清楚とはこういう事です (蒸留)
しおりを挟む

#1 清楚を目指すということ

この作品は、煉瓦様の
【美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい!】
https://syosetu.org/novel/217501/

を原作とした二次創作作品です。


そろそろ

2期生一番手期待

しかしこの数か月でVもよう増えた

now loading...

 

貧乳黒髪猫娘ぺろぺろ

↑通報した

 

一期生が個性派揃いだから二期生もワクワクしかしねえー!

 

▶ ▶❘ ♪ ・ライブ
 
 ⚙ ❐ ▭ ▣ 

【初配信】初めまして、黒猫 燦にゃ【あるてま】

 4,365 人が視聴中・0分前にライブ配信開始
 
 ⤴53 ⤵1 ➦共有 ≡₊保存 … 

 
 黒猫 燦 
 チャンネル登録 

 チャンネル登録者数 896人 

 

「こんばんにゃ~~~~!!!!!!」

 

 初配信を準備万端で待機していた俺の耳を(つんざ)く、常軌を逸した殺人的音圧。

放送事故後の対応……まあこれは、配信自体に不慣れであるだろう事を考慮すると冷静さを欠いてしまっても仕方ないけれど。

取って付けたような語尾、スリーサイズ公開(本当であるかは甚だ疑問が残る所だが)、煽られるとすぐ反射で不適切な言葉を配信に乗っけるなど。

 

「一番の理由はちやほやされたかったからなんですけどね!!!!」

 

 この発言で俺は確信した。

黒猫燦は、ポンコツ面白枠だ、と。

彼女は、誤解を恐れずに端的に言えばちょっとおかしい人だ。

 

 後先考えず身バレ上等のような発言を繰り返して後で死ぬ程焦る点。

あるてまの2期生募集オーディションの募集要項は、確かバーチャルユーチューバーになりたいという意思だけ。

学歴年齢等は不問という関係上、中身の演者が本当にまだ学生なのかもしれない。

 

 立ち回りの危うさ。

ちやほやされたい、という動機。

これを公言するのはかなりギリギリのラインだ。

いやまあ、そりゃあVの皮を被って雑談やら実況やら歌で活動したいなんて時点で、自己顕示したい人間なんだから根底の目的は誰しもそうなんだろうが、論点はそれを公に公言してしまう危機管理能力にある。

一応暗黙の了解として『V』のコンテンツでは、キャラクターではない演者自身が必要以上に表に出てこない。

だから『V』の活動以前に名の知れた歌い手や配信者達は速攻で過去の名義がバレたりするが、彼らがそれについて触れる事はない。

明言してしまわなければ、大抵の事は他人の空似で押し通せるものだ。

黒猫燦のチヤホヤされたい、という発言はその領分を超え、企業が用意したキャラクターの薄皮を剥いだ向こう側の視点の話だ。

 

 きっと彼女はこれから、そういう危うさがウケて人気コンテンツとなるだろう。

咄嗟に選んだ言葉選びがことごとく全て炎上に繋がりそうな不安定さはある意味芸術的と言えるし、世の中には怖いもの見たさ、という言葉がある。

刺激物というのは一定数の訴求力があるものなのだ。

 

 

 

 

 

 早いもので、あの黒猫燦の鮮烈なデビューからもう4ヵ月が経った。

あの後の展開は概ね予想通りで、彼女はあるてま2期生の'一番ヤベえ奴'の称号を欲しいままにし、その勢いに乗ったまま同期夏波結、我王神太刀とのコラボ、1期生の先輩世良祭とのオフコラボ等、着々と場数を踏んでいった。

一過性のファンを固定層へと固め、配信者としての人気を不動のものとした彼女のチャンネル登録者数はあるてま全体で見てもかなりのもので、粒揃いと言われそれぞれ独特の個性と人気を持つ1期生の地盤さえ危ぶむ勢いだ。

 

 今日は歴史ある同人誌即売会イベント、コミックマーケットの最終日。

出展されているあるてまブースでは、最大の目玉である所属ライバーとのお喋りイベントの様子が動画サイトからライブ配信されている。

俺の目当ては勿論、黒猫燦だ。

 

 あるてま出展の目玉、所属ライバーとのお喋りイベントは3daysでそれぞれメンバーを分けて行われている。最終日の今日は、黒猫燦以外の全員が1期生だった。

来宮きりん、朱音アルマ等、皆それぞれの持ち味でファンの質問から器用にトークを膨らませる中、黒猫燦のブースに来たファンは……何というか、とても彼女のファンらしい個性的な人間ばかりだった。

けれどそこには確かな愛があって、散々だった初配信からこの瞬間まで、彼女が成してきた事は少なくない数の人に確かに刺さっていたのだと、強く痛感させられた。

今までの配信において幾度も語ってきた『コミュ障』の彼女が、全くの初対面である自身のファン達を配信そのままの当意即妙な返しで湧かしていたのには驚いた。

 

 あぁ、なんだ。

俺の危惧していた事は、杞憂に終わりそうじゃないか。

ファンや共演者に囲まれながら、いつものように叫んでいる彼女を見て、彼女の配信者生命に関わるような大きな事故は起こりそうにないな、と安心した。

その時、初めて俺は俺の感情の正体に気付いた。

俺は怖いもの見たさとか、炎上待機の野次馬だとか、そういうんじゃなく黒猫燦の放送が本当に好きだったんだ。

同期の夏波結と同じ、心配でしょうがなかったんだ。

無軌道で今にも倒れてしまいそうな彼女が。

 

 黒猫燦はきっと、この先どんなに炎上しかけても、きっと上手くやっていくだろう。

デビューしてから4ヵ月、彼女の配信はソロだろうがコラボだろうが全て見届けてきたが、あのバランス感覚は天性のものだ。

勿論狙ってやっているわけではなく全て天然の産物だからこそ危ういのだが、仮に炎上したとしても、彼女には親身になってくれる仲間がいる。

そう簡単に道を違える事はないだろう。

彼女は、とても同僚や先輩に恵まれている。

そう遠くない内にできるであろう後輩ライバーに対してだって、自分がそうされたように優しく道を指し示す事ができる筈だ。

彼女は、最初からあれで良かったのだ。

 

 

 

 

 しかし、しかしだからこそ俺は思ってしまったのだ。

もしものIfを見たくなった。

もし俺が、俺が黒猫燦の魂であったなら『あの』初配信はもう少し上手くしたのに、と。

もしあの伝説となった初回配信で黒猫燦が本当に清楚を貫いていたら、来宮きりんとの、世良祭との、我王神太刀との関係性はどう変化するのだろう。

何より夏波結との関係性は、変わってしまうのだろうか。

一視聴者として、そんな可能性が見たくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あ~~~……マイク、音量どうでしょうか?」

 

 察しの良い諸氏は、もうお気づきだろう。

そう、俺はあの黒猫燦の声が出せる女の子に転生し、巻き戻った時の中であの初配信を行おうとしていた。

 

 

 

 クーラー一つもない六畳家賃三万六千円の安アパート、コミケのあるてまブースでのイベント中継を部屋で夢中になって視聴していた俺は、ぶっ倒れた。

三半規管が唐突に機能を放棄し、部屋干ししたTシャツの脇に見える外の太陽が降ってくるかのような感覚があった。

これは……熱中症だろうか。

ごめんな……せっかく友達と行ったライブで並んで買ったPATHFINDERのTシャツ、あんまり着てやらなかったな。

割とどうでもいい感傷を最後に、俺の意識は途絶えた。

 

 次に目覚めた時、俺は黒髪の美しい女であった。

視界の端に映る長髪がとても鬱陶しい。

病的な程細い四肢。

女性らしいというよりは健康的でガーリーなファッション。

 

 まず、部屋が広い。

自室だけでこのスペース……一般的な中流家庭の部屋だろうか。

開いた衣装タンスから除くハンガーの数から、人並みにお洒落に関心があり、親に愛されているだろう事が窺えた。

ファンシーな女の子らしさ全開の服の中にさり気なく混じる紺色の清楚な制服から、恐らくまだ高校生なんだろう。

 

 見える範囲に置いてあった卓上の鏡で容姿を確認すると、想像通りの幼げな顔立ち。

綺麗というよりは、かわいらしい。

女優よりは、読者モデルという感じのキュートなかんばせの美少女がそこに居た。

 

「俺は……???」

 

 喋ると同時に鏡に映る美少女の口元が動く。

体内に響く、酷く聞き覚えのあるような特徴的な声。

もしやと思い、近くに置かれていたアニメキャラクターの描かれたスマホカバーを手に取る。

この体の本来の持ち主の少女には悪いが、どうしても確認したい事があった。

幸いにもスマホにはパスワード等のロックが何も設定されておらず、メニュー画面を開くのは容易だった。

仮にも年頃の女の子のスマホとは到底思えない……身の周りの事に無頓着な子なのか。

ストアから録音アプリをダウンロード、早速使ってみる。

 

「ゆいままだーいすき、あるてま2期生の黒猫燦だにゃんっ♡」

 

 何故この台詞を拝借したのかは……まあ、察して欲しい。

コミケ直前の時期に黒猫燦、夏波結とのコラボ配信で黒猫燦が発した問題発言だ。

彼女は一睡もせず夜を徹して配信に臨むというクレイジーな行為に手を染め、同配信では常に酩酊時のようなテンションであった事をよく覚えている。

普段の言動からあの赤裸々な告白生配信が黒猫燦の本音である事は疑う余地もなく、社交的で多方面への配慮もでき、アドリブも利く夏波結が攻められると弱いという新たな知見を得たゆいくろ民は大いに沸いた。

 

 閑話休題。

自分で聴いている自分の声と他人に聴こえている自分の声は違う。

それはザックリ言うと声を骨を伝って聴いているか、空気を通して聴いているかの違いなのだが、録音した今の台詞を再生してみて確信した。

この少女は、黒猫燦の中の人だ。

 

 目前の持ち運びのしやすそうなノートパソコンの画面に映るのは、あるてま所属ライバー来宮きりんの配信。

画面下には、あるてま2期生の募集フォームのURLが書かれている。

俺が知覚している最期の瞬間から、時が巻き戻っている。

この世界にはまだ夏波結は、我王神太刀は、黒猫燦は存在していないらしい。

選択肢は、1つしかなかった。

 

 事を成すまでの間に、現状の把握は一通りしておいた。

この少女の名前は、黒音今宵というらしい。

ゴスロリやガーリー系の比較的フェミニンなファッションが好きな、背の低く胸の大きい高校1年生。

親との仲は良好だが、家に友人を招いた事がなく遊びに行ったりする事も殆どない等、社交性に難がある。

卒業アルバムも一通り拝見させてもらったが、これ程造形の整った美少女が集合写真以外では孤立しているのはかえって悪目立ちしていた。

密かに想いを寄せている男の子や女の子も過去には居ただろうに、下手に整った容姿が周囲を寄せ付けなかったのか。

どうしようもなく、彼女は不器用なのかもしれない。

彼女の表情は、望んで孤独を選んでいる訳ではない事を雄弁に語っていた。

 

 せっかく面白い展開になっているんだ、少女には悪いが好き勝手やらせてもらおう。

無造作にもノートパソコンの下敷きになっていたノートに、少女が見て分かるようにメッセージは書いておいた。

いずれ俺の魂が死に、少女がこの身体に還った時に読んでくれればそれでいい。

ある日唐突に少女が戻って来てもいいように、これから起こる出来事も適宜つぶさに書き込んでいく予定だ。

俺の存在によって彼女が周囲から不信感を抱かれるような事があれば、あまりに不憫だから。

 

 2期生募集オーディションには想定通り合格、ここに於いてはさして語る言葉もない。

曲がりなりにも元社会人だ、面接官の求める模範は心得ていた。

図らずも以前の記憶と同じく2期生期待の星としてお披露目配信のトップバッターへと抜擢されたのには少しの驚きを伴ったが、それだけ。

どの順番であろうが、俺は俺にできる事をするだけだ。

 

 時は、運命の初配信日。

心身共に準備は万端だが、まだ予告している時間までは10分前後の余裕があった。

俺はおもむろに別窓で立花アスカのチャンネルページを開いた。

 

 立花アスカ。

どこの事務所にも所属せず、個人で活動している最初期Vtuberの1人だ。

かつての黒猫燦も、この娘とコラボ配信をしていた記憶がある。

なんでも黒猫燦がVtuberになる前からファンであったらしく、コラボする前からお互いに「推し」同士であったとか。

俺が黒音今宵になってからというもの、精神が乱れれば彼女の動画を求めるようになっていた。

彼女を見ていると、活力が湧いてくる。

 

 あるてまという企業に属する事になった俺は、結局の所企業の指示に従って配信をしているだけに過ぎない。

キャラクターデザインもイラストもLive2Dモデルも配信機材も、果ては活動用のSNSアカウントまで、活動に掛かる面倒な手順を全て大人にお膳立てしてもらっているのだ。

企業産のメリットはそこにあるのだが、それは逆にデメリットにもなりうる。

これはイメージだが、恐らく自身の活動方針やブランディングは管理され、企業イメージから逸脱しないようコンプライアンスに引っ掛かる発言も勿論厳しく規制される。

アルバイトであろうが一法人に属する契約社員として、そういった制約から逃れる事はできないだろう。

 

 対して、立花アスカは所謂'個人勢'だ。

何の後ろ盾もなく、キャラクターのモデルから配信環境までの全てを自身の技術で賄っている。

これは並大抵の事ではなく、情熱なくしてできる事ではない。

彼女のチャンネル登録者は3桁に届かない数、配信のアクティブ視聴者数はよくて15人前後だ。

かけた労力に対して、見合わない結果。

それでも彼女は、絶対に泣き言を吐かず今日も元気に活動を続けている。

 

 社会的な生き物である人間はどうしたって外部に評価を求めるもので、活動に大してのフィードバックが少ないコミュニティに長くはいられないもの。

マズローが人間の欲求を5段階のピラミッド状に階層分けして示したように、誰しも他人を評価したいし他人に評価されたいからだ。

コメント1つも付かない配信を継続して行って、少しずつ、本当に少しずつチャンネル登録者数を伸ばしている立花アスカを見ていると、人間の'情熱'の底力を強く感じる。

トーク力もあり、いつでも前向きで動画編集の腕も着々と上げてきている彼女の活動が、陽の目を見ないのは不思議でしょうがない。

彼女に足りないのは、ほんの少しのきっかけだけなのだと思う。

 

 

 俺が今後の活動によって知名度を上げる事ができた暁には、あの時の黒音今宵のように彼女とコラボ配信がしたい。

大先輩のVtuberに烏滸がましい話だが、俺と絡む事であるてま箱推しの人間にも彼女の活動が届くようになれば、それ以上の幸せはない。

いつも勇気をもらってる俺が、彼女の活動の知名度向上の一助になれるのなら。

そんな夢物語を実現させるためにも、頑張らなきゃな。

そろそろ時間だ。

 

 

そろそろだねえ

3分前

つぶやいたー外交も完璧だし真面目そうだよな

now loading...

 

清楚枠の可能性が微レ存!!???

清楚(あるてま)

 

2期生のトップバッターだしプレッシャーヤバそう

 

▶ ▶❘ ♪ ・ライブ
 
 ⚙ ❐ ▭ ▣ 

はじめまして、黒猫 燦と申します。

 4,350 人が視聴中・0分前にライブ配信開始
 
 ⤴53 ⤵1 ➦共有 ≡₊保存 … 

 
 黒猫 燦 
 チャンネル登録 

 チャンネル登録者数 893人 

 

 はあ……ふう。

深い深呼吸を一つ。

よし。

俺ならできる。

脳裏に思い浮かべるのは、徹頭徹尾完全な、清楚美少女。

知性に溢れ、品性に欠けた冗談もウィットに富んだジョークでかわす、決して安くない女。

 

 服装も、うん、悪くない。

蝶々結びみたいな結び目が付いたカジュアルワイドパンツにデザインTシャツ、落ち着いた色のキャップで大人しめにまとめた。

少女には悪いが、俺は私生活において豊かに育った胸部を利用する気はない。

元々男女共用のユニセックスなファッションが好みなのもあるが、露出は極力抑えたい。

仕事としての意識付けを行おうと、当初は学校の制服で臨もうとも思ったのだが辞めた。

万が一の事故があった時、お洒落しているだけならノーダメージだが、制服だと特定騒ぎになりかねない。

日頃からお世話になっている学校に迷惑を掛ける事には抵抗を覚えた。

 

 あるてまから配信機材とともに郵送されてきた、配信をするにあたっての注意事項という冊子は穴が空く程熟読した。

覚悟を決め、腹を括りミュートを解除して画面を切り替える。

あるてま運営の用意してくれたNow Loading...という画面が切り替わり、イラストレーター様が描いて下さったイラストを基に作られた、大変美麗なLive2Dの猫耳がぴこぴこしている。

後は、このマイクに声を通すだけだった。

 

「あ、あ~~~……マイク、音量どうでしょうか?」

 

時間ピッタリ!

声が綺麗すぎる

え、天使……?

声の透明感やば、真空から生まれてきたんか

↑絶対そうでしょ、空気に触れてないわこの美しさ

 

「あ、あの皆様、親からいただいた(わたくし)の声を褒めていただけるのは大変光栄なのですが、音量バランスの方は如何でしょうか……?」

 

 え。

何じゃこの反応。

声を発しただけで何、赤ちゃんか???

ベタベタに人間を甘やかすなこの人達。

実は初配信前、少しでも聴き心地の良い声を提供できるよう、急いで遠くの日本ナレーション演技研究所まで行って面接を受けてきた。

インターネットで声を使ってタレントみたいな活動をする事になったという経緯を伝え、週に2、3回通わせて頂ける事になったのだ。

演技やナレーションのプロの指導の元、ちょっとずつ正しい発声を学んでいる所なのだけど……それにしてもこの反応は異常では。

黒音今宵のポテンシャルの高さに驚きつつ、配信を続ける。

 

「改めまして自己紹介を。お初にお目に掛かります、あるてま所属2期生バーチャルユーチューバー、黒猫燦と申します。以後お見知りおきを、にゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 配信の時間は、あっという間だった。

区切りなくダラダラと続けるとあっという間にネタが枯渇してしまうので、エピソードトークやマシュマロは小出しにする。

そういった理由で30分という時間制限を設けていたのだが、もう終了の時間は差し迫っていた。

内心は大慌てだが表に出す事なく、今日の内容の総括に入る。

 

「楽しい時間はあっという間、もうこんな時間です。本日のまとめに入りますわ」

 

 スっと、画面を前もって作成しておいたPowerPoint作成資料に切り替える。

極力見やすく、それでいて分かりやすく簡潔に纏めるよう努めた。

今日の配信を見ていなくとも、このそう多くないスライドを見れば内容は全て分かるようになっている。

 

「まず、自己紹介をさせて頂きましたね。次に、皆さまに呟いて頂けると嬉しい配信タグ、イラストタグを決めました。こちら、後ほど改めてつぶやいたーにも掲載しておきますので、感想下さる方、イラストを描いてくださる方はご一読頂けると幸いです」

 

ファッ!?

配信を見ていると思ったら職場のプレゼン資料を見ていた……?

まるで社会人だぁ……

パワポ要点だけまとめててマジで分かりやすいの草

初配信を5枚のスライドでまとめる女

 

 あれれ。

これ、もしかしなくても、やりすぎただろうか。

自分にできる事は全てやってみようと、どうせやる事は決まってる初回配信、分かりやすいように内容を気合入れてパワポでまとめたのだが、これ間違いなく逆効果になったな。

社会人がああだこうだ言われてるもんな、ロールプレイというかキャラクターのブランディングに都合の悪いコメントは拾わないようにしよう。

一旦すっとぼけて進行するか。

 

「こちらのスライド、事前に私が作ったものですのでご紹介できておりませんが、この内容の他にマシュマロを5つ程消化させて頂きました。引き続き常時皆様からのご質問、募集中です」

 

自分で作ったのか(困惑)

無駄な装飾が無くてひたすら実用的なのマジで面白いな、社会人としての'凄み'がある

1スライドの情報量と全体のレイアウトに優秀さが滲み出てる

↑ほんそれ、色調も統一感あって見やすいし手慣れてる

トークも切れないしコメント拾う余裕あるし、普通に配信のレベル高いのにパワポで印象全部持ってかれたわ

 

 だぁーめだ、コメント全部都合悪いわ。

もうコメント欄は勢いが早すぎて祭りの様相を呈している。

その中で必死こいて読めたコメントは悉くブランディング的に都合が悪く、配信には乗せられない(拾おうとすると演じているキャラがブレる恐れがある)。

しかし今までこの30分間、幾度もコメントを拾ってレスしている都合上、ここにきていきなりコメント欄の祭りに気付かないのにも無理がある。

静かにスルーを決め込む覚悟を決める。

かつて、トラブルに巻き込まれそうになったある人物はあらぬ疑いを掛けられた自身を弁明する際にこう言った。

『なんで見る必要なんかあるんですか』と。

トラブルそのものを回避できたかどうかは別として、時にこういう精神性が重要になる時もある。

君子危うきに近寄らずとはよく言ったものだ。

 

「大変恐縮ではございますが、良きように感じて頂けたならチャンネル登録してもらえるととっても嬉しいです。配信の通知等しているつぶやいたーもどうぞよしなに。今夜も良い夢を、ばいにゃ、です。黒猫燦でした」

 

パワポに対してのコメント一切拾わないのわろける

宣言通り30分丁度で終えるの本当にきっちりしてるよな

毎回言いたい締めの挨拶はどっち?

今夜も良い夢をって言ったりばいにゃって言ったりしろ

ばいにゃって奴めっちゃかわいくない?

冗談一切言わない委員長が罰ゲームで語尾ににゃん付けてる感

めっちゃわかる

わかる

 

 よし、楽しく話せたな(致命傷)。

終わりっ!閉廷!といった感じで少々強引に締めたのは否めないし、反省点は多い。

とはいえ、何の素養もない素人の初配信にしては上出来だったんじゃないか。

所属してみると意外や意外、あるてまはライバーの活動の裁量の殆どをこちらに任せてくれた。

とはいえ勿論給料は発生する以上、仕事だ。

半端な覚悟では望めない。

馬鹿なりに無い頭絞ってブランディングを定めて配信したはいいが、今後の活動に際しての課題が幾つか浮き彫りになった。

黒猫燦のブランディングの見直し、日ナレの持ち帰り課題の反芻練習や学校の課題等、案外やる事は山積みだ。

一つずつゆっくりと片付けていくか。

 

 ひとまずつぶやいたーであらかじめ下書きに残しておいた配信後の定型文ツイートを投稿すると、そのタイミングでDisRordに通知が入った。

 

 

会話に参加または作成する

夏波結 ●           
 検索     @ ? 

アクティブ

フレンド

ダイレクトメッセージ

夏波結

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒猫燦  ♪⚙

#XXXX

   ─────2018年4月25日─────  

22:21 夏波結 配信お疲れ様です!凄かったです!!

22:21 夏波結 私の初配信もまだだから気が早いかもしれないけど

22:21 夏波結 近いうちに絶対コラボ配信しましょう! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏波結へメッセージを送信

 

 

 

 

 

 

 やはり接触してきたか。

夏波結……!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#2 わたしは自由です。だから道に迷ったのです。

 あるてまが2期生として採用したのは全部で7人。

つまり、俺には6人の同期が居る事になる。

ここは、かつての記憶と全く同じ。

皆の配信前にDisRordで2期生が集ってグループを作成し、顔合わせならぬ声合わせをした事があった。

その時既に簡単な挨拶はしているので、友達登録をしたぐらいでそれぞれ個別にメッセージは送信していない。

初配信の1時間くらい前に、我王神太刀から応援のメッセージが届いた事はあるのだが。

恐らく俺以外にも、同期全員に同じような事をするつもりなのだろう。

キワモノのキャラの癖にあれで結構律儀なのだ、彼は。

 

 閑話休題。

俺はつぶやいたー外交にはそこそこ気合を入れて臨んだが、DisRordには消極的だった。

大抵の場合はつぶやいたーで事足りるからだ。

つぶやいたーは、性質上ダイレクトメール以外のやり取りが外部から見えるので仕事の一環と割り切って運用しているが、DisRordは違う。

同僚や諸先輩方と私的なやり取りをするようなアカウントの運用に割くリソースもなく、辛うじて通知だけは届くような状態で放置していた。

 

「それで、日程はいつがいい? 私は今週なら火、木、金は夜に時間取れると思う。土曜日ならいつでも空いてるし」

 

 そんな忘れ去られたDisRordは最近同期の夏波結さん専用SNSと化し、今日に至っては通話機能まで有効活用されていた。

どうしてこうなった。

端的に言えば、押し切られた。

それ以上に語る言葉はない。

俺は人を傷付ける事なくやんわりと断る術に長けていない。

 

「お……(わたくし)は提示いただいた日程であれば、いつでも問題ありませんよ」

 

「お?」

 

「お腹が減ったな……と。軽食を取って参ります、一旦離席しますね」

 

「あ……そっか、今19時20分だもんね。ご飯時にごめん、配慮が足りなかった」

 

「いえそんな、謝っていただく程の事では……」 

 

 流石に、同期の前で『俺』などと言うわけにもいかない。

上手いこと誤魔化し続けて限界が来るよりは、ここを好機とみて今後は思考する時の一人称も未だ慣れない私とする方が建設的か。

どことなく高貴な育ちっぽい、と庶民丸出しの所感を抱いているが、一人称だけで他ライバーと差別化できるため割と実用的かもしれない。

いずれ元の身体に戻った時にこの一人称のままで考えられる弊害は幾つかあるが、この際気にしない。

 

 それにしても、夏波さんの話はどれも新鮮で面白い。

何より面白いのは、どのエピソードにも彼女の大らかで世話焼きな人柄が透けて見える所。

猫を拾って、乗り掛かった船だと里親になってくれる人を探していたら愛着が湧いてしまい、いざ引き取ってもらう際に人目も憚らず号泣してしまった話。

後輩が本当にダメな男の人ばかり捕まえてきてしまい、いつも相談に乗っているがあまりにも幸せそうなので何も言えず悩んでいる話。 

この人は、きっと小さな嘘も吐けない程に誠実な人だ。

ネット上でよく、寛大で面倒見の良い女性の事を『ママ』と形容するスラングがあるが、彼女もその例に漏れない。

かつての世界ではよく『黒猫の事認知して?』という意見も挙がっていたが、そういう冗談にも笑顔で対応できるような懐の深さが、人を惹きつけるのだと思う。

視聴者の事を本当に大切に想う彼女は、だからこそ視聴者に深く愛されていた。

 

 夏波さんは、信用の置ける人だ。

その分、こう思わずにはいられない。

 

「夏波さんの初コラボが面白味のない私で本当によろしいのでしょうか。戸羽さんや終理さん等、適任の方が他にもいるのでは……?」

 

 コラボの提案に際して、率直な感想はこれでしかなかった。 

端的に言えば、黒猫燦の弱点はVtuberではなく社会人である事。

まだ一度しかしていない配信で、自己分析と客観的評価により浮き彫りになった問題点は、'予定調和'だった。

一から十まで、配信の全てに裏切りがない。

配信で起きる全ての出来事が視聴者の予想の範疇にあり、良く言えば安心して視聴できるが、悪く言えば退屈。

バラエティ番組だらけの放送枠に1局だけニュース番組で戦っているようなもので、他ライバーとの土俵の違いを強く感じた。

真面目一辺倒では安定があっても魅力がない、子ども教育番組は一部の愛好家以外には娯楽足り得ないのだ。

今、黒猫燦に求められているのは『親しみやすさ』だった。

 

 その点、マイペースなキャラクターとコラボし強引にあちらのペースに振り回してもらえば、あちらのブランディングを崩す事なく私も新たな一面を見せる事に繋がるんじゃないかという打算が多少なりともあった。

勿論それなりにアドリブ力は要求されるものの、現状のスタンスのまま遮二無二突き進んだ所で停滞は目に見えているし、遅かれ早かれ変化は必要だ。

なればこそ、夏波さんのコラボ打診は私にとっては得でしかなかった。

 

 しかし、彼女にとってはどうか、という話だ。

どちらかと言えば今の所面白味に欠ける私がコラボ先で、本当にいいのだろうか。

傍目には夏波さんにあまり利点がないように思えた。

 

「……敬語。結。はい、もう1回」 

 

「うぅ……ゆ、結の初コラボのお相手を私が務めさせていただくのに自信がない、と。これぐらいで勘弁して……」 

 

「ん~ギリギリ及第点! 許します」

 

「ほっ……」

 

 通話を始めてから、ずっとこの調子だ。

終始向こうのペースだし、夏波さんの距離の詰め方は尋常じゃない。

最初こそおっかなびっくりといった調子の敬語だったけれど、この1時間にも満たない通話中に気付いたら既に敬語は外れていた。

特に彼女の腑に落ちないのは'敬語'と'呼称'のようで、度々こうして矯正させられるのだ。

すんでの所でお許しをいただいていても、ひとたび私が「黒猫燦」の活動を卑下した態度でいると、こうだ。

彼女的には、'私が好きな燦の事を燦自身が過小評価しているのが嫌'らしい。

 

 その気持ちはとても嬉しくてなんだか面映ゆいものだけど、そんな彼女だからこそ心配だった。

私が夏波さんの魅力を引き出す事などできるのだろうか。

相手が誰でもいいなら、私じゃ不適任じゃないのか。

 

「燦の配信見てて、キッチリした人だなって感じたから! 最初にコラボするなら、信頼の置ける人がいいなって。 燦じゃなきゃ、駄目なんだ」 

 

「っ……そ、そうですか」

 

 この人は、何でこう……

訴求力の高い言葉選びが本当に上手な人。

夏波さんは多分、天然の人タラシという奴なんだと思う。

人を惹き付けるカリスマにも幾つか種類があって、この人の場合はとにかく親しみやすいタイプ。

パーソナルスペースが最初からかなり薄くて、スッと懐に入り込んではすぐに警戒心を解きほぐしてしまう。

気遣いがよくできるのも人の事をよく見ているからだし、他人との適切な距離感を見極めるのに相当長けている。

押しの強いように見えて本当に嫌な所までは踏み込んでこないし、無遠慮だけど私が自分を卑下するとこうして怒ってくれる。

求められてしまえばできるだけ力になりたいと思ってしまうのが人の性で、あるてまライバー2期生最速となるコラボ配信は斯くして決定したのだった。

 

「じゃあ、今週土曜、20時から! 夕方くらいから時間までは打ち合わせしよ?」

 

「承知しました。夏波さんの迷惑にならぬよう努めますね」

 

「燦??」

 

「……ゆ、結の足を引っ張らないように頑張ります、あ、頑張る、ね?」

 

「……」 

 

「い、一緒に頑張ろ?」

 

「うん! おやすみなさい」

 

 陽キャ特有のマイナス発言を絶対許さない感も、没出しされない言葉選びもまだまだ掴めない。

曇ることを知らない高気圧ガール、無意識に人を惹き付ける心泥棒な夏波さんは正しく私の天敵と言えた。

 

 本当に、鮮やかな手腕。

DisRoadで一方的なファーストコンタクトをもらってからコラボ配信決定まで、わずか5日。

まんまとしてやられたわけだけれど、不快感を覚えないのは彼女から悪意や怨恨といった思惑を一切感じないからだろうか。

 

 私は多少浮ついた心を平常心に落ち着けるため、おもむろにエゴサーチを始めた。

つぶやいたーから匿名掲示板まで、ありとあらゆる場所で悪評だけを切り取って読み漁っていく。

概ね好意的に見られていたのは喜ばしくもあるが、私の一挙手一投足全てを礼賛する信者が既に何人か確認できてしまい、苦笑いを浮かべる。

称賛、長文リプライ、電子の海で散々使い古され擦り切れたコラ画像。

そういったエゴサーチにおけるノイズを通り過ぎた先に、価値のある意見は有る。

広大な砂漠から砂金を見つけるような途方もない作業も、幾度も経験すればかなり効率化できるようになってきた。

隠語、検索避けは私の前では意味をなさない。

全部見てるからな。

 

 やはり想像していた通り、匿名掲示板からの実りは大きい。

匿名性の強いコミュニティにこそ、飾り気のない真実は宿る。

真に参考にすべきはそういった、希釈される前の忌憚のない意見だ。

そろそろ特定の語彙を含んだ呟きだけを抽出する便利なツールでも作るか、有用性を実証した後に同期の希望者にだけ配布するような形で交友を広げるのも悪くないかもしれない。

いやしかし、それで2期生の技術担当と思われるのも後々の厄介ごとを増やしそうで少し煩わしいな、と益体もない事を考えていると、2期生のリストが更新された。

 

 

 

夏波結@あるてま2期生/@natunami_yuiyui

たった今、初コラボが決まりました。                      

同期のしっかり者猫さん、黒猫燦ちゃんと5月5日にコラボします。

詳細はまたツイートします!

楽しみ!!!!!!!!!!!!!

#ゆい生ライブ #黒猫さんの時間

@20  ↺100  ♡89  …

Reply to @kuroneko_altm

タオルケットさん/@xxxxxx
3m

Replying to @blanket_sun

しっかり者コラボ!期待大

@  ↺  ♡4  …

マカデミアナッツに命を捧げろ/@xxxxxx
2m

Replying to @Macadamia_nuts

清楚とギャルの化学反応、コラボを座して待つ

@  ↺4  ♡6  …

 

 いや、早すぎるだろ。

通話切ったのついさっきぞ。

というか、今の今で反響ありすぎ。

この瞬間も、ふぁぼもリツイートも怖いぐらいどんどん増えている。

……用意されてない事が分かるライブ感のある文面、そんなに嬉しいものなのか。

喜色満面。

彼女の人柄そのものが表れたようなツイートに、完全にスイッチが入ってしまったのを感じる。

退路は塞がれた。

私は、何としても夏波結の魅力を引き出さなければいけなくなった。

 

 言っちゃなんだが、コラボ打診に彼女側も打算を見出していないとは言い難いだろう。

夏波さんの初配信の結果があまり芳しくなかった事は知っていた。

あるてま2期生として横並びで一斉にデビューさせられた私達。

初配信日はそれぞれ違えど、登録者数には開きがある。

かといって夏波さんに魅力がないかと問われれば、その答えは否。

夏波さんに足りていないのは実力ではなく、セルフプロデュース力。

 

 私達Vtuberは、皆等しく商品だ。

強者が犇めく業界の中で、輝く一等星のように唯一無二の存在となれるべく、日々創意工夫を凝らして自分の商品価値を高めている。

独自のマーケティング戦略を構築し、それに則ったブランディングを徹底する事で市場に自身のイメージを定着させる。

あるてまはライバーの活動方針に関して一切干渉しない。

それぞれが思い描く人気の出るライバー像を体現し、試行錯誤しながら人気を獲得していく私達は、契約の形態こそ契約社員であっても実態としては個人事業主に近い。

 

 夏波さんも私も、スタイルに疑問を覚えて、あるいはスタイルを貫こうとして、現状を変えようとしている。

そして夏波さんは、自分の意思でそのパートナーに私を選んだ。

私が知覚している元の『黒猫燦』ではないにも関わらず。

私はこれを、運命だと思う。

人生を長い道だとするのなら、岐路はきっとここにある。

この分かれ道は、今後の夏波さんの活動に大きく波及するような重要な選択肢。

……正直、光栄に思う事はあっても、ご期待に沿えるかどうかは分からない。

けれど、他の誰でもない私を選んだ事を後悔させたくない事だけは確かだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#3 人は愛せずして生きることができず、また、愛されずして生きることはできない。

 足元さえ覚束ない、深い霧の中を歩く。

立ち止まる事は許されなかった。

気付いていないふりをしていたけれど、とうの昔に感覚は途絶えていた。

末端まで冷え切った両足は、どうやって動いているのか不思議な程に感覚がない。

それでも、一寸先も見えない闇を歩いていく足取りは止まらない。

止められるわけがない。

足が動かなくなれば、這ってでも。

身体を引き摺ってでも。

俺には前を向いて歩いていく義務があった。

 

 視界が暗転し、一瞬にして切り替わる。

夜空のように、辺り一面が青一色に染まった世界。

地に足が付いていない事、呼吸をしようとして気泡が浮かんだ事から、ここは水中だと知覚できた。

 

 呼吸ができない、閉塞感。

少しずつ、自分の命の灯火が消えていくのを感じる。

さっきまで感覚の無かった身体が急速に冷えていく。

血管が縮まり、本来行き渡る筈の血液が欠乏しているのだろう。

全身に分散させていた血液を身体の中心部に集め、とにかく体温を維持しようと視床下部が命令している。

恒温動物のメカニズムを最大限活用してでも、身体は生きようとしている。

けれど水面の遥か上に微かに見える光はあまりに遠くて、全身を必死に動かしても地上には届かない。

水中に溶け込む酸素の量は人間にとって余りにも少ない。

このまま俺は血中の酸素濃度欠乏、それに伴う呼吸困難によって最大限苦しんで命を落とすのだろう。

 

 一体俺が何をしたんだ。

どうしてこうも、苦しんで足掻いて、惨めにもがきながら命を終えなければいけないんだ。

どうして。

 思えばいつも俺だけが、こんな不幸に曝される。

俺が持って生まれなかった才能って奴はそんなに偉いのか?

選ばれなかった人間はいつだって苦渋を味わうだけか?

天才の踏み台になるためだけにやっていたわけじゃなかった。

そんな簡単に割り切ったり、諦められる程度の熱意で続けちゃいなかった。───も、この身体になってから始めた配信も。

才能が物を言う世界で、意図せず人を惹き付ける天性の資質を持った化け物達にはどう足掻いても敵わないのか?

あの時と同じだ、何一つ変わらない。

いつだって俺だけが、取り残される。

圧倒的な才能に囲まれて何もかも擦り減らし、後には何も残らない。

 

 今わの際と呼ぶべきこの瞬間に、ふと気付く。

奴らはみんな、魚だったのかもしれない。

大気中の1/33しか酸素がない水中で生活する魚たちが採用するえら呼吸という呼吸方式は、人間の肺呼吸の何十倍も酸素交換効率に優れている。

常に高速で動き回って、水流をえらに当て続けなければ死んでしまう所なんて正にぴったりだ。

えらという器官を俺はついぞ手に入れる事ができなかった。

意図せず、一瞬で俺の全てを塗り替えていった彼らは、きっと───をするためだけに生まれてきた人間だった。

俺はそうではなかった。

俺は彼らと違って、───以外にも生活があった。

全てを失ったと思ったあの日、死ねなかった事が全て。

───に殉じるつもりだったのだから、あの時俺は命を終わらせるべきだったんだろう。

 

 

 ふと、目が覚める。

なんだか柄にもない夢を見た、眠りが浅かったらしい。

霧で先が見えず暗中模索、水中で息ができないまま足掻く……あまり穏やかな夢ではない。

寝汗が凄い。

前髪が汗で額に張り付く感触に不快感を覚える。

『俺』か……随分と懊悩としていた時期の記憶に引っ張られて、一人称も戻っていたらしい。

意識をしっかりと持たなければいけない、『俺』はもうどこにも居ないのだから。

理由は未だに分からないが、ここに居るのは『黒音今宵』だけだ。

前途ある一人の若者の将来は、自分の手に掛かっている事を忘れてはならない。

 

 さて、一日の始まりに幸先は悪いが、気分を切り替えて洗顔でもするか。

女のスキンケアは想像以上に大変なのだ。

何も手入れせず、肌も髪もつやつやなんてわけにはいかない。

二次元の存在ではない、食事も排泄もする普通の人間が、シミ一つない白磁のような肌を維持するのにはそれなりに手間が掛かる。

ボディクリームも、乳液も、化粧水も、重要視されるのは一にも二にも保湿。

次に優先されるのは健康的で規則正しい食生活や生活習慣。

こちらは、現在多忙により睡眠時間をゴリゴリ削られ、眠りの質も上質とは言い難いが……、あ、枝毛発見。

美、というのは途方もない労力の先でようやく維持される、女性の汗と涙と努力の堆積物。

常に美容に頭を悩ませ、妥協せず様々な角度から美しさを探究し続ける女性の皆様方には頭が上がらない。

精神が未だ男の私も、大変僭越ながら今やその末席に名を連ねているのだけど。

 

 

 

 

 

 

『じゃあ燦、ほら、マシュマロ読も?』

 

『はい。精神誠意お答えしますが、どうしてもお答えできないようなご質問もあるかと思います。どうかご了承下さい』

 

『燦??』

 

『ぅ……ご、ご了承下さい、にゃあ……』

 

『よしよし、かわいいよ』

 

『あまりいじめないで……』

 

 

 うわ。

恥が、恥が過ぎる。

こんな辱めを受けるに値するような悪行しただろうか。

 

「かわいいね、燦」

 

「意地悪っ」

 

 つい先日夏波さんのチャンネルで行った2期生最速のコラボ配信、『お堅い黒猫をドロドロに甘やかしたい配信!』。

枠の名前については突っ込まないで欲しい。

私だって何度も抗議した。

 

 これがとんでもない反響を呼び、たった1回の配信でお互いのチャンネル登録者数、つぶやいたーのフォロワー数が15,000以上増えるという爆発的な結果を得た。

配信後の第一波、そして配信内で私と夏波さんが仲の良さそうに会話しているシーンだけを切り抜いた動画がNyatubeでバズりにバズった第二波という二重構造で知名度を上げる事になった今、件の動画を二人で見てみようという話になり、DisRoadで通話を繋ぎながら画面共有機能で2人で同じ動画を視聴している。

 

 この配信では夏波さんの魅力を余す事なく全て引き出し、夏波さんの知名度を向上させるという明確な目的があった。

そのためなら私は、多少の汚れを被る事も厭わない覚悟で臨んだ。

 

 結果として『Vtuber夏波結』の知名度は大幅に向上し、前述した通り登録者数、つぶやいたーのフォロワー数、共に今も伸び続けている。

私を選んでくれたような夏波さんを、こんなに素敵な人だと大衆にプレゼンするという目的は達成。

無事に義理は果たせたのだ。

陰ながら協力してくれていた、私がデビューする前からの付き合いの協力者Aちゃんも大層喜んでくれた。

いや、彼女なら私がどうなろうとも私を立ててくれそうな気もするが……。

 

 閑話休題。

ともかく、あるてま二期生初コラボ配信は失敗ではなかった。

むしろ、その戦果だけを切り取るなら大成功といって仔細ない。

が、心情的には諸手を挙げて大成功と言い難いものがある。

 

「ねえ見て、燦! 燦のフォロワー、ちょっと目を離した隙にまた増えてるよ! 3万、4万……」

 

 戦闘力か??

だとすれば行き着く先はきっと打倒フリー〇様だと思うけど、私はかつても今も脆弱な地球人Bなのでこの辺りで大丈夫なんで、ほんとに。

まあその……どちらかと言えば、先日の配信でバズってしまった勢いは夏波さんより私の方が大きい。

枠のタイトルも相まって、お堅いイメージばかりだった私の殻は完全に崩れ去った。

そんなものは元より砂上の楼閣だったので別に構いはしないし、むしろブランディング的には願ったり叶ったりなのだけど、ちょっとこの反響は想定外だった。

なんなんだこの人達は、私に注目してる時間があればもっと夏波さんを見ろよ。

 

 先述したように、あくまでもコラボ配信をするにあたって私が掲げた目標は、『夏波結』の知名度向上とイメージ戦略の上方修正だった。

もっと業界で夏波さんの名前を上げると誓ってからは、私こと『黒猫燦』のそれはあくまでもおまけ程度であり、副産物程度に考えていた。

多少なりともブランディングの角度が傾き、活動しやすい風向きになればいい程度に思っていたら、まさかそっちが跳ねるとは。

本当に人間万事塞翁が馬というか、全くあてにしていなかった豆が巨木に大成長した時のジャックもこんな気持ちだったんだろうか。

イギリス童話の彼はそのシステムを悪用した後、労せず掴んだ幸福に価値がない事を悟り改心した。

 

「燦の次の配信、どれくらいの人がくるのかな……楽しみだね」

 

 私の場合はどうだろう。 

私が配信によって得たファン達は、全くの無意味なのか。

その問いの答えは、通話中の夏波さんの楽しげな声色が教えてくれた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

  

JKのおふたりに質問です!

ぶっちゃけ好みの男性のタイプを教えて下さい!

 

マシュマロ

❏〟

 

『私はやっぱり頼りになる男子が好きかなー。困ってたらすぐに助けてくれるような人! それでいて見返りを求めないなら尚良!』

 

『夏波さんらしい答えですね。貴方は素敵な人ですから、競争率が高そうです』

 

『……っ、燦は、そう言う燦はどんな人が好みなの? 気になる!』

 

『うーん、そうですね……夏波さんみたいな人かな』

 

『   』

 

 この回答は、振り返れば明確に私の失敗だった。

正直、本音5割営業5割のつもりで軽はずみにした答えで、夏波さんなら上手いこと流してくれるだろうという彼女のアドリブ力頼りのパスを投げてしまったシーン。

ただのファンだった頃、黒猫燦とのコラボ配信で夏波結のアドリブ力は散々目にしていたから、という悪い方向の信頼を向けてしまっていた。

考えてみれば彼女とはまだ数回の通話をした程度の仲で、初対面すら果たしていない程度の女からこんな事言われても不快感を催すだけだった。

こと今現在はまずまずの友好関係を築けていると信じたいが、配信の時点では、そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。

夏波さんの中で、信頼より不安が勝ってしまったというだけ。

 

 珍しく言葉を失くしたように1秒くらい呆然としている夏波さん。

改めて観ても普通にキツいな……放送事故以外のなにものでもない。

外野のコメント欄は楽しそうだが、当事者たる私は配信にこなれてきたタイミングでのアクシデントに内心血の気が引いたのをよく覚えている。

普通に体調が悪くなってきた。

共感性羞恥は過去の自分を映した記録にも生じる情動だという知見を得た、こんな事はできれば死ぬまで知りたくなかったが。

 

「夏波さん、この時……」

 

「……何も言わないで」

 

「……ごめんなさい、夏波さん。急に変な事言って」

 

「な、なんで謝るの? 嬉しかったよ」

 

 うーん、この気遣い屋。

口を開けばいついかなる時もポジティブな発言が飛び出す底抜けの善人さえ、閉口させてしまう程に気色悪い発言をしてしまったんだな、私は。

むしろこうして今、優しい言葉を使ってフォローしてくれるのには、本当に優れた人間性を感じてならない。

いかなる理由があろうとも、こんな善人を困らせてはいけない。

自戒せねば。

 

 視聴者サービスは勿論重視すべきだ、基本的には最優先するぐらいの認識で間違いない。

しかし、私達演者同士のトラブルや不和の回避は、時としてそれを上回るぐらいの重要事項になる。

なんせ、尾を引いたら厄介だ。

所詮配信は開始ボタンを押してから再び押すまでのエンターテイメント、アーティストのライブや映画鑑賞と同じようなフィールドだと感じている。

しかし中身の人間同士の関係性はそう簡単にリセットできるものじゃない。

 

「今後も夏波さんとのお付き合いを大切にしたいので、こういった発言はなるべく控えます。 本当にごめんなさい……」

 

「……えっえっ、あの」

 

「……いや、今のも不快か。すみません、いくら女の子でも軽々しくそういう事言われるの、気持ち悪いですよね……」

 

「あ、いや、そんな事ないよ! 燦の気持ち、嬉しい! けどほら、いきなりだから驚いちゃって……」

 

 まあ、この話題はここが引き時か。

こういう時、表情の見えない音声通話は対面での会話より情報を精査するのに適しているのかもしれない。

声色、というのは時に表情よりも雄弁に感情を表す。

夏波さんの声から感じ取れるのは、強い困惑と、ほんの少しの喜び。

他人から承認されるのはいかなる時でも嬉しい事、まして、少しでも信頼関係を築いた相手であれば。

けれど確たる理由のないそれは酷く盲信的で、胡散臭く感じるもの。

配信内で、いかに『夏波結』が人間的に尊敬すべき向上心と包容力を兼ね備えた魅力的な女性なのか、あれだけ力説したつもりだというのに。

配信でのリップサービスだと思われていたのか、当人にはあまり響いてなかったらしい。

 

 今はそれで構わない。

私が夏波さんを魅力的な女性だと思っている事は、これからの行動でいくらでも証明できる。

今はこれ以上稚拙な言葉を重ねて、得られようとしている信頼を失う事の方がリスクが高い。

深追いは禁物だと感じた。

初対面から信用を得る事はそれ程難しい事ではないが、一度失った信用を回復するには相応の労力を要する。

出来るならそういった事態は避けたい。

 

「夏波さん、ここ! 私達と先輩のコラボが決まったとこです!」

 

「あっ……うん。燦、どうしてこの時誘ってくれたの?」

 

 露骨な話題のすり替えに何か言いたげな夏波さんは、それでも私の意思を汲んでくれた。

こういう人だからこそ、私は貴方には正直で誠実な人で居ようと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

初マシュマロ失礼します。

2期生のおふたりは尊敬する1期生の先輩はいますか?

 

マシュマロ

❏〟

 

『んー、取り敢えず尊敬って言うとあれだから憧れてる先輩は来宮きりん先輩だね。元気で真面目な優等生! 癖の強い1期生の中でも埋もれずに皆をまとめるしっかり者! 憧れるよね〜』

 

 この日この瞬間、私はふと疑問を覚えた。

この世界は『私』以外の全てが、前の世界と同じ。

ならば、まだ他者とのコラボ等が少なく前の世界との差異の少ない現状では、以前の世界の『黒猫燦』と同じような言動を取る事によって望む未来が掴みとれるんじゃないか、と。

 

 私は意識を失う前の一般男性だった頃の記憶を保持したまま『黒猫燦』として活動している。

かつて何者にも成れなかった私は、黒猫燦を外部から客観視していた。

つまり夏コミまでの未来を既に観測している。

 

 人間の記憶力には限界があるので、さしもの私も一言一句ライバーの発言を覚えているわけではないが、夏波さんの配信時の言葉にはちらほら聞き覚えのあるものが混じっていた。

湧いた疑問。

元々想定には無かったが、ダメ元でも試してみる価値はある。

 

 私のやろうとしている事は、質の悪い模倣。

違法コピーだとか、海賊版の非合法作品を売り出しているような連中と一緒。

他人の知的財産に無遠慮にも土足で踏み込んで食い扶持を荒らす、最底辺の無法者と同列。

最初にその選択を選んだ、本当の『黒猫燦』の意思を、勇気を踏み躙るような唾棄すべき悪行。

 

『? 燦はどう?』

 

 罪悪感を覚えない、と言えば嘘になる。

現に、決定的な言葉をすぐ吐き出せずに夏波さんに気を遣わせてしまった。

 

 今、言ってしまえば私の発言までの間は『長考』になり、不自然な間は辛うじて回避できる。

私のくだらないプライドと世話焼きな同僚の配信、天秤に掛けるまでもなく大切なものがどちらかは誰の目にも明らかだった。

 

 そもそも、言ってしまえば成人男性がいたいけな少女の身体を勝手に動かして生活しているこの状況がもう、救いようもなく大罪だった。

そうしなければ生きていけないのだから、ある程度は見逃して欲しいものだけど。

 

 きっと、元々の身体の持ち主『黒音今宵』にまともに顔向けできない程、今の『黒音今宵』は生活振りが違う。

勝手に人生二度目のつもりで、何の罪のない少女の大切な人生を踏み台にして、今ものうのうと息をしている。

この私が悪人でなくて、一体誰が悪人なのか。

全てが今更。

私が『清楚な美少女』で居るのは、親愛なる視聴者の皆様の前だけで構わない。

どうしようもなく悪辣な本質は、私の中でずっと隠していればいい。

そうして私は、決定的な言葉を口にした。

 

『私は…世良祭先輩を尊敬していますよ』

 

『先輩に対して失礼な表現かもしれませんが、世良祭さんの声は天性の資質と言う他ありません』

 

『どんな楽器隊の中でも埋もれず、場をグルーヴ感を持った雰囲気で包み込む事のできる歌い手は希少です』

 

『【天才】とは、天から賜わった才能とはああいう事を言うのでしょうね』

 

 少しして、コメント欄に降臨する世良さん。

予想できた展開だった。

もう後には引けない、またも退路は塞がれた。

全てが予定調和……と、そう思っていた。

この瞬間、彼女のコメントを読むまでは。

 

 黒猫さんいっぱい褒めてくれる、すき 世良 祭✓

 

 まさか。

バタフライエフェクト、という単語が脳裏をよぎった。

元々ある気象学者が提言した寓意的な表現、つまり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』と同じような、言葉遊びの文脈に近い。

蝶の羽ばたき程度の些事が多くの因果関係の果てに大きな結果に繋がるという意味で、前の世界でも今の世界でも、SF的な創作物で親しまれてきた現象の事を言う。

未来の事象とは〇タゴラスイッチのようなもので、全ての要素が絶妙に噛み合って繋がっている。

一つでも要素が違えば、『未来』は異なってしまうかもしれない。

 

 思い返せば、彼女は配信内で黒猫燦を特別視する理由を語っていた。

 

【私もあまり喋るのも人付き合いも得意じゃない。あるてまできりんが引っ張ってくれなかったらきっと今も孤立してた】

【私ももっと友達が欲しい。そして黒猫さんも友達がほしいと思ってる。きりんがそうしてくれたように、私も黒猫さんの手助けをしてあげたかった】

 

 では、そうではなかったら?

『黒猫燦』が人付き合いが苦手ではなかったら?

世良さんは私に自分を重ね合わせる事もなく、憐憫の情を覚える事も無いかもしれない。

 

 黒猫さん今度コラボしよ 世良 祭✓

 

 ゑ?

 

『わっ、燦! 先輩とコラボだって! 凄い凄い!』

 

 あっそうですか……。

なんか、普通に杞憂だったみたいです。

ありがとう夏波さん、自分の事のように喜んでくれる貴方のそういう所、もっと配信でも皆に観て欲しいなといつも思っている。

だからだろうか、私は次の言葉を自然に紡ぐ事ができた。

 

『世良先輩、私は夏波さんと3人がいいです。 ダメ……でしょうか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして、も何も、あの時言った事が全てですよ。 夏波さんと一緒なら私は大丈夫だと思ったから」

 

「燦……」

 

「夏波さんの予定も訊かずにごめんなさい。 でも、私は絶対に夏波さんと一緒に行きたい」

 

 これも半分本気で、半分は嘘。

私は先日のコラボ配信で義理を果たした。

接触してきた夏波さんの、もっと知名度を上げたいという言外の願いを叶える事に、一役買えたと自負している。

だが、足りない。

全く以て足りやしない。

夏波さんのポテンシャルはこんなものじゃない。

 

「ごめんなさい、少しズルい言い方をしてしまいましたね。 優しい貴方の事だから、こういう言い方したら断われない事分かってるのに」

 

 私は、夏波さんが【燦じゃなきゃ駄目】と言ってくれたあの日から、夏波さんにもっともっとスポットライトを浴びせる事をずっと考えていた。

これは、好機だ。

プライドを曲げてまであまり選びたくない選択肢を選んだのは、夏波さんの利に繋がると踏んだから。

世良さんの配信内で、彼女の視聴者層に改めて『来宮きりんのフォロワー』を周知する事の意味合いは大きい。

エピソードを最大限活かし、爪痕を残す事ができれば偉大なる一期生の先輩方のファンにも認知してもらえる。

上手くいけば早期の段階で来宮きりん先輩ご本人とのコネクションもでき、ゆいきりコラボにだって漕ぎ着けるかもしれない。

 

 夏波さんは極めて善良な人格者。

『夏波さんが参加しない事によって、コラボ自体が流れる』事を示唆すれば、絶対に断れない。

先輩とのコラボを蹴る、という行為によって『黒猫燦』の可能性が一つ潰えてしまう事を嫌がってくれている、彼女はそういう人だ。

 

 これは、私なりの意趣返し。

本当の『黒猫燦』じゃない私でも寄り添ってくれた夏波さんへ、今度は私が報いたい。

貴方に救われた私が、貴方の手を取って歩きたいという我が儘なんだ。

 

「……私は優しくなんてないよ。 燦はもう分かってると思うけど、私は燦を利用しようとして近付いた」

 

「それって、そんなに悪い事ですか? ……それとも、今夏波さんがこうして配信外で私と話してくれてるのも、そういう事?」

 

「ッ違う! これはただ、私が燦とお話するの好きだから!」

 

 こうやって後ろめたさを自らあげつらって断罪されたがる過剰な程の実直さとか、感情が昂っている時でもわざわざ【お話】って言葉選びをする所に滲み出る育ちの良さだとか、些細な気付きをどうしようもなく愛おしく感じられるぐらいには、彼女の事を知ったつもりだ。

再三申し訳ないが、夏波さんは絵に描いたような誠実さを持った善人であり、恐ろしい事にそうした性質に自覚的でない天然ジゴロさんなのだ。

 

「うん、知ってます。 私も同じ気持ちですよ。 分かってたのに、疑うような事言ってごめんなさい」

 

「……さっきからずっと言おうと思ってたんだけどさ」

 

「……?」

 

「なんで燦が謝るの? 悪いの、全部私なのに……」

 

 は?(困惑)

夏波さんに不快な想いを抱かせてしまった事、夏波さんの厚意を知っていながらすっとぼけて疑ったような言動を取った事、どちらも謝罪に値する悪行だと感じている。

この天使のように善良なギャルのどこに落ち度があるのか、私には理解に苦しむね……(ペチペチ)。

しかしこうした人種に対して責任の追及を有耶無耶にするのは、却って悪手な気もする。

元々在りもしない責任を感じられて、それが後々に波及するのも嫌だし、納得のいく落としどころを探るしかないか。

 

「じゃあ、私のお願いを訊いてくれたら夏波さんを許します。 それでどうでしょう?」

 

「……お願いって?」

 

「勿論、私と一緒に世良先輩とコラボしてもらう事です。 それが動画か配信か、どういう形になるかは分かりませんけど」

 

 正史を観測している私には、オフコラボでカラオケに行くであろう事は大体分かっているけど。

歌、上手いのかな。

離席中にミュートにし忘れたマイクから聴こえてきた鼻歌が忘れられないでいるから、あの歌をカラオケでも聴けたらいいなあ。

 

「あ、勿論本当に嫌であれば断って頂いても構いませんけど……できれば、一緒にやりたいです」

 

「ズルい……燦の初めてのお願いなんて断れるわけない。 優しすぎるよ……」

 

 えらく不満そうなんですがこれは……。

禍根を残したくない私はほんの少しのこだわりをまた一つ、彼女のために捨て去る事を決めたのだった。

 

「……ありがとうございます、結」

 

「……えっ、燦? 今、自分から結って呼んでくれた?」

 

 すぐさま、通話を切ってベッドに潜り込む。

頬が紅潮してしょうがない、肌に優しいもふもふのタオルケットにくるまってみても熱を持ったまんまだ。

夏前だというのに、部屋の体感気温は真夏みたいだった。

あー、らしくない。

恥ずかしい事をした、とても。

ささやかなお礼のつもりだった。

呼称を少し変えるだけ、たったそれだけの事でこんなに緊張するなんて。

どうしよう、気付かれない程度にサラっと呼んで変えていくつもりだったのだけど、一瞬で反応されてしまった事に動揺して通話を切ってしまった。

まあいいか、明日また通話する時に謝ろう。

 

 そこで、私も当たり前のように明日も通話するつもりでいた事の可笑しさに気付いて、一人笑ってしまった。

学業に支障の出ない事を条件にご両親に許可してもらっている、ライバー活動と日ナレの講義。

今後の活動に際しての方針だって配信ごとに一から考え直しているし、やる事はいつだって山積みだからこそ、いつしか彼女との取り留めのない会話ばかりの長電話が一服の清涼剤のようになっていた。

結の高すぎず低すぎない落ち着いた声が、いつもこちらを慮ってくれる穏やかな口調が、絶対に人を傷付けない柔和な言葉選びが、いつだって私の心に安穏をもたらす。

声という情報だけでも表情豊かな彼女は、実際に顔を突き合わせた時にどんな反応を見せてくれるのだろう。

 

 次のコラボでも、結の美点を皆に知ってもらえるだろうか。

結はギャルの癖に(偏見)礼儀正しいし目上の人に腰が低いので、礼節で無礼を働く事は無い気がする。

ちょっと天然気味な世良さんとしっかり者の結の相性は案外悪くないんじゃないかと思うけど、もしもの時はしっかり緩衝材の役割もしないといけない。

何よりも。

結が楽しんでくれればいいな。

緩やかな微睡みの中で、そんな事を考えていた。

 

 

会話に参加または作成する

夏波結
 検索     @ ? 

アクティブ

フレンド

ダイレクトメッセージ

夏波結

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒猫燦  ♪⚙

#XXXX

   ─────2018年5月13日─────  

13:03 夏波結 困った時はお互い様だよ

13:04 黒猫燦 夏波さんのそういう所、大好きです

13:04 夏波結 kyうn

13:04 夏波結 きゅいうにnq

13:04 夏波結 急に何!

13:05 黒猫燦 ごめんなさい……

13:05 夏波結 いや

13:05 夏波結 別に怒ってるわけじゃなくてね

   ─────2018年5月14日─────  

00:12 夏波結 燦!

00:12 夏波結 結って言ってくれたよね!

00:12 夏波結 嬉しい、本当に

00:13 黒猫燦 結にだけ、ですよ

00:13 夏波結 やった

00:13 夏波結 燦の特別になっちゃった

00:13 黒猫燦 早く寝てください

00:14 黒猫燦 明日も早いの知ってるんですからね

 

夏波結へメッセージを送信

 




マイペースな更新頻度ですが、これからもひとつよしなに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

#4 偉大な愛のあるところには、常に奇跡が起こる

『黒音今宵さん、俺と付き合って下さい!』

 

『……すみません、既にお付き合いしている方がいるので……』

 

 告白は好意の確認であるべきだ、とは誰の言葉だったか。

私も概ね同意見で、想いを伝えるのは許容される確信がある時だけだと思っている。

あの日のチャラ男A君のように、あまり話した事もないが容姿が好みの異性に構って貰いたくてするような告白は、勇気ではなく蛮勇。

好意とは双方向に向け合うものだという前提を学んでから出直して来て欲しい。

 

「はぁ……」

 

 小さなため息が口を衝いて出る。

既にお付き合いしている方がいる、なんてお決まりの文言を告げる事に罪悪感を覚えない訳ではないが、さして接点もなく誠実さも感じられない男性の相手はご免こうむる。

独りよがりの自分本位な人間はどこにだっているものだが、かといって中々無下にもできない。

 

 例えば、私が彼の想いを一も二もなく無下に切り捨てたとしよう。

今のチャラ男君に好意を寄せている、女子生徒Aが居るとする。

彼女は、チャラ男君の自尊心を著しく傷付けた私を許さないだろう。

人脈をフル活用し、集団で私に何かしらの「報復」を加えるのは目に見えている。

大人たちがどれ程綺麗な言葉で取り繕おうとも、学校という閉鎖的なコミュニティにこういった側面があるのは否めない。

特にそういう傾向が強いというだけで、何も学校に限った話ではなく、社会に出た後においても付き纏う類いの問題。

女性の人間関係というのは、とにもかくにも煩わしい。

 

 毎度の事ながら、相手方のプライドを傷付ける事なく、波風を立てないようにこちらの要求を立てるには随分と苦心する。

去り際にサラっと呼ばれた下の名前にだって、強い不快感を覚えた。

黒音今宵の下の名前を呼んでいい相手なんて、そんなのは……結くらいだ。

 

 そもそも、私は男性に興味がない。

薄く化粧を施して、ロングヘアも後ろで一括りにしているが、これは社会的にそういう役割を求められているからしているに過ぎない。

少し前まで引き篭もりだった普通の少女のふりをしているという事は、彼女の名誉のためにも人生単位で女性のRPをしなければいけないわけで、そういった意識から女性らしさを後付けしているだけだ。

何なら、許容できる程度に中性的なファッションを考慮する事も楽しめているのは私の性自認が男性である、という大前提に由る所が大きく、『女装』という単語が今の感覚に一番近いかもしれない。

未だにスカートには一度も足を通していない。

私はあんな腰布一枚で人前に出れる程、肝が据わった人間ではない。

ともかく、異性を恋愛対象とする一般的な成人男性だった私は、性自認の上で同性となる男性に興味を持てないわけだ。

 

「……燦? やっぱり、不安?」

 

「あ、いえ。 今日の事とは全くの別件で、少し面倒がありまして……ごめんなさい、お気になさらず」

 

 今日は世良祭さんとのオフコラボ当日だ。

この日までに何らかの形で打ち合わせをしたいと申し出ていたが、先方が「別にいいけど、必要ある?」みたいな温度感だったのでやめた。

何でも、初のオフコラボというだけで魅力なのでどうにかなる、らしい。

複雑な心境だが、この道の先達がそう言うのならそうなのだろう。

私が成すべき事は何も変わらない。

 

「……また謝ってる。私には謝ったら駄目って言ったのに」

 

「あ、ごめ……いや、これも駄目ですよね。 ええと……」

 

「もっと頼ってよ。 今から電車乗るから電話は切っちゃうけど、文面とかでもいいしさ」

 

「結……ありがとうございます」

 

 集合場所は最寄り駅に決まった。

大学生活を機に一人暮らしを始めたという世良さんの提案に甘えさせていただく形だ。

結の家からもそう遠くはない場所だと聞いている。

私の魂はこの周辺に馴染みがないが、一般の認識ではこの立地は『黒猫燦の地元』になる。

女性同士で行けるような喫茶店、和食洋食と良い雰囲気のお店もあらかじめ幾つかピックアップした。

極力もてなして差し上げたい所だ。

 

 改札から程近い駅ナカの喫茶店で、通話の切れたスマホを片手に持ち、とっくに冷め切った紅茶にスプーンで波紋を浮かべる。

しまったなあ、少し油断した。

休日に学校で起きた嫌な事を想起するなんて、まるで残業だ。

人との通話中に意識を外すなんて失礼だし、何より結の心にこの紅茶よろしく少しばかりの波紋を浮かべてしまった事を悔いるばかり。

優しい彼女には、私の事なんかで気に病んで欲しくない。

今日歌うつもりの曲のメロディ、先輩との折衝。

彼女が留意すべき事なんて、これぐらいで充分。

他の煩雑なお膳立ては、全て私がする。

 

 もっと頼ってよ、なんて、結の言葉を脳内で反芻する。

 

「言えるわけないですよ、『男性に興味が持てない』なんて」

 

 毎日仲良く通話している友人が、異性愛者ではないと知ってしまったら。

結の侮蔑の色を帯びた瞳など、死んでも見たくはない。

他の誰でもなく夏波結だけには。

 

 トレーを喫茶店の店員さんに返却し、改札前の自動販売機へと歩き出す。

結が電車に乗ったという事は、早ければあと十数分でどちらかが到着しだすだろう。

スマホのアラームが約束の時間の三十分前を告げていた。

 

 連絡を取るのに何かと不便だという事で、より私的な連絡先となるRAINを世良さんに教えてもらった。

世良祭さんの本名は「結月凛音」というらしい。

風景画のホーム画像に、どこか大きなステージの中心で凛とした佇まいでマイクを持つ女性のアイコン。

スタイルの良さが際立つ浅いスリットの入った黒いドレス。

遠目でも目鼻立ちがはっきりして、怜悧な美貌の持ち主。

彼女が世良さんなんだろうか。

後方の楽器隊(というかバンドではなくオーケストラの様相を呈しているような……本当に何者なのだろうか)も含めて、全体の空気感を切り取った1枚の画像からは、彼女の音楽への敬意のようなものが垣間見えた。

普段の配信でも美容や化粧品といった女性らしい話題への興味が薄いようだし、美貌の持ち主だというのに自身の容姿にあまり頓着してない節すらある。

歌、音楽、来宮きりん。

自身の興味の赴く事柄以外にあまり関心を寄せない性質なのかもしれない。

 

 噂をすれば、世良さんから「もうすぐ着く」という連絡が入った。

早めに家を出てくれていたようで、到着時刻にはかなりの余裕が見える。

こういう場合に備えて早めに出ておいて正解だった、いかなる理由があろうとも目上の人間を待たせる事などあってはならない。

 

『改札を抜けてすぐ、自動販売機の脇に居ます』

 

 程なくして返って来た返事には、動揺の色が見えた。

 

『黒猫さん、早い』

 

『先に着いて先輩の威厳を見せたかった……』

 

 威厳とは、待ち合わせ場所に先に着く事で示すものだっただろうか。

相変わらず不思議な世界観を持った方だ。

 

 ともあれ、早めに着くような気概を持って今回のオフコラボに望んで下さっているのは大変ありがたい話。

【かつての世界】とは違い、退屈な配信をした私に【かつての世界】と同じように興味を示した世良さん。

友人が欲しいといった旨の発言をした記憶もないし、彼女の琴線に触れたのがどこか、正直分からない。

実際に会ってそれとなく探ってみたいと感じていた。

 

 スマホの内カメラで全身を映し、服装と髪型の最終確認を済ます。

黒音今宵は、低身長ながらかなりスタイルが良い。

だから足の長さを活かしてスキニーを穿けるのだ。

少しだけ素材感にこだわったプリント白Tシャツに、もこもこしたニットカーディガン。

モチーフの大きめなネックレス。

清楚な印象を与えるシルエットの小さな白いショルダーバッグ。

極めてシンプルなデザインで、コーディネートのテーマを邪魔しないニットライトスニーカー。

これらは全て、Hカップの大砲と「清楚」という私のブランドを両立させたもの。

大きく、太って見えず、それでいて品のあるコーディネートの探究にはかなりの時間を要した。

細部に涙ぐましいまでの視線誘導の工夫を凝らしているので、至近距離まで近付かなければ私の常軌を逸したバストサイズには気付かれないだろう。

 

 もし私自身の身体だったら、こんな脂肪の塊は抉り取りたい。

身体は凝るし、揺れると痛いし、蒸れるし、コーディネートの幅は狭まるし、男女を問わずやたらと視線を集めるし。

こんなもの、あっても不快なだけだ。

胸は見てる分には幸せだが、持つと途端に重荷になるという最悪の知見を得た。

男性の夢、ここに崩れたり。

こればっかりは、できれば死んでも知りたくなかった。

 

 そして、私は。

 

「本当に、貴方が『黒猫燦』さん……?」

 

「『くろねこさん』さん、と言い辛くてごめんなさい。 その通りですよ」

 

 遂に、夏波結と初顔合せを果たした。

長いまつ毛に、クールな印象の双眸からは困惑が滲んでいた。

連絡が無かったからもう少し掛かるのかと思っていた、無事に着いて何よりだ。

 

「初めましてですね、結」

 

「かわいいだろうなとは思ってたけど、想像の1000000倍かわいい……」

 

「ありがとうございます……?」

 

 結は、綺麗なアーモンド色の瞳を浮かべたツリ目を徐々に細め、笑みを浮かべる。

とても安心できる表情をする人だと思う。

電話の向こうで、いつも私の話をこうやって聞いていてくれたのだろうかと思うと、心の奥の方にじんわりと温かさが染み渡るのを感じる。

それだけの所作で、さっき口にした紅茶よりも身体が温もりを感じてしまった。

 

「足が長い、細い、かわいい!」

 

「そういう風に見えるスキニーを穿いているので」

 

「肌が白い、思ったよりも目線が低い、かわいい……燦って天使だったの??」

 

「日焼け止めを塗ってきたので。 身長はもう少し伸びる事を期待してます、天使ではありませんね……」

 

「髪結ってるね! ポニーテールかわいいよ」

 

「一番楽に結わえるので」

 

「良い匂いする、髪? いや、全身?? 燦の全部から幸せの香りがする……」

 

「香水、多かったでしょうか……すみません」

 

「……だから、謝らないでよ。 燦が悪かった事なんて、今まで一度もないんだから」

 

「あの、そんなに顔を近付けてすんすん匂いを嗅がれたら流石に恥ずかしいのですが……」

 

 香水が合わなかっただろうか、悪い事をしてしまったのかもしれない。

自分で自分をくんかくんかしても、エッセンシャルの香りしかしないので分からない。

次はヴィダルサスーンか椿にしようかな。

 

 人が放つ香り、その殆どはシャンプー(あるいはリンス)か香水によるものだ。

髪の長い人間は分かると思うが、男性諸氏の想像以上にシャンプーの香料は強い。

実際に女性の身体をお借りしている身での体感、入浴後に背中まで伸びた髪を手入れしていると、それだけでシャンプーの天然香料の香りに包まれる。

私とすれ違う人はこういう香りがするんだろうなというのが分かるレベルに強い芳香を放つので、それが不快で無香料のシャンプーを使う女性もいるらしい。

 

「あ~~~落ち着く……燦、花屋さんみたいな香りがする」

 

「お気に入りの香水なんです、生花の香りが好きで」

 

 実は、男性として過ごしていた頃から香水には人一倍こだわりがある。

前の世界ではこの香水、生産が中止し廃盤になってしまっていた。

結局最期の日まで代わりを見つける事ができなかった、私にとって唯一無二の香水。

代えが利かない、多くの人に廃盤を惜しまれる香水。

多分、私や結が目指すのはこういう存在なんだろう。

 

「結」

 

「なあに、燦?」

 

「ありがとう、私の好きなものを好きと言ってくれて」

 

「少し緊張していたんですが、杞憂でした。通話でもこうして対面でお話しても、結はいつだって優しいから」

 

 卑しいもので、自分の好きなものを肯定される事で間接的に自分まで肯定されたような気になってしまった。

自分の在り方や価値観、パーソナルな部分をありのまま肯定してくれる人の事なんてどうあっても悪く思えないもので、とりわけ夏波結という女性はそういう自己肯定感を高める言い回しに長けている。

 

 結は本当にいつだって私に優しい。

ここは世界で一番温かくて居心地の良い楽園だけど、甘えてしまってはいけない事は分かっている。

まともに相互扶助ができていない関係性は、いつか必ず埋められない歪みを生む。

与えられるばかりではなく、私も何かを還していかなければいけない。

健全な交友関係とは得てしてそういうものだ。

 

「今日こうして貴女と会えて本当に良かった、です。 ふふっ」

 

 ふふっじゃないんだよな。

表情筋を制御できていない。

結とこうして対面できて、いつも通りに穏やかで優しくて、それが嬉しくてたまらない。

えへへ、とだらしない緩んだ表情を晒してしまっている。

さっきから全身が多幸感に包まれて、ぽかぽかと温かい。

 

 シトラスの爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。

視界がさっきまで見ていた結のニットチュニックのカーキ色に染まり、少し遅れて結に抱き締められている事が分かった。

な、何故。

あまりにも脈絡が無い。

別に嫌ではないし構わないけど、今だけは少し困る。

 

「守らなきゃ、燦を……!」

 

「えっ、何から……?」

 

 いや、こんな事をしている場合ではないのだ。

RAINの文面的に、そろそろ世良さんが来る。

我々は後輩なので、失礼のない様に先輩にご挨拶をしなければ。

 

 実は、先輩方一期生と我々二期生のオフコラボは今回が初。

私と結の振る舞いが、今後の二期生のスタンダードとなる。

下手を打てば、二期生全体の風評被害を生み出しかねない。

先輩方一期生と、私たち二期生が友好的な関係を築けるかどうかは私たちの腕にかかっている。

同期達への橋渡し的な結果を出せるよう、目上の方をゲストに招く際の模範的な姿勢を見せられるよう、努めなければ。

世良さんには、コラボして良かった、と気持ち良く帰ってもらえるように粉骨砕身するのが、今日の私の仕事の内の一つだ。

 

「私、お邪魔……?」

 

 たとえ、件の先輩が困り眉で私たちに懐疑的な視線を向けていたとしても。

絶対に失敗できないオフコラボの計画が早速暗礁に乗り上げている事を理解して、私は世良さんと顔を突き合わせて初めての口上の言葉選びに苦心するのだった。




廃盤になった香水とは、『アントニアズ フラワーズ』の事です。
香りの似ている香水をご存知の方は、ご教示いただけると助かります。

すみません、何も書けなくなってしまいました
次話更新にあまり期待をしないで下さい


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。