恋心は火属性 (もぬ)
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1話

「あっ、高畑先生いたっ!」

「やあこんにちは、なごみ君」

 

 学校での一日を終えた放課後。目的の人物を見つけた私は大声で呼び止める。

 

「今日こそ私の気持ちを聞き入れてもらいますよ!」

「なっ……ななな……」

「ああうん、ちょっとあちらへ行こうか」

 

 冷や汗をかいた高畑先生は、こちらへついてくるよう促す。後ろへついていきつつ、近くにいた、高畑先生のことが好きな神楽坂明日菜がプルプル震えていたので、長い前髪をかきわけて適当にウインクを飛ばしといた。後になんか奇声が聞こえたが、面白いので放っておく。

 人気の無い場所を探し、中等部校舎の屋上へとやってきた我々。夕暮れ時に並ぶ二つの人影はなるほど、先生に淡い恋心を抱いてしまった女子生徒が、一世一代の告白をこれからかますのだという絵面になっているかもしれない。

 しかし残念ながら私の……いや、オレの話はそういう用件ではなかった。

 

「先生! 魔法を教えてください!!」

「うーん……」

 

 頭をかき、困った顔をする高畑先生。なるべく真剣な表情を作って彼を見つめつつ、これまでのことを思い出していた。

 

 

 

 憧れの『魔法先生ネギま』の世界に神様転生できると知り、自分の妄想にしてはリアルなので心の限り楽しもうと、オレは神様に様々な要求をした。

 簡潔にまとめて言うと、ものすごい都合のいい強力なパワーで大活躍して美少女と恋愛関係になりたいのだと。

 ハーレムも良いんだが、オレの一番気になっているキャラクターはアーウェルンクスシリーズの女の子、セクストゥムちゃんだ。感情なさそうキャラで顔も良い。ぜひ恋人になりたいのだ。神様、ぜひそういう線でお願いします!

 

『普通に嫌だけど……』

 

 神様はひいていた。

 

『じゃあアーウェルンクスとやらとの恋縁を与えよう。せいぜい苦しんで、楽しませてくれよ』

 

 そのあと。

 物心ついたときに、自分が宮崎のどかの双子の妹になっていることを知り、めっちゃ絶望したりした。女の子になってる。

 しかししばらく落ち込んだ後、考え直してみた。女同士同性婚したらしきキャラクターもいたと思うし、性別など些細な問題ではないか? それに姉さんが原作の重要キャラクターだというのもいい。接点が増える。

 何より、今世の自分の顔はあまりに美少女だった。

 オレの今の趣味は鏡を眺めることだ。姉のように前髪を伸ばし、鏡の前で普段は隠している目を解き放つと、めちゃくちゃ興奮した。可愛すぎる。内気でのんびりした姉の真似をしたりすると、さらに興奮した。

 毎日姉・のどかの可愛さに感謝する日々である。あと神様にも。

 

 そんな美少女生活を満喫する中、中学生に上がり、姉と同じクラスになって、気付く。

 魔法やら気やらを使えないと、活躍できないんじゃない? 

 アーウェルンクスシリーズといえば作中最強クラスの化け物悪役魔法使いである。そんな子をどうにかしようというのだから、ネギくん級の強さを手に入れなければならない。

 すごい神様パワーがあるはずだからとあぐらをかいていたが、オレは今さら危機感を覚えた。すごいパワーも使い方が分からなければ意味がない。しかし誰にも教えを請えないのだ。身近に魔法使いや武の達人など……、

 結構いた。

 原作を読んだから分かるが、新しくクラスメイトになった奴らのうち2割くらいはただ者ではない。意味分からんよな、忍者とか。他のクラスは普通っぽいのに。

 また、担任の高畑・T・タカミチ先生は魔法使いだったはずだ。

 この中の誰に師事すればこのバトル漫画の世界で強くなれそうか、真剣に考えた。

 

 

 回想終わり。

 

「魔法教えて! 魔法魔法まほう~!!」

「パンツ隠して」

 

 オレはみっともなく地面を転げまわり、駄々をこねた。美少女なら何でも許されるはずだという経験則からくる行動である。

 しかしどうやら通じないらしいな。引き気味にこちらを注意する先生を見て、すっと無言で立つ。

 どうしようかな。色仕掛けとか効くかなこの人。

 

「というか魔法に関する記憶を消したはずだけど、なぜ君は……」

「フフ……執念……あ、いや、特別なパワーですよ先生」

「もう30回目だよこのやりとり」

「え……そんなに……?」

 

 しつこいなオレ。

 魔法に関する記憶を消された自分が何を忘れて何を覚えているのか定かではなくて少し怖いが、『魔法先生ネギまの記憶』は消えていないのでなんとかなっている。念のため日記やメモも残しているし。

 

「これ以上記憶を消すとおそらく、君の脳がパーになるんだが……」

「えっ」

「君の記憶を消している先生も今日まで丁寧に気遣っていたけど、最近それがストレスみたいだから、いよいよ手が狂うかもしれない」

 

 思わず唾を飲み込む。やっぱりクラスメイトに頼るべきだったか……高畑先生が一番強そうで優しそうという理由でこうしたが、これは間違いだっただろうか。

 エヴァンジェリンは怖いので候補に入ってない。

 

「わかった、根負けだ。ついてきなさい」

「!! じゃ、じゃあ……」

「今から偉い人に君の処遇について相談しに行く」

 

 そう言って、先生はオレを理事長室に連れてきた。

 目の前に座っているのはこの麻帆良学園の学園長だ。外で挨拶をすればにこやかに返してくれる好々爺だが、その長~い後頭部は妖怪のようでじっとみると正直怖い。

 

「以前から話していた彼女です」

「いっ、1-Aの宮崎なごみです」

「おお、君かね」

 

 話を聞いているのなら早い。ここまで来たらもう、気持ちを伝えるのみ。

 

「学園長先生、わたし……魔法を学びたいんです! 魔法使いにしてください!!」

 

 ……最終的にすごいパワーで無双して、女の子にモテたいから――!

 そして。

 学園長はゆったりと、威厳を持った速度で、指で輪っかを作った。

 

「オッケー」

 

 オレは喜んだ。

 高畑先生はため息をついていた。

 

 

 

 それから1年と数カ月。

 魔法、全然うまくならん。

 これだけ長く学んで、ようやく習得できたのは、身体強化の方法だけだ。サギタマギカ? 何それ。

 ネギくんやナギみたいなすごい魔法使いを目指していたのだが、どうも無理っぽい。精霊に語りかける才能がないらしい。魔力はものすごいと言われたが、使えないんじゃなあ。

 魔法先生たちは暇じゃないようで、近頃はもうずっと自主トレーニングばかりだ。

 仕方なく、習得できた身体強化の力を伸ばす方向でいくことにした。すなわち、砲台として火力を出す魔法使いタイプではなく、自ら前に出て戦う魔法拳士タイプだ。いやもうただの拳士だ。

 そんなのはただの気の達人と同じで、ごねにごねて手に入れた魔法生徒の肩書が泣いていた。

 

「では、1時間目をはじめます。テキスト76ページを開いてください」

 

 教室の一番後ろ、長谷川千雨と綾瀬夕映の後ろの席で、頬杖をつきながら、英語の授業を聞き流す。

 教壇に立っているのはネギ・スプリングフィールド先生。2年生もそろそろ終わりが見えたこの時期に、このクラスの担任になった謎の新入職員だ。

 で、魔法使い。何か困った様子なら助けてあげてくれと高畑先生から言われている。

 ……こんな小さい子がこれから、世界に身を捧げて戦うことになるんだ。悲劇だねえ。

 せめてセクストゥムちゃんの相手だけでも引き受けて負担を減らしてあげよう。あれ? そういえば原作では瞬殺してたっけ。……まあとにかく、主人公である彼の邪魔だけはしないようにうまくやりたい。

 

「ふあ~あ」

 

 ねむっ。

 英語、嫌いなんだよな。中学生レベルまでなら辛うじてわかるけど。

 英語嫌いだから魔法できないのかなあ。日本語に応えてくれる精霊いないの?

 昨日夜更かししたから朝は眠い。一番後ろの席だし、バレてネギ先生に怒られても怖くないし、寝よ。

 

 

「どういうつもりですのっ! ネギ先生の神聖な授業で居眠りだなんて!! あなたはいつも不真面目すぎます、もうすぐ3学年に上がる自覚が足りませんわ!」

「は、はいー」

 

 放課後。めちゃくちゃ委員長に怒られる。

 委員長の雪広あやかさんは真面目だ。同級生に怒られる経験などあまりないが、彼女と同じクラスとなればもう、こうなる。

 1時間目のことをここまで溜め込んで説教してくるのは、ネギ先生の授業だったというのもあるだろう。まあ明らかに慣れていない新任に対してひどい態度だと言われれば、甘んじて受け入れるしかない。

 しかしこの時期から既にネギラブ勢なのは正直ひく。まだ来てからひと月もないぞ。

 あーもう、はやく帰って魔法の修行でもしたいんだけどな。

 原作がいよいよ始まったのに、自分の実力はモブキャラの域を出ていないのだから、焦ってるんだ。

 

「聞いていますか!? まったく、のどかさんはあんなに真面目なのに、あなたときたら……」

「アスナさん! アスナさーん!」

「ネギ先生♡」

 

 お、ラッキー。教室へドタバタと入ってきたネギ先生へと委員長の意識が向く。知らんふりして帰ろ。

 ネギはアスナと何やらこそこそ話している。仲いいなー。

 

「こんなのいらないって言ったでしょ……もう、あんたが飲みなさいよ」

「もご!?」

 

 アスナが何やら怪しい薬品を彼の口へぶちこんだ。

 トラブルのにおいがする。急いで立ち去って……アレ?

 ……なんか……ネギくんって結構、かわいい顔立ちだな。

 

「ネギくんってよく見るとかわええなー……」

「ちょっと、このかさん! 先生に対してそのよう、な……ネギ先生、どうぞこれを受け取ってください……!」

「先生これ食べてー!」

「先生これも!」

「ネギせん…………ハッ!?」

 

 近衛さんや委員長、クラスメイトたちに混じってネギくんに詰め寄ろうとして、オレはしょうきにもどった。

 なんだこれ! オレはショタコンじゃ……魅了の魔法か? あ、惚れ薬!? さっき先生が飲んだのがそうだったのか?

 なんかこんな話あった気がする。ネギまの序盤の話とか全然覚えてない。

 教室の外へ逃げ出したネギくんを追いかけるヤバい集団の後ろについていく。

 惚れ薬で何がしたかったのか知らないが、不本意な事態だろう。仕方ない、オレが助けてやらねば。

 

「ほっ」

「えっ!?」

 

 集団をごぼう抜きしてネギくんに追いつく。

 そのまま脇に抱きかかえてさらった。

 

「ネギ先生、大変だね。わたしが安全な所へ連れて行ってあげます」

「あ、ありがとうございます……?」

「ちょ、本屋2号、抜け駆け~!?」

「ネギ先生待ってー!」

 

 柿崎さんたちの声を置き去りに、学校の廊下を走る。

 お、あれにみえる、ちんまりした背中は……

 

「あ、姉者」

「宮崎さん!」

「なにかな先生」

「宮崎さん(姉)!」

「ふぇ、ど、どーしたんですかー?」

 

 クラスのみんなに追われているから廊下は危険だということを、オレの脇に抱えられた先生が素早く説明した。

 

「それならこっちです……なごみー」

「はーい」

「あの……おろして……」

 

 ネギ先生を肩に担ぎ、のどかの後をついていく。

 たどり着いたのは、姉のホームグラウンド……大きな図書室だ。中には誰もいない。のどかは鍵をかけた。

しばらくは誰もやってこない。ネギを肩から下ろしてやる。

 

「ふたりとも、ありがとうございます! 助かりました」

「ああ……」

「ネギ先生……」

 

 姉妹で少年を挟むように立ち、身体を寄せる。

 逃げられないようにしてから、どちらからともなく彼を押し倒した。

 

「え、あの……ま、まさか……?」

「ネギ先生……オレはもう我慢できない」

「せんせー……ごめんなさいです……」

「う、うわーーーー!! アスナさん! アスナさーん!!」

 

 身体の疼きに応えるように、先生の可愛らしい顔に、自分の顔を近づけていく。となりの姉も同じようにしているのがわかった。

 ああ、ネギ先生……泣き顔も可愛いじゃないか……お姉さんが大事にしてやるからな……。

 

「何をやっとるかーーーッ!!!」

「あうっ」

「ぬわーーーーっ!!??」

 

 オレは何者かに吹き飛ばされた。

 いてて……なんか飛んできて頭うったぞ。ってこれ、図書室の扉だ。

 

「ア、アスナさんー!!」

「ハッ!? オレは一体……」

「う~ん」

 

 気絶した姉を尻目に、さきほどまでの自分の所業を思い出す。

 ………魅了系の魔法、こわっ!

 

 あのあとアスナたちとわかれ、のどかを介抱してから一緒に帰路へついた。とんだ一日だ。原作のトラブルエネルギーの片鱗を味わうことになってしまった。

 目が覚めた姉はぼうっとしていたので、夢に好きな男の子でも出たかと聞くと、顔を真っ赤にしていた。かわい。でもこの時期からネギラブ勢なの正直ひく。

 ……いやまあ、さっきまで自分もそうだったらしいが。思春期の女の恋心はヤバい。それを身をもって体験してしまった。自分の中に未知の回路が開いてしまったような気がして怖い……。

 オレの恋愛はセクストゥムちゃんのためにとっておいてあるのだ。こういうのはよろしくない。

 魅了のたぐいは今後絶対かからないように、何か対策法が無いか、高畑先生か学園長に教えてもらおう。

 

 

 

 偽りの恋心。

 自分が、そんなものに悩まされることになるなんて。

 神様は、人間の言う通りになんか動かないんだって。

 このときはまだ、わかっていなかった。

 



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2話

 ついに新しい魔法を覚えた。

 嘘をついた。新しい魔法を覚えたわけではない。

 魅了に対抗する方法を高畑先生と学園長に教わったのである。

 正確には、それは魅了に限らず、状態異常のたぐいをレジストする方法だ。

 学園長のかける笑いが止まらくなる呪いや涙が止まらなくなる呪いを撥ね退けることに成功したのが昨日のこと。ようやく腹とか表情筋が痛い生活が終わる。

 ちなみに魔法に関して教えを請うのは数か月ぶりだった。だってこの人たち忙しいんだもん。結局まともに教えてもらっているとは言い難い、魔法生徒としての任務なんかを与えられることもないし、やはり適当にあしらわれているのだろう。それはまあ、仕方がない。

 縁のある魔法使いは高畑先生と学園長だけ。しかし自主練の日々も飽きてきたし、いい加減別の人に師事した方が良いかもしれないな。

 

 今日も今日とて日中は学校生活。

 次の時間は体育らしい。クラスメイトが教室で着替え始めるのを、たいへんありがたい気持ちで眺める。

 我々は中学2年生の終わり頃という時期であるが、どうだろうこのクラスの発育ときたら。ついこの間までは着替えとは面白くもない時間であったが、今では大人顔負けの体格をしている生徒が何人かいる。眼福だ。

 反対に、小学生みたいなやつも何人かいる。エヴァンジェリンさんとか。あの人は体育なんぞやる気がないようで、着替えていない。

 あとはまあ……ロボとかいる。

 

「まあでも……」

 

 一番美しいのは……オレだな!

 一見華奢だが未来を秘めているこの体つき。ついこの間までお子様だったものが、なだらかな曲線を描き始め、大人へと変わっていく刹那を切り取ったこのプロポーション。幼さと色気、どちらでも……いや、両方を同時に演出することも可能。

 すべては日々の努力のたまものだが、そんな自分の美しさが時々怖くなる。多くの異性を虜にしてしまうだろうからな……罪な女になってしまったものだ。

 

「なごみ、また着替え中にドヤ顔してるです」

「ゆえさん……わたしは罪な女なのです」

「早く着替えないと置いていきますよ」

 

 夕映さんの平たい胸を見て、ふっと笑う。

 顔面を殴られた。

 おやおや……親友と同じ顔の人間をためらいなく殴るとはな……!

 

「最近こちらの拳の方が痛いのですが、なぜでしょうか」

「やはり虚弱なのでは?」

 

 飛んできた2発目は避ける。殴ると拳が痛いそうなので。

 そうだな、今の自分は誤って画びょうを踏んだとしても刺さらないくらい、硬~いはずだ。それは、身体強化の魔法を使っているからである。

 なぜそんなことをしているかというと、学業がヒマなので、唯一使えるこの力の修行場にしてしまおうという試みだ。常に使用し続けることで、使用中の力加減とか、出力上限アップとか、負担軽減とか、そういうことを期待している。

 この修行が有効かどうかはまったくわからない。ハンターハンターとかドラゴンボールでこんなの見たことある気がするから真似してるだけ。

 始めたときはきつかったが最近はなんとも思わなくなっているので、効果はある気がする。

 ……身体に無茶な修行法とかだったら困るので、そろそろ誰かにちゃんと確認した方がいいかな、やっぱり。

 

 着替えを終え、クラスメイトと連れ立って校舎の屋上に上がる。今日の授業は屋上のコートでバレーをする予定だ。

 ところで屋上で体育って都会では普通なのかな。前世では田舎者だったからわからん。屋上ってめちゃくちゃ危なくないか? あと球技とかしたらボール下に行っちゃうと思う。

 ……と、屋上に来たところ、クラスの何人かが、既に屋上にいた先客たちと何やら揉めていた。

 

「ドッジボールで私達が勝ったら、ネギ先生を教生としてゆずってもらうわ」

「な……なんですってー!?」

 

 うちとは違うミッション系の黒制服に身をつつむ少女たちを眺める。やはり高校生もいいな。大人の目から見れば彼女らも少女というくくりだが、中学生としての自分から見るとまた一段大人の魅力があるように感じられる。かわいらしさと美しさのどちらに転んでもおいしい、脂がのった時期といえよう。

 え? なんて? 全然話聞いてなかったわ。

 

 佐々木まき絵さんにこれまでの経緯を聞く。

 我々麻帆良女子中2年A組の生徒と、彼女たち聖ウルスラ女子高2年D組の生徒は、これまでに何度か休み時間にボール遊びをする場所の領有権について揉めていたらしい。

 それが今、授業中にまで場所被りが起き、こちら側の不満が爆発したそうだ。なんか勢いでこれからネギ先生争奪戦試合になるらしい。なんで?

 両者驚くほどガキである。楽しいね。

 

 ドッジボールの試合は、ハンデとして、こちらがネギ先生を入れて22名、あちらが11名のスタートとするそうだ。

 うちのクラスは幽霊を入れて32人いるので、今いるうちの10人はサボっていいわけだ。

 ラッキー。昼寝でもしよ。

 

「待ちなさい! あんたはこっちよ」

「な……なぜ!?」

 

 アスナに手を引かれ、離脱に失敗した。

 おかしくないかい。サボっているメンバーを見ろよ。チア部の3名とうまく逃げた長谷川千雨さん、エヴァンジェリンさんは良いとして……ロボの茶々丸さんに、龍宮真名さん、桜咲刹那さん、長瀬楓さん、ザジさん。

 うーん、ただ者じゃないやつしかいない。あのうち一人でもいれば楽勝なんじゃないの。

 まあいつも体育はほどほどに手を抜いてるみたいだし、こういうのは参加しないか……。

 仕方ない。クラスの一員として、貢献しよう。

 とはいえ参加しているメンバーも、運動部たちに超さんに古菲など、そうそうたる面々ではある。オレがいなくても多分勝つだろうし、ほどほどにあそんで退場しよ。

 

 試合が始まった。ボールは相手のチームから。

 気合を入れるアスナや運動部連中を心中で応援しつつ、オレはそそくさと集団の中ほどに位置取りをする。

 ふふ……何を隠そう、オレはクラスにひとりはいる『ドッジボールで生き残るのだけやたら得意なやつ』だ。前半はこうしてみんなに紛れて存在感を消し、友人共を壁にしてやり過ごすのがいい。そうしているうちに運動神経いいやつがゲームメイクするからな。

 ボールの行方を見守る。

 開始から数秒のうちにボールはこちらのエースであるアスナの手に渡り、相手の子をひとりアウトにしていた。幸先のいい滑り出しといったところで、みんなも盛り上がっている。

 その間にあちらのエースっぽい黒髪美人さんがボールを手にした。

 

「行くわよ! 子スズメ達! 必殺……!」

 

 子スズメて。

 そう派手に宣言して振りかぶると、うちの陣営でパニックが巻き起こった。

 

「う、うしろに入れてー!」

「キャー! 押さないで!!」

 

 22人がひしめくコートでもみくちゃにされる。その中心にあってオレは、あくまでクールに落ち着き払っていた。

 ふっ。女の子に生まれ変わるのも……悪くない……。今だけほんとうにそう思う。

 

「それ」

 

 相手がひょいと放ったボールは逃げ惑う女子たちにヒットし、なんと3人がいっぺんにアウトになった。いや、さらに追加で4人。

 ここでうちのクラスの連中が、狭いコートに22人いても有利なハンデにはならないということに気付く。

 

「今さら気付いても遅いわ……よ!」

 

 背を向けて逃げ惑う子たちから順番に潰していく。次の標的は……うちの姉のようだ。

 あーあー、格好の的というやつだ。運動苦手だもんね、自分もそうだからわかる。

 かっこよく庇ってみようかなとか思いながらも別にそうせずに突っ立っていると、アスナがのどかを庇って捕球した。かっこいい。

 ちなみに自分はさっきから脚をたまに動かし、逃げるふりだけしてほぼ中央に陣取っている。

 

 アスナが勢いよく投球。それを相手があっさりと捕って見せ、みんながどよめく。

 驚く我々に対してお姉さま方は得意げに笑い、自分たちの正体を明かした。

 

「何を隠そう私達は――ドッジボール関東大会優勝チーム! 麻帆良ドッジ部『黒百合』!!」

 

 関東優勝!? へー! それはすごい。でもなんだそのチーム名。

 胸を張ってみせる相手チーム。こっちのみんなはというと、ドッジなんて小学生の遊びじゃないの? とひそひそバカにしていた。ひでえ。

 しかしドッジに関してはこのお姉さま方は達人の部類なわけだ。スポーツ強い人見ると尊敬しちゃうなあ。

 ……面白い。ちょっと挑戦してみたいな。

 修行だと思ってやってみるか。

 前髪を分けて目をさらし、髪留めをつける。身体を動かす時のルーチンワーク、自分を切りかえるスイッチだ。

 身体強化のギアを、普段はやらない段階まで上げてみる。全開からは程遠いが、一般生徒にスポーツ勝負を挑むにあたってどこらへんが妥当かわからないし、まずはこのくらいで。

 挑発するように、前へ出た。

 

「あら、今の話を聞いて前に出てくるなんて良い度胸じゃない」

「なごみちゃん!?」

「本屋妹が前に……」

 

 クラスメイトたちの声を強化された聴覚が律儀に拾う。あんまり目立たない地味キャラポジションなので意外に思われているようだ。

 自分もネギ先生がやってきてから、焦りを感じるだけではなく、物語が始まったことに浮かれているのかもしれない。

 

「お望み通りアウトにしてあげるわ!」

 

 相手がボールを放る。

 ふむ……加減されているのか、そう速く感じない。むしろスローだ。

 ボールの軌道を読み、最小限の動きで身をかわしてみる。ついでにカッコいいことを言うか。

 

「おそい……」

「あいた!」

 

 オレが避けた後ろで、美空さんがアウトになった。

 

「スローリィ……」

「あうっ」

「神回避」

「うわっ!」

「ちょっと! あんた避けないで取りなさいよー!?」

 

 立て続けに後ろのクラスメイトたちがアウトになり、アスナに怒られた。

 

「見えた……見えた……見えた……」

「くっ!? わたしの球が当たらないなんて……!」

「あ、あの技は!?」

「知ってるアルか? 古菲」

「知らんアル! 動きがキモいネ」

 

 お姉さま方の投球は次第にスピードを上げ、外野と連携して様々な角度から襲ってくるようになっていったが、反射神経だか思考速度だかが鍛えられているのか、わりと苦も無く避けられた。うーん、初めて修行の成果を感じられたのが体育のドッジボールとはな。

 つぎは投げてみよう。

 運動できる組の動きを真似て、取り落さないようにやんわりと捕球する。

 肩をぐるぐる回す。適当に投げたら当たるだろ。

 振りかぶり、なるべく強めのボールになるよう腕を振り抜く。

 

「フンッッッ」

 

 投げた直後に異音。

 ボールはコートを素通りし、屋上入り口の壁にぶつかり破裂してしまった。

 汗がどっと流れる。あぶねー……人に当たったら怪我させてたな。今はパワーアップより加減を学んだ方が良いかもしれない。

 状況を理解した相手チームが青い顔になり、オレも青い顔になった。

 クラスメイトからは感嘆の声。

 

「す、すごい……! アスナ以上の馬鹿力なんて」

「ゴリラだ……」

「今日からあだ名はゴリラだ……」

「おい」

 

 誰だ今の。心は男でもそういうの気にするんだぞ。

 

「え、ええと。ボールを破壊したので退場です」

「えー」

「無駄に紙一重で避けてクラスメイトに余計な犠牲を増やしただけでしたね」

 

 審判っぽくコート横に立っていた高校生にそう言われて、すごすごとコートを去るオレの背中に、夕映さんの心無いひとことが刺さる。

 『生き残りの宮崎(妹)』とまで呼ばれたこのオレが、こんな早いタイミングでコートを去るなんて。いたくプライドが傷ついた。次は力加減を身につけよう。

 少しも疲れてはいないが、参加しなかったクラスメイトらのように壁に寄りかかって座り込む。

 おや、図らずしてサボれる状況になっている。このまま昼寝でもしようかな。

 

「宮崎なごみ」

 

 横から声をかけられる。

 顔を向けると、いつの間にか自分と同じように、そこに誰かが座っていた。

 同級生には見えないほど幼い、けれど美しい金髪の少女。クラスメイトのエヴァンジェリンさんだ。

 あまりに思いがけず面食らう。原作漫画の重要人物だからだ。な、何の用だろう。これまで会話をしたことはほとんどない。漫画のヒロインとしては好きだが、現実に同じ空間に居ると結構こわいのだ。ラスボス級の魔法使いだもの。

 

「すばらしい力を持っているじゃないか。知らなかったよ」

「あ、その、うへへ、どうもー」

「いい腹の足しになりそうだ」

「………」

 

 この人はたぶん、どうせわからないだろうと思って今のつぶやきを漏らしたんだろうが……

 大体察する。彼女は高名な吸血鬼で、今は失った魔力を取り戻すためにネギ先生の血を狙っているのだ。そのための準備として女生徒を襲ったりしているはず。

 食われる? 食われるのか?

 ど、どうしよう。

 

 蛇に睨まれた蛙というか、となりの人の存在感に恐れおののいているうちに、授業終了のチャイムが鳴る。ドッジボールのゲームも終わりだ。

 結果は……ふたをあけてみれば圧勝。途中から投球を蹴り返すサッカー部員やリボンで捕球する新体操部員とか出てきて無法な感じだったとはいえ、高校の関東最強チームに勝つとは。知ってたけどすごいなこのクラス。ていうかむこうも真面目に悔しがってるけど、こっちの勝ちでいいんだ……。ルール全然守ってるように見えなかったけど。

 よほど悔しかったのか、黒髪美人のお姉さんが、アスナを後ろからボールで狙った。悪意あるなあ。

 割り込んできたネギ先生がアスナをかばい、すごい勢いで球をはじき返す。すると不思議なことに、お姉さま方の服がびりびりに破け、下着が露わになった。おお……あの黒髪の人、なんてもん着てんだ。

 ネギくんに弟子入りしようかな。風の魔法で女子を剥く方法を教えてほしい。

 

 オチもついたようだし、教室に帰ろうと腰を上げる。

 となりにいた人の声がした。

 

「次の満月はいつだったかな、茶々丸」

 

 ちらりと横をみると、エヴァンジェリンさんがこちらを見て笑っていた。

 



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3話

 新学期が始まり、我々は2年A組から3年A組になった。

 うーん、時の流れとは早いものだ。これからネギ先生を中心として、このクラスのみんなは一生忘れられない冒険の1年を過ごすことになるのだが、今はまだ誰も知らないだろう。

 さて、今日は身体測定からだそうだ。

 クラスメイトどもの成長具合を確かめるべく、聴覚を研ぎ澄ませる。下着姿を目に収めるのも忘れない。

 

「桜通りの吸血鬼のウワサ、聞いた?」

 

 教室内で誰かが言った言葉が耳をうち、オレは動きを止めた。

 

「出るんだって……満月の夜になると、寮の桜並木に……血まみれの吸血鬼が……!」

「ひ……ひいーッ!?」

 

 ひゅーどろどろと、柿崎さんが芝居がかった口ぶりで噂を広める。うちの姉や鳴滝姉妹ががたがたと震えていた。

 ついでにオレも震えていた。

 

「あれ? うそ、なごみちゃんも怖いのー?」

「べ、別に……?」

「あはは、なんか意外~」

 

 椎名さんにからかわれる。お化けと夜道は誰だって怖いだろうがよ。

 とはいえ、のどかや小さい双子のように震えあがるほどではない。みんなは知らんから平気なんだよね。オレが今怖いのは……

 

「ふふ……夜道には気を付けないとな」

「は、はひ……っ!?」

 

 耳元で囁かれ、全身が総毛立つ。

 後ろを振り返る。わざわざ椅子の上に立ち、オレを脅かしてふんぞり返っているのは、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさんだ。

 ど、堂々としやがって。この人こそがウワサの吸血鬼本人なのだ。こんなところに犯人がいることを、クラスメイトたちは知るまい。

 たしか今は、ネギ先生を倒すために生徒を襲って血を蓄えているはずだ。そしてどうも、ここ最近自分が目をつけられている気がするんだ……。

 たまに視線を感じる。獲物を見るような眼でこっちを見ている。

 あとこうしてちょっかいを出してくることがある。

 

「先生ー! 大変やー、まき絵が……」

 

 背後の気配に戦々恐々としながら身長測定の順番待ちをしていると、誰かがどたどたと廊下を走りながら声をあげているのが聞こえた。廊下のネギ先生に話しかけているようだ。この声は……和泉亜子さんか。

 そういえば今日はまき絵さんがいない。まさか……。

 和泉さんの話によると、彼女は外で寝ているところを発見され、保健室に運ばれたそうだ。仲の良い人たちは大勢で様子を見に行ってしまった。

 オレは……行かなくとも、何があったかは想像がつく。エヴァンジェリンさんの仕業だ。

 

「ふむ、あらかた行ったか」

 

 仲間想いなことに、教室に残ったのは数人の生徒のみだ。

 当然のように居残っているエヴァンジェリンさんは、まっすぐオレに向けて話しかけてきた。

 

「宮崎なごみ、おまえ、私を疑っているだろう」

 

 ギクーッ!

 ここが漫画の世界だというならば、そんな効果音が自分の背後にでかでかと現れていることだろう。

 そんな、あっちから切り込んでくるとは。態度に出し過ぎたか。

 

「誰の入れ知恵か知らんが、それにしては不用心だな? わたしの前で無防備に肌を晒すとは」

 

 ま、まさかここでやる気なのか。他の生徒も何人かいるのに。

 だが日中はこの人もただの女の子のはず。身体能力を強化した自分なら――、

 

「やはり力まかせの脳筋か。もったいないことだ」

 

 気付けば尻もちをついていた。

 転ばされた? ただの女の子に。

 

「どうやって血を吸うか教えようか。ほら、こうするんだ……」

 

 エヴァンジェリンさんはオレにのしかかり、首筋に顔を寄せてきた。

 下着姿のまま押し倒された形の自分。ひ弱な女の子のようだ。情けなさがこみあげてきて、涙が目尻に溜まる。

 美しい金の髪が素肌を撫でるのがくすぐったい。甘い香りが嗅覚を刺激する。

 

「あ……」

 

 肩になにか当たる感触。彼女の歯だ。思わず漏れた声は、まるで自分のものじゃないようで――、

 

「……って皮膚、硬っ! 全然歯が立たんじゃないか!!」

「はっ?」

「エヴァンジェリンさん」

 

 誰かに声をかけられ、見上げる。

 黒髪をサイドでひとつ結びにした、鋭い目つきの少女……桜咲刹那さんだ。

 

「悪戯が過ぎます」

「フン、桜咲刹那か」

 

 エヴァンジェリンさんはオレの上から退いてくれた。

 た、助かったらしい。思わぬ助っ人だ。

 

「怖かったかな? 冗談だよ」

 

 エヴァンジェリンさんはむしろ自分が涙目になりながら、口元を押さえて去っていった。あ、まだ身体測定終わってないのでは……。

 なんか襲われても大丈夫な気がしてきた。

 

「立てますか?」

「あ、ありがとう。桜咲さん」

 

 差し伸べられた手を取り、立ち上がる。

 イケメンだ……。王子だ。なんだか恥ずかしくなって、脱いだ制服で自分の下着姿を隠した。

 いやなんだこの構図。オレはヒロインじゃなくてヒーローになる予定なんだが。

 

 

 放課後になった。

 今夜は満月。クラスに吸血鬼騒ぎの被害者が出た以上、そろそろネギ先生がエヴァンジェリンさんの正体をつきとめるはずだ。

 どうしよう。ほっとくべきかな。

 満月の夜出歩かないようにすれば、自分が彼女に襲撃されることはないだろう。たぶん。その方がお話も原作漫画通りに進み、何の問題もない。

 しかし……。

 見たいな……魔法使い同士のバトル……。

 魔法らしき魔法を見たことなんて、原作キャラになんとか魔法を教えてもらおうと夜中に血走った眼で麻帆良を歩き回っていたときに、同じ中等部の女の子が箒を振り回しながら火の魔法を練習していたのを目撃したくらいだ。

 もっとちゃんと見たい……。

 あわよくば弟子入りしてちゃんと学びたい。よく考えたら高畑先生の技って体術だし。何が魔法先生だよ。やつはストリートファイターか何かだ。

 ……陰から見守るくらいならいいんじゃないだろうか。

 よし、行ってしまおう。

 寮の一人部屋でそう決意し、すぐそこの桜通りへ移動することにした。

 

 堂々と通りの真ん中を歩いていたら格好の獲物なので、並木道の茂みへ身を隠す。

 しばらくまったりしていると、何やら声がした。そっと覗く。

 

「こ……こわくないです~~♪ ……こわくないかも~♪」

 

 アホみたいな歌を口ずさんでいるのはクラスの中で一番見慣れた顔。宮崎のどかである。

 あんな噂を聞いて一人でこの道を歩くとはまた、不用心な。いじらしく歌っているが、この人もつくづく巻き込まれる運命だな。自分が転生したのがあの人の立場じゃなく、あくまで妹で良かった。あっちはトラブル体質すぎる。

 ……ほら。来た。

 

「宮崎姉妹か……」

「ひ……」

「……うん?」

 

 街灯のてっぺんに降り立った黒い人影が、オレ達を見て笑う。

 あれ? バレてない?

 

「日中は歯が通らないが、夜はそうはいかんぞ」

 

 怪しげに笑う少女の口元からは、まさしく吸血鬼のものらしい牙が覗いている。

 彼女はおもむろに、懐から理科の実験なんかで使うフラスコや試験管を取り出し、こちらへ投げつけてきた。

 

「『氷結』……」

「ちょ! ちょちょちょ」

 

 たまらず茂みから転げ出る。

 立ち上がって振り返ると、さっきまで自分が隠れていた植え込みが氷漬けになっていた。

 やばい。

 姉は黒い人影に声をかけられる恐怖体験で目を回している。走りながらその身体を抱きかかえる。魔法バトルの見学は諦めて逃げよう。

 

「こら、ウロチョロするな、怪我するぞ! ちょっと血を貰うだけだ!」

「ぶへえーー!?」

 

 いだだだだ!?

 なにかに脚をとられる。どてんと顔面から地面にスライディングした。

 とっさに掲げた腕の中の姉は無事だ。

 足が氷に覆われている……動けない! いや、こんなもの叩き割って……、

 

「『氷結 武装解除』!」

「うわー!?」

 

 目の前でフラスコが爆発すると、着ていた服がかき氷にでもされるように削られていき、姉もろともすっぽんぽんにされた。

 こんな屋外で勘弁して!?

 

「まずはお前からだ、宮崎なごみ」

「ひゃうんっ」

 

 有無を言わさず抱きつかれ、首筋に噛みつかれる。

 痛みはない。この人の性格を考えると殺されたりはしないだろう。

 そうだ、血を吸われること自体は別にいい。問題は、それによって話の本筋が変わってしまわないだろうかということだ。

 もしも自分の血を吸ってパワーアップしたエヴァンジェリンさんが、ネギ先生を打ち負かしてしまうようなことになったら……?

 力を取り戻した彼女は、この学園を出ていってしまうかもしれない。そんなことになったら一大事だ。

 今のはまったくの想像でしかないしそうはならないと思うが、可能性がないとは言い切れない。

 やっぱり見学しにノコノコ出てきたオレの失敗だ。

 だが……こんなところで原作を大きく逸らすわけには……!

 

「うーん、大人のあじわい」

 

 気合を入れて、血を嗜み中で油断したエヴァンジェリンさんの腰を掴む。

 

「ん?」

「お……おりゃああああーーー!!!」

「オアーーー!!??」

 

 思い切り投げ飛ばした。怪我はしないだろう、多分……吸血鬼なんだし……。

 すこしふらつく。しかし逃げなければ……。

 

「こらー! 僕の生徒に何を……ほわっ!?」

 

 どこからか駆けつけてきたネギ先生に素っ裸を見られる。

 助けに来てくれたか。良かった……。

 ……ところでエヴァンジェリンさん、我々姉妹の制服をどーしてくれるんだろうか。二人して親に買ってもらったやつだぞ、弁償してくれ。

 

 先生に、彼女をどの方向に投げ飛ばしたか伝える。

 後からやって来た近衛さんとアスナにオレ達を任せ、少年は猛ダッシュしていった。

 速いな。彼が走ったあとにつむじ風が巻いている。単純な身体強化以外にもスピードを上げる方法があるのだろうか……。

 ……ものすごく気になるが、ちょっと疲れた。今夜はもう帰ろう。

 

「このか、私ちょっとネギを追いかけてみる」

「うん、気をつけてなー」

 

 アスナは先生を追うようだ。そうだ、エヴァンジェリンさんには従者の茶々丸さんがいる。ひとりではやられてしまうだろう。

 大丈夫かな。血を吸ってパワーアップ、してないかな。

 心配だがついていっても足手まといだろう。近衛さんの手を借り、寮に戻ることにした。

 ……今日の自分は本当に、余計なことをしてしまったもんだ。セクストゥムちゃんに無事見えられる女になれる日は、遠い。

 のどかが二人の部屋で介抱されるのを見て、自分の部屋へと戻る。

 すっぽんぽんで。

 

 

 



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4話

 エヴァンジェリンさんに全裸にされた事件の翌日。

 学校でのネギ先生の様子を見るに、あのあと彼はエヴァンジェリンさんにこっぴどく敗北したようだ。ものすごく元気がない。

 パートナーがどうのこうのとつぶやいていたので、茶々丸さんとエヴァンジェリンさんの二人組に対抗するための人手が欲しいんだろう。

 その辺はアスナがいるから大丈夫なはずだ。遠くから見守っていよう。

 

 放課後になった。

 クラスメイト達がネギ先生を元気づける会と称して風呂場で水着パーティーか何かをやっているらしいが、遠慮しておいた。あいつら、発想がおっさんなんだよな。オレみたいに中身が男の転生者だったりしたら喜ぶかもしれないが、まっとうな少年は多分そんなんで元気にならないよ。精通でもさせる気か?

 それに、オレに関してはもう全裸を見られてるんだから、向こうもいまさら水着くらいで喜ばないだろ。

 そういうわけで、ひとり自室でゆっくりしていた。

 学生生活で疲れた身体を休めるための、愛しい我が家だ。入寮時にしつこくわがままを言って手に入れた一人部屋である。他の生徒たちが二人から三人で一部屋を使っているように、本来は一人で住むつくりではない。転校生でも来たりすればこの楽しい独身生活は終わるだろう。

 そんなひろびろ個室生活を満喫していると、外から騒がしい声。

 自室のドアを開ける。

 

「可愛いー!」

「ネギくんのペットやて」

 

 離れた場所に、女子中学生の群れが。いったい何をしているのだろうか。遠くから目を凝らして見る。

 喧騒の中心では一匹の小動物が女子中学生の波に揉まれていた。

 ええと、イタチ……フェレットか?

 耳を澄ませる。

 

「あ、この子はオコジョで……」

 

 オコジョらしい。

 記憶をたどる。たしかあのオコジョは、妖精の世界からやって来たしゃべるオコジョ。原作で活躍するキャラクターだ。みんなに可愛がられているが、スケベというかおっさんそのものな性格だった気がする。見た目とのギャップが面白いと思う。

 妖精である彼は契約の魔法を使うことができるらしい。彼の登場でネギくんは、契約によって任意の人物を、自身を守るパートナーとすることができるようになるのだ。これを魔法使いの従者という。いうとおもう。たぶん。

 たしか仮契約の方法は、唇を重ね合わせるキス。彼はこれから3年A組の生徒にキスしまくって強いパーティーを作ることになるわけだ。はは、女たらしめ。

 ……オレはしないぞ。ネギ先生は、今はまあ可愛い顔をしているが、将来はハンサムな好青年だ。オレは絶対に女の子としかキスはせんぞ。

 

 ……でも、やっぱり少し気になった。

 たしか漫画では……魔法使いが従者と仮契約をすると、“アーティファクト”といわれる魔法の道具が、契約者の下に現れる可能性がある。

 それは例えば、魔法を消し去ってしまう大剣であったり、相手の心を読む本であったり、姿や気配を完全に隠す仮面であったりと、多種多様な力を秘めた特別なもの。ただの女子中学生たちが世界を救う戦いで活躍できたのは、このアーティファクトがあったからこそだ。あれらは、正直ハズレも多かったが、強力なやつはとことん強力だ。

 ……欲しい。欲しくないわけがない。

 そして気になる。自分がネギ先生と仮契約をしたなら、どんな武器が現れるのか……。

 ……いや。いやいや、よろしくない考えだ。

 とにかく、男とはキスしない。しないったらしない。

 

 

 

 朝。

 美少女学生の日常とは輝かしく素晴らしいもので、新しい一日がいつだって楽しみだ。だから毎日、前世の自分より早く寝て、早く目が覚める。

 そうして今日は、特に早く起きた。久しぶりに、高畑先生が魔法の朝練に付き合ってくれるからだ。

 いそいそと準備をする。鞄に着替えやら何やら詰め込んで、運動着に着替える。鏡の前で確認した自分の美貌は、姉の宮崎のどかにそっくりだ。彼女を真似て伸ばした前髪にひとつだけヘアピンを挿し、片目隠れスタイルにした。かわいい。人生楽しいな。

 

 寮の自室を出て、エントランスへ向かうと、ちょうどアスナも外出するところだった。彼女は新聞配達のアルバイトに向かうのだという。

 まだ寒くて暗い朝、毎日のように配達をこなすなんてすばらしい。尊敬をこめて、おはようとあいさつした。

 

「あれ、あんた……なんかの朝練? 運動部だっけ?」

「いや。これから高畑先生と二人きりで秘密のレッスンがあるんだ」

「……な……」

「じゃ!!」

 

 フリーズした隙をついて駆けだす。嘘はまったくついていない。オレは隠し事はできるが、嘘は苦手だ。

 そしてアスナは高畑先生のことが好きなオジコンだ。ついからかってしまった。

 

「ちょっ……! こらあああ!! 宮崎!! いったいどういう――待ちなさ――は、速い!?」

 

 麻帆良学園都市は敷地が広大で、この寮から女子校エリアまでは電車で通学すべき距離がある。だが、オレは身体を少しでも鍛えるために走って通学している。もちろん魔力を使いながらだ。この習慣も長く続いているので、基礎体力も魔力を扱う能力も、だいぶ向上していると思う。

 そういうわけで、走り慣れているし、さらに魔力も使ってるわけだし、まだ一般人の域を出ない今の時点のアスナには捕まらない。さっさと逃げおおせた。

 風を切って、地面を弾むように進んでいく。

 朝の冷たい空気の中を走るのは、さわやかでいい。それは当たり前のことだけれど、オレにとっては、生まれ変わってから初めて気付いたことだった。

 

 

 人払いの魔法が施されているという、ある校舎の屋上運動場。魔法の練習をするならここを使えと言われたところだ。

 今日はそこに、高畑先生がいる。オレのために時間をつくってくれたのだそうだ。彼は麻帆良での教職だけでなく、魔法使いとしての仕事で世界中を飛び回っていて忙しい。だから、こういう機会はとても貴重だった。

 

「それで、なごみ君。2年ほど魔法に手をつけてみて、成果はどうだい。……やめてくれる気になった?」

「い、いえ。やめませんよ、楽しいんだから」

「楽しい? でも、物語の中の魔法使いみたいには、いかなかっただろ」

 

 ……まあ、それはそうだ。この世界の魔法使いができること……、例えば物を浮かせたり、動物と会話したり、不思議な薬を作ったりと、ファンタジーのイメージに沿った魔法。それと、魔法の矢を飛ばして敵を攻撃する、少年バトル漫画の魔法。魔法を習う前に、自分が憧れ、空想していたそれら。

 結局、どちらもオレには無理だった。学園長の言うには、精霊という存在に語りかけるのが苦手な体質らしい。西洋魔術師の魔法は精霊を介さなければ始まらない。

 だから、身体能力の強化とか、「魔力を使うこと」しかできないわけだ。これは魔法とは違う。

 そういう意味で、オレは“魔法使い”にはなれない。

 それは、たしかに。

 がっかりすることだった。

 ……でも。

 

「浅はかですけど。魔力で身体を強くするっていうのを教えてもらえただけでも……自分が特別な人間に思えて、やっぱり、楽しいですよ。今は脚力だけでビルからビルに飛び移ったりするのが目標ですね。アメリカのヒーロー映画みたいな」

「そうかい」

 

 信念もなく、楽しいから、みたいな薄い動機で魔法を学んでいる。そして彼に明かすことはないが、そもそもが漫画のキャラクターと恋愛したい! ってだけの浅い気持ちだ。

 そんなやつに先生が、積極的に魔法を教えたがらないのは当たり前だった。せいぜい部活の顧問ぐらいの気持ちで付き合ってくれているのだろう。

 

「それと、せっかくならもっとケンカも強くなりたいですよ。ほら、高畑先生って、学園の不良集団をひとりでボコボコにしたっていうじゃないですか。それくらいになりたいです」

「……散々言ってるけど。いたずらに力を振りかざして、人を傷つけるような人間にはならないでくれよ。それを誓ってくれるなら、今日も授業をしよう」

 

 誓います、と元気よく口にする。先生はオレを見て、苦笑いをした。

 

 最初の頃に先生は言っていた。きっかけとしては仕方なくだけど、真剣に学ぶというのなら真剣に教える。理由は、君が何か危険に巻き込まれたときのための、自衛手段を持ってもらうためだと。

 それ、ものすごくちゃんとした理由になっていると思う。だから自分のものにした。

 だってあのクラスにいたら、命の危険があるヤバい目に遭う可能性が高い。先生もそれを承知しているのだろう。そして、自分があの物語に関わっていきたいという願望がある以上、そういう場面はいずれやってくる。

 ……いや、というか、ついこの間エヴァンジェリンさんに襲われたし。全然いずれじゃない。

 そういうことで。漫画の世界で活躍したいのだという最初の気持ちを胸中だけに秘めつつ、死にそうな目に遭ったときになんとかできるようにと、高畑先生や学園長から、魔法生徒でいることを認めてもらっているわけだ。

 

「さて。今日のお話だが。教えると言っても、正直なごみ君に教えられることはもうない。僕の知識なんて、君に渡した魔法の教本の域からほとんど出ないからね」

「えー! もう他の魔法先生に師事しようかな」

「いやあ、やめた方が良いよ。君の先生には僕が一番合ってるさ。理由は、わかるだろ」

「お互い、魔法が使えない体質だから」

「そう。悲しい者同士、仲良くやろう」

「教えることもうないっつったじゃないですか」

 

 実際、魔法関連の技術について教われることは、たしかにもうないだろう。彼も魔法使いというより、魔力を扱う戦士、っていう感じだからだ。

 組手でもするしかなさそうだな。それか、高畑先生の必殺技の、ポッケに手を突っ込んでやる見えないパンチでも教えてくれるかな。

 

「魔力による身体強化の技術は日常的に伸ばしているみたいだから、それでいいとして。そうだな……」

 

 しばし考えるような仕草をしてから、彼は再度口を開く。

 

「これからの訓練について、ふたつ選択肢がある。ひとつは、僕とひたすら戦って、ケンカの仕方を身に着けるというもの。もうひとつは……『咸卦法』、という技術についてだ」

「カンカホウ?」

「簡単に説明すると、超パワーアップ技だ。君や僕みたいに魔法の使えない戦士が、天才たちと同じ戦場に立てるようになる」

 

 ……それ、なんか、そうだ、たしか原作にあった気がする。

 魔力と気を合体させて、すごいパワーを得る……みたいなやつ。ああ、高畑先生の技だったっけ?

 それを教えてもらえるのだろうか? ……すごい! まさに特別な技だ。自分が主人公になったような気持ちだ。

 

「カンカホウ! 教えてもらいたいです」

「いいよ。たぶん10年ぐらいで習得できるかなあ」

「えっ」

 

 原作の話終わってるじゃん。

 

「いやいや、そんなバカな。どんな技なんですかそもそも」

「こういうやつだよ」

 

 左腕に魔力、右腕に気。

 先生がそうつぶやくと、彼の身体がぼわっと光り出した。身体中からオーラが迸り、輝き、まるでドラゴンボールかハンターハンターのキャラみたいになっている。

 

「フッ!」

 

 ぶお、と風圧。目には見えないけれど、何か空気の塊みたいなものが、確かな存在感を放ちつつ上空に昇っていくのがわかった。

 ……先生のパンチだ。たぶん。目には何も見えなかったのに、それが人に当たったらおそろしいことになるだろうという想像が、頭をよぎった。

 あんな凄まじい拳骨を繰り出せるようになったら、オレも漫画のキャラクターたちと渡り合えるかもしれない。強くなるための確かな糸口がここにあるんだ。

 

「魔力と気を合一させる。この技術を身につければ、君も今みたいなことができる」

「……それだけ? 10年もかかるわけないじゃないですか。魔力の身体強化だって、すぐできるようになったし」

「じゃあ、やってごらん」

「よーし!」

 

 オレは鼻を鳴らしながら仁王立ちし、さっきの先生の真似をして手を広げてみる。

 左腕に魔力! 身体強化しか身に着けていないとはいえ、自分の身体を走る魔力なら、その流れをコントロールすることはできるようになっている。そしてそれを一点に集中させると、まさに漫画のように腕が光りだした。すばらしい。

 右腕に気!

 ………。

 気って何。

 

「魔力の流れをコントロールできるようになるのに大体半年かかったし、気の力を扱えるようになるまでにも半年かかると仮定して。反発し合うふたつを合一する修行には、僕は数年かかったから……」

「あ、あ、あのー」

 

 気の存在はなんとなく知らんでもないが、まったく学んでいない。必要ないからだ。魔力と気というふたつのエネルギーについては、たぶん、どちらか片方を修めるのが普通だ。咸卦法ではそれが両方必要になるらしい。

 どうも一般的に、この技は難しすぎるらしい。自分が咸卦法の天才であることに賭けて、その修行に挑んでみるという道もあるかもしれないが……

 

「あきらめます。なるべく早く強くなりたいので……」

「そうだね。それがいい」

 

 高畑先生はそこで優しく笑った。最初からこの選択肢を選ばせるつもりはなかったのかもしれない。

 

「実は、こういう方法もあるよと紹介したかっただけなんだ。僕が思うに、君に咸卦法はあまり必要ない。魔力の貯蔵量が桁違いに大きいからね」

「それは、前にも聞きましたけど。ほんとですかね」

 

 才能がひとつあるのは嬉しいしありがたいんだけど。魔法が使えないんじゃ、宝の持ち腐れだ。

 

「その魔力を全部、肉体の強化に回せるようになればいいんだ。魔法が使えないなら、魔法より強力なパンチなりキックなり打てるようになればいい。大きい武器を振り回せるようになればいい。そういう戦い方を選ぶ人は多いよ。君は、『魔法剣士』の才能に恵まれていると言える」

 

 そういうふうに言ってもらえると、わくわくするけども。結局、このまま地道に魔力を筋肉に馴染ませていくしかないのか……。

 魔法使いになれると思ってこの人に声かけたのに、筋肉マッチョマンしか道がないとは。

 

「というわけで。君が今後勉強していくのは、身体強化率の引き上げと、痴漢や暴漢の殴り方だ。付き合えるときは付き合うよ」

「了解ッス……」

「咸卦法については、時間に余裕のあるときに手を出すといい」

 

 そういうことになった。

 他にもいろいろできることはあるかもしれないが。とりあえず、単に腕っぷしを強くするなら、このやり方でいいだろう。

 思えば、身体を動かすことは好きだが、人と殴り合いのケンカとか、武道とか、そういう経験はない。戦い方がわからないのだ。

 高畑先生が基礎的な護身術や心構えは教えてくれると思うけど……何か武術とか、学んだ方が良いかな。

 

 

 

 数日が経った。

 ここのところ、高畑先生に出張の予定などは入っていないようで、毎日ほんの30、40分ほど時間を作ってくれる。身体能力強化の出力を限界まで引き上げながら身体を激しく動かしたりするので、最近ずっと筋肉が痛い。でも、なんだか充実している気がする。それこそ部活でスポーツに勤しむような感覚だ。あまり危機意識がないが。

 

 そして。肝心の、ネギ先生を中心とした物語は、どの辺まで来たかというと。

 あれからエヴァンジェリンさんも襲うのをやめてくれたのか、オレは彼女に絡まれることなく、いつもと変わらない学校生活を送っている。というか彼女はあれから、しょっちゅう学校をさぼっている。今日は珍しく授業に出席していたが……。

 何か企んでいるはずだとは思う。そろそろ夜の決戦イベントか何かあったと思うんだが、細かい話は忘れたな。ネギ先生のテンションの上がり下がりを見て、何かしら進展があったんだなと確認するだけの日々である。

 

「……ん?」

 

 昼休み、昼食を終えて廊下を歩いていると、購買部の方に人が多く集まっていた。

 覗いてみると、どうやら懐中電灯やロウソクやらを特別価格で売っているようだ。

 ……ああ。年2回の計画停電の時期か。何かのメンテナンスのために、数時間のあいだ麻帆良学園都市全体を停電させるという、大規模なものだ。

 みんな停電というちょっとした日常の変化を楽しもうとしているみたいだ。たしかに、自分も本当に子どもの頃は、停電が起きると外に出て、近所の友達と非日常を楽しみあったような記憶が、おぼろげに残っている。

 まあ、今の自分から見れば、それは子どものやることだ。それに最近は、お年寄りと同じレベルで早く就寝しているから、夜の計画停電なんてあんまり関係ない。ロウソクとかいらない。

 

 ……あ、ちょっと待った。

 停電のことを想像していると、ビビッときた。いま思い出した。これだ、今夜だ! 

 今夜、エヴァンジェリンさんがネギ先生を襲撃するんだ。

 たしか、停電によってなんかこう……細かい話は忘れたけど、あの人は麻帆良の電気が止まっている間の一時だけ、本来の力を取り戻す。その力で先生を襲い、血を吸う魂胆なんだ。

 すばらしい。よく思い出した。人間の記憶とは、ずっとどこかに残っているものだ。

 ……でも、別人に生まれ変わったんだから、脳みそも昔の自分と違うはずだよな……。

 まあそういうのはいい。考えたって無駄なんだ。そこでマジメに悩んでしまうと第二の人生は楽しめない。

 

「……あ、な、なごみー! あの、夜なごみの部屋に行っていいー?」

「え? なんで?」

「パルがロウソクいっぱい買って、百物語やるってー……」

 

 人が大事なことを思い出しているときに、なんとも泣きそうな様子で話しかけてきたのは、今世の我が姉、宮崎のどかだ。かわいそうに、友人の暴挙にさらされ哀れな子豚のように震えている。妹として、彼女にとってのレンガの家を提供してやりたい気持ちはあるのだが……

 

「別にいいけど、わたしはひとりで千物語やる予定だから、来るならのどかも付き合いなよ」

「せんーーー!? なんでー!?」

 

 妹の部屋という逃げ場を失い、彼女は泣きながら、怖いものから逃げるように廊下を駆けていった。ごめんよ姉者。まあ夕映さんがどうにかしてくれるよ。

 今夜オレの部屋に来ても、どうせ出迎えられない。何故なら用事ができたからだ。

 いやあ、思い出せてよかった。

 魔法使いの戦いが、生で見れるこの日のことを。

 

 

 夜になった。停電は夜の8時から12時の間だ。

 その間生徒は外出禁止。テレビゲームもインターネットもできないので、例年通りなら退屈すぎて寝て過ごすか、誰かの部屋に遊びに行くところだが……、

 今夜は自分にとって、興味をひくイベントがある。エヴァンジェリンさんとネギ先生の対決だ。

 強力な魔法使い同士のバトル! 先日はああいう目に遭って反省したが、正直懲りていない。うんと遠くから見学すればいいし、いまさらストーリーを乱すことはあるまい。たぶん。

 こういうときのために、既に視力や聴覚を強化するコツを掴んできた。最終決戦の場所である橋が見える場所で、おやつでもかじりながら観戦する目論見だ。まあ遠すぎて見えなかったらこの、小遣いをはたいて手に入れた双眼鏡を使おう。

 部屋の時計を見る。停電まであと1分。外出を控えるようにという、校内全体への放送が聞こえる。

 もう少ししたら出ようかな。見回りの先生に見つからないよう、慎重に。

 窓から外を見る。

 街灯の光が消えた。停電が始まったんだ。

 

『――行け、我がしもべよ』

「え……?」

 

 頭の中で、誰かの声がする。

 自分の意識の電源もまた、先ほど見た街の灯りのように、闇に落ちていった。

 

 

 

「――起きなさいよ、コラァ!!!」

「おべっっ」

 

 ぴしゃり、と。

 頭を思い切り何かに叩かれた衝撃で、目が覚めた。

 頭が重い。楽しい夢を見ていた気がするんだが……ていうか寒い。オレの大事な相棒の掛け布団は?

 

「え……?」

 

 周りの景色を見て、意識がはっきりしてくる。

 ここは自分の部屋じゃない。屋外だ。ざらざらしたコンクリート、周囲に建物がなく直接ぶつかってくる風。どちらも冷たい。

 ここは――ここは、橋だ。学園都市と外を繋ぐ大橋の上。普段なら車がたくさん行き来している、きれいに均された車道。

 それが。

 そこかしこに、何かが爆発したような、小さなクレーターが空いている。まるで戦争地帯にでもなったような。これでは車がスムーズに通れない……。

 

「って、なんじゃこの服!」

 

 視界の下の方に見慣れない何かが入り込んで、それを追ってみると。

 オレは、白黒のひらひらした何か……何と言ったらいいかな。

 そう、メイド服、みたいなやつを着ていた。しかもミニスカの、コスプレっぽいやつ。ウェイトレスと言ってもいいかな。頭にもフリルのカチューシャがついている。

 なんでこんなヤバい格好させられてるんだ。

 

「一体何が……拉致……誘拐……?」

「はあー、やっと正気に戻ったのね。えと、茶々丸さん、おつかれー……」

「ハイ、アスナさん」

「あん?」

 

 どこかで聞いたことのある二つの声。見ればその主は、クラスメイトの神楽坂明日菜と、絡繰茶々丸だった。

 茶々丸さんはオレと同じようなメイド服っぽい衣装を着ている。アスナは見慣れた制服姿で、肩にでかいハリセンをかついでいた。あれは、たしか……。

 そして……ふたりとも、なんというかボロボロだ。バトルの後みたいな感じ。

 

「おふたり、ケンカでもしてた? ボロボロだけど」

「ああ?」

 

 は? こわい。アスナがめっちゃ睨んできた。

 不安に震えるか弱いクラスメイトに向かって、何だというんだいったい。

 

「あ・ん・た・が、あたしらをボコボコにしてくれたんでしょうが」

「この大橋を荒らしまわったのもナゴミさんです」

「ええ……」

 

 記憶にない。

 ……記憶にない、が。言われてみると、なんか、手の甲がひりひりしている気がする。硬いものをおもいきり殴った後みたいに……。

 

「あ……あ? いて。いて! いでででで!?」

 

 突如、全身の筋肉があちこち痛み出し、オレはその場でぶっ倒れた。

 やばい! けっこう痛い! あと、魔力も消耗しているっぽい! なんか疲れてる。

 痛みに呻きながら仰向けになり、星の明るい夜空を見上げる。どうやらまだ、計画停電の最中らしい。あれから少ししか経っていないようだ……。

 

「能力を限界以上に発揮した反動でしょう」

「当然の報いね、しばらく反省してなさいよ」

「せつ、説明を……何が起きているのかを……」

 

 視界にアスナが入ってくる。スカートの下のパンツが丸見えだった。

 

「それは、あれが終わってからね」

 

 彼女は空を見上げる。

 自分もまた、なんとか身体を動かし、視線をそこに向けた。

 ――色のついた閃光と、音。それらが激しく明滅し、ぶつかりあっている。

 花火?

 いや、違った。

 

「『闇の吹雪』!」

「『雷の暴風』ーーッ!!」

「……て、しまった。ネギが魔法使いだってバレたらダメなんだった……」

 

 黒く冷たい光と、激しくスパークをまき散らす光が、ぶつかって風を生んでいる。すごい圧力だ。

 光線――いや、その魔法を出しているのは、ふたりの西洋魔術師。

 ネギ・スプリングフィールド。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 そこで繰り広げられていたのは……オレが一度見てみたかった、壮絶な魔法戦だった。

 

 

 

 心を打つふたりのバトルは、ネギ先生の勝ち? で終わった。本気のエヴァンジェリンさんに現時点のネギくんが勝てるはずはないのだが、まあ、多分手加減していたんだろう。そうこうしているうちに電気が復旧、力を再び失って海に墜落しかけた彼女を、ネギ先生がかっこよく救出した。

 というのが、今回の顛末だ。おおむね元のストーリーと同じなんじゃないかなと思う。

 違ったのは……、

 

「ど、どうしよう……宮崎(妹)さんに魔法使いだってばれちゃった……」

 

 自分が魔法世界の掟を破り、罰としてオコジョにされてしまう刑を受けることを想像してえぐえぐと泣きはらすネギ先生。なんか申し訳ない。

 

「心配するな、ぼーや。こいつは“魔法生徒”だよ。一般人なわけがない」

「あっ」

「えっ!? 宮崎さんが……!?」

「あんたも魔法使いなの!? ウソ!? いやでも、確かに今までも、見た目の割にすごい運動能力してた……」

 

 うーん。あっさりばらしやがった。

 別にいいけど。

 

「良かったー……。じゃあ、オコジョにならなくて済むんだ」

「でも魔法使いっていう割には、ネギみたいに杖ももってなかったし、キレたゴリラぐらい暴れてたけど……」

 

 そう、聞いた話では。

 オレは先ほどまで、エヴァンジェリンさんに意識を操られ、その手下にされていたらしい。前に血を吸ったときに魔力を仕込んでいたらしいのだ。

 そして彼女は配下にした女の子たちにネギ先生を襲わせる際、普段誰もが無意識にかけている身体能力のリミッターを緩くしたらしい。それで他に操ったクラスメイトたちも、人外じみた動きをしていたそうだが……、

 オレの場合、半端に抵抗できていたのか、命令をうまく受け付けずめちゃくちゃに暴れだしたらしい。それを、本来は敵同士として戦い合うはずだった、アスナと茶々丸さんの二人が、協力して止めてくれたようだ……。

 ショックな話だった。そういう状態異常の類はしっかりレジストできるつもりでいたんだけどなあ……。もう少し訓練しよう。

 そしてふたりには大きな借りができた。今後は頭が上がらなくなっちゃうな。

 

「それにしても、エヴァンジェリンさんだけでなく、他にもクラスに魔法生徒がいたなんて! すごい!」

「は? おいこら、誰が魔法生徒だ。わたしは最強最悪の魔法使い、闇の福音といって――」

「宮崎さん。良ければ、今度お話をしたいです。もっと、あなたや、みんなのことを知りたいので……」

 

 少年のような好奇心と、教師としてすべきことをしたいという志が混じったような、絶妙にきらきらした目で見つめてくるネギ先生。凄まじい戦いを繰り広げたあとなのに、元気なことだ。

 

「いいですよ。ただ、わたしもネギ先生と同じで、友達や姉には内緒にしてるんです。絶対ヒミツですよ」

 

 まあ、いずればれるのだろうが、内緒にしてた方が楽しい。

 言いながら、ちら、とアスナにも視線を送った。ふたりは了承の意を返してくれた。

 

「ところで……」

 

 周りを見渡す。

 ネギ先生とエヴァンジェリンさんの激しい魔法戦は、意外にも周囲に被害を及ぼしてはいない。

 だが。

 オレがやらかしたらしい、橋のあちこちの破壊痕は。

 どうしたらいいんですかね。

 オレが悪いのか? 誰にもばれずに直せるものでもない、どうしようほんとに。魔法生徒クビになっちゃったらどうしよ。

 いやいや、オレは悪くねえ。

 恨みに似た気持ちを込めた視線をエヴァンジェリンさんに送る。ぐぬぬだ。ぐぬぬだよこれは。

 ネギ先生が、あわあわとオレをなだめる。アスナがあくびをする。エヴァンジェリンさんがばつの悪そうな顔をする。茶々丸さんが静かに付き従う。

 

 そんなふうにして、この夜が更けていく。

 

 



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5話

 バキッ。

 手の中から嫌な音。なにかというと、昼食を口に運ぶための二本一膳のお箸が、そろって真ん中から無残に折れた音だった。

 

「ヌウウッ! 軟弱な……」

「いやいま、もしかしてこいつ、指の力で……はっ!?」

 

 独り言のはずだったが、すぐ近くからツッコミが入った。見れば、クラスメイトの長谷川千雨さんが、こちらを見てなんとも味のある表情をしていた。

 彼女の席はすぐ前だし、2年以上同じクラスなのでそこそこ会話したことはある。が、仲の良い友人だというほどではない。向こうが壁をつくっているからだ。

 そんな彼女のあの表情。

 勝手に内心を予想してみよう。

 ――たまたま後ろの席のやつが視界に入ったが、プラスチックの箸を指の力で折っているようにみえ、思わずいつも心にしまっているツッコミの声が出てしまった。こんな細い体つきのやつがそんな握力を持っているはずはないが、クラスではゴリラと呼ばれているやつだ。もしかしたら……? いや、異常だ。関わりたくない。

 と、そんなところではなかろうか。この人の性格的に。

 

「長谷川さん……見て、しまいましたね」

「うっ……!? わ、私は、なにも」

「今のは手品です。わたしはゴリラではない」

「は?」

 

 そう。この華奢な美少女がゴリラであるはずがない。

 これは悲しい誤解だ。いつものオレはもっと儚く可憐。

 それがどうしてこんなことになっているかというと。この前エヴァンジェリンさんに下僕として働かされたときに、自分の中で何か急激な変化があったのか、常時使っている身体能力強化の加減がうまくいっていない。想定より大きな魔力を身体に回してしまう。

 それで、このようにお箸をポキッといったり、コップを粉々にしてしまったり、ドアノブを歪ませてしまう……といったような、日常生活への弊害が出ている。なんとか力をコントロールしなければ、例えば誰かと握手なんかしたとき、相手の手をバキバキに折ってしまうなんてことになるかもしれない……。

 魔法使いならぬグラップラーとして素晴らしいパワーアップだと捉えることも出来るが、日々の暮らしを考えるとまったく困ったことだ。

 

「ところで長谷川さん。クラスメイト同士、一緒にお昼食でもどうですか」

「い、いや。私は、これから学食だから」

「そうですか……」

 

 これを機にと声をかけてみたが、すげなく断られた。今のは自分なりに勇気を出してみたのだが、残念だ。

 そそくさと教室から出て、長谷川千雨さんは学食へ向かうべく、廊下を行ってしまった。

 その後をついていく。

 

「……!? な、なんでついてくる!?」

「いえ、別に……」

 

 青い顔をしながらスピードを上げていく彼女の後を、ぴったりついていく。

 というのも、自分も学生食堂に行こうとしているからだ。割りばしを大量に貰ってこようかなと思って。

 この人の後ろをついていくのは、まあ、クラスメイトってそういうものじゃない? どうせならこの機に仲良くなりたいのだ。漫画のキャラクターと仲良く!という浅ましい気持ちをさっぴいても、もう2年も同じ教室にいる人間だし。いわゆる陽キャラのグループの子たちよりも気が合いそうだし。

 目が合ったので、笑顔をつくって見つめ返した。これは姉のどかの可愛さにも負けないように練習したものだ。

 

「うっ、く、来るなーーっ!!」

 

 向こうは気が合いそうだとは思ってくれないらしい。

 学食に向かわない道へ折れ、長谷川さんは逃げてしまった。

 ショックだ……。

 これもあの夜、エヴァンジェリンさんがオレの身体を改造したせいだろう。まったく理不尽なことである。

 

「エヴァンジェリンさんのせいで、級友に距離を置かれた……」

「違うね、元々おまえにあった力が目覚めていっているだけだ。扱いきれないおまえが悪い」

「ゲッ」

 

 ゲッと言ってしまった。

 ちょうど今の独り言を聞いていたらしい。すぐそこの曲がり角から、茶々丸さんを伴ったエヴァンジェリンさんが現れた。

 この前やらかしたばかりだというのに、まったく相変わらずふてぶてしい態度で、とくに反省していないのがわかる。さすが大物だ。ネギ先生のことを多少気に入るという変化だけはあったようだが……。

 

「困っているのなら一度は助けてやらんでもないぞ、クラスメイトのよしみでな……って、な、なんだその顔は」

「いえ、別に困ってないんで」

「あっ、こ、コラ! 待て、話の途中で……!」

 

 今度は自分が逃げる側の人間になった。長谷川さんの気持ちが少し理解できたかもしれない。得体のしれない人というのは怖いものだ。

 漫画のキャラクターとしてはそりゃ可愛いと思っていたが、実際相手にするとやっぱ怖い。また血を吸われそうだし、あっさり操られたのもけっこうトラウマになりそうだ。

 ……一応、一度は助けてやらんでもない、という今の言葉は覚えておこう。元の物語では、主人公のネギ先生にとってもっとも頼りになる人物のひとりだったと思うし。

 

 そういうわけで。

 学食で箸を入手。飯食ったりトイレを済ませたりというルーチンワークの中で、あちこち破壊してしまうという苦労をしつつ、昼休みを終えた。

 そして、いざ午後の授業が始まると、長谷川さんもエヴァンジェリンさんも席がかなり近いため、たまに目が合ったりしてすごい変な雰囲気になった。

 

 

 

 放課後、高畑先生から連絡を受け、学園長室に呼び出される。なんだろう、エヴァンジェリンさんのやらかしに巻き込まれた件についてだろうか。

 そんなことを考えながら、妖怪っぽい学園長先生の前に立ったのだが。彼が口を開くと、用件は違うようだとわかった。

 

「そろそろ君に、他の魔法生徒たちがどんな風に学生生活を過ごしているのか、教えておきたくてのう」

 

 他の魔法生徒たち。たしか麻帆良には、我々3-Aのメンバー以外にも魔法に関わっている生徒がいるのだったか。はて、どんなキャラクターだったかな。

 まだ知り合ってはいない。というかこれまでに関わった魔法使い側の人間は、高畑先生や学園長くらいである。あとはまあネギ先生とか、エヴァンジェリンさんとか。つまり全然交流がない。

 他の生徒について話してくれるということは、今日はこの狭い世界を広げてくれるのだろうか?

 

「……ここ麻帆良学園都市は、広い地球の中でも最上級の霊地である。多くの魔法使いが教師や学生として身を置き、魔法使いとしての修行や治安維持につとめている……というのは、前にも話したか」

 

 そもそも魔法使いが建設段階で関わっている都市だ、というのも聞いた。

 魔法使いの社会では重要な地であり、自然と優秀な人物が集まることになる。土地柄的にも人脈的にも、魔法生徒にとっては自分を高める修行の場として最適なわけだ。ネギ先生だってこの麻帆良に来たのは修行のためだし。

 

「さて、ここで話したいのは“治安維持”についてじゃ。麻帆良は霊的、魔法的に重要な土地であるため、さまざまなトラブルが起こり得る。例えば……人を襲う怪異。必要以上の技術発展、外部からの侵入者、そして、魔法の存在の露呈……」

 

 ……なんか怒られている気がする。

 ほんの2年ほど前、高畑先生が魔法使いに関係していることを突き止めて、しつこく付きまとった、なんて生徒もいた。オレだ。

 

「こういった問題を放置するわけにはいかん。そして、そこに誰が対応しているのかというと、われわれ魔法使いの教員や生徒が出張っているというわけじゃ。特別な指令をこなしてもらうこともあれば、日常的に学園内をパトロールしてもらうこともある。これらは仕事でもあり、修行でもある」

 

 なるほど。

 魔法使いとしてのキャリアを積みたいのなら、そういう経験も大事そうだ。どんなトラブルが起こり得るのか、原作の外の話は知らないけど、魔法使いたちは人知れずこの学園の平和を守っているわけだ……。

 わくわくする話である。だから、気になった。

 

「君の他にも、何人かの魔法生徒がここで修行をしている。紹介しよう、いい友人となれるはずじゃ」

「あの。どうしてそんな話をしてくれるんでしょうか。もしかして……」

 

 ドキドキしながら訪ねる。もしかして、自分にもパトロールを任せたりとか、本格的な修行を積ませてくれるのだろうかと。

 そういう非日常への憧れが刺激される。「わたしにも……」という言葉が、口から漏れた。

 

「イヤ……」

 

 ところが、学園長は否定の言葉を呟き、眉尻をさげた。

 いや眉尻というのは言葉のアヤで、目元が見えないくらい眉毛が長いという仙人のような風貌なので、それが下がるも何もない。まあとにかく、決してポジティブではない表情をしたと思う。

 

「魔法生徒が出張るといっても、彼らは君と違って、各々が既に戦闘行為や魔物祓いのプロであったり、魔法学校で訓練を積んだ留学生だったりする。君とはキャリアが違うんじゃ。それに……ここは魔法使いの機関である以前に、学校である。危険のある仕事に、ご両親から預けられた大切な生徒を駆り出すことなど、通常はあり得ない。だが……」

 

 なんともままならない話に、興奮は冷め、落ち込んでいく。

 けれど。学園長は途中で、声の色を変えた。

 

「高畑君が、君にこのアルバイトをさせたいらしい」

「え……っ」

「ああ見えて君のことをよく考えている。学園の中という我々の手が届く場所で、なるべく経験を積ませたいと言っておったよ。いざというときに、自分で動けるようにと」

 

 ………。

 なんかイヤイヤ教えてる感じだったのに、すごい良い人だ。良い先生だ。

 実際3-Aの生徒はいろいろと巻き込まれることになるわけだし、素晴らしい提案なのでは。

 高畑先生の気持ちが嬉しい。このことは、オレにも他の魔法生徒と同じことをやらせても大丈夫だという、彼からのお墨付きでもあるように感じる。

 

「さて。そういうわけで、君にはときどきパトロールの仕事をお願いしたい。ふつうの警備員たちとは違ったできごとに直面することになるはずじゃ。バイト代は奮発するが、命の危険もありうる。こちらの世界のことであるため、君の家族にも秘密で働いてもらうことになる。日本の法や倫理だと儂は極悪人じゃの。

 ……やる?」

「……! はい、やってみたいです」

 

 保護者の許可もなく生徒を危険な場に出す……。そんなリスキーどころじゃないこと、絶対にオレにはやらせたくないはずだ。

 それでも機会をくれること、感謝しなければ。

 

「まーさんざん脅したが、麻帆良に現れる魔物・怨霊のたぐいは非常に弱い。結界が効いているからの。魔法生徒からしてみれば、ちょうどいい肩慣らしができて、おいしい小遣い稼ぎになるはずじゃ」

「なんだ……」

 

 結局、オレのためになる美味しい話だったわけだ。

 まあ他人が聞けば、生徒を警備員に動員する学園長はおおいに非難されることだろうが。

 

 

 

 後日、例のバイトについてのちょっとした講習を受けた。このとき先生役として時間を割いてくれたのは、中等部でよく見かける瀬流彦先生だった。新人のような印象を受ける若い教師だが、彼も魔法先生だったようだ。人当たりの良い方で、仲良くしてもらえそうだった。

 

 バイトの内容について。

 見回りは怪異や不審者が現れやすく人目に付きにくい夜に行われる。自分にとっては夜勤とすら呼べない楽な仕事だが、まあ中学生にやらせるには不健全かつ違法ではある。

 また、ワンマンではなく、魔法先生か生徒のうちの誰かと一緒に行動することになるらしい。

 ありがたいことだ。見回りがどうこうより、魔法使いと知り合えることが嬉しい。いろいろとアドバイスとか貰えるかもしれないし。

 まあ、ほぼ魔法使えないから、その辺は教わっても意味ないんだけど。

 

 夜。

 “学園都市”である麻帆良は、早い時間に人がいなくなる。ほとんどの生徒が在籍している学生寮には門限もあるし、夜の町をうろつくのは、そう多くはいない大人たちと不良くらい。人目が少なく、警察が出てこない程度のトラブルはある。そして、警察の手に負えないトラブルも。

 そんな特殊な状況だから、魔法少女によるパトロール、なんていう仕事が成り立つのかもしれない。

 オレは集合場所に辿り着く。事前に聞いたそこは、見知った女子校エリアの一角だったため、迷わず時間通りについた。

 

「こんばんは。宮崎さん、ですよね」

 

 そこには、一人の少女がいた。

 自分と同じ麻帆良女子中の制服の上から、いかにも魔法使いっぽい黒ローブを着ていて、なんだかハリーポッターに出てくる学生みたいでかわいらしい。

 容姿も3-Aの連中にひけを取らない美少女だった。二つ結びの髪型が中学生っぽくていい。

 

「2-Dの佐倉愛衣です。今日はよろしくお願いします」

「あ、は、はい。初めまして」

 

 同じ校舎で学ぶ生徒であるため、たぶんあちこちですれ違ったりはしているだろうけども、(というかこちらは彼女のことを一方的に知っていたけれど)直接話すのはこれが初めてだ。

 さて、可愛い女の子だが、魔法生徒としてはきっとうんと先達のはず。失礼のないよう振る舞おう。

 

「ご指導よろしくお願いします、先輩」

「いっ、いえ、私も修行中の身ですし。というか先輩はそちらですよね? 気軽に接してもらえれば……」

 

 良い子そう。

 

「ところで……」

 

 どんなルートを巡回するかなどの確認を済ませ、注意深く歩き始めたあと。

 静かな街並みの中で、彼女は口を開いた。

 

「高畑先生に師事している、というのは本当ですか? あの『紅き翼(アラルブラ)』の」

 

 適当に肯定する。

 しかしそれだけのことが、佐倉さんの表情をうるさいくらいに輝かせたのだった。

 

 

 

「それでですね、高畑先生といえば本国で雑誌の表紙も飾る有名人で――」

 

 疲れてきた。パトロールで、というより、同僚との終わりのない会話に。

 佐倉さんは大人しそうな感じだったが、実はなかなかのおしゃべりガールかつミーハーだったらしい。高畑先生がどんな師匠であるか、こちらがほんの一言ほどの情報を漏らすと、応じてそれ以上のあれこれをとめどなく語ってくるのであった。

 例えば、彼の必殺技である豪殺居合拳は、本気を出せば鬼神クラスの魔物や、陰湿な悪の野望を粉々に打ち砕くとか何とか。

 ああ、オレも最近くらったよそれ。あの人、どんどんオレに遠慮が無くなっていってる気がするんだよね。おかげで結構タフになったと思うけど……。

 うーん。

 こうして驚異的なスピードで同じ魔法生徒として打ち解けられたのは、こちらとしてはありがたかったが、これでパトロールの仕事は成り立っているんだろうか。

 そんなことを思い始めたとき。佐倉さんのおしゃべりと脚が、突然止まった。

 

「?」

「低級のゴーストがいますね。排除しましょう」

 

 切り替えが早い。きちっと実力のある女の子だったようだ。

 だが、佐倉さんが真剣なまなざしを向ける先には、オレの目には何も見えない。そうか、幽霊だから……。

 しかし慌てない。こういうときのためにと、実は高畑先生からあるプレゼントをもらったのだ。懐からそれを引っ張りだし、顔にかける。

 そのアイテム……霊的存在を視認しやすくするための眼鏡を通してみると。果たしてそこには、のっぺらぼうのような恐ろしいヒトガタがいた。

 

「こわっ」

『……じぇい、しー。じぇいしいいいいい!!! パンツウウウウウウウウ!!!』

「別の意味で怖い」

 

 やつは我々の姿を認めると、よたよたと二本の脚で走り向かってきた。

 何の怨念なんですかねいったい。やべーよ麻帆良。こんなのが出現するなら、たしかに見回りが必要だな。

 

「宮崎さん、最初はそこで見ていてください……『来たれ(アデアット)』」

「! それは……」

 

 佐倉さんが一枚のタロットカードのようなものを手にすると、どこからともなく一本の箒が現れた。いかにも魔法使いがまたがって空を飛びそうなやつだ。

 これがアーティファクト! さっきのはパクティオーカードってやつだ。あの箒が彼女の武器か……!

 

「あの程度の相手なら……」

 

 棒術使いのごとく脇と腕で箒を保持し、左手を油断なく敵に向けるさまは、なかなかにかっこいい。

 彼女を魔力の気配が取り巻いている。やがて宙に、3つの燃える光の球が出現した。

 あれが、魔法。精霊の手を借りて引き起こす超常現象。この前のネギ先生とエヴァンジェリンさんの戦いで見たものより距離が近く、迫力を肌で感じた。

 しかしこの子、魔法を呪文も無しに操るなんて。無詠唱の魔法は強者の証って色んな漫画で言うし、佐倉さんも才能ある魔法使いに違いない。

 

「やっ!」

 

 3つの光は矢となり、ゴーストに突き刺さって爆発した。

 すごい。これが現代の除霊か。箒をもって魔法を操る佐倉さんはまさに絵に描いたような魔法少女。憧れるぜ。

 鮮やかな手並みに思わず拍手する。彼女は照れた様子だったが、そういうところも可愛らしい。

 

「……ん?」

『カ……カ……』

 

 火の矢によって身体を傷つけながらも、やつはまだ消滅してはいなかった。佐倉さんともども再度身構える。

 しばし身もだえしたのち、敵は力の限り咆哮した。

 

『カワイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!』

「な…!? パワーアップしたぞ!?」

「――“メイプル・ネイプル・アラモード”っ!!」

 

 細くて弱そうだったのが、突然マッチョになった。依然目も鼻もない容貌だが、存在感が増した。

 タフそうだぞ……!

 

「『ものみな焼き尽くす浄化の炎 破壊の主にして再生の徴よ 我が手に宿りて敵を喰らえ』」

 

 さっきよりも強い魔力が佐倉さんから出ている。何語か分からない言葉を早口で唱えていくと、それがさらに高まっていく!

 マンガの中では無詠唱魔法は強者の証だが、強者が呪文を言いきったなら威力がめっちゃすごいってのもセオリーだ。これなら……!

 

『紅き焔』(フラグランティア・ルビカンス)――!!」

 

 どん、という音。爆発の規模は大男くらいあるヤツの全身を爆炎に包み込む程で、さっきの魔法の射手(サギタ・マギカ)とは比べ物にならない。人のいないどこかの学校の校庭とはいえ、こんなものを使って一般生徒に魔法バレしないかという心配が、敵が倒せているかどうかという不安に勝った。

 ……だが。

 

『パンツ……パンツウウウウウウウウアアアアアアアアア!!!!』

「なっ!?」

「いっ、イヤーッ!!??」

 

 崩れかけの身体でやつはこちらへ突進してきた。反射的に飛びのいたが、大きな魔法を使った反動なのか、佐倉さんがその場に留まったままだ。

 やつは残った太い右腕を、佐倉さんに振るう――! まずい!!

 

『ウ、グオオオオ!! ス、スパッツウウウウウウウ~~~~ッ!!!』

「ふええっ!? な、なにー!?」

 

 太い腕で佐倉さんのスカートをめくったゴーストは、そこから苦しげな声をあげてうずくまった。ショーツが見えなかったのがお気に召さなかったようだ。

 アホらしくなってきたな。

 

「だっ!」

 

 眼鏡をしたまま運動するのは危なくて嫌だが、高畑先生なんかもそうだし慣れるしかないか。

 魔力を身体中に纏わせ、ダッシュ。勢いのままマッチョゴーストを蹴り飛ばした。魔力を纏った状態なら、幽霊にも触れて殴り蹴ることができるようだ。

 

「そんなにパンツが見てえなら見せてやらぁ」

 

 地面を思い切り蹴り、空高くまでジャンプする。落下予定地点はヤツのいる場所。

 飛び込み選手のごとく身体を回転させ、勢いをつける。地上に辿り着く前に、片足を思い切り振り上げた。

 目のないのっぺらぼうは、しかしそのとき、たしかにオレを見上げていた。

 とても良い位置から。

 

『シ……』

「悪霊退散!」

『シ……白―――』

 

 なんか最後に穏やかな声を出していた。

 成仏しろよ、という想いを込めて脳天に踵を叩き込む。勢い余ってコンクリートを割り砕いてしまったが、頭部を破壊された霊はそのまま全身を崩壊させ、ちりとなって霧散していった。

 周囲や消失点に警戒を向ける。……新たな敵の予兆はない。と思う。

 なんとかなったかな?

 

「佐倉さん、やったよ」

 

 我ながら身体能力だけは人間やめてきたかもしれないな。このまま目指せスーパーマンだ。

 力加減しなくていい場ならそこそこ活躍できるらしい。よかった。日常生活に弊害が出てるぶん、これくらいの恩恵はないとな。

 佐倉さんにブイサインを送る。

 

「……すごい。本当に高畑先生の弟子なんだ……」

 

 なんか褒めてくれているっぽい。しかし弟子というほどみっちり教えてもらってはいないと思うのだが……いいのかな、弟子を名乗っても。先生に聞いてみよう。

 それにしても、これほどのモンスターを相手にする機会があるとなると、たしかにいい経験になりそうだ。こんなやばいところで多くの生徒が学校生活を送っていたとは……。

 

「……ところで」

 

 華麗な勝利に酔いしれることができたのもつかの間。

 目の前の、自分が叩き割った無残な地面を眺める。明日になれば生徒たちがこれを見て、なんじゃこりゃあとなること間違いない。

 

「こういう場合、どうすれば……」

「修繕の得意な精霊を頼るしかないですね……。他の先生の手も借りたいです」

 

 もうしわけない。

 

 と、今夜は魔法使いの友人が一人増えた。瀬流彦先生とかも頼りになりそうで良かった。

 今後もこういう機会が増えていくといいな。

 

 

 

「あれー……、なごみー。目、悪かったっけ?」

 

 暇なので教室でハンドグリップを握り締めながら空気イスしつつ体内で魔力を流動させていると、のどかが声をかけてきた。

 眼鏡をしているのが気になったのだろう。これは、常日頃から悪霊とか精霊とか見えた方が良いのかなと思ってかけている……というのは理由の2割で。眼鏡の自分も可愛いなと思ったので、普段から身に着けることにしたのだ。イメチェンだ。人と殴り合いするときは外そうかなと思ってる。

 ちなみに、教室に入ったら朝倉の隣の席に幽霊の女の子が座っていたのが見えて、けっこうビビった。そういえば原作でもいたんだった……。

 

「……ああ、これはおしゃれ。今日からメガネキャラだよ」

「似合ってるじゃん、のどかより本屋っぽいんじゃなーい?」

「だってさ姉さん。ごめんね、きみのアイデンティティを奪ってしまったぜ……」

「え? 似合ってていいと思うよー」

「いや、眼鏡より、最近この人が本気でゴリラを目指そうとしているところにツッコむべきですよ」

 

 みたいな会話を、いつもの仲良し3人組とした。

 ゴリラじゃない。片目隠れ大人しい系眼鏡美少女だ。誰が何と言おうとオレは片目隠れ大人しい系眼鏡美少女なんだ。

 



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6話 修学旅行①

 朝。いつものように麻帆良には向かわず、大宮駅へ。

 その集合場所でまったりしていると、徐々に見知った顔ぶれが集まってくる。級友たちに手をふり、さわやかなあいさつを交わした。

 みんなの表情は明るく、これからの出来事への期待に輝いている。待ちに待った……といったところだろう。

 今日からは学生の一大イベント、修学旅行。

 子どもの頃に戻った気持ちで、オレも心の底からワクワクしていた――。

 

 というわけでもない。

 もちろん、楽しい学生生活を美少女としてやり直すという人類の夢を叶えている身としては、こういう学校のイベントはとても楽しみではあるのだが。しかし、“この先のこと”を知っているので、どうしても緊張がある。

 『修学旅行編』、とでも呼べるだろうか。主人公であるネギ先生は、この旅行中にまあなかなかハードなトラブルに巻き込まれる。

 そして、このとき登場する悪役キャラクターが怖い。『フェイト・アーウェルンクス』というヤツだ。こんな序盤のお話に出て来てはいけない、レベル100くらいある悪の魔法使いである。

 ネギ先生をとりまくお話の中に自分も登場人物として入っていきたいのなら、そのフェイトと関わることになる。だから、怖い。彼と同じ場面に自分がでしゃばって、殺されずに、大けがを負わずに済むのかどうか――。

 

「なごみさんっ! おはよーございます!!」

「! ああ、おはよ、ネギ先生」

 

 明るく挨拶してくる声に、思考が中断させられた。

 ネギ先生。毎日お仕事やら何やら頑張っているようだが、彼も修学旅行の魅力の前では年相応になってしまうのかもしれない。表情をキラキラ、腕をじたばたさせて嬉し楽しそうだ。

 まあそれだけじゃないか。たしか、行先の京都に、お父さんの手がかりがあるんだっけ……?

 これはこの間、魔法を知る者同士としてそこそこ仲良くなったネギ先生本人から聞いた。

 

「そうだ。なごみさん、旅行中に何か起きたら、情報を共有しますね。なごみさんも気を付けてください」

「うん。先生も、いざとなったら頼ってください、わたしなんかでよければ」

「ありがとうございます! 心強いです」

 

 では! と言って、少年は他の生徒たちに声をかけに行った。

 ……ネギ先生は、旅行中に『関東魔法協会』から『関西呪術協会』への親書を届けるという重要な任務を学園長から仰せつかったらしい。

 オレも、何かあったら手を貸してやってくれと学園長先生から言われた。

 ヒーロー願望はあるが、果たしてオレなんかが役に立つかなあ。あらすじは覚えているけど細かい話は怪しいし。

 半端に活躍しようとして、フェイトに目をつけられるのが怖いんだよな……。神様に転生させてもらってすぐのときにあった万能感は、正直もうない。セクストゥムちゃんに出会うまでに強くなれるんだろうか……? あの女の子はフェイトと同等のスペックのある魔法使いで、敵キャラだ。

 

「はあ」

 

 ため息が出る。

 そういうわけで、時間の経つ速さに危機感を覚えているのだ。夏休みまでもうちょっとしかないっていうのに驚かされる。

 多少魔法をかじった今なら思うけど、原作のネギ先生、短期間で強くなりすぎだよ。頭おかしいんじゃない? いや、話してみるとめちゃくちゃ良い子だったけども……。

 

「な、な、な、なごみ……」

「ん?」

 

 聴き慣れたものと似た声がして、そちらを見る。

 すごい涙目でオレをにらんでくる姉がいた。

 

「な、なんだよ? どうかしたの」

「なごみが、ネギせんせーに……」

「先生に?」

「下の名前で……呼ばれてた……」

「あー」

 

 なるほど。

 このショタコンは、妹に一歩先に行かれたとでも思ったらしい。うーん。たしかにファーストネームで呼び合うのが親しい関係だっていうしね。

 ネギ先生も別に、宮崎が二人いるから呼び分けるためにオレを名前呼びすることにしただけだと思うけど。まあ、気になるか、恋する女子中学生には。

 

「のどかも名前で呼んでもらえば?」

「えー!? ど、どうやってー……」

「本人にお願いするんだよ」

「ふええっ!?」

 

 などと赤ら顔で戸惑っている間に、姉の華奢な身体(体型はオレも同じ。体重は……)を抱え上げ、わっしょい、わっしょいと胴上げしながらネギ先生の下へ運んでいく。

 どすっと先生の前にのどかを突き刺す。やはり本人からはなかなか勇気が出ないのか、もじもじとしていた。ネギ先生が不思議そうな顔をしている。

 ここでオレから言ってあげるのは簡単だが……いや、のどかは勇気のある子だ。物語の異物とはいえ、仮にも姉妹として育ってきたから、そう思う。

 じっと見守る。

 果たして……

 

「ね、ネギ先生。あの。の、の、のどか、って、呼んでもらいたいです……」

「へ?」

 

 さすが、恋愛に憧れがある文学少女といったところ。こういう場面では意外と強い。

 しかし、何の話? みたいな顔で我々双子の顔を見比べる先生。

 しばらくして、本人なりに要求を理解したらしい。

 

「ええと。なごみさん」

「はーい」

「……のどかさん?」

「あ――……、は、はいっ!」

 

 花の咲くような笑顔で、少女は笑った。かわいいと思う。

 すなわち、同じ顔をしているオレも可愛い。

 ネギ先生もそう思ったのか、彼ものどかと同様に顔を赤らめる。ヒロインレースの順位上がったかもね。

 パルと夕映さんがこちらを見てサムズアップしていたので、オレも合図を返しておいた。

 

 

 

 修学旅行中には、クラスの中で6つの班が組まれる。集合して整列するときや旅館での部屋割りは班ごとになるし、班だけでの自由行動の日もある。

 修学旅行の班決めと言えば、とくに中学生の女子は揉めに揉めるイベントであるというイメージがある。彼女たちは狭い学級の中、いくつもの派閥をつくる生き物であり、一生に一度のイベントを仲の良い友達と過ごそうとするからだ。それと、嫌いなやつとは組みたくない、というのもある。

 しかし我らが3年A組は、班分けはあっさり決まった。全体的に仲が良く、嫌いなクラスメイトというのはいないのだろう。彼女らの良いところだ。

 オレは3年A組の、3班になった。

 メンバーは6名。

 まず、寮ではルームメイトで仲良しの、委員長(雪広あやか)、那波千鶴さん、村上夏美さんの3名。那波さんは同い年とはとても思えないママみをもつ人、村上さんは引っ込み思案な目立たない子だ。委員長はいいんちょ。

 次に、朝倉和美。報道部でジャーナリストを気取るゴシップ好き。クラスのみんなとは浅く広く付き合っている感じの子だ。

 そして、長谷川千雨さん。クラスでは孤立気味。

 最後に、宮崎なごみ。オレだ。姉の友達と絡むとき以外は孤立気味。

 ……いやその、一応何年か社会人をやっていたから、やっぱりこの年代の女の子らと話すと壁をつくってしまうんだよな。冷めた大人でいようとしてしまう。……だから、前世の友人たちのように、本当の自分を何もかもさらけだして話せるような仲の人なんて、ここにはいない。

 

 さて。

 以上が3班のメンバーだ。

 ……わかるだろうか、この班構成。

 3人の仲良い組に、『クラスのあまりもの』を入れてもらった構成である! 必ずこういうグループは生まれるんだよな。ああいや、あまりものだなんて思っているのはオレだけだろうけど。

 でもこれを機に仲良くなることもあるので、良いことだと思います。風呂で那波さんの巨乳が見れて、浴衣姿も見れそうだし……。ついでに委員長もでかいし。朝倉もデカい。長谷川さんも村上さんもかわいい。

 まあ、一番かわいいのは、オレだが。

 

 いよいよ京都への新幹線が出発する。

 オレ達は班ごとに指定の席に着いた。

 しばらくしたらみんな好きに移動を始め、椅子を前後向かい合わせてカードゲームやらガールズトークに勤しんでいた。自分から話に混ざろうとは思わないが、若者の話は聞いている分には面白い。2000年代の若者だから、言ってること古いけど……。

 

「………」

「………」

「………」

 

 ………。

 なんか……、

 仮にガールズトークに挑むにしても、今は無理だ。

 クラスメイトたちが移動や席交換を繰り返した結果、なんとオレは今、ザジ・レイニーデイさんと龍宮真名さんに挟まれることになっている。

 無言。寡黙なふたりなので、こちらから声を出さない限りなにも会話とかにならない。

 共通の話題とかないかな。そうだ、ふたりとも魔法関係者なんだっけ……?

 しかしこんな場所で話題に出すのはよろしくない。ダメだ。

 ……お菓子でも食べるか。食べます? とでも聞いてみよう。

 クラスのバカ騒ぎの中でも常にクールでいる、大人びたふたりの間で肩を縮めながら、市販のチョコレート菓子の箱を開けた。

 

「ゲコ」

「ん?」

 

 ………。

 決してチョコレートではない、緑色の何か。呼吸していて、あと鳴いた。

 生き物だ。

 カエルだ。

 

「ギャアアアアアア!!??」

 

 異物混入!!!!!

 オレはいつの間にか蛙の住んでいた箱を思い切り投げた。それは車両内の壁にぶつかり、粉々に砕け散った……。

 

「う、ううう」

 

 こ、ころしてしまった。生理的に触るのがいやとはいえ、同じ地球の生き物なのに。オレはなんてことを……。

 というかなぜ、菓子の箱に蛙が?

 

「キャーーー!?」

「カ、カエルーーーー!?」

 

 少し落ち着くと、いつのまにか車両内が、どこから現れたのか分からないカエルによって、地獄になっていた。

 これは……魔法に関わるトラブルだ! じゃあありゃ本物じゃないな。よかった。

 ネギ先生の今回の敵――京都の悪い呪術師とかの妨害だろう。助力しなければ。でも触りたくないな……。

 

「まったく、あの先生の周りはトラブルまみれか」

 

 躊躇しているうちに、龍宮さんが呆れ声を漏らしながら、高速で手際よくカエルを拾ってぽいぽいとゴミ袋に投げ込んでいた。

 くうっ。やっぱり原作キャラの活躍には勝てねえぜ。ごめんなネギ先生。修学旅行編は大人しくしてるよ。

 そんなことを考えていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。

 

「ん?」

「………」

「ギャアアアアアアア!!!???」

 

 肩とか頭とかにいっぱいカエルを乗せたザジさんが、静かに微笑んでオレを見つめていた……。

 なんでみんな平気で触れるんだ? オレは度胸の強さで女子中学生に劣る存在だった……?

 

 

 

 その後、旅館に着くまでの日程では、清水寺の見学があった。

 麻帆良にいると、ここは漫画の世界だなあって思うのだけど、こうして有名な観光名所に立ち寄ると、あそこ以外は普通の日本なんだな、と思わされる。

 もしかしたら、前世の自分がどこかにいたりしないのかな。……流行ってるカードゲームやテレビ番組が全然自分の記憶にないものであるあたり、ここと前の世界がよく似たパラレルワールドだとは、分かっているつもりなんだけど。

 

 清水寺では、例によっていくつかのトラブルがあった。

 変な場所に見事な落とし穴がしかけられていたり、有名な音羽の滝の水が酒に置き換えられていて、クラスの半数が酔っぱらって潰れてしまったり。

 シラフの生徒やネギ先生が他の先生にはごまかしていたようだったが、バレたらちょっとしたニュースになりそうなヤバいトラップだったな。

 

 旅館に辿り着き、食事や風呂などの日程を終えていくと、修学旅行の一日目は終了だ。

 3-Aの子たちのことだから、夜はみんなでバカ騒ぎをしようと楽しみにしていたのだろうが、昼間の酒トラップで動けない生徒ばかりになってしまったため、今夜は静かに過ぎていった。

 うちの部屋も、酔いつぶれた委員長を村上さんと那波さんが介抱する様子と、長谷川さんがノートパソコンに何やらガタガタ打ち込んでいる様子が見られるだけで、特に大きなイベントは無かった。

 朝倉は各班の様子を写真に収めに行った。仕事熱心だ。

 そして……原作では、すなわちネギ先生の周りでは、いま何が起こっているのかな。ちょっと見に行ってみようか。

 

「……ん?」

 

 旅館の中をうろうろ見回っていると、どたどたと誰かが走る音、非日常の気配。

 ロビー。浴衣を着た二人の女子……アスナと、桜咲刹那さんが、血相を変えて玄関から外に出ていったのが見えた。

 ありゃ、なんのトラブルかなあ……。

 ついていくべきかな。油断していたので自分ももう浴衣を着ている。外には出たくないんだが、仕方がない。

 

 そうして、ネギ先生と合流した彼女らの後を、見失わないように追いかけていく。人払いの魔法か何かが効いているのか、他に誰ともすれ違うことはなかった。

 やがてみんなは、今回の敵……眼鏡をした黒髪の女性と交戦し始めた。

 女性の腕の中にはぐったりした近衛木乃香さんがいる。誘拐か! なるほど、あいつが近衛さんの身柄を狙っているというのが、この事件のメインだな。思い出してきた。

 戦闘の現場からやや離れた建物の屋上にのぼり、みんなの様子を眺める。桜咲さんの戦うところは初めて見るが、さすが強い。敵の増援で出てきた眼鏡の二刀流剣士とも、互角以上に戦っている。アスナも、おそらく現時点ではネギの魔力を借りているんだろうが、運動神経が良いという言葉で済ませていいか怪しい身体能力を発揮している。黒髪の女が召喚したデカい猿の着ぐるみを、巨大ハリセンの一撃で消滅させていた。魔法無効化能力の発露だろう。

 活躍の機会はないかとうかがっていたが、この分なら無事近衛さんを取り戻せるだろう。むしろオレが手を出さない方が、原作通りのハッピーエンドに辿り着ける。それが現実ってもんだ。

 ……もう少し見学したら、旅館に戻ろうか。

 

「いや~。魔法使いと陰陽師の戦いとは、見ものでござるな」

「ホアアッ!!??」

 

 となりから自分以外の人間の声がして、全身の毛が逆立った。

 見れば、いかにも忍者ですという主張の強い格好をした、クラスメイトの長瀬楓さんがいた……。

 え!? なんでここに!? この子もネギ先生のトラブルに備えて見守っていたってことか……!?

 ていうかオレ、ジャンプで建物を上るところこの人に見られてたのか。ネギ先生たちを高みの見物しているところも。

 えー。

 なんかこわい、このクラスの人って。迂闊なことできないな。

 

「……あの、長瀬さ……」

「おっと。拙者は通りすがりの甲賀中忍。今日ここで会ったことはお互い知らんぷりでござるよ」

「はあ……」

「いやあしかし、魔法使いって本当にいるんでござるな~」

 

 ………。

 忍者って、本当にいるんだなあ……。

 

「にんにん♪」

 

 ニンニンって言う忍者、本当にいるんだ……。

 

 

 そのあと。

 忍者ってどんな修行するんですか? とか、分身の術ってどうやるんですか? とか聞きながら、近衛さん救出を見届けて旅館に帰った。

 そしたらちょっと仲良くなった。休みの日に修行とかつけてくれないかな。

 




宮崎のどかちゃんってアニメだと能登麻美子さんの声なんですね。
じゃあこのTSゴリラもそうです


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7話 修学旅行②

 修学旅行二日目は、班ごとに奈良での自由見学だ。

 朝にはネギラブ勢が彼を取りあってひと悶着あったが、その争奪戦を勝ち抜いたのは我が姉、宮崎のどかであった。大きな声でハキハキと、一緒に回りませんか、と言えた彼女に、ネギくんは応えたのだ。

 実際のところは、のどかのいる5班に敵から狙われている近衛さんがいる、というのが、ネギくんがついていく理由なのかもしれない。しかしオレには、大人しいのどかが思いがけず見せた勇気に、ネギが感化された……というふうに見えた。クラスメイトたちもそうなんだろう。恋のライバルたちも感心していた様子だった。

 

 我々3班は東大寺などに立ち寄り、古都の空気を楽しんだ。

 そして、やはり修学旅行の班行動は親交を深めるチャンスだったようで、彼女たちとクラスメイトになって3年目にして、ようやく級友と呼べる程度には話せる仲になれたかなと思う。長谷川さん以外とはけっこうしゃべった。

 

 夕方になって旅館に戻ると、何やらネギ先生がぼうっとしていて、委員長や佐々木まき絵さんが心配していた。

 で、その理由と言うのが、どうやら誰かに告白されたらしいと。これまた女子の好きな話題だ、みんな騒いでいた。

 ……のどかが告白したのかな? こんな早く告白してたっけ。忘れた。でも5班のメンバーで誰がネギくんのことを好きかと言うと、まあ一択だろう。

 勇気のあるヤツだなあほんと。

 

 今夜も露店風呂にてクラスメイト達の女体を眺めながら極楽を楽しみ、そして部屋に戻る道すがら。

 なんと朝倉がネギ先生のオコジョを肩に乗せ、ネギ先生やアスナと会話している場面を見かけた。どうやら魔法が彼女にばれたらしい。

 よりによって一番ばれてはいけないやつにな~。ネギくんは魔法を隠すことに関してはてんでダメだな。

 見守っていると、会話の中でネギ先生は、困った様子から一転、明るい表情になった。どうやら朝倉は魔法を公表せずに協力者になってくれるようだ。

 ネギくんはオレが魔法生徒だっていうのも朝倉に話してしまっただろうか。彼女とは同じ班だし、あとで根掘り葉掘り聞かれそうで怖いな。

 

 そうして、夜も深くなり、就寝時間がやって来る頃。

 各々がバカ騒ぎをもくろむ3-Aの生徒たちに対し、生活指導の新田先生から直々に外出禁止のお達しが出た……はずなのだが。

 なにやら朝倉主催の怪しげなイベントが始まるらしい。

 昨日と同様に部屋でまったりしつつ長谷川さんあたりと仲良くなる機会をうかがっていると、みんなの風紀を守るべき委員長が、興奮した様子で部屋に戻ってきた。

 ハアハアと荒い息遣いで雪広さんが説明する「ゲーム」の内容を、だらっと横になりながら聞く。

 ルールは以下の様な感じ。

 各班から2名の選手が、武器となる枕を持って旅館内を徘徊。どこかにいるネギ先生を見つけ、唇を奪ったチームが優勝。豪華プレゼントあり。

 班同士の妨害あり。新田先生に見つかれば死あるのみ。

 

「ハハ。おもしろ」

「どこがだよ。ガキかよ……」

 

 漏れた呟きに、長谷川さんが反応した。なるほど、隙を見せるとツッコんでくれるのか……。覚えておこう。

 ところで、ガキっぽくいられるのは今がピークなんだし、オレはこういうの、楽しくて良いと思うな。

 先生の立場になると、とんだ問題児だらけのクラスでしんどいけど。

 

 ゲームの様子はなんと、館内各所に設置されたビデオカメラの映像が、部屋のテレビで見られるらしい。こりゃ盛り上がるわ。

 せいぜい我が班の委員長を応援してあげよう。今まさに、鼻息荒くウォーミングアップをしている。

 ……まあ、委員長には気の毒だが、たしか勝つのは、のどかじゃなかったかな? たぶんこれは朝倉とオコジョのたくらみで、キスをすればネギとの仮契約が結ばれる仕組みになっているんだろう。ここでのどかが勝てば、強力なアーティファクトである心を読む日記帳を手に入れることになるわけだ。原作のことを考えるととても大事なイベントだといえる。

 

「さあ!! 行きますよなごみさん!! ネギ先生の唇は、(わたくし)たちが死守しますッ!」

「ハハハ……は?」

 

 

 枕を両手に、館内をうろつく。

 まあたしかに、長谷川さん、那波さん、村上さんのうち、委員長が誰を相棒に選ぶかと言ったら、体育とかが得意なオレになってしまうのか……。彼女が一番信頼していそうな那波さんは、こういうのうまく逃げるし。

 すこし緊張する。ここでのどかが勝つという結果を変えてしまっては、先の話が見えなくなってしまう。それは避けなければならないが、のどかが勝つまでの細かい流れなんて覚えていない……。オレはどう立ち回るべきだろうか。

 うまい具合に敗北して抜けるか。とはいえ新田先生に見つかれば、朝までロビーで正座という一昔前の厳しい教育的指導が待っているので、それも避けたい。

 

「なごみさん、あなたの霊長類最強の身体能力、信頼していますわよ……!」

 

 委員長が小声で話しかけてくる。何その評価? 過大にもほどがある。

 委員長は知らんと思うけど、このクラスには忍者とか退魔の剣士とか吸血鬼とかいるんだぜ。オレなんて路傍の石だよ。

 

「―――っ」

「あ……」

 

 角を曲がったところで、ちょうど別の班とばったりはちあう。佐々木さんと明石さんの運動部ペアだ。強敵だね。

 ネギ先生目的で必死っぽい委員長と佐々木さんは互いに枕の殴打を浴びせ合い、静かに悶絶している。

 お祭り騒ぎが好きで参加しているだろう明石さんは、自然とオレを標的にして襲い掛かってきた。枕が顔面を打って眼鏡が割れないよう、インパクトの瞬間に顔の角度を変えて対応していく。まあ戦闘を想定した頑丈なものらしいから、枕攻撃でわれることはないだろうが……。

 その場で腕を組んで立ち、モフッモフッとボコられながらぼうっとする。

 枕で攻撃なんて、まっとうでかわいらしい安全ルールだよな。交戦状態に入っても永遠に決着がつかない。どうやらこのゲーム、新田先生に見つかる事だけが敗北の条件だな。

 どう逃げ出したものか……。

 

「うーん」

「ちょっ、なごみさ……! 何してますのーーっ!? 助力! 連携を!」

「チャイナピロートリプルアターック!」

「おごっ!?」

 

 突然の衝撃に頭をおさえ、立ち上がる。いつのまにか自分は床に膝をついていた。

 あらたな闖入者が現れたのだ。古菲(クーフェイ)さんによる枕投擲が我々に突き刺さり……、オレだけ1メートルほど吹っ飛ばされたようだ。

 

「チャイナピロー乱撃!」

「ぐっ……!」

 

 追撃。古菲さんの持つ枕は、まるでコンクリートブロックでも入っているかのように重く、ガードした腕に響く。これは、話に聞く気功というやつでは……!?

 腕の間から見た彼女の表情は、ギンギンに挑発的な笑みを浮かべている。

 こいつ……本気だ!

 

「ほう……今のを防いでぴんぴんしているとは。クラス1のマッチョの座を狙っているという噂は、どうやらホントだったアルな、本屋2号!」

 

 何その噂?

 

「いつか決着をつけようと思てたが、今がその時と見たネ。さあ、構えるアル!」

「……フッ」

 

 オレは眼鏡を外し、懐に仕舞った。

 

「いいんちょ……先に行きな」

「で、でも!」

「クーフェイさんはわたしが引きつけるッ! さあ!」

「……ご武運を!」

 

 委員長に明石さん、佐々木さんは、オレ達の異様な雰囲気を感じ取ったのか、この場から去っていった。

 ……よし! うまいこと雪広さんと別れられたぞ。あとは流れで抜け出して、部屋に戻ろう。

 

「ぼうっとしてる場合じゃないヨ!」

 

 枕を持った古菲さんがしかけてくる。このままガードを固めていれば、そこまでダメージは受けないはずだが……

 それは油断だったのだろう。古菲さんは、それこそ魔法使いを上回るスピードで一歩、こちらの懐に踏み込んできた。片腕が枕で弾かれ、防御に穴ができる。

 

「がっ……!?」

 

 腹部に衝撃。これ自体は悶絶するほどのものでもない。だが、一秒こちらが止まってしまえば、古菲さんの動きは止まらなくなる。

 まるで舞いのような型を見せつけられると同時に、あちこちに打撃が入れられていく。リズミカルに感じてしまうほどのテンポの良さ。

 これが中華の……! 身体能力のスペック差を埋める、技術!

 合理的な体技が構成する、流れるような連撃。ケンカを少しかじったくらいじゃ手も足も出ないな……!

 

「………!」

 

 反射的な、防衛行動だったのだろう。高畑先生にボコられているときのような感覚に陥ったオレの身体は、無意識に身体の内外に纏う魔力を強めていた。

 それで、古菲さんの動きが止まる。

 遊びのうちとして楽しんでいた表情が、すうっと真剣なものになっていった。

 

「……この威圧感……まさか同じクラスに、まだ強者がいたとはネ」

 

 そう言いながら、古菲さんは片手に残っていた枕を投げ捨てた。そのまま中国拳法のなにがしかの構えを静かに取る。

 

「すうーっ………」

 

 オレもまた、纏う魔力を強めて、半身を引いて彼女をにらむ。研ぎ澄まされた感覚の中で、じっと見守っていた長瀬さんがめずらしく汗を一滴流したのがわかった。オレ達が本気で拳を叩き合わせるようなことになれば、割って入ってくれるつもりなんだろう。

 集中が高まるにつれ、性能を上げていく五感。魔力のギアを上げるほど、目の前の古菲さんが緊張していくのがわかる。そして――、

 

「新田先生ーーっ!! また3-Aが騒いでますう~っ!!」

 

 英語教師のしずな先生を意識したセクシーな大人の声真似をして叫ぶ。なにーっ、と遠くから声がした。

 廊下の向こうからやってくる気配をとらえ、古菲さんが呆けた隙に階段を跳び、2階へ。

 そのまま3班の部屋へと戻り、ズシャア~ッと素早く布団に入った。

 この間6秒。我が全能力を投じた神業であった。しかも部屋のドアとか廊下の床とか全然壊してない。日々の訓練の成果だ……。

 

「うおおお!? な、なんだ、こいつ……」

「あら宮崎さん、おかえりなさい」

「いんちょー見捨ててきたんだね……」

 

 布団の中からテレビを見守っていた班員たちに出迎えられる。

 やれやれ、なんとかなったぜ。ここからは大人しく、のどかの勝ちを見守ろう。

 

 

 そのあと。

 ネギくんの偽物が数人あらわれ、各班の選手たちとキスし始めたときはもう、どれが本物か分からなくて怖かった。もし本物だったなら、全然原作と違うことになってしまう。

 しかし結果としては、どうやらネギ先生は外のパトロールをしていたらしく(冷静に考えたらそりゃそうだ)、生きのこったのどかはロビーにやって来た本物と何やら会話したあと、夕映さんにすっころばされてラッキースケベ的なキスを交わした。優勝者は無事オレの本命に決まったわけだ。

 オレ以外の参加者は全員新田先生に正座させられていた。若者たちよ……これも青春だ、かわいそうだが楽しんでほしい。だが汚い大人は、こうしてうまく逃げるものさ。

 

 しかし翌朝、委員長に死ぬほど怒られた。

 



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8話 修学旅行③

「な……なごみさんっ!? れ、恋愛成就の相がめちゃくちゃ出てますっ!」

「はい?」

 

 朝食時。担任による出欠と体調確認のとき、オレの顔を見たネギ先生が、血相を変えて言った。

 恋愛成就? え、なんでまた。セクストゥムちゃんが京都にいるわけでもあるまいし。それに実のところ、正直、今さら恋愛ごととかあんまり興味が……

 

「……それは嬉しい。でも先生、そんなに慌てるほどのことですか?」

「恋愛ごとの精霊が何体も、『ヤバい……どうしよう……』みたいな顔でなごみさんの周りをうろうろしてます……! あっ! なんかみんなで集まって会議を始めましたよ!? き、気になる……」

 

 マジかよ、それは気になるな。

 霊体が見える眼鏡は今はしていない。いつもの、登校のために部屋を出る寸前に眼鏡をかけるという朝方のルーチンと、旅行先での寝泊まりというこのシチュエーションが噛み合わなかったのか、3班の部屋に忘れてきてしまった。まあ精霊とのコンタクトが苦手な体質らしいので、していても見えないかもしれないが。

 朝の話題としては面白かった。ネギ先生も楽しい冗談を言うものだ。

 

 

 修学旅行も3日目。終わりが近づいてきた。今日の日程は京都での自由行動だ。

 しかし道中は、観光を楽しめず、どうしてもこの先のことばかりを考えてしまっていた。

 ……やっぱり、あのフェイト級の敵がいる場面に自分から飛び込んでいく勇気が無い。自分の実力が明確に見えてきたせいか、活躍願望よりも保身の気持ちが勝って、自分がこの物語の主役になりたいなんて気持ちは薄れてきている……。ネギ先生に積極的に加担することもせず、自然な終わりをただ待つということをしている。

 漫画の世界の美少女に生まれ変われても、腹の中身は変わらない。しょせん自分はここでも、怠惰で中途半端な人間だということだ。

 水のアーウェルンクスと恋愛するんだ、なんてのも、一度目の死からの逃避と、自分を奮い立たせるための方便だったのかもしれない。

 ………。

 らしくなく、自分の内面を見すぎた。

 今後も、セクストゥムちゃんとのお付き合いを目標にして頑張る。……できそうにないなら、魅力的な人ぞろいの原作キャラクターの誰かと仲良くなる。そんな自分でいいじゃないか。神様にもらった第二の人生は、やりがいのある楽しいものにきっとなる。そのはずだ……。

 今日は恋愛運も良いらしいしな。

 そんなふうに自分に言い聞かせて、明るい日の下を、クラスメイト達と歩いていく。

 

「ね、本屋妹ー。聞いてる? アンタもネギ先生の関係者で、魔法使いなんでしょ」

「ぎょっ」

 

 ぎょっ、と言ってしまった。

 オレと一緒に班のみんなの後ろを歩いていた朝倉が、小声で話しかけてきた内容がこれだったからだ。人が珍しくセンチメンタルにひたっていたときに。

 

「誰がそんな、根も葉もないうわさを?」

「カモくんから聞いたのよ」

 

 あいつか~。ネギ先生の肩にいつも乗っていたオコジョ。

 くそ。絶対あいつの仲介で仮契約はせんぞ。

 

「……魔法使いじゃありませんよ。魔法使えないし」

「またまた。昨日もどうやってか、くーふぇと互角に張り合ってたじゃない。カモくんがぜひネギ先生のパートナーにしたいって言ってたよ。協力者なんでしょ、この際、仮契約ってやつしちゃえば? ぶちゅっと。アンタの姉貴みたいに」

「ああ? いやですよ、ネギ先生とキスは、ちょっと」

「ネギ先生とキス!!!!????」

「うおっ」

「委員長!?」

 

 班の皆を先導していた委員長が、突然こちらに亜光速でワープしてきた。地獄耳……。

 委員長の耳は特定のワードを拾うようにできているようで、魔法使いうんぬんの話は聞かれなかったらしい。助かった。

 

「昨夜の催しの話でしたの? ……なごみさん、朝倉さん、昨夜のあなたたちと来たら……!」

 

 助かってなかった。

 オレたちは移動中、委員長から昨晩のお説教の続きと、ネギ先生の魅力講話をずっと聞かされるはめになるのだった。

 ……これでいい。日常を楽しめれば、それでいいよな。

 

 

 

 太秦映画村。

 このテーマパークの中では、時代劇の撮影所の中を扮装して歩くことができ、訪れた人々は江戸時代にでもタイムスリップしたかのような景観をたのしむことができる。

 我々3班のメンバーも適当なコスチュームを着て練り歩き、映画村の空気を楽しんだ。委員長はアホなのか、花魁のような恰好をしていて歩きづらそうだったが……。

 オレの装いは若い町娘って感じの着物だ。着た後になって、動きづらそうだからやめとけばよかったと思った。

 

 みんなからしばし離れ、高畑先生や佐倉さんあたりへのおみやげなど物色していると、通りの向こうの方から喧騒が。

 見ると、5班の連中と3班のみんなが、川にかかった大橋で大量の着ぐるみ相手に暴れていた。

 橋の真ん中の方では、新選組っぽい格好の桜咲さんと洋装のメガネの剣士が斬り合っていて、見物客たちから囃し立てられている。まさしく大乱闘だ。

 例によって近衛さん桜咲さん周りのトラブルかな。

 参戦するでもなく遠巻きに見ていると、野次馬の最後尾の方に長谷川さんを見つけた。ちなみに彼女は巫女さんみたいな服を着ている。とりあえず声をかける。

 

「長谷川さん、この騒ぎは?」

「ん? ああ……桜咲と近衛の恋をみんなで応援するんだとさ。あのメガネが恋敵らしい」

「え? 全然意味が分からない」

「私に言うんじゃない」

 

 ……まあ、近衛さん誘拐企ての中に、またみんなが妙な誤解をして加勢してるってところか。

 出遅れちゃったな。気分はショーを見ている観客で、オレも参戦するぜ! と躍り出る気持ちがわかない。原作通りでいいじゃないかという自分がいて、そいつが心の中でだらけている。京都に来てからずっとオレはこうだ。

 ネギ先生、なんで宮崎なごみは助けてくれないんだろう、って思ってるかな……。

 

「うおーっ、アレ見ろよ!」

「お城の上、すごーい!」

 

 見物人たちの声に、視線を誘導される。

 戦いの舞台は、しゃちほこが飾る天守の屋上へ。眼球に魔力を叩き込むと、さっきまではいなかったはずのネギ先生と、近衛さんが、例の呪術師の女と対峙しているのが見えた。

 女は、弓を持った鬼のような怪物を召喚し、近衛さんに狙いをつけている。

 さすがにクラスメイトが凶器を向けられていると、結果が予想できていても良い心地はしないな……。

 

「!!」

 

 矢が放たれた。それを、近衛さんの元に駆け付けた桜咲さんが、両手を広げてかばった。

 肩に矢を受け、そのままバランスを崩して屋上から落ちてしまう。下は水面とはいえ、ただでは済まない――!

 

「………」

 

 桜咲さんは、彼女を追って飛び降りた近衛さんによって助けられた、強い光が放たれ、次の瞬間、二人は宙に浮いていたのだ。近衛さんの魔力が正しく発揮されたのだろう。

 ……結局、クラスメイトがあからさまにピンチだっていうのに、オレは動かなかった。

 根っからの傍観者なんだろう。

 このまま放っておいて、おいしいところだけ活躍したいという打算的な気持ち。無駄に動いて自分の知る未来から外れたらどうするんだという怯え。フェイトに目をつけられて、万が一もう一度死んでしまったら……、という恐怖。

 そういったものが、この足を止めているらしい。

 しかしバタフライ・エフェクトという言葉もある。自分の存在が元のストーリーをわずかに変えることで起こるかもしれない、本当のみんなのピンチを見極められず、取り返しのつかないことになってしまわないか……そんなことも怖い。

 懸念事項は考えればきりがない。……やめよう。

 中途半端に知っている漫画の世界になんか生まれ変わったら、人間、こういう無駄な悩みを持ってしまうらしい。

 全然知らない世界の方がオレにはあっていたのかもしれないな。

 

「やれやれ、もうつきあってられん……」

 

 長谷川さんがそう零す頃には騒ぎは収まり、3班のみんなも、委員長だけフラフラになりながら橋のたもとに戻ってきた。

 いつの間にか5班のメンバーと朝倉がいない。もしかすると、もう関西呪術協会の本部へ行ってしまったのかもしれない。

 ……今からネギ先生は、近衛さんを攫われてなんかデカい鬼神の復活を見せられたり、石になった生徒たちを目の当たりにしたり、フェイトと交戦するのか。

 ………。

 何度も自分に同じ言い訳をしているが、やはりオレの助力は必要ない。いや、行かない方がベストなんだ。

 自分は物語の、邪魔ものなんだから。……怖いことから逃げることの、何が悪い。

 旅館に帰ろう。今日一日寝て起きれば、すべては終わっている。

 

 戦いに背を向けて、3班のみんなと、映画村を出口に向かって歩く。

 遠くで戦う桜咲さんたちを見るのに集中したせいか、まだ身体に魔力が回ったままだ。自分の息をひそめると、周りの人たちの声が拾えてしまう。

 

「あの子たち、子どもに見えたのにすごかったね。アクション俳優さん?」

「写真撮るの忘れた……」

「お土産どうする?」

「次どこ行くー」

「……何を無駄なことをしている? テルティウム」

 

 ぞく、と。

 背筋が凍った。

 聞こえてはいけない声を、耳にしてしまったと思った。

 

「ここにはコノエ・エイシュンとその娘がいる。それに……、あのサウザンドマスターの息子も」

「それがなんだ? 脅威となるならすぐに排除してしまえばいい。我らが主の使命から、貴様は逸脱している」

「………」

 

 路地の裏、建物の影に……、()()()の少年がいた。

 見つけてしまったことを、強く後悔した。半端に鍛えたりするんじゃなかったとすら思った。

 ――どうして、フェイトがふたりいる?

 

「君こそ自分の仕事をすれば? いちいち干渉しないでくれ。それとも、稼働したてで右も左もわからないのが不安かい。4番目(クゥァルトゥム)

「チッ」

 

 視線を外すことができず、その容姿の情報が目に入ってくる。二人は髪型と表情が違う。まるで双子のようだ。

 厳密にはフェイトがふたりいるわけじゃない。あれは……たぶん、“火のアーウェルンクス”だ。水のアーウェルンクスと同時に登場したから覚えている。

 ……だが、ありえない。京都なんかで出会うはずがない。だってあいつは、ストーリーの最後の最後の方で出てくるやつだ。強くなったネギに、一蹴されてしまうだけの存在。ほとんど活躍はしない憐れな敵キャラ。

 でも、現時点では誰も敵うはずがない。スペックの上ではフェイトと同等の、最強の魔法使いだ。絶対にここにいちゃいけないやつだ。ありえない……。

 どうして……。

 

「僕はキミを見ているぞ、テルティウム。新入りはそうしろと、デュナミス様からの命令だからな」

「そう。……フェイトって名前で呼んでくれる? その()()は嫌いなんだ」

「ふん、何が名前だ……」

 

 表情が険しい方の少年、すなわち“火のヤツ”は、フェイトに絡むのをやめて路地から出てきた。

 ――こ、こっちにくる!

 動悸と冷や汗が止まらない。足が動かない。止まるな! この場にいる人たちと同じように、何も知らない顔で歩くんだ。

 だんだんと距離が縮まってくる。あいつは、オレがいま来た方向へ向かっているようだ。

 ……怖い。自分の命が、どうしようもなく惜しい!

 神様、神様。このまま何事もなく、すれ違うだけで終わらせてください。

 みっともなく、自分が確かに出会ったはずだという記憶だけはある、顔も声も覚えていない神様にすがる。

 ――白髪の少年は。

 オレのすぐそばを、通りすぎた――。

 

「ん」

 

 しかし。

 声と呼んでいいかもわからない、人間の出す中では限界ぐらいの、極々短い音。

 それが背後からした。それだけで、心臓が止まった気がした。

 

「そこの小娘……、お姉さん? 何か落とされましたよ」

 

 振り返れずに凍り付いていると、少年は、こちらの正面に回り込んできた。

 ――まさしく、人形のような、造りものじみた容姿だった。

 彼は愛想笑いを浮かべ、こちらを見ている。口元は微笑んでいるが、目の色は冷ややかなままだ。

 その手にあったのは、単なる小さなヘアピン。前髪を留めるために使っているもの。こんな、どうでもいいものを、このタイミングで落とすなんて。

 無意識に、視界を長い前髪で隠そうとして、自分で外した? いや、いや、それこそどうでもいい。

 

「? そちらのものでは?」

「! ぁ……あ、りがとう、ございます」

 

 声を、なんとかして、絞り出す。

 変な反応をするんじゃない。中学生が、落し物を親切に拾ってもらっただけだ。それ以上の何かはない。常識的なやりとりをすればいいだけだ。

 自分よりいくらか身長の低い少年は、こちらに手を差しだしている。

 すぐに受け取って、みんなのところへ追いつこう。それ以上のことは何もない。何もない――。

 

 受け取る拍子に。

 少年と自分の手が、触れた。

 

「っ―――」

 

 その瞬間、だった。

 びり、と。

 肌が、脊髄が、五感が、脳が、心臓が――、電撃のような何かで痺れた。

 

「え? あっ。あっ、あ……」

 

 頭の中と胸の中が何かにつかまれて、かきまわされ、これまで感じたことのないものを覚え込まされる。

 顔面が、身体中が熱くなって、足が震える。心拍数が運動時のそれくらいに、急激にギアを上げている。

 目の前の少年に対して、もっと見ていたい、もっと声を聴きたい、もっと匂いを感じたい、もっと肌に触れたい……そういうものが、こんこんと自分の裏側から湧いてくる。

 心の中で誰かが言った。

 わたしは、彼に■をした、と。

 

「あ。あ、あの……」

「……?」

 

 ――そんなはずがない! 不自然だ。こんなことはありえない。まるで自分が自分じゃないようだ。勝手にしゃべっている。

 少年と触れていない方の手を強く握りしめ、さっきまでのオレをかき集める。

 なんだこれは? 自分がふたりいるような、気持ちの悪い感覚。おかしい、おかしい、おかしい。

 どうすればいい? 決まっている、彼を……

 いや! 何をしている!? 早くここから離れるんだ。目をつけられるようなことをしない。そのはずだっただろ。

 

「ありがとうございました」

「……いえ」

 

 そのまま、少年は、向こうへ歩いていった。

 さっきまで凍ったように動けなかった身体が、今度は、熱に浮かされるようにして、背後を振り返る。

 雑踏に消えていく少年の背を、オレの身体は長いこと見つめていた。

 

「………」

「――? お、おいアンタ、どうした、体調不良か?」

 

 足に力が入らなくなって、地面にへたり込む。誰かが呼びかけてくれたけど、それが、長谷川さんが心配してくれたのだということには、少し時間がかかった。

 ……一体、何が起きている。

 いてはいけない人間がいて……、

 あるはずのない変調が、自分にあった。

 

 この物語は。このオレは。

 毒のような何かに、侵されている。

 



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9話 修学旅行④

 旅館に帰ってきてから、もうどれくらい経ったのだろう。自分はもうずっとロビーの休憩所に座っている。

 気がつけば日も沈む時間帯になっているようだが、5班のメンバーの姿はまだ見えない。やはりもう関西呪術協会に辿り着いているのだろう。

 

「っ!」

 

 上着のポケットの中で携帯電話が震えている。元の自分が生きていた時代から見れば、いささか古いタイプ……いわゆるガラケーだ。実家から離れて寮暮らしをしている麻帆良の生徒は所有率が高く、オレも今世の両親に持たされていた。

 電話の主は……ネギ・スプリングフィールド。現代電子機器を使いこなすなど魔法使いらしくないが、ふつうにこっちの方が便利なんだろう。

 ……このタイミングで、ネギからの連絡。意識してしまうと、ある恐ろしい想像が頭をよぎり、バイブレーションが心臓に響くような錯覚を覚える。

 緊張を落ち着け、電話に出た。

 

「……もしもし」

『あ! なごみさん、ネギです! もう旅館に戻られましたか?』

 

 切迫している様子ではなく、いつもの無邪気な声だ。()()緊急事態に瀕したわけではないらしく、いくらか安心する。

 連絡を進めていく。やはり向こうは関西呪術協会の本山、近衛さんの実家にいるらしい。5班のメンバーと朝倉、ネギ先生、オコジョはそちらで一晩過ごすそうだ。

 

『……というわけで、身代わりの式神を送るそーなので。偽物だとバレないように、それとなくフォローして頂けないかと……』

「うん、うん。わかりました……」

 

 どうせ3-Aのみんなはそんなことに気付きはしない。頼み事はついでで、状況の共有のため連絡をくれたのだろう。子どもらしくまだまだ未熟なところもあれば、こうしてちゃんとしている部分もあるわけだ。

 

『……あの、なごみさん? そちらは何か、変わったことはありましたか?』

「―――」

 

 あった。

 自分にとっては、世界がひっくり返りそうなくらいの出来事だ。

 いるはずのない恐ろしい怪物が、この京都にいる。そして……

 

「……いいえ? 映画村での騒動以外では、まっとうに修学旅行を楽しみましたよ」

『そうですか! それなら良かったです』

 

 そうして、嘘をついた後。事務的なやりとりをして、通話を終えた。

 

 再びロビーのソファに腰を沈め……、明るい室内や他の生徒の声といった情報を頭から追い出して、ただ床を見つめる。

 自分が知っている余分な情報は、この世界の人たちには明かさない。だからネギ先生にも嘘を言った。先が見えなくなることが怖いのだから、このスタンスを変えるつもりはない……。

 だが、そんなことをしている場合だろうか?

 だって、アーウェルンクスがもう一体、この京都にいるんだ。

 このままオレがここに座っていたら、何が起きる? もしも、あいつがフェイトに加勢したなら。

 今のネギでは敵わない。企みを阻止できなくなる。最悪、彼も5班のみんなも、石化魔法が解けなかったり、重傷に見舞われたり、近衛さんは呪術士の女にさらわれて大変な惨事が起きたり……。

 どうしてこんなことになった? どうして、いるはずのないやつが……。

 やっぱり、自分のせいなのだろうか。それ以外に考えられない。

 昼間に間近で見た、少年の顔を思い返す。

 毛髪や肌の色、冷たい瞳は、雪の妖精か何かのようだった。年齢はネギ先生と同じか少し上くらい、12か13くらいの印象だった。

 声は思いのほか低く、自分の耳に染み込んでくるように響いた。触れた手のひらの温度は、人形だとは思えないほど熱く感じて……

 

「……!?」

 

 まただ。

 汗が出ている。熱が出たときみたいに身体があつい。

 動悸と心拍数の上昇。この症状はあいつの手に触れたときから始まった。これでは、まるで、まるで。

 ……一目惚れ、のようではないか。

 そんなこと、絶対にありえない。この現実が受け入れられない。オレはまだ、男として生きた時間の方が長いし、自我も性自認も男性のつもりでいた。そして恋愛対象は男ではない。加えて少年趣味でもない。

 今の自分ときたらどうだ。恐ろしい目に遭って、脳みそがおかしくなったのか? 美少年のことを考えて興奮するなんて、まるきり変態だ……。

 あいつは敵なんだぞ。物語の中心ですらない、ただのやられ役だ。水のアーウェルンクスと同じ。

 

 ……もしかして。

 はっきりと覚えてはいないけれど。“神様”に、水のアーウェルンクスと恋愛がしたい、なんて適当なことを言ったから?

 こんな不自然な一目惚れ、神様の呪いだとしか思えない。

 そうだ、絶対にそうだ。これは間違ったものだ。受け入れてはいけないもの。

 どうにかして、この呪いから逃げるんだ。

 どうにかして……

 

「……おい。……おい! アンタ、今日はおかしいぞ」

「! あ、長谷川さんか……」

「悪かったな、仲良しの友達じゃなくて」

 

 顔を上げると、浴衣姿の長谷川さんが見下ろしていた。

 

「おかしいって、どこが?」

「顔色が青くなったり、赤くなったり、いったりきたり。病院に行った方がいいんじゃないか? ……ほら、やる」

 

 彼女が差し出してきたのは、冷たい缶ジュースだ。

 ありがとう、と受け取る。嬉しさと情けなさが胸の中にわいた。大人びた子だとはいえ、中学生に心配されるとは。前世の年齢と今のを足したらもう高畑先生くらいあるってのに。

 ……まあ、人間、何年生きていても精神的には子どものままだったりするやつもいる。自分はその典型だ。もしかしたら長谷川さんよりもガキなんだろうな。ああ恥ずかしい。

 受け取った缶を開けようとして、手を止め、自分の額に当てる。

 冷たくてびくっとしたけれど、変な熱からは逃げられそうだった。

 

「しんどかったら誰かに言えよ、修学旅行なんかでぶっ倒れられたら迷惑だ」

 

 冷たいのか温かいのかわからない言葉をかけ、長谷川千雨さんは去っていった。とくに仲良くお話してくれるというわけでもないらしい。

 けれど、それくらいの関係も、なかなか心地いいものだと思った。

 

「………」

 

 これから数時間のうちに、ネギ先生とフェイトとの初遭遇が起こるはず。

 そこに、あのもうひとりが介入してくるかどうかはわからない。

 ただ傍観をしているかもしれないし、もしかするともう京都を去った可能性もある。

 しかし、当然。積極的に手を出してくる可能性もある。そのとき、ネギと5班のみんなに打つ手はない。

 

 熱は冷めた。

 代わりに、缶を持っていた右手が冷たくなって、震えてくる。それを左手で押さえ付けた。

 第2の人生、美少女になってバラ色だ、楽しいことしかない――なんてことはやっぱりなくて、漫画世界の人間の人生にだって、山と谷があるらしい。

 たまには、少しでいいから、覚悟を決めなければ。

 ……いないものの相手は、いないものがしよう。

 

 しばらく、今後の身の振り方を考えていると、突然横の方のソファから、すさまじく哀愁に満ちた音楽が聞こえてきた。

 誰だ、着信音にゴッドファーザーの愛のテーマ設定してるやつ。人がシリアスにふけってたのに。

 

「長瀬でござる」

 

 もう少し忍ばんかい。

 

「バカリーダー? ……どうした夕映殿。落ち着くでござるよ、落ち着いて……」

「!」

 

 夕映さん。5班のメンバーで、ネギ先生に伴って近衛さんの実家にいるはずだ。

 その彼女から、長瀬さんに電話。長瀬さんの返す言葉から、電話口の向こうは必死な様子であることが予測できる。

 つまり……

 

「助けが必要でござるかな? リーダー」

 

 戦いが、始まっている。

 

 

 

 こんな深夜に女子中学生4人で電車に乗るなんてのは、いかにも非日常だ。しかしうち2人がどうみても成人のルックスなので、別に誰かに止められたりはしなかった。

 夕映さんたちのいる関西呪術協会の本部へと助力へ向かうのは、長瀬楓さん、龍宮真名さん、古菲さん、それにオレを加えた4人。多少のトラブルなら、このメンバーで駆けつければなんとかなるだろう。

 だが、やはり不安だ。最悪の結果が用意されていないことを祈るしかない。

 

「ウハー! 修学旅行中の非行、興奮するアル!」

「……楓。この労働の対価は誰に請求すればいい?」

「んー。夕映殿からの依頼でござるが、いたいけな女子中学生に真名の依頼料をふっかけるのは……」

「私とてクラスメイト相手なら割引もするが?」

 

 怖い会話をしているな。

 夕映さんが助けを求めているのは、ネギ先生の騒動に巻き込まれたから。旅行中ネギ先生が戦うようなことになっているのは、学園長からの依頼に絡んだから。襲撃される理由も、学園長の孫である近衛さんの身柄を狙ってのこと。ということは、

 

「学園長に請求してください、龍宮さん」

「……ふむ?」

 

 クールな色の瞳が、こちらに向いた。

 

「なるほど、お前も彼らの関係者か。……よろしい、ではこの請求書を近衛学園長に渡しておいてくれ」

「は、はあ」

 

 飾り気のない封筒を寄越される。

 中の紙切れに、どんな値段が書いてあるのか怖くて確かめられんな。

 

「ところで、あの……皆さん、ちょっといいですか」

 

 3人の視線が集まる。

 ……いいのか、この、自分だけしか知らないことを言ってしまって。口にすればこれまでのスタンスを崩すことになる。

 いや、今さら情報を出し惜しみするべきじゃない。みんなに危害が及ばないようにするためには、各々に気を付けてもらうしかない。

 

「夕映さん達がトラブってる相手の中に……わたしの知っている、ある少年がいるかもしれません。白髪の西洋人で、12歳くらい。炎を……出したりする手品を、使うやつで、その、物凄く強いかもしれない。だから……」

 

 言い淀みながら、言葉を並べ立てていく。

 けれど、最終的に言っておきたいことはひとつだ。

 拳を保護するための皮手袋をしながら、みんなに言う。

 

「もし現れたら、そいつとは()()がやります。手出しをしないように」

 

 具合を確かめるように、拳をぎゅっと握った。

 自分よりよっぽど強い子たちにこんなことを言うなんて、滑稽だ。

 けれど、そうでなければならない。いるはずのないアーウェルンクスの相手は、同じく異物である自分がしなければ……。

 

「おお? なんかよくわからんアルが、あれか? 因縁のライバル的な?」

「えっ? あ、まあ、そんな感じかな……」

「事情は分からんが、覚えとくヨー!」

 

 この深夜徘徊にテンションが上がっているのか、古菲さんがバンバンと背中を叩いてくる。細かい事を気にしないのはさすがバカレンジャー・イエローといったところ。

 ただ長瀬さんと龍宮さんの視線は、何か言いたそうではある。そりゃそうだ。

 だが、そちらのふたりも普段は素性を隠している。こちらに何か隠し事があっても、深く踏み込んでは来ないようだ。二人は事情を細かく問うことなく、小さく首肯してくれた。

 列車に揺られながら、身体に魔力を流して、すぐに動けるように熱を上げていく。

 戦場はもうすぐ近くだ。

 あの恐ろしい魔法使いが現れたとき、自分はちゃんと動けるだろうか――。

 



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10話 修学旅行⑤ 

 現場に駆け付けると、そこには何十体の、いや百を超える数の怪物がいた。

 見た目の印象から、彼らは和モノの妖怪のたぐい。おそらく敵の呪術使いが呼び出したものたちだろう。

 その怪物たちが囲む中心には、ふたりの女の子がいる。桜咲さんとアスナだ。

 自分の曖昧な記憶も引き出して現状を考えると……、近衛さんがさらわれてしまって、スゴイ鬼神を呼び出す儀式が行われてしまうのを防ぐため、ネギ先生だけが足止めを突破してそちらへ向かっている――といった場面だろうか。

 

「! あれは……」

 

 だが、彼女らの作戦はうまくいっていない。

 林の向こうから、夜を切り裂くように眩い光の柱が上がっている。おそらくもう、敵の目論みは果たされる寸前だ。だからこそ助けがいる。

 龍宮さんと古菲さんにその場を任せ、長瀬さんと共にネギ先生を追う。

 長瀬さんはその途中、木陰で助けを待っていた夕映さんを抱き上げると、尋常ではないスピードで林中を駆け抜けた。しかも途中で二人に増えた。分身の術だ。

 なんとか彼女の後を追っていくと、やがて戦いの気配がした。

 足を止める。やや開けたその場所でにらみ合って、今にもぶつかろうとしていたのは、ネギ先生と、もうひとり。

 ……コタローだ。なんとか小太郎(名字が今ぱっと思い出せない)。ネギの相棒兼ライバル的なポジションの少年キャラクター。そうか、修学旅行編ではまだ、敵対関係だった――。

 ネギはいま、ここでバトルしている場合ではない。長瀬さんが諭し、彼を先に行かせた。

 

「……! なんや姉ちゃん、邪魔すんなや……!」

 

 この場を引き受けた長瀬さんが、小太郎少年と対峙する。

 ここは任せていいだろう。なら、オレは……!

 

「な、なごみ! どうしてあなたが……!? ここは危険です、みんなが、のどかが、石にされて……!」

 

 長瀬さんの腕の中から降りてきた彼女は、状況の割には冷静に見えた。だが、オレの顔を見てのどかのことを思い出してしまったらしい。さすがに取り乱しているようだ……。

 

「大丈夫、大丈夫ゆえさん、なんとかなりますよ。落ち着いて……」

 

 なるべく穏やかな口調と表情を心掛け、姉の友人をなだめる。

 今まさに必死で戦っているみんなには悪いが、オレにとっては放っておいても解決する事件だ。なんとかなるという言葉はあながち無根拠なものでもない。

 ……けれどそれがもし。放っておいて、解決しないものになっているのなら……、

 なんとか、する。

 傍観者でいられなくなったなら、とにかく懸命に、力を尽くすしかない。頭が悪いんだから、身体を動かして。

 夕映さんを、長瀬さんの分身に任せる。彼女の本体は小太郎相手に有利に戦いを進めているが、この場で足止めされる形だ。今自由に動けるのは、自分だけ。

 空に昇る光の柱。その大元を目がけて、再度走り出した。

 

 やがて、大きな湖が見えてくる。中心には祭壇のようなものがあり、そこから光の柱が空に伸びている。

 ……いや。

 いま、その光の中から、一体の巨大な怪物が現れた。おそらくあれの復活が敵の女の目的。強力な鬼神とかなんとかだ。つまり、近衛さんを取り戻し、儀式を止めることには失敗した――。

 だが、そこは問題じゃない。

 いまこの場で重要な存在はあっちじゃない。あれはすぐに倒される。

 オレが見るべきは……

 既に戦いの最中にあり、消耗しているネギ先生に向けて、ゆっくりと歩み寄っていく少年。

 フェイト・アーウェルンクスだ。

 

 目の前には、空でも飛ばなきゃ渡れない湖。自分から見て右の岸から、祭壇に向かって橋が築かれているが、そこに回り込む時間が惜しい。

 オレは最高速度の走りを助走として、湖岸を強く蹴った。

 

「……!」

 

 夜空の下を飛び跳ねる。耳で風を感じ、自分が高所にいることに背筋が冷える。けれど、ここまで走ってきた身体はとっくに温まっていた。

 眼下には祭壇。ドンピシャの位置。

 いや。ドンピシャを超えたかもしれない。落下地点には、ちょうどネギに向かって害意ある指を向けているフェイトがいる。

 こうなったらもう、やるしかない。グローブに包まれた拳を握りしめ、振り上げた。

 

「―――」

 

 インパクトの直前。無機質な石のようなその目が、こちらを射抜いていた。

 拳骨を思い切り叩きつける。ここ最近、エヴァ関連トラブルや高畑デスメガネ訓練でずいぶんパワーアップしていたパンチは、けれど久方ぶりに、己より強固な存在に阻まれていた。

 いわゆる、魔法障壁。西洋の魔法使いたちが防御のために身に纏う不可視の盾。それが、手ごたえからしてきっと銀行の金庫くらい頑丈なやつが、少年の前に何枚も何枚も重なっているのが、この瞬間だけ見えた。

 

「ぐ……ぬがあああああっ!!!」

「!」

 

 ここまできたら、なんか引っ込みがつかず。気合で拳を振り抜いた。

 何十枚も連なっている、フェイトの盾。それを、ほんの一枚だけ割ってやった。良い感触だ。

 

()――っ」

 

 ……腕が痛む。どうやら無茶だったらしい。

 フェイトはいくらか後退したが、じっとこちらを見ている。

 こうして数拍空くと、自分が衝動的にしたことがあまりに無謀だという事実が、頭に追いついてきて、ぞっとした。

 

「キミは先ほど石にしたはずだが……いや、別人か」

 

 石にした。のどかのことだ……。

 あいつの魔法は恐ろしい。石化なんて、ほとんど即死魔法みたいものじゃないか。のどかや、他に石にされたみんなは、怖くはなかっただろうか。今まさに苦しんではいないだろうか。

 そして。自分がそれにさらされることが、怖い。

 

「そこのネギくん共々、少し眠っているといい」

「っ――!?」

 

 フェイトが視界から消えて、代わりに、自分の後ろから声がした。

 攻撃の気配を感じて咄嗟に腕を上げると、すさまじい衝撃。ガードして、踏ん張ったはずなのに、身体ごと吹き飛ばされた。

 痛い。加減はしているのだろうが、それでも車にはねられるくらいの勢いの打撃だ。たまにでも高畑先生にしごかれてなかったら、いま泣いてしまっていたかもしれない。

 しかしちょうど飛ばされた位置がネギの近くだった。少年が、息を切らしながら駆け寄ってくる。

 

「なごみさんッ! 大丈夫ですか!?」

「……先生、こそ、平気か?」

「あ……はい。まだ、戦えます」

 

 見た感じ、まだ石化の魔法を受けた様子はない。とはいえ息も上がっていて、おそらく魔力的にも限界だ。ひとりではこれ以上どうしようもないはず。

 

「アニキ! 姉さんたちを!」

「わかった……!」

 

 ネギ先生は、肩に掴まっていたオコジョとなにやらアイコンタクトをかわすと、手元に二枚のカードを取り出した。

 パクティオーカードだ。アスナと、桜咲さんのもの。この時点で既に彼女とも仮契約していたようだ。

 

「召喚!! ネギの従者(ミニストラエ・ネギイ)――!」

 

 地面に、ふたつの魔法陣が描かれた。

 それが発光すると、たちまち顔なじみの少女たちが現れる。

 

「ネギ! あんた無事……ぎゃあああああ!? な、何よアレーっ!?」

「く……あれがかのリョウメンスクナか!? このかお嬢様……!」

 

 ここでさらに戦力の追加。近衛さんの救出とフェイトの相手にそれぞれ割くことができるはずだ。

 だが、鬼神のそば、高い位置にいる敵の呪術師を倒して近衛さんを助け出すには、空中を自由に飛べる者じゃないとダメだ。すなわち、魔法使いであるネギ先生か……、

 

「……私がお嬢様を救い出します。皆さんはすぐに逃げてください」

「刹那さん、でも、あんな高いところにどうやって……」

「……この姿を見られたら、もう。お別れしなくてはなりません。私の血に宿る、忌むべき異形を」

 

 桜咲さんは身体をぐっと屈め、そして何かを解き放つように背筋を伸ばした。

 彼女の背から、白く美しい翼が現れる。あー、あったなこういう話。

 

「これが私の正体。奴らと同じ、化け物です……」

「刹那さん……」

 

 この非常時にそういうセンチメンタルな内情を明かされても、気が気でない。漫画の読者だったころの自分ならともかく。

 アスナが彼女を励ますプチ名場面っぽいやりとりを半分ほど聞いて、オレは途中までゆっくりと歩いてきていたフェイトが、こちらを向いて口を動かしているのを見た。

 

「――《ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト》」

 

 自分の身体から魔力が噴き上がる。恐怖心はそのあとにきた。火事場の馬鹿力――、危険を察知した防衛本能が、煙を上げて稼働しているようだ。

 ちょうど刹那さんも飛び立ったところだった。オレは近くにいたアスナの手を掴み、怪我をしないように加減して引っ張る。

 そのまま、身体を抱え。

 白髪の少年に向かって、アスナ本人を投げつけた。

 

「ギャアアアアアアアア!!??」

『石化の邪眼』(カコン・オンマ・ペトローセオース)

 

 みみーっ、と敵の指から迸ったレーザービームを、アスナが弾いていく。

 すごい。さすが魔法無効化能力持ち。アスナは最強だぜ……。

 そのままフェイトにぶつかるコースだったが、彼はさっと身をかわした。

 

「あぼぼぼぼぼぼっ!?」

 

 運動神経は超人級のはずだが、まだこの時点では急にこういうことをされると対応できないらしい。アスナは無様に地面に転がることに。かわいそうに……。

 

「何すんのよ、このゴリラがあああああああ!!!」

 

 アスナは鬼の形相でこちらを睨んでいる。フェイトよりオレに襲い掛かってきそうな顔だ。彼も若干呆れている。

 しかし。

 

「魔法の完全な無効化……? まさか……」

 

 フェイトはアスナに関心をもったらしく、今度は彼女に目を向けた。

 ヤツからの視線が外れたその瞬間に、地面を、橋を割り砕き、走る。この先を想像すると怖いけれど、考えないようにした。

 

「ぜえッ!!」

 

 攻撃はまた障壁に阻まれる。

 フェイトはこちらに目を向け――、無造作に、拳を振るった。

 

「!」

 

 やはり、こちらが女子中学生だから、手加減でもしていたと思う。

 今度は吹き飛ばされず、やつの腕をつかんだ。そのまま反撃に、反対の腕を繰り出す。

 障壁は、やはり何度でもオレを阻んだ。

 

 ……大丈夫だ、勝つ必要はない。

 ネギ先生とみんなの勝利条件は、いち早く近衛さんを助けて離脱することだ。けれどオレにとってはそうじゃない。

 このすぐ後の話だ。『修学旅行編』で印象に残っているシーン。

 遅れて登場したエヴァンジェリンが、フェイトを吹き飛ばして、そのまま鬼神を氷漬けにしてしまう、痛快な活躍の場面!

 そうだ、これから彼女はやってくるはず。あの人なら鬼神が何体いようがアーウェルンクスが何人いようが関係ない。

 だからこの戦いですべきは、一刻も早く相手を打倒することではなく、その逆。

 時間稼ぎだ。

 

 拳が通らないなら、別の攻撃を。

 腕をつかむことができたんだ。なら、遠くに投げ飛ばせば――!

 

「邪魔だよ」

 

 こちらを見ていたやつの目が、不自然に発光する。

 強い魔力。眼球を砲台にした、魔法の気配。

 

「あ――」

 

 一流の魔法使いは、呪文を口にせず強力な魔法を放つという。なんともよく聞く話だ。

 最強の悪役であるこいつなら、それは当然できるわけで。

 石になる自分を想像して、身体がすくむ。間抜けな声が漏れた。

 

「――させないっ!!」

 

 ぱん、と軽い音。

 アスナが巨大ハリセンでフェイトをはたいた音だ。

 そんな面白い絵面なのに、効果は劇的だった。攻撃がキャンセルされ、障壁がすべて割れたのだ。

 

「《ラス・テル マ・スキル マギステル》――!」

 

 耳がその声を拾う。

 ネギ先生。まだ魔法を使うなんて、無茶な。

 だが、根性があるヤツは好きだ。年下とか関係なく尊敬できる!

 

「《来たれ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐》!」

 

 障壁が割れて、フェイトに隙ができた。強者の余裕なのか、アスナの素性を考えているのか、わからないが。

 オレはフェイトを掴んだまま振りかぶり、ネギの攻撃範囲に向かって、投げた。

 障壁はない。最強の魔法使いでも、今ならダメージは通る!

 

『雷の暴風』(ヨウイス・テンペスタース・フルグリエンス)!!」

 

 雷と風の束が、無防備な少年に炸裂した。

 ……やった! 大健闘じゃないか。時間稼ぎとしては十分すぎるはず。

 これで、これで――、

 

「……『紅き焔』(フラグランティア・ルビカンス)

 

 赤い爆風が、視界を染める。

 耳がおかしくなる。なのに、そいつの声だけは、オレには、はっきりとわかった。

 ああ。

 ――来た。

 

「ずいぶん派手にやられている。無様だな、テル――」

「真名を彼らに漏らさないでくれ、都合が悪い」

「……ふん」

 

 その少年は空に浮いて、こちらを見下している。

 そして、ふわりと地面に降りたつ。そのさまは、天使のような、死神のような。

 

「……そんな。直撃だったはず――ちがう、それより」

「な、なによこいつら。双子?」

 

 絶望的な景色が、そこにあった。

 力を絞り出したオレ達の前に、最高に格上の魔法使いがふたり。ひとりは参戦したての元気満点で、嘲笑を浮かべている。

 

「おや、キミは……見た顔だな」

 

 その眼がこちらを見た。自分の鼓動の音がひとつ、大きく鳴る。

 

「なら顔見知りの縁だ、消えてもらおう」

 

 薄ら笑いを浮かべながら手のひらを向けてくる。緊張から、心臓がこれまでにないほど激しく収縮する。

 

 ……いや。

 本当に、緊張から、だろうか。

 なぜいま、この少年が戦場に介入してきたのか。それはたぶん、フェイトがオレ達相手にやや手こずっているのを見かねたからだろう。短気な性格、なのかもしれない。

 だが、相手方が優勢なら出てこない可能性もあった。なら、オレはネギ先生に加勢せず、原作通りになるかどうかを見守っていればよかったんだ。

 そうだ、万が一こちらが優位になれば、こうしてアイツが出てくるのは明白なのに。

 どうして、本気でフェイトに挑んだ? 

 

 ああ、わかった。

 顔を見てわかった。心臓のやかましさでわかった。

 オレはもう一度、この少年に会えることに、期待していたんだ――。

 

 そのときの速度は、この場の誰よりも早かったと思う。

 自分のトップスピードだと思っていたものよりも、ずっと上の動きができた。

 オレはかけていた眼鏡を投げ捨て、自分をターゲットにした少年に、逆に正面から突っ込んだ。詠唱が始まるよりも先に、その身体に触れる。

 そのままタックルの要領で組み付き、祭壇が壊れそうな勢いで地面に押し倒した。痛みは感じるのだろうか、自分の顔のすぐ下で、彼の眉がぴくりと動いた。

 両腕を押さえつけ、胴に乗り上げる。普通の子どもなら、これで絶対に動けない。ある程度の達人でも、自分の膂力ならこれで封じ込められる。

 もっとも、この最強の敵がどうなのかはわからない。少年はしばしこちらの顔を至近距離から眺めたあと、その冷たい目を不愉快そうに細めた。

 ちりちりと。空気が、熱くなってくる。

 

「……どくがいい。邪魔だ」

 

 少年の持つ魔力の気配が荒々しく燃えているのがわかった。

 しかし、直後、彼は表情を歪める。目線をよそに向け、まるで誰かに攻撃を止められたような顔、という印象だった。

 

「人間は殺害不可? ふん、くだらないね」

 

 殺害不可、と口走った。

 少年は今すぐには、強引にオレをどかせることができない。つまり。

 最強の存在が、身体を押さえつけられ、まだ大人ですらない華奢な女の子に馬乗りされている。どう対応すべきか考えあぐねている。

 ぞく、と。自分の中である衝動が頭をもたげてくる。

 いま、こいつは。

 ――わたしの好きにして良い、ってことだ。

 

「やけどくらいは覚悟してもらおうか――ん?」

 

 身体を沈め、顔を近づけていく。そうすると、相手の情報がどんどん細かく入ってくる。精巧な人形のような肌、睫毛の長さ、呼吸の有無。それらを認識するほど、自分の頭が、何かに殴られるように、強い情動に支配されていく。

 全身があつい。この熱を相手に伝えるには、どうすればいいか。

 簡単だ。

 そのまま顔を寄せて。

 わたしは、少年にキスをした。

 

「――!?」

「な―――」

「ええーーっ!?」

「痴女!?」

 

 その瞬間は、何よりも大きな達成感を覚えた。使命をひとつ果たしたような。

 苦しげな表情をゼロの距離で感じていると、子どもを想う母親のような慈しみと、敵をねじふせる征服者のような支配欲が湧いてくる。この妙な感情を、一言でいうならば――、

 

「う……うおおおお!! 仮契約(パクティオー)チャンス!」

「カモくん!? い、今は危険な気が~!」

「………。世話の焼ける“新入り”だ」

 

 ぼんやりとした光が自分たちを包む。それのせいか、まだ身体は熱くなった。相手を拘束していた腕を折って、唇だけでなく、身体ごと自分の体温を押しつける。においを押し付ける。こいつをわたしのモノにしたいという気持ちが湧いてくる。

 やがて、何かのつながりが、互いの間に結ばれたことを感じた。

 ひとまず気が落ち着いて、顔を離した。

 眼下には、表情を屈辱にゆがめた少年がいて。手元には、一枚の長方形のカードがあった。

 

 ………。

 あれ……?

 何やってるんだ、オレーーっ!?

 顔が熱い、顔が熱い、顔が熱い。さっきとは別種の熱だ、いやさっきのなんなんだ、前にネギがホレ薬飲んだときの症状に似てたけど全然違うっていうか、わからん、どうしてこんなこと。

 カードに視線がいく。

 そこには……自分では見たことのない表情、悩みとかなさそうに快活に笑う、自分自身が描かれていた。

 

「クソ、主従が逆になってる! あいつが何かしやがったのか!?」

 

 あいつ?

 ……ようやく、正気に戻って。自分がいま、どこにいたのかを思い出した。

 目の前にフェイトがいる。こちらに手をかざしている。おさえつけられた仲間を回収するためだ。

 その氷点下の目つきから、口にしようとしている呪文を予測して、心臓が止まる思いがした。

 

『永久石化』(アイオーニオン・ペトローシス)――」

 

 あ、終わっ――、

 

「そこまでだ若造。こんばんは。そして、さよならだ」

 

 何者かが、その悪意を吹き飛ばした。

 フェイトが視界から消える。代わりに、怪しく笑う金髪の少女、エヴァンジェリンさんが、そこで細い脚を振り抜いていた。

 ――来てくれた。ネギ先生たちを助けに来てくれたんだ。よかった、これで。

 

「ふん。どこの木っ端の悪人かは知らんが、人間ではないな。殺して問題あるまい」

 

 そして、まだオレの下にいたもうひとりの少年をにらんだ。

 

「……あ、ま、待って!」

「? 何をする。邪魔だ、宮崎なごみ」

「く……! どけッ!」

 

 思わず庇うと、少年はオレを撥ね退け、その場から離脱した。

 エヴァンジェリンさんに蹴られたのにもかかわらず大して怪我をしていないフェイトと共に、湖面に魔法陣を呼び出す。

 

「な、なんだあの女は。撤退だ!」

「最初から様子見のつもりだったよ。キミ、何しに来たの?」

「うるさい!」

 

 そのまま姿を消していく。

 最後に、目が合った気がして、「あ……」と声が漏れた。

 ………。

 気持ちも体力も切れて、足が折れる。そのまま、自分がひびだらけにした祭壇の地面にへたりこんだ。

 ぼうっとする頭。額に手の甲を当てて、今が現実かどうか確かめる。

 今がなんだか、風邪をひいたときに見ている夢のような気がする。

 

「アーッハッハッハ!! ギャラリーが少ないのは不満だが、気分は良い! 久しぶりに本気の魔法を見せてやるぞ、ぼーや、お前たち! ……あれ? 宮崎なごみ。おい、ちゃんと見ろ! こら! 助けてやったんだぞ!!」

 

 ……気が付くと、巨大な鬼神は全身氷漬けになっていて。近衛さんは救われて、大団円の様子で。

 そのあとは、戦いなんてなかったかのように、静かな夜で。

 ただ。

 手の中のカードが伝えてくる熱だけは、たぶん、本物だった。

 



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11話 雨下に燃え上がる①

 修学旅行が終わって数日が経つ。カレンダーはもう5月だ。

 あの夜の戦いから、いろいろなことが変わった。のどか、夕映さん、近衛さん、古菲さんにも魔法の存在が露見し、ネギ先生にとっての新たな協力者となった。

 そして彼は、古菲さんからカンフーを、エヴァンジェリンさんから魔法戦闘を教わり始めたようだ。フェイト・アーウェルンクスと自分との格の違いを思い知ったから、というのもあるだろう。

 また、サウザンドマスターの手がかりを京都で手に入れることもできたらしい。そのためにはドラゴンより強くならないといけないんだとか。なんだそれ。

 早朝に学校に行くと、世界樹前の広場で中国拳法の練習をしているのを見る。ああやって目標を持てば、あの子はどこまでも強くなるんだろうな。

 オレは中国拳法をいくら学んだってドラゴンに勝てる気はしないが。

 

 そして、変化があったのは彼らだけじゃない。

 オレもまた。以前のような自分では、いられなくなっていた。

 

「あ、っと。やりすぎた……」

 

 夜。魔法生徒としてのパトロールのバイト中――。

 振り抜いた拳は確かに魔物を捉え、吹き飛んだそいつは壁に激突。学園内の女子の下着を盗んでいたというその怨念の塊は、こうして我々にボコられ、成仏していった。あとには大量のブラ・ショーツだけが散乱していた。

 だが、加減が利かなかった。下着群に隠れてはいるが、西洋的な風情が綺麗だったレンガの壁は、オレが殴り飛ばした魔物と衝突事故を起こしたことで盛大にひび割れている。半分幽霊みたいなもののくせになー。壁くらいすり抜けろよ。

 ……どうも、修学旅行前よりさらにパワーが上がっている気がする。うまく物を壊さないようになってきてたのに、また怒られちゃうな。

 

「あーっ!! 宮崎さん、あなたまた……! 麻帆良学園の平和を守るべき我々が、美しい景観を破壊してどうするのですかっ!」

「す、すいませんー」

 

 やはりいち早く気づき説教をかましてきたのは、今夜の相棒、もといお目付け役。先輩の高音・D・グッドマンさんだ。聖ウルスラ女子に在籍する高校2年生で、立派な魔法使い(マギステル・マギ)を目指す正義の魔法生徒である。高校生だけあって佐倉愛衣さんより一段経験豊富、かつ強力な魔法使いで、頼りになる。影を操る魔法を使うというのがシブい。

 長い金髪の美人、小うるさい委員長気質なので、話しているとクラスメイトの雪広あやかさんを思い出す。いや、小うるさいというのは悪いな。この子の言っていることは正しいのだし。

 平謝りして、壁の修復をお願いする。

 

 自分はその間、戦闘中にそこらに散らかっていった女性下着を回収することにした。

 まあゴミ掃除というか、後片付けというか。もう持ち主には返せない憐れな布たちよ。

 ゴミ袋が無かったので、仕方なく、自分が普段持ち歩いている、部活少女っぽい肩掛けスポーツバックに入れていくことにした。戦闘中は放り投げていたそれを拾い、肩にかけ、布きれをしぶしぶ拾っていく。

 女性下着をかばんにしまっていくのは、自分がいかにもな性犯罪者になったかのようで、女に生まれて10余年といえど落ち着かない。

 そして、めんどくさい。ここから戦闘開始地点まで、まるでドスケベのヘンゼルとグレーテルが通った後のようになっている。まったくもう……。

 無駄に大立ち回りのアクションとかせずに、高音さんに戦いを任せるべきだったな。でしゃばってしまった。玄人はきっと、こういった無駄などはないスマートな戦いをするのだろう。相手を吹っ飛ばさずに、もっとこう。コンパクトなバトルを。

 作業の手を止め、いやに力んでいるような気がする、自分の拳を見つめる。

 うーん。

 

「……なんでまた、力加減間違えちゃうかな」

「そりゃきっとパクティオーの影響さ、マッチョの姐御」

「うお、何奴」

 

 声のしたほう、すなわち自分が肩に提げているバッグを見る。

 下着が詰め込まれたその中には、まるでパンツの布団に身を任せるようにしてくつろいだ様子の、イタチがいた。

 こいつ……。

 

「直接話すのは初めてだな。俺っちはオコジョ妖精のアルベール・カモミール! ネギの兄貴の相棒さ」

「この下着は処分するからあげないよ」

「えっ、勿体な……あ、いや」

 

 こやつ、人間のオスでもあるまいに、何故こうもスケベなんだろうか。冷静に考えると不思議だ。

 

「ともかく、パクティオー。仮契約の話をしに来たんだよ姐御。アンタがさらにマッチョになってるのは、契約した従者の潜在能力を引き出す効果が働いているのさ、多分」

「む……なるほど」

「それで、パクティオーは他にも健康改善、お肌ツルツル、肩こりが治るなどいいことずくめなんだが……」

 

 話しながら、オコジョの彼は腕をつたい、オレの肩までやってきた。

 無遠慮に人の身体に登ってくるやつだなと思ったが、見かけが可愛らしい小動物なので許せてしまう。

 だが、そこからの話は。こいつのキャラクターにしては、どうにも真剣な調子の声だった。

 

「悪かった、姐御。つい本能で仮契約をアシストしちまったが、あんたが契約した相手……。あいつはどう考えてもカタギじゃないヤバいやつだ。契約は破棄した方が良い。俺っちがなんとか、オコジョ魔法で契約の精霊にかけあって……」

「え?」

 

 ……契約を、破棄?

 

「そんなこと、できるのか?」

「手違いで向こうが主人(マスター)側になっちまったから、難しいかもしれねえ。けど事故で結ばれたようなもんで同意のない主従関係だし、そこを突けば……」

 

 ……ああ。

 あのときのことは、あんまり考えないようにしてたのに。

 大事にしまっていたカードを、ポケットから取り出す。そこに描かれている人物は自分。魔法使いの従者としての自分だ。

 主人は、あいつ……火のアーウェルンクス。名前は確か、クゥァルトゥムと呼ばれていた。セクストゥムちゃん以外の悪役の名前なんて覚えてなかったけど、この名前が単なる数字だというのは推測できる。

 そんな、名前もキャラもちゃんと覚えてなかったやつに、オレは。押し倒して、上に乗っかって、そのうえ――、

 なんであんなことしたかな。自分はこうも行動的なやつだっただろうか。

 いくらあの少年のことを、■きになってしまったからといって。

 ………。

 いや、ちがう。そんなんじゃない。この心は偽物だとわかっているはずだ。惑わされるな。

 神様もいらないことをする。ふつう、誰々と恋愛したいって願い事したら、向こうがこっちを好きになってくれるものなんじゃないのか。なんで、オレの方が……。

 

「姐御? ゴリラの姐御! ちゃんと聞いてるかい?」

 

 そうだ、契約を解いてもらえるのなら、これに悩まされることもない。なかったことにできる。

 こいつを、このカードを捨てて、これまでの自分に戻ればいい。

 このオコジョの言葉は、まさしくオレのための、最良の提案だ。

 そのはずだ。

 

「そのマスター用のカードも持ってない方がいいって。災いの種だ、俺っちが処分しとくよ。5万オコジョドルは惜しいが……あいや、なんでもない」

「け、契約は……」

 

 でも、このつながりを失ってしまったら、もう。

 オレは。わたしは――。

 

「破棄……しなくて、いい。別に」

 

 気が付くと。口が、脳みそが、勝手に言い訳を並べ立てていた。

 

「……ほ、ほら、これ持ってるだけでパワーアップできるんでしょ。だったら別に、持っててもいいかなって。向こうも学園の中まで襲いに来ることはないだろうし」

「それなら、ネギの兄貴と仮契約すればいいさあ。アンタが前衛に加わってくれりゃあ、兄貴のパーティーもさらに強くなる。うーん、我ながら会心のアイデアだぜ」

「それは……」

 

 それは、いやだ。だって……

 ええと、その。

 そう。

 今の自分はまあ、一応、女だ。別々の男どもに唇を許すなんて、その、はしたないだろうよ。自分の演じたい女性像から離れる。

 だから、ダメだ。

 そりゃあ、どんなアーティファクトが出るかとか、興味あるけどさ。

 

「他の人間とは、契約しない。もう話は終わりだ、カモさん」

「……姐御。あんたまさか、やっぱり……」

「なんだ」

「俺っちの好感度センサーによると、姐御はあの白髪のガキにマジ惚れ」

「噴ッッッ」

 

 掴んで投げた。

 

 

 

 まるで拳骨のような硬さを持った、視認しづらいエネルギーの塊が顔に飛んでくる。しかしそれは、腕を上げてきっちりとガードしてしまえば、大して痛くもなかった。

 貴重な手合せの日に、幸い力は有り余っている。いつの間にか高畑先生の攻撃も、避けるのは苦手だが、受け止めることに苦は感じなくなっていた。もちろん相手は女子だと思ってうんと手加減しているのだろうが。

 

「………」

 

 そのまま意を決して、離れた位置にいる、ポケットに手を突っ込んでただ立っているように見える高畑先生に突っ込んでいく。自分の頑丈さをあてにした特攻だ。

 先生は動かない。だが距離を詰めるほど、飛行する拳骨――「居合拳」の威力と手数が増していく。以前の自分なら怯んでしまう激しい攻撃。

 でも、進むことをやめはしなかった。顎などへのクリーンヒットに気を払えば、耐えられる……!

 腕の隙間から先生を見る。今、彼は無謀な特攻をする自分に呆れているはず。

 そしてこれまで通り、オレにスピードは無い、と思っている。その隙を突けば。

 足にぐっと力を入れる。地面をしっかりと捉え、そこに短距離走のスターティングブロックをイメージ。先生の様子を観察し――、今。

 魔力と筋肉を爆発させる。姿勢を低く、最速のスタートを切る。両腕を広げ、相手の足を刈り取るべくタックルを仕掛けた。

 そうしてオレの腕は――しかし、空を切った。

 

「―――クソッ」

 

 見上げると、先生はけっこうな高さにほぼ垂直のジャンプをしていた。ただ、その姿勢はさっきまで変わらない立ち姿で、まるで空中に二本の脚で立っているかのようだ。

 見下ろしてくる先生と目が合う。彼のポケットに突っ込んだ手が、これまでと違って、大きくぶれるのが見えた。

 すなわち、大技の予備動作。

 避けられるはずもなく。ただ、痛みへの覚悟を決めた。

 

「があっ!?」

 

 車に突っ込まれたらこういう感じなのかな、という衝撃。色々と景色がぐるぐる回った後、自分は地面に倒れていた。

 ぶっとばされたのか、地面に叩きつけられたのか。くらくらしてわからない。

 全身が痛い。痛い、が……

 ……立てないほどじゃない。オレは身体についた埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

「いてて」

「すまない、なごみ君。加減を誤った」

「いえ、平気ですよ。ほら」

 

 両手をあげてガッツポーズをしてみせる。高畑先生は、けっこう驚いた顔をしていた。

 

「すごいでしょ」

「新年度になってから急激に鍛えられてるね。何かあった?」

「え? え、ええ。ほら、先生の口利きで、パトロールのバイトとかしてますし。他の魔法使いの人を見て勉強してますよ」

 

 ……本当は、たぶん、エヴァンジェリンさんに操られたこととか、修学旅行のせいだと思うけど。

 今日の手合せは終わりだ。懐からメガネケースを取り出す。高畑先生から頂いたこれは異常なほどに頑丈であり、いったい何でできているのか謎だ。中にある無傷の眼鏡を取り出し、いつものように顔にかけた。

 

「少し見ないうちに強くなっていて、驚いたよ。“瞬動”に近い動きもできているようだし」

「しゅんどう?」

「瞬動術。クイックムーブ。一歩目からトップスピードで動き、常人の目には瞬間移動をしているようにすら見えるという、魔力や気の使い手の間ではメジャーな移動術さ」

「へえ~……」

 

 瞬間の瞬、に動くで、瞬動か。

 バトル漫画ってこういう高速移動スキルがありがちだけど、「ネギま」にもあったんだなあ。言われてみるとあった気がする。あった。多分。

 

「さらにそれを極めると、何も無い空中を蹴って空を飛ぶように移動したり、俗に言う二段ジャンプができる。これは“虚空瞬動”と呼ばれている」

「はあ~? ほんとですかそれ」

「本当だよ。ほら」

「うおおお!?」

 

 突然高畑先生がその場で無限にジャンプを始めたので、思わず素の男っぽいリアクションをしてしまった。

 リアリティラインがどんどんめちゃくちゃになりますね。「二重の極み」はなんだかできそうな気がしてくるけど「疾空刀勢」は無理でしょ、みたいなのが自分の中である。虚空瞬動とやらはそれだ。

 魔法と気のパワーの前には我々の良く知る物理世界のルールは脆い。あと、高畑先生の居合拳もオレは正直納得してないからな。

 

「瞬動術は前に出て戦うタイプの戦士は大抵身に着けている。なごみ君も能力的には足りているようだし、練習してみるといい。そうすれば……」

「そうすれば?」

「格上相手でも、逃げられる可能性が段違いに上がる」

「……!」

 

 この人、もしかして修学旅行で何があったか全部把握しているのかな。してるんだろうな……。

 

「……ごほん! じゃあ、まあその。次回はそれの指導を是非お願いします、高畑先生」

「………。ところで、話は変わるけど」

 

 ええー!

 これは、高畑先生は忙しくて教えてくれないパターンのやつだな。瞬動なるもの、果たして独学で得られるものなのかね。

 

「ネギくんがエヴァに弟子入りしたそうだね。君もよく知ってるだろ? クラスメイトのエヴァンジェリン」

「え? まあ、はい」

 

 やっぱネギ先生まわりのことはちゃんと把握してるな、この人……。

 あの子が3-Aの生徒たちに魔法をバレまくっているのも、学園長共々知っているのだろうか。あえて可愛い子には旅を……って感じなのかな。放任主義と言うか。

 

「彼はいい師匠を捕まえたものだよ。エヴァは修行に役立つ道具や知識をいっぱい持っている」

「そうですね。持ってそう」

「実は僕も若い頃、彼女に力を貸してもらったことがあってね。強くなれたのは彼女のおかげでもある」

「ふーん」

「君もそうしてもらうといい。さあ、挨拶に行こうじゃないか」

「……うん?」

 

 

 

 麻帆良学園都市の中にあって、人の気配やコンクリートの建物から離れた、ちょっとした森の中。そこにエヴァンジェリンさんの住む一軒家があるという。

 高畑先生は片手に、京都の呪術協会から彼女あてに送られた謝礼のお土産を持って、緑の中を進んでいく。

 なぜ自分がついていくことになっているのか、と聞くと、ネギ先生に便乗してエヴァの修行場を使わせてもらうといい、とのこと。

 

「そうしたらたぶん。彼女は見ているだけじゃイラついて、いずれ口出しをしてくるから、たくさん学ぶといい」

 

 あの人厳しそうだし怖いから、弟子入りとかはしたくないんですけどね。

 ……まあでも、この世界で腕っぷしを身につけたいのなら、やっぱりここに行きつくことになるのかな。当の主人公のネギ先生が、それを身をもって示すことになるのだし。

 うーん、気が進まない。生まれ変わってからは以前より努力を好きになってきたけれど、あまりつらいのはやだな。

 でも、もう、強くならないといけなくなったんだよな、オレは。もし高畑先生の仲介でエヴァンジェリンさんの修行場を借りられることになるなら、せっかくだ、精いっぱい頑張ってみよう。

 ………?

 強くならないと、いけなくなった。

 なぜ?

 

「……おや? ネギ君じゃないかい」

「あれっ、タカミチ! と、なごみさん? どうしてここに?」

 

 は、と気付くと、既に自分はこじゃれた木組みの家の前にいた。森の中にこんなものがあると、たしかに魔女でも住んでいそうだ。

 もう日が沈んでいる時間帯だが、ネギ先生もまた師匠に修行をつけてもらっていたのだろうか。ここで。先生の仕事もあるだろうに、大変だな。

 

「今日はエヴァにお土産を……何やってるんだい? それ」

「え? あ、これはその、アスナさんとケンカしちゃったので、謝ろうと思って……」

 

 ネギ先生のすぐそばに、小さな魔法陣が敷かれている。この模様は、前に見た気がする。

 先生はカードを一枚手にしていた。ああ、たぶん、従者を呼び出す魔法だな。修学旅行のときに見たが、魔法使いは仮契約を結んだ従者を、一方的に呼び出すことができるんだ。おそらく距離に制限があるのだろうが、なかなか強力な魔法だと思う。

 魔法陣が輝き出す。

 そして……

 すっぽんぽんのアスナが現れた。

 

「「あっ」」

「へっ!? たっ、たか!? せん……!」

 

 スッと高畑先生が目を逸らす。

 さすがネギ先生、エロハプニングを起こす運命を持っているらしい。

 時間帯的に、きっと風呂にでも入っていたんだろう。全裸で野外に放り出される心もとなさはオレも共有できるが、さらにそれを好きなオッサンに見られる気持ちはどのような思いだろうか。かわいそうに……。

 

「いやああああーーーっ!!??」

 

 アスナはネギ少年をボコボコにした。

 あー……。原作にあったエピソードなのかどうか知らないけれど、仲直りできるといいね。

 



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