は、本物には遠く及ばずとも美しく、僕の記憶を揺り動かした。毎年開かれる重桜での花見の光景が胸を過る。重桜では、人の一生であったり生き様であったり、その境涯などを花に喩えることが多いと、三笠さんから聞いたのを思い出す。確かあれも、花見の席だった筈だ。喜ばしい結果を表現する際に用いられることが多いという話だった。

 

 その時のことを、花見の騒がしさと一緒にぼんやりと思い起こしながら、立ち止まった僕のアバターを見詰める。KAN-SENの皆が思い思いに楽しむ、あの時のような賑やかで華やいだ空気は、当然だがゲームの内側にはない。僕一人だからだ。僕は、アバターをその桜の前に立たせた。アバターは無機質な表情で満開の桜を見上げている。

 

 その僕の分身を眺めながら、果たして僕の消滅とは、どのように訪れるのだろうと思った。この呼吸と拍動の合間を縫うようにして、ふっと、僕は消え去るのだろうか。その時の光景を想像する。このゲーム内のアバターが突然、僕の意思とは関係なく消失する場面を想う。

 

 このアバターが居た場所には、何の後腐れもなく時間が過ぎて、桜の花弁が舞い散り続けるのだろう。ゲーム内の“日常”は僕のアバターを置いて、そのまま進んでいくだけだ。そこまで考えて、画面のアバターから視線を外した。書斎は静まり返っていて、散らかったままで置かれた書籍や資料だけが無表情に並んでいる。誰も僕を感知していないことを思う。

 

 僕は、ゲーム機を持つ自分の手をじっと見る。今この場で、僕自身が消滅することを想像しようとしたところで、ゲーム画面に変化が起こった。

 

「えっ」

 

 思わず声が漏れた。さっきまで僕のアバターだけしか居なかった筈の画面に、違うアバターが存在している。そのアバターは、桜の前で立ち尽くす僕のアバターの隣に立ち、奇妙なダンスを踊ったり、怒った顔文字を出したり、悲しそうに俯いたり、お辞儀のために頭を下げたりと、忙しくアクションを取っている。いったい何事かと思う。

 

 新たに登場したアバターは白い着物を着ていて、ボリュームのある尻尾が特徴的だった。狐のお面らしきもの頭の横に乗せている。もう、それが誰を表しているのかは、すぐに分かった。加賀さんだ。だが、どうやってこの島に上陸したのだろう……。誰にも許可を出していない筈だ。驚きと不審の半々を籠めた眼差しで、動き回る加賀さんのアバターを眺めていると、メッセージが表示された。

 

『いつまでげーむをしている』

 

 全部ひらがなのメッセージはたどたどしくも温度が籠っていて、この画面の向こうで加賀さんが必死にコントローラーを操作する、ちょっと微笑ましい姿が浮かんだ。僕は椅子に座ったままで身体を捻り、背後にある窓へと視線を向けた。ちょうど、重桜寮がある方向である。僕は少し笑みを零しながら、メッセージを返す。

 

『どうやってこの島に? 誰にも許可を出していない筈ですが?』

 

 僕のアバターが、加賀さんのアバターに向き直る。加賀さんのアバターは、僕に見せつけるかのようにして、所持していた食料をムシャムシャ食べ始めた。メッセージを返すのに慌てて、操作ミスでもしたのだろうか。

 

『あかしにかいぞうしてもらって、おまえのげーむでーたにもぐりこんでいるんだ』

 

 とんでもないことを言いながら、加賀さんのアバターは喜びを表すように可愛らしく両手をあげ、キラキラとしたオーラを放ち始めた。表示されたメッセージとアバターの愛くるしい動作の落差が、妙な物騒さを醸し出している。明石さんもいったい何をやっているのかと思う。

 

『こんな平和なゲームでハッキング紛いの侵入をしてくるなんて、勘弁してくださいよ』

 

 僕はメッセージを送りつつ、僕のアバターに驚いた動きをさせる。

 

『おどろいただろう』

 

 鷹揚に頷いた加賀さんのアバターは、またムシャムシャと何かを食べながら喋りだす。

 

『何を得意げに言っているんですか』

 

 僕はメッセージをすぐに返す。少しの時間を置いてから、加賀さんのアバターから返事が返って来た。

 

『おまえがげーむばかりしているのではとしんぱいになってな。だが、せいかいだった。こんなじかんまでげーむをしているのはかんしんしないぞ』

 

 加賀さんのアバターは喋りながら、泣きだし、また怒り、今度は虫取り網を装備し、僕のアバター目掛けてしつこく振り回してくる。なんて忙しい操作ミスなのだろう。いや、それとも意図的なのか。加賀さんの真意は不明だが、確かに、こんな時間にゲームをしているのはよろしくないのも事実ではあった。

 

『しかしおまえ、こんなものをげーむのなかにつくっていたんだな』

 

『ちょっとずつ作っていたんですよ』

 

『ひみつのうちにつくって、しょうたいしたやつをおどろかせようとしたのか?』

 

『いえ、公開するつもりはありませんでした』

 

 僕がメッセージを送ったところで、加賀さんのアバターが動きを止めた。そして、じっと僕のアバターを見詰める。どちらも喋らない時間が少しだけ続いてから、加賀さんのアバターが、軽快に踊り始めた。

 

『どうしてだ?』

 

 加賀さんのアバターの能天気な動きと、その問いに籠められているだろう微かな緊張が上手く繋がらない。ちぐはぐだ。

 

『特に理由はありませんよ』

 

『そうか』

 

 加賀さんのアバターは、また少し時間を掛けてから答えた。そして今度は、アバター達の傍に立つ桜の木へと体の向きを変える。桜吹雪のエフェクトの下で佇む加賀さんのアバターが、まるで加賀さん本人のような貫禄を備え始めているのを感じた。デフォルメされていながらも、黙り込むと妙な迫力がある。

 

『加賀さんも、まだ寝ないんですか』

 

 無言を許さないアバターの存在感に、僕もアバターにそう喋らせた。そして加賀さんのアバターと並ぶように立って、桜の木を眺めるようにして立たせる。また少しだけ間があって、加賀さんのアバターが喋った。

 

『まぁな』

 

 ほぼ同時だった。窓を閉めていた筈の書斎の中に風が吹き込んできて、広げたままで置いていた書籍や資料のページをパラパラと捲った。えっ、と思い振り返ると、加賀さんが窓から書斎に入ってこようとしているところだった。ぎょっとして僕が身体を強張らせていると、窓枠からするりと足を下ろして着地した加賀さんが、唇の端を歪めて見せる。

 

「遊びに来てやったぞ」

 

 窓枠の向こうの闇を背負った加賀さんは嬉しそうに言いながら、窓枠に引っかかりかけた尻尾をモフモフと揺すった。彼女は右手の指にゴーグルらしきものを二つ吊るすようにして持っている。

 

「遊びに来たって……、どうしたんですか? こんな夜更けに」

 

 数秒の間、僕は言葉を失ってから笑ってしまった。

 

「しかも、窓からなんて」

 

「重桜の寮からだと、この窓から出入りする方が近道なんだ」

 

 飄々と答える加賀さんは窓を閉め、僕に向き直る。それから書斎の散らかり具合を見回しながら、「おいおい」と眉間に皺を刻んだ。

 

「お前、執務室や自室は綺麗に使う癖に、この書斎はどういう状況なんだ?」

 

「……ついさっきまで、色々と引っ張り出していたところなんです」

 

「そうなのか?」

 

 加賀さんは首を伸ばすようにして、開かれている書籍や資料の中身を覗こうとしていた。セイレーンのことを調べているということについて特に負い目は無いものの、加賀さんに探られるような眼差しで今の書斎を眺められるのは居心地が悪かった。

 

「まるで野戦病院のようだな」

 

 ぼそっと言う加賀さんに、僕は「どういうことですか?」と苦笑を返す。

 

「いや……、散らかっているというよりも、機能性を感じるんだ。何らかの必要性があって、本や資料がそこに在るように見える」

 

 加賀さんの声は真面目なものだった。もしかしたら加賀さんは、この書斎に吹き溜まっていた何かを察知しているのかもしれない。「そんな風に見えますか?」と、僕は加賀さんの方を見ないままで曖昧に言いながら、椅子から立ち上がった。妙に落ち着かなくなって、書籍や資料を片付けようしたのだが、そこで加賀さんに肩を掴まれる。

 

「おいおい、せっかく遊びに来てやった私をほったらかして、部屋の片づけか?」

 

 僕が肩越しに振り返ると、加賀さんは悪戯に誘うような不敵な笑みを浮かべ、僕を見下ろしていた。

 

「片付けは後にして、これを付けろ」

 

 ほとんど命令口調で言う加賀さんは、手に持っていたゴーグル型の装置をずいっと僕に差し出してくる。僕は受け取ったそれを手の中に眺めてから、加賀さんを窺った。

 

「これって……」

 

「そうだ。明石から貸し出して貰ったVRのゴーグルだ」

 

 にいっと唇の端を持ち上げた加賀さんは、「遊びに来たと言っただろう?」と言いながら、自分もゴーグルを装着し、額の部分で止めた。ゴーグルを鉢巻のようにした状態の加賀さんは僕の肩を両手で掴んで、椅子に座らせようとしてくる。こうなったらもう抵抗しても無駄だ。

 

「さっきまではメッセージで、“いつまでゲームをしているんだ”って言ってたのに」

 

 僕は横目で加賀さんを見上げると、彼女はいつものクールな笑みを作る。そして懐から、僕が持つものと同じゲーム機を取り出した。

 

「あぁ。言ったな。だが、“そろそろやめろ”とは言っていない筈だ」

 

「まぁ、そうですけど」

 

 僕は軽く肩をすくめてから、観念してゴーグルを装着する。そう言えば、このゴーグルを使うのは初めての事だった。ゴーグルの内部から見える視界は真っ暗で、これから何が起こるのだろうと思うと、少しの緊張と共に、ワクワクとした気持ちが湧いてきた。僕は、このゴーグルの内部に広がる暗がりが、夜の海が湛えた茫洋としたものとは全く異なっていることを意識していた。心の動きが重く沈むのではなく、逆に弾んでくる。

 

「さて、準備はいいな。機能を立ち上げるぞ」

 

 椅子に座る僕のすぐ近くで、加賀さんもゴーグルを装着する気配があった。

 

 

 数秒の間があってから、ゴーグルが小さく駆動音を鳴らし始める。低い振動音にも似ていた。その微かな揺らぎに呼応するようにして、僕の目の前の暗がりから、数枚の桜の花弁がひらりひらりと舞い来て、僕を通り過ぎて行った。それが映像だと分かっていながらも、その花びらを目で追うようにして僕が振り返ると、書斎とは全く違う景色が広がっていた。

 

 

 此処は。夜の、母港だ。

 

 重桜領内にある、桜並木の一画に違いなかった。首を巡らせて周りを見る。舗装された足元の地面や、確認できる建物の並び方も、やはりこの光景は母港のものだ。僕自身の肉体は書斎にあるのに、僕の視覚は全くの別世界を覗いている。自分の体の感覚から、視覚だけが切り離されたかのような錯覚を覚えた。

 

 周りの建物には、そのどの窓にも明かりが点いていない。静まり返っている。まるで母港の土地そのものが眠っているかのようだ。暗闇の静謐に沈んでいる僕たちの周囲を、月明かりだけが優しく照らしていた。ただ、この風景が虚像であることを示すように、海からの風の気配も、潮の匂いも、夜気の感触も存在していない。

 

 これが映像であることを再認識するのに、少し時間が掛かった。

 とんでもないクオリティに僕は圧倒される。

 

 以前に明石さんが用意していたゴーグルは、映像特化型だとか言っていたのを思い出す。明石さんの職人魂と技術力は凄いなぁと純粋に感動していると、背後から僕を包み込むようにして、桜吹雪が吹いてきた。振り返って、また僕は言葉を失う。

 

 月明かりを淡く塗された満開の桜の木々が、宵闇の中から浮かび上がってくるかのように聳え、僕を見下ろしていた。それは間違いなく、重桜領内でしか見ることができない桜並木の光景だった。夜桜から舞い散ってくる花弁は、ただ安らかに僕に降り注いでいる。圧倒的な静けさの中に一体化した桜吹雪を前に、僕は自分がゴーグルをしていることすら忘れる。

 

「仮想の眺めとは言え、なかなかのものだな」

 

 茫然としていた僕の隣で加賀さんの声がする。穏やかな声だった。彼女は腕を組むようにして顎に触れながら、ゴーグルを装着した顔を桜の木々へと向けていた。散ってくる桜の花弁は僕と加賀さんをすり抜けている。こうして二人で並んでいる状況に既視感を覚え、その正体にもすぐに気づいた。

 

「これってもしかして、僕のゲームデータに入り込んでいるんですか?」

 

 僕が訊きながら、先ほどまで僕が操作していたゲームの画面を思い出す。“●●の森”で僕が作った無人の母港で、僕と加賀さんのアバターも、重桜領内の桜並木の前に並んでいた筈だ。加賀さんは身体を桜の方に向けたままで首だけを動かし、見下ろしてきた。

 

「あぁ、そうだ。いい気分転換になるだろう?」

 

 恩着せがましい声で言う彼女の口元には、薄く笑みが浮かんでいる。

 

「私のデータ内の島に誘うつもりだったんだが、侵入したお前の島の出来が良くてな。こっちにしたんだ」

 

「……そういえば、加賀さんもやっていたんですね。“●●の森”」

 

「まぁな」と短く答えた加賀さんは、桜の木へと視線を戻した。

 

「お前が始めたと聞いて重桜では……いや、他陣営でもこのゲームは流行の兆しを見せているな」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「あぁ。そのうち、お前を自分の島に招待したがるKAN-SEN達が次々と現れるぞ」

 

 くっくっくっと低く喉を鳴らした加賀さんは、面白がる口調で僕を脅すようなことを言う。その遠慮の無さが今は心地良かった。

 

「招待して貰えるのは有難いことです。そうなったら順番にお邪魔させていただきますよ」

 

「そうか。忙しくなるな」

 

 茶化すように言う加賀さんだったが、そこから言葉が続かなかった。慎重に言葉を選びなおすようにして数秒だけ口を噤んでから、加賀さんは緩く息を吐いた。ひらりひらりと舞い落ちてくる桜の花弁は、相変わらず無音のままで月明かりに照らされている。

 

「……“この母港”には、誰も招待しないのか」

 

 その問いかけが、先ほどまでアバター同士での会話を辿り直すものだとはすぐに分かった。

 

「そう、ですね。……このデータのことは、誰にも秘密にしておくつもりでした」

 

「何故だ?」

 

 加賀さんは僕を逃すまいとするように肩に手を回してくる。いつもは自然と身を寄せて肩を抱いてくるのに、今は少し強張った手つきだった。それが緊張によるものか、何らかの躊躇によるものなのかは、僕には分からない。ただ、僕が適当なことを言って誤魔化そうとしても、今の加賀さんが納得して引き下がるとも思えなかった。桜の木々を見上げたままの加賀さんが、細い溜息を漏らした。

 

「お前、少し様子がおかしいぞ」

 

「……そうですか?」

 

「あぁ。今までもお前の態度は、全く子供らしくない従容としたものだったが……、今はそれに輪を掛けて恬淡としている。まるで死期を悟ったかのようにな」

 

 桜の花弁が、ゆらゆらと僕の視界に霞をかけていく。

 

「最近のお前は、何かを見納めるような顔で私達を見ている。……自分で気付いてないだろう?」

 

 僕の肩に手を回した加賀さんの声もまた、少し掠れて聞こえた。

 

「前に、お前の苦悩や抱えているものを無理に訊きだすつもりはないとは言ったが、気が変わった。お前のような奴が黙って覚悟を決めた時が一番怖いんだ」

 

「……僕の苦悩は僕のものだと、そう言ってくれたのは加賀さんじゃないですか」

 

 僕は反論のつもりでは無く、軽口を言うつもりだった。だが、僕の声は自分で思っているよりも尖っていた。そんなつもりはないのに、加賀さんを責めるかのような鋭さが滲んだ。一瞬、加賀さんが怯むような気配が、僕の肩を抱いた彼女の手の強張りから伝わって来た。だが、加賀さんはすぐに強く肩を抱きなおしてくる。

 

「そうだな。確かにそうだ。だが、お前を想う自由は私にもある」

 

 大事なものを抱えなおすかのような、慎重な力の籠め具合だった。強張りきった加賀さんの声が伝染したかのように、加賀さんの尻尾も動きを止めているのが分かる。加賀さんは僕を見ようとしない。僕たちの遣り取りを他人事として見下ろす桜を、じっと見上げている。

 

「日が昇れば、もう何も言わん。追及もしない。今だけだ。……今だけ、お前に鬱陶しく訊かせてくれ」

 

 僕は、加賀さんのこんな縋るような声音を聞いたのは初めてだった。

 

「お前は、何を隠している?」

 

 僕は黙り込んでしまった。即答できないこの沈黙こそが、僕が何かを抱えていることの証明だった。以前も、こんな時があったように思う。確かあれは、埠頭で大鳳さんと話した時だった。あの時の僕は、悩みごとがあるかと問われても、悩みなどないと即答できた。

 

 だが、今はできかった。大鳳さんの時のように、瞬時に自分を取り繕いきれない。この精神作用はやはり、僕が加賀さんに対して気を許し、甘えたいと思っているからなのだろうか。自分では判然としない。何か答えなければと思いつつ、僕も加賀さんに倣い、暫くのあいだ桜の木々を見上げていた。

 

 1分か2分ほど黙っていると、「もう疲れた」と思った。

 

「オブザーバーが言っていたのですが……、僕は消滅するそうです」

 

 僕は桜を見上げたままで言う。加賀さんの方は見なかったが、息を詰まらせて絶句している気配がありありと伝わって来た。桜の花弁が僕たちを通過していく。

 

「な、に……?」

 

 ようやく加賀さんが口を開いた。動揺を鎮めきれていないのは明白だった。僕は桜の木々から視線を逸らさないままで、自分の把握していることを加賀さんに語った。僕が、セイレーン達から“プレイヤー”と呼ばれていることや、並行世界の可能性、これを語るタイミングを逸していたことなどを、滔々と喋った。

 

 その時の僕の声には僅かながらも、加賀さんを突き放すような冷酷さが宿っていた。僕は加賀さんに嫌われようとしているのかもしれないと、頭の隅の方で思った。もうここで失望してくれていたほうが僕も気楽だという心理が、無意識のうちに働いていたのかもしれない。

 

 加賀さんに語りながら僕は、自分の内面が冷たく澄んでいくのを感じていた。今までの母港での思い出が、後から後から胸を過っていく。その一つ一つを注意深く目で追い、自分の人生が幸せなものであったと再確認しながら、僕は自身の消滅について語る。頬を強張らせた加賀さんは何度も唾を飲み込みながら、じっと僕の話を聴いてくれていた。

 

 僕が語り終えたあとの暗澹とした沈黙を濯ぐように、桜の花弁たちは優雅に揺れながら落ちてくる。加賀さんが震えながら俯いている。ゴーグルをしているから、顔の上半分の表情は分からない。僕の肩を掴んでいる彼女の手も、僕の筋肉に食い込んでくる。痛い。切ない痛みだった。

 

「……そういえば、三笠さんから教えて貰ったのですが、人の生き様を花に喩える重桜の言い回しは綺麗ですよね」

 

 沈黙を取り繕う必要も無かったが、ずっと黙っている訳にはいかないと思った時には、僕はすぐ目の前で舞い落ちていく桜の花弁を見ていた。此処は重桜寮を模した一画であるし、先日には花見についての話を三笠さんとしたばかりだったので、それらが僕の記憶と結びついて、取り留めもない話題として僕の口から零れた。

 

 

「何か大きな結果を出すことを“一花咲かせる”であるとか、自分の持っている力を発揮するのも“才能の開花”なんて言ったりしますし」

 

 唐突で的外れな話題ではあったが、沈黙そのものが加賀さんを圧し潰す前に、何かを言わなければと思った。

 

「とても美しい表現だと思います」

 

 俯いていた加賀さんが、下唇を少し噛み千切る音がした。

 

「……お前は、咲かなくていい」

 

 血を吐くような低い声を揺らし、加賀さんは言う。

 

「咲いた花は必ず散る」

 

 加賀さんは、ゴーグルを付けた僕を抱きすくめるような態勢になる。加賀さんの胸に抱かれた僕は、両手を下げたままで彼女の鼓動を聞いた。

 

「だから咲くな」

 

 加賀さんの声には、調子が外れるほどに力が籠っているのが分かる。自分の感情を必死に抑えつけようとしている。その加賀さんの傍に居る僕は、普段通りであるべきだと思った。

 

「なんだか、意地悪なことを言われている気がしますね」

 

「……そうか?」

 

「えぇ。ずっと咲くなだなんて」

 

「お前は蕾のまま、私の傍で瑞々しく在ればいい」

 

「でも」

 

「黙れ。あまり五月蠅いと、頭から喰ってやるぞ」

 

 僕は、加賀さんに出会えて本当に良かったと思う。

 

「そもそも、オブザーバーの奴が適当なことを言っているのかもしれん」

 

「……それは考えにくいですよ」

 

「何故だ?」

 

 加賀さんの声に一際の力が籠った。

 

「何故、そう思う?」

 

「だって、彼女達は母港を襲撃しておきながら、絶好のタイミングで僕を見逃したんですから。どんな目的や意図があるのかは知りませんが、僕を観測対象として捉えなおしたのは間違いないでしょう」

 

 僕が言うと、また加賀さんは黙り込んで俯いた。加賀さんが洟を啜るのを聞いたのも初めてだった。ゴーグル越しの僕の視界は、加賀さんの一航戦装束で埋まっている。その布地以外のほとんど何も見えないが、加賀さんが懸命に平静さを装おうとしているのは分かった。

 

「……もっと早くに、お前からこの話を聴き出すべきだったな」

 

 加賀さんは穏やかな口調で言いながら、僕の頭を撫でてくれる。

 

「怒らないんですね、加賀さん」

 

 僕が言うと、加賀さんは「馬鹿者」と笑みを零すついでのように小さく鼻を鳴らした。手の掛かる弟に、まったくしょうがない奴めと、呆れるようだった。

 

「お前より先に私が心のバランスを崩したら、お前は私に気を遣う。そして、過剰なまでに冷静になるだろう。そうしたら結局、お前の感情は行き場を失ったままだ」

 

 加賀さんが必死に冷静さを保とうとしていたのは、僕を想ってくれてのことだと分かった。

 

「自分の感情を押し殺すのは、利他的なお前の悪い癖だ。もう少し我儘になっていい」

 

「……前にも、そんなことを言ってくれましたね」

 

「あぁ、そうだな。覚えているぞ。お前が私のことを『加賀お姉ちゃん』などと呼んだ日だ」

 

「ありましたね、そんなことも」

 

 そんなに昔ではない筈なのに、やけに懐かしく、遠くに感じた。此処は平和で良いなという、あの日の加賀さんの言葉が頭の奥で響く。エンタープライズさんや赤城さんも居て、執務室がちょっと騒がしかった日だ。刻一刻と僕から遠のいていく、“日常”の風景だ。

 

「思えばあの日から、お前に一度も将棋で勝っていないな」

 

 加賀さんも加賀さんで、突拍子もない話題を持ち出してきた。

 

「そう言えば、そうですかね」

 

「2勝23敗だ。……今は私が負け越してはいるが、勝負はこれからだ。勝ち逃げは許さん」

 

 加賀さんがフンと鼻から息を噴き出す。僕は控えめに言う。

 

「えぇと確か、……1勝24敗ですよ?」

 

「ぇえっ」

 

「だって僕、初めて将棋を教えて貰った時には負けましたけど、それからは一回も負けていない筈です」

 

「な、なにを馬鹿な」

 

「いや、よく思い出してくださいよ」

 

 加賀さんは暫く黙り込んだあと、ふ──ーん……と長い鼻息を吐き出してから、すっとぼけたような神妙な声で「そんな気もするな……」と零した。僕は軽く笑ってしまう。

 

「なんで2勝目を捏造したんですか?」

 

「えぇい……! いちいち細かいことを言うな!」

 

 加賀さんは唇をへの字にひん曲げて、可愛くないヤツめ……と洩らす。僕は、今のこの会話に灯った“日常”らしい空気に、胸がぎゅっと詰まった。息が震えてくる。鼻の奥が痛くなってくる。何なのだろう。この感じは。僕は黙ってしまう。また沈黙が訪れる。加賀さんが、僕の髪を梳くように手を動かした。

 

「しかし、まぁ……、よく話してくれた」

 

 優しい声が、花弁と一緒になって僕の頭上から降ってくる。

 

「自分が何者であるかを疑い続ける苦しみは、並大抵では無かった筈だ」

 

 ゆったりとした加賀さんの声は、今の書斎の散らかり様を思い出しているかのようだった。

 

「……お前も疲れただろう?」

 

 そんなことはないですよと答えようとしたが、今度は言葉が出なかった。加賀さんの声は僕の心に染み入ってきて、今まで僕自身も触れ得なかった何かを激しく揺らしてきた。

 

 僕がずっと考えないようしてきた感情が、音を立てて胸の中で膨らんでくるのが分かる。もうとっくに摩耗させていたと思っていたのに、僕の気が緩んだ隙をついて、いろんなものが僕の内部から溢れてきた。そのどれを選び取っていいのか分からない。足元が消えたような感覚だった。次に、自分の呼吸と喉が震えていることに気付く。そのことを自覚して、更に僕は狼狽えた。

 

「あ、あの……、いえ、そんなことは……」

 

 僕の声は、みっともなく潤んで振動していた。

 

「何だ? 言いたいことがあるなら、この『加賀お姉ちゃん』に言ってみろ」

 

 加賀さんの優しい声が、必死に自分を落ち着かせようとする僕の心を更に揺さぶってくる。自分の手に負えない感情の水位が、みるみるうちに上がってくる。僕は慌てる。必死に冷静になろうとする。笑みを作ろうしても、頬が強張ってしまって無理だった。

 

「お前の作ったこの母港には、私とお前だけだ。誰にも遠慮はいらんぞ」

 

 止めてくださいと言おうとしたが、やはり喉が震えてすぐに言葉が出てこない。今、そんなふうに優しくされたら、もう限界だった。眩暈がする。喉と横隔膜が震えてきた。鼻の奥がツーンとして、身体が強張る。不味いと思った時には、水の中に飛び込んだように視界がぐちゃぐちゃになった。

 

 

 皆と一緒に居たい。

 

 

 頭の中に不意に浮かんできたその言葉は、僕が絶対に考えないようにしていたものだった。一度抱くと、もう取り返しがつかなくなる予感がしていたからだ。指揮官としての僕が最も遠ざけなければならない感情であり、追い縋るべき願いは無かった。違う。違うんだと、自分に言い聞かせる。僕は消えても良い。怖くない。怖くなんてない。母港は大丈夫だ。ただ、僕が欠落するだけで、頑強な“日常”は続いていくのだ。

 

 

 

 消えたくない。

 

 

 必至に抵抗しようとする僕の内部で、容赦なく次に浮かんできたその感情は、恐怖に引き摺られて出てきたものではなかった。恐怖は無い。これは、恐怖ではない。もう僕は恐怖を感じてはいない。これは悔しさだ。悔しいのだ。どうして僕なのだと、その理不尽さが悔しくて堪らない。無力な自分が悔しくて、悲しい。その感情の雫は、土砂降りの雨の、阻みようのない最初の一滴だった。

 

「消えたくない、です」

 

 潤みかけた声に包まれたその言葉は、冷たく水漬いていた僕の心の殻を突き破って、震える喉から飛び出して来た。高い所から落下していく感覚だった。僕の意思を引き剥がし、独りでに飛び出したその言葉に追いつき、捕え直すことは、もう僕にはできなかった。

 

 気付けば、僕は加賀さんに強く抱き着いていた。

 そして僕は、初めての経験をする。

 

「消え、た……く、な。い」

 

 その言葉を自らの意思で口にするのは、短い自分の人生の中で蓄えてきた勇気を、全て使い切る思いだった。ぶつ切りになって苦しげに絞られた声は嗚咽に他ならず、僕は自分が泣いていることに気付く。

 

「まだま、だ。……みん、なと、い。っしょに、いたい、です」

 

 涙に塗れた声が、ちゃんとした言葉にならない。すぐに霧散してしまう。何も伝えられない。胸が跳ねて苦しい。自分の身体がバラバラになって、崩れてしまいそうだ。突き上げられるようにして、しゃっくりが出てくる。涙が止まらない。ゴーグルの中が水浸しだ。何も見えない。

 

「あぁ。……私もだよ」

 

 加賀さんが頭を撫でてくれる。暖かい温度に、僕は必死にしがみつく。僕は、もっと上手に泣けないのだろうか。溺れて喘ぐような激しい泣き声は、みっともないを通り越して、醜いほどではないか。ただ、そんなことを真剣に意識できるほど、僕の心に余裕などなかった。涙が止めどなく溢れてくる。まるで僕の視界を洗うかのようだ。

 

 加賀さんに抱き着いたままで俯いた僕は、その何もかもが滲んだ視界で足元を見る。そこに僕の影は無かった。この虚像の世界では、僕と加賀さんの体温と感情だけが真実を語っている。僕は、自分自身の感情にまで無関心であろうしたが無理だった。

 

 あ──……。あ──……。あ──……。

 

 蹲りかけた僕は身体を震わせ、幼児のように泣いた。そんな僕の頭上からは、安らかな時間が、桜の花弁と一緒に降り注いでくる。涙の所為か、目の前に薄い膜が張ってあるかのような感覚だ。僕と加賀さんだけが、仮想の景色の中の鼓動を維持している。拍動の一拍一拍を、僕は加賀さんと通過している。その感触に縋りつくように腕に力を籠めながら、僕は加賀さんが洟を啜るのを聞いた。

 

 









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一歩前へ

 

 

 “ケッコン作戦会議”についての資料を纏めるべく、エセックスは以前と同じ会議室で作業を続けていた。空調の効いた部屋には、紙の束を忙しく捲る音や、タブレット端末に繋がれたキーボードを軽やかに叩く音が断続的に響いている。皆が作業に没頭しているためか、殆ど会話が無い。顔を上げて、なんとなく周囲を見回してみる。

 

 エセックスの傍ではエンタープライズが陣取っており、前方の席では赤城が資料の山を積み上げていた。そこから少し離れた席では、オイゲンとヒッパーが忙しそうに手を動かしている。更に、エセックスの後方では、真剣そのものといった表情のアークロイヤルがキーボードを高速で叩いていた。そこで妙な違和感を覚える。

 

 以前の会議準備の際には、アークロイヤルはあんなに熱意や積極性を見せていただろうか。もっと冷静な第三者的な立場で、指揮官とKAN-SENの皆の合間を取り持つような雰囲気だったような気がするのだが……。エセックスが以前の会議準備の時のことを思い返そうとしたところで、会議室の後方から凛とした声が響いた。

 

「皆様、紅茶の準備ができました」

 

 ベルファストだ。微笑みを浮かべた彼女は、長引く作業時間の休憩ために、紅茶を用意してくれていたようだ。人工的な冷気が漂う会議室の中に、紅茶の良い香りが緩やかに広がる。作業を続けていたエセックス達の強張っていた空気も、ふっと柔らかくなった。集まっていた面々もそこで集中を一旦解いて、ベルファストから紅茶を受け取りながら礼を述べた。

 

 前にアークロイヤルに用意して貰ったものも絶品だったが、ベルファストが淹れてくれた温かいストレートティーも、それに劣らず美味だった。エセックスは知らず知らずのうちに背凭れに体重を預け、ほっと息を吐いていた。ベルファストの紅茶の御蔭で、スイッチが切り替わるように自然と肩の力が抜けていく。紅茶にはリラックス効果があると聞いたことがあるが、それを本気で実感する。

 

 これが本物かと思う。ロイヤルで揃えている高級な茶葉と、それを扱うベルファストの技術が組み合わさることにより、こんなにもリッチで優雅な気分にもなれるのか。感動と共にゆっくりと深呼吸を繰り返していたエセックスは、他の面々も同じような様子であることに気付く。会議室が一気に寛いだ空気になったところで、「そう言えば」とオイゲンが口を開いた。

 

「そろそろ水着の季節がやってくるワケだけど」

 

 オイゲンはエセックス達を見回しながら、薄く笑みを浮かべている。

 

「今回こそは、指揮官をビーチに誘い出したいところよね」

 

 寛いでいた筈の会議室の空気が、再び硬直するのが分かった。エセックスが無意識のうちに頷いたところで、エンタープライズが「……あぁ」と重厚な声を出した。

 

「今回こそは必ず、指揮官に水着を着て貰うぞ」

 

 ティーカップを傾けながら鋭い眼差しになったエンタープライズが、決意を新たにするような声で言う。迷いが無く、自身の志を一切疑っていない声音だった。まるで悪の組織の幹部にも似た貫禄を醸し出すエンタープライズに対し、「えぇ。確認するまでもないわね」と即座に同意を示したのは赤城だった。彼女は酷薄そうに唇を歪め、その切れ長の眼を物騒に細めている。相変わらず、この二人は仲が良い。

 

 

「そのことについて何だが、私から一つ提案があるんだ。……この写真は、私とベルファストが秘書艦の時に撮影したものなんだがな」

 

 そこでアークロイヤルが、ティーカップをソーサーに戻しながら真面目くさった顔になって、この場の面々を順に見た。急にどうしたのだとエセックスは軽く緊張してしまうくらい、今のアークロイヤルの眼には妙な力が籠っていた。その力みが伝染したのかは分からないが、傍に居るベルファストも表情も引き締めているように見える。

 

 手元にあったタブレットを手早く操作したアークロイヤルは、タブレットをスタンドに立たせ、「端末のカメラ機能でこれを撮ったんだが、ちょっと見てくれ」と、ディスプレイを皆に見える角度に固定した。そこに映っていたのは、ロイヤルのメイド隊衣装を着こんだ可愛らしい女の子が、顔全体を引き攣らせるような笑みを浮かべ、両手でピースを作っている写真だった。

 

 ……いや、違う。

 これは。女の子じゃない。

 

 長袖で筋肉が隠れているし、ウィッグか何かで髪の毛の量が増えて見えるが、これは指揮官だ。軽く化粧でもしているのか。本当に女の子のようだ。身長的に見て、シェフィールドのメイド服のサイズだろうか。それにしても……。……うわぁ、可愛い。エセックスは思わず溜息を漏らしてしまう。

 

 どう反応していいのか分からないようなしかめっ面を浮かべたヒッパーも、頬を赤くしながらじっと画面を見詰めている。眼を丸くしているオイゲンも、興味津々といった様子で食い入るようにタブレットに視線を注いでいた。

 

「こ、これは……っ!」

 

 赤城が物凄い衝撃を受けたような顔になって、タブレットを凝視している。

 

「大事件じゃないか……っ!!」

 

 エンタープライズが勢いよく立ち上がって叫ぶ。

 

 強烈な昂ぶりを見せる二人に対して、アークロイヤルは「まぁ落ち着け」とでも言うように、両手の掌を見せて、「私が思うに……」と意見を披露した。

 

「指揮官をビーチに誘い水着まで着て貰うのはハードルが高い。今までだってそうだったろう? だから、代わりと言っては難だが、こういう衣服をいくつか着て貰えないかと、何とか理由をつけてお願いするというのはどうだろうか? いや、何も疚しい気持ちはないんだ。ただ、そう、閣下の可愛らしさに私は気付いただけだ。そしてそれを心行くまで大切に愛でたいという気持ちは、皆にも分かるだろう?」

 

 話の途中から陶然し始めるアークロイヤルを見て、彼女が先ほどまで見せていた熱意や集中力に納得のいくものを感じた。要するにアークロイヤルは、指揮官に対して駆逐艦に似た可愛らしさを感じ取って激しく萌えていたということなのだろう。黙っていたベルファストが、そこで頷いて言葉を引き取った。

 

「ご覧ください。可愛らしく照れ笑い、はにかんだ御主人様の愛らしさを」

 

「いや……、はにかんでいるんですかね……」

 

 自信満々に胸を張るベルファストに、エセックスは困惑してしまう。指揮官のメイド姿の可愛さは認めるが、その笑顔が“はにかみ”に類するものだとは到底思えない。タブレットに映る指揮官の笑顔は大いに強張っていて、顔の筋肉をフルに使って何とか笑顔の形を保っているような様子にしか見えない。これを照れ笑いだと断じるベルファストのポンコツ具合も中々だ。

 

「……まぁでも、無理にビーチに連れ出したりするより、そっちの方が無難かもね。……アイツってさ、そういう海に行ったりして騒ぐの苦手っぽいじゃない?」

 

 タブレットの写真から視線を外したヒッパーが、緩く息を吐いた。

 

「将棋とかチェスとかゲームとか、ある程度の人数が限られてる場合とか、あとは、鉄血のパーティとかロイヤルのお茶会とかさ、そういう行事みたいなのはアイツも周りに合わせるっていうか、参加してくるみたいだけどさ」

 

 眉間に皺を寄せたヒッパーは、自分の記憶を辿るように視線を斜め上に放りながら、会議用の机に頬杖をついた。そして、下唇を突き出して面白くなさそうに、それでいて、拗ねているような、心配するような口調で続ける。

 

「基本的に、私達の輪の中に入ってくることに積極的じゃないでしょ、アイツ」

 

 確かにそうだったとエセックスも思う。花見や仕事を兼ねたイベント、母港内での大きな催しの準備などについては積極的に手伝ってくれるものの、いざ当日になってKAN-SEN達が楽しく過ごす空間に参加すること関しては、指揮官は消極的だった。

 

 常にKAN-SEN達から一歩引いているというか、離れた立ち位置から此方を見守っているというか、一定の距離感を維持しようとする頑固さが、ずっと指揮官にはあった。自分の存在が楽しい空気に水を差してしまわないかを恐れるようで、その姿勢は頑なだった印象がある。だから少し前に、ブレマートンがテニスの試合に指揮官を参加させたという話には驚いたものだ。

 

 そのついでのように、ブレマートンがテニスコート脇で指揮官を押し倒していたという情報が走ったのも同時期で、彼女が悩み相談として活用したりしている艦船通信では『指揮官を押し倒したというのは本当か?』という詰問とも尋問にもつかないもので溢れる事態となっていたのを思い出す。

 

 ただ、指揮官を巡る情報は常に錯綜していて、どれが真実なのか見当がつかない状態であるため、ブレマートンが指揮官をどうこうしたなどという話も、次から次へと湧いてくる噂に押し流されていった。つい最近では、『指揮官は妹キャラが好き』だという話が流れたが、真偽の程は定かではない。

 

 それはとにかくとして、ヒッパーとしては、指揮官を無理にビーチなどに連れ出すことに関しては賛成しない立場のようだ。

 

「ふぅん……」

 

 そこでオイゲンが意地悪なニヤニヤ笑いを浮かべて、ヒッパーを横目で見詰めた。

 

「な、何よ? 何か言いたいことでもあるわけ?」

 

「姉さんって、指揮官のこと大好きなのね」

 

「はぁ!? なんでそうなるのよ!」

 

「あら、違うの?」

 

「ちがっ、違うわよ!」

 

「その割には指揮官のこと、凄くよく見てるじゃない」

 

「アイツにはアンタを助けて貰った恩があるから、気にかけてやってるだけよ!」

 

 早口になって必死に言い返すヒッパーと、そんな姉を楽しそうに弄り倒すオイゲンのこういった遣り取りは、鉄血でも名物らしい。ティーカップを傾けていたアークロイヤルが「二人とも仲が良いんだな」と、くつくつと愉快そうに小さく笑う。

 

 渋い顔になったヒッパーが何かを言い返そうとしてアークロイヤルの方を見たが、唇をむにむにと動かしただけで結局何も言わずに、「ふん……!」と鼻を鳴らしつつ、その不自然な沈黙を誤魔化すようにティーカップを勢いよく口に運んで「熱っ!!」などと身体を仰け反らせていた。

 

「そう慌てずとも、お代わりも御用意してありますので」

 

 アークロイヤルの傍に控えるようにして佇んでいるベルファストも、微笑ましいものを見守る顔つきになっている。オイゲンはと言えば、仲が良いということを否定しなかった姉を愛おしむように横目で眺めてから、会議用のテーブルに身を乗り出した。

 

「確かに姉さんの言う通り。指揮官は、私達に対して慎重な距離を取っているわ。でも……」

 

 何事かを思案するように左手の人差し指で自分の唇に触れたオイゲンは、そこで伏し目がちに束の間の沈黙を一つ置いて、またすぐにエセックス達を順に見回した。その顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

 

「最近の指揮官、ちょっと明るくなったと思わない?」

 

 それもまた、指揮官についてエセックスが感じていたことだった。

 

「分かる気がします。ちょっと砕けた感じになりましたよね」

 

 オイゲンの視線を受け止めたエセックスは、思わず頷いて居た。指揮官は基本的には、KAN-SEN達から適度に距離を取っている。それは間違いない。礼節を重んじ、職務にも誠実なところも変わらない。だが時折、エセックス達に控えめながらも甘えてくれるというか、KAN-SEN達を信頼しているが故の、いじらしい無防備さを見せてくれるようになった。

 

 この僅かな変化が覗くのは笑顔の種類であったり、言葉の端に滲むリラックスした雰囲気であったり、KAN-SEN達の冗談に対する反応であったりする。エセックス達に対する少年らしい無垢な信頼感を、指揮官も隠さなくなったからかもしれない。大勢のKAN-SEN達の中に積極的に混ざってくるようなことは無いが、指揮官とKAN-SEN達の個々の距離は、確かに近づいたように思う。

 

「私も、今の指揮官様は私達を大事にして下さりながらも、少しずつ心を開いてくれているのを感じるわ……」

 

 しっとりとした声でエセックスに続いた赤城も、手の中のカップを見下ろしながら遠い眼になっている。

 

「もしかしたらだが、何か指揮官に変化を与えるような出来事があったのかもしれない」

 

 腕を組んだエンタープライズが、赤城を横目に見てから鷹揚として頷いてから、何かにふと気付いたかのように顎に触れ、会議室に視線を流してから赤城に視線を戻した。

 

「今日は加賀の姿が見えないな。……演習か任務に出ているのか?」

 

 そう言えばと、エセックスも思う。会議準備には毎回のように顔を出していた筈の加賀の姿が見えない。重桜空母の加賀が出撃する類の任務も無かった筈だ。アークロイヤルやベルファスト、それにオイゲンやヒッパーもやはり、「そう言えば」といった表情になって顔を見合わせてから、エンタープライズに倣い、赤城に視線を向ける。

 

「加賀は今、自室で泥のように眠っているわ。ここ最近、碌に飲まず食わずで睡眠も削って、セイレーンに関する資料を読み漁っているのよ」

 

 頬に片手をあてた赤城は、妹の突然の行動に困惑と心配を乗せた溜息をまじらせて、「あの子ったら、何を考えているのかしらね」と零す。表情を曇らせた赤城を一瞥したオイゲンが、何かを思い出す顔になってからヒッパーを横目で見た。

 

「今朝の話だけど、私も加賀とばったり会ったわ。……ビスマルクの書斎から出てきたところでね。どっさりと文献を抱えて、これを借りていくとか言って重桜寮へ戻って行ったけど」

 

「急に研究職に目覚めたのかしらね。……なんか随分と憔悴した様子だったわ。足もふらついてたし、目の下もクマも凄かったし……。きつく瞬きを繰り返しているのも、頭痛を堪えてるみたいだったわね」

 

 ヒッパーがオイゲンに頷いてから心配そうに言うと、オイゲンが肩を竦めた。

 

「手伝おうかって声を掛けたんだけど、『問題ない』って断られちゃったわ」

 

 そこで、「ふむ……」と思案顔になったアークロイヤルも加賀について何か知っているようだ。

 

「加賀が何を調べているのかは私にも分からない、だが、加賀は前にも増して敵に苛烈になったな。戦っているというよりも、何かを必死に探しているようでもある」

 

 腕を組んだアークロイヤルは、戦闘海域の加賀の姿を思い出すようにして瞑目している。

 

「そうなんですよ。最近の加賀さん、海に出た時は常に誰かを探すような目つきなんですよね」

 

 エセックスも思うところがあり、アークロイヤルの発言に自分の言葉を繋げたところで、頭の中で不気味に光るものを感じた。加賀が妙に切迫した雰囲気を纏いだしたのと、指揮官が変化を見せ始めたのは同じ時期ではないかと思ったのだ。ただ、それを口にするのは何となく憚られた。妙な胸騒ぎがする。

 

「……戦いの中に自分の存在価値を見出す方は、KAN-SENの中にも少なからず居られます。強力な力を持つ加賀様のことですから、己に相応しい強敵をセイレーンの中に見つけようとしてるのかもしれません」

 

 ベルファストがエセックスに続いて、控えめに言う。

 

「確かに、ピュリファイアーやオブザーバーなんかを探しているのなら、あの眼つきも頷ける気がしますね」

 

 彼女の予想に追従するように意見を述べたエセックスも、そうであって欲しいという自身の希望的観測なのかもしれない。

 

「……何にせよ、無理は禁物だ。赤城。私に手伝えることがあるなら遠慮なく言ってくれと、加賀に伝えておいてくれ」

 

 口許に少しの笑みを浮かべたエンタープライズは、赤城に気を遣わせない程度な鷹揚さで言う。エセックス達もエンタープライズに続いて頷き、赤城を見遣った。

 

 皆が加賀を案ずる気配に触れた赤城は、少しのあいだ驚いたような表情になっていたが、すぐに表情を緩めた。それからこの場の面々を順に見ながら「あの子のことを心配してくれて、ありがとう」と、感謝を述べた。無敵艨艟と称えられ、戦場海域では常に威風を漂わせる赤城だが、こういう時に見せる彼女の真摯な態度からは、妹を想う優しさと芯の通った誠実さが伺える。

 

 そこで、アークロイヤルがスタンドに立てていたタブレットにメールが届いた。それが明石からのものであると分かり、全員に緊張が走る。現時点での全員分の解析が終わったのであろう、指揮官からの好感度LVの報告メールだ。ただ、エセックス達の間の緊張は長続きせずにすぐに緩み、会議室を冷やす空調の中に解けていく。その好感度に大きな変化はないと、皆が分かっているからだ。

 

 指揮官の好感度は、一定値から上がらない。

 指揮官は誰に対しても平等だからだ。

 

「まぁ今回も、前と同じ数値だろう」

 

 そう言って軽く笑ったエンタープライズが、タブレットに指を滑らせた。メールのファイルを開いたところで、『えらいこっちゃにゃ!!』という、明石の手書きの注釈が大きく入っていることにエセックスは気付く。

 

「なんかメッセージがあるけど」

 

 肩眉を下げたヒッパーが不審そうに言う。

 

「冷やかしかも」

 

 緩く笑みを作ったオイゲンが人差し指を伸ばした。

 

「そうかもしれませんね」

 

 エセックスも苦笑を洩らしたところで、アークロイヤルやベルファスト、それに赤城もつられて小さく笑みを零した。タブレットが数値の羅列を表示される。好感度LVの一覧だ。

 

 まずはエンタープライズがタブレットに視線を流し、自身の好感度LVを確認したところで、「なっ!!?」と緊迫した声を上げた。かと思えば、勢いよく立ち上がりながら満面の笑みを浮かべ、右拳を握り固めて高々と掲げた。迫真のガッツポーズだ。

 

「優勝だ!! 優勝したぞ!!」

 

 この人は何を言っているのだろう。エセックスは不審者を見る目になってエンタープライズを観察してしまう。

 

 物凄く嬉しそうな顔で叫び出すエンタープライズは、エセックス達を見回し涙目になっていた。野球を熱心に観戦している酔っ払いオジサンのような風情であり、自身の内に溢れる感動に翻弄されている様子だ。エンタープライズが見せる唐突な高揚に、アークロイヤルも呆気に取られているし、ヒッパーやオイゲン、赤城にしても警戒を滲ませた表情で彼女を見守っている。

 

 一体何があったのかとタブレットを確認したベルファストまでもが、次の瞬間には力強いガッツポーズを作り、「このベルファスト、優勝致しました!」などと感極まった声で言いだしたので、本当に何事かと思った。もしや明石は、呪いのファイルか何かを送って来たのではないか。或いは、この会議室内に、著しくⅠQを低下させる魔法陣でも展開されているのか。

 

 少々身構えつつ、エセックスは慎重にタブレットの画面に視線を向ける。特に変わったところはない。この時は無意識のうちに自分の数値を探していた。すぐに見つかる。エセックスの好感度LVは『好き・LV90』だった。それを確認した瞬間、頭の中に火花が散る思いだった。今までの記憶がスパークする。

 

 明石によって解析された“指揮官からのKAN-SENに対する好感度”は、

 

『友好』

『好き』

『ラブ』

 

 の3段階に分類される。だが、今まで誰も『友好』の枠から出た者が居ない。だが、今回のエセックスはついに『友好』の枠を飛び超え、『好き』のカテゴリに突入していた。しかも、LVは90と、かなり高い数値を記録している。そう。つまり、『ラブ』まであと一歩のところまで来ているということだ。

 

「優勝!! 私も優勝しました!!」

 

 気付けばエセックスも、頭の悪いことを叫びながら拳を天へと突きあげていた。

 

「エセックス様も優勝されたのですね!」

 

 エセックスの優勝を、優しい笑みを湛えたベルファストが祝ってくれる。

 

「優勝おめでとう、エセックス!」

 

 颯爽としたエンタープライズが握手を求めてくる。自分でも意味不明な感動に翻弄されるエセックスは涙ぐみながら、「ありがとうございます!」と、球児が監督に頭を下げるような勢いで会釈を返して握手を交わし、その後にはベルファストとも硬い握手を交わした。3人で存分に祝賀ムードを満喫する。瓶ビールがあったら頭から被りたい気分だった。

 

「あっ!」

 

 タブレット睨んでいたヒッパーも、高い声を出してガッツポーズを作り、ぱっと表情を輝かせた。

 

「私もよ! 私も優勝!!」

 

「……ちょっと待って、姉さん」

 

 はしゃぎだそうとするヒッパーに対し、冷や水をぶっかけるような冷静な声を掛けたのはオイゲンだった。表情を動かさないままのオイゲンはタブレットに指を滑らせ、表データの隅々まで視線を届かせている。オイゲンの両隣では、赤城とアークロイヤルの二人もタブレットを睨んでいた。

 

「明石の言う“えらいこっちゃ”というのは、なるほど、……こういう事か」

 

 アークロイヤルが納得顔に笑みを過らせながら、感慨深そうな声を洩らした。

 

「えぇ。確かにこれは、大きな事件ね」

 

 微かに涙ぐむ気配を見せた赤城も、タブレットを見詰めながら微笑んでいる。

 

 彼女達の冷静さに引き摺られるようにして、エンタープライズとベルファストも、再びタブレットを覗き込み、エセックスもそれに倣う。表示されている図表データに目を通したところで、エセックスも気づく。好感度が『好き』になっているのは、エセックスだけではない。エンタープライズやベルファストだけでもなく、全員だ。

 

 この母港に所属するKAN-SENの全員の好感度が、『友好』から『好き』に上昇している。そして、データに表示されている殆どの好感度LVが90以上の高い水準である。これでは全員が優勝ではないかと、エセックスは愕然とする思いだった。

 

「これは、いったい……」

 

 エセックスは混乱しつつ、少々困惑気味のエンタープライズやベルファストと顔を見合わせたところで、オイゲンが緩く鼻を鳴らした。

 

「さっきまでの話に立ち戻るなら……、指揮官と私達の距離が近づいたのも、このデータに現れているということかしら」

 

 何かを思考する時の癖なのか。先程と同じように、オイゲンは人差し指で自分の唇に触れながら思案顔になる。だが、すぐにその唇の端を持ち上げて余裕のある笑みを作り、この場の面々を見回した。

 

「これだけ皆の好感度が高いのなら、水着もメイド服も、指揮官は難なく着てくれそうね」

 

 どこまで本気なのか分からない声で言うオイゲンだが、その琥珀色の眼には、潤むような穏やかな光が佇んでいた。冗談めかした口振りが、オイゲン自身の感情の揺らぎを覆い隠すものだということは、エセックスにはすぐに分かった。指揮官に救われた身である彼女にとって、この好感度の大きな変化には動揺しているに違いない。

 

 エセックスは、先程のエンタープライズが言っていた「指揮官に変化を与える何かが在ったのかもしれない」という言葉を思い出す。そして同時に、今まで指揮官の好感度が一定値から上昇しなかったのは、KAN-SEN達に要因があったのではなく、指揮官の心に蟠る何かが、その好感度を抑えていたのではないかと思った。

 

「指揮官はやっぱり、少しずつ私達に心を開いてくれてるんですね」

 

 優勝だ! などと騒いでいた熱もすっかり冷めてしまったエセックスがポツリと洩らすと、隣にいたエンタープライズが難しい顔になった。

 

「……その言い方だと、指揮官は今まで私達に心を開いてくれていなかったみたいじゃないか?」

 

 遺憾そうに言うエンタープライズに、エセックスは「あぁ、いや、決してそう意味では無いのですが」と、慌てて違う言葉を探そうとした。

 

「彼女が言っているのは、指揮官様が私達とより親密になろうとしてくれている、という意味でしょう」

 

 そこで助け船を出してくれたのは、穏やかな表情で一つ頷いて見せた赤城だった。

 

「その言い方が一番しっくり来る」赤城に続いてアークロイヤルが頷いた。「今も多少は砕けた態度にはなったが、もう少し気楽にしてもらった方が我々も仕事がしやすい。今までの閣下は、我々に気を遣い過ぎだったからな」

 

「えぇ。御主人様は我々を労うことに第一として、心をいつも砕いて下さいます。……思えば、全く困った御主人様です」

 

 敬愛を含ませて静かに言い切ったベルファストが、上品な笑みを零す。

 

「言えてる」眉を寄せながらも口許に笑みをつくったヒッパーが、小さく肩を竦めた。「アイツの気遣いとか遠慮って、やり過ぎててこっちにも伝染ってくるし」

 

「姉さんは繊細ツンデレの癖にツンの部分が強いから、指揮官からしてみても扱いが難しいのよ。きっと」

 

 平然とした顔のオイゲンが指摘すると、ヒッパーが眉を吊り上げた。

 

「誰がツンデレよ!? 私はアイツにデレたことなんて一度もないわよ! 何を勘違いワケ!?」

 

「ふふ……、はいはい」

 

 オイゲンは微笑ましいものを見る表情になってひらひらと手を振った。「アンタさぁ……」とヒッパーが言い返そうとしたところで、

 

「そのヒッパー様の発言こそが“デレ”なのではありませんか?」

 

 ベルファストが伝統芸能を堪能するかのような眼差しで言う。エンタープライズが、「奥深いものだな」などと感じ入るような口振りで続いて、ヒッパーの言動に注目し始めた。

 

 ヒッパーの方はと言えば、肩をいからせ眉を吊り上げてはいたが、これ以上何かを言うとまたオイゲンに弄られて墓穴を掘ると判断したようで、ムスッとした顔になって腕を組み、黙り込んだ。愛嬌のある彼女の仕種に、場の空気がふわりと軽くなる。拗ねてしまった姉を見て、オイゲンも可笑しそうに笑った。

 

 エセックスも小さく笑みを零しながら、タブレットをもう一度見遣る。数多くのKAN-SENの名前の其々に、指揮官とのエピソードが詰まっている。今までの日常で育まれたものが力強く宿り、KAN-SEN一人一人に良い影響を与えている。心を開いてくれつつある指揮官との日常が、これからも続いていくことを想う。ただ、その日常は永遠ではない。この母港も、ずっと今のままであり続けることは無い。各々の陣営に分かれ、道を違える時も来るだろう。だが、この暖かい日々の思い出を携えて、心の中で温め直すことはできる筈だ。

 

 今日この日を懐かしく思う時、エセックスは重桜や鉄血のKAN-SENと対立しているかもしれない。だが、そんな過酷な未来があったとしても、今のエセックスが抱いている穏やかで温かな感情は真実であり、仲間や指揮官を想う気持ちも、共に過ごして来た時間も嘘ではない。この風景と今の感情は、いつか必ずエセックスを鼓舞してくれるだろう。その確信をそっと胸にしまい込むと、緩い溜息が漏れた。

 

 

 

 










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今までと、今と、これから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の執務が終えてから僕は、執務室の応接スペースのソファに腰掛け、自分で淹れたコーヒーを飲んでいた。腕時計を見れば、もう夜更けと言っていい時間である。廊下からも窓の外からも、何の音もしない。コーヒーカップから昇る湯気が、執務室の静寂に寄り添うように揺れている。僕は準備した退官手続きの書類の確認をしていく。

 

 書類に目を通していると、頭の隅の方で加賀さんの姿が浮かんできた。この数週間は加賀さんも演習や任務で忙しい筈で、僕は彼女に殆ど会っていない。会いたいと思う気持ちと、少し戸惑う気持ちが僕の中に同居している。脳裏を過ろうとする彼女の姿を意識すると、僕の思考はすぐに引き摺られていく。泣き喚いてしまった夜のことを思い出す。少し恥ずかしいような、それでいて、ほっとするような気持ちになる。

 

 加賀さんの前で、僕は正直になれた。消えたくない。皆と一緒に居たいと思えた。あの言葉を加賀さんが汲んでくれたお陰で、僕は冷静に自分自身を見つめ直すことが出来た。僕は、消えたくない。だが、消滅は受け容れざるを得ない。免れる方法はない。消えたくなくとも、消えるしかない。

 

 

 その事実を受け止める気持ちの、強度が増したのだ。

 

 

 オブザーバーとの戦闘を終えてから僕は、自身の消滅に向けて気持ちを造り替えてきた。誰もが他人に思える夜や、自身の過去に目を凝らし続ける長い夜を何度も乗り越えてきた。自分はいったい何者なのかという自問自答を、気が遠くなるほどに繰り返した夜もあった。涙が流れるような健全な心の動きが壊死しそうなほどに、この世界を本気で呪う夜もあった。そんなどうしようもない時間の中にあった僕を、KAN-SENの皆と過ごす時間が救ってくれた。そして加賀さんは、行き場のない僕の感情が救われることも肯定してくれた。

 

 あの夜から、僕と加賀さんの関係に大きく変わったところは無い。今まで通りであり、それは他のKAN-SENの皆に対しても言えることだ。僕と彼女達の間には、指揮官とKAN-SENとしての距離感と、家族愛や兄弟愛に似た感情が介在した距離感が並列している。ただ、関係は変わらなくとも、その距離自体が縮まったように思う。この世界は僕に無関心ではあったが、無慈悲なわけではなかったのだと分かった。

 

 飲みかけのコーヒーを置いて、僕は書類を執務机の引き出しに片付ける。執務椅子から立ち上がり、窓際へと歩いた。窓を少しだけ開けてみる。夜風が僕を誘うように薄く吹いてきた。涼やかで心地よい風が、頬をそっと撫でてくる。窓から外を眺めると、晴れた夜空が広がっていた。満目の星々の中に、遠慮がちに欠けた月が浮かんでいる。

 

 窓枠に切り取られたこの実景は、僕にとっては見慣れたものだった。ただそれは、生活に根付いた親近さとは無縁の慣れだ。自身を捕える檻を眺める囚人のような、無機質な感覚だったように思う。だが最近は、この執務室から見える景色も違って見えるようになった。僕自身が気付かないうちに抱えていた未練や後ろめたさのようなものを、加賀さんの御蔭で手放すことが出来たからかもしれない。

 

 僕は、暗がりの窓に反射する僕自身と眼を合わせたあとで、その僕の向こう側にある夜空を眺める。月も星も澄んでいて、ただ綺麗だと思った。僕の消滅を是とするこの世界も、僕が憎いわけではないのだろう。そう考えると、僕を置き去りにしていこうとする景色や日常の惨酷なほどの頑丈さにも、妙な信頼感が湧いてくる。

 

 窓に映る僕が、頼りない笑みを口許に小さく浮かべていることに気付いた時だった。執務室がノックされる。こんな夜更けに誰だろうと思いつつ、退官手続きに関するものを片付けたのを確認してから、「どうぞ」と返事をする。入室してきたのは加賀さんだった。

 

「……お前、まだ起きていたのか」

 

 加賀さんは酷く疲れた様子だった。顔色が悪いし、目の下のクマも凄い。不機嫌そうに細められた眼は物騒な光を抱えていて、ザワザワと揺れる尻尾も不穏だ。足取りも若干ふらついている。

 

「だ、大丈夫ですか? 顔、真っ青ですよ」

 

「ふん……。私は色白だからな。照明の加減で、そう見えるだけだ」

 

 加賀さんは険しい眼つきのままで天井を指差した。それが強がりであることぐらいは誰にだって分かるだろう。この数週間の激務と出撃で精神力と肉体を酷使したうえで、更に睡眠まで削り続けているのは明白だった。いくらKAN-SEN達の肉体が頑丈であるからと言っても限度がある。

 

「ちゃんと休んでください。ウェールズさんも言っていましたが、休息も戦闘のうちです。無理は禁物ですよ」

 

 心配して僕が言うと、加賀さんはそこで漸く口許に笑みを浮かべ、「その台詞、そっくりお前に帰してやる」と肩を揺らした。

 

「夜更かしは寿命の前借だぞ」

 

「……すごい説得力ですよ」

 

 加賀さんは欠伸を噛み殺しながら応接スペースのソファに近づき、そのままボフーンと俯せに身体を投げ出した。その状態で10秒ほど、全く身動きをせずにじっとしていた。モフモフとしてボリュームのある彼女の尻尾も動きを止めて、ぺちゃっと潰れている。執務室に静寂が戻ってくる。加賀さんは動かない。僕は心配になってソファに近づき、加賀さんの肩を少し揺らす。

 

「あの、大丈夫ですか……?」

 

 声を掛けると、加賀さんはもぞもぞと動いて顔を僕の方に向けた。

 

「……枕が欲しいな」

 

「えっ」

 

「ちょっと此処に座れ。私に膝枕をしろ」

 

 加賀さんは俯せの姿勢から状態を起こし、さっきまで自分の頭のあった場所を手で軽く叩いた。今の加賀さんの態勢だと豊かな胸元が強調されるどころか、零れ落ちそうになっていて、僕はドキっとしてしまう。僕のその動揺を感じ取ったのだろう加賀さんは、疲れた顔に悪戯っぽい笑みを浮かべた。そして、両腕で挟むようにして自分の胸を寄せて見せる。

 

「ほら。早くしろ。さもないと上を脱ぐぞ」

 

 からかい口調で脅すようなことを言う加賀さんは楽しそうだ。本気ではないのだろうが、既に彼女は、はだけた胸元をさらに広げようとして襟に指を掛けている。僕に突き付けた銃の引き金に指を添え、ゆっくりと力を籠めていくような風情だ。ほら、撃つぞ撃つぞとせっつかれている気分になり、僕は焦ってしまう。

 

「わ、分かりました。だから、脱がないで下さいよ」

 

 僕は加賀さんから目を逸らしつつ上着を脱いで、それを加賀さんの肩から掛ける。これで万が一、加賀さんの装束がこれ以上はだけてしまっても問題ない。全部隠れている筈だ。加賀さんが少し驚いた顔をして僕を見上げてきた。僕は肩を竦めながら、加賀さんの傍に腰を下ろした。ソファが軋む。

 

「さっきまで空調を効かせていましたから。あまり薄着になって横になると、本当に体調を崩しますよ」

 

「……そうだな。すまん、借りるぞ」

 

 ふいっと僕から視線を外した加賀さんは、急に素直になった。肩にかけた僕の上着をぎゅっと掴むようにして横向きになり、僕の膝の上に頭を乗せてくる。その遠慮の無さは僕に甘えてくるようであり、いつもと少し雰囲気が違う。

 

「お前の体温が残っていて、温かいな」

 

 彼女は僕の上着を強く掴んでいる。無防備に身体を預けてくる加賀さんは、ほっとしたように大きく息を吐いた。加賀さんは横向きに寝て、僕のお腹に後頭部を向ける態勢だ。彼女の口許は、僕が掛けた上着の袖あたりに隠れて見えない。

 

「それに、……お前の匂いがする」

 

 彼女の横顔を見下ろすと、疲労の色が滲んでいた目許が微かに緩み、その頬に薄く朱が差していた。口許が隠れているので表情は分からない。だが、彼女の身体や呼吸の強張りが解けて、少しはリラックスしてくれているのだと分かる。「臭かったら、すみません」と僕が謝ると、「臭くなどない」と加賀さんが寝ころんだままで鼻を鳴らした。

 

 それきり会話が途切れた。僕も加賀さんも何も喋らない。だが、険悪さや気まずさは無かった。穏やかに流れる時間を、ゆっくりと二人で味わうような沈黙だった。僕は何かを話さなければと思うことも無く、この静けさに身を預けていく。加賀さんとソファに座っているだけの時間が、とても贅沢に感じられた。暫くして、加賀さんが口を開いた。

 

「……最近になって私も、セイレーンについて色々と調べてみたんだがな」

 

 僕の膝の上で横顔を見せる加賀さんは、瞑目したままで言う。

 

「やはり、お前の消滅に関わるような内容は見つけられなかった」

 

 加賀さんの声は最後の方で、憔悴に溺れながら懺悔するような響きを宿した。加賀さんの呼吸が揺れていることに気付く。今の加賀さんの疲労困憊した様子が、僕を救うために足掻いてくれたからだと分かり、胸の奥を掴まれる気分だった。

 

「覚悟はしていたが、恐ろしい。お前の存亡に関わる全てが、何も分からないままだというのは……」

 

 僕の苦悩は、僕のものであると言ってくれた加賀さんの言葉を思い出す。僕が過ごして来た無数の夜を、加賀さんなりに辿り直してくれようとしたのかもしれない。僕は自分の苦しみに誠実であろうとしたが、加賀さんは、僕のその姿勢をも肯定してくれているのだと思った。

 

 だから加賀さんは僕の消滅について他の誰にも口外していないのだろうし、その事実を受け止めようとしてくれているのだろう。そしてそれは、ローンさんも同じだった。二人の優しさに改めて触れて、僕は感謝の思いをより深める。温かい気持ちが体に広がっていく。

 

「えぇ。でも、もう慣れました」

 

「馬鹿者」

 

 少しだけ語気を強めた加賀さんが、ぐるっと寝返りを打った。ボリュームある白い尻尾が大きく弧を描き、執務室の空気を掻き混ぜる。この話題が抱えた重苦しい雰囲気が、充満してくるのを払うようだ。加賀さんは肩にかけた僕の上着を抱き込むようにして、僕のお腹へと顔をくっつけてきた。

 

「前みたいに、消えたくないと言え」

 

 くぐもった加賀さんの声は、涙の気配を含んで霞んでいた。それきり、また加賀さんが黙り込む。水位が上がって来た感情を鎮めるように、潤んだ呼吸を繰り返している。加賀さんの横顔は、僕の上着でほとんど隠れている。表情は見えない。だが身体が強張っている。震えと涙を堪えている気配があった。

 

「消えたくないですよ」

 

 それは僕の本心だった。

 加賀さんが、それを口にする勇気をくれたのだ。

 

「でも、自分の消滅を受け容れる心の準備を、僕はずっとしてきましたから。怯え続けるよりも、皆さんと過ごす時間を喜ぶことに気持ちを向けていたいんです」

 

「……そういう諦めの良い言葉ばかり使う子供は、本当に可愛くないぞ」

 

「甘えさせて貰っているつもりですよ。申し訳ないぐらいです」

 

「……本当に可愛くないな、お前は。気に喰わん」

 

 僕の上着を被ったままで洟を啜った加賀さんは、また寝返りを打つ。また僕のお腹に後頭部を向ける姿勢なったかと思ったら、「今日は此処で、このまま寝る」などと、拗ねたように言い出した。僕は苦笑してしまう。

 

「勘弁してくださいよ」

 

「私は眠いんだ。もう一歩も動かんぞ」

 

 不貞腐れ気味に言う加賀さんは、横になったままでモゾモゾと身体を動かし、眠るのに最適な頭のポジションを僕の膝の上に探し始めている。更に僕の上着を掛布団よろしく肩に掛け直し、本格的に眠る態勢に入ろうとしていた。

 

「ちゃんと睡眠をとるなら、自室に戻った方がいいですよ」

 

「やだ」

 

 加賀さんが鼻を鳴らす。

 

「やだ、って……、そんな子供みたいな」

 

「加賀ちゃんは妹キャラ重桜代表だからな。これぐらいの我儘は許されるんだ」

 

「か、加賀ちゃん……?」

 

「とりあえず、子守唄を頼む」

 

「要らないでしょう、そんなの……」

 

「しょうがないだろ、赤ちゃんなんだから」

 

「えぇ……、加賀ちゃんの年齢設定、ずいぶん低いんですね……」

 

「ごちゃごちゃと煩いヤツだなお前は」

 

 此方を見上げる加賀さんの横顔は、『可愛い妹が甘えてきているのに文句しか言わんとはどういうことなのか』と、僕に訴えてくるような渋面だ。その破天荒で奔放な振る舞いが、加賀さんなりの優しさであることを僕は知っている。打ちのめされる思いで僕は苦笑を維持した。油断すると涙が出そうだ。

 

「あぁ。子守唄の代わりなら、アレでいい」

 

 寝ころんだままの加賀さんが、ソファテーブルの上へと顎をしゃくった。そこにはタブレットが置いたまましてある。タブレットを見せろという事なのだろうか。僕は腕を伸ばしてタブレット手に取り、画面が加賀さんに見える位置でスタンドに立てる。

 

「子守唄の代わりって、将棋でもするんですか?」

 

 タブレットの将棋アプリを立ち上げようとする僕に、寝ころんだままの加賀さんが「やらんわ!」と慌てた声を出した。

 

「こんな時間にお前と将棋をやって、ギッタギタされてみろ。眠気が飛んでしまう」

 

「もう気持ちで僕に負けてるじゃないですか」

 

「えぇい……! やかましい! 今日はアレだ、ほら、オンラインで明石や不知火の奴が人を集めて、何か配信するんだろう?」

 

「あぁ、そういえば、そんなことを言っていましたね」

 

 加賀さんに言われて思い出した。今夜は確か、あるレースゲームのオンライン大会が母港で開かれている筈だった。僕はタブレットを操作し、明石さんがライブ配信している動画に接続する。動画が再生されると、ちょうど準決勝のレースが始まったタイミングだった。優勝賞品は秘書艦交代券10回分が贈られるということで、なかなかの盛り上がりを見せていた。ちなみに、2位には秘書艦交代券5回分、3位には3回分である。

 

 表示されているコメント欄の流れも速く、この母港のKAN-SENのかなりの人数が視聴しているようだ。画面の端の左下で、大会主宰者である明石さんが白熱した実況を披露している。

 

「……加賀さんは参加しなかったんですか?」

 

 ふと気になって、僕は視線を下げてみる。僕の膝枕に頭を乗せた加賀さんは鼻を鳴らした。そして横目で僕を一瞥してから、「私は予選敗退だ」と唇を尖らせて画面に視線を戻した。

 

「ゲームが達者な綾波やロングアイランドの奴も敗退しているからな。……この企画を知ってから、相当にやり込んだ奴だけが残ってるんだ」

 

 加賀さんの話によると、この大会を企画したのはエリザベスさんらしい。秘書艦を10日連続でやりたいと考えた彼女に、それを合法に行う口実として秘書艦交代券なるものを何らかの賞品としてはどうかという提案をしたのが、ウォースパイトさんだったという話だ。そしてこの話に他陣営が乗っかって、このレースゲーム大会の実現に至る流れだった。ただ、残っている面子を見ると、エリザベスさんの姿は無かった。

 

 この準決勝レースに出場しているのは8人。

 

 鉄血からは1名。ツェッペリンさん。

 ユニオンからは2名。エンタープライズさんと、アルバコアさん。

 重桜からも2名。赤城さんと、大鳳さん。

 ロイヤルからは3名。モナークさんと、シリアスさん、そして、シェフィールドさんだった。

 

 指定されたコースは、ピー●サーキット。

 彼女達のボイスチャットが聞こえてくる。

 

『御覧になっておいでですか、指揮官様ぁ~! 秘書艦交代券は、この大鳳がいただきますわ~!!』

 

『図に乗らないことね大鳳……、交代券は、この赤城こそが……!!』

 

 1位、2位を争うトップ集団でも、更に先頭を走るキャラクター達のカートが、ガッツンガッツンと攻撃的な体当たりをブチかましあっていた。あれが恐らく、大鳳さんと赤城さんの操作するカートなのだろう。彼女たちの闘気がゲーム内へと伝播し、可愛いはずのゲームキャラクター達が炎を纏って燃えているかのようにも見える。火花を散らす2人。その2人を背後から亀の甲羅の連射で蹴散らした別のカートが、颯爽と先頭に躍り出ていく。

 

『そうやって仲良く下位争いをしていると良い。交代券は私のものだ』

 

 エンタープライズさんの落ち着きのある声が、ボイスチャットで聞こえた。それに喰いつくようにして、『“最速”は、このモナークだ!』エンタープライズさんのすぐ背後まで迫るモナークさん。たが、コーナーに差し掛かったところで、緑甲羅3連を纏った別のカートが突っ込んできて大クラッシュした挙句、一緒にコースアウトしてしまった。

 

『ぬぁぁあっ!?』 モナークさんが呻く。

 

『も、もも、申し訳わりません! モナーク様!』

 

 モナークさんの横っ腹に突っ込んだのは、シリアスさんが操作するカートのようだ。

 

『同士討ちとは、……これは後でお仕置きですね』

 

 淡々と言うシェフィールドさんのカートが、復帰してくるモナークさん達のカートの脇を通り過ぎて行く。

 

『わー、皆やるなー!』

 

 レースは混乱を極めているが、中ほどの順位を走るアルバコアさんは落ち着いて楽しんでいる。ツェッペリンさんはアイテム運に恵まれないままコース障害物に執拗にスリップを誘発され、大きく出遅れていた。準決勝まで進んだものの、不運さが彼女の技術を殺している様子だ。『憎んでいる、すべてを……』と、最後のほうで聞こえてくるツェッペリンさんのボイスチャットは、若干の半泣きだった。

 

『大鳳のコース取り、えげつねぇ』

『エンタープライズもやばい』

『どんだけやり込んだの姉さん……』

『赤城さんも負けてないわ!』

『大鳳めちゃくちゃ上手いな』

『アルバコア負けるなー!』

『泣くのは早いわ、ツェッペリン!』

『まだ勝負は始まったばかりですよ!』

『急げモナーク! 巻き返せなくなるぞ!』

『シリアスの妨害アイテム運やばい。周り巻き込みすぎ』

『まるで戦車みたいだぁ……』

『シェフィールドも安定してるなー』

 

 阿鼻叫喚のコメント欄も速度を上げていく。

 

「この熱狂ぶりは、もはや代理戦争だな」

 

 ニヒルな笑みを浮かべた加賀さんが、タブレットの画面を見詰めて寝ころんだまま、愉快そうに肩を揺らした。

 

「他の対戦アクションにしようという意見もあったらしいが、レースゲームにして正解だったな。この盛り上がりっぷりを見るに、タイマンで勝負をするようなゲームだったらリアルファイトになりかねん」

 

「そんな恐ろしいことを嬉しそうに言わないで下さいよ……」

 

「くくく、悪い悪い」

 

 全く悪びれずに言う加賀さんは、そこで欠伸を漏らした。眠い眠いと言っていたのを思い出す。そろそろ消しましょうかと僕が声を掛けようとしたところで、タブレットが明滅して歓声が聞こえた。

 

 見れば、ツェッペリンさんが下位救済アイテムを引き当て、他の全てのカートに雷撃を与えたところだった。この効果によってツェッペリンさん以外のカートが低速化する上に、小さくなってスリップしやすくなる。逆転とはいかないまでも、大きく差を縮める好機だった。最下位だったツェッペリンさんが、前を行くカートを追う。その途中で、更に雷撃アイテムを引き当てる。しかも4回。

 

『痺れさせている、すべてを……』

 

 ツェッペリンさんは最終ラップに差し掛かっても最下位だったが、ボイスチャットの声音は御満悦だった。

 

『雷 帝 降 臨』

『に く す べ』

『サ ン ダ ガ』

『終 焉 の シ ン フ ォ ニ ー』

 

 コメントが加速する。

 

『ジャンプ台のあるコースだと、マジでサンダーが怖いんだよ』

『引かれたタイミングによっては完全に足が止まるからな』

『そうそう』

『ジャンプ台の手前だと飛べなくなるからね』

『このコースのサンダーはドラマを生みがち』

 

 コメント欄の熱量が、ゲームコースにも飛び火する。

 

『引き過ぎィ!?』雷撃を浴びまくった大鳳さんも、流石に悲鳴を上げる。彼女のカートが雷撃のスリップでコーナーを曲がり切れず、池にコースアウトした。『撃ち過ぎィ!?』ほぼ同じタイミングで、赤城さんもそれに続いて池に落下する。『くそっ、こんなに連発できるゲームなのか!?』縮んだカートで善戦を続けるモナークさんに、再びシリアスさんが甲羅を纏って激突した。

 

『ぐわぁっ!?』

 

『あぁっ!? 申し訳ありませんっ、申し訳ありません!!』

 

『……何をやっているのです』

 

 此処でシェフィールドさんが2位に躍り出る。

 サンダーの効果が切れる。

 

『逃がしませんよ。もう捉えました』

 

 シェフィールドさんの操るカートは華麗なドリフトを連発し、先頭を走るエンタープライズさんに迫る。だがそこで、エンタープライズさんは1位なのに救済アイテムである筈の無敵スターを引いて見せた。ボイスチャットの音声から、シェフィールドさんが舌打ちをしたのが分かった。『悪いな。負ける気は無いぞ』冷たく言い放つエンタープライズさんのカートは、キラキラと煌めきながら他を突き離していく。豪運にモノを言わせるエンタープライズさんへのコメントが殺到する。

 

『こ い つ ホ ン マ』

『L u c k y E』

『ヘ ビ ー レ モ ン』

『い つ も の』

『勝 ち た が り』

 

 コメント欄も盛り上がりを見せるが、エンタープライズさんは涼しいものだった。

 

『好きに言うが良い。正義と愛は必ず勝つ。あと、ヘビーレモンとかコメントを打った者は、あとで絶対に突き止めて演習に付き合っても貰うからな』

 

 エンタープライズさんのボイスチャットの、まさにその直後だった。潜水艦が海面に浮上するがごとく、アルバコアさんが音もなくシェフィールドさんに並んでいた。『独走はさせないよー!』彼女はゴースト化するアイテムによって、最後の雷撃を免れていたのだ。さらに彼女は、エンタープライズさんの無敵効果が切れるタイミングに合わせ、一位を狙い撃ちするトゲ甲羅を既に放っていた。

 

『ぐっ……!』

 

 トゲ甲羅はあっという間にエンタープライズさんのカートに食らい付き、無敵の切れた彼女のカートを盛大にクラッシュさせる。その場所は、このコース最大の特徴である特大ジャンプ台の手前だった。エンタープライズさんの足が止まったところで、更に雷撃が来る。ツェッペリンさんだ。こんなに雷撃を連発すると、彼女だけ違うゲームをしている風情すらある。

 

『くそ……っ!!』

 

 雷撃による縮小効果により、エンタープライズさんがジャンプ台を飛べなくなった。完全に足が止まる。いや、足が止まるどころか、カートを逆走させてアイテムを獲得しに行く事態だった。そのあいだに、シェフィールドさんやアルバコアさんだけでなく、モナークさんやシリアスさん、それに赤城さんや大鳳さんが、エンタープライズさんに追い付いてくる。

 

 各順位の間隔が潰れていく。もう団子状態だ。雷撃の縮小効果が切れた時に、どんなアイテムを持っているかで勝負が決まりかねない。そんな状況で更に、最下位のツェッペリンさんが更にサンダーを引く。もう無茶苦茶だった。

 

『いい加減にしろ、ツェッペリン……!!』

 

 エンタープライズさんが呻く。他の面々も動揺だった。ツェッペリンさんは更に無敵アイテムを引き当てている。

 

『置き去りにしていく、すべてを……』

 

 他のカートがジャンプ台の前で立ち往生しているのを尻目に、ツェッペリンさんのカートは軽やかな音楽と煌めきを引き連れ、颯爽とジャンプ台から飛んでいく。逆転劇と言うにはあまりにも暴力的で大味だったがその分、大きく順位が動いた。

 

『待ちなさい……っ!』

 

 泥仕合に様相を呈している状況から、赤城さんが2位に躍り出る。アイテムは赤い甲羅を3つ纏うものだ。射程から見ても、まだツェッペリンさんを狙い撃ちに出来る。赤城さんはそのつもりだったに違いない。だが、ジャンプ台直前には、シリアスさんが撒き捲ったバナナが散乱している。赤城さんはそれを踏んだ。赤甲羅が2つ削られ、スリップする。

 

『ぬぅぅううううううう……!!』

 

 赤城さんの攻撃的な呻き声が聞こえてくる。かなりおっかない。その隙に、エンタープライズさんが赤城さんの脇を追い抜いていこうとした。『行かせないわよ!』赤城さんは透かさず、赤甲羅をエンタープライズさんへと撃ち込む。

 

『くそっ……!』

 

 エンタープライズさんのカートがクラッシュする。甲羅を防御できていないところから見て、エンタープライズさんが引いたアイテムは加速系のキノコだったようだ。

 

『邪魔をするな赤城!』

 

『行かせないわよ!』

 

 エンタープライズさんと赤城さんが火花を散らしているうちに、大鳳さんが二人を抜き去って行く。大鳳さんが引いたアイテムは金色キノコで、連続で加速できる強力なアイテムだった。最終ラップである今のタイミングだと、かなり有利なアイテムの筈だ。一位は難しくとも、2位、3位は確定しただろうか。大鳳さんが高笑いを上げる。

 

『見て下さいまし! これが日頃の行いですわぁ~!!』

 

 御満悦な様子でジャンプ台に差し掛かる大鳳さんだったが、そこで悲劇が起きる。無敵スターを引いて猛追してきたアルバコアさんと、ジャンプ寸前で接触したのだ。

 

『あっ、ごめん大鳳!』

 

『ちょっ……!?』

 

 悲鳴を上げた大鳳さんのカートが、ズガァン! と盛大に吹き飛ばされて、ジャンプ台の下へと落下していく。このコースの性質上、ジャンプ台から落下すると半周ほど戻されてしまう。不幸なことに、この最終ラップで大鳳さんだけが全員よりも半周遅れ状態になってしまった。上位入賞は絶望的だろう。

 

『うぎぃぃいいいいいい──!!』

 

 縊り殺される猫のような絶叫を木霊させながら、大鳳さんのカートがジャンプ台の下へと消えていく。そのあいだに、しれっとシェフィールドさんがジャンプ台から飛んでいく。それにモナークさん、シリアスさんも続く。これは争っている場合ではないと判断したエンタープライズさんと赤城さんもジャンプ台に続いたところで、僕は気付く。

 

 寝息が聞こえるのだ。

 

 どこからだろうと思ったが、そんなのは決まっている。僕はタブレットから視線は外して膝の上を見下ろす、すると、僕のお腹に後頭部を向ける態勢の加賀さんが、完全に眠りに落ちていた。加賀さんの寝顔を見ることなど初めてであるから、僕は戸惑ってしまう。ど、どうすればと焦り出す僕を置いて、タブレットの画面の中では実況の明石さんが、決勝レースの開始を告げている。動画内の盛り上がりは伝わってくるが、まったく内容に意識がいかない。

 

 とにかく、動けない。

 なんとなくだが、今の加賀さんを起こすべきではないと思った。

 いや、起きないで欲しいと思ったのかもしれない。

 

 僕はドキドキしている。すぅ、すぅと規則ただしく穏やかな寝息を立てる加賀さんの横顔を、じっと見詰めてしまう。綺麗なひとだと素直に思いながらも、僕は首を緩く振る。駄目だ駄目だ。いけない。ひとの寝顔をじっと見るなんて、あまり良くない。僕は指揮官として、紳士的にあるべきだ。僕は静かに深呼吸をしてから、加賀さんの肩に掛けてある上着を、そっと掛け直した。

 

 加賀さんがこんなに無防備な姿を僕に曝しているのは、僕を信頼してか、それとも、僕のことなど何とも思っていないからだろうか。或いは、僕の膝枕の上で安心してくれたのか。ただ疲れていただけか。それら全部なのか。答えは分からない。分からなくてもいい。“今”が、僕にとっての宝物であることに変わりはない。

 

 ソファテーブルの上に置いたタブレットの画面では、この母港の賑やかで楽しげな日常が流れている。そして今の執務室では、穏やかな日常がタブレットと並走し、同時に流れている。それを余すところなく僕は通過することができている。本当に贅沢な幸福だと思った。事件が起こったのはその時だ。

 

「んん……」

 

 寝苦しそうに唸った加賀さんが身体を大きく動かして、仰向けになるように寝返りを打ったのだ。肩に掛けていた僕の上着がずれて、もともとはだけさせていた艦船装束の胸元が更に危険な状態になって露わになった。

 

 僕は吹き出しそうになる。

 これはいけない。夢に出るヤツだ。

 

 加賀さんはワザとやっているのか。それもと寝相が悪いだけか。もう何でも良いが、視界に飛び込んでくる肌色の面積が一気に増えてしまって、もう僕は加賀さんを見ることができない。とにかく、このままでは駄目だと思った。

 

 上着。そうだ、指揮官服の上着だ。僕の上着を掛けなおさないといけない。使命感と共に、頭の中の変なスイッチが入ったのかもしれない。混乱と焦りの中にある僕の内側で、何故かアヴェ・マ●アが流れ始める。美しくも優しさの漲る、あの荘厳なメロディを想起しながら僕は、息を殺して顔を逸らし、視界の焦点を暈し続け、加賀さんの方を見ないように細心の注意を払う。

 

 自分の上着を加賀さんに掛け直そうとする僕の手つきは、爆弾の解体に臨む処理班のそれと同じだったことだろう。手元に集中力を注ぎ込み、何とか加賀さんの胸元を隠すことに成功する。加賀さんは穏やかに寝息を立てていて、起きてくる気配は全くない。僕は全身の力が抜けるような安堵を味わいながら、絞り出すような溜息を吐き出しだそうとしたところで、「……楽しそうなことになってるわね、指揮官?」などと声を掛けられた。

 

 執務室の扉の方からだ。僕は飛び上がりそうになりながら慌てて顔を向けると、オイゲンさんが扉の縁に凭れ掛かっていた。いつの間にと思った。普段なら気付いていたはずだが、加賀さんに上着を掛けようとして意識を集中していたため、オイゲンさんの気配を完全に捉え損なった。彼女は携帯用端末のカメラを向けたままで、僕を眺めて薄く笑みを浮かべている。

 

「指揮官と加賀って、仲が良かったのね」

 

「あぁ、いや、加賀ちゃんも疲れていたみたいで」

 

「……加賀ちゃん?」

 

「ぃ、いえ、加賀さんに膝枕をしてくれないかと言われたんですよ」

 

「それで眠った加賀に、すけべな悪戯をしようとしてたのね?」

 

「違いますよ……」

 

「冗談よ。冗談」

 

 オイゲンさんの声は低く、少し険があるように聞こえるのは気のせいではなさそうだった。僕の膝の上で眠る加賀さんと僕を何度も見比べる彼女は、笑顔のままで不機嫌そうだ。オイゲンさんは執務室の扉を後ろ手にゆっくりと締めてから、僕たちの方へとゆっくりと歩み寄ってくる。

 

「でも、羨ましいわ。指揮官に膝枕をしてもらえるなんて」

 

 囁くように言うのも、やはり眠っている加賀さんを起こさないようにするためだろう。オイゲンさんはソファに座るのではなく、加賀さん膝枕している僕の後ろに、ソファの背凭れを挟むようにして立った。

 

「ねぇ指揮官。お願いしたら、私も膝枕をしてくれる?」

 

「えぇ。それくらいでしたら」

 

「本当?」

 

 僕の耳に唇を近づけて囁くオイゲンさんは、その囁き声に過剰な艶を含ませた。そして僕の後ろからしな垂れかかりようにして腕を回してくる。彼女の胸が、僕の背中と肩のあいだあたりで潰れているのが分かる。僕はできるだけそこに意識を向けないようして首を緩く振った。

 

「嘘は言いませんよ」

 

「信じていいのね? 指揮官は嘘つきじゃないって」

 

 甘えるように囁くオイゲンさんの唇が、僕の左耳のすぐ近くで動くのが分かる。「じゃあ、訊いてもいい? 」彼女の呼吸が、僕の首筋を微かに撫でていく。

 

「……ローンと何が在ったの?」

 

「ローンさんと、ですか?」

 

「えぇ。最近、ちょっと様子が変でね。……指揮官のことを遠くから眺めているときとか、凄く悲しそうな顔をしているのよ。ローン」

 

 オイゲンさんの囁き声は柔らかいものであったが、その柔らかさの奥には僕を責めるような険があるのが分かった。

 

「そう、なんですか」

 

 曖昧に答えながら、僕はローンさんとの埠頭での出来事を思い出す。だが、あの時のことをオイゲンさんに話すつもりは無かった。ローンさんと僕の間には何も起こらなかった。ただ、お互いの気持ちを理解した上で、事実の確認をしただけだ。

 

 やはりローンさんは、鉄血陣営の誰にも僕の消滅を明かさず、秘密にしてくれているのだと分かった。それは彼女が加賀さんと同じように、僕の今までの苦悩や覚悟を肯定してくれた証だと思えた。

 

 僕が消滅することなど今更だ。不毛な議論であり、今の母港全体で話し合うことではない。僕は、この母港の基地機能の一部に過ぎない。僕が消えても母港は無くならない。以前、ツェッペリンさんが言っていたことを思い出す。僕が居なくなれば、母港の在り様は一変するだろうと。だが、母港の基地機能がそれで止まることはない。僕の存在の有無に関わらず、継続されるべきものだ。

 

 その為に必要なのは、KAN-SENである彼女達の存在であり、彼女達の間にある絆や友好的な交流だった。つまりは、今の“日常”よって育まれたものだ。僕ではない。それを、ローンさんも加賀さんも理解してくれている。僕が黙っていると、その沈黙の意味を色々と想像したのか。

 

「ねぇ、どうなの?」

 

 オイゲンさんが囁き声を甘く尖らせて、僕の耳に息を吹きかけてきた。僕は思わず背筋を伸ばしてしまうが、すぐに彼女と同じように囁き声で答えた。

 

「何もありませんよ」

 

「……信じていい?」

 

「えぇ。もちろんですよ」

 

 僕は肩を竦めて見せようと思ったが、肩を動かすとオイゲンさんの胸を持ち上げてしまいそうなので、緩く息を吐くに留める。「ふぅん……」と洩らした彼女は、そこで更に強く僕を抱きしめるようにして、身を寄せてきた。オイゲンさんは僕の横顔を窺うような姿勢になる。

 

「指揮官は、ローンのことが好き?」

 

「え、えぇ、好きですよ?」

 

 妙な質問だと思い、僕は視線だけでオイゲンさんを窺う。彼女は口許こそ緩めていたが、その眼差しには僕の内面を見定めようとする真剣さが在った。

 

「数字で言ったら、どれくらい?」

 

「数字って……」 

 

 僕が戸惑うと、僕の横顔を見詰めるオイゲンさんが、また囁く。

 

「答えて。指揮官が嘘つきかどうか、それで分かるわ」

 

 オイゲンさんの囁き声には、いつもの余裕が無かった。僕が嘘つきであるかどうかを見定めたいと言っているが、彼女の真意が僕には分からない。ただ、オイゲンさんがふざけている訳でも、僕をからかっている訳でもないのだとは分かる。だから僕も、これは真剣に答えるべきだと思った。

 

「好きという感情を数字で言えば、……90くらいでしょうか」

 

 僕が囁き声で言うと、オイゲンさんが少しだけ息を止める気配があった。

 

「僕はローンさんのことを尊敬していますし、感謝もしています。戦闘の時に見せる彼女の苛烈な顔や、鉄血の仲間に向ける穏やかな顔も知っています。……でも、ローンさんの全部を知っているわけではありません。ローンさんの全部を好きだという資格を持っているのは、いつか彼女と想いを通わせ合うようになった方だけでしょう」

 

 囁き声でそう続けた僕に、オイゲンさんは何かを確認し終えて安堵するかのように、ふっと笑みを零した。

 

「それじゃあ、私は?」

 

 嬉しそうな顔になったオイゲンさんが、僕の耳元でまた囁く。僕は眉を下げて答える。

 

「やはり、90ですよ。これ以上、感情の枠を広げようがありません」

 

「……そう。よく分かったわ」

 

 オイゲンさんは満足そうに言ってから、更に強く抱き着いてくる。そして僕の体温を確かめるように、僕の耳の後ろあたりに頬ずりまで始めた。くすぐったい。それに、気恥ずかしい。僕が慌てるよりも先に、オイゲンさんが緊張した声を出した。

 

「指揮官に、お願いがあるの」

 

 お姉さん然とした余裕をたっぷり含んだ、普段の声とは全く違うものだった。僕の左肩の後ろあたりに圧しつけられた柔らかな感触から、駆け足になりつつある彼女の鼓動が伝わってくる。耳元で震える息遣いからは、オイゲンさんが何かを決心しようとしている気配も。

 

 オイゲンさんはすぐには喋り出さず、唾を飲み込むような沈黙を作った。執務室の空気は、その静けさの中に冴えて、冷えた空気が循環している。タブレットの画面はいつのまにかスリープ状態になって、真っ暗になっていた。加賀さんが起きてくる気配はなく、その規則正しい寝息だけが緩やかに執務室に響いている。

 

「セイレーンとの戦いが終わったあとの話なんだけど」

 

 優しい沈黙に勇気を貰うようにして、オイゲンさんが再び口を開いた。

 

「セイレーンから海を取り返した世相の下で、其々の陣営が対立関係になるか同盟関係を結ぶかは、まだ分からないわ。でもきっと、この母港も今のままじゃいられないでしょう? 全ての陣営が全部バラバラに分かれて、新しい時代を歩んでいくことになるかもしれないし」

 

「……えぇ。現段階では、何も確定していない範囲の話ではありますが、世界情勢によって、いかようにもなるでしょうね」

 

 僕はオイゲンさんに相槌を打ちながら、この話の行方が何処に向かうのか少し警戒した。僕は、自分が消滅するまでと、自分が消滅したあとの母港のことをずっと考えてきた。だが、このセイレーンとの戦争が終わった後のことについては、あまり想像したことが無かった。

 

 そういった未来への考えに手を伸ばさなかったのは、僕がKAN-SENの皆の勝利を信じ切っていたからかもしれない。こういう僕の悠長さは、そのまま僕の視野の狭さでもある。

 

「この戦いが終わっても、私は指揮官と一緒に居たいわ。ねぇ、指揮官。……全部終わったら、鉄血に来てよ」

 

 オイゲンさんの囁き声に、熱が籠り始める。

 

「言っておくけど、ビスマルクも指揮官を誘うつもりよ。指揮官に十分なポストを用意する為に、準備も始めているわ。……あぁ、これは秘密にしておいてね」

 

 囁き声をさらに潜めるようにして言うオイゲンさんは、寝息を立てている加賀さんを一瞥してから、悪戯っぽい口調になった。僕が反応に困っているのを分かっていながら、オイゲンさんは言葉を続ける。

 

「指揮官。私はね、指揮官のことが好きよ。愛してる。だって、指揮官は命を懸けて私とビスマルクを助けてくれたんだもの。この感謝は一生忘れない。私は指揮官に尽くしたい。この感情を陳腐だと笑うヤツが居たら、その背骨を圧し折って鉄血寮のロビーに飾ってやるわ」

 

「それは、……怖いですね」

 

「私は本気よ。命を懸けてくれた恩人を想うことに、私も命を懸けてみたい」

 

 言われなくとも分かった。オイゲンさんの語る言葉が、冗談でも言葉遊びでもないことは、この場に居れば誰だって分かるだろう。だが、そのオイゲンさんの気持ちに応える術は、消滅を待つ僕には無いのだ。オイゲンさんの情熱を受け取るわけにはいかない。そして、嘘を吐くわけにもいかない。

 

「そのお気持ちは、とても嬉しいです。こうしてオイゲンさんに求められることも、本当に光栄に思います。でも、……申し訳ありません」

 

 息を詰まらせたオイゲンさんが、強く唇を噛むのが分かった。再び、執務室に静寂が訪れる。オイゲンさんは諦めきれないかのように、ぎゅうぎゅうと僕を抱きしめてくる。痛いほどだった。彼女の息が拗ねるように揺れていることに気付く。僕は控えめに苦笑を浮かべて、気まずくなりそうな空気を何とか有耶無耶にできないかと試みたが、無駄だった。

 

 僕は以前、“日常”というものは編まれた糸のようなものだと聞いたことがある。幾人もの人生が縒られて集まり、その一本一本が切れたり離れたり、また別の糸が縒られたりしながら紡がれるものなのだと。もしかしたら今のこの瞬間こそが、その繊維の一本が切れるときなのかもしれない。つまりは、この“日常”の途切れ目の、最初の一つなのかもしれないと思った。加賀さんの寝息だけが変わらずに穏やかだった。

 

「もう先約があるのかしら?」

 

 そのうち、オイゲンさんが寂しそうに囁きながら、僕の膝枕で眠る加賀さんを一瞥した。

 

「例えば、……重桜とか?」

 

「違いますよ。先約なんてありません。ただ、……この戦争が終わったあとのことについて、僕は誰かと、何かを約束できないんです」

 

 それが、今の僕が答えられる全てだった。何かを隠しながら、別の何かを信じて貰おうする僕自身の傲慢さに、自嘲的な苦笑が漏れそうになる。だが、他に言葉が思いつかない。

 

 オイゲンさん達が勝ち取った未来において、消滅を運命づけられた僕は完全に疎外されている。この戦いが終わって新しい時代が訪れ、どのような政治的、軍事的な企てのなかでKAN-SENの皆が動くことになっても、僕は関与できない。

 

 ゲーム大会で盛り上がる“日常”でもなく、言葉すら必要とせずに穏やかに過ぎていく“日常”でもなく、今とは全く違う未来の“日常”へと皆が進んでいく。僕はそれを見送ることも出来ない。ならば僕は、消滅するまでの時間の全てを、指揮官としての役割を全うする為に使うべきだと思う。この場で、オイゲンさんと未来に於ける何かを約束する資格は、僕には無いのだ。

 

「でも先約が居ないのなら、まだ希望はあるわね」

 

 ふふっと軽く笑みを零したオイゲンさんは、いつもの飄々とした調子に戻って言う。だが、その声音はどこか自分を奮い立たせるようにも聞こえた。僕の横顔を覗き込んでくるオイゲンさんは笑みを浮かべていたが、その瞳は潤むような光を湛えている。

 

「僕はもう、何も言いませんよ」

 

 僕は苦笑を返す。それしかできない。

 

「えぇ。何も言わないで。今優しくされたら、多分泣いちゃうから」

 

 冗談めかした笑みを含ませて言うオイゲンさんは、何を思ったのか僕の耳に息を吹きかけてきた。突然のことに、僕はビクリと体を震わせてしまう。抗議しようとオイゲンさんに振り返ろうとしたところで、「むぅ……」なんて低い声が聞こえた。僕が身体を揺すってしまったせいで、加賀さんが眼を覚ましたのだ。

 

「あぁ、す、すみません、加賀さん」

 

 僕は謝りながら、自分の膝へと視線を落とす。眠そうな加賀さんは眼を薄く開けて、僕を見上げていた。そして、僕がオイゲンさんに抱きすくめられていることに気付いたようだ。加賀さんの視線が僕の顔から横へとずれて、オイゲンさんへと移る。

 

「オイゲンか。どうしたんだ、こんな時間に」

 

「私も加賀ちゃんと同じで、指揮官に会いたくてね」

 

「……誰が加賀ちゃんだと」

 

 にこやかにオイゲンさんが言うと、加賀さんが不機嫌そうに顔を歪めて身体を起こした。その拍子に、加賀さんに掛けていた上着がずれ落ちる。オイゲンさんが固まる気配を背中に感じたものの、この時の僕は冷静だったし、状況判断も迅速で的確だった。要するに、僕は俯いて眼を閉じたのだ。そう。僕は何も見ていない。加賀さん上半身が露わになっていても、僕には何も見えない。

 

「ちょっと加賀、上、上」

 

 いつも落ち着いている筈のオイゲンさんの声が、引き攣るように上擦って硬直していた。

 

「んん? 何だ、上?」

 

 加賀さんは寝ぼけた声を返している。僕は無言のままで俯いて、瞑目を貫く。気分は地蔵様だ。何も考えないようにする。やはりこれも瞑想だ。ブレマートン瞑想が役に立つ時が来たのだと思った。役に立つ時など、本来なら訪れるべきではないのではないかという自問も同時に浮かんだ。オイゲンさんが慌てる気配があった。

 

「胸よ。指揮官の前だから隠しなさいって」

 

「ぉ…………!」 

 

 加賀さんが焦ったように動いたのと、衣擦れの音がした。はだけた一航戦装束を整えているのだろう。そこから、加賀さんとオイゲンさんが何かを言い合うのが聞こえた気がするが、僕はそれらを意識に留めず、瞑目した視界に広がる闇に眼を凝らす。“彼女”の存在を感じていた僕は呼吸を整え、集中力を高めながら心の動きを殺しておく。そのうち、「もう部屋に戻るからな!」と、声の調子を外した加賀さんが僕の頭をグリグリと揺らした。目を開いて顔を上げると、顔を赤くした加賀さんが不機嫌そうに僕を見下ろしていた。

 

「えぇ。ちゃんと自室で休んでくださいね」

 

 僕が苦笑まじりに言うと、オイゲンさんも僕を抱いていた腕を解いてから、ひらりと加賀さんに並んで僕を見下ろした。

 

「私も寮に戻るわ。……指揮官も、もう休んでね」

 

「えぇ。オイゲンさんも、おやすみなさい」

 

 僕もソファから立ち上がって、二人へと順に頭を下げる。加賀さんとオイゲンさんは妙な気まずさを引き連れながらも、仲良さげに何かを言い合いながら執務室を出ていく。彼女達の纏う空気は、やはりこの母港の日常のものであり、僕が慣れ親しんだものだった。僕の日常とは、彼女達から貰ったものなのだという思いを強くする。僕は拳を強く握り、開いた。乱れそうになる呼吸を整えつつ、二人の背中を見送る。

 

 執務室の扉が閉まる。

 僕は取り残される。

 この世界が、僕を置き去りにしていこうとしている。

 

 いや、もしかしたら本当はその逆で、僕が世界を置き去りにしていくのかもしれない。僕の消滅とは何か。どのような本質を持っているのか。“彼女”なら、その答えを知っているのではないか。

 

 自身の内面に積み上がっていく自問と憶測を見詰め直しながら、僕はソファの脇に置いていた軍刀を持ち上げる。この鋼の重みと柄の感触だけは、間違いなく真実だと思えた。

 

「久しぶりね。元気そうで何より」

 

 もう何度、この声を頭の中で再生しただろう。“彼女”の声はもう僕の一部となっていて、激しい嫌悪や敵意と同時に、馴染み深い親近感のようなものすら感じた。“彼女”は何もない空間から滲み出すようにして存在を現し、この執務室に割り込んで来ていた。“彼女”は、僕が消滅する前に会いに来ると言っていた。その言葉通り、“彼女”は母港に攻め入って戦うのではなく、あくまで僕に会いにきたのだろう。

 

 今の“彼女”からは、戦意も殺意も、害意も威圧も感じない。ただ、此方に緊張と畏怖を強いる佇まいであり、油断も隙も無い。人智を超える力や技術を従える“彼女”は、やはり冷静な観測者であり、傍聴者だった。

 

「会いたかったわ」

 

「えぇ。僕もですよ」

 

 僕は、自分の執務机を振り返る。“彼女”は──オブザーバーは優雅に執務椅子に腰かけ、コーヒーカップを傾けていた。僕が飲みかけていたコーヒーだ。彼女はそれを美味しそうに啜っている。僕の存在をせせら笑うようでもあり、この場で戦闘するつもりはないという意思表示にも見える。とにかく、忌々しいほどに余裕綽々の態度だ。コーヒーを飲み干した彼女は唇をゆっくりと舐めながら、執務机に身を乗り出すようにして頬杖をついた。

 

「貴方も私に会いたかったの? 嬉しい」

 

 オブザーバーは嫣然として微笑む。彼女の右頬には傷跡がある。あれは以前、僕がつけた傷の筈だ。オブザーバーは頬杖を突いた手で、その頬の傷を愛おしそうに撫でながら僕を見詰めてくる。熱っぽい眼差しだった。ヤンデレという言葉が頭の隅を過るが、どうでも良かった。

 

「えぇ」

 

 僕も知らず知らず、オブザーバーに微笑みを返していた。

 軍刀の柄を握る感触が、僕の存在を証明している。

 

「本当に、貴女に会いたかった」

 


















最後まで読んで下さり、ありがとうございます!


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日常へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 執務室の空気は冷たく沈み、重く体に纏わりついてくる。肌に触れる冷気が、僕の肉体に通う血液から温度を奪おうとするかのようだ。この世界から、僕の存在が刻一刻と遊離していくような感覚に見舞われる。夜の海に沈んでゆく僕の姿が脳裏を過る。いつも埠頭から眺めていた、あの黒々とした海が、とうとう僕を迎えに来たのだと思った。

 

 恐怖は無かった。高揚感が心の中に立ち昇ってくることも無かった。虚しさすら感じない。ただ、来るべき時が来たのだという開放感が胸を満たしていた。オブザーバーに対峙する僕は、微笑みを浮かべている。自分でも分かるが、この笑みは暗く澱んでいるに違いなかった。誰かに見せるべきではない笑みだと分かる。

 

 ただ、この場に居るのは僕と、オブザーバーだけだ。

 僕は彼女に遠慮する必要が無い。行儀よくする必要も無い。

 

 潮水の中に沈んでいくような感覚の中で、僕はオブザーバーへと歩み寄る。いつでも軍刀を抜き放てるよう、柄を握り込む。僕の気持ちは、僕の肉体よりも前に出ている。今日、この日までに過ごして来た日々が胸に浮かぶが、僕はその温かい思い出を打ち消していく。切り離して、薄めていく。代わりに、今まで乗り越えてきた夜の昏さを思い起こす。苦悩の記憶を辿りながら、それらは全てこの瞬間の為にあったのだと確信する。

 

 僕はKAN-SENの皆によって救われた。それは間違いない。だが、自分の存在を疑い続けて暗夜の底を這いずり回った日々の記憶は、無かったことにはならない。ローンさんが言っていた。僕の中にも、彼女と似たようなものがあると。多分それは、今の僕の感情だ。殺意と敵意で心を満たしながら、それを発散する機会があれば、嬉々として暴力に身を預ける僕の狂暴性を、彼女は見抜いていたのだと思う。

 

「ふふ……、貴方って、そんな顔もするのね」

 

 執務椅子に腰かけたオブザーバーが、うっとりとした声を出した。彼女は頬杖をついたままで僕を見詰めている。僕を迎え撃つ姿勢も見せない。防御姿勢も取らない。泰然としている。彼女は生物型の艤装を召び出すこともせず、頬の傷を愛おしそうに撫でている。

 

「少し話をしない?」

 

 この期に及んで、オブザーバーは悠長に言う。

 

「……必要ないでしょう」

 

 僕は応えながら立ち止まる。もうオブザーバーに踏み込める間合いだ。僕は膝を曲げて、すっと重心を落とす。居合切りのように軍刀の柄を腰だめに構え、少しずつ前に体を倒していく。オブザーバーから目を離さない。

 

「貴方にとって大事な話よ」

 

 僕の殺意や害意を煽るように、彼女は楽しそうに言う。

 

「なら、首だけになった貴女に訊けばいい」

 

 僕は次の1歩で軍刀を抜きながら前傾姿勢になり、2歩目でトップスピードになり、3歩目で執務椅子に飛び乗って、オブザーバーの細い首を左手で引っ掴んで持ち上げた。僕の左手の指が、彼女の喉首に食い込む。オブザーバーの肌はひんやりとしていて、僕の手の皮膚に吸い付いてくるようだった。「んっ……!」一瞬だけ彼女が苦しそうに呻くが、抵抗らしい抵抗を見せない。

 

 それが不穏だった。圧倒的な余裕を見せつけられているのは明らかだった。執務椅子の上で片膝立ちになった僕は、オブザーバーを片手で宙づりにしながら、右手に握った軍刀の切っ先を彼女の顎先に突き付けた。僕は心の中で念じる。

 

 殺す。殺すぞ。こいつを殺す。いま殺す。もう殺す。今なら殺せる。殺せる。だからそうしろ。殺せ。殺せ。さぁ殺せ。はやく殺せ。なにを躊躇している。躊躇など必要ない。何を迷っている。馬鹿なことを。はやく。はやくしろ。はやく。はやくするんだ。殺せ。殺すんだ。

 

 心の中で念じる声は刹那の間に大きくなる。加速していく。僕が、僕自身に命令する口調になる。明らかな必死さを帯びていく。それは僕がオブザーバーの存在に無意識に気圧されている証に他ならず、同時に警戒の証でもあった。

 

 彼女を殺害しようとする意思や、その意思の実現に向けられる強烈な衝動は僕の中で渦を巻き、突き上げるように激しくうねっている。だが、頭の中の冷静な部分から聞こえる『オブザーバーは何かを企んでいるのではないか』という声も、辛うじて僕の意識に届いていた。

 

「どうして止めるの?」

 

 僕に首を掴み上げられたオブザーバーは苦しげな、しかし、何処か恍惚とした表情を見せながら僕を見下ろしてくる。

 

「最後までしてくれないのかしら?」

 

 唇を微かに震わせる彼女は艶っぽく言いながら、彼女の喉首を掴み上げる僕の腕に触れてくる。それは気が滅入るほどに婀娜っぽく淫猥な手つきだった。僕が手に力を籠めると、オブザーバーは唾を飲み、薄く喘いだ。肌を重ね合わせる相手を焚きつけるように、彼女の琥珀色の瞳が濡れた光を湛えて僕を見下ろしている。

 

 彼女の目には動揺も焦燥もない。僕の心の内を見透かしているというよりも、こうなることを既に予見していたかのような落ち着きぶりだった。彼女の瞳に映り込んだ僕の顔には、全く余裕が無かった。笑みも消えている。

 

「……なぜ抵抗しないんです?」

 

 僕は最後まで、オブザーバーの掌の上で踊るしかないのか。その忌々しさと無力感が胸の中で膨らんでくる気配があった。僕はそういった弱気な情動を叩き潰すつもりで、オブザーバーの質問に質問で返す。喉が渇く。唾を飲み込み、オブザーバーを睨み続ける。

 

「態々抵抗する必要がないもの。物理的に、貴方は私を殺せないわ」

 

「試してみなければわかりません」

 

「ふふ……、いつかまた私と遭った時の為に、KAN-SEN達に教えを請い、鍛錬を重ねてきたのね?」

 

 僕は答えず、黙る。その沈黙が可笑しいのか。「隠すことはないわ。私は貴方を観てきた。看視し、注視し、熟視してきたの」オブザーバーは喉を鳴らした。

 

「でも無駄よ。この頬の傷も、ワザと残してあるだけ」

 

「何の為に……?」

 

「貴方が存在した証として」

 

「反吐が出る」

 

 そこで、オブザーバーがゆっくりと瞬きをした。

 

「ピュリファイアーやテスター達と、この母港に攻め入る準備はできているわ」

 

「……この母港のKAN-SENを人質に取ったつもりですか?」

 

「まさか。この“枝”の彼女たちは優秀よ。練度も高い。人質と言うには物騒よね。……ふふ、貴方は私の言いたいことが分かっているはず」

 

 僕を見透かすように、オブザーバーは唇の端を愉しげに歪める。

 

「貴方は自身の消滅を恐れていない。一人でこの世界を去る覚悟をしている。……でも、この母港が再び戦場になることを貴方は是としないでしょう?」

 

 彼女の首を掴み上げたまま、僕は沈黙を余儀なくされる。僕の対応次第では、彼女は仲間と共に母港に攻め込むつもりなのだ。KAN-SENの皆が容易く敗北することはないだろうが、母港を戦場にするのは僕が最も避けたいことでもあった。

 

「それに、貴方が誰かを呼ぼうとしても無駄よ。私はこの場から消えるだけだし、その私を追う術も貴方たちには無い。そうなれば……、貴方が私と接触する機会も永遠に失われる」

 

 オブザーバーは余裕のある喋り方を崩さない。そこに動揺も恐怖も無い。相対する僕は、本当に今更だが、圧倒的に優位に立っているのは彼女の方であることを改めて思い知る。

 

「ふふ、私と話をする気になった?」

 

 勝ち誇るというよりも、優しく諭すように言うオブザーバーから視線を外した僕は、ため息とも深呼吸ともつかない息を吐くしかなかった。僕は無力だ。彼女の喉首を掴んでいた手を離す。ストンと床に着地した彼女は満足そうな笑みを浮かべながら、僕の指が食い込んでいた自分の喉を右手で摩った。

 

「話が分かるのね。貴方は賢いわ」

 

 僕は舌打ちをしながら軍刀を鞘に納め、執務机の上から降りる。その時にはもうオブザーバーはソファの方へと歩きだしていて、僕は黙ったままでその背中を見詰めるしかなかった。人の姿をしていながら、明々白々、人間ではない。彼女の纏う得体の知れないオーラが、この執務室を侵食して支配していくようだった。見慣れた執務室が酷く窮屈に思える。

 

「……話とは何です?」

 

 僕は彼女に半身を向けたままで訊く。

 

「何だと思う?」

 

 何がそんなに楽しいのか、ゆったりとソファに腰掛けたオブザーバーは声を弾ませて僕を見詰めてくる。頭に血が上っていく感覚があったが、苛立って見せれば彼女を喜ばせてしまう予感があった。

 

「さぁ。見当もつきませんが……」

 

 僕は再び出そうになる舌打ちを堪えながら、ゆっくりと鼻から息を吐いて彼女に向き直る。

 

「取り敢えず、……コーヒーでも淹れましょうか?」

 

 僕は、僕自身の存在を圧倒しようとするオブザーバーに対応すべく、この執務室に日常らしき何かを灯そうと必死だったのかもしれない。「あら、嬉しい」などと、オブザーバーは素直に喜んで見せて、ソファに凭れて寛いだ姿勢になる。ただそれだけで、彼女が纏っている得体の知れないオーラが膨れ上がり、僕を飲み込んでくるかのようだ。

 

 恐怖は無かったが、悔しくはあった。僕が過ごしてきた大事な日常の空気とは、セイレーンである彼女達の前ではこんなにも脆いものなのかと、そういった当たり前のことを改めて突きつけられる気分だった。僕は奥歯を噛みながら、せめてもの抵抗のように彼女の分のコーヒーを用意する。

 

 コーヒーを用意している間も、オブザーバーからの視線を背中に強く感じていた。それは僕を監視するような威圧的なものではなく、好奇心と興味からくる眼差しだった。敵意や憎悪が籠もったものである方が、まだ僕も落ち着いたに違いない。コーヒーをソーサーに乗せ、砂糖とミルクを別に添え、オブザーバーの手前に置く。

 

「ありがとう」

 

 薄く笑みをつくった彼女は自然と礼を述べてくる。僕に屈辱感を与えるような高圧的な態度を取ることも無い。

 

「あら、貴方の分のコーヒーは?」

 

「この時間にコーヒーは飲まないようにしているんですよ。明日も早いので」

 

「ふぅん、そう……。悪いわね。私だけ淹れて貰って」

 

 行儀よくソファに座り、上品にコーヒーを啜るオブザーバーの姿を見ていると、気を張っている僕が間抜けに思えてくる。場違いな緊張を持て余しているような感覚に見舞われそうになるが、その緊張を維持したままで慎重に言葉を選ばなければならないのが、僕の立場なのだと思い直す。

 

「……それで、話と言うのは」

 

 僕も、オブザーバーの向かいのソファに腰掛ける。カップを手にしたままの彼女が視線を上げて僕を見た。そして、「貴方は3日後に消滅するわ」と断言し、「正確には、3日後の朝」と付け足した。彼女の言葉に動揺しなかったと言えば嘘になるが、狼狽えるほど自分への執着も残っていなかった。

 

「私達がこの“枝”を剪定して貴方を殺害するまでもなく、貴方はアンインストールされる」

 

 先を促すように、僕は黙ったままで彼女を見据える。オブザーバーが僕を眺める目を細め、口許を優しく緩めた。

 

「でも、その消滅を免れる方法が見つかったと言ったら、貴方はどうする?」

 

 彼女の言葉を聞いて、僕は自分の心臓が冷たくなっていくのが分かった。救われる可能性に希望を感じるよりも先に、醒めたような分厚い冷静さが僕の感情に蓋をした。

 

 オブザーバーの琥珀色の瞳は動きを止め、じっと僕を映している。それが、僕の反応を監察する目つきだとすぐに分かった。これは罠だと思った。救済をチラつかせることによって僕の心を釣るための、精神の罠だ。そうに違いないと警戒を漲らせる僕の心を見透かすように、オブザーバーは慈しむような笑みを過らせて見せる。

 

「貴方だって消えたくないでしょう?」

 

 それは確信の籠った口調だった。

 

「……えぇ、消えたくはありません」

 

 僕も静かに言い切る。

 

「でも、貴女と何らかの取引をするつもりもありません」

 

「生き延びる可能性を捨てるの?」

 

「僕は、セイレーンと命懸けで戦ってきたKAN-SEN達の指揮官です。……その僕が貴女に頭を下げて、自分の命を救ってくれと求める訳にはいかないでしょう」

 

 今まで誇り高く戦い抜いてきたKAN-SENの皆の貴い名誉や、彼女達と過ごして来た大切な日常に、僕は誠実でありたかった。僕は彼女達の御蔭で自分の人生を得たのだ。僕は、僕自身を裏切るわけにはいかない。無力な僕が執れる、唯一の抵抗だった。

 

「貴女が僕の何を観測しようとしているのかは知りませんが、貴女に用意された救済を受け取るわけにいきません」

 

 オブザーバーは少しの間、僕の目の中を覗き込むような眼差しを向けたままで黙り込んでいた。沈黙の隙間に、彼女が手にしたコーヒーカップからの湯気が揺れる。

 

「……そう、それは残念ね」

 

 そのうち、オブザーバーは微笑みを崩さないままで僕から視線を逸らした。彼女の声が僅かに揺れていた所為か、本当に残念がっているようにも見える。それすら演技なのかもしれない。どうでもいい。余計なことを考える必要は無い。僕は無力なりに、ただ毅然と彼女の誘惑を跳ね退け続けるだけだ。

 

「他の“プレイヤー”なら、身を乗り出して私の話に喰いついてくるのに。貴方は可愛くないわね」

 

「……よく言われます」

 

「ふふふ、本当に可愛くないわ」

 

 楽しそうに笑みを零したオブザーバーはコーヒーを一口啜ってから、何かを思い出すように視線を下げた。

 

「今日までに、多くの“プレイヤー”達のアンインストールを何度も観測してきたけれど、貴方のように泰然として消滅を受け容れている者は初めてよ」

 

 彼女の口振りは賞賛とも呆れとも取れ、それでいて少し寂しげな口調だ。そこで僕は思う。恐らくだが、僕の消滅を阻む方法など、本当は無いのではないか。ただ、救済の存在を仄めかし、希望を与え、僕をぬか喜びさせたあとで、そんなものは無い突き放し、より深く絶望させるための罠だったのだと確信する。だが、どうやら真実は違うようだ。僕が黙っているのを見たオブザーバーは、クスクスと可笑しそうに小さく笑う。

 

「私の言うことを疑っている様子ね。貴方の消滅を他の“プレイヤー”と取り換えることで、貴方の存在を維持することは可能よ。……まぁ、前にも言った通り、貴方のアンインストール自体を阻むことはできないけれど」

 

「僕が生き永らえる為に、他の誰かを犠牲にし続けなければならないのなら、猶更そんな方法は選べませんよ」

 

 突き放すように僕は言って、オブザーバーを睨んだ。

 

「……結局、貴女は何がしたいのですか? この“枝”を剪定すると言ってこの母港に攻め入って来た時とは、明らかに態度が違う。どうして僕に執着するのです?」

 

 恐らくだが、僕がオブザーバーの内面について訊ねるのは初めてのことだった。彼女の企てや目的を知りたい思いで発した問いだったが、その意図が全く違って彼女に伝わったようだ。僕の質問自体は彼女も予想していたに違いないが、その受け取り方を誤り、ありもしない文脈とニュアンスを汲み取ったらしい。オブザーバーの態度に大きな変化が起きる。

 

「それは」

 

 ソファに座ったままのオブザーバーが、一瞬だけ身を引いた。見る見るうちに、彼女が纏っていた異質で巨大なオーラが萎んでいくのが分かった。僕から視線を逸らしながら口許にカップを近づけた彼女は、「貴方のことが、気になって……」などと、急にモジモジとして乙女のようなことを言い出した。

 

 僕はオブザーバーの心情を訊き出したかったわけではないし、セイレーンから好意らしきものを向けられている気配には、困惑や嫌悪したりするよりも疲労感が勝った。本当につい先程まで殺し合い寸前の遣り取りをしていたのに、あれが随分と前のことのように思えてくる。僕は瞼を指で押さえ、「違う。そうじゃない」と言い掛けて、代わりに細い吐息を絞り出した。そういった僕の反応を見ていたオブザーバーが、ムッとした顔になる。

 

「……何よ、その反応は?」

 

「いえ、別に」

 

 不機嫌そうに言ってくるオブザーバーに緩く首を振って見せると、彼女は軽く鼻を鳴らした。

 

「貴方が特異点の因子たり得るかを見極めるのも、私達の役目なのよ」

 

「その特異点とやらが何なのか僕には分かりませんが、僕の観測を続ける意思が貴女には在った……。だから、僕の消滅を免れる術を授けに、ここへ現れたということですか」

 

「端的に言えば、そうなるかしら」

 

「回りくどいことしますね。問答無用で有無を言わさず、僕を拉致するなり方法もあったのではないですか?」

 

「……他の“プレイヤー”と貴方の存在を取り換えるには、貴方の意思が必要だから。これは、貴方の生命を扱うという話ではないわ。自我や記憶、人格、精神、それら全てを包括する貴方と言う存在を、次元を跨いで維持する……、そういう膨大な規模の精密作業の話よ。貴方の協力が無ければ、それは実現しないのよ」

 

「キューブ関連の絶大な技術力を持つ貴女たちでも、人の意思までは自由にできないという話ですね」

 

「……そうやって屁理屈を駆使して、勝手に寓意を捏造するのはやめなさい」

 

 オブザーバーは不機嫌そうに眼を細めた。

 

「そもそも、神秘の深さというのはスケールに比例しないわ。月や火星にだって行ける人類が、深海の底までを調べ尽くせないのと同じよ」

 

「なるほど……。次元を跨に掛ける貴女方の深遠な目的などより、この世界にこれから流れる時間の方が、僕にとっては大事であるのと同じですね」

 

「……同じではないわよ」

 

「仮に違っても、相似関係にあるとは思います」

 

 自分の意見だけを一方的に言って、僕はソファに凭れて息を吐いた。セイレーン達について調べるうちに、彼女達が僕の想像も及ばないような使命を背負っている可能性は、薄らとではあるが感じていた。だが彼女達の目的に寄り添って協力する姿勢を見せる訳にいかなかった。僕の消滅を誰かと取り換えるということは、僕の代わりに消滅する“プレイヤー”が居るということだ。

 

 その“プレイヤー”が、僕と同じ指揮官であり、僕と同じように母港での任務をこなしながら、所属するKAN-SENの皆との日常を紡いでいることを想う。それと同時に、“アンインストール”、“枝”といった、オブザーバーの語っていた単語が思考を過っていく。僕は、いや、僕たちは、世界という言葉ですら追いつかない、もっと巨大な流れの中の、ほんの小さな雫の一滴を構成する、さらにその一部の粒子に過ぎないのではないか。

 

 此処ではない幾つもの世界が無数に重なりあって、何らかの因果を形成し、その中心を貫くようにして、何か、“オリジナル”とでも言うべき歴史の時間が流れているような、そんな途方もない気配を、オブザーバーの背後に僕は感じていた。

 

 だが、神秘の深さは、そのスケールに比例しないという彼女の言葉に勇気づけられた。僕は、僕自身が過ごしてきた“日常”の尊さは、もう誰にも奪えないのだという確信を得ることができた。

 

「消える前に、貴女に会えて良かった」

 

 僕は本心から、オブザーバーに言う。消滅を恐れていた頃の、あの暗夜に頭まで浸かる時間も、今日の為に在ったのだと改めて思った。

 

「えっ」

 

 彼女は驚きの表情を浮かべたが、すぐにそれを誤魔化すようにカップに口を付けた。もう中身は無い筈だが、彼女はしばらくカップを口許に近づけたままで僕を見ていた。

 

「自分の属する世界に謙虚な感謝を捧げながら、着々と希望や理想を放棄していく貴方の姿を観測していたけれど、……まるで、何かの神に祈りを捧げているようだったわ」

 

「そんな風に見えましたか?」

 

「えぇ。熱心に祈りを捧げる、敬虔な巡礼者そのものよ」

 

 彼女たちから見れば、僕は“プレイヤー”の一人に過ぎない。僕が何かに祈りを捧げていたのだとすれば、それはKAN-SENの皆との出会いであり、この世界そのものに対してだろう。彼女達にとっては無数に存在する次元の一つに過ぎないのかもしれないが、僕にとっては、大切な人たちが住まう、掛け替えのない世界だった。

 

「神に祷る人々は、その日々の感謝を捧げているのだと聞いたことがあります。……多分、僕もそうだったのでしょう」

 

 いずれ消え去るしかない僕が、何らかの役割を引き受けられる幸福は、本当に両手で抱えきれないほどだ。それは胸を張って言える。断言できる。その感謝を、僕はこの母港の日々そのものに捧げていたのだろうと思えた。

 

「……どうします? もう僕を殺しますか?」

 

 ソファに凭れていた身体を起こし、僕はオブザーバーに向き直る。

 

「僕は貴方の役に立ちませんよ」

 

「そのようね。残念だわ」

 

 オブザーバーはコーヒーカップをソーサーに置いてから、ゆっくりとソファから立ち上がる。同時に、彼女の不穏な空気が濃度を増して、執務室を飲み込んでいく。彼女が無遠慮に放つ澱んだ威圧感は、周囲の全てを押し流すかのようだった。僕も軍刀を掴んで立ち上がろうとしたが、それよりも早かった。彼女の背後の空間から青黒い触手が伸びてきて、僕をグルグル巻きにした。手から軍刀がこぼれて床に落ち、硬い音を立てる。僕の身体が宙に浮いていく。

 

 オブザーバーは刹那の間に、あの大型の生体艤装を召びだしていたのだ。触手に捕らえられた僕は俎板の上の鯉よろしく、ただ処理されるのを待つ材料だった。そんな状況でも、執務室のセキュリティは作動しない。母港全体に侵入者を知らせる警報が響くこともなく、静かなものだった。母港の防衛機能に対しては、オブザーバーも何らかの対策を取っているのだろう。

 

 自分の命が、ここで消える予感が在った。やはり恐怖はない。消滅する運命を告げられたあの日から、もう使い果たしてしまったのかもしれない。

 

「こういう時、将棋では“王手”と言うのかしら」

 

 触手で捕まえた僕を目の前に持ってきたオブザーバーは、頬の傷に触れながら寂しげに微笑んだ。

 

「もう一度だけ訊くわ。……私達と来る気はない?」

 

「何を今更」

 

 僕は特に表情を作らずに言う。

 

「……そう。分かったわ」

 

 オブザーバーはすぅっと眼を細めた。次の瞬間、僕を捕えていた触手がグイっと動いて、彼女の方へと近づく形になる。それと同時だった。薄く目を閉じたオブザーバーが、すっと顔を近づけてくる。全く予想していなかったから反応が遅れる。彼女の冷たい両手が、僕の両頬を包んだ。驚く間も無かった。気付けば、僕は唇を奪われていた。

 

 理解が追い付かず、頭がフリーズする。身体が硬直する。我に返って首を後ろに引こうとしたところで、僕の身体に巻き付いていた触手が動いて、また宙づりにされる。

 

「ふふ、可愛い顔をしているわ」

 

 僕は、自分の唇に残る柔らかい感触を持て余しながら視線を下げると、ほんのりと頬を染めたオブザーバーが、悪戯に成功した少女のような、それでいて照れを誤魔化すような柔らかい笑みを浮かべていた。上目遣いで僕を見上げてくる彼女は、この執務室に現れた時と同じように頬の傷跡にゆっくりと指を這わせている。

 

「そういう素直な反応の方が、子供らしくて良いわよ?」

 

 楽しそうに言う彼女を見ると、鎮まりかけていた殺意が蘇ってくる。この触手が解けたら軍刀を拾い上げ、即刻斬りつけてやろうと思った。いや、その前に文句の一つでも言ってやろうとしたが、それも出来なかった。僕の身体を捕まえていた触手がビュンと動いて、僕の身体を執務机の方へと放り投げたからだ。

 

 自分が空中を移動しているのが分かる。視界がブレる。

 

「あと3日。せいぜい大事に過ごすことね」

 

 オブザーバーの声が聞こえた次の瞬間には、僕は受け身も取れずに執務机の上に叩きつけられ、そこでワンバウンドしてから窓際の壁に背中を強打した。その衝撃で、机の端に固めていた書類の山が崩れ、万年筆などの筆記具や予備のタブレット端末などを床にぶちまけてしまう。

 

「くそ……っ!」

 

 僕が悪態を付きながら立ち上がると、そこにはもうオブザーバーの姿は無かった。苛立ちを堪えながら首や肩を回すと、ゴキゴキと音が鳴った。痛みはそれほどない。鍛えていてよかったと思うと同時に、物が散らかって悲惨な状況になった執務机の周りを見回して、思わず舌打ちが出た。文句を言ってやろうとしても、その相手はもう居ない。次元の隙間に隠れてしまった。僕の言葉も届かない。

 

 もう一度舌打ちをしいようとした時、僕の頬を撫でるように風が吹き込んできた。なんてことのない、ただの夜風だ。それがどうしようもなく愛おしく感じて振り返る。少し開けていた窓に近づき、夜空を見上げた。そこに在る星々の瞬きは、加賀さんとタブレットで動画を見る前と変わらない。

 

 窮屈さとは無縁の暗い空の彼方を見上げながら、僕は奥歯を噛んだ。僕が消滅に恐怖に駆られ、のたうち回っていた夜も、こんな風に素知らぬ顔で星々は輝いていたのだと思うと、失笑になり損ねた鼻息が漏れた。この世界は頑丈だ。僕が消えようがどうしようが、容赦なく朝は来る。今は夜が更ける途中なのだ。

 

 僕は眼を細めて夜空を眺める。忙しなく瞬くこの星の数と同じくらい次元が並んでいて、その数だけ母港が在って、そこには僕と同じように“プレイヤー”──“指揮官”が居るのだと想像してみる。星の大きさや輝きが其々に違うように、その“指揮官”達の年齢や性別は僕と違うのだろう。もしかしたら、人ではないかもしれない。彼らに会ってみたいと思った。

 

 そして、彼らの母港には、どんな“日常”が流れているのかも想像してみる。のほほんとした平和な時間が流れているのだろうか。それとも、KAN-SENの皆が陣営ごとに対立し、殺し合う世界なのか。セイレーンが『敵』ではなく、味方である世界も存在しているかもしれない。特異点とは何か。その因子とは何か。僕には分からないことばかりだが、僕がどれだけ努力をしても知る由もないことだ。

 

 この母港に僕が存在しているのは、セイレーン達から見れば他愛もない偶然かもしれない。でも、僕にとっては愛すべき奇跡だった。つい先程に聞いた、“大事に過ごせ”というオブザーバーの言葉が、馴染みのある声で頭の中に響いてくる。好きなことを言ってくれると思う。言われるまでもない。

 

 あと3日もある。あと3日しかない。半々の思いで、僕はKAN-SENの皆の顔を思い浮かべる。みんなに会えて僕は本当に幸せだった。僕が消えることで余計な迷惑を掛けないようには準備はしているが、何も言えないままこの母港から去ってしまうことを申し訳なく思う。

 

 僕が最後に言葉を交わすのは誰なのだろう。その最後の最期に、僕は何と言って別れるのだろう。恐らく、『さよなら』とは言わない気がする。『お疲れ様でした』であるとか、『今日も有難うございました』や、『またよろしくお願いします』などだろうか。多分、そんな気がする。もう二度と会えない別れに相応しい言葉を考えてみるが、全く思いつかない。仮に思いついても、それをさりげなく渡すように告げることなど、不器用な僕にはとても出来そうにない気がする。

 

 色々と考えていると、抑えていた感情が静かに溢れてきた。呼吸や体が強張らせる暇もなく、すっと涙が出てきた。加賀さんに涙を見せてから、僕は泣き虫になったと思う。腕で乱暴に涙を拭ってから、僕は夜空から執務室に視線を戻した。散らかりまくった執務机の周りをもう一度眺めてから、この場に居ないオブザーバーに向けて溜息を吐き出した。

 

「まったく、誰が片付けると思ってるんだ……」

 

 明日も早いのにと悪態を溢してから、僕は無意識のうちにもう一度、深い溜息を吐き出していた。いや、深呼吸かもしれないが、どっちでもよかった。床に散乱した書類を拾いながら、明日の秘書艦はエンタープライズさんと赤城さんだったことを思い出す。この面子だと、途中で加賀さんも執務室に顔を出しに来るだろう。またいつかの時のように、明日の執務室は賑やかになりそうな予感がした。

 

 

 










今回も読んで下さり、有難う御座います!

少し駆け足になってしまいましたが、今回の更新で一応の完結という形にさせて頂きたいと思います。読者の皆様から暖かい応援を頂き、支えられ、こうして最後まで続けることが出来ました。本当にありがとうございます!


強引な内容や描写については、また御指摘、御鞭撻を頂ければ加筆・修正をさせて頂きます。誤字も多く、御迷惑をお掛けしております……。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました!




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終編 プレイヤー


※独自解釈を満載にした最終章になります……。
 ご注意をお願い致します……



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3日目の朝は誰にも会わないつもりでいたので、服を着替えてからすぐに自室を出て、そのまま埠頭へと向かった。この時間に帰還してくるKAN-SENが誰も居ないことは昨日のうちに確認してあるし、今日の執務は秘書艦をつけず、僕が1人で行うことも各陣営にも伝えてある。

 

 今日1日だけ秘書艦をつけないということに関しては、“このまま優秀な皆さんに仕事を任せていては、自分は楽ばかりする暗愚な指揮官になってしまわないか不安なのだ”と説明した。完全に納得はしてもらえなかったし、少々不審に思われてしまったかもしれないが、半ば強引に、今日の秘書艦業務は停止して貰った。

 

 幼稚な子供の我儘ぐらいに思って貰えれば、僕としても気が楽だった。僕が消滅することを軍の上層部が知っている様子だったことも、驚くよりも先に、話が早くて有難いと思った。昨夜、携帯用端末に連絡があった。端末の向こうから響いてくる声が、酷く強張っていたのが印象に残っている。

 

 “君が居なくなったあとのことについては、既に準備が整ってある”

 “母港に所属するKAN-SEN達は、可能な限り手厚く遇する”

 

 僕に伝えられた話を要約すれば、この2点だった。

 

 端末の向こうから届く男の声は、何かに怯えるように震えながらも、有無を言わさない口調だった。この時、端末の向こう側で女性が薄く笑うような声が聞こえたのは、絶対に聞き間違えではない。位置的には、男の声の背後から、滑り混むようにして聞こえてきた。

 

 明らかに僕に向けて放たれている筈のその女性の声は、やけに遠くに感じた。僕は、男の声の背後に意識を向けて、舌打ちをしそうになった。聞き覚えのある声だったからだ。

 

 “貴方がアンインストールされても、見捨てられたデータ……、いえ、この世界が消えてしまわないよう、私が細工してあげる。プレイヤーである貴方は私に感謝し、そして安心して、自身の消滅を迎えると良いわ”

 

 たっぷりとした余裕を含ませたその声は、僕を苛立たせたが、同時に、胸の中から暗い戦慄が這い上がってくるのも感じた。軍の上層部がセイレーンと繋がっている。そんな陰謀論めいた噂は今までも聞いたことはあった。携帯用端末越しに、この世界の裏側にある何か重大な秘密らしきものと接触したような、不気味な気配を感じた。

 

 “あぁ、それと……。”

 

 男の声の背後から囁くように響いてくる声は、悪戯っぽく笑うみたいに、ふっと柔らかく膨らんだ。

 

 “もう一度キスをしてほしかったら、このままオブザーバーお姉ちゃんと呼んでみて? ”

 

 僕は即座に通話を終了して、携帯用端末を踏み潰した。まだ男の声が何かを喋っていたような気もするが、それがどうしたという感じだった。

 

 あの通信があって、肩から余計な力が抜けた。退官手続きの準備はしていたが、それらの書類もすべて処分した。もう必要ない。僕の消滅は、上層部の都合の良いように処理されるだろう。行方不明か。失踪か。それは不名誉なことだろうが、仕方がない。誰も憎めない。

 

 セイレーンと通じ合った者達にしか取れない責任や、彼らにしか果たせない役割もあるはずだと思った。その為に、自ら悪徳を担うことを選んだ者だっているだろう。誇り高い選択だ。そんな人たちに、誰が何を言えるのか。

 

 KAN-SENの皆の居場所があり、そこで彼女達が生きる時間も糧も役割も約束されるなら、もう何でもよかった。その重大な約束の履行を、セイレーンという巨大な存在が保証してくれるかもしれないとさえ思えた。この暗い安堵が、人類に背くような醜い歪みを含んだものであったとしても、僕にとっては希望だった。

 

 この母港の基地機能の為に出来ることなど、僕にはもう何もないのだから。身につけている指揮官服も飾りでしかない。だが、最後の瞬間に相応しい身なりは何かと考えると、この服装しか思いつかなかった。

 

 

 

 埠頭について、白み始めた空を見上げた。

 

 今日は曇りだと言っていた筈だが、よく晴れていた。埠頭に立った僕を包むようにして、潮の匂いのする風が通り過ぎて行った。薄く紫がかった彼方の彼方に、朝焼けの迫る水平線が僅かに赤く燃えている。夜には黒々としていた暗い海が、澄んだ蒼さを取り戻そうとしている。

 

 綺麗だなと、平凡なことを思う。

 

 自分の感情に蓋をするようにして夜の海を眺めることは多かったが、この時間の海や空を眺めたことは無かった。今まで見たことのない、海と空の表情だった。いや。そうじゃない。違う。多分、僕は見た事が在るはずだ。でも、この景色を落ち着いて眺めて、綺麗だと思うような心の動きを、自分で握り潰していたのだろうと思った。

 

 少し強めに、風が吹いていく。

 足元のコンクリートの感触に意識を向ける。

 手を握る。開く。呼吸をする。海の匂いだ。

 陽が昇ろうとしている。朝がくる。

 瞑目して、この母港での日々を振り返る。

 

 今までも何度もしてきたように、ゆっくりと記憶を辿り直す。瞼の裏の暗がりに目を凝らす。そこには、僕が過ごしてきた時間は幸福であったのだと、自分自身に証明できるだけの贅沢な思い出が、ぎっしりと詰まっている。余すところなく味わうには、時間が足りない程だ。KAN-SENの皆を置き去りにしていくくせに、身勝手な幸福だと自分自身でも思う。

 

 消滅を待つ今の僕は、徹底的に自由だった。

 この世界のあらゆる関係性を剥奪されて、引き剥がされ、遊離している。

 寄る辺なく大海を漂う小舟のような、そんな感覚だった。

 

 だが、頼りない希薄な感覚の中でも、やはり自分自身に嘘はつけない。

 消滅を待つだけだった筈の僕は、KAN-SENの皆に救われた。

 そして、自分の人生を得た。彼女達から貰ったのだ。

 その幸福は、例え誰であっても、僕から引き剥がせない。

 

 消滅を前に、僕は泣くのだろうと思っていた。

 でも、涙は出てこない。不思議と落ち着いている。

 目の前の海の穏やかさに応えるように、僕の心は静かだった。

 だからだろう。

 

「指揮官。此処に居たのか」

 

 背後から彼女に声をかけられても、動揺はしたものの怯まずに済んだ。誰にも会うつもりはなかったが、誰にも会いたくないわけではなかった。僕は、彼女を追い払うべきなのだろうか。それとも、ただ流れに任せて、最後の日常をこの場に灯すべきなのか。どんな表情をしていいのかさえも分からない。

 

 優柔不断の手本のようだと、いつか加賀さんに笑われたことを思い出しながら、僕は曖昧な笑みをつくって振り返った。

 

「おはようございます。……エンタープライズさん」

 

「あぁ。おはよう」

 

 颯爽としたエンタープライズさんは僕に短く挨拶をしてから、周囲を見回した。

 

「こんな早朝に、埠頭に用事でもあったのか?」

 

 エンタープライズさんは不審そうに言いながら、僕に向き直った。彼女の声音は硬い。尋問するような響きがある。白みかけた空が見下ろす埠頭には、僕とエンタープライズさんの2人だけだ。冷えて澄んだ風が、僕たちの間を通り過ぎて行った。

 

「いえ、用事が在ったわけではないのです。ただ、母港の中でもこの場所には思い入れがあるので。時間があると、つい足を運んでしまうんです」

 

「む、そうか……。それなら、いいんだが」

 

 微妙に歯切れ悪く答える彼女は、やはり不審そうに眉根を絞っている。

 

「エンタープライズさんは、どうして此処に?」

 

「あぁ。少し、指揮官のことが心配になってな」

 

 彼女の言葉に、軽く息が詰まった。

 それでも、僕は曖昧な笑みを保っている。

 

「秘書艦を外すと言い出したのも急に思えたし、昨日の夜から携帯用端末も繋がらなかったからな。それに……」

 

 エンタープライズさんは、そこで言葉を探すような間をつくった。水平線からの光は明るさを増し、僕と彼女の影を、少しずつ伸ばしていく。

 

「……昨夜、私の端末に妙なメッセージが届いたんだ。“明日のこの時間に、埠頭の隅に向かった方がいい。行かねば必ず後悔する”とな」

 

「そう、ですか」

 

 僕は自分の表情が僅かに歪むのが分かった。そのメッセージとやらは、きっとオブザーバーの仕業だろう。嫌がらせかと思った。或いは、この世界を持続させるために必要なプロセスなのか。判然としない。最後の最期まで、僕は無力の象徴ではないか。

 

「なるほど……。それで、此処に来られたんですね」

 

 零れかけた失笑を飲み込み、僕はエンタープライズさんから視線を外した。身体の半分を海に向ける。ちょうどその時、水平線から光が溢れ出してきた。その瞬間を待ちわびていたかのように、空は青く澄み渡り、海も蒼さを深めて輝きを宿していく。

 

 地上を横薙ぎに照らす陽の光の美しさは、圧倒的に平等で、容赦も無く、穏やかで、どこまでも無差別だった。誰も逃げられない。明け方の彼方から差してくる光は、僕に掴み掛かるように半身を照らした。この世界が、僕を迎えに来たのだと思った。

 

「指揮官。このメッセージは、どういうことなんだ?」

 

 そう言って僕を見下ろすエンタープライズさんの目は、酷く強張っていた。声も硬く、不安が滲んでいる。悪い予感を抱いている様子だった。

 

「何か知っているのなら、私に教え──」

 

 そこまで言ったところで、エンタープライズさんは目を見開き、身体を硬直させた。彼女は僕を凝視している。僕も、自分の身体を見下ろしてから、両の手を順番に眺めてみた。僕の身体が、陽の光に透け始めていた。

 

 いや、ただ透け始めただけではなかった。

 

 エンタープライズさんの眼差しを受け止める僕の身体は、柔らかい朝の陽の光を受けながら、光の粒子となってサラサラと風に塗されていこうとしている。エンタープライズさんの影は光の中で濃さを増すのに、僕の影は逆に、薄れていく。コンクリートの上に垂れ落ちる日光に、少しずつ溶かされていく。それも、嫌味なほどにゆっくりと。

 

「……そのメッセージは多分、僕の大嫌いな人からのものですよ」

 

 彼女に応えた声が震えていなくて、僕はこっそりと安堵した。今の僕が最後にすべきことは、エンタープライズさんに動揺や恐れを見せないことだと思ったからだ。それはただの幼稚な意地であり、無意味な振る舞いかもしれない。だが、この去り際にこそ、僕はこの母港の“指揮官”として在らねばならないと思った。

 

「し、指揮官……、身体が、手が……ッ!」

 

 エンタープライズさんの声音には狼狽が見えたが、彼女は取り乱したりはしなかった。彼女は自分のすべきことを即座に見つける。そこに善悪も正誤もない。殺戮も撤退も躊躇しない。厳粛な戦場で培われた冷静さなのだと思う。

 

 彼女は僕に駆け寄り、僕の肩を掴もうとした。何か、見えないものから僕を奪い返そうとするかのような、必死な手つきだった。だが、エンタープライズさんの手は、僕の肩をすり抜けていった。彼女の態勢が前に泳いだ。咄嗟に彼女を支えようとした僕の手も、彼女の肩や腕を通り過ぎていた。

 

 本来なら有り得ない現象だ。だが、僕は驚かなかった。驚いてはいけないと思った。ただ、自分に起きていることを観察して、“指揮官”として在るための言動を意識した。感情を抑え込むことには、もう慣れていた。この場で眺め続けていた夜の海が、夜に浸かりきっていたあの暗い時間が、僕を支えてくれていた。

 

 あの暗鬱とした時間もまた、僕の人生なのだと思った。

 

 僕は透けた身体を引くようにして、エンタープライズさんから少し離れる。僕の身体に埋まっていた彼女の腕が抜けていく。その途中で、彼女と目が合う。顔色を失った彼女が驚愕し、浅い呼吸を繰り返していた。彼女の瞳の中には戦慄と怯えが混ざり合い、激しくうねっているのが分かった。

 

「……指揮官」

 

 彼女の震える唇から漏れたのは、掠れながら零れる呼吸に混じった、弱々しい声だった。エンタープライズさんは、潤むような瞳を盛大に揺らし、僕を見つめている。

 

「指揮官、待ってくれ……」

 

 今の状況を理解することも覚束ない様子の彼女だが、何が起ころうとしているのかは、もう察しているようだった。そうでなければ、“待ってくれ”という言葉は出てこない。

 

 僕は、この場で何らかの感情を選んではならないと思い、出来るだけ穏やかな表情を浮かべようとしていた。和やかな笑みでもなく、悲痛な悲しみを見せるでもない。どの感情にも分類されない種類の表情を探しながら、緩く首を振った。

 

「すみません。出来れば、僕もずっと皆さんと一緒に居たいと思うのですが」

 

 言いながら僕は、無表情と笑顔の中間にあるような表情を浮かべていたと思う。この曖昧な無表情を維持することで、何か、僕が過ごして来た日常らしい時間が、少しでも流れるのではないか。そんな浅はかな期待もあった。当然だが、そんな筈も無かった。

 

「指揮官は何処に……、何処に行くと言うんだ」

 

 小刻みに揺れる声で言うエンタープライズさんは、狼狽することすらできないまま、強張りきった目を僕に向けてくる。動揺から懸命に立ち直ろうとしている途中なのかもしれない。

 

「いえ、正確には、どこにも辿り着かないのかもしれません」

 

 はぐらかすような答えしか、僕は持っていない。でも、嘘は言いたくなかった。消えた僕が何処に行くのか。それは、ロウソクから消えた火がどこに行くのかという問いかけに似ている。答えようがない。僕は曖昧な表情のままで沈黙するしかなった。

 

「私達を置き去りにするつもりなのか……」

 

 エンタープライズさんが、僕を責めるように言う。恨みがましくて、それでいて、縋るような声音だった。僕は答えず、ただ、彼女の視線だけを受け止めていた。僕が黙っていても、僕の身体は消散を続けている。

 

「……僕自身、もう随分と抵抗してきたのですが、この現象を止める術がないというのが現実でした」

 

 僕という存在は薄れながら光の粒となって零れ落ち、吹いてくる潮風に混ざって溶けていく。その速度は、やはり嫌味ったらしく、ゆったりとしたものだった。まるで、僕の消滅をエンタープライズさんに見せつけるかのようだ。

 

 朝の光が差し始めた埠頭の景色は美しいはずなのに、僕とエンタープライズさんの間には、どうしようもなく陰鬱で、片付けようのない悲痛な気配が立ち込めている。

 

「また、会えるんだろう?」

 

 エンタープライズさんは、浅い呼吸を繰り返している。彼女の声の隙間には、泣き出す寸前のような、か細い吐息が紛れていた。多分、今の僕が何を言っても嘘くさくなるだろうし、真心が籠っているようには聞こえないだろう。

 

「そう……、ですね。会えるといいですね」

 

 不真面目な答えかもしれないが、僕は真剣だった。間違いなく本心だった。今にも泣き出しそうな彼女の横顔を、水平線から差す陽の光が照らしている。僕は、嘘を吐きたくなかった。誠実でありたかった。

 

「どうしてだ……」

 

 俯き、呟くように言ったエンタープライズさんが、ぎりりと奥歯を噛み合わせる音がした。彼女は肩を震わせ、両手の拳を握っている。爪が食い込み、指の隙間から血が流れていた。彼女の足元の影は、その血を吸いながら、朝日に染まる埠頭のコンクリートの上で濃さを増していく。代わりに僕の影は、より薄くなっている。陽の光が僕を素通りしていく。

 

「どうして、貴方はいつも……、そんな、他人事のように……!」

 

 エンタープライズさんの声の中に、静かな怒気が灯った。

 

「貴方は私達の指揮官なんだ。勝手なことは許さないぞ」

 

 こちらを鋭く睨み据えてくるエンタープライズさんの姿を、僕は懐かしいと思った。初めて会ってすぐの頃、僕はよく、作戦や指揮に関して、こうしてエンタープライズさんに詰め寄られていたように思う。

 

 僕には、勇気が足りないのだと。

 

 あの頃のエンタープライズさんは、他の追随を許さないほどに、KAN-SENという戦力であろうとしていた。そんな彼女にとってみれば、僕のような未熟な者が指揮官であることに耐えがたい苦痛を覚えていたとしても自然ではあった。僕も納得していた。

 

 その上で、仲間を想いながら、誇り高く戦いつづけるエンタープライズさんを尊敬していたし、無事な帰還を願っていた。“強力なKAN-SEN=エンタープライズ”ではなく、彼女という“個人”を眩しくも思っていた。

 

 今の彼女の怒りの出発点は、エンタープライズというKAN-SENのものか。それとも、彼女自身のものなのだろうか。どちらにせよ、消滅の最中にある今の僕にはとっては、嘘偽りのない真心の籠ったものに感じた。

 

「やはり貴方は一人にしておけないな。見ていられないんだ。これからは私が傍に居て、その悠長でのんびりとした態度を矯正してやる。悪いが、私は本気だ。厳しくいくぞ。さぁ、そろそろ仕事の時間だ。戻るぞ」

 

 口調を引き締めたエンタープライズさんの頬に、涙が伝っていた。彼女は僕の腕や肩を、再び掴もうとした。だが、血に濡れた彼女の掌は、やはり僕の身体をすり抜けていく。

 

「くっ、……ぐうぅぅっ……!」

 

 奥歯を噛みしめ、獣のように唸るエンタープライズさんは、諦めようとしない。何度も何度も両手を動かし、僕を掴もうとしている。

 

「エンタープライズさん、もう、やめて下さい」

 

「駄目だ……っ! まだ、私には貴方が必要なんだ!」

 

 彼女の声の中にあった怒気を塗り潰したのは、恐怖か、悲しみか。

 

「せっかく、指揮官が私達に心を開いてくれたのに……! 何もかもが、これからじゃないか!」

 

 彼女の手が、透けていく僕の身体の中をかき回す。それでも、接触することはない。僕の体温も、彼女の体温も、徹底的に空回りしている。エンタープライズさんの必死さを肯定するでもなく、憐れむでもなく、嘲笑うでもなく、陽の光は温もりを増していく。

 

 僕が消滅したあとの、新しい“日常”が始まろうとしている。

 今まで越えてきた陰鬱な夜には、もう引き返せない。

 

「エンタープライズさん」

 

「黙っていてくれ……! 私は……!」

 

「もう、やめましょう」

 

「断る! せめて、助けてと言ってくれ!」

 

「……やめるんだ。エンタープライズ」

 

 僕は表情を消して、“指揮官”として少しだけ語気を強めた。

 

 ビクッと身体を震わせたエンタープライズさんが、息を詰まらせて後ずさる。行き場を失って彷徨う彼女の両腕は、咄嗟に敬礼の姿勢をとろうとしていたようだが、すぐに力なく下がっていった。

 

 打ちのめされたように怯んだ彼女の目は、潤みながら僕を見ている。下唇をぎゅっと噛んだ今のエンタープライズさんは、小さな子供が叱られて、しゅんと小さくなる寸前のようだった。僕は、緩く首を振る。

 

「この体が消えても、僕は、この母港のすぐ近くに居る」

 

 僕の言葉には、やはり嘘くさくて仕方なかった。こんなことしか言えない自分が不甲斐ない。だが、ここで僕まで感情のバランスを失えば、エンタープライズさんの感情まで行き場を失ってしまう気がした。あのVRの桜吹雪の中で、加賀さんが僕にくれた優しさを、エンタープライズさんに手渡す思いで言葉を続ける。

 

「だから泣くな。これが、最後の命令だ」

 

 そこまで言葉してから、僕は何を偉そうなことを言っているのかと、自己嫌悪に近い恥ずかしさで顔が歪んできた。失笑の絞り滓のような息が漏れる。溜息と深呼吸が、一緒に漏れたような感覚だった。威厳と言う言葉は、本当に僕に似合わない。

 

「……偉そうなことを言ってしまいましたね」

 

 僕が苦笑を浮かべると、エンタープライズさんは腕で涙をぞんざいに拭い、それから僕を睨みつけ、何かを言いたそうに唇を動かした。だが結局、何も言わずに、強く唇を噛んで俯いた。自分の唇を噛み千切ろうとするかのようだった。彼女の両手も、羽織ったコートを万力のように握り締めて、ぶるぶると震えていた。

 

 僕とエンタープライズさんの沈黙の間を素通りするように、また海から風が吹いてきた。透明な風は僕を無視するように通り抜けてから、俯くエンタープライズさんの銀髪を優しく揺らした。僕と彼女は同じ場所に立っていても、もう違う場所に居るのだと改めて思った。

 

 僕は海の方へと視線を向け、透けていく掌を片方だけ翳した。その透けた掌から見える水平線は眩しかった。僕の消滅など、この世界にとっては大した事ではないのだ。そのことが心強く、頼もしかった。

 

「指揮官」

 

 エンタープライズさんが顔を上げて、僕を呼んだ。

 

 声も揺れていない。強力なKAN-SENとしての使命を背負った、凛然とした声だった。彼女は僕を睨んでくる。身勝手に消えていく僕を責めて、憎悪するかのように。彼女の濡れた目が、じっと僕を映している。エンタープライズさんは、きっと僕を許さないだろうと思った。彼女が呼吸を整えるような間があり、その間も、澄んだ静寂が埠頭を押し包んでいた。

 

「指揮官」

 

 普段の落ち着きを取り戻した様子のエンタープライズさんが、もう一度、僕を呼んだ。その言葉の響きを、確かめ直すようだった。

 

「そんな命令は、きけない。ぅ、だっ……、だって……」

 

 そこで、僕を睨み据えるエンタープライズさんの凛とした表情が、くしゃくしゃになった。

 

「泣くな、だ、なんて、……む、無理。だっ。そ、んな、のっ……!」

 

 ぽろぽろと大粒の涙を溢れさせたエンタープライズさんは、お腹のあたりでコートを両手で握り締め、全身を強張らせて、しゃくりあげるように言う。鼻水も、よだれまで流して、エンタープライズさんが泣いている。さっきまでの凛然とした、軍属のKAN-SENとしての雰囲気など、完全に崩れ去ってしまった。まるで、小さい女の子のような泣き方だった。

 

 その余りに激しい感情の発露に、僕も為す術がなかった。消滅に際している筈の僕の方が、狼狽えてしまうほどだった。何か声をかけようとしても、あたふたとしたものになってしまいそうで、かけるべき言葉も見失ってしまう。本当に僕は、最後の最期まで無力の象徴だった。

 

「指、揮官の。所、為だぞ……!」

 

 エンタープライズさんは、咽び泣きながら言う。

 

「私が……、純粋に。KAN-SENとして、生きて……、いたら、こんな命令、は……簡単に、遂。行できたんだ……。仲間が、沈むこと……にも、覚悟が。出、来ていた……。私は、エンタープライズとして、在り続けることが、……出来て、いたんだ。なのに。今は、出来な、くな……ってしまった」

 

 彼女の涙声をそっと包むように、また海からの風が吹いた。この美しい朝焼けの景色が、エンタープライズさんを慰めようとしているようだ。そう思いたいのは、ただ突っ立ってることしかできない無力な僕の、軽率な妄想だろうか。

 

 エンタープライズさんは頬を伝う涙を拭わず、洟を啜ることもせず、全身をひきつらせて、必死に言葉を紡いでいる。

 

「指揮官の、所為で、私は、こ、……んなに、泣き虫に、なっ……てしまった。貴方の、所為で……!」

 

 魂を吐き尽くすかのように声を絞り出したエンタープライズさんは、自分の涙に引き摺られるように俯き、そのあと、崩れ落ちるようにして両膝をついた。私をこんな風にしたのは貴方だという彼女の言葉には、抜き身の刃物にも似た迫力があった。

 

 黙ったままで立ち尽くす僕もまた、明確に打ちのめされていた。この言葉は、KAN-SENとしてのエンタープライズさんのものであり、あの涙こそが、KAN-SENという属性から切り離された、彼女という個人のものなのだと思った。

 

 今まさに、僕はエンタープライズさんの全てを受け取っていた。愛情も憎悪も、感謝も恨みも籠っていた。複雑な感情を複雑なまま、僕は受け止めなくてはならないと思った。

 

 僕は、膝をついたエンタープライズさんに、何か言葉をかけようとした。だが、この沈黙に背を押されるようにして言葉をかけるのは憚られた。朝の光は、もう十分に世界に満ちている。僕の呼吸までもが、薄い光の粒子なって溶け始めていた。

 

 今の僕は、エンタープライズさんに触れることもできない。彼女の涙を拭うことも出来ないし、彼女達の未来からも疎外されている。今日から先の日々は──新しい“日常”は、彼女達のものだ。僕の居場所などない。ならば、無能な指揮官としての僕の最後の言葉は、さっきの命令で十分ではないか。

 

 また風が吹いてきた。

 今度は、一際強い風だった。

 

 まるで、僕とエンタープライズさんの会話が終わるのを、待ち侘びていたかのようだ。ゆっくりと目を閉じてみると、KAN-SENの皆の顔が浮かんだ。限りない感謝の気持ちが胸に満ちた。僕だけが未練から解放され、気儘に消滅するような今の状況は、本当に申し訳なく思う。

 

 ありがとう。

 ごめんなさい。

 

 熱く湧いてくる感情と温かな思い出が、僕の頭の中で渋滞している。

 

 さようなら。

 お元気で。

 

 そんな言葉が、次に脳裏を過った。

 この場で、泣きたくなかった。

 

 僕はエンタープライズさんに背を向けて、海の方へと埠頭を歩いた。

 

 エンタープライズさんが立ち上がり、僕を呼ぶ声がした。その声は、透明になった僕の背中に突き刺さった。痛いと思った。でも、力が入った。そうだ。僕には勇気が足りなかった。今はどうだろう。僕はエンタープライズさんの声を背中に突き刺したままで、駆け出す。

 

 僕の身体は、もう殆ど消えかかっている。身体の感覚も、ひどく遠い。それに、なんだか眠い。僕は意識を搔き集める。薄れていく思考を握り締める。

 

 彼女が、また僕を呼ぶのが分かった。

 僕は振り返らない。振り返ってはいけないと思った。

 

 エンタープライズさんは、僕が消えたあとの、続きを生きるのだから。こんな時に、彼女の──いや、彼女達の人生が幸福であって欲しいと祈るのは、卑劣で、臆病なのかもしれない。でも、そう願わずにはいられなかった。

 

 消滅を前にした僕以外のプレイヤーも、──セイレーンから“祈る者”と揶揄された指揮官たち──も、消え去る刹那には、KAN-SENの皆の未来を切実に祈ったのではないか。彼女達の未来を祈りながら其々にアンインストールされ、己の存在を、この世界に明け渡してきたのではないか。

 

 僕の身体も、もうすぐ消える。

 澄んだ朝の光と、潮風の中に塗されて、崩れていく。

 一歩足を出すたびに、僕は、僕でなくなっていく。

 海が近づくにつれて、記憶が。

 記憶が、曖昧になる。

 

 僕は、誰だ。

 僕は、プレイヤーだ。

 それは、分かる。

 

 でも、この声は……? 

 誰かの声が後ろから聞こえる。

 この女性の声は、誰の、声だろう。

 

 濡れるような、必死な涙声だ。

 追い縋ってくるような、懸命な声だ。

 大事なひとの声だというのは、分かる。

 でも、誰のものなのか分からない。

 立ち止まって、振り返って確かめたい。

 でも、駄目だと思った。

 

 立ちどまってはいけないということだけは、分かった。

 もう、戻ってはいけないのだ。

 

 足を動かす。重力が消えそうになっているのを感じる。

 走る。呼吸が消える。身体の感覚が消えていく。

 それでも、僕は走った。埠頭から、海面に向かって跳躍した。

 この景色そのものの中に、僕の祈りを叩きつける思いだった。

 

 晴れた空が、光の粒となって解けていく僕を見下ろしている。

 埠頭から飛んだ僕は、肉体の輪郭を失いながら、空中で目を閉じた。

 自分自身を握り締めるつもりで、遠のく感覚の中で拳をつくる。

 足元に漫然と広がる海面との距離を、やけに遠くに感じた。

 あの冷たい潮水の感触は、もう永遠にやってこない気がした。

 遠くで、誰かが僕を呼んでいる。

 

 新しい日常が始まる。

 

 













最後まで読んで下さり、ありがとうございました!




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番外編  潦の果てを想う

 母港内で催されるイベントで、KAN―SEN達が中心となってカフェを切り盛りするという企画が通ったのは、少し前。

 

 結果から言えば、鉄血陣営を中心に準備が進められたこの企画は大成功で、カフェの営業時間になれば、他の陣営からのKAN-SEN達も手伝いにくるほどの繁盛を見せている。

 

 数字に強く、分析と改善を得意とするビスマルクさんの手腕も遺憾なく発揮されており、それを補佐するティルピッツさんやフリードリヒさんの活躍もあって、売り上げも順調も伸ばし続けているという話だった。

 

 僕が店に訪れたのは、昼のピーク時は過ぎた時間だった筈だが、それでもホールと厨房の方からは忙しそうに動き回るKAN-SENの皆の気配を感じた。

 

「やってきたわね……。私の使い魔にして、御主人様」

 

 僕が注文したコーヒーを持ってきてくれた彼女は、唇の端を少しだけ持ち上げてみせる。妖艶な微笑みだった。ただ、その艶のある表情にも、いつもとは少し雰囲気が違うように感じた。彼女の声音が、微かに弾んで聞こえるからだろうか。

 

「……それ、矛盾してませんか?」

 

 僕が控えめに指摘すると、彼女──アウグストさんは目許を緩めて、微笑みを深めた。

 

「ふふふ。矛盾とは、道理が通ってこそ成り立つ言葉でしょう?」

 

 今の彼女が纏っている服装は、いつもの魔女装束ではない。少々露出度の高いメイド服である。

 

「今の貴方は、私の御主人様。私は“貴方に仕えもの”……。今はこの仮初の夢を楽しんでおきなさい」

 

 凄絶な艶を含んだ彼女の声は、周囲の騒がしさに掻き消されるどころか、逆に立体感と存在感を増して、僕の身体を縛ってくるかのようだった。

 

「えぇ。お邪魔させて貰います」

 

 白旗をあげるようにして肩を竦めた僕は、ゆっくりと息をついたあとで、さっきから気になっていたことを尋ねた。

 

「……でも、1人客である僕が、この席を使わせて貰ってもいいのでしょうか?」

 

 僕が案内されたのは、カフェの最奥にあるボックス席である。

 

 客席が並ぶホールから離れており、厨房に近い壁際に設けられた席だった。広々とした4人掛けで、高めの仕切りで区切られている。窓からは海が見えて、景色も良い。ただ、そんな上等な席に僕1人が陣取っているというのは、少々居心地が悪かった。

 

「気にする必要は無いわ」

 

 そんな僕の心境など、もう見透かしているのだろう。アウグストさんは小さく鼻を鳴らして、僕の正面の席に腰掛けた。

 

「この席は客用ではなく、スタッフが休憩する為のスペースに使っているから」

 

「あぁ、そうでしたか」

 

 このボックス席だけが、やけに客間から離れていることに納得する。

 

「貴方をこの席に案内したのは、ウルリッヒでしょう?」

 

 微笑みのまま、色っぽく僕を見下ろすような目つきになったアウグストさんが、テーブルに肘杖をつく。

 

 艶美で優雅な仕種だったが、彼女が纏っているメイド衣装の所為で、酷く煽情的でもあった。たっぷりとした彼女の胸の膨らみが、テーブルの上で柔らかそうに弾んでいた。

 

「ウルリッヒは休憩になっても、この席は使わず、裏口で1人の時間を過ごしていたはず。そのウルリッヒが貴方を此処に案内してきたところを見るに……。ふふふ。貴方、本当は客としてカフェに来たのではないのでしょう?」

 

 いつものように、何もかもを見透かしたような容赦のない口振りで、アウグストさんは朗々と言う。

 

「恐らく貴方は、カフェの様子を遠巻きに眺め、忙しそうだと気を遣い、せめてスタッフ達に労いの言葉を掛けようとして裏口に回り、そこで休憩していたウルリッヒに掴まった……。それで半ば強制的に、裏口からこの席に案内された、といったところかしら?」

 

「あぁ。その通りだ」

 

 アウグストさんの推測を肯定したのは僕ではなく、のっそりとボックス席に入ってきたウルリッヒさんだった。怜悧な美貌に気怠そうな表情を張り付けている彼女は、露出度の高いメイド服を着こみ、手にタルトケーキを乗せた小皿を持っていた。

 

「コイツの他人行儀が、今日はやけに癇に障った。だから、店の中に連れ込んでやったんだ」

 

 僕の隣の席にどっかりと腰を下ろしたウルリッヒさんは、ぶっきらぼうな手つきで、ケーキを僕の前に置いてくれた。それから、横目で睨むような目線を向けてくる。

 

「せっかく来たんだ。温かいコーヒーを飲んで、ケーキでも食べて行け。私の奢りだ。遠慮などするなよ」

 

 彼女の琥珀色の瞳には、僕を責めるような険しさと、親身な優しさがあった。その声音も、厳しさよりは、僕を労うような温もりが感じられるものだった。

 

 冷然とした雰囲気を纏うウルリッヒさんだが、彼女が他の鉄血KAN-SENの皆と同じく、思慮深く仲間想いであることは僕も知っている。その彼女が、わざわざ僕の為にケーキを用意してきてくれたのだ。

 

 僕は、ウルリッヒさんに気を遣わせてしまっていることを自覚した。そう言えば、と思う。ウルリッヒさんが秘書艦を務めてくれたのは、つい数日前だ。

 

 あの時も、僕は彼女に気を遣わせるような態度や表情を無意識にしていたのだろうか。そのことを意識すると心苦しかった。自己嫌悪と後悔を覚えながら、今は確かに、遠慮などすべきではないと思った。

 

「……すみません。ありがとうございます」

 

「ふん」

 

 上手く笑みを作れているかどうか不安だったが、ゆっくりと瞬きをしたウルリッヒさんは、特に何も言わず鬱陶しそうに鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまった。

 

「えぇっ、あの……っ」

 

 ただ、そっぽを向いたままの彼女が、ずいっと身体を寄せてくるだけでなく、腕を回し、僕の肩をしっかりと抱いてきたので驚いた。

 

 僕の向かいの席で肘杖をついていたアウグストさんも、思わずといった様子で背筋を伸ばし、目を見開き、僅かに頬を染め、何度か瞬きをしていた。

 

 僕とアウグストさんが、一瞬だけ目を見合わせた時だった。僕の肩を抱いたウルリッヒさんが腕に力をこめて、ぐいっと僕の身体を更に引き寄せてきた。当たり前ではあるが、凄い力だった。

 

 何の抵抗も出来ず身体を傾けられた僕は、すっぽりとウルリッヒさんの腕の中に納められてしまった。ほとんど抱き寄せられるような恰好である。密着してくる彼女の体温の柔らかさに、僕は焦る。だって。僕の右頬の下あたりに、ふるるん、という感触がある。ウルリッヒさんの左胸の側面が直に当たっているのだ。というか、押し付けられている。

 

 束の間、狼狽した僕は声を出せないまま、再びアウグストさんと目が合った。アウグストさんは拗ねたように唇を少し尖らせ、眉をハの字にして、細く窄めた目で僕を睨んでいた。そんな顔をされても、僕にはどうしようもない。

 

「他の者や駆逐艦の子達はどうか知らないが、私はお前の笑顔が好きになれない」

 

 僕の肩を強く抱いたウルリッヒさんが、静かな琥珀色の瞳を向けてくる。

 

「お前の笑みは、整い過ぎているんだ」

 

 穏やかで落ち着いた彼女の声音には、やはり僕のことを心配する響きがあった。

 

「作り笑いが精巧であれば精巧あるほど、お前の心は見えなくなる。お前の本心から、私たちは遠ざかってしまう」

 

 そこで言葉を切ったウルリッヒさんは、形の良い眉を下げて、寂しげな表情になる。彼女の琥珀色の瞳に映り込む僕が、潤むようにして微かに揺らぐのが分かった。

 

「前にも言ったが、言いたいことがあるなら全部吐き出せ。私には何も隠すな」

 

「えぇ。それは、もちろん……」

 

 指を向けてくるウルリッヒさんに、僕は目線だけで頷く。顔を動かすと、彼女の胸がより強く密着してしまうからだ。

 

「相談すべきことは、ちゃんと相談させて貰っているつもりですよ」

 

「……ふぅん。果たして、それは本当かしら?」

 

 横から低い声を挟んできたのは、疑わしいものを見る顔になったアウグストさんだった。

 

 僕の表情だけなく、目の動き、呼吸、鼓動、それら全てを探るような彼女の眼差しは、まさに魔女という言葉が相応しいほどに容赦なく、冷徹だった。それでも残酷でないのは、アウグストさんが僕のことを、ある程度は信頼してくれている証だろうと思った。

 

「皆さんに隠し事ができるほど、僕は器用ではないですよ」

 

 そう答える僕は、やはり笑みを作るしかなかった。出来るだけ無様で、頼りない笑顔を意識した。それが功を奏したのかは分からないが、ウルリッヒさんはこの場の深刻な空気に区切りをつけるように、そして、僕の内部に踏み入るのを諦めるように緩く息を吐き出した。

 

「……まぁ、お前は人を疑うことを知らない腑抜けだからな。何かを隠し通す根性など、確かに無さそうだ」

 

 諦念を籠めた呆れ口調で言うウルリッヒさんに続いて、アウグストさんも何かを言いたげに唇を動かしていたが、結局は黙ったままで、僕を睨むように見つめてくるだけだった。

 

 僕のことを使い魔と呼ぶアウグストさんは、普段から僕と彼女との関係の中にある、何らかの“勝利”や“敗北”を重要視している様子だった。だが僕は、彼女の言う“勝利”や“敗北”にも、執着することがなかった。

 

 それは、僕がアウグストさんを軽視していた、というワケではない。指揮官として僕にとって重要なのは、アウグストさんに信頼して貰い、鉄血の皆と、そして他陣営のKAN-SEN達とも力を合わせて貰うことだった。

 

 無論、アウグストさんの言う“勝利”や“敗北”が、この僕たちの信頼関係や戦力に関わってくるのであれば、僕も意識を改めていただろう。結局のところ、ウルリッヒさんの言う通り、僕は『他者を疑うことを知らない腑抜け』なのだ。

 

 そもそも消滅を待つ僕は、KAN-SENの誰かを疑うことに意味を見出せなかった。だから僕は、自分自身を疑うべきだった。つまりは、『KAN-SENの皆に、僕が出来ることは何なのか』と──。

 

「おい」

 

 賑やかなカフェの中で、このボックス席にだけ沈黙が降りつつあった。だが、それを許さなかったのは、落ち着いた表情のウルリッヒさんだった。

 

「こっちを向け」

 

 未だに僕の肩を抱いたままのウルリッヒさんは、空いている方の腕を伸ばして、テーブルの上に置いてあったフォークを手に取った。それから、フォークでケーキを切り分けて、突き刺し、僕の顔の前に持ってくる。

 

「食べさせてやる」

 

 前にもこんなことがあったような気がする。あれは確か、オイゲンさんがトリュフチョコを持ってきた時だった筈だ。

 

「いや、自分で食べられますよ。というか、そろそろ……」

 

 抱いている肩を放して欲しいと伝えるべく、僕がやんわりと言ったところで、またアウグストさんと目が合う。アウグストさんは眉をハの字にして、唇をヘの字にひん曲げていた。今まで見たことのない種類の表情だった。……あれは一体、どのような感情を表現しているのか。

 

 そんなことを暢気に思っていると、ケーキを刺したフォークが、ずいっと顔に寄って来る。

 

「この組んでいる肩を解けと言うのか? 馬鹿なことを。どっぷりとハマった相手とは、一緒に居たいと思うのが人情というものだろう?」

 

 見れば、ウルリッヒさんは唇の端を持ち上げて、機嫌の良さそうな、冗談めかした不敵な笑みを過らせていた。

 

「さぁ、口を開けろ」

 

 命令口調で言われ、僕は何と抗弁するべきかを考える。だが、今のウルリッヒさんを説得するよりは、大人しく従う方が、場の空気にも角が立たない気がした。

 

「……わ、分かりました」

 

 僕は言いながら、おずおずと口を開ける。そこにケーキが押し込まれて、咀嚼する。アウグストさんの視線が突き刺さってくるが、敢えて無視した。

 

「美味いか?」

 

 無邪気な聞き方をしてくるウルリッヒさんに、口を手で抑えた僕は、「ふぁい」と答える。「そうか」と満足そうに目を細める彼女を見て、僕は少しだけ胸が詰まった。

 

 こういう時の彼女の表情こそは、KAN-SENでとしてのウルリッヒさんのものではなく、彼女という“個人”のものなのだと思った。

 

 無闇な感傷に流されたくなくて、僕はケーキの味に集中する。このカフェの手作りなのだろうケーキは、本当に美味しかった。香りのよいコーヒーもだ。思わずホッと息を吐いてしまう。

 

 あぁ。このコーヒーは、マインツさんが淹れてくれたものだと分かった。程よい酸味と苦味の余韻を味わっていると、「おい、次だ」と勢いのある言い方をするウルリッヒさんが、更にケーキを僕の口に運ぼうとしてくる。

 

 勿論、僕はケーキを残すようなことはしたくないので大人しく食べさせて貰うのだが、こうも次々と『あーん』をして貰うと、まるでピッチングマシーンから飛んでくる球に向かい合い、バットを振っているかのような感覚になる。

 

 もう少しゆっくりと食べたい気持ちもあったが、世話好きなウルリッヒさんが楽しそうなので、僕は何も言わずに、急ぎながらもケーキとコーヒーを大事に味わう。

 

 一方で、さっきから唇を尖らせているアウグストさんは眉根を寄せ、テーブルに肘杖をつき、そのテーブルを指でトントンと叩いている。

 

「……従順なのは見ていて退屈よ。指揮官。抵抗こそが、私と貴方を繋ぐ絆だと言うのに」

 

 拗ねたような口調になったアウグストさんは、ワケの分かるような分からないようなことを言ってくる。一体彼女は、僕にどうしろと言うのか。

 

 僕が思わずアウグストさんの方を横目で見ると、彼女は「私もケーキを持ってくるから、待っていなさい」などと、澄ました涼しい顔のまま、いそいそとボックス席を立とうとしていた。

 

「そんなに幾つも甘いモノを食べたら、コイツが虫歯になる」

 

 そのアウグストさんを制したのは、緩く首を振ったウルリッヒさんだ。

 

「あぁ。そうだ。お前も、ここで少し休憩していくといい。私が膝枕をしてやろう」

 

 保護者然とした優しい口振りになった彼女に、僕は、いや、僕だけでなくだけでなくアウグストさんも当惑気味になっている。

 

「いえ、もうケーキもコーヒーも頂いたので、そろそろ執務室に戻りますよ。それに、ウルリッヒさんの休憩時間を、これ以上僕の為に使って貰うのも悪いですし」

 

「私とお前との関係だろう。今更、何を気にしているんだ? ……それに私は、私の為に、お前と過ごしたいんだ」

 

 僕の肩を掴んだままで放そうとしないウルリッヒさんの声が、途中で切実な響きを宿すのが分かった。僕はウルリッヒさんを見詰めてしまう。彼女の琥珀色の瞳は、底知れない暗さを湛えて居ながらも、まっすぐに僕を見ていた。

 

 “自分の為に生きろ”。

 

 以前、ウルリッヒさんが言ってくれた言葉を、僕は思い出す。そして、僕という存在が、彼女の人生の中に存在していることを実感した。それと同時に、僕は、彼女の人生に“存在していた”と、過去形になることを想ったときだった。

 

「……ひとは、つくづく感情には逆らえないものね」

 

 僕とウルリッヒさんを眺めて居たアウグストさんが、艶のある溜息を吐いた。やれやれといった口振りではあるが、彼女の表情自体は、どこか満足そうだった。何らかの確信を得て、嬉しそうでもある。

 

「愛情というものには、特に」

 

 アウグストさんの青みがかった鈍色の瞳は、冷たく冴え渡っていた。彼女は、僕を見ていたのではないのだと、このときに分かった。アウグストさんは、僕を見つめるウルリッヒさんの眼差しの中にあるものを、注意深く観察していたのだ。

 

「あぁ。間違いない」

 

 ウルリッヒさんは愉し気に頷いて、気を取り直すようにして、挑むような笑みを浮かべて僕を見た。

 

「指揮官。お前は、私達のことを愛しているか?」

 

 それはあまりに真っ直ぐでありながらも、予想外の問いかけだった。

 

 ウルリッヒさんは、僕の肩を抱いているというよりも、肩を組んでくるような体勢である。この状況で、「私のことを愛しているか?」と尋ねられたのならば、それは恋人同士の語らいのような風情もあっただろう。そして、僕とウルリッヒさんの間だけで完結する遣り取りだった筈だ。

 

 だが彼女は、「私達を愛しているか」と訊いてきたのだ。それは、ただ僕の感情の在り方を訊いてくるのとは、大きな違いがあるはずだった。

 

 僕はウルリッヒさんからの問いかけを通して、自分自身に問いかけねばならなかった。つまりは、僕にとっての“愛”とは一体何なのか、ということだ。鏡の中に映る自分の姿を眺めるような気分で、僕は自分の内部に言葉を探ってから、答えた。

 

「えぇ。僕は、皆さんを愛していますよ」

 

 ウルリッヒさんが微かに息を詰まらせ、アウグストさんが言葉を飲み込む気配があった。

 

 愛とは不安定で、自由なものだと思う。歴史の中に人類が誕生してから、数百億の人口が抱いた感情である筈なのに、未だに定義すらできていない感情だ。愛には多くの形があり、深さがあり、色合いや濃淡があり、そのどれもが真実である。

 

 僕を殺害することで、僕の存在を永遠にしようとしたローンさんの決意を、1つの愛の在り方だと捉えることが、決して間違いではないのと同じように。

 

 僕は指揮官として、この母港の基地機能の、その装置の一部としてあるべきであり、そうあろうとしてきた。その僕が何かを“愛する”とは、やはり、僕を指揮官たらしめてくれていたKAN-SENの皆に感謝し、彼女達の幸福な未来を願い、祈ることだった。

 

 僕は、彼女達の未来に存在しない。だが、僕が彼女達を“愛する”ということは、結局は、僕の消滅したあとの世界を想うことだ。そして、未来を受け容れるということは、過去を肯定することと表裏一体であるはずだった。

 

 ならば僕は、KAN-SENの皆を愛することを介して、僕自身が生きた時間を愛することも出来るのだと思った。

 

 “自分の為に生きろ”。

 

 あのウルリッヒさんの言葉が、僕の人生と重なっていくのを感じた。僕が、僕の為にKAN-SENの皆を想うことを──、僕が、僕を愛することを肯定してくれる言葉だった。

 

「……貴方らしいわ」

 

 緩い息を吐いたアウグストさんが、冷然と澄んだ瞳を僕に向けている。「実に下らなくて、つまらない答えね。でも、それでこそ……」徐々に熱を帯びてくるアウグストさんの声音からは、確かに、僕に向けられた“愛情”を感じた。

 

「あぁ。何の捻りも無くて、月並みで、どうしようもなく陳腐で、面白みに欠ける答えだ」

 

 喉を低く鳴らすように笑ったウルリッヒさんは、僕と組んでいた肩を解いて、ゆったりと席に凭れた。

 

「もう少し、肩の力を抜いたらどうだ? 真面目なのはいいが、過ぎると視野が狭まるぞ。ストレスも溜まるしな」

 

 優しい顔になったウルリッヒさんは、そこで「あぁ」と、何かを思い付いたような声を発してから、僕を見据えた。

 

「お前もメイドをやれ」

 

「……はい?」

 

 彼女は何を言っているのだろう。しかも命令口調で。場の空気を和ませるには、少々唐突な冗談ではないか。僕は首を傾げそうになるが、「あぁ。それは名案ね」と、アウグストさんが愉快そうに声を弾ませるのを聞いて、背筋に生ぬるいものを感じた。

 

「ロイヤルのメイドから聞いたわ、指揮官。あなた、メイド服が良く似合うそうね」

 

 優雅で意地悪そうな笑みを浮かべたアウグストさんが、チロリと唇の端を舐めた。思わず僕が眉間を曇らせるのを見たウルリッヒさんが、「そう警戒するな」と笑みを深めるので、より警戒してしまう。

 

「さっきも言ったが、お前は真面目過ぎるんだ。溜めているものは、発散できるときに発散しろ。祭りのあとが虚しくともな」

 

「……その発散のために、僕もメイドになれということですか?」

 

「あぁ。いい気分転換になる。それに、私もベルファストから聞いた。お前はメイド服が似合うと。きっと、店に来るKAN-SEN達も狂喜乱舞するだろう」

 

 クールな表情をしたままで、ウルリッヒさんは無邪気なことを言う。

 

「ふふ。通り雨に打たれたとでも思って、身を任せてみなさいな」

 

 既にメイド服を纏っているアウグストさんの口調も、他人事を眺めるような気楽さだった。奇妙な熱と期待の籠った2人の視線に曝されてしまうと、僕はもう頷くしかなった。「決まりだな」と唇を歪めるウルリッヒさんは嬉しそうだ。

 

「ふふ。指揮官も、この仮初の夢をちゃんと楽しむ気になったようね」

 

 感心するような言い方をするアウグストさんも、少女の様な笑みを浮かべていた。彼女達は立ち上がり、僕のためのメイド服を持ってくるつもりらしい。そもそも、僕が着るようなメイド服などあるのかと疑問に思ったが、ベルファストさん辺りが既に用意していても不思議ではないように思えた。

 

 ボックス席に残された僕は、カフェの店内に満ちている、活き活きとして厚みのある喧騒に耳を澄ませる。この騒がしさを改めて愛しく感じながら、アウグストさんが先ほど口にした、「通り雨」という言葉の感触を、胸の内で確かめ直していた。

 

 僕がメイドをするという予定外のトラブルを通り雨と言うならば、僕の消滅もまた、KAN-SENの皆にとって、通り雨のようなものであって欲しいと思った。

 

 音も無く去って行く悲しみのように、優しく雨水が流れていくように、彼女達の中にある僕の存在もまた、時間と共に薄れていってくれることを願う。

 

 “お前は咲くな”

 

 いつかの加賀さんの言葉が胸の奥で甦ってきて、その僕の想いと、あの桜吹雪の景色が混ざり合う。雨水に揺れる花弁が、どこか、誰の意識も届かない場所まで運ばれていく情景が浮かんだ。

 

 加賀さんは言っていた。咲いた花は必ず散るのだと。だが種が実るのは、花弁が全て散ってからだ。僕は、僕が消滅したあとの世界を真に愛せること確信することができた。それは独りよがりな幸福かもしれない。だが僕にとっては、自分自身の存在を託すべき、最後の祈りなのだった。

 

 

 









キャラクターの描写など、不自然な点や気になる点などがありましたら、ご指導頂ければ幸いです……。今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!


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番外編 急募:指揮官を魅了する方法

掲示板ネタ回となります
強い目のキャラ崩壊の注意をお願いします……


※話数の並びを変更し、それに伴い内容を修正させて頂きました。


 

■エンタープライズ

さぁ、もうすぐヴァレンタインだ!

皆で力を合わせよう!!

 

 

■赤城

決戦の時は近いわね!

 

 

■エセックス

力強いスレだなぁ……

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

しかし邪悪なスレ名だ

 

 

■アークロイヤル

何事かと思ったぞ

 

 

■エンタープライズ

やはりここは、王道を征く

私自身をチョコレートコーティングして渡すべきだろうか?

 

 

■加賀

おい、エンタープライズ

この手スレでロケットスタートするのは止めろ

駆逐艦達のアクセス制限が間に合わなくなるだろうが

 

 

■アークロイヤル

対応が早くて頼もしいことだ

感謝する

 

 

■赤城

でも、時には手を取り合うのも大事よね

 

 

■加賀

姉さま、冷静になってくれ

仮にだ。もし仮に、このスレで

指揮官の心を射止めるような良い案が出たとしよう

だがな、その案を実践するKAN-SEN個人を

指揮官が好きになるとは限らないんだ

 

 

■エンタープライズ

このスレッドの存在意義が早々に破綻するから、

そういうことを言うのはやめてくれないか……

 

 

■赤城

加賀。こういうのは気持ちが大事なのよ?

そんな夢も希望も救いも何も無いことを言ってはいけないわ

 

 

■加賀

気持ちの問題だからこそ、

こういう言い方をしているんだがな

解析したところ、このスレを見ている者も多い

いい機会だから確認しておくぞ?

 

 

■加賀

毎年のことだが

“指揮官にプレゼントの類を渡すのは厳禁”だ

菓子だろうか小物だろうがな

 

 

■ビスマルク

それは勿論、心得ているわ

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

この母港のKAN-SEN達が挙ってそんなことをしたら

大変なことになるものね……

 

 

■プリンツ・オイゲン

私達も指揮官を困らせたくはないもの

それに、駆逐艦の子達だって我慢してるんだから

 

 

■大鳳

そうですねぇ。行儀悪くするのは、

指揮官様に余計な負担を掛けてしまいますものね

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

うむ。そこは我らも弁えねばならん

 

 

■モナーク

規律を守るのは当然だ

 

 

■エセックス

でも、改めてその取り決めを確認するっていうことは、

今年は何か懸念することでも?

 

 

■加賀

察しが良いじゃないか、エセックス

いや、アホックス

 

 

■エセックス

アホックスって言うな!

何で言い直したんですか!?

 

 

■赤城

それで、加賀は何が気掛かりなの?

 

 

■加賀

あぁ。

私達は秘書艦を交代制に決定する際に、多くの取り決めを行った

ヴァレンタインに、プレゼントの類を渡すことを禁止したこともな

だが、“受け取ること”は禁止していない

 

懸念事項というのは、この事についてだ

 

どうやらアイツ、今年の秘書艦には

『逆チョコ』なるものを渡すつもりであるらしい

しかも、手作りのな

 

 

■加賀

この話は他言しても構わんと、アイツも言っていた

まぁ、大袈裟なサプライズにするつもりは無いんだろうが

当日の秘書艦がまだ決まっていないことを考えれば

各陣営の公平性のためにも、共有しておくべき情報だろう

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

なんと……

 

 

■エンタープライズ

大事件じゃないか!

 

 

■赤城

大事件じゃないの!

 

 

■キング・ジョージ5世

うむ。これは重大な事態だ

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

えぇ。当日の秘書艦を決めるのに、かなり揉めそうね

 

 

■プリンツ・オイゲン

指揮官の手作りチョコなんて、滅多に食べられないわよ

 

 

■ビスマルク

正直に言うと、喉から手が出そうよ

 

 

■アークロイヤル

とは言え、閣下の『逆チョコ』は

私達への純粋な感謝の意味を込めてくれたものだろう

あまり勝手に盛り上がり過ぎるのも、どうかと思うが

 

 

■加賀

アークロイヤルの言う通りだ

この『逆チョコ』に、特別な意味を見出し過ぎるべきではない

だが、これは例年とは違う状況が生まれることを意味している

受け取る者が居れば、受け取れない者が居るんだからな

そのことは、今から覚悟しておくべきだ

 

 

■アドミラル・ヒッパー

今までは、ヴァレンタインが特別な日にならないよう

KAN-SEN全員が行動を控えているような状況だったものね

 

 

■シェフィールド

それが今回、

御主人様の厚意によって、明確に崩れるようとしているワケですね

 

 

■モナーク

あぁ。だが事情は複雑ではない

この問題は、誰が秘書艦になろうと

それを我々が真に納得することで解決する

 

 

■キング・ジョージ5世

だが、それが最も難しいというのも事実であろう

『今年の秘書艦が誰になるかを、如何にして決めるのか』

という問題も、同時に立ち上がってくる

 

 

■エンタープライズ

では公平に、“クジ引き”でどうだろうか?

うん。誰がどう見ても公平だな?

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

申し訳ないが、

『LickyE』が猛威を振るうジャンルは本当にNG

 

 

■赤城

自分の豪運にモノを言わせようとするのは感心しないわよ

エンタープライズ

 

 

■ビスマルク

その強かさは、私も見習うべきね……

 

 

■エセックス

誰が秘書艦をやるか、という点については

指揮官から逆チョコを貰っても取り乱さずに、

冷静で落ち着いた対応が出来るひとが適任ですよね

 

 

■エンタープライズ

やはり、私の出番というワケだな?

 

 

■加賀

鬱陶しいポジティブさも、ここまでくると天晴だな

 

 

■エンタープライズ

どういう意味だ?

 

 

■アークロイヤル

こう言ってはなんだが

閣下からの逆チョコを貰って正気を失いそうなKAN-SEN

その筆頭な気がするぞ、エンタープライズ

 

 

■赤城

エンタープライズは、こう、何と言うか

何をしでかすか分からない怖さがあるわよね……

 

 

■エンタープライズ

赤城にだけは言われたくないが?

 

 

■ベルファスト

しかし、御主人様から

『逆チョコ』などを頂いたところを想像してしまうと

号泣する自分の姿が見えてしまうのも確かです

 

 

■シェフィールド

恥ずかしながら、

何をしでかすかわからない、という意味では

私もベルファストも、いえ、メイド隊の全員が

似たようなものでしょう

 

 

■プリンツ・オイゲン

これはまぁ、一筋縄ではいかない問題よね

 

 

■大鳳

こういう時こそ、明石特製のVRを役立てる時では?

VR空間のシチュエーションや指揮官の音声を

ヴァレンタイン仕様に変更し

各陣営で演習してみるのは如何でしょう?

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

あぁ、なるほど。

アレを使えば確かに、予行演習は可能か

 

 

■大鳳

えぇ。まぁ要するに

逆チョコを渡してくださるVRの指揮官に、

どれだけ落ち着いて対応できるかをテストするのですよ

 

 

■ビスマルク

なるほど。

テストの際に発汗や脈拍などのデータも同時に取っておけば

どれだけ落ち着いていたかの評価も数値化できそうね

 

 

■モナーク

しかし、そんな仮想空間の指揮官との遣り取りが

私達の心に動揺を与えるとは思えんな

どれだけ精巧であっても、所詮は虚像だろう?

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

モナーク、戦う前から相手を侮るのは無謀だ

明石謹製のVRは、甘く見ていると本当に大火傷を負うぞ

 

 

■エンタープライズ

ウェールズの言う通りだ

VRの指揮官は、なかなかの強敵だったからな

激しい戦いだったが、まぁ、

最後は私が返り討ちにして『分からせて』やったが

 

 

■赤城

貴女はどんなVR体験をしたのよ……

 

 

■加賀

大方の予想はつく

 

 

■大鳳

……アレは『分からせられた』の間違いでは?

 

 

■エンタープライズ

負けていないが?

私がいつ敗北したと言うんだ?

地球が何週回ってときで、何時何分何秒だ?

 

 

■加賀

おい、エンタープライズ

申し訳ないが、軍事端末上の遣り取りで

こども裁判をおっ始めるのは本当にNG

 

 

■エンタープライズ

だが待って欲しい

大人は子供には負けないんだが?

私は無様敗北など決してしないんだが?

 

 

■エセックス

そんなムキにならなくても……

 

 

■プリンツ・オイゲン

まぁ、とにかく、

そのVRを用いた演習については

重桜に、というか明石に任せておけばいいの?

手伝えることがあれば、私も手伝うけれど

 

 

■加賀

あぁ、気を遣って貰ってすまないなオイゲン

だが大丈夫だ

 

 

■赤城

明石もこのスレを覗いていたみたいでね

ヴァレンタインには間に合うように調整すると

今しがた、私と加賀に連絡があったわ

 

 

■アドミラル・ヒッパー

流石は重桜の筆頭技術者ね

仕事が早いわ

 

 

■加賀

あぁ。腕も確かだが、

それと同じくらい商魂も逞しいぞ

ここで新商品の情報がある

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

新商品? このタイミングでか?

 

 

■赤城

えぇ。このタイミングだからこそ、ね。

指揮官様のシチュエーションボイスがリリースされたわ

 

 

■明石

指揮官から許可は貰っているから

心置きなく楽しめるにゃ

 

ヴァレンタインを含む、季節イベントに対応した

ASMRシチュエーションボイスだから

全種バイノーラル音声で、臨場感も抜群にゃ!

 

 

■明石

ボーナストラックには

 

『大好きなお姉ちゃんに耳かきしてあげる』

『お姉ちゃん、今日は添い寝してほしいな……』

 

の2種類が収録されてるにゃ!

 

 

■ビスマルク

ありがとう明石

本当にありがとう

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

流石は重桜の筆頭技術者だ

素晴らしい

 

 

■ベルファスト

ありがとうございます

ありがとうございます

 

 

■モナーク

生きる糧が補給された

 

 

■エンタープライズ

ダウンロード完了だ

 

 

■赤城

私もよ!

 

 

■エセックス

えぇ、早っ

 

 

■大鳳

つい今しがた、

重桜寮内で派手な悲鳴が聞こえましたねぇ

幾重にも木霊していましたが、

他の陣営寮は如何ですかぁ?

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

ロイヤルも同じだ

陛下がギャン泣きしている

 

 

■キングジョージ5世

ネルソンが廊下で行き倒れみたいになっているな

 

 

■アドミラル・ヒッパー

鉄血の方も、……えぇと、何人かがサロンで白目を剝いているわ

 

 

■プリンツ・オイゲン

ウルリッヒが半泣きになって、ハインリヒが放心状態になってるわ

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

ペーターが幼児退行してしまった

 

 

■エセックス

大惨事じゃないですか……

 

 

■加賀

書き込まないだけで

このスレを覗いている者は多そうだからな

被害が拡がらなければいいが

 

 

■エンタープライズ

明石、すまない

収録されているボーナストラックは

 

『大好きなお姉ちゃんに耳かきしてあげる』

『お姉ちゃん、今日は添い寝してほしいな……』

 

らしいが、絶対に違うぞ、これは……

何か意図しない音源が収録されているのではないか

確認を頼む

 

 

■明石

こ、これは申し訳ないにゃ……

こっちの手違いで、ボーナストラックの代わりに

 

『指揮官から足腰が立たなくなるほど悪罵されるボイスセット』

『もしもシリーズ:指揮官が辛辣失望ボイスを言い放ったら』

 

この2つを収録してしまったにゃ……

 

 

■エセックス

あいたたたたた……

 

 

■大鳳

『大好きなお姉ちゃんに耳かきしてあげる』

『お姉ちゃん、今日は添い寝してほしいな……』

 

この2つウキウキで期待していたら、

 

『指揮官から足腰が立たなくなるほど悪罵されるボイスセット』

『もしもシリーズ:指揮官が辛辣失望ボイスを言い放ったら』

 

のボイスがきたワケですか

 

 

■アドミラル・ヒッパー

精神的には完全なノーガードのところに

必殺の顔面コークスクリューを叩きこまれた、ってカンジね……

 

 

■エセックス

大丈夫でしたか、先輩?

 

 

■エンタープライズ

いや、あまり大丈夫ではないな

脳が破壊されそうな衝撃だったぞ

それに脂汗と動機が凄いんだ

手も震えるし、呼吸が上手くできない

 

 

■アークロイヤル

なかなか症状が重いな

 

 

■ベルファスト

危うく気絶するところでした

 

 

■ビスマルク

私も、心臓がバクバクと言っているわ

 

 

■明石

ご、ごめんなさいにゃ……

修正させてもらったにゃ……

 

 

■加賀

気にするな、明石

ボイスセットを速攻でダウンロードした輩の殆どは

いつも指揮官の尻を見詰めながら

『ぶへへへへ』などと笑っている連中だからな

 

 

■エンタープライズ

そんな笑い方をしたことなどないぞ!!

 

 

■赤城

そうわよ!!

 

 

■ビスマルク

そうわよ!!

 

 

■モナーク

そうだぞ!!

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

そうだぞ

 

 

■ベルファスト

見くびられては困ります

このベルファスト、御主人様の御尻のみならず、

いつも御主人様の全身を舐め繰り回すつもりで

その凛々しくも可愛らしい御姿を目に焼き付けておりますよ

 

 

■エセックス

えぇ……

 

 

■シェフィールド

理性と正気を保って下さい、ベルファスト

 

 

■プリンツ・オイゲン

どこの陣営にも猛者は居るものね

 

 

■キング・ジョージ5世

だが加賀も言っていたが、

このスレを見ている者は多いのだろう?

 

その者達を含め、その『ぶへへへ』という笑い方はともかく

『普段から指揮官の臀部を眺めている』こと自体を

否定する書き込みが無いところを見るに

この母港のKAN-SEN達は皆、正直者ばかりだな

 

 

■アークロイヤル

暢気に感心する場面ではないというか……

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

ジョージ、貴女はまるで喜ばしいことのように言ってるけど

特にそんなことは無いわよ?

 

 

■アドミラル・ヒッパー

正直と言うより、

もう開き直っているだけよね……

 

 

■大鳳

だからどうした? みたいな

力強い連帯感を感じますねぇ

 

 

■土佐

天城さんが気を失っていたから何事かと思えば

また強烈なスレッドが立っているな

 

 

■ウォースパイト

そう言えば、前にもこんなことがありましたね

本当に勘弁してくださいよ

 

 

■ティルピッツ

掲示板のライブ感を大事にして、

皆で騒ぎたいのも理解できるけど

ある程度の節度は守って貰わないと

ビックリしてしまうわ

 

 

■シェフィールド

御主人様のことになると何もかもが急加速してしまうのは

どの陣営でも同じようですね

 

 

■大鳳

あぁ、そうそう

言い忘れていましたが、この大鳳

指揮官様から温泉旅行に誘われていますので

月末から3日ほど、寮を留守にさせて頂きますね

 

 

■エンタープライズ

なんだと?

 

 

■赤城

何ですって?

 

 

■ビスマルク

どういうことなの……?

 

 

■モナーク

そんな馬鹿な……

 

 

■アウグスト・フォン・パーセヴァル

んんんんんんんんんんんんんんんんmmmm

ppppddvmmmmmmssssんヴぁ

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

落ち着くんだ、アウグスト

手でも震えているのか?

というか、お前もこのスレを覗いていたんだな

 

 

■アークロイヤル

盛り上がって来たじゃないか

 

 

■エセックス

もう無茶苦茶ですよ……

 

 

■アドミラル・ヒッパー

でも、何かの間違いじゃないの?

あの朴念仁が温泉旅行に誰かを誘うなんて

ありそうに無いんだけど

 

 

■赤城

大鳳、今どこにいるの?

 

 

■エンタープライズ

大鳳、今どこにいるんだ?

 

 

■モナーク

大鳳、今どこにいるんだ?

 

 

■ベルファスト

大鳳様、今どちらに?

 

 

■ビスマルク

大鳳は、今どこに居るのかしら?

 

 

■ジャン・バール

大鳳、今どこにいやがる?

 

 

■ローン

大鳳さん、

お部屋にはいらっしゃりませんねぇ

何処ですか~?

 

 

■エセックス

もう現地に到着してる人が居るんですけど……

 

 

■加賀

アクセスを解析してみたが、やはりと言うべきか

かなりの人数がこのスレを覗いているからな

独自に動き出している者が居ても不思議ではない

 

あと、艤装を纏ったまま

母港内をウロウロするのは厳禁だぞ?

アイツに余計な心配をさせることになるからな

 

 

■ティルピッツ

みんな、少し落ち着きましょう

羨ましがるにしても嫉妬するにしても、順番があるわ

まずは大鳳の話を聞いてみてからよ

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

ティルピッツの言う通りだ

大鳳よ、自慢話がしたいならさっさとしてくれ

このままでは、スレの趣旨が完全に崩壊してしまう

 

 

■アドミラル・ヒッパー

もう手遅れな気がしないでもないけど

 

 

■大鳳

自慢話などではありませんわ

皆様の反応を見るための、取るに足らない些末な冗談です

 

 

■大鳳

しかし、

この程度の冗談で平常心を乱していては、

ヴァレンタイン当日の秘書艦任務を務めるのは

至難だと思いませんか?

 

 

■エンタープライズ

全くだな

この程度の嘘を見抜けないようでは

秘書艦など務まらんぞ?

 

 

■エセックス

ユニオン寮を1番に

飛び出して行った人の台詞とは思えませんね……

 

 

■エンタープライズ

エセックス。君は何か勘違いをしているようだが

私はユニオンの中でも、群を抜いて沈着だ

冷静の化身と言ってもいい

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

狼狽の化身の間違いではないのか?

 

 

■エンタープライズ

何を馬鹿な

それに私は、1番に寮を飛び出してなどいない

1番はニュージャージーだ

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

まるで1番でなければセーフとでも言いたげだな

 

 

■ベルファスト

ちなみに、ロイヤルを1番に飛び出して行かれたのは

モナーク様です

 

 

■シェフィールド

まさに疾風迅雷でした

 

 

■ローン

鉄血寮を1番に飛び出して行ったのは

私ではなくグローセさんですね

 

 

■プリンツ・オイゲン

グローセは過保護だから

温泉旅行を阻むというよりは

同伴するつもりだったんじゃない?

 

 

■加賀

重桜陣営では姉さまだな

おめでとう

 

 

■赤城

えぇ。この赤城、指揮官様の危機とあれば

如何なる時も、如何なる場所にも駆けつけるわ!

 

 

■土佐

これは心強いな

 

 

■ティルピッツ

冷静とは言い難いとは思うけれど

 

 

■大鳳

やはり、

VRでの応対テストは必須のようですねぇ……

 

 

■キング・ジョージ5世

取りあえず、我々がすべきことが定まったところで朗報だ

そろそろ、指揮官の動画配信が始まる時間だぞ?

 

 

■エンタープライズ

む、もうそんな時間か?

 

 

■シェフィールド

今日の配信は、私達が御主人様とゲームで対戦する

いわば、視聴者参加型の配信ですね

 

 

■ベルファスト

軽い雑談が始まったタイミングで

配信動画にコメントをさせて頂きました

 

 

■赤城

『私達が御主人に勝てた暁には、何か褒美を賜りたく存じます』

……これね。ベルファストのコメントは

 

 

■加賀

なかなか面白いじゃないか

 

 

■ビスマルク

そのコメントを指揮官が拾ったわ

 

 

■アドミラル・ヒッパー

『えぇ。僕に出来ることなら、何でも』

だってさ。健気と言うか、

何でもかんでも安請け合いし過ぎでしょ

 

 

■土佐

ん?

 

 

■赤城

ん?

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

ほう?

 

 

■ベルファスト

ん?

 

 

■大鳳

んん?

 

 

■ローン

あらあら

 

 

■エンタープライズ

n?

 

 

■モナーク

ん?

 

 

■ジャン・バール

ん?

 

 

■ベルファスト

 

 

■ビスマルク

何でもするって

 

 

■加賀

言っていないぞ?

少し落ちつけ

 

 

■キング・ジョージ5世

いや、しかしだな、今

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

指揮官は何でもしてくれると……

 

 

■プリンツ・オイゲン

何でもする(何でもするとは言っていない)

 

 

■ティルピッツ

何でもする(良識と常識の範囲内で)

ということでしょう

 

 

■エンタープライズ

しかし、指揮官が出来る範囲なら

何でもお願いをきいてくれるというワケだな

しかも、ゲームで勝負ということは

私達にも勝機はあるぞ!

 

 

■赤城

指揮官様が配信するゲームは、

あぁ、なるほど……

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

スマ●ラか

これは好機だな

普段から陣営間で嫌と言うほど戦いあっているじゃないか

 

 

■モナーク

駆逐艦達からのリクエストのようだが

確かに、これは千載一遇のチャンスだな

 

指揮官は、このモナークこそが打倒する!

そして添い寝ボイスを収録させて貰う!!

 

 

■ジャン・バール

腕が鳴るぜ

 

 

■アドミラル・ヒッパー

プレイヤーマッチのルームは招待制

形式は1対1、ストック3、アイテム無し

オーソドックスというか、妥当な線ね

 

 

■ベルファスト

携帯用端末で希望者を募り、

そこからランダムでルームに招待して下さるようですね

 

 

■エンタープライズ

よし、応募したぞ!

 

 

■エンタープライズ

よし、招待されたぞ!!

 

 

■エセックス

えぇ……

 

 

■赤城

ちょっと貴女さぁ……

 

 

■ジャン・バール

いくら何でも強運過ぎるだろ!

 

 

■ビスマルク

少しはその豪運を弁えなさいよ、『LickyE』

 

 

■モナーク

これだからエンタープライズは……

 

 

■大鳳

ずるいですわ!

ずるいですわ!

 

 

■加賀

……気を付けろよ、エンタープライズ

この手のゲームで、アイツがどれだけ強いのかは

未知数だからな

イヤな予感がするぞ

 

 

■エンタープライズ

問題無い

愛と正義は、必ず勝つものだ

 

 

■赤城

愛と正義はどうこうと貴女は口癖みたいに言うけれど

指揮官様との将棋の戦績は、結局どうなのよ?

 

 

■エンタープライズ

何の話だ?

愛と正義は、最後に必ず勝つ

ただ、それだけだ

 

 

■ティルピッツ

こんな迫真のすっとぼけ

初めて見たわ

 

 

■加賀

私が覚えている限りでは

エンタープライズの将棋戦績は

0-58の負け越しだ

 

 

■エセックス

けちょんけちょんに

惨敗してるじゃないですか……

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

愛と正義は何処に行ったんだ?

 

 

■エンタープライズ

今は過去の振り返るときではないな

 

私は容赦なく強いキャラ、強戦術を使って

エンタメではなく勝ちに行かせて貰う

一方的な試合展開になっては心苦しいが

これも指揮官と一緒に温泉旅行に行くためだ

仕方がないな

うん、もう本当に仕方がないな

 

 

■ビスマルク

しれっと温泉旅行に行こうとしているあたり

本当に強かね、貴方……

 

 

■プリンツ・オイゲン

まぁ“勝ちたがり”は欲望にも忠実なものよね

でも、嫌いじゃないわ

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

何が仕方ないのか、といった思いになるが

確かに、このスレ内で恨み言を言いあうのも不毛だな

 

 

■ベルファスト

どうか御健闘を……、エンタープライズ様

 

 

■シェフィールド

実況スレの様相を呈してきましたね

 

 

■エセックス

指揮官を振り向かせるだとか

ヴァレンタインの秘書艦がどうとかいう話題なんて

もうそっち除けですからね……

 

 

■ジャン・バール

試合が始まったな

 

 

■シェフィールド

御主人様は選んだのは、中堅のオーソドックスキャラですね

 

 

■加賀

手札が揃っていて、

プレイヤー性能次第でどんな相手にも対応できるタイプだな

 

 

■赤城

対するエンタープライズは、

“使っていると来世が虫になる”とまで言われた強いキャラね

 

 

■ベルファスト

しかし、この試合展開は……

 

 

■プリンツ・オイゲン

あら、もう一機撃墜されたわね

 

 

■アドミラル・ヒッパー

指揮官、つっよ……

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

放送事故か?

 

 

■シェフィールド

エンタープライズ様のやりたいことを

御主人様が全て読み切っていますね

 

 

■モナーク

しかし、凄まじい

エンタープライズが何も差し返せていないぞ

 

 

■アークロイヤル

もう撃墜2機目だ

 

 

■プリンツ・オイゲン

コメント欄も凄い盛り上がりね

大会顔負けのスクロール速度になってるわ

 

 

■加賀

綾波やアルバコア、ロングアイランドを筆頭に

この手のゲームは母港でも人気だからな

 

 

■大鳳

エンタープライズ様の

ボイスチャットがONになっていますので

少しリスニングしてみました

 

『よし……、ついにこの時が来たな……。大丈夫だ。

大丈夫。落ち着け。戦えるぞ……。これは将棋ではない。

私の攻撃は届く。必ず届く。そして防御も可能だ……。

行けるぞ……。勝てる。勝機は必ずある……!

集中だ……! 勝てば、指揮官が……!

指揮官が何でもいうコトをきいてくれるんだ……!

温泉だ! 指揮官と温泉に行けるぞ……!

さぁ、勝負だっ!!』

 

 

■エセックス

今度は先輩自身が実況され始めましたね……

 

 

■アークロイヤル

このスレの楽しみ方は幅広いなぁ

 

 

■ジャン・バール

もはや何のスレだったのか、

これもう分かんねぇな……

 

 

■大鳳

ぐ、く……何だ、何だ、何だ……。

何か、おかしい……。妙だ……。これは……。

馬鹿な、そんな、馬鹿なっ……!

これは、ゲームだ! そんな、こんなコトが……!

何故だ、何故、私の攻撃が当たらないんだ!?

 

し、しっ、指揮官っ!

やめてくれっ!  待ってくれ!

私とっ、私と温泉に行こうっ!

一緒に、一緒に露天風呂に入るんだっ!

身体を温め合おう!

私達の愛も、一緒に温めよう!

美味しい御飯も食べて、

一緒の布団でぬくぬく寝るんだ!』

 

↑この辺りで2機撃墜

 コントローラーのガチャガチャ音と悲鳴、

盛大な呼吸音と歯軋りの音

 

↓ここから最後の1機

ダメージは指揮官様が4%

エンタープライズさんが97%

 

『んんふぅううううんんんんんんッ!

へあぁむんんんうううふんっんっんッ!!!

 まだだぁ! わたしはっ、私は負けないッ!

負けないんだぁっ! もう、勝てせてくれぇ!!

抵抗しないでくれ、避けないでくれぇぇ……!!

むうううふふぁああああっ、んんんッ!!?

 何でぇッ、何でこんなことになったんだッ!

 私達は、まだ分かり合えるぞ……ッ!!!

 ズビビビッ!!(鼻を啜る音)

まだ、まだだ! 勝負は、終わらないんだ!!

 これからだぞッ!! これか――ッ!!

(ここで撃墜されてゲーム終了)

 

 

■エンタープライズ

帰ったぞ

油断してしまった

 

 

■赤城

その、何と言うか……、お疲れ様

 

 

■加賀

とりあえず、感想戦といくか

アイツの強さはどうだった?

 

 

■エンタープライズ

あぁ。確かに指揮官は強い

だが、もう動きは見切った

次は行ける

 

 

■エセックス

筋金入りの負けず嫌いですね

 

 

■プリンツ・オイゲン

頼もしいじゃない

応援したくなっちゃう

 

 

■ビスマルク

流石のメンタルね……

 

 

■アークロイヤル

気持ちの切り替えは大事だからな

 

 

■エンタープライズ

あぁ。その通りだ。

前を向く者にこそ、勝利はある

 

 

■エンタープライズ

では、そろそろスレのまとめに入ろう

 

 

■ジャン・バール

こんな散らかり放題なスレの

どこを纏めるってんだ……

 

 

■キング・ジョージ5世

難しく考える必要はないさ

上の方でモナークも言っていたが

重要なものは、いつも事実そのものだ

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

つまり?

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

愛と正義が、現実の前に屈服することもあるということだな

 

 

■アドミラル・ヒッパー

そんな身も蓋も無い……

 

 

■加賀

まぁ、そういう未来もある

 

 

■赤城

あら

諦めが良いのは加賀らしくないわね?

 

 

■エンタープライズ

私は敗北などしないんだが?

勝利がないならば、戦い続けるだけだ

 

 

■大鳳

エンタープライズさんの考え方には感服させられますわ

この大鳳も、その抵抗の戦列に加えて下さいまし

 

 

■ローン

私も是非

 

 

■エセックス

急に物騒な空気になりましたね……

 

 

■アークロイヤル

気持ちを切り替えたついでに、

ヴァレンタインの話題まで話を巻き戻そうか

訊きたいことがあったのを思い出したんだ

 

 

■赤城

訊きたいこと?

 

 

■アークロイヤル

あぁ。重要なことだ。

閣下の方から、私達にチョコの催促があった時はどうなる?

 

プレゼントの類を渡すのは厳禁だが、

この場合は特例になる、というような話があった気がしてな

 

 

■加賀

協定関係の書類を調べたが、

確かにそうなっているな

 

『指揮官が求めたときにのみ

この場合は、秘書艦のみがプレゼント、

或いはチョコを渡すことが許される』

 

この母港で顔を突き合わせるようになった過去の私達は

こんな細かいことまで決めていたんだな

 

 

■赤城

あの殺伐とした空気も、

今は何だか懐かしいわね

 

 

■ビスマルク

でも、あの頃の私達も今と同じく

指揮官が遠慮も無く私達に甘えてくることはないと踏んで

この内容が厳格に評決されたのでしょう

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

あぁ。今も尚と言うべきか

指揮官は仕事人間で、遠慮の達人だからな

甘えて来いといったところで

逆効果になることは目に見えている

 

 

■シェフィールド

確かに……。

チョコが欲しい、などと仰る確率は

限りなく低いかと

 

 

■ベルファスト

閃きました

今こそ、エンタープライズ様の出番です

 

 

■アドミラル・ヒッパー

あぁ、なるほど……

 

 

■モナーク

なんだ、エンタープライズにもう一度

指揮官にギッタギタにされて来いと言うのか?

 

 

■プリンツ・オイゲン

それはそれで面白そうね

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

だが、エンタープライズの出番ではある

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

確かに、『LickyE』の出番ね

 

 

■エンタープライズ

私がどうかしたのか?

 

 

■赤城

エンタープライズ

今からもう一度、指揮官様の携帯用端末にメールを送りなさい

 

 

■加賀

このスレの冒頭で言っていた通り

 

『ヴァレンタインの日に

チョコ塗れになった私をプレゼントしたい』とな

 

 

■ティルピッツ

その返事は何パターンか考えられるけれど

『普通のチョコを下さい』、という趣旨の返事が来ることは

十分に考えられるわ

 

 

■ビスマルク

決められたルールを正面から破り、

乗り越えるための突破口、ということね

 

 

■エンタープライズ

イマイチ状況を理解できないが

指揮官なら、普通のチョコなどより

チョコ塗れの私を選んでくれる筈だぞ?

 

 

■エセックス

その自信はどこから来るんですかね……

 

 

■加賀

アイツは未だ動画配信中だが、律儀なヤツだからな

メッセージの返事くらいはすぐにしてくれるだろうよ

 

 

■エンタープライズ

取りあえずメッセージは送るが、

もしも指揮官が、甘くなった私の肢体を求めた場合は

恨みっこ無だぞ?

 

 

■加賀

その可能性は0%だから安心しろ

 

 

■エンタープライズ

言ったな、加賀

メッセージはもう送ったからな!!

 

 

■エンタープライズ

帰って来たぞ!!!

 

 

■エンタープライズ

ちゃあああああああああああああああああああああ

 






最後まで読んで下さり、有難うございました!


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番外編 (求)疲れている指揮官を癒す方法

以前に更新した際に削った部分を、何とか形にして供養代わりに投稿させて頂きました


先駆者様リスペクトの掲示板ネタ回です
本文にIDなどを書き込むと文字数が嵩んでしまったので、
キャラ名だけになっています


※キャラ崩壊濃いめですので、ご注意をお願いいたします……



 

 

 

 

■エンタープライズ

最近の指揮官は徹夜も多く、働き詰めだ

休んでくれと私達が頼めば小休止は取ってくれるが、

それでもすぐに仕事に戻ってしまう

あの頑固な指揮官に休暇を取らせる方法は無いとしても、

せめて癒すことぐらいは出来ないだろうかと考えている

 

 

■エンタープライズ

クリスマスも近いことだ

ここはやはり、セクシーなサンタビキニを着た私が

いつもいい子にしている指揮官にホットなプレゼントを

(まぁ、この場合は私自身のことを指すわけだが)

送ってあげるのがベストだろうか?

 

 

■赤城

素晴らしいアイデアね

私も和風サンタビキニで同行するわ

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

おい、まだ4レス目だぞ

知性を放棄するのが些か速過ぎないか?

 

 

■ビスマルク

何が“やはり”で

何が“ベスト”なのかは

永遠の謎ね

 

 

■ティルピッツ

意味不明とも言い換えることが出来るわね

クリスマスを口実にして、少し羽目を外すぐらいならともかく

乱痴気騒ぎは控えた方がいいわ

 

 

■エセックス

そうですよ先輩、

指揮官の心労が加速するだけだと思うんですけど……

 

 

■ビスマルク

スレッドの趣旨自体は至って真面目なのにね

 

 

■加賀

おいエンタープライズ、

この手のスレを建てることは構わんが

数レス目からトバすのは本当にNG

前も言ったが、

駆逐艦や潜水艦達のアクセス制限が間に合わなくなるだろうが

 

 

■モナーク

こんな猛者だらけの魔境に

駆逐艦達が迷い込んだら目も当てられん

 

 

■エンタープライズ

まるで私や赤城が

駆逐艦達に悪影響を及ぼすかのような言い方だな

 

 

■赤城

えぇ、心外ね。

この赤城、指揮官様を想う気持ちでは誰にも負けていないわ

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

問題なのは想いの強度ではない

そもそも、想いが強ければ手段が正当化されるわけでもないぞ

 

 

■シェフィールド

あと、御主人様の雑談配信に現れては

ASMR配信をしつこく催促しているモナーク様も

他人の事を言えないと思います

 

 

■モナーク

それは違うぞ、シェフィールド

あれは私だけでなく、この母港のKAN-SEN皆の希望だ

 

今夜の配信で

指揮官がASMRロールプレイをしてくれることになったのも

私以外にも希望していた者が多数だったことの証左だろう

 

 

■加賀

まぁ実際、今も配信の待機者数から見るに

かなりの数のKAN-SENが待機しているのも事実だな

それに、アクセス状況を見るに

このスレッドを覗いている者もかなり多い

 

あまり馬鹿なことを書き込むと

あとで笑われるぞ、エンタープライズ

 

 

■エンタープライズ

なぜ私を名指しするのか

言っておくが、私は至って冷静だ

そう誓ったうえで意見を言わせて貰うならば

 

私としても

指揮官がASMR配信をしてくれることについて

どちらかと言えば大賛成だ

 

 

■ティルピッツ

そういえば今回の配信では

音声だけじゃなくて

VR対応の映像配信も同時に行うという話だったわね

 

 

■モナーク

VRゴーグルが用意してくれたのも明石なのだろう?

仕事のはやいことだ

 

 

■エセックス

指揮官が配信するための機器類も、

ほとんど明石さんが用意してくれたそうですよ

今まで配信トラブルなど一切ありませんでしたし

やっぱり明石さん特製、ということでしょうか

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

我々は明石に感謝しないといけないな

指揮官の配信を明石が支えてくれる御蔭で

日々を生きることに希望しか見いだせない

 

 

■エセックス

それはそれで、徐々に狂気に近づいていっているような……

 

 

■大鳳

とはいえ、そういった日々の延長線上にある

今日のASMR配信は、この母港ならでは“お祭り”ですわね

 

 

■ベルファスト

それは間違いありません

これだけ皆が楽しみにしているのですから

 

 

■シェフィールド

えぇ。確かに、気分が高揚します

このスレッドに書き込みをしている方々も、

あるいは書き込まずに御覧にあっておられる方々も

既にヘッドホンとVRゴーグルを装着して

指揮官様の配信を心待ちにしているのではないでしょうか

 

 

■ベルファスト

ロイヤル寮では先日、

超高級・超高性能ヘッドホン、VRセットが

大量に運び込まれておりました

無論、私も裸エプロンで準備万端でございます

 

 

■赤城

桜重寮も同じよ

我々の耳用に設計した明石のヘッドホン

VR用ゴーグルを買い求める者が続出していたわ

明石は大儲けだったみたいね

 

 

■加賀

とんでもない剣幕の天城さんや三笠さん、武蔵さんが、

ゴーグルの使い方と設定を教えろと迫って来たときには

流石にちょっと怖かったが

 

 

■ティルピッツ

でも、私達のために色々と用意してくれているのだから

それぐらいは還元させて貰わないと

 

 

■加賀

まぁ明石の場合は、商魂が根っこにあるのだろう

指揮官の配信に付随して、

また新しい商品を各陣営に売りつけてくるかもしれんが

その時は、また相手にしてやってくれ

 

 

■エセックス

私達の満足がそのまま明石さんの商売が成功に繋がるのなら、

きっと次回も大儲け間違いなしでしょう

実際、明石さんの技術力は素晴らしいと

ユニオンでも好評ですし

 

 

■エンタープライズ

明石は優れた商人であり、同時に素晴らしい技術者でもある

彼女の職人技とアイデアの御蔭で

今のユニオン寮は、さながらゴーストタウンだ

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

それは褒めているの……?

いや、まぁ確かに、今のロイヤル寮も凄く静かだけど

 

 

■キングジョージ5世

嵐の前の静けさかもしれんがな

 

 

■プリンツ・オイゲン

私達の鉄血寮でも似たような状況よ

皆が自室に籠ってるせいか、寮内なんて物音ひとつしないもの

同室の姉さんも、

ソワソワしながら指揮官の配信を心待ちにしているわ

 

 

■アドミラル・ヒッパー

ソワソワなんかしてないっての!

皆聴いて! コイツだって、朝からウッキウキだったんだから!

 

 

■プリンツ・オイゲン

それは勿論よ。私は指揮官を愛しているもの

ちなみに、私よりもウッキウキで、ニッコニコだったのは

エーギルとフッテン、あとブリュンヒルデも

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

そうやって仲間を弄るのは感心しないけれど

確かに、昔の鉄血陣営を知っている身からすれば

随分変わったわよね、貴女も、貴女達も

 

 

■ビスマルク

普段は厳粛な鉄血寮が、

あんな陽気な喧騒に占領される日が来るなんて

想像もしてなかったわ

指揮官が配信を始めることが決まってから

母港自体の盛り上がりがワールドカップみたいなノリだったものね

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

しかし、

何らかの原因で今夜の配信が中止になったりすれば、

我々のダメージは計り知れん

今までの配信特には特に問題も無かったゆえ、

過剰な心配は要らんだろうが

こういう時に限って、ということもある

 

 

■赤城

不吉なことを言うのはやめなさい、ツェッペリン

ソワソワしていた幸せな気分が、今ので一気に

ハラハラした焦燥感に変わってしまったじゃないの

 

 

■エンタープライズ

中止などになったら私は

自分が何をしでかすか分からないな

 

 

■モナーク

凄まじい説得力だな

 

 

■エンタープライズ

時季的に少し早いが、

サンタビキニで執務室に突撃してしまうかもしれない

 

 

■エセックス

恐ろしいことを言わないで下さいよ……

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

コイツならやりかねん

 

 

■ティルピッツ

普段はなりを潜めているけれど

母港で過ごしている時の彼女の本質は

なかなかの困ったちゃんなのよね

 

 

■加賀

あわてんぼうのサンタクロースでも

煙突から家に入る理性と常識は持っていたぞ

 

 

■大鳳

エンタープライズさんもまた、

指揮官様を強く愛していらっしゃいますから

その情熱ゆえに視野を狭めてしまうのは、大鳳も理解できますわ

 

 

■大鳳

まぁ、この場に居る皆が

指揮官様をお慕いしているのは間違いないでしょうけれど

指揮官様にサンタビキニ姿を披露するのは

少し慎重になった方がいいかもしれませんねぇ

 

 

■プリンツ・オイゲン

それは言えてるかも

水着姿になった愛宕でさえ、

指揮官をドキドキさせたり動揺させたりできなかったらしいものね

 

 

■愛宕

やめなさいオイゲン。その話は私に効く

思い出したら眩暈と動悸がしてきたわ

 

 

■ベルファスト

御主人様の理性は、まさに鋼です

私の決戦装束、裸エプロンをもってしても

御主人様を動揺させることは至難でしょう

眩暈と動悸がしてきました

 

 

■シェフィールド

正気と体調を保って下さい、ベルファスト

 

 

■エンタープライズ

なぁに大鳳、心配は無用だ

私のサンタビキニなら

間違いなく指揮官を魅了できる筈だ

 

 

■エセックス

そうやって勇み足で行動するのは

やめませんか、やめましょうよ……

悲劇の元ですよ

 

 

■モナーク

挑発や煽りではなく

純粋な興味から訊くが

その自信は何処から来るんだ?

 

 

■エンタープライズ

訊かれたならば答えよう

以前、私もレースクイーンとして現場会場に働きに出向いた時のことだ

私のRQ衣装を見て指揮官は何と言ってくれたと思う?

 

 

■大鳳

指揮官様のことですから

『よく似合っていますね』、『とても素敵ですよ』、

『今日は少し風が冷たいので、

身体を冷やし過ぎないよう気を付けて下さい』

 

などでしょうか?

 

 

■エンタープライズ

凄いな大鳳。大正解だ

 

 

■高雄

愛宕のときと全く同じではないか……

 

 

■愛宕

過ちを繰り返してはいけないわ(戒め)

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

私がRQ衣装を着たときも、

指揮官から掛けてもらった言葉はだいたい同じだったような……

あれ、何だか私も胸が苦しくなってきたわ

 

 

■大鳳

大鳳がレースクイーンをさせていただいた時も、

同じように優しい御言葉を掛けて戴きましたわ

 

 

■ティルピッツ

相変わらずというか、指揮官らしいわね

 

 

■ビスマルク

ああいう公の場での指揮官は、

私達に対しても他人らしい慎重な距離を徹底するからな

 

 

■プリンツ・オイゲン

それでいて適当に返事をしているわけじゃなくて、

 

『よく似合っていますね』、『とても素敵ですよ』、

『今日は少し風が冷たいので、

身体を冷やし過ぎないよう気を付けて下さい』

 

っていうのが、間違いなく

指揮官の本心からの言葉だって分かるのもツライのよね

愛宕の気持ちがちょっと分かったわ

 

 

■キングジョージ5世

そう言えば、オイゲンもRQとして現場に出ていたな

やはり、指揮官からの態度は他と変わらずか?

 

 

■プリンツ・オイゲン

まぁね。っていうか、

ボルチモアとか高雄とかも同じだったはずよ

“誰も特別扱いしない”っていう指揮官のスタンスは

レースクイーン衣装や水着程度じゃ、本格的に崩せないのかも

 

 

■ベルファスト

しかし、エンタープライズ様は

何かしらの手応えを掴んでいらっしゃる様子ですが

 

 

■エンタープライズ

あぁ。無論だ。

確かに、私が指揮官から掛けて貰った言葉は、皆と同じだ。

だが、その言葉の裏側にあるメッセージを汲んでこそ

指揮官と共に未来を歩み、そして、

互いに背負うものの重みを分かち合うことが出来ると思わないか?

 

 

■エセックス

急に雲行きが怪しくなってきましたね……

とんでもなく根拠の薄い話になりそうなんですが

 

 

■赤城

曖昧な言葉の影に機微を察して

その相手の気持ちを推し量るのは大事よ?

でもねぇ……。想像力を駆使して

在りもしない真意を捏造するのは感心しないわね

 

 

■加賀

エンタープライズよ、

一応訊いておくが、お前が汲み取ったアイツの真意とは

どんなものだ?

 

 

■エンタープライズ

そんなものは決まっている

 

『よく似合っていますね』

→『ケッコン衣装のドレスも、きっと似合いますね』

 

『とても素敵ですよ』

→『ケッコンできる日が、僕も待ち遠しいです』

 

『今日は少し風が冷たいので、

身体を冷やし過ぎないよう気を付けて下さい』

→『僕とケッコンしてくれませんか?』

 

こう言い換えることが出来るわけだな。

 

 

■モナーク

いや、「出来るわけだな」じゃないが

 

 

■キングジョージ5世

前向きな思考も、

そこまで突き抜けると天晴だな

 

 

■高雄

洞察が飛躍し過ぎていて

最初から最後まで原型がないではないか

 

 

■愛宕

私にも、これぐらいの

前向きさが必要だったのね……

 

 

■アドミラル・ヒッパー

いや、程度の問題というか

流石に限度があると思うけど

 

 

■シェフィールド

戦場でのエンタープライズ様は、

恐ろしい程の思考の冴え、そして洞察力を発揮する方ですのに

 

 

■ベルファスト

そのギャップもまた

エンタープライズ様の魅力ではあります

 

 

■ティルピッツ

疲れているのなら、

少し長めの休暇を取った方がいいわ

貴女が身体を壊しては

指揮官も悲しむでしょう

 

 

■ビスマルク

いや、流石にそんな深刻な事態ではないとは思うけれど……。

エンタープライズ、貴女もしかして

もうお酒でも飲んでいるの?

 

 

■エンタープライズ

皆して言いたいことを言ってくれる

まるで母港に居るときの私がアンポンタンみたいじゃないか

 

 

■ローン

でも、それぐらい自分本位な方が、

指揮官は振り向いてくれるかもしれませんね

 

 

■キングジョージ5世

うむ。エンタープライズの奔放さは他者を否定しない

物事を疑いつつも、飽くまで肯定的に捉え直す姿勢からは

指揮官も学ぶことも多いだろう

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

それは果たしてフォローになっているのか……?

 

 

■加賀

まぁいい

そろそろ話を戻してくれ

このまま雑談を続けるなら、スレタイを変更するが

 

 

■エセックス

このスレの趣旨が何だったのか一瞬思い出せませんでしたが、

指揮官を癒すためにはどうこう、というスレでしたね

 

 

■モナーク

2レス目でいきなり

サンタビキニがどうこうという話になったからな

読み返してみても、議論らしい議論の跡が無い

 

 

■プリンツ・オイゲン

まぁ、この手のスレだと、いつものことでしょ?

書き込んでるのも普段のメンバーだし

というか、この議論を徹底的に煮詰めていくと

“指揮官の何かを知っている”と胸を張れる者が

果たして何人居るのか、という話に向かうことになりそうよね

 

 

■加賀

そういう意味では、

この手のスレが毎回毎回、派手に話が逸れていくのも無理はないか

 

 

■ベルファスト

御主人様の趣味や好みに関しましても、

我々も知らないことばかりです

有効な意見なのかどうかを判断するにも

材料が乏しいのも現状でしょう

 

 

■大鳳

とはいえ、指揮官様に直接尋ねるというのも考えものです

指揮官様にお気を遣わせてしまっては、元も子もありません

ここは敢えて、指揮官様の為されるところに

私達も身を委ねてみるべきかもしれません

 

 

■大鳳

指揮官様は私達の望みに応じて

こうして配信業務を始めて下さったのです

ならば私達は、余すところなく指揮官様の厚意に甘えましょう

もしも私達が感謝を返したいと思うのであれば、

まずは指揮官様の想いを受け取ってから

儀礼的とはいえ、順を見ればそれが礼儀でしょう

 

 

■キングジョージ5世

うむ。時に献身というものは、それを行うよりも

受ける立場になったときにこそ勇気がいるものだ

なればこそ、対等な関係であることを我々が表明するには

まずは大人しくしているべきだろう

 

 

■加賀

言えているな。アイツはいつもそうだ。

何をして欲しいかと訊けば、必ず首を横に振る。

ならば、先に此方がアイツの献身を受け取っておけばいい

そうすればアイツも、此方の話を聴く気になるかもしれん

 

 

■ビスマルク

幸い、今夜のASMR配信にはロールプレイ後に

雑談枠が設定されているし

そこでさりげなく質問してみれば

案外、指揮官もすんなりと応えてくれるかもしれないわ

 

 

■赤城

ただ問題なのは、その雑談枠の時間ね……

設定されているのは配信のかなり後半でしょう?

正直なことを言えば

そんなタイミングで理論的な思考が残っている自信が無いわ

 

 

■大鳳

赤城さんの仰る通り

バイノーラル音声に加え、明石謹製のVR映像が展開されますからね

私達も気持ちを強く持たねば、自我が崩壊しかねません

 

 

■エセックス

それは流石に大袈裟に過ぎるでしょう

あくまで娯楽コンテンツなのに

そんな恐ろしい精神破壊効果なんてあるわけないですよ

 

 

■モナーク

お手本のような油断だな、エセックス

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

前も言ったが、明石の技術は本物だ

 

 

■加賀

今夜の放送が終わったころには

体中の穴という穴から

いろんな汁が吹き出している者も多数だろうからな

 

 

■エセックス

指揮官のASMR配信は

呪いの配信か何かなんですかね……

 

 

■加賀

いいタイミングで、明石から連絡が入った

今夜の放送で使うVR映像のテストを兼ねて公開するそうだ

『一応はシチュエーションボイスだから、

簡単なストーリーを楽しめる映像作品に仕上げている』

とのことだ

 

 

■加賀

とりあえずは限定公開で

駆逐艦や潜水艦達の携帯端末からのアクセスは不可にしているようだ

解析したところ、

このスレを覗いている者、書き込みをしている者ならばDLできるぞ

購買部サイトにアクセスしてくれ

 

 

■エンタープライズ

限定先行公開か

言うなれば、クリスマス・イヴのようなものだな!

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

違うとは思うが、まぁいい。

DLして、VRゴーグルで再生すればいいんだな

 

 

■ビスマルク

鉄血寮が俄かに騒がしくなってきたわね

 

 

■エセックス

ユニオン寮もですよ

ちょっと不穏な感じですけど……

 

 

■シェフィールド

ロイヤル寮が揺れていますが、誰かが興奮のあまり

艤装でも展開して貧乏揺すりでもしているのでしょうか

 

 

■モナーク

すまない。私だ

 

 

■加賀

無理も無いが

急に書き込みが減ったな……

 

 

■大鳳

私はすぐにDLせず

皆さんの反応を見てからにしましょうか

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

それが賢明かもしれない

前の時も、ちょっとした不具合があったからな

私も、少し様子を見よう

 

 

■プリンツ・オイゲン

この前もASMR関連でひと騒ぎあったものね

収録する音源を間違えていて

各陣営の寮内が地獄みたいになってたし

 

 

■エセックス

そうですね……。前の惨状を知っているだけに、

ちょっとだけ我慢してみようかなってなりますね

 

 

■ティルピッツ

どれだけ明石が優れた技術者とはいえ、

膨大で精密、緻密にして複雑な作業をこなしているんですもの。

どれだけ準備をしていても、十全とはいかないものよ

 

 

■加賀

それを本番で排除するための先行テストだ

そろそろ皆が戻ってくるころだと思うが、さて……

 

 

■土佐

天城さんと武蔵さんが白目を剝いて痙攣しているが

このスレに書き込みをしている連中は大丈夫そうだな

 

 

■エセックス

えぇ……

 

 

■加賀

まぁ、仕方がない

というか何があったんだ?

姉さまとも連絡がつかん

 

 

■プリンツ・オイゲン

また収録音声の間違いかしら?

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

いや、音声自体は今夜の配信で加えられるものだろう

公開された映像に何らかの不具合があったのかもしれん

 

 

■キングジョージ5世

そのようだな

ギャン泣きしている陛下も

ケッコンがどうのこうのと喚いている

 

 

■加賀

ケッコン?

今日の配信では、アイツの自室がVRで再現される予定だった筈だが……

 

 

■エセックス

ユニオン寮のあちこちからも

「ぐわぁああ!!」とか「ぬひぃいいいっ!!」とか

迫真の悲鳴が響いてきますね……

 

 

■エンタープライズ

これはおかしい

完全におかしい

おかしいじゃないか

こんなことは駄目だ

あってはいけない

 

だって、DLファイル名は

『バブみMAX★いつも頑張っているお姉ちゃんを、

僕がお部屋でトロトロに癒してあげるっ!』

なのに、

 

VRで展開された映像は

どこかの、壮麗な教会だったんだ

 

しかも、しかもだ。聞いてくれ

指揮官がオブザーバーに似た女性と

誓いのキスを交わそうとしている場面だった

 

私は、恐ろしかった

今までに味わったことのない恐怖に、為すすべなく飲み込まれた

自我の危機を感じた、といってもいい

私の精神そのものが、大出血をしているような

私の内部が、朽ち木のように脆く崩れ落ちていくような

そんな感覚だった

 

今でも指先が震えている

だって、そうだろう?

 

私が期待していたのは

凛々しくも愛らしい指揮官が、

しょうがないですね、といった感じで

優しく、穏やかに、温かに、

疲れた私を労ってくれると

癒してくれると

そう思っていた

信じていたというのに

 

私の目の前に置かれた世界では

その指揮官が、オブザーバーに似た女性と

今、まさに口づけを交そうとしているんだ

 

清廉な光が差し込む白い教会

その静謐の中で、2人だけが存在しているんだ

指揮官と女性が見つめ合い、互いを慈しみ合い、

満ち足りた幸福を分かち合いながら、

その人生を、愛情によって結び合わせようとしている瞬間だった

 

私は、指揮官と女性から疎外されていて

全く無関係に存在していた

祝福されるべき光景の中で

私の時間だけが切り取られて、そこで動きを止めていたんだ

 

私は震えたよ。

脳が爆発して、飛び散ってしまった

私の脳は再生したが、もう元の形には戻らない

 

私をこんな気持ちにさせるなんて

指揮官て、チョーSだよな

 

 

■加賀

申し訳ないが、怪文書は本当にNG

スレの空気が澱みまくるからな

言いたいことは其々あるだろうが

出来るだけ一言で、端的に頼む

 

 

■エンタープライズ

脳が破壊された

 

 

■赤城

心が砕けたわ

 

 

■ベルファスト

私は今、泣いています

 

 

■シェフィールド

息が出来ません

 

 

■モナーク

つらい

 

 

■ビスマルク

無理

 

 

■グラーフ・ツェッペリン

しんどい

 

 

■エセックス

これは皆さん、重傷ですね……

 

 

■大鳳

ここに書き込めているひと達は、まだ軽傷かもしれません

三笠さんが気絶していましたから

 

 

■土佐

指揮官を癒すとかどうとか言いながら

こんなことで大騒ぎできるとは

平和になったものだな

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

平和……?

 

 

■加賀

明石から連絡が来たぞ

どうやら、今回のはミスや不具合じゃないようだ

公開している映像だが、明石にも身に覚えのないものらしい

 

 

■プリンツ・オイゲン

明石の意図しない何かが介入した、ということかしら?

 

 

■加賀

外部からのアクセス形跡はないようだ

想定しない挙動の組み合わせが奇跡的なバグを生んだか

或いは、何かの間違いか

とにかく、今は明石が原因解明に動いている

 

 

■ティルピッツ

深刻な事態ではないかもしれないけれど

少し不穏な感じがするわね

凶兆にならなければいいけれど

 

 

■加賀

案外、オブザーバーの自身の仕業だったりしてな

 

 

■アドミラル・ヒッパー

なんでそこでオブザーバーの名前が出てくるのよ?

そりゃ、映像の中のケッコン式には登場してたみたいだけどさ

アイツは敵でしょ? この母港を襲撃してきたこともあったし

 

 

■ローン

でも、そういう嫌がらせが

好きそうな感じではありますけどねぇ

 

 

■キングジョージ5世

極論を持ち出しても良いのなら

オブザーバーが指揮官に懸想している可能性も

完全な0ではないからな

 

 

■プリンス・オブ・ウェールズ

キューブ関連の技術力を基準すれば

何をしてきても不思議ではない、という観点から見ればね

 

 

■土佐

ケッコンしたいと思うほど

セイレーンから好かれるとなれば

指揮官も災難だな

 

 

■加賀

あぁ。まったくだ

 

 

 

 

 










最後まで読んで下さり、ありがとうございました!


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