野良ベーシストは運命と出会う (なんJお嬢様部)
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一章 野良ベーシストとペグ子の出会い~初ライブ編
野良ベーシストはペグ子と出会う


第一話です。

本来、こころと花音が出会う前の段階でオリ主とこころが出会います。


「……マジでクソだ」

 

 今日、これで何度目になるか分からない言葉を俺ーー基音(もとね) 鳴瀬(なるせ)は呟いた。

 

 現在俺は背中にギグケースに入れたベースを背負い、右手にはベース用のバッテリー可動式小型アンプ、左手には3mのシールドを握って路上ライブ用のフル装備状態。その足取りは重く、そして鈍い。

 

 俺の足取りが遅々として進まないのは、何もその装備の重さのせいだけではない。

 むしろ装備の重さはおまけであり、俺が抱えたもう一つの問題の方が錆びた鎖のように俺の全身に纏わり付いて俺の足を縛り付けている。

 

 では、その問題とは何か?

 

「あ゛ー! タクとシュンの裏切り者め! 何が音楽性の違いだ、てめえら女にちやほやされたいだけだろーが!」

 

 そう、俺はついさっき大学の軽音部のバンドメンバーと喧嘩別れしたばかりなのだ。

 

 

 

 桜の花咲く四月、大学二回生になった俺は、大学同期のタクとシュンの二人と組んだスリーピースハンド《バックドロップ》を率いて軽音部の新歓ライブに臨んだ。

 

 《バックドロップ》はゴリゴリのロックバンドで、基本的に演奏するのはメンバーが持ち寄ったオリジナル曲ばかり。新歓ライブでも、他のバンドがメジャーなバンドのコピー曲ばかり演奏する中で、俺たちだけがオリジナル曲で最初から最後まで歌い抜いた。

 

 その結果、俺たちに待っていたのは部内での孤立だった。後輩たちは皆分かりやすいコピーバンドの方に流れていった。新歓ライブ後の飲み会で俺たちに話しかける後輩は皆無といってよかった。

 周りが大いに盛り上がる中で、俺たち《バックドロップ》の三人は会場の隅っこで肩を並べて、ちびちびと酒を呷ることとなった。

 

 けれども、俺は好きに音楽ができれば後輩がついて来ようが来まいがどちらでもよかった。

 むしろ、二回生になったことで部内の雑用が減るのに加え、後輩の面倒を見るために割く時間がなくなった分、練習に集中できるとさえ思っていた。そして、他の二人も当然、俺と同じ思いだと思っていたのだ。

 ついさっきまでは。

 

 今日の五限の講義が終わって大学の空き教室に集まった俺たち三人は、今年度の方針について話し合う腹積もりだった。

 大学一回生の頃から俺たち《バックドロップ》が作ってきた持ち歌は二回生を迎えた今、二桁を越すまで増えていた。

 

 そろそろ録音スタジオを借りて、オリジナルのデモCDを作ってもいいかもしれない。そして、小さな箱での対バンライブや、インディーズのレーベルからCDを出してゆくゆくはメジャーを目指していこう。

 

 《バックドロップ》の今後について建設的な提案ができると喜び勇んで教室に向かった俺を待っていたのは。

 

「ナル、俺たちのバンド、方向性を変えていかないか?」

「……は?」

 

 タクの口から漏れた裏切りの言葉だった。

 

「どういうことだよタク。方向性を変えるって、一体どう変えるっていうんだ」

「それはね、俺たちも他のバンドみたいにコピー曲に手を出そうって訳さ」

「……シュン。お前ら本気で言ってるのかよ」

 

 《バックドロップ》の最大の持ち味はメンバー全員がオリジナル曲の作詞作曲ができるということ。それを突き詰めて、他に類をみないバンドを目指すというのが結成時の俺たちの理念だった。

 コピー曲の演奏はそんな結成時の理念に反していたし、何よりオリジナル曲の練習時間が減る。俺は二人の言葉に強固に反対した。

 

 しかし、タクとシュンの二人も俺と同じで頑なだった。話を聞くうちに分かったのだが、どうやら二人とも新歓ライブで後輩が誰も俺たちについてこなかったことが堪えたらしい。相容れられない俺たちの話し合いは次第に口論に発展し、最後は罵り合いになっていた。

 

「わかんねー奴らだな! 人気取りで歌ってカート・コバーンの『smells(スメルズ)』みたいになりたいのかよ!?」

 

 激昂した俺が叫びながら握り拳で教室の長机を叩くのを、二人は冷めた目で見つめていた。

 

「人気取りでも誰もついてこないよりましだろ」

「やっぱりバンドは誰かに聴かせてなんぼだよね。徒花(あだばな)にはなりたくないっていうかー」

 

 二人のその言葉を聞いた瞬間、俺は自分の中で決定的な何が切れた音を聞いた気がした。それは楽器に張られた弦が切れて、一瞬で演奏が崩壊していく様に似ていた。

 激昂から醒めた俺は、極めて冷酷に聞こえるように、吐き捨てるような調子でその言葉を口にした。

 

「……じゃあお前らとはここで終わりだ。俺は《バックドロップ》を抜ける」

「は? いやそれは違うだろナル!」

「えっ、ちょっと待ちなよ!」

 

 流石にこの言葉には焦ったのか、二人が慌てて俺を引き留めようとする。腕を掴もうとするタクの手を俺は乱暴に振り払った。

 

「音楽性が違う奴等と組む気はない。お前らは受けのいい流行りの曲でもって演奏してろ。俺は俺で勝手にやらせてもらう」

「ナル!」

「鳴瀬くん!」

 

 引き留めるような二人の声を無視して俺は教室を飛び出した。その足で部室に向かうと、個人ロッカーの中から私物のベースとアンプ、シールドを引っ張り出してすぐに立ち去った。部室には何人かの部員がいたが、鬼気迫る様子の俺に声をかける奴は誰もいなかった。

 

 こうして俺は野良のベーシストになったのだ。

 

 

 

「……マジでクソだ」

 

 相変わらず、同じ言葉しか発することができない俺はとぼとぼと通りを歩く。

 歩みは遅いが、別に行く当てが無いわけではない。その証拠に、俺の足は下宿のマンションとは反対にある駅前へと向かっている。

 

 この街の駅前はストリートミュージシャンにとってはある意味聖地のような場所だ。近年ガールズバンドブームが到来したこともあって、駅前に行けば大概誰かが何かしらの楽器を演奏している。

 

 バンドから抜けた今の俺はライブハウスや、スタジオには行けないし行く金もない。でも、ストリートなら何とかなるはずだ。もしかしたら、そこで新しい出会いがあるかもしれない。

 

 そんな漠然とした淡い期待だけを胸に、俺は相変わらずとぼとぼと駅前に向かった。

 

 そんな俺の淡い期待を打ち砕くかのように、駅前に着いた俺の目の前には今日に限ってどこのバンドの姿もなかった。やはり、ツイていない時というものは、人間とことんどん底に落ちていくものらしい。

 

「……しゃーない、俺だけでもやるか」

 

 そんな状況でも泣き言は言っていられない。

 誰にともなく呟くと、俺はアンプとギグケースを下ろしてケースからベースを取り出した。現れたのはナチュラルウッドカラーの小ぶりなベース、それはYAMAHAのmotionBと呼ばれる今は廃盤となったベースだった。

 ミディアムスケールのネックに小柄なボディを持つこのベースは、その取り回しの容易さと、安心と信頼のYAMAHA製ということで、地元の楽器店で美品中古として吊るされていたのに一目惚れして買って以来、俺の頼れる相棒だった。

 

 ストラップを首からかけて、トーンとボリュームノブを確認してからシールドを刺してアンプと繋ぐ。一弦を爪弾きながら、ペグを回して順番に音を合わせる。それで準備は完了だ。幸か不幸かタクとシュンはもう居ないので、二人の準備を待つ必要もない。

 

「……やるか」

 

 ジーンズのポケットからピックを一枚引っ張り出すと、もやもやした今の気分を振り払うように、俺は弦に向かってそいつを叩きつけた。

 

 ベボボボボボ……

 

 ピックが弦を弾く振動がピックアップで電気信号に変換され、シールドを伝わってアンプから心地よい低音が響く。スラップやツーフィンガーを駆使したトリッキーなプレイもいいが、やはりベースの魅力はこの落ち着いた低音にある。ギターやドラムほどの華はないが、堅実に、そして確実にバンドを支えるのがベースの最大の持ち味なのだ。

 

 しかし悲しいかな、今の俺にはその事に音で支えるべきバンドが存在しない。華を欠いた俺の演奏を、通りすがりの人は一瞥したり、たまに足を止めて聴いたりするものの、またすぐに自分が向かうべき場所へと足を運んで久しく留まることはない。

 

ーーやっぱりバンドは誰かに聴かせてなんぼだよね。

 

 過ぎ去っていく人混みの中に、俺は先程教室で耳にしたばかりのシュンの声を聞いたような気がした。

 

ーー黙れよ(shut up)裏切り者(betrayer)

 

 聞こえるはずのない幻聴を振り払うかのように、それからしばらくの間、俺は目をつぶってただひたすらベースをかき鳴らし続けた。

 

 

 

 

ーーベベッベベン!

 

「……ふぅ」

 

 あれから数曲分ベースを引き続けた俺は最後の一音を爪弾いて、勢いよく弦から手を離した。

 なんだかんだで、独りでもさして問題なく演奏ができたことに安堵しつつ俺は目を開く。開いた目の前には演奏前と変わらない、流れる人混みがあるばかりーー

 

「あなた、凄いのね!」

「うぉっ!?」

 

 ーーではなかった。

 

 足元から突然に元気な声が響いて、俺は思わず後ずさる。視線を下に向けると、そこには一人の少女がしゃがんでいた。

 少女は金髪のロングヘアーで、その小柄な体格とくりくりとした瞳の童顔から年頃は中学生ぐらいに見える。しかし、着ている制服がこの辺りの女子高校のものである事実がそれを否定していた。

 

 少女の姿を確認するも未だに怯んでいる俺に対して、その少女は立ち上がって身を乗り出すと、ボリュームノブが壊れたのかと思うような大きな声で話し始めた。

 

「私、弦巻こころ! 花咲川女子学園の一年生よ! あなたのお名前は?」

「えっ、つ、つるまき?」

「そう、弦楽器の『弦』の字に、糸巻きの『巻』で弦巻だよ! あ、こころは漢字じゃなくて平仮名ね!」

 

 俺は急に名乗られたことに対して戸惑っていたのだが、この弦巻という少女は名前の漢字が分からなくて戸惑っていると解釈したようで、勝手に名前の解説をされてしまった。

 

 しかし、相手に名乗られてこちらは名乗らないのも失礼な話なので、常識を弁えた俺はとりあえず少女に名を名乗ることにした。

 

「俺は基音鳴瀬だ、早応(そうおう)大の二回生をやってる」

「まぁ、大学生だったのね! 私、てっきり高校生かと思ったわ!」

 

 そう言って弦巻はただでさえ丸いその目を更に丸くして驚く。コロコロと変わるその表情はまるでカートゥーンアニメのキャラクターのそれだ。たまに見る分には面白いが、ずっと見ているには騒がしすぎる。

 

「んで、その弦巻さんは俺には何か用?」

 

 あまり長くかかわり合いになりたくない人種だったので、俺はスパッと用件から会話を切り出す。すると弦巻は待ってましたと言わんばかりに顔を輝かせた。眩しい。

 

「私のことは『こころ』でいいわ、鳴瀬! 私、今日は『楽しいこと(ハッピー)』を探してここにやってきたの!」

「へぇ、それで?」

 

 ナチュラルに呼び捨てされたことは少し気になったが、いちいち突っ込んでいると話が進まないのでスルーして先を促す。

 

「そこであなたを見つけたのよ、鳴瀬! 私、あなたの演奏が気に入ったわ! あなたの演奏は絶対に聴いている人を楽しく(ハッピーに)させるわ!」

「それはどうも。話はそれだけ? なら、俺は帰りたいんだけど」

 

 演奏を褒められたことに悪い気はしなかったが、それ以上に嫌な予感がして、俺は話を切り上げ機材を片付けてその場を立ち去ろうとする。

 

 しかし、アンプの電源を落とそうとしゃがみこんだ俺に合わせて、弦巻も俺の目の前にしゃがみこむ。

 

 ……まずい。どう考えてもロックオンされているぞ、これは。……とりあえず無視しておこう。

 

 そう固く決意した俺は、決して目の前の弦巻と目を合わせないようにアンプに目を落とすと、電源を切って刺さったシールドを抜こうとした。

 

 だが、シールドに伸ばしたその手が先端のプラグを掴むよりも先に、弦巻の小さな手ががっしりと俺の手を掴んだ。

 

「なっ!?」

 

 突然の凶行に、俺は思わず視線を弦巻に合わせてしまう。目と目が合った瞬間、彼女の顔に満面の笑みが浮かんだ。

 

「鳴瀬!」

「な、なにかな?」

 

 戸惑いながらも何とか返事をする俺の手を、弦巻が更に力強く握りしめる。痛い。

 

「私とバンドをやりましょう! そして、私の歌とあなたの演奏で世界を楽しく(ハッピーに)するの! 素敵でしょう!」

「……」

 

 恐れていた言葉が弦巻の口から飛び出した。

 

 バンド? 俺がこいつと?

 

 あり得ない展開に俺は思わず目を被いたくなった。

 

 確かに、俺は今はフリーの野良ベーシストだ。バンドの誘いも歓迎しているし、実際今日はそれを期待して駅前に足を運んだところもあった。

 

 しかし、俺が求めるそれはバチバチのロックができるバンドであって、決して目の前の弦巻が考えてるような頭がハッピーなバンドではない。

 

 しかも、弦巻はさっき間違いなく「私と」と言った。これが意味するところは一つしかない。俺は確認の意味も込めて恐る恐る彼女に質問した。

 

「なぁ、つるm……「『こころ』よ!」

「……こころ、お前さんの言うバンドのメンバーっていうのは」

「もちろん、私とあなただけよ! 私が歌で、あなたが楽器。完璧じゃない!」

 

 ……うわぁ、頭痛い。

 

 目の前の弦巻の暴論に今度こそ本当に俺は手で目を被った。

 たった二人でバンドが成立すると思っているのもあれだが、まさか自分は何の楽器も弾けないとは。

 ボーカルオンリーでのバンドメンバー募集など、常識で考えて真っ先に弾かれる案件だ。俺はその事実を10層ぐらいのオブラートに包んで弦巻に告げた。

 

「こころ、非常に言いにくいんだが、俺と二人でバンドは無理だぞ」

「どうして? 歌う人がいて、楽器を演奏する人がいればそれでバンドでしょう?」

 

 弦巻はきょとんとした表情で首を傾げた。

 

「楽器にも色々あるんだよ。俺が弾いていた楽器はベースなんだけど、これは主にドラムなんかとリズムを担当する楽器なんだ。だから、バンドを名乗るなら最低でもメロディを担当する楽器が一人欲しい。ギター、最悪でもキーボードあたりだな」

「まぁ、そうだったのね!」

 

 弦巻がさっき大学生だと告げた時に見せたような驚いた表情になる。本当にコロコロと表情が変わるやつだ。

 俺は驚いた表情の彼女に畳み掛けるように言葉を発した。

 

「だから、俺たちだけではバンドは無理だ。最低でもメロディ担当を一人、欲を言えばドラムも何とかして連れてこい。そしたらバンドのこと考えてやるよ」

 

 この言葉は俺にとって、事実上の絶縁宣言に等しかった。ボーカルしかできない弦巻に他のバンドメンバーを集められるとは到底思えない。よしんば楽器ができる奴を見つけても、そんな奴は大抵既に他のバンドに所属している。俺みたいな技術のある野良は希少なのだ。

 

 そんな俺の考えなど露知らぬ弦巻は、脇を固めて拳を胸の前でぎゅっと握って気合いを入れていた。事実を知っている俺からすれば大した道化っぷりである。

 

「よーし、分かったわ鳴瀬! 私、すぐにメンバーを集めてくるわ! でも、今日すぐには無理かもしれないから連絡先を交換しておきましょう!」

「え」

 

 弦巻のこの提案に、俺の額を一筋の汗が流れた。

 

 ……しまった。連絡先の交換は想定外だった。これだと万が一の時に逃げられないじゃないか。

 

「ほら、鳴瀬! 早くスマホを出して! ズボンのポケットに入ってるんでしょう!」

「うわっ!? 自分で出すからポケットに手を入れてまさぐるな!?」

 

 公衆の面前で女子高生に股間付近をまさぐられるという危ないシチュエーションに焦った俺は、まんまとスマホを弦巻に差し出してしまった。

 なすすべもなく成り行きを見守るしかない俺の前で、彼女は二台のスマホを操作すると、すぐに俺のスマホを返してきた。

 彼女が自分のスマホを操作すると、俺のスマホに知らない番号から着信のバイブレーションが入る。スマホの通話ボタンを押してのろのろと耳に当てると最早聞き慣れた声がスピーカーから響いた。

 

「もしもし、聞こえる~?」

「聞こえる、というか目の前にいるだろ」

「それもそうね!」

 

 スピーカーから響く弦巻の騒がしい声と、目の前の弦巻から発せられる騒がしい声は二重に俺のメンタルを削った。前門の弦巻に後門の弦巻といったこの状況は、俺に死を覚悟させるのに相応しかった。

 今すぐ時間を巻き戻して出会いの部分から無かったことにしたいと嘆く俺の前で、弦巻は相変わらずの笑顔である。

 

「これで連絡もバッチリね! メンバーが揃ったら連絡するからちゃんと出てね!」

「はいはい、分かりましたよ」

「それじゃあ私は早速メンバーを探しに行ってくるわ! バイバイ、またね鳴瀬!」

 

 投げやりに返事する俺をその場に残して、弦巻は台風のようにその場を去っていった。

 局地的台風弦巻が残した爪痕は非常に大きく、その爪痕が残されたものは主に俺の平穏な未来であることは想像に難くなかった。

 

「……はぁ、何かどっと疲れた。今日はさっさと帰ろう」

 

 バンド脱退からの弦巻襲来という二重の不幸に見舞われた俺のメンタルは既にボロボロだった。

 今日は早く家に帰って風呂に入って寝よう。

 そう固く誓った俺が機材の片付けをしていると。

 

「鳴瀬~!!」

「!?」

 

 なんと、立ち去ったはずの弦巻が俺の名前を大声で叫びながらこちらに走ってきた。

 

 保護者が見つかった迷子かお前は! 恥ずかしいわ!

 

 天下の往来で大声で叫ばれる俺の名前に赤面していた俺だったが、彼女の方を見たときにあることに気づいた。

 

「……あれ? 一人増えてない?」

 

 こちらに向かってまっすぐに駆けてくる弦巻の右手は見知らぬ少女を半ば引きずるようにして掴まえている。

 

「鳴瀬~!」

「ふぇぇぇ~!?」

 

 弦巻が更に近づいたその時には、彼女の声だけではなくて見知らぬ少女のべそをかくような声まで響いてきた。そして、最後までその勢いをキープしたまま、彼女は俺の前まで走り抜けると、踵で急ブレーキをかけて目の前で止まった。

 猛スピードで若干息が上がっていた弦巻だったが、それでも笑顔を崩さないのは流石だと思えた。それからひとしきり呼吸を整えた彼女は、すぐに俺に向かって嬉しそうに口を開いた。

 

「鳴瀬、早速ドラムが見つかったわ!」

「え゛」

 

 電光石火の出来事に思わず固まる俺を無視して、弦巻は喋り続ける。

 

「この子は同じ学校の松原花音ちゃん! さっき偶然ドラムを持ってるところをスカウトしたのよ!」

「ふぇぇぇ~!? わ、私もうドラムは辞めるって……」

「そんなのもったいないわ、花音! 私と一緒にバンドをしてハッピーを探しましょう!」

「ふぇぇぇ~!?」

 

 弦巻の言葉にあからさまに花音という少女が狼狽えていたが、この場で今一番狼狽えていたのは間違いなく俺だった。

 

 ……マジで? こいつ、ガチでメンバー集めるつもりか?

 

 まさか集めてこいと言った五分後にメンバーを連れてくるなんて誰が想像できただろうか。

 

 「今度は二人でメンバーを探しに行ってくるわ!」と言い残して再び走り去っていく弦巻と松原の二人を眺めながら、俺は心の中で軽率な約束をした10分前の自分を呪っていたのだった。

 

 




とりあえず、一章完結まで話は考えたのでちょこちょこ投下します。


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野良ベーシストはバンドを作る※

 続きました。一応終わりまでのプロットは考えたので、長くかかっても完結はします。


【オリ主紹介・設定】

基音(もとね) 鳴瀬(なるせ)

 私立の名門、早応大学の文学部文学コース英米文学科の二回生。大学の軽音部で同期の二人とスリーピースバンド《バックドロップ》を結成するも方向性の違いから脱退。野良ベーシストとなる。

 メインの楽器はベースだが、ギターとドラムもできる。むしろ、人生で一番練習した楽器はドラム。バンドを組むときに他のメンバーに合わせて何でもできるようにした結果、マルチロールの便利屋になった。中学・高校時代は他にドラマーがいなかったので、軽音部全てのバンドのドラム担当だった。

 スタイルとしてはゴリゴリのロックンローラーで、特にグランジとパンク好き。一番好きなアーティストはカート・コバーン。服装も、よれよれのTシャツにダメージジーンズとスニーカーの往年のグランジファッション。

 名前は「(ベース)の音、鳴るぜ!」のもじり。

 愛用のベースはYAMAHAのmotionB MB-40とFenderのjazzbase Americanprofessional。カラーリングはどちらもナチュラルウッド。


ーーベベベベボボボボ……

 

 路上に置かれたアンプから、今日も心地よい低音が響く。

 《バックドロップ》からの脱退、そして弦巻こころとの出会いから五日が経ったが、あれから毎日のように俺は駅前で一人ベースを弾いていた。

 「一人」という言葉から分かるように、まだ俺に新しいバンドとの出会いはない。演奏の合間に他のバンドから声がかかることもあったが、それは「何で一人で演奏しているのか」とか「弾いているのは何の曲か」などの表層的な質問だけだった。

 

「ふー……」

 

 演奏が終わり、ため息を一つ吐く。三曲分をぶっ通しで弾いたので、汗をかいたし喉も乾いた。水分を摂るために俺が足下に置いたペットボトルに手を伸ばしたその時。

 

……ヴーッ!ヴヴッ!ヴーッ!ヴヴヴッ!

 

「……げ」

 

 ジーンズのポケットに入れていたスマホから、着信を知らせるバイブレーションが響く。不安を掻き立てるような不規則なその振動に、俺は大いに心当たりがあった。

 あわよくば、取り出しているうちに切れないかと願いながら緩慢な動作でポケットからスマホを取り出し、半ば顔を背けるようにしながら画面を確認する。

 

《着信 ペグ子 XXX-XXXX-XXXX》

 

「うへぇ……やっぱりか」

 

 画面に表示される案の定な名前を見た瞬間の俺の顔は、端から見れば乾期を迎えたサバンナの植物のように、さぞかしげんなりしていたことだろう。

 

 ちなみに、「ペグ子」とは俺が弦巻に勝手につけたアダ名だ。「(げん)を巻く」と書いて「弦巻(つるまき)」なので、それってギターやベースの「糸巻き(ペグ)」のことじゃん、というところから来た安直なネーミングだった。

 

 そんなことを考えている間にも一向に着信が切れる気配はなかったので、俺は諦めて画面の受話器のボタンをタップした。

 

「……もしもし」

「鳴瀬!! 出るのが遅いわ!!」

 

 ……声がでけえ!

 

 スピーカーから耳を貫くように発せられる大音量に、俺は思わず音量ボタンを操作していた。普段の半分ほどまで下げた時に、ペグ子の声はようやく普通のボリュームになった。相変わらずあり得ない(やかま)しさだ。

 

「俺だっていつも電話に出られるほど暇してる訳じゃねぇよ」

 

 さらっと嘘を吐く。こうでも言っておかないとペグ子は四六時中電話をかけてきそうな確信めいた予感が脳裏を過ったからだ。

 

「それもそうね! でも、着信履歴が残るから暇になったら返事してね!」

「電話代かかるからやだよ。んで、今日の本題は何だよ? 雑談なら切るぞー」

 

 このまま適当に話していたら、エンドレスでペグ子の話を聞くことになりそうだったので、俺はこの電話の目的に水を向ける。

 俺の言葉を聞いた瞬間、ペグ子が待ってましたと言わんばかりの声色で話し始めた。恐らく、スマホの向こう側ではあの眩しい笑顔を作っているのだろう。

 

「よくぞ聞いてくれました! ついにバンドのメンバーが揃ったのよ!」

「……マジか」

 

 電話がかかってきた時点である程度想定はしていた。しかし、まさかたったの五日でメンバーを揃えられるとは。行動力の塊のようなペグ子に、俺は舌を巻かざるを得なかった。

 そんな俺の感心が伝わった訳ではないのだろうが、彼女は自信満々な口調で話を続けた。

 

「マジよ! それでね、今からメンバーを連れてあなたに会いに行くことにしたわ! あなたは今日も駅前にいるんでしょ? すぐに行くからそこで待っててね!」

「え? いや、ちょっと待て。会うとなったらこっちにも色々と準備がだな。とにかくすぐには無理だ」

 

 突然発せられたペグ子の襲撃発言を、俺は慌てて拒絶する。流石に今からと言われても心の準備ができないし、初対面の相手に何を話したものか検討もつかない。せめて明日ぐらいには予定を繰り下げてもらわなければ。

 

 しかし、そんな考えはペグ子の次の言葉で一瞬で打ち砕かれ、俺は彼女がいかに行動力の塊であるのかということをまざまざと思い知らされることになる。

 

「それは無理よ! だって私たち、もう駅前にいるもの!」

「……は?」

「あっ、見えたわ! こっちよ、鳴瀬~!」

 

 その言葉でスマホを切って呆然と顔を上げた俺の視線の先には、スマホを片手に手を振りながらこちらに走ってくるペグ子の姿があった。

 

 電話を切った瞬間、目の前に現れる少女。こんな都市伝説を俺は知っている。

 

「……メリーさんかな?」

「私はこころよ? 忘れちゃったの、鳴瀬?」

「そういうことじゃねぇよ」

 

 既に目の前にやって来ていたペグ子に突っ込みを入れると、彼女は安心した表情になった。

 

「そうなのね、忘れられた訳じゃなくてよかったわ! じゃあ、早速あなたに新しいメンバーを紹介するわね!」

「紹介するって、一体誰を紹介してくれるんだ?」

「誰って、それはもちろん……あら?」

 

 そう言って振り返ったペグ子の後ろには誰もおらず、その遥か遠方からこちらに走ってくる四人の少女たちの姿があった。

 こいつは俺を見つけた瞬間に、他のメンバーに何も言わないでこちらめがけて走り出したのだ。当然、誰もついてこれる訳がない。

 

 久しぶりに飼い主に会った犬かこいつは。

 

 そんな考えが一瞬頭を過ったが、その場合こいつの飼い主は俺になるという恐ろしい事実に気づいて、思わず頭を振ってその考えを振り払った。

 

 そして、俺が頭を振っている間に他のメンバーがこちらにたどり着く。肩で息をするメンバーたちの呼吸が整うのを待ってから、ペグ子が再び口を開いた。

 

「それじゃあ、今度こそメンバーを紹介するわ! 入ってくれた順番通りに一人ずつ紹介するわね! まずは、鳴瀬はもう知っているけど花音、お願い!」

 

 そう言ってペグ子がビシッと指差すと、指名された松原さんがびくりと体を震わせる。

 松原さんはおどおどした視線を俺とペグ子に何度か交互に向けたあと、意を決したように口を開いた。

 

「あ、わ、わ、私は松原花音です。花咲川高校の二年生で、バンドではドラムを担当する予定です。あまり上手くはないですけど……よろしくお願いします」

「よろしく松原さん」

「あっ、は、はい!」

 

 差し出した俺の手を松原さんがゆっくり握り返す。緊張しているのかその手は少し震えて汗ばんでいる。まぁ、いきなりほとんど面識のない年上の男に引き合わされたらそうなるのも無理からぬ話だ。

 

 挨拶を交わして、握手をする俺たちを見てペグ子はうんうんと頷く。

 

「よーし、花音はこれでオッケーね! じゃあ次からは完璧に初対面のメンバーよ! 薫、ずばっとお願いね!」

「ふふっ、任せたまえ!」

 

 ペグ子の言葉に自信たっぷりな表情で進み出たのは、薫と呼ばれた長身の少女だ。かわいいというよりは美しく凛々しい顔立ちと、整ったその所作は宝塚の男役を彷彿とさせた。

 

「ただいまご指名に預かった、瀬田薫だ。所属は羽丘女子学園の二年生。普段は演劇をやっているのだが、迷える子猫ちゃんたちの求めに応じてここに馳せ参じた次第さ。バンドではギターを弾かせてもらうことになっている。よろしく頼むよ、Mr.鳴瀬」

「本業は役者か、通りで所作が洗練されているわけだ。よろしく、Ms.薫」

 

 薫の方から差し出された手を俺はしっかりと握り返す。握る前に確認したが、その手は長身の彼女らしく少女にしては大きく、指も長い。これはギターを弾く上で限りないメリットになるだろう。

 

「じゃあ、次は私から指名させてもらおうか。はぐみ、後は任せるよ」

「はいはーい!」

 

 指名をして一歩下がった薫と入れ替わるように飛び出して来たのははぐみと呼ばれたショートヘアーの活発そうな少女だ。

 彼女は選手宣誓のようにビシッと右手を挙げると名乗りを上げる。

 

「私は北沢はぐみだよ! クラスは違うけど、こころちゃんと同じ高校の同じ学年なんだよ。いつもはソフトボールをやってて、家は近くの商店街でお肉屋さんをしてるんだよ」

「え、もしかしてそこってコロッケが美味いって評判の店だったり?」

「そう、そこです! もしかしてお客さんですか?」

「そうそう! あそこのコロッケ安くて美味いから、金欠の時はいつもお世話になってるよ! そうかー、君はあそこの娘さんか!」

 

 意外なところで接点があったことで俺たちは暫しの間、盛り上がった。まさか行きつけの店の関係者がこんなところにいるとは世間は狭いものだ。

 それからひとしきり店の話をした後に、はっとした表情ではぐみさんが口を開いた。

 

「あっ、そういえば自己紹介の途中だったね! 私はバンドではベースを担当するよ! お兄ちゃんがバンドやっててギターは弾かせてもらったことがあるんだけど、ベースは初めてだから色々教えて欲しいな! お店共々今後ともよろしくね!」

「こちらこそ、はぐみさん。また店に寄らせてもらうからサービスたのむよ」

「うん! お母さんに頼んでおくね!」

 

 よっし、これであそこの店でサービスが受けられる!

 

 はぐみさんの言葉に俺は心の中でガッツポーズをした。正直、あそこの店はバイトの給料日前の俺には生命線と言って差し支えないレベルの場所だ。状況によってはヘビーユーザーと化すのでサービスが受けられるのは素直にありがたい。

 彼女と話せただけでも今日はかなりの収穫があったと言ってもいい。俺は今初めてペグ子に感謝してもいいと思った。

 

「かなり盛り上がったわね! それじゃあ、最後はミッシェルの人、お願いね!」

「やっぱりまだ名前覚えてくれてないのね、はぁ~」

 

 最後にため息と共に前に進み出してきたのはキャップ帽を被った少女だ。顔立ちは整っていて美少女と言っても差し支えのないレベルだが、前のメンバーのパンチが効きすぎているので相対的になんだか地味に見えてしまう。

 

 しかも、「ミッシェルの人」って何だ?

 

 四人の中で唯一名前で呼ばれなかった少女のことをいぶかしんでいると、彼女の口がゆっくりと開いた。

 

「あー、特に名前を紹介されなかった私は奥沢美咲といいます。一応、弦巻さんのクラスメートです。担当はミッシェル、よろしくお願いします」

「よ、よろしく?」

 

 だから「ミッシェル」って何だ!?

 

 頭の中にクエスチョンマークを浮かべる、俺を見て奥沢さんの方はその顔に苦笑いを浮かべる。

 

「ははは……、色々疑問に思うかもしれませんが、ミッシェルのことは追々分かりますよ。……はぁ、バイトを探してただけなのに何でこんなことに……」

 

 そうぼやきながら肩を落として元の配置に戻る奥沢さんを見て俺は確信する。

 

 ははーん、この娘は俺と同じでペグ子に巻き込まれたタイプだな! しかも中身はかなりの常識人とみた!

 

 あっさりとしたやり取りの中で、一瞬でそのことを見抜いた俺は、もしこれからペグ子たちに関わるならば、奥沢さんにはできるだけ優しくしようと心に誓った。

 

 そして、奥沢さんが元の位置にとぼとぼと戻ると、五人が揃って俺を見つめる。

 どうやら次は俺の番と言う訳らしい。

 皆の視線を一身に浴びるなかで、俺は「ごほん」と一つ咳払いをしてから話し始めた。

 

「ご挨拶ありがとう。もう知っているかもしれないが、俺の名前は基音鳴瀬。学校はすぐそこの早応大に通ってる。文学部で英米文学を研究してるから、これでも一応は文学青年だ。バンドでは主にベース担当。でも、その気になればギターも弾くしドラムも叩く。実際、中高ではドラム担当だったしな。これからどうなるかは分からんが、まぁ一つよろしく頼むよ。そして、最後に一つ言わせてくれ」

 

 俺の自己紹介を興味深く聞いていた五人は、俺の最後の言葉にしっかりと耳を傾ける。

 それを確認してから俺はゆっくりとその言葉を発した。

 

「……このバンド、もう俺いらなくないか?」

「えっ!?」×5

 

 驚愕の表情であんぐりと口を開ける五人娘。そこに畳み掛けるように俺は言葉を付け加える。

 

「いや、だってこのバンド、もうギターとベースとドラムのスリーピースが揃った上に専属のボーカルまでいるんだろ。よく分からんけど『ミッシェル』もいるし、もう俺はいらないんじゃないかなー?」

 

 俺の言ったことはその場しのぎの出任せではなく正鵠(せいこく)を射た言葉だ。ギター、ベース、ドラムさえ揃えておけばバンドというものはは間違いなく機能する。ツインギターやツインベースの構成も無くはないが、よっぽどメンバーがシンクロしていなければ、互いが互いを食い合って音が濁る原因になる。

 だったら、ここは俺が男らしく身を引いて、後は若い少女たちに任せるのが筋というものではなかろうか。いや、そうに違いない。

 

「それじゃあ、俺はそういうことで……」

 

 そう言って俺は右手を軽く挙げると、機材を持ってそそくさとその場を立ち去ろうとした。

 決して面倒くさくなって逃げる訳ではない。これは彼女たちのことを思って潔く身を引いているだけだ。

 

 後はこのままゆるりゆるりと立ち去るだけ。そう思った矢先。

 

「って、何逃げようとしてるんですか! 弦巻さん、鳴瀬さんが逃げますよ!」

「くそっ! 思ったより早く正気に戻られた!」

「あっ! 逃がさないわよ、鳴瀬! はぐみ、お願い!」

「オッケー! 鳴瀬さん、待てー!」

「ぐふっ!?」

 

 一足先に我に帰った奥沢さんの鶴の一声によって、ペグ子の命令を受けたはぐみさんのタックルを食らい、俺の逃走計画、ではなく彼女たちへの気遣いは水泡に帰した。

 

 ……無念!

 

「まったく、油断も隙もないわね!」

「な、鳴瀬さん、いなくなっちゃダメですよ……」

「ふふっ、すがる乙女を見捨ててゆくとは君も罪作りな男のようだね」

「もーう、逃げたらうちのお店でサービスしてあげないよー?」

「いやー、ようやく私と同じ常識人枠が増えそうなのに逃がすわけないでしょ。大人しく私と一緒にこいつらの暴走を止める役目をこなしましょうよ鳴瀬さん」

「……悪かったって、そういうつもりじゃなかったんだよ。あと、謝るからお店でのサービスはよろしくお願いします、はぐみさん」

 

 結局、その後すぐに捕まえられた俺は今度は逃げられないように五人に周囲を囲まれて、その中央で正座をさせられている。

 その姿は端から見れば謎の儀式か何かに見えるようで、俺が駅前に演奏に来てから一番周囲の注目を集めていた。

 

 ……いや、こういう形で目立ちたいんじゃないんだけど。

 

 ため息の一つでも吐きたいところだったが、余計なことをすると更に突っ込まれそうだったのでぐっと堪える。

 しかし、いつまでもこのままこうしているわけにもいかないので、状況を打開すべく俺は口火を切った。

 

「しかしだな、実際問題、俺はあんまりこのバンドにはいらないと思うぞ」

「どうしてそう思うの?」

 

 俺の言葉にペグ子は首を傾げる。他のメンバーも納得がいかない表情だ。

 だから俺はその理由を懇切丁寧に説明することにした。

 

「まぁ、最大の理由は俺が男だからだな」

「そんなことは心配しなくていいさ。私たちは性別なんかでMr.鳴瀬を区別することはない。実際、私は生物学上女だけれども、今までに乙女たちのハートを奪っているし似たようなものさ!」

「いや、全然似てないけど。いや、とにかくバンドは同じ性別で固めておく方が都合がいいんだよ」

 

 よくわからない薫の発言に突っ込みを入れつつ、俺は性別を固めるメリットについて語った。

 

 現在、空前のガールズバンドブームが来ている日本では、それを対象としたイベントやフェスも多い。ライブハウスなんかにも男性禁制の施設だってある。そんな中で俺一人を混ぜたことによって、それらの参加資格を失うのは彼女たちにとって大いなる損失だ。何事にもチャンスは多い方がいい。

 

「なるほど、バンドにもお店のレディースデイみたいなシステムがあるのね!」

 

 俺の言葉にペグ子は得心がいったという表情で頷く。それを好機と見て、俺はそこから更に畳み掛ける。

 

「それに、はっきり言わせてもらうと、俺とみんなとでは腕前に差がありすぎる。メンバーの腕が違いすぎると悪い意味で目立つんだよ」

 

 メンバーの腕前の均一化はバンドにとっては至上命題の一つだ。お遊戯レベルのメンバーの中で超絶技巧を披露すれば、そこだけ密度が高過ぎて調和が狂うし、逆に超絶技巧の中に素人が混ざってもそこだけがすかすかになって見映えが悪い。

 全員が足並みを揃えて、徐々に高みにへと登ってゆく。バンドはその過程が尊いのだ。

 

「実際ちゃんと聴いてないから分からない部分もあるけど、俺は小学校入学前から楽器をいじってるんだ。この中で、誰か俺と同じレベルで楽器触ってるやつはいるか?」

 

 俺の問いかけに返ってきたのは沈黙。案の定、誰もそこまで楽器に打ち込んではいないようである。

 

 ……ただ、握手した感じでは松原さんは少しはやれそうだったけどな。

 

 先程の握手の時に触った松原さんの手や指は思ったよりも固かった。それは彼女が結構しっかりとスティックを捌いてきた証拠に他ならない。

 しかし、他は皆素人に毛が生えたレベルだし、「ミッシェル」に至っては最早何なのかすら分からない。あまり期待はできないし、そんな俺の予想は全く外れてはいないだろう。

 

「んー、そう言われると何だかそれが正しい気もしてくるわね」

 

 ペグ子が今までにない歯切れの悪い言葉を返す。他のメンバーも微妙な表情で沈黙している。

 

 これはもう一押しすれば俺は解放されるのではないか。

 

 一筋見えた希望という名の光明に、俺の表情が輝こうとしていたそのとき。

 その光明は意外な人物の手によって隠されることとなった。

 

「あのぅ……」

 

 恐る恐るといった様子で発せられたその声の主を皆が見つめる。

 

「どうしたの花音? 何かあったら遠慮なく言っていいのよ!」

「はうぅ……、あの、その……」

 

 皆の注目を一身に浴びた松原さんは小さなその体を更に小さくすくませる。

 しばらくはおどおどしていた彼女だったが、ようやく決心がついたようで、きゅっと表情を引き締めてから話し始めた。

 

「鳴瀬さんのいう通り、私も鳴瀬さんがバンドに入るとメンバーのバランスが崩れると思います」

「……!」

 

 松原さんの口から出た援護射撃ともとれる言葉に俺は喝采を上げそうになった。

 しかし、続く言葉でそんな俺の目論見は大きく外れた。

 

「だから私、鳴瀬さんには私たちの演奏指導をして欲しいと思います。鳴瀬さんはギターもドラムもできるって言ってたから、きっと私たちの力を伸ばしてくれると思うんです」

「え」

 

 松原さんの口から出た想定外の言葉に俺の体が固まる。硬直して動けないでいるその間に、次々と他のメンバーが彼女の言葉に同調していく。

 

「ナイスアイデアよ花音! 鳴瀬に教えてもらったら私たちのバンドはすごい演奏ができるようになるはずよ!」

「その通りだ。こころが認めたMr.鳴瀬に教えてもらえるなら、私たちはより高いステージに進めるはずだ。ああ、神が与えてくれたこの出会い、運命とはなんて儚い……」

「そうだね! 私も鳴瀬さんと同じベース担当だからしっかり教えてもらいたいな!」

「私は常識人が増えてくれるならなんでもいいです」

 

 結局、俺が再び口を開く前に俺の運命は五人の少女たちの手によって勝手に決まってしまった。

 

「ということだから、これからは私たちの先生として協力お願いね、鳴瀬! 私は約束通りメンバーを集めたのだから、今度はあなたが約束を守る番よ!」

「……分かったよ、約束は守るさ」

 

 決して分かりたくはなかったが、今の俺にはそう答える以外に道は残されてはいなかった。

 その答えを聞いたペグ子は満足そうに頷くと、がっしりと俺の手を握る。その手を振り払うこともできず、俺はなすすべもなく彼女に引き摺られていく他なかった。

 

「さぁ、それじゃあメンバーも先生も揃ったところで、バンドのこれからのことを話し合いましょう! ここからなら私の家が近いから、早速今から向かいましょうか!」

「……もう好きにしてくれ」

 

 最早抵抗する気力を失い、ずるずると連れていかれる俺の頭の中には、小学生の頃に学校で歌わされた『ドナドナ』の歌がエンドレスで流れ続けていた。




※ただし、自分はメンバーに入っていない。

ということで当初の予定通り、オリ主はバンドのアドバイザーとしての起用で、ハロハピはいつもの五人でやっていきます。

他のメンバーも登場しましたが、口調とかキャラとか大丈夫かなー? ハロハピは個性的なキャラが多いので上手くトレースできてるか心配です。

よろしければコメントなどお待ちしてます。


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野良ベーシストは庶民派である

続きました。

こころちゃんのお宅訪問(強制)イベントです。


 お金に絡んだ言葉の中でも五本の指に入るほど有名な"Money moves from pocket to pocket."という格言は、日本では「金は天下の回りもの」という表現で大衆に広く知られているが、「金は片行き」という格言を皆さんはご存知だろうか。

 これは噛み砕いて言えば「金は金持ちのところにばかり集まっていく」ぐらいの意味の言葉だ。

 

 金は世の中を巡るものだが、金持ちはその金を元手に更に金を稼ぐので、どんどん金が貯まっていく一方になる。俺も話には聞いていたことはあったが、そんなことは雲の上の殿上人の話で、庶民の俺には全く関係のないと思っていた。

 今、この瞬間までは。

 

 

「着いたわ! みんなようこそ、ここが私の家よ!」

「はー……」

 

 駅前でペグ子に連れ去ら(ドナドナさ)れてから、無抵抗・無反応という半ガンディー状態を貫いていた俺は、目の前に現れた彼女の家を見て久しぶりに言葉にならない声を上げた。

 圧倒的なものを前にしたとき人は言葉を失うというが、その感覚が今の俺にはよく解る。それについて何か言葉を発しようにも、上手く表現するための語彙が己の内に見当たらないのだ。

 ゆえに、その口から出る言葉は全て大した意味を持たない呟きへと堕してしまう。

 

 だから俺は「家」と呼ぶよりは「屋敷」や「豪邸」という風情のその建物に言及することは止めて、ペグ子について言及することに決めた。

 

「お前、すごいお嬢様だったんだな……」

「ええ、私はそんなに気にしたことはなかったんだけど、そうみたいね!」

 

 全く嫌らしさを感じさせないその言葉は、ペグ子が付け焼き刃ではない真性のお嬢様であることを俺に確信させた。

 小金持ちや成金のように、自身の権威付けのためあえて尊大に振る舞う必要がない。彼女はそんなレベルの領域にいるのだろう。

 

 漠然とそんなことを考えていた俺に、ペグ子は屈託のない笑顔を向ける。

 

「さぁ、いつまでもこのまま家を眺めていてもしょうがないわ! 中に入りましょう!」

「じゃあそうさせてもらいますよっと」

 

 ペグ子に促されるままに、俺は重厚そうな鉄製の門扉を潜って敷地内へと踏み込んだ。

 

「お、お邪魔します……」

「ふっ、失礼するよ」

「お邪魔しまーす!」

「やっぱり私、場違いじゃないですかね……」

 

 俺が敷地に入ったのを見て、他のメンバーたちも次々に門を潜りはじめる。その光景に、怪獣に生け贄として捧げられ次々と飲み込まれていく哀れな犠牲者の姿を幻視したが、いの一番にペグ子という怪獣の犠牲になっていた俺には最早手遅れであった。

 

 

 

 ペグ子に従って入った屋敷は決して張り子の虎ではなく、その内装も外観に見合った豪奢なものだった。

 俺たちは華美な装飾が施された長大なテーブルがある部屋に案内されて、これまた一脚いくらするか検討もつかないようなビクトリア調のひじ掛け椅子に座っている。

 

 ……落ち着かねぇ。

 

 小市民な俺は、万が一椅子に傷でもつけた時のことを考えて椅子に腰を落ち着けながらも、心が全く落ち着かないというアンバランスな状態だった。

 松原さんや奥沢さんもどうやら俺と同じ気持ちのようで、もじもじしながらそわそわと部屋を見回している。

 やはり、常識人にとってはこの部屋は針のムシロのようである。

 

 反対に細かいことを気にしなさそうな北沢さんは、好奇心旺盛な表情で俺たちとは違った意味でキョロキョロと部屋を見回していたし、薫に至っては、まるで彼女がこの部屋の主であるかのように完璧に部屋とマッチしていた。

 

「さぁ、みんな! 早速私たちのバンドの活動方針を決めるわよ!」

 

 ここでも会話の口火を切ったのはやはりペグ子だ。こいつは良くも悪くも場の空気や流れを変える行動力がある。

 そして、方針を決めること関しては特に俺も異存はなかった。

 

 

「そうだな、まずはそこから行こう。何事もPDCAのサイクルは肝心だ。それじゃあ、言い出しっぺのこころは何か案があるのか?」

「ふふっ、もちろん! みんな、まずはこの紙を見て!」

 

 待ってましたと言わんばかりのどや顔で、ペグ子は懐から取り出した紙を俺たちに配る。

 

「お、ちゃんと紙にまとめてるのか、偉いぞ。どれどれ……?」

 

 ペグ子が行き当たりばったりではなく、ちゃんと計画を紙にまとめてきたことに感心した俺だったが。

 

「……なにこれ?」

 

 その感心は文面を見た瞬間に大気圏の彼方まで吹き飛んでいった。

 

「海の砂浜で砂のお城を作る、シロツメクサで冠を編む、流れ星を探しに山に登る……」

「洗い立てのシーツの匂いを嗅ぐ、お菓子をお腹いっぱい食べる……」

「すごくいい!」×2

「いや、全然よくねぇよ!?」

 

 ペグ子の迷案に、いい笑顔で同意した北沢さんと薫を見て俺は思わずツッコミを入れていた。

 

「あら、一体何がダメなの、鳴瀬?」

「いや、全部だろ全部。これ、全然バンド関係ないじゃん! ただのお前のやりたいことリストじゃん!」

 

 首を傾げるペグ子に対して、俺が至極まっとうな指摘をすると、その通りだと言わんばかりに松原さんと奥沢さんが首を縦に振った。

 頭がお花畑寄りな三人に対して、常識人が二人もいてくれることは心強い。頭数だけ見れば、常識人一人がお花畑一人の手綱を握れば、こいつらがお花畑に向かって駆け出して行くのを防ぐことが理論上は可能だ。

 

 そして、そんな貴重な常識人枠の松原さんが遠慮がちに口を開く。

 

「あ、あの……私たちは『バンド』だから、やっぱり楽器の演奏が必要だと思うの」

「え、そうなの?」

「あ、そういえばお兄ちゃんも楽器で音楽がどうのこうのって言ってた!」

「そうだよ、楽器で音楽やらないって何のための『バンド』だよ」

 

 相変わらず首を傾げたままのペグ子に対して、北沢さんがナイスフォローを入れたところに俺も乗っかる。

 

「『バンド』ってのは歌で、演奏で、人の心を揺さぶってやるから意味があるんだよ」

「………! 鳴瀬、あなた今とても良いことを言ってくれたわ!」

 

 ペグ子が目をキラキラと輝かせながら、テーブルの上に両手をついて身を乗り出す。

 

「音楽が人の心を揺さぶるなら、私はそれでみんな乗り出す心を楽しく(ハッピーに)して世界中を笑顔にするわ! 『音楽で世界を笑顔(ハッピー)に!』、これが私たちのバンドの目標よ!」

 

 そう力強く宣言したペグ子に薫たちお花畑寄りなメンバーが同調する。

 

「ふっ、世界を笑顔に、か。壮大でこの私に相応しい目標だ。世界のためとあれば、私は進んで王子様を演じようじゃないか!」

「私も……すごくいいと思う。私はソフトボールをやってるから、勝負になるとどうしても負けて悲しむ人を見ることになるんだ……。だから、これ、とってもいい! 賛成!」

 

 そんな即断即決のお花畑二人に対して、少し冷めた感じなのは常識人二人。その一人の奥沢さんの目が俺と松原さんを見つめる。探るような視線だ。

 

「お二人はどう思います? 私は正直、世界を笑顔になんて大それたことは無理だって思いますけど。大体、この世界有数に平和な国の日本ですら笑顔だらけじゃないんですよ。それで世界なんておこがましいと思いませんか?」

「え、わ、私はその……」

「ふむ……」

 

 盛り上がるお花畑三人衆に聞こえないように、囁くような声で奥沢さんが問いかける。

 

 なるほど、奥沢さんは常識的でその上かなりの現実主義者(リアリスト)のようだ。地に足が着いた堅実な性格。それはそれで悪くはないし、バンドにはこの手のストッパーや渉外担当が絶対に一人は必要だ。

 そんな奥沢さんの意見には、当然俺が賛同できるところもある。

 しかしーー

 

「ーー確かに、奥沢さんの言うことも一理ある。しかし、俺は『音楽で世界を笑顔に』はそこまで悪くはないと思う」

「え!?」

 

 奥沢さんが心底意外といった表情を浮かべる。恐らく、彼女の先程の発言は俺だけは間違いなく同意してくれると踏んでのものだったのだろう。

 実際、俺だってバンドがらみでなければ間違いなく奥沢さんに同調していただろう。しかし、バンドのこととなれば話は別だ。

 

「目標自体はアホみたいにでっかくたっていいのさ。問題はそこに至るまでの過程がしっかりと組み立てられればいいだけのことだ。それに、最初からてっぺんを狙わない奴は絶対にてっぺんには辿り着けないからな」

 

 目標(ゆめ)までの筋道がしっかりと立てられているならば、夢は夢で終わらない。

 だから、ペグ子たちがお花畑で大きな夢を見たいなら、俺たちがそこに至る道を整えてやればいい。そうすれば最後は全員ででかい(えがお)が見られるだろう。

 それにーー

 

「ーー俺はバンドマンだからな。常識人だけど現実主義者(リアリスト)じゃなくて夢想家(ドリーマー)なのさ。当てが外れて悪かったな奥沢さん。君と俺は同類だけど別の生き物なんだよ」

 

 そうだ、俺はバンドマンだ。バンドに人生を捧げ、世界中の人間を俺の歌で震わせたいと本気で思っている。

 端から見れば俺は夢想家の阿呆に見えるかもしれないが、人間誰だって多少の(さか)しさを身に付けた猿でしかない。同じ阿呆なら俺は音楽を奏で続ける阿呆でありたい。心の底からそう切に願う。

 

「わ、私も素敵な目標だと思います。実現は確かに無理かも知れないし、私じゃ無理なことかもしれません。けど、もしそれが本当に叶ったらそれはとても素敵なことだと思います!」

 

 俺の言葉に同調した松原さんが言葉を発した。態度は相変わらずおどおどした感じだが、その目には確かに意思の力が宿っている。とてもいい表情だ。

 

「松原さんもですか……はぁ~、お二人は私と同じ側だと思ったんですけどね」

 

 ため息混じりにぼやく奥沢さんの肩を慰めるように俺は叩く。

 

「残念だがそういうことだ。……まぁ、どのみち俺はあいつから逃げられんからな、対抗馬である常識人枠の君たち二人に逃げられたら困るのさ」

 

 そう、ペグ子に真っ先にマークされてしまった俺は最早どうあがいても逃げようがない。だから、今の俺にできる最善手はお花畑三人衆に対抗できる常識人三人衆を維持すること、これに尽きる。

 

「ふえぇぇっ!?」

「あ! これってもしかして、私たちが駅前で逃がさなかった件の意趣返しですか!?」

 

 俺の意図を聞いた二人が、騙されたと言わんばかりに狼狽える。

 まぁ、実際はバンドに関わるなら手は抜きたくないのが八割で、駅前での逃走失敗の件は二割ぐらいの比率なのだが。

 

「ふふふ、実のところちょっとはそんな気持ちだった」

「……鳴瀬さんって意外といい性格してますね」

 

 げんなりした笑顔を浮かべる奥沢さんに俺がニヤリと笑いかけたその時、ペグ子がこちらにとことこ近づいてきた。

 

「三人とも盛り上がってるみたいだけど、どうかしら私のこの目標は!」

 

 いつも通り、自分の為すことに間違いはないと言わんばかりにペグ子はふんぞり返って胸を反らす。

 彼女はいつだって自分を中心に世界が回っていると思っているのだろう。いや、むしろ彼女が中心となって世界を回しているのかもしれない。

 

「あー、悪くないと思うぞ。どうせなら夢はでっかくないとな」

「私もいいと思います!」

「はぁ~、これってもう断れない流れになってますよね」

 

 そんな俺たちを見てペグ子は大きく頷いた。

 

「決まりね! 私たちのバンドの目標は『音楽で世界を笑顔に!』、これでいきましょう!」

 

 そう言ってペグ子がみんなの前に右手を差し出す。

 

「ふっ、行動は言葉よりも雄弁だ。私もさしあたってはこの右手でそれを示そう」

 

 薫の手がペグ子の手の上に重なる。

 

「よーし、私も頑張るぞー!」

 

 更にその上に北沢さんの手が、そこに松原さん、奥沢さんの手が後を追うように重なる。

 皆の視線が注がれるなかで、俺は最後にゆっくりと手を乗せた。

 

「それじゃあ、せーので掛け声にしましょう!」

「その前に一ついいか?」

 

 今にも「せーの」と言わんばかりのペグ子を制する。

 

「どうしたの鳴瀬?」

「いや、気になったんだが、このバンドの名前はあるのか? 名前がないと締まらないだろ」

 

 そう、俺はまだこのバンドの名前を聞いていない。バンドをやるからには、やっぱりその本質を表すようなインパクトのある名前が欲しいところだ。

 

 ちなみに俺のいた《バックドロップ》は、「音楽を聴いた人間の頭に不意打ちのように一撃を喰らわせる」ことをコンセプトにしたことがその名前の由来だった。

 

 そして、ペグ子は俺の言葉に自信たっぷりに頷く。

 

「もちろんよ! そういえばみんなにはまだまだ言っていなかったわね! 私たちのバンドの名前は《ハロー、ハッピーワールド!》よ! 素敵でしょう!」

「ハロー……」×2

「ハッピー……」×2

「ワールド、か」

 

 バンド名を聞いて、薫と北沢さん、松原さんと奥沢さん、そして俺が口々にその名前を呟く。

 

「名前の由来を聞いても?」

「ええ! まず人を笑顔にするためには自分から笑顔で挨拶をしないとね! だから、最初は『ハロー』なの!」

「なるほど、そこにバンドの目標を入れて……」

「その通り! 《ハロー、ハッピーワールド!》の完成よ!」

 

 満面の笑みで言い切ったペグ子にみんなが頷く。

 

「ふっ、とてもエモーショナルな名前だね」

「すごくいいよ、こころちゃん!」

「私も、こころちゃんらしくって、いいと思うな」

「なんかそのまんまだけど、それもありなのかな」

 

 メンバーの反応も上々だし、俺も悪くない名前だと思う。名は体を表しているし、バンドの目標をいれたことで初志貫徹の気持ちがありありと伝わってくる。

 まぁ、俺が参加するには少し恥ずかしい名前だが、あくまでも俺はアドバイザーなのでそこまで気にすることもない。

 

「俺もいいと思う。それじゃあ、こころ、リーダーとして一つ威勢のいい掛け声を頼むぞ」

「わかったわ!」

 

 その言葉でペグ子が凛々しい表情を作る。こんな顔もできたのかという驚きと、その顔から滲む強い決意を目にしての少しの高揚を感じながら俺は彼女の言葉を聞いた。

 

「目指すのは『音楽で世界を笑顔(ハッピー)に!』すること! 《ハロー、ハッピーワールド!》いくわよー!」

 

 

「おー!!!!!!」

 

 

 決意の掛け声とともに重ねた右手が天高く解き放たれる。

 その刹那、解き放たれた右手の先に、世界に飛び立つ《ハロー、ハッピーワールド!》の未来を俺は見た気がした。

 

 




時系列が少し前後してますが、大体ガルパの一章七話ぐらいまでのお話でした。

次回はスタジオでの練習回です。演奏はオリ主の見せ場なので上手く書いていきたい。

ミッシェルもでるよ!

よろしければ、コメントや評価、お気に入りなどお待ちしてます。


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野良ベーシストはコネクションを使う

間が開きましたが続きました。


「それじゃあ、これからどうしますかね?」

 

 俺たちが「ハロー、ハッピーワールド!」の結成宣言を終えた直後、奥沢さんが遠慮がちに声を挙げた。

 

「んー、バンドって楽器を演奏するんものなんでしょう? だったら、すぐに演奏しましょう!」

 

 それに対して真っ先に答えたのは案の定ペグ子だ。その言葉に薫と北沢さんの二人もうんうんと頷く。

 

「やはりそうなるだろうね。ギターの演奏は劇中での役作りで弾いて以来だが、なに、私なら完璧にギタリストを演じきってみせようじゃないか」

「はぐみも早くベース弾きたーい!」

 

 お花畑三人衆が早くも演奏に向けて盛り上がるなかで、反対に冷静になっていくのが俺たち常識人三人衆だ。何か言いたげな表情だが、アワアワしていて言葉にならない松原さんと、とりあえずは事態を静観することを決めて腕組みをしている俺を見回した後に、奥沢さんは大きなため息を一つ吐いた。

 

「はぁ~、いやいや皆さん? そんな急に言っても楽器も演奏場所もないから無理ですよ。ですよね、鳴瀬さん?」

 

 ……奥沢さんめ、必要ないのにあえて俺に話を振ったな?

 

 自分の主張が完結しているにも関わらず、最後に俺に話を振ってきたのは、明らかにこの後の面倒くさいやり取りを俺に押し付ける腹積もりに違いない。

 事実、話を振った瞬間に奥沢さんが「ニヤリ」という擬態語がしっくりくる笑顔でこちらを見つめたのを俺は見逃さなかった。

 

 話を振られる前なら如何様にもなっただろうが、もう振られた後ではどうしようもない。ここは諦めて自分の意見を述べるしかないだろう。

 

「奥沢さんの言う通りだな。演奏する箱の方は俺のツテで押さえることはできるだろうが、備え付けのドラム以外の楽器はこちらで揃えないとダメだ」

「え、鳴瀬さん、演奏場所ってそんな簡単に確保できるんですか?」

「俺はこの辺りのスタジオは大概のところに出入りしてるから顔が利くんだよ。なんなら、急なキャンセルとかの空きにねじ込むこともできるぞ」

「うへー、マジですか」

 

 俺が元々いた《バックドロップ》は大学で結成したバンドだが、メジャーレーベルからのデビューを想定した活動を行っていたので、大学の構内よりも外部のスタジオ、あるいはライブハウスでの活動の方が多かった。

 

 軽音部は居心地の面では悪くはないのだが、あそこの空気は俺にとってはあまりにも牧歌的過ぎた。メジャーデビューを狙うなら身内の仲良しサークルで認められるよりも、見知らぬ他人の中でごりごりの評価を受けた方が圧倒的に伸びる。だから俺たち《バックドロップ》は主戦場を学校から遠ざけたのである。

 

 しかし、タクとシュンの二人には軽音部の評価を切り捨てることができなかったのだ。

 

 ……まぁ、今となってはどうしようもない話だ。

 

 とにかく、奥沢さん的には今日中に準備が整わないことを理由にして、このまま流れ解散に持ち込む腹積もりだったのだろうが、またもや俺が梯子を外したかたちとなった。

 

 若干恨めしそうな表情で奥沢さんがこちらを見つめてくるが、俺は自分に嘘は吐きたくない男だ。

 だから、ペグ子との口約束も守ったし、活動に関しても嘘偽り無い意見を述べた。

 

 ゆえに、これから俺が言う言葉もまた真実だ。

 

「でも、楽器の確保が無理ならどうしようもないぞ? ドラムはスタジオに備え付けのを使って、ベースは俺のを貸すとしてもギターやマイクは自前で用意しないとダメだ」

 

 そう、バンドの肝心要の楽器が揃わなければ演奏はできない。特にメロディのメインを張るギターが無いのは致命的だ。

 

「ですよね! それじゃあ今日はこれで解散ということで!」

 

 俺の言葉に間髪入れずに乗っかってきたのはやはり奥沢さんだ。その言葉の力強さに、なんとしても今日は帰ろうという強い意思を感じる。

 そして、実際のところ俺も今日は家に帰りたいところだ。ほぼ素人のメンバーがいる現状、彼女たちがどこまで楽器を弾けるのか確認するための練習メニューを組むための時間が欲しい。

 松原さんも声には出さないが首を縦に振っている。常識人チームの気持ちは一つだ。

 

 しかし、そんな常識人チームの期待を打ち破るのは、やはりペグ子の一言だった。

 

「それなら心配ないわ! だって楽器はもう黒服の人たちに頼んで用意してあるもの!」

「「「え?」」」

 

 俺たちがペグ子の言葉に首をかしげた瞬間。

 

「はい、こころお嬢様。楽器の方、全てつつがなく揃えています」

「うお!?」

 

 さっきまで誰もいなかったはずの空間に、突如湧き出すように黒服姿の女性たちが現れる。

 

 おいおい、メンインブラックかよ!? いや、女性だからウーメンインブラックか。……というか問題はそこじゃないだろ、俺!

 

「一体、どこから湧いたんだよ?」

「私共はいつでもお役に立てるよう、お声がかかるまで常にこころ様の影に控えております」

「おいおい、大統領のSPかよ……」

 

 一糸乱れぬ姿勢のまま答える黒服に、驚愕を通り越して半ば呆れてしまう。

 

「鳴瀬もなにか欲しいものとか、やって欲しいことがあったら黒服の人に頼むといいわ! 大概次の日にはどうにかなっているから」

「ホントにすげぇ……」

 

 ペグ子の言葉に最早俺は呆然とする他なかった。

 

「さぁ、これで練習は大丈夫よね! 鳴瀬、スタジオの手配をお願いね!」

 

 ここまで周到に準備されたら今さら逃げようもない。奥沢さんも松原さんも既に観念したといった表情だ。対象的に北沢さんと薫の二人はワクワクした表情でこちらを見つめている。

 

「はぁ、しゃーないなー」

 

 俺はため息混じりにスマホを取り出すと、履歴からスタジオの番号を呼び出してコールする。

 ワンコール分の音が響いたあとに電話が繋がる。スピーカーからは少し枯れた壮年の男の声が響いた。

 

「はい、こちらスタジオ《arrows》。予約の電話ですか?」

「あー、親父さん? 俺です、《バックドロップ》の基音です」

 

 声の主に俺が名乗ると、スピーカーから「おお!」と喜色がにじんだ叫び声が上がる。

 

「誰かと思ったら鳴瀬のボウズか、久しぶりじゃねーか!」

「ええ、ちょっと色々ありましてね。それで、久しぶりにスタジオを借りたいんですけど、今からっていけます?」

「おお、いいぞ。箱はいつものでいいか?」

 

 声の向こうでスピーカーからじゃらじゃらした金属音が響く。どうやら鍵束から鍵をキープしようとしているらしい。

 

「あ、すんません。実は今日は《バックドロップ》の練習じゃないんですよ」

「え、そうなのか。お前さんが別のバンドに入るなんて珍しいじゃねーか」

「入るというよりも面倒を見てる感じですけどね。それで、箱は五、六人向けのサイズがいいんですけど、いけますか?」

 

 俺の言葉にしばらくの間スピーカーから「んー」という唸り声が漏れる。どうやら予約表を見直しているらしい。

 

「……ああ、キャンセルがあったから一つ空いてるな。後の時間も入ってないから、今日は閉店までいけるがどうするね?」

「じゃあ、一応マックスで取っておいてくれますか。今から30分もあれば着きますから」

「よっしゃ、待ってるからさっさと来いよ!」

「あーい、失礼しまーす」

 

 通話を切ってスマホをしまうと、俺は《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーに顔を向ける。

 

「箱が取れたぞ。駅近の《arrows》ってスタジオな。すぐに入れるように手配したからさっさと行くぞ」

 

 この言葉に歓声を上げたのはお花畑三人衆だ

 

「流石よ鳴瀬! やっぱり鳴瀬を選んだ私の目に狂いはなかったわ!」

「ふふっ、彼のシェイクスピア曰く、『行動は雄弁である』。鳴瀬は私たちのために素晴らしい働きを見せてくれた。なら私もそれに応えるべきだろうね」

「鳴瀬君すごーい! ほんとに予約できちゃった!」

 

 口々に俺のことを誉める三人衆に俺も悪い気はしない。

 

 しかし、一方の常識人チームを見るとそんな気分も吹き飛んで申し訳ない気持ちになってくる。

 松原さんは「ふぇぇ……、上手にできるかなぁ……」と、とても不安そうにしているし、奥沢さんは「私、行ってもやること無いんですけどね」と半ば達観したような表情で虚空を見つめていた。

 

「よーし、それじゃあすぐに行きましょう! 鳴瀬、案内をお願いね! 黒服の人たちは楽器の運搬をよろしくね!」

「「おー!」」

「はい、こころ様!」

 

 ペグ子の号令で喜び勇んで飛び出していく薫と北沢さん、そして黒服の人たちを追って俺も部屋を後にする。

 後ろを振り返ると松原さんと奥沢さんの二人がとぼとぼと歩き始める姿が見えた。

 

 ……すまん、二人とも。俺にはどうすることもできないのだ。無力な俺を許してくれ。

 

 心の中で二人に謝罪しながら、俺はそのままペグ子の後に従って屋敷を出てスタジオへと向かうのであった。

 

 




コロナ休みが開けて、仕事がくっそ忙しくて筆が進まない。

本当ならスタジオパートまで書きたかったけど、今回はここまでです。



実は、ガルパ始めてからバンド熱が再来して久しぶりに楽器の練習もしてみたりしてます。主人公の鳴瀬君はベーシストなんですが、作者はドラマーなんですよね。今はちょこちょこヨルシカの『言って。』を叩けるように練習してます。


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野良ベーシストは顔が利く

続きました。

スタジオ入りの場面です。名前有りのオリジナルのサブキャラが出ます。



《arrows》は駅近の四階建てのビルの全フロアを使って営業する、この辺りでは老舗のスタジオだ。立地上、地価が高いこの場所に建つビルだけあって、その土地面積は猫の額のように狭い。

 しかし、少人数のバンド向けの小さなスタジオを多く設けることで、外観から想像するよりもこのビルのキャパは

はるかに大きい。ゆえに、スリーピースのバンドにとって《arrows》は非常に使い勝手のいいスタジオに仕上がっていた。

 

 ビルのオーナー兼店長の四方津(よもつ)さんは、今は一線を退いているものの、昔はロックバンド《オブリビオン》のドラマーとしてブイブイいわせた実力者だ。インディーズのレーベルから何枚もCDを出し、ラジオの有線放送で曲が流れたこともある。

 

 一大バンドブームだった30年ほど昔、対バンライブで五週間勝ち抜けばメジャーデビューが確約される視聴者参加型のテレビ番組『イケてるバンド天国(通称:イケ天)』で、四週勝ち抜いて五週目の決戦で涙を飲むこととなった《オブリビオン》は視聴者の間では半ば伝説となっており、未だにコアなファンがスタジオに訪れては一階のラウンジ店長とダベっていることも多い。

 

 そんな実力者の四方津さんが経営する《arrows》は、設置された機材の管理や質、料金体系が魅力的なこともあり音楽で食っていくことを夢見るバンドマン達が集う梁山泊(りょうざんぱく)のようなスタジオになっていた。

 

 俺が贔屓にしているスタジオは駅の近辺に数ヶ所あるが、特に四方津さんには目をかけてもらっていたので、スタジオで練習をすることがあれば、まず《arrows》に電話をして空室を確認するのが常になっていた。

 

 そんな《arrows》の扉を、俺は《バックドロップ》を抜けて以来初めて潜ることになった。扉につけられたドアベルがカランと音を立てると、カウンター越しに客と談笑していた四方津さんがこちらを向く。

 そして、入り口に立つ俺の姿を認識した瞬間に四方津さんは破顔して話しかけきた。

 

「よお、待ってたぞ鳴瀬! 俺はてっきり他の店に浮気されたのかと思ったぜ」

「すみません親父さん。ここのところ色々立て込んでまして」

 

 しばらくの間、連絡も入れなかった不義理を詫びると、四方津さんは気にするなと言わんばかりに首を振った。

 

「この時期の大学生はみんなそんなもんだ。どいつもこいつも新入生の歓迎で手一杯よ。んで、お前が連れてきた後輩はどんな連中なんだ?」

「ああ、それはですね……」

 

 四方津さんが興味深そうに入り口を覗き込んで、俺が返事をしようとしたその時、

 

ガランガラン!!

 

「お邪魔するわ!」

「おおぅ?」「……あ?」

 

 ドアベルの音を高らかに鳴らしながら、開け放った扉から颯爽とペグ子がラウンジに進入してきた。

 

 突然の登場に唖然とする俺と四方津さんを尻目に、その後に続くように《ハロー、ハッピーワールド!》の面々、そして黒服の集団がぞろぞろとラウンジに入る。あっという間にラウンジの人口密度は3倍以上に膨れ上がった。

 

 扉を開け放った両手を前に突き出したままで仁王立ちするペグ子に、俺は普段の二割トーンダウンした声で話しかけた。

 

「おい、こころ」

「何かしら、鳴瀬?」

「俺、こっちから声かけるまで表でじっとしてろって、ここにくるまでに何度も確認したよな?」

「ええ、そうね! でも、大勢で建物の前にいたら通行の邪魔になると思ったから中に入ることにしたのよ!」

「いや、この大量の黒服をどっかに行かせればいいじゃん!」

 

 何の事前情報もなくこの集団を《arrows》にぶちこむことは危険だと判断した俺は、せめて四方津さんに俺から紹介を入れた後でこいつらを中に連れ込む予定だった。

 そして、俺はその事をメンバー全員に道中で念入りに話しておいた。特にペグ子には同じ話を三度もした。それなのに。

 

 ペグ(アホの)子め、段取りを全部ぶち壊しやがった!

 

 案の定、謎の黒服集団を連れた女子高生たちはラウンジ中の注目の的になっている。こうなるのが嫌だったから、先に紹介を済ませておいてさくっとスタジオ入りする予定だった俺の計画は全ておじゃんだ。

 

「おいおい鳴瀬、お前がヘルプに入ったバンドって大学の新入生のとこじゃなかったのかよ! こんな若い娘たちなんて一体どこで引っかけてきたんだ?」

 

 そんなことを言う親父さんの目は好奇心とからかいの気持ちでにやついている。これは明らかに何か勘違いしている表情だ。

 

「言っておきますけど、親父さんが考えてるようなことは一切ないですから。むしろ俺が引っかけられたんですよ、被害者ですよこっちは」

「はっはっは! まさか逆ナンとは恐れ入ったぜ鳴瀬! バンドマンはあんまりモテないからな、今のうちにいい娘キープしとけよ!」

「だから違いますって!」

 

 俺の抗議の声もむなしく、四方津さんはカウンターから出ると《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーの方に歩み寄る。

 

「おう、お嬢ちゃんたち。俺がこのスタジオのボス、四方津秋人(あきひと)だ。鳴瀬を引っかけたのはこの中の誰なんだい?」

「わたしよ!」

 

 四方津さんの問いにペグ子が手を挙げて威勢よく返事をする。

 

「駅前でたまたま鳴瀬の演奏者を聴いてビビっときたのよ! それからすぐにメンバーを集めて私たちのバンド、《ハロー、ハッピーワールド!》を組んだの!」

「ほう、ということはお嬢ちゃんたちは……」

「ああ、親父さん。あっちのドラム担当の松原さん以外は素人に毛が生えたレベルだよ」

 

 腕組みをした四方津さんの言葉に俺が返事をする。

 

「ふーむ、演奏に関しては素人かもしれないが、鳴瀬の演奏を聴いて感じるものがあったのなら音楽的なセンスはあるな。こいつを選んだのは悪くないぜ、お嬢ちゃん!」

「いてっ、痛いって親父さん!」

 

 俺のことを誉めながらバシバシと背中を叩いてくる四方津さんに対して、俺はささやかな抗議をする。

 しかし、四方津さんはそんなのどこ吹く風といった様子で手荒に俺を扱った。演奏中の繊細なドラムワークからは想像ができないがさつさだ。

 

 そんな俺たちの様子を見てペグ子は楽しそうに笑う。

 

「誉めていただいて嬉しいわ! わたしも鳴瀬はただ者じゃないって一目で分かったもの! わたしの名前は弦巻こころよ、これからよろしくね四方津のおじ様!」

 

 そう言って丁寧に腰を折って挨拶するペグ子の姿を見て、四方津さんは笑い声をあげる。

 

「ははは、おじ様ときたか! こちらこそよろしく、こころちゃん! 鳴瀬、中々見所がありそうな子じゃないか。しっかり世話してやれよ!」

「マジっすか、親父さん」

「マジだよ、マジ。さぁ、スタジオに案内するからついてきてくれ」

「ありがとう、おじ様!」

「はっはっは! もっと呼んでくれていいぞ、こころちゃん!」

 

 「おじ様」の言葉にすっかり気を良くしたらしい四方津さんは、ペグ子を引き連れて高笑いで建物の奥に入って行く。どうやら四方津さんのハートはペグ子にがっちりと鷲掴みにされてしまったようだ。

 

 ……やっぱり、ペグ子には不思議と人を惹き付ける力があるんだよな。

 

 そんなことを漠然と考えながら、俺は他のメンバーを引き連れて二人の後ろに従ってスタジオに向かった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「んじゃ、スタジオはここ、鍵はこれな。フルタイムで入れたから10時ぐらいまで鳴らしてもいいけど、若い娘さんばかりのバンドだからあまり遅くなるなよ」

 

 言葉の途中で四方津さんの手から放り投げられた鍵をキャッチして俺は頷く。

 

「あいあい。まぁ、今日はこいつらの実力の確認がメインなんでそこまで遅くはならないですよ」

「ならいいか。でも、もし遅くなるならちゃんと送っていけよ」

「わかってますよ。こころ以外のメンバーは全員俺が責任を持って家まで送り届けますから」

 

 その言葉にペグ子が弾かれたように俺の方を見つめて抗議の声を上げる。

 

「ええっ!? 鳴瀬、なんでわたしだけ仲間外れなのよ! ひどいじゃない!」

 

 ペグ子は頬をハムスターのようにぷっくりと膨らませて怒りを露にしている。思わず膨らんだ餅に箸でするようにその頬を指で突き刺したい衝動に駆られたが、周囲の黒服たちが非難の籠った視線を俺の方に向けていたのでぐっと堪えた。

 

「いや、だってお前は黒服がいるじゃん。俺がいなくても超安全じゃん」

 

 俺が黒服の方を指差すと、黒服たちは皆「なるほど!」といった表情になった。

 

 ……いや、気づいてなかったのかよ。

 

 なんだか思ったよりもこの黒服たちはポンコツな気がする。

 そんなことを考えていると黒服の一人が俺の方に歩み寄ってきた。

 

「基音様、こころ様だけが仲間外れにされてしまうのは心苦しいのでどうか送っていただけませんか。なんなら、私共は帰り道ではこころ様から離れておきますから」

「嫌だよ。つーか、一番守らなければいけないときになんで離れるんだよ」

「むむむ……」

 

 黒服は眉間にシワを寄せる。「まさか断られるとは」といった表情だが、むしろなぜ断られないと思ったのか理由を四百字詰め原稿用紙に書いて提出してほしいぐらいだ。

 

 まぁ、めんどいから提出されても読まないが。

 

「とにかく、今日はマジにそんなに遅くならないから心配しなくていい」

「それじゃあ、これから先にもし遅くなる時があったらその時は送ってくれるのね?」

「へいへい、考えておきますよ」

 

 もちろん、考えるだけでやらないけどな! 言質を取られたくないから送るなんて絶対に言わないぜ!

 

 そんな俺の考えなど露知らぬペグ子は満足げにうんうんと首を縦に振る。

 

「ならいいわ! それじゃあ早速スタジオに入りましょう! 黒服の人たちは楽器を運び込んでね!」

「はい、こころ様!」

 

 ペグ子の一声で楽器のケースや巨大な箱を抱えた黒服のたちが一瞬でスタジオになだれ込む。中からどったんばったんと激しい音がしばらく聞こえて、一分も経たないうちに「整いました、こころ様」と黒服の一人が顔を出した。

 

「ありがとう黒服の人たち! さぁ、みんな中に入りましょう!」

「わーい! はぐみいっちばーん!」

「ふっ、いよいよ私の出番というわけか。今日も最高の私を演じてみせようじゃないか」

「ふえぇ……き、緊張してきたよぅ。うう……、楽器はかぼちゃ、楽器はかぼちゃ……」

「いやいや花音さん、それ色々間違ってますって!」

 

 それぞれが思い思いの言葉を口にしながら《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーがスタジオに入っていく。初めてのスタジオで緊張していない(一名除く)のはいいことだ。何事もリラックスして臨むことが成功のためには肝要だ。

 

 皆がスタジオに入るのを見届けてから俺もドアをくぐる。中に一歩入ればそこには見慣れた光景が広がる。圧倒的なホームグラウンドの感覚。

 今回は俺が演奏するわけではないが、それでもやはりスタジオの空気感というものは身が引き締まる。ガチガチというよりは程よくテンションがかかった弦のような心地よい緊張感である。

 

「よっしゃ、それじゃあ一丁やってやりますか」

 

 首を左右に一度振ってから肩を回すと俺はスタジオの扉を閉じた。

 




演奏シーンまで行きたかったけれど、やはり時間がないのだ……。

次の話では《ハロハピ》を演奏させるんでよろしくお願いします。


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野良ベーシストは楽器を貰う(未遂)

続きました。

楽器の受け渡しパートから演奏パートへ。忙しくて全然筆が進まんぬ。


【オリキャラ紹介】
四方津(よもつ)秋人(あきひと)

 年齢49歳。外見は身長178cmで体格はがっちりめ。濃ゆい顔立ちで肌は地黒。ロマンスグレーの髪をオールバックにしてうなじ付近で小さく結んでいる。

 鳴瀬が贔屓にしているスタジオ、《arrows(アローズ)》の店長。ビル自体のオーナーでもある。

 30年近く昔はドラマーとして《オブリビオン》というバンドで活動していたが、仲間の就職などで解散、現在は一線を退いている。ジャズドラマーだったこともあり、繊細なブラシワークとフィルインの引き出しの多さが武器。体格に似合わず技巧派。


【ネタ紹介】
『イケてるバンド天国(通称:イケ天)』
 一昔前に多かった視聴者参加型番組の一つ。毎回バンドをいくつか登場させて番組内で対バンライブを行わせ、投票により王者を一組選ぶ。王者はディフェンディングチャンピオンとして次週も登場し、5週勝ち抜けばメジャーレーベルからのCDデビューが確約される。

 元ネタは『三宅裕司のいかすバンド天国(通称:イカ天)』。『平成名物TV』という番組の一コーナーで、ここから多くのバンドがメジャーデビューして当時の日本のバンドシーンを支えた。しかし、ディレクターなどの不祥事とテコ入れの失敗、日本のバンドブームの終焉によりその幕を下ろした。
 この番組からメジャーデビューを果たした代表的なバンドは《JITTERIN'JINN》《たま》《BEGIN》《人間椅子》《マルコシアス・バンプ》など。

 実は、メジャーデビュー前の《GLAY》も登場したことがあるが、演奏途中で無念のワイプ落ちになっている(審査員の評価が低いと、途中で画面がワイプされ演奏停止になるシステムだった)。



「よし、それじゃあ早速やろうぜ。こころ、みんなに楽器を渡してやれ」

 

 俺の言葉にペグ子が頷く。

 

「分かったわ! 黒服の人たち、薫とはぐみにギターとベースを渡してあげて!」

「承知しました。では瀬田様、北沢様こちらをどうぞ。松原様のドラムは既に運搬済みです」

「どうも、ありがたく受け取らせていただこう」

「わーい! はぐみのベースだー!」

「あ、ありがとうございます」

 

 黒服たちが恭しく差し出した楽器を受けとると、二人はいそいそとケースから楽器を取り出し始め、松原さんはドラムセットの方へと向かう。楽器をケースから出そうとする二人の目はキラキラ輝いて見える。

 

 やっぱり新品の楽器をケースから取り出す瞬間というものはワクワクするものだ。たとえ店頭で自分の目で見て試奏して買ったものでも、このワクワクはいつだって変わらない。それが初めて手にする楽器なら尚更だろう。

 

 それにしても、ペグ子は一体どんなギターとベースを持ってきたんだ? 特にベースが気になるな。

 

 俺はベーシストとしての純粋な興味から北沢さんが開けたケースを覗き込んだ。そして。

 

「わー! 見て見て、はぐみのベースすごくカッコいい!」

「ぶふぅー!? げほっ、げほっ!?」

「わっ!? 鳴瀬くん大丈夫?」

「あ、ああ。ちょっと驚いただけさ……」

 

 現れたベースを見て盛大にむせることになった。

 

 リ、リッケンバッカーの4003シリーズ!? 実売30万超えの高級機じゃねえか! 俺の虎の子、Fender jazz bass American professionalよりも高けぇじゃん! 初心者が持つベースじゃないぜこいつは……

 

 リッケンバッカーの4003はその独特な取り回しから、ある程度ベースに慣れた玄人向けの機種と言われている。

 しかし、その音作りの面白さはピカいちで、使いこなせば様々なシーンで多彩な音色を奏でてくれる、使い手の技量によってその真価が引き出されるベースだ。

 

 面白いベースだけど、最初の一本に選ぶか普通? ……いや、ペグ子は普通じゃなかったわ。

 

 間違いなく初心者が使う一本ではないが、それでもペグ子が選んだと言われれば妙に納得してしまう自分がいた。

 

 しかし、この分だと薫の方のギターも凄いのが出てきそうd……

 

「おお! 見てくれ、この純白のボディ! 優美なシルエット! まさにこの私に相応しいギターじゃないか!」

「おいおい、こっちはグレッチのホワイトファルコンかよ!?」

 

 ーーこの世で一番優美なギターとは何か?

 

 そんな問いが世のギタリストたちに投げ掛けられたら、真っ先に名前が挙がるのがこのグレッチホワイトファルコンであろう。

 汚れを知らぬ純白のボディにバイオリンのようなfホールを開けて、ペグなどにゴールドの金属パーツを惜しげもなく使ったこの名機は、ロココ調の絵画の一場面に登場してもおかしくないような気品と高貴な佇まいがある。

 

 フルアコ・エレアコギターの雄、グレッチ社のフラグシップとも言えるこのモデルは当然お値段も高く、新品の実売価格は50万を下らない。まさにワンランク上の選ばれし者のためのギターなのだ。

 

 必然、演劇の役作りで弾いて以来ほとんどギターとは無縁の薫が持つレベルものではないのだが、ホワイトファルコンを持ってポーズを決める彼女の姿はめちゃくちゃ様になった。イケメン無罪というやつである。

 

 松原さんの前に鎮座するドラムに関してはあまり詳しくないので詳細不明だが、どうやらYAMAHAのヴィンテージらしい。まだ、国内で最高水準の木材が容易に確保できた頃のモデルだ。その証拠にさっきから松原さんが軽く叩いているが、音の抜けが数打ちのドラムとは段違いだ。

 

 そして、最後に奥沢さんなのだがーー

 

「ーーあれ? 奥沢さんには楽器無しなのか?」

 

 奥沢さんにだけ楽器が無いことを不審に思った俺が声をかけると彼女は首を左右に振る。

 

「あー、私はあくまでも『ミッシェル』の代理なので演奏はしませんよ」

「……そうなのか」

「そうなんです」

 

 ……だから「ミッシェル」って何だ!?

 

 謎の存在「ミッシェル」への疑問は深まるばかりだったが、とりあえず今は奥沢さんは楽器を演奏しないということでいいだろう。

 

「んじゃ、これで全員楽器は行き届いたわけだな」

 

 確認の意味を込めて俺がペグ子の方を振り返ると、彼女は首を横に振った。

 

「まだよ! 最後の楽器が残っているわ!」

「ん? 最後って言ってもこれで全員の手元に楽器はあるだろ?」

 

 一瞬、ペグ子自身のことかとも思ったが、彼女の手には既にスタンド付のマイクが握られている。それは当然のようにノイズキャンセルとハウリング防止のシステムが搭載された高級機だ。

 薫のホワイトファルコン、北沢さんのリッケンバッカー、松原さんのドラムセットと合わせれば総額は200万に届くかもしれない。このブルジョワジーめ。

 

 ……しかし。それじゃあ、残る楽器は一体誰のなんだ?

 

 不審に思った俺が首を傾げていると、ペグ子が右手の人差し指をビシッと俺に突き付けた。無礼な奴だ。

 

「もちろん最後はあなたよ、鳴瀬! 鳴瀬だって《ハロー、ハッピーワールド!》の一員なんだから、ちゃんとあなたの分も用意したのよ!」

「マジか」

 

 まさか俺の分までペグ子が用意しているとは想定外だった。

 ペグ子は基本的には空気を読まず自分の世界に周囲を巻き込み引っかき回すが、たまに見せるこの辺りの絶妙な気遣いや正鵠を射た発言が彼女を憎めない存在にしていることは間違いないだろう。

 

 ……でも、俺は自前のベースがあるからなぁ。五弦みたいな多弦ベースなら興味があるけど。

 

 そう、用意してくれたペグ子には悪いが俺は愛用のベースが既に二本もあるのだ。

 

 一本はYAMAHAのミディアムスケールの名機motionB MB-40。安心と信頼のYAMAHAらしい安定感とミディアムスケール特有の取り回しの便利さが売りのこのベースは、持ち運びの利便性からほとんどの演奏シーンで俺のお供をしてくれる頼れる相棒だ。

 

 楽器店で美品中古として25000円で吊るされていたのに一目惚れして即金で購入したのだが、本当にいい買い物をさせてもらったと今でも思っている。

 

 そしてもう一本が先程リッケンバッカーと引き合いに出されたFender jazz base American professionalだ。

 

 ジャズベースのド定番のFenderのハイグレードモデルに位置するこの機種は、motionBが相棒だとすれば用心棒の先生みたいな立ち位置になる。クラブハウスでの対バンライブやスタジオや自宅録音のようなここぞというシーンで活躍する大先生である。

 

 本来20万近い高級機なので普通なら手が出ないところ、馴染みの楽器店の商品入れ替え処分ということで半値近くまで値引きしてもらってようやく手に入れたという経緯があるので、かなり大切に使っている。

 

 なので、四弦のベースは俺にとってはあらゆるシーンをカバーしてくれるこの二本で事足りる。それに、あまり手広くやり過ぎてもそれぞれのベースの扱いが疎かになってしまうかもしれない。

 

 ただ、五弦や七弦の多弦ベースは四弦と違音域の拡大によって表現の幅が広がるので、もう少しスキルアップしたらそろそろ導入しようかなと考えていたこともあった。

 

 だから、もしペグ子が持ってきたベースが多弦ベースなら現物を見せてもらって使わせてもらうのもありかもしれない。

 

「あー、こころ。折角用意してもらって悪いが、俺は四弦のベースはもう二本も持ってるんだ。五弦や七弦のベースなら興味があるんだが、用意してくれたのは何本弦のベースなんだ?」

 

 ありのままの思いをペグ子に伝えると、彼女は目を丸くする。

 

「あら、そうなのね。んー、わたしが用意したベースは四弦なのだけど、鳴瀬はわたしたち《ハロハピ》の先生だから一番良いのを用意したのよ! 見れば鳴瀬もきっと気に入ると思うわ!」

「え、一番良いのって薫のホワイトファルコンよりもか?」

 

 俺の問いにペグ子が大きく頷く。

 

「もちろんよ! 鳴瀬もきっと気に入ると思うわ! 黒服の人たち、楽器を持ってきて!」

「はい、こころ様。鳴瀬様、こちらが鳴瀬様の楽器になります、お納めください」

「あ、どうも」

 

 黒服の一人から差し出されたハードケースを受けとる。ずいぶんと古めかしいケースだ。どうやらヴィンテージのベースらしい。

 確かにヴィンテージの楽器なら良い木材が自由に使えた頃ということもあって、ホワイトファルコンよりも高額な物もあるだろう。

 

「さあ、鳴瀬! 早速開けてみて!」

「分かってるから急かさないでくれよ……」

 

 ぴょんぴょんと跳び跳ねながら俺の周りをぐるぐる回るペグ子を片手で制すると、ケースを床に置いてゆっくりとその蓋に手をかける。

 鍵を開けるとわずかな軋みとともに蓋が開き、ついにその楽器が俺の前に姿を表した。

 

「これは……Fenderのジャズベース? いや、でもこいつは……」

 

 目の前に現れたベースは俺が持っているFenderのジャズベースだった。カラーは定番のサンバーストで、ジャズベース、いや、全てのベースで最も売れたと言っても過言ではないスタンダードモデルだ。

 

 しかし。

 

 ……なんだ、このジャズベ。オーラがすごいぞ……。

 

 このジャズベースはおそらくヴィンテージなのだろうが、打痕や弾き傷といったボディダメージがまるでない。持ち上げてネックコンディションも確認したが、ストレートでフレットも9割以上残る極上の状態だ。しかも使った木材が良かったのかトラ目まで浮いている。

 

 だが、そんなことよりも特筆すべきなのはその塗装だ。

 

 長い年月を経たサンバースト塗装は、エイジングによって得も言われぬ飴色の塗装へと変化している。これがボディ中央から外部に向かって徐々に黒くなるグラデーションは、思わずため息が出るほどに優美だ。

 

 ……この色は、20年やそこらの経年ではでないぞ。もしかして、マジにスゴいヴィンテージなのか、これ?

 

 自分が今手にしているこのジャズベースから途方もないオーラを感じた俺は、思わずこいつを渡してくれた黒服の人に声をかけていた。

 

「あの、ちょっといいですか?」

「なんでしょう、鳴瀬様?」

「このジャズベース、来歴とか年式とかって判ります?」

「はい、こちらは1960年式Fenderジャズベースになります。当時Fender社のクラフトマンだった職人のお孫さんから譲って貰った全パーツオリジナル、正真正銘のFenderジャズベースです」

「ぶふぅーー!?」

 

 聞いた瞬間、狼狽えて思わずむせた。

 

 というか、狼狽えるなってのがもう無理。

 

 だってこれ、博物館行きレベルの名機ですやん。

 

 

「鳴瀬!? 急に噴き出したりしてのどうしたの!?」

「噴き出すに決まってるだろ、加減しろこのアホ! ホワイトファルコン云々なんか吹き飛んだわ! これ一本で自動車が買えるレベルの名機じゃねーか!」

「えっ!?」×4

 

 俺の言葉に反応した他の《ハロハピ》メンバーも慌てて楽器を覗き込みに来る。

 しかし、それも無理からぬ話だ。

 生産ラインに初めて乗ったFenderジャズベースのミントコンディションなんて、博物館のガラス越しに眺める位しかお目にかからない。しかも、こいつは恐らくケースも当時物だ。本体と合わせてどんなに安く見積もっても500万は下らないはずだ。

 

 いかん、金のこと考えたら手が震えてきたぞ。

 

 ぐにゃぐにゃになって俺の制御下から離れようとする指先に喝を入れて、俺はなんとかジャズベースをケースに戻すと蓋を閉めた。

 ジャズベースの姿が目に見えなくなってから大きなため息を一つ吐く。

 

「ふぃ~」

「あら、鳴瀬。わたしの楽器はしまっちゃうの?」

「当たり前だ! こんなん緊張してまともに弾けんわ! 黒服の人も、もっと使いやすいのは無かったんですか?」

 

 ペグ子に叫んだあと、俺がさっきの黒服に問いかけると、彼女は申し訳無さそうに首を振った。

 

「申し訳ありません。鳴瀬様には本当でしたらFender1959年のプロトタイプをお持ちする予定だったのですが、交渉がまとまる寸前に所有者に翻意されまして、急遽こちらをお持ちした次第です」

「余計にタチが悪いわ!? そんなんますます弾けないじゃん!?」

 

 Fenderのジャズベースには一般流通した1960年式の前に、試作品として1959年式のプロトタイプが存在するのは有名な話である。

 

 ちなみにこのプロトタイプは現存確認が取れているのはこの世にたった二本だけであり、当然、二本とも博物館行きかコレクション用の美術品レベルの楽器である。

 

「とにかく、このベースは受け取れません。お返しします」

「えー、折角鳴瀬のために用意したのよ?」

「アホ、こんなん持ってても緊張して指が動かねーよ」

「あー! またアホって言ったわね!」

 

 アホ呼ばわりされてぷりぷり怒るペグ子は無視して、俺はジャズベースを黒服に預ける。

 至高の名機が手元から離れるのは名残惜しい気もしたが、楽器にも格というものがある。今の俺が扱うにはにはこいつはまだ重すぎた。

 

 ……それに、こんなの貰ったら一生ペグ子の面倒見ることになりそうだしな。

 

 かくして、俺の手元に渡るはずだった至高の名機は再び俺の手から離れたのであった。

 

 

 ……やっぱりちょっともったいなかったか。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ペグ子にジャズベースを戻してからしばらく。思い思いに楽器を弾いている《ハロハピ》メンバーを見ながら俺は声をかけるタイミングを伺っていた。

 

 

 とりあえず、今のところ俺に与えられた任務はボーカルのペグ子を除いた薫、北沢さん、松原さんの三人、彼女たちがどれだけ楽器をやれるのか確認することが急務だ。

 

 楽器の特性もある程度は確認できた頃だ。肥をかけるならそろそろかもしれない。

 

 そう考えた俺はいよいよ口を開くことにした。

 

「よーし、全員集合」

「はーい」×5

 

 俺の呼び掛けに楽器を弄くっていた面々が楽器を置いて俺の前に集合する。

 

 全員が揃ったことを確認して、俺は楽器担当の三人を見回してから言葉を続けた。

 

「じゃ、早速みんながどれだけ楽器をやれるか確認したいわけだが、まず前提として薫、北沢さん、松原さん。みんな楽譜は読めるか?」

 

 この問いに三人は首を縦に振る。

 

「ああ、私は問題ないよMr.鳴瀬。前に演劇で弾いたときに楽譜は読み込んだからね。複雑な演奏指示がない限り大丈夫さ」

「はぐみはTAB譜? とかいう押さえる指の位置が書いてあるのなら読めるよ!」

「わ、私はドラムの譜面なら問題ないです」

「おお、なんだかいけそうじゃないか」

 

 楽器担当の三人が楽譜をある程度読める、これは大きなアドバンテージだ。バンドをやる上で最初のハードルが楽譜・スコアの読み方の理解なのでこれをすっ飛ばせるのは大きい。

 

 特に、通常とは音符などの指示が違うドラムの譜面を松原さんが読めるのは素晴らしい。

 ペグ子の一番の功績は真っ先に松原さんを確保したところだと言っても過言ではない。

 

 腕のいいドラマーの確保は全てのバンドの至上命題といえる。他の楽器に比べ機材を揃えることや演奏環境を整えることが格段に面倒くさいドラムはとにかくなり手が少ない。

 なってもいいと手を挙げる者がいても、練習が満足にできないので中々上達しない。結果、バンドが空中分解なんてのはよくある話だ。

 

 しかし、《ハロー、ハッピーワールド!》はなんとドラムが一番の経験者。これがどれだけ恵まれたことなのか他のメンバーは恐らく理解していないだろう。

 

 とにかく、松原さん。貴女に会えて本当によかった。

 

 彼女との出会いに感謝する俺の頭の中では小田和正の名曲、《言葉にできない》がどこからともなく流れていた。

 

「オッケー、じゃあ第一段階はみんなクリアな。じゃ、次はこれで実際演奏してみせてくれ」

 

 そう言って俺は用意していた楽譜を配る。

 

 楽譜は有名な曲のものではなく、運指やスティックワークの確認のための練習(ドリル)用譜面だ。

 

 これをどこまで弾けるのかで全員のレベルが見えてくる。

 これからの練習や、演奏楽曲の選定や作成に至るまで、ここでの実力確認が肝になる。

 

「それじゃあ、30分で譜面を確認して、それから演奏な。俺の期待を裏切らないでくれよ?」

「任せてくれたまえ、Mr.鳴瀬。最高に儚い演奏をお見せしよう」

「はぐみもやるぞー!」

「じょ、上手にできるかなぁ……」

 

 ある者は自信たっぷりに、別の者は不安げに楽譜に目を通しながら楽器と向き合う。

 

 さあ、ここからが本番だぜお嬢様方。君たちの実力、全部俺に見せてくれよ。

 

 彼女たちがどんな演奏を見せてくれるのか期待に胸を膨らませ、俺はその時が来るのを今か今かと待ち構えていた。

 

 

 

 




次もできる限り早く投稿したい。

でも仕事が忙しい。やむ!


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野良ベーシストは甘口派

続きました。今回は早い。

甘口といってもカレーの話ではないよ!
当然お酒の話でもないよ!


「オッケー、譜面の確認は済んだかな?」

「ああ、大丈夫だ」

「はぐみもオッケー!」

「一応は読みました、でも実際に叩けるかは分からないです……」

 

 三人の返事を聞いた俺は軽く頷く。

 

 普段はやいのやいのと騒がしいが、こいつらのここ一番の集中力はなかなかのものだ。譜面を見ている間は誰一人として喋ることはなかったし、ある程度譜面の確認が済んだあとはみんながそれぞれの楽器で運指やスティックワークの確認に努めていた。

 そういう音楽に対して真摯な姿勢を、俺は一人のバンドマンとして好ましく思う。

 

 だったらちょっとは本気で見てやらないとな。

 

 

「まぁ、これはあくまでも実力を測るための課題だから最後までできなくても問題ない。視力検査みたいなもんだ。その代わり、できる範囲では全力を尽くすこと、オーケー?」

「はい!」×3

 

 いい返事だ。教える側としては悪い気はしない。

 

「じゃあ、一人ずつ行こうか。まずは薫、準備してくれ」

「任せたまえMr.鳴瀬。最高に儚い演奏を披露しようじゃないか!」

 

 俺の声でホワイトファルコンを携えた薫が一歩前に進み出る。

 

「薫、カッコいいとこ見せてね!」

「薫くんがんばれー!」

「が、頑張ってください!」

 

 みんなの声援を受けて薫がギターを構える。

 

「よし、いくぞ。BPMは100からスタート、変化は楽譜の指示に従うこと。じゃあ始め!」

 

 開始宣言と同時にスマホのメトロノームアプリのスイッチをタップ、スピーカーからはコッチコッチと無機質で規則的な音が流れる。

 数度の音が響いた後、薫の指先が指板を踊り、ピックが弦をかき鳴らして旋律が始まった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「よーし、そこまで!」

「……ふぅ、どうだい仔猫ちゃんたち。儚い演奏を楽しんで貰えたかな」

 

 薫の両手がギターを離れ、左手がその前髪を掻き上げ、人差し指と中指の間にピックを挟んだ右手がビシッとこちらに突き出される。

 芝居がかったキザな仕草だが、薫がやるとかなり様になる。ステージに立てばさぞかし黄色い歓声を集めることだろう。

 

 実際、残りの《ハロハピ》のメンバーは大いに沸いているし、黒服の中にもうんうんと頷く者がいる。

 

 俺自身も思ったより全然悪くなかったと思う。

 

 だが、《ハロハピ》のアドバイザーを任されている以上は手放しで誉めるだけではなく、苦言も呈さないといけないだろう。

 

 それに最初に誉めすぎて増長させるのも一長一短がある。気を良くしてより練習に打ち込む者もいれば、増長が過ぎて勝手な行動を取る者もいるからだ。

 薫がどちらのタイプかはまだ判断がつきにくいところだが、先程の演奏を見た限り釘は指しておくべきだろう。

 

 様々な考えを瞬時に巡らせてから、俺はこちらを向いて言葉を待つ薫の方を見つめて口を開いた。

 

「じゃあ、まずは良いところから」

「ふふっ、私のベストを尽くしたのだから、良いところだらけなのは当然だね」

「その根拠の無い自信はどっから湧いてくるんだ……まぁ、いいか。とりあえず、薫の良いところはコード進行が正確なところだな。一応経験ありってことだから、一部は中級者向けのエッセンスも入れたんだけど、結構いけてた。まだ音が濁ったところはあるけど、反復練習すればすぐに弾けるだろ」

「お誉めに与り光栄だね」

 

 薫はどや顔というに相応しい表情で腰を折って優雅に一礼する。普通ならうざったく感じるそれも、やはり彼女がやると無駄に様になった。

 

 ……やっぱりずるいなこいつ。

 

「はいはい、それじゃあ残りも言うぞ。二つ目はBPMの変化に敏感だったこと。変化に合わせて自分でリズムを作ってうまく対応してたよ」

 

 バンドはチームプレイだから、リズム担当が作ったリズムに合わせるのはメロディ担当の必須スキルだ。これができないと各々が勝手に走り出して演奏は崩壊することになる。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》は構成上メロディ担当は薫のみなので、彼女さえリズムに忠実なら演奏はうまくまとまる。今の薫を見たら、その当たりの心配は無用だったようだ。

 

「ああ、流石にMr.鳴瀬はよく見てくれているね。舞台で演じるものとして、他の演者との調和や時間配分はお手のものさ」

「あー、そうか、薫はバンドではないけどステージ経験者なんだったな。視野の広さはその辺りから来てる訳だ」

 

 俺の言葉に薫が大きく頷く。

 

「その通りさ、『人生万事塞翁が馬』というやつだね」

「お、珍しく引用した格言が誤用じゃないな」

「はっはっは! 私はいつだって正しいことを言っているさ!」

「薫はもっと普段の自分の言動を省みた方がいいな」

 

 薫は何かにつけて格言、それもシェイクスピアのものを引用したがるが、とにかく頓珍漢なことが多い上に、格言の意味もいまいち分かっていないことが多々ある。

 しかし、たまにズバッと核心を突いた引用をするので、それが無駄に彼女を大物っぽく見せている。

 

 しかも、どうやら薫もその辺りのことには気付いているようで、「とりあえず合ってそうだから、カッコいいこと言っとくか」みたいなノリで格言を突っ込んでくるのが質が悪い。

 

「よーし、じゃあ次は課題な」

「ふっ、完璧な私に課題なんてあるのk……」

「薫、演奏中にメロディの合間合間で決めポーズを取る理由を述べよ」

「……」

 

 しばしの沈黙。

 

 薫はしばらく俺の顔をじっと見つめた後、「やれやれ」と言わんばかりの表情で「ふっ」と小さく笑った。

 

 なんかムカつく。

 

「だってその方がカッコいいだろう?」

「だろう? じゃねーよ! ポーズ決める度にそこだけリズムキープが乱れてるんだよ! なんで自分から持ち味を殺しに行ってるんだよ!」

 

 思わず激しいツッコミを入れてしまったが、それも薫はどこ吹く風といった様子だ。

 

「ふっ、彼のシェイクスピア曰く、『行動は雄弁である』。私は、自分の魅力を最大限に伝えるために最適な行動を取ったまでのことさ」

「俺には薫のポンコツ具合が最大限に伝わってきてるぞ」

「おやおや、Mr.鳴瀬はまだ私の魅力を受信するためのアンテナが立っていないようだね」

 

 ああ言えばこう言うとはまさにこの事か。

 

 短い付き合いでも分かったが、薫は頭の回転が早い上に弁も立つ。しかも時たま確信犯的な行動も取るのが始末に終えない。政治家にでもしておけばさぞかし上手に有権者を手玉に取ることだろう。

 

 しかし、俺は薫に手玉に取られることはない。彼女の魅力攻撃はスルーできるし、それに彼女に話を聞かせるための方法も大体見当がついている。

 

 そして、俺は早速その方法を実践することにした。

 

「Ms.薫。君は、"The road to hell is paved with good intentions"という格言を知っているかな?」

「……! いや、寡聞にして聞かないな。どういう意味かご教示願えるかな」

 

 よし、食いついた。

 

 今までのやりとりの中で分かったことだが、薫は「カッコいい言葉」にめっぽう弱い。恐らく、より自分をカッコよく見せるためのそれっぽい語彙を集めて、あわよくば自分で使ってやろうと思っているのだろう。

 だから、彼女と話す時はまずカッコいい格言を突っ込んでいくと、そこから先の会話の主導権を握ることができるのだ。

 

 実際、すでに薫は興味津々といった表情で俺の言葉を待っている。

 

 それを確認した俺はあえて尊大な態度をとった。

 

「これは和訳すると『地獄への道は善意によって舗装されている』という意味の格言なんだがね。まぁ、解釈としては色々あるんだが、今回は『自分がよかれと思ってやったことが相手を地獄に引きずり込む』位の意味で捉えてくれ」

 

 薫がこくこくと頷く。その手にはいつの間にかメモとペンが握られていた。

 

 いや、メモを取り出すタイミングはここじゃないだろ!

 

 思わずツッコミそうになったが、折角作った空気が壊れそうだったのでグッとこらえる。

 

「薫、君はよかれと思って決めポーズを取っているようだが、そのせいでリズムキープが乱れれば割りを食うのは他のメンバーだ」

 

 薫がハッとした表情になる。

 

「確かに君の決めポーズでオーディエンスは盛り上がるだろう。しかし、それで肝心の演奏が疎かになると本末転倒だ。まずは演奏を完璧に仕上げる、しかる後にパフォーマンスを入れる。大切なのは"step by step"だ、確実に事をこなせ。"God is in the details(神は細部に宿る)"とも言うしな。精度が落ちれば、それだけで演奏は良いものたり得なくなる。オーケーかな、Ms.薫?」

 

 薫はさながら赤べこ人形のようにかくかくと首を振っている。どうやら格言を引用した俺の言葉は効果抜群のようだ。

 

「分かったよMr.鳴瀬。まずは演奏に全力を注ごうじゃないか」

「よろしい」

「その代わり、後でさっきのカッコいい格言をもっと私に教えてくれないか」

「考えておこう」

「よろしく頼むよ」

 

 満足気に笑みを浮かべて引き下がっていく薫から目を離すと、俺は今度は北沢さんの方へと視線を移す。

 

「よーし、待たせたね北沢さん。次は君の番だ」

「うん、はぐみ頑張るよ!」

 

 俺の言葉に北沢さんはにこにことした笑顔で応える。薫とはまた違ったベクトルの魅力がある笑顔だ。

 

「北沢さんはベースは初めてだからね、ミスは気にせずに最後までのびのびと楽しんで弾くこと。これを意識して」

「楽しむこと、か。分かったよ鳴瀬くん!」

 

 元気よく返事した北沢さんがベースを構える。口元には笑みを湛え、しかし、その表情には程よい緊張が見られる。いいコンディションだ。

 

「じゃあメトロノーム流すぞー。好きなタイミングで入ってくれ」

「いっくよー!」

 

 無機質なメトロノームの音が一瞬響くと、それを覆い尽くすようにキレのあるベースの音がスタジオに響いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「オッケー、演奏止めていいぞー」

「はーい! あー、楽しかったー!」

 

 満面の笑みでベースから手を離す北沢さんを見て、思わずこちらも笑みがこぼれる。

 

 やはり楽器は楽しんで弾いてなんぼのものだ。自分で音を生み出す歓びを、一人の表現者として人前に立てる素晴らしさを感じるそのときこそが楽器を弾くときの最も尊い瞬間だ。

 北沢さんは今、その歓びを十分に感じている。それをベースを通じて感じてくれていることが、同じ楽器を扱う先輩として純粋に嬉しい。

 

 正直、彼女は現時点ではこれで十分なのだが、やはりアドバイザーとしては正鵠を射たコメントをする必要があるだろう。

 

 まぁ、少しは甘めにしてあげようかな。

 

 そんなことを考えつつ、発する言葉の内容を頭で練りながら俺は口を開く。

 

「よっし、まずは良いところ。北沢さんの良いところはなんといっても音にパワーがあるところだな。しかもでたらめに力任せにぶん回すんじゃなくて、きちんと制御下に置かれたパワーだ」

「ホントに!? やったぁ!」

 

 俺の言葉に飛び上がって喜ぶ北沢さんに頷いて、俺は言葉を続ける。

 

「んで、左手の指がきちんと弦を押さえられてる。ベースは弦が太いから意外と押さえるのにパワーがいるんだ。初心者や女性は特に、ちゃんと押さえたと思っても弦が浮いたりしていて、それが音のビビりや詰まりになるんだけど、北沢さんはそれが無い」

「はえー、そうなんだ」

 

 ベースという楽器はギターと比べてかなりのパワーを求められる楽器だ。平均的に本体の重量がギターと比べて重めなのももちろんだが、太くて強い弦を押さえ爪弾くにはとにかく指の力がいる。

 北沢さんがソフトボールチームではエースで四番を任されていることは以前に聞いていた。恐らく、そこで球を扱っているうちに指の力が鍛えられていたのだろう。しっかりした音でリズムを支えるベースとの相性は恐ろしく抜群だ。

 

「正直、初めてベースに触ったのだとしたらかなりできる方だと思うね」

「おー! やったー!」

「んじゃ、次は課題ね」

「あ、やっぱり課題もあるんだ……」

 

 課題と聞いて明らかに肩を落とした北沢さんを見ると少し心苦しいが、やはりここはアドバイザーとして心を鬼にせねばなるまい。

 

 すまぬ、北沢さん。全てはペグ子が悪いのだ(暴論)。

 

 心の中で責任をペグ子に擦り付けてから、俺は口を開いた。

 

「課題としては、やっぱりテンポのキープかな。ドリルではコードを使ったルート弾きをやって貰ったんだけど、やっぱりコードチェンジの時にたまに息継ぎが混じるな」

「あー、確かに。組み合わせによっては指がついてこないんだよねー」

 

 北沢さんは納得といった表情になる。

 

「あと、指定されたBPMを無視してたとこが結構あったな。リズム担当が途中で乱れると、もう取り返しがつかないからそこは気をつけた方がいいな」

「うーん、どうしてもテンションが上がると、釣られて弾くのも速くなるみたいなんだ。はぐみも気付いてたんだけどなー」

 

 分かってはいるけれどできなかったことに対して北沢さんがガックリと肩を落とす。

 しょんぼりとした彼女に対して、気にするなという風に首を左右に振る。

 

 

「まあまあ、最初は誰でもそんなもんだよ。実際に演奏するときは経験者の松原さんもリズムを担当してくれるから、初めの頃はよく聞いて合わせるぐらいの気持ちでいいかな」

「うん、分かった!」

「オッケー、それじゃあ北沢さんはここまで。お疲れさん」

「はーい、鳴瀬くんありがとー!」

 

 元気よくお辞儀をして下がる北沢さんにかるく手を挙げて応えると、俺はすぐに次のメンバーに顔を向けた。

 

「じゃあ、松原さん。次、お願いできるかな?」

「あっ、は、はい!」

 

 びくりと肩を震わせてから、松原さんが必死に振り絞ったような声で返事をする。

 彼女はそのまま、どこかぎこちないおどおどした動きでドラムのスローンに座った。

 

 さあ、いよいよこの時がきたか。

 

 俺は、スローンに座ってシンバルやタムの位置や傾きを確かめる松原さんに熱い視線を注ぐ。

 

 さて、松原さんはどれぐらい叩ける人間なのかな。

 

 松原さんのドラムスキル。これが今後の《ハロー、ハッピーワールド!》の方向性を大きく左右するファクターになる。

 

 松原さんがかなり叩ける人間ならなら、《ハロハピ》で演奏できる曲にも様々なバリエーションが生まれる。リズムの要であるドラムが正確なリズムを作ることができれば複雑な進行の曲だって演奏できる。

 要は、ドラムがトリッキーだろうと、メロディやベースラインはシンプルな構成にしても大して問題無いからだ。

 

 しかし、その逆は許されない。メロディ等が複雑なのにドラムがシンプルになると、途端にリズムが上手く取れず曲が空中分解する原因となる。

 

 ドラムのレベル=バンドの最大レベル。そう言っても過言ではないほど、ドラムは重要な楽器なのだ。

 

 練習を軽く見た感じでは、叩けるオーラは出てたんだけど、ドラムを辞めようとしていたのは少し気になるな……。

 

 松原さんがドラムを辞めようとしていた理由が精神的なものか、技術的なものなのかは分からない。

 しかし、いずれにせよその辺りはしっかりとケアしないと後々になってじわじわ効いてくる問題となるかもしれない。

 

 ま、今は考えても詮無き話しか。とりあえず演奏を見ないとな。

 

 気持ちを切り替えると、俺は松原さんに意識を集中する。

 

「よし、松原さん。機材のチェックはオーケーかな?」

「はい、多分大丈夫です。」

「じゃあメトロノームいくよ。自分のタイミングでいつでも入って」

「わ、分かりました! すぅー……はぁー……」

 

 メトロノームの音が響く中、そのBPMに合わせるように松原さんが深呼吸する。

 ゆっくり数度の呼吸が行われた後、松原さんの手がするりと動く。何度も反復したような淀みの無い動き。

 

 その手に従い、スティックが宙を泳ぐ。

 

 そして、音が(はじ)けた。

 

 




甘口なのはコメントのことでした。

……もうちょい辛口でもよかったかな?

次は花音ちゃんとミッシェルパート。常識人の二人がメインで動くよ!


お気に入り登録もありがとうございます。ぼちぼち更新の作品にこんなに登録していただいて励みになります。

仕事柄、休みが局地的に集中するので、今後もまちまち更新になりますが良ければお付き合いください。


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野良ベーシストはアドバイスを送る。

続きました。

花音とミッシェルパートです。

評価を入れて下さった方ありがとうございます。お気に入りと合わせて励みになっております!


【駄文】
そういえば、ちょっと前にカート・コバーンのギターがギター史上最高金額の6億4000万円で売れましたね。
主人公の鳴瀬くんはカートのフォロワーという設定なのでタイムリーな話題だったなと思ったり。




「……よし、そこまででいいよ。ありがとう、松原さん」

「は、はい! ありがとうございましゅ!」

 

 噛んだ。かわいい。

 

 ではなくて。

 

 肝心なところで言葉を噛んでしまい赤面する松原さんを見て俺は一つ溜め息を吐く。

 

 松原さんの演奏を聴いて言いたいことは色々とある。しかし、少し臆病な性格の彼女のことだ。伝える言葉は慎重に選ぶべきだろう。様々な修辞を尽くして言葉を飾る必要もあるかもしれない。

 

 でも、やっぱり最初の言葉はこれだよな。

 

 松原さんの演奏を聴く途中から、頭の中にずっと浮かんでいた言葉を俺は素直に話すことに決めた。

 

「松原さん」

「は、はい!」

「……ありがとう」

「…………ふぇっ!?」

 

 俺の口から出た言葉に松原さんが一瞬きょとんとした表情になってから、あたふたと慌て始める。恥ずかしさから赤かったその顔はさらに真っ赤になっている。かわいい。

 

「ふぇぇぇ!? そ、それはどういう意味のありがとうなんですか鳴瀬さん!?」

「意味は色々あるけど、とりあえずは《ハロー、ハッピーワールド!》に入ってくれてありがとう、だな」

「えっ?」

 

 言葉の意味が飲み込めきれずに首を傾げる松原さんに、俺は詳しい説明を行う。

 

「松原さんがいてくれるだけで、《ハロー、ハッピーワールド!》は格段に演奏レベルが上がる。いや、むしろ松原さん無しの《ハロハピ》はあり得ないと言っても過言ではない」

「ええ!? か、過言だと思いますけど!?」

 

 そう言って壊れた扇風機みたいに左右に首を振る松原さんを手で制して止めると、俺は更に言葉を加える。

 

「いや、マジでそうだよ。松原さんがドラムを叩けることは知ってたから、実は俺、今回は松原さんの演奏に一番期待してたんだよね。んで、実際に聴いてみたら松原さん、君の演奏は俺の想像の上を行ったよ」

「そ、そんな……私なんてそこまですごくは……」

 

 少し伏し目がちになった松原さんは消え入りそうな声をあげる。

 彼女に課題があるとするならば、それは演奏技術云々というよりはむしろこの消極性に他ならないだろう。

 

 だから、アドバイザーの俺にできること。それは彼女の自己肯定感を伸ばしてあげることに他ならない。

 

「いや、十分にスゴいぜ。ハイハットの裏打ちは完璧だし、ストロークの粒はきっちり揃ってる。複雑な腕の動きでも足が釣られることもないし、ヘッドの打面も正確に捉えてる。フィルインのバリエーションもある。はっきりいって中高6年間、部活ではほとんどドラムを叩いてきた俺と遜色無いレベルだと思うぞ」

「そ、そうですかね……」

 

 松原さんはスローンに座ったまま、スカートの裾をぎゅっと掴んでぷるぷる震えながら俯いている。誉められたことに照れているのか、相変わらず顔は真っ赤なままだ。

 

 おいおい、かわいいかよ。

 

 小動物的な松原さんのかわいさに見とれていると、俺の後ろからも援護射撃が飛んだ。

 

「鳴瀬の言う通りよ花音! あなたのドラム、すごく素敵だったわ! やっぱり私が見込んだだけのことはあるわね!」

「ああ、とても儚い演奏だったよ」

「うんうん、はぐみもすごいなーって思った!」

「みんな……」

 

 三人の言葉に松原さんの顔が上がる。感動しているのかその目は少し潤んでいるようだ。

 

「他のみんなもいってるんだから間違いないだろ、松原さん。本当にすごいんだよ実際」

 

 三人の援護射撃に乗った形の俺の言葉に、松原さんは無言でゆっくりと頷いた。

 

 よしよし、今はとにかく他のメンバーの助けも借りながらどんどん自信をつけてもらわないとな。

 

 リズムの要のドラムが自信に満ちたプレイをすればそれだけ演奏全体が引き締まるものだ。松原さんにはぜひ堂々たるプレイを披露してほしいものである。

 

 そんなことを考えていると、意外にも松原さんの方から俺に声がかかった。

 

「あ、あの、鳴瀬さん……?」

「ん? どしたの松原さん」

 

 俺が返事をすると松原さんは少しためらうような素振りを見せた後に、意を決した表情を作る。

 

「わ、私にも何かアドバイスを下さい。 私もみんなのように課題をクリアして少しでも成長したいです」

「……よし、分かった」

 

 引っ込み思案な松原さんが自分から勇気を出して言ってくれたのだ。ここは俺もそれ相応の課題を与えるべきだろう。

 となると、技術的な課題よりはむしろ精神面の成長を促すものが内容として彼女にふさわしいはずだ。

 

 ならば、俺が与えるべき課題はこれだな。

 

「松原さん、俺から君への課題は "selfish" になること。今のところはこれだけだ」

「セルフィッシュ……ですか?」

「そうだ。松原さん、ドラムはバンドをリズムで支える屋台骨だ。当然骨はより骨太である方が望ましい。ここで言う "selfish" は、『自己中心的』というよりも、『自分らしさを出していく』ぐらいの意味で考えてくれ」

「自分らしさ……」

 

 そう呟くと、松原さんは顎に手を当てて考えごとを始める。

 

「《ハロー、ハッピーワールド!》は、こころが作ったバンドだけど、こころだけのバンドじゃない。こころの、薫の、北沢さんの、そして松原さんのバンドでもあるんだ。あ、後は奥沢さんと、ミッシェル? もだな。だから、松原さんは《ハロハピ》の中でもっと自分を出していくべきなんだと思う。多分その方が《ハロハピ》のためにもなる」

「《ハロー、ハッピーワールド!》はみんなのバンド……」

 

 松原さんが今度は呟くようにではなく、噛み締めるように声を出す。

 

「イエス。まぁ、すぐには自分らしさなんて見つからないかもしれないけど、頭の片隅にでも置いておくといいよ。何かの拍子にふっと繋がることもあるだろうさ」

「そう、ですね。分かりました、私も頑張ってみようと思います。どうなるかは分からないですけど……」

 

 言葉の最後は自信なさげな尻切れトンボだったが、その表情は演奏終了直後と比べて格段に明るい。いい傾向だ。

 

「じゃ、そういうことで俺のアドバイスは終了だ」

「あ、ありがとうございます!」

「お、今度は噛まなかったな」

「ふぇぇ!? か、からかわないで下さいぃ~」

「ははは、悪い悪い」

 

 最後にイタズラ心を見せてしまったせいで、少し涙目になってドラムから離れる松原さんの背中を見て、俺は一ついい忘れていたことがあったことを思い出した。

 

「あ、松原さん。一つ言い忘れてた」

「ふぇ? 何ですか鳴瀬さん」

 

 松原さんがくるりとこちらを振り向いたのを見てから俺はその言葉を口にする。

 

「松原さん、ドラム辞めなくてよかったよ。絶対才能あるから。『ドラムを諦めないでいてくれてありがとう』。これが二つ目のありがとうの意味だよ。言いたいことはそれだけ」

「……っ! は、はい!」

 

 普段よりも少し大きな声で返事をしてくれた松原さんは、心なしか元気そうな足取りで《ハロハピ》の輪の中に帰った。

 すぐには彼女の気質が変わることは無いだろうが、これをきっかけに少しでも前向きになってほしい。そう切に願う。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「さて、これで楽器組の演奏は全て終わったなー……あれ?」

「どうしたの鳴瀬? 何か気になることでもあるかしら?」

「今気づいたけど、奥沢さん居なくないか?」

「あら、本当ね」

 

 俺の言葉で他のメンバーもスタジオを見回したが、奥沢さんの姿はどこにもない。そういえば、楽器を弾いているときの会話にも奥沢さんは入って来なかったような気がする。

 

 もしかして、結構前から居なかったのか?

 

 よくよく見ると、黒服の人たちの数もなんだか最初よりも少し減っているようだ。気づかない内にみんなで連れ立ってどこかに行ったのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、ふとスタジオのドアのノブが動く音が聞こえた。

 

 皆の視線がそちらに集中すると、ドアの向こうから声が聞こえる。

 

「すみません、今入りますよー」

 

 その声の主は間違いなく奥沢さんだ。少しくぐもった感じに聞こえるのは、恐らくスタジオの扉が防音のせいだろう。

 

 俺たちは奥沢さんがドアを開けてスタジオに入って来るのを待った。

 

 のだが。

 

「すみません~、ちょっと手が塞がってて、誰かドア開けてくれませんかー?」

 

 どうやら荷物かなにかで両手が塞がっている奥沢さんはスタジオのドアが開けられないらしい。仕方ないのでドアに一番近いところにいる俺がドアを開けに向かう。

 

「はいはい、今開けるぞー」

「いやー、すみませんね」

「まったく、一体両手が塞がるぐらい何を持ってきたn……」

 

 それ以上の言葉は続かなかった。

 

 なぜならドアの向こうで俺を待ち受けていたのは、奥沢さんではなく巨大なピンク色の何かだったからだ。

 あまりにも近すぎて全容を把握しきれなかった俺は、恐る恐る数歩後ろに下がる。

 

 そして、そこでようやく俺は俺の目の前にあるものの正体を理解したのだ。

 

「く、く、クマだこれ!?」

「どうも~、みんな大好きミッシェルだよ~」

 

 

 これが、俺とミッシェルのファーストコンタクト(?)になったのだった。

 

 




ミッシェル登場までしか書けなかったわ。

まあ登場したからセーフセーフ(解釈には個人差があります)。

次はミッシェルメインで、ここでスタジオパートは一区切り。次はライブハウスパートに移る予定。

なるはやで書きたい(願望)。


よろしければ評価やお気に入りに入れてくだされー。


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野良ベーシストはクマに出会っても死んだふりはしない

続きました。

今度こそミッシェルパートです。
と言っても、そんなに書くことは無いかもしれない。あるかもしれない。

お気に入り50突破ありがとうございます。ぼちぼち投稿の拙作を追いかけてもいいと思って下さる人がこれだけいることを嬉しく思います。

【駄文】
クマがピンクなのはポストペットモモの頃からの様式美ですよね(歳がバレる)。ウィッチクラフトワークスの摩訶ロンもピンクだったし。




「なんだこれは、どうなってるんだ……?」

 

 ドアを開けるとそこにはピンクのクマ。

 

 机の引き出しから青いタヌキが飛び出してくるような衝撃的な展開に俺の頭はフリーズした。

 

 暫しの沈黙。

 

「あのー、鳴瀬さん? そこに立たれていると入れないんですけど」

 

 ピンクのクマから聞こえる少しくぐもった耳慣れた声に、俺はハッと我に帰る。

 

「……って、ああ。なんだ、中身は奥沢さんか」

 

 クマの正体に気づいた俺はすぐにその進路を開ける。クマはかなりの横幅だが、ドラムなど大型の楽器も搬入できるスタジオの入り口はなんとかその巨体を通過させた。

 

 スタジオ入りに成功したクマ(奥沢さん)は俺の方を見て頭を下げる。

 

「いやー、ありがとうございます。なんとか無事に戻ってこれましたよ」

「ホントに無事なのか……それ? なぜクマの着ぐるみなんかに入ってるんだ?」

「あー、鳴瀬さんは知らないんでしたね。これが噂の『ミッシェル』ですよ」

「……! そうか、これがあの『ミッシェル』なのか!」

 

 しばらくの間胸にわだかまっていた疑問が氷解した。

 「ミッシェル」というのはこのピンクのクマの着ぐるみのことだったのだ。

 

 なるほど、奥沢さんが言ってた「ミッシェル担当」とは「着ぐるみを動かす中の人」のことだったわけだ。

 

「あーっ! ミッシェルじゃない! やっと来てくれたのね!」

「わーい、ミッシェルだー!」

 

 俺が一人納得してうんうんと頷いていたところに、ミッシェルの存在に気づいたペグ子達が駆け寄ってくる。

 

「あっ、そういえば鳴瀬はミッシェルとは初対面だったわね! ミッシェルご挨拶してあげて!」

 

 そう言ってペグ子がビシッと指を指すと、ミッシェルはやれやれといった表情(のように見える)を作ってこちらを見る。

 

「わー、初めまして鳴瀬さーん(棒) みんな大好き、《ハロハピ》のマスコットミッシェルだよー(棒) よろしくねー(棒)」

「お、おう、よろしく……?」

 

 あからさまに投げやりな態度のミッシェルに俺の返事もどことなくぎこちないものになる。

 

 ……まあ、もうすでに知り合いなんだから確かに茶番だよな。

 

 初対面や中の人が分からないチビッ子ならまだしも、俺は奥沢さんとは既知の間柄だし、着ぐるみには中の人がいることぐらい今の半分以下の年齢の頃からとっくに知っている。

 

 周囲の視線を(はばか)る必要がないこのスタジオでは、そんなふるまいになってしまうのも致し方ない話というものだ。

 

 そんな潤滑油不足の挨拶を交わした俺たちを見てペグ子は満足そうにウンウンと首を縦に振る。

 

「うーん、これでようやく鳴瀬に《ハロハピ》のみんなを紹介することができたわ!」

「ふっ、そうだね。これで《ハロハピ》も全員勢揃いというわけだ」

「なるほどな、奥沢さんは楽器じゃなくてマスコット担当だったわけだ。納得がいったよ」

 

 コミックバンドなどでは楽器担当のメンバー以外にも演出に必要な人間をメンバーとして舞台にあげることもある。ミッシェルが舞台に上がればさぞかしチビッ子のハートを掴むことだろう。

 

 そんなことを考えて一人納得していた俺だったのだが、そこにペグ子のとんでもない発言が飛び出した。

 

「……? 鳴瀬、美咲は舞台には上がらないわよ?」

「は? じゃあ、ミッシェルは何するんだよ? ビラ配りか?」

 

 折角集客力がありそうなミッシェルを舞台に上げないという発言に驚いた俺が声をあげると、ペグ子はさも不思議そうに首を傾げる。

 

「ミッシェルは舞台に上がるわよ?」

「じゃあ、やっぱり奥沢さんは舞台に上がるってことじゃないか」

「何を言ってるの、鳴瀬? 舞台に上がるのは美咲じゃなくてミッシェルよ?」

「えぇ……? だからそれは奥沢さんが舞台に上がるってことになるだろ?」

「ならないわよ?」

「いや、なるだろ!?」

 

 お互いの頭の上に大量の疑問符を浮かべながら会話をしていたその時。

 

「鳴瀬さーん、ちょっといいですかー?」

 

 見かねたような声とともに、ピンクの影が俺とペグ子の間に割って入る。それは紛れもなくミッシェルである。

 

「ん? どうしたミッシェル、何か話か?」

 

 俺が尋ねると、ミッシェルはその頭を巨体ごと縦に揺らして首肯する。

 

「はい、そうです。こころさん、しばらく鳴瀬さんと二人でお話ししてもいいかなー?」

「分かったわミッシェル! 二人は初対面だもの、話したいこともいっぱいあると思うわ!」

 

 ミッシェルの提案を快く受け入れたペグ子。それを見たミッシェルが、がっしりと俺の手を掴む。

 

「はーい、それじゃ鳴瀬さん、ちょっとあっちで二人でお話しましょうか?」

「お、おう……?」

 

 そうして、俺はミッシェルに促されるままにスタジオの隅に連れられて行って、事の顛末をきくことになったのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……マジかよ、それ」

「ええ、信じられないかもしれませんが、マジです」

 

 部屋の隅でミッシェルから聞いた衝撃の事実に俺は思わず目を覆った。

 

 なんと、ペグ子の中では奥沢さんとミッシェルは別個の人物ということになっているらしいのだ。

 しかも、薫と北沢さんまでもが奥沢さんとミッシェルは別個の人物と思っているらしい。

 

 ……ピュアか、お前ら!

 

 思わず叫んで、訂正に走りたい衝動に駆られたが、ミッシェルに制止させられる。

 

「無駄ですよ。だって私、前にみんなの目の前でミッシェルの首を脱いだんですけど、みんな『ミッシェルが女の子になっちゃった!?』って大騒ぎしてたんですよ?」

「えぇ……、あり得るのかそんな話」

「それがあり得るから始末に終えないんですよー、とほほ」

 

 ミッシェルがガックリと肩を落とす。着ぐるみゆえに表情はお気楽そのものだったが、その姿からは哀愁がひしひしと感じられた。

 

「でも、あいつらの中でミッシェルがそうなってるなら、もうその設定でいくしかない、のか?」

「ですよね(諦念)」

「……頑張れ奥沢さん。俺もフォローするから」

「……約束ですよ? もし勝手に逃げたら、夜な夜な鳴瀬さんの枕元にピンク色したクマの霊が立ってる呪いをかけますから」

「怖っ! ……まあ、善処するよ」

「頼みましたからね。それじゃ、戻りますか」

「そうだな」

 

 さらっととんでもないことを言われて一瞬怯んだ俺だったがなんとか気を取り直してミッシェルとともにペグ子のところに戻る。

 

「おーい、話は終わったぞー」

「あら、もういいの?」

 

 声をかけるとペグ子が待ってましたと言わんばかりに顔をガバッと上げる。

 

「おう、大体話したいことは話したよ」

「なら良かったわ! ミッシェル~、今度はわたしとお話しましょう!」

「あっ、はぐみも~! ぎゅーってさせて!」

「ふっ、私もしばらくぶりのミッシェルとの逢瀬を楽しむとしようか」

 

 

 俺から解放されたとたんに松原さんを除くメンバーにもみくちゃにされるミッシェル。

 

 ……頑張れ、奥沢さん。

 

 その姿を見た俺は心の中で奥沢さんに向けてエールを送っていたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「みんなミッシェルは堪能したわね!」

「ああ、これでしばらくは持ちそうだよ」

「はぐみもいっぱいぎゅーってしたよ!」

 

 あれからしばらく、ミッシェルをもみくちゃにした三人衆は艶やかな表情をその顔に湛えている。

 

「ははは、満足してくれたようでなによりでーす、ハハハ……」

 

 対するミッシェルは、その体を右斜め45度位に傾けて、乾いた笑いを漏らしている。まぁ、あの元気印たちに全力で揉まれ続けたことを考えれば無理からぬ話だ。

 

 俺はミッシェルに心の中で黙祷を捧げてから、壁にかかった時計を見る。その時刻はもう8時半を回っている。どうやら、なんだかんだで4時間位は滞在していたらしい。

 

 親父さんから借りたこのスタジオは営業時間いっぱいの10時までは使えることになっている。

 しかし、現役女子高生である《ハロー、ハッピーワールド!》メンバーの帰路の安全を考慮すればそろそろ潮時だろう。

 

 俺はパンパンと両手を叩いて皆の注目を集めた。

 

「みんな聞いてくれ。時刻ももう八時半を回った。家に帰るまでの時間を考えればそろそろ潮時だ。特に何かなければ後始末して今日は解散したいんだが、どうだ?」

「あっ、もうそんな時間なんですね。家族が心配するからなるべく早めに帰らないと……」

 

 俺の言葉ではっと時計に目をやった松原さんが真っ先に呟く。

 

「私も、今日は満足したよ。後は家に帰って一人でこいつとゆっくり向き合うさ」

 

 薫もホワイトファルコンを掲げて同意する。

 

「はぐみも今日は帰ってお兄ちゃんに色々話をきこうかなー」

 

 北沢さんは家に帰ってどうやらバンドマンらしいお兄さんの話を聞くつもりのようだ。

 

「なるはやで帰りたい、これ脱ぎたい、シャワー浴びたい、ベッドで眠りたい……」

 

 奥沢さんは相変わらずのぐでっとした体勢で、念仏のように自身の疲労を訴えていた。

 

 これで後はペグ子が帰ると言えば今日は解散の流れだ。

 

 みんなの視線が彼女に向く中で、その口が開く。

 

「うーん、わたしも今日はすごく楽しかったからこのまま解散でもいいけど、一ついいかしら鳴瀬?」

「俺? まぁ、いいけどさ」

 

 突然のご指名に面食らった俺だったが、特に断る理由もなかったので話を聞くことにする。

 

「ありがとう、鳴瀬。もし大丈夫なら、わたし最後に鳴瀬の演奏が聴きたいわ!」

「え、俺の?」

 

 ペグ子の予想外のお願いに思わず自分のことを指差してしまう。そんな俺を見てペグ子が大きく頷く。

 

「そうよ! なんだかんだで、わたし駅前で初めて会ったときから鳴瀬の演奏を一度も聴いていないもの」

 

 この言葉に周囲からも「おー」という声が口々に上がった。

 

「確かに、私も含めてこころ以外はMr.鳴瀬の演奏を聴いたことがないね。一体どんな儚い演奏なのか興味があるよ」

「はぐみも聴きたーい! ねぇねぇ、弾いて見せてよ鳴瀬くん!」

「わ、私も鳴瀬さんの演奏、興味があります」

「あー、少し休憩がてら演奏を聴くのも悪くないかもしれませんねー」

「うわー、全員聴きたい流れか、これは。……しゃーないな」

 

 全員が聴きたいというなら、ここで断るのは流石に空気が読めない男との(そし)りを受けても仕方がない。

 流石にそれを甘んじて受けるような男ではないので、俺はさらっと一曲演奏して帰ることに決めた。

 

 んー、でも演奏する曲は流石に俺が決めるか……。

 

 わざわざ演奏を披露するのだから、それぐらいは俺が決める権利だってあるはずだ。

 

「じゃあ、一曲だけやるよ。ただ、曲は俺が決めるのと、ベースだと味気ないから薫のギターを貸してくれ。それがやる条件な」

「へー、鳴瀬のギターはわたしも初めてだから楽しみね! みんなはどうかしら?」

 

 ペグ子が皆に尋ねると、黒服も含めた全員が大きく頷いた。そして、薫がこちらに歩み寄って、ケースから出していたホワイトファルコンを差し出してくれる。

 

「どうぞMr.鳴瀬。存分に使ってやってくれたまえ」

 

 差し出されたホワイトファルコンを丁寧に受け取ると、落ちないようにストラップを首にかけてから薫に頭を下げる。

 

「悪いな、薫。他人に楽器を使わせるのは快く思わないプレーヤーも多いが大丈夫か?」

 

 俺の問いに薫は口許に笑みを湛えたまま首を左右に振った。

 

「ふっ、他の人間ならいざ知らず、Mr.鳴瀬の頼みなら聞かない訳にはいかないな」

「そうかい、ありがとうよ」

「その代わりといってはなんだが、今度また世界の儚い名言を私に教えてくれないかな」

「……なるほど、そういうオチか」

 

 意外とちゃっかりしていた薫にため息を吐きつつも、まぁ、それぐらいならいいかと気を取り直す。

 それになんだかんだで久しぶりのスタジオでの音出しだ。やはり整った環境下で演奏するのはこの上なく楽しい。

 

 弦を爪弾いてペグを回しながら音を取る。一応これでも音感はある方で、ギターやベースならチューナー要らずで調整できる。

 全ての弦を合わせ終えて、ワンストローク掻き鳴らす。

 

 ……問題ないな。つーか、やっぱホワイトファルコンはやべぇな。とりあえずギターも弾けるようにって買った俺の中古のエピフォンレスポールとは雲泥の差だわ。まぁ、セミアコとエレキを比較するのもあれだけど。

 

 ワンストロークでも分かる明らかな名機の音にぶるりと心を震わせて俺は皆の前に立つ。

 

「よーし、とりあえず《バックドロップ》のオリジナルソングは今は封印中だから、みんなの知ってるメジャーな曲でいくわ。菅田将暉の『さよならエレジー』とかどうよ?」

 

 俺が尋ねると再びどよめきが起きる。

 

「いいわね! わたしはそれでいいわ!」

「わー! はぐみ、それ知ってるよ! ドラマの曲でしょ!」

「わ、私もドラマ見てました……!」

「儚い名曲じゃないか。ぜひお聞かせ願えるかな」

「おー、すごいメジャーどころが来ましたね。まぁ、私は何でもいいですよー」

 

 皆の反応は悪くない。これなら大丈夫そうだ。

 

 俺が今回『さよならエレジー』を選んだ理由はいくつかある。

 

 とりあえず、まずは《バックドロップ》の曲でないこと。これが第一。

 《バックドロップ》の曲は、あくまでも俺がタクとシュンの二人と共に《バックドロップ》で弾くために作った曲だ。

 だから、ここで俺一人が披露するものでもないし、《バックドロップ》ではなくなった俺にとって、あの曲たちは最早俺のものではない。

 

 そして、二つ目はこの曲がアコースティックギターソロの弾き語りだということ。

 セミアコのホワイトファルコンとは相性がいいし、なるべく早く帰るために、いちいちシールドをアンプヘッドに繋いで音を弄る時間をかけたくない俺にとっては無難な選曲だといえる。

 

 最後に、使うコードの総数が15個と少なすぎず多すぎないこと。

 コードが少なすぎるとあまり実力が披露できないし、かといって余りにも膨大なコードはギター専門でない俺には荷が重い。

 バンドのアドバイザーとして相手を従わせるためには、やはり技術面で相手から一目置かれていなくてはならない。そういった点で、この『さよならエレジー』は《ハロハピ》に聴かせるのに最適な曲の一つだったのだ。

 

 そして、全員が知っているというのも、実力を植え付けるという点では好都合だ。知っている曲であれば原曲との比較で演奏がどれだけ真に迫っているかが分かるからだ。

 

 俺は皆に頷いてからギターを構える。

 

「んじゃ、いくぞ。一回しか弾かないからな、ちゃんと聴けよー」

「はーい!」(×5)

 

 返事が聞こえ、スタジオが静まり返ったのを確かめると俺はギターに指を這わせる。

 

 深呼吸。目を瞑り、小さく長い呼吸。集中を高めて音の世界に潜り込む。

 

 ーーさぁ、五線譜から音を解き放つ時間だ。

 

 一瞬の沈黙ののち、瞠目と共に俺の指は駆け出していった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ーー僕は今 無口な空に 吐き出した 孤独という名の雲

 

 その雲が 雨を降らせて 虹が出る どうせ掴めないのに

 

 『さよならエレジー』は、恋人との別れを男の視点で歌った曲だ。《バックドロップ》という恋人に等しいバンドから離れた今の俺にとっては、中々に相応しい曲だと言える。

 だから必然、演奏にも次第に熱が入り、歌い声は最後には最早叫び声と化していた。

 

 ーー舞い上がって行け いつか夜の向こう側 うんざりするほど 光れ君の歌

 

 もう傷つかない もう傷つけない 光れ君の歌

 

 最後のフレーズを吐き出して、ギターがFadd9のコードをかき鳴らし終えたその時、再びスタジオに静寂が戻った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ……しまった、少し熱が入りすぎたか。

 

 演奏を終えて静寂が支配するスタジオを眺め、俺は一人内省する。

 オーディエンスは全て沈黙。一様にポカーンとした表情で俺を見ている。置いてきぼりにしてしまった感が否めない。

 

 なんだかいたたまれなくなった俺は、ホワイトファルコンを丁寧な手つきでケースにしまうと自分から口を開いた。

 

「……あー、こんなもんでいいか?」

 

 恐る恐る皆に尋ねたその瞬間。

 

「鳴瀬~!」

「うぉっ!?」

 

 体に強い衝撃が走って思わずのけ反った。

 

 何事かと視線を下に下ろすとそこにはペグ子が俺の腰に抱きつく姿があった。どうやら先程の衝撃の正体は彼女のタックルだったようである。

 

「こころ、お前はちょっとは……」

「すごいわ、鳴瀬!」

 

 抗議の声を上げる俺を遮って、こころの叫び声がスタジオに響いた。その瞬間、他のメンバーも次々に俺のところに駆け寄ってくる。

 

「鳴瀬くんすごーい! 本物の歌手みたい!」

「あぁ、なんて儚い演奏を聴かせてくれるんだMr.鳴瀬! ホワイトファルコンもまさかこんな音が出せるとは! これはしばらくは練習漬けの毎日になりそうだよ!」

「な、鳴瀬さん! 私、感動しました!」

「いや、フツーに凄すぎでしょ。これでメインの楽器じゃないなら、メインのベースはどれだけすごいんですかって話ですよ」

 

 それからも、五人の口から口々に発せられる言葉に俺は狼狽した。そんなにいっぺんに話されても、俺は厩戸王子ではないのだから同時に答えるなんて不可能だ。

 それでもなお話しかけてくる五人に痺れを切らした俺は、両腕を振り上げて叫んだ。

 

「だー! 分かったから散れ散れ! 窮屈なんだよ! こころもさっさと離れろ! ほれっ!」

「あらっ」

 

 俺がこころを体から引き剥がしてペイっと放り投げると、彼女はその勢いのままちょこんと床に座った。

 他のメンバーも離れたことを確認した俺はパンパンと両手を叩く。

 

「はい、約束通り演奏してやったから今日は解散な。俺の実力もみんな分かっただろ。これからちゃんと言うこと聞けよ?」

「はーい」(×5)

「よーし、それじゃあ片付け始め! 来たときよりも綺麗にしろよ? 何かあったら俺が四方津さんに叱られるんだからな」

「はーい」(×5)

 

 

 どうやら演奏の効果は抜群だったようで、ペグ子を筆頭にみんな素直に俺の言うことを聞いてくれる。やはり、早い段階でどちらが上なのかはっきりさせてイニシアチブを握ることは大切なのだと実感する。

 

 ……というか、なんか黒服の人たちまでささっと動いてくれてないか? ……まぁ、いいけどさ。

 

 黒服の人たちが尋常ならざる速さで機敏に動いた結果、片付けは9時前には完了した。ドラムセットを一瞬で解体搬出した上で、元からあったドラムセットを搬入組立する黒服の手際の良さには正直舌を巻いた。

 

 みなに退出を促して建物の外に送り出したあと、おればスタジオの鍵を返しに四方津さんのところへと向かった。

 

「親父さん、お世話になりました。急な予約ですみませんでした」

 

 礼と謝罪混じりの挨拶をして鍵を差し出すと四方津さんは笑顔でそれを受け取る。

 

「あんまり気にしなくていいぞ。キャンセルにねじ込むなんてよくある話だからな」

「それでも、次からは早めに予約させてもらいますよ」

「おうおう、たっぷり使ってくれよ」

 

 ひらひらと手を振る四方津さんに頭を下げて、スタジオを後にしようとする俺の背中に四方津さんの声がかかる。

 

「そうだ、鳴瀬。お前、あの子達ちゃんと家まで送っておけよ。今から粉かけておかないとバンドマンなんて速攻で他の男に女をさらわれちまうからな!」

「最初に言いましたけどそんなんじゃないですって!」

 

 慌てて否定する俺だったが、四方津さんはニヤニヤした笑みを浮かべている。

 

「いやー、人生どう転ぶか分からんからな。もしかすると将来、あの中の誰かとくっつくことになるかもしれんぞ?」

「100%ないと思いますけどね。まぁ、夜道は危ないからちゃんと送りますよ」

「はっはっは! しっかり粉かけておけよ!」

「へいへい、そーいうことにしときますよ」

 

 誤解を解くのも面倒になったので、投げやりな返事をして俺はそのまま建物の外に出る。見上げる夜空は星空だが、繁華街の明かりのせいでそれはどこかぼやけた空だ。

 

「鳴瀬ー、遅いじゃない!」

「悪い悪い、親父さんと少し話してたんだよ」

 

 ペグ子にさらっと謝っておいて、俺は《ハロー、ハッピーワールド!》の面々に視線を向ける。

 

「んじゃ、今日はお疲れさん。近いうちに練習メニュー考えておくから、一週間以内にはまた集まろうか」

 

 俺の言葉に皆が頷く。その瞳にはやる気の炎が点っている。中々に悪くない顔をしているようだ。

 

「よーし、それじゃ帰るとしますか。今日はかなり遅くなったからこころ以外は送って帰るよ」

「!? ちょっと鳴瀬! なんでわたしは送ってくれないの!」

 

 地団駄を踏んで抗議を示すペグ子に対して、俺は背後の黒服の人たちをビシッと指差した。

 

「いや、だってお前には黒服の人たちがいるじゃん。どう考えても、俺が送るよりも安全だろ。つーか、むしろ遭遇した相手の方が身の危険を感じると思うわ」

 

 夜も更けた頃、謎の黒服の集団を引き連れた少女と路上で出会うなんてことになったら、おおよそすべての人間が怯むであろうことは想像に難くなかった。

 

「えー! じゃあ黒服の人たちには帰ってもらうからわたしも送って!」

「やだよ! なんでそんな無駄なことするんだよ! つーか、そんなこと言うから黒服の人たちが少し寂しそうな表情してるだろ!」

「じゃあ、黒服の人たちがいても送って!」

「いーやーでーすー!」

 

 なんだかんだで、やいのやいのと騒ぎながら俺たちはみんなで帰り道を急ぐ。

 

 この騒がしいやり取りが、俺に近い将来の騒がしい日々の到来を予感させたのは今更言うまでもないことだろう。

 

 




なんか思ってたよりも長くなった。俺の睡眠時間は死んだ。チーン。

とりあえずスタジオパートは一区切り。といっても練習場所はこのスタジオなんでちょくちょく出ますが。

次は初ライブ編にいきます。なるべく早く書きたい。


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野良ベーシストは気配り上手である

お気に入り登録数60ありがとうございます。

なんだかんだでのらりくらりと続いておりますが、定期的に見てくださって感謝感激でございます。

今回からは初ライブに向けての場面になります。全2話か3話でさくっと終わります(終わるとは言っていない)。

一応、全20話+エピローグで終わるつもりなので、名目上の折り返し地点となります。年内完走を目指すので良ければもうしばらくお付き合い下さい。

【駄文】
 ちょっと前にドラムを再開したのに続いて、ベースも買い直しました。なんと地元の某リサイクルショップにMotionB MB-40ウッドカラーの美品が入荷されていたので衝動買いしてしまいました。これで今月のお小遣いはゼロです(微笑)
 ベースは学生時代にそこまで弾いてきてないので、すごいぼちぼちな感じですが、弦楽器はやっぱりいいですねー。ドラム以上に自分が音を作ってる感じがします。


「おーい、薫ー? どうして君はAメロからサビに入るところで決めポーズをしてるのかなー?」

「ふっ、だってその方が儚いだろう? つまりそういうことさ」

「儚くなってるのはメロディラインだよこの阿呆! サビの頭がグズグズになってるわ! キメ顔だけで我慢しろ!」

 

……………

 

「あうー、またずれたー」

「あー、北沢さん。ずれたら無理にそのまま修正していこうとせずに一旦演奏切ってもいいぞ。松原さんのドラムがリズムキープしてくれるから、一呼吸置いて合流させよう」

「はーい! でも、はぐみもずっと弾いていたいからコードチェンジ頑張るよ!」

「おーう。どうしてもダメなら代用コードの投入も考えるから早めに言いなよ」

 

……………

 

「鳴瀬さん、どうですか……?」

「いいね、悪くないよ。でも、まだbetterな演奏であって、bestではないから改善の余地はあるな。フィルインをもっと飾ってもいいかもしれない」

「も、もっとですか……?」

「うん、一応今はこれで曲を組んでるわけだけど、これは一番シンプルな進行で組んでるからね。松原さんの技術からしたら俺としては物足りない。松原さんがいいなら新しいフィルインを組み込むけど、どうする?」

「や、やってみます!」

 

…………

 

「ふふふ~ん♪ 鳴瀬! わたしの歌声はどうかしら?」

「おー、いいぞー(棒) 歌う度に毎回メロディが変わってることを除けばなー(棒)」

「あら、そうだったかしら? でも、より良い歌を追求する方が素敵じゃないかしら!」

「作曲や編曲する側の身にもなろうなー(泣)」

 

…………

 

「あ゛ー……、鳴瀬さん。こころさんの鼻歌の譜面、また起こしたんで確認お願いします~……」

「よーし、……ふんふん……なるほど。えーと、奥沢さん。いい知らせと悪い知らせがある、どちらから聞きたい?」

「え゛。……じゃあいい知らせからで」

「よし、この曲かなり形になったよ。コード進行も最初から比べれば格段に弾けるレベルになった」

「や゛っだ~(涙) ……じゃあ、悪い知らせは?」

「……こころの鼻歌がまた更新された。この譜面、リテイクだ(泣)」

「……(白眼)」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 俺と《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーが《arrows》のスタジオで初練習してから早くも1ヶ月が経とうとしていた。新緑が眩しかった季節はとうに過ぎて、今では雨の香りが遠くから漂ってくるような感覚を覚える。

 

 この1ヶ月間、ペグ子が財力にものを言わせたお陰で、俺たちはなんと週5ペースで《arrows》の練習を入れていた。個人の予定があるので全員が毎日最初から揃うわけではないが、それでもみんな週の半分は練習に明け暮れている。

 当然、《ハロハピ》は《arrows》における最大のヘビーユーザーと化して、四方津さんはますますペグ子たちに入れ込んだ。スタジオの常連客たちともかなり顔見知りになって、今では《ハロハピ》のメンバーは軽いアイドル扱いを受けている。

 

 練習は週を重ねるごとに苛烈さを増していき、メンバーは日増しにそのスキルを伸ばしていった。

 

 楽器というのは練習し始めの頃は、スポンジに水を吸わせるが如く様々なスキルを身に付けていけるものだ。

 だから、しばらくして力の伸びが頭打ちになるところまではとても楽しい。昨日までできなかったことが次の日にはできるようになって、自分の成長をありありと実感できるからだ。

 

「わー! 薫くん今のところすごくかっこよかったよ!」

「ありがとう、はぐみ。今のは私も儚い演奏だったと思っていたところさ」

「よーし、はぐみもやるぞー!」

 

 この恩恵を享受しているのは、なんといっても薫と北沢さんの二人だ。ビギナーの二人はその秘めた才能を開花させ、その成長の早さには俺も驚かされる。

 

 薫は、正確なリズムキープはそのままに、コード進行の引き出しが明らかに増えた。演劇部との掛け持ちでの練習はかなり厳しいはずだが、表面上はそんなことは一切見せない。まさに役者の鑑といってもいい。

 これから薫には、エフェクターを咬ませての本格的な音作りをさせるのもいいかもしれない。

 しかし、あまり誉めるとすぐに調子にのって謎の決めポーズなんかをやり始めるので、薫は基本的に要所でしか誉めない。エフェクターの提案も実際にやる直前でいいだろう。

 

 逆に北沢さんは誉めると勢いに乗るタイプなので、ちょくちょく誉め言葉をかける。

 北沢さんはとにかく体力があるので、練習中はずっとベースを弾き続けている。彼女もソフトボールとの兼ね合いもあり練習に参加できない日もあるので、その分練習できる日に注力しているようだ。

 北沢さんはとにかく音の粒が綺麗で、最近はルート弾きも上手くなった。ソフトボールで鍛えた指を活かしたツーフィンガーも習得しつつある。

 

 本業のベーシストとして、ゴーストノート、スライド、スラップなど北沢さんに教えるテクニックは多い。彼女にはより多くの力をつけてもらい、早く一人前の変態……ではなく、ベーシストになって欲しいものだ。

 

 このように、二人にとってのバンド活動は順風満帆のように見える。

 

 しかし、一度頭打ちを経験すると楽器は途端に苦しくなる。自分の限界をそこに見て、もがいてももがいても前に進まない粘度の高い液体の中にいるような感覚に陥る。ここで耐えきれずに楽器を置いてしまう者は後を絶たない。

 だが、ここを乗り越え殻を破りさえすれば、第二次成長期を迎えることができる。たとえ未来が見通せなくてもがむしゃらにもがくことが大切なのだ。

 

「ふぇぇ……、また間違えたよぅ……」

「ファイトよ、花音!」

「うん、もう一度頑張るね……」

 

 そして、今この時を迎えているのは松原さんだ。彼女は自分が限界を迎えたと感じてドラムから離れようとしたようだが、その限界の殻は今まさに破られつつある。

 

「……ハイ、ロー、ハイとフロア……、バスは切らさないで………よし、もう一回……!」

「いっけー! わたしが見てるわよ、花音!」

 

 松原さんはどちらかと言えば理論的で大人しく、がむしゃらになれるタイプではないのだが、《ハロハピ(ここ)》では周囲が彼女をがむしゃらにさせる。

 《ハロハピ》は間違いなく彼女のドラム人生にとって、良い化学反応を起こしてくれている。

 

「……最後にクラッシュ! で、できたぁ!」

「すごいわ! おめでとう花音!」

「わっ、あ、ありがとうこころちゃん……」

 

 俺が教えた海外の著名なドラマーのフィルインを叩き終えた松原さんにペグ子が飛び付く。一瞬怯んだ表情になった松原さんだったが、すぐに嬉しそうにはにかむ。

 

 《ハロハピ》が松原さんを必要とするように、彼女にもまた《ハロハピ》が必要だったのだ。今、運命は間違いなく彼女に微笑んでいる。

 

 相変わらず、笑顔以外の表情を忘れたようなペグ子はともかく、他のみんなもとてもいい表情で練習に向かっている。スタジオの空気は明るく晴れやかだ。

 

 ……今は特に俺が出る幕じゃないな。

 

 そう感じた俺はスタジオを後にして、一階のラウンジスペースに向かう。数個のテーブルとソファが設けられた《arrows》のラウンジスペースでは、気心の知れたバンドマン同士が語らう姿がよく見られるのだがーー

 

「美咲ちゃん、ここのコードは置き換えた方がよくない? 結構運指が厳しいと思うけど」

「あー、やっぱりそう思います? でも、曲のニュアンスを考えるならここはこのままの方が良いのかも」

「なら、前後のどっちかを置き換えた方がいいぞ。俺は後ろがオススメだな。曲の流れを考えると直前の部分は変えたくないだろ」

「ん? しかし、そうなるとドラムの進行も変えた方がいいですな。この部分はそのコードありきの進行なのではないですか?」

「あちゃー、やっぱりそうですよねー。うへー、また書き直しかー(涙)」

「頑張れ美咲ちゃん!」

「どんどんよくなってるぞ!」

「ここが踏ん張りどころですよ!」

 

 ーー語らうバンドマンたちの中心、そこには必死に譜面にペンを走らせる奥沢さんの姿があった。

 

「皆さん、お疲れ様です。奥沢さん、調子はどう?」

 

 軽く手をあげながらラウンジに近づいていくと、俺に気付いたバンドマンたちが顔を上げる。

 

「おっ、鳴瀬くんじゃーん。お疲れー」

「ナルか、今日も頑張ってんな」

「お疲れ様ですな、鳴瀬くん」

 

 譜面にペンを走らせていた奥沢さんは、みんなの返事からしばらくしてペンの動きが止まってからゆっくりと顔を上げた。

 

「あー、鳴瀬さん。皆さんのお陰でなんとか形になってきましたよ。あ、そうだ。こころさんにこれ以上鼻歌を更新しないように釘刺してくれました?」

「あ、忘れてたわ」

 

 この一言を聞いた瞬間、奥沢さんは天を仰いで頭を抱えて絶叫した。

 

「ぐへー!? 鳴瀬さん、なにやってるんですか! ここはいいですから早くスタジオに戻ってください! そして、一刻も早くこころさんの鼻歌を止めてください!」

「わ、わかったよ」

「鳴瀬くん、ここは僕たちが見ておくからすぐに行って! これ以上美咲ちゃんのメンタルが壊れる前に!」

「すみません、お願いします!」

 

 頭を抱えて悶え続ける奥沢さんを顔見知りのバンドマンたちに託して、俺は踵を返してスタジオへ駆け戻った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 この1ヶ月の間に、奥沢さんは《ハロハピ》の作曲担当者になっていた。

 

 気まぐれに、そして無秩序に生み出されるこころの歌を曲という形にする。これは生真面目なタイプの人種にしか無理だ。

 《ハロハピ》の生真面目担当は松原さんと奥沢さんだが、松原さんは現在自分の限界を超えることに手一杯で、作曲に注ぐだけのリソースが残っていない。必然、残る作曲の担当候補は奥沢さんだけということになる。

 

 ペグ子たちの中では舞台に立つのは相変わらずミッシェルということになっていたことも相まって、ペグ子の鶴の一声で《ハロハピ》の作曲担当になってしまった。

 

 当然、学校の授業で音楽を習ってきただけの奥沢さんに作曲などは不可能であり、この1ヶ月間で俺が最も熱心に指導したのは楽器ではなく、奥沢さんの作曲指導だったかもしれない。

 

 音符の読み取りや演奏記号の類いから始めて、譜面の書き方、全体の進行のパターンやトレンド、tab譜の起こし方などとにかくあらゆるものを一気に詰め込んだ。

 そして、俺がスマホで録音しておいたペグ子の鼻歌から一緒にメロディを考えて、そこにリズムを当て嵌めていく形で作曲は進んだ。

 

 あまり俺がでしゃばり過ぎると《ハロハピ》の曲にならないし、楽器のメンバーにも指導が必要なので、その間は奥沢さんをラウンジに残して一人で作曲する時間にしたのだが、これが意外な方向に発展した。

 

 ある時、ラウンジで一人頭を抱えていた奥沢さんを見た一人のバンドマンが、彼女に声をかけた。

 奥沢さんが作曲中で悩んでいることを告げると、彼は譜面を見てアドバイスを送った。

 

 すると、それを周囲で見ていたバンドマンたちが「俺にも見せてみな」と集まり始めて、次から次へとアドバイスが飛んだ。

 

 真面目な奥沢さんがお礼を言いながら、アドバイスを丁寧に譜面に落とし込む姿がむさ苦しいバンドマンたちの心を掴んだのか。いつの間にか、奥沢さんはラウンジのアイドルのような存在と化していた。

 ラウンジで作曲に勤しむ彼女の側には、いつもスタジオの順番待ちや休憩中のバンドマンが集っている。その中には、ステージに立つなら見に行くよ、などと声をかける者も何人もいた。

 

 ……残念なことに、あなた方がステージ上で見るのは奥沢さんじゃなくてピンクのクマなんだがな!

 

 まぁ、なんにせよ《ハロハピ》内での立ち位置に困っていた奥沢さんにとって、作曲という作業は難しいながらも充実したものになっているようである。

 

 ……流石に、五度目の譜面リテイクでは目から光が消えてたけどな。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「こころ! お前また勝手に鼻歌をバージョンアップしてないだろうな!?」

「鳴瀬! いいところに戻って来たわね!」

 

 滑り込むような速さでスタジオの扉を開けた俺を待っていたのは、「いいことを思いついたわ!」と言わんばかりの表情のペグ子だった。

 

 ……嫌な予感しかしねぇ。

 

「あー、俺、ちょっと様子見に顔出しただけだからさ。またラウンジに戻るよ」

「大丈夫よ! すぐに済むわ!」

「あー! 腕を引っ張るのをやめろー!」

 

 さらりとペグ子を避けようとした俺だったが、やはり大魔王ペグ子からは逃れられない。残像の残りそうな速さで腕を絡め取られると、スタジオ内部に引きずり込まれた。

 そのときの俺の脳裏に浮かんだのは、昔の教育テレビで見たウツボに噛みつかれてそのまま岩穴に引きずり込まれるカニの姿だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……ライブねぇ」

「そう、ライブなのよ! 私たちもこの1ヶ月の練習でパワーアップしたわ! だからそろそろ世の中にハッピーを届けにいく頃だと思うの!」

 

 スタジオに連れ込まれスツールに座らされた俺がペグ子から聞かされたのは《ハロー、ハッピーワールド!》の初ライブの話だった。

 演奏技術も向上し、《ハロハピ》オリジナルの曲の完成も見えたこのタイミングで、大きな目標を立ててどかんと一発いきたいというのが彼女の意見らしい。

 

 なるほど。確かに言いたいことは分かる。

 

 しかし。

 

「んー、残念だけど、今のライブは時期尚早だな」 

 

 俺の口から出たのは「NO」の言葉だった。

 

「あら、どうしてダメなの、鳴瀬?」

「Mr.鳴瀬はまだ私たちの力は不十分だと?」

「そんなー、はぐみ、いっぱい練習したのにー」

 

 《ハロハピ》のお花畑三人衆が抗議の声を上げたが、俺はそれを手で制する。

 

 俺は別に彼女たちの技術を疑っているわけではない。経験者の松原さんはとっくにクリアしているが、他の二人も十分に人前に立てるスキルはある。

 

 彼女たちが抱えているのは別の問題だ。

 

「いや、技術云々じゃなくてさ。《ハロハピ》って持ち曲がまだ一個しかないだろ。それじゃライブには出れないぞ」

「えっ? 一曲だけじゃダメなの?」

 

 俺の言葉に目を丸くするペグ子。

 

 そして、俺の言葉への援護射撃は別のところからも飛んだ。

 

「な、鳴瀬さんの言う通りだよ、こころちゃん。ライブはね、やるときにステージ側にセットリストを提出するんだけど、最低3曲ぐらいはやらないといけないんだよ」

「本当なの、花音?」

 

 経験者である松原さんの援護を受けた俺は大きく頷く。

 

「松原さんの言う通りだよ。ライブは基本的に最低3曲はまともに弾けないとダメだ。1曲だけだと、次のバンドの準備が間に合わないし、短時間でガチャガチャとバンドに入れ替わられるとハコの空気が冷める。まだ知名度がない《ハロハピ》なら、オリジナル1曲とメジャーな版権曲2曲が弾けるのが最低ラインかな」

「ふむ、オリジナルよりも他のバンドの曲が多い方がいいのかい?」

 

 疑問の声を上げたのは薫だ。

 

「最初の内は特にな。だって、初めて聴く曲ってさ、あんまりノれないだろ?」

「確かに……」

「ライブは客のノリが第一。いくらいい演奏してもハコが沸かなければそれは失敗だ。ライブに来るような客は、ライブでしか味わえないグルーヴ感を求めてるからな」

 

 曲の流れやライブのテーマによってはこの限りではないのだが、基本的にライブは盛り上がれば盛り上がるだけいい。特にロックやパンクバンドに関してはハコを沸かせてなんぼのもんだというところがある。

 

「なるほどね」

 

 薫も得心がいったようで一つ頷く。

 

「分かってくれたようで何より。薫も演劇をやってるときに客が、静かに舞台を見ないでお喋りしてたら失敗だと思うだろ?」

「ふっ、私が出る舞台に限ってそれはないが、確かにそういうことがあれば失敗だと思うだろうね」

「すげー自信だな、おい。ま、というわけで、最初は版権、オリジナル、版権みたいに全体的な盛り上がり重視のセットにするか、版権、版権、オリジナルみたいにノリをよくしてオリジナルを味わってもらうのがいいかもなー」

 

 版権曲を頭に持ってきて客のノリをよくするのは、知名度がなかった頃の《バックドロップ》でもよく使った手法だ。《ブルーハーツ》の《リンダリンダ》や《人にやさしく》、《train-train》にはどれだけお世話になったか分からない。

 

「鳴瀬くん、それじゃあ有名な曲ってどんなのがいいのー?」

 

 今度は手を挙げて北沢さんが質問する。

 

「んー、《ブルーハーツ》なんかは大概ノってくれるけど《ハロハピ》とは毛色が違うんだよな。定番なら《MONGOL800》の《小さな恋の歌》とか《アジカン》の《リライト》なんかかな。比較的新しいやつなら《WANIMA》の《ともに》とか、《sumika》の《ふっかつのじゅもん》なんかもありだな。《ヤバT》の《カワE》とかも《ハロハピ》っぽいぞ。この辺りはどれもそこまで難しくないし、今の演奏技術があれば、後は譜面を暗記するだけでいい」

「おー! なるほどー! 確かにはぐみも全部知ってるよ!」

「おー、やっぱり北沢さんはお兄さんがバンドマンだから曲に関しては知識が豊富だな」

 

 俺の挙げたバンドはどれもメジャーだが、全部を知っているかと問われれば、知らないという人も必ず中にはいるだろう。

 そういった点で、お兄さんから色々なバンドの話を聞いてアンテナを張っている北沢さんは有利だ。大概の曲を耳にしていれば、演奏するためのハードルは確実に下がる。

 

「えへへ、ありがとー! また、お兄ちゃんに話を聞いて勉強しておくね!」

「ああ、それはいいことだ。あと、今挙げた曲のスコアは俺が全部持ってるから、やりたい曲があればいつでも見れるぞ」

 

 北沢さんの言葉に対して何気なく放った俺のこの言葉。

 

 まさかこの言葉が俺の肝を氷点下まで冷やすことになるとは、一体誰が予想しただろうか?

 

 そして、俺の肝を冷やす人間といえば。

 

「そうだわ! いいことを思いついたわ、鳴瀬!」

「今度はなんだ?」

「今から鳴瀬の家にスコアを取りに行きましょう! そうすれば、早く練習ができて早くライブもできるわ!」

「え゛」

 

 それはやはり、ペグ子に他ならなかった。

 

「えー!?」(×3)

 

 叫び声を上げたのは北沢さんと松原さん、そしてもちろん俺だ。ただし、とんでもないことになったという焦りの叫びを上げたのは松原さんと俺の二人で、北沢さんは何か面白いことになったぞという歓喜の叫びだった。

 

「いやいやいやいや、ないから。それはないから」

「えー、でもわたしは少しでも早く練習がしたいのよ!」

 

 いや、お前はボーカルだからあんまり関係ないじゃん!

 

 心の底から叫びたかったがなんとかグッとこらえ、努めて冷静な態度を作るとペグ子に向き直る。

 

「いや、スコアは明日また持ってくるからさ」

「鳴瀬は明日バイトじゃない」

「ぐっ……じゃあ、明後日持ってくるよ」

「それじゃあ遅いわ! やっぱり今日行くべきよ!」

 

 ペグ子は頑なに食い下がってくるが、流石にこればかりは譲れない。

 

 ……コイツらに家の場所が特定されるとか洒落になんねーんだよ!

 

 ただでさえ週の半分くらいをコイツらに注いでいるのに、これ以上時間を割かれるのは勘弁だ。

 それに練習以外の時間は大学の講義や、バイトだって入っているのだ。そこに家の位置まで特定されたら俺の心が休まる時間がなくなってしまう。

 

 それだけはなんとしても避けーー

 

「鳴瀬の家ならここから20分ぐらいで着くじゃない。往復して帰って来ても、まだ練習の時間は十分にあるわ!」

「ーーえ? こころ、今なんてった?」

「ん? まだ練習の時間は十分にあるって」

「いや、その前」

「ああ、鳴瀬の家ってここから20分ぐらいの方ね」

「何で俺の家の場所知ってるんだよ!?」

 

 ペグ子が俺の家の場所を知っている。

 

 たった今明かされた衝撃の事実に俺の肝は絶対零度まで冷えた。このままいけば、冷気は全身を巡って俺はまもなく活動停止に追い込まれるだろう。

 

 そんな俺の絶望的な状況など全く理解していないペグ子は、俺の絶望などどこ吹く風といった様子である。

 

「んー、前にわたしが『鳴瀬って一体どこに住んでるのかしら?』って呟いたら、黒服の人がすぐに教えてくれたわよ?」

 

 なにやってくれてんの黒服の人!?

 

 周囲を見回すと、いつの間にか控えていた数人の黒服が俺の方を見てグッとサムズアップしていた。

 

 何いい仕事したみたいな表情してんだよ!

 

 そう叫びそうになってからふと思った。

 あんまり意識はしていなかったが、ペグ子は正真正銘のお嬢様だ。交流する人間の身辺調査ぐらいは当然のようにして然るべきだろう。

 

 しかも、他の《ハロハピ》メンバーと違って俺は男だ。ペグ子の親からすれば、どこの馬の骨とも知れぬ男が年頃の娘に近づいている(実際は逆だが)のだから気が気ではないだろう。黒服に命じて俺のことを調べさせるぐらいのことはしてもおかしくない。

 

 例えその関係が、死後硬直が1週間前に始まった死体レベルで脈なしであってもだ。

 

 そう考えれば黒服の人たちの満足気な表情も納得だ。彼女たちは確かに「いい仕事」をしているのだから。

 

 そして、俺がその事実に思い当たっている時にもペグ子の猛攻は続いていた。

 

「もう! ちょっとぐらい家に入れてくれてもいいじゃない!」

 

 いや、そのちょっとを許したらもうおしまいなんだよ。

 

 俺がそう返事をする前に、ペグ子は更に畳み掛ける。

 

「ねぇ、みんなも鳴瀬の家に行きたいわよね?」

 

 くそっ、今度は他のメンバーの同意を求める作戦か!

 

 なんだかんだで、俺は押しが弱いところがあって、こいつらが結託して要求してくると大概のことは押しきられてしまう。

 実際、年下の少女たちに頼み込まれたらそれを断ることがいかに困難なのか、世の男性諸氏には察しがつくのではないだろうか?

 

「ふっ、確かにMr.鳴瀬の家には私も興味があるよ。噂では西欧の貴重な文献が山のようにあるそうじゃないか」

「あるけど見せんぞ?」

 

 真っ先にペグ子に同調した薫に素早く釘を刺す。

 

 前にぽろっと自宅に置いてある本のことを喋って以来、薫は俺の家に興味があるらしい。

 大学の研究用の専門資料な上に、一部は古代アイルランド語で書かれているので多分薫には読めないと伝えてはいるのだが、遅れてきた厨二病に罹患してそうな彼女はどうしても一目見たいらしかった。

 

「はぐみも行きたーい! 鳴瀬くんとはこの前ベースの本やDVDを貸してくれるって約束したもんね!」

「うっ、確かに約束したけどそれもまた今度で……」

「えー! はぐみ、ソフトボールで忙しくなるから、少しでも早く練習したいのにー!」

「それは分かってるけど……」

 

 北沢さんには確かにベース関係の本や映像を貸すと約束した。

 それに、これからのサマーシーズンに、彼女はソフトボールの試合が入って今以上に忙しくなることも理解している。

 

「花音先輩も鳴瀬くんの家にいきたいよねっ、ねっ?」

「ふえっ!?」

 

 そんな北沢さんに突然話を振られた松原さんはあからさまに狼狽えている。チラチラと横目でこちらを伺ってどう言ったものか思案しているようだ。

 

 頼む、松原さん! 君が最後の砦なんだ!

 

 俺は松原さんに祈るような視線を注ぐ。

 

 《ハロハピ》は、全会一致で合同することが多く、誰かが難色を示すと計画が取り止めになることがある。

 この場合、難色を示すのは大抵常識人枠の松原さんか奥沢さんだ。奥沢さんがいない現状、その役目は松原さん一人に委ねられている。

 

 そして、恐らく引っ込み思案で根が臆病な松原さんなら年上の男の家にお邪魔するなんて暴挙には出ないはず……!

 

 俺は固唾を飲んで彼女の反応を待つ。

 

 しかし。

 

 ここでも俺の邪魔をしてくれるのは、やはりペグ子だった。

 

「そういえば、花音も鳴瀬から何か借りるって言ってなかったかしら? ほら、あのフィ……フィルハーモニー大全? とか言うのだったかしら?」

「も、もしかしてフィルイン大全のことかな?」

「そう、それよ! 折角だから花音も鳴瀬の家に行って回収しましょうよ!」

「ふえぇぇ……!」

 

 ペグ子ががっしりと松原さんの手を握り、松原さんは当惑の叫び声を上げる。

 

 ……ペグ子め、余計なことを!

 

 確かにペグ子の言う通り、俺は松原さんにフィルインに関する本を貸すと約束している。

 

 だが、松原さんに関しては今もいくらかの課題を与えた状態なので、そこまで急いで貸す必要はないものである。

 

 でも、押しに弱い松原さんのことだ。ペグ子に詰め寄られてしまっては、最悪の事態にーー

 

「そ、それじゃあ、わ、私も鳴瀬さんの家にお邪魔しようかな……?」

 

 ーーなった。神は死んだ。

 

 松原さんは「本当にいいんですか?」と言わんばかりの不安げな上目遣いで俺の方を見てくる。彼女にそんな表情をされて「ダメだ」と断るだけの意思の強さを、俺は持ち合わせてはいなかった。

 

 強くなりてぇ…………。

 

 そんな切実な思いは俺の口から漏れることはなく。

 

「……わかったよ。その代わり、借りるもん借りたらすぐ帰れよ?」

 

 零れた言葉は全面降伏のそれだった。

 

「やったー!」(×3)

 

 そして、その言葉を聞いた瞬間、跳び跳ねて喜ぶお花畑三人衆。

 

 そちらと俺をチラチラ交互に見ながら、申し訳なさそうな視線を送ってくる松原さんの気遣いが今はすぅっと心に沁みた。

 

 そんなときに「ガチャリ」と音を立ててスタジオの扉が開く。

 

「あー、お疲れ様ですー。鳴瀬さーん、今度こそ曲が完成しましたよー」

 

 扉を開けて入って来たのは奥沢さんだ。

 

「鳴瀬さーん、ちゃんとこころさんを止めてくれましたー? ……って、何ですかこの雰囲気?」

 

 今までこのスタジオで行われていたやり取りを露知らぬ奥沢さんは、狂喜乱舞する三人衆とガックリと肩を落とす俺、そしてその間でおろおろする松原さんを見てキョトンとした表情をしている。

 

「あら、美咲。たった今話がまとまったところよ!」

「話? なんのです?」

 

 首を傾げる奥沢さんにペグ子が事のあらましを説明した直後。

 

「えー!?」

 

 どこかで似たようなのを聞いたことのある叫び声が、再びスタジオに木霊した。

 

 

 

 




というわけで、次回は鳴瀬くんのお宅訪問パートとなります。思ったより長い一万字超えのパートになってしまった。

前回のミッシェルパートが短い気がしたので、途中にちょっと奥沢さん成分を多めに注ぎました。



よろしければ評価やお気に入りをつけてくだされば励みになります。


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野良ベーシストはささやかな平穏を守りたい(前編)

続きました。
鳴瀬くんのお宅訪問パートです。前後編に分けます。



【用語解説】
『MONGOL800』
モンゴルはウランバートルに拠点を置く総勢800名のメンバーで構成される超大型バンド。
メンバーの大半が遊牧民のため、全員が一ヶ所に集まることはほぼ無く、大概はその土地に居合わせた48名前後のメンバーが集まって各地でゲリラライブを行うスタイルを取る。
モンゴル相撲で磨かれたその勇壮な集団ダンスパフォーマンスから、大物プロデューサー秋元康氏がAKB48の構想に至ったことは業界では有名な話である。
メンバーの内530人が馬頭琴のパートを担当し、その重奏によるハーモニーがリスナーにモンゴルの雄大な自然を駆け抜ける一陣の風を思い起こさせるトラディショナルな演出が魅力である。


……というのは真っ赤な嘘で、沖縄出身の3人組によるスリーピースバンドである。バンド名に特に意味はないらしい。愛称は《モンパチ》。
代表曲《小さな恋の歌》は非常にシンプルなコード進行でありながら、それゆえにストレートに胸に刺さり、その魅力的な歌詞は人々の心を掴んで放さず、収録アルバムの《message》はインディーズでありながら230万枚を売るという快挙を成し遂げた。
《小さな恋の歌》はギター、ベース、ドラムの基本三点セットがいればOKな上に、全パートの譜面が簡単なため、コピーバンドはまずこの曲からスタートするというぐらいバンドマンにとって馴染みの曲。
《小さな恋の歌》だけ知っているという人も多いが、他にも《あなたに》や《琉球哀歌》など数々の名曲を生んでいる。

『THE BLUE HEARTS』
日本の第二次バンドブームを牽引した伝説的パンクバンド。愛称は《ブルハ》。ボーカル、ギター、ブルースハープ担当の甲本ヒロトを筆頭にテクニシャン揃いのメンバーで構成される。
《人にやさしく》の「気が狂いそう」や《リンダリンダ》の「ドブネズミみたいに美しくなりたい」など、出だしから人を引き込む衝撃的なリリックの数々は若者たちの心を掴んで離さなかった。
 《モンパチ》と同じく特にバンド名に意味は無いらしい。バンドの方向性が見えなければどんな名前でもよかったとも述べている。

 主人公の鳴瀬君のバンド《バックドロップ》は、パンク・ロックの流れを汲むグランジバンドなので、対バンなどのセットリストに《ブルハ》をよく使っていたという設定。


 俺の愛しい棲み家、《アーバンコーポ竹ノ森》は築10年、8階建て、総戸数32の賃貸マンションである。

 間取りは全室2LDKで、家賃は共益費込みで12万3000円。間取りと額面を見ればここは一人暮らしの大学生向けではなく、世帯収入のある核家族向けの物件だと誰もが思うだろう。

 

 しかし、このマンション、実は入っているのはほとんどが俺と同じ単身の学生ばかりなのだ。

 その理由は、ここは楽器演奏可能なマンションであり、徒歩10分圏内に某有名音大のキャンパスが存在するからだ。親が潤沢な資金を持つ音楽家の卵たちはこの好立地のマンションにこぞって集い、日夜自身のスキルを伸ばしているのである。

 

 そんなマンションに俺が住んでいる理由は、受験の時に特待生で大学に入り込めたら、住む場所は自由にさせてくれと親に頼んでいたからである。

 約束通り特待生として大学に入学を決めた俺は、給付と無利子の奨学金を得て、それを元手にバンド漬けの毎日を送るための拠点を手にいれた訳である。

 

 そんな我が家には、未だに《バックドロップ》のタクとシュン以外の人間を入れたことはない。その二人も、ライブが近いときにスタジオが確保できなかった時にしか家には上げなかった。

 

 音楽というものは不思議なもので、メンバーとの意見のぶつけ合いの中で名曲が生まれることもあれば、一人で黙々と思索に耽っていると天啓のように曲が生まれることもある。

 

 だから俺にとってこの場所は、一人で静かに音楽と向き合い、新しい曲を生み出すための空間なのだ。

 

 ……なのだが。

 

「もうすぐ鳴瀬の家に着くわね! 場所は分かってたけどわたしも行くのは初めてだからワクワクするわね!」

「ふっ、Mr.鳴瀬の家でどんな儚い体験ができるのか今から楽しみでならないよ」

「あっ、そうだ! DVD借りたらみんなで一緒に見よーね!」

「お、男の人の家に、お、お邪魔するなんて……ふぇぇ……」

「花音先輩、男といっても鳴瀬さんの家なんですから落ち着いてくださいよ~」

「…………」

 

 …………不安しかねぇ。

 

 俺のための音楽の楽園は、現在《ハロー、ハッピーワールド!》(&黒服たち)という侵略者(インベーダー)から絶賛攻撃中だ。

 一人暮らしの我が家に女の子を招くというある意味人生の一大イベントも、やって来るのがこのメンバーとなると1㎜も心がときめかない。

 松原さんか奥沢さんのどちらかと二人きりというシチュエーションなら、もしかしたら少しはときめきを感じたりするのかもしれないが、残りのお花畑三人衆のせいで現状差し引きゼロどころかマイナスである。

 

 あー……、やっぱり無理にでも断っとけば……それも今さらな話だなぁ……はぁ。

 

 メンバーに悟られぬよう心の中でアホみたいにデカイため息を一つ吐いたとき、ついに俺の家が視界に入った。ここまで来たらもはや手遅れである。

 

「あっ、あのマンションね! 黒服の人にもらった写真で見たから間違いないわ!」

「おう、そうだよ。あと、その写真は家に帰ったらすぐに焼却処分な? 他にもあるなら全部燃やせよ?」

 

 恐ろしい発言をさらりと行うペグ子を嗜めつつ。マンションの前に立つ。他のメンバーもマンションの前に到着したのを確認した俺は、くるりとメンバーの方に向き直った。

 

「よし、というわけで俺の家に着いたわけだが、家に上げる前にこれだけは言っておく」

 

 俺は語気を強めて、特にきょとんとしているお花畑三人衆に向かって話しかける。

 

「俺の家では勝手に動くな、ものを触るな、キョロキョロするな。何かするときは必ず俺の許可を取れ、OK?」

「なんだ、そんなこと言わなくてもわかっているわ!」

「ふっ、Mr.鳴瀬は存外心配性だね。私だってそれくらいの分別はあるさ」

「はぐみも勝手に動かないよ!」

 

 三人衆が口を揃えて自信満々に頷く。常識人二人はそれを見てなんとも言えない微妙な表情をその顔に浮かべていた。

 

 …………不安しかねぇ。

 

「……俺は確かに言ったからな? 不穏な動きを見せたらその瞬間、お前たちは家から放り出されていると思えよ?」

「はーい!」(×3)

 

 ……うわぁ、全然分かってなさそうな声。

 

 早く家に上がりたくてウズウズといった声色の三人衆に頭を抱えながら、俺はエントランスに向かって足を進めるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「うわー、エレベーター広いね!」

「部屋にでかい楽器を搬入する奴もいるからな。業務用エレベーターなんだよ、ここ」

「ふぇぇ、やっぱり音大生向けの物件は凄いんですね」

「物件もだけど住んでる奴も大概ヤバイぜ。この前なんか天井に擦りそうなでかいハープを運び込んでる奴もいたしな」

「うひゃー、すごい世界だ……」

 

 口々に喋る《ハロハピ》メンバーに返事をしながらエレベーターで目的の階まで上がる。俺の部屋は最上階の8階だ。

 

 こういった建物はセキュリティや騒音の関係から高層階が人気なことが多いのだが、《アーバンコーポ竹ノ森》は全室防音完備な上に、楽器などの搬入の手間から下層ほど人気があるという逆転現象が起こっている。

 ちなみに、最上階と一階では家賃は1.5倍も違うのだから驚きだ。

 

 俺の部屋は8階廊下突き当たりの804号室だ。部屋の前で立ち止まった俺は再びメンバーの方へと振り返る。

 

「よーし、それじゃあ今から軽く部屋を片付けるから、お前らは少しここで待ってろ」

「あら、みんなで協力して片付けた方が早いわよ。わたしも手伝うわ!」

「阿呆、お前らに好き勝手されたくないから言ってるんだよ。少しは発言の意図を察せ」

 

 スーパー空気読まない発言をかますペグ子をしっしっと邪険に手で払いつつ、俺は鍵を開けて我が家へと入る。

 玄関脇のスイッチに手をかけると見慣れた我が家が明かりに照らされた。

 

「とりあえず、確実にあいつらが通る廊下、リビング、楽器部屋の確認……いや、最悪も想定して一応全部確認だな」

 

 付け入る隙を一切与えたくないので家中を念入りに確認したいところだが、そこまであいつらが大人しく外で待ってるとは思えない。そんな確信めいた予感が俺にはあった。

 

 幸いにもアンプなどの一部の機材がほこりに弱いため、俺は普段から部屋の掃除は欠かしていない。なので、机の上に乗せたままの本や雑誌類、そしてピックなどの演奏用の小物を片付けたら大体人に見せられる部屋になった。

 

 正直、不安は全く拭いされていないのだが、恐らくこの不安は完璧に拭いされないタイプのものだ。ここで無駄な労力を割くよりは、侵入してくるやつらの対応に力を残すのがいくらかましというものである。

 

「あー、マジで入れたくないけどもう呼ぶか……それしかないよな、うん。頑張れ、俺」

 

 現実は中々受け入れがたいが、それでもなんとか己を鼓舞して玄関に向かう。

 

「おーい、片付け終わったから入っていいぞー」

「わーい!」(×3)

「お、おじゃましみゃしゅ!」

「それじゃ、私もお邪魔させてもらいますね」

「失礼します、鳴瀬様」

 

 ドアを開けた瞬間、歓声を上げて駆け込んできた三人衆以外は、皆それぞれに挨拶をしてから俺の家に入る。家に入ったのは3人の黒服も含めて全員が女性というハーレム状態なのだが、こんなに嬉しくないハーレムが今だかつてあっただろうか。いや、ない(反語)。

 

「あら! 中は思ったより広いのね!」

「ほんとですね。廊下も広かったけど、このダイニングなんて16畳ぐらいありませんか?」

 

 中に入って思わぬ部屋の広さに驚くペグ子と奥沢さんに首肯する。

 

「そーだよ、これぐらい広くないと楽器が満足に搬入できないんだよ」

「あー、そういえばここってハープとかピアノなんか持ち込む人もいるんでしたね」

 

 奥沢さんは納得といった表情で首を縦に振った。

 

 ピアノやハープなどの空間を取る楽器は、ただ入れることができるだけでは理想の場所まで運べない。角度の調整などで転回させるための広いスペースが必要なのだ。ここではそれがすべての部屋に繋がるダイニングの役目になっている。

 

「とりあえず、ずっとダイニングにいるのもあれだから、楽器部屋に入るぞ。黒服の皆さんはここのソファに座って待っててもらえますか?」

「承知しました。お気遣いありがとうございます、鳴瀬様」

 

 俺の言葉で黒服達がベッドにもなるソファに腰を下ろす。等間隔にきっちり腰を下ろした三人はさながら団子三姉妹といった風情だ。口には出さないが。

 

 楽器部屋は機材を置いていることもあり、一度に全員が入るのは無理だ。《ハロハピ》のメンバーも二回に分けて入れないといけないだろう。

 そして、頭脳明晰(当社比120%)な俺は、瞬時にその組み合わせを頭の中に思い描いていた。

 

 ……最初はペグ子、薫、奥沢さん。次に北沢さんと松原さん、これだ。これ以外の組み合わせはあり得ん。

 

 俺の導き出したこの結論には、確たる理由がある。

 

 まず、メンバーの割り振りだが、お花畑三人衆と常識人二人を分ける案は速攻で消えた。常識人の二人に構っている間に、間違いなくお花畑が好き勝手に行動を始めるからだ。

 常識人の二人はお花畑に打ち込むための楔になってもらわなければならない。

 

 すると、今度は誰と誰を組み合わせることになるかという話だが、松原さんはその性格からあまりぐいぐい他人をコントロールできるタイプではない。

 逆に奥沢さんはわりと思ったことをズバッと言えるタイプだ。

 

 そう考えると松原さんと組ませるのはお花畑の中では、常識をわきまえている北沢さんしかあり得ない。ペグ子と薫は一人でも彼女の手に余る。

 

 そして、奥沢さんには負担が増えるがペグ子と薫を任せる。あの二人の手綱を握れるのは俺か彼女以外にあり得ない。

 

 そして、負担が増える分、奥沢さんのグループは前半に回す。先に何かしらのアイテムをペグ子と薫に渡しておけば、待っている間に手持ち無沙汰になってうろうろし始める可能性を減らせるからだ。

 対して、北沢さんと松原さんのグループは、最初に少し待っていてもらっても勝手に動き回るリスクはペグ子たちよりは間違いなく低い。活発な北沢さんは若干怪しいが、それでも俺の言葉を破るほどではないだろう。

 

 ……完璧だ。

 

 我ながら最大限のリスクヘッジができたと思う。

 

 正直、細かく見れば穴だらけの戦略なのだが、穴が空いているのは先刻承知だ。

 浸水した船は、たとえ手元に穴開きバケツしかなかろうとも、水を汲み出さなければいずれ沈む。今は《ハロハピ》メンバーがこの家から帰るという着岸を決めるまで、船が沈没しなければそれでいい。

 

 俺が《ハロハピ》を無事に帰すのが先か。

 

 《ハロハピ》が無秩序に暴れ始めるのが先か。

 

 どっちに転んでも俺が得する要素が一切ない、地獄のチキンレースが今ここに幕を開けたのだった。

 




時間の都合で前後編に分けます。


後編の次はライブ前の下準備編、その次にライブ本編入れる予定です。

その後病院のあの子パートを3話ぐらい入れて、エンディングになります。


【協力以来】
エンディングについて少しアンケート取りたいので良ければご協力ください。これによって大分最後の展開が変わるのでよろしくお願いいたします。


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野良ベーシストはささやかな平穏を守りたい(中編)

続きました。

鳴瀬君のお部屋訪問、中編になります。

お気に入り70突破、評価をポチって下さった皆様ありがとうございます。私感涙とうれションが止まらぬため、トイレからコメントを打たせていただいております。嘘です。

もっとポチってくれてもよろしくてよ?


【協力依頼】

先に述べましたようにエンディングに関わるアンケート実施中です。

ノーマル、友情、恋愛、ネタ、自由(自由枠は活動報告や個別メッセージにコメント下さい)となってます。

一応、ノーマルルートはアンケートにかかわらず確実にやる予定です。爽やかさ重点。この基本エンディングだけでいいよという人はここをポチって下さい。私が楽できます。

友情ルートは《ハロハピ》のマネージャーポジションに収まった鳴瀬君のあわただしくも充実した日常を描く予定です。

恋愛ルートはマルチエンディング方式で全キャラ分の個別エンド書きます。大変ですね(他人事)。
まあ、全キャラ構想はあるので何とかします。多分。
ハーレムルートは現状予定してないんですが、欲しいという人は活動報告か個別メッセージにでもコメント下さいな。コメントが一定以上ならわたくし頑張りますことよ?

黒服ルートはネタです。いつの間にか黒服部隊のリーダーにさせられていた鳴瀬君がこころのドタバタに巻き込まれ続けるルートです。鳴瀬君かわいそう(他人事)。

自由枠は自由です。「こんなアフターストーリーがワイは見たいんや! ワイのワイルドワイバーンや!(謎)」という人は、活動報告か個別メッセージでコメント下さい。多分、書くとすれば恋愛の絡まないキャラごとの絡みになるかな?
アフターじゃなくても、途中でこんなエピソードが有ると嬉しいな、とかでもいいです。全てを理解していきます(人形の悪魔)。

現状は恋愛ルートが優勢。友情ルートもボチボチ入ってますね。ユウジョウは大切。古事記にもそう書いてある。ユウジョウ!

もう数話の期間はアンケート設けますのでどしどし応募してくれよな(キャラぶれ)!






長くなりましたが最後まで読んでくれてありがとうございます! あなたのような奇特な人のおかげでこの作品は書き続けられております! 好き!(156km/h ジャイロボール) 


それでは長くなりましたが本編をどうぞ。


 俺が三人を部屋に引き連れて入ったとき、真っ先に口を開いたのは案の定ペグ子だった。

 

「わぁ、すごいわ鳴瀬! まるでスタジオみたいじゃない!」

「親父さんのスタジオと比べれば全部低グレードかサイズ落ちなんだけどな。はい、そこ勝手にアンプヘッドを触ろうとしない」

 

 キョロキョロと部屋を見回して、早速マーシャルのアンプキャビネットに駆け寄ろうとしたペグ子に釘を刺す。

 

「個人でここまでのアイテムを揃えているのか。ふふっ、Mr.鳴瀬はずいぶんと研究熱心なのだね」

「まーな、やっぱり曲作りなんかは一人でじっくり向き合いたいからな。だったら全部家にあった方がいいだろ?」

 

 今度は顎に手を当ててしきりに感心している薫に答える。

 

「うわー、ベースだけじゃなくてギターもキーボードも、ちっちゃなドラムまであるじゃないですか」

「作曲のときは各楽器の特性が分かってた方がいいから、一応全部揃えたんだよ。ステージ用のベースと音響機材以外は全部中古の安もんだし、ドラムはスネアとタムとシンバル二つしかないけどな」

「それでも結構かかりますよね?」

「もちのロンよ。多分70万近くかかってる。高校時代のバイト代は全部こいつらに注いだからな。録音機器やスコアや教則なんかも入れたら100万いってると思うぞ」

「うへー、マジですか……」

 

 部屋に入った瞬間からメーカー丸くしていた奥沢さんの言葉に答えると、彼女は信じられないといった様子で目を丸くした。

 まあ、実際に音楽をやらない人間からすればアホみたいに金をかけてると思われるのだろうが、本物の連中からすれば俺なんてまだロックの101コースの履修を終えたばかりのひよっ子みたいなもんだ。

 

 ……ガチな人間は楽器一本でここの機材全部位の金をかけてるもんなー。

 

 金を使うなら天井知らずなのが音楽の世界だ。更にガチな連中になれば、まず家を楽器専用に建てるところから始める人間すらいるのだ。まさに魔境である。

 

「っと、とりあえず先に渡すもんを渡しとくわ。三人とも適当にスローンや椅子に座っといてくれ」

「はーい」(×3)

 

 三人が大人しく座ったのを確認しつつ、俺は棚や収納を漁って前から少しずつ準備していたアイテムをかき集める。

 本当なら、もっと準備をちゃんとしてから渡す予定だったのだが、ペグ子のせいで今日になったのだから仕方ない。

 

「まー、あれこれ言ってもしゃーないしな。……よし、こころ。お前にはこれな」

 

 そういって俺が手提げ鞄を放り投げるとペグ子はそれを空中でキャッチした。相変わらず目を見張る身体能力だ。

 

「わーい! えーと、これは本かしら?」

「そーだよ。さっきスタジオで言ってた演奏しやすい曲のスコアな。《ハロー、ハッピーワールド!》のオリジナル曲がたくさんできるまで、そん中から何曲か歌いやすいの見繕え」

「わかったわ!」

 

 素直にうなずいたペグ子を見て俺も頷く。

 

「あと、ボイストレーニングや発声のコツなんかの本も入れてある」

「あら? わたし、今でも声にはとっても自信があるのよ」

 

 そう言って「ラララ~」と歌い始めたペグ子を人差し指を立てて制する。

 

「まぁ、確かにそうなんだけどよく聞け。こころは今、本能的に歌ってるけど、やっぱりちゃんと体系的に技術を覚えた方がいい。覚えた技術を実際に使うかは別にしても、この辺りが今後の成長を分けることになると思う」

 

 感覚的に分かるのと、知識として理解しているということには雲泥の差がある。

 感覚的にしか分かっていなかった場合、もし何かしらの躓きを経験したとき、なぜ自分が躓いたのか、どうすればそこから先に進めるのかが見えてこない。体系的に知識を得ておくことで、一体どの部分で自分が躓き、改善のために採るべき方策はなんなのかが見えてくる。

 

 躓きなどお気楽ペグ子には無縁のものかもしれないが、何事も転ばぬ先の杖だ。用心に越したことはない。

 

 そんな俺の意図を理解したのか定かではないが、ペグ子は満面の笑みで俺に頷く。

 

「そうなのね、わかったわ! それにしても鳴瀬ったらこんなに本を用意してくれるなんて、ちゃんとわたしのことを考えてくれていたのね!」

「ハハハ……、面倒を見るからにはいい加減なことはしないさ」

 

 いくら不本意なこととはいえ、引き受けると決めたからには最後までやり抜くのが俺の信条だ。それに、音楽ーーそれもことバンドに関してはーー何時だって真摯に向き合っていたいのだ。

 

 ……そして、渡すものを本ばっかりにしておくと、読むのに集中してペグ子が動き回らないからな!

 

 そんな俺の思惑通り、ペグ子は椅子に座ると、早速俺の渡した本を黙々と読み始めた。しばらくはこれでもつだろう。

 

 怪獣ペグ子が無秩序に暴れ始める前に他の二人にも渡すものをさっさと渡してしまおう。

 

「んじゃ、次は薫な。薫にはまずはギター関係の小物類だ。俺が演奏したときに使ってたカポタスト、まずこれをプレゼントするよ」

「おお! いただいてしまってもいいのかい、Mr.鳴瀬?」

 

 「プレゼント」と言う言葉に喜色を滲ませた声色になった薫に俺は首肯する。

 

「おうおう、この辺りの小物は失くしたり、消耗したりしたときのために予備が何個かあるからな」

「感謝するよ、Mr.鳴瀬」

「ういうい、あとはこの袋に入ってるから。色んな厚さのピックと、ストリングカッター、コンパクトチューナー、それとアルトベンリーなんかだな」

「……アルトベンリー? 一体、それはなんだい?」

 

 差し出した袋を受け取った薫が首を傾げる。

 

「アルトベンリーはアルトベンリーだろ? あ、もしかして、ナイトフーベンの方が分かりやすかったか?」

「??? ……まぁ、とにかく便利なものなんだね? ありがたく受け取らせてもらうよ」

「おう。……そしてだな、こっちはレンタルなんだが、薫に渡すものはこれが本命だ」

 

 そう言って俺は一つの金属製のトランクを差し出した。

 

「これは……開けてみても?」

「どうぞどうぞ」

 

 促されるままにケースを開けた薫はますます首を傾げる。

 

「……これは何かのスイッチかい? それもこんなに沢山」

「あー、これはエフェクターって言うやつで、それぞれがちゃんと役割があるんだよ。音を歪ませたり、響かせたり、尖らせたりなんかね」

「おお! こんなに小さなボディなのにそんなことができるなんて、なんて儚いんだ!」

 

 自分が手に持っている道具の効果を知った薫は目を輝かせる。

 

「効果は色々あるから試してみな……つーか、ここでちょっと説明しとくか。おーい、こころ」

「なぁに、鳴瀬?」

 

 呼び掛けると本をペラペラめくっていたペグ子が顔を上げる。

 

「喜べ、お前には俺のギターを弾かせてやろう」

 

 そう言った瞬間、ペグ子の顔が眩しいほどに輝いた。

 

「本当に!? もしかして、あそこに立ててある可愛いカラーのギターかしら!」

「そうだよ、ちょっとこっちに持ってきてくれ」

「わーい!」

 

 俺が薫ではなくペグ子に演奏を頼んだのには理由がある。

 

 まず、薫には演奏ではなく音に集中してもらうために聴き手に回って欲しかったのが一点。

 

 そして二つ目が、ペグ子が本に飽きて動き始めないように気分転換させるためだ。

 

 行楽地に向かう車なんかで、最初は外の景色に夢中な子どもが時間と共に飽きてきてもぞもぞし始めるのはよくある話だ。それと同じレベルでガス抜きしないとペグ子がもぞもぞし始めるのは目に見えている。

 

 ギターを取りに行ったペグ子の背中に視線を向ける途中、奥沢さんと目が合った。目が合った瞬間、彼女はこくりと頷いて親指をぐっと立てた。

 

 流石奥沢さんだ。俺の意図を完璧に理解している。

 

 俺は素晴らしき理解者がいることに感謝しつつサムズアップで彼女に応えた。

 

 そうしている内に、ペグ子は飛ぶような早さでギターを手に取るとこちらに帰ってきた。その手にあるのはエピフォンレスポールカスタムのチェリーサンバーストカラーだ。

 

「持ってきたわ! 結構重たいのね!」

「ボディが空洞なホワイトファルコンと違って、フルソリッドで3.8kgあるからなー。レスポールは大体そんなもんなんだけどさ。ストラップ調整するから肩にストラップ掛けて両手万歳しな」

 

 言われた通りに万歳するペグ子は、キョロキョロとギターに視線を落として興味津々といった様子だ。

 

「はーい、この子はレスポールって言うのね」

「おう、オリジナルのGibson社のじゃなくて、傘下のエピフォンってところのコピーモデルなんだけどな。しかも中古だし……よし、調整終わり」

「ありがとね! でも、コピーでも可愛いければいいじゃない!」

 

 ペグ子はそう言うと、優しい手つきでレスポールの表面を撫でる。

 

「まぁ、実際にエピフォンのレスポールは他のメーカーのコピーと違ってはるかに使えるんだよなー。必要条件を満たしてるって言うのかな。こいつは発色もいいし、いい買い物だったよ。……よし、薫、アンプキャビネットの前辺りに椅子でもスツールでも置いて座ってくれ。あと、エフェクターを一旦俺に戻してくれ」

「了解だ、Mr.鳴瀬」

 

 薫が差し出したエフェクターを受けとると俺は素早くシールドでアンプヘッドとレスポールに繋ぐ。

 

「オッケー。薫、見てもらったら分かるように、エフェクターってのはアンプとギターの間に噛ませて、ギターの電気信号にスパイスを効かせるようにするんだ」

「なるほど」

「スイッチは何個かあるんだが、つまみのスイッチはどれだけ効果を乗せるのかの調整、この押し込むタイプのフットスイッチは、そもそもエフェクターを作動させるのかを選ぶためのものだ。だから、曲によってはこれは使ってあれは使わないなんてのもできるわけだ」

「ふむ、それは曲のテーマなどで使い分けるといった感じかな?」

 

 薫の言葉に頷く。

 

「そうそう、キュートでポップな曲なんかで音を歪ませたりしたら台無しだからな」

「確かにそれは儚いね」

「んじゃ、実際に鳴らして違いを確認するか。こころ、エフェクター無しで適当に弾いてみてくれ」

「わかったわ!」

 

 返事をするや否や、ピックを握ったペグ子のてがギターに振り下ろされる。

 

 ジャジャーン!

 

「んー! 良い音じゃな~い!」

「へぇ、ホワイトファルコンとはずいぶん違うんだね」

「ピックアップが違うし、ボディの形状なんかでも変わるからなー。ほい、それじゃあ次はエフェクターを入れるぞ。こころ、さっきと同じ感じでもう一度弾いてみてくれ」

「はーい!」

 

 再び、ペグ子の手が振り下ろされる。

 

 ジャジャァァァン!

 

「!? スゴいわ、さっきと全然違うじゃない!」

「おお、このうねるような音の響き、さながら嵐に揉まれる帆船といった風情だ!」

「へー、エフェクター使うだけでこんなに違うんですねぇ」

 

 三人の口から三者三様の感想が飛び出す。

 

「かなり変わるだろ? 今入れたのがファズって言う通称《歪み系》のエフェクターな。一番変化が分かりやすそうだったからこれにしたけど、他も色々違うんだぜ」

 

 そして、それからしばらく俺たちはエフェクターを点けたり消したりしながら音の変化を確認する。

 

 たまに全然違う弾き方をして、全く参考にならない演奏を始めるペグ子を制しながらもなんとか一通りの確認はすんだ。

 

「……というわけだ。大体の雰囲気は掴めたか?」

「ああ、Mr.鳴瀬。しかし、これを使いこなすにはより一層の練習が必要だね。ふふっ、今から腕が鳴るよ」

 

 再びシールドから外したエフェクターたちを薫に渡すと、彼女は使うのが待ち遠しいといった表情でそれを受けとる。

 

「最初は無理に使う必要もないし、曲の雰囲気に合わないやつは要らないからな。まぁ、色々試してみてくれよ」

「ありがとう、Mr.鳴瀬。必ずものにしてみせるさ」

 

 そう言って薫は椅子に戻ると俺が渡したエフェクターの説明書をじっくりと読み始めた。これで薫もしばらくもつだろう。

 

「じゃあ、最後は奥沢さんね。奥沢さんには渡したいものが多いから覚悟しておいて」

「うへー、お手柔らかにお願いしますよ、鳴瀬さん」

 

 先の二人とは違い、あからさまにげんなりした表情の奥沢さんに思わず苦笑する。

 

「はいはい。……まずは、奥沢さんは作曲担当だから、各楽器のコード・パターン進行表を渡しとくよ」

「あー、楽器ごとの定番のフレーズみたいなやつですよね?」

「そうそう、作曲ってさ、基本的にはよくあるパターンの組み合わせなんだよな。奇抜なことをやっても、全然曲になってないなんてざらにあるからな。基本に忠実に、しかし誰も見たことのないパターンの組み合わせを。これが作曲の基本だ」

「ふむふむ……」

「もちろん、全部同じにならないなら有名なところから進行の一部を引っ張って来てもいい。カノンコードなんて今時誰だって使ってるしな。それで、奥沢さんは間違いなくこういうの得意だろ?」

 

 俺が感じている奥沢さんの印象は「とにかく自分の常識の枠がぶれない」ということ。つまり、「常識=基本」を押さえておけば、彼女はいくらでもそこに戻り、そこを起点に何度でも派生していくことが可能だということだ。

 

 悪く言えば保守的で、良く言えば芯がある。《ハロハピ》では周りに革新的なメンバーが多い分、奥沢さんの持つ《芯》が今後大切になるだろう。

 

 そういった点で、奥沢さんにはもっと音楽に携わる者としての基礎(ベース)を広くして欲しいのだ。

 

「んー、まぁ、得意と言うよりも他の人には無理って言うのが正しいと思うんですけどね。まぁ、頑張りますよ」

「ありがとう、奥沢さん」

「いやいや、褒められるようなことはなにもしてませんから……」

 

 謙遜の言葉を口にしながら奥沢さんは後頭部をポリポリと掻く。照れているのか、その頬には少し赤みが指している。

 

 うーん、普通に可愛い。松原さん以外の三人にもこれぐらいの慎みがあれば……無理か。

 

「あのー、鳴瀬さん? これで私には全部ですか?」

「あ、いやいや、まだあるんだ。ちょっと待っててくれ」

 

 いかんいかん、余計なことを考えてボーッとしていた。

 

 奥沢さんに見とれていた俺は、慌てて次のものに手を伸ばす。

 

「私はボーッとしててもいいんですけどね。急がないと、こころが好き勝手始めちゃいますよ?」

「まったくだよ……んじゃ、次はこれね」

「これは……」

「DTM関係の本とソフトなんかがはいったDVDだよ。曲を作るならやっぱりDTMは使えないと、いつまでも紙の譜面とにらめっこはできないからなー」

「うわー、ありがとうございます! これで作曲が凄く楽になる……(涙)」

「奥沢さん……(同情)」

 

 DTMとは打ち込み式の作曲ツールで、現在作曲をする人たちには必須とも言えるアイテムだ。これがあれば楽器がなくたって曲が作れるし、出来た曲を流してそこから修正することも容易だ。

 

 特に、ペグ子の気まぐれでコロコロ曲が変わる《ハロハピ》にとって、曲のデータを取っておけるDTMの存在は重要だ。ペグ子が「うーん、やっぱり前の方が良かったわね!」なんて言ったときに、その前というのがいつだったのか分からないと大変なことになる。

 

 ……というかすでになった。思い出すと吐きそう。ヴォエ!

 

 そして、奥沢さんも俺と同じ思いのようで、俺が渡したDTMセットの袋を抱き締めて頬擦りしている。

 

 ……強く生きろよ、奥沢さん。

 

 ペグ子たちもいるので口には出さないが、俺は心の中で彼女にエールを送った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「よーし、これで前半組は終了ー。後半組を呼んできてくれ」

「はーい」(×3)

 

 なんとか無事に三人にアイテムを渡し終えていよいよ後半戦だ。

 

 ここまでは大きなトラブルはなかったが、ここからはついにペグ子が俺の家でフリーになるという恐るべき現実が幕を開ける。とにかくなるはやで後の二人は捌かなくてはならない。

 

「じゃあ、三人はリビングで待っていてくれ。いいか、くれぐれも勝手な行動は慎むように!」

 

 去り行くペグ子たちの背中に念を押すとペグ子は心外だといわんばかりにむくれる。

 

「もーう、そんなに言わなくてもわかっているわよ、鳴瀬!」

「ふっ、Mr.鳴瀬も存外心配性なのだね。こころ姫には私がついているのだから大丈夫さ!」

 

 ……いや、お前のその根拠のない自信はどこから降りてくるんだよ? 宇宙か? 宇宙なのか?

 

 もう明らかに頼りにならない薫はスルーして、俺は唯一の頼みの綱である奥沢さんにアイコンタクトを取った。

 

 タ・ノ・ム・ヨ?

 

 ム・リ・デ・ス。

 

「……ガッデム」

「鳴瀬くん、お邪魔しまーす!」

「しっ、失礼します……」

 

 命綱を無事に握りしめたと思ったら、実はその綱がどこにも結び付いていなかったかのような絶望感を味わいながら、俺は新しく入ってきた《ハロハピ》の二人を眺めたのだった。




なんか、前後編の予定だったのに普通に中編ができてたんですけど(震え声)

ということで残るメンバーは次回に持ち越し!


【用語集】
「アルトベンリー」と「ナイトフーベン」

まるでドイツ語のようなカッコいい響きの名前で呼ばれるこいつらの正式名称は「ペグワインダー」。要するに糸巻きの補助装置である。

クランク付きレバーのような形のこいつらをペグに取り付けることで弦の巻き取りが容易になり、弦の交換直後など大変重宝するグッズである。

ギター用は某ハードオフのジャンクコーナーで100円のシールが貼られる常連だが、ベース用はあまり見かけず値段もお高め。

名前は「あると便利」と「無いと不便」のもじり。人によってはギター用が「アルトベンリー」で、ベース用が「ナイトフーベン」だと言う人もいれば区別なく使う人もいる。



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野良ベーシストはささやかな平穏を守りたい(後編)

予想外の後編。文章量を減らす努力がしたい。それか書くスピード上げたいマン。

お気に入り登録80名あじゃーっす!
わたくし、感激の涙が止まりませんことよ?


【協力依頼】
アンケートはまだまだ募集してます。
現在次点の4倍近いスコアで恋愛ルートが1位、その次が友情ルートとなっております。

やっぱり、世の中ラブなんやなって。あれもラブ、これもラブ。

そして、黒服ルートにも票が入っている……(困惑)
メンインブラックになった鳴瀬君が見たい奇特な人が二人も!

とりあえず、一番じゃなかったからといってもそのルートをやらないというわけではないです。需要があれば書くので、見たいエンディングにどしどし投票してくださいな。


 善は急げ。

 拙速は巧遅に勝る。

 兵は神速を尊ぶ。

 

 スピードが大切であるという格言は古来より枚挙に暇がないが、俺もその先例に倣うとしよう。

 

 ペグ子たち三人組と入れ替わりに部屋に入ってきた北沢さんと松原さんの姿を認めた俺は、早速口を開いた。

 

「よーし、お二人さん。それじゃあ手短に済ませようか!」

「えー!? はぐみ、もっと鳴瀬くんのお部屋見たーい!」

「だ、ダメだよぅ、はぐみちゃん。鳴瀬さん困ってるよ……」

 

 何としてもペグ子が何かする前に、リビングに帰りたい俺の気持ちなど露知らぬ北沢さんが口を尖らせて抗議をするも、それを松原さんが優しく嗜める。

 

 ああ、松原さん。君の優しさが身に染みるよ。

 

 しかし、普段なら大人しく従うであろう松原さんの言葉に、何故か今日は北沢さんが強固に反論する。

 

「ええー! だってこころちゃん、薫くん、美咲ちゃんたちは結構長く入っていたのにずるいよー!」

「いや、それは色々説明とかアドバイスする必要があってだね……?」

 

 慌てて訳を説明するが、北沢さんは頬をぷりぷり膨らませてご立腹だ。けれども、その姿はなんだかハムスターみたいで迫力はない。

 

「そんなー! 三人だけ色々アドバイス貰えるなんておーぼーだー! かのちゃん先輩も、鳴瀬くんのアドバイスたくさん欲しいよね?」

「ふぇっ!? そ、それは、私もアドバイスはしっかりして欲しいですけど……でも……」

「ほらー、かのちゃん先輩だってそう言ってるよ!」

「あ、あのっ、わ、私はその……」

 

 今のやり取りで松原さんを味方につけたと思った北沢さんが更に気炎を上げる。松原さんはそんな北沢さんと俺を交互に見ながらおろおろするばかりだ。

 

 ……ま、まずいな。思ったより北沢さんが食い下がってくるぞ。なんか、松原さんも積極的に止める雰囲気じゃないし。もしかして、みんなと平等じゃないのがダメなのか。

 

 ここに来て思わぬ伏兵の出現にあせる俺。

 

 そんなことを考えているうちにも時計の針は進んでいく。それは即ち、怪獣こころが枷から解き放たれるまでの時間が迫っていることを意味していた。

 

 ぐぬぬ……苦しいけどここは決断をしなければ! とにかくペグ子が動き回るリスクだけは絶対回避だ!

 

 北沢さん(と松原さん)の不公平感を無くすには、三人にかけたぐらいの時間をかけてあげる必要がある。

 しかし、今この場でこれ以上時間を取ることは不可能だ。

 ならば俺はどうするべきか?

 導き出される答えは一つしかなかった。

 

「分かった! 今日は無理だからさ、今度! 今度二人には特別にアドバイスの時間をとるよ。それでいいかな?」

「えっ、ほんとに!? それならはぐみはいいよー! かのちゃん先輩もそれでいい?」

「わ、私もそれでいいです……!」

 

 あぶねぇー! なんとかなった!

 

 とにかく俺にとっては今をなるはやで凌げれば後はいくらでも時間がとれる。そういったことを加味しての提案だったが、あっさりと二人が飲んでくれたのは僥倖という他ない。

 

 事態をなんとか切り抜けたことに俺はほっと胸を撫で下ろーー

 

「じゃあさ、鳴瀬くん。今度コロッケ買いに来たときにさ、家に上がってベースを教えてよ!」

「え゛」

「ふぇっ!?」

 

 ーーせなかった。

 

 いやいやいや、それは不味いでしょうよ北沢さん!

 

「えっ、でも流石に北沢さんのお家にまでお邪魔するのは……」

 

 正直、年頃の娘さんたちを自分の家に上げているという現状ですらかなりあれなのに、逆に娘さんの家に押しかけて二人きりになるなど、アウトどころか(社会から)退場処分ものである。

 

 それぐらいの分別は俺だって持ち合わせてますよ?

 

 しかし、戦略爆撃機HUG-M1はそんな俺に対して容赦のない絨毯爆撃攻勢をかける。

 

「大丈夫だよ! お母さんとお父さんには鳴瀬くんのこと話してあるし、お兄ちゃんも鳴瀬くんとは一度話してみたいって言ってるよ!」

「えっ? ま、マジで? 北沢さん家って俺のこと家族みんな知ってる感じなの?」

 

 北沢さんのご家族がみんな俺のことを知っている。そのとんでもない新事実に俺は激しく狼狽した。

 

「そうだよー! だからお母さん、時々鳴瀬くんにコロッケオマケしてたでしょ?『いつもありがとうねぇ』って」

 

 あ! あの「いつもありがとう」って「よく買いに来てくれて」じゃなくて「娘がバンドでお世話になって」ってことかよ!

 

「マジかー、そうかー……」

 

 衝撃の事実に思わず頭を抱える俺。

 

 そして、北沢さんはそんな俺ににこやかに話しかける。

 

「それじゃあよろしくね、鳴瀬くん! あっ、でももしかしたらソフトボールとかで空いてない日があるかもしれないから、来るときは連絡して欲しいな!」

「オーケー、んじゃ北沢さんにも俺のスマホのアドレス教えとくよ。むしろ、北沢さんから暇な日を連絡してくれてもいいぞ」

「はーい!」

 

 うーん、連絡先はあんまり交換する予定じゃなかったんだけどなぁ。これも必要経費と割り切るか。

 

 《ハロハピ》メンバーの内、俺が連絡先を交換していたのはペグ子(強制)と奥沢さん(合意)の二人だけだった。

 

 奥沢さんは活動開始後の割と早い段階で「私には作曲なんて無理ですよ~」と泣きついて来たので、その時に連絡先を交換してアドバイスを送っていたのだ。正直な話、今の俺の交友関係で一番密に連絡を取り合ってるのは間違いなく奥沢さんである。

 

 ちなみにペグ子への対応はウユニ塩湖並の塩対応である。一度メールに普通に返信したら、そこからの絨毯爆撃でフォルダがパンクしかけた。電話は声がうるさいのでそもそも取らない(無慈悲)。

 しかし、それでも時間的には奥沢さんの1/3ぐらいは対応している。しかも、こちらから連絡を取ったことは一切ないのにである。

 もしかしたら恐ろしいことにペグ子は隙有らば俺に連絡を入れてるのかもしれない。

 

 というわけで、これ以上連絡先を交換したら俺の一人時間がどんどん《ハロハピ》に侵食されると危惧した結果、連絡先を秘匿していたのだが、ついにその禁を破ることになったわけだ。

 

「よーし、北沢さんの連絡先は確認したよ」

「こっちもオッケー! それじゃあ、これから暇なときにバンバン連絡するね!」

「それはやめてね」

 

 さらりと恐ろしい発言を行う北沢さんを制すると、今度は松原さんの方へ顔を向ける。

 

「それじゃ、松原さんはどうする?」

「ふぇっ!? わ、私ですか……? ど、どうしましょう?」

「うーん、俺に聞かれてもねぇ……?」

 

 松原さんは俺に対して遠慮しているのか返答を決めかねている様子だ。慎み深い彼女らしい反応である。

 

 そんな松原さんに北沢さんがにこやかに声をかける。

 

「かのちゃん先輩は鳴瀬くんをいつ家に呼ぶのー?」

「えっ、家…………ふえぇぇぇ!? む、無理! 無理ですそんなの~!?」

 

 北沢さんの言葉で松原さんが残像が見えるような速さで首を左右に振る。

 

 そうだよなー。これが普通の反応だよなー。年頃の女の子がそんな簡単によく知らない男なんて家に上げないよ。

 

 俺は、いつの間にか世間の女性から貞淑という観念が失われていたのか? と思い始めていた自分が間違っていたことに安堵する。

 

 やはり、松原さんは《ハロハピ》の良心。ありがとう、そしてありがとう松原さん!

 

 心の中で松原さんに最大級の謝辞を述べつつ、それとは全く違うことを言うために俺は口を開く。

 

「うむ、松原さんは北沢さんと違って家で教えるのは無理だな」

「えっ?」(×2)

「だって、松原さんの家ってドラムセット無いだろ?」

「あっ……」

「あー、確かにー。簡単に持ち運びできるはぐみや鳴瀬くんのベースと違って、ドラムは家には簡単に置けないもんね」

 

 松原さんと北沢さんがそれぞれ納得といった表情を浮かべる。

 

 松原さんはスティックワークの練習用にスネアドラムは持っているみたいだが他には何もない。やはり、ちゃんと教えるならセットである方が望ましい。

 

「だから、松原さんは《arrows》での個別練習で対応させてもらうよ。親父さんに頼んで、ドラムがある少人数部屋押さえてもらってさ」

「えっ、わ、悪いですよそんなの……。私だけのために鳴瀬さんにお金を使わせるなんて……」

 

 スタジオを借りると告げた途端に松原さんは申し訳無さそうな表情になる。

 

「いーの、いーの。俺の都合で別日に時間取るんだからそれくらい奢らせてくれ。俺だって一応年上の男なんだから、後輩の女の子の面倒ぐらいみるさ」

「おー! 鳴瀬くんかっくいい~!」

「よせやい、照れるぜ」

 

 キラキラした表情で俺のことを誉める北沢さんに応えつつ、松原さんにお伺いの視線を注ぐ。

 

 松原さんはコロコロと可愛らしい百面相をして悩んだあと、ゆっくりと首を縦に振った。

 

「そ、それじゃあ、それでよろしくお願いします!」

 

 松原さんの返事に大きく頷く。

 

「あいよー、練習はいつにしようか?」

「そ、それなんですけど……」

「ん?」

 

 そう言った松原さんはしばらくスカートをもじもじといじってから、覚悟を決めた表情で口を開いた。

 

「そ、そのっ! 《ハロハピ》の練習や、お家の都合もあるので! わ、私も、はぐみちゃんみたいに、れ、れれ連絡先を聞いておいてもいいでしゅか!?」

 

 ……噛んだ。かわいい。

 

 ではなくて。

 

「あー、いいよいいよ。連絡先交換しとこう。スマホ出してね」

「あっ、は、はい!」

 

 松原さんに連絡先を教えるのは無問題(モーマンタイ)だ。彼女ならそこまで頻繁に無遠慮に連絡をしてくることは無いだろう。

 

 むしろ、ちょこちょここちらから気にかけてあげるぐらいがいいかもしれないな。

 

 そう考えると、ここで自然に連絡先を交換できたのは僥倖だったかもしれない。奥手な松原さんにこちらから踏み込んだら、逆に逃げられる可能性もあったからだ。

 

 ポチポチとスマホを操作してアドレス帳を交換。これで松原さんともスマホで繋がれるようになった。

 

「これでよし。また都合がいい日が決まったら連絡頂戴ね」

「は、はい!」

 

 うーむ、これで結局薫以外とは全員連絡先を交換してしまった。また俺の平穏がクラウチングスタートで遠退いていく気がする。トホホだな……。

 

 そんなことを考えながら心の中でガックリと肩を落とす俺は、この後あまり間を置かずに、北沢さん経由で薫が彼女だけが連絡先を交換していないことを知り、連絡先をなし崩し的に交換されることになろうとは夢にも思っていないのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「よっしゃー! これで必要なものは渡したからな! 二人ともちゃんと練習よろしく!」

「はーい! 鳴瀬くんありがとー! はぐみ、頑張るよ!」

「ありがとうございます……! 私ももっと練習します!」

 

 その後、俺はさくっと二人に必要なものを渡し終えた。

 

 北沢さんには、薫と同じように消耗品のセットをプレゼント。そして、ベース用の教本と特殊な奏法の練習DVDも添えた。今度の個別練習までに個人で練習をしてもらってできないところを付きっきりで教える算段だ。

 

 松原さんには、彼女が使っていないタイプのスティックの詰め合わせをプレゼントして、加えてドラムのフィルイン全集を渡した。

 既に基礎が固まっている彼女は、より自分の技の引き出しを増やすべきだという判断だ。

 松原さんにはぜひ自分らしさ(セルフィッシュ)を磨いていって欲しいものだ。

 

 そして、この二人にアイテムを渡し終えたということはーー

 

「よし、すぐにリビングに戻ろうか!」

 

 ーー野放しのペグ子の対応に向かうことができる訳である。

 

「うーん、やっぱりもう少しこの部屋に居たかったけど仕方ないなー」

「はい、ありがとうございました鳴瀬さん」

 

 未練がましい北沢さんと、丁寧にお辞儀をする松原さんを少し急かしつつ、俺は楽器部屋を後にする。

 

 ……万が一、渡した本を読み終わっていたとしても、ペグ子たちには奥沢さんがついているからな。

 

 いくら奥沢さんが別れ際に「ム・リ・デ・ス」とアイコンタクトを送ってきていたとしても、この短時間なら彼女がなんとか二人を抑えているはず!

 

 そんな俺の考えは。

 

「あ! CDデッキがあったわよ薫! 早速音楽を流しましょう!」

「少し待ってくれたまえ、こころ姫。私としてはこちらの本棚の本に興味がだね……」

「あー!もー! 二人とも、勝手に動いたらまずいですって!……あっ……」

「Oh…………」

 

 俺の勉強部屋をごそごそと漁る頭お花畑二人の姿で粉々に打ち砕かれた。

 

 ……まぁ、ちょっとはこうなることは想像してたけどさ。実際に目の前で暴挙に出られると一瞬固まっちゃうよな。うん。

 

 そんな風に半ば思考を放棄していた俺の脳ミソを叩き起こしてくれたのは、ペグ子が操作したCDデッキから流れ始めた《NILVANA》の『SMELLS LIKE TEEN SPIRIT』だった。

 

 ……!! この曲は『Smells』! やっぱりカートはいつだって俺に正しい道を示してくれる! ありがとうカート!

 

 心の中で俺のロックの神に感謝を述べつつ、俺はマイルームを蹂躙している侵略者(インベーダー)を止めに走る。

 

「お前ら、何勝手にやっt「あっ! 鳴瀬くんのお部屋、私も見たーい!」ぐふっ!?」

 

 しかし、俺の口から出そうになった制止の言葉は、後ろから脇目も振らずに駆け出した北沢さんの重戦車のごときタックルによって千切れ飛んだ。その勢いのままに言葉と共に吹き飛ばされ、リビングのフローリングを転がる俺。ひどい。

 

「わっー! 鳴瀬さん、大丈夫ですか!?」

「ねぇ、これが大丈夫に見える?」

「……なんか、もう、すみません」

 

 慌てて駆け寄ってくれた奥沢さんに、フローリングに力なく横たわったまま抗議の言葉を送る。

 

 その言葉に恐縮する奥沢さんを見てチクリと良心が痛んだ俺はすぐにフォローを入れる。

 

「あっ、いいよ気にしないで。最初にあいつらを止めるのは無理だってアイコンタクトしたもんな、うん」

「いや、それでも申し訳ないですよ」

「な、鳴瀬さん、体に痛いところはありませんか?」

「大丈夫だよ、ありがとな二人とも」

 

 フリーズ状態から解けた松原さんと奥沢さんの手を借りて、生まれたての小鹿のような頼りない動きで俺はヨロヨロと立ち上がる。

 

 そして、何とかマイルームの入り口に立つと、その枠にもたれ掛かって口を開いた。

 

「うぉい! なーに勝手に俺の部屋に入ってるんだよ!」

 

 俺の言葉に侵略者三名の顔がこちらを向き、ペグ子と薫がその口を開いた。

 

「あっ、鳴瀬! この曲すごく格好いいわね!」

「Mr.鳴瀬! これは何という曲なんだい? この特徴的なギターリフ、ああ、なんて儚いんだ!」

「おっ、お前らもこの曲の良さが判るか!? これは《NILVANA》の『Smells Like Teen Spirit』っていってな、グランジの歴史に名を刻む名曲なんだ……じゃなくて! まず謝罪の一言があって然るべきだろ!」

 

 ……危ない。《NILVANA》が褒められたから変な方向に話が行きそうになった。

 

 二人の発言に危うく(ほだ)されそうになった俺は何とか軌道修正を図る。腰に手を当てて仁王立ちすると、流石のお花畑たちも少しはまずいと思ったのか、顔を見合わせる。

 

「ごめんなさい、鳴瀬! わたし、鳴瀬から貸して貰った袋に入っていたCDが早く聴きたくて、デッキがあるあなたの部屋に入ってしまったの」

 

 真っ先に口を開いたペグ子が、両手を組んで少し神妙な様子で謝罪の言葉を口にする。今まで見せたことがないタイプの表情に、俺の溜飲も少し下がる。

 

「あー、そういえば音源持ってるスコアはそれも付けてたな……親切が裏目に出たか……って、ちょっと待った。こころ、お前何で俺の部屋にCDデッキがあったなんて知ってんの?」

「それは、黒服の人たちが『こころ様、どうやら成瀨様の私室にはCDデッキがあるようです』って教えてくれたのよ」

「うぉい! 何やってくれてるんだ黒服の人たち!」

 

 ペグ子の告白で、すぐに黒服たちの方を振り返ると、彼女たちは「どやぁ……」という効果音が流れそうな表情でリビングに佇んでいた。

 

「はい、鳴瀬様に行動を制限されたこころ様たちに代わって、鳴瀬様のお宅の構造は私達が確認しておきました」

「違げーよ! あの『勝手に動くな』にはあんたらも入ってるの!」

「なんと!?」

 

 俺の指摘に、黒服たちは想定外だといった表情を浮かべる。どうやら彼女たちは安全に悪意無く善意から行動をしたらしかった。

 

 ……まぁ、確かに自分が仕えているお嬢様が男の家に遊びに行くなんてなったら、部屋のリサーチぐらいはするか。

 

 兆に一つの危険も無いにせよ、その不測の事態を想定して動くのがプロフェッショナルというもの。そう考えると、黒服たちの行為もきつく責める訳にはいかないのかもしれない。

 

「鳴瀬様、申し訳ありません。私共の勝手な解釈で鳴瀬様の気分を害してしまいました」

「いや、いいよ。そちらはそちらで与えられた仕事を完璧にこなしてるだけなんだからさ。でも、今度こういうことがあったらちゃんと俺にも確認とってくれよ?」

 

 申し訳無さそうに深々と頭を下げる黒服たちを俺は手で制して顔を上げさせる。

 

「寛大なお言葉に感謝します、鳴瀬様。流石はこころお嬢様が認められたお方ですね。器の大きさが違います」

「いや、こころ基準で語られると俺の器の大きさがばがばなんだけど」

 

 ひとまず黒服の件が片付いたところで、俺は再び三人衆の方に顔を向ける。

 

「ということで、色々あったけど今回は大目に見てやる。なので速やかに俺の部屋から立ち退きなさい。CDは家に帰って聞きなさい」

「はーい!」(×3)

 

 俺の言葉に素直に従って三人はすたすたとマイルームから退出する。

 俺の横を通るとき、最後に並んでいた薫がスッと足を止めた。

 

「Mr.鳴瀬、ちょっといいかい?」

「ん? どうした、薫」

 

 俺が首を傾げると、薫は少し言いにくそうに視線を反らして口を開く。

 

「いや、実は先ほどの曲のことなんだが、私はあの曲に大きく感銘を受けてね、良ければCDを貸していただけないかと思ってね」

「おー、そんなに気に入ったか。待ってろ、曲の入ったアルバムの『NEVERMIND』を貸してやるよ」

「おお、感謝するよ!」

 

 薫の感謝の言葉を背に受けて、俺はCDを取りに部屋に入る。

 

 好みの音楽の布教ができるならば、それに越したことはない。感想を語り合える人間が増えるのはよいものだし、その人間が別の誰かに布教してファンの輪が広がっていけば最高だ。良いものは皆で共有するに限る。

 

「ほら、これな。ケースを壊さないでくれよ?」

「ありがとう、大切に扱うよ。むっ、このジャケットは私も知っているよ!」

「あー、確かにそのジャケットは洋楽の有名なジャケットベスト10に入るレベルで有名だからな。曲を知らなくてもジャケットだけは知ってる人間も多いよ」

 

 釣り針に付けられた1ドル札を泳いで追いかける赤ん坊というインパクト大なジャケットを持つこのアルバムは、世界で4000万枚を売ったモンスターレコードだ。ジャケットのパロディも数多く製作され、発売から30年近い今でもその栄光は色褪せることはない。

 

「んじゃ、CDも渡したことだし、さっさと行くぞ」

「ん、ああ、そうだね……」

 

 やるべきことをやってもう何もないはずなのだが、薫の言葉は相変わらず歯切れが悪い。

 

「……まだ何かあるのか?」

 

 俺が再び尋ねると、薫は先ほど以上にもじもじとした姿を見せる。普段の彼女からは想像もできないような動きだ。

 

「えっ。……ああ、Mr.鳴瀬。もしよければなんだがね? 本当にもしよければでいいんだが、その、Mr.鳴瀬の部屋の本棚にあった本を何冊か貸してもらえないかなと……」

「……ああ、そういうことな」

 

 確かにさっき、本がどうこう言ってたな。

 

 勉強部屋も兼ねる俺の部屋には、大学のゼミで使っているような研究用の本も多く置いてある。特に俺は欧米の古い文学を専門に研究しているので、革表紙の装丁のいかにもな本も数多く取り揃えてある。

 後れ馳せながら中二病に目覚めたような薫にとって、俺の本棚はさぞかし刺激的に見えたことだろう。

 

「……わかったよ。ゼミの教授から借りてたり、今使ってるのは無理だけど、解説書付のやつをいくつか見繕ってやるよ」

 

 そう言った瞬間、薫の顔がパッと輝く。それはいつものキザな感じの笑顔ではない、年頃の少女のそれに近い笑顔だ。

 

 不覚にも少しドキリとさせられた。

 

「ああ! 感謝するよMr.鳴瀬! 大切に読ませてもらうよ!」

「お、おう。とりあえず、少し選ぶからリビングで待っててくれよ」

「そうさせてもらうよ。本当に何から何まで、ありがとう。この礼は必ず返すよ」

「へいへい、期待せずに待ってるよ」

 

 心なしかルンルンとリビングに向かう薫を少し見送って、俺は本を見繕うために再び部屋に戻るのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「よっしゃ、これで無事(?)渡すもんは渡したな」

「はーい!」(×5)

 

 薫に本を手渡して、再びリビングに集った俺たちは忘れ物がないか確認してようやく解散の流れとなっていた。

 

 長かった……。でも、俺はついにやったんだ!

 

 制御不能な三人衆を抱えて、これだけの被害で済んだのは僥倖だ。なんとか想定内で済んでいる。

 

「ありがとね、鳴瀬! とっても楽しかったわ!」

「おう、そうかい」

 

 お礼の言葉を述べるペグ子に軽く手を振って返す。

 

「今度また来るときは、ちゃんと鳴瀬の言いつけを守るわね」

「ははは、今度とか二度とないから」

「どうして!?」

「どうしても何も、少し考えたらわかるだろ! 察せ!」

「むー」

 

 さらりと再度襲撃予告をしたペグ子に釘を刺す。

 

 ペグ子は今一つ納得いかない様子で頬を膨らませていたが、急に何かを思い付いたように目を輝かせた。

 

 ……何だろう、凄い嫌な予感がする。

 

「そうだわ! もう来れないなら最後にベランダから外の景色を眺めましょう! ここは8階建ての最上階なんだから、きっと景色も素敵なはずよ!」

「なっ、おい、ちょっと待った!」

 

 ……ヤバい! 今、ベランダにはアレ(・・)があるのに!

 

 慌ててペグ子を止めようとした俺だったが、ペグ子はその手を猫科の動物のようなしなやかさで掻い潜ると、カーテンの前に立った。

 

「もう、鳴瀬ったら減るもんじゃないんだから少しぐらいいいじゃないの」

「減るとかそういうんじゃなくてだな!」

「それじゃあ、オープン!」

「わっ、馬鹿、止めろ!」

 

 制止の声も虚しく、俺の目の前でカーテンが思いっきり開かれる。

 

 そこに見えたのは高層から眺めるこの街の街並み、ではなく。

 

 風にはためく、俺の下着たちだった。

 

「あら?」

「むむっ!?」

「わわわわっ!?」

「ふ、ふえぇぇ~!?」

「あちゃー、ドンマイ鳴瀬さん」

「……(絶句)」

 

 最後の最後でペグ子はとんでもない被害を俺に与えることに成功した。

 

《ハロー、ハッピーワールド!》の面々は、(こころを除いて)赤面しているが、その視線はみんなガッツリと俺の下着に注がれていた。気づけば黒服の面々も俺の下着を眺めてうんうんと首を縦に振っていた。

 

 ……どんな羞恥プレイだよ!?

 

 流石のペグ子も気まずいのか、少しぎこちない笑顔を浮かべてこちらを振り返った。

 

「えーっと、鳴瀬って、可愛らしいパンツを履いているのね!」

「フォローになってねぇんだよ! 今すぐに出ていけー!」

「わー!?」(×5)

 

 神経を逆撫でするペグ子の発言にキレた俺がひとしきり暴れ回った後、《ハロハピ》のメンバーと黒服たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出して、我が家を静寂が支配した。

 

 俺は家に誰も居ないことを確かめてから、ヨロヨロと窓を開けて下着を回収すると丁寧にそれを畳んで衣装ケースにしまった。

 

 そして、そのまま部屋のベッドにダイブすると枕に顔を埋めた。もう、今は少しも動きたくない。

 

 もし、次に女の子を家に呼ぶことがあるならば、必ず洗濯物は片付けてからにしよう。

 

 ベッドの上で微動だにせぬまま、俺は心に固く誓った。

 




鳴瀬くん可哀想。

ということでお宅訪問パート終わりです。

連絡先は全員に知られ、下着も全員に見られた鳴瀬くんの明日はどっちだ!?


【協力依頼】
アンケートのお願いなのですが、エンディングに関わるアンケートと別にもう一つアンケートを取らせていただきます。

それは、各キャラのサイドストーリーがいるかどうかについてです。

一応、今回鳴瀬くんの連絡先が全員に知られたということで、《ハロハピ》メンバーの連絡から発展するサイドストーリーみたいなものを書いてもいいかなと思ってみたり。

ただ、これをやると回り道になるので、当然本筋の話の完結は遅れます。

その事も踏まえて回答いただけたらと思います。よろしくお願いいたします。


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野良ベーシストは八面六臂の活躍を見せる

続きました。ライブ前の下準備編です。



【お礼と報告】
ドーモ、読者=サン。エンディングに向けてのアンケートへの多数のご協力ありがとうございます!

とりあえず、恋愛ルートが次点の友情ルートの四倍、友情ルートがノーマルルートの三倍、ノーマルルートが黒服ルートの二倍という結果でした。

ということで約束通り五人全員個別の恋愛ルート書きます。アババーー!?

ハーレムは特に希望コメントもなかったので無しでいきます。

あと、この作品の恋愛ルートにワイセツは一切ない。いいね?
この作品は健全重点!

そして、友情ルートもノーマルの三倍需要があるので書きます。ユウジョウは実際大事。古事記にもそう書いてある。ユウジョウ!!

黒服ルートは本当に余力があれば書きます。他にも書いている作品があるため、そちらをオタッシャ重点にしないためにも致し方ない配慮です。

流れ的にはノーマル→恋愛→友情で書かせてもらいます。恋愛や、友情ルートは一応ノーマル後の話という体なので。

また、新たなアンケートも実施しますので、またご協力よろしくお願いいたします。

そして、文中に混ざっていたよく分からない言葉の意味が判ったあなた、あなたは《ヘッズ》ですね?


 いつも通りの《arrows(アローズ)》のスタジオ。そこでは俺を含めたいつものメンバーが今日もスタジオに集っていた。

 

「おっしゃー、それじゃあもっかい通しで演奏すんぞー!」

「はーい!」(×4)

 

 元気の良い返事と共に、奥沢さんを除く《ハロー、ハッピーワールド!》の四人が楽器を構える。

 

 《ハロハピ》メンバーによる俺の家への侵攻があった日から二週間、バンドの練習はそこから更に熾烈を極めた。彼女たちがいよいよライブに向けて本格的に舵を切ったということもあるが、そこにはペグ子によって全員の前でパンツを晒し者にされたという俺の私怨も多分に混ざっていた。

 

 ともかく。

 

 この苛烈なブートキャンプのごとき練習によって《ハロハピ》全体のスキルは間違いなく底上げされた。薫と北沢さんのテクニックはまだ発展途上といったところだが、正確さに磨きがかかった松原さんのドラムがそれを支えている。粗は目立つが演奏として全然聴けるレベルになっている。

 

 更に、ボーカルのペグ子の成長も著しい。

 今までのペグ子の歌は御意見無用の好き放題、言ってしまえば《無法》というレベルに近かったが、ここ最近はかなり楽器の音を聴いて歌うようになった。

 《自由(フリーダム)》さはそのままに、曲という与えられた枠の中で歌えるようになったというべきか。スタンドプレーに走りやすいペグ子にとってこれは大きな進歩だ。

 

 ……これは、マジにそろそろライブにぶちこんでも良いな。

 

 《ハロハピ》の成長を眺めながら、俺は心の中で呟く。

 

 季節はいよいよサマーシーズンに差し掛かり、夏休みがある学生バンドにとってこの時期はライブデビューにうってつけだ。ライブに向けての練習時間が確保しやすいこともあるし、何より集客力に乏しい学生でもこの時期なら暇な友人たちをライブに集めやすいのだ。

 自前である程度観客を用意できれば会場(ハコ)が冷えることを予防できる。他のバンドが盛り上がるなかで、自分たちだけが冷めているといういたたまれない事態を避けるには丁度いい。

 

 ふーむ、そろそろライブハウスに送る見本音源のレコーディングも考える頃だな。あとは、どこの会場(ハコ)のどの規模のライブに突っ込むかも考えないと駄目か。こりゃ、しばらくはフル回転だな。

 

 バンドをやる上で一番面倒なのが、この辺りの調整作業だ。音楽活動にあまり関係のないこの手の渉外行為ができるかどうかが、意外にバンドの明暗を分けたりするものだ。

 

 そういった点では《ハロハピ》は俺がついた時点でかなり恵まれている。俺はこの手の活動は高校生の頃や《バックドロップ》時代にメンバーとの持ち回りでやっていたので慣れっこだ。

 そして、バンドのマネジメントを担当する以上は、この手の活動には一切手を抜くことはない。「音楽に対するあらゆることに真摯に向き合う」のが俺の信条(モットー)だからだ。たとえそれが一時のものであろうとも、それを疎かにすることは俺のバンド人生への冒涜に他ならない。

 

 こっちも本気なんだ。そっちも気張れよ《ハロー、ハッピーワールド!》……!

 

 俺の熱い視線の先で、ペグ子たちの演奏はその熱が伝播したかのように白熱する。荒削りな、それでいてエネルギッシュな演奏で、彼女たちはそのまま一曲を駆け抜けた。

 

 その音の残響がキャビネットを離れるのを待ってから両手を叩く。

 

「ハイハイお疲れさん! 演奏の講評は後で撮った動画を見ながらやるから少し休んでてくれ」

「はーい!」(×4)

 

 4人は元気よく返事をしたものの、ペグ子以外の楽器担当の3人は流石に堪えたようで、すぐにぐでっとした体勢になる。演奏中の動きの激しい松原さんはもちろんのこと、スタミナのある薫と北沢さんも数キロのボディを抱えなければならないので疲労の程度は激しい。

 

 俺は鞄からボトルを出すと一人一人に手渡していく。

 

「よーし、みんなよくやった。ドリンク淹れてきてるからしっかり飲みな、ほい松原さん」

「あ、ありがとうございます!」

「次は北沢さんな」

「わーい! 鳴瀬くんありがとね!」

「そしてこれが薫の分」

「ありがたくいただくよMr.鳴瀬」

 

 3人は差し出したドリンクに一斉に口を付けて、

 

「……!? すっぱーい!?」(×3)

 

とこれまた一斉に叫んだ。

 

「……げほっ! み、Mr.鳴瀬? このドリンク、少し配合を間違えてはいないかね?」

 

 いち早く立ち直った薫が、むせて涙目になりながら抗議の視線を俺に送る。

 

「いや、合ってるよ。みんなに渡したのはスポーツドリンクの一種で、クエン酸とかがかなり含まれてて疲れてるとめちゃくちゃ酸っぱく感じるんだよ」

「な、なるほどね。しかし、Mr.鳴瀬、それなら飲む前に一言ぐらい注意してくれてもよかったのでは?」

 

 薫のこの指摘に、俺はハッとして後頭部をボリボリと掻いた。

 

「……完璧に言うの忘れてたわ。みんな注意して飲んでくれよ」

「もーう! 遅いよ鳴瀬くん!」

「ふぇぇ……鳴瀬さん、ひどいです……」

「ご、ごめんごめん。悪かったよ。とにかく、それが酸っぱく感じるということは疲労が溜まってるわけだ、ゆっくり休むんだぞ?」

 

 気まずくなった俺は慌てて謝罪すると、残る一人にボトルを渡す。

 

「ほい、こころはこれな。お前はボーカルで喉使うからはちみつとかをブレンドした特別製だぞ、有り難がって飲めよ」

 

 そう言って差し出されたボトルを見てペグ子の目がキラキラと輝いた。

 

「わーい! ごくごく…………ぷはっ、このドリンクすごく美味しいわ! ありがとう鳴瀬、また作ってね!」

「はいはい、気が向いたらな~」

 

 ドリンクを一息で飲み干してボトルを返してくるペグ子に苦笑いを浮かべながら、設置してあったビデオカメラを回収する。

 

「じゃあ、俺はちょっと外でノートパソコン使って映像の確認してくるよ。録音ブースのレンタルの話も親父さんとしたいしな」

「録音?」

「おう、そろそろライブハウスに送るための音源を録っておかないといけないんでね。音源で演奏レベルを確認してもらわないとライブには出られないからな」

 

 さらりと発した一言だったが、これに4人がぐいぐい食いついてきた。

 

「それってついにわたしたちのライブができるってこと!? わーい! やったわ!」 

「おお! ついに私も役者以外の立場で舞台に立つときが来たようだね。ああ、最高に儚いステージが今から目に浮かぶよ」

「わー! ねぇ、いつライブするの!?」

「ふぇぇ……あんまり大きなステージじゃないといいなぁ……」

「うぉ!? 一斉に詰め寄ってくるなよ!? まだ決まった訳じゃないから!」

 

 親鳥が餌を持ち帰ってきた時の燕の雛のように、群れて口をパクパク開くメンバーを制して、俺はスタジオのドアに手をかける。

 

「とにかく、詳細は決まってから連絡するから今は休んでろ! ちゃんと休むこともコンディション維持の大切な要素だからな」

「はーい!」(×4)

 

 ……まったく、やれやれだよ。

 

 そうしてすっかり元気を取り戻して喋り始めた4人を残して、俺は《arrows》のラウンジへと向かうのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ラウンジへと向かう一階の廊下、ラウンジの入り口前で見慣れた背中を見つけた俺はピタリと足を止めた。

 

「あれ、親父さんじゃないですか。こんな微妙なところで何で突っ立ってるんです?」

「しっ、静かに!」

 

 俺が声をかけた瞬間、《arrows》のオーナー、四方津(よもつ)さんが振り向かないまま手だけで俺を制する。

 

 その緊迫した様子を察した俺は無言で親父さんの後ろに近寄り、その肩越しからラウンジを眺めた。

 

 そこにいたのはペグ子のお付きの黒服たちと奥沢さんだった。その様子から、口論とまではいかないものの、双方が何やら真剣な様子で話しているのが分かる。

 

「……はい、こちらで手配を……」

「それはちょっと…………」

「ですが…………」

「…………した、私が何とかします」

 

 断片的にしか聞き取れなかったが、どうやら奥沢さんの今の言葉で話が一段落着いたらしい。黒服たちはスマホを取り出しながら店の外に向かって、奥沢さんはラウンジのソファに腰を下ろすと、放心したようなほけーっとした表情で天を仰いでいる。

 

「……何があったんすか、これ?」

 

 事態をあまり飲み込めなかった俺が四方津さんに尋ねると、四方津さんはゆっくりと振り返ってトーンを落とした声で話し始めた。

 

「俺も便所から帰ってきたらこの有り様だったんで全部は分からないんだが、どうやらライブのことで少し揉めたみたいだな」

「マジっすか」

 

 ……おいおい、勝手なことしてくれんなよー?

 

 黒服たちが何やらこそこそ動いていたのは知っていたが、ライブがらみのことだったとは。

 ここで黒服の人たちに勝手に動かれてしまうとこちらの立てた計画がポシャることもあり得る。特にライブに向けての練習計画を狂わされるのは指導する側にとってきついものがある。

 

 しかし、話の最後の流れからするとどうやら黒服の動きを奥沢さんが止めるかたちになったようだ。これはかなりのファインプレーだ。

 

 とりあえず、奥沢さんに話を聞くか。

 

 そう考えながらラウンジに向かおうとする俺の肩に四方津さんが手を載せる。

 

「どうしました、親父さん?」

 

 怪訝な表情で俺が四方津さんの方を向くと、四方津さんは空いた手の親指をグッと立ててにやりとした笑みを浮かべた。

 

「鳴瀬、今かなりのチャンスだぞ。美咲ちゃん、今のやり取りでかなり弱ってるみたいだから、ここで優しく助けてやれば俺の経験上、間違いなくお前にぞっこんになるぞ」

 

 わぁ……すごくどうでもいいです。

 

 もっと建設的なアドバイスがもらえるのかと思ったら、全く関係のない恋愛指南で肩透かしを喰らった。

 しかも、四方津さんの恋愛経験則ほど当てにならないものはないことは、今までのやり取りのなかで十二分に理解している。

 

「……とても参考にならないアドバイスありがとうございます親父さん。もう行っていいっすか?」

「ああ、頑張れよ、鳴瀬!」

 

 俺の皮肉を全然意に介さない親父さんは、ニヤニヤとした笑みを崩さない。まったくバンドマンらしい神経の図太さである。

 俺は肩に置かれた手をそっと外すと、今度こそラウンジへと踏み込んでいった。

 

「やっほー、奥沢さん。疲れてるみたいだね」

「あ゛ー……鳴瀬さん、お疲れ様です」

 

 何も知らない体で、努めてリラックスした様子で俺が声をかけると、ゼンマイが切れかけたブリキのオモチャのような緩慢な動作で奥沢さんがそれに応えた。

 俺はするりと奥沢さんの前の椅子に腰を下ろすと本題に入る。

 

「奥沢さん、めちゃくちゃ表情悪いよ。何かあった? 俺に相談できることがあれば言ってみなよ」

「な、鳴瀬さん……!」

 

 まるで潤滑油を注入されたがごとく、先程までの緩慢な動きが嘘のように、奥沢さんが俺の方に顔を向ける。

 

「えーっと、鳴瀬さん」

「あいあい、なんでしょう」

「鳴瀬さんって、この辺りのライブハウスに詳しかったりします……?」

 

 それから奥沢さんが語った話はこうだ。

 

 奥沢さんが飲み物を買うためにラウンジに降りたところで、何やら黒服の人たちがスマートフォンであわただしくやり取りをしている。

 気になった奥沢さんが何をしているのか尋ねたところ、なんと《ハロハピ》の初ライブをとんでもない大きなライブに突っ込むために主催者に連絡を入れている最中だという。

 それを聞いた瞬間、それは言葉にできないけど何かが違うと思った奥沢さんは黒服の人たちを制して、色々と押し問答をしているうちに、自分がライブの手配をするとぶちあげてしまった訳である。

 しかし、当然バンド素人の奥沢さんがライブハウスに(つて)があるわけもなく、どうしようかと途方にくれていたという訳である。

 

 そこまでを一息に話した奥沢さんがガバッと頭を下げる。

 

「すみません! 勢いに任せて自分で蒔いた種なのに、鳴瀬さんに負担をお願いするようなことになって……」

「いやいや、そんなに頭を下げなくてもいいよ奥沢さん」

 

 申し訳なさそうに頭を下げたままの奥沢さんを手で制するが、それでも彼女は顔を上げようとはしない。

 

「いえ、例のお宅訪問の一件以来、鳴瀬さんには一同多大なご負担を強いているので、本来ならこの程度の謝罪では足りないはずです!」

「…………」

 

 ペグ子よ、今すぐ走ってきて奥沢さんのこの姿を見よ。これこそ正しい人の在り方というものだぞ。

 

 俺は、奥沢さんの素晴らしい気配りに痛く感激し、奥沢さんの爪の垢を煎じて、1日3回3ヶ月コースでペグ子に服用させたい衝動に駆られた。

 

 まぁ、今はそれよりも奥沢さんのケアを先にしておくか。

 

 とりあえず、今ここにいないペグ子のことは置いておいて、俺は努めて優しい態度で奥沢さんに声をかける。

 

 ……別に四方津さんに優しくしろと言われたからではないが。

 

「いや、その件はそんなに気にしてなくはないけど、奥沢さんにあまり非は無いからな。それにライブハウスの件は丁度良かったよ」

「え……丁度いい、ですか?」

 

 奥沢の顔が上がる。彼女と目を合わせてから、俺は大きく頷く。

 

「ああ、実は俺もそろそろライブに向けて、ライブハウスの選定をしようと思ってたんだよ。だから、奥沢さんが黒服の人たちに釘を刺してくれたのは、実にいいタイミングだった」

「なるほど……そうだったんですね」

「うん、なので奥沢さんがライブハウスを見つけるって言うなら俺は全力でサポートするよ。元々俺がやるはずだったことだし、それをやってくれるというのは正直ありがたいよ」

「ううう~、鳴瀬さん!」

「うぉ!?」

 

 奥沢さんが感極まった様子で目尻に涙を溜めて俺の両手を握る。急に手を握られたことと、女の子の柔らかな手の感触に少しドキリとさせられる。

 

 平常心、平常心だぞ、俺。

 

 奥沢さんの前で実際に深呼吸はできないので、心の中で深呼吸をして仕切り直しを図る。

 

「そ、それじゃあ早速準備しようか。とりあえず俺がめぼしいライブハウスを教えるから、連絡先をメモしてくれるかな」

「はい、お願いします鳴瀬さん」

 

 そう言って奥沢さんの手が俺の手から離れる。それでもまだ彼女の手の感触が残っている気がする。平常心、平常心。

 

「メモの準備できました!」

「よーし、それじゃあ軽くライブハウスの特徴も押さえつつ言うからよろしく頼むよ」

「はい!」

 

 そして、俺の言葉に従って、奥沢さんのペンがノートを走り出した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「…………オッケー。ここのライブハウスは、ルーキー歓迎なんだけど、出演バンドはパンクやメタル系が多くて《ハロハピ》とは毛色が違うから、最後の選択肢ということで。一応、俺の顔が利くところだから審査は通りやすいとは思うけどね」

「なるほど、ありがとうございます!」

 

 あれからしばらくして、奥沢さんのノートにはここの駅から二駅圏内にある小~中規模のライブハウスの一覧表が出来上がっていた。これだけ教えればどこかには引っ掛かってくれるはずであると信じたい。

 

「んで、次は電話かけるときに聞いて欲しいことなんだけど」

「ふむふむ……」

「ひとつ目は大体二週間後ぐらいに対バンライブがあるか、二つ目はバンドの音源は三日後ぐらいに送ることになるが大丈夫か、三つ目はライブデビューのルーキーでも構わないか。これは外さずに聞いてくれ」

 

 俺の出した三つの条件は今回の初ライブをする上で必須とも言えるものだ。

 

 二週間という期間は、今の《ハロハピ》を仕上げるために最低限欲しい時間であり、なおかつ、夏休みの半ばという理想的なタイミングでもある。

 休みがギリギリになると、課題を溜め込んだ人間は家に缶詰になったり、真面目な人間は二学期に向けてコンディションを調えるので客を動員しにくい。

 

 音源は現在存在しないので、なるべく短期間で用意する。これがないと選考の舞台にすら上がれないハコもある。

 ライブハウスによっては現地で生演奏を聴いて判断するところもあるが、それは少数派だ。いずれにしても音源は作らねばならない。

 

 そして、ルーキーをアピールすることはかなり重要だ。もし、共演者が上手いバンドだらけの場合はハコ側が対バンは厳しいと判断して断ってくれるので下手を打つリスクが下がる。

 

 そんな俺の考えが伝わってはいないかもしれないが、奥沢さんは丁寧に俺の言葉をメモして頷く。

 

「分かりました、この条件で優先順位が高いライブハウスから片っ端から電話してみます! ありがとうございます、鳴瀬さん」

「頼んだよ奥沢さん。俺はライブに向けて他の四人を仕込んでおくから」

 

 俺が椅子に座ったときよりも格段にいい表情をしている奥沢さんを残して、俺は椅子から立ち上がる。

 

 スタジオに戻る俺の背中に、奥沢さんの声がかかる。

 

「鳴瀬さん、私はあまりバンドとか詳しくないので、これからもアドバイスお願いしますね」

「おう、俺が《ハロハピ》と契約している間は何でも聞いてくれよ」

「はい、同じ常識人枠で協力していきましょう」

「ハハハ、マジでよろしく頼むよ」

 

 最後に乾いた笑い声を出しながら俺はラウンジをあとにした。

 

 廊下に戻ると、なんとそこにはまだ四方津さんが立っていた。少し驚いた表情をする俺に、四方津さんが先程と同じニヤニヤした笑みを浮かべて右手を挙げる。

 

「よう、中々上手くやったじゃないか。美咲ちゃん、かなりお前にグッときてるぞ」

「……盗み見は品がないっすよ親父さん。それに、俺は彼女たちとはそういうんじゃないんで」

 

 わざとらしくげんなりした表情を浮かべて見せるが、四方津さんは相変わらずのにやけ面だ。

 

「そんなこと言って、美咲ちゃんに手を握られたときは正直ドキッときたろ?」

「そ、そんなことはないっすよ……」

 

 ……目敏いな、四方津さん! これが年の功ってやつか?

 

 俺の心を読んだかのような四方津さんの発言に内心ヒヤリとしつつ、平静を装って返事をする。

 動揺を隠し通せたかは定かではないが、四方津さんはバシバシと俺の背中を叩く。

 

「まぁ、今日はそういうことにしておいてやるか。……でもな」

 

 そこまで言って、四方津さんは真剣な表情を作る。

 

「美咲ちゃんにしろ他の誰かにしろ、本気で心にグッとくることがあるなら早めに行動に移せよ。何度も言ってるが、バンドマンの男は歳を食うごとにモテなくなる。女の子が将来の人生設計なんかの現実を見始めるからな。そうなると夢追い人(デイドリームビリーバー)のバンドマンとの相性は最悪だ」

「…………」

 

 真面目な表情で語られる四方津さんの言葉にはすごい重みがある。

 

 実際、四方津さんは奥さんも娘さんもいて、こんなスタジオのオーナーまでしている人生の成功者に見えるが、ここに至るまでには色々あったらしい。

 特に、恋愛面ではバンドのせいで高校時代から何度も失恋を経験しているらしく、特に二十代前半の頃に結婚も視野に入れて同棲していた彼女に夜逃げ同然に逃げられたことは今でも四方津さんの中で尾を引いているらしい。

 

 だから四方津さんは、俺のような20代のバンドマンを見ると、親心からどうしても気にかけてしまうらしかった。

 

「特に美咲ちゃんなんかすごく人気があるのは、今までのラウンジでのやり取りでお前ももう解ってるだろ。ああいう守ってあげたくなるタイプの女の子は、マジでコロッと他の男に持っていかれちまうからな。盗られるときはホントに一瞬だぞ」

「……そうかもしれないっすね」

 

 確かに奥沢さんは、本人は気付いて無さそうだがかなりモテる。ラウンジで奥沢さんに群がるバンドマンの中には明らかに彼女を狙っている者もいる。

 

 それに奥沢さんだけではなく、他の《ハロハピ》メンバーも《arrows》では人気者だ。客層が男寄りのここのスタジオでは彼女たちは一種の清涼剤のようになっていて、松原さんを除けば愛想もよく、初対面でも物怖じしないのでバンドマンたちと打ち解けている。

 

 今のところ、俺と彼女たちが四方津さんが思っているようなことになる可能性は無いが、もし仮に他のバンドマンに彼女たちが引っ掛かることがあればその時が《ハロハピ》解散の時になるかもしれない。

 

 ……ま、そんなことは今考えてもしかたないんだけどな。

 

 大きな溜め息を一つ吐いて、俺は四方津さんに軽く頭を下げる。

 

「まぁ、貴重な先輩の御意見として受け取っておきますよ」

 

 俺の言葉に四方津さんは満足そうに頷く。

 

「おうおう、今は響かない言葉でもボディブローみたいに後々効いてくることもあるからな。とりあえず頭の片隅にでも入れとけ」

「あいあいさー。んじゃ、俺はスタジオに戻ります。そろそろ制御が利かなくなる連中がいるn……」

「あー! 見つけたわよ、鳴瀬!」

 

 噂をすれば影とはまさにこの事か。制御不能の筆頭がいつの間にか俺の目の前に立っていた。

 

「遅いわ、鳴瀬! みんなもう待ちくたびれているから一緒にスタジオに行きましょう!」

 

 ペグ子は腰に手を当てて仁王立ちしてぷりぷりと頬を膨らませている。その姿は余りにも迫力に欠けていた。

 

「はいはい、すぐ行くよ」

 

 そう言ってゆるりと動き出した俺の手をいきなりペグ子が握り締めた。

 

「さぁ急いで、鳴瀬! 早く行きましょう! 四方津のおじ様、鳴瀬を借りていくわ!」

「うぉう!? 急に腕を引っ張るなよ! 親父さん、すんませんが失礼します!」

「おーう、頑張ってこいよー」

 

 真面目な表情を再びニヤニヤとした笑みに変えた四方津さんを残して俺はペグ子に引き摺られるように廊下を駆ける。

 

 前にのめり込むような体勢となった俺の視線の先にはペグ子に握りしめられた俺の右手があった。

 

 ……うーん、奥沢さんと違ってこいつとはあんまりドキドキしないなぁ。まぁ、ペグ子だしな。

 

「……!? 鳴瀬、今とーっても失礼なこと考えなかった?」

「…………全然」

「ならいいわ!」

 

 あぶねぇ。エスパーかこいつは。

 

 妙に察しがいいペグ子に驚かされて別の意味でドキドキしながら、俺たちは3人の待つスタジオに駆けていくのだった。




初ライブ編は後2話ぐらいでまとめます(まとめるとは言ってない)。

とりあえず、恋愛ルートにスムーズに入れるように当初のプロットを修正、少しフラグ立てつつ話を進めます。ただ、恋愛タグはないので恋愛はエンディングまでない模様。

お盆で少しは筆が早くならんかな(願望)


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野良ベーシストは荒波に揉まれる

続きました。初ライブ直前編となります。

お気に入り90超えあじゃまっす!お気に入り数がじわりじわりと伸びてウレシイ……ウレシイ……。流行りの文体なんかでは書けないので、あまりお気に入りが伸びたことがないので多くの人に読んでいただきありがたいことです。

評価も初めて色が着いてヒデキカンゲキ!(古典)
皆様のお力添えがこの作品を書き続ける原動力です。あったけぇなぁ……。

【協力依頼】

 一つのアンケートを削除しないと次が表示されないシステムに気づいていなかったので、新しいアンケートが出るように古いアンケートを削除しました。
 アンケートのテーマは「サイドストーリーの有無」です。
 ちょいと前の話で、鳴瀬くんが《ハロハピ》メンバー全員と連絡先を交換したのでその辺りからサイドストーリーを展開するのも有りかと思いアンケートを作り申した(武士)。
 サイドストーリーはやるからには全キャラ平等に書きたいのですが、そうなると当然本編の進行は遅れます。最悪、年内完結はなくなると思います。吐きそう。吐く。吐いた。ヴォエッ!

 それも考慮してどしどしアンケートにお答えください。よろしくお願い申し上げまする。


「……というわけで《ハロハピ》の初ライブが決まりましたー。今日から二週間後、ライブハウス《STAR DUST(スターダスト)》で行う、学生限定の対バンライブ『school band summer jam 14th』になりまーす。参加バンドが10組以上の結構大きなライブらしいので頑張っていきましょー」

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》の面々の前に立った奥沢さんの口から遂にライブの日程が告げられる。いよいよ、俺がマネージメントしたこのバンドが一般の人々の秤にかけられるときが来たのだ。

 

 もしかすると《ハロハピ》を世界に送り出すのは早すぎる可能性もある。

 

 この3ヶ月ほどで彼女たちは格段にミュージシャンとして成長した。ボーカル、ベーシスト、ギタリスト、ドラマー、(そしてミッシェル)。皆、視聴に耐えるレベルの演奏ができるラインは既に超えている。

 

 しかし、二足のわらじを履いた薫と北沢さんは相変わらずの発展途上だし、ペグ子のステージ上での動きは予測不能だ。頼みの綱の松原さんは引っ込み思案な性格がステージでどう出るか未知数。奥沢さんはミッシェルなのでフォローには限度がある。

 

 だが、それらの要素を差し引いても《ハロハピ》をライブに突っ込むのはこのタイミング以外にないのもまた事実。

 

 サマーシーズンを逃すと、学生バンド向けのライブは数が減ってしまう。この時期は新学期に結成したバンドのお披露目向けにライブハウスも企画を打つので、ルーキーにとっては一年の中で最もライブハウスデビューに適しているのが今なのだ。

 

 しかもこの場合、対バンに出てくる相手もルーキーや結成1年前後のバンドが多いので、《ハロハピ》でもスキル的には五分で戦える。観客が冷めて悪目立ちしてしまう可能性がとても低いのだ。

 

 もしこの機会を外すなら、初ライブを高校の学園祭に持ち込むという手もあるのだが、《ハロハピ》はメンバーで一番集客力が高い薫だけが別の高校出身なので、メンバーの擦り合わせが難しいという問題を抱えている。

 加えて、彼女たちの学校は女子校なので、男でメンバーの身内でもない俺は学園祭に潜り込めない可能性が高い。

 バンドのアドバイザーとしては生のステージを見て評価をしたいところなので部外者になってしまうことだけは避けたいところだ。

 

 そして、俺がライブハウスでのデビューに拘る最たる理由。

 

 ……やっぱり最初はある程度厳しい評価に晒しておかないとな。

 

 それは、《ハロハピ》を一般人の目線での批評に晒して起きたかったのだ。

 

 ペグ子が《ハロハピ》で世界を笑顔(ハッピー)にするというのなら、《ハロハピ》は世界に通用するバンドでなくてはならない。

 学園祭などの観客を身内で固めたライブは、まぁ、なんだかんだで盛り上がる。場の一体感や祭りの空気感が否応なしに演者を応援しなければならない雰囲気を作るからだ。

 

 そして、それは演者たちを「俺たちって、結構いけるんじゃないか?」と錯覚させてしまう。

 

 身内の評価で盛り上がったバンドがライブハウスに飛び込んで、冷めた観客の反応を見てその自信を粉々に打ち砕かれることは良くある話だ。それから、そのままバンドが解散するのもワンセットで定番の流れになっている。

 ライブハウスに来る客は身内だけで固められないし、彼らは金を払って演奏を聴きに来ているのだ。当然、払った対価に見合わない演奏には容赦なく"NO"を突き付けてくる。

 

 世界に打って出る《ハロハピ》に必要なのは身内の温かい声援ではない。どこまでもシビアでシリアスな批評の目なのである。

 

 ……そういった意味で《STAR DUST》のライブはいい試金石だな。ハコのキャパはMAXで400程度。そこそこでかくて身内だけでは絶対に固められない規模だ。加えて学生限定というフレッシュさも良い塩梅だ。ルーキー限定じゃないからバンドの質も玉石混淆、厳しい目で見てくれる客も多い。奥沢さんはいい仕事をしてくれたよ。

 

 ほぼ理想的な条件で与えられた初の舞台(ステージ)。それに対する《ハロハピ》の反応はーー

 

「美咲ー! とっても素敵よ!」

「うわっ!? こころ!? 急に飛び付かないで!」

 

 ーー口火を切って奥沢さんの胸にダイブしたのはやっぱりペグ子だ。

 アメフトのタックルを彷彿とさせるようなキレの良いそれを奥沢さんがなんとか受け止めると、他のメンバーも彼女の元へと駆け寄っていく。

 

「ああ、美咲の姿を最近見ないと思ったら私たちのステージを確保してくれていたんだね。感謝するよ!」

「わーい! これでライブができるよー! みーくんありがとー!」

「美咲ちゃん、初めてのことで一人で大変だったでしょう? 本当にありがとう」

「あ、いや、その、これは私だけの力じゃなくてですね」

 

 口々に述べられる感謝の言葉に奥沢がしどろもどろになりながら俺の方に視線を注ぐ。

 

 その視線に対して俺は無言で首を横に振った。

 

 ーーとりあえず、今回は奥沢さんが全部やったってことで感謝されときな。

 

 舞台の上ではミッシェルということになっている奥沢さんは、《ハロハピ》の中では裏方専業として少し浮いた存在だ。だから、この件は彼女が《ハロハピ》の一員らしくなるために大切な機会である。そして、それにわざわざ水を差すほど俺は無粋ではない。

 

 アイコンタクトで俺のことは出すなと奥沢さんに伝えると、奥沢さんは俺にだけ判るように軽く頭を下げた。

 

「もちろん、わたしもこれが美咲だけの力じゃないことはわかってるわ!」

「えっ?」

「なぬっ?」

 

 相変わらず奥沢さんに抱き付いたままのこころの言葉に俺と奥沢が驚く。

 

 確かに、ペグ子はなんだかんだで感が働くところがあるから、俺が関わっていることに察しがついたのかもしれない。

 あるいは、黒服の人たちがペグ子に教えたという線も考えられる。

 

 でも、今回に限っては俺のことが出るのはあんまりよくないな。とりあえず、俺はノータッチだってアピールしとくか。

 

「あー、こころ。今回のことに俺は……「ライブのこと、ミッシェルもお手伝いしてくれたんでしょう!?」

「……は?」「……へっ?」

 

 ペグ子の言葉にあんぐりと口を開く俺と奥沢さんの前で、薫と北沢さんが「なるほど!」という表情で手を打った。

 

「おお! ミッシェルも最近見ないと思ったら、美咲と同じで影から私たちを支えてくれていたんだね!」

「さすがミッシェル! みーくん、ミッシェルにもライブのことお礼言っておいてね!」

「えーと、ははは、そうですねー……はい」

「…………」

 

 違ったわ。全然察して無かったわ。

 

 かくして、ライブのことは奥沢さんとミッシェルの手柄となった。

 

 なんか思っていたのと違う流れになったが、まぁ、奥沢さんが良い具合にみんなから感謝されてるからいいか、うん。

 

 俺は相変わらず三人衆からもみくちゃにされて、少し離れた位置の松原さんからオロオロ見守られる奥沢さんを眺めて苦笑いを浮かべたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 それからしばらく、奥沢さんが(ねぎら)いという名のボディタッチを受けて、それが落ち着いた後、彼女がA4ぐらいの紙を配り始めた。

 

「ということで、《STAR DUST》から送られてきた対バンライブの参加者一覧と諸注意でーす。ここに載ってるバンドは参加内定で、万が一辞退が出たときだけ別のバンドを入れていくみたいですねー、はい、鳴瀬さんもどうぞ」

「なるほどな……おっ、サンキュー」

 

 奥沢さんの手から渡された紙面に目を通す。

 

 ふーむ、楽曲は1~3曲でコピーオンリーでも可、合計の演奏時間が増えすぎた場合のみ抽選か。これは多分、3曲やれるな。

 ドラムは会場のをベースにツインペダル、カウベル、スプラッシュなど必要最低限の追加ハードウェアだけ持ち込み可能。ドラムはどこもこんなもんか。

 そして、演奏順は抽選方式ね。トップとトリ、あとは実力差がありすぎるバンドの後にならなければいいんだが……

 

 そこまで考えてから、俺は参加するバンドの一覧に目を通す。

 

 今回の『school band summer jam 14th』は学生バンド限定だが、ルーキーバンド限定ではない。もしかするととんでもない実力のバンドが混ざってる可能性もあり得る。

 順番は抽選なのでどうしようもないが、一応直前にバッティングした場合の心構えはしておくべきだろう。

 

「ふーむ、どれどれ、参加バンドはっと……」

「おや、Mr.鳴瀬。君のお眼鏡に敵うバンドはいるかい?」

 

 バンドの一覧に目を通していると、横から隣に座っていた薫が覗き込んでくる。自分の持ってるやつを見ればいいのに。

 

「んー、どうだろうな。ルーキー限定じゃないライブだと、たまにすごいのが紛れ込んだりするんだが……」

「ふふっ、もし観客席が埋まりそうにないなら私が子猫ちゃんたちにチケットを配るから安心したまえ!」

 

 そう言って薫は額に手を当ててポーズを決める。

 

「あー、そういえば薫は演劇の方のファンが付いてるんだよな。チケットの多くを捌くのは任せていいか? あれ、最低枚数は売れないと自腹だから結構痛いんだよな」

「私がステージに立つからには、最低どころか全部買いきっても満員にして見せようじゃないか!」

「スゲー自信だな、おい」

 

 俺は薫の演劇を見たことはないのだが、その演技は大したものらしく、この辺りの高校で薫の名前はかなり売れているようだ。

 実際、《arrows(アローズ)》のスタジオに練習で来ていた男子高校生たちも彼女のことを知っていたので有名人なのだろう。

 

 本人曰く、出る舞台のチケットは一瞬で完売御礼、舞台に立ってウインク一つしただけで最前列の女子生徒が全員気絶して担架で運ばれたそうだが、どこまで本当なのかは怪しい。

 

 ……でも、薫が言うと結構本当っぽく聞こえるんだよな。こいつ、無駄に大物っぽさはあるからな。

 

「まぁ、万が一のときは任せてくれたまえ」

「へいへい、さてさて、どんなバンドがいるのかなっと……うーん最初は《Poppin'party》か、ここは聞いたことないな。名前からはガールズバンドっぽいけど」

「ほう、ライブハウスに沢山出入りしているMr.鳴瀬にも知らないバンドがあるのだね」

「そりゃもちろん。バンドなんて掃いて捨てるほどいるし、今はガールズバンドブームだから尚更な」

 

 学生バンドは入れ替わりのサイクルが激しい。ステージで演奏するようなバンドでも、9割5分は1年以内で消えるような世界だからだ。

 出演料、チケット代、スタジオ利用料、消耗品などバンドは金銭面でも負担が大きいため、そもそも年に一度か二度しかステージに立てないということも多く、中々継続のモチベーションが保てないのだ。

 

「ステージに立つぐらいやる気がある子達にはバンバン残って欲しいんだがね。そう上手くいかないのがバンドの世界よ。ライブでバンバン客を呼び込めるレベルのバンドの下には1000近い売れないバンドの死骸が埋まってるからな」

「ふーむ、やっぱり舞台絡みの世界はどこも厳しいものだね」

 

 薫は顎に手を添えて物憂げな表情をする。既に舞台を経験してきている彼女には思うところがあるのかもしれない。

 

「さてと、次は《Afterglow》……ああ、ここは知ってるぞ。どこかは忘れたけど同じ女子校出身の子達で固めたガールズバンドだ。前に、対バンで会って挨拶したことがあるぞ」

「ほう、ということは私たち《ハロー、ハッピーワールド!》のライバルというわけだね!」

「いや、ないから。あちらさんとうちでは経験値的にもスライムとグリズリーレベルの差があるから」

 

 俺が薫の思い上がりを嗜めると、彼女は前髪を掻き上げてどや顔を作る。

 

「ふっ、安心したまえ、Mr.鳴瀬。例え相手がスライムであろうとも、私が手を抜くことは決してないさ!」

「ちげーよ! こっちがスライムだよ! 何グリズリーになろうとしてるんだよ、烏滸(おこ)がましいわ!」

 

 ……まったく、薫のこの根拠の無い自信はどっから湧いてくるんだか。ひょっとして、人類がまだ発見していない未知のエネルギーでも持ってんのか?

 

 まぁ、薫のことは置いておいて。

 

「他には、《セントラルパーク》? あれ、ここって解散してなかったか? 名前だけ一緒の別グループかな」

「へぇ、どんなバンドなんだい?」

「んー、最初は普通のロックバンドだったんだけど、途中から《ロックージョン》ってパフォーマンスを入れ始めてそこから結構有名になったんだよ。でも、メジャーから声がかかる前にメンバーの就職なんかで解散したから多分これは別物だな」

 

 売れるバンドがあれば当然売れずに消えるようなバンドもある。《Afterglow》のように勢いに乗れる者たちもいれば、《セントラルパーク》のようにチャンスを掴みきれずに消えてしまうことだってある。

 

 ……俺はまだ消えないからな。今は野良のベーシストだが、夢を諦めたわけじゃない。今はまだ夢への助走期間なんだ。

 

 そう思いながらも、どうしようもならない現状に少しだけ俺の胸はチクリと傷んだ。

 

「ーー《ジュライ》か、記憶が正しかったらここはギターが頭一つ抜けてるバンドだな。……《スケット団》? ここは新顔っぽい。おお、《HTT》! ここは結構息の長いバンドだよ。今のガールズバンドブームが来る前からやってるガールズバンドだ。メンバーはもう大学卒業が近いんじゃないかな」

 

 聞いたことがあるバンドや初めて目にするバンドもあるが、リストを見る限り今回の参加者はかなり高めのレベルでまとまっている気がする。既にファンがついているバンドもあるから、薫が危惧していた空席の心配もなさそうだ。

 

 《ハロハピ》デビュー戦としては中々ハイレベルになりそうだが、丁度いい。しっかり世間の荒波に揉まれてもらうとするさ。

 

 そんなことを考えながら、参加者リストの最後のバンドに目を向けた瞬間。

 

「……は? 《HS DM》?」

 

 時が止まった。紙面を見て硬直する。

 

「……ん? どうしたMr.鳴瀬、何か気になることでも?」

 

 暫しの沈黙の後、停滞していた俺の時が動き出す。

 

「はぁぁぁぁ!?」

「うひゃあ!? み、Mr.鳴瀬? 急に叫んでどうしたんだい?」

 

 何やら、可愛らし悲鳴が聞こえた気がしたが、今はそんなことはどうでもよかった。

 

 俺の叫び声を聞きつけて《ハロハピ》の他のメンバー達も俺の側に集まってくる。

 

「いやいやいや!《HS DM》って、何でこんなバンドが出るんだよ! 場違いだろうが!」

「鳴瀬、どうしたの? 何かトラブルかしら?」

「ああ、トラブルもトラブル、大問題だよ」

 

 心配そうな表情で顔を覗き込んでくるペグ子に、俺は《HS DM》の文字を指し示す。

 

「《HS DM》……? よくわからないけど、ここのバンドが大変なのかしら」

 

 指差された文字を見てペグ子や他の《ハロハピ》メンバーも首を傾げる。

 

「あー、そうか。みんなこの辺りのことは詳しくないもんな説明がいるか」

 

 そう言って俺は後頭部を掻きむしる。

 

 状況はかなり面倒だ。しかし、面倒だがもうやるしかない。

 

 俺は腹を括って口を開く。

 

「みんなも知っての通り、今回のライブは学生限定だが、ルーキー限定じゃない。だから、組み合わせによってはとんでもないのとブッキングすることになる可能性があった訳だ」

「……つまり、その、とんでもないのとブッキングしちゃったとか?」

 

 恐る恐る尋ねる奥沢さんに俺は頷く。

 

「ああ、《HS DM》、正式名《ハニースイート デスメタル》は、メジャーレーベルからのCDデビューが内定している実質プロのセミプロガールズバンドだ。率直に言わせてもらうと、この界隈のガールズバンドどころか、日本のガールズバンドの括りですら十指に入るレベルのバンドだよ」

 

 俺の言葉で今度はスタジオの時が止まる。

 

 常に小動物のように動き回っている底無しの元気印たちがピタリと動きを止めたその瞬間に、嫌な汗が一筋背中を流れていくのを俺は感じていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 賽は既に投げられた。こちらの出目は最早操作する余地はない。あとは、他の人間が俺たちよりも悪い目を引いてくれることを祈るしかない。

 

 しかし、往々にしてこういったときの嫌な予感というものは当たってしまうものである。

 

 数日後、《STAR DUST》から送られてきた演奏順のリスト。

 

 そこには俺たち《ハロー、ハッピーワールド!》の直前に《HS DM》の文字が踊っていた。




お盆休みなのでさらっと更新。

対バンのバンドにはバンドリ以外にも色んな作品に登場したバンドの名前だけ借りてきてます。さぁ、あなたはいくつわかるかな?(昔のなぞなぞ本風)

オリジナルバンド《HS DM》の設定は次話の前書きに書きますが、この初ライブ編以外での絡みは全くないので読まなくても全然平気なやつです。



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野良ベーシストは仲間を信じる(前編)

続きました。
初ライブ編最終章となります。

お気に入り登録100件あざまっす!!
3桁に乗るなんて夢みたい……ウフフ……アハハ。
これからも頑張って書くのでよろしくオナシャス、オナシャス!


アンケートが拮抗している!? なんなのだこれは!? どうすればいいのだ!?(困惑)

とりあえず、初ライブの次の話を書き終わるまでアンケートを残しますので、その時点で票数が多い方にします。とりあえず、サイドストーリーを書くことは決定の方向で行きます。

そして、前話でしれっと文字数が100,006字になりました。今まで書いた作品で最も続いたのが15万字ぐらいなので、いつの間にかそれに迫る分量になっていたことに驚きます。これからもどしどし書く(願望)ので応援よろしくお願いします!


※以下は作中に登場するオリジナルバンド《ハニースイート デスメタル(HS DM)》の設定なので読まなくても一切問題ありません。ある程度の設定はストーリーでも語ります。



【オリジナルバンド設定】
《ハニースイート デスメタル(HS DM)》

 羽丘女子学園OGの女子大生5人組で組まれたガールズバンド。ファンからの愛称は《ハーデス》。楽器編成はギター&ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードのオーソドックスなスタイル。

 元々は《ハニースイート》というガールズバンドで、ポップでキュートなラブソングを中心に歌っており、その頃は全くの無名バンドだった。

 しかし、ある時期にメンバー全員に彼氏にフラれる、浮気される、告白して玉砕するなどの男絡みの不幸が重なった結果、世の中の男どもを呪詛(うた)で呪い殺す狂気のデスメタルバンドと化して生まれ変わった。
 そして皮肉にも、その以前とのギャップ萌えによって彼女たちは大ブレイクを果たすことになった。本人たち曰く正確なジャンルは『彼氏絶対デスメタル系バンド』らしい。

 バンドの特徴としては、曲のAメロの途中までは《ハニースイート》時代を踏襲したポップで甘いラブソングなのだが、そこから彼氏の浮気の証拠が見つかるなどして不穏な空気が流れ始め、サビで転調、Bメロから絶叫シャウトと共に最終的に彼氏を◯すデスメタルが始まるストーリー仕立ての構成になっている。

 特にライブでは彼氏に見立てたマネキンを演奏中に歌詞に合わせて破壊(さつがい)するパフォーマンスが大人気であり、今まで(ころ)したマネキンの数は100体を超える。
 中でも野外ライブに急に照明が落ち、事故かと思った観客がざわめき始めた瞬間、ボーカルが口に含んだアルコールに火を着けて火炎を吐き出し、6体並んだマネキンを全て松明に変えてから演奏を続けたパフォーマンスは伝説となり、バンドのメジャーデビューを決定付けるきっかけとなった。

 曲名は「メルティーキッス」など、声に出して読むと可愛らしいのだが、文字には漢字が当てられており、上記の「メルティーキッス」は文字だと「滅入る(ティー)(きっ)す」と表記される。
 ちなみにこの曲は、彼氏の浮気に気付いた少女が、二人のデートスポットだった喫茶店で、お気に入りのホットコーヒーを彼氏の頭からぶっかけて、床でのたうち回る彼氏にローキックで止めを刺してから夜の町へと駆け出していくストーリーになっている。

 彼女たち曰く「私たち全員に彼氏ができたら、元の《ハニースイート》に戻る」とのことだが、日増しに過激になっていくそのパフォーマンスのせいで男たちはますます遠退き、彼女たちの春はまだ遠そうである。


【元ネタ】
バンドイメージは《マキシマム・ザ・ホルモン》のテンションで歌う《baby metal》。火を放つパフォーマンスは伝説のミュージシャン、ジミ・ヘンドリックスがライブ中にギターに火を放ったパフォーマンスから。


 《ハロー、ハッピーワールド!》の初ライブの演奏順が発表された次の日、俺たちはペグ子の家に集まっていた。

 

 ライブも近づいた大切なこの時期に、俺が練習を止めてまでわざわざこうしたのは、《ハロハピ》のメンバーにとって最大のハードルとなるであろうバンド《ハニースイート デスメタル(HS DM)》について理解してもらうためだった。

 

 《HS DM》がライブに参加すると知ってから、ペグ子を除く《ハロハピ》のメンバーは萎縮しているのか動きに精彩を欠いている。確かに、メジャーデビューが内定している大物バンドとの対バン、しかも演奏順はそのバンドの直後なのだ。全く動揺を見せないペグ子の方が異端児だといえる。

 

 しかし、彼女たちの恐怖は《HS DM》というバンドを理解することで軽減できると俺は踏んでいた。

 

 恐怖というものは、世の中のあらゆるものに対する「無知」が引き起こす。

 

 人間、誰しも自分の理解できないものは恐ろしい。自分の知らない部分を空想で補う結果、空想は際限なく膨らんで、それと共に恐怖も際限なく肥大化していく。

 日本の昔の人たちが未知の自然現象を、「妖怪」と名付けて恐れたのもその辺りのことが起因している。姿無きものへの空想が、それらに架空の実体を与えたのだ。

 

 彼女たちにとっての《HS DM》でもそれと同じことが起きている。断片的に得た《HS DM》の情報から足りない部分を空想で付け足した結果、彼女たちの中で《HS DM》はとんでもない怪物(フリーク)に仕上がっている。

 

 故に《ハロハピ》には今日ここで《HS DM》を理解してもらう。際限なく膨らむ妄想の怪物を、自分たちが倒せるスケールにまで落とし込むのだ。

 先に述べた日本の妖怪というものも、恐怖に姿を与えることによって「これはこういうものなのだ」と自身を納得させて恐怖を減じる手段なのかもしれない。

 

 ペグ子の家のソケットにノートパソコンのコンセントを差し込む。なんとなくペグ子の家のソケットは欧米式のようなイメージがあったが、特にそんなことはなく普通の日本式だった。

 

 とにかく無事に電源を繋いだ俺は、「パンパン」と手を打って全員の注目を集める。

 

「おっし、それじゃあ準備もできたし始めるぞ。みんなに今日ここに集まってもらったのは他でもない、俺たちの直前に演奏するバンド《ハニースイート デスメタル》への理解を深めてもらうためだ」

「《ハニースイート デスメタル》……」(×5)

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》の五人がそう呟いて、誰かがごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。それほどまでに室内の空気は静まり返っていた。

 

「……なんか前から思ってたんですけど、バンド名の前半と後半のテンションが違いすぎません?」

 

 沈黙を破って声を発したのは意外にも奥沢さんだった。

 

「ああ、このバンドは元々は《ハニースイート》っていう、ポップでキュートなガールズバンドだったんだが、ある日急にバンドの方向性をデスメタルに変えて大ブレイクしたんだよ」

「急過ぎませんか!? どうやったらキュートでポップがデスメタルになるんですか!?」

「んー、なんでもメンバーが彼氏にフラれたり逃げられたり浮気されたりと男関係の不運が重なった結果、世のふざけた男どもを歌で呪い殺す狂気のデスメタルバンドになった……らしい」

「えぇ……怖すぎでしょ、それ」

「ふぇぇぇ……(涙目)」

 

 《HS DM》についての情報が明かされると、奥沢さんはドン引きして、気弱な松原さんに至っては既に涙目状態である。

 

「あ、ちなみに《HS DM》はメンバー全員が羽丘女子学園のOGなんだぞ。薫にとっては大先輩だな」

「そうなのかい!? ……ふ、ふふ、どうやらあまりお近づきにはなりたくないタイプの先輩のようだがね」

 

 薫はいつもと変わらないキザなポーズをとって見せるが動きや表情が明らかにぎこちない。

 

 うわ、薫が怯んでるよ。こいつでも怯むことがあるんだなー。

 

 薫が見せた意外な一面に少しだけ驚きながら、俺は持ってきていたノートパソコンを開く。

 

「とりあえず、どんなバンドなのかは動画を見てもらった方が早いな。一番有名な《summer rising fes 2019》のライブパフォーマンスの動画でも見るか」

 

 そう言ってWebサイトを立ち上げようとすると、北沢さんがぴょんぴょん跳び跳ねて俺の言葉に反応する。

 

「あっ! はぐみそれ知ってるよ! お兄ちゃんが行ってて『半端なかった……夏フェス捨ててこっち選んで良かった』って言ってたよ!」

「まじか、俺も行きたかったんだけど自分たちのライブと被ったんだよなー、羨ましい。……よし、この動画がいいな」

 

 《summer rising fes》はメジャーレーベルからデビューしていないセミプロバンド限定の夏フェスみたいなもので、俺も自分たちのライバルになりそうなバンドには興味があったのだ。

 そんなこんなで北沢さんと喋りながら目当ての動画を見つけた俺は再生ボタンをクリックする。

 

 音声が流れ始めると《ハロハピ》のメンバーはみんな身を乗り出して画面に区切ってになった。

 

「えーっと、タイトルは『滅入(めい)茶喫(ちゃきっ)す fes 2019』ですかね?」

「あー、それ「メルティーキッス」って読むんだよ。ここのバンド、曲は全部漢字の当て字になってるから」

「『茶』を『ティー』って読ませるの無理がありませんか!? あと、なぜかステージに並んでるリアルな大量のマネキンも怖いんですけど!?」

 

 再び、奥沢さんの鋭いツッコミが飛んだ。

 

 確かに俺も無理があると思う。しかし、この業界では無理が通れば道理が引っ込むのだ。

 

「あっ! 静かに、美咲! そろそろ演奏が始まるわ!」

「うえー……まさか、こころに注意されるなんて……」

 

 ペグ子から静にしろなどとあり得ない注意をされた奥沢さんがガックリと肩を落とすなかで《HS DM》の演奏が始まった。

 

『私と彼との日々は蕩けるような甘い思い出~♪』

 

「あれ? 鳴瀬くん、なんかこの曲全然激しくないよ?」

「う、うん。なんだか普通のラブソングですよね?」

 

 疑問の声を上げた北沢さんに松原さんも同意する。

 

「そうそう、このバンドの面白いところはAメロとBメロが全く違うとこなんだよ。Aメロはキュートなラブソングなんだけど、サビが近づくにつれて不穏な歌詞になってくるからとりあえず聴いててみな」

 

『旅先で買ったお揃いのコップ 口をつけて気付くの 私の知らない口紅の跡♪』

「あっ……」

 

 誰かの口から何かを察したような呟きが漏れる。

 

 

『彼と二人でお気に入りのカフェ いつもの席で問い詰めるの 「あの口紅はなあに?」 彼は一言「ゴメン」と呟いた♪』

 

 ポップでキュートだったメロディラインにうねるような旋律が混ざる。ドラムのビートが激しくなり、サビに突入。

 

 そして、Bメロに突入した瞬間、歌の世界が変わった。

 

『ヴォォォォイイィィィ!!!』

「ひぃ!?」

 

 突如としてスピーカーから溢れたデスボイスのシャウトに松原さんが腰を抜かしてへたりこむ。

 

『彼氏!(KILL!) 浮気!!(HELL!) 雌豚!!!(DIE!) ヴォォォォイ!!!』

 

 会場からの凶暴なコールを受けながら、ボーカルがデスボイスで狂気じみた歌を歌う。気が付けばボーカル以外の全員はその顔に般若の面を被ってヘッドバンキングしていた。それでも演奏が全く乱れないところに彼女たちの技量の高さを感じる。

 

『彼氏の好きなウィンナーコーヒー 今日は頭から飲ませてあげるの 「ねぇ、これが好きだったんでしょ? 何でそんなに芋虫のように這いつくばって悶えているの?」』

 

 混迷を極める曲の世界観に薫の顔はますます引きつり、こころは目を丸くして驚いていた。

 

「ふ、ふふっ、ふふふ……こ、これはすごい世界観だね、うん」

「本当ね! ……あら、照明が落ちたわ? トラブルかしら?」

「いや、これは演出だ。ここからがすごいからしっかり見とけよ」

 

 曲の山場、ステージの明かりが全て落ちて演奏が止まる。放送事故かとざわめく客席の前でステージ上に一つの明かりが点る。

 

 それはいつの間にかボーカルが持っていた松明の明かりだった。

 

 松明を片手に、ボーカルはもう一方の手に持った瓶から透明な液体を口に含む。そしてそのまま松明に口を近づけると含んだままの液体を一気に吹き出す。

 

 瞬間、ステージの上を焔が走った。瓶の中身は高濃度のアルコールだったのだ。

 

 「うぉぉぉ!?」という客のどよめきの中、ボーカルがマネキンの前に立つと次々とマネキンに火を吹いていく。マネキンには油が染み込ませてあるらしく、彼女が火を浴びせるとたちまち燃え上がりそれは巨大な松明と化した。

 

 六体あったマネキン全てに火を放つと、ステージは照明なしでも明々と照らされるようになった。

 ボーカルは再び中央の定位置に立つとマイクスタンドを握りしめて絶叫した。

 

『お゛る゛ぁぁあ゛あ゛!! あたしたちは今日ここで世界中全てのクソ男どもに鉄槌を下す! てめえら本気(マジ)でついてごいや゛ぁぁあ゛あ゛!!』

 

 彼女のシャウトでオーディエンスの熱狂は最高潮に達した。雄叫びとコールの渦の中で《HS DM》のメンバーは、演奏を止めたところから最後まで曲を演奏した。

 

 演奏後、ボーカルはマイクを床に叩きつけると再び松明とアルコールを手にして、空に向かって火柱を吹いた。

 

 そして、そのまま一言も喋ることなく、彼女たちが舞台袖へと消えていったところで映像は終了した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……どうだ、これが《HS DM》だ。みんな理解したか?」

「鳴瀬くん! かのちゃん先輩が映像の途中から眠ったままだよ!」

「ええ!? 北沢さん、優しく起こしてあげて!」

 

 どうやらあのライブ映像は心優しき松原さんには刺激が強すぎたらしく、彼女の瞳は虚空を見つめたままで、その意識を完全に手放していた。

 

「かのちゃん先輩、起きて起きて!」

「うわっ!? 駄目ですよはぐみさん、強過ぎますって!」

 

 優しくと言ったのに、北沢さんはすごいパワーで松原さんを左右に揺すり始め、慌てて奥沢さんが止めに入った。

 しかし、それでもしばらくの間、松原さんの頭は首の部分がバネになったこけしのようにぐわんぐわんと左右に揺れていた。

 

「うーん、うーん……ふぇっ!? ここは一体……?」

「あっ、おはようかのちゃん先輩! 先輩、少しの間眠ってたんだよ?」

 

 違うよ北沢さん。あれは眠ってたんじゃなくて気絶してたんだよ。

 

 そう訂正しようと思ったが、松原さんにこれ以上のショックを与えるのもあれかと思った俺はすんでのところで踏みとどまった。

 

「そうだったんだ、ごめんね。なんだか、火を吹く般若に追いかけ回されるような怖い夢を見てうなされちゃったみたい……」

「そうかい、それは嫌な夢だったな。それじゃあ、夢のことは忘れて今度のライブに向けての話をしようか」

「あっ、そ、そうですね!」

 

 明らかに先ほどの映像の断片で構成されている松原さんの悪夢を振り払うために、俺は努めて優しく彼女に声をかけて話を逸らした。

 

 ……松原さんの前ではあの映像は今後一切封印しよう。

 

 俺は静かに心の中でそう誓った。

 

「さて、それじゃあみんな、今のが《HS DM》だ。映像を見てどう思った? 自由に意見を述べてみてくれ」

 

 5人(の意識)が揃ったところで、俺は改めて映像の感想を問う。

 

 自分の心にインプットされたことを言葉でアウトプットするという行為は大切だ。想いを言葉に変換する過程で、ある種の客観視が働いて今の自分の心と冷静に向き合うことができる。

 特に、今回みたいに相手に圧倒されているような場合は、そうして冷静に相手を分析することで活路が見えてくることもある。

 

 俺が静かに言葉を待つと、最初に口を開いたのはまた奥沢さんだった。

 

「いや、あれをどうにかするのって無理じゃないですかね」

 

 奥沢さんは苦笑いして早くも諦めモードである。

 

「ふむ、じゃあ奥沢さんはどうして無理だと思った?」

 

 俺は奥沢さんの言葉に問いを投げ掛ける。

 これはかの有名なギリシャの賢哲ソクラテスが用いた「問答法」である。問いと答えを交互に繰り返すことで、相手からより深い思考を引き出す手法である。

 恐怖に打ち克つためにも、彼女たちにはもっと深い次元で《HS DM》を理解してもらわなければならない。

 

「いや、だって《HS DM》と比べて《ハロハピ》が勝ってるところなんて何もなくないですか?」

「じゃあ、具体的にはどこが負けてると思う?」

「そりゃ、もちろんパフォーマンスですよ。あんな激しいパフォーマンスなんてされたら、他のバンドの全てが霞んじゃいますって……」

 

 そう言って奥沢さんはがっくりと肩を落とす。

 もしかすると、奥沢さんはヤバい条件のライブを取ってきてしまったことに責任を感じているのかもしれない。

 

 実際、《HS DM》の参加が判明してから、数組のバンドが別のバンドと入れ替わっている。恐らく、彼女たちとブッキングすることを恐れたのだろう。

 

 だが、俺からしてみればこの程度の条件なんか屁の河童といったところだ。というか、ライブに参加できるという時点で俺からすれば既に完全勝利に等しい。

 

 だから俺は、何も心配無いという態度で奥沢さんに答える。

 

「おいおい、パフォーマンスでは俺たちも負けてないだろ。向こうが火を吹けるって言うなら、こっちにはピンクのクマがいるんだぞ」

「いやいや! そんなのどう考えても比べ物になりませんよ!」

 

 比べ物にならない。

 

 奥沢さんの口から核心をついたその言葉が出た瞬間、俺は彼女の顔をビシッと指差した。

 

「そう! そこだよ、奥沢さん」

「へっ……?」

 

 何が「そこ」なのか分からずに戸惑う奥沢さんに、俺はその真意を告げる。

 

「奥沢さんの言った『比べ物にならない』ってところ。パフォーマンスは本質的に優劣をつけるものじゃない。だってバンドそれぞれでやることは違うんだからな。わざわざ相手のステージに乗っかって『負けた!』なんて思う必要はないんだ。むしろパフォーマンスを入れていないバンドに対して『勝った!』と思うべきだ」

「な、なるほど……」

 

 奥沢さんは少し腑に落ちたといった表情になった。

 

「俺たちは既にパフォーマンスを入れないバンドよりも優位に立っている。その事実を忘れないことだ」

「は、はい!」

 

 実際のところは、演奏技術一本でパフォーマンスなしでも観客を魅了するバンドなんていくらでもあるのだが、今大切なのは彼女たちに少しでも「自分たちが優れている」という根拠を付けてやるところだ。人より優位に立っているという実感は、安心感と自信に繋がる。

 

 いずれは融ける蝋の翼であろうとも、彼女たちに本当の翼が生えるまでの繋ぎぐらいにはなるだろう。

 

「んじゃ、次。他に意見が言える人~?」

「は、はい!」

「お、んじゃ次は松原さんね」

 

 中々意外な展開というものは続くもので、二番手に手をあげたのは引っ込み思案の松原さんだ。

 

「わ、私は映像を見て《HS DM》と比べたら、私たちは純粋にスキルが低いと感じました……」

 

 なるほど、楽器経験者の松原さんからこの手の意見が出るのは想定内だ。ものの良し悪しを測るには、そのものに対する確かな理解の裏打ちが必要だからだ。

 

「ふむ、例えばどんなところが俺たちは劣っているかな?」

「そ、それは、色々ありますが、一番感じたのは、リズムキープの正確さです。ステージを動き回ったり、お客さんを盛り上げたりしながらあそこまでの精度を維持するのはちょっと無理です」

 

 確かに、ライブではステージ上を縦横無尽に動き回る演出も多い。《HS DM》は、ステージ慣れしていることもあるだろうがその辺りが非常にうまい。ギターがステージを端から端まで駆け抜けたり、ベースが客席に身を乗り出して客を煽ったりと、とにかく客をアゲる術を心得ているのだ。

 

 しかも《HS DM》は、時には自分の演奏を止めてまで、両手で客を煽ることもある。そして、客を煽った後に演奏に再び合流するテクニックが完璧に近い。一度走り出した演奏に途中から入り込むことは余程のテクニックがないと困難だ。

 

 確かに《HS DM》はすごい。すごいのだがーー

 

「ーーねぇ、松原さん。それって俺たちに要るかな?」

「えっ?」

「技術っていうものは必要がなければ進歩しないだろ? 《HS DM》は、何年もバンドを続けて演奏技術がある程度の水準まで行き着いたから、更にそこから必要だと思った分上に行っただけだ。じゃあ、結成して3ヶ月程度しか経ってない《ハロー、ハッピーワールド!》にあのレベルの技術は必要なのかな?」

「た、確かにそう言われると、あれは私たちにはまだ必要ないと思います」

 

 松原さんの返事に俺は頷く。

 

「そうだ、今後は要るようになるかもしれないが今は要らない。あの尖った技術は俺たちにとっては不純物だ。なら、松原さん。今の俺たちに必要なものはなんだ?」

「そ、それは、えーっと、や、やる気、ですかね?」

 

 こちらの様子を探るように松原さんが恐る恐る口にしたその答えに俺は人差し指を突き付ける。

 

「いい答えだ! 今の俺たちに必要なのはすごい技術よりもpassion(じょうねつ)なんだよ。俺たちはルーキーだ。燃え始めた炎だ。その青い衝動は今しか得られない宝だ。それを今使わずにいつ使う?」

「今しか得られないもの……」

 

 言葉を噛みしめるように松原さんが呟く。

 

「それと、俺は松原さんには技術をそこまで求めている訳じゃない」

「えっ?」

「松原さん、《ハロハピ》ができたとき、俺が松原さんに言ったことを覚えてるかな?」

 

 この問いに松原さんは顎に手を当てて考える。

 そして、暫くして記憶の糸を辿れたのか、目を丸く開いて俺を見つめ、言葉を口にした。

 

「あ、えっと、利己的(セルフィッシュ)になれ、ですかね?」

 

 求める答えを聞いた俺は大きく頷いた。

 

「うん、そしてもうひとつ『音楽を諦めないでくれてありがとう』だ」

「あっ……」

 

 松原さんが口元に手を当てる。

 

「松原さんは消えかかっていた音楽への情熱を守って、もう一度ここまで大きく育ててきたんだ。これは中々できることじゃない。そして、今《ハロハピ》が求めているのはその熱だ。次のライブ、松原さんの持ってる熱を全部ぶつけてみな。多分《HS DM》のことなんて頭からぶっ飛ぶぜ」

「は、はい!」

 

 松原さんが力強い返事をしてくれる。

 これでもう彼女は大丈夫だ。

 

「ほいじゃ、次ね。誰がいく?」

 

 俺が松原さんから残るお花畑三人衆へと視線を移すと、真っ先に小さな影がジャンプしながら手を挙げた。

 

「はーい! 次ははぐみだよ!」

 

 次は北沢さんか。残りの三人はあんまり深刻には考えて無さそうだけど、はてさて、どんな言葉が出るかな。

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら、俺は北沢さんにビシッと手のひらを差し出した。

 

「おっし、それじゃあどうぞ」

「えーっとね、鳴瀬くん、はぐみは《HS DM》のことじゃないんだけどそれでもいい?」

「おう、映像を見て感じたことなら全然何でもいいぞ」

「わーい! じゃあ聞きたいんだけど、鳴瀬くんははぐみの持ち味ってどこだと思う?」

 

 おっ、北沢さんは自分のことについて再確認したいわけか。なるほどね。

 

「んー、演奏面とそれ以外、色々北沢さんの持ち味は言えるけど、北沢さんは何でそれが聞きたいのかな?」

「んー、あのね、はぐみはそんなにベースが上手い訳じゃないから、多分ライブまでにいろんなこと一度にやるのは無理なんだ。ソフトボールの練習もあるからね。だから、はぐみは自分のいいところに絞ってそこを伸ばそうと思ったんだー」

「なるほど、そういうことか」

 

 うーん、スポットを当てての練習を計画しているなんて、北沢さんは思ったよりもクレバーなタイプだな。

 まぁ、ソフトボールとバンドの二足のわらじを維持するのはこういったところの要領がよくないと無理だよな。

 

 天真爛漫な少女というイメージの北沢さんがここまで考えながらバンドに取り組んでいたとは、俺は彼女に対する考えを少し改めないといけないだろう。

 

「それじゃあ、俺からアドバイス。北沢さんの持ち味はなんといってもパワフルなピッキングだ。やっぱりソフトボールで鍛えた指がある分、そこは他のベーシストよりも抜けてる」

「わーい!」

 

 俺が褒めたことで北沢さんが両手を挙げて喜ぶ。この辺りはやっぱり歳相応の幼さが残る部分だ。

 

「だから、今回のライブではとにかく演奏中にそのパワーを絶やさないこと。北沢さんは間違えた時に焦ってリカバリーしようとして、演奏がしどろもどろになるときがあるからね。『間違っててもこれが正解!』ぐらい厚かましく堂々とプレイして欲しいんだ」

「わかったよ! はぐみ、頑張るよ!」

 

 北沢さんが両手をぐっと握り拳にしながら頷く。気合い十分といった感じだ。

 

「後は、演奏面以外なんだけど、やっぱりその笑顔だな」

「えっ?」

「北沢さんは基本的に笑顔でいることが多いからさ、やっぱり演奏中も笑顔が欲しいな。とにかくライブを楽しんで、全力で笑顔を振り撒いてきな」

「わ、わかったよ鳴瀬くん! はぐみ、頑張って笑顔になるよ!」

「いや、これは頑張らなくていいから。いつも通りでいいから」

「よーし、笑顔、笑顔、笑顔……」

 

 ……だめだこりゃ、聞こえてないわ。

 

 北沢さんは自分の世界に入り込んでしまったが、まぁ、最後の様子からしたら大丈夫だろう。

 

「おっしゃー、残るはあと二人! どっちからくるか?」

「どうやら次は私の番のようだね」

「おー、薫が先か。いいぜ、聞かせてもらおうか」

「ふっ、私がMr.鳴瀬に言いたいことはただひとつさ」

「ほう、それは?」

「ライブで子猫ちゃんたちが盛り上がる最高のパフォーマンスを教えてくれないか!」

 

 はい、きた。薫ってこういうところがあるからな。

 

 まぁ、でも薫に関しては他の4人とは立場が違う。彼女は演劇での舞台経験者だ。ステージはむしろ自分のフィールドといえるだろうし、緊張で固まるなんてことは万に一つもないだろう。

 

 それを考慮すれば、そういったパフォーマンスに薫の目が向いてしまうのも仕方のない話かもしれない。

 

「そうだな、ライブは曲の合間なんかにMCでトークを挟めるから、そこで盛り上げるのは一つの手だと思うな。演劇ではこういうのないだろ?」

「おお! 曲の合間に子猫ちゃんたちに語りかけることができるなんて素敵だね!」

 

 マイクパフォーマンスができることを聞いた瞬間、薫は天を仰いで喜ぶ。

 確かに、薫のトークスキルは高そうだから、それを遺憾なく発揮できる場面があるというのは良いことだ。

 

「後は、定番なのは《ピック投げ》だな」

「ピック投げ……?」

「そうそう、曲の最後に演奏で使ってたピックを客席に投げてファンにプレゼントするんだよ。マメな人なんかはピックに演奏した日付やサインなんかも書いておくんだ。ファンからしたらすごくいい思い出になるんd……」

「Mr.鳴瀬!」

「うぉう!?」

 

 突然、薫が俺の名前を叫んで両手を握ってきたので焦ってこちらも叫び声をあげてしまった。

 

「ピック投げ……、なんて儚いパフォーマンスなんだ! 演奏の熱の冷めやらぬライブハウス。その空気の中を切り裂いて飛ぶピック。そして、それは可愛い子猫ちゃんの手の中へ……ああ、儚い! 感謝するよMr.鳴瀬! 君は最高のパフォーマンスを教えてくれた!」

「お、おう……」

 

 早口で捲し立てるように喋りながらブンブンと両手を上下に振られる。いつもの薫らしからぬテンションに圧倒されっぱなしだ。

 

 そして、ひとしきり手を振った後に薫は俺の両手を解放した。

 

「こうしてはいられない。今からでもすぐにピックにサインをしなければ! ノルマは1日100枚だ! そうすればライブまでに1000枚のサイン入りピックができるぞ!」

「そんなにいらねーよ! 豆撒きでもする気か!」

 

 俺のツッコミが聞こえたかどうかは分からないが、薫はルンルンとスキップを踏みながらギターケースの方へ向かって行った。恐らく、手持ちのピックに今からサインをするのだろう。

 

「……まあ、いいか、うん。それじゃ、最後は……」

「もちろんわたしよ、鳴瀬!」

 

 俺の目の前には腰に手を当てて仁王立ちするペグ子。

 

 こいつに関しては聞かなくてもメンタル的には平気なんだろうけど、何を考えてるのか把握するためにもちゃんと意見は吸い上げないとな。

 

「よーし、こころ。お前が感じたありのままを俺に伝えてくれ」

 

 俺の言葉にペグ子が大きく頷く。

 

「わかったわ! 鳴瀬、わたしはね、ライブって思っていたよりもずっと楽しそうだって思ったわ!」

 

 やっぱりペグ子はそう来るか。こいつにとっては《HS DM》の映像は、「自分たちの未来の姿」に映ってるんだろうな。

 

 自分たちが《HS DM》のように会場を沸かすことができるなどと考えるのはあまりにも楽天的だが、その肩肘を張らない気楽さも《ハロハピ》にとって大切な要素なのかもしれない。

 

「へぇ……じゃあこころはどんなところが楽しそうに見えた?」

「んー、色々あるのだけど、やっぱり《HS DM》のみんなの表情ね! 彼女たちはみんなとってもいい顔で歌ってたのよ!」

 

 ペグ子のこの言葉に俺は大きく頷いた。

 

 へぇ、よく見てるな。やっぱりペグ子は物事の本質を見る目があるな。本能か、あるいは意図的なのかは判らないが、これは間違いなく一つの才能だ。

 

「いい目の付け所だ、こころ。それじゃあ、なぜ彼女たちはそんなにいい顔で演奏ができるんだと思う?」

 

 俺の問いにペグ子は仁王立ちのまま首を傾げて少し考え込む。

 そして、すぐに満面の笑みを浮かべて俺の言葉に答える。

 

「わかったわ! それはね、彼女たちがとっても自分が好きなように歌っているからだと思うわ! わたしも、自分が好きなもののことを考えているときはあんな表情をしていると思うもの!」

perfect(かんぺき)だ。そうだ、《HS DM》が最高にいい顔なのは、彼女たちが自分が今本当に歌いたいことをありのままに歌っているからだ」

「……!」

 

 俺の言葉で、色々な作業に耽っていた他の《ハロハピ》メンバーもハッとした表情を浮かべて俺の方を見る。

 

「音楽は誰のものか? 誰のものでもないし、誰のものでもある。《HS DM》も《ハロハピ》も、それぞれが自分の中に自分だけの音楽(セカイ)を持ってる。だから誰にも遠慮することはないし、誰にも俺たちを縛る権利はない。音楽は自由なんだ」

 

 皆が真剣に俺を見つめて、その言葉に耳を傾けている。その瞳には最早迷いはない。

 

「よし、みんな始まる前とは比べ物にならないぐらいにいい表情(かお)してるな。それじゃあ、この会はこれで終わりだ。最後に、俺が最も尊敬するミュージシャン、《NILVANA》のカート・コバーンの言葉をお前らに贈らせてもらおう」

 

 俺の言葉から名言の飛び出す気配を察知して、薫が更にずいっとこちらに身を乗り出してきた。分かりやすい奴め。

 

「"Wanting to be someone else is a waste of who you are(他の誰かになりたいなんて 自分らしさの無駄遣いだ)"。俺たちは《ハロー、ハッピーワールド!》なんだ。それ以上でもそれ以下でもない。ライブでは他の何者でもない、最高の《ハロハピ》を見せにいくぞ」

「おー!」(×5)

 

 コンディションはオールグリーン(もんだいなし)。さぁ、ここから《ハロー、ハッピーワールド!》を始めようか。

 

 気炎を上げる《ハロハピ》のメンバーを眺めながら、俺は熱が引いて久しい自分の心臓に、ささやかな灯が点るのをはっきりと感じていた。

 

 




めっちゃ長くなった(死)

1万字超えてるとかマジ卍ですわ(意味不明)

ライブ本番も長くなりそうなんで、もしかすると3話編成になるかもしれない(追い討ち)

とりあえず、お盆中には完成させたい。


そして、書いてる途中にお気に入りが一気に20も増えて120になっていて震える。ヤバみがヤバい(謎)。

皆様のご声援ありがとうございます!


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野良ベーシストは仲間を信じる(中編1)

続きました。
初ライブ編の中編その1!

案の定、2話構成どころか4話構成になりました(昇天)
とりあえずここからがこの作品の一つの山場になるかな?

今回は、またちょい役のオリキャラと《Afterglow》のメンバーが《ハロハピ》と絡みます。特に《Afterglow》のメンバーの性格はうまくトレスできているか怪しいので、変なところがあっても許してクレメンス。

強敵《HS DM》を含め、様々な有力バンドとの対バンライブ。《ハロー、ハッピーワールド!》は生き残ることができるのか? 君は、星の涙を見る。


【雑記】

サイドストーリーのアンケートですが、恐ろしいまでに票が拮抗しているので驚いています。本当にあなたの一票が作品の展開を変えるので、どしどし投票をお待ちしています。とりあえず、期限は次回の後編までにしようと思います。

そして、お気に入り120超え、日間ランキング二次創作59位ありがとうございます。

わたくし、日間ランキングの存在を昨日まで知らなかったので(無知)、もしかすると既に入っていたこともあるかもしれませんが、(私の中では)初ランクインです。

多くの方に支えられて作品を書いております。完走まで頑張りまぁす!


 ーー8月某日。

 

 ライブハウス《STAR DUST(スターダスト)》。

 

 この界隈では古参の部類に入るこのライブハウスは、今日も多くのミュージシャンたちをその胃袋に飲み込む。

 

 ここから始まり世界の人を魅了する大輪の花を咲かせた者たちは世に数多(あまた)存在している。しかし、咲かずに散った徒花(あだばな)たちはそれ以上に存在するのだ。

 

 そして今日、この《STAR DUST》の胃袋にまた新しいバンドが足を踏み入れた。

 

 彼女たちは無事にその花を咲かせ、世界の人々を笑顔にするのか。

 

 あるいはその輝きを内に秘めたまま、誰にも知られず地に墜ち他の者たちの養分となるのか。

 

 それは、今はまだ未完の大器。

 

 彼女たちの名はーー《ハロー、ハッピーワールド!》。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「あ゛ー! あっちぃなぁ、おい!」

 

 ライブハウス《STAR DUST》の前で、俺は誰にともなく不満の声を漏らす。

 だが、8月の炎天下で15分も待ちぼうけを食らわされたら不平の一つも言いたくなるというものだ。

 

 《STAR DUST》が俺の家から近いということで、一人徒歩で向かって現地集合の約束をしたことが完全に裏目に出た。《ハロー、ハッピーワールド!》の面々は全員固まってやってくるようで未だ誰一人姿を見せない。 

 

「くそっ、こんなことなら関係者用の入場証を先に預かっておけばよかったぜ……」

 

 今回俺は《ハロー、ハッピーワールド!》の関係者として入場証を発行してもらったのだが、ライブの費用をペグ子が全部負担したため《STAR DUST》からの荷物は全て彼女の屋敷に送られてしまっているわけである。

 他のメンバーの誰かが来れば、あわよくばそいつが入場証を持っていて一緒に入れる可能性もあったが、これだけ時間が過ぎても来ないということは、彼女たちが個人で動いている可能性はない。

 もし個人で動くなら、少なくとも松原さんと奥沢さんの二人は時間を守るはずだからだ。

 

 ……まぁ、松原さんは一人で迷子になってる可能性もあるけど。でも、リスクを避けるために誰かと行動してるよな。

 

 一緒にいて分かったことだが、松原さんはかなり致命的なレベルでの方向音痴だ。

 前に、ドラムスティックを豊富に置いた楽器店を紹介してほしいと言われて一緒に買い物に付き合ったことがあるのだが、駅で待ち合わせて俺が道を説明して「さぁ、行きましょう!」と言った瞬間、何の迷いもなく反対方向に歩き出したのには度肝を抜かれた。絶対に一人で行動させてはいけないタイプである。

 

「奥沢さんは、多分ミッシェルがらみで単独行動は無理だな。しゃーない、もう少し待ちますか」

 

 奥沢さんは数日前から舞台用のミッシェルのことで黒服の人たちと細かな打ち合わせをしていたので、恐らく今日も黒服の人たちとミッシェルと一緒にやってくるはずだ。

 

 あるいは、最初からミッシェルと化してやってくるかもしれない。

 

「あ゛ぁぁぁ……、やっぱりあちーわ……」

 

 照りつける夏の日差しが地面に影を焼き付け、その濃さに比例して俺の思考まで焼き付いていく感じがする。

 

「""Cool head,but warm heart.(ハートは熱く、頭はクールに)"つったのは誰だったかな? アルフレッド・マーシャルだったか? 早くしてくれないとハートだけじゃなくて頭もhotになっちまうぞ」

 

 太陽の熱。そして、心臓の熱。

 

 2つの熱に曝されて、俺は自分の体が段々と熱くなっていくことをひしひしと感じていた。

 

 結局、その後更に15分ほど待たされて、ペグ子たちはいつものお気楽そうな笑顔で、その手にはアイスクリームなんて握りながら俺の前に現れた。

 俺は無言でペグ子の手からアイスクリームを引ったくると、一口でアイスの部分だけを全部平らげコーンだけをペグ子に返した。

 

 ペグ子はハムスターのように頬を膨らませて抗議してきたが、そんなの知ったことではない。ざまぁみろ。

 

 そんな俺を見て松原さんが「ふぇぇ……か、間接キスだぁ……」なんて呟いたのは聞こえないふりをした。

 

 あー、あー、聞こえない、聞こえなーい!

 

 

 

「ところで、Mr.鳴瀬。なんだか名言のオーラが漂っている気がするんだが、私の居ないところで何か名言でも口にしたかい?」

「エスパーかよお前は!?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「あ~、涼し~い。いきかえるわ~」

 

 足を踏み入れた《STAR DUST》の中は空調が効いていて最高の状態だ。ラウンジスペースでは午前のライブの客と、午後のライブを聞きにきた客でごった返している。

 

「それじゃあ、奥沢さん。受付に到着しましたって言いに行こうか。この後ステージで音響の設定やライブでの配置の確認しないといけないからね」

「は、はい!」

 

 今回は奥沢さんがライブハウスの決定をしたということで、俺がサポートしながら彼女に様々なことを仕切ってもらうようにしてある。

 多分、今後も《ハロハピ》を裏で仕切るのは彼女の役目なので、ここで経験を積んでもらう。

 

「すみませーん」

「はいはーい! 今出ますー!」

 

 奥沢さんがカウンターに声をかけると、奥からヒップホップファッションのアゴヒゲを生やした男が顔を出す。

 

「午後のライブに出る《ハロー、ハッピーワールド!》です。今日はお世話になります」

 

 奥沢さんが頭を下げると、受付の男はカラカラと笑ってヒラヒラと手を振る。

 

「あー、《ハロハピ》さんね。こちらこそどーも。あまり見ない顔だよね、こんなとこでのライブは初めて?」

「は、はい!」

「そーかい、そーかい。ま、最初は緊張すると思うけど、とにかく楽しんで……って、あれ? もしかしなくても鳴瀬君じゃーん!」

 

 奥沢さんとニコニコ話していた男だったが、その後ろに立つ俺に気付くと親しげに声をかけてくる。

 

「お久しぶりです、来夢(らいむ)さん」

「えっ、鳴瀬さんお知り合いなんですか?」

 

 驚いた表情でくるりと振り返る奥沢さんに肯定のサインを送る。

 

「そうだよ、俺がよく来てた頃からずっといる人だからな。この人は、横瀬 透さん。Mr.来夢来人(ライムライト)って名前で、フリースタイルラッパーとしてめっちゃ有名な人だよ。《フリースタイル コロッセオ》って日本一のラッパーを決める大会で優勝経験もあるし、テレビに出たこともあるぞ」

「うぇっ!? めちゃくちゃすごい人じゃないですか!」

 

 奥沢さんがさっきと反対の流れで驚いた表情のまま横瀬さんの方を振り返ると、彼は再びカラカラと笑った。

 

「カッカッカ! あんまり持ち上げてくれるなよ鳴瀬君、天井にめり込んじまうぜ。というわけで改めまして、ラッパーのMr.来夢来人です。今日は楽しんでってね、奥沢さん」

 

 そう言って差し出された横瀬さんの手を奥沢さんがぐっと握り返す。

 

「ありがとうございます、頑張りますね」

「はいよ、……それにしても鳴瀬君……」

「なんです?」

 

 奥沢さんの手を握ったまま、横瀬さんが俺と奥沢さんの顔を交互に見比べる。視線を何度か俺たちに行き来させた後、横瀬さんは何やら納得した表情になった。

 

「あ、分かった。彼女のバンドのライブを見に来たのか。はっは~ん、最近見ないと思ってたら彼女にお金を貢いでいちゃついてたんだな~?」

 

 横瀬さんの言葉に、奥沢さんは一瞬きょとんとした表情になった後、ゆでダコのように真っ赤な顔になって残像を残すレベルで手と顔を左右に振った。

 

「ち、ち、ち、違いますよ! 鳴瀬さんと私は全然そういうのではないですよ!」

「あら、そうなん?」

「そーですよ、男と女が一緒にいたらカップルなんて短絡的な解釈はやめてくださいよ、来夢さん。俺はバンドの世話役として彼女たちにアドバイスしてあげてるんですよ」

 

 その気がない相手とくっ付けられたら、誰だって嫌な気分になるからなー。奥沢さん、嫌な気分になってないといいけど。

 

 横瀬さんの言葉に俺は溜め息混じりで抗議した。

 

「ほーん、そうか。ついに鳴瀬君も人を教える立場になったかー」

「なんかすっごい成り行きで決まったんですけどね」

 

 ペグ子との出会いを思い出して、俺がげんなりした表情を浮かべると横瀬さんはまたカラカラと笑った。

 

「カカカッ! それもまた運命だな! 人生どう転ぶか分からんからな、運命を大切にしろよ!」

「へーい」

「おっと、お待たせしてしまったな。《ハロハピ》の控え室は四室ある内の三番だ。基本的に出番の順で割り振りしたから、次の《Afterglow》とその次の《セントラルパーク》が同室だよ。どっちも今流行りの女子高生ガールズバンドだから色々交流してみるといいさ」

「ありがとうございます」

「礼なんていいよ、仕事だし」

 

 頭を下げる奥沢さんに横瀬さんがヒラヒラと手を振る。

 

「じゃ、鳴瀬君、場所の案内はよろしく」

「はい、来夢さん。それと、《ハニースイート デスメタル》さんに挨拶しておきたいんですけど、控え室は二番ですよね? というかもう来られてますか?」

「おお、ちょっと前に控え室に入ったよ。ステージの機材チェックの順番は……あちらさんもここもまだまだ先だから早めに挨拶しておくといいかもな」

 

 スケジュールのテーブルを書いた紙を確かめて教えてくれた横瀬さんに俺は軽く頭を下げる。

 

「あざっす、んじゃ早速メンバーと控え室に向かいます。ありがとうございました来夢さん」

「失礼します!」

 

 奥沢さんも横瀬さんに頭を下げると、俺たちは他の《ハロハピ》メンバーたちのもとへと向かう。

 

 その途中、くいくいとシャツの袖が引かれたのでそちらを見ると奥沢さんと目があった。

 

「いやー、驚きましたよ鳴瀬さん」

「ん? 来夢さんにカップル扱いされたことか?」

 

 俺が答えると、奥沢さんはまた顔を真っ赤に染める。ちょっと面白い。

 

「ち、違いますよ! まぁ、少しはそれもありますけど、来夢さんのことですよ! あんなテレビに出るような人が受付してるなんて思いませんでしたよ」

「あー、来夢さんか。今は音楽業界も先細りだからなー、テレビに出たからといってドカンと稼げるかと言われるとそうでもないんだよな」

「そうなんですね」

「特に、来夢さんみたいなフリースタイルラッパーは今のブームから少しずれてるからな。それでも来夢さんはラップ塾の講師とか、ショーの依頼とかも来るし、受付の仕事も音楽がらみだから成功してる方。もっと下は工事現場やコンビニみたいな全く畑違いの仕事で、いつか売れる日を夢見て頑張ってるんだよ」

「……やっぱり、厳しい世界なんですね」

 

 奥沢さんがしみじみとした表情で呟く。

 

 そう、音楽は厳しい世界だ。

 

 売れる一握りのアーティストの下にはその1000倍のアーティストの死体が埋まっている。成功者の立つ輝くステージはいつだって敗北者の屍で塗りかためられてできている。

 

 さらに、その中でも自分の好きなように歌って売れるアーティストは更に少ない。音楽が氾濫する現在、大衆の耳と心を掴むキャッチーな曲でなければこの世界で生き残ることは難しい。

 

 アーティストたちはそんな理想と現実の狭間で揺れ続ける。そして、現在が理想を押し潰してしまったその瞬間、アーティストは死ぬのだ。27歳の時、散弾銃で自らの脳天をぶち抜いて伝説となったカート・コバーンのように。

 

「まぁ、芸術系はどこもそんなもんさ。でも、今はガールズバンドはブームの中心だからチャンスだよ。ガンガン攻めて攻めて世界を幸せ(ハッピー)にしていこうぜ」

 

 でも、少なくともそんな悩みは今の《ハロハピ》には不要なものだ。彼女たちにはいつだって底抜けに明るく、能天気に、世界を幸せ(ハッピー)にしてもらわなくてはならない。

 

 世界を変えるのはいつだって、若くて新しい力なのだから。

 

「といっても、私がやることはピンクのクマになってステージで踊ることだけなんですけどねー」

「ははは、クマになって踊るだけで世界が平和になるなら、いくらでも踊ればいいじゃないか」

 

 それは何気なく放った一言だったが、そう言った瞬間に奥沢さんの笑顔がひきつったのを俺は見逃さなかった。

 

 あっ、ミスったわ、これ。

 

「あっ、言いましたね? それじゃあ鳴瀬さんも一緒にクマになって踊りましょう。二人で踊れば効果も二倍ですよ、多分。黒服の人たちに頼めばすぐに鳴瀬さんの分も作ってくれますよ?」

「えっ、いやいや、ミッシェルは奥沢さんあってのミッシェルだからね?」

 

 慌ててフォローを入れるも時すでにお寿司。ではなく遅し。

 

「じゃあ、鳴瀬さんのクマはミッシェルにそっくりな別のキャラクターということにしましょう。名前はミッチェルにして、ミッシェル先輩の言うことに絶対服従の素直な後輩って設定なんてどうです?」

「すみませんでした……」

 

 その後も、他のメンバーのところに着くまで奥沢さんにペコペコ頭を下げる俺の姿を見て、みんなは首を傾げたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「よーし、三番の控え室は確かここだな。オッケー、みんな。俺たちの控え室はここだ。さっきも言った通り、《Afterglow》さんと《セントラルパーク》さんとの相部屋だから、あまりはしゃぎすぎないこと。んでいい機会だから色々話してみなよ。《セントラルパーク》さんはまだ来てないみたいだけど、《Afterglow》さんはもう入ってるみたいだから」

「はーい!」(×5)

 

 《ハロハピ》メンバーがしっかり返事をしたのを確かめると、俺は控え室の扉をノックする。

 

 コンコン、「ハーイ!」

 

 返事を確認してから中に声をかける。

 

「すみませーん、同室の《ハロー、ハッピーワールド!》です。入室させていただいてもよろしいですか?」

 

 すると、中から少し焦ったような声が聞こえる。

 

「えっ!? 男の人がいるの!? あ、マズい、モカちゃん早く着替えて、着替えて! 『おー、ツグがツグってきましたなー』 いいから早くしてー! すみませーん、今メンバーが着替えてるので少し待っていただいてもよろしいですか?」

「あ、わかりましたー」

 

 どうやら、中では《Afterglow》のメンバーが着替え中だったようで、どたばたとした音が聞こえてくる。

 ひとしきり騒がしい音が響いたあと、ほんの少しの静寂の後に控え室から声が聞こえる。

 

「お待たせしましたー。どうぞお入りくださーい!」

「お、入っていいってさ。じゃ、元気よく挨拶しろよー。失礼しまーす」

「失礼しまーす!」(×5)

 

 控え室の扉を潜ると、そこには《Afterglow》のメンバーが4人いて、全員が椅子から立ち上がって俺たちを出迎えてくれた。

 俺の記憶では《Afterglow》は5人構成だったはずなので、もしかするとリーダーは挨拶回りか打ち合わせに出ているのかもしれない。

 

 俺がキョロキョロと《Afterglow》を見回していると、その中の一番背の低い女の子が一歩前に進み出てきた。

 

「こんにちは! 私は《Afterglow》のキーボード担当、羽沢つぐみです。リーダーのひまりちゃ……じゃなかった、上原ひまりは今他の控え室に挨拶にいっているので代わりとなりますが、今日はよろしくお願いします!」

 

 軽いお辞儀とともに差し出された羽沢さんの手を握り返して俺も挨拶の言葉を返す。

 

「ご丁寧にどうも、羽沢さん。俺は基音鳴瀬、《ハロー、ハッピーワールド!》には演奏とかのアドバイザーみたいな形で関わらせてもらってる。実際にステージでやるのは後ろの5人だからよろしく頼むよ」

「はい、こちらこそ!」

 

 そうして俺たちが固く握手を交わしていると、羽沢さんの後ろからひょっこりと淡い色の髪の毛の女の子が顔を出す。

 

「おやおや~? そこにいるのはもしかしなくても薫先輩ではないですか~」

 

 女の子が薫に声をかけると、薫も親しげに返事をする。

 

「おや、そういう君は青葉さんだったかな?」

「あれ、薫、この子とは知り合いか?」

「ああ、というよりも《Afterglow》は私と同じ羽丘女子学園出身のバンドだからね。全員顔は知ってるよ」

「なんだ、そうだったのか」

 

 その言葉に黒髪に赤のメッシュを一房入れた少女が頷く。

 

「私たちも、瀬田先輩のことはよく知ってます。演劇部では先輩は有名人ですから。バンドもやってたことには少々驚きましたけど。私は、美竹蘭です。初めまして……ではないですよね、基音さん?」

 

 探るような調子で尋ねる美竹さんに俺は首肯で応える。

 

「ああ、俺のこと覚えててくれたのか。そうだよ、《バックドロップ》のときに《Afterglow》とは何度かご一緒させてもらってる」

 

 そう答えた瞬間、美竹さんの頬が少し緩むのが分かった。

 

「やっぱり。お久しぶりです基音さん。以前はお世話になりました。今日は《バックドロップ》としての参加ではないんですね」

「ああ、色々あって《バックドロップ》は無期限休止だよ。だから今は空いた時間に他所のバンドの面倒をみてるんだ」

「そうなんですか、もったいないですね。《バックドロップ》は今まで見てきたバンドの中でも、とてもレベルが高かったから」

 

 美竹さんは残念そうな表情で小さな溜め息を吐く。その様子から、彼女が決してお世辞で《バックドロップ》を褒めていないことが分かる。

 

 ……やっぱり、《バックドロップ》の方向性はあれで間違ってなかったんだよ。

 

 俺の考えが間違っていなかったことを改めて認識し、しかしそれがどうしようもならないということに歯噛みしそうになったが、美竹さんの前ということを思い出して踏みとどまる。

 

「まぁ、時がくれば復活することもあるさ。楽しみにしててくれよ。そして、今の俺は《ハロー、ハッピーワールド!》の一員だからな、ガールズバンドの先輩としてこいつらと仲良くしてやってくれるとありがたい」

「こちらこそ、仲良くしてもらえるとありがたいです。《バックドロップ》も楽しみにしてますから」

 

 そう言い残して、美竹さんはすでに話に花が咲いていた他のメンバーたちの輪に加わっていく。

 なんだかんだで同じガールズバンド同士どうやらうまくやれそうである。

 

 ……《HS DM》への挨拶はもう少し後でいいかな。

 

 折角の盛り上がりに水を差すのもあれかと思い、俺はそのまま彼女たちの会話を少し見守ることに決めたのだった。

 

 




ということで控え室での《Afterglow》との交流編でした。

次は《HS DM》との交流、そしてその次でライブ本番にいきます。絶対に、いきます(こんにゃくのように固い決意)。


なんかこれ書いてる途中で日間ランキング見に行ったら二次創作10位、総合19位になってて、どういうことなの……(困惑)状態です。

とにかく頑張ります! 島村◯月がんばります! 私にはサイドステップしかないから……。

というわけで計画通りお盆中に初ライブは終わらせまーす!多分ね!


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野良ベーシストは仲間を信じる(中編2)

続きました。
初ライブ編最終回中編その2!

これ書いてる時点で日間ランキング9位、総合で14位でした。ありがたや、ありがたや。

この作品が多くの人の目に触れているのも、支えてくださった皆様と『バンドリ』という素敵コンテンツのお陰!

皆さんの期待を裏切らぬように、『バンドリ』らしさが出るように頑張りまぁす!

今回はオリジナルバンド《ハニースイートデスメタル(HS DM)》との控え室での絡みがメインになります。

(きた)るライブシーンに向けて、ギアを一つあげていくゾッ!


 《ハロー、ハッピーワールド!》と俺が控え室に入ってからしばらくたった。《Afterglow》のメンバーと和気藹々と話しているうちに、もう一つのバンド《セントラルパーク》も控え室に入り、ますます少女たちの話には花が咲いた。

 

 そして、やっぱり《セントラルパーク》は俺が知っていたグループではなくて、女子高生三人組の3ピースバンドだった。

 ただ、まるっきり前の《セントラルパーク》と無関係ではないらしく、どうやらギターの子がオリジナルメンバーとの知り合いらしい。「私たちはバンドで世界を救う」なんて熱いことを言っているので、ペグ子たち《ハロハピ》と方向性が似ている気がしないでもない。

 

 ……つーか、《セントラルパーク》のドラムの子、どっかで見たことあるんだよなー。もしかして、実はもう有名人だったりするのか……?

 

 そんなどうでもいいことを考えていると、《Afterglow》の羽沢さんが「あっ!」と声を上げた。

 

「どうしたの、つぐみん?」

 

 羽沢つぐみと北沢はぐみで名前が似ていることから、かなり仲良くなっていた北沢さんが羽沢さんに声をかける。

 

「お喋りに夢中になってて忘れてたけど、ひまりちゃん、戻るのおそいなーって」

「ああ、実は私もそう思ってた。少し心配だな」

 

 羽沢さんの言葉に美竹さんも同意する。

 

 確かに、挨拶回りにしては少し帰りが遅いと俺も思う。

 

「ひまりのことだから迷子になってたりして~」

「ははは、あり得ない……って言い切れないよな、ひまりだし」

 

 青葉さんが軽口を叩いて、宇田川さんがそれに同意する。なんだかひどい扱いのようだが、それでも言葉の端々には上原さんへの気遣いが伺え、それが《Afterglow》のメンバーの間に流れる確かな絆を感じさせる。

 

 ……じっくり関わったことはなかったけど、いいバンドだな《Afterglow》。

 

 このバンドとここで絆を結べたのは《ハロハピ》にとっては想像以上に大きな収穫だったかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、俺はゆっくりと椅子から立ち上がる。

 

「それじゃあ、うちの《ハロハピ》が挨拶がてら上原さんを探してみようか?」

「えっ! そんな、ご迷惑じゃないですか?」

 

 俺の申し出に羽沢さんが慌てて立ち上がろうとするが、それを手で制する。

 

「いや、上原さんが戻って挨拶してから挨拶回りに伺う予定だったけど、このままだといつになるかわからないからね。そろそろ動こうと思ってたタイミングなんだ」

「そうだったんですか」

「うん、もし上原さんに会えたらそこで挨拶もできるから一石二鳥だし。まぁ、任せといてくれよ」

「では、申し訳ありませんがお願いします!」

 

 羽沢さんが頭を下げると、他の《Afterglow》のメンバーもそれに続く。

 

「不束者ですが、ひまりのこと、どうかよろしく~」

「それ、なんか違うぞモカ。でも、よろしくお願いします基音さん」

「ひまりのこと、頼みました!」

 

 《Afterglow》のメンバーに頷くと俺は《ハロハピ》のメンバーたちの方を向く。

 

「ということだ、今から挨拶回りもかねて上原さんを探すぞ」

「おー!」(×5)

 

 俺の言葉でみんなが威勢よく立ち上がる。

 

 ……さてさて、この挨拶回りが、吉と出るか凶と出るか。

 

 上原さん捜索でうまい具合にカモフラージュされてはいるが、《ハロハピ》にとってはこれが最大の壁となる《HS DM》との初遭遇(エンカウント)となる。《HS DM》のメンバーを前にした《ハロハピ》は平静を保てるのか、あるいはプレッシャーに呑まれるのか。

 

 ……ま、なるようになるか。

 

 細かいことはことが起こってから考えることに決めて、俺は控え室の扉に手をかけた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 控え室を出て十数分、本丸である第二控え室を残して、俺と《ハロハピ》は第一と第四控え室への挨拶を済ませていた。

 挨拶に対する他のバンドの反応はおおむね好意的で、特に第一控え室で今回のライブのトップバッターを務めることになった《Poppin'Party》のメンバーは、同じ世代のガールズバンドということもあり、もっと話がしたそうな雰囲気を醸し出していた。こんな形で色々な同年代のバンドと繋がれるのは《ハロハピ》にとっては大きな収穫だったといえるだろう。

 

 しかし、肝心の《HS DM》への挨拶はまだこれからだし、《Afterglow》のリーダーである上原さんともまだ出会うことができていない。

 

 もしも上原さんがいるとするなら、残された場所は《HS DM》もいる第二控え室しかあり得ない状況である。

 

 そういえば、薫と同じ羽丘女子学園出身なら上原さんも《HS DM》にとっては後輩なんだよな。もしかすると、そのせいでメンバーに絡まれてたりして。

 

 そんなことを考えながら俺たちはいよいよ最後の扉、第二控え室の前に辿り着いていた。

 足音が止まるのを確認してから、ゆっくりと後ろを振り返る。

 

「よし、挨拶回りもいよいよラストだ。この第二控え室に《HS DM》が、そしておそらく上原さんも一緒にいる。準備は良いか?」

 

 みんなの首が縦に振られ、ペグ子が一歩前に進み出る。

 

「もちろんよ! さぁ、扉を開けて頂戴、鳴瀬!」

 

 流石ペグ子、ずいぶんと勇ましいじゃないか。やっぱりこいつはリーダーの器だな。

 

 俺は少し微笑んでから、ペグ子の言葉に力強く頷いて、扉に手を伸ばす。三回ノックしてから中に向かって呼びかける。

 

「すみませーん!」

 

ハーイ!ダレカナー?

 

 中から返事の声が聞こえる。《HS DM》のメンバーだろうか?

 

「演奏順がこの部屋の次になる《ハロー、ハッピーワールド!》です。挨拶に来ました、入っても宜しいですかー?」

 

ドウゾー!

 

 許可の言葉が聞こえたのを確かめて、全員に聞こえるように「いくぞ」と呟く。

 

 そして、ついに俺はその扉を開けた。

 

 そこで俺と《ハロハピ》が目にしたものはーー

 

「キャー! ひまりちゃんかわゆーい! うちらの妹になってー!」

「そ、そんな、照れますね……! でも、やっぱり皆さんのスタイルは凄いですね……。私、ちょっとこの衣装はウエストがきついです……ううっ(涙)」

 

 ーー《HS DM》のメンバーに囲まれてファッションショーをしている《Afterglow》リーダー、上原ひまりの姿だった。

 

「え、なんだこれ? どういう状況だ?」

 

 よく解らない状況に頭が追い付かないでいると、涙目の上原さんを《HS DM》のメンバーが次々にフォローし始める。

 

「あ、ひまりちゃん泣かないで! 全然大丈夫だよ、可愛いよ!」

「そーそー、それってオレの衣装だからすっげぇ細身に作ってるもん。オレって健康診断だと痩せすぎっていっつも言われるからさ」

「うんうん、そんなことないって! それくらい肉付きがよかった方が男どもの食い付きがいいんだよ! なぁ、あんたもそう思うだろ!?」

「えっ、俺!? ま、まぁ、普通にかわいいと思う、よ? うん。」

 

 ……しまった、なんか普通に答えてしまった!

 

 まさか《HS DM》のドラム担当、AKIRA(晶)さんから急に話を振られたられたせいで、上原さんのスタイルを咄嗟に評価する羽目になるとは。

 

「そ、そうですか! ありがとうございます!」

 

 上原さんもお礼を言ってはいるものの、恐らくよく知らないであろう男の俺から急に評価されたせいで、恥ずかしさから顔を真っ赤にしている。

 

 ……き、気まずい!

 

 しかし、そんな俺と上原さんの気持ちなどお構いなしに《HS DM》の面々は再び上原さんを褒め称える。

 

「だから言ったじゃ~ん! ひまりちゃん、マジでかわいいって!」

「あ~、なんかオレ、ひまりちゃん見てたら、もう男じゃなくて女の子でもいいかって気分になってきたな」

「それな! 分かりみがスゴイ!」

「ね~、ひまりちゃ~ん、本当にうちらの妹にならな~い? なんなら《Afterglow》のバンドごとだっていいよぉ~?」

「えっ!? あの、その、こ、困ります!」

 

 ……はっ! 駄目だ、話がまた元にループしている気がする!

 

 《HS DM》の熱烈な歓迎を受けて困惑する上原さんを見て俺は正気に戻った。自分以上に混乱する人間が目の前にいたら相対的に冷静になれるというやつだ。

 

 俺は上原さんに助け船を出すため、「パンパン」と手を二回叩いて全員の注意を引き付ける。

 

「すみませんがちょっとよろしいですかね?」

「んー?」「あらら?」「んぁ?」「お?」

 

 俺の言葉に《HS DM》の4人の顔がようやくこちらを向く。どうやらリーダーのギターボーカルのYUKI(結城)さんがいないみたいだが、取りあえず今のメンバーだけにでも挨拶を済ませた方がいいだろう。

 

 俺は頭を軽く下げて一礼してから挨拶の口上を述べる。

 

「改めまして、本日《HS DM》の後に演奏させていただく《ハロー、ハッピーワールド!》の基音鳴瀬です。今日はよろしいお願いします」

「おぉ、なんだ? オレは《ハロー、ハッピーワールド!》はスタッフからガールズバンドって聞いてたぞ?」

 

 俺の挨拶に真っ先に反応したのは、ベーシストのRYOKA(涼華)さんだ。身長公称142cmでやせ形の体型の彼女は見た目は女子中学生に見える。しかし、その強烈なパフォーマンスはリーダーに負けず劣らずで、スレッジハンマーでマネキンを頭頂部から叩き潰す、ネイルガンで蜂の巣にするなど凶暴性は《HS DM》最強とまで言われる。

 

 彼女が告白してフられた男は、二度と陽の目を見られない姿にされて、未だにどこかの地下に監禁されているというのはファンの間では定説になっている。

 

「そうです。RYOKAさんの言う通りで俺はバンドのアドバイザーでステージには立ちません」

「おー、そうなのか。マネージャー的なあれか?」

「どちらかというと演奏指導がメインですけどね」

「なるほどな」

 

 俺の答えにRYOKAさんが納得といった様子で頷く。

 

 ちなみに、《HS DM》のメンバーは全員が女子大生でRYOKAさんは三回生なので、実は二回生の俺よりも一つ年上だったりする。俺の言葉遣いが丁寧なのもそのためだ。

 

「というわけで、こっちがステージに立つ《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーです。リーダーは真ん中の弦巻こころがやってます。よし、みんな挨拶して」

「よろしくお願いします!」(×5)

 

 軽く紹介を入れて俺が脇に退くと、ペグ子たちが前に進み出て頭を下げる。特に怯んだ様子もなく、堂々としたその態度に一安心する。

 

「おいおいおい、こいつら全員めちゃくちゃレベル高いじゃねえか! 美少女だぞ、美少女!」

 

 《ハロハピ》の挨拶に真っ先に反応したのはAKIRAさんだ。身長180cm超えの彼女は可愛いものに目がなく、歴代の彼氏も全員彼女より頭一つぐらい身長が低い逆身長差カップルだったのだが、毎回彼氏をあまりに可愛がってしまうために、耐えきれなくなった彼氏が夜逃げ同然に逃げ出してしまうらしい。

 

「あら、ありがとう! でも、あなたもとってもかわいいわよ!」

 

 容姿を褒められたこころが素直にお礼を言ったその瞬間、AKIRAさんが音を立てて椅子から立ち上がる。

 

「……LENA。空いてる衣装ケースってあったか? この子、詰めて家に持って帰るわ」

 

 えぇ……マジか……。

 

 目の前で堂々と繰り出される犯行予告に、ペグ子を除く一同がドン引きしていると、話を振られたキーボードのLENA(麗奈)が(たしな)めるように口を開く。

 

「ダメだよAKIRAさん。確かにこころちゃんが可愛らしいのは分かるけど、せめて今日のライブが終わるまでは我慢しなきゃ!」

 

 いや、その窘め方はおかしい!

 

 俺と奥沢さんは反射的にツッコミを入れそうになったがすんでのところで踏みとどまった。

 

「おー、そうだったな! いやー、悪い悪い。こころちゃん、ライブが終わるまで待っててくれよな!」

「なんのことかはよく解らないけど、いいわよ! 後で一緒に沢山お話しましょう!」

「くぅ~! おい、さっさとライブを終わらせようぜ! スタッフに前倒しにできないか誰か頼んでくれよ!」

 

 ……いかん、このままではガチでペグ子が拉致される。

 

 ペグ子を奪われまいとする黒服の人たちと、それを千切っては投げるAKIRAさんが修羅のような争いを繰り広げる光景が鮮明に頭に浮かんだ。

 

 流石に口を挟まないとヤバいと思ったその時、今まで事態を静観していたギタリストのFUMINO(文乃)が口を開いた。

 

「ちょっとAKIRAー、法に触れることはチョメチョメだぞー?」

「え、これって法に触れるのか!?」

「いや、思いっきり誘拐だと思うんですが」(×2)

「おー、ナイスツッコミあざまーっす!」

 

 流石に我慢できなくなった、俺と奥沢さんがツッコミを入れると、FUMINOさんがすかさず持ち上げてくれる。

 こんな気配り美人のFUMINOさんを彼女にしておきながら、他の女と浮気する男が世の中にはいるのだからけしからんことである。

 

「いやー、でもお持ち帰りしたいってAKIRAの気持ちもわかっちゃうなー。《ハロー、ハッピーワールド!》、どの子もレベル高いしー、そこの背の高い子なんて王子様みたーい」

「お褒めに預かり光栄です」

「きゃー! 仕草まで王子様っぽーい! 最高ー!」

 

 FUMINOさんはどうやら薫が気に入ったようでペタペタとボディタッチしている。

 

 そして、気がつけばいつの間にか他のメンバー同士もなんだかんだで歓談モードになっている。

 

 俺は松原さんと話し込んでいる上原さんを見つけると、すかさず側へと駆け寄った。

 

「上原さん、お世話になります。《ハロー、ハッピーワールド!》基音鳴瀬です。さっきは失礼をして申し訳ない」

「あっ、どうも! 《Afterglow》のリーダーをさせてもらってます、上原ひまりです。こ、こちらこそさっきは取り乱してしまって……」

 

 そう言って上原さんは頬を染めて俯いてしまう。やっぱり恥ずかしかったらしい。

 

「いや、あれは全面的に俺が悪かった、ごめんな」

「いえいえ、いいんですよ。私も誉めてもらって嬉しかったですし。それと、間違いだったら申し訳ないんですが、基音さんって前に別のバンドでお会いしませんでしたか?」

「そうそう、ちょっと前まで《バックドロップ》ってバンドで活動してたときに《Afterglow》とは何度かご一緒させてもらってるよ」

 

 俺が答えると、上原さんはその顔に笑顔を浮かべる。

 

「やっぱりそうでしたか! 前とは違う形ですが今日もよろしくお願いします!」

「こちらこそ。……そうだ、あんまり帰りが遅いから美竹さんたち他の《Afterglow》のメンバーが心配してたよ。一度控え室に戻ったら?」

「あっ、いけない!」

 

 上原さんはハッとした表情で口元を押さえる。

 

「《HS DM》の皆さんの相手は《ハロハピ》でやっとくから、すぐに戻りなよ」

「何から何までありがとうございます。はぁ~、帰ったらまたモカたちにからかわれるんだろうな~」

 

 がっくりと肩を落としながら上原さんは部屋の入り口に向かう。

 

「すみません、ちょっとメンバーが呼んでるみたいなので失礼します! 《HS DM》さん、《ハロー、ハッピーワールド!》さん、また後でよろしくお願いします!」

「ひまりちゃんありがとね~! またライブで会いましょ~!」

 

 FUMINOさんが去り行く上原さんの背中に手を振って、他の全員も上原さんを見送る。取りあえず、上原さん捜索のミッションはこれで完了だ。

 

 そして、もう一つのミッションである《HS DM》との挨拶なのだが。

 

「これはもう成功してるな」

 

 世代は少し違うとは言えどやはり同じガールズバンド、話の種には事欠かないらしく俺の心配は急にだったようだ。

 

 これで後はリーダーのSAKI(咲)さんに挨拶できたら大丈夫かな。

 

 そんなことを考えていると、俺の背後で控え室のドアが勢いよく開いた。

 

 全員の視線がドアに集まるなかで、ゆっくりと控え室に入ってきたのは他でもない《HS DM》のリーダーSAKIさんその人だった。

 

「悪い、遅くなった。スタッフがそろそろうちらのリハだから楽器を用意しろってさ」

 

 喋りながら入ってくるSAKIさんは、俺の姿に気がつくと怪訝な表情を浮かべる。

 

「あれ? 《バックドロップ》の鳴瀬君じゃん?」

「あ、俺のこと覚えてくれてましたか。そうです、《バックドロップ》のときに何度かライブで一緒になった鳴瀬です。今日は俺がアドバイザーをしてるバンド、《ハロー、ハッピーワールド!》がステージでご一緒するので挨拶に来させていただきました」

 

 なるほど、怪訝な表情だったのは俺のことを覚えてくれていたからか。それにしても、共演したのは《ハニースイート》時代なのによく覚えてくれてたな。

 

 SAKIさんの記憶力に舌を巻きながら頭を下げる俺に、彼女は笑いながらヒラヒラと手を振る。

 

「おいおい、年下だからってそんなにかしこまらなくていいよ。いっこ差なんてタメみたいなもんだろ」

 

 そう言って気楽にしてくれという態度のSAKIさんに、俺はあくまでも目上への態度を崩さない。

 

「いえ、やっぱりちゃんとスジは通しておきたいんで。それにSAKIさんも含めて、《HS DM》はメジャーデビューを決めた大先輩なんで尚更ですよ」

 

 やはり、同じ道を歩むものとして先達への礼儀というものは大切だと俺は思う。

 例えそれが大成しなかった人たちだとしても、彼らが歩いたからこそ俺たちが今歩いている道がそこにできたのだ。その尊い歩みを疎かに扱うことなど自分にはできない。

 

 そんな俺をじっと見つめるとSAKIさんはにんまりと笑ってから、急に腕を開くと俺の頭をその脇に抱え込んだ。

 

「ええっ!? ちょ、SAKIさん、なにやってるんすか!」

 

 突然の暴挙に戸惑う俺。

 

 そして、それ以上に俺を戸惑わせることが一つ。

 

 む、胸が! 胸が当たってますSAKIさん!

 

 脇に頭を抱えられたことによって、俺の頬の片方には腕が、そしてもう片方には柔らか胸が当たっていたのだ。SAKIさんもそのことには気付いているだろうが、全く同様などは見せないで(顔は見るとこができないが多分そうに違いない)いる。

 

「ふふふ、可愛い奴め。ちょっとお姉さんとお話ししようぜ鳴瀬君」

「分かりました! 分かりましたから頭を放してください!」

 

 必死に解放を要求するも、それが聞き入れられることはなく俺は頭を拘束されたまま控え室の中央まで運ばれて椅子に座らされる。

 

 運ばれていくときに、頬に胸を押し付けられている俺を見て一部の《ハロハピ》メンバーが白い目をしていたのは多分気のせいだと思いたい。

 

 だってしかたないじゃん! 相手は先輩なんだから!

 

 

 

◇◇◇

 

 

「へぇ、鳴瀬君は今は《バックドロップ》抜けてフリーなのか」

「ええ、残念ながら方向性の不一致というやつですよ」

「ははっ、それ、人生で一度は言ってみたいセリフだな」

「笑わないでくださいよ、こっちは大変なんですから」

「悪い、悪い。でも、鳴瀬君のベースの腕が陽の目を見ないのはもったいないな」

「お褒めに預かり光栄です。まぁ、俺もまだバンドは諦めてないですよ」

「ああ、鳴瀬君はバンドを諦めない方がいいよ。これは女の勘だ」

 

 SAKIさんに椅子に座らされてからしばらく、俺はSAKIさんとずっとサシで話していた。俺は《ハロハピ》のことをもっと話しておきたかったが、話題の中心はいつの間にか俺の近況のことにシフトしていた。

 

「はい、だからバンドから離れないために今は《ハロハピ》のために動いてます。後輩の指導をするのもこれでなかなか楽しいもんですよ」

「ははっ、後輩を育てるのに楽しみを見出だすほど枯れる歳でもないだろうに」

「まぁ、そうなんですけどね」

 

 そう言って俺が溜め息を一つ吐いたその時、SAKIさんの目が怪しく光る。

 

 ……なんだ? この目の輝き、なにかで見たぞ?

 

 激しい既視感(デジャブ)の正体に俺が思い至る前にSAKIさんの口が開く。

 

「枯れる、と言えば鳴瀬君。君、合コンに興味とかないか?」

「……はい?」

 

 SAKIさんの口から唐突にこぼれた「合コン」という言葉で、控え室の雰囲気ががらりと変わったのが分かった。周囲のみんなは先ほどまでと変わらず談笑しているように見えるが、明らかに俺たちの会話に耳をそばだてている気配がする。

 

「いや、あれだ。私たちは一応《彼氏絶対デスメタル系》バンドを標榜してはいるが、別に彼氏がいらないわけではないんだ。実際、ホームページなんかでも堂々と彼氏募集中って書いてあるしな」

「はぁ……」

「それで、鳴瀬君は都合がいいことに私たちと同じ大学生、しかも大学は名門早応大学ときてる」

「なっ、マジかよ!?」「おいおい、鳴瀬、お前早応大だったのかよ!」

 

 「早応大」というワードに、ついにRYOKAとAKIRAの二人が完全にこちらに反応した。

 

「早応っつったら、全学部の平均偏差値63ぐらいあんだろ?」

「ええ、まぁ、そうですね」

「早応の名前出すだけで合コンなんて開きたい放題っていうのもマジなのか?」

「俺は興味がないのでやったことないですけど、確かにそういうの目的にしてるサークルは週に何度もやったりしてますね」

 

 二人の質問に答えた瞬間、その目がキラキラと輝き出す。いや、ギラギラの方が適切かもしれない。

 

 なんだ、この目は絶対に見たことがある! どこだ、どこでなんだ!?

 

「そこでさ、鳴瀬君の力を借りて早応の男の子を何人かいいところ見繕って一緒に合コンしようじゃないかって話さ」

 

 SAKIさんがそう言い終わるや否や、今まで静観していた二人も含めて《HS DM》のメンバーが爆発した。

 

「うぉー! 最高じゃねえか!」

「きゃー! リーダーナイスアイデア~!」

「鳴瀬、オレは細マッチョみたいな男がタイプだ! 最低一人は連れてきてくれ!」

「あ、それなら私は細身で長身の知的なタイプがいいな~」

「おいおい、FUMINO、男は全員早応生だぞ? みんな知的に決まってるだろ!」

「それもそうね! なら私は紳士的な人にしてもらおうかな~」

「私は低身長ショタ顔、守ってあげたくなるタイプで頼む!」

 

 箍が外れたように俺に群がる《HS DM》のメンバーを見て、俺はようやくデジャブの正体に気付いた。

 

 ……そうか。あの目は、この間ナショナルジオグラフィックのサバンナ特集の回で見た目だ。ライオン、チーター、ハイエナ……。

 

 そう、それは餓えた肉食獣の目に他ならなかった。

 

 そして、サバンナの、ではなく《HS DM》の女王(リーダー)、SAKIさんも餓えた獣の目で俺を見つめる。

 

「どうやら私以外も期待しているようだ。頼むぞ鳴瀬君。ちなみに、私のタイプはバンドマンだ。前の男は私のバンド活動に理解がなくて逃げられてしまったからな、バンドマンの男なら絶対にその心配はないだろう」

「いや、その、まだやると決まった訳じゃ……!」

 

 抗議の声を上げる俺の頬をSAKIさんの指先が妖しい手つきで這い上がる。それはまるでムカデかクモのような多足の捕食者が這っているかのような錯覚を覚える手つきだ。

 

「ああ、もし手頃な男がいなかったら私は鳴瀬君でもいいな」

「えっ!?」

 

 突然の指名に驚く俺の、その驚愕が抜けきる前に畳み掛けるようにSAKIさんが耳元で囁く。

 

「鳴瀬君は私が求める男の条件を完璧に満たしている。バンドに理解があって、頭も切れて、顔も悪くない。どうかな、もし君さえ良ければ合コンなんか開かなくても私とーー」

「ーーそれはダメよ!」

「っ!?」

 

 SAKIさんの言葉を遮るように、声を発したのはペグ子だった。

 そんなペグ子は、今まで俺が見たことのないような鋭い眼光でSAKIさんの顔を見つめている。

 

 ……もしかして、怒ってるのか?

 

 珍しいペグ子の怒りの表情を受けて、SAKIさんはそれでも余裕の表情である。

 

「おや、可愛らしいリーダーさん。どうしたのかな?」

 

 猛獣の目から爬虫類の目を思わせる粘着質な眼光に切り替わったSAKIさんの視線を浴びて、それでもなおペグ子は怯まない。

 常人なら目をそらしてしまいそうになるその目をじっと見つめ返して、ペグ子はSAKIさんの顔にビシッと指を突きつける。

 

「残念だけど、鳴瀬はあなたとはお付き合いできないわ!」

「おや、それはどうしてだい? 日本ではいつから自由恋愛ができなくなったのかな?」

 

 SAKIさんは涼しげな表情で、突き付けられたペグ子の指を横に払う。それでもペグ子は怯まない。

 

「鳴瀬は私と《ハロー、ハッピーワールド!》を世界を笑顔にできるバンドにしてくれると約束したのよ! だからあなたとはお付き合いしている暇なんかないわ!」

 

 ペグ子のこの言葉に他の《ハロハピ》メンバーも大きく頷き、口々に追随する言葉を放つ。

 

「Mr.鳴瀬は私たちに必要な存在だ。いくら先輩といえどもこればかりは譲れないな」

「鳴瀬くんはベースを教えるのがすっごく上手いんだ! 多分鳴瀬くん以外だったらはぐみはステージに立てるまで達してなかったと思うんだ。だからはぐみもこれからも鳴瀬くんに教えて欲しい!」

「わ、私も今ここに《ハロハピ》のドラマーとして居られるのは鳴瀬さんのお陰です! 鳴瀬さんから学びたいことがまだまだたくさんあるんです!」

「いやいや、このバンドの貴重な常識人をそんなに簡単には手放せませんっての!」

「…………」

 

 成り行きでなってしまった《ハロー、ハッピーワールド!》のアドバイザー。

 

 もちろんバンドに関わる上で手を抜くことなど一切なかったが、それでもどこか自分の居場所はここではないような気持ちが心の片隅にずっと居座っていた。

 

 でも、彼女たちはそんな俺を全力で必要としてくれている。強大な相手にも怯まず立ち向かおうとしている。

 

 ……そうだ、俺は大切なことを見落としていた。

 

 俺はバンドに対して手を抜かないことばかり考えていて、彼女たちとは真剣に向き合いきれていなかった。

 

 考えてみれば、居場所がないなんて当たり前のことだった。だって俺は彼女たちを、《ハロハピ》を最初から一時の関係だと決めつけて距離を取っていたのだ。

 

 俺はまだ、彼女たちの居る場所に辿り着いてすらいなかったんだ。

 

 ようやく気が付いた真実に頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けて動けないでいる俺を置いて、事態はどんどんと進んでいく。

 

 《ハロハピ》メンバーからの一斉攻撃を浴びてなお、SAKIさんはその涼しい表情を崩さない。

 それどころか、まるでつけ入る隙ができたと言わんばかりの嗜虐的な表情を浮かべている。

 

「ふむ。確かに、鳴瀬君は今は君たちと契約しているのかもしれない。しかし、例え先に契約を結んでも、違約金を払って後からより良い条件の契約で上書きすることも可能なはすだ」

「あら、あなたにそんな条件が提示できるのかしら」

「もちろん。私たち《HS DM》はメジャーレーベルからのデビューがすでに内定している。当然、レーベルの関係者とも既にかなりの付き合いがある。もし、鳴瀬君を手放してくれるなら私は違約金がわりに君たちも鳴瀬君もレーベルの関係者に紹介してあげることができる」

「…………!」

 

 ……なるほど、自信たっぷりに言うだけあって提示された条件はかなり魅力的なものだ。

 

 メジャーレーベルの関係者とお近づきになれる機会など滅多にないし、しかもそれが現在日本で十指に入るガールズバンドの紹介でとなれば関係者の覚えもめでたいはずだ。少し前の俺ならころっとそちらになびいていたかもしれない。

 

 でも、今はーー

 

「ーーお断りよ!」

 

 甘い甘い蜜の言葉。誰もが手を伸ばしてしまいそうになるそれをペグ子は堂々とはね除ける。

 

「わたしは、誰かに与えられた力で世界を笑顔にしたいんじゃないわ! わたしは、わたしたちの力で世界を笑顔にしたいのよ!」 

 

 その言葉に一切の瑕疵はなく。

 

「わたしの、薫の、はぐみの、花音の、美咲の、ミッシェルの、そして鳴瀬の、《ハロー、ハッピーワールド!》全ての力で世界を笑顔に変えるのよ!」

 

 故に、その言葉は俺の胸に深く響いた。

 

「……なるほど」

 

 その言葉を聞いたSAKIさんの表情から初めて余裕の色が消える。

 それはすなわち、ペグ子が彼女にとって対等の敵として認識されたことに他ならなかった。

 

 SAKIさんの雰囲気の変化は察しのいいペグ子も気づいたところだろうが、それでも彼女は攻めの姿勢を崩さない。

 

 なぜならそれこそが、その前しか向かない姿勢こそがペグ子ーー弦巻こころの真骨頂なのだから。

 

「でも、このことはここできっちりけりを着けないと駄目だとわたしは思うの。だから勝負しましょう!」

「ほう、では勝負の内容はどうしようか?」

「勝負の内容はもちろん今日のライブよ! もし、今日のライブが私たち《ハロハピ》全員が満足がいくものなら私たちの勝ち! あなたは鳴瀬から手を引いてね!」

「ふむ……」

「もし私たちの一人でも満足ができなかったらそのときは私たちの負けよ。残念だけど鳴瀬はあなたたちに進呈するわ」

「えっ、勝手に進呈されても困るんだけど!? ちょっと!?」

 

 ペグ子の口から恐るべき人身売買の言葉が飛び出したことに対して抗議するも、俺の言葉を無視して二人のリーダーのやり取りは続く。

 

「……その条件ならば、もし満足していないのに満足しているとそちらがいくらでも偽ることができる。勝負にならないのでは?」

「わたしは、絶対に自分の気持ちに嘘なんかつかないわ! 他の《ハロハピ》のみんなだってそうよ!」

 

 ペグ子の言葉に全員が即座に頷く。

 

 その様子を見たSAKIさんは大きく首を縦に振った。

 

「その勝負乗った! もし私たちが勝てば、鳴瀬君の身柄は即刻私たちが確保させてもらうがいいかな」

「ねぇ、ちょっと待って」

「もちろん! 煮るなり焼くなり好きにしてくれていいわ!」

「あの、俺の意思は……」

「ふっ、ライブ後が今から楽しみだよ」

「もしもーし」

「ええ、本当にね!」

「聞こえてますかー?」

「鳴瀬君!」

「うわっほい!?」

 

 突然の話を振られた俺は変な声で返事してしまう。

 

 SAKIさんは俺の手を取ると熱の篭った瞳でじっと俺の目を見つめる。

 

「今日のライブ、《ハロー、ハッピーワールド!》には一切の満足感を与えないほどに完璧に仕上げてみせる。ライブのアフターは空けておいてくれ。今夜は君を帰さない」

「えっ、あっ、はい」

 

 呆気に取られて空返事してしまった俺の手を離すと、彼女は満足気に優しい表情で微笑む。

 

「言いたいことはそれだけだ。今はまだ君は《ハロー、ハッピーワールド!》の鳴瀬君だ。ライブ後に《HS DM》の鳴瀬君になるまで少しの間お別れだ。大丈夫、すぐに迎えにいく」

 

 SAKIさんの言葉が終わるか終わらないかの内に、控え室の扉が叩かれる。

 

「すみませーん! 《HS DM》の皆さん、リハの順番が来ましたー! 機材を持ってステージまでお願いしまーす!」

「わかりましたー! よし、《HS DM》出るぞ!」

「応!」(×4)

 

 リーダーのSAKIさんの言葉にメンバーが力強く応え、彼女たちは次々に控え室を飛び出してゆく。

 

 最後にSAKIさんが俺にウインク一つ残して去り、控え室には俺たち《ハロハピ》のメンバーだけが残された。

 

 嵐は去った。

 

 そのことを確かめてから、俺は一つ大きく深呼吸をする。

 

 息を吸い。

 

 そして吐く。

 

 心を十分に落ち着けたことを確認して、それから俺はゆっくりと口を開いた。

 

「ど、ど、ど、どうしよう!? なんか勢いで凄い約束をしてしまった気がする!?」

 

 ダメだった。全然落ちつけなかった。

 

 というか、こんなの落ち着けるわけないだろちくしょー!?

 

「お、落ち着いてください鳴瀬さん!?」

 

 奥沢さんが俺を宥めてくれるが、いまの俺の心にはその程度の言葉では染み込まない。

 

「お、落ち着く!? お、落ち着くってどんな状態!?」

「ふっ、それは心の中に儚さを忘れない状態のことさ」

 

 薫は薫でいつも通りよく分からないことを言ってまったくためにならない。

 

「いや、全然わかんないから! あー、もー、ヤバいヤバい! このままじゃ俺、今夜襲われるんですけど!?」

「お、おそっ!? ふぇぇぇ!?」

「鳴瀬くん襲われちゃうの!? はぐみ、ソフトボールのキャッチャーのプロテクター借りてこようか!?」

 

 「襲われる」という言葉を聞いた瞬間、松原さんの顔が真っ赤に染まり、北沢さんはちょっとずれた勘違いをしていた。

 

「大丈夫よ鳴瀬! 私たちが絶対に勝つわ!」

「いや、絶対って相手は本気モードの《HS DM》だぞ!?」

 

 いつも通り何の根拠もないペグ子の言葉に、俺はすかさずツッコミを入れる。

 しかし、ペグ子はその意思の強い瞳でじっと俺を見つめたままだ。

 

「それでも勝つわ! 私たちを信じて!」

「……こころ」

 

 再び重ねられるペグ子の力強い言葉に、俺の中の焦りがスッと引いていくのが分かる。

 ペグ子は、俺の目を、その奥底まで射抜くように真っ直ぐに見て更に言葉を紡ぐ。

 

「だって、わたしたちは最高のバンドマンに育ててもらったんだもの。鳴瀬、あなたが育ててくれたわたしたちを信じて!」

「…………!」

 

 そうだ、何を焦ってたんだ俺は。

 

 俺はペグ子たちと真剣に向き合うって決めたじゃないか。

 

 彼女たちが本気で俺を信じてくれるように。

 

 俺も本気で彼女たちを信じればいい。

 

「信じて、いいんだな?」

 

 俺の問いに《ハロー、ハッピーワールド!》が頷く。

 

「当然よ!」

「ふっ、最高に儚い演奏を約束しよう!」

「もっちろん! 鳴瀬くんのためなら全力全開!」

「わ、私も頑張ります!」

「ま、メンバーを横から持っていかれるのは癪ですからね」

 

 ああ、本当に彼女たちは俺に大切なことを教えてくれる。

 

 ただ、偶然駅でベースを弾いていただけの、本当にそれだけの縁で出会った俺に。仲間に裏切られ、人を信じることを忘れていた俺に。

 

 彼女たちと出会えたことは俺にとって最高の運命だったようだ。

 

「分かった、信じよう。みんなが俺を信じてくれるように、俺も同じだけの熱意でみんなのことを信じてみようじゃないか!」

「……鳴瀬!」

「最高のバンドマンの俺が育てたバンドが負けるはずがない。さぁ、みんな行くぞ。今日ここから《ハロー、ハッピーワールド!》を始めようじゃないか! 最高に楽しみ(ハッピー)に行こうぜ!」

「おー!」(×5)

 

 この瞬間、俺と《ハロー、ハッピーワールド!》は本当の意味で繋がった。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》は未だ成らざる大きな器。

 

 彼女たちの完成への物語は、今ここで産声を上げたのだ。

 

 

 




鳴瀬「《ハロハピ》について本気だして考えてみたら 意外に悪くはないんだと気が付いた 僕は《ハロハピ》について失礼だったみたい も一度丁寧に感じて 拾って集めてみよう」

ということで(?)鳴瀬くんと《ハロー、ハッピーワールド!》の物語はここから本番です。

というか、書いていてオリジナルバンドの《HS DM》が当初の想定と全然違うバンドになってしまった……。本当はステージではやべぇやつらだけど、ステージから降りたら素敵なお姉さまになる予定だったのに、ステージ降りてもやべぇ奴らになってしまった。

まぁ、いいか!(ポジティブ)

次は(本当に)いよいよライブ本番です。

もしかすると今回(13000字超え)よりも長いかもしれません(死)

それでもお付き合いいただける皆様、どうか鳴瀬君と《ハロハピ》の今までの一つの集大成、どうかその目に焼き付けていって下さいませ。


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野良ベーシストは仲間を信じる(後編1)

続きました。
初ライブ編の後編1!

……ん? 「1」? 変だな、後編は1話だけのはずだから「1」をつける必要はないのに……(コナン君)

はい、案の定後編も複数構成になりました。しかも三話構成です(死)
前半はライブ開幕編、今回のトップバッターである《Poppin'Party》の演奏メインでいきます。中編がライバル《HS DM》の演奏。後編は《ハロハピ》のステージとライブのアフターの話になります。鳴瀬くん食べられちゃうね(微笑)

さて、いよいよライブ本番です!

後編での初の試みとして、視点人物を鳴瀬君意外に《ハロハピ》のメンバーなどの女性キャラなんかにもしてみようかと思っています(暴挙)

まぁ、わたくしもなんJお嬢様部で乙女心を学んだ身でございますので、視点人物が少女に変わっても大丈夫ですことよ?(暴論)

ただ、この話ではまだ投入しない模様。

ここが作品の第一の山場となります。

初の試みも投入するので、上手くいっているかどうか、ご意見・ご感想、そしてよろしければ評価などもいただけると励みになります!

そして、今までに評価を下さった皆様、ありがとうございます! 評価の目盛りが二つ目も赤く染まったこと、本当に嬉しく思います!

それでは長くなりましたが本編をどうぞ!



 ライブ。

 

 それは俺たちバンドマンの一つの目標。

 

 俺たちはなんのために痛い思いをして指の皮を割きながら金属の弦を掻き鳴らすのか。

 

 俺たちはなんのために重たい死んだ木を抱えて、汗水を垂らさなければならないのか。

 

 その一つの答えがライブ(これ)だ。

 

 最高の、そこまでたどり着けなかったとしてもその時点で最良の演奏を人々の前で披露する。音楽に関わる者として至高の喜びの一つである。

 

 とりわけ初のライブともなると、それが今後の人生を左右してしまうほどの意味を持つ。

 

 観客たち(オーディエンス)に暖かく迎えられ、次に進む活力を得る者。

 あるいは冷たくあしらわれて、その後の音楽の道すらも断ってしまう者。

 

 今日もまた、ここに一つのガールズバンドが初ライブの時を迎える。

 

 彼女たちの名は、《ハロー、ハッピーワールド!》。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 『school band summer jam 14th』開演20分前。

 

 今日のライブを見にきた客のほとんどが、もう既に《STAR DUST(スターダスト)》の店内に入っているらしく、店内の熱気と密度は中々凄いことになっている。

 

 もちろん、ライブが始まってからの熱気は今の比ではないのだが、ライブが始まる前のこの「今日は何かが起こるような予感がする」といった、観客の期待でジリジリと焼き付くようなタイプの熱気も悪くないと俺は思う。

 

 そんな店内の光景を眺めて俺の隣のペグ子はご満悦といった表情だ。

 

「見て見て、鳴瀬! こんなにいーっぱい人が入ってるわ! これみんな今日のお客さんなのよね!」

 

 まだ開演前だというのに、ペグ子の興奮は最高潮らしく、おもちゃを買って貰えることが決まった子どものようにぴょんぴょんとその場で跳び跳ねている。

 

 いや、「子どものように」じゃなくてマジでただの子どもだな、うん。

 

「んだな。一応、《STAR DUST》のハコのキャパは少なめに見積もって公称350にしてあるんだけど、今日は本当の最大値の400……いや、もしかするとそれより数十人は多く入れてるかもしれんな」

 

 俺は、跳び跳ねているペグ子の頭を上から手で押さえつけながら返事をする。

 

 ライブハウスが客同士の安全面に配慮して、実際のキャパよりも少ない人数しか会場に入れないことはよくある話だ。

 しかし、安全面には十二分に配慮しているはずの老舗のライブハウスである《STAR DUST》が、今日ここまでの無茶をしているのはーー

 

「ーーやっぱり《ハニースイート デスメタル(HS DM)》のためだよな」

 

 俺は、俺たち《ハロハピ》の最大のライバルであるそのバンドの名前をぼそりと口の中で呟く。

 

 先程から店内を見回しながら観客の客層も同時に確かめていたのだが、今日の観客は上は黒のTシャツ、下はダメージジーンズとスニーカーといったラフな格好の人間が多い。これは、メタル系バンドのファンの典型的な正装だ。

 

 《HS DM》がメジャーデビューを成し遂げた理由の一つに、彼女たちの音作りへの拘りがある。

 彼女たちはポップスからメタルにジャンル転向する際に活動休止期間を設けて、メタルの奏法というものをガッツリと身に付けてからステージに舞い戻った。

 

 それに加え、特にボーカルのSAKIさんはデスメタルに欠かせない声の習得にも余念がなく、通常のデスボイスの他にも、グロウル、スクリーム、ガテラル、シャウトといった様々な声を技術から完璧に習得して、なおかつそれを使い分けることができるのだ。

 

 そうした真摯な姿勢が往年のメタルファンのハートをガッチリと掴み、それが《HS DM》の人気を支える原動力の一つになったのだ。

 

 メタル系というジャンルは今日の日本ではバンドのメインストリームから外れたジャンルであると言える。そのため、彼女たちの活躍にメタルバンドの復権を託すファンも多く、一部の熱心なファンたちの間では彼女たちの神格化が始まっているらしい。

 

 ……そんなんだからますます男が近寄らないんだろうけど。

 

 あらゆる事象で頂点を目指そうとすれば、その隣に並び立てる人間は限られてくる。

 

 つまり、デスメタルという狂暴な音楽でガールズバンドの頂点を目指す彼女たちの隣に並び立てる未来の彼氏や旦那は、彼女たちが売れれば売れるほど減っていくというジレンマを抱えているのだ。

 

 誰だって猛獣が隣にいる檻の中で眠りたくはないだろう? つまりそういうことさ。

 

 などと《ハロハピ》の誰かさんみたいな感じで、《HS DM》のことを考えていると。

 

「おーい!」

「あっ、奥沢さん。こっちこっち」

 

 両手に飲み物のカップを抱えた奥沢さんが俺たちに気付いて声をかけてきた。

 彼女はするすると人混みを巧みに抜けると俺たちの前に辿り着いた。

 

「いやー、凄い人になりましたね。あ、これ、頼まれてた飲み物です。鳴瀬さんがブラックのアイスコーヒー、こころがオレンジジュースね。おかわりはカップを持っていくと割引があるみたいなんで捨てないで下さいね」

 

 自分のものも合わせて三個のカップを器用に持っていた奥沢さんは、更に器用に俺とペグ子のカップだけをこちらに手渡してくれる。

 

「サンキュー奥沢さん」

「わーい! ありがとう美咲ー!」

「わっ!? こころダメだよ、飛び付かないで! 飲み物がこぼれちゃう!?」

「おっとあぶない」

 

 いつも通りのタックルで感謝を示そうとするペグ子が奥沢さんの腰に食らいつく寸前で襟首を掴む。

 抱きつこうとして空振りした腕を交差させて離れていくペグ子を見て、奥沢さんは額の汗を拭った。

 

「ふー、間一髪。鳴瀬さん、ありがとうございます」

 

 軽く頭を下げる奥沢さんにヒラヒラと手を振る。

 

「おうおう、気にしないでいいぞ。それより、他の3人はどうしたんだ?」

「あー、花音先輩たちは物販を見てからドリンク買うって言ってましたよ」

「そうか、確かに演奏途中で抜け出したくないなら、今しか行くタイミングはないわな」

 

 ライブではそのバンドのCDやグッズの物販会場が併設されていることが多い。ライブを聞いて「これだ!」と思ったバンドのアイテムをその場で買えたり、会場限定のグッズが販売されたりと有力なバンドが出演するときには大変な盛況となる。

 

 しかし、座席指定のないライブハウスでは演奏を聞いて物販に抜け出すと戻ってきたときによい場所が空いていないことはざらにあるし、先行組に買い荒らされてグッズが既に売り切れていたということもある。

 かといって最初に無名のバンドのグッズを買いに走ると演奏を聞いて大したことがなかったなんてハズレを引くリスクを抱えることになるため、物販に並ぶタイミングは中々シビアだ。

 

 特に、今回は《HS DM》の物販があることもあり、売り切れる前に多くの客が物販に殺到することをが想定された。

 そこで俺は敢えて物販を捨てることで、ライブを絶好のスポットで見ることを選んだのだが、その読みは見事に当たり、観客席の中央やや前よりというベストプレイスを確保することに成功した。

 

 客席は前に寄りすぎると全体像が見えず、かといって後ろに下がれば臨場感がない。ある程度全体が見渡せる中央、そして臨場感が味わえるやや前が理想的なポジションなのだ。

 

「しかし、物販に3人が並んだとなると合流して一緒に観るのは厳しいかな」

 

 そろそろ開演時間も迫り、客席は徐々にその密度を高めている。密集したハイテンションの客の中で自在に動くことは不可能に近い。

 

「あっ、その心配はないみたいですよ?」

「ん?」

 

 そう言って奥沢さんが指差した方を見ると、松原さんたち3人が手を振りながらこちらにやってくる。その手にはしっかりとドリンクも確保していた。

 

「お待たせしました~!」

「おーう、お疲れ。早かったな、目当てのものは買えたのか?」

 

 予想よりも早い合流に、買い物の成否が気になった俺が尋ねると、薫が首を横に振る。

 

「いや、実は私たちは物販には買い物に行った訳じゃないんだ」

「え、じゃあ何のために行ったんだ?」

 

 買い物以外に物販に行く意味などあるのかと首を傾げていると、その答えは北沢さんの口から飛び出した。

 

「それはね、物販でどんなグッズがあるのか確かめておいたら今度《ハロハピ》のグッズを作るときの参考になると思ったんだー!」

「ああ、私も子猫ちゃんたちが買い求めたくなるようなグッズのビジョンが浮かんだよ!」

 

 北沢さんは胸の前で力強く握り拳を作り、薫は天井を仰いで両手を広げる。どうやら二人とも収穫ありという感じらしい。

 

「はー、なるほどな」

 

 確かに、他のバンドの売れ筋のグッズやデザインなんかを見ておけば、今後自分たちがそれを参考にグッズを作ると無駄がないのかもしれない。

 

「凄いわみんな! そんな先のことまで考えてくれているなんて!」

「えへへ、はぐみ、ナイスアイデアでしょ!」

 

 北沢さんのアイデアに喜んだペグ子が彼女に駆け寄り、二人は手を取り合って楽しそうに笑い合う。

 

 ……みんな《ハロハピ》が絶対に売れると思ってるんだな。

 

 彼女たちは本当に一分の疑いもなく《ハロハピ》は成功すると信じている。その頭の中には輝かしい未来のビジョンが浮かんでいるのだろう。

 

 そして、それは俺の頭の中にもおぼろ気な輪郭を伴って見え始めている。

 

 その未来が幻想なのか。はたまた現実に訪れる未来なのか。

 

 その答えが出るときはもうすぐそこに迫っている。

 

 ーーブツン!

 

「わっ!? 何、何!?」

 

 会場の明かりが急に落ちて、はしゃいでいた北沢さんが驚きの声を上げる。

 

「Hey hey hey ! Ladies&gentleman, listen listen listen !」

 

 わずかなネオンの明かりのみが支配する薄暗闇の中、スピーカーからライブハウスのMCの声が流れる。声の主は間違いない、Mr.来夢来人こと横瀬さんだ。

 

「いよいよお待ちかね『school band summer jam 14th』の幕開けだ! みんなも知っての通り、このライブの参加資格は『フレッシュな学生であること』、ただそれだけだ!」

 

 《ハロハピ》のメンバーがMCの声に集中するのが気配でわかる。

 

「卵から孵ったばかりのひよっ子(しんじん)も、脂の乗り始めたブロイラー(セミプロ)も、ここでは等しくバンドマンだ!」

 

 そうだ、一度(ひとたび)ステージに上がってしまえば俺たちはみんな等しく「バンドマン」だ。そこには上座も下座もない。ただひたすら実力だけが支配する純然たる音楽の世界だ。

 

「青い春は一度きり、このライブは今日限り 血潮は滾る、手に汗握る ドンと来い若人ーー」

 

 チャンスは一度。全てを賭ける。

 

「ーー彼らの輝き Don't miss it(めにやきつけろ) !」

 

 さぁ、俺たちのステージを始めよう。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「始まったわ! 始まったわ! 始まったわよ、鳴瀬!」

「うっせぇ、3回も言わなくても分かってるよ。やずやですら2回しか言わねぇのに……まったく」

 

 演奏前だというのにはしゃいでいるペグ子を窘めつつも、俺も心がざわついているのがわかる。一度幕が開けたらノンストップ。ライブの高揚感とはそういうものだ。

 

 それに、ペグ子や俺だけじゃなくて他の《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーも同じ思いのようでみんなそわそわした様子だ。

 

 全員の浮わついた気分を紛らわすために、俺は演奏順が書かれたチラシをポケットから出してメンバーの前で広げる。

 

「オーケー、お前ら俺たちの順番は7番手、後半の頭だ。そこまでにはしゃぎすぎてステージでへばるなよ?」

 

 優しい俺の気遣いに、ペグ子は子ども扱いするなというようにほほを膨らませて怒る。そういうところが子どもっぽいんだが。

 

「そんなこと分かってるわ!」

「お前の元気は底無しなのは知ってるから。んで、準備も含めると、6番手のバンドがステージに上がるときには既に舞台袖で控えてないといけない」

「ということは、つまり《HS DM》の演奏はーー」

「ーーそう、舞台袖で聴くことになる。そして、そこに俺はいない。観客席からお前たちを見て、演奏後にアドバイスがいるからな。……いいか、くれぐれも呑まれるなよ(・・・・・・)?」

 

 薫の言葉を拾って続けた俺の言葉にみんなが頷く。

 

「さっきMCの来夢さんも言ってたが、ステージの上ではみんな「バンドマン」だ。上も下もない。だから、最高に楽しんで、最高に暴れてこい!」

 

 そう言って俺が拳を突き出すと、《ハロハピ》メンバーもみんな拳を突き出す。全員で拳を突き合わせ、俺たちは覚悟を決めた。

 

「んじゃ、とりあえずしばらくは観客としてライブを楽しみますか。最初のバンドは《Poppin'Party》だ。多分、実力的に同じぐらいのガールズバンドだろうから精一杯応援してやりな」

 

 俺の言葉にみんなが頷く。

 

「わかったわ!」

「そうだね、控え室では話しきれないこともあったから、その分はここで声援に変えて伝えようじゃないか!」

「うんうん、応援されると嬉しいもんね!」

「わ、私も頑張って声を出します!」

「私もライブって初めてだからちょっと楽しみかな~」

 

 それから少しワイワイと喋っていたところ、ステージに明かりが灯ってお揃いのコスチュームに身を包んだ五人の少女が現れた。

 

 やや、緊張した硬い動きが初々しい五人の中で、角が生えたような面白い髪型の少女、《Poppin'Party》のリーダー、戸山香澄さんがマイクへと一歩進み出る。

 

「皆さん、はじゅめまして! 《Poppin'Party》でしゅ!」

 

 ……噛んだ! しかも2回も噛んだ!

 

 暫しの沈黙がステージを支配したあと、再び戸山さんが口を開いた。

 

「すみません、噛みました!」(言わなくていいって!)

「あ! 有咲ちゃん、声拾っちゃってるよ!?」(だーかーらー、言わなくていいから!)

 

 戸山さんの素直すぎる発言に、後ろのツインテールのキーボード担当、市ヶ谷さんがツッコミを入れて、そのツッコミまでもマイクが拾う。

 

 ドッ! ワハハ! イイゾー、ガンバレー!

 

 いきなりの二人のコミカルなやり取りに、会場から笑い声と声援が飛ぶ。

 

 ……お、思ったより客のノリがいいな。『学生オンリー』だからその当たり理解してる客が多い感じか。

 

 ライブでは客の雰囲気で展開が大きく変わることがある。シビアな客が集まるライブでは、こんなもたついたMCなんてやってたら、総すかんを喰らうことだってあり得る。

 そう考えるとデビュー戦の《ハロハピ》にとって、今日の観客は厳しすぎない一般オーディエンスというベストな観客だと言えた。

 

 ステージ上では戸山さんがわたわたしながらもなんとかMCを続けている。

 

「ご声援ありがとうございます! こんな感じで私たち《Poppin'Party》は、まだまだ未熟なバンドです!(バンドじゃなくてお前がだろ!) でも未熟なりに毎日頑張って練習して、みんなでやれることを全部やりきってここに立ってます! 今日はその全部を出しにいきます。それでは聴いてください、《Poppin'Party》で曲は『夢を撃ち抜く瞬間に!』です!」

 

 なんとか戸山さんが上手くまとめて、いよいよ今日ライブの一曲目が始まった。

 

 対バンライブでは最初のバンドの一曲目はすごく重要な意味を持つ。

 この曲があまりにもヘタだと、後続のバンドと競わせる意味が無くなるし、上手すぎたらハコの盛り上がりが右肩下がりとなり消化不良のライブとなる。

 

 ……そういった点では「学生らしい程よい演奏」が欲しいんだが、さぁ、どう出る《Poppin'Party》?

 

 そんな俺の希望など露知らぬであろう《Poppin'Party》の演奏が始まる。

 

 先程までの私の部屋した様子とは一転、引き絞られた弓の弦のような表情で戸山さんがマイクに向かう。

 

 ……くるか。

 

 彼女の口が開き、静寂が支配するライブハウスに音が生まれる。

 

『夢 撃ち抜く瞬間に キミは何を思うの?』

 

 ……これは。

 

 実は、すごい音楽を聴いて鳥肌が立つという現象は全ての人間に起こることではない。俺自身、今まで凄い音楽を聴いて、感動で固まることはあっても鳥肌が立つことはなかった。

 

 しかし、戸山さんの歌声はそんな俺に鳥肌が立ったと錯覚させるほどの迫力(オーラ)があった。

 

 そして、コーラスが入ると同時に楽器の演奏も始まる。

 

 おお、こっちも悪くない。

 

 まだ全容は判らないが、とりあえずつかみとしては完璧な演奏だ。イントロは100点中90点以上の出来だと文句なしで言える。

 

 さぁ、いよいよAメロだ。今まではお試し期間、ここからが演奏の本番だぞ。

 

 イントロで上げるだけ上げて、中身がなければ意味がない。イントロで期待値が上がった分、その落差は大変なものになる。

 

 それでも、《Poppin'Party(このバンド)》ならやってくれる。

 

 俺には確信めいた予感があった。

 

『はしゃぎながら いつでも追いかけてた』

 

 Aメロに入り、最初の数小節を戸山さんが歌う。

 

 しかし、ここで戸山さんは後ろにスイッチ、入れ替わるようにもう一人のギター、花園たえさんがマイクの側に立つ。

 

『ほのかに光る 夢の欠片』

 

 うぉ、マジか。これ全員で歌っていくパターンの曲か!

 

 初心者バンドとは思えない凝った演出に心が震える。

 

 MCパフォーマンスの時に、マイクがキーボードの市ヶ谷さんの声を拾うほどに感度を上げていたのは、一人のボーカルがマイクに張り付くスタイルじゃなかったからなのだと気づかされる。

 

『きらめく 思い出たち 抱きしめ 踏み出す きみの背中 愛おしい』

 

 ボーカルが入れ替わっていくというスタイルの衝撃が冷めやらぬうちに、曲は最初の山場へ向かう。

 今ボーカルは最初の二人に牛込りみさんを加えた三人だ。しかし、マイクの側にはいないがドラムとキーボードの二人も間違いなく声を揃えて歌っている。

 

 これが《Poppin'Party》のスタイルか。ここはメンバーみんなのハーモニーで輝くバンドなんだな!

 

 一人一人は未だに細い湧水でも、それを縒り集めれば一つの大きな流れとなる。彼女たちはそれを俺たちに見せてくれる。

 

 それを示すようにステージの上で《Poppin'Party》のみんなが顔を見合わせる。それは、互いに信じ合った者たちでしか見せられない最高の笑顔。

 

 ……ああ、バンドに賭けた青春とは、なぜこんなにも美しいのだろう。

 

 イクヨー! セーノ!

 

『青い空に Yes! BanG! Dream! 風に揺れる勇気の歌 約束したあの場所と キミを繋いだメロディ』

 

 サビが終わって曲の一番が終わる。正直、見所しかない演奏だった。

 

 ……いいじゃないか、《Poppin'Party》! このバンドは俺たち《ハロハピ》の最高のライバルになる!

 

 善き強敵(とも)の存在が、自分という存在を更なる高みへ引き上げてくれることがある。彼女たちが《ハロハピ》にとっての強敵になる。そんな確信めいた予感が俺の胸の内に宿った。

 

 そんな新しいライバルの出現に胸を震わせている内に、彼女たちの演奏はもう終盤に差し掛かっていた。

 

『夢見たなら Yes! BanG! Dream!』(Yes!)

『続いていく 明日のうた』(ハイ!)

『約束したこの場所へ キミを届けたメロディ』(イェーイ!)

 

 うわ、すげぇな、即席でコールが入ってるよ。

 

 恐らく身内以外は聴いたことが無いだろう初めての曲。それでも会場の客たちは思い思いのコールを《Poppin'Party》へと送る。

 

 今日の客層がメタル系の人間寄りで、全体のノリが良いということもあるのだろう。

 

 しかし、それを引き出したのは紛れもなくステージの上の彼女たちだ。

 

 最後のコーラスが終わり、一瞬音が止む。

 

 そして、次の瞬間に割れんばかりの拍手がライブハウスに木霊した。もちろんその拍手には俺の、そして《ハロハピ》のものも含まれていた。

 

 拍手の渦がなり止まぬ内に、戸山さんがマイクへと一歩進み出る。2曲目との繋ぎのMCの時間だ。

 

「み、皆さん、大きな声援ありがとうございます! ほとんどの皆さんが私たちの曲なんて知らないのに即席でコールももらって、とっても嬉しいです!」

 

 戸山さんは、会場の声援に感無量といった表情だ。

 

「私たち《Poppin'Party》はこれからも頑張ります! 応援よろしくお願いします! 今日はありがとうございました!」

 

 そう言って戸山さんが頭を下げる。

 

 すると。

 

(香澄~! 何〆に入ってるんだよ! まだ1曲目! あと2曲あるから!)

 

 あきれた声の市ヶ谷さんのツッコミをマイクが拾った。

 

 戸山さんはばっと頭を上げて、市ヶ谷さんの方を「あ!」と叫んで振り返ると、再び観客席へと顔を向けた。

 

「すみません! まだあります! あ、2曲ですよ、2曲!」

 

 ドッ! ワハハ! シッカリヤレヨー! ガンバレー!

 

 慌てた様子の戸山さんに観客から暖かい声援が飛ぶ。

 

 彼女を見ているとドジをしても声援を送りたくなってしまうのは、彼女の人徳故か、あるいは彼女がバンドに賭ける熱意故か。

 恐らくは、その両方なのだろう。

 

 その後、《Poppin'Party》はしっかりと残る2曲を演奏して暖かい拍手に包まれながらステージをあとにしたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

《Poppin'Party》が袖に消えて、次のバンドの準備のために小休止の時間が入る。

 

 客席では観客たちが思い思いにバンドの感想を述べ、耳に入るその多くが好意的なものだった。

 

 実際、俺も《Poppin'Party》は想定よりもよかったと思う。青くまだ熟れきっていないガールズバンド特有の、爽やかさと輝き。彼女たちは正に今回のライブのテーマを体現したかのような存在だった。

 ライブハウスが狙って彼女たちをトップに据えたのかは判らないが、結果としてこれは大成功だ。

 

 そんなことを考えているとTシャツの袖がぐいっと引かれる。そちらを見ると何か言いたくてたまらないといった表情のペグ子と目が合った。

 

「すごいわ! すごいわ! すごいわ、鳴瀬! これがライブなのね!」

 

 目が合った瞬間に、散弾銃のような勢いで放たれるペグ子の言葉に曝される。

 

「うむ、これがライブだ」

 

 ペグ子の勢いを受け止めながら俺は首肯する。

 

 そして、それを見た他の《ハロハピ》メンバーも一斉に口を開く。

 

「ライブ……、なんて儚いんだ! 演劇の舞台にも儚さがあったが、ライブほどの客席との一体感はなかった。バンドと観客とが一体となって作る一回きりの芸術……! ああ、儚さで頭がくらくらする!」

「はぐみもびっくりしちゃった! ソフトボールの時の歓声と同じぐらいのパワーがあるんだもん!」

「うん、《Poppin'Party》もお客さんもすごいエネルギーだったね」

「ライブってこんなのだったんですねー、なんか思ったよりもすごいところに来ちゃってますね……」

 

 全員の饒舌さから、みんな(松原さんは違うかもしれないが)初めて肌で感じるライブのオーラに当てられているようだ。

 

 実際、俺も初めてのライブ参戦では興奮しすぎて終了後は何も覚えていなかった。

 

 しかし、彼女たちにはライブの熱に当てられているだけでは困るのだ。

 

「ああ、みんな理解したか。これがライブだ。しかし、みんなはまだライブの一側面しか見ていない。なぜなら、今からお前らは観客席(こっち)じゃなくて、舞台(あっち)に立つんだからな」

「……!」(×5)

 

 俺の言葉で、浮かれていた《ハロハピ》のメンバーに鋭い空気が流れたのがわかる。

 

「もちろんよ、鳴瀬! だって私たちはそのためにここに来たんだもの!」

 

 そんな中で相変わらずのペグ子が自信満々といった表情で頷く。

 

「へぇ、こころはもう《Poppin'Party》みたいに自分たちがステージに立ってる姿が見えたのか?」

「ええ、もちろん! 彼女たちよりも大きな声援をもらう私たちの姿が見えてるわよ!」

「ははっ、大きく出たなおい!」

 

 ペグ子の言葉に俺は思わず笑ってしまう。

 

 何の根拠もない大それた自信。

 

 それはいつでも若人だけに許された特権だ。

 

 或いは、本当に俺が教えたから自分たちは負けないと思ってくれているのか。

 

 いずれにしても、最高に気分がいいな。

 

 俺は最高の気分のまま、ペグ子の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でてやった。

 

「もう、鳴瀬ったら! レディの頭はもう少し優しく扱ってよね!」

「ははっ、悪い悪い! でも、その気持ちは最高にcoolだ。ステージに立つ瞬間まで、自分こそが最高だってことは忘れるなよ」

 

 俺の言葉にみんなが頷く。

 

「ま、今は観客としてライブを楽しもう。さぁ、そろそろ次のバンドが来るぞ」

 

 俺の言葉を聞いていたわけではないのだろうが、ちょうどその時拍手と共に舞台袖から次のバンドが姿を現す。

 

 煌めく光を浴びるそのバンドの姿の向こうに、俺はそれ以上に煌めく《ハロー、ハッピーワールド!》の姿が見える気がしていた。

 

 




3000文字ぐらい書いた辺りで、突然ブラウザが落ちて文章が飛んだのにはびっくりしちゃったな(白目)

ということで、トップバッター《Poppin'Party》のライブでした。彼女たちは既に何度かライブを経験した一歩先の存在といった設定にしてます。

《バンドリ》といえばやっぱり《ポピパ》は外せないので、最初にこの二次創作を考えたときから、《ポピパ》は絶対に出したかったバンドです。

 ただ、《ハロハピ》ほどに深く読み込んではいないので、もしかするとキャラがぶれてるかもしれません。そんな時は笑って許して(はぁと)

 次はオリジナルバンド《HS DM》のライブです。オリジナルバンドなんてどうでもええんや! という方もおられるとは思いますが、その次の《ハロハピ》の話のためにしばらくお付き合いくださぁい!


そして、私事ですがこれを書いている時点でUAが10000越えました!イェーイ! パフパフ!

本当に多くの人に読んでもらえて嬉しいです!島○卯月、頑張ります!


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野良ベーシストは仲間を信じる(後編2)

続きました。
初ライブ編の後編の2!

この話は予告の通り、オリジナルバンド《ハニースイート デスメタル》のライブ中心となります。

《ハロハピ》の最初の壁として設定したバンドなので、その強さや大きさが表現出来るように、○村卯月、頑張ります!

そして、現在とっているアンケートですが、次の後編3を投下した時点で締め切りとなります!
まだどちらにぶれるか分からない票の差なので、皆様の御意見をじゃんじゃんくださぁい!


「みなさん、声援ありがとうございました。また次のステージでお会いできることを楽しみにしてます」

 

 観客席からの声援を浴びながら5組目のバンド《シオリ・エクスペリエンス》がステージに捌けていく。

 

 このバンドは、なんとギターが部の顧問の先生という新しいタイプの学生バンドだった。先生は当然学生ではないので今回の『school band summer jam 14th』の条件から外れているのだが、他のバンドメンバー6名が全て高校生ということもあって、ライブハウス側の特例で滑り込んだのだ。

 

 しかし、どうして中々、このバンドが凄まじい。

 

 全員の演奏がエモーショナルな上に、ギターの先生はまるでジミ・ヘンドリックスを彷彿とさせるようなソロプレイを見せてくれた。ライブハウス側がルールを曲げてまでここに入れた理由が今でははっきりとわかった。

 

 そして、5組目のバンドである彼らがステージから消えたということはすなわち、《ハロー、ハッピーワールド!》が舞台袖で待機に入る時間が来たということだ。

 

 未だに演奏の余韻に浸っているお客様の《ハロハピ》メンバーたちの方を向くと、俺は声を張る。

 

「みんな、5組目が終わった。だから俺たち《ハロハピ》はそろそろ舞台袖で待機しないといけない」

 

 俺の言葉で、《ハロハピ》の表情が一瞬で引き締まる。

 

 その顔は最早、観客のそれではなく、戦場(ステージ)に向かう戦士たち(バンドマン)のそれである。

 

「前にも言ったが、俺は舞台袖には行けない。みんなの演奏はここでしっかりと目と耳に焼き付けるよ。そして、体はステージと客席で離れても俺の心はいつだって《ハロハピ》と共にある。忘れないでくれ」

 

 言い終わるとみんなが真剣な眼差しで頷く。

 

 そこには一切の不安や迷いなどはなかった。

 

 間違いなく彼女たちは最高の状態で仕上がっている。

 

 俺は彼女たちに頷き返すと、手近にいたペグ子の背中を叩いた。

 

「よし、それじゃあ行ってこい! 忘れ物するなよ!」

「もちろんよ! 行ってくるわね、鳴瀬。観客席まで最高の《ハロハピ(わたしたち)》をお届けするわ!」

「私も、最高のライブを子猫ちゃんたちに届けると誓うよ!」

「はぐみもやるぞー! 教えてもらったことぜーんぶ入れるから、見ててね鳴瀬くん!」

「私も、鳴瀬さんから教わったこと、技術だけじゃなくて気持ちも全てこのライブに入れます!」

「ま、私はクマになって踊るだけなんですけどね。精々盛り上げさせてもらいますよ」

 

 それぞれが思い思いの言葉を口にして、控え室に向かって駆けて行く。

 

 俺はその背中に手を振ると、再びステージに目を戻す。

 ステージの上には既に数体のマネキンがセットされ、異様な雰囲気(オーラ)を放っている。まだ《ハニースイート デスメタル(HS DM)》の姿すら見えないのにこの存在感。やはり、メジャーへの切符を掴んだバンドはものが違うということか。

 

 観客席も、先程までの学生バンドに向けた爽やかな熱気とは違う、感情のうねりの渦のような熱気(オーラ)が立ち込めている。

 

 ……《HS DM》。やっぱりでかいな。

 

 優れたバンドというものは、演奏せずともその存在だけでハコの空気を作る。《HS DM》は最早その境地にまで達したバンドなのだ。

 

 そして、会場の照明が落ちる。これは《HS DM》の始まりの合図。

 

 ……オイ! オイ! オイ! オイ!

 

 開演前だというのに、観客席のいたるところから既に彼女たちに捧げるコールが響く。男も女も一緒になって叫ばれるそのコールに、性別に縛られない《HS DM》の人気がうかがえる。

 

 しばらくして、ステージの上に一筋のスポットライトが落ちると、そこにはギターを構えマイクを片手に握った臨戦態勢のSAKIさんの姿があった。彼女の伏し目がちな鋭い眼光が客席を射抜く。 

 

「……おいお前ら、今日は『school band summer jam 14th』によく来てくれたな」

 

 ウォー!

 

 ドスの効いたSAKIさんの声で観客席が沸く。

 それを確かめたSAKIさんはその視線を舐めるように観客たちに這わせていく。

 

「今から、私たち《HS DM》のライブを始めるわけだが、その前に一つ質問いいか?」

 

 ナーニー?

 

 SAKIさんの言葉に観客席からレスポンスが起こる。

 

「お前ら全員、今日は《HS DM》の演奏を見に来てくれたんだよな?」

 

 Yes! Yes!! Yes!!!

 

 SAKIさんの言葉に再び熱いレスポンス。

 それに満足そうに頷いたSAKIさんの口から、信じられないような鋭さの言霊が放たれる。

 

「……まさか、この中に他のバンドに浮気をしてるクソ野郎やメス猫が混ざったりなんかしてないよなぁ?」

 

 No! No!! No!!!

 

 背中に氷柱を突っ込まれたかのような冷気を帯びた言葉に、先程までのレスポンスよりもさらに必死なレスポンスが客席から起こる。

 

 恐ろしいまでの熱狂。

 

 驚異的なまでのポヒュラリティー。

 

 この熱に当てられてしまえば、例えファンでなかろうともレスポンスに加わってしまいそうになることは必然だ。

 

 だか、それでも。

 

 俺の心の中心に居座っているのは《ハロハピ》だ。

 

 だから俺は、そんな彼女たちのやり取りを腕組みをして無言で見守る。

 

 ファンからの熱いレスポンスを受け、満足げに客席を見渡すSAKIさん。

 

 彼女がこちらの方を向いた刹那、その瞳が俺の瞳を射抜く。

 

 ーーああ、鳴瀬君。君はまだ《ハロー、ハッピーワールド!》の鳴瀬君なんだね。

 

 彼女の瞳が俺に語りかけてくる。

 

 ーー当然だ。俺は《ハロハピ》のアドバイザー、基音鳴瀬だ。これまでも、そしてこれからも。

 

 瞳に言葉を乗せて、俺もSAKIを見つめ返す。

 彼女の瞳からそれに対する返事が来ることはなかった。

 

 後は、演奏で解らせてあげよう。

 

 そういわんばかりの態度だった。

 

 SAKIさんの視線が客席を一巡りしたあと、彼女の顔がガバッと上がり、その瞳が瞠目する。

 

「いいぞ、私たちの可愛い彼氏と彼女たち! それじゃあ聴かせてやろうじゃないか! 《HS DM》で《滅入る茶喫す(メルティーキッス)》いくぞおらぁぁぁあ゛あ゛!!!」

 

 ウォォォォォイ!

 

 まるで地鳴りのような叫び声を受けて、彼女たちをスターダムにのし上げた代表曲《メルティーキッス》が始まる。

 

 曲の前半は《ハニースイート》のパート。さっきまでの鬼気迫る様子だったSAKIさんが一転、その口から甘いラブソングが溢れる。

 どちらかというとボーイッシュで凛々しい印象の彼女の口から放たれる甘えるような調子の言葉はつり橋効果さながらにオーディエンスの心を揺らし、彼女たちに一時の恋をさせる。

 完璧に計算ずくのその演奏。しかし、分かっているのに恋に堕ちずにはいられないその魔性。それはさながら音楽の蟻地獄だ。

 

 これが《HS DM》、これがメジャーデビューバンドの力なのだ。

 

 ……やはり、ものが違う。これが「本物」ってやつか!

 

 《HS DM》は天の岩戸に籠った天照を引きずり出すかのごとく、あの手この手の手練手管で、俺の心から《ハロハピ》を連れ去ろうとしてくる。

 

 だが、それでもなお俺の心は揺るがない。

 

 

「ヴォォォォォイイイ!!!」

 

 ヴォォォォイイイ!!!

 

 曲は後半のBメロに突入してデスメタルパートになった。既に彼女の虜になった観客たちは彼女と共に獣の雄叫びを上げる。

 

 鋭くキレのある演奏が鋭く心を刺激する。前半までが手練手管だったとするならば、後半は削岩機を心の岩戸に押し付けて、無理やりそれをこじ開けようとするような激しい音だ。

 

 油断すると一瞬でその熱狂に身も心も任せてしまいそうになる。

 

 それでもなお、俺の心に焼き付いた《ハロハピ》のメンバーたちとの時間が、思い出が、絆が、複雑に結合して固まり、《HS DM》の刃を通さない。

 

「彼氏!(kill !) 浮気!!(hell !!) 雌猫!!!(die !!!)」

 

 お決まりのコール&レスポンスが決まるも、俺の心は不動。

 

「ひゃっはぁー!!! 死ねぇ!!!」

 

 RYOKAさんがスレッジハンマーでマネキンを頭から縦に畳むパフォーマンスでも、俺の心は靡かなかった。

 

 そして、俺の心の中に《ハロハピ》を残して《HS DM》の一曲目、《滅入る茶喫す(メルティーキッス)》の演奏は終わったのだった。

 

 

 

◇◇◇《side SAKI》◇◇◇

 

 

 

「つーわけで、《HS DM》の十八番、《滅入る茶喫す(メルティーキッス)》だ。どうだ、私たちの可愛い子ちゃんたち、楽しんでくれたか?」

 

 ウォォォォォ!!

 

 観客席から起こる地鳴りのような歓声を浴びて、私はそれに軽く手を上げて応える。そして思う。

 

 8年。

 

 中学の頃に《HS DM》の仲間と出会い、《ハニースイート》を経てここに辿り着くまでに、8年かかった。

 

 《ハニースイート》時代は普通のポップスを歌っていた全く無名の私たちが、デスメタルで日本有数のガールズバンドにのしあがることになるとは、あの頃誰が想像しただろうか。

 

 ……本当に何が良いのか世の中わからんな。

 

 そんなことを思って内心苦笑してしまう。

 

 《HS DM》は決して売れることを意識して方向性を変えたわけじゃない。男に逃げられた今の私たちの魂の叫び(こころ)を最も表現できる方法はなんなのか、そう考え抜いた先にあったのがデスメタルだっただけなのだ。

 

 そもそも売れようと思うなら、日本では下火のメタルには恐らく流れることはなかったと思う。

 

 私たちは《ハニースイート》の頃からずっと、「今の自分の気持ちを素直に歌うこと」を目標にしてきた。これは一切ぶれたことがない私たちの芯だ。

 決して売れることがなくても、恋でドキドキしたときはその心の動きを歌ったし、恋人がいたときにはそのとろけるような甘い日々をストレートに歌った。

 

 だから、今の私たちの成功は、きっと最後まで自分の芯がぶれなかった私たちへのご褒美のようなものなのだろう。

 

「それにしても……」

 

 マイクの音を切って、ぼそりと呟く。

 

 その私の視線の先には私たちを見て熱狂する男たちの姿がある。

 

 ……ライブではこれだけモテてるのに、何で私たちには誰も彼氏ができないんだ?

 

 そう、私たちは現在絶賛彼氏募集中。

 

 SNSや、バンドのホームページでもメンバー全員が堂々と彼氏を募集しているし、なんならホームページには彼氏希望の男に向けた専用掲示板や、メールアドレスまで公開している。

 

 でも、公開してから現在に至るまで連絡は一切来ない。

 

 ……おかしい。あり得るのかこんなことが。

 

 目の前で熱狂している男たちは、《HS DM》ファンとして見るなら大変ありがたい存在なのだが、私たちの彼氏候補としてみると、RYOKAがさっき縦に畳んだマネキンと同じぐらいの価値しかなかった。

 私たちのためにライブの外でも愛の言葉を囁いてくれない男など彼氏として失格だ。

 

 しかし、そんなモテない私たちにもいよいよ運が回ってきた。

 

 私は観客席の中央前列寄りの場所に立つ一人の男に視線を送る。

 

 彼の名は、基音(もとね) 鳴瀬(なるせ)

 

 私たちの仲間に彼氏を連れてきて、そして私の彼氏になってくれるかもしれない男だ。

 

 彼のことは《ハニースイート》時代に出会った頃から知っている。対バンライブで共演したまだ無名の私に、演奏後に「すごくよかったです、自分の気持ちにストレートで。諦めなければ絶対売れますよ。お互いに頑張りましょう」と言って握手してくれた。まったく売れていなかった私にとって、あの握手が、あの言葉がどれだけ心の支えになったことだろう。

 

 正直、あの握手がなければ私は今日まで走ってこれなかったかもしれない。

 

 その後、私は幼なじみの男に告白されて付き合うことになったのだが、そいつはバンドに熱を入れる私に理解がなかった。どうして俺と一緒に居てくれないんだ、俺よりも売れないバンドが大事なのか。散々なことを言うだけ言って、結局そいつは私を捨てて逃げた。

 

 それ以来、私は次の彼氏は絶対にバンドに理解がある男にすると心に誓ったのだ。

 

 それから、2年。まったく男っ気のない私の前に鳴瀬君が颯爽と現れた。これはまさに運命だ。

 鳴瀬君は、バンドマンだから私のバンド活動に絶対に理解がある。ルックスも悪くなくて頭もいい。

 

 何よりも彼は、私の本質をズバリと当ててくれた。私が自分の気持ちを正直に歌にしていることを初めて褒めてくれた。本当に私のことを理解してくれているのは彼しかいない。

 

 鳴瀬君は今はまだ売れてはいないが、絶対に近いうちに世に名が知られる逸材だ。それまでは年上でお金も持っている私が彼のことを養ってあげてもいい。

 そして、私の内助の功によって鳴瀬君はメジャーデビュー。私たちは理想のバンドカップルとして結ばれるのだ。

 

「……おいおい、完璧かよ。見えたわ。完璧に、二人の未来がゴールインまで見えたわ」

 

 鳴瀬君、今すぐ私のところに嫁、じゃなかった、婿に来い! 二人で幸せになろう!

 

 しかし、そんな私の未来の彼氏は周囲の熱狂に流されることなく、腕組みをして真剣な眼差しをステージの私たちに注いでいる。

 

 ……ふむ、まだ鳴瀬君の心には《ハロー、ハッピーワールド!》が居座っているようだな。

 

 私と鳴瀬君の間に立ちはだかる大きな壁、《ハロー、ハッピーワールド!》。今日が初ライブとのことだが、バンドに人生を賭けている彼の指導を受けたバンドだ。生半可な仕上がりにはなっていないだろう。

 

 それに、彼女たちからは私と同じ匂い(・・・・・・)がする。今はまだそれ気が付いていないようだが、早晩、彼女たちもそのことに気付くだろう。そうなると、私では手の出しようがなくなってしまう。

 

 だから、私は今日の勝負に乗った。今日ここでけりをつけなければ未来がないのは私の方だ。

 

 しかし、裏を返せばそれは今日勝ってしまえば私の完全勝利が約束されるということだ。

 

 勢いでアフターの約束までして「今夜は帰さない」と言ってしまったが、前の男とはそこまでの仲にならなかったのでどうすればいいのか検討もつかない。

 

 ……まぁ、どうとでもなるか! いざとなれば「Hey siri !」で、「おすすめの愛のホテルを教えて」とか言っておけばなんとかなるだろう(暴論)

 

 あるいは、なにもわからないことを利用して、鳴瀬君に手取り足取りエスコートしてもらうとか……。

 

「……あり寄りのありだな。むしろ、最高かよ? ……おっといかん、よだれが」

 

 妄想で口の端から溢れたよだれを手の甲で拭う。客席からは汗を拭ったように見えるだろう。セーフだセーフ。

 

 今は妄想ではなく、現実のライブと向き合う時だ。私たちを待ってくれているファンたちに私の想いをあまねく届けなければバンドマン失格だ。

 

「……それに、今一番想いを伝えたい相手に想いが刺さってないのはバンドマンとして我慢できないからな!」

 

 自分に檄を入れてから、私は切っていたマイクのスイッチを入れる。

 

 さぁ、鳴瀬君、もっと私たちの想いを感じてくれ!

 

「おるぅあぁぁぁあ゛あ゛!! まだまだへばるんじゃねぇぞ私たちの彼氏と彼女ども!! 次は《発火胃、発火胃、乱舞(ハッピー、ハッピー、ラブ)》だ! 遅れず着いてこいよ!!」

 

 イェェェェエイ!!

 

 ハコの空気は最高潮。後は、その中に君が居てくれれば他には何も要らない。

 

 私の運命をかけたライブが再び動き始めた。

 

 

◇◇◇《Side SAKI is over》◇◇◇

 

 

 

「サンキュー、お前ら。《ハッピーハッピーラブ》だ。最高に幸せになっただろ?」

 

 サイコー!

 

 二曲目の《ハッピーハッピーラブ》が終った。この頃ナンバーはかなりパワフルな仕上がりになっているが、それを終えてもまだ《HS DM》には余裕があるように見える。恐るべきスタミナだ。

 

 ちなみに、二体目のマネキンは曲名の《発火胃》の通り、RYOKAさんに火薬を仕込んだ金属バットで腹部を殴られ胃を含む胴体が爆発して真っ二つに破壊(さつがい)された。南無三。

 

 会場の盛り上がりからもわかるが、今日の《HS DM》のパフォーマンスは最高にキレている。室内故の制限もあるが、それでもその制限の中で最高のものを提供してくる。

 

 メジャーデビュー前の最後のお別れも込めた地元のライブハウス巡りということが彼女たちのパフォーマンスを高めるのか。

 

 それとも、俺たちとの約束が彼女たちを駆り立てているのか。

 

 ……もしも後者だったら、今日《ハロハピ》が負けたら、俺の貞操は今夜間違いなくSAKIさんに奪われる……ヒエッ。

 

 《ハロハピ》が負けるとは思わないが、今日の《HS DM》を見てしまうとどうしても一抹の不安が脳裏を過る。

 

 そんなとき。

 

「お兄さん、もうこれ1枚取った?」 

「へっ?」

 

 目の前にいた見知らぬ若者から俺の目の前に紙の束が差し出される。慌てて束を受け取ってみると、どうやらそれは歌詞カードのようだ。

 

「次の《HS DM》の曲の歌詞カードだよ。なんでも、メジャーデビューシングルの曲を演奏するんだってさ」

「え! マジっすか!」

 

 説明してくれた若者に聞き返すと、彼は首を縦に振る。

 

「マジだよ! しかもハコで演奏するのはこれが初めてらしいぜ! うぉー! チケット買ってよかった!」

 

 若者はそう言ってまたステージの方を向く。

 

「一枚とってっと……あ、まだもらってませんか?」

「あ、ありがとうございます!」

 

 俺は歌詞カードを一枚もらうと残りの束を、ライブの途中から隣にいた大人しそうな少女に渡した。

 

 少女は、あまりこういったライブに馴れていないようで、服装もひらひらとした少女らしいデザインの服を着て来ていた。周囲の派手なレスポンスについて行けなかった少女はふらふらと周りに押し流されるままに俺の横に辿り着いて、それからあまり動かない俺の側でじっとしているのだ。

 

 ……大丈夫なのかな、この子。

 

 これから更にテンションが上がるであろう観客席で彼女が耐えられるのか気になった俺は、歌詞カードに目を落とす彼女に声をかけた。

 

「ねぇ、君ってこんなライブは初めて?」

「えっ、あ、私、ですか……?」

 

 突然声をかけられた少女はきょろきょろと周りを見て、声をかけられたのが自分だと気づいておずおずと返事をした。

 

「そうそう、さっきからふらふらしてたから気になっちゃって」

「あ、えっと、すみません、気を遣わせてしまって。私、ライブに来るのこれが二回目で、初めてがガールズバンド、女性オンリーのライブだったから圧倒されちゃって……」

 

 なるほど。最近のガールズバンドブームで女性オンリーイベントを開くハコも多い。女性ばかりのハコしかしらない子にとっては、男女混じりのこのハコの雰囲気には戸惑うこともあるだろう。

 

「そっか、ちなみにお目当てのバンドはまだかな? もう出たのなら脇に逃げちゃってもいいと思うけど」

「あ、実は一番の目当ては《Poppin'Party》だったのでもう終わってるんです。でも、少しあとの《Afterglow》も見たくって……」

「へー、高校生のガールズバンドが好きなんだ?」

 

 俺の言葉に少女の目がキラキラと輝く。

 

「そうなんです! ステージの戸山さんたちはとってもキラキラしてて、私もそうなりたいなって憧れて、それで……あっ、すみません、初対面の人にこんなこと言って……」

「ははっ、いいよいいよ、気にしないで」

 

 俺ははしゃぎ過ぎたというような表情で真っ赤になって俯いてしまった少女を宥める。

 

「でも、《Afterglow》が見たいならもう少し頑張らないとね」

「はい、私は一度外に出てしまったら多分真ん中には戻ってこれないと思うので……」

「なら、俺からあんまり離れない方がいいよ。俺はあんまり動かないからさ、俺のこと盾にでもしといて」

「え、そんな、ご迷惑じゃないですか?」

 

 相変わらずおどおどとした少女に俺は笑って首を左右に振る。

 

「元から動かないだけだから、そんなに気にしないでくれよ。それでももし気にするって言うならさ、次に出る《ハロー、ハッピーワールド!》ってバンドを応援してあげてくれないかな? そこ俺が演奏指導した高校生のガールズバンドなんだよ」

「え、そうなんですか! お兄さん、楽器ができるんですね」

「まぁ、どれもそこそこなんだけどねー」

 

 尊敬の眼差しになった少女に軽く答えて俺は手元の歌詞カードに目を落とす。

 

「とりあえず、まずは《HS DM》の次の演奏を楽しもうか」

「そうですね、私はここにいるので精一杯で楽しめないかもしれませんが……」

 

 そう呟いて少女も、手元のカードに視線を戻した。

 

「ふーん、何々、新曲のタイトルは……《斬首八裂(ざんしゅやつざき)》!? なにそれ怖っ!?」

 

 歌詞カードにはおぞましいタイトルが踊っていた。心なしか文字のフォントまで怖い。

 

 今までの曲のタイトルは《ハニースイート》時代の曲のタイトルを漢字でもじったものだったのだが、メジャーデビューということでまったく新しいタイトルを用意したのかもしれない。

 

 あるいはこれも何かのもじりなのか。

 

 そんなことを考えていると、SAKIさんのMCが再開した。

 

「おーい、歌詞カードは後ろまでいってるかー? 一番後ろ、オッケー? あ、オッケー、そうか。よし、つーことで《HS DM》の三曲目は今度メジャーデビューで発売するシングルのA面から持ってきた。私たちもいよいよ大人になってメジャーに行くってことで、タイトルは酒の名前から取らせてもらってる」

 

 なるほど、これもやっぱり元々ある単語の当て字というわけか。

 

 ……しかし、字面はもっとどうにもならなかったのか、これ。

 

「メジャーデビューということで、私たちも色々なことに挑戦した曲になってる。もしかすると、イメージが変わって戸惑う奴もいると思う。だが、これが今の私たちだ。私たちは常に進化し続けている。だから、お前たちにも一緒に進化して聴いて欲しい。じゃあ、ラスト一曲、いくぞお前ら! 《HS DM》メジャーデビューシングルから、《斬首八裂(キルシュヴァッサー)》だ!」

 

 ウォォォオオ!!!

 

 そうして、熱狂に包まれる会場の中で。

 

「あ、これってそう読むのか」

 

 俺は一人冷静にタイトルの意味に納得していた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ステージ中央のSAKIさんが《HS DM》のメンバーに目配せをする。

 

 メンバー全員が頷き合うと、ドラムのAKIRAさんがスティックを3度打ち鳴らして演奏を始める。どうやら始めはドラムソロから入るらしい。

 

 ゆったりとしたドラムのスティックワーク。低速のリズムは一定のペースで刻むのが難しいのだが、AKIRAさんは何事もないように処理している。

 

 しかし、それ以上に気になるのは。

 

「うわ、まじでいつものと全然曲調が違うな。前半はブルース系で攻めるのか?」

 

 しっとりとしたそのイントロと、少し物憂げなSAKIさんの視線がアダルティな魅力を醸し出す。

 

 ……しかし、それまでのテンションを一旦切ってまでこの立ち上がりでいくとは。よっぽどこの曲に自信があるんだな。

 

 ライブでは場の空気の流れがかなり重要なファクターとなる。

 場が暖まり、テンションが上がっている場合はなるべくそのテンションを維持したままバンドは演奏を回す。その方が盛り上がりを維持しやすいからだ。

 

 しかし、《HS DM》はこの曲であえてそれを切った。それはつまり、場の空気の流れを無視して好きにやってもこの曲の後半で確実にオーディエンスを沸かすことができるという自信の現れに他ならない。

 

 今日は何かとんでもないことが起こるかもしれない。

 

 ライブ前の熱気に感じた予感が現実のものになりそうな迫力(オーラ)に背筋を一筋の汗が流れたそのとき、SAKIさんの口が開いた。

 

『ねぇ、あなた 本当の愛というものを知っているかしら?』

 

 SAKIさんの口から紡がれる言葉はいつもの《ハニースイート》の甘くてキュートなそれとは違う。艶があり、匂い立つようなそれは、まさしく大人の女の色香だ。

 

「………っ!」

 

 それを心が理解したとき、心の岩戸の中に、するりと《HS DM》が入り込んだのが俺には間違いなくわかった。

 

 あれだけの猛攻に耐え凌いだ俺の心の岩戸も、まったく想定していなかったSAKIさんの新しい一面には無力だったのだ。それはちょうど、地上からの侵攻を想定した壁に守られた城が、地下道を掘られてそこから陥落する様に似ていた。

 

 だが、それでもまだ俺の心の《ハロハピ》は消えたりしない。

 

 俺はそのことを確かめながら、《HS DM》の演奏に集中する。

 

『思わせ振りな仕草で誘って つれない態度 わかるでしょ 私 あなたに好きだと言って欲しいの』

 

 SAKIさんの歌声は今までとはまったく違うテクニックを駆使して俺やオーディエンスの心に迫る。他のメンバーもいつもと違うジャンルの曲を見事にこなす。やはり音作りにおいて《HS DM》は現在最強クラスのバンドのひとつだ。

 

『それなのに あなたは気づいてくれない 他の女に目移りばかり』

 

 ……きた。いつもの《HS DM》だ。歌詞に不穏な内容が混ざり、曲調に変化が生まれる。

 

 静かに聞き入っていたファンも、そろそろ訪れるそのときを待って身構える。

 

 場内を独特の緊張が支配していく。

 

『だから決めたの 私は あなたに 私の愛を刻みつけるって!』

 

 SAKIさんの語気が高まり、キーボードのLENAさんの指がうねるように鍵盤を叩く。AKIRAさんのスティックがオープンのスネアとクラッシュシンバルを激しく揺らす。

 

 そして。

 

「VoooooOOOOYY y y !!!!」

 

 ヴォォォォイイィィ!!!!

 

 SAKIさんのデスボイスに、会場全体が一瞬で炸裂した。

 

 錯覚ではない。会場の全員が天高く両手を突き上げ、本当に会場の空気がはぜたのだ。

 

 いつの間にか、俺も組んでいたはずの両手を天に向かって突き上げていた。

 

 そのとなりで、臆病な少女もその両手を天に突き上げている。

 

 誰一人、逆らうことを許さず虜にする魔性の演奏。

 

 これこそが《HS DM》の真骨頂。

 

 これこそが日本屈指のガールズバンドの力である。

 

「なぜあなたは Why ? Why ? Why ?」(why !)

「その女は Pig ! Pig ! Pig !」(Pig !)

「私こそが God ! God ! God !」(God !)

「その脳天 chop ! chop ! chop !」(chop !)

 

 初めて聞く歌だというのに、コールの声が心地よいほど自然に飛び出す。もちろん歌詞カードにコールの内容とタイミングは記載されているのだが、それだけではこの一体感は生まれない。

 まるで、呼吸のように生きるために体がそうすることを求めているかのようなレベルの一体感なのだ。

 

「今日はお前に分からせる 首を落とし体を八つ裂き その傷口から私の愛を流し込む」

 

 そして、《斬首八裂》のタイトル通りの歌詞が入ってその時が来た。

 

 SAKIさんがギターを下ろすと、RYOKAさんを手招きする。RYOKAさんは、ドラムセットの後ろに隠してあった何かを取り出すと、凶暴な笑顔でそれをSAKIさんに手渡す。

 

 後ろを向いていたSAKIさんがこちらに振り返る。その手の中で証明の光を浴びて輝くもの。それはーー

 

「ーーチェーンソーだ」

 

 誰かがポツリと呟くのが聞こえた。

 

 チェーンソーをその手に持ったSAKIさんはステージ上で唯一無事だったマネキンの前に立つ。

 そして、勢いよくチェーンソーの紐を引いた。

 

ヴヴヴヴヴ……!

 

 凶暴な音を立ててSAKIさんの手の中でチェーンソーが吼え猛る。

 彼女はそれを軽く一瞥すると、

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」

 

 雄叫びとともに一閃。直後、マネキンの頚が胴から離れ、頭が重力に従ってステージに落ちる。

 

 憐れ首なしとなったマネキンを、SAKIさんは曲の歌詞の通りに今度は八つ裂きにしていく。

 

 マネキンを八つ裂きにする彼女の横で、「チェーンソーの取り扱いは専門家の指導の下、適切に行われています」というプラカードを持って立つLENAさんとFUMINOさんがその場違いなシュールさで恐怖を煽った。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛っ! ……だぁりゃあ!」

 

 そして、ついにマネキンを八つ裂きにしたSAKIさんがチェーンソーを置くと再びギターを抱えてマイクの前に立つ。

 

 そして、マイクに向かって有らん限りの声で叫ぶ。

 

「おらぁ! 今から私の愛を注ぎ込んでいくぞぉ!! 全身で愛を感じろお前らぁ!!!」

 

 ヴボォォオオアァァア!!!

 

 SAKIさんの言葉に会場は怒号のような叫び声に包まれた。客席の至るところで自然にモッシュが形成され、何人もの人が宙を舞っている。

 

 そんな客席を眺めながらSAKIさんは呼吸で肩が上下するのを抑えることもなく叫ぶように歌う。

 最早、歌うときは腹式呼吸で肩を上げ下げしないなどとセオリーなど関係ない。歌唱技術などで辿り着ける領域に既に彼女は存在しない。

 

 なぜなら、彼女は自分の魂そのもので歌っているのだから。

 

 

 

 ーー8月某日。

 

 ライブハウス《STAR DUST》。

 

 ステージ名『school band summer jam 14th』。

 

 エントリーNo.6《HS DM》。

 

 23分38秒の演奏を終え、無事退場。




ということで初ライブ編後編の2でした。

まぁ、何が言いたいかっていうと「チェンソー様、最高! 最高!」ってことです(謎)

なんJお嬢様部では『チェンソーマン』と『シオリ・エクスペリエンス』を文化的な漫画として推奨しておりますわ(ダイレクトマーケティング)。


いよいよ初ライブ編も大詰めです。

ヘッドライナーの《HSDM》を押し退けて《ハロハピ》はジャイアントキリングを成し遂げることができるのか。

次回、初ライブ編最終話、「野良ベーシストは仲間を信じる(後編3)」でお会いしましょう。


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野良ベーシストは仲間を信じる(後編3-1)

続きました。
初ライブ編の最後!

というわけで長かった初ライブ編もこれで最後です。

前回は《HS DM》のSAKIの視点を入れましたが、今回は《ハロハピ》メンバーの視点も入れていきます。
やっぱりライブシーンには演奏者の視点があってなんぼのもんだと思いますので。

ここでこの作品はひとつの節目を迎えます。視点人物切り替えなどの様々な試みも試したので、ぜひご意見ご感想、評価など入れていただけると励みになります。

それでは《ハロー、ハッピーワールド!》の初舞台、どうかご覧になってくださいませ!


【お礼】
お気に入り登録200人超えありがとうございます。
なんか、お気に入り登録が尋常じゃない速度で増えて感謝感激でございます。
あと少しのお盆休みは馬車馬のように働いて話を更新しますのでどうか、末長いお付き合いをよろしくお願いいたします!


 

 

ーーTime has come. That's it.

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 《HS DM》がステージを去ってから既に10分が経った。

 

 しかし、ライブハウス《STAR DUST(スターダスト)》を包む熱気は収まるところを知らない。

 

 観客たちは信じられないものを見たと言わんばかりの表情で、その口から出るのは《ハニースイート デスメタル(HS DM)》を讃える言葉ばかりーー

 

「やっぱり《HS DM》やべーよ!」

「それな! あのパフォーマンスは他じゃ見られんよ」

「これ、メジャーデビューしたらさ、今年は無理でも来年の紅白はねらえるんじゃね!?」

「うっはー! 有線であのパフォーマンスが全国のお茶の間に届くのかよ! 見てぇ~!」

「あのパフォーマンステレビで流れたらチビッ子怖がって泣いちゃうだろ! かわいそうだろ!」

「ははっ、確かに。でも、可哀想と言えば次のバンドもだろ」

「それな、《HS DM》の次とか俺なら絶対やりたくないわ」

「《ハロー、ハッピーワールド!》だっけ? なんか初心者のガールズバンドらしいじゃん」

「うへー、ほぼ素人かー。今日のライブでバンドが嫌になって辞めちゃわなければいいけど」

 

 ーー違う。そうではなかった。

 

 彼らの口からは《HS DM》の次という貧乏くじを引かされた《ハロハピ》への同情の言葉も漏れていた。

 

 確かに、初心者が目の前であれだけのパフォーマンスを見せられて、無事に演奏できるとは思えない。緊張し、萎縮し、めちゃくちゃな演奏をして舞台袖に消えていくのが関の山だ。酷ければ、全曲完走することもできないかもしれない。

 

 そう、普通ならば。

 

 ……それは違うぜ皆さんよ。俺たち《ハロー、ハッピーワールド!》は普通じゃないんだぜ。

 

 そうだ、俺たち《ハロハピ》は普通じゃない。

 

 脳ミソ花畑、万年能天気、底抜けハッピーガールのペグ子。

 

 立てばキザ、座ればキザ、歩く姿もキザそのもの、一人宝塚劇場の薫。

 

 ハイパー花丸健康優良娘、実家はコロッケ50円の北沢さん。

 

 不死鳥の如く舞い戻ったドラマー、クラゲレベルで方向音痴の松原さん。

 

 その体はきっと気苦労でできている、常識人inクマの奥沢さん。

 

 まったくもって誰一人として普通じゃない。

 そして、それゆえに最高な俺の仲間たち。

 

 それぞれが持つ偶然という名の運命の糸を手繰り寄せて出会った俺たちは、その糸を寄り合わせ、今一つの大きな綱となった。

 

 その綱が結び付いた先に見えるのは勝利の栄光。

 

 それを掴み取るのは今この時だ。

 

「……やってやれ《ハロー、ハッピーワールド!》」

 

 ステージにライトが点る。

 

 Show time has come. Let's roll "Hello, happy world! " !

 

 

 

◇◇◇《Side  奥沢美咲 in ミッシェル》◇◇◇

 

 

 

「……ねぇみんな、ほんとにあれ(・・)と戦うつもり?」

 

 何か話さなくてはいけない。

 それも、ほんの少しでいいから希望が見えるような何かを。

 

 そんなことを考えている私の口から出た言葉がこれなのだから、我ながら情けない話だと思う。

 

 ……まぁ、今の私はミッシェルだから、私の言葉というよりはミッシェルの言葉なんですけどねー。ははは……はぁ。

 

 だが、それは間違いだと私は気づいてる。今の私はミッシェルだけど、こころたちとは違って私は自分がミッシェルでないことは当然理解してる。

 

 だから、さっきの言葉は本当は私の言葉。私は自分の恐怖をミッシェルに押し付けようとしただけ。

 

 本当に、呆れるほどの小市民ぶりだよ。

 

 でも、あれ(・・)を見せられて平気でいられる人間がいるのかな?

 

 あの、熱狂を。

 

 あの、狂騒を。

 

 あの、情熱を。

 

 あの、光を。

 

 あれを見れば普通の人間は誰だって実感するさ。

 

 ーーああ、私は「持ってない」側の人間なんだって。

 

 《HS DM》は、「持っている」人間の集まりだ。ガールズバンド流行という時流にいち早く乗って、しかもバンドの方向性を変えたことが当たって大ブレイク。メジャーデビューが決まって、もうスターダムにのしあがることが確約されているのだ。これを持ってないなんて言ったら、本当に持っていない人に失礼というものだ。

 

 一方の私はどうだろう。普通の高校生らしくバイトをしていたら、こころに無理やり拉致されて、こころの思い付きに「ひーひー」言いながら作曲なんかさせられて、今はこんなクマの中に押し込められている。とほほ。

 

 もちろん、《HS DM》が努力していることは知っていますとも。彼女たちが長い冬の時代を経験していることは鳴瀬さんから《HS DM》の話を聞いてすぐ、スマホでちゃちゃっとwikiりましたから。というかwikiにページがある時点ですごいよ《HS DM》。

 

 でも、やっぱり、それを差し引いても私は「持ってない」んだ。

 

 こころのような無限に湧き出る行動力も。

 薫さんのような自信も。

 はぐみのような溢れる元気も。

 花音先輩のようなくじけない心も。

 

 私は、私の「芯」になるものが何一つとして無いんだ。

 

 でも、そんなの普通の人なら誰だってそうでしょ。自分の「芯」は何ですかって聞かれて即答できる人がどれだけいますかね? 私はその即答できない側の人間の一人ってだけですよ。

 

 もしかしたら、あれを見せられる前ならなんとかなったのかもしれないけど。

 

 でも、私はあれを見てしまった。

 

 そして、気づいてしまったんだ。全部わかっちゃったんだ。

 

 私は今、ミッシェルを着ていて初めて心の底から良かったと思ってる。

 

 だって、ミッシェルの中の私は誰にも見せられないようなひどく情けない顔をしていると思うから。

 

「あら、大丈夫よミッシェル~! わたしたちならなんとかなるわ!」

 

 ああ、こころ。お気楽なこころはあれを見てもいつも通りでいられるのね。私も今は、こころのその毛の生えた心臓が一欠片ぐらい欲しいよ。

 

「そうだよ、ミッシェル。私たちはこれまで沢山の練習をしっかりとやってきたんだ! 今日はその積み上げてきたものを全て見せる。つまりそういうことさ」

 

 薫さんは落ち着いてるなー。やっぱり演劇部で舞台慣れしてるからかな? でも、経験値のない私には無理だよ。

 

「そうそう! はぐみも目一杯元気出すから、ミッシェルも元気に頑張ろー!」

 

 はぐみは元気いっぱいかー。でも、はぐみはソフトボールの世界で揉まれてるから、強い相手と戦ったり、悔しい思いもいっぱいしてるよね。やっぱり私とは違うよ。

 

 ああ、ダメだ。世界が違う人たちと話しても、どんどんダメになるだけだ。やっぱりみんな私とは違う「持ってる」人たちばかりーー

 

「ーーミッシェル」

「あ、花音先輩」

 

 最後は花音先輩か。でも、花音先輩も「持ってる」側の人間だから、その言葉は私にはーー

 

「ーーえいっ!」

「わっ、花音先輩!?」

 

 突然、花音先輩が私に飛びかかってきた。普段の私なら後ろに倒れていただろうけど、ミッシェルのボディのおかげでなんとか受け止めることができた。ふぅ、危機一髪。

 

「どうしたんですか、花音せんぱーー」

「ーー聞いて、美咲ちゃん(・・・・・)

「……!」

 

 花音先輩は囁くように私の名前を呼んだ。きっと、私にだけ話したいことがあるんだ。

 

「なんですか?」

 

 私が問いかけると、花音先輩はさらにミッシェルに顔を埋める。

 

 ……もしかして、抱きしめようとしてくれてる?

 

 花音先輩の意図に私が気づいたとき、先輩の口が開いた。

 

「あのね、美咲ちゃん。本当を言うと私も怖いよ」

「……! でも、先輩には……」

 

 あきらめない心があるじゃないですか。

 

 そう言う前に花音先輩が首を左右に振る。

 

「違うよ。私の勇気は私のものじゃない。私の勇気はこころちゃんと鳴瀬さんから貰ったの」

「花音先輩……」

「本当の私は臆病で弱虫で一人じゃ何もできないの。でも、二人が私を支えてくれて、そして美咲ちゃん、あなたたちみんなが認めてくれたから、私はもう一度立ち上がる勇気ができたんだよ」

「……!」

 

 花音先輩の言葉は私にだけ聞こえる小さな声。でも、そんな声がなぜだろう、とても大きな音で響いてくる。

 

「人間はね、みんな一人じゃ生きていけないの。みんな足りないところを支え合って生きてる。美咲ちゃんも、私も、薫さんも、はぐみちゃんも、こころちゃんだってそうだよ」

「えー、こころはそんなことないんじゃないですか……?」

 

 花音先輩はまた首を左右に振る。

 

「そんなことないよ、だって一人じゃ《ハロー、ハッピーワールド!》はできないでしょ?」

「……!」

「こころちゃんがいて、美咲ちゃんがいて、薫さんがいて、はぐみちゃんがいて、私がいて、鳴瀬さんがいて、私たちみんなで《ハロー、ハッピーワールド!》でしょう。だから、美咲ちゃん。怖いかもしれないけど、みんなを信じて。私たちがみんなで美咲ちゃんを支えるから!」

 

 夢から覚めたような、いや、雲の中でもがいていたのが急に青空へ抜け出したようなそんな気分になった。

 

 そうか。そうだったんだ。

 

 最初から全部持って生まれた人間なんていないんだ。

 

 誰だってみんな足りないものがあるんだから、足りなければ誰かから借りたっていいんだ。自分だけでどうにかすることはなかったんだ。

 

 こんな簡単なことに気付かないなんて、つくづく私は凡人だなぁ。でも、凡人の私は自分の足りないところや、相手のすごいところはすぐに分かる。だから、それを借りちゃえばいいんだ!

 

「ありがとう、花音先輩」

「美咲ちゃん、もういいの?」

「はい、私なりの答えは出ましたから!」

 

 お礼を言うと花音先輩が私から離れる。

 

「花音~! すごく長くミッシェルに抱きついてたじゃないの~!」

「あっ、えっと、その、これから長いライブだから今のうちにミッシェル成分を補給しておこうと思って!」

 

 えっ、何その言い訳。

 

「あら、良い考えね! それじゃあわたしもぎゅ~!」

「おや、それでは私も失礼させてもらっていいかな!」

「あっ、はぐみもやるー!」

 

 あっ、ダメだ、これまずいやつだ。

 

「ちょ、ちょっとみんな、そんな一気にきたら……ぐ、ぐへぇ~!」

「ミ、ミッシェル~!?」

 

 花音先輩の慌てる声を聞きながら、私の意識は少し体を離れた。とほほ。

 

~~~~

 

「んー! 調子は抜群よ! ありがとね、ミッシェル!」

「ははは、お役に立てて何よりでーす」

 

 結局、あれからしばらくハグされて、ライブ前なのにどっと疲れたよ。

 

「これでみんな調子は万全ね!」

 

 こころの言葉にみんなが頷く。

 

「ふっ、もちろんだとも!」

「はぐみも元気いっぱい!」

「話、私もいけます!」

「ミッシェルはどうかしら?」

 

 こころの問いかけに、みんなの視線が私に集まる。

 

 私は大きくミッシェルを縦に揺らした。

 

「はいはーい、みんな大好きミッシェル、準備オッケーでーす」

 

 ……正直、ハグのせいで少し体がだるいんですけどね。

 

 でも、なんだかさっきよりも全然動ける気がする。

 そして、それは多分気のせいじゃないんだ。

 

「すみません、舞台のセットに手間取りました! 《ハロー、ハッピーワールド!》さん、出番です!」

 

 スタッフさんが舞台から袖に入ってきて、いよいよ開始の時が来た。

 

「はーい! オッケー、《ハロー、ハッピーワールド!》準備完了よ! みんな、出発前に円陣を組みましょう!」

「はーい」(×4)

 

 こころの鶴の一声で私たちは円になる。みんなの顔が近くにある。私を支えてくれる、そして、私が支えるみんなの顔が。

 

「さぁ、行くわよみんな! 最高の私たちをここから世界に、そして、私たちを演奏や作曲で手伝ってくれた鳴瀬と美咲にも届けるのよ!」

「……!」

 

 ……まったく、ずるいなぁ、こころは。

 

 そんなことを言われたらなんだかやる気になっちゃうじゃない。

 

「それから《HS DM》にも勝って、鳴瀬を守らなくっちゃ!」

「あー、そうだねー。でも、これって、普通立場が逆じゃないのかなぁ?」

「ふっ、私は演劇部では王子様役がほとんどだからね、囚われの姫の救出はお手のものさ!」

「えー、はぐみはお姫様役がいいなー」

「それじゃあ、鳴瀬を助けたら、今度はわたしたちがお姫様役になって鳴瀬に助けてもらいましょう!」

「えっ?」

「わーい、さんせーい!」

「ふっ、たまにはお姫様役も悪くないかな」

「な、鳴瀬さんが王子様……ふえぇぇ……」

 

 あ、あれ? ちょっとこれ誰も止めない流れなの?

 

 鳴瀬さんの知らないところでなんだか大変なことが決まってしまった気がする!

 

「よーし、それじゃあ《ハロハピ》を世界に! そして、鳴瀬を助けに! それから、鳴瀬にお姫様扱いをしてもらいに! 《ハロー、ハッピーワールド!》いくわよー!」

「おー!」(×5)

 

 あー、結局そのまま決まっちゃった。ま、決まってしまったことは仕方ないよね。

 

 んー、私は鳴瀬さんに何をしてもらおうかな? いざ、何かをやってもらおうと思うと悩むなー。

 

「……ま、それはライブが終わってからゆっくり考えよーっと」

 

 今は鳴瀬さんを《HS DM》に取られないように集中、集中!

 

 そして、私はステージのきらめきの中へと駆けて行ったのだ。

 

「はーい! みんな大好き、ミッシェルだよー!」

 

 

 

◇◇◇《side 奥沢美咲 in ミッシェル over》◇◇◇

 

 

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》が俺の前に立っている。

 

 ステージのきらめきを受けて、ライブハウスを埋め尽くす客の前に立っている。

 

 ついに、ついにここまで来た。

 

 ステージの上の彼女たちはみんないい表情(かお)をしている。

 

 ペグ子はいつも通りの底抜けに明るい笑顔で。

 

 薫は無駄に格好いいポーズで不敵な笑みを。

 

 北沢さんはいつも以上に好奇心と元気に満ちて。

 

 松原さんは強い決意と意思の籠った瞳で。

 

 ミッシェルは……ダメだ分からん! でも、多分きっといい表情に違いない、うん!

 

 メンバーのコンディションは間違いなく最高。あとは、彼女たちがこのステージをどれだけ楽しめるか(ハッピーになれるか)どうかだ。人を幸せ(ハッピー)にするには、まずは自分が幸せ(ハッピー)でなくてはならない。

 

 さぁ、ここから《ハロー、ハッピーワールド!》を始めよう。ぶちかませ、みんな!

 

 俺の、そして観客席中の視線を一身に浴びて、その中をペグ子がマイクへと進む。

 彼女の手がマイクを握り、そしてすぐに言葉が生まれた。

 

「みんな、ハロー! わたしたちは《ハロー、ハッピーワールド!》よ! わたしはリーダーの弦巻こころ! わたしたちは今日、バンドで世界を幸せ(ハッピー)にするためにここに来たわ!」

 

 先程まで、ステージで《HS DM》が大暴れしていたことなど意に介さない、いつも通りのペグ子がそこにいた。

 

 そうだ、お前はそれでいいんだペグ子。そのお前が最高のお前だ。

 

 いつもが最高に無敵なペグ子は、いつも通りであることこそが完璧だ。その証拠に、ペグ子のMCはかなりキレている。

 

「……それでね、わたしは最初、バンドって一人でもできるものだと思ってたんだけど、『一人じゃバンドにならないよ』って教えてくれた人がいてビックリしたのよ!」

 

 ハハハ……!

 

 ペグ子のトークで既に会場からは笑いがこぼれている。こいつは天性の人たらしだ。

 

「でも、わたしが頑張って声をかけたらすぐにこんな素敵な仲間が集まったわ! みんなにも紹介するわね!」

 

 そう言ってペグ子が後ろに控えたメンバーを指差して、マイクを差し出していく。

 

「まずは、ギターの薫よ! 薫は演劇部の王子様なのよ!」

「やぁ、ただいまご紹介に預かった瀬田薫だ。今日は子猫ちゃんたちに最高に儚い演奏を届けにここに来た。良ければ聞いていってくれ」

 

 薫が髪をかき上げて決めポーズをとると、客席から「キャーキャー」と黄色い声が上がる。どうやらチケットを買ったファンが来てくれているようだ。

 

「次は、ベースのはぐみ! はぐみの家はとっても美味しいお肉屋さんなの!」

「はぐみだよー! 商店街で北沢精肉店ってお店をやってるよー! コロッケが名物だからみんなも買いに来てね!」

 

 ……確かに紹介は紹介なんだけど、バンド関係ねぇ!

 

 微妙にズレた紹介……というより実家の店の宣伝をして、ペグ子の紹介は次に移る。

 

「ドラム担当は、花音よ! 花音は私たちの中で一番楽器が上手いのよ!」

「え、えっと、ま、松原花音です! きょ、今日は頑張ります!」

 

 ガンバレー!

 

 少しおどおどしながら頑張って声を出した松原さんに会場から声援が飛ぶ。

 

「ふえっ! あ、ありがとうございます!」

 

 松原さんがお礼の返事をして、いよいよ紹介は最後の一人になった。

 

「そして、最後はミッシェルよ! ミッシェルはダンスでみんなを盛り上げてくれるわ!」

「はーい! みんな大好きミッシェルだよー! 今日はよろしくー!」

 

 ヨロシクー! イイゾー!

 

 奥沢さんにも会場から声援が飛ぶ。なんだかんだみんな物珍しいものが好きなようだ。

 

 ペグ子は元のステージ中央に戻るとマイクをスタンドに戻す。

 

「ステージに立つメンバーは以上よ! そして、今日はステージにはいないけど、私たちの演奏の練習や作曲に協力してくれた鳴瀬と美咲の二人がいるわ! どちらも大切な《ハロー、ハッピーワールド!》の仲間よ!」

 

 ーー仲間。

 

 力強く発せられたその言葉に、俺の胸の内が熱くなる。

 

 たとえ、一緒の場所に立っていなくても。

 

 たとえ、別々の方向を向いてしまっても。

 

 心が一つならそれは仲間なのだ。

 

 ペグ子の言葉は、時折俺の心の核心に迫る。

 

「それじゃあ、いよいよ私たちの初ライブの始まりよ! そして、その前に! わたしが今日のライブをどれだけ楽しみにしていたかを今から全身でみんなに見せるわ!」

 

 ん? なんかパフォーマンスか? 聞いてないぞ。

 

 どうやらペグ子は何かしらのパフォーマンスをするようだが、これについては俺はノータッチだ。

 俺はじっとステージのペグ子の動向を見守る。

 

 ペグ子はステージの上から、キョロキョロと客席を見回す。何かを探しているのだろうか。

 すると、そんなペグ子と目が合った。とたんにペグ子の顔が一段と輝く。

 

 もしかして、探してたのは、俺?

 

 俺が自分の顔を指差すと、ペグ子が満面の笑みで応える。

 

 ……なんだろう、少し嫌な予感が……。

 

「それじゃあみんな、いくわよー! わたしは今日のライブがこれくらい楽しみだったんだからー!」

「うげっ!?」 

 

 叫び声を上げながら、ステージ奥に移動していたペグ子が全速力で客席に向かって駆ける。

 ステージの縁ギリギリで見事な踏み切りを見せると、マイクを握ったペグ子はなんのためらいもなく俺に向かって跳んだ。

 

 中を舞うペグ子は信じがたい跳躍力と空力性能を発揮し、俺のもとへと迫る。

 

 ヤバい、支えろ俺!

 

 なんの前振りもなくペグ子の跳躍を他の誰かが受け止めるのは無理だ。ここはアイコンタクトを取った俺が支えるしかない。

 

 そうしているうちにもペグ子のもとへと笑顔が俺に迫る。着弾直前、ペグ子が体を捻って背中を向ける。

 

……3.2.1.今!

 

「……こころっ!」「お嬢様!」

「へっ?」

 

 俺の叫びに、耳慣れた声が重なり、伸ばした俺の手の横から黒いスーツに身を包んだ何本もの腕が飛び出してペグ子を支える。

 

 いつの間にか、俺の周りを固めていた黒服と俺の手によって、ペグ子は見事に受け止められていた。

 

「んー! ナイスキャッチよ、鳴瀬!」

「こころ、お前なぁ! ちょっとはなぁ!」

 

 ハラハラさせられた俺の抗議の声は無視して、ペグ子は手に持ったマイクを口に持っていく。

 

「みんな見てくれたー! 私、これだけライブが楽しみだったのよー!」

 

 ペグ子の声が静まり返った客席に響く。一瞬の静寂。そしてーー

 

 ウォォォ!! スゲェ! ヤバイゾ! サイコージャン!

 

 ーー客席を大歓声が支配した。

 

「わー!? こころ、早く戻ってきて! ボーカルがステージからいなくなっちゃまずいよ!」

 

 ステージの上でミッシェルが慌てて手を振る。

 

「それもそうね! それじゃあ今からステージに……あら?」

「おっ?」

 

 俺と黒服の人たちの支えから降りて歩いて戻ろうとしたペグ子の体がするするとステージに向かって動き出す。

 

 ココロ! ココロ! ココロ! ココロ!

 

 いつの間にか観客たちによって形成されていたモッシュが、掛け声と共にペグ子をステージへと運んでいく。

 

 観客の手の上でぴょんぴょん跳ねながらステージに帰るペグ子は満面の笑みだ。

 

「みんなありがとー! それじゃあ、演奏を始めちゃいましょう! 《ハロー、ハッピーワールド!》一曲目は《MONGOL800》の《小さな恋のうた》よ! ミュージック、スタート!」

 

 ペグ子が叫んでステージを指差すと、松原さんがみんなの顔を見回したあと、スティックを三度打ち鳴らす。

 

 デッデデデッデ、デッデデデッデ、デッデデデッデ……

 

 その音と共に、《小さな恋のうた》のイントロの特徴的なリフが始まる。

 

 そして、ペグ子は皆の手に支えられてついにステージにたどり着く。

 

ステージに降り立ったペグ子が優雅に一礼して、ついに歌が始まった。

 

『広い宇宙の 数ある一つ 青い地球の 広い世界で 小さな恋の 想いは届く 小さな島の あなたのもとへ』

 

 シンプルな、それゆえに力強く心を掴む恋の歌がペグ子の口からあふれる。

 

 客はみな、一様にペグ子に視線を注いでいる。

 次に彼女が何を起こしても大丈夫なように。

 決して、彼女の姿を見逃さぬように。

 

 ペグ子は、たった一瞬で会場全ての客の心を掴んでしまったのだ。

 

『響くは遠く 遥か彼方へ 優しい歌は 世界を変える』

 

 ペグ子の《小さな恋のうた》がライブハウスに響き渡る。

 

 彼女の優しい歌が、確実に世界を変えていっているのが分かる。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》は間違いなく、今日ここで始まったのだ。

 

 サビに入り、ペグ子がマイクを客席へとつき出して、空いてる手で客を手招きする。

 

 「みんなも一緒に幸せに(ハッピーに)なりましょう!」

 

 俺はペグ子のそんな声が聞こえた気がした。

 

「「「ほーら! あなたにとって 大事な人ほど すぐそばにいるの」」」

 

 客席を巻き込んで《小さな恋のうた》の大合唱が起こる。

 

 ペグ子が、薫が、北沢さんが、松原さんが、(恐らく)奥沢さんが、それを見て笑っている。

 そんな《ハロー、ハッピーワールド!》を見て、客席のみんなも笑っている。

 

 ライブハウスを笑顔が巡り、みんなが楽しく(ハッピーに)なっていく。

 

「「「ただ あなたにだけ 届いて欲しい 響け恋の歌」」」

 

 ペグ子にとっての「あなた」は「世界中の全ての人」だ。

 

 彼女は世界を自分との恋に落ちさせようとしている。

 

 最早、この歌は「小さな」では収まらない。

 

 あるいは、ペグ子にとっては世界すらも小さいというのか。

 

 そして、ペグ子の歌は続きいよいよ最後のサビ入っていく。

 

「夢ならば覚めないで 夢ならば覚めないで あなたと過ごしたとき 永遠の星となる」

 

 誰もがこの(うた)から覚めたくない、そう願っている。しかし、それ以上に次の(うた)を見たいと思う気持ちがみんなを次の(うた)へと駆り立てる。

 

「「「ほーら! あなたにとって 大事な人ほど すぐそばにいるの」」」

 

 合唱が響く。一つの夢が終わる。しかし、それは次のゆめの始まりへと続く。

 

「「「ほーら あーあ あああ ああーああ 響け恋の歌!」」」

 

 音が消え、夢が覚める。

 

 世界が切り替わる刹那の静寂。

 

 そして、

 

「「「うぉぉぉぉぉぉ!!!」」」

 

 歓喜の声がライブハウスを埋め尽くした。

 

 

 




………………。

「3-1」ってなに?

というわけでまさかの《ハロハピ》ライブ、分割です!(吐血)

何でこんなことになっちゃったのかというと、奥沢さん視点のパートがめっっっっちゃ長くなっちゃったからです。てへぺろでやんす!

奥沢さんは《ハロハピ》きっての常識人&良心なので多分こんな葛藤もあるのかなーと思って書いてたら筆が進んでこんなことに。あと、花音ちゃんと絡ませたかっただけです!(欲望)


そして、奥沢さん視点がながくなったため、苦肉の策でライブパートを分割、一曲目の《小さな恋のうた》で切りました。

《小さな恋のうた》は学生バンドの定番なので、どうしても使いたかった曲でした。一つ予定通りにタスクをこなせたのでま、ま、満足! 一本満足!

 できれば次で終わらせたいんですが、《ハロハピ》はまだ、4人のメンバーを残しています。フリーザ様ですら3形態だけなのに。

 とにかくなるはやで書くので、そこんとこヨロシクゥ!



【余談】

最初の格言っぽい言葉なんですが、実は格言でもなんでもなくて、日本のプロレスラーが言った言葉を英語に直しただけです。それっぽいでしょう? ふふふ。

しかもこの言葉、カッコいいセリフではなく、ネタとして有名になってる言葉だったりします。興味がある人は調べてみてね!


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野良ベーシストは仲間を信じる(後編3-2)

続きました。
後編3-2でぇーっす!

この前書きを書いてる時点ではここでライブを完結させる気でいます(完結させるとは言ってない)!

今回も《ハロハピ》メンバー視点があります。誰がどのタイミングで出るかはお楽しみに!


 

 

 

ーー人の世に熱あれ。人間に光あれ。

 

 

 

◇◇◇《side ある少女》◇◇◇

 

 

 

 素晴らしいものを見た。

 

 素晴らしいものを見た。

 

 素晴らしいものを見た。

 

 本当に素晴らしいもの・美しいもの・偉大なものに出会った瞬間人は言葉を失うというけれど、やっぱりそれは間違いじゃない。

 

 人生で初めて《Poppin'Party》のライブを見せてもらったあの天に昇るような高揚感。

 

 まさか、あれをまた経験できるなんて。

 

 やっぱりバンドってすごい!

 

 でも、《Poppin'Party》の時と、今の《ハロー、ハッピーワールド!》の演奏の衝撃はふたつとも違った衝撃でした。

 

 《Poppin'Party》の衝撃は、例えるなら桜の花弁を舞い上げた春風が心をすり抜けたような爽やかな衝撃。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》はまるで、一つ一つ宝箱を開けていくようなワクワクする衝撃。

 

 今までの自分が塗り替えられるような、でも、どちらもとっても心地よい新鮮な衝撃。

 

 どちらにも、優劣なんて付けられない、いや、つけちゃいけないものなのだ。同じ花だからといって、桜と向日葵のどちらが綺麗かなんて決められないように。

 

 だって、二人のバンドの演奏はどちらもそのバンドの精髄を集めたものなのだから。

 

 ああ、この心の高鳴りをいったいどうすればいいんだろう。どうすれば、静まってくれるのだろう。

 

 もしかすると、一生この鼓動の速さが治まらないのではないかという錯覚に囚われる。このスピードで青春を駆け抜けてしまうのではないかという不安が過る。

 

 ーーでも、今はこれでいい。

 

 だってまだ、この素敵な(うた)は終わっていない。一つの夢から覚めても、また次の夢が私を待っている。

 

 だから、この夢から覚めるまではこのままでいい。面倒くさいことは全てが終わって現実に帰ってから考えよう。

 

 そう決めて、私はその胸の高鳴りを抑えることなく、彼女たちの次の夢を待つ。目が覚めれば儚く溶けていってしまうそれを、決して忘れてしまわないように。

 

 

 

◇◇◇《side ある少女 over》◇◇◇

 

 

「はーい、みんなー! 《ハロハピ》風《小さな恋のうた》、楽しんでもらえたかしらー?」

 

 ウォー! サイコー! タノシカッター! イイゾーココロチャン!

 

 曲の間のMCで、またペグ子がマイクを握る。

 観客は既にペグ子に夢中で、彼女のクエスチョンに対するレスポンスが、客席のあちこちから返ってくる。

 

 まったく、初ライブの無名のバンドへの反応じゃないぜこんなの。

 

 あっさりと初心者の壁を乗り越えた、あるいは無視しでぶち破ってしまったペグ子を見て俺は苦笑する。

 ステージには上座も下座もないとはいったが、バンドの練習量とスキル、知名度などで、ある程度の席の位置は決まってしまう。

 しかし、《ハロハピ》はそれらの問題を一切感じさせない。まったく、恐ろしく横紙破りなバンドだ。

 

 ま、俺もその一人なんだがな。

 

 だから、俺はステージの下から仲間たちにしっかりと視線を送る。大切な仲間たちの晴れの姿を一瞬たりとも見逃さないように。

 

 そんな俺の視線の先で、ペグ子が薫に駆け寄っていく。どうやらMCを譲るようだ。

 

「わたしはもっともーっとみんなとおしゃべりしたいけど、他のメンバーもみんなとおしゃべりしたいらしいからそろそろ代わるわね! 薫、お願い!」

 

 ペグ子のデータ離れたマイクが宙を舞い、薫の手にすっぽりと収まる。

 薫とペグ子が軽く頷き合ったあと、ペグ子が後ろに下がり、入れ替わるように薫が前に進み出る。

 

「やぁ、子猫ちゃんたち。私の演奏は楽しんでもらえたかな?」

 

 キャー! カオルサマー! サイコー! ヨカッタゾー!

 

 先程の紹介の時に聞こえた黄色い声援に混ざって、男性の声での声援も飛ぶ。どうやらペグ子と同じように、彼女も会場の心を掴んでいるようだ。

 

 その声援に薫はステージでうっとりとした艶のある表情を浮かべる。ぞくりと背筋が動くような魔性。

 

 ……いつもそうしてればもっとカッコいいのにな。

 

 いつものなんちゃって宝塚の薫の姿を思い出して俺は苦笑する。俺にとっては彼女は「黙ってればカッコいい人物」の筆頭だ。

 

「ああ、ありがとう子猫ちゃんたち! 最初の紹介でご存知だとは思うが、私は羽丘高校演劇部に所属していて舞台に立つのはこれが初めてではないんだ。でもーー」

 

 そこまで言って薫は客席を見渡す。

 

「ーーこんなにもステージと客席が一つになった瞬間は演劇では味わえなかった。演劇とバンド、どちらが優れているとは言えないが、どちらも違った儚さがあるのだと、今身に染みて実感しているところさ」

 

 確かに薫の言う通り、演劇は演者が表現する作品の世界に静かに浸るものであり、静かに深く味わうものである。

 逆にライブは自分の内に沸き上がる感情をインスタントに表現できることにその魅力がある。二者は全く逆のベクトルで優れた芸術なのだ。

 

「しかも素晴らしいことに、まだ私たち《ハロハピ》の演奏はまだ二曲も残っている。次も、その次も、最高に儚い私たちをお届けしよう! 子猫ちゃんたち、私たちに着いてきてくれるかな?」

 

 イイトモー!

 

 客席からの答えは「Yes」。当然だ。あんな(もの)を見せられて、途中下車なんてあり得ない。

 

 耳に手を当てて返事を聞いた薫は満足そうに頷く。

 

「ありがとう、子猫ちゃんたちの応えに感謝を! そして共に行こう、次の(うた)へ! 2曲目は《ハロー、ハッピーワールド!》で《えがおのオーケストラっ!》、こころ姫、マイクを!」

「オッケー、薫!」

 

 薫るの手から放たれたマイクが後ろからステージ最前列に飛び込んできたペグ子の手に収まる。

 ペグ子が着地すると同時に、《ハロハピ》の演奏が始まった。

 

 ーーシュババババッ!!

 

「うぉっ!? なんだ、なんだ!?」

 

 ステージに気を取られていた客たちの間を黒い閃光が走る。閃光が走ったあとには、そこにいた客の手に1枚の紙が握られている。

 

「これは《えがおのオーケストラっ!》の歌詞カードか! 黒服の人たち、相変わらずいい仕事をするじゃないか!」

 

 手元の歌詞カードには、歌詞だけではなくコールなどもしっかりと書き込まれている。これなら初めての曲でも客はノれる。

 

 先程の《小さな恋のうた》は借り物の曲だったが、この《えがおのオーケストラっ!》は《ハロー、ハッピーワールド!》のオリジナル。

 

 それは、ペグ子が歌い、奥沢さんが心血を注いで作り上げ、そして、みんなで奏でる《ハロハピ》の魂の精髄。

 

 観客たちは遂にここで真の《ハロー、ハッピーワールド!》を理解するだろう。

 

 ーー準備は万端。気分は上々。さぁ、行こうぜ!

 

 観客の熱を帯びた視線に応えるようにウインクを一つ決めて、ペグ子の唇が震える。

 

『トキメキ! メキ! はずませて 始めよう オーケストラっ!』

 

 先ほどの《小さな恋のうた》とは違う、弾むようなわくわくが止まらない子どもようなペグ子の声が響く。

 

 その声を聴いていると、なんだか俺の心まで子どもの頃に帰って行く気がした。

 

 

 

◇◇◇《side 北沢はぐみ》◇◇◇

 

 

 

 すごい! すごい! すっご~い!

 

 ライブってこんなにすごいんだ!

 

 今はぐみたちの前で、こころちゃんの声とはぐみたちの演奏に合わせて、お客さんが一緒になって動いてくれる。

 

 まるで、会場が一つの大きな動物さんになったみたい! くじらさんかなー? あ、もしかしたらくまさんかも、だって《ハロハピ》にはミッシェルがいるもんね!

 

 そんなことを考えるとお客さんたちがピンクのくまさんに見えて、自然と笑顔があふれてきちゃう。

 こんな気持ちは、ソフトボールでは感じたことはないかも。

 

 はぐみはソフトボールの、試合なんかでお客さんの前で何かをすることには慣れっこ! はぐみがホームランを打ったり、バッターを三振にしたりすると、はぐみと一緒にお客さんたちも喜んでくれるんだ!

 

 でも、そのときの気持ちと今の気持ちは全然違うんだ。

 

 ライブが始まったときは「何でだろう?」って全然分からなかったんだけど、はぐみ、今はその理由が分かるよ!

 

 ライブでは、お客さんの顔を見ることができるんだ!

 

 最初はベースを弾くことに夢中で気がつかなかったんだけど、段々慣れてきてふっと顔を前に上げたら客席のお客さんたちの笑顔が飛び込んできてびっくり!

 でも、すぐにはぐみも笑顔になっちゃった!

 

 ソフトボールの時は打つときも、投げるときもボールに集中しないといけないからお客さんの顔を見るタイミングはあまりないんだー。特に、お客さんが喜んでくれるときは!自分が活躍してるときだから、試合に集中してて顔なんて見てる暇がないんだよね。

 

 でも、ライブは違うね! ライブは演奏していると自然とお客さんの顔が見えるようになってるんだ! 

 

 だから、はぐみの演奏でお客さんが笑って、その笑顔ではぐみが笑って、またその笑顔と演奏でお客さんが笑ってくれる! すごい、これって笑顔の永久機関じゃないかな!?

 

 すごいことに気がついちゃった! もしかして、はぐみ、ノーベル賞がもらえちゃうかも! あ、でもライブを考えたのははぐみじゃないから、ノーベル賞はライブを考えた人のものなのかな? うーん、どうなんだろう?

 

 でも、まぁ、いいか!

 

 はぐみにとってはすっごい賞よりも、目の前のみんなの笑顔が一番の宝物だもん!

 

 だから、もっともーっと笑顔の宝物をあつめるぞ~! はぐみ、いっくよ~!

 

 

 

◇◇◇《side 北沢はぐみ over》◇◇◇

 

 

 

 北沢さん、《小さな恋のうた》の時よりも、顔が前を向くようになったな。その分演奏が荒くなってるけど、北沢さんの笑顔が客席に届けば差し引きするとお釣りが出るな。

 

 俺はライブの中で成長していく北沢さんの姿を見て自然と頬を綻ばせる。

 

 素晴らしい才能が花開く瞬間というのはなんと美しいものなのか。

 そして、それに立ち会えること、ましてその開花に自分が携わっているなんて無上の歓びだ。

 

 北沢さん、君は今最高に美しい。君にベースという最高の楽器を教えた者として、そして同じ一人のベーシストとして、これ程誇らしいことはないよ。

 

 俺は北沢さんに、新しく世に生まれた一人のベーシストに、最大の賛辞を送った。

 

 キラキラ! キラキラ!

 

『星のリズム』

 

 ピカピカ! ピカピカ!

 

『手を鳴らして』

 

 キラピカ! キラピカ!

 

『キズナの色 地球の色 同じなんだ!』

 

 客席全体から嵐のようなコールを受けて、ペグ子は最高の笑顔で歌い続ける。

 

『繋いだ手を』ハイ! ハイ!

『繋いでこー!』ハイ! ハイ!

 

 ペグ子がステージの真ん中で自分の左手という右手を掲げてぎゅっと握る。

 

 その時、俺の前に右横からニュッと手が差し出される。

 

 驚いて、横を見るとアゴヒゲを生やした見知らぬ若者がにかっと笑って俺を見ていた。

 

 ーーなるほどね。

 

 すぐに理解した俺は、アゴヒゲの若者に笑い返すと差し出されたその左手に俺の右手を重ねて力強く握る。俺が握ると彼も力強く返事をしてくれる。

 

 思えば、子どもの頃は何も深く考えずに初対面の相手とも手を繋いですぐに友達になれたものだ。

 

 一体いつの頃から俺たちは誰とでも手を繋げなくなったんだろう。

 

 でも、今の俺はペグ子の歌声のおかげで子どもの心に戻っている。今なら世界中の誰とでも手を繋ぎに行ける気さえする。

 

 だから、俺はまだ空いている左手を、躊躇うことなく左隣の少女へと差し出した。

 

「えっ?」

 

 驚いた少女が俺の顔を見上げるので、俺は顔の動きでステージのペグ子を示してから、少女の方を向いて「ん」と軽く頷いた。

 

「あっ……はい!」

 

 それで全てを察した少女が俺の手を取ってくれる。そして少女ももう片方の手を別の誰かと繋げていく。段々、客席(せかい)がひとつになっていく。

 

『世界はひとつになる ボクらで作り出そうよ』

 

 まるでペグ子の見る(うた)のように。

 

『フェスティバルだ!』

 

 ウォォォォ!!! ハイ!!!

 

 ペグ子が叫んでジャンプするとそれに合わせて客席を右から左へとウェーブが流れる。これは歌詞カードに書かれていた演出にはなかった。

 

 ペグ子が、《ハロー、ハッピーワールド!》が、観客を動かしたのだ。

 

 みんなが互いに集まって、ひとつの大きな(うた)を見ているのだ。

 

 ーーああ、ライブはこんなにも美しい。

 

 

◇◇◇《side 瀬田薫》◇◇◇

 

 ああ、客席に海が広がっているのが分かるよ! なんて、なんて儚いんだ!

 

 子猫ちゃんたちの作るウェーブを見て私の胸は高鳴った。

 

 こころ姫の考えで、歌詞のように子猫ちゃんたちに手と手を繋いでもらうという構想は元からあったもの。

 

 しかし、繋いだ手でウェーブを起こすということは私たちの考えにはなかった。つまり、これは子猫ちゃんたちが私たちの演奏を見て自然に起こしたのだ。

 

 ああ、これを「儚い」と言わずしてなんと言おうか!

 

 私の目には、客席にできた海だけではなく、すでにその先の光景まで見えている。

 海の先にあるのは当然別の国だ。つまり、この客席の海はその先の世界に繋がっている。私たちは今、間違いなく未来への扉の前に立っているんだ。

 

 これは啓示だ。私たち《ハロー、ハッピーワールド!》が、幸せ(ハッピー)世界(ワールド)に届けに行くという啓示なんだ!

 

 ……ああ、儚さで胸がつまる! 私たちの未来はこんなにも祝福されている!

 

「……そんな世界(ゆめ)を見せてくれたこころ姫と《ハロー、ハッピーワールド!》の仲間たちに。そして、この空間を作ってくれた子猫ちゃんたちへ無上の感謝を。さぁ、最高の私を受け取ってくれたまえ!」

 

『繋いだ手を』ハイ! ハイ!

『繋いでこー!』ハイ! ハイ!

 

 曲が最後のサビへと向かう。

 

 客席に再び大きな海が見える。

 

 その大きさが、その強さが、そのうねりが、人間の持つ力なんだ。

 

『世界はひとつになる ボクらで作り出そうよ』

 

 偶然ライブハウスで出会った人間たちが作り上げる、今日この瞬間限りの(うた)。ここに集った人たちはもう二度と関わることはないかもしれない。それでも、ただ、今はその手と手を取り合って笑い合っている。多分、きっとそれでいいのだ。

 

 世界は儚さで出来ている。それゆえに世界はこんなにも美しい。

 

『フェスティバルだ!』

 

 再び生まれたウェーブに向かってこころ姫の最後の歌声が響く。

 

 私のギターが最後の音を掻き鳴らす。

 

 その残響がまだ消えないでいる内に、私の右手が客席へとピックを放つ。

 

 手から離れたピックは、照明の明かりを受けてまるでそれ自体が輝きを放っているかのようだ。

 

 輝くピックは放物線を描き、熱気の中を切り裂いて飛んでいく。

 

 ピックの行き先は投げる前に決めていた。私が投げる初めてのピックを受けとるのに相応しい人物は、この場で()をおいて他にいないだろう。

 

「ふっ、私の想い、掴み損ねないでくれよ、Mr.?」

 

 右手の指をピストルの形にすると、私は宙を舞うピックと、その先にいる人物を狙い違わず撃ち抜いた。

 

「ーーBanG !」

 

 

 

◇◇◇《side 瀬田薫 over》◇◇◇

 

 

 

 ーーああ、たった二曲だというのにこの満足感、この充足感は何だ。

 

 《えがおのオーケストラっ!》で二回目のウェーブを作る俺の心はただひたすらに穏やかに満ちていた。

 

 ウェーブが終わり手が離れたあとも、繋ぎあった手のその熱が、ひとつになった心がまだそこに残っている気がする。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》、最高に最高だ!

 

「……ん?」

 

 そんなことを考えていた俺の目に、何やらひかりの粒が突き刺さった。

 光の方へと顔を上げると、何やら空を切って小さなものが俺の方へと飛んでくる。

 

 うおっ、マジか!

 

 ウェーブが終わった直後で気が緩んでいた俺は、手を伸ばそうとするも間に合わずーー

 

ペチッ!

 

「ーーいてっ!?」

 

 空飛ぶ何かは俺の額にぶつかると、そこに居座った。

 

「何なんだよ、全く……」

 

 折角のいい気分を邪魔された俺は、ぼやきながら額に張り付いた何かを指で摘まんで剥がす。

 

「これは……」

 

 改めて、指で摘まんだそれを見るとそれは紫紺色のピックだった。ピックの表面には「20××/8/××《STAR DUST》瀬田薫」の文字がサインペンで書かれている。

 

「……これ、俺が薫にあげたピックじゃん」

 

 間違いない。これは俺の家に薫たちが遊びに来たとき、役立つ小物セットの中に入れたピックの中の一枚だ。薫の髪の毛の色に似てるなと思って選んで入れた物だからよく覚えている。

 

 ーーおいおい、俺にピックを投げても意味がないだろ。まったく、薫はそういうとこが抜けてるんだよな。ま、でもらしいといえばらしいかな。

 

 折角の初めてのファンサービスをまさかの身内に送ってしまう薫に思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 でも、それが最高に薫らしくて何だか安心する。

 

「あっ……すごい……」

「……ん?」

 

 横からボソッと聞こえた声に振り向くと、少女が俺の持つピックを羨ましそうに眺めている。

 

 俺は少女の顔と手元のピックを交互に眺めてから、笑顔でピックを少女に差し出した。

 

「……ねぇ、君。このピック、いらないかい?」

「えっ!? でも、それは凄い貴重なものなんじゃ……!」

 

 確かに、このピックは薫が初めてライブで投げた一枚目のピックだ。もし今後《ハロハピ》が世界に飛び立てば、このピックの持つ価値は計り知れないものになり、バンドの歴史上のマスターピースになるかもしれない。

 

 しかし、それでも。

 

「いや、このピックは君にもらって欲しい。今日この日偶然隣り合って、俺と一緒に《ハロー、ハッピーワールド!》を応援してくれた君にこそ、このピックは相応しいんだ」

 

 バンドのライブは一期一会。その場で結ばれた絆もライブが終わると消えてしまう。

 それでも、思い出となる何かが残れば、それを見てあの時感じた思いを、結んだささやかな絆を思い返す日があるかもしれない。

 だから俺は《ハロハピ》の一員として、目の前の少女には今日この日の想いを、絆を、このピックで刻み付けておいて欲しかったのだ。

 

「それに、さっき言ったけど俺は《ハロハピ》の身内みたいなもんだからな。ピックを手にする機会はいくらでもあるさ」

「そういうことでしたら、ぜひ……。ありがとうございます」

 

 差し出したピックを少女の細い指先がしっかりと掴む。

 彼女はそのピックをまるで少しでも力を加えると壊れてしまうかのように優しく、そして愛おしい手つきで両手の中で握りしめていた。

 

 その姿を見て俺は自分のやったことが間違っていなかったと一つ頷いてから再びステージに視線を戻す。

 

 いよいよ残すはあと一曲。

 

 これで会場の全ての人間の胸に《ハロー、ハッピーワールド!》が完全に刻み付けられることとなる。

 

 そして、このライブを見た全ての人間が、世界に《ハロー、ハッピーワールド!》を届ける先触れとなるのだ。

 

 ーーさぁ、正念場だぜみんな!

 

 ついに《ハロハピ》のライブが始まりの終わりを迎える。その時を待つ俺の胸は不思議なまでに穏やかだった。

 

 

 




はぐみ「私が演奏してお前らが笑う お前らが笑うとそれを見たはぐみが笑って演奏する 永久機関が完成しちまったなぁ~? これでノーベル賞ははぐみのもんだぜ!」

 はぐみちゃんのパートは『チェンソーマン』を読んでるときにふっと頭に思い浮かんだのをそのまま形にしました。ですから、みなさんも『チェンソーマン』をお読みになるといいですわよ(ダイレクトマーケティング)。

ほぼ鳴瀬君をトレースできる薫さんと違って、はぐみちゃんは地の文にらしさを出すのがめっちゃ難しかった……。伝わってくれ、はぐみちゃんの魅力!

そして、薫さんは案の定若干のコメディリリーフ。薫さんに関してはそのちょっとずれたところが可愛いと思ってるので、少しオチをつけたくなってしまう。愛だよ、愛。


そして案の定、2で終わらなかったので3に続きます。

うん、またなんだ、すまない。でも、仏の顔も三度までって言うしね、笑って許してほしい(バーボンハウス)。


そして、今回の最初の言葉は水平社の「水平社宣言」の末文から引用。もう紛れもない日本の、世界の歴史に残る名言・名文です。道徳の授業なんかで聞いたことがある人もいるかもしれない。

部落解放運動の旗印となった人権宣言なので、全文はかなりどろどろとしたオーラが漂いますが、人が人として生きるってこういうことなんだよな、とはっと気づかされます。

最後の部分を引っ張ったのは、ここが《ハロハピ》の理念に通じると思ったからです。こころたちは誰もが分け隔てなく笑える世界を目指しているわけですから。


いよいよ、「クライマックスだ!」(ハル子)。

《ハロハピ》運命の3曲目にはカバー曲を使う予定です。何を使うのか楽しみにしていただきながら、しばしお待ちいただけると幸いです。


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野良ベーシストは仲間を信じる(後編3-3)

続きました。
後編の3-3!

ライブはいよいよ3曲目! これで終わりです!

ライブのアフターまで入れてここで終わるのか、あるいはライブとアフターに3と4で分けるのかは分量次第になります。

残す《ハロハピ》視点はあと二人。当然、二人ともこの話で出していきます!

鳴瀬君たち《ハロー、ハッピーワールド!》の幼年期の終わり、どうか見届けてやってください。

そして、作品としてここが一つの節目となります。よろしければ御意見・ご感想・ご評価入れていただけると励みになります!


ーーずっと夢を見て幸せだったな 僕はデイ・ドリーム・ビリーバー そして 彼女はクイーン

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ーーあつい。

 

 頬を垂れていく汗を拭う。

 

 ライブハウス全体の熱気、そして、ウェーブなどのパフォーマンスによる体の火照り。汗をかくのは仕方がない。

 

 だが、決してそれだけではない。

 

 俺の心が、魂が融けそうなほどの熱を帯びているからだ。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》は完全に俺の心に火を着けた。この火、いや、既に炎と化したこれの熱はとどまるところを知らない。

 

 Live is so wonderful.

 

 ああ、ライブ(いきる)とはかくも素晴らしいものなのか。

 

 しかし、(うた)の終わりが近付いている。

 明けない夜が無いように、止まない雨が無いように、命に永遠が無いように、この(うた)もあと一曲で目覚めの時が来る。

 

 俺たちは現実を生きている。だから、必ず夢から覚めて一歩を踏み出さなければいけない。

 

 でも、最後の曲を聴けば、その一歩は今までにない最高に力強い歩みとなるはずだ。

 

「……やっちまえ《ハロー、ハッピーワールド!》」

 

 そうボソッと呟いた俺の前で、ペグ子がまたマイクを口元に向けてMCを始めた。

 

「みんなー、《えがおのオーケストラっ!》どうだったー?」

 

 ヨカッタヨー! サイコー!

 

 客席から当然のように返ってくる肯定の応えにペグ子は満足そうに頷く。

 

「うんうん、ありがとー! わたしも歌っていてとっても良かったと思うわ! でもーー」

 

 そこまで言って、ペグ子は客席を見渡してから満面の笑みになる。

 

「《えがおのオーケストラっ!》が最高だったのは、わたしたち《ハロハピ》だけの力じゃないわ! あの最高はここにいるみんなが作ってくれたのよ! だからみんなも今日から《ハロハピ》のメンバーよ、よろしくね!」

 

 ウォォォォ!!! コンゴトモヨロシクー! ココロチャーン!!

 

 ペグ子の言葉で客席のテンションは最高潮になる。もうこうなってしまっては止まらない。いや、止める必要など元よりないのだ。

 

 ペグ子が声援に応えて手を振り、そして大きく息を吸い込む。

 

 ついにその時が来る。

 

「ありがとうみんな! さぁ、わたしたちのライブもあと一曲よ! 楽しい夢の時間もいつだって終わりがあるもの! でも、わたしたちはこれからもずっと一緒に同じ(ハッピー)を追いかけて行きましょう! 《ハロー、ハッピーワールド!》ラストの曲は《ASIAN KUNG-FU GENERATION》で、《ソラニン》! ミュージック、スタート!」

 

 チャーン…チャーン……チャチャチャチャーン……

 

 ペグ子の声で静かなドラムのリズムに合わせ哀愁のあるギターのメロディが響く。

 

 日本有数のロックバンドである《ASIAN KUNG-FU GENERATION》が送る名曲の一つ《ソラニン》は同名のコミックとタイアップして生まれ、映画の主題歌にもなった。《リライト》や《アフターダーク》のような激しい曲が有名な《アジカン》から、あえてのしっとりした曲のチョイス。

 

 これは賭けだ。ペグ子はこのライブに全てを出しにきているんだ。《ハロハピ》の力を信じて。

 

 もしも、最後までハイテンションの曲で駆け抜けるならそれが理想的だ。十分に上がった客のテンションはそのまま、最後まで駆け抜けることができる。

 

 しかし、ペグ子はそれを良しとしなかった。敢えて静けさの混ざる曲を持ってくることで、《ハロハピ》のあらゆる可能性を示そうとしている。

 

 失敗の許されない初のライブでこの攻めの姿勢。いや、初のライブだからこそ(・・・・・)の攻めの姿勢なのか。ペグ子の恐れ知らずもここまで来ると見事としか言いようがない。

 

 そんなペグ子はステージの上で穏やかに微笑みながら足でリズムをとっている。いつもの底抜けな笑顔ではなく、そんな慈愛に満ちた聖母のような表情(かお)もできるのか。彼女の新しい側面が見えるたびに心の底がぞくりと動く。

 

 先程までの興奮と違う、静かに燃える焚き火のような熱の中で彼女の口が開く。

 

『思い違いは空の彼方 さよならだけが人生か ほんの少しの未来は見えたのに さよならなんだ』

 

 最後の(うた)が始まった。夢から覚める(さよなら)の時が近付いている。

 

 《ハロハピ》が見せてくれた輝く未来の夢とも暫しの別れの予感がして切なさで胸が締め付けられる。

 

『昔 住んでた小さな部屋は 今は他人(だれか)が住んでんだ 君に言われたひどい言葉も 無駄な気がした毎日も』

 

 思えば、ペグ子には本当に無茶なことばかり言われた気がする。俺みたいに太平洋のように心が広く、マリアナ海溝のように慈悲深い人間でなければきっと途中で投げ出していたことだろう。

 

 でも、不思議と今ではそんな日々も悪くなかったなと思えるんだ。

 

『あの時こうしていれば あの日々に戻れれば あの頃の僕にはもう戻れないよ』

 

 もし俺が《バックドロップ》を抜けていなかったら今頃どうしていただろうか? あの日駅前で一人でベースを弾いていなくてペグ子と出会っていなかったら? ペグ子に握りしめられた手を振りほどいていたら? 様々なif(もしも)が俺の頭を駆け巡る。

 

 それでも、俺は今を選んだ。たとえもう以前の俺には戻れなかったとしても、そこに後悔はない。

 

 だって俺は、そんな過去よりも燦然と輝きを放つ新しい未来を掴みとったのだから。

 

『たとえば(ヘイ!) ゆるい幸せがだらっと続いたとする(ヘイ!) きっと 悪い種が芽を出して もう さよならなんだ』

 

 ゆるい幸せを追いかけることを棄てた俺は《ハロハピ》と共に大きな幸せ(ハッピー)を追いかけることにした。心の中に巣食った悪い芽は全て彼女たちの光が焼き払ってくれた。俺の心はもうこれ以上ないほどに晴れやかだ。

 

 観客はコールを送れるところでしっかりとコールを入れてくる。先程までのノリがなかろうと、みんな《ハロハピ》と同じ(うた)を追いかけている。

 

 その夢の終わりにたどり着くまで。

 

 

 

◇◇◇《side 松原花音》◇◇◇

 

 

 

 わぁ……ライブってこんなに綺麗なんだなぁ……。

 

 ドラムを叩くバンドの当事者なはずなのに、私はどこか遠い気持ちでそんなことを考えてしまう。

 

 あっ、いけない! 今はスティックに集中、集中!

 

 お客さんたちが私たちにくれる優しさでほんわかとした気持ちに引っ張られていきそうになる、そんな私のほっぺを心の中でペチペチと叩く。

 

 でも、本当に夢みたい。こんな私をこれだけ多くの人が支えてくれているなんて。一度は諦めそうになった私を……。

 

 私は生来の引っ込み思案。臆病でおどおどした性格も相まって、バンドのみんなを支えるリズムの要であるドラムでは大成しそうになかった。

 

 だから、本当は私、一度はドラムを諦めたんだ。あの時こころちゃんに呼び止められていなかったら私の物語はそこでおしまいだったんだ。

 

 そんな私の手をこころちゃんが握ってくれた。私を引っ張って陽の当たるところまで連れていってくれた。

 

 でも、その時の私はまだずっとそこから逃げたいなって思ってた。私には絶対に無理だよ、ここは私の居場所じゃないよって思ってた。それを変えてくれたのはーー

 

 私はゆっくりと顔を上げる。その視線の先には一人の男の人が立っている。

 

「ーー鳴瀬さん」

 

 ぽつりとその人の名前を口にする。

 

 彼は私たち《ハロー、ハッピーワールド!》みんなの先生のような人。

 

 そして、私に諦めない勇気をくれた人だ。

 

 ーー「ドラムを諦めないでいてくれてありがとう」

 

 初めてのスタジオで鳴瀬さんが私に言ってくれた言葉は今でも私の胸の真ん中で私に力を与えてくれている。そして、鳴瀬さんが灯してくれた勇気の火をここまで大きく育ててくれたのは《ハロハピ》のみんなだ。

 

 みんなありがとう。小さくて、臆病で、今にも消えてしまいそうだった私は、みんなのおかげでこんなに大きな火に育ったよ。今の私はこんなにもドラムを叩けることが楽しいよ。

 

 ドラムを叩く私の手には二本のスティックが握られている。これは鳴瀬さんと一緒にお店で選んだスティックだ。

 

 鳴瀬さんのお家に行ったとき、私は色んなスティックを鳴瀬さんからプレゼントしてもらった。

 もらったスティックを家で試していると、その中にとてもスッと手に馴染む一対を見つけた。それはまるで私のためにあつらえたようにしっくりと手に馴染んだのだ。

 

 でも、そのスティックは練習の途中で折れちゃったんだ。

 

 それで、折角見つけた自分の手足の一部のようなスティックを失くして泣きそうだった私に、鳴瀬さんは「そのスティックを売ってるお店を知ってるから一緒に買いに行こう」って言ってくれた。

 

 今、私の手の中にあるスティックはそのとき鳴瀬さんと買ったスティックの中の一つ。それは大切な大切な私だけの思い出。

 

 このスティックを握っていると鳴瀬さんが私のすぐそばにいるような気がする。一緒に買い物に出掛けたときに、すぐに迷子になりそうだった私の手を取ってくれたあの時のように。

 

 あの頃の私は鳴瀬さんに引っ張ってもらうだけだったけど……今度は私が鳴瀬さんやみんなの手を引っ張る番なんだ!

 

 見ていてください鳴瀬さん。あなたが見出(みい)だして信じて支えてくれた私が、今度はあなたと《ハロハピ》の(うた)を支えます。

 

 鳴瀬さんと《ハロー、ハッピーワールド!》みんなの存在を確かに側に感じながら、私は私の想い(セルフィッシュ)をドラムに向かって全力で叩きつけた。

 

 

 

◇◇◇《side 松原花音 over》◇◇◇

 

 

 

◇◇◇《side 奥沢美咲 in ミッシェル》◇◇◇

 

 

 

 うわー、お客さん最後まですごくノってくれてる。

 

 やっぱりこころってすごいね。それとも、《ハロハピ》のみんながすごいのかな。

 

 客席から立ち上る静かな熱気を感じて、私はミッシェルをさらに激しく動かす。

 

 三曲目ということもあって私の体力ももう限界だよ。意外とミッシェルって重いんですよ、これ。

 

 でも、体力の限界を迎えているはずなのに、ミッシェルの動きは私の意思に反して勢いを増していってる。それはみんなが支えてくれているから? それとも、私の中にもっと動き続けたいという想いがあるから?

 

 それはきっとどちらも正解なんだ。

 

 そして、ミッシェルとなった激しく動きだし始めてからひとつ気になっていたことがあったのだ。

 

 ……足下のマネキンの残骸、邪魔なんだよねー。

 

 そう、なんと私の足下には《ハニースイート デスメタル(HS DM)》の《斬首八裂(キルシュヴァッサー)》で八つ裂きにされた憐れなマネキンの残骸が転がったままなのだ。

 

 前の2曲で破壊(さつがい)されたマネキンと別の場所に立ててあったから、おそらくこれだけスタッフが回収を忘れてしまったのだろう。

 

 あー、もう、邪魔だなー。えい、あっちへ行け、この、この。

 

 私は躍りながらミッシェルの足で残骸をこっそりと蹴って、ステージの脇へと処分しようとする。

 

 でも、それがいけなかった。

 

「えい、えいっ、えっ……あっ、あわわわわっ!?」

 

 足蹴にしていたマネキンの残骸を間違って足で踏みつけてしまった私はバランスを崩してしまう。普段の私なら踏みとどまれただろうけど、今の私はミッシェルだった。崩れゆく巨体を支えきれずに、私は床に転がるマネキンの残骸めがけて倒れ込んでしまう。

 

「うわーーー!?」

 

 ドシーン! グシャアッ!!

 

 倒れると同時に肘のしたで何かがつぶれる嫌な感触。うへー、何がつぶれたの、これ?

 

 その正体は客席からあがった声で分かった。

 

「おー! ミッシェルがクソ野郎の頭を粉砕したぞー!」

 

 うわー! 私が潰したのってもしかしなくてもマネキンの頭だこれ!? 私、やっちゃった!?

 

 肝心な場面で大ポカをやらかした予感に頭を抱えそうになる私。

 

 しかしーー

 

「すげー! やるじゃんミッシェル!」

「よくやったぞミッシェルー!」

「いいぞー、もっとやれー!」

「ーーあれっ、もしかして、私、ウケてる!?」

 

客席から返ってきた声援で、どうやら私の失敗はパフォーマンスだと解釈されてしまったみたいだと気付く。怪我の功名とはまさにこのことだよ。

 

 ……でも、狙ってやってないパフォーマンスが一番ウケてるってなんか複雑。

 

 起き上がりながら、今までの私の努力はなんだったのかと内心釈然としない気持ちになる。

 

 それでも、ま、いっか! ステージでは結局ウケたもの勝ちだし。せいぜいこのまま勢いに乗らせていただきますよー?

 

 そうそう、何事もポジティブ、ポジティブ。これ大事ね。あー、こころたちの能天気さが感染(うつ)ってきてるなー、私。

 

 自分でも驚くほどの心の変化に、それでも不思議と悪いきはしないで、私はミッシェルをますます激しく動かすのだった。

 

「へーい、まだまだミッシェルはこんなもんじゃないですよー。あ、でも、期待され過ぎるとやっぱり困る、ほどほどでいくぞー、おー!」

 

 

 

◇◇◇《side 奥沢美咲 in ミッシェル over》◇◇◇

 

 

 

 美味しい料理を食べるときは、それをもっと長く味わっていたいという思いが、残りが少なくなるにつれてどんどん箸が動くのを遅くする。

 

 しかし、ライブはそうはいかない。なぜならライブの主導権を握るのはいつだってステージの上のバンドなのだから。

 

 そして、それゆえにライブは素晴らしい。

 

 ライブが終わりに近づくにつれて、まるで寿命を迎える超新星のように《ハロハピ》は輝きを増していく。いつか燃え尽きる日が来るまで私たちはずっと輝き続けるんだ。そんな彼女たちの声が聞こえてくる気がする。

 

『寒い冬の冷えた缶コーヒー 虹色の長いマフラー 小走りで路地裏抜けて 思い出してみる』

 

 曲が低速域を抜けて走り出す。いよいよ終わりの時がくる。

 

『たとえば(ハイ!) ゆるい幸せがだらっと続いたとする(ハイ!) きっと悪い種が芽を出して もう さよならなんだ』

 

 まだ終わって欲しくない。

 

 彼女の歌声を、彼女たちの演奏をもっと聞いていたい。

 

 この(うた)から覚めたくない。

 

 でも、もう、さよならなんだ。

 

『さよなら それもいいさ どこかで元気でやれよ 僕もどーにかやるさ そうするよ』

 

 少し投げやりな雰囲気の歌詞もペグ子の手にかかればそれは強いメッセージに変わる。

 

 「わたしの幸せ(ハッピー)を詰め込んだあなたならどこでもきっと大丈夫。お互いに元気でやりましょう。そして、一緒に世界をハッピーにするのよ!」

 

 消えていく最後のメロディの響きの中に、俺はペグ子のそんな声を聞いた気がした。

 

 静寂。

 

 静寂。

 

 静寂。

 

 それはどこかで夏祭りが終わった後の余韻に似ていた。

 

 そして、その静寂を切り裂いて、打ち上げ忘れた一つの花火が客席で轟音と共に花開いた。

 

 

 

◇◇◇《side 弦巻こころ》◇◇◇

 

 

 

 あら、もうおしまいなのね。

 

 曲が最後になるにつれてだんだんと名残惜しさが胸に溢れてくるみたい。

 

 んー、わたしはいつも新しいワクワクを探しているからあんまりこんな気持ちにはならないのだけど、それだけライブの力がすごいってことね!

 

 きっとそうよ、だってそれだけ今日のライブは凄かったもの!

 

 わたしたちがお客さんに幸せ(ハッピー)をあげると、お客さんたちがわたしたちに笑顔(ハッピー)を返してくれるの。ライブじゃないとこんなことはできないわ!

 

 やっぱりバンドで幸せを世界に届けるというわたしの発想は間違ってなかったわ!

 

 わたしは、わたしの思い付きが間違っていなかったことに満足する。もっとも、わたしの思い付きが間違っていたことなんて一度もないのだけど!

 

 でも、今回の思い付きはわたし一人では無理だったわ。

 

 わたしは、私の後ろで同じ想いでいるみんなのことを考える。

 

 薫、はぐみ、花音、ミッシェル、そしてミッシェルを連れてきてくれる美咲も。みんな最高のわたしのお友達!

 

 わたしたちはこの広い世界の中で偶然集まった仲間たち。でも、きっとそれは本当は必然だったんだわ!

 

 だって、今こんなにもわたしたちはひとつになっているんですもの!

 

 そんなことを考えていると、曲はもうほんとの最後になっちゃった。でも、名残惜しさはだんだんと消えて、入れ替わるように満足が流れ込んできてる。

 

 だって、これが終わってもまた次のライブがあるもの! ワクワクが止まらないわ!

 

 そう、これが終わってもその次の、それが終わってもまたその次のライブがあるのよ。昔を振り返っている暇は無いわ!

 

 でもね。

 

 それでもたったひとつだけ、このライブに心残りがあるとするなら。

 

 やっぱりわたしもまだまだなのかしら。ライブで世界中のみんなを平等に幸せ(ハッピー)にしなくちゃいけないのに、今はただ、あなたに一番わたしの歌声を届けたいのよ。

 

 それは、わたしに音楽で一番最初に幸せ(ハッピー)をくれた人。

 

 そんな素敵な演奏をするのに、自分は一番幸せ(ハッピー)じゃない表情(かお)をしていた人。

 

 わたしにバンドの歓びを教えてくれた運命の人。

 

 ーー鳴瀬、あなたの心にわたしの(うた)は届いているかしら?

 

 客席にダイブしてキャッチしてもらったときを最後に、歌っている間はあえて一度も目を合わせなかった。最後の時になって、ようやくわたしはまた鳴瀬と目を合わせた。わたしの(うた)がちゃんと彼に届いたのか確かめるために。

 

 そして、彼と目が合った瞬間に、わたしはその一瞬で全てを理解したの。

 

「ーー以上、《ハロー、ハッピーワールド!》でしたー! みんな、応援ありがとー!」

 

 みんなの歓声を浴びたわたしはきっと、今までの人生で一番の、最高に幸せ(ハッピー)な笑顔をしていたのよ。

 

 

 

◇◇◇《side 弦巻こころ over》◇◇◇

 

 

 

 おめでとう。そして、ありがとう、薫、北沢さん、松原さん、奥沢さん、……こころ。

 

 もう、語れる言葉はそれぐらいしか胸の中に残っていなかった。

 

 最高の時だった。

 

 ただ、ただ、最高の時が流れていた。

 

 最高のものに触れたときに言葉を失って「ほぅ……」と思わず溜め息を吐いてしまうような充足感。今の俺にはそれしかない。

 

 もちろん、技術的な課題は沢山あった。バンドのアドバイザーとして、俺はこの後彼女たちに沢山のダメ出しをすることになるだろう。

 

 でも、ただこのときは自分の心に素直でいたいのだ。

 

 それからしばらく充足感に浸っていると段々と周囲の声が聞こえるようになってきた。

 

「やべぇ、《ハロー、ハッピーワールド!》、これはくるぞ!」

「それな! 誰だよ《ハロー、ハッピーワールド!》が可哀想なんて言ってた奴?」

「いや、お前もじゃん! まぁ、俺もそう言ってたんだけどさ。だって、初ライブのバンドがあんなん見せてくれると思わないじゃん!」

「うんうん、ってかマジでこれが初めてのライブなんだよな。つーことは、これから先もっと伸びてくわけじゃん? 俺、しばらく《ハロハピ》をフォローするわ」

「それな! つーか、物販なかったし早く音源とかほしーぜ!」

 

 みんなが《ハロハピ》を讃える声が聞こえる。当然だ、それだけのことを彼女たちは間違いなくやったんだから。

 

 もっと客席の声を拾おうと俺が振り向いたそのとき。

 

 俺は隣に立っていたあの少女のことを思い出した。

 

 少女は演奏前と同じ場所で立っていた。両の目から頬を流れる涙を拭うこともしないで、ステージの上に彼女たちの幻影をまだその目で追いかけているかのように、ただじっとステージを見つめてそこに立っていた。

 

 その姿に声をかけることが躊躇われて、しばらくじっと見つめていると、視線に気づいた少女が「あっ」と小さく声をあげて慌てて目尻の涙を拭った。

 

「す、すみません。みっともない姿を見せてしまって」

「あ、俺もごめん。じっと見てるなんて失礼だったよね」

 

 俺が軽く頭を下げると、少女は今度は頬の涙を拭いながらゆっくり首を左右に振った。

 

「いえ、誰だって隣で誰かが泣いていたら気になるとおもいますから。……それにしてもすごいバンドでしたね《ハロハピ》」

「いや、俺もここまでやるとは思ってなかったよ」

 

 確かに、バンドのアドバイザーとして期待してないわけではなかったが、まさかそのハードルの遥か上空をジェットで飛んでいくと誰が思うだろうか。

 

 そんな風に語る俺を見て、少女が意を決したように口を開く。

 

「……《ハロハピ》って、本当にこれが初ライブなんですよね?」

「うん、松原さんだけは楽器歴は他のメンバーよりも長いけど、それ以外は春にバンドと出会ったばかりの本当の素人だ。最初から練習に付き合ってやってる俺が言うんだから間違いない」

 

 少女の言葉を俺が肯定する。

 

「じゃあ、わ、私にもバンドはできるでしょうか? まったく、楽器も弾けない私なんかでも……」

 

 少女の声は果物の果汁の最後の一滴を絞り出したようにか細かった。それだけの勇気を振り絞ったことばだった。

 

 なるほどね。もう、観客席(こっち)側じゃ満足できないってわけか。

 

 俺は精一杯の勇気を振り絞ったその少女の肩にそっと手を置いた。「あっ」と細い声が少女から零れ、目と目が合う。俺はその目に笑いかける。

 

「もちろん。君にだって絶対できる。誰にだってできる。だって、音楽は誰のものでもない、音楽は自由なんだ。だから『私なんか』じゃなくてさ、『私にしか』できない音楽をやりなよ。それは絶対に君の内側に眠ってて、外に出たがってるからさ」

 

 俺の言葉に少女の顔がハッとする。

 

「私にしかできないこと……」

「ああ、君が感じた全ては君だけのものだ。だから絶対に君にしか表現できないことがあるよ」

「……はい!」

 

 元気よく少女が応えて、拭ったはずの涙がまたその頬を流れた。そのまましばらく涙を流す少女の肩に俺はそっと手を添えて支えてあげていた。

 

「……ありがとうございます。もう大丈夫です」

「そうかい?」

 

 少女の顔を見て、確かに大丈夫そうだと思った俺はその肩から手を離す。

 

「私、絶対にバンドをやります。今は中学三年生だから受験があるので、次の春に高校に進学したら絶対に仲間を集めます!」

「それは最高だ。期待してるよ」

 

 こんなにも素晴らしい心を持った少女なのだ。彼女の作るバンドはきっと佳いものになるだろう。

 

「あっ、私、ましろ、倉田ましろって言います! お兄さんのお名前を聞いてもいいですか?」

「あー、そういえば名前も名乗ってなかったんだな俺たち。いいよ、俺は基音鳴瀬、鳴瀬でいいよ倉田さん」

「鳴瀬さん……、今日は本当にありがとうございました」

 

 俺の名前を呟いて深く頭を下げる倉田さんに、俺は気にするなと手をひらひらさせる。

 

「いえいえ、感謝されるほどのことはやってないよ。それよりも、次はおまちかねの《Afterglow》だぞ。まだまだ目一杯、このライブを楽しんでいこうぜ!」

「……はい! ……えっ? な、鳴瀬さん、う、後ろに……」

「え、何、倉田さん? 後ろがどうした……って、あっ……」

 

 倉田さんが震える指で背後を指し示すので何事かと思った俺が後ろを振り返ると。

 

 そこに立つのは五人の般若、或いは仁王だった。もっと具体的に言うなら《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバー五人全員が腕組みをして般若の形相で仁王立ちしていた。

 

 彼女たちと目が合った瞬間、ペグ子を筆頭に怒濤の勢いでその口が開く。

 

「ちょっと鳴瀬! わたしたちが必死にライブをしてたのに、なんであなたは他の女の子とイチャイチャしゃべっているのかしら!」

「え、あ、いやこれは違うんだよペグ子……」

「ペグ子? それがその子の名前なの!?」

 

 あ゛ーー!! ミスった!? 焦ってペグ子のことを「ペグ子」って呼んでしまった!?

 

 アカン、アカンですよこれは。なんとか軌道修正をしないと……俺は死ぬ!(確信)

 

「あ、いや違うんだよこころ……」

「違ってないでしょう! どうしてよ鳴瀬! ちゃんと説明して!」

「ぐええ……こころ、首が、首が折れる!」

 

 俺が全てを言い切る前にペグ子の両手が俺の肩を掴んで前後に揺する。

 

「そうだぞMr.鳴瀬! しかもMr.鳴瀬は私が投げた初めてのピックをその子にあげていたじゃないか! 一体その子とどういう関係なのか、君には私たちに説明する責任がある!」

「か、薫。いや、説明も何も倉田さんとは今日ここで会ったばかりで……」

 

 いつもは見せたことがない怒気をはらんだ薫の視線に俺は怯む。

 まさか倉田さんに善意からピックをあげたことが、ここで裏目に出るとは一体誰が思うだろうか。

 

「むー、ほんとかなぁ? それにしては仲良くない?」

「そ、そんなことないよ? 北沢さん……」

 

 いつもは何の疑いも持たない純真な北沢さんまで、今日はなぜか俺への追及を強めてくる。

 

「な、鳴瀬さん、私たちのこと捨てて他の女の子のところに行っちゃうんですか……」

「ち、違っ……! 誤解だ松原さん!」

 

 ああ、本当に違うんだよ松原さん。だからその泣きそうな目で俺を見るのはやめて、お願い。

 

「その子、まだ中学生ですよね。鳴瀬さん、逮捕されちゃうのかなー。あー、残念、残念」

「奥沢さん、本当に違うんだよ……」

 

 あの、奥沢さん。その手に持ったスマホで一体どこに連絡しようとしてるの? ポリス? ねぇ、ポリスなの?

 

「「「「「(Mr.)鳴瀬(くん・さん)~!!!」」」」」

「ぎゃーーー!!??」

 

 しどろもどろになりながらの俺の弁明は、結局《Afterglow》のライブが始まるまで続いて、それから倉田さんとの関係を語り終えるにはライブが全て終わるまでの時間を要したのだった。

 

 

 




はい、ここまで書いてほぼ一万字なのでライブアフターはその4に持ち越しです(昇天)

これでライブ自体は書き終わりました! なげぇよ!

でも、やりたいことはやったので満足です!

最後の視点人物は花音先輩とこころちゃん、そしてミッシェル再び。

いやー、キャラが既に立ってる人物の視点になりきるってむずいですね!

もう二度とこんなことはしないよ!(世界丸見え風)

作中謎の少女は、感想でおっしゃってる人もいましたが倉田ましろちゃんでしたー!

ましろちゃんの名前を出す前に当ててもらって、結構ちゃんとキャラがトレースできてたんだなぁ、とちょっと自信になりました!

三曲目は《ASIAN KUNG-FU GENERATION》から、《ソラニン》でした。アジカンは定番の激しい曲よりも少ししっとりしてる曲が好きなんですよねー。最近だと『四畳半神話大系』とタイアップだった《迷い犬と雨のビート》とかツボです。

《ソラニン》は原作の漫画の青臭さからして大好きだったのでこの作品で使えてよかったです。映画は酷評も多かったのですが、「酷評してる人は多分ちゃんとした大人なんだろうな~」って思いました。あの青臭さは多分しっかりした人には分からない種類のやつです。

そして、最初の言葉は忌野清志郎さん率いる《タイマーズ》の《デイ・ドリーム・ビリーバー》でした。某有名コンビニチェーンとタイアップした曲なので、知ってる人もおおいかな?
夢から覚めて初めて夢の素晴らしさに気付くことって良くありますよね。鳴瀬くんはどうなんでしょうかね?


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野良ベーシストは夢の終わりを迎える

続きました。
初ライブアフターです。そんなに長くないと思うよ?

いよいよ《ハニースイート デスメタル(HS DM)》との勝負の決着です。

この戦いに勝つのは一体どちらのバンドなのか!?

乞うご期待!


【アンケート】

アンケートの結果ですが、約10票ほどの差でポニーテール萌え(いるよ派)が一位でした~。ここはキョン君が多いインターネッツですね(古典派)。

ただ、「おう、本編を早く進めるんだよ。あくしろよ」って方も多いので、個別のメンバーごとのストーリーではなくて、全員一緒に出せるサイドストーリーを一つにして、個別はちょこちょこ間で挟もうかなと思ってます。いわゆる折衷案というやつです。

んで、個別のストーリーに関しては各キャラごとに何個か考えてるのがあるのでまたアンケートさせてもらおうかなと思ってます。多分全部を形にするのには圧倒的に時間がないので。

なんだかんだでストーリーはまだまだ続きます! どうか今後ともよろしくお願いいたします!


「それじゃあ、みんな行くわよ」

「ああ」「うん!」「はい」「ええ」「おう」

 

 ペグ子の言葉に俺たちは顔を付き合わせて頷く。

 

 『school band summer jam 14th』が大成功の内に幕を下ろしてからしばらく経った。他のバンドが捌けてしまった後の控え室前の廊下で、倉田さんと別れた俺たちは最後の勝負にけりをつけに行こうとしていた。

 

 それは俺の命運を決める《HS DM》のメンバーとの勝負。《ハロハピ》の勝利条件は、「メンバー全員が今日のライブに満足すること」だ。

 

 有力バンドの《HS DM》の出番が直前にあるというおおよそ理想的とは思えなかった条件。

 

 しかし、俺の胸に不安は一切存在しなかった。

 

 だって、《ハロー、ハッピーワールド!》はあれだけのライブを見せたのだから。

 

 ペグ子が歩くのに従って、俺たちは決戦の地へと向かう。

 

 そこは控え室スペースの一番奥に位置する第一控え室よりも更に奥へと廊下を進んだ突き当たりに位置する資材倉庫になった部屋だ。《HS DM》が《STAR DUST》の管理者と交渉して、少しの間そこの鍵を借りてある。

 

「失礼するわ!」

 

 そう言ってペグ子が部屋の扉を開け放つと、果たして《HS DM》はそこで俺たちを待ち構えていた。

 

 《HS DM》のメンバーは、壁にもたれて立っていたり、木箱の上に座っていたりして、まるで少年漫画の敵の組織の登場シーンか、CDジャケットの撮影の風景を思わせる。

 

「待っていたよ、鳴瀬くん。そして、《ハロー、ハッピーワールド》」

 

 SAKIさんは俺たちの姿を確認すると、余裕綽々といった様子で軽く右手を挙げた。自分が敗北するなど微塵も思っていない強者の佇まいといったところか。

 

 しかし、そんなことなどものともせずに、ペグ子はずいっと彼女の方に進み出る。

 

「待たせたわね! さぁ、決着を着けましょうか!」

 

 腰に手を当てて仁王立つペグ子に、SAKIさんはゆっくりと頷く。

 

「ああ、話が早いのは助かるよ。こっちはアフターの準備もしなくちゃいけない。さぁ、聞かせてもらおうか『君たちは今回のライブ満足できたのかな?』」

「もちろんよ!」

 

 口火を切ったのは案の定ペグ子だ。間髪を入れぬ即答に、《HS DM》メンバーの何人かが少し驚いた表情になる。

 

「わたしは、いつも通り完璧に弦巻こころをやりきったわ! 『世界をハッピーにする』わたしたちの目的も、会場のお客さんたちの顔を見たら、それが達成できたんだってすぐに分かったわ! だから、わたしは今回のライブには大満足よ!」

 

 ペグ子の自信たっぷりな答えに、SAKIさんはまだ、その余裕の表情を崩さない。

 

「ふふっ、なるほどねぇ。でも、君たちの勝利条件は全員の満足だ。他のお嬢さんたちはどうかな?」

 

 彼女はそう言って、今度はペグ子の後ろの4人に水を向ける。

 

 勝利条件は全員の満足。

 

 みんながそれぞれに満足の物差しを持っている以上、全員の満足を同時に引き出すことは難しい。

 しかし、それでも俺にはこの勝負に勝てる確信めいた予感があった。

 

 だって、ライブの時の彼女たちはあんなにいい笑顔をしていたのだから。

 

「ふっ、じゃあ次は私がいかせてもらおうか」

 

 次にすっと一歩を踏み出したのは薫だ。

 

 薫はいつも通りの堂々たる立ち振舞いで《HS DM》と対峙する。いつもはキザに見える王子様らしさが、ここでは最高に場の雰囲気に合う。

 

「私も、こころ姫と同じで満足したよ。演劇とライブ、同じ舞台だと思っていたが、ライブがこんなにもエモーショナルで儚いものだとは思っていなかった。実際に体験して私の中の新しい扉が開いたよ。だから、間違いなく私は満足だ」

 

 言い切って薫はライブの感覚を噛み締めるように頷く。感受性の高い彼女を、今日のライブはステージに立つものとしての彼女のレベルを一つ上の領域へと運んだようである。

 

「はいはーい! 次ははぐみだよっ!」

 

 薫の横に今度は北沢さんが跳ねるように進み出る。

 

「はぐみも今日のライブはもうサイコー! はぐみもね、薫くんと同じでソフトボールで人前にたつのは慣れっこだと思ってたんだ。でもね、ソフトボールと違ってライブはお客さんの顔がすっごくよく見えるんだ! だから、はぐみの演奏を聴いてお客さんが笑ってくれるのを見て、はぐみ、まだ胸がぽかぽかしてるんだ!」

 

 北沢さんは言い終わると自分の胸の上にそっと手を置く。まるでそこに愛おしいものが宿っているかのように。

 

「じゃ、じゃあ、次は私が……」

 

 先の三人とは対象的に、おずおずと前に出たのは松原さんだ。

 

「えっと、《HS DM》の皆さんに先に謝っておきます、ごめんなさい!」

「んん?」

 

 松原さんの開幕早々の謝罪にSAKIさんが怪訝そうな声をあげる。松原さんは、顔を上げるとそんなSAKIさんを力強く見つめた。

 

「実は、私はもう今日のライブに出られた時点で満足していたんです。一度はドラムを諦めかけていた私が、全部捨ててしまおうとしていた私が。今日ここでこんなにもしっかりとドラムが叩けて、私を支えてくれるみんなと一緒に演奏ができて、そして、お客さんたちの心を動かすことができた。これで満足していないなんて言ったら、みんなに失礼です」

 

 松原さんはどうやら今日のライブで完璧に答えを掴んだようだ。おどおどした生来の気質は中々変わらないだろうが、それでもここにいる彼女はもう今までの彼女とは違う高みにいる。

 

「えー、それじゃあ最後はわたしですかねー?」

 

 トリを飾る奥沢さんは後頭部を手で掻きながら自然体で前に進み出る。

 

「えーっと、最初に言っておきたいのは、私はここにいる他のみんなと違って凡人です。楽器は弾けない、才能もない、そこら辺によくいるJKです。それを頭に置いた上で聞いてください」

 

 軽く前置きしてから奥沢さんが続ける。

 

「正直、実は私はライブが始まる寸前までずっと不安だった。私の中の弱い私がずっと『無理だよ』って囁いてた。でも、それが変わった。変えてくれたのはここにいる《ハロハピ》のみんな。私が作った拙い曲をみんなが最高に演奏してくれた。私を《ハロー、ハッピーワールド!》の一人として認めてくれた。もうそれだけで私は何も要りません」

 

 そこまで言って奥沢さんはしっかりと前を向く。その瞳に宿る輝きが、強い意志が、彼女が変わったことをはっきりと示していた。

 

「あ、あとミッシェルから伝言でーす。『今日のライブは大満足』だってさ」

 

 そして、ちゃんとミッシェルのフォローも忘れない。この辺りの気配りも含めて、奥沢さんはやっぱり奥沢さんだ。

 

 そして、奥沢さんが全てを話し終えたその時点で、今日の勝負が決着を迎えたことになる。

 

 俺はそれを確かめるためにずいっと前に足を運んだ。

 

 SAKIさんの前に立つとその瞳をまっすぐ見つめて口を開く。

 

「というわけだSAKIさん。これでわかったと思います。今日の勝負はーー」

 

 俺たち《ハロー、ハッピーワールド!》の勝ち。

 

 そう言う前にペグ子の口が動いた。

 

「ーーでも、やっぱり最高に満足したかと言われると、そうじゃないと思うの」

「………………へっ!?」

 

 おいおいおーい!? ちょっとこころさーん!? あなた一体何言ってくれちゃってんの!?

 

「ちょっ、おまっ……!」

 

 俺は慌ててペグ子の口を塞ごうとしたが、その前に今度は別の口から言葉が漏れる。

 

「ああ、残念なことに私も同感だよ。まさか、私の想いを込めたピックが他の子猫ちゃんのものになってしまうとはね。私もまだまだということがよくわかったよ」

「薫!?」

 

 ……え、なに、何なのこの流れ?

 

「実ははぐみも、もっと頑張れたかなーって。お客さんのことを見過ぎて、いっぱい演奏間違えちゃったし」

「そ、そんなことないよー……北沢さーん?」

 

 あ、北沢さん、自分でも気がついてたのね。でも、それって今ここで言うことなのかな? かなー?

 

「わ、私ももう少しみんなが走って行くのを引き留められたかなって思います……」

「ま、松原さん……」

 

 うわー、松原さんったら完璧に自分の壁を越えちゃって目標が高くなってるぅー! でも、タイミング最悪ぅー!

 

「私も、なんだかんだでみんなに助けられ過ぎましたし、ミッシェルも『一番ウケてたのが事故ってマネキンの頭部を粉砕した時だったから、まだまだかなー』って言ってましたよ」

「奥沢さん……ミッシェルの分まで……」

 

 あ、頭部粉砕(あれ)って狙ってやったわけじゃなかったのか。

 ……いや、そういうことじゃなくて。

 

 なんだろうな、すごく嫌な予感がするぞ?

 

 ひんやりとした倉庫の空気のなかで、俺は背中を一筋の汗が流れていくのをはっきりと感じていた。

 

「だから、勝負はわたしたちの負けよ。約束通り、鳴瀬はあなたたち《HS DM》に進呈するわ」

「あー、やっぱりそういう展開になるのね! いや、ちょっと待って、こk……うわっ!?」

「えーいっ!」

 

 俺が抗議の声をあげるその前に、ペグ子の手が俺の背中を押し出して、俺はつんのめるようにSAKIさんの方へと進んでしまう。

 

「わっ、わっ、わっぷ!?」

「おっと、大丈夫かい鳴瀬くん」

 

 慌てて転びそうになる俺を支えてくれたのはSAKIさんだった。柔らか感触が両頬を包む。

 

 こ、これは……おっぱい!?

 

 なんということか。転びそうになった俺はなんとSAKIさんの胸に顔を埋める形で彼女に支えられていた。SAKIさんの後ろからは「うひょー!」だとか「いいぞ、リーダー! もっとやれー!」なんて《HS DM》のメンバーが囃し立てる声が聞こえてくる。

 

 ああ、想像したよりもずっとやわらかい。それにいい匂い……じゃなくて! マズイですよ、これは!?

 

 一瞬、全てをSAKIさんに委ねそうになった俺は慌てて正気に戻る。頭を振って意識を覚醒させようかとも思ったが、今の状況でそれをしてしまうとSAKIさんの胸に顔を押し付けてぐりぐりする、まごうことなき変態になることに気が付いてすんでのところで踏み止まった。ナイス判断、俺。

 

 しかし、状況は依然として最悪。

 

 その証拠に、俺の背後からは《ハロハピ》のメンバーたちの発する怒気がどす黒いオーラとなって漂ってきている。

 ひんやりとしたはずのこの場所で、再び俺の背中を汗が流れた。

 

 そして、そんなことなどお構い無しといったといった様子でSAKIさんは「よしよし」と俺の頭を撫でる。背後のオーラが更に膨れ上がったのが見るまでもなく分かる。

 

 ひぇっ……、SAKIさん、わざとやってますよね?

 

 そんな恐怖に生まれたての小鹿のように震える俺の頭を撫でながら、SAKIさんはゆっくりと口を開く。

 

「それでは、約束通り、鳴瀬くんは私たちがいただいてしまっても構わないね?」

「さ、SAKIさん、それはちょっと……もがっ!?」

「鳴瀬くんは少し黙っていてくれたまえ」

 

 抗議の声を上げようとした俺の頭を更にSAKIさんが自分の胸に押し付ける。この状態で話すのは危険だと判断した俺は口を閉じて成り行きを見守ることしかできない。

 

「もちろんよ。 わたしたちに二言はないわ」

 

 ペグ子がSAKIさんの言葉を肯定する。

 

「ふふっ、そうか。では私が今からここで鳴瀬くんに何をしようとも文句はあるまいね?」

「くどいわ! 勝負はわたしたちの負け! あなたが鳴瀬に何をしようとも、それを止める権利はわたしたちには無いわ!」

 

 えっ、俺、一体これから何をされるの……?

 

 頼みの綱のリーダーであるペグ子があっさり引き下がってしまった現状、もはや他の《ハロハピ》メンバーからの援護は期待できそうもない。俺の運命はまさに俎板の鯉というやつだ。

 

「そうか、ならば好きにさせてもらおうか」

「わっ!……SAKIさん?」

 

 その言葉と共にSAKIさんが俺の肩を掴んで、自分の体から引き離す。腕一本分の距離で俺と彼女は見つめ合った。

 

「おー!? チューか? チューすんのか!?」

「うぉー、やれー! キッス、キッス!」

「やーん! 人前での初キッスなんてだいたーん!」

「いいなぁ、あこがれますねー」

 

 《HS DM》のメンバーが「キッス! キッス!」と囃し立てる中で、SAKIさんの瞳が潤んで熱を帯びていく。

 

 ダメだ。これ、本気でキスされるやつだわ。

 

 でも、それを避ける運命は、最早俺の手の中にはない。

 

 ああ、すまないみんな。俺はもうここまでのようだ。今までありがとう、ありがとう……

 

 走馬灯のように巡る《ハロハピ》の思い出に想いを馳せながら、俺はその瞬間が来るのを目を閉じて待つ。SAKIさんが「ふっ」と笑って、その顔を近づけてくるのが分かる。すでに吐息が顔にかかる距離に彼女の顔があるのを感じる。

 

 しかし。

 

「ありがとう、鳴瀬くん。またね」

「…………えっ」

 

 SAKIさんの唇が俺の唇に重ねられることはなく。

 

 彼女は俺の体にぴったりと寄り添うと、耳元でそう囁いた。

 それから俺の体をくるりと反対に回すと「えいっ」と今度はペグ子の方に俺のことを突き飛ばした。

 

「わ、わ、わっぷ!」

「鳴瀬!」

 

 再びバランスを崩した俺は今度はペグ子の胸にその顔を押し付ける形で抱き締められることになった。SAKIさんと比べてかなりささやかな大きさの胸が俺の顔に押し付けられる。

 しかし、ペグ子があまりにもガッチリと俺のことを抱き締めるので、俺は存分にその胸の柔らかさを堪能することになってしまった。

 

「こ、こころ、ぐ、ぐるじい……」

「これはどういうことなの?」

 

 あまりにきつく抱き締められて呼吸が怪しくなってきた俺の抗議の声を無視して、ペグ子がSAKIさんに問いかける。

 

「どうしたもこうしたも見たままさ。好きにしていいと言われたから『鳴瀬くんを君たちに返した(・・・・・・・・・・・・)』だけだよ」

「……! ……SAKIさん」

 

 SAKIさんの言葉でペグ子の拘束が弛んだ一瞬の隙を突き、その胸から抜け出した俺は彼女の方を見つめる。

 

「あなた……どうしてなの?」

 

 ペグ子はSAKIさんの真意を掴みかねているようで、探るような調子で彼女に問いかける。

 俺も彼女の真意は掴めていないので、大人しく彼女の次の言葉を待った。

 

「どうしたもこうしたもないさ。私もお前たちのライブを見て負けたって思ったんだよ。ハコは同じぐらい沸いてたけど、ほぼプロの私たちとほとんどルーキーのお前たちが同じなんじゃお話にならないからな」

 

 そう言ってSAKIさんはガリガリと自分の頭を掻いた。

 

「でも、勝負の内容は『わたしたちが満足したかどうか』でしょう?」

「そんなことはどうでもいいさ。要は私の心が勝ったと認めたかどうかなんだ。私は自分の心に嘘は吐きたくないんだ。だから、今回の勝負はノーゲーム、鳴瀬くんは元通り《ハロハピ》に戻るってことだ」

「……!」

 

 「たとえ売れなくても自分の心に正直にでいたいんだ」

 

 それはまだ、《HS DM》が《ハニースイート》の時にSAKIさんと交わした会話の中で彼女が言っていた言葉だ。彼女はまだ、自分の芯を貫き続けているんだ。

 

 そう思った瞬間、俺の目にはSAKIさんの姿が、とても尊いもののように見えた。

 

「あなた……わかったわ。あなたの言う通り鳴瀬は元通りわたしたちのものよ! もう、やっぱりやめたとか言っても返さないわよ!」

 

 そう言ってペグ子が俺の腕に自分の腕を絡めて引き寄せる。

 

「とーぜん。そんな無粋なことは言わないさ。それにーー」

 

 そこまで言って、SAKIさんはおどけた調子で首を竦めて、手のひらを上に向けた。

 

「鳴瀬くんは、なかなか女の子にモテるみたいだからね。私の方だけしか見てくれない男以外はお断りだ」

「へっ?」

「あら」

 

 そう言うと、SAKIさんはポンと俺の肩に手を置く。

 

「ということでお別れだ鳴瀬くん。まぁ、今回の勝負は引き分けだから、鳴瀬くんが一人になったときにはまた改めて迎えにこさせてもらうよ」

 

 そう言い残すと彼女は俺たち《ハロハピ》の横をすり抜けて通路の出口へと向かう。

 

「あらら、そいつは残念」

「鳴瀬、オレには個別に男を紹介してくれてもいいぞ!」

「あらRYOKAさん、はしたないですよ。さぁ、行きましょう」

「ざんねーん、でもまた機会はあるよね、鳴瀬くんまたねー!」

 

 《HS DM》のメンバーたちもそれに従って出口へと向かう。

 その背中に向かってペグ子は叫ぶ。

 

「残念だけど、次のチャンスが来ることは二度とないわよ! だって鳴瀬は私たち《ハロハピ》とずーっといっしょなんだもの!」

 

 SAKIさんはペグ子の言葉に振り返ることはなく、ただ軽く上げた右手をひらひらと振って俺たちの前から消えた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 その数ヶ月後に《HS DM》はメジャーデビュー。

 

 デビューシングルの《斬首八裂(キルシュヴァッサー)》はスマッシュヒットを飛ばし、他の曲も月9ドラマ等とのタイアップで人気を博して、翌年にはそれから5年連続となる紅白の出場も決めた。

 

 《HS DM》はその人気に陰りを見せることなく、メジャーデビュー8年後に、最後に残ったSAKIさんが彼女と同じミュージシャンの男性とゴールイン。全員の結婚により、《HS DM》公約通り元の《ハニースイート》へと戻った。

 

 それから2年ほど、昔の路線の曲をいくつかリリースした後に、メンバーの出産や育児が重なって《ハニースイート》は解散を発表した。

 

 彼女たちのきらめきは、ガールズバンドブームの黎明期を支えたバンドの一つとして、今でも日本のバンド史にその名を遺している。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 《HS DM》のメンバーがいなくなって、倉庫に静寂が訪れる。

 

 その静寂を破って俺は口を開く。

 

「ということで、俺は結局元のところに戻ってきた訳なんだけど……」

 

 そう言って《ハロー、ハッピーワールド!》のみんなを見回すと、みんなは黙って俺の言葉を待っている。

 

「みんなは、まだ、俺が《ハロハピ》のアドバイザーでも構わないか?」

 

 俺がそう確認すると、全員が笑顔で口を開いた。

 

「もちろんよ! 《ハロハピ》のアドバイザーは鳴瀬しかいないわ!」

「ふっ、今度投げるピックはMr.鳴瀬に受け取ってもらわないといけないからね」

「鳴瀬くんよりベースが上手い人は見たことないもんね! もっともーっとはぐみに色々教えてね鳴瀬くん!」

「わ、私ももっと鳴瀬さんから色々教わりたいです! 技術だけじゃなくて、精神的にももっと成長したいです!」

「ま、私としては《ハロハピ》の常識人枠として残ってもらうのは当然ですかねー?」

 

 その言葉を聞いて不覚にも目頭が熱くなる。

 

 ……なんだよ、みんな。めちゃくちゃ優しいじゃないか。

 

 少し上を向いて、迸りそうになる熱いそれを抑えると、俺は改めて一人一人《ハロハピ》のみんなを見る。

 

 大切な俺の仲間たちを。

 

「こころ」

「はい、鳴瀬!」

「薫」

「ああ、Mr.鳴瀬」

「北沢さん」

「はーい! 鳴瀬くん!」

「松原さん」

「はっ、はい! 鳴瀬さん!」

「奥沢さん」

「はいはーい、鳴瀬さん」

「これからもよろしく頼むよ」

「もちろん!」(×5)

 

 俺たちは大きな壁を一つ乗り越えて、また一つ大きく成長した。

 

 これから俺たちを待つ未来は楽しい(ハッピーな)ことばかりではないだろう。

 

 でも、この最高の仲間となら何があっても大丈夫だ。

 

 俺の元へと駆け寄ってくる笑顔に、そのことを俺は確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

「……そういえば鳴瀬、あなたさっきSAKIの胸に顔を押し付けてたわよね。あれはわざとなの?」

「…………えっ?」

 

 ペグ子の言葉で和やかだった倉庫の中の空気が変わる。

 

「そういえば、確かにMr.鳴瀬は狙って彼女の、そ、その、胸に飛び込んでいたように見えたね」

「いや、そんなことないよ!」

 

 違う違う! つーか、恥ずかしがるぐらいなら「胸」とか言うなよ薫!

 

「もしかして、鳴瀬くんは大きなおっぱいの女の子がすきなの……?」

「ふぇぇぇ……な、鳴瀬さん、そうなんですか……?」

「だ、断じて違う! 二人とも信じてくれ!」

 

 北沢さんと松原さんが俺の顔と自分の胸を見比べて暗い表情になる。

 

「お二人とも、それは違いますって」

「……! 奥沢さん!」

 

 北沢さんと松原さんの肩に手を置いて、奥沢さんが首を左右に振る。

 

 おお、奥沢さん! すかさずフォローに入ってくれるなんて、やっぱり持つべきは常識人のなかmーー

 

「鳴瀬さんは、大きなおっぱいじゃなくて、とにかく女の子の胸が好きなんですよ。思い出してください、鳴瀬さんがこころのところに戻ったとき、鳴瀬さんがこころの胸にもダイブしていたことを」

「あっ!」

「そ、そういえば!」

 

 ーーうっほほーい!? 何でそんなこと言うの奥沢さん!? 俺たちの間にあった常識人同士の絆はどこに行ったの?

 

「違う! あれも偶然! 偶然です!」

「で、でも鳴瀬くんさっきからはぐみたちのおっぱいチラチラ見てる……」

「ふえっ!?」

 

 北沢さんと松原さんが頬を真っ赤にして、恥ずかしそうに腕で胸元を隠す。

 

 北沢さん……そんな表情をすることもあるのか……じゃなくて。

 

「いやいやいや、だって、胸の話なんかされたら気にするなって方が無理だからね!?」

「あら、そうだったのね鳴瀬! 鳴瀬はおっぱいが好きなのね!」

「だから、ちげーよ!」

 

 ああ、もう! 今はこれ以上引っ掻き回さないでくれペグ子ぉ!

 

 しかし、そんな俺の心の叫びも虚しく、ペグ子は更なる爆弾を投下していく。

 

「じゃあ、鳴瀬! わたしとSAKIのおっぱいのどちらがよかったかしら!」

「はぁ!? 何言ってんのペ……こころ!?」

 

 危うくまた「ペグ子」と言いそうになったのをすんでのところで飲み込んだが、それで事態が好転することもなく。

 

「だって、鳴瀬はわたしのおっぱいにもSAKIのおっぱいにも顔を押し付けたでしょう? 条件は同じなのだからどちらが好きなのか答えられるはずよ!」

「いや、そんな無茶な……」

 

 確かに条件は同じなのだろうが、何が悲しくて年下の女の子の前で自分の好みの胸の話をしないといけないのか。

 

「確かにそれは私も後学のために聞いておきたいね、Mr.鳴瀬?」

「か、薫まで……」

 

 くそぅ、こんなところまで好奇心を発揮しなくてもいいんだよ! 大人しく名言だけに興味を持っててくれ!

 

「はぐみも聞きたーい! 鳴瀬くんはどっちのおっぱいが好きなの? あ、答えにくいならはぐみたちの中で誰のおっぱいが好きかでもいいよ!」

 

 いや、そっちの方がもっと答えにくいわ!

 

「わ、わたっ、私たちの、お、おっ、ふぇぇぇ!?」

「あー、なるほどねぇ。確かにそれちょっと聞いてみたいかも」

 

 松原さん、君はそのままの貞淑な君でいてね。

 そして、ブルータス(おくさわさん)お前もか。つーか、明らかに悪ノリしてるよな? な?

 

「ねぇ、どっちなの鳴瀬! それか誰なの鳴瀬!」

「本当のところはどうなんだいMr.鳴瀬?」

「早く教えてよ、鳴瀬くーん!」

「ふぇぇぇ……」

「鳴瀬さーん、そこのところどうなんですかー?」

「…………それは」

「それは~?」(×5)

「これが答えだっ!」

 

 言うや否や、俺はみんなの横をすり抜けて倉庫の出口から飛び出した。

 

 《HS DM》が出ていった時に、扉が半開きだったことは確認済みよ、ふはははは! アディオス、セニョリータ!

 

「あっ、逃げた! 待てー!!」(×5)

 

 その後、超人的な身体能力を見せたペグ子と、驚異的な連携を披露した《ハロハピ》、そして、ペグ子の指示で動いた黒服の人たちの手によって、俺は《STAR DUST》を飛び出して数十メートルも走らない内に捕獲された。

 

 その後、ライブの打ち上げ会場につくまでの俺の記憶は定かではない。道中、彼女たちに何かすごく大変なことを口にさせられたような気もする。

 

 しかし、俺がそれを思い出すことは永久にないだろう。

 

 

 

 

 あーあー! 覚えてなーい! 何も覚えてないでーす!

 

 

 

 

《初ライブ編・完》




はい、ということで初ライブ編でしたー!

わたくし、くう疲でございましてよ?

取りあえず、当初は基本エンドのみを想定してたので《ハロハピ》メンバーが最後に駆け寄ってくるシーンで終わる予定だったのですが、恋愛エンドありになったので最後にシーンを付け足しました! ラブコメ重点な!

そして、《HS DM》のお話はここでおしまいです!

SAKIさんのお相手は見知らぬ誰かなのか、それとも鳴瀬君を連れ去ったのか、それはまた別のお話。


次の話は次章に繋がっていく話で《ハロハピ》メンバーは出ない鳴瀬君メインのお話になります。少し毛色の違うお話になりますが、よろしければお付き合い下さい。


そして、これで一章が終わったということで、ご意見・ご感想、よろしければご評価等もいただけると幸いです。

「よかった……次に………活かせる…………(死)」と、某海王のように大いに参考と励みにになりますので、どうかよろしくお願いいたします!


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幕間 野良ベーシストの夢
野良ベーシストはアb:%鬱淤ォ!,‥顯^\2と出会う。


ツづki麼シタ。

【ヨug淤shoゥ櫂】
アb:%鬱淤ォ!,‥顯^\2

アb:%鬱淤ォ!,‥顯^\2は、クエ羸@??*のヴ<#臠…出身の伝説的ミュージシャン。エエ羸覯/~{!の一人に数えられる。
その、卓抜した禰5。エ韆によって《マ゛譌ソg:テ&`》と呼ばれ、マ゛譌ソgというジャンルの一時代を築いた。

メジャーデビューでリリースした『ヴォ髏%^=]L-‥788*&?!』は世界中で大流行するも、ゼn痲繼主義丸出しのその曲をアb:%鬱は段々と快く思わなくなり、アb:%鬱のヌy.j@に暗い影を落とした。

アb:%鬱は、常にタゥ箆麼とア?"=€麼の狭間でもがき続け、nonヌ゛邊イィ年のメ+>彌月、自宅のベッドの上でギュkw.*;/~贐盖で頭を懋ボ_#して@ォ!<^鬱した。


ーーああ、頭が鉛のように重い。

 

 粘度が高い液体の中にいるような気がする。

 

 ライブの打ち上げで久しぶりにアルコールを入れ過ぎたせいかもしれない。

 

 思考が、千切れる。

 

 脳そのものが千切れているのか。

 

 さっきからガンガンと声がうるさい。

 

 わかっている。すぐに行くよ。

 

 俺は寝ているのか。起きているのか。

 

 それとももう死んだのか。

 

 声がうるさい。

 

 わかっている。わかっているんだ。

 

 大丈夫。俺は大丈夫。

 

 いつも通りの俺だ。

 

 何も変わっちゃいない。変わってはいけない。変わることができない。

 

 うるさい。

 

 わかったと言ってるだろ。聞こえないのか。聞けないのか。聞こうとしないのか。

 

 ああ、声がーー

 

 

 

◇◇◇

 

 ワー! ワー!

 

「……!?」

 

 意識が急にクリアになる。どうやら眠って夢の中だったらしい。

 

 しかし、頭はガンガンと痛み俺に不調を訴え続けてくる。

 

 ーーhey bro(きょうだい). You still sleeping(まだねてるのか)?

 

 突然の声に驚いて顔を上げる。

 

 その時に気付いたのだが、いつの間にか俺はステージの舞台袖で打ち捨てられたキャビネットの上に座っていた。寝るときに脱いだはずの《NILVANA》のスマイルマークが入ったTシャツとダメージジーンズ、ご丁寧にスニーカーまで履いている。

 肩からは虎の子のFenderのジャズベースを掛けて、いつでもステージに登れる臨戦態勢の俺がいた。

 

「どうなってんだよ、これ……?」

 

 事態が飲み込めずに混乱していると、再び声が響く。

 

「おい、まだ寝ぼけてるのかよ、兄弟」

 

 今度の声ははっきりと脳が認識した。視線のピントが合って、声の主が目の前にいる男だと気付いた。

 

 目の前の男はそれはもう薄汚れた(グランジ)格好をしていた。よれよれになった太いボーダーカラーのネルシャツ、穴だらけのダメージジーンズ、履き潰したスニーカー。俺の格好も大概だが、男のそれはさらに輪をかけて酷い。

 

 しかし、俺はこの男を知っている。

 

 もっと顔をよく見ようと目を凝らしたが、なぜだか男の口元よりも上はノイズがかかったようにしか認識できない。

 

 それでも、俺はこの男が誰だか判る。

 

「……もしかして、アb:%鬱淤ォ!,‥顯^\2、なのか?」

 

 俺が問いかけると男の口元が歪む。

 

「どうやらマジに寝ぼけてるみたいだな、兄弟。これからライブだろう、しっかりしてくれよ?」

「ライブ……一体何のライブなんだ? そもそも、ここはどこで、何時なんだ?」

 

 そんな混乱した俺を見て男が首を竦めて手を上げて呆れたといった態度を取る。

 

「おいおい、そんなことも忘れちまったのかよ。もしかして、ヤクでもキメてるのか? 今は1994年1月、俺たちはアメリカツアーの真っ最中だ」

「そんなーー」

 

 ーー有り得ない。

 

 1994年の1月なんて、俺が生まれるよりも前の年だ。

 

 しかも、その数か月後に目の前の男はーー

 

「ーーありえない。だって、あんたは、1994年4月5日に、シアトルの家でショットガンで頭をぶち抜いて自殺したんだ」

 

 俺の言葉で男は声を上げて笑う。

 

「ハハハ! おいおい、こいつは傑作だ! 1994年の4月はまだ3ヶ月後だぞ? お前はいつの間にベーシストから予言者に転職したんだよ、兄弟?」

「……違う。今は20××年の8月だ。その日は20年も昔にとっくに過ぎてる。お前はなんだ? 本当は、アb:%鬱なんかじゃないんだろ」

 

 きつい調子で問い詰めるが、目の前の男はニヤニヤとした笑顔を崩さない。

 

「その通りだよ、兄弟。俺はお前の頭の中の友達さ。今日はお前にアドバイスをしに来たんだ」

「アドバイス……?」

 

 男の言葉に俺が戸惑っていると、男の口が開く。

 

「《ハロー、ハッピーワールド!》と関わるのはもうやめろ」

「なっ……!」

 

 「なんてことを言うんだ」とすぐに言い返したかったができなかった。

 

 それほどまでに男の声はぞっとするほどに冷たかった。

 

「俺にとっての《smells》のように、《ハロー、ハッピーワールド!》はお前の毒だ。きっとお前の人生を台無しにするぞ」

「ありえない……あるはずがないだろ!」

 

 今度こそ叫び声を上げて俺は男の言葉を否定する。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》は紛れもない俺の仲間だ。それが俺の人生を台無しにする?そんなはずがない。

 

 あのただただ素晴らしい少女たちがそんなことをするわけがない。

 

 そう男に怒鳴り付けようとしたが、男が俺の目の前に右手を突き出してそれを制する。

 

「お互いに言いたいことはまだあるようだが、時間だ兄弟。俺たちは今からステージに出ないといけない」

 

 男はそう言ってくたびれたスツールから立ち上がる。

 

 慌てて俺も立ち上がって、男の後を追おうとして気付く。

 

「ちょっと待ってくれ、アb:%鬱。ピックが手元にないんだ」

 

 ライブの前はいつも5枚はポケットに仕込んでおくはずのピックが無いことに焦る俺に、男はニヤニヤ笑いで答える。

 

「おいおい、俺もお前もその手に持ってるのはなんだよ? こいつがあれば問題ないだろ?」

 

 そう言って男が俺にひらひらと示して見せたのはアルバイトのタイムカードだ。そして、気がつけばいつの間にか俺の右手にも全く同じタイムカードが握られていた。

 

 ーー時折、ステージに出ていく前にタイムカードでも押してるような気分になってたんだ。

 

 俺の敬愛するアb:%鬱の最期の言葉が俺の頭を過る。

 

 男が機械にタイムカードを通して打刻すると、それは男の手の中でピックへと形を変える。

 

 それを見た男はニヤリと笑って俺を見る。

 

「な、大丈夫だろ? さぁ、兄弟もさっさとやれよ」

 

 促されるままに、俺もタイムカードを機械に通すと、やはりそれは俺の手の中でピックへと変わった。

 

 ありえない。こんなことはありえない。これは夢だ。全部夢だ。

 

 心の中で否定するも、手に持ったピックの冷たい感覚がそれを否定する。

 

 そして、俺の手のピックを見た男は満足気に頷く。

 

「やっぱり大丈夫だったじゃないか。さぁ、行こうぜ。客が待ってる」

 

 そう言って男はステージへと飛び出していく。

 

 慌てて俺もその後を追ってステージへと飛び出していく。

 

 ステージはキラキラと照明の光で輝いて眩しいぐらいだが、客席は照明が落とされて客の顔が判別できないほどに異様に暗い。

 

「ヘイ、待たせたな」

 

 男がマイクに口を近づけて喋る。

 

 もしここが本当に1994年のライブだというのなら、この後におそらくあの言葉が聞けるはずだ。アb:%鬱が、死が迫った1994年のライブで、ある曲を演奏する前にいつも言っていたあの言葉が。

 

 そして、それは俺の想像通りに男の口からこぼれた。

 

「契約の関係で仕方ないから《smells like teen spirit》を歌う。だけどこの曲は俺達の人生を、そしてシアトルを台無しにした。そして多分、お前らも」

 

 男がそう言った瞬間、大歓声とともに客席の明かりが点る。

 

「……なっ、なんだよこれ!?」

 

 客席の様子が見えた瞬間、俺の喉は悲鳴にも似た声をあげていた。

 

 客席にいたのは《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーだった。一万人以上は入りそうなステージの、その満員の客席は、全て《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーだけで(・・・・・・・)埋め尽くされていた。

 

 ペグ子が。

 

 薫が。

 

 北沢さんが。

 

 松原さんが。

 

 奥沢さんが。

 

 みんながいつもの笑顔で俺に向かって笑っている。一万人を超す《ハロハピ》の笑顔がドロドロに融け合って俺に迫る。

 

 なんだこれは。

 

 なんだこれは。

 

 なんだこれは。

 

 気持ち悪い。

 

 きもちわるい。

 

 キモチワルイ。

 

 呆然と立ち尽くす俺に向かって、アb:%鬱がさっきと同じ言葉を投げかける。しかし、その言葉は細部が少し変わっていた。

 

「契約の関係で仕方ないから《ハロー、ハッピーワールド!》を助ける。だけどこいつらはお前自身の人生を、そしてお前の音楽(せかい)を台無しにする。そして多分、彼女ら自身も」

 

 その言葉が終わった瞬間、俺の立っているステージの床が抜けた。

 

「なっ!? わぁぁぁぁぁ……!」

 

 叫び声をあげて奈落に落ちていく俺の耳には、《NILVANA》の《smells like teen spirit》の歌詞のある部分だけがエンドレスで響いていた。

 

 

 

 hello, hello, hello, how low?(なぁ、なぁ、どこまで堕ちる?)

 hello, hello, hello, how low?(なぁ、なぁ、お前はどこまで堕ちて行くんだ?)

 

 

 

◇◇◇

 

 

「……ぁぁぁぁっ!!! ……はぁ、はぁ」

 

 俺は耳に突き刺さる爆音でベッドから飛び起きた。

 

 どうやら悪い夢を見ていたらしい。

 

 そして、その時に枕元のオーディオプレーヤーのリモコンを勝手にいじってしまったようで、ベッドサイドのテーブルに置かれたオーディオからは、爆音で音楽が垂れ流しになっている。

 

「ああ、くそっ! 飲み過ぎたか……」

 

 悪態を吐きながらリモコンを操作して音量を下げてCDを取り出す。普段はCDは電源を落とすときに必ず取り出すのだが、どうやら偶然忘れていたらしい。

 

「……まぁ、今はそれに救われたか。ものぐさな過去の俺に感謝だな」

 

 それにしてもあの悪夢は一体なんだったんだ……?

 

 CDを取り出しながら俺はあの夢に思いを馳せる。

 

 ただの夢にしてはあのリアルさは出来すぎていた。なら、あれは正夢というやつなのだろうか。俺の未来を暗示する何かが夢の中に含まれていたのだろうか。

 

「……馬鹿馬鹿しい。オカルトには興味ねぇんだよ俺は」

 

 頭に浮かんだバカな考えを振り払いながら、ようやくオーディオからは吐き出されたCDを手に取る。とりあえず、まずはこいつをケースに戻さないといけない。

 

「さて、一体何のCDを入れっぱなしにしてたのか…………おい、こいつは……マジかよ……」

 

 オーディオから吐き出されたそのCDは《R.E.M.》の《Automatic for the people》。

 

 俺が最も敬愛するミュージシャン、カート・コバーンがショットガンで頭をぶち抜いて自殺した時に部屋で垂れ流しになっていたCDだった。

 

 




【用語紹介】
カート・コバーン

カート・コバーンはアメリカのワシントン州出身の伝説的ミュージシャン。27clubの一人に数えられる。
その卓抜したギターリフによって《グランジの帝王》と呼ばれ、グランジというジャンルの一時代を築いた。

メジャーデビューでリリースした『smells like teen spirit』は世界中で大流行するも、商業主義丸出しのその曲をカートは段々と快く思わなくなり、カートの人生に暗い影を落とした。

カートは常に理想と現実の狭間でもがき続け、1994年4月自宅のベッドの上でショットガンで頭をぶち抜いて自殺した。


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横道 野良ベーシストとトコナッツパークの思ひ出
野良ベーシストはどちらかというと山派である(導入編)


続きました。
タイトルは鳴瀬君のベースがYAMAHA製なのにかけた高度なギャグです(激寒)。

笑ってもよろしくてよ?

ということで、サイドストーリーのその1は水着回です。
今回はアンケート告知のための導入なんでくっそ短いですわよ。いわゆるネタ回というやつですわね。

夏だもんね、水着回欲しいもんね。ナマ足魅惑のマーメイドだもんね。

【アンケート協力依頼】

えーと、なんとこのお話、アンケートでストーリー展開ががっつり変わります。後編で鳴瀬君がウォータースライダーのゴムボートに乗るんですが、一緒に乗るお相手の《ハロハピ》メンバーをアンケートで決めます。

なので、一緒に乗せたい相手をどしどし投票してくれよな!(謎のキャラブレ)

もし票があまりにも割れたり、「ヤダヤダ! 小生、全員分のウォータースライダーが見たいの! 鳴瀬君、ちょっと全員と乗ってきて!」ってコメントやメッセージなんかが多かったら全員分書きますが、よっぽどじゃないと誰か一人に絞ります。もし、希望するならどしどしコメントかメッセージをどうぞ!

投票はこの話投下の5日後に閉める予定です。多分その日辺りから後編を書くと思うので(希望的観測)。

さぁ、鳴瀬君と《ハロハピ》のひと夏のアバンチュール、ご期待下さい。


 拝啓

 

 お袋様。お元気ですか? あなたの息子の鳴瀬です。

 

 俺はなぜか今、知り合ったバンド仲間の女子高生5人とプールに行くことになりました。男は俺1人だけです。へんたい……ではなく大変です。

 

 女の子のたちはどの子も個性的で、中には油断すると俺の命を持っていきそうになる(比喩ではありません)子もいます。

 

 恐らく、水着一枚で身を守る術のない俺は、生きてプールから帰ることは難しいでしょう。もしも無事にプールから生きて帰ることができたら、知り合った女の子の中の一人のおばあちゃんの家で収穫させてもらった、新鮮なお野菜をそちらに送ります。家族で食べてください。

 

 もしかすると、これが最期のお手紙になるかもしれません。先立つ不幸をお許しください。

                     敬具

 

 追伸

 

 今年も暑い夏となりました。くれぐれもお体にはご自愛下さい。それと、愚妹には、風呂上がりに全裸で脱衣所から出るな、下着姿で家を歩くな、上下で違う下着を着けるな、扇風機の前で下着を伸ばして風を入れるな、下着に手を突っ込んでデリケートゾーンを掻くなと厳命してください。兄からの最期のお願いです。生きて帰れたら直接言います。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ガコンッ!

 

 郵便ポストの蓋が音を立てて、暑中見舞いの葉書が中に飲まれる。

 

「……これでよし、と」

 

 無事に手紙を出せたことに安堵する俺の元へ、麦わら帽子を被った少女が手を振りながら駆けてくる。

 

 その姿はマリーゴールドに似ている……はずもなく、良くてくねくねと動くサングラスをかけたフラワーロックにしか見えなかった。

 

 実際、少女の顔には「どこで売ってるんだダッセェ!?」と思わず言ってしまいそうになる星形のサングラスがかかっていた。

 

「鳴瀬~! あら、お手紙を出してたの?」

「ああ、こころ。ちょっと実家に暑中見舞いをね」

 

 駆けてきた麦わら帽子の少女、ペグ子に俺は微笑んで答える。

 

「そうなのね! そういえば、鳴瀬の実家ってどこなのかしら?」

「ああ、瀬戸内海に面した小さな町だよ。家からはすぐ海が見えるんだ」

「素敵なところじゃなーい! そうだわ! この間は美咲のおばあちゃんのお家に行ったから次hーー」

「ーー俺の実家は狭いから無理です」

 

 さらりと繰り出されそうになる恐ろしいペグ子の発言に、かなり食い気味に釘を刺す。

 

「ええー!? 少しぐらい」

「ダメです」

「いいじゃ」

「無理です」

「ないのー!」

「不許可です」

「ちょっと鳴瀬! あなた少しわたしの言葉に被せすぎよ!」

「だってぜってー嫌なんだよ! 間違いなく、俺のマンションに来たとき以上の波乱が起こることが目に見えてんだよ! 家族からも突っ込まれるだろうし、俺の身が持たねーの!」

 

 ペグ子の手による「俺の下着御開帳事件」の傷は未だに癒えきっていない。そこに更に傷をつけられると今度こそ致命傷となるのは想像に難くなかった。

 

「とにかく! 今年の夏はプールに行くんだからそれで我慢しろ!」

「しょうがないわね! じゃあその分プールを全力で楽しみましょう!」

「いや、俺はほどほどでいいよ。お前の全力に付き合ってたら多分死ぬもん、俺」

「もーう、なんでよー!」

 

 ナルセサーン! ココロチャーン!

 

 ふくれ面のペグ子をどう処理するか悩んでいたその時、遠くから奥沢さんと松原さんの声が聞こえてきた。

 

「おっ、どうやら他のみんなも来たみたいだぞ。さぁ、《arrows(アローズ)》に行って練習、練習!!」

「あっ、待って! まだ話は終わってないわよ鳴瀬!」

 

 みんなに向かって駆け出す俺を追いかけて、麦わら帽子を片手で押さえながらペグ子が走り出す。

 

 ーーああ。今年の夏はまだまだ長くなりそうだ。

 

 投函された手紙が無事に実家へ届くことを祈りながら、俺は今年の騒がしくなるであろう残りの夏へと思いを馳せるのであった。

 

 




というわけで水着編の導入でした。
導入を書いたからにはもう後戻りはできない!

???「術式の情報を開示することで呪力の底上げをしているんだ!」

水着回ということで、お色気なんかも出せるといいのですが、いかんせん作者の文章力に問題ががが……

なんJお嬢様部で、淑女の嗜みは身に付けられても文章力までは身に付かなかったようですわね(当然)。

それでも、なんとか《ハロハピ》の魅力が出るように頑張りまーっす!

アンケートへの投票、コメント、メッセージお待ちしてまーっす!


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野良ベーシストはどちらかというと山派である(前編)

続きました。
水着回の前編。

「さぁ、水着回ざますよ!」「フンガー!」「いくでガンス!」

ということで(?)水着回です。トコナッツパークの設定は勝手にこちらでマシマシにさせてもらってます。

男女6人(内男1人)、プール、水着回……何も起こらぬはずはなく……。

何が起こるかは本編でどうぞ!

【アンケートについて】
水着回のアンケートはまだまだ募集してます!
そして、案の定ペグ子が強い! やはりメインヒロインは格が違った!

そして、面白い票の散らばり方でびっくり。まだまだ読めない展開です。もしかすると上位二人までなら書くかも?

ちなみに、一緒に乗らなかった人たちも既に話の構想は作ってるので、後編の後書きなんかでもしそれぞれのルートを辿ったらどんなことが起きたかはネタばらしする予定です。


「ねぇ、わたしたち、何か夏らしいことをしましょうよ!」

「んぁ? どうしたんだよ急に」

 

 ペグ子がそんなことを言い出したのは打ち上げ会場のファミレスで、俺がアルコールのグラスを3杯空けた頃だった。

 

「夏らしいことって、お前、毎日バンドの練習して、フェスに参戦するか、自分でライブに出場する。最高に夏らしかっただろ」

「そんなバンドマン基準で言われても困るわ!」

 

 ペグ子の言葉に他の《ハロハピ》メンバーも口を揃えて追従する。

 

「こころの言う通りだよ、Mr.鳴瀬」

「うんうん、はぐみライブの練習ばっかで、まだ全然遊んでないよー!」

「わ、私も少し遊びたい、かな……」

「鳴瀬さんって、バンドを念頭に置きすぎてたまにずれてますよね」

 

 えぇ……? なにこの流れ? めちゃくちゃ言われるじゃん。

 

 だって、バンドマンだろ? 夏はバンドを見るか()るかしかないじゃん!

 

「なんだよ、みんなめちゃくちゃ言うじゃん。 ……じゃあ、みんなの言う夏らしいことって何? 海に泳ぎにいくとか?」

 

 俺が「海に泳ぎに行く」と口にした瞬間、ペグ子の顔が輝く。

 

「海! いいじゃなーい! わたしのパパがモルディブに海上バンガローを持ってるのよ! 今からプライベートジェットでみんなで一緒に遊びに行きましょう! 黒服の人たち、すぐにジェット機を最寄りの空港まで呼んでちょうだい!」

「ちょっと待ってこころ。今の言葉でパワーワードが飛び出し過ぎて私の頭の理解が追い付いてない」

 

 ペグ子の言葉に奥沢さんが待ったをかける。その待ったで、ゴツい衛星電話で何処かにコンタクトを取ろうとしていた黒服の人の動きにも待ったがかかった。

 

 実際、俺もかなり戸惑った。

 

 モルディブ?

 

 海上バンガロー?

 

 今からプライベートジェット?

 

 ……セレブか!

 

 …………こいつセレブだったわ!

 

 ペグ子の言葉で俺は改めてこいつは住む世界が違うのだと気付かされた。

 

 ああ、ハイソサエティ。

 

 ああ、セレブリティ。

 

「そ、そこまでしなくてももっと近場でいいんじゃないかなぁ? 私、パスポート持ってないし……。例えばプールとかでも泳げるよね?」

 

 松原さんの言葉にペグ子が手を打って喜ぶ。

 

「プール! 花音、ナイスよ! それじゃあ、どこのプールを貸し切ろうかしら? 黒服の人たち、めぼしい国内のプールに連絡をお願いね!」

「ですからスケール! もっと普通のスケールでお願いこころ。でないと私の精神(メンタル)がもたないから」

 

 再びの奥沢さんの渾身のツッコミによって、ペグ子の凶行はなんとかストップされた。

 

 ありがとう奥沢さん! 君の胃の平穏と引き換えに、世界の平和は守られたよ!

 

 そして、その後の話の流れで、この界隈では一番でかいレジャープールの「トコナッツパーク」が話に挙がった。

 

「『トコナッツパーク』、いい響きだね。あそこのプールサイドにはパラソルとデッキチェアが装備されていたはずだ。飲み物片手にゆったりと過ごすにはうってつけの場所だね」

 

 薫が肯定の言葉を出したのを皮切りに、他のみんなも賛同していく。

 

「あそこはおっきいウォータースライダーもあるんだよー! はぐみ、それに乗りたいなー!」

「わ、私は流れるプールでぷかぷか浮き輪で浮かんでいたいです」

「へぇ、今スマホで調べたんですけど、本物の海の砂を入れた波の出るシーサイドプールなんてのもあるみたいですよ? 面白そうじゃないですか」

 

 みんなの言葉を聞いたペグ子が椅子から飛び上がって叫ぶ。

 

「決まりね! 今年の夏はみんなで『トコナッツパーク』よ!」

「おー!」(×4)

 

 どうやら話がまとまったようである。

 

 確かにバンド漬けの日々よりも、たまにはこんな風に羽を伸ばして自分のアウトプット(おもいで)を増やすのも悪くない。

 そんな体験から新しい歌が生まれることだってあり得るのだから。

 

「おー、それじゃあみんな、この機会にゆったりと羽を伸ばしてこいよー。……ぐびっ、ぐびっ……ぷはー、うめー! ……んん?」

 

 話に一段落が着いたところで、久々のアルコール摂取を再開したその時、《ハロハピ》の全員の視線が集まっていることに気付いた俺は手に持ったジョッキを口から離す。

 

 ……何? 何なのこの視線? 俺、なんか変なこと言ったか?

 

 みんなの視線の真意を掴みかねていると、ペグ子が呆れたような表情で口を開いた。

 

「何言ってるのよ鳴瀬。あなたも一緒に行くに決まってるじゃないの!」

「……え。…………えっ!? 俺も!?」

 

 グラスを握っていない方の手で俺は自分の顔を指差すと、ペグ子以外の全員が首を縦に振る。

 

「ああ、もちろんじゃないか。Mr.鳴瀬はわたしたちと共に激しい毎日を過ごした仲だ。羽を伸ばす必要があるのはお互い様さ」

 

 いや、お前らと一緒の休みなんて、休みじゃないんだけど。

 

 喉元までせり上がったその言葉をなんとか飲み込む。

 

「はぐみ、鳴瀬くんだけ仲間外れなんてやだよー! ねぇ、一緒に行こうよ! かのちゃん先輩も鳴瀬くんが一緒の方がいいよね?」

「ふぇっ!? そ、そう、ですね。男の人が一緒の方が、何かと安心できますし……」

 

 北沢さんに話を振られた松原さんが上目遣いで俺を見ながらおずおずと答える。

 

 なんだか雨の日に棄てられた子犬のような不安げなその目を見ていると、彼女にそんな目をさせた俺が血も涙もない大罪人に思えてくる。

 

 ああ、松原さんその目で俺を見ないで! お願い!

 

 そして、そんな様子を見た奥沢さんがニヤニヤした顔で俺の方を見る。

 

 ……うわ、めっちゃ悪い顔してますやん。絶対悪ノリするやつですやん。

 

 そんなことを考えていると奥沢さんが口を開く。

 

「まー、女の子のおっぱいが大好きな鳴瀬さんにはちょうどいいんじゃないですかね。みんな水着ですし」

「ちょっ、おまっ、奥沢さん、マジでそれ止めて。折角アルコールで全て忘れようとしてたところだったのに」

 

 おいおいおい、禁じ手ですよそいつは。いかん、一気に酔いが覚めたわ。

 

 そして、北沢さんと松原さんは赤くなって腕で胸を隠すし! 見てねーし! あ、いや、ちょっとは見てしまったかもしれないけど!

 

 んで、奥沢さんも顔赤くなってるじゃん! 恥ずかしいなら言わなくてもいいじゃん!

 

 ああ、もう、これ以上何か言われる前に回避だ回避!

 

「わかった、わかりました! 行きます、俺もプールに行きまーす!」

 

 そう言った瞬間、隣の席のペグ子が嬉しそうに俺の腕に飛びつく。

 

「なーんだ、やっぱり鳴瀬もプールに行きたかったんじゃなーい!」

「この流れでそう言われると、俺がおっぱいのためにプールに行きたい男みたいになるからマジでやめて」

 

 そんなこんなで、俺は《ハロハピ》メンバーみんなと「トコナッツパーク」に行くことになったのである。

 

 ……やべぇ、嫌な予感しかしねぇ。

 

 ……とりあえず、まずは遺書の準備からかな?

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「わーい! ウェミダー!」

「いや、プールだろ。あと叫ぶな。迷惑だから」

「なんとなくこう言わないといけない気がしたのよ!」

「それ、何の義務感?」

 

 俺の隣で叫ぶペグ子に、冷静なツッコミを入れながら、俺の心はこれまで経験したことがないほどにざわついていた。

 

 なぜなら、俺の隣のペグ子が水着姿だからである。

 

 ペグ子は白を基調にカラフルなドットの模様を散らして、裾には少しフリルをあしらったようなセパレートタイプの水着を着ていた。少し少女趣味のようにも見えるが、逆にそれがペグ子には合っている。

 

 水着の上下の基本的なデザインは布の面積が多めでそこまで際どいタイプではないのだが、(黙っていれば)美少女のペグ子が水着を着ているという事実だけで心が騒ぐ。

 

 しかも、水着になってわかったがペグ子は以外と着痩せするタイプだ。普段がだぼっとしたボーダーのシャツにオーバーオールというシルエットの出にくい私服のことが多いので、水着だとそれがより際立つ。

 

 子供っぽい言動でカモフラージュされていたが、やはり年頃の女の子ということもあって出るところがちゃんと出て……

 

 ……! ち、違う! 俺は何も見てない! いや、何も見てなくはないけど、違う! 違うんだよ!

 

 俺の中の悪い俺を否定するために、がんがんと頭を側のパラソルの支柱に打ち付けていると、ペグ子が「鳴瀬、大丈夫なの?」と、本気で心配そうな顔をして尋ねてきたのですぐにやめた。

 

 ……ペグ子、すまん。今の俺にはお前に心配してもらう資格はないんだ。俺はただのおっぱい好きのクソ野郎だったよ。

 

 そんな俺の心の声など聞こえていないペグ子は満足そうにその両腕を天に伸ばす。

 

「んーサイコーね! そうだ鳴瀬、今日は早くから場所取りありがとね! これだけの人出なんだもの、大変だったでしょう?」

「ん、あー……、いや、たいしたことないって」

「ほんとに?」

「ほんとほんと」

 

 ペグ子のねぎらいの言葉に俺の歯切れが悪かったのには理由がある。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 俺は、今日の朝イチでこのプール「トコナッツパーク」の開場に合わせて並んだ。この界隈で、設備が充実したプールというのはここしかなく、特にこんな好天に恵まれた日はプールサイドの場所取りは熾烈を極めることが予想されたからだ。

 

 しかし、大学のサークル1回生の時や2回生になってからの新歓の花見なんかで前日からの場所取りも経験したことがある俺には早起きしての場所取りなどは苦でもなかった。

 

 そして、予定通り開場の一時間以上前に「トコナッツパーク」の前に着いたのだが、

 

「うわ!? もう結構並んでるじゃん!」

 

 なんと既にトコナッツパークの入り口前には50人近い人だかりができていたのだ。

 

 プールサイドのデッキチェアなんかも確保したかったのだが、この人数だと座るのに最適なスペースの確保すらも厳しいレベルだ。

 

「マジかー、結構暇な人間っているんだな……あれ?」

 

 自分の見通しが甘かったことに頭を抱えていると、俺はその行列の前部に見たことがある気がする顔を見つけた。

 

 すると、俺が視線を送っていることにその人も気が付いたようでこちらを振り返る。彼女が振り返り、その顔を正面から見たことで俺は今度こそ確信した。

 

 服装こそ普段とは異なっているものの、あれはーー

 

「ーーあのー、もしかしてこころの黒服の人ですか?」

「おや、鳴瀬様ではないですか」

 

 俺の声かけに彼女がにっこりと微笑んで返事をする。やはり彼女は俺が考えていた通り、いつもペグ子の側で控えている三人のレギュラーメンバーの黒服の一人だったのだ。今日は夏らしく白い薄手のワンピースだから危うく見逃しそうになった。

 

 今日は黒服じゃない黒服の人が俺にそう答えた次の瞬間。

 

「うおぅ!?」

 

 なんと列を形成していた大半の人たちが一斉に俺の方に振り返ったのだ。ライブで視線に曝されることには慣れている俺でも、街中で急に大量の一般人から注目されるのは流石に戸惑う。

 

 しかし、よくよくその人たちを見ると、その全てが女性で、しかもなんだかほとんどの人に見覚えがあった。

 

「……えっと、もしかしてこれみんな黒服の人たちですか?」

 

 俺の問いに黒服の人が首肯する。

 

「はい、本日は私共の休暇も兼ねて、こころお嬢様のために、本日の日付変更時刻頃から、一同入り口前で待機しておりました」

「休暇の意味! 全然休暇になってないじゃん! でも、ということは……」

 

 改めて列を見直すと、黒服の人たち以外に並んでるのはたったの二家族だけである。

 

 大量に見えたその列はなんとほぼペグ子の家のお手伝いさんだけで形成されていたのだ。

 

 いや、俺が来た意味なかったじゃん!

 

 折角朝早くから起きて準備をしたのにも関わらず、肩透かしを喰らったかたちになった俺は心の中で頭を抱えた。流石に天下の往来で急に頭を抱えることを慎むぐらいの美徳は俺も持ち合わせていた。

 

 だが、そんな俺の心は黒服の人にはお見通しだったようである。

 

「鳴瀬様、そんなにお気になさらないで下さい」

「えっ?」

 

 その言葉に、俺が黒服の人へと意識を向けると、彼女は口元に軽く手を当ててくすりと笑った。それは、普段はキリッとした表情で、腰の後ろに手を回して控えていることがほとんどの彼女には珍しい表情と仕草だった。

 

「こころお嬢様たちのお席は鳴瀬様が確保してくださいませ」

「えっ、いや、それは流石に……」

 

 彼女の申し出は手柄を俺に譲ることに等しいものだった。それは、俺も気が引けたので辞退しようと口を開こうとする前に、黒服の人が首を左右に振った。

 

「いいのです、私共はあくまでも仕事の範疇ですから。お友達である鳴瀬様がわざわざ席を確保してくださったことの方が、こころお嬢様も喜ぶと思いますから」

 

 彼女のその言葉に、周囲の黒服の人たち(やはり今日は全員黒服ではないが、反応からして恐らくそうだ)が頷く。

 流石にここまで言われて辞退するのは逆に失礼だと判断した俺はその言葉に従うことにした。

 

「わかりました。それではそうさせてもらいます。すみません、なんか気を遣わせてしまって」

 

 そう言って申し訳ない気持ちで頭を下げる俺に彼女の再び首を左右に振った。

 

「いえいえ、鳴瀬様がいつもこころお嬢様の無茶振りで苦労されてるのは私共も知っておりますので、この辺りで心証を良くしておくと今日は無茶振りも多少は減ると思いますので」

 

 ああ、なんという気遣いだろうか。

 

 黒服の人は今後起こるであろう俺の心労にまで配慮してくれている。同じペグ子に振り回される者同士共感(エンパシー)を感じてくれているのだろうか。こんなにありがたいことはない。

 

 この世に必要なものは「Peace,(へいわ) Love(あい), empathy(きょうかん)」。ああ、やっぱりカート・コバーンの言うことは間違ってなんかいなかったんだね。

 

 と、そこまで考えて気付いた。

 

 ……だったら、いつももっと助けてくれてもいいのでは?

 

「あ、それは無理です。こころお嬢様には無茶を言えるお友達も必要だと思っておりますので」

「まだ何も言ってないのに!?」

 

 こえーよ、やっぱりエスパーかな?

 

 まるでこちらの思考を読んだかのように発言を置きにくる黒服の人にビビっていると、黒服の人がまたクスクスと笑った。

 

「それに、私たちもやっぱり夏休みを楽しみたいので。みんな、後のことは鳴瀬様に任せて今日はバカンスよ!」

「やったー!」(無数の歓声)

「えっ、ちょ……まっ……」

 

 体よく厄介ごとを押し付けられたことに気付いたその時「開園でーす!」の声と共に「トコナッツパーク」の門が開く。

 

「あっ、どうやら開園時間のようですね。それでは鳴瀬様、同じこころお嬢様に振り回される者同士のよしみで、今日は楽しませていただきますね!」

 

 そして、言いたいことを言うだけ言って、黒服の人たちはみな雪崩れ込むように「トコナッツパーク」の中へと消えていった。

 

 えぇ……これ、場所取りの功績の代わりに、残りの面倒ごとを全部引き受けることになったやつですやん。

 

 しかし、本当に楽しそうな黒服の人たちの表情と、普段の彼女たちの苦労を知っている俺には何も言うことができず今に至る訳だった。 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 というわけで、場所取りに関しては俺は手柄を譲ってもらった身なので何も誉められる立場じゃなかった。

 

 むしろ誉めてもらうところがあるとするなら、今日の今後起こるであろう一切の出来事(トラブル)の面倒を俺が見ることを引き受けたことなのだが、ここではそれをアピールすることも叶わず八方塞がりである。

 

 あー、マジで貧乏くじ引いたわ。

 

 そんなことを俺がガックリと肩を落としていると、

 

「あっ、鳴瀬。みんなも来たわよ! おーい! みんなこっちよー!」

「おー、みんな来たか。こっちーー」

 

 そこまで言って言葉を失った。

 

 なぜなら、俺の目の前に現れた水着姿の彼女たちは女神と見紛うほどの美しさだったからだ。

 

「やぁ、二人ともお待たせしたね。でも、乙女の準備には色々と時間がかかるものだと理解してくれたまえ」

 

 そう言って現れた薫は、純白のビキニに白のパレオを着けたシンプルな水着だ。

 

 そして、そのシンプルさが薫のスタイルの良さをぐっと引き立てる。素材が良いと下手に手を加える必要がないことの典型と言ってもいいだろう。

 普段がマニッシュなパンツルックが多い彼女の水着姿というギャップも、その魅力を引き立てるのに一役買っているのは間違いない。

 

 まさに地上に降りた美の女神(ミューズ)と言っても過言ではない美しさだ。

 

「こころちゃんが早すぎるんだよー。鳴瀬くんおまたせー!」

 

 北沢さんは上はチューブトップタイプの青と白のボーダー、下は赤と白のボーダーのセパレートだ。それにオーバーレイヤーとして上はシースルーのネックホルダータイプのものを、下はショートパンツタイプの水着を重ね着している。

 

 元気印の彼女らしい動き易さに重点を置いたデザインだが、上のシースルーや、下のショートパンツの外したボタンからちらりと見えるアンダーレイヤーの水着が大人らしさを演出している。

 

 そんな背伸びした部分が見え隠れする、少女と大人の境界線にあるような彼女の姿に不覚にもぐっと来てしまう。

 

「ふぇぇ……ま、待ってください~」

 

 二人に置いて行かれないように必死に走ってきた松原さんは、以外にも赤を基調にした鮮やかなセパレートの水着だった。要所に大きめのフリルがあしらわれているのもその華やかさを加速させている。

 

 オーバーレイヤーにシースルーの青のカーディガンのような水着を合わせて少し鮮やかさを落としているが、それでもその色彩は色素の薄い彼女の肌と髪とのコントラストで目を引いた。

 

 いつもは大人しい松原さんがこんなにも大胆な水着を着てくる。それを見ることができただけでも僥倖と言えるような可愛らしさだ。

 

「ああ、もう、みんなちゃんと日焼け止め塗らないと後悔しますよー!」

 

 最後に日焼け止めを持って現れたのは奥沢さん。

 

 彼女の水着は他のみんなに比べると大人しめのデザインで、上は飾り気のない紺のビキニ、下はフェイクデニムのハーフパンツタイプの水着だ。

 

 しかし、それでも布の面積が私服から減ったことにより、奥沢さんの普段は隠れたスタイルの良さが十分に出ている。特に、ビキニ姿の上半身は男なら振り向かずにはいられないような色気がある。

 

 スタジオ《arrows(アローズ)》のラウンジでいつも奥沢さんを気にかけている男たちに、「俺、奥沢さんとプールに行って水着姿を見たんだよね」なんて言ってしまった日には、俺はその場でサバトの贄とされて明日の朝日は間違いなく拝むことができないだろう。

 

 とにかく。

 

 この時改めて、俺はとんでもない美少女たちに囲まれていたのだと再認識させられたのだった。

 

「あら~、鳴瀬ったらみんなに見とれてるじゃないの~!」

「ちょっ、み、見とれてねーし!」

 

 ペグ子がいきなり核心を突いた茶々を入れてきたので、「やーい、お前、○○と付き合ってるんだろー!」と言われた時の男子小学生みたいな返しをしてしまった。

 

 そして、そのせいで後からやって来た《ハロハピ》四人組が頬を赤らめる。

 

「ふ、ふっ、ま、まぁMr.鳴瀬も男だから、そういうところがあるのは致し方ないね、うん」

「もう! 鳴瀬くんのエッチ~!」

「ふ、ふぇぇぇ……(放心)」

「鳴瀬さん……やっぱり、鳴瀬さんって、その……」

 

 ちょっと、もう、なんだよこの雰囲気!

 

 ペグ子め、マジでいつかシバく!

 

 俺は恐らく一生不可能であろうことを固く心に誓うと、慌ててペグ子の発言を否定しに走った。

 

「あー! もー! 違いますぅ~! 俺はみんなのこと全然そんな目で見てないですぅ~!」

 

 しかし、そう言った瞬間、今度はみんなの顔があからさまに不満気に変わる。

 

「そういうところだぞ、Mr.鳴瀬」

「むー、鳴瀬くんひっどーい!」

「な、鳴瀬さん…………(涙目)」

「はぁ……、まぁ、バンド脳の鳴瀬さんにはまったく期待してませんでしたよ、私は」

 

 ……えっ、何これ。

 

 何なの? 俺はどうすればよかったの? 一体何が正解だったの? 

 

 頼むから、誰か教えてくれよ! ねぇ!?

 

 そんな俺の心の叫びを聞き届けてくれる者などもちろんいなかったし、恋愛経験値ゼロの俺に正解が思い付くことなどは決してなかった。

 

 そんな中、一切の空気を読まないメンタル強者ペグ子がパンパンと手を叩く。

 

「はいはい、みんな! 折角プールに来たのよ! そんな表情してないで楽しみましょうよ!」

 

 ねぇ、誰のせいでこんな風になったと思ってるのかな?

 

 流石の俺もツッコミを入れようと口を開きかけたその前に、《ハロハピ》メンバーが次々と口を開く。

 

「ふっ、確かに折角の貴重な時間、最高に楽しんでこそというものだ」

「はぐみもいっぱい泳ぐよー!」

「は、早く浮き輪を膨らませなくちゃ……。ポンプ借りてこよう」

「あ、デッキチェアも人数分確保してくれてるんですね。それじゃあ私はジュースでも片手にゆったりと過ごしますか~」

 

 え? あれ? みんな気持ちの切り替え早くない?

 

 周りのノリに取り残される俺を尻目に、ペグ子はみんなの反応に満足そうに頷き、右手の拳を天へと突き上げた。

 

「それじゃあ、みんな! 最高の夏にするわよー! オー!」

「オー!」(×4)

「えっ……あの、ちょっと……」

 

 ペグ子の言葉に応えて天高く拳を突き上げた《ハロハピ》メンバーたちは、きゃいきゃいとはしゃぎながらみんなでどこかへと出かけ、後にはポツンと俺一人が残された。

 

「……とりあえず、ラジオ体操しようか。うん。」

 

 チャンチャッチャ チャチャチャチャ チャンチャッチャ チャチャチャチャ チャチャチャチャ チャチャチャチャ チャチャチャチャチャン ウデヲマエカラオオキクアゲテ セノビノウンドウカラー

 

 持ってきていたウォークマンのイヤホンからラジオ体操第一が俺の耳に響く。

 

 こうして、俺の「トコナッツパーク」はラジオ体操第一の音楽と共に、なんとも言えない釈然としない思いから始まったのだった。




結構早く書けた!

この鳴瀬君とかいう男の子かわいそう(他人事)

まぁ、対価として《ハロハピ》の水着を見たんだから仕方ないね。

???「錬金術の基本は等価交換!」
鳴瀬君「チクショウ……! (メンタルを)持っていかれた……!」

そして、後編のアンケートですが、これからすぐに執筆に取りかかるので期限をちょっと巻きます。

明日の昼までをリミットにしますので皆様のご協力をよろしくお願いいたします!


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野良ベーシストはどちらかというと山派である(後編)

続きました。
水着回後編!

アンケートご協力ありがとうございました!

というわけで、鳴瀬君と一緒にウォータースライダーを楽しむことになったお相手はペグ子でーす!

やっぱりペグ子は強かった!

以前の前書きで複数ルートやるかもと言いましたが、今回はペグ子のみに絞りました。その理由は後書きに書かせてもらってます。

そして、ウォータースライダー前の前半は水鉄砲バトルです。

前後半ともに、ToLoveる重点な展開があります!

この作品にワイセツは一切ない。いいね? アッ、ハイ。

とにかく、今は本編をどうぞ!

【ペグ子のサイドストーリーについて】
ペグ子のサイドストーリーのアンケートを開始しました。
実は全員のサイドストーリーの構想は、現時点でメンバーそれぞれ二つずつ用意してあります。

ただし、時間の関係で選べるのは一人につき1ルートです。

なのでどっちがいいかご意見ください。アンケートは字数制限であまりルートの特徴が詳しくかけないのでここに書きます。

①ペグ子お誕生会ルート。鳴瀬君たちがペグ子のお誕生会にお呼ばれするお話。ほとんどオリキャラのペグ子の家族も出す予定。ラブコメに良くある外堀を埋められる系主人公的な王道展開。

②ペグ子お買い物ルート。偶然オフになったペグ子と鳴瀬君が町に買い物に繰り出すお話。ペグ子のとんでもない価値観に鳴瀬君が振り回されつづけるギャグ寄りの話。

このどちらかをやるので見たいと思った話に投票お願いいたします。


 照りつける夏の日差しで乾いた風が俺たち二人の間を駆け抜ける。

 

「……こころ、お前とはいずれはこうなる運命だと思っていたぜ」

 

 俺は流れる熱い風を射抜くような鋭い眼差しで、目の前約15メートルほどの距離で対峙しているペグ子を睨む。

 

 ペグ子はそんな俺の視線に曝されながらも余裕の表情を崩さない。

 

「あら、私は少し意外だったわよ鳴瀬。あなたは手を抜いてもっと早く退場すると思っていたもの」

「抜かせ。お前が敵なら話は別だ。お前を倒せるならタダでも喜んでやるぜ」

「ふふっ、それじゃあやる気は十分ということね!」

 

 俺を見てペグ子が不敵に笑う。

 

 天使のような悪魔の笑顔とはまさにこのことか。

 

 こんな笑顔が町に溢れ始めたら、早晩その町はソドムの市と化すだろう。なんとしてもここで俺が食い止めなくてはならない。

 

「負けて吠え面かくなよ、こころ」

「あら、わたしには膝から地面に崩れ落ちる鳴瀬の姿が見えるわ」

「ふっ……」

「ふふっ……」

 

「「ふはーっはっはっはっ! しねぇ!!!」」

 

 大声で笑い合った俺たちはまったく同じタイミングで手に持った水鉄砲(・・・)を抜いて撃ち合った。

 

 ここは「トコナッツパーク」のアトラクションの一つ「ウォーターウエスタン」、水鉄砲によるサバイバルゲームが楽しめる人気スポットだ。

 

 現在は《FREE FOR ALL(なんでもあり)》という参加者全員が敵のルールでゲームが行われている。《ハロハピ》の5名と他の参加者を含めて計40名が互いに潰し合うことになった修羅の巷は、既に終局を迎えつつあり、生き残りは現在7名。しかもその内の4名は俺を含めた《ハロハピ》メンバーだ。

 

 生き残っているハロハピのメンバーはペグ子を筆頭に、薫、北沢さんの三人。松原さんは開始後初めての犠牲者となって早々に退場し、奥沢さんはスナイパースタイルで高台からの狙撃に徹していたところ、ペグ子の水風船グレネードの直撃を食らって、残り半数ほどであえなく退場となった。

 

 そして、《ハロハピ》以外の3人なのだが、実は俺には見覚えがあった。

 

 ……どう考えてもあの3人、ペグ子のお付きの黒服の人なんだよなぁ。

 

 そう、なんと《ハロハピ》以外で生き残っている残りの三人は、こころの側にいつも付き従っていたレギュラー黒服の三人なのだ。あの三人はよく顔を合わせるので、黒服の人たちの中でも間違いようがない。

 

 つまり、このサバイバルゲームの参加者は現在100%俺たちの身内! 負ける訳にはいかない!

 

 ペグ子の射撃をカバーポイントに滑り込んで避けながら俺は決意を新たにする。

 

 イイゾー! ニイチャンマケルナヨー! ガンバレー!

 

 そして、そんな俺の活躍に場外から声援が飛ぶ。

 

 実はこのサバイバルゲーム、優勝者を予想するゲームに誰でも無料参加が可能で、もし予想が当たればフードコートの無料券などが進呈されるシステムなのだ。

 アトラクション内の様子はモニターなどで外部に流れており、泳ぐのに疲れた客たちなどでゲームの外はかなりの盛況である。

 

 俺は現在生き残った7人の中では唯一の男ということもあって、割と熱い声援をもらっている。

 

 俺は勝つ! 万が一負けるにしてもペグ子よりは後に負ける!

 

 恐らく、この機会を逃すと俺がペグ子に勝てるチャンスは一生来ない。その確信が俺を勝利へと突き動かしていた。

 

「さて、ここからどう攻めようか?」

 

 呟いて俺は手元の水鉄砲に視線を落とす。

 

 俺の水鉄砲はオーソドックスなライフルタイプ。平均的な射程と、平均的な容量の水が入るバランス型だ。

 

 しかし、この水鉄砲、どうやら現実のライフルの三点バースト機能が再現されているようで、無駄に水を垂れ流しにくく容量以上に弾が続くように設計されている。

 

 水の補給中はまったくの無防備になるこのゲームで、無駄が少ないというのは大きなアドバンテージだ。

 

 一方、ペグ子は体格に似合わずライトマシンガンのような巨大な水鉄砲をぶん回している。分隊支援火器でもあるそれをモチーフにした水鉄砲は、射程と威力、連射性に優れるも、その分弾切れが早いのと小回りが効かないデメリットを抱える。

 

 しかし、ペグ子は野生的な直感で、危険な水の補給を3回も成功させており、参加者が減った今ではほぼノーリスクで補給ができるため、最早そちらはデメリットとして機能していない。

 

 ……故にペグ子相手に直線的な戦いは不利。カバーポイントをジグザグに渡り歩いて接近、回り込んで倒す!

 

 そう考えて俺がペグ子の位置を確認するため頭を出したその瞬間。

 

「あー! 鳴瀬くんみーっけ!」

「げ! 北沢さん!?」

 

 なんと獲物を求めて徘徊していた北沢さんと目が合ってしまう。

 

 北沢さんの装備はショットガンタイプだ。射程距離は極端に短いが、面で相手を制圧できる強みがあり、弾もそこそこの回数はもつ。

 彼女はそれを水で滑る床をスライディングすることによって使いこなし、遠距離や物陰からスライディングで滑り込みながら、射線が通った一瞬で相手を撃ち抜く戦法で既に4人を葬り去っている。

 

 できれば最後まで当たりたくなかった相手だったのだが、まさかここで出会うとは!

 

「いっくよー、鳴瀬くーん!」

「くそっ、やるだけやるしかってやつか!」

 

 叫びながら北沢さんが駆け出してくる。ソフトボールのベースランで鍛えられた彼女を、走っている途中で捉えるのはほぼ不可能だ。

 

 撃てるのはお互いが交錯する一瞬のみ!

 

「おりゃー!」

「来い、北沢さん!」

 

 北沢さんがスライディングを始める。俺はそれを迎え撃つ。カバーポイントを北沢さんが通り抜ける。お互いの姿が遮蔽物なしで曝されたその瞬間。

 

「え!?」

「残念だったな北沢さん!」

 

 北沢さんの目が驚きで見開かれ、その口から驚きの叫びが漏れる。

 

 北沢さんの銃口の先に俺の姿はなかった。なぜなら俺はカバーポイントの壁とその後ろの壁を足場にして、地面から離れ空中で銃を構えていたのだ。

 人間は地面からは離れられないという思い込みを利用した俺の作戦はガッチリとはまっていた。

 

 しかし、北沢さんもさるもので、とっさに銃を滑らせて予想よりも上に射た俺を狙い撃つ。

 

「鳴瀬くん!」

「北沢さん!」

 

 叫びながら互いの銃口が水を吹く。そしてーー

 

「ーー24番の方、脱落です。退場してください」

 

 やられた方の番号がコールされる。その番号の主はーー

 

「あちゃー、はぐみ、負けちゃった!」

 

 ーー北沢さんだった。彼女の銃口はあと一歩届かなかったのだ。

 

「いい勝負だったよ北沢さん」

 

 俺が北沢さんを称賛すると、彼女は満面の笑みで答える。

 

「そうだね! 鳴瀬くん、頑張ってね!」

「おう!」

 

 手を振り退場する北沢さんを眺めながら思う。

 

 マジでいい、ギリギリの勝負だった……。俺が、両足の的を失うほどに……。

 

 俺が見下ろす足元では、脛につけられたプロテクターのような的が水を当てられ赤く変色していた。

 

 このサバイバルゲーム、頭と胴体に着けた的に当てられると一発アウトなのだが、その他にも腕と両足に合わせて4つの的があるのだ。

 これらの的は、時間切れの時に多く残っている方が勝ちという優勢判定に使われる。

 

 そして、俺はその内の二つを今失ったということだ。

 

 ……これは、嫌な展開だぞ。ペグ子の的はまだ無傷だ。ペグ子の性格上、遅延戦闘はしないと思うが、普通に時間切れになったら俺が負ける!

 

 これでこちらから積極的に攻める必要が生まれた俺は頭を抱える。この局面で取れる戦術の幅が狭くなるのはきつい。

 

 そんなことを考えているとーー

 

「38、39、40番の方脱落です。退場してください」

「なっ!?」

 

 無慈悲なアナウンスが流れ、三人の脱落がコールされる。

 

 連番ということはつまり、やられたのは黒服の三人で間違いないだろう。

 

「ペグ子がやったのか? それとも薫が?」

 

 ペグ子が相手ならいくらオフとはいえ黒服も忖度するだろうが、薫がやったという可能性も十分にある。

 何せどちらも最後の3人に残った実力者だ。どちらがが何をやってもおかしくはない。

 

 んー、薫とはまだ交戦したことがないから、できればペグ子と潰し合ってもらって生き残った方と決戦したいんだが……っ!?

 

「くぉっ!?」

 

 一瞬、俺に差していた陽光が陰ったことに気づいて、反射的にカバーポイントから転がるように飛び出す。

 

 結果としてこの判断が俺の命を救った。先程まで俺の頭や体があった場所を幾筋もの水の奔流が駆け抜けていく。

 

「ああ、Mr.鳴瀬はこれを避けるか。できれば苦しむ暇も与えずに倒したかったものだが」

「……っ! 薫か!」

 

 俺の視線の先にはハンドガンタイプの水鉄砲を構える薫の姿があった。

 

 ハンドガンタイプの水鉄砲は低射程、低精度、低容量のダメダメ三拍子が揃った武器だ。

 ただしその代わりに、通常一個しか持ち込めない水鉄砲の縛りをハンドガンだけは無視してもいいことになっている。

 

 現に俺の目の前の薫は、両手に一丁ずつの二刀流な上に腕と足の的に付いたホルスターにも一丁ずつの計6丁を持ち込んで容量不足も補っている。

 両手に持つことにより、カバーポイントの左右から覗き込んで撃てる、挟まれたときでも両方の相手を牽制できるというメリットが生まれる。

 しかし、それでもなおハンドガンのパワーの低さはいかんともしがたいのだが、それでもここまで生き残ったのは薫の力量ゆえか。

 

「……ハンドガンのような貧弱な武器でよくここまで生き残ったじゃないか、薫」

 

 俺の称賛の言葉に薫が頷く。

 

「ああ、私が水鉄砲を構えて決めポーズを取ったら、子猫ちゃんたちはその姿に感動して、目の前で固まってくれたからね。倒すのは容易かったさ」

 

 ……それ、銃の腕関係ないじゃん!

 

 ここでも相変わらずのイケメンぶりを発揮している薫に俺は溜め息を吐いてしまう。

 

 最後まで生き残った黒服の人たちを倒したのも恐らく薫だろう。多分出会い頭の彼女の決めポーズで硬直したところを一網打尽にされたのだ。

 

「ふふっ、しかし、男性に関しては全て実力で討ち取った。君もこれからその一人になるさ、Mr.鳴瀬!」

「……! そいつはどうかな!」

 

 その言葉のやり取りを最後に銃撃の応酬が始まった。

 

 腰だめでライフルを撃った俺の水流の弾を、薫は横っ飛びで回避、回避動作の途中で俺に両手のハンドガンで射撃を叩き込む。

 

「ちっ!」

 

 低い位置から俺に迫るそれを、俺は転がって避ける。

 

 一見、低い位置からの射撃を避けるのに転がるのは適していないように思うかもしれないが、跳んで避けるのは悪手だ。人間は跳んでいるときには動きを変えられない。着地の硬直などに射撃を合わされると間違いなくやられる。

 

 転がった勢いはそのままに、俺は目の前の腰の高さぐらいの小さなカバーポイントに滑り込む。

 薫の飛び込んだ先も同じような大きさのカバーポイントだ。

 

 お互いが腰の高さのカバーポイントに隠れることになり、俺はカバーポイントから上体を晒してライフルを構える。

 

 左右と上のどちらからでも気軽に攻撃ができる薫に対して、俺はライフルを抱えては咄嗟に動けない。

 上体を晒すリスクを負ってでも、ここは広い視野を確保して薫の動きへの反応を早めることを選ぶ。

 

 ……さぁ、どう出る、薫?

 

 戦場にわずかな時の淀みが生まれた次の瞬間、カバーポイントの右から薫のハンドガンが飛び出す。

 

 右か!

 

 咄嗟に左へと体をずらす俺。しかし、その俺を待っていたのはカバーポイントの上から遅れて飛び出したもう一つのハンドガンだった。

 

 ……っ、時間差か! 右の銃は俺の動きを縛る囮! 本命は上から出した二丁目のハンドガンの方だ!

 

 俺は薫の強かさに驚愕する。この重要な局面でここまで大胆な戦術を取れるものかと。

 

 銃口は間違いなく正確に俺を狙っている。このままでは間違いなくやられる。

 

 なら、俺がとるべきはーー

 

「ーーくそっ、腕一本持っていけ!」

 

 俺は無理やり体を捻ると左腕を射線に割り込ませる。腕へのヒットはそちらの腕が射撃に使えなくなるというペナルティがある。それを負ったとしても回避にはこれしかなかった。

 

 薫のハンドガンから放たれた水流が左腕に当たる。腕の的の色が変わってこれで左腕は射撃には使用不可だ。

 

「くぉらぁ!」

「むっ!?」

 

 俺は体を捻った勢いのまま、カバーポイントの上を乗り越えて薫に肉薄する。銃の位置関係からして薫は今、地面に伏せているのに近い体勢のはずだ。すぐには起きて対応できない。

 

 だから、俺は薫の隠れたカバーポイントを走り高跳びのロールの要領で飛び越えながら、地面に伏せた薫を撃つ!

 

 薫の迎撃体勢が整ったり、俺が射撃を外せば相討ちか俺の負け。捨て身の特攻だが、活路はここにしかない。

 

「だぁぁぁぁぁ!!」

「くっ!」

 

 カバーポイントをロールで巻き込むように乗り越えながら右手の銃を構える。

 

 頼む、策よはまってくれ!

 

 祈りながら壁を越える。

 

 果たして、俺の予想通り薫はまだ床に伏せたままこちらを向く動作を始めたばかりだった。

 

「Mr.鳴瀬!」

「薫!」

 

 お互いに名前を叫びながら水鉄砲を撃つ。

 

 互いの手から放たれた水流は、薫のそれは俺の頬の横をすり抜け、俺のそれは薫の胸の中央を狙い違わす撃ち抜いていた。

 

「18番の方、脱落です。速やかに退場してください」

 

 薫の着けた番号がアナウンスされる。勝負ありだ。

 

「ふっ、負けたよMr.鳴瀬!」

 

 薫が立ち上がって俺のことを褒め称える。俺はロールの勢いで床を転がったので、少し遅れてゆっくりと立ち上がる。

 

「いや、お前もなかなかの腕……あっ」

 

 立ち上がって薫の方を向いて称賛の言葉を投げかけようとして、気付く。

 

 げぇーー!? 薫のビキニの紐がほどけかかってる!?

 

 フロントで紐を結ぶタイプの彼女のビキニは先程までの激しい動きと、俺の銃撃を受けたことによって今にもその役目を放棄しそうだ。

 

 先ほど言ったように、このアトラクションは外の観客席に映像中継されている。このまま彼女の水着がほどければ、その美しき双丘が惜しげもなく衆目に曝されるのは想像に難くない。

 

「ん、どうしたのかねMr.鳴瀬?」

 

 しかも薫は全くそのことに気づいていない。しかも俺を気遣ってこちらに上体を傾けたせいで、最後の砦の崩壊が始まる。

 

 そこからの俺の判断は、先ほどの銃撃戦の比ではない速さだった。

 

「薫! 胸!」

 

 必要最低限の言葉だけを発して俺は水鉄砲を捨てる。

 

「えっ……きゃあああ!?」

 

 俺の言葉で薫の口から可愛らしい悲鳴が零れる。その瞬間にビキニの紐が完全にその役目を放棄した。

 

 南無三!

 

 俺はそのまま薫に飛びかかかると、彼女の体を床に押し倒した。アトラクションの床は安全に配慮して少し弾力があるので怪我の心配もない。

 

 地面に転がり至近距離で見つめ合う俺と薫。

 

「薫、もう大丈夫だぞ」

 

 カメラワークの関係で、この配置なら映るのは俺の背中だけだ。俺が背中でカバーしている間に薫は水着を直せばいい。

 

 しかし、薫は俺の下で頬を赤く染めて惚けたように動かない。

 

 おいおい、何をちんたらしてるんだよ。

 

 いくら安全が確保してされたからといってもこの体勢はあまりよろしいとは言えない。彼女には早く水着を直してもらわねば困る。

 

 それにこうしている間にも本丸のペグ子が俺に迫っているかもしれないのだ。事態は急を要する。

 

「薫、早く水着を直してくれ。でないとーー」

 

 俺が言葉を言い終える前に薫の口が開く。

 

「な、鳴瀬くん。そ、その、君の手が私の胸をだね」

「ーー胸? だからその胸をだな…………Oh…………」

 

 そこまで言って気付いた。

 

 薫を押し倒したその瞬間。

 

 俺の両手が彼女の生乳を鷲掴みにしていることに。

 

 あー、そりゃ、水着を直すのなんて無理だな。

 

 だって俺の両手が胸を掴んでて邪魔だもんな!

 

 ワーッハッハッハ!

 

「うわー!?」

「な、鳴瀬くん! あんまり強く触らないで!?」

「あっ、その、ごめっ!」

 

 あまりにも衝撃的な最悪の事態に、パニックに陥る俺と薫。

 

 しかし、弱り目に祟り目とはよく言ったもので。

 

「さぁ、水もたっぷり補充したし準備万端よ! 鳴瀬! いよいよ私たちの決着を付けるときがきたわ……よ……」

「こ、こころ……」

 

 他で戦闘が起こっている隙に水を満タンに補充したペグ子が最悪のタイミングで帰ってきた。

 

 事の成り行きを知らなければ、今のこの状況は、俺が薫を襲って床に押し倒して、嫌がる薫の胸を無理やり揉んでいるようにしか見えない。

 

 ま、まずい! な、何か弁明を……

 

「……あの、こころさん。ちょっt」 

「鳴瀬の変態ーー!!」

「ぶへぇ!?」

「な、鳴瀬くん!?」

 

 弁明の言葉を口にすることも許されぬまま、水をパンパンに溜め込んだペグ子の水鉄砲が、俺の顔面に向かって全力投球された。

 未だに薫の乳を両手で掴んでいた俺にそれを防ぐ術はなく、重さ3kgはありそうなそれを甘んじて俺は頭部に受けた。

 

「1番、銃を投げての攻撃は反則です。失格による退場となります。よってこの勝負、勝者は22番の彼です! おめでとうございます!」

 

 薄れゆく意識の中で、俺は願い通りに自分の番号が勝者としてコールされるのを聞いていた。

 

 ……もう、本当に、どうでもいいです。ガクッ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「あ゛あ゛~、ひどい目にあった……」

 

 「ウォーターウエスタン」での決斗からおおよそ一時間。

 あれから暫く変な方向を向いたまま固まっていた俺の首も、ようやく元の動きをするようになった。

 

「鳴瀬もう怪我は大丈夫なのね! さっきはごめんなさいね、でも、あれは鳴瀬も悪いわよ」

「俺、一ミリも悪くねーし!」

 

 俺の体調を気遣いながらも、俺を悪者にしようとするペグ子に俺は思わず抗議する。

 

「えー、はぐみもあれは鳴瀬くんも悪いと思うなー」

「そ、そうですよ。鳴瀬さんにももっと気を付けていただかないと……。薫さんも女の子なんですから」

「鳴瀬さんはもっとバンド以外のことへのリテラシーを高めないと、いつかこれ以上のポカをやりますよ?」

「えぇ……俺が悪い流れなの?」

 

 り、理不尽!

 

 唯一、薫だけが「いや、Mr.鳴瀬は悪くないんだよ」とフォローに回ってくれたが、いつもの堂々とした振る舞いは鳴りを潜めて、消え入りそうな声で呟いたので焼け石に水だった。

 

 そして、それを見た他の《ハロハピ》メンバーがまた俺を口撃するというサイクルが暫く続いたのであった。

 

 ……やっぱ、つれぇわ。

 

 そして、そんな俺への風当たりが幾分かましになった時、おもむろにペグ子が口を開いた。

 

「それじゃあ、いよいよ本日のメインイベント、ウォータースライダーに行きましょう!」

「あー、確かにもうそろそろ閉園時間だもんなー」

 

 「ウォーターウエスタン」のアトラクションで、かなりの時間を食った上に、終了後にも俺が回復するまで時間を費やしたので、空はもう西日が差す時間だ。

 

 「トコナッツパーク」のウォータースライダーはそのバリエーションに応じて5本ものコースを抱え、一本辺りのコースの長さも長く、リピーターが多いため結構な時間を食う人気アトラクションという位置づけだ。

 

 恐らく、みんなが後一回乗ったら帰るには丁度良い時間となるだろう。

 

「わーい! 待ってましたー!」

 

 来る前からウォータースライダーが第一希望の北沢さんがはしゃぐ。

 

「あれ、はぐみさん、もう何度もウォータースライダーに行ってませんでした?」

「そうだよー。でも、良いものは何度行っても楽しいし、みんなと一緒に行くのがいいんだよ!」

 

 奥沢さんの言葉に北沢さんが拳を握りしめて力説する。

 

「確かに、私も流れるプールでなら、いつまでも浮き輪で流れていられると思う……」

「花音先輩、実際流れすぎて指先ふやけてましたもんね」

「ふぇぇぇ……」

 

 今度は奥沢さんの指摘で松原さんが照れる。

 

「とにかく、そろそろスライダーに向かおう」

「そうね! でもその前にーー」

 

 ペグ子が俺の言葉に同調しながら、持ち込んだ手提げ鞄の中からあるものを取り出す。

 

「ーー誰が一緒のボートに乗るかくじで決めましょう!」

「ああ、なるほど」

 

 ウォータースライダーには大別して、個人が身一つで滑るタイプと、ゴムボートに乗り込んで滑るタイプの二種類が存在する。

 

 ここ「トコナッツパーク」では後者が採用されており、定員は2人乗りだ。ゆえに俺と、5人の内の誰か1人が1人乗りで、残りがペアを組んで乗ることになるわけだ。

 

「んじゃ、早くくじを引いてくれよ。俺は先に行って並んでおくから」

 

 そう言ってスライダーに向かおうとした俺の肩をペグ子がガッチリと掴む。

 

「何を言ってるの、鳴瀬? あなたもくじを引いて誰かと一緒に乗るのよ!」

「はい~!?」

 

 いや、流石にそれはない。ないから。

 

 そう言って断ろうとしたが、他の《ハロハピ》メンバーの顔を見ると、みんな「仲間だから当然でしょ?」みたいな顔をしている。

 

 えっ? なにそれ? また俺がおかしいの?

 

 戸惑いを隠せないまま、俺はペグ子によって彼女の手の中のくじの棒を握らされる。

 

「くじには番号が書いてあるから同じ番号の人と乗るのよ! それじゃあいくわよ!」

「せーの!」(×5)

 

 みんなが気合いを入れて勢いよくくじを引き抜く瞬間、俺はできるだけ無難な相手がいいなぁと他人事のように考えながらゆっくりとくじを引き抜いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「んー! もう少しで一番てっぺんのスタート地点よ! 楽しみね、鳴瀬!」

「おー、そーだなー(棒)」

 

 くじ引きの結果はご覧の有り様である。

 

 よりにもよって、絶対にペアになってはいけない人物筆頭のペグ子が俺と同じ3番のくじを引いていた。

 

 他の四人もペアを組んだようだが、誰と誰がペアになったのかは衝撃が強すぎたため記憶が定かではない。

 

 ペグ子と同じ番号だと分かった瞬間、俺の記憶は曖昧となり、気付いたときには既にウォータースライダーのスタート地点への階段を半ばまで登った頃だった。

 

「ようこそ、『トコナッツパーク』自慢のウォータースライダーへ!」

 

 てっぺんに辿り着いた俺たちを、競泳水着にサンバイザー姿の係員が笑顔で迎える。

 

「こちらのウォータースライダーはゴムボートに最大2名で乗って滑ることになります。お二人は一緒のボートでよろしいですね?」

「はーい!」

「そうみたいですねー」

 

 ここでゴネて別のボートに乗ることもできるのだろうが、そうすると下に着いたときに《ハロハピ》のメンバーたちからぼこぼこにされることは目に見えていたのでしぶしぶ肯定する。

 

 係員も俺たちの温度差には気付いているのだろうが、あくまでもその営業スマイルを絶やさない。見事なプロ根性だ。

 

「はい、それではコースのご説明です。『トコナッツパーク』のウォータースライダーのコースは全部で5つあります。内2つが動きの激しい全面チューブ張りのコース、2つが危険なコーナーだけチューブ張りのコース。残る1つが全面オープントップのパーク周遊コースになります」

 

 係員の説明に、ペグ子と俺は顔を見合わせて頷く。

 

「「もちろん」」

「全面チューブの一番激しいコースで!」

「オープントップのゆったり周遊でお願いします」

「なんでよ鳴瀬!?」

「自分の胸に手を当てて考えろよ!?」

 

 最初の「もちろん」以外一切発言が被らなかった俺たちは、お互いにツッコミを入れ合う。

 

「「なんで(だ)よ!?」」

「折角スライダーに乗るのよ? 一番激しいコースが楽しいに決まってるじゃないの!」

「バカか! 一番激しいコースなんか選んだら、スライダーの出口から出る前に俺は死んでるんだよ!」

「死なないわよ!」

「死ぬって!」

 

 互いに一歩も退かず、ギャーギャーと言葉のドッヂボールを繰り広げる俺たちに、何かを察した係員さんがその間に割って入る。

 

「まぁまぁ、お兄さん。ここは年長者のあなたが妹さんを立ててあげてはいかがですか?」

「いや、こいつ妹じゃないんで」

 

 「ペグ子が妹」という恐ろしい発言をする係員さんに、俺は真顔で否定の返事をする。

 もし仮に、こいつがおれの妹だったなら、恐らく俺はこの歳になる前にもう墓の中でおねんねしているだろう。死因はもちろんストレスによる心労だ。

 

 そして、ペグ子もそんな俺に同調して首を縦に振る。

 

「そうよ、私と鳴瀬は兄妹じゃないわ!」

「あら、それは失礼しました。ということは……」

 

 係員さんは右手の人差し指を顎に添えて、暫し考えるポーズを取る。その後、何かに気付いたようにハッとした表情になってから、笑顔で再び俺の加尾を見る。

 

「もう、ダメですよお兄さん。折角年下の可愛い彼女を捕まえたんだから、少しのワガママぐらいは多めに見てあげないと。そんなことじゃいつか逃げられちゃいますよー?」

「ちっがーう! カップルでもねーし! というか、俺が逃げてるのにこっちが追ってくるの!」

 

 先ほど以上に恐ろしい係員さんの発言に、思わずなりふり構わない全力のツッコミをしてしまう。

 

 ペグ子の彼氏? 俺が? 前世でどんな悪行をしたらそんなこの世のあらゆる拷問の一番苦しいところのエッセンスばかりを詰め込んだみたいな罰を受けるんだよ!

 

 しかし、恐ろしいことに係員さんの発言にペグ子は意外にもまんざらでもない表情をしている。

 

「やーん! わたしたちカップルに見えるみたいよ、鳴瀬! これはそれだけわたしたちの仲が良さそうに見えるってことよね!」

「お前、今の係員さんの言葉は『兄妹』の後の妥協案ってことを忘れんなよ?」

 

 ペグ子に釘を刺しつつ、俺は苦い表情で後頭部を掻く。

 

「とにかく、俺とこいつはただのバンド仲間ですよ。だから、コースについて譲る気は更々ないです」

「そうですかー。でしたらもう、じゃんけんで公平に行くしかないですね。丁度お兄さんたちのボートも上がってきたことですし」

 

 そう言う係員さんの横に、ベルトコンベアで運び上げられたゴムボートが到着する。

 

 運命は自分で切り開くのが信条の俺は、運命を天に委ねるのは癪だが、ここは贅沢を言ってはいられない。

 

「しゃーないか。こころぉ! じゃんけんだ!」

 

 力強い俺の叫びに、自信満々といった顔でペグ子が頷く。

 

「ええ、分かったわ、鳴瀬! 一回勝負よね!」

「もちろんだ! いいか、俺はグーを出すぞ!」

 

 意味はないかもしれないが、とりあえず心理戦をしかけてみる俺。

 

「なら、私がパーで勝つわ!」

 

 そして、それに対して特に考えもなく即答するペグ子。

 

「「せーの、じゃーんけーん……」」

「「ポン!」」

 

 こうして運命を決めるじゃんけんの手が決まった。

 

 

 

◇◇◇《side 係員》◇◇◇

 

 

 

「はーい、それではウォータースライダー『スーパーエキサイティングコース』の入り口はこちらでーす」

 

 私は、これまで何度言ったか分からない、いつもの言葉を口にする。

 

 毎日千や万単位の人を飲み込む「トコナッツパーク」だ。当然、ウォータースライダーの利用者も一日に百単位では効かない人数が利用する。いちいちそんなことを覚えていられない。

 

 しかし、それでもインパクトのある客というのは記憶に残るもので。

 

「なぁ、こころ。お前、なんで俺がグーを出すって信じないんだよ?」

「だって、鳴瀬はいつものらりくらりとわたしのことを避けるじゃない! そんなのお見通しよ!」

「くそっ、日頃の行いが裏目に出たか……」

 

 そして、それは今目の前で相手をしてる二人の男女にも当てはまりそうな予感がした。

 

 私の目の前にいるのは背の細高い男の子と小柄で髪の毛の長いくりくりした目の可愛らしい女の子のペアだ。男の子と女の子は、少し歳の差があるように見える。

 

「はーい、それではゴムボートにお入りください」

「すみません、遺書を書く時間とかってありますかね?」

「ないでーす。早くお入りくださーい」

「……はーい」

 

 男の子ががっくりと肩を落としてボートに乗り込む。女の子は既に楽しみで仕方がないといった表情でボートの中で跳び跳ねている。

 

 本人たち曰く、二人の関係はバンド仲間とのことだが、歳の離れた二人が一体どうやって出会ったのか少し興味が湧く。もちろん、興味が湧くだけで決してそれを聞いたりはしないが。

 

 それにしても安全に十分配慮して作られたウォータースライダーで遺書を書くとは、男の子の方は何かと大袈裟である。

 

「はい、それでは注意点を説明しますね。滑走中はボートの外に頭を出さない、ボートの取っ手から手を離さない。この二点を安全のためにお守り下さい」

「はい」

「はーい!」

 

 私の言葉に女の子が手を挙げて元気に頷く。反対に男の子はこれから死地に赴くような覚悟の決まった表情で取っ手の感触をしきりに確かめている。

 

 ……ウォータースライダーですよ?

 

 二人がしっかりと乗り込んで取っ手を握ったことを確認する。これであとは私がボートを押し出すだけで二人とはお別れだ。

 

 私は「スーパーエキサイティングコース」に入る人に向けた最後のアドバイスを口にする。

 

「はーい、それでは準備よろしいですね。『スーパーエキサイティングコース』は、スピードを一定に保つために、高低差以外にも途中で水の噴出スポットがいくつかあります。そこに合わせて体を動かすとスリルがある動きが楽しめますよ」

「「えっ!?」」

 

 私の言葉に二人が全く同じ言葉で反応する。

 

 少女の子は喜びが抑えきれないといった歓喜の表情で。

 

 男の子はこの世の絶望を全て塗り固めたような表情で。

 

 同じ言葉でよくこうも対称的に反応できるものだと感心してしまう。

 

「噴出スポットの前にはチューブの天井に予告があるので確認してみて下さいね」

 

 最後のアドバイスも全て終わり、いよいよお別れの時だ。

 

「鳴瀬! とっても素敵なことを聞いたわね!」

「すみません、その情報、本当に必要……」

「それでは、いってらっしゃい!」

「……でしたかぁぁぁぁ!!??」

 

 私が挨拶をしてボートを押すと、男の子が尾を引く叫び声を残して、二人は勢いよく滑って行った。最初のカーブを曲がってあっという間にその姿は見えなくなる。

 

 しかし、カーブを曲がるときに、普通よりもはるかに大きくアグレッシブに膨らんで曲がったように見えたのは、私の気のせいだったのだろうか。

 

「まぁ、気のせいよね。それにしてもーー」

 

 私は出発前の二人のやり取りを思い出して思う。

 

 ーーすごくお似合いのカップルだったなぁ。

 

 今まで星の数ほどのカップルをスライダーに送り出して来た私だが、あそこまで自然体でやり取りをしている二人はそうそうお目にかかったことがない。

 私が最初に二人を「兄妹」だと勘違いしたのもそのせいだ。長年連れ添った家族のように二人の関係は自然だったのである。

 

 きっと、心の底ではお互いのことをしっかりと信頼しているんだろうなぁ。

 

「あー、私もあんな彼氏が欲しいなぁ……」

 

 もう、どこまで滑ったか分からない二人のことを羨ましく思う言葉がぼそりと口から飛び出す。その時、私の次の担当のお客さまが階段を登って現れる。

 

 よし、切り替え切り替え!

 

「ようこそ! 『トコナッツパーク』自慢のウォータースライダーへ!」

 

 私は二人のことを頭の外へ追いやると、もう何度目になるか分からない言葉をまた口にしたのだった。

 

 

 

◇◇◇《side 係員 over》◇◇◇

 

 

 死ぬ。

 

 死にます。

 

 死んじゃう。

 

 死ぬって!

 

 ウォータースライダーが走り出してから、俺は全く新しい「死」の、四段活用を脳内に見出だしていた。

 

 それもこれも、全ての原因は俺の真正面でキラキラ輝く笑顔を無理矢理俺に押し売りしてくる恐怖の訪問販売員ペグ子のせいである。

 

 走り出してからまだそんなに加速がついていない最初のカーブ。そのカーブですらペグ子は絶妙な体重移動によって、ボートをほぼ垂直になるまで傾けていた。

 

 少しでも気を抜けば俺はこのウォータースライダーの出口に着く前に死ぬ。

 

 そんな確信めいた予感が俺にはあった。

 

「楽しいわ! 楽しいわね! 楽しいわよね! 鳴瀬!」

「ウン、トッテモタノシイヨ、ペグ子。だから、もうそんなにボートを傾けるのはやめてええええぇぇえ!?」

 

 ペグ子は「楽しい」の三段活用を見せつけながらボートを傾けてアグレッシブに動かす。今のカーブもボートの傾きは垂直に近かった。

 

 そして、恐ろしいことに。

 

「あっ! 鳴瀬、いよいよ初めての(・・・・)『噴出スポット』よ!」

「そ、ソウダネー」

 

 係員さんが言った恐怖の「噴出スポット」を俺たちはまだ一度も経験していないのである。

 

 チューブの天井には赤のペンキで書かれた1/3の文字が勢いよく踊っている。

 

 ……三回もあるの? ねぇ、俺、死んじゃうよ?

 

 そんな俺の静かな絶望を知らぬペグ子は既に体を左右に揺すってボートを揺らす気満々である。

 

「なぁ、ペグ子。最初の『噴出スポット』では少し様子見……」

「来たわ! いくわよ鳴瀬! そーれ!」

「あっ……(絶望)」

 

 チューブ内の水が白波立つほどの『噴出スポット』。

 

 左に曲がるカーブで、進行方向に背を向けているペグ子は思い切り体を右に傾けてから、カウンターで勢いよく左に体を振り抜いた。これだけ激しい動きなのに、係員さんの指示通りボートの外に体が出ていないのは流石の一言だ。

 

「きゃー!!」

「ぎゃー!?」

 

 そして、見事にコーナー外側に合わせて振られたボートは「噴出スポット」の勢いを借りて垂直を軽々と越えーー

 

「わーい!!」

「いやぁぁぁ!?」

 

 ーーなんとチューブの天井を一回転して元に戻った。

 

 そして、天井を滑った時にひねりの力が加わったのか、いつの間にか今度は俺が進行方向に背を向ける形になった。

 

 さ、最悪! 前が見えないと次の恐怖が来るタイミングが掴めないじゃないか!

 

 そう、恐怖とはその姿が見えない時こそが最も恐ろしい。恐怖は想像の中で際限なく膨らむ魔物。それは《HS DM》の時にも散々《ハロハピ》が体験したことだ。

 

 しかし、まさかこんな形で俺も体験することになるとは誰が予測できただろうか。

 

 だが、それ以上にーー

 

「今度は反対ね鳴瀬! ボートを動かすのは私に任せて!」

「…………」

 

 ーー目に見えるペグ子(きょうふ)が恐ろしいこともあるのだと、今日俺は初めて理解した。

 

「きゃー!! きゃー!!」

「ぎゃー!? ぎゃー!?」

 

 ペグ子が歓喜の悲鳴を。

 

 俺は恐怖の悲鳴を。

 

 悲鳴のデュエットがスライダーに響く。

 

 当然のようにチューブの天井を滑ってなんとか二つ目の「噴出スポット」を越えた俺は、再び進行方向に顔を向けることができた。

 

 これで、最後の「噴出スポット」は幾分ましになる。

 

 そう思って顔を上げた瞬間。

 

「………Jesus………」

 

 俺の目の前に「噴出スポット」よりも恐ろしい光景が広がっていた。

 

 …………ペグ子の水着のトップがずれている。

 

 なんと、激しい左右の運動が祟ったのか、ペグ子の着ている水着のトップがいつの間にか完全にめくれ上がってしまっている。そのことにペグ子はまったく気付いておらず、彼女は胸を隠す素振りすら見せない。

 

 そのせいで、不覚にも以前顔を押し付けることになってしまったペグ子の胸が、生まれたままの姿で惜し気もなく俺の前に晒されている。

 

 想像以上にあるその女性らしい膨らみが、その双丘の頂点に位置する桜色のそれ(・・)が、否応なしに俺の視界に入る。

 

 このことを教えなければペグ子の胸は間違いないなく衆目に晒される。いくらペグ子といえども、胸を人前で晒して平気でいられる保証はない。

 

 しかし、教えてしまえば恐らく俺の命はペグ子によってほぼ確実に刈り取られるだろう。

 

 ペグ子か、俺か。

 

 究極の二択を強いられる。

 

 もちろん、優先すべきなのは自分の身の安全だ。

 誰だって我が身が可愛い。それが、命に関わるならなおさらだ。

 

 だが、それでも。それでもだ。

 

 俺は男で、ペグ子は女の子なんだ。

 

 気張れよ、俺!

 

 覚悟を決めた俺はすぐさまその口を開く。多分、時間をかけてしまうとその勇気が霧散してしまう気がしたからだ。

 

「こころ!」

「なぁに、鳴瀬!」

 

 俺の叫びに何も知らぬペグ子はいつも通りの笑顔で応える。

 

 しかし、次の瞬間には彼女は全てを知るのだ。

 

「お前の水着、む、胸のところが丸出しになってる!」

「えっ……」

 

 ペグ子が一瞬、きょとんとした表情になる。そして、

 

「きゃーーーー!!」

「ぎゃーーーー!!」

 

 今度の悲鳴はペグ子が羞恥の、そして、俺は断末魔の悲鳴だった。

 

 事実に気が付いたペグ子は、慌てて腕で胸を隠すと、その足で俺の股間を全力で蹴りつけたのだ。

 

 ボートで踏ん張るために足を開けていた俺は、無防備な股間に鎮座していた俺の分身で、完璧にその衝撃を受け止めていた。

 

「み、みちゃダメよ、鳴瀬!」

「あ、ああ、あぅあぅあ……」

 

 ペグ子が何か言っているようだが、俺の脳は既にそれを言語として認識することを放棄して生存本能に全力を注いでいた。口から飛び出す言葉も当然のように意味を成さない。

 

「ちょっと向こう向いて! その間に水着を直すわ……きゃっ!」

「あばー………」

 

 ペグ子がなにやらもぞもぞしているが、何をしているのかはよく分からない。しかし、その瞬間ボートに強い衝撃が走り、最早手に力を入れることすら叶わなかった俺は、ボートの取っ手から手を放してしまい、ペグ子の方へと倒れ込んでしまう。

 

「きゃー! 鳴瀬のエッチ!」

「アバーーーッ!?」

 

 なにやら、頬に柔らかですべすべとした感触を覚えた次の瞬間、ペグ子の二度目の蹴りを股間の分身に受けた俺は完璧にその意識を手放してしまった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 その後のことはあとから伝聞で聞いた範囲でしか分からない。

 

 どうやら俺は最後の「噴出スポット」で、今度はペグ子の生乳にダイブしてしまったらしい。

 

 その後、ペグ子が恥ずかしさからボートで暴れまわったせいでスライダーが出口から出た瞬間、暴れ馬と化したボートは盛大な水しぶきを上げて転覆。

 

 投げ出された俺は水中を向いたまま水面に浮かんで微動だにせず、慌てて《ハロハピ》メンバーと黒服の人たちに救助されたらしい。

 

 結局、俺が目を覚ましたのは「トコナッツパーク」が閉園したあと、「トコナッツパーク」の外でだった。

 

 さらに恐ろしいことに、目が覚めた俺は水着姿ではなく、私服姿に着替えていた。

 

 一体誰が俺に服を着せたのか。

 

 そして、そんなことよりも大切なのは。

 

 一体、誰が俺の水着を脱がせてくれたのか(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 俺は《ハロハピ》メンバーの方に、それとなく視線を送るも、目が合った瞬間に今日はペグ子すらも頬を染めて俯いてしまう。

 

 ……もう、このことを深く考えるのは止そう。うん。

 

 こうして、俺の心の中にまた一つ封印するべき記憶が増えたのだった。

 

 

 

 

 

 なんか、俺、最近こんなのばっか……(涙)

 

 




はい、ということで水着回でした。

なんと本編だけで文字数15000オーバー。アホでしょ、馬鹿でしょ、ドラえもんでしょ(空耳アワー)

もっと時間がかかると思いましたが、ゾーンに入ってしまったのかめっちゃ筆が進みました。お、俺は自分が怖い……。

次は本編か、ペグ子のサイドストーリーのどちらかで行きます。サイドストーリーはアンケートもとるので、多分本編を進める可能性が高いです。

そして、ペグ子以外のウォータースライダーはこんな感じになる予定でした。

薫ルート
普通のコースを選び颯爽と二人でボートに座るが、意外にお互いの距離が近いことに気付いてどぎまぎしてしまう。すると、係員から「離れると危ないから彼氏さんと彼女さんはもっとくっついて下さいね~」とカップル扱いされて、更にどぎまぎしてしまう。

そのまま二人はかなり近い距離で滑り始めるが、スライダーのパイプの繋ぎ目でボートが跳ねてお互いに抱き合うかたちになる。真っ赤になる二人。

結局そのまま恥ずかしさでほとんど記憶が残らないままウォータースライダー終了。しかも、ボートから出るときに二人は手を繋いだままで、他の《ハロハピ》メンバーから冷やかされてしまう。

はぐみちゃんルート
一番刺激的な全面チューブコースを選択。係員から「コーナーなんかで跳び跳ねるとボートの動きが激しくなって面白いですよ」とオススメされて、その通りにはぐみちゃんが跳び跳ねる。

すると鳴瀬君がバランスを崩してはぐみちゃんに抱きついてしまう。焦ったはぐみちゃんが動き回ったせいで二人は手足がこんがらがって更に密着するはめに。

なんとかスライダーが終わる前にほどこうと焦る度にお互いに体の変なところを触ってしまい真っ赤になる二人。

なんとか出口までに体をほどくも、気恥ずかしさからお互いに視線を反らす二人。そんな二人を見た他のメンバーは首を傾げるのだった。

花音先輩ルート
怖がる花音先輩のために一番穏やかなコースを選ぶ鳴瀬君。ボートに乗るときに花音先輩の手を取ってエスコートしてあげる鳴瀬君。真っ赤になる花音先輩。

ボートは穏やかに日の当たるコースを進むが、コーナーでバランスを崩した花音先輩がボートから落ちそうになって、鳴瀬君が慌てて彼女の手を取って抱き寄せる。

そのまま手を握りあって肩を抱き、お互いに見つめあっていい雰囲気になる二人だが、コースがオープンな上に、下に降りるにつれて周りの高台から丸見えになることに気がついた二人は慌てて離れる。

ゴールした二人はお互いに謝り会いながらボートを降りる。すると、花音先輩に鳴瀬君が何かをしたのではと考えた《ハロハピ》メンバーから鳴瀬君が制裁を受ける。

ぼこぼこにされてプールの底に沈む鳴瀬君を見て、花音先輩がわたわたするシーンで終了。

美咲ちゃんルート
どのコースにするか悩んでいると係員が「カップルで二人きりの時間を長く過ごしたいなら穏やかなコースがオススメですよ」と言われて真っ赤になってカップルであることを否定する二人。

でも、結局美咲ちゃんの提案で二人はチューブとオープン半々の比較的穏やかなコースを選択。

滑りはじめてからはボートに座りながらまったりと談笑して、お互いの苦労を労り合う二人。

「俺たち似た者同士だよね」と言う鳴瀬君に、「相性バッチリですよね私たち」と返す美咲ちゃん。なんだかいい雰囲気に。

その時、スライダーのパイプの繋ぎ目で美咲ちゃんの体が跳ねて鳴瀬君と急接近。至近距離で見つめ合う二人。そのまま顔が近づいてーー

ーーというところでスライダーが終了。気を抜いていた二人はバランスを崩してボートは盛大にクラッシュする。

グショグショになった二人の元へ《ハロハピ》メンバーが慌てて駆け寄ってくる。それを眺めながら二人が顔を見合わせて苦笑するシーンで終了。

はい、なんとあらすじだけで1400字弱になりました! 全部書かなくて良かった!(賢明)

ちゅーか、このお盆休みの頭ぐらいで「10万字越えたー! うれぴー!」とか言ってた気がするんですが、今見たら20万字越えてるとかちょっと頭おかしい(恐怖)。

これもひとえに読んでくださる皆様のおかげです。ありがとうございます!

ちなみにペグ子だけに絞ったのは、構想を練りきったとろこで「あれ、思ったよりどれもイチャイチャしてるやん! ……これ、複数ルートやったら鳴瀬君、女の子にだらしないただのチャラ男になるじゃん!」という天啓が舞い降りたからです。やっぱり神託ってすごい。オラクル、オラクル……。

まあ、余力があればこれらのルートが清書される日もいつか来るでしょう。

しかし、それはまだ混沌の中……(ドロヘドロ)

ではまた次の話でお会いしましょう!


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脇道 野良ベーシストとペグ子生誕祭の思ひ出
野良ベーシストは気付かぬ内に墓穴を掘る(前編)


続きました。
サイドストーリーのペグ子編前編。

はい、当然のように前後編です(死)。

本当は本編を書く予定だったのですが、予想よりペグ子のサイドストーリーのアンケートが偏ったので、もう逆転の目はないと思い先行して進めることにしました。

というわけで、ペグ子のサイドストーリーはお誕生日編です。ペグ子は8月8日生まれなので時期的にも今やっておく方がそれっぽくて良いと思いました。

そして、ペグ子のアンケートと入れ替わりで今度は薫のアンケートをとっていきます。

薫の個別ルートは以下の二つです。

①遊園地ルート
《ハロハピ》メンバーで遊園地に。最初は普通に楽しんでいたが、途中で鳴瀬君と薫は二人でお化け屋敷に入ることになってしまい、お化け嫌いの薫は……? 薫の乙女チックシーンを重点で書く予定です。

②お芝居ルート
演劇の発表が迫り、練習に熱が入る薫。舞台上での動きの確認のため鳴瀬君が他の役者の代役として協力する。本番当日、なんと準主役級の役者が急病で欠席。そこで、役者の動きを覚えている鳴瀬君が急遽舞台へ上がることとなり……。 こちらは乙女チックシーンもあるけれど、薫のカッコよさも強く推した展開になります。

多数の方のご投票をお待ちしています。皆様と一緒に作品を作っていくことができると幸いです。

それでは本編をどうぞ!


 ーー世の中には二種類の仕事がある。

 

 それは、スーツを着なければいけない仕事と、そうでない仕事だ。

 

 そして、俺は今改めて、自分がスーツを着る仕事には向いていないことを実感していた。

 

「ぐへぇ……襟元がキツい……。つーか、スーツなんて大学の入学式以来だぞ、まったく……」

 

 首を絞める慣れないネクタイの感覚に顔をしかめる。

 

 基本的に、俺はスーツのようなフォーマルな格好には向かない男だ。それは体格的な問題というよりは精神的な問題に近い。

 

 グランジとパンクロックに青春を捧げた俺は、基本的にTシャツ・ジーンズ・スニーカーの三種の神器で身を固めている。しかもそれは、どれも着古したり古着で買ったりとボロいものばかりだ。使い古された気取らないファッションこそが、グランジやパンクにはよく似合うのだ。

 

 故に、その対極に位置するピッチリかっちりのスーツとの相性は水と油である。世の中には、機能性に優れ、フォーマルに使え、凝ったファッションを考える必要がないスーツこそが至高の服装であると公言して憚らない人種もいるようだが、俺が彼らと歴史的な和解をする日は遠そうである。

 

 前置きが長くなった。

 

 では、この夏の暑い盛りに、なぜ俺がネクタイまでピッチリと絞めて窮屈なスーツを着こんでいるのか?

 

 その原因は、俺が手に握った一通の封筒にあった。

 

 使い捨ての封筒とは思えないほど信じがたいほど精緻な装飾が施されたそれの送り主は、何を隠そうペグ子だった。

 

 封筒を開けて中から手紙を取り出す。そこにはペグ子直筆の可愛い丸文字でこう書いてあった。

 

 

 鳴瀬へ

 

 わたしの誕生日に毎年パパが開いてくれるパーティーにあなたを招待するわ!

 

 ちなみに、なぜか毎年ちゃんとした格好の偉い人たちがいっぱい挨拶に来てくれるから、鳴瀬もスーツを着て来てね!

 

 もし、スーツがなかったらわたしの方で用意しておくわ! 鳴瀬はキートンは好きかしら? それともダンヒル?

 

 この封筒に会場の場所が載った招待状を同封してあるから忘れないで持ってきてね! それじゃあ、楽しみに待ってるわ!

 

                  こころより

 

 

「ペグ子め、まさかこんな暑い時期が誕生日だったとは……」

 

 そう、なんと俺はペグ子の誕生パーティーにお呼ばれしてその会場に向かっているのだ。

 

 ペグ子の誕生日は8月8日。まさか、初ライブ直後にこんな恐ろしいイベントが待ち受けているとは誰が予想しようか。

 

 ちなみに同封された招待状には、この界隈で一番高級&高層という二重の意味でお高いホテルの最上階に近い展望宴会場が会場として指定されていた。

 そして、招待状とは別に入っていた参加確認の手紙は、なぜか開封した時点で既に「ご欠席」のところが塗りつぶされていて、「ご出席」が「出席」に書き換えられて可愛らしいハートマークで囲われていた。

 

 ……いや、同封する意味よ。ゲームの回避不能の負け確イベントなのか?

 

「まー、でもペグ子は他の《ハロハピ》メンバーの誕生日もめっちゃ気にかけてくれてたしな。こいつのだけ祝わないのは流石にないか」

 

 実は既に、5月11日生まれの松原さんと7月30日生まれの北沢さんは、その誕生日をスタジオ《arrows(アローズ)》の部屋をオーナーの四方津(よもつ)さんに借りて、《ハロー、ハッピーワールド!》みんなで祝っている。音頭を取ったのはもちろんペグ子だった。あいつの面白そうなことへの嗅覚は飢えた野犬並みだ。

 

 特に、まだメンバー同士の絆が出来上がっていなかった頃にやった松原さんの誕生パーティーは、《ハロハピ》メンバーみんなの距離をぐっと縮めるのに一役買っていた。

 

 こういうところでファインプレーを決めるのがなんとも言えずペグ子らしい。

 

 ……でも、もっとこの気配りを他のタイミングで発揮してくれてもいいんだが。いや、ペグ子のことだ。多分他のことも全部よかれと思った気配りでやってるんだろうな、うん。

 

「ペグ子に、その辺りを求めるのは酷だな……っと、ここが『スカイステアー』か。近くで見るとやっぱりでけーな、おい」

 

 そんなことを考えている内に、俺はパーティーの会場であるホテル、『スカイステアー』に辿り着いていた。

 

 『スカイステアー』は地上40階建てという威容を誇る高級ホテルで、名目上はホテルなのだが、様々な店舗が入った複合施設だと言える。

 1階から8階までは免税店などの入った商業フロアとなっていて、外国からの宿泊者がわらわらと買い物を満喫している。ホテル部分は9階のフロントから上の階層だ。

 ホテル部分も宿泊用の部屋だけでなく、随所にレストラン、遊技場、大浴場、シアター、ジムといった宿泊者用あるいは一時利用客用の施設が配置されており、今回のパーティー会場もそんな団体宿泊者用の施設のひとつだった。

 

 エレベーターに乗って9階のフロントに向かう。

 

 フロントのカウンターへと向かうと、こちらに気付いたホテルの受付嬢が恭しく頭を下げる。

 

「いらっしゃいませ。こちらは『スカイステアー』ホテル『アップタウン』フロントです。本日はご宿泊でしょうか?」

「いえ、今日は38階のホールで催されるパーティーに参加するために来ました」

 

 俺の返答に受付嬢が微笑む。

 

「承知いたしました。それではこちらで招待状を確認させていただけますか?」

「はい、どうぞ」

 

 俺がペグ子からの招待状を差し出すと、それを受け取った受付嬢はブラックライトにそれをかざす。どうやら偽造防止のため、特殊なインクでマーキングされているらしい。セレブってすげぇ。

 しばらく、ブラックライトに照らされた招待状に目を落としたあと、受付嬢がにっこりとこちらに微笑む。

 

「お待たせいたしました、確認がとれました。ようこそ基音様、こちらのコサージュを胸元にお付けいただいて、フロント右手を奥に進んでいただき、三基ある上層階直通エレベーターで38階までお進みください」

「ありがとうございます」

 

 招待状と引き換えで差し出されたコサージュを受けとる。信じられないほど精緻なヒマワリの彫金の随所に小粒の宝石が散らされた一品だ。恐らくこれひとつでもかなりの額がかかっているはずだ。

 

 俺はそれを胸ポケットに取り付けるとエレベーターに乗り込む。

 

「はぁー、マジで緊張してきたな。こんなパーティー初めてだしな。つーか、人生においてこんなパーティー経験する奴の方が少ないっての……」

 

 エレベーターの鏡になっている壁面で、ネクタイや襟元のチェックをしながらぼやく。ハイソな人間ではなく、一般ピーポーな俺には、金持ちのイベントは着ている服と一緒で居心地が悪いことこの上ない。

 

 だが、俺にはまだ救いがある。

 

 なぜなら、ここには俺と苦痛を分かち合える人間が最低二人はいるのだから。

 

 エレベーターの階層表示が38階を示し、わざと古めかしい「チン」という音を響かせエレベーターが止まる。すると今度は音もなく扉が開き、俺は扉が開ききったのを確認してから外へ出る。

 

 外へ出た瞬間、パーティー会場前のエントランスで談笑していた人たちの視線が一瞬こっちに集まり、すぐに離れてまた談笑の輪に戻る。恐らく、俺が知り合いだったら挨拶に来るつもりだったのだろう。

 

 しかし、その中で4つの視線がまだ俺を射抜いたままだ。視線の主にはもちろん心当たりがある。

 

「あ! 鳴瀬くんだー!」

「おう、北沢さん。みんなも、待たせたな」

 

 俺を見て元気いっぱいに手を振ってくれる北沢さんに軽く手を振り返しつつ、他の《ハロハピ》メンバーにも頭を下げる。

 

「ああ、大丈夫さMr.鳴瀬。私たちも今しがたここに集まったところなんだ。こころ姫からドレスを贈られてね、着替えていたのさ」

「へぇ、そうだったのか。似合ってるじゃないか」

 

 そう言った薫は裾に小粒のクリスタルを散らした群青色のタイトドレスを身に付けていた。

 細身のシルエットのドレスが薫のスタイルの良さを更に引き立てて、裾に散らしたクリスタルがまるで夜空のような煌めきを放ち、恐ろしいほどに大人の女性らしさを演出している。

 トップモデルか映画の主演女優だと言われても納得してしまうほどの気品があった。

 

「ふっ、Mr.鳴瀬も私の魅力に釘付けといったところかな。ああ、老若男女問わずに魅了してしまう私の美しさ、なんて儚いんだ!」

「薫、お前、ほんとそう言うところだぞ?」

 

 ……黙っていればという但し書き付でだった。

 

「えへへ! はぐみもお姫様みたいなドレスを貰っちゃった! 鳴瀬くん、どうかなー?」

「うん、可愛いよ。ふんわりしたスカートが北沢さんによく似合ってるよ」

 

 北沢さんのドレスはバルーンスカートと呼ばれる裾がふんわりと広がったタイプのスカートを使ったドレスだ。

 フリルをつけるのではなくややウェーブをかけた薄桃色の生地を何層にも重ねることで、物語のプリンセスのように派手すぎない自然な膨らみを演出した芸の細かなそのドレスは、八重桜のような見る者の頬を自然と綻ばせてしまうような優しいデザインだ。

 それは、善良な性質の北沢さんとお互いに引き立てあって、さながら桜の花の姫というような微笑ましさである。

 

「えへへー、はぐみ、鳴瀬くんに褒められちゃった! でも、かのちゃん先輩とみーくんもすっごく可愛いんだよー! 鳴瀬くん早く褒めてあげて!」

「ほぅ、どれどれ……?」

 

 俺が褒めたことでにやけて緩んでしまいそうになるほっぺたを手で持ち上げながら、北沢さんが二人の方へと振り向く。その視線に釣られるように俺も奥の二人へと視線を向ける。

 

「ふぇっ!?」

「あ、いや、わ、私は別にっ!?」

 

 急に話を振られた松原さんと奥沢さんはあからさまに狼狽える。

 

 しかし、二人の美少女ぶりもかなりのものだった。

 

 松原さんのドレスは髪の毛の色に合わせた淡い水色のAラインドレスで、裾に向けてすらり広がる美しいドレスを着こなすその姿はさながら人魚姫のようだ。

 また、ドレスの一番アウターに使われている布は光を浴びて玉虫色に輝くようになっているらしく、それは松原さんが好きな海に漂うクラゲを連想させて、ますます彼女らしさが伝わってくる。

 ふわふわと柔らかなその姿は、まさにお伽噺の世界から迷い出てきたお姫様といった風情である。

 

 奥沢さんのドレスはストレートなシルエットが特徴のIラインドレス。体のラインが見えにくいそれはスタイルで自己主張するのが苦手な彼女らしいチョイスだった。

 だが、その代わりにドレスは肩口が大きく開き、また、そこにだけ凝った意匠が施されているので、自然と露出した鎖骨などに視線が集まるちょっぴり大人のドレスだ。深いワインレッドのカラーもそれを加速させている。

 その姿は普段の女子高生の少女とは明らかに違う。薫とはまた違ったベクトルの落ち着いた大人の魅力を放ち始めた、一輪の薔薇の蕾の佇まいだ。

 

「いや、二人ともすごくいいよ。どっちも二人らしさ、二人の魅力が凄く出てる。なんか、いつもと違って新鮮な感じだ」

「ふぇぇぇぇ……」

「そ、そうですかね? えへへ……」

 

 俺の言葉に二人は恥ずかしそうに俯いて笑う。

 

 正直、俺も歯の浮くような台詞を言ってかなり恥ずかしい。こんな台詞を真顔で吐けるのは薫ぐらいだろう。

 

 でも、俺に自然とそんな言葉を口にさせるほど《ハロハピ》の彼女たちは美しかったのだ。

 

 そして、ひとしきり照れていた二人は少し落ち着いたようで、その顔を上げると奥沢さんから順に口を開いた。

 

「あー、お褒めに預かり光栄です、鳴瀬さん」

「わ、私も褒められて凄く嬉しいです」

 

 そこまで言うと二人は顔を見合わせる。

 

「でも、私たちよりもこころを見たらもっと驚くと思いますよ」

「こころを? いや、だってあのこころだぞ?」

 

 疑わしげな口調の俺に松原さんが首を横に振る。

 

「多分、鳴瀬さんが思っている以上に、こころちゃんは凄いですよ」

「マジか、もしかして某アメリカのアニメ映画のプリンセスみたいなんじゃないよな?」

 

 俺の言葉に今度は奥沢さんが首を振った。

 

「いえいえ、私たちの口から言うのはあれなんで、とにかく見て下さいよ。あれはほんとに驚くんで覚悟しておいてくださいよ」

「奥沢さんがそこまで言うレベルなのかよ……」

 

 思ったことは割とずばりというタイプの奥沢さんがここまで念を押すということは相当なものなのだろう。

 

 そして、話を聞いていた薫と北沢さんの二人もうんうんと頷いている。

 

「二人の言う通り、今日のこころ姫は一段とチャーミングだったよ。Mr.鳴瀬も、これを期に彼女の評価を改めるんじゃないかな」

「うんうん、こころちゃんはぐみよりもずーっとお姫様みたいだったよ! メイクに時間がかかるからってはぐみたちは先に出てきたんだけど、多分、今はもっと可愛くなってるよ!」

「ほーん、それじゃあ精々期待しておくかな」

 

 ペグ子を褒め称えるみんなの言葉に、俺はあえて気の無さそうな返事を送る。

 

 ……だって、あのペグ子だぞ? 期待値を下回ってきたら反応に困るだろう。

 

 正直言って、あのお転婆ペグ子がそんなにお姫様のように変わるとは俺には思えなかった。

 

 だからもし、ペグ子が俺の想像を超えないレベルで登場したら、そのがっかり感が絶対に表情に出ることは想像に難くなかった。そして、そんな顔をすればペグ子がまた俺に噛みついて来ることは間違いなかった。

 

 その時、「チン」という音がしてエレベーターがこの階に停まる。扉が開くと同時に、大量の黒服の人たちがエントランスに流れ込んできた。どうやら本日の主役のお出ましのようだ。

 

 エントランスでは黒服の人たちが会場までに等間隔にならんで道を作り、その道をロールされたレッドカーペットが走り抜けた。

 

 そして、エントランスで談笑をしていた招待客たちの拍手を浴びながら、黒服にエスコートされて一人の少女がカーペットに足を乗せる。

 

「ここ、ろ……?」

 

 その少女を見たときの俺はさぞかし間抜けな面を晒していたことだろう。

 

 少女は、普段は背中に流しているその豊かな黄金(きん)の髪を、今日はアップにして髪飾りで後頭部にまとめていた。普段は見えないうなじが露になり、それだけでぐっと大人の魅力が醸し出される。

 

 普段はメイクなど一切していないその顔は、今日はチークなどが引かれ、唇には淡い桃色の口紅がつけられて、その瑞々しさは今もぎ取ったばかりの若い果実のようだ。メイクなどしなくてもぱっちりと開いたその目元だけが、普段の彼女のそれであり、彼女が俺のよく知るその人だということを証明している。

 

 ドレスは上質な真紅の生地を惜しげもなく使った一級品。プリンセスラインのふわりとしたスカートは彼女が今日の主役であることをこれでもかと主張して、大胆なほどに開いたその背中は、まるで蝶の羽化の如く、少女から大人へと孵りつつある彼女らしい魅力を伝えるのにこれ以上のデザインはないかと思われた。

 

 正直、これだけ言葉を尽くしても、その魅力の半分も語れていない。しかし、これ以上に彼女の魅力を語れる言葉が胸の奥から湧いてこないのだ。自分の語彙力に関して今以上にもどかしい思いをしたことは20年の俺の人生の中では今までなかったし、恐らくこれからもまず無いだろう。

 

 それほどまでにその少女ーー弦巻こころは完成していた。心の中ですらペグ子と言うのが憚られるほどに、今日のこころは完成しきっていたのだ。

 

 横を通るときに軽口の一つでも飛ばそうかと思っていた少し前の俺はどこかに消え去って、おれも《ハロハピ》

のメンバーたちも気が付くと拍手の輪に加わっていた。

 

 こころがカーペットの上を進み俺たちの前に差し掛かる。

 

 すると、こころの方が俺たちの存在に気付いて、足を止めると満面の笑みで話しかけてきた。

 

「みんな、来てくれたのね! 嬉しいわ!」

 

 本当に心の底から嬉しいと思っているのが伝わってくる表情でこころが笑う。

 

「……まぁ、招待状の『欠席』のところが塗りつぶされてたしな」

 

 いや、そうじゃないだろ、俺。

 

 本当はもっと違うことが言いたかったのに、口をついて出る皮肉に側頭部を殴りたい衝動に駆られる。どうやら俺は思った以上に意気地がない奴だったらしい。

 

 こころはそんな俺を見て一瞬きょとんとしたあと、再び満面の笑みを浮かべる。

 

「もちろん、鳴瀬は絶対参加だもの! だって、わたしたち《ハロー、ハッピーワールド!》が集まれたのは、わたしが最初に鳴瀬と出会ったからよ? 《ハロハピ》はわたしと鳴瀬から始まったんだもの、あなたがここにいないと始まらないわ!」

 

 そう言ってこころはウインクを一つ飛ばす。

 

「それじゃあ、色々段取りがあるからまた後でね! パーティー、楽しんでいってね!」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

 軽く手を振る俺と《ハロハピ》のメンバーを残してこころは煌めく光を浴びながら、拍手の渦の中でカーペットを進んでいく。そうすることが当然とも言うべき自然な立ち振舞いに、彼女が本当は俺とは別世界の住人であることを改めて思い知らされる。

 

 こころが俺から離れていくのにつれて、体だけではなく心の距離まで離れていくように思えて。

 

 本当に俺が言わなければならなかった言葉は、結局最後までその口から出ることはなかった。

 




というわけで前編でした。

次回はほぼオリジナルキャラのこころちゃんの家族が出ます。なるべくそれっぽい設定にしますが「イメージとちがう。このキャラクターは出来損ないだ、食べられないよ」(山岡)と思われる方もいると思います。

笑って許して?(はぁと)

というわけでとにかく頑張って書くのでお付き合いおなーしゃーっす!


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野良ベーシストは気付かぬ内に墓穴を掘る(後編)

続きました。
ペグ子誕生パーティー後編!

というわけで後編でっす。ほぼオリジナルキャラのペグ子のご家族がついに登場。どんなキャラなのかは本編をお楽しみに!

【アンケート協力のお願い】
薫のサイドストーリーのアンケートをとってます。結構票が割れてまだどちらに転ぶか分からない状態です。ペグ子編が終わり、本編を一話投稿するまで残す予定ですので皆様のご参加お待ちしてます!


「ーーそれでは皆様、暫しの間お食事とご歓談をお楽しみください」

 

 壇上でいつものレギュラー黒服の一人がマイクでそう告げた瞬間、パーティー会場のあちらこちらで話の花が咲く。

 

 こころはステージの上に設けられた、異常なまでに精緻な装飾を施された椅子に腰かけてその様子を楽しそうに眺めている。どうやら自分のパーティーでみんなが楽しそうに談笑してくれているのが嬉しいようである。

 

「まったく、こころらしいな」

 

 俺はそんなこころを遠巻きに眺めることができる会場の隅の方のテーブルに陣取って、食事とシャンパンを軽く口にしていた。

 

 前の方の席に陣取らなかったのは、先ほどこころを素直に褒めることができなかった気まずさもあったのだが、それ以上に前のテーブルに着いた顔ぶれが豪華過ぎたことが大きい。 

 

 ……やべぇ。前のテーブルの人たち、全員テレビで見たことあるわ。

 

 歌手、アイドル、俳優、ニュースキャスターとそこには日本の芸能界の顔とも呼べる人物たちが揃っていた。

 

 他にも国会の中継で顔を見たことがある政治家ばかりが党派を超えて集まったテーブル、外国のスターばかりを集めたテーブル、スポーツ選手ばかりを集めたテーブルと、テーブル毎にあまりにも色が濃すぎるので、そこにずけずけと突入するのが憚られたのだ。

 

 松原さんと奥沢さんの二人もこの状況には流石に尻込みしてしまったようで、俺と一緒のテーブルで縮こまってちびちびと料理を食べている。

 

 皿が空になったので料理へと手を伸ばしたとき、タイミングが合ってしまった松原さんと顔を見合わせて苦笑する。

 

「いやー、ある程度予想はしてたけどさ、場違いだよな俺たち」

「そ、そうですね……わ、私もこんな凄いパーティーだなんて思ってなくて……」

 

 そう言って松原さんはもじもじと体を動かす。いかにも居心地が悪いといった様子だ。

 

「で、でも、このドレスを着られたのは、嬉しいです……。こころちゃんに招待されなかったら、こんな経験絶対にできないから……」

「確かにね。さっきも言ったけど、松原さんよく似合ってるよ。俺は、前の方で話してるアイドルなんかにも負けてないと思うけどな」

「ふえっ!?」

 

 そう言った瞬間、松原さんが「ボン!」という効果音が出そうなほど瞬時に顔を真っ赤にしてわたわたと否定する。

 

「そ、そそそ、そんな! わ、私なんか全然! そう、全然ですよ!」

「んー、そうかな? 俺からしたら、松原さんも奥沢さんも全然対抗出来ると思うんだけどなー?」

「ぶふっ!? うぇほっ!? げほっ!?」

「うぉう!? 大丈夫か、奥沢さん!?」

 

 奥沢さんの名前を出した瞬間、彼女が飲んでいたオレンジジュースを盛大に吹き出してむせる。

 

 慌てて背中を擦ってあげると、奥沢さんは顔を赤くしながら恨みがましい目でこちらを見た。

 

「な、鳴瀬さん。急に変な話を振るのはびっくりするからやめてもらえますか?」

「え、別に変な話じゃ……」

「やめてもらえますか?」

「はい」

 

 俺は本当に変なことを言った覚えはないのだが、有無を言わせぬ奥沢さんの語気に思わず首を縦に振る。

 

 ……ほんとに変なこと何にも言ってないんだがなぁ?

 

 俺が今度は首を傾げていると、奥沢さんはため息混じりに頭を抱えた。

 

「鳴瀬さん、そういうとこですよ?」

「どういうとこなんだよ?」

「はぁ~、分からないならもういいですよ~」

 

 むぅ、なんだか釈然としねぇ……。

 

 先ほどのため息よりもさらに大きな溜め息を吐いた奥沢さんの考えが後学のためにも知りたかったが、聞ける雰囲気では無いことを察して俺は口をつぐんだ。

 

「鳴瀬さんは私たち二人のことを過大に評価してくださってますけど、やっぱり芸能界の人とは違いますよ。なんというか、所作や心構え? みたいなところが私たちとは全然違うんですよね。なんかもうオーラが違うんですよ」

「あー、確かにそれは分かるな」

 

 一流の人間というものは存在するだけでオーラを出すということは、以前ライブの折にも触れたが、何もそれはバンドに限ったことではない。

 その業界で海千山千の強者たちと渡り合った人間は、他とは違うオーラを放っている。それは、その業界人という肩書きを身に纏っていると言い換えてもいいかもしれない。要するに、彼らは自分が身を置いている世界を自分のものにしてしまっているのだ。

 

 世界を我が物にしているという自信、それが威風堂々たる態度に滲むのだろう。こればかりは、見た目などのように一朝一夕では身に付かないものだ。

 

 でも、裏を返せばこの要素は「業界に長く身を置いていれば身に付けられる可能性がある」ものなので、もしかすると二人も或いはと思ってしまう俺がいる。

 

 そんなことを俺が考えているなど知らない奥沢さんは苦笑いしながら向こうのテーブルを示す。

 

「あれに対抗できるのは、うちらでは薫さんか、はぐみぐらいですよ。見てください、あれ」

 

 奥沢さんの指が示すところでは、薫が会場中ほどのテーブルで男性陣に囲まれて談笑していた。

 彼女を取り巻く男たちは見たことのない顔ぶれなのだが、皆一様に服のセンスがいい。見たところかなり高級な仕立ての服なのだが、服に着られているものが誰一人としていない。恐らく、デザイナーなど服飾関係や、芸能関係の裏方といった人たちの可能性が高い。

 

 もしかすると彼らは、薫に粉をかけに行っているのかもしれない。薫は口を開けば残念美少女なのだが、業界では意外とああいうタイプは受ける可能性もある。自分の世界を持っている薫にはうってつけの世界かもしれない。

 

 そして、そこから少し離れたところでは北沢さんが長机のビュッフェの料理を一心不乱に皿に運んではもしゃもしゃと咀嚼していた。こちらも周囲などお構いなしの薫とは違うベクトルで自分の世界に入っている。

 

 時折、自分の手が届かないところにある料理を取ろうとすると、決まって周りの少し歳を取った人が助けに入ってあげて、北沢さんはその人たちににこやかにお礼を言っている。

 

 しかし、彼女は気付いているのだろうか?

 

 彼女を孫娘を見るようににこにこと眺めるその人たちが、経済界のフィクサーと呼ばれる大物や、某野党の幹事長まで務めたこともある化物であるということに。

 

 北沢さんの怖いもの知らず、ここに極まれりといった感じである。

 

そして、そんな俺たちの視線に気付いた二人がこちらに駆け寄ってくる。

 

「やぁ、美咲。ちょっといいかい? 実はあそこで話していたファッションデザイナーや、モデルのマネージャーが君に興味があるらしくてね。私と一緒に来てくれないかな」

「ええっ!? わ、私がですか!?」

 

 自分の顔を指差して戸惑う奥沢さんに、俺はうんうんと頷く。

 

「おー、いいじゃん。これも経験だ、行ってきなよ奥沢さん」

「な、鳴瀬さんがそう言うなら話だけでもきいてみようかな?」

「おお、感謝するよ美咲。さぁ、共に行こうじゃないか」

「はい、すみません鳴瀬さんちょっと外します」

 

 軽く頭を下げる二人に軽く手を挙げて応える。

 

 そうしている間に、今度は北沢さんが松原さんの手を取っていた。

 

「かのちゃん先輩、あっちの料理、珍しくておいしいよー! 一緒に食べようよ!」

「え、えっと、どうしよう……」

「折角だから食べてくれば? ドレスでお洒落して良いものを食べるなんて滅多にできないんだし、楽しんだ方がいい」

 

 俺がアドバイスをすると松原さんはこくりと頷いた。

 

「た、確かにそうですね! じゃあ、はぐみちゃん、美味しい料理を教えてくれる?」

「うん、いいよ! あっちにいったら取れない料理はおじいちゃんたちに頼んだら取ってくれるよ!」

「そ、それは申し訳ないかな……」

 

 そうしてそのまま松原さんと北沢さんはビュッフェへと向かい俺は一人でテーブルに残ることとなった。

 

 俺は元よりそこまで料理や酒に興味があるわけではない。それに、祭りなんかはそれ自体よりもそこから少し離れてその喧騒を聞くことを楽しむようなタイプだ。熱狂の渦に身を置くのはライブの時だけと決めているのだ。

 

 みんなそれぞれの場所に収まったし、俺は俺で今日のパーティーもいつも通り一歩引いた立ち位置でゆっくりと楽しもうか。

 

「やぁ、君。ちょっといいかな?」

「ん? 俺ですか?」

 

 俺に見知らぬ誰かの声がかかったのは丁度そんなことを考えている時だった。

 

「そうそう、君だよ。こんにちは、少し話でもしないかい?」

「ええ、構いませんよ」

 

 俺は祭りを離れたところから眺めているのが一番好きだけど、祭りに加わるのが嫌な訳じゃない。だから別段、断る理由もないな。

 

 俺が承諾の返事をしながら声の主の方を振り返ると、そこにはかなりの美丈夫が立っていた。

 

 男の歳のころは30半ばから後半ぐらいだろうか。かなり精悍なオーラを放つ人物だ。

 

 俺は身長178cmで平均よりもやや高めの身長だが、目の前の男はそれよりも数センチは高そうだ。多分180cmはあるだろう。体型は俺よりも少しがっしりしていて理想的な成人男性のスタイルといえる。

 

 その体を包むのはパールホワイトをベースに細い紺のストライプを入れた生地のスーツだ。その色艶から察するに、恐らくどこかの有力ブランドの吊るしではない特注品だろう。最低でも100万からはかかってそうなそのスーツに男は決して着られていない。完璧にスーツを体の一部のように着こなしている。

 

 インナーのシャツは黒でネクタイは深紅。白系統のスーツにかなり攻めた配色で、一歩間違えればそれは相手にチンピラのようなイメージを持たせてしまう。

 しかし、目の前の男にはそんな嫌らしさがまったくない。完全な洒脱とでも言うべき遊び心を感じる魅力的なコーディネートになっている。

 

 一般的に胴長体型の日本人にはスーツのシルエットは合わないのだが、目の前の男は外国人と見紛うほどスタイルが良い。そして、そのスタイルに比して顔立ちも、とてつもなく整っている。

 

 眉骨のややつき出した、鼻筋のすっと長い彫りの深い顔立ちは欧米のハリウッドスターを彷彿とさせるが、どこか人懐っこいその瞳が男が日本人であることの証左となっている。豊かな黄金(きん)の髪を無造作に後ろに撫で付けたヘアスタイルと、しっかりと唇の上で納まるように整えた口ひげが気品と野性味という矛盾した二つの美を見事に調和させていた。

 

 ……ただ者ではないな。メディアでは見たことがないけど、どこぞのブランドの専属モデルかあるいは舞台俳優か。とにかくルックスを生かした業界の人間かもな。

 

 そんなことを考えている俺に、男はにこやかに微笑む。余裕のある大人の微笑みだ。

 

「パーティーは楽しんでる?」

 

 気さくな調子で男が話す。肩肘を張らず、尚且つ気取った感じのしない自然体な態度に好感を覚える。

 

「はい、とてもいいパーティーだと思います。……もしかして、あまり楽しんでいないように見えました?」

 

 一人で隅っこのテーブルで静かに過ごしている俺は、もしかすると端から見ればあまりパーティーを楽しんで無さそうに見えたかもしれない。それを気遣って男が声をかけてくれたのではないかと思ったのだ。

 

 そんな俺を見て男は首をゆっくりと左右に振る。

 

「いやいや、そういう訳じゃないよ。僕はパーティーではなるべく今まで会ったことがない人に声をかけるようにしていてね。君は初めて見る顔だったから声をかけさせてもらったのさ」

「そうでしたか。もしかして、このパーティーはもう何度も?」

 

 俺の問いに今度は男が首肯する。

 

「ああ、実はこのパーティーには今まで最初からずっと参加してるんだ。だから会場のほとんどの顔ぶれとは顔見知りになってしまってね」

「なるほど、そういう訳だったんですね」

 

 ふーむ、ということはこの男の人はこころの身内かな。それだけパーティーに参加しているということは、少なくとも血縁が全く無いことはあり得ないよな。

 

 確かに、顔をよくよく眺めてみると目元の雰囲気がこころによく似ている気がする。

 

「せっかく、同じ目的のために集まってくれた人たちなんだ。僕はなるべくこの会場でできる縁を大切にしたいのさ」

「確かに、ここに集まった人たちはほとんど一廉(ひとかど)の人間ばかりですよね。そういった人たちがこういった場所でまた新しい縁を結び合えるのは素敵なことかもしれませんね」

 

 そういった瞬間、男は顔に大きな笑顔を浮かべて我が意を得たりといった風情で頷き、俺の肩を二三度軽く叩いた。

 

「おお、君は分かってるね! そう、そうなんだよ! 貴重な人生の時間を同じ場所で共有することを選んでくれた人たちだ。初めての出会いには新しい絆を、再びの出会いにはより強い絆を、そう思って僕は毎年この場所に立っているんだな」

 

 男の人はそう言うと嬉しそうにテーブルのシャンパンを呷る。グビッと喉が動くようなシャンパンには相応しくないワイルドな飲み方だが、この人がやると不思議と様になった。

 

「ところで、そんな新しい絆を僕と結んでくれた君は一体何者なのかな?」

「あー、僕はそのごく僅かな一角ではない側の人間ですね」

 

 苦笑を浮かべて俺が答えると、男は興味深そうに「ふむん、詳しく聞いても?」と尋ねてきた。

 

「僕はバンドマンでベースを弾いてるんです」

「ほう、バンドを」

 

 男の体が僅かに前のめりになる。

 

「はい、でも所属していたバンドを方向性の違いで抜けてしまって、今は野良なんです。自分はメジャーデビューを目指してゴリゴリ演奏したいタイプだったんですが、どうも他のメンバーはそうじゃなかったみたいで」

「なるほどね。確かに、向いている方向が違う人間同士からは新しい情熱(パッション)は生まれないかもしれない。自分の熱が冷める前に別れることを選択したのは英断かもしれないね」

 

 男の人は真剣な表情で俺の話を聞いてくれる。

 

 今しがた会ったばかりの、自分の半分位しか生きていない若造の言葉を親身になって聞いてくれ、しかも的確な返事をしてくれる人間がこの世界にどれだけいるだろうか。

 

 その誠実さだけで、俺の中でこの男の人の評価は更に上がった。

 

 自然と俺の口も饒舌になっていく。

 

「はい。それに永遠の別れというわけでもないですしね。また、同じ方向を向く日が来たらその時はもう一度やり直せばいいと思います」

「それはとても素敵なことだね。人生は寄せては返す波の如しだ。今は一度離れたとしても、再び巡り会う時への希望を捨てないことが肝要だと僕も思うよ。さよならだけが人生では少し世界は寂しすぎるからね」

 

 そう言って再びシャンパンを呷る男に釣られて、俺もシャンパンを喉に流し込む。信じられないほどに口当たりのいいシャンパンは、まるで目の前の男のようにするりと俺の中へ染み込んでいく。

 

「まぁ、でもしばらくは彼らとはお別れですね。今は、別のバンドの仲間として色々お手伝いをしているので」

「へぇ、そうなのか。ちなみにそのバンドは何ていう名前なんだい?」

「まだまだ無名のバンドなので多分知らないと思いますよ?」

 

 この言葉に男が首を左右に振る。

 

「いや、いいんだ。何がきっかけでそのバンドと関わるか分からないからね。少しでも縁がありそうなら聞いておきたいんだ」

 

 なるほど、チャンスになりそうなことには貪欲に首を突っ込むわけか。この辺りがこの人の成功の秘訣なのかもな。

 

 特にバンドを教えることに抵抗もなかったので、俺は素直にその名前を口にした。

 

「そのバンドは《ハロー、ハッピーワールド!》っていうバンドなんですけどね」

「《ハロー、ハッピーワールド!》……」

 

 男はその名前を噛み締めるように反芻する。

 

「はい、実は今日の主役のこころさんがメンバーを集めたバンドなんですよ。今流行りのガールズバンドなので、僕は舞台には立てませんが、彼女たちが少しでも舞台で輝けるように背中を押させてもらっています」

「そうか……なるほど。君が……」

 

 男は俺から視線を脇にそらすと口の中でぶつぶつと言葉を呟く。何やら少し考え込んでいるような様子だ。俺は黙って彼の次の言葉を待つ。

 

 それからしばらく考えた後、男はにっこりと微笑んで俺の方に視線を戻した。

 

「ふーむ、しかし、バンドをやる立場としては自分がステージに立てないというのは心苦しいのではないかい?」

「ええ、確かにその気持ちはあります。でも、それ以上に彼女たちから得るものも多いですよ。バンドに向き合う姿勢とか、心構えとか、彼女たちと向き合うときは音楽の技術的なことよりも、もっと本質的な部分に気付かされるんです」

 

 《ハロハピ》のみんなはいつも俺に大切なことを教えてくれる。

 

 それは、音楽への情熱(パッション)

 

 表現者が忘れてはならない、常に燃える熱き炎。それは俺の胸のうちに今確かに灯っている。

 

 消えかかっていたそれをもう一度ここまで育ててくれたのは彼女たちのバンドへのひたむきな姿勢。そして、俺への信頼だった。

 

 そう考えれば、《バックドロップ》を抜けたあの日、こころと出会った俺はその時点で既に救われていたのだろう。それほどまでに彼女の俺への信頼は篤い。初のライブを乗り越えた今ならはっきりとその事が分かる。

 

 そして、そんな俺の答えに男は大きく頷いた。

 

「そうか、君は視点を変えて、まだ音楽と向き合い続けているんだね」

「はい、今は自分の夢への助走期間だと思って彼女たちとの関係を大切にしていってますよ」

「なるほどね。じゃあ、最後に少し聞きたいんだが……」

 

 そこまで言って少し男は言い澱む。スパッと歯切れよく話すタイプの彼には珍しい態度だ。

 

 しばらく溜めを作った後、男は先ほど俺の話を聞いてくれた時のような真剣な眼差しで俺を見ながら言葉を続けた。

 

「君は、こころのことをどう思っているかい?」

「こころさん、ですか……」

 

 ここに来てこころのことを聞かれるのは少し想定外だったかもしれない。

 

 しかし、これで目の前の男はこころと血縁関係があることが明らかになった。しかも「こころ」と呼び捨てにできるぐらいだから、かなり近い血縁者だろう。

 だからもしかすると、ここでの答え如何によれば俺はこころから遠ざけられる可能性もある。俺がこころにとって相応しくないと判断されれば、彼女の両親などにそれが報告されて排除に動くことなどは容易に想像できる。

 

 だが、それでも自分の心に嘘を吐くのは無しだ。

 

 さっきの会場前でのこころとのやり取りで、素直になれなかった俺の胸にはしこりが残った。

 そうなるくらいなら、いっそありのまま全部ぶちまけてしまって舞台(ステージ)から降りた方が清々する。

 

 大切なことは、自分の心が自分の選択に納得していることなんだ。

 

 だから俺はまったく嘘偽りのないありのままの気持ちを目の前の男に告げることに決めた。

 

「そうですね。率直な気持ちを言わせてもらいますと『自分勝手で向こう見ず、空気の読めないお転婆ガール』ですかね」

「おおぅ、結構言うなぁ」

 

 目の前の男は俺のずけずけとした物言いに少し怯んだ様子を見せた。

 

「……でも」

「……ん?」

「それはこころさんの表層的な部分なんですよね。本当の彼女は『ちゃんと自分の芯があって勇猛果敢に世界と対峙する、自分から世界を動かしていくような情熱的な女の子』なんだと思います」

「…………」

 

 男は口を開く素振りを見せないので、俺はそのまま言葉を続ける。

 

「今はまだ、ほとんどの人が彼女の表層的な部分にしか気づいてない。でも、じきに世界は彼女の本質を知ることになる。そうすれば、世界はたちまち彼女と恋に落ちることになるでしょう。だから、俺はその時まで、世界が彼女の本当の魅力を理解するまでは、世界中でたった一人だけでも、俺は彼女の理解者でいてあげたいと思っています」

 

 こころはまだ孵りかけの卵。

 

 その殻を破って彼女が世界に羽ばたくそのときまでは。

 

 その(たましい)が冷めることがないように、俺が熱を与えて温めてあげたい。

 

 今の俺は心からそう願っているのだ。

 

 全てを伝えた俺が口を閉じると、男は感慨深そうな表情で大きな溜め息を一つ吐いた。

 

「ああ、君は、君は本当にこころのことを……」

 

 男がそこまで言葉を発したその時。

 

「まぁ、あなた~。こんなところにいらっしゃったのね~」

「ん?」

 

 間延びした声がこちらに響き、俺は思わず声の主を振り返る。

 

 そこには気品が溢れるおっとりした雰囲気の女性が微笑みながら立っていて、肘辺りまで隠れる白い手袋を着けた手をゆっくりとこちらに振っていた。

 

 その顔を見た瞬間、男の顔がパッと輝く。

 

「ハニー! 今、ここに着いたのかい!」

「ええ~、お仕事が少し押していたのだけど~、なんとか間に合ったわ~」

「ああ、よかったよかった! やっぱりこのパーティーには私たち二人が揃ってこそだからね!」

「ええ、ええ」

 

 なるほど、やり取りからすると、この二人はどうやらご夫婦か。これは、俺はおじゃま虫になりそうだぞ。

 

 お互いに駆け寄って手を取り合って見つめ合う二人だったが、女性の方が思い出したように口を開いた。

 

「あら~、嬉しくて忘れていたのだけれど、あなたの出番がそろそろみたいですよ~? 黒服の人たちが探してましたわ~」

「む、もうそんな時間か。まったく、楽しい時間というのはあっという間に過ぎるな」

 

 男は女性の言葉に腕時計へと目を落とし、再び俺のほうへと視線を向けた。

 

「すまないが、どうやら歓談の時間はここまでのようだ」

 

 申し訳なさそうに頭を下げる男に、俺は首を横に振って応える。彼の待っていた奥様も来られたので、話を切り上げる潮時だろう。

 

「いえいえ、お陰で僕もとても有意義な時間を過ごせました。話しかけて下さってありがとうございます」

「そうかい、そう言ってもらえると僕も嬉しいよ」

 

 そして、男は軽く手を上げると最初に浮かべていたにこやかな微笑みを再び顔に浮かべた。

 

「本当に素晴らしい時間をありがとう、また会おう()()()()

「ええ、またよろしくお願いします」

 

 そう言い残すと、男は颯爽と会場から姿を消した。女性も軽くこちらに頭を下げると、男の後を追って消えていった。

 

 二人の姿が見えなくなり、また一人の時間が訪れる。

 

 先ほど飲んだシャンパンが思いの外に美味かったので、再びテーブルの上のシャンパンに手を伸ばしたその時に、俺はふとあることに気付く。

 

 ……あれ? そういえば俺、あの男の人に名乗ったっけ? 最後に「鳴瀬くん」って言われたけど……なんか変だな?

 

 俺の記憶が正しければ、俺と男の人はお互いに名乗り合うことなく会話を交わしたはずだ。

 

 それとも或いは俺の記憶違いか。

 

 俺が首を捻っていると、ステージの演台にスポットライトが灯り、いつもの黒服の人の一人がマイクの前に立つ。

 

「皆さんお待たせいたしました。ただいまから弦巻家令嬢、弦巻こころの16歳の誕生パーティーを始めさせていただきます。開式に先立ちまして、弦巻家の現当主で弦巻こころの父、弦巻(しん)より皆様へのご挨拶があります」

 

 黒服の人の紹介を受けて颯爽と一人の男が舞台の中央に進み出る。

 

 その男はかなりの美丈夫で、彫りの深い顔立ちと無造作にオールバックに撫で付けた髪型が、白に細い紺のストライプを入れたスーツ姿によく映えた。

 

 そのルックスはモデルか俳優なのだろうと男の仕事を推測させるほどに整っていた。

 

 ……いや、というか。

 

 もしかして。いや、もしかしなくても。

 

 

 

 完璧にさっきまで俺が話してた男の人ですやん!?

 

 

 そんな、脳内の口調が乱れるほどの、俺の動揺など露知らぬこころのお父さん、心さんは堂々たる佇まいでスタンドに刺さったマイクを手に持って話し始めた。

 

「皆さんこんにちは、先ほどご紹介に預かりました弦巻心でございます。今日は私の可愛い一人娘のこころのためにこれだけの方々にお集まりいただき、私、感謝の念に絶えません」

 

 おいおいおい、マジか、マジかよ、マジですか! なんか俺、その可愛い一人娘について色々とんでもないこと言っちゃったんですけど!?

 

 気付かない内にこころのお父さんと話をしていたという驚愕の事実の衝撃から覚めやらぬ内に、壇上では心さんの話がどんどん進んでいく。

 

「私は毎年このような形で様々な立場の皆様をパーティーにご招待しているわけですが、ここに集まっていただいた方たち全員に共通することはただ一つ、『世界を昨日よりもより面白く(ハッピー)にできる方』、ただそれだけです」

「……!」

 

 心さんの言葉で、狼狽えるばかりだった俺は、ハッと正気に戻った。

 

 なるほどな、こころの夢はお父さん譲りだったのか。

 

 彼女の夢は父娘二代で描く夢の虹なのだと分かると、そのスケールの大きさにも納得がいった。あるいは、それはもしかすると、もっと何代も前から続いている弦巻家代々の夢なのかもしれない。

 

 壇上の心さんは更に熱を帯びた言葉と視線で、俺たちに力強く語りかけてくる。

 

「今日ここに集まっていただいた中には、普段は対立する組織に所属する人もいるかもしれません。しかし、今日はそんなことを忘れて、志を同じくする仲間として、お互いに絆を深めていただければと、私は切に願っております」

 

 人間一人の持つ力は小さくても、それを寄り集めれば大きな力に変わる。心さんは、大きな一つの夢をここにいるみんなの手で叶えようとしている。

 

 こころのお父さんだけあって、なんと大きな人なのだろう。

 

 俺は尊敬の眼差しで壇上の心さんを見つめていた。

 

 すると心さんはその表情を弛ませて、嬉しくて仕方がないといった笑顔を作る。

 

「そして、今年は嬉しいことに、なんと私の可愛いこころがこのパーティーに新しいお友達を招待しているのです! こころは今流行のガールズバンドに熱心に取り組んでいて、彼女たちはそのバンドのメンバーなのです!」

「ん?」

 

 ……あれ、なんか話の流れが変わったな?

 

 そんなことを考えながら、俺はいつの間にか渇いていた喉を潤すために、テーブルのシャンパンを手に取るとそれに口をつけて、

 

「さらにですよ! 今年はなんと私の娘が、人生で初めてパーティーにボーイフレンドを連れてきたのです!」

「ぶふぅー!?」

 

続いた心さんの言葉で盛大にむせた。

 

 ……ボ、ボーイフレンドって、多分、というかほぼ間違いなく俺のことだよな?

 

 俺のそんな考えを裏付ける言葉はすぐに心さんの口から飛び出した。

 

「私は先ほどまで彼と談笑していたのですが、そのやり取りの中で、彼がどれだけ誠実な人間なのか、いかに娘のことを考えてくれているのかがはっきりと分かり、私、今だに興奮と歓喜が体から抜けきっていないような有り様です!」

 

 そこまで言った瞬間、心さんの指がビシッと俺の方を指差した。固まる俺。

 

「皆様にもご紹介しましょう! 会場の一番後ろの隅のテーブルに着いている彼! 彼がこころのボーイフレンド、基音鳴瀬くんです!」

「え、ちょ、まっ……」

 

 その瞬間、会場の視線が全て俺に殺到し、急に話を振られた俺は酸欠の魚のように口をパクパクさせて言葉にならない声を上げた。

 

 うおーい!? なんつーことをしてくれるんだ心さ〜ん!? ちょっと大変なことになってますよー!?

 

 そんな俺の心の叫びは以心伝心というわけにもいかず、心さんはそのまま次の言葉を口にする。

 

「彼は本当に素晴らしい前途有望な若者です。会話をすれば今時の若者には珍しく、彼がどれだけ思慮深い人物なのか分かっていただけるでしょう。ぜひともこの後の歓談の時間に、ここに集った多くの方に彼との絆を結んでいただければと思います」

「いや、あの、その……」

 

 会場中の招待客が放つ無数のぎらついた視線に晒されながら、俺はの頭はこの会場に入る前にちらっと見たフロアの避難経路図から、自分の今後の逃走経路について頭をフル回転させていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「あ゛~、ひどい目にあった」

 

 パーティーの喧騒から離れた一つ上のフロアの39階、俺はそこのエントランスの窓際に設けられた休憩所のソファに腰を落ち着けていた。

 

 あれから、心さんのスピーチの後にこころへのプレゼント贈呈タイムが始まった。

 俺たち《ハロハピ》メンバーは、ミッシェルも含めた全員の連名というかたちでマイクの部分がミッシェルの顔になっているスタンド一体型のマイクをプレゼントした。

 

 それは、《ハロハピ》のみんながデザインを興して、俺と奥沢さんで詳細な図面を製作、黒服の人たちに業者への発注を依頼して完成した、こころの周囲の人間全員による共同作品だった。

 特注ということでなかなかに値は張ったが、そこは俺が意地を見せてかなりの金額を張り込んだ。

 

 おかげで俺の懐具合はかなり貧弱なものになったけど、こころがかなり喜んでくれたのでまぁ、結果オーライというやつだ。他のみんなの誕生日にはこころというメガバンクが背後につくので、そこまで負担の必要もないしな。

 

 しかし、俺にとって本当の地獄は、そのプレゼント贈呈タイムの後のフリータイムだった。俺の元にはパーティーに集った客が行楽地の観光名所よろしく殺到し、俺はその対応に大いに気をもんだ。

 メディアで見たことや、一度は耳にしたことのある有名人や社長、芸術家などからの名刺攻勢を受けた俺は、ある程度までそれを捌いた後に、トイレに行くと告げて這々の体で逃げ出した。

 

 そして、セキュリティーの関係からなんとパーティー会場の上下一フロアまで弦巻家が貸し切りにしてあったことを利用して、階段の入り口に立つ黒服の人たちに頼んで上の39階に避難させてもらったのだ。

 エレベーターは上下のフロアには停まらないように設定してあるため、俺を追いかけてくるものは誰もいない。快く俺を逃がしてくれた黒服の人たちには感謝である。

 

「あ゛あ゛あ゛……、人前に立つのは慣れてるけど、こんな目立ち方は想定外だぜ。はぁ、どーするよ、これ」

 

 俺はごそごそとポケットに手を入れるとそこから手のひらサイズの紙の束を取り出す。それは先ほどまでのフリータイムで手に入れた名刺の数々だ。

 弦巻家当主が目をかけた俺に、少しでも粉をかけておこうという、その「粉」がこれである。

 

「……俳優、ブランドデザイナー、IT企業CEO、与党議員、歌手、新聞社社長。すげぇ、有名人の名刺でトランプができるじゃねぇか。……いや、やらんけどさ」

 

 自分の身の丈に合わないようなハイソサエティの人物たちの名刺を眺め、もて余していたその時。

 

「な~るせっ!」

「わっ!?」

 

 背後から急に名前を呼ばれて誰かに飛び付かれた俺は、ぶちまけそうになった名刺の束を慌てて掴むと、再びポケットへと捩じ込んだ。

 

 そして、俺はこんな暴挙に出る人間に一人だけ心当たりがあった。それはーー

 

「ーーこころか」

「はい、大正解よ!」

 

 俺が首だけで後ろを振り返ると、おめかしした満面の笑みのこころと目が合った。こころはウインクをひとつすると飛び付いていた俺の背中から離れる。

 

「お前はパーティーの主役だろ、どうしてここに?」

「それはね、他のお客様のお相手を済ませて《ハロハピ》のみんなとようやくお話ができると思ったら、そこに鳴瀬がいないんだもの。黒服の人たちに聞いたら、上の階で休んでるって言うじゃない。だから、私が探しに来てあげたのよ!」

「うへー、なんという大きなお世話」

「ちょっと鳴瀬! 何でわたしが探しに来てあげたのにそんな顔するのよ!」

 

 折角パーティーの喧騒から逃れて一息ついた俺を、再びそこに戻そうとするこころにげんなりした表情を送ると、こころは頬を膨らませて抗議の声を上げる。

 

 餌を溜め込んだハムスターよろしく膨らんだその頬を指でつついてやろうかと思ったその時に俺は気づいた。

 

 ……今なら他に誰もいないからこれはチャンスかもしれないぞ。

 

 このフロアに今いる人間は俺とこころの二人きり。他の人間が入ってくる心配はほとんどない。邪魔する者や、話を聞くものは誰もいないわけだ。

 

 だから、その、あれだ。

 

 今なら俺も素直になれるかもしれない。

 

 俺は一つ大きな深呼吸をすると、真面目な表情でこころを見つめた。

 

 こころも俺の雰囲気が変わったことに気が付いたようで、頬を膨らますのを止めて俺の方を見つめ返す。

 

 ぱっちりと開いたこころの瞳の中には俺の姿が溶け込んでいる。恐らく、俺の瞳にも同じようにこころの姿が溶け込んでいるのだろう。

 

 しばらく瞳の中に互いの姿を溶かした後に、ゆっくりと俺は口を開く。

 

「あー、その、なんだ。こころ」

「何かしら、鳴瀬」

 

 なんとも歯切れの悪い語句で始まった俺の言葉を、こころは早く先が聞きたいと言わんばかりに前のめりになって待ち構える。

 

 流石に、レディをこれ以上待たせるわけにはいかんな。覚悟を決めろよ、俺。

 

 心の中で自分の頬を叩くと、俺は次の言葉を口にする。

 

 本当に言うべきだったその言葉を。

 

「本当は、もっと早く、できればパーティーが始まる前のカーペットの上でこころを見たときに言うべきだったんだがな」

「……」

「こころ、誕生日おめでとう。そのドレス姿、本当に素敵だよ、とてもよく似合ってる」

 

 その言葉を言った瞬間の俺は、とても人様には見せられないような情けなく恥ずかしい顔をしていたに違いない。照れ隠しに右手の人差し指は頬を搔いていたし、言葉を言い終えてすぐにそっぽを向いたのもまずかった。

 

 でも、こころになら、俺を救い出してくれた彼女になら、そんな俺でも見せてもいいかなと思えたのだ。

 

 そんな俺に、こころは少しはにかんだような可愛らしい笑顔で応えて、スカートの裾を摘まむと優雅に一礼した。

 その姿はまるで、ドガやモネの絵画の世界から抜け出してきた踊り子みたいに、どこか非現実から飛び出してきたようで。いつまでもその前で立ち止まって眺めていたくなるような、そんな優美な姿だった。

 

「鳴瀬、ありがとう。あなたは本当にわたしが必要なときに、必要なものをくれるのね」

「それはたまたまだと思うけどな……あ、そうだ」

 

 流石に、あの恥ずかしい状態を維持するのは無理だったので、俺はもう元の俺に戻っていた。

 

 そして、俺はこころの言葉であることを思い出して、名刺を入れていたスーツのポケットとは反対のポケットをまさぐって、そこから一つの包みを取り出した。

 

「こころ、これなんだけど、俺からのプレゼントな」

「えっ、でもわたしはさっきミッシェルのマイクを貰ったじゃない」

「あれは《ハロハピ》全員からだっただろ。これは俺個人のプレゼントだよ」

「まぁ!」

 

 目を丸くして叫んだこころが大きく開いた口元に手を当てる。

 

「正直、あのヤバいプレゼントの数々を見た後にこれを渡すのは、少し……じゃなくてめちゃくちゃ気が引けるんだが。要らんならこのまま持ってかえ」

「いるわ! すぐにちょうだい鳴瀬!」

「うぉう!?」

 

 目の前のこころの姿がぶれたかと思うと、その一瞬で俺の手からプレゼントの包みが彼女の手にワープしていた。

 

「開けてみてもいいかしら?」

「どーぞ。期待はずれでもガッカリしないでくれよ。たとえガッカリしても、せめて表情には出すなよ? 俺が凹むから」

「そんなことしないわよ!」

「いや、お前すぐに顔に出るじゃん」

「そんなことない……まぁ、これは……」

 

 もう少しでいつもの言葉の応酬を繰り広げるところだったこころの口が止まる。彼女の手の中には、ト音記号をモチーフにしたシルバーのペンダントがついたネックレスが揺れていた。

 

「一応、シルバーのネックレスな。デザインがよくて純度も高いのを選んだから、まぁ、そんなに悪いもんじゃないと思う」

「悪いだなんてそんなことないわ! とっても可愛らしくて素敵よ。本当に最高の贈り物だわ……ありがとう鳴瀬」

「こころ……」

 

 うっとりとした表情でこちらを見上げるこころに、俺は二の句を告げられなくなる。

 

 するとこころはネックレスを持ったその手を俺に向かって差し出した。

 

「このネックレス、早速首に着けたいのだけれど、こういうのはいつも黒服の人たちに頼んでるから、一人では中々つけられないの。だから、鳴瀬、あなたの手でわたしの首にこちらを着けてくれないかしら?」

「はいはい、わかりましたよこころお嬢様。おつけいたしましょう、どうぞこちらへ」

「お願いね、鳴瀬」

 

 俺が恭しい手つきでこころの手からネックレスを受け取ると、彼女はくるりと俺に背中を向けて露になったうなじを晒す。

 普段は見ることのないその華奢な首のラインと、大きく開いたドレスから覗く透き通るように白いその背中に、改めて目の前の少女の美しさを認識する。

 

 やっぱりこころも年頃の女の子なんだよな。

 

 そんなことを思いながら、俺は丁寧にネックレスを彼女の首へと捧げた。

 

「よし、ちゃんと着いたぞ。もう動いても大丈夫だ」

「ありがとう鳴瀬! やーん! とっても素敵じゃないのー!」

 

 俺から許可が降りた瞬間、飛ぶように窓際に駆け寄ったこころは、窓を鏡がわりにしてネックレスを着けた自分の姿をくるくる回りながら確かめていた。

 ひとしきり眺めて満足したのか、こころは俺の方を振り返ると笑顔を浮かべて俺を見る。

 

「鳴瀬、本当にありがとう。わたし、こんな風にお友達に囲まれてお誕生日をお祝いして貰ったの初めてよ」

「そうかい、それはよかったな」

 

 こころが学校なんかで浮いた存在なのは、奥沢さんから前に聞いていた。突拍子のない彼女の行動についていける人間は、恐らく今まで彼女の前に現れなかったのだろう。

 こころがそのことをどう思っていたのかは定かではないが、少なくともいい思いをすることはなかっただろう。

 

 でも、これからはもう違う。

 

 こころには《ハロハピ》という素晴らしい仲間がついているのだ。彼女の未来は間違いなく今以上に明るいものとなるだろう。

 

「まぁ、俺がこんなことをするのは今日だけだからな。本当に大サービスだぞ」

 

 心さんにこころの支えになりたいとは言ったものの、甘やかす気などは毛頭ない。今日は誕生日という特別な日なので、本当に一日限りの出血大サービスなのだ。

 

 そんな俺の言葉にこころは頷く。

 

「もちろんわかってるわよ。普段の鳴瀬はわたしに容赦しない鬼畜ですもの!」

「おい、言い方」

「でも、今日は本当に鳴瀬からは沢山の幸せ(ハッピー)を貰ったわ。わたしも何かお返ししないといけないわね」

 

 こころの言葉に俺は慌てて首を振る。

 

「いやいや、今日は誕生日なんだから気にせず貰っておけよ」

「でも、幸せ(ハッピー)を貰いっぱなしじゃわたしの気がすまないのよ! ……そうだわ! 鳴瀬!」

「なん……どぅあ!?」

 

 「なんだよ」と言い終わる前に、こころが俺に飛び付いてきた。

 

 その華奢な腕が首の後ろに回されて、顔の横に彼女の顔が回り込んだと思った瞬間。

 

「ちゅっ」

「……!?」

 

 俺の頬に柔らかなものが触れた感覚があった。

 

 こ、これはもしや。いや、もしやじゃなくて間違いなく……。

 

 呆然と立ち尽くす俺からこころが離れる。緩慢な動作で柔らかな感触があったところを指で撫でると、その指先に薄桃色の物体が付着していた。そして、それとまったく同じものは目の前のこころの唇にもついていた。

 

 目の前のこころは再び俺に笑みを浮かべる。しかし、その笑みは先ほどまでとは違ってどこか小悪魔的なオーラを漂わせている。

 

「鳴瀬! わたしのプレゼントのお返し、幸せ(ハッピー)になったかしら!」

「……」

「ほらほら、ハッピーになったならもっと喜んでもいいのよ?」

「……所」

「……え?」

「洗面所に行く! すぐに顔を洗わせてもらう!」

「ちょっと! どういうことなの鳴瀬!」

 

 抗議の声を上げるこころをスルーして、俺はトイレの洗面所に向かって駆け出した。

 

「この阿呆! バカ! ペグ子! こんなんほっぺたに残ってるの誰かに見られたら俺の未来がやベーんだよ!」

「あ! 鳴瀬ったら、わたしのことをまた『ペグ子』なんて呼んで!」

「うっさいわ! お前なんてもうペグ子で十分なんだよ! このスカタン!」

「むっきー! 待ちなさい鳴瀬! もう片方のほっぺたにも同じのをつけてあげるわ!」

「ちょっ、おい、バカ、やめろー!」

 

 いつの間にか洗面所に行くためではなく、ペグ子から逃げることを目的に、俺とペグ子は誰もいないフロアの中を走り回る。

 

 ……ああ、やっぱりペグ子はペグ子だな。

 

 結局のところ、俺たち二人には甘い雰囲気よりもこんなドタバタした雰囲気が相応しいのかもしれない。

 

 そう改めて実感しながら、俺はドレス姿で異様なほどに俊敏な動きを見せるペグ子からなんとか逃げ切るための逃走経路を頭の中で思い描いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、そのあとラグビー部ばりのタックルをしてきたペグ子に床に押し倒された俺は、もう片方のほっぺたにも同じマークをつけられることになるのだった。

 

 ちゃん、ちゃん(終)




後編なげぇよ!?

約16000字とか頭ペグ子ですわ(支離滅裂)。

というわけでペグ子編のサイドストーリーはこれで終了。

サイドストーリーは恋愛ルートを書くことが決まる前から構想があったのですが、当初よりも大分ラブ成分を注入しました。

普通ルートのみだったら、今まで友達を呼ぶことがなかったパーティーを今年はみんなでお祝いできてよかったね、これからは毎年一緒にお祝いしようね、私たちズッ友だよ! みたいな感動寄りの展開にするつもりでした。

あれもラブ。これもラブ。というやつですわね。

ペグ子の本来の魅力と乙女チックな魅力を両立させるように頑張ってみましたがどうだったでしょうか。

そして、オリキャラのお父ちゃんはかなり頑張ってそれっぽくしてみました。外見のイメージはジャックスパローよりも前の頃のジョニデです。

元気溌剌常識人の父+ゆるふわ天然系母=元気溌剌天然系ガールペグ子、みたいな図式をイメージしました。

よろしければ御意見・ご感想・ご評価などお待ちしてまっす! 誤字報告も毎度感謝してます! ありがたみがヤバい。

次は薫のサイドストーリーの前に二章本編を数話挟みます。また次のお話でお会いしましょう!


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二章 野良ベーシストと《ハロハピ》の行方
野良ベーシストは次の目的地へと再出発する


続きました。
久しぶりの本編でここから二章開始となります。

今後の大きな流れとしては、はぐみちゃんのチームメイトのエピソードメインで展開していきますが、もしかすると時空を歪めてゲーム二期のエピソードを盛るかもしれません。

サイドストーリーも適宜挟むのでゆっくり進行になるかな? じっくりとお付き合いよろしくお願いいたします。

【お礼】

これを書いている時点で、お気に入り300人&UA20000回達成しました。皆様ありがとうございます!

300人って言ったら、ほら、あれだよ、うん、そう、あれな(上手い例えが思い付かない)!

好き勝手思うままに書かせていただいている《バンドリ》、そして《ハロハピ》の二次創作をこれだけの方に追いかけていただいていることに、《バンドリ》と皆様への感謝の念に絶えません。

なのでこれからも好き勝手に書きまぁす(暴論)! よろしくお願いしまっす!

【アンケートについて】
薫さんのサイドストーリーはアンケートの結果遊園地ルートの乙女チック重点になりました! 100名以上の方に協力いただき感謝です!

そして、即刻次のはぐみちゃんルートのアンケートに移ります。この話を投下した時点でアンケートは入れ替わってます。

内容は以下の二つになります。

①お家でベース練習ルート
前に鳴瀬君の家で約束したように、鳴瀬君がはぐみちゃんのお家にお邪魔して一緒にベースの練習をするルート。イメージとしてはこころちゃんルートに近いかな? 外堀埋められ系主人公鳴瀬君。

②お外で疑似デートルート
勉強漬けで体が鈍り始めたことを鳴瀬君がぼやいていると、はぐみちゃんがスポーツセンターでの運動に誘う話。最初は《ハロハピ》メンバーでいく予定が、他のメンバーの都合がつかなくなり、いつの間にか二人で行くことに。最初は気にしていなかった二人が途中でお互いに意識し始めて……という感じ。

選べるのはどちらか一つ! どうか見たいと思うルートにじゃんじゃん投票してください! ご協力よろしくお願いいたします!


 人の心というものは熱しやすく冷めやすい鉄のようなものだと思う。

 

 一度(ひとたび)赤熱して躍動する姿を見て「ああ、これでしばらくは安心だ」、そう思ってほんの少し目を離した途端に、それは冷えて黒々と固まってしまっている。

 

 熱を失って固まったそれに再度火を灯すことはもちろんできる。

 できるのだが、一度冷めたそれに再び熱を送ることの煩わしさ、その気になればいつでも熱を取り戻せるという慢心、これからも何度も熱を送り続けなければならないという将来への不安。

 これらの要素が絡まりあって、再び熱を帯びることの無い心のなんと多いことだろうか。

 

 特に、心がかなりの高熱を経験した後ほど、この手の事故は往々にして起こる。

 

 そう、それは人生初めてのライブが想像以上にオーディエンスに受け入れられてしまったバンドにも往々にして起こるものなのである。

 

 故に、俺はライブハウス《STAR DUST(スターダスト)》での初ライブ《school band summer jam 14th》を大成功の内に終えたばかりの《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーたちを、3日と経たない内に《arrows(アローズ)》のスタジオへと呼び集めた。

 

 ーー鉄は熱いうちに打て。

 

 未だ熱を帯びたままの《ハロハピ》を、すぐに徹底的に叩くことで世界を切り開くための(つるぎ)に変える。

 

 これが、俺が《ハロハピ》のアドバイザーとして現在抱える喫緊(きっきん)の課題だ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「こんちゃーす」

「おう、鳴瀬の坊主じゃねーか!」

 

 俺が挨拶をしながら《arrows》の扉を潜ると、いつものようにカウンターに立っていたオーナーの四方津(よもつ)さんが、いつもより3割増しくらいのトーンで話しかけてくる。

 

「聞いたぜ、鳴瀬。《ハロー、ハッピーワールド!》初ライブで大爆発したらしいじゃねーか。《ハニースイート デスメタル(HS DM)》の直後の出番で、あいつらの客のテンション全部喰っちまったんだって?」

「耳が早いッスね、親父さん」

「うちの客でライブに行った奴らが全員口を揃えて『《ハロハピ》はヤバい。間違いなく来る(・・)ぞ』って言ってたら嫌でも耳に入るさ」

 

 そう言って四方津さんはニヤリと笑う。

 

「バンドのアドバイザーとしては鼻高々ってところか? どうなんだよ鳴瀬クン?」

「まー、否定はしませんけどね。でも、見えた課題も多いライブでしたよ」

 

 ライブを生で見てきた素直な俺の感想に四方津さんはやれやれといった(てい)で首を竦める。

 

「そりゃ、《バックドロップ》でゴリゴリやってた坊主からしたらもの足りんだろうがな。もっと褒めてやってもいいんじゃないのか」

 

 四方津さんの言葉に俺は首を横に振る。

 

「褒める言葉はライブ後の打ち上げの時に十分言いましたよ。あんまり甘やかしすぎて付け上がってしまうのもあれなんで、ここからしばらくはガチでいきます」

「おお、怖い怖い。練習の鬼の鳴瀬クンの本気モードなんて同情しちまうぜ」

 

 わざとらしく体をブルッと震わせてから、四方津さんは俺にスタジオの鍵を投げるように渡してくる。

 

「ほい、それじゃあ鍵な。俺のお気に入りのこころちゃんはともかく、他の子は年相応の女子高生だからな。バンドマンであること以前に、それを忘れるなよ」

「うっす」

 

 空中で鍵をパシッと受け止めながら俺は頷く。

 

 人生経験では到底敵うことの無い先達(せんだつ)のありがたいお言葉だ。ここは肝に銘じておくべきだろう。

 

 そんなことを考えていると、四方津さんが今度はニヤニヤした表情を浮かべる。

 

 この表情(かお)には見覚えがある。これは、あまり参考にならないことを言うときの四方津さんの表情だ。

 

「……まだ何かあるッスか?」

 

 俺がげんなりした表情を浮かべながら探りを入れると、四方津さんはそれにすぐに乗ってきた。

 

「いやいや、《ハロハピ》がバンドとして一つ上のステージに行ったところで、鳴瀬クンと女の子達の仲も一つ上のステージに行ったのかと気になってな」

 

 やっぱりこれか。四方津さんもこれがなければもっと気安く話せるんだがなぁ……。

 

 モテない、カネない、イケてないの三拍子が揃った男のバンドマンの未来を憂う四方津さんは、とにかく結婚適齢期を迎えそうな男のバンドマンへの恋愛がらみのお節介が多い。

 

 ひどい時には結婚相談所のアドバイザーですらここまで親身にはならんだろうというレベルで話を持ちかけてくるので、一体俺はここに何をしに来たんだと戸惑うこともしばしばである。

 

 俺はなんとか話を早く切り上げられないか頭を抱えながら四方津さんと対峙した。

 

「いや、まぁ、一つ上のステージに行ったかはともかく、絆は深まったと思いますよ」

「ほー、そうかそうか。良いことじゃねえか!」

 

 四方津さんが笑顔で俺の肩をバシバシと叩く。痛い。

 

「親父さん、痛いっす」

 

 俺の抗議の声を受けても四方津さんの攻撃は止まらなかった。

 

「これぐらい我慢しろ! 俺は正しい道を歩み始めた後輩を祝福してるだけなんだからよ!」

 

 ……とんだ手荒い祝福があったもんだな。

 

 肩パンをあくまでも祝福と言い張る四方津さんに、しかし、その心から嬉しそうな顔を見て更なる抗議の言葉をグッと飲み込んだ。

 

 大学進学のために瀬戸内海を見渡すような田舎から出てきて1年強。四方津さんには本当にお世話になった。ただのスタジオの一利用者以上に俺は気にかけてもらっている。

 

 今まで俺の人生に影響を与えてくれた人物は何人かいるが、目の前のこの傑物も俺という人間を構成する要素の一つであることは疑いようもない事実だ。

 

 そんな人の祝福を甘んじて受けないのは罰が当たるというものだ。

 

「はは、ありがとうございます親父さん」

 

 お礼の言葉を言うと、四方津さんはようやく肩を叩くのを止めて、今度はカウンター越しに俺の方にずいっと身を乗り出してきた。

 

「いいってことよ。……んで、ちょーっと聞きたいことがあるんだがね」

「なんです?」

 

 耳打ちするようなその声のトーンに俺も顔を近付けて囁くように答える。

 

「鳴瀬、お前《ハロハピ》のあの子達の中では誰が一番なんだよ?」

「えっ?」

 

 「誰が一番なんだ」

 

 そんなことは今まで考えたこともなかった。《ハロハピ》のメンバーは個性の宝石箱のようなものだ。金子みすゞの「みんな違って みんないい」というように優劣をつけるべきものではない。

 

 そんな俺の内心の戸惑いを見透かしたかのように四方津さんが言葉を続ける。

 

「もちろん《ハロハピ》のあの子達はみんないい子だよ。俺が言ってるのはそういうのじゃなくて、一人の男として一番グッとくるのは誰か(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)ってことだよ」

「それは……」

 

 それこそ正に埒外というものだ。彼女たちに対して、バンドマンとして以外で、一人の男として異性を見る目でときめいたことなんてーー

 

 ーーあるかもしれない。

 

 彼女たちとの今までの思い出を呼び起こしてみると、確かにそんなことがなかったかと言われれば、はっきりと否定することができない。

 

 彼女たちのひたむきなその姿に、前向きなその姿勢に、情熱的なその演奏に、俺がバンドマンとしてときめいたのは疑いようもない事実だ。

 

 じゃあ、俺はそんな彼女たちの姿に、男として異性に対するときめきを感じてはいなかったのか。

 

 …………ダメだ。分からん。おいおい、マジか。今までこんなこと考えたこともなかったのに、ここでか。

 

 まぁ、俺も一生を独り身で過ごすとは思っていなかったから、いずれはそういうこともあるだろうとは思っていた。

 

 でも、それがまさかこんなに早いタイミングで、しかも相手があの《ハロハピ》の5人に対してだとは思ってもみなかった。

 

 そのまま二の句を告げられず黙り込んでしまう俺に、四方津さんはいつものニヤニヤとした表情を浮かべる。

 

「おやおや、これは堅物っぽい鳴瀬の坊主にも初めての春が来たってところかな」

「茶化さないでくださいよ……」

 

 四方津さんの顔にしっしと手を振ると、俺はカウンターから距離を置く。

 

「まぁ、でもよ……冗談じゃなくて、これからはそういうこともちゃんと考えた方がいいぞ。そういう経験をすることで自分という世界に深みが出ることだってあるんだからな」

「肝に銘じておきます」

 

 四方津さんのアドバイスに俺は素直に頷いた。

 

 四方津さんの言うことは恐らく間違っていないのだろう。

 それは分かっているのだが、それを自分の腑に落とすにはどうやらしばらく時間がかかりそうだった。

 

 そうして少し複雑な表情を浮かべているであろう俺に、四方津さんはさらに畳み掛けるような言葉を放つ。

 

「それに、もし仮に鳴瀬がこのままあの子達と深い仲になったとしても最終的に選べるのは5人の内の1人だけだ。それも頭に入れとけよ」

「…………」

 

 この言葉に、俺は返事ができなかった。

 

 俺が彼女たちの中から一人選ぶ? そんなことは無理だ。

 

 誰を選んでも正解で、誰を選んでも間違い。これはそんな矛盾を孕んだ問題だ。

 

 少なくとも、もし仮に誰か一人を俺が選んだら、その時点で現在の《ハロハピ》という世界はそのままではいられなくなってしまうだろう。

 

 俺を仲間の一人だと言ってくれた《ハロハピ》を、俺が俺自身の手で壊す。

 

 そんなことができるはずがない。いや、許されるはずがない。

 

 《ハロハピ》はペグ子の(きぼう)であり、今やそれはメンバーみんなの夢になった。それを汚す資格なんて俺だけじゃなくてこの世の誰も持ち合わせていない。

 

 でも。

 

 それでも。

 

 もしも、その時を迎えてしまったら俺はーー

 

「ーー色々とありがとうございます、親父さん。それじゃあ、俺はそろそろスタジオの準備をするんでこれで」

 

 俺は逃げた。逃げるしかなかった。

 

 この問題に対する答えを出すには、今の俺には圧倒的に時間も覚悟も足りていなかった。

 

 ああ、存外に俺は情けない奴だったんだな。

 

 意外なところで露呈した女々しさに、俺は歯噛みしてしまう。

 

「そうか、まぁぼちぼちやれよ」

 

 四方津さんはそんな俺を見透かしたように深く切り込んではこなかった。

 

 この辺りの機微が、俺と四方津さんの間に深く横たわる人生経験という名の溝を感じさせる。

 

 でも、それは俺が四方津さんぐらいの歳になっても、もしかしたらまだまだ埋まっていないかもしれない。

 

「……はぁ」

 

 スタジオに向かう細い廊下で、俺は人知れず溜め息を吐く。

 

 昔は、早く大人になりたかった。

 

 大人になれば、ベースはもっと上手くなって、バンド活動ももっとうまくいって、すぐにメジャーデビューできると思っていた。世界中に俺の曲と演奏を届けられる日が必ず来る。無邪気にそう信じていた。

 でも、実際に歳を取っていよいよ大人の世界が見えてくると、そこは昔の俺が考えていたよりも最も複雑で、昔の夢は井戸の底から覗く太陽のように遠く小さくなった。

 

 でも、今はそれでよかったと思っている。

 

 もしも脇目も振らずに大人になっていたとしたら、たぶん俺は色々なしがらみの糸に雁字絡めにされて、どこかでぶっ壊れていただろうから。

 

 今はただ、目の前で絡まった問題を一つづつ解いて、ゆっくりと大人になっていけばいいさ。

 

 しかし、そんな風に考える俺の前に新しく転がり込んできた問題は、5本の糸が複雑に絡み合う難題だった。

 

 ……やれやれ、どうやら俺が大人になる日はまだ先の話のようだな。

 

 相変わらず俺以外には誰もいない細い廊下で、俺はまた大きな溜め息を1つ溢した。

 




二章導入ということで、ちょっと短め&《ハロハピ》メンバーも出ない、幕間の鳴瀬君のエピソードの延長のような話となりました。《ハロハピ》メンバーは次からはじゃんじゃん出るので安心してください。

色々と気苦労が絶えない鳴瀬君ですが、今後彼がどのような選択をするのかはこれからのお話をお楽しみに!

もちろん、《ハロハピ》もわちゃもちゃ活躍するよ!


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野良ベーシストは道を示す

続きました。
二章の2話、《ハロハピ》メンバーの再登場です。

この話までは本格的に二章が始まる前の助走期間になるかな?

とにかく、二章の投稿も始まりましたのでじゃんじゃんバリバリ行きますよー!

そして、評価の投票ありがとうございます! おかげで3つめの目盛りも赤で染めることができました。このままのテンションで最後まで突っ走れたらと思うのでどうかよろしくお願いしまっす!

【アンケートの協力依頼】
はぐみちゃんのサイドストーリーのアンケートを投下しております。これを書いている現時点でまだどうなるか読めない票の差です。あなたの清き一票で作品の流れが変わります! どうか多くの方のご参加をお待ちしています!


 独りの時間というものは人を物思いに耽らせる。

 

 それがいいか悪いかは別にしてもだ。

 

 そして、今日の俺にとってはこの時間というやつはあまりよろしくないものだった。

 

 

 ーー鳴瀬、お前《ハロハピ》のあの子達の中では誰が一番なんだよ?

 

 ーー契約の関係で仕方ないから《ハロー、ハッピーワールド!》を助ける。だけどこいつらはお前自身の人生を、そしてお前の音楽(せかい)を台無しにする。そして多分、彼女ら自身も。

 

 

 頭の中に浮かんでくるのは、今日の四方津(よもつ)さんの言葉と、夢の中でカート擬きの何かに言われたあの言葉だ。

 

 答えが見えない問題の二重螺旋に、俺の思考はどんどんと深みに嵌まっていく。

 

 ……ああ、くそっ。これは良くないな。何か、流れを変えてくれるものが欲しい。気分を上向きにさせてくれる何かがーー

 

 ーーバタン!

 

 突然の物音に、深みに嵌まった思考が急速に現実に引き戻される。

 

 音の正体はスタジオの扉が開く音だ。俺が顔を上げてそちらを見ると、そこには最早お馴染みとなったあの笑顔が待ち構えていた。

 

「やっほー、鳴瀬! さぁ、今日も1日頑張りましょう!」

 

 いつもの調子で元気よく挨拶してくるペグ子に、俺は軽く手を挙げて応える。

 

「お、今日もこころが一番乗りか」

「当然! 面白いことは待ってるだけじゃなくて、こちらから近づかないとやってこないもの!」

「そいつは実にいい心がけだな」

 

 ペグ子を褒めてやると、彼女は「ありがとね、鳴瀬!」と言って嬉しそうに笑う。

 

 その笑顔を見ていると、先程までの沈んでいた気分がいくらかはましになってきた。本当にペグ子様々といったところである。

 

「それで鳴瀬、今日は何をするのかしら? ライブから間を空けずにわたしたちを呼んだのだから、かなり重要なことよね?」

 

 相変わらずの鋭い指摘を飛ばすペグ子に俺は頷いた。

 

「ああ。詳しくはみんなが揃ってから話すが、一つ目のステップを超えた《ハロハピ》に、次のステップを見つけてもらおうと思ってな」

「まぁ、いいじゃないの鳴瀬! わたしも早く次の楽しいこと(ハッピー)を見つけに行こうと思ってたところだったのよ!」

 

 俺の言葉を聞いた途端にペグ子の目がキラキラと輝く。ふんふんと鼻息荒くこちらを見上げるその姿は今にも俺に飛びかからんばかりだ。

 

「おいおい、落ち着けって。他のみんなが来てからって言ったろ」

 

 両手でペグ子をどうどうと宥めると、彼女はウサギのようにぴょんぴょんと跳ねるバックステップで俺から距離をとると、ドラムのスツールの上に腰を下ろした。

 

「それもそうね! 楽しいこと(ハッピー)はみんなで分け合わないとね!」

 

 スツールの上に座ってパタパタと足を上下させるペグ子は、さながら車の助手席に座って遊園地へと出発するのが待ちきれない子どものようだ。

 

 ……まぁ、実際子どもみたいなもんだしな。

 

 その内面性と行動があまりにも合致し過ぎているペグ子に、思わず苦笑してしまう。

 

 すると、それに気付いたペグ子が俺の方を見るとぷっくりと頬を膨らませる。

 

「むー、鳴瀬ったら、またわたしに失礼なことを考えてるでしょう!」

「ん、いやいや、そんなことはないぞ」

 

 ペグ子の指摘に俺は頬に手を当てて引き伸ばすことでなんとか苦笑を取り繕ったが、ペグ子の追及の手が休まることはない。

 

「そんなことあるわ! だって失礼なことを考えてるときの鳴瀬っていっつもそんな苦笑いしてるもの!」

「えっ、マジで。いや、でも、こころに対して失礼なことを考えてるときにいつも今みたいな苦笑いしてるわけじゃないしな」

「あ! 鳴瀬ったらやっぱり失礼なことを考えているじゃないの!」

「しまった、やぶ蛇か!」

 

 失言を飛ばしたことに気づいた俺が、今にも飛びかからんばかりのペグ子を避けてスタジオの扉の方へと逃げようとしたその時。

 

「こんにちはー、皆さんお疲れ様です」

 

 奥沢さんの挨拶を皮切りにして、《ハロハピ》の他のメンバーがぞろぞろとスタジオに入ってきた。

 

「おっ、こんにちは奥沢さん。それにみんなも」

 

 そして、ナイスタイミングだみんな。

 

 やって来たみんなに挨拶を返しながら、俺はペグ子の追及をうやむやにできそうな予感に、心のなかでみんなに称賛を送った。

 

 ペグ子も先程までの膨れっ面を引っ込めて、笑顔でみんなに声をかける。

 

「こんにちは、美咲~! それにみんなも! ちょっと待ってね、今から無礼なことを考えた鳴瀬を懲らしめるから!」

「あ、ダメだったわ!」

 

 結局、その後意外なねちっこさを見せたペグ子の追及によって俺はスタジオの床に正座させられて、反省の言葉を述べさせられた。

 

 味方に回ってくれるかもと期待していた他のメンバーたちも「鳴瀬さん、そういうところですよ」とペグ子の援護に回り、結局俺は針のむしろ状態で甘んじてペグ子の追及を受ける羽目になった。

 

 ……納得いかねぇ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 しばらくして、ひとしきり俺を言葉でぼこぼこにして気が済んだペグ子たちと俺は向かい合っていた。

 

 別に俺はM(マゾ)ではないので、言葉攻めを受けるために《ハロハピ》を集めたわけではない。彼女たちを呼んだのは、既にペグ子には伝えたように、また次の目標(ステップ)を彼女たちに見つけてもらうためなのだ。

 

 だから、俺はそのことを早速《ハロハピ》全体に向かって告げた。

 

「というわけで、今日みんなをここに呼んだのは他でもない、《ハロハピ》の次の目標を決めるためだ」

 

 俺の言葉に《ハロハピ》のみんなは深く頷いた。

 

「『ローマは一日にして成らず』というわけだね。確かに私たち《ハロハピ》も、世界に笑顔(ハッピー)を届けるためには、日々次の目的地を目指さなければいけないね」

「はいはーい! わたしは次のステップをもう考えているわよ!」

 

 薫の言葉に反応してペグ子が威勢よく手を挙げる。

 

「はい、それじゃあこころ。お前の言うところの次のステップとは何かな」

 

 俺が学校の先生のようにビシッとペグ子を指名すると、彼女は腰に手を当ててふんぞり返り、自信満々といった表情で答えた。

 

「もちろんライブよ! 前のライブよりもっとも~っと大きな会場で《ハロハピ》を世界にお届けするのよ!」

「はいだめー」

「!? どうしてなの鳴瀬!」

 

 俺がペグ子の言葉を即座に腕をばってんにして否定すると、彼女は再びのハムスタースタイルの顔で抗議してくる。

 しかし、そんな表情をされてもダメなものはダメなのだ。

 

「理由は何個かある。まず一つ目は、デカい会場(ハコ)でのライブってのはあくまでも最終目的地だ。俺が今求めてるのはそこに至るまでの過程だ」

「あ、はぐみ知ってるよ! 『スモールステップ』ってやつだよね! 大きな目標を実現するためには、そこまでの小さな目標が大切なんだって監督が言ってたよ!」

 

 しゅばっと手を挙げて答えた北沢さんに俺は頷く。

 

「その通り。バンドにとって大きな目標はいくつかある。『デカいハコでライブ』『単独で全国ツアー』『メジャーレーベルからのCD発売』『オリコンチャート上位』、いろんなバンドがそれぞれの目的地を目指している訳だが、大切なのはそこに至るまでの過程だ」

 

 みんなが真剣な表情で聞いているのを確かめてから俺はさらに言葉を続ける。

 

「ライブが俺たちの目的地だとするならば、そこまでの過程は旅のようなものだ。目的地まですっ飛ばすのも旅の一つの手なんだろうが、それでは少し味気ないだろう? 道中色んなものを見て、色んな経験を積んで、自分の世界を広げるのが旅の醍醐味だと俺は思う」

「確かに、今の私たちにはそういった見聞を深める時間が足りていなかったかもしれませんね」

 

 松原さんが噛み締めるような調子で言葉を発する。向上心が芽生え始めた彼女にとっては色々と思うところがあるのかもしれない。

 

「んで、二つ目なんだが、初心者がライブできるデカバコってのはめったにない。今回の奥沢さんが取ってきたキャパが500弱の《STAR DUST(スターダスト)》は、初ライブとしては破格の条件だったんだぞ。普通は100程度のちっこいライブハウスからコツコツ始めるもんなんだからな」

「ええ、正直もうあんな条件ではしばらく取れそうにないですね」

 

 奥沢さんが首肯する。心底疲れきったようなその表情が彼女の苦労を物語っている。

 

 めぼしいライブハウスの候補は渡したとはいえ、短期間であれだけの候補とのすり合わせを担当した奥沢さんはかなりの負担を強いられたはずだ。作曲と合わせて《ハロハピ》メンバーは彼女に足を向けては寝られないだろう。

 

「最後に三つ目、サマーシーズンが終わるので純粋にハコのライブイベントが減る。特に初心者や学生向けのイベントは大きなハコではしばらく取り扱わないだろうな」

 

 ライブハウスにも一年を通して季節ごとにトレンドが存在し、学校の夏休みと被る夏の間は学生向けの大きなイベントをバンバン打ち出しているところは多い。学生バンドがチケットを捌くにしても、身内を呼びやすい夏休みの方がやり易いだろうという配慮も多分に働いているだろう。

 

 しかし、学校が始まってしまうとそういったブーストがなくなるので、学生バンドは観客動員が難しくなるところが多い。だから、キャパの大きいハコほど学生向けのイベントが減っていくのである。特に秋は文化祭や運動会のシーズンで、さらに学生離れが加速するのもイベントの減少に拍車をかけている。

 

「そうなのね、私たち向けのイベントがなければ参加できないのは仕方ないわね」

 

 俺の話にペグ子は合点がいったという表情で頷いた。

 

「納得してくれたようで何より。そこで俺は《ハロハピ》のアドバイザーとして、今後の活動方針に対して次の提案をしたい。あくまでも提案だから変えたいと思うことがあったら遠慮なく言ってくれよ」

「わかったわ!」「OKだ、Mr.鳴瀬」「うん!」「はい」「了解~」

 

 全員が返事をしてくれたのを確認してから、俺は自分が暖めていた今後の構想を口にする。

 

「よし、まず一つ目は純粋なスキルアップを目指すこと。この間の《HS DM》とのライブは、正直勝ちを譲られた感が否めないからな。とにかくスキルを高めて演奏だけでも魅せられるようにしたい」

 

 《STAR DUST》でのライブで《ハロハピ》が場を沸かすことができたのは《HS DM》が直前まで場を暖めてくれていたことが大きい。それがなければ、ペグ子のダイブに対してモッシュが生まれたかも分からないし、演奏中のレスポンスもあそこまで大きくはならなかったかもしれない。

 

 そして、この言葉に強く頷いたのはやはり松原さんだった。

 

「そうですよね。バンドをやる以上、やっぱり楽器の演奏で魅せられないと駄目ですよね。パフォーマンスはいつも同じようにできるとは限りませんし、そもそも私はパフォーマンスはできないと思いますから……」

 

 ドラムという楽器の性質上、松原さんはパフォーマンスに参加することが難しい。自分の腕前だけが頼みの綱となる彼女にとっては、芽生え始めた向上心も相まって、ここが一番気になるところなのだろう。

 

 そんな松原さんに俺は頷き返す。

 

「その通り。今回のライブはこころのダイブで客がガッツリ食いついたが、客層によっては逆に引かれることもある。それにハコのキャパが増えたら、ダイブの演出は後ろの方の観客が参加できないから全体がノれない可能性も高い。パフォーマンスが通用しないことを想定して演奏一本でもステージに耐えれる状態にしていこう」

 

 今後《ハロハピ》は更なる高みへと向かうだろう。もしも今後ハコのキャパが千、あるいは万まで伸びたら今のやり方が通用しないことは絶対にあり得る。

 

 ゆえに、バンドの真髄とでも言うべき演奏技術を伸ばすのはこのタイミングを置いて他にはないだろう。

 

 バンドの本質はやはり演奏であるべきなのだ。

 

「そして、二つ目。ちゃんとしたレコーディングスタジオを借りて、正式な《ハロハピ》の音源を録ってCDの形で出したい」

 

 CDを作るという俺の言葉に《ハロハピ》メンバーが色めき立ったのが分かった。中でも一番大きな反応を見せたのは薫だ。

 

「おお、私たちのCDを出すというのかいMr.鳴瀬!」

「そうだよ。まぁ、インディーズのレーベルから出す訳じゃなくて、個人製作のライブに出るためのサンプル音源や物販用のやつだけどな。今ある音源は《arrows(アローズ)》で録らせてもらったやつだけど、ここはレコーディングメインじゃないからな」

 

 レコーディングスタジオと演奏用のスタジオでは機材の質や、部屋の構造がかなり違う。当然、音楽を録るにはレコーディングスタジオが最適だし、年に100以上のアーティストのレコーディングを担当するようなスタッフからアドバイスをもらうこともできるので音源のクオリティが全然変わってくるのだ。

 

 前回のライブでは物販に音源を出すことができなかったので、これから増えるライブシーンのためにもこれはなるべく早く作りたい。

 

「私たちの音楽が目に見える形となって子猫ちゃんたちの手元に届く。ああ、なんて儚いんだ!」

「いや、形の残らないものが形になるんだから儚くねーだろ。逆だ、逆」

 

 薫に冷静にツッコミを入れながら、それでも発言の前半部分に関しては俺としても諸手を挙げて賛同できる。

 

 演奏を聴いてくれたファンの元に音源が残るというのはやはり大きい。ファンが「このバンドお薦めだよ」と言おうにも、音源がないと薦めにくいのだ。

 逆に音源が世の中に十分に出回れば、ふとしたきっかけでバンドが流行す(バズ)ることもあり得る。

 

 今の《ハロハピ》が最も必要とするもの。それは普遍性(ポピュラリティ)だ。とにかく世間に《ハロハピ》を浸透させるためにもちゃんとした音源の確保は急務だ。

 

「それで、音源作成に付随して三つ目。次のデカいハコのライブまでに《ハロハピ》オリジナルの曲を最低二つは作る」

「え゛、それ、マジで言ってます、鳴瀬さん?」

「まぁ、それってとっても素敵じゃないの!」

 

 俺の言葉に対象的な反応を示したのは奥沢さんとペグ子だ。自分の思いつき(アイデア)を勝手気ままに口ずさめるペグ子にとっては願ってもないことだろうが、その思いつきを形にする奥沢さんにとっては苦悩の連続となるだろう。

 

 すまんな奥沢さん。でも、これはどうしても必要なんだよ。

 

 心の中で奥沢さんに頭を下げつつ、俺はなぜそうするのか理由の説明に入る。

 

「残念ながらマジだよ奥沢さん。物販用のCDを出すためには、カバーじゃないオリジナルの曲が3曲は欲しいんだ。カバー曲は版権の関係でやり取りが煩雑になるからね」

「あー、確かにそうですね」

 

 他のバンドの曲をカバーする際に、著作権の問題はいつだってついて回る。ゆえに、CDなどを売ってガンガン自分達を売り出したいバンドは、ライブで演奏するしないは抜きにして早い段階から自分達のオリジナル曲を何曲も抱えているのが普通だ。

 実際、俺も《バックドロップ》時代には、各自が持ち寄った既製品の曲を含めて12曲のオリジナルを持っていた。

 

 まぁ、いよいよそれをレコーディングして、CDに焼いてアルバム化しようとしたときに俺が抜けたことでその曲たちはお蔵入り状態になったんだがな。

 

 ともかく、メジャーデビューを考えるならこれぐらいのペースでオリジナルを産み出さなければ世間からすぐに忘れ去られてしまう。特に現在ブームのガールズバンドにはステージでスポットライトを浴びているバンドの二の矢三の矢を担うバンドなんて掃いて捨てるほどいるのだ。

 一度ステージに登ったらそこから蹴落とされないためにも、作れるときに曲をごりごりと作ってなんぼのものである。最悪、作った曲を小出しにすれば延命を図ることだってできる。

 

 そんな様々な思惑から、《ハロハピ》にとって新曲の作成は急務であると言えた。

 

 トホホというような表情を作る奥沢さんの肩をポンポンと叩いて彼女を慰める。流石にこのままでは救いが無さすぎるので、もちろん彼女には今から俺が助け船を出すつもりだ。

 

「もちろん、作曲に関しては俺もしっかりサポートするつもりだ。ただ、それでも負担が大きすぎるからしばらく奥沢さんには作曲に専念してもらうことになるけどな」

「な、鳴瀬さん、ありがとうございます~(涙)」

 

 涙目でホッとした声を出す奥沢さんに親指をグッと立てて応える。

 

 恐らく、奥沢さんは今後も《ハロハピ》の作曲のキーマンになるだろう。だから早い内に作曲家としての彼女のスキルを高めておきたい。

 

 そういった意味ではこの新曲ラッシュはいい契機だ。彼女にはここで一皮剥けてもらっておこう。

 

 そして、他人に無茶をさせる以上は俺自身も傍観者ではいられない。当然、次のデカバコのライブに向けては俺もがしがし攻めの姿勢で臨む。

 

 俺だって《ハロハピ》の一人なのだ。俺しかできないことをやるだけやってやるだけさ。

 

「ということで、奥沢さんが作曲に専念している間の四つ目。これからしばらく皆には小さめのハコでのライブを何度も経験してもらうつもりだ」

「えっ、ライブできるの!?」(×2)

 

 俺の口から漏れた「ライブ」という言葉に、ペグ子と北沢さんが同時に反応する。

 

 どちらも表舞台でガシガシ活躍するのが好きな二人だ。諦めかけていたライブが目の前に急に吊るされて興奮を隠しきれていない。

 

 しかし、その興奮の中にも「何でライブができるんだろう?」という戸惑いが混じっていたので、俺はその理由を説明することにした。

 

「俺は別にライブをしないとは言ってない。デカいハコでの(・・・・・・・)ライブをしないってだけだ。小さめのキャパのハコでのライブはむしろどんどんぶっ込んでいくぞ。《ハロハピ》は今ボーナスステージだからな」

「ボーナスステージ?」(×2)

 

 再び首を傾げる二人に、俺は軽く頷く。

 

「そう、ボーナスステージ。この間の《school band summer jam 14th》で俺たち《ハロハピ》はかなり目立った。この流れを潰さずにいれば、間違いなく《ハロハピ》の知名度は伸びる。だからとにかく小さなライブを繰り返しまくることで流れを生み続けるのさ」

 

 前のライブで俺たち《ハロハピ》は、正直あり得ないほどの勢いに乗った。しかし、あり得ないからといってそれを潰したり手放したりすることはそれこそあり得ない(・・・・・・・・・)。ここは普遍性(ポピュラリティ)を得るためにもじゃんじゃんそれを利用していくべきだ。

 

 具体的に言うと、とにかくライブに顔を出し続けて《ハロハピ》が今勢いのあるバンドだということをとにかくアピールしていく。

 

 聴衆はそういった知名度や勢いのあるものに弱い。限られた時間や情報網で、できるだけハズレを引かないように考えると必然的に知名度や勢いのあるものを選ばざるを得ないからだ。

 

 そうして、固定のファンをつけながら新規のファンも増やす。そうすることによってデカバコのライブでも多くの観客を動員できるようになる。

 

 更にライブを通して他のバンドとも交流を深めて相互に刺激を与えあうことで、自分達に足りないものを見つけたり、逆に自分達の強みを見つけたりすることもできる。

 

 もっと広い視野に立てば、それはガールズバンド界隈の活性化の流れを加速させることにも繋がる。

 

 とにかく今はジャブとフットワークを刻んで前へ前へと切り込んでいくインファイターのボクサーのように攻めの姿勢一本だ。《ハロハピ》を心に刻み付ける止めの一撃を観客に見舞うためにも、こちらはテンポよくステップを重ね続けるのだ。

 

「そして、本来ならこれは奥沢さんが担当するところなんだが、奥沢さんには作曲に専念してもらう都合上、次の大きなライブまではこれは俺が全部面倒を見る」

「えっ、いいんですか鳴瀬さん!?」

 

 驚いて弾かれたようにこちらを見る奥沢さんに頷く。

 

「いいよいいよ、俺は今まで色んなライブハウスを渡り歩いてるからノウハウもあるしな。よさそうな対バンライブなんかがあれば、どんどん入れていくからそのつもりでいるよーに」

「おー!」(×5)

 

 威勢よく全員が返事をしたのを確認してから俺はもう一度頷いた。

 

「あと、他の予定が入ったときは遠慮なく言ってくれよ。特に薫と北沢さんは掛け持ちだからブッキングは仕方ない。あと、『こんなとこで()りたい』とか、逆提案してくれてもいいぞ。俺もあくまで《ハロハピ》のメンバーの一人でしかないからな。みんなからの意見も尊重したい」

「はいはーい! それじゃあ鳴瀬くんにしつもーん!」

「はいどうぞ北沢さん」

 

 俺の言葉が終わった瞬間に勢いよく手を挙げた北沢さんを指差して回答を待つ。

 

 北沢さんはこれまた勢いよく立ち上がって元気に言葉を発した。

 

「えーっとね、そのライブする場所はライブハウス以外でもいいのかな? 例えばその、うちのお肉屋さんがある商店街とか!」

「あー、大がかりな路上ライブとかか。いいよ、路上とか公共スペースでのライブは、そこを管理してる人や組織とか警察なんかに届け出もいるけど、まぁ、何とかするさ」

「やったー!」

 

 俺の答えに北沢さんは跳び跳ねて喜ぶ。

 

「ふむ、それじゃあ私も学校でのライブなんかを計画してみようかな。この間のライブのことを聞き付けた子猫ちゃんたちが『次はいつなんですか?』と、最近よく聞いてきてね」

「うーん、薫の学校というと女子高だよなー。女子高なら男の俺が頼むのはあまりよろしくない気もするんだが」

 

 薫の言葉に俺は難色を示した。

 

 女子高はある種の聖域のような場所で、親御さんたちの中に男子がいないからという理由でご息女を通わせている人がいる以上は、あまり俺が出ていくのは得策ではない気がする。

 

 この言葉に薫も納得したようで、「ふむ」と軽く頷いてから顎に手を当てて暫し考え込んでから口を開いた。

 

「それもそうだね。じゃあ、学校との交渉は私が先頭に立とうじゃないか。Mr.鳴瀬には打ち合わせや、舞台設営などでどうしても学校に来てもらう必要がある時にだけ来校してもらうというのはどうかな」

「んー、それぐらいならいけるかな。女子高といえど100%男子禁制ということもないだろうし」

 

 郵便などの運送業や先生方なら男性といえども学内に入ることもあるだろう。俺が矢面に立たないなら、そこまで問題があるとは思わなかった。

 

「決まりだね。もし、学校でのライブが決まったら日程の候補はすぐに《ハロハピ》全員に伝えるよ」

「そうしてくれ。ライブをするならそこに向けて練習も調整するからな」

 

 薫と頷き合ってから、俺は再び《ハロハピ》全員に目を向ける。

 

「ということで、以上の四つをスモールステップとして《ハロハピ》は次の目標に向かう。俺の考えでは次の目標は年末、冬休みのシーズンにルーキー向けのデカバコでのライブイベントに《ハロハピ》を突っ込んでいく」

 

 年末には紅白歌合戦など音楽番組の特番が多く組まれるように、ライブシーンでも多くのイベントが催される季節だ。そこには夏のライブで弾みをつけたルーキーバンドを想定したイベントなんかも多分に含まれている。

 

「次のライブは前のライブよりもハードルが高くないと意味がない。だから、次のライブは演奏オーディションありのガールズバンドオンリーイベントを狙うつもりだ」

「……!」

 

 俺の言葉ににわかに《ハロハピ》メンバーに緊張が走る。

 

 この前のイベントは録音したデモテープを送るだけで大丈夫だったが、次は演奏で予選を越えさせる。

 

 何回も演奏した内の最良を使える録音ではなく生の演奏での予選突破を目標とすることで、常に一定のコンディションで演奏できるレベルを目指す。そうすることで、演奏の波を無くして常に最高の《ハロハピ》を観客にお届けすることができる。

 

 観客は一期一会の思いでライブハウスに足を運んでくれている。そこで中途半端な演奏をする《ハロハピ》を見て、それが《ハロハピ》の全てだと思って欲しくないのだ。

 

 ……《ハロハピ》はこれから間違いなく最高のバンドになる。だから、一度たりともその演奏に汚点を残してほしくない。それが俺の本当の望みなんだ。

 

「《ハロハピ》はついに世界(ワールド)に解き放たれた。だから、ここからは世界を笑顔(ハッピー)にするまで後退のネジは外していく。ここからもっと多くの人たちに俺たちを味わってもらい(ハロー)に行こうじゃないか!」

「おー!」(×5)

 

 みんなが勢いよく返事をすると、ペグ子がずいっと前に進み出る。

 

「それじゃあ、みんな!ここで『合言葉』といきましょうか!」

「おっ、そうだな。それじゃ、こころ、一発ガツンとやってくれ」

 

 俺の言葉にペグ子は大きく首を縦に振った。

 

「わかったわ鳴瀬! みんな、次の目的地に向かって《ハロー、ハッピーワールド!》出発よ! 『合言葉』は、せーのっ!」

 

 

 

「ハッピー、ラッキー、スマイル、イエーイ!」(×6)

 

 

 

 こうして、《ハロハピ》は新しい門出を迎えた。

 

 数々の目的地を経由して、目指す旅の果ては世界中の幸福。

 

 それはどんな困難な旅路になるかはわからない。

 

 それでも。

 

 この5人となら、そんな途方もない夢物語でもいつかきっと現実に変わる。

 

 そんな確信めいた予感がしてくるのだ。




リアル多忙につき結構間が空きました!

何とかこれぐらいのペースでは投稿していきたい!

今回は10000字なので、これより短ければもっと早く投下できるかな(できるとは言ってない)。

次は《ハロハピ》の修行シーンや、路上ライブの話になるかな? そのあとに薫さんのサイドストーリーに移りまーす! 

オ゛ォ゛ン゛!カワイイ薫さんが書きたいニ゛ャ゛ア゛!(某ネズミネコ)

それでは次のお話でお会いしましょう! またよろしくお願いしまっす!


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野良ベーシストはクマの扱いに戸惑う

続きました。
《ハロハピ》の方向性が決まってからの一話目!

タイトルからしてお話のメインはあのメンバー。
後半は別の話になるかもしれないし、分割するかもしれない。

とにかく頑張って書く。

【アンケートについて】
はぐみちゃんのアンケートですが、この話を投下した日の0:00頃に締めようと思います! 次のアンケートは薫さんのサイドストーリーを投下したあとに始める予定です。詳細もその時に書きますのでよろしければお付き合い下さい!


 全員が例の「合言葉」を元気よく唱えた後で、俺はパンパンと手を打ってから口を開いた。

 

「オッケー、それじゃあ《ハロー、ハッピーワールド!》出発といくか。あ、そうだ。もし何か今のうちに言っておきたいことがあるなら聞くが、何かある奴はいないか?」

 

 さっきまではほとんど俺が話しきりだったから、ここでみんなから何か意見が出るなら吸い上げておきたい。

 そういった判断でみんなを見回すと、ペグ子の手がビシッと挙がった。

 

「はい! わたしから一つ提案があるのだけどいいかしら!」

「ほいほい、取りあえず言ってみな」

 

 正直、ペグ子からの提案とか無茶振りの予感しかしねぇ……。

 

 危うく出そうになったその言葉をなんとか飲み込み、俺がペグ子に発言の許可を出すと、ペグ子は身を乗り出し気味にして口を開いた。

 

「えっとね、提案というのはミッシェルのことなんだけど」

「おっ? ミッシェルか」

「えっ?」

 

 ペグ子の口から飛び出した「ミッシェル」という意外な言葉に奥沢さんも反応する。

 

「そう、ミッシェルなのよ。わたし、これからはミッシェルにも楽器を弾いてもらいたいと思ってるの!」

「む」

「え゛」

 

 ミッシェルに楽器を弾かせる。

 

 このペグ子の提案に俺は少し唸って、奥沢さんは驚愕の声を漏らした。

 

「……ふむ。こころ、お前ミッシェルに楽器を弾かせたい理由はなんだ?」

 

 俺はとりあえずペグ子の考えを聞いてみることにした。

 

 またいつもの思いつきであれば、奥沢さんに負担をかけることになるこの申し出は受け入れられないし、正当な理由があるならば一考してみる価値があるかもしれない。

 

 とにかく、ペグ子の答え次第だな。

 

 俺(と奥沢さん)は静かにペグ子の答えを待った。

 

「鳴瀬はさっきバンドは演奏で魅せるのが本質って言ったじゃない?」

「ああ、確かに」

 

 俺は頷く。

 

「だからわたし、ミッシェルにも楽器を演奏することの楽しさを味わって欲しくって! ミッシェルだけ仲間外れは可哀想よ!」

「こころ……」

 

 奥沢さんがペグ子の心遣いの言葉に思わず声を漏らす。

 

「それに、これからのライブは小さめのところでするんでしょ? そうしたら、ミッシェルはステージで満足に踊れないこともあるかもしれないわ!」

「なるほどな」

 

 ペグ子の答えは筋が通っていた。

 

 確かに今後のライブの会場(ハコ)の大きさ次第では、ミッシェルの巨体を満足に動かせないことは十分に考えられる。無理に動かして他の演奏者にぶつかればそれこそ大惨事だ。

 

 そして、踊ることができず手持ち無沙汰になるミッシェルに楽器を演奏させたいというのはある意味順当な流れだと言える。

 

 ……ふーむ、確かに俺も奥沢さんにも楽器を楽しんで欲しいところはあるんだよな。

 

 バンド活動の華と言えば何を置いても楽器の演奏だ。実際に自分の手で音を生み出してこそのバンドであり、ライブでもあるだろう。

 

「確かに、こころの言う通りミッシェルが動きにくい時を考えて、楽器を使えるようになるのはアリだな」

「うぇ!? 本気ですか鳴瀬さん!?」

 

 ペグ子に同調した俺に奥沢さんが思わず声を挙げる。

 

「あら、美咲はミッシェルが楽器をやるのは反対なの?」

「え゛、だってただでさえ作曲で忙しいのにこれ以上はちょっと……」

「……? 作曲で忙しいのは美咲でしょう? ミッシェルは特に忙しいことはないはずよ」

「あ゛、そういえばそういう設定でしたねー……ハハハ……」

「奥沢さん……」

 

 乾いた笑い声をあげる奥沢さんを見て思わず声をあげてしまうほど、俺は彼女に同情を禁じ得なかった。

 

 ペグ子たちお花畑三人衆の中では、奥沢さんは未だにミッシェルとは別の存在なのだ。ゆえに、ミッシェルへの負担がそのまま奥沢さんにフィードバックされてしまうことを彼女たちは知らない。

 

 奥沢さんの本当の努力を知っているのは俺と松原さんの二人きり。

 

 ……頑張れ奥沢さん! 負けるな奥沢さん!

 

 心の中で奥沢さんにエールを送りつつ、それと奥沢さんが楽器を弾く弾かないは別の話なので、俺は「おほん」と一つ咳払いをして話を続けた。

 

「実際問題、ミッシェルが今後もステージに立つ以上はこころの言う通り楽器を使えた方が何かと有利なんだ。もちろん、ミッシェルの特性上そんなに複雑な技術のいる楽器にはしないつもりだ」

「うう、鳴瀬さんがそういうならそうしましょうか。でも、ミッシェルは一体何の楽器にするんです?」

「それなんだよなぁ~」

 

 俺は奥沢さんの問いに歯切れの悪い返事をするしかなかった。

 

 ミッシェルにやらせる楽器を何にするかは、実はかなりデリケートな問題だ。

 

 まず、《ハロハピ》の楽器構成を考えると真っ先に候補に上がるのはギターやキーボードなどのメロディ担当の楽器だ。現在の《ハロハピ》はメロディ担当は薫のはギターだけなので、演奏に厚みを持たせるためにもメロディ担当を一人増やせるというのは大きなメリットだ。

 

 しかし、その実現を阻むのがミッシェルの造形だった。

 

 もともと、風船やビラ配り程度の軽作業を目的にデザインされたミッシェルは、指の本数が親指・人差し指・その他の三本しかないうえに、どれもかなり図太い。細い弦や鍵盤を押すにはあまりにも不向きなのだ。

 

 さらにメロディパートの楽器は練習にもかなり時間を食うため、今から作曲との二足のわらじを履かせるのはあまりにも無謀。

 

 となると必然的にミッシェルが担当できるのはリズム、それも複雑な動きを求められないパーカッション系の打楽器辺りが順当ということになる。パーカッションなら今流行りのカホンを始め、コンガやジャンベなんかも視野に入るし、トライアングルやウッドブロック、銅鑼、ベルのような飛び道具的な楽器の使用もいける。

 

 この世で最も偉大なロックバンド《ローリングストーンズ》のリーダー、ブライアン・ジョーンズのように、マリンバなんかを叩ければメロディパートをサポートすることだって夢ではない。

 

 だが、無論こちらもノーリスクというわけにはいかない。ミッシェルの性質上、奥沢さんがリズムパートに入り込むとその割りを食うことになるのは、何を隠そう彼女の最大の理解者である松原さんなのだ。

 

 弦楽器のベース担当の北沢さんはまだいいが、松原さんはドラム担当なのでミッシェルが打楽器を担当するなら役割が被る。

 

 そして、正確無比なスティックワークが武器の松原さんに対して、ミッシェルは正確性が全く発揮できないという課題を抱えているのである。

 

 打楽器というのは同じ打面を叩いても、叩くスティックの角度やチップの形状、叩く場所や威力などの違いで実に多彩な音を奏でてくれる。松原さんはパワーという点では他のドラマーに一歩譲るが、これらのコントロールの点では他のドラマーに先んじている。

 

 逆にミッシェルはその大きな手でカホンなどを叩けば素晴らしいパワーが生まれるのだが、打面の制御などは不可能に近い。しっかり狙って叩いたとしても、着ぐるみの手は変形してしまうので正確に力を伝達することは難しいのだ。

 

 また、着ぐるみの可動域の関係から大がかりな動作や極端に細かな動作も苦手なため、表現の幅や精度も狭まる。

 

 その結果考えられる最悪の事態は、ミッシェルと松原さんがお互いの長所を打ち消しあってしまうこと。これだけはなんとしても避けたいところだ。

 

 ……特に、松原さんは今がドラマーとしての伸び代を最大限に使える時期だ。下手に余計なことに気を使わせて成長を阻害したくない。

 

 松原さんはライブによってドラマーとしての殻をまた一つ破った。今伸ばせる内に才能の限界を伸ばしておかないと、折角殻を破ったのに羽が伸びきらずに地に落ちることだってあり得る。特に気配りしがちな松原さんは周りに気を使う内に羽が伸ばせなくなる可能性が高い。

 

「うーん、それでもやっぱりミッシェルにはパーカッションか打楽器しかないんだよなぁ……むむむ……」

 

 中々即決できない問題に俺が頭を抱えていると、その肩をポンポンと叩く者がいた。

 

「ん?」

 

 そちらを振り向くと、ペグ子と目が合う。彼女は何か言いたそうな表情でじっと俺の方を見ていた。

 

「鳴瀬、ミッシェルの演奏する楽器に提案があるのだけどいいかしら?」

「お、なんだ、何か考えがあるのか。いいよ、言ってみてくれ」

 

 俺の思考が袋小路に入った分、こんなときはペグ子の突拍子もない意見が案外ブレイクスルーになる可能性も否定できない。

 

 そうしてペグ子の言葉を待つと、彼女はさもないと名案を閃いたといわんばかりの自信ありげな表情で口を開いた。

 

「わたしの考えはね、ミッシェルには《ハロハピ》のDJをやってもらおうと思っているのよ」

「ほぉ!」

 

 DJか! その発想はなかったな!

 

 俺はペグ子の提案に素直に感心した。

 

「え、DJですか? でも、《ハロハピ》はバンドなんだから、音楽を流すDJって必要なんですかね?」

 

 ペグ子の口から飛び出した「DJ」という単語にあからさまに奥沢さんが戸惑う。

 

「あー、多分奥沢さんが想像してるのは『クラブDJ』のことだな。実は『DJ』にも色々あってさ、クラブで二台のターンテーブルを回してる『DJ』とバンドの『DJ』は別物なんだよ」

「へー、そうなんですね」

 

 一般的に「DJ」と言われて世間の人が想像するのは「クラブDJ」だろう。「クラブDJ」は、その名の通りクラブで絶え間なく音楽を流すために二台のターンテーブルを駆使して楽曲同士を滑らかに繋ぎ合わせる「DJ」だ。

 それもただ単に曲を繋ぐのではなく、場の盛り上がりにあわせて曲のBPMを考えて繋いだり、あるいは繋ぐ曲のジャンルなどを切り替えるなど、臨機応変な対応が求められる「DJ」だ。

 

「バンドの『DJ』っていうのは、例えばバンドの楽器の構成でどうしても入れられない楽器がある。でも、音だけは欲しいってときにその楽器のパートだけをパソコンで打ち込んでおいて演奏にあわせて流す、なんてことをするんだよ」

「ああ、曲を全て流すんじゃなくて、その中の一部だけを担当するんですね!」

 

 ようやく合点がいったようで奥沢さんがポンと手を打つ。

 

「そうそう。あとは飛び道具的に効果音を仕込んでおいたりとか、ライブの雰囲気に合わせて曲にエフェクトかけたりとか、中々器用に立ち回れるポジションだよ」

「えー、わた……ミッシェルにできますかね?」

「んー、というかむしろミッシェルにしかこれは無理だな」

 

 効果音やエフェクト、打ち込みの音源を流すタイミングは楽曲に精通していないと不可能だ。それが《ハロハピ》の中で誰なのかというと、間違いなく作曲を担当する奥沢さん以外にはあり得ない。

 

 さらにエフェクトを仕込むにしても、それは客席の雰囲気を広い視野で見渡せる人物でないと難しい。そう考えれば、これもやはり気配り上手の奥沢さんしかあり得ないポジションだ。

 

 その事を俺が懇切丁寧に説明すると、奥沢さんは頬を染めて照れたような表情で後頭部を掻いた。

 

「えへへ、そ、そうですかね。なら私もちょっと頑張る……ようにミッシェルに連絡しておきますね」

「わーい! ミッシェルによろしくね、美咲!」

「頼むよ奥沢さん、これは君にしかできないことだから」

「まぁ、やるからには無茶じゃない程度で頑張らせていただきますよ鳴瀬さん」

 

 最後のやり取りはペグ子に聞こえないようにひそひそ声で二人で交わした。

 

 こうしてついに、ミッシェルはステージの上で「DJ」という新しいポジションを手に入れることとなった。

 

 これが今後《ハロハピ》にとってどのような影響を及ぼすかは未知数だが、今の状態を見ればそれは決して悪いようにはならないだろうと俺は思う。

 

 特に、奥沢さんにはこれを契機に、これからより一層《ハロハピ》の一員としての満足感を手に入れて欲しい。

 

 少し嬉しそうな表情の奥沢さんの横顔を眺めながら、俺は心からそう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

「んー! それじゃあ早速ミッシェルのためにも早くDJシステムを用意しなくちゃね! 黒服の人たち、何かいいものはないかしら?」

「はい、こころお嬢様。私共で調べましたところ、Pioneer社のCDJ-TOUR1とDJM-TOUR1は国内外様々なライブシーンで非常に高い評価を得ております。いかがでしょうか?」

「え」(×2)

「あら、二台合わせて160万円ぐらいなのね! いいじゃなーい! これにしましょう! 壊れたときのスペアも合わせて二台ずつ頼んでおいてちょうだい!」

「うわーー!? こころ、ミッシェルは最初はもっと安いのでたくさん練習してから高いのが欲しいな~、って言ってたよ!」

「あら、そうなのね! それじゃあ美咲、ミッシェルが好きそうなものを二人でカタログを見ながら選びましょう!」

「そうだね、こころ。……ふぃ~、あぶない、あぶない。あんな高額な機材なんて怖くて絶対にまともに触れないよ」

 

 危うく、ペグ子のセレブパワーに巻き込まれて精神崩壊しそうになったが、奥沢さんの渾身のセーブによって俺たちの心の平穏は守られたのだった。

 

 加減しろ莫迦(バカ)! ペグ子! こっちは一般庶民だぞ!




ということでコメントにもあったDJミッシェルはここから本格始動です!

ちなみに、PioneerのCDJ-TOUR1とDJM-TOUR1は昔は総額200万超えだったんですが、価格改訂により現在の値段になりました。それでも一般的なライブやクラブハウスに備え付けられたDJシステムの倍近い値段なので、いかに高級機なのか分かりますね……。

最後の言葉は若先生の名作漫画『シグルイ』からのパロディ。

鳴瀬君「できておる喃、美咲は……」
美咲ちゃん「心という器は(金持ちの暴挙によって)ひとたび、ひとたびひびが入れば、二度とは、二度とは……」

次は他のメンバーの練習シーンを一話挟んで薫さんのサイドにいきまーす! よろしくおにゃーしゃーっす!


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野良ベーシストは踏み台を作る

続きました。
二章四話、練習編となります。

ここで、鳴瀬君からそれぞれのメンバーへの課題が提示されて、薫さんのサイドを挟んでからの、路上ライブ編になる予定です。


 

 ミッシェルの件が片付いた俺たちは、仕切り直しということで改めて広目の円陣を組んでスタジオ内で向き合っていた。

 バンドとしてのスモールステップはすでに示した。ここから、いよいよ《ハロー、ハッピーワールド!》のみんなに個別のスモールステップを提示するときだ。

 

「よーし、それじゃあ《ハロー、ハッピーワールド!》再出発ということで、早速俺から個別の課題を与えてくぞー。名前呼ばれた奴から前に来るよーに!」

「わー! 鳴瀬くん、先生みたーい!」

 

 俺がテスト返却の時の先生のような台詞を言うと、北沢さんが嬉しそうに両手を挙げて反応する。

 

「まぁ、実際みんなの先生みたいなもんだしなー。んじゃ、折角声を最初に上げたから北沢さんからいくかー」

「わーい! やったぁ!」

 

 そのままトテトテと俺の前に進み出た北沢さんに、俺は鞄の中から取り出した多数の五線譜とDVDを手渡した。

 

「北沢さんにはこれ、ベースの色んな奏法を駆使して弾くためのドリル用譜面と、参考に俺が解説を付けて演奏してるDVDね」

 

 北沢さんの課題はテクニックの引き出しを増やすこと。

 

 ベースという楽器はドラムほどのインパクトのある音を産み出せないので、パワーよりもテクニックで魅せるタイプの楽器である。

 現状、ドラムの松原さんがパワープレーヤーではないことと、北沢さんがソフトボールで鍛えた指の力があることで、北沢さんのベースはステージ上で存在感を放つことができている。

 

 しかし、松原さんが自分の殻を破ることに成功した今、このリズム担当のパワーバランスが変わってくる可能性がある。そうなったときに、技術の引き出しを増やしておかなければ北沢さんのベースが埋もれてしまう可能性も否定しきれないのだ。

 

 ゆえに、この期間は北沢さんには新しい奏法等をどんどん吸収してもらって、演奏の中で新しい存在感を放つことができるようになるための準備期間と設定したのだ。

 

「おおー! はぐみ頑張るよ! また色々教えてね鳴瀬くん!」

 

 そのことを北沢さんに伝えると、彼女は受け取った五線譜とDVDを天高く掲げて気合いを入れた。

 

「ああ、ベースは俺の専門だから分からないことがあれば何でも聞いてくれ。特に奏法に関してはものによっては映像だけじゃ伝わらないこともあるしな」

 

 スラッピングやハンマリング・オンとプリング・オフを組み合わせたトリル奏法などはものにすれば表現の幅が格段に広がる魔法の技術だが、その感覚を掴むまでが中々に骨だ。

 

 北沢さんはベースを始めてからあまり時間が経っていない、未だにフラットな状態にあるといえる。何にも染まっていないこの時期に、彼女には時間をかけて多くの技術を身につけてもらって、そこから自分の可能性を探っていってもらう。

 

 無から有(ビッグバン)を生み出すよりも、有から有(ケミストリー)を生み出す方がはるかに容易い。多くの技術を有することによって、北沢さんにはぜひ、より多くの可能性の中から自分の未来を選びとって欲しいものだ。

 

 ……んで、とりあえず北沢さんにはしばらくの間、俺からのコンタクトは最小に抑える。奏法の習得以外の部分はとにかく北沢さんに判断を任せよう。

 

 これは別にここに来て急に放任主義に目覚めたからというわけではない。

 

 同じベーシストの俺が必要以上に絡むと、北沢さんが染まっちまう(・・・・・・)からな。

 

 俺はベーシストとしては10年以上のキャリアがある。はっきり言って、もうすでに自分の中のベーシスト像が出来上がった状態だ。

 だから、ここで俺がでしゃばり過ぎると、北沢さんは間違いなく多少なりとも俺の色に染まる。

 

 《ハロハピ》に俺のデッドコピー(パチモン)なんかは必要ないんだ。

 

 元々《ハロハピ》向けにチューンしていない俺の奏法は、《ハロハピ》にとって不純物となりうる可能性を秘めている。故に北沢さんには《ハロハピ》のためのベーシストとして花開いてもらう必要がある。

 

 そんな俺の考えを知らぬ北沢さんは嬉しそうな表情でギグケースからベースを取り出すと、早速譜面と向き合いながら弦を爪弾き始めた。

 もう、周りのことなど気にならないといったその表情を見て、俺は少しあった不安が杞憂のものだったことに胸を撫で下ろす。この集中力があれば、彼女は周りに惑わされることなく自分だけの世界(うた)を産み出せるに違いない。

 

「おっし、それじゃあ次は薫な」

 

 北沢さんはもう大丈夫だと判断した俺は、今度は薫へすぐに声をかける。今すぐにどうこうはできない奥沢さんを除いても、まだ二人も残っているのだから早く終わらせるに越したことはない。

 

「ふっ、よろしく頼むよMr.鳴瀬」

 

 俺の声を受けて薫は髪をかき上げながら一歩前へと進み出る。相変わらずキザである。

 

「薫には北沢さんと似てるけどこれな」

「ふむ、私にも五線譜とDVDというわけか。中身を説明してもらってもいいかな?」

 

 薫の問いに首を縦に振る。

 

「ああ、薫には『有名なギタリストのリフ』を詰め込んだ五線譜と演奏映像のDVDのセットな」

 

 俺が薫に渡したのは、北沢さんと同じで新たな奏法を習得させるための楽譜と映像だ。

 

 ただ、北沢さんとの最大の違いは、北沢さんのものはなるべく他のベーシストの持つ個性を排除したものなのに対して、薫のものはゴリゴリに他のギタリストの個性が溢れた楽譜と映像集になっているところだ。

 

 俺がこのチョイスをしたのは、薫の持つ特性によるところが大きい。

 

「おお、なるほど! これを見て練習を積めば世界に綺羅星のごとく居並ぶギタリストのテクニックが私のものになるというわけだね、Mr.鳴瀬!」

「その通り、察しが良くて助かるよMs.薫。これからしばらくの間、薫には世界で輝くギタリストたちを演じてもらう」

 

 薫の持つ特性。

 

 それは、役者として他の何者かを演じきることができる能力だ。

 

 故に彼女には数々のギタリストを演じることで彼らの技術を盗んでもらう。これが俺の考えた薫用の有から有(ケミストリー)を生み出すスタイルだ。

 

 DJミッシェルの参入が決まった現在、《ハロハピ》のメロディ担当がどう転ぶかは未知数だが、生演奏を披露できるメロディ担当は依然として薫だけだ。

 薫には《ハロハピ》の演奏の顔役ともいえるメロディ担当としての活躍が当面の間は求められる。彼女の演奏の引き出しを増やすことは北沢さん以上に急務となるだろう。

 

 ……だから、ここは一つもう少し発破をかけて薫のやる気を引き出しておくか。

 

 そう考えて、俺は胸の内で暖めておいた薫に向けての決め台詞をここで投入することを決意した。

 

「薫」

「なんだい、Mr.鳴瀬?」

「これから、薫が有名なギタリストのリフを一つ習得する度に、そのギタリストの名言を一個ずつ教えていってやるから頑張れよ」

「みんな、すまないが私はこれから演奏に集中する。しばらくは話しかけないでくれたまえ!」

「反応早っ!」

 

 俺の言葉を聞いた瞬間、薫の手にはいつの間にかホワイトファルコンが握られ、彼女はすぐにスタジオの壁際に向かうと五線譜を広げてギターを鳴らし始めていた。

 

 とにかく、これで薫についてもオーケーというわけだ。

 

「ふーむ、もう薫には声も届かないみたいだから次な。こころ、こっちに来てくれ」

「わかったわ、鳴瀬!」

 

 ピョンと一息に跳ねるように前に進み出たペグ子は、いかにもワクワクしてますといった表情で俺の手元を眺めていた。

 

「こころにはこれだ。白紙の五線譜と真っ白なメモサイズのノート、カラーペンな」

「あら、素敵じゃなーい! これで好きなだけお絵かきできるわね!」

「ちげーよ! 何のための五線譜だよ! こころ、お前には頭の中に浮かんだ歌のアウトプットを形にしてもらう」

「歌を、形に……?」

 

 首を傾げるペグ子に、俺はこのステップを設定した理由を告げる。

 

「そうそう。今、こころは自分の頭の中に浮かんだ曲のイメージを鼻唄なんかでアウトプットしてるだろ」

「ええ、そうね」

 

 ペグ子が頷く。

 

「でも、今それを形にしてるのは奥沢さんだ。これってちょっと非効率的だと思わないか?」

 

 現在の《ハロハピ》の作曲は完全に奥沢さんの手に委ねられている。

 

 しかし、バンドというチームで動く以上、作曲を一人が一手に担うのはリソースの無駄遣いというものだ。

 

 特にこころに関しては、楽器を演奏する必要がない以上はかなり余力を残しているといっていい。だから、ここで一つ奥沢さんの負担軽減を担当してもらおうという寸法だ。

 

「こころ、これからお前は常に五線譜とノートを持ち歩け。それで、頭にふっと曲のイメージや歌詞の言葉が浮かんだらすぐにこの二つを取り出してそいつを自分で書き残せ」

「なるほど! そういうことね!」

 

 ペグ子は納得がいったという表情で「ポン」と手を打った。

 

「現状、《ハロハピ》の曲を作ってるのは奥沢さんなんだが、アイディアを出しているのはこころ、お前だ。だから、お前自身も自分の感じたままの曲を自分の手で残していくべきなんだ」

 

 たとえ、ペグ子と奥沢さんが隣り合わせの状態で作曲をしたとしても、ペグ子の歌を奥沢さんが楽譜に変換するとどうしてもそこに揺らぎが生まれる。その揺らぎを無くすためには、ペグ子がもっと自分の感じたものの多くを奥沢さんに差し出す必要があるのだ。

 

 もちろん、それがいい方向に転ぶとは限らない。作曲の技術は奥沢さんとペグ子では大きな差があるだろうし、ペグ子から飛び出したばかりのものが最良である保証もない。

 

 だが、それでも、アーティストの剥き出しの世界(うた)がオーディエンスの心を鷲掴みにしてしまうことだってあり得る。特にペグ子に関してはそれができてしまうような不思議なオーラが漂っているのだ。

 

 だから、たとえ拙い子供の遊びのようなものが出来たって構わない。もっと自分の幸せ(ハッピー)をさらけ出して行け、ペグ子。

 

「自分の感じたことを、自分の手で残していく……そうか、そうなのね! わかったわ、鳴瀬!」

 

 ペグ子は、噛み締めるように俺の言葉を口の中で反芻したあとにガバッと顔を上げた。

 

「その表情(かお)ならもう分かったみたいだな。歌や曲ってのは不意に頭に降りてくることもあるからな。その場にいつも奥沢さんが居られる保証はないから、ちゃんと自分で残していけよ」

「わかったわ!」

「あと、閃きを言葉にするのが難しいなら絵なんかでもいいぞ。絵からインスピレーションが膨らんで歌詞が生まれるなんてこともあるからな。自分の好きなようにじゃんじゃん描いていけ。ノートが足りなくなったら補充してやるからさ」

「まぁ! 絵でもいいなんて素敵じゃないの! それじゃあ、早速今の気持ちをノートに書きにいくわ! ありがとね、鳴瀬!」

 

 そう言うや否や、ペグ子はスタジオの真ん中辺りに寝転んで、足をプラプラさせながらノートにカラーペンで一心不乱になにかを書き込み始めた。

 まるっきり、クレヨンを与えられた園児のようなその姿に苦笑しながら、俺は次のメンバーへと視線を合わせる。

 

「それじゃあ、お待たせしました松原さん」

「はい! よ、よろしくお願いします!」

 

 やや緊張した面持ちで松原さんがビシッと手を挙げる。もしかすると普段の授業で当てられた時もこんな様子なのかもしれない。

 

 そんなことを頭の片隅でぼんやりと考えながら、俺はカバンからタブレット端末を取り出した。

 

「松原さんってさ、自分用のタブレット端末とか持ってる?」

「ふえ? あ、えっと、タブレットは家にありますけど家族共用なので独占して使うことはできないですね」

 

 突然俺の口から飛び出したタブレットという言葉に松原さんが戸惑いながら答える。

 

「そうなんだ。ならこのタブレットは松原さんにあげるよ。中に松原さんに必要なソフトが入ってるから」

「ふぇ!? そ、そんな、タブレットなんて高いもの貰えませんよ!」

 

 松原さんが残像が残るレベルで両手と首を左右に振る。

 

「いや、型落ちのやつだから気にせずに貰ってよ。リサイクルショップに持っていってもどうせ二束三文だし、俺は新型のやつも持ってるからさ」

「そ、そうなんですか? じゃ、じゃあいただきますね。ありがとうございます」

 

 なんとか納得してくれた松原さんがおずおずとタブレットを手に取った。

 

「それで、松原さんに使って欲しいソフトなんだけど、この『BPMメーカー』ってやつね。ちょっと起動してみて」

「は、はい。えいっ」

 

 松原さんがアイコンをタップすると、タブレットの画面にメトロノームのようなものが表示される。

 

「これは……」

 

 まだ、ソフトの意味を把握できていない松原さんに俺は詳しい説明を加える。

 

「『BPMメーカー』はメトロノームの亜種なんだけどさ、メトロノームとの最大の違いはBPMが途中で自動で変わるような設定ができるんだよ」

「そうなんですね」

 

 俺の説明で理解できた松原さんがゆっくりと頷く。

 

「俺は、松原さんには持ち前の正確なスティックワークをもっと突き詰めて欲しいと思ってる。俺個人としては良いところを伸ばして尖らせた方が、オーディエンスに与えるインパクトが強いと思うんだよね」

「なるほど……」

 

 そこまで聞いた松原さんは顎に手を添えて、俯き気味に顔を傾けて考えを巡らせる態勢に入る。その提案が本当に自分の今後に繋がるのかと真剣に考えるその姿からは、初めて出会ったときのおろおろとした印象が嘘のように思える。

 

 ……うん、いい傾向だな。松原さんは直感型ではなくて思考型の人間だから、俺の提案を鵜呑みにするんじゃなくてちゃんと吟味して判断を下すというのは実に正しい。

 

 自分にとって今必要なものは、経験者の松原さんなら自分自身が一番よくわかるはずだ。そこにあえて俺の考えたステップを投入することで、彼女にはより深く自分と対話してもらいたいのだ。

 

「そこで俺からの提案は、松原さんにはこの『BPM』メーカーを使って、ランダムに生成されるBPMに合わせてドラミングの練習をして欲しい。叩くフレーズは自分で決めたり、前に渡した本なんかに載ったやつを参考にしたりして、とにかくBPMがいかに変わっても常に安定したリズムキープができる領域に達して欲しいんだ」

 

 BPMが演奏中に変動するのは曲の構成だけではない。

 

 例えば、《ハニースイートデスメタル(HS DM)》は、パフォーマンスの最中はBPMを落として、パフォーマンスの後ろで曲の一部をループ演奏することでステージ上を無音にしない工夫を行っていた。

 

 そして《ハロハピ》も《HS DM》と同じでステージではパフォーマンスを入れていくタイプのバンドだ。パフォーマンスの入りで、BPMを落としての演奏が続けられるようなスキルを磨いておいて損はない。

 

 また、様々なBPMを体に覚えさせることで、他のメンバーの演奏が走りすぎていないかを直感的に把握できるようになる。バンドを支える屋台骨のドラマーにはこの感覚は必須だといえる。

 

「松原さんは自分らしさ(セルフィッシュ)を見つけることができた。だから今度はそれを《ハロハピ》の他のメンバーにどんどん還元していくときが来ている。俺は松原さんの次のステップはそれだと思っている」

「……!」

 

 俺の言葉に松原さんの顔が弾かれたように上がる。

 

 引っ込み思案の松原さんに自分らしさ(セルフィッシュ)を叩き込んだのは俺だが、「らしさ」も行きすぎれば独り善がり(エゴイズム)へと変わる。

 松原さんはそこまで行き着くタイプでは無さそうだが、予防線を張っておいても損はないだろう。

 

「もちろんこれはあくまでも俺の意見だから、松原さんが自分で考えた課題(ステップ)があるならそちらを優先してくれても構わない。あくまでもこれは数ある選択肢のなかの一つの意見だからね」

 

 そう、松原さんの未来は彼女自身が掴み取るべきだ。これも正しく彼女の自分らしさを伸ばすための方策の一つなんだから。

 

 俺がそこまで言い終わると、松原さんは一呼吸おいてからゆっくりと俺の目を見つめた。その目はもう答えは出たとでもいうような、真っ直ぐで曇りのない色をしていた。

 

「私は、鳴瀬さんから聞いたこと、自分の中で考えていたことを全てを吟味した上で、やはり鳴瀬さんの提案に乗ろうと思います」

「……そうか」

 

 俺の言葉に松原さんが頷く。

 

「そうです。鳴瀬さんは本当に私のことをよく見てくれています。私が必要だと感じていて、でもどうすればいいのかわからなかったことに鳴瀬さんはスパッと答えを出してくれました。だから、私は全部考え抜いた上で鳴瀬さんのやり方に全てを委ねます」

 

 引っ込み思案の松原さんの口からこぼれた力強い言葉。やはり彼女はライブを越えて大きく育った。そして、彼女はまだ成長の余地を残している。

 

 俺はそれに全力で応えなければならない。

 

「そこまで言われたら俺も中途半端にはできないぜ。指導が厳しくなるかもしれないが着いてこれるか?」

「も、もちろんです! よ、よろしくお願いします!」

 

 松原さんは胸の前でぎゅっと拳を握ってファイティングポーズを決める。他人がやれば凛々しいその動作も、松原さんがやると可愛らしくて魅力的だった。

 

「オーケー。じゃあ早速ソフトを起動して練習を始めようか。BPMは小節数と速度が完全にランダムで変わる設定と、手動で変化を決められるモードがあるから、最初は手動で決めてみてくれ」

「わかりました! あ、あの、このソフトの操作は……」

「あ、慣れる意味でも最初は自分で色々弄ってみてくれるかな」

「ふぇぇ……操作できるかなぁ……?」

 

 さっきまでの強い姿が一転、ソフトの操作に戸惑う松原さんは眉毛をしょんぼり八の字にして、タブレットをぎこちなく操作しながらドラムの方へと向かっていった。

 

「それじゃあ、最後は奥沢さんなんだけども」

「はいはい、私にはなんですかね?」

 

 最後に一人残されたのは奥沢さん(ミッシェル)なのだが。

 

「えーっと、実は奥沢さんには何もないんだよなぁ」

「え゛、私の扱い酷くないですかね、鳴瀬さん?」

 

 じとっとした目付きで俺のことを見つめてくる奥沢さんを両手で「どうどう」と宥める。

 

「ごめんごめん。んー、でもなぁ、作曲用の道具は前に家に来たときに全部渡したし、他のことをして余計な手間を増やすのはーー」

「はいはーい! 絶対無理でーす!」

「ーーだよなぁ」

 

 そう、奥沢さんにはすでに作曲に関してできることは全部やっているのだ。アドバイスに関しては新曲が書き起こせるだけのデータがないとやりようがないので、結論、俺が奥沢さんにしてあげられることは現段階で何もないのだ。

 

「とはいえ、この空気の中で私だけボーッとしているのもしんどいと言いますか……」

「うん、気まずいよな……」

 

 スタジオ内の他の四人はすでに全員が自分の世界に入り込んで黙々とノルマをこなしている。正直、やることがない人間がプラプラとできるような雰囲気ではない。

 

 だから、俺は奥沢さんに近付くとあることを彼女に耳打ちした。

 

「じゃあさ、俺たちは外でミッシェルについて考えないか」

「え、ミッシェルですか?」

「ああ。ほら、ミッシェルはDJやることになっただろ? だったら今のままのミッシェルのデザインだとモジュールを弄る時に色々と不都合があるんだよね」

 

 ミッシェルのデザインは前にも言ったようにビラ配り程度の作業ができるレベルしか想定して作られていない。

 つまみの上げ下げや、ノブのひねり、ターンテーブルのスクラッチなどDJとして細かな動作をするためにはミッシェルのバージョンアップは避けては通れない課題だった。

 

 奥さんも合点がいったという表情になる。

 

「ああー、確かにそうですね。じゃあ外で一緒にミッシェルの新しいデザインを紙にでも起こしていきますか」

「そうしようか」

 

 俺と奥沢さんは顔を見合せて頷くと、スタジオの入り口へと足を進めーー

 

「その話、私共も参加させていただいてもよろしいでしょうか」

「うぉう!?」(×2)

 

 ーーようとして、突如としてPOPした黒服の人たちのせいで立ち止まることになった。

 

「あんたら、一体いつの間にきたんだよ?」

「さ、さっきまで絶対に居なかったし、スタジオのドアも開いた記憶がないのに……!」

「私共はこころお嬢様の影、必要な場面では時と場所を問わず現れることができます」

「なにそれ怖い」

 

 黒服の人たちの衝撃的な発言に俺たちが怯えていると、黒服の人たちはそんなことはどうでもいいと言わんばかりの勢いで口を開く。

 

「まぁ、それは今は置いておきましょう。鳴瀬様と奥沢様、ミッシェルver.2の作成についてですが、私共も一枚噛ませていただいてもよろしいですか?」

「その理由を聞いても?」

 

 俺の言葉に黒服のリーダーらしき長髪の黒服が首を縦に振る。

 

「はい、実は私共もこころお嬢様の度重なる無茶……ごほんごほん! ……アグレッシブな行動に対応するために、ミッシェルをそろそろバージョンアップさせる必要があると思っていたのです」

「今、無茶って言いましたよね?」

「気のせいです。こころお嬢様が私共に無茶を言うわけがありません。とにかく、ここでミッシェルをDJ用に換装するのであれば、私共もミッシェルに追加機能を搭載しておきたいのです」

「なるほど、確かにちょこちょこと改造してその度に仕様が変わるよりも、私もその方がいいですね」

 

 ミッシェルのコントローラーである奥沢さんがその言葉に頷く。

 ミッシェルについては奥沢さんに全てが一任されているので、彼女が許可するなら俺からの反論は特にはなかった。

 

「奥沢さんがそう言うなら、それじゃあみんなでラウンジスペースで話し合いますか」

「そうしましょう、特に喫緊の案件としてはミッシェルにジェットパックを搭載するというのがありまして」

「ちょっと待って、なんか場違いな単語が聞こえた気がするんだけど私の気のせいかな?」

「……いや、俺も聞こえた」

「……私、空飛んじゃうの?」

「……強く生きてくれ、奥沢さん」

「ちょっとぉ! 助けてくださいよぉ、鳴瀬さん!」

 

 結局、そのあと俺と奥沢さんは黒服の人たちの口から飛び出す数々の恐るべきミッシェル改造計画をいかにインターセプトするかで丁々発止のやり取りを繰り広げたのであった。

 




リアル多忙につき投下がくっそ遅れましてよ? 

9月は仕事の都合でシルバーウィークが無いことが確定したので連休ブーストも使えない予感です。トホホ。

というわけでそれぞれの課題(約一名除く)が提示されて、いよいよ新生《ハロハピ》のエンジン回転開始です!

ですが、当初の計画通り次は薫さんのサイドストーリーを挟みます。乙女チック重点の遊園地編ですよー!

もしかするとペグ子みたいに前後編になるかもしれませんが、頑張って9月中には投下しまぁす!(願望)

薫さんのサイドストーリーの投稿が完了した頃ぐらいから今度は花音先輩のサイドストーリーのアンケートを取る予定ですので、またよろしくお願いいたします!


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寄道 野良ベーシストとファンタジアランドの思ひ出
野良ベーシストは夢の国へと旅立つ(前編)


続きました。
今回の話はサイドストーリーとなります。本編のみ追いかけている人はもうしばらく投下をおまちくだされー。


はい、ということでキャラ別サイドストーリーの二人目は薫さん、ストーリーは遊園地編です。可愛らしさ重点ということでギャップ萌えを狙っていきますわよ!





 《ハロー、ハッピーワールド!》は今をときめくガールズバンドなわけなのだが、彼女たちは何もバンドの時にしか集まらない訳ではない。

 

 一度(ひとたび)ペグ子の思いつきが舞い降りてくると、練習を放り出して他のことを始めることもしょっちゅうある。

 

 例えば、この夏にライブの後にプールに行ったことも、奥沢さんのおばあさんの家に遊びに行ったことも、全部ペグ子の思いつきだ。

 

 そして、今日もまた時と場所を選ばないペグ子の思いつきが《ハロハピ》メンバーの前で炸裂することになった……。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 初ライブのあった暑い夏も終わり、肌を撫でる風に秋の足音が聞こえて来そうなある日のこと、スタジオ《arrows(アローズ)》での練習中に、突然ペグ子が「みんな!今度の週末は遊園地に行くわよ!」と叫び出した。

 

「遊園地ぃ~?」

 

 俺が、「 急に何を言っているんだこいつは(またいつものやつか)」という調子で聞き返すと、ペグ子は自信満々といった様子で腰に手を当てて胸を反らした。

 

「そうよ! パパがね、たまにはお友達とゆっくりと羽を伸ばして来なさいって、遊園地のチケットをくれたのよ!」

 

 そう言ったペグ子の手がスカートのポケットをまさぐると、次に俺たちの目の前に突き出されたその手には7枚のチケットが握られていた。

 

「ほーん、そうなのか。どれどれ……うお!? これ『ファンタジアランド』のチケットじゃん!」

「えっ!? 『ファンタジアランド』!?」(×4)

 

 俺の声で目の色を変えた四人が、次々にペグ子の手からチケットを受け取る。

 

 「ファンタジアランド」とは、東の「オリエンタルランド」、西の「USJ」に対抗して生まれた、日本第三の本格派のテーマパークだ。

 

 このテーマパークの最大の売りは「本物」である。

 なんと、パーク内の施設の多くが海外などで実際に使用されたことのある建物を移築しており、本物の城や庭園などを実際に歩いて楽しめるのだ。ガワだけをそれっぽくして、中身はチープといったそこら辺の遊園地とは一線を画しているといっていい。

 

 そして、本物を用意できなかった施設についても抜かりはなく、外観や内装ともに拘り抜いた造りとなっていて、子供以上に大人心をくすぐるようにできている。

 遊園地のメインターゲットは子供だが、その子供たちがお金を取り出す財布の紐を握るのは親だ。その親も楽しむに足る造りとすることで、財布の紐を弛めようという戦略なのだ。

 

 また、建物の美しさから自撮り映えするということで、SNSユーザーやカップルにも注目を浴びており、様々な客層にたいして隙のない展開を仕掛けている。

 

「おお! これが音に聞こえし、かの有名な総合テーマパークのチケットだね!」

「わーい! はぐみ、テレビでCMを見てから一度行ってみたかったんだー!」

「アトラクションだけじゃなくて、外国の本物のお城を丸ごとそのまま移築したりして、施設全体が別世界みたいに綺麗だってテレビで言ってました」

 

 薫たち三人は手に取ったチケットを様々な角度から眺めて目をキラキラさせている。

 

「でも、ここってまだプレオープンで限られた人しか入れないんですよね。よくチケットが取れましたね」

 

 奥沢さんは表面上は冷静に振る舞っているが、それでも興奮から頬に朱が刺しているのがはっきりと見てとれた。

 

 そんな奥沢さんに、ペグ子が満面の笑みとピースサインで応える。

 

「ええ! だってこの『ファンタジアランド』は、パパが沢山お金を出して造ったんですもの!」

 

 このペグ子の言葉に、俺と奥沢さんの体がピシリと石化したように固まる。

 

「……え、ということはですよ、もしかして、こころのお父さんは『ファンタジアランド』の株主ということでは……」

「そうね! 確か発行された株式の50%位を保有して筆頭株主? というのをやっているらしいわ!」

「いや、それ株主というよりも経営者じゃねーか!? 単に自社株を買い込んでるだけだろ! つーか、この規模の遊園地の株式の半分を単独で保有できるってどんだけ資産持ってるんだよ……」

「ですね……」

 

 ぱねぇ……。(しん)さん、マジでぱねぇ……。

 

 新進気鋭のテーマパーク「ファンタジアランド」が、まさかほとんどペグ子のパパ上のものだったことに、俺は改めて心さんの凄さに驚くのだった。

 

「とにかく、今度の週末はみんなで『ファンタジアランド』よ! みんなちゃんと予定を空けておいてね!」

「はーい!」(×5)

 

 ペグ子の言葉に俺はみんなと同じように返事をする。

 

 俺としても特に断る理由もなかったし、バンドでの作曲やパフォーマンスのためにも様々な経験を通してのアウトプットは重要だ。特に今の《ハロハピ》のためにはこういう引き出しを増やすための活動が後々効いてくることになるだろう。

 

 まぁ、折角だし俺は俺で色々楽しませてもらいますかね。

 

 日本有数のテーマパークにタダで入れるのだから、たまには引率者ではなく純粋に施設を楽しむのも悪くないだろう。もともとこういう場所は俺とは縁遠い世界なので、俺自身のアウトプットを増やす意味でも、今回のテーマパークは貴重な時間になるだろう。

 

 小学校の頃に遠足が近づいてきたときに感じていたようなワクワクした気持ちを久しぶりに感じながら、俺は週末が来るのを心待ちにしていたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ふぃー、気持ちのいい秋晴れだな」

「そうですね~。ふわぁ……油断しているとあくびが出ちゃいます」

 

 からりと晴れた秋晴れの空を眺めて俺がつぶやくと、隣を歩く松原さんが同意する。

 「ファンタジアランド」入園当日、俺は松原さんを家まで迎えに行ってそこから二人で待ち合わせ場所までてくてくと歩いていた。

 

 俺がわざわざ松原さんを迎えに行ったのは、もちろん彼女の天文学的な方向音痴を警戒したためだ。

 松原さんの方向音痴はもはや芸術と言って差し支えないレベルで、懇切丁寧に道順を教えて歩き始めた瞬間に逆方向に進み出すこともあれば、スマホのナビの案内に従うと、指示された道の一本奥の道を曲がり始めることなどざらにある。

 

 今回の「ファンタジアランド」は遠方にあるため、駅から電車を乗り継ぎ、新幹線に接続して向かう手筈になっている。万が一にも迷子で時間に間に合わないなどということがあってはならないのだ。

 

 そのため、実は松原さんと一番家の場所が近かった俺が人力ナビゲーターを買って出たというわけだ。

 

「眠そうだね、松原さん。昨日は楽しみで眠れなかった?」

「ふぇ!? ……じ、実はそうなんです。朝もどんな服で来ようかなって、早起きして悩んじゃって」

 

 そこまで言うと松原さんは恥ずかしそうに俯く。

 

 そんな松原さんの今日のコーディネートは白の細身のブラウスに裾を折ったキュロット、足下はくるぶし丈の靴下とコンバースのスニーカーという、普段のふわふわヒラヒラしたタイプの服とはまた違った組み合わせだ。恐らく、アトラクションに乗るときの邪魔にならないように気を配ったのだろう。

 俺は、鏡の前であーでもないこーでもないと色々な服を引っ張り出して悩み、いつの間にか家を出る時間が来てあたふたしている松原さんの姿を頭の中に思い描いて思わず笑みを溢す。

 

「あっ、鳴瀬さん! もしかして何か失礼なこと考えてますか?」

「えっ」

 

 しかし、そんな俺の笑みは松原さんに気づかれてしまったようだ。

 

 松原さんは頬をぷっくりと膨らませて俺の顔を見上げてくる。怒っているのだろうが、ペグ子と同じでどう見てもハムスター的な可愛さが第一印象として刷り込まれてしまい全く迫力がない。

 

「いやいや、そんなことはないよ?」

「むー、でも鳴瀬さん、こころちゃんに対して失礼なことを考えてる時にたまにそんな風に笑ってますよ」

「えっ、マジで? そんなことはないと思うけどな~」

 

 うへぇ、松原さん、思ったよりも俺のことよく見てるな~。

 

 慌てて両手で頬を後ろに引き伸ばして笑みを隠すが、松原さんはじとっとした目で俺の顔を眺めてくる。

 

 うーん、気まずーい! なんとか流れを変えられないものか……。

 

 思ったよりも食い付いてくる松原さんに俺が戸惑っていたその時。

 

「やぁ、花音! そして、Mr.鳴瀬! いい、行楽日和だね!」

「あ、薫さん!」

「おっ、薫か。おはよう」

 

 丁度いいタイミングで、正面の道から手を振りながら薫がこちらに駆けてきた。

 

「なんだ薫、今日は何時もより遅いじゃないか。薫のことだからもう集合場所に行ってるのかと思ってたよ」

 

 俺はこれ幸いとばかりに薫に話を振る。とりあえずこれで松原さんとの話を有耶無耶にするのだ。

 

「ふふっ、実は昨日の夜に今日は何を着ていこうかすっかり迷って夜更かししてしまってね」

「あ、薫さんもそうだったんですね」

「ああ、それで朝寝坊してしまったから途中まで(シルバー)に乗って走って来たんだが、警察に停められてしまってね」

「ちょっと待った、なんか急におかしくなった」

 

 突如として飛び出した「馬に乗って走って来た」というパワーワードに戸惑った俺が話を制しようとしたが、薫の口は止まらなかった。

 

「馬は軽車両扱いだから、道交法を守れば路上を走ることができると説明するのに時間を取られてね、結局こんな時間になったというわけさ。馬も学校の厩舎に繋ぐ時間もかかったしね」

「う、馬さんって軽車両の分類なんですね……」

「明日使えないどうでもいい豆知識が増えたな……」

「馬は公道で乗るのに免許証も必要ないからね。それでも、ちゃんと手信号で右左折の合図も出すし、交差点は全て二段階右折で曲がってきたよ。警笛がわりの笛もほらこの通りさ」

 

 そう言って薫は胸元のネックレスを指でつまみ、そのペンダントトップを示す。そこには細長いタイプのシルバーの笛がキラリと光っていた。

 

 そんな薫の今日のファッションは、長い紫の髪が風で靡かないように、後頭部の下部で丁寧に編み込んでバレッタで留めてある。

 服は髪の毛の色よりやや濃い紫のノースリーブのタートルネックのセーター、下は白のチノパンに紺のデッキシューズという普段よりも少しラフな格好である。

 しかし、髪留めのバレッタや、ネックレス、腕につけたバングルなどのアクセサリーを全てシルバーで統一することで、いつもの王子様然とした姿ではない、女の子らしい可愛らしさが演出されているのは流石だ。

 

 この辺りのセンスの良さはやはり薫は頭ひとつ抜けている。

 

「笛もファッションの一部にしてしまうとは流石だな」

「ふふっ、お褒めに預かり光栄至極だよMr.鳴瀬」

 

 いつもと違う服装でいつも通りの芝居がかった台詞を吐く薫に、思わず首を竦めてしまう。

 

「やれやれだな。というか、薫。お前王子様っぽいとは思っていたが、本当に馬にまで乗れるんだな」

 

 実際に王子様っぽい人間は演劇の世界ではそこそこいるが、その中で乗馬ができると聞いたのは薫が初めてだ。

 

「ああ、前に演劇で正に白馬の王子役が当たってね。役作りのために乗馬部に頼んで教えて貰ったのさ」

「拘りがすげぇな!」

 

 薫のキャラ作りに関してはもう今までの付き合いで大分分かっていたと思っていたが、ここまでの話を聞かされたらさすがに脱帽せざるを得ない。

 

「もちろんやるからには手を抜かないのが私さ。本番で馬に乗った私がステージで決めポーズをとった瞬間、客席の子猫ちゃんたちが20人近く失神して搬送されたのは今でも演劇部の語り草だよ」

「薫ってさ、前世はメデューサとかバジリスクとかそういう系の魔物だったりしないか?」

 

 あまりにも規格外な薫に、俺は思わずツッコミを入れていた。ちなみに例に挙げたメデューサとバジリスクはどちらも視線で人を殺せる魔物だ。

 

「何を言っているんだ、Mr.鳴瀬。私の前世は子猫ちゃんたちに愛を振り撒く王子様に決まっているじゃないか!」

「もしお前が王子様だったら、無駄にその気にさせた女の子に後ろから刺されて死んでるだろうな」

 

 無自覚女ったらしの薫のことだ、きっと刺されて倒れるときにはその背中はハリネズミのようになっているに違いない。

 

「ははは、私はこれでも子猫ちゃんを平等に扱うことには慣れているんだ。そんなミスは犯さないさ。……むしろ、私よりも君が背中に気を付けた方がいいんじゃないか、Mr.鳴瀬?」

「俺? ははは、それこそ無い無い」

 

 薫の言葉を俺は高笑いしながら右手を左右に振って否定した。

 

 俺は元々バンド一筋でここまで来たから、今まではそこまで恋愛に興味はなかった。だから、生まれてこの方、女の子に対して思わせ振りな態度や仕草を取ったことは何一つ無い。「火の無い所に煙は立たぬ」というやつだ。

 

 ……まぁ、それはそれでいささか寂しくはあるけども。

 

 しかし、そんな俺の言葉に薫と松原さんは、お互いに顔を見合わせたあとで、それぞれの口から大きな溜め息を一つずつ吐いた。

 

「Mr.鳴瀬、そういうところだよ」

「鳴瀬さん、そういうところですよ」

「えっ、何? 俺、誰かから刺されるの?」

 

 何、何なの? 俺の知らないところで謎の女が俺を狙ってるの?

 

 正直、心当たりといっても俺がよく知っていると言えるレベルの女性は《ハロハピ》メンバーと《ハニースイートデスメタル》のSAKIさんぐらいなものだ。

 それに、SAKIさんとの件はライブの時にけりがついているから問題はないはずなのだ。

 

 じゃあ、俺は誰に刺されるの!?

 

 本気でわからない俺が首を捻っていると、薫がやれやれ、といった調子で首を竦めた。

 

「私からは何とも言えないよ。自分の胸に手を当てて考えてみるといいさ」

「えー、マジかー……」

 

 梯子を外された俺は今度は松原さんの方に助け船を求めるも、彼女も今はつれない態度だ。

 

「そうですね。鳴瀬さんは一度ゆっくりと考えた方がいいですよ」

「ま、松原さんまで……」

 

 結局、そのあとどれだけ首を捻っても答えは浮かばず、俺たちはそのまま駅ですでに待機していた残る《ハロハピ》三人組と合流することになった。

 

 俺は駅で合流した三人にもこの件についてのアドバイスを求めたのだがーー

 

「そういうところよ、鳴瀬!」

「鳴瀬くん、そういうとこだよー?」

「鳴瀬さんってそういうところありますよね」

「そういうところってどういうところなんだよ……」

 

 ーー結局、三人からも二人と全く同じ対応をされた俺は、釈然としない気持ちのまま「ファンタジアランド」に向かう列車に揺られたのだった。

 

 

 ……いや、マジで心当たりが無いんですけど!

 

 




あんまり長く投下しないのもあれなのでここで一旦投下!

多分3分割になるかな~? 導入なので薫さん成分は少なめ。二話から多めにするよ!


【アンケートの協力依頼】

 薫さんのサイドを投下した時点でアンケートを花音先輩のものに差し替えます。花音先輩のルートは以下の二つです。

お買い物ルート

 時系列が遡って、初ライブ前。鳴瀬くんのお宅訪問の時にスティックを貰った花音先輩。その内の一組が手にしっくりときた花音先輩は、いつもそのスティックを使っていたが、ある日そのスティックが折れてしまう。
 花音先輩が悲しみに暮れていたその時、鳴瀬くんがスティックを売っている店を知ってると声をかける。
 しかし、極度の方向音痴の花音先輩が1人では行けないと困っていると、鳴瀬くんが道案内を買って出て、二人は二人きりでのお買い物に出かけることに……。

レッスンルート

 鳴瀬くんのお宅訪問の時に約束していた個別レッスンを頼む花音先輩。《arrows》のスタジオの一部屋を借りて二人っきりの猛特訓を始める。
 最初はぎこちない二人だったが、練習が熱を帯びるに従って、二人の距離はどんどん縮まっていき……。

という感じのルートになります。

まだ決定ではないのですが、どちらのルートにもオリキャラとして花音先輩のお母さんをチョイ役で出すのと、《バンドリ》からまだ登場していないバンドの誰かをスポットで登場させるつもりです。
《バンドリ》のキャラはどちらのルートでも同じキャラが出るのでルートによる違いは無いです。

皆様のアンケートへのご協力をお待ちしております! あなたの清き一票がこの作品の未来を変えます!


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野良ベーシストは夢の国へと旅立つ(中編1)

続きました。

皆様お久しぶりですことよ! わたくし、もう少しで失踪holidayするところでしたわ!

というわけで薫編の二回目です!
今回はまだ薫要素薄めです。薫編は後二回を想定していますが、残りの二回に乙女チック重点でいきます。

松原さんのサイドストーリーに関するアンケートは薫編終了まで残すのでよろしくお願いしまっす!


「おー! これがファンタジアランドか。思ったよりもそれっぽいな」

 

 あのあと、ペグ子たちと合流を果たして無事にファンタジアランドに入園した俺は思わず歓喜の声をあげていた。

 

「えーっと、ここは中世ヨーロッパゾーンみたいですね。当時のヨーロッパの町並みをリアルに再現しているらしいですよ」

 

 奥沢さんが手元のパンフレットに目を落としながら解説を入れてくれる。

 

 奥沢さんの言う通り、このストリートは木と漆喰でできた外観を持つ欧州風の建物で統一されている。吊り下げられた看板なんかもエイジング加工された金属や木材でできたものでいかにも本格的だ。

 

「ふむ、完璧にお飾りの建物だけじゃなくて、実際に中に入れる建物も多いようだね」

「そうなんですね! 後でみんなで入ってみませんか?」

「うん! はぐみ、みんなで写真が撮りたーい!」

 

 実際に建物に入れるということでみんなは大いに盛り上がっている。確かに、これだけ本格的な建物だ。インスタのようなSNSに写真を投稿している人間にとってはさぞかし映えるスポットは多いことだろう。

 

「うーん、それもいいけどやっぱりまずはアトラクションよ! さぁ、鳴瀬! 早く奥のアトラクションゾーンに行くわよ!」

「うぉ!? おい、いきなり腕を引くなこころ!」

 

 右手で大通りの奥を指差しながら、左腕を俺の腕に絡ませてぐいぐいと引っ張るペグ子に、危うく転びそうになった俺は抗議の声をあげる。

 

 ペグ子はいつもよく見る赤と白のボーダーの某有名漫画家風のTシャツにデニム生地のオーバーオールというファッションだ。

 

 ただ、いつもと違うのは奥を指差すその右腕に凝った意匠を施されたレザーブレスレットが巻かれていることか。そして、そのブレスレットは俺も含めた《ハロー、ハッピーワールド!》メンバー全員の腕に巻かれている。

 実は、このブレスレットはファンタジアランドの一部の株主にのみ配られるファンタジアランドの永年パスポートだ。ブレスレットの中にはチップが縫い込まれていて、これを着けていれば今後ずっと入園とアトラクションは全てタダ、しかもアトラクションはファストパス扱いという代物である。

 

 ちなみに、このブレスレットすでにネットではオークションにかけられていて、ウン百万の値段で落札されていた。

 

 ……やっぱりペグ子はぱねぇな。

 

 こんなすごいものをさらりとみんなにプレゼントできる弦巻家の財力に改めて俺は舌を巻いた。

 そもそも、今日の入園者は全員がプレオープンに何かしらの招待を受けた人たちばかりのはずだ。にもかかわらず、入園の際にペグ子が招待チケットをゲートの係員に見せると支配人らしき壮年の男性が飛んできて、俺たちは別のゲートに案内されて、このブレスレットを渡され説明を受けてからすぐに入園の運びとなったのだ。

 

 選ばれし者たちの中でさらに選ばれし者、ペグ子。

 

 そんな頂点を極めた少女は、今俺の腕を取ってキラキラとした笑顔で笑っている。それは、そんな選ばれた存在であることを微塵も感じさせない年頃の少女に相応しい屈託のない笑顔だった。

 

 ペグ子が、こんな性格で本当によかったな。いや、そもそもこんな性格じゃなければ、今こうやって《ハロハピ》を一緒にやってはいなかっただろうな。

 

 俺はそんなことをしみじみと感じながら、周囲の視線を一身に浴びてペグ子にズルズルと引きずられていくのであった。

 

「だから引きずるなって言ってんだろぉ!?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「着いたわ! まずはティーカップよ!」

 

 ペグ子に引きずられた俺たちが真っ先にたどり着いた場所、それはティーカップのアトラクションだった。

 くるくると回るカップの中に座って回るこの有名なアトラクションは、ファンタジアランドでは多少アレンジされていて、ティーカップだけではなくポットやジャムの瓶といった様々なデザインのシートが用意されていて、まさにテーブルの上のお茶会といった風情になっている。

 一度乗っても次はまた別のシートに乗れば新しい体験ができる何度も楽しめる凝った作りのようだ。

 

「おー、ティーカップか、定番だな。昔、妹と一緒に乗った記憶があるぞ」

「へー、鳴瀬さんって妹さんがいたんですね」

 

 俺の言葉の意外な部分に松原さんが食い付いてきた。

 

 あー、そういえば俺、妹の話はしてなかったか?

 

「ああ、みんなと同じぐらいの女子高生だよ」

「そうなんだ! ねぇねぇ、妹さんってどんな感じの子なの?」

「んー、そうだな。楽器の演奏能力に人間性と女子力の全てのパラメーターを振り分けたような奴だよ」

「……それって人としてどうなんですか?」

 

 呆れたような調子で問いかけてくる奥沢さんに、俺は大きく頷く。

 

「うん、人としてはカス以下だな。もし、再び合間見えることがあれば、間違いなく血を見ることになるな」

 

 前に実家に暑中見舞いを送ったときに、追伸を読んだ妹からかなりの剣幕でメッセージが送られてきたので、まず間違いなくそうなるだろう。

 

 しかも、妹は楽器以外にも空手を嗜んでいて茶帯を絞める実力者なので血に染まるのは間違いなく俺の方だ。

 

「そ、それは穏やかではないね」

「その通り、全く穏やかじゃない。だから当分実家には帰らないつもりだ。さぁ、そんなことよりも早くアトラクションに乗ろう」

「そうね、時間は限られているんですもの! さぁ、行きましょう!」

 

 ぎこちない笑みを浮かべる薫に応えながら俺はみんなを急かしてアトラクションへ向かう。折角楽しい場所に来ているのに、何が悲しくて我が愚妹のことを考えなければならないのか。

 

 そうして俺たちは数あるシートの中からスタンダードなティーカップのタイプに腰を落ち着けた。

 係員の「それでは、アトラクション『妖精のお茶会』をお楽しみください。アトラクションが完全に止まるまでお席をお立ちにならないようにお願いします」という注意の言葉と共にティーカップが動き出す。

 

「きゃー♪ 動き始めたわ!」

「ああ、煌めく世界がくるくると巡ってなんて儚いんだ!」

「わーい! 楽しいねー!」

「わぁ……、周りのシートもくるくる回って素敵だね」

「おー、カップばかりじゃないからなんだか新鮮ですね」

 

 回りだした世界を眺めてみんなが思い思いの感想を口にする。

 

 うーむ、確かにこれはいい感じだな。

 

 俺もティーカップの中で緩やかに回る世界を眺めて、その美しさに息を飲む。くるくる回る世界は、ガラス瓶のシートやティーカップのシートのような透明の座席が間に入るとさらには歪んでその姿を変えていく。ゆっくり眺めていても中々飽きが来ないような仕掛けだ。

 

 そのまましばらく景色を楽しんでいると、ペグ子が辺りをキョロキョロと見回して首を傾げた。何やら腑に落ちないといった様子だ。

 

「どうしたこころ? 何か気になるのか?」

 

 気になった俺が尋ねるとペグ子は頬に人差し指を当てながら唸る。

 

「うーん。鳴瀬、気づいたのだけどわたしたちのカップ、なんだか他のカップよりも回転が遅くないかしら?」

「ああ、そのことか。それはーー」

 

 この手のティーカップのアトラクションは中央の手すりを兼ねたハンドルを回転させるとその分速く回転するようなギミックが仕込まれているものだ。遊園地に疎い俺でもそれくらいの知識はある。

 

 しかし、そのことをペグ子に伝えようとした俺の脳に電流が走った。それは俺の身を守ろうとする防衛反応に他ならなかった。

 

 このまま事実をペグ子に伝えると絶対にろくでもないことが起こるーー!

 

「ーー気のせいじゃないかな? あるいは、シートごとに少しずつ回転速度が違うのかもしれないぞ」

「そうなのかしら?」

 

 すんでのところで俺は最悪の事態を回避して軟着陸を果たした。ペグ子から視線を離すと、俺のことを真剣な眼差しで見つめる奥沢さんと松原さんの二人と視線があった。お互いに目配せをしながら、俺たちは首の皮一枚のところで命が繋がったことを確かめ頷きあった。

 

 だが、その時俺たちは気がついてはいなかった。

 

 俺たちには塞がなければならない口がまだ他に残っていることに。

 

「ああ、そのことかいプリンセスこころ。このカップはだね、真ん中の手すりがハンドルになっていてね、これを回転させるとその分回転速度が上がる仕掛けがあるのさ!」

「か、薫! お、おまっ、な、な、なんてことを!」

 

 思わぬところからネタばらしを食らった俺は、慌てて薫の口を塞ごうとするも、アトラクションが動いている時には立ち上がることもできず、対面の薫の口を塞ぐことは叶わなかった。

 

 俺は油の切れかかったブリキ人形のような緩慢な動作でペグ子の方を振り返る。彼女はまるでそれ自体が光を発しているかのような満面の笑みを浮かべていた。

 

「まあ! それはとーっても素敵なことを聞いたわ!」

 

 ペグ子は満面の笑みのまま、がっしりとティーカップのハンドルを握る。

 

「こ、こころ、ちょっと待つんだ……」

 

 慌てて俺が静止しようとするも、それよりも先にハンドルを握る手が更に二本増える。

 

「よーし、そういうことならはぐみも回しちゃうぞ~!」

「ナイスよはぐみ! わたしたち二人なら他の誰よりも速くこのカップを回せるわ!」

 

 あ、ダメだ。これはもう止められないやつだ。

 

 形勢の不利を悟った俺はせめて自分が飛び出さないようにカップの縁をがっしりと腕で挟む。

 気がつけば既に奥沢さんと松原さんはシートの端をがっしりと握りしめていた。ただ一人、この後起こるであろう恐ろしき事態に想像が巡っていない薫だけが未だにノーガードでキザなポーズをとっていた。

 

「いいかい、二人とも。まずは様子を見て少しずつ……」

 

 俺は最後の望みを託して、二人に声をかける。

 

「「いっく(わ)よ~! それーー!!」」

「回  し   て    い    っ    て      ~!?」

 

 しかし、俺のそんな願いの言葉は反比例のグラフが如く回転数を上げたティーカップの遠心力に負ける形で散り散りに千切れ飛んでいったのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……やっべぇ、地面が揺れてる……。いや、俺が揺れてるだけか……」

 

 数分後、ティーカップから這う這うの体で降り立った俺たち(ペグ子と北沢さんは除く)は、ティーカップのすぐ横のベンチで小休止をとっていた。

 

「楽しかったわね!」「ねー!」

 

 にこにこと爽やかな笑顔で笑い合う二人に対して、奥沢さんと松原さんの二人はベンチに全体重を預けて早くもグロッキーモードである。

 かく言う俺もなんとか立ってはいるものの、両手をひざについてしばらくは一歩も動けそうにない。

 

「おやおや、Mr.鳴瀬はもうお疲れモードかな?」

 

 そういって声をかけて来たのは薫だ。薫はカップの遠心力で乱れた髪をキザな仕草で掻き上げて表面上は平静を装っている。

 

 しかし、その足元が生まれたての小鹿のように内股になってプルプル震えていることを俺は見過ごさなかった。

 俺は無言で鞄からスマホ用の自撮り棒を取り出すと、するすると先端の方を手に持ってグリップの側を薫に向けて伸ばす。

 

「そう言う薫も足にきてるだろうがっ!」

 

 そして、俺は薫のプルプル震える足に向かって自撮り棒のグリップを容赦なくツンツンと突き立てた。

 流石の薫もこれには参ったようで、額に冷や汗を浮かべて苦しみ悶え始めた。

 

「くはっ!? や、やめたまえMr.鳴瀬! そ、それはセクハラというものだぞ!?」

「やかましい! 最初に煽ってきたのはそっちだろうが!」

「あっ、だ、ダメだ! あああっ!」

 

 俺の猛攻に耐えられなく為った薫はそのままふらふらと逃げ出して、三人目のベンチの住人になった。

 

「ふっ、これに懲りたら喧嘩は相手を見てしかけることだな」

「き、肝に命じようMr.鳴瀬……」

 

 疲れているのに無益な争いをしたせいで再び息が荒くなった俺たちを尻目に、ペグ子と北沢さんの元気印二人は園内マップを広げてもう次の目的地を品定めしていた。

 

「次はどこに行こうかしら!」

「うーん、いっぱいあって迷うよー!」

「おーい、こころ、北沢さん、ちょっといいか?」

「あら、どうしたの鳴瀬?」

「んー、鳴瀬くんどうしたのー?」

 

 マップを眺める二人の背中に声をかけると二人は同時にくるりとこちらを振り向く。

 

「二人、というかみんなに提案があるんだけどいいかな?」

「ん、なんだいMr.鳴瀬?」

「……提案、ですか?」

「ふーん、とりあえずお聞きしてもいいですかね?」

 

 俺の言葉にベンチでグロッキーだった三人も顔と体を起こす。全員の注意がこちらに向いたことを確認してから俺は話を続ける。

 

「これから回る世界をアトラクションの順番だけどさ、くじでペアを作って決めないか?」

「ペア、というとどういうことかしら?」

 

 首を傾げるペグ子に俺は更に説明をする。

 

「くじ引きでペアを3つ作って、それぞれのペアが行きたいって言ったアトラクションをローテーションで回るんだよ。そうすれば行きたいアトラクションが片寄らないだろ? それにアトラクションのシートってペアが多いから、先にペアを決めておくとスムーズに乗れるだろ」

「なるほど! それはいい考えね!」

 

 俺の提案の意図を汲み取ったペグ子が大きく頷く。他のみんなからも異論はないようでみんなが俺を見て頷いていた。

 

 それを確かめると、俺は鞄を漁ってそこから紐でできたくじを取り出した。

 

「おっし、それじゃあこれがくじな。先端の色が同じやつ同士がペアだぞ~」

「よーし、わたしがいっちばーん!」

「じゃあ、はぐみにーばん!」

 

 俺がくじを差し出すと真っ先にペグ子と北沢さんがくじを引き抜く。

 

「みんな、わたしは赤よ!」

「あっ、はぐみも赤だよ~! よろしくねこころちゃん!」

「よろしくね、はぐみ!」

 

 俺の手から赤色のくじを引き抜いた二人が顔を見合わせて笑い合う。微笑ましいその姿を見て俺は心の中で思う。

 

 ……計画通り、計画通り!、計画通り!!

 

 実は、俺が手に持ったこのくじにはしかけがある。俺が作ったくじは全部で十本。内六本は赤色で先端を塗ってある。

 そして、今ペグ子と北沢さんに差し出したくじは全て赤色のものだ。つまり、どう転んでも二人は赤のくじを引いてペアになったのだ。

 

 俺がこんなことをしたのは、もちろん(俺も含む)他のメンバーへの配慮である。

 

 ……あの二人がバラけると、過激なアトラクションを連発して選ばれるかもしれないからな。そうなると身が持たんぜ。

 

 空気を一切読まないペグ子と、花丸元気印の北沢さんが別々のペアで舵取りを始めると絶叫系アトラクションを連発等という恐ろしい事態になることも考えられた。

 俺や薫はともかく、松原さんと奥沢さんの二人にとってそんな事態はあまりにも酷だ。

 

 故に、これはズルではなく必要な配慮! 決してウォータースライダーでペグ子とペアになったことを根に持ってるわけではないぞ! うん!

 

 内心で誰かに対しての弁明をしながら、俺は振り返りつつ右手の赤ばかりのくじをこっそりしまいながら、左手に握り込んでいた別の色のくじを残る三人に差し出した。

 

「それじゃあ、三人もくじを引いてくれ。俺は残ったのにするから」

 

 そう言うと三人は顔を見合わせた後、俺の手から伸びるくじを摘まみ、勢いよく引き抜いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「それじゃあ、よろしくね美咲ちゃん」

「あー、ほっとした。よろしくお願いします花音先輩」

「……」

 

 数分後、俺はにこやかな笑顔で会話を交わす松原さんと奥沢さんを眺めていた。彼女たちの手には先端が緑に染まったくじが握られている。

 

 そして、俺の手に残ったのと同じ青色のくじを握っているのはーー

 

「ああ、Mr.鳴瀬が私のペアとはね! お手柔らかに頼むよ」

「……薫かぁ、こっちこそお手柔らかに頼むぜ」

 

 ーー《ハロハピ》の王子こと瀬田薫だった。

 

 ……うーむ、できれば松原さんか奥沢さんと組むのが安牌だったんだがなぁ。まぁ、予測がつかないところがある薫を俺が拾ったと考えればそれもありなのか?

 

 できれば常識人枠のどちらかと組みたかった俺を待っていた運命は薫とのペアだった。

 パワフルでエネルギッシュなペグ子と北沢さんのどちらかと組むよりも疲労の溜まり方はまだましだろう。

 

「さぁ、それじゃあ私たちもどのアトラクションを選ぶか相談しようじゃないか、Mr.鳴瀬! 私は儚いアトラクションが好みかな!」

「儚いアトラクションってなにさ!?」

 

 しかし、ましなだけであって疲労が溜まることには変わりない。むしろ、薫の相手は別のベクトルで疲労が溜まりそうだ。

 

 まぁ、なるようになると思うしかないかぁ。

 

 そんな半ば投げやりなポジティブ精神を発揮しながら、俺は薫と肩を寄せあって園内マップを眺めるのだった。




はーい、というわけでリハビリもかねて少し短めの投稿でした!

なんでこんなに間が空いたかというと、実はお仕事の方で急遽キラーパスで役職が渡されたので、10月がスーパー忙しい月間になったのDEATH! 休み2日しか無かったし! 出張3回もあったし! 死ぬ! 死ぬる! 死んだ!(三段活用)

実はこの作品は現実の季節とリンクさせて進めたいな~と密かに考えていたのですが、これでめちゃんこ計画が狂いましてよ?(震え声)

とりあえず、年内完結から年度内完結を目標にハードルを下げますわよ! というか、年度を跨ぐと仕事がガチモードになるのでマジでエタる可能性が高いですの!

投稿もめちゃんこ不定期になりそうですけど頑張るのでよろしくお願いしますわ!


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野良ベーシストは夢の国へと旅立つ(中編2)

続きました。

薫編の中編その2!

投稿できる内に頑張って短期集中投稿していきたいですわね!

ここから少し薫さんの乙女チックを注入していきますわよ!


「それじゃあ、わたしたちは最初のティーカップを選んだことにして、次は鳴瀬か花音のペアが決めて頂戴!」

「お、マジか」

 

 あれからしばらく、ティーカップの衝撃から立ち直った俺たちがマップを見ながらあーでもない、こーでもないと言い合っていると、ペグ子の口からそんな言葉が発せられた。

 どうやら、ティーカップは彼女が引きずって行ったこともあってペグ子ペアの最初の一回に充てるつもりらしい。

 こちらとしても特に不都合もないので、俺はこの言葉を受け入れた。

 

「んじゃ、松原さん、奥沢さん、どっちが先に決めようか?」

 

 俺が松原さんペアに話を振ると、二人もマップから顔を上げて、お互いの顔を見て軽く頷き合ってからこちらを見る。

 

「あー、私たちは少し時間がかかりそうなので良ければ先に鳴瀬さんたちがお願いします」

 

 奥沢さんがそう答えている間に、既に松原さんはまたマップに視線を落としていた。どうやらかなり悩んでいるらしい。

 

「了解~。じゃあ薫、どうしようか?」

 

 松原さんペアの提案に乗った俺は薫に話を振る。

 

 正直、このペアになったときは俺が薫の舵取りをすることを考えたものの、こういうテーマパークから10年近く遠ざかっていた俺にはあまり良い案がないというのも事実だった。

 

 初めは薫に決めてもらって、あからさまにヤバそうなら口を挟むようにするか。

 

 そんなことを心の中で考えていると、薫が顔を上げてこちらを見た。

 

「ふっ、なら二つ目のアトラクションは私に任せてもらおうか! 私が提案する二つ目のアトラクション、それはミラーハウスだ!」

「おおー!」(×5)

 

 なるほど、建物系のアトラクションならゆっくり回れるからいまだに残るティーカップのダメージを癒しながら回るのに丁度良い。

 

 俺は意外にもよく考えられていた薫の選択に舌を巻いた。

 

「中々いい提案じゃないか、薫」

 

 素直に俺が薫の選択を誉めると、薫はお馴染みの眉を八の字にするどや顔で応える。

 

「ふっ、そうだろうMr.鳴瀬。ゆっくり歩けるアトラクションは私たちの疲労回復にはもってこいだ。それにーー」

「それに?」

「ーーミラーハウスには鏡が盛りだくさんだ。すなわち美しい私の姿を一時とはいえ大量に見ることができるわけだ! ああ、なんて儚い!」

「……感心した俺がアホだったわ。おーいみんな、移動するぞ~、ついてこいよ~」

「ああ!? 待ちたまえMr.鳴瀬!」

 

 ナルシストここに極まれり。俺は妄言を吐き始めた薫を放置して、他のメンバーを集めるとミラーハウスに向かって、てくてくと歩き始めたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「おおぅ……これは凄まじいな。感覚が狂うぞ……」

 

 ミラーハウスはティーカップからさほど離れていない場所にポツンと建ったお屋敷という風情の建物だった。

 外観は普通の家だが、いざ建物の入り口を潜るとそこから先は鏡、鏡、鏡……恐るべきまでの鏡地獄である。

 

 つーか、ティーカップの直後にこれはちょっと判断ミスだったか? せっかく戻った感覚がまた狂い始めてきたぞ……。

 

 遠心力によって振られた脳にとって、この鏡の迷宮は中々に堪える。自然と足取りが覚束(おぼつか)なくなってゆっくりとしたペースになる。しかし、それが迷宮への拘束時間を増やしてますます脳がこんがらがってくる。

 

「おーい、薫。大丈夫か?」

 

 俺は、俺からやや遅れた場所を進む薫に声をかける。

 

 ミラーハウスは建物を使ったアトラクションということで通路の関係上全員で一気に入場というわけにはいかなかった。現在、俺はペアの薫と一緒に入場している状態というわけだ。

 

「ああ、大丈夫だともMr.鳴瀬。私はこの通りなんの問題mぐはぁ!?」

「か、薫!?」

 

 足元がふらついた薫がしこたまガラス張りの柱に頭をぶつけた。

 その場に踞って額を押さえる薫に、慌てて俺は駆け寄る。

 

「大丈夫か? 結構いい勢いでぶつかったように見えたけど」

「……あ、ああ。ふっ、ふふっ、鏡に映る自分の姿に思わず見とれてしまってね。不覚をとったよ」

「アホかお前は。ほら、手を貸してやるよ。立てるか?」

「ああ、すまないね鳴瀬君……」

 

 うーん、このポンコツ王子め。

 

 痛む額を擦りながら手を取って立ち上がる薫を、やれやれといった視線で見つめる。

 この数ヶ月で分かったことだが、薫はなんというか全てにおいて脇が甘い。舞台の上では完璧なのに、その反動なのか私生活のようなところになると途端にポンコツ感が増してくるのだ。

 

 それがある意味では、役者たる薫らしさなのかもしれないが。

 

「額が赤くなってるな。ここを出たらハンカチ水で冷やして来てやるから額に当てとけよ。傷でも残ったら大変だからな」

「助かるよ、鳴瀬君」

 

 額に手を当てたまま薫が深々とお辞儀をする。ダメージがあるというのにどことなく芝居がかった仕草をとるのは流石役者といったところか。

 顔を上げて軽く頭を左右に振ると薫はにこりと微笑んだ。

 

「よし、そうと決まれば早くここから出てしまおう。さぁ、出口に急ごうじゃないか鳴瀬君」

 

 少しダメージは残るものの、再び早足で歩き始めた薫の背中に声をかける。

 

「急ぐとまたぶつかるぞ。ここはマジで通路に見えて鏡だったってことが普通にあり得るからな。“Don't be hasty(焦らず). Stay sharp(慎重に).”だ」

「……! その通りだ鳴瀬君、確かに拙速にことを進めるのは良くないね、うん」

 

 ……やっぱり、英語でそれっぽいこと言うとすぐに反応するなぁ、こいつ。

 

 出会ってすぐに見抜いた薫の癖は相変わらずだ。俺との会話の中で彼女が残し始めた格好いい格言ノートが2冊目に突入した今でもそれは変わらない。

 

 正直、「松原さんを超えて《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーの中で一番御し易いのでは?」と思うこともあるが、薫の前では決してそのことは口にしない。

 

 ……だって、手綱を付けられる奴にはしっかり着けておきたいからな!

 

 普段、ペグ子などに振り回されている分、コントロールできる人間はコントロールしておきたいと思うのは人として正しい感情ではなかろうか。

 

「……鳴瀬君、そろそろ出口に進まないか?」

「おっと、悪い悪い。少し考えごとをしてた」

「やれやれ、Mr.鳴瀬は私と違って鏡にぶつかっていないのだからしっかりしてくれないと困るな」

「こいつ……」

 

 ダメージから立ち直って軽口を叩き始めた薫にじとりとした視線を送りながら俺はふと気づく。

 

 ……ん? なんか、さっきまでの薫とのやり取り、ちょっと変だったな?

 

 完全に復活した今の薫と先程までの薫。俺はどこかその姿に違和感を覚えた。

 

「……Mr.鳴瀬? 本当に大丈夫かね?」

「んぁあ、すまんすまん。出口だったな、すぐ行こう」

 

 再び考えごとで足が止まった俺に、今度は薫が心配そうに声をかけてきたので俺は思考を中断する。

 

 ……まぁ、そんなに悩むことでもないな。

 

 結局、俺は鏡の迷宮の中で覚えた違和感の招待を突き止めないままに、その中を抜け出したのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「うーん! 美味しいわねー!」

「はぐみのハンバーグも美味しーい! これ、すっごくいいお肉使ってるよ!」

「ふむ、はぐみがそう言うということは本当にいいお肉なんだろうね。ん、こっちのカルボナーラも濃厚な口当たりで美味しいじゃないか」

「私のオムレツはふわとろです~。デミグラスソースもおいひぃ、はふはふ……」

「どのメニューもかなり凝ってますねぇ。私は無難に美味しそうなカレーにしたんですけど、これならもう少しチャレンジしたメニューでもよかったかなー」

 

 時刻はもう昼頃になり、俺たちは園内のレストランの一つに腰を落ち着けていた。

 

 ファンタジアランドは、ハリボテじゃない実際に入れる建物が他のテーマパークに比べて多いことは先に述べたところだが、その建物の中には様々な食事を提供する店が多々ある。

 他のテーマパークと比較すると食事を扱う店の数は3倍に近く、和洋中と店舗ごとに多彩なメニューが客の混雑を緩和するのに一役買っていた。

 

 特にプレオープンの今は客の数も限られているので、俺たちが入ったこの店は貸し切り状態だ。

 そんな訳で俺たちはゆっくりとメニューを選ぶ時間があったのだが、このメニューがどれもリーズナブルでこちらを悩ませてくるのだ。

 大概こんなところでは所謂「夢の国価格」が適応されてどんなショボい料理でも最低1000円ぐらいはするものと覚悟していたが、これがなんとほとんどの料理がそれ以下に抑えられている。1000円を超えるメニューはステーキのように素材の原価が高い価格相応のものが提供されるようだ。

 

「お待たせしました。『ペパロニのピッツァ』でございます。窯出し直後で熱いですのでお気をつけ下さい」

「ありがとうございます。おお、これは凄い!」

「ピッツァは当店でもかなり力を入れているメニューなんですよ。それではごゆっくりどうぞ」

 

 そんなことを考えている内に、最後に俺の「ペパロニのピッツァ」が運ばれてきた。店内に設けられた石窯を使って焼く本格ピザは生地を捏ねるところから店内で行っている。今日は不在だったが、日によっては生地をジャグリングのようにして伸ばす「ピザ回し選手権」の入賞者もいるというのだから驚きだ。

 

 そんなこんなで一手間かけた俺のピザはみんなの料理よりも少し遅い提供となったわけだ。しかし、待っただけあって、その豪華さはかなりのものである。

 

「よっし、俺も食うか! いただきまーす!」

 

 六枚にカットされた内の一切れを掴むと濃厚なチーズの橋が皿の上に残されたピザとの間に生まれる。これを見るだけで喉がごくりと動いたのが分かった。

 添えられたフォークでチーズを切るといよいよそれを口に運ぶ。一口それを噛った瞬間、俺の口の中に幸福が弾ける。ごろごろのカットトマトが残ったソースの爽やかな酸味。そこに惜し気もなく乗せられたペパロニの辛さを濃厚なチーズが包んでほどよいアクセントにしている。

 とてもテーマパークのレストランのレベルではない、今まで食べた中でも表彰台に食い込むレベルのピザだ。

 

「う、美味い……」

 

 俺が感動で口元を手で押さえながらピッツァを味わっていると、ペグ子が興味津々といった感じで俺の方を見つめていた。

 

「鳴瀬、そのピザそんなに美味しいの?」

 

 ペグ子の言葉に俺は大きく首肯する。

 

「ああ、飾らずに言って、俺の人生の中で今まで食べたピザの中で三本の指に入るレベルで美味い」

「へぇ、そんなに美味しいのね!」

 

 俺がそう答えると、ペグ子の視線がテーブルの上に残された五切れのピザに注がれた。気がつけば他のみんなも俺のピザにその視線を注いでいる。

 

 ……嫌な予感がする。

 

 そう思った次の瞬間には、もうその予感は現実のものになっていた。

 

「鳴瀬! あなたのピザ、一切れ貰うわね!」

「あっ、こら、こころ!」

 

 そう言うや否や、ペグ子の手が素早く動いて俺のピザを掠め取った。慌てて左手のフォークで止めようとするも、フォークは伸びたチーズを切り裂くだけで終わり、むしろペグ子のアシストをしてしまった。

 唖然呆然とする俺の目の前で、憐れな俺のピザはペグ子の口に消えていく。

 

「うーん、おいしーい! 本当に美味しいわねこのピザ!」

「ああ、それは本当によくわかってるよ、ちくしょー!」

 

 まったく悪びれもせずにピザの感想を述べるペグ子。

 

 そして、それを皮切りに俺のピザに他のみんなの手が殺到した。

 

「はぐみも一切れもーらいっ!」

「あ! ちょ、まっ!」

 

 電光石火の早業で伸ばされた北沢さんの手に俺は全く反応できず、三切れ目のピザは北沢さんの口へと消える。

 

「ふっ、Mr.鳴瀬にそこまで言わせるピザ、味わわない訳にはいかないな」

「薫、お前! さっき助けた恩を忘れたのか!?」

 

 四切れ目を奪っていったのは薫だった。薫がいる側の俺の右手はまだ食べかけのピザを持ったままだったので、俺にはそれを止める術はなかった。

 

「わ、私も一切れ貰いますね。ごめんなさい鳴瀬さん!」

「ま、松原さんまで……」

 

 おずおずと遠慮がちに伸ばされた松原さんの手は払いのけようと思えばいくらでもそうすることができたが、ぷるぷると震えながら伸ばされたその手を払うことがどうして俺にできるだろうか(反語)。

 

 そうして、俺の皿の上にはもう一切れしかピザは残っていない。

 

 最後のピザに視線を落とすと、そこに伸ばされた最後の手が視界に入った。

 

「お、奥沢さん……」

 

 俺がその手の主に声をかけると、彼女はにっこりと微笑んだ。

 

「はーい、なんでしょう鳴瀬さん」

 

 少し間延びしたようないつもの返事で奥沢さんが応える。俺は彼女の目を見て次の言葉を発する。

 

「お、奥沢さんは俺のピザを取ったりしないよな?」

 

 そう言った俺の声は間違いなく震えていただろう。

 

 それを聞いた奥沢さんの顔には苦笑いが浮かぶ。

 

「やだなー、鳴瀬さん。私がそんなことをするはずないじゃないですか」

「……! そ、そうだよな! いやー、流石奥沢さんだよ!」

 

 流石奥沢さん! やっぱり《ハロハピ》の常識人枠の絆は硬かった! ありがとう、ありがとう奥沢さん!

 

 俺は、極めて全うな返事をしてくれた奥沢さんを脳内でこれでもかと讃えた。

 

 しかし、その後で俺は気付く。

 

 じゃあ、その伸ばされた手は一体何なのかと。

 

「もちろん私はただ貰うだけじゃなくてちゃんとお返しもしますよ。というわけでごめんなさい鳴瀬さん! 後で私のカレー、分けてあげますから!」

「あ゛~!!」

 

 そう言って奥沢さんの手が最後の一切れのピザを掠め取っていった。

 

 ま、マジか? 俺、一切れしか食ってないんだけど? ど、どういうことなんだよ……これ……。

 

 あまりの酷い仕打ちにただただ呆然とする俺の前で、《ハロハピ》のメンバーたちの手で次々と空いた皿の上に、彼女たちの食べていた料理の一部が乗せられていった。

 

 そうして、微妙なお子さまランチのプレートのようになった俺の皿を見ながら、申し訳なさそうな表情を浮かべてナイフとフォークを持ってきてくれた店員の気遣いを俺は決して忘れないだろう。




なんか中編2も長くなりそうだったので、ここで再度分割しますことよ?

少し休んでいた間に、なんだか私の執筆感覚がガバガバになっていますわね!(元から)

とりあえず、中編は次の3で終わらせますからそのつもりでいらして下さいな!


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野良ベーシストは夢の国へと旅立つ(中編3)

続きました。

薫編中編のその3!

ここで乙女チックを一摘まみ……(ドサー)
あら、間違えて一掴み入れてしまいましたわ!
まぁ、誤差の範疇ですわね!(暴論)



これを書いている時点で、日刊ランキング14位、総合16位、UA30000を達成しました!
投稿が長く空いたのにも関わらずランクインさせていただいてありがとうございます! アンケートへの協力、評価への投票、誤字報告も含め、様々な形で支えられ感謝感激でございます!
皆さんへのお返しはやはり作品を書くことだと思いますので、これからも頑張って書きまぁす!(書けるとは言ってない)


「それじゃあ、午後の予定を決めましょう!」

「さんせーい! 次は鳴瀬くんのチームだよ!」

「あー、次は俺んところか」

 

 騒がしかった昼食も過ぎ去り、そのままテーブルを囲んでだらだらと寛いでいた俺たちだったが、ついにペグ子たちが口を開いた。

 ここで食事を摂る前まで俺たちはペグ子、俺、松原さんのペアのローテーションを維持して3週程アトラクションを回していた。そして、四週目のペグ子たちの番が終わったところで昼飯時になったという具合だったのだ。

 

「んー、できればここから近くてまだ回ってないところがいいよな。薫はなんか希望はあるか?」

「ふっ、次のチョイスはMr.鳴瀬に譲らせて貰うよ。先ほど快くピザを譲ってもらったお礼さ」

「お前の記憶力ガバガバじゃねぇか! まったく……じゃあ俺が考えますよっと」

 

 そう言って俺は未だに尾を引く「《ハロハピ》ピザ強奪事件」を無理やり頭の片隅へ追いやると、テーブルの上のマップに視線を落とした。

 

 んー、今までの流れからすると、室内型の自分たちで歩けるアトラクションか。何があるかね。

 

 先程にも述べたが、俺たちは三週ほどアトラクションを回したが、その間にどのペアがどんなアトラクションを選ぶかが大体固定されていた。

 

 ペグ子たちのペアが激しい動きのあるライド系。

 俺と薫のペアは室内型の散策系。

 そして、松原さんのペアがゆったりしたタイプのライド系アトラクションといった塩梅である。

 

 こうすることで俺たちは様々なタイプのアトラクションをバランス良く回ることを可能としていた。

 

 そのことを念頭に置いた上で俺は考えを巡らせる。

 

 室内散策系はまだ結構残ってるんだよな。ただ、昼飯で(俺の心以外は)ゆっくりと休んだから、多少激しい内容でも構わないな。とすると、それでここから一番近いのはーー

 

「ーーおっ」

「おや、Mr.鳴瀬。次の目的地は決まったかい?」

 

 マップを辿る俺の人差し指がある場所で止まったことを確かめた薫が、俺に声をかけながら肩越しに地図を覗き込んでくる。

 

「ああ、ここは比較的近い場所だし、所要時間が長い。腹ごなしには丁度いいだろ?」

「ふむ、確かにこの場所なら歩いて5分とかからないね。なになに、アトラクションの名前は、ホラー……ハ、ウス……」

 

 アトラクションの名前を読み上げた瞬間、それまで元気だった薫の反応が、ゼンマイが切れかけのブリキのおもちゃのようにぎこちないものになる。

 

「そうそう、ホラーハウス。なんか、ここのホラーハウスって和洋折衷のデザインで、キャストが脅かしにかかってきて結構気合い入れてるみたいだぞ?」

「そ、そそそそうなのかい……? まぁ、で、でも結局はお化け屋敷なんてチープな作り物さ。だから、あえて回る必要もないんじゃないかな、うん」

「…………」

 

 こいつ……分かりやすいな、おい! 「そ」が多すぎるだろ! もっと自然にしろよ!

 

 あからさまに態度が変わった薫を見て、思わず出そうになったその言葉を俺はなんとか飲み込んだ。

 

 薫がお化けや怪談の類いが苦手だというのは、《ハロハピ》常識人メンバーの間では公然の秘密というやつだ。この無駄に気取っているくせに、めちゃくちゃ隙だらけなポンコツ王子様のイメージを守るために、俺たち常識人は薫に対してかなりの忖度をしているのだ。

 

 あー、そういえばちょっと前に《arrows(アローズ)》で怪談の話になったときも、薫は一人でキョドってたな。結局、あの日の帰りは俺が家まで送って帰ったし。

 

 俺は夏に《arrows》のスタジオで練習していたとき、ペグ子の思い付きで暑気払いのために怪談を話した時のことを思い出していた。

 

 俺の地元の中学校は夏の催しの一つに、夏の学校に泊まり込んで百物語をするという伝統があった。

 だから、俺はそこで仕入れた数々の怪談を臨場感たっぷりに《ハロハピ》の面々に披露して差し上げたのだが、あまりにも真に入り過ぎたその演技のせいで、怪談が一段落着く頃にはペグ子と北沢さん以外の腰が抜けていた。

 なんなら、ペグ子のお付きの黒服の人たちまでビビっていた。「サングラス」にまつわる怪談をしたのがまずかったのか、しきりにかけていたサングラスを外して辺りをキョロキョロ伺う黒服の人たちを見て、大変申し訳ない気持ちになったことを覚えている。

 

 話が脱線した。とにかく、その時にふらふらになって一人で帰れなくなった薫と松原さんと奥沢さんの三人を俺は家まで送って帰ったのだ。薫は松原さんと奥沢さんが一緒の時はなんでもないというような演技をしていたが、最後に俺と二人きりになった瞬間、足が残像を残すレベルでぷるぷる震え始めたので、家までずっと肩を貸してやったのだ。

 

 うーん、薫のことを考えればホラーハウスは避けてやってもいいんだが、いかんせん他の室内型のアトラクションがちょっと遠いんだよな。それに、薫には流れるようにピザを奪われた恨みもあるからな……。よし、ここは譲らんぞ!

 

 そうして、俺は効率半分私怨半分の思いでホラーハウスを推していくことを固く決意した。もちろん、私怨の部分は伏せておくわけだが。

 

「んー、確かに作り物かもしれないけれど、そんなことをいったら、この《ファンタジアランド》そのものが作り物の世界だろ?」

「うぐっ、た、確かにそうだね……」

 

 俺の発言は痛いところを突いたようで薫があからさまに怯んだ。そこを逃さずに、俺は一気に畳み掛けにかかる。

 

「だろ? だから、作り物の恐怖だとしてもあえて飛び込んでみるのもありなんじゃないか? もしかしたらそれが自分の中の新しい扉を開くかもしれない。『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』というやつさ」

「……! なるほどね、そういう考えもあるか。……よし、それじゃあ、午後の始まりはホラーハウスから行こうじゃないか!」

 

 ……やっぱりこいつチョロいな!

 

 薫がカッコいい格言に弱いことは、もうとっくの昔に把握済みだ。

 そして、何かを薫にやらせたいときには彼女好みのカッコいい格言を交えて伝えれば、大概ノってくることも俺は承知している。

 その特性は、今回のホラーハウスに関しても遺憾なく発揮されたというわけだ。

 

「よーし、みんな! 午後の一発目のアトラクションはホラーハウスに決定だ!」

「ホラーハウス! 本物のお化けとお友達になれるかしら!」

「もしそうなら楽しそー! はぐみ、マシュマロみたいな可愛いお化けがいいなー!」

「ふえぇ……こ、怖くないかな……?」

「うーん、チビッ子も楽しむんだからそんなに怖くないとは思いますけどね」

 

 俺が決定を他の《ハロハピ》メンバーに告げると、みんなは様々な反応を返す。

 

 元気印の二人は相変わらずだったが、こういうのが薫の次に苦手な松原さんは少し顔色を悪くしている。

 

 すまない、松原さん。これも大義(私怨)のためなんだ!

 

「よーし、それじゃあ出発するぞぉ! さぁ、行くぞぉ薫!」

「す、少し待ちたまえMr.鳴瀬! ま、まだ心の準備がだね……」

「準備なんてホラーハウスの前でいくらでもできる! さぁ、動いた動いた!」

「ああ!? せ、背中を押すのは止めたまえMr.鳴瀬~!」

 

 この局面まで来て先程の威勢を失い始めた薫の背中を押しながら、俺は運命のアトラクション、ホラーハウスに向かって歩みを進めるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「少しいいかな、鳴瀬君?」

「……なんだよ?」

「次の場所なんだが、私は一体あと何歩ぐらいでどの方向に方向転換すれば大丈夫かな?」

「……今から前に10歩進む。その後左に直角に曲がるぞ」

「わかった! 鳴瀬君にはナビゲーターの素質があるね!」

「全然嬉しくねぇわ、その素質」

 

 ホラーハウスに入ってしばらく時間が経った現在、気が付けば俺は薫のナビゲーター役と化していた。

 

 何でそんなことになっているのかというと、途中からあまりにビビった薫が羽化寸前の蝉の蛹みたいに俺の背中にへばりついて離れなくなったからだ。

 

 ホラーハウスに入った直後は気丈に振る舞っていた彼女は、一番初めの西洋屋敷のポルターガイストゾーンで既に半泣き状態になり、続く世界の拷問器具ゾーンで突如として無言で俺の背中に貼り付いてからずっとこの調子をキープしている。

 

 それから、怖すぎて前を見ることすら無理になった薫を俺はずっとエスコートしているというわけだ。

 

「よーし、じゃあ進むからな。しっかりついてこいよ」

「わかった。ゆっくり、ゆっくりだからね? 頼むよ、鳴瀬君?」

「へいへい……」

 

 ……折角凝った造りのホラーハウスなのに、怖さ半減どころの話じゃないな、これ。

 

 人間の心理として、自分よりも下の立場の人間を見ると相対的に心が落ち着くというものがある。

 

 今の薫のビビりっぷりは、俺の中の恐怖を完全にかき消してなお余力を残すレベルのビビりっぷりだった。

 

 ……もし、次に来るならその時は一人で……おっと」

 

 そんなことを考えていると、不意に目の前から柔らかなゼラチンを固めた板のようなものが顔面に迫って、俺は思わず声をあげる。これは多分こんにゃくを釣糸で垂らして首筋に当てるタイプのトラップなのだろう。

 

 考え事をしていたせいで思ったよりも顔面に迫っていたそれを、俺は首を傾けてなんとか避けた。

 

 しかし。

 

 ベシャァッ!

 

「うっひゃぁぁぁああ!?」

「あ」

 

 俺の背中に貼り付いていた薫は、全くこれに気付かずにおもいっきりゼラチンの直撃を食らっていた。

 

「な、鳴瀬君! 鳴瀬君!? い、いいいまのは何!? なんなのかな!?」

「落ち着け薫、今のはただのゼラチンみたいな弾力のある何かを固めた板だ。ほら、肝試しとかでよくある釣糸で垂らしたこんにゃくを首筋に当てるやつだよ」

「本当に? ほ、本当に本当にそうなのかな?」

「本当だってば」

 

 俺の呆れた声に薫が恐る恐る顔を出すと、その視線の先では隠れそびれたキャストの人が糸に垂れ下がった板を回収している姿があった。

 

 それを見た瞬間、薫が俺の背中からばっと離れて腰に両手を当てる。

 

「ふ、ふふふ! なんだ、まさに『幽霊の正体見たり枯れ尾花』というやつじゃないか!」

「いや、ここアトラクションだから基本枯れ尾花しかないんだけどさ」

 

 俺の冷静なツッコミをスルーして薫は一人でうんうんと頷いている。

 

「そう、そうだ! 所詮ここは紛い物! あんなチープな恐怖でこの私の足を止めることなど不可能だ! ふふふ!」

「じゃあ、ここからは俺の背中から離れて動けるよな」

「いや、鳴瀬君。そういうのではないからね、うん」

 

 俺が離れると言った途端、それまでのテンションをどこかに投げ捨てた薫は、再び俺の背中に舞い戻った。それはもう見事なポンコツぶりである。

 

「さぁ、鳴瀬君! 私の準備は万端だ! あと、何かしらの出来事が起きそうなときは前もって私に合図を頼むよ!」

「お前、強気なのか弱気なのかはっきりしろよ……んじゃゆっくり進むからな~」

「さぁ、いつでも進みたまえ!」

 

 薫の態度に呆れながらも、俺は再びゆっくりと足を進め始めた。

 

 ぷるぷると小刻みに震える薫の振動と体温を背中に感じながら、不意に俺はあることに気が付いた。

 

 ……そうか、違和感の正体は「()()()」、か。

 

 薫は普段俺のことは「Mr.鳴瀬」と呼ぶ。実にキザな呼び方だが、薫には無性に似合っていたので特に止めさせることもなくそのままにしていた。

 

 しかし、先程から薫は俺のことを「鳴瀬君」と連呼している。

 よくよく思い返すと、今までも何度か「鳴瀬君」と呼ばれたことがあったかもしれない。

 

 ……なるほどねぇ、そっちが薫の「素」なわけか。

 

 どうやら、予測不可能な場面や心の平衡が崩れるときには薫は「素の自分」を漏らしてしまうらしい。

 

 ……仕方ない。ちょっとは優しくしてやりますか。

 

 生粋の役者体質である薫が役者であることを放棄するほどの恐怖を与え続けるのは精神衛生上よろしくない。

 

 そう判断した俺は、背中に感じる薫の息づかいに合わせて、ゆっくりとホラーハウスを進んでいくのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

ドバーン!

 

「きゃあああ!?」

 

デェェェン!

 

「ひゃうう!?」

 

クール、キットクルー、キットクルー、キーセツハシローク

 

「ぴぇっ!?」

 

 あれからしばらく。俺の背中で様々な奇声をあげる薫の面倒をみながら、なんとか俺たちはホラーハウスの出口付近にたどり着いていた。

 

 あまりにも薫の歩みが遅々として進まなかったので、後発のグループに何度か追い抜かされることもあった。

 

 しかし、目にうるうると涙を溜めながら、たまに「ヒック、ヒック……」としゃくり声をあげる薫を見ると急かす気も失せたので、彼女のペースでゆっくりと進むことにした。

 

 そして、そんな俺たちの目の前にそれは忽然と姿を現した。

 

「あ、薫。あそこの天井見てみろよ」

「ヒック……い、いやだ……。どうせまた生首とか、よく分からない気持ちの悪い小人みたいなのがいるんだ……」

 

 いくら俺の背中に隠れているとはいっても、全てのホラースポットから薫を守るのにも限度があった。

 

 防ぎきることができなかった様々な恐怖にすっかり揉まれた今の薫には、最早普段の王子様の姿は見る影もない。

 

「違うって、ほらよく見ろ薫。あそこに『出口』って書いて矢印がついた看板があるだろ。もう終わりなんだよ」

 

 不憫に思った俺が子供をあやすような口調で指差すと、薫はおっかなびっくりといった様子で俺の指差す先の看板を見た。

 

 その瞬間。

 

「ヒック……ふ、ふふふ! どうだMr.鳴瀬! わ、私はこの恐怖に打ち克ってみせたぞ! 所詮は紛い物の恐怖、私の敵ではなかったようだ!」

「変わり身はやっ!?」

 

 一瞬にして「いつもの薫」に戻った薫は俺の背中から離れると、一目散に出口に向かって駆け出した。

 

「それじゃあMr.鳴瀬、私は一足先に脱出させてもらうよ!」

「そして、足も速えぇ!?」

 

 どこにそんな余力があったのか、凄まじい速度で薫が看板の矢印に従って曲がり角に消える。

 

 慌てて俺も薫を追いかけ、矢印に従って曲がり角を曲がった次の瞬間、

 

「おい、薫! ちょっと待、わっぷ!?」

 

 目の前に薫の背中があって思わずそれに突っ込みそうになった。

 危うく大事故寸前だった俺は薫に抗議の声をあげる。

 

「うぉい! 急に止まるなよ薫。いったいどうしたんだ?」

 

 そんな抗議の声に薫は油の切れかかったロボットのようなぎこちない動きで反応した。先程までのスピードが嘘のような緩慢さで俺を振り返る。

 

「な、鳴瀬君。あ、あれ…………」

「あれ? ああ、あれか……」

 

 薫が振り返りながら指差したその先には白い着物を着た女らしき人が壁の方に顔を向けて廊下の角でしゃがみこんでいる。どうやらこれが最後のホラースポットらしい。

 

 ……ありえるとしたら、俺たちが近寄った瞬間走って来るようなパターンかな? ここは俺が先行した方がいいな。

 

「薫、俺の後ろに。さっきみたいに合図したら進むからな」

「(コクコク)」

 

 最早、言葉も出ずうなずくしかない薫を再び背中に引っ付ける。

 背中に薫が引っ付いた感覚を確かめると、俺は薫に合図を送る。

 

「それじゃあ、いくぞかお……」

「グォォオオオ!!」

「うお!?」

 

 その叫び声は正面の女ではなく、なんと俺たちの後ろから聞こえた。

 

 慌てて俺が振り返ると、先程曲がった曲がり角の角の部分に細い隙間があり、そこから死に装束の男が飛び出していた。

 

 やられた! 女の方は囮で本命はこっちか!

 

 目の前の女に注意を向けて後ろからの不意打ち。巧妙なその罠にまんまと引っかけられてしまった。

 

「これは一本とられたなぁ……って、そうだ薫、大丈夫か、薫?」

 

 見事にしてやられた俺は、薫のことを放置していたことに気付いた。

 

 死に装束の男に反応した時に振りほどいてしまった薫の方を振り返った俺がその目に見たものは。

 

「………………………」

「た、立ったまま……!」

「気絶している……!」

 

 思わず止まった俺の言葉をキャストの死に装束の男の人が拾ってくれる。

 

 憐れな少女、瀬田薫はその顔面を一面中涙でびちょびちょにして、出口まであと10数メートルのところで立ったままその意識を宙へと手放していたのだった。

 

「あちゃあ~、やり過ぎちゃったみたいね」

 

 異変に気付いた白い着物の女のキャストも立ち上がってこちらに近づいてくる。

 

「ごめんな、彼氏さん。彼女さんがここまでビビるとは思ってなかったんだよ。ちょっと脅かしたら、彼氏さんに抱きついたりしていい雰囲気になるかもって思ってたんだ」

 

 死に装束の男も申し訳なさそうに頭を掻いて謝罪してくれる。

 

「あー、いいんですよ。まさか俺もここまでのことになるとは思ってませんでしたし。あと、俺は彼氏ではないですよ」

 

 冷静な俺の返答にキャストの二人は少し意外そうな表情を浮かべる。

 

「あら、そうなのね。まぁ、今はそんなことよりもこの娘をどうするかよねー」

「確かに……」

 

 女の人が言う通り、このまま薫をここで気絶させておくわけにはいかない。とりあえず、落ち着けるところまで運ぶ必要があるだろう。

 

「それじゃあ俺、背負って出口まで行きます」

「大丈夫かい?」

「ええ、これでもバンドで機材を運んだりして力はあるんで」

 

 心配そうに声をかけてくれる女の人に応えながら、俺は薫を背負うためにしゃがみこむのだが……

 

「……あら? なんか上手くいかないな?」

 

 気絶してだらんとした薫を背負おうとするも、中々薫の体を、上手く背負うことができない。背中におぶさるところまではいいのだが、いざ立ち上がろうとするとずり落ちそうになるのだ。

 

「あー、誰かをおんぶするときって、おんぶされる側が最初に上手く抱きつかないと難しいのよね」

「そうなんですね」

 

 なるほど、確かに最初に向こうから抱きついてもらえればずり落ちることもなくて楽なのだろう。

 しかし、今は薫は意識がないし、そもそも意識があれば背負って運ぶ必要もないわけだ。

 

 ……じゃあどうするかなー?

 

 良い案が浮かばず首をひねる俺に、男のキャストの人が口を開く。

 

「お兄さん、運ぶならもうひとつ方法があるじゃないか」

「え、そうなんです?」

 

 俺がそう返事をした瞬間、女の人が分かったといわんばかりにポンと手を打った。

 

「あー、なるほどあれのことね!」

「え、あれってなんです?」

 

 しかし、まだわかっていない俺が再び尋ねるように返事をすると、キャストの二人は満面の笑みを浮かべた。

 

「「それはもちろん、『お姫様だっこだ(よ)!』」」

「うぇえ!?」

 

 お姫様だっこ。

 

 その凄まじいパワーワードに思わず俺は驚愕の叫びを漏らした。

 

 確かに、お姫様だっこなら俺の腕力だけがあれば薫を運ぶことができるし、恐らく腕力的には問題はない。

 

 だが、それ以上に問題なのは。

 

「俺、薫をお姫様だっこしてここから出ないといけないのかよ……」

 

 そう、ここを抜け出す以上は、俺は薫をお姫様だっこしたまま《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーや一般客の前に姿を出さなければならないのだ。

 

 一般客はまだしも《ハロハピ》のメンバーと会えば一体どんな反応をされるのか想像するだけで気が滅入る。

 

 しかし、じゃあ他の解決策は? と尋ねられても妙案は浮かばない。

 

「……はぁ、やるしかないのかぁ」

 

 結局は、俺がちょっと恥を捨てれば済むことだ。

 

 半分は私怨で薫をここに連れてきたという負い目もあって、俺の峻巡は短かった。

 

「よし、それじゃあ薫、聞こえてないと思うけど失礼するぞっとぉ!」

 

 掛け声と共に俺は薫の体を持ち上げる。

 

 身長の割りにかなり軽いその体は、薫も女の子なんだという事実を改めて俺に実感させる。

 

「おお、お兄ちゃんやるねぇ!」

「いや~ん、お似合い~! もういっそ付き合っちゃえばいいのに!」

「流石に付き合うのはちょっと……」

 

 キャストの二人の言葉に応えながら、俺はそのまま数歩歩いてみる。

 

 よし、これなら問題なく運べるな。

 

 動けそうなことを確認した俺は改めてキャストの二人に礼をいう。

 

「お騒がせしてすみません。色々ありがとうございました」

 

 俺の言葉に二人は手を振って応えてくれる。

 

「こっちこそ迷惑かけたね!」

「次も会えるか分からないけどまた来てね!」

「ええ、それでは失礼します」

 

 そうして、二人の視線に見送られながら俺たちはホラーハウスをあとにする。

 

 結局、そのあと出口のすぐ外で待機していた《ハロハピ》のみんなに捕まった俺は、お姫様だっこを色々いじり倒された末に解放されることになったのだった。

 

 

 

◇◇◇《side 瀬田薫》◇◇◇

 

 

 

 気がつくと私は何か硬い板のようなものの上に横たわっていた。いや、頭の下に柔らかい感触があるから「横たえられていた」の方が表現としては適切かもしれないね。

 

 とにかく、今の私は誰かの手によってどこかに体を寝かされている訳だ。

 

 そんなことを考えていると、今度は私の額にそっと手が添えられたようだ。額に感じる感覚からどうやらそれは男の人の手らしい。

 

 少し硬い指先の皮膚の感触。ひんやりと心地よい手のひらの温度。

 

 「手が冷たい人はその分心が暖かい」なんてことをよく言うけれど、もしそうだとするならこの手の主はとても心が暖かい人物のようだね。なんだか触れられているだけで心が落ち着くような、そんな優しさを感じる手じゃないか。

 

 そうして、額に感じる手の感覚に神経を注いでいると、不意に額に触れるその感覚がなくなった。どうやら手の主は私の額から手を離してしまったみたいだ。少し名残惜しいけれど、私にはどうすることもできない。甘美なる時間というものは往々にして早く過ぎ去るものだからね。これも仕方のないことさ。

 

 しかし、その余韻に浸る時間は私には与えられなかった。

 

 なぜかって?

 

 それは、再びその手が私に触れたからさ。

 

 その手は、今度は額ではなく私の髪に触れていた。額にかかっていた一房の前髪を丁寧な手つきで整えると、頭頂部から側頭部へと優しく櫛ですくように撫でられる。

 

 ……ああ、この感覚には覚えがあるよ。これは今よりもずっと小さかった子供の頃、胡座(あぐら)をかいた父の足の上に座ったときに、父が私によくやってくれたことだ。

 

 「薫は髪が綺麗だね。将来とても美人になるよ」

 

 そう言ってにこにこと微笑みながら髪を撫でてくれた父の顔は今でも私の大切な宝物さ。

 

 でも、あの頃から倍近く身長も伸びた今ではそうやって父が髪を撫でてくれることもなくなった。最後に撫でてもらったのも、今となってはもうずいぶんと昔の話さ。

 

 それじゃあ、今私の髪を撫でてくれているのは一体誰なんだろう?

 

 そうして、手の主の正体を確かめるために、私はゆっくりその目を開いたんだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……う、ここは……」

 

 久しぶりに開いた目が明るさに眩惑される。この眩しさから察するにどうやらここは外みたいだ。

 

 そして、どうやら手の主も私が目覚めたことに気付いたらしく、顔をこちらに近づけるのがおぼろ気ながら分かる。

 

「薫、目が覚めたのか」

 

 優しく、私のことを気遣う声が聞こえる。

 

 その声はもう何度も耳にしたことがある。しかし、今回の声は今まで聞いてきた中で初めて聞いたような、先程までの手と同じように心の深い部分をくすぐるような優しい声色で放たれた。

 

 そんな声の持ち主はーー

 

「……鳴瀬君」

 

 ーー私たち《ハロー、ハッピーワールド!》の大切な仲間の一人、基音鳴瀬君その人だった。

 

 鳴瀬君は、上から覗き込むようにして私の顔を見ながら「そうだよ」と返事をして、少し申し訳なさそうな優しい微笑みを浮かべていた。

 

「気分はどうだ? もう大丈夫か?」

「ええ、とてもいい夢を見ていたから」

「そうか、それはよかったよ」

 

 そう言って鳴瀬君はほっとした表情を浮かべる。その顔を見て私も少し安心した。

 そして、心が落ち着いたことによって、今度は自分が置かれた状況が気になってくる。

 

「鳴瀬君、私は一体……」

 

 気になった私が尋ねると、鳴瀬君はまた、その顔に申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を掻いた。

 

「あー……、あれだ。俺と薫はみんなとホラーハウスに入ったんだけどさ、薫は()()()()()()()()()()()()で回っている途中で倒れたんだよ、うん」

「ああ……、そうだったんだね」

 

 ……鳴瀬君はやっぱり気が利くんだなぁ。

 

 未だ覚醒に至らない頭でぼんやりと思う。

 

 ホラーハウスでのやり取りのせいで、鳴瀬君は私が気絶してしまうほどお化けが苦手なことはよく分かったはずだ。

 

 なのに、鳴瀬君はあえてそうは言わなかった。私が本当に触れて欲しくないところには鳴瀬君は気付いたとしても決して触ろうとしない。

 

 ああ、この辺りが()()()()()の違いなんだろうなぁ。

 

 引っ込み思案な性格の自分が嫌いで、私は演劇を志したその時から昔の自分を隠して、理想の自分を演じ始めた。いつの間にか、それは舞台の上だけではなく、日常生活にまで波及していた。

 

 気が付けば、私は何時だって「理想の瀬田薫」を演じていたんだ。

 

 けれども、演じる部分にも限度はある。いくら表層は取り繕えても心の奥に刻まれた精神までは変えられない。演じ続けていてもそこではどうしてもぼろが出る。

 

 現に、鳴瀬君と話し始めてから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。まったく、我ながら呆れるほどの三文役者っぷりだ。

 

「……薫、大丈夫か? まだ辛いなら無理はするなよ」

「私は大丈夫、少し考えごとをしていただけだから」

 

 ああ、あまりにも考えに耽っていたせいで鳴瀬君をまた心配させてしまった。本当に情けない気持ちでいっぱいになってしまう。

 そして、今の自分はそんな情けない心に相応しい、さぞかし情けない姿を晒してしまっているのだろう。こんなところ、絶対に私の子猫ちゃんたちには見せられない。

 

 それでも。

 

 それでも、こんな情けない姿でも鳴瀬君になら見せてしまっても大丈夫だと思えてしまうのだから不思議だ。

 

「そういえば、こころちゃんたちはどうしているのかな」

 

 情けない気持ちを紛らわすために私は鳴瀬君に他のみんなのことを尋ねる。

 

「ああ、それなら大丈夫。こころたちにはしばらく四人で回っておいてって言ってあるから」

「それなら安心だね」

 

 鳴瀬君の返事を聞いて私はほっと胸を撫で下ろす。

 もし、私のせいでみんなが足止めをくっていたのだとしたらそれはあまりにも申し訳なかった。

 

 でも、そんな私のホッとした胸は、次の鳴瀬君の言葉で一瞬にしてざわめいた。

 

「うん。だから、しばらくは安心してベンチ横になってろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ふぇっ?」

 

 膝を貸す。

 

 どうやら私は今、ベンチで横たわっている状態らしい。 

 

 そんな状態の私に鳴瀬君は「膝を貸している」。

 

 それが意味するところは一つしかない。

 

「ひ、ひひっひ……膝ぁ!?」

「うぉ!? お、落ち着け薫! 急に叫ぶな! 暴れるな!」

「だ、だって鳴瀬君! 膝が! 膝が!?」

()()ぐらいで気にするなって! いいから横になってろ!」

「あ、あああ……」

 

 鳴瀬君に宥められた私は結局体を起こすことができずに再び元の場所に戻る。

 

 しかし、姿勢は元に戻っても心のざわめきが元に戻ることは決してなかった。

 

 ……だって、膝枕だよ膝枕! 落ち着けという方がどうかしてるよ!

 

 公衆の面前で男の子に膝枕をしてもらっているという事実を突きつけられて平然としていられる女子がどこにいるだろうか。(反語)

 

 多分今の私はさぞかし熟れた林檎のような真っ赤な顔をしていることだろう。

 

 唯一の救いは、咄嗟に前を向いたから顔が真っ赤になっていることは鳴瀬君には見えていないであろうことだけだ。

 

 そのまましばらくの間、私は顔を真っ赤に染めたまま、園内を行き交う人の流れをただただ無言でじっと見つめていたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ありがとう、もう本当に大丈夫だ」

 

 私が鳴瀬君に膝枕をされている事実に気付いてからしばらく。頬の赤みが引いてきたことを感じた私は、彼の膝枕からゆっくりと体を起こす。

 

「無理すんな……はもう何度も言ったから本当に大丈夫みたいだな。悪かったな、俺が無茶させたせいで」

 

 体を起こしたことで久しぶりに正面から見た鳴瀬君の顔には申し訳なさそうな表情が貼り付いていた。

 

「謝らなくていいさM()r().()()()。先程の件は、私が何も言わずに無理を押してしまったことにも一端がある。お互い様というやつさ」

 

 十分に心身が回復したことを実感した私は、またいつもの「理想の瀬田薫」を演じる役者へと戻っていた。

 

 私は、こうあれかしと望んで「理想の瀬田薫」を演じているんだ。中途半端に舞台から降りることなど許されないのさ。

 

 そんな私の姿を見て、Mr.鳴瀬は今度はその顔に苦笑いを浮かべて溜め息を吐いた。

 

「はぁ、そりゃどうも。まぁ、薫がそれでいいなら俺もそれでいいさ」

「ああ、それでいいともMr.鳴瀬」

「……でもな」

「ん?」

「役者に疲れたならたまには素に戻ってもいいんだぞ。いつも『理想の自分』でいるのは疲れるからな。肩肘張れる強さもあれば、肩肘張らない強さもあるんだぞ」

「……」

 

 ああ、やっぱり()()()には敵わないな。

 

 鳴瀬君の方が私よりも4年ばかり長く生きているということもあるのだろうが、じゃあ私があと4年生きたとして、その時に彼のように振る舞えるかと言われれば多分それは無理だ。

 

 人の言葉にはその人の生き様が焼き付く。言霊というものだ。

 

 鳴瀬君は、彼が放つ言葉の強さに負けないほどに真剣に今までの人生を生きてきたんだ。

 

 飾らずに、ただありのままに、自分が正しいと思う人生を生きてきたんだ。

 

 だから、こんなにも彼の言葉が、そこに込められた気遣いが、私の心に染み込むのだ。

 

 隣に座る鳴瀬君の姿が、今の私にはなんだかとても眩しく見えて。

 

 そんな彼と出会うことができた幸運に感謝して、私もまだまだ捨てたものではないなと心の底から思うことができた。

 

「そうだね。たとえ、万里の空を往く大鳳(おおとり)であろうとも空を飛び続けることは叶わないものだからね。もし私が羽ばたき疲れて羽を休めることがあるなら、その時は君の腕を借りることにするよ、Mr.鳴瀬」

 

 それでも、素直にそのことを鳴瀬君に伝えるにはまだ勇気が足りないから、私はいつも通りの「理想の瀬田薫」で伝えることにした。

 

 私の言葉を聞いた鳴瀬君はにやりとしたいたずらっ子の笑顔で笑う。

 

「蝉みたいに背中にしがみつく、の間違いじゃないのか?」

「そ、そのことはもういいだろう!?」

「ははっ、冗談だよ。……でも、ちょっとは肩肘が緩んだだろ?」

「……ふふっ、違いないね」

 

 そうして私たちはしばらく顔を見合わせてお互いに笑い合ったんだ。

 

 ひとしきり笑ったそのあとに、私たちはしばらくの間そのままベンチに並んでただ黙って空を眺めていた。

 鳴瀬君と一緒に眺める秋晴れの空はどこまでも高く澄んでいる。ただただ、美しく、穏やかで、そして完璧な時間が流れていく。

 

 そういえば、こんなときにピッタリな歌が鳴瀬君に借りたCDの中に入っていた気がする。……そうだ、あの曲だ。

 

 その瞬間、私の頭の中に流れ出したのは、日本で最も有名なパンクロッカーのある曲のメロディだった。

 そして、気がつくと私は胸の中で自然とその曲の歌詞を口ずさんでいたーー

 

 

 

 

 

 時間が本当に もう本当に 止まればいいのにな

 

 

 二人だけで 青空のベンチで 最高潮の時に

 

 

         ーーTHE HIGH-LOWS『青春』

 




という訳で乙女チック増し増しの中編その3でした!

薫さんの視点では「素の瀬田薫」と「理想の瀬田薫」モードで地の文を変えるという試みをしたので思ったよりも時間を食いました。

薫編もいよいよ次でラスト! 最後のアトラクションは定番のあれですよあれ!



そして、久々の版権曲引用はTHE HIGH-LOWSで『青春』でした!

わたくし、この曲が本当に好きでして必ず作中の重要なシーンで使いたいと思っていたので一つ目標達成ですわ!

本編で使おうかとも思いましたが、「『素の自分』に逆らって『理想の自分』を演じる薫の生き様ってパンクでロックだよな」と感じたのでここにぶちこみましたわ。思ったより話に合っていたと思い自画自賛中ですことよ!


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野良ベーシストは夢の国へと旅立つ(後編)

続きました。

薫編の後編! 分割は無しなのでこれでラストです。

薫さんと鳴瀬君のサイドストーリーが最後どのように展開していくのかおたのしみに!

そして、ここまでの話で総文字数30万字を超えました! やべぇ! 頭おかしい!

書き始めた時はこれぐらいで終わるかなって思ってたんですが、進捗がまだ60%ぐらいなことに震える(西野カナ)。

完結する頃には60万字ぐらいになるかな? 先は長そうですがよろしくお願いいたします。


【今後の予定に関するお知らせ】
今後の『野良ベーシスト』の展開について変更があるのでご連絡させていただきます。

現在アンケートをとっている花音先輩のサイドストーリーなのですが、アンケート済みのはぐみちゃんのサイドストーリーと順番を入れ替えて、先に書かせていただこうと思っています。

これには理由がありまして、次の本編であるストリートライブ編に、あるガールズバンドを出すためのギミックとして花音先輩のサイドストーリーを使いたいと考えたからです。

そして、はぐみちゃんに関してはクライマックスに向かう前に彼女が中心のストーリーが展開するので、そこまで溜めを作って一気に解放させたいという思いが出てきたこともあります。

はぐみちゃんの活躍をお待ちの皆様には大変申し訳なく思いますが、いましばらくお待ちくださればと思います。


【アンケート協力への感謝と新しいアンケートへの協力依頼】

このエピソード投下時点で花音先輩のアンケートは終了とさせていただきます! 多数の方の投票ありがとうございました!

この次の話の投下時点で、最後のアンケートである美咲ちゃんのサイドストーリーのアンケートに移ります。

長くなるので詳細は次回に回しますが、美咲ちゃんの選択肢はA「美咲のおばあちゃまのお家ルート」か、B「ミッシェルと結婚式ルート」の二択になります。

面白そう、見てみたい、と思うルートに投票いただければ幸いです! あなたの一票で『野良ベーシスト』の未来が変わる!


 薫が復活してからしばらく、ゆっくりと秋空を眺めていた俺たちは、アトラクションから戻ったペグ子たちと合流していた。

 

 薫のことを心配していたペグ子たちが、口々に薫に話しかけていく。

 

「薫~! もう体は平気なのね!」

「薫君大丈夫だった~?」

「ああ、もう心配ないよプリンセスこころ、はぐみ」

「よかった~!」(×2)

 

 調子が戻り、いつも通りの髪を掻き上げるキザな仕草を交えて返事をする薫に二人は胸を撫で下ろす。

 

「本当に大事(おおごと)じゃなくてよかったです。やっぱり、体も心も健康が大切ですから」

「薫さん、意外と無茶することありますからね~、安全第一ですよ~。薫さんが居ないと困るんですから~」

「ふっ、肝に命じておくよ」

 

 常識人チームからの気遣いにも応えて、薫は大きく頷いた。

 

 んー、やっぱり薫は結構みんなから頼りにされてるなぁ。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーに囲まれて、その中心でやいのやいのと会話に花を咲かせる薫を眺めて思う。

 薫は俺を除けば《ハロハピ》では最年長だし、同学年の松原さんと比べれば物怖じするタイプではない(お化けは除く)。

 ごく稀……いや、時たま……いや、割とあるポンコツモードの時を除けば、長身のすらりとしたルックスも相まってバンドの表に立つ人間としてはこれ以上なく相応しい「華がある」人物だと言える。

 

 確かに、これだけ慕われてたら、ずっと肩肘張りたくなる気持ちも分からなくもないな。

 

 薫は面倒見がいい性格だ。《ハロハピ》に入ったのも、ペグ子のことを放ってはおけなかったという気遣いがその理由のなかに多分に含まれている。

 彼女が「理想の瀬田薫」であるのは、彼女自身のためであり、そしてかけがえのない仲間たちのためでもあるのだ。その点では、俺も彼女が「本物の王子様」であると認めている。

 

 しかし、薫は点では王子様の要素を持っていたとしても、全面的に王子様でないことは先程のことからも明らかだ。

 

 やはり、《ハロハピ》メンバーの止まり木である薫、彼女にとっての止まり木としての役目は、しばらくは俺が担うしかないだろう。バンドが更に成熟して、個々のメンバーが今よりもそれぞれの力を高めて薫に止まる必要がなくなれば、その時に俺も一緒に止まり木のお役御免になればいいのだ。

 

 そう決意を固めると、俺は少し離れた場所から、みんなの理想に近づこうとする優しい王子様の姿を眺めたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 再び《ハロハピ》メンバー全員でアトラクションを周り始めてからしばらく経った。空を見上げると太陽は既に西日に近づき、その燃えるような赤をより一層増している。

 

 腕時計に目を落とすと時刻はもう四時に迫ろうというところだ。いよいよ潮時というやつである。

 

 俺は、先程まで乗っていたアトラクションの出口で次のアトラクションに向かおうとするメンバーを呼び止めた。

 

「おーい、全員聞け。帰りのシャトルバスの時間を考えると乗ることができるアトラクションは次ので最後だぞ」

「あら、もうそんな時間なのね!」

「わわっ、本当だ! 思ったよりも時間が経ってるよー!」

 

 俺の言葉にペグ子ペアが驚きの声をあげる。まぁ、楽しい時間というものはすぐに過ぎ去るものだから致し方ない反応といえる。

 実を言えば、俺自身ももうこんな時間なのかと驚いているところなのだ。

 

「ということは、最後のアトラクションの決定権は美咲ちゃんと花音になる、というわけだね」

「そうなるな、頼むぜ二人とも」

 

 薫の言葉を受けて俺が二人に水を向ける。

 

「ふぇぇ……せ、責任重大ですね……」

「うわー……いざ決めろって言われると迷うな~」

 

 実質、二人の決定が今日の一日の締めくくりだ。いい加減に決めては画竜点睛を欠くというもの。自然とマップを見つめる二人の表情も真剣なものになる。

 

 しばらく、マップの上に視線と指先を這わせていた二人だったが、地図上のある一点でそれを止めるとお互いに顔を見合わせた。

 

「あっ、そういえばここまだでしたよね?」

「あー、定番過ぎて忘れてましたね。でも、最後にはもってこいかもしれませんね」

「うん、私も最後にはここが一番いいかなっておもうな」

「お、もしかして決まったのか?」

 

 どうやら二人の意思が固まったようなので、俺が声をかけると二人は地図から顔を上げてこちらを見た。

 

「はい、私たちが最後に提案するアトラクションは」

「大観覧車ですよー!」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「いやー、確かに遊園地といえば観覧車だな。俺も遊園地なんて長く来てなかったからすっかり忘れてたわ」

「た、確かに観覧車は定番のアトラクションだね、うん」

 

 観覧車の列に並んだ俺と薫は目の前の観覧車を見上げながら言葉を交わす。夕日に染まるその偉容はまさに大観覧車の名前に相応しい。

 

「この観覧車、日本全国でもトップ3に入る大きさなんですって!」

「すっごーい! はぐみ、楽しみだなぁ~!」

「へぇ、それは凄いな」

「そ、それは確かに凄そうだね……」

 

 前に並んだペグ子たちの言葉に、俺の期待も否応なしに高まる。ファンタジアランドは山の斜面を造成して作られたテーマパークだ。その高さから更に高い位置で見下ろす景色となれば、さぞかし雄大なことだろう。

 

 そして、その景色を目当てに大観覧車には中々の列ができていた。それこそ、ファストパスを持った俺たちでも、他のファストパスの客の後ろに並ばなければいけないほどにである。

 

「ふぇぇ、やっぱりお客さんも多いですね」

「うーん、やっぱりみんな考えることは同じみたいですねー」

 

 ゆっくりと進む列を眺めて松原さんたちが呟く。

 

 そもそも、観覧車という乗り物は開園直後の園の全体像の把握のためや、帰る直前の一日の思い出の振り返りとして乗ることが多い。時刻的にみても、そこそこの客が帰路に着くであろう今は、待ち時間が発生するのも致し方無いことだといえる。

 

 そんな松原さんたちを眺めていると、隣の薫から声がかかる。

 

「み、Mr.鳴瀬、もし、帰りのバスに間に合わないのであれば、私は観覧車を諦めても構わないよ?」

「まぁ、多少の待ち時間も遊園地やテーマパークの醍醐味みたいなもんだし、帰りのシャトルバスにはかなり余裕をもって並んでるから時間も平気だろ。それに、俺たちだけ止めても他のみんなが乗るなら意味ないだろ」

「そ、そうだね……」

 

 先ほどからなんだかそわそわし始めた薫ががっくりと肩を下ろす。

 

 妙だな……、時間でも気にしてるのか? でも、今日は特にみんな用事なんかは無いって話だったしな。

 

「あっ、次はいよいよ私たちの番みたいね!」

「それじゃあみんな、先に行くね~!」

「おーう、楽しんでこいよー」

 

 順番が来て観覧車に乗り込むペグ子たちを手を振って見送る。観覧車のゴンドラは最大4人乗りだが、4対2に別れて乗るというのもあれなので最後まで同じペアを組んで乗ることにしたので、今回も俺は薫と二人だ。

 

 優先客を挟んで一般客がゴンドラに乗るので、俺たちの番は次の次になる。

 

「よし、薫。俺たちも乗り場に進むぞ」

「あ、ああ、そう、だね……」

 

 いつの間にか俺から若干離れた位置に立っていた薫に声をかけたが、彼女からの返事は気もそぞろといった感じで、明らかに心ここに在らずといった(てい)だ。

 

「おいおい、大丈夫か薫? 何か気になることでもあるのかよ?」

「……っ! いや、なんでもないさMr.鳴瀬! さぁ、乗り場に行こうじゃないか!」

「あ、おい、手を引っ張るなって!」

 

 流石に気になった俺が声をかけると、薫は弾かれたように反応して俺の手を握るとずかずかとゴンドラの前へ進む。

 あからさまに変な反応だが、それに追及を入れる前に俺たちの乗るゴンドラが到着してしまった。

 

「ようこそファンタジアランドの誇る大観覧車へ! お乗りになるのはお二人でよろしいでしょうか?」

「ああ、よろしくお願いするよ!」

「はい、それではゴンドラの中にお進みください。足元隙間がありますのでお気をつけ下さいね」

「わかった! さぁ、Mr.鳴瀬、中に入ろうじゃないか!」

「おわっ!? ちょっと待て! 入り口の段差がだな……」

 

 背中に妖精の羽を着けたコスチュームの可愛らしいキャストが話しかけてくるのに薫が答える。それが終わるや否や薫はそそくさとゴンドラに乗り込んでしまった。当然、手を握られている俺も引っ張られるようにしてゴンドラに滑り込む。

 

 俺たちがシートに座ったことを確認したキャストがにこやかな笑顔でこちらに手を振る。

 

「それでは大観覧車の旅をお楽しみください。当観覧車の運航は一周約五分です。風など吹くとゴンドラが揺れることがございますのでお気をつけ下さいね」

「はい、ありがとうございます」

 

 キャストにお礼を言うと、彼女はコスチュームのスカートの裾を摘まんで優雅に一礼してゴンドラの扉を閉めた。

 

 そして、俺はキャストが「一周約五分」と「ゴンドラが揺れる」のところで薫の肩がびくりと震えたのを見逃さなかった。

 

 ……薫、もしかして高いところも苦手なんじゃないだろうな?

 

 そんな疑惑を抱えた俺と挙動不審な薫を乗せたまま、ゴンドラはどんどん高みへと向かっていくのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「お、薫、松原さんたちが手を振ってくれてるぞ」

「ああ、そうだね」

「おー、この高さでも結構遠くまで見えるもんだな」

「ああ、そうだね」

「ほー、今で丁度天辺から半分だってさ。支柱に印がついてるぞ」

「ああ、そうだね」

「……鬱の反対で、テンションが高いときのことって何て言ったっけ?」

「ああ、そう(躁)だね」

「ロッテが販売している氷が混じったシャリシャリした食感が売りの四角い容器に入ったアイスの名前って何だっけ?」

「ああ、そう(爽)だね」

「……薫は高いところが苦手だよな?」

「ああ、そうだね」

 

 

 ……うーん、だめだこりゃ。

 

 大観覧車に乗ってからしばらく経つが、薫はゴンドラに入ってからというもの俺が何を話しかけても「ああ、そうだね」という機械(マシーン)と化していた。

 これならまだゲームセンターにおかれたキティちゃんのポップコーンマシンの方が愛想がいいと言えるレベルの塩対応である。

 

 最初の頃はちらりちらりとゴンドラの外を眺めて松原さんたちに手を振る余裕があったものの、それから段々視線は床の方を向き、首は傾き、体は強ばり、今ではロダンの考える人の石像のごとき硬直状態に突入していた。

 

 薫ってけっこうダメなもの多いんだなぁ。まぁ、完璧な薫って言われてもめちゃくちゃ違和感があるんだけど。

 

 そんなことを考えながら俺は窓の外を眺める。ゴンドラの窓から眺める風景は正に絶景で、今日の秋晴れの空なら天辺辺りでは海が見えるかもしれない。

 薫に関してはあまり触れるのもあれかと思い、向こうから何かコンタクトをとってくるまではそっとしておくことにした。外からの情報を遮断してじっと耐えている方が幾らか恐怖も弱まるだろう。

 

 しかし、そんな俺たちに神は更なる試練を投げ掛けてくる。

 

 ヒュオオオオ……

 

「うぉっ!」「うひゃっ!?」

 

 高い秋晴れの空を駆け抜けた一陣の風がゴンドラをぐらりと揺らした。座っていても結構な揺れを感じて思わず声をあげてしまう。

 

「おおぅ、今日ってこんなに風が強かったっけか? ……そうか、後ろの山がなくなったからか」

 

 このファタジアランドが山の斜面を造成して作られたテーマパークであることは先にも述べたが、観覧車のゴンドラが高く上がったせいで、どうやら山が遮っていた風の影響をもろに受け始めたらしい。

 風の余波が過ぎ去ってゴンドラの揺れが収まり始めたその時。

 

 ガタガタガタガタ……

 

 先ほどまでの風で軋んだ音ではない、別の音が継続してゴンドラの内部に響き始めた。

 

「ん? これ、なんの音だ? 薫、なんかそっちに妙なところはないか……って」

 

 音の出所が気になった俺が薫の方に視線を向けると、そこでは体をガタガタ震わせて、恐怖に耐える薫の姿があった。音の出所は振動しすぎて足踏みみたいになった彼女の足元だったようだ。

 

「ふ、ふふっ、鳴瀬君。少しいいかな?」

「……はいどうぞ」

 

 青い表情で視線は地面に向けたまま、体と同じ震える声で薫が話しかけてくる。

 

「あ、あの、恥を忍んで言うのだけれど、実は私は高いところが大の苦手でね……」

「ああ、知ってるよ」

「!? そ、そうか、そうなのか……」

 

 俺の返事で薫が一瞬驚愕の表情でこちらを見るも、その背後に広がるパノラマを見ると途端に顔を下げてしまう。

 それから少しもじもじと体を揺すっていた薫だったが、体を揺らすのを止めると、意を決したように口を開く。

 

「あ、あの、その、だね鳴瀬君……」

「どうした?」

 

 歯切れが悪い言葉を俺が聞き返すと、薫はいよいよ核心に触れる言葉を紡いだ。

 

「も、もし君がよければ、こちらに来て私の横に座ってくれないかな……? そうすれば幾分か気が紛れると思うんだ」

 

 あらま、かなり参ってるなぁ、薫。

 

 いつもの王子様からは想像できない気弱な態度だが、ホラーハウスを経験した俺には薫の弱り具合が手に取るように分かる。これはホラーハウスの気絶寸前に匹敵するレベルだ。

 

 そして、もちろんそんな状態の薫を放っておくほど俺はクズではない。

 

「分かったよ、ほら、隣に座るからちょっと詰めてくれ」

「……! わかったよ鳴瀬君」

「おっし、それじゃ横に座るぞ」

 

 そう言うや否や、薫が体をずらして開けたスペースに俺は腰を下ろす。ゴンドラのスペースが狭いので、隣あって座るとお互いの体が少しくっついてしまう。

 触れたところから伝わってくる薫の熱を、硬く強ばった体の緊張を、洋服越しでも確かに感じながら俺たち二人はしばらく無言で過ごす。

 

 機械の駆動する音と、時たま忍び込んでくる風の音以外静寂が支配するゴンドラの中で、それを破ったのは薫の方だった。

 

「……ごめんね鳴瀬君」

「ん、ああ、気にしなくてもいいぞ。そんなに窮屈というほどでもないからな」

 

 ゴンドラの座席の狭さに対する謝罪と受け取った俺はそう答えたが、薫は首を左右に振った。

 

「それだけじゃないよ。そもそも、この観覧車に乗る前からもっと私が態度をはっきりさせておけばこんなことにはならなかったんだ」

「あー……」

「でも、他のみんなに心配させたくなくていつも通りに振る舞って……結局、私の強がりのせいでまた鳴瀬君に迷惑をかけてしまった。本当にごめんなさい」

 

 そこまで言って薫はただでさえ下を向いていた頭をさらに深々と下げる。その姿はいつもの堂々とした姿と違い、年頃の女の子相応に小さく見えた。

 

 ここのフォローが大切なところだな。

 

 そう感じた俺は何でもないという風に両足を前に投げ出して気楽に返事をする。 

 

「別に、俺はそんなに気にしてないさ。それに、肩肘張らない強さもあるってさっき言ったところだしな」

「それでも……」

「おっと、そこまでだぞ」

 

 まだ、自分を卑下しようとする言葉を出そうとする薫を俺は言葉で制する。

 

 そんな後ろ向きな言葉は瀬田薫には似合わない。少なくとも俺はそう思う。

 

 だって希望はいつだって前を向いて進むものだから。

 

「デモもストもないんだよ。薫はほかの《ハロハピ》のみんなの前では肩肘張って、俺の前では肩肘張らないことを選んだんだろ? だったら、自分の選択に自信を持ってろ。さっきも言ったけど俺は全然気にしないからさ」

「鳴瀬君……」

「それに、俺も一応歳上の男だからな。薫が《ハロハピ》の王子様なら俺は王様みたいなもんだ。王子は王様に頼るもんだろ、もっと頼ってくれよ」

「……ありがとう、鳴瀬君」

 

 薫が「ありがとう」という言葉を口にした瞬間、俺と触れ合った部分から感じていた彼女の体の緊張がふっと弛んでいくのがわかった。どうやら弱音を吐きながらも最後の最後まで、「理想の瀬田薫」を演じようとしていたようだ。

 

 まったく、大した役者っぷりだな。尊敬(リスペクト)するよ瀬田薫。

 

 俺は薫のことを心で称えながら、彼女の名誉のためにあえてそれを口に出すことはなく、ただ黙って少しこちらに寄りかかってくる彼女のささやかな体重を受け止めていたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 あれからしばらく、観覧車は徐々に極みへと登り詰める。それに比するように俺はあることが徐々に大きくなってきていることに気づいていた。

 

 ……震えてるなぁ、薫。

 

 俺が気づいたこと。それは、隣に座る薫の体の震えが次第に大きくなってきたことだった。

 

 肩肘張らなくなったせいで、逆に恐怖が膨らんだ感じなのかね……?

 

 実際、恐ろしい相手と対峙したときはなんともなくても、相手がいなくなった瞬間に緊張が解けて膝が笑い出すというのもよくある話だ。

 さらに、今は薫がこちらにある程度体重を預けて密着しているということもそれを感じさせる大きな要因の一つになっていた。

 

 こっそり様子を伺って薫の顔を覗き込むと、彼女の顔は青白く、唇はきゅっと引き結ばれている。やはり、恐怖というものはどうしようもないらしい。

 かなり辛そうな薫の表情を見て、俺は胸のうちにもやもやしたものが溜まっていく自分に気が付いていた。

 

 うーん、楽しい遊園地の思い出の最後がこれじゃ良くないよな……。

 

 何事も〆というものは肝心だ。“All's well that ends well!(おわりよければすべてよし)”、薫の大好きなシェイクスピアもそう言っているのだから間違いない。

 

 ならば、その為に俺が薫にしてあげられることは何か。

 

 しばらくの間、首を捻って考えた俺は一つのある結論に達した。それは、「より大きな感情の動きで薫の恐怖を拭い去る」というものだ。みんな大事を前にすれば小事のことなど頭から飛んで行ってしまうものだ。

 

 しかし、当然のことながら薫の中の恐怖を打ち払うためにはかなりの大事を作らないといけない。そして、俺が思い付いたそれは多分に俺に勇気と恥を強いる行動だった。

 

 だが、今頑張っている薫のことを思うのなら、それこそ俺にとっての《大事の前の小事》というやつである。

 

 ……よし、覚悟を決めるか。

 

 心の中で短く呟くと、俺はすぐにそれを実行に移した。

 

 

 

◇◇◇《side 瀬田薫》◇◇◇

 

 

 

 ああ、鳴瀬君にはこの辺体の震えが伝わってしまっているだろうなぁ。

 

 狭いゴンドラの、さらに狭い座席で鳴瀬君と二人で寄り添って座りながら、私の胸の内は彼への謝罪の念で溢れそうだ。

 

 先ほどの鳴瀬君との会話で、私はついに肩肘を張らないでいようと決めた。ここに来て私はついに「本当の瀬田薫」に戻ったのだ。

 

 しかし、その代償として私は今、かつてない恐怖に震えている。

 

 今まで、私が「理想の瀬田薫」を演じていたときには苦手なことだってなんとか我慢できた。「理想の私はこんなものじゃないだろう」、そう思うことでお化けも、生の魚も、高いところだって私は耐えることができた。

 

 ……実際にそれをみんなに隠せていたかはわからないけれど。

 

 でも、「理想の瀬田薫」をやめた途端に、抑えていたその恐怖が一気に私の中に溢れ返ってしまった。もう、私ではこれをどうすることもできない。

 だから、体の震えを止めることなんて土台無理な話で、全く隠せていないその震えは、間違いなく先ほど気を抜いた拍子に寄りかかってしまった鳴瀬君に伝わっているだろう。

 

 そして、気の利く鳴瀬君のことだからそのせいで私のことを心配してくれているのだろう。

 

 観覧車は今日の最後のアトラクションなのに、本当にごめんなさい鳴瀬君。

 

 私のせいで心の底からアトラクションを楽しむことができていないであろう鳴瀬君に、私は胸の内で謝罪する。

 

 言葉にするとますます気を遣わせてしまいそうなのが嫌で、言葉にしないと自分勝手な人間だと鳴瀬君に思われてしまいそうなのが嫌だった。

 

 もし私が謝罪の言葉を口にすれば鳴瀬君はそれをさらりと受け入れてくれるだろう。もしかしたらいつものような軽口も飛び出すかもしれない。

 

 でも、そんなことを鳴瀬君に期待してしまう自分がやっぱり嫌で、私はなんとか言葉を飲み込んだ。そのせいで胸の内はずんと重いが、それが彼に迷惑をかけた私に与えられた罰なのだと思えば耐えられる。耐えてみせる。

 

 鳴瀬君が私の手にそっと自分の手を重ねてきたのは、丁度そんなことを考えているときだった。

 

「薫」

「何かな、鳴瀬君……!?」

 

 名前が呼ばれて、私が軽く顔を上げようとしたその時にはもう鳴瀬君の手が私の手をぎゅっと握りしめていた。

 

 ベースをずっと弾いているからか、少し硬いところがあるゴツゴツした男の人の手が、決して痛くはない、でも、しっかりとした実感を伴って私の手を包んでいる。

 

 思わず眼を白黒させている私に、鳴瀬君が決まりが悪そうに空いた方の手の人差し指で自分のほっぺたを掻きながら言葉をかけてくれる。

 

「あー、あのさ。『痛みが酷いときに別の痛みで気を紛らわせる』ってのがあるだろ?」

 

 そこまで言って、鳴瀬君は恥ずかしいのか頬を染めてそっぽを向いた。

 

「だから、その、俺が手を握って薫がビックリしたら、怖いのも少し紛れると思って、な……」

 

 最後の言葉は鳴瀬君には珍しく、かなり歯切れが悪い尻切れトンボで終わった。

 

 私はそんな鳴瀬君の顔と、握りしめられた自分の手をしばらくの間交互に見つめてーー

 

「ふふっ」

 

 ーー思わず笑い声をあげてしまった。

 

「……おい、何で笑うんだよ」

「ふふっ、いや、鳴瀬君が面白くて、つい、ね」

 

 私の笑い声のせいで少しムッとした顔になった鳴瀬君に慌てて言い訳をするも、笑っていたため途切れ途切れになった言葉のせいで、彼はますますしかめっ面になっていく。

 

「俺のどこが面白いんだよ! ったく、気を遣って損したぜ……」

「ふふっ、いや、私は本当に感謝してるよ。ありがとう、優しい鳴瀬君」

 

 ストンと胸のつかえが降りて、私はさらりと感謝の言葉を口にしていた。

 

 ……そうか、ここで私が言うべき言葉は「謝罪」じゃなくて「感謝」だったんだ。

 

 腑に落ちる、とはまさにこのことなのだろう。私は悩みが無くなったことが嬉しくて、つい鳴瀬君の手を握り返してしまう。

 

「……はいはい、どういたしまして」

 

 鳴瀬君は握り返した私の手を離すことはなく、でも恥ずかしそうに視線を私から窓の外へと逸らした。中々見ることがない珍しい彼の表情を眺めていると、その表情が別のものに変わる。

 

「おっ、ここが天辺か。おお、こいつは凄いな……」

 

 鳴瀬君がぽかんと口を開けて外を眺めるので、私も釣られてその視線の先を追う。そしてーー

 

「わぁ、凄い……」

 

 ーー視線の先には小さくなった麓の街が広がっていた。夕闇迫る町並みはところどころに灯りが点り、宝石箱のように煌めく。

 

 しかし、それ以上に美しいものはその町並みの先にあった。町並みの先、そこには途方もない広さの海が広がっている。海はその青に入り日の赤を溶かし込んで、果てしなく淡い黄昏色に染まっている。海渡る風が揺らすたびに表情を変えるそれはいつまでもいつまでも眺めていたくなる「儚さ」があった。

 

 あまりの絶景に心を奪われていると、横から鳴瀬君の声がかかる。

 

「薫、お前、高いのは大丈夫なのか?」

 

 少し心配そうな彼の声に私は笑う。

 

「ふふっ、ええ、大丈夫。もっと大きな感動が私の恐怖を連れ去って行ったから」

「……そうか。思ってたのと違うけど、それならまぁいいか」

 

 そう言って苦笑いする鳴瀬君と一緒に、二人で黙って絶景を眺める。こうしている間にも時間もゴンドラも動き続けている。この光景は永遠には味わえない。だからこそ心というファインダーに今をしっかりと焼き付けて起きたかった。

 

 自分の瞳に景色を溶かしながら、私は「海」へと想いを馳せる。

 

 ……そういえば、鳴瀬君が初ライブで見せてくれたのも「海」だったな。

 

 《STAR DUST(スターダスト)》での初ライブ、そこで私たち《ハロハピ》は人の絆によって生まれた美しい「(ゆめ)」を見た。そして今、私は今までの私なら決して見ることができなかったはずの黄昏の「(ゆめ)」を眺めている。

 海は広く絶えず世界を巡る。故に「(ゆめ)」に果てはないのだ。

 

 それじゃあ、次はどこの「(ゆめ)」へ行こうか鳴瀬君。君と《ハロハピ》のみんなが一緒なら、私はどこへでも行ける気がするんだ。

 

 そんなことを考えながら、私はもっと強く彼の手を握りしめる。

 

 

 この想いが、あなたへとちゃんと届きますように。

 

 そして、あなたが私と同じ想いでありますように。

 

 

 ただそれだけの祈りを込めて。

 

 

 

◇◇◇《side 瀬田薫 over》◇◇◇

 

 

 

「んー、むにゃむにゃ……鳴瀬……あと、10箇所は引きずってでも連れていくわよ……」

「こえー……なんつー恐ろしい夢を見てるんだよ、こいつ」

「ふふっ、夢の中まで遊んでいるなんてこころ姫らしいじゃないか、Mr.鳴瀬」

 

 帰りの電車の中で、物騒な寝言を呟くペグ子とそれに寄りかかって眠る北沢さんを眺めて俺は呆れた声をあげる。

 

 観覧車から降りた途端にいつもの王子様に戻った薫が俺のことを窘めるが、それでも俺の口は止まらない。

 

「いや、流石に今の状態で引き回されたら死ぬわ。だって、めちゃくちゃ疲れたもん、俺」

「確かに、すっごく歩き回りましたもんね」

「私も、今日はぐっすり眠れそうですー」

 

 言うだけ言ってだらんと座席にもたれる俺に、松原さんと奥沢さんが同意してくる。同志を得た俺の弁舌は留まるところを知らない。

 

「だろ? それに、《ハロハピ》の元気印二人が寝るって相当だぞ」

「確かに、二人が先にダウンしているのは珍しいかもしれないね」

「そうそう、しかも俺は薫を抱き抱えたりしてるんだぞ? 疲労もひとしおってもんだよ」

「うっ……、あ、あれに関しては申し訳ないと思ってるよMr.鳴瀬」

 

 俺の言葉に本当に申し訳なさそうな表情を浮かべた薫を見て、俺は慌てて手を左右に振る。

 

「ああ、いや、あの演出は俺も結構ビビったからしゃーないわ。あんまり気にするなよ」

「そう言ってもらえるとありがたいね……」

「へー、鳴瀬さんも平気そうに見えてお化け屋敷で驚くことがあるんですね」

 

 俺と薫のやり取りに興味深そうに乗っかってきた奥沢さんに向かって俺は頷く。

 

「ああ、あれは本当に不意を突かれたわ」

「ちなみに、それってホラーハウスのどの場所だったんです?」

「あれだよ、出口に向かう最後の曲がり角の先で白い着物姿の女の人が踞ってて、それに気を取られてると後ろから隠れてた男の人が脅かしにかかってくるやつな」

 

 俺が驚かされた場所を詳しく説明すると、それを聞いた奥沢さんと松原さんがきょとんとした表情で顔を見合わせる。

 

「え? 私たち、そんなところにキャストの人なんていませんでしたよ?」

 

 不思議そうな表情で答える奥沢さんに俺は首を左右に振って応える。

 

「いやいや、本当に一番最後の恐怖スポットだぞ? ほら、天井に出口の看板があってすぐに右に曲がっていくところだよ。あそこの曲がり角、実は人が隠れる隙間があってさ、そこから男の人が飛び出してくるやつだよ」

 

 もう一度、俺が詳しく説明するが、やっぱり奥沢さんは首を傾げる。心なしかその表情は暗い。

 

「いや、私も言ってる場所はわかりますよ? でも、私たちの時はそのままさらっと出口に着きましたよ。そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……へ?」

 

 あそこの曲がり角には隠れる場所なんてなかった。

 

 奥沢さんの衝撃的な言葉に絶句する俺に、松原さんがおずおずといった調子で話しかけてくる。やはり、その顔色は奥沢さんと同じで優れない。

 

「私たち、ホラーハウスの出口の看板が見えたあと、疲れたねーって少し出る前に休んだんです。外は太陽が眩しいから、暗い建物の中で休もうって話になって。その時に休んだのが丁度鳴瀬さんの話してる曲がり角だったんですけど、そこは()()()()()()()()()()()()()()()でした」

「…………」

 

 嫌な沈黙が場を支配する。誰もが口をつぐむ中、奥沢さんが震える声で口を開く。

 

「な、鳴瀬さん。鳴瀬さんたちが見た二人って、も、もしかして本物の幽霊……」

「ないないないない! そんなこと絶対にあり得ないって! なぁ、薫!?」

「………………(白目)」

「かっ、薫ー!?」

 

 恐怖のあまり白目を剥いて気絶してしまった薫に俺たちが焦っていると、その騒ぎでペグ子たちが眼を覚ました。

 目覚めたペグ子たちにも話を聞いたが、彼女たちもそんな二人組のキャストには会っていないということだった。

 

 これはあとからペグ子に調べてもらって分かったことなのだが、あの場所には本来二人組のキャストを配置する予定があったらしい。

 しかし、配置をする予定だった二人組のキャストが配属前に事故に巻き込まれて死亡、追加の人員が補充されることなくホラーハウスは営業を始めるに至ったらしい。

 その二人組は、別の遊園地から引き抜いたベテランのキャスト夫婦で、二人とも和風のお化け屋敷で白い着物姿で幽霊役を演じるのが得意だったとのことである。

 

 俺は、お化けなんてオカルトは決して信じない。

 

 信じないったら、信じないのだ。

 

 だから、時々視界の隅に白い着物がちらつくことがあるような気がするのは、多分絶対俺の見間違いなんだ。

 

 だからさ、誰か見間違いだって同意してくれ! ねぇ、お願いだから!?

 

 




というわけで薫さん編、完!

恋愛寄りのサイドストーリーを書くときは、体内乙女チック濃度を高めるのに苦労いたしますわね……。わたくしがお嬢様じゃなければこの話が陽の目を見ることはありませんでしたわ。やっぱりお嬢様部 is GODですわね!

「人生において、人は誰しも何かの役を演じている」というのはよく聞く話ですが、薫さんほどあからさまに役を演じているキャラは珍しい。薫さんは基本的にコメディリリーフなんですが、それ故にカッコいいシーンや弱ってるシーンが際立つギャップ萌えキャラだというのが有識者たちの間では定説となっているのは有名な話です(大嘘)。今回はそれが表現できていたら嬉しいかなーって!

そして、今回の話にはオチをちゃんとつけました。やっぱり、薫さんの話にはなんかこういうの欲しいなって思いまして。


【感謝】
これを書いてる途中にお気に入り400突破しました!

やっぱりランキングに入れていただくとお気に入りの増加速度がマッハですね。感謝感激でございます。
完結までにお気に入り500を目標にしてこれからも精進しようと思います。よろしければ今後もお付き合いくださいませ~!


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二章 野良ベーシストと盛りだくさん路上ライブ
野良ベーシストは新たなるクマと出会う


つづきました。

第二章本編の続きです。

というわけでここからストリートライブ編に移ります。

ついにあのイカれたクマがバージョンアップしてやって来た!


【アンケート協力のお願い】

花音先輩のアンケートご協力ありがとうございました! 期間が長かったこともあり、過去最高の投票をいただきありがとうございます! 

そして、次はいよいよハロハピ最後の一人、熊の中の常識人こと、奥沢美咲ちゃんのサイドストーリーでっす!
予定したサイドストーリーは二つ、でも、時間の都合で書けるのはどちらかひとつです。皆さんが見たいと思う方に投票よろしくお願いいたします!

以下に詳細を載せました。どちらかを選んでアンケートに投票をお願いいたします!

【ミッシェル結婚式ルート】
商店街などのビラ配り、ふわキャラグランプリといった活動でコツコツと知名度を上げていたミッシェル。
そんなミッシェルの元に、今度オープンする結婚式場からイメージキャラクターとして起用させて欲しいとの連絡が入る。
熟考の末に依頼を承諾したミッシェルを結婚式場で待っていたのは、なんと《ミッチェル》という名前の黒いクマだった!? 新郎役の《ミッチェル》と新婦役の《ミッシェル》によるドタバタ結婚式が幕を開ける!

【おばあちゃん家ルート】
夏に《ハロー、ハッピーワールド!》皆でお世話になった美咲さんのおばあちゃん。ある日美咲さんの携帯におばあちゃんから秋野菜の収穫を手伝って欲しいとの連絡が入る。
また《ハロハピ》メンバーを駆り出すかと考えていた美咲さんだったが、なんとメンバーはほとんど用事が入ってしまい、ついてこれるのは鳴瀬君たった一人になってしまった!
鳴瀬君を連れての里帰り、二人の関係はどう動いて行くのか……。


「あ、薫、また音が濁った。ミュートが甘いからダメなんだよ。指の動きもっとメリハリ効かせて」

「了解だ、Mr.鳴瀬!」

「あー、今度は人差し指のセーハがダメ。次がハイフレットにいきたいから押さえ方が甘くなってる。ちゃんと人差し指は親指よりの方で押さえて。BPMが上がって忙しいけど、一つ一つの動作は完璧にするんだ。《神は細部に宿る》、耳の肥えたオーディエンスは細かなところでも絶対に騙せないからな」

「《神は細部に宿る》か、いい言葉だ! 私はまだまだこんなものじゃないぞ!」

 

 

◇◇◇

 

 

「北沢さん、スリーフィンガーもかなり良くなったけど、指によってピッキングの強さにばらつきがあるよ。多分だけど、ボールを投げるときにあまり使ってない薬指が弱いんじゃないか?」

「あー、確かにそうかも!」

「一応レコーダーで演奏録っておいたからきいてみな。自分の演奏をじっくり聴いて課題を見つけるのも大切だからな」

「おっけー、はぐみ、頑張るよ鳴瀬君!」

 

 

◇◇◇

 

 

「……あっ、また遅れちゃった……」

「あー、ハイハットと右の18インチのクラッシュを行き来するところかー。松原さん、ここなんだけど8小節手前のとこからクロスじゃなくてオープンで叩けない?」

「8小節というと……あっ、サビの真ん中辺りですね」

「そうそう、ここ比較的密度が薄いからここでクロスからオープンに切り替える。そして、右手でハイハットからクラッシュの往復を、スネアからクラッシュの往復にすることで、かなり忙しさが軽減されるはずだ」

「な、なるほど! ちょっと試してみますね!」

「オッケー、頑張ってね松原さん。あと、それでも忙しいと思うならクラッシュの高さをもうちょい下げてもいいかもな。そしたらスネアとの距離がもっと縮まるからさ」

「はい! また、アドバイスお願いしますね、鳴瀬さん!」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 俺が《ハロハピ》に向けて個別の課題を与えてから一週間、メンバーたちの練習もかなりの熱を帯びたものになった。自然と指導に入る俺の言葉にも熱が籠ってくる。

 メニューも、基本的なものからより細部の精度を高めるものに移行して、演奏のフレーズの引き出しを増やしつつそれに見合ったスキルを身に付けていくといった流れが綺麗に出来ている。

 順風満帆、とまではいかないものの、着実に《ハロー、ハッピーワールド!》は次の目的地に向かって夢の海原を進み始めている。彼女たちの成長は本当に目を見張るものがある。

 

「いやー、みんないい感じですねぇ」

「お、奥沢さん」

 

 それぞれの課題に打ち込みながら、額に汗するメンバーを眺めていると横から奥沢さんの声がかかる。

 

 現在、《ハロー、ハッピーワールド!》の新曲はペグ子がそのアウトラインを作成中だ。彼女は俺の言いつけを守って、スタジオの床に寝そべって脚をパタパタさせながら俺が渡したノートと五線譜に「フンフン」と鼻歌混じりに何かを書き込んでいる。子供か。子供だった。

 

 とにかく。

 

 現状、奥沢さんが作曲や編曲で活躍するのはもう少し後の話になるので、彼女は今束の間の休息を楽しんでいるというわけだ。

 

 そんな奥沢さんの言葉に俺は首肯で応える。

 

「そうだな、ある程度演奏を通じてみんなの課題が見えてきたし、ここから《ハロハピ》はまだ伸びるな。特に、今はライブの熱が抜けてない。叩くなら今しかないだろ」

 

 俺の言葉に今度は奥沢さんが首を振った。

 

「ですねぇ。こころもすごく熱心に作曲してくれてますし、これは私の負担もこれからは軽くなっちゃうかなー」

 

 柄にもなく楽天的なことを言って笑う奥沢さんに俺はにやりとした笑みを送る。

 

「いやいや、わからないぞ。もしかするとこころの奴、めちゃくちゃ難解な曲を書いてくるかもしれないしな」

「うへ~……鳴瀬さん、本当にありそうなこと言ってテンション下げるのやめてくださいよぉ」

「ははは、悪い悪い」

「まぁ、そのときは鳴瀬さんも道連れですけどね」

「……やぶ蛇だったか」

 

 そんな軽口を叩きながら俺たちが二人で話していると。

 

「鳴瀬様、奥沢様。少しよろしいですか?」

「ん?」「はい?」

 

 声をかけられた俺たちが振り向くと、そこにはいつの間にかレギュラー黒服三人組のリーダーとおぼしきロングヘアーの人が立っていた。相変わらずの神出鬼没っぷりだが、もう慣れたのでツッコミは無しだ。

 

「どうかしましたか?」

 

 俺が問いかけると黒服の人は「はい」と軽口頷いてから口を開いた。

 

()()()()が完成しましたので1Fの別のスタジオまでご足労願えますか」

 

 ()()()()

 

 この言葉に俺と奥沢さんは顔を見合わせたあとに二人で頷く。

 

「わかりました。行こうか、奥沢さん」

「ええ、鳴瀬さん。黒服さん、案内してもらえますか」

「はい、では私の後についてきてください」

「了解です。おーいみんな、俺と奥沢さんは黒服の人と用事があるからしばらく席を外す。その間練習を続けて、俺が戻った時に聞きたいことがあるなら頭の中で整理しておいてくれ」

「はーい!」(×4)

「よーし、頑張れよー」

 

 メンバーの返事を背中に受けながら俺と奥沢さんは黒服の人に従って一階へ降りる。

 

 一階へ降りると丁度ラウンジへ向かう四方津(よもつ)さんとかち合った。

 

「あ、親父さん」

 

 俺が声をかけると四方津さんは「おっ」と声を上げてから、軽く右手を挙げた。

 

「よう、鳴瀬! こころちゃんのバンド、なんだかかなり面白いことになってるじゃないか」

「そうなんですよ。すみませんね、なんか色々と無理を言ってしまって」

 

 俺が軽く頭を下げると、四方津さんは気にするなという風に軽く手を振る。

 

「いいっていいって。あのピンクのクマもバンドがらみのやつなんだろ? なら、俺は何も文句はないさ。だって《arrows(ここ)》はスタジオなんだからな。音楽をやるなら多少のことは目を瞑るさ」

「ありがとうございます、四方津さん」

「本当にいつもお世話になってます」

 

 俺と奥沢さんがお礼の言葉を言うと、四方津さんは嬉しそうに目を細める。

 

「ははは、本当に気にすんなって。俺のスタジオから新しい世代のバンドが生まれて、どんどん有名になっていくのを見るのが俺は一番楽しいんだからな」

 

 そこまで言って言葉を区切ると、四方津さんは少し寂しそうな表情を見せる。

 

「全力でアクセルを踏んでエンジンをブン回せるのはいつだって若者の特権だ。歳を食って背負うものが増えてくるとどうしてもアクセルを踏む足が鈍っちまう。先が見えちまうんだな」

「四方津さん……」

 

 今から約20年前のバンドブーム全盛期。

 

 そこでメジャーデビューにもう少しで手が届くところまでたどり着き、そこで梯子を外されてしまった四方津さんと彼のバンド《オブリビオン》。

 今を輝くバンドたちが世界に羽ばたいていくのを見送る彼の心境は、いかばかりのものなのだろうか。

 

 そんな四方津さんのことを思い、思わず心配そうな声を漏らしてしまう俺に気付いた四方津さんは、すぐにその表情をいつもの不敵な笑みで覆う。太いその腕ががっしりと俺と奥沢さんの肩を掴む。

 

「だから、お前らも精一杯やれよ! 精一杯やって、それでダメならそれもいいじゃないか。俺もできる限りのサポートはしてやるから、安心してアクセルをベタ踏みしてろよ」

「……ありがとうございます、頼りにしてます、親父さん」

「これからもお世話になります、四方津さん」

 

 俺たちが深々と頭を下げると、四方さんはそれに応えるように右手をヒラヒラと振りながらラウンジへと歩いていった。

 

 その姿を見送ると、黒服の人から声がかかった。

 

「では、鳴瀬様、奥沢様。わたくしたちもこちらに」

「ええ」「はい」

 

 黒服の人に応えると、俺たちは四方津さんとは反対に建物の奥にあるスタジオに向かって歩みを進めるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 スタジオ《arrows》の1F最奥に位置する中規模スタジオ。DJ用ターンテーブルなどの電子機器を使用することを想定した造りになったそのスタジオには、まるでそこにあるのが当然だといわんばかりに、その中央に巨大なピンクのクマが鎮座していた。

 

 そう、みんな大好き《ミッシェル》である。

 

「お待たせしました鳴瀬様、奥沢様。これが生まれ変わった新しい《ミッシェル》、《ミッシェルver.2 mod.DJ》です」

「おお、これが……」

「なんか、どこかのスーパーロボットみたいなネーミングですね……」

 

 黒服の人に紹介された《ミッシェル》、いや、《ミッシェルver.2 mod.DJ》を見た俺たちは、一歩ずつそちらに近付いていく。

 

 《ミッシェルver.2 mod.DJ》……長いので《ミッシェルDJ》と呼ぶことにするが、《ミッシェルDJ》には外見上大きな変化は全くない。変化は《ミッシェル》本体ではなく、その頭に取り付けられたヘッドフォンパーツにあった。

 

「ふーむ、実際この《ミッシェルDJ》は、スペック的にはどう変わったんだ?」

 

 しげしげとミッシェルのヘッドフォンを眺めながら俺が呟くと、黒服の人がこちらに進み出てくる。

 

「では、ご説明させていただきます。『中の人』である奥沢様は《ミッシェルver.2 mod.DJ》をお召しになられた方が分かりやすいと思いますので、どうぞお召しになって下さい」

「あ、そうですね。わかりましたよっと……それにしても《ミッシェル》をお召しになるって凄い表現ですよね……」

「確かに違和感が半端ないな……」

 

 そんなことを言いながら奥沢がミッシェルの中にすっぽりと収まる。それから少しもぞもぞとミッシェルの体が動いたと思ったら、ファスナーが引っ張られる音が聞こえて、《ミッシェルDJ》がすっくとその場に立ち上がった。

 

「どう? 奥沢さん」

「お、おお? なんか、前の《ミッシェル》とずいぶん違いますね」

 

 声をかけると《ミッシェルDJ》となった奥沢さんがキョロキョロと辺りを見回す。どうやら、着用感が前と違うので戸惑っているようだ。

 

「それでは、《ミッシェルver.2 mod.DJ》、通称《ミッシェルDJ》についてご説明いたします」

「あ、やっぱり通称《ミッシェルDJ》なんだ」

 

 そこにツッコミを入れると黒服の人が頷く。やっぱり正式名称は彼女にとっても長かったようだ。

 

「はい、では《ミッシェルDJ》なのですが、奥沢様。今の時点で奥沢様が気づかれた違いなどはございますか?」

「え、あっ、えーっと、なんか、前よりも軽い……ですか?」

 

 《ミッシェルDJ》が軽く首を傾げるようにしながら答えると、黒服の人が満足そうに頷く。

 

「お気づきになられましたか。そう、この《ミッシェルDJ》は外部装甲の材質を見直すことで従来の《ミッシェルver.1.5》からなんと40%もの軽量化に成功しているのです!」

「へぇー、通りで軽いと思いましたよ! そんなに減ってるんですねー」

「はい。試作品を使っての試運転では、中の人のスペック次第では宙返りやハンドスプリングなども可能であることが分かっています」

「…………」

「……宙返りやハンドスプリングなども可能であることが分かっています」

「いや、分かっていてもやりませんからね!?」

 

 期待に満ちた目で黒服の人に見つめられていた《ミッシェルDJ》だったが、慌てたように首を左右に振る。それを見た黒服の人はあからさまに残念そうに肩を落とした。

 

「それは残念です。ちなみに、重量は落としましたが、装甲を構成するクッションとクッションの間に新開発のプレートを埋め込みましたので耐久性も以前よりも向上しています。チビッ子からの急なタックルにも安心ですよ!」

「あ、それはありがたいかも。前からチビッ子のタックルはキツかったので」

 

 そう言った《ミッシェルDJ》の表情は心なしか嬉しそうに見えた。

 

「あ、あと今気付いたんですけど指周りも前よりもスムーズに動きますね。相変わらずの本数は三本ですけどね」

「そうです、《ミッシェルDJ》のこだわりの改造点その2は指先の造形なのです」

 

 そう言って黒服の人は胸を張る。よくぞ気付いてくれましたと言わんばかりだ。

 

「今回はDJという細かな動作をやるということで手の構造を一から設計し直しています。例えば指の細さ、長さ、生地の素材や厚み、柔軟性などにもこだわり抜いています。例えば中指・薬指・小指の一体化した三本目の指なんですが……」

 

 そこまで言ったときに《ミッシェルDJ》が驚きの声をあげる。

 

「あっ! これ、三本の指が中で独立して動かせますね!」

「そうなんです。今までは一斉にしか動かせなかったんですが、今回、柔軟性のある素材を入れたので、それぞれの指をある程度独立して動かせるようになったのです」

「へぇー、それはいいな」

 

 黒服の人の言葉に俺も頷いた。ツマミやノブ、スイッチやターンテーブルを動かすためには全ての指がある程度独立して動いてくれることに越したことはない。

 どうやら、黒服の人たちはかなり頑張ってミッシェルを作ってくれたようだ。

 

「他にも、手のひらの肉球のグリップ力を高めてターンテーブルをスクラッチするときに滑らないようにする、関節部分がより滑らかに動く、なんて工夫も凝らしてあります」

「ほんとだー、これは痒いところに手が届く改造ですねー。ま、本当に背中が痒いときは掻けないんですけどね」

 

 そんなことを言いつつも、奥沢さんは中々《ミッシェルDJ》が気にいったようで手をグーパーして感触を何度も確かめていた。

 

「では、残りの機能はDJブースを使いながらご説明いたします。《ミッシェルDJ》様、どうぞこちらへ」

「はいはーい」

 

 そういって促されるままに俺たちはDJブースに入る。ブースの中にはすでにDJシステムが準備されていた。Pioneer社のエントリーモデルのシステムで、総額25~30万位のシステムだ。どうやら、ペグ子はちゃんと俺たちの話を聞いて準備をしてくれたようである。

 

 その事に俺たちがほっと胸を撫で下ろしていると、黒服の人がイヤホンジャック用の延長コードを持ってきた。

 

「《ミッシェルDJ》様、コスチュームのヘッドフォンにこちらのケーブルを繋いでいただき、DJシステムに繋いでください」

「はいはーい……これでヨシッと」

「それではわたくしが少し操作をさせていただきまして……ミュージック、スターットッ!」

 

ズンズンズンズン…………

 

 黒服の人の無駄にキレのいい宣言と同時に、ブース内にプログラムされていた重低音が響き渡る。

 

「それでは《ミッシェルDJ》様、ヘッドフォンの左側の耳当てについているボタンを押していただけますか?」

「えっ、これかな?……ぽちっとな」

 

 《ミッシェルDJ》の手がヘッドフォンを探ると、左についていたボタンを押す。するとーー

 

「ーーあっ! 左耳の方から重低音が聴こえる!」

 

 《ミッシェルDJ》の驚いた声が響く。

 

「はい、実は《ミッシェルDJ》のコスチュームのヘッドフォンは内部に取り付けられたスピーカーとBluetooth接続されておりまして、ボタン操作で内部にはっきりと音を拾えるのです。さらにーー」

 

 そう言いながら黒服の人は《ミッシェルDJ》に近付き、今度は右のヘッドフォンのボタンを押す。

 

「ーー右の方と左の方は別の機器とペアリングさせることも可能です。なので、左耳で今流れている音を拾いつつ、右耳でこれから流す音の確認をするといったクラブDJの動きを再現することが可能なのです」

「へぇ~」(×2)

 

 俺と《ミッシェルDJ》は思わず感嘆の声をあげていた。恐らく中の奥沢さんの耳には今左右で違う音が流れているのだろう。

 

「というわけで、これがわたくしたちが提供する新しい《ミッシェル》、《ミッシェルDJ》でございます。細かな点は今後奥沢様や鳴瀬様とご相談しながらバージョンアップさせていただければと思います」

「いや、想像以上の出来だなこれは。ありがとうございます、かなりご無理をさせたでしょう」

 

 《ミッシェルDJ》の完成度の高さを見て労いの言葉を送った俺に、黒服の人は微笑みながら首を左右に振る。

 

「いいえ、私ども黒服はこころお嬢様の笑顔が最優先ですのでこれくらいは当然です。それに、お嬢様のご命令の中では比較的容易い仕事でしたので」

「えぇ……これで容易いって、普段どれだけ無茶ぶりしてるの、こころ……」

 

 思わぬところから漏れ出たペグ子の鬼畜っぷりにドン引きする《ミッシェルDJ》に、やはり黒服の人は首を左右に振った。

 

「そんなことはございませんよ。こころお嬢様が高度なご命令を下されればされるほど、私どもは頼りにされているのだとより一層仕事に熱が入るのでございます」

「やっぱりスゲーな、黒服の人……」

 

 そう言いきって、サングラス越しに目をキラキラと輝かせる黒服の人を眺めながら、俺と《ミッシェルDJ》が彼女たちに称賛の眼差しを送っていたその時。

 

 ーー割れ鍋に綴じ蓋。

 

 ふとそんな言葉が脳裏を過ったが、それを口に出さないだけの常識を賢い俺は持ち合わせているのだった。




というわけで、ミッシェルDJも起動して、いよいよストリートライブに向けてメンバーたち(主に鳴瀬君)が動き始めます。

このストリートライブ編なんですが、初期の構想からかなりずれておりまして、最初は《ハロハピ》だけのライブを何個かさらりとやる予定だったのですが、「……なんか、他のバンドと出せそうじゃん?」と思ったので、他のガールズバンドもぶちこんでいくことにしました。

その結果、当初はゲームでも一話しか使ってなかったのでさらっと流す予定のパートだったのですが、なんか結構ボリューミーなパートになりそうです。

やっぱり《バンドリ》の魅力は、夢に向かって一生懸命な女の子同士の交流だとおもいますのよ。そうではなくて、セバスチャン?

というわけでキャラが増えるとトレスもしんどいのですが頑張りますわよ!(吐血)


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野良ベーシストは下準備が周到である

続きました。

ストリートライブ編その2。

早ければこの話から他のガールズバンドが絡むかな?


「はいちゅーもーく!」

 

 俺が叫び声をあげて「パンパン」と手を打つと《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーたちの視線が集まる。

 

「なにかしら、鳴瀬?」

「おー、実はそろそろストリートライブに《ハロハピ》を突っ込んで行こうと思ってなー」

「ライブ!? はぐみたち、またライブできるの!? やったぁ!」

 

 俺の言葉に北沢さんが文字通り跳び跳ねて喜ぶ。まるで、飼い主が久しぶりに家に戻ってきた時の犬のような彼女を俺は苦笑いしながら手で制する。

 

「どうどう。ライブとはいっても、ストリートだから始めから客がいる訳じゃないからな。《STAR DUST(スターダスト)》の時のようにはいかんぜ」

 

 俺の言葉に表情を引き締めたのは松原さんだ。

 

「そうですね。ストリートに出るということは場所によっては完全にアウェー、お客さんがゼロの状態から始めないといけませんからね」

 

 彼女の言葉に俺も無言で頷く。

 

 ストリートでのライブは、事前に告知を打っていなければ基本的には観客ゼロからのスタートだ。

 その日その時その場所をたまたま通りかかった人間の足を己の音だけを武器に引き留める。それだけの純然たるスキルが求められる最高にシビアな世界。それがストリートというやつだ。

 ストリートで成功するのは、ある意味ライブで成功するよりもハードルが高い。ライブの客は間違いなく曲を聴きに来ているのに対して、ストリートにはそんな人間は存在しないからだ。

 もちろん、客が付かないと割り切って演奏している人間もいるが、演奏をみんなに披露したいと思う人間にとってはかなり過酷な環境であると言える。

 

「あー、確かに前のライブの時はチケットの割り当ても、薫さんのファンだけで()けるくらいの人数が最初からついてくれましたもんね」

 

 松原さんの言葉に奥沢さんも同意する。

 

 ライブハウス(ハコ)でのライブに参加するバンドには基本的に割り当てられた枚数のチケットを捌くことが義務づけられる。売れないバンドはチケットを捌けず、結局自腹を切ってチケットを買い取り、それを知り合いにばら蒔いてもまだ余るなんてこともざらだ。

 

 彼女の言う通り、《STAR DUST》のライブでは《ハロハピ》の王子様である薫のファンが先を争うようにチケットを求めたので一瞬で捌けてしまったのだ。あまりの勢いで無くなったので、身内用に確保しようとした分まで出してしまい、家族を誘おうと思っていた北沢さんと松原さんががっかりしていた姿が今でも目に浮かぶ。

 

 とにかく。《ハロハピ》は薫を擁している限り、ライブで客がつかないことがないという、稀有なアドバンテージがあるバンドなのだ。

 

 故に、彼女たちは出来立てのバンドが当たり前のように経験する挫折を知らないバンドであるといえる。

 

 ……松原さんは、その辺りは経験してきてるみたいだけどな。

 

 《ハロハピ》結成前からの唯一の楽器経験者の松原さんは少なくともドラムをやめてしまおうというレベルの挫折を経験している。そこから立ち直ったことは、間違いなく今の彼女の芯になっていることだろう。

 

 そのレベルを他の《ハロハピ》メンバーにも味わって欲しい、とまでは言わないが、やはりある程度の困難には曝さなければならないとは思うのもまた事実だ。困難を乗り越える度にバンドの絆は深まり、良い情熱(パッション)も往々にしてそこから生まれるものだからだ。

 

 そして、挫折を経験するなら早いうちがいい。高く建てたビルと建て始めたばかりのビル、重機で鉄球をぶち当ててそれを早く直せるのは間違いなく後者だ。遅い挫折は時に致命傷に繋がる。

 

 ……とはいっても、最初からシビアなストリートにぶっ込むのもあれだし、とりあえずはみんなの希望の場所から回っていくかな。

 

 ストリートでライブする感覚を身に付けるために、最初はイージーモードから始める。そう考えた俺は再び「パンパン」と手を叩いた。

 

「ま、最初はそこまでシビアに考えなくてもいい。とりあえず全員、ライブハウス以外で演奏したいところ自由に言ってくれ。いけそうならそこを順番に回ろう」

 

 俺がそう言うと真っ先に手を挙げたのはペグ子だ。

 

「はーい! わたしはいつも行く公園がいいわ! あそこでよく遊ぶ子どもたちにライブを聴かせてあげたいのよ!」

「あー、あの公園か。あそこは楽器演奏可能だから管理者に連絡とればいけるな。オッケーだ」

 

 俺がスマホを取り出してメモをとり始めると、すぐに次の手が挙がる。

 

「はーい! はぐみはね、うちのある商店街でやりたいなー!」

「あー、商店街な。うーん、ここは多分演奏許可を警察署に取りにいかないとダメだな。あと、商店街の管理組合にも連絡とって、どこのスペースを借りられるかも相談しないとな。ちょっと後回しになるかもしれないけどいいかな?」

 

 俺が北沢さんに尋ねると彼女は大きく頷く。

 

「うん! はぐみはそんなに急がないから鳴瀬くんのペースでゆっくりやってね!」

「サンキュ、北沢さん。なら、商店街も候補にいれてっと」

「なら、次は私が言ってもいいかな、Mr.鳴瀬」

 

 北沢さんの次に前に進み出てきたのは薫だ。

 

「薫か、どうぞどうぞ」

「私が提案するのはズバリ、羽丘女子学園でのライブさ!」

「うぇ、女子高かぁ……」

 

 薫から女子高の名前が上がった時点で俺は顔をしかめる。男の俺が女子高側と正面切って演奏の交渉をするというのは中々にハードな展開だ。ある意味、商店街よりもきつい条件だと言える。

 

「男の俺が女子高と交渉ってのは苦しいものがあるんだが、どうしてもやりたいか?」

 

 そのことを俺が薫に伝えると薫は申し訳なさそうに首を立てに振った。

 

「ああ、私事ですまないのだが、《STAR DUST》での初ライブ以来、チケットが取れなかった子猫ちゃんたちに『次のライブはいつなんですか』とせっつかれてね。それならいっそのこと学校でやってしまえと思ったのさ」

「あー、なるほどなー……」

 

 これはライブ後しばらくしてからわかったことなのだが、実は薫の売っていたチケットの購入に漏れた子猫ちゃんたちは思いの外大勢いたようなのだ。

 しかも、中にはライブのこと自体知らなかった子もいたらしく、ライブの話は尾ひれがついて広まって、薫王子の次のライブは子猫ちゃんたちの垂涎の的らしい。

 当然、元締めの薫のところに子猫ちゃんたちが向かって行くのは必然であり、彼女はその対応に苦慮しているという話も少し前に聞いていた。彼女への負担を減らすためにも、羽丘女子学園でのライブは既定路線で進めるしかないだろう。

 

「状況が状況だけに仕方ない、か。わかったよ薫、羽丘でのライブも何とかしよう」

 

 そんな俺の言葉に薫は笑顔で応える。

 

「感謝するよMr.鳴瀬! もし、学園との交渉をするときにはわたしも同席させてくれないか、きっと上手くことが運ぶはずさ」

「おお、それは心強いな。頼むよ、薫」

「ああ、任せたまえ!」

 

 そして俺と薫がアイコンタクトをとって頷き合うと、その横でおずおずと手が挙がった。

 

「あ、あの、わたしはストリートライブをやるなら駅前がいいです。あそこはこころちゃんが私を《ハロハピ》に誘ってくれた思い出の場所だから、もう一度ちゃんと演奏したいなって……」

「やーん! それ、とっても素敵よ、花音!」

「わわっ、こころちゃん!?」

 

 松原さんの言葉に感極まったペグ子が急に松原さんに飛びついて、驚いた松原さんは目を白黒させながらもペグ子の顔を見て微笑みを浮かべる。

 

「ふふっ、ありがとうこころちゃん」

「こちらこそよ、花音。それに、駅前は私が鳴瀬に初めて出会ってバンドをするきっかけになった場所だもの。ここは外せないわ!」

 

 そう言って俺の顔に向かってビシッと指を突き付けてくる無礼なペグ子の右手を払い除けながらも、俺は松原さん提案の駅前ライブに首肯する。

 

「こら、こころ。俺に指を突きつけるな無礼者め。んで、とりあえず駅前のライブはオッケーな。あそこは町のパフォーマー特区になってるから、よほど大がかりなセットでも作らない限りは許可も要らないし問題なしだ」

「やったわね、花音!」

「えへへ、よかったねこころちゃん」

 

 俺の許可に顔を見合わせて笑う二人。そんな二人に俺は忠告の言葉を告げる。

 

「ただ、気を付けたいのは、さっき言ったように、駅前はパフォーマー特区だってこと。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことだ」

「……!」

 

 この言葉に他の《ハロハピ》メンバーにも緊張が走る。

 

「だから、ここは客を集める以外にも、条件次第では客の取り合いになる場所だ。今までの提案の中では一番シビアだと言える。松原さん、それでも駅前でOKかい?」

 

 俺がその事実を踏まえた上で改めて松原さんに話を振る。しかし、それでも彼女は首を縦に振った。

 

「はい、その可能性も頭の中にありました。それでも私は駅前を希望します。今の私たちなら、あそこでも通用するって信じられますから」

 

 そう言い切った松原さんの瞳には確かに強い光が宿っていた。初対面の時の彼女はどこに行ったのやら。本当にこのバンドで一番成長したのは松原さんなのかもしれない。

 

「オッケー、じゃあ駅前も決定だ。ただ、順番的には後回しだな。それじゃあ最後に奥沢さん、どこか希望はあるかな?」

「んー、希望ですか。私はこれと言って強い希望はないのでどこでも。強いて言うなら、ミッシェルが動きやすいところですかね。DJデビューはまだ先になりそうなので、とりあえずパフォーマンス優先でお願いします」

「なるほど、じゃあ奥沢さんの分はこころとは別のどこか広い公園にしようか」

「じゃあそれでお願いします」

 

 そう言って奥沢さんはペコリと頭を下げた。

 なんだかんだでパフォーマンスのことを気にしている奥沢さんも、やっぱり《ハロハピ》メンバーの一員としての自分について色々と考えているようだ。

 

「よーし、それじゃあストリートに向けて全員練習再開だ! 俺はこれからしばらく渉外作業でいないこともあるけど、ちゃんとするんだぞ」

「おー!」(×5)

「よし、それじゃあ目標に向けていつものやつを頼むぞ、こころ!」

「わかったわ鳴瀬! さぁ、みんな! ストリートライブに向けて《ハロハピ》出発よ! せーのっ!」

 

 

「ハッピー、ラッキー、スマイル、イエーイ!!」(×6)

 

 

 こうして、俺たち《《ハロハピ》はストリートライブに向けて舵を切った。

 

 しかし、この時の俺はまだ、この中のあるストリートライブがあんなに大勢のガールズバンドを巻き込んだ一大イベントになるとは、まだ知るよしもなかったのである。

 




というわけで今度は短めです。

他のガールズバンドは次回に持ち越しということで許してクレメンス!

話の流れ的に次回は確実に出るので許してくださいまし! 何でもはしませんけど!(ルール違反)


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野良ベーシストは燃える夕焼けを眺める

続きました。

ストリートライブ編の3です。

年末に向けて色々立て込む前に連投連投ぅ!

この回でいよいよ様々なガールズバンドが《ハロー、ハッピーワールド!》と繋がり始めます!

どのバンドがどう関わって来るのかはお楽しみに!


【アンケート協力のお願い】
ついに最後の1人のサイドストーリー、美咲ちゃんの分を募集しています! なんと既に100名以上の方から投票いただき、過去最高の投票速度です!

???「今分かりました。《ハロハピ》の心はミッシェルだったんですね!」

ルートは「ミッシェル結婚式ルート」か、「美咲おばあちゃんの田舎訪問ルート」の二択です。詳細は前回のお話の前書きにあるので、確認してから読みたいお話に投票をお願いいたします!

あなたの一票で『野良ベーシスト』の未来が変わる!



「はーい、みんな! 元気にしてたー?」

「あー! こころちゃんだぁ!」

「うわー! ほんとだー!」

「みんなかこめー!」

「かもすぞー!」

 

 ストリートライブ一発目。

 

 ペグ子のお気に入りの公園で、彼女がチビッ子に声をかけたその瞬間、どこからともなく現れたチビッ子たちの群れに、俺たちは一瞬にして取り囲まれてしまった。

 

 ペグ子の口から「わたしは公園のアイドルなのよ!」とは聞いていた(聞き流していた)が、まさかこれほどまでとは誰が思うだろうか。

 

 もしもペグ子が笛でも吹き始めたら、現代のハーメルンの笛吹がこの世に解き放たれることは想像に難くなかった。

 

「うへぇ!? なんだよ、このこころの人気っぷりは!」

「なんか、パンくずに群がる鳩みたいになってますよ!?」

 

 あまりの事態に戸惑う俺と奥沢さん in ミッシェルにも、チビッ子たちは物怖じせずに突っ込んでくる。

 

「わぁ、ピンクのクマさんだぁ!」

「あ、み、みんな大好きミッシェルだよー、よろしくねー」

「かわいい! ねー、ぎゅってしてもいいー?」

「や、優しくおねがいね?」

「わーい! お許しが出たぞー! みんな、かかれー!」

「え、ちょ、まっ、ああぁぁ……」

 

 ミッシェルの集客力は相変わらず凄まじく、笑顔を振り撒くこころと同じレベルでチビッ子が群がっていく。ぎこちない動きで抱きついてくるチビッ子の海に沈んでいくミッシェルは、どこか溶鉱炉に親指を立てて沈んでいく某殺戮マシーンを彷彿とさせた。

 

 すまん奥沢さん。しばらくチビッ子たちを引き付けておいてくれよ。

 

 そう、心の中で奥沢さんに謝りつつ、俺は手早くライブの準備を始める。ちなみに、他の《ハロハピ》メンバーは、自分の楽器の搬入などの真っ最中だ。

 

 俺は演奏をするわけではないのだが、アンプやキャビネットの調整のために、先行してそれらを持ち込んでセッティングしようとしていたところ、このチビッ子ギャングたちに囲まれてしまった訳である。

 

「とりあえず、キャビネット置いて音だしせにゃならんな……」

 

 小型のバッテリーにアンプとキャビネットを繋ぎ、自前のMB-40をそれに繋ぐ。

 そんなことをしているうちに、俺の方にもいくらかのチビッ子が寄ってきて興味深々といった様子で俺に話しかけてくる。

 

「おにーちゃん、これなにー?」

 

 まだ、小学生にもなっていないような女の子がとことこキャビネットに近寄ってそれを指差しながらこちらに話しかけてくる。

 

「んー、これはアンプとキャビネットっていって大きな音を出す機械だよー」

「音が出るのー?」

「そうだよー、今からこころたちが歌ったり楽器を演奏したりしてくれるからねー」

「こころちゃん、歌うの!? やったぁ!」

 

 ペグ子が歌うと聞いた瞬間、女の子は跳び跳ねて喜ぶ。本当にペグ子の子どもに対する求心力の高さは目を見張るものがある。

 そして、その様子を眺めていたチビッ子たちがさらに俺の方に流れてくる。どうやら今のやり取りで俺も話し相手になるとロックオンされてしまったらしい。

 

「おにーちゃんも楽器弾くのかー?」

「そーだよー」

「スゲー! にーちゃんの楽器かっちぶーだな!」

「そうだろう、そうだろう。これはベースっていうこの世で一番カッコいい楽器なんだぞー、君は見る目があるねぇ」

「ねーねー、にーちゃんはこころちゃんの彼氏なのかー?」

「ははは、そんなわけないだろう。君は見る目がないねぇ」

 

 チビッ子たちをそこそこにあしらいつつ、セッティングを終えた俺はベースを構えると弦を爪弾く。

 

 ーーベベッ、ベベッ、ボボボン、ペーーーン。

 

 ツーフィンガー、スラップ、スライドでさらっと音出しを確認。どうやら特に問題はないらしい。

 

「よし、大丈夫だな。これで問題はーー」

「ーーわー! 音出た!」

「スゲー!」

「カッコいい!」

「うぉう!?」

 

 俺がベースを弾いた瞬間、目をキラキラさせたチビッ子たちが一瞬で俺のところに群がり始めた。

 音を出したのは軽率な行動だったと、今さらながらに分かったところで最早後の祭りである。俺はチビッ子ギャングたちの猛攻に曝されることとなった。

 

「ねー、もっと弾いて弾いて!」

「おにーちゃん何弾ける? わたし『きらきら星』歌えるよ!」

「カッコいい! おにーちゃん、これ触らせて、触らせて!」

「あっ、僕も弾きたい! おにーちゃん、いいでしょ?」

 

 怒濤の勢いでわちゃもちゃにされながらもなんとか俺はチビッ子たちを手で制する。

 

「ああ、わかった! わかったから順番な、順番。みんないい子だから、お兄さんと約束できるよな?」

 

「「「できるー!!」」」

 

「んじゃ、みんなでじゃんけんして負けた子は勝った子の後ろに並んでいきな。最後まで勝った子から順番だからなー」

 

「「「はーい!」」」

 

 元気よく返事をして、すぐにじゃんけんを始めたチビッ子たちを眺めて俺はほっと胸を撫で下ろす。これでつかの間の平穏が約束されたわけだ。

 

 ……まあ、マジでつかの間なんだけどな!

 

 俺はこの後起こるだろうチビッ子たちへの対応を思ってがっくり肩を下ろす。気が付くといつの間にか隣にはチビッ子に群がられたままの奥沢さん in ミッシェルが立っていた。

 

「……はぁ、なんか思ってた以上に大変なことになったな」

「……ですねー」

 

 ライブが始まる前からどっと疲れた俺は、同じくくたびれたポーズでチビッ子に為すがままにされる奥沢さん in ミッシェルと顔を見合わせて苦笑いするのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「はーい! それじゃあ今日のライブは終了よー! みんなー、楽しかったかしらー!」

 

「楽しかったー!」「すごかったー!」「こころちゃん、また来てー!」「また一緒にうたってねー!」

 

 ペグ子が最後のMCをして、チビッ子たちにミッシェルマイクを向けるとチビッ子たちが大声で返事をしてくれる。

 

「んー! みんな最高よ! それじゃあ《ハロー、ハッピーワールド!》のライブは今日はおしまい! みんな、まったねー!」

 

 ワー!ワー! パチパチパチパチ……

 

 ペグ子が軽くお辞儀をしてから《ハロハピ》のみんなが手を振ると、辺りが拍手の渦に包まれる。初のストリートライブは大成功だ。

 

 最初はチビッ子だけかと思ったが、気が付くとチビッ子の保護者の方や、通りすがりの人、そして、実は俺がこっそりネットで告知していたのを見て集まったであろうファンもいれて100人はいそうな人だかりができていた。ストリートでこれだけ集められるバンドは中々ないだろう。

 

「鳴瀬、鳴瀬!」

「お、こころ」

 

 そんなことを考えて会場をボーッと眺めているとペグ子がぴょんぴょん跳ねるようにこちらに近づいてきた。

 

「んー! 今日のライブは大最高ね!」

 

 そう言って嬉しそうに伸びをするペグ子に俺は肯定の相づちを送る。

 

「そうだな、選曲も子ども向けにしたのも正解だったなー」

「ええ、『ドレミファロンド』と『とっとこハム太郎』から始めたのはよかったわね! みんな楽しそう(ハッピー)に踊っていたわ!」

「だなー。いやぁ、チビッ子のパワーってすごいなぁ」

 

 今回のライブに先だって、俺は《ハロハピ》メンバーに子ども向けの楽曲をいくつか宿題として出していた。その中で、彼女たちが選んだ二曲をトップに持ってきたのが功を奏して、三曲目の『えがおのオーケストラ!』までチビッ子たちのノリを崩さずにライブを終えることができた。

 

 まぁ、チビッ子たちの様子を見るに、どんな曲でも楽しく踊ったのかもしれないが、それはそれだ。

 

「みんながこんなに楽しめたのは鳴瀬のおかげよ。ありがとね!」

 

 ペグ子が頭を下げるのに、俺は首を横に振って応える。

 

「いや、今回に関しては俺はそんなにだろ。こころやみんながよくやってくれたのがでかいよ」

 

 元々、ここはペグ子のホームグラウンドでチビッ子も彼女の人徳が集めたものだ。そこに、しっかりと課題の演奏を仕上げてきたみんなの力が合わさることで今回の成功が生まれたと言える。俺の力など微々たるものだ。

 

 それでも、俺の言葉に今度はペグ子が首を振る。

 

「ううん、違うわよ鳴瀬。今回のストリートライブも、鳴瀬が自由に場所を決めてもいいって言ってくれなければなかったもの。演奏する曲の内容や順番も鳴瀬が考えてくれたし、やっぱり今日の成功は鳴瀬のおかげだわ。ありがとね、鳴瀬」

 

 そう言いきって微笑むペグ子を見ると俺はこれ以上反論ができなくなって思わず苦笑いしてしまう。

 

 やっぱり、ペグ子には敵わないな。

 

「……そこまで言うならありがたくもらっておきますよ」

「そうしておいて! それじゃあ、わたしはみんなの相手をしてくるわね!」

「おう、俺は機材の片付けをしとくよ」

 

 お客さんにひっきりなしに話しかけられている他のメンバーのところに駆けて行くペグ子の背中に軽く手を振ると、俺は機材を片付けるために反対方向へ向かう。

 

 すると、そんな俺の目の前にスポーツドリンクのペットボトルが差し出される。それを眺めた俺は一瞬、怪訝な表情を浮かべる。

 

「んん……?」

 

 ……《ハロハピ》のメンバーは全員向こうにいる。じゃあ、このペットボトルを差し出してくれたのは誰だ?

 

 不思議に思って顔を上げた俺の前に立っていたのは黒髪に一房の赤いメッシュを入れた女の子だった。

 

「鳴瀬さん、ライブ、お疲れ様です」

「あ、美竹さんか。こんにちは、聴いてくれてたんだね」

 

 ペットボトルの主は、なんと《afterglow》の美竹さんだった。よく見ると彼女の後ろには他のメンバーも勢揃いしている。

 

「はい。実は、鳴瀬さんのネットの告知をモカが偶然見つけて、それで」

「そーなんですよ。蘭ったら、話した途端に『聴きに行かなきゃ』ってすごくあわてちゃってー。ライブは二日後だったのにすぐに飛び出そうとしたんですよー」

「あっ、こら、モカ! 余計なこと言わないの!」

 

 青葉さんが横から茶々をいれて、美竹さんが頬を染めながら彼女の頭をぽかりと叩く。

 

「あーうー。蘭にぶたれた~。ひーちゃん、慰めて~」

「今のはモカが悪いとおもうよ……でも、よしよし」

 

 頭を叩かれた青葉さんは芝居がかった仕草で、上原さんにもたれ掛かり、上原さんはその頭をよしよしと撫でている。美竹さんはそんな青葉さんにあきれた視線を送り、宇田川さんと羽沢さんは苦笑いを浮かべてやり取りを眺めていた。

 

「とにかく、わざわざ見に来てくれてありがとう。飲み物もありがたくいただくよ」

「あ、はい、どうぞ」

 

 変な空気を断ち切るように、俺は差し出されたペットボトルを受けとると、すぐにキャップを開けて中身を喉に流し込む。裏方と言えど、機材の搬入や調整、チビッ子の相手で疲れた体にスポーツドリンクはよく染みた。

 

 俺がペットボトルから口を離すと同時に、待ち構えていたように美竹さんが声をかけてくる。

 

「《ハロー、ハッピーワールド!》は、これからはストリートがメインなんですか?」

「んー、そのつもりだね。初のライブでいい思いさせ過ぎたからね。少しストリートでバンドの厳しさに揉まれるのもありかと思ってたんだけど、今回は思ったよりもこころがチビッ子を集めて当てが外れたみたいな感じかな」

 

 俺の返答に美竹さんは頷く。

 

「なるほど……、やっぱり鳴瀬さんは色々考えてらっしゃるんですね。ということは、《ハロー、ハッピーワールド!》も、やはりストリートの後はどんどんライブハウスにくる感じになるんですか?」

 

 更に探りを入れるような美竹さんの質問に、少し疑問を感じながらもやはり俺は首肯する。

 

「そうそう。とりあえずは、冬のでかいフェスのどれかを目指して下積みかな。幸い、うちは薫がいる限りチケット販売に関しては心配いらないし、スポンサーもついてるから。ライブハウスに舞台を移してからはガンガン攻めるつもりだよ」

「そうですか……あの……」

 

 俺の話を聞いた美竹さんは、途中まで言葉を出しかかってから少し伏し目がちになって言葉を止めた。

 

 しばらくの躊躇いの後、美竹さんは意を決したようにこちらを見つめ再び口を開いた。

 

「あの、もしよければなんですが、今度《afterglow》と《ハロー、ハッピーワールド!》で対バンさせてもらえませんか?」

「……! 俺の一存では決められないけれど、多分あいつらならオーケーだと思う。でも、いいのか? こっちははっきりいって、まだ、ひよっ子のバンドだ。《afterglow》とは経験値的には差があると思うんだけどね」

 

 実際、俺のこの言葉に嘘はない。既にバリバリライブをやっている《afterglow》に対して、こちらはライブハウス一回、ストリート一回と明らかな経験値不足だ。

 対バンはバンド同士の質が近いほど熱くなるので、《afterglow》にとって《ハロハピ》は役不足な相手だと思われた。

 

 しかし、美竹さんは黙って首を横に振る。

 

「……《STAR DUST》の《ハロー、ハッピーワールド!》のライブ、袖から見させてもらいました。あの熱狂を、あの感動を呼び起こせるバンドが役不足だとは決して思いません」

「……」

 

 俺が黙って次の言葉を待つと、美竹さんはより強い決意の籠った視線で俺を見る。

 

 ……これは覚悟だ。彼女は何か人生を左右する大きな覚悟を以てここに臨んでいる。

 

 燃える美竹さんの瞳からそれを読み取った俺は姿勢を正す。次の彼女の言葉は軽々に聞いていいものではないことが同じバンドマンとしての魂で理解できた。

 

「私には、どうしても私の想いを伝えなければならない人がいます。それも、言葉ではなく、演奏で、歌で伝えなければならない。その期限はもうすぐそこまで来ているんです。だから、私は少しでも多くの強いバンドと競って、自分の答えを見つけたいんです!」

 

 最後は半ば叫ぶような言葉を放ち、美竹さんは頭を下げた。

 

「自分勝手なことを言っているのは分かってます。でも、あのライブで、あの《ハロー、ハッピーワールド!》の姿を見せつけられて、こうせずにはいられなかったんです!」

「わ、私からもお願いします!」

「……! ひまり……!」

 

 美竹さんの言葉に一歩前に進み出てきたのは《afterglow》のリーダー、上原さんだ。

 

「もしかすると、蘭は《afterglow》を抜けることになってしまうかもしれないんです」

「……なんだって!?」

 

 上原さんの口からこぼれた驚愕の事実に俺は思わず言葉を発していた。

 《afterglow》の、荒削りな力強さは美竹さんあってこそのものだ。もし彼女を失えばこのバンド全く別のものになるだろう。そして、それはあまりよくない化学反応(ケミカル)をこのバンドにもたらすであろうことは想像に難くない。

 

「蘭がバンドを続けるためにはある人を歌と演奏で説得しなければならない。そのために、蘭だけじゃない、私たち全員が成長しないといけないんです!」

 

 上原さんの言葉に、他のメンバーも大きく頷く。

 

 その姿、その気迫。友のために魂を燃やす、熱き血潮の流れる乙女の姿がそこにはあった。

 

「これは《ハロー、ハッピーワールド!》を踏み台にしようとする無礼なお願いだとは解っています。それでも! どうか私たちと対バンをやってくれませんか!」

 

「お願いします!」(×5)

 

 上原さんの言葉で、《afterglow》全員が頭を下げた。その顔は伺い知れないが、きっと彼女たちは最高に覚悟が決まった表情をしているに違いない。

 

 ならば、俺が言うべき言葉は1つしかない。

 

 これ以外にはあり得ない。

 

「……利己主義(エゴイズム)

「……えっ」

「バンドにとって最も必要なもの。それは利己主義(エゴイズム)であり、自分らしさ(セルフィッシュ)だと俺は思ってる」

「…………」

 

 売れるバンドの絶対条件。

 

 それはバンドが利己主義(エゴイズム)に染まっていること。

 

 俺たちがこの世で一番演奏が上手い。

 

 俺たちがこの世で一番若者の支持を集めている。

 

 俺たちがこの世で一番のパフォーマンスを見せている。

 

 俺たちが。俺たちが。俺たちこそが。俺たちだけが。

 

 世界で一番なんだ。

 

 その狂信にも似た覚悟こそが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 その覚悟こそが、人の魂を奥底までを抉るのだ。

 

 美竹さんが想いを届けたい人間が誰なのかはわからない。

 

 だが、そんなことはどうだっていい。

 

 この想いに、応えないのはバンドマンじゃない。

 

 ならば、答えはひとつだ。

 

「今の君たちは最高の利己主義者(エゴイスト)だ。だからこそ最高のバンドマンだ。《ハロー、ハッピーワールド!》をぶつけてもいいと思えるほどに!」

「……っ! 鳴瀬さん!」

 

 《afterglow》の顔が上がる。

 

「やろうぜ対バン! その代わり死ぬ気で来いよ《afterglow》! 油断してると逆にこっちが喰って踏み台にしちまうからな!」

 

 注げるだけ油は注ぐ。

 

 その方が派手な情熱(パッション)が生まれるだろう。

 

 多少爆発しちまっても構わない。

 

 その方が寝ぼけた野郎共の目を覚ませるだろうさ。

 

「もちろん! 《afterglow》、全力で対バンをやらせてもらいます!」

 

 美竹さんの顔には先程までと変わらぬ決意が浮かぶ。

 

 変わったのは、先程まではそれが悲壮感に彩られていたのが、今では滾る激情に縁取られ、入る間際に最後の残光を放つ夕焼けのようだ。

 

 果たしてその光は誰を居抜くのか。

 

 それを知るのは彼女たちのみである。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「オッケー、それじゃ、ライブの条件が決まったら連絡を取り合うということで」

「分かりました。よろしくお願いします」

「こちらこそだよ、美竹さん、上原さん。最高の対バンにしよう」

「……はい! それではまた!」

「ああ。また、ライブでな」

 

 あれから、連絡先を交換しあった俺たちは対バンを固く約束して別れた。

 

 正直、今日のライブそのものよりも、この《afterglow》との約束を交わしたことが最高の収穫だ。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》は、夢を追う側だけではなく、追われる側にもなっている。これは彼女たちを更なる高みへと誘うだろう。

 

 スマホに登録された連絡先を眺めて、思わず笑みをこぼしそうになる俺の視線に、ふとある連絡先の番号が映る。

 

《タク》 XXX-XXXX-XXXX

 

「…………」

 

 その瞬間、俺の顔からは笑みが消え、俺はスマホの電源ボタンを乱雑に押して画面を消すと、追われるジーンズのポケットに押し込んだ。

 

 ……《ハロハピ》は確実に前に進んでいる。じゃあ、俺はどうだ?

 

 もちろん今では俺も《ハロハピ》の一員だ。当然、ペグ子たちと一緒に前に進んでいる自覚もある。

 

 しかし、()()()()()()()()()()はどうなんだろうか。

 半年近く一線を離れ、《ハロハピ》のサポートに徹した俺のバンドマンとしての情熱(パッション)はどうなっているのだろうか。

 

 そんなことを考えた瞬間、一迅の風が後ろから俺の横を駆け抜けた。

 

「……寒いな」

 

 そんなことを思わず呟く俺の脇をすり抜けて、風は数枚の落ち葉を巻き上げながら天に向かって融けていった。




というわけで、最初の絡みは《afterglow》でした。

まだまだ、他のガールズバンドも絡んでくるのでお楽しみに!


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野良ベーシストはお嬢様の中に潜り込む

続きました。

ストリートライブ編その4。

今回もあるガールズバンドがストーリーに絡みます。雪だるま式に膨れ上がるストリートライブ編はどこまでいくのか(他人事)。

それはまだ……混沌の中(ドロヘドロ)


【修正・追記】
前話ですが、勢いに任せて書いて記述不足だと思ったところがあったので一部追記させていただきました。よろしければご確認ください。

【アンケートご協力のお願い】
美咲ちゃんのサイドストーリーのアンケートをとっています。かつてない勢いで投票いただいております!
アンケートは次の松原さんのサイドストーリーが始まる時点で閉める予定なので、後数話の間は公開しておきます。皆さまのご協力お待ちしております。
あなたの一票が『野良ベーシスト』の未来を変える!


「……というわけで、機材の準備や搬入に関してはこちらで手配させていただきます。これに関して、羽丘女子学園さんに負担は生じませんのでご安心ください」

 

 私立羽丘女子学園の理事長室。

 

 ソファに座った俺と薫は、テーブルを挟んで学園の管理職たちと向き合っていた。全員の手元には俺が用意してきたレジュメが配られ、今まさに羽丘女子学園でのライブの交渉が行われている。

 

 とはいっても、この交渉、俺が考えていたよりも遥かに楽にまとまりそうな流れだ。実際、もう交渉の段階はほとんど終わり、話はライブの細部を詰める段階に入っている。

 

 今、俺の目の前にいるのは学園長である理事長先生だ。グレー混じりの髪の毛を頭の後ろでゆったりと結った髪型の壮年の女性である理事長は、柔和な微笑みを浮かべて手元の資料に目を通している。

 そして、俺の説明した部分に目を通し終わったようで、学園長の視線が再び俺と交わる。

 

「資料拝見させていただきました。よくまとまっていますね。これを見た限りでは私どもが負担するのは、演奏中機材を稼働させるための電力、そして、ステージに備え付けの一部機材ということでよろしいですか?」

 

 学園長の問いに俺は頷く。

 

「はい、そうなります。ステージ上の照明設備と、放送設備もお借りできればありがたいのですがいかがでしょうか?」

「そうですね、これらは消耗品とはいっても数年や数十年スパンでの消耗品なので問題ないと思いますが、校長先生、いかがです?」

 

 そう言って学園長は、隣に座っていた、髪をきっちり左右に撫で付けた、やせ形で神経質そうなスーツ姿の男性に話を振る。彼がこの学園の校長だ。

 

 この校長、最初に来たときは少し難物かと思ったが、話を聞くになんと俺と同じ早応大の英文科OBだったようで、俺が早応生だと分かると途端に態度を軟化させた。

 早応大はOBやOGの繋がりが非常に強い大学であり、それは現役の学生に対しても変わらないのだ。

 

 そして、校長は学園長の言葉に「ええ」と答えると、こちらを見て口を開く。

 

「この辺りの設備は文化祭や講演会など、外部の方を招く行事でも使っていますし使用に問題はないでしょう。そして、今年もこれらの行事の時期が近い。故障がないか確認する上でも、ここで一度設備を動かせるのは丁度よいタイミングだと考えます」

「なるほど」

 

 校長の言葉に学園長が相づちを打つ。

 

 それを確かめてから、校長は手に持ったレジュメを空いた手の甲でパンと叩いた。

 

「それに、先ほど理事長先生もおっしゃった通り、このレジュメは良くできている。ステージの配置図、使用する器具の情報、イベントのタイムテーブル、機材の搬入作業の予定、かかる経費の概算要求、こちらが欲しい情報がことごとく先手を打って載せてある。流石は早応生、よい後輩を持って私も鼻が高いですよ」

「恐縮です」

 

 校長のお褒めの言葉に俺が頭を下げると、彼は笑みを浮かべて満足そうに頷いた。

 

 実際、このレジュメは俺もかなり力を入れて作ったところがあったので褒められるのに悪い気はしない。もともと、この手のかっちりした交渉や発表の場は俺はあまり得意ではない。だから、下準備の段階で周到に用意を済ませておくのだ。

 

 ライブ感が必要なのはバンドのステージだけで充分だからなー。

 

 そんなことを頭の片隅で考えているうちに、校長先生たちの視線が今度は薫の方へと移ってゆく。

 

「それに、瀬田さんは本校でも精力的に活躍してくれている演劇部の花形だ。前途有望な生徒の頼みとあればこちらとしても一肌脱ぐことはやぶさかではないですな」

「ええ、演劇部の独創的な舞台は内外でも評判ですからね」

「学園長先生、校長先生! お褒めの言葉感謝致します! この瀬田薫、今後より一層技に磨きをかける所存です!」

 

 学園長と校長の二人に褒められた薫が優雅に一礼する。

 

 どうやら、薫はこの学園では教師からの覚えもめでたいらしく、今回の会談の場をスムーズにセッティングできたのも薫が学園で積み上げた教師陣の信頼によるものが大きかった。

 

 薫はルックスが良い上に、イベントなんかにも積極的に参加するし、周りを引っ張ってくれるからなぁ。そりゃ、学校側としてはさぞ「良い生徒」なんだろうなぁ。

 

 管理職の二人と会話を交わす薫の横顔を眺めて、ボーッとそんなことを考えていると、三人が席を立つ。

 どうやら話に切りがついたようなので、遅れないように俺もソファから腰を上げた。

 

「それでは、基音さん。このレジュメの通りにライブの計画を進めて下さって構いません。あなた方のステージ、期待していますよ」

「ありがとうございます、理事長先生」

「君たちのような若い感性でどんどんやってくれたまえ。何かあればいつでも相談しなさい。必ず力になろう」

「心強いお言葉、感謝します校長先生」

 

 頭を下げて、差し出された二人の手を順番に固く握る。これで契約は成立だ。

 

「本日は、貴重なお時間をいただきありがとうございました。それでは失礼します」

「失礼します」

「はい、どうも」「では、また後日」

 

 二人の見送りの言葉を受けて、俺と薫は理事長室を後にする。ドアを閉めて10歩ほど進み、曲がり角を曲がったその瞬間。

 

「うひー! マジで緊張したわ! やっぱりこの手のフォーマルな交渉は苦手だわ!」

 

 俺は思わず声を漏らしてしまう。額に浮かんだ汗を拭う俺の背中を薫の手が労いの意味を込めてポンポンと叩く。

 

「いや、お疲れ様、そしてありがとうMr.鳴瀬! 君のおかげでスムーズに交渉がまとまったよ!」

 

 薫からの労いの言葉に俺は手を振って応える。

 

「いや、今回は今までに薫が積み上げてきた学校との信頼もでかかったな。マジで感謝だよ」

「ふふっ、これでも学園ではかなりの優等生で鳴らしてきているからね! Mr.鳴瀬や《ハロハピ》のお役に立てたようで何よりさ!」

 

 そう言うと薫はいつものようにキザな仕草で前髪を掻き上げる。しかし、今日の活躍を思えばその仕草はいつもよりも遥かに様になっているように感じた。

 

「サンキュー、薫。よし、それじゃあすぐに《arrows(アローズ)》に戻るぞ。今後の流れの再確認だ!」

「了解だ、Mr.鳴瀬! すぐに(シルバー)を手配してくるよ!」

「徒歩でいいから、徒歩で!」

 

 ……やっぱり薫は薫だったか。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「やぁ、子猫ちゃんたち! 待たせたね!」

 

キャー! カオルサマー! コッチムイテェー! カッコイイー!

 

 羽丘女子学園体育館、スポットライトを浴びてステージの上に薫が現れるとオーディエンスの熱狂は最高潮に達した。ちなみにスポットライトを体育館二階のバルコニーで操作しているのは他ならぬ俺である。

 

 ステージの設備の利用許可を得た俺たちだったのだが、それを操作する人間がいないことに気づいたので薫の伝で演劇部の裏方の皆さんに力を借りたのはいいのだが、それでも人手が足りないということで、急遽俺が比較的操作が簡単なスポットライトを担当することになったのだ。

 

 俺が立っているのは体育館左手のバルコニー。向の右手のバルコニーでは俺にライトの操作を教えてくれた、演劇部裏方担当、ボブカットで眼鏡姿の大和さんという女子高生が俺に合図を送ってくれている。

 

「うっわー、圧が違うな圧が。こりゃ、下で見ないで正解だったわ」

 

 薫の一挙手一投足でさざ波立つ観客席を眺めながら俺はひとりごちた。

 

 羽丘女子学園のオーディエンスはかなりフレンドリーで、《ハロー、ハッピーワールド!》の他のメンバーが登場したときも声援を送ってくれていた。

 しかし、トリの薫の登場の瞬間、その熱量が5倍近くに膨れ上がったのを俺は見逃さなかった。この間の公園の子どもたちとはまた違ったベクトルの、黄色い熱視線がドスドスとステージ上の薫に突き刺さる光景が幻視される。

 

 マジで王子様なんだなー、薫は。ここまで見せつけられたら流石に脱帽だな。

 

 二階からでもステージを見る乙女たちの熱は充分に伝わる。口元に手を当てて体にしなを作りながら潤んだ瞳でステージを眺める彼女たちは、正に王子様に恋い焦がれるヒロインなのだ。

 

 そして薫は、ステージ上で一身にその熱を受けながらも少しも怯まない。

 

 堂々とした佇まい。玲利な視線。「残念」という枕詞を取り払われた完璧な王子がそこにいた。剣と盾の代わりにマイクとギターを携えた王子は姫の心を射抜くための臨戦態勢だ。

 

「声援ありがとう子猫ちゃんたち! 今日は私たち《ハロー、ハッピーワールド!》のライブのために集まってくれてありがとう。本当に愛してるよ!」

 

ギャアアア! カオルサマァー! ワタシモアイシテマスー! アッ,トウトイ……

 

 薫の言葉で歓声を通り越して、浄化されかけの悪霊のような叫びをあげる乙女が多数いたのは見なかったことにした。

 

「スゲーなこれは。今回は申し出があったからMCを薫にしたけど、この様子だと観客の方が最後まで持たんかもしれんな」

 

 バルコニーの手すりで頬杖を突きながら、俺はライブが決定した直後の《ハロハピ》メンバーでの打ち合わせを思い出す。

 

 実はその時、今回の羽丘女子学園でのライブにあたり、薫からセットリストを《school band summer jam 14th》をベースにして欲しいことと、MCを自分に任せて欲しいという申し出があったのだ。

 俺とペグ子はそれを受け入れて薫にMCを任せると同時に、セットリストを《スクジャム14th》の3曲+αで出していた。

 

 前回のライブでチケットを取れなかったファンへの配慮と、前回のライブを見たファンでも楽しめるようなパフォーマンスをという薫の気配り。

 この辺りが薫が乙女心を掴んで離さない一因なのだろう。

 

 ま、()れる曲の引き出しが少ない分、一度セットリストに入れた曲を突っ込むのは規定路線だったしな。それに今回は、()()()()()()()()()()()()()()()丁度いいな。

 

 薫の伺い知らぬところで密かに利害を一致させていた俺は、俺の思惑でステージが始まるのを今か今かと待ち構えていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ーー以上、『えがおのオーケストラ!』だ! ありがとう子猫ちゃんたち!」

 

キャー! スゴーイ! カオルサマー! トウトイ……モウムリ……ガクッ

 

 セットリスト二曲目の『えがおのオーケストラ!』を、無事に(?)終えてライブはいよいよ佳境に入っていく。

 

 ここまでの流れは概ね想定通りだ。

 

 演奏の途中薫が指鉄砲で「BanG!」と客席を撃ち抜いた瞬間、その指先辺りに立っていた乙女たちが10人近く失神して運ばれていったり、曲の合間に薫がピックを投げると、生肉に群がるゾンビの群れのように乙女たちがピックに殺到したりしたのにはちょっと度肝を抜かれたが、それでもまだライブは順調に進んでいる。

 

 そして、この次が《スクジャム14th》からの最大の変更点。俺の思惑の部分になる。

 スポットライトを薫に向けながら俺が視線を送ると、彼女は俺の方を見てウインクを返してくる。問題なし。

 一瞬だけ俺へと向けた視線をすぐに客席へ戻すと、ペグ子から受け取ったマイクを手に薫のMCが始まる。

 

「さぁ、ここからはいよいよ後半戦だ。着いてこれるかな子猫ちゃんたち?」

 

 アアー! ツイテイキマスカオルサマー! モチロンデス! キャー!

 

 薫が客席に問いかけてからわざとらしく耳元に手を当てると客席から怒号や悲鳴にも似たレスポンスが沸き起こる。それを見て薫は満足そうに頷いた。

 

「よーし、それじゃあ()()()()()()()()()()()()。次の曲はなんとライブでは初披露の曲なのさ! 前のライブに来てくれた子猫ちゃんも、今日初めての子猫ちゃんも、新鮮な気持ちで楽しんでくれたまえ! さぁ、三曲目、《supercell》で『君の知らない物語』だ!」

 

 瞬間、俺は舞台右奥のミッシェルへと視線を送る。

 ミッシェルは軽く頭を上げてこちらを見た後、松原さんと目配せをして、ターンテーブルにその手を這わせる。

 

ーーカン,カン,カン!

 

 リズムを取る松原さんのスティックが打ち鳴らされると同時にミッシェルの手が緩やかに動いて、キャビネットからピアノの音が流れ出した。

 

 おっし、ミッシェルDJ起動完了! ナイス奥沢さん!

 

 俺がミッシェルに向けてサムズアップを送ると、ミッシェルはDJシステムに目を落としたまま、右手の親指をこちらに立てて応えた。

 

 俺が今回のライブに込めていた思惑、それは「ミッシェルDJのデビューライブ」をここにするというものだったのだ。

 ミッシェルDJが実装された後、俺はミッシェルDJをどのタイミングでライブに盛り込んで行くかを考えていた。

 

 いきなりシビアな観客のところに突っ込むのはリスクが高い。

 

 かといって、客が少なすぎたり、熱意がなかったりしてプレッシャーが少ないというのも意味がない。

 

 そんな絶妙なバランスのライブはないか考えていたその時に、降って湧いたように現れたのが今回の羽丘女子学園でのライブだったのだ。

 ここでのライブは薫目当てに多数のオーディエンスが集まるのは想定済み。しかも、彼女たちは自分の意思でライブに来るのだからステージに釘付けだ。

 加えて、彼女たちの目当てはほとんどが薫なので、ミッシェルはそこまで視線を集めることもない。つまり、初めてのライブDJで多少トチったとしてもそこまで気に止められない訳だ。これ以上絶妙なコンディションのライブはない。

 

 今回のライブの選曲は《supercell》の『君の知らない物語』。アニメともタイアップした知名度の高い曲だ。

 『君の知らない物語』は、比較的初心者バンド向けの曲なのだが、構成にキーボードが必須な上に、そのキーボードのパートが一番難しいというネックを抱えている。逆に、キーボードさえなんとかできればレパートリーに加えるのは容易い曲であるとも言える。

 

 そう、そこでのミッシェルDJなのだ。

 

 ミッシェルDJに打ち込みでキーボードパートを担当してもらえれば、後は他のメンバーでも充分に演奏できる。なんならペグ子以外がマイクを使うことだってできるはずだ。

 

 そして、実際に今舞台の上ではスタンドマイクを使って薫がその美声を披露していた。

 

 

『真っ暗な世界から見上げた 夜空は星が降るようで』

 

 

 真っ暗な観客席から眺める、ステージという名の夜空はさぞかし美しく煌めいてその目に映ることだろう。

 乙女たちはその瞳に今まさに星の輝きを焼き付けているのだろうか。

 

 

『いつからだろう 君のことを 追いかける私がいた』

 

 

 気づかぬ内に芽生えた恋心。それはまさに薫と子猫ちゃんたちの関係のようである。いつの間に歌と自分を照らし合わせてしまうようなギミックに、ますます会場の熱は加速する。

 

 

『どうかお願い驚かないで 聞いてよ 私のこの想いを』

 

 

 私たちは薫さんのことが好きです。

 

 そんな熱を帯びた想いが再びステージ上の薫に殺到する。想いの矢が四方八方から突き刺さり、しかし、決して薫が倒れることはない。むしろ、突き刺さった矢をアンテナがわりにして、乙女たちからエネルギーを受け取った彼女の演奏はさらに熱を帯びていく。彗星のように煌めきを放ちながら。

 

 想いが重なれば重なるほど強くなれる。

 

 これこそが瀬田薫の真骨頂なのだ。

 

 

『笑った顔も 怒った顔も 大好きでした』

 

 

 曲はいよいよ佳境に入る。

 

 『君の知らない物語』は、実は失恋を唄った曲だ。『君が知らない物語』の「物語」とは、「女の子が秘めた恋心」に他ならない。

 ーー「恋とは秘めて忍ぶもの」。恐らく観客席の乙女たちにもそういう経験があるのかもしれない。故にこの曲は胸を打つ。

 

 

『おかしいよね わかってたのに』

 

 

 こうなる(しつれんする)ことはわかっている。それでも好きにならずにはいられない。恋の熱狂を止められるものなどこの世にありはしないのだ。

 

 それはどこか薫と乙女たちの関係にも似ている。

 

 

『君の知らない 私だけの秘密』

 

 

 人の心の内を覗くことなど誰にもできはしない。言葉に出したところで、それで全てを語り尽くすには人の語彙は貧弱過ぎるし、人の心は複雑すぎる。

 故にこれは「私だけの秘密」。自分が自分の手でずっと抱えていかなければならない大切なものだ。

 

 

『夜を越えて 遠い思い出の君が 指を指す 無邪気な声で』

 

 

 明けない夜はない。故に、誰もがこの夜を越えていかなければならない。

 その目覚めが良いものか悪いものかは分からない。しかし、それが少しでも良いものになるように願いを込めて。

 

 壇上の王子様は高らかにその曲を歌い上げた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ーーありがとう、最高だったよ。《ハロー、ハッピーワールド!》ライブ in 羽丘、これにて閉幕だ! また会おう子猫ちゃんたち!」

 

 ワアアアアア! キャーー! マタアイマショウ,カオルサマー!

 

 観客席の声援を受けながら、薫がステージ袖へと消えていく。それをスポットライトで最後まで照らすと、俺はすぐに袖に向かっての階段を駆け下りた。

 

「おーい、みんなよかったよ! 想像以上に機能した。完璧だ」

「ふぅ……ああ、Mr.鳴瀬! 私のために最高のステージをセッティングしてくれたこと感謝するよ! 子猫ちゃんたちも大満足だっただろうさ!」

 

 髪の毛が煌めくほどの汗をタオルで拭いながら薫が応えてくれる。その表情には一点の曇りもない。

 

「ああ、今日のパフォーマンスは冴えてたな。舞台に強いのは役者の本分って訳だ。よくやった、薫」

「ふふっ、Mr.鳴瀬に褒められると感動もひとしおだね」

 

 誉め言葉に満足そうに何度も頷く薫の次に、俺の視線が向かったのはミッシェルだ。

 

「そして、ミッシェル。DJデビューおめでとう! 中々いいんじゃないか。自分でも結構やれたと実感してるだろ?」

「えへへ、そうですね。なんか思ったよりもなんとかなったっていうか……まぁ、よかったですよ、うん」

 

 薫に次ぐ今回の準MVPはやはり奥沢さん in ミッシェルだ。彼女がいなければ『君の知らない物語』は成り立たなかった。初のステージの試みであそこまでのことができたのだ。ここは賞賛して然るべきところだ。

 

「んー、やっぱりミッシェルにDJを頼んでよかったわ!」

「だねー! ミッシェルすっごくかっこよかったよ!」

「ミッシェルが居てくれれば《ハロハピ》は百人力だね!」

「曲の入りもちゃんと合わせてもらえたのでとっても演奏しやすかったです。ありがとう、ミッシェル」

「そ、そんなことないですよー」

 

 他の《ハロハピ》メンバーたちからも口々に賞賛を受けてミッシェルは照れ臭そうに体をもじもじさせる。こういったところで奥沢さんはどんどん評価されて然るべき逸材なので、俺も特に口を挟むような野暮はしない。

 

「よーし! それじゃあみんなで感謝の気持ちを込めてミッシェルをわちゃもちゃするわよ!」

「え゛」

「おー!さんせーい!」

「ふっ、それはもちろん私も(やぶさ)かではないね!」

「あわわ……、み、みんな優しくね?」

「それじゃあいくわよ! せーの」

 

「「「ミッシェル~!」」」

「わぁ~!?」

 

わちゃもちゃわちゃもちゃわちゃもちゃ……

 

「わちゃもちゃして気がすんだら撤収準備しろよ~。俺は先に色々片付けておくからさ」

「そ、そんな~! 助けて鳴瀬さーん!」

 

 すまんな奥沢さん、俺も色々用事があるのさ!

 

 そうして俺はわちゃもちゃにされる奥沢さんを残してステージ袖を後にする。

 

 ……行こう。()()()()()()()()()()

 

 後始末のことも考えて、俺は足早に約束の場所へと駆け出して行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 羽丘女子学園裏庭。園内に何ヵ所か庭園を持つこの学園において、裏庭はアクセスの不便さもあって人通りの少ない場所らしい。

 

 特に今日は《ハロハピ》のライブを行ったこともあり、裏庭は俺と俺のお目当ての5人組以外の姿はなく閑散としている。

 

 ……丁度いい。万が一、他の女子高生が居た日には不審者扱いされかねんからな。

 

 そんな心配をしながら俺は目当ての人物たちに手を振りながら近寄って行く。

 

「ライブ、見てくれたか()a()f()t()e()r()g()l()o()w()》」

 

 そう、俺の約束の相手は他ならぬ《afterglow》の五人だ。彼女たちは全員羽丘女子学園の女子高生、この場に居て然るべき人物たちである。

 

「はい、見させていただきました。……すごく後ろの方の座席でしたけど」

 

 俺の言葉に応えた美竹さんは少し残念そうな声色だった。

 

「いやぁ、会場と同時にバッファローの群れみたいに薫さんのファンが雪崩れ込んでいったのにはおどろきましたなぁ~」

「うん、びっくりして固まってる間にいい席ほとんどとられちゃったもんね……」

「あたしも、結構早く並んでたんだけどなぁ……まさか女子高であんな暴徒じみた集団が生まれるとは思ってなかったよ」

「やっぱり薫先輩の人気は凄まじいですね」

 

 他の《afterglow》のメンバーもそう言って口々にため息を漏らす。彼女たちには事前に羽丘でのライブを告知していたのだが、いざ蓋を開けると想像以上の熱気に尻込みしている内に客席への入場が遅れてしまったらしい。

 

「悪いなぁ、俺も薫の人気がここまでとは思ってなくてさ。わかってたら五つ位席をとっておくんだったのに」

「あ、いえ、それは違いますよ」

 

 俺が申し訳ない気持ちで頭を下げると、美竹さんが慌てて首を振る。

 

「今回は私たちに演奏を見せに来た訳じゃないですし、そこまでしてもらうと薫さんのファンに失礼ですから。それにーー」

 

 そこまで言って美竹さんが言葉を区切る。

 そして、先ほどよりも遥かに真剣な眼差しになった彼女は次の言葉を紡いだ。

 

「ーー《ハロー、ハッピーワールド!》のポテンシャル、見させてもらいました。やっぱり、私たちの対バンの相手はあなた方が相応しい」

 

 美竹さんの言葉に他の《afterglow》メンバーも頷く。

 

「つっても、今回は薫のファンで固めてたから、こっちとしてはイージーモードなんだけどな。これぐらいはやって然るべきなんだよ」

 

 美竹さんの評価に対して、俺は辛口の評価で返す。

 嘘偽りなしに、《ハロハピ》にとって今回のライブはイージーモードだ。内輪の人間に向けて演奏を披露しているような気安さだったし、だからこそミッシェルDJを投入する余裕もあったのだ。

 

 そんな俺の評価に対して美竹さんは再び首を左右に振る。

 

「固定客が付くっていうのも一つの強さですよ。……やっぱり《ハロー、ハッピーワールド!》は今一番勢いのあるガールズバンドの一つです」

「そうか、ならいいんだけどさ」

「それに、今回のライブを私たちとの対バンにしなかったこともありがとうございます。……本気で私たちに付き合ってくれて」

「……そこまで分かってるか。やっぱり君たちの対バンを受けたのは正解だな」

 

 今回の羽丘女子学園でのライブは、お互いが学園の関係者ということもあってセッティングのしやすさでいえばこれ以上ないベストコンディションだった。

 しかし、俺は今回の羽丘での対バンを見送った。理由はたったひとつ。

 

 ……今回のライブにはシリアスさが足りない。《afterglow》との対バンはもっとバチバチやるべきだ。

 

 先ほども述べたように、今回のライブは内輪向けのパーティーみたいなものだ。暖かい声援ありきのライブで真の情熱(パッション)には辿り着けない。

 

 新しい情熱はいつだって異質な魂と魂のせめぎ合いの中で生まれるのだ。自分たちをまだ知らぬクリーンな魂を自分たちの色で汚していく。それが情熱を次のステージへと運んでいく切っ掛けとなる。

 故に《afterglow》との対バンは、オーディエンスに身内の少ないガチの環境で()る。これが俺の結論だった。美竹さんは俺の意図を見抜いていたのだ。

 

「『鉄は熱い内に打て』とはよく言うが、屑鉄を打ったところで名剣は生まれねぇ。やっぱり素材(ステージ)にもこだわってこその対バンだものな」

 

 この言葉で、美竹さんは初めて首を縦に振った。

 

「はい、私もそう思います。今回のライブでこっちもかなり気合い入りました。対バン、本気でよろしくお願いします」

「任せろ、こっちも最高のコンディションとステージで待ち構えてやるよ。勇者のパーティを待ち受けるゲームのラスボスってのはそういうもんだからな」

「それじゃあ《ハロー、ハッピーワールド!》の負けがきまってませんか?」

「違う違う、これは負け確定のイベント戦闘だ。だから勝つのは《ハロハピ》の方だぜ」

「ふふっ、そうですか。それなら対バン期待させてもらいます」

 

 俺のジョークに、ここに来て初めての笑みを見せた美竹さんは満足そうな表情でメンバーたちと並ぶ。

 

「鳴瀬さん、今日はいいものを見せてもらいました。対バンではこれ以上の《afterglow》を見せます。それではこれで」

「おう、期待してるよ」

 

 お辞儀をして一斉に去っていく《afterglow》の背中を見送り、その背中が見えなくなった後に俺は髪を掻きむしる。

 

「ったぁー! かなり気合い入ってんな《afterglow》、これは油断するとまじでこっちが踏み台だぜ」

 

 想像以上にフルスロットルでエンジンをぶん回す《afterglow》に、しかし俺は笑みが溢れるのを押さえきれない。

 

「ふっ、ふふっ、でもそうじゃないとな……そうじゃなくちゃ面白くない」

 

 喰うか喰われるか。或いは無限蛇(ウロボロス)のように互いを喰らい合うのか。

 結末はいずれにせよ、これは最高に面白い展開だ。面白くないものに情熱は宿らない。故に今度の対バンは最高に情熱的なものになるだろう。

 

 とにかく、今からみっちり計画を練らないとな。ああ、やっぱり対バン(まつり)の前はたまらないな。

 

 そんなことを考えながら俺が歓喜に肩を震わせていると。

 

「あ、あの~」

「ん?」

 

 後ろから声をかけられて振り返ると、そこにはギャル風の髪型をした女子高生が立っていた。間違いなく羽丘女子学園の生徒だろう。

 

 かなり顔立ちの整ったその女子高生は探るような視線を俺に注いでくる。そんな彼女の後ろにはこれまた容貌の整った二人の女子高生が鋭い視線をこちらに向けている。

 

 ……あ、これダメなやつだ。

 

 俺がそう察して、弁明のために口を開こうとする前に、目の前の女子高生が口を開く。

 

「お兄さん、学校の関係者かお客様? それとももしかして……」

 

 疑わしそうな少女の口ぶりに背中にどっと冷や汗が溢れる。

 

 アカン。これは間違いなく不審者扱いされてるやつですやん。

 

 実際、端から見た俺は女子校に忍び込んで一人で喜びに肩を震わせている男にしかみえないので、スリーアウトどころかゲームセットレベルの状況である。

 

 ……ここで対応を間違えると俺は(社会的に)死ぬ!

 

「あっ、ち、違うよ! 俺は今日のイベントがらみで許可を貰って来校してるんだよ!」

「……その割にはイベントの会場の体育館とここは離れていますけど」

 

 慌てて放った俺の弁明に、今度は後ろに立っていた翠の髪の女子高生が冷ややかな声を放った。

 

 ウゲェー!? わざわざ人目を忍んで辺鄙なところまでやって来たのが完全に裏目った!?

 

「い、いや、許可証もちゃんと貰ってるんだよ? ほら、今からポケットから出すからちょっと待ってて……」

 

 危ない、危ない。そうだよ、俺は今日ここに入るための許可証を貰ってきてるんだ。それを見せれば一発でーー

 

「ーーあ」

「どうしました。許可証はないんですか」

「……体育館のバルコニーで脱いだコートの中です」

 

 ……スポットライトを動かすときに光源の熱で暑いから上着を脱いだことを忘れてたよ!

 

「じゃあ、今は許可証は手元にないんですね」

「……はい」

「じゃあ、私たちとご同行願えますね」

「…………はい」

「友希那、先生か警備員の方を呼んできて」

「わかったわ」

 

 翠の髪の少女の言葉を受けて、銀髪の少女が人を呼ぶために駆けて行った。

 

「では、彼女が戻ってくるまで動かないで下さい。もし、変な行動を取ればすぐに声をあげますのそのつもりで」

「………………はい」

 

 結局、俺はその後やって来た警備員にドナドナされていく途中で、いつまでも戻ってこないことを心配して俺のことを探しに来てくれた薫たちに発見されてすんでのところで犯罪者になることを免れた。

 

 

 

(ーー警備員に連れていかれるときどう思いましたか?)

 

「いやぁ、あのときは本当にもうダメかと思ったよ。これからは絶対に女子校の中で一人で歩いたりはしないよ(世界丸見え)」

 

 

ちゃんちゃん(終)




はい、というわけでストリート(?)ライブ二回目、羽丘女子学園でした。

なんか薫さんがメインだと話にオチがつくな??? んん???

まぁ、いっかぁ!

ちなみに今回の絡みは顔見せ程度なので、彼女たちががっつりと関わってくるのはもう少し後になります。


そして、今回の版権曲は《supercell》の『君の知らない物語』! ご存じ西尾維新さんの代表作『化物語』とのタイアップで有名な曲ですね。

この曲はキーボード(ピアノ)がちょい難しいって点を除けばめちゃくちゃバンド初心者向けの名曲なんですよね。しかも、ピアノって結構習ってる人が多いので、傭兵みたいに手伝ってもらえると学園祭なんかでできちゃったりするんですよねー。

アニメのOPだと、「アレガ・デネブ・アルタイル・ベガ」って四角形じゃねーか! のネタで有名なこの曲ですがフルで聴くとめちゃくちゃいい曲なんですよね。むしろフルを聴かないとタイトルの意味が分かりにくいっていう。ぜひフルを聴いたことのない人はフルで聞いてくださいねー!


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野良ベーシストはアスファルトに咲く花と出会う 前編

続きました。

ストリートライブ編5。

今回はがっつりと、あるガールズバンドのメンバーが出ます。
どのキャラがどう関わってくるのか本編をお楽しみに!

【アンケート協力のお願い】
ラストのサイドストーリー美咲ちゃん編のアンケートをとっております!
おそらくこの話を含めてあと3話で〆る予定です。
《ミッシェル結婚式ルート》か《おばあちゃんの田舎訪問ルート》か、読みたい方にがんがん投票してくださいまし!

あなたの一票で『野良ベーシスト』の未来が変わる!


 ーー○○駅。

 

 町と町、人と人を繋ぐこの町の一大公共施設。

 しかし、俺は駅の方には目もくれず、駅前に設けられた緑地帯のある広場へと向かっていく。

 

「いやー、なんかここに来るのもひさしぶりだなっと」

 

 思わずそんな言葉を呟きながら、車輌侵入禁止用のポールに引っかけないように手に下げたアンプを持ち上げながら広場に足を踏み入れる。

 

 元々、この駅前広場は《バックドロップ》に所属していた頃の俺にとってはホームグラウンドとでも言うべき場所だった。なんなら、実家を離れて寮生活をしていた高校時代にも当時のバンドメンバーと何度か足を運んだこともある。俺にとってはそう、いわば人生の一部のような場所だ。

 

 この広場は市が「アーティスト特区」と銘打って造った公共施設であり、その最大の特徴は「一部の大がかりなライブ・ダンス・パフォーマンス等を除き、許可を取らずにこれを行うことを可とする」と、フリーライブのお墨付きが出ていることだ。8:00~19:00まで許可されている音を出すパフォーマンスの時間ならばバンドの演奏だってやりたい放題となるのだ。

 そんな金のない学生バンドやパフォーマーたちにはこの上なくありがたいこの広場は、いつだって誰かが何かしらの芸を披露してしのぎを削る戦場と化している。

 俺が《arrows(アローズ)》で親しくさせてもらっているバンドマンの中には、この場所で出会った人も何人かいる。

 

 戦いの後に芽生える絆。

 

 まるで少年漫画のような展開が起こるのもこの場所の魅力の一つだった。ストリートのシビアな評価を恐れないバンドマンたちは、今でも俺の大切な同志達だ。

 

「さーて、そろそろ場所を確保するか。いい場所を押さえんことには話にならんしな」

 

 一通り広場を眺めた俺は、そう呟いて早速演奏スペースの確保に移る。

 バンドは機材の都合上、他のパフォーマーと比べて圧倒的にスペースを取る。なので、早めにいい場所をキープしないと後からねじ込むことは困難だ。しかも、ここは許可証のいらないフリースペースということで場所取りの競争率も高い。

 《バックドロップ》のようなスリーピースバンドならまだしも《ハロー、ハッピーワールド!》は5人組、人が増えればまず間違いなく大きく取れる場所は広場でも目立たないスペースになるだろう。

 

 しかし、現在の時刻はまだ朝の8時。見せるべき相手がほとんどいない広場は閑散としていて、まだ発展途上中と思われる数人のダンサーとパントマイマーがスキルを磨く練習をしている最中だった。

 俺は広場の中でも中央の最も開けたスペースに近いところに立つと、鞄から取り出したガムテープで地面を目張りしていく。ここでは、誰かを一人その場所に残して後から回収さえすればガムテープでの場所取りも許されているのだ。

 

「おっし、こんなもんか。さてと、あとはあいつらが来るのを待つだけだが……」

 

 ガムテープの陣地を作り終えた俺は、持参してきていた、()()()()携帯アンプを設置しててきぱきと演奏の準備を始める。

 

「……やっぱり、何もしないで待つなんて手はないよな」

 

 そう、俺がこんなに朝早くから広場のスペースを確保しに走ったのは何も《ハロハピ》のためだけではなく、自分が演奏するためでもあったのだ。

 特に最近は《ハロハピ》の練習にお熱だったので、自分の練習が疎かになっていた。この胸の内に燻る炎を慰めるのは、やはりストリートという名の戦場に他ならない。

 

 ギグケースからMB-40を取り出して、ストラップを首にかける。シールドをストラップに巻き込む形にして抜け防止にする。そうしてアンプとベースにプラグを繋げばもうストリートライブは開始直前だ。

 

 トーンとボリュームノブを回し、4弦をスラップ。

 

 ………ッボーン。

 

 あまりにも心地の良い低音が、澄んだ早秋の空気に響く。それはどこか、凪いだ水面に落ちた一枚(ひとひら)の木の葉が真円の波紋を描く様に似ていた。

 

 音が止む。恐ろしいまでの静謐。あたかも完璧であるかのような調和の取れた空間に、今から俺は(メス)で切り込んでいくのだ。

 

 深呼吸を一つ。ゆっくりと口から吸い、その倍の時間をかけて鼻からはきだす。

 

 ……さぁ、()こう。

 

 心の中の覚悟と共に、俺の十指が弦の上を踊り始めた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……っ!」

 

 思わず零れそうになる舌打ちを堪えながら、止まりそうになる左手の小指を必死に動かす。

 俺が演奏をし始めてからもう30分が経つ。指も温まってきた現在、俺はトリル奏法の強化のための自作のドリル譜面を黙々と弾いていた。

 

 トリルとは左手の指で弦を叩いて音を出す「ハンマリング・オン」と、逆に弦を引いて音を出す「プリング・オフ」の動作を高速で繰り返す奏法のことだ。

 基本的に右手のピッキングで音を出すベースだが、ピックを使うにしろフィンガースタイルにしろ、あるいはチョッパーで叩くにしろ、弦を弾いた直後に再び同じ弦から音を出すのは難しい。そこで、このトリルに使われる二つの奏法を用いることで、ピッキングの隙間を埋める。するとベースやギターは、より断続的に音を刻むことができるのだ。

 他にも、通常のピッキングでは出ない微妙なニュアンスを出すのにも「ハンマリング」と「プリング」は使われていて、この二つはギタリストとベーシストに広く求められるスキルだと言える。

 

 ……でも、続けると、めっちゃ、しんどい、んだよな、これっ!

 

 「ハンマリング」や「プリング」は、メインの弦を押さえている指とは別の指で行うことが多い。例えば、人差し指で5フレットの音を出しているときに、一瞬7フレットの音を出したいなら指板の距離の都合上、薬指や小指で「ハンマリング」する他ない。

 つまり、普段は余り使わない指をフル活用せねば成り立たず、そのせいで指が馬鹿みたいに酷使されるのだ。

 

「…………んっ、…………くっ」

 

 特に今は練習曲ということもあり、この譜面にはあり得ない密度でのトリルが含まれている。歯を喰いしばって更に声が漏れるのも仕方のない話だ。

 

 しかも、オーディエンスが、ついてる、からな。ダセェ、姿は、見せられんぜ!

 

 更に俺が耐えなければいけない理由として、俺の演奏を聴くオーディエンスの存在があった。

 最初のころは気づいていなかったのだが、いつの間にか周りのパフォーマーや、朝の散歩なんかに繰り出していた道行く人の何人かが足を止めて俺の演奏に耳をすましている。

 たとえ偶然俺の演奏に足を止めた人であっても、いや、偶然足を止めてくれた人だからこそ、ダサい俺の姿は晒せない。その人が生涯でたった一度しか聴かない俺の演奏がダサいものであっていいはずがない。

 

 いつだって、俺は、最新で、最高の、俺を、届けるんだよ!

 

 周囲の視線を浴びて、曲はいよいよクライマックスに突っ込んでいく。

 

 ……ベベッベベッベッベ……

 

 絶え間なく響く低音。

 もっと音を。

 もっと密度を。

 指が、心が、魂が追い求めていく。

 

 ……これでっ、終わりっ!

 

 左手がグリスで弦の上を滑り音がうねる。そのうねりをしっかりミュートして切ったあと、最後にスラップ。

 

 ……ヴーーーン,ベェン!

 

「………………っし!」

 

パチパチパチ………

 

 振り下ろした右手を跳ね上げ高く掲げると、周囲からささやかな拍手が起こる。表現者(アーティスト)として何よりのその報酬に、俺は頭を下げて回る。

 そして、ある人物たちの前で頭を下げたとき、ふと気づく。

 

「どうも……ん? あれ、君たちって……」

 

 俺が頭を下げたのは三人組の少女たち。《ハロー、ハッピーワールド!》を除けば、あまり女性関係には縁のない俺だったが、それでも目の前の少女たちには見覚えがあった。

 俺の言葉に三人組の中央、銀糸のきらめきを放つ長く伸ばした美しい髪の少女が軽く頭を下げる。

 

「その節はどうも。基音さん、でしたよね?」

「ああ、やっぱり。羽丘女の、えーっと、湊さん、だったかな」

「ええ、湊友希那です。おはようございます」

「やっぱり! こちらこそおはよう。いや、偶然だね」

 

 お互いに探るように名前を言い合って、無事に正解だった俺たちは軽く微笑みあって挨拶を交わす。

 もっとも、疲れていた俺の微笑みは少しぎこちなかったかもしれないが。

 しかし、そんなことは気にしないといった様子で湊さんは会話を続ける。

 

「はい、今日はたまたまスタジオに行く途中でここを通りかかったんですが、そうしたら今井さんが『あちらからすごいベースの音がする』って走り出してしまって」

「いやー、だってベースの音が聴こえたら同じベーシストとしては聞き逃せないじゃん?」

 

 そう言って、恥ずかしそうに赤茶色の長い髪の毛を弄るのは今井さんと呼ばれた少女だ。

 

「それでも、私たちに同意を求めずに走り出すのはどうかと思うわ」

「あははー、ごめーん紗夜!」

 

 正論オブ正論、といった言葉で今井さんを窘めたのは艶やかな翠の髪の毛を持つ、恐らく氷川さんという少女だったはずだ。

 そう、俺の目の前の三人組は俺が羽丘女に《ハロハピ》をライブに連れて行ったとき、俺のことを不審者として連行(ドナドナ)しようとした少女たちに他ならなかった。

 

 結局、あの後すぐに誤解は解けたのだが、やはりなんというかこちらとしては一部の気まずさが残る別れとなった。

 しかし、目の前の少女たちはそんなことは気にならないといった風に会話を続けている。

 

「でもさ、実際すごかったっしょ?」

「……ええ、確かに今井さんがそう言うだけのことはありましたね。今井さん、貴女は今の曲を弾いたりできますか?」

「え、……あははー、多分、いや、間違いなく無理。後半のトリルとか、何であんなに連続で弾き続けられるのかちょっとわかんないかなーって。アタシだったら半分ぐらいのところで指がもたなくなると思う」

「へぇ、リサでもあれは再現できないのね」

 

 口々に俺の演奏の感想を述べ合う少女たちの会話を聞いて、俺はふとあることに気づいた。

 

「……んん? そういえばさっきから曲が弾けるだのどーのこーの言ってるけど、もしかして君たちって」

「あ、そういえば言ってませんでしたね。アタシたち、実は《Roselia》ってバンドやってるんですよー! リーダーは友希那でボーカル。紗夜はギターで、アタシはお兄さんと同じベーシストやってます!」

 

 同じバンドマンということがわかって俺は自分の顔が自然に綻ぶのが分かる。いつだって、新しいバンドマンとの出会いの体験(エクスペリエンス)は貴重だ。

 

「へぇー! そりゃ偶然だな、じゃあ《ハロハピ(うち)》の演奏も聴いてもらえたかい?」

 

 気分がよくなった俺の問いに湊さんが頷く。

 

「はい、私たちと同じガールズバンドということで。ですがーー」

 

 そこまで言って、湊さんは躊躇ったように言葉を切る。しかし、すぐにそんなことは無意味だと思い直したのか、引き締まった表情で言葉を続けた。

 

「ーーそこまで期待はしていませんでした」

「わっ!? ちょっ、友希那!?」

 

 湊さんの感想に、今井さんが慌てた表情で彼女の口を塞ごうとする。

 しかし、俺は慌てる彼女を手で制して「へぇ、そりゃどうして?」と湊さんに続きを促す。

 湊さんは軽く頷くと、今井さんの不安そうな視線を浴びながら言葉を続けた。

 

「私たち《Roselia》は、メジャーデビューを目標に掲げたシリアスなバンドです。だから、あなた方が結成してまだ一年も経っていない、ライブも一度しか経験していないバンドだと聞いて、私たちの糧にはならないと、そう思っていました」

 

 ……ふぅん、「糧」ねぇ。俺たちは自分達が上に行くための踏み台(エサ)ってことか。

 

 湊さんの言葉を聞いて俺はなるほどと得心がいった。確かに、メジャー志向の彼女にとっては、自分の引き出しを広げる質の良いバンドの演奏はともかく、温いお遊戯会みたいな演奏を聞いている暇はないはずだ。

 

 言ってくれるねぇ。……でも、嫌いじゃないタイプだな。

 

 俺は心の中で湊さんの評価を上げた。バチバチにメジャーを目指すなら、自分はスパッと前に出していくべきだ。たとえそれで誰かを敵に回したとしても、それ以上の味方を作れば批判しか能のない者など路傍の石未満の障害だ。

 

 でかく勝つためにはでかいリスクを背負わなければならない。湊さんはそれが判るタイプの人種なのだ。

 

 つまり、それは彼女は()()()()()というわけだ。気に入らない訳がない。

 

 そんな湊さんは、再び言葉を区切ると、今度は言葉を少し選ぶような仕草を見せてから口を開いた。

 

「でも、蓋を開けてみればそれは間違いでした。《ハロー、ハッピーワールド!》の演奏、そしてパフォーマンス。あれが結成わずか一年未満のガールズバンドなのかと脱帽させられました。彼女たちは恐ろしく強い。少なくとも私の背中に火を着けるほどに」

「そうかい。確かに、レースでも先に飛び出した奴ほど後ろを走るやつが気になるもんだからな」

 

 俺の言葉に湊さんが頷く。

 

「はい、その通りです。ほんの数ヵ月前まで楽器も知らなかった彼女たちがどうしてそこまで強くなれたのか。私は理由が知りたかった。そして、私は今その答えを得ました。……基音さん。あなたがいたから彼女たちはあそこまで飛べたのですね」

「……まぁ、俺が全てって訳ではないけど、俺も理由の一つではあるだろうな」

 

 この言葉は全くの俺の本心だ。

 俺がいなければ《ハロハピ》はここまで伸びなかっただろうが、彼女たちに素質がなければ俺が叩いたところで意味がなかっただろう。屑鉄はいくら叩いて伸ばそうとも屑鉄のままだ。不純物を取り去って正しく叩かなければ、鉄もその真価を発揮することは不可能だ。

 彼女たちはその心に不純物(まよい)を持たなかった。僅かに生まれた迷いも、その都度俺たちでどうにかしてきた。

 故に《ハロハピ》の今は俺だけではない、俺たちで創ったものなのだ。

 

 その事を湊さんは知る由もないだろうが、俺の言葉に感じるところがあったのか、今までで最高に真剣な表情で俺の瞳を見据える。

 

「基音さん、そんなあなたを見込んで少しお願いをしたいのですがよろしいですか」

「ん、願い事の内容次第だな。取りあえず言ってみな」

 

 「お願い」という言葉を聞いて、氷川さんと今井さんの二人は怪訝そうな表情を浮かべた。これは二人には想定外の言葉だったらしい。

 氷川さんが少し何か言いたげな表情をつくったが、湊さんが少し見ていてというような手振りでそれを制した。

 俺は黙って言葉を待つ。

 そして、氷川さんを制した湊さんはすぐにその口を開いた。

 

「私たち《Roselia》は今からスタジオで練習をする予定なんですが、演奏を聴いていただけませんか?」

「俺が? 別に構わないが……いいのか?」

「はい、そして忌憚のない意見を聞かせてほしいのです。私たちに足りないものはなんなのかを」

「それは俺だけではないアドバイスが欲しいってことか? でも、プロじゃないから俺ではためにならないかもしれないぞ?」

 

 確かに、俺のスキルは彼女たちよりも上かもしれない。しかし、俺もまだプロという訳じゃないから立場は彼女たちと同じだ。出せるアドバイスも経験則から来るものなので、彼女たちには的外れかもしれない。

 そのニュアンスを滲ませた返答だったが、湊さんは首を横に振った。

 

「それでも、構いません。先程の演奏を聴いて、あなたも私と同じで本気でプロを目指す人間だと直感しました。だからこそ、すでに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ではなく、同じプロを目指す部外者としての視点で私たちを評価して欲しいのです」

「……なるほど、確かにそれは大切なことだ」

 

 アドバイスというものは誰が出すかによっても効果が変わる。

 例えば、アル中の無職と、大学の教授が同じ言葉を口に出したとしても、説得力は後者の方が上だろう。

 そして、バンドにおいてもそれは同じだ。

 すでにプロデビューを決めた人間のアドバイスはためになるだろうが、それはただ「彼らが辿った道をなぞるだけ」だ。それで生まれるのは結局、先行者のデッドコピー(まがいもの)でしかない。

 しかし、同じ立場の人間でなおかつ利害関係にない者の意見なら話は違う。完成したパッケージのプロと違い、プロになるために同じ方向を向いて様々な戦略を試す者の意見なら、その中から自分なりの答えのパーツを見つけることもできるだろう。利害の不一致によって足を引っ張られることもないし、身内への忖度をされることもない。

 アドバイザーとして、これ以上の立場の存在はないだろう。

 

 そんな湊さんの言葉の真意を汲み取ったのか、氷川さんと今井さんの二人も納得した表情を作る。

 

「確かに、同じ立場に身を置く者の先駆者として、貴重な意見が出るかもしれませんね。私からもお願いできませんか、基音さん」

「アタシも、同じベーシストとして色々聞けたら嬉しいかも! お願いします、基音さん!」

「厚かましいお願いだとは思いますが、どうでしょうか基音さん」

 

 そう言って、三人は深く頭を下げる。

 

 流石に、年下の女の子たちにそこまで言われて断るようでは男が廃るというものだ。

 

 ……ペグ子も、初手でこれくらいしおらしい態度だったら俺もちょっとは…………無理か。あり得ない仮定はよそう、うん。

 

「……基音さん?」

「ん……ああ、何でもないよ!」

 

 俺が妄想に耽っていたことを見咎めた湊さんが怪訝な表情を浮かべたので慌てて両手を振ってアピールする。

 

「あー、そこまでされたら流石に俺も無下にはできないな。ためになるかは分からないけれど、俺のアドバイスでよければしてあげるよ」

「……! ありがとうございます」

 

 俺の言葉に湊さんがその顔に微笑みを浮かべて頭を下げる。

 

「そんなに畏まる必要はないって。頭を下げるなら、俺のアドバイスがためになったときに下げてくれ」

 

 そう言うと、湊さんはようやく頭を上げてくれた。

 

「分かりました。では、私たちは今からこの先の《CiRCLE》というスタジオで練習する予定ですのでご同行願えますか」

「……なんか、『ご同行願えますか』って言われると羽丘女で連行されたときのことを思い出すな」

「ぶふっ!」

 

 俺が過去の苦い思い出に触れた瞬間、今井さんがそのときのことを思い出したのか思わず吹き出していた。

 それを見た湊さんが、少し慌てた様子で俺と今井さんを交互に見つめた。クールビューティーかと思っていた彼女がそんな表情もできたことに少し驚く。

 

「あっ、ご、ごめんなさい。そういうつもりで言ったわけでは……リサも笑わないの」

「だ、だって、仕方ないじゃん。あの時の両手を縛られて警備員に連れられてとぼとぼ歩く基音さんを思い出したら……ふふっ」

「あれは確かにしゃーないわ。俺も悪かったし」

「そ、そうですか。なら、いいのですけど」

 

 そして、なんとか平静を取り戻した湊さんに、先程からスマホを操作していた氷川さんが声をかける。

 

「湊さん、宇田川さんと白金さんはもう《CiRCLE》についたみたいです。私たちもそろそろ……」

「分かりました。それではよろしくお願いします基音さん」

「あいよ、っと、その前に二ついいか?」

「……はい? どうかされましたか?」

「一つは基音さんは他人行儀で固いから、俺のことは鳴瀬でいい。どうせ歳も5つも離れてないんだ、同じバンドマン同士気楽にいこう」

 

 俺の言葉に湊さんが頷く。

 

「分かりました鳴瀬さん」

「それでは……よろしくお願いします鳴瀬さん」

「鳴瀬さんよろしくね~」

 

 呼び方を変えた湊さんに続いて二人も俺のことを「鳴瀬さん」で呼ぶ。それを確認した俺も一つ頷く。

 

「おう。ちなみに男の俺は女の子の名前を軽々しくは言えないから名字呼びさせてもらうからな。《ハロハピ》でも、リーダーのこころと名字の響きが伝わりにくい薫以外は名字で呼んでるし、そこは理解しておいてくれ」

 

 そこまで言うと、今井さんが意外というような表情を浮かべた。

 

「えっ、じゃあもしかして鳴瀬さんって、リーダーと特別な関係だったりするんですか~!?」

「……どうしてそんな恐ろしい想像になるのかな今井さん?」

「だって、特に理由もないのにリーダーだけ名前呼びなんて、そーいうこと疑うなって方が難しくありません?」

 

 確かに、理由もなく名前で呼んでたら親密な仲を疑われるのもしゃーないか。とりあえず、変な誤解の根は早めに断ち切っておくか。尾ひれがついても嫌だし。

 

 そう冷静に判断した俺はすぐに今井さんの誤解を解くために動いた。

 

「いや、あいつの場合は出会った時に名前で呼ばないと会話がエンドレスリピートしそうだったんだよ」

「へー! ちょっとその辺りの話、《CiRCLE》に着くまでにお聞きしてもいいですか!」

「えー……、聞いても何にも面白くないと思うぞ?」

「それでもいいですから!」

「はー、分かったよ。でも、その前にもう一つ」

 

 そこまで言って俺はジーンズのポケットからスマホを取り出した。

 

「実はここ、《ハロハピ》のストリートライブのために確保してたんだよ。だから、代わりの待機要員を呼ばせてくれ」

「ああ、そういうことでしたらどうぞ」

「悪いね。多分、代わりが来るまでにそんなに時間はとらせないから」

 

 俺はスマホを立ち上げると、電話帳から「黒服's」というアドレスを呼び出しコールボタンを押す。一回目のコールが鳴り止まない内に通話画面が開く。

 

「はい、鳴瀬様。こちら、こころお嬢様親衛隊の黒服でございます」

「あー、お忙しいところすみません。実は今《ハロハピ》のための場所取りをしていたんですが、急遽用事が入りまして。できれば場所取りを代わっていただけないかなと」

「承知しました。ちなみにその場所は」

「あ、駅前の緑地帯のある広場です」

「承知しました。もう、交代の者が向かいましたので大丈夫です」

「あ、そうですか。いつもありがとうございます」

「いえ、いつもお嬢様の無茶を聞いてくださる鳴瀬様の頼みとあれば、私どもも助力は惜しみません。それでは、後は現地の黒服が引き継ぎますので、私はこれで失礼します」

「どうもー、失礼します」

 

 うーん、やっぱり困ったときは黒服の人だな!

 

 黒服の迅速な対応に感謝の念を覚えながら、俺はもう大丈夫だと伝えるために三人の方を振り返る。

 

「待たせたね、交代の人と連絡がついたからしばらーー」

「鳴瀬様、お待たせいたしました」

「ーーくもかからなかったわ!? 早くないですか!?」

 

 俺が言葉を言い終わる前に既に現れていた黒服に、流石の俺も驚いた。

 三人も突然湧いたように現れた黒服に戸惑いを隠せない様子で辺りをきょろきょろ見渡していた。

 

 そして、交代要員の黒服は俺の言葉を受けて当然と言わんばかりに胸を張る。

 

「それはもちろんです。鳴瀬様は我々黒服にとって、こころお嬢様の次にお仕えしなければならないVIPでございますから」

「ええ……、弦巻家での俺の扱いってどうなってるの?」

 

 というか、もしかして俺、黒服の人たちに見張られてたりするの? なにそれ、怖い。

 

「さぁ、鳴瀬様! ここは私に任せて早くお役目をお果たし下さい!」

「あ、うん。そうね」

 

 なんだか、返事もそこそこに黒服の人に背中を押された俺は、戸惑う気持ちを抱えたまま、三人と共に《CiRCLE》に向かって歩き始めた。

 

 道中、今井さんから黒服の人たちのことも含めて俺とペグ子の関係を根掘り葉掘り聞かれたことはもちろん言うまでもなかった。

 

 




というわけで、出たのは《Roselia》の三人でした。
あまり書かないメンバーなので口調がトレスできていないかもしれません。というか、初期の友希那さんと沙夜さんの書き分け難しくない……?(震え声)

そして、登場想定していた友希那さんだけが登場するストーリーから大幅に方向を変えたのでまさかの分割。本当は軽く縁が結ばれるだけにする予定が、まさかのガッツリ大盛りに。コンナハズジャナイノニィ!!

まぁ、ブリーチの久保師匠もライブ感は大切って言ってたから、多少は、ね?(全然多少ではない)

というわけでストリートライブ編はライブ編だけにライブ感増し増しでお送りしますわよ!


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野良ベーシストはアスファルトに咲く花と出会う 中編

続きました。

ストリートライブ編その6。《Roselia》パート2です。

ここで《Roselia》のメンバーが全員出る予定です。多分、後編に分割します。

【アンケートについて】

美咲ちゃんのサイドストーリーは《Roselia》パート後編投下時点で締め切らせていただきます! 過去最高に投票してくださって感謝感激でございます!

【お礼】
前書き時点でUAが40000を越え、お気に入りが470になりました。多くの方に見てもらってありがたいことでございます。
とりあえずはお気に入り500を目標にコツコツ投稿しますので、ご愛顧よろしくお願いいたします!


 《CiRCLE》は、駅からかなり近場にある、立地としてはかなり恵まれたライブスタジオだ。

 地上一階地下一階の構造のこのスタジオは、一階はスタジオを兼ねたラウンジ、地下にラウンジと数部屋のスタジオを備えたコンパクトな造りである。故に人数をたのみにした収益は見越せないタイプのスタジオといえる。

 しかし、完成して日がまだ浅いスタジオということで注目度は上々。お洒落な外観と内装も相まって、ひっきりなしにガールズバンドの予約で埋まる人気店だ。

 さらに、店の真正面にはカフェスペースを備えた広場があり、天気のよい日はカフェ目当ての客でも賑わう。むしろカフェの方が儲かってそうなレベルで、ガールズバンドブームにうまく乗り多角経営に成功したスタジオだと言える。

 

「うーん、やっぱり《CiRCLE》はキレイだな。この華やかさは一昔前のスタジオとは違うなー」

 

 店舗の正面に立った俺は思わずそう漏らす。

 普段お世話になっている親父さんの《arrows(アローズ)》が、一昔前のガチガチで実用性オンリータイプのスタジオのために余計にそう感じるのかもしれない。

 

「そうですね、私たちは機材が新しいという点で選んでいるんですが、そういった観点から利用するガールズバンドも少なくないですね」

 

 誰にともなく呟いた俺の言葉を拾って氷川さんが応えてくれる。

 

「色々な要素が兼ね備えられてるんだな。とりあえず中に入るか。残りの二人は中で待ってるんだろ?」

「はい、もう受付を済ませてロビーで待機しているようです。行きましょう」

「おう」

 

 促されるままに扉を潜ると、「いらっしゃいませ~」と間延びした挨拶が聞こえる。白と紺の太いボーダーカラーのシャツを着た若い女性の店員が湊さんたちの方を向いて微笑むと、俺の顔を見て「おや」という表情を浮かべる。

 しかし、それも一瞬のことで、店員はすぐに接客用の笑顔を浮かべると俺の方にしっかりと体を向ける。

 

「いらっしゃいませ! こちらはスタジオ《CiRCLE》です。ご新規の方ですよね? 今回はご予約での来店でしょうか?」

「あー、いや、俺はそうじゃなくてーー」

「彼は私たちと一緒のグループよ、まりなさん。今日は演奏のアドバイスをもらうためにここにお呼びしたの」

「ーーというわけです」

 

 新規の客と間違えられ、慌てて訂正しようとする俺を遮り、湊さんが的確な説明を入れてくれる。ありがたい。

 

「へぇ、そうなんですね! ……あの、つかぬことをお伺いしますが」

「……なんです?」

「もしかして、お兄さんは《Roselia》のどなたかの彼氏さんだったり?」

 

 声のトーンを落として探るような視線で問いかけるまりなさんと呼ばれた店員に俺は首を左右に振って答える。

 

「いや、全然。というか、《Roselia》の方とはつい先日あった羽丘女子学園のライブで知り合ったばかりなんですよ。ここにいる三人以外のお二人とは今日初めて会うぐらいの関係です」

「あら、そうだったんですね。すみません、てっきり『あの《Roselia》のメンバーに彼氏が!?』ってスクープかと思いまして」

 

 まりなさんは恥ずかしそうに頭を掻く。四方津の親父さんといい、やはり、年頃の男女が一緒にいれば何でもかんでも恋愛に結び付くものなのだろうか。この辺りは俺にはよくわからない感覚だ。

 

「はぁ……。まりなさん、私たちは今そんな色恋にうつつを抜かしているときじゃないんです」

「ええ、湊さんの言う通り、私たちは今が勝負の時といっても過言ではありません」

「まー、アタシは恋愛に興味が無いわけじゃないけど、今じゃないってのは同感かな~」

「あ、あはは……これは失礼しました~」

 

 《Roselia》の三人に集中放火を浴びたまりなさんはすごすごとカウンターの中に戦略的撤退を決める。カウンターの中に入り、その影にすすっと体を隠すまりなさんの、その背中にはどこか哀愁が漂っていた。

 

「それにしても、宇田川さんと白金さんの姿がありませんね」

「そういえばさっき受付前で待ってるって言ってましたね」

 

 きょろきょろと辺りを見回す氷川さんに、俺も同意して辺りを見回すがロビーには俺たちの姿しかない。

 すると、俺の目の前でカウンターからニュッと手が生えて地下に続く階段を指差した。

 

「お二人なら地下のラウンジですよー。さっき受付がちょっと混んだので避難したんです」

「なるほど、ありがとうございます、まりなさん」

「いえいえ~、ごゆっくりどうぞ~」

 

 俺がお礼を言うと、まりなさんは相変わらず姿は見せず、手だけをヒラヒラと振って応えてくれた。

 

 ……結構お茶目な性格なのか?

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら、俺は一度階段の方に頭を向けてから、三人の方を振り返る。

 

「んじゃ、ラウンジに下りますか」

「はい」「ええ」「ですね」

 

 三人の同意を受けて俺は、階段を下る。

 下ったその先は多人数掛けの大きなソファとテーブルが備わった中々に広いラウンジがあった。これだけの規模だと、恐らく隣の店舗の地下までぶち抜いているに違いない。

 そして、ラウンジのソファには先客が二人座っていた。

 一人は少し幼さの残る顔立ちの少女で、菫色の髪の毛を二つにくくり、その服装は白黒モノトーンのドレスのようなデザインだった。いわゆるゴシックロリータというやつだろうか。華美な装飾のフリルが目立つデザインである。

 もう一人は、先の少女と比べて遥かに落ち着いた雰囲気の少女だ。黒絹のような艶のあるストレートの長髪を丁寧に刈り揃え、服装は白のブラウスに黒のロングスカートとこれまたモノトーンなのだが、こちらは徹底して装飾を排し、シックな落ち着きに包まれている。

 階段を下りる足音に気づいていたのかこちらを見上げていた対称的な二人の少女は、俺を見ると再び元の会話に戻ろうとしたが、続く三人が現れるとその瞳を輝かせた。

 

「あっ、りんりん! みんな来たよ!」

「あ、あこちゃん本当ですね」

 

 満面の笑みを浮かべた「あこちゃん」と呼ばれた少女に、「りんりん」と呼ばれた少女が微笑んで同意する。流石に「りんりん」は本名ではないだろうから、恐らくニックネームだろうが、もしかすると「あこちゃん」の方は「あこ」が本名なのかもしれない。

 

「ごめんなさい。待たせたわね、二人とも」

「そんなことないですよ! あこたちもホントについさっきまでロビーに居ましたから!」

「はい、それにゲームの話をしていましたから、あまり待っている感覚もありませんでしたし」

 

 ふーん、もうちょっとシリアスな雰囲気のバンドかなって思ったけど、結構和やかなところもあるんだな。

 

 湊さんの言葉に対しての気遣いを見せる二人の姿を眺めて、俺は《Roselia》への評価を少し修正する。

 バンドを評価する上では、演奏技術はもちろんだが、バンドの持つ特性というものも大切だ。特にアドバイスをするときには技術面よりも後者が重要になってくることが往々にしてあるのだ。

 

 そんなことを考えつつ、俺が《Roselia》のメンバーを眺めていると、宇田川さんと視線が合った。彼女は探るような視線で俺の顔を眺めると、再び湊さんの方を向く。

 

「友希那さん、さっきから気になってたんだけど、あっちのお兄さんって友希那さんの知り合いですか?」

「ん? ああ、えっと……」

「ええ、そうよ」

 

 突然話題の中心に持ってこられた俺がどう返答したものか考えあぐねていると、先手を打って湊さんが口を開く。

 

「宇田川さんは、先日の羽丘女(うち)での《ハロー、ハッピーワールド!》のライブは覚えているかしら」

「もちろんですよ! あこたちの《Roselia》とは違うけど、聞いていてワクワクするような凄く楽しいバンドでした!」

 

 宇田川さんが胸の前で握り拳をグッと固めて答える。その力の入りようと、キラキラした瞳の輝きから判断するに、彼女の本心からの言葉らしい。あまり腹芸ができるタイプにも見えないからまず間違いないだろう。

 そして、そんな宇田川さんの反応を見て湊さんが軽く頷く。

 

「ええ、私たちとは方向性は違うけれど見るべきところは多いバンドだったわ。そして、その《ハロー、ハッピーワールド!》の演奏を、たった半年程度の期間であそこまで仕上げたのが彼、基音鳴瀬さんなのよ」

「ええ!? 本当ですか!」

「す、凄い……」

 

 宇田川さんが驚きに目と口を丸く開き、白金さんの口からも思わず言葉が零れた。

 

「んー、半分は《ハロハピ》のメンバーの素質もあるけどな。そう、俺が《ハロー、ハッピーワールド!》のアドバイザーで、今はプロモーターみたいなこともやってる基音鳴瀬だ。一応の肩書きは、早応大の二回生な。適当に鳴瀬とでも呼んでくれ」

 

 そう言って軽く右手を挙げると真っ先に反応したのは目の前にいる宇田川さんと白金さんではなく、俺の後ろにいた氷川さんと今井さんだった。

 

「えっ、基音さんって早応大の方だったんですか?」

「ホントに!? 頭いいんだ~!」

「一応、英文科に特待生として籍は置いてるけど、私大だからなぁ。全教科満遍なく強いわけじゃないから、頭がいいというよりも要領がいいみたいな感じだよ」

 

 そう言って俺は右手で後頭部を軽く掻く。学業に関しては誉められることにはあまり馴れていないので、こそばゆく感じる。

 しかし、それでも氷川さんと今井さんの俺を見る目付きは先程とは変わったままだ。

 

「なるほど。それだけの学力があれば、短期間でバンドの力を伸ばせたというのも頷ける話ですね」

「これはいいアドバイスが期待できるかもね~!」

「そ、そんなに大したことないと思うぞ……?」

 

 むやみやたらにハードルを上げてくる二人に対して俺は戸惑いを隠せない。

 実際、文系科目以外はそこまで点を稼いでいるわけでもなく、入試の時もメインの英文の筆記が過去最高レベルに冴えてくれたのと、英語オンリーでの面接試験の分析を徹底して行ったことが功を奏しての合格だった。だから、他人が誉めるほどの学力がないことは俺自身よく分かっている。

 その分、天狗になることもなかったので、なんとか身を持ち崩さずにバンドと学業を両立できているのだが。

 

「ま、いいとこの大学に通ってるからといって、いいアドバイスが出せるとは限らんさ。先入観は捨てて聞いてくれよ。それでも、楽器自体は三歳の頃から15年以上触ってきてるから、全く的外れなことは言わないつもりだけどな」

 

 そう言って後頭部から手を離してヒラヒラ振ると、宇田川さんが興奮した様子でぴょんぴょんと跳び跳ねる。

 

「おー! なんか凄いアドバイスが貰えそうな予感! 私は《闇のドラマー》宇田川あこ、羽丘女子学園の中等部の3年生です!」

「おう、よろしくな」

 

 ……「闇のドラマー」ってなにさ? デスメタル系? うーん、よくわからん。

 

 宇田川さんの言うところの「闇のドラマー」が全く想像がつかなかったが、それは今からの演奏の中で見えてくるだろうとここは一旦保留する。

 そして俺は、もう一人の新顔である白金さんの方を向いた。彼女は俺と目が合うとびくりと肩を震わせて、宇田川さんの後ろにサッと移動した。身長差があるので全く隠れられてはいないが。

 そのことを悟った白金さんは、諦めたように息を吐くとこちらを向いておずおずと口を開いた。

 

「あ、わ、渡は白金燐子です……。パートはキーボードを担当しています。よろしくお願いします……」

「よろしく、白金さん」

 

 白金さんは引っ込み思案なタイプかー。松原さんよりもまだ臆病そうだな。

 

 俺は白金さんのびくびくした姿に、出会った頃の松原さんの姿を重ねていた。最初はおどおどしていた松原さんも、《ハロハピ》に揉まれているうちに随分と成長したものだ。白金さんも、もしかすると今後《Roselia》で揉まれていくうちに成長できるのかもしれない。

 

 そして、全員がお互いに何者なのか把握ができた時点で、俺は《Roselia》の顔を見回した。

 

「よし、自己紹介も終わったことだし早速演奏を聴かせてくれよ。そっちはスタジオを借りてる訳だし、こっちはストリートライブを仕切らないといけない。お互いに時間は貴重だ」

「同感ね。ではみんな、スタジオに行きましょう」

「はい、湊さん」「オッケー!」「はーい!」「はい」

 

 湊さんの鶴の一声で、全員がぞろぞろとスタジオに向かう。どうやら《Roselia》のリーダーは彼女で、しかもメンバーの信頼はかなり篤いようだ。

 

 ……ボーカル一本でメンバー全員の信頼を得られるというのは、よっぽど歌唱力が冴えてないと無理だ。これは期待してもいいかもな。

 

 ペグ子に初めて出合ったときに、バンドはボーカル以外を集めるのが難しいと判断したように、身一つでできるボーカルと違って他の楽器は道具を使いこなすという点で一つハードルが高いといえる。

 故に、バンドの要のリーダーは楽器担当か、楽器+ボーカルの場合が多い。より優れた、より多くの能力があるものが上に立つのは自然の摂理だ。

 もちろん、マネジメント能力を買われてのリーダーというように、演奏能力以外の点でリーダーを任される人間もいる。《ハロハピ(うち)》のペグ子もそのタイプだ。

 しかし、この《Roselia》というバンドに関しては、そうでは無さそうなことを、俺は全員が揃った時からひしひしと感じている。

 

「では鳴瀬さん、お入り下さい」

 

 スタジオの扉を開けた湊さんが入室を促す。それまで人をその内に抱え込んでいなかった部屋が持つ、薄ら寒い空気が廊下へ広がり、皮膚が冷気に刺されて鳥肌が立つ感覚がする。

 しかし、寒さの理由はそれだけなのだろうか。

 

 ……緊張感(プレッシャー)なのか。それほどのバンドか《Roselia》。存分に見極めさせてもらおうじゃないか。

 

「どうもありがとう、湊さん」

 

 感じた寒さの理由に思い当たった俺は、しかし、表面上はそれを出すことはなく、虎穴に飛び込むような思いでスタジオの扉を潜るのだった。




???「やはり分割か、いつ後編を書く? 私も同行する」
???「は、話が長院!」

というわけで(?)、無事(??)前中後編の三本立てになりました。

何でこんなにしっかり《Roselia》を描写するのかというと、《Roselia》のメンバーが初登場ということもありますが、《Roselia》が今後の『野良ベーシスト』本編に割と絡むバンドだからです。

彼女たちがどのように《ハロハピ》と関わるのかは今後の展開を「マグロ、ご期待下さい。」

というわけで少し《ハロハピ》成分が薄くなってますが、準備期間ということでしばらくお待ちくださいませ~!


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野良ベーシストはアスファルトに咲く花と出会う 後編-1

続きました。

ストリートライブ編7。《Roselia》編の3です。

《Roselia》編はひとまずここで一区切りです。

花開きつつある未だ蕾の青薔薇たちを眺めて、鳴瀬君は一体何を思うのか。それでは本編をご覧ください。


 湊さんに促されスタジオに入った俺は、予備のスツールに腰を落ち着けて《Roselia》のメンバーがてきぱきと準備を終えていく様を眺めている。

 メンバー全員の動きが機敏で、場馴れした印象を受ける。結成してから間もないバンドだというが、個々のスペックの高さが窺えた。

 中でもボーカルの湊さんはチューニングの手間が他よりもかからないので、早々に準備を整えて皆に指示を飛ばしている。

 

「それじゃあ、すぐに演奏に入ります。みんな、最終チェックをお願い」

「はい、湊さん。では、演奏する曲は何にしますか?」

「そうね……」

 

 氷川さんの問いに、湊さんは顎に指を当てて考える仕草をとる。

 しかし、逡巡は一瞬。

 すぐに湊さんは一度メンバー全員を見回してから口を開いた。

 

「では、演奏するのは『BLACK SHOUT』にしましょう。この曲ならメンバー全員の力を見てもらうのに相応しいわ」

 

 湊さんの言葉に全員がすぐに頷いた。彼女の指示に間違いはないとでもいうかのような、圧倒的な信頼が滲む。

 

 すげぇな。完璧にメンバーを取り込んでるじゃないか。これぐらいの年頃のバンドで中々ここまで際立ったカリスマ性を発揮できるやつはそうはいないんだが、いるところにはやっぱりいるもんなんだな。

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》においても、バンドの発起人であるペグ子を中心とした、ある種の中央集権状態が形成されているのだが、《ハロハピ》の最大の特徴は、そんな中にあっても幸せ(ハッピー)になれることなら誰の案でもなんだってやるという自由闊達な雰囲気にあった。

 ペグ子はあくまでもバンドの中心で、そこからのメンバー同士の関係はクモの巣のように、均質でフラットなものなのだ。

 

 その点でいえば《Roselia》は上意下達のピラミッドタイプのバンドだ。リーダーである湊さんが確たる意思で判断を下して、周囲はそれに対して従属的に振る舞う。

 はっきり言って、リーダーが余程完成されていなければどこかで欠陥(バグ)が出るタイプだといえる。

 しかし、完成されたリーダーの下でなら、このタイプのバンドはコンダクターのタクトに従うオーケストラが如く、完璧な調和を生む。

 彼女達は果たしてどちらなのか。

 

 見極めさせてもらうぜ、《Roselia》。

 

 そう密かに決意を固める俺の前で、《Roselia》は手早く演奏準備を整えていく。

 

「湊さん、エフェクターはオーバードライブとコーラスでいいでしょうか?」

「そうね、今日は小さめのスタジオだから、どちらも落とし気味で使ってくれるかしら」

「あ、ちょっといいか」

 

 俺は、エフェクターについて指示を仰ぐ氷川さんと湊さんの間に割って入る。そんな俺を氷川さんが怪訝な表情で振り返る。

 

「どうかされましたか、鳴瀬さん?」

「よければ、今回はエフェクターを噛まさずに()ってくれるかな。純粋な技量をはかるにはエフェクターは不純物だから」

 

 エフェクターを使った音作りも、ある意味演奏者の技量なのだが、今回俺に求められている評価は、恐らくその部分ではない。

 そう判断しての差し出口だったが、これは正鵠を射ていたようで、二人は顔を見合わせて頷いた。

 

「確かにその通りね。紗夜さん、今回はエフェクター抜きでいくわ」

「ええ、わかりました」

「それじゃあ、アタシもエフェクターは抜きの方がいいよね」

「ああ。申し訳ないが、たのめるかな」

「オッケー!」

 

 セットからエフェクターボードを外し始めた氷川さんを見て、今井さんもそれに倣ってエフェクター抜きでシールドを直結する。

 そして、エフェクターの音作りの時間が無い分、演奏の準備はすぐに終わった。

 

 スタジオの中央、マイクスタンドの前に湊さんが立つ。

 その堂々とした佇まいは、それだけで人を魅了せずにはいられない華がある。

 

「みんな、準備はいいかしら」

 

 その口がするりと言葉を紡ぐと、すぐにメンバーが同意の言葉を返す。

 

「もちろんです」

「アタシもオッケーだよ友希那!」

「いつでもいけますよ友希那さん!」

「よろしくお願いします」

 

 それを確かめ、メンバー全員に刹那意識を巡らせてから、湊さんがマイクを握る。その視線の鋭さは薔薇の棘のそれに等しい。心地のよい緊張感が俺を射抜いていく。

 

「では、往きます。《Roselia》で『BLACK SHOUT』」

「ああ、いつでもどうぞ」

 

 俺の返答に湊さんが軽く頭を下げると、宇田川さんのスティックが3度打ち鳴らされる。

 

 そして、次の瞬間には豊潤な薔薇の香りを思わせるような音がスタジオに満ちた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 これは俺の自説なのだが、優れたバンドは観客(オーディエンス)の時間を支配することができる。

 

 例えば、この時間(うた)が永遠に続けばいいと願うように。

 

 自分がどこかに置き忘れてきた過去の情熱(パッション)を呼び覚ますように。

 

 これから歩むはずの未来の姿(ヴィジョン)を幻視させるように。

 

 他人(ひと)の心を掴むバンドは、確かに時間を支配することができるのだ。

 

 ーーもう終わりなのか。まるで、()()()()()()()()()()みたいじゃないか。

 

 《Roselia》の演奏が終わった瞬間に、俺の頭を過ったのは演奏に対する感想ではなく、気がつけば過ぎ去っていた時間への驚きだった。

 

「鳴瀬さん。私の、《Roselia》の、演奏はどうだったかしら?」

「…………っと、ああ、そうだな、とりあえずまずはバンドへの講評から、個別の評価を伝える感じでいいかな」

 

 先ほどまで極上の音色(うた)を奏でていた楽器(のど)から、突如として俺への言葉が紡がれたことによる戸惑いで、一瞬返答が遅れる。

 それほどまでに、この湊友希那という少女の歌声は完成されていたのだ。

 

「はい、それで構いません。よろしくお願いします」

 

 俺の反応の遅さを、湊さんは特に気にすることもなく頭を軽く下げる。

 それを見た俺は軽く息を吸い込んで調子を整えてからゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「先にも言ったけど、俺はあくまでもアマチュアだ。だから、これは絶対的な意見という訳じゃない。拾いたいところがあったら拾って、要らないところはそこらの犬にでも食わせてくれても構わない」

 

 《Roselia》が頷いたのを確かめ、言葉を続ける。

 

「まず、このバンドへの評価なんだが、はっきり言おう。《Roselia》は間違いなく売れるバンドだ。遅くとも一年以内には大手のレーベルから声がかかる、そう思っていい。結成から日が浅いから、まだハーモニーが甘いところはあるんだが、その粗削りなところすらもバンドの勢いに変わってる。元のポテンシャルが高いからできる芸当だ。多分、これから洗練されてくると今とは雰囲気も変わるんだろうが、それすらも観客にとっては楽しみの一つになる。ずっと成長を追いかけていきたいと思えるような、すげぇいいバンドだよ、《Roselia》は」

 

 ーー手放しでの賞賛。

 

 それが俺の《Roselia》に対する素直な評価だった。

 このバンドはガールズバンドブームにあやかって生まれた有象無象とはわけが違う。いつか美しく咲き誇る日を夢に見て陽の光を追い求める花のように、ただひたすらに、ひたむきに、音を追いかけ続けるような魂の芯がある。

 このバンドの演奏を一度聴けば、間違いなく人は虜になる。そう思わせる艶のある演奏だった。

 

「そう、ですか。ありがとうございます」

 

 賞賛を受けて湊さんが頭を下げる。一見すると先ほどまでと変わらないように見えるが、その言葉の端には喜色が窺える。

 声を出さない他のメンバーたちの頬が朱に染まっているのも、決して演奏後の体の火照りだけが原因ではないだろう。

 

「まぁ、さっきも言ったように、これは君たちと同じ一アマチュアバンドマンの個人的意見だからな。そんなにマジに聞かれても困るけどな」

 

 そんな《Roselia》たちの熱に水を差すような言葉を向ける。

 実際、いくら本気(シリアス)にバンドに打ち込んでいるとはいえ俺はアマチュアだ。むしろ、今、本来のバンドを休止している分、彼女たちの方がプロに近い存在だといえる。

 そう考えれば、俺がアドバイスするなんて烏滸がましいのかもしれない。

 

 しかし、湊さんはそんな俺に首を横に振って応えた。

 

「いいえ、貴重なご意見をありがとうございます。中々、本気でプロを目指している同志の意見を聞ける機会はないのでそれだけでもありがたいです」

 

 湊さんの言葉に他のメンバーも頷く。

 

 ……確かに、同じガールズバンド同士ならストレートに評価をぶつけ合ったら遺恨が残るか。そう考えると確かに俺は《Roselia》にとっては、やっぱりベストなアドバイザーって訳だ。

 そういう訳ならこっちとしてもガチで言葉をぶつけにいくのが礼儀ってもんだな。

 

 そう思った俺は、深呼吸して気合いを入れ直す。

 

「……よし。なら次は個人への評価だ。人によっては結構キツいことも言うと思う。でも、同じ本気でバチバチにプロを目指している者としての、本気の意見として聞いてくれると嬉しい」

「……! ええ、お願いします」

 

 俺がそう言った瞬間、弛んでいた彼女たちの表情が一瞬で引き締まる。統率の取れたよい緊張感が場を支配していく。

 

 その雰囲気を確かめるように、スタジオを見渡してから、俺は再び口を開く。

 

「よし、じゃあまずはリーダーからいくな」

「はい、遠慮なく言ってください」

 

 そして、俺の言葉により一層その表情を引き締めた湊さんを見て。

 

「……といっても、正直湊さんにはあんまり厳しい意見がないんだよなぁ」

 

 俺は気の抜けるような言葉を発していた。

 

「え、えぇ? そうなんですか……?」

 

 俺の言葉に肩透かしを食らったのか、湊さんは少し戸惑ったようなあまり見せることの無い珍しい表情をみせた。間違いなく先ほどまでよりも彼女の気は弛んでいるだろう。

 大切な話をするとき、気が張り詰め過ぎるのはよろしくない。

 部活で監督に怒鳴られて固くなった選手が、更にミスを重ねる悪循環に陥るのはよくある話だ。これぐらいの緊張感で話した方が案外するりと相手にアドバイスが伝わることもある。ゆとりのないところに何かが入り込む余地は無いものだ。

 そして、先ほどまでよりも幾分か弛んだ空気の中で、俺はゆっくりと核心に向かって進み始める。

 

「そうなんだよなー。ボーカル、聴かせてもらったけど、正直、同年代で相手になる奴は数えるほどしかいないだろうな。声量や音程、どれをとっても精度が高い。かなり長い年月、真面目にボイトレをやって来た人間の声だ。文句のつけようがない」

「はい、確かに、練習量と時間に関しては、誰にも負けていない自信があります」

 

 力強く頷く湊さんに、俺も一つ頷く。

 

「そう、その自信が更に湊さんの声を強くしている。練習量と自信の相乗効果、これは間違いなく揺るがない君の芯になってる。加えて、湊さんは声質も最高だ。薔薇の花のように優美で、時には棘のように鋭く胸に刺さる。これは他者の追随を許さない君だけの武器だ。自信をもって存分に振るうといい」

 

 ボーカルがどれだけトレーニングしようともどうにもならないもの。それは声質である。

 こればかりは、喉の構造など個人の生まれ持ったものだけが物を言う世界なので、そういった点でも湊さんは音楽に選ばれた側の人間であることは疑いようもない。

 

「ありがとうございます。私も自分自身の強みは意識しているつもりですが、やはり客観的な意見を貰えると、自分が間違ってはいなかったことが分かって励みになります」

 

 そう言って湊さんは丁寧にお辞儀をする。誉められても慢心することのないその姿勢も、彼女の強さの一つなのだろう。

 

「ああ、自信はいつだって自分の翼に代わる。もっと自信をもって羽ばたくといいさ。そして、ここからがアドバイスの肝なんだが、よく聞いておいてくれ」

「……! いつでも言ってください」

 

 いよいよ核心に迫って、俺は弛めていた緊張感をここで再び投入する。弛さと緊張感の落差によって会話にターニングポイントを設け、アドバイスに意識を向けるテクニックだ。

 湊さんが程よい緊張感に包まれたのを見て、俺はついに話の核心に踏み込む。

 

 

「湊さん、君はプロになることが決まっているとして、『そこまで』と『それから』を考えた方がいいかもしれない」

「『そこまで』と『それから』、ですか……」

「そうそう、湊さんや《Roselia》にとってはプロになるってのはあくまでも一地点でしかないわけだ。大切なのはその一地点ではなくて、『そこに至るまでの過程』と『そこからどこに向かうのか』という長い道程の方だと俺は思う」

 

 《Roselia》は間違いなくプロになるバンドだ。世の中には「プロになる」が目的地になったバンドも多いが、《Roselia》にとって、そこは一瞬で過ぎ去る通過点でしかない。ならばより長い時間をかけなければならない、「どのようにそこを超えて」、「そこからどこに向かうか」の方が遥かに考える意義がある。

 

 最初からフルスロットルで突っ走るのか、あるいは見聞を深めてゆっくり歩き回るのか。

 自分から売り込みに向かうのか、声がかかるその時を待つのか。

 デビュー後の音楽性はどうするのか、ライブなどの計画はどう立てるのか。

 

 そこを見誤ると、無限の可能性を秘めた《Roselia》が徒花(あだばな)で終わる可能性だって十分にあり得るのだ。

 

「花は一度根を張ればそこから動くことはできない。精々、陽光を求めて枝葉を伸ばす方向を変えることぐらいだ。だから俺は、特にデビュー前の舵取りが、今後の《Roselia》を、そして、湊さん自身の未来を決める上で大切だと思う。これは非常に難しいが、リーダーである君にしかできないことだ」

「私にしかできない、私の未来を決めること……」

 

 湊さんは俺の言葉を噛み締めるように口の中で呟いている。

 

「俺は《Roselia》は自分達を安売りするようなバンドではないと思う。だから、湊さんには、君や《Roselia》が最高に輝く未来を考えて欲しい。これが俺のアドバイスの全てだ」

 

 俺の言葉が終わってから、湊さんは考え込むように視線を伏せていたが、しばらくして視線を上げると真っ直ぐに俺の目を見つめた。視線がしばらく交わった後、湊さんは今日一番深々と頭を下げた。

 最敬礼からゆっくりとした所作で頭を上げると、彼女はその口をゆっくりと開いた。

 

「鳴瀬さん、ありがとうございます。あなたのアドバイスは、本当に私に刺さりました。胸のうちの靄のような迷いが晴れた心地です。本当にあなたにお願いしてよかったと思います」

「それはどうも」

「このご恩はなにかしらの形で必ず返します」

「おいおい、そんなに気張らなくていいよ。最初に言ったろ、『あくまでも一アマチュアのアドバイス』だって。そこまでしてもらおうとは思ってないさ」

 

 慌てて突き出した手のひらを左右に振った俺だったが、湊さんは首を横に振った。

 

「だとしても、私に益があった以上は、施されるだけでは気がすみません」

「そうか、ならまた今度何かの機会に助けてもらうことにするよ」

 

 このままでは水掛け論になりそうだと思ったので、俺はあっさりと引き下がる。湊さんは色んな点で芯が強い少女のようだ。

 

「はい、私にできることでしたらぜひ」

「よろしく頼むよ。それじゃあ、次は今井さんね」

「あ、次はアタシですか! それじゃあ、お願いしまーす!」

 

 湊さんに軽く手を上げて応えると、俺は次の相手である今井さんに声をかけた。

 

「はい、こちらこそよろしくお願いしますよっと。んー、とりあえず今井さんに言いたいのは、君がベース担当でよかったってことかな」

「え、そ、そうですか!? アタシ、ベースちゃんと出来てますか!?」

 

 少し照れたような表情で嬉しそうに声を上げる今井さんに、大きく頷く。

 

「うん、俺が思うに今井さんの強さは『視野の広さ』にあると思うんだよね。今井さんってさ、結構気遣いや気配りのできる人でしょ?」

「え? そ、そうなの、かなぁ?」

 

 今井さんは俺の言葉に同意しかねて首を捻っていたが、そんな彼女の代わりに思わぬところから返事が飛んだ。

 

「あー、確かにアコもそう思うな~!」

「そ、そうですね……今井さんは、よく私たちのことを気にかけてくれていると思います」

「ええー……二人ともそう思ってるんだ。そう言われるとなんか照れるね、へへへ……」

 

 宇田川さんと白金さんの二人からも援護射撃を受けて、ますます今井さんは照れ臭そうに頭を掻く。

 

「メンバーが二人もそう言ってるなら間違いないな。今井さんの気遣いできる力ってさ、ベーシストには結構大切な力なんだよね」

「え、そうなんですか?」

「そうそう、ベースってさ、メロディほどの華もないし、かといってドラムを差し置いてリズムのメインを張れる訳でもない、ステージ上での生存圏がかなり狭い楽器だと俺は思ってるんだ」

「あー、確かにそんなところありますよね」

 

 俺の言葉に今度は今井さんも思い当たる節があるのか、ウンウンと首を縦に振る。

 

「じゃあ、その狭い生存圏でベースが生き残るためにできることはなにか。そう考えた時に、大切だと思う要素の一つに俺は『観察眼』を挙げたいんだ」

 

 ベーシストがステージ上で存在感を発揮するには常に他の楽器に気を配る必要性があると俺は思っている。

 メロディよりもでしゃばらず、ドラムの手数が足りない部分を常にカバーし続けて、曲の密度を高める。これを続けるためには周りが何を求めているのか、あるいは、周りに今何が足りていないのかを常に意識する「観察眼」が備わっていないといけない。

 

「今井さんは、気遣いや気配りができる優しい性格がベースという楽器にマッチしてるんだよね。意識しなくても自然にメンバーの観察ができてる感じっていうのかな。とにかくそれが最高にいい。多分、結成して間もない《Roselia》が上手く回ってるのも、今井さんの存在が大きいと俺は思ってるよ」

 

 《Roselia》は、調和がとれたバンドというよりは、既にそれぞれが鍛えていた個々のスキルがいい具合に化学反応(ケミストリー)を起こしたバンドだといえる。

 放っておけばどんな風に変化するか予測不能なバンドを支える今井さんは、《Roselia》の裏のリーダーといえるかもしれない。

 

「な、なんかそこまで誉められると、照れるを通り越して恐縮しちゃうかも……」

 

 今井さんの献身を誉める俺の言葉を聞いて、先ほどまで照れながら頭を掻いていた彼女は、こそばゆくなったのか今度は体の前で腕を結んでもじもじしていた。

 

「こちらとしては事実を言ってるだけだから、そこまで恐縮する必要はないと思うけどなぁ」

「いやー、そう言われてもこういうのはアタシも慣れてないからねー」

 

「じゃあ、誉めるだけじゃなくて課題も挙げておきますか。今井さんの課題を挙げるとするなら、やっぱり演奏技術かな。ベースは性質上バンドの中で埋もれやすい楽器でもあるから、今のままだと少しパワー不足に感じるシーンが出てくるかもしれない」

「パワー不足………なんか分かるかもしれない」

「まぁ、これは今井さんの性質上仕方ないところもあるけどさ。気配り上手ってのは得てして自分を抑えてしまいがちだからね」

「うーん、それじゃあアタシはどうやったらパワーアップできるんですかね? 鳴瀬さんの口振りだと、どちらかを立てればどちらかが崩れそうな感じなんですけど……」

 

 確かに、今井さんの言う通り「バンドの中で調和を作る」ことと「パワーをガンガン出していく」ことは矛盾する要素だ。

 しかし、実はこれにはめちゃくちゃ手っ取り早い解決法があるのだ。

 

「いや、実はね、これはすごい簡単に解決できるイージーな問題なんだよ」

「えっ、マジですか! じゃあ、その解決法というのは……?」

?」

「それはズバリ、『ベースがめっちゃ輝く曲を作る』! これだ!」

「なんかスッゴい力業がきたー!?」(ガビーン!)

「力業だけど、正直これが一番手っ取り早いからな!」

 

 曲の構成上、ベースがめちゃくちゃ主張する曲であれば、ベースだろうと否応なしにパワープレイを要求される。つまり、俺の提案する解決法は「ベースを頂点としたピラミッド型の調和」を、曲の中に作ってしまえという訳なのだ。

 

「えー、でも、それだとベース本来の立ち位置から外れるから本末転倒じゃあないですかね?」

「うん、その通り」

「その通りなんですか!?」

「だって、実際ベースが全面に出ちゃってるし。でも、大切なのはそこじゃない。俺がやって欲しいのは曲作りを通して、今井さんが『どうすれば曲の中でベースがもっと輝くのか』を考えることなんだよね」

「……あっ!」

 

 今井さんが何かに気づいたように大きく口をあける。彼女とアイコンタクトをとってから、俺は言葉を続ける。

 

「どうすればベースが輝くのか考えていけば、自ずと自分が演奏でどこに力を入れればいいのか見えてくるはずだ。このときに作った曲を実際に披露する必要はない。だから、自分が力をつけるための練習(ドリル)のような曲でいいんだ」

 

 「曲」と一言で言っても色々なものがある。例えばピアノなんかには『左手のための○○』のような、左手の練習に主眼を置いた曲なんかも存在する。

 ステージに立ち大勢の観客の前で披露する曲もあれば、家で一人、黙々と弾くための曲だってあるのだ。

 例えば、俺が今朝駅前の広場で弾いていた曲だってそういった練習用に俺が作った曲の一つだった。

 

「誰かに披露するための曲じゃなくて、アタシの成長のための曲かぁ……。それは盲点だったかも」

 

 目から鱗が落ちるといわんばかりに、目を丸くした今井さんが納得の表情で頷く。

 

「バンドをやり始めるとどうしても『誰かに曲を聴かせたい』って思いが先行するから、初歩的なことを見失いがちになる。世の中には自分のスキルを高めるための練習用の譜面なんて山ほど転がっているのにな」

「そっかぁ……。うわ、なんだろこれ、なんだかアタシ、無性に練習したくなってきたかも!」

 

 自分が今すべきことの答えを得た今井さんは、もう待ちきれないといった風に指を動かしている。

 

 これならもう、今井さんを引き留めてアドバイスの必要はないな。彼女はもうやるべきことを見つけたみたいだし。

 

 そこで、俺は話を切るためにパンパンと手を打って一旦今井さんの注意を引く。

 

「なら、今井さんへのアドバイスはこれでおしまい! さぁ、すぐに練習、練習!」

「がってん! へへっ、鳴瀬さん、ありがとね~!」

 

 そう言うと今井さんは芝居がかった仕草で敬礼をすると、すぐに自分のベースの下へ向かった。恐らく、実際にベースを弾きながら練習用の曲を作るつもりなのだろう。

 

 さて、残るは三人か。少し厳しいことを言わなくてはいけない彼女は最後に回すとして次は彼女にしようか。

 

 まだアドバイスは折り返しにも達していない。あまり時間をかけて戻るのが遅くなれば、ペグ子にどやされてしまうだろう。

 そんな最悪の未来を避けるために、俺はすぐに次の名前を呼んだのだった。




ここで《Roselia》編を終わらせるはずだったのに、まさかの再分割でハーブも生えませんわ!

次の後編-2では間違いなく終わらせますのでもう少しお待ちくださいましね!

そして、次回では美咲ちゃんのサイドストーリーのアンケートの結果発表もありまぁす!


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野良ベーシストはアスファルトに咲く花と出会う 後編-2

続きました。
ストリートライブ編8、《Roselia》編4です。

今度こそ本当に《Roselia》編終わり! 終了! 閉廷! 終焉の大鎌!

【アンケートへのお礼】
美咲ちゃんのサイドストーリーへの投票ありがとうございました!
総投票数189票で、選ばれたルートは100票ジャストを集めたおばあちゃんの田舎ルートでした! イエーイ!

恐ろしいほどに外堀を埋められていく鳴瀬くん。社会の教科書に載っていた、中国を分けようとする列強諸国のように、鳴瀬くんが分割統治をされる日も近い。


「おーし、じゃあ次は宇田川さんな」

「よろしくお願いします! ふっふっふ、どんな評価を受けようとも耐えきってみせよう!」

 

 ……なんか、宇田川さんって時々言葉が芝居がかってるんだよな。薫で慣れてるからあんまり違和感ないけど。

 

 スティックを顔の前で構えて決めポーズを取る宇田川さんを眺めて、俺は漠然とそんなことを考える。

 

「んー、それじゃまずは、いいところからいくか。宇田川さんはグルーヴ感が凄い。曲の山場でのうねるようなドラミングがいい感じにアクセントになってるね。これは狙ってやってるのかな?」

 

 俺が問いかけると、宇田川さんは勢いよく頷いた。

 

「その通りです! なんかこう魔王の持つ闇の力が高まっていって、それで、高まった闇のパワーが、えーっと、その、ギュイーンと来てズバーンって感じです!」

 

 ……長嶋茂雄かな?

 

 俺は思わず出かけたツッコミを飲み込んだ。

 どうやら宇田川さんは、自分のフィーリングを上手く言葉にするだけの語彙が備わっていないようだ。まぁ、まだ彼女は中学生なので致し方ないところだろう。

 

 それはともかく、中学生でグルーヴ感がこれだけ育ってるのは小さな頃から良質な音楽に触れてきた証拠だな。宇田川さんは間違いなくいいドラマーになるな。

 

 既に優れたドラマーとしての片鱗を見せ始める宇田川さんに、いい加減なアドバイスはできない。彼女は今延び盛りだ。変に助長して、彼女本来の成長力を阻害したくはない。

 俺はもう一度気を引き締めて宇田川さんと向き合う。

 

「意識して演奏にグルーヴを取り入れているならグッドだね。そういうのはライブで観客(オーディエンス)をアゲる宇田川さんの武器になる。どんどん使っていくといいよ」 

「おおー! アコの武器かぁ~! そう言われるとなんかカッコいいかも!」

 

 宇田川さんは満更でもないといった様子で、満面の笑みを浮かべる。その表情には他のメンバーと違った幼さが残っていた。

 

「それで、宇田川さんの課題なんだけど、宇田川さんはどちらかというとパワーヒッタータイプのドラマーだよね」

「うーん、そう言われればそうですかね。《Roselia》の曲ってどうしても曲調が激しいから、自然と力んじゃうって言うか……」

「確かにね。でも、宇田川さんが今後もっと《Roselia》で伸びるなら、パワーでぶん回すよりもテクニックで叩くことを覚えた方がいいと思うんだ。例えばーー」

 

 そこまで言って俺はスタジオのドラムに向かうとスローンに腰を下ろす。備え付けのスティックを取るとスネアに構える。

 

「今から、ちょっとしたフレーズを叩き方を変えながらスネアで鳴らすから聴いてみてくれないか。まずは、パワーでぶん回した場合ーー」

 

 ーーズダダダッダッダダ! ダッダッダッダダ,ダッダッダッダダ……

 

 力強いストロークから生まれる打撃が、スネアを揺らし迫力のある音が生まれる。宇田川さんを始めとする《Roselia》のメンバーは、みんなスネアから生まれる音に耳を澄ます。

 

「ーーんで、次はスナップを効かせて、スティックの跳ね返りの反動を活かしてーー」

 

 ーータラララッタタ! タッタッタッタタ,タッタッタッタタ……

 

 今度は手首を柔らかくしてのストローク。スネアの裏についたスナッピーの動きが変わり軽快な音が流れるが、その音量は決してパワーヒッティングをしたときに劣らない。むしろ、音の抜けがいい分だけ、ストロークの切れ目は音がよく響くようにすら感じる。

 

「わっ! すごい! 同じパターンなのに響きかたが全然違う! そうか、そういうことなんだ……」

 

 宇田川さんは早速何かを感じ取ってくれたようで、しきりにうんうん頷きながらスネアの音に聴き入っている。

 

「驚きました……同じスネアなのに、叩き方によってはここまで違う豊かな表情を見せるのですね……」

 

 氷川さんもスネアから流れる音の違いに思うところがあったのか、顎に手を添えて考え込むような仕草を見せる。

 ドラムの演奏からメッセージを受けとるのは、何もドラマーだけじゃないといけない決まりはない。

 俺は氷川さんの心にも届くように、丁寧にスネアの音を刻んでいった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「ーーというような感じなんだけど、伝わったかな?」

「すっごーい! アコ、めちゃくちゃ伝わってきたかも!」

 

 それからしばらく、スネアを鳴らし終えた俺が宇田川さんの方を見ると、彼女は跳びはねて俺に応えてくれた。

 

「ならよかったよ。宇田川さんはまだ体ができてないから、どうしてもパワーヒッターにならざるを得ない場面もあると思うけど、スティックワークに拘れば結構テクニックだけでもメロディに負けない音は出るんだ」

「はい! すごくよく分かりました! なんかこう、ズダダダダーン! と スタタターン! みたいな感じで!」

 

 ……口で言われると本当に分かってるのか不安になるなぁ。宇田川さんのことだから分かってるんだろうけどさ。

 

 相変わらず語彙が乏しい宇田川さんに、思わず苦笑を浮かべてしまうが、彼女は見るべきところが分かっているようなので恐らく大丈夫だろう。

 

「オッケー、それじゃあ宇田川さんは何か聞いておきたいことはある?」

「そうですねー……あっ! アコ、やっぱり鳴瀬さんが言うようにまだパワーが足りないところがあるんですけど、どうやったらパワー不足を補えますかね?」

 

 頬に人差し指を添えて考え込んでいた宇田川さんが、ハッとした表情で答える。

 確かに、テクニックで叩くことを意識し始めた頃は、思うように音にパワーが乗らずに苦労するものだ。中学時代に俺も通った道である。

 故に、その解決法は既に俺の内に用意されていた。

 

「なるほど。手っ取り早い方法としてはスティックを変えるのはお勧めだよ。宇田川さん、さっき使ってたスティック貸してくれる?」

「はーい!」

 

 返事をした宇田川さんがテクテクとスティックバッグに歩み寄ってすぐにスティックを持ってきた。

 どこか投げた木の棒を加えて駆け寄ってくる犬の姿に似ていると思ったが、それを口に出さないだけの礼儀は俺も弁えていた。

 

「どうぞ、鳴瀬さん!」

「ありがとう、んー、どれどれ……」

 

 差し出されたスティックを手にとってしげしげと眺める。長さ、重さ、太さ、材質、チップの形を確かめると、俺は宇田川さんに視線を戻した。

 

「宇田川さん、これってもしかして誰かのお下がりだったりする?」

「えっ、分かりますか!? そうなんですよ、これ、おねーちゃんからのお下がりのスティックなんですよ!」

「なるほどねー」

 

 得心がいった俺は改めて宇田川さんと視線を合わせる。

 

「宇田川さん、このスティックは多分思い入れのあるものなんだろうけど、今の君には合ってないかもしれない」

「えっ、そうなんですか?」

 

 意外そうな表情を浮かべる宇田川さんに俺は頷く。

 

「うん、このスティックなんだけど太さが5Bなんだよね。これは標準の5Aと比べて太めのスティックだから、重さが増してパワーのある演奏ができるスティックだ」

「えーと、でも、それだと今のあこには向いてるような……」

「そういう面も否定はできないけど、俺が気になるのは宇田川さんの手にとってスティックが太すぎないかってことなんだよね」

「……! あー、そういうことですか!」

 

 俺の言葉に宇田川さんは納得できるところがあったようで目を丸くして頷いていた。

 

「スティックが手に合ってないと余計な力みが生まれるんだよね。これがテクニックで叩く場合によろしくない。それに、パワープレイにしてもスタミナも無駄に食うしね」

 

 手のひらにスティックが上手く吸い付かないと、ドラムを叩くことはかなり体力を使う。元々、動きの大きいドラマーにとって、余計な消耗はとにかく避けたいところだ。

 

 特に、宇田川さんはまだ体ができてないからなぁ。ライブで長丁場をこなすには省エネ打法を身に付けないとな。《Roselia》は曲調も激しそうだし、尚更だな。

 

「つーことで、スティックは多分5A、宇田川さんの手は小さめだから7Aでもいいかもね」

「うーん、そうなるとパワー不足になりそうな気が……」

「そしたら、スティックの材質を重めのにするといいよ。このスティックはメイプルだから太さの割には軽くなってる。重量も多分120いかない位だね。だからヒッコリーかオーク材のスティックに変えれば5Aなら同じぐらいの重さにできるはずだよ」

「材料の違いかぁ~、確かに『NFO』でも武器を作るときの素材集めが大切だったね!」

「『NFO』?」

 

 耳慣れぬ単語に俺が首を傾げていると、その横で白金さんがしきりに「うんうん」と頷いていた。

 

「そうですね、あこちゃんの今の装備を作るのにかなりの素材を厳選しましたからね」

「えへへ、りんりんの本気装備には負けるけどね~」

「あの装備は特別ですからね。もう二度と合成成功率12.5%で、しかもドロップ率小数点以下のレア素材を複数要求する装備は作ろうとは思いません……」

「全財産の半分溶かしたんだっけ?」

「……八割ですね、フレの皆さまにもかなり協力していただいたので、《Roselia》を始めた今同じことをしたら、私は間違いなく過労で死にます……」

 

 なにやら恐ろしいことを口走りながら、白金さんは遠い目で虚空を見つめていた。

 

 うーん、よくわからないが、断片的に分かる情報を繋げるとオンラインゲームの話か? オンラインゲームは第二のリアルなんて言う奴もいるぐらいだから、かなり気合い入れてやってるのかもな。

 ……白金さんがやってるのは意外な感じだけど。

 

 そんなことを考えながらも、脱線した話を本筋に戻すため、俺は手を叩いて注目を集める。

 

「はいはい、というわけでスティックは材料も大切って話な。あと、チップの形なんだけど、今のスティックは卵型になってるけど、これは角型か丸型がいいな。スティックワークが安定しない内はうち下ろしの角度で音が変化する卵型よりも、どこに当たっても同じ形の方がいい。というわけでーー」

 

 そこまで言って話を切ると、俺はスタジオに運び込んでいたベースのギグケースのポケットを開く。実はそこにはトラブルがあったときのために予備のスティックなんかを何本か入れてあり、偶然、宇田川さんにぴったりなスティックが入っていたのだ。

 

「ーー宇田川さん、君にこれをあげよう。pearlのクラシックのスティックでヒッコリーの5A、チップが角型のスティックだよ。重さは少し軽いけど110はあると思うから標準の上ってところだし丁度いいと思う」

「え! いいんですか!?」

 

 俺がスティックを差し出すと宇田川さんは目をきらきらさせて喜ぶ。

 

「うん、何かあったときの予備だし、俺はメインドラマーじゃないしね。そんな高いもんでもないし、使ってもらえる子に使ってほしいから」

「わぁ、ありがとうございます! ちょっと叩いてみてもいいですか?」

「オッケー」

 

 俺は座っていたスツールを宇田川さんには明け渡す。

 宇田川さんはスツールの高さを調整すると、すぐにスネアとハイハットのコンビネーションを叩き始めた。

 

 ……チチズッチ,チチズッチ,チチズッチ,ズダダダダッダッ!

 

「うわ! これ、すっごく叩きやすい!」

「おー、いい感じに力抜けてるなぁ」

 

 宇田川さんの演奏を聴いた俺は、早速力みが抜けたスティックワークを見せる彼女に驚く。

 

 ……宇田川さんって、実はめちゃくちゃ才能あるんじゃねーか? これは、かなり伸び代があるとみたぞ。

 

 いくら相性のいいスティックとはいえ、言われたことをすぐに取り入れてフレーズを叩けるドラマーは少ない。グルーヴ感といい、宇田川さんは感覚型の天才ドラマーなのかもしれない。

 しかし、目の前の彼女はそんなことを微塵も感じさせないような純心な笑顔でドラムを叩き続けている。

 この、一途さも彼女の才能の一端なのかもしれない。

 

 それから、ひとしきり様々なフレーズを試した宇田川さんはハッとした表情でこちらを向いた。

 

「あっ! す、すみません! あこ、夢中になって鳴瀬さんのこと放置しちゃって!」

 

 宇田川さんが申し訳なさそうに頭を何度もぺこぺこ下げるので、その度に彼女のツインテールのおさげが俺の目の前で激しくうねった。

 それは、もしこの場に猫たちがいればさぞかし集客力があるだろうと思わせるような動きだった。

 

「いいよいいよ、鉄は熱いうちに打てって言うし、いい感覚が掴めそうなら叩かないとな。とりあえず、しばらくはそれを使ってもらって、後々いろんなスティックに乗り換えるのもいいし、お姉さんのスティックに戻るのもありかもな」

「はい、そうします! へへっ、頑張って巴おねーちゃんに追い付くぞ~!」

 

 そう言って嬉しそうにスティックを掲げた宇田川さんはカッコいいポーズを決めていたが、俺はそんなことよりも彼女が直前に放った言葉に気を取られていた。

 

「……ん!? 宇田川で、巴……? え、もしかして宇田川さんのお姉さんって《Afterglow》の宇田川巴さんなのか?」

 

 探るような俺の問いかけを聞いた、宇田川さんの目が丸く見開かれる。

 

「え!? 鳴瀬さん、巴おねーちゃんのこと知ってるんですか!?」

「ああ、俺がまだ自分のバンドで活動してた時に何度かライブでご一緒したことがあるよ。そうか、あの宇田川さんの妹さんなのかぁ」

 

 まさかの知り合いの妹という奇妙な繋がりに、俺はバンドの世界の意外な狭さに驚かされる。

 そして、宇田川さんの方は意外な接点があったことに興奮したようで、ブンブンとその両腕を振って喜んでいた。

 

「うわー! 運命的な偶然ですね! なんかこう、前世からの宿命的なあれが、こうで、ギュイーンって出会ったみたいな!」

「前世はないと思うけど、確かに人の縁の不思議さを感じるなぁ。そうか、宇田川さんのグルーヴ感はお姉さんの演奏を聴いてきたからなのかもね」

「そうですね~! 小さい頃からおねーちゃんは和太鼓を叩いてたのでずっとそれを聴いてたからかもしれません!」

 

 目を輝かせながらお姉さんのことを語る宇田川さんを見ていると思わず顔が綻ぶのが分かる。

 

「そうかもしれないね。いや、お姉さんも力強いエモーショナルなドラムを叩くけど、宇田川さんもその片鱗が見えてきてるよ」

 

 俺がそう誉めると、宇田川さんは今日一番の満面の笑顔で応えてくれた。

 

「ありがとうございます! あこはおねーちゃんの次にドラムが上手い、世界で二番目のドラマーを目指してますから!」

「それは素敵だね。本当に素敵だ」

 

 ドラムという同じ楽器に魅せられた姉妹同士の絆。

 これは、間違いなく二人に良い情熱(パッション)を生んでいる。

 二人が共にドラマーとして生きていくならば、この姉妹は互いが互いを引っ張りあって、その力を遥か高みへと昇らせていけるだろう。宇田川さんの表情から、俺はそういうリスペクトを感じていた。

 

「よし、じゃあ宇田川さんはこれでおしまいな。お姉さんにもよろしく言っといてくれるかな。実は、最近別件で会ったばかりでさ」

「そうなんですね、伝えておきます! ありがとうございました、鳴瀬さん!」

「頼んだよ」

 

 そして、俺がひらひらと手を振って宇田川さんとの話を切り上げると、俺は残る二人の方を向いた。

 

「さて、それでは氷川さんと白金さん」

「はい」「……はい」

 

 声をかけると二人が返事をしてくれる。

 

「先程の演奏を聴かせてもらった上でなんだけど、俺が思うに二人のポイントとなる部分は根っ子が同じなんだよね。だから、二人は同時にアドバイスさせてもらいたいんだけど構わないかな?」

「はい、私は構いません」「わ、私もそれでいいです」

 

 二人の同意を確認した俺はゆっくりと頷く。

 

「うん、じゃあ二人同時にいくよ。まず、いいところなんだけど、二人とも基礎がかっちりしてる。なんというか演奏に全然隙がない。ライブで一番失敗しないタイプって感じだね」

 

 氷川さんと白金さんの演奏は、堅実に、コツコツと力を着けたタイプのそれだ。安定感があり、大きなミスをしない。ライブや、イベントの予選なんかでアベレージで高得点を叩けるタイプの演奏は、今後《Roselia》がプロに向けて様々なシーンに出ていくときに、きっとバンドを支える力になるだろう。

 

 だが、それでも。

 

 俺は二人には、()()()()()()()()()()()()()()()()

 故に、ここからのアドバイスは二人にとって少し厳しいものとなるだろう。事によっては二人と対立する可能性も考えなくてはならない。そのレベルのアドバイスだ。

 

 でも、バンドマンってのはそういうもんだからな。真剣(シリアス)にやってない奴に、真剣(マジ)なファンはつかない。もちろん二人が真剣じゃない訳がないんだが、なんというか()()()()()()()んだよな。

 

 ーー「努力」は必ず報われる。

 

 そんな言葉がある。

 その通り、「努力」は必ず報われる。

 コツコツと積み上げて、夢に手が届いたとき、その積み上がったものに与えられる名前が「努力」だ。

 しかし、コツコツと積み上げて、それでもなお夢に手掛ける届かなかったとき、その積み上がったものに与えられる名前は「徒労」に変わる。

 

 だから、「努力」は必ず報われる。だって、報われなかったものには別の名前が与えられているだけなのだから。

 

 そして今、二人は今まで積み上げてきたものが「努力」か「徒労」、どちらに転ぶかの瀬戸際にいるといえる。

 二人の真剣を「徒労」に変えないためにも、ここは俺もダメージ覚悟の真剣勝負に出るところだ。

 

「でも、言っちゃ悪いが()()()()()。今の二人はメロディパートを担うには、少し()()()()()()()()()

「……それはどういうことか説明いただけますか」「……」

 

 氷川さんが少し強ばった声色で尋ねる。白金さんも言葉には出さないものの、その雰囲気が俺に説明を求めていた。

 

「簡単にいうと、二人の演奏は『お手本』なんだよ。10人聴けば、10人が『上手いね』って言ってくれる。でも、それで終わりだ。彼らの記憶に君たちの演奏は残らない。なぜなら、君たちの演奏には『らしさ』がないからね」

「……『らしさ』、ですか」「…………っ!」

 

 弾かれたように顔を上げる二人に、俺は問いを投げかける。

 

「二人とも、演奏の時にどんなことを考えて楽器と向き合ってる?」

「それは……」

 

 俺の問いに、氷川さんがすぐに答えようとしたが、答えの中身が口からこぼれる前に、その言葉は尻すぼみになってしまった。

 

 ……ここは、氷川さんの核心部なのかもしれないな。

 

 すぐに言いたい衝動はあっても、それを人に聞かせることを理性が止める。これは、本当にデリケートで個人的な問題によくある話だ。

 

「個人的なところに踏み込み過ぎるなら、無理に答える必要はないよ」

 

 だから、俺もその辺りは予防線を張る。俺と氷川さんの繋がりは確かにそこにあるが、そこまで太いものではない。さらけ出したくないものをわざわざ覗きに行くほど俺は無神経ではない。

 

 俺の言葉に氷川さんは再び視線を床にさ迷わせて、しばらくの間眉間に皺を寄せる。

 そして、また俺の顔を彼女が見たときにはいまだにその眉間には皺が刻まれたままだった。

 

「……すみません」

 

 氷川さんの第一声は謝罪から始まった。

 

「答えようという思いは固まっていたのですが、いざ言葉を選ぼうとすると上手く噛み合わなくて、少し時間がかかってしまいました」

 

 演奏でも分かってたけど、氷川さんはやっぱり繊細なタイプだ。この手のタイプは些細なミスが気になるから演奏も基本に忠実になるんだよな。

 

 俺は、何事にも丁寧に向き合う氷川さんを見て、演奏から感じていた氷川さんの人物像に間違いがなかったことを確信する。

 

「うん、これは大切な話だから時間がかかるのは構わないさ」

「ありがとうございます。では、言葉の整理がついたので聞いていただけますか?」

「もちろん」

 

 俺が続きを促すと、氷川さんは胸のうちに溜め込んだものを一息で吐き出せるように、大きく息を吸い込んだ。

 

「……私には、絶対に負けたくない子がいるんです。その子は、要領がよくて、なんでもできて、私が先に始めたことでも、その子が後から追いかけてくるとすぐに追い抜かれてしまう」

 

 氷川さんの根底にあるもの。

 それは決して負けたくない誰かへの対抗心。

 

 ……なるほど、氷川さんの纏う張りつめた空気は、そこから漂ってきていたんだな。

 

 俺は、少し冷たい印象を受ける氷川さんという少女の中に、温かい人間性を見つけた気がした。

 

「だから、私はその子に負けないように必死で練習しているんです。とにかく追いつかれないように、たとえ追いつかれたとしても、決して追い抜かれることだけはないように。ただ、そう念じて楽器と向き合ってきました」

 

 一息でそこまで言い切った、氷川さんはそこで少しためをつくると最後の言葉を口にした。

 

「そして、その果てに私は《Roselia》を見つけたんです。私が、本当に、その子に追い付かれることのない高みへと昇れる仲間を」

 

 そう言った氷川さんの目には《Roselia》の成功を確信する光が宿っている。いまだ小さなそれは、けれども確かに分かる熱を帯びていた。

 

「だから、私が《Roselia》の足を引っ張る訳にはいかないんです。鳴瀬さん、些細なことでも構いません。アドバイスをお願いできますか」

「もちろん」

 

 誰かに負けたくないという想い。

 

 それが氷川さんの原動力であり、同時に枷にもなっていた。

 しかし、彼女の《Roselia》と共に前に進もうとする力は、負けたくない想いが与える力を上回り始めている。こうなると最早、彼女の想いはメリットを奪われて、枷の役割しか果たさなくなっている。

 彼女はその枷を外す時期がきているのだ。

 

 じゃあ、俺はどうやってその枷を外すのか。ここからが先輩としての腕の見せ所だぜ。

 

 バンドマンとして迷える後輩を導くために、俺はその口をゆっくりと開いた。

 

「それじゃ、アドバイスの前に聞きたいんだけどさ、氷川さんは音楽の世界で『勝ち負け』ってどうやって決まると思う?」

「えっ? 『勝ち負け』、ですか?」

「そうそう」

 

 急な話題を振られた氷川さんは一瞬戸惑ったものの、視線を反らして思考を巡らせると、それほど間を置かずに口を開いた。

 

「そう……ですね、例えば自分が演奏できないフレーズを相手は演奏できる、とかはどうでしょう」

 

 なるほど、「その子」と氷川さんの関係に置き換えて答えてきたか。頭の回転が速いな。

 

 俺は氷川さんの賢さに下を巻きつつも、想定通りに次の言葉を紡ぐ。

 

「んー、じゃあ、もしその自分がCDを100万枚売ったとして、相手は10万枚しか売れなかったとしたら勝ってるのはどっちだ?」

「そ、れは……自分の方ですかね。やっぱりCDを多くの人に手にとってもらえるのはプロとしての一つの目標でしょうし」

 

 判断に迷ったのか、氷川さんの言葉が少し揺れた。

 これも俺の想定通りの展開である。

 故に、ここからの会話も俺の想定通りに進むだろう。

 

「なるほど、じゃあその100万枚のCDを売った自分がライブで観客(オーディエンス)にいまいちノってもらえなくて、相手がモッシュが起きるほど観客を沸かせてたらどっちが勝ちだと思う?」

「…………なるほど」

 

 氷川さんの言葉が止まる。どうやら聡い彼女はもう俺の言いたいことに気づいたようだ。

 

「もう俺の言いたいことがわかったみたいだね」

「はい、鳴瀬さんは『音楽を勝ち負けで論じるのは違う』。そう言いたいのですね」

「頭の回転が早くて助かるよ」

 

 音楽には「勝ち負け」なんてものはない。

 無論、CDの売り上げ、ライブの動員数、ビルボードチャート、動画の再生数のように数値化してしまえる要素はある。

 でも、音楽の本質はそこじゃない。

 俺は、音楽の本質は「音を使ってどれだけの人と繋がれるのか」にあると思う。

 どんなにCDが売れようと、どんなに動画が再生されようと、目の前に座ったたった一人の観客と音楽で繋がることができなければ、恐らくそれこそが音楽において「敗北」と定義されるものなのだろう。

 もちろん、この「敗北」というのも100%相応しい表現ではないはずだ。

 

「音楽は『勝ち負け』じゃない。『自分が伝えたいことを音楽に乗せて、より多くの人と繋がること』が本質だ。俺はそう思ってる」

「音楽はあくまでも自己表現の一種だと……?」

「イエス。故に『勝ち負け』をつけるとしたら、対戦相手は自分自身だ。自分の想いが観客に届けば『勝ち』、届かなければ『負け』。誰かと比べる必要はないんだ」

「そう、だったんですね……」

 

 氷川さんは腑に落ちたという表情で俺の言葉を聞いていた。その表情は先程までよりもどこか柔らかい印象を受ける。

 

「まぁ、これはあくまでも俺の意見だけどね。でも、とりあえず今は俺の意見で話を進めるよ」

「はい」

「音楽の本質は『自分を伝えること』。なら、今の氷川さんの演奏から観客に伝わる想いは『私は誰かに負けたくない』ってことだけだ。氷川さんは、その想いで観客と繋がりたいのかな?」

「……! いいえ、違います。私は、私が観客の皆さんと共有したい想いは、想い、は……」

 

 そこまで言って氷川さんは愕然とした表情を浮かべた。

 口をつぐんで俯くと、彼女は絞り出すように声を出した。

 

「……私は、誰かに伝えたい想いもないままに、ただ、あの子に負けたくないという想いだけで、ステージに立っていたのですね」

 

 ああ、氷川さんは答えに辿り着いた。

 

 しかし、それは彼女にとっては残酷な答えだったのかもしれない。

 彼女は伝えるべき自分を持たぬまま、何かを伝えようと叫んでいた。それは、自分今まで積み上げたものが砂上の楼閣に等しいものだったということに他ならなかった。

 

「私は、私はなんのためにバンドを……」

 

 思考の袋小路に入っていく氷川さん。

 そんな彼女の肩にそっと白い手が添えられた。

 その手の主はーー

 

「ーー白金さん?」

「はい、氷川さん」

 

 手の主を見上げて驚いた表情を浮かべた氷川さんに、白金さんは少しおどおどした、それでも優しさを湛えた笑みで応える。

 それから、白金さんは俺の方へと視線を向けて、覚悟を決めた表情を作る。

 

「鳴瀬さんのアドバイス、私も身に沁みました。確かに私も《Roselia》で、バンドを通じて自分が伝えたい何かは今はまだ分かりません」

 

 白金さんは、そこで言葉を区切ると、大きく一つ深呼吸してから再び口を開いた。

 

「でも、それはこれからの《Roselia》の中で見つけていこうと思います。今は、他の皆さんの借り物のメッセージかもしれませんが、皆さんとなら絶対に自分の伝えたい想いを見つけられる、私はそう思います」

「……白金さん」

 

 予想以上に力強く発せられた白金さんの答えに、氷川さんはあっけに取られたといった様子で白金さんの名前を口にしていた。

 

 へぇ、図らずも俺と氷川さんのやり取りで白金さんは自分の答えを得たんだな。やっぱり、この二人はセットでアドバイスして正解だったな。

 

 そう俺が思っていると、それは氷川さんにとっても同じだったようで、彼女は思考の袋小路を抜け出して俺に視線を向けていた。

 

「私も、白金さんに倣って、私の伝えたいことはこれからの《Roselia》の活動で見つけていこうと思います」

「……そっか」

「……私にも、多分、ギターを始めたときには音楽で伝えたい何かがあったのかもしれません。でも、気がつけば私はそれをどこかに失くしてしまったみたいですね」

「氷川さん……」

 

 白金さんが気遣うような声をあげた。

 言葉を発した氷川さんの表情は、少し寂しげなものだったが、それも一瞬。すぐに、意思の強さを窺わせる普段の彼女が戻ってきた。

 

「もしかすると、失くしたそれはこれから見つかるかもしれませんし、あるいは見つからないかもしれません。でも、たとえ見つからなかったとしてもそれに代わる、いえ、それ以上のものを、私は《Roselia》で見つけてみせます!」

「いい答えだね。うん、それならもう二人は大丈夫だ」

 

 それは、力強く前向きな答えだった。

 どうやら、氷川さんも答えに辿り着いたようだ。

 しかし、これはまだ彼女たちにとっては、真の答えに辿り着くまでの道程に一歩を踏み出したにすぎない。

 どれだけ続くかわからない道程の果てに、二人がどんな答えを見つけるのか。

 それは、これからの《Roselia》の演奏を聴けば自ずと分かることになるだろう。

 

 ……そうすれば、氷川さんも「あの子」ともっといいかたちで付き合えるかもしれないなぁ。

 

 恐らく、氷川さんにとって分かちがたい関係にあるであろう名も知らぬ「その子」と、彼女の関係もこれで一歩先に進むだろう。

 部外者である以上、俺がこれ以上そこに踏み込むことはない。故に、今後氷川さんと「その子」がどのような道程を辿るのかは分からない。それでも二人が良い方向へと向かうことを、俺は祈らずにはいられないのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「んじゃ、これで俺のアドバイスは全部終わり! いやー、めちゃくちゃいい演奏を聴かせてくれたから、かなり熱がはいっちゃったよ。ありがとう《Roselia》のみんな」

 

 全員へのアドバイスを終えた俺は思わずそんな声をあげていた。

 中々に込み入ったところまでいったアドバイスもあったが、そうさせてほしいと思うような熱が《Roselia》にはあった。

 

「お礼を言うのはこちらの方ですよ鳴瀬さん」

 

 そんな俺の言葉に対して、湊さんを皮切りに《Roselia》のメンバーが口々にお礼を述べてくれる。

 

「アタシもなんだか俄然やる気になったっていうか、自分の道が見えたっていうか、とにかく本当にありがとうございました!」

「あこももっと頑張って、ババーンとすごいドラマーになります! スティックも大切に使います!」

「私も、バンドをやっているうちに、自分が見失っていたものがあったことに気づくことができました。貴重なアドバイスに感謝します、鳴瀬さん」

「わ、わたしも、もっと《Roselia》らしく頑張ります。ありがとうございました」

 

 お礼の言葉を述べる彼女たちの表情は、輝き方こそ違えど、みな一様に明るい。

 それは、今後の《Roselia》の未来を示すかのような晴れやかなものだった。

 彼女たちにとっていい情熱(パッション)が湧いたのなら、それが俺にとっての何よりの報酬だ。

 

 ……それはつまり、俺の中のバンドへの情熱が、正しく燃えているってことだからな。

 

 本気で同じ道を歩むもの同士は、心の底で同じ熱を帯びているものだ。俺の言葉が彼女たちに情熱を与えたのなら、それは俺と彼女たちが同じ夢を見ているからに他ならない。

 

 それを確かめることができただけでも、俺にとってこの集まりは意味があったのだ。

 

「君たちの演奏を聴いて、俺にもいいインスピレーションが湧いたよ。お互いにいい集まりになってよかった、ありがとう《Roselia》」

 

 俺が頭を下げると、《Roselia》を代表して湊さんが俺に頭を下げてくれた。

 

「はい、ありがとうございます鳴瀬さん。私たちは、最初に声をかけたときに考えていた以上に、大切な時間をいただきました」

「ははっ、それはよかった…………まてよ、大切な、時間……? あ!? いま、何時だ!?」

「あっ、えっと、今12時を少し過ぎたところですね」

「うっそだろおい!?」

 

 湊さんの言葉で慌ててスタジオの時計を確認すると、恐ろしいことに時刻は12時を回っていた。

 

 ウッゲェー!? 今日は昼までストリートライブで、昼からは《ハロー、ハッピーワールド!》で一緒に飯食いながらミーティングって俺から言ったのに、全然間に合ってないじゃん!? これははよせな(アカン)。

 

 素晴らしい演奏は時間を操るとは言ったが、こんなところまで操られてしまうとは盲点だった。

 俺は慌てて荷物を掴むとスタジオの入り口に向かう。

 

「ごめん! 俺、実は昼から約束が入っててさ、慌ただしいけどもう行くわ!」

「すみません鳴瀬さん、私たちも長く引き留めてしまいました」

「いいって! それじゃ《Roselia》のみんな、またどこかで!」

「はい」「またね~!」「ばいばーい!」「またよろしくお願いします」「さようなら」

 

 《Roselia》の挨拶を背中に受けながら、俺は飛ぶように《CiRCLE》のスタジオを後にした。

 

 えーい、とにかく一秒でも早く駅前の広場に戻るぞ! それから、あとは、なるようになれだ!

 

 言い訳の言葉を考える余裕もないほどに、足をフル回転させながら、俺は《ハロハピ》のみんなの待っているであろう広場に向けて街を駆け抜けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー結局、俺が広場に着いたのは12時30分を回った頃だった。

 俺が広場に顔を出した瞬間、《ハロハピ》のみんなの冷たい視線が俺に突き刺さった。

 話を聞くに、どうやら場所取りを代わってもらった黒服の人が、「鳴瀬様は、三人組の女子高生に誘われてどこかへお発ちになりました」と、誤解を招く伝え方をしたらしい。

 その後、ロズウェル事件の宇宙人よろしく、ファストフード店に連行された俺は、脱出できないように壁際のソファー席に正座させられて、根掘り葉掘りことの顛末を語らされたのだった。

 

ちゃんちゃん(終わり)




ギリギリ年内投稿できたー!


『ギリギリ投稿』

大体そんな投稿ペースなんかじゃダメ 溜め息出ちゃうわ
僕に投稿する時間なんかありゃしないのよ 歳末の中間管理職
全然投稿スピード上がらないよ がっかりさせてごめんなんてね

ギリギリエタらないように ふらふらしたっていいじゃないか(よくない)
それでも投稿はしてるんだから 大丈夫僕の場合は



というわけで(?) 皆様良いお年をお迎え下さい!



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野良ベーシストは流れ星とぶつかる(前編)

続きました。

ストリートライブ編の9。

次に一旦、花音先輩のサイドストーリーを挟む予定ですので、本編はここでストップとなります。


 今日は平日の昼下がり、俺は、慣れないスーツ姿で○○市の市役所へと足を運んでいた。

 目的はもちろん、最後に残った商店街でのライブをするための許可を貰うためである。

 

 ライブを含むストリートパフォーマンスは、一部の許可が出ている場所を除いては、所轄の警察署で届け出を出さないと通報されて警察に退去させられることがある。

 更に今回の商店街に関しては、商店街の管理者などとも折り合いをつける必要があった。現場にある建物全般の責任者は地元の商工会なのだが、商店会のある土地を管理しているのは市役所だったため、こうしてわざわざスーツなんかを着て、こんなところにまで出向いて来たというわけだ。

 

 そして、俺は今まさに、市役所からのGOサインをいただくために、市民環境部の市民文化推進課のカウンターで、弁舌をふるっている状況だ。

 

「……というわけでして、ライブの申請は商店街の商工会と所轄の警察署には既に済ませてあります。電源設備の利用許可もいただいていて、こちらがそれらの契約書となります。利用料金は定額で買い切りの形で契約を結ばせていただき、料金は既に商工会の口座に振り込み済みです。こちらの振り込み明細も添付してあるのでご確認お願いします」

 

 そこまで言って、鞄の中から書類一式をカウンターの上に置くと、市役所の受付の若い女性が書類に少しの間目を落とした後に、顔を上げてにっこりと微笑む。

 

「はい、書類は確かに確認いたしました。不備も無さそうですのでこれで申請を受理させていただきますね」

 

 どうやら、書類に不備はなかったらしい。ストリートライブの許可は今まで数えきれないほど取ってきているが、ここまで大掛かりな許可を貰いに行ったのは初めてだったので、無事に済んだことにホッと胸を撫で下ろす。

 

「よかったです。どうもありがとうございました」

 

 受付の女性に、感謝の言葉を述べて一礼すると、彼女は微笑んだままゆっくりと頷く。

 

「はいどうも。こちらこそ、しっかりと書類を用意してくださっていたので助かりましたよ。最近は、ガールズバンドブームのせいで、新しくできたバンドの中には、許可の取り方を知らなくて全く違う様式の書類を出してくる方や、無許可でライブされる方も多くて……」

 

 受付の女性はがっくりと肩を落とす。どうやら、世間を賑わすガールズバンドブームも、公務員にとっては悩みの種の一つらしい。

 

「それは大変ですね、お疲れ様です。僕なんかは、昔からちゃんと下調べをしてやってますけど、そんな人ばかりじゃないですもんね」

「ええ、母数が増えるとどうしてもいい加減な人も混ざりますからね……」

 

 その声色に苦労を滲ませながらも、受付の女性は微笑みを崩さぬまま、席から立ち上がった。

 

「それでは、市役所からの許可証を発行致しますので、しばらく後ろのベンチでお待ちいただけますか。通常の処理よりも少々お時間かかりますので」

「はい」

 

 促されるままにカウンターを離れた俺は、側のベンチに腰を下ろした。

 

「ふぃ~、疲れた疲れた。今は俺がやってるけど、将来的には《ハロー、ハッピーワールド!》のみんなにも、事務処理を覚えてもらわないとな」

 

 ネクタイをしめた襟元を少し緩めながらぼやく。

 ライブというものは楽しいものだが、それもそこに至るまでのコツコツとした下準備があってこそだ。

 《ハロハピ》のメンバーは、今スキルアップにしか時間を割けないから、俺が代わりに裏方を回しているわけだが、本来はトータルマネジメントが出来てこそのバンド活動である。やはり、誰かが受け持たねばならないことだろう。

 

「つっても、誰にやらせるかな~。ペグ子や、北沢さんは明らかに向いてないしなぁ。かといって、奥沢さんなんかに投げたら、マジで奥沢さん干からびちまうぜ。松原さんは押しに弱いところがあるから、消去法で薫かなぁ……」

 

 そんなことをぶつぶつと呟きながらベンチで時間をもて余す。

 

「……そこをなんとか!」

「……ん?」

 

 すると、そんなとき、さっきまで俺が座っていたカウンターの横のブースがにわかに騒がしくなった。

 

「お願いします!」

「そう言われても、無理なものは無理だよ」

「みんながお祭りを楽しみにしているんです!」

「それは分かってるよ。でも、こちらとしても予算の都合がある。無い袖は振れないよ」

「そこを何とかできないでしょうか……」

「一度付けた予算の見直しは、手続きに時間がかかるんだよ。ましてや、この規模の話になるともう時間が足りない、残念だが諦めてもらう他ないね」

「そんな……」

 

 パーティションで区切られたそのブースからは、神経質そうな男性の声と、若い女の子たちが喧喧囂囂(けんけんごうごう)の議論をする声が漏れている。その会話の調子から、両者の意見が平行線を辿っていることが伺えた。

 

 あらら、なんか揉めてるな。

 というか、女の子たちの声、なんか聞き覚えが有るような?

 でも、市役所に用事が有るような女の子の知り合いなんていないし、気のせいか……。

 

「鳴瀬さん、お待たせしましたー」

「あ、はーい」

 

 そんな益体もないことを考えていると、カウンターから先程の受付の女性が俺を呼んだ。

 思考を中断すると、再び襟元を整えながらさっさとカウンターへ向かう。やはり、こういうフォーマルな場所はなるべく早く抜け出すに限る。

 

「それでは、こちらが鳴瀬様にご提示いただいた書類になります。コピーを一部、私どもの方で保管させていただいております」

「はい」

「そして、こちらが市役所発行の許可証になります。当日はステージ付近などに保管していただいて、何かありましたらご提示いただければと思います」

「ありがとうございます」

 

 受付の女性から差し出された二つのファイルを預かると鞄にしまう。これで、あとはストリートライブを行うだけだ。

 

「いやぁ、それにしてもこのストリートライブ、中々大掛かりなものになるみたいですね。ステージの配置図まで添付してくるバンドなんて滅多にないですよ」

(……ストリートライブ?)

 

 書類を鞄に入れていると、受付の女性が声をかけてきた。

 

「そうなんですよ、なんか○○商店会の商工会に挨拶に行ったら『やるならどーんとやってくれ』って会長に言われて、ステージや電源まで貸してくれて。最初は小ぢんまりとやる予定だったのが大事(おおごと)になっちゃいました」

(○○商店会……!)

 

 女性の言葉に、俺は苦笑いしながら頭を掻いた。

 

 そもそも、俺は最初は携帯できる最低限の楽器だけを広げたコンパクトなライブを考えていた。商店会というスペースの都合上、大掛かりな設備は往来の妨げになるし、騒がしすぎる。そういう判断だった。

 しかし、その話を会長に持って行ったとき、全てが変わった。何やら、予算の都合で当初予定していた商店会秋祭りが中止になったらしく、秋祭りの祭り太鼓用のステージを丸々貸し出してライブをさせてくれることになってしまったのだ。

 俺だけなら、その申し出を断ることもできたのだろうが、不幸なことにその日の俺の真横にはペグ子という恐るべき局地災害(モンスター)が存在した。「やーん! 素敵じゃないの!」という、ペグ子の鶴の一声で、商店会のストリートライブは、ステージや電源まで借りたガチライブへと変貌を遂げたのだった。

 

 マジで、ペグ子さえいなかったらわざわざ市役所なんかに来なかったぜ……はぁ……。

 

 ペグ子のせいで余計な疲労を抱えたことにため息を吐く、俺の内心に気付かない受付の女性は楽しそうに微笑む。

 

「でも、大きなステージでバリバリ演奏できるのっていいじゃないですか」

(大きなステージ……バリバリ演奏……)

「まぁ、そうですね~。ステージで演奏する感覚ってやっぱり大切ですから。あとは商店会の人にも楽しんでもらえたらって感じですね」

(商店会……楽しんでもらえる……!)

「そうなるといいですねぇ。ライブって、一週間後ですよね。私も行っちゃおうかな~」

(一週間後の……)

「ぜひ見に来てください。あ、でも、ライブするのはうちのバンドだけなんでそんなに長くはやらないと思います。10時位に開演予定なんで、それぐらいに来てもらえれば」

(10時開演……!)

「そうですか、ありがとうございます。でも、せっかくここまでしてステージを借りたんだから、ちょっとで終わるのはなんだかもったいないですね」

「確かにそうですね。なんなら()()()()()()()()()()()()()()()()ね~、ははは」

 

 ーー「他のバンドなんかも誘ってみますか」

 

 俺がその言葉を口にしたその瞬間。

 

「はいはいはーい! 私たち、そのライブに参加しまーす!」

「うぉっ!? 何事!?」

 

 突然、声をかけられた俺が、慌てて声の方に振り向くと、そこには隣のブースとこちらを隔てるパーティションの上から身を乗り出して、こちらを覗き込む一人の少女がいた。

 屋敷のバルコニーから地上のロミオを見つめるジュリエットよろしく、パーティションの上からカウンターの前に座る俺をキラキラと輝く瞳で見つめる少女。茶色の髪の毛を頭頂部の両サイドで猫耳のような、あるいは角のような三角形に結った特徴的な髪型のその少女に、俺は激しく見覚えがあった。

 

「……え、もしかして、戸山さん?」

「あれ? そういうあなたはもしかして、《ハロハピ》の鳴瀬さん、ですか……?」

 

 そう、彼女の名前は戸山香澄。

 

 《school band summer jam 14th》で、オープニングアクト(OA)を務めたガールズバンド《Poppin' Party》のリーダー。

 

 今日この日、俺は彼女と市役所のパーティション越しに運命の再会を果たしたのだった。

 




結構間が開きましたわ!

実は、正月にはふっとオリジナル小説のネタが湧いたのでそちらを書き進めておりましたのよ。

『おっさんヒーローの現実』というタイトルでハーメルン様で連載しているのでよろしければそちらもぜひお読みくださいませ!(ダイマ)

というわけで、久しぶりに《Poppin' Party》の登場です。実は、初ライブ編で「もう出せないかも」と言っておりましたが、こっそり再登場の機会を探っていたのですわ。

だって、《ポピパ》さんはデラかっこええからね!(某R氏)

この後、後編を投下して、そのつぎから花音ちゃん編を2話挟みますのでよしなにですわ!

よろしければ感想評価もお待ちしておりましてよ!


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野良ベーシストは流れ星とぶつかる(後編)

続きました。

路上ライブ編前半の最後です。ここで次に花音ちゃんのショートを挟みます。


「とりあえず、好きなもん頼んでいいよ。俺が奢るから」

 

 市役所での《Poppin' Party》との偶然の遭遇(エンカウント)から約30分後。俺と《ポピパ》のメンバー5人は市役所から程近い、ファストフード店に腰を落ち着けていた。

 市役所であのまま話し込むのもなんだと思った俺が、場所を変えることを提案したのだ。

 市役所での手続きや移動時間のため、現在は昼にも晩にも飯時としては微妙な時刻だった。人も疎らな客席の中で易々と自分の席を確保した俺たちは今、カウンターで注文に入ったところというわけだ。

 そして、場所を変えることを提案したのがこちらのため、俺はカウンターの前に立ってすぐ、《ポピパ》の皆にここでの食事を奢ることを提案した。

 セットやサイドメニューを頼むと中々の金額が飛んでいくことになるだろうが、ここはやはり男の年長者としての威厳を見せるべきところだと判断した。バンドマンは見栄を張ってなんぼのものである。

 

 それに、実は俺の最近の懐事情は結構明るい。それも、元々の出費の最大要因だった《バックドロップ》の活動が休止になったためだ。スタジオ代、ライブのチケ代、消耗品代のほとんどが無くなったことは非常に大きい。改めてバンド活動というものは金食い虫だと実感させられる。

 《ハロー、ハッピーワールド!》の練習のためにバイトのシフトを少し減らしてはいるものの、《ハロハピ》で使うお金は基本ペグ子の持ち出しなので、こちらの出費はほぼゼロ。バイト代がほとんど丸っと懐に入るので、正直これまでの人生で、今が一番金を持っているといっても差し支えのないレベルだ。

 それと比べて、《ポピパ》の皆は、ペグ子のような大蔵省の後ろ楯もないガールズバンド。日々コツコツとライブに向けて節制をしているであろう彼女たちを支えてあげるのは、やはり先輩バンドマンとしての務めではないだろうか。

 

 そんな様々な思惑の絡まった俺の提案に、ギターの戸山さんが目をキラキラと輝かせる。

 ここまでの道中のやり取りでも分かったが、戸山さんは気分によってコロコロと表情が変わる、自分の気持ちに素直な女の子のようだ。タイプ的にはペグ子寄りなのだろうが、ベースが一般人なのでペグ子と違ってどこか安心して見ていられるのは気のせいではないだろう。

 

「えー!? そんなのいいんですかぁ! やったぁ!」

「ちょっ!? 香澄、ちょっとは遠慮しろよ!」

 

 嬉しさを隠せない戸山さんの横で、彼女を制止しながらこちらをチラチラ伺うのはキーボードの市ヶ谷さん。

 市ヶ谷さんは《ハロハピ》でいうと間違いなく奥沢さんのポジション。地球をスイングバイする探査衛星レベルでペグ子に振り回される奥沢さんからすれば、まだましなのかもしれないが、ペグ子からの無茶ぶりを俺と分けあえる奥沢さんと違い、《ポピパ》のツッコミ役を一手に担う彼女には、やはり「苦労人」という言葉がよく似合った。

 

「いいんだよ、市ヶ谷さん。場所を変えようって言ったのは俺だからさ。俺の頼みを聞いてくれた分ぐらいは奢らせてくれよ」

 

 そんな市ヶ谷さんに、俺は努めて優しく声をかける。そこには同じ「苦労人」枠としての同情が多分に含まれているのはまず間違いなかった。

 

「そう、ですか。じゃあ遠慮なく選ばせてもらいますね。ありがとうございます」

 

 そう言って律儀にぺこりと頭を下げる市ヶ谷さんの向こうで、他の四人のメンバーはもうメニューに夢中といった感じだ。

 

「うわぁ……今ってアメリカンバーガーフェアっていうイベント中なんだぁ……」

「へぇ~、もしかして、オッちゃんが食べられるようなバーガーもあるのかな?」

「おたえは本当にオッちゃん第一だね……あ、アボカドベジーバーガー、これなんていいんじゃない? アボカドソースにレタストマトオニオンを挟んだサンドイッチ風バーガーだって!」

「ほんとにあるもんだね! でも、ここでおたえが食べちゃうなら、あんまり意味がないんじゃない?」

「「「……! 確かに!」」」

「黙って聞いてたけど気付くの遅せーよ!」

 

 そんなこんなで市ヶ谷さんも加えてやいのやいの騒ぎ合う《ポピパ》のメンバーを眺めていると、思わず微笑ましい気分になる。

 高校生の頃は何だかんだで、こんな他愛もない話題で何時だって延々と盛り上がれていたものだ。年齢こそ彼女たちとはまだ5歳ぐらいしか離れていないが、やはりこの無意味やたらに輝いている青春というのは、高校生特有のものだと改めて気付かされる。

 就職など大人の影が見え隠れする大学生や、義務教育の枷を未だに抜け出せない中学生とは違う、モラトリアム真っ只中の高校生だけが放てる輝き。

 彼女たち(ポピパ)は、まさに《青春》の体現者なのだ。

 

 だから、彼女たちの演奏はあんなに綺麗だったのかね。

 

「あ、すみません。ダブルチーズバーガーセット、サイドはポテトLでドリンクはコーラで」

 

 「school band summer jam 14th」(スクジャム)のときの彼女たちの輝きを頭の片隅に思い描きながら、俺は手早く自分のオーダーを通す。

 

「おーい、俺は先に席に戻ってるから、決まったら支払いのために呼んでくれ」

「あ、すみませーん! なるべく早く決めまーす!」

 

 注文札を受け取った俺が《ポピパ》に声をかけると、戸山さんが元気な声で返事をしてくれる。

 それを確かめた俺が席の方に向かおうとすると、その背中に再び彼女の声が刺さる。

 

「鳴瀬さーん!」

「なんだー?」

「あのーぅ、そのーぅ、サイドメニューの注文なんかしちゃっても……? えへへ……」

「だー!? 何でそんなに香澄はあつかましーんだよ!」

「いひゃい、いひゃい!? ひゃってぇ~!」

 

 サイドメニューの要求を、市ヶ谷さんに頬っぺたをつまみ上げる形で窘められる戸山さんの姿に、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

「おーう、好きなだけ頼んでいいよ」

「ひゃったぁ~! あ、痛い!」

「あー、跳び跳ねたりなんかするからー! ほんっとうにすみません、鳴瀬さん」

「いいって、いいって。ゆっくり選んでてよ」

 

 思わず跳び跳ねたせいで、市ヶ谷さんの指が外れ、頬っぺたを押さえて痛がる戸山さんの悲痛な叫びを後に、俺は再び席へと向かう。

 

 ……女の子たちの、この手の注文なんかは絶対に長くなるのは、すでに《ハロハピ》で経験済みだからな!

 

 そんな俺の予想は見事に的中して、結局みんなの注文が出揃い、料理が席に揃うまでにはそれから15分ほどの時を要したのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「うわぁ……なんだか凄いことになっちゃいましたね……」

「あぁ……マジでな……」

 

 15分後、俺たちの目の前のテーブルを眺めて、俺と戸山さんは思わずそう呟いていた。

 テーブルの上にはまさに「Look this(みよ), this is America!(これがアメリカだ)」と言わんばかりの光景が広がっていた。

 七個のバーガーを筆頭に、ポテトL6箱M1箱、ナゲット50ピース、サラダ二皿、シェイクL3つ、パンケーキ、チョコパイ、人数分のソフトドリンク……さながらアメリカ版満漢全席とでも呼べる光景に、通路を通る人も何事かとこちらを眺めていた。

 ちなみに、バーガーが人数よりも一個多いのは、子供向けのセットメニューである《ラッキーセット》に、某有名な白いウサギのキャラクターのおもちゃが付くことを見つけた花園さんが、強固な意思で買うことを主張した結果だった。

 そして、その花園さんは付いてきたおもちゃのウサギの人形を指先でつついてご満悦の表情である。いい笑顔だなぁ。

 

「って、何他人事みたいに言ってるんだよ! 100%私たちのせいだよ!」

「ご、ごめんなさい……奢りだからって頼みすぎました………」

 

 市ヶ谷さんによる今日一番の鋭さのツッコミを受けて、流石の戸山さんも申し訳なさそうな表情で反省の弁を述べる。

 

「あの~、やっぱり少しは私たちも出しますよ」

 

 こちらも申し訳なさが前面に押し出された表情を浮かべた山吹さんが、鞄から財布を出そうとするのを見て、俺はその動きを手で制する。

 

「あぁ、気にしないでいいって。これだけ頼んでも一万もいってないから平気、平気。むしろ、もうちょっと飛ぶかなぐらいの気分だったからさ」

 

 この言葉に嘘はない。実際のところ一万ぐらいはかかる気持ちではいたのだが、これだけ頼んでも俺の支払いは8000円強程度で済んだ。

 《ハロハピ》と出会うまで、こんなところに来るのはバンドマンの野郎同士だったから、どうやら未だにそのときの金銭感覚が抜けていないらしい。

 

 マジで野郎どもで集まるときは打ち上げとかでテンションが上がりきってるから、ポテトL50箱にナゲット50箱とか、ろくでもない注文してたからな……。しかも、ライブ後でエネルギー切れ寸前だからペロリと平らげてたし。

 

 それを思えば目の前にいる少女たちのなんと慎ましいことだろうか。この程度、年長者の俺が支払わなければ男が廃るというものだ。

 

「はぁ~、もう、なんだか本当にすみません……」

「ありがたくいただきますね」

 

 深いため息と共に頭を下げる市ヶ谷さんと、それに同調するようにベースの牛込さんも頭を下げる。

 

「みんな、じっくり味わって食べようね」

「そうだね、お残しも厳禁だよ」

 

 花園さんがみんなに目配せをすると、山吹さんがそれに応える。

 そして、最後にみんなを仕切るのはもちろんーー

 

「もっちろん! じゃあ、みんなせーの!」

 

 ーー戸山さんの仕事だった。

 

「「「「「いっただっきまーす!」」」」」

 

 大きな声で挨拶をする《ポピパ》のみんなを眺めながら、俺も小さな声で「いただきます」と言ってダブルチーズバーガーに手を伸ばす。そうしているうちに、一番素早い戸山さんはもう自分のバーガー《アメリカンスペシャル》に噛りついていた。アメリカンという名に恥じぬ厚さ10㎝以上のボリューミーさで、見てるだけで胸焼けしそうな一品だ。

 

「わーい! 一回こんなの食べてみたかったんだよね~。あーん……むぐっ!?」

 

 大きなバーガーに、それに負けじと大きな口を開いてかぶり付いた戸山さん。

 しかし、それでも女の子である彼女の口はバーガーに対していささか小さかったようで、噛みつけなかった真ん中辺りのパティやレタスが、パンズに押し出されるように盛大な勢いでトレーの上に射出されてしまった。まるでコントである。

 

「ぶふっ!?」

 

 そして、それをみた市ヶ谷さんがこれまた盛大に吹き出して、飲み始めていたコーラでむせていた。

 

「えほっ、か、香澄……ふふっ、な、何やってるんだよ……」

「凄い……こんなコメディみたいなことってあるんだね」

「まあ、ある意味、香澄はコメディの世界の人間だしね」

「あ、それ分かるかも」

 

 牛込さんたちも、どうやら戸山さんの姿にコメディのオーラを感じ取ったらしく、三人で顔を見合わせて頷きあっていた。

 

ふへ~(えぇ~)!? ほんはほほはいほ(そんなことないよ)?」

「ぐふっ……ちゃんと食べてから喋れよ……」

 

 いつもは鋭い市ヶ谷さんのツッコミも、パンズをアヒルの嘴のようにモゴモゴさせながら喋る戸山さんのせいで、切れ味30%オフのような有り様である。

 

「まぁ、ゆっくり食べなよ。腹が膨れてからゆっくり話をしよう」

 

 俺の言葉に戸山さんは首をかくかくと振って頷く。もちろんパンズは咥えたままである。

 

ふぉ~へふね(そうですね)!」

「だ~か~ら~、食べてから喋れって!」

 

 いつまでも口をモゴモゴさせたまま話す戸山さんに耐えかねた市ヶ谷さんが、戸山さんの両肩を掴んでかくかくと揺さぶる。

 ただでさえ首を振っていた所に更に肩を揺らされたものだから、戸山さんはメタルバンドの観客もかくやという残像が残るスピードで、高速ヘッドバンキングを極めていた。

 

ふひゃ~(ふひゃ~)!?」

「あ、有咲ちゃん、あんまり揺すると残った具も落ちちゃうよ」

「もし落ちて食べれなくなった野菜があったら遠慮なく言って。オッちゃんに持って帰るから」

「それはどうかと思うな~、私」

「ははは……」

 

 キレを取り戻し始めた市ヶ谷さんのツッコミに揉まれる戸山さんと、それを眺めてなんとも言えないのほほんとしたやり取りを繰り広げる彼女たちに思わず苦笑を浮かべながら、俺はダブルチーズバーガーに一口かぶりつくのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……というわけなんですよ!」

 

 戸山さんの高速ヘッドバンキングからしばらく。

 テーブルの上の食べ物も3分の1ほどまで目減りした今、俺はテーブルの上に身を乗り出して熱弁を振るう戸山さんの話を聞いていた。

 戸山さん曰く、彼女たちが市役所に足を運んでいた理由はこうだ。

 

 北沢さんのお店もある商店会では、毎年この季節になると商店街全体を挙げてのお祭りをやっていたらしい。それも、祭り太鼓の舞台が組まれ、御輿が練り歩き、屋台も出展するかなり大がかりなやつだ。

 しかし、どうやら今年はそのお祭りが中止になることが決まったようなのだ。商工会の会長に話を聞きに行った彼女たちは、祭りの中止を決定したのが市役所のあの部署だと聞いて、祭りの再開を直談判しに向かい、すげなく断られていた、というのが先ほど俺と出会った場面らしかった。

 

「なるほど、大体わかったよ」

 

 戸山さんの話を聞き終わった俺はゆっくりと頷いた。

 

 ……路上ライブの許可を貰いに行ったときに、ステージまで会長さんが貸してくれたのはそういう訳か。

 

 確かに、祭りで使うはずだったステージが丸々浮いてしまうのはもったいない話だし、それをなんとか商店街を盛り上げるかたちで使ってほしかったのだろう。そんな会長さんの気持ちが戸山さんの話を聞いた今ならよくわかる。

 そう、わかるのだが。

 

「……でも、市役所の人の言い分も分からなくもないんだよなぁ」

「えぇ~!?」

 

 俺の言葉に戸山さんはあからさまにがっかりした表情を浮かべる。

 

「実際、無い袖は振れないしなぁ。もし、祭りに予算を回すなら、当然他の部分に皺寄せがくる。例えば、街灯が切れかかっているのに交換されなかったり、清掃の頻度が落ちたり、真っ先に削られるのはホスピタリティの部分だろうね」

「そうですよね、やっぱりそういうところにコストをかけるのも、お客さんを呼び込む上で大切ですもんね」

 

 山吹さんが、俺の意見に深く頷いた。彼女の実家の「山吹ベーカリー」は、商店街の中に店舗を構えている。食品を扱うお店として、商店街のクリーンさは客足を左右する死活問題だということが彼女にはよくわかっているのだろう。

 

「それに、一度付けた予算を変えるとなると、会議をもう一度通した上で、関係各所への連絡と連携の再確認も必要だからな。あまり現実的な話じゃあないな」

 

 状況の悪さに首を左右に振る俺に対して、戸山さんがますますテーブルの上に身を乗り出す。

 

「でもでも、お祭りがないとそれを楽しみにしていたお客さんが逃げちゃうよ~!」

「確かに、香澄の言うことも一理あるんだよなぁ。イベントが中止になったら、やっぱり活気がなくなるんじゃね?」

 

 この戸山さんの意見に真っ先に同調したのは市ヶ谷さんだった。戸山さんのツッコミ役というような立ち位置の彼女だが、やはり心の底では通じ合う部分があるようだ。でなければあそこまで息の合った行動はとれないだろう。

 

 ……本人は否定するかもしれないけどな。

 

 ともかく。確かに、毎年のイベントが打ち切りになると、戸山さんたちの危惧するような「ああ、この商店街も、もうダメなのか」という負のオーラが漂い、そこからの客離れに繋がるということは想像に難くない。

 ただでさえ、選択肢の多い今日(こんにち)だ。落ち目の場所から人が消えていくのは火を見るよりも明らかだ。

 

「つまり、今の商店街に必要なのは、『予算をあまりかけずに、人を呼び込めるイベント』って訳か」

「そうなんです、だから、かすみちゃんが言っているように、路上ライブでお祭りの代わりに商店街を盛り上げられたらなーって。ライブなら楽器を持ち込めば、あとは電源と場所さえ借りれば大丈夫ですし」

 

 そう言う牛込さんの言葉に、他の《ポピパ》のメンバーたちも頷く。

 

 確かに、路上ライブで商店街を盛り上げるのは悪くない。悪くないんだが……。

 

「……もう一押し欲しいな」

「もう一押し、ですか?」

「ああ、路上ライブだけでは少し『弱い』」

 

 探るように訊ねてくる花園さんに、俺は頷く。

 

「そもそも、お祭りってのは地域に根差したもんだ。だから、そこに一体感が生まれて盛り上がる土壌ができる。子供からお年寄りまで世代を超えて繋がれるからな」

「確かに、お祭りは商店街や周辺に住む人たちみんなが楽しみにしているイベントですからね」

 

 山吹さんが顎に手を当てて少し考え込む仕草をする。多分、いつものお祭りの光景を思い浮かべているのだろう。

 

「そう考えたとき、路上ライブに足りないものは『地元との繋がり』だ。今のままだと、商店街という場所(ハコ)だけを借りてバンドが演奏してるってだけだ。盛り上がりはするが、繋がりがないから継続性がない。今年をそれで乗りきったとしても、来年同じことができるかと言われれば厳しいと俺は思う」

「えぇ~……、じゃあ、やっぱりライブじゃあ厳しいのかなぁ」

 

 戸山さんががっくりと肩を落とす。

 

「いや、ライブをして盛り上げるっていう方向性は間違ってないよ。ただ、『ライブ』と『商店街』を結びつける何かが欲しいんだよね」

 

 「路上ライブ」が「お祭り」の枠に収まるためには、「路上ライブ」と「商店街」を繋ぐ「何か」が必要だ。逆に言えば、繋ぐ「何か」さえ見つかれば、「路上ライブ」を商店街の新しい伝統にすることだって可能なはずだ。

 その「何か」を見つけるためには、もう少し手がかり・足掛かりになる情報が必要だ。

 

「……そういえば、市役所の人はお祭りの中止の直接的な原因について何か言ってたかな? 例えば、こんなところで赤字が出てる、とか」

「あ、それなら確か『お祭りで集めた客が落とすお金が商店街にほとんど入らない』って言ってたと思います」

 

 俺の問いかけに答えてくれたのは花園さんだ。

 

「へぇ? そこ、もっと詳しく聞けるかな?」

「えーっと、確か商店街のお祭りでは出店が出るんですけど、これって外部の人を呼び込んでるんです。一応、出店料なんかは納めてもらってるんですが、それで出る利益はそんなに大きくなくて……」

「あー、そういうことかぁ。的屋さんを使うなら、確かに商店街に落ちるお金は減るなぁ」

 

 祭りの花の一つである出店を外部の人間に任せていたら、確かにお金は商店街にあまり落ちてこないだろう。

 しかも、出店は商店街の店の前に建つから、その間は商店街の店は開けない。そうなると祭りの間、商店街の店の利益はほぼゼロに等しいというわけだ。もちろん、出店料等は取っているのだろうが、出店も利益ありきで出店しているからそこまでの金額を取ってはいないだろう。

 俺は顎に片手を添えて暫し考え込む。

 

 市役所の人が難色を示すのも、無理はないな……。

 しかし、今回の件の要諦(ようてい)は見えたな。つまり、外部からの出店の代わりに、商店街の店が「路上ライブ」で稼げるシステムを構築すればいいわけだ。そうすれば、市役所の協力を取り付けることだって夢じゃない。

 

 ……考えろ。

 

 路上ライブ、商店街、店、利益、ステージ、ガールズバンド、お祭り……これらの要素を上手く結びつけて一本にする「何か」を。何か、ないか。例えば、一番目立つステージを上手く使って、人を集めて、集めた人に…………

 

「……あ」

 

 そこまで考えて気付いた。

 

 ……繋がった。全部繋がったぞ!

 

 俺は考え込んでいた頭を、銃で弾かれたように持ち上げた。

 

「あっ、何か思い付きましたか?」

 

 こちらも先ほどからそれぞれに考え込んでいた戸山さんの一声で、《ポピパ》のメンバーたちも釣られて顔を上げる。

 

「ああ、『ステージ』、『店』、『路上ライブ』、『利益』……全部の要素が一つに繋がった!」

「マジでか!? 基音さんすげぇ!」

 

 市ヶ谷さんが驚愕の声を上げ、テーブルに身を乗り出す。それに続いて身を乗り出す《ポピパ》のメンバーを、俺は両手で制する。

 

「いや、喜ぶのはまだ早い。ここから、『路上ライブ』に向けてはかなりの大立回りをやる必要がある。俺はもちろんだが《ポピパ》さん、君たちにも協力を頼みたい」

「もちろんですよ! 何でも言ってくださいね!」

「そもそも、ライブに参加させてもらえるって時点で、なんだってやるつもりですよ」

「そうだね、やるからには本気でやらないとね」

「うん、頑張ろう」

「私は自分の家のこともあるから、手は抜けないからね!」

 

 俺が真剣な眼差しで彼女たちを見つめると、彼女たちは俺以上に本気な眼差しを返してくれる。

 それはまさに、俺が大人になるために、少し前に手放してきた《青春》の輝きを放っていた。

 

 ……ああ、いいな。うん、実にいい。

 

 やはり《ポピパ》には、《青春》の香りがよく似合う。

 

「基音さん……?」

「……ああ、悪い。少し考えごとをしてた」

 

 不思議そうな表情で問いかける戸山さんの声に、俺は我に帰った。

 

 いかん、いかん。ボーッとしてるなよ、俺。ここからが正念場なんだから。

 

 心の中で自分に喝を入れて、軽く呼吸を整える。

 

「よし、じゃあみんなにお願いしたいことを今から言うぞ。何個かあるからよく聞いてくれよ」

「はい!」

「オーケー。じゃあ、まずは…………」 

 

 それからしばらく、俺たちは額を付き合わせて作戦会議に移った。話はそこまで長くはなく、時間にすると10分もかからない程度のものだった。

 しかし、その話が終わったときの《ポピパ》の表情は、今日一番の晴れやかなものだった。

 そして、最後にみんなと連絡先を交換すると、再会の約束を交わし俺たちは別れた。

 いつまでも手を振ってくれる《ポピパ》に応えながら、俺の胸の内には熱い炎が灯っていた。

 

 ……最高だ。路上ライブが、まさかのとんだ一大イベントになりそうじゃないか。

 冬のフェスに向けての前哨戦として、この路上ライブは《ハロー、ハッピーワールド!》にとって、これ以上はない最高の舞台になるぞ。

 

「……さぁ、ここからが俺の腕の見せ所だ。精々気張らせてもらおうか……!」

 

 《ポピパ》の提案に乗るならば、秋祭りの代わりの路上ライブまでは、あと10日の期限がある。ここからの10日は、恐らく俺の人生で最も忙しい時間となるだろう。

 しかし、それでいて事が成った暁には、最も充足した10日間になるであろうことも俺は確信していた。

 

 秋も深まり始めた雑踏を、ただ一人で俺は歩く。脇に並んだ街路樹は、まるで俺の胸の内を具現化したかのように、その葉を秋の陽光に赤々と燃やしていた。

 

 




というわけで、盛大なフリを作って路上ライブ編前半終了~!
ここから、サイドストーリーを挟んで後編をぶっこんでイクゾォ!

後編はライブ描写増し増しになりそうなので、島○卯月、頑張ります!
どの曲を使うかも今から考えていかないとなぁ(他人事)

よろしければ、感想・評価・コメントお待ちしてますわよ!


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裏道 野良ベーシストと疑似デートの思ひ出
野良ベーシストはクラゲ少女を導く 前編


続きました。

ここから数話は花音ちゃんのサイドストーリー、「お買い物デート編」になりますわ!

今回は花音ちゃん視点で話が進む部分が多くあります。なるべく雰囲気が出るようにトレス頑張ります、島村○月頑張ります!

今回は、途中であるガールズバンドの人物も関わってきます。誰が関わるかはお楽しみにですわ!

あと、花音ちゃんの家族で、実質的なオリキャラも出ます。話の流れで必要だと思ったので、苦手な方は「ボルガ博士、お許しください!」!


「ん、うぅん……朝、かぁ……」

 

 カーテンの隙間から溢れる朝の光の眩しさに、私は思わず目を開けてしまった。

 

「ふわぁ……カーテン、ちゃんと閉めてなかったんだぁ……」

 

 いつもはきちんと閉めてあるはずのカーテンが、ほんの少し開いていた原因は自分でもよく分かっている。

 

 昨日の夜はずっと雨が降ったりしないか、空を見てたから……。

 

 昨日の私は今日が晴れるように祈って、ベッドに入りながら、ちらちらとカーテンを捲って何度も夜空を眺めたんだ。そうしているうちに、いつの間にかカーテンを少しずつ開けたまま寝てしまっていたみたい。

 

 やっぱり、私っておっちょこちょいだなぁ……。でも、仕方ないよね。

 

 どれだけ誕生日を迎えても、中々無くなってくれないおっちょこちょいを恨めしく思う反面、今日に関してはちょっと仕方ないかな、とも思っている私がいる。

 

「今日は、鳴瀬さんとお買い物かぁ……」

 

 そう。今日の私は、なんと鳴瀬さんと一緒にお買い物に行く約束をしてしまったのだ。

 しかも、今日のお買い物に他の《ハロハピ》のみんなはいない。今日は偶然、みんなの予定が空いていなかったんだ。

 つまり、それは、今日は鳴瀬さんと二人きりということで…….。

 

「ふぇぇ~……!」

 

 そのことを考えた瞬間、思わず枕に顔を埋めてしまう。

 きっと私の頬は冬の最中に外でたっぷり遊んだ子どものように真っ赤になっているんだろう。

 もちろん、私と鳴瀬さんは二人でそういうことをするような関係じゃない。鳴瀬さんは、あくまでも私たち《ハロハピ》の先生で、そして大切な仲間の一人。《ハロハピ》のみんなと同じで、フラットな関係だ。

 それでも。

 

 ……鳴瀬さんは、やっぱり私の特別なんだ。

 

 こころちゃんに誘われて(引っ張られて、かな?)、《ハロハピ》をやることになったとき、私はそこまでやる気があったわけじゃなかった。むしろ、どちらかといえば何か理由をつけて「やめたいな」と思っていたように思う。

 でも、そんな気持ちは鳴瀬さんのたった一言で変わったんだ。

 

「……ありがとう」

 

 《arrows(アローズ)》のスタジオで、みんなの前で初めて演奏を披露したときに、鳴瀬さんは最初にそう言ってくれた。

 

 ーー《ハロハピ》に入ってくれてありがとう。

 

 ーードラムを辞めないでいてくれてありがとう。

 

 それは、本当に色んな意味の籠った「ありがとう」だった。こんな臆病で、引っ込み思案で、おっちょこちょいな私を必要としてくれる「ありがとう」だったんだ。

 だから、私は今日まで《ハロハピ》で走ってこれたんだ。

 そして、それは多分これからもそうなんだ。

 今、私は大声で自分のような人たちに伝えたい。

 「たった一言でも、それが心の奥まで突き刺さったら、人は変わることができるんだよ」って。

 

 だから、鳴瀬さんは私にとって間違いなく特別な人。

 私に、新しい未来をくれた人。

 

「ふ、ふぇぇ……!」

 

 そう思うと、ますます顔が赤くなった気がして、私は枕に顔を押し付けて両足をぱたぱたさせてしまう。でも、そうでもしないと、この気持ちを発散させるのなんて絶対に無理だ。

 

「花音~? もう起きたの~? 朝ごはんできてるわよ~」

「あっ、お母さん! ふぇぇ、今行きます~」

 

 どうやら足をぱたぱたさせていたのを聞かれてしまったみたいで、お母さんが朝ごはんの声をかけてくれた。ぱたぱたを聞かれてしまったことに、さっきまでとは別の意味で頬が赤くなってしまう。

 

「おはようございます、お母さん」

「はい、おはよう花音。さぁ、さっと食べちゃいなさい」

「はーい、はむっ」

 

 促されるままに、キッチンテーブルの椅子に腰を下ろしてトーストを頬張る。今日はいちごジャムとバターのトーストに、サラダ、コーンポタージュスープの洋食スタイルだ。

 

「ふわぁ、甘い……」

 

 いちごジャムのどこか爽やかさのある甘さが、まだ過ごした寝ぼけていた私の頭を回転させていくのがわかる。やっぱり、甘いものは偉大だ。

 

「ジャム、使いきりたかったから、いちごを勝手に塗っちゃったけど大丈夫だった?」

「うん、すごく美味しいし、甘くてしっかり目が覚めたよ。ありがとう、お母さん」

「ふふっ、どういたしまして」

 

 お礼の言葉を残してお母さんは、シンクで洗い物を片付け始めた。その背中をわたしは何となしに眺めてしまう。

 私とお母さんはよく似ていると言われる。

 実際に、この髪の毛はお母様譲りだし、のほほんとした穏やかな雰囲気は本当に瓜二つだと、親戚の人たちから太鼓判を押されたこともあった。

 

 でも、お母さんは私と違っておっちょこちょいじゃないんだよね。

 

 そうなのだ。私と違ってお母さんはおっとりはしているけど、色んなことをそつなくこなすのだ。

 私が家事を手伝うときも、私が一つのことをやる間に3つも4つも家事を済ませているし、私のように方向音痴でもない。

 

 ……お父さんも、おっとりタイプだけど仕事はできるし、方向音痴でもないんだよね。ふぇぇ、何で私だけなのかなぁ?

 

 外見的な特徴や、性格や性質の一部は間違いなく二人から受け継いだはずなのに、このおっちょこちょいと方向音痴は一体どこからやってきた子なのだろうか。

 もしかすると、私がまだお母さんのお腹の中にいるときに、クラゲのようにどこかからふわふわと漂ってきて私の中にこっそり入り込んだのかも……

 

「花音、手が止まってるわよ?」

「ふぇ!? あっ、わわわっ!?」

 

 急にお母さんに呼ばれて、空想から現実に戻った私は慌ててトーストを落としそうになる。トーストは二、三度私の手の上で跳ねてから、再び手の中に収まった。手の中のトーストにマーフィーの法則*1が適応されなかった幸運に、神様にしっかりと感謝する。

 

「お母さん、急に呼ばないでよぉ」

 

 私が抗議の声を上げると、お母さんは呆れた調子でため息を吐く。

 

「お母さん、何度も花音のことを呼んだわよ?」

「ふえ?」

「でも、花音ったら全然動かないんですもの。お母さんも大きな声を出しちゃったわ」

「ふぇぇ、ごめんない……」

 

 ふぇぇ……全然気づいてなかったよう。やっぱり私はダメダメだぁ。

 

 おっとりしている私は、しばしばこんな考えに耽っていて、現実の行動が疎かになることがよくある。かと思えばときにとんでもない行動をとって周囲を焦らせてしまうことだってあるのだ。

 そういえば昔、海に遊びに行ったときに、大好きなクラゲを見つけて思わず手を伸ばし、触手の毒で真っ赤に手を腫らしてしまったときは、とんでもなく周りを狼狽えさせてしまったこともあったっけ。

 

 ……もう少し行動にバランスがとれればいいのに。もしかすると、もっと大人になればちゃんとした行動がとれるようになるのかなぁ。

 

 未来の自分にささやかな期待を込めながら、私はトーストの最後の一欠片を口の中に放り込んだ。未来もこのいちごジャムみたいにたっぷり甘ければいいのに。

 

「お母さん、トーストのお皿空いたよー」

「はい、じゃあお皿貰うわね。サラダとスープも早く飲んだ方がいいわよ。今日、お友だちとお出かけなんでしょう。花音、準備に時間がかかるからお待たせすると悪いわ」

「きょ、今日はいつもより早く起きたから大丈夫だよ!」

 

 空いたお皿を手渡しながら、私はお母さんの言葉に反論する。

 確かに私は出かける準備にも結構時間がかかるタイプだけど、今日はそれも見越してかなり早めに起きることにしていたのだ。しかも、朝日のせいでその予定よりも早く目が覚めたから、今朝はとっても余裕がある。

 だから、鳴瀬さんを待たせるようなへまは絶対にしない。

 

「ならいいんだけどね」

 

 それでもお母さんは半信半疑といった様子で私を眺める。確かに、そういう前科があるので仕方ないんだけれど、もう少し自分の娘を信用してほしいなぁとは思うのだ。

 

「そういえば、今日は誰とどこにお出かけするのかしら」

「むぐっ、きょ、今日は()()()()()()()()と遠くの楽器屋さんにスティックを買いに行くんだよ」

 

 突然、今日の予定の話題を振られた私は思わず飲んでいたスープでむせそうになった。

 実は、バンドでお世話になってる人がいることはお母さんたちには教えているけど、それが大学生の男の人だとは伝えていないのだ。

 それを言うのは、なんだか恥ずかしいし、言ったら言ったで色々と詮索されそうなのもなんだか嫌だし。

 だから今日のお出かけも、バンド仲間と楽器屋さんに行くと濁すことにしたのだ。

 そのことを知らないお母さんは、特に私の言葉に何か引っかかることもなく嬉しそうに頷いてくれる。私が《ハロハピ》に入ってからお母さんはずっとご機嫌だ。

 

「あら、そうなのね。花音、最近はドラムが楽しそうでお母さん嬉しいわ」

「うん! 最近は色んなところで演奏を披露したりしてとっても楽しいんだよ!」

「いいわねぇ、お母さんもマーチングに入ってた頃はコンクールが楽しくて仕方なかったもの」

 

 お母さんはそう言うと頬に手を添えて、昔を懐かしむように優しい視線で遠くを見つめた。

 

「お母さんもそうだったんだ。それで、今日買いに行くスティックは、一緒に行く鳴瀬さんって友達が前に譲ってくれたモデルなんだけど最近折れちゃって、ここの近くの楽器屋さんにはないから、買えるお店を案内してくれるって」

「まぁ、そうなのね。それじゃあ、その子には私からも今度お礼を言わなくちゃね」

「は、恥ずかしいから、お礼はいいよ! 私の方から言っておくからね!」

 

 突然、恐ろしいことを言い出したお母さんに私は慌てて釘を刺す。ここでお母さんがお礼を言いに出てきたりしたら、何のために私が鳴瀬さんのことを隠したのかということになってしまう。

 

「あらあら、残念ねー。ちゃんとお礼はいうのよー?」

「わ、わかってるよー」

 

 あ、危ない……! とんだやぶ蛇だったよぉ……。

 

 お母さんがあっさりと引き下がってくれたことに安堵して、私はホッと胸を撫で下ろした。もう少しでおっちょこちょいでは済まないことになりそうだった。これからバンドのことを話すときには、もっと言動に気を付けないといけないのかもしれない。

 

 ……大変そうだけどがんばるぞ!

 

「ごちそうさまでしたー」

「はーい、早めに支度はすませておくのよー」

「わかったー」

 

 決意を新たにした私はお母さんの言葉を背に受けながら部屋に戻る。

 とにかく、まずは、今日のお出かけからだ。

 鳴瀬さんとならんで恥ずかしくない、そして、なおかつ楽器屋さんでスティックの試打をすることも考えたアクティブな服装を選ぶんだ。

 

「……よし!」

 

 そして、私は強い意気込みでクローゼットの扉を開いたのだった。

 

 

 

◇◇◇《side 松原花音 over》

 

 

 

「あっれぇー、こっちの方じゃなかったっけか?」

 

 今日は日曜日、俺は住宅街の中で、微妙に精度が冴えないスマホのナビと格闘していた。

 

「確かにこの辺りなんだけどなぁ、松原さんの家」

 

 俺がこんなところでナビとにらめっこしているのは、松原さんの家を探すためだった。

 今日の俺は松原さんと一緒に、楽器店にスティックを買いに行く約束を取り付けていた。というのも、以前俺が松原さんにあげたスティックの中に、彼女のお気に入りとなったスティックがあったのだが、つい最近、練習中にそれが折れたのだ。

 しかも、それが近場の楽器店での取り扱いがないメーカーのものだったため、俺が一番近場で取り扱いのある二駅離れた楽器店に松原さんを案内することになったというわけだ。

 

 流石に、松原さんを一人で二駅も離れた場所に送り込むわけにはいかないからな!

 

 松原さんの方向音痴は、もう俺も含め《ハロハピ》の中では周知の事実だ。

 この間、店の場所を教えたときに「一人で行けますよ!」と言った松原さんに、「じゃあ店の方向を指差して?」と尋ねると、自信たっぷりの表情で180度反対の方向を指差したのは記憶に新しい。

 かわいい子には旅をさせよと言うが、絶対に一人で旅をさせてはいけない人間もいるのだということを、俺は深く心に刻んだのだった。

 そうして、俺たちは待ち合わせをして出かける予定だったのだが、待ち合わせの時間を過ぎても一向に松原さんが現れなかったので、《ハロハピ》のみんなから住所を聞いて、今迎えに行っているという状況なのだ。

 そう、なのだが。

 

「んー、なんか微妙なラグがあるんだよなぁ」

 

 そんなことを考えながら住宅街を歩くも、一向に目的地に到着しない。電波状態がよろしくないのか、携帯の不具合か、現在地のカーソルが定期的にワープしてしまうのだ。

 《ハロハピ》で集まるとき、松原さんは大概奥沢さんか薫のどちらかが連れてきてくれたので、俺が家の位置をあまり知らないのも裏目に出た。このままでは俺が道に迷う可能性が高い。

 

「しゃーない、誰かいそうなら声をかけてみるか」

 

 こういうときは、やはり地元民に聞くに限る。現代社会は地域の繋がりが希薄になっているものの、この界隈はそれなりに古くから地域に根差した人が多い住宅街だ。だから、ご近所付き合いなんかもまだ残っているに違いない。

 問題は、道行く人だとこの住宅街の人ではない可能性があるので、できるなら家の敷地にいる人に声をかけなければならないということか。

 

「しかし、そんな都合よく家から出ている人がいるのか……おっ、いるじゃん!」

 

 なんと、運がいいことに、少し先の家で庭先に出て植木にホースで水遣りをしている女性がいたのだ。

 あまりダッシュで近寄るのもあれなので、早歩きで女性に近づいた俺は、驚かせることがないようにやや遠い位置から、間延びした調子で声をかける。

 

「すみませーん」

「はーい、私ですか?」

「そうです、そうです」

 

 女性が返事をしてくれたのを確認して、彼女の近くに駆け寄る。俺が駆け寄る間にホースの水を止めた女性はゆっくりとこちらを見つめた。

 水色のややウェーブがかった豊かな髪の毛を、腰の辺りで髪留めでまとめた落ち着いた雰囲気のその女性は、俺と視線が合うとにっこり微笑んだ。

 

「おはようございます。何のご用でしょうか?」

 

 微笑みながら用件を聞いてくれるその女性に頭を下げて、俺も早速用件を告げる。

 

「すみません、実は道をお尋ねしたくて声をかけたんです」

「そうでしたのね、私もこの辺りを全部知っているわけではないのですけれど、お力になれるかもしれません」

 

 おお、優しい人だな。これは声をかけて正解だったな。

 

 見ず知らずの俺に丁寧に対応してくれる女性に俺は内心でガッツポーズをしていた。

 

「では、お探しのお家をお教えいただけますか?」

「はい、今探しているのは松原さんというお宅なんですが」

「松原……ですか?」

「はい、友達づてに場所を聞いてきたんですが、どうもナビの調子が悪くて、ご存知ですか?」

 

 そこまで俺がいうと、目の前の女性はまじまじと俺の姿を眺めたあと、にっこりと微笑んだ。

 

「はい、もちろん。だって、うちが松原ですもの」

「え」

 

 その答えに驚いた、俺は改めて目の前の女性をまじまじと眺めてしまう。

 ウェーブのかかった水色の髪。

 柔和な顔立ち。

 穏やかで優しい性格。

 

「……もしかして、花音さんのお母さん、ですか」

「はい、そうですよ。そういうお兄さんは、花音のバンドのお友だち、えーっと、鳴瀬さんですね?」

「そうです、そうです! いやー、こんな偶然があるんですね! 花音さんにはいつもお世話になってます!」

 

 俺が頭を下げると、花音さんのお母さんはゆっくりと首を左右に振る。

 

「いえいえ、わたしも皆さんのことは花音からよく聞いていたんですが、どうやらお世話になりっぱなしのようで、申し訳ない限りです。今日も方向音痴の花音を、わざわざ迎えに来てくださったんでしょう?」

「いや、そんなことないですよ。バンドでドラムが一番の経験者ってのはまずないんで、すごく助かってますよ。花音さん、今、めちゃくちゃ技術が伸びてますし」

「そうなんですか、ぜひ一度聞きに行きたいですね」

「ええ、ぜひ。冬には大きな会場(ハコ)のライブに出るつもりなんで、よろしくお願いします」

 

 そう言って頭を下げると、お母さんは嬉しそうに声を出して笑った。

 

「ふふっ、それは素敵ね。花音も、『最近は色んなところで演奏できるのが楽しいんだ』って話してくれたばかりなんですよ」

「そうでしたか。花音さんがバンドを楽しんでくれているようでなによりですよ」

 

 ……そうか、演奏が楽しい、か。松原さん、本当によかった。

 

 バンドの外の人にそう漏らすということは、間違いなくそれが松原さんの本心なのだろう。やはり、松原さんにさはドラムが好きだったのだ。

 《ハロハピ》ができたときに、俺が松原さんにかけた言葉が間違いではなかったことが、一人の音楽に関わる人間として、俺は今、猛烈に嬉しかった。

 

「……でも、花音が楽しいのは演奏以外のこともあるかもしれませんね」

「そうですね、メンバー同士よく遊びにも行きますし、本当に色んなことを楽しんで吸収して、演奏にぶつけてくれていると思いますよ」

「ふふっ、それもですけど、多分花音にはもっと大切なことがあるんですよ」

「……?」

 

 もっと大切なこと……なんだろうな? まぁ、家族にしかわからないこともあるかもなぁ。

 

 お母さんの言葉の意図を汲み取れないまま、俺が少し考え込んでいると、お母さんが庭先の鉄格子でできた小さな門を開ける。

 

「鳴瀬さん、立ち話もなんですからどうぞ中へお入りくださいな」

「あ、いえ、僕も迎えに来ただけですので、そこまでのお気遣いは申し訳ないです。また、お時間があるときにでも」

 

 お母さんの申し出を丁寧に辞去すると、お母さんは少し残念そうな顔をした。

 

「ああ、そうですね。今日はお出かけでしたものね。でも、ぜひまたお越しくださいね。そのときはまた、バンドのことをお聞かせくださいな」

「はい、そうさせていただきます」

「それじゃあ花音を呼んで来ますから、しばらくお待ちくださいね」

「はい、よろしくお願いします」

 

 そうして、俺は家の中に入っていくお母さんの背中を見送った。

 

 それからすぐに、松原さんの家の中から、おそらく松原さんのものだろう「ふぇぇ~~!?」という絶叫が響いてきた。

 「何事か」と門から身を乗り出しなかを窺おうとしたそのとき、玄関のドアが勢いよく開いて、中から頭に白いボンボンがついたタータンチェックのベレー帽をかぶり、白いロングのセーターと、チャコールとブラウン混ぜたような落ち着いた色のロングキュロットを着た、かわいらしい姿の松原さんが飛び出してきた。

 

「あ、松原さんおはよ……」

「な、鳴瀬さん! さぁ行きましょう、早く行きましょう、すぐに行きましょう!」

「わわわ!? 松原さん!?」

 

 飛び出してきた松原さんは挨拶もそこそこに、俺の手を取るとそのままの勢いで俺を引っ張り始めた。

 俯きがちなその顔は、決して俺に視線を合わせることはなく、その頬は冬の最中に外で遊んだ子供のように赤かった。

 

「さぁ、楽器屋さんが私たちを待っています! 急いで行きましょう! 案内お願いしますね、鳴瀬さん!」

「急ぐのはいいけど、松原さん、そっちは逆だってば~!?」

 

 結局、この後しばらく聞く耳を持たない松原さんに引きずり回された俺は、たっぷり30分は当てもない旅を繰り広げ、ようやく正気を取り戻した松原さんと電車に乗り込んだ。

 その後、電車のなかで、爆発寸前の惑星のように顔を真っ赤にして、消え入りそうなほど縮こまって謝り続ける松原さんを俺がなだめるには、ちょうど電車で二駅分の時間を要したのだった。

 

*1
トーストが落下するとき、必ずバターを塗った面が下に落ちるという法則




久しぶりの休みなので連投ですわ!

やっぱり視点人物変更は難しいですわね!

これから、ガルパの《ハロハピ》のイベントを走る作業に戻りますわ! 皆様アデューですことよ!

ご感想、ご評価おまちしておりますわ!


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野良ベーシストはクラゲ少女を導く 中編1

続きました。

花音ちゃんサイドストーリーの2!

お店の中のお話の前半になります。

二次創作日刊ランキング最高47位、お気に入り500人、評価合計31人ありがとうございますわ! 評価ポイントも1000突破で、感謝感激ですわ!

なんか、お気に入り500人をさらっと達成したのには驚きですわ……もう少しかかりそうだと思っておりましたので。
わたくし、嬉しくて、嬉しくて、震えてもよろしくて?(西野カナ並感)

よろしければもっと評価してくださってもよろしいですのよ(突然の暴君化)?
実際、好きで書いてるものですが、色々なレスポンスをいただけると書き手として大変励みになりますのよ!
お時間あればぜひコメントだけでも残してくださいましね!


「しゅ、しゅみません……お騒がせしました……」

 

 私が、朝の「鳴瀬さん市中引き回し事件」に対しての謝罪の言葉をなんとか絞り出すことができたのは、電車で目的の駅に降り立った、まさにそのときでした。

 

 ううう……だって、あんなの想定外だよぉ……帰ったら、お母さんに絶対根掘り葉掘り聞かれちゃうよぉ……

 

 まさか、服のコーディネートに夢中になりすぎて、約束の時間をすっぽかして、しかも、そのせいで鳴瀬さんが私の家まで迎えに来るなんて展開を誰が予想できただろう。少なくとも私には無理でした……。

 あの時のことを思い出すと、囲炉裏で熱せられた石のように顔が火照ってしまいそう。きっと、今の私はそばにお芋を置いていたら、ホクホクの焼きいもが出来上がるぐらいの遠赤外線を放っているかもしれません。

 

「いや、気にしないでいいって。俺も、家に向かうよって一言連絡しとけばよかったよ」

「そ、そんなことないですよ。時間をすっぽかしちゃったのは私ですから……」

 

 そんな私に鳴瀬さんはあくまでも優しく振る舞ってくれます。私の暴走で30分も無駄にいろんなところに連れ回してしまったのに、そんなことを微塵も感じさせません。これが、大人の男の人の余裕なのかと思わず尊敬の念を感じずにはいられません。

 

 鳴瀬さんは同じぐらいの年頃の男の人よりも落ち着いてる気がするなぁ。何でなんだろう?

 

 私の生活圏には高校や大学を含め、多くの学校が点在しているから、必然的に高校生や大学生の男子の姿は見慣れている。

 けれど、そんな男子たちを眺めていても、明るいグループの男子は鳴瀬さんと比べて遥かに騒がしく、なんだかガチャガチャしている。

 かといって、物静かで内向的なグループの男子とも鳴瀬さんは違う。ライブハウスやスタジオに行けば、鳴瀬さんの周りには必ず誰かがいて、いつもにこやかに談笑している。

 なんというか、対人関係のバランスが絶妙なのだ。鳴瀬さんなら、例え相手が明るくても物静かでも、すっとその輪に入って笑い合える。

 臆病で引っ込み思案な私が、安心して鳴瀬さんといることができるのも、きっとそういう鳴瀬さんの性質が大きいのだろう。

 でも。

 

 ……寄りかかっちゃってるなぁ、私。

 

 そんな鳴瀬さんの優しさに寄りかかってしまっている私のことが、私はあまり好きではなかった。

 

 鳴瀬さんが私に色々なものを与えてくれたように、私も鳴瀬さんに与えられるようになりたいのにな。

 

 鳴瀬さんは、私の特別で、そして、理想の存在。

 でも、それは偶像のように手の届かない存在を崇めるようなものなんかじゃなくて、「いつか私もそこに立つんだ」という手の届く理想だ。

 

 私がそうなりたいなんて、烏滸がましいのかもしれない。

 もしかすると、手が届くというのは錯覚なのかもしれない。

 

 それでも、私は鳴瀬さんと肩を並べて、彼と同じものをみることができる素敵なバンドマンになりたいんだ。

 そして、それからーー

 

 ーー……「それから」?

 

 鳴瀬さんと同じようになりたい。これが私の理想。

 だったら今、少しだけ、ほんの少しだけ頭の中に浮かんだ()()()()とはなんだろう。

 

 こんなこと考えたのは初めてだ。もしかすると、私も少しは成長してるのかーー

 

「ーー松原さん、危ない!」

「ふぇっ?」

 

 私の思考は鳴瀬さんの声と、私の手を包む温かな感触で溶けてしまった。

 どうやら私は考え込みながらホームの端の方まで来てしまったようで、鳴瀬さんはそんな私の手を慌てて掴んでくれたのだ。

 

「ふぇぇ!? ご、ごめんなさい!」

 

 うう……「成長している」なんて、考えたそばからこれだよぅ……

 

 あまりにも情けない自分に泣き出したい気持ちになる。やっぱり私が鳴瀬さんに届くなんて思い上がったことを考えていたから、きっと神様が罰を与えたんだろう。

 

「あやまらなくていいよ。松原さん、何か考え事をしてたみたいだし、次から気を付けてくれたらいいからさ」

「は、はい」

 

 そんな私に鳴瀬さんはやっぱり優しい。

 

 どうすれば、そんなに心の広い人になれるのだろうか。

 どうすれば、そんなに周りに気が利くのだろうか。

 どうすれば、私もそうなれるのだろうか。

 どうすれば、私は鳴瀬さんと肩を並べられるのだろうか。

 

 思考はふらふらその場をループして、なんだか凪の海に取り残されたクラゲみたいだ。

 この問題に答えを出すのは今の私ではまだ無理だ。だって、自分の中にまだその答えはないから。

 

 もっともっと、前に進んで、色々な景色を見て、色んなものに触れて、色んな人に出会って、自分の世界を広げなくちゃダメなんだ。多分答えはまだ自分の外側にあるんだ。 

 

「落ち着いた? なら、行こうか。折角遠出したんだから、スティック以外も色々みたいし」

「そうですね、私はもう大丈夫ですから行きましょう、鳴瀬さん」

「オーケー。とりあえず、しばらくは手は繋いだままね。はぐれると多分遭遇できないからさ」

「ふぇぇ……よ、よろしくお願いします……」

 

 だから、今はまだ、寄りかからせてくださいね、鳴瀬さん。

 

 鳴瀬さんに、そう心の中で呟いて頭を下げた私は、繋いだ手から伝わる熱をしっかりと感じながら、彼にエスコートされて、新しい世界に踏み出していくのだった。

 

 

 

◇◇◇side 松原花音 over◇◇◇

 

 

 俺たちの目指す楽器店《Sound of sonic(サウンドオブソニック)》、通称《SoS》は駅から三本ほど離れた路地にある、6階建てのビルを丸々店舗として使い運営していた。

 フロアごとにギター&ベース、ドラム&パーカッション、キーボード&トランペット&フルートのような住み分けがされており、中古品などの整備販売もしているので客足は上々。この界隈では最有力な楽器店だといえる。

 当然、品揃えも他店の追随は許さず、また、チェーン店ではないので値段交渉も利くというのが最大の強みだった。

 

「ふぇぇ~、大きいお店ですねぇ」

 

 ビルの前に立った松原さんは、その偉容に圧倒されたようなポカーンとした表情でビルを仰いでいた。

 

「ほんとにな。金銭的な面でもこの規模の店は中々お目にかかることはないからなぁ」

 

 楽器という嗜好品の販売で利益を上げる楽器店は不況に弱く、大きな店舗ほど在庫を抱えて経営が立ち行かなくなることが多い。それを思えば、この規模で経営を成立させているのは優良店の証ともいえる。

 

「ま、とりあえず立ってるのもなんだし中に入ろうか。親父さんに紹介してもらった店員さんも待ってるかもしれないし」

 

 実は、この店のドラムコーナーの担当者の一人は、スタジオ《arrows(アローズ)》の店長である四方津(よもつ)さんの弟弟子筋にあたる人物なのだ。この前、スタジオ練習のときにポロっとこの店のことを漏らしたら、四方津さんがわざわざその人に連絡を入れてくれて、特別にサービスを受けられることになったのである。

 やはり、持つべきは業界内の人脈というやつか。

 

「そうですね、行きましょう鳴瀬さん」

「よっし、それじゃあ行こう」

 

 松原さんも準備万端ということで、俺は彼女とならんで入り口へと歩みを進める。

 

「いらっしゃいませぇ~!」

 

 自動ドアを潜って店に一歩踏み込むと、入り口脇の作業台に座っている、白にブリーチしたボサボサのショートヘアに、カラフルなメッシュを幾筋も入れた髪が目を引くパンキッシュな若い女性店員が、俺たちに向かって笑顔で挨拶してくれた。彼女が顔を動かす度に、耳に着けた大量のピアスが照明の光に煌めく。

 恐らく彼女もバンドマンなのだろう。再び作業台に顔を向けた彼女は、慣れた手つきで張り替え途中だったアコースティックギターの弦を張り替えていく。ブリッジピンを抜き、新品の弦を取り付けてペグに巻き込むその動作には一切の澱みがない。

 

 お飾りの店員じゃなくて、ちゃんと楽器やってる店員か。最近はガールズバンドブームで、いい店にはちゃんとした店員が増えたもんだなぁ。

 

 その光景を眺めて、俺は感慨深い思いになる。

 俺がベースを始めた10年以上昔の頃は、バンドブームは過去の遺物で、楽器店の店員にも知識だけはあって演奏経験のない、ただの社員やバイトなんかが割といたものだった。

 しかし、昨今のガールズバンドの隆盛によってバンド界隈が賑わいを見せると、そんな半端な店員はほとんどが淘汰されてしまった。現在、大概の楽器店では、社員は発注などの裏方に専念することができ、現場は経験者が回すという住み分けができるようになっていた。これはとても良いことだ。

 

 経験者の店員がいると、初心者はメンテの相談なんかがしやすいもんなぁ。やっぱり、何事にも相談しやすい先達(せんだつ)は必要だな、うん。

 

 そんなことを考える俺の前で、弦を張り替え終わったアコギを手にした店員が、店の奥へ向かって手招きする。

 すると、中学生ぐらいの少女が小走りでやって来て彼女の手からアコギを受け取った。少女は、彼女にはまだまだ大きなアコギを大切そうにケースにしまうと、何度もペコペコお辞儀をした後に、ニコニコの笑顔でレジの方へ向かって行った。なんともいえない微笑ましい光景である。

 

「なんか、いいですね……ああいうの」

「おっ、松原さんもそう思う?」

 

 隣で同じようにやり取りを眺めていた松原が、俺と同じ思いを口にしたことで、俺は少し嬉しくなった。

 

「はい。やっぱり、何かに向けて走り出したばかりの人が放つ輝きって、凄く尊く感じるんです」

「たしかに、やっぱりいいよなぁ」

 

 そう呟き合う俺たちの前で、会計を済ませた少女は店から駆け出していった。開いた自動ドアのその先には、少女を待っていたのだろう、同じ年頃の二人組の女の子たちが立っていた。

 彼女たちもいずれ《ハロー、ハッピーワールド!》のように、ライブハウスで演奏を披露するようなガールズバンドになるのかもしれない。笑顔で会話を交わしながら去っていく少女たちになんだか心を暖められたところで、俺は本来の目的のために、先ほどの女性店員に声をかける。

 

「すみませ~ん」

「はーい、なんでしょう。ギターのリペアやメンテナンスですか? ベースなら別の担当者がいるんで呼んできますよー」

 

 女性店員は、先ほど俺たちに向けてくれた朗らかな笑顔で応えてくれる。その、攻めた見た目とは裏腹に人懐っこい感じの対応だ。彼女の着けた作業用のエプロンの胸元には大槻(おおつき)という名札が光っていた。

 

「いえ、俺たちドラムのスティックなんかを買いに来たんですけど、知り合いから迫田(さこだ)さんって店員さんを紹介されまして」

 

 俺の口から迫田という名前がこぼれた瞬間、大槻店員はポンと手を打った。

 

「あー、迫田さんの! はいはい、聞いてますよ! 待ってて下さい、すぐに呼んできますから!」

「よろしくお願いします」

「はーい、ちょっと待っててくださいねー」

 

 そういうと大槻店員は店舗の二階に繋がる階段を上っていく。どうやらこの店のドラムのコーナーは店舗の二階にあるらしい。ドラムコーナーは機材搬入の都合で一階のフロアにあることが多いのだが、ここは搬入用の大型エレベーターがあるから、主力のギターやベースを一階に持ってきているようだ。

 そんなことを考えていたその時、大槻店員が階段を小走りに駆け降りてきた。

 それから少し間を開けて、その後ろから男性店員が階段を降りてくる。

 

「ふぇ!?」

 

 その姿を見た松原さんが、悲鳴にも似た声を上げてたじろいだ。

 実際、現れた迫田さんは、中々に厳つい外見をしていた。

 まるでラガーマンを思わせるガタイに、頭部のソフトモヒカンに刈り込まれた髪の毛は角の部分を赤く染め上げ、残りはブリーチで白に脱色されている。顎に生やしたチョビヒゲも、角と同じ赤色だ。

 彫りの深い眉骨には何個もリングピアスが煌めき、それに負けじと耳や口許にもリベットタイプのピアスが打ち込まれていた。大槻店員をパンク係長とでもするなら、こちらは課長ぐらいの見事なパンクっぷりだ。初めて出会う人間は、間違いなく松原さんですような反応をするだろう。

 俺も、事前情報がなければ怯んでいたかもしれないが、実は俺は迫田さんのことは結構前に知っていた。

 そんなパンク課長迫田さんは、大槻店員の後に一階のフロアに降り立つと、こちらに向かって大きく手を振った。

 

「おうおうおう、君らが鳴瀬君と松原ちゃんね! 四方津の兄貴から話は聞いてるよ! 俺がこの店のドラムコーナートップの迫田だ! さぁ、上がって上がって!」

「よろしくお願いします」

「お、お願いします……」

 

 迫田さんは、外見の厳つさに似合わぬ人懐っこい笑顔で俺たちを招き入れてくれる。俺と松原さんは軽く頭を下げると、迫田さんに付き従い階段を上る。

 

「いやぁ、四方津の兄貴から久しぶりに連絡がきて『うちで可愛がってる奴がそっちに買い物に行く』って言われたからどんなのが来るかって思ってたら、こんな爽やかな若者たちが来るなんてな!」

「いやー、これでも演奏スタイルは爽やかじゃないんですよ。自分はグランジとパンクが専門なんで」

「おお、そうか! 今時は珍しいタイプだな! ちなみに俺もパンクは好きだぞ、専門はメタルだけどな!」

 

 そう言って、本当はメタル課長だった迫田さんはエプロンの下に隠れた《メガデス》の黒Tシャツを引っ張り出した。職場であってもメタラーのシンボル、黒のライブTシャツを外さないところに、迫田さんのこだわりを感じる。

 実は、迫田さんは日本のメタルシーンではかなりの有名人なのだ。それこそ畑違いの俺が知っているほどに。

 

「よく知ってますよ。迫田さんって《無礼男(ブレーメン)》ってメタルバンドで今も活躍されてますよね。あの有名な、《黙示Ⅵ(もくしろく)》と対バンしたこともある、日本有数のバチバチのメタラーと会えるなんて光栄ですよ」

 

《無礼男》は、メタル文化があまり根付いていない日本では珍しい、日本有数の本格派のメタルバンドだ。ブレーメンの音楽隊になぞらえて、メンバーはそれぞれ動物のニックネームが与えられており、迫田さんは鶏役で《チキン迫田》の異名を持つ。

 だから彼のヘアースタイルは(チキン)を模しているのだ。どちらかというと、体系的に言えば驢馬(ドンキー)の方が似合ってそうだが。

 

「マジか! いやぁ 俺のことを知ってるなんて、嬉しいねぇ!」

 

 俺の言葉に迫田さんは本当に嬉しそうな表情で、巨体を揺らすように笑った。

 

「いや、日本でメタルを少しでも齧ってるなら、迫田さんや《無礼男》を知らない奴はもぐりですよ」

「はっはっは! これでもうちょいメタラーの人口が増えてくれればもっと有名になれるんだがな!」

「確かに、メタルは中々日本では盛り上がりにくいジャンルですよね」

 

 メタルバンドといえばやはり聖地は北欧というところがある。やはり冷涼で陰鬱な冬の気候が、若者たちをメタルという刺激に誘うのだろうか。

 

「やっぱり海外とは土壌が違うんだろうなぁ。それでも、最近はガールズバンドの《ハニースイートデスメタル(HSDM)》が売れたお陰で、ちょっと脚光を浴びてるけどな!」

「マジっすか」

 

 以外なところから《HSDM》の名前が出てきたことに驚く。

 

「マジよマジ。だって俺、バンド誌の《HSDM》の特集記事で、現役メタルバンドマンとしてコメントしてくれってオファー受けたんだぜ」

「そんなことがあったんですね」

「ああ、やっぱり同じジャンル担当としては、力をあわせて界隈を盛り上げていかんとな! それにメタルは万病の特効薬! 今はガンには効かないが、いずれは効くようになるからな!」

「ははっ、そうなると最高ですね!」

 

 音楽業界というのは一度あるジャンルに火付け役が現れると、一気にそのジャンルが燃え上がる傾向が強い。一昔前の「青春パンク」や「BEING系*1」の流行などはまさにその体現といえた。

 そうなると《HSDM》の流行は、メタラーにとっては日本での復権のチャンスであり、テンションが上がってしまうのも無理はないのかもしれない。

 

「おっし、着いたぞ!」

 

 そんなことを話しているうちに、俺たちはスティック売り場に着いていた。

 

「そういえば今日はどんなスティックを買いにきたんだ? ここは俺が売り場を統括してるから、好き勝手に品揃えを増やしてるから、何でもあるぞ!」

「わぁ、凄いですねぇ!」

 

 ここまで、迫田さんの外見に当てられて半ば固まっていた松原さんが思わず声を上げる。

 しかしそれも、この壁一面に据え付けられた棚に所狭しと刺されたスティックの壁を見れば、無理からぬ話というものだ。とにかくこの店のスティックへの拘りは尋常ではない。

 驚きに目を丸くする松原さんの反応を見て、迫田さんも満足気な表情だ。

 

「そうだろう、そうだろう。ドラマーにとっての相棒はなんといってもスティックだからな! たとえ自前のドラムが運び込めない場所でも、スティックなら持ち込める! 自分の手に馴染む至高の一対を見つけてもらために、最高の品揃えにしてあるのよ!」

 

 自信たっぷりに言い切る迫田さんを見て、やはりここは流行るべくして流行った店だなと改めて思わされる。

 店員がポリシーを持って拘った店というのはやはり強い。パンチの効いていない店は、人の心を音で以て動かすバンドマンの心を動かし得ないのだ。

 

「それで、お嬢ちゃんが買いたいのはどのスティックなんだ?」

「あっ、えーっと、このプロマークのスティックなんですけど……」

 

 迫田さんに問いかけられた松原さんが鞄からスティックを取り出す。買い直す時にわかりやすいように、折れなかった一本は残しておいたのだ。

 取り出されたスティックを手に取ってしばらくしげしげと眺めた迫田さんは、すぐにポンと手を打った。

 

「あー、はいはい、このモデルね! たしかに、このモデルはプロマーク扱ってる店でも、取り寄せないと在庫を抱えてるとこはないだろうね! でも、うちなら最低5セットはあると思うよ!」 

「本当ですか! やったぁ!」

 

 迫田さんの言葉に、松原さんは嬉しそうに笑う。

 

 さっきまでは、迫田さんの迫力でびくびくしてたのに、ドラムの話になると生き生きしてる……本当に松原さんはドラムが好きなんだな。

 

 自分の感情すらも塗り替えてしまうような、松原さんのドラムへの愛情。それをひしひしと感じて、さっきのアコギ少女で覚えた胸の暖かさが再び甦ってくるのを感じる。

 やはり、何かに夢中になっている人間というものは、この上なく尊い存在なのだ。

 

「プロマークはこっちの方だから……あった!」

「あっ、これですこれです!」

 

 迫田さんに引き連れられた松原さんは、スティックを見つけたようで早速それに手を伸ばしている。

 

「多分、マイナーチェンジはしてないと思うけど、試打してみるかい?」

「いいんですか? ありがとうございます!」

「お、今はpearlのドラムセットが空いてるな。松原ちゃん、あれ使って試打してもいいぞ!」

 

 そう言って迫田さんが指差した先には真っ赤なシェルのpearlのドラムセットが置かれていた。

 こういう店での試打は基本的に練習用パッドか、よくてスネアドラムなので、フルセットで打たせてもらえるのはありがたい。

 しかし、ここにきて松原さんは少し及び腰だ。

 

「え、でもあれ値札が下がってますよ……?」

 

 おずおずと松原さんが指摘する。確かに、ドラムセットのバスドラムの前には「特価!」の文字と共に49800円の値札が垂れ下がっている。シンバルスタンド込みのフルセットのドラムとしてはかなり安いので、恐らくエントリーグレードのモデルなのだろう。

 

「あー、あれ一応商品なんだけど、売れることはあんまり考えてなくて、試打用に置いてるんだよ。だから、遠慮せずに打ってくれよ」

「あ、ありがとうございます。それじゃあ遠慮なく……」

 

 松原さんは、ドラムセットに近づくとスローンに軽く座った後、高さを軽く調節する。それから軽く腕を伸ばして肩を回すと、いつものようにスティックを構える。

 そんな松原さんを少し離れたところから俺は眺めている。もっと言うなら、ドラムを見つめる彼女の顔を俺は見つめている。

 演奏前にドラムに向かう松原さんの顔は、普段の彼女からは想像もできないほどの凛々しさがある。

 

 音を奏でることに対する畏れ。

 音を奏でることに対する歓び。

 

 この二つの大いなる矛盾を抱えるからこそできる、ピンと張られた弦のような表情。

 

 ーー美しい。

 

 掛け値なしにそう思える。真摯で、真剣で、真面目に何かに取り組む人間の、尊い姿を超えたその先に一瞬だけ浮かぶ表情。注意していないと見落としてしまう刹那の美。

 その儚さに心惹かれてしまうのは、日本人故にか、あるいは。

 そして、その畏れと歓びの均衡が崩れ、歓びが畏れに染み込んだその瞬間。

 

「……ふっ!」

 

 チッチッチッ……タタタタッタタッ,ズッズッタッタ……ズズッタッタ……

 

 松原さんの演奏が始まった。ドリルのパターンではない、明らかに意図をもって打たれたリズム。これはーー

 

 ーー《ハロー、ハッピーワールド!》の新曲か!

 

 そう、松原さんが叩き始めたそのリズムは、俺たち《ハロハピ》が、次のライブハウスに向けて温め始めた新曲のものだったのだ。

 

 ……なるほど、確かに新曲のスティックワークを練習しておくと、スティックがその曲に合っているかどうかも分かる。松原さんらしい合理的な選曲だな。

 

 スティックは手に馴染むことも重要だが、演奏する曲のフィーリングに合うかも肝心だ。こういったことに気を配れるようになると、初めて一端のドラマーを名乗れるようになる。

 そんな、ドラマーである松原さんの顔に浮かぶのは喜色。音を奏でる歓びに染まっている。

 自分の手足が自分の望むリズムを生むことがこれ以上ないほど楽しい。そう思っている顔だ。

 見るものを惹き付けて止まない、音楽の歓びを体現した顔だ。

 実際、松原さんが演奏を始めて、フロアにいた客がそこそこドラムの前に集まって、彼女の演奏に聴き入っている。迫田さんも「こいつはすげぇ……」と呟いて、口元に手を当てて目を細めている。

 人目の届かぬ野辺に咲き、人知れず枯れる時を待つばかりだった一輪の花は、今では人の目に留まりその美しさで人の目を歓ばせている。

 その一端を担ったのが俺であることが、とてつもなく嬉しかった。

 

……ダダダッ,ダッダッ,ダッダッダン!

 

「……ふぅ!」

 

 切れのいいスネアとフロアタムのコンビネーションで演奏が終わる。松原さんが満足そうな表情で一息吐いたその瞬間。

 

パチパチパチパチ……

 

「ふぇっ!?」

 

 周囲から拍手が起きて、松原さんは戸惑いながら辺りを見回した。気がつけば彼女の演奏で、周囲はちょっとした演奏会のような様子になっていたのだった。

 

「あっ、その……ど、どうも!」

 

 恥ずかしそうに俯いた松原さんはそのまま俺と迫田さんのところに早足で戻ってきた。

 

「あ、あの、このスティックください! 何セットか買いたいです!」

「おお、そうかい! じゃあ、木目とか見るために選びに行こうか」

「は、はい! そうしましょう!」

 

 一刻も早く注目を避けたいのか、松原さんは食い気味にスティックコーナーに向かった。

 コーナーに着いてすぐにスティックを選び始める松原さんに、迫田さんが笑顔で声をかける。

 

「いやぁ、いいの見せてもらったよ! 使ってたスティックを見たときからわかってたけど、松原ちゃん、大分ドラムを叩き込んでるね!」

「ふぇ、そ、それほどでも……」

「はっはっは! 謙遜しなくてもいいよ! そもそも、ハードヒッターでもないのに、プロマークのヒッコリーなんてガッチガチのスティックがここまで消耗するまで叩いてるんだ。ドラムをやってる人間なら、その練習量はすぐに分かるよ!」

「そ、そうですか……」

 

 迫田さんに誉められた松原さんは、更に顔を真っ赤にして俯く。その姿はさながら燃え尽きる寸前の線香花火の如しだ。もう一押しすれば、ポトリと燃え尽きてしまいそうである。

 しかし、それでも迫田さんの誉め言葉の攻勢は止まるところを知らなかった。

 

「いや、それにしてもいい演奏を聴いたよ。あれだけ音の粒が均質で綺麗なドラマーは滅多にみないね! よーし、四方津の兄貴の紹介もあるし、うんとサービスしてやるよ!」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 

 真っ赤になって返事もまともにできそうにない松原さんに変わってお礼の言葉を述べる。すると、迫田さんは力強い手つきで俺の肩をバシバシ叩いた。これは、かなり痛い。

 

「ああ、スティック以外でも気になるのがあったら何でも言ってくれよ! 鳴瀬君、うんと値引きしてあげるから、かわいい彼女にたっぷりとプレゼントしてやれよ! ここが男の見せ所だぞ!」

「……ふぇ?」

「あ」

 

 「かわいい彼女」の言葉に反応した松原さんが、顔を上げる。彼女の視線はゆっくりと迫田さんと俺の顔を行き来した。そして。

 

「ふっ、ふぇぇぇぇ!?」バターン!

「ま、松原さーん!?」

 

 盛大な叫び声を上げて、松原さんは線香花火が地面に落ちるがごとく、ポトリと床に倒れた。

 それから、迫田への俺と松原さんの関係の釈明と、松原さんが回復するのを待つのに、俺はたっぷり30分は時間を費やしたのだった。

 

 そして、これは余談だが、松原さんの叩いたpearlのドラムは、どうやら彼女の演奏を聞いていた客の一人がお買い上げしたらしく、後日四方津さん経由で迫田さんからお礼の言葉をいただいたのであった。

*1
ビーイング社所属のアーティストたちのこと。1980年代後半から1990年代後半にかけて爆発的に流行した




さらっと書きたかったのに一万字オーバーとは、参りましたわね!

サイドストーリーは、さらっと終わるかなと思って書き始めるのにこれまでどれひとつとしてさらっと書けていないのが不思議ですわね……。

まぁ、こまけぇことはいいんですのよ!(寛大)

そして、気付けば総文字数が40万字超えてますわ……ちょっと頭おかしいですわね(他人事)。

少し前に完結までま60万字位とか言ってたわたくしを張り倒して差し上げたいですわね! 

???「うわ、おっきい(文字数が)! 全然おわらないんですけど! でも、《ハロハピ》の二次創作書くの止められないんですけど!」

そして、次の話ではいよいよ別のガールズバンドのキャラが出ますよー! 誰が出るかはお楽しみに! 

それではまた次話でお会いしましょう!


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野良ベーシストはクラゲ少女を導く 中編2

(めちゃんこ間が空いて)続きました。
花音ちゃん編の3話!

ここでついに別のガールズバンドのキャラが登場です。どこのバンドの誰かは本編でどうぞ!


「おー、普段あんまり来ない店だと、中々面白いもんだなぁ」

 

 松原さんがドラムの試奏をしてからしばらく、俺はドラムフロアを物色していた。

 

 あのあと、スティックを買ってあげようとした俺に対して、松原さんは支払いを断固として拒否。必要経費だからと食い下がろうとしたら、松原さんが涙目になってしまったので、流石の俺もそれ以上は踏み込まないことにした。松原さんには少し申し訳ないことをしてしまった。

 

 この件は、また何かで埋め合わせをしよう。

 

 そう決意しながら、俺は松原さんが他のスティックも試したいというので、その間店内をうろついているのだ。

 俺としては、アドバイスのために松原さんの側で試し打ちを聴いていてもよかったのだが、緊張するからしばらく別行動で、と松原さんに厳命された以上は引き下がらざるを得なかった。

 まぁ、それでも店内をうろつくのが楽しくない訳ではない。むしろ、楽器店をうろつくのはいつだってワクワクする。特にあまり来ないような店だとなおさらだ。

 楽器との出会いは一期一会、こんなときにこそ思わぬ出会いが待っているものなのだ。

 そして、俺の足はドラムフロアの中古コーナーへと向かう。先のドラムセットのように、この楽器店では中古の買取販売も行っている。

 価値が分かる店員が扱う以上、何でも扱うリサイクルショップのように掘り出し物が見つかる可能性は低いが、程度の良い中古品をそこそこの値段で手に入れられる可能性は高い。俺は鼻歌混じりで棚を物色していた。

 

「ふんふん、お、これはチャドのシグネチャーモデルか。評価が高いやつだけど値段も高いなー。お、ジルジャンのサイレントシンバルのフルセット……やっぱり中古でもいい値段だなぁ……」

 

 面白そうな商品はあるものの、値札を見るとやはり手を伸ばすことをしり込みしてしまう。いくら懐に余裕があるとはいえ、本業のベースならともかく、ドラムにはそこまで金を回せない。

 

 ーーええか、鳴瀬。楽器っちゅーもんは塩水や。飲めば飲むだけ喉が渇いて次のもんが欲しくなる。ほどほどにせなあかんぞ。

 

 こんな風に他の楽器に目移りするとき、俺は決まって昔お世話になったあるドラマーの言葉を思い出す。

 その人は機材に拘りすぎたあまり、家中にまるでパルテノン神殿の石柱のように積み上げられたスネアドラムが林立し、付き合っていた彼女にも愛想を尽かされて逃げ出された強者(つわもの)だった。

 一度手を出してしまうとあれもこれも欲しくなって歯止めが効かなくなり、気づけば致命傷になっているバンドマンは多い。だから、俺は楽器店ではいつも、そのドラマーの言葉を胸に宿して店内をうろつくのだ。

 

 まぁ、もう軽自動車が買える位は楽器に注ぎ込んでるから、手遅れな気もするけどな!

 

 沼の深みの危険性を知るものは、すでに深みに嵌まっているものに他ならない。彼の言葉が胸に響くということは即ち、俺も彼と同じ領域に突っ込んでいる可能性が高いのだが、あまりそれは考えないことにした。

 そんなこんなで、冷やかし半分位の気持ちでドラムを見ていた俺だったが、ふとあるドラムの前で足が止まってしまった。しかし、それもそのドラムの価値を考えれば致し方ないことだった。

 

 ……ネギドラムのバーチシェルのスネアがヘッド無しで5000円だと!? あり得ん、値札のつけ間違いじゃないか!?

 

 俺の目に留まったのは、ネギドラムというメーカーの出しているスネアドラムだった。このメーカーはなんといってもバーチという木材を使ったドラム、特にスネアが有名だ。

 しかし、バーチ材は伐採に法規制がかかったため、現在では生産されていない希少なモデルのドラムなのだ。

 当然、中古市場でも一定の価値があり、状態が並程度でも25000前後からの取引となる。5000円という価格は破格だ。

 

 しょーじき、ドラムに手を出すと沼にはまりそうだから嫌なんだが……流石にこれは見逃せんな!

 

 楽器は一つ買うと呼び水のように他の楽器や、関連商品を揃えてしまう。これはバンドマンの悲しい(さが)というものだ。

 ある者はピックアップ沼にはまり、中華製ピックアップから当たりの個体を探すのだと言ったきり戻ってこなくなり、またある者はエフェクター沼にはまり、有名エフェクターのクローン作りにのめり込みすぎて、バンドマンではなくクラフトマンになってしまった。

 だから、俺もそうはならないように、(これでも)必要最低限の楽器や周辺機器だけを厳選して今のマンションに引っ越してきたのだ。

 きたのだが……。

 

 やっぱり、目の前にあると手を伸ばしちゃうんだよな……。

 

 そう、何度も言うが楽器との出会いは一期一会。

 たとえ同じメーカーの同じラインで同じクラフトマンの手を経た同一機種であろうとも、木材という生物を使う以上個体差は生まれるのは必然。

 故に、「これだ!」と思った楽器は、出会ったときに確保しないと、次のチャンスも永遠に来ないかもしれない。それがこのような一点ものの中古なら尚更である。

 

「ま、もしかすると見えないところで壊れてるかもしれないしな。とりあえず手に取るだけな? うん、手に取るだけ、手に取るだけ……」

 

 そう、誰に言うわけでもなく呟きながら、俺はそっとスネアドラムに手を伸ばす。

 すると。

 

「ふへへ……ちょっと見るだけ、手にとってちょっと見るだけなら大丈夫ですよね……」

「……む?」

「……あれ?」

 

 横から似たような言葉を呟きながら差し出された女の子手に、俺の手はガッツリと重なってしまった。

 

「うわ!? すみません! 周りをよく見てなくて……」

 

 これがドラマなんかなら、恋が始まるのかもしれないがそこは現実(リアル)。慌てて手を離すと俺はペコペコと頭を下げて謝罪した。

 

「あわわ!? い、いえ、こちらこそスミマセン!」

 

 そうすると向こうの女の子も、ベージュのキャスケットを目深にかぶり直してから、慌てた様子で手のひらを左右に振った。

 そんなヒラヒラと動く両手の向こうで、頬を染めて俯く顔に俺は何だか見覚えがある気がした。

 

 あれ、この子どこかで見た記憶があるぞ? 多分、《ハロー、ハッピーワールド!》のライブなんだけど、いつのだ? 結構最近な気がするけど……。

 

 そんな風に記憶の糸を辿っていると、女の子が「どうかしましたか?」と怪訝そうな表情で俺のことを伺う。

 少し下からメガネのレンズ越しに見える、上目使いにこちらを眺めるその目から、俺はついに糸の先へたどり着いた。

 

 あ! これはあれだ、薫の企画した女子高ライブのときに、照明の使い方をレクチャーしてくれた……!

 

 そこまで考えて、俺は思わずポンと手を打った。

 

「もしかして、大和麻弥さんじゃないですか? ほら、俺です、以前《ハロハピ》のライブで羽女でお世話になった……」

 

 そこまで言うと、大和さんも俺のことに気がついたようで、目を丸く見開いて口を開けた。

 

「あ! 確か……基音さん、でしたよね?」

 

 探るような大和さんの言葉に俺は深く頷いた。

 

「はい、そうです。いやー、その節はどうもお世話になりました!」

 

 大和さんには、ステージのときに使うスポットライトの操作をレクチャーしてもらった恩がある。そのことに対して頭を下げると、大和さんは再び両手を顔の前で左右に振った。

 

「いえいえ! ステージの裏方は私の役目ですから。それに《ハロハピ》の素晴らしい演奏も見せていただいたんで、もうそれだけで十分にお礼はしてもらいましたよ!」

「そうですか、そう言っていただけるのは嬉しいですね」

「いや、そう言えるだけのクオリティはありましたよ! 何だかこう、見ているだけで体が動いてしまうような、そんなパッションを感じました!」

「それはよかった、舞台のマネジメントをしたかいがありましたよ」

 

 うーん、めちゃくちゃ謙虚でいい子だなぁ。ペグ子や薫に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。

 

 大和さんの今時の女子高生にしては落ち着いた大人の対応に、俺は内心で舌を巻いた。

 そんな俺の感心に気付いていない大和さんは、普通に話を続ける。

 

「そういえば、基音さんもバンドをされるんですよね?」

「そうですね。とはいっても、今は自分のバンドは休止中なので《ハロハピ》のマネジメントとトレーニングに専念してますけどね」

「へぇー、それじゃあ今日は《ハロハピ》の機材なんかを見に来たんですか?」

 

 この問いに俺は軽く首を横に振った。

 

「んー、《ハロハピ》というよりはドラムの松原さんがスティックを買いに来たのに付き添ってきたといいますか……」

「え!? そ、それは、デートというやつでは!? もしかして、お邪魔しちゃいましたかね?」

 

 そう言って頬を真っ赤にして狼狽える大和さんに、俺は笑いながら右手を左右に振って否定した。

 

「はっはっは、そんないいものではないですよ。松原さんとはあくまでも《ハロハピ》の仲間の関係です。俺は、中高のときにドラムのサポートでバンドをやってたんで、それでですね」

「なるほどー」

 

 大和さんが頷く。

 

「……あと、ここだけの話、松原さんかなり方向音痴なんで、道案内も兼ねてます」

「ははっ、そうなんですね!」

 

 俺が口許に手を添えて囁くように話すと、大和さんは声をあげて笑った。裏方にしておくにはもったいない、可愛らしい笑顔だ。

 

「そういえば、大和さんもこんなお店に来るとは、もしかしてバンドを?」

「あ、いえ、私はどちらかというと機材をいじる方がメインですね。バイトでステージのセッティングのお手伝いなんかをさせてもらってるんです。それで、私の専門はドラムなので……」

「それで機材を見てるわけか」

 

 俺はようやく大和さんがここにいることの得心がいった。

 

 なるほどな。大和さん、バンドの演奏に対しての照明の当て方とか、機材の配置の上手さからそんな気はしてたけど、経験者かぁ。しかも、機材いじりがメインと言うだけあってーー

 

「ーー大和さんも、結構な目利きですよね」

「そ、そうですかね……」

 

 大和さんが照れたように頭を掻く。

 

「ええ、やっぱりドラムを叩いたことのある身としては、これは見逃せないですよね」

「あ、やっぱり基音さんもそう思いますよね! ふへへ……」

 

 そう言う俺たち二人の視線は、先ほどのスネアドラムに集まる。

 

「ほいどうぞ」

「あっ、ありがとうございます! うわぁ……いいですねぇ、これ。ふへへ……」

 

 棚の高いところにあったそれを手に取ると、大和さんに手渡す。

 大和さんは手に取った瞬間、それを眺めてうっとりとした表情になる。どうやらかなりの好き者のようだ。

 

「うーん、8プライ*1のバーチシェルなんて贅沢ですねぇ! ダイカストフープにハイテンションラグでキレ味重視のセッティングなところも評価高いですよぉ! ふへへ……」

 

 スネアをくるくる回しながら丹念に全体を観察する大和さんの横に並んで俺もスネアをじっくりと見てみる。

 

「ふーむ、前の持ち主はセッティングに拘るタイプっぽいな。それもかなりのピーキーなタイプ。音の粒が出やすい構成だから、ハードロック系のバンドだったのかもなぁ」

 

 そんな俺の推測に、大和さんも鼻息荒く首を縦に振る。

 

「ええ、それも自分の演奏に対してかなり自信があるタイプの人ですよ、きっと」

「確かに、この構成で鳴らすとテクニックのごまかしが利かないからな。よっぽどの技巧派でないと扱いきれないはずだ」

 

 俺は大和さんの見立てに同意する。その言葉を聞いた大和さんは、目を瞑って何度も頷いてみせる。

 

「そうですね……扱いきれずに手放したのか、或いは演奏する曲のジャンルが変わって引退したのか……なんにせよ、今このスネアがここにあることに、何らかのストーリー性を感じずにはいられませんね!」

「へぇ、大和さんはそういうの気にするタイプなんだ?」

 

 俺の問いかけに、大和さんは満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

「はい! やっぱりセカンドオーナーの楽器はどれだけ使い込まれてきたかが肝心ですからね! 木材は伐られても生きてますから、丁寧に使われてきた楽器は、やっぱり音の深みが全然違いますよ!」

 

 大和さんは頬を染めて拳をグッと握り締めて熱弁を振るう。その姿は、どこか、テレビに映った特撮ヒーローを応援する少年のようなオーラを醸していた。

 

 ああ、大和さんは本当にドラムが好きなんだな。

 

 そんな彼女の姿を見て、思わず頬が弛んでしまう。

 

 ーー自分が好きなものを好きだとはっきり言える。

 

 これは大人になるほど難しくなる。

 本当に自分は受け入れてもらえるのか。

 もしかすると、相手にとってはどうでもいいことなのかもしれない。

 何だか子どもっぽくて恥ずかしい。

 そんな、《理性》というしがらみが、俺たちを縛って口をつぐませるのだ。

 でも、大和さんははっきりと自分が好きなものを好きだと言った。子どものようにキラキラとした目で、愛を語った。それはどれだけ素晴らしいことだろう。

 俺は、一人のバンドマンとして、この大和麻弥という一人のドラマーを好ましく思った。

 まるで、尊い偶像を見るかのような俺の視線に気付いた大和さんは、先ほどとは違った意味で頬を赤く染めてわたわたと狼狽えた。

 

「あっ、そ、その、なんかすみません! 私、こういうの語り出すと止まらなくなっちゃって……!」

「ははっ、いいよいいよ。俺もにたようなもんだから、その気持ちは痛いほど分かるから」

「そ、そうですか。それはよかったです……」

 

 大和さんはそう呟くように溢すと、ホッと胸を撫で下ろした。もしかすると、以前にもこんな風に話して誰かに引かれた経験があるのかもしれない。

 

「んー、しかし、音がどれだけ育ってるかは叩いてみないと分からないな」

「そうですねえ、でも、残念ですけどこのスネアにはヘッドがついてないんですよねぇ。見た感じ、シェルに割れや歪みは無いんですけど……」

 

 大和さんがそう言って再びスネアを眺める。俺ももう一度眺めるが、確かに不具合は一件無さそうだ。しかし、そうなるとーー

 

「ーーこの値段の理由(わけ)が気になるよなぁ」

「ですよねぇ」

 

 不具合がないとするなら、この異常なまでのサービス価格の説明がつかない。

 

 謎の楽器店(謎ではない)に立ち寄った、ドラム探検家の基音隊員と大和隊員は一台のスネアに出会った! 不当なまでに安いそのスネアに秘められた謎に二人は迫る! ……なんてな。……よし。

 

 そんな、某藤岡●探検隊のタイトルみたいな言葉を頭に思い浮かべると、俺は一つの決断をした。

 

「大和さん、俺、スネアのヘッドを買うからさ、店員さんに頼んで試しに叩かせてもらわないか?」

「え、本当ですか!? 確かに、叩けるなら叩いてみたいですけど……いいんですか?」

 

 少し申し訳なさそうに尋ねる大和さんに、俺は力強く頷いた。

 

「もちろん、じゃあ、俺が店員に声かけて来るから、その間そのスネア確保しておいて!」

「は、はい!」

 

 大和さんの返事を聞くと、俺はすぐにリサイクルコーナーを抜けて店員を探しに動く。

 棚を数列はさんだペダルコーナーに、暇そうな店員を見つけると、俺は「すみませ~ん」と呼びかけた。

 

「はーい、なんでしょー?」

 

 俺の呼び掛けに間延びした返事で応えて振り返った店員は、短い金髪を逆立てた少し痩せぎすのルックスをしていた。胸元には「志戸」とかかれた名札がつけられている。

 

「リサイクルコーナーに、試し打ちしたいスネアがあるんですが、ヘッドが着いてないんです。だから、ヘッドを買うので試し打ちさせて貰えないかと思いまして」

 

 俺が要件を伝えると、店員は「ああ」という表情を浮かべた。

 

「あー、もしかして、ネギドラムのスネアですかね?」

「そうです、それです!」

「いいですよー、試し打ちのスペースがこの一本奥の列の壁際にあるんで、そこにヘッドと持ってきてくださーい」

「ありがとうございます!」

 

 店員さんに許可を貰うと、すぐに大和さんのところに向かう。

 元の場所に戻ると、大和さんは相変わらずスネアを眺めて「ふへへ」という独特な笑い声を漏らしていた。

 

「大和さん、試し打ちしてもいいってさ」

「ふへ……へぁっ!? 本当ですか、基音さん!」

 

 大和さんは変な笑い声を途中で切り上げると、ガバッとこちらを振り向いた。その目は期待でキラキラ輝いている。

 

「ああ、ここから棚五本分奥に進んだ筋の壁際にスペースがあるらしいから、ヘッドとスネア持ってきてくれってさ」

「わかりましたー! すぐに向かいます!」

 

 待ちきれないと言わんばかりに、スネアを抱えて走り出した。大和さんの背中に、俺は声をかける。

 

「じゃあ、俺はヘッド取りに行くけど、使いたいヘッドはある?」

 

 大和さんはその場で止まって足踏みしながら、一瞬首を傾げると口を開いた。

 

「んー、ではREMOのコーテッド、1プライでお願いします!」

 

 大和さんの口から出たのは最もスタンダードな日本メーカーのヘッドだった。確かに、癖がないのでドラム本来の持つ音の力を計るにはうってつけだろう。

 

「オッケー!」

 

 返事をするや否や、俺はドラムのヘッドを販売しているコーナーへと向かう。棚を数本越えたその先にあるコーナーに辿り着いたそのとき、俺の背中に声がかかった。

 

「な、鳴瀬さん~! お待たせしました~!」

「あ、松原さん。スティックはもう買えたのかな?」

 

 振り返ると、そこには申し訳なさそうに眉毛を垂らした松原さんが立っていた。俺の問いかけに彼女は首を縦に振った。

 

 

「はい、いつものやつと、似たスペックでチップの形が違うのをいくつか買いました~」

「お、そうか。それは表現の幅が広がりそうだな」

「そうですね、帰ったら色々試してみようと思います!」

 

 そう言って松原さんは脇を閉めて拳をグッと握った。どうやら気合い十分といった様子だ。

 

「ふふっ、それはよかった」

「ありがとうございます、鳴瀬さん。鳴瀬さんは、もうお店の中は見て回られましたか? もうそろそろ帰りますか?」

 

 頭を軽く下げてから、気を使うように話してくる松原さんに、俺は首を左右に振って応える。

 

「あ、帰るのはちょっと待った。実は、さっきリサイクルコーナーで面白いドラムとドラマーを見つけてね、今からその子とドラムの試打をするつもりなんだ」

「あっ、そうなんですね!」

 

 松原さんが目を丸くする。

 

「うん、かなりいいスネアだからさ、松原さんにも試してもらいたいんだよね。それで、ヘッドがついてなかったから、今ここに買いに来たんだよ」

「なるほど。わかりました、お供しますね」

「ありがとう、それじゃ行こうか。先方も待ってくれてるだろうからね」

「はい!」

 

 そうして、俺と松原さんは並んで大和さんのもとに向かう。

 

 ……大和さんも、松原さんと同じドラム好きだから、きっといい出会いになるはずだ。

 

 並んで歩く、松原さんの横顔を眺めながら、俺はスネアの試打以上に、二人の出会いがどんな化学反応(ケミストリー)を起こすのか、ワクワクせずにはいられないのだった。

 

 

*1
プライとは対象が何層でできているかということ。8プライのシェルなら、8層の木材できたドラムの胴ということになる




くっっっっっそ、間が開きましてよ!

この時期は忙しすぎて頭禿げますわよ! 今月まだお休みが1日しかないなんて、どうなってますのセバスチャン!? ……セバスチャン、どうしましたの、セバスチャン!

……し、死んでますわ!?

というわけで(?)、皆様、お待たせしました。花音先輩編の登場人物は《パスパレ》の大和麻弥さんでした~! ぱふぱふー!

ドラム愛といえばやはりこの娘だと思うので、是非出したかった人物ですわ!

花音先輩編は後二話を想定してますので、二人がどんな反応をするのか、また、花音先輩と鳴瀬くんはどうなるのか、次のエピソードをお待ちください!

とはいえ、今月丸1日の休みが二日しか無さそうなので、次の投下は連休になりそうです。気長にお待ちいただけると幸いですわ! では、また、次のお話でおあいしましょう!


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野良ベーシストはクラゲ少女を導く 中編3

続きました。

いよいよ花音先輩と大和さんが出会います。二人のセッションがどんなケミストリーを引き起こすのか。続きは本編で。


「あっ、基音さん。お待ちしてましたよー!」

 

 松原さんを連れた俺が試打可能なブースに近づくと、それに気付いた大和さんが大きく手を振ってくる。

 

「お待たせー。言われた通りに、レモのコーテッド1プライ持ってきたよ。ボトムの方はこっちの判断でレモのクリアの1プライにしたよ。はいどうぞ」

「わはー! ありがとうございます! ボトムのチョイスもバッチリですよ!」

 

 俺がスネアのトップとボトムを手渡すと、大和さんは目をキラキラと輝かせてそれを受けとる。

 

「さーて、これでいよいよ試打ですね……って、あ!? そこにいるのは、《ハロハピ》の松原さんじゃないですか!?」

「気づくの遅いな!?」

 

 そんな感じで今さらながら松原さんの存在に気づいて驚く大和さんに、俺は思わずツッコミを入れてしまった。

 

 ほんとに、ドラムのことしか頭になかったんだなぁ。やっぱりすごいわ、大和さん。

 

 大和さんの集中力に舌を巻いていると、隣の松原さんがおずおずとこちらを見上げていることに気付き、俺は松原さんと目を合わせた。

 

「あ、あの、鳴瀬さん。こちらの方はどなたでしょうか?」

「あー、松原さんはステージにしか行ってないから覚えてないか」

 

 羽女でのライブのとき、松原さんはドラムのセッティングに追われていたので、それ以外のステージのことにはノータッチだった。大和さんは照明のような楽器以外の電送系統なんかをチェック・運用してくれていたので、ちょうどすれ違うかたちになったのだ。

 一応、最所の挨拶では、演劇部の裏方も含めステージ担当の人たちに顔見せはしたが、大勢の中の一人では印象も薄いだろう。

 

 特に、シャイな松原さんはそこまで人の顔をまじまじと見ることもないだろうし、余計に記憶に残ってないだろうなぁ。

 

 そのことを思い出した俺は、改めて松原さんに大和さんのことを紹介する。

 

「こちら、大和麻弥さん。この間、薫の希望で羽女でライブしたときに、演劇部の裏方として舞台照明を担当してくれたんだ。一応、最初の挨拶のときに顔合わせはしてるぞ」

「あっ、そうだったんですね! すみません、あのときは恥ずかしくてあまり顔も見てなくて……」

 

 自分の行為を恥じるように頬を赤らめて顔を伏せる松原さんに、大和さんが慌てて「違う、違う」という風に両手を振る。

 

「いえいえ! あのときは自分も何十人もいる裏方の一人だったんで仕方ないですよ!」

「そう言ってもらえると助かります。これからよろしくお願いしますね、麻弥さん」

「こちらこそよろしくお願いします、花音さん!」

 

 そう言ってお互いに微笑み合う二人。本当の意味での初めての顔合わせを済ませた二人は、お互いに中々に好感触のようだ。

 

 これが上手く反応し合ってくれればいいんだが、さて、どう転ぶかな。

 

 バンドマンというものは、触れ合えば必ず反応し合う。

 しかし、それが常にこちらの望む反応をしてくれるとは限らない。最悪、周囲を巻き込んで毒ガスを撒き散らすテロじみた結果になることだってあり得るのだ。

 ただ、俺の見立てでは、この二人はそこまで激しく反応をするタイプではない。どちらかというと、穏やかにお互いの良いところが溶け合い染み込むような、そんな反応が期待できる二人だ。

 

 こんな反応の場合、中途半端なバンドマンなら個性が潰されてしまったりするんだが……今の松原さんなら心配ないな。

 

 出会ってすぐの頃ならいざ知らず、今や松原さんも場数を踏んで、一ドラマーとして自分の世界を持っている。そう易々とは自分を失うことはないはずだ。

 

 俺は、そう考えながら、ブースのスツールに座っている大和さんに、二枚のヘッドを手渡した。

 

「それじゃ、早速打ってみようか」

「そうですね! じゃあちゃちゃっと取り付けちゃいますねー」

 

 そう言うやいなや、大和さんは鞄からチューニングキーを取り出すと目まぐるしい早さでフープを外してヘッドを組み込んでいく。鼻歌混じりで淀みない手つきによって行われる一連の作業に、松原さんの口から思わず「すごい」と呟きが漏れた。

 そんな中で、両面のヘッドを張り終えた大和さんはスネアを持ち上げてくるりと回転軸させてからスタンドの上に取り付けた。

 

「はーい、完成ー! いやー、ヘッドをつけた感じ、シェルが歪んでるって訳でも無さそうですね。パーツの動きも悪くないし、いいスネアですよ、これ!」

 

 スネアのコンディションを誉めて、今すぐにでも叩きたいというような表情の大和さんを見て、俺は首を傾げる。

 

「んー、でも、そんなにコンディションがいいなら値段設定がますます謎だな」

 

 大和さんが文句なしというなら、恐らく問題はないのだろう。実際、彼女の目利きは光るものがある。

 しかし、そうなってくると、やはりこの不当につけられた安さが気になってくる。

 

「すみません、このスネアめちゃくちゃ安いと思うんですけど、何か訳有りですかね?」

 

 その疑問を解消するため、俺は先程から側についてくれていた店員の志戸さんに声をかけた。

 

「あー、やっぱりそう思いますよね」

 

 俺の言葉に、志戸さんは「ですよねー」といった表情を浮かべて相づちを打った。

 

「というと、やはり訳有りですか」

「そうなんですよ。処理がプロ顔負けだから気付かないと思うんですけど、実はこのシェル、元はもっと深胴だったんですけど、前のオーナーが音の抜けをよくするために両端を切り詰めて浅くしてるんですよ」

「……! なるほど!」

 

 志戸さんの説明でようやく俺も合点がいった。

 このスネアの前のオーナーは、このスネアの音の粒をさらに際立たせるために、深胴のもたらすサスティーンを捨ててまで、音の抜けの良さをとるための加工を施したのだ。

 その言葉を聞いていた大和さんも、納得の表情で「うんうん」と頷いている。

 

「なるほどー。確かに、個人改造の楽器はどんなによいパーツを入れたりしても、ジャンク扱いになることが多いですからねぇ。特に今回みたいに、既存のパーツを削って加工したとなれば、値段が下がるのもやむ無しですねぇ」

「だなぁ、特にシェルはドラムの命というか、最早ドラムそのものだからな。どんなに上手く加工しててもしかたないか」

「答えが分かったらなんだかすっきりしましたねー!」

 

 大和さんは満足げな表情を浮かべると、両手の指を組んで腕を前に付き出して、大きく伸びをする。

 

「んー! それじゃ、謎も解けたところでお先に叩かせてもらってもよろしいですかね、基音さん?」

 

 探るような上目遣いでこちらを見る大和さんに頷く。

 

「ああ、こっちは後から叩かせてもらうよ」

「ありがとうございます! それじゃ、いきますよー、ふへへ……」

 

 独特の笑い声を漏らしながら、大和さんは鞄からスティックを取り出す。ティアドロップ型のチップのついたおそらくメイプル材のスティックだ。

 

 さぁ、いよいよだ。大和さんはどれだけ叩けるんだろうな。

 

 機材に精通しているからといって、その人が良いドラマーとは限らない。逆もまた然りである。

 実際に、演奏はできないけれど、機材が好きだからという理由でPAなんかの裏方に回る人も多い。

 

 だが、それでも。

 俺が感じ取った大和さんから漂うオーラは、玄人のドラマーの纏うそれだった。

 

 そして、それが正しかったことは、彼女の演奏が始まってすぐにその場の誰もが理解することとなった。

 

トン トン トン トントントントントントトトト……

 

 始めはゆっくりとした立ち上がり。スネア一本で2.4.8ビートと徐々に駆け足に。

 プラクティスでは基本的なストロークの動きだが、もうすでにこの時点で音の違いが分かる。

 

 粒立ちがきれいだ……スティックコントロールが正確な証拠だな。

 

 大和さんがスネアから生み出す音は均質で、これはスティックが叩くヘッドの位置と、スティックの角度が毎回揃っているからに他ならない。

 

 ストロークの安定感はスティックのチップにも左右される。先端が細いティアドロップは制御が難しい部類だが、彼女のそれは完璧だ。

 

「……っ!」

 

 隣で松原さんが息を飲むのが分かる。彼女もドラマーとしては一廉(ひとかど)の人物だ。間違いなく、大和さんのスキルを察している。

 この時点で、俺が二人を引き合わせた目的の半分は達成したといっていい。

 

 さぁ、たっぷり良質な音を味わってくれよ、松原さん。

 

 良質な演奏に触れるということは、それだけ自分が持つ音楽の世界を広げてくれる。

 俺たちの聴く前で、大和さんは更に世界の果てを押し広げていく。

 

 パラタタタ……パラタタタ……チッチッドッチ,チッチッドッチ……

 

 目の前のスネアから、およそこのスネアで表現できるであろうありとあらゆる音が生まれている。

 オープンとクローズ、2つのリムショットも使い分けて、あらゆる奏法の見本市と呼べるような複雑な動きを披露しながら、しかし、大和さんのリズムは乱れない。

 

 例えるなら、トゥール・ビヨンの時計のメカニズムってところかな。いや、それにしてはいささかエモーショナルに過ぎるな。

 

 恐ろしく正確な演奏。

 しかし、それでいてエモーショナルさを感じさせる二律背反。

 その矛盾を結束ロープで括って一つにしてしまえるのが大和さんというドラマーの力量なのだ。

 

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか演奏にはハイハットとバスが加わり、いよいよ乱れ華やかになる。

 裏打ち、ダブル、シャッフル。様々な技術が大和さんのセンスで噛み合わされて、それでいて演奏としてのまとまりを決して失わない。

 

タラタタッタタタターン!

 

 そうして、最後にスネアのフィルインをひとつ入れると、大和さんの世界(えんそう)は果てを迎えたのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「はー! 最高ですねー!」

「いやー、よかったよ大和さん」

 

 スティックを天高く掲げて声を上げる大和さんに、俺は賞賛の言葉を送る。

 

「あ、いやー、夢中になっちゃって、お恥ずかしい……」

「いや、そんなことはないさ。あれだけの演奏をして恥ずかしがる要素なんて何一つないよ」

「そ、そうですよ! 本当に演奏の引き出しが多くて、私、感動しました!」

 

 今度は松原さんも俺の言葉に追随した。

 

「そ、そうですかねー、ふへへ……」

 

 俺たちの言葉に松原さんは照れた様子で後頭部を掻きながら、しきりにペコペコと頭を下げた。

 そして、ひとしきりそうした後に「あっ!?」と声を上げて、慌てたようにスツールから立ち上がった。

 

「す、すみません! 今度は基音さんたちの番ですよね」

 

 大和さんは脇にずれると手のひらで俺たちにスツールを勧める。

 

「ありがとう、大和さん。じゃあ、松原さんも叩いとこうか」

「……っ、はい!」

 

 

 声をかけると、いつもよりも張り詰めた調子で松原さんが返事をする。

 

 ……ちょっと硬いな。まぁ、あれだけの演奏を見せられたら致し方ないか。

 

 程よい緊張は、演奏にいい張りをもたらしてくれるが、今の松原さんはステージに向かうそのときよりもまだ緊張しているように見える。

 

 うーん、先に演奏させてもらった方がよかったか? いや、それも今となっては詮無きことだな。松原さんにはちょっと頑張ってもらおうか。

 

 事ここに及んでは、最早どうすることもできない。あとは、松原さんの持つ地力にかけるしかない。

 

 そう考えながら、俺はスツールに座る松原さんが、まるで強く祈るように力を込めてスティックを握る手をじっと眺めていた。

 

「……それでは、いきます」

 

 松原さんは俺の目の前で、ひとつ大きな息をすると、そのスティックをスネアに向けて振り下ろした。

 

 

 

◇◇◇《side 松原花音》◇◇◇

 

 

 

 

 ーー音楽に優劣は存在しない。

 

 誰かが言ったそんな言葉を覚えている。

 

 ーー人それぞれの心に響く音楽は、それぞれに違う。1000人集まれば、音楽は1000人それぞれに違って響く。だから、音楽に優劣はないんだ。

 

 私も全くその通りだと思う。

 人の心にはみんなそれぞれに鍵がかかっていて。

 それを開いてくれる鍵は、それぞれみんな微妙に違っているんだ。

 だから、人の心を開く音楽には優劣がないのはとても自然なことだと思う。

 

 でも、演奏(・・・・)は違うんだ。

 

 演奏は、その人が今まで積み上げてきた世界(けいけん)がものを言う世界だ。例えば、クラシックの演奏が、同じ曲でも指揮者によってまるで違って聴こえるように、演奏にはその人が今まで積み上げてきたものが映っている。

 そうなると、当然積み上げた世界の大きさが違えば、そこに優劣は生まれてしまうわけで。

 

 …………負けている。

 

 ドラムを叩き始めてしばらくして、私の頭を過ったのはそんな考えだった。

 でも、それほどまでに大和さんは完璧だった。

 

 スネアを、ハイハットを、バスを。リズムを必死に刻みながら思う。

 

 どうしたら、あんな音が出せるんだろう。

 どこに、あんな音が眠っていたんだろう。

 どれだけ積み上げたら、それだけ叩けるんだろう。

 どんな世界が、彼女には見えているんだろう。

 

 疑問が疑問を呼んで、坂道を転がる雪玉みたいに頭の中で膨らんでいくのが分かった。

 それでも、手足が動き続けるのは日頃の練習の賜物だ。圧倒的な優劣の差を見せつけられても、皮肉だけれど今まで積み上げたものが私を動かしてくれていたんだ。

 それに、私の手の中には鳴瀬さんがくれたスティックと同じモデルの、新調したばかりのスティックが握られている。

 再び戻ってきた、私の力。そのことが私に勇気を与えてくれる。

 それでも、やっぱりそれは最高の私とは程遠くて。

 そんなもやもやを抱えた私を、大和さんと鳴瀬さんはじっと眺めていた。

 

 ああ、どうか私を見ないでください。

 こんな私を見ないでください。

 本当の私はもっとーー

 

 そこで思考が切れた。

 「もっと」どうだというんだろう。たとえ「もっと」の私を見せられたとしても、決して大和さんには及ばないのに。

 私は「もっと」の先に行かなくちゃいけないんだ。

 でも、どうやって?

 どうすれば「もっと」の先に行けるんだろう?

 

 

 

 

 そもそも、私に「もっと」の先なんてあるのーー

 

 

ジャーン!

ダン!

 

「……っ!」

 

 何か恐ろしい考えが頭の中に形を結びそうになったとき、それを掻き消すように力強く打ち抜かれたハイハットとスネアの音が響いた。

 

「わー! やっぱり花音さんの演奏はいいですねぇ! こんなに近くで聴けて最高ですよ!」

 

 気が付くと、大和さんが楽しげに笑って拍手を送ってくれていた。

 どうやら私は演奏を終わらせていたみたいだった。

 

 あのまま続けていれば、私はどうなっていたのかな。

 

 そんな考えが頭を過る。

 しかし、それが決していい結果を生まないだろうということは、少し険しい表情を浮かべた鳴瀬さんを見れば一目で分かったのだった。

 




というわけでシリアス風味で引きを作って次回に続きますわ!

なるべく早く次は投下したいのですけれど、リアルがくっそ多忙でして、6月末まで予断を許さない状況が続くのでやっぱりお待たせしそうですわ!

申し訳ないですけれど気長にお待ちくださいませ!


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野良ベーシストはクラゲ少女を導く 後編1

続きました。

花音ちゃん編第5話。後編も分割するので後一話あるよ!


唐突なシリアスムーヴを見せた前話。今回の主役は大和さんです。シリアス進行が続きます。

花音ちゃんメインはもう少し待ってクレメンス!


 ーー少し気圧されてしまったか。

 

 

 演奏を終えて、スツールからおずおずと立ち上がった松原さんを見て思う。

 

 俺の誤算は二つ。

 1つは、俺の予想を超えて大和さんが演奏巧者(テクニシャン)だったということ。はっきり言って、あそこまで技の引き出しが多い女子高生ドラマーを他に探せと言われてもまず無理だ。大和さんは間違いなく女子高生として、いや、女性ドラマー、あるいは女性という枠を取り払ってすら、ドラマーとしての高みに位置するはずだ。

 そして、二つ目は《ハロー、ハッピーワールド!》の他のメンバーを伴わず、松原さんだけで大和さんに引き合わせてしまったことだ。《ハロハピ》のメンバーがもたらす牽引力は、なんだかんだで彼女の原動力だ。それを欠いてしまったことが今回の不完全燃焼に繋がったことは、まず間違いないだろう。

 

 とにかく、この後のフォローは必須だな。

 

 松原さんはどちらかというと熟考して物事にあたるタイプだが、その思考はそのときの気分に引きずられがちなところがある。

 こういう、沈んだ気分のときはペグ子や北沢さんみたいな底抜けに明るい仲間がいれば良い方向に向かうのだが、今その役目を負えるのは俺だけだ。

 そもそも、これは俺が蒔いた種が想定外の方に芽吹いたことだ。その尻拭いは俺がする他ないだろう。

 

 ……でも、こんなときの女の子の扱いなんて上手くないんだよなぁ……参るぜ、まったく。はぁー……

 

 こんなとき、タクやシュンなら上手いことなだめすかしてご機嫌をとることができるのだろうが、青春の全てをバンドに捧げて、恋愛経験値がナメクジ未満の俺にとってはいささかハードルが高い。

 ペグ子みたいに分かりやすいタイプなら、まだなんとかなるのだが、松原さんみたいな「THE 女の子」というタイプの子に対しては、目隠しで暗闇の地雷原を歩くような慎重さが求められるだろう。

 

 ……頑張れ、俺。うん。

 

 そうして俺は密かに自分に喝を入れるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「いやぁ、堪能しましたねぇー!」

「そうだなぁ」

「はい、私も結構叩かせてもらいましたね」

 

 演奏を終えた俺たちは、ネギドラムのスネアを前にして向かい合っていた。

 

「さて、それじゃあ、このスネアなんですけど、どうします? もし、お二人が買わないなら自分が買いたいなー、なんて思っているんですが……」

「んー、ものは良さそうだから買っておきたい気持ちはあるけど、松原さんはどうかな?」

 

 探るような大和さんの言葉を受けて、俺は松原さんに話を振った。

 個人的にはこのスネアは「買い」だ。高音域が特に際立つ歯切れの良いスネアは《ハロハピ》のキャラクターとかなり噛み合う。そう判断した。

 しかし、結局のところステージでドラムを叩くのは松原さんだ。彼女が必要としなければ、どんなに良い品でも無用の長物となる。だから、最後の判断を松原さんに仰いだのだ。

 

「んー……そうですね」

 

 松原さんは少し顎に手を添えて、俯き気味に考えるしぐさをしたあと、顔を上げた。

 

「……今回は、麻弥さんにお譲りしようと思います」

「そっか、ということです麻弥さん」

 

 松原さんの選択に俺が頷いてから、今度は大和さんに話を振ると、彼女はスネアを両手で持ち上げて天高く掲げた。

 スネアを見上げる大和さんの目はキラキラと光輝き、さながらそれは、ショーウィンドウに飾られていた憧れのトランペットが自分のものになった少年のようだった。

 

「やったー! ありがとうございます、基音さん、花音さん! すぐにお会計してきますね!」

「オーケー」「はい」

「毎度あり~」

 

 大和さんは、そう言うや否や、側にいた店員の志戸さんを引き連れて、疾風のようにレジに向かい、

 

「……え!? あ~う~……」

 

本当にそれからすぐに、とぼとぼと肩を落としてこちらに戻ってきた。なんだかそれは、ちょっと前に流行った探偵のピカチュウのような姿だ。

 

「大和さん、どうしたの?」

「……ないんです」

 

 ガックリと肩と顔を落として俺たちのところに戻ってきた大和さんに、思わず俺が尋ねると、彼女は掠れる声で呟いた。

 

「え? 何がないって?」

 

 俺がもう一度聞き返すと、大和さんの顔がガバッと上がった。その目にはうるうると涙が浮かんでいる。

 

「お金がたりないんです~! 今日はウインドウショッピングのつもりだったので、思ったよりも持ち合わせがなかったんですよぉ~! がっくし……」

「あれま」「ふぇ~」

 

 金銭面という意外なところで足下を掬われた大和さんは、そのままとぼとぼとスネアを抱えて中古コーナーへ向かおうとする。

 哀愁漂うその背中に、俺は思わず「ちょっと」と声をかけていた。

 

「そのスネア、元に戻すの?」

「はい、どうやら取り置きはしてないらしいので……」

「マジか、でもこれは多分次に来たときには残ってないぞ」

「ですよねぇ(泣)」

 

 これだけのクオリティのスネアがこの金額となると、目に留めるドラマーが他にもいることは間違いない。

 なんなら、さっきの二人の演奏中にも興味深そうに眺めていた客が何人かいたぐらいだ。

 

「でも、無い袖は振れませんので……」

「そっか、うーん……」

 

 そうして、再びとぼとぼとスネアを戻しに行く大和さんを眺めて俺は唸る。

 

 他の人に買われるぐらいなら俺が確保するか? …………そうだ!

 

「大和さん!」

 

 そのとき、名案を思い付いた俺は、大和さんの背中に声をかけていた。

 大和さんは「はい?」と、思わずこちらを振り返る。

 そんな大和さんに、俺は今思い付いた考えを口にした。

 

「そのスネア、俺が大和さんに奢ってあげるよ」

「え……え!? えええ!? そ、そんな、悪いですよ!」

 

 大和さんは最初、俺が何を言ったのか理解できていない様子だったが、言葉の意味を飲み込んだ瞬間、慌てて首を左右に振った。

 

「いや、遠慮しないでいいよ。元々、ヘッドとボトムは俺が買うものだしついでだよついで」

「で、でもさすがにヘッドとは値段が違いすぎるのでは……」

 

 大和さんはまだ、食い下がろうとするも、その視線は明らかに手元に抱えたスネアに注がれている。間違いなく、もう一押しすればいける流れだ。

 

「大和さんには羽女でのライブのときにお世話になったから、そのお礼だと思ってくれないかな」

「そ、そうですか……? そこまで言っていただけるのなら、ぜひお願いします!」

 

 そう言って大和さんが満面の笑みで差し出したスネアを俺はしっかり受け取った。

 

「オッケー、それじゃあ俺は会計を済ませてくるからさ、二人は店の外ででも待っててよ」

「はーい!」

「わかりました、お先に失礼していますね」

 

 そう言って階下に向かう二人を見送ると、俺もスネアを買うためにレジに向かう。

 しかし、その時にふとある考えが頭を過る。

 

「持ち帰るにしても、ケースがあった方がいいよな、これ」

 

 手元のスネアに視線を落として俺は呟く。

 木材と金属を組み合わせたスネアは、空洞の構造をしているものの意外と重いし、リムなど金属パーツはゴツゴツしている。

 買い物で普通に付けてくれるビニール袋では、手が痛いし、最悪ビニールが破れたり、怪我をしたりすることだってあるかもしれない。

 

「安いのでいいからケースも買うか~」

 

 俺は、進路をレジから変えて、ドラムの周辺商品のコーナーへと向かった。

 周辺商品のコーナーはドラムのコーナー以上に広く、雑多な商品が置かれてかなり独特な雰囲気だ。

 

「へー、DWのヴィンテージのチューニングキーか。こんなのもあるんだなぁ……っと、ここだここだ」

 

 ショーケースに並べられた商品を時折まじまじと見ながら、お目当てのケースコーナーを見つけた俺は、サクッとそれなりの値段のケースを選ぶ。

 

「薄っぺらいのはあれだし、高すぎるのも気を遣わせるだろうからこんなもんかなー。よし、行くかーーん?」

 

 そして、棚からケースを取り出した俺だったが、ふと、そのとき真横のショーケースに陳列されたあるものに目が留まった。

 それはこの店にはある意味とてもマッチしていたが、ある意味ではとても不釣り合いな商品だった。

 店員も値段を付けかねたのか、値札には何度も横線を引いて訂正した跡があり、それを見ると最初からすれば大分リーズナブルになっていると思われた。

 

「……ふーん、すみませーん!」

「お、どうした鳴瀬くん?」

 

 ショーケースの前で店員を呼んだ俺に反応してくれたのは、迫田さんだった。

 

「あ、迫田さん。今、自分が持ってるスネアとケース、スネアにつけてあるボトムとヘッドの会計お願いします。あと、ショーケースの中のあれを出してもらえますか?」

「ん、あれってーと……」

 

 巨体を揺らしながらやって来た迫田さんに、ショーケースを指し示すと、彼はまじまじとショーケースを覗いてから手を打った。

 

「……ああ、これか! 中々売れなかったけど、ようやく買い手がついたかー、うんうん!」

 

 どうやら、迫田さんとしてもこれは処分に困る難物だったようで、その声は少し嬉しそうだ。

 そのまましばらく嬉しそうに首を上下させていた迫田さんだったが、何かに気付いたように「あ」と声をあげてから俺を見た。

 

「これを買うってことは、これは別に包んだ方がいいよな」

「そうですねー、スネアの方はスネアでまとめて、これは別口でお願いします」

 

 そう頼むと、迫田さんはニカッと笑って胸をドンと叩いた。

 

「任せとけ! 包むのが上手い女子力の高い奴にやらせるからよ! どっちの娘にあげるのかは知らないが、うまくやれよ鳴瀬くん!」

「あー、はい、なんとかやります」

 

 ……多分、迫田さんが考えてるようなことにはならないけど、まぁいいか。

 

 そのまま楽しげに商品をレジに運ぶ迫田さんの背中を見ていると訂正する気にはなれなかったので、あえて訂正することなく俺は彼の後を追ってレジに向かったのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「お買い上げありがとうございまーす」

「こちらこそ、丁寧に包んでいただいてありがとうございます」

 

 少し間延びした声と共に差し出された二つの袋を俺は手に取る。

 

「すまんな、鳴瀬くん。今日、うちで一番綺麗に包装ができるのはこいつしかいなかったわ。いつもならもっと上手い奴がいるんだがなー」

「しばきますよ、迫田さん」

 

 先ほどとはうって変わって、トゲのある声色で迫田さんを睨み付けたのは、最初に俺たちの対応をしてくれた、ピアスたっぷりの店員、大槻さんだ。

 

「いえいえ、十分に綺麗でしたよ。本当にありがとうございます」

「ほらー、彼もそう言ってるじゃないですかー。見る目ないなー、迫田さんは」

「ばーか、お世辞だ、お世辞。いや、鳴瀬くん、今日はお友達も色々買ってくれてありがとう、また頼むよ!」

「はい、ぜひお願いします」

「ありがとーございまーす」

 

 そして、手を振る迫田さんと、手を振りながら迫田さんの脇腹に肘鉄を食らわせる大槻さんに見送られながら、俺は店を後にした。

 階段を降りて入り口の自動ドアを潜ると、そのすぐ脇で大和さんと松原さんは楽しげに談笑していた。

 

「おーい、お待たせー」

「あ、基音さん!」

「鳴瀬さん」

 

 俺が声をかけると、返事とともに二人の顔が同時にこちらを向いた。

 

「いやー、色々あって少し遅くなった。大和さん、はいこれ」

 

 謝りながら、俺がスネアを差し出すと大和さんは嬉しそうにそれを手にとって頬擦りまでし始めた。

 

「ありがとうございます~! わぁ! ケースまで付けてくださったんですね! もう、感謝感激ですよ~!」

「そのまま持って帰るのもあれだと思ったからね」

「よかったね、麻弥ちゃん」

「はい、花音さん!」

 

 微笑みながら声をかける松原さんに、大和さんが笑顔で応える。

 さっきの試打のことはさておき、この二人はどうやら中々相性がいいようだ。

 

 なら、このまま帰るのはちょっともったいないかな?

 

 そう考えた俺は、二人にある提案を持ちかける。

 

「二人とも、もしよかったら近くのカフェでお茶でもしないか? 二人ともドラムを叩いたから少し疲れてるだろうし、まだ話したいこともあるだろ? 俺が奢るから、どうかな」

「え、いいんですか!?」

「鳴瀬さん、大丈夫ですか?」

 

 驚いたような表情を浮かべる大和さんと、気遣わしげな表情の松原さんに笑顔で応える。

 

「お金のことなら心配無用だよ。最近は懐も結構暖かいからね」

「そういうことでしたら、お言葉に甘えて……」

「お願いします、鳴瀬さん」

「オーケー決まりね。ここってさ、近くに紅茶とフルーツのケーキが美味い店があるんだよ。俺、紅茶好きだからそこでいいかな」

「うわぁ……! 紅茶とケーキですか、いいですね!」

「楽しみだね、麻弥ちゃん!」

 

 そうして俺は、提案に嬉しそうに賛同してくれた二人を連れて、しばらく歩く。

 件のカフェは10分も歩かない内に見つかった。

 店に入ると、都合よく奥の壁際にある落ち着いた席が空いていたので、すぐにそこに腰を落ち着けることに決めた。店内は過度な装飾を施さず、小綺麗にまとまっていて、それがまたゆったりとした時間を演出してくれる。

 

「俺は、ダージリンのファーストのアールグレイをアイスで、それにブルーベリーとチーズのタルトを一つ」

「それじゃあ、自分はアッサムのセカンドをホットのミルクティーで、ケーキはベリー&ベリーのチーズケーキをお願いします!」

「わ、私はダージリンのセカンドをホットでストレート、ケーキは洋梨のコンポートのタルトでお願いします」

「かしこまりました~!」

 

 三人が立て続けに注文すると、シックな服の店員が伝票を持ってキッチンへと向かう。

 その後ろ姿を見送ってから、俺はピッチャーからサーブした水に手をつけた。ほのかに香るレモンとミントのフレーバーが喉に優しい。こんなところにまで手を抜かないのは良い店の証拠だ。

 

「うわ~、おかわり自由のお水なのに凝ってますねぇ」

「ほんとだ、すごいね」

 

 二人も水に口をつけて、驚いた表情で顔を見合わせている。

 

「ここは、飲み物にかなり力を入れていてね。紅茶はそれぞれに小型のティーポットで出してくれるし、茶葉の時期も選べるんだよ」

「うわー……、なんかめちゃくちゃ映えるタイプのカフェなんですね。はっ、も、もしかして自分、場違いなのでは!?」

「な、なんだか私も急に緊張してきました……!」

 

 俺の言葉で、周囲をキョロキョロ見回してあからさまに挙動不審になり始めた二人の姿に、思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

「別に気にする必要はないよ。ちょっとこだわった普通のカフェだよ。これくらいはよくあるお店の個性のうちさ」

 

 そうして俺が再び水に口をつけると、二人もホッと胸を撫で下ろす。

 

「そ、そうなんですかね。いやー、自分はこういうところにはてんで弱くて。基音さんは、こういうところによく来るんですか?」

「そうだなー。実は俺、紅茶に結構凝っていてね」

 

 そこまで言うと、大和さんがぐいっと身を乗り出した。

 

「そ、それはやっぱり彼女さんとかの影響だったり?!」

「ぶふぇっ!?」

「うわ!? 大丈夫か松原さん!?」

 

 大和さんの言葉で、なぜか水を飲んでいた松原さんが盛大にむせたので、慌ててテーブルの紙ナプキンを手渡す。

 

「けほっ、……だ、大丈夫でふ。少し、みじゅが変なところにひゃいっただけでしゅ……」

「そ、そうか。しばらく落ち着いてゆっくりしてるといいよ」

「ひゃい……」

 

 松原さんが赤面してあまり触れてほしくなさそうな様子だったので、俺は話を再び元に戻す。

 

「俺が紅茶が好きなのは、高校時代の恩師の影響なんだよね」

「そうなんですね~。部活の顧問とかの先生ですか?」

 

 大和さんの言葉に頷く。

 

「そうそう、音楽の先生だったんだけど、吹奏楽と軽音の兼任でね。俺は軽音の部長として結構可愛がってもらってさ、先生の部屋に相談に行くと、いつも私物の紅茶をご馳走してくれたんだよ」

「わぁ、素敵な先生ですねぇ」

 

 今度は、いつの間にか立ち直っていた松原さんの言葉に頷く。

 

「うん、本当にいい先生だったよ。俺に作曲や編曲の作法とか、みっちりと教え込んでくれた人でね。多分、先生と出会わなかったら、今の俺はなかったと思うなぁ」

「へぇ~! その話もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」

「私も、鳴瀬さんの高校時代の話、聞いてみたいです」

 

 二人が興味深そうに口を開いたそのとき、丁度俺たちの分の紅茶とケーキのセットが台車に載って運ばれてきた。

 

「お待たせしました。紅茶とケーキのセットでございます」

「ありがとうございます。それじゃあ、お茶を飲みながらゆっくり話をしようか」

「はい!」「お願いします」

 

 クリスタルのポットから、濃く入れられたダージリンのアールグレイを氷たっぷりのグラスへと注ぐ。オレンジ色の瑞々しい紅茶が、それに相応しい柑橘類の爽やかな香りを放つ。

 花開くように広がるその香りを楽しみながら、俺たち三人は様々な話に花を咲かせるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「そうかー、じゃあ大和さんは本当に裏方一筋なんだね」

「そうですねー。なんだか自分は、精巧に組まれた部品とか装置とかそういったものをいじっているのが好きなんですよねー」

 

 それからしばらく。俺たちの話は二転三転して、今は大和さんの話になっていた。

 話を聞くに大和さんはどうやらドラム専門というわけではなく、バンドの機材やステージの音響、照明などならなんでもいじってしまえるらしい。

 なので、彼女は学校の部活だけでなく、夜はスタジオのアルバイトに引っ張りだこで、彼女の演奏技術はそういったスタジオでの機材セッティングで磨かれたものらしい。

 今では、彼女を指名してセッティングを任せるプロのバンドも多いのだとか。

 

 ……それであの腕前なんだから、末恐ろしい娘さんだなぁ。裏方なのがもったいないな。

 

 大和さんは裏方だ。だから、彼女がセッティングした楽器を使うプロのように光の当たる世界には出てこない。

 はっきり言って、大和さん未満のプロのバンドマンなんてざらにいるだろう。ドラム以外の演奏は聴いたことがないので、彼女がどれだけのものなのかは分からないが、少なくともドラムに関しては間違いなくそう言える。

 

 本当に評価されるべき演奏が、光の陰になって埋もれていく。

 その事実がなんだか無性に寂しかった。

 

 そして、そんな話の渦中の大和さんは最後となった紅茶をポットからカップに移し、そこに垂らしたミルクが滲んでいくのをスプーンを使うことなくずっと見つめている。

 しかし、その視線は決してそれを捉えているのではなく、そこよりももっと先に焦点が絞られているようだった。

 それからしばらく、ミルクがカップに均等に広がったのを見届けた大和さんは、意を決した表情で顔を上げた。

 

「……基音さん、花音さん、少しご相談があります。お二人をバンドに命をかけるバンドマンだと見込んでのご相談です」

「何かな?」

「実は自分、これから売り出すアイドル系ガールズバンドのグループにドラマーとして勧誘されているんです」

「えっ!? 麻弥さんってアイドルだったんですか!?」

 

 大和さんの口からこぼれた「アイドル」という言葉に松原さんが目を丸くする。

 実際、俺も驚いた。松原さんが声をあげなければ、恐らく俺の方が声をあげていただろう。

 

 大和さんは、かなり大人しいファッションをしているが、顔立ちはかなり整った部類に入ると思う。それこそアイドルと言われれば納得するくらいに。

 だが、俺が驚いたのはーー

 

 ……「アイドル」ってキャラじゃないよな、大和さんは。

 

 ーー彼女と「アイドル」という単語のギャップに対してだった。裏方で、機材をいじることに喜びを見出だす大和さんと「アイドル」という単語をどうしても結びつけることができなかったのだ。

 

 俺たち二人の驚愕の視線を受けた大和さんは、その顔に苦笑いを浮かべて居心地が悪そうに視線を逸らした。

 

「お二人が驚くのももっともだと思います。だって私、アイドルなんかになろうと思ったこと、今まで一度もありませんでしたから」

「……え?」

 

「実は、自分がお世話になってるスタジオの一つが、あるアイドルビジネスを立ち上げている会社のホームスタジオだったんです。その会社で『今流行りのガールズバンドアイドルを売るぞ!』って話になったらしくて、メンバーを集めたみたいなんですが、いざ蓋を開けてみると……」

「……ドラムが叩ける娘がいなかった?」

 

 言葉を拾った俺に対して、大和さんが大きく頷いた。

 

「はい、その通りです。それで、スタジオのオーナーが自分のことを会社に勧めて……」

「……結局そのままアイドルになっちゃった?」

「そうなんです……」

 

 松原さんの言葉に、大和さんが力なく頷いた。

 

「今の自分は結構揺れてるんです。『このままドラマーとしてステージに出ようかな』って自分と、『アイドルなんて柄じゃないよ』って自分が、ずっと胸の内側で囁いてくるんです」

 

 大和さんの顔は上がらない。本当にかなり参っているようだ。

 

「…………難しい問題だね。大和さんは、正直な話、それぞれの選択肢はどう思う?」

「そう、ですね。自分、『アイドル』っていうのは本当に柄じゃないんですけど、人前でドラムを叩いてみたいって気持ちが無いことはないんです。それでもやっぱり、日陰者の自分が『アイドル』だなんていうのは場違いなのではって気持ちは最初からずっとありますね」

 

 そこまで言って、さっき力なく頷いてからずっと伏し目だった大和さんが顔を上げた。

 

「正解の無い質問だとは自分も分かっているんです。でも、やっぱり誰かに聞かずにはいられないんです。基音さん、花音さん、自分はこのままガールズバンドアイドルとしてステージに立つべきでしょうか?」

 

 そこまで言い終えて、大和さんの視線がすがるように俺たちを射ぬいた。

 

 それは恐ろしく難しい質問だった。

 

 いってみれば、俺の答えが大和さんの人生を左右するようなものだ。人一人の運命が俺の言葉に左右されるだなんて、これ以上恐ろしくことなど数えるほどしか無いだろう。

 しかも、この問題は下手をすれば10年単位で彼女の人生を変える。俺だって20年しか生きていない若造だ。その答えを安易に口にするのは憚られる。むしろ、絶対王政の君主ぐらいしか軽々に口出しなどできないだろう。

 

 だが、その反面これは答えるにはある意味非常に優しい質問でもある。

 

 ーーその答えが人一人の運命を左右する。

 

 それを考慮に入れなければ、正解の無い質問なのだから、自分の心の赴くままに好きな答えを言えばいい。

 しかも、俺の場合、()()()()()()()()()()()()()()()。好き勝手に言っていいなら、本当にすぐにでもその答えを口にしたいところだが、前提された条件がひたすらに俺の足を引っ張ってくれる。

 

 さて、どうするか。当たり障りの無い意見も言えることには言える。けれどーー

 

 

 ーーバンドに命をかけるバンドマンとしてーー

 

 ……そんな、責任逃れのおためごかしは無しだ。大和さんは、俺たちを本気のバンドマンとして頼ってきている。ならば当然、俺が口から吐き出すのも、本当の俺の想いでなくてはならない。

 

 ……覚悟は決まった。

 命がけのバンドマンとしての俺が決めた。

 ここからは彼女の運命がどう変わろうとも、本当の言葉を紡ごう。

 

 そう決めた瞬間、自分でも驚くほどの滑らかさで、俺の口は開いた。

 

「大和さん」

「……っ」

 

 呼びかけに大和さんの体が強ばる。

 しかし、それは彼女がちゃんと俺の言葉を聞いている証だ。

 俺は彼女の反応を待たずに、言葉を続けた。

 

「一人の、命がけのバンドマンとして言わせてもらう。大和さん、君は()()()()()()()()()()()()()

「……!」

 

 俺は一言一言噛み締めるような口調で、俺の想いを言葉にした。その言葉で、大和さんの顔が弾かれたように上がる。

 

「あの凄まじい技術を、あの感情的な演奏を、あの楽器への愛を、一度も光に当てることなく終わらせてしまうのは世界の損失だ」

「基音さん……」

 

 ごくり、と大和さんが固唾を飲む音が聞こえる。松原さんも息を潜めてことの成り行きを窺っている。

 そして、たっぷりと二人の注意を集めたところで、俺は両手の平を天に向けて、やれやれと首をすくめた。

 

 

「なんて、仰々しいことを言ってみたんだけどさ。ぶっちゃけると、俺個人の意見として、大和さんがステージで輝いてるところが見たいってだけなんだけどね」

「「……へっ?」」

 

 先ほどまでとは打って変わった俺の口調に、二人が戸惑うのが手に取るように分かった。

 しかし、彼女たちが正気に戻るのを待たずに俺は言葉を畳み掛ける。

 

「正直な話、この質問の答えは大和さん、君の人生を大きく左右する答えになることは気づいているよな」

「はい、もちろんです」

「ならいいんだ。それを分かっている前提で話をさせてもらうと、まず、俺には君の人生をどうにかして、それに対して責任を負うことなんて無理だ。年長者とはいっても、高々20年しか生きていない若造だからな」

「はい」

 

 他人(ひと)の人生に責任は取れない。

 その言葉に、大和さんは大きく頷いた。それを確かめてから俺は言葉を続ける。

 

「だから俺は、一人のバンドマンとして、『こうなったら最高に面白いだろうな』って意見を言わせてもらってる」

「面白い、ですか……」

 

 今度は大和さんの言葉に俺が首を縦に振る番だった。

 

「そう、それも『最高に』だ。石は磨かれて玉になる。大和さんはまだ磨かれていない原石だ。でも、それなのに君はあれだけの輝きを放てる。なら、もし、それがステージを通じて磨かれたとき、一体どれだけの光を放つのか、俺はそれが見たいんだよ」

「わ、わたしも!」

 

 俺の言葉に真っ先に反応したのは松原さんだった。

 

「私も、麻弥さんがステージでキラキラするところが見てみたいです!」

「花音さん……」

 

 弾かれたように言葉を発した松原さんを、大和さんが半ば呆然と見上げる。そんな大和さんに、松原さんは優しく微笑んだ。

 

「私もね、ほんの少し前までは全然輝いてなんかいなかったんだよ。本当はね、ドラムも辞めようと思ってたんだ」

 

 「ドラムを辞める」という松原さんの言葉に、大和さんが「信じられない」と言わんばかりに目を見開く。

 そんな彼女に、松原さんは「嘘じゃないよ」という風に軽く首を左右に振ってから言葉を続けた。

 

「でも、こころちゃんに《ハロハピ》に誘われて、鳴瀬さんやみんなといっぱい練習して、ステージに上がって、私は変わったんだ。私自身が気が付かなかった、私のキラキラしてるところをみんなが引き出してくれたんだよ」

「……!」

 

 そこまで言って、松原さんは胸元にそっと手を添えた。

 その顔は、微笑みに満ちて、先ほどスネアを叩いているときに見せた焦るような表情は一切読み取れない。

 まるで、胸の奥から泉のように溢れてくる力を、その手で受け止めているかのように、今の松原さんは満ち足りていた。

 

「だから、大和さんもきっと今よりもっと先にキラキラできるよ。私は、そんな大和さんが見たいな」

「花音さん……」

 

 ーー松原さん。君は本当に強くなったな。

 

 そう思わずにはいられなかった。

 技術として自分よりも先にいる同じドラマーの大和さん。

 そんな彼女に対して、松原さんは「もっと輝いて」と言ってみせる。

 普通なら、妬みや嫉みから、心ない言葉や、足を引っ張ってしまうような言葉をかけてしまっても仕方がないところだ。

 

 でも、松原さんはそうしなかった。

 

 松原さんにとって、大和さんは《過去の自分》だ。

 未だに自分の中の輝きを知らず、それでもいつか輝く日を夢に見て、淡い眠りに微睡(まどろ)む未完の大器だ。

 自分と同じだからこそ、自分が変われたという確証があるからこそ、松原さんはたとえ自分がその輝きに焼かれようとも、大和さんを微睡みから引っ張り出そうとしている。

 仏教の《捨身飼虎(しゃしんしこ)》を思わせる、松原さんのその姿。今の彼女を誰が「弱い」などと言えるだろうか。

 

 恐らく、そんな資格を持つ者はこの世に誰も居やしないのだ。

 

「言いたいことは、松原さんがほとんど言ってくれたからさ」

 

 今度は俺が話を始めると、二人の視線がこちらに集まる。

 でも、その視線に先ほどまでの迷いはなかった。

 

 

「最後に俺がまとめさせてもらうよ。知り合いに、やたらとシェイクスピアを引用したがるキザな奴がいるんだがね。今日は俺がシェイクスピアを引用させてもらうーー」

 

 

「ヘェーーーックショイ!」

「マァ、カオルッタラスゴイクシャミネ!」

「フフッ、キョウモドコカデコネコチャンガワタシノウワサヲシテイルヨウダネ!」

「カオルサン、ハナミズタレテマスヨ……」

 

 

「ーー"Love sought is good(求めて得る愛はよいものだ), but given unsought, is better(しかし、求められて得る愛には及ばない).” 大和さん、君は今、君が今まで培ってきた楽器や機材への愛を求められている。君の、その愛が欲しいと君を求めている人達がいるんだ。ドラマーとしてステージに立つのに今以上のタイミングはない、少なくとも俺はそう思う」

「今が、ベスト、ですか」

 

 前のめりに俺の話を聞く大和さんに俺はそのまま言葉を続ける。

 

「ああ、物事を始めるときには『天地人』の三つを欠くべきではないことは知っているかな」

「『天の時、地の利、そして人の和』ですね」

 

 大和さんはさらりと答えてくれた。こういうところに彼女の隠し様の無い、素養の高さが窺える。

 

「話が早くて助かるよ。大和さんは今、運命的にステージに立てる機会に恵まれ、しかも自分の利とするドラムという地を得ている。そして、人の和はーー」

「ーーこれから、バンドの仲間たちと築き上げていけばいい、そういうわけですね」

 

 大和さんの言葉に、俺は我が意を得たりと頷いた。

 そうして、大和さんは少し視線を宙に泳がせた後に、俺と松原の目を順番に真っ直ぐ見つめた。

 その奥に、可能性という名の輝きを放ちながら。

 

「お二人とも、ありがとうございます。自分、ガールズバンドアイドルのドラマーとして、ステージに登ってみようと思います」

「……! そうか、それは良かった!」

「とってもいいと思うよ、麻弥ちゃん!」

 

 言いよどむことなく、自分の未来を口にした大和さんを俺たちは口々に祝福する。

 その言葉を受けて、彼女は深々と頭を下げた。

 

「今日は本当にありがとうございました! 偶然出会った自分にこんなによくしてくれて、親身になってくれて、自分は本当に幸せ者です!」

「ま、これもお礼の一つだと思ってくれればいいさ」

「私は同じドラマーとしてアドバイスしただけだからね」

「お二人とも……このご恩はいつか必ずお返しします」

 

 そう言うと大和さんは席から立ち上がった。

 

「実は、本格的に意志が固まったら先方に連絡するように言われてまして、不躾だとは思いますが、自分、これで失礼させていただきます!」

「ああ、鉄は熱いうちに打った方がいい。早く連絡するといいよ。お会計はやっておくからね」

 

 俺が「気にするな」という意味で手をヒラヒラ振ると、大和さんは最後にペコリと頭を下げた。

 

「本当に何から何まですみません、それでは大和麻弥、行って参ります!」

「ああ、気を付けて!」

「頑張ってくださいね、麻弥ちゃん!」

 

 俺たちの激励の言葉を背に受けて入り口に向かう大和さんは、ふと思い出したように足を止めるとこちらに振り向いた。

 

「そうだ、私の所属するガールズバンドなんですけど、《Pastel*Palettes》っていうんです! もし、何かでご一緒することになったら、そのときはよろしくお願いしますねー!」

 

 そう言い残すと、大和さんは入り口から店へと吹き込む秋風を切って街へと飛び出して行った。

 

 

 

 

 俺たちが、再び大和さんと、そして、初めて《Pastel*Palettes》と関わることになるのは、もうしばらく先のことである。




ということで、花音ちゃん編という名の大和さん編でした!

このイベントは、今後の展開にみっちり絡むのでしっかり入れておきたかった次第でございますわ。

そして、なんだか地味に仕事の合間があるので、もしかすると次の花音ちゃん編のラストぐらいまでは近いうちに投下できるかもしれませんわ。

まぁ、あまり期待されると上げたハードルの下をくぐり抜けてしまうので、そこそこに期待してお待ちくださいましね!


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野良ベーシストはクラゲ少女を導く 後編2

続きました。

花音ちゃん編の6回目、これがほんとのラストです!

というわけで、シリアル(誤字)風味で続いた花音ちゃん編もこれで終わり! なんだか微妙な空気だけど、鳴瀬君には頑張って欲しい(他人事)


ーーカラン。

 

 手から伝わる熱で溶けた氷が、音を立ててグラスの底に沈む。どうやら自分が思ったよりも長く、そうやってじっとしていたようだ。

 

 大和さんが、決意を固めて颯爽と店を去った後、俺と松原さんは残ったケーキと紅茶を黙々と口に運んでいた。

 話すべきことはある。しかし、二人ともそのタイミングを逸していた。

 

 ……皿に乗ったケーキも、お互い後一口ってところか。よし、これを食ったらこっちから話すか。

 

 そうやって腹を括ると、俺は目の前のケーキにフォークを突き立てそのまま口に放り込んだ。

 

「……私、負けちゃいました」

「……ん」

 

 ケーキに乗ったフルーツの酸味が口の中にまだ残る内に、先に口を開いたのは松原さんの方だった。彼女は、ポツリとそう呟いた後、手の中のティーカップの水面に視線を落としている。

 そこに映る彼女の顔は、一体どんな表情を浮かべているのだろう。絶望か、はたまたーー

 

「ーー松原さんは、大和さんに対してどこで(・・・)負けたと思った?」

 

 松原さんから話を振ってきたということは、多少踏み込んでも問題はないよな。

 

 敗北に関する話題はいつだってナーバスになる。それでも話すことを避けられない以上は、できれば心がそれを受け止められる状態で話したいところだ。

 松原さんの方から、それを持ち出したということは、彼女は話を受け止める準備ができたということ、そう判断して俺は一気に核心に切り込んだ。

 こういう手合いは、うじうじと長引かせるよりもスパッとやってしまうに限る。誰だって自分の中の病巣を取り除く手術に、だらだら時間はかけられたくないだろう。

 

 松原さんは、しばらくカップの中の自分と対話した後に、スッと顔を上げた。

 そこに浮かぶ表情は《覚悟》だ。

 松原さんは、自分の敗北と正面から向き合おうとしていた。

 

「負けたと思ったことは二つあります。一つは、純粋に技術ですね。今の私にはスネア一本であそこまでの音を引き出すことはできません。大和さんは、技術的に私の先にいます」

「なるほどね」

 

 確かに、大和さんのスティックワークには目を見張るものがあった。スティックが4本にも6本にも見えるほど、恐ろしい残像を残す速さで、それでいて正確にヘッドやリムを捉えるその動きは、最早アマチュアの域になかった。

 

 でも、松原さんの話の核心はこっちじゃないな。

 

 そんな松原さんの一つ目の敗北は、大した問題ではないと俺は判断した。

 さっき、松原さんは「今の私には」という言葉を使った。

 それは裏を返せば、「未来の私なら太刀打ちできるだろう」ということに他ならない。

 実際、俺も今の松原さんの伸びを見れば、大和さんと同等の技術を身に付ける日はそう遠くないと思う。

 だから、俺は二つ目の言葉を静かに待った。

 こちらこそが、松原さんに敗北を刻み付けた本命だからだ。

 

「二つ目は……」

 

 そんな俺の前で松原さんは二つ目の負けに言及しようとして言い淀んだ。

 やはり、こちらこそが話の核心であるようで、彼女は刹那、視線を俺から外すと、すぐに先程の決意の表情を見せて口を開いた。

 

「二つ目は、情熱(パッション)です。言い換えるなら『ドラムへの愛』でしょうか」

「情熱、か……」

「はい、情熱です。……大和さんは、多分本当に楽器が好きで、好きで、好きで堪らないんです。恐らくは私よりも長く、そして私よりもずっとドラムが好きなんですよ。それに対して、私は一度挫折して、ドラムを諦めようとしました。私は、本当にドラムに対して失礼なことをしたと思います。だから、この差は決して埋まることはありません。私の完全な敗北です……」

 

 そこまで言って、松原さんは天を仰いだ。

 それは涙を堪えるようにも、最早どうしようもない過去をまじまじと見つめているようにも見えた。

 それからしばらくそうした後に、松原さんは再び俺と視線を合わせた。

 

「鳴瀬さん、質問してもいいですか」

「どうぞ」

 

 返事を確かめて、松原さんが口を開く。

 

「私は《ハロー、ハッピーワールド!》のドラマーとして、負けたままではいられません。《ハロハピ》は、世界中のみんなを笑顔にする最高のバンドです。私も最高のバンドにふさわしい最高のドラマーでありたい。だから、質問します。鳴瀬さん、私はどうすれば大和さんを超えるような、最高のドラマーになれますか?」

 

 強いなぁ、松原さん。本当に強くなったよ君は。

 

 未来を見つめ、鋭さすら感じるその瞳に、俺は感慨深いものを感じてしまう。

 《ハロハピ》で技術的に一番伸びたのは、素人から作曲までこなすようになった奥沢さんだろうが、一番心が成長したのは間違いなく松原さんだ。

 初めて出会ったあの時、ペグ子に引きずられるように俺の前に連れてこられた、今にも泣きそうな目をした彼女が、ここまで強くなれると一体誰が考えただろうか。

 

 一人の人間をここまで変えてしまう。やはり、バンドは刺激的(エキサイティング)魅力的(ファンタスティック)だ。

 

 俺は、バンドという文化の素晴らしさに心を震わせながら、同じバンドマンとして松原さんを導くために、まっすぐ彼女を見つめて言葉を紡ぐ。

 

 彼女の大きな思い違いを正すために。

 

「松原さん、そもそも挫折するっていうことは、何かを諦めるということは悪いことなのか?」

「えっ……」

 

 俺の言葉に松原さんが目を丸くして戸惑う。

 それはそうだ。ついさっき自分が自分の敗因として挙げた「挫折」が、悪いものではないなどと正反対のことを言われたのだ。戸惑うな、というのが無理な話だ。

 

「『挫折』や『諦め』を『悪』とするのは日本人の悪癖だなって俺は思うな。まぁ、これは日本の終身雇用みたいな文化と絡んでるから仕方ないんだけどね。欧米なんかでは仕事でも何でも『自分に合わないな』とか『自分にもっと向いてるな』って思うことがあったら、スパッと今までのことを『諦め』て次に行くのが普通なんだ」

「そうなんですか」

 

 素直な驚きをその声色に乗せる松原さんに、俺は軽く頷いた。

 

「うん、だから向こうでは日本以上に色んなことを経験してる人が多い。履歴書なんかも職歴だらけさ。日本は投げ出さないことが美徳だから、こういうタイプの人はまだまだ少ないけどね」

「なるほど、つまり鳴瀬さんが言いたいのは、私とドラムのは欧米型で、大和さんは日本型ということですね」

 

 松原さんの答えに、俺は「正解」という代わりに人差し指をピンと立てた。

 

「欧米型と日本型、これは型が違うだけだから優劣では語れない。例えばピクニックに行くのに、まっすぐ目的地に向かってそこで長くピクニックを楽しむのと、道中で立ち止まって道端の草花を愛でながらゆっくり目的地に向かうことはどちらも間違っていないんだ。『目的地で長くいられて最高!』って人もいれば、『色んな草花を見られて楽しかった!』て人がいることもおかしくないだろ?」

「はい、おかしくないです」

 

 松原さんが頷いたのを確かめて、俺は立てていた人差し指をビシッと松原さんに突きつける。

 

「俺はね、松原さんには『道端の草花を愛でる人』になって欲しいと思ってる。空ばかり見て歩んできた人間は、空の青さの素晴らしさは語れても、地に咲く花の美しさは決して語れない。だから、松原さんーー」

 

 次に伝える最も核心に迫る言葉のために、俺はここで一呼吸溜める。

 肺に十分に空気が行き渡ったことを実感してから、俺ははっきりとした口調でその言葉を口にした。

 

「ーー君には色々なものを見てほしい。そして、君にしか語れない、君だからこそ語れる美しさを見つけて欲しい」

 

 諦めた。

 挫折した。

 涙を流した。

 決してまっすぐな道ではなかった。

 でも。

 いや、だからこそ。

 辿ってきた道の長さだけ、たくさんのものを見ることができることだってあるんだ。

 

「私だけに語れるもの……挫折した私にしか語れないもの……」

 

 俺の言葉に自分の言葉を乗せて、松原さんは噛み締めるように呟いている。

 

「まぁ、これに関しては俺も松原さんと同じなんだけどなぁ」

「えっ?」

 

 驚いて顔を上げた松原さんに、俺は苦笑いを浮かべた顔を向けた。

 

「だって俺も《バックドロップ》を抜けて、絶賛迷走中だからさ」

「あー……」

 

 松原さんは「今思い出しました」みたいな表情で大きく口を開けた。俺が《バックドロップ》を抜けて《ハロハピ》のアドバイザーに収まった経緯は、彼女も知っているはずなのだが、どうやら頭から抜けていたらしい。

 

 まぁ、それだけ俺が《ハロハピ》に染まってるってことなんだろうけどさ、ちょっと思うところがないわけではないんだよなぁ。

 

 あの夢(・・・)以来、その思いは日増しに強くなっている。

 

 《ハロハピ》のアドバイザーであり、《ハロハピ》の一員である俺。

 《バックドロップ》を抜けた、一人の野良のベーシストとしての俺。

 自分の身の振り方を考えるときは、どんどん近づいてきている。

 

 でも、今はまだそのときじゃないな。

 

 俺は頭からその考えを追い払って、松原さんに向き合う。今度はその顔に笑みを浮かべて。

 

「だからさ、お互いに頑張ろうぜ。つらかった経験が、いつか俺たちの未来を支えてくれるような、そんな何かを見つけようじゃないか」

 

 そう言うと、松原さんはにこりと微笑んだ。

 それはとても自然な笑みで、松原さんらしい表情だった。

 

「はい、そうですね。お互いに頑張りましょう、鳴瀬さん!」

「ああ、頑張ろう」

 

 笑顔に笑顔で返事をして、松原さんの問いに対する答えはこれで出た。

 あとは、お互いに頑張って、苦しかった過去が自分のことを支えてくれる経験に変わるような何かを手探りで見つけていくのだ。

 たとえ泥臭いことだろうと、正解にたどり着くにはそれしか方法がないことだってあるのだから。

 と、そんなことを考えている内に、俺はふとあることを思い出していた。

 

「あ、そうだ『支える』って言ったときに思い出したんだけど……」

「はい、どうしましたか?」

 

 急に話を変えた俺に不思議そうな表情を浮かべる松原さんの前で、俺は鞄を漁ると、そこからラッピングされた細長いケースを取り出した。

 同じ表情のまま、ケースを見つめる松原さんに俺はスッとそれを差し出してみせる。

 

「……はい、松原さん。これ俺からのプレゼント」

「へっ?」

「さっき、スネアのケース買ったときに『これ、いいな』って思ったから一緒に買ってたんだよ。だから、松原さんにあげるね」

「ふ、ふぇぇぇ~!? ぷ、ププ、プレゼントですか!?」

 

 俺の言葉を聞いた松原さんは、フェノールフタレイン溶液*1もかくやという勢いで顔を真っ赤にした。

 

「あ、ありがとうございましゅ。あ、あの、開けてみてもいいでひょうか!?」

「どうぞどうぞ」

 

 松原さんはしどろもどろになりながらも、ケースを手に取りラッピングを丁寧に剥がしていく。

 そして、ケースの蓋を開けると、中に鎮座していたそれを手にとって店内の照明にかざした。

 光を浴びて艶やかに光るそれは、スネアドラムとスティックを模したペンダントのついたネックレスだった。

 

「わぁ……! かわいい……」

 

 スネアのペンダントをつまみ上げて、それに負けないほどキラキラと輝く目で見つめる松原さんを見て、悪くない買い物だったなと、俺も少し饒舌になってしまう。

 

「めちゃくちゃ細工が細かいだろ? 金属パーツとスティックはシルバーで、スネアのシェルはブルーのアクリル、ヘッドは本物のヘッドを切って嵌め込んでるんだってさ。ちょうどラディックのビスタライト*2みたいな感じだな」

「ふぇ~、なんだか拘りの一品って感じですね。あ、あの、本当に貰っていいんですか?」

 

 おずおずとした態度で尋ねる松原さんに、大きく頷く。

 

「ああ、是非貰ってほしい。俺は松原さんと同じステージには立てないからさ、ステージにいるときになんか俺も支えになれないかなって思ったときに、ショーケースのこれが目にはいってさ」

 

 俺が松原さんと大和さんを比べて、大きく違うなと感じたことがひとつある。

 それは大和さんは一人でもベストのパフォーマンスを出せるのに対して、松原さんは仲間に囲まれてこそベストのパフォーマンスを出せるという点だった。

 松原さんにとって、自分を光の中に連れ出してくれたペグ子たち《ハロハピ》のメンバーは、想像以上に大きな役割を果たしているようだ。

 

「オプションパーツでキーホルダーにもなるらしいから、よければ俺の代わりにステージの上につれていってやってくれよ。松原さんはさ、周りに仲間がいればいるほど強くなれる人だから」

 

 だからこそ、同じステージに立てない俺でも、何かしらの形で松原さんを支える力になってあげたかったのだ。

 

 俺の言葉を聞き終えた松原さんは、ネックレスを胸元でぎゅっと握り締めた。強く、強く、手の中のそれの感覚を確かめるようにじっとして、しばらくしてから彼女は口を開いた。

 

「鳴瀬さん、本当にありがとうございます。今日はスティックを買いに行くだけだと思っていたのに、本当にいい経験をさせてもらいました」

「それはよかった」

「はい。……鳴瀬さん、私は、鳴瀬さんの期待に応えられるような、そして、《ハロハピ》という最高のバンドにふさわしいような、最高のドラマーになります。絶対になりますから」

「ああ、期待してるよ」

 

 そう応えると俺は松原さんを眺めて思わず目を細める。

 力強い決意表明をした彼女が眩しく見えたのは、夜が近づき強くなったカフェの照明のせいだけでは決してないだろう。

 

「それじゃ、そろそろ出ようか」

「わかりました、なんだか帰ってもっともっと練習したい気分です」

「スティックも買い足したしな」

「はい!」

 

 そして、俺たちは二人同時に席から立ち上がった。

 それから店を出て、逸る気持ちから何度も駅までの道を間違えそうになる松原さんをなんとかエスコートして、俺たちはなんとか帰路に着いたのだった。

 

 

 

◇◇◇《side 松原花音》◇◇◇

 

 

 

「ふわぁ~……つかれたなぁ……」

 

 そう呟きながら、私はベッドに体を投げ出した。

 でも、本当に今日は疲れたのだ。

 鳴瀬さんと二人のお出かけで緊張したし、鳴瀬さんが家まで迎えにきたのにもびっくりしたし、麻弥ちゃんとのドラムの演奏では胸がずきずきした。

 

 そして、そのあとのカフェでの鳴瀬さんのプレゼントでは本当に胸がドキドキしたんだ。

 

 ごろりとベッドの上で寝返りをうつと、私はベッドのサイドボードに乗せていたケースを手に取る。中からネックレスを取り出してナイトランプの笠越しに光にかざす。

 

「綺麗だなぁ……」

 

 柔らかな光を受けてきらめく小さなスネアドラムとスティックを見て、思わずうっとりと呟いてしまう。

 

 でも、それはしょうがないことなんだ。

 

 スティックを始め、今まで鳴瀬さんから貰ったものは色々あった。でも、それは私にだけというわけではなく、他の《ハロハピ》のみんなも何か代わりになるものを受け取っていた。

 

 でも、これは違うんだよね。これは、鳴瀬さんが私だけに贈ってくれた、私だけのプレゼントなんだ。

 

 ステージに登る私を支えてくれるために、鳴瀬さんが贈ってくれたネックレス。そう考えるだけで胸の奥が暖かくなる。

 

「ふふっ、ちょっとつけてみようかな……」

 

 家に帰ってからもう何度も着けたり外したりを繰り返した上に、その姿をお母さんに見られて冷やかされたりもしたけれど、それでもやはり身に付けたいと思ってしまう。

 チェーンの留め具を外し、ネックレスを首に巻く。そして、姿見の前に立つとネックレスが確かに私の首に巻かれているのが見える。

 それはまるで、鳴瀬さんが後ろから腕を回して私を抱き締めてくれているようなーー

 

「ふぇぇぇ~!」

 

 ーーふぇぇぇ~! わ、私ったらなんて恥ずかしいことを考えてるの~!?

 

 思わず叫び声を上げると、私はベッドに飛び込んで両足をぱたぱたする。そうでもしないと、胸の内から際限なく生まれてくるエネルギーが発散できず、この体が爆発してしまいそうな気がしてくる。

 

 い、いけない! もっとエネルギーを発散しないと!

 

 そう思った、私が今度はベッドの上を左右にゴロゴロ転がっていると、階段を上がる音がして部屋の扉がノックされた。

 

「ふぁい!?」

 

 思わず上ずった声で返事をして体を起こすと、扉が開いて不機嫌モードのお母さんがゆっくりと顔を覗かせた。

 

「花音、いい感じの男の子からプレゼントを貰って嬉しいのはわかるわ。けど、あんまりバタバタ騒ぐのはうるさいからやめなさい。これ以上やるとネックレスは没収しますからね」

「ふぇぇぇ!? ご、ごめんなさい~! そ、それだけは勘弁してください~!」

 

 私があわててベッドの上で土下座して謝ると、お母さんは呆れたような表情で溜め息をついた。

 

「はぁ~、ちゃんと気を付けるのよ。ネックレスは逃げないんだから、早く外して今日は寝なさい」

「は、はーい。お休みなさい、お母さん」

「はい、お休み」

 

 お母さんが最後は笑顔で部屋の扉を閉めていったのを確かめると、私はすぐにネックレスを外してケースにしまった。

 

 ……ネックレスは今の私にはちょっと刺激が強いなぁ。キーホルダーにも付けられるみたいだから、しばらくはキーホルダーにして使おう、うん。

 

 残念だけど、ネックレスとしてこれを使うのは今の私の女子力(?)では荷が重いみたいだ。

 

「……でも、いつかきっとネックレスとして使いたいなぁ」

 

 もう少し人生経験を積めば、私もこれをネックレスとして身に付けられるだろうか。

 そんなことを考える内に、まぶたがどんどんと落ちていく。

 

「……もし、これを……ネックレスで……使えたら……その、ときは……」

 

 まぶたの裏側に浮かぶ私は、鳴瀬さんのネックレスをつけて自然に微笑んでいる。その視線の先には鳴瀬さんがいて。それで、私たちはーー

 

「……私たちは…………鳴瀬………さん………むにゃ……」

 

ーーそこから先のイメージが形になる前に、私の意識は幸福に包まれたまま、夢の淵へと落ちていったのだった。

 

 

 

 

 

 

*1
理科の実験のお供。アルカリ性水溶液と反応して鮮やかな赤色になるぞ。綺麗だね。

*2
ラディック社のドラムの一種。シェル(胴)がアクリルで作られ見た目が大変美しい。木製シェルと比べてサスティーンが短い特徴がある。




というわけで、花音ちゃん編終了ですわ!

なんだか最後に乙女チックがめっちゃ放たれて驚きましたわ!

というわけで(?)、次回からお話は本編に戻りますわね。商店街ライブに向けて鳴瀬君が奔走します! 頑張れ、鳴瀬君!


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二章 野良ベーシストと盛りだくさん路上ライブ 後半戦
野良ベーシストは240時間戦える 【10日前・午前】


続きました。

いよいよ、盛りだくさん路上ライブ編の後半に突入!
今回はバンドリキャラはお休みで、次の話に繋がるためのオリキャラ同士の絡みになります(話の中でバンドリキャラに触れることはあるよ!)

サブタイトルは、一昔前の栄養ドリンクのキャッチコピーのもじりだよ! なんだか不穏なタイトルだね!


【路上ライブまであと10日】

 

 

 

「おーう、鳴瀬氏ー。久しぶりではないかー」

「アッ君先輩、お久しぶりです。すみません、急に連絡しちゃって」

 

 商店街での路上ライブを10日後に控えた今日、俺は早応大学のキャンパス内にあるカフェテリアの一つに足を運んでいた。

 カフェの奥まったところにある席に腰を落ち着けた俺の目の前には、軽音部の一つ上の先輩であるアッ君先輩こと、安良田野(あらたの)(ひかる)氏が座っていた。

 若草色のベレー帽に、薄い金色に染めたボブカットの似合うチャーミングな彼女とは、決して偶然出会った訳ではなく、先の会話からも分かる通り、俺がここに呼びつけたのだ。

 

「はっはっは、可愛い後輩の頼みならボクは一向に構わんさー」

 

 俺の言葉に、アッ君先輩はカフェオレを啜っていたストローを口から離してからからと笑う。

 最近は部室にも寄り付かなくなった後輩の急な連絡だというのに、アッ君先輩は鷹揚な態度を崩さない。本人曰く「地方から上京してきた田舎者特有のおおらかさみたいなものだよ」とのことだが、この優しい包容力に助けられる後輩は多く、四回生卒業後の部長は彼女が務めることになるだろうというのは、部内の共通見解となっていた。

 そんなアッ君先輩に、俺はテーブルの上に身をずいっと乗り出して要件を告げた。

 

「それで、メールでお伝えしていた商店街で行う路上ライブの件なんですが……」

 

 そう、俺がこのアッ君先輩を頼ったのは10日後に控えた商店街でのライブについて相談するためだったのだ。

 アッ君先輩は商学部に在籍していて、ゼミでは「地方再生」をテーマに様々な研究を行っている。その一環で、商店街のような小規模コミュニティを活性化させるイベントなどを提案して、実際に地元でイベントを行って成功させたこともある名プランナーなのだ。

 

「ま、とりあえずは鳴瀬氏の絵図を見せてもらおっかー」

「たしかに、それから判断してもらった方が早いですね。よいしょっと、こちらが計画のレジュメです」

 

 その切れ者ぶりをいくらも感じさせない間延びしたアッ君先輩の言葉に、俺は鞄の中から今回のイベントに対して徹夜でまとめたレジュメを取り出した。

 《ハロー、ハッピーワールド!》の路上ライブ用にまとめたベースがあったとはいえ、それを複数のバンド用にまとめ直すのは中々に骨だった。

 

「それでは、拝見させてもらいましょうかー」

「お願いします」

 

 アッ君先輩は俺の差し出したレジュメを手に取ると、時折「ふんふん」と頷きながら凄まじい速度で目を通し始めた。恐らく彼女は、この手の計画は何度となく立てたことがあるので、レジュメでも見るべきところが分かってるのだろう。

 20枚を超えるレジュメをわずか5分ほどで目を通し終えたアッ君先輩は、「なるほどねー」と呟いてパタンとそれをテーブルに閉じた。

 

「どう、ですかね?」

「うん、突貫工事で作ったにしては悪くないと思うよー。最初の案をかなりちゃんと練ってたお陰だねー」

「そうですか」

「ま、改善点は多いけどね。とりあえず、まずはここを見てよ」

 

 そう言ったアッ君先輩の手がレジュメを捲る。開いたページは商店街の見取り図だ。

 

「まず、喫緊の課題は『観客の動線の確保』だね。今の計画のままだと、ステージにへばりついた観客のせいで、人の動きに流動性が生まれない可能性がある。『秋祭りに変わる商店街全体の活性化』を掲げるなら、これはちょっとまずいねー」

「たしかに……」

 

 それについては俺も頭の片隅に懸念があった。

 イベントがこちらの予想以上に盛り上がってしまった場合、ステージから観客が動かなくなって、商店街中央の十字路が詰まる危険性があったのだ。

 通常の野外ライブはチケット制やステージの分散設置で人の量や流れを制御するのだが、今回は商店街という場所の制約があるためそれは出来ない。

 こうなると、せっかく来たのにイベントに参加できない人たちが生まれて、中には不満を抱いてしまう人も出てくるかもしれない。バンドマンとしても、商店街のためにも、そんな下手を打つことだけは避けたいところだ。

 

 でも、わざわざそれを指摘するってことは、アッ君先輩には解決の糸口が見えてるってことだよな……。

 

 そう考えた俺は、話を進めるためにアッ君先輩の言葉をさらに引き出しにかかる。

 

「ということは、先輩はすでに改善案を……?」

「もちろんさ、さしあたっての改善箇所はここだね」

 

 探りを入れるような俺の言葉に、アッ君先輩は大きく頷くと、テーブルに広げた商店街の見取り図を二ヵ所、人差し指で「コンコン」と叩いた。

 

「会場の商店街の見取り図を見させてもらった上で、僕から提案したいのは『サテライトステージ』の設置だねー」

「サテライト……つまりはフェスみたいに小型のサブステージを作るってことですか?」

 

 俺の問いかけに、アッ君先輩は首を縦に振った。

 

「そうそう。ここの商店街、さっき指で指し示したように

、あと二ヶ所大きい十字路があるでしょー。そこにもステージを立ててサテライト化するんだよー」

「なるほど。しかし、サテライトの方に客を呼び込めますか? モニターなんかでステージを流すにしても、やはりガールズバンドの生演奏を見られるとなれば、そちらに足が向かいそうですが……」

 

 俺としては、少し足を延ばせば生の演奏を見られる状況で、サテライトに客を引き込めるのか不安なところがあった。

 しかし、それに対してアッ君先輩は既に答えを用意しているといった表情でコクリと頷いた。

 

「うん、それの対策も考えてるよー。出演するガールズバンドって何組かいるでしょ? メインステージで出番のグループ以外は、サテライトについてもらえばいいんだよー。例えば、『演奏後に、トークやアンコールなんかするんで、興味があればサテライトまで来てください』なんて言えば、そこが目当ての観客は一緒に動くと思うなー」

「おお、演奏待ちのバンドを集客に使うんですね!」

 

 俺がポンと手を打つと、アッ君先輩は満足そうに微笑む。

 

「そーそー、鳴瀬君のイメージではOA*1とHL*2を決めてステージをやるつもりでしょー?」

「そうですね、HLはこの界隈では大物のバンドに声をかけるつもりです。来てくれるかは未定ですけどね」

 

 そう答える俺の脳裏には、黒髪に赤いメッシュを一筋入れた、真っ直ぐに燃える瞳の少女と、それとは対照的に氷のように透き通るその目に、怜悧(れいり)な輝きを宿す銀糸の髪少女が率いる二つのバンドの姿が鮮明に映っていた。

 

 ここがどっちも呼べたら最高なんだけどなぁ。《Afterglow》は商店街に縁があるバンドだから、そこからなんとか釣り上げられそうだけど、《Roselia》は、ストリートでタダで演奏するレベルのバンドじゃないからなぁ。ま、ダメ元でいくか。

 

 そんなことを考えていると、急に目の前のアッ君先輩が、やけに芝居がかった動作で口許に手を添えて俺から視線を逸らした。

 

「へー。鳴瀬君、こっちに顔を出さないと思ってたら、他所で有名なガールズバンドと繋がってたんだねー。お母さんは悲しいよ、よよよ……」

「な、成り行きですよ。そんな狙って繋がりを持とうとしたわけではなくて……というか、泣き真似は止めてくださいよ」

 

 俺がそう言った瞬間、アッ君先輩は泣き真似を止めてケロリとした笑顔を作る。

 

「はーい。ま、でも、その話を聞いて、ボクはちょっと安心したかなー。鳴瀬君、卓也君と峻君と揉めてから全然顔を出さないしさー。心配してたんだよー、これでもさ」

「う、すみません……」

 

 流石にそう言われてしまうと、俺にできるのは謝罪の一手しかない。

 《バックドロップ》解散直後のタクとシュンは、かなりピリピリしていたらしく、部内の雰囲気にもかなり影響を与えていたらしかった。

 それをなんとか取り持ってくれたのがアッ君先輩で、そんなこんなで俺はアッ君先輩には足を向けて眠れそうにない。今回の件が終わった暁には、足を向けるどころかアッ君先輩の方に五体倒置して眠る必要があるだろう。

 そんな大恩あるアッ君先輩だが、彼女は恩着せがましいところなどひとつも見せず、にこにことした笑顔を崩さない。本当に聖人のような人物だ。

 

「まーまー、そんなにかしこまらなくてもいいよー」

「そう言ってもらえると助かります。それじゃあ、この計画は二ヵ所の十字路のサテライト化で大丈夫ですかね」

 

 アッ君先輩が頷く。

 

「うん、そだねー。ただ、この案の問題は、当初の計画よりかなーり大がかりになっちゃうことだねー。サテライト用の機材は追加でレンタルしないといけないし、搬入や撤去に人手もかかるよ。その辺りの都合はつくのかい?」

「ええ、ステージは祭りで使っていたものがそこの十字路の分もあったはずなので、商店街の会長に貸し出しを頼めば許可は下りると思います。機材と人手と資金に関しては、こちらはめちゃくちゃ有力な後ろ楯がいるんで無問題ですね」

 

 そう答える俺の脳裏に、今度浮かんできたのは底抜けに明るい笑顔を浮かべ仁王立ちする金髪の少女と、その背後に控える黒服の女性達の姿だった。

 その姿には「こいつらなら何とかしてくれる」という信頼感と、「こいつらなら何かしでかしてくれる」という不安感というアンビバレンスな感情を抱かずにはいられなかった。

 

 ペグ子には精々頑張ってもらわないとな。まぁ、あいつのことだから「頑張る」なんて考えないで、なんでも楽しんでやっちまうんだろうけどな。

 

 そんなことを考えて思わず苦笑する俺を見て、アッ君先輩は口と目を丸く見開く。少し抜けた表情だが、彼女がするとそれもチャームポイントに変わる。美人というのはそれだけで得だ。

 

「ほぇー。鳴瀬君、部室で見なかった間に随分すごいことしてたんだねぇー。今度、ゆっくり話を聞かせてよー?」

「はい、落ち着いたら必ず」

 

 俺が承諾を告げると、アッ君先輩は満面の笑みで応えてくれた。

 

「よーし、約束だからねー。それじゃあ、あともうひとつなんだけど、ステージが無いところのお店の人には、もっと積極的に出店なんかを建ててもらうようお願いできるかな? 例えばジュースなんかを買い込んで、クーラーボックスで氷水に浸けて売り込む程度でもいいからさ」

「それも人の密集対策ですね」

 

 お祭りという非日常では、小規模な露天でも何か売り物があれば、そこで少し足取りが鈍るのは人の性というものだ。

 アッ君先輩も、まさしくその効果を狙っているらしい。

 

「そうそう、道幅が狭い商店街なら逆効果だけど、ここは車が余裕で対向できるくらいの規模があるからねー。ちょこちょこ出店で足を止めてもらえたら動線を確保してかなり人を散らせると思うよー」

「わかりました。ステージの追加を依頼するときに、会長や知り合いに声をかけてもらうように頼んでみます」

 

 これは推測だが、多分商店街の会長も商店街が盛り上がるためならこれぐらいのことには喜んで手を貸してくれるだろう。

 それがダメでも、商店街は北沢さんのホームグラウンドでもある。そこからお店同士の(つて)で話を広げるプランB*3も可能なはずだ。

 それを聞いたアッ君先輩は、満足そうな表情で手をヒラヒラと左右に振った。

 

「よろしくねー。それじゃあ、計画に関してはこんなところかなー。後の細かなところはこっちで修正するからさ、データを全部ギブミープリーズだよ」

 

 その言葉と共に差し出されたアッ君先輩の右手に、俺はデータの入ったUSBをそっと乗せる。

 

「わかりました。でも、いいんですか? こんなことを任せてしまって……」

 

 ライブ(祭り)までは、あと10日。その後開催のために区役所から許可を取り付けるためには、準備期間やリハを考えると、遅くとも明後日までには役所に赴いてプレゼンテーションをする必要がある。

 アポに関しては《popin' party》が動いてくれているのでその連絡待ちにはなるが、どのような結果にせよかなりの突貫工事となる。アッ君先輩にはかなりの負担をかけるはずだ。

 しかし、それでもアッ君先輩は飄々とした態度を崩さない。

 

「ボクは構わないさー。正直な話、この案件はボクにとって趣味と実益を兼ねてるからねー」

「それはやっぱりゼミの関係ですか?」

「そうそう。ボクはこういった小規模なコミュニティの活性化を研究してるからね。こんなイベントに関われるのはチャンスなんだよー。だからさー……」

 

 そこまで言って、アッ君先輩は少し溜めを作って次の言葉を発した。

 

「今回の件なんだけど、ボクにも一枚噛ませてもらうよ。具体的にいうと、区役所でのプレゼンとライブの運営にボクと同じゼミの何人かを入れてほしいんだー」

「えっ、それはいいですけど……本当にいいんですか?」

 

 アッ君先輩の申し出に、俺は思わず尋ね返してしまった。ライブに向けての人手が増えるのは願ったり叶ったりなのだが、この提案、あまりアッ君先輩はにはメリットが無さそうに思えたのだ。

 それでも、アッ君先輩はそんな俺の疑問に首を横に振った。

 

「ううん、気にしないでー。うちのゼミは実地型のゼミだからさー、こういうのに参加できるとゼミの単位がポンと貰えるんだよねー。あわよくば、卒論なんかにも使えるデータとかも採れるかもしれないしねー」

「あー、そういうことですか」

 

 確かに、単位と引き換えと考えれば協力することもやぶさかではないのかもしれない。大学の後期の始まって間もないこの時期に、単位のネタを確保できるなら進んで協力したいゼミ生はいるに違いない。

 

「そうそう。だから、ボクを含めて今回のライブのことを卒論に使うゼミ生が何人かいると思うんだけど、その辺りも許してねー?」

 

 そう言って、拝むように手を合わせてウインクするアッ君先輩に、俺は笑顔で頷いた。

 

「もちろんですよ! それで、アッ君先輩たちに協力してもらえるならいくらでもネタとして使ってください」

「サンキュー。その代わりに、ライブ後に私たちが手に入れたデータで、区役所に対して使えるデータなんかがあれば、逆に使ってくれても構わないよー」

「何から何まで助かります。ではそろそろ」

「うん、そろそろだねー」

 

 そこまで言うと、アッ君と俺はカフェの席から立ち上がる。

 時間は有限だ。話がまとまればすぐに次の作業に移らなくてはならない。

 俺はポケットから財布を出すと、資料を鞄にしまっているアッ君先輩に声をかける。

 

「ここの会計は俺が持ちますんで、お先にどうぞ」

「おー、ありがとね。荷物をまとめたら先に出ておくよー」

「はい、ありがとうございました」

 

 アッ君先輩の言葉を背に受けて、俺はレジに向かう。

 会計を済ませた俺がカフェの外に出ると、そこではまだアッ君先輩が俺のことを待っていた。

 

「あれ? 先に行ってなかったんですか、アッ君先輩」

「うん、ちょっとねー」

 

 呼びかけに、いつものように間延びした調子で応える先輩だったが、それは少し歯切れの悪い雰囲気をまとっていた。

 それから少し、右手で自分のボブカットの毛先を弄んでいた彼女は、意を決したように俺の目を見て口を開いた。

 

「鳴瀬君さ、そろそろ軽音部に戻ってくる気はないかなー?」

「そ……れは……」

 

 ーー軽音部に戻らないか。

 

 不意打ちで放たれたその言葉に、俺の思考は完璧に停止させられた。いや、思考だけでなく、体の全ての権能が停止させられたと言ってもよかった。

 

 ……落ち着け、俺。こんなときは深呼吸だ。さぁ、息をゆっくり吸って、同じぐらいゆっくりと吐くんだ。

 

 なんとか散り散りになりそうな思考をまとめて、深呼吸。ひとつ息をする度に、酸素が脳を回転させていくのがわかる。俺は呼吸することすら止めていたのだ。

 

「……それは、どうしてですか? まさか、タクとシュンが何か先輩に言ったりしましたか?」

 

 たっぷり三度の深呼吸を終えて、ようやく落ち着きを取り戻した俺は、なんとか続きの言葉を絞り出した。

 そんなギリギリの状態で放った俺の言葉に、アッ君先輩は黙って首を横に振った。

 

「だったら、それはアッ君先輩の考えなんですか?」

「うん、そうだよ」

 

 今度は、アッ君先輩の首が縦に動いた。

 そこから、次の言葉を紡げない俺に向かって、アッ君先輩は真っ直ぐ俺を見つめたまま、言葉を続けた。

 

「まぁ、卓也君と峻君が関係ないわけではないんだけどねー。実は、最近あの二人うまくいってないんだよねー」

 

 その言葉を聞いた俺の口は、思わず「えっ」と言葉を漏らしていた。

 

「……まさかあいつら、他の部員ともめたんですか?」

「いや、そうではないよー。あの二人は面倒見がいいからさ、結構一回生からは慕われてるんだよー」

「じゃあ、何が……」

 

 部員と揉めた訳じゃないってことは、あいつらが揉めてるのか? マジか? それにしても、何でまたここで揉めるんだ? ……ダメだ、判断材料が少なすぎる。

 

 タクとシュンが揉めた理由を考えるも、最近二人と会っていない俺には、答えに辿り着くためにはあまりにも情報が足りなかった。

 しかし、その答えはすぐにアッ君先輩から語られることになった。

 

「なんかさ、最近あの二人はずっと退屈そうなんだよねー。少し前までは、後輩に色々指導したり、セッションしたりしてイキイキしてたんだけど、夏の終わりぐらいから急に物思いに耽ることが多くなってさー、今じゃほとんど部室でもしゃべらないんだよねー、二人とも」

「……そうなんですか」

 

 タクとシュンが物思い、か。何を考えてるんだろうな。

 

 昔、一緒にいたときには見せなかった二人の姿を聞いて戸惑いを隠せない俺に対して、アッ君先輩はさらに畳み掛けてくる。

 

「他の部員も気になって二人に声をかけるんだけど上の空なんだよねー。だからさ、付き合いの長い鳴瀬君が部室に戻ってきたら、もしかすると解決の糸口があるかもと思ったわけさ」

「…………」

 

 確かに、付き合いの長い俺ならタクとシュンの悩みも、二人に会えば察することができるかもしれない。

 

 でも。

 

「……すみません。俺はまだ部室に戻る気はありません」

「鳴瀬君……」

 

 俺の言葉に、ずっと笑顔だったアッ君先輩が初めて複雑そうな表情を浮かべた。

 優しさの塊でできているような彼女に、そんな表情をさせてしまう自分に無性に腹が立った。

 

 それでもだ。

 

「タクとシュンに対しては、まだ割り切れない気持ちがあるんですよ。《バックドロップ》というバンドのあり方(たましい)を捨てた二人を受け入れられない自分が、ずっと胸の中に巣食っているんです。こいつがどうにかならない限り、俺が部室の扉をくぐることはないですね」

「……そっか」

「すみません、折角気にかけてもらっているのに」

 

 俺が腰を折って深々と頭を下げると、アッ君先輩は「ん、いいよ」と両手をヒラヒラと左右に振った。

 

「その辺りは鳴瀬君の心の問題だからねー。ボクも無理強いはしないさ」

 

 言いながらアッ君先輩はとことこと先へ進む。

 背の低い彼女の歩幅は短い。それでも10歩ほど進んでそこそこの距離が離れて「でもね」と言いながら、彼女はくるりとこちらを振り返った。

 

「もしもだよ、もしも二人が鳴瀬君のところを訪ねることがあるならさ、そのときは逃げないで話を聞いてあげてくれないかなー。多分、そのときの二人はすごくいろんなことを考えた上で鳴瀬君の前に立ってるだろうからさ」

「二人が、俺を……」

 

 タクとシュンが俺を訪ねて来ることなどあるのだろうか。

 もし、そうだとするなら、俺の考えが変わらない以上はそのときは二人の考えが変わったということなのだろう。

 

「わかりました、そのときはちゃんと話をしますよ」

 

 二人がどう変わるにせよ、元《バックドロップ》のメンバーとして、俺にはその変化を見極める義務がある。

 そして、それに対する答えを出す義務もだ。

 解散するのか。

 元の鞘に収まるのか。

 俺が変わるのか。

 俺は変わらないのか。

 それは、あらゆる選択肢を考慮しての答えになるだろう。

 だから、俺はアッ君先輩の言葉を素直に受け入れた。

 

「そっか、それはよかったよ」

 

 アッ君先輩は、そんな俺の心の内までは読み取れてはいないだろうが、とりあえずは俺の答えに満足したようだった。

 

「それじゃあ、ボクはここで失礼するよー。次に会うときは区役所のプレゼンのときだね」

「はい、よろしくお願いします」

「じゃあねー」

「では、また」

 

 最後の言葉を交わして、俺たちは別れる。

 

「……よし」

 

 ただでさえ小さなアッ君先輩の背中がさらに小さくなっていくのを見送りながら、俺は俺の仕事を果たすべく足を前に進め始める。

 

 今の俺に止まっている時間はないんだ。

 進み続けろ。思考を止めるな。その先に答えが待っている。

 

 ーーだが、本当にそうなのか?

 

「…………」

 

 急にそう囁かれたような気がして、俺は進み始めたばかりの足を止めた。振り返った俺が見つめる先に、アッ君先輩の姿はもうなかった。

 ただ、アッ君先輩が去ったその先に、薄暗い雲の垂れ込めた秋には不似合いな空が、どこまでも途切れることなく続いていた。

*1
オープニングアクト。ステージのメインを張る以外のバンドや、そのバンドによる前座の演奏のこと。

*2
ヘッドライナー。ステージのメインを張る目玉のバンドやその演奏のこと。必ずしも単独のバンドというわけではなく、複数のバンドによるヘッドライナーが設けられたステージもある。

*3
「あ? ねぇよそんなもん」




というわけで、路上ライブ編後編の一話目ですわ!

ここからは路上ライブ本チャンに向けてのカウントダウン形式で話を進めますわよ!

途中で何日かはまとめていきますので、大体4話くらいで終わりますわね!(終わるとは言っていない)

次回は、久しぶりに花音ちゃん先輩以外の《ハロハピ》メンバーも出せると思いますので、しばらくお待ちくださいまし!


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野良ベーシストは240時間戦える 【10日前・午後】

続きました。

路上ライブ編、後編の2話目です。

久しぶりに《ハロハピ》メンバーが登場して、ライブに向けてストーリーがすすんでいきますよー!


「……というわけで、商店街での路上ライブは他のガールズバンドとの合同ライブになった」

 

 俺がその情報を《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーたちに告げたのは、路上ライブ10日前の午後、《arrows(アローズ)》に全員を集めてのセッション練習の直前のことだった。

 合同ライブの話を突きつけられたメンバーは暫し沈黙。その後、

 

「きゃー! 合同ライブなんて素敵じゃないの、鳴瀬!」

「ああ、それも青空の下、町行く人たちに私たちの歌をステージから盛大に聴かせるなんて、最高の舞台じゃないか!」

「わーい! これで商店街もすごく盛り上がるね! コロッケいっぱい買ってもらえるかなー?」

「ふぇぇ……な、なんだか途方もないことになってます~!?」

「ま、いつものことなんですけどね……」

 

と、全員が思い思いの反応を示した。何だかんだで、難色を示すメンバーがいないのは、良くも悪くもバンドマンとして全員が染まってきた証拠だろう。

 

「それで、それで! 一体どこのバンドと合同なの!?」

「うわっ!? 急に飛び付くなよこころ! 今から言うところだったんだから、少しは落ち着け!」

「はーい!」

 

 堪えきれなくなったペグ子が首筋に飛び付いてきたのを軽くひっぺがして捨てると、ペグ子はひらりとスタジオの床に降り立ち、先生の話を聞く園児のように体育座りをして体を左右に揺らしていた。相変わらず、恐るべき身のこなしである。

 そして、気が付くと残る二人のお気楽三人衆のメンバーも体育座りして俺の言葉を待っていた。規則正しく左右に揺れる三つの影は、さながら共振するメトロノームのごとしだ。

 

「……まぁ、いいや。えーと、とりあえず、今回の話を持ってきてくれたのは他ならぬ《popin' party》の皆さんだ。だから最低限ここの参加は確実だ」

「わぁ! じゃあまた香澄ちゃんと一緒にステージに立てるんだね! やったぁ!」

 

 《popin' party》の参加を聞いて、飛び上がって喜んだのは北沢さんだ。

 

「そういえば、北沢さんは戸山さんと幼なじみなんだっけ?」

「そうだよー! 小さい頃に、よく近くの公園で遊んだりしたんだー!」

 

 俺が確認すると、北沢さんが元気よく答える。

 

「おー、それじゃあ《ポピパ》さんへの連絡なんだけどさ、俺が忙しいときは北沢さんが窓口になってくれないかな?」

 

 今後、俺を待ち受けるスケジュールは中々にハードだ。特に他のガールズバンドとの折衝に当たらなければならない俺は、どうしても拘束されてしまう場面も多くなる。

 だから、並行して複数のバンドと連絡を取り合うためにも、《ハロハピ》から他のガールズバンドの窓口になれる人間を用意しておきたい。

 俺のこの提案に、北沢さんはビシッと敬礼のポーズで応えてくれた。

 

「りょーかい! はぐみ、《ポピパ》さんとの連絡役、頑張るよ!」

「頼んだよ北沢さん。戸山さんの連絡先はわかるかな? わかるなら少し挨拶を入れといてくれるかな」

「ガッテン!」

 

 そう応えるや否や、北沢さんはスマホを取り出し素早く操作し始めた。恐らく、戸山さんにメッセージを送っているのだろう。

 

「でも、これだけのステージをやるってことはうちと《ポピパ》さんだけじゃないですよね? 他はどこに声をかけるつもりなんですか?」

「お、よくぞ聞いてくれた奥沢さん」

 

 奥沢さんからのしごく最もな指摘を受けたところで、俺は話を先に進める。

 

「残りのバンドは二つ、はっきり言ってどちらも格上のガールズバンドだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、奥沢さんが思わず苦笑いを浮かべる。

 

「うへぇ、格上ですか……」

「そうだな。あまり、どんぐりの背比べでステージをやってもスキルアップにならんからな」

 

 バンドマンとして恐ろしいのは停滞だ。

 常にシーンの最前線で歌い続けようと思うのなら、やはり最前線にいる者達と並び立つ覚悟がいる。

 そこそこのラインに立つ者同士でいい勝負を演じたところで、結局観客が見ているのは最前線のバンドだけなのだ。有象無象を掻き分けてでも前に立つ覚悟がなければ、この大ガールズバンド時代に爪痕を残すバンド足り得ないだろう。

 

 そんなことを思っていると、ずいっと前に進み出て来たのは薫だった。

 

「その通りだね、Mr.鳴瀬。やはり人の成長は困難に打ち克ってこそ成し遂げられるものさ!」

「お、たまにはいいこと言うじゃないか、薫」

「はっはっは! 私はいつだっていいことを言っているさ!」

 

 額に手を添えて天を仰ぐ薫。相変わらず芝居がかった仕草だが、この向上心は見習うべきだ。

 

「そんなわけで、俺たちに与えられる困難だが、ひとつ目は《afterglow》だ」

 

 《afterglow》の名前を聞いた瞬間、ペグ子が嬉しそうに跳び跳ねた。

 

「《afterglow》! 《スクジャム》のときに一緒だったガールズバンドね! すごく力強い演奏だったのを覚えているわ!」

「うん、あそこは基礎の技術がしっかりしてるからね。その自信がパワフルな演奏に繋がってる。一歩先を行くバンドとして学ぶべきところは多いだろうよ、それにーー」

「それに?」

「ーー《afterglow》のメンバーは商店街に縁がある娘が多いんだよ。多分、俺の見立てではそこから引っ張れると踏んでる」

「なるほど!」

 

「それじゃあ、もうひとつのバンドはどこなんですか?」

「んー、こっちは引っ張れるか微妙なところなんだけどさ《Roselia》に声をかけようと思ってる」

 

 《Roselia》の名前に反応したのは奥沢さんだった。しかし、先ほどのペグ子のそれとは違って、彼女は頬をひきつらせている。

 

「うぇ!? 《Roselia》っていったらこの界隈じゃトップクラスのガールズバンドじゃないですか!」

「うん、それに聞いた話だと、もうすでにメジャーレーベルからの声もかかってるとか……」

 

 奥沢さんの反応に松原さんも乗っかる形で声をあげた。二人とも、本当に《Roselia》を連れてくることができるのか半信半疑といった様子だ。

 そして、それ以外に「《Roselia》と同じステージに立って演奏することが自分たちにできるのか」という不安も、そこには多分に含まれているようだった。

 

「鳴瀬さん、ほんとに《Roselia》みたいな大物を引っ張ってこれるんですか?」

「さっきも言ったけど、こればかりは蓋を開けてみないとわからないな。一応、コネはあるから話は聞いてもらえるとは踏んでるよ」

 

 実は、前に軽く《Roselia》にアドバイスをさせてもらったときに、リーダーの湊さんとは連絡先を交換済みだ。そのときに、バンドにとっていい刺激になるような話があれば、是非連絡が欲しいとの言葉も貰っている。今が正にそのときというわけだ。

 

「ま、《Roselia》に連絡をとるのは《Afterglow》が参加を約束してくれてからだけどな」

「あら、そうなの?」

 

 俺はきょとんとした表情のペグ子に向かって軽く頷く。

 

「ああ、《ハロハピ》も《popin' party》も、今勢いのあるガールズバンドって部分では悪くはないんだが、《Roselia》からしたら数段格落ちになる感は否めない。彼女たちにとっても意味のあるライブでなければ、お誘いするのは失礼だからな」

「なるほど、そこでスキル的に私たちの上を行くバンドの《Afterglow》に仲立ちをしてもらう訳ですね」

 

 奥沢さんがそう言って、納得したように頷いた。

 

「その通り。《Afterglow》は《Roselia》と比べれば荒削りなところはあるけれど、その『荒さ』がむしろ良い。あの熱さが《Roselia》にとって、今回のライブに参加する『価値』になると俺は考えている」

 

 俺が思うに、《Roselia》はある種の完成したバンドだ。

 そしてそれは、バンドとしてというよりも、個々としての完成に近い。今が伸び盛りの宇田川さんを除けば、彼女たちは個々のプレイヤーとしてある程度のスタイルを確立している。実際、そんなメンバーが集まってできたバンドだということは、氷川さんから聞き及んでいる。

 しかし、それはともすれば、今のままでは個々としての輝きしか放てないということだ。《Roselia》がひとつ上のステージに行くには()()()()()()()()()()()R()o()s()e()l()i()a()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が肝心なのだと俺の直感が告げている。そうすれば間違いなく彼女たちは歴史に名を残すガールズバンドになるだろう。

 しかし、《Roselia》を削るほどの「何か」は、そう簡単には見つからない。ダイヤモンドを研磨するのにダイヤモンドの粉をまぶしたカッターを用いるように、強いものを磨くにはそれに匹敵する強さの「何か」が必要なのだ。

 

 ーーそして、それこそが《Afterglow》だ。

 

 《Afterglow》の、特にボーカルの美竹さんから感じるあのバチバチとした《闘志》とでもいうべき勢いは、スキルの差を埋めて《Roselia》を削るに足る。

 いや、むしろスキルという《Roselia》で既に輝くものではない《闘志》こそが、彼女たちの新たな可能性を削り出すに違いない。いつだって、新鮮なひらめき(インスピレーション)を与えてくれるのは、自分の内ではなく外にあるものだ。

 そして、それはきっと苦しみもがく《Afterglow》にとっても、現状を打開する福音となるだろう。

 

 《Afterglow》と《Roselia》が互いを引き上げ、それを見た《ハロハピ》と《popin' party》が釣られて引き上げられ、その熱が観客を盛り上げる。これが俺が今回のライブで引いた絵図だ。

 

 なんてことはない。

 俺は、商店街を盛り上げるライブをぶち上げると見せつつ、その実《ハロハピ》を含むガールズバンド全てのステップアップを目指したのだ。

 

 《ハロハピ》には、上質な共演による成長を。

 

 《popin' party》には、商店街の復興による自信を。

 

 《Afterglow》には、現状を打開する鍵を。

 

 《Roselia》には、更なる高みへの階段を。

 

 このライブは、彼女たちがそれぞれ次のステージに昇った姿が見たいという、俺の《利己主義(エゴイズム)》で固められているのだ。

 

 ……そして、それゆえに計画にGOが出れば、間違いなくこのライブは成功する。いや、成功させる。いつだって、世界をより良くするのは、「もっといい思いがしたい」「もっと上に行きたい」という、人間の《利己主義》なんだからな。

 だからみんな、俺に最高の君たちをみせてくれよ。

 

 そう心の中で思いながら、決してそれを表には出さずに俺は《ハロハピ》のメンバーに指示を出す。この手の《利己主義》は、演奏で見せる《自分らしさ(エゴイズム)》とは違って表には出さない方がいい。

 

「みんなはライブに向けて演奏の精度を高めてくれ。北沢さんは必要に応じて《popin' party》との連絡を頼む。そして、奥沢さんは参加するバンドが決定したら《ハロハピ》のSNSの更新を頼む。ホームページの方は俺が更新するから大丈夫だ」

「はーい!」(×5)

「よーし、それじゃあ俺は早速《Afterglow》と《Roselia》にコンタクトをとるから少し席を外す、俺が居なくても頑張れよ」

「もちろんよ! 鳴瀬も頑張ってね!」

「任せたまえ、Mr.鳴瀬。いい報告を期待してるよ!」

「はぐみもやるぞー!」

「が、頑張ります! 鳴瀬さん、よろしくお願いします!」

「鳴瀬さん、あまり無茶しちゃだめですよー」

 

 メンバーそれぞれの返事とねぎらいの言葉を受けて、俺はスタジオを後にする。

 受付の四方津さんに軽く手を挙げて挨拶しながら《arrows》を出る。スマホを取り出し通知を確かめるが、アッ君先輩からの連絡はまだない。とにかく、彼女からの連絡がくる前に、なんとか二つのガールズバンドを口説き落とさないと、区役所でのプレゼンが破綻してしまうことになる。ここからの動きにはあまり時間の猶予はない。

 

「女の子を口説くのは柄じゃないんだが……やるしかないか」

 

 これから待ち受ける彼女たちとの交渉のことを考えると若干ナーバスになる。

 それでも俺は、自分の《利己主義》のために、スマホを操作して美竹さんの番号をコールするのだった。

 

 

 




というわけで、次回は二つのガールズバンドとの出演交渉パートになりますわ!



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野良ベーシストは240時間戦える 【10日前・午後2】

続きました。

路上ライブ編後半の第3話です。

【お礼】

日間ランキング二次創作で54位にして入っておりました。散発的な投稿の作品は中々ランキングに載ることがないので、それだけ沢山の人に追いかけてもらえて感無量です!

そして、評価者が35名を超えましたので、グラフの目盛りが4/5に増えました! 調整評価で9.00と、投票いただいた多くの皆様に高く評価していただき、ありがたい限りでございます。
このような形で反応が返ってくると非常にモチベーションも上がります! コメントや評価など、ぜひお待ちしてます!

なんとか完結までに評価を5/5埋めることを目指して頑張ろうと思います。どうか今後も野良ベーシストをよろしくお願いします!


「もしもし、美竹です。あの、失礼ですがどなたですか」

 

 覚悟を決めて、スマホで美竹さんに連絡をとった俺を待ち受けていたのは、なんだか少し他人行儀な反応の彼女だった。

 

「あ~、えっと……俺です、基音鳴瀬です」

 

 その反応に少し面食らい、少し丁寧な口調になりながらも、俺が名前を伝えると、スマホの向こうで「あ~……」という、少し気まずそうな声色で美竹さんの声が響いた。

 

「基音さん、か。お久しぶりです。すみません、実は電話帳に名前を登録してなくて、誰だかわからなくて他人行儀になりました」

「そうだったのか、いや、忘れられたかと思ってちょっとびっくりしたよ」

「すみません、あんまりスマホを活用してないもので」

「ははっ、美竹さんらしいな。いいよ、気にしないで」

 

 そういえば、美竹さん、前にスタジオで既読スルーを上原さんに叱られてたっけな。

 

 俺は頬をぷくっと膨らませた上原さんに怒られて、人差し指で頬を掻きながら視線を逸らす美竹さんを思い出して、思わず苦笑してしまった。

 そんな、俺の苦笑の理由を知らない美竹さんは「ありがとうございます」と、まだ少し恐縮した様子だった。

 

「それで、基音さん。突然どうしたんですか。番号交換してから電話なんて初めてですよね」

 

 美竹さんのそんな言葉で当初の予定を思い出した俺は、早速本題を切り出すことにした。

 

「あ、そうそう。ちょっと用事があるんだけど、今、時間いいかな?」

「はい、丁度スタジオ練の休憩中なんで大丈夫ですよ」

「あ、じゃあ《Afterglow》の他のメンバーも揃ってる感じかな?」

 

 もし《Afterglow》のメンバーが全員揃っているなら好都合だ。美竹さんの口から説明してもらう手間が省けるので時短の効果が大きい。

 

「モカとひまりが少し買い出しで外してるんですけど、多分もうすぐ……あ、帰ってきた」

 

 その言葉のすぐあとで、「ごめーん、遅くなっちゃった!」という上原さんの声と「皆の衆~、モカちゃんからの補給物資をありがたく受け取るがよい~」という青葉さんの声をスマホのマイクが拾う。どうやら、向こうでは《Afterglow》のメンバーが全員揃ったらしい。

 

「美竹さん、もしよければ通話をスピーカーにして《Afterglow》全体に聞こえるようにしてもらえないかな」

「……? 構いませんが、どうしてですか?」

「いや、今回の用事なんだけど、美竹さん個人にではなくて《Afterglow》に向けてなんだ。だから、特にリーダーの上原さんには聞いておいてもらいたくてさ」

「なるほど、わかりました。少し待ってもらえますか」

 

 そう言うと、しばらくスマホを擦るような音が聞こえ、程なくして美竹さんがスマホをどこかに置いて側を離れる音が聞こえた。

 それから、「ひまり、スマホの通話スピーカーにするのってどうやるんだっけ?」「え、どうしたの蘭?」「いや、基音さんから電話があって、私たちと話したいって」「えっ、そうなんだ。……もしかして、今繋がってるの?」「うん」「うわっ、ダメじゃん!? ちょっと蘭、早くスマホ貸して!」「はい」というやり取りとともに、恐らくスマホが上原さんの手に収まったとおぼしき雑音が入る。

 

「……これでよしっと、あーあー、基音さん? 聞こえていらっしゃいますか?」

「はーい、聞こえてるよ。そっちも俺の声、全員に聞こえてるかな?」

 

 スマホ越しに聞こえる上原さんからの言葉に返事すると、少し遠くから「やっほー、聞こえてるー?」「あ、ダメだよモカちゃん。失礼だよ」「こっちは大丈夫ですよ、基音さん」と他のメンバーが口々に喋る声が聞こえてきた。

 

「オッケー、こっちも聞こえてるよ」

「すみません、なんか騒がしくて……」

「はは、気にしなくていいよ。こんなノリの方が《Afterglow》らしいしね」

 

 恐縮したトーンで喋る上原さんに答えてから、俺は早速本題に入ることにした。

 

「えーっと、それで本題なんだけどさ。今回、俺がみんなにコンタクトをとったのは、うち、あ、うちってのは《ハロハピ》のことなんだけど、うちで主催するライブに参加してもらえないかって話なんだ」

「えっ! ライブですか!?」

 

 「ライブ」の言葉に、《Afterglow》のメンバーが色めき立つのがスマホ越しでもよくわかる。

 

「まぁ、そんなデカイ話じゃないんだけどさ」

「ほほぉ、それじゃあ一体どれくらいの規模なんですかー?」

「あっ、モカったら勝手に喋って!」

「いいよ、自由に喋ってくれて。んー、期待させてあれなんだけど、どこかのハコを借りてやるわけじゃなくてさ、10日後に○○商店街で祭用のステージを借りて路上ライブをやる予定なんだ」

「えっ、商店街でですか!」「おお! いいじゃん、いいじゃん!」

 

 すぐに反応したのは羽沢さんと、宇田川さんの二人だ。この二人、羽沢さんは商店街で羽沢珈琲店を営業する商店街の人間で、宇田川さんは中止になった秋祭りで、毎年和太鼓を叩くのが定番となっていた人間だ。商店街でのライブと言われれば真っ先に反応するだろうと踏んでいた。

 そして、その二人の口から漏れるのはどちらも肯定の言葉だった。

 

「私はいいと思います。商店街を私たちで盛り上げられるなら、ぜひ参加したいです」

「いやー、秋祭りが無くなって、正直ちょっとテンション下がってたんだよな。それを基音さんが路上ライブなんてやってくれるんだ、断る理由はないよな、ひまり?」

「うーん、どうしようかな……」

 

 乗り気な二人の言葉を受けて、上原さんは少し考え込む様子をみせる。

 

「んー? ひまりは何をなやんでるのー?」

「んー、いいお話なんだけど、10日後っていうのがちょっとね」

「あー、確かにスケジュールを考えると結構タイトだねぇ」

「うん。それに、今回のお誘いはストリートで、観客には一般の人もいるよね。だから、演奏する曲のセトリ*1もしっかりと考えないと。それができても、そこから曲の練習をするとなると……」

 

 色々なことをぶつぶつと呟きながら、上原さんは更に思考の海へと入り込んでいく。

 

 んー、流石に冷静に頭が回るな、上原さんは。

 

 この上原さんの冷静な反応に、俺は内心舌を巻いた。

 人前で、ステージで、しかもチケットを捌くなどの負担も無しでライブができるなんて聞けば、後先考えずに飛び付く人間の方が多い。プロじゃないバンドにとって、ライブというのはそれだけ出演に手間がかかる。

 しかし、上原さんはそれでもそこで踏み留まってリスクを天秤にかけることができる。この若さで、そこまで考えが回るのは大したものだ。

 

「うん、私も同感。下手な演奏をして、初めて見る人に『これが《Afterglow》か』なんて思われたくないから、やるなら万全にできる方がいい」

「……蘭」

 

 そんな上原さんの考えに同調したのは、他ならぬ美竹さんだった。それはプロフェッショナル志向が強い、彼女らしい反応といえた。

 

「まだ10日もあるんだ。得意な曲をメインにして、一週間ぐらい練習すれば形になるんじゃないか」

「形になる程度では駄目。私達《Afterglow》は常にベストじゃないと」

「でも、今後も常にベストでやれるとは限らないだろ? ベストを目指して、たとえ無理でも、そのときの最高レベルの演奏を出せればいい。違うか?」

「それでも、私はベストでありたいんだ」

 

 あくまでも完全な状態の《Afterglow》を求める美竹さんに対して、宇田川さんは演奏を強固に主張する。そこからは祭太鼓の穴埋めで商店街を盛り上げたいという彼女の強い意志が感じられた。

 

「まーまー、二人とも。とりあえず、他の情報を聞いてからでもいいのではないですかなー?」

「……モカ」

「……確かに、ちょっと早急に話しすぎたな」

 

 そうしてバチバチと火花を散らす二人の間に、するりと割り込んだのは青葉さんだった。比較的いつもフラットな感情でいる彼女らしい絶妙なアシストだ。

 

「というわけで基音さん、続きをどうぞー」

「はいどうもね、青葉さん。この件、みんな色々思うところがあると思うんだけど、俺も《Afterglow》にメリットがあると思って持ってきてるんだよね」

「私たちにメリット、ですか……例えばそれはどんなものですか?」

 

 「メリット」の言葉に反応したのは上原さんだった。やはり、バンドのリーダーとしては気になるところなのだろう。

 

「正直、《Afterglow》さんにはかなりタイトなスケジュールで参加してもらうから、こちらもかなりのメリットを用意してある」

「ほほう、それは『山吹ベーカリー』のサービス券10枚綴りにも匹敵しますかな?」

「こら、モカったら茶化さないの!」

 

 俺の言葉にすかさずネタを挟んできた青葉さんを上原さんが窘める。こんなときでも自分らしさを崩さない青葉さんは、中々に肝が太いなと思う。

 

「ふふっ、それは強敵だな。でも、君たちなら俺の提案に、もっと価値を見いだせると思うよ」

 

 そう俺が断言すると青葉さんは「おー」と声をあげ、上原さんも「それほどまで、ですか……」と呟いた。固唾を飲んで次の言葉を待つ《Afterglow》に、俺は今回彼女たちを誘った核心となる言葉を口にした。

 

 

「俺が君たちに与えられるメリット、それは《Roselia》とのイベントでのヘッドライナーの役割だ」

「なっ……!」

「おおー」

「えーっ!? 《Roselia》!?」

「ヘッドライナー……!」

「マジかー!」

 

 ーー《Roselia》とのヘッドライナー。

 

 俺の提示するこのメリットは、《Afterglow》のメンバーに対して少なからず衝撃を与えたようだ。

 

「……《Roselia》というと、()()《Roselia》なのか、基音さん」

「ああ、君が想像している《Roselia》だよ、美竹さん」

 

 衝撃からいち早く立ち直って、喋り始めた美竹さんに、俺は肯定の言葉を返す。

 

「この界隈のガールズバンドで三本の指に入る《Roselia》、ここと君たちを今回のイベントの目玉にしたい」

「……!」

 

 俺がはっきりとそう言い切ると、美竹さんが息を飲む音がスマホ越しにもはっきりと聞こえた。

 

「ろ、《Roselia》!? 基音さん、《Roselia》と伝があったんですか!?」

「ああ、前に演奏についてアドバイスしたことがあってさ、そのときにリーダーの湊さんと連絡先を交換してあるんだ」

「うわー……そうなんですね……。じゃあ、本当に《Roselia》がいるステージに私たちが……」

 

 上原さんはまだ信じられないといった様子でぶつぶつ呟き始めている。

 確かに、《Roselia》と同じステージに上がるというのはこの界隈では特別な意味があるといっても過言ではない。《Afterglow》も素晴らしいバンドであるには違いない。この界隈では、選者によっては十指には入れるスキルはある。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()《Roselia》と比べると、ローカルチャンピオンと統一チャンピオン位の差があるに等しい。今回の俺の提案が実現すれば、それはローカルチャンピオンの《Afterglow》にとっては、統一チャンピオンとのメークマッチが突然降って湧いたような状況になる。勝つにしろ、負けるにしろ、どう転んでも《Afterglow》には美味しい展開となるだろう。

 

 そのことをスマホの向こうで、《Afterglow》のメンバーも話し合っている。しばらく、その状態が続いた後、こちらに言葉を投げ掛けてきたのは美竹さんだった。

 

「基音さん、待たせてすまない」

「いいよ、難しい話だから、適当に即決されるよりはこの方がいい」

「ありがとう。……基音さんに一つ質問があるんだけど、いいかな」

「どうぞ」

「ありがとう」

「基音さんはこの案件、どうして私たちに持ってきてくれたんだ?」

 

 美竹さんの口からこぼれた言葉は、至極当然な疑問だった。

 彼女たちから見れば、俺の提案ははっきり言って《ハロー、ハッピーワールド!》にとって何のメリットもないからだ。これだけ大きなイベントを準備しておいて、ステージのヘッドライナーは取られる上に、実力的にも差があることを見せつけられることになる。もし当人なら「そりゃないぜ」となること受け合いだ。

 でも、それは彼女たちが、俺の《利己主義(エゴイズム)》を知らないからだ。俺の考えが分かれば、この件は「そういうことか」と間違いなく納得できる話になる。

 

 だが、そのことを《Afterglow》に伝えていいものか……。

 

 ここにきて、俺には少し迷いがあった。

 それは、俺の《利己主義》を《Afterglow》にさらけ出してもいいものか、という迷いだ。

 俺の《利己主義》に関しては身内の《ハロハピ》にすら漏らしていない。前にも考えたように、この手の《利己主義》はあまり外に漏らすべきものではないからだ。

 しかし、美竹さんの疑問に答えるためには、俺の《利己主義》について、必ず触れなければならない。誰にも伝えていないから別に適当に理由をでっち上げればすむ話だが、本気でぶつかってきている彼女たちに対してそんな不誠実は許されない。

 だから、俺に取れる選択肢は全力で全てを晒すか全てを伏せるかの二択だ。当然、後者を取るなら美竹さんの疑問には答えられないが、他人に漏らせぬほど大切なことなのだと彼女を納得させられるかもしれない。

 

 ……駄目だな。ここで腹を割って話せないなら、美竹さんたちに胸を張って向き合えない。ラブコールを送っておいて、本心を見せないのは漢じゃないぜ。

 

 そもそも《利己主義》で動き始めた今回のイベントだ。それに完全に蓋をするのは土台無理な話だ。

 覚悟を決めた俺は、スマホの向こうで沈黙を守る美竹さんに向けて口を開いた。

 

「そのことについて、理由は二つ。一つ目は、美竹さん、君が前に俺に頼んだことへの答え(アンサー)だ」

「……! 私の、ため……」

「そうだ。美竹さん、君は、いや、君たちは自分が思っている以上に才能がある側の人間だ」

「……そう、思いますか?」

「ああ、少なくとも俺は間違いないと思う」

 

 少し不安を感じさせる声色の美竹さんに俺は即答した。これに関しては100%の自信で、俺はそう言いきることができる。そして、ここはそうしなければならない場面であることも解っている。

 

「しかし、その才気ある人間がより輝きを放つためには、磨く側の道具にも格というものがある。十把一絡げ、有象無象のガールズバンドでは最早君たちの才能を磨きあげることはできない、俺はそう感じている」

 

 そこまで言った俺に対して、震える声で応えたのは、上原さんだった。

 

「……つまり、つまりですよ? 基音さんは、《Roselia》は私たちを更に輝かせる道具、そう言いたいわけですか?」

 

 恐る恐る、探るように言葉を選んだ上原さんに、俺は薫(なにがし)よろしく、最大限芝居がかった言葉で応じた。

 

「おお! 恐ろしいことを言うねぇ上原さんは! 俺はそんな恐ろしいことは絶対口に出せないよ!」

「ふえっ!? そ、そそそ、そんな!?」

 

 急に梯を外された上原さんがあわてふためくのに乗っかって、他のメンバーたちがここぞとばかりにやんややんやと彼女を囃し立てる。

 

「すごいなひまりは。今のは私でもちょっと言えないかな」

「やー、我らがリーダーは大胆ですなぁ」

「ひまりさん、流石です」

「いやー、ひまりは言うところで言ってくれるねぇ」

「えええ!? いや、みんな、今のは違うよ! あ、いや、違わなくもないけど! あーっ!?」

 

 みんなから集中砲火を浴びて、ますます狼狽える上原さんに、ここで俺はようやく助け船を出すことにした。

 

「ま、冗談はさておき」

「ふぇっ? ……冗談?」

「俺は君たちにはそれぐらいの気概で《Roselia》とバチバチやってほしいんだよ」

「バチバチ、ですか」

 

 正気に戻ったばかりの上原さんに変わって、美竹さんが呟く。

 

「そう、バチバチだ。ステージの上では上座も下座もない。それぞれがそれぞれの想いをただ全力でぶちまければいい。そして、それこそが、いや、それだけが君たちを次のステージに押し上げる」

「次のステージへ……」

「ああ、そしてこれが俺の二つ目の理由。まぁ、単純にそうやって強くなった《Afterglow》が見たい。それだけだよ」

「えっ?」

「おやー、基音さん、《ハロハピ》ともあろうものがありながら、モカちゃんたちに浮気ですかー?」

 

 俺の口からこぼれた《Afterglow》を推す発言にすかさず青葉さんが食いつく。ピラニアも真っ青の嗅覚だ。対策無しではあっという間に骨にされるだろう。

 

 でも、今回の俺はそれには対策済みだぜ、青葉さん。

 

「確かに、俺は《ハロハピ》の人間だ。それでも、他のバンドを好きになっちゃ駄目な理由はないだろ? いいものはいい、それでいいじゃないか。それで、今俺は好きなバンドが更に成長できるチャンスを握ってるんだ、これを活かさない手はないさ」

「おおー、ズバッと言ってくれますなぁ」

「まぁ、本当のことだからな」

 

 青葉さんはまんざらでもない様子で、俺から牙を外してくれた。

 それを確かめて、言葉を続ける。

 

「それに、何も道具にされてるのは《Roselia》だけじゃないぞ。俺たち《ハロハピ》だって、隙有らば《Afterglow》を踏み台にするつもりでいるんだからな」

「……むっ」

「他のバンドも《Afterglow》を狙ってるかもしれない。あるいは、《Roselia》だってそうかもしれないぜ」

「ええ!? そんなこと……」

 

「あり得なくはないさ。君たちと《Roselia》は持ち味がまるで違う。自分に足りないものを他のところから見つけようとするのは自然な流れだろ?」

 

 俺は「あり得ない」と言いそうになった上原さんの言葉を遮る。

 

 自分たちに足りないものの答えを、自分の内に見つけようとするのは愚行だ。有るか分からない答えを探し続けるよりも、答えを持つ人間からそれを学びとる方が遥かに有意義だ。

 ならばそれは《Roselia》も決して例外ではない。

 

「私たちが《Roselia》に足りないものを持っている……」

「ああ、というかどこのバンドだって何かしら足りないものを持ってるのさ。そして、それを埋める答えを探してるーー」

 

 ーーそうだ。

 

 俺たちバンドマンは、俺たちの想いをいかに多く観客たちと共有できるのか。その答えをずっと探し続けている。

 それは日々の練習の中で。

 それは歌詞に頭を悩ませるベッドの中で。

 それは仲間と言い争う対立の中で。

 それはステージの上の熱狂の中で。

 ずっと、ずっと探している。

 

 だからーー

 

「ーーだから、俺は今回のライブを、それを埋める答えを見つける場にしたいんだよ。そして、このライブに集った全てのガールズバンドを次のステージへ押し上げる。これが俺の《利己主義》だ」

「……」

 

 スマホの向こうから音は聞こえない。みんな、全てをさらけ出した俺の言葉に聞き入ってくれている。

 それを確かめた上で、俺は最後の言葉を口にした。

 

「語りたいことは全て語った。その上でもう一度聞こう。《Afterglow》、今度の商店街の路上ライブに《Roselia》と並ぶヘッドライナーとして君たちが欲しい。さあ、返事を聞かせてくれ」

「……」

 

 スマホの向こうはやはり沈黙。

 しかし、そこからは先程まではなかった《Afterglow》の息づかいを感じる。それは、まるで彼女たちがお互いに顔を見合わせているような息づかいだ。

 いや、実際に見合わせているのかもしれない。

 

「……お待たせしました、基音さん」

「美竹さん」

 

 暫しの沈黙の後、スマホから聞こえたのは美竹さんの声だった。

 俺の呼びかけに、また少し沈黙してから彼女はゆっくりと、そしてはっきりとその言葉を口にした。

 

「今回のライブ、《Afterglow》は参加させてもらいます」

「……! ありがとう、絶対にそう言ってもらえると信じていた」

 

 ーー《Afterglow》参戦。

 それは俺の《利己主義》が、形になるときがまた一つ近づいたことを意味していた。

 歓喜に叫びそうになる自分を抑えつつ、俺は淡々と連絡を続けた。

 

「俺はまだ連絡先が残ってるから、詳細は追って伝える。それじゃあ、一旦通話を切らせてもらうよ」

「はい、わかりました……あ、最後に一ついいですか」

「ん、何かな?」

 

 通話終了のボタンを押そうとしたとき、美竹さんの声が響き、俺は指を止めた。大きく息を吸い込む音が聞こえたあと、彼女の声が今日一番の力強さで、俺の鼓膜を叩いた。

 

「今度のライブ、《Afterglow》は《Roselia》だけじゃなくて、《ハロー、ハッピーワールド!》も、他のガールズバンドも、全部踏み台にさせてもらいますから」

「……!」

 

 ……ああ、たまらないな。

 

 決して、誰にも従わない。己の咲き方は己で決める。

 全てに逆らい、夕焼けの下でのみ咲くことを選んだ一輪の花。

 その花の名はーー

 

「ーー美竹蘭、君の活躍を期待するよ」

「はい、それでは」

 

 その言葉を最後に、彼女との通話が切れる。

 

「それでこそ、それでこそだ美竹さん。……俺も頑張らないとな」

 

 そうだ。俺の役割はまだ終わっていない。

 俺が《利己主義》を晒す相手はまだ一組残っている。

 

「さぁ、君たちもステージに上ってくれよ《Roselia》?」

 

 そう呟くと、俺は湊さんの電話番号をコールした。

 

*1
セットリスト。ライブでどの曲をどの順番で演奏するかを指定してハウス側に提出するもの。どの曲をどの順番で演ると観客が盛り上がるのかを考慮する必要があるので、バンドのマネジメントの腕の見せ所でもある。




書いてる途中で、操作ミスで最後の3000字がぶっ飛んでおぎゃりましたわ(白目)


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野良ベーシストは240時間戦える 【10日前・午後3】

続きました。

路上ライブ編後編の5、《Roselia》ナンパ編(仮)です。

【お礼】
UA60000超、ありがとうございます! 評価もあれから5名の方に入れていただき、40名となりました! 本当に皆様のお力添えに支えられて執筆しております。今後も野良ベーシストをよろしくお願いいたします。


ーーブラウン管の向こう側 かっこつけた騎兵隊が
 

インディアンを 打ち倒した

 

ピカピカに光った銃で できれば僕の憂鬱を

 

打ち倒して くれればよかったのに

 

 

THE BLUE HEARTS 『青空』

 

 

 

◇◇◇《side 湊友希那 start》◇◇◇

 

 

 

「ストップ!」

 

 張りつめたスタジオの喧騒の中を、エレクトロニクスで増幅された私の声が貫く。

 途端に、喧騒は静寂へと変わり、四つの視線が私に向かって注がれる。その視線はどれ一つ取っても力強く、ともすれば人を怯ませるような熱を帯びている。それを浴びて、しかし、私は決して怯むことなく言うべき言葉を口にする。

 

「だめね。今のAメロへの入りは凡庸だわ。ここでサビから期待値を高めた観客(オーディエンス)を掴まないと、反動で彼らは離れて行ってしまうわ。ここはブリッジをかける部分、もう一度いきましょう」

「わかりました。手持ちのフィルからアレンジを加えて修正していきます。もしいい流れができたら、楽譜に反映してください」

「お願いできるかしら。楽譜については任せて」

「はい、ではもう一度お願いします」

 

 そう答えながら、指板の上で繋ぎやすいフィルインを探る氷川さんの指が止まるのを待ってから、私は「始めるわよ」と声をかける。

 再び、張りつめる空気の中、私は思う。

 

 ーー重い。

 

 まるで底のない沼の、粘度の高い水の中でもがいているような感覚。

 理由は解っている。それは《Roselia(わたしたち)》の停滞のせいだ。

 《Roselia》は、私が抱いた大願を成就させるための方舟(アーク)乗員(クルー)には、当然それを為し遂げるのに相応しい人物を選んだ。

 

「……宇田川さん、今のストロークは強さが足りないわ。あなたがドラムでリズムの底を支えないと、他に代わりはいないのよ」

「は、はい! もう一度お願いします!」

 

 今はまだ未完の大器ではあるものの、《Roselia》の10年先まで見通して選んだ乗員。それでも、私たちの中に化学反応(ケミストリー)が起きる予感は、ひしひしと感じている。

 

 ……いえ、実際に何度かのライブでは、確実に化学反応を感じたわ。このメンバーならきっと……。

 

 《Roselia》が5人揃っての初めてのステージ。

 あのときのことは今でも鮮明に思い出せる。まるで、十年来連れ添った友と一緒にいるような安心感。自分という枠を超えて能力が引き出されていくような全能感。そうだ、あのとき間違いなく私たちに化学反応は起こったのだ。

 しかし……

 

「白金さん、リサ、もっと演奏を主張して。いまのままでは客席の隅から隅までに《Roselia》を届けられない」

「は、はい……」「うん、もっとだね、友希那……!」

 

 ーー停滞している。

 

 メンバーのやる気はある。全員がトップを目指すという同じ夢を見ている。スキルは確かに上がっている。

 

 …………でも、前に進んでいる手応えがない。何が違うのかしら。

 

 《Roselia》の名前は間違いなく売れている。ガールズバンド激戦区といわれるこの界隈で五指、いや、三本の指に入る力はあると自負している。

 しかし、そこで《Roselia》は停滞している。まるで凪の海に捕まったかのように、方舟は進むのを止めてしまった。今は船の中で乗員が船を動かすためにあれやこれやと手を尽くしているような状態だ。つまり、それは改善の見込みはまるでないということに等しい。

 

 でも、それは私たちの怠慢ではないわ。みんなは私が思っていた以上に頑張ってくれている。だとすれば、現状を打開する鍵は……。

 

「……風を待つより他はないわね」

「……? 湊さん、どうかしましたか?」

 

 いけない。声に出していたのね。

 

「……いえ、何でもないわ。練習を続けましょう」

「そうですか。湊さん、あなたが舵を取らなければ、《Roselia》の未来はあり得ません。しっかり頼みますよ」

「ええ、もちろんそのつもりよ。さぁ、いきましょう」

 

 思わず口から溢れた呟きを氷川さんに拾われた私は、普段通りの態度を装って練習に戻る。《Roselia》の舵を取るのは私の役目だ。皆に新天地(ゆめ)を見せた以上は、私はそこに皆を導く責務がある。

 

 そのために必要なのは外からの風。内に活路を見出だせなければ、それを外に求めるのは必然ね。

 

 外から投げ掛けられる力というものは、ときに人を飛躍的に進化させる。かつて、鎖国を是とした日本も、外国の優れた文面に門戸を開いたお陰で、今の国際的な地位を手に入れた。それよりも遥か昔、地図の先にまだ見ぬ世界を夢見たコロンブス、マゼランやガマたちは、新大陸の発見で、文字通り当時の人々の世界を広げて見せた。

 もちろん、それはいいことばかりではない。

 開拓者(パイオニア)たちが見せた新世界は人々の欲望を駆り立て、それは余多の征服者(コンキスタドール)たちを生んだ。征服者たちは、新世界に鉄と火薬、そして病をもたらし、原住民(ネイティブ)はことごとく打ち倒された。

 外からの力が入るとは、つまりはそういうことだ。力に耐えきれなければ、その力に呑まれざるを得ないのだ。

 

 でも、私たちにはそれに耐えるだけの力がある。だから、風には全力で吹いてほしいのだけど……。

 

 風は天からの賜り物。地の利と人の和は自らの手で切り開けようとも、こればかりは運に身を委ねる他ない。今はただそのときが来るのを待ち構えて、風を捕らえるための準備を怠らないことが肝心だ。

 

「もっとよ、もっと自分の力を引き出して!」

 

 そのために私は声を張る。私のたゆまぬ歩みが、そのときが来るまで皆を牽引する力になることを信じて。

 

 凪の海も永遠じゃないわ。その先にはきっと追い風導く新天地が広がっているのだから。

 

 その考えが決して間違いではなかったことは、今から30分後、私のスマホを震わせる一本の電話が証明してくれることになるとは、このときの私は露知らぬことだった。

 

 

 

◇◇◇《side 湊友希那 over》◇◇◇

 

 

 

「もしもし、湊です」

「ああ、湊さん。お久しぶり」

「こちらこそ、基音さん。《CiRCLE》のスタジオでアドバイスをもらったとき以来ですね」

「そうだね、もう1ヶ月近く経つんだなぁ」

「早いものですね」

 

 俺と湊さんの通話は、そんな当たり障りのない会話から始まった。他人行儀で出鼻を挫かれなかっただけ《Afterglow》のときよりも好スタートだといえる。

 

 でも、問題はここからだ。《Afterglow》と違って、《Roselia》は商店街との縁が薄い。引っ張れなければ《Afterglow》との話もご破算だからな。踏ん張りどころだぜ。

 

 そう、いくらスタートがよくても、ゴールの《Roselia》参加の確約を貰えなければ意味がない。彼女たちが来なければ、当然それを目当てにした《Afterglow》も来ない訳で、俺の計画は全てが水泡に帰することとなる。

 さらに加えて言うなら、《Roselia》は、もう路上ライブをするようなレベルのガールズバンドではない。ライブハウスから割り当てられるチケットは、ノルマを捌ききってからさらに利益を生めるレベルだし、なんならチケット販売関係なしのライブにだって出られるようなバンドだ。はっきり言って、彼女たちに商店街なんかでライブをするメリットは普通に考えれば全くない。

 

 ……そう、普通なら、な。

 

 だが俺は、《Roselia》に対して、彼女たちがこのライブに参加するに足るだけのメリットを提示できると踏んでいる。

 それは、湊さんが俺にアドバイスを求めたこと、つまり俺に対してアドバイザーとしての役割を期待しているからこそ採れる作戦に他ならない。

 そのことを念頭に置いてここからは話を進めていかなくてはならないことを、しっかりと頭に叩き込んでから、俺はスマホの向こうへと意識を集中した。

 

「それで、今日のご連絡は何の御用でしょうか。私たちは今スタジオで練習中でして、よろしければ手短にお願いします」

「あ、そうなんだ。なら都合がいいな。実はこの電話は湊さん個人じゃなくて《Roselia》全体に向けての用件なんだ。だから、スピーカーにしてもらってみんなに聞いてもらえるとありがたい」

「《Roselia》に? ……わかりました、みんなに繋げます」

 

 そう言うと湊さんはしばらくスマホから顔を離したようで、空気の動くような音が短時間聞こえた。それから間もなく、「これでいいかしら」という少し遠くなった彼女の声がスマホから流れてきた。

 

「ああ、俺の方は大丈夫だ。そっちはどうかな?」

「ええ、大丈夫です。聞こえていますよ基音さん」

 

 俺が尋ねると、スマホの向こうから湊さんとはまた違う、静謐さを感じさせる声で返事があった。

 

「あ、その声は氷川さんだね。なら、大丈夫かな」

 

 もう一度確認すると、《Roselia》のもう一人のブレーンとでもいうべき氷川さんは、「はい」と短く応えてから話し始めた。

 

「では早速、《Roselia》に何か用件がある、ということでしたが、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか」

 

 氷川さんはズバッと本題に切り込んでくる。こういう駆け引きをしないストレートな対応は悪くない。

 

「ああ、○○商店街は知ってるよな」

「ええ」

「10日後、俺たち《ハロー、ハッピーワールド!》と、いくつかのガールズバンドが、そこで路上ライブをやる。路上といってもステージを建てるデカいやつだ。《Roselia》に、そのライブでヘッドライナーを任せたい、用件はこれだ」

「商店街で……」

「ライブできるの!? やったー!」

 

 俺の言葉が終わるや否や、白金さんと宇田川さんの声が響いた。

 

「宇田川さん、まだ受けるとは言っていないわ」

「あっ、す、すみません紗夜さん!」

 

 氷川さんに窘められた宇田川さんが謝る声が聞こえてくる。一人だけ中等部の彼女は《Roselia》の中でも中々気を遣うポジションのようだ。

 それでも、《Roselia》にその腕を求められているのだから、宇田川さんはかなり恵まれた環境にいる。周りが一流ばかりだと、それに合わせるように力は否応なしに高められていくものだ。そのような環境は、望んでも中々手に入るものではない。

 

「ははっ、なんならその勢いで参加を決めてくれれば嬉しかったんだけどな」

「今は《Roselia》も大切な時期ですから、その辺りの判断は慎重にさせてもらっています」

 

 俺の軽口にも、氷川さんは冷静な反応だ。この辺りのそつの無さが、《Roselia》の躍進を支えているのは間違いない。《Afterglow》の上原さんしかり、頭の切れるブレーンが一人いるというのは、バンドの発展にとってある意味演奏技術以上に大事だ。

 

 その、氷川さんと湊さんを相手にこれからうまく立ち回らないといけない。ここが腕の見せ所だな。

 

 俺は彼女たちに悟らせぬように心の中で気合いを入れる。

 確かに、俺は彼女たちを説得できるだけのメリットを確保しているが、今回はそのメリットをどれだけ上手く提示できるかも大切だ。刺しが絶妙に入った極上の(プラン)も、調理を誤ればクズ肉に変わる。

 

 それに、《Roselia》に(プラン)料理(ステージ)を提供しにくるのは俺だけじゃない。そいつらよりも優れていなければ、俺の料理を彼女たちが口にすることは

絶対にない。

 

 《Roselia》はなりふり構わずライブやステージを奔走するバンドではない。「選ばれる」のではなく「選べる」側にいる。そして、彼女たちのブレーン二人が、決して義理や人情でステージを選ぶタイプではないことを、俺は十二分に理解していた。

 

 まぁ、こっちはその上で「勝算あり」って思って行動してるからな。さぁ、そろそろ料理時間だ。必ず口に運びたくなるような、極上のフルコースをふるまってみせるさ。

 

「ま、こっちはそんな《Roselia》さんが参加したくなるような、魅力的な提案と思って持ってきてるわけだ。その辺り、説明させてもらってもいいかな」

「はい、お願いします」

「ええ、どうぞ」

 

 二人のブレーンが同時に許可を出したのを確かめると、俺はいよいよ料理(ステージ)提供(サーブ)にかかった。

 

「今回の俺からの提案には、《Roselia》にとっていくつかの魅力がある。まず一つ目は、『一般人の前でライブができること』これだな」

「一般人の前、ですか。むしろ私としては一般の方々よりも、ライブに足を運んでくださるような音楽に熱心な方々の前で評価してもらいたいのですが」

 

 俺の提案する一つ目のメリットに対してすかさず異議を唱えたのは氷川さんだった。

 確かに、氷川さんのいうところも一理ある。専門的な目と耳を持った人間からの評価の方が、より具体的な指摘となると考えるのはごく自然な流れだ。しかしーー

 

「ーーそれ、ダウトだよ、氷川さん」

 

 俺はそんな氷川さんの考えをすぐに否定した。

 

「私の考えに、間違いがあると?」

「ああ。その理由を今から言うよ」

「……お願いします」

 

 少し釈然としない声色で氷川さんが返事をするのを確かめてから俺は口を開いた。

 

「まず始めに言っておきたいのは、氷川さんのいう目と耳の肥えた客から評価を聞くというのは一つの手段として間違いではないよ」

「……! でしたらーー」

「ーーでも、一般人の反応を無視するというのはいただけないね。だって、将来的に俺たちの音楽を聴いてくれるのは、()()()()()()()()()()()()()()()

「……あ」

 

 氷川さんの言葉を遮り放たれたその言葉に、彼女が驚愕の声を上げたのを、俺は聞き逃さなかった。

 そう、バンドが将来的に高みへ昇ることを考えるなら、避けては通れないのが、ライブハウスに足を運ぶコアなファンではなく、有線などで流れる音楽を聴く一般人からの評価だ。

 

 つまり、いくらコアなバンド好きに評価されようとも、一般人に支持されなければ高みには至れない。賢い氷川さんは一瞬で気づいたみたいだな。

 

 コアなファンが望むものと、一般人が求めるものが常に同じだとは限らない。むしろ、演奏を見る目に肥えている人間の要求は、一般人とずれていると考える方が自然だろう。

 目と耳の肥えた一部の人間が解ってくれればそれでいい。そんなことを言っている者が衰退するのは自明の理だ。どんなに優れたテクニックを持っていても、大衆性(ポヒュラリティ)がなければ音楽の世界では生きていけないのだ。

 もちろんここでいう大衆性とは、「大衆に迎合する」という意味ではなく、「大衆に対しても自分らしさを貫けるか」という問いに他ならない。《Roselia》は、それを問われるべき時に来ている、というのが俺の見立てだ。

 

「このライブ、俺は《Roselia》が高みへと至れるかの試金石になると思っている。商店街にくるのは何もライブ目当ての客だけじゃない。もし、《Roselia》がその客すらも取り込めるのだとすれば、それは君たちにとって大きな価値になるんじゃないかな」

「……一理ありますね。最高の音楽を追い求める私たちにとって、《井の中の蛙》にならないように、一般的の方々の評価はどこかで確認しなければと思っていました」

「ああ、その反応を見た上で、バンドの方向性をもう一度問い直すのもありだろう。正直、これ以上先に進んでから方向性を修正するのは《Roselia》には厳しいと思う。それだけ君たちは仕上がりに向かいつつあるからな」

 

 納得した様子で話す氷川さんに、さらに自分の考えを伝えると、彼女は「確かに、完成する前だからこそできることもありますね」と好意的な反応を見せる。

 

 とりあえず、氷川さんはいい感じで引っ張れたかな。あとは湊さんと、できれば他の3人にも納得した上で参加してほしいところだが……さて、どうなるかな。

 

「というわけで、これが俺が《Roselia》に提示できるメリットの一つ目ね。それで、早速二つ目に移るんだけど、これが『有力バンドとのダブルヘッドライナー』だな」

「有力なバンド……具体的なバンド名は出せますか?」

 

 有力なバンドの参戦に食いついたのは湊さんの方だった。《Roselia》が半ば武者修行のようなかたちで、この界隈の有力なガールズバンドが出るライブに対バンとして参加をしているのは有名な話だ。自分たちと並び立つ相手に興味があるのは当然の話だろう。

 

「ああ、《Roselia》と並ぶヘッドライナーは《Afterglow》に参加を確約してもらってる」

「え!? 巴お姉ちゃんもライブに出るの!?」

 

 俺がもったいぶらずに《Afterglow》の名前を出すと、すぐに食いついたのは湊さんではなく宇田川さんだった。彼女は叫び声に近い大声を出した直後に、「あ!? す、すみません!」と再び恐縮モードに入る。なんだかんだ年少者というのは肩身が狭いものだ。

 

 そういえば宇田川さんは《Afterglow》の宇田川さんの妹だったな。かなり印象が違うから忘れそうになるけど。

 身内で別のバンドやってると、売れ行きの差で確執が生まれたりすることもあるんだが、宇田川姉妹は仲良しなんだよなぁ。羨ましい。

 

 俺は頭の中に浮かんだ愚妹のビジョンを振り払いながら、宇田川さんに話を振る。

 

「ははっ、いい反応だね。宇田川さんはやっぱりお姉さんと同じステージに立ってみたいのかな?」

「はい! 巴お姉ちゃんのライブは何度か見に行ったことがあるんですけど、一緒のステージに立てるとなったらこれが初めてです!」

 

 俺の言葉に応えてくれる宇田川さんの声からは、隠しようのない喜色が滲み出ていた。

 

「……《Afterglow》は、私の方でも注目していたガールズバンドの一つですね。参加するライブの傾向が違っていたので、今までステージを共にする機会はありませんでしたが」

 

 宇田川さんが落ち着いた後、会話に入ってきたのは湊さんだった。

 

「ならこれをいい機会にするといいよ。彼女たちは今の《Roselia》にとって間違いなくカンフル剤となるからね」

 

 湊さんが《Afterglow》に興味を持っていたのは好都合だ。俺はそこに差し込む形で《Afterglow》との対バンにも似たヘッドライナーの有用性を説いていく。

 

「基音さんから見て、《Afterglow》は私たちを次のステージへ押し上げる鍵になる、と?」

「ああ、その通りだ」

「理由をお聞かせいただいてもいいかしら?」

 

 湊さんの言葉はかなり慎重だ。《Afterglow》が《Roselia》にとってそこまで重要な役割を果たすのか半信半疑といったところのようだ。

 そして、その考えは半分は正解だが、半分は大きな間違いだ。

 

 確かに、実力的には《Roselia》の方が層は上だ。でも、バンドっていうのは実力が全てじゃないんだよ。ステージに上がれば、そこには上座も下座もない。

 《Afterglow》は《Roselia》とは違ったタイプのガールズバンドだ。だからこそ、ステージの上で今の《Roselia》を()()()()()()()存在なんだ。

 俺はそのことをこれから湊さんに伝える。それもオブラートに包むことなくぶちこんでいく。それこそが、俺にできる彼女への誠意だと言ってもいい。これで《Roselia》との関係が切れてしまうなら、彼女たちとは結局そこまでだったというだけだ。

 

 そして、全ての覚悟を決めた俺はゆっくりと、しかし力強く口を開いた。

 

「ああ、今から理由を言うからよく聞いてくれよ。俺は、『《Roselia》は一度ぶっ壊れるべきだ』と思ってる」

「なっ!?」「えっ!?」「な、なんで!?」「……ど、どういうことでしょう!?」「あ、あこにはわかんないよー!?」

 

 俺の言葉を聞いた彼女たちは、あまり感情を露にしない湊さんも含めて全員が狼狽していた。

 当然といえば当然だ。今、飛ぶ鳥を落とす勢いの《Roselia》、それをぶち壊す理由など、普通に考えればありはしない。

 

 でも、俺には理解(わか)る。《バックドロップ》というバンドを抜けて野良になって、《Roselia》というバンドの姿を目にした俺には理解ってしまうんだよ。君たちの限界が。

 

 《Roselia》に俺たちと同じ鉄は踏んでほしくない。だからこそ、俺は彼女たちの心に大きな波紋を生むために、最大限ドでかく強い言葉を選んで、何の説明もなくぶん投げたのだ。

 

「……それはどういう意味なのか、説明してもらえますよね、基音さん」

 

 その衝撃から真っ先に立ち直ったのは、やはりリーダーの湊さんだった。

 

「もちろん。けど、全部は語れないよ」

「あれだけのことを言っておいて、理由は全て語れないのですか?」

 

 湊さんの言葉に答えている内に、後を追うように立ち直った氷川さんが言葉を繋ぐ。湊さんから反応はない。恐らく、氷川さんと同じことを聞きたいのだろう。

 

「ああ、語れない部分に関しては、君たちに学びとってもらわなくてはならない部分だからね」

「学びとる、ですか。つまり、『教えてしまっては意味がない、見て盗め』というわけですか」

「流石、氷川さん。頭の回転が早いね」

 

 俺は思わず賞賛の言葉を口にしていた。やはり、このタイプの人がいると話が進みやすくて助かる。

 

「……その盗む相手が《Afterglow》というわけですね」

「確かに、お姉ちゃんならあこに足りないものを持ってるかも!」

 

 そんなことを考えている内に、普段はあまり会話に入ってこない白金さんと宇田川さんも次々に口を開く。やはり、みんな俺の言葉の真意に少しでも迫っておこうと必死なのだ。

 それは、裏を返せば彼女たちの《Roselia》というバンドへの愛の大きさに他ならない。

 

 みんな《Roselia》を守りたくて必死だ。やっぱりいいバンドだなここは。

 さて、頑張って口を開いた彼女たちのためにも、もう少しヒントはあげておくか。

 

 そして、俺は白金さんに対して言葉を返す。

 

「白金さんの言葉は半分正解かな」

「半分、ですか……?」

「ああ、俺が学びとってほしいのは《Afterglow》だけじゃない。オープニングアクトの《popin' party》や、俺たち《ハロー、ハッピーワールド!》からも、君たちが学びとるべきことがあるんだ」

「そうなんですね……!」

「《popin' party》と《ハロー、ハッピーワールド!》ですか。どちらも私たちからすれば、かなり格落ちな感が否めませんが……」

 

 白金さんへの返答に、氷川さんは懐疑的だ。

 確かに、《ポピパ》と《ハロハピ》は活動歴が浅いバンドだ。界隈での地位を確立させつつある彼女たちが歯牙にもかけないというのも頷ける。

 

「ああ、この二つのバンドは君たちと比べれば劣る。しかし、この二つのバンドもまた君たちが必要とするものを持っているんだよ」

 

 そう、俺が今回のイベントに《Roselia》を招いたのには、ちゃんと意味がある。

 

 《Afterglow》は確かに彼女たちを更なる高みへ押し上げる鍵だが、その鍵に彼女たちが気付けるかどうかはかなり怪しい。

 なぜなら、それは《Roselia》というバンドの成り立ちに関わる、いわば構造的欠陥とでもいうべき部分だからだ。だから、《Afterglow》とヘッドライナーで共演しただけでは答えにたどり着けないということは十分考えられる。要は手がかりが足りないのだ。

 そこで生きてくるのが、《ポピパ》と《ハロハピ》の存在だ。

 この二つのバンドは、《Afterglow》ほどの完成度は無いものの、鍵に繋がる要素を持ったバンドだ。

 故に、まずはこの二つのバンドから手がかりを掴み、そこから本丸の《Afterglow》を目指すというのが俺のプランだったというわけだ。

 

 俺がそこまで説明すると、氷川さんは「なるほど……」と呟いて、そのまま考えに耽るかのように沈黙した。

 

「つまり、私たちが成長するためには、今回のイベントを通して、ずっとアンテナを張ってないとダメってことですよね。けっこー厳しいなぁ……」

 

 入れ替わるように会話に参加してきたのは今井さんだった。彼女は広いその視野で全てを見通すために、ゆっくりと俺たちの会話を聞いていたのだろう。

 

「ああ、メリットと言いながら、君たちにはかなり厳しい要求をしていると思うよ。でも、これは君たちが上に行くためには避けては通れないことだ。俺の見立てでは、このままだと早晩、《Roselia》の成長は頭打ちになると思う」

「……! その根拠はあるのですか?」

 

 俺が言葉を言い終わらないぐらいのタイミングで、湊さんが素早く反応した。それはリーダーとしての責任感からか、あるいは。

 

「ある。けれど、これも俺から明かすべきことではない。ただ、ヒントを与えておくなら、これはさっき言った《Roselia》というバンドの構造が抱える問題なんだ」

「やはり、構造の問題ですか……」

「ああ、だからこそ君たちは他のガールズバンドに学ぶ必要がある。今の《Roselia》を壊し、新しい《Roselia》に組み立て直すタイミングは、もうここしかないと俺は思っている」

 

 《Roselia》は、完成に向かいつつあるガールズバンドだ。個々が完成したパーツを持ち寄って作ったバンドだけあって、その早さは群を抜いている。

 しかし、それ故に彼女たちはメンバーの持っていないパーツを取りこぼしているのだ。

 このままでも、《Roselia》は完成する。そのことはまず間違いない。

 だが、それは本来組み込めるはずだったパーツを欠いた不完全な完成だ。そして、そうなれば二度と自分たちを組み立て直す機会は失われる。《Roselia》はその辺りに無数に転がる、ちょっと優れたガールズバンドの一つに落ち着くことになるだろう。

 

「だから俺はこのライブで《Roselia》をぶっ壊すということを、君たちに対するメリットの一つとして提案したい。そして、この二つのメリットが、君たちを今回のライブに誘った理由だ。このライブは、俺たちにも《Roselia》にとっても成長を促すカギとなるだろう。どうだろう、よければ参加を考えてーー」

「ーー受けるわ」

 

 その返答は、俺の言葉を聞き終える前に行われた。

 あまりにも決断的な湊さんの言葉に、一瞬時が止まったかと思えるほどの静寂が支配した。

 その中でも、俺の心は動いていた。それは、どこかこうなることを俺の心が事前に感じ取っていたからに他ならなかった。

 

「……いいんですか、湊さん」

 

 一瞬の静寂の後に、氷川さんが口を開く。その言葉は文言だけ見れば、独断専行に走った湊さんへの批判とも取れないこともないが、その口調からは「私も同じ思いだ」という彼女の感情がありありと読み取れた。

 

「ええ、私たち《Roselia》は最高の音楽を目指すバンド。その鍵が目の前にあるというなら、掴みに行かない道理はないでしょう」

 

 湊さんの言葉には迷いはなかった。

 もしかすると、湊さんは心のどこかでこのような時がくるのを待っていたのかもしれない。

 

「……うん。友希那がそう言うなら、私は何も言うことはないかな! よーし、やるぞー!」

「わたしも、できる限りのことはやらせていただきますね」

「わーい! お姉ちゃんとライブだー!」

 

 そんな湊さんの言葉に、今井さんを皮切りにして、《Roselia》のメンバーが次々に賛同していく。

 

「……はぁ、私としては少し考えてから答えてもよいと思ったのですが。でも、もうそのような雰囲気ではありませんね」

 

 最後に、ため息混じりに氷川さんが賛同の言葉を口にしたその時、俺の計画の第一段階はついに成就したのだ。

 

「それじゃあ、湊さん」

「ええ、今度の商店街での路上ライブ、《Roselia》は基音さんの提示した条件で参加させてもらいます」

 

 リーダーである、湊さんから確かな言質をもらった俺は、思わず「ありがとう」と呟いていた。

 

「君たちの参加を嬉しく思うよ。他のバンドにも君たちの参加を伝えておくよ。きっとみんな歓迎してくれる」

「ええ、お互いにいいライブにしようと伝えておいてください」

「わかったよ」

「では、私たちは早速ライブに向けた相談に入ります。セトリなんかも考えないといけませんので」

「そうだね、詳細は決まり次第追って連絡するよ」

「わかりました。それでは」

「ああ、ではまた」

 

 その言葉を最後に《Roselia》との通話が切れた。

 無音を垂れ流すスマホを耳から離すと、俺は思わず特大のため息を吐き出した。

 

「ふぅー! これで第一段階はクリアだ。まったく、もうこんな橋は二度と渡らんぞ」

 

 何時の間にか額に湧いていた汗を拭いながら、独り言を漏らす。そうでもしないと、この心の昂りに整理が付きそうになかった。

 

 《Afterglow》と《Roselia》の参加。彼女たちの悩みを解決して義理立てしつつ、こちらの野望も実現する。ここまでは完璧な動きだぞ。さて次はどう出るかーーん?

 

 そこまで考えたとき、俺はスマホの画面上部のタブに、通知ありのアイコンがあることに気づいた。どうやら、《Roselia》との通話中にキャッチがあったらしい。

 

「このタイミングでのキャッチ……もしや」

 

 そう思ってタブを開くと、そこにはやはりアッくん先輩からのメッセージが残されていた。

 再生ボタンをタップして残されたメッセージを開く。響くのはいつも通りの間延びした先輩の声。

 

「おーい、鳴瀬くーん。プレゼンのデータができたよー! 区役所のアポも取ったよー。明日は朝から忙しくなるぜーぃ!」

 

 それは、俺の計画の第二段階の始まりを告げる開幕のゴングに他ならなかった。

 

 

 

◇◇◇《side 湊友希那 start》◇◇◇

 

 

 

「それでは、路上ライブに向けての打ち合わせをしましょうか」

「おー!」×3

 

 氷川さんの音頭で盛り上がる他のメンバーを見ながら、私は胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。

 

 ……風が吹いた。この時を私はずっと待っていたのよ。

 

 《Roselia》という方舟を襲った凪の海。そこについに一陣の風が吹いてきたのだ。

 もちろん、その風が私たちを新天地に(いざな)ってくれるとは限らない。もしかすると、その強さに帆柱は折れ、今度こそ方舟は致命傷を受けるかもしれない。

 

 それでも、私はこの風に帆を張らずにはいられなかった。だって彼は、私たちの現状をピタリと言い当てたのだから。

 

 私たちに風を教えてくれたのは、バンドマンとしての先輩である基音さん。

 もしこれが他の誰かからの提案なら蹴っていたかもしれない。しかし、基音さんは以前私たちに的確なアドバイスを贈ってくれた実績がある。

 さらに、基音さんはアドバイス以来全く会っていない私たちの現状を言い当ててみせた。その慧眼は、私に彼の提案を受け入れるに足るものだと判断する根拠としてはこれ以上ないものだった。

 

 とするなら、鳴瀬さんはさしずめ私たちにとっての鳩かしらね。

 

 その昔、新天地を目指した船は、自分達の放った鳩が加えたオリーブの葉を見て新天地の存在を確信した。

 ならば、彼の連れてきた《ポピパ》《ハロハピ》《Afterglow》こそがオリーブの葉に違いない。

 

「……湊さん、どうかしましたか?」

「……いえ、なんでもないわ」

 

 そんなことを考えて無口になっていた私を不思議そうに眺めていた氷川さんに、私は冷静に応える。

 

 いけないわ。今はライブに向けて集中するところよ。

 

 例え新天地の存在を確信しても、そこにたどり着けるかは乗員の腕前次第だ。そんな乗員を束ねるリーダーとして、油断は許されない。

 

「じゃあ、早速イベントのセトリを考えましょう。忙しくなるわよ、みんなついてきなさい」

「はい!」

 

 そうして、自分にも気合いを入れる言葉を吐いて、私はついにしまっていた船の帆を目一杯に広げたのだった。

 




思ったより長くなりましたわ!

そして、久々の版権曲はブルハの『青空』ですわ! んー、この曲はタイトルが秀逸過ぎて最高ですわね! もちろんリリックもいいのですけど!

さて、鳴瀬君の大ナンパ計画も終わり、次はいよいよライブ開始に向けて動き始めますわ!

よろしければまた次話でお会いしましょう!


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野良ベーシストは240時間戦える 【9日前・午前①】

続きました。


 前にもどこかで言ったことがあったかもしれないが、俺はネクタイというものが嫌いだ。

 なぜかというと、こいつを着けると餌を与えられる代わりに、首輪とリードに繋がれることを選んだ犬のような気分になるからだ。俺は、いつだって自分の餌は自分で狩り捕る餓えた狼のようにありたいと願っている。

 

「……なんてことも今回は言ってられないんだけど」

 

 市役所の壁に嵌め込まれた鏡に写る、スーツをビシッと決めてネクタイを首に巻いた自分の姿を見て、俺は思わずそうぼやいてしまう。

 

「おーう、鳴瀬くんったら、中々の男前じゃあないですかねー」

「アッくん先輩……茶化さないでくださいよ。それに、俺はスーツが似合う男にはなりたくないんですよ……」

 

 俺は、いつの間にかしれっと隣に立っていた阿久津先輩にげんなりとした返事をする。ジーンズにTシャツかネルシャツというグランジファッションをこよなく愛する俺にとって、スーツが似合うというのは決して誉め言葉ではないのだ。

 できれば、スーツなんて着ないほうがいいのだが、今回ばかりは信条を曲げざるを得ない。少しでも相手の心証を良くして、交渉をうまく運ぶためには、俺はなんだってする覚悟だ。

 今回の祭り(ライブ)には、それだけの価値がある。

 

「へっへっへー、ちょーっとからかってみただけだよー。私もどちらかというと、スーツとなんてご一緒したくないからねー」

 

 スーツの裾をつまみながら舌をぺろりと出しておどける阿久津先輩も、今は俺と同じようにパンツスーツ姿だ。確かに、おっとりとした性格でゆるふわタイプの服装の似合う先輩には、スーツでバリバリ働くキャリアウーマンのような姿は似合わないようにみえる。

 しかし、その実、この先輩は「地方創生」を合言葉にした地方コミュニティの活性化プロジェクトを、大学のゼミで計画・運用して一定の成果を収めている遣り手なのだ。先輩が主導するグループが、シャッター街状態だった商店街に、おしゃれなカフェやブティックを誘致することで、地元の最先端スポットにしてしまったのは大学でも語り草となっている。

 性格と実績のアンバランス感が半端ないが、ある意味ではバランスが取れているのかもしれない。

 

「んー? 鳴瀬くん、どったのー?」

「あ、いや、何でもないですよ」

「えー、今のは何かやましいことを考えてる視線をかんじたなぁー」

「そんなまさか。俺は裏表のないきれいな人間ですよー」

「ははっ、鳴瀬くんったら棒読みー」

 

 そんなことを考えている内に、阿久津先輩の方を無意識に眺めていたようで、俺はそのことをはぐらかしつつ視線を市役所の入り口に向ける。俺たち二人にはあと一人待ち人がいるのだ。

 先輩も、そんな俺の視線に釣られて入り口に目を遣る。

 

「それにしても、今日のキーパーソンの登場はまだかなー?」

「ええ、さっき連絡がありましたが、学校を抜けてきてもらうので少し遅れるとのことでした」

 

 スマホのメールを確認しながら答える俺に、アッくん先輩が頷く。

 

「あー、女子高生だもんねぇー。私たちみたいに自主休講、って訳にもいかないかー」

「ちゃんと教師に話を通して、手続きを踏んで来てくれてるみたいですからね。彼女の熱意を無下にはできませんよ」

「うん、ここは先輩としてカッコいいところ見せちゃおっかなー」

「すみませーん! 遅くなりましたぁ!」

 

 俺と先輩がそう決意を固めたそのとき、入り口の自動ドアが開いて、制服姿の女の子が元気いっぱいに手を振りながら入ってきた。

 頭の両脇に、角のようなお団子を作った特徴的な髪型をしたその女の子はーー

 

「ーー戸山さん。今日は学校を抜けてまでありがとうね」

「いえいえ! 元はと言えば今回の件は私が無理を言っちゃったので、これぐらいなんてことないですよ!」

 

 俺のお礼に元気いっぱいに応えてくれたのは《popin'party》のリーダー(?)、戸山香澄さんだった。

 彼女には、商店街での秋祭りに代わるライブイベントを実行するため、そのイベント参加者という立場の代表者としてここに出向いてもらったのだ。

 

「今日は私もガンガン頑張って、絶対にライブを実現させて見せますから!」

 

 戸山さんは鼻息荒く意気込みを語って、制服を腕捲りするような仕草をみせる。実際、それぐらい彼女のライブにかける熱量は高い。

 そして、その熱量こそ今回の交渉に俺が必要としているものだ。

 正直な話、単に交渉を進めるだけなら俺とアッくん先輩で十分だ。いや、むしろ先輩だけの方がスピーチなら上手くまとめるだろう。先輩は、この手の交渉事では人後に落ちない。双方の妥協点などを見つけて、必ず交渉を上手くまとめる才能がある。

 

 しかし、それでは足りないものがある。

 それは何かというと「地元の人間の熱意」だ。

 俺は瀬戸内海の田舎出身だし、アッくん先輩も「地方創生」を掲げないと衰退の一途をたどるような田舎から、都会のこの街へ出てきた人間だ。だから、この土地に根差した人間ではない。

 それに対して、商店街は地域に根差した空間だ。その土地と密接に交わる場所で、しかも、祭りという既存の文化に置き換わるイベントを提案するのが部外者であるのは締まらない。

 

 そこで、今回活きてくるのが戸山さんの存在だ。

 彼女がいてくれることで、俺たちの提案は「地域の人が望んだ提案」という体裁を取れる。

 しかも都合のいいことに、戸山さんの所属する《ポピパ》には商店街でパン屋を営む山吹さんという完璧に商店街に根差した人間がいる。更に、うちのバンドには「北沢精肉店」の北沢さんが、《Afterglow》には「羽沢珈琲店」の羽沢さんが商店街の住人として所属している。こうしてステージに上がる人間に地元民を混ぜておくことで、「路上ライブ」と「商店街」という二つの要素に接点を持たせれば、「地元で作ったイベント」という印象を与えることができる。

 そうなると市役所側も、地元の人間の提案を無下には断れないだろう。

 

 今回俺たちは、市役所側が難色を示す予算の問題を解決する服案を持ち込んでいる。その服案と地元民の後押しで計画を通すというのが俺の目論見だ。

 この絵図は、アッくん先輩にだけ既にばらしてある。戸山さんに伝えていないのは、彼女には作戦なんかに囚われない、生の感情を役所の人間にぶつけて欲しかったからだ。飾り気のない純粋な思いは、時に何よりも強く人の心を射つのだ。

 

「おー、気合い十分だねー。初めまして、私は阿久津っていうんだー。早応大学の3回生で、《フラジール》ってバンドをやってるんだー。ドラムが男の子だから、ガールズバンドではないんだけどねー」

「あっ、こちらこそよろしくお願いします! 花咲川女子学園1年の戸山香澄です! 今日はわざわざ来てくださって本当にありがとうございます!」

「ふふっ、そんなに肩に力を入れなくてもいいよー。私がいればこの案件は勝ったも同然だからねー。ゆるりゆるりと行こうじゃないかー」

「おおー、頼もしい! じゃあ、私も遠慮なくゆるゆるしますよー! ゆるゆる~」

「いいね、いいねー。じゃあ、もっとゆらゆらしていこうぜー」

「はい! ゆらゆら~、ゆらゆら~……こうですかね!」

「なにやってるんですか二人とも。役所ではしゃがないでくださいよ、恥ずかしい……」

「はーい」(×2)

 

 俺が今日の流れを脳内でシミュレートしている間に、挨拶を交わしたアッくん先輩と戸山さんは、なんだかもう既に意気投合していた。

 そうして、水を得たタコのように手足をくねらせる二人を嗜めると、俺はもう一度ネクタイをしっかりと絞め直す。

 

「とりあえず、リラックスはしているみたいだから、このまま窓口に向かいますか。約束の時刻まであと5分ですから丁度いい頃合いでしょう」

「よーし、気合い入れていくぞー!」

「おー!」

「だから、テンション! テンションをTPOに合わせて!」

 

 ……ガチガチになるよりはいいんだろうけど、なんだかなぁ。先輩がいるといつも締まらない雰囲気になるんだよなぁ。はぁ。

 

 これから決戦に臨むのに、そんな気配を微塵も感じさせずはしゃぎ合うアッくん先輩と戸山さん。そんな二人を引き連れてた俺は、心の中でため息を吐きながら窓口へと向かうのだった。




仕事で配置換えがあって、想定していた休みがほとんど取れなくなって投稿がおくれましたわよ!

お盆にはなるべく書き進めたいと思っていましたが、お盆も休みが微妙でしてよ!

神は死にましたわ!


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野良ベーシストは240時間戦える 【9日前・午前②】

続きました。

今回も短い(血涙)


 ーーコンコン。

 

 二度のノックの音が響いて間もなく、会議室の札が下がった扉の奥から防音でくぐもった声が聞こえる。

 

「どうぞ、お入りください」

「失礼いたします」「失礼します」「し、失礼します!」

 

 テンプレートに三者三様の返事をして、阿久津先輩を先頭に俺たち三人は会議室ヘと入る。待ち受けるのは俺達と同じ三名の人間だ。

 

「今日はよろしくお願いします。それでは、席にお掛けください」

「よろしくお願いします。失礼いたします」

 

 先輩の返礼に合わせて頭を下げると、俺たちは椅子に座る。クッションの効いたいい椅子だ。だが、今から行うやり取りのことを考えると、その感覚を味わえる時間は殆ど無いだろう。

 横を伺うと、既に戸山さんなんかは椅子の上で居心地悪そうにモジモジしている。あるいは、こんな椅子に座り慣れていないから違和感を覚えているのかもしれない。

 アッ君先輩はというと、このようなやり取りは慣れたものと言わんばかりに微笑みすら浮かべて悠然と椅子に座り、目の前の三人を見つめている。その視線を追いかけるように、俺もここで初めて今日対峙する三人の市役所職員の顔をじっくりと見ることになった。

 

 中央の職員はいかにも公務員という感じの髪をきっちりと七三に撫で付けた四十代ほどの男だ。この男が恐らくこの場で一番役職が上で、メインで話すことになるのだろう。いかにもお堅い雰囲気の男とは、俺はあまり反りが合いそうにない。この辺りはアッ君先輩の手腕に期待だ。

 向かって左にはそれよりもやや若い中年の男がノートパソコンを開いて座っている。この男は書記官というところか。実際にあまり話に関わることはないかもしれないが、電子媒体の資料について切り込んでくる可能性はある。そういったことはITへのリテラシーが高い若手に一任しているところも多い。

 最後に右には中央の職員よりもやや年上、50代半ばに見える女性職員が座っている。彼女は手元に大量の資料を用意していて、恐らく追加の質問を投げかけてくる役目を担うのだろう。ある意味、中央の男よりも警戒する必要があるかもしれない。

 

 ……中々、真っ向からやり合うには骨が折れそうな相手だが、今日がそうじゃないのは幸運だったな。

 

 俺は、いかにも遣り手なオーラを漂わせる三人を見て、しかし少し安堵していた。

 なぜなら、今日の俺たちの目的は、相手をやり込めるのではなく、こちらの提案を相手に受け入れて貰えればよしなのだ。そのために今回の計画にはオプションとして、多少の譲歩も選択肢に入れてある。商店街でのライブをどんな形であれ成立させればいいのだから、「ライブの許可」という必要条件さえ通れば、そこからどう転んでもこちらの勝ちは揺るがない。

 

「それでは、時間もきているようですので始めさせてもらいましょうか」

「はい、よろしくお願いします」

「お願いします」「お、お願いします!」

 

 中央の男が開始の宣言をすると、中央のアッ君先輩を筆頭に俺たちは頭を下げる。

 今回、メインで論陣を張るのはアッ君先輩の役目だ。俺と戸山さんは、ここぞという場面のサポート役というスタンスである。

 話を持ち掛けた側としては心苦しいのだが、アッ君先輩に言わせれば「私が正面切った方がやりやすいかもー」とのことだったので、一存に任せることとした。

 そして、アッ君先輩はそう言うだけあって、初っ端からしっかり相手の心証を良くする小道具を用意していた。

 

「今日は、私達のような若輩者に貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。私、早応大学経済学部地域経済科に在籍しております阿久津と申します。こちら、ゼミで活動するときの名刺です」

「これはご丁寧にどうも。……おや、君は曽根崎先生のゼミ生なのか」

 

 アッ君先輩が恭しく名刺を差し出すと、それを見た中央の男の表情が変わる。

 

「はい、曽根崎先生にはフィールドワークや研究で色々お世話になっております」

 

 アッ君先輩が、自分の所属するゼミの教授の名前を出した瞬間、男の顔が思わず綻んだ。

 

「そうかそうか、いや、実は私も早応のOBなんだがね、曽根崎先生にはお世話になった身なんだよ。もっとも、その頃は先生はまだ助教授だったんだがね。順調にご出世しておられるようで何よりだ。先生はご壮健かな?」

 

 男の問いかけに、アッ君先輩が大きく頷く。

 

「はい、もう私達ゼミ生よりもお元気ですよー! 気が向いたら、ふらっと街に繰り出してそこでゼミをされたりして。曽根崎先生は現場主義の先生ですけど、昔からそういった感じでしたか?」

「ああ、先生は『地域の経済を語るのに机に齧りついては話にならん』と言って、よく駅前や商店街に連れて行かされたものだよ。もっとも、勉強なんて口実で、そういうときは大概、学生にご飯を食べさせてくれるときだったよ」

 

 男はそう言って苦笑を浮かべるが、その表情は楽しさが勝っている様子だ。それを確かめて、アッ君先輩も微笑む。

 

「わぁ、昔から変わらないんですねー。やっぱり、曽根崎先生は昔から破天荒な方だったんですねー」

「そうだな、まぁ、その分、普通では見えないもの、気づかないものを色々経験させてもらったよ。すまないが、先生によろしく言っておいてくれないか。ご無沙汰しています、近い内に五十貝が挨拶に伺います、と」

「承知しました、きっと先生もお喜びになると思います」

「だといいがね、もう先生とは長いことお会いしていないから」

 

 そう言うと、五十貝さんという職員は少し遠い目をした。その視線の先には過ぎ去った過去の自分がいるのだろうか。

 だが、それも一瞬のことで五十貝さんはすぐに焦点をこちらに向けると鋭い眼光を浮かべる。

 

「ふむ、君たち二人は私にとって後輩だが、だからといって手心を加えることはない。私も、今は課長の肩書でこの街の健全な発展という職責を負う身だ。生半可な提案は容赦なく切らせてもらうから、そのつもりでいるように」

「はい、元より覚悟の上です」

 

 五十貝さんの言葉に、俺は大きく頷いた。

 彼がこの街の健全な発展に人生を賭けるのと同じように、俺もバンドという音楽に人生を賭けている。多少の擦り合わせは仕方ないにしても、計画の根っこの部分は決して抜けぬ折れぬ図太いものを用意してきたつもりだ。

 

 それに、アッ君先輩の名刺作戦によって、場の雰囲気は俺達がここに入った当初よりも明らかに弛くなっている。

 実は、五十貝さんが早応大の出身者であり、しかも先輩のゼミのOBなのは、曽根崎教授からリサーチ済みだったのだ。

 先輩はそれを巧みに利用して、名刺一枚によってアウェイの空間にホームの雰囲気を作り出したのだ。この辺が、俺には真似できない先輩の立ち回りの上手さというやつだ。

 そして、そんな雰囲気の中で、五十貝さんもやや物腰を柔らかくして頷く。

 

「よろしい、では君たちの提案を聞かせてもらおうか」

「はい、では今からお手元にお配りする資料をご覧下さい」

 

 俺はカバンから資料を取り出すと、その場の全員に配る。この手のアナログの資料は俺の手から配る方が、全員で計画を動かしているように見えて、相手方の印象がいいというアッ君先輩が提示した戦略の一つだ。

 そんな無数の戦略を立てたアッ君先輩は今、タブレットを片手にプロジェクターの準備をしている。先輩はこの短期間で、俺の資料を元にプレゼン用のパワーポイントまで仕込んできたのだ。「手持ちのデータを流用しただけだよー」と事も無げに言ってくれたが、多分一生俺はアッ君先輩に足を向けて寝られないだろう。事前に見た先輩のパワーポイントにはそれだけのクオリティがあった。

 

 一方の戸山さんはというと、今俺が配った資料に目を通して「どっしぇー!」とでも言わんばかりの表情をしていた。

 実は、先に語った戦術面についてもなのだが、戸山さんには今回、俺が計画したプロジェクトの詳細に関しても、その一切を漏らしていない。恐らく、資料を見て思ったよりも大事になった今回のライブに心から驚いているのだろう。

 彼女は自制心よりも先に体が勝手に動くタイプなので、下手に計画を知った上でこの場に臨むと、会話の途中で彼女のパッションが暴発して話の腰が折られる危険性があった。

 

 ……というか、前にパーティションを乗り越えて来たことを鑑みるに十中八九折られるな、うん。

 

 なので、彼女には、最初は市役所職員と同じスタンスで、俺の計画をじっくり聞いてもらうことにしたのだ。

 

 心配しなくても、君にはちゃんと計画の山場で活躍してもらうからな。それまでは我慢してくれよ。

 

 もちろん、戸山さんの持つ熱量を利用しないのはもったいない。だから、彼女には計画のダメ押しを担ってもらうことになっている。このことに関してだけは既に彼女とも打ち合わせ済みだ。そこに彼女の剥き出しのパッションを乗せて、この計画は完全なものとなるのだ。

 

 資料が全員の手元に行き渡ったことを確認して、俺はついに初めて、その計画の名前を口にした。

 

「それでは、今から『Girl's band Shopping Street Sounds Session』、『G4S Project』について説明させていただきます」

 

 




この後の流れは頭の中でできているので、早めに投稿できると思いますわ!(できるとは言ってない)


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野良ベーシストは240時間戦える 【9日前・午前③】

続きました。(続かないかと思った……)





 ーー『G4S Project』。

 

 これが俺が考え出した、商店街での大規模路上ライブだ。この中には今、商店街が抱えた問題を一気に解決できるプランが組み込まれている。

 

「……ふむ、『G4S Project』ね。では、その全容を教えてもらおうかな」

「はい、もちろんです。先輩、スライドの準備を」

「あーい、オッケー!」

 

 五十貝さんに先を促された俺は、すぐにアッ君先輩にスライドの投影をお願いする。

 アッ君先輩は、慣れた手付きでプロジェクターを操作すると、そこにポップなデザインとビビッドカラーで作られた『G4S Project』のロゴが映し出される。

 このロゴは、今回の計画を持ち込んだときに、先輩からの「プロに頼んで作るように」という指示の下、俺がプロに「若く革新的なエネルギーを感じるデザイン」というテーマで依頼して作成したものだ。

 このようなイベントのイメージを湧かせる小道具というのは、相手に対しての訴求力が強い。

 実際に、このロゴがスライドいっぱいに映し出されたとき、五十貝さんたちは明らかに驚いた表情を浮かべていた。

 

 まぁ、一番驚いた表情を浮かべていたのは戸山さんなんだけどさ。

 

 こちらからプロジェクトの全容を全く知らされていなかった戸山さん。彼女はプロジェクトのロゴが映し出された瞬間、ショーウインドウのトランペットに釘付けになる少年が如く、目をキラキラさせてロゴを見つめていた。

 だが、それも無理からぬ話だ。

 『G4S Project』は、《ハロハピ(俺たち)》のイベントであるが、《ポピパ》のイベントでもある。いよいよ現実味を帯びてきたライブへの期待に、釘付けになるなという方が酷な話だ。

 

「鳴瀬君、いつでもいけるぜー」

 

 そんなことを考えているうちに、アッ君先輩が手際よくパソコンの設営を済ませたようだ。俺は軽く目配せしてから、お礼の言葉を口にする。

 

「ありがとうございます、先輩。それでは、今から『G4S Project』の全容を、なぜ今回私達がこの計画を皆さまにご提案するのか、その理由を含めてご説明します」

 

 いよいよ、俺たちの計画がベールを脱ぐ。

 ここにきて、五十貝さんの目がすっと細められる。それは、こちらが学生や大学の後輩というという色眼鏡なしで、この計画が本当に商店街のためになるのか見極めようとする、プロフェッショナルとしての目つきだ。

 

 ここからは、一つのミスも許されない。もちろん、そのための準備は万端だ。

 

 俺は、心の中で気合を入れると大きく息を吸い込んでから言葉を続けた。

 

「まず、この『G4S Project』の立ち位置なのですが、これは本来商店街で行われる予定だった秋祭りの代替イベント、という認識は共有いただけているでしょうか」

 

 俺からの確認の言葉に、五十貝さんが頷く。

 

「ああ。今年の商店街での秋祭りは、諸般の事情で中止となった。その穴を埋めるために、君たちが元々簡素だった路上ライブを大掛かりなイベントに変えて持ち込みをしている、合っているかね」

「はい、おっしゃる通りです」

 

 返す形での五十貝さんからの確認に今度は俺が頷く。

 この手の土台の部分の認識の共有は、今後の話を円滑にする上で重要だ。これができていないと、最悪、「そんなつもりでは無かった」と、最後の最後で、ちゃぶ台返しのように態度を翻される可能性も否定できない。

 一先ず、そのリスクを回避したところで、話を進める。

 

「では、認識を共有いただけているということで、今回の提案の要旨なのですが、今回、私達はこの『G4S Project』で、商店街が秋祭りを中止せざるを得なかった3つのリスクを全て回避できると踏んでいます」

「ほう、3つのリスクか。聞かせてもらおう」

 

 五十貝さんが眼光鋭くこちらを見つめる。それは、獲物を狩る猛禽のそれに等しい。こちらに落ち度があればすぐにでも俺たちの計画は引き千切られてしまう。そう予感させる怜悧な瞳だ。

 

「はい。商店街の秋祭りが抱える3つのリスク、それは『期間中の店舗の運営』『予算との折り合い』『客層の固定化』、この3つです。間違いありませんか?」

「ふむ、どうやら現状はしっかり把握できているようだね」

 

 五十貝さんは顔の前で指を組むと、俯くことで暗に俺の指摘を肯定し、先の言葉を促す。

 

「はい、では問題の土台となる部分の認識は共有できていると判断して話を進めます」

 

 前提となる土台の認識が共有できていなければ、いくら議論を重ねても意味がない。まず、お互いが同じ土俵に立っていることを確かめてから、俺は本題に切り込んでいく。

 

「今年、商店街の秋祭りが実施できなかった3つのリスク、その根本にあるのはすべて『お金』です。まず、秋祭りの期間は他所から引き入れた露天商が商店街に屋台を張るので、屋台の後ろに位置する店は営業できず、商店街が潤わない。場所代でいくらかの利益は得ているものの、それは微々たるものです。この辺りががめついと、人が離れていきますからね。だから、折角祭りで人を集めているのに、商店街側はその恩恵を享受することができない。これが1つ目の問題です」

 

 1つ目の問題を指摘して、視線で五十貝さんを窺う。俺と目が合うと、五十貝さんも視線だけで続きを促した。ここまでは問題なし。

 

「では、続けさせていただきます。次に、予算との折り合いですが、こちらの秋祭りは商店街の積立金と市から商店街への助成金で賄っているとのことですが、今年度はそれが足りない。理由は今年度の助成金は商店街の修理営繕に回してしまったからです。タイルの張替え、街路樹の手入れ植え替え、街灯の支柱の塗り直しなどを一括で行ったことで助成金の8割ほどを使ってしまった」

 

 この話をしたとき、戸山さんが渋い顔をした。

 戸山さんが、市役所に直談判に行って断られたときに市役所側が理由として上げたのが、正にこの助成金の問題だったからだ。

 

「助成金の使途は商店街側が決められるので、修理営繕に使うのは問題ありませんが、追加の給付は認められないというのが市役所側のスタンスですね」

「その通りだ。そもそも助成金の額は、前年度から各所と折り合いをつけて、年度当初には決まってしまっているから、今更変えるなんて訳にはいかない」

「もし、今からどこかと調整するにしても1〜2ヶ月はみてもらわないとねぇ~。そう、ぽんぽん公金は動かないからねぇ〜」

 

 五十貝さんと、その隣でノートPCをタイプしていた書記担当の中年男性が首を左右に振った。中年男性は軽い口調だが、モニターを眺めるその鋭い目から予算を割くことは実質的に不可能だという強い意志が感じられる。

 もちろん、こちらとしても予算は追加で商店街に回ってこないことは折り込み済みだ。だから、俺はそのまま話を続ける。

 

「はい、存じております。では、2点目の認識も問題ないとして、最後の3点目。客層の固定化ですが、商店街の秋祭りは元々地元の伝統行事として行われているので、外部に向けて大々的に告知をしているわけではない。その結果、他の神社やお寺が主催の秋祭りと違い、外部からの集客が見込めない訳ですね」

「その通り、地元民の財布が緩んでも、その金は外部から出店する屋台に吸い取られ還元されない。むしろ、商店街に落とす金を屋台に取られた分だけマイナスになっている」

 

 そこまで言って五十貝さんは苦々しげに顔をしかめた。

 どうやら、五十貝さんにも秋祭りについて思うところはあるのかもしれない。そもそも、彼は商店街の担当者なのだ。商店街が地元を盛り上げようと秋祭りをすることに対して、そこまでの悪印象を持っているとは言い難い。

 だからこそ、彼の懸案を振り解くことができれば、こちらにも勝ち目はあるのだ。

 

「どうやら、現状の認識に君たちと私達に相違は無いようだ。では、聞こう。君の提案する『G4S project』、これはこの問題の解決策足り得るのかね?」

「はい、勿論です。では次のスライドをご覧ください。先輩、お願いします」

「あいよー」

 

 阿久津先輩が手元のタブレット端末を操作し、スライドが切り替わる。するとそこには、「持続可能なガールズバンドによるストリートライブパフォーマンス」という文字が大きく映し出された。

 

「ふむ、持続可能な……」

「ストリートライブパフォーマンスねぇ〜」

 

 五十貝さんと書記の中年男性が興味深そうに呟いて、視線で先を促してくる。

 俺が軽く頷くと、阿久津先輩が先を読んでスライドを展開してくれる。こちらのテンポを削がない先輩の気配がありがたい。

 

「はい、私達の提案するこちらのプロジェクトの柱は全部で3つあります。それは、『低予算』で『商店街にお金を落とし』なおかつ『流行を取り入れて外部の人間を呼び込む』ことです」

「ほう、先程の3つの問題全てをカバーできる、と?」

「はい、もちろん根拠はあります。今からそれをご説明します」

 

「まず、計画の全容からお伝えします。『G4S project』は、今流行りのガールズバンドを4グループ集めて、商店街をライブハウス代わりにストリートライブを行う、という計画です」

 

 俺の口から出た計画を聞いた五十貝さんが深く頷いた。

 

「なるほどね、ガールズバンドは確かに今流行の最先端にあるといっていい。商店街の近辺だけで見ても、ここ数年でライブハウスが数件は新規で出店したはずだ」

「そうですね〜、ウチの娘もハマってますよ~。なんだっけ? 確か、《ぐりぐら》か《グリグリ》? とかいうバンドを追っかけてるみたいですよ〜」

 

 中年男性のこの言葉に、椅子から立ち上がり身を乗り出したのが戸山さんだった。

 

「え!? もしかして、そのバンドって《グリッター*グリーン》って名前じゃないですか!?」

「あ〜、そうそう! おや、もしかして君、お知り合いだったり?」

「はい、《グリッター*グリーン》は私達の先輩のバンドなんです!」

「へぇ~、意外なところで繋がったねぇ~。もしかして、《グリッター*グリーン》を呼べたりするのかな?」

 

 中年男性の言葉に俺は左右に首を振った。

 もしかすると、戸山さんたちに頼めば、《グリッター*グリーン》を呼ぶことも不可能では無いかもしれない。しかし、今必要なのは希望的観測ではなく、あくまで現実的なプランだ。持続可能な観点からすると、《グリグリ》レベルのバンドを毎年呼んで来れるかと言われれば、俺は首を縦には振れない。

 あちらが求めているのは、マックスではなくアベレージだ。

 

「いえ、何分実績が無いイベントですので、そこまでのバンドは呼べません。ですが、この界隈では屈指の実力を持つバンドを集めてあります」

「ふむ、バンドに関しては(つて)があるということだね」

「はい、キャパシティでいうと500〜1000人ぐらいのライブハウスなら、問題なく埋められるレベルのバンドが来ると思ってください」

 

 この数ヶ月で《ハロハピ》もバンドとしてかなり伸びた。500〜1000人というキャパは、ハッタリ(ブラフ)ではなく、確実に呼べると俺は踏んでいる。

 そして、《ポピパ》に関しても、俺たちと同じくらい伸びているので、これだけのポテンシャルはあるはずだ。《Roselia》と《Afterglow》は言うまでもなく、条件さえ合えば1000人以上のキャパでも集める実力がある。

 そう考えて、自身を持って返答した俺だったが、五十貝さんをはまだ探るような姿勢を崩さない。

 

「確かに、商店街のキャパを考えると集客力は申し分ない。しかし、来年度以降もこのクラスのバンドは呼べるのかね?」

 

 確かにこの指摘は最もだ。

 今回イベントに集めたバンドは、正直クオリティがかなり高い。同じレベルを毎年集められるかと言われると、保証は難しいものがある。

 しかし、それでも今回の条件に限れば勝算はあった。

 

「バンドというのは皆様が思っている以上に横の繋がりが強いんです。ですから、今回イベントに協力してもらう4つのガールズバンドが、新しいバンドを推薦する形を取る予定です。そして、その次は新しく選ばれたバンドがまた次のバンドを推薦することでループが可能になります」

「ふ〜ん、確かにステージに立つバンドが後継者を選ぶのは悪くないね~。演者も一定の水準を確保して、なおかつ持続可能という条件にも合うね〜。でも、ステージに登りたいバンドが無いなんてことにはならないかな~?」

 

 今度は中年男性の方が攻めた質問を仕掛けてくる。

 しかし、この質問は想定内。ここは俺の経験に基づく知識からさらりと返答できる。

 

「はい、タダで人前でライブができると聞けば、必ず一定レベル以上のバンドは食い付いてきます。バンドマンはいつでも金欠ですからね。自腹切ってチケット捌く様なこともありますから、今回のイベントが成功すれば、むしろステージに上げるための予選が必要になると思いますよ。それにーー」

「それに?」

「今回選んだバンドは、どれも商店街に関係者がいるバンドです。どうしても人がいなくても、最終的にはどこかのバンドが穴を埋められます」

 

 そう、今回のイベントの肝は「商店街の身内がこちらに居る」ということだ。元々、彼女たちの願いで今回のイベントは大きく膨らんだのだから、当然、イベントが軌道に乗れば彼女たちのサポートは毎年受けることができるのだ。

 

「もし、それでイベントの規模が縮小するようであれば、それはイベントが役目を終えるときです。本来の秋祭りの形に戻してもその頃には予算の問題は解決しているでしょう」

「なるほど、数年でもブームに乗ってイベントができれば商店街にも金銭的なゆとりが生まれるということか」

「そういうことです。また、その間に現在赤字が出ている秋祭りの運営を見直す猶予も生まれます」

「ふむ、悪くないな」

 

 持続可能、とはいうもののブームというのは一過性。当然、今のガールズバンドブームにもいつかは終わりが来る。そうなるとこのイベントを開く意味はなくなる。

 だが、考えてみてほしい。そもそも今回のイベントを打ち出したのは秋祭りの代替案だ。このイベントが商店街の体力を回復させている間に、秋祭りの運営を健全化すれば、例えブームが終わってもスムーズな形で権限を移譲できる。

 つまり、このイベントは続けば続くほど得をするボーナスステージのようなもので、例えステージがどこで終わろうとも確実にメリットを商店街に与えてくれるという寸法なのだ。

 この説明には、五十貝さんも満足したようで、彼は深く首を縦に振った。

 しかし、それも一瞬のこと。

 五十貝さんの興味はすぐにまだ解決していない2つの課題に移っていく。

 

「持続性を持たせて外部の人間を呼び込む、これはオーケーだ。しかし、これだけで金銭的な問題を解決したとは言い難い。それは分かるね?」

「はい」

「君たちが呼び込んだ外部の人間は、バンドが目当てだ。じゃあ、その人間にどうやって商店街に金を落とさせる?」

「それについては、既に商店街のお店に協力を依頼してあります」

「ほう、聞かせてもらおうか」

「まず、ライブなのですが、曲の合間やバンドの入れ替わりのタイミングで機材を運ぶため、どうしても間が生まれます」

「そうだな、すべてのバンドが同じ機材を使うわけではないからな」

「そこで、場を繋ぐためにライブハウスではMCパフォーマンスがあるわけですが、今回のイベントではここで商店街の店の宣伝を入れていく予定です」

「……! なるほど……」

「また、今回協力いただく商店街の皆様には、ステージ上で割引クーポンの配布やタイムセールの告知を行ってもらいます。こうすることで、クーポンを手に入れた人が商店街をリピートする確率を高められますし、タイムセールをすることで人の分散効果もあります。それに、クーポンやタイムセールは本来の商店街の顧客にも魅力的なので、新規も古参も両方の需要を満たします」

「なるほどね、ステージに人が殺到するのを防ぎながら、ステージであることのメリットを最大限に使って商店街にお金が落ちるようにしているわけか~、よく考えてるね〜」

 

 中年男性が納得がいったと何度も頷き、五十貝さんもそれに同調する。

 

 よし、好感触だな。ここで畳み掛けるか。

 

 二人の反応の良さを確かめて、俺はいよいよ最後の課題に対する答えを間髪入れずに突っ込んでいく。

 

「最後に低予算についてです。ステージで使う楽器は基本的にバンドが持ち込みなのでほぼ無料。アンプやキャビネットなどの放送機器は一部商店街が用意する必要がありますが、これに関してはレンタルもありますし、例え購入したとしても次回以降のイベントに使い回すこともできるので、長いスパンで見ると安く上がります。更に、今回のイベントに限っては放送機器をタダで用意できる伝があります」

 

 伝とは勿論、ウチのペグ子に他ならない。

 あのリアルお嬢様にかかれば、それこそ予算の問題などノープロブレムで秋祭りだってできてしまうのだが、それは違う。

 今回のイベントは、あくまでも商店街が自分たちの力の範囲でできるイベントというのが要諦だ。今回は伝を使って安く上げてますが、商店街の体力でも開催可能であることをアピールしなければ五十貝さんは首を縦には振らないだろう。

 それに何より、全部が他所からの借り物のイベントは商店街としても頷けないはずだ。だって、本当は秋祭りは商店街の人たちのものなのだから。

 だからこそ商店街の人たちは、ステージのMCでタイムセールの告知やクーポンの配布を買って出てくれたのだ。タイムセールやクーポンを使えば、店に落ちる利益はどうしても下がってしまう。それでも、今までの秋祭りに変わる可能性として俺たちに力を貸すことを選んでくれたのだ。

 

 このイベントは、最初から俺たちだけのものじゃないんだ。だから、負けられないんだよ、俺は。

 

 人々の期待を背負えば背負うほど、その背にのしかかる負担は大きくなる。

 それでも俺は諦めない。

 なぜなら、その先には必ず彼女たちの笑顔(ハッピー)があるはずなのだから。

 

「ふむ、何事も初回には多少の投資が必要なわけだが、その辺りについて根回しは十分というわけだ」

 

 低予算に関しても、五十貝さんは納得がいったようで顎に手をあてて、スライドと手元のレジュメに記載されたイベントの概算要求を見比べている。

 

「はい。そして、ステージ自体は秋祭りの太鼓用のステージを流用するので設備投資は必要ありません」

「あるものを最大限に使うのか、いい考えだね」

 

 中年男性の方も、やや前のめりに俺の意見に賛同してくれている。

 

「そして、商店街側は今回のイベントが成功した場合のみ、機材に投資すればいい。来年度は助成金も元に戻るので、機材を買うぐらいの資金は捻出できるはずです」

「なるほど、商店街の体力も考慮済み、というわけか」

 

 そこまで言うと五十貝さんは、レジュメを机の上に置いて軽く天を仰いだ。それから、俺達の方に視線を戻した五十貝さんの口元には笑みが浮かんでいた。

 

「成瀬くん、阿久津さん、そして、戸山さん」

「はい」「はい」「は、はい!」

 

 五十貝さんに名前を呼ばれた、俺たちは返事をする。戸山さんは急に呼びかけられて焦っていたが、五十貝さんの声色は今までにない優しいものだった。

 

「学生の身でよくここまでの計画を打ち出してくれたね。説明を聞きながら資料にも目を通したが、予算の面では私の目からすると全く問題は無いように見える」

「……! ありがとうございます」

「私からするとぜひこの計画は実施させてもらいたいのだが、須藤さん。イベントの設営面について彼らに確認することはありますか?」

 

 ここにきて初めて、五十貝さんは市役所側の最後の一人、高齢の女性の須藤さんに話を振った。どうやら、金銭的なことは五十貝さんが、会場などの場所については須藤さんが担当ということらしい。

 そして、五十貝さんに水を向けられた須藤さんが軽く頷いてから口を開く。

 

「はい。では、私から会場について一点確認させていただきますね」

「お願いします」

「では、今回は商店街というスペースでライブをすることになるのですが、その上で気になるのは会場の動線の確保です。今回は商店街中央の大十字路を会場にするようですが、そこに人が殺到しすぎると動線がなくなり渋滞が起きてしまわないでしょうか?」

 

 なるほど、須藤さんの指摘は最もだ。

 本来ライブをするスペースではない商店街では、あまりにも多い人数が殺到すると人の流れを詰まらせてしまう。生活道として商店街を利用する人も中にはいるので、そうなると苦情は必死だ。

 しかし、もちろんその点も問題は解決している。それは、俺ではなく阿久津先輩が妙案を出してくれていた。

 

「それにつきましては、阿久津の方から説明があります。……先輩、スライド操作代わります」

「あんがとね。……それではここからはわたくし、阿久津が説明させていただきますー」

 

 俺だけに聞こえる囁きでお礼を言った阿久津先輩は、にこやかな微笑みを崩さずに3人の前に立つ。この気負っていない雰囲気が、阿久津先輩の経験値の高さを物語る。

 

「今回、会場の動線の確保については、わたくし共の方でも真っ先に懸案事項として上がっておりましたー。そして、それに対する解決策がこちらとなりますー」

 

 先輩の声と同時に俺はスライドを切り替える。

 そこには会場である商店街の見取り図だった。そして、見取り図上の商店街は、その3つある十字路の全てにステージが作られていた。

 

「これは……十字路の全てにステージを設ける訳ですか」

「そうです、わたくしが立てた計画は、メインとなる中央の大十字路以外の二箇所の十字路にもサテライトのステージを立てるというものですー」

「なるほど、ステージが複数あれば客もそれぞれに散らばるわけですね」

 

 須藤さんの言葉に阿久津先輩は大きく頷く。

 

「はい、今回のイベントで出演するガールズバンドは4つ、でもステージが一つだけだと、待っているバンドの時間がもったいないですよねー? そこで、サテライトステージを2つ設けることで、そこでもイベントを展開して客を分散するわけです。例えば、クーポンの告知をメインステージでやって、配るのはサテライトにすれば、クーポンが欲しい人はそちらに出ていきますよねー」

「確かに、一つのステージに機能を集約しなければ、必要な機能に応じて人は分散するでしょうね」

「他にも、ライブ終了後のバンドがサテライトに立てば、バンド自体に興味がある人は演奏終了後にメインステージから離れていくのでここでも人の流れが生まれるようになってます。あとは、クーポンやタイムセールをする店の位置や時間の組み合わせも人が分散するように計算してます。今からスライドに動画を流しますねー」

 

 先輩の言葉で俺が再びスライドを切り替えると、先程の地図が再び現れる。

 しかし、違うのはその地図の一部が色づいたり消えたりして、通路を忙しなく矢印が行き交っている点だ。この色づいた部分がタイムセールやクーポンを配っている店で、矢印が想定される人の流れというわけだ。

 地図上でイベントは何倍速もの速さで流れていくが、その間、矢印の動きが止まることは決してなかった。結局、矢印の動きが止まったのは、イベントの終了時刻がきて、これ以上矢印を動かす必要が無くなる瞬間だけだった。

 

「動線についてはこうなります。もちろん、これは仮定の動きですが、かなり現実に則したシミュレーションでうごかしてますよー。このデータを元に、イベントの実施をご一考いただければと思いますー。では、また鳴瀬に説明を戻させていただきますー」

 

 阿久津先輩の言葉で、再び俺の立ち位置は入れ替わった。しかし、もう俺のやるべきことはほとんど残ってはいない。

 あとは、最後の確認とダメ押しの一手。

 加えて言うなら、ダメ押しの方は俺がやるべきことではない。

 だから俺は、最後に残った確認の方に移る。

 

「以上が動線の確保についてです。いかがでしょうか、須藤さん」

 

 俺が話を振ると、須藤さんはその口元にほほえみを浮かべて頷いた。

 

「はい、動線の確保の計画、確かに見させてもらいました。実際どうなるかは、運用してみないことには分かりませんが、よく計画を練ってきたことは十分に伝わりました。前例がないことですので、これ以上の議論は水掛け論になるので、私の方からは止めておきましょう」

「わかりました、ありがとうございます」

 

 須藤さんの言葉は、手持ちの情報では俺たちの計画に難色を示す要素はないということを言外に示していた。

 その、お墨付きに対して頭を下げ、俺はついに最後の一手を使いに動いた。

 

「では、こちらからお出しできるイベントに関するデータは次のものが最後になります」

「む、まだ何かデータがあるのかね」

「はい、あります。では、戸山さん、お願いできるかな」

「は、はい!」

 

 俺の確認の声に元気よく返事をした戸山さんが立ち上がる。彼女は俺と入れ替わるように3人の前に進み出ると、手に持った鞄の中から一つの紙束を取り出し、それを五十貝さんに手渡した。

 

「これを、お願いします!」

「これは……署名かな?」

「はい! これは、今回のイベントをぜひおこなって欲しいという商店街の人たちや、商店街のお客さんたちから集めてきた署名です!」

 

 戸山さんはそう言うと、真っ直ぐ五十貝さんの目を見つめた。

 彼女が取り出したのは、俺が彼女に頼んで集めてもらったイベント開催を望む人々の署名だった。市役所は市民の要望などを吸い上げる公的機関である以上、この手の署名は確実に何らかの効果を生む。率直に言って、かなりあざとい、いや、確信犯的な手法だ。

 しかし。

 

「……これだけの署名、君たちが集めたのか」

「はい! 私や、私の友達が力を合わせて集めました!」

 

 その効果を知らない、無垢な人間が使えば、署名はこれ以上はない切り札となる。

 それは、《ハロハピ》のためにデカいイベントを作りたい俺ではなく。

 自分の実績の1つとするために動いた阿久津先輩でもなく。

 ただ純心に、商店街やそこに集う人達の笑顔のために、秋祭りをしたいという願いからこの場に立った戸山さんにしかできないことなのだ。

 この一手。この一手の為だけに、今日俺は戸山さんにこの場に同席をしてもらったのだ。

 そして、切り札を堂々と使った戸山さんは、畳み掛けるように言葉を紡ぐ。

 

「市役所の皆さん、私は皆さんに謝らなければならないことがあります!」

「む?」

 

 戸山さんの口から出た謝罪の申し出に、五十貝さんたちが、戸惑いを見せる。俺も、ここから先は打ち合わせていないから、この突然の言葉には少し動揺した。

 それでも、一度出した言葉を遮るのは都合が悪いので、俺は戸山さんの力に託して成り行きを見守ることに決めた。

 以前のライブのときから、彼女には、俺たちの希望を託すに足る可能性の片鱗を感じていたから。

 

「今回の話を持ってくるまでに、鳴瀬さんたちから色々なことを聞いたり、アドバイスをもらったりしました。そうしたら、お祭りのような大きなイベントを、何の考えもなく『やってほしい』だなんて言いに行った、あのときの私がどれだけ厚かましいことを言っていたかが分かりました。市役所の皆さんも、すごくたくさん考えた上で、中止の決定をしただろうのに、そんなこと全然考えてませんでした。ごめんなさい!」

 

 そこまで一息に言い切って、戸山さんは大きく頭を下げた。そして、たっぷり10秒ほど頭を下げたあと、再び彼女は顔を上げた。

 

「それでも、それでも私は、どんな形になっても商店街のために秋祭りがしたいんです! これだけ多くの人の希望になっている秋祭りを、私達の手で蘇らせたいんです! 私は、そんなに頭が良くないから、署名を集めるぐらいしかできなかったけど……それでも自分たちにできる精一杯をやってきました。だから、お願いです! 私達にこのイベントをやらせてください!」

 

 その言葉には一切の淀みはなかった。

 こういうものが、心の叫びなのだ。

 そう実感させられるような、そんな言葉だった。

 こんな言葉を言える彼女たちだからこそ、あの夏の、あのライブが俺の心に突き刺さったのだ。

 

 戸山香澄。

 

 彼女には、自分の魂を言葉に乗せて放つ力がある。

 そんな、恐ろしいまでのスター性を持つ彼女と俺は今方を並べてイベントの開催に王手をかけている。

 そして、一度王手が成れば。

 彼女は、彼女たちは、恐るべき俺たち(ハロハピ)のライバルになる。

 そう確信させるに足る、言葉だった。

 

 ここから起きた出来事は多くを語る必要は無いだろう。恐らく、全員結果は分かっているだろうから。

 

 

 ーー『G4S project』、始動。

 




あけおめことよろでございますわ!

おっっっっそろしいほど、前回から間が開きましたわ! まさか、年明けるとはこの海のリハクの目をもってしても(ry
それもこれも、仕事で配置転換があって日曜日しか休みが取れなくなったせいですわ! ギャフン!

多分これからもまったり進行になると思いますが、どうか気長にお付き合いくださいまし!


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野良ベーシストは240時間戦える 【9日前・午後】

続きました。
投げれる時には連続で投げるのが投げキャラ使いの定め……。

あっ、画面端で待って飛び道具を撃つのはやめてくだち!


「……という訳で、『G4S project』は開催が決定した」

 

 《arrows》のいつもの店内、練習ブースに集めた《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーにその事実を告げると、一瞬の静寂の後に、歓声の輪が弾けた。

 

「やるじゃなーい! わたしはきっと鳴瀬がやってくれるって信じてたわ!」

「いつもよく知る商店街で、商店街初めてのライブ。日常と非日常が混ざり合う世界! ああ、なんて儚い……!」

「わーい! 鳴瀬くんありがとー! お母さんも喜ぶよー! コロッケたくさん売れるかな~?」

「ふええ……、路上でこんなに大きなライブ、もっと頑張らないと……」

「私はある意味ホームグラウンドに帰ってきた感じですね……。まぁ、少しは緊張も解れるかな」

「ま、色々思うところはあるだろうが、皆よく聞いてくれ」

 

 口々に様々な感想を述べ合うメンバーの間に割って入ると、皆の視線が俺に集まる。

 

「何かしら、鳴瀬。あ、道具のことなら心配しないでね! もう、黒服の人たちに頼んであるわ!」

「はえーな、おい! 通りで、黒服の人達が何人か減ってる訳だよ……。えーっと、道具の手配は後で頼もうと思ってたんだが、今大切なのは別のことだよ」

「えーっと、また何か面倒事ですかね……?」

「あ、いや、そんなに特別なことをしてもらうとかじゃないから安心してよ、奥沢さん」

 

 俺の言葉に何か嫌なものを感じ取ったのか、奥沢さんが若干げんなりした調子で呟いたが、俺は首を左右に振って否定した。

 

「俺が言いたいのは、心構えの話だよ」

「ふむ、心構えか。ステージに立つからには私はいつだって全力を尽くすさ」

「その、全力以上を出しに行ってほしいんだよ」

 

 いつもと変わらぬ自信に満ち溢れた口調の薫に釘を刺す。

 

「全力以上、ですか?」

「そう、今から本番までの8日間、《ハロハピ》にはまたひとつ上のステージに登ってもらいたいと思っている」

「おー! パワーアップするってことだね! はぐみ、頑張るよ!」

 

 松原さんの疑問に答えていると、俺の言葉の意図を察した北沢さんが嬉しそうに拳を握りしめた。

 

「でも、パワーアップって言っても、具体的にはどんな風にパワーアップするんですか?」

「ふむ、その疑問は最もだ、奥沢さん。だから、今からパワーアップの方向性を伝えさせてもらう。皆、よく聞いてくれ」

「はーい!(×5)」

 

 なんだかんだで、タイミングバッチリで返事をする《ハロハピ》メンバーに、俺は今回ここに全員を集めた核心となる目標を口にする。

 

「俺が今回のライブで全員に求めるのは《個人力の向上》だ」

「《個人力》?」

「そうだ」

「わたしたち、バンドなのに?」

「そうだ、今から詳しく言うからちょっと待て」

 

 首を傾げるペグ子や、まだ納得がいっていない他のメンバーに向けて、詳しく説明するために俺は再び口を開いた。

 

「簡単に言うと、これから一週間は『個人のスキルを伸ばす』、これに集中してほしいんだ」

「ふむ、連携ではなく自分自身でどこまで子猫ちゃんたちを魅了できるか、というわけだね」

「お、薫が珍しくまともなことを言ってる。そう、皆には、これから自分の力だけで人を惹き付ける演奏を意識して欲しいんだ」

「Mr.鳴瀬、どうやら君と私の間には見解の相違があるようだね? そのことについてはいずれ二人でじっくり話し合うとして、言っていることは理解できたよ」

「え、薫とサシで話し合いなんて普通にヤダよ」

「えーっと、それってつまり今以上に頑張って歌えばいいのよね?」

「そう、ただし他のメンバーの力を借りずにな」

 

 とりあえず、何やら喚いている薫のことは無視して、俺はペグ子からの疑問に答える。

 

「今まで、俺たち《ハロハピ》は、バンドの力を最大限に利用してきた訳なんだが、そのせいで個人の技術力については少しそれぞれの自由に任せていたところがあった。自分の殻を破ろうとしていた奴にはアドバイスを送ったし、よっぽど演奏の和を乱すようなこと以外は、まぁ、なんだかんだで許容してきた」

「そうですね……」

 

 松原さんが、俺の言葉に深く頷く。

 彼女は、元から一定の水準にあったスキルを更に伸ばすためにかなりもがいた。そのため、かなり細かいアドバイスを出したし、出しただけの成長はしてくれたと思っている。正に彼女は「打てば響く」というやつだった。

 

「《ハロハピ》の和を乱す……? そんな人物が私たちの中にいたとは思えないがね!」

「いや、お前の演奏中の無駄な決めポーズのことだからな? 自覚しような?」

 

 そして、こちらは全く自分の立ち位置を理解していない薫にツッコミを入れて、「ゴホン」と一つ咳払いをしてから俺は話を続けた。 

 

「でも、スキルについてなあなあで終わらせるのはここまでだ。これから先、《ハロハピ》が世界に羽ばたくには、個人のスキルの向上は避けては通れない命題となるからな」

「そうね、わたしたちは世界に笑顔(ハッピー)を届けるんですもの!」

 

 ペグ子の合いの手に俺は頷く。

 

「そう、《ハロハピ》は世界に飛び立つ。しかし、そうなると当然、今以上に大きなライブや選考会で、今以上に目や耳の肥えたオーディエンスや審査員を満足させる必要がある。それができなければ、最悪ステージにすら上がれないことだって考えられる」

「うん、はぐみ分かるよ! ソフトボールだって、ちゃんと練習してない子は試合に出してもらえないからね!」

 

 北沢さんは、真剣な目で俺の言葉に何度も頷いている。ソフトボールという勝負の世界に身を置いて久しい彼女には、ちゃんと努力を積み上げ力をつけた者だけが輝くステージに上がれることを身を以て知っているのだろう。

 

「なるほどね、ステージにすら上げてもらえないのは少し困るね」

 

 薫もここまできて少し認識を改めたようだ。

 彼女はステージの上の住人に違いはないが、「勝負」の世界の住人ではないため、この辺りに認識の差が出ているのだろう。

 

「ようやく薫もわかってきたな。選考会では、ライブの前に音源の確認があって、そこではデモテープオーディションがほとんどだ。デモテープには演奏の音しか持ち込めない。純粋にスキルが試される訳だ。ということで、今回のライブまでの目標はこれな。じゃあ、あとは各自練習ということでよろしく。明日は、ここの大部屋借りて他のバンドとの打ち合わせとかするからそのつもりで。各バンドとの連絡担当者は連絡忘れるなよー」

「おー!(×5)」

「じゃ、俺は別件で動くことがあるから、少し席を外すぞ。何かあったらスマホに連絡よろしく」

「はーい!(×5)」

 

 5人の反応を確かめて、俺はブースを後にする。

 受け付けに着くと、そこでは四方津さんが、今日は珍しく一人で小型のアンプヘッドをバラしていた。

 俺の視線に気付くと、四方津さんは作業の手を止めて、「よっ」と軽く右手を挙げて俺を手招きした。

 

「調子悪いんですか、そのアンプ」

「ああ、ガリが出るっつーんで接点活性剤を打ったんだが、あんまり改善しないんでな。配線のほうかと思ってバラしたらドンピシャよ」

「それでハンダ付けですか」

「そーなんだが、俺も歳でな。目がしょぼしょぼするから代わりにやってくれないか」

 

 そう言うと、四方津さんは半田の線と半田ごてを俺に手渡してくる。

 半田なんかはギターやベースを少しイジる人間なら誰でも使うことができる。ギターやベースのピックアップやスイッチの載せ替えには、必ずと言っていいほど半田の付け外しがあるからだ。

 そして、ご多分に漏れず俺も半田付けは中々の腕前を誇っている。元々、機材オタクなところがあるから、《バックドロップ》のときはよくタクのギターのピックアップもいじってやったものだ。

 

 ……つーか、今思えば何個か俺のピックアップ返してもらってねぇな。そういえば、一緒にパーツを買ってやったときの代金もまだもらってねぇ!

 

 なんだか嫌なことを思い出してやる気がガクンと落ちたが、それでも四方津さんには普段(主にペグ子のことで)お世話になっているので、この程度で作業を断るなど言語道断である。

 

「……任せて下さい。代わりますよ」

「何か、間があったけどいいのか?」

「はい、ちょっと過去の記憶がフラッシュバックしただけです」

「そうか? ならいいんだがな。ほら、ここのとこだよ」

「あー、断線してますね、これ。すみません、追加でニッパーもらえますか? ちょっと線切って被膜向いてから結線します」

「ほいよ」

 

 俺は、ニッパーを手渡しながら気遣わしそうな視線を送ってくる四方津さんの前で、手際よく半田で基盤と導線を繋いでゆく。古い半田を溶かして、ハンダ吸いに吸わせ、銅線を剥がす。先端を切って形を整え、被膜を向いて長さも整える。そこに新しい半田を丁寧に溶かして銅線の端が見えないように基盤へと付ける。

 最近は、《ハロハピ》への演奏指導ばかりで中々のこういうことをする機会がなかったが、長年染み付いた技術力は容易には抜けてはいかないようだ。

 

「付きましたよ、ちょっと組み立てる前に繋いで音出してください」

「わかった。いや、相変わらずいい手際だな」

「手際が良くても、ちゃんと直ってないと意味がないですから。確認お願いします」

 

 俺がそう言うと、四方津さんは貸出用のストラトをアンプヘッドに繋ぎ、アンプと一緒に持ち出してきたのだろうキャビネットとも繋ぎ合わせる。

 そのまま、電源を投入し、カッティングでジャカジャンとギターをかき鳴らすと、ガリのないクリーンな音がキャビネットから溢れた。

 

「おー、完璧だよ。まったく、ウチのバイトにも見習わせたいよ。最近は修理どころか機材のチューニングも怪しい奴が混じってるからな~」

「最近のギターは安物でもデフォルトのセッティングがいいのが多いですからね。こだわらなければ、バラさなくても一生使い続けられますから」

 

 実際、昨今のガールズバンドブームによって、各社のエントリーモデルにも質のいい楽器は増えた。昔は、安かろう悪かろうで若者を騙すことができたのが、ネット社会の今では、そういうものはすぐに悪評が立って淘汰される。結果、よい機材が市場に供給されやすくなっているのだ。

 反面、機材の進歩は人のスキルを奪ってゆく。最近のバンドマンは機材の質の上に胡座をかいて、自分で自分の欲しい音を作ろうという気概が無い者が増えた。

 技術の進歩にも良し悪しがあるということだ。

 しかし、中には技術の進歩ではどうにもならない、機械には代替不能な優れた技術を持つ人間もいるもので。

 

「いや、助かったよ鳴瀬! そういえば、外に出ようとしてたが、こころちゃん達を置いてどこに行くんだ?」

「あー、実はですね、『トミーさん』にそろそろ声かけとこうと思いまして……」

 

 ーートミーさん。

 

 その言葉が俺の口から出た瞬間、四方津さんが音を立てて立ち上がり、カウンターに身を乗り出した。

 

「マジか!? ということはつまり……」

「ええ、そうです。《ハロハピ(・・・・)()()()()()()()()()()、作りにいきますよ」

 

 《ハロハピ》初の公式ミニアルバム。

 俺は、今後の《ハロハピ》の活動を見据えて、この路上ライブの後にレコーディングスタジオを使ったミニアルバムの録音を計画していたのだ。

 

 恐らく、今回のライブで《ハロハピ》には新しい化学反応(ケミストリー)が生まれる。その勢いのままに、最高に生きのいい、今までの《ハロハピ》の集大成になるような音源を作り上げる!

 

 そのために、俺たち《ハロハピ》には優秀な『耳』が必要だった。つまりそれは、《ハロハピ》の魅力が120%伝わるような、完璧なレコーディングをしてくれるエンジニアに他ならない。

 トミーさんは、この界隈で5本の指に入るエンジニアだ。

 いや、少なくとも俺はこの界隈では最高のエンジニアだと思っている。ただ、トミーさんはあまりにも完璧を求めてリテイクを繰り返し、しかもかなりの喧嘩腰で突っかかることが多いので、それが一部のバンドマンの不興を買っているのだ。

 だが、それもひとえにトミーさんの完璧な音を求める真摯な姿勢の裏返しに過ぎないのだ。そして、その事実に気付いたバンドマンは、挙ってトミーさんのアドバイスを求めてレコーディングスタジオに向かう。俺もその一人だ。

 俺の《バックドロップ》が、初めてのミニアルバムを作ったときにお世話になったのがトミーさんならば、タクとシュンの二人と喧嘩別れに終って立ち消えとなった、フルアルバムのレコーディングをお願いしようとしたのも、このトミーさんだった。

 

 《ハロハピ》は、本物のバンドだ。俺が本気をかけるに値するバンドだ。だからこそ、彼女たちには最初から最高のハードルを飛び越えてほしいんだ。

 

 そういう思いが俺の内にはあるのだが、如何せん、《ハロハピ》は未だに若輩のバンド。ハードルを乗り越えるためにはいくつかのブーストを使う必要があった。

 そんなときに、お(あつら)え向きに転がってきたのが今回の《G4S project》だった、というわけだ。

 

 イベントまでの期間を助走にあてて、イベントという踏切板を使えば《ハロハピ》はハードルを越えられる!

 そして、冬のライブの選考会に送る音源を録るのは今がベストだ!

 

 これが俺の描いた《ハロハピ》メジャーデビューの青写真だ。音源の録音は、もう少し後に延ばそうと思えば延ばせるのだが、恐らくトミーさんとのレコーディングは熾烈なものとなる。そこが《ハロハピ》にとっての一つの山となるのは明白で、最悪そこが目標地点となったまま、燃え尽きた状態で冬のライブに臨むリスクが捨てきれない。

 そう考えると、例え一度燃え尽きても充電期間が得られる、この秋のタイミングがベストなのだ。

 

 俺のその想いを察したのか、四方津さんも凛々しい表情になって俺を見つめる。

 

「いよいよ、こころちゃんたちも夢に向かって羽ばたく時か。早いもんだな、才覚のある若者の成長というのは」

「ええ、本当に。彼女たちはいつも俺の想像を超えてくる。逸材ですよ」

「ふふっ、どうやら久しぶりに壁のサインが増えそうだな」

 

 そう言って四方津さんが見つめる先、カウンターとは反対側の壁には十数個のサインが刻まれている。

 これは、このスタジオ《arrows》からメジャーデビューしたバンドのサインだ。サインと共にステッカーやバンドの写真が貼ってあるその壁は、もうここ5年ほど新しいサインを刻んでいない。

 

「《ハロハピ》は、マジでここに名前を残しますよ。期待していいですよ、親父さん」

 

 そう言って俺がニヤリと笑うと、四方津さんも釣られてニヤリと笑った。しかし、すぐにその笑顔を引っ込めると、四方津さんは真剣な目で俺の顔を見つめた。

 

「そうかい、期待してるぜ。……じゃあ、その次に刻まれるサインは《バックドロップ》で決まりだな」

「……それは」

 

 言葉に詰まった。

 四方津さんはまだ、俺の《バックドロップ》の可能性を信じているのだ。

 実際、四方津さんには《バックドロップ》は感謝してもしきれないほど面倒を見てもらった。「お前らには、俺の息子以上に目をかけてるかもしれんな」と冗談交じりに言われたこともあった。

 

 《バックドロップ》は俺の中では終わった話です。

 

 そう言おうと思った矢先、四方津さんの口から意外な言葉が漏れた。

 

「実はな、来てるんだよ」

「えっ、何がです?」

「タクとシュンだよ。お前がいないタイミングを見計らって、《arrows》に顔を出してるんだ」

「そ、れは……」

 

 絶句する、とはこういう状態を指すのだと、俺は今身にしみて実感した。

 言葉が詰まるのではない。人はあまりにも強い衝撃を受けると、出る言葉が一つもなくなってしまうのだ。

 

 タクとシュンが? ここに? なんで? 俺のためか? いや、ありえない。 じゃあ、なんだ? 何なんだ? 分からない。 わからない。 ワカラナイ。WAKarANai.

 

 口にする言葉を考えるたび、思考がそれを否定して、言葉は散り散りになって消えていく。

 そんな俺の内面を見透かしたように、四方津さんは何でもない普段通りの世間話という体で再び話を進めた。

 

「まぁ、話すことは《バックドロップ》のことじゃなくて、当たり障りのない世間話だがな」

「そう、ですか……」

 

 辛うじて、返事だけはすることができた。返事は思考を伴わなくて済むからだ。

 

「ま、あいつらもここの利用者だし、出禁にしてる訳でもないからな。そりゃ、顔ぐらい出すだろ」

「そう、ですね……」

「……鳴瀬、お前があいつらに思うところはあることは、俺は十分に分かってる。でも、あいつらもお前について思うところはあるんだ。お前にはそれを知っておいて欲しい」

「…………」

 

 返事はできなかった。これは思考を放棄してしていい返事ではないことを、ショートしそうな俺の頭は辛うじて理解していた。

 

 あいつらに思うところがある? それで俺に何ができる? 何をすればいい? ああ、ダメだ。分からない。わからないんだ。俺は……………

 

「……すみません。電話かけてきますから」

 

 分からないことを考えても仕方がない。

 そう判断した俺は、強引に話題を変えることを選択した。そうでもしないと、言葉だけでなく脳までもが散り散りになりそうだった。

 

「……分かった。呼び止めて悪かったな」

「いえ、じゃあ少し外に出ます。また、戻ってきます」

「ああ」

 

 最低限のやり取りを済ませ、俺は《arrows》の扉をよろよろと潜って外に出た。そのままフラフラと歩いて、公園に入ると、最初に目に付いたベンチに倒れ込むように座った。

 

 ……疲れたな。少し、疲れた。

 

 思えばここ最近は、《ハロハピ》のライブのために、純粋に音楽とはいえないことばかりに時間を割いていた。今考えがまとまらないのも、多分、きっと俺が疲れているせいだ。

 

 少し、眠ろう。眠れば、また俺は動けるさ。

 

 そうして、ベンチに深く沈み込んで、俺はゆっくりと微睡む。秋晴れの午後の空の下、俺の意識は(ゼロ)になっていく。

 

 今だけ、今だけだ。起きたら、俺は、元の、俺、だ

 

 それを最後に、俺の意識はことりと落ちた。

 

 次に俺が目を覚ますのは、夕日が西の空に落ちようかという時間だった。

 トミーさんに電話をしていないことを思い出し、慌ててスマホを取り出すと、ペグ子からの着信が100件以上入っていて、別の意味で意識を失いかけた。

 結局、その日、俺はすぐに《arrows》に戻り、怒れるペグ子のドロップキックを甘んじて鳩尾に受けることになった。いつもなら、抗議の声を上げるであろうペグ子の暴挙がもたらした痛みが、ようやく俺を現実に引き戻してくれたのだった。




シリアスパートは疲れますわね!

でも、とりあえず話は進みましたわ!


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野良ベーシストは新年を迎える

息抜きにサイドストーリーを投下します。

ガルパやってるときに、ポピパが御守り買うイベントがあったので、そこからインスピレーションが湧いて一気に書きました。


「あー、(さみ)ぃ……。予定では、今頃は実家の炬燵でぬくぬくしてるはずだったんだがなぁ……」

 

 1月1日。時刻は朝の5:30。

 俺はそんなことを呟きながら、市内から少し離れたところにある神社の境内に上がる石段の前でガタガタ震えていた。

 そもそも、俺がなんでこんな正月の朝っぱらから外で震える羽目になったのかというと、原因は言うまでもなくペグ子だった。

 俺が《ハロー、ハッピーワールド!》絡みで、酷い目に遭うとき、その原因の大体8割はペグ子で、残り2割の1割ずつを薫と北沢さんが仲良く半分こする感じだ。

 

「ペグ子め、急に『そうだわ、今からみんなで初日の出を見に行きましょうよ!』なーんて言いやがって……。日付が変わったときから、なんだか嫌な予感がしてたんだよ、まったくもう……」

 

 そう、俺が今ここで震えているのは、ペグ子の思い付きにより、急遽神社に初詣と初日の出を見に行くことになったからなのだ。

 元々、俺は正月は実家へと里帰りをするつもりでいたのだ。だが、実家に帰る前日、さて荷造りをしようとしたところで、急にいつもの黒服の人たちが家に押しかけて来た。

 彼女たちから、「招待状」と無駄に可愛らしい文字で書かれた封筒を受け取った俺が、三日三晩外に吊るされた干し柿ぐらいゲンナリした顔で中を確かめると、そこにはやはり無駄に可愛らしい文字でペグ子からのメッセージがしたためられていた。

 

ーー鳴瀬へ

 今年もよろしくお願いするわね!

 それと、大晦日なのだけど、今年は《ハロハピ》のみんなで、ホームパーティーをすることにしたのよ! 年越しそばもあるわよ!

 もちろん、《ハロハピ》の一員の鳴瀬も参加だからね!

 当日は寒いと思うから、黒服の人たちがリムジンで迎えに行くわ! 暖かくして家で待っててね!

                  こころより

 

「よろしくって、今年後3日しかねーよ、阿呆め。つーか、年越しもあいつらと一緒かぁ……。年末年始ぐらい休ませてほしいぜ、とほほ……」

 

 こうなってしまうと、例え地の果てに逃げたとしても、弦巻家のあらゆる力を使って追いかけてくるのがペグ子という生き物だ。全てを諦めた俺は、それでもリムジンをマンションの前に横付けされるのは嫌なので、ささやかな抵抗として、歩いてペグ子の家に向かったのだった。

 途中、全く同じことを考えていた奥沢さんとばったり出会ったときには、お互いに苦笑いが止まらなかったことは記憶に新しい。

 ちなみに、もう一人の常識人枠の松原さんは、方向音痴のためリムジン送迎でやってきた。家の前にバカみたいに長いリムジンが横付けされて、近所の人が何事かとわらわら出てきて、顔から火が出るほど恥ずかしかったらしい。

 

 ……よかった、歩いてきて!

 

 ちなみに、実は俺のマンションの前にも迎えのリムジンが来ていたらしく、「一体、あれは何者なのか」と同じマンションの住人に俺が問い詰められることになるのは、もうあと半日ほど先の話である。

 

 閑話休題。

 

 ともかく、そうして俺はペグ子の年越しパーティーに招かれた。

 着いてすぐ、俺たちはパーティーで料理や会話を楽しんだ。その後は部屋で年越しそばを啜ったり、紅白なんかでテンションを上げたり、年越しの瞬間みんなでジャンプして地球にいなかったという定番のネタをやったりしてなんだかんだで盛り上がったのだが、日付が変わってしばらく経つと、流石にいつものメンバーでも少し中弛みする時間が生まれた。

 今思えばこの中弛みがいけなかった。

 その時、俺たちは屋敷の中の茶室と思しき和室で、みんなで炬燵に入ってよく分からない正月特番をだらだらと見ていたのだが、その中弛み(タイクツ)に耐えきれなくなったペグ子の口から飛び出したのが「初詣&初日の出」だったのである。

 正直、もうだらだらしていたい常識人チームは必死になってペグ子を止めに動いたが、時すでに遅し。「それじゃ、わたし達は今から着替えるから、鳴瀬は少し先に行って屋台とか見て待っててね! 黒服の人たち、お願いね!」とペグ子が言った瞬間に、ペグ子たちは黒服の人たちに連れられて屋敷の奥に消え、俺は結局リムジンに乗せられて、気づいたときにはもうここ、神社の石段の前だった訳である。

 

「いや、屋台見ろって言っても、一人じゃなぁ……」

 

 確かに周囲を見渡すと、初詣の客を捕まえるための屋台がところ狭しと並んでいる。初詣ということもあり、祭とは違った、中々珍しい屋台もある。

 だが、俺はどちらかというとこういう喧騒は一歩引いたところから眺めるのが好きなタイプなのだ。だから、いくら珍しいからといっても、進んでそれを見に行くようなことはない。

 必然、今の俺にできることは人通りの邪魔にならないように、石段の少し脇に立ってペグ子たちの到着を待つことしかなかった。

 

「それにしても、遅いな、ペグ子たち。着替えにどれだけ手間取ってるんだか……ん?」

 

 あいも変わらず、ぶつくさと新年には不釣り合いな文句を垂れる俺の鼻先を、後ろから甘い香りが通り抜けた。

 

「鳴瀬様、甘酒はいかがでしょうか?」

「あ、いつもの黒服の。すみません、いただきます」

 

 振り返るとそこには、いつもペグ子に付き従う、レギュラー黒服3人組のセンターの人が甘酒を持って立っていた。プールのときもそうだが、この3人組の黒服さんにはかなりお世話になっている。そう考えると、なんだか申し訳ない気分になるのだが、遠慮したりすると、彼女たちは「これが仕事ですから」と慎み深く返してくるので、今ではその気遣いに甘えている。

 受け取った甘酒を口に含むと、そのまろやかな甘さと酒精を含んだ湯気の温かさが、身体を芯から温めてくれる。コップを空にする頃には、感じていた寒さはかなりマシになっていた。

 

「鳴瀬様、飲み終えたようでしたら、お替りいただいてきましょうか?」

「あ、お気持ちだけで結構です。多分、これからこころたちと屋台で何か買うことになると思いますから」

「では、空いたコップだけお下げしますね」

 

 そう言って、差し出された手に俺は空のコップを手渡す。

 

「すみません、ありがとうございます。おかげでかなりマシになりましたよ」

「そうですか、それは何よりです」

 

 コップを手渡すときにお礼の言葉を告げると、黒服の人はその口元に微笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。

 

「でも、ほんとにいつもすみませんね。黒服の皆さんには毎回お世話になってしまって」

 

 そんな黒服の人の姿を見て、思わず俺は頭を下げてしまう。色々な気配りをしてもらって、そこに頭まで下げられては、やはりどうしても申し訳ない気持ちを拭い去ることができなかったのだ。

 

「いえ、それは違いますよ、鳴瀬様」

「えっ?」

 

 黒服の人から出た、予想外否定の言葉に俺が思わず聞き返すと、彼女は先程よりも明らかに嬉しそうな表情で口を開いた。

 

「お世話になっているのはわたくし共です、鳴瀬様。鳴瀬様と出会われてから、こころお嬢様は本当によく笑われるようになりました」

「そうなんですか? 元からあんな感じじゃないんですか」

 

 俺の言葉に黒服の人は首を左右に振った。

 

「昔のこころお嬢様は、確かによく笑われる方でした。ですが、その笑顔はいつも同じような笑顔だったんですよ。一人で楽しそうなことを考えて、試して、その結果に満足して一人で笑う。こころお嬢様の笑顔は一人で完結していたんです」

「一人で……」

「はい。でも、鳴瀬様と出会われてから、こころお嬢様の笑顔は外に向くようになったんです。鳴瀬様、薫様、はぐみ様、花音様、美咲様、ミッシェル様……」

「あ、ミッシェルはやっぱり別枠なんですね」

 

 思わずツッコミを入れてしまったが、それを気にせず彼女は話を続けた。

 

「皆様に向けるこころお嬢様の笑顔はどれも違っていて、そのどれもが今まで以上の笑顔なんです。今のこころお嬢様は、一段と魅力的になられました」

 

 そこで、彼女は一呼吸置くと、じっと俺を見つめて再び口を開く。

 

「わたくし共、黒服の喜びは、お使えするこころお嬢様の喜ぶ顔を見ることです。鳴瀬様は、わたくし共では引き出すことのできなかったお嬢様の笑顔を引き出してくださいました。それだけで鳴瀬様、わたくし共はあなた様に頭を下げないではいられないのです」

 

 そこまで言うと、彼女は俺に向けて深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます、鳴瀬様。そして、これからもこころお嬢様の新しい笑顔を引き出せるように、どうかお力添えをよろしくお願いいたします」

「黒服さん……」

 

 本当に、心の底から頭を下げる黒服の人の姿を見て、俺はペグ子のことを見直していた。

 自らの下に付く人間にここまで慕われるには、その心に支配者の驕慢があってはならない。そんな者に人はけしてその心を許しはしない。

 彼女たちの忠誠は、それ即ちペグ子のもつ支配者のカリスマ性に他ならない。ペグ子はやはり、生まれついてのお嬢様で、丹念に心を込めて育てられた、見る者の心を潤す一輪の花なのだ。

 

「……俺はそんなに大したことはしてませんよ。それでもよければ、ささやかですが僕の力をお貸しします」

「鳴瀬様、ありがとうございます」

 

 もう何度目になるか分からない謝辞の言葉を述べながら、黒服の人が顔を上げた。その顔には、間違いなくこれまで見た中で一番の笑顔が浮かんでいた。

 

「どうやら、今年もお互いにこころに振り回される1年になりそうですね。困ったときは支え合っていきましょう。よろしくおねがいしますよ、黒服さん。他の黒服の方々にもよろしくお伝えください」

「ふふっ、こちらこそよろしくお願いいたします。あっ、どうやらこころお嬢様たちがお越しになったようです」

「おっ」

 

 黒服の人の視線を辿ると、その先にはやはり他の人々の視線を集める無駄に長いリムジンがこちらに走ってくるのが見えた。

 

「それでは、私は影からの警備に戻ります。鳴瀬様、こころお嬢様をよろしくお願いします」

「わかりました、お世話になります」

 

 俺が返事をするやいなや、黒服の人の姿は人混みに溶けるように消えて、最初から彼女などそこに居なかったかのような喧騒が戻ってきた。そして、今度はそれを割くようにして、リムジンが俺の前で停車する。

 

「お待たせ、鳴瀬! ちょっと着付けに手間取ったわ!」

「何が『ちょっと』だ。こっちは、もう少しで凍えるところだったんだからなー」

 

 車から飛び出して来たペグ子に向けて、もう少しキツい言葉で咎めようと思ったが、彼女の着物姿を見た瞬間、その言葉は俺の胸の内にスッと引き下がっていった。

 髪を上に結い上げ、その色に合わせた黄色い着物には金糸で刺繍された春風の中、淡桃の桜の花びらが踊っている。統一感のある色の中、手から下げた錦の巾着袋が良いアクセントになり、可愛らしさの中に日本の伝統美が融合した美しさがそこにはあった。

 

「……確かに、ここまで仕上げれば、あれだけ待たされたのも納得だな」

「ふふーん、きれいでしょ! でも、他のみんなも私と同じくらい綺麗なのよ! さぁ、みんなも出てきて鳴瀬に晴れ姿を見せてあげましょう!」

「では、二番手は私が務めさせてもらおうか!」

 

 その言葉とともに車から出たのは薫だ。

 彼女の着物は日の出寸前の空のようにグラデーションされた生地の裾に赤富士が、そしてそれを背景にこちらに向かって飛ぶ鷹の意匠が縫われた縁起物の図案だった。

 普通の人間では服に着られてしまうようなかなり派手な意匠だが、華やかな薫が着ると見事なほどに釣り合いが取れていて、思わず感嘆の声が漏れてしまう。

 

「へぇ、薫はどちらかといえば洋装って感じだけど着物もいけるな」

「ふっ、着物にはあまり袖を通さないが、それでも立ち振る舞いは身につけていてね」

 

「よーし、次ははぐみだよ!」

 

 いつもの様に髪をかき上げて悦に浸る薫の後ろから出てきたのは北沢さんだ。

 北沢さんは、薄桃色の生地の裾に白い雲が垂れ込めた合間から、ご来光が飛び出している構図の着物を身にまとっていた。首元に巻いた白いファーの首巻きと合わせて、ゴージャスかつ彼女らしい元気を感じさせるいいチョイスだった。

 

「おー、北沢さんのは見てるだけで暖かくなりそうだなぁ」

「へへー、そうでしょそうでしょ! はぐみもお日様のパワーって感じで好きなんだー!」

 

 そう言ってその場でクルクルと回って着物を披露する北沢さんの元へ、今度は奥のドアから降りた松原さんが回り込んできた。

 

「ふええ……、二人と比べると私は少しちんちくりんかもしれません……」

 

 そんなことをいう松原さんの着物は鮮やかな空色の生地を使ったものだ。抜けるような空に見立てたその生地に、縫い付けられた図案は「梅に鶯」。紅梅の枝に泊まる鶯の赤と緑が空に映え、彼女の髪の色と、結った髪に刺した梅のかんざしも相まって、彼女が着物の世界に溶け込んだような調和の取れた美しさがあった。

 

「そんなことはないよ松原さん。着物に負けてないくらい綺麗だよ」

「ふぇっ!?」

 

 俺が言葉をかけた瞬間に、松原さんの顔が真っ赤になって、まるで日が昇ったようになってしまったのはご愛嬌だ。

 

「もー、また鳴瀬さんはサラッとそういうこと言うんだからー」

 

 真っ赤になって固まった松原さんの奥から最後に出てきたのは奥沢さん。奥沢さんの着物の図案はズバリ「夜桜」。艷やかな黒の生地に、ほのかな桃色で表現された月と桜の花びらが踊る、ペグ子と似た構図なのだがこちらは大人の香りを漂わせる仕上がりとなっていた。

 

「奥沢さんは大人の女性だなぁ、大和撫子ってのはこういうことなんだろうな」

「……っ! だから、鳴瀬さんはすぐそういうこと言っちゃうんだから……」

「いや、実際みんな見違えたよ。全員のイメージに合わせて着付けしたんだ、そりゃこれだけ待つのも仕方ないな」

 

 流石にこれだけのものを見せられたら、多少の寒さを我慢したかいもあったというものだ。

 

「それじゃ、お披露目も終わったことだし早くお参りしましょう! そうすればゆっくり初日の出が見られるわ!」

「たしかに、今が6時で日の出が7時ちょうどだから、ここから上の本殿まで着物で動くことを考えると30分はみておきたいから、今から登ると完璧なタイミングでご来光を見られそうだ。行こうか、みんな」

「わかったよ」

「はーい!」

「ふええ……」

「花音さん戻ってきてー!」

 

 そうして俺たちは、本殿を目指して歩き始めた。

 慣れない着物の《ハロハピ》メンバーの歩みは案の定ゆっくりで、本殿につく頃には背後の東の空がかなり白み始める時間になっていた。

 

「さぁ、お参りよ! 今年1年の幸福(ハッピー)を願うんだもの、派手にいくわ!」

「おい、ペグ子。まさか、お前、その、帯付きの札束、まるごと賽銭箱にぶち込むつもりじゃないよな? な?」

「えーい!」

「うっわー!? やりやがったこいつー!?」

 

 本殿の前で、そんなやり取りを繰り広げながら俺たちはなんとかお参りを済ませた。

 

「やーん! さっきの神主さんからもらった御籤、全員大吉じゃなーい! 早速お参りの効果があったみたいね!」

「おお、神様も粋なことをしてくださるじゃないか! ああ、儚い……!」

「わーい! これしばらくお店に飾ろーっと!」

 

 ペグ子の札束お賽銭事件の後、本殿の中からすっ飛んできた神主さんから御籤をもらった俺達は、それを開いてワイワイ騒いでいた。

 しかし、全員大吉に盛り上がるバカ3人衆と対象的に常識人チームは手元の大吉を眺めながら非常に冷めたテンションになっていた。

 

「いや、お参りというか、お賽銭の効果だろ」

「神主さん、御籤の箱からすごい時間かけて選んだの渡してくれましたもんね」

「顔も、ニコニコ通り過ぎてニヤニヤしてましたね……。ま、私が同じ立場なら絶対同じ表情になりますけど」

「ちなみに、宗教法人は非課税だから、あの札束まるごとこの神社のものだぞ」

「ふぇー、そうなんですかー!」

「うわー、坊主丸儲けだ。そりゃ表情も崩れますねー」

 

 新年早々人間の嫌な部分を見たことで盛り上がる常識人チーム。そこに3人衆が近寄ってくる。

 

「ねぇ、みんなはさっき神様に何をお願いしたのかしら? 私はもちろん今年も世界がハッピーになりますようにってお願いしたのよ!」

「え、お願いかぁ……」

 

 ペグ子の突然の問いかけに戸惑っていると、その間に松原さんの方が先に口を開いた。

 

「えっと、私は今年も《ハロハピ》でみんなともっと演奏できるようにってお願いしました」

「やーん、素敵じゃないの、花音〜!」

「わっ、こころちゃん!?」

 

 松原さんの言葉に感極まったペグ子が、松原さんにダイブして抱きつく。最初は戸惑っていた松原さんだったが、抱きついたペグ子の満面の笑顔を見て、その顔に微笑みを浮かべる。

 

「去年は、《ハロハピ》のみんなに出会えたおかげで、私はずっと幸せでした。だから自然とそう願ってたんです」

「私も《ハロハピ》が今よりももっと活躍する未来を祈らせてもらったよ」

「はぐみも!」

「ふふっ、みんな考えることは一緒みたいですね」

 

 《ハロハピ》のことをお互いに祈り合っていた4人は嬉しそうに笑い合う。なんとも微笑ましい光景だ。

 

「美咲と鳴瀬は、どうなの?」

「あ、えーっと実は私も似たようなもんですよ。みんなが元気でいられますようにーって」

「わーい! 美咲もありがとね!」

「わわっ!? こころったらとびつかないでって、もう……」

 

 松原さんからターゲットを変更され、ペグ子に飛び付かれた奥沢さんは、最初は驚いたもののすぐに苦笑いを浮かべながら、満更でもない様子で抱きついているペグ子の髪の毛を撫でてあげていた。

 ペグ子に振り回され続けた奥沢さんも、なんだかんだで結局は《ハロハピ》の一員なのだ。

 そんなことを考えながら、微笑ましい視線を彼女たちに送っていると、いつの間にか彼女たちの視線が全て俺に集まっていることに気付いた。

 

「……ん?」

「ん? じゃないわよ、鳴瀬! 鳴瀬は一体どんなお願いをしたの?」

「ああ、俺ね。俺はーー」

 

 ーー《ハロハピ》のみんなの笑顔(ハッピー)が今年も見られますように。

 

 そう祈ったんだけど、流石にこれ言うのはちょっと恥ずかしいな……。

 

 黒服の人との会話が尾を引いたのか、自然とこんな願い事をしてしまった俺だったのだが、冷静になってみると中々口にするのは恥ずかしい願いだ。

 

 まぁ、どうせ分からないだろうし適当に言っとくか。

 

「あー、こころと同じで世界平和だよ世界平和」

「あっ、鳴瀬が嘘吐いたわ!」

「いや、嘘じゃねーし」

「いーや、嘘よ! だって心がこもってないもの! みんな、鳴瀬に本当の願いを吐かせるわよ!」

「わー!(×5)」

「うぉ!?」

 

 ペグ子の鶴の一声で俺の周りに《ハロハピ》メンバーが群がる。男一人が、年頃の女の子5人に群がられる。客観的に見て、この状況は中々にマズい。

 

「おいこら、離れなさい。可及的速やかに離れなさい!」

「ダメよ! 鳴瀬の口からホントのことを聞くまで離れないわ!」

「観念して口を割り給えMr.鳴瀬!」

「鳴瀬君、しょーじきにならないとだめだよ!」

「な、鳴瀬さん、私も言ったんですから、ね?」

「そうですよー、私もちょっと恥ずかしかったんですけどちゃんと言ったんだから、一人だけ逃げるのはだめですよー」

「くっ、常識人チームまで敵に!?」

 

 マズいぞ。絶対にホントのことは言いたくない。かといってこの状況を抜け出さないのは色々マズい。何かないか、何か。この状況を切り抜けるなにかが……。

 

 そんなことを考えている俺の目の前に、ふとあるものが飛び込んできた。

 

「あ、お守りだ! みんな、年の初めにお守りを買おうじゃないか! ここは俺が買ってあげようじゃないか!」

 

 「お守り」という言葉に、一瞬全員の動きが鈍った隙きを突いて、俺は包囲の輪をするりと抜け出した。

 

「あ! 逃げちゃダメよ鳴瀬! でも、お守りは欲しいわ!」

 

 ペグ子が俺を咎めるも、どうやらお守りの方には興味津々らしい。他のみんなも、お守りに気を取られている様子だ。

 

 おっし、このままお守りを買ってるうちに話を有耶無耶にするぞ!

 

 そう決意した俺は、お守り売り場の前に立ち、みんなをこちらに手招きする。

 

「ほら、みんなもお守り欲しいだろ! さ、集まって選ぶといいよ! こころは髪の色に似ているこれなんて良いんじゃないか?」

「うーん、鳴瀬がそう言うならそれにしようかしら!」

「へぇ、中々儚いデザインのお守りだねぇ」

「うわー、刺繍がかわいいー!」

 

 バカ3人衆は早速お守りに夢中になって、もうさっきまでのことは頭にないようである。実にいい流れだ。

 

「た、確かにお守りというよりもアクセサリーみたいなデザインでかわいいですね」

「これなら、カバンとかに付けてもお洒落ですね。どれにしようかな」

 

 常識人チームも俺を追求するよりも、お守り選びをする方が建設的だと判断したようで、二人でお守りを見比べながらどれがいいか相談し始めた。

 

 やった! これで俺への追求は回避された! 

 我ながら厳しい舵取りだったが、なんとかなったな。やはり、ペグ子があれだけ賽銭箱に突っ込んでくれたから、神は俺の願いを聞き届けてくれた、ということか。ふふふ、ありがとう神様!

 

 厳しい局面を完璧に切り抜けたと確信し、胸を撫で下ろす俺。しかし、俺は重大なことを見落としていた。

 

 ーー《ハロハピ》のみんなの笑顔(ハッピー)が今年も見られますように。

 

 《ハロハピ》のみんなの笑顔が見られる(・・・・)。つまり、この願い事の中には、観測者である俺の笑顔は含まれていなかったのである。

 そして、それは奥沢さんの一言から始まる一連の流れによって、すぐに現実のものとなった。

 

「あ、このお守り、色によって効果が違うんですね」

「あ、本当だ。水色は……学業成就なんだぁ。これってドラムにも効果があるかなぁ?」

 

 奥沢さん曰くどうやら、お守りは色ごとに効果が分けられているらしく、売り場の上に掲げてある看板にその効果が書いてあるらしい。

 

「そうなんだー! じゃあ、はぐみは商売繁盛にしよーっと!」

「なら、私は無病息災かな。子猫ちゃんたちを笑顔にするには、まずは自分がいつも笑顔じゃないとね!」

 

 みんな、看板の効果を見ながら、ワイワイとお守りを選んでいる。

 そんな中、一人だけお守りを選んでいない人物がいることに俺は気付いた。

 それは誰かというとーー

 

「へー! お守りって色んな効果があるのね! 鳴瀬が選んでくれたお守りは、一体どんな効果なのかしら?」

 

 ーーペグ子だ。

 そういえば、ペグ子のお守りは俺が咄嗟に髪の色に合わせたやつを渡していたんだった。

 

 それに気づいた俺は、そのお守りの効果が気になって看板の方を見上げてみた。そして、その効果を目にした瞬間、俺は自分の顔から一瞬で血の気が引いていくのを感じていた。

 

「えーっと、黄色のお守りの効果は……」

 

 マズい。ペグ子が見つける前にすぐにここを離れないと、俺の身の安全がヤバい!?

 

 そう思った次の瞬間、「あ、こころ。黄色は一番右の端だよ」と、まさかの奥沢さんによるバッドアシストが決まってしまう。

 

「ちょ、まっ」

 

 慌ててペグ子の目を覆いに行こうとするも、それよりも先にペグ子はお守りの効果を目にしていた。なんなら、お守りを選び終わった他の《ハロハピ》メンバー全員が、そのお守りの効果を目にしていた。

 俺の伸ばす手の先で、無情にもペグ子の口がその効果を読み上げる。

 

「えーっと、黄色のお守りの効果は、子孫繁栄、安産祈願……」

「あっ(×4)」

 

 ペグ子が効果を読み上げる声が段々と小さくなる。他のみんなも全てを察して、短い声を上げた。

 

 あ、ダメだコレ。

 

 もう、手遅れなことは分かっていた。頭ではなく、心で理解していた。

 それでも一縷の望みをかけて、俺はペグ子に必死の弁明を試みた。

 

「あ、えっと、こころ、さん? これは、お守りの効果には深い意味はなくてだな、ただこころの髪の色とお揃いでいいかなって」

「鳴瀬の……」

「え?」

「鳴瀬のエッチ〜!」

「ぐぼぁ!?」

 

 結局、必死の弁明は用をなさず。

 顔を真っ赤にしたペグ子の渾身の前蹴りを受けて、俺の体は仰け反るようにして宙を舞った。

 そして、仰け反った俺の顔の先には。

 

「あっ……初日のでっ!?」

「Mr.鳴瀬ー!?」

「鳴瀬くーん!?」

「な、鳴瀬さーん!?」

「わー!? 鳴瀬さーん!?」

 

 顔を覗かせたばかりの眩い初日の出を浴びながら、ペグ子に蹴られた俺の体は、神社のある山の斜面を転がり落ちていったのだった。

 

 やっぱり、隠し事はよくないね。ちゃんちゃん。




サイドストーリーを挟むつもりはなかったのですけど、新年なのでそれらしいストーリーをはさみましたわー!

因みに、本編は作中時間のクリスマス辺りで終わる予定で、正月イベントはないつもりでいたので、ここで挟めてよかったですわ!


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野良ベーシストは240時間戦える 【8日前・午前】

続きました。



 ーー土曜日。

 

 学生たちは、学業から解き放たれ、部活かバイトか交友か、あるいは惰眠を貪るか。そんな、自由を謳歌できる週末に、スタジオ《arrows》の最上階に設けられた大スタジオに、今普通の学生とは違う選択肢を選んだ少女たちが生み出した、4組のガールズバンドが集っていた。

 

「あー、今日は急な連絡にも関わらず、呼びかけに応じてここ《arrows》に集まってもらえたこと、ありがたく思う。もう皆、知っているだろうが、俺が今回のイベントの発起人、そして《ハロー、ハッピーワールド!》のアドバイザーをしている基音鳴瀬だ。皆、今日はよろしく頼む」

 

「よっ、待ってましたー」

「こら、モカ!」

「よろしくお願いしまーす!」

「今日はよろしくお願いするわ」

 

 軽い挨拶とともに、頭を下げると《Afterglow》の青葉さんの言葉を皮切りに、各バンドからの挨拶の声と割れんばかりの拍手がスタジオに響き渡った。中々、ノリがいい人間が多いようだ。

 

「ありがとう。今日みんなに集まってもらった目的は《G4S project》の打ち合わせだ。しかし、いくら同じガールズバンドの集まりとはいえ、学校も違えば活動歴も違う。お互いに知っている顔もあれば、知らない顔もあると思う。だからまず、バンドごとに前に立って代表者に自己紹介してもらいたい。構わないかな?」

「はーい!(×無数の声)」

 

 おおぅ、流石に人数が増えた分返事の圧もすごいな……。

 

 そんな、いつもと勝手が違う状況に若干戸惑いつつも、俺は平静を装って自分の役割を果たすために動く。

 

「んじゃ、まずは今回のイベントの許可を得るために頑張って動いてくれた《popin' party》の皆からお願いしてもいいかな?」

「まっかせてください、基音さん!」

「いきなりテンション高けーよ! みんな引いちゃうだろ!」

 

 俺の呼びかけに、戸山さんが待ってましたと言わんばかりに立ち上がろうとして、それを市ヶ谷さんが服の袖を掴んで窘める。

 

「えーっ、そんなことないよーぅ。ありさったら、心配性なんだからー!」

「いや、香澄このイベントが決まってから明らかにテンションおかしーからな?」

 

 昨日、戸山さんは市役所の庁舎から出た瞬間1メートルくらいジャンプするぐらいテンションが高かった。市ヶ谷さんの反応を見るに、恐らくまだその時のテンションを引きずっているのだろう。

 

 確かに、あのテンションの戸山さんはテンション高いときのペグ子と同じで、他人のふりをしたくなるレベルだったんだよなぁ……流石にJKのテンションにはついて行けんぜ。

 

 しかし、テンションが高くなっているのはどうやら《ポピパ》のメンバーも同じようで、牛込さんも二人を見て大きく頷いている。

 

「でも、そうなっちゃう気持ちもわかるなぁ」

「だねぇ、頑張ったもんね私たち」

 

 牛込さんの言葉に花園さんも笑顔で同意する。

 

「とりあえず、自己紹介しちゃおっか」

「はぁ、しょーがないか……」

 

 そして、最後に山吹さんの言葉で市ヶ谷さんもやれやれといった調子で立ち上がると、5人は俺たちの前に並んだ。

 そして、5人の中から、センターに立った戸山さんが一歩前に進み出す。

 

「皆さんこんにちは! 《popin' party》のリーダーをやっている戸山香澄です! ここには知っている人も初めての人もいるけれど、これを機会にみんなで仲良くイベントを盛り上げていければと思ってます!」

 

 やはり、こういう場面で戸山さんの明るさは場の雰囲気まで明るくしてくれる。聞いている他のバンドのメンバーの緊張が明らかに和らいでいくのがわかる。

 

 場の空気を作るってのは、ある意味演奏技術以上のスキルだ。やはり、戸山さんは天性のバンドマン……いや、ステージに登れば彼女は大概のことができてしまうのかもしれないな。

 

 そんなことを考えているうちに、戸山さん主導でのメンバー紹介も終わり、戸山さんがこちらを目で窺ってくる。自己紹介なので、とりあえず名前さえ分かればあとは問題ないだろう。これからの彼女たちの交流の中で、色々な化学反応は生まれていくのだろうから。

 そう思った俺は、《ポピパ》のメンバーに「戻っていいよ」と手で合図を送る。それを確認した戸山さんの「ありがとうございました」の言葉に対する拍手を受けながら、《ポピパ》のメンバーは元の場所に戻った。

 

「《ポピパ》さん、ありがとう。先にも言った通り、今回のイベントの開催には彼女たちの大きな協力がありました。もう一度盛大な拍手を送ってあげてください」

 

 俺の言葉で再び拍手が沸き起こると、《ポピパ》のメンバーはみんな照れた様に頭を下げた。

 それでも、実際にこれだけの拍手を受ける価値のある仕事をしてくれたのだ。彼女たちには最高の気分でイベントに臨んで欲しいと思う。

 そして、拍手が鳴り止んだところで俺は次のバンドの紹介に移る。

 

「それじゃあ、二組めのバンドは、《Afterglow》にお願いしようかな」

「はーい! それじゃあみんな行こうか!」

「うん」「はいはーい」「わかりました!」「よっしゃ!」

 

 リーダーの上原さんの声掛けで、《Afterglow》の5人は前に進む。その姿を見て控えのバンドのメンバーの何人かが、意外そうな表情を浮かべた。恐らくだが、意外そうな表情をした子たちは、このバンドのリーダーは美竹さんだと勘違いしていたのだろう。

 実際、ステージに上がっているときに一番目立つのは美竹さんで、逆に上原さんはステージ上ではおとなしい立ち回りをすることが多いので、この勘違いはある意味では必然のものだ。

 

 でも、一度上原さんのマネジメント能力を見れば、みんなリーダーは上原さんだって納得するんだよな。

 

 前に並んで自己紹介を始めた上原さんは、しっかりと他のバンドを見回しながら丁寧なバンド紹介をしていく。よくメンバーのことを理解している分かりやすい紹介だ。

 とにかく上原さんはこの手の立ち回りをやらせるとそつが無い。天性の面倒見のよさとでも言うべき力が備わっている。だからこそ、メンバーは彼女をイジりつつもリスペクトを忘れることがない。彼女の号令でメンバーが自然に前に出て行ったのも、その辺りの信頼感がよく現れている。決めるところは意思の統一が図られているのが《Afterglow》というバンドの強さといえるだろう。

 

「もーう、モカちゃんったら茶化さないでよー!」

「えへへ~、ごめんごめん〜!」

「というわけで、《Afterglow》でした! よろしくお願いします!」

 

 青葉さんにイジられつつも、自己紹介を終えた上原さんたちが拍手を受けて元の位置に戻っていく。

 

「《Afterglow》の皆さん、ありがとう。それでは3番手は《Roselia》の皆さん、お願いします」

「はい、行きましょうか皆さん」

「わかりました、湊さん」

「おっけー、友希那」

「じゃ、行こっかりんりん」

「うん、あこちゃん」

 

 《Roselia》というグループは、先の2つのバンドに比べると、まだまとまりが薄い。能力優先でメジャーデビュー路線に耐え得る人材で固めたせいか、今は湊さん、氷川さん、今井さんのグループと、宇田川さんと白金さんのグループという感じでバンド内に2つのコアがあるイメージだ。

 しかし、それは未だバンドとしての伸び代があるということに他ならない。今は2つに分かれたコアを統一することができれば、彼女たちの爆発力は今の比ではないはずだ。

 さらにメジャーデビューを視野に入れるという目標(ゆめ)を、全員が共有できているという点でも強い。

間違いなく今回呼んだバンドのキーとなるのが《Roselia》だ。

 

「……だから、《Roselia》のドラム担当宇田川あこさんは、《Afterglow》の宇田川巴さんの妹という訳です」

「おねぇちゃん、一緒に頑張ろーね!」

「あこー! 楽しんでいこうなー!」

 

 《Roselia》の自己紹介は、気がつけば後半に差し掛かり、ドラムの宇田川さんの番になったとき、宇田川さんが《Afterglow》のメンバーである巴さんに大きく手を振った。それに姉の巴さんも大きく手を振って応える。姉妹の絆を感じさせる一幕だ。

 

 今回《Roselia》にとっては都合がいいことに、ドラムのあこさんは、お姉さんの巴さんと共演するということで、かなり気合いが入っている。元々、お姉さんの背中を追いかけてドラムの道を選んだあこさんだ。お姉さんに自分の成長を見てもらうという点でも彼女にとっては外せないイベントなのだ。

 今回集まったメンバー中、一人だけ中学生ということで、スキル的にはまだまだのあこさんだが、この姉妹共演によって、ポテンシャル以上の力を出してくれるかもしれない。もしかすると今回の《Roselia》にとっての台風の目は彼女になることすら考えられる。

 

 楽しみだな、《Roselia》。他のバンドにとっても間違いなくいい刺激になる。

 

 《Roselia》と《Afterglow》、このマッチアップは予想以上に良さそうだと確信した俺は密かに心の中でほくそ笑んでいた。

 

「以上、《Roselia》でした。よろしくお願いします」

 

 《Roselia》の紹介を氷川さんが終えて、最後の挨拶を湊さんが〆る。このリーダーが二人いるようなパワーバランスも、《Roselia》の独特な雰囲気とエネルギーを生み出しているようだ。

 

「じゃあ、トリはうちだな。こころ、頼むぞ」

「まっかせなさーい、鳴瀬! さぁ、みんないくわよー!」

「おー!(×5)」

 

 ペグ子の言葉に引っ張られ、5人は前に飛び出していく。《ハロハピ》は結成半年ほどのバンドだが、バンドや楽器経験者を集めた《Roselia》とは違った、本当の意味での寄せ集めバンドが、よくぞここまで成長してくれたものだと思う。

 

 《ハロハピ》は、俺の想像を超えつつあるのかもしれない。いや、もう既に一部では俺の想像を超えてるのかもな。

 

 正直、《Afterglow》や《Roselia》は、結成半年ほどのバンドが方を並べられるような水準のバンドではない。しかし、そんなバンドともこちらから声をかけることで曲がりなりにも共演ができるようになったというのは、完全に俺の想定を超えている。

 

 ……《ハロハピ》は、俺の手にあまり始めているか?

 

 有力何よりもガールズバンドのメンバーの前で、それに圧されることなく自己紹介をしていく彼女たちを見ていたその時、ふと、そんな思いが胸の内から湧き上がってきた。

 実際、改めて考えてみると俺から彼女たちに教えられる事はもうあまり多くないのかもしれない。演奏技術やステージでの立ち回り、機材の扱い、音作りのやり方。一通りのことは教え終わっている。

 もっとも、詰めようと思えばもっと突き詰めることは可能だ。専門のベースの技術ならまだまだ北沢さんに教え込めるし、作曲や編曲のアドバイスなら奥沢さんの相談に乗ることだってできる。

 

 でも、それは全て俺が教えなければいけないことじゃない。なぜなら、そういったものは、個人が必要に応じて自ら学んで自分の中に落とし込んでいくものだ。俺が教え込む類のものじゃあないんだ。

 

 突き詰めることは、自分らしさを出していくことに他ならない。そこまで教える側がお膳立てしてしまえば、完成するのは、よく出来たコピーバンドでしかない。バンドを傑作(マスターピース)たらしめる最後の要素(ピース)は、自分たちの手で削り出さなければならないのだ。

 

……せ!

 

 《ハロー、ハッピーワールド!》が最後のピースを得ることを欲するときが来るなら、それは……

 

……る瀬!」

 

 もし、彼女たちが完成を求めて動き始めたら、最早俺が教えられることは何もない。そうなれば《ハロハピ》の一員であってもステージに立つことができない俺の存は……

 

「……もう、鳴瀬ってば聞いてるの!?」

「んっ!?」

 

 気がつけば目の前に頬を膨らませたペグ子がいた。透き通るようなその瞳は少し怒気をはらんでいて、俺は思わず後ろに仰け反ってしまった。

 

「ど、どうしたんだよこころ?」

 

 しどろもどろになりながら聞き返すと、ペグ子はますます怒ったという様子で腰に手を当てる。

 

「どうしたもこうしたも、私達の紹介が終わったのよ!」

「えっ」

 

 慌てて他のメンバーを見ると、北沢さんもペグ子と同じように頬を膨らませ、薫は額に手を当てて「やれやれ」と首を左右に振っていたし、松原さんと奥沢さんは気まずそうに視線を左右に反らしていた。

 どうやら、俺が考え事をしているうちに、ペグ子達のバンド紹介は終わっていたらしい。これは大ぽかである。

 

「わ、悪い。ちょっとこれから先の段取りを考えてたんだよ」

「もーう、私達が頑張ってたのよ鳴瀬!」

「ああ、努力が一番伝えたい人に伝わらないことほど儚いことはないね……」

「鳴瀬くんひどいよー!」

「わ、私もちゃんと見ていて欲しかったです……」

「これは私も擁護できないかなー……」

「いや、その、本当にごめん……」

 

 口々に告げられる俺を(なじ)る言葉には、平謝りするしかなかった。こういうときは下手に動くと更に話が拗れることを、女性経験値の少ない俺でも、今までの彼女たちとのやり取りから学んでいた。やはり、経験は人を強くするのだ。

 

「もう、終わったことはしょうがないし、鳴瀬は頑張ってくれてるから、これぐらいにしてあげるわ!」

「ははー、ありがたき幸せー」

「だから、次からはちゃんと私達のことを見ててよね鳴瀬!」

「はいはい、こころ様の仰せの通りに」

 

 他のガールズバンドの見ている手前、なんとなく芝居っぽく雑に返したが、ペグ子はそれでも満足したようで元の場所に戻っていった。他のメンバーもペグ子に倣って回れ右をする。

 俺の目に映る一列に並んだ彼女たちの背中は、堂々としていても華奢な少女のものだった。

 

 ……そうだな、今の俺は《ハロハピ》の一員なんだ。少なくとも、今はみんなの背中を支えてやらないとな。

 

 人が生きられるのは過去でも未来でもない今しかない。だからこそ、たとえ未来がどうであれ、今しかない彼女たちとの時間に向き合おう。

 俺は、心の中でそう誓うと目の前に座る二十人の少女達としっかり向き合った。

 

 

 

 



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野良ベーシストは240時間戦える 【8日前・午後】

続きました。
リアル多忙につきトロトロ投稿です、お許し下さいボルガ博士!


「さて、それではもう一度俺がこの場を仕切らせてもらうわけなんだがーー」

 

 バンド間の自己紹介も終わり、再びマイクを握ることになった俺は、俺が彼女たちをここに集めた2つ目の目的を果たしにかかる。

 

「ーー黒服の人たち、セッティングをお願いできますか」

「お任せ下さい、鳴瀬様」

「おわぁ!? 一体どこから出たんだ!?」

「さ、さっきまで誰も居なかったのに!?」

 

 言葉と同時に、俺の影からぬるりと現れた長髪のレギュラー黒服の人に、間近で見ていた巴さんと上原さんが思わず声を上げた。他のグループのメンバーも軒並み驚く中で、《ハロー、ハッピーワールド!》の面々だけはいつも通りだった。

 

「それでは皆様、暫し壁の側にお控えください。さっ、皆早く作業にかかりなさい。お嬢様たちをお待たせしては駄目よ」

「はい」「承知しました」「可及的速やかに実行します」

 

 レギュラー黒服の人の鶴の一声で、入り口の扉からなだれ込むように、黒服の人たちがフロアに殺到する。各々が手に持った板やパイプ、スピーカーなどの音響機材をある形に組み上げると、ものの一分ほどで最後の黒服が「失礼いたしました」と退室していった。恐るべき早業である。

 

 相変わらずやべー手際だなぁ、おい。もし、黒服さんが銀行強盗でもやった日には、警察を呼ぶ前に金を盗んでまんまと逃げ出せるんだろうな……。

 

「いえ、私どもはこころお嬢様から、その働きに対して十分な対価をいただいておりますので、そのような愚行に走ることはありえませんよ、鳴瀬様」

「……!?」

 

 く、黒服さん!? な、なんで、俺の思考を……!?

 

「それでは、私もこれで失礼します。何かあればいつでもお呼びください」

「お、おおぅ……そうさせてもらいます」

 

 急にこちらの思考を読んできたレギュラー黒服の人に戸惑いながら、彼女が退室するのを見送ると、俺は「ん゛んっ」と一つ咳払いしてから、全員を見渡した。みんなの中央には、中心部がお立ち台のように迫り上がった円形の舞台が出来上がっていた。

 

「えーっと、とりあえず話を進めさせてもらおうか。今、みんなの目の前にあるこの設備なんだが、これが当日のステージのレイアウトだ」

「……! へぇ、これがそうなんだ」

「なるほどね、これを見て呼ばれた理由がわかったわ」

 

 美竹さんと湊さんは、俺の言葉とステージを見ただけで、俺の言わんとすることを察したようだ。他にも何人かは「なるほど」といった表情で頷いたり、真剣な眼差しでステージを見ている。

 

「わぁ! なんだかお祭りの櫓みたいでワクワクするね美咲ちゃん!」

「というか、お祭りの櫓そのものなのでは?」

「お、流石に気づくのが早いな奥沢さん」

 

 ステージを観察するうちに、その正体をほとんどの人が見抜いたところを見計らって、俺は再び口を開いた。

 

「皆も大体気づいたと思うが、今回のイベントのメインステージ、これは祭り太鼓の櫓を流用しているんだ」

 

 今回の、商店街の活性化を目指したストリートライブ。これを開催する条件の一つとして「低予算」という縛りがあった。そこで、俺たちは商店街が元々持っていた設備を流用することでコストダウンを図ったのだが、その結果として生まれることになったのが、この特殊なステージだった。

 

「このステージ、商店街の秋祭りを知っている人なら分かると思うんだが、普通なら中央の櫓の上に大太鼓が一台載って、下のステージ部分に小太鼓や鳴り物があるってレイアウトなんだ」

「そうだな、アタシは櫓で太鼓を叩いたこともあるからよくわかるよ。それで、この櫓を十字路の中央にドーンと置くんだ」

「詳しい説明ありがとう、宇田川さん」

 

 俺の言葉に巴さんが大きく頷く。彼女は商店街の祭り太鼓の常連なので、このステージのことは俺よりも詳しいはずだ。

 

「そして、ここまで言ったらもう大体の人は察しがついていると思う。今回のストリートライブのレイアウトも、その秋祭りと同じスタイルでやらせてもらう」

「ということはつまり……」

「中央の櫓の上に誰かひとりが乗って、下のステージの四方を他のメンバーが固めるってことか……!」

 

 戸山さんの言葉に市ヶ谷さんが的確な答えを返すと、その瞬間集まったガールズバンドが「わっ」と一斉に盛り上がった。

 

「へぇ~、なんだか面白そうだね!」

「うん、普通は皆同じ客席の方を向いてるもんね!」

「わぁ! 私櫓に登りた〜い!」

「言うと思ったよ! 配置はちゃんと相談するからな!」

 

 《poppin'party》の4人が、ステージの配置で盛り上がれば、

 

「うわ〜! 十字の隊形を組んで演奏なんて《MFO》のパーティフォーメーションみたい!」

「うんうん、なんだか楽しいね、あこちゃん」

 

《Roselia》の白金さんとあこさんの2人は、何やらゲームの話と絡めて盛り上がっていた。

 

「うちは、やっぱり慣れてる巴かな?」

「え、アタシは祭りで何度も登ってるからな~。それよりも折角だから、初めての誰かを乗せるのがいいんじゃないか」

「なら、リーダー、いっちょ行っときますか〜」

「え、蘭じゃなくて私なの!? こういうのは蘭の方がインパクトあると思うなぁ〜」

「でも、バンドのPRなら、やっぱりリーダーのひまりの顔を覚えてもらわなきゃ」

「上原ひまり、上原ひまりに清き一票を〜」

「えぇ!? なんか選挙になってる!?」

 

 《Afterglow》は、《ポピパ》よりも、より踏み込んだ形で配置について相談している。この辺りの早さはバンドとしての経験値の高さが窺える。

 

「櫓中心の円形ステージか……ちょっとマズいかな」

「湊さん、このステージ……」

「ええ、基音さんは中々面白いステージを用意してくれたわね。《Roselia》の力が試されるいい機会だわ」

 

 だが、それ以上にバンド経験が高く、頭の回転の早い数名はこのステージの抱える欠陥に既に気付いているようだった。

 

 ……《ポピパ》の山吹さんと、《Roselia》の湊さんと氷川さんは流石に気付くのが早いな。多分、美竹さんや花園さん辺りも分かってるけど、話し合いを優先させてる感じかな。ただ、認識の共有を図る上でも俺から説明はしたほうがいいか。

 

 俺は、「パンパン」と手を叩くと、全員の視線をもう一度集める。全員が俺の方を向いていることを確認してから、俺はこのステージが抱える問題について話し始めた。

 

「えー、俺が今日皆に集まってもらったのは、顔合わせ、というよりもこのステージの構造上の弱点を理解しておいてほしいってのが本題なんだ」

「弱点? このステージには何か問題があるのかしら? 見たところ丈夫そうないいステージなんだけど……」

「うん、はぐみが飛び跳ねても平気そーだよ!」

 

 俺の言葉にペグ子が首を傾げ、北沢さんがぴょんぴょんと飛び跳ねてみせる。

 実際、このステージは物自体はかなり良い。祭太鼓やお囃子などを載せる都合上、かなりの強度がある構造をしている。しかし、問題はそこではない。

 

「ああ、あるんだ。それは、強度というよりも()()()()()についてなんだ」

「人員の配置、というと、誰がどこで演奏するかということだね」

「そう、それで察しのいい人はもう気付いていると思うんだけどさ、このステージ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ふぇぇぇ……、みんなバラバラなんて……」

「うわ、本当だ!」

 

 俺の言葉に、松原さんが困惑の、奥沢さんが驚愕の声を上げた。

 このステージの抱える問題、それは「バンドステージのレイアウトが取れないこと」だった。

 通常、バンドは体育館のようなステージで、全員が同じ方向にいる観客に向かって演奏する。なので、後方のドラムなどは前のメンバーの様子を見ながら演奏のコントロールができるし、ギターやベースは示し合わせての掛け合いなども取れる。

 だが、今回のステージは祭太鼓用なので十字路の中央に配置する。必然、観客は周囲を囲むように配置されるため、四人の演奏者がそれぞれの通路に向かって演奏しなければならない。しかも、演奏者の間にはアンプキャビネットやスピーカーなどの音響設備が立つため、左右の連携も不可能だ。

 唯一、中央の一人だけは全てのメンバーにアクセスできるが、そこで障害になるのが櫓の高低差だ。高所に位置して圧倒的に観客へのアピールが強い人間が、いちいち他のメンバーを気にして下を向くと見栄えが悪い。必然、一番演奏に集中しなければならないのが中央のメンバーということになる。

 

 つまり、このステージは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()わけだ。個々の力が剥き出しになり、周りにおんぶに抱っこの奴は化けの皮を剥がされる。

 

 ここに集まったガールズバンドのメンバーは、奇しくも全て5人だ。全員が自分に与えられた役目を果たさなければ、理想の舞台(ステージ)は生まれない。

 

 ……かといって、個人の完成度が高ければ、必ずライブが成功するわけじゃないのが、このステージの落とし穴何だよな。

 

 誰かがスタンドプレーに走れば、緊密に連携が取れないこのステージでは命取りだ。

 普段、どれだけの練度で練習してきたか。

 メンバー同士が互いの演奏に背中を預けられるか。

 バンド内の信頼関係を剥き出しにさせられるのが、このステージがバンドに課す2つ目の試練だ。

 ライブをする以上は、自分の出せる最高のパフォーマンスを見せたいのが人情だ。しかし、それに仲間がついてこられなければ、ステージは崩壊する。

 

 共に歩む仲間が、自分と同じ高みにいることを信じて突っ切るか。

 あるいは、互いに歩み寄って歩調を合わせ調和をとるか。

 ここに集った4つのバンドは、かなり難しい舵取りを強いられることになる。

 

 だからこそ、信頼できるバンドを厳選したんだよな、俺は。

 

 俺はもう一度、フロアに集ったメンバーを見渡す。

 彼女たちはもう、先程までの和気藹々としたムードを大きく潜めて、真剣にステージのレイアウトを考えている。もちろん、バンドごとの特性があるので完全に本気モードではないバンドもあるが、少なくとも軽々に配置を決めてしまうようなバンドはここにはいない。

 間違いなく、ここに揃ったガールズバンドは最高だ。

 

 だからこそ見たいんだ……彼女たちがステージで起こす化学反応(ケミストリー)が……!

 

 食うか食われるか。

 踏み台にするかされるか。

 あるいは、手と手を取り合うか。

 

 少なくとも、このステージを超えた彼女たちは以前の彼女たちではいられないだろう。

 それが《ハロハピ》にとって、いや、欲を言えばここに集った全てのガールズバンドの糧になることを祈って。

 俺は、高鳴る胸の鼓動を抑えながら、彼女たちを見守っていた。




なんだか、また日間ランキングにのせていただいたようで、お気に入りが増えて感謝感激ですわ~!

進められるときにどんどん話は進めていきますわ~!


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野良ベーシストは240時間戦える 【7日前・午前】

続きました。
投げキャラは投げられるときに投げるものなので連続投稿ですわ。


「よし、それじゃあ練習始めるか!」

「はーい!」

 

 《arrows》での顔合わせから一夜明けた今日は、いよいよイベントの一週間前だ。

 今日は日曜日ということもあり、《G4SProject》に参加するガールズバンドは、丸一日《arrows》に缶詰で練習することになっている。ステージを再現した大フロアは一つしかないので、オーナーの四方津さんに頼んで、朝の6時からビルを開けてもらい、2時間交代の2サイクルで16時間ブン回し、残りの時間は個室でひたすら練習というクソ最高なスケジュールだ。

 もちろん、こんな無茶が通るのもペグ子という金の湧き出る泉があるからだ。朝一で俺たちがお礼に向かうと、四方津さんは「いやー、これだけ貰って文句を言ったらバチが当たるってもんだ! そろそろビルの改装でもしちまおうか……いや、2軒目のスタジオなんてのも悪くないな! ガハハハ!」と大笑いしていた。

 一体、今までの《ハロハピ》の無茶振りで、四方津さんの懐にどれだけの金が流れ込んだのか。俺は深く考えることをやめた。

 ともかく、そんな中で、我ら《ハロー、ハッピーワールド!》はステージ利用の一番手を拝命しており、早速朝っぱらからステージのレイアウトを試しにきたのだ。

 

「とりあえず、このステージの配置でいちばん重要なのはセンターの櫓に誰を乗せるか、だ。後の四人はどっちを向いたとしても、基本的にやることは同じだからな。ちなみに、演奏の安定性を取るなら、リズムの要であるドラムを載せるのが一番だな」

 

 演奏中、全員が同じリズムを共有できていれば、少なくともそれぞれが好き勝手に突っ走るリスクは少ない。

 そう考えると、リズムを支えるドラムが中心にあるのは理想だ。通常のステージでも、ドラムはステージ後方中央に位置して、他のメンバー全体に均等に音を届けるような配置になっている。

 加えて、ドラムという機材のサイズ感から、見栄えの良さの観点からもベターな選択肢といえた。

 

 しかし、この俺の意見にペグ子が首を左右に振った。

 

「うーん、それも考えたのだけど、肝心の花音があまり乗り気じゃないのよね~」

「ふぇぇぇ……、ごめんなさい。やっぱり櫓のうえは恥ずかしいかなって……」

「ああ、そんなに恐縮しなくてもいいよ、松原さん。俺のはあくまで、一つの提案だから」

 

 申し訳無さそうにペコペコ頭を下げる松原さんを、俺は両手で宥める。

 ドラムのセンターはあくまでも一つの提案であって、絶対的な意見ではない。本人が乗り気でないなら別の配置を考えるほうが寧ろ良い。

 それよりも、松原さんがちゃんと《ハロハピ》の方針に自分の意志を表明していることが、彼女の成長が窺えて俺には、嬉しかった。

 

「でも、考えたってことはさ、こころたちには他にも腹案があるってことだよな?」

 

 俺が尋ねると、ペグ子が自信満々に頷く。

 

「そうね! わたしたちが提案するのはミッシェルセンターのステージよ!」

「ほー、ミッシェルかぁ」

 

 ペグ子の口から出た「ミッシェル」の言葉に、俺はちらりと奥沢さんの方を窺ったが、彼女は俺と目が合うとコクリと頷いた。どうやら、本人同意の上での選択らしい。

 

 少なくとも思いつきの選択ってことは無いわけだ。ひとまず、理由も聞いておくかな。

 

 実は、センターにミッシェルを据えるというフォーメーションは、俺の中では2番目に理想の選択肢だった。だから、彼女たちがどうやってこの選択肢に辿り着いたのか、そのロジックを知っておきたかった。

 

「一つ聞きたいんだが、皆がミッシェルを選んだ理由って何なんだ?」

「ん〜、それはね、『商店街のお客さんたちに、一番ハッピーを届けられるのは誰か』で選んだのよ!」

 

 俺からの問いにペグ子が満足気に答えると、他の四人も満足そうに頷いた。

 

「正直、私達の誰もが櫓の上で演奏するだけの力はあるだろう」

「うん! だから、はぐみたち、次に『誰が櫓の上にいたらお客さんは嬉しいかな?』って考えたんだ!」

「ミッシェルは商店街のマスコットとしてビラ配りなんかで活躍してますし」

「子ども受けなんかも考えるとベター何じゃないかな~って話になりまして」

 

 最後に奥沢さんが喋った後、ペグ子が「ちなみに、ミッシェルには美咲を通じてOKは貰ってあるわ!」と自信満々に頷いてみせた。

 

「……いいな。観客(オーディエンス)の視点に立ってライブをするのはいい事だ。なんだ、皆ちゃんとバンドマンとして成長してるじゃないか」

 

 ーーステージは観客ありき。

 

 これは、ライブをする上での大原則だ。いかに上手い演奏を披露したとしても、観客の満足度が低ければ、それはライブとして成功したとはいえない。自分らしい演奏がステージでできるようになったら、次に考えるべきは観客のこと。

 元々、《ハロハピ》は観客の笑顔ありきのバンドなのでこの辺りのケアは丁寧な方だが、それでもちゃんと理詰めで答えを導き出しているのは大きな成長だ。

 直感だよりのステージでは、観客の目が肥えてくればいずれ破綻するときがくる。そういった意味でも、思考の果てに結論を出すことは間違いではなかった。

 

 俺がそのことを褒めると、彼女たちは、あるものは満足そうに、あるものは照れ臭そうに頬を染めた。

 

「実を言うとだな、俺の中でもセンターミッシェルは2番目に浮かんだ選択肢だったんだよ。その理由の半分は皆と同じだ」

「じゃあ、残り半分は違うんですか?」

 

 奥沢さんが首を傾げながら尋ねてくる。

 

「ああ、俺がミッシェルを勧めるもう半分の理由は、ミッシェルはDJだから、パフォーマンスをしても演奏が狂いにくいところだよ」

「なるほど、確かにセンターで狂いにくい演奏をすれば全体の演奏も自然と整うわけですね」

「そういうこと」

 

 納得したと、「ポン」と手を打った奥沢さんに俺は頷いてみせた。

 DJは、演奏のネタはライブの前に既に仕込んであるので、機材のトラブルでもない限り、当日のコンディションに左右されることなく安定した演奏ができる。

 当然、その場の雰囲気に応じての、曲のピッチの上げ下げやトラックのループなどの調整は必要だが、それでも他の楽器と比べて人力の介在する余地が少ないことが、演奏の安定性に繋がるのだ。

 

「んー、ということはわたしたちの考えは鳴瀬的には50点ってことなのかしら」

 

 そんな中、俺の言葉の「半分」というところに引っかかったペグ子が少し不満そうな表情を浮かべるが、俺は笑って首を左右に振ってそれを否定した。

 

「いや、100点だよ。皆は、ちゃんと自分たちでロジックを考えて、正しい、というよりは妥当性のある答えを導き出した。ステージには『これ』って正解はないから、俺の答えが満点って訳でもない。だから、答えに至る筋道として百点満点だ」

 

 俺がそう補足すると、今度こそペグ子はその顔に満面の笑みを浮かべた。

 

「やったわ! 鳴瀬のお墨付きを貰ったわよ!」

 

 ペグ子が嬉しそうに跳び跳ねると、他のメンバーからも歓声が上がる。

 

「ふっ、ならば後は練習あるのみだね! 最高に儚い演奏を披露しようじゃないか!」

「うん! みんなでサイコーのライブにしようね!」

「が、頑張ります!」

「あ、私はミッシェル呼んでくるのでちょっと抜けますね〜」

 

 気合を入れる《ハロハピ》メンバーの中から、奥沢さんがスッと右手を上げて抜け出した。

 彼女は一応、ミッシェルとは別人の設定なので、そのまま練習に参加するというわけにはいかないのだ。

 

「俺も、マネジメント関係でやることがあるから、少し抜けさせてもらうぞ。たまに顔を出すからサボるなよ?」

「もちろんよ!」

「じゃ、あとは頼むぞ」

 

 ペグ子の声を背に受けながら、俺は奥沢さんの後を追うようにフロアを抜け出す。小走りに廊下を抜けると、ラウンジ部分で黒服の人に声をかける奥沢さんがいた。

 

「はい、それではすぐにお持ちしますね、奥沢様」

「いや〜、いつもありがとうございます」

 

 そんなやり取りが聞こえた後、黒服の人はエレベーターで階下へと向かって、奥沢さんはラウンジの長椅子に腰を降ろす。

 俺がラウンジに入ると、奥沢さんはすぐに俺の存在に気付いた。

 

「あ、鳴瀬さん、お疲れ様です。ここに出てくるなんて、何か別件の仕事ですか?」

「おー、それが理由の半分だな」

「それじゃあ、さっきみたいに、もう半分の理由があるんですか?」

「そうそう、またあるんだな。隣、座っても?」

「ええ、どうぞ」

 

 奥沢さんが長椅子の端に体をずらしてくれると、俺は「ありがとう」と言って空いたスペースに腰を下ろした。

 そして、長椅子の座り心地を確かめることもそこそこに、俺は口を開いた。

 

「ま、単刀直入にいうとさ。理由のもう半分は奥沢さんなんだけどね」

「へっ? 私、ですか?」

 

 突然話題の中心となって戸惑う奥沢さんに、俺はスパッと核心を切り出した。

 

「うん、奥沢さん、無理してないかなって」

「……あー、そういうことですか」

 

 奥沢さんはどちらかといえば、こういったところで矢面に立つような性格ではない。しかし、今回のライブではセンターのしかも櫓の上という、最も目立つ部分に抜擢されてしまった。そのことで、苦労を背負い込みがちな性格の奥沢さんが無理をしていないかと、俺は心配になったのだ。

 

 奥沢さんは俺の問いかけに、苦笑いを少し浮かべてから「うーん、そうですね……」と顎に人差し指を添えて考えごとを始めた。どうやら、今の自分の気持ちを整理して、語るべき言葉を慎重に選んでいるようだった。

 その後、一分ほどその姿勢でいた奥沢さんは、「よし」と呟くと、その顔を俺の方に向けた。

 

「無理、はしてると思いますね、正直」

「ふ〜む、そうか」

 

 ゆっくりと紡がれた、奥沢さんの本心に俺は頷く。

 

「でも、それは全然嫌なことじゃないんですよね」

「へぇ……」

「なんというか、この無理はですね、そう、例えるなら人が成長するために必要な困難みたいな感じなんですよ」

 

 喋りながら奥沢さんの言葉はどんどんと熱を帯びてゆく。

 

「昔の私なら……そう、《ハロハピ》に入った頃の私なら『なんで自分がこんな目に〜』ってなってたと思うんですけど。最近はなんだかんだで、楽しいんですよね《ハロハピ》」

 

 奥沢さんの目は、今は俺から離れてラウンジの床を向いている。ただ、その瞳は床を見ているのではなく、今まで彼女が歩んできた《ハロハピ》のメンバーとしての思い出を映しているであろうことが、手に取るように分かった。

 

「こころに無茶振りされるのも、薫さんにツッコミ入れるのも、はぐみに振り回されるのも、花音さんと一緒にため息を吐いたりするのも、鳴瀬さんに相談に乗ってもらうのも」

 

 そこまで言うと、奥沢さんは顔を上げた。

 

「なんか、《ハロハピ》に入るまでは、私って三人称だったったんですよね。なんか、周りの皆はキラキラ青春してて、でも、それをなんだか醒めてる目で眺めてる自分がいて。皆と同じ青春を生きてる当事者なのに当事者じゃない、みたいな。……変ですかね、こんな感覚」

 

 奥沢さんは苦笑いを浮べてこちらを見る。

 

「いや、変じゃないよ。何にも熱くなれない人ってのは一定数存在するからね。まだ、熱くなれるものを見つけていないのか、あるいは生来そういう性質なのかはわからないけどね」

 

 俺は、奥沢さんの問いを否定して首を振った。

 それを見た奥沢さんはホッとした表情で微笑んだ。

 

「……よかった。でも、私、《ハロハピ》に入って考えが変わったんです。《ハロハピ》で皆に振り回されてるうちに、『あ、今振り回されてるのは、間違いなくここにいる私自身なんだ』って。そうしたら段々、自分が青春の当事者っていう実感が湧いてきて」

 

 奥沢さんが再び俺の方を見た。その目には、強い意志の力が宿っていた。

 美しかった。それは、青春を燃やす一人の少女の魂の輝きを見ているようだった。

 

「だから、無理をしたいんです、私。私を必要としてくれる《ハロハピ》のために、背伸びしてみたいんですよ。なので、これは私の意志です」

 

 飾らない、本心をさらけ出した奥沢さんの言葉に、俺は自分の心配が杞憂であることを悟った。

 「そうか、ならいいんだ」と微笑んで、長椅子から立ち上がった俺に、奥沢さんが頭を下げる。

 

「お気遣いありがとうございます、鳴瀬さん」

「いや、こっちこそ余計な気を回したよ」

「そんなことはないですよ、鳴瀬さんにはいつも助けてもらってますから」

「大したことはしてないさ、俺も《ハロハピ》のためにできることをやってるだけさ」

「あ、なんかその台詞ちょっとキザですね」

「あ、わかった? ちょっとカッコつけてみたんだ」

 

 そう言うと俺たちは、顔を見合わせて笑った。

 するとそのとき、エレベーターのドアが開いて、ピンク色のクマがラウンジへと現れる。それを見た奥沢さんが「パンパン」と音を立てて頬を叩いて気合を入れた。

 

「じゃあ、私も《ハロハピ》のために一つ頑張ってみますか」

「ああ、お互いに頑張ろう。大好きな《ハロハピ》のためにな」

 

 そう言ってお互いに拳を突き合わせると、俺はエレベーターへと歩き出す。ミッシェルを持つ黒服の人とすれ違い様に挨拶を交わしてエレベーターへと潜り込んだ。

 

 さて、奥沢さんが奥沢さんの役目を果たすように、俺も俺の役目を果たさないとな。

 

 そう考える俺の前でエレベーターの扉が閉まっていく。扉が閉まる寸前、ミッシェルの胴体をまとった奥沢さんと目が合う。すると彼女がこちらにウインクを飛ばして、それと同時にエレベーターの扉がしまった。

 なんだか、それだけでどんな無茶でもやれそうな気がする俺なのだった。

 

 

 



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野良ベーシストは240時間戦える 【7日前・午後】

続きました。

ようやくイベント開始まで一週間ですわ!(死)
全てを描くわけではなく、途中は端折るにしても、かなり時間がかかりますわ……
とりあえず、頑張りますわ! 島村卯○、頑張ります!


 《arrows》一階のラウンジスペース。

 奥沢さんとのやり取りの後、各スタジオで練習に明け暮れているガールズバンドの取材を終えた俺は、ノートパソコンを開いていた。

 

「さてと、《ハロー、ハッピーワールド!(   う ち   )》のホームページと、商店街のホームページに告知を出しておきますか」

「お、どうやら結構いい画が取れたみたいだな」

 

 誰にともなく、今後の作業を呟いていると、ラウンジに隣接するロビーのカウンターから、四方津さんが顔を出して話しかけてくる。彼には昨日や今日、そして来週中のスタジオレンタルのために企画の趣旨を説明してあるので、興味津々といった感じだ。

 

「ええ、お陰さまで、中々面白いイベントになりそうですよ」

「そうかそうか! それなら《arrows》を創業以来の臨時休業にしたかいもあるってもんだ!」

 

 四方津さんは嬉しそうに何度も頷く。

 四方津さんは、なんと、イベント当日には《arrows》を臨時休業してまで商店街に足を運んでくれるらしい。何でも最初は従業員に営業を任せて一人で来るつもりが、実は従業員の中にもイベントを見る予定を組んでいた者がかなりいたらしく、「横暴だ〜!」との抗議を受けて、「なら臨時休業にしてやるよ畜生め!」と鶴の一声で臨時休業を決めたのだ。

 かき入れ時である日曜の営業を中止し、既に入っていた予約に対しては、後日の割引クーポンまで発行して対応したそうで、そこまでして《ハロー、ハッピーワールド!》に入れ込んで貰えていることには、本当に頭が下がる思いだ。

 

「何から何まで本当にありがとうございます、親父さん。彼女たちも喜ぶと思います」

「いやいや、こっちだって好きでやらせてもらってるんだ。お互いに、気の遣い合いは無しにしようぜ。お前さんだって、今回のイベントも裏方で頑張ってるんだからな」

「じゃあ、そうさせてもらいます。おっと、立ち上がったか……」

 

 四方津さんと雑談をしているうちに、開いたパソコンが立ち上がった。俺は素早くブラウザを開くと、ブックマークのタブに表示された、あるホームページをクリックする。

 そのページの名前は《HAPPY LUCKY》。そう、《ハロハピ》の公式ホームページである。ファンからは専ら《ハピラキ》の愛称で呼ばれるこのホームページの管理人、通称《Mr.ハピラキ》は、何を隠そうこの俺だ。

 実は、《ハロハピ》を立ち上げたときから、この《ハピラキ》は同時に運営を開始していた。常に新たなバンドが産声を上げるこのガールズバンド界隈において、名前を売るために公式のサイトを持つのは必要不可欠だと俺は判断していた。

 

 ただ、俺が管理するとは思ってなかったんだがなぁ。まさか、メンバー全員が、普段はスマホしか持ってないなんて想定外だぜ。

 

 そう、俺は当初このホームページを立ち上げて、運営は他の誰かに任せようと思っていたのだが、なんとメンバーの誰もがパソコンを持っていないという事実が発覚したのである。

 唯一、DJとして編曲に携わるミッシェルの中の人、奥沢さんはタブレットを持っているのだが、如何せん作曲・編曲ツールがタブレットを圧迫していて、ホームページビルドまでは任せられなかった。

 というよりも、奥沢さんには既にTwitterやInstagramなどでの告知を頼んでいたので、これ以上の作業はオーバーワークと判断し、最初から任せるつもりは無かった。

 

 だからこそ、他の四人に任せようと思ったのだが、ペグ子と北沢さんはそもそもそんなにスマホのような電子機器に強くなかった。

 そこで、始めに松原さんに頼んだら、彼女は「ふぇぇ……私にできるかなぁ……」と言いながら、俺よりも遥かにたどたどしい手つきで、人差し指でキーボードを操作し始めた。それを見た俺は、そっと彼女の肩に手を置いて、いい笑顔を浮かべながら「ありがとう松原さん、俺、頑張るよ」と言ってパソコンを回収させてもらった。

 半ベソをかきながら「ふぇぇ……ごめんなさい……」と呟く松原さんを見たときには、本当にすまないことをしたと心の底から反省した。

 

 だから、その次に薫が「ホームページかい? ふっ、この私に任せ給え!」と言ってきたときに、俺は彼女に任せることに難色を示したのだ。

 それでも、あまりにも自信満々な薫を見て、「じゃあ、とりあえず任せるぞ」とパソコンを貸したら、なんと翌日にホームページのソースコードを破壊してしまい、公式サイト閉鎖の危機に陥ったことは記憶に新しい。

 薫が、非常にぎこちない笑みを浮べて「Mr.鳴瀬、すまないが、私達のホームページが、何やらとても『儚い』ことになってしまってね……」と、レイアウトがわちゃもちゃになったホーム画面を見せてきたときには本気で頭を抱えた。

 

 ただ、画面上に表示されたリンクボタンをクリックすると、何故かどのリンク先も、薫のなんだかちょっといい感じのプロマイドに飛ぶようになっていたのは少し面白かったけどな……。

 

 それはともかく、他のメンバーにホームページの運営は荷が重いと断じた俺が、結局はその運営を受け持つことになったのだった。

 

「さて、それじゃあサクッと動画を埋め込みますか」

 

 俺は、スマホからマイクロSDカードを取り出すと、ノートパソコンに挿して映像データを取り込む。中身は《ハロハピ》を含めて、今回の《G4SProject》に協力してもらうバンドの練習風景の動画だ。それを動画編集ソフトでいい感じに切り貼りして、2分ぐらいの長さにまとめたものを、既に作ってあったイベントページの動画スペースに貼り付ける。それと合わせて、出演バンド一覧のComing soonの文字のところを4つのバンド名に差し替えて、更新をかけると、いい具合に5つのバンドの名前の下に、PVが収まるレイアウトになった。

 元々、俺は《バックドロップ》時代にホームページを使った広報担当だったので、この辺りの作業はお手の物だ。逆に、スマホやタブレットはあまりイジるタイプではないので、TwitterなどのSNSでの告知はタクやシュンに任せる分業制を敷いていた。《バックドロップ》を離れてからも、当時のスキルが生きることになるとは皮肉なものだ。

 

「まぁ、《ハロハピ》の一員である以上、折角だから身につけたスキルは使っていかないとな……お、もうBBSにコメントが入り出したか」

 

 《ハロハピ》の告知は、奥沢さんが練習に参加する都合上、ホームページが最も早い。特に、ストリートライブ頃からホームページの更新頻度を高めたこともあり、《ハロハピ》に付いた固定ファンの多くはホームページに張り付いて情報を集めてくれている。薫のファンとの兼任もいるようだが、アクセスを解析したところ、現状で100人単位でのファンが《ハロハピ》のことを追いかけてくれている。活動歴の浅いガールズバンドとしては中々の数字だ。

 動画を投稿して一分足らずでコメントが入ることからも、《ハロハピ》の人気が窺える。

 

 

◇◇◇

 

 

82 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:30:47

ID:kum4a5m1on

告知待ってた

 

83 名前:クマさん@こころファン:20XX/10/X/15:30:58

ID:af5R0tNk7

Mr.ハピラキ乙

 

84 名前:薫推しのクマさん:20XX/10/X/15:31:24

ID:J8u9st3Ice1

更新頻度高くて助かる

 

85 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:30:47

ID:sHu10Lo0k

恐ろしく早い更新……俺でも見逃しちゃうね

 

86 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:31:12

ID:9Ro6Ru4lful

>>85

見逃してるじゃねーか、ハゲ

 

87 名前:通りすがりのバンギャ:20XX/10/X/15:31:45

ID:Din0+Gya1

つーか、次の路上、参加バンドがこのメンツってマ?

クッソ豪華なんですけど?

 

88 名前:名無しのウマさん:20XX/10/X/15:32:47

ID:kin564FUne

練習動画公開してるな、やべぇ祭りだぞコレは!

 

89 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:33:07

ID:Me46mc11n

>>88

実際、商店街の祭りですしおすし

 

90 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:34:47

ID:be95yUkI

ライブハウスじゃないけど、このメンツで対バンできるってすごくない?

というか、むしろ路上にこのメンツを集められるのがすごい

 

91 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:35:27

ID:

>>90

それな、このメンツなら金払っても観るレベル

Mr.ハピラキの人脈どうなってんのよ

 

92 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:35:43

ID:bin+booCha3A

今月ライブと物販で散財してたから、無料助かる

 

93 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:35:47

ID:4nMeN634+2.1

うほー! 《Roselia》出るの!? ヤバいヤバい!

 

94 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:36:00

ID:SSk+546o

個人的には《Afterglow》参戦嬉しいな。

参加してるのって、商店街に縁のあるバンドなんだっけ?

 

95 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:30:47

ID:4nMeN634+2.1

>>94

そうそう、中止になった秋祭りの代わりにライブやろうって商店街の子が呼びかけたのよ

 

96 名前:名無しのクマさん:20XX/10/X/15:36:00

ID:SSk+546o

それはありがたい

こういうのがあると地域も盛り上がるからね

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「おー、結構期待値高いじゃないか。善き哉、善き哉」

 

 BBSの熱気を見て、俺は心の中でガッツポーズをとる。

 特に嬉しいのは、コメント欄に《ハロハピ》に限らず、他のガールズバンドのファンが混ざっていることだ。彼らは恐らく、他のところなどでもこの情報を喧伝し、集客に一役買ってくれることだろう。

 

 《G4SProject》は、「商店街の活性化」のノルマが達成できないと成功じゃないからな。とにかく、人が集まらないと話にならない状況で、無償で宣伝をしてくれる存在は貴重だ。

 

「他のガールズバンドもこれからどんどんと告知するだろうし、さて、一週間でどれだけの人間を集められるか……」

 

 今回のイベントの最大のネックは、告知期間の短さだ。

 開催まで、数週間前に告知できるならかなりの集客を見込めただろうが、一週間前に、しかも一度中止の発表をした秋祭りの代わりとしての発表だ。既に予定を入れている人や、そもそも告知を見ないで終わるような人もいるだろう。

 

「……それでも、走り出したら止まれないんだよな、俺たちはさ」

 

 俺たちの挑戦は無謀なものだったかもしれない。

 それでも、俺たちは多くの希望を繋ぎ合わせてなんとかここまでこぎ着けた。

 だからこそ、俺たちは走り続けなければならない。

 《ハロー、ハッピーワールド!》という箱の中に、誰かの希望が残っている限りは。

 

 ーーRun! Keep running till we get caught!

 

 そんな期待に応えるかのように、BBSのコメントは加速していく。コメントを眺める俺の頭には、昔、深夜放送で見た古いクライム・サスペンスのセリフがリフレインしていた。




この次、少し山場となるパートが入りますわ!


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野良ベーシストは240時間戦える 【7日前・深夜】

続きました。

今回の東卍リベコラボは走るかもしれないので、暫く更新が遅くなるかもしれませんわ……(死)


「うへぇ……今日も午前様ギリギリかぁ……」

 

 マンションの自室前。鍵穴に鍵を挿し込みながら、スマホのロック画面に浮かぶデジタル時計を眺めた俺は、思わず辟易とした呟きを漏らしてしまう。

 《G4SProject》が走り出してからというもの、俺の睡眠時間が5時間を超えた日はない。

 重い足取りに、垂れ下がる瞼。徐々に、体へとツケが溜まっているのをひしひしと感じるが、それでも全てから解き放たれるのはこのライブが終わってからだ。

 

「とりあえず、シャワー浴びてから飯食って、軽く楽器を弄ってから寝よ……」

 

 これからの流れを声に出して確かめると、俺は自室へと入り、洗濯物ハンガーに掛かったままだった着替えを一式剥ぎ取るように外すと、バスルームへ向かいさっさとシャワーを浴びた。

 シャワーを浴びた後は、バスタオルで頭をガシガシと乾かしながらキッチンへ向かい、冷蔵庫の冷凍室を開ける。そこには大量のタッパーや耐熱容器がエフェクターボードよろしく整然と並んでいる。これは、休日に作り置きしている一食分の食事だ。

 バンドをやっていると、スタジオ帰りの日などは疲労が深刻で、料理をする気どころか買い出しに行く気力もない日はザラにある。なので、そんなときのために休日に日持ちする料理を作って冷凍保存しているのだ。

 

「今日はオニオングラタンにすっかな~。コンソメスープも沸かすか〜」

 

 冷凍庫を漁って耐熱容器を一つ取り出すと、レンジに放り込み解凍ボタンを押す。その流れで電子ケトルにも水を注いでスイッチを入れる。一人暮らしの静かな部屋に電子機器の放つ微かな駆動音だけが響く。

 

 んー、温まるのを待ってる間にメールの確認でもするかな……

 

 こんな環境で手持ち無沙汰でいると睡魔に負けて寝落ちするかもしれないので、俺はひとまずスマホの電源を入れる。ロック画面を確認して、そこに表示された通知のポップを見て、俺は思わず「お?」と声を漏らした。

 

「松原さんから電話? 珍しいな……」

 

 通知ポップに浮かんだ名前は松原さんのものだった。俺は《ハロハピ》のメンバーとは連絡先を交換してあるので、たまに(ペグ子だけは頻繁に)彼女たちから連絡が入るのだ。

 しかし、松原さんはその中でもあまり連絡をしてこない方で、しかも夜遅い時間は気を使ってメールやSNSすらしてこない。夜中の一時に鬼電してきて「鳴瀬、今日は満月が綺麗よ!」なんて言ってくるペグ子には、ぜひ爪の垢を煎じて飲んでもらいたい。

 ともかく、そんな松原さんがわざわざ電話をしてくるのだ。かなりの喫緊の案件であることは間違いないだろう。着信履歴を見ると、どうやらシャワー中にかけてきたようなので、まだ寝てはいないはずだ。

 俺はすぐにポップをタップしてリダイヤルをかけた。数回のコール音のあと、スピーカーから少し上擦った声で「は、はい松原ですっ」と松原さんの声が響く。

 

「こんばんは、松原さん。夜分に電話して申し訳ないね」

「い、いえっ、先に連絡したのは私の方ですし……」

「夜も遅いから明日にしようかとも思ったんだけどさ、松原さんがこんな時間に電話してくるなんて、ただ事じゃないって思ってさ。何かトラブルでもあった?」

「あっ、いえ、そういうわけではなくて……あっ、でもある意味そうなのかも……ふぇぇ……」

 

 俺が電話の理由を尋ねると、松原さんはとても歯切れの悪い調子で、曖昧な答えを返す。

 

 トラブルであって、トラブルじゃない……? 《ハロハピ》絡みではないってことかな?

 

 《ハロハピ》のメンバーには、他のバンドとの渉外を任せたりしているので、他のバンドから何かしらトラブルの連絡があったことは可能性としてあり得る。

 

 ただ、松原さんには、メインでは渉外の仕事は頼んでないんだよなぁ……。

 

 しかし、その線を考えたとき不自然なのが、他のバンドが何故あまり縁のない松原さんにトラブルの連絡をしたのかだ。一応、各バンドにはそれぞれ別の窓口となるメンバーを充てがっている。だから、それを飛び越して松原さんに連絡を取る理由が無いのだ。

 

「どんな些細なことでもいいから気になることがあれば言ってくれていいよ、松原さん。不安な要素は少しでも削っておきたいからね」

 

 とりあえず、今の手持ちの情報では正解に辿り着けないと判断した俺は、松原さんに話の続きを促すことにした。

 

「あ、それでしたら……実は、鳴瀬さんにお願いがあるんです……」

「え、俺に?」

「聞いてもらっても構わないでしょうか?」

「うん、言ってみてくれるかな」

「実はですねーー」

 

 松原さんの口から出た「俺へのお願い」という意外な言葉に戸惑いを覚えつつ先を促した俺だったが、それを遮るような通知音がスマホから響いた。

 

「ーーむ」

「あっ、鳴瀬さん、何か通知が入りましたか?」

「ああ、ちょっとキャッチが入ったみたいだ。ちょっと待ってくれるかな」

「わかりました」

 

 通知音の正体は、新たな電話がかかってきたことを報せるキャッチ機能だった。誰からか確認するためにスマホを耳から離して画面を見ると、そこには「《アナタの王子様》瀬田 薫」の文字が表示されていた。

 

「うわ……薫かぁ。薫は話し始めると会話が回りくどくて長いからなぁ……先にこっちを片付けるか」

 

 薫はペグ子ほどの頻度ではないがそこそこ俺のところに電話をかけてくる。

 しかし、薫からの電話は、彼女が非常に冗長な表現を使うため長電話になることが多い。だから、俺は今回、松原さんを待たせていることをダシにして、早めに電話を切り上げようと先に薫の電話を処理することにした。

 俺がキャッチのポップをタップすると、待ちかねたように、すぐに薫の声が響いた。

 

「やぁ、素敵な夜だね、Mr.鳴瀬!」

「相変わらず気障な挨拶だな薫は」

「はっはっは! 私はいついかなる時でも私さ!」

 

 もう夜も深いというのに、相変わらずのテンションの薫に思わず苦笑いが溢れてしまう。

 

「ははっ、そいつは良かったな。今、松原さんとの通話を留めてるんだ。要件があるならさくっと言ってくれ」

 

 俺が松原さんの名前を出すと、薫は「おや」と意外そうな口調の声を漏らした。

 

「花音からも連絡があったのかい? ふーむ、するとだ、私と花音の連絡は同じ内容なのかもしれないね」

「え、そうなのか? まぁ、とりあえず先に話してみろよ、薫」

「OK! 実はだねーー」

 

 そこから暫く薫の独演会が始まった。その内容は中々に衝撃的なもので、普段なら話を長引かせないように限りなく黙っている俺も、思わず何度か突っ込みを入れてしまった。

 

「ーーというわけなのさ」

「……状況は分かった。だが、こればかりは聴いてみないことにはなんとも言えないな」

「おお! ということはこの話自体はーー」

「ああ、とりあえずはOKということで、先方に話をつけておいてくれ」

 

 薫の持ってきた話にGOサインを出すと、スマホの向こうから「そうかい、そうかい」と嬉しそうな薫の頷きが聞こえてくる。

 

「ああ、感謝するよ、Mr.鳴瀬! 仔猫ちゃんたちもきっと喜ぶと思うよ!」

「あまり期待をもたせるような発言はするなよ、まだ、決まりってわけじゃない。あくまでも『検討する』って状態だからな」

 

 嬉しそうに話す薫に対して、俺は釘を刺す。

 薫の提案はあくまで検討事項で決定事項ではない。全ては明日の《arrows》での会合で決まることだ。

 

「ふっ、分かっているとも! では、慌ただしくてすまないが電話はこれで切らせてもらうよ! この福音を早く仔猫ちゃんたちに伝えなければならないからね!」

「はいはい、くれぐれも大袈裟に伝えるなよ」

 

 薫の中ではもう、この件は決定事項となっているようで、ハイテンションな彼女に苦笑いで再び釘を刺すと「それではMr.鳴瀬、良い夜を!」と相変わらず気障な言葉を残して通話が切れた。

 俺は、素早くスマホを操作して、再び松原さんとの通話を試みる。

 

「ごめん、松原さん。少し長く待たせたね」

「あっ、いいんです! 私も急なお電話だったから……」

 

 思いがけず長く待たせることになってしまった俺に対して、気遣わしい言葉をかけてくれる松原さんに、「ありがとう」と謝意を告げてから、俺は早速本題に入る。

 

「さっきの電話の相手なんだけどさ、薫だったんだよ。それで、もしかすると松原さんと同じ話題かもしれないっていうからさ、先に薫の方を片付けることにしたんだ」

「あっ、お電話の相手は薫さんだったんですね。なら、薫さんの言うとおり、私の話も同じことかもしれないですね」

 

 薫の名前が出た瞬間、松原さんの声のトーンが上がる。

 

「ま、とりあえずは松原さんの話も聞かせてもらってもいいかな?」

「あっ、そうですね。では、私の話なんですけれどーー」

 

 そして、そこから松原さんの話が始まった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「ーーOKだ。それじゃあ、明日は《arrows》でよろしく頼むよ、松原さん」

「はい。お忙しい中、急なお願いですみません、鳴瀬さん」

「いや、気にしないでいいよ。俺としても、こういうプラスになりそうなイレギュラーなら悪くない」

「ありがとうございます、鳴瀬さん」

「それじゃあ、また明日。おやすみ、松原さん」

「は、はい! おやすみなさい鳴瀬さん」

 

 松原さんへの挨拶を済ませると、俺はスマホの通話ボタンをタップして、スマホを机の上に置いて天を仰いだ。

 

「あ゛~、忙しいのに安請け合いしたかなぁ……」

 

 真っ先に俺の口から溢れるのは、二人の提案を呑んでしまったことへの後悔の言葉だ。

 結論からいうと、二人の提案はどちらも同じものだった。なので、呑んだ提案は2つではなく1つなのだが、こいつが中々に、ヘヴィなものだった。

 

 

 ーー()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 二人から受けた中身の提案がこれだ。

 

「タイムテーブル、見直さないとなぁ……。あと、サブステージとのローテーションもだな。いや、そもそもまだ、出すとは決まってないしな」

 

 俺は、参加バンドを一つ増やすことによる、様々な負担に頭を悩ませる。祭りの時間が長くなる分には商店街は、特に難色を示すことはないだろうが、それよりも問題は人の流れを止めないためのローテーションが崩れてしまうことだ。円滑なイベント運営のためには、緻密な計算が求められる。

 もし、新しいバンドの参加が決まるなら、アッ君先輩こと、安良田野(あらたの)先輩とも相談しての、タイムテーブルの練り直しは必至だ。

 そしてそれは、貴重な俺の睡眠時間がまた削られることを意味していた。

 

「……でも、聴きたいもんなぁ、()()()()のバンドの演奏」

 

 そう、俺が今回の提案を検討するに至った最大の理由が、この話を持ち込んできたのが、あの大和麻弥さんだということだったのだ。

 実は、大和さんは松原さんとの買い物のときに出会ってから程なく、あるガールズバンドに正式なドラマーとして参加することになったらしい。そして、今回はそのバンドをうちのイベントに参加させてほしいという、彼女からの依頼だったわけだ。

 あの店で見せつけられた、大和さんの演奏スキル。それを考えれば、いくら忙しいとはいえ、この依頼を断るのは大きな損失になると、俺の直感が囁いていた。

 

「いやぁ、楽しみだ。本当に楽しみだなぁ、大和さん……いやーー」

 

 俺は、相変わらず天を仰いだまま、口元に笑みを浮べてそのガールズバンド(挑戦者)の名前を口にする。

 

 

「ーー《pastel✾palette》」

 

 

 大和さんの所属する《pastel✾palette》は、いわゆるアイドル系のガールズバンドであり、しかもどうやら大きなステージ(ハコ)には出られない、訳アリのバンドでもあるらしい。普通に考えれば演奏スキルにはあまり期待できないバンドで、今回のイベントに向けて厳選した4つのバンドに並べる選択肢は「ない」バンドだ。

 それでも、それらの不安要素をひっくるめても、大和さんのドラムがあるだけで一考に値する、そう俺は判断した。

 そして、その参加の是非を、俺は明日の午前中、《arrows》で彼女たちの演奏を聞いて判断しなければならない。

 

「あー、明日は買い出しに行こうと思ってたんだが、予定が狂ったなぁ〜、大変だなぁ~」

 

 ただでさえ詰まった予定の中に捩じ込まれた選考会。それでも、俺の顔からは笑みが消えてくれそうにない。

 

 新しいバンド(可能性)に出会えることは、いつだって何よりの歓び(ハッピー)なのだから。

 

「まぁ、細かいことは明日……いや、今日考えるかぁ……」

 

 気付けば、既に夜中の十二時を回った壁掛け時計の針を眺めながら、俺は既に冷えてしまったグラタンに火を通すため、再びレンジへと向かうのだった。




はい、ということでした〜。

続きは、まったりお待ちくださいまし!


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野良ベーシストは240時間戦える 【6日前・早朝①】

続きました。
《パスパレ》パートその①です。今回は一人だけメンバー登場です。


 《G4SProject》開始まで一週間を切った。今は月曜日の朝の9時。ペグ子たちのような健全な学生は、元気に学校に登校して授業を受けているような時間だろう。

 もし、こんな時間に学校の外を出歩いているような学生がいれば、それは何かしらの《訳アリ》の学生ということになる。

 

 ーーそう、俺の目の前にいる《Pastel✽Palettes》の5人のように。

 

 

◇◇◇

 

 

「親父さんすいません。急に部屋を取ってもらって」

 

 今から遡ること3時間前、開店前の《arrows(アローズ)》にあるスタジオブースの一つで、俺は四方津さんに頭を下げていた。

 昨日の松原さんとの連絡が終わってすぐ、俺は四方津さんと連絡を取り、《Pastel✽Palettes》のために《arrows》の一部屋を面談のためのスペースとして借りる手筈を整えていた。四方津さんは、何かと俺のことを気にかけてくれていて、俺は個人的に私用の携帯の番号を教えてもらっていたのだ。

 四方津さんは急な頼みにも関わらず、「おう、例のやつとは別の部屋を用意したらいいんだな。任せとけ!」と一瞬で部屋を一つ確保してくれた。しかも、通常の開店時刻よりも早くスタジオを開けてくれるおまけ付きでだ。まったく、四方津さんには下げる頭がいくつあっても足りない位だ。

 

「気にすんなよ、鳴瀬! また、例のイベントが面白くなりそうなんだろ? そいつは大歓迎だぜ、ガハハ!」

「まぁ、そうですね。……ただ、俺の要求する水準を満たしてないなら、容赦なく()()つもりです」

 

 期待値を上げる四方津さんに対して、俺はあくまでも冷静な返事をする。

 参加するバンドが増えることは大歓迎だ。ただ、このイベントが誰でも参加できるごった煮(jam)状態になることだけは避けたい。

 《G4Sproject》商店街の秋祭りに代わる伝統を背負ったイベント。そして、戸山さんのような商店街を愛する人達の想いを受けたイベントだ。いくら身内がいるバンドだからといって、雑に受け入れるのは無い選択肢だ。

 

 ……こっちも無理を押しての選考なんだ。シリアスに、シビアにいかせてもらう。

 

「ふむ、まぁ、今集まってる面子(メンツ)を考慮したら、生半(なまなか)なバンドは入れるだけ無駄、か」

 

 四方津さんも、元はプロのバンドマンだ。この辺りのシリアスさはよくわかっているようだ。

 

「でも、鳴瀬が選考に上げてもいいと思う価値はあるバンドなんだろう」

「ええ、ドラムの娘がいいですよ。この娘が面識があるんですがね、正直、ドラムがいなければ、話が来た時点で断ってました」

「ほー、そいつはますます楽しみだねぇ! ドラマーの血が騒ぐな!」

 

 俺の話を聞いて、四方津さんは顎に手を当ててニヤリと笑った。元々、ジャズドラマーがルーツの四方津さんだ。自分も含め、バイトに入れているスタジオミュージシャンのドラマーは、総じてレベルが高いメンバーを揃えている。腕だけではなく耳も肥えているのだ。

 だから、四方津さんはハイレベルなドラマーの演奏に目がないのである。

 

「よければ、親父さんも選考見ますか?」

「んー、できれば《G4Sproject》での完成形を見たいんだが……選考に落ちたら見られないかもしれないんだよな?」

「はい、こればかりは」

 

 俺がにべもなくそう答えると、四方津さんは腕組みをして暫く「うーん」と唸ってから、首を縦に振った。

 

「……よし、ならスタジオには俺も入る」

「本当ですか、よければ親父さんの意見もくださいよ」

「はっはぁ、任せとけ! 俺がスタッフの採用面接をするぐらい、とびきり辛口でいってやるよ!」

 

 そう言うと、四方津さんは嬉しそうに俺の背中をバシバシと叩いた。

 

「そ、それは頼もしいですね。あと、痛いですよ、親父さん」

 

 切り出した丸太をそのまま腕にしたような、四方津さんに叩かれて思わず吃りながら抗議の声を上げた俺だったが、四方津さんに選考に関わってもらえるのはかなりのアドバンテージだ。

 《arrows》の店員の選考は、この辺りのスタジオでは最もシビアなものの一つと言われている。昨今のガールズバンドブームで、女性だけではなく男性もかなり腕のある人間が増え、スタジオの店員はどこも一定の水準をキープしている手厚い環境だ。

 しかし、《arrows(ここ)》の選考は、その水準のラインが頭一つ抜けている。それもこれも、四方津さんと彼の集めた店員による、恐るべき選考会が行われているからだ。スタジオ乱立時代において《arrows》がバンドマンやミュージシャンの支持を集めるのは、この音楽に対するシビアさが評価されているからに他ならない。

 

 これで、目と耳は揃った。あとは《Pastel✽Palettes》が、選考を抜けてくれれば最高だな……!

 

 俺は、まだ見ぬ《Pastel✽Palettes》に対して期待値を高めた。折角のイベントなのだ、選考は厳しくするとはいっても、スキルが足りているならば、やはりプログラムの許す限り多くのバンドに参加してほしいというのが本音だった。

 

「それじゃあ、俺はスタジオに入るために、早めに他のスタジオの機材をチェックしてくる」

「あ、すみません。なんか仕事を急かしてしまって」

「気にすんなよ、俺も好きでやってることだからな。……あ、《Pastel✽Palettes》の人間が来たらスタジオに案内していいぞ。それ以外の客は俺のメンテナンスが終わるまではラウンジでステイさせておいてくれよ」

「承知しました、やっておきます」

「頼んだぞ」

 

 そう言い残して、四方津さんは奥のエレベーターへと消えていった。

 

「す、すいません!」

 

 エレベーターのドアが閉まるのと入れ替わるように、《arrows》の入口のドアが開いた。入ってきたのは、ニットパーカーを羽織り、フードを目深に被った少女だ。目には大きめのレンズでプラスチックフレームのチープなサングラスを掛けて、いかにも人目を忍んでやってきたという様子だ。キョロキョロと辺りを窺う姿は、不慣れな環境に狼狽えているように見える。

 その様子から、お客さんだとするなら初めての方だと判断した俺は、すぐに対応に向かう。

 

「はい、何かお困りでしょうか?」

「あ、す、すみません! あの、《arrows》ってスタジオはここですか?」

「そうですよ、まだ開店前ですけどね」

 

 俺はカウンター奥の時計を指差す。《arrows》は9時からの営業開始なので、開店までにはまだ、2時間以上は間があった。

 その言葉を聞いた途端、少女はぽかんと口を開き、それからすぐに先程以上に狼狽えた動きをみせる。

 

「あ、そ、そうですか。どうしよう……早く着きすぎちゃった……」

「ご予約されてる方ですかね? 今、店を回せるスタッフは店長しかいないんで、少し待ってもらえますか」

「えっ、というと、お兄さんは店員さんではないんですか」

「はい、俺も《arrows(ここ)》の利用者の一人ですよ。今は店長の四方津さんに、少しだけ受付を任されているんですが」

 

 俺が店員ではないことに、一瞬戸惑う素振りを見せた少女だったが、「利用者の一人」という言葉に何か思い至ったことがあったのか、サングラス越しでもわかるほど大きく目を見開いて、それから恐る恐る探るような視線をこちらに投げかける。

 

「どうかなさいましたか?」

「あの……もしかして、お兄さんが鳴瀬さん、ですか?」

「……! 俺の名前を知っている、ということは……」

 

 少女の口から溢れた俺の名前に、今度は俺が目を見開いた。つまり、俺の目の前にいるこの娘はーー

 

「ーーはい! 《Pastel✽Palettes》の丸山彩です! 今日はよろしくお願いします!」

 

 目の前の少女は、元気よくそう名乗ると、被っていたコートのフードとサングラスを外して頭を下げた。ふわりと桜色の髪の毛が宙を泳ぐ。

 

「こちらこそよろしく。今日、会えることを楽しみにしていました」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」

 

 そう俺が声をかけると、丸山さんは嬉しそうに答えて頭を上げた。その時、俺は初めて彼女の顔をはっきりと見たのだが、目があった瞬間、心臓がどくりと動くのがわかった。

 

 ……アイドル系のガールズバンドだとは聞いていたが、ビジュアルのレベルが違うな。

 

 あまり、アイドルなどには疎い俺にとって、丸山さんは初めて間近で目にするアイドルなのだが、その美しさに、思わず息を呑んでしまった。

 正直、「アイドル」などと聞いても、俺はクラスによくいる「美少女」の延長ぐらいに思っていた。そして、そういうレベルの少女であれば、俺は《ハロー、ハッピーワールド!》で十二分に目にしている。

 ビジュアルにステータスを全て振ったような薫を筆頭に、俺は《ハロハピ》のメンバーのルックスは、身内の贔屓目を抜きにして、かなりいい線をいっていると思っている。

 ペグ子はあれでお嬢様なので、容姿にはかなりの手間がかかっているし、北沢さんも溌溂としたエネルギッシュな魅力がある。松原さんは正統派の女の子という感じで、「いやいや自分なんかは」などと謙虚な奥沢さんも、共学の高校に入れば、クラスの男子が放って置かないようなレベルの美貌は間違いなくあるだろう。

 つまり何が言いたいかというと、俺は「美少女」に関しては見慣れており、今回の選考に至っても彼女たちのビジュアルが選考に影響を与えることはないと高を括っていたのだ。

 しかし、丸山さんはそんな俺の考えをカート・コバーンがステージにギターを叩きつけるときのようなフルスイングで見事に打ち砕いてくれた。

 

 ーー「美少女」が「素材」だとするなら、「アイドル」は「料理」だ。

 

 確かに「アイドル」は「美少女」の延長線に存在する。しかし、そこに至るには恐るべき手間がかかっているのだ。素材を厳選し、適切に組み合わせて、洗練された技術で仕上げること。「美少女」は自然に「アイドル」にはならない。彼女たちは、弛まぬ努力に裏打ちされた技術によって作り上げられた「美の偶像(アイドル)」なのだ。

 そのことを理解したとき、俺は丸山さんが一人で早い時間に《arrows》へとやってきてくれたことを心底感謝した。恐らく、《Pastel✽Palettes》の5人が一度に揃った状態でやってこられたら、その姿に圧倒されて、間違いなく俺の評価に補正(バイアス)がかかっていたに違いない。

 

 あ〜! 女性免疫の少ない自分が怨めしい! こんなことなら、もう少しバンドの打ち上げとかに、まともに参加しておくべきだったかなぁ……。

 

 今になって俺は、今までの浮ついたことなど一つもしてこなかった俺の人生を少しだけ後悔した。今の俺は、あまりにも女性免疫が薄すぎる。《ハロハピ》で多少は慣れたと思ったが、彼女たちはなんというか()()()()()()()()()()とは少し違うのだ。

 しかし、差し当たっての問題は、もう目の前に立っているので、俺は努めて平静を装って丸山さんをスタジオに案内することにした。

 

「……よろしければ、他の皆さんが来るまで、今日の選考で使うスタジオでもご覧になりますか? オーナーの許可は取ってありますので」

「本当ですか!? すみません、こんな早くに押し掛けたのに気を遣っていただいて……!」

「うお……あ、いえ、大丈夫ですよ。スタジオは昼頃まで貸し切りにしてありますので、何なら先に機材を触っていただいても構いませんから」

 

 丸山さんが、縋るような目つきでズイッと俺の方に乗り出して来るので、思わず一歩後ずさりしてしまう。言葉も吃ってしまい、傍から見ればさぞ情けない姿だろう。

 

「何から何まですみません! ありがとうございます!」

「いえいえ、ではご案内しますね」

 

 丸山さんはそんな情けない俺の姿にあまり気が回っていないようなので、俺はこれ幸いとばかりに彼女をスタジオへと案内するのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ここが用意したスタジオです。一応、ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムの構成とお聞きしていたので、一通りの機材は揃えてあります」

「ありがとうございます! ……急なお願いでここまでしていただいて、ご迷惑おかけしましたよね?」

 

 機材を見た笑顔から一転、申し訳無さそうに瞳を少し潤ませる丸山さんを見て、俺は慌てて首を左右に振る。

 

 恐ろしいほどまでの役者振り……いや、これが彼女の素なのかもしれないな。

 

 役者ゆえの表情の機微かと一瞬思いもしたが、それにしては感情が入りすぎている。恐らく、この細やかな心遣いと、大きな感情の振れ幅が、丸山さんという人間の本質なのだろう。

 少し、丸山さんのことがわかった気がした俺は、少し落ち着いた気持ちで口を開くことができた。

 

「いえ、俺の方はそんなに。むしろ、急なオファーを受け入れてくれた、店長の四方津さんにお礼の言葉をお願いします」

「わかりました、そうさせていただきますね!」

「では、あとは他の方が来るまでご自由に。今回のライブの計画者の一人として、《Pastel✽Palettes》の皆さんとのご縁が良いものとなるように祈っています」

「……! はい、折角いただいたチャンス、ものにできるよう最善を尽くします」

 

 ……へぇ、そんな表情もできるのか。

 

 先程までの、慈愛を感じさせるような表情から一転、戰場(いくさば)に臨む武士(もののふ)のような決意を込めた表情への変化に、俺は少し驚いた。素でこれをやれるなら大した役者ぶりだ。ステージの上でもさぞ映えるに違いない。

 

 ……いや、水面下だからこその表情だな、これは。

 

 しかし、すぐにこれはステージに立つ「アイドル」のそれではなく、そこに至るまでの舞台裏、薄氷まだ溶けぬ晩冬の湖を掻き分けて進む水鳥のような執念の為せる表情(かお)なのだと理解する。

 優雅に湖水に遊ぶように見える水鳥も、水面下では絶えず水掻きを動かしている。藻搔き続けなければ辿り着けない領域というものがこの世にはある。

 

 ならば、譲れないものを掴み取るまで、命懸けで藻掻いてみせてくれよ《Pastel✽Palettes》。そのときの水面下にある君たちの、本当の姿が俺は見たいんだ。

 スタジオのドアを閉める最中、僅かに開いたドアの隙間から、丸山さんがマイクに向かう後ろ姿が見えた。その背中に宿る気迫に、俺は今日の選考が良いものになるという確信めいた予感がしていた。




ん〜、《パスパレ》初登場ということで、少しキャラのトレスが甘いかもしれませんが、許してヒヤシンスですわ!


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野良ベーシストは240時間戦える 【6日前・午前①】

続きました。
《Pastel✽Palettes》パート②!

とりあえずメンバー全員登場です。
あと、《Pastel✽Palettes》のマネージャーとして、オリキャラを一人登場させてます。イベントに参加するのに、事務所所属の彼女たちが単独で動くのはおかしいので、ちゃんと事務所を通して動いている設定にするためのキャラクターです。



 丸山さんの早朝《arrows》来店から1時間。本来約束した時間となって、残る4人のメンバーが《arrows》へと姿を現した。

 四方津さんが、まだ機材チェックにスタジオを駆け回り、店員の皆さんも出勤していないため、俺は一応の店員代わりとして受付のカウンター内に詰めていた。

 ラウンジの壁にかかったモニターに流れる、流行りのバンドのMVをぼんやりと眺めていると、「カラン」と来客を告げるドアのベルが鳴った。

 

「いらっしゃいませ」

「あ、すみません。スタジオ《arrows》というのはここで間違いないでしょうか」

 

 店内に入ってきたのは、スラックスに仕立てのいいジャケット姿の若い男だ。緩いウェーブのかかった髪をシチサンのアップバングにして、モードを掴んだルックスをしているのだが、少し垂れ目気味の目と困ったように眉尻が下がっているのが、彫りの浅い顔立ちと相まって少し情けない印象を受ける。

 眉に関しては実際に少し困っているのかもしれないが。

 

「はい、そうです。失礼ですが、ご予約などされていますか」

 

 問いに答えながら、俺が予約の有無を尋ねると、男は安心したように幾分か眉の角度を緩める。

 

「はい、わたくし、《Pastel✽Palettes》のプロデュースとマネジメントを担当しております、《ムジカエンターテイメント》の万里小路(までのこうじ) 公治(きみはる)と申します。こちら名刺です、本日はお世話になります」

「これはどうも。こちらこそ、お世話になります」

 

 「万里小路」と名乗った男の手から名刺を受け取ると、そこには今しがた男が名乗った通りの情報が記載されていた。《ムジカエンターテイメント》は、アイドル事務所の中では中堅から大手に属する企業だ。モデルやバラドル、アクトレスなどジャンルを選ばない幅広いシーンにアイドルを送り出していることで知られている、らしい。アイドルに詳しくない俺が、軽く勉強した範囲での情報はこんなものだ。

 とするならば、そんな事務所でプロジェクトを任されている万里小路さんは、見た目から感じる草食系男子のオーラとは裏腹に中々の遣り手らしい。

 

 ……あるいは、縁故採用の線もあるか。確か、「万里小路」っていえば元を辿れば公家系の家柄に行き着く名字だったはずだ。服装のセンスもいいし、いいところの坊っちゃんってところかもな。

 

 万里小路さんが、縁故か実力かどちらで今のポジションを手に入れたのかは分からない。ただ、彼ほどの若さで、ある程度プロジェクトの裁量を任されているということは、社内では完全なお飾りというわけではないらしい。

 俺は、彼の名刺をカウンター内のファイルに挟むと、カウンターの外に出る。

 

「私は、基音鳴瀬です。今回の商店街でのライブイベント《G4SProject》の実質的な運営者です。申し訳ありませんが、名刺は持ち合わせておりませんので、今日はご挨拶だけとなりますが、よろしくお願いいたします」

「あ、運営の方でしたか! この度は、急な申し出を受け入れていただきありがとうございます」

 

 万里小路さんは、慌てたように頭を下げたので、俺もそれに合わせて頭を下げる。

 

「いえ、こちらとしても面白い申し出と思いましたので。今日はお互いによい結果となればいいですね」

 

 そう言って俺が笑いかけると、万里小路さんも釣られて柔和な笑みを浮かべた。

 

「お心遣いありがとうございます。あ、そういえば、うちの丸山が先にお伺いしているようで、申し訳ありません。どうやら1時間ほど、時間を勘違いしていたようでして」

 

 再び申し訳無さそうに、ペコペコ頭を下げる万里小路さんを俺は両手で制した。

 

「いえ、お気になさらないでください。丸山さんでしたら、既にスタジオで練習していただいています。皆さまを会議室にご案内したら、スタジオに呼びに行ってきますね」

「何から何まで、お世話になります。では、外で待たせている《Pastel✽Palettes》の4人を入れても大丈夫でしょうか」

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。……おーい、みんな! 入っても大丈夫だよ~!」

 

 許可を出すのと同時に、万里小路さんが外に向かって呼びかける。

 

「わーい! お邪魔しま〜す!」

 

 すると、万里小路さんの言葉とほぼ同時に、待ちかねたように《arrows》の店内に入ってきたのは、艷やかに緑がかった髪を持つ少女だ。彼女は店内を見回してから「へぇ〜、なんだか落ち着いていい雰囲気のところだね! 『るんっ!』ってきたかも!」と言って、楽しそうに笑った。

 

「はは、《arrows》は本当にいいスタジオだよ。気に入ってもらえると俺も嬉しいな」

「あっ、お兄さんが今日の審査員さんかな?」

 

 声をかけると、少女はそこで初めて俺に気づいたかのように、くるりとこちらを向いた。

 

「そうなるね。俺は、基音鳴瀬だ。今日はよろしく」

「鳴瀬くんか〜……うん、なんだか『るんっ!』ってきた! 私は、氷川日菜だよ、よろしくね!」

「はい、どうも」

 

 氷川さんと名乗る少女から差し出された右手を握って軽く握手すると、次の瞬間には彼女はするりと俺の手から離れて、店内に飾られたサインやバンドのステッカーを物珍しげに見回していた。まるで猫のような少女だ。

 そんな彼女を眺めながら、俺はある腑に落ちない感覚に囚われていた。

 

 ……ん〜? 彼女とは初対面のハズなんだけど、なんか、どこかで見たことあるんだよなぁ。なんでだろ?

 

 こんなインパクトのある少女なら、絶対に忘れるはずがないのだが、それでも既視感はあるのに記憶のデータベースと結びつかない。

 

 雰囲気がペグ子に、似てるからかなぁ……。いや、でもなぁ……。

 

 色々なものに興味を引かれて、ちょこちょこと動き回る氷川さんの姿は、確かにペグ子にそっくりだ。

 しかし、そんな性質的なものではなく、もっと根本的なところで、俺は氷川さんを知っている気がするのだ。

 

「失礼します、白鷺千聖と申します。本日はよろしくお願いします」

「どうも、基音鳴瀬です。こちらこそよろしくおねがいします」

 

 氷川さんへの疑問は残るが、来客への応対を止めるわけにはいかない。次のメンバーのために、俺は思考を切り替える。

 次に入ってきたのは、白鷺さんという落ち着いた雰囲気の、金髪を長く伸ばした少女だ。彼女の所作には無駄がなく、それが恐ろしいほどの美貌を後押ししている。如何にも業界人といった、丸山さんとは別の落ち着いた風格を感じさせる少女である。

 もしかすると、白鷺さんは業界経験が長いのかもしれない。

 

 ……丸山さんと一緒に来なくてよかったな。二人揃っていたら間違いなくしどろもどろになってたわ、俺。

 

 白鷺さんに軽く会釈をしながら、俺は丸山さんが先に来てくれた幸運を人知れず噛み締めていた。

 

「たのもー! 本日はブシドーのほど、よろしくお願いするでゴザル!」

「よ、よろしく武士道?」

 

 白鷺さんの次に入店した少女の挨拶に、俺が思わず戸惑ってしまったのは、その挨拶が頓珍漢なものであったこともさることながら、それ以上に彼女が日本人ではなかったことが大きい。

 銀糸のような髪を二房の三編みにして、透き通るような白い肌に、薄く化粧をした姿は、ビスクドールにそのまま命が吹き込まれたようだ。

 そんな少女が威勢よく右手を掲げて「たのもー!」などと乗り込んでくるのだから、戸惑うなというのが無理な話だとは思わないだろうか。

 

「わわわ!? イヴさん、張り切りすぎて敬語がおかしなことになってますよ!」

「オー? ()()()()ですか、マヤさん? なるほど……やはり、ここはそれだけの覚悟で臨めということですね!」

「いやいや、『ハラキリ』じゃなくて『張り切って』くださいよ、イヴさん!?」

 

 目の前のイヴという少女の、なんとも言えない自己紹介。それにツッコミを入れるように、大和さんが慌てて入り口から転がり込んでくる。

 しかし、それでもなんだか頓珍漢なやり取りを繰り広げながら、再びイヴさんが元気よく右手を挙げた。

 

「失礼つかまつりました! 私、若宮イヴと申します! 私は、真のブシドーを学ぶため日々努力してます。日本の諺に『袖振り合うも多生の縁』とあります! ですので、今日の出会いが良い縁となるように頑張らせていただきます!」

 

 相変わらず、少し古風な言い回しが残る若宮さんだが、今日の選考にかける熱意は十分に伝わってきた。

 最初の衝撃から立ち直った俺は、大きく頷いて彼女たちを迎え入れた。

 

「こちらこそ、よろしく頼むよ、若宮さん。そして、大和さんもね」

「へへへ……こちらこそよろしくおねがいします。急な申し出を受け入れていただいて、本当に感謝してます」

 

 微笑みを浮かべた大和さんが、その後すぐに大きく頭を下げたのに対して、俺は慌てて首を左右に振った。

 

「いや、俺としても大和さんのドラムは本気で見たかったからさ、気にしないでいいよ。……それにしても、大和さんもメイクですごく印象が変わったね、モデル顔負けの美少女だよ。というか、実際もうアイドルなんだよね」

 

 俺は、大和さんに声をかけながら、その変貌ぶりに舌を巻いていた。

 以前楽器店で出会ったときの大和さんが、キャスケットにレッドリムの眼鏡という大人しめのファッションだったのに対して、今日の彼女はしっかりとメイクを決めて、メガネもコンタクトに変えている。それだけで、かなり華やいだ印象になるのだから、恐らく、元の顔立ちが整っていたのだろう。

 

「わわわ!? い、いえいえ、私なんか、彩さんや、日菜さん、千聖さんに、イヴさんなんかと比べればもう全然ですよ!」

 

 大和さんは、頬を染めてオロオロしながら両手を左右に振っていたが、その姿すらも愛らしく見えた。

 

「ははは、謙虚だなぁ。にしても、薫と松原さんから同時に連絡を受けたときは驚いたよ。薫とも知り合いだったんだ?」

「はい、薫さんとは演劇部でご一緒してるんです。私は、照明や音響なんかの裏方でしたけどね」

 

 大和さんの説明に、俺は「なるほど」と頷いた。

 

「そういう繋がりか……あ、今思えば、薫の希望で羽女でライブしたとき、俺の逆側の照明を担当してくれたのって」

「そうです、私ですよ」

 

 俺の言葉に、大和さんが頷いた。

 前に、俺たち《ハロハピ》が羽丘女子高校でライブをさせてもらったとき、ステージのスポットライトを動かす人手が足りず、演劇部からヘルプを頼んだのだ。

 今、俺の脳内には、その時体育館の二階で、俺の向こう側でスポットライトを操作してくれていた大和さんの姿がありありと浮かんでいた。

 

「うわ〜、完璧に忘れてた。楽器店が初対面と思ってたけど、それよりも前に一度会ってたんだなぁ。いや、申し訳ない」

 

 俺は両手を顔の前で合わせて頭を下げ、自分の非礼を詫びた。

 一度会ったことのある人物に対して、初対面扱いをしてしまうことほど気まずいことはない。俺は、自分の迂闊さを猛省していた。

 

「いえいえ、あのときは、さっと打ち合わせしただけですし、当日は体育館が暗かったので仕方ないですよ。楽器店では、私も確証が持てませんでしたし」

「いや、そう言ってもらえると俺もありがたいよ」

 

 俺が頭を下げると、大和さんは「頭を下げるのはこちらの方ですよ」と慌てたように手を振った。

 

「基音さんには、無理を言ってイベントの選考に参加させてもらってるわけですし」

「ふむ、それにしても松原さんだけでなく、薫まで通じて連絡してくるなんて、よっぽど切羽詰まってたんだな」

「ええ、私としては藁にもすがる思いでして」

「その辺りの経緯については、わたくしから説明させていてもよろしいですか?」

 

 俺と大和さんの会話に入ってきたのは万里小路さんだった。確かに、込み入った話はこの場のトップであろう彼に聞くのが1番早いかもしれない。

 

「そうですね、では、立ち話もなんですし、スタジオとは別に面接のために会議室を用意しておりますので、続きはそちらで。ご案内しますので、どうぞ奥へ」

 

 俺は万里小路さんの提案に頷くと、店の奥を指し示してから歩き始める。本来、《arrows》には会議室はないのだが、今日は各種打ち合わせもあるだろうということで、スタジオの一つに長机を運び込んで臨時の会議室としていたのだ。

 

「ありがとうございます、おねがいします」

「よろでーす!」

「あ、失礼ですよ、日菜さん。よろしくおねがいしますね、基音さん」

「よろしくです!」

「お世話になります、鳴瀬さん」

 

 万里小路さんが頭を下げて、俺の後に続く。それに続いて《Pastel✽Palettes》の面々も、思い思いの挨拶をしてその後に続いた。

 

 さて、中々にアクが強いメンバーもいるけど、どうなることやら……。

 

 背中に拭いきれない好奇心の視線を受けながら、俺は会議室へと足を進めるのだった。




《Pastel✽Palettes》のメンバーのトレース難しいですわ……(死)


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野良ベーシストは240時間戦える 【6日前・午前②】

続きました。
パスパレ編の③です。


 俺と《Pastel✽Palette》御一行が腰を落ち着けた会議室は、先程も触れた通りスタジオの一室に長机を運び込み、そこにパイプ椅子やらドラムスローンやらとにかく椅子になるものを詰め込んだ、簡素なものだ。

 できれば長居はしたくないのだが、今回のイベントの運営者として、彼女たちの抱えるものは明らかにしておかなくてはならない。

 

「では、早速本題に入りましょう。《Pastel✽Palette》は、なぜ《G4SProject》に出なければならないのか、その理由をお聞かせいただきたい」

 

 《Pastel✽Palette》の所属する《ムジカエンターテイメント》は、アイドル事務所の中では上から数えるほうが早い。あまりこんなことは言いたくはないのだが、一商店街の秋祭りの代わりとなる、この規模のイベントなんかに出なくても、自前で大きなイベントを打てるはずなのだ。

 

 ということは、《Pastel✽Palette》の弱味は()()だ。彼女たちには自社でイベントを打てない理由があるんだ。もしかすると、何らかのミスで社内で干されてるのか?

 

 俺の辿り着いた結論は推測の域は出ないが、可能性は高いだろう。そうでもない限り、《ムジカエンターテイメント》ほどのスタミナ(財力)のある会社が、目玉となる新規のユニットにイベントを回さない理由がないからだ。

 

 ま、すぐに答え合わせは万里小路さんの口から聞けるだろう。問題は、それが俺たちに飛び火するかどうかだ。

 

 俺が案じるのは、《G4SProject》への影響よりも、そこに集まってくれた4つのガールズバンドへの風評被害の方だった。《Pastel✽Palette》が俺達にとって厄ネタとなるならば、たとえどんなにその演奏が上手かろうと、俺は彼女たちを守るために《Pastel✽Palette》を切らなければならない。純粋に音楽を楽しむ彼女たちに、大人のいざこざでケチを付けるようなことがあれば、バンドマンの先達として、それこそ憤死ものである。

 俺は、そこまでの覚悟を決めて、万里小路さんの言葉を待った。

 

「わかりました。……まずは、私達《Pastel✽Palette》の置かれている状況についてお話しします」

 

 万里小路さんはそこで言葉を区切ると、《Pastel✽Palette》のメンバーに視線を送った。そして、彼女たちが無言で頷いたのを確かめると、彼は再び口を開いた。

 

「単刀直入に申します。私達《Pastel✽Palette》は《ムジカエンターテイメント》の中で、仕事を回されない、いわゆる干された状態にあります。そして、このまま何もしなければ《Pastel✽Palette》というガールズバンドは会社の意向で自然消滅させられてしまうのです」

「やはり……」

 

 予想の一部が当たった俺は、思わずそう呟いていた。

 

「でも、そうなった原因は彼女たちにはないんです! 彼女たちは《ムジカエンターテイメント》という会社の不手際を擦り付けられて、不当に葬り去ろうとされているんです!」

 

 万里小路さんはそれから、彼女たちがなぜ社内で不遇をかこつことになったのか、熱弁を振るった。

 

 曰く、《Pastel✽Palette》はガールズバンドが隆盛を極める昨今の情勢を鑑み、《ムジカエンターテイメント》が自社を代表するガールズバンドとして送り出す肝煎りのプロジェクトだったそうだ。それは、彼女たちがデビュー初日からドーム公演を計画していたという話からも窺えた。

 しかし、ここでトラブルが1つ起きる。ガールズバンド隆盛の昨今、《Pastel✽Palette》の立ち上げを待ってからドーム(ハコ)を確保するのは難しいと判断した会社側が、なんと見切り発車で先に日程を決めてドームを確保してしまったのだ。

 そして、間の悪いことに《Pastel✽Palette》ではドラマー集めが難航。本来は裏方だった大和さんが、急遽ドラマーにコンバートしたときには、既に公演の日まであと一ヶ月を切っていた。

 今から楽器の練習をしても間に合わない。しかし、押さえたハコは手放したくないし、違約金も払いたくない。《ムジカエンターテイメント》の上層部は揺れに揺れた。そして、その果に《ムジカエンターテイメント》は、ある大きな決断をすることになる。

 

 ーーそれは、別録音源の使用だった。

 

 演奏を別のプロバンドに任せて音源を作り、《Pastel✽Palette》にはステージの上で楽器を弾くふりをさせて音源を流すという、バンドへの冒涜ともいえるその行為。卑しくもムジカ(音楽)を冠する会社の暴挙に、音楽の神(ミューズ)も怒りを禁じえなかったか、彼らには鉄槌が下ることとなる。なんと、ライブの途中で機材トラブルが発生、生演奏でないことが観客にバレてしまったのだ。

 当然、生演奏を期待していた観客たちがそれに納得するわけもなく、《Pastel✽Palette》の評価は地に落ち、炎上する彼らの怒りは《ムジカエンターテイメント》にまで飛び火を始めていた。

 事態を重く見た《ムジカエンターテイメント》上層部は事態の沈静化を画策。そこで彼らが採ったのが、《Pastel✽Palette》の活動の無期限休止という選択肢だったのである。

 一度付いた風評というものは、中々消えてはくれない。

 つまり、《Pastel✽Palette》はこのまま《ムジカエンターテイメント》に飼い殺されて、自然に消えていく運命なのだ。

 

 万里小路さんはここまでを一気に話すと、大きく息を吐いた。そこに滲むのは悔恨と慚愧の念だった。

 

「私は悔しいんです。彼女たちは何も悪くないんです……それなのに大人の都合で翼をもがれ、それでも、いつかまた空を飛ぶ日を夢に見ているんです」

「万里小路さん……」

 

 俺は、彼の言葉に込められた思いの大きさに、思わずその名前を呼んでいた。彼は俺の目を見ると、力強く頷いた。

 

「私は知っています。丸山さんは、《Pastel✽Palette》が無期限の待機を命じられてからも、ずっとボイストレーニングなどを欠かしていないことを。他の皆さんも、まだ《Pastel✽Palette》を諦めていないことを」

 

 万里小路さんの言葉に、丸山さんが目を見張った。他の《Pastel✽Palette》のメンバーも、力強く頷いたり思うところがあるように視線を逸らした。

 彼女たちの想いは、程度の差はあれど一つの方向に向っている。彼女たちは《Pastel✽Palette》をこの世に残したいのだ。ようやく手に入れた自分たちの居場所を失いたくないのだ。

 万里小路さんは彼女たちのそんな様子を確かめてから、少し語気を弱めて言葉を続けた。 

 

「私も、自分の立ち位置はよくわかってます。親の七光りで入社して、別に結果を出さなくてもいいから、もう二度と日の目を見ることがないと思われている《Pastel✽Palette》の担当にされたんです」

 

 そこまで言うと、万里小路さんは俯いた。そこに込められた感情は現状を打破できない自分への不甲斐なさか、あるいは自分に対する周囲の評価への怒りなのか。もしかすると、その両方なのかもしれない。

 

「でも、私にだってこの会社で実現したい夢があるんです。アイドルは夢を与える仕事でしょう。じゃあ、大人の都合で夢を奪われた彼女たちは、一体どうすればいいんですか!」 

 

 弱まっていた語気は、最後は半ば叫ぶような形に変わり、万里小路さんが拳で机を叩いた。その手は蒼白で小刻みに震えていた。誰も何も言わなかった。ただ、黙って彼の言葉の続きを待っていた。

 万里小路さんは、荒くなった呼吸を整えながら、握り拳を解いた。それからゆっくりと顔を上げる彼の目尻には、光るものが浮かんでいた。

 

「失礼しました。……私は、彼女たちに夢をあげたい。もう一度夢を見て、そして夢を見させて欲しい。だから、おねがいします。どうか彼女たちにチャンスを与えてはくれませんか」

 

 万里小路さんは再び頭を下げた。それは万感の想いのこもったものだった。

 

「私からもお願いします。このまま、《Pastel✽Palette》が終わってしまうのは寝覚めが悪いですから」

「千聖さん……!」

 

 万里小路さんに続くように頭を下げたのは白鷺さんだった。その姿に驚いたように声を挙げた丸山さんだったが、すぐにそれに続くように頭を下げる。

 

「わ、私からもお願いします! ようやく掴んだアイドルへの切符と同じ道を歩んでくれる仲間を、ここで手放したくないんです!」

「私からもお願い申し上げます! 私も、まだまだ皆さんと《Pastel✽Palette》を続けたいです!」

「私も、お話を持ちかけた以上、いえ、《Pastel✽Palette》の一員としてお願いするッス!」

「日菜は、駄目なら駄目でもいいんだけど〜、バンドって結構『るんっ!』ってするから、できれば続けたいな!」

 

 そうして、最後には《Pastel✽Palette》全員の頭が下がった。その姿を見た俺の胸には熱いものがこみ上げてきた。

 

 何だよなんだよ、思ってたよりも熱いじゃないか《Pastel✽Palette》!

 

 たとえ上から捻じ伏せられようとも、決して夢を諦めようとしないその姿勢。それは俺の敬愛するグランジという音楽の源流にある反体制(パンク)の精神に他ならなかった。

 

 個人的には、《Pastel✽Palette》を救ってやりたいところだ。だが……

 

 俺は、目の前に下げられた彼らの頭を見ながら、すぐには頷かなかった。

 バンドマンとして、彼らの熱い想いは確かに俺に伝わった。しかし、それとは別に《G4SProject》の責任者として冷静な判断を下さなければならない。

 

 ーーCool head(頭はクールに)but warm heart(心は熱く).

 

 俺は、経済学者アルフレッド・マーシャルの残した、あまりにも有名なこの格言を胸に、ゆっくりと口を開いた。

 

「理由は分かりました。そちらの意向としては、このイベントを通じて《Pastel✽Palette》が下積みを経て成長しているという絵面が欲しいわけですね」

「はい、有り体に言えばそういうことです。地に落ちた《Pastel✽Palette》の名誉を回復するには、一歩一歩地道に上を目指す彼女たちの姿がどうしても必要なんです」

 

 万里小路さんが頷いた。

 《Pastel✽Palette》が欲しいのは、彼女たちに付いた風評を拭い去るような新しい風評だ。しかし、それは《ムジカエンターテイメント》では与えられない。今の彼女たちにつきまとう悪い風評は、ともすれば《ムジカエンターテイメント》にも向けられたものだからだ。

 だからこそ、《Pastel✽Palette》は会社に頼ることなく、彼女たちの積み上げた努力を披露するのに相応しい場所が必要だった。そこで、俺たちの立ち上げた「商店街の活性化を目指したライブイベント」は、風評を跳ね除けようとコツコツと努力をする彼女たちを演出するにはうってつけのステージだったのだ。

 そう考えると、この申し出はかなり打算的に計画されたものだといえる。

 

 ……それでも、いいじゃないか。

 

 元々、このイベント自体、商店街の活性化という打算が引っ付いているのだ。今更、打算がどうとかで彼女たちを切る必要もないだろう。だが、今はそれよりも重要なことがある。

 

「今回の件、《ムジカエンターテイメント》は了承済みですか?」

 

 そう、俺が確認したかったのは《Pastel✽Palette》の動きが、彼女たちの親会社である《ムジカエンターテイメント》の許可を得たものであるかだった。

 もし、《ムジカエンターテイメント》が《Pastel✽Palette》の()()()()()()()()()なら、彼女たちを招き入れることは、《ムジカエンターテイメント》との敵対を意味する。そうなると、会社からイベントに対する何かしらの圧力がかかる可能性は否定できなかった。

 

 ……一応、うちにはペグ子って合法ヤクザみたいなのがいるんだけど、火煙を立てないに越したことはないからな。

 

 こと《ハロー、ハッピーワールド!》にだけ関したら、圧力などあってないようなものだ。しかし、他のガールズバンドには、何かしらの不利益があるかもしれない。例えば、彼女たちが将来メジャーデビューをしようとしたときに、業界内に良くない噂を撒かれるなども考えられる。芸能界の横のつながりはかなり太い。

 

 そんな俺の懸念を否定するように、万里小路さんは首を左右に振った。

 

「それについては問題ありません。我社は、あわよくば《Pastel✽Palette》に復活してほしいと考えてますから」

「それは間違いない情報ですか」

「ええ、我社としては今隆盛を見せるガールズバンド事業には、なんとしてでも食い込みたいんですよ。でも、《Pastel✽Palette》の先例がある以上、たとえうちから後続のガールズバンドを出しても、色眼鏡で見られることは不可避ですから」

「確かに、二度目も同じことをしない保証はないですからね。《ムジカエンターテイメント》としては、なんとか禊を済ませたいわけだ」

 

 俺の口から出た「禊」という言葉に、万里小路さんは頷く。

 

「はい、おっしゃる通りです。ただ、だからといって上層部に現状を打破する手立てがあるわけでもない。今回の件は、あくまでも上の落ち度ですから、上がでしゃばれば話が拗れるのは目に見えています。だから、上の意向としては《Pastel✽Palette》には、なんとかして自力風評を跳ね除けてほしいところなんです。私が自由に動けるのも、上層部の暗黙の了解があるからです」

「なるほど」

 

 万里小路さんの言うことは理に適っている。《Pastel✽Palette》の復活を上層部が許さないなら、そもそも万里小路さんのような彼女たちに理解のある人間をマネジメントやプロデュースの担当につけたりはしないだろう。万里小路さんのようなポジションで、彼女たちに対してもっとシビアに対応できる人材など、《ムジカエンターテイメント》には掃いて捨てるほどいるはずだ。つまり、俺の懸念する最大のリスクは回避されたと考えていい。

 

 なら、もう答えは一つしかないよな。

 

 俺は、今自分が言うべき言葉を確かめると椅子から立ち上がった。

 

「その申し出、受けさせていただきましょう」

「……っ! ありがとうございます、基音さん!」

「感謝の言葉はまだ早いですよ、万里小路さん。正式に参加が決定するのは、このあとの選考を突破できればの話ですから。こちらとしては、今集めたガールズバンドの評価を落とすようなダサい演奏のバンドは、彼女たちの名誉のためにも受け入れたくありませんから」

「承知しています。でも、彼女たちはこれまでずっと立ち上がる日を夢に見て練習を続けてきています。きっと、夢を叶えられると私は信じています」

「それは楽しみです。よろしくおねがいします、皆さん」

 

 そういって差し出した俺の手を、万里小路さんが力強く握り返す。

 契約はここに交わされた。後は彼女たちがその力を示すだけだ。

 

 さぁ、ここからが今日のヘッドライナーだ。派手にもがいてくれよ《Pastel✽Palette》!

 

 いよいよ彼女たちの演奏が聴ける。

 そう考えると、俺は胸の高鳴りを抑えきれないのだった。




オリキャラの万里小路くんは、当初はもう少しなよなよしたキャラを想定してましたが、動き出すと中々に熱いキャラになってくれましたわ!

元々、期待されていない者同士が力を合わせてのサクセスストーリーなんかが好物なので、《Pastel✽Palette》にもそんなイメージでサクセスに向かってほしいのですわ〜!


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野良ベーシストは240時間戦える 【6日前・午前③】

(どちゃくそ間が開きましたが)続きました。


They say there's a heaven for those who will wait

Some say it's better but I say it ain't

I'd rather laugh with the sinners than cry with the saints

The sinners are much more fun

You know that only the good die young

Only the good die young――

あいつらは良い子で待ってれば天国に行けるって

それがいいコトなんだって口を揃えて言ってる でも俺はそうは思わないけどね

俺は善人共と泣いてるよりは悪人どもと笑ってる方がいいね

だって奴らのほうが最高にクールだからさ

知ってるかい いいヤツほどさっさとくたばっちまうんだぜ

いつだって早死にするのはいいヤツなんだ――

 

 

◇◇◇

 

 

「よう、待ってたぜ鳴瀬」

 

 俺が話し合いを終えて、四方津さんの待つスタジオに向かうと、彼は既に機材のセッティングを終えてスタジオ最奥のドラムスローンに腰掛けていた。

 

「すみません、遅くなりました親父さん」

 

 俺が話し合いが長引いたことを詫びると、四方津さんはカラカラと笑いながら、気にするなと言わんばかりに手を振った。

 

「こんな時の話はじっくりやっておくもんだ。それに、今俺がここにいるのは自分の趣味みたいなもんだからなっと」

 

 四方津さんが勢いをつけてスローンから立ち上がる。

 

「さて、それじゃあ俺も噂のガールズバンドとご対面といかせてもらおうじゃないか」

「わかりました。それじゃあ《Pastel✽Palette》の皆さん、どうぞこちらに」

 

 俺は四方津さんに頷くと、入り口のドアを引いた。

 

「よ、よろしくおねがいします!」

「よろしくでーす」

「よろしくおねがいします」

「失礼いたします!」

「失礼します」

「失礼します、本日は私ども《Pastel✽Palette》がお世話になります。受付で基音様にもお渡ししていますが、こちら名刺でございます」

 

 ドアが開くと、丸山さんを先頭に《Pastel✽Palette》のメンバーが順番にスタジオに入り、最後に万里小路さんが丁寧に一礼をしてから敷居を跨ぐ。彼はそのまま四方津さんのところへ向かうと、懐から名刺を取り出して差し出す。四方津さんは名刺に軽く目を通すと、作業着の胸ポケットへとそれをしまった。

 

「ご丁寧にどうも。私が《arrows》のオーナーをしている四方津秋人です。今日の私は、あくまでも場所を提供しているだけの人間です。私のことは気にせずに、存分にやってくださいよ」

「ありがとうございます。折角用意してくださったこの場を、無駄にしないためにも最善を尽くさせていただきます。……じゃあ皆、準備させてもらおうか」

「はい!」

 

 万里小路さんが《Pastel✽Palette》の方へと振り返ると、元気よく返事をした丸山さんを筆頭にメンバーがそれぞれのギグケースから楽器を取り出したり、既に設置してある楽器へと向かう。

そんな中で、「うわぁ!」と一際大きな歓声が上がる。視線を動かして声の主を探すと、それは大和さんだった。彼女は、ためつすがめつドラムを見回して目をキラキラと輝かせている。

 

「これ、ラディックのビンテージですよね! こんなの使っていいんですか!」

「お、やっぱりお嬢ちゃんにはこれの価値が分かるか」

 

大和さんの反応に、四方津さんが嬉しそうに応える。

 

「はい、レッグなんかのパーツのデザインやシェルのカバリングを見て一目で分かりました! ビートルズスタイルの、ど定番のやつですよね!」

「おお、まさしくそれだよ。こいつは俺の私物で、今日のために持ってきたんだ。消耗品のヘッド以外は、スネアやシンバルのスタンドまでフルオリジナルだぜ」

 

どうやら、このドラムは大和さんのために、わざわざ四方津さんが入れたらしい。

 

――なるほどね、今日《arrows》が早くから開いてたのは、ドラム(こいつ)を運び込むためか。

 

そう、一人納得する俺の前で、ドラマー二人の話はどんどん盛り上がっていく。

 

「うひゃあ! ふへへへ……いいですねぇ……うっとりします。オリジナルということは、シェルはメイプル・ポプラ・マホガニーの3プライで、60年代のものですよね?」

 

 大和さんがうっとりとした手付きで、スネアドラムのテンションを調節する。会話をしながらだというのに、その手付きに澱みはなく、何度かスティックを打つと、狙ったテンションに整えてしまったようで、すぐにタムの調整に入る。

そんな大和さんの姿を見て、四方津さんも満足そうに頷く。機材を提供した側として、その価値を理解してもらえるのは冥利に尽きるといったところだろう。

 

「その通り! いやぁ、お嬢ちゃん、鳴瀬から聞いてはいたが、かなりの機材オタクだな!」

「え!? そ、そうなんですか……いやぁ、お恥ずかしい……」

 

大和さんは、自分の伺い知らぬところで、自分のことが話題になっていたことに照れて、顔を赤らめて後頭部を掻いた。

 

「恥ずかしいもんか、その歳でこの目利き、大したもんだ。おじさん、専門はドラマーだからね。今日の演奏、期待してるよ」

「は、はい! 精一杯、やらせていただきます!」

 

四方津さんの激励を受けて、大和さんは更にテキパキとシンバルの位置などを整え、持ち込んだシンバルと交換を始めた。

それを眺めて、四方津さんはうんうんと頷いた後、俺の方にやって来て「おい、鳴瀬」と耳打ちした。

 

「なんですか、親父さん?」

「今回の選考、もし《Pastel✽Palette》が外れるようだったら、ドラムのお嬢ちゃん、うちの正社員に誘うぞ。このままなら、多分解散するバンドだろ? だから、引き抜きは構わないよな」

 

四方津さんの口から溢れた大和さんの引き抜き。あまりにも真剣な声のトーンから出た意外な言葉に、思わず俺も「え?」と聞き返していた。

確かに、店員もプロフェッショナルで固めた《arrows》としては、大和さんは喉から手が出るほど欲しい人材に違いない。正直、大和さんもこことの相性はかなり良さそうだとは思う。しかし――

 

「――声をかけるのは構わないですけど、そのあたりは万里小路さんとかと交渉してくださいよ」

 

大和さんは、様々なスタジオなどで、かなりマルチに活躍しているため、しがらみの多い人間でもある。たとえ、万里小路さんを説き伏せたとしても、それ以外にも断りを入れるところがあるかもしれない。

俺はそのことを伝えたが、それでも四方津さんは大和さんの引き抜きに乗り気だった。

 

「もちろんそれも考慮の上だ。いや、お前の言うとおり、あのお嬢ちゃんはめっけ(もん)だな。アイドル系のバンドに入れておくのは惜しいぜ」

「ええ。実際、音響機材全般に詳しいんで、部活やバイトでも引っ張りだこみたいですよ」

「だろうな。これだけ真面目にやれる人間が、果たして何人いるか……」

 

そう呟きながら、四方津さんは相変わらず、熱心な視線を大和さんへと注いでいる。恐らく、頭の中ではもう引き抜いた後のことを考えているのだろう。《arrows》を最高のスタジオにすることにかけて、四方津さんに妥協という考えはないのだから。

 

「でも、引き抜きは《Pastel✽Palette》の選考次第ですからね」

 

俺は、四方津さんに釘を差しておく。

大和さんの、引き抜きはあくまで《Pastel✽Palette》の計画が立ち消えになったときだけだ。

 

「おう、もちろん俺も、選考はフラットな視点で見させてもらうさ」

「よろしくお願いしますよ」

 

四方津さんは、バンドに関してはシビアだ。だからこそ、選考に色眼鏡をつけることはないだろう。

それでも、大和さんへの熱の入れようは明らかに普通とは違っている《Pastel✽Palette》にとっては厳しい選考になるかもしれない。

 

――でも、これから彼女たちが経験するだろう荒波を考えれば、これくらいは乗り越えて貰わなくちゃな。

 

彼女たちは、苦難が待ち受けているとわかって、あえて嵐の日に帆を張ったのだ。ならば、これくらいの苦境は跳ね除けて然るべきだ。

そして、苦境を跳ね除けたその先でこそ、彼女たちは間違いなく輝くのだ。

 

――俺は、その輝きが見てみたいんだ。

 

「……準備、終わりました!」

「ん、そうか。なら、早速始めてもらおうか」

 

そんなことを考えているうちに、音出しなどの確認が終わったようで、《Pastel✽Palette》のメンバーは一様にこちらを見ている。

 

ある者は、緊張感を湛え。

ある者は、決意に満ちて。

ある者は、期待を膨らませ。

ある者は、凪の海のように。

ある者は、使命を帯びて。

 

彼女たちの瞳に宿る色は《Pastel✽Palette》の名に相応しく、それぞれ違う。

でも、その奥底にあるものは同じ。同じ熱を宿した魂が透けて見える。今しか放てない、若者だけが放てる魂の輝き(スメルズ・ライク・ティーン・スピリット)が。

 

丸山さんが、メンバーを振り返る。メンバーは力強く頷いた。

丸山さんがこちらを見る。こちらを射抜く(arrow)のような鋭い眼光。桜色の唇がわずか開き、息を吸い込む。さぁ、開演の時だ。

「……それでは、《Pastel✽Palette》演奏し(うたい)ます」




丸山さんの声優、前島さんが降板されるとのことで、急遽お話を進めましたわ! 声優さんの変更はRoseliaで経験済みでしたが、今回はメインボーカルということで、今後の《Pastel✽Palette》がどうなるか、目が離せませんわ~!

前島さん、今まで素敵な歌声ありがとうございましたわ!


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野良ベーシストはその目に命の燦めきを映す

(すぐに)続きました。

サブタイトルが続いてないのは、視点人物が違うからです。


 

今日現在(いま)が どんな昨日よりも好調よ

明日からそうは 思えなくなったっていいの

呼吸が鼓動が 大きく聴こえる

生きている内に

焼き付いてよ 一瞬の光で

またとない命を 使い切っていくから

私は今しか知らない 貴方の今を閃きたい

これが最期だって光っていたい

 

――東京事変『閃光少女』

 

 

◇◇◇

 

 

心臓が、こんなに速く鼓動を打つのは何時ぶりだろう。

私は、胸の内で高鳴る1つの臓器を強く意識する。それが止まれば人は最期。もう二度と目覚めることはない。大切な、大切な魂の(くら)

昔、理科の授業で先生が言っていた。心臓の動く速さは生き物によって違っていて、そして、心臓が一生に動く回数も生き物ごとに違うんだって。

 

――なら、こんなに速く動いている私の命は、早く終わってしまうのかな。

 

そんなことを考えて少し不安な気持ちになる。あがり症で、泣き虫で、すぐに心が揺れ動く、臆病者の私。

 

――でも。それでもかまうもんか。

 

不安な気持ちを消し去るように、私はマイクを持つ手に力を入れる。

今日は、私がアイドルになれるかどうかが決まる、運命の日だ。多分、このオーディションに通らなければ、《Pastel✽Palette》をステージに上げてくれるところなんてない。このガールズバンド時代、私達の代わりなんていくらでもいる。コブ付きのアイドルを、わざわざステージに立たせる理由なんてない。夢見がちな私にだって、それくらいの現実は見えている。

そうなれば、私達は終わる。巣立ちに失敗した鳥のように、空の青さを知らないまま、《Pastel✽Palette》は地面に落ちて、それでおしまい。

 

――そんなの……嫌だよ!

 

私は、飛ぶんだ。絶対にアイドルになるんだ。私にとっての夢は、それしかないんだ。夢はもう、すぐそこで私を待っている。不格好で不器用だけど、私はようやく羽ばたいたんだ。

だから、今この瞬間が、私の命を燃やすとき。何十年先の未来なんて、知らない。知りたくもない。

アイドルになれなければ、未来なんてないのも同じだ。だって、夢を失えば人は死んじゃうんだから。

 

――だから、燦めけ。私の(ゆめ)……!

 

この刹那、この瞬間、私の命が燃える。その燦めきが伝わるといい。

私は真っ直ぐに目の前に立つ二人を見つめる。彼らは、私達が大空へ上るための(きざはし)

 

「それでは、聴いてください。《Pastel✽Palette》で、『しゅわりん☆どり〜みん』です」

 

タイトルを口にして、私達の演奏が始まる。

 

――今の私は、眩く輝くアイドルになっているかな。

 

一瞬感じたそんな疑問も、《Pastel✽Palette》のみんなのかき鳴らす楽器の音ともに吹き飛んだ。




東京事変といえば、バンドリではPoppin'Partyが『群青日和』をカバーしてますが、私は『閃光少女』もお気に入りですのよ!
この一瞬を燦めいて生きるような感じが、バンドリにピッタリだと思っていたので、どこかで使おうと思っていたのですけれど、パスパレの話を思いついた時点で、ここで使うことに決めましたわ!
パスパレの放つ命の燦めきが、皆さまに伝わるといいですわ!


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野良ベーシストは240時間戦える【6日前・午後】

(比較的早く)続きました。

一回操作ミスで入力が巻き戻ったので、もしかすると途中で地の文がないところがあるかもしれません。


「《Pastel✽Palette》の皆さん、演奏ありがとうございました」

 

スタジオに入ってから一時間ほどが経っただろうか。《Pastel✽Palette》の演奏が一通り終わった。

あの後、ステージでも披露する曲を数曲演奏してもらってから、いくつかのフレーズなんかを個別に演奏してもらったりセッションしたりと、一通り、彼女達の演奏には目を通した。

そして、もう既に俺の中での結論は固まった。

しかし、何事にも手順というものがある。数学で正しい答えを導き出しても、途中式が無ければ減点されるように、俺が結論を口にするためにも、正しい手順を踏まなければならない。

 

「では、まずは親父さんから、コメントをいただいてもいいですか」

「おう、俺からか」

「はい、お願いします」

 

その手順として、まずは、やはりわざわざ時間と場所を提供してもらった四方津さんの言葉を貰うのが筋というものだ。四方津さんも、最初に自分の言葉からというのは予想していたいたようで、すぐに体重を預けていた壁から背中を離すと、《Pastel✽Palette》のメンバーの前に歩み出る。

 

「そうだな、俺から言えることは、ほとんど演奏についてのことだな。そもそも、俺は《arrows(ここ)》のオーナーだから、それぐらいしか言うことがないしな」

 

そこで言葉を区切ると、四方津さんは氷川さんの方へと視線を注ぐ。

 

「まずはギターからいこうか。ギターは上手い。文句なしに上手いんだが、テクニックに任せて走り過ぎだ。バンドは、他のメンバーがいるからバンド(結束)なんだ。もっと他のメンバーを見な」

「なるほど〜。……うん、何か分かったかも!」

 

氷川さんは今のアドバイスが腑に落ちたのか、何度もうんうんと頷いてみせた。演奏を見た感じでは、感覚型の芸術肌タイプかとも思ったが、どうやら理詰めも可能な天才肌のようだ。

俺が氷川さんへの評価を改めている内に、四方津さんの評価は、白鷺さんと若宮さんへと移っていた。

 

「逆に、キーボードとベースの二人は埋もれてるな。二人とも楽器経験はほとんど無いか?」

「はい、ベースには今回のバンド結成で、初めて触ったようなものです」

「はい、私もまだまだ修行中の身です!」

 

二人の答えに、四方津さんは大きく頷いた。

 

「ふむ、なら君らは多少粗くても、思い切り弾くことを意識するといい。君らは視野は広くてリズム感はあるんだが、それ故に、他に合わせに行きすぎて、自分の演奏が埋もれちまってる。ステージの上では、多少のミスは平気な顔してれば大丈夫だ。思いっきりやるといい」

「御指南、ありがとうございます」

「分かりました! 『売り出し三年』、頑張ります!」

 

二人がそれぞれに返事をすると、四方津さんは今度はつかつかと大和さんの方へと歩み寄った。

 

「で、次はドラムの大和ちゃんなんだが……」

「は、はい!」

「なぁ、大和ちゃん、暇なときでいいから《arrows(うち)》に来て、機材いじりしないか? この界隈なら、間違いなく機材の質は3本の指に入るレベルのを揃えてるんだが……」

「うぇぇ!?」

「うぉい! ちょっと待て親父さん!」

 

いきなり、今までの流れをぶった斬るような勧誘活動を始めた四方津さんに、俺は思わずツッコミを入れてしまった。

 

――むぅ。ペグ子たちのせいで、どうにもツッコミ体質になっちまってるな。いかんいかん……。

 

このままツッコミ体質が染み付けば、これ幸いと奥沢さんが俺にツッコミを任せきりになってしまうかもしれない。流石にそれだけは御免被りたい。

そう、バンドは喜びも苦労(ツッコミ)も分け合うからこそのバンドなのだ。

 

――ツッコミ体質についてはもう、手遅れな気もするけど。

 

人知れず、自分の体に染み付いた哀しき体質を嘆く俺。そんな俺の内心を知らない四方津さんは、後頭部を掻きながら、悪戯が見つかった子どもみたいな苦笑いを浮かべる。

 

「いや〜、すまんすまん! でも、大和ちゃんは諦めきれんのだよなぁ……あの演奏を聞かされたらなおさらな」

「まあ、頭一つ抜けていたのは、俺も同意ですけどね」

 

それについては、俺も同意しなければならない。大和さんの腕前は、この界隈なら3本の指に入るレベルだった。何なら、全国区でもトップレベルに食い込めそうなポテンシャルを秘めいているだろう。サポートメンバーとして欲しがるバンドは山のようにいるはずだ。

俺が素直に頷くと、四方津さんもニヤリと笑って頷いた。

 

「だろ? ま、とりあえずアドバイスさせてもらうなら、もっと自信を持って叩いてもいいな」

「自信、ですか……」

「ああ、はっきり言って、このバンドの演奏が空中分解してないのは、大和ちゃんの力が大きい。だから、『みんな私のリズムに従え!』位に強気でいい。そうすれば、ドラムの音圧に負けないように、他の楽器も自然と伸びるはずだ。このバンドの成長の鍵は君だ」

「は、はい! 頑張ります!」

 

四方津さんからの力強いエールに、それに負けない力強さで大和さんが応えた。同じドラマーとして通づるところがあるのか、大和さんは頬を上気させて、握りこぶしを固めている。どうやら、四方津さんの言葉は、文面以上に彼女の心に響いたらしかった。

そしてついに、アドバイスを受ける人間は最後の一人になった。

 

「で、最後にボーカルの丸山さん」

「は、はい!」

 

いよいよ自分の番と待ち構えていたはずだが、緊張からか丸山さんの声が上擦る。

 

「ボーカル専業のメンバーのいるバンドは、何と言ってもボーカルがバンドの顔になる。ボーカルが印象的なら、バンドは売れるし、その逆も然りだ」

「……はい」

「その点から言わせてもらうとだな……丸山さん、君は悪くなかったよ」

「ほ、本当ですか……!?」

 

不安気に顔を俯けて話を聞いてきた、丸山さんの顔が弾かれたように上がった。

 

「ああ。……なんというかな、仕事柄、分かるんだよ。本気で上に行ける奴とそうじゃない奴ってのは」

 

四方津さんの言葉に嘘はない。

四方津さんは、《arrows》のオーナーとして、また、自身も《オブリビオン》というバンドのドラマーとして、いわゆる「本物」を数え切れないほど目にしてきているのだ。その目利きに関しては、間違いなく「本物」と言っても過言ではない。

数え切れないほどの経験に裏打ちされた四方津さんの言葉には、周囲の人間を納得させるだけの説得力があった。

 

「たとえ、いい声を持っていても、そこに魂が乗っかってないと耳の肥えた人間には分かっちまう。逆に、どんなに魂を込めても、耳に残らない声ってのもある。残念な話だがな」

「…………」

「その点、君の声は良い。魂が篭っていて、何よりもアイドルらしい華がある。これは人を惹きつけてやまない声だ。人の心を鷲掴みにする声だ。間違いない、丸山さん、君は大成するだろう」

「あ、ありがとう……ございますっ……!」

 

自分の歌が認められたことへの嬉しさで、今にも泣き出しそうになる丸山さん。そんな彼女に向けて、四方津さんが人差し指をピンと立てる。

 

「そんな未来のトップスターに、一つだけアドバイスだ」

「っ……! はい!」

 

「アドバイス」と聞いて、すぐに真剣な表情になる丸山さん。そんな彼女に、四方津さんはニヤリと笑いかける。

 

「それはな、ステージの上では笑顔を絶やさないことだ」

 

そう言って、四方津さんは、丸山さんに向けていた人差し指を、そのまま自分の頬に持っていった。思いもよらないその動きに、丸山さんは「あっ」と声を上げて目を丸くした。

 

「オーディションに通ろうと必死で歌う顔も、悪くはなかったんだがな。アイドルは夢を売る仕事だろう? だったら、最高の笑顔でファンのみんなに夢をあげないとな」

「……はいっ!」

 

――流石、親父さんは格が違うな。演奏だけなんて言いながら、彼女たちをよく見てる。

 

俺は、四方津さんの丸山さんとのやり取りに、内心、舌を巻いていた。演奏技術だけではない、アイドルバンドの「アイドル」の部分にまで目を配ったアドバイス。確かに、彼女たちの最大の持ち味はアイドルであることだ。ならば、そこを大切にしなければいけないのは自明の理だ。

演奏や歌唱力に気を取られすぎていた俺は、アイドルとしてのパフォーマンスには目を向けていなかった。やはり、四方津さんにも意見を求めたのは正しい判断だった。

そんなことを考えていると、四方津さんの右手が、俺の肩をポンと叩く。

 

「んじゃ、俺の言いたいことは全部言わせてもらったよ。後は鳴瀬、お前が仕切ってくれよ。ま、結果は分かりきったことだがな」

「分かりました。でも、もう言いたいことは親父さんに全部言われて、出涸らししか残ってませんよ」

「ガハハ、その出涸らしをみんな待ってんだよ。さぁ、お前の口から言ってやりな」

「はい」

 

そして、四方津さんと入れ代わるように、今度は俺が《Pastel✽Palette》の前に立つ。期待と不安の入り混じった視線が俺に刺さる。

 

「《Pastel✽Palette》の皆さん、演奏お疲れ様でした。もう、俺の言いたいことは、全部四方津さんが言ってくれました。なので、単刀直入に結果だけ言わせてもらいます」

 

演奏について語りたいことは、全て四方津さんが語っていた。なら、俺が言うべきは唯一つ、今回の選考結果にほかならない。

 

「選考は合格です。《Pastel✽Palette》の皆さん、あなた達の演奏を、ぜひ俺たちの《G4Sproject》に響かせてほしい。これが、プロデューサーとしての俺の嘘偽り無い答えです」

 

合格。

真っ直ぐ前を見て、俺がその言葉を口にすると、その瞬間「わっ」という歓喜の声がスタジオに響き渡った。

 

「やった、やったよみんな!」

「おめでとう、そしてありがとう、彩ちゃん」

「やったね! ライブができるって思ったら、あたしもすっごく『るんっ』てしてきた!」

「私も嬉しいです! 今後、益々精進します!」

「ふへへ……私も頑張った甲斐がありましたね」

 

《Pastel✽Palette》のメンバーが、思い思いの言葉で、お互いを褒め合ったり、あるいは自身の思いを溢れさせたりと、全身で喜びを表現している。

 

「鳴瀬さん、彼女たちの熱意を汲み取って下さり、本当に、本当にありがとうございます……!」

「万里小路さん」

 

彼女達の眩しい姿を眺める俺の元に、壁際で成り行きを見守っていた万里小路さんがやってきた。彼は涙で声を詰まらせながら、俺の両手を取ってしっかりと握り締める。それに応えるように、俺も彼の手を強く握り返した。

 

「あれだけのものを見せられたのです。これで断るようなら、バンドマン失格でしょう。これからは、イベントのパートナーとして、よろしくお願いします、万里小路さん」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

万里小路さんが深々と頭を下げる。自分の受け持つアイドルのために躊躇わず頭を垂れるその姿に、やはり彼も一角の人物だったのだと、俺は改めて万里小路さんへの評価を上げることとなった。

 

「では、細かい打ち合わせは最初に入った会議室で行いましょうか」

「はい、分かりました。それじゃあ、みんな移動しようか」

「はーい!」

「はいっ!」

「承知しました」

「分かりました!」

「了解です!」

 

万里小路さんが声を掛けると、《Pastel✽Palette》のメンバーがそれに従ってスタジオを後にする。

 

「親父さん、よければ親父さんも打ち合わせに入ってアドバイスをいただいても構いませんか」

「ん、構わんぜ。どれほど役に立つかは分からんがな」

「ステージの配置とか、ライブについてのアドバイスなんかをお願いできたらと」

「おお、確かにライブについてなら俺も役に立てるか」

「ではお願いします」

 

選考で最高のコメントを残してくれた、四方津さんの参加も取り付けて、俺も《Pastel✽Palette》に続いてスタジオを後にする。

しかし、この四方津さんの打ち合わせへの参加は、大いなる判断ミスだった。

そのことを、俺はあと数時間後に身を持って知ることになる。

 

 

◇◇◇

 

 

《Pastel✽Palette》のライブ参加が決定してからしばらく。俺たちは、軽い昼食を摂ってから、会議室に籠もって、ライブについての詳細な打ち合わせを行っていた。と言っても、今からライブの大筋を曲げることはできないので、こちらが提示したタイムテーブルに沿って《Pastel✽Palette》に動いてもらう全体の流れの確認と、ライブに使用する機材やフォーメーションの確認が話題の中心となった。

ステージに関しては、やはり四方津さんを招いたのが正解で、いい感じに話を進めることができた。《Pastel✽Palette》のメンバーは、既に会議室からスタジオへ戻り、ライブに向けた練習を始めている。今日はスタジオを貸し切りにしたので、よければ練習をしないかという四方津さんの提案に乗った形だ。

俺は、会議でまとまった情報を、パソコンで企画書に打ち込んで、万里小路さんに画面を提示する。

 

「……それでは、ライブはこの通りに。企画書のデータは、このあとすぐにメールで送らせていただきますね」

 

万里小路さんは、パソコンの画面をスクロールして契約条項などに目を通すと大きく頷いた。

 

「はい、確かに確認しました。それでは、この企画書を基に、本社で正式な契約書を作成し、こちらも本日中にメールで送付させていただきます」

「よろしくお願いします」

 

万里小路さんと俺は、再び固い握手を交わす。その横では、四方津さんがパソコンの画面をスクロールして、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 

「ふふっ、こいつは中々面白いイベントになりそうじゃねぇか」

「ええ、俺もそう思いますよ」

「鳴瀬は案外、こういったプロモーターにも向いてそうだな」

 

画面から顔を上げた四方津さんから出たそんな言葉に、俺は思わず「んー」と唸ってしまう。

 

「自分ではよくわからないけど、そうなんですかね」

 

あまり自分ではピンとこなかったので、少し曖昧な返事になったが、それを拾ったのは万里小路さんだった。

 

「私も基音さんは、こういったイベントの企画運営に向いていると思います! 企画書を拝見させてもらいましたが、企業でも普通に通用する完成度ですよ! どうですか、大学卒業後は、当社《ムジカエンターテイメント》に就職などは! 今回のイベントが成功すれば、(わたくし)、鳴瀬さんのことを、人事部にご紹介することも吝かではありません!」

 

万里小路さんが、こちらに身を乗り出してここぞとばかりにアピールしてくる。もしかすると、彼は俺を社内に引き込んで《Pastel✽Palette》の企画運営を一緒に担う未来を夢想しているのかもしれない。

 

「過分な評価、ありがとうございます。でも、俺はまだ自分のバンドデビューを諦めた訳ではないですから」

 

万里小路さんたちが、俺の才能を認めてくれるのは嬉しい。

でも、俺の中に灯るバンドマンとしての、ベーシストとしての焔は、まだ燃え尽きてはいない。それどころか、それは日に日に、その温度を高めているのだ。

だからこそ、俺は自分の心に嘘は吐けなかった。

 

「そうですか……。でも、もし気が変わったらぜひご連絡くださいね」

「はい、そのときは今度は俺がお世話になります」

 

万里小路さんは残念そうだったが、俺が笑顔で頭を下げると、嬉しそうに微笑んだ。そんな、和やかなムードで、打ち合わせが終わろうとしていた会議室に、局地的ハリケーンが突っ込んできたのはその時だった。

 

「なーるせっ!」

「ぐへっ!?」

 

会議室の扉が勢いよく開き、下座で入り口に背を向けていた俺の死角から、何者かが俺に飛びついてきたのだ。ヒキガエルの断末魔のような声を上げた俺が振り返ると、肩越しに、金色の髪と瞳を持つ少女と目があった。

 

――そう、言わずとしれたペグ子である。

 

「うわっ 、こころ!? なんでここに!?」

「今回の話がどうまとまったのか気になって、学校が終わってすぐに飛んできたのよ!」

「飛んできたってお前……それにしても到着が早すぎないか?」

 

俺は、ペグ子の言葉を訝しんだ。

確かに、壁の時計は午後三時を回っているが、まだ学校は終わってどれほども経っていない時間のはずだ。もしかすると、学校をサボってきたのかと勘ぐってしまう。

そんな、俺の抱いた疑問への答えは思わぬところから返ってきた。

 

「……それはですね、文字通り『飛んできたから』ですよ、鳴瀬さん」

「奥沢さん!?」

 

ドアを開けて入ってきた奥沢さんを見て、俺は思わず声を上げてしまった。

こういうことにはあまり乗り気ではない彼女のことだ。きっと同じクラスのペグ子が連れてきたのだろう。しかし、ペグ子がいるとはいえ、真面目な奥沢さんが学校をサボるとは考えづらい。そうすると、ますますこんなにも早く着いた理由が分からない。

 

――まてよ、今奥沢さんが「文字通り飛んできた」っていってたよな?

 

その口ぶりからすると、どうやら奥沢さんは全てを知っているらしい。だから俺は、奥沢さんに事の顛末を詳しく尋ねることにした。

 

「それで、奥沢さん。文字通りってどういうこと?」

「……帰りのHRのときに、砂ぼこりを舞い上げながら、ピンク色のヘリコプターが校庭に降りてきたのを見たときは、思わず頭を抱えましたよ」

「……マジで?」

「マジです、本気と書いてマジのやつです」

JESUS(ジーザス)……」

 

なんという、なんというペグ子の行動力なのだろう。奴はまさかのヘリコプターで飛んでここまでやってきたのだ。

 

――そんなこと、するか普通!? ……ペグ子は普通じゃなかったわ。

 

そう、最近は《G4Sproject》にかまけて、離れていたから失念していた。ペグ子とは、元々こういう奴なんだった。そして、そんな「こういう奴」ことペグ子は、楽しそうに腕組みをして、ふんぞり返っている。

 

「そう、マジなのよ! だから、美咲だけじゃなくて、他のみんなも来てるわよ! ミッシェルだけは、身体が大きくて乗れなかったけれど!」

 

ペグ子がそう言った瞬間、残る《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーが、雪崩込むように部屋へと入って来た。開口一番、彼女たちの口から飛び出すのは、やはり選考結果のことだった。

 

「やぁ、Mr.鳴瀬! 子猫ちゃんたちのオーディションはどうなったかな?」

「はぐみも、早く知りたーい!」

「や、大和さん達は合格なんでしょうか?」

「あ、それについては私も知りたいですね」

「それで、結果はどうなの、鳴瀬!?」

 

「ふっ、もちろん合格だよ」

 

俺がその言葉を口にした瞬間、会議室に歓声の花が咲いた。

 

「ああ! やはり、私の想像通りの儚い結果だったようだね!」

「儚い結果って、それだと落ちたみたいですよ。でも、合格したようで何よりですよ」

 

いつも通りの薫にツッコミを入れつつ、嬉しさをにじませる奥沢さん。

 

「わーい! これでライブがもっとにぎやかになるね!」

「素敵ね、はぐみ!」

 

手を取り合って喜ぶ北沢さんとペグ子。

 

「私も、大和さんたちと演奏できるの楽しみだなぁ」

 

大和さんとの演奏を待ち遠しそうにしている松原さん。

みんなそれぞれが、思い思いの形で《Pastel✽Palette》の参加を喜んでいるようだった。

 

――これなら、多少無茶をした甲斐もあったってもんだ。

 

少しでも多くのガールズバンドに触れることは、今の《ハロハピ》にとって間違いなくプラスになる。それも含めて、今回のライブは最良の形に落ち着いたのはないだろうか。

柄にもなく、そんな風に自画自賛をしてしまったのが、いけなかったのかもしれない。

 

「ねぇ、鳴瀬」

 

会議室に生まれた歓喜の輪から抜け出して、ペグ子が俺の下にやってきた。

 

「ん、どうしたこころ?」

「《Pastel✽Palette》の演奏って鳴瀬から見てどうだったの?」

 

なるほど、合格でいよいよ《Pastel✽Palette》の参戦が確実になった今、ペグ子の興味は、今度は《Pastel✽Palette》というバンドの方に移ったらしい。

だから、俺は《Pastel✽Palette》を見た、ありのままの感想を口にした。

 

「そうだな、一言で言うなら『華がある』感じかな。少し《ハロハピ(うち)》に似てるところはあるけれど、流石プロのアイドルって思わせられるところもあったよ」

「へー、そうなのね」

 

俺の説明にペグ子は「うんうん」と何度も頷いた。

ここで話が終われば無事終了、後は《ハロハピ》の練習を見て、慌ただしかった一日が今日もまた終わる――

 

――はずだった。

 

「おう、《Pastel✽Palette》の演奏は俺から見ても中々のもんだったぞ!」

「あら、おじ様もそう思うのね!」

「ああ、あれは可能性を感じさせるいい演奏だった」

「へー、ライブで聴くのが楽しみね!」

「ああ、期待してていいぞ。鳴瀬なんか、もうこーんなに鼻の下伸ばして、デレデレしながら聴いてたからな」

「……えっ、ちょっ……」

 

四方津さんの発した言葉で、会議室の空気が急に冷え込んだ、ような気がした。

先程まで咲いていた、歓喜の花々は、凍てつく風に飛ばされたのか姿形も無くなって、その代わりに刺すように冷たい5つの視線が俺に向かって注がれる。

 

「へぇ、Mr.鳴瀬。ちょっと今の発言について説明を求めたいのだが構わないかね?」

「え、いや、説明するもなにも……ねぇ……」

「むー、鳴瀬くん、他の女の子に見とれてたの?」

「だから、ほら、俺は彼女たちを審査する立場だから、ね……」

「へー、それで彼女たちをじっっっくり眺めて鼻の下を伸ばしていた、と」

「じ、事実無根だよ、奥沢さん……」

「ふえぇぇ、やっぱり鳴瀬さんも、アイドルみたいなかわいい子が好みなんですね……」

「そ、そういうのじゃないんだ、松原さん……」

「な〜る〜せ〜!」

「いや、だから、これは、本当にちがうんだあぁぁぁ!」

 

気がつけば俺は、叫び声を上げながら、会議室の扉を潜っていた。

 

「あ〜っ! 鳴瀬が逃げたわ!」

「待て〜!(×5)」

 

この恐ろしき包囲網が完成する前に、俺にできることは全速力でこの場から逃げ去ることだけだった。こういう時、弁明はなんの効果もなく、ほとぼりが冷めるまで時間を置くことが最善の手であることは、今までの彼女たちとのやり取りで嫌というほどよく分かっていた。脇目もふらずに会議室から逃げ出した俺は、さながら自由を求めて彷徨う一匹の狼だった。

そんな狼の逃避行は、《arrows》を出た瞬間、ピンク色のヘリコプターから垂直降下してきた黒服の皆様の手によって阻止された。

そのまま《arrows》に逆戻りさせられた俺は、《ハロハピ》のために予約していたスタジオの一室に監禁され、それから数時間、決して納得されることはない不毛な弁明を彼女たちに繰り返すしかない、この世で最も哀れな存在となることを余儀なくされたのだった。

 

ちゃんちゃん(終)




とりあえず、第一の山場の《Pastel✽Palette》加入まで終わりましたわ! なんだか《ハロハピ》のメンバーは、久しぶりに出した気がしますわね!
第二章は、どちらかというとガールズバンドの群像劇感を全面に出しているので、致し方ない部分がありますわ!
ここから、本番までの練習風景を少し挟んで、いよいよライブが始まりますわ〜!


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野良ベーシストは240時間戦える 【3日前・午後】

続きました。

少し日付が飛んでいよいよライブまで3日です。ここからまた少し時間が飛ぶので、ライブまでもうあと少しです。

【謝辞】
誤字報告ありがとうございます!
案の定紛れ込んでいたようで、報告助かりました!


「というわけで、練習だ」

 

イベント当日3日前。スタジオ《arrows》に集合した《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーの前で、俺は腕組みして仁王立ちしていた。

 

「ん〜、鳴瀬が練習に来るのは久しぶりね!」

「なんだかんだで、あんまり時間が取れなかったからなぁ……」

 

ペグ子の言葉に、俺は後頭部を掻きながら思わずボヤいてしまった。

《Pastel✽Palette》の参加が決定したのが3日前。それからの2日は、俺にとってはあまりにも目まぐるしく過ぎ去っていった。

 

 

◇◇◇

 

 

一昨日は、契約の締結と契約書への調印のために《Pastel✽Palette》の所属する事務所《ムジカエンターテイメント》に赴き、一日中そこで話を詰めることとなった。万里小路さんだけでなく、アイドル部門のトップ等、会社の重役も居並ぶ会議室で、出演条件などの詳細を事細かに確認し合ったおかげで、俺の疲労はピークになった。だから、その日は家に帰り着いてからの記憶がない。

 

――でも、条件はかなりいい形で結ばせてもらった。《ムジカエンターテイメント(あちらさん)》としても、やっぱりこのままアイドルバンドの路線を潰すわけにはいかなかったんだろうな。

 

今回の契約で、俺が《ムジカエンターテイメント》と結んだ中で重要だったのは、イベントで撮った《Pastel✽Palette》の映像や音源は、こちらの自由に使っても構わないということと、既に会社が持っている宣材の貸出や、イベントへの出演料はロハ(タダ)で構わないという契約だった。

こちら側も商店街の活性化に向けたプロモーションが必要な以上、今回のイベント最大の目玉となるであろう《Pastel✽Palette》参加の告知に、プロが撮った映像や音源を使えるのは願ってもないことだ。加えて、事後にイベントの映像を編集無しで動画サイトなどに載せることができるのも、PRの観点からするとかなり有り難い話だった。

《ムジカエンターテイメント》としても、初ライブに失敗した《Pastel✽Palette》が、コツコツ努力して地域のイベントから再出発をするという絵面を、外部から提供してもらえるのは願ってもないことのようだった。

 

――《Pastel✽Palette》は会社主体のプロデュースでやらかしてるからな。もう一度自分たちでアピールしたとしても、どうしても「ヤラセ臭さ」が拭えないからな。ま、この辺りは持ちつ持たれつの関係ってやつだな。

 

「商店街の活性化」と「自社アイドルバンドの復活」。お互いの利益が噛み合ったことによって、俺たちと《ムジカエンターテイメント》の協力関係は、かなり対等な形で結べたと言っていい。万が一、向こうが大企業のパワーで無理を通そうとしてきたところで、俺たちには、一応弦巻家という強力なバックがついていた。

しかし、大きすぎる力は、必ず人の心に慢心や油断を生むものだ。それに、大人のしがらみが出てくると、純粋な想いで今回のイベントに臨む、ペグ子たちや《Poppin' party》の想いを穢すことにもなりかねない。だから、俺としては弦巻家の力はできる限り使いたくなかった。

結果として、それは杞憂に終わったのだが、その分の負担が俺にのしかかったというわけだ。

 

 

◇◇◇

 

 

昨日は《Pastel✽Palette》に向けたステージ上での配置や演奏に対してのアドバイスで一日を潰した。初心者バンドのデビュー戦にしては、今回のステージ配置は些か複雑過ぎる。なので、ステージに立ったときどのように振る舞えば映えるのか、誰がどこに立つべきなのかを入念に確認しておく必要があった。

加えて、俺としてはこの練習風景も事前告知サイトにアップロードしておきたかったので、ビデオ撮影をするという役目もあった。

そして、《ムジカエンターテイメント》も俺と同じことを考えていたようで、あちらからも本職のカメラマンたちがやってきていた。彼らから撮影時の画角などのアドバイスを貰って、素人が撮影したにしては中々の映像を撮ることに成功した。

夜になって編集を終えた動画を告知サイトに上げると評判は上々で、《Pastel✽Palette》の参戦が決まってから湧いていた、一部のアンチコメントも彼女たちの練習の様子を見て下火になっていった。

しかし、過激なコメントの削除やサイトの編集などに追われて、結局俺は、気がつくとパソコンの前で寝落ちしてしまっていたのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

そんなこんなで、イベント三日前の今日。恐らく、今日が俺の《ハロハピ》へのまともな演奏指導ができる最終日になる。

二日前の明日は、商店街のステージ設営や機材の確認、各商店代表との打ち合わせがあるし、前日は舞台上でのリハや、出演者一同でのイベント全体の流れの再確認をしなければならない。もう、ぎりぎりの予定を縫ってようやく確保した貴重な一日なのだ。

 

「とにかく、今日が俺が練習をまともに見られる最後の日だと思ってくれ。当日演奏する3曲、今日中に仕上げるつもりでいくぞ」

「おー!(×5)」

 

俺の言葉に《ハロハピ》のメンバーが大きな声で応える。

今回のイベントに向けたセトリは、オリジナル2曲と版権カバー1曲の構成になっている。このイベントの映像は、今後《ハロハピ》のPRに使われる、全国区へ向けた足掛かりになるものだ。オリジナル3曲で固めてもよかったのだが、商店街のPRを兼ねている以上、知名度の高い曲は外せない。

ということで、各バンドにもカバー曲を最低1曲入れることをお願いしている。演奏の順番は各バンドの裁量に任せてある。《ハロハピ》はオリジナル2曲でカバー曲を挟む構成にした。オープニング・アクトなら、カバー曲で場を温めても良かったが、今回は《Pastel✽Palette》と《Poppin' party》に続く3番手の演奏だ。既に場が温まっているなら、最初からオリジナルでいっても大丈夫だろう、そう判断した。

 

「とりあえず、セトリの順番通り1曲ずつ演奏して、ブラッシュアップが済んだら次の曲に移る。3曲全部終わったら、通しで行くぞ」

「わかったわ!」

「よーし、今日は頑張るぞー!」

「『男子三日会わざれば刮目して見よ』というからね。Mr.鳴瀬には、私たちの鮮やかな成長をお目にかけようじゃないか」

「私たち、女子ですけどね。でも、成長を見せたいってのはミッシェルも同意でしょうね〜」

「わ、私も精一杯頑張ります!」

 

メンバー各々が、それぞれの形で気合を入れる。練習に向けてテンションは最高潮だ。それを見てから、俺は大きく頷いて力強く右手の拳を掲げた。

 

「よし、それじゃあ1曲目『えがおのオーケストラ』、いくぞ!」

「おー!(×4)」

 

俺の拳に応えて、四人が拳を上げる。

 

――あれ、ひとり足りなくないか?

 

そんなことを考えたとき、俺たちを尻目に、奥沢さんがスタスタとスタジオの入り口に歩いていくのが見えた。

俺が彼女の背中を目で追うと、視線を感じた奥沢さんが、振り向いて気まずそうな表情を浮かべた。

 

「……あ。えーと、私、ミッシェル呼んでくるので……」

「……あ。うん、お願いね、奥沢さん」

 

そう答える内に、奥沢さんはミッシェルになりにスタジオを抜けて行った。

何とも言えない空気の中、俺は行き場のなくなった拳をゆっくりと下ろした。

 

数分後、ミッシェルになった奥沢さんが戻って来て、なんだか微妙に締まらない空気の中、練習が始まった。

 

 

◇◇◇

 

 

「……よくやった。後はリハで実際の舞台上での配置を確認して、本番のステージで、積み上げてきたもん全部ぶちまけろ」

「はーい(×5)」

 

あれから4時間後。

締まらない雰囲気の中始まった練習だったが、いざ演奏が始まると彼女たちの成長に俺は驚かされた。

 

――俺が突っ込みそうなところは、完璧にあわせてきたか。

 

曲の中で、難所と思える箇所が幾つかあったが、彼女たちはそこを上手く弾きこなす術を身に付けていた。薫の言っていた格言は、あながち間違いではなかったらしい。

だから、俺からのアドバイスは途中から、演奏というよりも、ステージを意識した立ち回りの方へとシフトしていた。例えば、本番であればアイコンタクトできないはずの二人が視線を交わし合ったり、タイミングを取るために視線で相手の動きを追ったりという感じだ。

 

――当日まで、俺がついていられないのは不安だったが、取り越し苦労だったな。

 

俺は、心の中でほっと胸を撫で下ろす。

夏休み明けからのライブ攻めで、練習が疎かになっていたことが少し気がかりだったが、そんな中でも《ハロハピ》は、自分たちで前に進んでいたのだ。それだけ彼女たちは、俺の教えをしっかりと自分のものにしてくれていたのだ。

 

――なんというか、あれだな。教え子が育っていくのを見るのは嬉しいもんだな。俺のことを教えてくれた先生もこんな気分だったのかもな。

 

俺は、柄にもなく昔のことを考えていた。

俺には、恩師と呼べる先生がいた。それは高校時代の部活の顧問をしてくれた音楽の先生だった。

 

バンドで生きていきたいです。

 

先生は、そう話した俺の言葉を真剣に受け止めて、作曲や演奏のイロハを叩き込んでくれた。今、俺が《ハロハピ》のみんなに対して偉そうに指導ができるのも、先生の力添えがあったからこそだ。卒業以来、高校には訪ねていないが、お元気だろうか。

卒業式が終わった後、音楽室を訪ねて別れの挨拶を交わし、固く手を握りあった先生。その姿を思い出したとき、先生の姿に俺の姿がダブって見えた気がした。

 

――卒業、か。

 

俺は口の中でその言葉を呟く。

今回の件で分かったが、俺が《ハロハピ》に対してできることは、段々と少なくなってきている。演奏に関してはほとんど口を出さなくてもよくなってきた。ステージでの経験値は俺の方が上だが、すぐにそれも追いつくだろう。

 

――そうなったとき、俺の居場所はどこにある?

 

「鳴瀬、どうしたの? ボーっとして」

「……ん。ああ、何でもないさ。最近忙しかったからな。お前らがサボらずにちゃんと練習してたのが分かって、ちょっと気が抜けたかな」

 

どうやら、昔のことを考えながら、しばらく上の空だったらしい。

俺の顔を覗き込んでくるペグ子に、蝿を払うように軽く手を振ると、ペグ子がハムスターのように頬を膨らませた。

 

「わたしたちがサボるわけないじゃないの!」

「鳴瀬くん、ひどーい!」

「おやおや、Mr.鳴瀬は私たちへの評価を改める必要があるみたいだね」

「あ、それには完全に同意かなー」

「わ、私は毎日頑張ってますよ!」

「だー! 悪かった、俺が悪かった! みんな、ちゃんと成長してまーす!」

 

怒り狂う彼女たちにわちゃもちゃにされないように、俺は追及を躱すとスタジオの扉を開けた。

 

「ほら、今日はもう遅いからさっさと帰るぞ。途中まで送ってやるから」

 

俺がそう言って振り返ると、ペグ子が少しきょとんとした表情で「えっ……」と、言葉に詰まった。ペグ子にしては珍しい反応だ。

 

「何、その反応?」

 

俺が聞き返すと、ペグ子はいきなり「おかしいわ!」と叫びだした。

 

「何かおかしいんだよ」

「だって……鳴瀬がこんなに優しいなんて!」

「おい」

 

思わずツッコミを入れる俺を無視して、ペグ子の言葉に同意するように《ハロハピ》全員が騒ぎ出す。

 

「うん、鳴瀬くんなんか変だよー!」

「働きすぎてついにおかしくなったのかい、Mr.鳴瀬?」

「うわー、それは大変だー(棒)」

「な、鳴瀬さんはいつも優しいですよ……?」

「ええい、喧しいわお前ら! そんなんならもう知らん! みんな一人で帰れ! あ、松原さんは別だからね」

 

一人だけ俺を労ってくれた松原さんを脇に寄せて、残る四人にしっしっと手を振る俺。

 

「あっ! 鳴瀬が差別したわ!」

「わー、鳴瀬くんいけないんだー!」

「見損なったよ、Mr.鳴瀬! でも、私は寛大だから、もう一度私たちを送るチャンスをあげようじゃないか!」

「はぁ〜、まさか鳴瀬さんに梯子を外される日がくるなんて……」

「違いますぅ〜。これは差別ではなく区別ですぅ〜。言葉は正しく使うよ〜に」

「ふ、ふええぇぇ……」

 

そんなこんなで、犬も食わないような不毛なやり取りを繰り広げながら、俺たちは《arrows》を後にした。

結局、《ハロハピ》の皆を途中まで送って帰ることで、なんとか彼女たちの追及は回避することができた。

 

しかし、胸の内に湧いた疑問への答えは遂に分からずじまいとなった。




なんとかお話もジリジリと進んでおりますわ!

ちなみに、ライブはバンド数が増えたので、各バンド1曲ずつ演奏風景を描写できたらと思いますわ~! 演奏順は、
①《パスパレ》
②《ポピパ》
③《ハロハピ》
④《アフロ》
⑤《ロゼリア》
でいきますわ~! もう少しお待ちくださいまし!


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野良ベーシストは240時間戦える 【2日前・午後】

続きました。


商店街を舞台にしたライブイベント《G4SProject》。その実施まで、いよいよ後2日となった。

この日、俺は計画の主催者としてステージの設営作業に立ち会っていた。しかし、時刻はもう夕方の5時を回って、今日の作業はおしまいとなっている。夕食の材料、あるいは惣菜を買いに来たのであろう、少し厚着をした主婦が行き交う中で、俺はベンチに腰掛けてぼんやりと作りかけのステージを見上げていた。

ステージは、秋祭りの太鼓用のものを流用しているが、照明だけに電源を使っていた太鼓のときと違い、今回はPA機器などのために電源を上手く配置しなければならない。図面と照らし合わせながら、各所からケーブルで電源を引き込んだステージの骨組みは、どこか朽ち果てて骨だけに成り果てた異形の怪物の姿を想起させた。

しかし、この怪物はあと2日で蘇る。そして、この商店街を熱狂の渦に巻き込むのだ。

怪物に魂を吹き込むのは、もちろん俺たち《ハロー、ハッピーワールド!》。

そして――

 

「わあっ! みんな、もうステージが組まれかけてるよ!」

「おい、急に走り出すなよ、あぶないだろ!」

「わぁ、もうこんなに出来てるんだね」

「これを見たら、興奮しちゃう気持ちもわかるなぁ」

「うん、なんかこうなってくるといよいよステージに登る実感が湧くよね」

 

――そんなことを話しながらやって来た《popin'party》も、その一つだ。

バンドの実質的なリーダーである、戸山さんは組み上がりつつあるステージの周りを衛星のようにくるくると回る。他のメンバーはそんな戸山さんの姿に呆れたような、でもどこかワクワクした表情でステージを眺めていた。

そして、戸山さんは3回ほどステージの周りを回ったところでようやく俺の姿に気づいて、まるで地球をスイングバイする彗星のようにステージから飛び立った。

 

「あっ! 鳴瀬さん、お疲れ様です!」

「やぁ、戸山さん。それにみんなも、学校お疲れ様」

 

頭を下げる戸山さんに向けて、労うように手を挙げると、残る《ポピパ》のメンバーも続々とこちらにやってくる。

 

「お世話になってます、基音さん」

「鳴瀬さん、どうも〜」

「お疲れ様です、基音さん」

「基音さんは、ステージの確認に来られたんですか?」

「そうだよ、これでもイベントのプロモーターだからね。やっぱり、現場には目を通しておかないと」

俺が山吹さんの問いに答えると、その奥で市ヶ谷さんが申し訳無さそうな表情で頭を下げた。

「なんか、すみません。うちのバカがバカな申し出をしたせいで余計な手間をかけたみたいで」

「えぇ〜!? 今日の有咲、なんだか酷くない!?」

 

戸山さんが、2回も「バカ」と呼ばれたことに抗議の声を上げるも、市ヶ谷さんは怯むことなくジロリとした視線を戸山さんに送る。

 

「いや、だって市役所に行ってから、私たち何も手伝ってないだろ!」

「そ、それはそうかもだけど〜、だって練習も忙しいし〜!」

「だからって全部人任せにしていいわけじゃないだろ」

「うう〜……」

相変わらずの市ヶ谷さんの鋭いツッコミに、流石の戸山さんも今回は劣勢のようだ。うめき声を上げて蹌踉めきながら、花園さんの後ろへと隠れる。

 

「たえたえ〜、有咲が怖いよ〜」

「よしよし、もう大丈夫だからね〜」

 

小動物をあやすように、戸山さんを慰める花園さん。それを見て呆れた様子の市ヶ谷さんと、苦笑いを浮かべる牛込さんと山吹さん。どうやら、この手のやり取りは彼女たちにとっては定番のようで、なんだか表情が板についていた。

 

多分、戸山さんをペグ子に置き換えれば、傍から見たら俺たちもこんな風に見えてるんだろうな。

 

俺は、《ハロハピ》の癖の強いメンバーたちの顔を思い出して苦笑いを浮かべてしまう。それを見た市ヶ谷さんが「ほら、基音さんも微妙な表情してるだろ」と更なる追撃の言葉を戸山さんに投げかける。どうやら、俺の表情が誤解を産んでしまったらしい。

誤解をそのままにしておくのは気が憚られたので、俺は戸山さんのフォローに回ることにした。

 

「あ、違う違う。この表情は思い出し笑いみたいなものだよ。勘違いさせてすまないね」

「あ、そうでしたか」

 

俺のフォローで、市ヶ谷さんは幾分かトーンダウンした。それを見計らって、俺は言葉を続けた。

 

「こっちとしても、今最高に活きがいいガールズバンドとマッチングさせてもらえるんだ。むしろ、ありがたいって気持ちの方が強いかな。それに――」

 

俺は、ここで一呼吸置いた。これは、俺が彼女たちに一番伝えたかった言葉だ。だから、彼女たちがしっかりと耳を傾けてくれているときにこそ、この言葉を発するべきだと思った。

彼女たちの視線が俺に集まり、戸山さんが「それに?」と先を促す。十分だと判断した俺は、そこから先の言葉を音に乗せた。

 

「――これは、俺たちの物語(ステージ)でもあるし、君たちの物語(ステージ)でもあるんだ。楽器を握って舞台に立てば、その時点で誰だって主人公(ヒーロー)なんだ」

 

俺たちは皆、本質的には主観でしか世界を認識できない。それは、言ってしまえば「誰もが皆、自分が主人公の物語を演じている」訳だ。

だから、俺は誰かが誰かの物語の脇役になる必要はないと思っている。人生という物語は誰が主役だったとしても構わないんだ。

 

「誰だって……」

「ヒーロー、か」

 

牛込さんと山吹さんが、俺の言葉を噛みしめるように呟く。二人以外のメンバーも何かしらの思うところはあったようで、真剣に俺の話に耳を傾けている。

 

「俺の敬愛するギタリスト、カート・コバーンはこう言った。『ギターは死んだ木だ』と」

「死んだ木ですか……」

 

つぶやくようにそう言った花園さんの手が、彼女の持つギターケースを強く握る。

 

「ああ、そうだ。ギターは木を削って作り出した、不格好な死体でしかない。ベースやキーボード、ドラムだって本質的には同じだ。みんな色んなものを継ぎ接ぎした不格好なキメラなんだ。そのままじゃ、寺とかに保管されてる人魚の《木乃伊(ミイラ)》何かと変わらない」

 

俺の言葉に、花園さん以外のメンバーもみんな自分の楽器を強く握りしめている。「それは違う」、彼女たちのそんな言葉が聞こえてきそうだ。

 

そしてもちろん、俺だって「それは違う」と思っている。

 

「でも、とびっきりの情熱(パッション)を叩き込めば、ギターは何度だって蘇る。それは、ベースだって、ステージだって、この商店街だって同じさ。音楽は、人の想いは永遠なんだ。情熱さえあれば、いつだってどこからだって命は始まるし、始められるんだ」

 

そう、大切なのは情熱だ。こいつさえあれば、人はいつだってどこからだって、何度だって何かを始めることができる。

だから、俺は俺の夢を諦めたくないし、本気になってる誰かの夢を否定したくはない。《ポピパ》には、彼女たちの夢を否定できないだけの情熱がある。

 

それは若者だけに許される特権、《十代の若者の香り(スメルズ・ライク・ティーン・スピリット)》に他ならない。

 

彼女たちからは、いつも青春の匂いがする。

 

「だから、君たちも派手に暴れてくれ。今回のイベントに、命の炎を灯すのは、他でもない君たちなんだから」

 

彼女たちは、熱に浮かされたような、それでいて瞳に青い炎を宿したような表情で、俺の話を聞いていた。もう、完璧にスイッチが入ったとみていいだろう。

そして、それでこそ彼女たちを《ハロハピ》にぶつける価値がある。

 

踏み台、というのは烏滸(おこ)がましいが、彼女たちが俺を利用するように、俺も《ハロハピ》の成長のために彼女たちを利用させてもらう。俺たちだって、俺たちが主人公の物語(ステージ)に立っている。なりふり構ってはいられない。

そして、それは何も俺に限った話じゃない。

《Pastel✾Palette》も。

《Roselia》も。

《Afterglow》も。

皆が皆、それぞれの思惑で、それぞれが主人公の物語を生きている。そして、それは誰も何も間違ってなんかいない。それでいいんだ。

 

「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。当日、君たちの演奏を楽しみにしてるよ」

「はい! お話ありがとうございました、鳴瀬さん!」

 

戸山さんが、いつもと変わらぬ元気さで勢いよく頭を下げる。それに釣られるように他のメンバーも頭を下げた。

俺は、軽く右手を挙げると、踵を返して商店街を歩き始める。秋深い商店街の空気は寒い。吐く息の白さは、俺の魂の熱量に等しい。

 

「……さぁ、勝負(チェック)をかけるぞ」

 

ぼそりと零れた俺の呟きは、誰の耳に届くこともなく、灯り始めた街灯の明かりに融けて消えた。

 




時間が足りないと、何も試しもせずに、日が暮れるぅ〜♪

というわけで、久々の投稿でしたわ!

4月からの新生活に向けて、リアル多忙でおまたせしておりますわ~!


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