藤原千花は育てたい ~恋愛師弟戦~ (ころん)
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プロローグ(5月)
【1】ふじわらちか は しゃてい を てにいれた


初投稿です。


 時は5月。放課後。

 既に桜は散り、期待と夢が詰まった始まりの春は着実に過ぎつつある。

 

 ここ秀知院学園高等部にも青春の時は流れていた。

 

 しかし!!

 

 「かぐやさんのアホー!!バカー!!自分だって経験ないくせにー!!」

 

 そんな青春には似つかわしくない捨て台詞が響くことだってあるのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 藤原千花は激怒していた。あの経験不足、知識不足の四宮家御令嬢に散々バカにされたからである。ラブ探偵を自称する彼女は誰よりもコイバナを愛していた。そこに経験不足は関係ないのである。知識だけならあらゆる媒体から仕入れた偏ったものが彼女にはあった。この分野だけはあのかぐやにも譲れないのだ。

 

 (そりゃあ私だって経験は足りませんけどね)

 

 ぷんぷん、とそんな擬音が宙に浮かぶほど「機嫌が悪いです」の表情を張り付けて千花は歩みを進めた。

 向かう先はただ1つ。

 

 

 ――自動販売機である。

 

 

 (やっぱりこんなときはタピオカですよね)

 

 目当てのものを視界の中に入れ、千花はほくそ笑む。

 やはりストレスには甘味である。長年受け継がれてきた法則であり、先人たちは正しいのだ。

 

 売り切れの印はなし、千花はタピオカミルクティーをロックオンした。

 そして財布を出すためにカバンに手をかけ――

 

 「って!ないじゃないですか!!あー!!!」

 

 恨みつらみを叫びながら生徒会室を飛び出した彼女は何も持っていなかった。カバンもなければ財布もなければ何ももっていなかった。

 

 ガンガンガン、と自動販売機に八つ当たりをする。

 ダメージを受けたのは千花の方だった。

 

 「私にこれを破壊できるパワーさえあれば…力が欲しい…」

 

 犯罪である。

 ラブ探偵チカは頭ではなく力で物事を解決しようとした。

 

 

 「あの、大丈夫ですか」

 

 そこにかけられる声が1つ。

 千花は圧倒的に冷や汗をかいた。一気に冷静になったのだ。客観的に見て、いや、むしろ主観的に見ても自動販売機を殴っている千花は頭のおかしい女である。

 

 ギリ、と油の足りていないロボットよりもぎこちなく千花は振り向いた。

 張り付けた表情は微笑みである。やはりロボットよりもぎこちないが。

 

 「あの~これはですね~そう!あれですあれ!自動販売機を使ったあれです!」

 

 何も思いつかなかった。きっと糖分が足りていないせいだ。

 

 千花は目の前の人間を見据えた。

 身長は千花より少し高く、見上げる形になった。

 服装は秀知院学園指定のジャージである。体型は細身である。

 

 しかし、目に一番飛び込んできたのはそれらではない。

 それらのどうでもいい要素をすべて霞ませる圧倒的なまでの、顔!

 

 「え、お姫様?」

 「ちがいます」

 

 幼少の頃、両親に読んでもらった本にでてきたお姫様。父親の目を盗んで読んだファンタジーものの恋愛小説の挿絵にでてきたお姫様。

 そんなヒロインが現実に飛び出てきたようだった。

 

 ショートカットの金髪、雪のように白い肌、切れ長の目。

 ほんの少しだけ困ったような顔が絵になっている。

 

 ここまで圧倒的な顔面偏差値を持つ人を千花は知らなかった。高等部のジャージを着ていることを考えて、きっと1年生なのであろうと推測をする。それに外部入学だ。そんなところには頭が回ったのだ。

 

 「でもかわいいですね~!一瞬絵本の国に飛び込んじゃったと思いましたよ」

 「ありがとうございます。残念ながらよく言われます」

 

 圧倒的なコミュ力強者である千花はとりあえず褒める行動にでた。

 しかし効果はいまひとつであった。

 女の子はとりあえずかわいいと言っておけばなんとかなるという千花の経験は裏切られたのだ。

 

 お姫様(仮)は千花にいじめられていた自動販売機と千花を交互に見た。

 

 「お金を忘れたんですか」

 「なんて洞察力!!恥ずかしいので忘れてください!!」

 

 お姫様(仮)は自分のポケットから財布を出すと、千花を見つめた。

 

 「どれですか」

 「え~~いいんですか」

 「返していただけるなら」

 「当たり前ですよ!!」

 

 色々と吐き捨てて生徒会室を飛び出した千花には渡りに船であった。

 別に本気で怒っているわけでも喧嘩したわけでもないので戻ることはできたが、なんとなく気恥ずかしいのだ。

 

 ごとん、とタピオカミルクティーが落ちてきた。

 やっと自動販売機は本来の役目を果たせた。

 

 「やっぱりタピオカミルクティーですよね~。カロリーを見なければさいこーです!」

 「そうなんですか。僕も確かにおいしいとは思います」

 

 千花はひそかに思った。

 見た目お姫様のクール系ボクっ子はさすがに属性盛りすぎではないかと。

 

 「えっと、1年生ですよね?名前はなんていうんですか?」

 「そうです。如月幸と申します」

 「かわいい名前ですね~」

 

 キサラギサチ、千花は心で反復した。

 

 「サチちゃんは私のことを知っていますか~?」

 

 千花には自分が有名人である自覚があった。生徒会役員の一人であり、それなりに友人も多く、妹がいることも相まって後輩たちにも名前は売れているのだ。

 

 「すみません。存じ上げません」

 「え~~!ショックです!私これでもけっこう有名な自信があったんですけど!藤原千花ですよ。フジワラチカ。りぴーとあふたみー?」

 「フジワラチカ」

 「よろしい」

 

 えへへ、と千花は朗らかに笑った。すっかり機嫌は直っていた。

 

 「サチちゃんはここで何をしていたんですか?」

 

 ここ秀知院学園はお金持ちな学校であり、自動販売機でさえ大量にあった。敷地が広大だからそれにともなって休めるような場所もたくさんあるのだ。

 しかし千花が買いに来たこの中庭はその中でも人気がないところだ。生徒会室からは近いのだが。

 

 「日向ぼっこをしていました。天気がいいので」

 

 あ、この子天然かもしれない。自分のことを置いておいて千花は思った。

 

 「一人でですか?その、放課後にここで?」

 「はい。僕に友人はいないので」

 

 見た目お姫様系のクール系ボクっ子に更に天然とぼっちが追加された瞬間だった。

 

 「その、いじめられていたり、とか?」

 「いえ、友人がいないだけです。接し方が分からないので」

 

 その姿に千花はかつてのかぐやを幻視した。

 いつかのかぐやよりも威圧感はないが、雰囲気は少しにていたのだ。

 

 「ええ~!!私ならこんなかわいい女の子を放っておきませんけどね」

 

 千花は心からそう思った。同じクラスにいたのなら速攻で連絡先を交換しにいっている。

 

 「ちがいます」

 「サチちゃんはかわいいよ!自信を持とう」

 「いえ、そこではなく」

 

 ?を浮かべた。100人に聞いたら100人は可愛いかキレイと言いそうな顔をしているのに。

 しかし幸は淡々と告げた。

 

 「女の子ではないです」

 

 千花は止まった。そして爆笑した。

 

 「もー、サチちゃんそんなまじめな顔で冗談言うなんて」

 「冗談じゃないです」

 

 千花は止まった。今度は爆笑しなかった。

 

 そして、あまりにも攻撃力が足りない、幸の胸部装甲を見た。

 これは足りないのではない。そもそも攻撃力など必要なかったのだ。かぐやさんとは違うのか、と大真面目に失礼なことを考えた。

 その視線に幸は気づいた。

 

 「触りますか」

 「それでは失礼して…」

 

 千花は触った。

 そして気づいた。

 そこは無だった。

 無なのだ。0なのだ。AとかBとかそんな話ではない。Zeroなのだ。

 

 「ええええ~!!!」

 「わかっていただけましたか」

 「それはもう心の底から!」

 

 見た目お姫様系のクール系ボクっ子に更に天然とぼっちが追加されたうえに男の娘が追加された瞬間だった。千花の心はおなかいっぱいである。

 

 「藤原先輩は普通に話してくれるんですね」

 

 幸の表情はあまり変わらない。でもそこには明らかに寂しさがあった。

 

 「みんな僕が話しかけると微妙な表情になるんです。でも藤原先輩はそんなことないんですね」

 

 千花にはクラスメイト達の気持ちが痛いほどに分かった。

 この見た目美少女の男の娘、加えて表情が変わりにくく、しかも天然なんて、下手に触れたら壊れてしまいそうで。まるでガラスの花だ。

 

 でもあのかぐやと長い時を過ごした千花ならわかる。この子は今、寂しいのだと。

 

 そして目の前で困っている後輩を放っておくことなど、彼女にはできないのだ。

 

 「うーー!!このラブ探偵チカに任せて!!友愛だってラブの一部。このタピオカミルクティーの恩の分、私がキッチリカッチリ友達を作ってあげる!!」

 

 後輩の手を両手でガッチリと包んで千花は高らかに宣言した。

 

 幸は包まれた手と、包んでくれた手を、じっと見つめた。

 

 胸のあたりが暖かくなった、そんな気がした。

 

 「はい。お願いします。ラブ探偵チカ先輩」

 「その呼び方はさすがに恥ずかしいかな!!」

 

 自称するのとは違うのだ。

 

 「はい。師匠」

 「あ、それは悪い気がしませんね」



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【2】きさらぎさち は かわりたい

 同日。同時刻。生徒会室にて。

 

 副会長と書記が熱い恋愛トークを交わした後、少々遅れて会長と会計が生徒会室へとやって来た。

 それぞれが定位置へと座り、ふう、と一息をつく。

 

 この時期は大きな行事はないものの、細かい仕事は多岐にわたり、なんだかんだ忙しいのだ。

 

 「石上のクラスはどうだ。馴染めていない外部入学生はいないだろうか」

 

 幼稚園から一貫して上がり、固まってしまった人間関係に途中から入り込むことが難しい人もいることは、白銀自身が最も実感している。

 入学から一月が過ぎて今になれば、部活に入るなり、クラスに慣れるなりして、多くの外部入学生は学校に慣れ、友人もできている。

 しかし、この時期になって孤立しているような生徒には気を付けておく必要があった。

 

 「そうですね。見た感じ大体は大丈夫かと。まあ、一人だけ馴染めていないというか、孤立しているというか、孤高というか分からない人はいますけどね」

 「珍しく歯切れが悪いな。どうしたんだ」

 

 いつもズバズバと言いにくいことまで言葉にしてしまう石上にしては珍しく、白銀は少し不安になる。もしかしたらよろしくない状況の後輩がいるのかもしれない。

 

 「如月幸っていうんですけど、超絶美少女なんですよ。僕あんなのゲームのキャラとかマンガの中でしか見たことないですよ」

 「ほー。そんな子が一年にいたのか」

 

 ここ秀知院学園にも、美少女と称される女子はいる。この生徒会に属する四宮かぐやと藤原千花も文句なしにその称号を得ていた。それに関しては白銀とて話には聞いているし、もちろんそれに文句のつけようもなかった。彼が出会ってきた女子の中でもぶっちぎりで可愛いと感じていた。特にかぐやは、だ。

 

 だが千花などと比べ、校内の噂などについて詳しくない白銀ではあるが、そのような後輩の話は聞いたことがなかった。

 

 「しかも男の娘なんですよ男の娘。あんなの実在すんのかよーって驚きましたね」

 「おとこのこ?美少女ではなかったのか」

 「簡単に言えば女みたいな見た目の男ってことです。会長も見るといいですよ。びびりますからね。ただ…」

 

 あまりサブカルチャーに明るくない白銀にはなじみのない用語であった。

 しかしなんとなく意味は理解できる。

 

 「ただ。なんだ」

 「いっつも一人なんですよね。喋ったとこもあんまり見たことないですし。なんて言うか、綺麗すぎて怖いんですよ。昔の四宮先輩みたいなもんですね」

 「そうか、あの四宮と同じ、か」

 

 昔のかぐやと同じ。そう表現をされればなんとなく白銀にも理解はできた。

 かつてのかぐやは恐れられていた。それは彼女自身の性格や家系も原因ではあるが、周りが彼女自身をよく知らない、というのも大きな理由の1つだった。

 人間が知らないものを怖がるのは仕方のないことだ。

 

 「悪口言われてるとか、いじめられてるとかじゃないですし?そう考えると僕の方が孤立してるんじゃないですかね。ははっ」

 「笑いごとではないがな」

 「せめて笑ってくださいよ」

 

 そう、石上とて生徒会役員ではあるが、いわゆる「陽キャ」であったり、スクールカーストの上部に属していたりするわけではないのだ。むしろ女子には特に嫌われている側だ。

 

 

 白銀は考える。

 心の底から孤独を愛する人は少ない。

 孤独であることを受け入れる人はいても、孤独を愛することは難しいのだ。

 

 (あの四宮でさえ、そうだったのだから)

 

 一度、声をかけておく方が良いのかもしれない。

 しかし白銀とて人付き合いがとても上手とは言い難い。それは生徒会の中で言えば千花の専売特許であった。

 

――藤原書記を引き連れて会いに行くのがいいかもしれない。

 

 そんな風に心のTo doリストに追加をしようとした時だ。

 

 

 バンッ、と生徒会室の扉が悲鳴を上げた。

 

 

 「チカちゃん再登場ですっ!!!」

 「げっ、藤原先輩だ」

 「げっ、とはなんですか、げっ、とは。失礼ですね~」

 

 ばーん、と効果音が付きそうな形で千花が登場する。

 再登場とは言ったが、今日生徒会室で2人に会ったのは初めてである。ちなみにかぐやは部活に顔を出しに行ってしまった。

 

 「どうしたんだ藤原。いつにも増して騒がしいな」

 「会長も失礼ですね!!まあいいです。かぐやさんはいないみたいですけど、皆さんに相談があって来たんです」

 「藤原先輩が?悩むことなんてあったんですね」

 「石上くんいちいちうるさいです」

 

 そして千花は、ちょいちょい、と廊下に向けて手招きをする。

 

 それに後押しされておずおずと入ってきた人物に白銀は目を奪われる。

 

 鮮やかな金髪を靡かせた、ジャージ姿のお姫様がそこにはいたのだ。

 

 「あの、入ってよろしいのでしょうか」

 「私がオッケーをだせばオッケーなんですよ!!」

 「さすが師匠です」

 「ふへへー」

 

 なんだこれは。どんな関係性だ。というか誰だ。白銀は困惑した。

 

 「え、如月?」

 

 石上が困惑しながらつぶやいた。

 視線は目の前の美少女に刺さっている。

 

 きさらぎ、きさらぎ、白銀は何度か心の中で反芻をして。

 

 「さっき石上が言っていた噂の、か?」

 「ええそうです。藤原先輩と知り合いだとは知りませんでしたけど」

 

 石上が多少驚いたように2人を見ている。

 

 「サチちゃんにはさっき初めて会いましたよ」

 「1か月クラスメイトやってる僕より仲良さそうなんですけど??」

 「それは石上くんのコミュ力がくそ雑魚ナメクジなだけですね~」

 

 千花は棘を刺し返した。

 

 「それで藤原は如月を連れてどうしたんだ」

 「サチちゃんが友達を作る練習をしたいんです。まずは生徒会でやろうかと!!」

 「えっ!!友達が欲しいのか」

 

 食いついたのは石上だった。

 人を寄せ付けない、いてつく波動を放っていると思っていたからだ。

 

 「はい」

 「もうサチちゃん固いよ!!」

 「すみません師匠」

 

 師匠…師匠?と石上は呟く。

 

 幸の表情は動かない。

 なるほど、と、白銀はそれを見て納得した。石上が彼を過去の四宮と表現した理由が分かったのだ。

 幸は驚くほど綺麗だ。四宮や藤原と並んでも霞まない程の輝きを持っている。白銀でさえそう思える。

 しかし動きの少ない表情と、切れ長の目は少し冷たい印象を与える。綺麗すぎて怖い、というのもまた四宮と同じだった。

 

 「如月は外部入学だな?」

 「はい」

 「友達は?」

 「いません」

 「友達がいたことは?」

 「ありません」

 

 いやこれもう外部入学関係ねーな、と白銀は絶望した。生粋のぼっちだったのだ。

 

 「でもサチちゃんはこんなに可愛いのにおかしいですよね~」

 

 のほほんと言う千花に白銀は静かに同意した。

 冷たい印象を与えると言っても、結局見た目の良さは武器なのだ。それだけでも寄ってくる人はいるだろう。

 

 「いやー如月はちょっと怖いんですよね」

 「そうでしょうか?」

 「それ!その顔と丁寧語!!なんか裏がありそうで怖いんだよ!!」

 

 こてん、と首を傾げながら答える幸に石上は叫ぶ。

 

 「じゃあサチちゃんはまず笑顔の練習ですね!ほら、ニコニコ~って私のマネをしましょう!」

 

 両手の人差し指を頬にくっつけながら千花が先導する。

 それをマネして幸も。

 

 「はい。にこにこー」

 「うわ」

 「うわあ」

 「あーー」

 

 三者三様に苦い反応が返ってくる。

 

 「最近のロボットでももっとマシな笑顔作れますよ」

 「こら石上言いすぎだ…でもないかもしれないが」

 「表情筋が死んでますね~」

 

 酷評である。ぎこちなさすぎたのだ。

 ギリギリ口角が上がっているだけである。むしろ無理やり表情をつくろうとしている分、威圧感は増していた。

 

 「師匠。どうするべきでしょうか」

 「え~~っとそうですね」

 

 師匠は手詰まりである。笑顔なんて物心ついていた時には習得していたのだ。当たり前だ。

 

 「楽しいことでも思い浮かべたらどうだ?好きなもの、幸せな記憶とか」

 

 ここで白銀の助言である。

 

 「しあわせな、記憶」

 

 目を閉じる。

 皆が幸に注目する。

 

 ――思いはせる先はもう遠い過去だ。あれは子供の頃。まだ何も知らなかった時の記憶。訪れる困難も、悲しみも、何1つ想像していなかった。暖かい手のひらに頬が包まれて。大きな手のひらに髪を撫でられて。

 額に落ちた、口づけが。

 

 愛してるわ。ずっと、ずっと。

 

 (お母様…)

 

 1つ思い出せば、2つ目が、3つ目が。紐解かれていく。蓋をしていた記憶だ。思い出さないよう、思い返さないよう。

 今、この瞬間に、思い出したのは。

 

 (なんでだろう)

 

 どこかで他者と1線を引いている。それを自覚していた。

 関わりたくない、関わりたい。そんな相反する感情を抱えて生きている。

 

 でも、今日は、暖かい日差しに照らされて導かれた出会いは。

 いつかの暖かさを思い出させてくれた。

 

 西日が生徒会室に差し込む。

 窓際に立っていた幸を陽光が包んだ。

 

 右手を撫でる。包んでもらった暖かさを思いだすように。

 

 「師匠。僕は」

 

 幸は千花を見つめた。

 千花はその姿にくぎ付けになる。

 

 口を開く。その一瞬が、数刻にも思えるほどに食い入る。

 

 「かわりたいです」

 

 3人は花が咲き誇る風景を見た。

 

 白銀は口を閉じられなくなった。

 石上は目を離せなくなった。

 

 千花は、ぼんっ、と顔を赤く染めた。

 

 「まじか…。会長、天下取れますよ、如月のやつ」

 「間違えるな石上。欲しいのは友達であって天下じゃない」

 

 ぎこちなさは変わらない。

 でも先ほどとは打って変わった、心の乗ったその表情は。

 

 「わーーーーー!!超かわいいよ!!それ!!それならサチちゃんはどんな子だっておとせるよ」

 「藤原先輩だって勘違いしてます」

 「こら、後輩を悪の道に引きずりこむんじゃない」

 

 わいわい。ぎゃいぎゃい。と生徒会の面々は感想を述べていく。

 

 こうして話すことは、いつ振りだろうか。

 幸は、幸せだった。

 

 「師匠。これからもご教授お願いします」

 「もちろん!!どーんと導いちゃいますよ!!」

 

 その日、ここに師弟関係が成立したのだ。

 



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6月
【3】しのみやかぐや の こいばな


 「お帰りなさいお父様」

 「あぁ、幸か。ただいま。どうだ学校は」

 「特に変わりありません。どうかご心配なさらず」

 「ならいいんだ。そう、それなら」

 

 ぎこちなく交わされる会話。いつからこうなったかなんて、もう覚えていないけれど。

 

 「何か困ったことがあったらちゃんと言いなさい」

 「ありがとうございます。けれど大丈夫です」

 

 確かにそこに愛はあるのだ。

 愛があるからこそ、つらいのだ。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 千花と幸、それに生徒会の面々が出会ってから1か月が経過していた。

 幸が生徒会のメンバーと関わることも増えた。時に幸は生徒会の仕事を手伝い、時に生徒会の面々は彼の修行に協力するのだ。

 もちろんその中で恋愛頭脳戦に意図せず巻き込まれることもある。

 

 「ところで如月さん」

 「はい。なんでしょうか」

 

 今日の生徒会室は珍しい組み合わせだ。

 毎日飽きずに恋愛頭脳戦を繰り広げるペアの片割れ、四宮かぐや。

 美少女系ぼっち、如月幸。

 

 普段であれば白銀のあるところにかぐやあり。千花のいるところに幸あり。

 しかし今日、この時は片割れ同士の組み合わせだったのだ。

 

 「あなたには好きな女性がいるのですか」

 

 なんとこのかぐや自らコイバナを切り出した。

 この後輩、かぐやにとっては使える後輩である。少年がいるだけで千花は自分を慕う可愛い後輩にいいところを見せるために、いつもよりも正常になるのだ。いっそ2人がくっついてくれればもっと楽にかぐやは白銀との勝負に臨むことができるのに、とさえ思うほどだ。

 

 「師匠が好きです」

 

 ここで幸、即答である。

 これにはかぐやも困惑。彼女にとって誰かを「好き」と言うのは少々ハードルが高い。だからこそかぐやは考える。ここまで恥ずかし気もなく宣言できるということはそれは友情なり親愛なりの「好き」ではないのかと。

 

 (それは恋愛的な意味か、と更に突っ込むべきか)

 

 「もちろん四宮先輩も素晴らしい先輩だと思っています」

 「あら、ありがとう。私も如月さんのこと可愛い後輩と感じていますよ」

 

 やはりそういう意味か。かぐやは納得をする。

 この純粋無垢、という言葉が擬人化されて存在しているような後輩に恋愛はなさそうだ。

 

 「四宮先輩がそのような恋愛の話を始めるのは珍しいですね」

 「私とて一応は女子高校生ですから――まあ、他の方に比べて色恋に心を捕らわれることは少ないと思いますが」

 

 大嘘である。毎日告白させようと策をめぐらしている人間の吐くセリフではない。

 

 「恋、とはどのような気持ちなのでしょうか」

 「如月さんはご興味が?」

 「はい。僕の両親はこの学校で出会い、結婚をしました。その話をよく聞いていたので」

 「そんな素敵なお話があったのですか!!ご両親が卒業生というのも初耳ですね」

 

 かぐやのテンションが10上がった。

 なんて心強い事例なのだろう。と。完全に色恋に心を捕らわれている。

 

 「当時の奉心祭で告白をしたそうです。キャンプファイヤーの明かりの中、想いを伝えあったとよく語ってくれました」

 「いいじゃないですか。ロマンチックな話で。如月さんもそれを目指してみたらいかがですか」

 「僕は…まずは友達を作らないと、かもしれません」

 「確かに、友達を飛ばして恋人、というのはなかなかハードルが高そうですか」

 

 しかし、だ。このように話しているとかぐやには1つの疑問が沸き上がってくるのだ。

 

 (なぜこの子には友人が出来ないのでしょう)

 

 そこまで長い付き合いではない彼女でも分かる。如月幸という人間は優しさに溢れている。決して他人を否定しないし、どんな話にも真摯に付いてきてくれる。

 表情の冷たさを考えたとしても、少しのきっかけさえあれば、人を集めるカリスマさえあるように感じられる。

 

 (あの藤原さんに付いていけるのだから誰とだっていけるはず)

 

 自然にかぐやは千花をディスる。

 

 そしてかぐやは自分のことを思い返すのだ。

 生徒会に入り、かぐやは「社交性」を学んだ。必要と思っていなかったものではあるが、手に入れたら手に入れたで、必要とも感じられる。それを学ぶ前まではかぐやとて同じように孤高であった。もちろん藤原千花という人間は近くにはいたが。

 だが目の前に少年にそれが欠如しているとは思えないのだ。

 

 (そうなると原因は)

 

 「四宮先輩は白銀先輩にいつ告白なさるのですか?」

 「私が告白?会長がのまちが…い…はぇ」

 

 かぐや、停止する。

 耳がおかしくなったのかと自分の体を疑い始める。

 

 「勘違いでしょうか。四宮先輩は白銀会長を好いているように感じたのですか」

 「そ、それはあなたの見た限りで?」

 「はい。勘違いでしたらごめんなさい」

 「そうね。四宮の人間ともあろうものが、色恋などとは」

 

 かぐや、焦る。

 普段はいつでも冷静であることができるかぐやとて、白銀の話題には弱かったのだ。

 

 「家柄と恋愛とは関係ないのではないでしょうか」

 「そうもいかないのが世の中です。まあ、少しは会長が魅了的な人物であることは認めます。少しはですよ?」

 「僕も白銀先輩も素敵な方だと思います」

 「ふふっ。でもあなたにとっては藤原さんの方が魅力的でしょう?」

 「はい。師匠は…特別、です」

 

 少年の表情は特に変わらない。

 そこに込められた気持ちは、どんなものなのか。どんな大きさなのか。かぐやには測れなかった。

 

 「話を戻しますが、恋とは何か、これに答えはないように感じます」

 「形は人それぞれということでしょうか」

 「まあそれは当たり前のことかもしれませんが――私が考える1つの在り方は、相手のことをもっと知りたくなる、ということですかね」

 

 なんだかんだと誤魔化し、はぐらかしてはいるものの、かぐやとて恋する乙女なのだ。ちょっとぐらいコイバナをシェアしていきたいものであり、ついつい饒舌になってしまう。

 

 「知りたくなる、ですか」

 「えぇ。1つを知ればまた1つ知りたくなる。そして相手を構成するそれら1つ1つが魅力的に、愛しく思えるようになる。恋とは、そして愛とはそのようなものかと」

 「相手の好きなところがどんどん増えていく、と、素敵ですね」

 「でしょう?これに不正解はないとは思いますが。如月さんはどうですか?」

 

 かぐやにとって白銀の小さな行動1つ1つが彼の魅力を増す要因になっていた。時折見せる自然な優しさであったり、向上心を忘れないその姿勢であったり、ちょっと負けず嫌いなところであったりだ。

 

 かぐやの質問に幸は少し考えこみ、やがて口を開く。

 

 「僕は怖いです。自分のことを知られることも相手のことを知ることも。愛があればこそ――怖いです」

 

 思わず息を飲む。

 その言葉は、かぐやが彼から聞いた言葉の中で、最も感情の乗っているものだった。

 

 如月幸という少年は、他人を否定しない。優しい。しかしそれは自己主張が少ないことの裏返しであった。自己主張が少ないというのには原因が様々ある。かぐやは彼の原因は「自分に自信がない」ことであろうと推測する。

 

 (これが友人がいない原因なのでしょう)

 

 人の目を気にしすぎて何も行動が出来ない人というのは世の中には一定数いる。少年に関しては、それが対人関係において顕著に表れているのだ。

 

 相手を否定できる、自分を主張できる、というのはある意味において信頼の現れだ。そこで関係性が破綻しない信頼があるからこそ、出来る行為である。少年にとってそれは難しいことなのだろう。

 

 今、かぐやと幸の前には、先輩と後輩という壁が一枚ある。前提としてかぐやの方が上の立場なのだ。そのような状況であれば、上手に立ち回れるのだろう。仕事相手との仕事の話であればスムーズに話せる人が多いのと同じだ。

 ただその壁が取り払われた時、例えば対等な「友人」となったとき、臆病になってしまうのだ。

 

 (ならばもっと根本の何かが。ここまで臆病になる何かがあるはず)

 

 「如月さんは、そう、心配性なのね」

 「心配性、ですか」

 「ええ。人は誰しも完璧ではないわ。あなたも、私も。誰しも好きな人には良く見られたいもの――でも完璧ではないから。時に弱いところ、嫌なところも見られてしまう時がある。それを恥ずかしいと思う気持ちだって分かるわ」

 

 私だって。かぐやは心の中で呟く。

 

 「しかし嫌なところ、弱いところ。そんなものが多少あった程度で揺らぐもの、それは愛なのですか。違うでしょう?全てひっくるめて愛せるのが本物では?」

 

 後輩に語りかけるように、自分に語りかけるように。かぐやは続ける。

 

 「だからこそ――自分のダメなところを含めて、すべて愛させなさい」

 

 これはかぐや自身への戒めでもある。

 恋は、惚れた方が負けなのだ。だからこそ告白させなければならない。

 

 「四宮先輩は、強いのですね」

 「そうね。私は強くて――まだ弱い。こう言ってはいるけどそれが実現できている、と胸を張っては言えないわ。行動に移すのは難しいもの。だからあなたも少しずつ変わればいい。かわりたい、のでしょう?」

 「はい。僕は、かわりたいです」

 「そうね。まずはその気持ちを持ち続けること。意思なき行動に意味はないのだから」

 

 話題が一段落したところでかぐやは席を立ち、いつもと同じく紅茶を淹れるため、ティーセットの用意にかかる。

 

 タイミングよく廊下の先から声が聞こえた。白銀と石上が生徒会室に来ているようだ。

 

 ――あら?そういえば。

 

 最初にかぐやが話題を振ってから、最後まで、幸はこれが恋愛の話題だと理解していた。

 

 『師匠が好きです』

 

 ――あれは、そういうこと?

 

 そこまで考えたところでかぐやは首を振って、考えを振りほどいた。それが友愛であれ恋愛であれ、まずは大事な友人の弟子の「かわりたい」を導くことが先だと。

 

 そのためには、この後輩について少し知る必要がありそうだ、とかぐやは静かに考えた。



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【4】してい は たぴる

 「かぐや様。卒業生について調査いたしました。しかし、如月幸につながるような者は…」

 「そうですか。苗字が変わった者についても?」

 「はい。OB会を中心に調査いたしましたが、何も見つからず。加えて転校、退学した者の中にも見つからず…これ以上掘り下げるようであれば問題が生じる恐れが」

 

 かぐやは早坂から手渡されたファイルを眺めた。

 

 「如月幸。母は死去、父は内閣府勤務だが実態はなし。公式的には普通の公立中学校卒業だが実際に在籍していたような情報は何も出ず。ここまであからさまに怪しいということは、そういうことね」

 「えぇ。これ以上踏み込むな、ということでしょう」

 「ここまで巧妙に隠せる権力――鬼が出るか蛇が出るか。面倒なことね」

 「そうですね。唯一分かることがあるとすれば」

 

 早坂は一度言葉を切り、ため息をついた。

 

 「彼が過剰に大切にされているということだけ。四宮の者たちの尾行は全て撒かれました。あの守りは並大抵のものではありません。登下校だけでどれほどの人員が割かれているのか考えたくもない程です」

 「おもしろい話ですね。愛に臆病な彼が誰よりも愛されている――いえ、逆にこれが原因ですか。納得しました。愛ゆえに愛に臆病となるとは皮肉な話です」

 「と言うと?」

 「如月さんは愛情深いのでしょう。愛を注ぎ、愛を返される。それが当たり前と考えている。そう、育てられた。だからこそ、求めた愛が返ってこなかったこと――そんな経験一つで折れてしまう。臆病になる」

 「はぁ…そういうものでしょうか」

 

 早坂は納得いかないとばかりに返す。目にはありありと不満が透けている。

 

 「私も早坂も四宮に染まりすぎているのよ。そんな風に蝶よ花よ、と育てられた子だって案外いるわ」

 「理解できない感覚ですね。それで、調査はこれ以上続けますか?」

 「いいえ。好んで虎の尾を踏む趣味はないもの、あの子には権力欲も何も感じないわ。如月さんは可愛い後輩、今はこれで十分」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「カフェですよカフェ!!サチちゃん。高校生のコミュニケーションと言ったらこれしかないですよ!」

 

 とある昼休み。生徒会室にて。

 スマホから顔を上げた千花がおもむろに宣言をし始めた。

 

 「はい。師匠」

 「あ、サチちゃん。意味がわからない時にとりあえず頷くのは減点ですよ!!女の子はそういうの敏感なんですから」

 「ごめんなさい、師匠」

 「素直でよろしいですよ。我が可愛い弟子」

 

 そしてスマホの画面をサチに見せつける。

 『あの初花グループがプロデュース!!デートに最適!?新感覚CAFEオープン』

 写っているのは近々オープン予定であるカフェの記事である。

 

 「なんとタピオカがセルフで乗せ放題らしいですよ」

 「そうですね。ジャムなどのトッピングも充実しています」

 「あれ?サチちゃん詳しい…?もしかして私が乗り遅れてます?」

 「いえ、そんなことはないかと。知る機会があっただけです」

 

 どんどんと記事をスクロールしては千花はため息をつく。

 

 「でも混んでますよね~」

 「師匠。そんなに飲みたいんですか?」

 「もうっ。サチちゃんは分かってないですね。高校生の友達同士と言ったらタピオカを飲みにいくのがナウでヤングで最強なんですよ」

 

 相変わらず千花は意味の分からない理論を押し通そうとしていた。

 

 「サチちゃんだって友達が出来たら放課後カフェに行って、コイバナをするんです。それでどんなところが好きか語り合いながら一緒にラインの文面を考えてデートに誘っちゃったりするんですよ!!」

 「そうですか。敷居が高そうです――でも」

 

 手を合わせてくねくねしながら妄想の世界にトリップしていた千花が止まる。

 

 「でも?」

 「そのカフェに行くことなら叶えられそうです」

 「へ?」

 

 

 そして時は数日流れた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 千花は件のカフェの前にいた。正直よく状況は飲めていなかった。

 カフェはオープン直前であり、外から覗く限りは内装は既に完成しているようで、今すぐにその扉が開いてもおかしくなさそうだ。

 なんだか落ち着かなくて早く着きすぎてしまった千花は今か今かと幸を待ち続ける。

 

 数分経って、キキィと、千花の前に車が止まる。黒塗りで明らかに高級車ですよと強く主張する形だ。千花の祖父が乗り回していた車によく似ている。

 エンジン音が止まる。そして千花の予想とは違い全然いかつくない運転手が出てきて、後部座席のドアを開く。

 何が出てくるんだと多少びびった千花の気持ちを、ある意味裏切って出てきたのは幸であった。

 

 「おはようございます――ごめんなさい。お待たせしました」

 「さ、サチちゃん。その、すごい登場ですね~」

 

 千花は何ともあやふやな感想を述べた。

 

 「一人で行くと言ったのですが、お父様が心配して車じゃないとダメと言うので…」

 

 そこじゃない。そこを深めて欲しいんじゃない。と千花は静かに思った。

 

 「でも今日のサチちゃんはおしゃれさんですね!!」

 「師匠も可愛いですよ。制服姿以外を初めて見ました」

 「もっと褒めていいんですよ!更に感動もあったら花丸です」

 

 相変わらずセリフに表情と感情が伴っておらず、無表情の幸を千花は減点をした。

 ごめんなさい、と一言告げて、幸は人差し指で自分の髪を撫でた。

 いつもはストレートで肩口まで伸びている色鮮やかな金髪が、今日は緩やかな曲線を描いていた。

 

 「その、変じゃないですか?久しぶりの休日の外出で家の者が張り切ってしまって」

 「かわいいですよ~!!」

 「それなら安心しました」

 

 安心したように息を吐いて、幸はカフェの中へ入る。それに次いで千花も入る。

 

 「来週の開店に向けて、今日は関係者向けのプレオープンなんです。午前中の間に少し体験出来るようにお父様にお願いしました」

 「…サチちゃんのお父様は何者ですか」

 「ここを経営するグループにいるんです――怖い権力者とかじゃないですよ?」

 「心から安心しましたよ」

 

 千花はいつかの記事を思い返す。

 初花グループがプロデュース。そんな文言が宣伝には書いてあったはずだ。

 

 初花家――あの四宮家と並び立つ四大財閥の1つである。政界と第一次産業を中心に強い影響力を持つ名家である。現在の総理とてこのグループの元トップであり、現在はその息子がトップに立っている。

 

 その初花グループはもちろんエリート中のエリートが集うところであり、秀知院学園出身者も非常に多いのだ。

 

 聞いた限りだと幸の父親はそれなりの立場なのだろう。故に、まるで純院の生徒のような金持ちムーブにも千花は納得をした。

 

 「この時間に対応してくれるスタッフの方も、普段うちで働いている方々なので安心して寛いでください」

 

 言いながら目の前のスタッフの女性からカップを受け取る幸。

 1つを千花に手渡す。

 

 「どうぞ師匠。あとはお好きにやっちゃってください」

 「待ってました~!!」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 きっちりと大量のタピオカを2杯流し込んでから千花は口を開く。

 

 「うーん。満足しました。サチちゃんこの後はどうしますか?」

 「師匠にお任せします。何も予定はないのですか?」

 「もっちろんです。今日は遊び歩く気満々なんですから」

 

 あ、でも。と千花は続ける。

 

 「全部お任せは、めっ!です。お互いにしたいことをし合ってこそ友達ですよ」

 「うーん…でも、思いつきません」

 「じゃあサチちゃんの好きなところに行きましょう!!てるみー!!」

 

 幸は小首を傾げながら考える。

 最近の幸は学校以外で出かけた覚えもなければ、どこかに行きたいとも考えたこともなかった。

 

 好きな場所、好きなこと、どれも彼が押しとどめたものだった。

 中々言葉が出ない幸を見て、千花は言葉をつづけた。

 

 「サチちゃんは優しいですけど、それだけじゃきっとダメなんです。もっと自分をだしていきましょう。時にはぶつかり合わないとダメなんですよ。私とかぐやさんみたいに」

 「ぶつかり合う。ですか」

 「そうです。何事も壁にぶつかって、乗り越えて、強くなるんです。友達関係だってそう。お互いのやりたいこと、異なった考えをぶつけ合うんです。だから自分の考えを言うって大事なんですよ」

 

 挫折と修行と闘争が人を強くする、千花は根性論が好きだった。

 いつかのひたすらに冷たいかぐやと仲良くなった彼女は、何度もぶつかり合ってきたのだ。

 

 少し静かな時間が過ぎて、やがておずおずと幸は口を開く。

 

 

 「――師匠。僕には大好きな人がいます」

 

 

 それは、小さな呟きだった。

 

 

 「でも僕のせいで、きっと傷つけてしまっているんです」 

 

 

 小さな小さな呟きだった。

 

 「サチちゃんは、その人が大事なんですよね」

 「はい。とても。とても」

 「じゃあそれをどんどんぶつけましょう。いいですか?大事なのはサチちゃんがどうしたくて、どうなりたいかです。大切なものを大切にするために必要なのは、傷つけないために触れないことじゃなくて、それが大切だと主張すること、ですよ」

 「僕が、どうなりたいか」

 

 千花は幸の事情など知らない。でもこの後輩の願いが「友達がほしい」ことで完結するものではなく、その先に何かがあると察してはいた。

 だってそこで完結するのであれば、もう千花と幸は立派に友達だ。

 

 自身を頼るこの後輩から零れ落ちた本音を千花は敏感に感じ取った。

 

 「じゃあプレゼント大作戦です!!その人の好きなものを買いに行きましょう!!まずは物で愛を勝ち取るんですよ」

 

 両手に拳を作り、気合十分です!というポーズをする千花を見て。

 幸は微笑んだ。そう、確かに微笑んだのだ。花が咲くように、確かに。

 

 「わかりました。――やっぱり、師匠が大好きです。師匠みたいに、なりたい」

 「そ、そうですか、改めて言われると師匠も照れちゃいますよ。でも私みたいに、ですか?」

 「だってぶつかったらきっと、折れてしまいます。僕は、弱いから」

 

 その言葉を聞いて、千花も微笑み返した。

 

 「いいんです、折れたって――だってサチちゃんは一人じゃないです。師匠がついてますもん。いつだって何度だって私が、その手を引っ張り上げられるんですから」

 

 



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7月
【5】せいとかい は あんやくする


 それは二十数年前のこと。

 

 『あなたが初花司――学年1位ね』

 『君は?』

 

 初花家次期当主として秀知院学園で尊敬と畏怖を集める彼は見知らぬ生徒に話しかけられた。

 その生徒は鮮やかな金髪に白く透き通る肌、日本人離れした特徴的な容姿であり、彼の記憶に全くないことからも外部進学の生徒であろうと当たりをつけられた。

 

 『私は如月桜。あなたから1位の座を奪い取る者の名前よ』

 『初花月は2月を表すわね。私の苗字、如月もよ。運命感じないかしら』

 『この学校に響かせてあげる――初花ではなく、如月を』

 

 美しい顔で自信満々に不敵な笑みを浮かべた彼女に、誰もが目を奪われた。

 

 

 

 そんな出来事から数か月が過ぎて、宣言通りその女子は司から1位の座を奪い続けた。

 そして、1位の座だけではない、彼女は生徒会長の座をも勝ち取ったのだ。

 

 『司――あなたが副会長よ。ちゃんと私を支えてね』

 『嫌味な奴が、この超人め』 

 『ふふっ、そうやって悪態ついてるぐらいが素敵だわ』

 

 

 如月桜は圧倒的なカリスマで外部入学の生徒とは思えないほどに学園をまとめあげた。

 もちろん、そこに批判的な者もいたが、初花の名前を持った副会長の前には全員が黙ったのだ。

 

 『桜。結局お前は何を目指すんだ』

 

 ある日、司は問いかけた。圧倒的に優秀なこの会長の行く先が純粋に気になったからだ。

 

 『かわいいお嫁さんよ』

 『は?俺は真面目に聞いてるんだが』

 『私も真面目よ』

 

 確かに、その表情に特に含むものはなさそうだった。

 

 『私は貧乏だし、親の顔だって知らない。だから幸せな家庭を築くのが夢なの。でもいい男を捕まえるためにはやっぱり自分を磨かなきゃじゃない?だから私は頑張ってるの』

 『そうだったな…悪い』

 『謝る必要ないわ。私は家族を幸せにしてあげたい。誰よりも素敵なママになるの』

 

 

 それから2人は一緒の時を過ごした。

 二期連続で生徒会長を桜は勤め、司も副会長としてそれを支えた。

 

 『――桜。俺はお前を尊敬している。誰に指図されるでもなく、自分で決意をして、ひたむきな努力で俺の上に立ち続けるお前をだ』

 『あら、私は自分の責務を全うできるあなたを尊敬しているわ。私だったら窮屈で無理よ』

 

 

 時間は、友情を育み、そして。

 

 『キャンプファイヤーって素敵ね。来年は受験真っ盛りかしら』

 『お前の成績ならどこでも余裕だろうが。嫌味か』

 『あら、あなたもそうでしょう?』

 『だが俺は初花に恥じぬ者として主席合格をしたい。目の前に一番のライバルがいるがな』

 

 二人とも志望校は同じであった。

 それから2人はしばらく口を開かなかった。

 

 キャンプファイヤーを囲む生徒たちの楽し気な声だけが、生徒会室に届く。

 

 

 

 『――私』

 

 それは今まで聞いたこともない声だった。

 小さくて、弱くて、震えた呟きだった。

 しかし、その瞳には強い意志が宿っていた。

 

 『私、私!!!』

 

 気持ちを奮い立たせるように桜は頬をぱちん、と叩く。

 

 そして改めて、司に向き合った。

 目と目が合った。

 

 『司。あなたを、愛してる。家柄も、何もかも釣り合ってないけど、待っていて、欲しい!!絶対にあなたの横に立て――』

 『無理だ』

 

 『無理だ、桜。俺は、待てない』

 

 『そ、そうよね。ごめんなさい』

 

 『違う!!!俺は今すぐ、お前が欲しい――愛してる。家も何も関係ない、そんなこと気にする奴じゃないだろお前は』

 『俺が――お前を幸せにする』

 

 力強く抱きしめて、涙に濡れた瞳に口づけて。

 

 驚いたように目を見開いた、女の子は。

 世界一可愛い笑顔を浮かべて。

 

 『もう最高に幸せよ。私も、あなたを幸せにしたい』

 

 今度は唇を合わせた。

 

 

 そして、近い未来、彼らの愛の結晶には幸と名付けられるのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 七月某日。生徒会室にて。

 

 「あ゛~暑い。暑いですよ。脳みそとろっとろになっちゃいますよ」

 

 千花はここ最近恒例となりつつある呪詛を吐き続けていた。エアコンのない生徒会室。真夏の気候。仕事環境は最高に最悪だった。

 

 「またプールにでも行くのはどうでしょうか」

 「あ~いいですねえ、最高です」

 

 映画にカフェに買い物に、千花が友達作りの一環として連れ出した場所は両手で数えられないほどになっていた。

 幸は世間知らずである。良く言えば浮世離れしていた。プールにも行ったことがなかった。

 千花にとってはまるでもう1人のかぐやを見ているようなものである。

 

 「そういえばまた心理テストを仕入れたんですよ!サチちゃんもやってみましょうか」

 「はい。師匠」

 

 何かを提案すると、まず難色を示すかぐやたちとは違い、この弟子は千花にとって便利であった。何も疑うことなく受け入れていく様は自分色に染めているようで彼女にとって心地良かったのだ。

 

 「『本棚にあった絵本を開いてみると、そこには魔女の絵が描かれていました。それはどのような魔女でしょうか』」

 「魔女、ですか。ちなみに師匠は何と答えたのですか?」

 「私は~ドジっこ魔女と答えましたよ!」

 

 幸は首を傾げ、考える。

 魔女、どのような魔女か。

 

 「――森の奥から出ない魔女。です」

 「引きこもりですか?」

 「引きこもり、と表現するかは分かりません。物語でよくいませんか?世俗から離れて暮らす孤独な魔女です」

 

 千花は少し困ったような表情で止まる。

 生徒会室には、蝉の声だけが響いた。

 

 「サチちゃん!!喉が渇いて死んじゃいそうなので飲み物買いにいきますよ!!」

 「え、あ、はい」

 

 千花は強引に幸を連れ出してごまかした。

 生徒会室の扉が強引に閉められる。

 

 

 「藤原先輩もあんな回りくどいことするんですね」

 「1周回って分かりやすいぐらいですが」

 

 ソファに座って作業をしていた石上がノートパソコンを先輩2人に向かって示す。

 

 「『あなたが認めたくないあなた自身の性格です』か」

 

 白銀がため息とともに呟く。そこに表示されているのは心理テストの結果だった。

 

 「見かける感じでは友達作りは順調そうなんだがな」

 

 白銀は生徒会長として、学校の様々なところへ顔を出す機会がある。

 その中で、幸を見かけることももちろんあったのだ。最初は一人でいることが多かった彼だが、最近では同級生に囲まれている姿をよく見かけていた。

 

 「あれは藤原先輩のおかげですね。クラスの奴が言ってました」

 「ほう?藤原書記が何か?」

 「特別何かしたってわけじゃなさそうですけど。いっつも一緒にいて遊び歩いてるらしくて、それで普通に接していいんだ、ってみんな思ったらしいですよ」

 「まあ俺も如月がゲームしている姿は違和感を感じるから分かるな」

 

 生徒会室で石上のゲームを共にするお姫様顔の幸の姿は、マサイ族がスマホを使っているぐらいのギャップを感じられる。別に何もおかしくはないはずなのに何かおかしく感じるのだ。

 

 「しかし、実際のところそれがゴールではなさそうな感じはしますね」

 「四宮は何か知っているのか?」

 「いいえ、推測です。しかし如月さんが変えたいと願ったのはもっと根本のような気がします。彼の性格であれば私たちや藤原さんの助けがなかったとして、今の状況にはたどり着いていたでしょう」

 「そして、それも本人自身とてよく分かっている、と?」

 「ええ。その上で彼が助けを求めているのは何なのか――友達作りは過程でしかない。もっと根の深い部分、それを変えたいと願っている。そこから零れ落ちてきた願いかと」

 

 白銀は口元に手を持っていき、思考する。

 ここ二か月、白銀は幸と関わり合ってきた。その1つ1つを思い出していく。

 

 始まりは千花が幸を強引に引っ張ってきたときからだ。それから生徒会室に何度も連れて来られて、細々としたことを手伝ってもらい。時に状況をかき回してきた千花を引き取ってもらい。ゲームに参加をすれば、無難に過ごし――

 

 「俺たちは如月のことを全然知らないな」

 「ですね。あいつの好きな食べ物すら知らないですよ」

 

 ――なあ如月は何か趣味はあるのか?

 ――白銀先輩は何かありますか?

 ――俺は天体が好きだからな。星を見たりだとかかな?

 ――僕も星は好きですよ。

 

 いつものらりくらりと、躱されている。

 

 「そこでしょう。如月幸という実体を私たちは知りません。彼が何者で何を本当に求めているのか。そしてそれは藤原さんも。あんな心理テストをするぐらいですから」

 

 言いながら、かぐやは白銀の机から書類を一枚引っ張りだす。

 

 「ですが私たちは生徒会です。悩める生徒たちの味方――何よりあの2人は友人と言って差し支えないでしょう。どうするか迷いましたが、この際なりふり構わず彼のことを知るべきでは?」

 「うわ、四宮先輩それ職権乱用ですよ」

 「あなたもその乱用によってここに引っ張り出された一人ですよ」

 

 石上はその恩を出されては強く何も言えなかった。

 

 「それでその紙はなんなんだ四宮」

 「今年度の寄付金の一覧、その金額上位です」

 

 秀知院学園は寄付金に運営費を頼っている部分がある。その寄付金の扱いについては生徒会の仕事の大きな部分を占める1つだ。

 生徒総会に向け、白銀たちはこのような学校運営の根幹に関わるような資料について整理をしていた。

 

 「今日、この一覧を見た時、私は強い違和感を感じました」

 「ほう。違和感とは」

 

 椅子から立ち上がり、かぐやの持っている紙を白銀は覗く。

 そこには「四宮」や「柏木」など見知った名前が並んでいる。

 しかし並んでいる名前自体に特に違和感は感じられない。

 

 「ここ、初花家です」

 

 初花。ハツハナ。それは四宮に並ぶ四大財閥の1つであった。四宮と同じくここ秀知院から多数の卒業生を出している名家の1つであり、政界に大きなコネを持つ家だ。

 

 「初花家からは多数の卒業生がいるからな。特に違和感はなさそうだが」

 「ええ。存在自体に違和感は全くありません。しかし注目すべきはその金額です」

 

 そこに記された金額は四宮に全く引けを取らない金額であった。

 寄付金を集めることも担う生徒会長としては助かるものである。

 

 「去年よりも大幅に増えているな。それが違和感だと」

 「そうです。これは大きな違和感です。例年同様の金額を納めていた初花が今年に入り大幅の増額。そもそも大量の寄付金の意義というのは、馬鹿らしい話ではありますが、学内での覇権――発言権を増すためのものです」

 「つまり、四宮のように学内に在籍しているなら意味はあるが」

 

 かぐやは書類を机に置き、白銀に向き合う。

 

 「えぇ。在籍していないなら大した意味はありません。そう、していないなら」

 「それじゃあその家と如月が関係しているってことですか」

 

 石上はインターネット上に掲載されている初花家の家系図を示す。無数に枝分かれした家系図からはなかなか情報が読み取りづらい。

 しかしそこに如月、という家名は見当たらない。

 

 「私は如月さんからご両親がここの卒業生と聞き、家の者に調査、尾行をさせました。しかし何も割り出せませんでし――待って下さい会長。違うんです。善意からですからね」

 

 ひきつった顔を浮かべた白銀にかぐやは言い訳をした。つい熱が入ってしまって口を滑らせたのだ。

 

 「それでは如月が嘘をついている。ということか?」

 「必ずしもそうとは言えません。いえ、調べればバレるような嘘をわざわざ吐く理由もありませんから如月さん自体は正直であると考えた方が自然です」

 

 白銀は考え込む。金持ちの考えは正直よく分からないと投げだしたい気持ちで溢れているが、友人のために思考を継続させた。

 

 「あの初花家なら全てを隠蔽することさえ容易です。如月幸という存在も、如月家の卒業生も。四宮の調査をかいくぐることさえ」

 「だが、メリットはあるのか?」

 

 別に両親が卒業生であること、その詳細が露見したところで困るような事態は白銀には思い当たらなかった。

 それに加えて無関係な家をその財閥が守る得も感じられないのだ。

 

 「それに、結局如月がその財閥と関係してるって証拠もないですよね」

 

 石上とて中々その理論には納得できなかった。

 

 「ええ。ですが確実に如月さんは厳重に、強固に、過剰に守られている。それではそんな彼は何者なのか。どこかしらの名家が関わっているのは確かですが、それが初花という確固たる証拠はない。初花がするメリットもない。それは本当か」

 

 そこでかぐやは言葉を一度区切った。

 

 「初花は梅や桜、その年最初に咲く花を表す言葉です」

 「そうだな。古典でやったな」

 

 古典が赤点の石上にはちょっと理解できない話であったが、そこは悟られないよう頷く。

 

 「初花家では名前にちなんで陰暦2月―――つまり新暦3月には他の財閥も巻き込んでパーティをするんです」

 「もちろん初耳だ」

 「大事なのはパーティの存在ではないので大丈夫です。しかしそこで彼らはこう言うのです。今年も初花月が来ましたね、と」

 「初花月、か。あまり聞きなじみがないな」

 「えぇそうでしょう。大衆的な呼び方ではないですから。彼らのアイデンティティの問題としてそういう声掛けがあるだけです」

 

 だがこの会話の流れで白銀は気づいた。

 残念ながら石上は察せなかった。

 

 「そして私たちにとって聞きなじみのある陰暦2月の呼び方とは」

 「――如月、か」

 「ええ。それらに関連して思い出したことがあります。4年ほど前の話になりますか」

 

 かぐやはノートパソコンを石上から受け取り、検索サイトに文字を打ち込む。

 そして最も検索上位にきたニュースサイトをクリックする。

 

 そこに記されていたのはかつての交通事故の記録。一時期世間の話題を大きくさらった事故であった。

 とある夫婦が乗る車に、別の車が突っ込む事故。それだけならば殊更珍しい話ではないが。

 

 「初花司、初花桜。男性の方は現在の初花家トップであり、交通事故によって重症に、女性は亡くなっています」

 「待って下さい!!その写真」

 

 サイトに載っている写真を食い入るように見つめる石上。

 そこには事故にあう前であろう、夫婦の写真が載っている。

 画面を覗いた白銀とて、目を見開いた。

 

 「これはもう確定でしょう?」

 

 壮年の男性に寄り添う女性。その姿は――鮮やかな金髪に切れ長の目、露出の少ない肌でさえ感じられる新雪のような白さ。絵本から出てきたような、幻想的な女性。

 

 その姿はまるで、如月幸の生き写しのような。

 

 「初花幸。それが本当の名前になるかと」

 

 白銀も石上もその言葉には絶句する。

 四宮かぐや、その存在でさえ、同じ学校に所属していなければ雲の上の存在なのだ。同格の家の者がすぐ近くにもう1人いたなど考えてもいなかった。

 

 「そして非常に残念ながら、このような事故、彼の根本に関係していてもおかしくない。むしろこの事故に起因して、彼が何か助けを求めていると考える方が自然でしょう」

 「しかし難しい話だな。苗字を偽るぐらいだ。俺たちが勝手に調べ上げた情報の上で何か言われても困らないか」

 「それに自分を尾行させる先輩とか怖いですよ」

 

 かぐやは10のダメージを受けた。

 

 「そ、そうね。ただこうして知ったからこそフォローできる部分もあるんじゃないかしら。何にせよ如月さんが師匠と仰ぐのは藤原さんなのだから私たちができるのはサポート止まり」

 「藤原先輩には伝えますか?」

 「いや、藤原書記は隠し事ができなそうだからやめておこう」

 

 地味に信用がない千花である。

 

 「ちなみに、四宮先輩の家と初花家って、その、仲が悪かったり?」

 「確かに。生徒会室で争いはごめんだ」

 「それは大丈夫です。初花は争いを好まない安定志向のグループです。政界に重きを置いているグループですので、国民からの好感度を最も重要視していますし」

 

 四宮グループは違うんだな、と石上は思ったが口にはしなかった。

 

 「ちなみに――藤原先輩と如月が、その」

 「曾祖父と祖父がそれぞれ総理ですからね。結婚でもした暁には最強の派閥が出来上がるでしょう」

 「げ…僕たちそんなやばい人たちに囲まれてるんですか」

 「ちなみに四宮とて石上くんにとっては「やばい人」かもしれませんよ」

 「ヒィ…!!命だけは」

 「冗談です」

 

 

 ――しかし実際あり得ない話でもなさそうだ。

 

 かぐやだけは静かにそう考えた。

 

 



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【6】してい の なかなおり だいさくせん

 「お母様、サチは学校にちゃんと通っています」

 「大好きな師匠ができました」

 「お友達もできました」

 「お勉強だって、しています」

 

 ぽつり、ぽつりと、言葉がこぼれる。

 

 「お母様。お母様は昔から本当にお寝坊さんですね」

 「いつ起きてくださるのですか――」

 「サチは、サチは、もう。どうしたらいいのか」

 「分からないのです。教えてくださいお母様」

 「愛しています。愛しているのです」

 「お父様も、お母様も」

 「愛しているのです。心から」

 

 ぽつり、ぽつりと、涙がこぼれる。

 

 「サチは今の生活が楽しいです――だからこそ、つらいです」

 

 それは、彼らの時間が凍ってから、初めて吐いた弱音だった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 生徒総会が終わり、翌日から夏休み!!

 最高潮に浮かれ気分になれる今、生徒会室の空気は残念ながら悪かった。

 

 「藤原先輩、その。今日も」

 「来なかったんですね。はぁ」

 

 ため息と共に千花の周りには黒い空気が渦巻く。

 

 「これで1週間ですか。さすがに本格的に心配になってきましたね」

 「理由が分からんな。何かあったのか?」

 「クラスでは特には。むしろみんな心配しています」

 

 これでもかと言わんばかりに深いため息をついた千花が再び口を開く。

 

 「もう…サチちゃんの、バカ」

 「藤原さんに心当たりは」

 「ありませんよ~~!!前の土曜日にカラオケに行って~日曜日にはショッピングに」

 「…遊びすぎでは?」

 「今はそこじゃないですー!!それで、月曜からは全く連絡がなくて」

 

 ここ1週間、如月幸は学校を休み、音信不通であった。

 学校への連絡はあったらしく、家庭の都合、とだけが担任から伝えられてはいたのだが。

 生徒会の面々の誰の連絡にも何も返さないのだ。

 

 「何かいつもと違うところかはなかったのか?」

 「うーん…。あ、1つだけありました、けど」

 「言ってみましょう。何か手掛かりになるかもしれませんし」

 「ほんとに小さなことですよ?サチちゃんはいつも帰る時に、お迎えの車で私のことも送ってくれるんですけど、その後に向かったのがいつもと反対方向だったんです。だからどこか寄るのかなーとは思いました」

 

 ふむ。と千花以外の3人も考え込む。

 

 「反対方向、だけではどこに行ったかまでは分からないわね」

 「…手詰まりだな。本人から連絡がない以上、どうしようもない」

 

 「私が、サチちゃんの家さえ聞いておけば…」

 

 何気なく千花は呟いた。

 しかし生徒会の男子メンバーはそれを聞き、かぐやの方を向く。

 その意図を察してかぐやも視線を合わせ。

 そして、ほぼ同時に頷いた。

 

 「藤原さん。もしかしたら如月さんの家は、分かるかもしれません」

 「えっ!!かぐやさん分かるんですか?」

 「確実、とは言い難いですが」

 

 アイコンタクトでかぐやは石上にノートパソコンの用意をさせる。

 キッチリと石上もそれを察して地図を開いた。

 そしてかぐやは指をさす。

 

 「ここが秀知院。もっと左上です。えぇ。もう少し先です」

 

 指示に従って石上が地図をスクロールしていく。

 

 やがて地図に現れたのは、都会にぽっかりと開いた穴だ。

 もちろん実際に穴が開いているわけではない。馬鹿みたいに大きい私有地があるだけだ。

 

 「ここです。初花家、本家」

 「へ?サチちゃんのお家じゃ?」

 

 その言葉にその他の面々はまた顔を合わせる。

 

 「藤原書記。俺たちからはあまり言うことは出来ない。だが、そこに如月がいる確率は高い」

 「えーーー!!なんで私だけ除け者なんですか」

 「――それは、藤原書記だけが、如月の師匠だからだ。本人の口から聞くべきだろう」

 「会長の言う通り。私たちがこれを知ったのは偶然。でも彼の秘密を私たちからあなたに告げるべきではないと考えています」

 

 千花は俯いた。

 そして微かな声で。

 

 「でも私――サチちゃんのことをあまり知りません。私でいいんでしょ、いたっ!!」

 

 白銀は、速攻で千花の頭をはたいた。

 

 「弱気になってどうする。誰がどう見たって如月が一番慕っているのは藤原書記なんだ」

 「弟子の責任は師匠が最後までとりなさい」

 「如月が笑うのなんて藤原先輩の前だけですよ」

 

 かぐやが肩に手を置いて、石上が親指を立てた。

 

 「わかりました!!私、行きます」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 初花家本家は秀知院学園から車で10分ほどの距離にある。

 四宮家の車でその近くまで送ってもらった千花は門があるであろう方向へ進む。

 

 四方を高い柵と川で囲まれたこの屋敷はどう見ても秀知院学園の敷地の数倍の広さがある。

 そこに幸がいるのか、いないのか、不安を抱えながら歩き続けるとやがて門が見えた。

 

 門の前には2人の守衛が立っているが、千花はその人物に見覚えがあった。

 

 目が合い、先に話しかけてきたのはその男性だった。

 

 「あなたは幸様のご友人の。どうしてここが?」

 

 その人はいつも幸の送迎をしていた運転手だった。

 

 「私の友人が教えてくれました。サチちゃんは多分ここにいるって――いるんですよね?」

 

 それはもう、確信を持った問いかけだった。

 その守衛は、もう1人の守衛と一度向き合ってから、問う。

 

 「ご用件は」

 「分かっているはずです。サチちゃんに、会いに来ました」

 「そう、ですよね」

 

 もう一度目を合わせ、男性は頷いた。

 

 「分かりました。ご案内します。付いてきてください」

 

 

 その男性に付き従い、千花は門をくぐる。

 門から屋敷までも距離があり、しばらくは歩かなければいけなそうだった。

 最初は2人の足音だけが響いていたが、やがて男性が口を開く。

 

 「昔は、幸様は明るい子でした。誰にでも分け隔てなく笑顔で声をかけて下さいました。私もよく遊び相手になったものです」

 「サチちゃんがですか?」

 「えぇ。今となってはあの笑顔がどれだけかけがえのなかったものか身に染みています。ですが」

 

 前を歩いていた男性が千花に振り向いた。

 

 「幸様があなたと会うようになってから、また少し、明るくなられました。改めてお礼を申し上げます」

 

 そして頭を下げたのだ。それは、美しい礼だった。

 

 「い、いえ。そんな大げさですよ!」

 「いいえ。これは私たちでは取り戻せなかったものです」

 

 再び歩みを進める二人。

 

 「でも私は、サチちゃんのことを、全然知りませんでした。ここに住んでいるのだって、私は友人に教えてもらったんです」

 

 言えば、男性は少し笑ってから、答える。

 

 「昔――幸様は私たちに言いました」

 

 

 『おかあさまが言ってたの!仲良くなりたい人には「おしえて!」って言うといいんだって!そしたら気分がよくなって話しかけてくれるの!おかあさまもおとうさまに言ったんだって!それでそれでね!おしえてくれる人のことを「ししょー」ってよぶんでしょ?だからみんなみーーんなサチの「ししょー」なの』

 

 

 その言葉を聞いて、千花の顔は一気に赤くなった。

 師匠なんて言葉、絶対その場で適当に考えたものだと思っていた。

 

 「師匠、は幸様と奥様の特別な言葉なんですよ。藤原『師匠』。不器用なあの子の精一杯の気持ちなんです」

 「そ、そんなの気づけませんよ!」

 「そうですね。だからこそ、あなたが今日ここに来てくれたのは、運命なのかもしれません」

 

 

 やがて、屋敷についた。それは「屋敷」と呼ぶに相応しい見た目であった。

 

 扉を開き、エントランスが現れる。迎えたのは何段か数える気すら失せるシャンデリア。

 

 入ってすぐにある豪奢な階段を上り、右へ。

 

 突き当りの部屋の前で立ち止まる。

 

 「ここです――私は玄関で待っておりますので」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 部屋の前に案内されてから、千花はしばし止まっていた。

 どんな声をかければいいのか。

 どんなことを聞いていいのか。

 

 考えて、考えて、考えて答はでなかった。

 

 「私は、師匠です」

 

 小さく呟いて、気合を入れた。

 

 そして、

 トントン、と

 ノックをしたのだ。

 

 「はい。なんですか?」

 

 その声は1週間ぶりの声だったのだ。

 

 「開けてください、サチちゃん」

 

 千花が言えば、一瞬静寂が襲い。

 

 「…ししょう?」

 

 たどたどしく綴られた言葉と共に顔を見せたのは幸であった。

 

 「サチちゃあああああん!!わーーー心配したんだよ!!!バカ!アホー!!」

 

 激しい抱擁と共にあふれ出たのは、低レベルな罵倒であった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 千花は部屋の中に案内された。

 そこは殺風景な部屋だった。シンプルなベッドが1つ。机が1つ。

 生活感のほとんどない、寂しい部屋だった。

 

 広い広い部屋に、寂しく、ぽつんと幸がいたのだろう。

 

 二人でベッドに並んで腰掛ける。

 

 「サチちゃん、ひどい顔してますよ」

 「その、ごめんなさい」

 

 相当ひどく泣いていたのであろう。その瞼ははれ上がっていた。

 鮮やかな金髪にさえ、かげりを感じるのは、きっと気のせいではない。

 

 「なんで、連絡してくれなかったんですか」

 「――ごめんなさい」

 

 幸は、顔を逸らした。

 千花は両頬を両手で挟んで無理やり向き合わせる。

 

 「私は、謝ってほしいんじゃないです――サチちゃんはなんで泣いているんですか」

 

 顔は向き合っていても、目は合わない。

 

 「サチちゃんは、私が嫌いですか。何も言ってくれないんですか」

 「――師匠」

 「私を信用してくれないんですか?」

 

 「私は、全部受け止められます。弱いところだって、みっともないところだって」

 「可愛い可愛い弟子のことなら」

 

 「――ごめんなさい」

 

 幸は一言謝って。その言葉に込められた意味に、千花は気づいた。

 

 「いいんですよ。ぶつかり合って、強くなるんです。師弟関係だって」

 

 そして微笑んだのだ。

 

 「師匠。僕は幸せです――幸せすぎて痛いです。大好きな人を傷つけてる僕が、幸せになってるのが痛いんです」

 「どういうことですか?」

 

 幸は枕元から1つの写真立てを千花に渡す。

 そこに写っていたのは、親子の何気ない写真だ。

 おそらく、幸とその両親の姿だ。特に母親は幸と瓜二つである。

 

 「4年前――お父様とお母様が事故に遭い、お母様は今も意識が戻っていません」

 

 ぽつぽつと、幸は語り始めた。

 

 「僕はお母様が大好きで、見た目もお母様にそっくりなんです」

 「あの日――その日は僕の誕生日でした。でもお父様とお母様は大事な社交界があって」

 「お母様はそんなものよりも誕生日会をしたいから欠席するって言ったんです」

 「お父様もそれならお母様だけ欠席でいいって」

 「でも僕はお祝いは次の日でもいいからって、大事な大事なものだったから行ってって言ったんです」

 「僕のせいなんです――あの時、お母様の言ってくれた通りにしていたら」

 

 「あれから、お父様は僕を見るとつらそうにするんです」

 「僕が、お母様にそっくりだから」

 「お父様はお母様を誰より愛しているから」

 「それでも隠して、隠して、普通に振るまってくれるんです」

 「それが嫌で、髪も切って、口調も変えて」

 「でも、僕もお母様のことが好きだから全部は捨てられなくて」

 

 決壊したダムのように、一度流してしまったものは戻らず。

 吐き出し続ける。

 

 「お父様と前みたいになりたくて」

 「でも僕を見るだけでつらそうで」

 「どうしたらいいか分からなくて」

 

 「師匠。分からないんです。お父様に、大好きって伝えたい、昔みたいに、なりたい」

 

 零れ落ちた涙は、止まるところを知らない。

 

 幸の時間はあの時から止まり続けたままだ。

 最愛の2人からの愛を失った、あの時から。

 

 千花は、写真を見た。

 母親が、幸を抱きしめて。

 父親が、二人を後ろから抱きしめていた。

 

 「サチちゃんは――わがままを言ったことがありますか?」

 「わがまま、ですか」

 「はい。私のお父様は、私がわがままを言うと、しょうがないなあ、なんて言いながら嬉しそうなんです」

 

 幸は目を丸くした。

 

 「サチちゃんはいい子さんです。でも前にも言いましたよね?サチちゃんが何をしたいんだろ~って思うことがあるんです。大好きな相手だったら、ちょっと困るようなお願いをされたって、嬉しいものなんですよ」

 「私はこれだけ一緒に過ごして、初めてサチちゃんの心からの「これがしたい」を聞きました」

 「つまり――サチちゃんのお父様もサチちゃんがどうしたいか分からなくて、私と同じで迷っているんです」

 

 「師匠と同じ、ですか?」

 

 「はい。私はサチちゃんの本心が知りたくて、心理テストとかもいーっぱいしました。あんまり実りませんでしたけどね」

 

 てへ、と軽く告白をする千花。

 

 「この写真を見たって、運転手さんの話を聞いたって」

 「サチちゃんは愛されています。それはお母様に似ているからじゃない。サチちゃんがサチちゃん自身として愛されています」

 「サチちゃんはそれだけの魅力を持っていますよ」

 

 「そう、でしょうか」

 

 千花は、強く告げるのだ。

 

 「私が保証します。誰かを傷つけるのが本当に苦手で、何にだって真摯で、時折見せる笑顔が誰よりも可愛い、自慢の弟子ですよ」

 「自信を持ちましょう。そして、お父様にぶつけるんです」

 「本当の気持ちを、心からの、わがままを」

 

 「わがまま、言ってもいいんでしょうか」

 

 「いいんです!!だって――私がこうやってサチちゃんに心をぶつけられて嬉しいんです。だったらお父様は――もっと嬉しいはずなんです」

 

 千花はいい顔をして言い切った。

 その姿から、幸は目が離せなくて。

 

 「仲直り大作戦、しましょう?」

 「――はい、師匠」



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【7】してい は こい を はじめる

 ――仲直り大作戦。

 

 そんなちょっと頭の弱そうな作戦を2人は立案した。

 

 幸の部屋で、2人はたくさん話をした。

 幸のことも、千花のことも、お互いのことを教え合った。

 

 ――その時初めて、2人は本当の師弟になれたのかもしれない。

 

 その作戦は当日に決行されることになった。

 千花が幸の家に訪れたのはお昼過ぎ。

 話し合いという名前の雑談が終わる頃にはおやつ時になっていた。

 

 

 

 そして2人は生徒会室にいた。

 もう他のメンバーはいない。

 夕暮れの生徒会室、千花と幸だけが、この場にいる。

 

 幸は片手にスマホを構えて、目を合わせて、頷いた。

 

 何度かの呼び出し音が流れた後に。

 

 『幸か。珍しいな、どうした』

 

 初花司、その人であった。

 

 『お父様、お願いがあります。聞いてくださいますか』

 『あぁ、もちろんだ――何か困ったことでも?』

 

 その声を前に聞いたのはいつだったか。

 2人は家にいても、顔を合わせることすら少ない。

 必要事項さえ使用人を通すことが多かった2人。

 

 『秀知院学園、生徒会室へ来てくださいませんか』

 『――どうして。そこへ』

 『お話したいことがあります――どうしても』

 

 『サチは、お父様に言わなければいけないことがあります』

 

 千花が聞いたその声は、

 今までで一番力のこもったもので。

 

 『…分かった。少し待てるか』

 『いつまででも、待っています』

 

 電話を切って、千花と幸は再び目を合わせて、頷きあった。

 

 「サチちゃん、大丈夫?」

 「大丈夫じゃない、です」

 

 言葉通りに少し顔色の優れない幸。

 しかしその言葉を聞いて千花は笑った。

 

 「――サチちゃん。素直になりましたね」

 「もう師匠に、嘘はつきません」

 「お父様にもその調子ですよ」

 

 それから太陽は段々と低くなっていくなか、

 2人は語り合い続けたのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 初花司が秀知院学園に訪れたのは4か月振りのことであった。

 以前来たのは自らを育ててくれたこの学び舎に、息子を入学させるためだ。

 

 学力に問題はなかったものの、時期に問題はあった。

 紆余曲折を経て無理やりねじ込んだのだ。

 

 しかしこんなにも早くもう一度赴くことになるとは考えていなかった。

 

 そして、思い出の生徒会室へ。

 二十数年前と場所は変わっていない。

 

 事務室で保護者の名札を受け取り、足早に向かう。

 

 彼にとって、最愛の息子の珍しいお願いであったのだ。

 

 扉が、見慣れた扉が見えてきた。昔から何も変わっていなかった。

 いや、多少はボロくなったのは当たり前であったが。

 

 扉の前には一人の女子生徒がいた。

 

 「サチちゃんのお父様です、よね」

 

 確信めいた声色をして、その女子生徒は問いかけた。

 

 「あぁ、君は。幸の友達かな?」

 「――私は、サチちゃんの師匠です」

 

 師匠。それは司にとって懐かしい響きであった。

 いつか彼の妻が息子に教え込んでいた。彼自身も師匠と呼ばれたものだ。

 

 「そうか。君が――ありがとう。幸は君のおかげで昔のように、可愛くなっている」

 

 使用人たちから息子の近況を聞くたびに、司は嬉しかった。

 あの事故があって、前の学校で嫌な思いをして、ずっとふさぎ込んでいた息子が明るさを取り戻しつつあったからだ。

 その話の中に出てきた息子の「友達」が彼女のことだったのだろうと察して感謝を伝えた。

 

 司の言葉を聞いて、女子生徒は――千花は微笑んだ。

 

 「実は私、不安だったんです。サチちゃんに色々勝手なこと言って、今日ここまで連れてきちゃったんです。でもお父様のその様子を見て安心しました」

 「どういうことだい?」

 「あとは――サチちゃんから聞いてください。きっとこの先は」

 

 千花は扉を開いて、静かに宣言したのだ。

 

 「ハッピーエンド――いいえ。ハッピーリスタート、ですよ」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 大きな窓を背にして幸は立っていた。

 

 司の脳裏に浮かんだのは、あの日の情景だ。

 彼と妻が結ばれた、あの日の。

 

 キャンプファイヤーの音も、賑やかな声も聞こえないけれど。

 

 

 彼と妻の間に天から贈られた宝物は、

 夕焼けに照らされて、

 本当に美しく育っていた。

 

 「幸。着いたが――」

 

 目と目があって息をのんだ。

 

 あの日の、桜が乗り移ったかのような強い瞳に、視線を奪われる。

 

 「お父様。伝えたいことがあります――聞いてくださいますか」

 「――わかった」

 

 ここ数年まともに目を合わせて来なかった。

 遠巻きに見て、人づてに聞いてきた、改めて見た息子は。

 彼の妻に本当にそっくりで、でもその瞳は、彼自身にそっくりだった。

 

 「――サチは」

 『――私』

 

 あの日の妻と姿が重なって。

 

 「お父様とお母様の子として生まれて幸せなのです」

 『私、私!!!』

 

 重ならないで。

 

 「お父様、大好きです。愛しています」

 『司。あなたを、愛してる。家柄も、何もかも釣り合ってないけど、待っていて、欲しい!!絶対にあなたの横に立て――』

 

 桜と重なり。

 

 「もう、待てません」

 『無理だ、桜。俺は、待てない』

 

 「今度はサチが、お父様を幸せにするのです」

 『俺が――お前を幸せにする』

 

 司と重なり。

 

 「したいのです」

 「聞かせてくださいお父様――気持ちを。サチは、このままでは嫌です」

 

 ――あの日の残響を超えて。届くのだ。

 

 「やり直したいのです。親子を」

 「お父様は嫌ですか、もうサチのことなど、嫌いですか!!!」

 「それならそれで構わないです」

 「サチは、サチは――お父様にもう1度愛させてみせます」

 

 言い切って、言い切って。

 そして、静寂が訪れて。

 静かにそれは破られた。

 

 「俺のことを恨んでいないのか」

 

 「サチは、お父様を恨んだことなど生まれて一度もありません」 

 

 「あの日――新当主としてのお披露目に桜を連れ出したのは、俺だ。」

 「病室で目を覚ましたとき、泣きはらした幸を見てどれだけ後悔をしたか。幸を見るたびに後悔の念が湧いた。いつも仕事ばかりで放りだしておいて、肝心な時に俺は母親を奪ったんだ――だから、恨まれても仕方ないと思っていた。もう俺の顔など見たくもないかと」

 

 「お父様がサチを見てつらそうな顔をしているのは、お母様を思い出すからだと。だから顔を合わせないようにしたのです」

 「あの日――サチはお母様を引き止めるべきだったのです。ずっと後悔していました」

 「お父様も同じだったのですね――同じ後悔を抱えていたのですね」

 

 わずかなすれ違いから始まった勘違いは、年月を経る毎に深くなっていった。

 ――でもそれが埋まるのは一瞬のことだった。

 

 どちらともなく歩み寄って。

 親子は抱きしめ合った。それは4年振りの抱擁だった。

 

 「生まれてから、今もずっと俺たちの宝だ。嫌うことなど、あるものか」

 「サチは――サチでいていいのですね。お父様とお母様の子どもでいて」

 「当たり前だ。今まで悪かった。思い込みが激しいのは――本当に桜にそっくりだ。そして言葉足らずなのは――俺にそっくりだ」

 「じゃあサチは、サチの大好きなもので出来ているのですね」

 

 顔を見合わせて、笑いあった。

 

 凍った時間は溶けて――少年は、笑い方を、思い出した。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 ぱちぱちぱち、と拍手が響いた。

 

 「あ、師匠」

 「ごめんなさい。やっぱり不安で聞き耳を立ててました――もう心配はなさそうですね!!」

 

 ちょっと気まずそうに、しかし笑顔で千花は生徒会室へ入る。

 

 「すまないな。君にも――いや、『師匠』にも感謝しなければな。ありがとう」

 「サチちゃんのお父様にもそう言われるのはさすがに恥ずかしいですよ…」

 「師匠が後押ししてくれたんですよ、お父様」

 

 すっかり、外は暗くなっていた。

 

 「お礼は後日改めてしよう――さて、もう遅い。『師匠』ももちろん家まで送っていこう。話の続きは車でしようか」

 「はいっお父様!!」

 「もー!!私は藤原千花です!!」

 

 廊下へと足を踏み出した司であったが、それを聞いて一度止まる。

 

 「藤原…?もしかして君の父上は」

 「藤原大地といいますが、お父様を知っているんですか?」

 「もちろんだ。仕事を共にすることも多くて――それはちょうどいい」

 

 司は、いい笑顔を浮かべて、千花に提案をした。

 

 「初花はそれなりの家だ。だが妻は天涯孤独の身でな。だから俺と妻が付き合う時は色々と面倒ごとがあって――さすがにあの面倒は子どもに経験して欲しくはない。本当に面倒だったんだ。つまりだ――いつでも、結婚していいぞ。千花さんならどこからも面倒な批判はでないだろう」

 「へ?」

 「お父様!!!」

 「はははっ。それはまだ早いか。君になら俺も妻も安心して幸を任せることができそうだ――だが俺と妻は、俺が18になった日に結婚したからな。学生結婚ってやつだ」

 

 思わぬところで四宮の調査に「如月」がひっかからなかった事実が明らかになる。

 卒業時にはもう、「如月」は「初花」になっていたのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 

 帰りの車の中では思い出話に花が咲いた。

 司とて秀知院学園のOBなのだ。当時の学校の話はいくらでも出来た。

 彼自身の話、妻の話、そして2人の出会いの話。

 

 やがて、千花の家の前に着く。

 

 千花の家の前で二人は、別れの挨拶をする。

 明日からは夏休みだ。なかなか会う機会はないだろう。

 そのはずだった。

 

 

 「師匠、今日はありがとうございました。色々ありすぎて、実感はまだないけれど――僕は幸せです」

 

 今までなら見られなかった柔らかな表情で幸は告げる。

 

 「ふふっ。サチちゃんは成長しましたね。それじゃあもう師匠は解任ですか」

 

 幸の隠された最終目標は、父親との和解だったのだ。

 その目的を達した今、この師弟関係に意味はなくなってしまった。

 

 「そうですね――でも僕、他にも教えて欲しいことができたんです」

 「ほーほー!それじゃあ元師匠に聞かせてみなさい!元弟子よ」

 「言ったらまた師匠になってくれますか?」

 「私が教えられることならもちろんですよ!」

 

 「じゃあ。教えて欲しいのは――」

 

 いつもの調子で話を聞くために千花は前のめりになって、顔を近づける。

 いつもの調子ではないのは幸だ。

 

 両手で包むように、千花の頭を支えて。

 

 

 

 ――その頬に口づけた。

 

 

 

 「――好きな人の、振り向かせ方、です」

 「初めて会ったとき、笑顔に憧れました。こんな風に笑いたい、と」

 

 「へ、へ?サチちゃん?」

 

 「今はその笑顔に恋をしています。隣でずっと笑っていて欲しいです」

 「大好きです。大好きなんです」

 「チカ先輩に――愛されたいです。だから――ご教授、お願いしますね?」

 

 告白と共に、幸は。

 千花が今まで見た中で一番。

 柔らかく、綺麗に、美しく、そして可愛く(わら)った。

 

 今度は、片方が教え、片方が教わる一方的な関係ではない。

 お互いに教え合う、師弟関係。

 だって、2人とも恋愛経験は無なのだ。

 

 そして師匠と弟子なんて、名ばかりの。

 これは戦いだ。惚れさせる側と、惚れさせられる側の戦いだ。

 

 ――そう。これは。

     『恋愛師弟戦』である――

 

 「し、ししょうに、どーんと。ま、まかせていいですよ!!」

 

 真っ赤な顔で放たれたその言葉は。

 その宣言は、敗北宣言と同義ではあるけれど。

 

 「告白は――奉心祭で改めてしたいです」

 

 「…一緒に。シチュエーション、考えましょうね」

 

 「はいっ!師匠!」

 

 

 ――初めて会った日の笑顔に惹かれたというのが、幸なら。

 ――初めて会った日の微笑に惹かれたのが、千花である。

 

 戦の行き着く先は決まっているけれど。

 ここに戦は開戦したのだ。




ある意味ここで一区切りです。(完結じゃないです!!)
一旦、ここまで読んでくださった皆さんありがとうございます。
たくさんの方に読んでもらえてとても嬉しいです。

ここまでの約3万文字は、長々と
オリ主(とその周りの関係)の紹介をしてきた感じになりました。

これから原作のエピソードに幸ちゃんを絡ませていく予定となります。

土日の更新はできないので、
来週の平日、どこかから更新することになると思います。
その時、また読んでくださったら嬉しいです!

まとめとして↓にここまでのオリ主紹介。

初花 幸(ハツハナ サチ)
性別:男性
部活動:未加入
誕生日:???
血液型:A型
身体的特徴:クール系お姫様→???
家族構成:父・(母)

どこかの国のクォーター(恐らく)。
強かな母と実直な父に愛をこれでもかと注がれて育てられた。
見た目は母似だが、目だけは父似。

両親が事故に遭ってから、自分のせいで父がつらい思いをしていると思い込み、自分を隠すようになった。
高校に入り、「このままではダメ」という思いが零れ、千花に弟子入り。
その結果、無事に仲直り?に成功。

本来の性格を抑えていた部分があり、
本来は周りの全てを愛するようなお姫様系お姫様。愛され上手。
これからきっと少しずつ元の性格が戻ってくる…はず。

かぐやと同じで、「本物の愛」だとか言うのに抵抗がないのに加えて、
人に「大好き」とか「愛してる」とか言うのに微塵も抵抗がない。

圧倒的な才女であった母と、努力上手の父のそれぞれ良いところを引き継いだ。
結果色々と能力が高いが、その設定が活かされる日が来るかは謎。


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夏休み
【8】四宮かぐや と 恋バナ


 秀知院学園は夏休みに入った。

 

 この夏休み、生徒会メンバーはそれぞれの形で夏を満喫していたのだ。ただまあ、心から満喫出来ているかは、謎ではあったが。

 

 さて、そんな中、子どもの頃から世話をしてくれている使用人兼運転手と、仲直りしたばかりの父親の目の前で盛大に愛の告白をした初花幸少年の話である。

 

 そんな彼は、意中の少女と仲を深めるために、夏を共に過ごして――おらず。別の先輩の家でもてなされていた。

 

 

 

 「それでは始めましょうか。如月さん――いえ、初花さん」

 「そう呼んでくださるとうれしいです。学園の方にも、これからは初花と名乗るように連絡しましたので」

 

 今まで直系の後継者がいなかった初花家。

 そこに稲妻のごとく、一瞬にして現れた、直系の後継者。

 

 そう――初花幸は初花家次期当主として鮮烈なデビューを果たしていたのだ。

 

 「ふふっ。あなたの登場で四宮の本家はとても荒れていますよ。いい気味です。あなたのお父様もなかなか人が悪いのね」

 

 直系の相応しい後継者がいない場合、近い血の者から優秀な者を養子にして後継者とする、そもそも統括する家を変えてしまうなど様々な策がとられる。だが、何にせよある程度の争いは避けられないのだ。

 初花の力は今、最盛期である。先代当主が総理を務め、現当主はここ数百年で最も優秀と言われ、その影響力を日々増しているのだ。

 

 だからこそ、後継者問題というのは絶好の付け入るチャンスであった。他の四大財閥――特に四宮家にとって、自らの力を増す絶好のチャンス、そのはずだった。

 

 「初花家の後継者問題は火種を抱えている『ように見えた』。しかし、あなたの登場と同時に、傍系の家全てがその次期当主の座を即座に承認――ぐらついて見えていたのは外見だけ、とんだピエロだわ」

 「初花家におけるお父様の影響力は絶大です。身寄りのなかったお母様との婚約をそのままで成就させるぐらいですから」

 「そうね――あなたのお母様はどこの養子にもならずにそのまま嫁いだ。情熱的ですこと――それはもう羨ましいぐらいに」

 

 いわゆる「上流」と「普通」の人が結婚する場合、ある程度名のある家に養子で迎え入れてから、結婚をするのだ。家柄ロンダリングとでも呼ぶべきか。

 しかし初花司はそんな慣例すら破り、全ての文句を黙らせて、そのままの「如月桜」と結婚をしたのだ。大層情熱的な話である。

 

 「そんな優秀なお父様に次期当主と推される初花幸さんはどんな爪を隠しているのかしら」

 「僕はまだ雛鳥ですよ――爪なんて生えそろっていない程の」

 「そんな軽いものではないことぐらい、お互い痛いほど理解しているはずですけれど――四大『財閥』次期当主の座は」

 

 ピリピリとした空気が流れる。

 まるで一触即発の会話に聞こえたそれであったが。

 

 

 幸はにっこりと笑顔を浮かべ。

 近くに控えていた早坂は耐えられず吹き出した。

 

 「ふふっ、四宮先輩。どーん」

 

 「ええええー!何なの私のワード!何よ『財閥』って!初花さんも同じじゃない!ねえ早坂!!」

 「二人とも同じワードというのも趣深いかと思いまして」

 

 いつか生徒会で行ったNGワードゲームを行っていた。NGワードを考えたのは早坂であり、2人両方に『財閥』の紙を持たせて戦わせていたのだった。

 

 「どうりで話題に付き合ってくれると思った…私、このゲーム弱いのかしら」

 「かぐや様は変なところで素直すぎるところがありますので」

 

 なぜこんなことになったのか。

 そもそもの始まりは幸が生徒会メンバーの家を訪れて「心配かけてごめんなさい」をしていたからだった。まずは白銀の家、次に石上の家、そして最後にかぐやの家を訪れた。

 そして夏休み暇すぎて暇すぎて、あまりに暇を持て余したかぐやが暇つぶしとして幸に1学期の生徒会の思い出を語り始めたのだ。

 

 『藤原さんにこのゲームで負けたのが未だに納得できません』

 『負けたんですか?確かにチカ先輩はこういうゲーム得意ですよね』

 『…いつから名前で呼ぶように?師匠はどこへ?』

 『ヒミツです。師匠は師匠ですよ?』

 『――勝負をしましょう。私が勝ったら全て吐いて頂きます』

 『――受けて立ちます。お母様とお父様をあらゆる遊びで叩きのめしてきた僕は強いですよ』

 

 そんな会話があってから、このゲームは始まったのだが。

 

 「僕が勝った時の条件がなかったですね」

 「…そうね。何が欲しいの?兄の弱みとかかしら?」

 「財閥の話からはもう離れていいんですよ」

 「どーん…どーん…」

 

 目を濁らせながらかぐやは呟く。

 師弟に揃って負けたせいで彼女の自信は崩壊していた。

 

 「初花様の女性関係の話を求めたのですから、かぐや様の男性関係の話をするのが釣り合いがとれて丁度いいかと」

 「早坂!?」

 

 早坂は疲れていた。夏休みに入ってから毎日のように会長からの連絡を待ち、自分から行動をしない主の愚痴を聞くのに疲れていたのだ。

 だからちょっとその役目を後輩に押し付けてやろう、ぐらいの気持ちであった。

 

 「白銀先輩の話ですか。いいですね。それでは、いつ告白をするのですか?」

 「ちょっと初花さん?私の男性関係、それだけでなぜ会長になるのですか」

 「――好きですよね?」

 「そりゃあ会長のことは憎からず思っていますけど?仮に、仮にですよ。好きだったとして四宮の者が自分から告白など」

 「愛を伝えるのに、家柄が関係あるんですか?ロミオとジュリエットだって周りから認められなくても愛を伝えあってるんです――愛してると伝えることの、なんと尊いことでしょうか」

 

 早坂はびびった。

 この後輩のあまりの押しの強さにびびったのだ。ちょっとからかってやろう、ぐらいの気持ちのはずだったのに。

 

 「もーーー!!そんなこと言うんなら初花さんは告白出来るんですか?そうやって自分はできるよみたいな雰囲気だしておいていざ本番になったら出来ないんですよね!?ね!?大体あ、あい、愛してる…なんてよくそんな恥ずかし気もなく言えますね!!いっそ今から大好きな師匠に告白でもしてきてくださいよ!!!」

 

 夏の暑さと大好きな会長に会えない鬱憤のせいで、かぐやは頭がおかしくなっていた。

 いつもの10倍饒舌である。

 

 「告白――しましたよ」

 「はれぇ?」

 「は!?!?」

 

 思わず早坂も割り込んだ。彼女とて思春期真っただ中の高校生である。

 そんなコイバナは聞き逃せなかった。

 

 「じょ、冗談ですよね?ほら、師匠として大好き―とかそんな感じの」

 「いいえ」

 「なんかこう、秘密を伝える感じの告白とか」

 「いいえ」

 「――愛の告白?」

 「はい」

 

 かぐやは停止した。

 早坂の顔はなぜか真っ赤になった。

 

 「返事は、奉心祭で貰います」

 「ほんとう…なんですね」

 「はい。四宮先輩。――その件で僕は四宮先輩に感謝しているんです」

 

 

 『しかし嫌なところ、弱いところ。そんなものが多少あった程度で揺らぐもの、それは愛なのですか。違うでしょう?全てひっくるめて愛せるのが本物では?』

 『だからこそ――自分のダメなところを含めて、すべて愛させなさい』

 

 思い出される言葉――それはいつか、2人が生徒会室で語り合った時の言葉だ。

 

 「以前かけてくれた言葉が、お父様に向き合う時の、そしてチカ先輩に告白をする時の勇気になりました」

 「だから、恩返しをしたいのです」

 「――協力を、させてください」

 

 それは、とても真っ直ぐな言葉だった。

 言葉の裏の裏を読むかぐやにとって、眩しいほどの真心だった。

 

 「ねえ、初花さん」

 「はい。なんでしょうか?」

 「ちょっと…ちょっとよ?恋愛などは関係なくです…すこーしだけ素敵と思っている人から、良く思われたいのは普通よね?」

 

 早坂は目を見開いて、かぐやを見た。あの主が、多少ではあれ素直になるなど。

 そしてそれを聞いて、幸は微笑んだ。

 

 「もちろん。普通の気持ちです」

 「じゃあお願いするわ――どんな浴衣が好きか、聞いておいて欲しいの」

 「はい!お任せください!」

 

 





Q.なんで早坂は特に変装とかしていないの?

A.四大財閥同士はお互いがお互いに情報を探り合っているので、ハーサカ=早坂愛という情報を掴んでいて、掴まれている側もそれを承知しているので特に隠していない、という捏造設定だからです。



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【9】師弟 は 恋人 を 始める

 「ねえお母様、サチは一歩踏み出しました」

 「お父様に気持ちを伝えました」

 「好きな人に、気持ちを伝えました」

 「次は、お母様の番ですよ」

 「早く起きないと――お父様のこと、盗っちゃいますよ」

 

 少年がそこで笑顔を見せたのは、実に4年振りのことだった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 初花家、本家。

 

 夏休みも半分が以上が過ぎて、千花は日本へと戻ってきていた。

 しかし旅行を満喫した彼女には待ち受けている試練――宿題がある。

 

 秀知院学園にも教師による違いはあるものの夏の課題というものがそれなりに出される。

 夏休み初日から海外に飛び立っていた彼女にとって、それに取り組んでいる時間はなかった。

 

 師弟時代から毎日のように交わされる電話によって、それを幸に愚痴っていた彼女であったが、ここで幸から提案があったのだ。「一緒に宿題をやりませんか」と。もちろん彼女もそれを承諾。

 

 そして本日、初花家へと赴いたのだ。

 

 

 「――お久しぶりです。チカ先輩」

 「本当に久しぶりですね~~!サチちゃんは、その」

 

 門の前で彼女を出迎えたのは幸だった。

 約2週間振りに千花が見たその姿は、どこか蠱惑的だった。

 少し汗ばんで濡れた髪先が肌に張り付いて――にこりと笑った顔は少し火照っている。

 

 「かわいく、なりましたか?」

 

 彼女は表現しにくいそれを濁した。

 

 その返しとして幸は、千花の手を取って、指と指を絡める。

 

 「恋は人を綺麗にする――そう言いますから」

 

 そして言いながら千花に密着したのだ。

 

 

 そう、千花はやべー奴を目覚めさせていたのだ。

 

 そもそもこの初花幸という少年は、母親から受け継ぎ、洗練され、現実離れした天賦の容姿を持っている。

 そして持ち前の才能でその容姿の『魅せ方』を無意識に理解し。

 加えて、幼少の頃から強かな母によって『愛させ方』を教え込まれ。

 とどめに、持っている性格は父と同じく、『素直ちゃん』である。

 

 つまり、素で相手を堕とす行動を心の底からしまくれる天然物の夢魔(サキュバス)なのだ。

 

 今までは色々と押しとどめている中で、そんな一面も封印されていたのだが。

 そんな彼に心から欲しいと思える相手が出来たとき――どうなってしまうのか。

 それは多分、彼女だけが思い知ることになる。

 

 当然のように手を繋いだまま、屋敷の方へと歩き出す幸に、千花は顔を赤く染めたままついていくことしかできなかった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 そんな始まりはあったものの、基本的には2人共真面目で勤勉である。

 宿題自体はどんどん消化されていく。

 千花の海外旅行の話を中心に、どんな風に夏休みを過ごしてきたかをぽつぽつと話しながら、ノートを埋めていった。

 

 時間はあっという間に過ぎ、夕方にさしかかったころ。

 一段落がついた後の休憩タイムのことだった。

 

 「そういえば――四宮先輩の家にも一度お邪魔しました」

 「言ってましたね!!花火を楽しみにしてくれてたとか」

 

 ベッドでごろごろ、と全力でぐーたらしていた千花が体を起こす。

 

 「はい。みなさんに会いたいと言っていました」

 「楽しみです~生徒会の皆でお出かけは初めてなので!!…サチちゃんも来られたら良かったのに」

 「僕はアメリカで成功を祈っています」

 

 残念ながら夏祭りの日、幸は海外に行かなければいけない用事があった。

 何だかんだで忙しい夏を過ごしているのだ。

 

 「他にも色々と聞きましたよ。猫耳の話や、先輩カップルの話なんかも」

 「1学期も色々ありましたから…サチちゃんと会ったのも大分懐かしく感じますね~」

 「あ、タピオカミルクティーのお金、もらっていません」

 「そうでした!!」

 

 結局弟子入り料金として処理されたタピオカミルクティーだった。

 

 

 また少し時間が経って。

 

 「――サチちゃん?」

 

 雑談を積み重ねていると、幸が立ち上がる。

 そして千花の方へと歩みより、少し悪い笑みを浮かべた。

 

 「こんな話も聞いたんですよね」

 「ど、どんな話ですか?」

 

 千花は冷や汗を流した。彼女の弟子は、告白後からはちょっと予想できない行動をとるようになっていたからだ。

 更に、千花はベッドで大胆にだらだらしていたせいで逃げ場がないことを悟る。

 

 するりとベッドに乗り込んで、幸は千花に馬乗りになった。

 次いで逃がしませんとばかりに、両手で優しく両頬を包む。

 

 「ちょっと強引なぐらいが、好きって」

 

 千花はこの時ばかりは過去の軽率な自分をひっぱたきたくなった。

 でも、ちょっと、悪い気分ではない。

 

 

 そして顔と顔を近づけて、耳元でささやく。

 その声色は、艶やかで。的確に鼓膜を刺激した。

 

 「――ちかせんぱい、だいすき」

 

 頭全体に響いた言葉に、千花は耳まで真っ赤になる。

 言葉と一緒に吐き出された吐息が耳をくすぐる。

 そして、幸は目を細め、囁く。

 

 「昔、つまみぐいが好きで――とても、とてもおいしく感じて」

 「ちかせんぱいは、つまみぐい、ゆるしてくれますか?」

 

 まつ毛とまつ毛がくっつくぐらい近づいて、問いかける。

 疑問形で投げられたそれは、実質的に拒否権なんてなくて。

 拒否する気もなくて。

 

 「おいしく、食べてくれるなら、ゆるしますよ」

 

 千花は、目を閉じた。

 

 お互いの吐息が感じられて。

 

 高鳴った心臓の音さえ聞こえるぐらい、

 周囲が静かになった気がして。

 

 唇と唇を、触れ合わせたのだ。

 

 数舜触れた後に、唇を離して、

 閉じていた目を開いて、小さく笑い合う。

 

 そして今度は、どちらからともなく、唇を重ねた。

 

 指と指を絡めて、貪るように、味わうように、刻み込むように。

 

 「恋人でもないのに、悪い子になっちゃいましたね、私たち」

 「既成事実、です」

 「そんなのなくたって私は逃げませんよ――でも。なんで、奉心祭なんですか?」

 

 元々惹かれ合っていて、それをお互い心のどこかで気づいていた。だからこそ、奉心祭の予約だ。

 そして、意識をしてしまえば、恋の深みに嵌るのは一瞬だった。だからこそ、触れ合った。

 嵌ってしまえば、それが深くなるのも一瞬だ。だからこそ、口づけた。

 

 それでも奉心祭でちゃんと返事を聞きたいというのは幸のわがままであった。

 今になればこそ、千花はちょっと不満なのだ。

 ――今すぐにだって、恋人になりたい。

 

 ――好きな人の振り向かせ方を教えて欲しい。

 幸が言ったそれはつまり、あなたの理想に近づきたい。そういうことになるだろうが、千花は別にそのままの姿で十分と思っていた。

 目の前の少年が必死に変わりたいと願った姿を、そのひたむきな努力を、迷いを、愛しく思ったのだから。

 返事なんて、今すぐにだって出来るのだ。

 

 「奉心祭が来てほしくないんです」

 

 千花は?を浮かべる。

 告白の返事を聞きたくない、という意味ではないだろうというのは分かったのだが。

 自分が指定したその日が、嫌だというのは、よく分からなかった。

 

 「奉心祭の日は、一番嫌いな日なんです」

 「もしかして…」

 「はい。僕の誕生日です――だから、チカ先輩に一番幸せな日にして欲しいんです。だめ、ですか?」

 

 それはかわいいわがままだった。

 幸の誕生日、それは彼の両親が事故に遭った日であった。ここ数年の間、幸の心を、そして父の心を蝕んでいたものであり、それからというもの誕生日が嫌いだったのだ。

 

 「そんなの。だめなわけ、ないじゃないですか。でも、私にもっと良い考えがありますよ」

 

 それは千花の想いも、幸の願いも満たせるものだった。

 えっへん、と胸を張って千花は提案する。

 

 

 

 「その日に、私たち。――――しましょう」

 

 

 

 言い終わると同時に静寂が彼らを包んで。

 2人の目線が合わなくなる。幸が目を閉じたからだ。

 2人の会話がなくなる。幸が口を閉じたからだ。

 

 2人の距離がなくなる。千花が抱き寄せたからだ。

 

 「そのために、今日から」

 

 言葉をそこで一度区切り、千花は唇を奪う。

 自分からのキスは想像以上に恥ずかしくて、頭の奥が熱くなる。

 

 「お付き合いをしましょう。サチちゃん――私も、好き、ですよ」

 

 好きという言葉をちゃんと口にするのは、ここまで難しいことなのかと、千花は初めて知った。

 そして、それが伝わったときの、温かくなる心の感触も。

 

 ぽたり、ぽたり、と。涙が千花の頬に落ちてくる。

 崩れてしまった顔は、きっと今まで見た中で一番可愛くないものだ。

 でも、それでも、千花にとっては、一番魅力的なものだった。

 

 「うれしい、ですっ。チカせんぱい、大好き」

 

 でも更に、涙に彩られた、その笑顔は。

 初めて会った日の微笑みを霞ませるほどに、綺麗だったのだ。

 

 

 こうして、始まったばかりの恋愛師弟戦は、そのゴールを変えて、リスタートしたのだった。





ここ3話で2回も告白してるカップル。
一応、時間的には初回告白から1か月経ってます。


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9月
【10】生徒会 と 『神ってる』


 「――本日より改めまして」

 「初花幸として皆さんと学園生活を歩ませていただきます」

 「今までは家庭の都合により母の姓を名乗っておりました」

 「偽りの名で過ごす罪悪感の中、あまり素直に皆さんとお話できませんでした」

 「これからは、もっと仲良くなりたいです」

 「だから、これからもよろしくお願いしますね」

 

 初花幸は、天使のような微笑みとそれっぽい言葉で過去の自分を濁したのだった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 夏休みが終わり、また学校生活が始まった。

 生徒会の面々も通常業務へと戻り、時に真面目に仕事をして、時に遊んで過ごしていた。

 しかし、今日は様子がちょっと違うようだ。

 

 「ちゅーした!!ちゅーしましたよ!!これは神じゃないですか!?」

 「いやまだだ!!ちゅーくらい3回目のデートでするだろう!!!」

 

 幸が生徒会室へと向かう途中、千花と白銀による、小声だが迫真の叫び声が廊下に響いてくる。

 また愉快なことが生徒会室で起きているのだろうと当たりをつけ、少しだけ歩みを遅くして、聞き耳を立てる。

 

 「じゃあ何回目のデートでヤるんですか!!」

 「5回目だよ!!」

 

 石上の疑問に対する白銀の迫真の宣言と共に、廊下には何かが倒れる音が響く。いや、かぐやが現実を受け入れられず機能停止した音だった。

 

 そして生徒会室の扉が開き、女子生徒が出てくる。

 何やら話しているようではあったが、幸のところまで声は届いてこなかった。

 しょうがないので、今度は足早に近づいて、話しかける。

 

 「みなさん、お久しぶりです」

 「お、如月――いや、すまん。初花か。久しぶり」

 「おーう。さっき振り」

 「サチちゃん、お帰りなさい~!!」

 「あら…はつはなさん…幻影かしら…」

 

 生徒会の面々が思い思いの返事を返すが、残念ながら1人だけショックから立ち直れていない令嬢がいた。

 

 夏休みが終わり、学校が始まってから1週間近くが経過していたが、幸が登校をするのは初めてだった。

 サボりや風邪というわけではなく、どうしても外せない用事で海外にいたのが理由であり、前日に日本に帰ってきたばかりであった。授業を共に過ごした同じクラスの石上を除けば、千花も含めて会うのは約2週間振りのことである。

 

 「何のお話をしていたのですか?」

 

 ぴったり、と当然のように千花の隣に寄り添って幸は問いかける。

 

 「私たちが『神ってる』か気になってらっしゃったそうです」

 「神ってる?とはなんですか?」

 

 その問いに答えたのは渚だった。からかうように少し楽し気だ。

 白銀は、聞こえていたのか…と後悔する。さすがに声が大きかったようである。

 

 幸の更なる問いに、千花以外の皆が顔を合わせ、返答を悩む。

 初花家令息――その称号は四宮家令嬢を思いださせるのだ。

 性知識が致命的に欠落していたかぐやの例があるために何と表現するか迷いどころである。

 

 だからこそ、まず白銀はジャブを放った。

 

 「その、カップルが行う、『神聖な行い』を指しているんだ」

 

 ちょっと濁した言い方。これで察してくれれば幸はかぐや以上の性知識を有していることになる。

 また生徒会で性教育は嫌だ、と白銀は願いを込めて返答したのだ。

 

 

 しかし、全てをある意味で裏切って返ってきたのはド直球ストレートパンチである。

 

 

 「なるほど。セックスのことを表してるんですね」

 「恥ずかしげもなくにこやかに言うんじゃない!!」

 「何が恥ずかしいんですか?セックス、性交、性行為、愛の営み、Make love。どう表現しても――愛する人たちが行う『神聖な行い』ですよね」

 「その顔で連呼するな!!俺が恥ずいわ!!」

 

 天使のような微笑みで恋のABCのCを連呼するお姫様顔の幸に白銀は懇願した。

 他の面々も驚愕の表情と共に顔を赤く染める。

 

 「愛を確かめる行為の何がおかしいのですか?僕たちもその行いの末に生まれたのでは?」

 「ちょっと生々しい話にするのはやめろ!!」

 

 そう、初花幸は致命的にズレている。

 愛だとか恋だとかそういう内容について全肯定なのである。肯定ペンギンもびっくりの肯定具合である。

 それ故に羞恥心だとかそういうものは欠片も持ちあわせていないのだ。

 

 「うーん。やっぱり人のそういう話は気になってしまうものなのですか?」

 「まぁ。僕らも思春期な訳で。初花は気にならないのか?」

 

 野次馬精神ももちろんあるが、気になってしまうものは気になってしまうのが思春期の高校生なのである。

 石上の問いに、またまた、うーん、と人差し指をこめかみに当てて、首を傾げるあざとい仕草を天然でしながら幸は答える。

 

 「気になる気持ちは分かります。でも、愛の形も愛の営みも人それぞれだと思うんです。だからあんまり他の方を気にしすぎても…という気持ちもあります――ね。チ・カ・せ・ん・ぱ・い」

 「な、なんで私に振るんですかー!!」

 「とーっても気になっていたみたいなので―――ふふっ」

 

 少し細めた目は妖しく光っている。語尾はハートが付いていそうな程に甘ったるく。

 砂糖菓子よりも甘さを乗せた囁きに、その場の誰もが思った。

 

 煽情的(エロい)、と。

 

 (か、かかか会長。藤原先輩と初花って…え、なんか名前でも呼んでますし)

 (いや、俺は何も聞いてない!)

 (でも、あの雰囲気ただならぬものを感じますよ…神った!?神ったんですか!?そもそも付き合ってるんですか!?)

 (馬鹿なこと言うな!!あの2人に限って…。ないよな?)

 (僕は藤原先輩みたいなポンコツにも先を越されるんですか!?)

 (普通に失礼だぞ!!) 

 

 「もーサチちゃんは意地悪さんなんですから~」

 「愛ゆえ、です」

 

 千花は幸の髪を撫でながら言った。

 幸はその手を頬に移動させて、ぐりぐり、と頬を押し付ける。

 両者の表情は柔らかい――それは幸せピンク色空間だ。

 

 元々距離感の近い2人ではあった。ボディタッチもそんなに躊躇がない2人でもある。

 でも、これは、しかし。

 

 「2人とも。夏休みに何かあったか?」

 

 意を決して問いかけたのは白銀である。

 だがやはり直接的な問いとは離れた、遠回りのものだ。

 

 白銀と石上は夏休みの間に本人から「如月幸失踪事件」のある程度の顛末は聞いていた。

 何があったのか、何を悩んでいたのか。そして結果として家族と仲直りが出来たことも聞いていたのだ。以前よりも表情豊かに報告と謝罪をしてくれた幸に心が温かくなったのも良い思い出である。

 しかしそれ以来2人共幸とは顔を合わせていなかった。メールによるやり取りは多少あったものの、それらは当たり障りのない話題である。

 

 さらに花火の際などにも千花とは会っていたが、こんな状況になっているなど、全くもって想定外だ。

 いや、思い返せば。白銀は千花の口から出てくる言葉に幸関連のことが多かった気がしてきた。その時はぼんやりと仲いいんだなあぐらいにしか考えていなかったのだが。

 

 「――さあ。どうでしょう。でも、『仲良く』なりましたよ」

 

 からかうように、幸は楽しそうに言った。

 

 蠱惑的なその笑みは、小悪魔のようで。

 

 ここで生徒会の面々は、やべー奴が目覚めてしまったことを悟ったのだ。



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【11】師弟 と 生徒会選挙

 時は流れて。

 第67期生徒会はその仕事を終えて解散をした。そして新生徒会長を決める選挙への出馬期間が始まる、そんな時期であった。

 

 かぐやには選挙に関して大きな悩みがあった。

 それを解消するために呼び出したのは――藤原千花である。

 

 「かぐやさん!!なんだか久しぶりな感じがしますね~」

 「そうね。前までは毎日顔を合わせていたもの」

 「あ、隣座りますね」

 

 ここは中庭、そのベンチでかぐやは千花を待っていたのだ。

 ちなみに早坂は近くに隠れて待機をしている。

 

 「早速なのだけど――藤原さんに聞きたいことがあるんです」

 

 その話題の入りを聞いて千花の目は輝いた。

 こ、これは、もしや。

 

 「恋!?恋なんですかかぐやさん!?」

 「なんでそうなるの!!私はただ、初花さんについて聞こうと」

 「えーーー!かぐやさん、サチちゃんが好きなんですか!?とっちゃ嫌ですよ!!」

 「違うわ!落ち着きなさい!!」

 

 わーわーぎゃーぎゃーと騒ぎ倒す千花をなんとか落ち着かせるかぐや。

 2人して息を整えてから、もう1度振り出しに戻ったのだ。

 

 

 「それで、初花さんは会長に立候補するのかしら」

 

 まず、かぐやが聞かなければいけないのはそれだった。

 四宮家を含む、財閥関係者はここ秀知院学園において、経歴に箔をつける何かしらの活動をするのが慣例なのだ。

 かぐやのように生徒会に所属したり、部活連でそれなりの立場になったり、だがやはり1番多いのは会長になることである。特に、財閥の次期当主に確定しているような人材は会長として実績を積む場合が非常に多いのだ。

 

 「初花は、選挙の神とまで呼ばれている――そして、初花さんはその血を確実に色濃く受け継いでいるわ」

 

 白銀御行は1年間堅実に会長を務めあげた。正直、その人気はかなり高い。もちろん、副会長を務めたかぐやとて、その人気に一役かっている。

 だから、白銀がこのまま選挙に出馬し、特に問題のない選挙活動をすれば普通であれば勝てるのだ。

 

 一方で、彼を歓迎しない勢力がいるのもそれもまた事実である。

 特に家柄を重んじる、一部の純院の生徒たちにその傾向は大きい。

 

 そんな中で、沸き上がった新たな候補者。

 四宮と同格の家の嫡子。既に次期当主として名の上がった存在。

 

 もしも、初花幸が選挙への出馬を表明すれば、これは本物の戦いとなる。

 彼もまた混院の生徒ではある。しかしその出自はこの学校で頂点の1人なのだ。

 

 早坂を通じて学内の情報を仕入れているかぐやはよく理解している。

 夏休みが終わり、幸が登校を再開してからというものの、その名は学内に響きわたっている。

 そもそも夏休み中に次期当主となった時点で、それなりの家の者には伝わっていたのだ。この秀知院学園において、そのような情報の伝播はとても速い。

 そして彼自身の変化。雰囲気も表情も柔らかくなり、そもそも性格は元から非常に温厚で理知的である。

 会長に推す声が大きくなるのは必然だった。

 

 「私は――サチちゃんの意思を尊重したいです。もちろん、みゆき君にも頑張ってもらいたいです。かぐやさんがみゆき君の応援をしてるのも分かっています」

 「それでも、あくまでも初花さんの味方をすると?」

 「もしサチちゃんが出馬をするなら、私はその応援演説だって務めます。それぐらいの気持ちはあります」

 「そこまで、なのね」

 

 かぐやは藤原千花という少女のことをよく理解していた。

 普段はおちゃらけていて頭の中空っぽで本能で行動している部分は目立つが、その意思は強く、狡猾な部分があることも――いつからか初花幸という少年を見る目に強い感情が宿ったことも。

 

 幸自身からかぐやは「千花に告白をした」という話も「返事は奉心祭」という話も聞いていた。

 しかし、それからの彼らの様子を観察するに、それだけではないのだ。

 もっと強い「ナニカ」が彼らにはある。

 

 だって、かぐやが知っている藤原千花という少女は、日常を愛している。

 彼女の愛する日常の1つにあの生徒会での日々もあったはずだ。しかし、それを元通りにできるチャンスさえ投げうって、敵対するというのだから、その意思は非常に強く、固い。

 

 「ねえかぐやさん。私――この想いだけは譲れません」

 「大好きな人を支えたいと思うのは、正しいですよね」

 

 微笑んだ、愛に溢れた、千花の姿は眩しかった。

 いつまでも素直になれずに、ずっとずっと想いを秘めたまま、何一つ、心の底からあふれ出るその感情を、吐き出せない彼女にとって、眩しすぎたのだ。

 

 愛を以て事を為せ。

 それは初花の家訓の一つ、多くの者が知るところであり、四宮の正反対にあるような言葉である。もちろん、四宮の人間はその教えを散々扱き下ろしてきたのだが。

 

 そう、その姿はまるで、そんな初花のような姿で。

 

 そしてかぐやは冷静になって気づいたのだ。 

 

 「え、藤原さん。今好きって…?え、あなたたち――そういうこと?」

 

 告白をして、その返事は奉心祭にもらう。

 それだけ聞いた周りの人、つまりかぐやはどう思うか、それはもちろん。

 

 『あ、藤原さんったら返事を保留したのね。なかなか罪な女ね』である。

 

 2人の距離が近いのは、ある意味で『お試し』みたいなものだと考えていたのだ。早坂がいつか使った『彼女1割友達9割って関係』という事前知識のせいである。

 だからこそかぐやの気持ちとしては。

 

 『あなたたちがその調子で上手くやって、奉心祭で一歩進んでくれたら、私だって会長と…!!』である。

 

 そう思ってなければこんな風な相談は持ち掛けない。

 さすがに付き合ってたら味方するだろ、とかぐやだって至極当然にそう思うのだ。

 

 「あ、はい。サチちゃんとは恋人、ですよ?」

 

 てれてれ、と赤くなりながらも言い放った目の前の女にかぐやは殺意が湧いた。

 

 (また藤原さんは私が欲しいものを先に…そういう遺伝子なのね。性欲に塗れた小娘が)

 

 「私は奉心祭で、とうかがっていたのですが?」

 

 必死に殺意を抑えながらかぐやは冷静に尋ねた。

 

 「その予定だったんですけど…我慢できなくなっちゃって」

 

 てへぺろ、といった感じで言う目の前のアバズレにかぐやの殺意は3倍に膨れ上がった。

 

 (我慢できないですって?はっ。所詮性欲でしか生きてないのね。その身体が全て表してるわ。汚らわしい)

 

 「えへへ~~ずっと言いたかったんですよね~~。でもあんまり言うと家的にだめかな~って。サチちゃんのお父様は構わないって言ってくれてるんですけど。でもかぐやさんだけなら良いかな~と」

 

 (親公認ですって!?この雌猫どこまで進んでるというの!?)

 

 心の中で散々な罵倒をしながらかぐやはにこやかに頷き続ける。

 

 「そうね。まずは、おめでとう、と言っておきますね」

 「ぐへへ~ありがとうざいます~~」

 

 ふにゃっふにゃの笑顔をしながら千花は言った。

 かぐやは、心の中で鬼の形相をした。

 

 「でも、そういうことなら初花さんに直接聞いた方が良さそうね」

 「あ、サチちゃんならみゆき君のところに行くって言ってました!」

 「え、会長のところへ?」

 「そうです!れっつごー!ですよ!」

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 白銀のクラスに2人が着くと、白銀の周りには既に2人の男子生徒がいた。

 1人は石上、もう1人は幸である。なぜか生徒会メンバー+αが揃ってしまったのだ。

 

 「四宮?珍しいなこっちのクラスに来るなんて」

 

 放課後であり、クラスには他の生徒たちは既にいない。

 いつもならかぐやは真っ直ぐに家へと戻り、四宮家令嬢として務めを果たすので、珍しい状況であった。

 

 「ちょっと初花さんに用事がありまして」

 「僕ですか?」

 

 当然のように椅子を持ってきて幸の隣に座った千花を見て、心の中の鬼をなだめながらかぐやは言った。

 

 「はい。生徒会長に立候補するのか聞いておこうと思いまして」

 「あぁその話ですか」

 

 聞かれても特に驚きを見せない様子から、今まで色々な人から聞かれてきたであろうことが予想できる。

 初花家のことを考えれば出馬するのは当然の流れであるからこそ、正直かぐやの気は重かった。

 

 「立候補しませんよ」

 「え?しないんですか?」

 

 かぐやの予想は完璧に裏切られた形となった。

 心の中の鬼かぐやさえもガッツポーズを決めた。

 

 「初花として、出馬をするのが当然の流れと思っていたのですが」

 「最近お父様が過保護なんですよね。帰るのが遅くなると悲しそうにするので選挙活動は避けたいんです」

 「…え?そんな理由ですか?初花家としてもっとこう箔をつけるために…とかはないんですか?」

 「ないですね。お父様も僕の好きに過ごしていいと言っているので」

 

 最近息子と仲直りしたばかりの幸の父親、初花司はその喜びから圧倒的過保護、圧倒的親バカである。まるで小学生の娘に接するかのような過保護っぷり。

 ちょっと帰りが遅くなるだけで使用人にその所在地を尋ね、迎えを出させるのだ。

 更に、今までは気まずさから家にあまり帰ってこなかったくせに、最近では毎日夜ご飯を共に食べるためだけに帰ってきてまた仕事に向かう親バカっぷりだ。

 

 「そういえば、お父様が皆さんに会いたいとも言っていたんですよね。どこかしらでうちでご飯でもいかがですか?」

 「僕、同級生の家に呼ばれたの初めてかもしれません」

 「石上お前…」

 「ぜひ、お邪魔したいですね」

 「はいはーい!私も!」

 

 (会長とご飯っ!!藤原さん、あなたの恋人に免じて許してあげるわ!!)

 

 別に特別怒られるようなことも許されるようなこともしていない千花は、勝手に怒られて勝手に許されていたのだった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 初花家、送迎車。

 

 最近では千花は登下校ともに、初花家の車にお世話になることが多かった。

 もちろん、共に過ごす時間を確保するためである。

 

 「サチちゃんは、優しいですね」

 

 突然投げられた不完全な言葉ではあるが、幸にその意味は完全に伝わった。

 

 「本当に、良かったんですか?」

 

 千花は知っていたのだ――幸が生徒会長に立候補しようとしていたことを。

 偶然知った、とかではない。幸から直接相談をされたことである。そして彼女はその時にも、立候補したら、応援演説をする、と宣言していたのだ。

 

 幸の一番の憧れの対象は彼の母親である。

 『如月桜』は外部入学であり、主席入学を果たした後、そのまま学業では学内1位、そして全国1位を守り続けた。スポーツであれ芸術であれ、人並み以上の才覚を示し、もちろん生徒会長という形で輝き続けた。

 だから、幸が生徒会長を目指すのは当然の流れであった。

 

 「僕は、お母様のようになりたいです。でも――お母様と全く同じ人生を歩かなくてもいいんです。自分のために周りの人を蹴落とし、悲しませたらお母様にもお父様にも、そしてチカ先輩にも合わせる顔がないんです」

 「ほんっと…かわいいですよ、サチちゃんは」

 

 千花は優しくその髪を撫でた。サラサラと、指を通して、何度も何度も。

 

 「でも、かぐやさんが言っていましたけど、『箔』はいいんですか?」

 「それは大丈夫です。そもそも四宮先輩が言う『箔』が無かったら僕は次期当主として承認されていません――チカ先輩も知っている通りです」

 「確かに、そうでしたね」

 

 車内には静寂が。

 千花は知っている。目の前の少年が、どれほど両親に憧れ、愛しているかを。その後ろ姿を追うことが彼の1つの在り方であることも。大きな迷いと共に、今回の決断をしたことも。

 

 「――私は、ずっと隣にいますからね」

 

 例え、それが皆に喜ばれる選択じゃなかったとして。あなたが選んだものなのであれば。

 

 「――だいすき」

 

 それは、どっちの言葉であったのか。

 きっと、どっちの言葉でもあったのだ。



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【12】四宮かぐや と 『本物の愛』

 ある日。中庭に声が響いた。

 

 「そんなの簡単ですよ~」

 「本物の愛ってのは美女と野獣みたいに外見に捕らわれない愛の形です!」

 「相手の姿が変わった位で冷めちゃう愛なんて最低!」

 「偽物ですよ!」

 

 秀知院学園高等部2年生、その中でもトップクラスの珍妙生物、藤原千花のありがたいお言葉である。

 そんなありがたい言葉を聞いて、柏木は己の不運を呪った。

 かぐやから珍妙な相談を受けている時に、珍妙生物に見つかるなど…。

 

 絶妙なタイミングでかぐやにクリーンヒットする言葉を吐いた千花はそんな事は露知らず、ニコニコと返答を待っている。

 

 「藤原さん…あなたが、あなたがそれを言うの」

 「どうしてですか?」

 「あなたの…あなたの恋人の顔を見てみなさい!!!」

 

 (恋人って言っちゃったー!!!!!)

 柏木は絶望する。

 

 こんな珍妙生物にも、公然の秘密というものがある。それは後輩の男子を誑かしている、というものである。

 もちろんこの話は柏木も知るところであり、むしろ2年生の大半は知っている。

 

 「メンクイの極みみたいな趣味してよくそんなことが言えたものね」

 「別に私はサチちゃんの顔が何でもいいですもーん」

 「そんなの信じられるわけないでしょう!!」

 

 (サチって名前だしちゃったー!!!!!)

 柏木は絶望する。

 

 柏木は早い時期から――そう、あの『神ってる』騒動のときから、目の前の珍妙生物に恋人がいるのでは、と察していた。

 そしてその恋人は学内で圧倒的なほど、可愛い、いや、美しい少年である。

 2人がお互いに向ける視線、そこに特別な色があることを柏木は敏感に感じとっていた。

 

 それに気づいたとき柏木は思ったのだ!!!

 

 (あら?あらあら?あらあらあら~~!!)

 

 この「あら」に込められた感情は様々である。

 

 柏木から見てもちょっと頭のおかしいこの藤原千花という少女でさえ、この秀知院学園に通う生徒。世間から見れば相当なお嬢様であり政治家の家系の娘、その家柄は上級である。

 そしてその相手である初花幸という少年。こちらに関してはもはや学園の中に知らない者はいないのだ。現総理の孫であり、あの四大財閥初花家の跡継ぎ。柏木でさえ、それを知った時、震えたほどの家柄である。

 

 この2人のラブロマンスがあるとするのなら、それはもう学内だけの問題では収まらないほどのものである。若者の火遊び、では済まないレベルの大恋愛なのだ。

 

 だから、柏木は2人の恋に気づいた時、それを絶対に口外しないように強く決意した。柏木は非常に理知的で、冷静だった。

 

 しかし、当の2人と言ったらその心遣いを裏切り続けたのだ。

 そこらへんのデートスポットに行けばよくいるし、学内で手を繋いでいるし、同じ車で登下校してくるし。

 

 故に「公然の秘密」なのである。

 ちょっと家柄的に怖すぎて触れられない恋愛なのである。みんな「付き合ってんだろーな」とは思ってるけど、巻き込まれたら社会的に消される恐れがあるから何も言えないのだ。

 

 「ちょっとお二人とも、声が大きいのでは…」

 「だってー!!かぐやさんがー!!」

 「メンクイのくせにそんなこというからでしょう!!」

 「あの、あんまり大きな声で藤原さんの恋愛のことを言うのはよろしくないのでは…」

 

 意を決して、ついに藤原千花の深奥に柏木は踏み込んだ。

 

 「えーなんでですかー?私、もう隠してないので大丈夫ですよ」

 「えっ!隠さなくていいんですか?」

 「もちろんです!!お父様にも許してもらいましたし」

 「そ、そうなんですか」

 

 (だからー!!!なんでそんな大事なことをさらっと言うんですかー!!かぐやさんが死んじゃいそうになってるじゃないですかー!!)

 柏木は絶望する。

 

 しかも家公認の恋愛になったら、それはそれで大問題なんだよ、と柏木は叫びたかった。

 誰かこのお騒がせ者を 引き取ってー!!と彼女が思ったところで。

 

 

 

 「あの…どうしましたか?」

 

 (タイミングー!!!!)

 柏木は絶望する。

 

 そこに現れたのは話題の人、初花幸だった。

 陽の光に当てられて輝く金髪が眩しい。2年生の間では学力の偏差値だけではなく顔面偏差値も77と名高い後輩である。

 

 「聞いてくださいよサチちゃん。柏木さんが『本物の愛』が何か知りたいんですって!」

 

 (くうぅーーーー!!!!!)

 柏木は絶望する。

 

 「柏木先輩が、ですか?」

 「はい、そうです!」

 

 幸は、柏木とかぐやの間で視線を何往復かさせて、頷いた。

 

 「チカ先輩はなんと答えたんですか?」

 「もちろん!外見に囚われない愛ですよね!!サチちゃんもそう思いませんか?」

 

 (繰り返さないでーーーー!!!!)

 柏木は絶望する。かぐやはもっと絶望した。

 

 その問いに少し幸は悩む素振りを見せてから、口を開く。

 

 「僕はチカ先輩の外見も好きですよ――だからそれが変わっちゃうのは、少し寂しいです」

 「ほ、ほんとですか?照れちゃいますよ」

 

 (んんぅーーーーー!?!?)

 柏木は絶望する。かぐやの目の前のいちゃつかないで欲しいのだ。

 

 「もちろん、変わってしまっても大好きですし、愛は変わりませんけどね」

 「サチちゃんー!私も好きですよ!!!」

 

 (やめてーーーー!!かぐやさんが死んじゃう!!)

 柏木は絶望する。かぐやは魂が抜けていた。

 

 「でも、1つ思うことがあって」

 「なんですか?」

 

 一呼吸おいてから、幸は話し始めた。

 少し変わった雰囲気に全員が耳を傾ける。

 

 「例えば――相手の外見が変わってしまって、それを何か違うなとか、好みじゃないなとか思ってしまったとして」

 

 かぐやは顔を上げた。

 それは、彼女にぴったり当てはまる状況だったからだ。

 

 「そんな自分の心に気づいて、私の愛は本物なのか、なんてとても悩む人がいたら」

 「きっと――その愛は本物だな、って思います」

 「だってその人のこと、心から好きじゃなかったら、いちいちそんなことで悩みませんから」

 

 微笑みと共にかけられた言葉は、かぐやの心を打ち抜いた。

 パァァとその顔が明るくなる。

 そして幸は意味ありげに柏木に微笑んだのだ。

 

 (絶対気づかれてるーーー!!!でもありがとうーーー!!!)

 

 「もー!!サチちゃんは優しいんですから~!」

 「チカ先輩に一番優しいですけどね。ほら、行きましょう」

 

 (でもかぐやさんの前でいちゃつかないでーーーー!!!)

 

 柏木の心は届かなかったけれど、かぐやは立ち直ったので一件落着である。



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10月
【13】前生徒会 と お食事会


 初花家での食事会は次の休日に早急に実行されることとなった。もちろんかぐやの強い要望によって、である。

 当初はお昼過ぎから集まって、ディナーを共にして解散、という予定だったのだが。

 

 「ヒ…ヒィ」

 

 初花家の門の前でとてつもなく情けない声を出したのは石上だった。

 

 「僕、忘れてました。初花が生粋の金持ちだってことを」

 「うちのアパートが何件入るのか考えたくもないな」

 「四宮の別邸と比べても数倍以上はありますね」

 

 ここは初花『本邸』または、『本家』である。

 四宮『別邸』と比べてもあり得ないスケールなのである。

 

 「ここでディナー??僕テーブルマナーとか知りませんけど??追い出されたりしません??」

 「お父様も僕も別にそういうのは気にしないので、大丈夫かと」

 「金持ちの気にしないってレベルと庶民の気にしないのレベルは絶対違うだろ!!」

 

 石上のネガティブスイッチが入ってしまった。

 ただ、白銀はそれに共感できる部分はあった。彼とて一般庶民、こんな家でディナーなど、困ったもので、今日はかぐやもいるので、格好悪いところは見せたくないのである。

 

 「うーん。じゃあ予定を変更しますか!」

 「へ?」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 初花家、中庭。

 季節の花を中心に、身近な花を使って彩られた庭園である。

 カジュアルな場として用いられることが多い、初花家の庭だ。

 

 「な、なんか。ごめんなさい…」

 

 そこでは急ピッチの作業でティータイムの用意がされている。

 ティーセット及び、お菓子を中心とした軽食が並べられていく。

 

 「大丈夫ですよ。僕も配慮が足りなかったです」

 「そうだな。相手に合わせて用意をするのは初歩中の初歩。まあ友人関係だから構わないが」

 

 そんな風に教えを息子に授けるのは、初花司、初花家現当主である。

 

 石上の悲しい心配からディナーを、アフタヌーンティーへと変更になったのだ。

 

 「私が幸の父の、初花司だ。名前だけは有名だが、そんなに恐縮はしないで欲しい…ここでは幸の父でしかないのだから」

 

 ビビりまくってる石上を主に見ながら司は言った。

 この人新聞の1面でよく見る…と微かな声で石上は呟いた。

 それを無視しながら各々が自己紹介をした。

 

 「君たちのお陰で、私はこうして息子と顔を合わせられてるんだ。感謝してもしきれないぐらいだ」

 「いえ、私たちはそこまで…」

 「一番の立役者がいないですね」

 「そういえば藤原先輩は…?」

 

 その心配に対して、初花親子は目を合わせて、幸はちょっと目をそらしながら言う。

 

 「チカ先輩は寝坊…?です」

 「藤原先輩さすがですね」

 

 ちょっと石上は元気になった。

 

 「また起こしてきますね。くつろいで待っていてください」

 

 言いながら、幸は屋敷の方へと歩いて行く。

 それを見送った後、口を開いたのは司だった。

 

 「君たちは皆生徒会だと聞いたのだが、どうだい?次の選挙も誰か出馬を?」

 「はい。立候補するつもりでいます」

 

 答えたのはもちろん白銀だ。

 

 「ほう。四宮家のご令嬢ではなく、君が。まるで私の時のようだ。面白い」

 「幸さんのお父様も学生時代生徒会に?」

 「そんな堅苦しい呼び方ではなく、司さん、とでも呼んでくれ。同じ学校のOBなのだから。私は1年の時の生徒会選挙に負けてね。2年連続で副会長だったよ」

 

 初花は選挙の神――それは白銀もかぐやも石上もよく聞く言葉だ。マスメディアが好んで使うからである。

 そんな彼でさえ、負けたことがあるのかと、皆驚く。

 

 「どんな方に負けたんですか?」

 「妻だよ。桜と言ってね。幸によく似ているんだ」

 

 そう言って司は胸元から家族写真を取り出した。いつも持ち歩いているのである。彼の宝物の1つだ。

 

 「本当にそっくりですね…」

 「瓜2つじゃないですか」

 「…幸せそうな写真、ですね」

 

 かぐやはこんな家族写真なんてとったことはない。共に写った写真は、無表情で固いもの。まるで証明写真だ。

 親子3人笑顔で写ったその写真は、とても眩しかった。

 

 「あぁ。だからこそ――私と幸が、疎遠になっていたここ数年は、本当につらかった。妻が起きるなんて奇跡を毎日願うほどにだ」

 「あの失礼ですが、奥様は亡くなったのでは?」

 「流石、四宮家の娘さんだ。いや――勘違いしないで欲しい。嫌味などではなく、純粋に感心したんだ。そんな昔の事故を覚えているなど」

 「最近、知る機会があったもので…」

 「確かにあの事故で、妻は死んだ、ことになっている。実際には生きているが意識が戻っていないんだが――初花家にとって弱みになり得るからこそこれには箝口令をしいている」

 

 それを聞いたかぐやの顔は、苦いものになった。

 

 「それを四宮の者である、私に伝えるのは」

 「確かにリスキーだろう。だがそれ以上に息子の、そして私自身の恩人には誠意を持って伝える必要があるとも考えているんだ。それが――初花だ。君もよく教えられただろう」

 「はい。愛も恩も、倍で返すものであると」

 「そしてそれが四宮家とは相いれないものであると、私とて重々承知している。だがこれが初花としての在り方だ」

 

 決して、四宮と初花は相いれない。それは昔から今に連なる1つの常識である。

 

 微妙な雰囲気が4人の中に流れた中。

 

 

 「あっ!みなさんごめんなさーーーーい!!!」

 

 

 屋敷の方から少女が走ってくる。

 それはもう全力疾走だ。

 

 「ついついうたた寝を…。食べてすぐに寝るなんてロカボガールの名が廃りますね!!あれ?何か元気ありませんか?食べましょうよ」

 「藤原先輩…なんでそっちから?」

 「昨日からお泊りしてたんですよー!!え?なんですかその顔。私、変なこと言いました?」

 「ほう…お泊り、ねえ」

 「かぐやさん、なんか怖いですよ?」

 

 この藤原千花、最近では週末毎に初花家に殴り込みをかけているのである。

 彼女の父は泣いている。

 

 「ふ、ふしだらですよ藤原先輩」

 「石上君。何想像したんですか?ぶん殴りますよ?」

 「無理もないだろう…言う方にも問題がある」

 「みゆき君までひどいです!!!」

 「汚らわしい…」

 「かぐやさん!?!?」

 

 やれやれ、と司は肩をすくめた。

 

 「そろそろ私は仕事に戻ろう。本当に君たちには感謝をしている。ぜひいつでも遊びにきてほしい――なんだったら私がテーブルマナーについて教えよう」

 「本当にお手数かけました!!」

 「全くもって構わないよ。ただまあそういった所作は妻や幸の方が得意だがね、本当に幸は私たちに憧れてマネをしてはすぐに追い越していくんだから――おっとすまない。余談だったね。うちの料理人たちが幸の友人たちのために気合を入れて作ったんだ――ぜひ堪能していって欲しい」

 

 そして、司が場から離れようとしたときに、ちょうど戻ってきたのが幸だ。

 

 「お父様?仕事ですか?」

 「あぁ。私がずっといては話にくいこともあるだろう。家にはいるから何かあったら呼ぶといい」

 

 そう言って、司は幸の髪を軽く撫でて、屋敷に戻ろうと歩みだす。

 それを止めたのは幸だ。

 

 「あ、お父様。今日はチカ先輩の家に行くので、夕食はそちらで頂きます」

 「は!?俺との夕食は!?」

 「残念ながらまた明日です」

 「俺も藤原の家に行くか…」

 「さすがにお父様同伴は恥ずかしいですよ。あとニュースになるのでやめてください」

 

 藤原父は娘を奪われた恨みに、よく息子を奪っていた。

 そんなやり取りに石上は呪詛を吐き出した。



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【14】白銀御行 と 初花幸 と 生徒会選挙

 生徒会選挙期間が始まった。

 立候補者は白銀を含めて3人。2年から2人、1年から1人だ。

 

 今日も今日とて、千花と白銀は教室で選挙対策を練っていた。

 

 「まずは私たちも公約を掲げましょう。ふわっとしていて、それっぽい言葉が入ってればいいです」

 「そんなもんでいいのか?」

 「公約なんて選挙が終わればみんな忘れますからね。後から突っ込まれても面倒ですし。ね、サチちゃん」

 「そうですね」

 「自由な校風を守るとでも書きましょうか。ね、サチちゃん」

 「そうですね」

 

 まあ政治家の家系が言うなら…と白銀は納得をする。

 ただそれとは関係ないのだが、白銀の心にひっかかっているものがある。

 そう、この「そうですね」ロボット初花幸の存在である。

 

 千花とセットでいるのはいつものことなので、いい。

 だが、この選挙対策の話になると、「そうですね」しか言わないのだ。

 最初は白銀とて、「もしかして嫉妬か…?」と、千花に手伝わせていることが不満なのかと思っていた。だが、そうではなさそうなのだ。選挙対策の場でなければいつも通りだし、白銀にだっていつも通り優しい。

 

 そして加えて変なのは千花もだった。

 いつもなら、幸が「そうですね」しか言わないとしたら、「なんですかサチちゃん私に興味ないんですか!?ちゃんと聞いてくださいよ!?!?」となるはずである。

 だが、選挙の話になると文句は全くでないのだ。

 

 白銀は困惑していた。

 まあ協力はしてくれているから何も文句は言えないのだが。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 数日後。

 

 「本郷さん、辞退しちゃったらしいですね~」

 「そうですね」

 「あぁ、勉学が理由だとか」

 「そっちの対策はしなくて済むのは楽になりましたね」

 「そうですね」

 

 相変わらず「そうですね」ロボット状態だった。

 もう白銀は気にしないことにした。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 数日後。

 

 「あぁ。今日に限って藤原はいないのか」

 

 その日は千花がいないのに、幸だけいるという珍しい状況だった。

 

 「そうですね。――チカ先輩が特別必要だったんですか?」

 「あぁ。討論の練習に付き合ってもらおうと思ってな」

 

 公約やら、立候補演説やらの準備は整っていた。だからこそ、あとは白銀は討論の練習をできるだけして本番を迎えれば良いという状態だった。

 しかし、こういう1人でできないものが残った時に限って千花は散歩当番だったのだ。

 幸に関しては「そうですね」ロボット状態であるから期待できない。

 

 「しょうがない。誰か適当に見繕うか…」

 「そういうことであれば、僕で良ければしますよ」

 「…いいのか?無理しなくても」

 「チカ先輩がいないのであればしょうがないので」

 

 正直言ってこの選挙期間の幸はよく分からなかったが、協力してくれると言うのだから白銀は歓迎だった。

 

 「伊井野の公約がそこにあるから、それを見ながらでいい。伊井野の役として討論して欲しい」

 「いつでもどうぞ」

 「いいのか…?」

 「はい」

 「じゃあ始めるが…」

 

 幸は資料に手を付けなかった。

 

 「そもそも坊主頭やら、男女の接近禁止とやらがあるがその目的はなんだ?」

 「はい。それはもちろん手段でしかありません。その真の目的は私たちの秀知院学園のモラルを回復すること――残念ながら秀知院学園のブランド力はゆるやかに下降しています。勉強は出来るが、常識のない生徒たち。そんな評価です。金持ち学校という印象もその一因となっています。私はそれを変えたいがためにこの政策を打ち出しました」

 

 「ほう、この政策が有効であるという根拠は?少々締め付けすぎな印象を受けるが」

 「もちろん、これは極端な例です。坊主頭ではなく、ある程度の短髪であること。接近禁止ではなく、制服姿ではある程度節度を持ってもらうなど、落としどころは考える必要があるとも考えています――ただ、ここまで言わなければ皆さんの印象には全く残らなかったでしょう?皆さんに考えてもらうきっかけが欲しかったのです。根拠として実際坊主頭の強制によって遅刻が減った実例などはありますが、現代にはそぐわないと私自身も思っています」

 

 「つまり公約と言う割には、守る気はなかったと?」

 「はい。あえて強く言いましょう。私は『秀知院学園出身』であることを、在学中も卒業後も誇りたいのです。その目的のためなら手段はいくら変わっても構いません。1つの例を出しただけです。今すぐにこの公約を破り捨てても構いません――皆さんはどうですか?自分の子どもを学校に入れる時、秀知院学園が素晴らしい学校であると誇りたくはないですか?自分の子どもを入学させるのを憚るような学校にしたいですか?今、秀知院学園はその危機にあるのです。私たちから、変えなければなりません。自由は、嫌でも卒業をしてしまえば得られます。でも、母校というものは永遠に私たちと共にあるのです。私の両親はともに秀知院学園出身です。両親はこの学校出身であることを誇りに思っています。私も!同じように誇り続けたいのです!!!」

 

 「ストップ。初花。ストップだ」

 「はい、すみません。少々熱が入りすぎました」

 「すまん、俺も練習不足だった」

 「いえ、伊井野さんに対する討論の練習は初めてでしたね。1つ1つの公約について討論対策をしていきましょう」

 

 そう言って幸は白紙に伊井野の主な公約を書き出していく。

 そこで白銀は気づいた。

 

 「初花…全部、覚えているのか?」

 「はい。もちろんです。伊井野さんの公約、その根拠になるであろうデータ、そしてそれらの行きつく先の彼女の目標」

 

 ただの「そうですね」ロボットじゃなかったのか、と。

 

 「勝つからには、白銀先輩も、全て頭に入れるべきです」

 

 その言葉は、白銀の頭に、やけに残ったのだ。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 時は流れて。

 

 「そうですね」ロボットは復活したものの。

 

 生徒会選挙は無事に白銀の勝利として終わった。

 

 伊井野を笑いものにすることもなく、白銀たちは気持ちの良い勝利を手に入れたのだ。

 

 

 そして白銀は、今まで通り『書記』の藤原千花、『会計』の石上優、『副会長』の四宮かぐやを獲得し、『会計監査』として伊井野ミコを指名した。

 

 残る枠は1つ。

 それを指名すると同時にやらなければならないことが白銀にはあった。

 

 中庭に呼び出したのは、初花幸、その人である。

 元々呼び出してあったのだ。選挙が終わり、片付けが終わった後に話したいと。

 

 「待たせたな、すまない」

 「いえ、大丈夫です――無事に勧誘は出来ましたか?」

 「お見通しか。問題ない。四宮は副会長を引き受けてくれた」

 

 白銀と幸がこうして2人きりで話す機会は本当に少ない。

 かぐやであったり、千花であったりが近くにいることが多いからだ。

 

 「まず言わなければいけないな――ありがとう。初花」

 「僕は、お礼を言われるようなことはしていません」

 「俺だって全てが分かってるわけじゃない。ただこの選挙期間、ずっと近くにいてくれた、それには意味があった、ぐらいは気づいているつもりだ」

 

 「そうですね」ロボットには意味があったのだ。

 最初は理解ができなかった白銀ではあったが、時間を経るにつれ、その意味に少しだけ気づいたのだ。

 

 「原因は、四宮、だな?」

 「――よくお分かりで」

 「教えてくれないか?正直、全てが分かっているとは言い難い」

 

 幸は深呼吸を大きくして、白銀を見つめる。

 

 「どこまで気づいていますか?」

 「四宮が――俺のために暗躍をしてたぐらいは」

 「具体的には」

 「もう1人の候補者を蹴落としたのは、四宮だろう」

 

 白銀は気づいていた。かぐやが何かしらの行動をしていることを。

 それによって白銀に有利を運んだことを。

 

 「そうです。四宮先輩は白銀先輩のために、行動をした」

 「――やはりか」

 「そしてそれは、あまり穏やかなものではなく、その行動量から目立った。それほどに四宮先輩は選挙に関与した」

 「本来なら、それで恨みを買うのは四宮だ。しかし四宮は『四宮』」

 「正しいです。表立って財閥に喧嘩を売る人はいません。だからこそ狙われるのは白銀先輩です。もちろん、実害がでることはないでしょう。四宮先輩はそこまで過激なことはしてませんから。しかし『四宮』がそこまで支援する『白銀御行』とは何者なのか?2人の関係は?『調査』する者は現れるでしょう――それはお二人にとって障害となる」

 

 更に幸は続ける。

 

 「そしてそれが四宮本家に伝わることが何より避けるべきことです。四宮先輩は非常に難しい立場にあります。四宮直系の、ただ1人の娘。四宮は婚姻外交さえ見据えててもおかしくはない。だからこそ、今の状況で『四宮かぐや』に男の影はよろしくないのです」

 「現代で、そんなものが」

 「財閥というのはどこも前時代的なんですよ白銀先輩。もちろん初花とて例外ではないです」

 

 ただ、そこで幸の表情は少し柔らかくなる。

 

 「ただ幸運なのは、四宮先輩が『行動』をした相手というのは、四宮とはそこまで繋がりが深くない――『初花』の方に近いのです」

 「それで、俺の近くに、か」

 「そうです。彼らは『初花』の言葉は、すんなりと受け入れてくれます。だから僕が『白銀御行』と『四宮かぐや』には利害関係しかない、あとは適当な理由を伝え、『調査』は僕が続け、彼らのフォローを『初花』が多少すれば、何の問題もありません。それで話は終わります」

 

 だからこそ、幸は常に白銀の近くにいた。『調査』の体をとるためだ。

 

 「あまり、選挙に協力的じゃなかったのも」

 「えぇ。僕が選挙に積極的に協力すれば、それこそ白銀先輩は話題の人になるでしょう。調査という名目で近づいている、というのをアピールするためです。少々強引ですが、それぐらいで初花に文句を言う家はありません。そしてこの学校内における僕の行動なら『初花』は握りつぶせる。『初花』が『白銀御行』を『調査』していることは『四宮』には伝わらない。わざわざ『四宮』に近くない家が『四宮』に伝えることもないでしょう」

 

 結局のところ、2人の関係性を、その想いを四宮本家に悟られないようにするため、である。

 

 「だが、なぜ、そこまでしてくれたんだ」

 「お世話になった先輩方への、恩返しです。白銀先輩」

 

 微笑みとともに返した幸に、白銀は。

 

 「その言葉が嘘だとは言わない!だがな初花!!!」

 

 声を張り上げ、そして俯いた。

 

 

 「お前は、生徒会長を――目指していたんだろう」

 

 

 その言葉に、幸は目を見開いた。言った覚えは、どこにもなかった。

 

 「どうして、それを?」

 

 「――始まりは、四宮が初花に立候補するか聞きに来た時だ。父親と過ごす時間の確保のために、立候補はしない、と。正直そんな理由で、とも思ったが、あんなことがあったばかりだ。仕方ないと思った」

 「次に初花の家に行ったときだ。その時に俺は初花の父上から、ご両親が生徒会長と副会長であったことを聞いた。そして、初花がその両親の背中を追いかけていることも聞いた」

 「そして、討論練習の時、伊井野への対策を『勝つからには全て頭に入れろ』と言ったな。つまり『既に頭に入っていた初花は勝ちたかった』んじゃないのか」

 「伊井野の立候補は早かった――そして公約の宣言も。立候補さえすれば選挙活動はしていいから、その公約を調べる時間も、対策する時間もあったんだろう。初花は立候補するかギリギリまで悩んでいたんだな…そう気づいてしまったんだ」

 

 「それを諦めたのは――俺と、四宮のためか」

 

 問いかけに似た、確信だった。

 

 「違います」

 

 ただそれを、両断したのは幸だった。

 

 「それは、僕のためです。僕がこうしたい、と考えたから、今この状態があるんです。あの日、四宮先輩が不安そうに立候補するか問いかけてきた時に、決断をしたのは事実です――ですが!」

 「それを決めたのは僕です。だからそれに白銀先輩が罪悪感を抱くのは、違います」

 

 幸は、つづけた。

 

 「お二人を守るために行動したことも。生徒会長を志し、やめたことも――これが、僕の在り方です!!お父様とお母様の血を引いた、僕の在り方なんです。自分の大事なものを支えたい、手をつないで歩きたい。お父様とお母様のように、常に皆の一番前に立つ存在でなくともいい。時に前で、時に隣で、時に後ろでいいのです」

 

 言い切った。白銀は、ここまで強い意志をもって、言葉を発する幸を初めてみた。

 

 「初花は愛も恩も倍にして返します」

 「僕はもう大きな恩をもらっています」

 「だからこそ、もし報いたいと言うのなら――白銀先輩は『ありがとう』と一言言ってくれればいいのです。最初に言ってくれた、それで十分です」

 「初花は、あなたのように無償の愛を持って行動できる方の味方なのですから」

 

 ――幸は気づいていた。白銀の立候補が、かぐやのためであり。だからこそかぐやが白銀を無理にでも勝たせようとしたのだと。彼らの、健気な思いを。その気持ちを後押ししたかった。

 

 「応援してくれるのか、俺の気持ちを」

 

 「間違えないでください――先輩『たち』の気持ちをです」

 「良い機会です。いつか伝えなければいけないと思っていたことを、今伝えます」

 「――白銀先輩、あなたは知るべきなのです!!その愛が本当で、その恋を叶えたいという想いが本物であるならば!あなたの恋路は厳しい、茨の道です。それは分かっているでしょう!!だからこそ、もっと財閥について、そして『四宮』を知るべきです!!僕が、全て教えます。『初花』として知ることを。だって――」

 

 更に、幸はつづける。

 

 「――僕のお母様は、自分の親の顔すら知らない。捨て子でした。それでも、お父様と結ばれたのです。そう、『初花』と!白銀先輩とて『四宮』と結ばれ、祝福される未来を掴み取れておかしくないはずなのです!」

 

 一息で言い切った、その姿を白銀はただ見つめた。

 目の前の後輩は、初めて会った日の自信の感じられなかった姿からは予想できない程に、成長をしたのだ。

 

 次に、変わるのは、白銀の番だ。

 

 「気持ちを確かめるのが先ですけどね。ささっと告白するべきなのです」

 「難しいことを要求してくれるな…」

 

 2人して、笑った。

 

 「――初花。改めて、頼みが2つある」

 「なんなりとどうぞ、です」

 

 白銀は、改めて幸を見つめた。

 鮮やかな金髪の中から覗く、強い意思をもった瞳と視線が交わる。

 

 「俺に、『四宮』のことを教えて欲しい」

 「もちろんです」

 

 幸は微笑んだ。それはそれは柔らかい微笑みだ。

 

 「あとは呼び方を変えたい」

 「はい」

 

 一拍を空けた。これが、白銀の今日の最後の仕事だ。

 

 「『サチ庶務』。引き受けてくれるか?」

 「もちろんです。『御行先輩』!」

 

 新しいメンバーを迎える。

 こうして、新生生徒会は発足したのだった。




ここでまた、ある意味一区切りです。

『四宮』と恋をする白銀御行に『初花』の味方がつきました。

14話目にして、生徒会入りを果たす主人公。


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【15】生徒会 と 『下着』 と 初体験

数日更新しない、は詐欺になりました。
本日2話目の更新なのでご注意下さい。


 秀知院学園1年生!生徒会庶務となった初花幸は今!

 

 心の底から後悔をしていた。

 

 

 始まりはなんてことない、単に放課後になったから生徒会室に向かっただけである。

 廊下を歩いていると、生徒会室の扉が開いていて、幸の視界には、なんだか生徒会室の中でクネクネしているかぐやが入ってきたのだ。

 どんな面白いことが?と、扉の影に隠れて中の様子をうかがった。ただそれだけだ。

 

 ――好奇心は、身を滅ぼすのだ。

 

 「ちなみにパンツだとどういうのが好きですか?」

 「ああ、俺の好きなパンツか――うーん。そうだなー…あんまりシンプルすぎるのは味気なくて好きじゃないな。多少ゴテゴテしてる位が俺的には…」

 

 (な、な、な、なんて会話をしているんですか!!!下着のリクエストをするような間柄だったのですか!?告白はしてないくせに実は身体だけの関係はあると!?それはそれで結構ですが、サチの想いは滑稽なものでただのピエロだったのというのですか!?)

 

 お前も付き合ってねーくせにキスはしただろ、という突っ込みは置いておいて、この2人の恋を応援すると決めた幸にこの状況は毒だった。

 

 「具体的にはどんなパンツが好きですか?」

 

 (なんで恥ずかし気もなくそんなことを聞くのですか!?セックスはしたのですか!?告白はしないくせに!!本当に秀知院の生徒はモラルも常識もないただのボンボンだったのですか!?)

 

 「あれ?初花さん?そんなところで何を?」

 「伊井野さん――今この生徒会室の中では、戦争が起きているのです」

 「せ、戦争ですか?」

 「今すぐ離れましょう。いつこっちに銃弾が飛んでくるか分からないのです」

 

 絶対にこの会話をミコに聞かせてはならない、と察した幸ではあったが。

 そうそう上手くいかないのが世の中である。

 

 

 「会長のヤリチン!!!」

 「ホントは黒のパンツ!!俺は黒のパンティが好きだーーーー!!」

 

 タイミングが悪い時は、とことん悪いのが、世の理なのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 かぐやは絶望のあまりに飛び出していった。

 黒い下着を穿いていないミコも消えていった。

 石上は既に仕事を持って帰っていた。

 

 そして結局生徒会に残ったのは。

 

 黒い下着が好きな会長と。

 何か気持ちを裏切られた庶務と。

 何も考えていない書記である。

 

 「え、なんでこんなに雰囲気が暗いんですか?喧嘩ですか?」

 「喧嘩だとして。喧嘩している奴に、喧嘩ですか?って聞くんじゃない」

 「会長に棘があります…」

 

 生徒会室の雰囲気は暗かったのだ。

 

 「サチちゃんどうしたんですか!?昔みたいな雰囲気になってますよ!?」

 「御行先輩に裏切られたのです…」

 「違うんだ!!違うんだって!!よく分からないけど違うんだよ!!」

 「ほら、ちゃんと言えないってそういうことでしょう?このヤリチン。最低なのです」

 「なんで浮気がバレたカップルみたいになってるんですか!?」

 

 完全に幸の雰囲気は闇堕ちしていた。

 千花はあわあわとするばかりで。

 白銀は頭を抱えて机に突っ伏していた。

 

 「四宮がいきなり聞いてきたんだって…俺もよく分かってないんだよ」

 「四宮先輩がいきなり?下着の好みを?このヤリチン。最低なのです」

 「それを語尾にするのはやめろ!!本当なんだって!」

 「…下着?…ヤリチン?何か聞き覚えが…」

 「藤原書記…お前のせいか?」

 

 千花の頭の中には先日の会話が蘇る。

 石上の着替えの場面に、千花とかぐやの2人が遭遇してしまった時の話である。

 

 「私のせいではないと思うんですけど…石上くんがボクサーパンツ穿いてる奴は全員ヤリチンって言ってました」

 「石上のせいか!!!」

 「人のせいにするんですか。このヤリチン。最低なのです」

 「頼むから正気に戻ってくれ!」

 

 幸の目は濁っていた。もう何も考える気はなかった。

 

 「つまり、四宮は俺が穿くパンツの好みを聞いていた、ということか」

 「そうですね~。ぷぷっ、会長は黒のパンツがお好み、と」

 「そうやって何人に穿かせては脱がせてきたんでしょうね。このヤリチン。最低なのです」

 「サチ庶務?もう誤解はとけたよな??」

 「冗談なのです」

 

 幸の目には光が戻っていた。

 秀知院のモラルはある程度は守られていたのだ。

 そんな話を大声でしてる時点でどうなんだ、というのはこの際いいのだ。

 

 「くそ、誤解を解かなければ…」

 「そうですね。ヤリチン扱いされたままはつらそうなのです」

 「その前にその顔でそういうワード言うのやめないか??」

 

 顔面偏差値77でお姫様顔と名高い生徒会庶務である。

 以前摘発された際にはセックス連呼罪という罪状だった。

 

 「でもかぐやさんも流石に会長がそんな人だとは思ってないのでは?」

 「思われていたら心外だ」

 「付き合って5回目のデートですると言っていましたね」

 

 以前、幸は廊下でそんなことを耳にした気がするのだ。

 

 「あぁ。高校生ならそんなもんじゃ――」

 

 途中まで声に出して、白銀は気づいてしまった!!!

 彼の目の前にいるのは「高校生のカップル」である、と。

 目の前のカップルの目撃情報は白銀の耳にも嫌というほど届いていた。特にここ最近クラスでも。

 

 『藤原さんまた姫とデートしてたでしょ!』

 『あっ私も見たー!あの子珍しく髪巻いてたよね!!可愛かった~~』

 『ねー!!めっちゃ気合入ってたよね!』

 『あの皆さん私は??私に関しての感想はないんですか??』

 『藤原さんも可愛かったよ~恋すると人って変わるんだね!』

 『あの藤原さんが普通に見えたよ!』

 『そーそー!!藤原さんを『飼える』なんて姫ってすごいんだね!』

 『戦争ですか??受けて立ちますよ??』

 

 そんな会話を耳にしたのだ。同じような会話はここ半年近く相当聞いてきた。

 つまり目の前のカップルは5回目のデートなんて相当前にこなしているのだ。

 

 いつもいつも生徒会室でいちゃついてはいるものの、絵面だけを見れば、女子同士で過剰な接触をしているようにしか見えないのだ。しかし実際のところ彼らは男女の仲、カップルである。

 

 お付き合いにそのような性的な部分が含まれるのは必須である。

 

 しかし、しかし!!それがけっこう身近な者同士となると、想像はあまりしたくないものである。

 でも気になる。実際のところヤっちゃったのか気になるのだ。

 想像したくない。でも気になる。

 

 そんなアンビバレンスな思いを白銀は抱いたのだ!!!

 

 「――ないか?どうだ?」

 

 だからこその問いかけ。意見を求める感じを出しながら探りを入れたのだ。

 

 「う~ん。そういったことを付き合う前からする人もいますし、結婚するまでしない、という人もいますよね」

 「愛があればいつでもいいんじゃないですか?」

 

 愛情さえあれば何でも全肯定サチちゃんである。

 

 「愛さえあれば、とは言うが中々付き合っていない状態で、とは難しくないか?特にこの秀知院で考えれば、家柄などもあるだろう?俺にはなかなか分からない感覚だが…」

 「そうですね。少なくともこの学校で不特定多数の方とセックスをしたら問題になると思います」

 「だからその顔で直接的なワードやめない?」

 

 幸はまた罪を重ねた。

 

 「四宮にとっては、5回目でも早い。そういう気持ちがあったから俺はこんなに疑われているのではないかと思ってな」

 「あ~確かにかぐやさんならそう思っててもおかしくないですね!」

 

 それっぽい理由を付け加えて、白銀はまだまだ初体験の話を続けた。彼の頭脳はしょうもないことに使われている。

 

 「秀知院の意見と一般の意見には様々なところで隔たりがあるだろう。だからこそ、今回も俺がズレていたのか、と心配なんだ」

 「でも5回目、って意見は割と普通じゃないですか?私たちだって普通の高校生ですし、皆の意見の平均をとったらそれぐらいになりそうですよね」

 

 千花は5回目肯定派のようだった。

 

 「そうだな…まあデートの頻度にもよるところはあるか。まさか付き合ってすぐに『そういうこと』をする高校生もなかなかいないだろうしな」

 「そ、そうですね。すぐにしちゃうなんてなかなかないですよね~」

 

 普通に白銀は感想を言っただけなのだが。

 千花の答は非常に歯切れが悪かった。

 しょうもないことに頭を回している白銀はそれに敏感に気づいた。

 

 「そうだな。付き合ってすぐに『神聖な行い』をするような、『ふしだらな奴』はいないよな。特に『この秀知院には』。そんな『みだれてる奴』は」

 「そう、そうですよ!!もちろんです。あ、私喉かわいちゃったのでジュース買ってきますね~~~」

 

 これは完全に有罪(ギルティ)である。

 千花は逃げ出すように生徒会室から走り去った。

 幸は首を傾げた。

 

 

 白銀の好奇心は更に増した。

 今この場には白銀と幸しかいない。

 つまりここはボーイズトークの場である。多少の下ネタは許される無礼講である。

 そして目の前にいる初花幸という少年、彼はそういった話題に一切の邪念を持たない。愛の営みを心の底から真の意味で『神聖』で『尊く』感じ、1ミリとて恥ずかしいとは思っていないのである!!

 

 ここで聞くしかない!白銀の好奇心は限界に達したのだ!

 

 「それで、2人は付き合ってからどれぐらいでしたんだ?」

 

 白銀には珍しい直接的な問い!!この勇気をかぐやに出すべきである!!!

 

 「うーん。正確には覚えてないんですけど」

 「ああ」

 

 いつもと変わらない、雑談の一部のような雰囲気のまま、幸は口を開いたのだ。

 

 「お付き合いを始めてから、だと大体――」

 「ああ」

 

 白銀の心を裏切って。

 

 

 「――30分。ですね」

 

 

 「分!?!?」

 

 その驚きに対しても、幸は首を傾げたのだった。

 

 「僕もジュース買いに行こうかなあ…一緒に行きたかったのに、チカ先輩どうしちゃったんですかね?」

 「お前がどうしちゃったんだよ!?さらっと流していい話題じゃなかっただろう!!」

 「そんな興奮してどうしたんですか?」

 「誰だってするわ!!!」

 

 白銀とて流石に予想してなかった。

 平均よりちょっと早いぐらいなのを恥ずかしがったんだろうな~程度であった。

 2人がそれなりの家の子であることは、白銀もよく理解している。

 だからこそ、千花はちょっと早いだけでもあの反応だったのだろう、と。

 そんな思いをぶち抜いてきた情報だった。

 

 「――昔、お母様は言っていました」

 「いきなりどうした?」

 

 財布を持って、立ち上がり、幸は宣言をした。

 

 「肌を重ねれば重ねるほどに愛情は深くなる。人間の脳はそうできている――だから、離したくない人が出来たらさっさとセックスしなさい、と」

 

 「あー!!その感じも母親譲りかー!!!」

 

 幸の母親は強かだ、そして愛され方を全て可愛い息子に引き継いでいた。

 

 「だから御行先輩も、愛の獲得をがんばりましょうね!」

 「この話の流れでその話をださないでくれ!!」

 

 『とりあえず1回セックスしてきてください』とかいつか言われそうで怖くなった白銀だった。



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11月
【16】藤原千花 の 独占欲


恋をすると人は変わるよね、って。
短いです。


 藤原千花は、目を覚ました。

 その言葉が示すように、本当に、深夜パッチリと目を覚ましたのだ。千花は寝起きが悪い方ではない、寝ることは好きだが、別にロングスリーパーではない。そうは言っても深夜に目を覚ますことは珍しかった。

 

 枕元にあるスマホで時間を確認しようと、手を動かそうとして、その重みを感じて自分の手の位置を自覚した。

 多少、寝ぼけていたのであろう。段々と意識がはっきりしてくる。

 

 

 「さちちゃん、かわいい」

 

 目の前で眠る恋人の、安心しきった顔を確認して、呟いた。

 

 背中に回していた手を、そのまま背中に沿って、頭の方へ。

 髪を優しく撫でると、汗で多少しっとりとしていて、それは昨夜の残滓とでも言うべきか。

 

 ひとしきり髪を弄んでから、時間を確認すると、まだ眠り始めてから1時間程度しか経っていなかった。

 まあ、寝てしまった正確な時間は分からないのだが、ポツポツと2人で話していたら、いつしか夢の中に落ちてしまっていた。

 

 

 「ふふふ。なにをしちゃいましょうか」

 

 起こさないように、小さな声で呟いて。

 

 すっかり目は冴えてしまっていて、もう1度眠るのはなんとなく勿体ない気がした。

 幸い、翌日は休みだった。特に用事もなくて、勉強をしてから、適当に過ごすつもりだったのだ。

 

 千花は今度は頬を撫でてみた。

 相変わらずの柔らかい感触だった。

 

 まじまじと顔を見つめてみた。

 長いまつ毛が羨ましくなった。

 

 胸に手を当ててみた。

 規則的な鼓動が、なんだか心地良かった。

 

 もう1度背中に手を回して、抱き寄せてみた。

 これが一番、満足感があった。

 

 布一枚にさえ、邪魔をされないその感覚に。

 

 「すき」

 

 私にも、こんなに何かに固執する感情があったのか、と。

 

 千花は何かを好きになることが多い。それは恋愛的な意味ではなく、友人を好きになったり、ゲームを好きになったり、学校を好きになったり、好きなものが多い。

 それでも、何かに固執することは少なかった。

 独占欲なんてものとは無関係だと、自分で思っていたのだ。

 きっと恋人が出来たとして、お互いの自由を愛するのだ。そんな風に思っていた。

 

 それでも、実際に恋人が出来た今なら。

 

 目の前の可愛い恋人は、変わった。実際のところ『変わった』と表現するべきか、『元に戻った』と表現するべきかは千花にはわからない。でも、千花から見てなら、確実に変わったのだ。

 

 初めて出会った時の無感情さは消えて、表情豊かになった。

 何かを押しとどめたような、無機質な言葉ではなく、感情豊かな言葉になった。

 無理をした笑顔なんか消えて、綺麗に笑うようになった。

 

 それはきっと成長だ。

 

 少年が、もがき苦しんで、それでも手を伸ばして、得た成長なのだ。千花はその努力を愛した。

 変わりたい、でもどうしたらいいかわからない、どうしたいか分からない。その迷いを愛した。

 いつか、本心を打ち明けてくれたときの。その成長を愛した。

 

 その全てを知っているのは、千花だけだ。

 こうして寝顔を眺められるのも、その素肌に触れられるのも、指を絡めるのも。

 口づけるのも、愛を囁くのも、愛を営むのも、千花だけだ。

 

 でも、もし、それが他の人に向けられたら、と思うだけで。

 そんなことないはずなのに。

 苦しくなるなんて、そんな気持ちが自分の中に生まれたことを驚いたのだ。

 

 

 ――私にしか向けられなかった微笑みが、他の人に向いた。

 そこに恋愛感情はなくて、ただの友人関係でしかないのに。

 

 ――私にしか向けられなかった優しさが、他の人に向いた。

 そこに恋愛感情はなくて、ただの友人関係でしかないのに。

 

 (それでも、たまに、息苦しいのが。独占欲なんでしょうね)

 (――変わったのは、私もです)

 

 

 「…ちかせんぱい?」

 

 そんなことを考えながら髪を撫でていれば、薄く目を開けたのは幸だ。

 

 「あ、ごめんなさい。起こしちゃいましたね」

 「んー。へいき、です」

 「まだ夜なので寝ちゃって大丈夫ですよ?」

 

 ちょっと寝起きが悪いことを知っているのも、私だけなのだ、と。そんなところに喜びを感じて。

 

 「ちかせんぱいは?」

 「私は目が冴えちゃったので」

 「じゃあおきます~」

 

 幸は体を起こして、眠気を覚ますように首を振った。

 

 「おっけー、です」

 「何をするって感じでもないですよ」

 「んーーー。おふろ?」

 「それは後にしましょ」

 

 まだ眠気がとれていないのか、小さくあくびをした幸を見て、千花は幸を抱き寄せた。

 特に抵抗もなくて、また2人してベッドに倒れる。

 上に乗る形になった、幸と目があった。

 

 何か会話をするでもなく、自然と口づける。

 

 何度か唇をくっつけては、離して。

 離しては、くっつけた。

 

 少し口を開いて、舌を迎え入れて。

 何度か絡めて。離して。

 

 指と指を絡めて。

 火照った肌と肌が更にくっついた気がして。

 

 千花は胸に小さな痛みを感じた。

 

 「たべちゃいました」

 「たべて、いいですよ」

 

 薄く歯形がつくぐらい噛まれて、その痛みさえ愛おしかった。

 胸の上あたりから、今度は首筋に。

 軽く吸われて、少しの間、痛みが続いて、赤い花が咲いた。

 

 「あした、やすみだから」

 「私も」

 

 返すように、首筋に口づけて。強めに吸ってみて。

 ついた――つけた、その痕に。

 赤く、咲いた、独占欲の象徴に。

 言いようのないほどに、心が満たされるのだ。

 

 「サチちゃん」

 「なんですか?」

 

 でも、まだ欲張りな心もあって。

 それに逆らう気はなかった。

 

 「もういっかい、しましょう」

 

 まずはまた、深く口づけた。



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【17】藤原千花 は 乙女 かもしれない

 病室の窓から、外を見渡す。

 その行動を、初花司は何度繰り返しただろう。

 もう、百を超えたことだけは分かっている。

 

 「なあ桜――俺は親になってから初めてちゃんと理解したんだよ」

 「親ってのは、子どもが健康で、笑ってるだけで最高に幸せなんだな。頭良い必要も、可愛い必要も、良い子である必要もないんだ。そこに俺がいなくても、健やかでいるだけでな」

 「だから、今最高以上に幸せなんだよ。幸の世界に俺はいるし、あいつはお前に似て天才だ。世界一可愛いし、愛情深く育った」

 

 病室から見渡す景色は何度変わっただろうか。

 もう、両手では数えきれないのは分かっている。

 

 「そんな俺たちの息子の心を縛ってたのは俺だった」

 「もちろんお前のこともあるが――それでも、俺のせいだったんだ。でももう、それを俺たちは乗り越えた」

 「だけどな、幸の行動を縛っているのは、桜。お前だ」

 

 『私は家族を幸せにしてあげたい。誰よりも素敵なママになるの』

 いつか言っていた、そんな言葉が司の頭をよぎった。

 

 「俺たちの学生時代は楽しかったよな、高校で3年。結婚はしたけどそっから4年」

 「まあお前は飛び級したから、4年全てとは言えないが――同じ楽しさを味あわせてやりたくないか?」

 「お前が起きれば、幸は何の憂いもなく、決断できるんだよ」

 「だから――早く起きろ。お前は天才だろ?なんとかしろ」

 「じゃないと、誰よりも素敵な親の称号、盗っちまうぞ」

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 「僕思うことがあるんですよね」

 

 とある日の昼休み。

 珍しく話題を切り出しのは石上だった。

 

 生徒会室には伊井野以外のメンバーが勢ぞろいしている。

 昼休みに関しては最近ではこの状況がいつも続いていた。なんとなく皆生徒会室にきて昼食を食べたくなってしまうのだ。

 

 「この状況、伊井野が見たら発狂するんじゃないかって」

 「伊井野がか?確かにあいつらを見たら発狂するかもな」

 「いや、他人事みたいに言ってますけど会長もですからね。そのマンガ」

 

 白銀は定位置で本を読んでいた。

 残念ながら真面目な内容ではなく、石上が持ってきたマンガである。

 

 「確かに、ここでは皆さん気が緩んでしまいがちかもしれません」

 「いや、四宮先輩もですからね。そのゲーム」

 

 かぐやは石上が持ってきたゲームをやっていた。

 普段ならばゲームをすることなどないが、白銀がそのゲームにハマり、対戦相手を求めていたため練習中である。

 

 「ミコちゃんはちょっと厳しいですもんね」

 「伊井野さんをあんまり困らせちゃだめですよ」

 「いや、あんたらがたぶん一番罪深いからな??」

 

 千花は先ほどから恋人の膝枕を堪能中だった。

 ぐへへ~~と言いながらお腹に頭をぐりぐりしてる最中だったのだ。一歩間違えなくても変態である。

 この少年が甘やかすせいでどんどん行動がエスカレートしていた。

 

 「まーまーミコちゃんにバレなきゃ大丈夫ですって!ジュース買いに行ってきまーす!」

 「一緒に行ってきますね」

 

 超楽観的な様子で千花はジュースを買いに行ったのだった。

 

 残念ながら、石上の予感が的中したのは、その日の放課後だった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 伊井野が生徒会室の扉を蹴破る勢いで開け

 「皆さん、いいですか!!」と宣言をした。

 昼の会話のこともあり、全員が察した。しかし、ここに幸はいないため、全員とは言えないかもしれない。

 

 

 「平気で校則を破る人…」

 ゲームをしている石上を睨みながらである。

 

 「生徒会室で言葉にできない事を繰り広げる人…」

 白銀とかぐやを見ながらである。

 

 「我慢なりません。貴方たちに学園の代表としての自覚があるんですか!!!」

 そして千花の方を向いて。

 

 「私、私…藤原先輩のことは信じてたのに!!!」

 涙ながらに叫んだのだ。

 

 ――まあ、いつかはそうなるよね。

 生徒会メンバーの誰もが思ったのである。

 

 伊井野はぽつりぽつりと語り始めた。

 伊井野の絶望は昼休みに始まったのだと言う。元々、藤原千花と初花幸が交際している、という話は聞いていたのだ。それに関しては何の問題もない。しかし実際に2人がセットでいることはあまり見たことがない。それはいつも幸が2年生の教室やら生徒会室やらに行くからだ。だから清い交際をしているはずだ!藤原先輩なんだから!と思っていたと。

 今日、珍しく伊井野はちょっと寝坊してしまった。だから朝に飲み物を買う暇もなく学校に来たのである。だから、飲み物でも買うついでにたまには中庭で一人でご飯でも食べよっかな、と。スマホとイヤホンを片手に、ルンルン気分で歩いていたのだ。

 

 「でも、でも。あんな、中庭で!あんな!!」

 「てへぺろー」

 「ごまかさないで下さい!!!」

 「あーだめかー」

 

 人が少ない中庭は、生徒会室の近くにある。伊井野も静かな環境を求めて少し遠いけれどそこに向かったのだ。しかし既に先客が。見かけたのは、2人でベンチに座る千花と幸である。2人とも手には飲み物があったから、自動販売機に寄るついでだな。と察せた。

 でも、2人の距離が近い、近いとかじゃなくゼロだった。

 隣に座って腕組んでるし。

 その時点で伊井野の心は黒く染まった。

 そして、立ちすくむ伊井野になんて全く2人は気づかずに。

 

 『あ、私もそれ飲みたいです』

 『いいですけど…同じやつですよ?』

 『もーサチちゃん分かってないですねー今日は甘えたい気分なんですよ!甘えん坊Chikaです!』

 『かわいい日なんですね』

 『ふへ~もっと褒めて~。あ、ちなみに私、腕も動きません』

 『もう、しょうがないですね』

 

 そしてその後はもう。ひたすらちゅっちゅしてたのである。

 伊井野は注意する気も起きずに、その場に崩れ去ったのだ。

 

 

 「藤原さん…あなたそんなことしてたの…さすがに伊井野さんがかわいそうよ」

 「そういう気分だったんですもんー!!いいじゃないですかー!!」

 「僕、初めて伊井野の気持ちに共感したかもしれません。今なら校則頑張って守ろうかなって気持ちになります」

 「えー私そこまで言われるんですか」

 「まあ…俺たちは悪い意味で慣れてしまったからダメージは少ないが」

 

 非難轟々である。

 伊井野は今にも泣き崩れそうだった。

 

 「…つまり、ミコちゃんにも慣れてもらっちゃえば!!」

 「え、どういうことですか?」

 「ミコちゃんにも校則を破っちゃう人の気持ちを分かってもらうために『怒っちゃ駄目タイム』をしましょう!」

 

 元から持っている好感度で千花はごり押した。

 ちなみにこの場に幸はいないため、慣れさせることは不可能であり、完全に詭弁である。

 

 この流れの中でかぐやは内心で、なんの躊躇いもなく男に躰を預ける性欲の化身、と千花を罵っていたのも、まあしょうがないことである。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 幸が職員室から生徒会室に向かっていると、携帯片手に楽しそうなかぐやと、ニヤニヤしながら後輩に絡んでいる千花の姿が見えた。

 だから、また仕事せずになにかしてる…と思いながら、生徒会室に入ったのだ。

 

 「こんにちは。今度は何をしてるんですか?」

 「あぁ、なんか藤原先輩が変顔の布教を…」

 「変顔、ですか?」

 

 変顔という文化は幸にはなかった。

 誰もこの顔に変顔させようという気持ちは生まれなかったのである。

 

 「こう、変な顔をするのが逆に可愛い、という感じですね」

 

 答えたのはかぐやである。もちろん携帯には白銀の写真が表示されている。

 

 「変な顔が可愛い…そういうものなんですね。あ、見せてもらってもいいですか?」

 「ええ、藤原さんのはこちらに」

 

 そう言って早速千花が送った写真をメールから表示させようとする、が。

 

 「だめーーー!!!かぐやさんだめーーー!!ぜーーーったい見せたらダメですからね!!!」

 「え、ええ?可愛いと言ってませんでしたか?」

 「それとこれとは違うんですよ!!一緒にするならまだしも私だけ、なんてぜーーーったいダメです!!これはブサかわなんですよ!?ブサイク要素があるからダメに決まってるじゃないですか」

 「あなたねえ…」

 

 結局、あまりに強情な千花は写真を見せることはなかった。

 

 「僕、藤原先輩にも乙女心なんて存在するんだって初めて知りました」

 「まぁ同感だ。失礼すぎるがな」

 「自業自得ですよ」

 

 彼女だって、恋する乙女なのである。



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【18】石上優 と 初花幸

 如月桜という天才がいた。

 

 彼女は物心ついた時から孤独だった。

 彼女は1を聞けば10を理解し、10を学べば100に広げられた。でも周りの『わからない』、だけが『わからなかった』。

 捨て子だったことも影響した。彼女は孤独だった。

 

 いつしか彼女は、持ち前の頭脳で、愛され方を――『愛させ方』を学んで、仮面を被った。

 その方が生きるのが簡単だったからだ。

 

 日本屈指の高校の入試さえ、所詮高校入試レベルである。彼女にとっては児戯に等しかった。

 でも彼女は会いたかったのだ。自分の『わからない』を理解してくれる人に。秀知院学園にならいるかもしれないと思っていた。

 

 そんな希望を持って入った学校でさえ、結局、彼女は孤独だった。

 周囲に多くの人はいたが、それでも心は孤独だった。

 結局彼女は出会えなかったのだ。

 

 彼女は天才だった。故に孤独だった。

 

 同級生は誰も本当の彼女の好きな話にはついてこれなかった。だから口を閉ざした。

 

 仮面を被った口から出るのは当たり障りのないことばかり。

 口を開く度に、何かが失われていく気がした。

 

 でも、ある日。

 

 『――俺に、勉強を教えてくれ』

 『あなたは学年2位でしょう?十分じゃないかしら』

 『違う、そうじゃない。前にお前が読んでたスペクトル論とかいうやつだ。中庭で読んでただろ。俺も読んだんだが1ミリも分かんねーんだよ――なら、お前に聞くのが早いだろ?』

 『…しょうがないわね』

 

 その日から、世界が変わった。

 

 『数Ⅲすら分からない分際でよくもまあ私に聞けたものね』

 『俺まだ高校1年になったばっかなんだが?数Bまで修めてるだけ褒めろよ』

 『偉いですねーすごいすごい』

 『は??』

 

 彼女に比べたら、要領もよくない、理解も遅かった、けれど。

 それでも、それで、それだけで、十分だった。

 

 『あーーー分かんねーーー』

 『頭が固いのね。三角関数の和で表して、それを指数関数の和にしたときの係数を求めればいいだけじゃない』

 『無茶言うなよ!!!』

 『あら、諦めるのかしら。まだ基礎中の基礎よ』

 『うるせえな…もう1回最初からだ』

 『…しょうがないわね』

 

 彼は諦めなかった。

 それが『わからなかった』。

 

 『こんなのやっても、大学受験には欠片も役に立たないわよ』

 『そんなんさすがに分かってるわ。お前また馬鹿にしてる??』

 『してないわよ――分からないだけ。何のためにそんな頑張ってるのか』

 『お前みたいな天才にも分からないことがあんだな…いい気味だ。答はいつか教えてやるよ。考えとけ、宿題な』

 『相変わらずあなたは偉そうね』

 

 やっぱり彼女には『わからなかった』。

 なんで、彼は、諦めないのか。

 

 『それで、そろそろ教えてくれないのかしら』

 『…しょうがねーな』

 『思ったより素直に教えてくれるのね』

 『うるせえ!それはな――』

 

 『――お前のせいだよ!!いつも自信満々でウザいくせに寂しそうにしやがって!!どうせなら本読んでるときもちゃんと表情作れよ!!天才のくせによ。なんで気づかせんだよ…話し相手ぐらいならなってやろうとしただけだろ』

 

 『……』

 『どうした?』

 『――ありがとう』

 『ほんとどうしたお前!?頭おかしくなったのか!?』

 

 それは、初めての感覚だった。

 

 ――私を『理解しようとしてくれる』、それだけで。十分だった。

 ――ああ。私は、ただ、あなたの言う通り、寂しいだけだった。

 

 気づいてしまった、自分の気持ちに。

 ずっと、見て見ぬふりをしてきた自分の気持ちに。

 そんな気持ちを気づかせてくれた、温かい人がいた。

 だから。

 

 (どうしましょう――愛してしまったわ)

 

 如月桜は、恋に落ちた。初花司を、愛してしまった。

 

 (でも、どうしましょう)

 (私――どうしたらいいか『わからない』)

 

 でも、嫌な気持ちではなかった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 石上優は応援団の練習まで暇だった。

 だからいつも通り適当なところでゲームでもして時間を潰そうとしていた。

 だが、思い出したのだ。今日の課題には教科書が必要だったことを。なんてことないが、教室に戻るのはちょっと面倒である。ちょっとだけ重たい足取りで教室に戻った。

 

 視線の先に鮮やかな金髪が入ってきたのはその時だ。

 廊下の少し先を歩く、少年。初花幸だった。

 石上は理由を知らないが、幸は職員室に寄ることが頻繁にある。だから今日も寄ってから教室に荷物を取りに来たのだろう。と予想は出来た。

 

 石上優と初花幸は微妙な関係である。石上はそう思っている。

 

 クラスメートだし、生徒会メンバーでもある。

 生徒会でもよく話すし、一緒にゲームをすることもある。クラスでも、特別仲が良いわけではないが、たまに話すこともある。

 

 じゃあその関係性は?

 そう問われた時、答えに詰まるのもまた事実だ。

 クラスメート?生徒会の仲間?それとも、友達?

 

 それに迷うのは、こうして廊下で見かけているのに、声をかけるか迷っていることからもよく分かることだった。

 

 結局声をかけられずに石上が教室に着くと、中からは声がした。

 

 『初花さんって石上とよく話してるけど、やめたほうがいいよ!』

 『あいつまじでキモイんだって!!』

 『外部入学だから知らないかもだけどさ~』

 

 もうそれには慣れたけど、傷つかないわけではない。

 直視しないように伸ばした前髪が、揺れた。

 

 それに対する幸の返答は――あまり聞きたくなかった。

 でも、逃げ出しちゃダメな、気もした。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 石上優と初花幸の出会いは、入学式から数日後のことだった。

 

 『あ~。入学して早々だが、転入生が――あぁ、留学生か。まあクラスに新しい仲間が入る』

 

 入学したばかりの転入生。その衝撃もさることながら。

 

 『入っていいぞー。如月』

 

 扉を開けた時のその衝撃。

 クラスメートたちの歓声。

 俯いていた石上でさえ顔を上げた、その衝撃。

 

 ファンタジーの中でしか見たことがないような、その姿かたちに目を奪われた。

 

 『如月幸です。よろしくお願いします』

 

 ロボットのようだと思った。

 容姿からは考えられない程に無機質に響いた声。

 全く変わらないその表情はまるで、錆びついた機械のようだ。

 

 それからしばらく経って。

 千花が生徒会室に幸を引っ張ってきてから2人の交流は始まった。

 

 『友達作り』という名目で千花によって様々なことに巻き込まれ、2人はそれなりに話すようになった。

 まあまあ、平和には過ごしていたのだ。

 

 しかし夏休み直前に幸は突然学校に来なくなった。

 それに対して、石上たちは千花を初花家へ送り出したのだ。

 

 そして迎えた夏休み。ある日、突然に彼は石上の家に来たのだ。

 

 『石上さん。初花、幸です。お久しぶりなのです』

 『初花…。如月は、もうやめたのか?』

 『はい。僕のお話を、聞いていただけますか?』

 

 そして石上は聞いた。

 初花幸という人間が何に悩んでいたのか。

 何を思っていたのか。

 どう変わったのか。

 

 そして、石上はそれなりに鋭い人間である。

 

 『チカ先輩が、勇気をくれたのです。お父様と仲直りをする』

 

 もちろんその話の中、彼から恋慕の情を敏感に感じとった。

 

 そして、夏休み前日――千花が初花家へと向かったその日。

 千花から感じた『特別なもの』と合わせて。

 その恋の結末を確信したのだ。

 

 だが石上にとって一番大事だったのは、そこではない。

 

 石上から見れば、石上に事情を話してくれた時から、幸は『変わった』。

 そう、明確に『変わった』のだ。

 

 常に微笑みを携えるようになった。それは今までのぎこちないものではなく、自然なもので。

 言葉は柔らかくなった。今までの機械のような無機質は、消えた。

 そして何より、主張をするようになった。

 

 『チカ先輩、手を握って欲しいのです』

 『白銀先輩!僕も食べたいです』

 『四宮先輩――そのゲーム、負けませんよ?』

 

 『石上さん。一緒にご飯を食べましょう?』

 

 石上は、その姿に。

 

 ――その変化に。その『成長』に。憧れた。

 

 自分も変わりたい、と、そう思ったのだ。

 だからこそ、応援団に入ったのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 (あれ、あいつ。留学生って言われてなかったか?)

 

 少しの回想の中、石上はそれが引っかかった。

 しかし昔のことだ。勘違いだろうということにする。

 そして、現実逃避をやめた。

 クラスの中では、幸と女子生徒たちが話していたのだ、その会話が聞こえてくる。

 

 「僕は、石上さんが何をしたか詳しくは知りません」

 

 それは本当のことだった。

 千花がその秘密を教えようとした時も、幸は止めた。

 自身もずっと秘密を抱えていたからこそ、勝手に暴くのは違う気がしたのだ。

 

 「皆さんが、石上さんを嫌うのも別にいいと思っています。それなりの理由もあるでしょうし、人を嫌いになるのはしょうがないことです」

 

 それも、幸の本心だった。

 

 「でも、僕は石上さんの友達なので話すことはやめられないのです。だから――もし、今度石上さんが悪いことをしたら僕に言ってください。ちゃんと怒ってあげます!…それなら、いいでしょう?」

 「初花さんがそう言うなら…」

 「えーー気を付けてよ!!まあ、男子だしいいのかなあ」

 

 だから、これも本心だった。

 

 初花幸の、その高い好感度を利用して言いくるめた部分もあっただろう。

 大っぴらに一方的に庇えば、それで石上が更に悪く言われるのも分かった上でだろう。

 

 石上には分かった。

 その言葉が、その気遣いが、本物であることが。

 

 でも。何よりも。

 『石上さんの友達なので』

 そんな言葉一つで、自分の心が揺れ動くなんて、知らなかった。

 

 石上は、逃げるようにクラスから離れていった。

 ――でも、それは、喜びからだ。



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【19】石上優 と 初花幸 と 体育祭

 それはちょっと昔のこと。

 アメリカの初花別邸にて。

 

 『ほんっとサチは可愛いわね~~、あなた前世は天使ね??天から私のお腹に遣わされたのね』

 

 6歳の息子の頬をスリスリしながら親バカなことを呟いたのは、初花桜、その人である。

 お気に入りのソファに身を委ねながら、息子を抱きしめる。それが彼女の日課だった。

 

 『おかあさま。さちはほんがよみたいのです』

 『サチちゃんは何が読みたいのかな~?』

 『これがいいです』

 

 そう言って目の前にある、本を指さした。

 それは桜が書いた本である。とあるアルゴリズムに関する本であり、誰がどう見ても専門家向けの本であり、それは今の彼女の仕事の基本となるものだ。

 

 『ママはこれはやだな~。お仕事のこと忘れたいな~』

 『おかあさまはしょうがないのです!それじゃあおべんきょうをしたいのです』

 『え~~~。しょうがないわね~。サチのお願いだから特別よ』

 

 彼女が取り出したのは大学数学の参考書だった。そして彼女の夫が高校時代に使っていたものである。題名は『猿でも分かるフーリエ変換』である。司は理解するのに時間がかかったので、彼女は将来の夫を散々バカにしたのだが、それもいい思い出だ。

 

 もちろん内容は分かってないのだろうが、愛しの息子が書庫から持ってきたものだから一緒に眺めているのだ。

 彼女の専攻は数学という訳ではなかったが、昔から数学はそれなりに好きだった。

 血は争えないのね…。などと桜は馬鹿なことを考えている。

 

 『おかあさま。これはもうよみおわったのです』

 『もう、じゃあこっちにしましょうね~』

 

 ――飽きただけなのに、読み終わったなんて言っちゃってもう!可愛いんだから!!

 

 桜の頭はだいぶお花畑だった。息子が出来てからずっとこの調子である。

 次に取り出したのは『スペクトル論Ⅰ』で、やっぱり小難しい本だった。

 彼女の息子は絵本よりも、小難しい参考書や実用書を好む傾向にあったのだ。

 天才の血を引いてしまった悲しい部分である。

 

 

 

 ――初花桜は、ここ10年で初花の名を世界に知らしめた。

 その功績は何よりも検索エンジンの開発であった。まだインターネットが大衆化していない中、その発展に寄与した正真正銘の天才である。

 

 しかしここ数年は壁にぶつかっている部分もあった。まあ、彼女が管理している初花系列の会社の業績も圧倒的に良く、子どもも出来たばかりなので、特に気にせずまったりと研究、開発をしてはいたのだが。

 

 

 

 その日は、たまたま開発中の案を家に持ち帰っていた。

 いつものソファでくつろぎながら式を立てていると、愛しの息子が寄ってきたのだ。

 まだ7歳になったばかり、まだまだ可愛い盛りである。まあ彼女は毎年可愛い盛りと言っている親バカなのだが。

 

 いつものように抱きしめて、その感触を堪能していると、幸は先ほどまで桜が書きなぐっていた文字を見て、口を開く。

 

 『おかあさま。このしきはこれだときもちわるいのです』

 『そうよね~。ママもそう思って…え?』

 『ここにへんすうをつけてあげるのです。nにしましょう。それでこっちに1-nをたしてあげるのです。これで0から1でnをちょうせいすればかいけつなのです』

 『サチ。あなた、それ、分かるの?』

 『…?なんでわからないのですか?さちはむずかしいことをいってないのです』

 

 初花幸は初花桜の息子である。

 その血を、色濃く受け継いでいた。

 

 『ねえ、サチ。この式を指数関数の和にできる?』

 

 いつかの司ができなかったそれを。サラサラと数式を書いてみたら。

 

 『もうおかあさま。そんなのかんたんすぎてつまらないのです』

 

 おいらーのこうしきなのです、なんて言いながら。

 サラサラと書き返された。

 

 そしてその瞬間、彼女は完全に理解してしまった。

 この子は、私と同じだ、と。

 

 ――『わからない』が『わからない』んだ、と。

 

 

 彼女の脳裏に浮かんだのは幼いころの苦い思い出の数々である。

 周りと違う自分に苦しみ、誰も自分を理解してくれないことに苦しんだその日々を。

 でも、そこから救い上げてくれた人がいたことも。

 

 『――サチ。あなたは、私が幸せにするわ』

 『おかあさま。さちはもうしあわせなのですよ?』

 

 いつか彼女は、愛させるための仮面を被った。でもそれは仮面でしかないから、つらかったのだ。

 だからこそ、長く苦しんだのだ。

 でも、愛させる――愛される行動、言動、雰囲気、それが『素顔』になったなら。

 

 ――サチ。あなたにも、私にとってのパパみたいな人が、きっと、すぐに見つかるわ。

 

 『サチ。ママと一緒にまた修行をしましょう?』

 『いいのですよ!なにをしゅぎょうするのですか!ししょう!』

 『ふふ、そうね――世界一、素敵な子になるための修行よ。一緒に頑張ろうね』

 

 ――世界一、あなたを愛してくれる人を見つけるためのね。

 

 そして、その頬にキスを落としたのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「顔からコケちゃえ!クソ石上!」

 

 そんな言葉が、幸の耳には入ってきた。

 

 石上が多くの同級生、特に女子に嫌われていることは幸の知るところである。

 幸はその理由を知らない、ということになっている。だが、本当は察しがついていた。

 多くの人から聞いた断片的な噂を繋ぎ合わせればどんなことが彼に起きたのか分かっていたのだ。

 

 ――初花幸は、石上優を知っている。

 なんだかんだで半年以上の付き合いがあるのだ。クラスも生徒会も同じとなれば、話す機会ももちろん多い。

 

 「全部。アンタのせいだ!!」

 

 同じ少女が、石上に続けて叫んだ。

 幸はその少女を知らない。秀知院の制服を着ていないその少女を知らない。

 しかし。

 

 ――初花幸は、石上優を知っている。

 リア充を呪い、カップルを呪い、ネガティブな発言も目立つ彼の、その性根は真っ直ぐで善良であることを知っている。

 

 「うるせぇばーか」

 「…!!」

 

 周りからは、応援の声が鳴りやまない。太鼓の音も響いている。

 グラウンドを走る、赤と白、それぞれに皆の視線が刺さる中。

 幸は、石上を見ていた。彼と、その少女の言葉の応酬を聞いた。

 だから、その少女が何者かにも気づいた。

 彼女の感情にも、石上の感情にも、気づいた。

 

 

 

 ―――初花幸は、石上優を知っている。

 『そんなこと』をするような人間ではないと。

 

 

 

 そして石上は、バトンを受け取り、走り出したのだ。

 

 「ねぇ。チカ先輩」

 「どうしましたか??」

 

 幸は、隣でその成り行きを一緒に見つめていた千花に、問いかける。

 

 「僕と、あの女の人、どっちがかわいいですか?」

 「…サチちゃん。悪いこと考えてますね?ひどいことは、だめですよ」

 「もちろんです」

 「――100対0で、サチちゃんの勝ちです。いってらっしゃい」

 「はい。いってきます」

 

 その評価には、事前の印象の問題ももちろんあったが。

 秀知院学園のお姫様、そんな風に呼ばれる少年の容姿は、最強の武器なのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 やがて石上はそのトラックを走り抜けた。

 1位をとることは出来なかった。

 それでも、走り切った彼のところへは多くの生徒が駆け寄った。

 

 先輩も、同級生も、駆け寄ったのだ。

 それはきっと石上にとって1つの分岐点。

 

 まず副団長が声をかけ、団長が声をかけ。

 石上には多くの温かい声が届くのだ。

 

 石上も、顔を上げて、薄く笑った。

 そしてみんなで謎の掛け声で気合をいれた――そのちょっと後に。

 

 

 

 『ゆうくんっ』

 1つの影が石上に駆け寄った。そしてその勢いのまま抱き着いたのだ。

 隣で小野寺が信じられないものを見る目をしている。

 

 「は、初花?」

 「いいから合わせて抱き返すのです」

 

 小声でそんな会話をして。

 

 『ゆうくんがんばったねっ!!わたし、もう、うぅ…』

 大声でそんなことを言うのだ。

 

 その目線が向かう先は、件の少女である。

 両隣にいた同級生には、他の同級生をけしかけて、少しの間引き取ってもらった。

 

 目には涙を携えて。

 視線には愛情を携えて。

 金髪が陽に照らされて、輝いた。

 

 母から教えを受け継いだ初花幸は、『魅せる』天才だった。

 

 その容姿も相まって、その少女から見ればカップルにしか見えないだろう。

 だってその少女は、そのお姫様の性別を知らないのだから。

 

 「ちょっとぐらい意地悪しても、バチは当たらないのです」

 「初花、お前知って――」

 「予想です。ほら、早くカップルっぽくするのです」

 

 滅茶苦茶むかついている相手に、可愛い彼女が出来ていたらどう感じるだろう。

 たぶん、滅茶苦茶むかつくのだ。

 

 『ありがとう、サチ』

 

 それは笑っちゃうぐらい、下手な演技だったけれど。

 少女には効果があったようで、表情が崩れたのが見えた。

 

 そして幸は、意味ありげな視線をその少女に向けて。

 薄く、意地悪く微笑んだ。

 まるで、今は私のもの、とでも宣言するように。 

 

 少女の顔に怒りの色が見えて。

 幸はちょっと満足する。

 

 そして石上の手を引いて、少女の視線から離れていくのだ。

 

 「世界は――ちゃんと心を開いてあげれば考えているより僕たちに優しいのです。でしょう?」

 「初花は、僕のことをよく分かってるんだな」

 

 それを聞いて、幸は少しだけ笑う。

 

 「だって僕たちは似た者同士で――」

 

 お互いに、過去の出来事から心を閉ざした。

 先に幸は心を開いた。その扉を最後に開いてくれたのは千花で。

 石上のその扉を最後に開いてくれるのは誰か分からないけど、次は石上の番だ。

 

 「友達、でしょう?」

 「ああ――友達、だ」

 

 次から、関係性に聞かれても困ることはないだろう。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 教室から生徒会室へと至る途中で。

 

 石上は残っていた課題を終わらせるために教室に残っており、少し遅れて生徒会室に向かっていた。

 

 やがて、鮮やかな金髪が視界に入った。今日も職員室に寄っていたために少し遅れたのだろう。

 

 その姿を見て、石上は歩くペースを速めて。

 

 「よう。職員室帰りか?」

 「そうです。石上さんは?」

 「あー課題だよ。英語のあったろ?あれ終わってなくて」

 

 これからは、廊下で見かけても、声をかけるのだ。

 

 だって2人は、友達だから。




攻略完了すると名前呼びになるシステム。
でも石上は気恥ずかしくて名前で呼んでくれなそうなのでこのような形で1回呼んでもらいました。


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12月
【20】四宮かぐや と 初花幸


 「――会長」

 「どうした、四宮。そんな神妙な顔をして」

 

 夕暮れ時の生徒会室。

 他のメンバーはもう仕事を終えて早々に帰ってしまった。残された2人は細々とした仕事を片付けていた。

 

 「もう12月。そろそろ期限ですが、初花さんはどうするのでしょうね」

 「四宮は知っていたのか」

 

 不完全な会話。しかし彼らには共通の知識があるからこそ、通じるものがあった。

 

 「初花も隠すことをやめたのでしょう。私たちのところにもそれなりに情報はおりてきます――選別されたものではあるでしょうが」

 「しかしこれは事実だ。生徒会長にでもなっていればまだしも、今のあいつを縛るものはない。どうするんだろうな」

 「今月が一応の期限ですからね――延長か、編入か――もしくは…」

 

 

 ――初花幸は留学生である。

 初花司が苦心の末にこの秀知院学園に息子をねじ込むために使った策である。

 

 既に秀知院学園の入試も終わってしまった3月中旬、彼はこの学校を訪れたのだ。どうにかして息子を入学させたいと。

 彼の妻が――幸の母が眠り続けて3年以上が過ぎ、息子は15歳を迎えた。しかし、その家族関係は冷え切ったものになってしまった。それだけならまだ、耐えられた。

 でも、死んだような目で研究に打ち込む息子を見た時、彼は決意をした。

 嫌われようとも、何かを変えなければならないと。

 

 だからこそ、彼と妻が出会った、この学園に希望を託した。

 

 「幼少の頃からアメリカで母親と共に初花のIT部門で検索アルゴリズムの開発――あれは現在の初花の根幹事業。初花の後継者に指名されるのも、それに全く異論が出なかったのにも納得です」

 「息を吐くように俺の知らない情報を出すんじゃない」

 「そのうち皆知るようになりますよ」

 

 普通の新入生として入学させるには時期が遅かった。もちろん、出来ないこともなかったが、その事実が露見した時に角が立ってしまう。

 だが幸はずっとアメリカ育ちだ。それを利用して留学生として入学をさせた。これならば多少時期がずれ込んでいても、理由はいくつか立てられるから都合が良かった。

 

 「留学の件でさえ、俺も最近校長に知らされたばかりなんだがな」

 「箝口令が解かれた、と。最初の頃の方が、転入だの編入だの留学だのという話や噂が少し出ていたことを考えれば、どうにか入学をさせてから段々と体裁を整えていったということでしょうね」

 

 秀知院学園では留学生とて、一定以上の成績がなければ次学年に進級できない。

 先月がその判定をされる月であり、今月末――実際には2学期が終わるその日が進級希望の期限、つまり秀知院学園に残るか残らないかの選択の期限なのだ。もちろん幸の成績自体は足りており、進級は可能なのだが。

 

 その進級希望は、未だ提出をされていない。

 

 「まあ多少おかしいとは思っていたんだがな。あれで成績上位にいないわけがない」

 「そもそもカリキュラムが違う以上、載りようがなかったわけですね」

 

 幸が度々職員室に向かうのは、留学生であることを隠すために留学生用の授業を受けていないのが理由で補習としてその分を受けるためだ。

 もちろん、一般生徒とはテストも違う。同じテストも受けているが、それが全てではない。だからこそ成績順位などにはカウントされていなかった。

 

 「私は――」

 「どうしたんだ?」

 

 何も恥ずかしくない言葉なのに、少しだけ言葉にするのは、気恥ずかしい。

 

 「私は、少し残念です。このままならきっと来年度、彼はいない」

 「なぜそう思うんだ?」

 「状況を鑑みると、ですね。夏休み明け、アメリカにいると言って学校を欠席していた。その時初花はアメリカで――初花のIT関連はアメリカに本社がありますから――そこで事業拡大を発表しました。そして来週、彼が生徒会を欠席する日には、また大きな発表があると噂されています」

 

 かぐやは、幸の情報が入ったと同時に、今までの彼の行動と初花の系列企業の動きを比較した。

 そこには、偶然では絶対に片付けられない相関関係があった。

 

 「今までもそう。夏休み直前を除いて彼が休んだ日には必ず何かしらの動きがあります」

 「じゃあサチはそちらに専念するのでは、ということか」

 「ええ。初花はこの先もっと大きくなるでしょうから」

 

 今まで四大財閥の力は均衡していた。

 四宮は経済に強く、初花は経済が弱いが政治は強い。

 しかし、その均衡を破り、初花は頭一つ抜け出したのだ。

 その立役者は、忙しくなるだろう。

 

 「それが、最善なのでしょう。持っている才能を最大限に活かせる場がある。それは幸せなことだと思います」

 「――だが。感情面ではどうしても、か」

 「認めがたいことですが」

 「あの四宮がな。きっと、それも成長なんだろうよ」

 

 この生徒会において、初花幸と最も仲が良かった者は誰か。

 それはきっと、恋人である千花を除いてしまえば、四宮かぐやなのだ。

 

 『如月幸』であったときから恋バナをする程に話し。

 『初花幸』となってからは同格の家の人間として対等に話すことが出来た。かぐやにとっては、『四宮』に怯えないという希少な相手だったのだ。隠し事をしなくて済むのも気楽だった。

 花火の際には、白銀の好みの浴衣を聞いてもらった。

 生徒会室ではゲームに共に興じることも多かった。

 

 その2人の関係は、周りから見ても良好な友人関係だったのだ。

 

 ――あのかぐやでさえ、認めてしまうほどの。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「お話があります」

 「…驚きました」

 

 だからかぐやは、翌日、幸のクラスに押し掛けた。

 今は昼休みである。始まった瞬間に彼女は幸のクラスへと奇襲をかけた。

 

 周りの生徒たちは財閥同士の争いか、と恐怖を感じている。

 そのあまりの剣幕に石上と伊井野とて何も反応が出来なかった。

 

 「場所を変えましょうか」

 「ええ、そうしましょう」

 

 在校生の二大有名人が会話もなしに中庭へと向かう姿はとにかく目立った。

 しかし、かぐやのその剣幕に誰も話しかけることもできないのだ。

 

 

 中庭に着いて、並んでベンチに腰掛ける。

 

 「あなたのせいで昨日は眠れませんでした」

 「その目つき、寝坊のせいだったんですね…御行先輩と同じですよそれでは」

 「会長とおそろい!?…なんでもありません」

 「今は流しておきます…」

 

 なんでこの先輩は好意がバレてこなかったのだろう、と真面目に幸は考えた。

 

 「初花さん、あなたに言わなければ後悔するであろうことがあります」

 「なんでしょう」

 

 かぐやは間を置くこともなく言い切った。

 

 「――日本に残りなさい」

 

 「バレていましたか」

 「当たり前です」

 

 合わせていた目を離して、2人して正面を向く。

 

 「藤原さんは、あんなでも周りを何だかんだ見ているものです。空気が読めるかは別として――この中庭に伊井野さんが来たのなら普段は気づくでしょう?」

 

 それはいつか、伊井野が幸と千花がイチャついているのを見て絶望した時の話である。

 

 「それにしても最近は過剰でした。人前では恥ずかしがりそうなものなのに、あんなに時も場所も考えずにくっついて…でも、この学校で2人でいられる時間がもう少ないなら、そう考えたら納得できました」

 

 いつかの膝枕も含めて、最近の千花は愛情表現か過剰だった。

 かぐやとて、最初はそれを浮かれているだけだと考えた。でも、それは違った。

 こうして学校で一緒に過ごせる時間があと少ししかないから、それ故だったのだ。

 かぐやは、それに気づいてしまった。

 

 「もう1度言いましょう。日本に残りなさい」

 「四宮先輩がそう言うのは予想外でした」

 「私だって予想していませんでしたよ。四宮ともあろう者が、こんな感情を持つなど」

 

 再び、2人の目が合う。

 かぐやは、真っ直ぐに感情を伝えることが苦手だ、特にそれが好意であればあるほど。

 それでも、言わなければならなかった。そう思ってしまった。

 

 「1度しか言いませんからね――私は、あなたも藤原さんも友人だと思っています」

 「そんな2人が結ばれたことも喜ばしく感じます」

 「離れることを望んでいないでしょう?あなたたちは」

 

 「――そして、私もまた、この『いつも通り』が崩れることを望んでいない」

 

 千花が日常を愛しているように、かぐやもこの日常を愛していた。

 

 「会長がいる。藤原さんがいる。石上くんがいる。伊井野さんがいる。そして、初花さん、あなたがいる生徒会の日常が崩れることを望んでいないのよ」

 「そう、これはお願いよ。『友人』としてのね――それが期日が来る前にあなたに伝えておきたかったこと」

 

 かぐやには珍しい、素直な気持ちだった。

 それを聞いた幸は、視線を外して、ベンチに深くもたれかかった。

 

 「4月に高校に通うために日本に来た時、僕はこんなことになるとは思っていませんでした」

 「あの時は、何もかも捨てたい気持ちしかなくて、義務感だけで、お母様と創りあげたものを守っていて…」

 「でもあの日ここでチカ先輩に出会って、皆さんと出会って」

 「――今は、大切にしたいもので溢れているのです」

 

 かぐやは、ただ頷いた。

 

 「もう少しだけ、考えてみます」

 

 「わかりました――願わくば、私の期待通りになることを」

 

 そう言って、かぐやは校舎へと足を向けた。



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【終】藤原千花 と 初花幸

 「お父様――僕は今から、わがままを言います」

 

 その言葉を聞いて、初花司は、笑顔になった。

 幸の脳裏に、いつか千花が言った言葉が蘇る。

 

 『大好きな相手だったら、ちょっと困るようなお願いをされたって、嬉しいものなんですよ』

 『だったらお父様は――もっと嬉しいはずなんです』

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「お母様――僕は勘違いをしていました」

 

 「お父様は、僕がただ健やかであるだけでいいと、そう仰っていました」

 

 「きっと、お母様も、そうだったのですね」

 

 「ごめんなさい、お母様。僕は勘違いをしていたのです」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 そして、文化祭当日。

 

 

 

 まだ太陽も上りきらない午前5時前。

 秀知院学園に生徒として一番最初に到着をしたのは、おそらく藤原千花だった。まだどこの教室からも明かりは漏れていない。

 

 恋人に昨日、話したいことがあると言われたから彼女は今ここにいる。

 その内容は分かっていた。

 

 

『――アメリカに戻ろうと、思います』

 

 

 生徒会選挙が終わって少しした頃。

 珍しく暗い顔をした恋人から告げられたのは、そんな言葉だった。

 

 千花は、幸の学校における身分が留学生であるとこも、幼少からアメリカで過ごしていたことも知っていた。それでも、帰るなんてことは想像すらしていなかった。

 幸は初花家での仕事に戻ると言ったのだ。

 もちろん日本とアメリカを行き来するから、会う機会は頻繁にある。しかし、もう学校生活は共におくれないと。

 

 突然の宣言ではあった。

 

 それでも結局、千花は幸を送りだすことに決めた。

 一緒に学校生活を過ごしたい気持ちはもちろん溢れるほどにあったけれど、その気持ちが幸にもあることは彼女には分かった。

 その上での決意なのだ。だから、千花がそれを応援をしてあげたいと思ったのだって、嘘偽りのない本心だ。

 

 幸は、今年で、学校を去ると言った。今年度、ではなく。

 つまりそれは、この文化祭が終われば去るということだ。

 

 別れの日が一日近づく度に、千花の心は締め付けられた。

 

 永遠の別れでもない。恋人関係がなくなる訳でもない。

 ただ、この日常が壊れてしまう、それだけで。

 

 それでも、わがままは言えなかった。

 千花は、ちょっとだけ不器用な師匠だった。

 

 足が生徒会室へと、ゆっくりと千花を運ぶ。

 

 階段を登って、廊下に差し掛かると、生徒会室から光が漏れているのが見えた。

 

 それを見て千花は、コートの中に忍ばせたその『箱』を握りしめてから、駆け出した。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 千花が生徒会の扉を開ければ、すでにそこには幸がいた。

 

 朝日が昇り始めていて。

 窓から射し込んだ光が、部屋を照らす、

 

 「チカ先輩」

 「サチ、ちゃん」

 

 ただ恋人の名を呼んで、その顔を見るだけで、こんなに心が満たされることを千花はこの数ヶ月で知った。

 ただ恋人に名を呼ばれて、その切なそうな顔を見るだけで、こんなに心が締め付けられることを千花はこの数ヶ月で、初めて知った。

 

 「お話を、聞いていただけますか」

 

 その真剣な瞳に貫かれて。

 聞いてあげたい。聞きたくない。そんな気持ちが交互に現れて。

 千花の心は、悲鳴を上げた。

 

 「いや、です。私は聞きたくないです!!」

 

 初めての、拒絶だった。

 弟子を褒め続け、認め続け、支え続け、肯定し続けた、そんな師匠の初めての拒絶だった。

 

 頭では分かっていた。過ごす時間は減るけれど、会う時間はある。幸が悩んでした選択を応援してあげたい。

 いつまでも、駄々をこねる、子どもじゃいられない。

 空気を、読むようにならなきゃだめで。

 それでも。

 

 「わたしは、私は。サチちゃんと一緒にいたい!!同じ学校で過ごしたいです!!朝は一緒に登校をしたいし、お昼は一緒に食べるんです。授業が終わったら生徒会室で過ごして、帰りはまた明日って言ってバイバイしたいです。たまにそのまま一緒に帰って、お泊まりをして、休日は一日一緒に過ごすんです。そんな生活をもっと、つづけたい、です」

 

 涙が止めどなく溢れて、止まらなかった。

 

 「私は、ダメな、師匠です」

 

 隠し続けるはずだった願いが、溢れてしまって。

 千花は、少し、自分を嫌いになりそうだった。

 

 「ごめんなさい、チカ先輩」

 「――僕は残ることにしたのです」

 「だから、泣かないで」

 

 その言葉が、千花の中に入ってきて、弾けた。

 

 「うぇ?えーーー!!!サチちゃんのその感じ、だってすごい、もうお別れみたいな感じでしたよ!!」

 

 「ふふっ。ごめんなさい…だから、お話を聞いてもらえますか?」

 

 それでもちょっとだけ切なそうな表情は変わらなくて。

 

 「はいっ!!師匠が、聞いてあげます!」

 

 千花は切り替えが早い女の子なのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 初花幸という少年がいた。

 彼には『わからない』が『わからない』…なんてことはなく、割とわからないことも多かった。

 もちろん、本の中の世界だけを考えれば、わからないと感じたことはほとんどなかった。

 

 けれど、目線を上げて現実の世界を見渡した時、分からないことだらけだった。

 

 最初に通った学校では、同級生の気持ちが分からなくて、結局通わなくなってしまった。

 いつしか自分が他の人よりも、本の世界のことが遥かに得意だと気付いた時、取り繕い方を覚えた。

 

 本の世界のことは、母と共有ができたから、それだけで十分だった。

 

 でも、たくさんの『わからない』が『わかる』ようになっていく中で。

 ずっと、わからないことがあった。

 

 初花幸は、

 『愛されてる』が、

 わからない。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「お母様は僕に『愛させ方』をたくさん教えてくれました。人に綺麗に見られる方法、人に好かれる言動、人に守ってもらえる方法」

 

 幸はぽつぽつと話し始めた。

 それは、彼らが『仲直り大作戦』をした時と似ていて。

 

 「でも僕は小さい時、少しだけ頭が回ったせいで分からなくなったのです」

 

 一度、幸は俯いて、小さな声で言った。

 

 「お母様が好きなのは、そういう行動が出来る僕であって、もしそれがなかったら愛してくれないんじゃないか」

 「お母様はそのままの僕が好きじゃないから、こうして愛させ方を教えてくれるんじゃないか」

 「お母様のことは大好きだけど、そんなひねくれた考え方をして、漠然とそんな気持ちを抱えてきたのです」

 

 『愛させ方』『愛され方』を教わった。

 でもそのせいで、そのままの自分は愛されていないのかと思ってしまったのだ。

 

 「『愛される』ことが不安なのです」

 「愛されない行動をとった時の僕はどうなるのか、好かれる行動を捨てた僕はどうなるのか」

 「愛した人に、愛されなくなったとき、どうなってしまうのか、わからないのです」

 「だから、お父様との溝が埋まらなかった。僕は、本当の気持ちを知るのが怖かったのです」

 

 千花は、ただ、頷いた。

 言いたいことはたくさんあった。

 でも、ただ、話を促した。

 

 「先日――お父様に言われたのです。『親は子が健やかであるだけで幸せ』だと」

 「僕はもっと単純に考えるべきだったのです」

 

 もう一度顔を上げる。

 幸と千花の視線が再び交差した。

 「お母様が僕に『愛させ方』を教えたのは」

 「単に僕が愛されて欲しかっただけなのです」

 「そう、単純に考えればよかったのです」

 「お母様と同じつらい思いをしないように、そう願ってくれた愛情だったのです」

 

 初花桜は、誰よりも幸を愛していた。

 彼女自身が持ちたかった家族であり、最愛の夫との宝物。

 それだけで何者にも負けない愛を注いでいたのだ。

 

 「そして、愛させる方法を持った僕だって、僕の一部です」

 「なによりも、僕が愛した人に、僕が思ったより、僕は愛されていました」

 

 かぐやが真剣に幸を引き止めた。

 白銀は生徒会長を諦めたと知っただけで、罪悪感を抱いた。

 石上は友達と言われて、それだけで嬉しそうだった。

 

 そして千花は、心にかけた鍵を壊してしまうほどに、幸との日常を望んだ。

 

 その事実が、幸に気づかせた。いや、認めさせた。

 

 ずっと『愛される』ことが、少し怖かったのだ。

 それを失うことが、何よりも怖かったから。

 

 「僕が注いだ愛の分だけ――いえ、それ以上に僕は愛を受け取っています」

 「お父様からもお母様からも、皆さんから――そして何よりもチカ先輩から」

 「それを認めようとしていなかったから、チカ先輩を泣かせてしまったのです。ごめんなさい」

 

 もう、目を背けるのはやめた。

 ただ愛を注ぐだけではない。返されるそれにだって、ちゃんと目を向けて、信じてあげるのだ。

 

 自分が愛を注ぐのは、愛を注ぎたいからで。

 相手が愛を返してくれるのは、愛を返したいからである。

 ただ、それだけだ。いつか失われるかもしれない、いつか小さくなるかもしれない。そんなことは、関係ないのだ。

 

 だって、自分が人を愛する時、それをいつかなくすことは考えなかった。

 だったら相手だって、同じ気持ちなのだと、信じてみようと思った。

 

 「――初めて会ったとき、笑顔に憧れました」

 

 続けられた言葉の始まりは、いつかの告白と同じで。

 

 「恋人になった今でも、毎日あなたに恋をしています。隣でずっと笑っていて欲しいです」

 

 幸は千花の方へ歩み寄り、まっすぐと見据えた。

 その、意思の籠もった瞳は、両親譲りで。

 

 「あいしています。チカさん」

 「誰よりも、何よりも」

 「一緒に一番幸せになれる方法を迷わず選ぶべきでした」

 

 もう口づけには慣れてしまったけれど。

 

 今回の口づけは、ファーストキスのように。心に刻まれて。

 少しだけ感じた涙の味が、印象深かったのだ。

 

 「いつかサチちゃんは言ってましたね」

 「私に愛されたい、だから師匠になって、って」

 

 『チカ先輩に――愛されたいです。だから――ご教授、お願いしますね?』

 それは、いつかの告白の一部で。

 

 「だから、もう。今回も師匠は、解任です」

 「私だって、あいしてるんですよ――サチ、くん」

 「ずっと一緒にいましょう?約束通りにです」

 

 初めて言った心からの「愛してる」はどこかくすぐったくて。

 恋人たちはまたぶつかり合って、強くなった。

 

 千花はポケットに忍ばせていた、箱を取り出した。

 

 「1日早いハッピーバースデーです!!」

 「ありがとうございます。分かっていても、照れるのですね」

 

 手のひらに収まるサイズの箱の中に入ったそれは。

 開けるまでもなく何か分かって。

 

 2人して顔を赤くしながら、開いてみれば。

 それは一対の指輪だった。

 

 何も言わずに千花は指輪を一つ取り出した。

 その意図を察して、幸も左手を差し出す。

 

 ゆっくりと薬指に嵌められたそれが、朝日に照らされた。

 

 同じように幸も指輪を取り出して、それを千花の薬指へ。

 

 「本番は、2年後です」

 「練習、しておきますか?」

 「いいですよ!!ーー健やかなる時も病める時も…えーっと、なんでしたっけ…愛します!」

 「誓います、じゃなかったですか?」

 「もう、細かいです!!ほら早く言ってください!!」

 「はい。愛します」

 「私聞きましたからね!約束破ったら怒りますよ!!」

 

 契約なんかじゃ、愛も気持ちも縛ることはできないけれど。

 それでも、そんな不確かなものにだって縋りたくなるぐらい愛しているのだ。

 

 翌日、そんな2人の婚約を初花は、静かに発表した。発表予定自体は数ヶ月前からあったのだが。

 

 そうして、お見合い写真を破り捨てるという当主の業務が一つ減ったのだった。

 

 

 

おわり!




とりあえずの区切りです。
一旦メインストーリーは完結ということで。
読んでくださった方々ありがとうございます。

元々、5万字ぐらいでまとめる予定だったのが、入れたい要素が増えすぎて文量が増え、更に展開も早足になってしまいました。

次回からは時系列に関係なく投稿する予定です!おまけとして!
どの時点でのお話かは分かるように書く予定です!

まあ次は文化祭の話の予定なので結局時系列に沿ってるんですけどね!!

よろしくお願いします!!


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オマケ(後日談など)
初花幸は信じられたい(奉心祭1日目)


 文化祭当日。

 

 白銀は絶望していた。

 自転車をこいで、颯爽と学校へと向かう中、白銀御行は絶望していた。

 繰り返すが、白銀は絶望していた。

 

 『会長――サチちゃんと話したいので、朝、生徒会室を使っても大丈夫ですか?』

 

 前日そんな電話を、死にそうな程に暗い声でしてきたのは藤原千花だった。

 白銀は瞬時に彼女の状況を察し、そしてこんなことを思った。

 

 『恋愛自粛』である。

 

 四宮かぐやに告白をさせるための策を巡らせている中、これは非常にまずい状況だった。藤原千花と初花幸の2人は十中八九よろしくない状況になっているだろう。

 破局、まではないにしろ、文化祭だハッピーハッピーマジ卍というような状況ではないのは確かである。白銀にとってもかぐやにとっても2人共とても大事な友人であり、そんな2人が暗い状況の中、自分たちだけ告白だなんだ、なんてしている余裕はないのだ。

 

 

 そのうちに、秀知院学園の姿が目に入った。

 

 まだ時間は7時前。多くの生徒が準備のために既に登校をしているようで、それなりの活気が感じられた。いつも通りの場所に自転車を止めて、校内へ。

 いつもとは違い、校門から入ってからは多くの出店が並んでいる。

 

 そして白銀は見つけてしまった。クレープ屋の前で跳ねている藤原千花を。

 

 いつも一緒にいる金髪のお姫様系の少年はいない。

 白銀は再び絶望した。

 

 (おまっ。跳ねてる場合じゃねーよ)

 

 なぜかぴょんぴょんと楽しそうに跳ねている千花に文句の3つや4つ言いたくなった。恋愛自粛は確定したようなものだ。

 嬉しそうな様子は上手くいったように見えるが、わざわざ初日の午前中に休みを取ったのに、あの千花が働いているあたり、そういうことなのだろう。

 

 しかし、事実を本人から確かめなければならなかった。彼の今後のためにも。

 白銀を視界に入れた彼女は、笑顔になって目を合わせた。

 

 「藤原書記。何をしてるんだ?」

 「ハートの風船が大量に余っているの――」

 

 何やらその後も千花は色々と言っていたが、白銀の耳には届かなかった。

 

 (あっぶねーーー!!助かったーーーー)

 

 ハートの風船を掲げたその手が――その指に煌めいた『銀色』が。

 

 白銀の勝利を確信させたのだった。

 

 「それで、サチはどこにいったんだ?珍しく一緒じゃないが」

 「校長室ですよ!提出するものがあるんです!」

 「あぁ。そうか――提出するものか。本当に、良かった」

 

 来年からも生徒会のメンバーが欠けることは、なさそうだ。

 ついでに恋愛自粛も免れそうである。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 幸は無事に校長へと進級希望を提出し終えた。

 彼は校長に「冗談デハないデスヨね?」と何故か言われた。マジのマジだったのにである。

 

 まだ文化祭こそ始まってはいないものの校内には準備のために生徒が集まっており、あちらこちらから活気が感じられる。

 

 「あら、アンタ」

 

 生徒会室へと戻る道すがら、彼に話しかけたのは、見慣れない人物だった。

 見慣れないとは言っても、その人のことは幸も知っていた。もちろん、相手も幸のことを知っていた。

 

 「初花の秘蔵っ子じゃない。そんな指輪見せびらかしてどうしたのかしら」

 

 幸は決して見せびらかしてなどなかった。普通に歩いていただけだ。

 

 「あなたは…たしか、四条家の?」

 「そうよ!私は四条眞妃!正当な四宮の血筋を引くもの!」

 「えっと、僕は初花幸。正当な初花の血筋を引くものです」

 「アンタの方が直系じゃない!!腹立つわね!!」

 「名乗りに入れるほど血筋が大事なんですか?」

 「うるさい!!アンタのそれは勉強出来るやつが世の中学歴じゃないって言ってるようなもんよ!」

 

 なぜか四条家の御令嬢がバトルを仕掛けてきたのだ。

 残念ながら2人は会話を交わすことさえ初めてである。

 喧嘩を売られる覚えは欠片とて幸にはなかった。

 

 「…私にも情報がおりてきたの」

 

 かぐやが持っていたものと同じ情報が、もちろん眞妃のもとにも届いている。

 

 「別に私は藤原さんと特別仲が良いわけじゃないわ。それでもクラスメートなの。あんな暗い顔してた理由を知って黙っておけないわよ」

 「四条先輩は、優しい人なんですね」

 「何?私を口説いたって良いことないわ」

 「婚約したばかりで口説く恥知らずにはなった覚えはないのです」

 

 そして、眞妃は固まった。

 廊下のど真ん中で繰り広げられている会話なので、何人かも立ち止まった。

 

 「は?婚約?何がどうなったらそうなるのよ。冗談も休み休み言いなさい」

 「さっき会ってから1度も冗談を言ってませんが…明日に家から発表があるかと」

 「…ホント?」

 「ホントです」

 

 またちょっとだけ固まって、今度は幸の背中をバシンバシンと叩く。

 

 「なーによ。そんな顔してアンタやるじゃない。御行と優にも見習わせてやりたいわ」

 「日本にも残るのでそちらも忘れてください」

 「もちろんよ、安心したわ。なーんだ…喧嘩売って損した」

 「自覚はあったのですね」

 

 いきなりバトルを仕掛けてきた割には眞妃は良い奴だった。

 

 「初花、クラスには2時ぐらいに来なさい。私もシフト入ってるからちゃーんと恋人のところに案内してあげるわよ。それがお祝い――まっ。四条家からは改めて何かお祝いを送るでしょうけど」

 「やっぱり四条先輩は優しいですね」

 「そんなに口説いてもダメよ」

 「だから口説いてはないのです」

 

 そうして幸は解放されたのだ。

 まさかまた四条眞妃と関わることになるとは――この時は思っていなかった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 「なあ初花。どうやったら人に好かれるんだろうな」

 

 眞妃に変な絡まれ方をしてから、ついに生徒会室へとたどり着いた初花幸。

 今度は絡んできたのは石上だった。

 

 文化祭実行委員の休憩時間、その休憩場所に選ばれたのは生徒会室だった。

 流石に疲れているのか、ゲームもせずにソファに全身を預けて休んでいたのは石上だった。

 そんな石上は挨拶もそこそこにいきなり幸に問いかけた。

 

 「いきなりどうしたのですか」

 「いや、好きな人と文化祭を回りたいんだけど、なぁ…はぁ…」

 「石上さんが恋愛の話とは、珍しいのです」

 「僕の交友関係知ってるだろ?初花と会長…あとはギリギリ四宮先輩とツンデレ先輩ぐらいしかいないんだよ。真面目に聞いてくれそうなの」

 「ちょっと悲しいことを言わないで欲しいのです」

 

 ツンデレ先輩が誰かはわからなかったけれど、クラスで割と孤立気味の石上を幸はよく知っていた。

 確かにクラスの中で石上が恋バナでも始めようものなら、言葉のナイフが飛んでくるに違いなかった。それも大量にである。

 

 「人に好かれる方法、ですか」

 「あぁ。なんか良い方法知らないか?」

 

 母から人に愛される方法を伝授されてきた幸ではあるが、その方法には幸と母の容姿を武器にしたものが多い。

 つまり、石上の容姿でやっても逆効果になるものが多いのだ。

 

 「その人と仲は良いのですか?」

 「会ったら普通に話してくれるし、たまに連絡をしても普通に返ってくるから、嫌われては…ない、と思う」

 「その人に恋人や好きな相手はどうですか?」

 「恋人はたぶんいなくて、好きな相手はどうだろうな…なんか前の恋愛で傷ついて、みたいなことを小野寺から聞いたから今はいなそうかな?」

 

 ちなみに恋愛的に愛した相手に、既に恋人などがいた場合の初花母子の行動は『略奪』一択である。変なところで逞しいのだ。

 

 「それなら石上さんの行動は一択なのです」

 「何かあるのか!?」

 「小細工はいらない。の一択なのです。ガンガンいこうぜ、です」

 「冗談だよな?」

 「大真面目です。なんでさっきからみんな疑うのですか??」

 

 知らない間に信用を失っている気がする幸である。ちょっと不満気だ。

 

 「口ぶりから察するには、恐らく恋愛的に意識されてないのですよね」

 「そう…だな。でもなんでガンガンいこうぜになるんだよ」

 「それだったら意識されなきゃこのまま路傍の石のままです。『あなたを狙ってるから僕のことを見てください』ぐらい言ってこいなのです」

 「でもそれ言われたら相手は困らないか??」

 「そんな心配するなら諦めればいいです」

 「なんか今日辛辣じゃないか??」

 

 恋愛面にうだうだしている奴には厳しいのである。

 しかし実際、それなりの行動を起こさない限り、石上の恋は厳しいものであることは本人もよく自覚していた。

 

 「そういや初花と藤原先輩はどっちから告白したんだ?」

 「唐突ですね」

 「いや、もし良い感じになったとして、告白出来る気がしないんだよ…だからちょっと聞いておこうかと」

 

 別に何の裏表もなく、単に参考にしたいだけだった。

 

 「…僕からですけど」

 「まじか!?どんな風にしたんだよ」

 

 石上のテンションがちょっと上がった。

 どうせ隠し事のできない千花が、何かのタイミングでぽろっと言って告白してしまったのだと勝手に考えていた。

 それに目の前の同級生には告白をしている姿よりもされている姿の方がとてもよく想像できる。

 

 「頬にちゅってして大好きーって言ったのです」

 「は!?参考になんないんだが」

 「参考にさせるために告白したわけじゃないのです」

 

 幸は自分の容姿の使い方をよく承知していた。

 その行動がどれだけ絵になるか、よくわかっている。

 

 「でもすげーよな…行動できるだけでも偉いんだなって今は思う」

 「そう思うならさっさと文化祭誘ってこいです」

 「なんかやっぱ厳しいよな??」

 「真面目な助言をしてるのですから優しいのです」

 

 言いながら、机の上に置いてあったお菓子に手を伸ばす幸。

 ふと、石上の視線が動いたそれに引き寄せられた。

 

 「ん?初花。指輪なんて珍しいな。いつもはつけてないよな」

 

 文化祭だからといつもより数段オシャレをしてくる生徒は多い。

 あまりに華美であれば伊井野を始めとした風紀委員に取り締まられるが、さすがにそれも今日は基準は緩めである。

 しかし、幸はアクセサリー類などを普段つけてくることはない。

 

 「――明日、初花は僕の婚約を発表します。主に有力な家向けのものではありますが、石上さんには先に伝えておきます」

 「はー、初花の婚約なぁ…婚約!?婚約って言ったか今」

 「はい。石上さんが恋に悩んでいるところで言いにくかったのですが」

 「早く言えよ!!さすがの僕でも祝うわ!!」

 

 石上とて根は善良な人間である。友人に良いことがあれば、当たり前のように祝うのだ。

 

 「婚約かあ…この歳でまだ早いだろとは思うけど、初花はちょっと特殊だもんな」

 「そうですね。財閥の子どもたちには生まれたときから婚約者が決まっている時さえあります」

 「世界が違う…」

 「それにお父様には僕しか子供がいませんから、家の者たちもだいぶ急かしていましたね」

 「え、お前もう父親になるの?」

 「そこまでは言ってないのです」

 

 その予定はなかった。

 しかし初花の血筋の者たちとしてはさっさと幸が特定の相手を見つけてくれないと困ったものだったのだ。見た目のせいで女に興味がないのではないかと心配され続けてきた弊害である。相手を見つけたと言った暁には分家の長たちが揃って涙を流したのもいい思い出だ。

 

 「――石上さん」

 「おう、なんだ?」

 

 一拍を置いてから、名前を呼ぶ。

 

 「まっすぐにその気持ちを、好意を表現するべきです。変な飾りも小細工もいりません。緊張もするでしょう、全てが計画通りに進むこともないでしょう、格好悪いところも見せてしまうでしょう――でも、それを笑うような人を、石上さんが好きになると思えません。石上さんが好きになった人を、石上さん自身が信じるのが、何よりも先です」

 

 子安つばめはそのような人間ではない。

 人の格好悪い姿を馬鹿にするような人間ではない。

 そんな姿を見ても尚、信じてくれるような人間だ。

 それを、知っているのは、石上自身で。

 

 目を瞑り、胸に手を置いて、幸は語った。

 

 「これは、僕にも言えたことです。自分が好きになった人を、自分が何よりも、誰よりも信じるべきです。そうしなければ、時に間違った行動もしてしまうものです」

 

 幸も、間違った行動を取ろうとしてしまった。それは、自分を愛してくれている恋人さえ、全てを信じることが出来なかったせいで。

 

 「石上さんの恋が上手くいくことを、祈っています」

 「あぁ――ありがとう」

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 文化祭実行委員長、子安つばめによって奉心祭の開始が宣言された。その宣言はスピーカーを通して、校内に響き渡った。

 

 それと同時に静かに生徒会室の扉が開く。

 

 「サチくーん」

 

 朗らかな声が響くが、返事はない。

 

 生徒会メンバーは幸と千花以外は仕事に向かった。

 2人は生徒会室で待ち合わせをして、午前中は2人で奉心祭を回る予定だったのだが。

 

 「あちゃー。お疲れ、ですね」

 

 千花が中に入って見つけたのはソファに横たわる金髪の少年だった。

 静かだが、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 

 日本へ残るという選択はしたものの、それによる忙しさは殺人的だった。

 もちろん、一番苦労したのは現当主の初花司ではあるのだが。

 

 「私は――わがままを言いました」

 

 初花という家のことだけを考えれば、幸が学校に時間を使っていることは損失である。

 初花幸という人間に与える影響まで考慮するのであれば――将来的には得にはなるのかもしれないが、それは不確定なものだ。

 

 大人になっていく上で、どこかでは捨てなければいけないわがままだろう。

 いつでも、どこでも一緒という訳にはいかないのだから。

 

 それでも彼女は、彼とのこの日常を手放したくなかった。

 

 ――好きな人のわがままなら嬉しいものである。

 そんなことをいつか千花は幸に言ったのだが。

 

 「嬉しく、思ってくれてたら嬉しいのですけど」

 

 それはただの呟きのはずだったのに。

 

 「もちろん嬉しいのです」

 「あれ?起きてたんですか?まさか――寝たふり?」

 

 普通に返事が返ってきて千花は驚く。

 しかも、起きたばかりの割には、かなり意識がハッキリしていそうだった。

 

 「いえ、普通に寝ちゃってました」

 「じゃあなんで起きてるんですかーーー!!!」

 「人の気配がしたら起きないと、暗殺に対応できないってお母様が」

 「なんですかその物騒な冗談!!」

 「だから冗談じゃないのですー!!!もーさっきから皆してなんなのですか!?!?」

 

 それを本当と受け取る人の方が珍しいが、これもマジな話だった。

 

 「チカさんが、本当のことを言ってくれて嬉しかったのです」

 「――でも」

 「心配しないでいいのです。お父様があとはどうにかしてくれます。きっと…たぶん…?ごめんなさい、ありがとうお父様…」

 

 今頃忙殺されているであろう父に幸は深く感謝をした。

 

 ソファからゆっくり立ち上がって、あくびを1つ。

 

 「だから――奉心祭を楽しみましょう?」

 「はいっ!!さいっこーの誕生日にしましょうね!!」

 「誕生日は明日なのです」

 「前夜祭です!!」

 

 手を取り合って、指を絡めて。

 

 恋人たちは、また一歩踏み出したのだ。




これからもゆるく投稿していきます~!
よろしくお願いします~!


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師弟は夫婦になりたい(奉心祭2日目)

 ――四宮かぐやは天才である。

 生まれ持った高い才能に加えて、幼い頃から叩き込まれた一級品の教育。それに根を上げなかったその心。そのかいあって、彼女は天才と呼ばれてもその称号に見劣ることは一切ない淑女であった。

 

 ――初花幸は天才である。

 生まれ持った高い才能に加えて、幼い頃から叩き込まれた一級品の教育。それに根を上げなかったその心。そのかいあって、彼は天才と呼ばれてもその称号に見劣ることは一切ない紳士であった。

 

 いつからか四宮かぐやは仮面を被った。

 冷たい心を覆い隠すために被った笑顔の仮面だった。

 

 いつからか初花幸は仮面を被った。

 弱い心を覆い隠すために被った冷たい仮面だった。

 

 2人はとても似ていた。

 

 「四宮先輩――あなたの心が満たされることを、僕は祈ることしかできません」

 

 いつしか幸は、大事な家族に『愛してる』と言いたい心を抑え付けていた。

 その枷が千花によって解かれた時、とてもとても嬉しくて、幸せで。

 

 でも、同時に悲鳴をあげている心もあった。

 

 素の自分のままで『愛されたい』と心が叫んでいて、『愛されている』と認められない心があって。

 幼い頃からどこかでくすぶっていたその心は、1つの心が満たされたことで、悲鳴をあげた。

 

 人間は欲深い生き物で。

 1つ満たされたら、もう1つ満たされたい。

 

 きっとそれは、かぐやだって同じだから。

 

 「笑顔のあなたが愛されたなら――冷たいあなただって愛されたくなるのでしょう」

 

 2人はとても似ていた。

 だから、分かってしまった。

 

 

 この先が――本当の戦いだ。白銀御行と四宮かぐやの。

 

 

 幸の『愛されたい』は、周りの人皆に向けられていた。最愛の両親と恋人、友人、先輩、使用人たち、皆の愛を求めて、認められなくて、泣いていた。

 

 しかし。

 かぐやの『愛されたい』が向けられているのは、白銀御行ただ一人。

 他の誰にだって、代わりは出来ないのだから。

 

 幸は、『四宮かぐや』に祈る。

 その恋の行く末が光あるものであることを。

 

 幸は、『自分によく似た先輩』に祈る。

 幸せな結末が訪れることを。

 

 幸は、『友人』に祈る。

 心からの、笑顔を見せてくれることを。

 

 

 キャンプファイアーは燃え上がり。

 風船は舞い上がり。

 歓声が上がり。

 

 ――白銀御行と四宮かぐやの戦いの幕が上がった。

 

 

 初花幸は、時計塔を見つめながら、静かに祈りを上げた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 炎がゆらゆらと揺れる。

 キャンプファイアーの光が、学園を照らした。

 

 幸は、先輩で、友人である2人の恋の行く先を案じるのを一旦やめ、目の前の恋人に向き直った。

 

 「踊りましょうか――チカさん」

 

 立ち上がり、片手を差し出す。

 

 「喜んで。踊りましょう!!」

 

 手のひらを重ねて。

 

 

 

 多くのカップルや友人たちがその炎の周りでステップを踏んでいた。

 手を繋いで、2人もその輪の中に入っていく

 

 初花幸は、自分を魅せることに対して天才的である。舞踊の心得さえあるのだ。

 藤原千花とて音楽が絡んだものに対して多大な才能と教養を持っている。

 

 そんな2人のダンスは周りを魅了していく。

 

 肩を寄せ合って、手を重ねて。

 決して激しくはないステップで紡がれていく舞踏。

 

 金髪が跳ねる、跳ねる。

 

 「サチくんはダンスも上手だったんですね。また、1つ知りました」

 「ダンスなら――僕の方が師匠かもしれませんね」

 

 地面を蹴って、軽く跳んで。

 回って、廻って、舞って。

 

 そしてしばらく経って。

 

 「私――まだ、ちゃんと言葉にしていないですね」

 

 跳ばず、回らず、舞わず。

 

 千花は足を止めて、まっすぐと幸を見据えた。

 

 「私たち、出会ってまだ半年ぐらいしか経ってないですよね」

 「だから知らないことも多いです。きっと、お互いに」

 

 言葉に意思を。瞳に強さを。

 振る舞いに、愛情を。

 

 千花は、幸の両手を掬い上げて、その手で包み込んだ。

 

 「でもこれから先、どんなサチくんを知ったって」

 「誰よりも――全てを愛してみせます」

 

 周囲が静かになった気がした。

 ぱちぱち、と炎の音だけが響いて。

 

 「だから、私たち」

 

 それは、あの日幸が憧れた笑顔よりも、もっと輝いていた。

 愛情に溢れた、何よりも魅力的な。

 

 「世界一素敵な夫婦になりましょう!!」

 「――大好きです。愛してます。もう、離れようとしちゃ絶対ダメですよ」

 

 そして、唇を奪った。

 

 口づけたのは一瞬で――それでもきっと、その記憶は永遠だ。

 

 「ええ。絶対に一緒に――チカさんを世界一、幸せにしますね」

 「うーん。それは難しいですよ!!だって――」

 

 もう一度口づけを交わして。

 

 「世界一幸せになるのはサチくんですからね!!」

 

 

 そして、歓声が上がって。拍手が起こる。

 この公開プロポーズはしばらくの間、語り継がれることとなるのだ。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 同日、夜。

 

 唐突ではあるが、かぐやがした電話によると柏木渚は初キスから2ヶ月でセックスをしたらしい。

 大人のキスからは40秒ぐらいでセックスに持ち込んだらしい。

 

 それはケース1である。

 

 初キスで大人のキスをかました四宮かぐやはエビデンスを集めていた。

 初キスで大人のキスをかましてもおかしくないというエビデンスをだ。

 

 「もう認めてください。初キスで深い方かましたかぐや様は」

 「会長にド淫乱の性欲魔人と思われている可能性が高いのです」

 

 「ド淫乱の性欲魔人!?!?」

 

 電話が終わった後の早坂による渾身の一言だ。

 

 眞妃に見解を求めるという鬼畜の所業も提案されたが、それは流石に却下された。

 だが、かぐやと早坂にはもう1組、知り合いのカップルがいたのだ。

 

 

 早坂の脳裏に浮かび上がるのは。

 キャンプファイアーを囲む場の雰囲気を全部持っていって公開プロポーズをかましたカップルである。

 案外ロマンティストである早坂は正直羨ましく思った。

 そのあまりの情熱さから、冷やかす声は出ずに、祝福の歓声が上がったあの瞬間が早坂の脳裏に刻まれていたのだ。

 

 「書記ちゃんなら、聞いても問題ないのではないでしょうか」

 「確かに藤原さんはド淫乱の性欲魔人ですし、問題なさそうね」

 「私はそこまで言ってませんからね!?」

 

 しょうがないわねーとばかりに電話をかけるかぐや。

 コール音が数回響いた後、千花は電話にでた。

 

 『かぐやさーん!!どうしたんですか??』

 『ちょっと藤原さんに聞きたいことがありまして』

 『なんですかー!?』

 

 しかし、かぐやはここで言葉に詰まる。

 『キスからセックスまでどれぐらい期間をおきましたか』などと馬鹿正直に聞けば、そう聞く理由を問われるかもしれない。さすがに理由を正直に答える気はおきなかった。

 

 そもそも千花がセックスを経験済みかも知らないのだ。

 『そんなことまだしてないですよ!?なんでそんなことを聞くんですか!?』とでもなったら、良いエビデンスは集まりそうだが、やっぱり困ったことになる。

 

 しかし、かぐやは、気になる。

 白銀との関係を進めるためにも、ここで聞かなければならない。

 そのために覚悟を決めた。

 

 『藤原さん――あなた、初キスからセックスまでどれぐらい間を置きましたか?』

 『な、な、なななななんてこと聞いてるんですか!?!?どうしちゃったんですか!?』

 『いいから何も聞かずに教えてちょうだい。真面目な質問なのよ!!』

 『かぐやさんは親友ですけど、私だって恥ずかしいんですよ!?』

 『いいから!!!そこを何とかしてちょうだい』

 

 とりあえず反応から、経験済みであることは察したかぐや。

 大人のキスをしてしまった、テンションハイな気分で全てを押し通して行く。

 

 『…そこまで言うなら。絶対、ぜーーーったい誰にも言わないでくださいよ?』

 『当たり前よ。墓まで持っていくわ』

 『じゃあ――』

 

 早坂は聞いているのだが。

 もしかしたら、かぐやは早坂を人間としてこの時カウントしていなかったのかもしれない。

 

 『初キスってその、唇と唇でちゅってするやつから、ですよね』

 『えぇそうよ。どれぐらいかしら』

 『…』

 『藤原さん?』

 『たぶん、その、だいたい、30分、です』

 

 段々と声は小さくなっていったが、しっかりと聞いたかぐやは一瞬フリーズした。

 

 『え!?藤原さん冗談よね!?』

 『冗談じゃないですよ!!恥ずかしいんだから聞き返さないでくださいよ!!』

 『そ、そうなのね』

 

 別の世界の話を聞いたようで、かぐやは達観を始めそうだった。

 

 しかし、ここでかぐやに閃きが。

 そもそもの話、初キスまでが遅かったのなら、一気にキスからセックスまで全てをしてしまった可能性があるのではないか、と。

 それならあり得る!!かぐやにも理解できる!!これだ!!と。

 

 『ちなみに聞くのだけれど、付き合ってからキスするまでどれぐらいかかったのかしら』

 

 これで数か月、という答さえ帰ってくれば万事解決だった。多少変ではあるものの、理解の範疇にはある。

 

 『それも、答えなきゃダメですか…?』

 『ええ。お願いするわ。どうしても今必要なの』

 

 口ぶり的に暗雲がたちこめた気がするが、かぐやは一旦その心配を無視した。

 

 『まあ、その…マイナス3分、って感じです、はい、電話切ってもいいですか?いいですよね?』

 『待ちなさい!!!どういうこと!?!?』

 『付き合う前にちゅーして付き合ってすぐにシたんですよ!!!悪いですか!?!?しょうがないじゃないですか!?いい感じになって、サチくんが食べたいって言うからしょうがないじゃないですか!!おいしく食べられましたよ!!かぐやさんには分かりませんよね!?お子様ですもんね~~~!!!!』

 

 ガチャリ、と。別にそんな音は実際してないが。そんな音さえ鳴りそうな雰囲気で千花は電話を切った。

 

 スマホの前に残されたのは、いたたまれない2人である。

 

 「もっとアホな人がいましたね。かぐや様は正常でした。良かったですね」

 「今大事なのはそこじゃないでしょう!?ド淫乱の性欲魔人じゃない!!!」

 「そうですね。その称号は書記ちゃんに渡しましょう」

 

 早坂に関してはオーバーヒートしすぎて1周回って冷静になっていた。

 

 「そういえば藤原さん、今日も泊まりに…」

 「想像してしまうのでこれ以上は止めませんか?」

 「そうね。これ以上はやめましょう…」

 

 有用なエビデンスは何も集まらなかったのだった。

 

 しかし勝敗をつけるとするならば――

 今日もおいしく食べた食べられたをしているカップルの勝利であろう。

 

 



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初花桜は寝坊した(奉心祭翌日~大晦日)

 初花幸は、病室の窓から空を眺めた。

 そろそろ雪が降る季節だろうか。また季節が移り変わっていく。

 

 幸は全て覚えていた。

 初めてこの病室を訪れてから、16回季節が過ぎたこと。病室に訪れるのは64回目であること。

 

 「――16も64も超完全数です。だからどうという訳ではありませんが、お母様はそのような数が好きでしたね」

 

 くすり、と幸は笑った。

 もうその表情に含むものは、何もない。

 

 「誕生日に、お母様と一緒にいなかったのは2度目、です」

 

 一度目は、あの事故の日。二度目は、今年だった。

 幼い頃は誰よりも祝ってくれていた。

 事故があってからは、病室で共に過ごした。

 

 「でも僕はもう、『愛する』も『愛される』も――『幸せ』も、怖くないのです、お母様」

 

 『愛してる』を言うのは怖かった。

 もし、同じように愛されてないと分かってしまった時、どうなってしまうか分からなかったから。

 

 『愛されてる』が認められなかった。

 素の自分を、全部見せているわけじゃないから。

 

 『幸せ』が怖かった

 いつかまた、失ってしまいそうで。

 

 「お母様のアホ。早く起きるのです」

 

 いつものように、母の手を、幸は包んだ。

 

 いつものように、温かさは感じるけれど、力は感じない。

 

 いつものように、その頬に口付けようとしたところで。

 

 ――その手が、握り返された、気がした。

 

 「え?」

 

 その手のひらが、少しだけ、ほんの少しだけ閉じた。

 驚いて見つめたその顔、瞼が少しだけ、動いて。

 それは、幻覚なんかじゃなくて。

 

 気がした、だけじゃなくて。

 

 それに気づいた瞬間、幸は病室を飛び出して、駆け出した。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 ――夢を見ていた。

 

 『友愛数って無限に存在してそうね』

 『いつか証明してみせましょう』

 

 幼い頃から数字が好きだった。

 周りから見れば、異常に見えたのかもしれない。

 皆私を『変な子』として遠ざけた。

 

 私が本の中の世界に、数字の世界に夢中になっている間に世界は私を置いていった。

 

 私は『変な子』から『気持ち悪い子』になっていた。

 

 みんなに合わせられない、気持ち悪い子。

 みんなの話に合わせない、気持ち悪い子。

 何を言っても、何も感じない、気持ち悪い子。

 

 私はそれでもかまわなかった。

 気持ち悪い子でも変な子でもかまわなかった。

 

 数字の世界は私を裏切らないから。

 

 でも――この世界、私以外のみんな。笑っていた。

 幸せそうに、笑っていた。

 

 笑っていないのは、私だけ。

 

 だから、ちょっとだけ、羨ましくなった。

 私の知らないそれを知っているみんなが、羨ましくなった。

 私も笑ってみたくなった。幸せになってみたかった。

 

 みんなと同じになれば幸せになれるかも。

 そんな風に思って、仮面を被ってみた。

 同じように笑って、同じように話して、同じように…。

 

 私は『気持ち悪い子』ではなくなった。

 

 みんながわたしのところにあつまってきて。

 でも。

 いつまでたっても。

 わたしは。

 

 しあわせじゃなかった。

 

 そうしていつしか全部諦めた後。

 

 

 『――俺に、勉強を教えてくれ』

 『――お前のせいだよ!!いつも自信満々でウザいくせに寂しそうにしやがって!!どうせなら本読んでるときもちゃんと表情作れよ!!天才のくせによ。なんで気づかせんだよ…話し相手ぐらいならなってやろうとしただけだろ』

 

 

 私の世界を変えてくれた人がいた。

 

 そして私は『普通』を知った。

 普通に、恋をした。愛を、知ったの。

 

 ねえ。司――愛している。愛しているわ。誰より、あなたのことを。

 初めて、『欲しい』と思った。

 

 知りたいだけじゃない、私は、あなたが欲しかった。

 

 

 だから、あなたと愛を交わし合った時、死んじゃうぐらい幸せだったの。

 その時、本当の『幸せ』を知った。

 

 でも、もっと幸せになったのは、あなたとの愛の結晶を授かった時。

 

 私は、誰よりもこの子に『幸』せになって欲しかった。

 そんな願いを込めた。

 

 私は、誰よりもこの子を『幸』せにしたかった。

 そんな決意を込めた。

 

 想いをそのまま表した名を付けて、夫婦2人で溢れるほどの愛を注いだ。

 それを十分に受けて、健やかに、愛らしく育ってくれた。

 私たちの、宝。

 

 そんな私たちの宝が、誰かに愛されたなら。

 

 いつか私が、愛し愛される幸せを知った時のように。

 この子が愛し、同じぐらいこの子を愛してくれる人が現れたのなら。

 

 ――きっと、わたし。死んじゃうぐらい、幸せよ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 その日、初花家のお寝坊さんは、目を覚ました。

 4年の歳月を経て、その目を開いた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 時は少し流れて、大晦日。

 初花桜が目を覚まして、1週間以上が経った。

 

 目覚めてすぐは、目を開けることも、口を開くことも、体を動かすことも、体がその方法を忘れていたが、最先端の医療が詰め込まれていた彼女の体は想像よりも元気だった。

 もちろん、満足に動かすことはまだ叶わないが、1週間も経った今、リハビリを始められるようにはなっていた。

 しかし、それが始められただけでも、回復の見込みはたったようなものだった。

 

 大分長い時間話すことも可能となり、この日、藤原千花は初めてその女性と対面することとなった。

 

 

 病室に入れば、幸と瓜二つのその顔。

 

 鮮やかな金色の髪に、空色の瞳。年齢を感じさせないその美しさは、いっそ怖さすらをも感じさせるものだ。

 その独特な威圧感に緊張をしながら、千花は口を開いた。

 

 「あ、あの!!初めまして。私、藤原千花と申します」

 

 名乗れば、桜は微笑んだ。

 

 「そんな緊張しないでもいいのよ。話はサチから聞いているし――あなたに感謝することはあっても、反対するなんてことはあり得ないのだから、あり得ない…ありえ…うぅ」

 「えっ!?どうされたんですか!?」

 

 美しい微笑みと共に優しい言葉をかけた桜だったが、セリフの途中で顔を覆い始めた。

 千花は名乗っただけである。流石に無罪だ。

 

 「千花さんは悪くないのよ…悪いのはサチなんだから」

 「ええ!?」

 

 千花は隣を見た。愛しの恋人はまだこの病室に入ってから1度も声を発してない。

 ちなみに後ろには恋人の父親もいるので、千花は割とアウェーな環境にあった。

 

 「お母様がアホなだけなのでチカさんは気にしないでいいのです」

 「アホ!?」

 

 極めて冷たく言い放った幸に千花は驚く。

 今まで聞いた中で一番冷たい声だった。

 

 「写真と変わらない…こんな残酷なことってあるの…?」

 

 まだ手で顔を覆いながら桜は呟いた。

 

 千花には何も真意が伝わって来ず、ちんぷんかんぷんである。

 

 「サチ!あなたをこんな子に育てた覚えはないわよ!!どこで育て方を間違えたのかしら!!!」

 「うるさいのです。その話はもう10回はしたのです」

 「うるさいって!ねえ司、サチが私のことうるさいって言った!!」

 

 それを聞いて千花が司の方を見れば、彼は少し笑って肩をすくめるだけだ。

 その反応を見て、千花は少し安心をした。

 どうやら深刻な話題ではなさそうだ、と。

 

 そして桜は、今日一大きい声で主張する。

 

 

 「――サチのタイプが『ゆるふわ巨乳』だったなんて知らなかったわよ!!4年も寝ていた母への当てつけかしら!?!?」

 

 

 心から飛び出た渾身の一声だった。

 母の胸部は息子と大差ない。20年以上抱え続けてしまった唯一の彼女のコンプレックスだ。

 

 「うるさいのです。子どもの婚約者を見てその考えに至るのが下劣極まりないのです」

 「下劣!?ねえ司、サチが私のこと下劣って!!」

 「うるさいのです。そんなんだから胸に栄養が行き渡らなかったのです」

 「ひどい!サチのバカ!息子のタイプは母親に似た人になるんじゃなかったの!?こんな世界おかしいわよ!!」

 「いい歳して何を言ってるのですか。アホなのですか」

 「天才よ!!」

 「今のお母様が天才なら、猿はもう神様レベルなのです」

 「ひどい!!!!!」 

 

 

 (えーーーーー?)

 こんな光景になるなんて千花は欠片も想像してなかった。

 今まで聞いた話で推測するなら、もっと、こう、美しい感じの母子関係だと思っていたのだ。

 

 千花が絶句していると、幸が腕を絡めてきた。

 

 「チカさんはどこかのお母様と違って、可愛いし優しいのです」

 「私の娘を取らないで!!」

 「元から僕のなのです」

 

 ちゃっかり娘呼ばわりするあたり関係に反対する気はなさそうである。

 

 

 「千花さん。本当にすまないね…昔から2人はこんな感じで…恥ずかしい…」

 

 言葉通り、心底恥ずかしそうに司は小さな声で言う。

 

 「いつもこんな感じなんですか…?」

 「まあ、そうだね。仲の良さの裏返しとでも思ってもらえるといい」

 「確かに、楽しそうです」

 

 わーわーぎゃーぎゃーと言い合っている母子は楽しそうである。

 愛と信頼の裏返し、なのかもしれない。

 

 「千花さんはこんな息子のどこが気に入ったのかしら?今から私に乗り変える気はない?」

 「何言ってるのですか?アホなのですか?」

 「ひどい!!!」

 「ひどいのはお母様の頭なのです」

 

 今までに千花が累計で聞いた暴言の数の記録を、一気に塗り替えるペースで幸は言葉のナイフを刺し続ける。

 

 一応、聞かれたことには答えようと、千花は口を開いた。

 

 「えっと、特に好きなのは――素直なところ、です」

 

 『好き』『大好き』『愛してる』、と。そんな素直な愛情表現が千花には心地良かった。

 

 「でしょう!?サチは素直で可愛いのよ!!」

 「お母様の変わり身の早さにはコウモリもビックリなのです」

 「照れるわね」

 「1ミリも褒めてないのです」

 

 暇さえあれば母子は戦い続けた。

 母子が戦い、父は苦笑し、息子の婚約者はおろおろした。

 

 でもそれも30分も経ってしまえば慣れたもの。千花は順応が早いのだ。

 

 ある程度雑談をした後、幸と千花は退室した。

 

 桜はそれなりに元気にはなったが、まだまだ体力は戻っていない。

 話すだけでも体力はかなり使うものであり、続きはまた今度、ということになったのだ。

 

 

 

 「本当に――サチも成長したものね」

 

 桜の暇つぶしのために持ってきていた本を片付けていた司に、呟く。

 

 「ああ。子どもの成長は早いな――ちゃんと傍で見守れなかったのが、後悔してもしきれない」

 「そんなの私もよ。ますます私に似ちゃって…婚約者なんて連れて来ちゃって…」

 

 もちろん、桜は自分が寝ている間の出来事のほとんどを既に聞いている。

 息子と夫との間にあった溝の話も。その原因も。それが埋まった後の出来事も。

 

 ぽたり、ぽたりと。涙を流した。

 それは、彼女が起きてから毎日流しているものだった。

 

 「――本当に、本当に良かった」

 

 己の血を継いで、息子は人並み外れた才能を持つこととなった。

 ただそれには良い部分だけではなく、悪い部分も伴うもので。

 

 桜は長年にわたって、それに苦しんできた。自分が持って生まれてきたもののせいで。

 それを息子に繋いでしまった時の絶望と言ったら、この上ないものだった。

 

 誰よりも愛している子どもを、自分自身が不幸にするのなど、到底許せるものではなかったのだ。

 

 しかし、彼女の息子はちゃんと乗り越えたのだ。

 呪われた才能に打ち勝って。

 

 何度思っても、その喜びは、この上ないものだ。

 

 「じゃあ後は姑としてどうするか、だな」

 「あら。そこは心配ないわよ」

 

 からかうように言った司に、自信満々に桜は告げた。

 

 「――サチが好きになった人を、私が好きにならないわけ、ないじゃない!」

 「まあ。それもそうか」

 

 幸と桜は似ている。とても、とても。母子だから、という前提があったとしてもだ。

 幸と桜は愛し合っている。とても、とても。喧嘩する程仲が良いのだ。

 そんな2人の好みは、似ているのだ。

 

 片方が好きになったものを、もう片方が好きにならないはずが、ないのだ。

 

 だから、桜はそんな2人のこと。

 最愛の息子と、愛することになる娘のことを応援したかった。

 だからこそ。

 

 「サチの仕事のことは心配しないでいいわよ」

 「お前は4年のブランクがあるだろうが」

 

 ITの世界は日進月歩である。4年間寝ていた彼女が追いつくには、普通ならそれなりの時間がかかるはずだ。

 そう、でも、普通なら、だ。

 

 「ふふっ。司、あなたまで4年間寝ていたのかしら」

 「どうしたいきなり。喧嘩売ってるのか?」

 「愛しか売ってないわよ。あなたはよく知ってるでしょ。だから、忘れちゃだめよ――」

 

 桜は微笑んだ。自信満々に。

 

 「――私が、天才だってこと!!」

 

 彼女はいつも自信満々だった。

 己が負けることなど、一切考えていない。実績も積み重ねてきた。

 実際、彼女が人生において負けたのなんて、司との恋愛戦だけだ。心地よい負けではあったが。

 

 司が初めて出会った時だって、桜は自信に満ち溢れていた。

 

 「あぁ。そうだったな。頼んだよ、天才」

 「任せなさい。愛する家族のために、本気で頑張っちゃうわよ!」

 

 4年の歳月を経て、家族は元通りになった。

 

 いや、1名の追加があった、と言ってもいいだろうか。

 正式加入は、2年後であるが。

 

 あの子にはどんなウェディングドレスが似合いそうかしら、なんて考えながら、桜は本の世界へと意識を落とした。




この作品にシリアスタグはありません。

こうして初花ママも登場したので、改めてオリ主などの紹介を↓に。
これ以上オリキャラなどが出る予定ありません。

【オリ主】
初花 幸(ハツハナ サチ)
性別:男性
誕生日:12月21日
血液型:A型
身体的特徴:クール系お姫様→サキュバス系お姫様
家族構成:父・母

どこかの国のクォーター(恐らく)。
両親に溢れるほどの愛を注がれて育った。
綺麗7割、可愛い3割のお姫様顔。でも雰囲気は煽情的。

口癖は「~です」「~のです」「~なのです」。

色々あったが父と仲直り?成功。
母も目覚めたので家族仲も復活。

最初は本来の性格を抑えていた部分があったが、本来は愛され上手。トラウマみたいなものなども全て乗り越えた。
演じている部分もあったが、大半が素でやっているため、それも自分の一部と受け入れることにした。

かぐやと同じで、「本物の愛」だとか言うのに抵抗がないのに加えて、人に「大好き」とか「愛してる」とか言うのに微塵も抵抗がない。「セックス」とか「愛の営み」とかも恥ずかしさ無しで連呼する。

母が作った事業を滅茶苦茶拡大させた張本人。ヤベー奴。

ヤンデレ気質がある。
一度愛したら絶対離さない系のやつ。
キスも告白もその先も全部自分から積極的に攻め込む、見た目の割に行動だけは超肉食。


【オリキャラ】
初花 桜(ハツハナ サクラ)

幸を育て上げたヤベー親。
元はとても冷たい性格をしていたが、恋をしてアホになった。
子どもが生まれてバカになった。
親バカでバカ親。でも天才。
綺麗9割、可愛い1割。胸は絶壁。


初花 司(ハツハナ ツカサ)

割と霞んでいるけどスーパー有能。
普通にイケメン。
昔、息子にルールを初めて教えて戦った将棋において、1戦目でボコボコにされて、息子がヤベー血を引き継いだと気づいてしまった。でも妻は中々信じてくれなかった。


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初花幸は愛したい(1月:愛してるゲーム)

 冬休みも過ぎ去り、3学期へと突入した。

 

 今日も今日とて幸は職員室での補講を終えてから生徒会室へと向かっていた。

 廊下の途中の時点でわいわいと話し声が扉の先から聞こえて、また何か愉快なことをしているのだろうと察する。

 

 「こんにちは」

 「会長だぁいすき♡」

 「えぇ…?」

 

 幸が生徒会室へと入った瞬間、なぜかかぐやが白銀に向かって公開告白をしていたのだ。

 これには流石に幸も困惑の表情を隠せない。

 

 白銀は顔を赤くして、自分の頬をぶっ叩いた。

 それを見て、えぇ…と再びなる幸。

 

 「あ、サチくん!」

 

 千花の声に次いで、皆がそれぞれに挨拶を返す。

 この特殊すぎる状況の中、とても戸惑っていたのは幸だけであった。

 

 「サチくんもやりましょうよ!」

 「何をやっていたんですか?」

 「愛してるゲームですよ!」

 

 愛してるゲーム!!

 ルールは簡単。「愛してる」という言葉を筆頭に、何かしらの好意を示して、それに相手が照れたら勝ちだというシンプルなゲームである。

 

 千花がざっくりとルールを説明して、幸は頷いた。

 ちなみに、ゲームであったことにとりあえず安心をした。

 

 「僕は誰と戦えばいいんですか?」

 「まずはルール確認がてら私にやってみてください!」

 「わかりました」

 

 生徒会の面々はその成り行きを見届けるために、注目する。

 今のところ千花とかぐやの二強であり、石上は雑魚である。

 

 「2人は付き合ってるんだから、愛してるぐらいじゃ照れないんじゃないか?」

 「確かに、初花ですしね」

 

 白銀の疑問も石上の同意も尤もなものであった。

 普段から愛を囁かないようなシャイなカップルならまだしも、あの初花幸である。

 どう考えても普段から愛を囁きまくってそうである。

 

 「だからルール確認なんですよ!私だって言われるのが分かってたら照れません!」

 「確かにそうだよなあ。お手並み拝見、ってところか」

 

 そんな会話がなされている間、幸は下を向いていた。

 周りから見れば、何を言うか考えているようには見えた、が。

 

 顔を上げると、その目にはうっすらと涙が。

 

 「その、確認をしたいんですけど」

 「どうしたんですか?」

 

 おずおずと言った幸に、千花は問いかける。

 

 「このゲームをしたってことは、チカさんは皆に『愛してる』って言ったんですよね」

 「まあ、多少は…言いましたね」

 「僕がいないところで、そんなの酷いです…」

 

 へこんだように、傷ついたように、涙を浮かべながら。

 雲行きが怪しくなってきたのを、全員が感じ取った。

 

 「わーーー!ごめんなさい!!」

 「本当に僕のこと好きなんですか?」

 「好きですよ!!疑っちゃ嫌です!!」

 「一番、好きですか?」

 「当たり前ですよ!」

 

 ええ…一体何を見せられているんだろう、と他の面々は思った。

 目の前でカップルが痴話喧嘩をし始めたのだ。

 

 「僕のこと、愛してますか?」

 「愛してます!!」

 

 その言葉を聞いて、幸は笑顔になった。

 

 そして、涙に濡れた瞳のまま告げるのだ。

 

 「えへ。僕も愛してます――だから、あんまり他の人のこと見たら、イヤ、です」

 

 儚い笑顔と共に。

 ちょっとした独占欲を示した。

 

 いつもと違うその様子に千花は赤くなって――

 

 

 

 「はいどーん。チカさんの負けですね」

 「え、ええ!?今の演技だったんですか?」

 

 ケロっとした顔で勝ちを宣言したのは幸だ。

 確かに千花は照れていた。

 

 「ホントですよ…?あんまりそういうことしてると――」

 

 今度は、首筋に顔を近づけて。

 口を軽く開けて。

 かぷり、なんて効果音が付きそうな感じで。

 首筋に軽く、本当に軽く歯を立てた。

 

 「――首輪、つけたくなっちゃいます」

 「さ、さちくん…?」

 「ふふっ。どーん、ですよ」

 「今のは…?」

 「本当かもしれませんし――どうでしょう。どっちが、良いですか?」

 

 問いかけるその声は淫靡な響きを持っていて。

 千花は更に赤くなった。

 かぐやは、「なるほど。こうすれば…」と心で呟いて、また間違った性知識を手に入れた。

 

 「初花さん!!!ふ、ふしだらです!禁止です!」

 「…残念です。じゃあ、しょうがないですね」

 

 伊井野の制止によってそれ以上エスカレートすることはなかったが。

 千花はオーバーヒートして停止した。

 

 「次は、どなたにいきますか?」

 

 幸は、微笑んだ。それは強者の余裕すら感じさせるものである。

 

 (やっべーーーラスボスじゃねーか!!)

 白銀は焦る。

 先ほど、千花からの攻撃を、悲しい回想で回避したばかりなのに、もっとヤベー奴が襲来したのだ。

 正直言って滅茶苦茶エロかった。同じ性別とは考えられないほどの色気だった。

 しかも割と狡猾である。一筋縄では済まないような攻撃をしてきそうで。

 

 だから、白銀は。

 

 「あー。石上が初級だ」

 「会長!?」

 

 石上を売り飛ばした。

 

 「石上さんですか、それでは」

 「な、何する気だ?」

 

 すたすた、と石上に近づき。幸はその手を取った。

 もうその時点で石上の心には恐怖が蔓延した。何をされるか分かったものではないのだ。

 しかし、その心に反して、幸は目を真っ直ぐに合わせてシンプルに口を開いた。

 

 「石上さん。僕、同い年の友達って出来たことがないんです。だから、石上さんとお友達になれて嬉しいんです。石上さん――だーいすき」

 「は、初花っ!」

 「どーん、ですよ?」

 「あああああ!」

 

 今度は絡め手なしの直球勝負である。

 もちろん石上は負けた。

 

 (石上、お前…)

 (石上くん、情けないわよ)

 あまりの石上の雑魚さに白銀とかぐやは心の中でちょっとだけディスった。こんなところでカップルの心が一致してしまったのだ。

 

 「次は、どなたに?」

 

 人差し指を唇に持っていき、あざといポーズを決めながら幸は問いかける。

 それすらも絵になっていることからも、幸は自分の美貌をよく理解していた。

 

 「あのー、私。言われてみたいです。いいですか?」

 「もちろんです。それじゃあ」

 

 立候補をしたのは伊井野だった。

 素直に好意を示された2人を見て、ちょっとだけ羨ましくなったのだ。伊井野は褒められたがりである。

 この承認欲求の魔物は自ら負けに行っていた。

 

 「伊井野さんは偉いですね~」

 

 特にひねりもないその言葉であったが。

 幸は、伊井野の髪に手を伸ばして。

 

 「頑張り屋さんですね~」

 

 優しく、優しく、囁くように。

 そして、ゆっくりと頭を撫でた。

 

 「頑張れて偉いですよ~」

 「素敵ですよ~」

 「ほら、今は、ちょっとだけ休んじゃいましょ~」

 「いい子いい子~」

 

 「はうぅ…」

 「ふふっ、どーん、です」

 「…最高でした」

 「いや、そういう企画じゃねーだろ」

 「石上、うるさい」

 「理不尽か!!」

 

 伊井野は負けた。でも心情的には誰よりも勝っていた。最高に癒されたのである。

 

 白銀は戦慄した。この後輩のあまりの強さにだ。的確に相手のツボをついていく圧倒的な強者である。

 

 「次は…どうしますか?」

 

 ラスボスが問いかける。

 次は白銀かかぐやしか残されていない。

 難易度順でいくなら、白銀だろう。かぐやは何だかんだで普段はポーカーフェイスが得意なのだから。

 

 「次は、俺だな」

 「御行先輩ですか。わかりました」

 

 白銀は覚悟をした。

 この勝負に負ければ、彼女が出来たばかりなのに同性にも照れてしまう節操なしの称号を得てしまうかもしれない。眼前の後輩を同性とカウントするのか審議が必要そうではあるが。

 

 

 「それでは…」

 「待ってー!ダメ!ダメですよ!!」

 

 制止したのは千花だった。

 オーバーヒートから復活したようである。

 

 「サチくんそれ以上はダメです!」

 「どうしたんですか?」

 

 そもそもこのゲームに幸を誘ったのは千花である。

 止めるのが千花なのは謎だ。

 

 「あわよくば、沢山愛してるって言ってもらおうと思ってただけなんです!!だからそんな愛を振りまいちゃダメです!!」

 「…こすいわ」

 「かぐやさん!?」

 

 その問答を聞いて、幸は微笑んだ。

 

 「そういうことなら止めておきます――ふふ、チカさん」

 

 歩み寄り、腕を絡める。

 もう片方の手は千花の頭に添えて、唇を耳に寄せた。

 

 

 「あいしてます、いちばん、だれよりも」

 

 甘く、蕩けるように。耳元で囁く。溢れる愛情を乗せて。

 

 「ちゃーんと、あいしてる、って」

 「いくらでも、いってあげますね」

 

 欲を煽るように。

 たどたどしくも、ゆっくりと、沁み込ませるように。

 

 「まんぞくするまで――ベッドで、ね?」

 

 そして、小さく音を立てて、頬に口づけた。

 

 

 それを見ていた、生徒会の面々は顔を赤くして――

 

 

 「はい。みなさん、どーんですよ」

 

 パチン、と手を叩いて。また幸は宣言した。

 

 「…」

 「うっわ!」

 「はえ!?」

 「あああ!またやられた!」

 「良かった…冗談だったんですね…」

 

 安堵するように、言葉を漏らした伊井野に。

 

 「うーん。冗談かどうかは、チカさん次第…ですよ。ね?チカさん」

 「うあああ!ごめんなさいー!!もう許してくださいー!!!」

 

 千花は逃亡した。

 

 勢いよく生徒会室の扉が閉じて、幸は皆の方へと向き直り、言った。

 

 「逃げられちゃいました」

 

 語尾に音符でも付いているかのように至極楽し気に、だ。

 

 (藤原…強く生きろ)

 

 白銀は放心しながらそんなことを思った。

 

 

 ――その日の夜、彼らがどうなったかは、分からないけれど。

 

 愛してるゲームは一人のラスボスのせいで、生徒会において満場一致で禁止になった。




☆☆☆

今回で10万字を超えました。
こんなにもモチベーションが続いているのは、読んでくださっている皆さんのおかげです。ありがとうございます。

あまりお礼も出来ていませんが、
感想、評価、お気に入りなども沢山の方がして下さり、嬉しいです。
とても励みになっています。ありがとうございます。

☆☆☆


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師弟は繋ぎとめたい(1月:童貞はセーフティ)

 石上曰く、童貞は意外とセーフティである。

 

 そんな話題から始まった、白銀、石上、眞妃による熱い恋愛談義は佳境を迎えていた。途中、ラブ探偵の乱入という事件はあったものの、いかに恋人がいる人を寝取るか、という話題について彼らは熱く語りあっていたのだ。

 

 そんな中、生徒会室の扉が開く。

 

 「おーっす。初花」

 「こんにちは。珍しい組み合わせですね」

 

 最初に3人の目に入ったのは鮮やかな金髪。登場したのはそれが印象的な少年、初花幸である。今日も今日とて、職員室経由での生徒会への出席だった。

 

 そんな幸の目に入ったのは、なかなか生徒会室で見かけることの少ない先輩、四条眞妃である。

 

 「あら。ちょうどいいじゃない。初花の秘蔵っ子にも聞いてみましょう」

 「その呼び方で定着したんですね」

 「間違ってないでしょうが」

 

 実際のところ、16年近くも存在を隠されていた、まさに秘蔵っ子である。

 

 (…ここで非童貞の意見か)

 白銀は微かに考えてしまった。

 

 今まで童貞だの、非童貞だの話していたのだ。

 『非童貞には略奪が仕掛けやすい』ということを、非童貞に聞くのはいかがなものなのか、という考えも頭をかすめる。

 

 「それで、何を僕に聞くんですか?」

 「好きな人に恋人がいる時に、どうするか、って話よ」

 

 白銀が割としょうもないことで悩んでいる間に、話は先へと進んでしまった。

 眞妃がささっと本題に入ってしまったのだ。

 

 「何を当たり前のことを聞いているのですか――」

 「まぁそうだよな。初花は諦めて相手の幸せを願っ」

 「――略奪に決まってます」

 「なんでだよ!?」

 

 石上の突っ込みが綺麗に決まる。人畜無害そうな笑顔でとんでもないことを宣言したことに3人共目を丸くした。

 特に石上は自分のために色々と気を回してくれているこの友人の優しさを信じて疑っていなかったのだが。

 

 「でしょう!だからまず私が彼を誘惑すればいいんでしょ!!」

 

 力強く宣言する眞妃は『私が』とか言っているあたり、自分が持っている恋心を特に隠す気はなさそうである。

 しかし、幸はその返しに対しては微妙な表情を浮かべた。

 

 「うーん、まず誘惑、は賛成できないのです」

 「ん?じゃあサチだったらどうするんだ?」

 「ある程度の関係性が必要ですが。まず、その人には何も知らない顔をして寄り添いながら――狙うべきは恋人の方なのです」

 「ほほー。続けなさい」

 

 白銀と眞妃が発言を促していく。

 幸はソファにカバンを下ろして、人指し指をこめかみに当てながら語り始める。

 

 「相手の恋人に誰か異性をけしかけ――別にその人がセックスに持ち込んでくれなくてもいいのです。ちょっと仲良くなってくれたら、それで。そしてそれを、それとなく狙っている人に知らせます。もちろん他人経由で」

 「ん?ん?」

 「その間も狙っている方には優しくし続けます――『何かあった?』なんて心配しながら。確実に何かあったのですからこれでまずは好感度アップなのです。細かい変化に気づけるのはポイントが高いのです」

 「はえー」

 「それを繰り返して、土台を作るのです。徐々に自分の方が良い、幸せにできると刷り込んでいって――それから甘い言葉を囁けばいいのです。『僕の方が幸せにできる』なんて。次の恋人は、他の人に目移りする恋人よりも、優しくて情熱的という安心感を与えて――それで別れてくれればいいですし。もし別れてくれなかったとしても誘惑してセックスするのはそれからでも遅くないのです」

 

 空中で人差し指をくるくるしながら、何事もないかのように語り続ける。

 

 「こうすれば僕は『浮気相手』ではないのです。最初からセックスだけをしてしまえば、上手くいったとしても『浮気相手』なのです。それでは気持ちよく恋人を続けていくのは難しいでしょうから――『先に目移りをしたのは元恋人の方』という免罪符か、『浮気セックスをする前に別れてもらう』この辺りを目指すべきだと思うのです」

 

 白銀たち視点で見れば、幸は過去最高に饒舌だった。しかも言ってることはけっこうゲスいものである。

 あと、またセックスを連呼していた。

 

 その言いぶりに眞妃は震えた。

 

 「あ、あ、あ、アンタそれでも初花なの!?底抜けにお人好しなのが初花家じゃなかったの!?」

 「僕は優しい方なのです。お母様だったら狙ってる相手の恋人を社会的に殺してから慰めて好感度を稼ぐぐらいのことはやるのです」

 「サイコパスじゃない!なんで初花はこんなのが跡取りなのよ!!!」

 

 母子はとても似ていた。好きな人を堕とすためにはどんな手段も問わないあたりが。

 

 「藤原先輩も、そうやって…?」

 

 震えながら石上は問いかけた。

 友人の優しさを心から信じていた彼には先ほどまでの発言は毒でしかなかった。

 

 「チカさんが好きそうなことはしましたけど――悪いことをした覚えは特にないのです」

 「そうだろう。変なことをしなくても両想いっぽかったしな」

 

 白銀が思い返すのは師弟であった時の日々だ。恋愛感情かは定かではなくとも、少なくともお互いに大切に思っていたことは周りから見てもよく分かった。

 それに、幸がアピールを始めたのは告白後からだ。

 

 「――少なくとも、アンタに誘惑は通じなさそうね」

 

 眞妃が思い出すのは、自分の想い人と親友のカップルだ。仲睦まじい2人ではあるが、時に喧嘩をしたり、時に熱が冷めていたり、といった部分も見受けられる。平均すれば、熱いカップルなのだが。

 それでもそのような隙があるのだ。絶対にこのような戦術が効かない、とも言えなかった。

 

 しかし目の前の少年は、無害そうな顔をしておいて、腹の中は真っ黒であった。

 悪いことを仕掛けた方がハメられそうな雰囲気さえあるのだ。

 恋人の方にも何かちょっかいを出そうものなら社会的に消してきそうである。

 

 やはり彼も財閥の跡継ぎなだけはある、と、妙なところで眞妃は納得をした。

 

 「ふふっ。でも四条先輩はきっと、そんなことは出来ませんね」

 「不調法者ね。馬鹿にしているのかしら?」

 「真逆ですよ。四条先輩はそんなに恋だけに盲目になれるほど頭空っぽな人でも、率先して人を陥れるような性格の悪い人でもなさそうですから」

 

 こうして真面目に相談を持ち掛けている時点で、そんなことをする確率は限りなく低い。そのような謀略を行う者は話をこんな風に広げずに、一人で既に策を巡らしているだろう。

 

 そんなことを言われた眞妃は少しばかり幸を見つめてから呟く。

 

 「私もアンタみたいに…好意を素直に伝えられるなら、違う今があったかもしれないってのに」

 

 少しだけ寂しそうに、悲しそうに。

 彼女は素直ではなかった。もし素直にその気持ちを伝えられていたのなら。

 何か変わっていたのかもしれない。

 

 「だから――優は後悔しちゃダメよ」

 「先輩…」

 

 ただ、そんな気持ちを抱えてもなお、友人を思いやれる彼女は。

 素晴らしい女性なのだろう。

 報われて欲しい、なんて、その場の誰もが思った。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 「という話をしたのです」

 「デジャヴです!!」

 

 その日の夜、初花邸にて。

 ベッドに転がりながらパソコンのキーボードを弾いていた幸は千花に事の顛末を話した。近くのテーブルで宿題を片付けながら聞いていた千花には聞き覚えのある話題である。

 ラブ探偵の彼女はその話から逃げた覚えがとてもとてもあった。

 

 「恋した人には既に恋人が。仕方のないことではありますけど、少し切ないです」

 

 千花は考える。

 2人には、元から恋人もいなければ、恋していた相手もいなかった。だからこそ恋愛という意味では特に滞りなく進んだのだ。懸念された家柄によるしがらみも特にはなかった。あってもおかしくはなさそうな初花家が何も問題としなかったからである。

 でも、もしこれがどちらかの片思いであれば、今どうなっていたのだろうか。

 想像するだけでも、胸の奥がチクりとした。

 

 「――現実問題として、奪い取るというのは難しい話なのです」

 「なんとなーくですけど、それでもサチくんならやりかねません」

 「もちろん僕ならやりますけれど」

 「ほらー」

 「そんなことさせないで欲しいのです」

 「私はどこにもいきませんよ」

 

 幸は考える。

 もちろん、奪い方、というのも大事ではあるのだろう。

 でも奪い取ることがゴールではないのだ。

 

 「奪った、という罪悪感を消化できるのか、です」

 「――四条さんは優しいですから」

 「はい。良心の呵責に耐えられそうにはないのです」

 

 いかに自分の罪悪感を消化するのか、それが問題である。

 相手を愛していればこそ、その相手を悲しませてまで奪ったという事実をいかに消化するのか。

 

 例えば千花ならば出来ないだろう。彼女は優しいから。真に人を傷つけることを是としない。

 幸なら出来るだろう。奪われる程度の愛しか注がなかったのが悪いと考えるから。

 

 四条眞妃はどうだろうか。

 答は誰にも分からないけれど、きっと、出来ないのだろう。彼女もまた、大切な人を傷つけるには優しすぎるから。

 

 「恋愛は難しいのですね…。射止めることも、射止めた後も」

 

 恋人になって終わりではない。婚約をして終わりではない。結婚をして終わりではない。じゃあ何が終わりとなるのか――そもそもそんな終わりなど存在するのか。

 

 人の心を繋ぎとめておくことは、何よりも、難しい。

 

 少しだけ静寂が流れてから。

 

 「私だってたまに怖くなるんです」

 

 宿題をしていた手を止めて、ベッドの方へ。

 腰掛けると、マットが少しだけ沈んだ。

 

 「サチくんは前よりもずっと魅力的になりました」

 

 いつか、常に暗い目と、張り付けられた無表情を纏っていた少年はいなくなった。柔らかくなったその雰囲気。携えた微笑み。どれもこれもが人を魅了するものであり、千花の耳にもその評判は入ってくるのだ。

 少年はもう、学園でその存在を知らない者がいない程になった。

 

 「そうであるなら、チカさんのおかげです」

 「私が師匠ですもんね」

 

 その金の髪を撫でた。出会った時よりも伸びたそれは、月日が経つごとに輝きを増しているようにも見える。

 

 「不安とは、まだ、師弟愛がたりないのですか」

 

 幸は撫でていた手を取って、その指に輝く銀色に口づける。婚約の証とされたそれは、相も変わらずその輝きを失っていない。

 

 「…たぶん、満足することは、ないです」

 

 日に日に満たされるごとに、もっと、と叫ぶ心があって。どれだけ愛を注がれたところで満足する気は到底しなかった。

 

 でも、それは不安であっても、決して不満ではなかった。幸せが故の貪欲さであった。

 

 「僕もまだまだなのですね――じゃあ、師匠」

 「どうしましたか。可愛いお弟子さん」

 

 いつも通り、ちょっと悪い笑みを浮かべて。

 

 「もっと愛したいのです。どうすべきかご教授ください、です」

 

 その胸に顔をうずめて。

 吐息が千花の首筋をくすぐる。

 

 いつかの告白を模したようなそのセリフにちょっとだけ、くすり、として。

 

 「師匠的には――誰にも盗られないよう、首輪をするのがオススメです」

 

 千花もまた、最近聞いたような言葉で返して、恋人を抱きとめたまま、ベッドに倒れこんだ。

 

 覆いかぶさる形になった幸は、目の前の白い首に歯を立てる。

 少し赤みを帯びたその肌を、今度は強めに吸って。

 

 何度か繰り返し、唇の痕を残す。

 首輪を模して、直線状に、赤が並んだ。

 

 「いかがでしょうか?師匠」

 

 咲いた赤を指で撫でながら、甘ったるく囁かれたそれに、千花は。

 

 「…師匠は厳しいんですよ。まだまだです」

 

 赤く染まった顔に威厳なんてないけれど。

 精一杯の虚勢の上で、千花はちょっとだけ自分の服を捲った。

 

 その期待通りに素肌に触れてきた手が、ちょっとだけ冷たくて、身を捩る。

 

 「ねえ、ししょう。ほかのおしえは?」

 

 楽しそうに、からかうように、わざとらしく、たどたどしく綴られたそれに。

 

 「――まずは、唇が食べごろです。今が旬ですよ」

 

 遠回しなようで、全然遠回しではない希望を出して。

 

 「それじゃあ、いただきますね」

 「はい。めしあがれ」

 

 口づけて、舌を絡めて、そして。

 ベッドがまた少し、軋んだ。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 「あら。ツバキ、そんなところでどうしたの?」

 

 初花桜は既に退院をして、初花本家から通院とリハビリを行っている。今日は寝る前にちょっと息子と将来の娘と共にティータイムでも、と考えて部屋へと足を進めていたのだ。

 

 しかし、途中の廊下で待ち構えていたのはツバキと呼ばれた女性――幸の専属執事である彼女は何故か廊下のど真ん中に椅子を置いて、そこに座って読書をしていた。

 

 「もちろん桜様の足止めです」

 「…まったく、あの子たちも仲が良いわね。この歳で孫を持つのは流石に複雑よ?」

 

 その返答で桜は察した。

 桜は四捨五入すれば40歳である。

 おばあちゃんと呼ばれるにはまだ早い。

 

 「私はお二人が幸せならそれでも構いません」

 「そう言われると私が悪みたいだからやめなさいよ」

 「4年も眠りこけていた罰かと」

 「なんていう言いぶりかしら。私だって寝てたくて寝てたわけじゃないのよ」

 

 事故を起こした相手でさえ、起こしたくて起こした事故ではないのだ。

 だからこそ、誰も彼も怒りと悲しみの矛先を向ける相手を見つけられず、戸惑っていたのだから。

 

 「私の主の笑顔を奪っておりましたので少々憤っております」

 「あなたが言うと怖いからやめなさい――それにしても相変わらず見上げた忠誠心ね」

 「そうあれ、と最初に命じたのは桜様ですが」

 「誰がここまでになるなんて予想するのよ」

 

 桜が子どもを授かったと判明した時点から、このツバキが専属執事となることは決まっていた。非常に優秀な彼女に、何だかんだで仕事も忙しく長期間離脱する訳にもいかなかった桜が、一部の世話を託したのである。

 

 時に母として、姉として、友人として、使用人として接するうちにその忠誠心という名の愛は天元突破していたのだ。

 

 「まあいいわ。たまにはツバキが付き合いなさい――あなたからも私が寝ていた時の話を聞きたいわ」

 「話しているうちに桜様に手が出てしまっても大丈夫であればお付き合い致します」

 「どこに主人の母親を殴る使用人がいるのかしら」

 「今、目の前に」

 「今のは別に疑問じゃないのよ?」

 

 そしてツバキは立ち上がり、どこから出したかも分からない紙に、『この先立ち入り禁止』と書き殴って椅子に貼り付けた。もちろん貼る時のテープも何故か懐から出てきた。

 

 「それでは参りましょうか。ラデュレの新しい茶葉が入っておりましたね…最初に桜様が飲まれることが不服ではありますが」

 「あなた私への敬意はどこに置いてきたの??」

 「もちろん敬っておりますとも。ええ。主への敬意の方が上になっているだけです」

 「それにしたって雑よ」

 

 連れ添って廊下を戻っていく。

 なんだかんだで2人は歳の離れた友人である。

 きっと殴ることはないだろう。多分。確証はないが。多分。

 

 平和な夜の一幕は、今日も過ぎていく。




☆☆☆


ツバキは次回の話のためのちょい役です。レギュラーメンバーになるわけじゃないです。
名前を付けるか迷いましたが、あった方が書きやすいな、と思ったのでなんとなく名前は付いています。
次回はそんな彼女から見たサチくんの成長と恋愛の記録、予定。

ちょっと更新が空いてしまいましたが、
感想、評価、お気に入りなどありがとうございます!
感想については時間がある時に随時返信していきます。

また、気づくのが遅れてしまいましたが、素敵な推薦も頂いていました。
ありがとうございます!!!

色々と励みになります。
これからもまったりと更新していきます~!


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専属執事は見守りたい(本編開始前〜1月)

 コルクボードに写真を貼る。その数も増えたもので、一枚増やすたびに満足感が募る。

 今回の写真には文化祭の最中、制服姿で何故かたこ焼きを押し付けあっているカップルの写真が。

 

 写真に写る男女は、写真を貼っている女性にとっての主と、その恋人である。写真を撮ったのはその女性であり、彼女は初花幸の専属執事で、ツバキと呼ばれていた。

 

 こんな姿を収めることができるなんて、少なくとも一年前のツバキは考えていなかった。しかしそれは実現して欲しいと毎日のように願っていたもので。

 彼女は誰よりも近くで、いつだって彼の幸せを望んでいた。

 

 主の曇った心と共に過ごしたのは、泥の中を泳ぐような3年間だった。

 しかし今は、なんて輝かしい日々なのだろうか。

 

 「ツバキ?」

 「あぁ、幸様。申し訳ございません。妄想にふけっておりました」

 「それは僕の部屋でしないでくださいね」

 

 そこに現れたのは彼女の主であった。

 呆れたように笑うその顔でさえ、かけがえのないもので。

 

 ちなみに、部屋とは言っても、正確にはいつもの寝室と繋がっているもう一つの部屋ではある。

 

 まだ時間は午前5時。

 冬のこの時間ではまだまだ外は暗い。しかし2人は普段、この時間には活動を始めていた。

 単に幸がショートスリーパーであること。早朝にお風呂に入ることを好むこと、そして。

 

 「今日のご希望は?」

 

 いつもと同じく、ツバキは幸をその椅子へと導く。

 大きな鏡を目印に整えられたその環境は、彼女が主の髪を整えるためだけに備えられたものである。

 彼女はこの役目を16年間誰にも譲ったことはなかった。そのために彼女も同じく早起きに付き合っていたのだ。

 

 「何を言っても無駄ですよね」

 「主の都合を聞くのは執事の務めかと」

 「ツバキのは本当に聞いてるだけなのです。好きにしていいですよ」

 

 ドライヤーを片手に、まずはその濡れた髪を乾かしていく。

 さらさらと流れた色鮮やかな髪も随分と伸びたものだ。

 

 

 ――相応の月日が経ったことを思い知らせる程に。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 4年と少し前。初花別邸。

 

 ここ数週間とても慌ただしい日々が続いている。それも当たり前のことで、初花家の夫妻が事故に遭い、そして一部の使用人たちだけにその詳しい状況が知らされたからだ。

 

 だが別邸の使用人たちのその心は今、どこよりも事故にあった二人の、その息子に向いていた。

 

 事故の知らせを聞いて、真っ先に日本へと戻った少年。

 それから数週間経ち、数日前にこの初花別邸へと戻ってきた少年は、何の色も宿さない瞳のまま日々を過ごしていた。

 

 ふりまいていた笑顔は、どこにも見当たらず。

 残ったのは能面のような無表情で。

 その日はとても寒い日だった。

 暖房が効いた室内にいても尚、冷え込むほどに。

 

 ツバキは主の部屋の扉をそっと開けた。その部屋の温度調整も彼女の仕事であり、不安定な自分の主の様子を見なければならなかった。

 桜が起きてこない今、最も幸に近いのは生まれた時からずっと近くにいる彼女だ。

 

 まだ朝方、太陽さえ顔を見せていない時間である。

 当然、彼女の主はまだ寝ているはずだった。

 

 しかし扉を開けた彼女の視界に入ったのは、薄暗い部屋の中、ベッドの上で膝を抱える幸の姿だ。

 

 「幸様…?」

 

 珍しく彼女は困惑を示した。

 

 まだ部屋の中に差し込む光はわずか。

 それでも鮮やかに輝いたいたはずの金髪は。

 

 その大半を切り落とされて、ベッドの上に無残に散乱していた。

 片手に握られたハサミだけで、何が起きたかを察するには十分だった。

 

 「…つばき?」

 

 彼女は優しくそのハサミを取り上げて。

 ただ、強く強く抱きしめた。困惑と共に呟かれた自身の名前には、何も返すものがなかった。

 だから、ただ抱きしめた。

 

 彼女はよく理解していた。

 この小さな主のアンバランスさを。精神が成長をする前に、その才能から得た知識で、弱い部分を隠すことを覚えてしまった少年。

 この家以外の世界をほとんど知らずに、まるで鳥籠のようなここで愛を注がれてきた少年の。

 

 その、弱さを。

 

 いつか、明らかになるであろうその綻びも。

 

 彼女は理解していた。

 それがこんな形で、表れてしまうことまでは予想してなかったが。

 

 だから彼女は少しだけ主の両親を恨んだ。

 このような育て方を選んだのは主の母である。

 存在を隠し、大切にしまいこみ、外界との繋がりを減らしたのは主の父である。

 

 大切ならば、愛しているならば、もっと早いうちに、違う世界をもっと経験させておくべきだった。

 常々思っていたことではあったが、今更言っても意味のないことではある。

 

 ぐるぐるぐるぐる、と。

 様々な考えと、想いとが彼女の頭の中を回って。

 

 伝えたいことはあった。溢れるほどに。

 

 ツバキは有能だった。この家で大事に大事に育てられた目の前の雛鳥の専属執事に抜擢されるほどには。

 加えて親子と共に長く過ごしてきたからこそ、この小さな主が今まで何を思い、今まで何に悩み、そして今、どうしてこの行動に出たかよく理解できた。

 

 伝えたかった。

 そんなことをしても意味はないのだと。

 

 だってもう。あなたは。

 そんな外面や、ましてや内面を多少変えたぐらいでは揺らがない程には、愛されている。

 だから、愛を与えることも受け取ることも怖がらないで、と。

 

 でもそれを届けるには、彼女は近すぎた。

 近すぎたからこそ、その心の深奥には、届かない。

 

 彼女は、使用人で、友で、姉で、母だから。

 

 きっと、先に進むためには、この少年が自分自身で心から自覚をする必要があるのだ。

 

 だから、どこかで新しい風が吹くことを、彼女は祈るしかなかった。

 

 よって、口にする言葉は。

 

 「まずは、御髪を整えましょうか」

 「別にこのままでいいです」

 「なりません。私の生きがいを奪うつもりですか?」

 「…それなら仕方ないです」

 

 変わった口調に、変わらぬ甘さを含んだ主を、まずは彼女はただ、さらに強く抱きしめた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 時は流れて。3年と少し。

 それは4月になってすぐのことだった。

 

 「幸様。司様から『お願いだけど、どうしてもでなければ何も聞かずに従って欲しいお願い』が届きました」

 「なんですかそれは。曖昧すぎます」

 

 いつも通り、ツバキは不器用な父子の伝言ゲームに付き合わされていた。

 ただそうは言っても、今回の内容はとても珍しいもので、ツバキも望んでいたものだ。

 

 「日本の高校に通って欲しいそうです。秀知院学園、という学校だそうですね」

 「今更高校に?…でも聞き覚えがありますね。お父様とお母様の母校では?」

 「よくご存知で。もう入学手続きは済んでいるので、早く日本に帰ってきて欲しいと。ちなみに入学式は昨日です」

 「意味が分かりません。何が目的ですか?初花の後継がいることは今しばらく秘匿するのでは?」

 「こちらをご覧下さい」

 

 ツバキは一枚のカードのようなものを差し出す。

 幸が受け取ったそれは、ただの学生証だった。

 そこに記された名前は、如月幸、と。

 

 「如月、ですか」

 

 それは、なかなか目を覚さない彼の母の旧姓だった。

 しばしそれを、幸は眺め続けた。

 静かな時間が少々流れた後に、口を開いたのはツバキで。

 

 「桜様、も」

 「お母様も?」

 

 ツバキが口にしたその名は、酷く懐かしい響きを持っていた。

 口にあまり出さないようにしていたからだろうか。

 

 「いつか、私に仰っていました。サチもあの学校で過ごしてくれたらいいのに、と」

 

 ここ3年以上、ツバキは主の母を引き合いに出すことをやめていた。その心を傷つけかねないからだ。

 だからこれは諸刃の剣であった。

 

 「お母様が…。2人の願いであるならば、無下にするわけにもいかないですか。ただ、何が望みなのでしょうか。初花として縁をつくるというわけでもなさそうですし」

 

 如月幸という名で作られた学生証を眺めながら、幸は呟く。

 

 ツバキはその疑問の答を持っていた。それは、本人以外なら誰にだって分かることだ。

 

 ただ、学生生活を楽しんで欲しくて。それが少年に良い影響を与えて欲しいと願った、切なる親心でしかないのだ。

 そこに何の裏もない。

 

 「そろそろ婚約者でも見つけて欲しいのでは?」

 「面白い冗談です」

 

 言葉の割に幸の表情は変わらず。

 答を口に出せないツバキにとっても、はぐらかしたようなものではあるが、少しの期待もあった。

 新しい出会いの中、初恋の一つでも経験してくれたら。

 きっと新しい風が吹くのだろう。

 

 

 そして、入学式から数日が過ぎて初花幸は、如月幸として秀知院学園へと入学したのだった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 5月。とある日。

 

 

 『幸様、少々トラブルがありまして、迎えの車が遅れます。30分ほど学内で時間を潰していて頂けますか?』

 『構いません。大丈夫ですか?』

 『はい。申し訳ございません』

 

 そんな電話をツバキは主にかけていた。

 もちろんトラブルなんて少しも起こっていない。そんな失態を彼女がするわけもなく、いつもの迎えの場所にて車は待機済だった。

 

 それもこれも。

 幸が秀知院学園に登校を始めてから一ヶ月が経った。

 

 ツバキを始めとする初花家関係者にとっての一番の願いは、この少年が普通の学園生活を送ることである。

 しかしこの主と言ったら、その期待と願いを裏切り続けて、友達の1人すら作らず、速攻で帰ってきてはパソコンとよく分からない数式とにらめっこをして、話す相手はアメリカにいる仕事相手ぐらいである。

 

 なんて灰色の青春なんだろうか。

 父親と使用人の期待を裏切り続けているのである。

 

 だから、何かアクションを起こそうと考えたのだが、初花の身分を隠している関係上、ツバキが大っぴらに関与する訳にもいかない。

 よって少しだけ変化を加えることにしたのだ。

 まずは帰宅時間を遅くすることで、何かイベントが起こらないか、と。

 

 もちろん、そこまで大きな期待はしていない。だがこの調子で変化を加えていけば、いつか何かが起きるのでは、いや、起きて欲しい、とツバキは考えていたのだ。

 

 

 それにも関わらず、今度はその期待さえ裏切って。

 

 

 『ごめんなさい。少し遅れます』

 

 

 そんなメールを見て、ツバキは驚愕した。

 

 何か変化が、起きる気がした。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 6月。

 少しだけ初花家に変化が起きて、1か月が経った。

 

 幸は、帰宅してから、そして休日も、特に大きな変化はなかった。画面とにらめっこをし続けて、無表情で学校に通う。

 

 変わったことと言えば、たまに帰りが遅くなること。

 たまに携帯を見る回数が増えたこと。

 

 それは些細な変化ではあった。

 しかし、ツバキから見ればそれは大きな変化で。

 

 

 

 今日も今日とてツバキは幸の傍に控えていた。

 幼い主はいつもと変わらずにパソコンを見つめて、時折傍のノートにペンを走らせる。もうその内容はツバキには欠片も理解できないものとなっていた。

 

 2人の間に特に会話はない。これもいつものことだ。

 ツバキから話しかければ返事は返ってくる。

 必要なことがあれば話しかけてくる。

 しかし、そこに談笑と呼ばれるようなものは、なかなかなかった。

 

 「そういえば」

 「どういたしましたか?」

 

 珍しいことに先に口を開いたのは幸だった。

 まあ仕事のことではあろう、と当たりをつけてツバキは話を促す。

 

 「次の土曜日、出掛けてきます――お父様から新しいカフェの招待が来てましたよね?返事をしておいてください。2人、13時頃に伺う、と」

 「承りました。確かあのタピオカの。それでは返事を…は?え?」

 「どうしましたか?」

 「え!?誰とですか!!!」

 

 日本に戻ってきた以来、幸の外出先と言えば、学校と母の眠る病室だけだったのだ。

 

 ツバキや父が何か外出を提案したところで全て断ってきた実績もある。

 今回の新しいカフェのプレオープンへの招待だって、その一環だった。ツバキも、そして司もどうせ断られるのだろうと考えていたが。

 

 「師匠です」

 「師匠!?誰ですか!?」

 

 師匠、その言葉はとても懐かしい響きを持っていた。

 

 初花家別邸では、幼い頃の幸の『みんなと仲良くなりたい』という可愛い願いから様々なことが行われてきた。

 その中で師匠という言葉も昔はよく聞いた。

 ツバキたち使用人が主たちを名前で呼ぶのさえ、その願いの名残だ。

 

 しかし、幸はここ三年以上誰の名前も呼んでこなかった。

 誰かに厳しく接することもない、行動は今までとあまり変わらない。でもきっと、それは少しの抵抗だったのだ。

 少しだけ壁を張って、弱い自分を隠すための。

 そのために誰の名前も呼ばず、口調は少しだけ固くなり、表情は無くなった。

 

 結局あまり詳しいことは聞き出せなかったが。

 それでも、変わりつつある主に、ツバキは少しだけ喜びと安心を感じるのだ。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 7月。

 その日は快晴だった。暑すぎるぐらいに太陽が輝いていて。

 

 でもそれとは対照的に、その部屋に流れる雰囲気は陰鬱なものだった。

 

 「今日は、休みます。連絡を入れておいてください」

 

 朝、いつもとは違いなかなか起きてこない幸を心配して、ツバキが部屋に入れば第一声がそれだった。

 

 昨日と一昨日は休日であり、幸はここ最近は毎週恒例とばかりに出かけていた。

 一緒にいる相手は、藤原千花という少女である。

 ツバキが調査をしたところで、何の不安点も見つからない普通の少女。唯一気になる点と言えば、四宮家の令嬢と仲が良さそうなところぐらいである。

 

 昨日も出かけた際、ツバキもその迎えに珍しく同行した。

 その後に病室を訪れるためだったが、それからと言うもの、主の様子は少々変であった。

 

 「どこか体調が…?」

 「いいえ。それは大丈夫ですが」

 

 まだ話は続きそうで、視線でツバキは続きを促した。

 

 「僕は」

 

 懺悔でもするように、幸は呟いた。

 

 「僕は今、幸せで、楽しくて――とても痛いです」

 「…どうされたのですか」

 

 ゆっくりと歩み寄って、その髪を撫でる。

 この小さな主が弱音を吐いた姿を少なくともツバキは見たことがなかった。何があっても、その心の中に押しとどめてきたのに。

 

 

 「恋を、しました」

 

 罪を告白するように。

 悪いことではないはずなのに。

 

 「幸様。一つだけいいですか」

 「なんですか?」

 

 ツバキには言いたいことがあった。

 大きく息を吸って、言葉と共に吐き出す。

 

 「なんで恋を自覚しちゃってるんですか!?ヒドいですよ!!そこは『気づいたらあの人のことを考えてしまっているんですけれど、この気持ちはなんでしょうか?』とか聞いてきた時に私が『それは恋ですよ。大切にその気持ちを育てていきましょうね』って言うのが私の夢だったのに何で壊しちゃうんですか!!!」

 

 彼女はとても細かい夢を持っていた。しかも大量に。

 ちょっと面倒な使用人なのだ。

 

 「うるさいです」

 「ひどい!!!」

 

 でもそんなふざけた言葉とは裏腹に、ツバキは、強く強く主を抱きしめた。

 

 

 「いいんですよ、それで。あなたの恋も幸せも、誰も咎める人はいません。ゆっくりでいいんです――でも。でもそろそろ、受け入れてみませんか?」

 

 

 それはきっと、あの日、少年が髪を切り落とした日に真にかけたかった言葉だ。

 

 あの時とはもう違う。強固に張ってしまった固くて、厚い壁は、時を経て崩れかけていた。

 そのきっかけを作ったのは、献身的な愛を注いできた彼女で、変わらぬ愛を注いだ不器用な父と使用人たちで――壊そうとしてくれているのは、きっと恋心が向かう先にいる少女だ。

 

 「――分からないのです」

 「それでいいんです。誰も皆。きっと、『分からない』を抱えたまま生きています。幸様も、私も」

 

 もう少しで、届きそうで。

 もう少しで、壊れそうで。

 あと一歩、何かが起きれば。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 一週間程経って。

 

 守衛から、幸の友人が屋敷を訪れたという連絡をもらった時、彼女は何かが変わるのだと確信をした。

 

 如月幸と初花家の関係は全てを秘匿できるものでもなく、ましてや秘匿する気もなかった。

 元はと言えば、初花の名を隠したのは、その名を背負っていては単なる学校生活を送るのは難しいだろうという、親心からだ。

 しかし、そのような偽りの中で人間関係を築き続けるというのもそれはそれで難しいもので。

 機会を見て後継として発表をする予定が司にはあった。

 

 その考えはもちろんツバキの知るところでもあったのだが、ここ一週間引きこもりを続けている主に対して殴り込みをかけてくるのは流石に想定外である。

 

 それでも、ツバキの心は暖かくなった。

 

 初花と如月の関係、それに気づくことができるのは、十中八九財閥の関係者である。つまりそれは、状況から考えて、四宮家の令嬢である四宮かぐやに他ならないのだ。

 

 藤原千花という少女のためか、初花幸という少年のためか、それとも2人のためか。

 それはツバキにも分からないけれど。

 きっと彼女の主は、彼女が待ち望んできた暖かい関係を学園で築けていたのだろう、と。

 

 

 あとはただ、祈るだけだ。

 愛する主の壁が崩れることを。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 少女が部屋に入ってから、少し経って。

 2人で部屋から出てきた姿を見て、彼女はまず安心をして。

 

 廊下の先、幸とツバキの目があった。

 

 お互いにゆっくりと歩み寄る。

 長い距離ではないはずなのに、その時間が何よりも長いものに感じて。

 

 その表情が鮮明になるにつれて、ツバキは涙を流しそうになる。

 

 触れ合えるぐらいの距離まで近づいて、幸は口を開いた。

 

 「――ツバキ」

 

 名前を呼ばれたのなど、いつ振りだろう。そう思えるほどの月日が経っていた。

 呼ばれた名前に含まれたものに、込められたものに、気づかないほどツバキは鈍感ではない。

 

 その日、その時、何かが変わったのだ。

 

 少年は3年以上の時を経て、確かな成長をした。

 人の成長は、いや、彼女にとっては息子でも弟でもあるような少年の成長はこんなにも愛おしいものなのか、と。

 

 「学校に行きます。用意をお願いします」

 

 すぐに頷いて。

 

 「もちろんです。すぐに、致します」

 

 言って、振り返る。

 ここにいれば、涙を堪えられそうにはなかった。

 

 しかし、数歩歩いたところで、再び声をかけられて。

 

 「ツバキ」

 

 彼女は振り返った。

 それ以外の選択肢はなくて、間を置かずに告げられたのは。

 

 「ありがとう、です」

 

 少々の微笑みと共に告げられて。

 ぎこちなくない、柔らかい表情で。

 ツバキは、込められた、様々な感情に気づかないほど鈍感でもなくて。

 

 「いいのです――そんな言葉をくれなくても、十分なのです」

 

 十分だ。ただ愛する主が健やかであれば、それで。

 それ以上の幸せはない。

 

 「いいえ、それでも言わなければなりません。ツバキにも皆にも。そして――お父様にも」

 

 きっと、彼女がただ傍に控えていた時間は、少しずつその壁を薄くしていた。

 遠巻きに愛を注いだ、父や他の使用人も同様で。

 

 「それならば、一つだけ叶えていただきたいことが」

 

 先ほどは言葉もいらないと言ったが、一転して変わった主張に幸は頷いた。

 

 「なんですか?」

 

 ツバキには愛する時間があった。

 一つは主の髪をいじりながら、ゆっくりとした会話をすること、そしてもう一つは。

 

 「また、皆で食卓を囲みましょう――」

 

 幸がいた。桜がいた。司がいた。時にツバキも一緒で。

 

 ツバキは視線をまっすぐに千花に向けた。

 

 「――是非、お嬢様も一緒に。私は誰よりもあなたにお礼を申し上げたいのです」

 

 幸はそれに頷いた。

 

 千花は、ちゃんと彼女と会話をしたことがない。迎えに来た際に何度か会ったことはあるが、言葉を交わしたのも挨拶程度だ。

 でも、その態度に表れた主を想う気持ちは、理解していた。

 何と返したらいいか迷った末に。

 

 「はい!喜んで!!」

 

 大きく頷いた。

 ここで遠慮をしてしまうのは、何かが違う気がした。

 

 ツバキは微笑んで、再び振り返る。

 

 「すぐに車の準備を致します」

 

 歩きながら、少しだけこぼしてしまった涙は、喜びの証だった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 そして時は、1月に戻り。

 

 

 「あら。おはようございます、千花様。こんな時間に珍しいですね」

 

 いつも通りの早朝、ツバキが身支度をしてから部屋を出れば、バッタリと出会った相手は千花だった。

 二連休の始まりである今日、彼女が初花邸にいることは珍しいことではない。泊まっているのはツバキだってもちろん知っている。

 

 しかしその時間はいつも通りではない。

 千花は決して朝に弱い訳ではないが、起きる時間は一般的なものである。このような早朝に顔を合わせるのは珍しい。

 

 「なんだか目が冴えてしまったんです。寝たのも少し早かったので」

 

 確かに、その顔にあまり眠気は感じられない。

 

 「確かに、声が静まるのが少々早かったですね」

 「うう…ごめんなさいぃ…」

 

 声とは言っても嬌声だ。

 その自覚は千花にもあった。この屋敷は相当な広さがあるが、ツバキが普段使っている部屋は、様々な理由により幸の部屋の向かいにある。そのため、さすがに声も届く。

 周りの部屋は無人なので、救いはまだあるが。

 

 「仲が大変良くてよろしいかと。いえ、嫌味などではなく、心からそう思っております」

 「恥ずかしいので掘り下げるのはやめませんか!?」

 「可愛らしく新鮮な反応に私は満足しております」

 「どういうことですか!?」

 

 ツバキの主、特にあの母と息子と言ったらそういう話に恥ずかしさを1ミリも感じないので、ツバキとしてはからかい甲斐がなく、少々つまらないのだ。

 対照的に千花は良い反応を返してくれるので、お気に入りである。

 

 「まあまあ。幸様ならいつも通りお風呂だと思います。千花様もいかがですか?」

 「実は私もそのつもりで…まだ出ませんよね?」

 「恐らくは。あと30分は入っているかと」

 「あ、じゃあ急がなくても大丈夫ですね」

 

 ツバキからすれば、お風呂に突入するのもそれはそれで恥ずかしい行動だとは思うのだが。

 この少女も少女で多少基準が狂ってしまっているのではなかろうか、なんて考えた。

 

 「それでは着替えは私の方で用意致します」

 「…普通のでお願いしますよ?また変なのはやめて下さいね?」

 「保証しかねます」

 「なんでですかー!?」

 

 前回着替えを用意した際には、ちょっとだけ扇情的なものを用意したのだ。ちょっとだけ、ちょっとだけである、多分。

 ツバキは、愛する主の、可愛い婚約者のために相当な数の衣服を用意していた。

 可愛いものを更に可愛くするのが彼女の趣味なのだ。

 

 「ほらほら早く参りましょう」

 「えー!?」

 「有意義な休日を無駄に消費してはなりません」

 「割と大事な要望だったんですよ!?」

 「しっかりとエロエロなやつを用意しておくので安心して下さい」

 「なんですかそれ!安心できません!!」

 

 ツバキはこの日常を愛している。

 笑顔と愛が溢れたこの家を。

 愛らしい主を。可愛らしいその婚約者を。

 今度こそ、二度と失わないために、ちょっとした手助けをするのだ。

 

 やっぱり王道にピンクですね!と、まずは下着を取り出した彼女は、残念ながら大真面目で。

 

 ツバキはこの先も、見守っていきたい。

 この幸せを。

 幸せの名を冠した、その主を。

 




次回、さくらんぼーいの話、予定!!


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