郷原宗司は交際したい (沖縄の苦い野菜)
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第一話 郷原会

 極道とは何ぞや。

 暴力団組員の蔑称。悪事を行い、放蕩にふけること。そんな意味合いが普通だろう。

 

 だが、本来の意味は違う。これは仏教用語において、仏法の道を極めた者という意味だ。高僧に対して極道者と称し肯定的な意味を指すものである。

 そして江戸時代より侠客(弱きを助け、強きを挫く者のこと)を極めた人物を称えるときに『極道者』と称するようになる。同時期、現代の意味にて用いられることもあったが。

 

 しかし、極道に進むのであれば、『極道者』となれ。

 そんな教えを背中で語ったのは、彼の祖父である「郷原宗玄(きはら そうげん)」その人である。「郷原会」と呼ばれる直系二次団体10からなり、枝に至れば300団体を超え、構成員33000人の東日本最大規模を誇る組織。その頂点、会長に君臨する者こそが、彼の祖父だ。

 

 ――郷原宗司(きはら そうじ)

 「郷原会」六代目兼四代目会長の「郷原宗玄」の孫であり、同じく五代目会長を任された「郷原宗清(きはら そうせい)」の実の息子。

 

 父宗清と母暁美とは宗司が3歳の時に死別。以後、祖父の宗玄に引き取られて育ってきたために、宗司が極道の道に肩まで浸かるのは当然であったといえる。

 その上、祖父の宗玄は東日本最大組織の会長だ。敬われ、貫録を持ち、堂々と立ち振る舞うその姿に、憧れを持つなと言われる方が酷であった。

 

 そんな宗司が会長の孫という立場からぬくぬくと育っていったかといえば、それは全くの誤解である。

 宗司は極道……いや、ヤクザの汚い手口をその目で何度となく見てきたし、その厳しさを見せつけられたことは両手の指じゃ足りない。

 

 これは決して、祖父宗玄の教育方針というわけではない。むしろ宗玄は、この極道から遠ざけて育てようとツルツルの頭を捻っていた。

 しかし、だからといって極道から完全に遠ざけられるかと言われれば違う。祖父宗玄は「郷原会」の頂点に君臨する男。当然、その孫たる宗司を放っておけば、よからぬことを考える者に狙われるのは自明の理というもの。何も知らない鉄砲玉が宗司を誘拐する光景など、考えるまでもなく想像につく。

 

 だから、宗玄は宗司に護衛をつける必要があった。信頼できる直系二次団体の組長であったり、あるいは自分の右腕にであったり。宗司とは切っても切り離せない存在。それがヤクザであり「極道」というものであった。

 

 さらには、暇を持て余した宗司が、護衛に祖父宗玄の話を強請るものだから、憧れは日に日に加速していくのも仕方なし。「郷原会」に伝わる祖父宗玄の武勇伝のほぼすべてを網羅するまでに至っている。

 

 では、そんな宗司がどうしてヤクザの汚い手口を目撃しているのか。

 これは襲撃に頻繁に遭ったためだとか、護衛の不手際で誘拐された経験があるとか、そういった話ではない。宗玄の選出した護衛は、そういった事案を彼の目につく前に軒並み潰していっている。

 

 理由は、至極単純。

 郷原宗司、彼自身がその道に深く足を踏み入れたから。ただそれだけである。

 

 きっかけは、近くに居たヤクザが宗司を見るときの目にあった。

 虹彩に色が浮き上がっていた。それは侮りであり、不満であり、あるいは蔑視であり。しかし、そんな傲慢な目をしながら、彼らは口々にへりくだる。幼いから感情の機敏には目ざとく、それを知っていたからこそ目と口のギャップに戸惑い。彼は最終的に、激情を抱いた。

 

 ――こんな自分でいいのか、と。

 それは自分に対する激情であった。侮られたまま、下に見られたまま、黙っていていいのか。そんなの、否である。

 

 激情に火がついた。見返してやる、と意気込んだ。

 その小さな火は、消えるどころか勢いを増してこの後の大火となる。

 

 気づけば、幼い頃より勉学に励み、極道を学び、闘争(とはいっても最初のうちは訓練だったが)に明け暮れる。さらに恐ろしいことに、郷原宗司は「鬼才」の持ち主であった。小学校中学年のうちに株の売買を主流とした独自の資金集めを始めとし、小学校卒業までには高校までの学問を修め、その後はもっぱらシノギとステゴロに精を出す日々。

 中学に入学した時には、彼個人の総資産は100億を超える。喧嘩は体格がまだ出来上がっておらず、黒星が続けども日に日に成長する様はまさに鬼の如し。

 

 そうして順調に成長していった彼に大きな転機が訪れたのは、中学二年の夏。

 祖父宗玄が病に倒れた。そのことに「郷原会」は一時期騒然とし、跡目を継ぐ者も決定していなかった為にあわや大規模な内紛が起こるのでは、と誰もが身を固くした。

 

 幸いにも、祖父宗玄の命に別状はなかったものの、しばらくは入院生活を余儀なくされる。生い先も長くない宗玄は、そろそろ次期会長を決めなければならない、となったところ。

 

 この郷原宗司、とんでもないことを引き起こす。

 なんと、「郷原会」の大幹部連中の前で堂々と、次期会長は自分だと宣言したのである。

 

 これを聞いた祖父宗玄は危うく心臓発作で死にかけたとか何とか。

 それもただ宣言しただけじゃない。「課題を一人一つずつ出せ。それを全部解決したら俺を会長として認めろ」と爆弾発言。それを知らされて今度こそ三途の川を渡りかけた祖父宗玄は、何とかその話し合いに介入して、次期会長を決めるためにルールを設けることとした。

 

 ひとつ、課題提出者は宗司に課題をクリアされた時点で、次期会長候補から除外されるものとする。

 ひとつ、期限は高校卒業まで。それまでにすべての課題が解決されなかった場合、あるいは課題に失敗した場合、郷原宗司は次期会長候補から除外されるものとする。途中で課題に失敗した場合、郷原宗司は期限までにどの課題を解決するかは自由とする。尚、この期間に課題を解決した場合、課題を解決された者は同様に次期会長候補から除外されるものとする。

 ひとつ、課題内容に「殺人」「カタギへの干渉」「筋の通らぬ行いの強要」を盛り込むことを禁止とする。

 

 この祖父宗玄の制限と、次期会長を取り決めるためのルールが、宗司が大幹部たちから与えられる課題をより激化させ、その様相は「静かな内紛」とも呼ぶべき競争に発展することとなるのだった。

 

 

 

『課題(全十二種)』

 

1.歌舞伎町のとある区画の地上げを行うこと。「郷原会」にとって重要な拠点となる場所。

理由:極道として地上げのスキルは必須であり、これを知らねば部下に的確な指示は出せない。よって、その手腕を見るため。

状況:「解決」

 

2.期限(高校卒業)までに「郷原会」の総資産を、郷原宗司のシノギだけで2倍に増やすこと。総資産は前年度のものを参照。

理由:極道の長として資金集めの手腕は必須。これを怠れば「郷原会」が存亡の危機に立たされる。以上からこの能力は必須であるため。

状況:「解決」

 

3.課題提出者と一回限りの真剣勝負で勝利すること。形式はステゴロのみ

理由:極道の長たるもの、個人として力を持たねばいつ倒れるかわからない。最低限の実力は自己防衛の観点から必須であるため。

状況:「解決」

 

4.期限(高校卒業)までに指定した100人から借金を取り立てること。取り立て相手は課題提出者が指定する。

理由:極道の長たるもの、現場の実情は知ってしかるべし。上と下との軋轢はいずれ組織に少なくない傷を残す。そのため、こうした下積み経験は必須である。

状況:「解決」

 

5.シマの抗争が数年前から硬直状態になっている。この抗争を期限(高校卒業)までにカタをつけ、組の勢力圏を拡大すること。尚、抗争に負けてシマを奪われた時点で次期会長候補から除外とする。

理由:極道たるもの、自分のシマを守るのは当然のこと。これに負けてしまえば勢力は削がれていき、「郷原会」解散の危機に陥るだろう。勢力拡大の初歩。これができなければ会長の器足り得ないため。

状況:「解決」

 

6.期限(高校卒業)までにスミ(刺青)を入れろ

理由:極道として刺青がないなど言語道断。会長としての示しと威厳をスミに込めることは必須であるため。

状況:「未解決」

 

7.期限(高校卒業)までに任侠に背く行為を禁止とする

理由:極道の大規模な組織の会長たるもの、この程度の課題に手をこまねくなど言語道断。会長の器たるもの、その姿は常に気高く理想的でなければならない。

状況:「継続中」

 

8.シマを荒らし回っている謎の勢力が出没。これの正体を突き止めてカチコミをかけ、壊滅させること

理由:正体がわからないからといって、シマの一大事に手をこまねくようでは会長は務まらない。「郷原会」の会長たるもの、相手の正体が不明だろうと必ずシマを守り通さねばならない

状況:「解決」

 

9.信頼できる側近あるいは右腕を一人指名すること

理由:会長たるもの、信頼できる者がいなければ話にならない。人望なくして会長は務まらず。自身の威厳を以て、部下からの信頼を獲得し、自分の目で部下を選び、その器を示せ。

状況:「解決」

 

10.とある不動産とのシマ争いに完全勝利(相手に一坪たりとも渡さず、逆にこちらが相手から一坪残らず奪うこと)すること。

理由:荒事ばかりでなく、時には正規の手法を以て挑まねばならないときが極道にはある。会長たるもの、この手腕が鋭敏でなければシマを容易く乗っ取られるだろう。よって、シマを守り切れる手腕があるかを判断するため。

状況:「解決」

 

11.計10からなる直系二次団体のすべてを掌握しろ

理由:会長たるもの、部下からの信頼がなければ成り立たない。これに欠けば空気を入れられ(そそのかしたり、助言をすること)、組織内で「会長の座」を狙った戦争が勃発するだろう。そうした事態を避けることは当然であり、せめて直系二次団体の組長全員から支持がなければ会長は務まらない

状況:「解決」

 

12.期限(高校卒業)までに将来の姐さん連れてこい(結婚前提の女を作れ)

理由:会長たるもの、世継ぎは必須。男だけでなく、女からの人望も厚くなければ尊敬は集められず。会長の器たるもの、その覚悟を示せ

状況:「未解決

 

 

 

 

 

 ――私立秀知院学園――

 かつて貴族や士族を教育する機関として創立された、由緒正しい名門校。

 貴族制が廃止された今でなお、富豪名家に生まれ、将来国を背負うであろう人材が多く就学している。

 

 その高等部に進学した彼、郷原宗司の目的は、ただひとつ。

 

 

 

 ――己の伴侶に相応しい女性と交際関係となること!

 

 

 

 そんな女性が本当にいるのか。交際経験のない自身にそんな相手ができるのか。

 不安に駆られながらも。

 

 彼はその敷居を堂々と跨ぐのであった。

 

 

 




続くかどうかは私のテンションと反響次第ということで(震え)

神室町→歌舞伎町に修正(5月13日)
備考:「神室町」が龍が如くシリーズの架空の町ということ失念しておりました。そのため、修正を入れました。ご指摘、ありがとうございます。尚、本作は龍が如くシリーズとのクロスオーバー、関連性を持たせる予定はありません


修正内容(5月29日)

9.信頼できる側近、右腕を一人指名すること(修正前)

           ↓

9.信頼できる側近あるいは右腕を一人指名すること(修正後)


理由:
 人数に誤解が生じる書き方だったため訂正。正しいニュアンスは「右腕か側近、信頼できる人間を一人指名しろ」ということ。


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第二話 恋の向かう場所

評価が設定集のような第一話で赤色に染まったこと、並びに皆様のお気に入り登録、感想の方、大変ありがとうございます。非常に励みになっております。

そんなわけで、無事第二話の方を投稿させていただきたいと思います
今回も、お楽しみいただければ幸いです


 東日本最大規模を誇る「郷原会」も、何も一枚岩というわけではなかった。

 それは郷原宗司に出された課題から見ても明らかだ。明らかな「無理難題」と呼べるような内容もあれば、「は? そんなのいつでもできんだろ」と言えるような張り合いのない内容まで。

 

 その課題内容こそが、もともと親宗司派であったかどうかを指し示していた。

 

 例えば「6.期限(高校卒業)までにスミ(刺青)を入れろ」などはまさに、元からの親宗司派であることは言うまでもない。スミを入れろなど、いつでもできる。それこそ、何の苦労もないのだ。これは、親宗司派が彼を「郷原会」会長に据えようとしていたためだ。

 

 逆に、「2.期限(高校卒業まで)に「郷原会」の総資産を、郷原宗司のシノギだけで2倍に増やすこと。」は分かりやすい悪意のある無理難題である。そもそも「郷原会」の総資産は優に億どころか、兆に迫る勢いだ。それを一人のシノギで稼ぐなど……いくら五年の猶予があるといえども、無茶苦茶だ。

 これには現会長の祖父宗玄も苦言を呈そうとしたが、これを承諾したのは宗司本人である。そして、期限を半分以上残して達成されてしまえば、課題提出者もぐうの音も出せない。

 

 しかし、そんな無理難題も数々と解決していき、残った課題はわずか二つ。

 

 ――「6.期限(高校卒業)までにスミ(刺青)を入れろ」――

 ――「12.期限(高校卒業)までに将来の姐さん連れてこい」――

 

 はっきり言おう。どちらもあり得ないほど簡単な課題である。普通に考えれば、もはや消化試合とも呼ぶべき様相を呈している。この課題を出した者が親宗司派であることは疑いの余地もないのだが――

 

 そんな二つの課題こそが、郷原宗司の頭を極限にまで悩ませているのであった。

 

 

 

 

 

 

 ――ねぇ、聞きました? 渋谷で起きたお話。

 ――あぁ、あの「郷原会」のだろ。

 ――そう! 強引なナンパを眼力ひとつで追い返したっていう!

 ――夜の東京はもう「郷原会」のシマだからな。そこで暴れるなんて、命知らずってレベルじゃねぇぞ。

 ――それが昼間に起きた話ですって! たまたま、彼がその場にいらしたとか。

 ――へぇ。見回り熱心だな相変わらず。あいつ暇なの?

 ――さ、さぁ……? 龍珠さん、彼に対してその態度、大丈夫ですの?

 ――は? あいつまだ会長でもないし、何かポストについてるわけでもないし。周りが持ち上げてるだけだっつの。そんなのに誰が媚びへつらうかっての。

 ――あ、ところで。又聞きしたお話ですけれど、彼が婚約相手を探しているというのは……?

 ――あー、アレね。事実だよ。詳しくは言えないけど。言ったら上からマジでブッ殺される。

 ――やっぱり! ……とはいっても、すごく物騒ですわね。

 ――そりゃ、腐っても「極道」だぞ? 下手なこと言ったらエンコ詰めて清算できるかどうかってところだし。首、あんま突っ込むなよ。

 ――え、エンコ……?

 ――小指のこと。やらかしたらケジメとして切り落とさなきゃならない。

 ――……肝に、銘じておきますわ。

 ――そうしとけそうしとけ。「極道」に首突っ込んでもロクなことになんないから。

 

 

 

「御行。最近、俺って他の人間から避けられている気がするんだが。何か知らないか?」

 

 ――お前が極道の会長の孫だからだろうが!

 などという叫びを、白銀御行は何とか飲み込んだ。目の前の相談相手があまりにも真剣に相談を持ち掛けてくるものだから、常識を言うのは如何なものかとブレーキが掛かった。

 

 相談相手は郷原宗司。東日本最大規模の「郷原会」、その会長の孫である彼は――思いの外、優男の面をしている。俗にいう甘いマスクというやつだが、眉間から頬にかけて一筋の刀傷がすべてを台無しにしている。目つきは近眼と寝不足に起因する白銀よりもずっと柔らかいものだが、刀傷のせいで厳つさは白銀より引き立っている。厳つい美形というやつだ。

 

(あぁ、言いたい! 生い立ちとその顔面の刀傷が原因だってすごく言いたい!)

 

 だが! それは本人にはどうしようもないことだ。言ったところで、何かが解決するだけもない。メイクで隠せないほど深い刀傷だ。努力でどうにもできないことをとやかく言うほど、白銀も野暮ではない。

 

「……そもそも、避けられてるのって、元からじゃないのか?」

「いや、最近は輪にかけて酷い。視線向けたら蜘蛛の子散らす様に逃げられるってひどくね?」

「そんなにひどいのか……」

「あぁ、マジでひどい。俺、ここ最近は問題起こしてないんだが」

「一応、問題起こしているって自覚があったんだな」

「張っ倒すぞ」

「冗談だ」

 

 しかし問題だ、と白銀はその明晰な頭脳をもって考える。

 半年前は、まだまともであった。何がまともと言われれば、話しかければ逃げられる、程度のレベルだったのだ。

 

 それが視線を向けただけで? もはや話し合いとか知り合うとか以前の問題だ。

 

「それ、あの噂が原因じゃないですか?」

 

 そんな中、いち早く答えを思い付いたのは、生徒会室のソファーに座り机に足をのっけてゲームをしている石上優であった。横合いから何気なく入れた言葉に、宗司はぐりっ、と音がしそうなほど素早く振り向いて石上の方を向いた。

 

「何だその噂って?」

「うわっ、宗司さん怖いっ! その顔怖いからやめて!」

「顔は元からだクソッたれ!」

 

 もちろん宗司も本気で怒っているわけでも、凄んでいるわけでもない。ただ思わず、ちょっとだけ力んでしまっただけである。それでも、それなりの期間を共に過ごした石上が震えるほどの強面である。

 視線を向けるだけでこれである。もう問題それだろ? とは思っても白銀は口にしない。石上の口にした「噂」というのが気になったからだ。

 

「……で、噂って?」

「あぁ、会長。聞いていないんですか? 近頃、宗司さんの噂されてるんですよ。視線合わせたらコンクリ詰めにされて東京湾に流されるぞ、って」

「そんな噂されてんの!? んなわけねぇだろバーカ!」

 

 宗司は思わず吠えた。いやだって冷静に考えてもみてほしい。何の繋がりもないカタギの人間をヤクザがコンクリ詰めにして流すなんて。発覚したらエンコ詰めるじゃ済まない大事件だ。生き埋めで済めばいい方。最悪、生きたままコンクリ詰めにされても文句の言えない大失態である。

 ヤクザだって、ヤクザなりのルールというものがある。いくら反社会的組織だからといって、そこまで無法地帯なわけがないだろう! とは内部を知っている人間の理屈であり……カタギからしてみれば、一見信憑性のある噂であることに間違いはなかった。

 

「あと、視線合わせたら心臓発作で死ぬぞとか」

「俺なんかの邪眼の持ち主でもないんだが!」

「睨まれたらもう命がないぞとか」

「ねぇ、誰なのその陰湿な噂流してんの。何で俺はそんな神話の怪物みたいに話盛られてんの?」

「でも、お爺さんが宗司さんのせいで、心臓発作で死にかけたってのは事実でしょう?」

「あー、もうわかった。龍珠さんところのバカ娘か!」

「うわー、龍珠先輩のことそんなに言えるの宗司さんとか他のVIPくらいですよ」

 

 ――広域暴力団「龍珠組」組長の娘、龍珠桃。

 「郷原会」直系二次団体のひとつ「龍珠組」の組長の愛娘であり、何を隠そう「12.期限(高校卒業)までに将来の姐さん連れてこい」の課題を提出してきたのは「龍珠組」の組長である。

 

 現時点で最も宗司を困らせる存在。それが宗司からの「龍珠組」の評価であり、「最も敵に回したくない相手」でもある。その理由は、手段を選ばない冷酷な面を目の当たりにしているからだ。

 

 「龍珠組」は「郷原会」の直系二次団体の中でも比較的「穏健派」に位置する。それは物事に対する腰の重さが起因しての評価である。とにかく、行動を起こすまでの辛抱が強い。

 

 だが、普段怒らない人間が怒るときほど恐ろしいように。

 この「龍珠組」も行動を起こしてからが恐ろしい。眠れる龍を呼び覚ますな、とは極道の世界では「龍珠組」のことを指す隠語として使われているほどに。

 

 過去、この「龍珠組」がその重い腰を上げたことによって、ひとつの都市をシマにしていたヤクザたち計300名が一夜にして軒並み行方知れずになった、という逸話がある。これだけ大規模な事件を起こして、表の世界に濁りを残さない手腕もある。行動を起こせば、後にはぺんぺん草も生えない。

 実行力、隠蔽の手腕、そして何より手際の良さ。「龍珠組」の恐ろしさは奈落を覗き込むように底が知れないのだ。

 

「あいつはファザコンか!? くっそ、画を書き(陰謀を巡らし)やがって……!」

「あー、そのあたりの事情は聞いたらマズイやつですか?」

 

 龍珠桃ファザコン疑惑。好奇心から首を突っ込んでいいかどうか、彼は宗司に対して安全確認を取る。極道同士の遣り取りに迂闊に首を突っ込めばどうなるか。付き合いがそれなりにある石上はそれとなく察していた。

 

「……あぁ、うん。聞かなかったことにしてくれ。というか、ここでは何もなかった。いいな?」

 

 ――アッ、ハイ

 冷静になった宗司に念を押され、思わず聞いていた二人は首を縦に振った。触らぬ神に祟りなしとはまさにこのことだ。知らば消される、という極道に対するイメージはあまりにも根強かった。

 

「ていうか、何で宗司さんそんなに人目なんて気にしてたんですか? 今更、人の目を気にするほど繊細でもないでしょ」

「……お前、さらっと宗司のことけなしたな」

「まぁ、事実だから別に気にしねえけど」

 

 一見、石上らしからぬ突然の研ぎ澄まされた言葉に、白銀はツッコミを、宗司はさばさばと返す。

 もともと、自分のことを繊細から遠くかけ離れた人物だという自己評価をしていることもそうだが。そもそもこれまで学校どころか、ご近所でさえ多くの人間に避けられる人生を過ごしてきた。今更、避けられたくらいで傷つく心など持ち合わせているはずもない。

 

「だって、なぁ。恋愛したいじゃん」

「あぁ、まぁそれは確かに――」

「まぁ避けられたら出会いも何も――」

 

 ――恋愛ッ!?

 叫びと注目が宗司の一点に集中した。ゲームをやっていた石上が思わず顔を上げて手を止めるほどの衝撃。

 

「うわっ、え! あの堅物極道の宗司さんの口から何があったらそんな可愛い言葉出てくるんですか!? それって恋愛って書いて『殴り合い』とかいうルビ振られてませんか!?」

「石上テメエ失礼にもほどがあるだろが!? あと『あい』しか合ってねえよタコ!」

「いきなりブチギレ!?」

「いやこれはキレられて当然だろ……」

「会長まで!?」

 

 半分冗談だったのに……という石上の呟きを、二人は敢えて聞き流した。

 

「……それで、恋愛だったな? 好きな相手でもできたのか?」

 

 恋愛。それに興味を持つということは、好きな相手ができたということ――!

 つまり郷原宗司には、少なからず想っている相手がいるという白銀の推論は。

 

「いや、まったく。今更好きなヤツができるかよ。ロクな交流してねぇんだぞ」

「はぁ!?」

 

 ――白銀の推論、まさかの大暴投!

 思わず口から素っ頓狂な声が出るのも仕方がなかった。何せ恋愛とは、特定の相手がいることで初めて進展するイベント。相手がいない恋愛など、そんなもの漫画や映画でも見ておけという話だ。

 相手が居ないのに恋愛がしたい。これでは、恋に恋する人間だ。相手を見ていない恋愛に、一体どんな価値があるというのか。

 

 白銀は眉間のしわを揉み解したあと、ひとつ息を吐いてから言葉を出した。

 

「恋に恋でもしているのか? だとしたら、恋愛なんてやめた方がいい」

「……まぁ、当たらずとも遠からず、ってやつだ。やっぱ、ダメかね」

「例えるなら、相手の肉体だけ目当てに迫る性欲の権化と同レベルですよね」

「おい石上。さっきから言葉の切れ味が増してきてね? まぁ確かに、ひっでぇ話だけど」

 

 はぁ、とつまらなさそうに息を吐く宗司の姿に、白銀はやはり引っ掛かりを覚える。

 恋愛がしたいという割に、宗司本人にやる気の色が欠片も見えてこない。乗り気でもないし、本当に興味があるように見えてこないのだ。

 

 だというのに、恋愛に興味があると話題を振るのは、一体どういうことなのか。

 

(……誰かに強要されている? いや、でも宗司に強要できる人間なんて――あっ)

 

 宗司の立場は、「郷原会」四代目兼六代目会長の孫であり、五代目会長の実の息子。東日本最大規模の極道、そのトップの孫に指示できる人間なんて、一人しかいない。

 

「……」

(藪蛇……ッ!)

 

 白銀は思わず押し黙る。聡明な頭脳が、これ以上口に出してはいけないとストップをかけた。

 例えるならこれは、ネズミ捕りに近しい仕掛けだ。話の発展という餌が欲しいと手を伸ばせば、仕掛けが起動して餌の代わりに行動を奪われる。仕掛けの強度によっては、その一撃が再起不能のカウンターとなることだろう。

 

 この話題、とびっきりの厄ネタなのだ。話を穏便に進めるには、仕掛けが発動しないギリギリを攻めながら、餌を摘まむほかにない。ここにそんな相談を持ち込んだのも、仕掛けを発動させないように餌を摘まめる賢いネズミを狙ってのことか。

 

 ならば、やることはひとつ。

 

「しかし、恋愛となればまずはターゲットを絞るものだろう? 例えば、付き合いたい相手の理想像はないのか?」

「んー、理想像ねぇ」

 

 仕掛けそのものを腐食させていけばいい。即ち、外堀を埋めていく。まずは女性の好みから入り、恋愛観につなげて――とにかく、藪をつつかない。これに限る。

 

 宗司も、白銀の出した質問には真剣に考えている様子がうかがえた。目つきは鋭く、うんうん唸る姿には抜身の刀身のような危うさがまとわれている。

 

「媚びへつらうヤツはクソだな。反吐が出る。マジでそれだけは有り得ねぇわ」

「きっつ、言い方」

「仕方ねぇだろ。こればっかりは生理的に無理だわ」

「いや、というか理想像はどこいった?」

 

 理想像を聞いたというのに、返ってきたのが生理的に無理なタイプの特徴である。ただ、真逆の回答といっても、これはこれで収穫はあるのだが。

 

「理想つってもなぁ。媚び売らない、芯が通ってる、筋を通す、諦めが悪くて、泥ン中這ってでも進める女ってところかね」

「いやそれ女性に求める理想像なのほんとに!?」

「当たり前だろが! 極道者の隣に立つんだ。そのくらい強くなきゃ話になんねぇっての」

「はー、極道っていうのも大変ですね。でも、宗司さんなら別に女性に強さなんて求めなくてもいいんじゃないですか?」

 

 ここで、さらに石上からの横やりが飛んでくる。どういうことだ、と睨めつけるような宗司の視線を受けて肩を大きく震わせるが、慣れたものなのか声までは震えない。

 

「いや、だって。宗司さんくらいになれば、どんだけか弱い女性だろうと、ぜんぶひっくるめて守ってやる、くらいの甲斐性あるでしょ」

「お前さらっとよくそんな言葉吐き出せるな」

 

 白銀も宗司の言葉に同意である。よくもまぁ、そんな恥ずかしい言葉が出てくるものだ。

 この石上、妙なところでズレているのである。

 

「そんな女子と付き合えるかっての。極道の汚ぇやり口、そんなヤツに晒せるかよ。枝になれば300団体超えてるし、直系二次団体の前だろうが、やらなきゃならねぇ時はある。泥と血にまみれた世界に、そんな女入れられるかっての」

「いや、しかしだからと言って、交際の段階でそれだけの覚悟を求めるってのは酷だろう?」

「だったら御行。テメエの妹が俺と交際するって言ったら――」

「お前殴り倒してでも止めるに決まってんだろ!?」

「会長、掌返し過ぎです。まだ交際ですよ」

「だとしても、圭ちゃんをそんな危険な目に遭わせられないだろ!」

「いや、白銀が正しい。よく考えてる。というか、それ考えずに交際迫ってくる女なんざこっちからお断りだボケ」

 

 はぁ、と憂鬱そうにため息を吐く宗司の姿を見て、白銀は思わず「しまった」と自らの過ちに気づいた。妹の白銀圭の話になって思わず頭に血が上ってしまった。これでは、積極的な話し合いに持っていくのは難しくなってしまう。

 

 しかし、その代償に得たものはあまりにも大きい。

 宗司は女性に強さを求めることに固執している。それは彼が極道であるから。極道のやり口に耐えられるだけの強い女性を、彼はその立場から求めてしまっている。

 

 だが、それは宗司に立場があるから。

 ならば、宗司自身が本当に求める理想像とは、一体――?

 

「……ふむ。前提条件を変えよう。仮に、宗司が立場も何も気にしなくてよくなって。しがらみも何もない。そんな折に交際する女性の理想像は?」

「しがらみ、ねぇ。まぁ、どっちにしても媚びへつらうような女はお断りだが」

 

(共通点は「媚びへつらう」がNGということか)

 

 そこまで特筆して嫌っていることを考えるに、今までの経験か、あるいは家柄の根深い問題からくる「嫌い」なのだろう。ここは、宗司が立場とか関係なく求める女性像なのは間違いない。

 

「んー、天然に近い可愛げがあるヤツだと良いな。何しでかすかわからない女となら、退屈しないだろうな」

「何しでかすかわからないなら、藤原先輩とかいいんじゃないですか」

「あれはウーパールーパーみたいなモンだろ。女としちゃちょっと……」

 

 悲報。藤原千花、告ってもいないのに振られる――!

 そして宗司の総評に、他二人から特に反論が出てこないところがまた物悲しい。

 

「あぁ、でも失敗しながらでも、努力できる人間は好きだぞ。どんだけ失敗しても諦めねぇ骨のあるヤツってのは、無性に応援したくなる」

「あれ、宗司さんって案外尽くす系だったりします?」

「尽くす、なのか? まぁ、サポートくらいなら惜しまねぇよ。もう俺はやることほとんどねぇし、ある限りの時間くらいなら注げるけど」

「すみません、尽くし過ぎてて引きます」

「石上。テメエもしかして俺のこと嫌ってたりする?」

「まっさかぁ」

「じゃれ合いも程々に。他には何かないのか? 身長とか、顔立ちとか」

 

 このジャンルにこれ以上の発展性はない。そう考えると切り替えは早い。白銀は次の引き出しに手をかける。

 

「身長は……まぁ、俺より高くなきゃいい。顔立ちは……顔立ちねぇ。目つきキツイ方が好みだし、可愛いよりは綺麗系の方が好きだな」

「え、さっき可愛げがある方がいいって言ってませんでした?」

「そりゃ全体像で性格の方だ。見た目とは関係ねぇ」

 

(まとめると、性格は可愛い系。見た目は綺麗系の少しキツイ目つきが好みで、努力を欠かさない芯の通った女性が好みか。――っ!)

 

 白銀の脳裏に電流奔る!

 少しだけ、少しだけ心当たりがあった。必ずしもすべてに当てはまるわけではないが、限りなく近い存在。

 

 しかし、その女性の名を口に出すのは憚られた。もしも、もしも宗司が彼女を狙うのであれば、それは白銀にとって宗司が恋敵になるということ。

 宗司がどれほどできる人間かというのは、又聞きではあるもののよく理解していた。そんな宗司が、恋に全力を出した時に白銀御行に勝てる要素は――本当に、あるのだろうか?

 

 裏表のない性格。堂々とした立ち振る舞い。芯の通った姿勢。あまりにも大きい背中。家柄は反社会的組織であること以外は申し分なく、仮面を被らずともやっていけるだけの強さを兼ね備えた男。

 

 正直に言ってしまえば。

 白銀御行は、郷原宗司と全力でぶつかっても勝てる気がしない。

 

 勉学であれば、まだしがみつくことができる。これまでの積み重ねという絶対的なアドバンテージは早々覆せるものではない。

 しかし、それでも郷原宗司は学年定期考査(テスト)において常に30位以内に入っている傑物だ。それもこの男、本当に勉強など日々の復習以外に何もしていないのである。

 

 そうだ。勉強なら、次のテストくらいならどうにでもなる。だが、それが積み重なれば積み重なるほど――白銀御行に不利な舞台に、引きずり降ろされる。

 

(いやでも、四宮はないか。そもそも、家柄としての相性が最悪だし――)

 

「四宮先輩とかはどうなんですか?」

(おい石上ィィィ!?)

 

 白銀が敢えて口にしていなかった話題を、何の気なしに石上から吐き出された。白銀にとってそれは最大レベルの裏切りであり、思わず石上に向けて言いようのない暗い憎悪の視線を向けてしまうほどの事態だった。

 

 白銀がそんな状態になっているとは知らず、宗司は顎に手を当てて考え始める。

 

「……まぁ、四宮なら極道としてやっていけないこともねぇだろうけど」

「けど、なんだ?」

「いや、ありゃ俺が手出していいタマじゃねぇだろ。道理としてねぇよ。アレに手を出すくらいなら、俺は独り身で死んだ方がマシだね」

「はぁ――!?」

 

 これに思わず声を上げたのが白銀だ。すぐ正気に戻って「まずい」と感じたものの、先ほどの叫びが撤回できるはずもない。

 宗司と石上から集中する視線。これに白銀はどう対応するか、それだけに思考のリソースを割き――

 

 こほん、とまずはひとつ咳ばらいをしてから口にする。

 

「具体的にどこがダメなんだ? さっきのイメージだと、ほとんど四宮だが」

「あー……、まぁ少し言葉足りなかったか。何て言うか、四宮は俺と致命的に相性悪いんだよ。ま、俺と四宮が付き合うなんて万一にも有り得ねえけど。もし付き合ったら……お互いに悪影響しかないぞ絶対」

「いや、それじゃわからん。もっと具体的に話してくれないか?」

「……四宮が純水だとしたら、俺がヘドロだっていう話だ。棲み分けは当然だろ」

 

 それ以上語る気はない、とばかりに宗司はむっつりと口を閉じてしまった。

 白銀からしても、最後の例えが入っても、宗司が何を言いたいのか。理解に及ぶことはできなかった。問い質そうにも、本人がもはや口を開く気がない様子だ。

 

「四宮先輩じゃなければ、ツンデレ……四条先輩とかいいんじゃないですか」

「ツン……四条? あー、いや、まて。思い出した。アレか。あの一歩間違えたら汚泥みたいな愛憎劇繰り広げそうな三人組の一人か。いや、四条の方は完全にストッパーだけど。あー、確かにアリだな。すっげぇ好みだわ。でも、もう好きな男居るだろが」

「いや、自分的にはもうスッパリ諦めさせて宗司さんとくっついてくれた方が平和で良さそうなんですけどね」

「心配なのか?」

「えぇ、割と。潰れないかヒヤヒヤしてます」

「へぇ……うーん、どうすっかね」

 

 口調こそ、吹けば飛ぶような軽いものだったが、悩む姿は樹齢千年の大木の如き重さをまとっている。

 宗司とはそういう男だ。行動するまでの腰が重く、行動するまでの口は軽い。だが、行動してからは怒涛の追い上げを見せてくる。為せば成る、を体現する存在。

 

「……話題ねぇな。まぁ、ちょくちょく折を見て話しかけてみるわ。サンキュ」

「えっ、あぁはい。もう行くんですか?」

 

 結論は出たのか、いつものような軽い口調と共に宗司はいつの間にか出口に立っていた。石上の言葉に彼はひとつ頷くと、その扉に手を掛けた。

 

「シマの見回りだ。最近、キナ臭ぇからな。お前らも気をつけろよ? うちのモン回ってるから大丈夫だとは思うけど」

 

 何かあったら呼べ、とスマホを片手に持って言いながら、彼は生徒会室を後にした。

 その後姿は、生徒会室の扉さえ追い抜いて、大きく見えた。

 

「……さすが、って感じですね」

「宗司だからな」

 

 

 

 ――「郷原会」次期会長に最も近い男、郷原宗司――

 彼の恋の行方は、まだわからないけれど。

 

 向かう場所は確かに、決まっていた。

 

 




続きは同じくモチベーション次第ということで。


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第三話 極道と学生

皆様の温かい評価、感想、そしてお気に入り登録、非常に励みになっております。
まずは、そのことに感謝を。ありがとうございます。

そのご期待に応えられるように、投稿を。
本編、お楽しみいただければ幸いです


 シマを回るとき、郷原宗司は自身にルールを課している。

 

 ひとつ、シマを制服では回らない。

 これはひとえに私立秀知院学園の評判を落とさないための対策だ。シマを回るとき、暴力沙汰に発展するケースもよくある話だ。まさか学園の生徒が暴力沙汰を起こしたとなれば、その名前に傷がつくことは想像に難くない。さらに言えば、夜間徘徊になるケースも多いとなれば、制服でシマを回るのはリスクがあり過ぎるといえる。その上、加害者が同じ学園の生徒を狙ったリベンジをすることもあると考えれば、制服で行動するのは有り得ない。

 

 ひとつ、トラブルは穏便に済ませる。

 相手が武器でも取り出す、カタギに手を出す以外での暴力はご法度。無意味な暴力で人を傷つけることが多発すれば、「郷原会」に向けられる警察の視線がより厳しいものとなる。それを案じての対策だ。宗司自身が弱い者イジメが嫌いなタチであることも、その制限に拍車をかけている。

 

 この二つのルールを己に課して、彼は純白のスーツに身を包み、今日も渋谷の街を練り歩く。ただし、電灯と光学に照らされた表通りではない。先行きの見えない闇とゴミの匂い、カビ臭さ、遠くから消え入りそうな喧騒の残響。重苦しい空気。メインストリートから外れた暗闇、あるいは裏路地。

 

 人が入り込まなさそうな場所。無法とは、安易だがまさにそのような場所で起こる。人目につきにくく、入り難く、内部の構造は複雑怪奇で逃げづらい。木を隠すなら森の中というように、犯罪を隠すには闇の中。

 警察より早く死体を見つけるコトだってあった。強姦された女性を見つけたこともある。金を巻き上げられ、タコ殴りにされた男性が倒れ伏していることもある。麻薬取引の現場を目撃したこともあれば、銃器の密売人との取引現場に出くわしたこともある。

 

 闇の中は、いつだって無法地帯だ。

 そんな場所に法を敷くのが極道というものだ。

 

 歩幅は大きく、足音は小さく、背筋は伸ばし、練り歩く。

 誰よりも堂々と。誰よりも手慣れて。誰よりも芯を通して進む。

 

 足音が自分のもの以外にない。これが健全だ。これこそが、闇の中にあるべき姿であり、平穏である。

 

 表通りでは、喧騒が平穏の象徴であり。

 裏通りでは、静寂が平穏の象徴である。

 

 ――やめて、はなして――

 

 だからこそ、裏の世界の人間は、誰よりも闇の中のトラブルに敏い。

 そして、行動が早い。

 

「――うちのシマで、何やってんだ?」

 

 肌に深く突き刺さるような、重い声音が裏路地の中に沈みこむ。

 事件は単純だ。表通りと近い場所。裏路地で、壁を背にした少女が二人の男に手を掴まれ、悪質なナンパをされていた。

 

 二人の男は、いかにも不良といった様相だ。銀のピアスに、髪は金髪。服をだらしなく着崩した姿。こんなケースこそが、最悪の事態に発展しやすい。女子の方が逃げれば深追いはしないタイプだが、下手に出ればとことんまでツケ上がる。お調子者の悪。

 

「あん? テメエには関係――ッ」

「何だテメエ――ッ」

 

 息を呑むのが手に取るようにわかった。闇と、表通りの逆光のせいで三人の顔まで見通せないものの、場の空気の質から、宗司には手に取るようにわかる。

 

「もう一度言うぞ。クソガキ」

 

 自分の前髪を掻き揚げて、ドスの効いた声をもう一度。

 

「――うちのシマで、何やってるかって聞いてんだ」

 

 あくまで堂々と。睨みつけ、動くことはせず、ただ静かに問い質す。こういった手合いは、姿勢と声だけで事足りることを、宗司はよくわかっている。

 

 今の彼を客観的に見るのであれば。

 ――闇の中から、突然現れた白いスーツ姿の男。顔面の深い刀傷がカタギの人間とは思わせない凄みを持たせて、オールバックの髪と服装が拍車をかけて筋者(ヤクザのこと)だと訴えかける。巌のようなガタイと身長、上から見下ろし睨みつける様は、鬼の一睨みよりも恐ろしい。喉元に突きつけられた刃のような声音は、二の句を継がせない迫力が込められている。そんな、裏社会の鬼が、佇んでいる状況。

 

 宗司の一睨みは、下手な暴力よりも恐ろしい。

 女子に絡んでいた二人の男は、ただ声を掛けられ睨まれているだけだというのに、みっともなく全身を震わせて言葉を詰まらせ、目じりに涙まで溜めている。宗司にはそこまでわからないが、大方腰が引けていることは理解している。

 

「――聞こえねぇのか!?」

「ひっ――!」

「ごめんなさい――!」

 

 トドメとばかりに恫喝すれば、男二人は蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。残されたのは、絡まれていた少女と宗司だけだ。

 

「はよ行けや。この街歩くなら、裏路地から離れておけ。じゃなきゃ、こうやって引き込まれる」

 

 路地の奥に佇む宗司の姿は、闇の世界の入り口に佇む門番のようだった。ここから先には通さないと仁王立ちになり、出口の近くにいる少女を見守っている。

 

「え、えっと、あの――」

「さっさと行け。礼するくらいなら、もう巻き込まれるな」

 

 宗司はどこまでも冷たく突き放す。それが裏の人間として、表の人間に対する接し方。どこまでも突き放し、二度目がないように追い返す。裏の世界に二度と近づけないために。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 少女はそう言ってお辞儀をするなり、その長い髪をなびかせて光の世界に飛び出した。

 そんな少女の後姿を確認した後、宗司は表に背を向け闇の中に足を向ける。

 

「どこかで、聞いたような声だったな」

 

 姿はよく捉えられなかったが、声まで曖昧ではない。遠慮していて、弱々しいものだったが、どこかで聞き覚えのある声。深い闇の中に再び身を沈めた彼は、しばらく声の主が誰だったかを考えて――

 

 ――答えが出せず、思考を切り替える。静寂に耳を傾けて、彼はまた孤独に足音を響かせるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 それはある放課後の出来事だった。

 

「「――あっ」」

 

 

 偶然に偶然が呼んだ遭遇に、お互いの顔を見て両者思わず声を上げる。

 

 片や、最近興味を持ち始めて、話す機会がないものかと漠然と考えていた男、郷原宗司。

 片や、想い人と親友のイチャコラを見せつけられ、ベンチに身体を預けて虚無を顔に浮かべていた少女、四条眞妃。

 

 この二人、特別な接点があるというわけではない。

 白銀御行と同じく、クラスメイトであるということが精々だ。話した回数も、片手の指があれば足りるほどの浅い関係。

 

 しかし、お互いに興味はあったのだ。

 

 郷原宗司は、ここ最近で「好みな相手」ということで四条眞妃に注目していた。

 四条眞妃は、高等部に上がった時から「郷原会」の次期会長候補、鬼才の郷原宗司に注目していた。

 

 興味の一致と、視線の交通事故。

 何やら落ち込んでいて、視線がかち合った四条眞妃を無視して立ち去れるほど宗司はドライになり切れず。

 みっともない姿を見られたことを意識してしまい、せめて視線だけはと四条眞妃は強情を張って。

 

「……何、ベンチで落ち込んでんだ」

「は――!? ちょっとリラックスしてただけよ! そういうあんたこそ、こんなところで暇そうね! 郷原の鬼才も、随分と期待外れね!」

「暇なのは否定しねぇよ。鬼才って言っても、学園じゃ大概役に立たねぇことばかりだしな」

「……言い返さないの? ヤクザって、舐められたら終わりの世界でしょ?」

「ここは学び舎だろ? そんなところに極道の世界持ち込むって、バカかよ」

「なっ、この私がバカって言いたいわけ!?」

「テメエも大概面倒臭ぇな!?」

「面倒臭いって何よ! 私は……」

 

 そこで言葉が途切れる。四条眞妃は考え込むように、しばらく焦点の合わない目を宙にさまよわせた後――

 

「私って、そんなに面倒臭い女なのかな……」

「いきなり気落ち!?」

 

 強気な様子はどこへ置いてきたのか。彼女は暗い瞳を下に向けて目じりに涙を溜めて語気を下げる。その緩急つけた切り替わり様は、宗司が思わず声を上げて困惑するほどに衝撃的だった。

 

「ほんと、こういうところが面倒臭いんだろうね……」

「テメエさっきまでの強気どこ行ったの……? あぁ、もう。話くらいなら聞いてやるから、そんなシケた面するな」

「うん……実は」

 

 話をまとめるとこうだ。

 

 親友の手助けにと思いボランティア部に入ったはいいものの、部室から少し出て帰って来てみれば、そこで彼女の親友と想い人がイチャイチャとキスやら愛の言葉を囁いていたのだとか。そんな空気に割って入るほどの度胸もなければ、親友としてその幸せを壊したくない思いもあって、今こうしてその場の空気から逃げてきたのだという。

 

「……そうか。大変だな」

「何よ、他人事みたいに。あんたなら、こういう時どうするわけ?」

「俺? さて、ねぇ」

 

 彼女の横に腰を下ろし、顎に手を添えて、目をスッと細めて考える。自分なら、そんなシチュエーションにどう対応するか。堂々と割って入るか、わざとらしく足音を立てて「帰ってきましたよ」と伝えるか、それとも何事もなかったかのように立ち去って、後でメールのひとつでも寄越すか。

 

「確か、テメエの親友って柏木、とかだっけ? 経団連理事の孫とかいう」

「そうよ。それが何?」

「いや、カタギの人間かどうか知りたかっただけだ。まぁ、それなら話は簡単だ」

 

 テメエと同じだな、と宗司は呟く。

 そんな答えに、四条眞妃は目を丸くして宗司を見るが、彼は気にした風もなく言葉をつづける。

 

「あくまで俺はだぞ? 俺はこれでも極道だ。真っ当な生き方できる人間じゃねぇし、カタギ様より誰かを幸せにできるって自惚れてるわけでもねぇ。相手がカタギなら、身を引くってのが筋ってモンだろ」

「は? 何よそれ。自分が極道だから身を引くですって? そんなの、自分の立場を言い訳に逃げてるだけじゃない。だっさ」

「……切れ味抜群だな、おい」

 

 はぁ、とため息をひとつ。肩を落とした宗司は脱力したまま、まばらに青の差す曇り空を見上げた。

 

「テメエの言う通り、逃げだよ。この一年半とちょっと、ずっと逃げてきた」

「ふーん。あんたと一番縁遠い言葉だと思ってたわ」

「バカ言うな。俺たち極道は、端から(タマ)張る覚悟で肩まで浸かってる。そこまでくりゃ、お互いに遠慮もねぇ。でもな、カタギは違ぇんだよ」

「つまり、極道なんて大層な肩書背負ってるクセして、愛する人の命背負う覚悟がないってわけじゃない。あんた、図体のわりにちっぽけね」

「……耳が痛ぇや」

 

 胸に突き刺さる言葉が、妙に心地が良かった。これだけ気持ちの入った忠言を彼に向ける人間なんて、今までほとんど居なかった。自分と向き合うための言葉は、不思議と反論する気になれない。彼女が言えば、説得力が違う。

 

「ま、私もあんたに言えるほど度胸ないけど。逃げてきたわけだし」

「……極道じゃねぇんだ。突っ張り続ける必要もねぇだろうよ」

「何言ってんの。恋に極道も何も関係ないわよ。恋ってのは、突っ張り続けた人間が勝つの」

「なるほど、な」

 

 ――あぁ、イイ女だ。

 宗司が横目でチラリと見てみれば、張りぼての凛々しさに顔を染めて、まっすぐどこかを見つめる彼女が目に映る。

 

「俺は、そこまで強くなれねぇわ」

「ほんと、見た目に寄らず弱い人間だこと。私はあんたと違って、鋼の心を宿してるの。最初から強度ってのが違うのよ」

「テメエの場合、熱した鋼って方が近い気がするけどな」

「あら、よくわかってるじゃない。あんた、人を見る目は確かなのね」

「じゃなきゃ今頃、後ろから刺されて墓の中だよ」

「え、なにそれ怖い」

 

 尚、墓の中というのはあながち冗談でもない。次期会長は自分だと宣言したあの日から、人並み以上の警戒心、観察眼がなければ生き延びられなかったのは間違いないのだ。引いている四条眞妃に対して、宗司は返す言葉を持っていなかった。

 

「何て言うか、妙なところでチグハグね」

「……あ?」

 

 彼女の言葉に、自然と顔と注目がそちらに向いた。

 四条眞妃は堂々とした真っ直ぐな瞳で、宗司のことを見つめて言う。

 

「あんた、さっきの話。もしもお互いに極道なら、どうしてるわけ?」

 

 それは試す様に、上から投げかけられた質問。しかし、興味津々というよりは、当たり前のように向けられる視線。何気のない雰囲気。どれも取り繕われて、まるで天気でも聞くような質感の言葉。

 

「決まってらぁ」

 

 ミシ、と空気が軋む。彼我の存在する空間がズレるような、捻じ曲がるような圧迫感が、その場の空気に圧し掛かる。

 突然の変貌に、しかし彼女は驚いた様子はない。感心したように目を丸くして、へぇ、と小さく言葉を漏らすだけだ。

 

「一切合切、奪い取る。ダチだろうが兄弟だろうが、手は抜かねぇ。力の限り、奪い尽くす。それが俺たち極道者の筋ってモンで……俺の、礼儀だ」

 

 元来、男の大きな声(ツッコミ)にも怖がるほど繊細な四条眞妃は、その姿に恐れを抱かなかった。代わりに、ただただ感心させられる。――同い年なのに、凄い貫禄じゃない、と。

 

 なるほど、これが「郷原会」次期会長に最も近い男の器か、と。

 抜き身の刃の鋭さというよりも、それは納刀された名刀のような重さを感じさせる。悪く言えば爺臭く……よく言えば、成熟している。

 

「わかってたけど、噂って当てにならないものね」

「拍子抜けか?」

「まさか」

 

 首を横に振って、彼女は口元に弧を描く。挑戦的に、自信満々と、妙に四条眞妃らしいと思わせる小憎たらしさと愛らしさを兼ね備えた笑顔を向けて。

 

「イイ男じゃない。まっ、表向きは頼りないけど?」

 

 そんな彼女の言葉に、宗司は苦笑を浮かべるだけにとどめた。

 そうしてしばらくの空白の時が流れて、彼女はふと口を開く。

 

「……あれ? 何であんたの恋愛観を聞いてるんだろ」

「さぁ? そういう日だったってことだろ」

「あんたが女々しいからよ。あー、もう。愚痴聞いてもらうつもりだったのに。消化不良だわ」

「なら、今からでも話すか?」

「気分じゃないわ」

「だよなぁ」

 

 何とも言えない空気が両者の間を漂った。甘酸っぱいとか、気落ちしたとか、そんなものではない。例えるなら、カレーだと思って食べたものがハヤシライスだった、といったような。形容し難い微妙な残念感。

 

「あっ、やっと見つけた。マキー!」

 

 少し離れた場所から、柏木渚が彼女に手を振って近づいてくる。隣には件の男の姿もある。

 

「お迎えか。じゃ、俺は帰るわ」

「あっそ。あんた、渚とか狙ってみない?」

「あんまタイプじゃねぇわ。じゃあな」

 

 ベンチから立ち上がって、郷原宗司はその場から立ち去った。

 後に残された四条眞妃。彼女に近づくや、柏木渚は少し慌てたように、彼の背中と彼女とを交互に見て口を開く。

 

「今の、郷原くん? マキ、何かされなかった? 大丈夫?」

「あー、うん。ちっぽけな男よ。私が何かされるわけないじゃない。まったく、渚は変なところで心配症ね」

「でも、郷原くんって……ほら、噂とか凄いからさ。マキちゃんが心配だったんだよ」

「噂、ねぇ」

 

 宗司の後姿は、もうどこにもない。校門を後にしたのだろう。

 堂々としているくせして、雲みたいな人間だ。

 

「あいつ、そんな御大層な男子じゃないわよ。話してみたけど、小心者ね」

「えっ、そうなの?」

「意外……もっと怖い人だと思ってた」

「ま、あんな凡人の話なんていいのよ。それより――」

 

 もう一度、宗司が去った後に目を向けた後。

 四条眞妃は今度こそ、背中を向けて二人と共に歩き出す。柔らかい、日常の空気が流れ込んでくる。

 

 

 

 空は相変わらず、合間に青の差す曇り空が広がっているのであった。

 

 




気分と共に、期待に応えられるくらいには頑張りますとも

四条眞妃の二人称を「アンタ」→「あんた」に修正(2020年5月23日)


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第四話 二度と面見せるな(表)

誤字報告、感想、評価、たくさんのお気に入り登録などなど、皆様まことにありがとうございます。

軽いチェックは済ませておりますが、まだまだ至らぬところがあり、読者の皆様に非常に助けられているこの頃。本当に、感謝しております。

そんな私が返せるのは、投稿くらいのものですが。
今回も、どうか楽しんでいただければ幸いです。

それでは、本編をどうぞ





 鏡に映る自分の顔が大嫌いだ。

 いつも、鏡の前では眉間にしわが寄る。親の仇でも見ているような瞳が、自分自身を見つめるあの感覚が嫌いだ。

 

 鏡を見る度に、反吐が出る。

 握りこぶしに爪が食い込み、血がにじむ。気づけば口の端から紅の雫が滴り落ちる。

 

「二度と面見せんな」

 

 独りのとき。鏡から離れるときの捨て台詞は決まっている。

 その捨て台詞が、自分と向き合う憂鬱な時間を終わらせる合図。

 

 身嗜みさえ整えられれば、誰が鏡など見るものか。

 

 ――この生き恥、墓まで付き合う定めなれば

   せめて、その傷口に雪ぐ生き様を積み重ねよう――

 

 

 

 

 

 

「チッ」

「あぁ?」

 

 私立秀知院学園、その廊下でまさに一触即発の空気が張り詰める。

 

 舌打ちをしたのは、広域暴力団「龍珠組」組長の娘、龍珠桃。眉根を寄せて不機嫌な顔を隠そうともせず、すれ違おうとした相手の顔にガンつけた上での舌打ちは、もはや喧嘩を売っているも同然の行いだった。

 舌打ちに苛ついた声で返したのは、「郷原会」現会長の孫、郷原宗司。すれ違っただけだというのに、いきなりガンつけられて舌打ちまでされる心境は、当然穏やかではない。睨み返し、視線が激突すれば、自然と足が止まる。

 

「言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうだ? クソ娘」

「はっ、たかだか小娘の舌打ちにムキになって、器が知れんぞ」

「器? 御大層なこと語るようになったじゃねぇか」

「次期会長候補がこれじゃあ、なぁ? クソ親父が過労でぶっ倒れるのも時間の問題だろ」

 

 声の大きさこそ、むしろ他の喋り声より小さいくらいだが。

 そこに込められた力は、お互いに万力で相手を捻り潰そうとする勢いが込められている。明確な攻撃性がありありと浮かんでいる。その雰囲気は周囲を侵蝕していき、周りの生徒が遠巻きに思わず固唾を呑んで成り行きを見守ってしまうほどの影響力がある。

 

「龍珠組長には、迷惑掛けねぇでやってる」

「迷惑掛けないで? 鏡見てその言葉、吐き出せんのか?」

「……チッ」

「けっ。その汚ぇ面、二度と見せんな」

 

 険をまとったまま、龍珠桃は郷原宗司の横を通り過ぎていった。その様は、触れれば破裂する風船のように、怒りで膨らんでいる。龍珠桃が歩くだけで、人の壁が彼女を避けて割れていく。

 

「……くそったれが」

 

 残された宗司は、顔に持っていこうとした手を寸でのところで止めて、力強く握りしめながらその拳をおろす。やり場のない怒りは、龍珠桃と同じく彼の中で膨らんで、それを隠そうともせず歩き始める。自然と、彼の通る道は彼女と同じように割れていく。ありふれた表現をすれば、モーセの奇跡のようだといったところか。

 

 両者の様子は、まるで鏡映しのようにそっくりで。

 お互いがお互いに、怒りに顔を歪めているのであった。

 

 

 

 

 

 

「……宗司が?」

「はい。さっき龍珠先輩とすれ違ったときなんて、生きた心地しませんでしたよ。こう、なんていうか。あの二人だけ殴り合いしてるみたいに怖いんですよ!」

 

 生徒会室に石上が持ってきた一報は、生徒会長の白銀御行として無視できるものではなかった。どうやら、その二人を起点に学園中の空気が重苦しくなっているというのだ。

 

「会長、なんとか龍珠先輩から話聞いてくれませんか? 宗司さんの方は僕から聞いておくので」

「龍珠から、か……」

 

(本当に聞いていいのか? この二人が険悪って、明らかに極道関係。……だが、家の事情を学園に持ってこられて雰囲気を悪くするのは、生徒会長として見過ごせないし)

 

 逡巡は一瞬。白銀はペンを置いて立ち上がる。

 

「わかった。龍珠の方は俺が何とかする。石上は、宗司の方を任せた」

「はい。あっ、龍珠先輩は多分、屋上の方に行ったと思います」

「わかった。……おそらく極道関係だから、踏み込み過ぎないようにな」

「えっ、ちょ、それ聞いてな――」

 

 慌てる石上を一人置き去りにして、白銀が向かうのは彼に言われた通り屋上だ。やはりというべきか入り口は開いている。扉に手をかけて、開いてみれば――

 

 吹き抜ける秋風が頬を撫でる。冷水でも浴びたかのような感覚に、意識がより鮮明に研ぎ澄まされる。

 

 

 

 屋上の端に腰かけて、龍珠桃はそこから下の様子を窺っていた。

 石上の話では苛立っている、雰囲気が違うという話だったが、今は微塵もその片鱗を感じさせない。切り替えができたというのであれば、白銀からこれ以上お節介を焼くのは藪蛇というものだが。

 

「龍珠、話がある」

「……お前か。ま、そりゃそうか」

 

 龍珠はチラリと白銀の方を見たかと思うと、すぐに興味が失せたようにまた下の様子に注力し始めた。

 

「話ってのは、次期会長候補のクソ野郎の事だろ? なら、首突っ込むな。これは私とあいつの問題だ」

「それでまた学園の雰囲気が悪くなったら困るからな。何で、宗司とそんなに仲が悪いんだ?」

 

 白銀は知っている。龍珠と腹の探り合いなど無駄だということを。婉曲に聞けば、婉曲にしか返さないのだ。だから、要件は真っ直ぐに。端的に口にしている。

 

「別に、仲が悪いってワケじゃねえ。ただ、あいつの顔がクソうぜえってだけだ」

「……それって、刀傷のことか?」

「――チッ」

 

 白銀には、龍珠と宗司が不仲になったであろう、という時期に心当たりがあった。どうやらそれは当たりのようで、龍珠は不機嫌な様子をあからさまに表に出し始める。

 

「もう一年くらい前だろ? 何でそんなに引きずってるんだ」

「ふんっ、引きずってんのはあいつの方だ。こっちはもうケジメつけてんのに、ウジウジ卑屈になりやがって……クソが」

「……少なくとも、俺は宗司が卑屈には見えないな」

「はんっ、そりゃお前の見る目がないだけだろ」

 

 むっつりと、龍珠は口を閉ざして白銀に注意すら向けなくなった。彼女は学園を見下ろすばかりで、つまらなさそうに顔を固めている。

 

(宗司に刀傷ができる前まで、仲は悪くなかったんだけどな)

 

 お互いに口喧嘩が絶えないのは昔もそうだったが、これほど険悪な雰囲気になるものではなかった。白銀が見てきた二人の関係は、じゃれ合う兄妹のようなものだったのに。

 

(踏み込むべきかどうか。刀傷が原因とか、明らかに極道絡みだぞ)

 

 人様の家の事情に口を挟めるほど、白銀も偉いわけではない。家の事情を持ち込むのも、持ち出すのも、度が過ぎればマナー違反だ。その線引きと、踏み込んでいいラインとのチキンレースが、白銀の中で始まっていた。

 

(極道絡みに触れた時点でアウトだ。お前には関係ない、って一蹴されるに決まってる。生徒会として、なんて言っても……これじゃ、話は聞かないだろうな。できるだけ、学園生活の中だけに話を落とし込んで――っ)

 

 ふと、白銀の中に名案が湧き上がる。

 何も、白銀は龍珠に対して「正解」を突きつける必要はないのだ。要するに、相手が話したくなるような土台を作ればいいのである。そこから事情をくみ取って、できる限り解決に導いていく。

 

 正解を言う必要がない。

 つまり、敢えて相手を挑発するために「てきとうなこと」を言ってもいいというわけだ。

 

「何だ、そういうことか。龍珠。宗司にこっ酷くフラれたんだな?」

「はぁ!?」

 

(よし、食いついた)

 

 龍珠の何言ってんだコイツ、という顔に意味が分からないといった叫びを無視して、白銀は涼しい顔で龍珠が見下ろしている景色を覗き込む。

 視線を走らせてみれば――ベンチに座っている宗司の姿があった。目を凝らせば、何とか判別がつく。ビンゴだ。また揺さぶるネタができた。ついでに、その隣に座っているのは四条眞妃だ。

 

(……ん?)

 

 宗司が腰を落ち着けているベンチ。

 その隣に座っているのは、四条眞妃だった。

 

(――あれぇぇぇ!?)

 

 白銀の背中に怖気が走る――!

 本来、白銀の予定としては彼が多大な「勘違い」をすることによって、龍珠が「弁明」しなければいけない状況を作って事を聞こうというものだった。当然、白銀はただ「勘違い」している体なので、真実を語る必要はないし、むしろここで真実を当てると相手がダンマリを決め込んで、事態は進展しない可能性が大きくあった。

 

 故に、ここで白銀が「真実」を語ることはあまりにリスキー。これはないだろ、という可能性と、「勘違い」しても仕方ない、という話題を選んでの行動だったのだが……。

 

(裏目った……! 宗司は居るだろうと思った。だが、隣に石上がセットだと思ったら、よりにもよって――!)

 

 もう一度、よく目を凝らしてみても結果は変わらない。ドがつくほどの近眼が見せる歪みからの勘違い、というわけでもない。

 

 的を射た回答。

 ここで最も恐ろしいのは、怒りによって話を強制的に打ち切られること――!

 

 そうなれば、龍珠の性格からもう二度と話を聞くことはできないだろう。問題解決のアプローチ方法が一つ潰れると考えれば、その損失はあまりにも大きすぎる。

 

 吐いた言葉は飲み込めない。もはや、龍珠からの言葉を待つしかなくなった白銀は、ポーカーフェイスを保ったまま、龍珠からどんな回答が来てもいいように全力で頭を働かせていると。

 

「んなわけあるか! 大体、私から告るだって? 女から告らせるようなタマ無しなんてこっちからお断りだ!」

 

(うっ――!)

 

 白銀、思わぬところでカウンターがボディに直撃――!

 心に浅くない傷を負いながら、しかし白銀は何とか頭を回して口を開く。

 

「だったら、何で宗司の様子を見ていたんだ? それに、隣にいるのは四条眞妃だ。宗司が気になり始めた、とかこの前言っていてな。てっきり、痴情のもつれかと思ったが」

 

 相手から恋愛だと否定してくれたなら好機。今は、彼女の存在を利用できる最大のチャンスと、白銀は言葉で切り込んでいく。

 

「頭の中花畑かよ。あいつが誰に惚れ腫れしようが、知るか」

「その割には、学園の中でいつも穏やかじゃないな」

「……チッ。単に、あいつの態度が気に食わないだけだ。こっちの顔見るなり、顔を歪めやがるんだぞ? うぜえんだよ」

 

 龍珠は腰を上げて、出口に向かう。

 

「それに、宗司の様子を見ていたってところは否定しないんだな」

 

 しかし、すかさず白銀からの追撃を受けて足が止まる。チッ、と心の中で舌打ちをしながら、彼女は振り返って白銀を睨みつけた。

 

「ブッ殺すぞ」

「みっともない虚勢を張らずに、そろそろ話したらどうだ? 場合によっては、力を貸すぞ」

 

 何を言われようが、突っ張る。ここで腰が引ければ、もう二度とチャンスはない。だから白銀はその姿勢を崩さない。隙を見つけては、言葉の刃で切りかかる。

 龍珠も白銀の頭の良さは知っている。ここまで追い込まれては、もう白銀からの言葉は躱せない。白銀相手に逃げる? 龍珠のプライドがそれを許さない。引き際を潰された今、彼女にもまた、突っ張る以外の選択肢がなかった。極道は、舐められたら終わりだから。

 

「お前の言う惚れ腫れじゃねえ。あいつの顔見てると苛つくんだよ。ケジメはつけたのに、女々しく過去を引きずるクソ野郎の面がッ!」

 

 ダン! と屋上の床を踏み鳴らす。その顔は、ただ怒りに染められて歪んでいた。

 

「あいつはな、正念場に立たされてんだよ。ずっと、ずっとな。もう時間も無いってのに、それなのに、小娘一人のこと気に掛けて尻込みしてる。……あの日、啖呵切ったあいつが、たかが小娘一人のために」

 

 力強く、圧し掛かるような重い声を口にしながら、ズカズカと元の位置に戻ると、彼女はまた学園の様子を――宗司のことを見下ろした。

 

「小っさくなっちまって。みっともねえ」

 

 その瞳は鋭く、冷たく凍り付いていた。

 肌に刺す冷たい風が、龍珠の短めの髪を小さく揺らす。

 

「結局、お前は何がしたいんだ?」

 

 話がぼかされているところを考えるに、極道絡みであることに間違いはない。

 だから、白銀は単刀直入に核心に切り込む。どうしたいんだ、と。回りくどい聞き方は、内情を知らない彼にはもう意味がない。

 

「……場合によっては、協力するんだったな?」

「あまり無茶じゃなければな」

 

 龍珠の確認のような問いに、白銀は頷いてみせる。

 彼女はそんな白銀の頷きを見た後、もう一度、宗司の方を見てから――白銀の方に向き直った。

 

「なら、あのクソ野郎にスケくっ付けるの手伝え。最初の的は、四条のお嬢様でいいだろ」

「……スケ?」

「女って意味だ」

「あぁ、なるほど。宗司と誰かをくっ付ける、ね」

 

 白銀は宗司の様子を見下ろして、ひとつ頷く。とりあえず、龍珠桃の要求は、宗司と誰でもいいから女性をくっ付けることか、と。その最初のターゲットが、四条眞妃というわけだ。

 

「……え? 龍珠とじゃなくて?」

「ブッ殺すぞ。四条のお嬢様だつってんだろ」

 

 苛ついた声を向けられ「すまない」と軽く返す白銀。すぐに切り替えて、スッと龍珠に視線を向けて聞く。

 

「それで、険悪な雰囲気は解決するんだな?」

「あぁ。約束してやる」

「なら、俺も生徒会長として約束しよう。必ず、宗司に彼女を作らせる」

「言ったな? 吐いた唾は飲めねえぞ」

 

 龍珠は涼しい顔でさっさと出口に向かっていく。もう話したくはないのか、特別用がないからなのか。

 

「あ、それと結婚前提の女だからな。頑張れよ」

「――はぁ!?」

 

 後ろから投げかけられた突然の爆弾に振り向くも、龍珠の姿は既にどこにもない。逃げられた、と白銀はその目をさらに険しくして、何となしにベンチにいる宗司の方を見下ろした。

 

「どうしよ」

 

 白銀の途方に暮れた呟きは、誰に拾われることもなく。

 下では、宗司と四条眞妃、いつの間にか合流した石上が集まっている。

 

 とりあえず、あっちがひと段落したら石上と相談しなければと、白銀は深くため息を吐くのであった。

 

 

 




モチベーション、まだまだ続けて執筆したいと思います


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第五話 二度と面見せるな(裏)

皆様の温かい評価、感想などなど、ありがとうございます。
それではさっそく、本編をお楽しみいただければ幸いです


「あー……」

 

 ベンチに背中を預けて、空を仰いでだらしのない声を発する。少しずつ移動するいわし雲と群青が広がる空を見ていると、時間と共に嫌なことを忘れられた。

 

 郷原宗司と龍珠桃の喧嘩というのは、何も今に始まったことではない。いつも、顔を合わせれば何かと憎まれ口を叩き合う仲だった。口では何と言っても、お互いに本気で嫌い合っているわけではない。お互いにただ意地を張って、挨拶のように口にするのだ。

 

 そんな関係が崩れ去ったのは、一年ほど前の話。宗司は今でも、その日のことを鮮明に覚えている。

 

「俺は、何も間違っちゃいねぇ筈なのにな」

 

 強いて言うのであれば、己の未熟こそが最大の過ちだった。

 守ろうとして体を張っても、守りたかったものは気づけばその手からこぼれ落ちていた。

 

「……覚悟の決め時、見失っちまって」

「覚悟ねぇ。何の覚悟よ、それ」

 

 トスン、と遠慮無用とばかりに彼の隣に少女が座り込む。怠そうに宗司が視線を向けてみれば、四条眞妃が我が物顔でそこに居座っていた。

 

「何の用だ?」

「別に。見知った顔だったから、気になっただけよ。で、覚悟って? また極道関係?」

「……いや、極道じゃねぇ。男として、な」

「そ。なら、さっさと覚悟固めなおした方がいいわよ。待つばかりじゃ――私みたいに好きな人と友達をいっぺんに失うわよ」

 

 ズシッと腹の奥底から引っ張られるような実感のこもった言葉だった。言った張本人が顔に虚無を張り付けるものだから、宗司も返す言葉が見つからない。下手に触れない方がいいだろうと、宗司は相手の闇を避けて口を開く。

 

「言っただろ、覚悟の決め時を失った、って。もう遅いんだよ」

「同じ穴の狢ってわけねー」

「……さっきから、いちいち吐きそうなくらい実感こもった言葉だな」

「まあねー、経験者は語るわよ」

「重ぇ……」

 

 ――何でそこに着地するんだ……、と宗司はため息をひとつ吐き出した。

 この空気から脱するには、何とか弁明をするしかないだろう。四条眞妃とは事情が違うんだ、と。

 

「俺は、別に痴情のもつれじゃねぇよ」

「痴情とか言うな」

「……守ろうと体張ったら、どっちも手からこぼしちまっただけだ」

 

 ツッコミを敢えて無視して、宗司は簡潔に語る。それでも、詳細には踏み込まない。恥を触れて回る趣味は、彼にはないのだ。

 

「何それ。やっぱ同じじゃない」

「どこがだよ」

「全部うまくいってない感じが」

「別にテメエは仲悪いわけじゃないだろ」

 

 先日話し合った別れ際。四条眞妃と彼女を迎えに来た二人、件の恋敵と想い人との仲は、傍目からは亀裂が入っているようには見えなかった。

 そのことを指摘すれば、四条眞妃は「わかってないわねー」と口を開く。

 

「惚気とか、あの二人が主体に話して私が聞き役のときに笑うとね、嘘ついてる気分になるんだー。私、別に悪い事してないと思うんだけどねー」

 

 ズシリ、と今度こそ内臓が下に引っ張られるような重圧を覚えた。事情が違うと説明しようとすれば、ドツボにはまった。もうどうアプローチしても着地点同じじゃないのか、と宗司の目から徐々に生気が失われていく。同じくらい、彼女の目からも生気が失われている。

 

「……気持ち、痛いほどわかるわ」

「やっぱりー?」

「自分にとっての最善と筋ってのは、どうしようもない時ほど、反対側にある」

「ほんと、そのとおりねー。私、好きな人か友達かの二者択一よ」

「俺は不義理通して守りたいもの拾うか、筋通して守りたいもの捨てるか、二者択一だった」

「あんたも大変ね」

「お互い様だろ」

 

 どうしようもない鬱屈とした空気がこの場で沈殿する。お互いに、口を開けば大変なエピソードしか出てこない。傷の舐め合いというよりは、お互いに自分から傷を開いて膿を出している様相で、ますますどうしようもない。

 

「――どうやったらそこまで重い空気になるんですか」

 

 そんな空気を流す様に、新たな風が舞い込んだ。宗司が首をベンチの背もたれに垂らしてみてみれば、黒い長髪で片眼を隠した男、石上が立っていた。……声とは裏腹に、その目がキラキラと期待に満ちているのは、気のせいだと思いたい。

 

「石上か。回れ右した方が精神のためだぞ」

「そうね。二人して愚痴吐くだけの地獄よここ」

「ほんとどうしてそんなことに……。じゃあ、ますます聞き専門が必要でしょう? 僕でよければ付き合いますよ」

 

 話し合いに石上が加わった。三人寄れば文殊の知恵という。もしかすれば、この話し合いの着地点を、彼がどうにか修正してくれるかもしれない、と。

 

 宗司は「じゃあ」と先手を打つ。

 

「石上はどう思う? 別に恋愛感情のない女の尊厳を守るために娶るか、そんな不誠実を働かないために女にケジメつけさせるか。どっちが正しいと思う?」

「いきなり重すぎませんか!? ほんとにどんな状況なんですかそれ」

「女とは、まぁ兄妹みたいなマブだと思ってくれ」

「もっと重い!」

「私は後者ね。そんなの、その場しのぎじゃない。そういう感情もないのに娶るなんて、それこそ屈辱に決まってるわ」

 

 石上が足踏みしているうちに、四条眞妃はさっさと自分の答えを提示した。それは女性の視点から考えられた答えだ。

 

「……ちなみに、尊厳ってどの程度のものですか?」

「俺の顔面の傷より重いぞ」

「やっぱり娶るわ。女がそんなことになったら貰い手なんて居なくなるじゃない。男らしく責任とりなさい不調法者」

「えぇぇぇ――!? さっきと真逆!?」

「当たり前よ! こんな厳つい傷より重いなんて、女としての命消し飛ぶレベルじゃない。なら、最初は嘘でもいいわ。でも、未来には真実にしなさい。それが責任を取るってことよ」

 

 最もらしい言葉を並べて手のひらを返した彼女に、石上と宗司は微妙な視線を向ける。しかし、その視線に対して強気に睨み返されれば、もう何も言う気にはなれない。

 

「……僕も、娶ります。もともと兄妹みたいに親しかったんでしょう? なら、好きになれると思います。相手の尊厳守るために、男の見せ所ってやつですね」

「そっか。……そっかぁ」

 

 二人の答えを聞いて、宗司は弱々しく声を上げて――

 

「俺、クソ野郎じゃねえか」

 

 前のめりに倒れ込むように、腰と首を曲げて俯いた。その落ち込み具合ときたら、宗司の周りだけ夜の帳でも張っているかのようだった。

 

「えっ、宗司さんもしかして女にケジメとらせたんですか!?」

「はぁ――!? 何、最低なことしてんのこの不調法者! 今すぐにでも責任とって娶ってきなさい!」

「そんなコロコロと、男が自分で決めたこと曲げて堪るか! 大体、今も別にそういう感情抱いてねぇのに――」

「だったら、相手を好きになる努力から始めなさい! それすら怠るというなら、どうしようもない恥知らずよ!」

「そうですよ宗司さん。相手を傷物にしたんなら、責任くらいとりましょう? 僕も応援しますから」

「お前ら急に結託しやがって……」

「で、相手は誰よ?」

 

 言葉のバットでタコ殴りにされた後、四条眞妃はさっさと宗司に問い詰める。嘘は許さない、と彼女の鋭い視線が突き刺さってくるのが、見ていなくてもわかった。

 

「それ聞いてどうすんだよ」

「決まってるわ。恋のキューピッドになってあげる。だからあんたも早く話しなさい」

「……めちゃくちゃだな」

「早く」

 

(うわ、ツンデレ先輩本気だ)

 

 有無を言わせない気迫。間髪入れない言葉。

 これに、宗司はしばらくの沈黙を保った。本当に、今からどうこう蒸し返していい話なのだろうか、と。

 

 どうすれば、筋を通しながら責任を取れるのか。考えて、考えて――二人との会話を思い出した。

 

「……龍珠だ」

「まだ同じ生徒ってだけマシね。よし」

「龍珠先輩って……えぇ? ちょ、どう攻略するんですか? 手のひら返すような男絶対に嫌いでしょあの人」

「別にいいのよ。後から好きになって告るなら、順序が逆になっても関係ないわ。手のひら返したんじゃないの。後から惚れちゃって、男らしく告白するの」

「うわ詭弁」

「こういう理屈ってのは、納得できればいいのよ」

 

 うんうん、と一人頷く四条眞妃。

 そういうものかな、と懐疑的ながら一応は納得の姿勢を見せる石上優。

 

「宗司さんが乗り気なら、僕も協力しますよ。龍珠先輩とあんな険悪な雰囲気、勘弁してほしいので」

「お前最後が本音じゃねぇか。……まぁ、そうだな」

 

 宗司は顔を上げると、空を見ながら大きく深呼吸をする。目を閉じて、心を落ち着ける。

 ――覚悟を、決める。

 

「……もし協力するなら、約束しろ。今から話すことは、他言無用だ。口外したら、命無いと思え」

「言われなくたって、別に言いふらす真似なんてしないわよ」

「物騒ですけど、まぁ。……会長には話していいですか?」

「いや、やめろ。御行まで巻き込むな。何とか誤魔化せ」

「えぇぇ……」

「今から話すのは、『郷原会』の最重要機密だ。……わかったな?」

「……僕、降りていいですか」

「今更尻込みするんじゃないわよ不調法者」

「……はい」

 

 宗司は周りに人が居ないか、周囲を見回す。奇跡的というべきか、周りには下校する生徒も歩いている者もいない。お誂え向きの状況だ。

 

「今、『郷原会』は次期会長を決める時期に入ってる。詳細は省くが、俺はあと二つ条件をクリアすれば、次期会長としての座に就くことができる」

「へぇ。じゃあ、あんたが見回りしてるのも?」

「そこは関係ない。下手に首突っ込むな」

「はいはい」

「すっごい大事ですけど……え、それと今の話、何が関係あるんですか?」

「いいか、よく聞け」

 

 宗司は、二人に説明する。自分に出題されたあと二つの課題のことを。これを高校卒業までに解決できなければ、次期会長の候補から除外されることを。

 

 重い口調で、ズシリと頭に圧し掛かる言葉の数々。

 

 石上は聞いていくうちに青ざめていき。

 四条は聞いていくうちに、表情を険しくして、最後には「あちゃー」と額に手を当てた。

 

「――と、いうわけだ」

「ちょ、そんなの龍珠先輩振り向かせるの無理に決まってるじゃないですか!? どんだけ言葉取り繕っても、その条件とやらのために無理して選んでるようにしか見えないですよ!」

「加えて、ケジメのこともあるわね。あー、もう。何でそんなグチャグチャになる前にさっさと覚悟決めないのよ!」

「……耳が痛ぇよ」

 

 それでも、そんな話を聞いても。

 四条眞妃は真っ直ぐ宗司の目を射抜き、ベンチから立ち上がる。強気で、自信満々な様子を崩さず「任せなさい」と胸を張って言い切った。

 

「この私と、ついでに石上に任せなさい。必ず、あんたが龍珠桃を好きになるようにしてあげるわ」

「僕、ついでですか。……乗りかかった舟ですからね。僕だって、全力で手助けしますよ」

 

 四条眞妃と石上優は、ベンチにまだ座っている郷原宗司に手を差し伸べる。

 宗司が二人の顔を見てみれば、憎めない顔をしていた。どこから湧いてくるのか、自信に満ちた表情で、瞳は真っ直ぐと、輝いている。

 

「……あぁ」

 

 郷原宗司は、二人の手をとった。どちらも、小さくて、握れば壊れそうなほどか弱く思えたが。

 握り返されてベンチから立たされるときには、不思議な引力が働いた。まるで羽のように軽く、ベンチから引っ張り上げられる。どこからそんな力が湧いてくるのか、宗司にはわからないが。

 

 その力は、何よりも心強かった。

 

「よろしく頼む」

「任せなさい」

「任せてください」

 

 ここに、龍珠桃攻略班が結成される。

 思惑が交差するように擦れ違うが。

 

 それでも一歩、彼は確実に前に進むのであった。

 

 

 

(……会長にどう説明しよ)

 

 そんな三人が一通り話を終えて解散した後。

 石上はひとり頭を抱えて、生徒会室に戻っていくのであった。

 




思惑は交錯する。

四条眞妃の二人称「アンタ」→「あんた」に修正(2020年5月23日)
※「あんた」が正解です。「アンタ」は誤字


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第六話 生徒会のコントラスト

 

「――そっちはどうだった?」

「宗司さんは、龍珠先輩と仲直りしたいみたいですね」

 

 時間は既に夕刻。生徒会室の窓からは紅葉色の残光が差し込んでいる。

 電気もつけていない薄暗い室内。テーブルを挟んだソファーで対面している白銀と石上は、今日手に入れた情報を共有している最中だった。

 

 そんな中で、石上は嘘ではないものの、情報を不自然に思われない程度に伏せて端的に語る。宗司から白銀には秘密だという要望を守るためには、嘘を吐かない範囲で欺くことが最適だ。石上優は、嘘を吐くのが上手くないから。

 

(……それに、会長は後ろ盾がない。いくら宗司さんが頑張っても、きっと限界がある)

 

 宗司が白銀にも他言無用とした件について、石上からの否はない。むしろ、全力で賛成している側である。何の後ろ盾もない白銀が、極道の問題に首を突っ込めばどうなるか。

 極道は確かにカタギに手を出すことは滅多にないが、それはある種、非アクティブエネミー的な側面を持っている。要するに、少しでも刺激すれば全力で牙を剥いてくる。

 

 今回の一件は特に根が深い。次期会長を決めるための事実上の内部抗争。これに、いくら学生といえども加担するような姿勢がバレたらどうなるか――石上もある程度はわかっているつもりだ。

 

(人質、拷問、取引材料、人身売買……最悪、会長の家族にも危険が迫るかもしれない。その点、ツンデレ先輩は家の力でどうとでもなるし、僕は学園内の活動に留めれば、まずバレない。バレずにやっていける。最悪、ツンデレ先輩に泣きつけばいいし)

 

 手を広げ過ぎれば、情報漏洩のリスクが嵩む。万が一に陥れば、護衛対象が増えすぎて首が回らなくなる。いくら事態を進めるための頭脳が欲しいとしても……あまりに、リスクが膨大だ。そんな手、石上からしてみれば有り得ない暴挙だ。

 

「……宗司の方は、前向きか」

「龍珠先輩の方はどうでした?」

「条件を提示してきたよ。宗司と四条をくっ付けろ、だって」

「はぁ――?」

 

 思わず苛つきと困惑の混じった声が出た。しまった、と石上はすぐに切り替え、呆れた風を装って頭を振った。

 

「何ですかそれ。自分とくっ付けるの手伝え、じゃなくてそっち? 宗司さんはともかく、何でツンデレ先輩なんですかね」

(……これ、龍珠先輩も宗司さんを応援してるってこと? え、だったら何であんなに険悪だったの? 宗司さん、龍珠先輩にどんだけ酷いケジメとらせたの!?)

 

 情報が錯綜しているし、圧倒的に足りない。石上は龍珠桃がケジメをとったと聞いただけで、具体的な内容まで聞き及んでいない。本人の名誉も考えて、石上から追及することもなかった。

 

「俺も聞かされていない。大方、俺が挑発したのが原因だろうな」

「挑発?」

「宗司が最近、四条のことを気にし始めている。宗司との痴情のもつれじゃないのか、って」

「……ちなみに、ツンデレ先輩と必ずくっ付けろって言っていました?」

「いや、それがな。四条じゃなくても、女性なら誰でもいいような言い方だったんだよ。結婚前提、って最後に言い逃げされた」

「結婚前提!?」

 

 ポーズだけでも驚いた声を出して、その裏で石上は全力で頭を回していた。

 

(ほぼ確定だ。龍珠先輩は、間違いなく宗司さんのことを応援はしてる。あの人も、宗司さんのことを「郷原会」の会長に就けたいんだ。……自分から積極的に動かないのは、意地? ツンデレ先輩を指名したのは、宗司さんの好みを考えて? 何それ新手のツンデレ? ダメだ、情報が足りない)

 

 石上優が持っている情報だけでは、核心を突けない。どうして龍珠桃が怒っているのか。怒っているのに、宗司に手を貸そうとしているのか。彼が持っている龍珠桃のイメージと、今の行動が結びつかない。

 

 これでもし、石上が白銀と龍珠の話している内容を知っているのであれば。

 彼は限りなく正解に近い答えを導き出せたのに。

 

「ツンデレ先輩と結婚前提で付き合わせるって……そもそも、あの人をどうやって誘うんですか」

 

 石上側からしてみれば、四条眞妃と宗司を誘う理由は幾らでも思いつく。作戦会議といえば、時間の許す限り付き合ってくれるだろう。

 だが、それは白銀が知らない、知ってはいけない情報。だから、石上は白銀に選択権を委ねる(まるなげする)ことにした。

 

「それについてはプランがある」

「え、もう?」

「あぁ。宗司の方を誘うのは簡単だろう。問題は四条というわけだが――ここは少し心苦しいが、柏木の彼氏を利用するとしよう」

「――あ、そういうことですか」

 

 柏木の彼氏とは、四条が今も片想い中の男のことだ。この男が関わってくるということはつまり――

 

「四条には、『押してもダメなら引いてみろ作戦』とでも言って誘うとしよう。嘘にならないように、都合が合えば俺も柏木の彼氏と一緒に二人を尾行する。柏木の彼氏を誘う文句は、宗司と出掛ける四条が心配だから一緒に様子を見てくれないか、でいいだろう」

「……宗司さん、今も学園内だと危険人物扱いですからね」

「あぁ。その悪評を逆に利用する。これは四条にも俺から話を通しておく。まずはとにかく、宗司と交流を重ねて知ってもらうことが大切だからな」

 

(押してもダメなら引いてみろ、か。……これ、龍珠先輩にも応用できるかも)

 

 いくら宗司が龍珠のことを恋愛対象として好きになったとしても、龍珠にその気がないのでは骨折り損のくたびれ儲けだ。何より、期限付きの条件のせいで、龍珠側が恋愛感情もないのに折れなきゃいけない、なんて最悪の事態になるのは、石上から見れば本末転倒もいいところだ。

 

「それ、僕が柏木先輩の彼氏に話通しておきます。同行も、僕が行けば十分でしょう。会長は、龍珠先輩を連れて宗司さんの尾行をしてくれませんか?」

 

 ここで石上、打って出る――!

 一見、ここで龍珠桃が出てくる道理はないように見える。事実、宗司と誰かをくっ付けるだけであれば、龍珠桃を関わらせる必要はほとんどないといえるが。それを覆す理論武装を、石上は用意している。

 

「龍珠を? 必要あるのか、それ」

「女性なら、誰でもいいんでしょう? なら、ここは龍珠先輩も巻き込んで、的を増やしておきましょう。こっちはこれだけ手を焼いているんですから、可愛い意趣返しですよ。龍珠先輩に脈があるなら、ツンデレ先輩が無理だった時に、そっちとくっ付ける方法も模索できますからね」

 

 その理論武装は、普段の石上からは考えられないようなものだった。合理的とは言えども、道徳としてお粗末と言わざるを得ない戦略。「可愛い意趣返し」などと言葉を濁していたとしても、それは変わらない。石上自身が嫌う、モノ扱いのような発言。

 

 しかし、石上の視点は違う。彼からしてみれば本命のターゲットは龍珠桃なのだ。四条眞妃はあくまで協力者。端からそちらは勘定に入れていない。そのせいで生まれた、石上の性格と言動との乖離。

 

「保険か。……わかった。龍珠は俺から誘う」

 

 しかし白銀は石上の違和感に気づかない。それどころか、白銀視点からしてみれば実に合理的と言わざるを得ない。

 そもそも、白銀は宗司と龍珠どちらとも交流がある。その年月は実に1年以上。その間、仲が良い時の二人も、仲が悪い今も見てきている。石上が知り得ない情報を、彼は持っている。

 

 だからこそ、白銀は思うのだ。

 

(――確かに。四条より、まだ龍珠の方が脈ありだろうな)

 

 一度、他の誰かに惚れている相手を惚れ直させるなど。並大抵のことでは無理なことは白銀にだって容易に想像がつく。

 そう考えれば、表向きは龍珠に賛同して四条と宗司の仲を深めさせ、その上で、龍珠を巻き込んでそちらの出方も窺う。そうして時を進めていくうちに、本命の狙いを定める。宗司にプッシュする相手を決めていく。それが、彼にとっての最善。

 

 彼にできる、精一杯の恩返し。

 

「それじゃあ、自分は柏木先輩の彼氏の方を。決行日はいつにしますか?」

「それは宗司と相談してからにしよう。また今度に」

「わかりました。じゃあ、そろそろいい時間ですし、僕はこれで帰りますね」

「あぁ、気をつけて帰るんだぞ。近頃、何かと物騒だからな」

「ははは。まぁ、いざというときは元陸上部の底力、みせますよ」

 

 石上優は、薄暗い生徒会室を抜けて、茜差す廊下を歩く。もうすぐ夜の帳も降りてくるだろう。そうなれば、暗闇の世界が待っている。闇の中には――

 

「――っ」

 

 ぶるり、と身を震わせた石上は早足で廊下を抜け、階段を駆け下り、下駄箱に向かう。早く帰ろう、と。

 

 カツカツ、とせわしない足音が、誰もいない廊下にむなしく木霊した。

 

 




皆様の温かい評価、感想、お気に入り登録などなど。いつも言っていますが、大変励みになっており、更新が続いている今日この頃です。
これからさらに、物語を進めていきながら、「かぐや様は告らせたい」の要素を色濃くだしていければいいなと思いつつ。

出来る限り、更新を早めにしていきたいと思います。


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第七話 恋愛戦略 序

皆様の温かい感想、コメント、そしてせめぎ合う評価、大変心の支えになっており、また反骨精神燃やさせていただいております。この場を借りて、感謝を。

また、一時は日間7位に浮上していたこと、重ねてお礼を申し上げます。

今の結果に甘えず、皆様にご満足いただけるクオリティの投稿を、これからもしていきたいと考えております。

今回の第七話は、長くなり皆様をお待たせしてしまうので、分割して投稿をさせていただきます。

それでは、本編をどうぞ。





 ――デート

 それは交際した男女がより仲を深めるための通過儀礼。あるいは、意中の相手を射止めるための最後の一歩。仲睦まじい男女がおしゃれをして、街に繰り出し、楽しく遊ぶ。青春の一ページに相応しい、輝くイベント。

 

 今日のデートの主役は二人。

 女の方は四条眞妃。髪を下してミディアムロングにした彼女は、その毛先にウェーブをかけている。服装は柔らかい白のVネックの上からピンクベージュのテーラードジャケットをまとい、下は明るめのジーパンを履いている。全体的に大人びた印象を持たせるファッションに、肩から掛ける赤のショルダーポーチを加えることで、彼女特有の大人びた色香をより際立たせている。健康的な色合いをみせるナチュラルメイクに、唇に瑞々しさを描くリップもまた味を出している。

 

 男の方は郷原宗司。髪を軽めのワックスでボリュームを持たせた彼は、顔の傷があって尚、優男といった印象を抱かせる。黒のインナーの上から明るめのグレーのジャケットをまとい、下は白のパンツを履いている。着こなしと髪型が合わさることで、顔の傷から受ける印象もかなり柔らかいものになっていた。

 

「……そこまでマジにキメてくる必要あったか?」

「何言ってんの。翼くんが見てるんでしょ? みっともない格好してらんないわ。そういうあんたは……もう少し厳ついファッションでもよかったんじゃない?」

「職質掛けられるぞ」

「……大変だったのね」

 

 そう、主役であるこの二人。

 ――お互いに本命は自分の目の前の相手ではないのである!

 

 四条眞妃はどこからか見守っているであろう柏木の彼氏こと翼を狙っており。

 郷原宗司は同じくこちらを見張っている龍珠桃をターゲットとしている。

 

 今回のデートとは、もはや名ばかりの恋愛戦略。お互いがお互いの狙いを射止めるために利害が一致しただけの、青春の初々しさもそこに含まれる甘酸っぱさも全くない、そんな駆け引き――!

 

「まぁ、そんだけイイ女になってりゃ、翼ってやつも心動くだろ」

 

 この男、ポーズではなく本心からそう言っている――!

 自分の狙いは龍珠だと思っている故に、兄妹、あるいはマブダチ感覚で本心を気軽にこぼしている。傍から聞けばただの口説き文句に聞こえるが、本人にその自覚はまるでない。

 

 ――つまりこの男、四条眞妃を女性として見ていないのである。

 

「へぇ、細かい気遣いもできるじゃない。ま、あんたはもう少し厳つい方がよかったかもね。そっちの方が好きそうだし」

(ほんと、ほんとに? ……ほんとっぽいわね! もしかして、もしかするの? えっ、髪型ってこっちの方が実はよかったの!?)

 

 この女、強気な姿勢の裏で実は心を大きく弾ませている――!

 ただし、目の前の男に心を弾ませているのではない。彼女が心を弾ませる相手は、今この場にいないが、見守っているであろう想い人に対して。ナチュラルに指摘しているのは、ただの友達思いからの助言であり、けっして彼女の好みというわけではない。

 

 ――つまりこの女もまた、郷原宗司を男性として見ていないのである。

 

「いや、俺はこれでいいんだよ。思いの外、アイツは厳つい面よりこっちの方が好みだからな」

「そうなの? 何か意外ね。極道の娘っていうなら、貫録とか強面の方が感性に合うのかと思ってたわ」

「いや、まぁ否定はしねぇけど。年中厳つい面とか、見たくねぇだろ」

「あー、確かに。メリハリが大切ってことね」

「そういうことだ。じゃあ、まずはどこ行く? 俺としちゃ、服屋は今日のうちに行きたい」

「んー、それなら私は雑貨屋とかに寄りたいわ。先にそっちでいい?」

「はいよ。じゃあ行くか」

「今日は引っ張りまわしてやるから、覚悟しなさい」

「俺の方の用事も忘れるなよ?」

 

 そんな軽口を叩き合い、彼と彼女は街の中に躍り出る。

 彼女が前に、彼は後ろから付き添うように。

 

 ――恋愛戦略(デート)はもう始まっている。

 

 

 

 

 

 

 一方、石上と柏木の彼氏はというと。

 

「……何だか、思ったより優しそうな人だね。学校だとめちゃくちゃ怖いけど」

「まぁ、あれですね。あんまり厳ついファッションすると、職質掛けられるってぼやいていたの聞きましたよ」

「あー……警察の人の気持ちがすごいわかる」

「共感するのそっちですか」

 

 お互いにカジュアルな服に身を包み、いかにも友達と遊びに来てますよ、といった体を装っている。適度な距離で、二人で何かを話し込んでいるふりをしながらの監視。風景に溶け込んでいるその姿は、私服警察もかくやといった自然体だ。

 

「マキちゃんも凄く気合入ってるなぁ。あんなにオシャレしてるの初めて見た」

(ツンデレ先輩……)

 

 何を話しているのかはわからないが、仲は良好のようだ。お互いに楽しそうに話し込んでいる。それはデートプランの相談か、あるいはお互いの近況の語り合いか。

 

 そんな中、ふと宗司が何かを口にした後に。

 ――四条眞妃は淡い微笑みを浮かべながら、頬を赤らめた。

 

(――!? え、宗司さん何言ったの!?)

「えっ、マキちゃんあんな風に笑うんだ……俺、初めて見た」

「それだけ仲が良いってことでしょう」

「そうなのかな。俺も、渚も知らなかったなぁ」

(ちょっと、ターゲットそっちじゃないって。わかってるのあの人!?)

 

 尚、これは石上の完全な誤解である。宗司は確かに彼女の容姿を褒めはしたものの、彼女がその表情を浮かべたのは、石上の目の前にいる翼を想ってのこと。決して、宗司にときめいたからとか、そういう話ではなかった。

 

「あっ、行きましたね。僕たちも追いましょう」

「うん。でも、多分大丈夫じゃないかな」

「万が一がありますから。早く行きましょう」

 

 尚、石上はその万が一など「ほぼ」ないと思っているが、ここで翼を逃すわけにはいかないと、心配している風を装って彼を連れ歩く。

 

 まだまだ、この戦いは始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 一方、白銀と龍珠はというと。

 

「何で私がこんなこと……」

「いざという時にフォローするためだ。我慢しろ」

「お前のクソださファッションの隣歩くのが嫌だつってんだよ」

「クソださ――!?」

 

 はたから見れば姉が弟を連れ添って歩いているといった、そんな様相を呈していた。中二ファッション全開な白銀に、パンクな服に身を包む龍珠。方向性は違うが、一見似たような系統の服に身を包んでいるのが、姉弟だと思わせる要因になっているのは間違いなかった。

 

 そんな雑談をしているうちに、ふと四条眞妃が微笑みを浮かべて頬を赤らめた。目を離した一瞬の隙に、特大のイベントが発生したことに白銀は目を剥いた。

 

「い、いつの間に……!? 宗司と四条って、そんなに仲が良かったのか」

 

 思わぬ誤算、と口元を緩める白銀のそれは、完全にぬか喜びである。それを知らずに、彼は「これは安泰かもしれない」と希望に胸を膨らませ――

 

「……帰る」

 

 龍珠はつまらなさそうに様子を一瞥した後、そんなことを呟いて踵を返した。

 

「いや待て」

 

 白銀は龍珠の手首を咄嗟に掴んで彼女を止める。ここで帰られては、せっかくの計画が台無しだ。いくら様子が良好だといっても、何があるのがわからないのが恋愛なのだ。

 ギロリ、と振り返った彼女の、刀の切っ先のような鋭い眼光が突き刺さる。思わず怯みそうになる自分を律して、白銀は堂々と口にする。

 

「ここでお前が帰ったら、宗司と四条がもし喧嘩でもしたときに対策が練れなくなる」

 

 ――この発言に嘘はない。

 ただし、その対策というのがターゲットを四条から龍珠に切り替える、という可能性が浮上するだけの話。絶対ではないし、嘘もついていない。場合によっては、四条と宗司を応援し続けるのだから。

 

「私は必要ないだろが」

「いいや、必要だ。……それとも、逃げるのか?」

「はぁ?」

 

 心底意味が分からない、といった顔に声。さらには挑発されたことに対する苛つき半分。しかし、それで注目を引けるのだから白銀にとってはまだやりやすい手合いだ。

 

「くっ付けたいと言い出したのはお前だろ? それを最後まで見届けず、自分はのうのうと他のことをするなんて、無責任にもほどがある。俺はしっかり、舞台を用意したんだがな」

(ごねるとは思っていたが、いくら何でも早すぎだろ。うまくいくって確信でもしたのか?)

 

 白銀にとって、龍珠がごねるのは想定の範囲内。ただし、ここまで早いとは思っていなかったが。

 誘いに乗った時点で、龍珠にも何か目的があるものだとばかり思っていた。白銀は少なくともそれが達成されるまでは、ごねないと踏んでいたのだ。

 

「――チッ。人の恋路見てるのが馬鹿らしくなったんだよ」

「いや、人の恋路に首突っ込んでる人間がそれ言う?」

「――!」

(あ、やば。つい本音が)

 

 白銀の言葉に、龍珠は青筋を浮かべて口の端をヒクヒクと痙攣させる。相当頭にきたのか、眼光もより鋭くなり、空気が一段とまとわりつくように重くなったように感じる。

 

(やっば。どうしよ。これ以上龍珠を挑発しても無理だろこれ。完全に頭に血が上ってるな)

 

 もはやなるようにしかならない。悟った白銀の諦観は、彼に動じない姿勢を与えていた。もうどうにでもなれ状態である。

 諦観は時に、勇気よりも強固な姿勢を与えるのだ。

 

 ――すぅ、はぁ、と。

 白銀が諦観から、あくまで堂々と突っ立っていると、龍珠が怒りの表情を引っ込めて呼吸を落ち着けた。青筋も、口の端の痙攣もすっかり鳴りを潜めて、彼女はさっと白銀の手を振り払った。

 

(……やっぱダメか?)

 

 しかし、そんな白銀の思いとは裏腹に。

 龍珠は再び踵を返すと、さっさと前に進み始める。

 

 突然の行動に、白銀は目を丸くして立ち尽くす。そんな白銀に振り向くと、龍珠は顎で自分の目の前を差して口を開く。

 

「行くんだろ。さっさとしろ」

(お前が帰るとか言い出したんだろ)

 

 同じ轍は踏まない。今度こそ、心の中だけに留めて、表情にも出さず、白銀はいたって平然とした様子で龍珠の後についていく。

 少し周りを見てみれば、既に先ほどいた場所に宗司と四条はいない。

 

(やっと移動か)

 

 白銀と龍珠は歩みを進める。

 口数少なく、雰囲気も重く、不和のにじみ出るこの状況の中でも、二人は目的をほぼ同じくして足を動かすのだ。

 

 

 

 

 

 

「それにしても、優も回りくどいことするわねー」

「あいつも、あいつなりに全力で考えた結果だろ」

「別に悪いってわけじゃないわよ。むしろ感心してるわ。昨日の今日でプラン持ってきて、時間掛かっても綿密に実行に移せるあたり特に」

「妙なところで向こう見ずだからな」

「確かに。あっ、これ可愛いわね」

「……ぬいぐるみ? こりゃ、既製品か」

「こんなとこにオーダーメイド品が置いてあるわけないでしょ」

「いや、いいところのお嬢様でも既製品を見るんだなって」

「そんな箱入り娘みたいに言って。私を何だと思ってるのよ」

(いやドが付くほどの箱入り娘だろ)

 

 雑貨屋の中。興味の湧いた小物を手に取って、置いて、また手に取って。そんなことを繰り返しながら、四条眞妃と宗司はおよそデート中とは思えない色気のない会話を繰り広げている。恋人や両想いの異性の初々しい会話というよりは、気の知れた友達との何の気ない会話の様相だ。

 

「それにしても、男友達と出掛けることになるなんて思ってもなかったわよ」

「俺も、少なくともテメエと二人で出掛ける、なんてことになるとは思わなかったな」

「ほんと、どういう因果かしら。ま、これはこれで楽しいけど」

「気心知れてた方が、変に遠慮もないからな」

「あんたに遠慮って言葉があることに驚きだわ」

「カタギ様相手には腰が低いぞ」

「それは尻込みって言うのよ不調法者」

「買わないのか?」

「買ったら荷物になるじゃない。後でまた欲しかったら寄るわ」

「荷物持ちぐらいやるけどな」

「そう? うーん、どうしようかしら。――ところで、ほんとに来てるの? 翼くん、それとあんたのお目当て」

 

 悩むそぶりを見せながら、彼女はそっと小声でつぶやく、辛うじて、肩が当たるほど近くにいた宗司だけには聞こえる声量。それに宗司もまた小声で「あぁ」と答える。

 

「一組は向かいのカフェ。もう一組はのんきにそこら辺回ってるぞ」

「え、何で位置までわかるの」

「視線で大体わかる。鉄砲玉ほどあからさまじゃないけどな」

「鉄砲玉?」

「殺し屋のこと」

「……あんた、どういう生活送ってんのよ」

「これでも極道だからな」

「はー……抗争とやらに巻き込んだら責任取りなさいよ?」

「何の責任か知らねぇが、指一本触れさせねぇから安心しろ」

「そ。頼りにしてるわよ、ボディーガード」

「そんな真っ当な仕事に就いた覚えねぇけどな」

 

 結局、雑貨屋は冷やかすだけに終わり、二人が次に足を運んだのは紅茶の専門店だ。

 本格的ないいお値段の茶葉にハーブティー、専用のポットやカップ&ソーサーが置いてあり、どれもデザインは女性受けしそうな明るい色彩で満ちている。店の壁がガラス張りになっており、開放感があることも内装をオシャレに思わせている。

 

「あった。これが欲しかったのよね」

「……時計草(パッションフラワー)って、いや、ほんと大丈夫か? 思い詰めてるなら相談くらいいつでも乗るからな?」

「何を妄想しているのか予想できるのが腹立たしいわね。別に鬱とかじゃないわよ。前に優が振る舞ってくれたのが美味しかったから、買ってやるだけよ。……というか、あんたも詳しいのね」

「一応世話になったことがあるからな」

「……辛かったら相談に乗るわよ?」

「何を想像してるのか俺は知らんが、相談に乗ってもらってる最中だし問題ない」

「あんたも大概苦労してるわね」

「お互い様すぎて涙出てくるわ」

 

 この店での買い物はすぐに終わる。ついでとばかりに宗司も彼女と同じ物を購入すると、露骨に呆れたような困惑したような視線を向けられるものだから、彼も苦笑を返すしかない。

 店を出れば、さっそく彼女はため息を吐いて口を開いた。

 

「世話になったって、今も世話になりっぱなしじゃない。あんたほんとに、ほんとに大丈夫なの?」

「美味いから買っただけだっての」

「どうだか。あんたの話聞いた後だと……余計に心配なのよ」

「同じ轍は二度と踏まねぇ。あの日、そう誓ったんだ」

「そう、それよ。……あんた、ちゃんと反省していて、今は行動もしてる。なら、背筋伸ばして堂々としてなさいよ。ウジウジしたって……心ばかりすり減るわよ」

「……テメエの急な落差にも慣れてきたわ」

 

 でも、そうだな――と。

 彼はふと表情をほころばせて、彼女の方に視線を向けて口を開いた。

 

「サンキュ。みっともねぇ姿は、見せないさ」

「……そう。なら、いいのよ」

 

 少し歩いていけば、人混みが多くなってきた。時間はすっかり昼下がりに入り込み、腹の虫も鳴ってきそうだ。空腹感が、腹の中に穴をあけたように訴えかけてくる。

 

「そろそろ飯にするか。どこがいい?」

「んー、せっかくオシャレしてるし、カフェとかで済ませない?」

「オッケー。カフェ、か。となると……こっちだな、良いところ知ってるぞ」

「あら、気が利くじゃない。じゃあ、さっさと行きま――きゃっ」

「――っと」

 

 人混みに押されてバランスを崩した彼女を、宗司は咄嗟に手を握って自分の方に抱き寄せた。そのままバランスを保つために引っ張れば、宗司の力では肩や腕を痛める可能性がある。かといって、力を込めなければ支えるのは難しい。その上、人混みの中で使える場所も限られている。その結果、彼は四条眞妃を抱き寄せることになった。

 

「大丈夫か?」

 

 バランスが戻ったのを確認すると、彼は四条眞妃の肩に手を置いて、膝をついて、視線を合わせて聞いた。

 宗司の瞳は、柔らかく垂れていた。瞳の奥に力はなく、ただ包み込むような柔らかさを持っていた。肩に置かれている手も、ほとんど添えられているだけ。ただし、バランスを崩せばすぐにでも対応できるような、そんな力加減。

 

 まるで抱きしめられているかのような、羽毛布団に身体を包めているような柔らかさを覚える。四条眞妃はそんな父性に似た包容力に――

 

「大丈夫よ。あんたもそんな情けない顔しない。まったく、これじゃ極道じゃなくて、捨てられた子犬ね」

「ひっでえ」

 

 相変わらずの憎まれ口で返した。しかし、口元に浮かべる強気な少女の笑みから、それが本気でないことは宗司にもわかっている。

 

「まったく。――じゃあ、行くぞ」

 

 だから、彼も気取ったように肩を大きくすくめてみせると、すっと立ち上がり、彼女の手をそっと引いて歩き出す。心なしか、一連の動作は妙に早かった。

 

「照れるなら、そんなキザなことしなきゃいいのに」

「聞こえてるぞコラ」

「あら、失礼いたしました」

「……なんだそりゃ」

 

 繋がれた宗司の手は、まるで冷水にでも触れているかのように冷たかったが。

 内から伝わってくる体温はほのかに温かくて、さらにその奥は燃えそうなほど熱くて。

 

 手を引かれながら、彼女は小憎たらしい笑みを浮かべる。

 手を引きながら、彼もまた隠すように小さな笑みを口元に張り付ける。

 

 

 

 ――恋愛戦略(デート)はまだ続く。

 

 

 




次話に続く


四条眞妃の二人称「アンタ」→「あんた」に修正(2020年5月23日)
※「アンタ」は誤表記


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第八話 恋愛戦略 破(表)

暖かい感想、コメント、誤字報告、そして皆様からの多くの評価、本当にありがとうございます。
いつもそれらをいただきながら、どこが悪かったのか、どこをどれくらい描写をすればいいのか。考えさせられながら、執筆を続けております。

今日もまた、満足のいくクオリティになっていれば幸いでして
それでは、本編をどうぞ





 昼下がりのカフェというのは込み合うものだが、宗司が四条眞妃に案内したカフェは、客足こそ多いものの、まだ満席というわけではない。どこか聞き覚えのある落ち着いたクラシックが流れる店内は、おしゃれというよりはレトロを意識した内装になっている。入口とその両隣はガラス張りの窓が設けられているが、他に外の光が入り込む余地はない。本来なら薄暗い店内を、暖色の電球がそっと照らしていた。

 

「私はミックスサンドと紅茶にするわ。あんたは?」

「ナポリタンとマンデリンにする。注文するぞ」

「任せるわ」

 

 二人は比較的明るい窓側の席――ではなく、入り口から真っ直ぐいった奥の席に陣取っていた。席選びの基準は、外から一番様子が見えやすい席がここだった、というだけである。他は仕切りや壁が影になって、外からはほとんど見えないのだ。

 

 これはあくまでデートと言う名の恋愛戦略。二人で楽しむことではなく、二人が各々の意中の相手を落とすことが目的なのだ。

 

 店員を呼び止めて注文を終えれば、四条眞妃から呆れたような視線を向けられていた。何だ、と宗司が口を開かず視線だけで返せば、彼女は小さくため息を吐いて口を開く。

 

「オシャレなカフェを期待していた私の気持ちを返しなさい」

「良いカフェがあるとは言ったが、オシャレとは一言も口にしてないぞ」

「これはこれで味はあるけど、傍から見たら色気が足りないと思うのよね」

「調子づいて色気出すより、堅実にいった方が親しく見えるだろ」

「それって友達としてじゃない?」

「むしろ長年付き合ってる感じを出せるだろ」

「そういうものかしら」

「そういうもんだ。……何より、ここの味は間違いない」

「へぇ……? 言っておくけど私、味にはめちゃくちゃうるさいわよ」

「俺はまったく心配してない」

「ずいぶんと自信満々ね。その自信、もうちょっと自分につけなさいよ」

「……善処する」

 

 耳が痛い、と彼は肩を小さくすくめてみせる。

 彼女はそれを見て呆れたように視線を向けて、再びため息を吐いた。

 

「――それで、あんたは好きなところ見つけたの?」

「は?」

「龍珠桃の好きなところよ。まさか、サボってたワケじゃないでしょうね?」

「……その話か」

 

 思い出した直後、宗司は苦虫を噛み潰したような顔になって、自分のお冷に視線を落とした。

 

「……まさか、あんた」

「仕方ないだろ。今更、新しい発見なんてあるわけねぇだろ」

「はぁ――?」

 

 声をこそ控えめだったものの、四条眞妃は心の底から呆れたような声音と、鋭い視線を宗司に向けた。

 宗司も宗司で、そんな声と視線を向けられても、と苦い表情のまま言い訳のために口を開く。

 

「俺とあいつは3歳の時からの付き合いだぞ? ……そりゃ、ずっと一緒だったわけでもないし、むしろ疎遠だったけど。中三になってからは、四六時中って言えるほど一緒に居た。それが一年半ぐらい続けばなぁ」

「たかが一年半じゃない」

「とはいっても、飯も寝床も一緒だったし、俺の実家に我が物顔で居座ってたし」

「寝食を共にする、をまさに実践してたわけね。何よ、それなのに色気のある話ひとつないわけ?」

「ない」

 

 なにそれ、と四条眞妃は呆れとも落胆ともつかない表情を浮かべた。

 

「こう、トラブルとかないわけ?」

「トラブル?」

「ほら、お風呂でうっかり鉢合わせちゃったり。お風呂上がりの様子に目を奪われたり。親にからかわれたり」

「……」

 

 彼女の言葉に、宗司の雰囲気が変わる。今までの軽快な様子が嘘みたいに鳴りを潜め、代わりにズンと重石のような空気をまとって、深い、深いため息をついた。

 

「……急に落ち込んでどうしたのよ」

「嫌なこと思い出した」

「嫌なこと?」

 

 あぁ、と反応するも宗司は声だけだ。頷く気力さえ失ったのか、彼はぽつりぽつりと語り始める。

 

「あったよ。風呂で鉢合わせ」

「ハレンチ極まりないわね不調法者」

「テメエが話振ったんだろが。あとまてや。風呂入ってたのは俺の方だコラ」

 

 声に覇気がない。げんなりと、落ち込んだ様子の声音は、対面にいる四条眞妃がやっと聞こえる程度のものだった。ちなみに、彼女の理不尽極まりない罵りは半分冗談である。

 

「……なんかオチ読めたわ」

「聞けよ。それでさ、俺が風呂から出たタイミングで、脱衣所で鉢合わせてな。あいつ、どんな反応したと思う?」

「可愛らしく、顔でも赤らめてくれればいいなぁ」

 

 四条眞妃はヤケクソ気味に願望を口からこぼした。当然、それが現実的じゃない雰囲気は感じ取っている。話を聞いているというのに、彼女はもう宗司と視線を合わせることができなかった。

 

「……俺を見て、鼻で笑いやがったんだぞ」

「――うん。なんというか、うん。辛かったわね」

「しかも、男の尊厳完全に踏みにじりやがった。あいつ、マジで女なの? 恥じらいとかないの? 本当に色気なんて欠片もねぇよ畜生。しかも出ていかずに、そのまんま俺が居るのに脱ぎ始めてさっさと風呂入りやがったんだぞ? 女じゃねぇよ、あいつ」

「うわぁ……」

 

 その話を聞いて、返す言葉などあるはずもなかった。慰めの言葉も見つからない。男よりもよほど男らしい態度の話を聞けば、もはや色恋云々などと話を絡めることさえ億劫になる。

 

「……これでまだ、あいつを女として見れる要素あるか?」

「ま、まぁ、それは相手の反応じゃない。あんたがどう思うかっていうのはまた別の話よ」

「その言葉、もう一度俺の目見て言ってみろや」

「……」

 

 四条眞妃は目をそらしたままだ。視線から逃げるように、視線を逸らす。

 そんな様子に宗司もまたため息を吐いて、肩を落とす。

 

「……でも、それだったら相手の裸見たんでしょこの不調法者。何かその時に思ったりしなかったの?」

「はぁ? 付き合ってるわけでもねぇ女の裸なんざ見るわけねぇだろ」

「あんた所々女々しいわね」

「せめて堅物って言ってくんない?」

「極道の娘を落とそうとしてる男とは思えないわね。全部奪ってやるくらいの力強さ見せなさい」

「それただのクソ野郎だろ」

「あんた、ほんとに……一体、何に対してそんなに遠慮してるわけ?」

 

 スッと心の隙間から差し込まれるような、鋭い問いと視線が投げかけられる。

 咄嗟のことに、宗司は目を丸くして四条眞妃の瞳を見つめた。さらにその奥を見てみれば……陽炎のように、懐疑の色が揺らいでいる。

 

「遠慮?」

「前から思ってたんだけど。あんた、全然踏み込もうとしてこない。人にはパーソナルスペースっていうのがあるけど、あんたは絶妙にその一線の手前くらいで踏みとどまってる。これって、つまり観察力はあるってことなのよ。相手がしてほしいこと、してほしくないこと、よくわかってる。でも――」

 

 真剣に顔を染めて、そのまなじりを上げて、声音は真っ直ぐに。正射必中の言葉が、彼女の口から飛び出した。

 

「リスク無しで、女を射止めることなんて出来るワケないわ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、宗司は深い、深いため息をこぼした。

 呆れたような、失望したような視線で彼女を見つめると、彼はその重たい口を開く。

 

「勘違いすんじゃねぇ」

「はぁ――?」

 

 視線と視線が激突する。火花が散るほど、お互いの視線は力強く、一歩も引く様相は見せない。彼はそのまま言葉を口にする。

 

「俺はこれでも、『郷原会』会長の孫だぞ? あいつは、その直系二次団体『龍珠組』組長の娘だ。……わかるか? 力関係の差が。俺にその気がなくても、あいつにその気がなくても――俺から告れば、必ず成功するんだよ」

 

 極道の世界の力関係は絶対だ。それに背けば、どんな報いを受けるかわかったものではない。いくら直系二次団体の組長といえども、最悪上から組を叩きつぶされることだってあり得るのだ。だから上の意向に逆らうことはできないし――その孫であったとしても、影響力は絶大だ。特に彼は、今もっとも次期会長に近い男なのだから。

 

「告白が必ず成功する。――その重み、理解してんのか?」

 

 この男にリスクがある? ――とんでもない。

 龍珠桃という女を手に入れるなら、この男の鶴の一声さえあれば、いとも容易く手に入るのだ。リスクもなく、一番手をこまねいている課題を解決することができる。ただしそれは、己のプライドとの交換が必要だが。

 

 継続中の課題に反する? いいや、それもない。課題に抵触しないやり方など、いくらでもあるのだから。無言の圧力、というやつだ。

 

「俺に必要なのは、リスクじゃねぇ」

 

 落ち着いた物腰。頭の上から圧し掛かるような声音。

 座した鬼才の子は、その瞳に傲慢(プライド)を宿して「必要なのは」と言葉を紡ぐ。

 

「――相手の人生丸ごと全部背負い込む、覚悟だ」

 

 宗司には、略奪愛に対する否はない。愛の形にはこだわらない。そこに覚悟さえあるのであれば、大概のことは許容するだけの視野と器がある。

 

「はぁ――」

 

 そんな彼の覚悟と貫禄を、四条眞妃はそよ風でも浴びたかのように、ため息を吐いて受け流した。

 彼女の態度に宗司は眉根を寄せるが、それでも物怖じしない。四条眞妃は、いつもの調子で口を開く。

 

「あんたは遠慮し過ぎなの」

「……話聞いてたか?」

「聞いてたわよ。その上で言ってるの」

「俺のこれは遠慮じゃねぇって話だったんだがな」

「じゃあ、私の言いたいことが伝わってないわね。というか、わざと避けてるのかしら」

 

 お冷を持つと、彼女はガラスのコップを揺らして、カランコロン、と音を立てる。水をそっと飲んで喉を潤せば、そのコップを持ったまま、鋭い言葉を紡いだ。

 

「あんたから踏み込みなさい、って言ってるの。踏み込んで、見つけなさい。相手の好きなところを」

「……」

 

 宗司は視線を落として、お冷に手を伸ばす。よく冷えた水は、喉を通して熱した頭にキンと鋭い刺激を与える。

 

「お待たせいたしました」

「――あ?」

「ミックスサンドと紅茶のお客様」

「あ、それ私ね」

 

 小さく食器の音を立てて、綿あめのような生地に挟まれた色とりどりの具材。ミックスサンドを乗せた白い丸皿と、紅茶のティーポットとカップ&ソーサーが置かれる。宗司にとっては一口サイズ、彼女にとっては二口三口サイズのミックスサンドは、皿の上に計6つ乗っている。

 

「お待たせいたしました、若。こちら、ナポリタンとマンデリンになります」

 

 そんな風に冗談めかして言うのは、20代後半といった見た目の若い男であった。肩の後ろまである髪を首筋で一纏めにゴムで縛り、仕事着のタキシードを纏っている姿は、どこかの執事といわれても納得する気品があった。

 

 その男を、宗司は知っている。思わぬ邂逅に目を丸くするのも一瞬のこと。

 彼はいつもの軽い口調で口を開いた。

 

「……お前、ここでシノギしてたのか?」

「えぇ。若がよく来ると聞いたものでして。護衛も兼ねて、会長からご指示を承っております」

「爺のか。あと、俺は役職も何も持っちゃいねぇ。若はやめろ。むず痒い」

「近い将来は若頭、あるいは会長になるでしょう? 私は、若のことを信頼しておりますので」

「……お前、相変わらずだな」

「お褒めに預かり恐縮です。それでは、ごゆっくり」

 

 四条眞妃に一度視線を向けて、宗司を見ると、彼は恭しく一礼をして、その場から去っていく。宗司からしてみれば、まるで舞台でも見せられている光景に、思わず肩をすくめた。

 

「知り合いなのね」

「あぁ。うちの若頭補佐だ」

「へぇ……どのくらい偉いの?」

「No3だな。……今は若頭が居ないから、実質No2になる」

「それにしては、随分若いのね」

「いや、あれで三十後半だぞ」

「うっそ――!?」

 

 思わず彼女が顔を上げるものの、既に若頭補佐はカウンターの中に引っ込んでいた。彼女の位置からは見えず、視線のやり場を失って――料理に視線を落とした。

 

「……食べましょうか。いただきます」

「あぁ。いただきます」

 

 早速、四条眞妃はミックスサンドを摘まんで一口噛り付く。その様は小動物のような愛らしさがあり、小さな八重歯がよく映えていた。綺麗にメイクを決めていても、その仕草までは変わっていなかった。

 

「――おいしい」

「だろ?」

 

 ふわり、と花のような笑顔が咲いた。トゲがすっかり抜けて等身大となった少女は、触れれば手折れそうなほど繊細で、可憐な花のように、そこに咲いている。

 

 続くように宗司もナポリタンを一口含んで――頷く。やっぱりここの味だ、と。

 

「あ、そっちのナポリタンも美味しそうね。一口くれない? 私のミックスサンドあげるから」

「あぁ。じゃあ、交換な」

 

 宗司は慣れた手つきでナポリタンをフォークに巻くと、自然な動きで彼女の口の前に持っていく。彼女もまた、それを当然のように口を含み、舌鼓を打ちながら口元を綻ばせた。

 

「ん――! いいじゃない。ほんと、美味しいわね。常連になろうかしら。あ、これミックスサンドね、はい、口開けなさい」

「……届くのか?」

「失礼ね、ほら、あーん」

「俺はガキかよ」

 

 ぼやきながら、彼もまた口を開けて、四条眞妃から直々にミックスサンドを渡される。口に含めば、新鮮な素材の食感と、綿のようにふわふわのパン生地、瑞々しい野菜の味が絶妙に合わさって、口の中を踊る。

 

「……美味いな」

「でしょー? ほんと、いいお店じゃない」

「さっき色気が足りないって言ってなかったか?」

「あら、そんなこと言ったかしら。さ、冷めないうちに食べましょう」

「はいよ」

 

 明らかに恋人の距離感のような踏み込み方。それでも、宗司はそれを拒まないし、四条眞妃もそこに違和感はない。

 お互いに、男だ女だと意識しているわけではない。恥ずかしいとは思わない。ただ、友として楽しく食事に舌鼓を打つ。美味しい料理には楽しい話題に花を咲かせる。

 

 そんな当たり前のような光景に、彼と彼女の人間性はよく表れているが。

 傍から見たら、それはどう映っているというのか――

 

 

 

 ――恋愛戦略(デート)は、まだ終わらない。

 

 

 




そして視点は移り変わる

四条眞妃の二人称「アンタ」→「あんた」に修正(2020年5月24日)
※「あんた」が正しい表記


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第九話 恋愛戦略 破(裏)

評価、感想、お気に入り登録などなど、いつもありがとうございます。実のところ、感想やコメントなどは、第三者の視点ということで、特に参考にしていただいていることがあったりなかったり。自分を見直すいいきっかけになっており、大変助かっております。また、モチベーションを維持できるのも、皆様のおかげであります

今回は少し長くなって遅くなりましたが、何とか日を跨がずに投稿できました

それでは、本編をどうぞ






 二人がカフェに入っていく様子を、白銀と龍珠は向かいの通りから確認していた。お互い壁に背を預けて、龍珠はスマホを見るふりをして、カメラ機能を利用して中の様子を探っている。対して白銀は、そんな龍珠のスマホを覗き込み、おこぼれをもらっている状態だ。

 

「雑貨屋だと親しそうだったが……宗司って、あんなに女慣れしてたか?」

「んなわけないことはお前も知ってるだろ。単純に、女として見てねぇだけだろ」

 

 龍珠の指摘を受けて、白銀はまじまじとスマホの中を覗き込む。談笑に花を咲かせているのか、四条の口元は綻んでいるように見える。スマホの機能だと、詳しいことまではわからなかったが、雰囲気は非常に良さそうだ。

 

「……こんなに仲が良さそうなのに?」

「四条のお嬢様ともあろう方が、一朝一夕で靡くワケねぇだろ。なら、あのクソ野郎も恋愛感情なんて持ってるわけねぇ」

 

 まるで確信しているような口ぶりに、じゃあ、と白銀は龍珠に問い掛ける。

 

「どうやったら、宗司は恋愛感情を持つんだ?」

「知ってりゃ苦労しねぇよタコ」

(それもそうか)

 

 プライドの高い龍珠のことだ。解決方法さえ知っていれば、自分一人ですべて事を進めていただろう。白銀に頼ったこと自体、本来ならば有り得ない大事件なのだ。

 

(こいつも、相当追い詰められている筈なんだが)

 

 一体、何が龍珠桃をそこまで駆り立てるのか。白銀にはわからない。龍珠自身からも、宗司からも、そんな情報は開示されていない。石上からの共有情報の中にもない。

 白銀からしてみれば、まるで暗闇の中から目当てのものを手探りで見つけようとするような、どうしようもない浮遊感がある。現実味というものが、伴ってこないのだ。

 

「なら、女として意識させるには?」

「一度別の枠組みで認識されれば、寝食共にしようが意識しねぇ。最低条件、友達だのクラスメイトだのの枠組みに収められる前に意識させることだろ」

「妙に具体的だな」

「口縫い付けんぞ」

 

 情報が圧倒的に足りない。出される情報も、大きなジグソーパズルの一ピースのように、細々としたものばかり。これでは埒が明かない。かといって、不用意なことを言って龍珠を怒らせ、帰ってしまったら最悪だ。

 

「一応、宗司は四条のことを好みだと言ってたんだけどな」

「だから私も、可能性くらいあるかと思ったんだけど」

 

 スマホの中の二人に、大きな動きはない。宗司が手前の席に座っているせいで、奥の四条がほとんど見えないのもまた、様子の伺いづらさに拍車をかけている。

 

「……骨折り損ってこともないかもな」

「何を根拠に?」

 

 突然、龍珠が希望を見せるようなことを口にする。白銀は眉根を寄せながら、内心で首を傾げていた。この様子のどこに、推理のできる要素があるのかと。

 

「こいつは腐っても極道だ。いつ背中から刺されるかわからない、そんな生活が私らの日常ってものだ」

「さらっと怖い事言うな」

「私なら、入り口が見える席を陣取る。鉄砲玉が来てもすぐに目視できるからな」

「鉄砲玉?」

「殺し屋のことだ」

 

 ここまで言われて、白銀も龍珠の言わんとしていることを理解した。

 

「つまり、四条を守るように席を陣取っているってことだな?」

「そうだ。それも、外から見て四条のお嬢様が見えにくくなってる。ちょうど、クソ野郎の背に隠れる形でな。私らのように露骨に位置取らない限り、まず見えない」

「……四条の個人特定も防いでいるのか。でも、それなら窓から見えない位置に座るんじゃないのか?」

「四条のお嬢様が席決めてたし、そっち優先したんだろ。自分が手前の席に座れるように誘導してたのはクソ野郎だしな」

 

 ――龍珠桃の考察、全くの誤解である。

 席選びの基準は、お互いのターゲットに見えやすい場所にしたかっただけである。加えて、四条眞妃を隠す様にというのも、彼女が奥の席から外の景色を見たいからその席になった、ただそれだけである。

 

 ――鉄砲玉の心配?

 宗司も日ごろから考えているが、彼は基本襲撃に遭う前に視線でわかる。入口に背を向けていても、入り口を見ていても対処という意味ではほとんど関係ない。

 

 ――個人の特定を防止した?

 そんな考えを持っているなら作戦関係なしに外から見えない位置に座る。そもそも、誰かと出掛けるなんてことすらしない。

 

「なるほど。自分の安全を度外視にして、四条の気持ちを優先した、と。だから脈ありか」

 

 だが、白銀は気づけない。極道の世界を「そういうものか」なんて漠然と認識しているためにこの男、ズレている。そもそも宗司が女性と交際したらどうなるか、好きになったらどうなるかが全くの未知数。こうした初めてだらけのケースに彼の頭は、ただ目の前の現実を受け入れるしかないのだ。サンプルケースがない以上、疑問を持つ余地もない。

 

 加えて、龍珠桃からの妙に説得力のある言葉の数々。そうかもしれない、と思わせられた時点で、白銀は真実に近づく思考を失っていた。

 

「――あ? 何でここに居るんだ、この人」

 

 龍珠がそう声を上げたのは、二人に料理を持ってきたウェイターが登場した時だ。

 

「知っているのか?」

「……郷原会の若頭補佐だ。若頭不在だから、そりゃ暇なのはわかるが……シノギにしたって、こんなところでチマチマ稼ぐタマじゃねぇんだけどな」

「若頭補佐といえば、確か組織のNo3で合ってるか?」

「合ってる。若頭が居ない今は、実質のNo2だ。……会長の爺さんから何か言われたのか? にしても……キナ臭いな」

 

 龍珠の鋭い視線が、画面の中のウェイターに注がれる。料理を置いた後に、その場で少しだけ止まっているところを見るに、宗司と何か会話でもしているのだろう。それが終われば、男は恭しく一礼をして、踵を返したところで――

 

 ――ニコリ、とカメラ目線で笑顔が向けられる。

 

「うわ!?」

「このくらいで驚くな。若頭補佐だぞ? 私らの稚拙な監視くらい気づくに決まってんだろ」

「……恐ろしい世界だな」

 

 のけぞって冷や汗をかきながら、しみじみと白銀が呟くのをよそに、龍珠は今も画面の中に集中している。若頭補佐は既にカウンターの中に引っ込んで、画面の中にはいない。料理に舌鼓を打っているのか、四条の笑顔がばっちりと映り込んでいる。

 

 そして――その時が来る。

 

「おお!?」

「――あぁ?」

 

 宗司が自分の分を四条眞妃に食べさせて、お返しとばかりに四条眞妃が宗司に食べさせる。食べさせ合い。もう少し頭のねじをとった言い方をするなら「はい、あーん」というやつである。

 それが、あまりにも自然に画面の中に映り込んでいる。初々しさというよりは、熟練カップルのように手慣れた様子が目立つ。

 

「い、いつの間に……! 宗司、いつの間に四条とそこまで仲良くなっていたんだ……!?」

 

 白銀にとって、あまりにも予想の斜め上をいく進展。雷に打たれたような衝撃が足の先から脳みそまで奔り抜ける。一体どうすればそれほど早く相手と仲良くなれるのか。白銀の方から教授を願いたいくらいの大きな進展。

 

「……チッ。どっちも男だ女だって意識してねぇだろこれ」

 

 対して龍珠は不満を隠そうともせず悪態をついた。画面の中を食い入るように見ながらも、声の端々にトゲが生えていた。

 

「はぁ――? 何でそう悪い方に考えるんだお前は」

 

 龍珠の言葉に、白銀はすぐさま噛み付いた。これで進展がないなんて言ったら、一体どうすれば進展だと言えるのか。それは恋人繋ぎか、キスか、それともさらに先の行為だというのか――

 

「頭に花でも湧いてんのか? こいつが恋人でもない好きな相手に、平然とこんなことやれるわけねぇだろ」

「……恋人なら平然とやるのか」

「覚悟決めたら梃子でも動かねぇからな」

 

 宗司のことは、龍珠桃自身が誰よりも近くで見てきた。だから、彼女は自信をもって断言できる。

 

「こいつはまだ、四条のお嬢様を女として見てねぇ」

「だったら、どうするんだ?」

 

 これから一体どうすればいいのか。白銀からしてみれば死活問題だ。せっかくデートという舞台まで設定したというのに成果なしなどと言われては、いくら白銀といっても策が思いつかない。

 

(それとなく四条を褒めて、宗司にアピールするか? でもこれだと俺が四条のことを気にしているみたいに映りかねん。何か……文化祭の準備に絡めて二人を一緒にするか? いや、でも女性として意識していないのは……)

 

 ――郷原宗司に四条眞妃のことを女性として意識させる。

 まだテストで学年1位を取る方が楽だと思えるほどの難問である。

 

(くそ、恋愛感情どころか、異性として意識していない人間同士を恋人にしろって方が無理だろ。そもそも、宗司にやる気がなければ話にならん。四条はまだ柏木の彼氏に想いを寄せている。――そんな状況で、進展なんてするわけないだろ!?)

 

 冷静に考えれば考えるほど詰んでいる。考えられる残りの手としては、吊り橋効果を狙うくらいか。例えば、二人が生徒会室に集まったところでホラー映画鑑賞会を開く。あとは何だかんだで二人きりの状況を作れば、雑ではあるものの効果は見込めるだろう。――宗司か四条眞妃のどちらかが、ホラーへの耐性がなければ、の話だが。

 

「……店出たところをうちの組のモンけしかけてクソ野郎に撃退させるか?」

「いや強引すぎるしバレるだろ」

「ならそこら辺の不良に金でも渡して――」

「どっちにしたってやめような!? お前自分が何言ってんのかわかってる!?」

「鉄砲玉で吊り橋効果狙おうって話だろ?」

「それやるの人として終わってるから!」

「……まぁそりゃ、あのクソ野郎は加減知らないから、不良が全治数ヶ月のケガしてもおかしくないな。さすがにやり過ぎたらドン引きされるか」

(そういう問題じゃねーよ!)

 

 人としてやっちゃいけないラインがあるだろ、と白銀は心の中で咆哮する。どうにも強硬手段に出がちなのは、龍珠桃という人間が極道の近くで育ったせいだろう。彼女の判断基準は、こと宗司に対してはカタギのそれとは大きく外れている。それは宗司が極道の世界に浸っているせいでもあり、そんな宗司のことを近くで見てきた龍珠が、判断基準を無意識に極道寄りにしてしまっているせいでもある。

 

 その極道寄りの考えが、カタギから見れば異常なことは当たり前である。

 

「吊り橋効果を狙うにしたって、もっとあるだろう? 生徒会室に来たところでホラー映画観賞させるとか。それとなく映画のペアチケット渡すとか。何か行事の作業を共同でやらせるとか」

「そんなのでくっ付けば、このデート中にくっ付くだろ」

「……いや、そもそもだな」

 

 言うべきか言わざるべきか。そもそも今更過ぎる指摘。

 龍珠桃は所々に、わかっていない節の発言がある。それは、どっちから惚れようが関係ない、といったような雑な対応の仕方。

 

「龍珠。お前、四条には既に好きな相手が居るのは知ってるのか?」

「関係ねぇよ」

 

 質問の返答になっていない即答だ。あまりにも意味の分からない反応が高速で返ってきて、白銀の頭は1秒もの間思考停止に追いやられた。

 

「――いや、関係あるだろ。四条から惚れる可能性がほぼゼロなんだぞ」

「端から、四条のお嬢様から惚れてくれれば、なんて思ってねぇよ。そんなの棚ぼただ。こっちの本命は最初から、クソ野郎がマジになることだけだ」

「さっきからお前の言ってることはめちゃくちゃだ。四条が恋愛感情を持っていないなら、宗司も持っていないとか言ってただろ。四条から惚れなきゃ、宗司も相手のことを女として見ない、って言いたかったんじゃないのか?」

「違ぇよ。何勘違いしてんだ。……あのな」

 

 龍珠は呆れたように肩をすくめると、つまらなさそうに画面の中を覗き込みながら、さも当然のようにこう口にした。

 

「こいつがマジになったなら、四条のお嬢様に意中の相手がいようが関係ねぇ。絶対に惚れる」

「……何でそんなに自信満々なんだ」

「こいつのことは、私が一番よく知ってるからに決まってるだろ」

(……やっぱり龍珠とくっ付けた方が早くないかこれ?)

 

 まるで惚気話でも聞かされている気分だった。龍珠桃が当然のように言葉にするのは、宗司に対する全幅の信頼だ。これほどまでに信頼関係があるのに、この二人はどうしてくっ付いていないのか。

 

「やっぱり、龍珠が宗司とくっ付いた方が早いだろ」

「ぶん殴んぞ」

「いや、何でだよ。今の話も、俺からしてみれば惚気話にしか聞こえないんだが。大体、相手が誰でもいいなら龍珠でもいいんだろ? もうお前がくっ付けよ」

 

 ここで白銀、言いたいことを全部吐き出した。

 今更頭脳戦だの恋愛戦略など、考える方が馬鹿らしくなってきた。今までの態度と話を聞く限り、どう考えたって四条よりも龍珠の方が脈ありなのだから。

 

「……こっちはケジメがあんだよ」

「ケジメ?」

「もしも、私がこいつのことどんだけ好きだったとしても、だ」

 

 仮定の話だと、龍珠は冷たい声音で言葉を紡ぐ。

 

「こいつは、絶対に私からの告白を蹴る。最初から詰んでんだよ。だから、私を勘定に入れるな」

 

 どこまでも冷たく、突き放すような声だった。

 隣にいた白銀も、その声にどれだけの拒絶が含まれているのか計り知れない。ただ、彼にもひとつだけ、分かることがあった。

 

「お前の事情は知らん。聞かされていないからな。それでも俺は言うぞ。――お前のそれは、体のいい逃げだ」

「――あ゛あ゛?」

 

 女が出してはいけない声だった。低音で、ドスが効いている。地の底を這うような、それでいて頭の中をぐわんと震動させるような、決して大きくない声。

 まるで水の中のようにまとわりつくプレッシャーの中、それでも白銀は言葉を続ける。

 

「最初に言わせてもらうが……やっていないのに逃げるな、臆病者」

「……白銀、お前言うようになったな?」

「何だって言ってやる。それと、どんな事情があるにしろ、告白しなきゃ何も始まらん。――それをズルズルと先延ばしにしたら、どれだけ頭回しても進展なんてない」

 

 今日一番、実感と魂のこもった言葉だった。

 ――この男、とうとう自分のことを棚に上げてご高説を垂れ始めたのである!

 

「別に龍珠が告白しろとは言わん。だがな、お前が宗司に恋人を作らせたいのは、何か切羽詰まった状況があるからだろう? なら、宗司に黙ってやるんじゃない。ちゃんと、腹を割って話し合え。じゃなきゃ、宗司が本気になる理由もないし、宗司に龍珠の考えが伝わるわけもないだろ」

 

 ――腹を割って話し合う?

 白銀はいつもプライドが邪魔をして四宮かぐやと本心から素直に向き合うことはできていない。いつも、「相手から告白させよう」と画策している。完全に自分のことを棚に上げている。

 

 ――考えが伝わるわけもないだろ。

 ブーメランである。特大のブーメランである。白銀のプライドの高さ、四宮かぐやとの接し方。映画館で隣の席に座ろうとすればニアミスを起こし、お互いに本当に自分に惚れているのか懐疑的で、それなのにあと一歩を踏み込まず、自分の思いも考えも策略の裏に隠し続けてきたのが、白銀である。棚に上げ過ぎて、もう取ろうとしても手が届かないところまでいってしまっている。

 

「……伝わんなくていいんだよ」

「――え?」

 

 ポツリ、と血反吐を吐き出す様に絞り出された声の後に、龍珠はスマホをおさめて踵を返す。

 

「お、おい――」

「あのクソ野郎に私のことは伝えるな。意固地になるからな」

「何で帰ろうとしてるんだ」

「偉そうにご高説垂れてくれた誰かさんのお手並み、見せてもらおうと思ってな」

 

 龍珠は白銀の方に振り返ると、刀の切っ先のように鋭い視線を彼に向けて、聞いている者が凍り付くような声音で鋭く口にする。

 

「――啖呵切ったなら、結果見せろよ?」

 

 白銀は思わず立ちすくみ、息を呑む。その様は、蛇に睨まれた蛙の如し。何かを言い返そうと思っても、龍珠の重い声音が頭の中にこびりついて、うまく言葉を紡げない。頭は重く、舌はうまく回らない。

 そうしてかける言葉を探しているうちに、龍珠の背中は既に小さくなっていた。追いかけても、引き留めても、白銀が何をいったところで話を聞かないだろう。龍珠の小さな背中が……消え入りそうなほど気迫のない後姿が、すべてを物語っていた。

 

「……やっべ」

 

 ――白銀、今日一番の後悔。

 棚に上げ過ぎて手の届かなくなった責任を、一体どう処理すればいいというのか。

 

(……相談、するしかないな)

 

 もはや自分一人では解決不可能だと悟れば、話は早い。

 今日は多くの情報を持ち帰り、それを誰かと共有して知恵を絞り合う。それしかない。

 

 何も、龍珠本人から一人で解決しろなどというお達しはない。なら、全力で周りの力に頼ろう。今、白銀がこのピンチを切り抜けるにはそれしかない。

 

(しかし、困ったな)

 

 やることが決まった後、白銀はぼーっと空を見つめる。清々しい青空がどこまでも広がっていて、雲一つない。白銀の心の中とは大違いだ。

 

「……中の様子、どうやって見るんだこれ」

 

 白銀はスマホを手に持ち、カメラ機能を起動。ズームを何度か繰り返してみるものの、表情が読み取れるほど二人が鮮明に映し出されることは無い。というか、もはや背景に映り込んだ人間、くらいの大きさである。

 

 目下の課題は、どうやって白銀ひとりで二人の監視を続けるか。

 ――棚上げしたツケが、さっそく返ってきた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 一方、石上と柏木の彼氏こと翼は、宗司と四条のことを監視――ではなく、彼らの入った喫茶店の入り口を見張れるくらいの位置にある、定食屋で昼食を摂っていた。

 

「ほんとに、見張ってなくて良かったんですか?」

「うん。最初は心配だったんだけど、郷原くんの様子見てたら、マキちゃんを任せても安心かなって」

 

(それじゃツンデレ先輩が困るんだけど)

 

 石上が予想外だったことは、この翼という男、普段はヘラヘラと笑って何事も事なかれ主義の草舟のように大勢に身を任せる人間のくせして、見極めが早かったということだ。

 石上は監視を一緒に続けてくれるように、本心ではないものの常に宗司と一緒にいる四条のことを心配する発言をし続けた。学園内での悪評と、石上の心配と言う名のすり込みによる引き留めの効果は……思いの外早く消えた。

 

 決定的だったのは、喫茶店に向かう途中で宗司がバランスを崩した四条を抱きとめたことだ。まるで社交ダンスでもしているかのような鮮やかな手際に、その後視線を合わせるために屈んだ様子が、翼的には安心のツボだったらしい。

 

 前評判など、翼の中からはキレイさっぱり消し飛んでいる。全幅の信頼というほどではないにしても、彼の中の宗司は「信用できる男」くらいの認識になっている。

 

 このままでは、翼の中にある(と思いたい)小さな嫉妬心、あるいは庇護欲を煽るどころか、彼の中で公認のカップルになってしまう。それだけは、同行者の石上が阻止しなければならない。不謹慎とはわかっているが、何か宗司が欠点を見せてくれれば、なんとかやりようがあるというのに、と石上は思わずにはいられない。

 

(もういっそのこと、ツンデレ先輩とくっついてくれれば楽なのに)

 

 龍珠桃のことはどうするのか? 割と本心から石上の知ったことではない。宗司がこだわらないのであれば、別段彼も龍珠に構う理由がない。というか、あんな怖い人に自分から関わりたくない、というのが本音である。

 

(まぁでも、極道のトップ目指すなら、ツンデレ先輩も危なくなるし……というか、家の方からストップ掛かるでしょ。なら、まだ同じ極道に理解のある龍珠先輩の方がなぁ。……打算的すぎて嫌になってきた)

 

 そもそも、今回のデートもお互いの利害が一致したからこそ実現したことだ。ここでもし、石上が翼への印象付けの失敗どころか、二人がカップルであるなどという覆せない印象をまんまと持たせてしまった場合、どうなるのか。

 

『奥手な彼にアレを吹き込んだ奴の皮を剥いで鞣してやる……』

 

 ぶるり、と石上の体に震えが奔る。いつかの生徒会での遣り取りを思い出して、心臓がキュッと縮むような感覚。視線が下を向いて、貧乏ゆすりが止まらなくなる。

 

(まずいまずいまずいまずい――!)

 

 ここで自分が失敗すればどうなるか。過去のことから火を見るより明らか。絶対に失敗できないという事実が、初めて現実味を伴って肩に大きくのしかかる。

 

「で、でもほら。宗司さんって、極道でしょ? あの人、色んなところから恨み買ってるから、四条先輩にも何かとばっちりがいきそうじゃないですか」

 

 恨みを買っている、というのは石上の勝手な妄想だが、あながち間違っていないのがまた何とも言い難い。宗司がこの場に居れば、苦い顔でむっつりと押し黙っていたことだろう。

 

「あ、そっか。……うーん、でも俺たちじゃ足手まといじゃないかな。郷原くんは本物のヤクザだし、きっと相手も不良とかじゃなくて、本職でしょ? 警察呼ぶくらいなら、まぁできるけど」

 

 翼の言うことも最もである。もしも宗司と四条が襲われたとして。喧嘩に慣れているわけでもない男二人が助太刀に入ったところで、相手が相手なら完全に足手まといになり下がる。考えてもどうしようもないケース、というやつだ。

 

「いや、ほら。だから先輩が、四条先輩に言ってくださいよ。あんまり関わらない方がいいとか。気を付けてねとか。少なくとも、僕はあんまり賛成できませんよ。……何より、将来絶対に壁にぶつかります」

「将来?」

「四条先輩は、あの四条家のご令嬢。でも、あっちは『郷原会』会長の孫。真っ当な大企業と、反社会的勢力。どうあっても、世間の目は厳しいです。先のことまで考えると……」

 

 普通なら、誰もが目を瞑る未来の現実。Ifの世界に対する懸念。思っても普通なら口にしない場所に、石上は深く切り込んだ。

 じゃないと、もう翼から言葉を引き出せないと思ったから。

 

「そんなに、先のことまで考えているんだね」

「考えますよ。後輩として、先輩のことは心配ですから」

「……そんなにマキちゃんが心配?」

「えぇ。マジで良い人ですから」

 

 翼へのアピールも忘れない。とにかく、相手の意識を全力で引く。覆せない印象を持たせないためにも。

 言葉を重ねる石上に、翼は顎に手を当てて視線を落とす。

 そんな翼の様子を、石上は真剣に見つめる。ここが正念場だと自分に言い聞かせて。何を言われても、何とか印象を変えようと。

 

「……もしかして、石上さんってマキちゃんのことが好きなの?」

「――はい?」

 

 思わず素で首を傾げてしまう。石上優が、四条眞妃のことを好き? 何を言っているのだろうかこの人は。

 石上は数秒の間沈黙して、ようやく意味を悟った瞬間――

 

「いや、自分は違いますよ」

 

 ――思いの外、彼の口からは冷静沈着に言葉が出てきた。内面も凪のように落ち着いていて、むしろいつも以上に思考がよく回る。

 石上優、人生一番の冷静さを発揮していた。

 

「あれ? うーん、違うのか。てっきり、マキちゃんを狙ってるのかと思ったけど」

(むしろ先輩は狙われる側なんですけど)

 

 口が裂けても言えないので、当然心の中だけに留める。わざわざ自分から地獄の体験会に身投げする趣味はない。

 

「……石上さんの言い分もわかるよ。でも、それを決めるのはマキちゃんじゃないかな」

「確かにそうですね。でも、そういうリスクがあるってことは、伝えないと。一時の感情に任せて――これからすべてを失うことだって、有り得るんです」

 

 ――石上、今日一番の魂のこもった言葉である。

 石上の迫力に、翼は息を呑んで、また考え込む。だが、今度はすぐに答えを出す。

 

「わかった。俺からも言っておくよ。ついでに、石上さんのこともね」

「いや僕のことはいいですから。先輩は同じ学年なんですから、もっと四条先輩のこと見てあげてくださいよ?」

「わかった。でも俺だけだと効果薄いだろうし、そこは渚とも相談――」

「いや、翼先輩が見てあげてください」

「えっ、でも渚はマキちゃんと長い付き合いだから」

「翼先輩が! 見てあげて! ください!」

「えっと……うん。わかった、わかったから。あっ、マキちゃんたち出てきたよ」

 

 石上の熱烈な推しに、翼の方が折れる。

 そしてタイミングが良いのか悪いのか、ちょうど喫茶店から件の二人が出てきたところだった。昼食も既に食べ終えていた二人は、あとは会計を済ませればいいだけである。

 

「あ、ほんとだ。……お会計いきますか」

「うん」

 

 ――石上、何とか宗司と四条がカップルなどという印象付けを回避!

 もうすでに疲れがどっと押し寄せてきた気がするが、陽が落ちるまでまだまだ時間がある。

 

 その時間の間に、どれだけ翼の心の中に四条眞妃を印象付けられるか。

 石上優の役割もまだ、始まったばかりなのである。

 

 




もう少しで、次のフェーズに。



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第十話 恋愛戦略 急

 

 「郷原会」会長、郷原宗玄が倒れたと知らせを受けた時、「郷原会」本部に直系二次団体の組長全員が集結したのは、報せが入って12時間後のことだった。大きく県を跨いできた者、血相を変えて新幹線に飛び乗った者。黒のリムジンを走らせた者もいれば、飛行機に乗った者もいる。

 

 しかし、誰よりも先に本部に到着していたのは、郷原宗司であった。

 「龍珠組」組長と、その娘の龍珠桃が到着した時にも、郷原宗司は会長席の横に立っていた。さも当然のように、全体が見渡せる位置に居る。誰もが注目する場所にいるのに、不躾な視線を向けられるのに、彼は堂々とした様子で佇んでいる。

 

 龍珠桃からしてみれば、知っている顔がなぜか偉い人間の席の隣に陣取っているのだ。興味を惹かれるにはそれだけで十分で、待っている間はほとんど宗司のことを見ていた。

 

 他の組長同士も、各々が近況を話し合っている。報せに対して、これからどうするべきか、未来について真剣に検討している様子は、直系二次団体組長全員が集まるまで続いた。

 

「さて、本日お集まりいただいたのは、報せの通り。爺……六代目会長が倒れたことについてだ」

 

 集会は、そんな会長の孫からの説明で始まった。彼は大きな声で説明しながら自分に注目を集めると――

 

 ――ドカン、と。

 

「な――!」

 

 会長席に堂々と座り込んで、足まで組み始める始末。それに絶句する幹部もいれば、しばし呆然自失した者もいて、龍珠組長は面白そうにその口元に笑みを浮かべた。混沌とし始めた本部の会議室の中で、彼は堂々と声を上げて説明を続ける。

 

「爺はもう歳だ。その上、今の『郷原会』には若頭が居ない。爺が死ぬまでに若頭決めなきゃ、『郷原会』は内部抗争の末に崩壊することは目に見えている」

 

 ――それとこれと、会長の席に座ることに一体何の関係があるのか。

 組長という座は、馬鹿では務まらない。誰もが、既にその結論にたどり着いている。相手が会長の孫ということもあり、本来なら、鼻で笑って流すような場面だが。

 

「つまりオメエ、自分こそが七代目会長に相応しいって言いてぇのか?」

 

 それはもう、愉快そうに口元を緩めた龍珠組長が、会長席に座る郷原宗司に問い掛ける。ただし、その瞳の奥までは笑っていない。真剣に、問い質していた。その覚悟があるのか、と。

 

 この問いに、郷原宗司は――

 

 

 

「あぁ。お前たちをこの俺が使ってやるって言ってるんだ。喜べ。俺が七代目会長になる男、郷原宗司だ。郷原会はますます、力をつけるぞ」

 

 

 

 膝に肘をついて手に顎を乗せて、その口元には自信に満ち溢れた笑みを浮かべて。

 されど、その声はどこまでも重苦しくまとわりつく。頭の上から巨人に押さえつけられているのではないか、と錯覚するような見えない圧力が声に乗ってのしかかる。

 さらにはその瞳。――その瞳の奥は、底の見えない闇を抱えていた。見つめた者の視線を奥底にまで引きずり込もうとする、蠱惑的でおぞましい化け物の瞳が、大幹部一同を睨みつけるのだ。

 

 視線を向けられたのは――龍珠桃も、例外ではない。

 

「――ッ!」

 

 睨みつけられた瞬間、魂を引っこ抜かれたのではないかと錯覚した。彼の黒い瞳が、視線を合わせた直後に、こちらの意識を瞳の奥の闇に引きずり込もうとしてくるのだ。

 それを自覚した瞬間、龍珠桃の背中に怖気が駆け巡る。冷や汗が背中を濡らし、気が付けば呼吸が荒くなる。意識を持っていかれかけた、と。心臓が早鐘を打ち、今にも破裂しそうだった。腹部がキリキリと鳴る幻聴さえ聞こえた。視界の端から徐々に闇に蝕まれていき、気が付けばまた意識を刈り取られそうになった。

 

「どうした? 喜びで言葉も出ないか。ならば――満場一致でこの俺が、郷原会七代目会長ということで、異存ないな?」

 

 傲岸不遜の体現とも呼ぶべき態度で君臨する、若き鬼才。

 

 龍珠桃は忘れられない。

 彼が啖呵を切った日の事を。

 

 

 

 

 

 

 服屋の中というのは思いの外広い。上着、シャツ、パンツ、セール品に打ち出し始めた冬物と、それぞれの区画を回るだけでもある程度の時間を食われるほどの広さを誇っている。店内の客層は様々で、セール中の商品を目当てに来た男もいれば、気分を変えたいのかカップルで服を選ぶ者もいる。オシャレに敏感な男は、真っ先に冬物の区画に足を運んで物色を始める。

 

 そんな、ひとつの店舗だけでも多種多様な目的を持つ者が集まる服屋で、この二人もまた冬物の区画を見て回っていた。

 

 郷原宗司は、けっしてオシャレに敏感な男子ではない。むしろ、極道の世界に染まっている彼のファッションセンスは――かなり、ズレている。スーツといえば黒以外の派手なモノを選び、普段着を好みで選べばどう贔屓目にみてもヤクザにしか見えない格好になり――それを着て出歩けば案の定、職質を食らう。

 

 自分の好みで選べばこうなるのだ。何度も経験すれば当然学習するもので、極道絡みの外出ではないときはもっぱら、年相応の人当たりの良いファッションで挑むことが常となった。ただ、それが第三者から見て似合っているかどうか、それは彼にもわからない。それに加えて彼自身が「年相応の格好」をすることに、少なくない抵抗を覚えていた。

 

 だからこそ欲しいのだ。

 フラットに意見をくれる、第三者というものが。

 

「あっ、このコートとか良いんじゃない? ダンディになると思うけど」

「……まぁ、着てみるか。職質案件にならなきゃいいが」

 

 四条眞妃に勧められたのは、ファー付きのモッズコートだ。色はカーキと渋めのチョイス。まだ学生が着こなすには難しい色に、彼は別の意味で不安を覚えながら、上着を脱いでその場で羽織ってみせる。空いている更衣室には後から入り、そこで鏡を見て、続いて彼女に自分の姿を見せる。

 

 選んだ張本人は、そんな彼の姿を見て「うーん」と首を傾げていた。

 

「なんか、違うわね。こう、おっさん臭いのよ、あんたが着ると」

「ひっでえ。一応、カタギには見えるだろ?」

「まぁ色が地味だし。でも、デートに着ていくならダメよ。――やっぱり、もっと若作りした方が良さそうね」

「おいコラ。今若作りとか言ったか? テメエと同い年なんだが」

「さってと、じゃあこっちかしら」

 

 宗司のツッコミは聞こえない素振りを見せて、四条眞妃は恐ろしいスピードで服を手に取っていく。その様はまさに鎧袖一触。袖触れ合う瞬間には、彼女の手に服があるのだ。迷いも躊躇いも存在しない。しかし、適当に選んでいるというわけでもない。

 

 全身コーディネートを彼女が整える時間は、3分に満たなかった。

 

「じゃ、これ。着替えてみせてちょうだい」

「あ、あぁ。……もっと悩むのかと思ってたわ」

「自分が着るわけじゃないんだし、悩むことなんてないわよ。合いそうだな、っていうのを選んでるだけだから。……じゃ、私はまた次のやつ選んでくるから」

「は?」

「それまでに着替え終わっときなさいよ」

 

 コーディネート一式を渡されたかと思えば、彼女はまた軽い足取りで服を選びに行った。その様もまた、鎧袖一触といって差し支えのないスピード。これでは、選び終わるのに時間もかからないだろう。

 

「――やべ」

 

 もたもたしていると追い付かれる、と切迫感に背中を押されながら、宗司はさっさと更衣室の中にこもって、カーテンを閉めて着替え始める。

 

「……サイズ合ってるな」

 

 着てみれば体にしっくりとくる服に、宗司はぽつりと呟いた。試しに鏡で自分の姿を見てみれば――

 

「もう着替え終わった?」

「あぁ。ほれ、こんな感じだ」

 

 シャ、と短く勢いよくカーテンを開ければ、四条眞妃が新しい服を持って立っていた。

 彼女は宗司の全身をくまなく見た後、またも首をひねって眉根を寄せる。

 

「……何ていうのかしら。なんか、スポーティな服と合わないわね」

「だよなぁ。顔面が厳つすぎるわ」

「スポーツマンにはなれそうにないわね。じゃ、次はこれ」

「……まさか、このまま着せ替え人形にされるんじゃ――」

「無駄口叩いてないんでほらっ、早く着る。次の持ってくるから」

「っと、あ、おい――聞いちゃいねぇ」

 

 次の服を押し付けられ後に取り残された宗司はため息をこぼす。ただ、不思議と嫌というわけではなかった。

 何だかんだと、波長が合うのだ。話し始めたのはつい先月ほどだというのに、話題は尽きず、悪友というわけでもなく、友達よりも気安く接することができる。しがらみに囚われず、素の自分を出せる貴重な相手。

 

「こういうの、何だっけ」

 

 慣れない感覚ではあるが、馴染めないわけではない。踏み込めるラインは深いが、触れられるほど近いわけでもない。同じ水平線の上に立って、繰り広げられる日常の数々。過ごした時間は、この一か月の中だけでいえば、思いの外長い。白銀以上、石上と横並び、といったところか。

 

「……ふわっとしてんなぁ」

 

 この関係性に、どうにも名前を付けることができない。

 そもそも、お互いに名前も呼び合えない関係性だ。お互いに、目の前で相手の名前を呼んだことは無い。それが当たり前になっていたから、お互いに指摘することはなかった。

 

 改めて考えると、変な関係である。

 友達以上のくせして、親友と呼ぶには心もとない。名前さえ呼び合えないのだから。

 かといってただのクラスメイトというには、交流が深すぎる。

 

 そんな関係の名前を、郷原宗司は知らない。茶化したように語ることもできない。

 

「……まぁ、いいか」

 

 考えるだけ無駄だと悟った彼は、服に手をかけて着替え始める。満足できる服が見つかれば、などと考えながら顔を上げれば、鏡に映る自分が見える。

 

 ――その瞳の奥はパチパチと泡立ちながら、笑うように細められていた。

 

 

 

 

 

 

 服屋の用事を終えた時には、外はすっかり黄昏時となっていた。アスファルトやビル、車から反射するオレンジが異様に眩しい街の中。もうすぐ夜の帳が下りる世界の中。彼は四条眞妃と一緒に駅前まで来ていた。

 

 話によれば、もうすぐ迎えの車が来るとのことだった。

 

「おっそいわね。渋滞にでも巻き込まれてるのかしら」

「渋滞ってよりも、まぁ、夜が来るからだろ」

「ああ、帰宅ラッシュってこと? ……帰るときも渋滞って気分が滅入るわね」

「……夜の街っての、あんまり見ないのか?」

「出歩かないわよ。ここ最近、すごい物騒でしょ」

「路地裏近く歩かなきゃ安全だ。もし日が暮れたら、路地裏からできるだけ離れて歩け」

「何それ。街の歩き方ガイド? 私どんだけ箱入りだと思われてるの?」

「……最近は犬が多いからな。特に路地裏に集団でうろついてる。ちょっと隙見せたら引っ張られて闇の中だ」

「……怖いこと言わないでよ」

「だから、気をつけろって言ってるんだ。友達とか、男と一緒だからって、絶対に油断するなよ」

「あんたの路地裏に対する執着は何なの……わかった、わかったから。耳にタコができそう」

 

 そうなったら私の美貌が台無しよ、と彼女は冗談めかすように本気で宣った。

 そんな彼女の言葉を聞いて、思わず宗司は吹き出しかけて口元を手で覆う。しかし、笑いだそうとしたのはバレていた。

 

「何か言いたいことあるの?」

 

 ギロリ、と警戒心をあらわにした猫のような瞳が宗司を射抜く。彼はそれに対して何とか首を横に振り、手を横に振って「違う、違う」とジェスチャーするが、あまり効果はない。眼力は健在だ。

 

「自分のこと、そんな堂々と言うやつ初めて見たからっ、ついおかしくてな」

 

 上擦った声で言う宗司に、四条眞妃は眼力を緩めて――今度は呆れるような視線で、ため息をひとつこぼした。

 

「事実を毅然と言うのは当然のことよ。ま、さすがに人前で言うほど無神経じゃないけど」

「待て。それじゃあ俺が人じゃない、みたいな言い方だろ」

「……そうね。あんたは、喋る雑草ね」

「動物ですらないの!?」

 

 ――ていうか考える間を置いて言うに事欠いてそれか! と宗司は吠える。リアクションと同様に大きい声も、四条眞妃は受け流して涼しい顔で佇んでいる。ただし、その口元には挑発的で、強気な笑みを浮かべて。

 

「あっ、やっと来た」

 

 迎えの車に視線が向いて、宗司も追いかけるように見てみると――黒いリムジンが、黄昏の影に隠れてぬるっと現れた。まるで、暗闇の中から急に姿を現すクリーチャーみたいだと、宗司は失礼極まりない感想を抱いた。

 

「じゃあ、今日はお疲れさま。また明日、報告会するわよ」

「わかった。今日は付き合ってくれてサンキュ」

「そうそう、もっと感謝しなさい。――と言いたいところだけど、いいカフェも紹介してもらったし、今日の分はチャラでいいわよ」

「オーケー。じゃあ、また明日な」

 

 彼女の前で停まったリムジンに、四条眞妃は乗り込んだ。運転手だろうか。彼女が入った扉を静かに閉めると、宗司の方に一礼をしてから運転席に戻る。

 

「……また明日、か」

 

 ほどなくして発車したリムジンを視線で追いかけながら、宗司は呟いた。オレンジ色の中に吸い込まれて、思いの外早くリムジンは視界から消えていた。影法師が景色の中に溶けていくような光景だった。

 

「また明日なんて――」

 

 ――初めて言ったかもしれない。

 自然と口から出てきた言葉だったが、思いの外、しっくりとくるものだった。

 

 そんな感傷に浸っていた束の間に、夜の帳が街を包み込む。

 これからやることは変わらない。

 

 携帯していたワックスを取り出して、髪にべったりとつけて前髪を掻き揚げる。いつものオールバックに、服を着崩して印象を悪くすれば、それが合図だ。

 

「時間だ」

 

 ――ここから先は裏の世界。

 

 光を失わない表通りは、いつも通り煌びやかで。

 光の届かない裏通りは、重苦しい沈黙が圧し掛かり、冷たい空気が吹き抜ける。

 

 

 

「――」

 

 カツン、と沈黙を切り裂く足音が、先の見えない暗闇ばかりの裏通りに響き渡るのであった。

 

 

 

 

 

 ――尚、服の入った紙袋を手に持っていたせいですべて台無しだったのは、まったくの余談である。

 

 

 

 






幼くから両親を亡くして、祖父に引き取られ金と暴力の世界に生きてきた
明日なんて約束はない。昨日みた顔が今日は墓の中、なんていうのはありふれた話だった
友好的な笑顔なんてものはない。笑顔とは攻撃的なものである
義理人情? 任侠? 仁義? それを通せる傑物は少なすぎた

――そんな世界に浸り続けた彼は、どうしようもなくズレていた






※続きはいつも通り気楽にやっていきたいと思います




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第十一話 生徒会のリバーシ

 

「なぁ、石上」

「なんですか会長」

 

 生徒会室のソファーで対面した白銀と石上は、お互いにぐったりとした様子で、首を背に預けて天井を見ていた。覇気のない声に、こころなしかやつれているように見える頬が、彼らの疲弊具合を物語っている。

 

「宗司と四条、本当に付き合ってないのか?」

「ないっすねー。翼先輩の誤解を解くのが大変でしたよ」

「いやいや、冗談はよくないぞ。あんなに仲良くデートしておいて、そんな交際していないなんて。いやー、少なくとも宗司か四条のどっちかは、相手に恋してるんじゃないのか?」

「ちょっと前にツンデレ先輩にさらっと聞いてみましたけど、あれマジトーンでしたね。宗司さんは喋る雑草らしいです」

「……つまり四条は雑草飼育員か」

「どっちが聞いても怒りますよそれ……喋る雑草と飼育員、シュールですね」

「……ぷっ、やばい。想像したら笑えてきた」

「絵面がアレで半ばホラーっすね」

 

 はははー、とお互いにやる気のない乾いた笑い声をあげる。

 お互いのターゲットを狙ったデートは、確かに円満に終わったと言える。もしもこれが普通の初デートであれば、二人も素直に……いや、石上は半ば毒づきながらも祝福したことだろう。

 

「翼先輩まったく心配してなかったんですけど。宗司さんがもうちょっと危ない人感出してくれないと心配してもらえないんですけど」

「龍珠なんて途中で帰って俺に丸投げしたな。自分を宗司の恋愛対象の数に入れるなって言い捨ててな。理由の説明ないと俺もわけがわからないんだけど」

「――あー、それアレっすね。過去に絶対なんかあったヤツですね。こっ酷く振ったりしたんじゃないですか?」

 

 愚痴の投げ合いが始まった――というのは表向きの話。少なくとも、石上かしてみればそれは違った。

 

(龍珠先輩自身は数に入れるな? え、宗司さんのこと本気で嫌い……ってわけじゃない、と思うけど。わざわざ嫌いな相手に骨折ったりしないでしょ。……それとも、本当に嫌いだけど、能力は確かだから会長になってもらおうってこと? え、いやでもそれなら会長巻き込む意味がない。交際相手くらい、龍珠先輩側のコネでどうにでもなるでしょ)

 

 つまり、この時点で龍珠桃が郷原宗司のことを心の底から嫌っている、という線は薄い。いくら予断を許さない状況だとしても、そもそも龍珠桃の単独行動というわけでなければ、家の力を全力で使えばいい。嫌いな相手のために龍珠桃が単独で手助けする? 現実的に有り得ない。

 

(……これって、つまり龍珠先輩も宗司さんに後ろめたさがあるってこと? じゃなきゃ自分を頭数に入れるな、なんて明言する理由がないし。……でも、ケジメって龍珠先輩が責任とったのに? 責任とっても後ろめたいって、それでも宗司さんが不利になるような結果になった、ってことだよな……)

 

 不利になること。それは今後の課題に支障が生じるような内容か、それとも何かペナルティを与えられたか。あるいは両方か。

 

 石上優が答えにたどり着けないのは当然だ。

 彼が宗司と出会ったのは、宗司と龍珠桃が不仲になる前の話。仲が良かった頃の二人を、石上優は知らないのだ。

 

 だから、郷原宗司の決定的な違いに気づけない。そもそも、知らないのだから。

 

「いや、そういう関係じゃないらしい。俺も逆のこと……龍珠が告白してフラれたんじゃないか、って挑発してみたが、どうにも違うらしい。多分、宗司の刀傷が原因だと思うんだが」

「――え? 刀傷? 元からじゃなかったんですか?」

 

 ここで石上、目から鱗が落ちる。

 てっきり、宗司の刀傷は元からついているオプションみたいな、ヤクザの箔みたいなものだと思っていた。それが、宗司と龍珠桃の不仲の原因だといわれて、頭の中にわずかな空白が生まれる。

 

「あぁ、そうか。石上は知らなかったな。宗司に刀傷ができたのは、去年の夏休みの後だな。俺も詳しい時期までは知らないが、その時から龍珠とは、顔を合わせるだけで無視か口喧嘩に発展していた」

「え、というか元々は仲良かったんですか? てっきり僕、家同士のいざこざとか、そっち関係で気に食わないことがあった、とかでずっと険悪だと思ってたんですけど」

「今はアレだが、一年の前半はベッタリだったな。龍珠は宗司にくっ付いてて、宗司は今以上にむっつりしてたよ。何て言うか、宗司はいつも抜き身の刃みたいな雰囲気をずっと出しててな」

 

 あの頃は凄かったぞ、と白銀は当時のことを思い出して疲れたように、深いため息を吐く。思い出すだけで心がキュッと悲鳴を上げるほど、白銀にとっての一年は濃密だった。

 

「今は歩く重力発生装置ですからね」

「……知り合いにはまともなのにな。いつも俺たちと接する時くらい柔らかくなれば、もっとモテただろうに」

「いやいや。あの刀傷があったらそれでもやっぱり――」

 

 石上の頭の中で火花がはじけた。その衝撃は全身に駆け巡り、背筋に氷でも入れられたような冷たい怖気が姿勢を矯正する。腹の中は石でも詰め込んだようにズシリと重くなり、今にも中身がすべて出てきそうだった。自分が座っているという感覚すら忘れて、宙に投げ出されたような浮遊感が脳内をグチャグチャにかき乱す。

 

 頭の中に去来する真実への糸。手繰り寄せれば、大量の情報と可能性が脳みそで縦横無尽に暴れ出す。その衝撃は瞬きの間の出来事だったが、石上にとっては体験したことのない未知の世界。思わず口元を抑えて吐き気を堪えた。

 

「――それしかない」

 

 ぽつり、と誰にも聞こえないほど小さな声で、彼は確信をもって呟いた。

 郷原宗司が龍珠桃に後ろめたさを持っていて。龍珠桃も、郷原宗司に後ろめたさを持っている理由。

 

 状況証拠はすべて出そろっている。物的証拠も残っている。

 だが――

 

(……こんなの、わかったところで、どうなるっていうんだよ。無理だ。こんなの、絶対に無理だ。龍珠先輩から告白させても、宗司さんは絶対に断る。宗司さんから龍珠先輩に告白することは――まず、ない。だって、ここで宗司さんから告白したら、龍珠先輩にさらに責任を追及してることになる)

 

 だからか、と石上は額に手を当て、わしゃっと雑に髪を掻きあげた。

 

(甘かった。僕が甘かったんだ。宗司さんに、龍珠先輩の攻略は不可能だ。そもそも攻略対象キャラじゃない。友人ポジション、あるいは物語の裏に隠された影のヒロイン。DLCで解放されるあたりのヒロインだけど――)

 

 現実世界にDLCなどという都合のいいシステムはない。

 

(宗司さんが、いくら龍珠先輩のこと好きになっても関係ない。――絶対に成功する告白って、こんなに重いのか)

 

 解決方法は、針の穴に糸を通す様に繊細だ。

 龍珠からの告白は不可能。宗司からの告白もあり得ない。だが、それは宗司の気持ちが伴っておらず、且つ龍珠の気持ちを知らないからだ。

 

 つまり、宗司が龍珠とくっ付くための条件は――

 

(……宗司さんが龍珠先輩のことを心の底から好きになって、龍珠先輩も宗司さんに惚れていること。且つ、龍珠先輩の気持ちを宗司さんが知ることが出来なきゃ……どんなムリゲーだ)

 

 告白の段階で、気になる相手、嫌じゃない相手止まりではどうしようもない。その時点で、相手に対する愛情のパラメーターを、お互いに最大値にしておかなければならない。

 だが、そのパラメーターを上げるには宗司と龍珠、お互いに交流が必要なのだ。交流が必要なのに――お互いに、出会えば無視か口喧嘩。周りが委縮するほどの険悪ぶりを見せて、まともな話し合いなど当然できない状況

 

 攻略のために必要なパラメーター水準があるのに、そのパラメーターを上げるための方法を封印されている状態。正攻法ではクリアできないクソゲー。

 

(……そもそも、龍珠先輩、どんなケジメとったの? ぱっと見わかるような傷なんてないし、指詰めてるわけでもないし。宗司さんの顔の傷より重いって……宗司さんから見てそうであって、僕らからすれば違うんじゃないか?

 

 

 もちろん、服で隠しているだけで大きな傷を負っている可能性もあるが、それは石上からは確認できないこと。考えたところで進展がない。

 そもそも、宗司、石上、四条の集まりは責任取って龍珠と交際しろ、という集まりだ。それの手助けをするのが石上と四条で、当事者が宗司。

 

 宗司が龍珠にとらせてしまったケジメというものの、内容による。

 もしもそれが、女性としてではなく――極道絡みで立場を脅かすものであったとしたなら。

 

(……そっちの関係なら、もう僕が、龍珠先輩ばかりに加担する意味はない)

 

 失敗とは、成功を以て雪ぐものなのだ。石上はそう考えているし、あの性格のことだ。きっと宗司もそう考えているだろう。

 もしも龍珠桃の失態によって郷原宗司が顔に傷を負ったのであれば――

 

 ――石上優はもう、龍珠桃にこだわらない。宗司が会長になるための条件、ここだけに注力して力を貸そう。

 

 それこそが、お互いの間にできた溝を雪ぐ方法だから。

 

「やっぱり、アレが原因だよな。……でも、明らかに極道絡みで、俺から聞いても答えてくれなさそうでな」

「会長がダメなら、僕が聞いても答えてくれなさそうですね」

「正直、俺はもう宗司と龍珠くっ付けた方が早いんじゃないか、って思ってる」

「へぇ、それはまたどうして?」

「龍珠の方は明らかに脈ありに見えたからな。事情があって複雑になっているが、そこさえ解けば後は自然と解決しそうだ。お互いに意固地になっているだけだからな」

 

 その解決方法が致命的に難しいんですけど――などと、石上は口にはしない。少なくとも白銀の目の前にいる石上は、極道関係の事情に対して何も知らない状態でいなければならないのだ。

 

 石上が今の結論にたどり着いたのは、宗司から聞かされた情報によるところが大きい。それがなければ、どれだけ白銀と情報を共有したところで、核心に迫ることはできなかった。

 

(……ツンデレ先輩にも伝えられない。もしも僕の推論が正しくて、龍珠先輩のケジメも極道関係の立場だったら、僕は――)

 

 ――四条先輩と宗司さんをくっ付けるために、全力を出す。

 

 だとすれば、この龍珠攻略班という名目の集まりは、交流を深めるためには必要不可欠な組織だ。それを破綻させるような情報を、わざわざ石上の口から出す必要はない。

 

(何より、まだ推論なんだ。確証があるわけじゃない。伝えないのは、当然だ)

 

「その事情っていうの、解決する糸口とかあるんですか?」

「さっぱりだ。もう、ここは宗司に直接聞くことにする。情報が何もないからな」

「……会長は、龍珠先輩と宗司さんをくっ付ける方向に切り替えるんですか?」

「事情次第だな。解決できそうなら、龍珠に切り替える。無理なら無理で、四条と宗司をくっ付けるために尽力するさ」

「わかりました。また方針決まったら、一声かけてください」

「あぁ、その時はよろしく頼む」

 

 白銀も石上も、確かに問題の核心に迫っている。

 リードしているのは情報量の多い石上だが、少ない情報からも問題の中心点を洗い出す白銀の洞察力もまた侮れない。

 

(きっと、宗司さんならツンデレ先輩とも上手くやっていける)

(龍珠と宗司が意固地になっている理由。それさえわかれば、後はどうにでもしてみせる)

 

 

 

 思惑は再び、交差する。

 

 

 





感想、コメント、評価などなど、いつも励みにさせていただいております
近頃は筆の進みが微妙で、毎日投稿できないのは悔しくはありますが、そこは気長に待っていただければ幸いです



――物語はさらに加速する


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第十二話 空の中身

 

 

 キーボードを叩く手を止めて、大きく伸びを取る。屋上を吹き抜ける風も、近頃は骨身に染みる冷たさになってきた。身体の芯から凍えていくような、そんな感覚が襲ってくる。手を止めたのも、寒さで指先がうまく動かなくなってきたせいだ。

 

「……まだ、あるんだけどな」

 

 作業を続けるなら、比較的暖かい教室か、あるいは生徒会室にでもお邪魔してみるか。

 前者は彼としては有り得ない。教室に彼がいるだけで、周りの空気が妙に重苦しくなるのだ。まだ生徒がほとんど集まっている休憩時間ならまたしも、今は放課後。教室をたまり場にしている数名が居たとしたら、彼が教室の前を通れば会話を止めて、中に入ればそそくさとどこかに足を向けることだろう。まるで地上げの常套手段みたいで、意地なった心が教室に行くことを拒否している。

 

 生徒会室は悪くはないのだが、彼にとってあの空気というのはどうにも馴染めないものがある。というより、行ったら行ったで何かに巻き込まれて仕事にならない、という可能性の方が高い。それならまだ、実家の私室の方が集中できる――という保証もない。生徒会室も私室も、作業に集中する環境としては同じくらいにどうしようもない。

 

 かといって、外部のカフェを利用するのも気が引ける。今取り扱っているデータは、人目につけてはいけない類のものだ。後ろからの人目を気にしながらの作業というのも苦行である。

 

 学園というのは、ある意味で彼にとっての聖域だ。

 この場所に襲撃を掛ける馬鹿は当然いない。どこからか息のかかった生徒に対しての心配も、今までの悪評のおかげで負担が大きく減っている。そういった目で見られればあからさまにわかる。加えて、変に肩肘張る必要のない空間だ。威勢を張るべき相手がいないというのは思いの外、心が軽くなるものだ。

 

「そろそろカイロ買っとかないと」

 

 学園のベンチも屋上も、寒さという意味ではあまり変わらない。一人になれる空間という意味では、屋上の方が圧倒的に集中できる環境だ。入口から一番遠い位置に陣取れば、盗み見される心配もなく、誰かが来た時もすぐにわかる。だから彼は、作業をするときはいつも屋上で事を済ませる傾向がある。

 

 ――ガチャ、と風に乗って扉の開く音が聞こえた。パソコンを半分閉じて、入り口の方に素早く視線を向けてみれば。

 

「――何でこんなところに?」

「……それはこっちのセリフよ。こんな寒空の下で、パソコン広げて何やってるの?」

 

 どうにも頼りない足取りで、入ってきたのは四条眞妃だ。小さなツインテールを風に揺らしながら、知った顔を見たからか宗司の方に近づいてくる。

 

「これか? 資料作ってるだけだ」

「資料? あんた、生徒会じゃないでしょ」

「これはシノギの分だ」

「……あぁ、あんた会社経営やってるんだっけ」

「株主になって色々せっついてるだけだけどな。……というか、何で知ってんだ?」

「海外にもかなりの規模で手を伸ばしてるでしょ? パパから聞いたわよ。なかなか手強いって」

「……今は、それほどやっちゃいねぇよ。もう目標も到達したから、現状維持。要らねぇところは全部売ったしな。というか、四条に比べたら月と鼈だろ」

「ほとんど個人でこれだけやってるあんたが異常だって言ってんの」

「異常……ね」

 

 異常、と言われても宗司にはピンとこない。彼にとっては、ただ自分にできることをやっているに過ぎない。できることをやって、できないことには手を出さない。それを繰り返してきただけである。

 

「出来ることやり続けただけだ。出来ないことには手を出さない。俺がやってきたのは、それだけだ」

「簡単に言ってくれるわね。出来る範囲ってのはともかく、出来ないことに手を出さないって、思いの外難しいのよ。出来なくても、やらなきゃいけない時も出てくる。そうなる前に手を引くのって、かなり勇気が必要なの」

「……そんなものか? 固執しなきゃいいだけの話なんだが」

 

 屋上の手すりに腰掛けて、彼女はジッと宗司のことを見る。見つめるだけで何も言葉は出してこない。少し待てば何か言うだろう、と考えていた宗司は沈黙を貫くが、しばらく経っても風の音がむなしく響くばかりだった。

 

「……さっきから何だ」

 

 結果、先に口を開いたのは宗司からだった。

 彼が四条眞妃に視線を向けてみれば、してやった、と口元を緩める姿があった。

 

「別に? ただ、不思議だったのよね」

「不思議?」

 

 細い風が、二人の間を通り抜ける。笛のように音を立てながら、それはいつの間にか宙に溶けてなくなった。

 彼女は世間話でもするように、あるいは今日の天気でも聞くように。

 

 純真な瞳を彼に向けたまま、その口を開く。

 

「あんた、何で極道にこだわっているの?」

「――あ?」

 

 あまりにも唐突な質問は、宗司の頭の中に不意打ち気味の衝撃を走らせた。死角からタックルを受けて転がされたような、三半規管が狂っていく気持ち悪さが、頭の中と胃を渦巻くように刺激する。

 

「だってあんた、極道やらなくても食っていけるじゃない。むしろ、お金持ちになるなら極道よりそっち本業にした方がよさそうだし。難しいこと考えずに、一般人として振る舞えば、あんたのお目当てとのしがらみだってなくなるわよ?」

 

 宗司が極道でなければならない理由。それは四条眞妃がいくら考えてもわからないことだった。

 何せこの男、会社の運営、株のやりくりだけで数千億を平気で稼ぐ男だ。それだけ稼げるのに、『郷原会』の会長の座が魅力的に映るものなのだろうか? 普段の稼ぎの足枷となる称号に、四条眞妃はデメリットの方が大きいと考える。

 

「――それにあんた、悪人には致命的に向いてないわよ」

 

 見透かすような瞳が、宗司の視界に焼き付くように映り込む。見ているだけで、眼孔を通して頭の中に侵入されるような、強い異物感が襲ってくる。実際はそんなことない筈なのに、錯覚が宗司を苛める。

 

「――俺は、悪人の方が性に合ってる」

「そんな弱った雀みたいな声で言われたって、誰が信用するのよ」

 

 絞り出した声も、四条眞妃はすぐさま一刀両断してみせる。宗司はこれに顔をしかめるが、どこか呆れたようで瞳を細かく揺らす彼女を見て、視線を空に逃がした。

 

「合ってるさ。俺の家系は、代々悪人の親玉を貫いてきた。蛙の子は蛙、っていうだろ?」

「あんたが悪人になる必要あるの? 他に向いてそうなのがごまんと居そうだけど」

「単なるチンピラなら、ごまんと居るだろうな」

 

 いや、うちには3万ちょっとしか居ねぇけど、と冗談のように口にする。呆れたような視線が横顔に突き刺さるが、彼はそれを無視して続きを紡ぐ。

 

「でもな。必要悪だけは、一握りの人間にしか出来ねぇ苦行だ」

 

 例えばの話だ、と宗司は右手の親指と人差し指を立てて銃の形を作る。

 

「あるところに壊れかけの船があったとする。乗客は百人だが、百人乗せたままじゃ重量オーバーで浸水していき、港に着く前に沈んでしまう。あと十人ほど降りれば、船の浸水も止まり、無事に港にたどり着けるだろう。そんな時に、その十人を誰が、どうやって決めるのか? 早く降りなければ浸水が進み、さらに多くの人間が降りなければいけなくなる。そんな時に必要なのは何か」

 

 バン、と吹けば飛ぶような口調と共に、右手を傾けた。

 

「必要なのは、その十人をさっさと海に叩き落とす冷血漢だ。殺してでも、船から突き落とすクソ野郎が必要だ。じゃなきゃ全員、船と心中だ。誰がやるのか? ――俺たちクソ野郎共に決まってる」

「そんな都合よく人数で浸水が止まるワケないじゃない」

「例え話だつってんだろ」

 

 重々しく決めたつもりが、彼女の軽口によって台無しになった。話の腰を折るような指摘に、一気に気力が削がれてしまった。

 

「……まぁ、あれだ。『郷原会』の会長に求められるのは、必要悪を貫けるだけの強さだ」

「あんたじゃ無理ね。さっさと真っ当な道に戻りなさい」

「俺にとっての真っ当は極道だ。言われなくたって、看板背負う覚悟はガキの頃から出来てる」

「ならさ」

 

 四条眞妃は動かない。

 平坦な声のまま、指摘するように鋭く言葉の刃で切り込むのだ。

 

「何であんた、そんな泣きそうな顔してんのよ」

 

 四条眞妃は容赦しない。もともと、手心を加えるような性格でもない。相手が本気で弱っているとしても、叱咤激励を飛ばして嫌われてでも立ち直らせる。損な性格と自覚していても、それを貫き通すお人好しと芯の強さが合わさった、そんな人間なのだ。

 

 だから、言葉に加減を一切しない。表情も冷たく突き放す様に取り繕った。

 

「――俺が、泣きそう? ……テメエ、ちゃんとその目見えてんのか?」

「失礼ね。私の目に狂い何てないわよ。そうじゃなくて」

 

 四条眞妃は腰を上げて立ち上がると、座って空を見上げていた宗司の顔を上から覗き込むように移動する。そして彼女は意地を張るように、力強い視線を激突させる。

 

「あんた、どこまで本気なワケ?」

「一から十まで本気に決まってんだろ。俺が今まで、どんだけ血反吐出るような思いで苦労してきたか、テメエは知らねぇだろうけどな。俺は、本気で『郷原会』会長の座につくために、力を尽くしてきた」

 

 事実だ。これまでの人生、その半分以上を極道に注ぎ込んできた男の言葉は、重みが違う。身体を地に引っ張る、強い重力のように圧し掛かってくる。

 

「ずっと爺の背中見て育ってきて、憧れた。あんな男になりてぇ、って思った。背中で語って、その背中にみんながついてくる。あの姿は――カッコよかった」

 

 遠いところを見る瞳は、既に彼女のことを捉えてはいなかった。こことは別の場所を、網膜の裏に投影でもしているのか、彼はどこも見ていなかった。

 

 今にもどこかに行きそうな遠い目をしながら、まなじりは緩やかに垂れて、口元は複雑な模様を結ぶ。一文字に見えて、少し歪んでいる。その歪みは笑っているようにも、噛み締めて何かに耐えているようにも見える。

 

 

 

「私の目に狂いはないの」

 

 ――はぁ、とため息が彼の横顔をかすめて通り過ぎる。

 宗司もそれには気づいていた。射抜くような視線で覗き込まれていることも、どこか責めるようにしかめられた表情にも。それでも、彼は遠い場所を見続ける。

 

「あんた、ちっぽけね。子どもみたいにちっぽけ」

 

 宗司の頭の上に、小さな手が乗せられる。

 

「外側ばっかり成長して、中身は小さいままじゃない」

 

 乗せられた手が、髪を梳くように柔らかく動く。

 その様は、まるで寝ている我が子を撫でるように、慈愛に溢れていた。

 

「次の日曜日、予定あけときなさい。会わせたいヤツが居るから」

 

 そっと手を離せば、彼女はさっさとそれだけ言い残して、屋上を後にする。

 彼女の背中を追うようにそよ風が吹くが、間に合うことなく屋上の入り口に衝突し、空に流れて霧散する。

 

「……何、わかんだよ」

 

 空を見つめた瞳は、力なく無機質に、ただ一点を見つめ続ける。

 

 頬を撫でるようなそよ風が、暖かかった横顔を冷やした。

 

 





モチベ回復に努めます()


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第十三話 盲目が見るシルエット

感想、コメント、高評価の方、大変励みになっております。
モチベを回復しつつ、少しずつ文章の方もリハビリができているかなと。

皆様の期待に応えられるように。
クオリティをより上げながら、本編を執筆させていただきます。

それでは、どうぞ。






 誰かに言われたからやるほど、この決意は安くない。

 祖父の反対を押し切って、疎んできたヤクザ共の視線を跳ね除けて。

 

 誰に頼られることもなく、誰に頼ることもなく、ただ独りで邁進し続けて。

 文句など言わせるものかと、知識をつけた。馬鹿だと、ガキだと見下されないために、誰よりも早熟を極めて勉学に励んだ。

 

 ただのガキには誰も従わない。力が必要だった。

 幸いにも、武力の方は祖父が相手を用意してくれた。稽古相手から何もかも吸収して、技術を磨き、体格が変われば技を体に慣らしていく。体格さえ出来上がれば、武力においても負けなしになった。

 

 だが、体が出来上がるまでは力で勝てるはずもなく、黒星が続く。そんなときに必要なのは、金の力だ。ただの武力で人を従えられないのであれば、金の力があれば人を従えられる。どうすれば金儲けができるのか、調べて、実践して、ただ無心に金を稼ぎ続ければ、いつの間にやら億万長者。

 

 力にも、金にも従わない人間がいる。本物の傑物は、大概そうだ。

 そういう人間は、人格に従う。高潔な後姿を見せつければ、何を言うでもなく後に続く者たちだ。だから学んだ。人道というものを。極道というものを。目指すべき姿を見て、聞いて、夢想して。その形に近づけるべく、幼い頃には仮面を被る。

 

 そうして、自らに装飾を施していくこと、気が付けば十年が経っていた。たかが十六の小僧が、十年もの間、自分につける装飾を手に入れ続けたのだ。歪に、それでも大きさだけは膨らんだ見た目に――

 

 ――誰も彼もが欺かれた。

 幼い頃よりその人となりを知っている祖父は、その本質を見抜いていた。だから、「9.信頼できる側近あるいは右腕を一人指名すること」の課題を宗司に課した。

 

 いつかきっと、彼の等身大を見つけられる腹心ができることを信じて。祖父として、孫を想っての課題だった。最後に残せるのはこれくらいだと、郷原宗玄は課題を出した。

 

 だが、彼と対等であれる者は――あまりに、少なかった。

 郷原の鬼才は、誰も寄せ付けぬ才覚を持ち合わせていた。直系二次団体の組長相手でさえ、退かず、媚びず、踏み越える。決して振り向かず、気づけば誰もが彼の遠い背中を見て、足を止めた。

 

 その歩みは早すぎた。

 背中についていこうとすれば、いつの間にか見失って、取り残される。

 

 百鬼夜行の如く列をなすことは決してない。新幹線に生身の人間が追い付けるだろうか。いいや、追い付けるはずもない。

 

 そんな彼の首筋に食らいつき、しがみついた小龍も居たが。

 気が付けば小龍も、彼の通った道の上で地に伏した。彼の歩みの余波が暴風となって、風にさらわれ大地に叩きつけられたのだ。

 

 また独り。だけれどそれが普通で、振り返る余裕もなくて。

 知り得なかった。背後に誰もいないことを。

 

 彼はまだ休むことなく歩み続ける。

 誰よりも憧れた背中に手を掛けるために。

 

 いつもの曇り空も、北風にさらされて雲が割れ。

 そこから顔を出した太陽が、道を照らす。

 

 憧れた影の背中に向かう道。

 顔も知らないけれど、誰かが自分に手を差し伸べる道。

 

 光の眩しさに目をくらませた彼は。

 ――その歩みを、初めて止めた。

 

 

 

 

 

 

 日曜の予定をあけておけ、などと一方的に取り付けられた約束。その日にやろうとしていた仕事をさっさと片付けて、時間を確保した彼に詳細が届いたのは金曜の夜だった。

 

 ――日曜の14時にこの前と同じ場所ね。

 

 短い文がメッセージアプリを通じて届く。結局、誰に会わせたいのか、その日に何をやるのかも知らされないまま、宗司は約束の日を迎えることになる。

 

 オシャレは前と同じようにカジュアルに。全体的に白や赤など明るい色合いのコーディネートで決め込んで、髪は緩くワックスで流すだけ。鏡の前で、あれでもない、これでもない、と渋面を作った彼はもういない。今は顔に傷跡の残る優男だ。

 

 彼が待ち合わせ場所に着いたのは約束の20分前だ。人に会わせる、などと言われれば第一印象を気にするもので、この男もその例に漏れない。待たせては悪いが、気を遣わせるほど早いのも良くない。その妥協点が、彼の場合は20分前だった。

 

 あらかじめ待つとわかっていれば、備えもある。手帳を開いて予定を確認しながら、その日に追加でやらなければいけないことを赤で追記。それを六ヶ月先まで用意していれば、時間はあっという間に潰れるもので。

 

「だーれ――」

「来たか」

 

 ひらり、と彼女の手をかわしてベンチから立ち上がる。声を上げる前から動いていた。まるで後ろに目でもついているかのような行動の早さ。むなしく空振る少女の両手が手にしたのは空気だけで、宗司が振り返ってみてみれば、不満に口を尖らせる四条眞妃が立っていた。

 

「ちょっと遊びに付き合うくらいの余裕を見せなさいよ」

「癖だから仕方ないだろ。掴まれたら昔はよく絞め落とされたからな」

「あんたは相変わらず物騒ね」

「それより……そっちが紹介したいって言ってた? 兄妹か?」

 

 すっと小川の清流のように視線を流した先には、人当たりの良さそうな少年が居た。猫のような瞳、短く切られていながら目立つ緩い癖毛が特徴的だ。顔立ちの中でも、吊り目でありながら小動物のように愛らしい目元と、猫科のような独特な瞳の虹彩、何より口元の動きが彼女とそっくりだった。

 

「双子の弟よ。ほら、アンタも挨拶する」

「――姉貴、ちょっとタンマ」

「うっさいわね。さっさと挨拶しなさい!」

「うわ――」

 

 四条眞妃に引っ張られ、男は宗司の前に立たされる。

 彼は恐る恐る、といった様子で顔を上げて――宗司の顔を見た瞬間、口の端を痙攣させて瞳が泳いだ。

 

「……郷原宗司だ。一応、お前の姉さんとはクラスメイトだ。よろしく」

「あ、これはご丁寧に……俺は四条帝っていいます。姉貴が変に迷惑かけていなければ――じゃなくて。え、郷原? あの、『郷原会』の、ですよね?」

「そうだが、敬語はやめてくれ。同い年だろ?」

「あ、うん。……って、そうでもなくて!」

 

 まるでウサギが走り出す様に素早く姉の隣に下がった彼は、その耳元に口を寄せて声を小さくした。

 

「ちょっと姉貴。聞いてないんですけど。極道の、それも郷原の鬼才が相手なんて聞いてないんですけど――!」

「聞いたらアンタ絶対に来なかったでしょ」

「そりゃそうに決まってんでしょ! この人どんだけヤバい人か姉貴知らないの!? へ、下手したら東京湾に死体が――」

「さっきからモロクソ失礼な会話丸聞こえだよ! あと見せしめ以外で極道がそんな稚拙なやり方するわけねぇだろ!」

「ひぃぃぃ――!? 帰る! 俺やっぱり帰る!」

「あー、もう。そっち方面に話振るからでしょうが。アンタはもうちょっと冷静に会話しなさいよ」

 

 首根っこを姉にしっかり掴まれて逃げられない帝は、それどもじたばたと抵抗を示す。ただ、彼女の手を力ずくで振り解かないところを見るに、本気で逃げようとしているわけでもないらしい。

 

「……何で学外のヤツにまで怖がられなきゃならん」

「あんたの日頃の行いでしょ。……あー、もう、そんな変な顔しない」

 

 眉間にしわを寄せながら、宗司の視線は下に向けられる。これに彼女はさっさと発破をかけると、掴んでいた帝の腕を握って関節をきめた。

 

「いだ、あだだだだだ!」

「アンタはそろそろみっともない姿引っ込める。……弟が二人いるみたいで一人じゃやってらんないわね」

「誰が弟だ、誰が」

「――わか、分かったから離して! 腕モゲる!」

 

 わかったならよし、と彼女は帝の腕を解放すると、二人の相対を見守るように一歩下がる。

 

「……それで? 何だって俺とこいつを会わせようとしたんだ?」

「良い友達になりそうだと思ってね」

「と、友達……? え、何で俺?」

「つべこべ言わない。……じゃ、私はこれから用事あるから。あとは二人で頑張りなさい」

 

 ――は? と、宗司と帝の声が重なった。そんな呆気にとられた二人を尻目に、四条眞妃は「じゃあね」と手を軽く振ってさっさとどこかに行ってしまった。

 

「……どうすんだ」

「……どうしよう」

 

 二人の言葉が、意図せずして重なった。それにお互いが反応して顔を見合わせ、再び何とも言えない微妙な空気にさらされる。はちみつのように粘々としながら、妙に肩にのしかかる重い雰囲気。

 

「とりあえず、アレだ。何怖がってんのか知らんが、大体誤解だからな。まず、その誤解を正させてくれ」

「……はい」

 

 両者、死んだ魚のような目で会話を始める姿は、何ともシュールであったことを追記しておく。

 

 

 

 

 

 

「ぞっが。だいへんだっだんだなぁ゛」

 

 誤解を解いていくと、気づけば身の上話にまで発展していた。お膳立てされた手前、その機会を台無しにすることに抵抗があった宗司は、四条眞妃の弟であるということも考慮した上で、その重たい口を開いて過去を聞かせた。

 

 効果は想像以上のもので、最後まで聞き終えた帝はハンカチで涙を拭きながら、汚い濁声で宗司を労わる始末。彼の心に刺さっていた恐怖の楔も、今ではすっかり抜け落ちている。

 

「言っとくが、このことは――」

「わがっでる。……姉貴にだって、言わない」

「それでいい」

 

 場の空気は比較的軽くはなったものの、今度は梅雨のように湿っぽくなる。宗司が用意した雨雲ということもあり、この空気に嫌気は差すが指摘するのも憚られた。

 

「姉貴が気に掛けるの、何か分かった気がする」

「なんだ、それ」

 

 一体、ただ話を聞いただけでどこに彼の姉と繋がる要素があったというのか。

 怪訝な視線を帝に向けていると、帝は赤みがかった瞳と頬のまま、ニカッと屈託のない笑みを返して言った。

 

「一人で背負い込み過ぎだって。そういうの見てると、助けたくなるじゃん」

 

 その言葉は、青天の霹靂のように宗司に大きな衝撃を与えた。

 帝の言葉に含みは一切ない。それこそ、青天のように清々しく真っ直ぐな様子に、聞いている方の胸が透くような気持の良さがある。

 帝の言葉に他意はない。純粋な善意と真実によって構成された音は、宗司の心に雷鳴を響かせた。そんなことがあるのか、と。

 

 なまじ優秀過ぎるせいで、疎まれることは多かった。自分より優秀な相手に対する嫉妬と悪意は、いつも当然のように付きまとった。

 物事を知らずに口を挟めば、当然のように疎まれる。邪魔者扱い、除け者に。

 

 優秀でも、無能でも疎まれ続けてきた。

 だから――助けたい、という言葉に誰よりも、動揺を覚える。

 

「……たす、ける? この、俺を?」

 

 無能であるときは、確かに助けられる側だったかもしれない。でも、それは人望についてきた人間ではない。祖父に言われたから。打算があったから。何か利があって、あるいは命令をされてのものだった。

 

 だが才覚を表してからは、いつも助ける側だった。無法者に絡まれるカタギを助けて、抗争で劣勢に追い込まれた組の人間に手を貸して、体を張って守り抜こうとして。

 

 優秀だから、すべて自分一人の手でどうにでもなった。

 誰かを従える必要がなかった。一時は浮かれることもあったが、結局自分は、誰よりも前に立って弾除けになる定めだった。誰かの手を借りるより、自分一人の方が上手くいった。自分一人の方が、早く終わった。自分一人だけなら、被害もなかった。

 

 誰よりも先にいたせいで、誰からの手も見ることがなかった彼には――

 

「そりゃ、物理的に何かするっていうのは難しいけどさ。話するだけでも、心って軽くなるだろ? だからさ」

 

 ――目の前に差し出される手のひらが、ただただ眩しく映った。

 

「友達になろうぜ。俺は宗司のことが気に入った」

 

 帝の声を聞いて顔を上げた宗司は、すぐに視線を彼の手のひらに落とした。直視していられないほど眩しかった。

 

「友達、か」

 

 眩しさにあてられて目を瞑る。答えは既に決まっていたが、今更、その返事に対する答えを言葉にするには、背中に這うような、頭が痺れるような恥ずかしさが付きまとった。

 

「……やっぱり、俺なんかじゃ頼りないか?」

 

 恥ずかしさに応えあぐねて沈黙していると、なぜだか耳に馴染みのある声音が耳をかすめる。思わず顔を上げてみてみれば――

 

「――」

 

 その顔に面影を見て、言葉を失った。

 面影を見るほど似ていることにも驚いたが、何よりも面影を見るほど心象に残していた自分に驚いた。

 

 胸がキュッと締め付けられるように苦しくなる。あまりに突然の症状に、頭の中はパニックを起こしていた。

 

 ――なぜ、何が、どうした。

 血潮が体の内側から己を焼くように熱くなる。もうほとんど冬だというのに、汗が出てくる。

 

 感情が沸騰するこの感覚は、いつ以来だろうか。

 それを考えると、今度は怖気の寒風に体を冷やされた。熱した鉄板に氷水でもぶちまけたように、感情が蒸気の霞に隠れていく。

 

(――いいや。だから俺は、誓いを背負ったんだろが)

 

 寒風に心身が凍えそうになっても、彼の背負う誓いが勇気の篝火となって心を照らす。

 

 

 

「いや。頼りにさせてもらうぜ、帝」

 

 

 

 宗司はまっすぐ帝の目を見て言葉にすると、差し出された手を取って握手に応じる。力強く、男らしく、がっちりと。

 その答えを聞いた帝は何とも分かりやすいもので、パッと表情を輝かせると、倣うように力強く握り返して、これまた強く頷き返した。

 

「あぁ! いくらでも頼りにしてくれていいぜ、宗司」

 

 人懐っこくも、男らしく凛々しい面持ちで応じる帝に。

 宗司はやはり、面影を見る。起伏の激しい少女の得意顔がチラついた。

 

「姉とそっくりだな」

「よく言われる」

 

 得意そうに、それでいて照れくさそうに帝ははにかんでいて。

 笑った時に見える八重歯は、そんな笑顔に負けず劣らず、同じように白く輝いていた。

 

 




孤独を知らない少年は光に照らされる。
暗くて何も見えなかった周囲が少しずつ照らされて。
そんな状況を見つめることができたとき。

彼は一体――何を見出すだろうか




とある一コマ

帝(え、今姉貴が声出す前に避けた……? 後ろに目でもついてんの? まさか気配だけで察知した、なんて現実に……? えっ、何それ怖っ)

顔面の傷以上の理由が隠れていた。




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