俺は多分間違えてない (まったりばーん)
しおりを挟む

1話

「昨日、貴方が逃がした子です。」

 

そう言って彼女は俺の前にまだ少年と呼べる位の小さな男の子を突き出した。

周りを取り囲む兵士達の声が少し大きくなる。

戦の後、皆を集めて個人を聖女の前に立たせるなど普通は表彰しかないからだ。

それがどうも違うらしい。

兵士達が騒ぐのも無理はない。

 

「この子は不遜にもこの聖女である私に石を投げつけました。そして、それを貴方は逃がした。」

 

彼女の淡々として、それでいて問い詰める様な口調に俺の心臓はバクバクと鼓動する。

どうしてバレた?

 

「暴かれない筈はありません。私は聖女、全てを見通す事ができるのです。ナルア、貴方の事なら特にね。」

 

俺の考えを見透かした様に言葉を続ける聖女。

そしておもむろに彼女は腰の鞘から剣を引き抜いた。

 

「私は寛大です。一度の過ちは許しましょう。私と貴方の仲なのですから…」

 

聖女は手にした剣を地面に突き立て指を離す。

これを持てという事だ。

 

「さぁ、ナルア、その剣で小さき罪人の首をはねなさい。そうすれば今回の事を無かった事にします。」

 

俺は言われるがまま突き立てられた剣を抜く。

柄にはまだ彼女の手の温もりが感じられた。

刃に「帝国に神征の加護あれ!」と刻まれた長剣。

彼女を…聖女を象徴する聖剣だ。

この剣を握る事が許されるのは彼女に付き従う騎士にとって大変名誉な事に違いない。

だが、今はそんな風には感じる心の余裕は無かった。

 

(どうしてこんな事になってしまったんだ…!)

 

剣を握る指が震える。

視界は何だかグニャリと歪んで見え、額からは変な汗が噴き出した。

昨日、聖女の指揮する神征で攻略した都市。

固く塞がれた城壁を突破し、戦いは我々の勝利に終わった。

そしてその都市の略奪の最中、せめてもの抵抗と聖女に石を投げた子供がいた。

すぐに捕らえられその処分は聖女から直々に俺に任された。

だが相手は年端のいかぬ少年。

父親は俺達によって殺され、母親は兵士達に嬲られた憐れな被害者だ。

俺はその子供をこっそりと逃がしただけなのに…。

 

「ナルア何をしているのです?今さら子供の一人や二人どうという事は無いでしょう?昨夜、この都市の城門を突き破り我々を先導したのは他でもない貴方ですよ?」

 

剣を抜いたまま動かない俺にそう催促する聖女。

眼前の少年と目が合う。

歯は恐怖でガチガチと鳴り、目は涙で潤んでいる。

助けて!

少年の二つの目はそう俺に訴えかけていた。

二度の催促にもかかわらず、それでも剣を振り上げない俺に聖女はそっと歩み寄る。

そして、満面の笑みを浮かべながら耳元で小さく呟いた。

 

「ナルア、私の為にその子を殺して?ねっ?」

 

内緒話をする様に、回りに聞こえない様に、子供がお願いする様に、彼女は小さく囁く。

その時だけは聖女ではなく俺のよく知る昔の彼女みたいだった。

 

「変わったなアミズ」

 

俺は短くそう応えた。

 

「…目覚めたのです帝国の聖女として」

 

久し振りに本名で呼ばれ一瞬、聖女は動揺して見せたがすぐに顔をいつもの澄ました顔へと戻した。

 

「ナルア、皆も待ちくたびれています。速く処しなさい。」

 

三度目の催促。

次はもう無いだろう。

 

「あぁ、解ったよっ…!」

 

聖女は俺から距離を取る。

その綺麗な軍服を少年の血で汚したくないようだ。

指にこめる力を強め聖剣を振りかざす。

剣は太陽光を反射させ神々しい光を辺りに放射した。

おぉっと周りの兵士が歓声を上げる。

剣を握っている俺でも解る位、その輝きは神秘的だった。

刻まれた文字列以外は一つの錆も、傷も、歯こぼれもない白刃。

 

「ヤルストヴァ帝国に栄光あれっ!」

 

そう怒鳴ると俺はそのまま地面に聖剣を打ち付けた。

金属が割れる音が辺りに響く…俺は聖剣を叩き割ったのだ。

 

「あぁっ!ナルア!どうしてっ!?」

 

アミズは目を丸くする。

聖剣を折られた事よりも俺が言う事を聞かなかった事に驚嘆している様子だ。

 

「どうして私の言うことが聞けないの?」

 

信じられない物を見る様な目で俺を見る聖女。

もしかしたら、俺が彼女の言うことに背いたのはこれが初めてかもしれない。

 

「すまないアミズ…もう俺はお前についていけない、俺はこの戦いから抜ける。」

 

「…っ!?」

 

アミズは俺から放たれた言葉に絶句すると、手から魔法の炎を産み出した。

 

「そう…なら立ち去りなさい、代わりに私が処しましょう。」

 

アミズは少年を睨み付けるとその炎を放つ。

少年はあっという間に青い炎に包まれた。

何度となく見た彼女の炎魔法。

詠唱もせず手を動かすだけで対象を灰に変えてしまう。

悲鳴を上げる間もなく人間をすぐに灰にするなど、並大抵の魔法使いでは不可能だ。

この膨大な魔力こそ聖女の聖女たる所以である。

 

(もう、帰ろう…。)

 

炎熱によって上昇した風に運ばれ、先ほどまで少年だった白い灰は天に召されるかの如く空へと運ばれていく。

俺はそれを尻目に踵を返した。

彼女は変わってしまった。

もう一緒にはいられない。

幸運な事に背を向けた俺がアミズの魔法で灰になる事はなかった。

 

────

 

聖女様の神征、8つ目の都市を占領!

 

「流石聖女様だ!」

 

「ヤルストヴァ帝国バンザイっ!」

 

教会に張り出された壁新聞に書いてあるのは今日も聖女の神征についてだった。

通りかかる人々は皆、壁新聞を覗くと歓喜の声を出し笑いあう。

新聞によると神征は順調に隣国の土地を蹂躙している様だった。

二年前、俺が聖女アミズに逆らい離脱した神征だ。

それは帝国に千年も前から伝わる伝統行事。

数十年から百年に一度、帝国領内に莫大な魔力を持った子供が産まれる。

男なら勇者、女なら聖女と呼ばれるその子供を帝都の宮殿に招聘して教育し、成長した所でその人間を筆頭に他国へ十年にも及ぶ軍事進行を行うのだ。

莫大な魔力を持ち戦術レベルの魔法をいくつも使える勇者、聖女は訪れた先の村、都市、要塞、その全てを粉砕する。

神に祝福され産まれた彼等の侵略は、全て神聖かつ正義の為の戦いである。

その考えを基に実施される神征は神とは名ばかりで、実際は一方的な虐殺と略奪だ。

そしてこれが我がヤルストヴァ帝国に利益をもたらすのである。

昔話や神話の中では神征は魔王に立ち向かう正義の戦いと描かれており、帝国の国民はそれを未だに信じている。

かつては俺もそうだった。

だが、俺は現実を見てしまった。

だからこそこうして今、俺、ナルア・アズナンは帝都に帰ってきた。

 

「ナルアっ!私、聖女様になれるみたい!」

 

聖女アミズからそう告白されたのはもう10年も前の事。

アミズが現人神として見いだされる前、俺と彼女はいわゆる幼なじみの間柄だった。

同じ帝都の下町に同じ時期に産まれ、12歳になるまで隣人として一緒に過ごした。

昔から大人びていて賢く、やけに魔力が高いとは思っていたがまさか聖女の素質を持っていたとは思わなかった。

子供ながらアミズに惹かれる所があった俺は宮殿から来た迎えの馬車に乗りこむ彼女にこう言ったのだ。

 

「俺、絶対、神征に参加できる様に頑張って勉強なするからなっ!待っててくれ!俺はアミズの騎士になる!」

 

「うん待ってる!ナルアが私の騎士になったらそれって昔話と同じだねっ!」

 

 

帝国史上初めての神征を行った勇者は側近の騎士として常に幼なじみの親友と行動を共にしていた。

俺と彼女の少年期最後のやり取りはそれを踏まえて会話だった。

そして俺は約束通り苦学し、遂に彼女の直系の兵士に成り上がる事ができたのだが…その後はさっきの通りだ。

アミズは宮殿の教育を受けて変わってしまった。

より聡明に、より気高く、より強く、そしてより残酷に…。

 

「はぁ…」

 

俺は壁新聞を見ながらそうため息を一つ吐くと人目を避ける様にその場から去った。

家に戻ると郵便受け一杯の手紙が俺を迎え入れる。

いくつかの便箋だったり封筒は入りきらずに郵便受けの入れ口から溢れ出てきてしまっていた。

もう見慣れた光景だ。

俺はその郵便物の束を抱え込んで家の扉を開けた。

家に帰ってそうそう、またため息がでてしまう。

この手紙の殆ど全ては俺への苦情なのだ。

 

「聖女を裏切り恥を知れっ!」 「非国民め何故まだ生きている!」 「貴様にまだ一等市民権がある事自体、神への冒涜である!」

 

多分そう言った事が書いてある。

昨日も一昨日も三日も前も…二年前からずっとそうだった。

流石に顔は割れていないが、俺が神征に参加する時、聖女の幼なじみだという事で大々的に宣伝されたので名前と住所が流出した。

その為帝都に戻ってからというもの、こうやって嫌がらせの手紙を受けている。

今では少なくなったが窓に石を投げ入れられる事も日常茶飯事だった。

聖女を裏切り帝都に逃げ帰った男。

それが帝国内での俺への評価である。

二年前、俺が帝都に戻った時には既にさっきみたいに壁新聞でナルア・アズナンが聖女の意向に逆らい戦列から外れたという事が周知されていて、両親は懐かしの我が家に居なかった。

恐らく周囲からの視線に耐えられなくなり田舎にでも移住したのだろう。

非国民の両親などと後ろ指をさされば誰でもそうする。

それ以来、両親とは音信不通だ。

勿論、張本人である俺だってそうしたい。

だが、この帝都に愛着があるから離れ難いし、何より移住しようにも、俺がナルアだと解ると家主達は家を貸してくれなくなるのだ。

当然、そんなんだから非国民である俺を長く雇ってくれる仕事もない。

名前を気にしない日雇いの仕事で食い繋いでいるのが現状だ。

そんな憂鬱な思考になりながら腕いっぱいに抱えた手紙の名前を確認する日課を始める。

殆ど俺の罵詈雑言だが極稀にかつての友人からの手紙がくる。

それにもしかしたら、両親からの手紙が混じっているかもしれないから…そんな淡い期待を持ちながら手紙を手に取る。

 

「ん?」

 

一つ、また一つ、手紙の差出人名を確認していると思いがけない名前があった。

俺はその封筒をペーパーナイフで丁寧に開封する。

 

───話がある。今日の夜、宮殿前の酒場で待っている。必ず来い。

 

手紙には簡潔にこう書いてあった。

久し振りに外食ができるという予感に自然と俺の鼓動は高鳴った。

 

───

 

「久しぶりだな、城壁崩しのナルア」

 

「やめてくれ、今は非国民のナルアだよ」

 

帝都の政治中枢であるヤルストヴァ帝国の宮殿。

その近くにある宮殿勤めの役人御用達の酒場。

酒場にしては少し豪華な店の個室で俺はかつての同僚と対面していた。

彼の名前はリアーツブル。

聖女の右腕と言われる騎士で神征の主要メンバーだ。

屈強な体に似合わず顔は二枚目のモテ男だが、その綺麗な顔に横一閃についた古傷は彼が戦士だという事を証明していた。

 

「それにしても聖女の右腕が帝都にいるとはびっくりだ。いつ戻った?」

 

「三日前。聖女様からのご命令でな、五年ぶりの帝都を楽しんでいる所だ。」

 

彼はそう言ってブロンドの前髪を揺らしながらグラスに入ったワインを傾ける。

彼はそんなに酒に強い方ではなかったが、久々の帝都という解放感から再会の乾杯もせずに二杯、三杯と追加の酒をオーダーしていた。

まぁ、裏切り者と乾杯もしたくないのかもしれないが。

 

「で、話ってなんなんだ?」

 

俺は早速本題を切り出した。

リアーツブルが酔いつぶれて話が聞けなくなると困る。

こいつの事だ。ただ懐かしいからと会いに来たわけではあるまい。

 

「あぁ、それなんだが、俺が帝都に帰ってきた理由でもあるんだ。聖女様からお前に伝言を頼まれてな…」

 

「伝言?」

 

俺は首を傾げる。

俺が神征から去って二年、アミズから何の連絡もなかった。

それが今更、どうして?

 

「お前、神征に戻る気は無いか?」

 

「それは本気で言っているのか?」

 

相手の問いかけに疑問形で返す。本来、会話でしてはいけないタブー。

そんな俺の脳内に甦るのは、二年前アミズが神征の兵士全員の前で一人の少年を焼き殺した記憶だった。

あの場にはリアーツブル、こいつも居た。

俺とアミズの確執を知らない人間ではない筈だ。

 

「少なくとも聖女様は本気だ。お前の事を話しながら泣いていた。お前が去って二年、まだ聖女様はお前の事を想っておられる。」

 

神妙な顔になったリアーツブルは言葉を紡ぐ。

 

「それに俺個人としてもナルア、お前に戻ってきて欲しい。お前が居なくなってから神征に遅れが見えている。今回の神征も折り返しの五年を迎えたがまだ予定の半分にもいっていない…この通りだ。頼む。」

 

そう言って頭を下げるリアーツブル。

こいつはこう見えてもプライドが高い。

こうやって頭を下げるという事はリアーツブルも本気なのだろう。

それとも、俺を持って帰らないとアミズという絶対的な上司に怒られるからだろうか?

 

「リアーツブル…お前はあの神征を何とも思わないのか?」

 

声を一段と低くしてリアーツブルに問いかけた。

神征とは名ばかりの侵略と略奪。

俺が消えた後もあれに変わりはないのだろう。

こいつは…リアーツブルはあの光景に何の疑問も感じないのだろうか?

それが気になった。

 

「ふむ、神征は少々残酷だと俺も思う。」

 

俺の問いかけを否定するでもなくリアーツブルは顔を上げた。

 

「なら解るだろう、俺が抜けた理由も」

 

「あぁ、しかし、それでも俺は神征を悪い事だとは思わない」

 

続くリアーツブルの言葉に俺は冷水をかけられた様な心持ちになった。

 

「確かに残酷な行為だ。しかし、そのお陰で我が帝国は発展してきた。穀物の生産を占領した支配地の人間にやらせる事でヤルストヴァは千年もの間飢えを知らない。巨人族を隷属させた事で鉱山の稼働率は上がり、かつては貴重だった金属器も当たり前となった。今、こうして俺達が飲んでるワインだって前の神征でエルフの森を焼き払いブドウ畑にしたから楽しめるんだ。これ以外にも今までの神征で帝国が受けた恩恵は数えたらキリがない。」

 

「なら略奪と暴力はどうだ!あれも正当化できるのか!?」

 

俺はつい、声を荒げてしまう。

二年前、石をアミズに投げつけただけで殺された少年。

その少年の助けてくれと懇願する瞳が脳裏に過る。

彼は果たして殺される程の大罪を犯したのか?

彼も、彼の父親も、母親も、あの都市の人々も、皆、ただ神征のルート上にあったからという理由だけでごく普通の日常を奪われたのだ。

前触れもなく、ろくな抵抗もできず…。

それに答えるリアーツブルの言葉は俺の予想を遥かに上回る物だった。

 

「俺はそれでいいと思ってる。兵士達だって命を懸けて戦っている。略奪も暴行も言ってしまえば、勝者の特権だ。それにああいった場でフラストレーションを発散させた方が良いだろ?例えば戦場でケダモノなった彼らがそのまま帝国へと戻ってきてストレスから犯罪をしてしまっては元も子もない。それに何より、神々のご加護を受けた聖女様が黙認していらっしゃる。それでいいじゃないか?」

 

「なっ…」

 

開いた口が塞がらないとはこんな時に使う言葉だろう。

リアーツブルは神征という行為を何一つ問題とは思っていないらしい。

だって帝国が繁栄するから、だって聖女がそう認めているから。

それが絶対的な免罪符になってしまっている。

 

(ズレている何もかも…)

 

俺はワインを再び口に運ぶリアーツブルを見て、何とも言えないもどかしさを感じだ。

 

「なら議論するまでもない、俺とリアーツブルじゃ価値観が違う。いくら頼まれたって神征には戻らない。」

 

リアーツブルは目を細めた。

 

「ナルアならそう言うと思ったよ。でも本当にそれでいいのか?帝都に戻って最近のお前の事を調べさせてもらったがぁ、満足のいく暮らしをできているのか?連日、嫌がらせで一杯の郵便受け、定職にも付けずこのワインの値段にも満たない銅貨3枚の仕事で家計は常に火の車。家族でもいればいいんだろうが、帝国国内じゃあお前と結婚する様な女はいないだろう。このままだと孤独死しかないな。」

 

「お前には関係ない…」

 

「そうかもな、俺には関係ない。だがお前さんの両親はどうだ?城壁崩しのナルアと呼ばれる立派な子供をもったと思ったら、あの日を境に売国奴だ。相当堪えただろうな…お二人さんも息子が神征に戻る事を願っている。」

 

「両親の事を知っているのか!?」

 

ずっと消息を掴めなかった両親の事を知っていそうなリアーツブルの口振り。

それに思わず身を乗り出す。

知っているのなら教えて欲しい。

 

「その様子じゃあ、やっぱり知らなかったんだな、お前の親父さんとお袋さんは壁新聞にあの事が書かれた三日後に帝都のイヤニドゥ川に身を投げて死んだんだとよ。愚息の責任は私達が負う。だからどうか愚息を責めないでやって欲しい。きっと再び聖女様の為にと剣を取る筈だから…遺書にはそう書いてあったよ。ホラッ」

 

バサッと目の前になげだされる紙の束。

 

「今朝、帝都の証拠物の保管庫から引っ張り出してきた。」

 

慌てて、黄ばみが少し出始めたそれを手に取り広げて見ると、確かに懐かしい両親の筆跡で今、リアーツブルの言った事が書かれていた。

 

「嘘だ…そんな…じゃあ父さんと母さんは俺が帰って来た時にはもう…?」

 

「そういう事になるな」

 

彼の口から放たれた残酷な事実に俺の脳は処理が追い付かない。

今まで連絡がなかったのは俺の事を見限ったからではなく…!

 

「墓には何て刻まれてるか知ってるか?」

 

「やめろ…頼む…もう、やめてくれ」

 

俺の懇願を無視してリアーツブルは真っ白になった俺の思考にとどめを刺した。

 

「息子を信じた健気な夫婦ここに眠る。哀れな二人に聖女の加護あれ!…ナルア、戻ってこい、お二人と聖女様の為に!」

 

直後、俺は弾き出される様に個室を飛び出した。

後ろでリアーツブルの呼び止める声が聞こえたが、今は一秒でも早くこの場から逃げてしまいたかった。

 

(嘘だ…!嘘だ…!嘘だ…!)

 

夜、日の沈んだ帝都の歓楽街を走り抜け、郊外に出たところで膝をつく。

ついさっきリアーツブルの言った事がどんなナイフよりも鋭く胸に突き刺さっていた。

あの優しかった二人が何の連絡も寄こさないのはおかしいとは思っていたが、とっくのとうに死んでしまっていたなんて、そんなの信じたくもない。

そしてその事に二年も気付かなかった自分が、悔しくて、悔しくてしょうがなかった。

 

(それも、俺のせいで…!)

 

二年前、見知らぬ国の少年を哀れに思いとった行動が、よく知った肉親の命を奪う結果になってしまった。

とんだ親不孝者だ。

それに結局あの少年も殺された。

三人の命を失って得たものは後ろ指を指され、皆から嫌がらせを受ける毎日。

 

「あんまりだ…こんなのって…」

 

そんな弱音が自然と口から漏れた。

やっぱり聖女に逆らうなんて、やってはいけない悪い事だったんだ。

さっきの会話で俺はリアーツブルの考え方がズレていると思ったが、それはどうやら違うらしい。

 

「ズレているのは俺の方だったんだ…!」

 

この国で神征に疑問を感じている奴なんて一人もいない。

この国ではそれが普通の事。

あれだけ常に他人の痛みを考えられるような男になれと俺を教育した父さんも、いつも優しく困っている人を見たら放っておけないお節介者だった母さんも、皆が皆、神征は正しいことだと思ってた。

異常なのは俺だったのだ。

 

───ナルア、戻ってこい!お二人と聖女様の為に!

 

その結論を俺の頭が導き出した所で、リアーツブルの言葉が思い起こされた。

そうだ、父さんも母さんも、それと同じくらいアミズはいつも優しく正しかった。

きっとあの時、少年を殺したのも何か俺では理解できない深い意味があったのだろう。

そんな事を理解できないなんて昔の俺はなんて浅はかだったんだ。

 

(アミズは優しいな、裏切った俺にもう一度チャンスをくれるなんて。)

 

この段になってもう俺は神征に戻ることに決めていた。

だって両親がいない今、俺に優しくしてくれるのは帝国でアミズしかいないだろうから…。

 

───

 

「今頃、リアーツブルはナルアに会っている頃合いかしら?」

 

聖女アミズはたっぷりと湯を張った湯舟に肩まで浸かりながら不意に呟いた。

ここはアミズが休息の為にと接収した豪邸。

つい数日前まではこの都市の貴族が住まいにしていた屋敷である。

ここの屋敷の元々の主は上流階級でありながら勇敢で、民を想い、最後まで剣を手に取って神征に抗った。

が、そんな勇気は聖女を前にしては蛮勇でしかない。

その貴族は抵抗虚しく、聖女アミズに名乗りを上げる間もなくこの世界から消え去った。

おそらくアミズは自分がこの館の持ち主を直接手にかけたとは思ってもいないだろう。

 

「そんなに彼の事が好きなのかい?」

 

湯舟のすぐ横に立っていた人物が聖女の呟きに反応する。

 

「あら、口に出ていまして?」

 

どうやら口から零れ出た言葉をアミズは意識していなかった様だ。

彼女は一瞬驚きの表情になる。

 

「そうね、私、ナルアの事が大好きなの。小さい時から…知ってます?ナルアったら私より産まれたのが数か月程、遅いんです。でもナルアはそれを知らずに私の前では何故かお兄さんぶろうとして、それがなんだかズレてて可愛かったわ。だからよく彼にちょっと無理なお願いをしたの。子供ながらにひどいと思うけど私の為に頑張るナルアの姿を見たら、いっつも幸せな気持ちになれたわ。」

 

「じゃあ二年前のあの時、どうして引き止めなかったのかね?」

 

アミズと会話する人物はさも当然の事を彼女に問いかけた。

アミズは去ろうとするナルアを止めるでもなく、咎めるでもなく、馬に乗り帝都の方へと帰っていくナルアをただ眺めていただけだった。

 

「そんな事をしたら私がナルアに本当に嫌われてしまいます。彼、ああ見えて意固地な所があるから、怒っている彼を無理やり引き留めようとすれば、いくら幼なじみの私でも話してくれなくなってしまうかもしれません。それは嫌。」

 

チャポンッとアミズは両腕で水鉄砲を作り会話している人物の方へとお湯を弾いた。

水鉄砲をかけられた人物は嫌そうに顔を歪める。

 

「でも、二年経った今は違うでしょうね。ナルアは二年間、帝都で孤立して生活してきました。だからあの人は今、優しさに飢えている。そんな時に慈悲深い、この聖女アミズが手を差し伸べれば自分から進んでこの神征の戦列に舞い戻る。勿論、禊として少し彼には試練を与えますがね。」

 

「そんなに上手くいくかね?」

 

「上手くいきますよ。だって私は聖女なんですから?それはアナタが一番良く解っているのではなくて?」

 

「そうだったな聖女さま。ところでもうそろそろ時間だぞ?私はそれを伝えに来たんだ。」

 

「あら?そういえば時間になったら教えてとお願いしてましたね。ありがとうございます。」

 

アミズは今、思い出したと言わんばかりに勢いよく湯舟から立ち上がった。

その勢いで大理石の床にお湯が溢れだす。

彼女はこの人物に時間になったら風呂から出るように教えてくれと頼んであったのだ。

 

「聖女様、こちらに」

 

「ありがとうね」

 

アミズが風呂から上がると待ってましたと侍女がおおきなタオル持って待機していた。

この屋敷にあったものだろう、一見してそれが上等な物だと解る。

アミズがそのまま侍女に近づくと、侍女はアズミの体を拭き取り始めた。

まず、長く真っすぐ伸ばした銀髪を、ついでその白樺の様に白く細い肢体を、そして最後に彫刻の様に整った顔を…。

一連の動作が終わると、水気はすっかりなくなった。

一度拭えば拭き直す事は一切ないその手付きは、侍女がこの道のプロというだけではなく、長年アミズに仕え彼女の体の構造を隅々まで理解しているから成せる業である。

実際、この侍女はアミズが宮殿に招聘されて以来、この聖女の世話を任されており聖女にとっては家族や幼なじみのナルアに次いで付き合いの長い人物だった。

そんな侍女が何となくアミズにこう問いかけた。

 

「浴場にいらっしゃる方のお着換えもご用意してよろしいでしょうか?」

 

「はい?」

 

「ですから先ほどまでご歓談をされていた方のお着換えです。お召し物が見当たりませんので、用意させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

侍女が浴場の出入り口で待機を始めて少ししてから、侍女の耳にはアミズが誰かと喋っている声が聞こえ始めていた。

仲の良さそうな喋り声。

だから、アミズが友人かだれかと一緒に沐浴をしていると考え、脱衣所にその人物の服がなかったことから相手の着替えを用意しようかと提案したのだ。

しかし、聖女は笑いながらそれを断った。

 

「何を言ってるの?私は一人でお風呂に入っていたのよ?」

 

「えっ!しかし、お声が…」

 

「本当に一人よ、ほら」

 

浴場の扉を開け、中を指さす聖女。

それに従う様に侍女も訝しげに、浴室内を覗くが確かに中には誰もいない。

そこにあるのは大理石の床と、木製の湯舟だけである。

 

「私はたまに独り言を言ってしまう時があるの。驚かせてごめんなさいね。」

 

無人である事を不思議がる侍女に聖女は笑みを絶やさずそう言った。

その銀髪は風呂上がりだというのに、とても神秘的に輝いていた。

 

───

 

 

「ナルア、お前の気が変わってくれて嬉しいよ。天国のご両親もきっと喜んでいるだろう。」

 

翌日、俺は再びリアーツブルのもとへと足を運んでいた。

 

「ズレていたのは俺の方だったんだ。また帝国の為に戦わせてくれ。」

 

「その言葉を待っていた。昨夜、お前が酒場を飛び出した時はビックリしたが、そう決心してくれたのなら聖女様も喜ぶ。」

 

「あぁ、アミズにも悪い事をしてしまった。謝らないと…。」

 

俺が何となくアミズの名前を口にするとリアーツブルは少し苦い顔になった。

 

「お前と聖女様の仲だから多少は解るが、こう大勢のいる場で聖女様のお名前を口にするのは辞めろ。」

 

俺は周りを見渡す。場所は昼間の帝都繁華街。

勤め先へと急ぐ者、馬車で荷物を運ぶ運送屋、子供は路地裏で元気な声を響かせている。

確かにリアーツブルの言う通り、ここで聖女の名前を敬称もつけず口に出すのはあまり褒められた事ではない。

保守的な人間や敬虔な聖女信奉者が居たら無礼者だと激昂する。

宮殿の主である皇帝ですらアミズには敬語を使うし、無邪気な幼児がアミズの名をそのまま漏らしてしまえば、教会神父からのヤルストヴァ帝国史を絡めたありがたいお説教が待っているのだ。

それ程までにこの帝国では聖女が神聖視されている。

 

「すまない、つい、昔の癖で…」

 

「ったく、次から気をつけろよ?神征にも戻るんだからな?」

 

ばつの悪い顔になる俺にやれやれと小言を続けるリアーツブル。

長い事他人との接触がなかったから失念していた。

それに頭の中では聖女…アミズの事はいつもそのままで呼んでいる。

それは何年たっても、アミズが聖女になってからも変わらない。

 

「それでいつ出頭すればいい?昨夜の内に二年前の装備は整え終えた。いつでも行ける。」

 

話題を切り替える様に意気揚々と腰に巻いたベルトを見せてみる。

俺が二年前まで神征に参加していた時に付けていたものだ。

 

「お、頼もしいな、だがナルアには神征に戻る前にやってもらいたい事がある。というかそれがお前が神征に復帰する為の条件だ」

 

「やってもらいたい事?」

 

「おう、俺はお前にすぐにでも戻ってきて欲しいくらいなんだが、流石にそれだと甘いって話でよ、何か戻る前に武功を立てるようにと話し合いで決まったんだ。」

 

「武功って?帝国は今、神征以外に戦争なんかしてないだろう?武功を立てるたってどこで敵将を打ち取ればいい?」

 

栗毛の騎士の発言に俺は首を傾げた。

神征は聖女と帝国の常備軍を使って行われる一大攻勢。

勿論、聖女不在の時期を狙って帝国が敵国に襲われないよう、最低限の守備隊は残しておくが神征の片手間に戦争をやるなんて不可能だ。

 

「なぁに目途は立ってるんだ。何も武功なんて形だけでいい。」

 

心配そうな俺の表情にリアーツブルは大丈夫だと言わんばかりに言葉続けた。

 

「国内に聖女と主力軍がいない間に、帝国の支配から逃れようとエルフの部族が蜂起した。昨日飲んだワインの原産地だ。」

 

形だけ、と楽そうな事を言った後にリアーツブルがサラッとんでもない事を言ったので俺は目を丸くする。

 

「蜂起、それって、内乱って事じゃないかっ!」

 

思わず声を大きくする俺をリアーツブルは唇に人差し指をあてて抑え込んだ。

 

「シーッ声大きいっ!皇帝はこれが他の被支配領地に飛び火しないようにと緘口令を敷いたばかりだっ!ただでさえ神征の予定が遅れているんだからなっ!」

 

だが静かにしろと言われて静かにできる話題ではない。

 

───ヤルストヴァの辞書に内乱という言葉は無い

 

そう諺に表される程、ヤルストヴァ帝国では何百年もの間、抵抗運動も内乱も起きていなかった。

それは帝国がある時は融和を、そしてある時は圧倒的な武力を背景に、悉く帝国領内の火種を事前に摘み取って来たからだ。

徹底的にやったのは巨人族がいい例で、その巨躯から危険な存在と判断された巨人族は小柄な物を除いて子供を作る事を許さず、残った小柄な巨人族も人間の罪人との交雑でしか子供を残す事を許さなかった。

そのお陰で今残っている巨人族に純粋な巨人族はいないし、種族全体としてもかつて存在したとされる木の丈を超える巨人はいない。

せいぜい人間の倍程度(それでも大きいが…)がいい所だ。

それ以外は確かに背は高いが、圧倒的という程ではない。

そしてその巨人もどきが鉱山夫として使役されている。

危険と判断したら種族として絶滅させる。

こういう姿勢を千年も続けてきたからこそ人間も非人間種も含めて独立運動をしようと考える者はいなかった。

それが、しかも人間に次いで頭の良いとされるエルフ種に反乱を起こされるとは。

エルフ達は自尊心の高い種族だが、絶滅とプライドとを秤にかけられない種族ではない筈だ。

 

(何が彼等をそうさせた?)

 

「そこでナルア、お前にはこの反乱の鎮圧をしてもらいたい。なに、安心しろ、数の少ない奴等の事、反乱軍も多くて百人規模。しかも反乱に参加したのは戦争経験なんてない農場労働者が大半だ。そこに城壁崩しのナルアが行く…二年前の戦場より楽だろう?」

 

未だ衝撃から冷めきれていない俺をよそに、リアーツブルはかつての栄光の渾名を出してきて肩を叩く。

お前ならできるだろ?リアーツブルの顔にはそう書いてあった。

 

「まさか一人で行けなんて言わないよな?」

 

「当たり前だ。お前には鎮圧の現場指揮をしてもらいたい。下に一個小隊程付ける。指揮しながら戦ってくれ。」

 

「おい、数が少なくないか?百人規模の反乱に一個小隊?数が少なすぎる。罪人集めた懲罰部隊でもあるまいし…」

 

「優秀な奴等を選別して預ける。それにいくら御膳立てされた武功でも、それ位のインパクトがないとお前の復帰は無理なんだよ。それにこれは聖女様が決めた事でもある。」

 

「アミズが?」

 

「そうだ、やってくれるな?」

 

一個小隊で百人規模の反乱の鎮圧。

本来ならあり得ない様な命令でもアミズの名前が出されてしまえば俺は承諾せざるをえない。

 

「あぁ、解ったよ」

 

それ程までに今の俺の心はアミズという癒しを求めていた。

 

───

 

「中々様になっているじゃないか、どうだ?二年振りの軍服は?」

 

「なんだか久し振りで首元がスカスカするな…うまく動けるか不安だ。」

 

軍馬にまたがり、帝国制式の軍服と野戦鎧を着ている俺を見て満足そうな顔をするリアーツブル。

あのやり取りから俺の出立の日まですぐに経った。

ここは帝都の城門前。

今、エルフの反乱鎮圧の為に俺と指揮下の一個小隊が隊列を組んでその門が開くのを待っていた。

ズラリと馬にまたがり鎧を着こなした兵士達は一個小隊と数は少ないものの、隊列が崩れておらず、彼等が手練れである事を伺わせる。

 

「おいおい、そんな事言わないでくれ目的地まで道中長いと言っても今月中には戦闘はあるだろう。その時までに慣れてくれよ?」

 

「あぁ、それまでには嫌でも慣れてるさ」

 

件の場所は帝都から駿馬を使っても週が二つほど変わってしまう。

そんな所に小規模とは言え部隊が隊列を組んで移動するのだから目的地までは週を三つまたぐ事は覚悟しなければならない。

ただ単純に兵が馬に乗って動くのなら、速度を重視しての移動ができるが、遠征は兵の移動以外にも諸々の制約が伴う。

騎馬以外にも食料品や武器、野営設備を乗せた馬車、経由地の確保。

今回は用意されていないが火砲を運搬する時なんぞは地形も考慮して移動しなくてはならない。

今回の遠征も途中経由地を挟んで速度よりも無理ない動きを意識した方が良いだろう。

そんな風に目的地までの移動の算段を頭の中で練っていると俺とリアーツブルの会話に近づく影があった。

 

「貴方が初代城壁崩しのナルア・アズナンですか?」

 

そう言って俺に声をかけていたのはとんでもない巨体の持ち主。

背丈は俺の家の天井ギリギリ位にはある大男。

乗っている馬も騎馬用の駿馬ではなく、馬車や農工具を引っ張る時などに使われる大型の力強い品種だ。

 

「リアーツブル、彼は…」

 

リアーツブルに説明を求めると彼はその巨漢の経歴を簡単に解説してくれた。

 

「あぁ、こいつはナキレヴ。お前が神征を抜けた後に代打で神征に参加した。この小隊の先任隊長だ。俺が帝都にお前の代わりを頼むと打診したら送られてきて、今じゃ二代目城壁崩しと呼ばれている。お前に勝るとも劣らない、優秀だぞ。」

 

「私はこの小隊の先任指揮官のナキレヴです。よろしくお願いします。」

 

ナキレヴと名乗った巨漢は体形に似つかわしくない丁寧な言葉で挨拶する。

 

「ご丁寧にどうも、ナルア・アズナンだ。一緒に頑張ろう。」

 

「ありがとうございます。実は前々から興味があったんですよ、私と同じ城壁崩しと呼ばれているからにはどんな大男だろうって…失礼ですがそんなに大柄ではないのですね。」

 

「あぁ、背丈は平均だと自認しているよ。キミはその、背が高いな…。」

 

そう言ってナキレヴを見上げる。

どんなもの食ったらこんなに成長するんだ?

おそらく彼が馬から降りてやっと馬上の俺と目線が同じになる。

 

「ええ、私は血を引いているんです、巨人族の」

 

彼は巨人という部分を少し濁し気味に伝えた。

 

「ナキレヴは金鉱従属の鉱夫だったんだが、神征に加わることで一等市民権を得たんだ。まぁ、巨人族っていっても血は大分薄まっている。皇帝陛下の赤児である事には変わらない、帝国臣民だ。今回は彼がナルアに会ってみたいというから神征からはるばるこっちにやって来て貰った。」

 

リアーツブルは彼の言葉を補足する。

田舎の人間ならまだしも、帝都出身者の中には亜人種に偏見を持つ者が多くいるからだ。

亜人の戸籍上の扱いは二等市民や三等市民などと市民と銘打ってはいるが、結局のところ人間という一等市民に隷属する奴隷でしかない。

勿論、人間でも全員が全員、一等市民というわけではない。

過去に神征によって支配下に置かれた地域の人間は二等市民だし、両親が帝国の一等市民でも罪を犯せば二等市民や三等市民に格下げされ、それが大罪ともなれば市民権を剥奪され、軍の使い捨て前提の懲罰部隊に編入される。

逆を言えば帝国国内の亜人達は産まれながらにして犯罪者の烙印を押されているのだ。

だが、そんな彼等でも志願し、兵士となって国に奉仕した事が認められれば一等市民権が付与される。

周りからの視線は変わらないが、種族毎に決められている隷属労働から解放されるのだ。

ナキレヴの様な巨人族なら鉱山労働から解放される。

 

「俺は今まで多くの亜人種の兵士と戦列を共にしてきた。血など関係ない、優秀な兵士ならな、俺だって今じゃ非国民のナルアって呼ばれてるんだ。知らないわけじゃないだろう?」

 

俺はそう言って彼に手を突き出した。

 

「握手をしよう、ナキレヴ」

 

彼は黙ってその大きな指で応じてくれた。

 

「開門!」

 

彼と握手をしていると、開門の手続きが終わった様だ。

城門近くの衛兵が叫ぶと同時に、帝都を囲む水路を用いた門のからくりが動き出す。

通常、遠征であれば見送りの人間たちがいるものだが、今回のエルフの反乱は緘口令が敷かれているので見物客はいなかった。

まぁ、非国民と呼ばれる俺を筆頭とする遠征を公開しようものなら、投石と罵声の雨あられになってしまう。

リアーツブルなりの配慮かもしれない。

 

(だが…変わるんだ。今日から!)

 

開かれた門から降り注ぐ日光を体に受け、心の中で固く誓う。

再び帝都に帰ってくる時には非国民のナルアではなく、城壁崩しのナルアだ。

ナキレヴが従軍し一等市民権を得たように俺も汚名を挽回して見せる!

そしてまた、アズミの騎士になろう…あの日の約束の通り。

 

「なぁ、ナルア、今回の件引き受けてくれてありがとうな」

 

「なんだよ急に」

 

「このエルフの鎮圧、お前がやると言ってくれなかったら俺が行こうと思ってたんだ。これで聖女様に良い報告ができる。」

 

別れの際、リアーツブルが言った一言に何故か一抹の不安を感じながら、俺は馬を前へと奮い立たせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

俺はその道中、努めて部下となった兵士達との親交を深めていた。

こいつはどういう力を持っているとか、あいつはどんな事が得意だとか、そういう事を把握するのは命を預かる者として一番重要だ。

相手がこちらを信頼してくれないと息のあった行動ができないし、こっちも相手の特性を理解していないとどんな指示を出せばいいのか解らない。

部下全員と家族とまではいかないが、仲の良い友人程度には距離感を縮めたかった。

簡単に全員と言ったけれど結構、骨が折れる。

一個小隊と軍隊の規模でみれば小さいがそれでも数十名はいる。

そんな大所帯で一緒に寝食を共にし、何とか一人一人の名前と顔が一致できるようになったところで、件の反乱の現場に到着した。

その日は丁度、当初の見積もり通り、週が三つ程変わった時だった。

 

「酷いな...」

 

エルフ達の蜂起した現場。

そこは、帝国最大のブドウの産地でもある。

今から百年前の神征で帝国の統治下に置かれたエルフの土地だ。

ここで作られたブドウの殆どがワインか干しブドウに加工され、帝都に送られる。

勿論、そのブドウを作っているのはこの地の元々の所有者であるエルフ達だ。

そして、今、俺の目の前に広がっていたのは青々しい葉を広げるブドウ畑ではなく、水平線いっぱいの炭と灰の山であった。

燃え尽きて数日は経過している。

しかし、未だ焦げ臭い匂いが俺達の鼻腔を刺激した。

恐らく蜂起した際、自分たちを縛る象徴であった果樹園の一切を焼き払ったのだろう。

青々と茂っていた筈のブドウの樹々は一本もなく、代わりにあるのは炭化した残骸だ。

 

「これでは数年、ワインは無理ですね。」

 

俺の横に立つナキレヴの言葉に俺は首肯する。

この間、リアーツブルが乾杯もせずにワインをガブガブと飲んでいた理由はこれだろう。

緘口令が敷かれているのをいい事に、今後、品薄になるワインを浴びる様に飲んでいたという訳だ。

 

「奴等、どこへ行ったのでしょう?」

 

居住地へと放った斥候からの報告に首を捻る巨漢ナキレヴ。

斥候によると居住地にもブドウ畑同様に火が放たれたらしく、あったのは建物の残骸と人間たちの死体だけだったという。

駐在員も守備隊も皆殺し、全く何をやっていた?

 

「エルフが行くっていったら森しかないだろう。」

 

ナキレヴの疑問に俺はそう答える。

 

「百年前、ここが開墾されたといっても、その森全部をブドウ畑にしたんじゃない。少なくない広さの森はまだ残っている。ワインを作る為には樽だっているし、日常生活で使う薪だって必要だ。奴等はブドウ畑を抜けた森に潜んでいる筈さ」

 

俺はそう言ってリアーツブルから渡された地図を広げると、やはりというべきか、ブドウ畑の途切れた所から黒く塗りつぶしてある森を表す一体があった。

ナキレヴは俺の広げた地図を指でなぞって確認する。

 

「すぐに斥候を出しますか?」

 

「あぁ、無駄だと思うが一応出してくれ」

 

「無駄?」

 

俺の放った無駄という言葉に彼は突っかかった。

 

「そりゃあ無駄だろう?あのエルフだぞ?」

 

「お言葉ですが仰っている意味が解りません。」

 

どういう事だか彼と話が噛み合わない。

 

「なぁ、ナキレヴ?お前、エルフは見た事あるよな?神征に居ただろう?」

 

俺は彼に問いかけた。

帝都の住民ならまだしも、神征に参加した者の中でエルフを見ていない人間などいない筈だ。

帝国はエルフを優秀な弓兵として徴兵し神征に動員していた。

彼等の射撃技術の高さには感嘆の声を上げた物だが、ナキレヴは彼等の活躍を目にしていないのだろうか?

 

「いえ、見た事はありません。私は丁度、一年前から貴方の代わりに神征に加わりましたが、エルフがいた部隊なんてありませんでしたよ?」

 

ナキレヴの返答に俺は違和感を覚える。

エルフの弓兵はとてもいい働きをするものだから、どこの戦闘でも引っ張りだこなのだ。

人間よりも長生きな分、経験も豊富で人には使えない様な魔法が使える者も多くいた。

だから部隊によっては人間の弓兵よりも優先して補充される事も多々あった。

だから知らないという筈はないと思うのだが、彼は全く知らないらしい。

 

「そうか…?じゃあ、いいんだが、奴らは森の中で人を欺く技術に長けている。だから斥候を送ったとしても無駄だろう。見つける事なんてできやしない。見えない場所から一方的に射貫かれてお終いだ。」

 

「はぁ、ではどう戦うのですか?我々は?」

 

「いくら、人を欺く技術に長けているって言ったって大勢の目があれば見抜ける。それに、奴等もわざわざ百年振りに戦う事を選んだ。森に踏み入れば向こうから仕掛けて来る筈だ。俺達はそれを正面から堂々と打ち倒せば良い。」

 

「堂々とですか?」

 

「あぁ、堂々とだ。数は俺達より多いと言っても百人規模。それでこの土地の守備隊とやり合ったんだから相当消耗している。弓さえ何とか気を付けて接近戦に持ち込めばこっちの物だ。エルフは元々、木の上で暮らしているから線は細いし体重も軽い。ナキレヴなら四人は片手で持てるかもな。」

 

その後、一応と斥候を送り出してみたが、予想通り帰ってこず、この日は森の入り口で野営をして、次の日に備える事に取り決めた。

動きはその日の内にあった。

 

 

──

 

「敵襲っ!」

 

夜、虫の羽音を背景に、草地で背嚢を枕にしてボーっと星空を眺めていると、歩哨の鬼気迫る声が俺の鼓膜を震わせた。

 

(来たかっ...!)

 

俺は剣を手繰り寄せ、バネの様に跳ね上がる。

草の焦げる匂いがした。

辺りを確認する。どうやら火矢を放れていた様で、地面が点々と燃えていた。

そして、その燃え盛る炎を照明としてさらに弓矢が飛来する。

暗闇で木霊する悲鳴と絶叫。

こちらの弓兵も懸命に応射しているが、敵の姿が見えないのだからめくら射ちでしかない。

放たれた矢は弱々しい飛翔音と共に闇夜へと消え、それとは対照的に光源のあるエルフ達の矢は次々と兵士に命中する。

こうやって森の前で陣取っていれば来るとは思ったが、こんなに早く来てくれるとは...!

 

「狼狽えるな!テントと馬車を盾にして身を隠せ!絶対に射線上に出るなっ!指示があるまで耐え忍べっ!ナキレヴっお前は俺についてこい!」

 

俺はそれだけ怒鳴ると、人の背丈程もある戦斧を持ったナキレヴを伴い、馬を並べて留めてある係留場へと駆ける。

 

「ナルア!まさか騎馬突撃でもするつもりですか!?」

 

係留場にやって来た俺にそう言うナキレヴ。

馬へと急ぐ俺を見て、彼はそう思ったのだろう。

 

「無謀です!夜間に、それも敵は森の中だ!」

 

確かに彼の言う通り、こんな状態で騎馬突撃などできる筈もない。

人馬の波が迫る騎馬突撃は平原であるからこそ、その力を発揮する。

森の、ましてや夜間で目標が定まらない時にやるべき事ではない。

しかも、馬達にもこの混乱は伝わっている様で鼻をぶるりと鳴らして興奮していた。

これでは馬が暴れて跨がることさえ難しいだろう。

だが、俺は馬に乗り込む為に係留場へと来たのではなかった。

狙いはもっと別にある。

 

「騎馬突撃?違うなっ!こうするんだよ!」

 

俺はそう叫ぶと見せつける様に馬を地面に縛り付けていた縄を絶ちきった。

枷が外れ、自由の身となった馬は、この争いから逃げる様に森とは反対側のかつてはブドウ畑であった炭の平原へと走り去る。

その蹄の音は星空の下、良く響き渡り、駿馬の遠ざかる音がこの動乱の中でも存在感を放っていた。

 

「ナルアっ!何を!?」

 

ナキレヴの困惑する表情。

彼の芋の様に太い指が俺の細い腕を掴んだ。

 

「ナルア!落ち着けっ!」

 

俺の耳元で大きな怒鳴り声を上げるナキレヴ。

馬を逃がした俺を狂人か何かだと思っている様だ。

どうやら意図が伝わらなかったらしい。

だから俺も負けじと彼に怒鳴り返す。

 

「いいか、ナキレヴ!今ここで馬の縄を断ち切れば、馬は炎を恐れて森とは反対方向の闇夜へと駆けていくっ!いいか?反対方向へと駆けていくんだ!」

 

「だからそれがどう…まさかっ!」

 

俺の応答から何かを察したナキレヴはすぐに俺の手を放した。

察しが良くて助かる。

 

「解ったらナキレヴ、片端から馬の縄を断ち切れ!俺は戻って皆に指示を出す。」

 

「了解しました!」

 

そう答えるや否や、俺の身の丈はある彼専用の戦斧ですぐ隣の馬を解放した。

そしてもう一匹、更にもう一匹、馬の縄を次々と、まるで糸をすくうかの如くその大きな斧で断ち切った。

全く頼もしい。

流石、俺の後任だ。

 

「後は頼んだぞっ!城壁崩しのナキレヴ!」

 

俺はそれだけ言い残すと、残った兵達に指示を出すべく元の場所へと駆け戻った。

 

───

 

「あれ?」

 

森の入り口付近の木の上。

そこに立ち弓を引いていたエルフの長い耳に、馬が向こうの平原へと駆けていく音が聞こえた。

最初に一匹。そして間を置いて次々と。

闇夜で視界はハッキリしないが、彼等の長い耳はこの混乱の最中でも確実に音を拾う事ができる。

そういう風に進化した彼らの肉体は聴覚に関しては人間のそれより格段に良かった。

 

「今、馬の音聞こえた?」

 

馬の音に気付いたエルフは自分より高い位置に陣取っていた別のエルフに確認を取る。

 

「あぁ、聞こえた。一匹じゃない、沢山だ。」

 

問いかけられた方のエルフも馬の駆ける音に気付いた様子。

そして更にこう付け加えた。

 

「それだけじゃない、人間達の足音も聞こえない。」

 

エルフ達の耳には先程まで人間たちの慌てふためく足音が聞こえていたが、馬の鉄蹄の反響音が聞こえた辺りから、その足音が唐突に途絶えたのだ。

エルフ達は目を凝らして人間の野営地を観察する。

まばらな火弓の炎で視界は不明瞭ではあるものの、炎で照らされている明るい部分には人間の姿は確認できない。

思えば先程まで飛んでいた明後日の方向へと放たれる人間の矢も飛んではいない。

 

(馬が移動して...人間が野営地にいない...。)

 

この二つから導き出される答えは一つ。

 

「もしかして、逃げた?」

 

エルフの誰かが呟いた。

戦闘中とは思えない気の抜けた声で呟いた。

 

「え、本当?やけにあっさりしてないか?」

 

「人間は闇夜を嫌う。夜にこんな奇襲を受けたからビビったんだろ?」

 

「それが本当なら早く降りて確認しよう。慌てて逃げたらまだ物資は手付かずの筈だ。大分矢を使ってしまった。人間達のを分捕ろう。」

 

「ああ、奴らが戻ってくるとも限らない。」

 

彼等エルフは数週間前、人間に反旗を翻した。

しかし、人間にバレない様にこっそりと準備をしていたせいで圧倒的に物資が不足している。

このプランテーション内では弓を作る事も持つ事も禁止されているので、こっそりとブドウの樹と樽の廃材で作った弓は量も質も満足な物ではないし、ブドウの種を絞って作った着火用の油は最初の蜂起でその殆どを使ってしまった。

こんな貧弱な体制でも蜂起が成功し、人間の駐在員と守備隊を皆殺しにできたのはひとえに人間側が油断していたからだ。

彼等はエルフを本気で小作人に堕としたと考えていたようだがそれは間違い。

エルフは気高き森の民。

一度、弓を手にすればそれだけで立派な弓兵へと変貌する。

しかも所属全体としての寿命は長く、百年前の神征の生き残りも存命なので、戦闘経験豊富なのだ。

だから、エルフの事を数が少ない只の二等市民だと見下していた人間達はたった百人に満たないそのエルフの軍勢にあの日、成す術もなく押し負けた。

丁度、今日の様な静かな夜に。

だが、当然彼等も帝国の報復には恐怖していた。

数時間前、小規模ではあるものの、帝都から軍勢がやって来たと解った時には遂に来たかと覚悟を決めた。

この夜襲の前に家族に別れの挨拶をしてきた者だって少なくない。

それをこうもあっさりと退けてしまった。

この瞬間、人間を追い払ったという達成感から、木の上には何とも言えない緩みが発生した。

 

「よし、じゃあテントを物色しに行こう。きっと人間の弓だから質がいいぞ!」

 

一番最初に木から降りたエルフに続いて、ぞろぞろと森の民達は地に足を下す。

その数、全部で一五名。

そして、一番近くのテントの入り口をめくった時、彼等はすぐに後悔した。

テントの中には屈強な帝国の兵士達が抜き身の軍刀を片手に持ち、息を潜めて待ち構えていたのだ。

 

───

 

 

「上手くいった様だな。」

 

一番森に近いテントの方から聞こえた怒声と罵声に勝利を確信する。

俺が兵士達に命令したのはただ一つ、明かりを消してテントの中での待機だった。

さらに付け加えると息を殺してだ。

俺は最初からこの夜襲が積極的な攻勢ではなく、嫌がらせ程度の物だという事が解っていた。

何故なら、飛んでくる矢の間隔が示し合わせた様なタイミングで矢の消費を抑えている消極的な攻撃だったし、エルフお得意の魔法の攻撃もなかったからだ。

おそらく、選抜された少数が闇夜に紛れて遠距離から最低限の攻撃を行っている物と推測した。

 

本番は明日から…自分達の本拠地である森の中で決戦を挑む!だが、その前に軽く攻撃して探りを入れよう。

 

きっとエルフの指揮官はこう考えていたに違いない。

本格的に戦いの始まる前に少しでも戦力を削いでおきたかったのだろう。

文字通り前哨戦という訳だ。

だがもし、本腰を入れる前のこの夜襲で人間が逃げてしまったら?

多分、エルフは俺達の野営地を調べる為に木から降りて来る。 

しかも予想外の勝利に気持ちは緩んでしまうに違いない。

だから俺は、大部隊が去って行ったと思わせる為に馬の縄をナキレヴに切らせたのだ。

いくら訓練されている軍馬とは言っても、馬は本来臆病な生き物。

解放され自由の身となれば命を守るために鉄火場とは反対方向に駆けていく。

そして、兵士達には音を立てずにテントで待機しろと命令すれば、エルフ達の目には馬が去って人間が消えた…すなわち、俺達が撤退したという風に映るはずだ。

そして様子を伺おうとテントに入ればあらっビックリ。

屈強な帝国兵が剣を片手に準備万端。

こういう作戦だった。

エルフは弓や魔法の腕は人よりも格段に上手だが、近接戦ならこちらの物。

まぁ、全員が降りてこず、何人かは木の上でまだ弓を構えているだろうが、仲間が帝国兵に捕まったとなれば迂闊な攻撃はしない筈だ。

 

(ナキレヴが俺に良い報告を持ってくるのも時間の問題かな?)

 

俺はそう思うと二年振りに感じた勝利の余韻に口角を釣り上げた。

やはり、戦場の風は心地よい。

何だかんだ言いつつ、俺も結局は戦士なのだ。

 

「ナルアさん、敵は全部で一五名。全員捕らえました。」

 

思った通り、少し離れたテントの騒ぎはすぐに収まり、ナキレヴは俺のいる指揮官用のテントの入り口を捲った。

 

「そうか、こちらの被害は?」

 

「はい、先程の夜襲で四名と捕らえる時の一悶着で二名が散りました。」

 

体の大きなナキレヴはテントの中に入らず、顔だけ覗かせてそう報告する。

昼間帰ってこなかった斥候二名と合わせて八名の損害。

自然と顔は険しくなる。

小隊という部隊単位で見れば損失八名でも大きな痛手だ。

それに俺が顔を歪めたのは戦力が低下したからだけではない。

数週間もの間、一緒に生活をしてきた部下が命を落とせば、悲しくもなる。

 

「今そっちに行く。状況を確認しよう。」

 

俺はそう言うと腰を上げて、テントの外へと足を運んだ。

直接目で見て死んだ人間を弔いたかったのだ。

そのまま野営地の中心に向かうと焚火の周りに捕らえられたエルフが一列に並べられている。

だが、様子がおかしい。

皆、地面に顔面を突っ伏して、ピクリとも動いていない。

これは…。

 

「どうして殺したっ!?」

 

並べられていたエルフは全員、首から血を流して突っ伏していた。

彼等は横一列に並ばされた上で、兵士達に頸動脈を切られて死んでいたのだ。

 

「どうしたって、隊長?仲間殺されてるんですよ、むしろ殴る蹴るしなかった事を褒めてくださいよ、それにヤルストヴァに反旗を翻したこいつらなんてどうせ皆殺しでしょう?」

 

エルフの死体を囲んでいた兵士の一人がそう言った。

 

「確かにそうだがっ!まだ何もエルフの情報を聞き出してないっ!貴重な情報源を殺すとは何事だ!?」

 

尋問して情報を聞き出す。そういう心積もりだった。

それを俺の部下達は一時の感情の高ぶりでっ!

 

「落ち着いてくださいナルアさん。エルフの全員は殺していません。ほら」

 

兵士達を睨みつける俺を宥める様に、ナキレヴはエルフの死体の列を指さす。

 

「捕らえたエルフは十五名。転がってる死体は十四体です。情報はその最後の一人に尋問すればいい。」

 

ナキレヴに指摘され、俺は死体を数えてみる。

確かに一四体で報告よりも一体少ない。

 

「おい、じゃあ残りの一人は?」

 

「はい、ここです。」

 

ナキレヴはそう言うと俺の前に一人のエルフを突き出した。

彼の巨体の影に隠れていて気が付かなかったが、後ろに縄で繋いで引っ張ていた様だ。

だが、俺は突き出されたエルフを見て驚愕する。

 

「女?」

 

ナキレヴが付き出したエルフ。

それは女のエルフだった。

金髪の長髪をスラリと流し、目は空色の碧眼。

そんな女性の特徴を持つエルフが俺の眼前に突き出されたのだ。

外見は少女の様だが、寿命の長く成長の遅いエルフの事だから俺なんかよりは年上だろう。

 

「ええ、女のエルフが一人だけ、敵襲に混じっていました。」

 

「どうして縄なんて付けて連れ回してた?」

 

「他の兵士に先に楽しまれると考えたので、ナルアさんの為に私が縄で引いておりました。」

 

「は?」

 

「これは我々からの贈り物です。どうぞお楽しみ下さい。」

 

「た、楽しむって?」

 

「?戦場で女にやることなど一つしかないでしょう?私からの復帰祝いです。」

 

そう言ってナキレヴは再度、女のエルフを俺の方へと小突く。

背中に衝撃を受けたエルフは前につんのめって倒れこむと、俺を見上げた。

その青い瞳と視線がぶつかる。

絶望とも諦念とも思える複雑な視線。

そしてその青い二つの瞳は、涙で潤んでいた。

同じだった。二年前の、アミズの前の少年と。

それが解ると俺の視界は何だかグニャリとと歪んで見え、心臓はバクバクと鼓動する。

 

(俺をそんな目で見るな…!)

 

悲しそうな目をする彼女から、思わず視線を反らしてしまった。

 

「聖女様も仰ってましたよ。エルフの女の一人や二人でも味わえば吹っ切れてナルアさんは神征に戻りやすくなると、さあどうぞ。」

 

何だかナキレヴの声がとても遠くから聞こえた気がした。

 

「アミズがそんな事を言ったのか?」

 

「はい、仰ってました。」

 

アミズが?本当に?自分も聖女である前に一人の女性なのに?

俺がここで二年前の神征の兵士達の様に己の欲望を満たせば、神征に戻りやすくなる。

そう言ったのか?

 

「いっいや、俺はそんな事はしない。大丈夫だ。」

 

俺はこの言葉をナキレヴとエルフのどちらへ向かって言ったのだろうか?

ともあれ俺の言葉に反応したのはナキレヴの方だった。

 

「では、私が頂いてもいいですね?」

 

「え?」

 

「ですから、私がこのエルフを頂いても良いんですよね?いやぁ、楽しみだったんですよ、エルフは美形揃いと聞いては居ましたがこれ程とは…わざわざ神征を抜けて来たかいがありました。」

 

巨漢の発した言葉に俺は一瞬静止してしまう。

彼はネットリと絡みつく様な視線を倒れこんでいるエルフに注いでいる。

すぐにでも彼女の飛び掛かってしまう勢いだ。

 

「いや、駄目だっ、かっ彼女に尋問はするがそれ以外はしては駄目だ。その、そんなに酷い事をするな。」

 

手を前に出してナキレヴを制する。

彼は不満気に眉を歪めた。

 

「何故です?このエルフに情でも湧きましたか?こいつは我々の仲間を殺してる。しかも二等市民だ。こうされたって文句は言えんでしょう?」

 

「ナキレヴお前だって元々は二等市民じゃないか?どうしてそんな事を言う?」

 

二等市民。

俺がそう言ったからだろう。

ナキレヴは大声を出して絶叫した。

 

「ああっ!そうだ!俺は二等市民だったっ!だが、神征に参加して奪われる側から奪う側へと変わったんだっ!ナルア、あんたこそおかしなことを言う!元々、自分達を一等、俺達の事を二等、三等と格付けしたのはあんた方人間だろう!俺は神征で巨人から人間になれたんだっ!だから俺が目の前の亜人に何をしたっていいだろう!俺は人間になって女を犯す為に神征に志願した!」

 

「そ、それが、お前の本心なのか?」

 

俺はナキレヴの怒号に圧せられる。

 

「ああ、そうだ!だからあんたはそこで俺がこのエルフを抱くのに文句を言うなっ!」

 

ナキレヴは普段の丁寧な言葉からは想像も使ない様な言葉で、その心情を吐露した。

人間になって女を犯す為に神征に志願した。

ナキレヴは確かにそう言った。

帝国の為でも、皇帝の為でも、ヤルストヴァの為でもなく、その色欲を満たす為に神征に臨んだとそう言ったのだ。

目の前の大男はずっとそんな事を考えていたのか…。

 

(ズレてる)

 

何だか不思議な位、冷静にこう感じた。

ズレている。

俺ではない、目の前の巨漢ナキレヴはズレている。

そして、エルフを縛って首を掻っ切った兵士達だってズレている。

いや、ズレているのは俺の方だ。

ここでは戦いに勝利すれば男は殺し女は犯す。

それが普通なんだ。

ズレているのは…俺の方だ。

だが、そんな思考とは裏腹に、繋いだ縄を引っ張て、エルフの女を手繰り寄せるナキレヴへと俺はいつの間にか剣を抜いていた。

 

「ナキレヴ!もう一度言う!その女性に手を出すな!隊長命令だ!」

 

確かに俺はズレている。

神征とも、帝国とも、こいつらともズレている。

 

(だけど俺は、俺は多分間違えてはいない!)

 

俺がナキレヴへ軍刀の切っ先を向けたので、周りを取り囲んでいた兵士達は固まった。

 

「そうかい…おい、お前ら!隊長さんは女のエルフを犯しちゃいけないって言ってるぞ!お前らはそう思うか!?」

 

ナキレヴはもう丁寧な言葉など忘れたかの様に兵士達に問いかけた。

すると途端に俺を貶す言葉が沸き上がった。

中には非国民のナルア、そんな言葉も混じってる。

 

「そうだよなぁ?こっちは命張ってるのに、水差す様なこと言わんで欲しいよなぁ?」

 

そして、ナキレヴは俺を正面から見据えると、あの大きな戦斧を上段に構える。

 

「皆、エルフ女が楽しみだったのにそれはねえよな!でもよ!戦場では隊長が良く狙われて不在になる事も多いよな?おい、ナルアさんよっ!アンタはさっきの襲撃で死んじまったってリアーツブルさんに報告しといてやるよ!」

 

殺る気のナキレヴの本気の目。

そして、俺を、ナキレヴを、エルフを取り囲む兵士達もこの巨漢に同調して各々の得物を抜いたのが解った。

俺は手に持つ軍刀を固く握る。

俺がナキレヴを睨みつけるのと、巨漢の必殺の一撃が繰り出されたのは同時だった。

 

 

(取った…!)

 

巨漢ナキレヴは斧を振り下ろした瞬間、そう確信した。

何もこれは彼の慢心でも驕りでもない。

彼が斧を振り下げれば倒れない人間はいない。

そういう事実だ。

一年前、彼がナルアの代わりに神征に加入して以来、一撃で打ち倒せなかった敵は居ない。

剣聖と言われる剣の達人も、百戦錬磨の傭兵隊長もナキレヴの戦斧の前では案山子と同じ。

圧倒的なスケールと、圧倒的な筋力から放たれる、圧倒的な質量はどう頑張っても防ぎ様が無い。

ましてや彼は元は鉱山夫。

道具を振り下ろす事には熟達していた。

彼の神征での仕事はその渾名の通り、実際に大斧で障壁を打ち砕いて突破口を開く事だ。

眼前の一切合切を粉砕する。

それ故に二代目城壁崩し。

思えば最初にナルア・アズナンを見た時から、彼の事が気に入らなかった。

自分と同じ様に城壁崩しと呼ばれているのだから、どんな大男が出てくるのかと思ったら、出発の日に現れたのは線の細い普通の男。

確かに常人に比べれば筋肉はついていたが、戦士なら皆それ位は鍛えている。そういうレベルだ。

人間の域は越えていない。

だから何故、このナルアが自分と同じ様に城壁崩しと呼ばれていたのかこの数週間、ずっと疑問を感じずにはいられなかったのだ。

そして、今、ナキレヴはその疑問を解消する事ができた。

 

(何っ…!)

 

たった今、彼がナルア・アズナンに放った一撃。

それは彼の横に構えた軍刀で受け止められてしまっていた。

本来ならこの斧の重さでは軍刀がいくら頑丈だとしても、人間の筋力で支えきれないので背骨はハの字に折れてしまう。

しかし、目の前の線の細い、ナキレヴから見れば小人の如きナルアは背筋を真っすぐに彼の戦斧を受け止めていた。

そしてあろうことかそれを押し返してみせたのだ。

 

「ウオッ!」

 

あまりの力にナキレヴはバランスを崩しかけるが、寸での所で持ちこたえた。

そして巨漢は絶叫した。

 

「ナルアッ!お前魔法使いだったのか!?」

 

───

 

「ナルアッ!お前魔法使いだったのか!?」

 

 

 

頭に血管を浮かべた物凄い剣幕のナキレヴが絶叫し、俺の鼓膜をビリビリと震わせる。

彼の渾身の一撃を受け止めた。

その事象を信じられず、彼なりに解釈した結果だろう。

まぁ当たらずといえども遠からずと言った所ではある。

俺は彼の絶叫に応えてやる事にした。

 

「違うなぁ、ナキレヴ。魔法使いは新式魔法を使う奴等の事を言う。俺がお前の斧を受ける間に何か一言でも口にしたか?」

 

「じゃあ何で!?」

 

ナキレヴの疑問符に応える様、俺は種明かしを始めた。

 

「魔法が使える三つの条件は知ってるか?」

 

「条件だと?」

 

「魔法が使える為の三つ条件。一つ目は体内に魔力がある事…人間の場合はここで八割失格だ。二つ目はその魔力を認識できる事、要は魔力を使ってどんな魔法を使うか具体的な想像ができなきゃ駄目って事だ。そして三つめ…これが一番重要だ。その魔法の力を司る神と波長が合う事だ。火の魔法なら炎の神、治癒魔法なら薬の神って感じでな!」

 

魔法を使う為の三つの条件。

これが揃わないとどんなに才能があっても魔法を使う事はできない。

 

「そして、魔法使いっていうのは普段なら合わない神々との波長を魔法の呪文を詠唱する事によって無理矢理、自分の波長と合わせてるんだっ!この詠唱がある魔法の事を新式魔法という!」

 

ナキレヴはこの段になって俺の言いた事が解ったのか、急に間合いを取り、再び戦斧を振り上げた。

だが、もう遅い。

 

「いいか、ナキレヴ!魔法っていうのは本来、神々と波長の合う選ばれた人間しか使えない神秘の祝福だったんだ。その魔法には詠唱はいらない。だって波長を合わせる必要がないからな!これを旧式魔法という!」

 

「うああああっ!」

 

再び吠えたナキレヴがまた斧を下ろす。

しかし、俺はそれを難なく受け止めた。

しかも、今度は剣を使わず、素手で…。

魔法を使うのは二年ぶりだ。

あの日、あの時、あの場所で、アミズの聖剣を叩き割って以来、魔法は使わない様にと決めていた。

それが彼女に叛いた戒め。

そう思って生活してきた。

だがこれももうやめだ。

 

「俺はある神様に気に入られてな、その神の司る魔法だけだが旧式魔法が使える!」

 

そして俺は指に力を込めると鉄製の斧を指圧で砕いた。

金属の割れる音が辺りに響く。

 

「それじゃあ、それじゃあまるで」

 

「聖女みたいだろ?」

 

「!?」

 

核心の突くナキレヴの発言を先読みする。

 

「聖女ほど便利って訳じゃない。聖女は魔法を司る全ての神々と波長が合う。だから膨大な魔力と相まってほぼ無尽蔵に旧式魔法が使えるんだ。俺を祝福する神は一柱、戦争の神、セムレグだけだ。」

 

柄だけになった斧を持って呆然と立ち尽くすナキレヴ。

 

「だが、ナキレヴ、お前を打ち倒すのにはセムレグだけで十分だっ!」

 

俺はそのまま拳を握るとナキレヴめがけて打ち放った。

俺を祝福する戦争の神の旧式魔法。

それは一番使い勝手が良い分、一つの魔法しか存在しない。

 

単純なる力の強化。

 

それがセムレグ唯一の旧式魔法だ。

 

──

 

エルフは最初、目の前で何が起きているのか理解できなかった。

仲間が皆、殺される中、自分は女だからという理由で犯される為に生かされた。

そして、まるで神話に出てくるような大男にその純潔を散らされそうになった時、人間の、彼等の指揮官である筈の男が、あろうことか兵士を殺した自分を庇う素振りを見せたのだ。

そして男と大男が言い争いになり、遂に大男から攻撃された。

彼女は最初、目を瞑った。

何故なら大男の持つ斧が尋常じゃない大きさだったから…。

しかし、男はその自分の背丈位ある斧を一度、そして二度も受け止め、素手で斧を打ち砕いた。

さらには巨人の前で拳を握ったかと思うと、パンッという音が鳴り響き、巨人の上半身から上が消えていたのだ。

どんな魔法を使ったのか?

魔法に見識のあるエルフですら解らなかった。

その後、男と自分を取り囲む兵士が剣を抜き次々と男に殺到した。

だが、その全てがいとも簡単にねじ伏せられた。

まさに虐殺。

そこで行われていたのは一方的な暴力の嵐であった。

なんとか生き残った兵士達が分が悪いと男から逃げると、その虐殺はやっと終わりを告げ、辺りはいつもの静けさを取り戻す。

 

「勇者…?」

 

虫の音の鳴り響く、星空の下。

エルフ、アンセヴァの口から飛び出しのは百年前、彼等の故郷を焼き払った忌々しい人間の渾名だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

「チッ逃げたか…!」

 

俺が拳を放って始まった戦闘。

それは最後の四、五名が背を向けた事で終了した。

逃げる彼等を追いかけたかったが、久し振りにセムレグの力を借りたのでそんな元気は残っていない。

セムレグの旧式魔法は使い潰しが聞く分、体力の消耗が激しい。

出来れば長時間の使用は避けたい魔法だ。

 

「もう駄目だな」

 

俺は手にした軍刀を見てそう吐く。

巨人ナキレヴの一撃を防いだ軍刀は刃溢れが酷くもう使い物にならない。

まるで体力を消耗した俺を象徴するかの様な壊れ方だ。

まぁいい、代わりはいくらでも転がっている。

 

「これでいいかな?」

 

適当に死体の握っていた軍刀を拾うと、未だにペタンと地面に腰を落としているエルフの女に近づいた。

 

「ヒッ…!」

 

エルフの女は俺が彼女に何かするのかと考えたらしく、縛られたままの両腕を頭の上に持っていき、恐怖の感情を露にした。

 

「大丈夫だ、何もしないよ」

 

俺はなるべく優しい声を出し、彼女を縛る縄を切ってやる。

拘束から解放された色白の細い腕には縄の跡が残っていて少し痛々しかった。

 

「名前は?」

 

俺は痛そうに手首を揉む彼女に問いかける。

 

「えっ…」

 

縄を切られても彼女は怯えた目付きで俺の顔を見据えた。

エルフは独自の言葉を持っている。

もしかしたら、俺の話す言葉を理解できなかったのかもしれない。

 

「言葉は解るか?キミの名前は?」

 

「あっ、アンセヴァです。エルフのアンセヴァ…言葉は解ります。」

 

しかし、言語の問題は杞憂で女エルフは流暢な言葉でアンセヴァと名乗った。

アンセヴァは数瞬、躊躇する様に俺の顔を伺った後、恐る恐る言葉を続ける。

 

「貴方は何者なんですか?さっきの魔法は一体…」

 

彼女は先ほどまで繰り広げられていた闘いを見て俺に恐怖している様だ。

まぁ、巨人の上半身を吹き飛ばし、兵士数十人を素手で屠った事を考えれば仕方ないと言えば仕方ない。

自分でも解るがあんなの人間の成せる業じゃない。

 

「あれでは、まるで…」

 

あえて人間の言葉の範疇で形容するとすれば…

 

「…化物です」

 

俺の思考を先読みする様にアンセヴァはそう口ずさむ。

 

「化物ねぇ…自分自身、そう思うよ…これは元々俺の力ではないんだが、少々、人間離れが過ぎている。でもヤルストヴァにはこれ以上の化物がいるんだ。」

 

「聖女ですね?」

 

「あぁ、それでキミ達と相談したい事がある。俺の名前はナルア、ナルア・アズナン。キミ達を助けに来た。」

 

そう言って俺は彼女に右手を差し出す。

 

「アンセヴァ、案内してくれ、キミ達エルフの指導者の所へ…力になりたい。」

 

アンセヴァはゆっくりと俺の右手を掴む。

 

「貴方ってもしかして非国民のナルア?」

 

「…へ?」

 

どうやら俺の不名誉な渾名は壁新聞によってエルフ達にも知れ渡っていたらしい。

せめて、城壁崩しと言って欲しかった…。

 

 

「動くなっ!」

 

アンセヴァに先導され森に入るとすぐに弓を持ったエルフ達に囲まれた。

流石、森の民。

近づかれるまで全くその気配に気づけなかった。

俺は敵意が無い事を示すため両腕をあげる。

万国共通の降参のジェスチャーだ。

 

「 落ち着いて下さい、 彼は!」

 

隣のアンセヴァは俺を庇う様に声を上げるが、二人を囲むエルフ達は弓を下ろす事なく構え続ける。

俺はそんな彼等に違和感を覚えた。

 

(構成が極端すぎる…。)

 

そう、俺に弓を引くエルフは全部で両手の指程いたが、その年齢が安定しないのだ。

端的に言えば若過ぎるか年寄りか…。

エルフの事なので見た目通りという年齢ではないのだろうが、少年少女か老人しかいない。

要するに丁度良い、働き盛りの青年がいなかったのだ。

そう言えばあの時焚き火の前で死んでいたエルフ達も全員、少年と呼べる頃合いだった。

 

「アンセヴァ、お前はこっちに来い。この男はここで射ぬく!」

 

俺の疑問を他所に隊長格と思われる初老のエルフが吠えた。

エルフ達の構えた弓は真っ直ぐと俺の頭を狙っている。

弦はピチリと張っていてすぐにでも射つ事ができる段階だ。

拙いな…。

問答無用で矢を放たれれば今の俺には防ぐ術がない。

 

「聞いて下さい!皆さん!彼は我々の味方です!先程、帝国を謀反し人間の軍を追い払いました!」

 

しかし、こちらに来いと言われたアンセヴァは俺の隣から一歩も動かず声を上げる。

彼女から発せられたその声に弓を持ったエルフ達は信じられないと言った感じで応答した。

 

「まさかっ!?人間がヤルストヴァ帝国を裏切るだと?冗談もいい加減にしろ、アンセヴァ!正気に戻れ!」

 

「本当です!森の入り口へと行ってみて下さい!確かに私以外の仲間は帝国の兵士に殺されましたが、彼は兵士でありながら襲われていた私の事を助けてくれました!」

 

迫真のアンセヴァの表情に包囲していたエルフは達は顔を見合わせる。

そして、二人程、森の入口へと向かっていった。

…数分後、戻ってきた二人の報告でこの場での俺の処遇は決定する。

 

「アンセヴァの言うことは本当だ!帝国の兵士がわんさか死んでる!」

 

───

 

「キビキビ、歩けっ!」

 

「痛っいなぁ」

 

背中を小突かれ、足場の悪い林道を歩く。

何度か根っこに足がひっかかり、嫌でもペースが落ちてしまう。

それを何て事のないようにスタスタ歩くのはやはり、森の民エルフと言った所だ。

あの場での俺の処刑は回避されたが、相変わらず扱いは酷く、手を縄で縛られ連行されている。

縄を引っ張るのはアンセヴァ。

さっきとは立場が逆転してまったが、時折、彼女は申し訳なさそうに俺へとその青い視線を送ってくれた。

セムレグの魔法を使えばこの縄を引きちぎるのも容易いが、そんな事をすれば話が拗れるのでやらない。

それに彼等の会話を推察するに俺をエルフの長老の元へと差し出す様子。

ならば都合が良い。

彼等の指揮官と話がしたかったからだ。

森の中へ進むにつれ、辺りは薄暗くなっていく。

それは当然の事だが突然、人工的な灯りに包まれた一帯が出現した。

そこは森の中にもかかわらず開けており、ちらほらと焚き火の灯りが点在していた。

しかし、誰もおらず無人である。

 

「長!この者についてご指示を頂きたく、連れて参りました!」

 

初老のエルフが立ち止まり、おもむろにそう叫ぶと先程まで何もなかった場所から老齢のエルフが出現した。

 

「おぉ…!」

 

まるで虚空から登場したかの様な老齢のエルフに、俺は目を見開く。

これは姿を消している訳ではないのだが、エルフは気配を極限まで消すことで人間の目からまるで消えた様に見えるのだ。

森の中でエルフは自らの意思でその気配の濃度を操る事が可能であり、これはエルフが森の神に祝福されている事による一種の旧式魔法だ。

だが、頭ではそれを理解していても感嘆の声を上げずにはいられない。

そして、長老のエルフが現れた後、目と肌が森に慣れたからか、一人、また一人と俺の目にもエルフの姿が映り始めた。

つい先程まで無人だったこの場所は実は何十人ものエルフがいて、俺に弓を構えていたという事が解った。

 

「何も言う事などない、殺せ」

 

長老のエルフは俺を興味なさげに見つめると、短くそう言う。

途端に森の入り口の時とは比べ物にならない殺意が俺に注がれた。

 

(マズイッ!)

 

「待てっ!俺は貴方と話をしに来たんだ!俺はエルフ達の力になりたい!そう思っている!」

 

「なにぃ?」

 

長老エルフは俺の言葉に眉を潜める。

 

「その証拠はあるか?人間は信用ならん」

 

「本当です!彼は私を助けてくれました!」

 

「長、お言葉ですがアンセヴァの言う通り、彼が人間でありながらヤルストヴァの兵士達を殺したのは本当です。私の部下が確認しました。」

 

アンセヴァと初老のエルフが俺の言葉に同調してくれる。

けれども、依然として長老エルフは気難しい。

 

「それが罠という可能性もある。わざと味方を殺して我々を油断させ寝首を掻く、人間ならやりかねん。根拠はあるのか?」

 

長老は二人の言葉に忌々しそうに反論した。

エルフでこれ程老けているのだから、百年前の神征を経験しているのだろう。

百年の搾取と支配で彼は人間を信用していない。

 

「根拠はある…!」

 

条件反射的に俺の口は動いていた。

 

「ほぅ?」

 

「俺の軍服の懐に兵隊手帳がある。その名前を見れば俺が帝国を裏切った理由が解る筈だ。満足のいく根拠かどうかは解らないが、俺が出せるのはこれしかない。」

 

「…いいだろう、アンセヴァ、その男の懐から兵隊手帳を持ってきなさい」

 

「はい!」

 

アンセヴァは俺の懐をまさぐると皮製の軍隊手帳を探しだし、長老エルフへと差し出した。

彼は手にした手帳を骨張った指でめくる。

そして俺の名前を理解した。

 

「ナルア…ナルア・アズナン!?まさかあの、非国民のナルアか!?」

 

「そうだ!その非国民のナルアだ!城壁崩しのナルア・アズナンだ!」

 

壁新聞によって帝国中に悪名が広まっていた事にこの瞬間、初めて感謝した。

 

───

 

「入れ、貴様を信用した訳ではないが、我々と同じく帝国に相容れぬ者なら話は聞こう」

 

長老エルフは俺がナルア・アズナンだと解ると多少はその態度を軟化させた。

そして、話を聞く為、自分の住まいに俺を招き入れたのだ。

依然として手は縄で縛られて弓を持ったエルフは俺に目を光らせているが、すぐに殺す敵から少し話を聞いてみる人間程度には興味が湧いたらしい。

エルフの住まいは木と葉を組み合わせたテントの様な構造で、天井は少し低い。

心持ち頭を下げて長老の住まいに足を踏み入れた。

 

「これがエルフの本来の住まいだ。人間によって我々は百年もの間、あのブドウの街に押し込められていた。今は久し振りに森の空気を感じているよ、まぁ、この百年の間に産まれた若いエルフはこの住まいに不満がある様だがね、座れ。」

 

エルフ伝統の家は思っていたよりも広く俺と長老、他のエルフが数人入ってもその空間にゆとりがあった。

人よりも小柄なエルフにとって寝泊まりするのに充分な広さだ。

彼等が農奴に落とされる前はこんな形の家が森の至る所にあったのだろう。

 

「軍の野営様のテントより上等だ」

 

俺はそう賛辞を送ると、薄い木の板が敷き詰められた床に腰を下ろした。

服越しに木板の冷たさを感じる。

実際、簡単な構造だが野営のテントよりも通気性が良く過ごしやすそうだ。

材料も木と葉だけだし、これをテントの代わりに採用してもいいかもしれない。

まぁ、俺はもう軍に戻れないのでそんな機会はないけどな

 

「その軍の事で聞きたい事がある。」

 

長老エルフは少し濁った青い瞳を尖らせると、俺を睨み付け喉を震わせた。

 

「何故、お前は軍を裏切り、エルフの味方をする気になった?何を考えている?やはり、信用ならん。」

 

未だに俺の事を信用していないのかドスの効いた声でそう言った。

そして、それを合図に俺の隣に陣取っていた初老のエルフが短剣を抜き、俺の首筋に刃を当てる。

百年もの間、人間に敷いたげられていた恨み。

そんな恨みが彼等をそうさせるのだろう。

 

「言えっ!何を考えている?答えによっては今、ここでその首を掻っ切る。」

 

「俺は只、ヤルストヴァ帝国の人間とはズレているだけだ。」

 

「ズレている?」

 

正直に口を開いた俺。

長老エルフは俺の答えに長い耳をぴくりと動かした。

エルフが警戒する時に起こる無意識の仕草だ。

 

「あぁ、ズレている。帝国の人間は力で物を奪う事に疑問を持っていない。その力の前では全てが許されると考えている。俺はそうは考えない。だからこそ貴方に会いに来た。」

 

「成る程、貴様は融和主義者という訳か?なら、尚更、反吐が出る!融和を語る者は常に自分が上だと考えている者だけだ。仲良く手を取るとは言ってもその実、力が上の自分達が弱者に優しくしてやる…そういう傲慢な思想だ。その点、貴様とヤルストヴァは変わらんだろう!所詮は人間だ!殺せっ!」

 

「待て…まだ話をっ」

 

長老が指示し、俺の首に当てられた刃が動こうとしたその時

 

「待って下さい!彼の話をどうか聞いて上げて!」

 

アンセヴァが長老の家の入口に迫り、声を張り上げたのだ。

 

「アンセヴァ…あっちに言っていろと言っただろう?」

 

突如現れたアンセヴァに驚く長老。

気配を消してこの長老の家に近づいていたのだ。

俺はおろかこの家にいる他のエルフも気づいてはいなかった。

 

「どうしてそんなにこの人間を庇う?お前を助けたとしてもコイツが人間である事には代わりない。」

 

苦々しげに言葉をつづける長老。

そんな彼にアンセヴァは更に食い下がる。

 

「私は彼に情が湧いたという訳ではありません。只、この人間はたった一人で帝国の兵士数十名を倒しました!彼の力は我々の役に立つ筈です!」

 

「しかし、アンセヴァ、疑え、この男が無償で我々の味方をする理由がない。何か裏がある筈だ。しかも、コイツは融和主義者、平等に我々を見る筈もない!」

 

「俺は融和主義者じゃないっ!」

 

ここぞとばかりに、長老とアンセヴァの口論に俺は割って入る。

 

「なに?」

 

「俺は融和主義者じゃない!あんた達もご存じの通り、非国民と呼ばれ、帝都で後ろ指をさされて暮らしてきた!そのせいで両親も失った。そんな人間が融和など語れるか…!俺は帝国が嫌いになったんだ!俺は無償でエルフ達の力になるんじゃないぞ、俺がエルフの味方をすれば帝国が嫌がるから味方をするんだっ!確かに俺はアンタ達の事を対等に見ていない!だからあえてこう言ってやる!城壁崩しのナルア・アズナンがお前達の仲間になってやる!だから俺を信用しろっ!」

 

俺は叫んだ。

 

───帝国が嫌いになった。

 

昨日までは決してそう思ってはいなかった事を独白した。

だが、自然と口からでたこの言葉。

もしかしたら、ずっと前からヤルストヴァ帝国を心のどこかで嫌いになっていたのかもしれない。

俺の独白を受け、何事かを考える様に長老は口をつぐむ。

そして何度か俺の顔とアンセヴァの顔とを交互に見て口を開いた。

 

「では、この男を仲間に引き入れたとして…その責任は誰が取る?帝国に恨みを持つとはいえ人間だ。皆、いい顔はしないぞ?」

 

「私が取ります!」

 

間髪入れずに即答するアンセヴァ。

 

「それでいいのか?」

 

「はい、彼の力は私達エルフの存続に必要です!」

 

彼女は再度、そう宣言した。

 

「では、アンセヴァに免じてこの男を信用する。おい、剣を離してやれ…」

 

長老はアンセヴァの熱意に負けたのか、渋々、そう指示を出し俺の首から短剣を離させた。

そして、俺と目線を合わせる様に対角線上に座り込むと咳払いをしてこう言った。

 

「非国民のナルアよ、改めて話をしよう」

 

───

 

長老と話が終わり、宛がわれたエルフの伝統建築。

その中で俺は一人、毛布にくるまり横になっていた。

生活臭のするこの小屋はさっき野営地を攻撃して帰って来なかった者の小屋らしい。

それだけでも少し憂鬱になるのだが、それ以上に俺の頭を痛くする要因があった。

思い出されるのは先程の長老との会話。

あの一悶着の後、俺は長老にエルフが蜂起をした理由を尋ねた。

 

「何故、エルフは蜂起をした?失礼だが帝国相手に勝ち目がない、集団自殺と変わらん。蜂起したその理由を教えてほしい。」

 

「人間のお前がそれを問うのか?いいだろう…理由は単純。エルフという種が人間によって絶やされようとしているからだ。」

 

「絶やす?」

 

「あぁ、神征でエルフが弓兵として徴兵されているのは知ってるな?」

 

「あぁ…」

 

長老の口から語られるエルフの蜂起した理由。

それは酷く残酷な物だった。

 

「我々も自治権が拡大すると帝国から甘言を受け、数百人、エルフにとっては少なくない数をヤルストヴァ帝国に差し出した。だが、待てど暮らせど送った者は一人も帰って来なかった。解るか?彼等は全員が戦死したのだ。しかし、ヤルストヴァはまだ兵を寄越せと言ってきた。しかも最初の人数よりも多く…。」

 

「送ったのか…?」

 

「二等市民である我々に拒否する権利は持ち合わせていない。すぐに追加で数百人を送った。その中にはアンセヴァ…彼女の父親も居た。そしてまた悉く戦場で息絶えた。しかし、今度はここへと帰ってきた…遺髪となってな!そして三度、帝国は弓兵を要請した。三度目だ。また我々は数百人を送ったが…丁度一年前に皆戦死した。」

 

(まさか…!?)

 

俺の頭の中で今朝から感じていた違和感の数々が線となって繋がっていく。

 

───エルフの弓兵はとてもいい働きをするものだから、どこの戦闘でも引っ張りだこなのだ。

 

神征で人間の弓兵よりも優先して補助されたエルフ達。

 

───「いえ、見た事はありません。私は丁度、一年前から貴方の代わりに神征に加わりましたが、エルフがいた部隊なんてありませんでしたよ?」

 

エルフは一度も見た事がないと言ったナキレヴの言葉。

 

───(構成が極端すぎる…。)

 

俺が森に入って感じたエルフ達の歪な年齢構成。

働き盛りの青年がおらず、いたのは少年少女と老人だけ。

あれは若者を出さなかったのではく、若者がもう既にこの地にいなかったのだ。

 

「そして一ヶ月程前、四度目の派兵を要請された。もう女子供を送るしかない…エルフは人間と違い子どもを作る事は容易ではない、もしそうなったらエルフは種族として絶滅してしまう。だから蜂起をしたんだ!どうせ絶滅するなら森の民らしく森で戦って死のうとな!」

 

帝国はエルフの弓兵を湯水の如く浪費した。

その湯水が、今まさに枯れようとしている。

多分それは俺のせいだ。

俺が、城壁崩しのナルア・アズナンが神征を抜けた事で要塞の突破が困難な物となり、エルフの犠牲が増大したんだ。

そして、俺が神征を抜けてナキレヴが代わりに配備されるまでの一年の間に戦場のエルフは全滅した。

エルフはどうせ二等市民。

皇帝も聖女もリアーツブルだって彼等の犠牲を何ら問題だと考えない。

だからナキレヴはエルフの事を知らなかったのだ。

彼が来たときには皆死んでしまっていたから…

 

(俺が抜けたせいで、俺が少年を哀れに思ったせいで、両親ばかりでなく沢山のエルフが死んでしまった…!)

 

そう思うと涙が出てくる。

結局、あの時のささやかなアミズへの抵抗は何ら意味を持たなかった。

得られた物は少しの自己満足。

失った物は多くの命。

だが、俺はもう二度と間違えない。

何としても生き残った彼等の為に力を使おう。

俺はそう決心し、他人の臭いの未だ抜けない毛布の中、深い眠りへと落ちていった。

 

───

 

「ここは…」

 

気づくと眠っていた様だ。

俺は"いつも"の様に"自宅"の安楽椅子で目を覚ます。

あれ、どんな夢をみていたんだっけ?

確か夢の中で久しぶりに剣を握っていた筈だ。

しかも神征の時の軍服を着て。

眠い目を擦りながら辺りを確認する。

何て事はない、目の前に広がるのは帝都の実家。

愛しの我が家だ。

父が好きだった釣り道具も、母のお気に入りの花瓶も何も変わる事なく置いてある。

いつでも両親が帰ってきてもいいように、室内は二年前からずっとそのままにしてあるのだ。

いつか両親がその扉を開いて帰ってくる。

俺はそう信じてこの二年を過ごしてきた。

そう思うと視線は自然と、玄関の方へと誘導される。

 

ガチャリッ──

 

すると、示し合わせたかの様に玄関のドアノブが回った。

誰かが俺の家に入ってくる様だ。

鍵はかかっている筈なのに。

「久し振りー!ナルア!私だよー!」

 

玄関が開くと同時に響く元気な声。

部屋に侵入してきた人物は俺のよく知る少女だった。

薄い朱色のワンピースを着て、銀色の髪を真っ直ぐ伸ばし、黒曜石様な黒い目を爛々と輝かせている。

幼なじみの少女アミズがニコニコ顔で、俺の家へと入ってきたのだ。

 

「アミズッ!?いやっ…」

 

だが俺はすぐにその人物がアミズではない事が解った。

 

「今のアミズはそうじゃない…成長して聖女になった!」

 

そう、目の前にいる少女は外見はアミズであるものの、それは昔の、まだ宮殿に招聘される前の幼い頃の姿。

背丈の低い、まだ純粋無垢だった時の…。

今のアミズの姿ではない。

 

「うんっ!私はアミズじゃないよー!」

 

幼いアミズは俺の記憶通りの声でそう喋る。

でも、アミズの声だが喋り方が全然違う。

アミズは小さい時から全てを見透かした様な、大人びた口調だった。

こんな子供っぽい喋り方は絶対にしない。

 

「この姿がナルアに丁度いいかなって思って、これで会いに来たんだよ?」

 

「この姿で会いに来たって…まさか…!お前、セムレグか!」

 

「正~解!愛しのナルアおはよう!チュッ!」

 

唇を尖らして投げキッスをする少女。

その正体は俺を祝福する神様。

戦争神セムレグがそこには居た。

よりにもよってアミズの幼い時の姿で。

 

「やめてくれ…アミズはそんな事はしない。」

 

「気に入ってくれた?今度からずっとこれで来る?」

 

「よしてくれ…まてよ?セムレグが会いに来たって事は…」

 

「そう、こっちが夢の中。現実のナルアは今、エルフの小屋でグッスリだよ~」

 

セムレグにそう言われ、頭の中に直前の記憶が…帝国を裏切りナキレヴを殺した記憶が甦った。

俺がセムレグと会うのはこれが初めてではない。

俺がセムレグの旧式魔法を使える様になったその日に俺の夢枕に現れた。

その時は神様然とした姿で、まるでセムレグを象った彫刻の様な出で立ちだった。

その後、何度か夢で接触があったがその都度、セムレグ姿を変えて現れている。

ある時は戦士に、ある時は貴婦人に、ある時は神父に…そして今は幼いアミズの姿でやってきた。

曰く、神には本来定まった形はないという。

それを人間の目が自分に都合のよい形で解釈するそうだ。

そしてそれが、絵画や彫刻となって残るという。

また、神が自分からこうやって人間に会いに来る時、彼等は自分のその容姿を自由に変えて現れる。

やろうと思えば男にも女にも、幼児にも老人にも、王にも物乞いにも、その姿を変えられるのだ。

 

「何で会いに来た、しかもそんな姿で…」

 

「ナルアが久し振りに魔法を使ったからね~」

 

神征を離れて二年。

その間、セムレグは一度も俺の夢には現れなかった。

セムレグは戦争の神。

戦場にいない戦士に興味はなかったのだろう。

 

「うん?そんな事はないわよ?私はこの二年ずっとナルアを見ていたの。貴方に愛想を尽かすなんてないじゃない。」

 

戦争神は俺の心を読みそう言った。

この夢の中では彼女に隠し事などできない。

その全ての思考、感情がセムレグに伝わる。

 

「でも、嬉しかったわぁ、あの大男を殺した時のセリフ…セムレグだけで十分だって…あれって愛の告白かしら?」

 

セムレグはアミズの顔で両腕をモジモジと握り始めた。

そんなにアレが良かったのだろうか?

というかアミズの顔でやらないで欲しい。

 

「それは良かったわよ…だって私のお気に入りの戦士にそう言われたら、神様の私だってつい感情が高ぶってしまうわ。」

 

口に出していないのに会話が続く。

この夢の空間は結構便利だった。

 

「でも良かったのかしら?」

 

セムレグは急に真面目な表情になる。

その時は本当にアミズの様に見えた。

 

「何が?」

 

「あんな啖呵を切ったけど、帝国敵に回して勝算なんかあるの?」

 

おちゃらけた態度を一変。

急に痛い所を突いてきたセムレグ。

俺は答えに臆してしまう。

 

「それは…」

 

「まぁ、私にとってはナルアがまた戦争をしてくれるからいいんだけど…でも、現実は大変よ?私もできるだけナルアには長生きして欲しいわ?それに貴方の事だからきっとこの聖女様も出てくるでしょうね。」

 

「そうだ、セムレグに聞きたい事がある。」

 

「何かしら?」

 

「どうして神々は聖女なんて化物を産み出した?」

 

俺がセムレグに聞きたい事。

それは聖女の存在意義についてだ。

さっき、セムレグは俺の事をお気に入りの戦士と表現したが、聖女は魔法を司る全ての神々に気に入られている。

勿論、眼前の戦争神セムレグにも。

だからこそ、奇跡。

だからこそ、正義。

そして、それ故に聖女。

だが、神々が愛したその人間は只の暴力装置になっており、いたずらに命を奪うだけだった。

だから気になる。

何故、神々がそんな理不尽な存在を定期的に産み出すのか

 

「それを説明するには、まず人間の歴史を知る必要があるわ、長くなるわよ?」

 

「歴史?」

 

「えぇ?知らないかもしれないけど太古の昔、人間はこの世界で一番下層の種族だったの…ある時は巨人に弄ばれて、またある時はエルフの奴隷となって、そしてある時は竜の民の餌だったわ。それでも人間が生き残ったのは極めて高い繁殖力のお陰ね。」

 

「今とは逆だったのか?人間と亜人は?」

 

「そうよ、それに元々、亜人は人間を指す言葉だったの」

 

「え?」

 

亜人と人間は本来、逆。

セムレグの語る事実に俺は驚いた。

今の帝国と支配領域を見ればそんな事は想像できない。

 

「人間の定義が違ったの…魔力を持っている種族が人間、魔力を持っていない種族が亜人。この世の支配者が変わった時、言葉も入れ変わったの、この世界では魔力を持つ風に進化する事が重要なのに貴方達は魔力よりも繁殖力に特化して進化した異質な存在だったの、まぁ、たまに魔力を持つ人間はいるけど数は少ないでしょ?」

 

「すまない、進化って何だ?」

 

セムレグの口から聞き覚えのない単語が飛び出す。

 

「そっか、貴方達はまだ知らない概念だったわね…まぁ、それは置いといて、要は人間は魔力がないから虐げられていたの…丁度、今とは立場が逆でね。だから神々は考えた。亜人が、今の人間が可哀想だってね、だから人間に一発逆転の切り札として膨大な魔力を持った存在をプレゼントする事にしたわ、それが…」

 

「聖女?」

 

「…最初の存在は聖女じゃなくて勇者だったけどね、それが千年前の話。そこから支配者が代わって、後は今の通りね。」

 

セムレグはそう言って言葉を締めた。

 

「ならもう充分だろう?充分人間は力をつけた。その力を使って今や人間同士で争っている。もう、彼女から…アミズから力を取り上げてくれ!」

 

俺はセムレグに嘆願する。

だが戦争の神は困った様に目を反らした。

 

「私はそう思うんだけど他の神々はそう考えてないの、人間がこの世界に君臨して千年だけど…人間が家畜の様に虐げられていた年月はそれの数十倍。それくらい酷かった。だから私を除く神々は人間に肩入れするのを辞めない…そしてそれが私がナルアを祝福する理由の一つよ。」

 

「俺を祝福する?」

 

「そう、ナルアは私を戦争の神としか見てないけど、もう一つ側面があってね?平等の神とも呼ばれてるんだ。戦争は公平でなければならないでしょ?ナルア、私はね聖女から弱者を守る抑止力の為に貴方を祝福しているの」

 

「ちょっと待ってくれ、どうして俺なんだ!?」

 

「あの神征の中で、ヤルストヴァに疑問を持ってる…回りとズレている存在が貴方しかいなかった。だから、私は貴方を選んだ。確かにあの時の貴方は聖女の手先となっていたけど、いつか私の勇者になる。そう考えたの、二年かかったけどね。」

 

セムレグから明かされた衝撃の事実に、俺の思考は追い付かない。

 

「ごめんなさいねこんな役目を押し付けて…」

 

申し訳なさそうなセムレグの声。

だが、おかしい?もしそうなら…。

 

「セムレグ、この魔力は元々アミズが俺にくれた物だ。ちょっと皮肉めいていないか?」

 

そう、俺は元々普通の人間。

産まれた頃から魔力は無い。

だが、俺が神征に参列する時にアミズから魔力を分け与えられたのだ。

魔力を分け与える魔法。

そんな出鱈目な魔法をアミズは使えた。

 

───「ナルア、貴方に私の力を与えます。それで帝国と神征の為に尽くしなさい」

 

そうやって、アミズに魔力を授けられた日の夜、セムレグが初めて夢に現れた。

 

「あの娘がナルアに魔力を与えたのは偶然よ。言うなればアミズちゃんは私の恋のキューピッド!あの娘がいなければ私は貴方に力を授ける事ができなかった。だからあえて言うわナルア・アズナン、私の勇者になって!」

 

セムレグはそう言って俺の唇に口付けした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

「なっ…え?は?」

 

押し当たる柔らかい感触がアミズの姿をしたセムレグの小さい唇だと解ると俺の脳は静止した。

 

「なっなにするんだセムレグ!」

 

俺の顔を両手で押さえて唇を合わせる戦争神から、あわてて距離を取る。

 

「えっ?男性ってこういうのされると喜ぶじゃない?こうしてくれたら頑張ってくれるかな~って?女神の口付けよ?喜んでね」

 

セムレグがそう言うと、さっきまでの真面目な雰囲気は一気に霧散した。

 

「意味解らんぞ!?第一お前は女神じゃないだろ!一番最初の時は厳ついおっさんだったじゃないか!?」

 

たまらず俺は絶叫する。

セムレグが最初、俺の前に現れた時は皮の鎧を着た古代の兵士の姿だった。

詳述すると髭をたくえわえた白髪のおっさん。

喋り方だって舞台男優の如く逞しい声で、これぞ戦争神という風格があったのを覚えている。

 

「あら、私は神よ?定まった形がないのはナルアだって知ってるでしょう?それはナルアの頭が私の事を戦争の神だからって偏見で作り上げた幻想なの、それに今の私はアミズちゃん!」

 

ニッコリ笑ってウインクするセムレグ。

その顔は完璧に幼い頃のアミズである。

 

「いっいくら、今の姿が少女の頃のアミズだからって喜べるか!最初の姿が頭に過る!」

 

服の袖でセムレグの唾液が付いた唇を擦ると、すぐに摩擦熱で熱くなった。

 

(あーあ何でこんなこんな事したのコイツ?)

 

「ひど~い、私は大好きなナルアの為ならどんな形にもなれるのに、このアミズの姿は不満なの?」

 

言葉も発するのが嫌なので頭の中でそう考えると、セムレグは勿論反応した。

この夢の中では全ての思考は筒抜なのだ。

 

「不満って訳じゃないが…その姿は今でも俺の大事な思い出なんだ。変に茶化さないでくれ、それにこんな時のアミズと口付けをしたなんて思うと罪悪感を感じてしまう…まだ子供じゃないか」

 

「良いじゃない、これ夢よ?」

 

俺の言葉にキョトンとした顔になる戦争神。

 

「それでもだ」

 

「変なナルア…じゃあ他の人なら良い訳?」

 

「たとえば?」

 

「ナルアお気に入りの娼館の娘とか?」

 

「はっ?お前、そんな所も見てたのかっ!?」

 

「当たり前じゃない。私はナルアを祝福した時からずーーーっと貴方の事を見ているわ。勿論、ナルアがそういうお店で春を買っている時もよ?ナルアってああいう娘が好みなのね、アミズに教えて上げようかしら?」

 

「聖女にそんな事教えるなっ、でも…できるのか?」

 

「何を?」

 

「そのぉ…あの娘の姿になれるのか?」

 

「フッフ~ン?なぁんだ…何だかんだ言いつつ、やっぱり興味はあるんだぁ?いいわよ、成って…」

 

セムレグは俺の卑しい要望にニヤニヤと笑うが、その声は不意に中断された。

 

「…上げようかと思ったけど時間切れみたいね。」

 

そう言って神は真顔に戻る。

 

「なんだ、もう朝か」

 

時間切れ…俺の目覚めが近づいているのだろう。

 

「うーん、違うみたい、誰かがナルアを起こそうとしているわ、まぁ、娼婦の姿はまた今度ね」

 

セムレグがそう告げると、回りを囲んでいた景色が薄れていく。

父さんの釣具も、母さんお気に入りの花瓶も、目の前のアミズの顔をしたセムレグも…俺の家全体が水に絵の具を足らした様にぼやけて…

 

「また近い内に会いに来る、それまで良い夢を!我が勇者、ナルア・アズナン!」

 

最後にセムレグはそう言うと、一番最初の時のおっさんの姿で消えていった。

多分、嫌がらせだと思う。

 

───

 

「──さい」

 

俺を起こす声が聞こえる。

 

「─きて下さい」

 

目の覚める直前の微睡みの中、誰かが俺の肩を揺すっているのが解る。

 

「起きて下さい、ナルア」

 

俺を呼ぶ女性の声に瞼を開いた。

 

「アンセヴァ…?」

 

俺を起こそうと体を刺激していたのはエルフの少女アンセヴァだった。

だが、その佇まいを見て俺はまだ夢を見ていれば良かったと後悔する。

 

「ちょっとまて!どうして、そんな格好なんだ!?」

 

俺がそう声を上げるのも無理はない。

この小屋にいつの間にか入り込んでいたアンセヴァの体は、木の繊維で紡いだであろう薄い布切れ一枚しか纏っていないのだ。

多分、エルフの下着だろう。

そんな下着一枚の、扇情的な格好をした女のエルフがそこにはいた。

 

「勘違いしないで下さいね、これは別に貴方を好きだからとか、助けてもらったお礼なんかではありません。長に言われたから来たんです。責任を取る為にこうしているのです。」

 

「責任…?」

 

「はい、貴方を我々の仲間にしてしまった私の責任です。長も言っていたでしょう?責任は誰が取るんだと?貴方は先程、私達の力になると言ってくれました。しかし、それでは一方的な授与関係でしかありません…ですから、我々エルフは貴方が私達の力になる見返りとしてこの私、アンセヴァを差し出します。これから生涯をかけて貴方に従い、尽くしましょう。そして、どうかこの身にお情けを頂戴したく存じます…」

 

淡々と、それでいて丁寧に言葉を紡ぐアンセヴァ。

そんな彼女の金髪はこの薄暗い小屋の中でもくっきりと明るく映えていた。

 

「つまり、夫婦って事か?」

 

俺は彼女の言いたい事を要約する。

 

「…その辺を濁してたのに、そうハッキリと言わないで下さい。そうですよ、私達エルフは部族主義、人間のナルアでも私と家族になれば皆は受け入れてくれる筈です。それにナルアだって無償の協力より何か対価があった方が良いでしょう?そうだ、言い方を変えます。私の身体を貴方に上げます。だから、私達エルフを助けて下さい、そして絶対に裏切らないで…では」

 

アンセヴァはそれだけ言うと、その薄い布切れを脱ぎ始めた。

繊維でできた下着が捲れ、彼女のスレンダーな身体が露になる。

 

「…川で身は清めてきました。」

 

「まて!まて!まて!落ち着け、アンセヴァ!」

 

俺は大声を張り上げて彼女の動きを制した。

アンセヴァといい夢の中のセムレグといい、展開が急過ぎて理解が追い付かない。

どうやらあの老齢のエルフはアンセヴァを宛がうから、俺がエルフに力を貸しているという形にしたい様だ。

そうすれば俺も対価を得て働く事になるので、裏切る可能性も低くなると見積ったのだろう。

言わば報酬と枷の二つの意味合いが少女にはある。

だからあの時、長老は俺とアンセヴァの顔へ交互に視線を送っていたのだ。

彼女にその身を捧げさせる為に。

そしてアンセヴァは責任を取ると宣言し、俺の小屋に押し掛け女房の如くやって来たという訳だ。

 

「どうして止めるんですか!こっちは覚悟してきたと言うのにっ!」

 

俺が止めに入ると何故か声を荒げるアンセヴァ。

 

「もし俺がキミとそういうコトをしたら俺がキミを助けた意味が無くなる!力を貸すからキミを抱く、そんなの無理矢理と変わらない!アンセヴァは別に俺が好きではないんだろ?」

 

「はい!貴方にエルフの力になって欲しいからこの身を捧げる、そういう所存です!」

 

元気に即答する。

そんなにハッキリ言わなくてもいいと思うが…。

 

「なら、そういうコトは本当に好きな人の為にとっておきなさい!」

 

取りあえず俺は、極めて一般的な常識を彼女に説いた。

 

「何故です?私の顔は好みではありませんか?肉体関係から始まる恋愛もあるでしょう!もしかしたら数年して、私はナルアの事を好きになるかもしれません。」

 

だが、眼前のエルフの決心は固く下着を脱ごうとする手を止めない。

 

「いや、そう言う事じゃなくてだな…エルフの夫婦っていうのは基本的に一度決まるともう変えられないんだろ?例え配偶者が死んだとしても」

 

「よくご存知ですね?」

 

エルフの風習について知っていた俺にアンセヴァは少し意外な顔をした。

情報源を知ったら彼女はきっと悲しんでしまう。

この事を教えてくれたのは神征に参加していたエルフの弓兵なのだ。

つまり、彼はもう死んでいた。

 

「そうです、ですから私はナルアに一生を捧げます。貴方が私達を助けるその対価として、そして私が貴方を仲間にした責任として…!」

 

「なら尚更やめておけ、俺は人間でアンセヴァはエルフ。どう考えたって俺の方が先に死ぬ。そしたらその後の数百年、キミは未亡人として暮らさなきゃいけなくなる。種族も違うから子供も残せないだろう?」

 

「それは、そうですが…」

 

「それに俺は何も最後まで君達エルフと運命を共にしようとは考えていない。キミにその身体を捧げられても迷惑だ。」

 

「…どういう事ですか?」

 

俺がそう言うとアンセヴァは途端にそのサファイアの様な相貌を尖らせた。

連動する様に彼女の長い耳もピクリと動く。

 

「やはり人間ですか…結局は約束を違えるのですねっ!」

 

半裸のアンセヴァは口を広げ、今にも噛みつきそうな勢いで唾を飛ばす。

人間よりも発達したエルフの犬歯がチラリと見えた。

 

「違う!違う!ちゃんと君達の事は助ける!何とかその算段を建てている所だ!」

 

「では運命を共にしないとはどういう事です!?自分だけ逃げるつもりですか!?」

 

アンセヴァは色白の顔を真っ赤にした。

俺が逃げる、そう思っている。

 

「俺は確かに君達の力にはなる…なるが、ヤルストヴァ帝国と真正面から闘って勝てる程強くはない。だから俺は君達を安全な地へと移住させる、その手助けをしようと思う。その地へと移り、君達が安心して暮らせる用になったら、すぐにエルフ達の場所から去る。アンセヴァだって人間と一緒に住むのは嫌だろう?」

 

そんな真っ赤な彼女を宥める様に、俺はずっと考えていた事を口にした。

 

「我々にこの地を離れろ?そういう事ですか?」

 

エルフは土地への帰属意識が強い種族。

アンセヴァは思う所があるのか、数段声が小さくなった。

 

「あぁ、そうするしかエルフが帝国から解放される術はない、アンセヴァ、キミだって解っている筈だ。このまま帝国と戦えば滅ぶしかないって。」

 

「えぇ、解っています。それ位は…」

 

さっきの威勢はどこへやら、金髪のエルフは声を小さくしたまま目を伏せた。

そして、弱々しく言葉を紡ぐ。

 

「正直に言うと私は百年の間、ブドウを作らせ続けられたこの地にそこまでの愛着はありません。ですから、今の現状と照らし合わせ、ナルアが言った事にそれほど抵抗はないんです…ただ」

 

「長老がどう言うかだな?」

 

「えぇ、長はこの森で帝国相手に闘いを挑むつもりです。」

 

───森の民らしく森で戦って死ぬ

 

エルフの長老が言っていた事を思い出す。

彼自身、この蜂起が集団自殺と変わらないという事は覚悟の上だった。

そして、他のエルフも勿論、目の前のアンセヴァだってそれを理解して人間に立ち向かったのだろう。

そんな熱意を持ったエルフに逃げろと言って、果たして素直に言う事を聞いてくれるか…

 

「その事については日が明けたら改めて長老と話をしてみようと思う。アンセヴァ、キミも一緒について来てくれないか?」

 

俺は言葉をそう締めた。

 

「はい、それは勿論ご一緒します。で、結局ナルアは私に手を出さない、そういう事でいいんですね?」

 

折角話を上手いこと反らしたのにアンセヴァは再び話題を抱く抱かないという方向へ持ってきた。

自分が責任を取ると宣言した手前、易々とは引き下がれないのだろうが…このままだと本当に抱くぞ?

 

「だから手は出さないって…しつこいなぁ、そんなに責任感を持たなくても良いじゃないか?俺はちゃんと君達に力を貸すし、裏切らないから…」

 

「いえ、ただ不思議なんです。自慢する訳ではありませんが、私達エルフは美形です。それが建前と言えど身を許すと言っているのに手を出さないなんて、本当にナルアは紳士的ですね。それとも私に魅力はありませんか?貴方に助けられたのでまだ純潔ですよ?」

 

アンセヴァは下着を整えながら、不思議そうに呟いた。

 

「別にアンセヴァに魅力が無いって事じゃない。だが、自分を犠牲にする事なんてしないで欲しい、そんな事をしなくても俺は君達の為に力を使おう。それに身を許すたってキミはまだ子供じゃないか?」

 

布一枚の下着をはだけさせながら、俺へと迫るアンセヴァの外観。

彼女はまだ少女。

人間でいうとあと少しで青年期へと突入する。

そんな見た目だ。

そんな女の子にもう二十も中頃となる俺は邪な感情など抱けない。

 

「ナルアは私が子供っぽい、そう言うんですね?」

 

「子供っぽいて訳じゃないが、まだ若いんだからちゃんと身は固くしなさ…」

 

「141です」

 

アンセヴァは俺が言葉を言い切る前に何か数字を呟いた。

 

「え?何が?」

 

…何が141?

 

「だから、私の年齢は141歳です。ナルア、貴方より年上です。」

 

…そっかぁ、エルフだもんねぇ。

 

───

 

「安住の地への移住か…いいだろう」

 

翌日、まだ鳥のさえずりが聞こえる早朝。

再び長老の家へと脚を運んだ俺とアンセヴァは彼の答えに拍子抜けした。

 

「えっいいのか?」

 

帰属意識の強い、それも部族をまとめる族長があっさりと移住の提案に同意したからだ。

 

「貴様の言いたい事は解る。私だってエルフの種を存続させたいから蜂起したのだ。地と血の重さを計れぬ程、私の天秤は錆び付いていない。」

 

「長、よろしいのですか?」

 

恐ろしい程に早い即決にアンセヴァも驚きの顔を隠せない様子。

老人が頑固だという常識は人もエルフも同じらしい。

 

「アンセヴァ、今の我々にとって大事なのは信仰でも伝統でもなく存続だ。特に若いお前の様なエルフには、もっと広い目で世界を見て欲しい。この森に住むからエルフではないのだ。我々が生きているからエルフなのだ。」

 

森の賢者、古い書物に記されていたエルフの昔の呼び名を思い出す。

目の前でその考え方を説く長老はまさに森の賢者を連想させた。

 

「それにまだ認めた訳ではない…ナルア・アズナン、貴様の計画にもよる。話せ、全く検討がなかったのなら当初の予定通り、ここで徹底抗戦だ。」

 

「あぁ、解った。昨日、帝国の兵士達を殺した時からずっと考えていたんだ。まずはこれを見てくれ」

 

俺は長老に催促され、懐から地図を取り出し木目の床に拡げる。

 

「おお、なんと詳細な地図か…!」

 

「これが地図…百年でこれ程進歩していたんですね。」

 

「帝国の測量士の引いた最新の地図だ。これを国外へ持ち出すと死刑だよ。」

 

目の前に拡げられた地図を見て長老とアンセヴァは目を見開く。

二人とも百年振りに見る本格的な軍事地図に感嘆の声を漏らした。

それもその筈、帝国は亜人に地図の作成や所有を許可していないのだ。

他種族の支配に必要なのは地理的情報を奪う事。

そうする事で彼等の行動範囲を狭め、協力を未然に防ぐ。

そして、一生を檻の無い牢獄に閉じ込めるのだ。

場所が解らない事には移動しようという勇気も起きない。

まれに移動を決心する者いるが、所詮それは蛮勇。

一月もしない内に自分が何処にいるかも解らず、力尽きるのだ。

 

「ここが今俺達のいる場所だ。」

 

俺はこの周辺領域を記した地図の一点、エルフの住む地を指差さした。

 

「キミ達は知らなかったかもしれないが、実はこの地点は国境に近い方なんだ。実はこれが皇帝が戒厳令を敷いた理由の一つでもある。国境に近い所で起きた小火騒ぎが、すぐ近くの隣国に飛び火して大火事にならんとも限らんからな。」

 

そう言うと俺は指を地図の端へとずらす。

そこから先は赤字で線がくっきりと引いてあり、帝国の限界である事が強調されている。

 

「そうだったのか…でもどうしてその隣国は独立を保っていられる?」

 

長老のエルフは初めて見た帝国の国境線を不思議そうに眺めた。

どうやら彼の想像するヤルストヴァ帝国は実際よりかなり大きな物だったらしい。

 

「簡単な話だ。前回の神征はここが限界だったんだ。百年前の勇者はエルフの森を侵略した後、当然その先へと歩を進めたがそこでデカい壁にぶち当たった…龍人族だ。」

 

俺は龍人族という言葉を強調する。

 

「龍人族!龍の民はまだ帝国に支配されていないのか!?」

 

長老にも俺の口から飛び出したビックネームのインパクトが伝わった。

龍人族。

古の呼び名では龍の民。

エルフ達は未だにそう呼称する様だ。

 

「あぁ、百年前、流石の帝国も龍人族の領地の全てを攻略できなかった。前回の神征はエルフの森を通過した後、龍人族の領地を三分の一程進んだ所で止まった。そして、それが今の帝国の限界線だ。そこまで行くのに関所は二つしかない、そこは俺が破壊する。だからこの龍人族の国、アイグルニブへと逃げよう!」

 

アイグルニブ王国。

それは龍人族の国。

この大陸でまだ独立を保てている数少ない国家の一つだ。

百年間、ブドウ畑に囚われていたエルフ達はその存在すら知らなかった。

おそらくは自分達が人間に支配された後、すぐ隣で生活を営んでいた彼等も森の民と同じ末路を辿ったと考えていたのだろう。

龍人族が神征を退けた理由、それは彼等のある特性に由来する。

かつて、神話の時代、その空に大翼を拡げて太陽を遮ったと言われる伝説の爬虫類。

そんな、今は存在しない龍と交わったと言い伝えられているのが龍人族だ。

普段は人間と変わらないが、彼等は高い魔力を有しており、その姿を龍へと変化させる事ができる。

これが龍人族が龍と子を成したと言われる所以である。

だが、実際の所それは違う。

龍人族は大地の神に祝福された種族で、龍に姿を変えられるのはその祝福による旧式魔法のお陰なのだ。

そもそも神話に記された龍の正体が龍人族であり、龍人族こそが龍そのものなのである。

人を龍へと変える魔法。

俺はそれを実際に目にしている。

聖女アミズがそれを使えた。

ともあれ、その身を固い鱗で覆い、強靭な牙爪を備え、人の三倍もの大きさに姿を変える龍人族に帝国は敗北を喫したのだ。

そして、皮肉にも百年前のその攻撃が国を持たずバラバラに暮らしていた彼等に国家を作る刺激を与え、軍事大国を形成。

アイグルニブ王国と成り、百年間、ヤルストヴァ帝国と睨み合いを続けていた。

今回の神征でもアイグルニブへの進攻も考えられたが百年前の損害を考慮し、早い段階で案から外されている。

俺はその軍事大国への亡命をエルフ達へ提案したのだ。

 

「しかし、その龍の民の国は我々の事を受け入れるのか?」

 

長老は尤もな事を口にする。

 

「認めないだろう…奴等はキミ達エルフ以上に保守的だ。だが、保守的で軍事力のある分、彼等の領土にさえ入れば帝国はエルフへの追跡を諦めるんだ。聖女だって戦う事を嫌がる、アイグルニブはそんな国だ。」

 

「では、どうしろとと言うのだ!行った所で追い返されれば、今度こそ本当に絶滅してしまう!」

 

「でも、行って見なければ解らない!国境地帯はここと同じく山林が広がっている。もし上手くいけばこっそりと国境を跨ぎアイグルニブへと入国できる。そしたら、そこでひっそりと龍人族にバレない様に気配を消して暮らせばいい!得意だろ!?」

 

「…」

 

俯き気味に視線を落とす長老。

錆び付いていないと言った彼の天秤が、ここで徹底抗戦する事とアイグルニブへ目指す事を計っているに違いない。

 

「アイグルニブでの命の保証はできない…だが、ここにいたら確実に死ぬぞ?」

 

押し黙る長老に訴えかける。

すると、彼ではなく俺の隣に座るアンセヴァが口を開いた。

 

「長、我々は必要以上に木を切りません…」

 

「アンセヴァ…?」

 

「水に汚物を流す事もしません、それに本来ならば土を耕す農耕もしません…ですから人知れず、こっそりと暮らしていけます。残念な事ですがこの百年、私達は只でさえ少なかった数をさらに大きく減らしました。もう過去の水準に戻ることはない筈です、ひっそりと慎ましく龍の地で生きましょう。」

 

アンセヴァの紡いだ一連の言葉が最後の一押しとなった。

 

「そうか…そうだな、ナルア・アズナン…貴様の提案を受け入れよう。我々をアイグルニブへと案内して欲しい。」

 

そして、彼はこう言って、深々と頭を下げた。

 

───

 

「あら、このお茶とても美味しいわ」

 

白磁のカップを傾ける聖女アミズ。

彼女は今、大きなテーブルの前に座りある人物と対談していた。

 

「それはどうも、我が都市自慢の一品でございます。東の地より仕入れました。聖女様のお口にあった様で何よりです。」

 

彼女の対面に座る人物はこの都市の市長。

憐れにも神征の九番目の目標となった街の代表者だ。

彼は聖女という化物を目の前に、笑みを絶やさず言葉を続ける。

少しでもアミズの機嫌を損ねない様、細心の注意を払っていた。

 

「この他にも多数の異国の物品を取り揃えております!何か気に入った物があれば是非お持ち"帰り"下さい!」

 

「ふふっ…」

 

あくまでも丁寧な言葉遣いで、彼は帰れという言葉を強調する。

 

───潮風香るこの街は小さいながら良港を有しており、交易で栄えた豊かな都市。

 

彼はアミズにこの街をそう紹介したが、それが理由で狙われているのは皮肉以外の何物でもない。

 

「ふーん、そうなの…でもありがとうね、素直に城門を開いてくれて本当に感謝してるわ。」

 

和やかな雰囲気の聖女。

再び白磁を傾けてお茶を楽しむ様に目を細める。

 

「ヤルストヴァの聖女様の力は広くこの大陸に知れ渡っております。我々のような商人の街が恐れ多くも戦おうなどとは思えません。」

 

アミズ率いる神征の軍がこの港街に近づいた時、市長は抵抗する事なく都市の城門を解放した。

そして、軍勢を招き入れて盛大なもてなしをすると共に、聖女を市長の屋敷に招待し、こうやって会談の場を設けたのだ。

会談場所は屋外の庭園に設置された談笑用のテーブルで、そこからは綺麗な海を展望する事ができる。

時折吹く潮風が、アミズの絹の様な銀髪をくすぐった。

 

「えぇ、私も無駄な血は流したくないもの…でも、お茶に"毒"を入れるのはいただけないわね。」

 

アミズは白磁のカップを黒檀の机に置く。

カチャリと食器の音が鳴ると、彼女の纏う雰囲気が変わった。

 

「何を仰っているのですか?確かに異国の茶故、多少独特な風味は…」

 

「シュロソウ…シュロソウの毒よね?これ?この大陸ではあまり見ない花だからこれも東方の地より取り寄せたのかしら?」

 

「なっ…」

 

市長は言葉を失う。

茶に毒を混ぜた事ばかりか、毒草の名前まで当てられたからだ。

この時の為に備え、薬剤師と錬金術師に三日三晩と調合させたシュロソウの毒は殆ど無味無臭に近かった。

 

「それに隠れて私に武器を構えている兵士も気に入らないわ、弓ではないようだけど…飛び道具よね?」

 

「うっ撃てっ!」

 

アミズがそこまで言うと、もう、隠す気はないと言わんばかりに市長は右手を上げて攻撃の合図を出す。

直後、物陰に隠れた兵士達は手に持つ武器の"引き金"を引いた。

 

───パッパパッパン!

 

四方八方から軽快な発砲音が連鎖的に鳴り響き、鉛の殺意がアミズに殺到する。

 

「すっごい!すごいわ!!何これ!?魔法じゃないわよね!?」

 

しかし、放たれた弾丸はアミズに着弾するその一歩手前で、まるで地面に引き寄せられるかの様に落下した。

アミズの回りにはドングリみたいな黒く丸い鉛玉が散乱する。

 

「火薬を使って飛ばしてるの!?じゃあ大砲と原理は一緒ね!解ったぁっ!大砲を小型化したんだ!そうでしょ!?」

 

アミズはこの日一番の興奮で眼前の市長に言葉をぶつけた。

攻撃されたと言うのに罵声でも、恫喝でも、軽蔑でもなく、単純に知的好奇心を満たしたい…そういう口調。

そして、その正体不明の武器の原理を彼女なりに推察し始めた。

 

「でもこんな物を作れる様な工廠なんてこの港街にはないわよね?これも輸入?」

 

「ばっ化物…!」

 

───パンッ!

 

市長は懐から伏兵達が持っていた物よりも小型化された同種の武器を取り出すと、アミズに狙いを定めて引き金を引いた。

だが、煙る硝煙の匂いも虚しく、さっきと全く同じ結果となる。

 

「なぁんだ、貴方も持っていたのね?」

 

聖女はテーブルから身を乗りだし、市長の手からその武器を奪い取った。

 

「あー、やっぱりそうだ!こんな事できる人なんて居るんだ!」

 

満足そうに手に取った武器を眺めるアミズ。

その眼は玩具を手にした子供の様。

 

「へー鉄の筒に火薬を詰めて…この火打石で発火すると…私、これを気に入ったわ!持って帰るわね!」

 

「…っヤルストヴァの腐れ女がっ!」

 

「聖女様っ!何事ですか!」

 

市長がそう毒づいた時、近くに待機していた聖女の護衛が駆け付けた。

その手には抜き身の軍刀を持っている。

静かな会談の現場に流れた雷鳴の様な音に何事かと考えたのだろう。

 

「私、攻撃されちゃったみたいです」

 

手に持つ未知の武器を手でプラプラさせながらアミズは護衛にそう言った。

 

「何っ!貴様っ!」

 

すかさず振り下ろされる白刃。

あっけなく市長はその護衛に斬り殺される。

漆黒の黒檀のテーブルは彼の返り血で朱に染まった。

 

「申し訳ありません、私がついていながら…!」

 

一仕事終えた護衛の兵士は血濡れた軍刀を鞘に仕舞うとすぐに彼女の前へと跪く。

 

「いいんですよ、別に、お陰で面白い物も見れました。後はいつもの通りにお願いします。」

 

「ハッ!」

 

この港湾都市の末路は語るまでもない。

アミズの見下ろす海はどこまでも青く広がっていた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

長老からの同意を得た後、俺は具体的な計画を練る為にエルフの群れの中で発言力を持つ者達を長老の小屋に呼ぶよう頼んだ。

すぐに数人のエルフが集まり、小屋は手狭となる。

ここにいるのは家主の長老、俺、アンセヴァ、三人のエルフの有力者の計六名。

三人の中には昨日の夜、俺の首筋に短剣を充てていた初老のエルフもいた。

彼等からアイグルニブ王国を目指す事に否定的な意見も出るかと思ったが、長老が決定事項だと一声出すとその三名は素直に納得する。

人もエルフも権威には負ける。

それに、彼等の心の何処かでは帝国と戦って死ぬ事に否定的な考えがあったのかもしれない。

ともあれ、不思議な位あっさりと有力者達の同意を得た。

 

「準備にかけられる時間は三日が限度だ。それを過ぎれば確実に帝国は近くの駐屯地から軍を派遣してくる。それまでに移動の準備は可能か?」

 

俺は地図を木の香が薫る床に広げたまま現状の再確認を始めた。

昨夜の戦いで数人を取り逃がしてしまっている。

馬がないとはいえ、明日か明後日位にはどこかしらの街に辿り着きこの事を知らせるだろう。

そうすればすぐに前回の比ではない兵士が来る。

そんな彼等から逃げる為には一秒でも速く、移動を開始したかった。

 

「エルフは過剰に消費をする生活はしないから物は少ない、小屋も決起の日に作られてまだ一月と少ししか経っていないので愛着がある訳でもない…やろうと思えば明日にでも出発できるさ」

 

俺の言葉に答えてくれたのは初老のエルフ。

聞く所によると彼は百年前の神征の時、帝国に抵抗する軍の様な組織で指揮をしていたらしい。

まぁ、彼のいた軍と俺の想像する軍ではニュアンスが違うので正確に言うなら自警団的な組織なのだろう。

これまでの歴史でエルフに体系化された軍がいたとは聞いた事がなかった。

だが、それでも強者の発言だ。

俺は少し安心感を得る。

 

「頼もしいな…じゃあ早速、移動の経路を提案する。」

 

俺はそう言って木の枝を使い、大まかな経路を地図上に指し示した。

 

「これが一番速い経路だ。まずこの森を出て平原を突っ切る。直線上には関所は二つあるが幸いな事に人の住んでる様な街も軍の駐屯地も無い。」

 

最初に俺が提案した経路は、歩き易い平原を移動しアイグルニブの国境へと向かうルート。

平地を歩く事で女子供や老人でも余裕を持って移動できる。

しかも国境近くの辺鄙な土地には人家もない。

それもその筈、実質的な人が住める限界はエルフ達が焼きはらったこのブドウの街までなのだ。

誰も好き好んで龍の地の近くに住みたいとは思わない。

だが、俺の提案にすぐエルフ側から反対の手が上がった。

 

「ヤルストヴァの人間よ、確かに人間から見ればその経路は楽に感じるかもしれん。だが、エルフにとっては厳しい道だ。我々は森の神の祝福を受ける部族。森から出れば魔法も使えん。」

 

俺と始めて会話を交える白髪のエルフは地図上に置かれた木の枝をより険しい森の経路にずらした。

遠回りになるが、できるだけ平原を迂回し森を出ないルートだ。

 

「最適解はこうだ。貴様の言う関所付近では嫌でも平原を通過しなければならないが、これなら極力、森を出ないで済む。」

 

「だが、この大所帯だぞ?森を上手く進めるのか?」

 

俺は疑問を投げ掛けた。

この辺りは国境に近いと言っても二三日歩けば付けるという距離ではない。

それに生き残りのエルフが百人規模で一斉に移動する。

足腰がしっかりしている青年ならともかく、生き残りの殆どは老人、女、子供…。

老若男女から若いを抜いた歪な集団だ。

グズグズしていると帝国軍に追い付かれてしまう。

ただでさえ集団の移動は速度が落ちるのに。

 

「だからこそだナルア・アズナン。我々は森の民だぞ?森の地形でも速度を落とす事なく歩みを進める。移動に関しては心配するな、貴様は関所を破壊する事だけ専念してくれれば良い。どうせどの道を選択しようが関所は通過せねば、国境には辿り着けんのだろう?」

 

「それはそうだが…」

 

避けられない二つの関所。

山の多い地形と河川の混在する国境付近の地理的制約から、この大人数でアイグルニブに行くにはどうやってでも関所のある平原、二ヶ所を通過しなくてはならない。

帝国もその事が解っているから、その場所に関所を設置しているのだ。

 

「それが本当なら俺もその意見に同意したい…だが、信じていいのか?」

 

白髪のエルフの提案した森を通過する経路の選択。

本来なら俺だってそうしたい。

平原で大人数が移動すると嫌でも目に付くし、軍は馬を使うので捕捉されればそこでお仕舞いだ。

森ならば馬での移動も難しいので、帝国の脚は落ちる。

だが、このエルフの群れは帝国に追い付かれる前にその道程を踏破するだけの力があるか…疑問だった。

 

「大丈夫だ。森の民だからな…貴様が同意するなら決定だ。それでよろしいですね?長?」

 

白髪のエルフに同意する様に初老のエルフも口を開く。

そして、長老に肯定を求めた。

 

「あぁ、それでいい。では今日一日を準備に費やした後明日にでも移動する。皆には私から言っておこう。心配するな人間よ、我等は森の民。例え女子供でも速度を落とさず移動できる。」

 

二人の言葉に長老も異を唱えない。

説明の中、彼等はやけに森の民という部分を強調していた。

まるで安心しろと言わんばかりにその単語を繰り返す。

その姿は自己暗示をかける様だった。

 

「後は頼んだぞ、ナルア・アズナン。」

 

そして一拍置いた後、覚悟を決めたように長老は俺にそう言った。

 

「あぁ、関所の事は任せてくれ」

 

応じる様に相槌を打つ俺。

不安が無い訳ではなかったが、空気を壊さない為にもそう返す。

後で、この時老齢の首脳人達が考えていた事を知り俺は後悔する事になる。

 

…けれども、それは少し先の話だ。

 

「ナルア・アズナン。この後少し残って欲しい。」

 

具体的なアイグルニブへの道筋を定め、準備の為に各自解散となった時、俺は長老エルフに呼び止められた。

俺と一緒に小屋を出ようとしたアンセヴァも長老の声にその足を止める。

 

「アンセヴァ、お前も席を外してくれ」

 

しかし、長老は俺と一対一で話がしたい様でアンセヴァにも退出を求めた。

 

「…解りました。ではナルア、また後で」

 

彼女はそう断ると長老の小屋を後にする。

中には俺と長老の二人だけになった。

木と森の臭いに包まれた部屋の中。

窓がない、薄暗い緑色の小屋は何だか厳かな趣を持っている。

陰影礼賛…とでも言うべき雰囲気。

暫し、二人に無言の時間が流れた。

 

「昨晩、アンセヴァを抱かなかったな?」

 

先に口を開いたのは長老だった。

 

「…呆れた…二人きりになって何を話すかと思ったらそんな事か、あんたも酷いな、俺をエルフに協力させる為に女を使うだなんて、彼女には自分自身で決めた本当に好きな相手を選ばせるべきだ。」

 

苦々しく声を発する。

途端に頭の中で昨夜の光景が甦った。

木の繊維で紡いだバスタオルの様な下着。

それ一枚で俺へと迫った細いが色めかしいアンセヴァの体つき。

あの時の光景は薄暗い闇夜の中でも脳裏に焼き付いて、今も目から離れない。

 

「まだ若い娘にあんな事をさせるもんじゃない。」

 

俺は頭の中の邪念を払い、そう毒づく。

 

「141歳だぞ?」

 

「…エルフにしてみれば若いだろ。これに懲りたら二度とするな、別に女なんか与えられなくても俺はお前達の味方をする。」

 

141歳という単語を無視し、俺は長老エルフにそう返した。

 

「そうか…なら良いのだが、別に私はアンセヴァをお前への報酬という意味だけで宛がわせた訳ではないのだ。」

 

「どういう意味だ?」

 

彼の発言に首を傾げる。

頭に疑問符を浮かべる俺を尻目に、長老のエルフは言葉を続けた。

 

「先程、貴様はアンセヴァには本当に好きな者を宛がうべき…そう言ったな?」

 

昨晩、アンセヴァにも説いた至極一般的な社会通念。

それを長老は再確認する。

 

「エルフの森じゃそんな習慣は無いのか?」

 

「馬鹿にするな若造、エルフは基本自由恋愛だ。私が昨日やった事を除いてな。」

 

俺の返答に、彼はちょっと怒った口調になった。

そして一度咳払いをすると、また会話を再開する。

 

「アンセヴァの本当に好きな者だがな…それは無理な話なんだ。」

 

「無理?」

 

「あぁ、少し昔話をする。」

 

そう前置きすると彼はアンセヴァの過去を話し始めた。

 

「アンセヴァは百年前、将来を約束していた男がいた。だが、その男は百年前の神征で死んだのだ。」

 

彼の発言に小屋の空気が一気に変わる。

アンセヴァもまた、神征の犠牲者。

そういう事を示していた。

 

「そうだったのか…」

 

「幸い、婚姻前であったから彼女は未亡人になる事なく、純潔を保たれた。エルフは婚姻後の初夜まで、身体を許す事はせんからな…乃ち、一生を独り身で過ごす心配は無かった…」

 

「それで…?」

 

「まぁ、話を聞け、続きがある。」

 

言葉を遮ろうとする俺を制して長老は哀れなエルフの昔話を続ける。

 

「アンセヴァはそれでも何年もの間、一途に死んだ恋人の事を思い続けた。だが、時は心の傷を風化させる…それから数十年してまた別の男が彼女の心の拠り所になった。」

 

アンセヴァに出来た二度目の恋人の話。

…しかし、今も彼女が純潔だと言う事は。

 

「その者もまた死んだ。アンセヴァと婚約した後に死んだのだ。死因は流行り病。それは人間の駐在員が持ち込んだ熱病だった。だが、話はこれで終わらない…」

 

十二分に重いアンセヴァの過去。

この部屋の空気が暗いのはエルフの家に窓がないからだけではなくなった。

 

(やめてくれ…まだ続きがあるのか?)

 

心の中でそう思ってしまう。

そう感じる俺の思考も虚しく、この昔話はまだ続きがある様で、長老エルフは口を止めない。

 

「そして二度も恋人を失ったアンセヴァは、あろう事か自分の実の親である父親と白昼堂々愛を語る様になったのだ。彼女の父も神征で妻を失い、不幸な事にアンセヴァは亡き母そっくりの生き写しだった…。お互い孤独で屋根を共にする…そうなるのは必然だったのだろう。周りは気味悪がったが、それでも幸せそうな二人を前に何も言えなかった。それに、父も最後の理性で踏み止まってアンセヴァに手は出さなかったからな…ともかく、恋人を二度も失い行き場のなくなったアンセヴァは実の父と禁断の関係にあった。」

 

彼の口から明かされる衝撃の事実。

そして俺は、気づかなくていい事を気づいてしまった。

 

「確か昨日の話では、二度目の派兵に彼女の父が…!」

 

長老は見開く俺の視線を受け止めた。

 

「あぁ、そうだ、その通りだ。その父親すらも、今回の神征に派兵され死んだ。」

 

「なっ…!」

 

長老の語る一連の昔話に俺は息を呑まざる得ない。

アンセヴァ…彼女の人生には今までどれ程の辛い別れがあったのだろう。

 

「アンセヴァの愛する者は皆、人間によって殺された。言うなればお前は仇の一人でもある。だから人一倍、人間を恨んでおった。そんな彼女が昨日、お前の事を庇ったのには驚いた。そして責任を取ると宣言したことにもな。」

 

憎くて憎くて堪らない存在に本心ではないとしても身を許す。

どれだけの覚悟が必要だったのだろう。

 

───なら、そういうコトは本当に好きな人の為にとっておきなさい!

 

昨日、彼女に説いた正論。

事情は知らなかったとはいえ、何て酷な事を言ってしまったんだ…俺は?

彼女はもう三度も心に決めた人が居なくなっていたというのに。

 

「だからこの部族ではもう、彼女と添い遂げるなどと言う男は現れない。実の父と愛を語っていた女など誰も娶ろうとは思わない筈だ。只でさえ彼女に愛された者は死ぬ…そういう噂が老人の間で立っている。お前が非国民と蔑まれ孤独だったのと同じ位にアンセヴァは孤独の中で生きてきたんだ。」

 

こんな話を俺にする長老の真意。

それが何となく解り始めた。

 

「つまり、何が言いたい?」

 

しかし、だからこそ俺は問いかけた。

長老の口からその真意を聞きたかったのだ。

 

「アンセヴァはもう一生孤独だ。だから、お前が断るなら彼女の夫になってくれとは言わん。…ただ、どうか彼女の味方になってやってくれ…ここ数年、アンセヴァは私と数人程度としか言葉を交えていないのだ。例え貴様が人間でも、数年ぶりに若い男と言葉を交えたのはナルア…貴様なのだ。だから、どうか、どうか彼女に優しくしてやって欲しい。この通りだ。」

 

そう言って長老はさっきよりも深々と殆ど地面と顔が接する位に頭を下げる。

自然と俺は彼の頭皮を見下ろす形となった。

 

「…」

 

だけど俺は、本日二度も見る事となった老人の旋毛を前にして、何一つ言う事ができなかった。

 

───

 

「ナルア、遅かったですね?」

 

長老の小屋から出ると、件のアンセヴァが大きな木の切り株に腰をかけていた。

どうやら俺の事を待っていたらしい。

 

「長はなんと?」

 

「あっあぁ、少し移動の打ち合わせをな…」

 

俺は先程の話が頭にちらつき、アンセヴァの顔を真っ直ぐと見れない。

 

「何ですかそんなに驚いて」

 

弱々しい声の俺にアンセヴァは空色の目を訝しげに曲げる。

 

「いや、何でもない…キミはどうして俺を待っていたんだ?」

 

長老と話していた時間はそこそこ長かった。

それまでずっとこうして俺の事を待っていたのだろうか?

 

「…?特に理由はありませんが、待っていてはいけませんか?」

 

「いや、そういう訳じゃない。だが、明日の準備をしないといけないから他の皆に伝えてきてくれないか?」

 

「それはさっきのご老公方がやっています。若い私が変にでしゃばる必要はありません。」

 

「そうか…その、アンセヴァ?」

 

「何ですか?」

 

「昨夜はすまなかった」

 

俺は次にアンセヴァの顔を見たら言おうと考えていた事を口にした。

多分、これは自己満足。

謝ったとして何がどうなる訳でもない。

知らないとはいえ口から出してしまった言葉のナイフを無かった事にはできない。

だが、こうしないと気持ちが変になりそうだった。

 

「何を謝っているんですか?貴方は昨晩、紳士的に接してくれたじゃないですか?変なナルア…ふふっ」

 

何に謝られたか解らない様で、不思議そうに微笑むアンセヴァ。

その笑顔の中に昨日までは感じなかった寂しさを感じた。

どうか、気のせいであって欲しい。

 

───

 

「凄いなぁエルフって…」

 

エルフ達が移動する為の旅支度を部族総出で行っている。

そして、それを眺める俺は感嘆の声を上げた。

 

「どうしたんですか?」

 

「いや、用意が周到だなと思ってな」

 

俺はどれくらい時間がかかるだろうと彼等の準備を自分に宛がわれた小屋の中から入口を開けて見ていた。

しかし、目の前のエルフ達は家財や家庭道具の類をとっと選別し、長距離の移動には不必要な物など最初から無かったかの様に纏め上げると、あっという間に荷造りを終えてしまったのだ。

時間は殆どかかっていない。

中心の広場の方にはまだ有力者達に指図され、保存食作りや矢の生産等を行っているグループもいるが個人の身支度は皆、もう終えてしまっている。

 

「エルフは人間と違って無駄に物を買い込まないのでこう手際良く準備ができるんです。人間は欲張り過ぎです。必要最低限でも豊かな暮らしはできます。」

 

俺の隣に座るアンセヴァは戒める様にそう解説した。

そういえば小屋の中で、初老のエルフも同じ事を言っていた。

確かに俺が今寛いでいる小屋の中を見渡しても生活に無駄と思われる様な代物は一つも無かった。

洋服などの類は二三着の着回しができる簡素な物が数着置いてある程度。

寝床には草を敷き詰めたベッドに毛布が一枚。

勝手場には漆器の類が二三、調理道具は鍋が一つ、あとは薬草か何かを煎ずる道具が一式。

小屋にある物、以上。

いくら、これが一月程前に作られた仮住まいだったとしても物が無さすぎる。

これがエルフ本来の森と共存して生きる生活様式なのだろう。

 

「…確かにアンセヴァの言うとおりだな、帝都は物が溢れ過ぎていた。皆、いつ使うのか解らない奢侈品を買い込んでいたよ…キミ達が一生懸命作っていたワインだって貯蔵して何年も溜め込んでいるんだ。飲まずにずっと…」

 

「人間は折角作ったワインを飲まないのですか?」

 

アンセヴァはきょとんとした顔になる。

 

「あぁ、時間を置くと味が変わるとか言って飲まないでとっとくんだ。何年も…俺は貧乏舌だったから違いが解らなかったが、今思えばそれも無駄な事だった様に思えてくるよ。」

 

「なぜ人間がその様な無駄な事をするか解りませんが、ナルアも少し我々の暮らしをして下さい。」

 

「そうだなぁ…君達とは暫く行動をともにしないとならないし…」

 

俺がそう相槌を打つと、アンセヴァはこう切り出した。

 

「その事ですが、ナルア…アイグルニブへと着いたら我々と一緒に暮らしませんか?」

 

「えっ…?」

 

「ナルアは昨日、私達がアイグルニブ着いたらすぐにエルフから距離を取る…そう言っていましたね?」

 

「あぁ…エルフは人間の事が嫌いだろう?」

 

俺は彼等を送り届けた後はエルフの前から姿を消す。

昨夜、アンセヴァにそう言ったしその考えは変わらない。

エルフ達だって人間が嫌いだろうからそうするのがお互いの為。

そう思ったからだ。

しかし、彼女は俺を引き留めていたいらしい。

 

「ですがナルア、我々から離れた後、貴方はどうやって暮らしていくつもりですか?もうヤルストヴァには戻る事はできないでしょう。なら、我々と共に生活しませんか?帝国の様な物に溢れた暮らしはできませんが、それでも毎日生きていけます。」

 

「何を言ってるんだアンセヴァ?キミが良いと言っても皆が良い顔をしないだろう?」

 

「では、皆が認めれば一緒に暮らしくれますか?それなら、安心して下さい。貴方が帝国の兵士を退けたお陰で結構人気がありますよ?特に神征に親を取られた若いエルフを中心に、私もその一人です。」

 

否定的な態度を取る俺にアンセヴァはなおも食い下がった。

 

「アンセヴァ…誘ってくれるのはありがたいが、何がキミをそうさせる?何故、そんなにも熱心になってくれる?キミとは知り合って数時間がいい所だ。出会った理由も元々は君達を殺す為だ。」

 

「出会ったワケはどうだって良い…そうは思いませんか?」

 

俺達はまだ出逢って一日と経っていない。

なのにどうしてこのエルフは俺を引き留めたがるのか…彼女の心意が理解できなかった。

 

───彼女は孤独の中で生きてきたんだ

 

丁度、エルフの長が言っていた事が脳内に反芻された。

もしかしたら、アンセヴァは…俺という同類同士傷を舐め合いたいのかもしれない。

孤独に生きる悲しみ、それは俺にもよく解る。

優しさに飢え、安らぎを感じさせてくれる物ならそれがどんなにどうしようもない物でも求めてしまう。

それが原因で俺も一度は神征に戻ろうと決心した。

アンセヴァの場合、それは俺。

まだ半日しかない付き合いだが、もしかしたら似たような境遇の俺なら自分に優しい言葉を投げ掛けてくれる。

そういう希望的観測から俺にこう接するのだろう、憎い筈の人間なのに…。

 

───数年して、私はナルアの事を好きになるかもしれません。

 

昨日の夜のあの言葉ももしかしたら、アンセヴァの淡い期待の現れだったのかもしれない。

好きな人間は皆死んでしまい、同族からは良い目で見られない…ならば好きではないが自分の裏を知らない余所者を好きになるしかない。

そんな消極的な妥協から俺をこうやって誘うのだ。

長の話とアンセヴァの態度から、そう彼女の脳内を類推した。

 

「ナルア…どこへ行くんですかっ!?」

 

俺はそれ以上、考えるのが嫌になり座っていた場所から徐に立ち上がった。

 

「…俺も少し準備をしてくる。」

 

それだけ言って小屋の出口に足を近づける。

 

「今の話、考えておいて下さいね。」

 

返事はしなかった。

 

───

 

「ふぅ…」

 

準備をすると言った手前、自分も何かしなくてはならない。

取りあえず俺は人気の無い場所へと移動した。

そして、腰に下げた軍刀を鞘から引き抜き砥石で磨く事にする。

しかし、この軍刀の持ち主は手入れ上手だったらしくそれも短時間で終わってしまった。

そして、使い終わった砥石を再び背嚢へと戻した時、背後に視線を感じた。

それも、複数。

 

「よう、人間。」

 

俺が振り向くよりも速く、視線の主の一人がそう声を発した。

ゆっくりと俺は振り返る。

そこには男のエルフが三人。

アンセヴァと同い年位だ。

 

「何の用だ?」

 

人気の無い場所。

彼等はエルフで、俺は人間、憎悪の対象。

───報復。

一抹の不安が胸を過る。

真ん中のエルフが後ろ手に何かを握っていたからだ。

 

(武器か…?)

 

もしここでお礼参りを受けたらどうしようもない。

無抵抗で殺されればそれで終わりだし、俺が彼等に危害を与えても、やはり人間だ殺せっ!と言う話になってしまう。

 

「別に用って程でもないんだがなぁ…」

 

一人のエルフがそう言うと三人がゆっくりと近づいてくる。

相対距離が縮まるにつれ軍刀を握る力が強くなった。

あと一歩…。

彼等と俺の距離がそこまでになる。

 

───そしてっ!真ん中のエルフが何かを握ぎったその手を伸ばしたっ!

 

「昨日の礼だ。受けとれ、我が部族の証だ。」

 

身構える俺に突きだされた物。

彼の手には小降りの刀剣が"鞘"に入った状態で握られていた。

エルフの皆が持っている短剣だ。

思わぬ不意打ちに俺はカランと軍刀を取りこぼしてしまう。

 

「…これは?」

 

俺は渡された短剣を手中に、この小さな刃物をプレゼントしてくれたエルフ達に尋ねた。

 

「だから言っただろう我が部族の証。エルフはこれで枝を切り、草を薙いで森を進む。明日からはこれがないと不便だろう?」

 

どうやら明日からの移動に備えてこれを俺にくれた様だった。

 

「こんなのくれなくてもこの通り、軍刀はあるぞ?」

 

そう言って見せつける様に立派な光り物を掲げる。

素材を厳選し、職人の手によって鍛えられた帝国謹製の軍刀。

やや湾曲した片刃剣は切れ味抜群だ。

特に馬上から敵の首をはねる時などスパッといって気持ちが良い。

 

「それは人を斬る為の剣だろう?長さがあるから狭い森じゃ取り回しが悪い。それにこれは俺達からのお礼だ。」

 

だがそれは違うとエルフの一人は否定的に反応した。

 

「昨日、アンタが帝国を裏切ってくれなかったら多分俺達の命は今日までだっただろう。しかも、アンタはこれから俺達の事を導いてくれる。」

 

「仲間は確かに死んじまったけど…これから守ってくれるんだ。だから、これは俺達の感謝の印だよ。これでアンタも一応仲間だ。受け取ってくれ。」

 

「…そうか、ありがとう。」

 

声を連ならせる三人に謝辞を述べる。

短剣の鞘にはナルアと名前が刻まれており、俺の為に新調してくれたという事が理解できた。

なんだか、警戒していた所に単純な好意を向けられて身体がむず痒かった。

思えば純粋な厚意をもらったのはこれが久し振りだった。

アンセヴァが若年層にはそんなに嫌われていないと言っていたがあながち間違ってはない様だ。

 

「でも部族の証を渡してもいいのか?俺は人間だぞ?」

 

「確かにそれは気に食わないが、百年前は普通にエルフと人間にも交流はあった。だからとやかく言う気はない、それに本来、森は万物に平等だ。」

 

何て事ない風に言うエルフ達。

なんと心が広い奴等だろう。

 

「じゃあ、有り難く頂くよ。」

 

そう言って俺は腰に巻くベルトにその短剣を吊り下げた。

重すぎず、かといって軽すぎない…手先の器用なエルフの成せる業なのか、まるで前からそこにあったかのように吊り下げられた位置に収まった。

 

「それにアンセヴァの事もよろしく頼む。」

 

短剣を渡してくれたエルフの呟いた一言。

俺の鼓膜はピクリとそれに反応した。

 

「アイツは色々あって歪んでしまって、ここ数年ずっと自分の殻に閉じ籠ってたんだ。俺達が歩み寄っても素っ気なかった…それに、一部の老人なんかはそんなアンセヴァを気味悪がって話しかけもしなかった。」

 

青年エルフはアンセヴァの過去を濁し気味にそう話す。

俺が彼女の悲劇を知らないと思っているらしい。

まぁ、父親と恋愛関係にあったなんて説明はできないだろうが…。

 

「でも、今日は自分から積極的にお前に着いて回っている。アンセヴァが他人に興味を示したのは本当に久方ぶりの事だ。この短剣にはその感謝の意味も籠っている。」

 

「だから、アンセヴァに優しく接してやってくれ。」

 

口々にアンセヴァを頼むと言う三人のエルフ達。

その六つの眼は純粋で、彼女の事が心配だという事を除いて他意は無い。

森の民とは上手い事やっていけるかもしれない。

俺はエルフの森二日目にしてそう感じる共に、アンセヴァとどう接するかを考え始めていた。

 




一週間で一話しか書き溜められませんでした。
すみません…。
また来週更新します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

短剣を振るいながら森の中を進んで行く。

時折、生い茂る葉が切られたお返しとばかりに頬を掠めた。

道なき片に道をつけ…帝国の軍歌にそんな一説があった。

だが、この道なき道を往く、アイグルニヴを目指す行軍は帝国の兵士達による物ではない。

エルフの生き残りが一斉に龍の地を目指して移動する、総勢百人規模の大行列だ。

これだけの大人数が移動すれば、突出する集団と遅れる集団とが出てしまう。

それを休憩の都度調整し何とか全体の足並みを揃えていた。

ここにいるエルフは皆、鍛えられた軍人などではない。

ついこの間までブドウの栽培に従事していた農奴達である。

長距離の移動など今まで経験した事はないだろう。

歩き始めてから数時間。

俺の頭は焦りで一杯になっていた。

 

(遅すぎる…!話が違うじゃないかっ!)

 

エルフ達の行軍は俺が予想していたよりもずっとずっとゆっくりだった。

昨日、あれだけ森の民だから大丈夫だと連呼していた癖に人間の歩みよりも遅い。

これでは短時間で準備できた時間的貯金をすぐに食い潰してしまう。

平原の経路を選択した方が良かったと、後悔しても後の祭りで先に立たない。

もう遅い…八つ当たり気味に短剣を振り回して草を薙ぐ。

俺の二つの耳には先程からありもしない軍馬の鉄蹄の音が聞こえていた。

 

「そんなに険しい顔をしないで下さい。」

 

宥める様な声を上げたのは相変わらず俺に付き纏うアンセヴァ。

後ろを振り返り、後方集団を睨む俺を見て彼女は青い瞳を曇らせた。

彼女だけではない。

回りにいた他のエルフ達も苛立つ俺の事を不安な目で見つめている。

 

「ちょっと不安になっただけだ…。」

 

エルフ達を心配させてはいけない。

そう考え、努めて平静を装うが完璧には焦燥感を消す事ができなかった。

 

「大丈夫ですよあれだけ朝早くに出発したのです。」

 

「…これじゃあ、先が思いやられるけどな。」

 

「ナルア…」

 

アンセヴァのせいではないのに、そんな悪態を突く自分が嫌になってしまう。

エルフ達のゆっくりとした歩みが俺の心を苛立たせる。

昨日の内に余裕をもって準備を終わらせた。

その時間を無駄にしない為にも、日が上ってすぐ出発したのだが俺達をとりまく現実は厳しい。

というのも、集団の速度は長老の家で見積もった物よりも大分遅い動きだったからだ。

原因は明白。

体力が無い子供と足腰が弱っている老人のエルフ達が全体の足取りを乱しているのだ。

子供の方はまだ母親や兄弟が背負ったり、手を引っ張って補助してはいるが、長老位の年齢層にはそんな事をしてくれるエルフはいない。

だからだろうか、遅れている後方集団は老人が多く見受けられる。

青年期のエルフが残っていれば老人達を介護する事もできるのだが、生憎この群れには殆ど青年は残ってない。

そんなどうしようもない状況が俺の心を焦らせる。

 

「今日の移動も終わりです。少し落ち着きましょう。」

 

俺の背中を撫でる少女の優しい声音。

まるで興奮した馬を落ち着かせる様な手付きに、沸騰した頭はいくらか冷静さを取り戻す。

彼女の声に反応し空を仰ぎ見ると森に差し込む溢れ日の先の太陽は地平線に近い。

間もなく空の支配者は太陽から星に変わる頃合いだ。

つまり、今日の移動もこれまでという事。

結局、予定の半分も進めなかった。

 

「夕飯にもなります、何か物をお腹に入れれば心が穏やかになりますよ?」

 

「そうだな…すまない、心配させて。」

 

力なくそう返事をする。

彼女の言う通り、少し休憩すればこの焦りも幾らかは和らぐ筈だ。

…それが現実逃避だとしても。

 

「休憩!」

 

丁度その時、先頭のエルフがそう大声を上げて休憩の合図を出してくれた。

俺はその声を何とも言えない気分で聞くと、ゆっくりと地面に腰を下ろした。

 

───

 

休憩ついでに夕食の時間になる。

そろそろ日も沈むので、まだ明るい内に食べ物を詰め込まなくてはならない。

エルフ達は各々、配られた保存食を食べ始めた。

山林に生える豆か何かを挽いて粉にした物を水に溶かし、薄く焼いて乾燥させた保存食だ。

本当は火をかけて食べる物らしいが、帝国の追跡を考え痕跡を残さない様に火を焚く事を制限している。

だから皆、薄いパン生地モドキを素のまま口に運んでいた。

俺も彼等からもらった薄いでんぷん質を口に頬張る。

…やはりというか味は良くない。

形容するなら、薄く伸ばしたパイの皮からバターの風味を取り除いた食感。

おまけに少し湿っている。

そんな食べ物だ。

人間だからエルフの食事が口に合わないのかとも考えたが、この食べ物の評判は森の民にとっても同じらしく、その内、何人かのエルフが薮の中に入っていき、食べられる木の実なんかを摘んできては森の恵みを堪能していた。

森の中で食べられる物を採集できる。

これは移動経路に森を選んだ数少ない恩恵の一つかもしれない。

その内この不味い保存食が尽きれば、嫌でも現地調達しなければならなくなる。

その時は森の民の知識無しではこの旅の食料問題は解決しえない。

俺はそんな風に考えながら背嚢から持っていた干し肉を取り出し齧り始める。

この大きな干し肉は帝国軍の保存食の一つだ。

そのまま食べても、鍋で茹でてスープとしても利用できる。

口の中で唾液に溶けだした乾燥肉の塩辛さは歩いて大量の汗をかいた体には心地よい味であった。

 

「ナルア、何ですかそれ?」

 

俺が一心不乱に干し肉に歯を立てているとアンセヴァが物珍しそうに赤茶色の加工肉に視線を注いできた。

興味があるらしい。

そう言えばエルフは陸棲生物の肉はあまり食べないと聞いた事がある。

 

「干し肉だよ、鹿だったかな?食べてみる?」

 

「いいでんすか?」

 

「もちろん、ほら」

 

食べれば思わぬカルチャーショックがあるかもしれない。

そう思い、木版の如き肉の一枚板を短剣で削いでアンセヴァの手の平に落としてやった。

 

「ありがとうございます」

 

彼女はそう謝辞を述べると手の平に落とされた小さな肉片をしばし観察する。

 

「はむっ」

 

そして、口を開けて放り込んだ。

 

「ぷっ…!」

 

だが、口に入れた直後、彼女…というかエルフの口には合わなかった様ですぐ干し肉を吐き出した。

 

「なぁんですかっ!これぇっ!獣臭いっ!」

 

半分涙目になりながらアンセヴァは俺に抗議する。

口腔内に入っていた時間はほんの数瞬だったにもかかわらず、彼女の舌は干し肉を拒絶した。

アンセヴァが物欲しそうにこちらを見ていたからあげたんだが…

余計な事をしてしまったらしい。

 

「確かにちょっと生臭いけど、そこまでか?」

 

改めて手元の加工肉を齧る。

人間の俺でも臭くは感じるがこういうのが好きな奴もいるのだ。

エルフと人間では舌の作りが違うのだろうか?

 

「えーっ、無理ですこれっ!人間は良くこんなの食べれますねっ!」

 

顔を歪めるアンセヴァ。

彼女の口から丁寧な言葉使いは消えていた。

 

「ハハッ、エルフに干し肉は無理か」

 

過剰なまでの少女の反応に思わず俺は笑ってしまう。

 

「何で笑うんですかナルアッ!こうなったら、えいっ!」

 

口角を曲げる俺にアンセヴァはそう叫ぶと、手にあった干し肉を奪い取る。

 

「あっおいっ!」

 

すると、一気に肉にかぶりついた。

 

「んぐぅ…ンムゥ…ンンッ…」

 

エルフの少女は左手で鼻を摘まみ臭いを堪え、ゆっくりと干し肉を口の中に詰め込み始めた。

俺が大袈裟に笑った事が対抗心に火を着けてしまった様だ。

 

「何もそんな無理しなくても…」

 

「ンヌッ…ウッ!ウンッ…!」

 

心配する俺を余所に二つの碧眼を潤ませながら、喉の奥へと肉を押し込む。

 

「ん……ちゅ…んちゅ………!」

 

硬い肉の板を柔らかくする為、時折、唾液を染み込ませる様に唇をすぼめた。

意地でも食べてみせるつもりだろうか?

 

「なぁ、笑ったのは謝るから」

 

「んんのはぬまっていへふだはいっ!」

 

謝る俺だが、アンセヴァは口に干し肉を入れたまま唸る。

ナルアは黙っていて下さい。

多分そう言ったのだろう。

涙目ながらキリッとした青い眼に睨まれ、俺はこれ以上何か言うのをやめる事にした。

 

そうやって、格闘する事数分。

 

「どうですかぁ…ナルア、ハァッ、完全に、ハァ…食しましたよ?」

 

息も絶え絶えに干し肉を完食したアンセヴァがそこにはいた。

 

「あぁ、良くやったよ、すごいよ…だから水飲も?」

 

取りあえず、喉を痛めたであろうアンセヴァに水筒を差し出す。

 

「ハァッ…あ、ありがとうございます…」

 

彼女は水筒をひったくると、まるで命の水にありついた様にゴクゴクと水を流し込んだ。

塩と香草をふんだんに使った干し肉はとてつもなく塩辛い。

そんなの一気食いすればこうなるのは火を見るより明らかだ。

これでエルフに干し肉は無理だと学習したに違いない。

だが…そう言えば…

 

「なぁ、アンセヴァ、エルフ達は普段何を食って生活してるんだ?」

 

「え?」

 

「動物性の物は全く摂らないのか?」

 

そんな疑問がふと沸き上がった。

エルフの食性は草食寄りと言えど、人間にこれ程似た生物。

全く動物を食べないという事は無い筈だ。

神征にいたエルフの弓兵達は鳥の餌の様な下等な雑穀を帝国から宛がわれていたから、本来の彼等がどんなものを食べているのか俺は知らない。

だから干し肉を拒絶するアンセヴァを見て、森の民の本来の常食が気になった。

 

「それはですねぇ…」

 

「私から説明しましょう!ナルア・アズナン!」

 

アンセヴァが口を開くよりも早く、男のエルフの声が割りむ。

視線を声の主へと送ると、いつの間にか俺とアンセヴァの二人の側に群で貴重な存在となった青年エルフが近づいていた。

昨日の有力者の中にもいた青年だ。

お互い軽くだが自己紹介もしたが、名前は確かぁ…

 

思い出せない。

 

「キミは…え~と…」

 

「パンテルです。パンテル・キンネムズィです。」

 

名前を言い淀む俺に嫌な顔一つせず青年はパンテル・キンネムズィと名乗る。

 

「あぁ、そうだ、パンテルだ。すまない、名前を忘れてしまって」

 

「いえ、良いんですよ、昨日の話し合いでは私は殆ど何も喋っていませんでしたから。」

 

そう言いながらパンテルはエルフとしては当たり前の容姿端麗な顔をはにかませた。

もし帝都で舞台に立てば数多の人間の役者を追い越して演劇会の天下人になれるだろう。

だが、そんな美青年パンテルを前にアンセヴァは急に黙ってしまう。

彼女の暗い態度は群の中で他のエルフ達との間に深い溝がある事を示していた。

パンテルもそれを理解しているのか、アンセヴァの事など気にも止めず、俺にだけ目を合わせて口を動かし始める。

 

「我々が普段食べる物ですが、豆や山菜、種実類が主です。ですが、貴方が考えているように動物性の食事もします。川で取れた魚や貝、そして…これです!」

 

パンテルは仰々しく、そのタイミングで懐から何かを取り出した。

手に握られた小さな白い丸。

こんなに小さいのは初めて見たが見覚えはある。

 

「これは…卵?」

 

それは小ぶりだが、間違いなく鳥の卵だった。

 

「その通り!人間も卵は食べるでしょう?まぁこれは鶏ではなく鳩の卵ですけどね。私は人間の養鶏を参考に、鳩の飼育繁殖に成功しました。そして、エルフのこの群れに貴重なタンパク源を安定して供給する事に貢献しています。だから神征にも徴兵されずに済んだのですよ。」

 

自慢気に語る好青年。

成る程、人間に支配される中で彼等もまた人間の技術を吸収していったらしい。

眼前のパンテルはエルフに無かった養鳩という文化を開花させ、群に貢献している様だ。

それくらい頭が良いからこそ、徴兵を回避でき、群れの有力者の一人に選ばれたのだろう。

 

「ナルア、私からのお近づきの記しです。差し上げましょう、これも貴重なタンパク源です。」

 

パンテルは感心する俺の心を知ってか知らずか軍服のポケットに鳩の卵を4つ程度忍ばせた。

 

「いいのか、こんな貴重なタンパク源を?」

 

気前良く卵を弾ませる彼に少し悪い気持ちになってしまう。

皆が口当たりの悪いでんぷんの塊を食べる中、俺だけ卵を食すのは気が引けた。

 

「いいんですよ、どうやらそこのアンセヴァが貴方の食事を食べてしまった様ですし、エルフの保存食は味がないでしょう?それに卵はまだあるんです。ほらっ!」

 

そう言うとパンテルは遠くの、皆が荷物を集めて置いてある場所を指差す。

その中には小さなエルフの草の弦を編んだ背嚢に混じって一際丈の大きい木の篭の様な物があった。

 

…中で何かが蠢いている。

まさか…

 

「あれ、鳩の鳥籠かぁっ!」

 

篭の中で羽を懸命に動かしていたのは白と黒の入り交じった鳩であった。

 

「ええ、今朝から私が背負って運んでます。移動中も鳩は卵を産むので食料になりますし、新天地でも鳩の養殖をするつもりです。食料も水も住みかも短剣でさえあるか解らない未知の地では、先立つ物が必要ですからね。だから、この卵については心配ありません。どうぞ手に取り食べて下さい。昨日の内に塩茹でしてありますよ!」

 

「そうか、じゃあ有り難く。」

 

俺はそう言って卵の殻を剥いて口に放り込む。

豊潤な黄身の甘さが俺の味蕾を刺激する。

…美味い。

 

「鳩の卵も結構いけるなっ!」

 

「でしょう?また欲しくなったら声をかけて下さい。すぐにとはいきませんがナルアなら早めに融通しますよ!貴重なタンパク源ですからねっ!ではっ!」

 

パンテルはそう言うと、鳩の世話の為にか木の篭の方へと去っていった。

多少芝居がかってはいたが人当たりの良さそうな青年。

それが、青年パンテルに抱いた第一印象だ。

 

「私、あの人の事が嫌いです。」

 

だが、パンテルが居なくなってボソリとアンセヴァはそう呟く。

 

「パンテルは今みたいに色んな人に媚を売るんです。エルフの皆は勿論、人間の駐在員にも…だから徴兵を免れたんです。きっと…父さんは行ったのに…」

 

恨み言を吐き、遠くのパンテルを睨むアンセヴァ。

彼が徴兵されなかった所に思う所がある様だ。

 

「まぁ、気持ちは解らんでもないが、そういうのは世辺りが良いとも言うんだろ?」

 

卵を貰った恩があるので一応、パンテルをフォローしてみる。

 

「世辺りが良いですか、そうかもしれませんね…」

 

俺の擁護に彼女は否定も肯定もしない。

 

「アンセヴァ…」

 

元気の無い声になった彼女に黙って鳩の卵を差し出す。

彼女は躊躇いがちに卵を受け取り、殻ごと噛み砕いて飲み込んだ。

 

あぁ、エルフはそうやって食べるのね…。

 

───

 

日が完全に沈むとエルフ達はすぐに寝支度に入る。

焚き火を使えればまだまだ起きていられるが、跡を残さない為にも火は焚く事ができず、明かりで闇夜を照らす事は不可能だ。

皆、次の移動に備えて体力を養う必要もあるので夜になれば眠るしかない。

まだ一日が終わったばかりだ。

この旅は先が長い。

明日も日の出と共に行動を開始する予定である。

何時間も歩き疲れたのか、どのエルフも毛布にくるまるとすぐに寝息を立て始めた。

 

「ふぅ…これでいいかな?」

 

俺も寝床を整えると、仰向けになって空を見た。

森の葉の間からチラリと覗く星の輝きはどれも神秘的で美しい。

真っ黒な布の下地に白い石英を散りばめた様な景色。

こういう景色が見えるのも辺境の地ならではだ。

帝都では夜も絶える事なくどこかしらで火が焚かれ、街全体が人工の輝きで充ちている。

住人達は星を見ることを忘れて、眠らない夜を過ごしているのだ。

俺は暫しの間、毛布をかける事も忘れてその幻想的な明かりに魅了されていた。

…そんな時だった。

 

「ナルア、お隣いいですか?」

 

「アンセヴァ…!」

 

アンセヴァがそう言って、返事を待たず俺のすぐそばに横たわった。

ご丁寧に向かい合うように寝そべってくる。

 

「まだ、返事してないんだけど。」

 

「いいじゃないですか、森の夜は冷えます。火も焚けませんから誰かと寄り添って朝を待たないといけません。」

 

「それは、そうだが…。」

 

顔を合わせて隣に佇むエルフの美少女。

お互いの息遣いの感じられる至近距離。

脳は必然的にアンセヴァの存在を意識してしまう。

俺は自然とアンセヴァから距離を取る様に寝床を確保したが、まさか彼女の方からやって来るとは思わなかった。

 

「どうして来たんだ?」

 

「いいじゃないですか、別に…」

 

アンセヴァのやって来た理由を尋ねるも、彼女はその訳を明かさない。

もしかしたら、本当に理由などないのかもしれない。

 

「知ってますか?エルフの風習では三夜、寝床を共にするとその二人は公然の中になるんですよ?」

 

だが、次にアンセヴァの放った言葉に俺は両眉をひそめる。

 

「…アンセヴァ、その話は前に無かった事にした筈だ。また、蒸し返すのか?」

 

少し低く喉を震わせた。

この話が彼女の口から語られるのは二度目、長老のを含めれば三度目。

何故こんなにも執着するのだ、俺に。

 

「ナルアが嫌がるのも解ります。誰も好きでもない人とは一緒にはなりたくないですもんね?私もナルアの事は異性として好きではありません。まだ出会って三日目です。お互いの事もよく知りません。でも、時には妥協も必要だと思います。」

 

「妥協?」

 

「はい、妥協です。ナルアには好きな人はいますか?」

 

…好きな人。

その言葉で真っ先に長い銀髪を持った黒い瞳の少女の姿が連想された。

やはり俺は心のどこかでまだアミズの事を想っている。

聡明でいて、どこか垢抜けているアミズの笑顔。

それがナルア・アズナンの持つ一番の思い出だ。

 

「想い人、いらっしゃる様ですね?では、そこから一歩進んで考えて見て下さい。」

 

アンセヴァは俺の表情から心中を察した様で、歌う様にその美声を響かせた。

 

「想像して…その人の隣にナルアはいますか?」

 

「隣に…?」

 

「えぇ…暖かい家庭を…一家の団欒を想像して、その人は貴方の隣にいますか?」

 

アンセヴァの物言いに俺は虚を突かれた。

 

アミズの隣にいるのは誰だ?

 

少なくとも俺ではない。

彼女を裏切った時からそんな資格はない。

いや、アミズを裏切るずっと前から彼女の隣に俺は居なかった。

少年の時に別れて以来、彼女の隣にいるのはいつも帝国の権力者達。

皇帝、皇子、皇女、法王、政治家、貴族、高級軍人…。

アミズの隣にナルアの入る隙はなく、聖女と俺の関係はどこまで行っても上司と部下。

幼なじみの関係なんてとっくのとうに消えていたし、幼い頃に誓ったアミズの騎士になるという約束も遂に叶う事はなかった。

その席は俺よりも優秀な…文字通りの騎士家系であるリアーツブルの物だった。

釣り合う合わないという論議の前に属する階級が違った。

そんな彼女と俺は一緒になる事ができるか?

考えるまでもない。

答えは否だ。

 

「…いない」

 

だから自然と言葉は漏れていた。

俺の呟きにアンセヴァはニコリと口角を吊り上げる。

 

「私も想いを馳せる人が隣に居る未来を、残念ながら想像する事ができません。でも、今、ナルアの隣には誰がいますか?そして、私の隣には誰がいますか?」

 

暗闇の中に輝く青い瞳。

何故かアンセヴァの碧眼が暗く、深く、濁っている様に見えた。

 

「ねぇ、妥協しましょう?」

 

アンセヴァは透き通った声を吐く。

 

「私も妥協します。」

 

歌う様に声を吐き出す。

 

「いつかはお互い両思いになる筈です。何年かかるか解りませんが、良き妻になってみせましょう。」

 

鳥の音の様な声が耳の奥へと染み込んでくる。

 

「ね、ナル…」

 

「アンセヴァ、それは駄目だ。」

 

だから俺は、彼女の声に溺れる前にハッキリと言葉を発した。

 

「そのキミの思考は誰かに依存したいだけだ。妥協なんかじゃない、逃げているだけだ。妥協と逃避は違うぞアンセヴァ。」

 

森の中に響く俺の声は自分でも驚く位に闇夜の木々に反響する。

 

「何を言っ…」

 

彼女が言い返そうとするが、俺はそんな隙を与えない。

 

「そんなんじゃ、戦場で散った父さんも、熱病で逝った恋人も、神征で死んだ想い人も報われないっ!目を覚ませアンセヴァ!」

 

更に語気を強めて言葉を紡ぐ。

 

「どっどうして、その事を…」

 

彼女の過去を知っている。

その事をアンセヴァは知らない。

俺の発した言葉に彼女は目に見えて動揺した。

 

「悪いが長老から全て聞いた。アンセヴァの過去も、お父さんとの関係も、この群れでの立ち位置も…だから言わせてもらう。逃げる事を止めるんだ!」

 

暗闇に言葉が迸る。

アンセヴァがこの群れで孤立した理由。

それは、父親と禁断の関係にあったからだけではない。

彼女はこうやって依存できる対象を探しては声をかけていたのだろう。

それが三度も悲惨な別れを経験した彼女なりの逃避行動。

だから、孤独になってしまった。

そして、塞ぎ込んでしまった。

そうであるからこそ、他者の温もりに執着する。

執着するから孤立する。

彼女は只、癒されたいだけなのに…。

 

「そうですか…父の事も…昔の事も全部…?」

 

「昨日の小屋で長老から話を聞いた。キミが待っていたあの時間に。」

 

「…だからあの時謝ったんですね?」

 

合点がいった様にアンセヴァは目を細める。

 

「あぁ、すまない。キミにあんな事を言ってしまって…その事を謝りたかったんだ。」

 

「本当にナルアは紳士ですね…じゃあ、懺悔ついでに私の話を聞いてくれますか?」

 

両者横になったまま、星空の下でアンセヴァの独白が始まった。

 

「実は私、嘘ついてました。純潔じゃないんです。」

 

彼女は目を伏せがちに告白する。

 

「…そうか」

 

何となく予想はついていた。

生活を共にする実の父とそういう関係で、純潔を保っていられる筈もないだろう。

おそらく、長老はアンセヴァと彼女の父の話を真に受けていたか、アンセヴァを未亡人にしない為にも敢えて気付かない振りをしていたのだ。

また残酷な真実を一つ多く知ってしまった。

 

「ええ、初めての相手は父さんでした。それも無理矢理です。夜、違和感に気付いたら父さんが私にのしかかっていました。」

 

「えっ?」

 

だが、続くアンセヴァの真実に俺は衝撃を受ける。

長老の話ではアンセヴァと彼女の父は相思相愛の関係だった。

実の子を無理矢理?

それでは話が違う、そんなの虐待だ。

絶句する俺を前にアンセヴァは視線を逸らしながら、真相を暴露する。

 

「父は私の上に跨がりながら何て言ってたと思います?アネージェ、アネージェ…って叫んでました。母の名前です…母さんの名前を叫んでました。」

 

耳を塞ぎたくなる彼女の過去。

聞いていても痛々しいが、この段になってアンセヴァは一点、まるで楽しかった昔の事を思い出す様に声のトーンを変えた。

 

「その日は私は最悪な気分でした。実の父に汚されて、まるで自分まで気持ち悪い物になってしまった感じがしました。でも、その日から父さんは以前の明るさを取り戻していったんです。百年前、母さんを失って以来、父さんはずっと塞ぎ込んでました。でも、私を犯す度に前の明るさを取り戻して…それが、とっても良い事に思えたんです。そしたら気持ち悪さも絶ち消えました。」

 

アンセヴァは泣き始める。

だけど、それと同時に頬は盛り上がって彼女の顔に笑顔を形作った。

彼女は笑いながら泣いていた。

 

「それから、私は母さんに…アネージェに成りきりました。そしてアネージェを演じていく内にまるで最初から私が父さんの恋人だった様に思えてきて、いつの間にか実の父と愛を語る事が幸せな時間に変わっていったんです…でも…」

 

「お父さんが死んだ。そうだな?」

 

そんな親子の爛れた虚像の幸福すら人間は奪い去っていった。

 

「…はい、そうです。人間は私の想い人を二人奪っただけでなく最後に父さんまで奪っていきました。」

 

アンセヴァの口元から笑みが完全に消えた。

人間のせいで彼女の人生はここまで歪んでしまったのだ。

 

「だから私は考えたんです。私も死ねばあっちの世界で父さんと母さんとまた一緒に暮らせるかもしれないって…だからあの日、夜襲に参加する事にしまた。父さんも母さんも戦いの中で死にました。だからきっと戦争神セムレグに導かれあの世にいったのでしょう。ならば、私も戦いで死ななければ両親と同じ所にいけません。その為に参加したんです。でもっ…それを貴方が邪魔をした!」

 

涙を湛えた相貌を改めてこちらに向ける。

初めてアンセヴァから向けられる明確な敵意。

 

「だから…責任を取って下さい!ナルアッ!貴方のせいで私はまだこうして生きています!貴方はこの責任をとる必要があるんです!」

 

睨んでいるのか、祈っているのか、嘆願しているのか…。

そんなよく解らない視線を俺の顔へと射抜く様にぶつけてくるアンセヴァ。

 

…かけるべき言葉は決まっていた。

 

「アンセヴァ…俺はキミの夫になる事はできない。だが、優しくする事はできる。それで責任をとろう。」

 

一拍おいて、アンセヴァを包むように抱擁する。

アンセヴァはすんなりと俺の体温を受け入れる。

 

「汗臭いです…ナルア…」

 

そう言って俺の胸の中で泣きじゃくる141歳の少女。

闇夜の中で聞こえるのは二人の心音だけだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。