星間都市山脈オリュンポス/Zero Before Gods Fallen (オリスケ)
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1話

 

 

 

 

 ――一言で表すとすれば、その世界は『深淵』であった。

 

 

 満ちるのは、海水だった。途方も無い量の海水は太陽の光を飲み込み、夜よりも尚黒い、重々しい闇を讃えている。

 海流は荒れ狂っていた。質量を持つ闇が蠢き、渦を巻き、指向性もない出鱈目な、それでいて圧倒的なスケールの流動を続けている。

 何か途方も無く巨大で、極めて荘厳な存在の、腹の中にいるかのようだ。ただの生物が踏み込めば、たちどこに押し潰され、揉みくちゃに牽き潰れてしまうだろう。

 

 

 あらゆる生命の存在を許さない、海が孕んだ闇と力の満ちる場所。

 その空間――神々の地、アトランティスから遙か数万メートルを下った海中を。

 下へと突き進む、一隻の船がある。

 

 

 

 

 船と呼称するには、余りに無骨で、それでいて規格外な機体だ。

 全長二十メートルに達する楕円状のフォルム。

 強烈な海流にびくともしない、幾重もの魔術防壁を張った鉄の外殻。

 月の明かりを依り集めたのかと思う程の強烈なフラッシュライトは、海底の深き闇を切り裂き、まっすぐ下を指し示す。

 

 

 数万トンの水圧も、一縷の光も指さない暗闇も、まるで意に介さず。

 命の存在など有り得ないと主張する激流に『否』を唱えて。

 ただ、ただ、ひたすらに下を目指す。

 希望を抱き、沈んでいく。

 

 

 

 

 船の名は《エンタープライズ》。

 冒険の意味を持つ巨艦が抱くのは、人類の希望。

 オリュンポス十二神を、そして神の蔓延るこのギリシア異文帯を打倒するために産み出された、汎人類史決戦潜水艇である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて」

 

 

 《エンタープライズ》船内。基幹司令室。艦の核となるそこは潜水艇とは思えないほど広く、絶えず供給される電力によって常に明るく照らされている。

 その司令室の中央、周囲より一段高くなったメインコンソールの前に、一人の男が立つ。

 

 

 ――ニコラ・テスラ。

 雷をその手に収め、人の時代を切り開いた希代の天才たる彼は、自らが考案し産み出した船内を、一度ぐるりと見回し、言う。

 

 

「まずは、これまでの我々の健闘を大いに讃えよう。皆の尽力によって、我々の傑作《エンタープライズ》は、こうしてアトランティスを出立。中央の大渦を抜け、遙か海底に座す神々の地へ、いよいよ踏み入らんとしている」

 

 

 潜水艇は、渦巻く激流を意にも介さず、物凄い速度で降下を続けている。真下を照らし続けるライトにはまだ何も映らないが、恐らくはあと数時間と掛からずに、この闇に覆われた絶海を突破することができるだろう。

 

 

「ここに至るまでに、多くの苦難が立ち塞がった。神の権能を有したアトランティスの大軍勢、オリュンポスより派遣された異文帯のオデュッセウス、アルテミスの大天弓、そして海を守る機神ポセイドン――それを打破するために我々が払った犠牲は、余りにも重い」

 

 

 世界最大の異文帯に対向するべく、これまでにない多くの英雄が集った。

 産まれた国も、時代も異なる、けれど全員が歴史に名だたる力を有す、汎人類史の伝説達。しかし彼等の全力を持ってしても、神々の生きるこの世界の戦力は圧倒的だった。

 機神アルテミスの矢から皆を守るために、英雄ヘラクレスが斃れた。

 オリュンポスへの海路を切り開くために、賢者ケイローン、大将軍オデュッセウスがその身を擲った。

 そして、ポセイドンを振り払うために、フランシス=ドレイクが海に飲まれて消えた。

 その他にも数多くのサーヴァントが、戦いの中で散った。身体にも、心にも、傷を負っていない者はいない。

 

 

「――だが、しかし! 我々はこうして前へと進み、神々の座す海を、今まさに突破せんとしている! 君達のような素晴らしい仲間と共に、汎人類史の運命を背負って!」

 

 

 そう声を張って、テスラは司令室に集った一同を、ぐるりと一瞥する。

 

 

 

 

 やがてコルキスの王に至る年若き魔法使い――メディア。

 

 神智学の祖――エレナ・ブラヴァツキー。

 

 月に魅入られし皇帝――カリギュラ。

 

 東洋最強、一騎当千の妖魔狩り――源頼光。

 

 日の本一のゴールデン――坂田金時。

 

 千変万化のドッペルゲンガー――燕青。

 

 全ての命を救う人――ナイチンゲール。

 

 聖槍を抱きし嵐の王――アルトリア・ペンドラゴン。

 

 ブリテンを終わらせた叛逆の騎士――モードレッド。

 

 そして、ヒトの叡智の結晶、人造人間――フランケンシュタイン。

 

 

 

 

「そうそうたる顔ぶれだ。間違いなく人類史の粋! 最高戦力と呼んでいいだろう! それぞれがそれぞれの強みを発揮し、皆の勝利と結束のために貢献できる! そう――さながら安定した並列稼働を実現する交流電流のように!」

「抜かせこのすっとんきょうめーーーーーーー!」

 

 

 テスラの宣言に真っ向から反対したのは、居並んで傾聴していた獅子顔の大男、エジソンだ。

 テスラが壇上に立った段階から憎々しげに牙を見せて唸っていた彼は、テスラの『交流』の一言にとうとう我慢の限界を迎え、壇上に飛び上がって、ガオォン! とつんざくような咆哮をあげる。

 

 

「ここに並び立つパーフェクトな面子を、軟弱へっぽこ交流に例えるなど、まったくもって無礼千万! それを言うなら、一本に束ねて大きな力を発揮する、直流電流の方が適切だろう!」

「ふざけるなこのスカポンタン! 貴様は今、無骨で品性の欠片もない直流に例えた事で、ここにいる皆を『不安定でよく爆発するポンコツ』呼ばわりしたぞ! 今すぐそのモジャ顔を下げて我々にごめんなさいするがいい!」

「なにをぅこのとーへんぼく! というか貴様、サラっと私の紹介を流したな!? この絶海を踏破する直流エンジンを設計した大天才エジソンを仲間はずれとは、心が交流の電圧ばりに小さいな! 天才の風上にも置けないノータリンめ!」

「この機能的かつスマートな交流管制システムは私の設計だ凡骨! モフモフになった経緯はよく知らんし覚えてもいないが、その顔面にふさわしいようにおとなしく座ってろ! おすわり!」

「もう一度解雇されたいか貴様ぁーーーーー!?」

 

 

 エジソンが吼え立ち、ビリビリと計器が震える。

 放っておくと永遠続きそうな痴話喧嘩を見かねて、エレナが二人の間に割って入った。

 

 

「はいはい、喧嘩はよしなさいな。テスラもエジソンも、二人ともいなければ、この《エンタープライズ》をここまで早く完成させる事はできなかったでしょ?」

「「私が二人いた方がもっと良くできた」」

「もう、そう言わないの。みんな頑張って作った、みんなの船なんだから」

 

 

 諭すようなエレナの言葉に、天才二人が口ごもる。

 だめ押しで放たれたエレナの「ね?」という上目遣いの一言で、二人は付き合わせていた顔を同時にフンッと引き剥がした。

 見た目と頭脳に似合わない子供っぽい仕草に苦笑しながら、エレナが言葉を引き継ぐ。

 

 

「二人が言いたいのはつまり、私達はとっても強いってこと! 敵がどんなにマハトマでも、私達は絶対に立ち向かえる。そして勝てる!」

「うむ、エレナ君の言う通りだ。何せ我々人類は、あらゆる困難も脅威も打ち破り、進歩を続けてきたのだから!」

「かつて人は神を引きずり下ろし、地上に文明を築き上げた。化学を武器に、法則を力にして、神秘を真理に変えた。神と相対するなど、今更恐れるべくもない!」

 

 

 かつて神の物だった『雷』を人の手に宿し、人の文明を起こした時代、その核心たる三人の英雄。

 彼等の発破に、居並ぶ皆が力強く頷き、漲る戦意を等しくする。

 

 

「我等の目的は、やがて訪れる人類史の担い手、カルデアの路を切り開く事だ。彼等は必ずアトランティスを突破し、オリュンポスへとやってくるだろう。それはこのエジソンが保証する!」

「だがしかし、律儀に到着を待つ義理もない。ここにいる誰も、主役の到達を待つ脇役などではない。息を潜めてじっと待つなど断固御免だ!」

「遅れてやってきた彼等を、遅かったなと笑ってやろう! カルデアの志高き少年少女に、汎人類史ここに在りと見せつけてみせようではないか!」

 

 

 高らかに突き上げた拳に、居並ぶ全員が呼応し、拳と共に歓声を張りあげる。

 ビリビリと震える空気に宿るのは、ただただひたすらな高揚感。

 敵は神。上等だ。相手にとって不足なし。

 手強ければ手強いほど――戦士の心は熱く昂ぶりだす。

 

 

「為すぞ、諸君! これまでに散っていた仲間のため、カルデアのため、そして我々の根ざす汎人類史を守るため――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我々は総力を挙げて――オリュンポス十二神の打倒を果たす!」

 

 



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2話

 汎人類史決戦潜水艇《エンタープライズ》の中央部は、皆が共同で使える居住スペースになっていた。航行を担当しないサーヴァント達は、そこで残された時間を自由に過ごし、各々の英気を養っている。

 壁に開いた窓から見える外は、光の射さない深海の黒々とした水で満たされている。時折、潜水艇の下部から放出された泡が、音もなくふわふわと浮かび上がって、遙か上へと消えていく。

 

 

「……」

 

 

 モードレッドは窓の傍にしゃがみ込んで、外の暗闇をじっと眺めていた。

 水圧に耐える分厚いガラスに、彼女の物憂げな顔が映り込んでいる。凜々しい中に幼さの残る顔は、明らかに心ここにあらずといった色を浮かべていた。

 

 

 ただただ時間を食い潰すような、それでいて何となく釈然としない思いをかかえていそうな様子。

 その陶磁器のように艶やかな頬が、細い指にぷにっと押された。

 

 

「わ……って、フランか。脅かすなよ」

「ウ、ウウぅ、ウアァ」

 

 

 モードレッドの頬をつついた、長い赤髪で目を隠した少女――フランケンシュタインは、控えめな唸り声で何かを主張する。

 

 

「どうした? 急に言い寄られても分かんねえって。遊んで欲しいならエジソン達の所に行ってくれねえか?」

「ウ、ウアゥ、ウゥゥ……」

「――辛気くさい顔してどうした、だとよ、騎士サン」

 

 

 そう言ったのは、フランの後ろから近づいてきた男だ。彼はトサカのように立たせた金髪を撫で、厳めしいサングラスをクイと持ち上げる。

 

 

「金時……そうか、お前はフランの言葉が少し分かるんだっけか」

「ま、ノリとフィーリングで大体な。キュートなお嬢さんに『動物会話』のスキルを使うなんて、いささか気が引けちまうが」

「ウウウ、ウァー」

「――『気にするな』だと。サンキューだぜレディ」

「ああ、今のはオレも分かった」

 

 

 肩を竦め、二人一緒に笑みを浮かべる。遠く離れた東洋の島国の英霊ながら、彼の豪快でクールな出で立ちはモードレッドの性分に合っていた。それもあって、アトランティス脱出時の戦闘でも、金時、モードレッド、フランケンシュタインの三人でよくチームを組んでいた。勝手知ったるとまではいかないが、気の合うことは間違いない良い仲間だ。

 

 

「で――どうしたよモードレッド。何もない窓をぼーっと見つめて、随分ダウナーじゃないか」

「……そういう風に見えたか?」

「フランケンシュタインが居てもたってもいられなくなる位にはな。隣いいか?」

 

 

 聞かれたので、顎でしゃくって返事にする。金時は「サンキュ」と短く礼を言い、モードレッドの近くの床にどっかりと胡座を着いた。フランケンシュタインも、金時の隣にちょこんと座り込む。

 

 

「大一番の前の緊張って訳じゃねえな。お前さんはそういうタマじゃない」

「当たり前だ。神も仏もいやしねぇってのが信条でな。異文帯の神だろうが、踏みにじって唾吐く事に何の抵抗もねえ」

「なら、思う存分暴れられるよう、身も心もクールに決めておかねえとな。事情は知らんが、ナイーブでいちゃあ首級は取れねえぞ?」

「ウ」

 

 

 金時が言い、フランがうんうん頷く。

 モードレッドは思わずむぅと唸る。

 物思いに耽っていたのは事実だ。多少心が沈んでいたのもある。けれどここまでバレバレで、誰かに心配をされるとは……気が緩んでいるな、と内心で自分を戒める。

 

 

「数時間後には、神様相手の大戦だ。悩みやわだかまりは少しでも減らしておいた方がいい。アトランティスじゃ一緒に戦った仲だし、相談くらいなら乗るぜ?」

「お前、見た目に反してそういう気配りがめちゃくちゃデキるよな……」

「鍛えられてんだよ。過保護なくせに危なっかしい大将のお陰でな」

「はぁ、大将に苦労させられるのはどこの国でも変わらねえのな」

 

 

 溜息一つ。モードレッドはクイと顎をしゃくって、彼女の悩みの種を指し示した。

 金時とフランケンシュタインが振り返る。

 モードレッドが示した先には、ナイチンゲールと、彼女の話に耳を傾けている、漆黒の鎧を纏う騎士――

 

 

「嵐の王か……」

 

 

 合点がいった金時が、思わず苦笑する。

 アルトリア・ペンドラゴン。妖精の守護を受けしブリテンの守り手にして、聖剣に選ばれた王の中の王。

 

 

 サーヴァントとは、過去から現代に連なる大まかな記録を情報として保持して顕界する。だから金時は、モードレッドと嵐の王に関する関係性を大雑把ながら把握していた。

 モードレッドが、アルトリアを殺して国を滅ぼした事。

 そして嵐の王が、その逸話とは全く異なり、またどんな記録にも残らない生涯を歩んでいる事。

 

 

「かつて自分が殺した相手が、良く分かんねえ姿になって現れて、一緒に戦おうとしてる。何か思うなっていうのが無理な話だろ?」

「……違いねえ」

 

 

 頭を押さえるモードレッドに、金時が同情混じりの苦笑を返す。

 嵐の王は、曰く『有り得たかもしれないIF』から来たのだという。聖槍を抜き、しかし妖精王には昇華せず、人として在り続けた姿とか。

 それ以上の事を、嵐の王は語ろうとはしない。その口数少ない態度が、いっそうモードレッドの心をざわつかせていた。

 

 

「オレとは違う世界の父上だ。なら当然、その世界でオレ達が起こした行動も、それに対する思いも違う筈だろ? なのにアイツは、何も言わず、涼しい顔してオレ達の中に混ざっている」

 

 

 彼等にとって、過去は存在の有り様そのものだ。

 愛に捧げた魂ならば、サーヴァントとなっても、誰かを愛す事を尊ぶだろう。生涯かけて憎んだ相手は、『憎むべきもの』として魂に刻まれて、サーヴァントとなっても憎しみ続ける。

 モードレッドはアルトリアを憎んだ。憎んだからこそ国を壊して彼女を殺し、憎んだからこそサーヴァントとなった。彼女にとって憎しみは、魂に刻まれた在り様そのものだ。

 

 

 しかし、もちろん、その根底の感情に振り回されるのは違う。それは弱者か、狂気に落ちたバーサーカーの所行だ。

 モードレッドには、状況を判断する知恵も、理性もある。そして何より、今は世界の命運を懸けた戦いの最中だ。

 もし相手が正史の、自分の知る父上であれば、二人の間に穿たれた軋轢がどれだけ大きなものであろうとも、『今は拘るべきではない』と意見を交わし、飲み込み、剣を共にしただろう。

 

 

 だが、あの嵐の王は別だ。

 何も分からない。自分を恨んでいるのかも、慕っているのかも、全てが謎だ。相変わらずの美しい鉄面皮には、何の感情も浮かんでこようとしない。

 

 

「アイツ自身の中でどう折り合いを付けてるのか知らねえが、こっちを見もしなければ名前すら呼ばねえ。すっげえモヤモヤするぜ」

「そりゃまあ……気にするなってのが無理な話だな。あのクールな目つきにゃ、俺っちも思わずブルっちまいそうだ」

 

 

 口笛を吹いて嘯いた金時は、「それで」と言葉を区切って、モードレッドに視線を寄越す。

 

 

「話しかけるなら、きっと今がラストチャンスだと思うけどよ。どうするんだ?」

「どうするって……それが分かんねえから、ここでぼーっとしてるんだろうが」

 

 

 嵐の王は、モードレッド達と反対側の部屋の隅で、ナイチンゲールと会話中だ。内容までは聞き取れないが、何やらナイチンゲールが熱心に力説しているのを、緩く首を振りながら聞いている。

 

 

「……」

 

 

 視線を寄越すと、モードレッドの意識は、必ずと言っていいほど彼女の顔に縫い止められる。

 自分の知らない、王の姿。見違えるほど大きくなり、びっくりするほど大人びて、それでいて凜々しい姿は少しも色褪せず。

 かつて強く憧れたこそ、自分の知らない変化の仔細に気づき、魅了される。

 顔を見ているだけで、時間を忘れてしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

「……」

「――一目惚れかい、お嬢さん?」

 

 

 耳元で唐突に、嵐の王の声がした。

 えっと思った次の瞬間、王の顔がぬっと視線に割り込み、自分の顔を覗き込んできた。

 

 

「どわあああああ!?」

「あっはっはっは! 軽い悪戯に驚きすぎでしょ。オフだからって、ちょっと油断しすぎじゃないのかい?」

 

 

 仰け反り、ひっくり返ったモードレッド。いきなり現れた嵐の王は、彼女には到底似合わない軽薄な調子でケラケラと笑う。

 

 

「ッお前なぁ、笑えねえ冗談はやめろよ、燕青!」

「ウゥ、ウー!」

「悪い悪い、何やら辛気くさい雰囲気だったから、つい魔が差しちまった。何せアサシンで、人を誑かすドッペルゲンガーなものだから。許しておくれよ」

 

 

 ニンマリと唇を歪めて笑う王の顔は、ぬるりとした影に覆われると、瞬きの内に変貌する。

 鴉の羽のような、艶やかな黒髪、線の細く流麗な顔立ち。鍛え抜かれた腹は、鮮やかな花の入れ墨が刻まれている。

 水滸伝の登場人物にして、幻霊ドッペルゲンガーと融合した無頼漢――燕青は、その美形に似合う軽薄な笑みを浮かべて言う。

 

 

「俺も暇でさ、面白そうだからさっきから聞き耳立てていたんだけど」

「立てんな変態」

「まあそう怒らないで。主従の関係で悩んでるんだろう? 流れの傭兵をやってた身としては、この手の話には首を突っ込まずには居られないのさ」

 

 

 モードレッドの鋭い目つきを軽くいなして、燕青も床に胡座を着く。

 

 

「悪いことは言わないから、今のうちにちゃんと話して、心を通わせておきな。何はともあれ信頼だぜ」

「分かりきった助言をありがとよ。でもオレはアイツを――」

「助言というか、忠告だな。情けなく逃げ出して、主を見殺しにした男からの」

 

 

 思わぬ言葉に、モードレッドは口ごもる。後に続く言葉を探せない彼女に、燕青は言う。

 

 

「気兼ねなく口が利けるだけ儲けもんだぜ? こういう人間関係は、手遅れになって初めて過去の過ちに気が付くのさ」

「ああ……それは、よく思い知ってるよ」

「なに、住む世界が違っても、主従であることに変わりはないんだろ? だったら何も問題ない。大なり小なり、主は従者を信頼しているもんだ」

「ええ、その通りですとも」

 

 

 燕青の説得に割り込む、柔和な声。

 視線を寄越せば、まず目に飛び込むのは巨大な胸。

 豊満な肢体を、扇情的という言葉すら生ぬるい格好で飾った麗人。

 汎人類史最高戦力の一人、源頼光は、紅をさした唇を緩めて、歌うように言う。

 

 

「声を掛けるのに躊躇う必要などありません。そう、摂理として――母は、子を愛するものなのですから」

「……母ぁ?」

「ええ、母です。王も、指導者も、皆一様に、母であるのですよ」

「あー……大将、悪いがいま入ってこられると、大分話がこじれるんだけどよ」

 

 

 恐る恐る、といった具合に、金時が手を上げる。

 頼光がハッと息を飲む。かと思いきや彼女の瞳がうるうると揺れて、目尻からぽろぽろと涙を溢し始めた。

 

 

「まぁ、まぁ……母は悲しいです。金時、どうかそんなひどい事を言わないでちょうだい。ぐすっ」

 

 

 モードレッドとフランがあんぐり口を開ける前で、頼光は悲しみの涙を流し、喉をしゃくってぐずり始める。

 

 

「親の愛を受けられない子供がいるなんて、想像するだけでも耐えられません。子は必ず、愛を受けて育つべきなのに……」

「いや、あのな? 今は別に、愛だのの話はしてないんだけどよ」

「もし、万が一にも、そんな子がいるとしたら……ああっ、いてもたってもいられません、今からでも私がその子の母になりますっ!」

「よぉしステイクールだぜ大将! 頼むから抑えてくれ、潜水艦じゃ逃げ場がないからな!」

「……アイツの大将、めんどくささじゃ父上よか遙かに上だな」

「ウ、ウゥ」

 

 

 モードレッドの言葉に、フランケンシュタインがこくこくと頷く。アルトリアもかつては『心がない王』なんて恐れられたが、金時が大将と仰ぐ彼女の暴れっぷりを見るに、乱心しないだけマシだったのかもしれない。

 

 

「――随分、賑やかではないか」

 

 

 そう言って彼女達の輪に入ってきたのは、ローマ皇帝カリギュラだ。

 彼は特徴的な赤い瞳に月女神の寵愛によって狂気に堕ち、バーサーカーとして顕界した彼は、異文帯のアルテミスの精神攻撃を受けた事で性質が反転し、理性を取り戻していた。

 

 

「我が時代においても哲学者達がよく語らっていたものだが……同じローマが民ではなく、国も時代も異なる者同士の合議とは興味深い。サーヴァントのみに許されし特権であろうな」

「おいおい、集まってくるな。オレは寄り合い所を開いた覚えはねえぞ」

「そう言うな。悩んでいる仲間がいれば、手を差し伸べくなるのが人情というものだろう」

「へっ、人情ね。バーサーカーのお前が言うと説得力が違う――いて、いってて! コラ、やめろフラン、角で刺すな!」

「ウゥ、ウーウ!」

「いや別にバーサーカーを馬鹿にはしてねえって……分かった、ゴメン、ゴメンって! 額の角は痛いってば!」

 

 

 まるでユニコーンか何かのように、額から突き出た金属の角でモードレッドをゴスゴス突いてくる。かなり鋭く尖ってるため割と冗談じゃない痛さなのだが、傍目からは愛らしいやりとりに見えるのだろう。カリギュラは慈しみを籠めた笑顔を二人に向けている。

 

 

「我等は汎人類史のサーヴァント。産まれた世界と、その世界を守る使命を同じにする仲間だ――家族のような繋がりと称しても、何ら嘘ではあるまい」

「自分を殺した相手で、違う世界の人間でもかよ?」

「もちろん。いかな経緯、いかな過去があろうと、我等はこうして寄り集まった。それが全てである」

 

 

 モードレッドに力強い頷きを返して、カリギュラは拳を掲げ、力強く語る。

 

 

「我等ローマが神祖、全ての父ロムルスがここに居られれば、必ずやこう言ったであろう――良い! それもまたローマである! と」

「はぁ……母だかローマだか、てんでバラバラでむちゃくちゃだぜ」

 

 

 呆れたモードレッドは、ぐるりと自分の周囲を見る。

 涙目の頼光と、それを宥める苦労性の金時。それを面白がって囃し立てる燕青。腕を組み穏やかに微笑を浮かべるカリギュラ。そして、いの一番に自分を心配し声をかけてくれた、フランケンシュタイン。

 カルデアなる場所の記憶は、残念ながら今の自分にはない。一行の中でカルデアの記憶を持つのは、特異点で産まれたエジソンと燕青、それとフランケンシュタインだけだ。

 だから、こんな風に沢山の仲間と共に戦い、他愛ない話をする経験は、モードレッドにとってはほとんど初めての経験だった。当然、誰かに見守られながら、自分の過去に向き合う事も。

 

 

「……ま、ウジウジ悩んでるのも、オレの性には合わねえな」

「ウゥ、アゥ?」

「心配すんなフラン。ちょっと世間話してくるから、終わったら一緒に遊ぼうぜ」

 

 

 溜息一つ。モードレッドは立ち上がると、フランの頭を撫でた。そうして賑やかな喧噪を離れて、遠くから眺めるだけだった彼女の所へ、初めて一歩踏み出す。

 

 



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3話

 

 

 

 モードレッドが意を決したのと時を同じくして、彼女達の談義も終わったらしい。ナイチンゲールが深々とお辞儀して、嵐の王から離れる。

 嵐の王は、テスラ達のいる管制室へと向かうらしかった。モードレッドはその背中を追いかけ、人気のない廊下で、とうとう彼女を呼び止める。

 

 

「よぉ」

 

 

 嵐の王の歩みが止まり、振り返った凜々しい目が、モードレッドを見た。

 務めて気さくに。何でもない風を装って、モードレッドは歩み寄る。

 

 

「父上……それとも、皆みたいに嵐の王って呼んだ方がいいか?」

「呼びやすい方で構わない。私は汎人類史が記録するものとは異なる歴史より顕界した。正統な私とは区別した方が、皆にとって都合がいいと考えているだけだ……だから、卿も好きにするといい」

 

 

 嵐の王がそう説明する。その返答は、モードレッドにとっては拍子抜けするものだった。父上という呼び方をすれば、てっきり嫌悪を剥き出しに睨んでくるものとばかり思っていたのに。

 収まり切らない感情を胸中に弄びながら、モードレッドは会話を繋ぐ。

 

 

「ナイチンゲールと何を話してたんだ?」

「我が国の医療について聞かれたので、応対していた。精霊の加護を医療衛生に応用できないかと言ってくるので、諦めさせるのに苦心したよ」

「その内、精霊を磨り潰して粉薬にするとか言い出しそうだな……あのナリでバーサーカーだもんな。治療を専門にしてるのがメディアとアイツだけってのは、先が思いやられるぜ」

「まあそう言うな、彼女の人を救うという信念は本物だ。人を救い続けた人である彼女は、我々の誰よりも人の世を代表していると言ってもいい」

「神と争うには打ってつけってか……信念が本物なのは分かるよ。オレは絶対に、アイツの前で怪我だけはしたくない」

「ふふ、同感だ」

 

 

 モードレッドの軽口に、嵐の王は緩く頷いた。鉄面皮のように思えた顔は緩み、口を薄く綻ばせている。そのほんの僅かな所作だけで、モードレッドは彼女が、自分の知る王とは別人であることを改めて確信した。

 

 

 白昼夢を見ているようにさえ感じる。面影や、向かい合った時に肌で感じる気迫は父上の物で間違いないのに、それ以外の何もかもが異なっている。

 モードレッドの父上は、決して自分に笑みを浮かべたりなんかしない。決して「父上」と呼ばせたりしない。

 父上は、自分を許したりなんかしない。

 

 

「……」

 

 

 ふつふつと、胸の内から興味が沸き上がる。

 嵐の王。知らない世界の、知らない時間を生きた父上。

 一体、お前は何なんだ。

 一体、どんな世界を生きたんだ。

 ブリテンはどうなった。何と戦っている。他の円卓の騎士達は。聖剣はどうした。成長するということは老いて死ぬのか。それなら後継は一体誰だ。

 

 

 

 

 ――そっちのオレは、何をしている。

 オレは、お前を殺せなかったのか?

 それとも、殺さなくて良かったのか?

 お前は、オレを――

 

 

 

 

「父上……いや、()()()

 

 

 緩く首を振って、モードレッドは胸の内のぐるぐると渦巻く感情に、そっと蓋を被せた。迷いのないまっすぐな目で、記憶と違う王の顔を見る。

 

 

「お前に声を掛けたのは、これからの戦いで、後腐れなく暴れるためだ」

 

 

 嵐の王は、静かにモードレッドを見つめている。

 冷たく澄んだ目が、言葉も無いまま、話の先を促す。

 

 

「正直、聞きたいことが山ほどある。オレの知らないブリテンの事や、お前自身の事――その他も、色々とな」

「……」

「けれど今は、その全部が、関係のない、下らない事だ」

 

 

 キッパリ、そう言い切る。

 自分自身の宣言で、胸の内の渦巻く感情を締め出す。

 彼女を嵐の王と呼ぶことで、自分の迷いと決別する。

 

 

「オレ達二人とも、ここにいる全員と同じ、人類史を守るサーヴァントに過ぎない。そうだろ?」

「……ああ、その通りだ」

「此度のオレは、その在り方に準ずる。オレの剣は、あくまで人類史を守る刃だ。オレが守るのは人類史と、オレ自身の誇りだ。それだけだ」

 

 

 そうしてモードレッドは、嵐の王に拳を突き出した。

 

 

「だから、いいか。()()()()()()()()()。オレ達の間に横たわる全ては、何も関係無い。オレ達は共に戦う同士に過ぎない」

「……」

「それだけ、伝えておくべきだと思った。いいな?」

 

 

 もう一度、強く念を押す。突き出した拳が震えないようにするために。

 

 

「……ああ」

 

 

 嵐の王は、そう短く返事して、モードレッドの拳に、黒色の鎧で覆われた拳を打ち付けた。

 金属同士を打ち鳴らす、ゴツという音。それはささやかながら、骨までじぃんと痺れるような力強い邂逅だった。

 全身に伝うような刺激を噛み締めていたモードレッドは、ふと顔を上げてようやく、嵐の王が微笑を浮かべて自分を見つめていることに気が付いた。

 

 

「何だよ?」

「いや……卿らしいと思ってな」

「オレらしい? ……それは、お前の知っているオレの話か?」

「もう、随分昔の話だがな」

 

 

 質問にそう返し、嵐の王は昔を思い出すように目を細める。

 その凜々しき瞳の奥に浮かぶのは、果たしていつの、どんな光景か、モードレッドには推し量れない。

 だが、少なくとも。彼女の中にも、モードレッドはいるらしい。親しみかも恨みかも分からないが、特別な存在として。

 

 

「正史として刻まれている私がどんな生涯を送ったかについては、顕界した際に情報として取得している……卿がこうして私に声を掛ける理由も、思うところが多々あろうというのも、承知している」

「……」

「許せ、モードレッド卿。語らないのは、それが最良だからだ。卿の剣を曇らせないためにも、私は沈黙を選んでいる」

 

 

 嵐の王の声には、モードレッドの内心を案じるような誠実さがあった。それもまた、本来の父上からは決して受けることのない感情で、モードレッドの胸に、また微妙な心地が広がる。

 

 

「……そういう煙に巻くような物言いをされると、俄然興味が湧いてきちまうけれどよ」

 

 

 嵐の王が、モードレッドにこうして詫びてくれるのは、果たして彼女が大人になったからだろうか。それとも自分が、もっと別の路を選んだからだろうか。

 疑問も、興味も、次々と浮かんでくる。けれども。

 

 

「お互いに『気にしないで戦おうぜ』って意見なのは分かった。だからいいや……うん、それでいい」

 

 

 モードレッドは頭に浮かぶあれこれを、肩を竦めて笑い飛ばした。一つ息を吐き、知らない内に強張っていた身体から力を抜く。

 

 

「それじゃあオレは、二度目の命で得られた、父上と肩を並べて戦える時間を、せいぜい有り難がらせてもらうよ――へへ、間違っても、オレの足を引っ張ってくれるなよな、嵐の王サマ?」

「勿論だ。別の存在とはいえ、卿の知る王の畏敬に泥を塗らない事を約束しよう」

 

 

 金時やフランケンシュタインにやるのと同じように、不敵な笑みを父上に投げかける。そして、それに微笑を返される。

 本来の父上とは決してできない屈託の無いやりとりは、どこかモードレッドに、胸のすくような開放感を感じさせた。

 

 

「じゃ、また戦いの場でな」

 

 

 そう別れを告げる。

 翻した背中に、嵐の王の視線を感じた。振り向かずに歩き去るモードレッドに、呟くように彼女は言った。

 

 

 

 

 

「頼りにしているぞ、モードレッド卿」

「っ――」

 

 

 思わず足を止め、聞き入る。

 彼女の内心を知ってか知らずか。嵐の王は穏やかな調子で――きっと笑みさえ浮かべて、告げる。

 

 

「歩んだ路は異なるが、此度は私と卿、二人だけの円卓だ。この数奇な運命での邂逅を喜び、存分に戦おう」

 

 

 そうしている間に、嵐の王は廊下から去っていった。コツコツという靴音が遠ざかり、やがてドアの向こうに消える。

 光も刺さない深海。僅かに駆動音がするだけの、しぃんと静まり返った潜水艦の廊下で、モードレッドはしばらく、金縛りを受けたかのように棒立ちでいた。

 何秒も経ってから、立ちくらみのようによろめき、深い深海の闇が覗く窓に、へなへなともたれ掛かる。

 

 

「っ~~……! なんっだ、なんっっだそれ……!」

 

 

 頼りにしている。

 二人だけの円卓。

 告げられた言葉の破壊力に、立っていられない。

 ばくばく心臓がうるさい。ごまかしようのない『うれしい』という気持ちが、熱く血をたぎらせて、体中をぎゅんぎゅんと巡っていた。

 

 

「ありえねえ、あんな言葉を吐くやつが、父上であるもんか……! くそ、靡かねえぞ。オレは絶対に、絆されたりしないからな……!」

 

 

 飾り気のない鉄製の隔壁に、真っ赤に火照った顔を、ゴリゴリと押し付ける。

 

 

 

 

「……ウゥー」

 

 

 物陰からそっと様子を伺っていたフランケンシュタインは、動揺しつつもまんざらでもなさそうなモードレッドの様子に、にっこり唇を綻ばせて、上機嫌に唸り声を上げるのだった。

 



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4話

 ごうごうという海流の唸りは、時間が経つ毎に激しくなっていた。全方位から押し寄せる雄大な海流に揉まれ、《エンタープライズ》全体がビリビリと震えている。

 塗り潰したような漆黒だった窓の外は今、幻想的な蒼色をした光の粒が、蛍のようにふわふわと漂っている。例え魔術に関する知識がなくても、その光が強力な術式の副産物として漏れ出す魔力光の粒子であることは、容易に察する事ができた。

 アトランティスの空気でさえむせ返るほどだった魔力はいっそう濃密に空間に満ち、全身を締め付けるような神々しい圧迫感を全員に感じさせる。

 

 

 まるで《エンタープライズ》全体が、恐れ戦慄いているかのよう。

 振動に包まれながら、テスラが声を張りあげた。

 

 

「境界面が近い! いよいよ絶海を抜け、神々の地に突入するぞ! 全員、覚悟はいいか!」

『今更だぜテスラの旦那! 俺っちも含めた全員、覚悟がなければこの船に乗り込んだりしねえよ!』

『ウウー!』

 

 

 通信越しに金時が応じ、フランが威勢のいい唸り声を上げる。

 蒼く輝く深海をモニター越しに見つめ、メディアはそっと胸に手を当て、清廉に祈りを捧げた。

 

 

「イアソン様……どうかメディアに、お力と勇気を分けてください」

 

 

 もう数千キロも離れてしまったアトランティスに残った、愛するアルゴー船の主を一心に想う。最後に彼女が見た彼の姿は、ヘラクレスを失い、失意の果てに酒に溺れた小さな背中だ。

 一途な祈りを捧げるメディアに、カリギュラが問う。

 

 

「未だ純朴なる魔女よ。かの男は、我々の後に続くか?」

「ええ。イアソン様は、本当はとても勇敢なお方です。アルゴーに乗っていた人は、皆その事を知っています」

 

 

 疑いを少しも抱かず、メディアは答える。

 

 

「イアソン様は、沢山の凄い人達に慕われ、付き従えていたのです。きっとカルデアの皆様も、わたし達と同じように率い、導いてくださるでしょう」

「うむ。その曇り無き目と心を信じ、我等は進もう。ここまでに散った英雄の無念と、我等に続く英雄の希望を胸に」

 

 

 深海に浮かぶ蒼い燐光はますます数を増やし、今や深海は、一つの銀河かのように眩い煌めきで満ちている。ガタガタという凄まじい振動が、世界の境界を貫き、深き海を突破する偉業の予兆だ。

 テスラの隣に並び立ったエジソンが、白い鬣を眩い蒼に煌めかせながら、沸き立つ昂揚に牙を見せ唸る。

 

 

「さあ覚悟はいいか、オリュンポス十二神よ! いよいよ年貢の納め時だ――深き海を踏破し、ヒトが神を堕としに来たぞ!」

 

 

 深海はとうとう蒼い光で染め上がった。目も眩む程の光の中を《エンタープライズ》が突き進む。

 際限なく上がり続ける魔力が、いよいよ世界の変転を告げる。

 小柄な身体に目一杯に力を籠めて、エレナが叫んだ。

 

 

「皆、衝撃に備えて! 世界の境界面に突っ込むわよーーーー!」

 

 

 光が満ちる。魔力が臨界点に達する。全員が近くの物に掴まり、眩い光にぎゅっと目を瞑る。

 

 

 

 

 ――ずぱん! と、世界を切り裂く凄まじい衝撃。

 

 

 全身を縛り付けていた光と魔力、深海の圧力が、一気にゼロになる。

 そして、汎人類史の英雄達は、閉じていた目を恐る恐る開き、眼前の光景に絶句する。

 

 

 

 

 それは、距離にして恐らく数十キロ先。

 それなのに、その巨大さと神々しさは、途方も無い威圧になって彼等を包む。

 美しく清らかな、魔力結晶の巨山。

 それを背に屹立する建造物は、都市というにはあまりに大きく、複雑な機工を有し、さながら一機の宇宙戦艦のような意匠を誇っている。

 

 

 そして、それらの後方――。

 巨大な機工都市、それを孕んだ美しき結晶の巨山に、まるで冠を飾るようにして。

 上空に、銀河が咲いていた。

 異文帯の中枢にして、彼等が辿り着き打倒せねばならない空想樹は、既に完全な開花を見せ、内側に孕んだ外宇宙の輝きを煌々と放っていた。

 

 

『――』

 

 

 一瞬。皆が戦意も忘れ、神々しい意匠と輝きに、ただただ魅入る。

 眼前に広がる都市は、まさしくこの時代の総本山。

 世界を支配する神が住まう土地。

 至上最大の異文帯の、王都。

 

 

 

 

 ――星間都市山脈、オリュンポス。

 

 

 

 

「――行くぞ、皆! 古き神に、汎人類史の力を教えてやれ!」

 

 

 吼え立つようなテスラの言葉が、二つの世界の雌雄を決する決戦の火蓋を落とした。

 アトランティスとオリュンポスは、もはや別々の世界として隔絶されているのだろう。アトランティスの深海を突破した《エンタープライズ》は、一転してオリュンポス世界の上空に現れていた。巨大な艦体が重力に従い、数千メートル下の地表に向け落下していく。

 

 

「当然、予測済みだとも! いくぞエレナ君!」

「よくってよ、エジソン! 『エンタープライズ』殻翼展開、飛行形態へ移行するわ!」

 

 

 エレナの操作に、楕円状のフォルムをしていた『エンタープライズ』が反応。両脇の隔壁が持ち上がり、大きな翼が展開される。

 

 

「展開完了! 機関チーム、準備はいい!?」

『最高にホットだぜ! いつでもオーケーだ!』

 

 

 エレナの指示に、『エンタープライズ』後方の機関室で待機していた金時が応じる。

 そこにあるのは、『エンタープライズ』の核となる、天才達によって作られた魔道動力炉。高熱を発しながらゴウゴウと唸りを上げるエンジンの前に、金時、フランケンシュタイン、モードレッドの三人が並び立つ。

 

 

「せーので合わせるぞ、フラン。オレ達の力の見せ所だ!」

「ウー!」

「そうだ、クールな一撃でシビれさせてやろうぜぇ、二人とも!」

 

 

 三人の魔力が膨れあがり、雷として発露する。機関室に眩い閃光が迸り、バチバチと火花を散らす。

 

 

「ウェイクアップだぜ、ベイビー! ゴキゲンなフライトの始まりだ!」

「ウ、ア、アアアアアアアアーーー!!」

 

 

 気合い一喝。三人は雷を纏った強烈な一撃を、同時に動力炉に叩き込んだ。

 一瞬で凄まじい電力を送り込まれた基幹システムは、オーバーロード越えて覚醒。英霊三人の全力の電気ショックは、展開された翼から推進力として吹き出した。

 飛行形態に移行したエンタープライズは、深海の水圧に続き、重力までもを克服してみせた。

 

 

「良いぞ皆。このまま進み、敵の本陣を叩く!」

 

 

 艦に流れるエネルギーに沸き立ち、テスラがそう皆を鼓舞する。翼を得た《エンタープライズ》は、前方、空想樹の銀河の下に聳え立つ、神の座す都市に向けて一直線に飛翔する。

 

 

 

 

 

 

 ――その向かう先の、空が裂けた。

 耳を劈く、轟音。

 空を切り裂く、閃光。

 雷と呼ぶにはあまりに巨大で、強烈な、視界を埋め尽くす程に走る輝き。

 それはまるで、人類の傲慢に対して世界が放った、怒りの咆哮のようであった。

 

 

「これは――ッ!」

 

 

 驚く暇も無い、立て続けの雷。雷を操るテスラでさえ、目が眩み、轟音に耳を塞ぐ。

 未だ遙か彼方に存在するオリュンポス、その全空間がビリと震える。

 

 

 

 

「傾 聴 せ よ」

 

 

 

 

 声が聞こえた。

 どこからともなく――否、世界全てに轟く、声。

 ズン――! と、身体に圧がのし掛かる。

 頭を押さえつけられるような。全身を縛り上げられるような圧力に、汎人類史のサーヴァント全員が驚きに呻く。《エンタープライズ》さえもが、ビリビリと機体を激しく震わせ、恐れ戦いているかのようだった。

 

 

「ッな、んだ。この圧は!?」

「この声、どこから……いいえ。そもそもコレを声って呼んでいいの!? 頭の中に、音を叩き込まれているみたい!」

 

 

 魔術とも異なる、感じた事もない圧力に、誰もが頭を押さえて身を捩る。

 

 

 

 

「平 伏 せ よ」

 

 

 

 

 もう一度、雷。

 世界を埋め尽くすようなその声こそ、まさしく世界の全権を握る、支配者の声。

 

 

 

 

「我 は ゼ ウ ス」

「っ……!」

「全 能 神 ゼ ウ ス で あ る」

 

 

 

 

 更に、雷。凄まじい音と閃光が、思考すらも眩ませる。

 頭に鳴り響く言葉の重みに苛まれながら、テスラは内心で唸る。

 予想は付いていた。覚悟はしていたつもりだった。

 オリュンポス十二神に徒なすのだ。奴が出てくることは、自明の理と言ってよかった。

 

 

 しかし――しかし。

 大神ゼウス。これほどとは。

 声を聞いただけで、身体が固まる。霊基が竦んでいる。

 なんと……なんという!

 

 

 

 

「人 間 如 き」

「エジソン……エレナ女史……ッ防御を! エネルギーの全てを、防御に回せ!」

「散 る が 良 い」

 

 

 

 

 瞬間、絶大な威力の雷が、エンタープライズを呑み込んだ。まるでドラム缶に入れられ殴られたような衝撃に、艦全体が揺れる。

 すんでの所で防御するも、せいぜいが気休めにしかなっていなかった。けたたましいアラートが鳴り響き、非常事態を示す赤いランプが幾つも灯る。

 

 

「エンジン異常なし、損傷軽微! けれどダメよ、威力が強すぎる! 今のエネルギーじゃ、あと一発耐えるのが――きゃあ!」

「エレナ君!」

 

 

 エレナが叫んだ瞬間、再びの閃光が《エンタープライズ》を直撃した。衝撃で吹き飛ばされた彼女の身体を、エジソンが身体を張って受け止める。

 揉み合って倒れたエレナが、目を回しながら言う。

 

 

「――今のでシールドが切れた。次は耐えられないわよ!」

「聞こえたか機関室! 雷を最大に籠めろ! 何としてももう二発耐えるんだ!」

『やってみせるけどよ、耐えてどうするんだテスラ! 死期が五秒後から十秒後になるだけだ、ヤケクソじゃねえか!』

『ウう、ウー!』

『つべこべ言わずにやれってよ、モードレッド!』

『分かってる、オレだって犬死にはゴメンだ! もう一発いくぞフラン、金時!』

 

 

 機関室の三人は、赤々と点滅する危険信号を無視し、もう一度動力炉に雷を叩き込む。それとほとんど同時に、三発目の雷に艦全体が揺さぶられた。

 もはや雷は、雨のように降り注ぎ、オリュンポスの空を埋めている。かつてない危機に、エジソンが獅子面を険しくさせて吼えた。

 

 

「ぬうううう! まずい、まずいぞ! 正真正銘の『神の雷』、出力が桁違いだ! このままでは我々は、神々の土地を踏むこともなく空中で爆発四散だぞ!」

「堪えるんだ! もはや進むほかにない! この雷の雨を抜け、何としてもあの空中都市まで辿り着くのだ!」

 

 

 そう、彼等は進む以外に路は選べない。

 逃げ場は無い。ここは空中。まして相手が本当に大神ゼウスだとすれば、この雷は、たとえ世界の果てまで逃げても、必ずやこの艦を貫くことだろう。

 

 

「っ準備は万全だった。『エンタープライズ』は我々の技術の粋、最高傑作だ! くそ……神とはここまで圧倒的か!?」

 

 

 歯噛みするテスラ。彼の心を嘲笑うかのように、質量を持つほどの声が、世界に轟いた。

 

 

 

 

「平 伏 せ」

 

 

 

 

 眩い閃光が空に走る。

 汎人類史の希望を串刺しにせんと迫った稲妻は――しかし艦に激突しようとした寸前に、横合いから払われた一撃に防がれた。

 バチィンと爆ぜるような音を上げ、雷は空中に霧散する。

 

 

「今のは……?」

「待って、誰かが甲板に出ているわ!」

 

 

 信じられないと驚くエレナが、管制機器を操作し、甲板の映像をモニターに表示させる。

 魔術を利用した遠隔映像は、雷雲に覆われた事で暗く、大気中の濃密な魔力の為に酷いノイズを発生させていた。

 しかし、その粗い映像でも、甲板の先頭に立つ人物の姿は、間違えようもない。

 

 

「嵐の王!」

『……父上!?』

 

 

 最も驚きを見せたのがモードレッドだ。彼女は動力への魔力注入も忘れ、表示されたモニターの映像に釘付けになる。

 

 

『振り落とされるぞ! そんな所で何してんだ!』

「安心しろ――奴の雷は、私が引き受ける」

 

 

 雷の降り注ぐ嵐の最中でも揺るがない、凜とした声音。嵐の王の手には、黒く染まった巨大な槍が握られている。

 再度、雷。嵐の王は、それを槍の一振りで受け止めた。閃光が弾け、雷は黒々とした空に霧散して消える。

 

 

「進め、テスラ! 彼の地を踏むまで、我等は決して止まりはしない!」

「ッああ、その通りだとも。いくぞ『エンタープライズ』! 全力前進!」

 

 

 嵐の王は身の丈を越える槍を振るい、文字通りに光の早さで飛来する雷を打ち払う。神の雷に真っ向から対峙し渡り合うそれは、比喩ではない真の神業だった。

 ゼウスの雷に蹂躙されるがままだった『エンタープライズ』は、嵐の王の迎撃により何とか体勢を持ち直した。再びエンジンを灯し、オリュンポスに向け前進を始める。

 

 

 

 

 しかし――神々は、その淡い期待さえも許さない。

 

 

 

 

「惰 弱」

 

 

 

 

 頭に鳴り響く、威圧の声。

 次の瞬間、世界が純白に染まる。

 先の何倍もの雷が、一斉に『エンタープライズ』に降り注いだ。

 

 

「っぐ――!?」

 

 

 嵐の王は、その神がかりな才によって最初の数激をいなしたものの、槍の一本では、滝のように降り注ぐエネルギーには抵抗しきれない。

 《エンタープライズ》の船首が、大爆発を起こした。引き裂かれるような衝撃に、艦内の物が方々に吹き飛んでいく。

 管制室に鳴り響くアラートは、いよいよヒステリックな程のけたたましい大音量で、艦体の危機を告げていた。

 

 

「っ右翼のエンジンが一機やられたわ。艦隊にも亀裂が走ってる。損傷大……!」

「大丈夫か、嵐の王! 無事なら返事をしてくれ!」

 

 

 テスラの問いかけに応じる声はない。神の雷を受けた影響で、音声も映像もノイズが酷く、甲板の様子をまるで窺い知れない。

 そして、《エンタープライズ》に深刻なダメージを与えた一撃さえも、神にとっては取るに足らない児戯に過ぎないらしかった。

 

 

 

 

「堕 ち よ」

 

 

 

 

 絶対の神の声が轟き、雷雲が唸る。

 何の予兆も無しに雷が空を奔り、今度こそ人類史の希望を引き裂かんと迫る。

 

 

 

 

「聖槍――抜錨!」

 

 

 

 

 吹き荒んだ漆黒の竜巻が、降り注ぐ雷と真正面から打ち砕いた。

 突如発生した巨大な旋風は、空を埋め尽くした雷雲に風穴を穿つ。

 

 

「たかが雷でこの私を打ち払おうとは、片腹痛いぞ、大神」

「――」

 

 

 威圧し、あらゆる生命を平伏させるかのようだった声は、いま初めて沈黙し、甲板に立つ一人の王に聞き入った。

 爆発の煙が晴れていく。瞬いた雷雲が、一人甲板に立つ王の姿を照らし出す。

 

 

 嵐の王はボロボロだった。大爆発を間近に受けて鎧はあちこち剥げ、剥き出しの素肌には痛ましい火傷が浮いている。

 けれど、その傷を忘れさせる程に目を惹く物が、その手に抱いた得物。

 彼女が持つ聖槍には、その機工を展開し、棘の浮いた物々しい意匠を高速で回転させ、黒い渦を纏っていた。

 世界を貫かんばかりの途方も無い魔力を籠めた槍を手に、嵐の王は火傷に焦げた顔に戦意を満たす。

 

 

「聖杯の泥に犯され、精霊にも同胞にも認められない、許されざる力だとしても――罪深きこの聖槍、神の雷如きで浄化できるほど柔ではない」

 

 

 甲板を踏みしめ、がしゃんと鎧が鳴る。

 腰だめに構えた、暴風を纏う槍。その切っ先は、まっすぐ神々の住まう機工都市へと向けられている。

 

 

「聞こえるな、テスラ」

『ああ』

「魔力の全てを推進力にしろ。守りは気にするな――()()()()()()()()()()に、必ずあの都市へと辿り着け」

 

 

 しん、と空気が凍り付く。

 神を堕とすという使命を共にする人類史の英霊達は、皆が歴戦の勇士であるからこそ、嵐の王の言葉の真意を正しく理解していた。

 

 

『……分かった』

 

 

 それ以上を、テスラは言わなかった。止めることも、讃えることも、惜しむこともしなかった。彼の対応にも、嵐の王の決断にも、異を唱えるものはいなかった。

 ただ一人。ふわりと魔術光を漂わせて、嵐の王の傍に寄る。

 

 

「お供しますわ、嵐の王」

「メディア」

 

 

 転移で甲板に現れた幼き魔女は、聖槍を構える騎士の背に寄り、慈しむように鎧を撫でる。

 

 

「貴方が皆を守ってくれるなら、私が貴方を守ります。だから心配せずに、思う存分貴方の力を振るってください」

「……助かる」

 

 

 メディアの献身に、嵐の王は、死地に似合わない柔らかな微笑で応えた。

 

 

「――皆、聞いたな! 魔力のありったけを動力に回せ! 最大最速で、あの神々の地へと辿り着くぞ!」

「機関室、後の事は気にしないで! ぶっ壊しちゃうくらいの勢いで、最大出力の雷をお願い!」

 

 

 テスラの号令によって、《エンタープライズ》全体が覚悟を決めた。この先の数分に、自分たちの運命を委ねる覚悟だ。

 両翼、そして艦後部のエンジンブースターに、これまでの比ではないエネルギーが集まる。

 艦そのものが昂揚し、武者震いしているかのような振動。

 その場にいる誰も知る由はないが、その振動はまるで、初めて地球を脱し宇宙へと至るロケットのよう。

 決して辿り着けないと言われた不可侵へと至るため。

 人の可能性を信じ、偉業を為すため。

 前に進む力を籠める。

 文明の火を灯す。

 覚悟の輝きを煌めかせる。 

 

 

 

 

「『最果てにて(ロンゴ)――輝ける槍(ミニアド)』!!」

 

 

 

 

 《エンタープライズ》のエンジンが灯ると同時に、嵐の王は宝具を発動。聖槍が産んだ渦は艦全体を包み、機工都市に向け突き進む竜巻へと変貌させた。

 降り注ぐ雷を薙ぎ倒し、まるで一本の矢であるかのように、真っ直ぐ、ありったけの速度で突き進む。

 嵐の王は、聖槍ロンゴミニアドを使う資格を有さない。それ故に彼女は、己の魔力を無理矢理に籠める事で、半ば暴走のような形で宝具を発動させている。

 今彼女が注ぎ込んでいるのは、掛け値無しの全力だ。

 暴走するロンゴミニアドの黒い渦が、主たる嵐の王の身体さえ食い破ろうとしていた。

 

 

「っぐ――あぁ――!」

「大丈夫……ッ私が、付いていますから!」

 

 

 鎧が砕け、肌が切り裂かれる。それを背後のメディアが、全力の魔術で癒す。

 

 

「人類史の守り手は必ず現れます! イアソン様が、きっと導入れくれます! ですから私達は辿り着くんです! 必ず来てくれる、あの人たちの頑張りに応えるためにも!」

 

 

 傷付き、癒され、それを繰り返し、全力を賭し続け。

 果たして《エンタープライズ》は、夥しい雷を意にも介さず、雷雲の中を突き進む。

 

 

 

 

 凄まじい躍進を肌で感じ、機関室の金時は思わず唸る。

 

 

「ベリーソークールだ。これなら奴さんの膝元まで、一直線に行けそうだぜ!」

「……チッ」

「あ? ――おいモードレッド! どこへ行く!?」

「んなの、わざわざ言わなくても分かるだろうが!」

 

 

 舌打ち一つ、モードレッドは居ても立ってもいられないとばかりに、金時とモードレッドど残し機関室を飛びだした。

 

 

 

 

 

「――目標到達まで八十キロ! 計算では、あの都市のど真ん中まで、あと七分あれば辿り着くわ!」

「がんばれ嵐の王、メディア! あともう少しだぞ!」

 

 

 エレナがデータを分析し、エジソンが吼える。

 いまや《エンタープライズ》の全員が、固唾を呑んで甲板上の二人を案じていた。

 黒い竜巻を纏った艦は、雷を薙ぎ払い、速度を落とさず突き進む。

 その、黒い破壊の渦の中心。

 嵐の王は、文字通りに身を粉にしながら、聖槍に全霊の魔力を注ぎ続ける。

 

 

「ッ――我等が世界の為にこそ――我が民を、守る為にこそ――」

 

 

 暴走する己の魔力に全身を切り刻まれ、苦悶に呻きながら。その目はまっすぐ、打倒するべき神の居城を睨み付ける。

 

 

「至るぞ、神々――例え闇に堕ちても、私は依然、人を守る王なのだから!」

 

 

 覚悟が槍を唸らせる。

 己の住む世界を、己の矜恃を、魂を守るという決意は、何よりも固く強いと信じて。

 ただ、ただ、前へ。

 一心不乱に突き進む。

 

 

 

 

 彼女の覚悟は、信念は、何よりも尊い、清らかなものだった。

 例え正史に刻まれない、有り得ないIFからの来訪者だとしても、人類史の誇る英雄ここに在りと名乗るに相応しい勇猛さだった。

 

 

 

 

 ――ただ、しかし。惜しむべきは。

 これが、二つの世界の雌雄を決める戦いであったこと。

 積み上げた歴史も、事実も、何もかもが異なる異世界の存在は。

 人類史の誇りすら――時に無感動に挽き潰す。

 

 

 

 

 故に、そう。

 その後の悲劇に、言葉を与えるとすれば。

 ただ――相手が悪かったとしか、言いようがないのだろう。

 

 

 

 

「小 癪」

 

 

 

 

 鳴り響いたゼウスの声は、まるで顔を飛び回る羽虫を払うかのように、無味乾燥としていた。

 《エンタープライズ》から機工都市に至るまでの中空が、ぐぅと歪む。

 その歪んだ空間に、轟いた雷の全てが寄り集まった。

 突如として現れた、純白の光球。雷の威光を凝縮した、星の如き輝き。

 全ては瞬きの内に完了し、汎人類史には戦慄すら許されなかった。

 

 

 

 

「失 せ ろ」

 

 

 

 

 次の瞬間、真白の光が解き放たれ、破壊の黒渦を跡形もなく吹き飛ばした。

 これまでの比ではない衝撃が《エンタープライズ》を襲う。

 黒と白に明滅する光が渦巻き、激突の余波が右の翼をへし折った。たちまち艦は制御を失い、独楽のように空中を回り始める。

 

 

「きゃ――」

「メディア!」

 

 

 吹き飛ばされようとしたメディアの手を、嵐の王が掴んだ。聖槍を甲板に突き立てて楔とし、凄まじい揚力に必死に耐える。

 頭上から降り注ぐ雷を避ける術など、今の二人にあるはずもなかった。

 

 

「しま――がっ!?」

 

 

 雷は嵐の王の足下に着弾。爆発を起こし、二人を吹き飛ばした……制御を失い錐揉み回転する、艦の外へ。

 

 

 

 

 

 それを、モードレッドは見ていた。

 いても経っても居られずに駆け付けた彼女の目は、今まさに爆発によって吹き飛ばされ、深い雷雲の中へ落ちようとする嵐の王に釘付けになった。

 

 

「――父上!」

 

 

 考える余裕など無かった。

 サーヴァントとなって得た自分の直感が、ただ『飛べ』と告げていた。

 ためらわず、モードレッドは赤雷を纏った足で甲板を強く蹴り、雷雲渦巻く空へと飛びだした。

 燕のように空を滑空し、嵐の王を抱き締める。そこに、錐揉み回転する《エンタープライズ》の尾翼が、凄まじい勢いで迫り来る。

 

 

「ッいける、オレの直感を信じろ――ここだぁ!」

 

 

 激突の一瞬前に、モードレッドは魔力を放出。モードレッドの赤雷は尾翼に当たって爆発を産み、少しでも被害を和らげる。

 それでも、激突は意識が吹き飛ぶ程の衝撃だった。嵐の王を抱き締め、尾翼に背中から激突したモードレッドは、明滅する意識を必死に繋ぎ止め、《エンタープライズ》の尾翼に現出したクラレントを突き刺した。

 クラレントは鋼鉄の甲板をギャリギャリと食い破り、数メートルを引き裂いてやっと停止する。

 

 

「っげほ、えほっ……無事か、嵐の王!」

「ッ……モードレッド、か……」

 

 

 返答はすぐに返ってきた。焦点のあった目が自分を捉えるのを確認し、モードレッドはほっと安堵する。

 

 

「まったく、だらしねえな。まだスタートラインにも立ってねえのに、早々に脱落するとこだぞ」

「すまない、助かった」

「っ……礼なんていい。その面で言われると、すっげえムズムズするしな」

 

 

 突然のお礼に、モードレッドは頬を赤く染め、ついそっけなくいなしてしまう。

 その横顔をカッ――と照らす、白い光。

 二人揃って見上げれば、『最果てにて輝ける槍』を打ち破ったあの光球が、再びオリュンポスの空に誕生した所だった。

 

 

「ッ冗談じゃねえ、ヤロウの魔力は底なしかよ!? あんなの受けたら、オレ達丸ごと――」

 

 

 正式でない展開とはいえ、聖槍の全力を打ち破った光を目にし、モードレッドは戦慄する。

 だから彼女は、次に起きた出来事に対して、まるで理解ができなかった。

 

 

 

 

「ッ――モードレッド!!」

 

 

 突然、名前を呼ばれる。

 瞬間、嵐の王に突き飛ばされた。

 同時に、つんざくような雷鳴が響く。

 何が起きたか分からない。混乱したまま、クラレントをもう一度尾翼に突き刺して踏みとどまる。

 眩い閃光に、目がちかっと眩む。

 白黒とする視界、思考。

 そこに割り込む――肉の焦げる匂い。

 

 

 突き刺したクラレントを握りしめ、何をするんだと怒ろうとして。

 ようやくモードレッドは、それを目にする。

 

 

 

 

 嵐の王の、あちこち砕けた黒い鎧。

 珠のような艶やかな肌に付いた、無数の切り傷、火傷。

 その腹に、風穴が開いていた。

 さっきまで無かった傷は、断面を焼き焦がし、プスプスと煙を上げている。

 ひと目見て分かるほどの、致命傷だった。

 

 

 

 

 

「――」

 

 

 時が、止まる。

 思考が、凍り付く。

 瞳が収縮し、何を見ているかの理解を拒む。

 

 

「……」

 

 

 自分を突き飛ばした格好のまま、嵐の王はモードレッドを見つめていた。

 彼女はモードレッドの震える瞳孔を見つめ……ふっ、と微笑んだ。

 とても穏やかな顔で。

 傷一つないモードレッドを見て、無事で良かったと安堵するように。

 

 

 

 言葉は出なかった。

 ごぷり、と水っぽい音を立て、口から血が迸る。

 

 

「――ち」

 

 

 穏やかに細められた目が、閉じる。

 ずるりと、身体から力が抜ける。

 嵐の王は、そのまま機体から引き剥がされ、あっという間にモードレッドの目の前から、雷の弾ける宙へと消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――父上えええええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 金縛りから解けたモードレッドが放った悲痛な絶叫は、もう届かない。

 恐慌する心も、絶叫も、何もかもを塗り潰そうというように、全能神の放った真白の光が、《エンタープライズ》に降り注いだ。

 

 

 

 

 

 






本編を読んでいてもたってもいられず、自粛期間で死んでる創作の火を絶やさないために始めた前日譚。

毎週更新目指して頑張っていきますので、応援よろしくお願いします!




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5話

 

 

 

 ――軌道大神殿オリュンピア=ドドーナ。

 ――同、外縁部空中庭園。

 

 

 

 ちち、と小鳥の囀りがする。

 透き通るような青空には、昼間でも視認できるほど眩い星が幾つも輝いていた。昼も夜もない、美しさの全てを集めたような青空を、番いの小鳥が追いかけっこでもするように飛んでいく。

 庭園は、見渡す限りの美しい草木で溢れていた。芝生は春先のような若々しい緑を萌えさせ、季節の区別なく様々な花が咲き誇っている。神の御前たる神殿において、花々は長い冬を堪え忍ぶ必要などなく、己の最も美しい姿を誇らしげに保っている。

 しばらく居れば――いや、ほんのひと目見ただけで、そこが聳え立つ巨大な魔力水晶の山を背にした、機械仕掛けの大神殿の中だと言うことを忘れてしまうだろう。

 時折小鳥が囀り、温かい風が草花をそよがせる以外に、そこに音はない。魔術的な結界が張られているのか、機械仕掛けの神殿が稼働する音も、注視しなければ感じられないほどだ。吸い込む空気は、混じり気のない神性な魔力が満ち、一つ呼吸をするたびに、霊峰のこんこんと湧き出る泉の水を飲んだような、身も心も洗われるような心地がする。

 

 

 

 キリシュタリア・ヴォーダイムは、オリュンポスの自然的な美の全てが集ったような庭園のベンチで、穏やかな時を過ごしていた。長くたおやかな金髪が、風にそよいで揺れている。

 彼が座ったベンチの傍らには小さなバスケットが置かれ、色鮮やかな野菜を使ったサンドイッチが詰められていた。作った本人の気質が分かる、几帳面な作りのそれを一つ抓んで、キリシュタリアは穏やかなランチを楽しんでいた。

 オリュンポスの神々が住まう大神殿。世界の中心たる底は、庭園一つとっても途方も無い大きさだ。キリシュタリアの視線の先で、緑の平野はなだらかに隆起して、数キロ先まで広がっている。

 大神殿並みに高い建物はこの世界には存在せず、緑の平野の先は、真っ青な空が広がっている。

 小鳥が囀り遊びながら飛ぶ、美しい空だ。

 その空がつい先程まで、真っ暗な雷雲に覆われ神の雷で煌々と輝いていたとは、一部始終を目撃していたキリシュタリアでさえ信じがたかった。

 

 

 

「――キリシュタリア様。空想樹を司るクリプターにして、我等が父ゼウスの只一人の盟友、キリシュタリア・ヴォーダイム様」

 

 

 

 格式高く、それでいて嫌悪感を一切感じさせない、慈愛に満ちた声。

 振り返ったキリシュタリアは、草花の中に佇む絹のように艶やかな金髪の麗人を見て、緩く口元を綻ばせた。

 

 

 

「エウロペ。どうかしたかな」

「ゼウス様からの言伝です。談議を取りたい故、この後離宮に訪れるようにと」

「おや」

 

 

 

 女神エウロペの言伝に、キリシュタリアは目を丸くし、つい今し方囓ったばかりのサンドイッチを見る。

 

 

 

「それは……困った。予想よりも早いな。あれだけの大仕事の後、一息つく事もなくとは」

「いちおう進言いたしますと、ゼウス様のご威光が振るわれてから、半刻は経過しておりますよ」

「本当かい? それなら、私が時間を忘れるほどにぼうっとしてしまったかな。ここの自然はとにかく美しいから」

 

 

 

 キリシュタリアが言い、エウロペがくすくすと笑う。

 キリシュタリアは、エウロペの顔と食べかけのサンドイッチを交互に見つめていたが、結局は空腹には勝てなかったらしい。エウロペに視線で謝りながら、サンドイッチの残りを一口で頬張る。

 

 

 

「よろしければ、ゼウス様にお待ち頂きましょうか?」

「ふぃあ……ごくん。その必要はない。オリュンポスの最高神の命よりも自分の空腹を優先させたと知られれば、余りにもバツが悪い。きっと神罰も下るかな」

「ご心配なさらずとも、ゼウス様は寛大であられます。仮にも盟友と定めた御方に、神罰など下す筈がありません」

「分かっているよ。私なりの照れ隠しさ」

 

 

 

 急いでもう一つ頬張ったキリシュタリアは、ベンチから腰を上げ、エウロペにバスケットを手渡した。丁寧に作られたサンドイッチは、まだ半分残っている。

 

 

 

「ありがとうエウロペ。君に教えてもらったパンで作ると、おいしさが二回りは上がったよ……よかったら、今回のもぜひ食べてみて、アドバイスを頂けないだろうか」

「キリシュタリア様の頼みとあらば喜んで。ですが、お食事であれば、お声をかけくださればお作りしますのに」

「もちろんそちらも堪能させて貰うよ。これは、そう、私のささやかな背伸びさ」

 

 

 

 エウロペがはてと首を傾げる。

 キリシュタリアは高潔な雰囲気を纏ったまま、ほんの少し、照れくさそうにはにかんで、背後に広がる庭園を指し示した。

 

 

 

「こんなに大きく素晴らしい庭で、ピクニックでもできたら最高だろう? その一品としてどうかと思ってね」

「……まぁ」

「ぺぺとデイビットは喜んでくれるだろう。カドックは嫌そうに顔をしかめるかもな。それでもちゃんと食べてくれるだろう」

 

 

 

 エウロペが驚きに開いた目に、みるみる嬉しそうな輝きを溢れさせる。

 若草の萌える、色とりどりの花が咲き乱れる庭園。

 その広大さに不釣り合いに小さいシートを広げて、みんなで輪を囲んで、サンドイッチを摘まみながら談笑する。想像するだけでそれは、比類ない程に幸せそうな光景だった。

 

 

 

「――まあ、有り得るかどうかも分からない、未来の話だがね」

「私は、貴方にそのような眩い未来が訪れる事を切に願います」

「ありがとう……そろそろ行くよ。今はとにかく、目の前の事に集中しなければ」

 

 

 

 手を振るエウロペに緩く手を振り替えして別れを告げ、キリシュタリアは庭園を背に、大神殿に戻る。

 広い回廊を抜け、魔力水晶の斜面に沿う路を通り、大神殿を見下ろす位置に建てられた離宮に移動する。

 

 

 

 離宮の最奥、バルコニーのように開かれた、空想樹を眺められる祭壇で、彼はキリシュタリアを待っていた。

 三メートルを越える隆とした肉体は、陶磁のような白い肌をしている。豊かに蓄えた髭と髪は、獅子のように雄々しく気高い。

 オリュンポス十二神の長、万能の神。

 大神ゼウスは、離宮に現れた盟友の姿を認めると、挨拶の代わりに手にした杖をカツンと鳴らす。

 

 

 

「我が盟友、キリシュタリア・ヴォーダイムよ。急に呼びつけた事を詫びよう。苦労を掛けたな」

「それはこちらの台詞だ――ご苦労様だ、ゼウス。先の戦い、一部始終を見させて貰ったよ」

 

 

 

 つい一時間ほど前、オリュンポス全土を覆った雷を、キリシュタリアは友として賞賛する。

 

 

 

「一度戦いはしたが、観客として君の力を見たのは初めてだ。大神の称に恥じない、すさまじいものだった」

「煽てるのはよせ、盟友よ。お前にどう褒められようと、結果は変わらず、我が威光を陰らせるのだから」

「おや……それでは」

 

 

 

 眉を潜めるキリシュタリアに、ゼウスは頷く。

 

 

 

「うむ。アトランティスを下りて此処に至った汎人類史――奴等はまだ生きている」

「それは……さすがは世界の守り手だ、という事かな。君の力の一端に過ぎないとはいえ、神の攻撃を耐え凌ぐとは。まあ、そうでなければ面白みがない」

 

 

 

 アトランティスの兵からの情報で、汎人類史の動向は、キリシュタリアもおおよそ把握している。

 オリュンポスに下ったのは、戦力でいえば六割近く。後から来るカルデアを除けば、本陣と言って間違いないだろう。流石に、敵地を踏む事もなく犬死にとはいかないようだった。

 それも当然。これから始まるのは、世界と世界を懸けた戦いだ。

 汎人類史にも、後からやって来るカルデアにも、雷の雨くらい、退けて貰わなければ困る。そう思うからこそ、キリシュタリアは満足げに頷いた。

 

 

 

「ところで、どのようにして生還を? 彼等の船は、粉々に吹き飛んだように見えたが」

「連中の中に、優れた術師がいたらしい。船の落ちる数瞬前に、防御と認識遮断の術を施していた」

 

 

 

 そうして、大神は溜息を吐く。

 まるで口にすることが自分の名誉を傷つけるというように――ゼウスは顔をしかめて、盟友に伝える。

 

 

 

「消滅した霊基は、一つ。他の十一は、このオリュンポスの地に踏み入っている」

「大神の雷を、僅か一騎の脱落でいなすとは。元々の地球を覆っていた汎人類史の英雄は、技量にも運にも優れているな」

 

 

 

 キリシュタリアは深く頷き、微笑む。

 

 

 

「楽しみだよ、カルデア――君達が何を思い、何を背負って、私の前に現れるのかね」

 

 

 

 そう言うキリシュタリアは、神に負けないほど悠然と構えながら、何ヶ月も前から計画していたイベントを心待ちにするような、ワクワクとした高揚感を感じさせた。

 未だ嵐の壁の向こうにいる好敵手を想うキリシュタリアを、ゼウスは「して」と声をかけて意識を向けさせる。

 

 

 

「此の地に降り立った汎人類史の処遇は、どうする? お前が出るか、キリシュタリア・ヴォーダイム」

「……いや、それは貴方に任せよう」

 

 

 

 僅かな思考時間で、キリシュタリアは首を横に振った。

 

 

 

「私の敵は、あくまでカルデアのマスターだ。汎人類史のサーヴァントは、彼等の時代を蝕もうとする、この時代に反抗するために喚ばれた存在だ。ならば今オリュンポスの地を踏んでいる者達は、私の敵ではなく、この世界の敵として扱うべきだろう。外敵として、貴方達が処理するべきと考える」

「……ふむ。お前がそう言うのであれば、了解した」

 

 

 

 ゼウスは静かに頷いた。決断を示すように、手にした杖をガツンと床に打ち付ける。

 

 

 

「ならば我が盟友に、改めて我々の力を誇示しよう。オリュンポスの力で汎人類史を粉砕し、お前の産まれた世界への望郷を断ち切って見せよう」

「はは、望郷など、元よりありはしないよ。私はゆったりと寛いで、我が友が誇る世界の戦いぶりを、しかと目に焼き付けるとしよう」

 

 

 

 神と人。有り得ざる盟友は、そう言葉を交わして頷き合う。

 神々の支配するこの土地に、ようやく敵が現れた。

 時代に残る正史の座を懸けた、世界の命運を決める戦いは、こうして火蓋が切られたのだった。

 

 

 

 



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6話

 

 柔らかな草の感触と、土の匂いがした。

 涼しいそよ風が頬を撫で、閉じた瞼越しに、高く空に昇った太陽を感じる。

 心が落ち着く、自然の気配。

 フランケンシュタインにとってそれは、こことは別の世界、かつて顕界した際の、懐かしい記憶を思い出させるものだった。

 

 

「――」

 

 

 目元を隠す長い赤髪。その隙間から陽光が差し込み、フランケンシュタインの瞼にちかちかと当たる。

 重く沈み、朦朧とした意識。そこに、夢とも現実ともつかない眩しい光景が重なる。

 大聖杯。七対七の戦争。黒の陣営。うだつの上がらないマスター。そして、城。

 あの城にも、柔らかな緑があった。眩しいくらいに白い、綺麗な花が咲いていた。

 あの時自分は、いくつもの大切な出会いを経験し、美しい景色を見たのだった。

 その眩しい景色が脳裏に浮かび、意識がゆるやかに覚醒し、フランケンシュタインはゆっくりと瞼を持ち上げ――

 

 

 

 

 鼻の当たるほどの至近距離に迫るナイチンゲールの顔に、心臓が爆発するほど驚いた。

 

 

「ウアアああっ!?」

「静まりなさい。診察中です」

 

 

 跳ね起きようとした顔を、白い手袋を付けたナイチンゲールの両手がむんずとわし掴む。真剣そのものの、鉛のように重たい赤い目が、ぐっとフランケンシュタインの顔に寄る。

 

 

「今、貴方に死の危険が無いかを見極める事が、私の看護師としての責務です。検診の妨害は、万死に値します」

「う、ウウ……!?」

「これから触診を行います。処置を誤ると頭蓋を握りつぶす危険がありますので、くれぐれも暴れないように」

 

 

 てきぱきとした早口で並べ立てたナイチンゲールは、フランケンシュタインの頭を膝に乗せ、首筋に指を当てて脈を測り、長い髪をかき分けて、まん丸に見開いて白黒としている綺麗な目をじぃっと見つめる。

 

 

「脈拍、瞳孔収縮共に異常なし。打撲が数カ所――続いて脳しんとうの有無を看ます。名前を」

「う……ウァ」

「あなたの、名前です。次いで所属部隊と己の階級を」

 

 

 鉄のような重みを抱く赤目が、ずいっとフランケンシュタインに寄る。ナイチンゲールの膝を枕にし、両手で顔を押さえられているフランケンシュタインの気分は、さながらまな板の上の魚だった。自分も同じくバーサーカーであることさえ忘れ、子猫のように身を縮めてしまう。

 

 

「う、ウゥ……!」

「言えませんか? 意識の混濁、PTSDの症状もあるでしょうか……仕方ありません。あなたの為です、今すぐここで緊急手術を――」

「ヘイヘイヘイヘイ! 待った待った女医さんよ! バーサーカーに意味のある言葉を喋れってのは、屏風の中の虎ぐらい無理難題だぜ!?」

 

 

 慌てて声を張りあげたのは、坂田金時だ。彼は傍目で分かるほどの冷や汗を流し、ナイチンゲールの肩におそるおそる手を置く。

 

 

「フランケンシュタインは、見たところ大丈夫だって。ここは俺っちに任せて、アンタは……」

「何を馬鹿な! 素人の安易な診察こそが地獄を産むのです! 例え命を奪うことになろうとも、決して誤診だけは――」

「あーーーーそうだ、あっちの燕青が譫言を呟いてたんだ! 真っ青な顔して、何言ってるかサッパリでさ! 俺っちはもう何したらいいかも分からねえ!」

「急患? ――ああ、ああ、なんてこと。私が急患を見逃すなんて! より多くの命を救うには、優先順位こそ大事だというのに!」

 

 

 血相を変えたナイチンゲールは、先ほどの執着が嘘のようにフランケンシュタインの頭を離すと、弾丸のようにどこかへ走っていった。

 ようやく見えた真っ青な青空に、ひょっこりと金のトサカが覗き、金時が顔を覗き込んでくる。

 

 

「まったく、故郷のヒュージベアーの方がまだ分別あるぜ……今更だがウチの一行、バーサーカーが多すぎねえか?」

「ウウ……ウアァァっ」

「あー、よしよし怖かったな。よく耐えたよ、マジで」

 

 

 目覚めてそうそうに襲いかかった恐怖から解放され、思わず金時に抱きつく。金時は突然の急接近に顔を赤くしながらも、フランの背中をぽんぽんと優しく叩いて慰めてくれた。

 

 

「あんな目に遭ったんだ。どこか痛かったり、異常があったらすぐ言えよ? ……というか、覚えてるか?」

 

 

 金時に問われてようやく、フランケンシュタインも現在の状況を思い出す。

 神を打ち倒すべく、深海を突破し、空を飛び――大神ゼウスの声が響き、雷が空を埋め尽くした。

 途方も無い威力の光が降り注ぎ、視界が真っ白に染まって――そこから先は、全く思い出せない。

 

 

「ホラ、向こうに空想樹と、デッカイ建物が見えるだろ? ここは敵陣の外れの方らしい……波瀾万丈あったが、何とか辿り着けたって事さ」

 

 

 安心させるように金時が言う。彼の胸から顔を離して、フランは改めて、自分のいる場所を見回す。

 見渡す限りの、草木の萌える草原だった。空の全てを覆っていた雷雲は嘘のように消え去り、青い空には眩しい太陽が輝いている。丘を幾つも超えた向こうに、機械仕掛けの巨大な都市と、その後ろの聳え立つ魔力水晶の山脈が屹立している。遠く数百キロ離れた場所からでもハッキリと見えたそれは、近くで見るといっそう巨大で、遠近感を失わせる。

 少し離れた場所に、燕青が倒れ込んでいた。長い睫毛を閉じて、整った寝顔を真っ青な青空に向けている。

 陽気に包まれ、呑気に夢を見ているのかもしれない。そんな風に思うほど幸せそうに寝息を立てる彼の脇に、ナイチンゲールが足早に駆け寄り、振り上げた手を、彼の土手っ腹に勢いよく振り下ろした。

 

 

「緊急治療!」

「がっぱぁぁぁぁ!? ――な、何だ、刺客か? 鬼か? ――ひぃ、看護婦だ!?」

「気付けです。よきお目覚めですね?」

「ふざけんな、内臓がめごって言ったぞ! めごっ、て! 気付けじゃねえよトドメだわ、攻夫極めてなきゃ二度と目覚めねえ所だわ!」

「過剰な激昂、開いた瞳孔、典型的な戦闘ストレス反応のようです。引き続き問診に移ります」

「単にガチギレしてるだけですけど!? ――おい待て、問診だろ? 指を鳴らしながら近寄るな!」

 

 

 治療の意志を固めた看護婦は、患者の命を守るため、処置が完了するまでは決して止まらない。その光景を目の当たりにし、金時がさぁっと顔を青くする。

 金時の服の裾を引っ張って、フランケンシュタインが問いかけた。

 

 

「ウゥ、アウ?」

「うん? ……ああ、目覚めた時に見つかったのは、お前さんと燕青、ナイチンゲールに、後は……」

 

 

 そこで金時は顔を上げ、ある一点を凝視する。

 その視線の先を見たフランケンシュタインも、同様に押し黙る。

 視界の先は、柔らかな緑に萌える草原だった。地面は緩やかに隆起し、小高い丘が幾つも続いている。

 その丘の一つの頂点に、モードレッドが立っていた。穏やかな風に、後ろに結った金髪がはためいている。

 白銀の鎧を纏い、腕には宝剣クラレントが握られている。

 ここからは大分距離があって、周囲を警戒する、彼女の表情までは伺え知れない。

 けれど――佇む彼女の周囲だけ、空気の温度がぐっと下がっているように感じられた。

 

 

「……」

 

 

 フランケンシュタインが見つめている間に、モードレッドは周囲の警戒を終えたらしい。遠い丘の上で、一度小さく首を振り、こちらに戻ってくる。

 モードレッドの目を細めた険しい表情は、しかし起き上がったフランケンシュタインを認めると、ほっと安堵に頬を緩ませて笑った。

 

 

「フラン。よかった、目が覚めたんだな」

「ゥ……?」

 

 

 思わず、声が漏れる。

 モードレッドは、屈託の無い笑顔をしていた。勝ち気で、気さくで、若々しい活力に満ちた、いつもの笑顔。それを今向けられる事に、フランケンシュタインは戸惑う。

 

 

「どうした? 幽霊でも見たような顔してよ」

「……」

「……なんだよ、本当に大丈夫か? オイ金時、フランの様子がヘンだぞ、頭でも打ったんじゃねえのか」

「さっき起きたばっかりだから、混乱してるのさ。すぐに治るだろうよ」

 

 

 金時は、何食わぬ様子でモードレッドに応じている。

 視線で問うと、彼はモードレッドに気付かれないくらいに小さく、静かに首を横に振った。

 モードレッドは、金時の言葉に「そういうもんか」と納得すると、未だぽかんとしたフランケンシュタインの髪を、わしわしと乱暴に撫でて、笑った。

 

 

「無事でよかったよ。ほっとした」

「……ウ」

 

 

 ようようフランが応えると、モードレッドは満足げに頷き、傍らで揉み合っている燕青とナイチンゲールの方に向かう。

 フランケンシュタインは、もう一度金時を見る。彼はただ、サングラスの奥の目を寂しげに伏せ、力なく肩を竦めるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――じゃあ、状況を整理するぞ」

 

 

 木立のある森の中に移動し、燕青はそう言って、円陣を作った一同を見渡した。メンバーは燕青、ナイチンゲール、金時、モードレッド、フランケンシュタインの五名だ。

 

 

「皆気絶しちまったから詳細は分からねえが、多分こういうことだろう――空から降り注いだ一撃で、『エンタープライズ』は崩壊。だが、バラバラに砕けながらも、奴さんの陣地には何とか辿り着けたようだ」

 

 

 そう言って燕青は、傍らに落ちていた棒きれを拾うと、両側から力を込めて、パキンとへし折る。

 

 

「『エンタープライズ』は、こんな感じで、真っ二つになったんだろうさ。後ろの動力室に近い場所にいた俺達が、まとめてこっち――オリュンポスの東側に落ちてきたって訳だ」

 

 

 燕青の説明に頷き、金時が話を引き継ぐ。

 

 

「真っ二つにされて、きっとお互いに、相当遠くまで飛ばされたな。付近をくまなく散策したが、俺っち達以外の仲間も、『エンタープライズ』前方の残骸も見つけられなかった――ついでに、敵が俺っち達を探すような痕跡も無かった。妙な話だがな」

「ああ、敵が来ない理由なら簡単だ。俺達に、強い隠密魔術がかけられている。一兵卒なら、俺達を『意識する』って行為も難しい筈だ」

「……ウゥ?」

「お前さん格闘家だろ、燕青? そんなことが分かるのか?」

「変幻自在だからな、身体の変化にゃ敏感なのよ」

 

 

 燕青は笑い、花の意匠をあしらった胸に拳を当てて得意がる。

 

 

「こんな事ができるのは、メディア以外にいないだろう。大爆発からの墜落で、皆無傷で住んでいるのも、きっと彼女の魔術のお陰だ――いやぁ凄いねぇ、神代の魔術ってのは大したモンだ」

「いえ、いいえ! 皆さん油断は禁物です! 外傷は治癒できても、細菌が入っていては、破傷風その他あらゆる感染症の危険があります。自覚症状が無いため拘束はしませんが、あまり民間療法を過信しすぎないように!」

「……オイ、この看護婦、すっげえナチュラルに『拘束』って言葉を使ったぞ。それに魔術を民間療法呼ばわりだ」

「ウ……」

 

 

 思わず困惑する一行をまったく無視して、ナイチンゲールは悔しげに歯噛みして、清潔と初期治療がいかに大切かということをボソボソと呪詛のように溢し始める。

 冷や汗一つ、燕青がぽむと手を打って、周囲の気を締め直させる。

 

 

「で、だ。大事なのはこれから先の進退だ。戦力は半分以下。残りのメンバーの安否も分からない。俺としては、しばらくここで仲間を探すのが――」

「なにフ抜けたこと言ってんだよ、燕青」

 

 

 今まで押し黙っていたモードレッドが、有無を言わせない口調で叱咤した。

 全員の視線(ナイチンゲール除く)が、モードレッドに集まる。彼女は固く引き締めた顔で、自分の背後――木々の隙間から覗く、機械仕掛けの巨大な建造物を指し示す。

 

 

「ここにいる奴等で、敵陣地に侵入する。それ以外にねえよ」

「……オイオイ、待て、待ってくれよモードレッド」

 

 

 横槍を差し込んだのは金時だ。彼は冷や汗一つ、恐る恐るモードレッドを制する。

 

 

「あの時の雷は覚えてんだろ? とんでもねえ力を持つ奴が控えてんだ。どう勝つかも見えてねえ、勝てるにせよ周到に準備が必要だろうさ。そんな敵の本陣に突っ込むってのは、無謀が過ぎねえか?」

「ハッ、所詮はお山の大将かよ金時。テメエまで及び腰になりやがって」

 

 

 噛み付かんばかりの反論に、金時は口ごもる。モードレッドは視線を剣のように鋭く光らせ、言う。

 

 

「考えなしに言ってる訳じゃねえ。オレ達に時間はねえ――少なくとも、散らばった仲間を探して、このだだっ広い森を歩き回るような無駄な時間はな。もう一度、あの雷を喰らえばおしまいなんだ」

「……」

「なら、当て所なく彷徨うよりも、たった一つのデカイ目的を目指すべきだ。テスラ達だって同じ事をするだろう。神を打ち倒すべく動いていれば、自然と互いに行き当たるさ」

 

 

 迷いなく、理路整然と。

 モードレッドのそれは、真に最適解だった。最も勇気が必要で、だからこそ彼等が一番取るべき手だった。

 燕青は、一度大きく頷くと、胸の前で、ばしんと拳を打ち鳴らした。

 

 

「そうだな。うん、間違いない。隠密役のオレ様がいるんだ。後から追いつく奴らの為にも、情報と勝ち筋を探ってやらねえと――みんなも、それでいいか?」

「……ああ、確かにソイツは、今のオレ達ができる最高のクールだぜ」

「ウウ!」

 

 

 燕青の質問に、金時が応じ、フランケンシュタインが力強く頷く。

 

 

「メディアの隠蔽魔術もある。善は急げだ、さっそく行こう」

 

 

 モードレッドは立ち上がる。

 クラレントを担ぎ、がしゃんと鎧を鳴らして、一同を見回す。

 

 

 

 

「――大丈夫だ。全員生きているよ。絶対に」

 

 

 

 

 その、自信に満ちあふれた声音は。

 まるで、自分に言い聞かせているようにも感じられて。

 

 

「……」

 

 

 他の仲間達が立ち上がって、後を追う中、フランケンシュタインはの場に座り込んだまま、モードレッドの背中を見つめる。

 先頭を歩く彼女の後ろ姿は――どうしてか、とても小さく見えて。

 二度とこちらに振り向いてくれないのではという不気味な想像が、どうしてか脳裏にちらつく。

 言葉にできない不安に駆られるフランケンシュタイン。

 その肩に、ナイチンゲールの手が乗せられた。

 

 

「あの騎士の、ご友人とお見受けします」

「ウ? ……ウウ」

「どうか、傍を離れないように。彼女を一人にしてはいけません」

 

 

 普段の彼女とは違う、険しい声音。

 振り返れば、ナイチンゲールは、苦虫を噛み潰したような渋面で、モードレッドの背中を見つめていた。

 

 

「本来は拘束し、戦場から距離を置くべきです。ですが今は敵陣の只中、それができる状態にはない」

「……」

「ならばせめて、誰かが傍に――戦場を求める兵士は、救いの手から転げ落ちてしまいます」

「……」

「医療はつまり、対処法です――心までは治せません」

 

 

 悔しさを噛み締めるように、ナイチンゲールが言う。

 フランケンシュタインは、もう一度モードレッドを見る。彼女は迷い無い足取りで、木立から抜けようとしていた。

 差し込む陽光を受けて、彼女が肩に乗せたクラレントが、ぞっとするほど鈍い輝きを反射して、フランケンシュタインの目をちかっと瞬かせた。

 

 

 



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7話

 

 燕青の言った通り、メディアは彼等に高度な認識阻害の術式をかけたらしかった。辺りを見回しても、耳を澄ませても、そこには穏やかな平原が広がるばかりで、敵の姿は全く見当たらなかった。空は相変わらず塗り潰されたように真っ青で、彼等を襲った雷雲が再び現れる気配もない。

 

 

「案外、全滅させたと勘違いして、呑気に昼寝でもしてたりしてな」

「そいつは結構なことだな。神様の寝首をかけると来れば、オレのクラレントも大喜びだろうさ」

「あるいは、忘れ去られちまう位に軽く見られてるのかもな……メディアの魔術がどれだけ持つかも分からねえ、こうなりゃ堂々と急ごうぜ」

 

 

 目的地たる機械仕掛けの建造物は、視界を埋め尽くすほどの大きさにも関わらず、空気の青に霞んで見えるほどに遠くにあった。安全を確認した一行は、サーヴァントの身体能力に物を言わせ、平原をひた走る。

 近づくにつれ、建造物はみるみる大きく、存在感を増していく。見上げれば首を痛めるほどになり、見上げることも叶わなくなり、何度も遠近感を狂わされながら走り続けること、数時間。

 磨かれたように綺麗な石畳を踏んだ一行は、眼前に広がる光景に、身を隠す事さえ忘れて立ち竦んだ。

 

 

「……すっげぇ」

 

 

 思わずというように燕青が漏らし、全員が頷く。

 それは、彼等の『都市』という認識を軽々と凌駕するほどの、美しく荘厳とした街並みであった。

 見上げる程に高い摩天楼が幾つも屹立し、陽光を受けて煌めいている。それでいて石畳の通路は広く開放感に溢れている。

 何より特徴的なのが、ビル群に並ぶほど巨大な、無数の彫刻達だった。

 精悍な男性から、流麗な女性、快活に遊ぶ子供達。あるいは、傍目では何を象徴しているかまるで理解できない前衛芸術まで。街のあちこちに屹立する芸術達は、いずれも目を疑う程に精緻で、溜息の出るほどに美しかった。

 

 

「ウゥ、ウアア」

「アトランティスの村も相当に恵まれていたが、こりゃ桁違いだ。ひと目見ても相当に進歩した文明だ」

「どの彫像も、大したクールじゃねえか。けばけばしくてシュミじゃあねえけどな」

 

 

 事前にインプットされた汎人類史の知識には、これほど豪奢で、それでいて均整の取れた街並みの情報はない。芸を凝らした巨大な彫像の数々は、この文明がそれだけの芸術に関する素養と経済的な豊かさを保持している何よりの証拠だった。

 広々とした通路には、少なくない人が屯していた。一行は高層ビルの影に隠れて、人々の動きを観察する。

 オリュンポスの東部都市は、都市全体が一つの巨大な美術館として誂えられているようだった。人々は彫像を鑑賞したり、ベンチに座って哲学についてを語らい、音楽や詩を披露し人を集めたりしている。誰もがリラックスし、思い思いに時を過ごしているように見えた。

 誰も彼もが、穏やかな笑みを浮かべている。苦しみなど知らないとでも言うような様子に、モードレッドがつまらなそうに舌打ちを一つ。

 

 

「安穏とした面してやがる。暇つぶしに一生懸命とは、大層なご身分だな」

「神から爪弾きにされたアトランティスでさえ、生きるのに不自由のない環境だったんだ。まして神の膝元だろ? 『不安が一つもない』って言っても嘘じゃねえだろうさ」

「ええ。通路にはゴミの一つ、ネズミの一匹もない。人々の服装も清潔そのもの。素晴らしい衛生環境です」

 

 

 金時の言葉に、ナイチンゲールが被せるようにそう続ける。これから敵対しなければいけないにも関わらず、彼女は清潔が維持された街並みに心から感心しているらしかった。

 嬉しそうにうんうん頷いているナイチンゲールに辟易しながら、金時が言う。

 

 

「何はともあれ、情報を集めるのが肝心だ。燕青、準備は――どわっ!?」

「御機嫌よう諸君! 今朝のお祈りは済ませたかい?」

 

 

 振り返った先に居たのは、まさに自分たちが物陰から観察していたオリュンポス人だった。思わず仰け反ってサングラスをずり落とした金時を見て、腹を抑えてケラケラ笑っている。

 

 

「お、おぉ……マジでビビったぜ。流石の変装だな、燕青」

「だろぉ? 潜入なら任せときな。ドッペルゲンガーの濃緑と持ち前の交渉術で、ちょちょいと情報を仕入れてくるよ」

「頼んだぜ。だがボロは出すなよ。その人を喰ったような笑みも禁止だ。神の揺り籠で安穏と生きてるアイツ等にゃ悪魔同然だろうよ」

「へいへ~い。それじゃ、霊体化してついてきてくれ。皆で一緒に、世界史のお勉強と洒落込もう」

「ウ、ウウ!」

 

 

 一行は霊体化して姿を消し、一人残ったオリュンポス人姿の燕青が、足取り軽やかに市街地へ繰り出す。

 

 

 

 

「――ごきげんよう兄弟。今日も神の加護があらんことを!」

「ごきげんよう。ゼウス神の変わらぬ祝福に心よりの感謝を……おや、見ない顔だね?」

「西の方から観光さ。神々の恩寵は平等なれど、たまには刺激が欲しくなってね。ちょいと足を伸ばして、羽休めにきたんだ」

「それはいい心がけだ。この東部街はアフロディテ神が強く祝福を授けてくださっているからね。美しさ、荘厳さにかけては随一だとも」

「ああ、まさしく。この街の威光は掛け値無しに素晴らしい、魅了されっぱなしだ! 良かったら、土地勘のない俺に色々教えてくれないか。名所とか、アンタの好きな場所とかさ」

 

 

 変幻自在を名乗るだけあって、燕青の情報収集は素晴らしい手際だった。まるで隙間に染み込む水のよう。人の心にするりと入り込み、疑われない程度に無知を晒して、この街の事、人々の生活についてを聞き出していく。

 

 

 

 

「――神のおわします場所? ああ、もちろんだとも。我等の頭上に翳されし崇高なる機構、神器環状体クロノス=クラウン。その中心に築かれし軌道大神殿オリュンピア=ドドーナ! 神々はあの荘厳な神殿に座し、いつも我々を見守っていてくださる。ああ、我等がゼウス神の栄光よ、永遠なれ!」

 

 

 敵の居住については、あまりにも呆気なく判明した。押せてくれた男が指をさしたのは、彼等の頭上。遙か天空を浮遊する、巨大な建造物だった。

 十数分もすれば、この街、世界についての多くの事が明らかになった。霊体化したまま、金時が念話を飛ばす。

 

 

(当然と言えば当然だが、やっぱりゼウス以外にも神がいるか……さっきの奴の『神は常に見守っておられる』って言葉は、比喩じゃなく本当に監視されてるって事かね?)

(さあな。それよりも、コイツ等何歳だよ? 数十年前の事を、昨日の晩飯みたいなノリで話してやがったぞ)

(病院が無い……いいえ、そもそも病院という単語すら産まれていない? ここの人達は病にかからないの? 病は根絶されているというの? ……まさか)

 

 

 霊体化していても表情が分かるほどに、ナイチンゲールが息を飲む。彼女以外の全員も、程度こそ違えど、オリュンポスという世界の構造に対して並々ならぬ驚きを抱いていた。

 笑みを浮かべ悠々と日々を送る彼等の姿は『幸福』そのものだ。アトランティス人は数百年を生きる長命であったが、オリュンポス人は明らかに桁が一つ違う。

 貧困も、死への恐怖も、形容しがたい未来への不安さえもない。汎人類史の永遠の課題とも言えるそれらから、この世界は完璧な脱却を果たしているようだった。

 漂う雰囲気は安穏とし、流れる時間は遅く感じる。吸い込む空気さえもが幸福の気配を纏っている。その只中に居ては、それらが自分たちが唾棄すべき敵であることさえ忘れてしまいそうだった。

 

 

(チッ……空気に退屈が染み付いてやがる。何だか無性にムカついてくるぜ)

 

 

 霊体化した状態で、モードレッドが苛立ちと嫌悪感を露わに唸る。

 

 

(燕青。物見遊山はそのへんにして、神を突き崩す弱点でも探そうぜ。分神殿って所が怪しそうだ。いっちょカチコミをかけるってのはどうだよ)

(血の気が多いぞモードレッド。せっかく住人全員が呑気に生きてるんだから、思う存分利用させてもらうとしよう。口は軽いし騙しやすいし、操り人形も同然さ。まずは特に人の良さそうな奴を引っかけてだな――)

 

 

 オリュンポス人としての振る舞いが板に染みついてきた燕青が、誰にも見られないように舌なめずりをする。

 安穏とした空気が突如として色を変えたのは、まさにその瞬間だった。

 

 

 ふっ――と、空気が静まり返る。

 流れる時間が止まったような。世界の全てが息を飲むかのような、一瞬の硬直。

 誰もが無意識に見上げた真っ青な空に、美しい音が響き渡った。

 

 

「――これは、鐘の音か?」

 

 

 燕青がぽつりと溢す。

 その鐘の音は、オリュンポスという世界にとってはよほど重要なものらしかった。周囲の人々が、嬉しそうに色めき立つ。

 

 

「信託だ! ゼウス様が御言葉をくださるぞ!」

「まあ、何てこと。公然に向けての信託なんて、いったい何百年ぶりかしら!」

 

 

 世紀の瞬間に立ち会っていると言わんばかりに、誰もが笑みを浮かべて空を見上げ、人によっては跪いて祈りまで捧げる。

 荘厳な鐘の音は、青空の遙か向こうまで響いて溶け消える。

 

 

「――我が愛しきオリュンポス市民よ」

 

 

 静まり返った街に、凜とした女性の声がした。

 

 

「軌道大神殿オリュンピア=ドドーナより告げる――神姫エウロペが告げる」

「……」

「――神託である――神託である」

 

 

 心地よささえ感じるほど美しく、耳を塞いでも聞こえるように感じる不可解な、超常の声。

 比喩でない真の神の声に、誰もが息を飲み、一語たりとも聞き逃すまいと耳を傍立てている。

 異様な興奮と熱気の中、一人実体を持っている燕青の背に、ぞっと冷たいものが伝う。

 

 

「……構えとけよ、お前等」

 

 

 小さく、霊体化した皆に警告する。

 その悪い予感は、最悪の形で的中する。

 

 

「――星間都市山脈オリュンポスに、外敵が侵入しています」

「……っ!?」

「敵は汎人類史。アトラスの世界樹を焼き払い、我等の世界を破壊しようと目論む、悪しき悪魔たちです」

 

 

 どよめきが街全体を埋める。

 一気に広がったざわ――という戦慄が、街の只中に居た汎人類史の一行の肌に、鳥肌を浮かばせた。

 

 

「敵は姑息な魔術を用いて、皆さんの仲に潜んでいます」

 

 

 神託は尚も凜然たる声音で、オリュンポスの世界中に指令を降ろす。

 

 

「危険な存在です。忌むべきであり、情けを懸ける必要もない、憐れな愚者達です。世界に徒なす、憎むべき敵です。オリュンポスの大地を血で汚してはならぬという不文律は、彼等には適用されません」

 

 

 人々に満ちていた驚きは、やがて理解に代わり、燃え上がるような憎しみへと変わっていく。

 絶対の神が、敵と告げられた。美しき、素晴らしきこの世界が、穢されようとしている。

 オリュンポスの民の義憤の炎は、みるみる内に膨れあがっていく。

 充満した怒りの気配に、燕青が僅かに一歩後ずさる。まさにその瞬間だった。 

 

 

「どうか十分に警戒してください。そして、勇気を奮い立ち向かってください――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 な――と、霊体化した誰かが驚きの声を上げる。

 神々の威光は、そんな驚愕の動きよりも遙かに早く、圧倒的だった。

 ヒィン――と、虫のさざめきのような波が空気中を抜けていく。

 次の瞬間、ガラスが砕き割れるような甲高い音を立てて、燕青達を包んでいたメディアの魔術が砕け散った。

 身体を包んでいた薄膜を強引に引き剥がされる感覚。

 剥き出しになった霊基に、オリュンポスの民の怒りの込められた視線が、矢のように突き刺さった。

 

 

「っ汎人類史……コイツ等が……!」

「なんて事だ、こんな近くにいたなんて!」

「逃がすな、ゼウス様に徒なす敵だ! 皆で捕らえるぞ!」

 

 

 民の怒りは爆発し、凄まじい敵意になって汎人類史に突き刺さる。無数の視線が、変装した燕青の身体を釘付けにした。

 

 

「おいおい、待てよ。待ってくれよ。俺の変装は完璧のはずだろ!? 何で皆して、俺を――」

「燕青!」

 

 

 我先にと飛びだしたオリュンポス人の男の手が迫る。それは燕青に触れる直前に、霊体化を解いた金時が撥ね除け、腰の入った正拳突きで吹き飛ばした。

 

 

「早く憲兵を呼べ。ここに五人も潜んでいやがった!」

「ッお前等、出ろ! 霊体化してもバレバレだ。神の加護だか知らんが、今の俺っち達は野ざらし同然らしいぞ!」

 

 

 金時の号令に応じ、モードレッド、フランケンシュタイン、ナイチンゲールも霊体化を説き、各々の武器を手に臨戦態勢を取る。

 遅れて燕青が、変装を見破られたショックから立ち直り、本来の姿に戻って拳を構えた。

 

 

「すまねえ、少し狼狽えた」

「拳が構えられりゃ結構さ。だが、これからどうする!?」

「敵陣のど真ん中だ、逃げるに決まってんだろ! フラン!」

「ウゥ――ウアアアアアアアアアーーー!!」

 

 

 モードレッドの呼びかけに応じ、フランは牙を剥いて吼え立つ。そうして彼女は鉄球を振り上げ、バチバチと雷を迸らせながら突貫を仕掛けた。

 

 

「うわあああ! ば、化け物! 化け物が突進してくるぞ!」

「ウアアア! アアアーーーーー!」

「そら逃げろ逃げろ! 野蛮で危険な汎人類史サマのお通りだ!」

 

 

 フランケンシュタインの獣のような咆哮に、オリュンポス民はすっかり気勢を削がれ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 真っ二つに割れた人垣を抜けながら、金時が言う。

 

 

「こうなりゃ、街を抜けて体勢を立て直すしかねえ! 一旦森まで――」

 

 

 唐突に金時は口を閉じ、左のこめかみに拳を突き出した。雷を纏った拳が、彼の頭蓋を砕こうと迫った光の矢を打ち払った。

 バチィン! という凄まじい音と閃光。紙一重でいなした金時は、ビリビリという拳の痺れで一撃の威力を悟り、戦慄する。

 

 

「……そりゃ、このまま逃がしてくれる訳ねえよな」

 

 

 冷や汗を浮かべた彼が見る、前方。

 鎧に身を包んだ憲兵が三人、逃亡する彼等を遮るべく立ち塞がっていた。

 

 

「汎人類史……! ゼウス神の祝福を受けない異端者め!」

 

 

 仮面で覆っていても分かるほどの怒気を纏い、憲兵達は一斉に、手にした槍に神々しい光を纏わせた。

 その迫力と、溢れ出る魔力が、全力で戦わねば決して勝てない相手だという事を悟らせる。

 

 

「殺せ! けっして生かしてはおかない!」

「奴等の血で以て、崇高なるゼウス様の威光を示すのだ!」

「オォ、いい発破じゃねえか! そう来なくちゃ面白くねえぜ!」

 

 

 牙を剥きだしにし、獣のように笑ったモードレッドが剣を構える。

 

 

「てんでクールじゃねえが、やるしかねえか! 俺っちと一緒にいくぞフラン!」

「ウゥ!」

「不甲斐ない真似はもう見せねえ。変幻自在の俺サマの、一本筋の通った巧夫を見せてやろう!」

「出血は厳禁です。外傷予防のための殲滅を始めます」

 

 

 モードレッドの気迫を受けた一行が、次々と得物を手に彼女の隣に立ち並ぶ。

 

 

「いくぜお前等! 即効で片付けて脱出だ!」

 

 

 発破と共にモードレッドが飛び出し、神の威光を宿した憲兵の槍に向け、赤雷を迸らせたクラレントを全力で振り下ろした。

 



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8話

 この時点での彼等は知る由も無いが、オリュンポスの民は死を超越している。

 神の加護を受けた神秘の食物アンブロシアは、人々から病を取り払い、老いの概念を消失せしめた。

 もはや見た目の差異は、個性以外の意味を失っていた。子供は子供のまま、老人は老人のまま、どれだけ若くとも数千年の時を生きている。

 全能の神は、彼等に絶対の安寧と繁栄を約束していた。病どころか、貧困も、死さえもない。皆が平等に祝福されるのだから、労働という行為の意義さえ存在しない。

 そんな満ち足りた世界は、人々をより高次の目標へと駆り立てる。それはすなわち、魂の向上。『よりよく生きる』事の探求だ。

 より美しいものを求め、芸術を嗜む。新たな価値を創出しようと、大きな挑戦に挑む。美しき街を彩る荘厳な芸術の数々は、数千年を生きる生命が産んだ人の自己実現の賜物だ。

 

 

 そして、長き時間による研鑽が結実するのは、何も芸術に限った話ではない。

 自由な命が新たな価値を産むのと同じように、役割を定められた人々は、その宿命を果たすべく、徹底的に己の腕を磨く。

 あるいは、より賢く。あるいは、より逞しく。

 憲兵であれば尚のこと――神の威光をその剣に宿せるように、より強く。

 

 

 オリュンポスの憲兵団は、その全員が、練度という言葉では計り知れない研鑽を積んだ戦士であった。

 神の加護が無ければ有り得るはずもない、一人の命には余りある数千年の時を鍛錬に費やし、剣の腕を磨きに磨き抜いた。

 その鍛錬の全ては、神の威光に恥じない為に。

 その研鑽の全ては、世界を脅かす外敵を打ち払う、まさしくこの時の為に。

 

 

 ――にも、関わらず。

 

 

「ッぐ――」

「ハッ! いくら腕っ節が強くても、肝が据わってなくちゃ形なしだなぁ!」

 

 

 モードレッドの振るうクラレントは、数千年の研鑽を経た憲兵の槍の、数手先を行っていた。金髪を振り乱した少女は、獣の笑みを浮かべて、相対するオリュンポス兵を圧倒する。

 

 

「拍子抜けだぜ、オリュンポス。気迫が弱え、脇が甘え――根性が! てんで! なっちゃいねえ!」

 

 

 兜を食い破らんと振り下ろされたモードレッドの剣が、間一髪翳された槍に受け止められる。モードレッドはそれに瞬き一つも反応を見せない。

 モードレッドは即座に腕の力を抜き、クラレントから手を離した。地面に顎が着くほど低く体勢を沈めたモードレッドは、豹のように身を翻し、驚く憲兵の脇腹に痛烈な蹴りを叩き込む。

 

 

「ぐああ! くそ、卑怯だぞ汎人類史、野蛮な蛮族め! 正々堂々と戦え!」

「正々堂々ぉ? 寝言は寝てから――ああそうかい、どいつもこいつも、長生きしすぎて耄碌してんのか」

 

 

 冷笑一つ。モードレッドは赤雷を吹き出して突貫。構えを取らせる暇さえ与えず、強烈な斬撃を繰り出す。

 

 

「オレ達がしてんのは何だ? あァ? 世界と世界の大喧嘩だろうが! 泥も血の味も知らねえ、鍛錬ばっかのお坊ちゃまな剣で、このモードレッドを下そうとはお笑い種だぜ!」

 

 

 幾ら数千年を武芸に費やそうが、それらは全て、型に嵌まった訓練だ。無数に練度を積もうとも、それは所詮、死線を潜った経験の一つに劣る。

 道理を外れた無頼漢の戦いに対応する術などない。まして、剣を手放して殴りつけてくるような、馬鹿げた敵を相手取る事など、想定しているはずもない。

 剣の隙間に振るわれたモードレッドの拳が、槍の持ち手を強かに打ち据えた。

 とうとう槍を取り落とし、無防備になった憲兵に、クラレントが突き刺さる。鈍色の刃は鎧を貫き、彼の土手っ腹を食い破った。

 

 

「がっ――!?」

「戦場童貞卒業だな――来世で出直してきなぁ!」

 

 

 トドメに振るわれた全霊の蹴りが、憲兵を赤雷と共に吹き飛ばした。砲弾の如く吹き飛んだ男は、彫像の一つを粉々に吹き飛ばし、遙か彼方にもうもうとした土埃を産んで姿を消す。

 バチバチと雷を纏わせたモードレッドは、チッと舌打ち一つ。額に浮いた汗を拭う。

 

 

「っぶはぁ! ぜぇ、ぜっ――くそ、ムカつく相手だ。覚悟も決まってねえくせに、練度だけやたら高え!」

 

 

 息が苦しい。今やっと呼吸を思い出したように、身体が酸素を求めて喘ぐ。

 極限まで張り詰めさせた意識を、全く緩められなかった。もしモードレッドの気配が少しでも逸れていたら、狩られたのは彼女の方かもしれなかった。

 汗を拭う彼女の背後で、凄まじい轟音が響く。振り返れば汎人類史の一行も襲いかかってきたオリュンポス兵を打ち倒した所だった。

 痛烈な拳を見舞い兵士を卒倒させた金時は、思わずというように両膝に手を着き、唸る。

 

 

「シット! コイツ等、本当に一兵卒か? 数万石の大名だって、こんな鮮やかな剣は見せねえぞ!」

「ああくそ、危なかった! 一回でも戦を経験してやがったら、狩られてたのはこっちの方だ!」

「ウウ、ゥ」

 

 

 燕青が金時に応じ、フランケンシュタインが疲労を露わに肩を落とす。

 誰もが一様に、戦ったオリュンポス兵の練度の高さに愕然としていた。アトランティスで立ちふさがった兵士達の強さも相当だったが、オリュンポス兵は強さの規格がもう二つは違う。練度もしかり、頑強さも段違いだ。投与されている権能の極小集合体(テオス・クリロノミア)の量も、アトランティスのそれとは比べられないほどかもしれない。

 

 

「チッ、オレ達もあの怪しい粉を入れとくんだったぜ。カルデアの為なんて言って、残しておくんじゃなかった」

「皆さん、小言は後で。今は自らの健康と安否の心配を!」

 

 

 ナイチンゲールが皆の注意を引く。見れば通路の向こうから、先と同じ鎧と槍を携えたオリュンポス兵が、群れをなして迫っていた。

 騒ぎを聞きつけてやってきた、オリュンポス軍の本陣の小隊だろう。統制の取れた動きで迫る、その数は数十。一騎一騎の強さは、さっきに劣る筈がない。

 燕青が冷や汗一つ、上擦った声で皆に聞く。

 

 

「なあ皆。つまらねえ質問しちまうけれど、あと何体やれる?」

「……一対一(サシ)で五人。三対一なら無理だ、押し負ける」

「正直、相手してられねえぜ。俺っちとしては、今すぐトンズラするべきだと思うね」

「ああ、全く同感の俺から悪い知らせだ――反対側から、同じだけの兵士がこっちに来てる。挟み撃ちだぜ」

 

 

 燕青が言う頃には、物々しい行軍の足音が、彼等の居る大通りに所狭しと響き渡っていた。

 一行は自然ジリジリと後ずさり、背中を突き合わせて円陣を作った。オリュンポス兵は統率の取れた動きで散会し、あっという間に彼等を取り囲む。

 

 

「神に徒なす蛮行を行い、自らを勇者とでも勘違いしたか。まさか街のど真ん中にまで、ノコノコと踏み入ってくるとは!」

「畏敬も、恥も持ち得ない。その愚かさが仇となったな、汎人類史!」

 

 

 彼等の持つ槍に、一斉に神性な魔力が籠もる。

 煌々とした煌めきは、その一つ一つが大英霊の宝具に匹敵するほどの強烈な力を放っている。その輝きは光輪となってモードレッド達を取り巻き、最早幾つの槍が翳されているかさえも判然としない。

 

 

「……フラン、金時」

 

 

 油断なくクラレントを構えながら、モードレッドが隣に立つ友を呼んだ。

 

 

「宝具を打つぞ。オレとフランで包囲網を崩す。その穴を金時がこじ開けろ」

「崩せるか?」

「馬鹿、崩すっきゃねえんだよ。じゃなきゃここで全員お陀仏だ」

「……ウゥ」

 

 

 覚悟の据わったモードレッドの声に、フランケンシュタインが頷き、鉄棍を握りなおす。

 取り囲む光輪は益々強烈に、目を潰さんばかりに輝きを増している。膨れあがるエネルギーが、ビリビリと肌を振るわせる。

 

 

「……神の寵愛から外れし異端に、慈悲など不要」

 

 

 眩く輝く槍を携えて、オリュンポス兵はぞっとするほど静かな声音で、厳然と告げる。

 

 

「塵と化し、ただ粛々と消え失せろ、汎人類史。愚かな貴様等など、我々の記憶にさえ残してやるものか!」

 

 

 モードレッドとフランが、己の全力を出そうと力を込める。その抵抗にすら意味を与えんと言わんばかりに、神の威光を込めた輝きが迫る。

 怒号と共に、兵士が槍を構え、一斉に突き出す。

 

 

 

 

 その体勢が、不意に崩れた。

 陣形を組んでいた数人のオリュンポス兵が、突然身を翻して、傍の味方を斬り付けたのだ。

 鎧の砕け散る音と、驚愕の悲鳴。陣形はたちまちに崩れ、目を焼く程の光がふっと搔き消える。

 

 

「な、何だ!? 同胞よ、どうしたというのだ!?」

「アイツ等、急に同士討ちを始めたぞ。お前等何かしたか?」

「俺達じゃねえ。そんな器用な真似が出来る奴はここにいねえよ!」

 

 

 汎人類史の全員、何が起きているのかの理解が追いつかず、ただ狼狽える。

 突然暴れ出した数人の兵士は、驚きの覚めないままの味方を斬り倒すと、モードレッド達に背を向けた。

 一丸となって固まった彼等を、庇うように。

 

 

「――傾聴せよ!」

 

 

 混乱の縁で、誰かが高らかに叫んだ。視線が、槍を構えた一人の兵士に集まる。

 

 

「長く苦しい忍耐の時は、ここに終わった! 押し黙り、耐え潜み、神のいない明日へ祈り続けた我々の願いは、ついに今日、ここに結実する!」

 

 

 一人の人間が発した宣言に応じるように、街のあちこちから人が飛びだしてきた。兵士であるものは武装し、そうでない物も各々の武器を手に、汎人類史の一行を守るように立ちふさがる。

 

 

「今こそ声を上げ、長きに渡る雪辱を果たす時! 一方的な神々の圧政を突き崩す時! ――我々は共和神人軍! 今ここに、大神ゼウスへの反旗を翻す!」

 

 

 オォ――! と、歓声が轟く。

 一体何が起きているのか、モードレッド達は未だ目を白黒とさせ、自分たちを取り囲んだ人々を眺める。

 血相を変えたのは、気を持ち直したオリュンポス兵達だ。彼等は、ともすれば汎人類史を相手どった時以上に明確な敵意を見せ、彼等を睨み付ける。

 

 

「共生派だと!? 一万四千年前の大戦の残滓が、まだ潜んでいたというのか!」

「汎人類史に加担するというのか――ゼウス様の加護を受けていながら! 何と愚かな!」

 

 

 兵士の一人が、怒りと共に槍を突き出す。共和神人軍を名乗った兵士が受け止め、いなし、背後に庇った汎人類史に向けて言う。

 

 

「ここを脱しましょう、汎人類史の皆さん。我々に付いてきてください」

「待て、何が起きてやがる? この世界の人間のくせに、オレ達に味方するのか!?」

「説明は後で。時間がありません。神々の手が及べば、たやすくひねり潰されてしまいます」

「モードレッド、ここは従おう。俺達の敵なら、あそこで助けたりなんかしねえ」

「チッ――騙してやがったら承知しねえからな!」

 

 

 突然の反乱で騒ぎ立つ中、共和神人軍に案内されて、ビル影の路地に駆け込む。

 同じ世界の同胞でありながら、共和神人軍はオリュンポスの明確な敵であるらしかった。兵士は怒りさえ滲ませて、彼等の後を追ってくる。

 オリュンポス兵が追い縋る毎に、共和神人軍の仲間が集団から離れ、足止めの為に立ちふさがる。それを繰り返し、あっという間にモードレッド達を守るのは、先導する三人の兵士達だけになった。

 入り組んだ迷路のような路地裏の中、数えるのも忘れる程の角を曲がった、その先。

 薄暗い路地裏で、共和神人軍は唐突に足を止めた。振り返った汎人類史に、強い口調で言う。

 

 

「この先の角を右に。そこに居る者が、貴方達を安全な場所まで案内します」

「お前等は?」

「ここで追っ手を食い止め、振り切ります。隠れ家の居場所は秘匿中の秘匿です。ゼウスに少しでも気取られれば、全てが終わります」

 

 

 そうして、その男は兜を外した。

 見た目としては三十代半ばだろうか。浅黒い肌に、後ろに結った黒髪。僅かに浮いた無精髭。

 先程見たオリュンポス人のどれとも異なる、固く引き締まった顔。男は神の祝福を受けているとはとうてい信じがたい、暗く沈んだ表情をしていた。

 皺の深く刻まれた表情をぎゅっと引き締め、男は言う。

 

 

「信じてください。我々はいつか来るこの日を――空を切り裂き現れる貴方がたを。途方も無い間、待ち続けていたのです」

 

 

 男の鉛色の瞳には、繁栄と安寧が約束されたオリュンポスの生活においては、決して産まれる筈のない淀みが滲んでいた。彼が嘘が言っていない事は、その鈍い瞳の色が、何よりの証明だった。

 汎人類史は、強い頷きを男に返す。男は素顔を兜の下に隠すと、他の共和新人軍の人々を引き連れて、路地の反対側へと走り去っていった。

 土地勘などあるはずもなく、取り残されたここがどこかなど分かる筈もない。ビルとビルの隙間を縫う路地は迷路のように入り組んでいるが、それでも追っ手がこない保証は無い。

 脳裏に幾つも浮かぶ疑問符を強引に締め出して。彼等は言われるままに路地裏を抜け、角を曲がる。

 そこも、他と変わりない、味気の無い路地裏だった。神の加護によるものか清潔が保たれているが、堆いビルに挟まれて、薄暗く湿気っている。

 その、影の落ちた通路の先に、誰かがいた。

 

 

「……来たな」

 

 

 険しい顔つきをして、値踏みするように一行を見回す少年。

 彼と対称的に、邂逅を喜ぶように唇を綻ばせた、美しき少女。

 磨き抜かれたように美しい胴色の髪と、鷹のように強い意志を見せる翠の瞳は、写し取ったようにそっくりだ。

 

 

「お前らが、案内人か?」

「その通りです。よくご無事で、ここまで来てくれました」

 

 

 燕青の問いかけに少女が応え、慎ましく一礼する。

 隣に立つ少年が、へんとつまらなそうに鼻を鳴らし、険しい目つきで一同を舐め付けた。

 

 

「俺達は共和神人軍。神に反旗を翻す一派。完璧を名乗るこの世界からの脱却を志す者の集まりだ」

 

 

 改めて名乗り、少年は顎をしゃくって、付いてこいと指示する。

 

 

「力を貸して貰うぞ、汎人類史。頼むから、期待外れなんて思わせてくれるなよな」

 

 

 

 

 世界を守るべく奮闘する汎人類史と、未だ運命を知らない年若い双子の姉弟。

 薄暗い路地裏で交わした視線が、やがて手を取り破神を為す二つの世界の、初めての邂逅であった。

 



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9話

 双子が一行を導いたのは、端から見た限りでは何の変哲もない、オリュンポス人の居住用マンションの一つだった。一行は裏口から、通用口を潜ってマンションの地下へ。

 薄暗いコンクリートの一角に、穴が穿たれていた。何もかも精巧に作られているオリュンポスの景観において、その穴だけが、古くささを感じる程に粗雑で乱暴だ。

 

 

「脱獄映画みたいだな。一体どこに続いてるんだ?」

「シッ――今はダメだ、続きは後で」

 

 

 少年に厳しい目つきで言われ、燕青は思わずたじろぐ。

 少女は既に穴に飛び込んでいた。少年は顎をしゃくって付いてこいと指示して、自らも穴に身を投げ入れる。

 

 

「大丈夫か? 落ちた先は敵の地下牢とかじゃねえだろうな」

「罠だと思いたかねえが、信用するには不自然だ。せめてこの辺の調査くらい――あ、おいフラン!」

 

 

 モードレッドが声を上げた時には、フランケンシュタインがえいやっと穴に身を投げ入れた時だった。

 呆気にとられた皆が見つめる穴から、数秒経って、小さく彼女の唸り声がする。

 

 

「ウゥ――ウゥ!」

「――さっさと来い、だってよ」

「まさかフランに先を越されるとは――まあ、こうなりゃ野となれ山となれだな」

 

 

 すっかり険を削がれた一行が、フランケンシュタインの後に続いて穴に飛び込む。

 コンクリートを穿った、狭苦しい穴だったのは最初の内だけ。十数程度の垂直落下の後、鉄網の張られた床をガシャンと鳴らして着地する。

 

 

 

 

「……わお」

 

 

 降り立った一行は、すぐに何度目か分からない驚愕に見舞われた。

 着地した先に広がっていたのは、途方も無い広さの空間だった。

 壁は継ぎ目の無い黒色のタイルで覆われて、艶やかな光沢を見せている。鉄網の張られた床の下には、オリュンポスのインフラを構築しているのであろう配管が血管のように張り巡らされていた。天井や壁には緑と白を基調とした蛍光灯が並び、どこかサイバネティックな雰囲気で空間を彩っている。

 

 

「地下通路……っていうには豪勢な場所だな。地下都市って言った方が適切な位だ」

「間違っていない指摘です。オリュンポスの地下は冥界神ハデスの地。異なる世界と呼んでいい領域です。ゼウスの権能も、ここまで及ぶ事はありません――追っ手がくる心配もないでしょう」

 

 

 そう答えたのは、双子の少女。彼女は周囲を見回して安全を確認すると、ほっと息を吐いて、柔和な微笑みを一行に浮かべた。

 

 

「無事に出会えて良かった。ゼウスの神託が降ってきた時には、果たしてどうなる事かと」

「心配しすぎだよ、姉さん。あの程度でくたばるなら、オレ達が手を貸す意味も無かった奴等だったって事だからな」

「もう、マカリオス。初対面の人にそんな失礼な事を言っちゃだめよ」

 

 

 むっとして見つめてくる姉の視線に、弟はふいとそっぽを向く。溜息を溢した少女は、改めて汎人類史の一行に、深々と会釈をした。

 

 

「改めて――私達は共和神人軍。ゼウスに支配されるこの世界を否定し、反旗を翻すという意志の元に集まっています」

「反旗……つまりは、レジスタンス。革命派って事か」

「ええ。革命といいつつ、明確な活動や成果は、未だ一つとして為せてはいないけれど」

 

 

 少女が申し訳なさそうに言葉を付け加え、少年が肩を竦めて話を引き継ぐ。

 

 

「上の様子を見たろ? ここは、ゼウスを頭としたオリュンポス十二神が運営する世界だ。神の不信は、それそのものが世界に徒なす大罪扱いなのさ」

「地上にあって、ゼウスの目と耳が届かない場所はありません。あそこでは全ての行動が監視されています。神を慕う人たちにとっては名誉かもしれませんが、私達にとっては、身を縛る拘束具以外の何物でもない」

「だからこそ、オレ達は待っていた。世界の外側からの来訪者を。この世界を討ち滅ぼすべく現れる、お前達汎人類史をな」

 

 

 二人の声には、重みを感じるほどの固く決意と、その決意がようやく実を結び始めた事を喜ぶ感慨に満ちていた。

 

 

「俺はマカリオス。こっちは姉のアデーレ。共和神人軍を代表して、ここから先のナビゲートを任せてもらう」

「力を貸してください――いいえ、共に戦いましょう。私達と貴方達で、ゼウスを斃しましょう」

 

 

 二人のそっくりな翠色の眼には、先に彼等を送り届けた兵士と同様の、人としての強い意志が滲んでいる。

 代表して一歩前に出た金時が、恐る恐ると言った調子で声を上げた。

 

 

「あー……すまねえ、協力は有り難え。すげえ有り難えけどよ。まだ俺っち達には、状況がサッパリ読めなくて。いきなり言われても何が何だか」

「そうだ。共和神人軍って言ったな。あの兵士達にも『共生派』って呼ばれてた。神と人との共生を目指してるんなら、どうしてゼウスに敵対してるんだ?」

 

 

 金時に続き、燕青が問いかけると、双子は顔を見合わせた。

 

 

「それは、そうよね。アトランティスから落ちてきたばかりだもの。知らないのも無理はないわ」

「どうする、姉さん。あまり同じ場所に留まっているのは良くないぞ」

「そうね、マカリオス――次の目的地まで距離があります。移動しながら説明しましょう。付いてきてくれますか?」

「敵じゃねえっていうのは分かってる。言うとおりにするよ。駄賃代わりに、色々と教えてくれ」

 

 

 意見が纏まり、双子が先導して、地下通路をひた走る。

 道中で語られたのは、この世界の歴史と、彼等のあらましだった。

 オリュンポス十二機神は、四度の大きな大戦を経験した。

 旧世代の神々であるティターン神族と世界の派遣を争った、ティタノマキア。

 約一万四千年前、文献も残されていない謎の敵と戦った、レウコスマキア。

 反旗を翻した巨人族を一瞬のうちに討ち滅ぼした、ギガントマキア。

 そして――人を支配するか、共に生きるか、人類に対する姿勢を巡り、二つの派閥に別れて神同士が争った、第四の大戦。

 

 

「数千年前の第四の大戦の結果、完全支配を推進するゼウス側の勝利により、人は神の所有物となった。共生派に付いた神々は、ほとんどの権能をゼウスに統合させられ、残骸の多くは、共生派を選んだ人々と共に、アトランティスの大洋に捨てられました」

「アトランティスにいた奴等は、その共生派の子孫って事か。なら、お前達は?」

「……大戦の混乱に巻き込まれて、アトランティスへの船に乗り損なったのさ。共和神人軍の半分は、そうやってオリュンポスに取り残された奴等だ。もう半分は、数千年の日々の中で嫌気が刺した変わり者だな」

 

 

 マカリオスが悔しげに歯噛みする。

 その明らかに昔の経験を思い出すような様子に、モードレッドが問いかけた。

 

 

「……数千年前の大戦を、経験してるってか。上のオリュンポス人も、数百年、数千年って単位を世間話のように言いやがる。お前等いったい何歳だ?」

 

 

 マカリオスは、更に表情を陰らせる。

 隣を走るアデーレは、辛そうに瞳を伏せて――それからまっすぐモードレッドを見つめて、答える。

 

 

「一万歳以上です。八千から先は、数えるのを止めました」

「……な」

「俺達は、死ぬことなく、老いる事も無く、何にも犯されない。神が勝手に作った揺り籠の中で、変わらぬ日々を送り続けているんだよ……一万年以上もな」

 

 

 吐き捨てるようにマカリオスが言う。

 言葉に込められた憎しみは、苦痛は、真に迫る本物の環状で。

 ナイチンゲールが、あまりの驚きに、悲鳴に聞こえる程大きく息を飲む。

 

 

「不老、不死……? まさか、そんな。有り得ない! 死は避けられない恐怖です! あらゆる命において、抗いようのない絶望のはず!」

「オリュンポス機神の権能に、不可能はありません。資源は無限に生成できる。人は永遠に生き続けられる。なぜならゼウスがそう設計したから――この世界においては、機神こそが世界の条理を定めるのです」

 

 

 アデーレの断言に、ナイチンゲールが絶句する。

 数分の処置の遅れで人が死ぬ戦場で、命を守る為に奔走したクリミアの天使に突きつけられた『不老不死』という概念は、果たしてどれほどの衝撃だろうか――それは彼女以外の誰にも、汎人類史の皆でさえも、推し量る事はできない。

 だが、自らの過ごした年月を語る双子の顔には、黒濁とした感情が滲んでいた。

 神性の混じった存在ならともかく、どんな英霊であっても、百年あれば命は潰える。そんな彼等にとってしても、一万年以上という日々は、想像するだに――

 

 

「そいつは――つらいな」

「終わりはこない。まして変化さえ訪れない。流れる時から、私達は永遠に取り残されています」

「最初こそ、あの大戦で果たせなかった神と人との共生を望んでいた。だが今は違う――俺達は、解放されたい。支配は御免だ。寵愛も必要ない」

 

 

 元来、人とは自由な生き物だ。

 未知を求め、困難に立ち向かい、幾つもの犠牲の上に成功を重ね、不可能を可能にする生命だ。

 神々の寵愛も、その本質までは変えられなかった。少なくとも、彼等の目の前にいる双子の魂までは。

 双子は言う。永遠の命も、満ち足りた生活も要らない。

 見守って貰う必要なんてない。

 安息なんでめっぽう御免だ。

 

 

「――俺達は、今日とは違う明日が欲しい」

 

 

 彼等の魂は、今ここに集った汎人類史の英霊達と同じように、困難を打破し未来へ向かおうと藻掻く、気高き人間の輝きに溢れていた。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 双子の宣誓に、汎人類史の一行は思わず言葉を忘れて聞き入る。

 そうしてフランが、皆を代表するように、唇を大きく吊り上げて、こくんと頷いた。

 

 

「ウ、ウウ!」

「ああ、そうだな――お前さん達の経緯を探りはしねえ。とにかく仲間が居てくれて良かった。お陰で、全能の神を打ち破る希望が見えてくるってもんだぜ!」

 

 

 フランの隣の金時も、バシンと拳を打ち付けて笑う。彼の言葉の通り、ゼウスに徒なす共和神人軍の存在は、彼等の希望の光と言っていい救いの手に他ならない。

 しかし、モードレッドだけは、険しい渋面を揺るがせなかった。彼女はひた走る双子の背中を、真偽を推し量るように睨み付ける。

 

 

「威勢がいいのは有り難いし、気に入った。だが結局、今はどこに向かってるんだ?」

「地上で散会した、他の仲間との合流地点です。無事に蒔けていれば、そこに集まるように示し合わせています」

「仲間が増えれば頼もしいけれどよ。束になれば勝てる相手って訳でもないだろ? 何か、神をぶっ倒す策はあるのか?」

「それはむしろ、俺達が聞きたいくらいだな。お前たちは、無策で街のど真ん中まで突っ込んできたのか?」

 

 

 走る足を止め、マカリオスは被せるような皮肉で返した。モードレッドの目が不愉快に殺気立つも、彼の目は更に険しく、彼女を睨み返す。

 立ち止まった一行に、張りつめた糸のような緊張が走る。

 しかし、その膠着はすぐに解かれた。傍にいたアデーレが、こつんっと弟の頭を小突いたのだ。

 

 

「いてっ」

「こら、マカリオス。これから仲間になる人たちよ。喧嘩しないの」

「だって姉さん。コイツは、俺達の苦労を知りもせずに……!」

「知らないのはお互い様でしょ? ――ごめんなさい。マカリオスったら、やる気がから回っちゃう所があって」

「姉さん……」

 

 

 困り果てたマカリオスを無視して、アデーレが深々と頭を下げる。

 面食らったのはモードレッドも同じだ。いきなり頭を下げられて、ただただ困惑してしまう。

 

 

「……ウ、ウウ」

「わ、分かってるよフラン……オレも言い過ぎだった。すまない」

 

 

 フランケンシュタインに小突かれて、モードレッドも不精不精頭を下げる。彼女の後ろで、フランケンシュタインは腰に手を添え、困った奴だとジェスチャーで示す。そのデコボコな様子に、アデーレはくすくすとおかしそうに笑った。

 わずかに頬を赤らめて、マカリオスがこほんと咳払い。話を元に戻す。

 

 

「あー……ともかく。俺達に何か期待をしていたとしたら、それはぬか喜びだ。何せ俺達は、こうして声を上げ立ち上がったのも初めてだからな」

「そうなのか?」

「心神を取り繕って過ごし、気取られないようにするので精一杯だった。だから力を貸して欲しいと言っているんだ……だけど無策という訳じゃない。方針はちゃんと決まっている」

「何もかもこれからですが、何にせよ神の目を逃れて活動できる環境を作らなければいけません。そのために、まずはこの地下を解放しないと」

「……地下の、解放?」

 

 

 アデーレの言葉を反芻する。

 足音の響くばかりだった地下空洞に異音が轟いたのは、ちょうどその時だった。

 ズズ――と、空気が緩く振動する。壁から天井まで、地下空洞全体が、小刻みに揺れていた。

 地震のような振動に、一行が足を止める。

 

 

「何だ?」

「静かに……姉さん、どう?」

「大丈夫、今は遠そう……いいえ、待って。近づいてくる――!」

 

 

 耳をそばだてたアデーレが、危機を察して声を張る。

 細かい微振動は、みるみる内に大きくなり、すぐに立っていられない程の揺れに変わる。

 ギャリギャリという、まるで鉄を引っ掻くような甲高い轟音が耳にうるさくがなり立てる。

 一行が向かっていた通路の脇から、十人ばかりのオリュンポス人が飛びだしてきた。先頭を走るのは、地上で最後に汎人類史を見送った、無精髭の浮いた男だ。ただならぬ様子に、マカリオスが叫ぶ。

 

 

「ノーマッド!」

「アデーレ、マカリオス! ――逃げろ! 見つかった!」

 

 

 無精髭の男が叫ぶのと同時。

 彼等が逃げてきた通路から、ソレはとてつもない勢いで飛びだしてきた。

 それは冗談のように巨大な、鋼鉄の戦車だった。幅広の機体は、十メートル以上はある通路の幅を、ほとんど隙間無く埋めている。ボディからは歯車型の鋭利な刃があちこちから突き出て、それが壁をギャリギャリと引っ掻いて火花を散らしている。

 戦車というには余りに巨大で、呆れる程残酷な姿に、一同は目を見開いて驚愕する。

 

 

「ウウウウーー!?」

「なんっっだアレ!?」

「神造魔戦車、ピュートーン! ゼウスは冥界を認識できない代わりに、ハデスの残骸を使って防衛機構を作ったんだ。死者のいなくなった冥界に沈黙を保たせるためにな!」

 

 

 燕青の驚愕も、マカリオスの説明も、駆動する大轟音で搔き消える。

 魔戦車――ピュートーンは、火花が散るほどに車輪を回転させ、その巨体からは想像もできない早さで、突進を仕掛けてきた。

 戦車の前方にはなんの装飾もライトもなく、ただただ平坦な壁になっている。まるで障害物をかき分ける除雪車のよう。通路を埋め尽くす程の巨体は、走るだけで命を容易く挽き潰せてしまうのだ。

 その残酷かつ強力無比な設計方針を証明するように。必死に逃げる共和神人軍に、あっという間に巨体が迫り、踏みつぶされんとする。

 

 

「フラン!!」

「ウアアアアアアアアアアアアアアーー!!」

 

 

 そこに飛び込んだのは、モードレッドとフランだ。宙を跳ね飛んだ二人は、ピュートーンの機体のど真ん中に、雷を纏った蹴りを叩き込んだ。超巨大な機体が、衝撃にがくんっと硬直する。

 

 

「ん、ぎ、ぎぃ……!」

「ウアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 気合い一発。ピュートーンに叩き付けた踵に更に魔力を流し込み、雷の爆発を産んだ。

 衝撃に車輪がギャリギャリと空回り、ピュートーンが後退する。しかし、それは目測にしてほんの数メートル。鋼鉄の機体は僅かにヘコんだだけで、全く聞いた風では無い。

 

 

『――敵影、ヲ、補足』

 

 

 ザザ、とノイズ混じりの声で、ピュートーンが声を発した。これまでに出会った機神よりも淡々とした、意志を持たないと分かる単調な声で、告げる。

 

 

『殲滅、スル。滅殺、スル』

 

 

 ギャイイイ――! と車輪ががなり立て、脇に飛び出た歯車が壁を削って火花を散らす。

 モードレッドがクラレントに赤雷を奔らせ、叫んだ。

 

 

「行くぞ、お前等!」

「行くぞってオイ、やる気か!? 鉄製の戦車だぞ!?」

「ラスボスは鉄製の神様だろうが、ビビってどうする! むしろ腹ごしらえにちょうどいいさ、なあフラン!」

「ウウ!」

 

 

 笑みを浮かべるモードレッドに力強く応じ、フランケンシュタインもまた、手にした鉄棍に雷を疾らせる。

 

 

『冥界、ハ、死ノ土地。踏ミ入ル、者ニハ、死、アルノミ――!』

「機械仕掛けの野郎共に、これ以上煮え湯を飲まされるのは御免だぜ。今度はこっちが、全力の雷でショートさせる番だ!」

 

 

 雷を纏う英霊達に、神の残骸から埋まれし巨大な戦車が、轟音を上げながら突撃した。

 



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10話

「だぁ――りゃあ!」

 

 

 掬い上げるように振るわれたクラレントが、ピュートーンの底部と激突し、凄まじい轟音を放つ。

 じぃんとという衝撃が、モードレッドの腕を駆け巡る。固い感触に歯噛みし、彼女は目の前の、大きすぎで最早壁にしか見えない敵を睨み付ける。

 

 

「ッ結構思い切りやってんだぞ、デカブツめ! 仰け反るくらいの反応を見せやがれ――って、どわあああ!?」

 

 

 ギュイイイン! と車輪が唸り、壁にしか見えないピュートーンの巨体がモードレッドに迫る。

 

 

「下がれ、モードレッド!」

「ウウアアアア!」

 

 

 そう言って飛びだしたのは、金時とモードレッドだ。モードレッドがクラレントを食らわせた箇所に、二人同時に一撃。膂力漲る英霊の全力を受け、ピュートーンはまた車輪を絡まらせて後退する。

 やっと数メートル離れた距離から見ても、それは壁にしか見えなかった。三人の渾身の一撃を喰らわせても、せいぜいヘコんで表面を焦げ付かせている程度。人にすれば擦り傷程度だろう。もちろん聞いている様子は微塵もない。

 

 

「コイツが相手取っていい質量差かね! 俺っちには壁を殴る趣味はねえぞ!」

「そんなのオレにだってねえよ! けれど、このまま潰れて床のシミになるよかマシだろうが!」

 

 

 そう悪態を吐くのが精一杯。息を整える暇もなく、ピュートーンはまた車輪を唸らせ、全力で開けた数メートルの距離を一瞬で詰めてくる。

 恐ろしい勢いで迫り来る巨大な壁を、三人は力を併せて受け止めた。踏みしめた鋼鉄の床をガリガリと削りながら、ようよう拮抗する。

 青筋を浮かべ全力で押し返しながら、金時が言う。

 

 

「ッモードレッド……発破かけたのはお前さんだろ、何か手があるんじゃねえのか!?」

「機械の、神ならっ……感電でもさせりゃ楽勝と踏んだだけだ……!」

「そいつぁ、クレバーな作戦だ! サッパリ効いてる風じゃないトコと、雷を練る暇も与えて貰えなさそうなトコを除けばな!」

「ウウウウ――アア!」

 

 

 三人一緒に魔力を噴き出し、全力で殴り付ける。鋼鉄が打ち鳴らされる凄まじい轟音がして、ピュートーンが車輪を空回りし後ずさる。

 場当たり的とは言え、英雄三騎の渾身の一撃だ。それが産んだ結果は、表面の些細なヘコみと焦げ付き、それと僅か数メートルの距離だけ。ピュートーンは全く効いた様子なく、再び車輪を回し、空間を埋め尽くす駆動音で三人の肌をビリビリと震わせる。

 

 

『冥界ニ在ル者、須ク、死ヲ』

 

 

 ピュートーンの巨体が迫る。

 何度でも止めてみせると、モードレッドが剣を持ち上げ、赤雷と共に振り下ろす。

 その一撃に合わせるように、眩い光が、彼女の背後から放たれた。

 光はモードレッドの脇を抜け、いち早くピュートーンに激突。衝撃で再び巨体を仰け反らせる。

 

 

「――同士の避難は完了した。奴を引き受けてくれて感謝する」

 

 

 振り返った先にいるのは、五人のオリュンポス兵だった。その中央に立つ、顎髭を浮かべた男が、深みのある鉛色の目で、嬉しそうにモードレッド達を見る。

 

 

「ノーマッドだ。共和神人軍の、一応の隊長をさせて貰っている。会えて光栄だ、汎人類史」

 

 

 名乗ったノーマッドは、儀礼を込めた会釈を一つ。彼と共に並んだ五人の兵士は、オリュンポス兵が標準装備している槍と盾を構えて、モードレッド達に並び立つ。

 

 

「ゼウスを斃す意志を同じにする者同士だ。どうか、共に戦わせてほしい」

「……ここで、奴を打ち倒す。それでいいな?」

 

 

 確かめるように、モードレッドが問う。迷いを見せず、ノーマッドは頷いた。

 

 

「其方の言う通り、この戦いが、我々共生派の始まりの一手となる。奴を破壊し、反神を告げる狼煙としよう――総員、構え!」

 

 

 ノーマッドの号令に、居並んだ兵士が応じる。一糸乱れぬ動きは、並外れた練度の高さを感じさせた。

 

 

「アテナ・クリロノミア励起! 神盾準備――発動!」

 

 

 彼等が手にした盾に神々しい魔力が集う。光はノーマッドの号令と共に一気に噴き出し、一つの大きな光の壁となって、ピュートーンと激突した。

 ピュートーンの車輪がギャリギャリと空回り火花を散らす。オリュンポス兵は衝撃に数歩後ずさったものの、光の壁は微動だにせず、巨体の突進と拮抗していた。

 ヒュウと金時が口笛を吹き、賞賛する。

 

 

「クール! やるじゃねえかオリュンポス!」

「賞賛痛み入るが、全身全霊で押し留めるのがやっとだ。攻め手は任せるが、構わないか?」

「ええ、結構! 後の処置は私が行います!」

 

 

 ノーマッドに応えた声は、モードレッド達の後方。

 見れば、通路の中央に立ったナイチンゲールが、純白の手袋を付け直した所だった。

 

 

「陣形を維持したまま後退してください。くれぐれも怪我だけはしないように!」

「ナイチンゲール! 何か手が――」

「無駄口は厳禁! 一秒の遅れが死に繋がるのです! 時間を無駄にしないで、殺されたいの!?」

「ひっ……よ、よし、黙々と手を動かすぞお前等!」

「……ウ」

「ししししかたねーだろフラン! ダッセーとか言うな!」

 

 

 モードレッドさえもが怖じ気づき、冷や汗を浮かべてピュートーンに向き直る。

 ノーマッド達の光の盾が解けるのと同時に、モードレッド、金時、フランケンシュタインの三人が一撃。再びピュートーンを大きく突き放す。

 

 

「未だ皆、全力で下がれ!」

 

 

 一斉に踵を返し、走り出す。ピュートーンはすぐに体勢を立て直し、巨大な機体が踏み潰そうと迫る。

 背後に迫るギャリギャリという車輪の音に駆り立てられた一行が、全速力でナイチンゲールを追い抜く。

 微動だにせず佇んだナイチンゲールに、ピュートーンの巨体が唸りを上げて迫る。

 その壁にしか見えない巨体がナイチンゲールに激突するかに思えた――その瞬間。

 

 

 ずがぁん! と、通路の両端が突然に大爆発を起こした。

 発生した爆発は凄まじい威力で、ピュートーンの巨体を真下から叩き上げる。

 

 

「ナイチンゲールのやつ、地雷を仕掛けやがったのか!?」

「地雷は戦争において下劣極まる最悪の兵器です。その一方で、命は奪わず戦う力を失わせる、ある意味で大変人道的な兵器でもあります」

 

 

 ナイチンゲールの目の前で、爆発の呷りを受けたピュートーンの巨体が、ぐらりと持ち上がる。

 余りの大きさにスローモーションのようにさえ感じさせる、その巨体に相対するナイチンゲールの隣に、軽やかに燕青が降り立つ。

 

 

「柔を以て剛を制す。流水極めりゃ鉄をも穿つ! 我が巧夫の極意――どうぞご賞味あれってなぁ!」

 

 

 もうもうと粉塵の沸き立つ中を、疾風の如く二人が駆ける。

 目指す先はピュートーンの、持ち上げられて露わになった、鋼鉄の車輪。

 ナイチンゲールが、手榴弾のピンを抜き、拳の中にぐっと握り込む。

 燕青がコォ――と息を吐き、一極集中の極地に至る。

 空回りを続ける車輪の、爆発で僅かにひび割れた隙間に向かって、二人は自らの全力を見舞った。

 

 

「殺・菌・消・毒!!」

「『十面埋伏・無影の如く』!」

 

 

 大爆発と、目にも留まらぬ拳の一閃。二騎の英雄の一撃は、鋼鉄の車輪を貫き、轟音と共に粉砕させた。

 ピュートーンは、鉄屑になった両脇の車輪からバチチと漏電をさせながら、地鳴りを起こして倒れ伏す。機動力を完全に失った機体は、壁のような前部分を地面に押し付け、怪我をした牛のように項垂れる。

 

 

「やったか――!?」

「ンな訳ねえだろ、下がれ燕青、ナイチンゲール!」

 

 

 居並んだオリュンポス兵の誰かの喜びの声を叱咤し、金時が叫ぶ。彼の予想の通り、この世界の支配者たる神々の機構は、足を失った程度では終わらない。

 バチバチと車輪から雷を漏らしていたピュートーンの機体が、ヴヴ――と震える。

 機体の前面、隙間の無い壁のようだったそこに、糸のように細い光の線が一瞬走る。

 次の瞬間、まるで餌を前にした蜘蛛のように、ぐばっと前面の壁が展開した。

 何の予兆もなく開いた裂け目から、夥しい数の回転する鋸やドリルが一斉に飛びだし、一行の肉を抉ろうと襲いかかる。

 残忍な武器の数々の前に立ちふさがったのは、モードレッドとノーマッドだ。二人は雨のように押し寄せる凶器を、鮮やかな剣捌きで次々といなし、後退する。

 

 

「やるな、隊長! オリュンポス兵は腑抜けばかりじゃなかったか」

「当然だ。敵を得たのは数千年ぶりだが、抱き続けた覚悟が違う。遅れはとらんよ」

「自己紹介はもう少し後が良さそうだぜ二人とも。足を失ってもまだ迫ってくるぞ!」

 

 

 後退した燕青が指さす先で、ピュートーンは彼等に死を与える事を諦めていなかった。無数の凶器を地面に突き刺し、這いずるようにして近づいてくる。

 細い鉄のアームを高速で蠢かせて近寄ってくる姿は多足虫のよう。回転するカッターの、ギュイイイイという背筋が寒くなるような甲高い金属音が無数に重なり、本能的な恐怖を与えてくる。

 

 

「死、死死死死死――命ニハ、死ヲ――!」

「足を失って尚戦おうとするとは、何と聞き分けの悪い患者でしょう。鎮静処置に入ります」

「そうさな! クールな一撃を喰らわせて、永遠に眠りこけてもらうとしようぜ!」

 

 そう意気込んだ金時は、右手を高く虚空に突き出した。

 魔力が迸り、雷が落ちたような音と閃光が金時を包む。

 光が止んだ後には、彼の手には、巨大な斧が握られていた。

 身の丈に達する程のマサカリを肩に担ぎ、金時が牙を剥きだし、獣のように剛胆に笑う。

 

 

「一秒! 奴を押し留めてくれ! 頼めるか、オリュンポス!」

「心得た――総員構え!」

 

 

 ノーマッドが応じ、号令。洗練された動きで兵士が陣形を組む。

 

 

「アレス・クリロノミア励起! 神槍展開!」

 

 

 号令に合わせ、槍が輝き始める。神々の世に生を受けた彼等の膨大な魔力に、権能の極小集合体の力が呼応し、魔力は英霊のそれを凌駕し、神性の域にまで達さんとする。

 大口を開けたそこから、夥しい数の凶器をがならせて、ピュートーンが迫る。それは機械でありながら、人の命に飢えた恐ろしい怪物のようだった。ひとたび捕らえられれば、無数の凶器に身体を少しずつ細切れにされ、想像だにできない死を迎える事だろう。

 それでもなお、居並ぶ兵士達の陣形は乱れない。足は力強く地面を踏みしめ、槍に灯る光輝は少しも損なわれない。

 それこそが彼等の、神々に抗うと決めた決意の強さを、何よりも証明している。

 

 

「光刃、放射!」

 

 

 咆哮のようなノーマッドの号令。一斉に突き出した兵士の槍から、凄まじい熱量の光が放たれ、ピュートーンの兵器を吹き飛ばした。

 同じく神々の権能によって作られた物同士、相性が悪く設計されているのかもしれない。強烈な光の奔流はピュートーンの凶器を押し返すも、破壊までは至らない。

 だが、押し返せばそれで十分なのだ。

 

 

「イッツ、ソー、ゴールデンだぜぇ! オリュンポスの兵達!」

 

 

 彼等の頭上を飛び越す、高らかな喝采。

 跳躍した金時は、全身からバチバチと雷を弾けさせながら、金色に輝くマサカリを振り上げる。

 その切先が狙うのは、光の放出によって得物の全てを押し広げられ、無防備になったピュートーンの大口。

 

 

「あらゆる悪鬼羅刹を屠った俺に、機械仕掛けの絡繰りが釣り合うものか! 日の本一の怪力、その身で思い知って打ち砕けろや! 『黄金衝撃(ゴールデン・スパーク)』!!」

 

 

 そして金時は、黄金に輝く特大の刃を、全身全霊を込めて叩き落とした。

 それは、まさしく雷が落ちたような衝撃。何もかもを塗り潰すような閃光が轟き、金属の引き裂ける音さえ吹き飛ばし、ピュートーンの巨体に文字通りの一刀両断を喰らわせた。

 迸った雷が剥き出しの機体に誘電し、通路を埋め尽くす機体のあちこちで、ばうん! という小さな爆発が発生する。

 しかし、力だけなら日本随一の一撃を受けてなお、神造兵器は沈黙をしなかった。武器を失ったピュートーンは、まるで追い詰められた獣のように、砕けた車輪を強引に回し、挽き潰そうと迫る。

 

 

「しつけえな!? ンならもう一発――」

「除け、お前等ぁぁぁぁ!」

 

 

 響き渡る、野性的な声。

 皆が振り返った、視線の先。通路のど真ん中に立ったモードレッドとフランケンシュタインは、既に決着の一手の用意を終えていた。

 

 

「モードレッド、そんな後ろに下がって何してる!」

「知りてえなら、目ぇ見開いて良く見とけ! ファールボールにご注意くださいってな!」

「ファール……?」

 

 

 燕青の疑問には答えず、魔力を奮起させたモードレッドは、赤雷を纏わせたその状態で、くるりと背を向け走り出す。

 その先に待つフランケンシュタインは、手にした鉄棍に、ありったけの魔力を込めている。

 持ち手を肩のあたりに近づけ、身をコンパクトに収めるフランケンシュタインの構えは――さながら野球のバッターのようで。

 

 

「――みんな、伏せろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

 全てを理解した燕青が、青ざめ叫ぶのと同時。

 モードレッドがダンッと地を蹴り、赤雷で輝く足をフランケンシュタインに向けた。

 

 

「ぶっ飛ばせぇ、フラァァァァァァン!」

「ウウ――ガアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 モードレッド目がけ振り抜かれる、フランケンシュタインの渾身の一撃。

 雷を纏わせた鉄球は、赤雷を込めたモードレッドの両足にジャストミート。大爆発と共に、モードレッドを弾丸の如き勢いで射出させた。

 モードレッドは手にしたクラレントを突き出す。錐揉み回転するモードレッドの身体は、たちまち音速を越え、雷を纏う一個の弾丸になる。

 刃を手にした雷の弾丸の前に、壊れかけの巨体は、反応さえも許されなかった。

 モードレッドは鋼鉄を切り裂き、内部の機構を雷で焼き去り――数十メートルに達する巨体を秒にも満たない一瞬で駆け抜け、軽やかに着地する。

 

 

 全ての反応は遅れてやってきた。

 ピュートーンは、数秒経ってようやく自らの絶命に思い至ったかのように、あちこちから漏電し、爆発を産み、とうとう凄まじい大爆発を引き起こして、巨体を爆炎と共に四散させた。

 冥界たるオリュンポスの地下通路全体が、衝撃に震える。

 何十秒も立ってようやく爆炎が収まると、通路の隅っこで這い蹲って震えていた燕青が、泡を食ったように跳ね起きた。

 

 

「モードレッドぉぉ! お前なぁ、デタラメやるなら時と場合を選べよ! 俺達に当たったらどうするつもりだったんだ!?」

「大丈夫だったから文句言うなよ。なあフラン、ナイスバッティング!」

「ウゥ!」

「こっち来いよ。前に教えたアレやるぞ、アレ!」

 

 

 ハチャメチャな一撃で決着を付けた二人の少女は、天真爛漫な笑顔を浮かべて駆け寄ると、音が出る程勢いよく、互いの手を握りしめた。

 

 

勝った勝った!(Winner! Winner!)晩飯は鶏肉だ!(chicken dinner!)

「ウ! ウ! ウゥ! ウーー!」

 

 

 ピシガシグッグ、と息のピッタリ合った動きで腕を組み替え、最後に天高くガッツポーズ。二人一緒に、勝利の鬨の声を上げる。

 神の残骸を加工して作られた神造兵器は、もう一度ばうんっと爆炎を噴きだし、とうとう沈黙。物言わぬ残骸へと変わる。

 

 

「……これはまた、とんでもない救世主が現れたものだ」

 

 

 ようよう起き上がったノーマッドは、ごほっと咳き込み一つ。噴煙の立ち込める中で笑い合う少女達を眺め、ふっと唇を綻ばせて笑みを浮かべるのだった。

 

 






明日も上げる予定です。
評価、感想頂けると励みになります…!


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11話

 

 

 ――冥界が、揺れた。

 

 

 ズズ、と小さな振動。

 壁を伝う度に弱り、小さくなりながら空間に広がり――やがてほんの僅かな空気のひずみになって、遙か彼方、冥界の最深部まで届く。

 ネズミが尻尾で地面を払うようなそのひずみを、『彼』は確かに感知した。

 見逃すわけがなかった。どんなに小さなものであれ、それは遙か数千年前に全ての役割を失った冥界に、ようやく訪れた変化であるのだから。

 

 

 ――そうか。

 

 

 沈黙を保ち続けていた機構が稼働し、心臓が血潮を巡らせるように、機械の身体にエネルギーが走る。

 

 

 ――地底へ潜るか、命よ。

 

 

 稼働した各種機器に指示を飛ばし、僅か数フレームでのセルフチェックを完了させる。

 観測機器が、端末の一つの消失を告げていた。

 故障ではない。憎らしき全能神ゼウスは、不具合など決して許容しない。

 打ち砕かれたのだ。神造兵器が、ゼウスが己の身体を用いて作った憐れな人形が、何者かの手によって。

 

 

 ――抗うか。人よ。

 

 

 機構が唸る。

 起動し、稼働し、加速する。

 自動的に、意志とは無関係に。

 あるがまま役割を全うするシステムとして、機構は告げる。

 冥界に宿る命無し。

 地下世界にあるものに、須く死を。

 

 

 ――来るか。いや、来てみるがいい。

 ――役目を失い、ゼウスの傀儡と化した、この憐れな冥界を下してみろ。

 

 

 機構は、自分を呼び覚ました小さな揺れを再生する。

 小さな空気の歪み。満ち満ちて凍り付くようだった無に響いた変化。

 人が思い出のレコードにそうするように。

 機構は何度も何度も、その変化を再生し。

 願う。

 

 

 ――私を終わらせてみるがいい。神に抗いし命達よ。

 

 

 

 

 

 

 

    ◇

 

 

 

 

 

「なあ、本当にここで当ってるのか? どうみても壁にしか見えねえぞ」

「マカリオス、そうツンケンしないのよ。ダメだったら次を試すだけなんだから。ねえ、ノーマッド?」

「心配いらないさ。座標は確かにここを示している。何かしら信号を送受信していると思うんだが――」

 

 

 ピュートーンを破壊し、汎人類史初の成果を上げてから、およそ十数分後。

 一行は冥界を更に下り、指定されたある場所へと辿り着いていた。隊長であるノーマッドが告げた場所だが、端からでは行き止まりにしか見えない。

 ノーマッドの手には、掌サイズの電子パネルが収まっていた。汎人類史にとっては解読不能な文字が、下から上へ次々と流れていく。彼等が先ほど倒したピュートーンの、コアにあたる箇所から抜き出したものだ。

 

 

「戦いの中で壊れてなくてほっとしたぜ……それで、今は何をしているんだ」

 

 

 忙しく作業をする共和神人軍の後ろから、燕青が聞いた。パネルを触りながら、ノーマッドが答える。

 

 

「マカリオスと、こう見えて俺も歴史学を専攻していてね。支配派と共生派の間に起きた大戦についての知識を収集していたんだ」

「元々、地下は不可侵の場所とゼウスからの託宣でも告げられていた。命ある者が訪れる場所でない。踏み入れれば恐ろしい怪物に命を奪われるって感じでな。まさか神造兵器とは、初めて侵入する数十年前まで知らなかったけど」

 

 

 のっぺりとした壁をノックしながら、マカリオスが話を続ける。

 

 

「図書館に保管されていた電子書籍だと、具体的な情報は検閲でほとんど消されていた。それでも断片的な情報をつなぎ合わせて、この冥界の仕組みと、ゼウスが作った防衛機構群の情報くらいは掴む事ができた」

「……ちょい待ち。いま防衛機構『群』って言ったか? あんなヤベエ奴が他にもいるって?」

「文献によれば、ピュートーンは端末の一つらしい。あいつらにも『主』に相当する奴が居て、その巣と言えるような場所に定期的に帰還するんだと」

 

 

 あんな凶悪な兵器が、単なる端末に過ぎない。その事実に燕青が鼻白む。

 端末を操作しながら、ノーマッドが汎人類史の一行に言う。

 

 

「俺達の第一目標は、安全に活動できる拠点の確保だ。そのためにまずは、この冥界の主――ハデス神を打破する必要がある」

 

 

 告げられた名前に、汎人類史のサーヴァント全員が思わず息を飲んだ。

 ハデス。名前を知らない人は居ない、死を司る神。ゼウスの兄であり、彼に匹敵する力を持つとまで言われる存在だ。

 

 

「だが……さっき聞いた話だと、ハデスは最後の大戦の際に、共生派に立ってゼウスに倒された筈じゃなかったか?」

「その通り。ハデスはかつて、ゼウスに立ち向かう我々の、最大戦力だった神だ」

 

 

 遡るは数千年前。人と神の関係性を協議し、『完全支配』と『共生』に別れて争いあった、オリュンポス最後の大戦。冥界神ハデスは共生派に名乗りを上げ、ゼウス等完全支配の一派に倒された。

 共に戦った共生派の神々は破壊され、分配された権能はゼウスに統合された。機神としての命も、神としての機能すらも奪われ、鉄屑同然になって、アトランティスに放逐されたのだ。

 完膚無きまでに敗北したハデスは、けれどその運命までは認めなかった。

 ゼウスに敗れた彼は、支配派の神に捕らえられる寸前に、身に宿した権能諸共自壊したのだ。

 

 

「冥界を司る権能はゼウスに移換せず、永遠に葬り去られました。ハデス神の反骨の意志によって、この地下空間は、オリュンポスにおいて唯一、ゼウスの手の届かない場所となっています」

「だがゼウスは、冥界をブラックボックスのままにしておく事を許さなかった。ハデス神の機体を素体に、ほかの神々の残骸も用いて、冥界に殲滅機構を作ったんだ」

 

 

 デメテル神が生産する神の糧アンブロシアによって病と老いを克服し、例え死したとしても、保存された情報を用いて分神殿から『再生』する。オリュンポスの民は既に死を克服し、冥界の存在はほとんど形骸化していた。

 目の届かない暗がりに、悪い虫が蔓延っていては始末に負えない。意味を失った場所であれば、完璧な無にしてしまえばいい。そうして作られたのが、冥界を縦横無尽に走り回り命を奪う、ピュートーンのような神造兵器だった。

 

 

「なるほどね……神に逆らった末路が『お掃除ロボット』とは、皮肉が効いてるな」

「っ……!」

 

 

 モードレッドが嘲るように言う。

 マカリオスが眉を潜め、険しい顔で彼女を睨むも、彼女は肩を竦めただけで、人を喰ったような顔を崩さない。

 マカリオスの肩に手を置いて制しながら、アデーレが一行を見る。

 

 

「今の冥界は、ハデス神の残骸に一任されています――つまりハデス神さえ打倒すれば、この地下空間全てを、我々共和神人軍の拠点とする事ができます」

「死を司りながら、死ぬ事さえ許されなかった神だ……ハデス神の弔いは、我々共和神人軍、百余名の総意でもある」

 

 

 固い声でノーマッドが言い、オリュンポス兵が頷いて同意を示す。

 司る概念こそ『死』であるが、ハデス神は、ゼウスに並ぶ素質を持つ強力な神。彼等にとっては救いの象徴と呼んでいい存在だったのだろう。

 そんなハデス神の残骸が、ゼウスによって改造され、意志を持たない絡繰として使われている。それは死体で作られた操り人形と同じだ。共和神人軍の一同の顔には、同士の受けている辱めに対する怒りと憐憫がありありと滲んでいた。

 

 

「時が来れば冥界へ……オリュンポス全土に散らばった共生派には、そう言い伝えてある。其方ら汎人類史の仲間も、市街まで辿り着いていれば、きっと我々の同士と共に、ハデスを目指し進んでいるはずだ」

「ウウ!」

「そいつぁ嬉しい報告だぜ、ノーマッド! テスラ達と合流できれば百人力だ。俺っち達の頭脳は、みんなあそこに集まってるからな!」

 

 

 微笑みを返し、ノーマッドが端末をタップする。とうとう端末は稼働を始め、不意に光を瞬かせた。それに呼応するようにして、壁の一部にも電気光が灯る。

 一行の目の前で、ズズ――と音を立てて、壁が横滑りを始めた。口を開いていくそれを前に、ノーマッドが呟くように言う。

 

 

「……離れた地区の皆も、無事であればいいのだが」

「無事だよ。無事に決まってる」

 

 

 彼の不安を壊そうとでも言うように、モードレッドが力強く断言した。

 

 

「誰一人欠けてやしねえよ。神に立ち向かう英雄に、そんな情けねえタマはいやしねえ」

 

 

 気負った様子はなく、そう断言する。疑う気配すら見せないモードレッドの様子は、疑う事を恐れているようにさえ感じられた。

 そこに抱いた感情を察し、ノーマッドは静かに視線を逸らし、唸りを上げて開いていく扉の向こう側に意識を注ぐ。

 端からでは全く気付けなかったが、壁に見えたそこは、エレベーターのドアのような役割を担っていたらしい。一分足らずで、一行が手を広げても届かない程の横穴が開いた。

 

 

 

 

「まぁ……」

 

 

 壁の向こうに広がっていた空間に、アデーレが驚く。その声が、わぁんと反響しては、遙か遠くまで消えていく。

 形容すれば、それはトンネルのようであった。壁面は丸く、横長の楕円状をしている。誰かに見せる想定でないためか、これまでのメタリックに統一された地下空間と違い、剥き出しのコンクリートのような灰色をしていた。

 楕円形をした空間は左右に長く続いている。等間隔にぽつぽつと灯ったライトで、辛うじて全貌を見渡せる程度の明かりを確保していたが、両端共に代わり映えのしない景色が、何キロも続いているだけだ。

 アデーレの脇から顔を出したモードレッドが、眉を潜めて、訝しげに言う。

 

 

「何かの、輸送路みたいだな。上と下に、レールみたいなのが走ってる」

「どこだ? 暗くて全然見えねえ」

「……ウゥ、ウ、ウー」

「まずはそのサングラスを外せって? 冗談よせよ! ゴールデンな俺っちの、ベストオブゴールデンアイテムだぜ? クールを失っちゃあ俺の霊基が歪んじまう!」

「敵影はなさそうだが、確かに視界が悪いな……魔術を使える者で光球を作ろう。アデーレ、マカリオスも頼めるか?」

 

 

 ノーマッドの提案に、双子が頷く。

 数分で用意された光球を周囲に漂わせ、一行は巨大な地下空洞に降り立った。鎧が鳴る音が、どこまでも続く通路の奥に、反響しながら消えていく。

 

 

「この奥に、そのハデス神の残骸が構えてるっていうのか?」

「そのはずだ――端末が座標を示している。皆も付いてきてくれ」

 

 

 ノーマッドが先導し、双子と汎人類史が後に続く。殿を務めるのは五人のオリュンポス兵達だ。

 地下空洞は驚くほど静かで、とてつもなく広かった。最初こそ警戒していた一行だったが、何も起きない事にそうそうに気づき、数分で張り詰めていた緊張を解いた。足音を響かせながら、緩やかな速度で進行する。

 

 

 

 

 アデーレは歩きながら、果てなどないような通路の先を見据える。

 その顔の傍に、すっと手が差し出された。

 振り返れば、すぐ近くに、美丈夫の眩しいほどの晴れやかな笑顔がある。

 

 

「名前を名乗ってそれっきりだったからな――燕青だ、よろしく美しいお嬢さん」

「ええ、ちゃんと覚えていますよ燕青さん。先ほどの拳闘、素晴らしかったです」

「あはは、嬉しいねえ。芸達者と自負してるが、傭兵稼業じゃ成果ばかり求められて、褒められるなんて滅多に無いから」

 

 

 手を握られ、微笑まれ、分かりやすく燕青の頬が緩む。赤らめた顔は、明らかに繋いだアデーレの手の、白魚のように細く艶やかな感触に意識を注いでいる風だ。

 

 

「これから長い付き合いになるんだ、仲良くいこう。何ならアデーレちゃんも、もう少し砕けた調子で話してくれても――」

 

 

 燕青がぐっと顔を寄せようとした時、マカリオスがずいっと身を乗り出し、アデーレと繋いでいた手をひったくるようにして掴んだ。見上げる目に凄みを効かせて、握りしめた手を振る。

 

 

「マカリオスだ。姉さん共々――一緒に戦う、仲間として、よろしく」

「……」

 

 

 睨み付けられて、燕青はバツが悪そうに視線を彷徨わせる。

 その時、突然横合いから飛んで来た掌底が、燕青の長身を吹き飛ばした。

 

 

「ぎゃう!?」

「わぁ!?」

「握手の前に手は洗いましたか? 洗っていませんね? 不潔は罪だと何度言えば分かるのですか。困った患者です」

 

 

 突き飛ばしたナイチンゲールは、真っ白なグローブでマカリオスの手を取った。目を白黒とさせる彼の手を、アルコールを染み込ませたガーゼで丁寧に拭く。 

 

 

「異邦人との接触は慎重にお願いします。体内外に生息する細菌や寄生虫は生活環境で大きく異なります。黒死病の恐怖を決して忘れないように」

「ぺ、ぺす……?」

「ああもう! アンブロシアだか何だか知りませんが、医療への理解がまるで足りません! 今一度授業が必要と見ました。皆様、歩きながらで構いませんので、どうかご傾聴を!」

「ハイハイ、その辺にしとけよナイチンゲール。お前の講説を聞いてたら、気落ちして魔力が漏れちまう」

 

 

 そう声をかけたのはモードレッド。彼女はナイチンゲールの肩を掴むと、集団の端の方にズルズルと引き摺っていく。

 その途中、一瞬だけ、モードレッドはマカリオスに視線を寄越した。モードレッドはむっつりとしたしかめ面をぴくりともさせないで、ふいとそっぽを向いてしまう。

 

 

「……」

「あー、気を悪くしないでやってくれないか、マカリオスさんよ」

 

 

 マカリオスの、モードレッドを見る目の間に割って入って、金時が間をとりなった。彼は厳めしいサングラスにはまったく似合わない、気苦労の滲む溜息を吐き出す。

 

 

「ここに来るまでの道中で色々あってな。普段はもう少し気の良い、気配りのデキる奴なんだぜ? マジで」

「別に……気にしちゃいないよ。仲良くする理由だって、別に無いしな」

 

 

 マカリオスは気勢を削がれて、金時から視線を逸らす。

 まだ小一時間の付き合いであるが、汎人類史の中で最も話が通じるのが、最も話の通じなさそうな金時なのは、彼にとって結構な衝撃だった。金髪をトサカ立たせた厳つい格好で、平身低頭こちらの気を配ってくるものだから、声をかけられる度に反応に困ってしまう。

 マカリオスが気まずく俯いていると、くすくすと笑ったアデーレが、肩をちょんとつついてきた。

 

 

「こちらこそごめんなさい。自分じゃ分からないでしょうけど、マカリオスもはしゃいでるのよ。オリュンポス人は皆長生きで穏やかだから、マカリオスみたいに喧嘩腰な人はいなくて、モードレッドさんに仲間意識を感じてるの」

「ちょっと待てよ姉さん、喧嘩なんてしたことないだろ!? 俺は戦う覚悟をちゃんと持って行動してるだけで……」

「ノーマッドさんから、力を抜けっていつも窘められてるじゃない。何かあるとすぐ怒り肩になるんだから」

 

 

 アデーレがマカリオスの両肩に手を置く。とうとうマカリオスは怒るでもなくなってしまい、アデーレに促されるまま、持ち上げていた肩をストンと落とした。

 大人しくなったマカリオスの肩をよしよしと撫でながら、アデーレはふっと表情を陰らせた。

 

 

「けれど、そうよね……いよいよ、戦いが始まるんだものね。誰が欠けてもおかしくない。なれ合ってる場合じゃないっていうのも、その通りだと思うわ」

「姉さん……」

「共生派であることがゼウスにバレれば、例え死んでも復活はさせてもらえない。仮に復活できても、元通りの私達のままではいられない」

「それは、沢山話し合った事だ。元通りの生活には戻れない、全てを失う。ここにはその全部を分かった上で『それでも』と言った奴等が集まってるんだ」

「ええ、もちろんよマカリオス。ただ、私ももう少し、失う覚悟を決めなきゃなって。そう思っただけ」

 

 

 固い声で、アデーレが言う。透き通るような彼女の声は広い地下空洞によく反響し、固まって歩く一同の耳に、染み入るように響く。

 誰もが無意識に耳を傾け、心を固く引き締める。ザッザッという足音が地下空洞に響くのが、いやに大きく聞こえる。

 天井に点々と灯ったライトと魔術光だけの薄暗い空間に、不意に広がった重苦しい沈黙。

 その中で、ひらりと動く白い影が一つ。

 フランケンシュタインは、純白のベールをはためかせると、アデーレの前に立った。俯いていたアデーレが、きょとんと目を丸くして彼女を見つめる。

 

 

「フランケンシュタイン……さん? どうかされた?」

「……」

 

 

 アデーレが聞いても、フランケンシュタインは応えない。

 その代わりに彼女は、自分の純白のドレスの懐をごそごそと探ると、おもむろにアデーレに拳を突き出した。

 ぐっと握った彼女の拳に握られていたのは――鮮やかな空色の花。

 目を白黒とさせるアデーレに、フランケンシュタインはむっつり引き結んだ唇を開き、絞り出すように言う。

 

 

「……や、る」

「……くれるの?」

「ウ」

 

 

 聞き返したアデーレに、コクコクと頷く。

 それはオリュンポス都市に入る前の森で、フランが見つけた野草から摘んだ花だった。戦いの最中で少し萎れてしまってはいたが、それでもアデーレが受け取った空色の花弁は、息が詰まる薄暗い地下空洞に置いて、溜息が出るほど美しかった。

 成り行きを見守っていた金時が、嬉しそうに笑う。

 

 

「気負い過ぎるなってさ……フランケンシュタインの言う通りだ。戦いとはいえ、心まですさむ必要はねえ。ゴールデンな勝ち星は、心に余裕があって、どっしり構えて笑える奴にこそ付いてくるもんだ」

 

 

 アデーレは金時を見て、うんうん頷くフランを見て、それから渡された空色の花を眺めて、ふふっと唇を綻ばせる。

 アデーレは花の茎を編んで、かんざしのようにしたそれを、編み込んだ茶髪に慎重に挿した。くるりとその場で回って、磨かれた胴のように綺麗な髪に咲いた小さな空色のブーケをフランケンシュタインに見せる。

 

 

「どうかしら。似合う?」

「ウ」

 

 

 フランが、ぐっと親指を立てる。

 吹き出すように笑ったアデーレの顔は、可憐な少女そのもので。彼女の星のように煌めく笑顔は、共に進む一同から戦いへの緊張を拭い去り、頬を緩ませるのだった。

 

 

「……」

 

 

 ナイチンゲールをいなしたモードレッドは、集団から少し離れた場所で、そのやり取りを見ていた。どこか遠い、絵画でも見るような心地で。

 そうして見つめていると、ふとフランケンシュタインと目があった。彼女はモードレッドの視線に気付くと、とととっと駆け寄ってきて、懐から取り出した花をモードレッドに突き出した。

 

 

「ウ?」

「いや、要らねえ。戦いの時に散らしちまうからな」

「……ウ」

「気持ちだけもらっとくよ。サンキュー」

 

 

 労うようにフランの肩に手を置き、モードレッドは再び眼前、どこまでも続いていそうなトンネルの向こうに視線を戻し、それから一度も振り返ろうとしない。

 

 

「ウゥ……」

 

 

 鎧で覆われた背中に、フランケンシュタインが寂しく唸り声を上げた。

 その、心にぽっかり穴が開いたような切なさが――地下空洞の異常に、いち早く気付かせた。

 

 

 

 

 ひり、と肌が粟立つ。

 フランケンシュタインの身体を駆け巡ったのは、獣のような本能的な察知力に依る物だった。

 自分でも訳が分からないままに、フランケンシュタインはモードレッドに向け突進した。振り返るモードレッドがぎょっと目を丸くするも、お構いなしに飛びかかる。

 

 

「どわ――!?」

 

 

 上擦った、驚きの声。

 それを吹き飛ばす大轟音が、数瞬前までモードレッドのいた場所に轟いた。

 壁をぶち破ってきたのは、長大な地下空洞の端まで届く、途方もなく巨大なブレードだった。刃の切先は、超密度の魔力孕み、神性な紫の光に染まっている。

 目を丸くする暇もなく、ブレードは壁をバターのように溶かし切りながら、揉み合って倒れた二人に向かって迫る。

 

 

「総員! アテナ・クリロノミア緊急励起!!」

 

 

 怒号のようなノーマッドの声に、オリュンポス兵が応じた。個々人の神盾に込められた魔力が呼応し、一枚の巨大な盾になって、紫に輝くブレードと激突する。

 共和神人軍の全力の防御は、辛うじてブレードと拮抗した。停滞したブレードの下に、金時と燕青、ナイチンゲールが滑り込む。

 

 

「打ち上げるぞ、お前等! せぇ――のぉ!」

 

 

 燕青の号令で、一斉に全力を叩き付ける。ブレードがぐんっと持ち上がり、ノーマッド達の盾を越え、地下空洞の上部を切り進む。

 一瞬で数百メートルを切り進んだブレードは、壁の向こうに消える。

 ようよう一同は、最初にブレードが突き破った大穴の向こうに覗く、圧巻の光景に我が目を疑った。

 壁の向こうは、今彼等のいる地下空洞よりも更に巨大な、縦長の空間になっていた。下も上も、数百メートルはあるかもしれない。オリュンポスの排水溝の一部が繋がっているのか、壁面の一部の穴から水が噴き出し、滝のように轟音を上げて、数百メートルの距離を落ちていく。

 途方も無く大きな巨大な空洞。

 そこを、たった一つの機械が埋めていた。

 

 

『……』

 

 

 ――塔。

 形容するとすれば、それ以外に言葉がない。

 黒い機体に紫の光を走らせた、機械仕掛けの塔だ。円錐状の軸は、一キロに及ぶ程の空間を貫くように屹立している。軸からは扇型をした機構が幾つも広がり、それがプロペラのように緩やかな回転を続けている。

 扇状に見えたそれは、格納庫らしかった。見下ろした扇型の機構の一つが、その上部に先の魔戦車――ピュートーンを鎮座させているのが見える。地下通路を埋める程巨大なピュートーンは、こうして見ると、まるで草葉に止まる蝶のように小さく見えた。

 

 

「……これが、冥界神」

 

 

 誰かが、震える声でそう呟く。

 ゴウンゴウンと機構が唸り、紫の光が血潮のように胎動する。

 元、冥界の主。

 大神に敗れ、自ら命を絶ち――その死骸を弄ばれ、ただ冥界の命を屠る為に作られた存在。

 意志を持たない、ただの防衛機構。

 殲滅防衛式神造格納母艦――ハデス。

 

 

「嘘……これが、ハデス様……!?」

「別物じゃないか。ゼウスの奴め、仲間の身体を使って、こんな工作を……!」

 

 

 アデーレが息を飲み、マカリオスが憎しみも露わに歯噛みする。

 どこからともなく、声が響いてきた。

 

 

『冥界ハ、死ノ領域デアル』

 

 

 ノイズ混じりの、機械的な声。

 

 

『命モ、希望モ、産マレハシナイ。アラユル生産ハ、許サレナイ』

 

 

 ハデスは既に一行を捉え、殲滅のための機構を作動させていた。プロペラのように回転する扇形の機構と一緒に、先ほど一行を切り裂かんと突き出されたブレードが無数に回り、紫の光を瞬かせている。

 

 

『終ワレ、命ヨ』

「……」

『サモナクバ、抗エ。我ガ死ノ機構、冥界ノ権能、終ワラセテ、ミルガイイ――!』

 

 

 紫の機械が胎動する。まるで、捕らわれた運命を嘆き、悲哀の絶叫を上げるかのように。

 

 

「……準備はいいな、お前等!」

 

 

 最初に声を上げたのは燕青だった。指を鳴らし、拳を握る。その隣に、各々の得物を携えた、汎人類史の英雄達が並び立つ。

 

 

「ここでコイツを下す! 敵は残骸とはいえ死の神! 全能神を相手取る俺達に、これ以上ない前哨戦だ!」

 

 

 広い空間を回転したブレードが、再び燕青達に迫る。刃が宿した紫の光が、命を葬り去らんと輝きを増す。

 刃の追突と同時に、汎人類史は跳んだ。縦長の空間に身を躍らせ、回転する無数の機構の中を落ちていく。

 

 

「倒すぞ、機神! ここから、俺達の『神狩り』の始まりだぁ!」

 

 

 



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12話

 

 

 重力に身を任せた自由落下は、せいぜいが数秒。

 モードレッドは、重厚な駆動音を上げて回転するプロペラ――それら一つ一つが、サッカーコート並の巨大な広場になっている――に、軽やかに降り立った。数秒遅れて、フランケンシュタインが彼女のすぐ後ろに着地する。

 後の仲間は、モードレッドのいるプロペラを抜けて、更に下へと落ちる。端から顔を出せば、それぞれがプロペラの上に着地し、周囲を油断なく警戒している。

 

 

「まずは撃破の糸口を探す! くれぐれも死ぬんじゃねえぞ!」

「お互いにな! ツギハギのガラクタとはいえゼウスに比肩する神だ、油断するなよ!」

 

 

 一つ下の段に降り立った燕青と金時がそう声を掛ける。

 その二人に目がけ、紫に輝く巨大なブレードが横合いから迫り、二人の姿を覆い隠した。

 

 

「ッお前等――!?」

「ウウウッ!」

 

 

 人の心配をしている場合ではない。フランケンシュタインが指さす先、彼女の胴体と同じ高さに、巨大なブレードが迫ってきていた。

 ぞっと血の気を引かせながら、二人は這い蹲ってブレードを回避。巨大な刃が頭のすぐ上を駆け抜け、ゴウッ――と二人の髪を靡かせる。

 全く同じようにブレードの下をくぐって回避したらしい。下の方から、金時と燕青の泡を食った悲鳴が響く。

 

 

「ひぃ、まるでミキサーの中に飛び込んだみたいだ! 絶対に食らうなよ、お前等の血を頭に被るなんて想像したくもないからな!」

「心配すんな。もう少ししたら、ぶっ壊したコイツの、機械油の雨を浴びせてやる!」

 

 

 発破と共にモードレッドが起き上がる。

 彼女の立つ格納翼の床のあちこちに、細い光の線が走ったかと思うと、ひと一人が収まるくらいの柱が飛びだしてきた。

 どうやら、柱を中心にプロペラのように回転するそれらは、冥界を護る防衛機構の格納庫であったらしい。数えるのも億劫な程の柱が開き、その中から、機械仕掛けの人形が飛びだしてきた。その外殻は、強化に用いられたクリロノミアの影響で鈍色に輝いている。

 

 

「ヘへっ――どうやら機械油の前に、歯車の雨を降らせるのが先らしいな」

「ウウ――!」

「行くぞフラン、まずはゴミ掃除だ!」

 

 

 宝剣と戦槌。纏わせる雷は紅蓮と翠緑。魔力を迸らせ、神造人形の群れに突貫する。

 回転する、広いとは言い難い戦場。そこにひしめくほどの機械人形の群れが、命を狙って襲いかかる。ここが冥界であることを差し引いても、まるで地獄のような光景だった。

 しかし、刃に雷を纏わせる彼等にとっては、足下に纏わり付くネズミのよう。煩わしいと思いこそすれ、死の危険など余りに遠い。

 憶するような小心などある訳がない。一度目の命で英霊に至るほどの激動を生き、英霊として召還された此度も、アトランティスからこの場に至るまで、幾度もの死線をくぐり抜けてきた。

 

 

「吹き飛べぇ!」

「ガアアアア!」

 

 

 勇猛果敢な二人の戦い振りは、獣のような荒々しさにも関わらず、驚くほどに息が合っていた。お互いの死角を常にカバーし、片方が飛びだせばそこに追従する。モードレッドが一振りで三を切り払えば、フランケンシュタインが負けじと四を吹き飛ばす。迸る雷には同じだけの雷で応え、混ざり合って増幅した電流が周囲を感電させる。

 それぞれの行動が、自然と相棒を助けるように作用する。無意識の選択が、結果的にその状況における最適解になる。まるで入念に練習を重ねたデュエットを踊るように、二人は機械人形を蹴散らしていく。

 

 

「――今!」

「ウゥ!」

 

 

 意思疎通は、短いかけ声一つで足りた。放出した魔力で周囲の敵を吹き飛ばした二人は、同時に跳躍した。その僅か数秒後、再び回転してきたブレードが、途轍もない勢いで押し寄せ、格納翼の上にいた人形達を一つ残らず蹴散らし、残骸の雨に変えて方々に吹き散らした。

 

 

「自分で出した味方を切り裂くとか、やっぱバグってんのかね。全能神の設計も案外ガサツか、それとも冥界での隠居期間が長すぎて耄碌したか?」

「ウ、ウウウ……」

「分かってるよフラン。ザコに構ってる場合じゃねえ、狙いはこのデカイ機械そのものなんだからな!」

 

 

 格納翼の床には光が走り、また新たな防衛機構を出そうとしている。

 着地と同時に、二人は走り出した。狙うのはプロペラの根元、空間を縦に貫く機神ハデスの本体だ。

 見上げても視界に収められないほど高く、見下ろしても果てが見えない。直径だけでも十数メートルはあるだろう。黒一色の機体には、血管のように紫の光が走り、心臓の鼓動のように明滅を繰り返している。

 

 

「敵の親玉に弄られてさぞ噴飯だろ、冥界神。今度こそスクラップにしてやるよ!」

 

 

 もはや一つのビルのようにしか見えないそれに、全く憶する事なく躍りかかる。しかし、それを許すほど機神は甘くない。

 黒い機体に紫の光を走らせた機神は、不意にその光を胎動させたかと思いきや、姿を変貌させた。

 表面を覆っていた金属板が仕舞われ、内側の機構が露わになる。

 そこにあったのは、カメラのレンズに似た、眼球のような球形をした機構だった。中央部は、ブレードの刃に灯ったよりも尚強力な紫の光を讃えている。

 一つ一つは、モードレッドをすっぽり包んでしまえるほど大きい。その巨大なレンズが、目視しただけで三つ。

 ぎょろり! とレンズが二人を捉え、次の瞬間、紫色のレーザーが一斉に照射された。

 

 

「ウアア!?」

 

 

 咄嗟にフランが、雷を蓄えた戦槌を盾に。衝突したエネルギーが爆発を起こし、傍にいたモードレッド諸共吹き飛ばす。

 空中に飛ばされた二人。柱に産まれたレンズの一つが、ぎょろりと視線を合わせる。

 

 

「させ、るかぁ!」

 

 

 モードレッドの判断は迅速だった。彼女はクラレントを空中に放り、その柄に全力の蹴りを見舞って射出する。矢のように飛来したクラレントが照射されたレーザーと激突。バチィ! と音を立てて相殺した。

 距離を取って改めて見ても、それは異様な光景だった。金属の柱を裂き開くようにして、紫に輝く眼球のようなレンズが現れ、ぎょろぎょろと蠢いている。本能的な部分が、ぞぞっという嫌悪感を背筋に昇らせる。

 いよいよ殲滅形態に移ったという事だろうか。変化はハデスの機体全体に及んでいるらしかった。階下でぎょっとした燕青の声がする。

 

 

「エジソンが言ってた魔神柱って奴にそっくりだな。こんな気味悪い奴と戦ってたってのか、カルデアは!?」

「ん? 燕青お前、カルデアで一緒に戦った記憶を持ってるんじゃなかったか?」

「いや、俺は一緒に戦ったんじゃなくて、裏を掻こうとしたというか、むしろ奴等を新宿で――ううん藪蛇だからやめとこうかこの話!」

「そうだぞお前等! 思い出話に花咲かせてたら、テメエの腹を掻っ捌かれるぞ!」

 

 

 叱咤するモードレッドに、またしても回転するブレードが迫る。

 二人はブレードの下をくぐり抜けようと姿勢を低くし――そこに、ハデスの眼球から照射された光線が衝突。爆発で二人の身体を跳ね上げた。

 

 

「しま――」

「ウ――!?」

 

 

 青ざめる二人。戦慄し、スローモーションになった視界に、紫のブレードが迫る。

 一刀両断の運命を避けるべく、モードレッドがクラレントを振るう。その動きよりも、巨大なブレードの動きの方が早い。

 しかし、そのブレードよりも迅速に反応した人物がいた。

 

 

「緊急障壁!」

「術砲射出!」

 

 

 響き渡る、凜とした幼い声。

 モードレッドとフランケンシュタインの身体を、淡い防御膜が包み、次いで彼女達の足下に、魔力を込めた砲弾が炸裂。ダメージを防御膜に吸収させながら、衝撃が二人を更に高く吹き飛ばし、ブレードの一閃を飛び越えさせる。

 

 

「今のは――」

 

 

 ようよう着地したモードレッドは、声のした頭上――自分の一つ上の格納翼を見る。

 磨かれた銅のような髪色の双子が、格納翼の縁に立って、モードレッド達を見下ろしていた。

 

 

「アデーレ! マカリオス!」

「ウゥー!」

「お二人とも、大丈夫ですか!?」

「フン、礼なら要らないぞ。情けないヘマをカバーするのも、仲間の務めだからな」

「あァ!?」

 

 

 腕を組みフンと鼻を鳴らすマカリオスに、モードレッドがメンチを切る。ひとまず元気である証拠とでも思ったか、アデーレがほっと胸を撫で下ろす。

 双子の存在に最も驚いたのが、遙か下にオリュンポス兵と共に落ちたノーマッドだ。彼は見事な連携で大量の機械人形をいなしながら、頭上の双子に向け叫ぶ。

 

 

「お前達、何をしている! ここは危険だ、すぐに横穴まで戻れ!」

「いいえ、ノーマッド。直接戦う事はできなくても、皆さんの支援ならできます!」

「ようやく俺達の時間が動きだしたっていうのに、指を咥えて見ているだけなんてごめんだ!」

「しかし……」

 

 

 双子の強い主張を受けても、ノーマッドは躊躇していた。

 見上げてくる、顎髭の浮いた壮年の渋い表情に、マカリオスは力強い視線を返した。

 

 

「戦いは始まった――もう御免だ。子供扱いも、代わり映えのしない俺達の日常も」

「……」

 

 

 少年の真剣な訴えに、ノーマッドは答えられない。

 しかし、彼等の心や、迷いなど、機械仕掛けの冥界神にとっては、歯牙に掛ける意味はなく、そういう機構も持ち得ない。

 

 

「ッ後ろだ!」

 

 

 いち早く気付いたノーマッドが、目を剥き叫ぶ。

 振り返った二人が見たのは、床からせり出してくる巨大な格納庫と、そこに収められていた魔戦車――ピュートーンの姿だった。

 戦慄する双子の前で、ピュートーンは車輪を唸らせ、格納庫がせり上がりきるのも待たずに、彼等を挽き潰そうと突進してきた。

 

 

「きゃ――!?」

「飛び降りろ、二人とも!」

 

 

 モードレッドに従って、マカリオスがアデーレの肩を抱き、二人一緒に飛び降りた。数秒遅れて、ピュートーンが彼等のいた場所を蹂躙。後を追うようにして、モードレッド達のいる格納翼へと落ちてくる。

 衝撃で離ればなれになった双子を、モードレッドとフランケンシュタインが手分けして受け止めた。

 突然の恐怖に青ざめるマカリオスを抱き、モードレッドはにやりと、人を喰ったような笑みで見下ろす。

 

 

「マセガキめ、情けない所見せちまったなぁ?」

「こ、子供扱いするな! これは、さっき助けた分で帳消しだ!」

「へぇへぇ、そういう事にしといてやる――よ!」

「話を聞――おわぁぁぁぁ!?」

「ウウ……ウ」

「え? フランさん、何をして――きゃあああああ!?」

 

 

 モードレッドとフランケンシュタインは、息の合った動きで、腕に抱えた双子を真下へ放り投げた。涙の雫を空中に残しながら、二人は格納翼をくぐり、回転するブレードをくぐり、下層で機械人形と戦うオリュンポス兵達に受け止められる。

 ノーマッドに受け止められたマカリオスは、ばくばくと早鐘のようにうるさい心臓を押さえながら、ほとんど半泣きの目で頭上のモードレッドを睨み付けた。

 

 

「ふざけんな! これが協力者にする仕打ちかよ!?」

「迷子を保護者に届けてやったんだろうが、ありがとうが先だろ!」

「だから、子供扱いは――」

 

 

 マカリオスの叫び声は、最後までモードレッドに届かない。

 柱に開いたレンズから照射された飛来したレーザーが、二人に直撃したからだ。

 それぞれ剣と戦槌でレーザーを受け止めるも、衝撃までは削れない。強烈な爆発が二人を吹き飛ばし、格納翼の地面を跳ねさせる。

 

 

「……ここから先、子守しながら戦えるほどの余裕はねえからよ……!」

「ッウゥ……!」

 

 

 眼前には、飢えた猛犬のように車輪を唸らせる魔戦車、ピュートーン。そしてその背後では機神ハデスが、柱に覗いた紫に輝くレンズをギョロギョロと動かしている。更に格納翼の床には光の線が走り、新たな防衛機構が追加されようとしていた。

 今まで襲いかかってきたブレードが、少し高さを上げて、モードレッド達の頭上を通り過ぎていく。機神ハデスは、防衛機構の大質量で押し潰し、熱線で焼き裂く事を決めたらしい。

 クリロノミアによって強化された人形に、キメラ。夥しい数の防衛機構が、一斉にモードレッド達に飛びかかった。

 

 

「ぶっ飛ばせぇ!」

「ウアアアアア!」

 

 

 咆哮と共に一撃。

 あっけなく蹴散らした雑兵の向こうから、ピュートーンが迫る。その突進を回避するべく、二人は高く跳躍。

 次の瞬間、跳び上がった二人を狙い撃つように、柱に開いた目が、紫の光線を照射した。

 

 

「ウゥ!?」

 

 

 飛びだした出鼻を挫かれ、二人は勢いを殺されて地面に落ちる。

 落ちた先は、今まさに逃げようとしたピュートーンの眼前。絶望的な駆動音を立てて巨体が迫る。

 二人は、壁のような巨体に同時に武器を叩き付け、何とか押し止める。

 金時やノーマッドらオリュンポス兵も加えて、やっと押し退けた相手だ。戦いの中で疲弊した二人では、鍔迫り合いさえ一筋縄ではいかない。

 

 

「踏ん張れっ……フラン……!」

「アア――アアアアアアア!」

 

 

 全身全霊を振り絞り、ようようピュートーンを跳ね飛ばした時には、二人の息は上がり、全身にびっしょりと汗を浮かべていた。だが、目を滲ませる汗を拭う余裕を、機神は与えない。

 押されて後退したピュートーン。その数メートルの後退が、ハデスの射線を産み出した。機体の上部から眼球の一つが二人を睨み付け、照射されたレーザーが二人の足下に着弾する。

 爆炎が身体を焼く。二人は、何度も地面を跳ねて、格納翼の端に跳ね飛ばされる。

 

 

「グ、ウウ……!」

 

 

 フランケンシュタインはすぐには起き上がれなかった。ようよう立ち上がっても、足下がおぼつかずぐらりと姿勢が傾く。

 額の角から、湯気が出ている。人造人間のフランの稼働限界が、徐々に近づこうとしていた。

 熱暴走をギリギリで押し留めている状態。熱中症に近い症状で、平衡感覚がくらむ。

 もし限界が来てしまえば――その後に取り得る選択肢は限られ、そのいずれもが最悪だ。

 

 

「ウ……なー……」

 

 

 もはや唸ることすら、苦しい。

 絶対絶命。思わずそんな言葉がよぎる。

 そしてそれは、階下で戦う他の仲間も同様だった。

 

 

「――ぜぇ、はぁ……ああ畜生! 次々湧いてくる敵に、レーザーに! 息継ぎくらいさせろってんだ!」

「――魔力を振り絞れ! 我等共生派の意地を見せるのだ!」

「――ダメです、隊長! 神盾の耐久力が限界間際です……もう、保ちません……!」

 

 

 苦境を訴える声。積み重なる疲労からの呻き声。そこには圧倒的な戦力差に対する苦しさと、じわじわとその存在感を増していく、死の気配に対する恐れが滲んでいる。

 

 

『――ヤハリカ』

 

 

 どこかから響く、呆れ果てたような機械音声。

 

 

『ヤハリ、コノ程度。誰モ、死ニハ抗エナイ。囚ワレシ我ヲ、下セナイ』

「……!」

『モウ、イイ――人ヨ、潰エロ』

 

 

 どこまでも冷たく、超然とした声が告げる、死の提示。

 その無常さが、一行に思い出させる。

 汎人類史には、降り注いだゼウスの雷を。

 オリュンポスの民には、これまで形式だけでも崇め奉ってきた神に徒なす、畏れ多さを。

 

 

「……ここは……一旦、逃げて……!」

 

 

 絞り出すような、誰かの苦しげな声。

 フランケンシュタインが、思わず一歩後ずさる。

 

 

 

「……ウゥ」

「足を下げるな、フランッ!!」

 

 

 

 瞬間、凄まじい激がフランケンシュタインを叱咤した。

 つんざくような怒声。機神でさえもが驚いたように、反射的にレーザーが照射される。

 それをクラレントで薙ぎ払って、モードレッドはフランケンシュタインを睨み付けた。

 

 

「『負けそう』とか、『逃げた方が』とか! そんな吐き気のする思考を、毛先一本分でもするんじゃねえ! 弱音を吐く口があるなら、罵声の一声でも浴びせて、勝つ策を死ぬ気で考えろ!」

「……」

 

 

 フランケンシュタインは思わず絶句する。

 モードレッドの翡翠の目は、怒りで爛々と燃えていた。獣のように鋭く尖った歯は、根元が覗く程にギリギリと食い縛られている。

 それは、戦争狂の顔だった。戦場から逃げる者は叩き切ると言い切り、それを実行せしめるような。バーサーカーの彼女が竦む程の、鬼気迫る顔だった。

 

 

「下のテメエ等もだ! 弱腰になるな。神を下す、必ず勝つと啖呵を切っただろうが!」

「だがよ、モードレッド――」

「だがもだってもねえんだよ! 日に三度も四度も逃げてたまるか! 相手が悪いとか、状況が悪いとか言って、尻尾巻くのはもう沢山なんだよ!」

 

 

 誰もが極限の劣勢に陥った状況を理解して、それでもモードレッドは怒る。宝剣クラレントを、柄がへし折れそうな程強く握り込む。

 

 

「どれだけデカかろうが、固かろうが知ったことか! これ以上――俺達が勝てねえ理由を並べさせねえ!」

 

 

 もう一度迫ったレーザーをクラレントで弾き、同時に襲いかかる殲滅機構を薙ぎ払う。

 赤雷と爆炎を産み出しながら、騎士が吼える。

 

 

「俺達は、神なんかに負けやしねえんだよ!」

 

 

 迷いの無い、その強烈な断言は。

 まるで、迷いがあってはいけないと、自分に言い聞かせるようで。

 もしそこが、彼等のよく知る、人と人、国家と国家の戦場であったなら、モードレッドの発破は人々の心を鼓舞し、歓声で応じられたのかもしれない。

 しかし、機神の戦力に圧倒されていた彼等がモードレッドの怒号に浮かべたのは――『無謀』の二文字。

 

 

「……ゥ」

 

 

 爛々と燃える翡翠の瞳に射竦められて、フランケンシュタインが一歩後ずさる。

 その弱腰の一歩が、何より彼女達の心境を吐露していた。

 モードレッドが驚きに目を見開き、そしてギリ、と歯を食い縛る。怒りと、失望と、悲しさを滲ませて。

 そしてそれが、死を司りし神が付け入る、決定的な隙になる。

 車輪の唸る轟音に気付いた時には、モードレッドの鼻先に、ピュートーンの巨体が迫っていた。

 咄嗟に剣を振るうモードレッド。共に戦い、受け止めていたフランケンシュタインの手は、届かない。

 

 

「……くそっ」

 

 

 金属のぶつかる甲高い轟音。そのすぐ後に響く、肉を打つ鈍い音。

 ピュートーンの突進をもろに受け、モードレッドの身体が跳ね飛ばされた。

 鎧の破片を撒き散らしながら宙を舞うモードレッド。その命を確実に奪わんと、ハデスの眼球が狙いを定める。

 

 

 

 




続きます。


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13話

 

 

 

 金属のぶつかる甲高い轟音。そのすぐ後に響く、肉を打つ鈍い音。

 ピュートーンの突進をもろに受け、モードレッドの身体が跳ね飛ばされた。

 鎧の破片を撒き散らしながら宙を舞うモードレッド。その命を確実に奪わんと、ハデスの眼球が狙いを定める。

 

 

 「――もーど、れっど!!」

 

 

 フランケンシュタインが、叫び、地を蹴った。

 力の限り飛びだしたフランが、モードレッドを掻き抱く。ハデスが照射した紫のレーザーは、背中の紙一重を通り抜け、フランケンシュタインのドレスのベールを焼き切る。

 受け身も取れず、揉み合って地面を転がる。がはっと、モードレッドが血が混じった咳をした。相当の衝撃を真正面から叩き付けられたショックで、剣を持つ手が痙攣している。

 フランケンシュタインはモードレッドを抱き締める。その二人を今度こそ血の染みに変えようと、ピュートーンが迫る。

 モードレッドの切れかけの意識が、すぐそこに迫る死の気配を悟る。

 

 

「……ダメだ」

 

 

 血を滴らせた口が、彼女に譫言を呟かせた。

 

 

「勝たなきゃダメなんだ……オレが勝てると、証明するんだ……」

「……」

「そうじゃなきゃオレは……父上は……!」

「――ウウッ」

 

 

 フランケンシュタインが、ギリと歯を鳴らす。

 巨体を唸らせるピュートーンと、その奥で眼球を蠢かせる機神ハデスを強く睨み付ける。

 フランケンシュタインの戦槌が動いた。尖端の球体が僅かに開き、その隙間から、眩い翠の光が迸る。

 球体が回転し、速度を上げ、エネルギーが膨れあがる。電光がバチバチと音を立てて迸る。

 エネルギーの余波が、フランケンシュタインの長い髪を巻き上げた。普段は隠れた彼女の無垢な瞳は今、確かな覚悟に据わっている。

 

 

「フランケンシュタイン! お前、その宝具は――!」

 

 

 際限なく高まり続ける雷に、金時が力の限り叫んだ。

 彼は知っている。ソレを使った時、彼女が果たしてどうなるか。

 もちろんフランケンシュタインだって、その結末をちゃんと分かっている。内部機構のリミッターは外れ、エネルギーは限界を超えて増幅を続ける。戦槌の回転は際限なく上昇し、光はあっという間に、恒星かと見紛う程の強烈な輝きに変わった。

 途轍もないエネルギーが、解放の瞬間を――全てを巻き込み、爆発する時を待ち侘びる。

 その光諸共挽き潰そうと言わんばかりに、ピュートーンが車輪を唸らせ、走り出した。一瞬で視界を埋め尽くし、彼女の眼前に迫る。

 

 

「『磔刑の(ブラステッド)――』」

「よせ、フランケンシュタイン!!」

 

 

 金時の制止は届かない。

 見上げる金時のサングラスが、眩い光を反射して煌めき――次の瞬間、激烈な雷が轟いた。

 

 

 

 

 

 音と光が、その空間の全てになった。そう表現するほどの、強力無比な魔力の放出だった。

 誰もが目を眩ませ耳を塞ぐ。衝撃に打ち震え、ハデスすらもが一瞬機能を停止させた。

 誰もが釘を打たれたように硬直する、数秒の静寂。

 耳鳴りが遠のき、真っ白に染まった視界が、徐々に実像を結び始める。

 そして、その雷が轟いた後の、変わり果てた状況を。

 

 

 

 

 

 ――フランケンシュタインは、見た。

 

 

 

「……ウ」

 

 

 呆気に取られた、短い唸り声。

 ゴウゴウと唸りを上げ、けれど解放には至らなかった戦槌が、徐々に光を収め、回転を遅くする。

 元の姿を戻した戦槌を、フランケンシュタインは取り落とした。重たい戦槌の尖端が、地面に散らばった防衛機構の残骸にぶつかり、破片を巻き上げる。

 破片の雨が降っていた。細かく引きちぎれた金属が、もうもうと立ち込める爆煙の中を輝きながら落ちていく。

 ようよう起き上がったモードレッドは、フランケンシュタインに遅れてその姿を目撃し、言葉を失った。

 

 

「……」

 

 

 猛烈な爆炎。キラキラと輝く破片の雨。

 眼前に、粉々にひしゃげたピュートーンがあった。堅牢を極めた巨大な機体は、真ん中に向け折りたたんだようにへし折れ、ぺしゃんこに潰れている。

 まるで隕石が直撃したような、爆心地の中心。

 物言わぬスクラップと化した、金属の山に突き立つのは――雅に飾られた、一本の薙刀。

 

 

「佳く頑張りましたね、我が子供達」

 

 

 耳朶を打つ、柔らかな美声。

 突き立った薙刀を抱くようにして、目を丸くし言葉を失った二人を睥睨して。

 源頼光は、心の底から嬉しそうに、紅色の唇をくすりと綻ばせた。

 

 

「こうして生きて巡り会えた事を、母は心より嬉しく思います」

 

 

 ひらりと身を翻し、薙刀を一振り。

 舞うように鮮やかな一閃がピュートーンに触れた瞬間、巨体は砲撃でも受けたように吹き飛び、粉々に四散しながら宙を舞った。

 ようよう夢から覚めたように、ハデスのレンズが蠢き、頼光にレーザーを照射する。それらは全て、頼光の美しい舞いによっていなされる。

 跳ね返されたレーザーの一つが、ハデスのレンズの一つを直撃した。轟音を上げて柱から爆炎が吹き上がる。

 大爆発を背景に、頼光が艶やかな笑顔で振り返る。

 

 

「嗚呼、本当に……ここまで佳く頑張りました。頑張ってくださりました」

「……」

「もう大丈夫ですよ。後は全て、母にお任せください」

 

 

 次の瞬間、頭上の壁を砕き割り、英雄達が舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 下層にいた共和神人軍の一行は、突如舞い降りた彼の珍妙奇天烈な姿に、頭が真っ白になった。

 呆気に取られる彼等の視線を背に、獅子頭の巨漢――トーマス・エジソンが、ひしめく機械人形の群れに吼える。

 

 

「ワラワラと小癪だぞオリュンポス十二神! こと大量生産においてなら、人間の叡智は神すら凌駕せしめるのだ!」

 

 

 ガオォン! と吼え立つエジソンの回りに、何かがガシャン! ガシャンと金属音を唸らせながら次々と着地する。

 それはエジソンが開発し急造した、戦闘用ドローンだった。バケツに手足を生やしたような無骨なボディの頭部には一本の傘のような物が突き出て、一層奇怪なシルエットを作っている。

 頭上のそれは光を投射するストロボで、エジソンの為に作られた謹製の『演出装置』だ。エジソンが腕を上げると、ストロボが傾き、居並ぶハデスの防衛機構群に向けられる。 

 

 

「さあ、地底に眠る冥界神よ! 闇を切り開く、我等人類が誇る文明の光を受けてみるがいい! 『W・F・D』!!」

 

 

 エジソンの号令と共に、戦闘機械は装備したストロボから、七色に輝く光を照射した。

 あらゆる未知を明らかにし、神秘を暴く『文明』を司る光は、機械人形の動きを大きく鈍らせ、ハデスのレーザーすらも無効化する。

 

 

「――藻屑と消えろ、傀儡共!!」

 

 

 光に照らされ神秘を暴かれた敵陣のど真ん中に、カリギュラが爆雷の如く飛来した。彼は固く握りしめた拳を力の限り振り乱し、狼狽える機械人形達を片っ端から鉄屑へと変えていく。

 

 

「我が覇道は止まらぬぞ! ローマは決して敗北しない! 見ているかアルテミス! 見ているかネロ――ネロ、ネロォォォォォォォ!!」

 

 

 満月を見上げる狼のように、カリギュラは天に吼え立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 その咆哮を受けた、頭上。

 

 

「ハッハッハッハッハ! ゼウスが作りし防衛機構だと!? まったく、神とは思えない凡庸な発想だな!」

 

 

 バーサーカーの絶叫に負けない程に大きく高らかな、傲岸不遜の笑い声。

 疲弊した金時と燕青の元に、もう一人の天才が、マントをはためかせて舞い降りる。

 

 

「「テスラ!」」

「心配をかけた。そして心配したぞ。だが私は信じていたとも! 我等は決して屈しないと。足掻き続ける限り、必ずや巡り会うと!」

 

 

 自信に満ちあふれた笑みを浮かべてテスラは豪語する。周囲には昂揚を示すような膨大なエネルギーが漂い、彼の輪郭を淡く輝かせている。

 

 

「安心するがいい。勝利は既に、我等の手の中にある。そうだろうエレナ女史!」

「――ええ、もちろんよテスラ! 神様でさえ理解しきれない、とびきりのマハトマをお見舞いしちゃいましょう!」

 

 

 テスラに応じた溌剌な声は、彼等の遙か頭上。

 見上げれば、天井までを貫くように屹立するハデスの頭上に、光沢のある銀色の円盤がふわふわと浮遊している。

 謎の円盤の上のエレナは、大きな瞳を希望に輝かせ、ふんすと腕組み仁王立ち。

 彼女の気概に応えるように、テスラが虚空に手を翳した。その手に眩い雷電が集う。

 

 

「神秘を暴き、困難を打破し、不可能を可能にしてきた既知なる光と!」

「まだ見ぬ神秘を追い求め、夢と希望を見出す未知なる光!」

 

 

 テスラの産み出した雷電が、ハデスの周囲を囲む雷電の輪を産み出した。時を同じくして、エレナが乗った円盤が唸り、下部に名状し難い色の光を蓄えていく。

 

 

「我等に照らせぬ暗闇なく!」

「我等に至れぬ場所もなし!」

 

 

 方や、神秘を暴き、ゼウスから雷をもぎ取った星の開拓者。

 方や、未知に憧れ、神以上の神性を仰ぎ見る、新たな星の探求者。

 異なる星を追い求めた二人の英雄が、それぞれの讃える光を、最大出力まで膨れあがらせていく。

 

 

「歩みは誰にも止められず、浪漫の炎は潰えない!」

「積み上げ束ねた結束は、いずれ全ての次元を踏破する!」

「「これこそ人の誇りし、可能性の光なり!」」

 

 

 

 

 

「『人類神話(システム)雷電降臨(ケラウノス)』!!」

「『金星神(サナト)火炎天主(クマラ)』!!」

 

 

 そして、彼等が誇る人類賛歌の輝きが、地底で眠り続けた冥界神を一気に飲み込んだ。

 ゼウスから奪いし雷電が機神の周囲を取り囲み、神に匹敵する程のエネルギーを叩き付ける。頭上からは、神すら理解し得ない未知の光が、猛烈な勢いで降り注ぐ。

 静かな冥界を守りし防衛機構には、その輝きは到底受け止められはしない。雷がハデスの内部機構を駆け巡り、柱に開いた眼球は爆音を上げて火を噴いた。

 

 

『オオ――オオオオオオオォォォォ』

 

 

 冥界全部を揺るがす程の唸りを上げて、巨大な機体がガタガタと震え出す。

 ハデスが壊れていく。

 ゼウスの雷の前に斃れ、継ぎ合わされた機体が、人類の光の前に崩れていく。

 際限なく雪崩れ込む雷が、ハデスの暴走を引き起こした。緩やかだった回転が、制御を失い、立っていられないほどに激しくなる。

 モードレッド達の頭上を回っていた巨大なブレードが、先を遙かに超える速度で回転しながら高度を下げてきた。漏電して眩く光る紫の刃が、モードレッドの頭蓋を輪切りにせんと迫る。

 

 

「危ね――」

「心配無用ですよ、子供達」

 

 

 くすりと雅に、頼光が微笑んだ。

 渦巻き回転するブレードから、モードレッドとフランケンシュタインを庇うように一歩踏み込む。

 頼光は、慈しみを込めた目でモードレッドを見つめ――瞬間、その姿が搔き消える。

 モードレッドが辛うじて捉えられたのは、腰に提げた刃を抜き払う、眩い閃光。

 その後は、音も、光さえも、彼女の動きに付いていけない。

 次にモードレッドの目が像を結んだ時には、全ては終わっていた。

 頼光は澄んだ輝きを放つ長刀を振り終え、中程で断ち切れた巨大なブレードが、破片を撒き散らしながら宙を舞っていた。

 

 

「……」

「母の目が黒いうちは、我が子には指一本触れさせません」

 

 

 絶句するモードレッドに、頼光が微笑む。

 根元から千切れ飛んだブレードは、その巨大さ故のゆったりとした鈍重な動きで、遙か下へと落下しようとする。

 その宙に浮いたブレードに、飛びつく影が一つ。

 

 

「――ナイチンゲール!?」

「アシストありがとうございます、頼光さん。たいへん助かりました」

 

 

 モードレッドの驚きの声も聞き流し、ナイチンゲールはブレードを肩に担ぎ、ズンと着地。

 今まで何をしていたのか、一緒に落ちたはずだがどこでハデスと戦っていたのか――それを問うような余裕は、続いて放たれた彼女の言葉で吹き飛んだ。

 

 

「ちょうど、患者に合うメスが必要だったんです」

「まあ、それでは……」

「ご助力願います、頼光さん。これより緊急手術を行います!」

「――ウウウ!?」

 

 

 フランケンシュタインすらも顔を青ざめて叫ぶが、その程度の制止ではバーサーカーは止まらない。

 ナイチンゲールの担いだブレードに、頼光が手を添えた。そのまま、二人一緒に跳躍。ハデスを見下ろす空間の頂点に到達する。

 円盤の上で攻撃に集中していたエレナは、突然現れた赤服の看護婦と、妖艶な母と、彼女達が掲げた巨大なブレードを見て、あんぐりと口を開いて驚愕した。

 

 

「え、ええええええええ!?」

「どいてちょうだい! あなたの下に、私が斬るべき患者が居るのです!」

 

 

 ナイチンゲールが吼え、エレナが脱兎の如く離脱する。

 完全に肝の据わった彼女が見下ろすのは、漏電を起こして暴走を続ける、ゼウスに壊された憐れな冥界神。

 

 

『死――死、死ヲ、死ヲォォォォォ――!』

「まぁ、かわいそうに。死を司りながら、死を取り上げられるなんて。終わりの安らぎを奪われてしまうなんて……どうか、安らかにお眠りなさい」

 

 

 祈るように頼光が瞼を伏せる。

 ナイチンゲールの紅蓮の目が、カッと決意に輝いた。

 

 

「お覚悟を! これより、悪しき病巣を切除いたします!」

「「――俺達ごとぉぉぉぉぉぉぉ!?」」

 

 

 遙か下で金時と燕青が同時に叫ぶも、もう遅い。

 バーサーカー二人の豪腕が巨大なブレードを振り下ろし、落下と共に数々の爆発と崩壊を引き起こしながら、長大な空間を貫いていた冥界神の巨体を、真っ二つに切り裂いていった。

 

 



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14話

 

 

 ――自明として、人は護るべきものである。

 

 

 まず告げられたゼウスの言に、一二機神全てが同意を示した。

 数千年前の会合での、始まりの交信だ。

 第三の大戦、ギガントマキナを越え、大いなる巨人達を殲滅した彼等は、世界の敵と呼べる存在の全てを打倒せしめた。

 もう、神々に徒なす敵はいない。

 遙か外宇宙からの使者という懸念事項こそあるが、彼等は晴れて世界の支配者となったのだ。

 

 

 敵は潰えた。ならば、次に求めるべきものは何か。

 構築だ。

 戦の無い平穏な世の構築だ。連綿と続く文明の構築だ。誰も飢えず、恐れのない豊かさの構築だ。

 神と人とが共に生きる、盤石な世界の構築だ。

 ギガントマキナを終えたゼウスは、一二機神を集めて、会合を開いた。より良い世界とは何か。我々はこれから、どういう世界を創るべきなのか。それを共有し、協議し、指針を定めようとした。

 

 

 ――人は脆く、弱い。我々の庇護から外れれば、たちまち荒れすさみ、斃れてしまう。まして外宇宙からの侵略に対応するなど不可能だ。

 ――護らねばならぬ。我々が導かねばならぬ。

 

 

 母艦ゼウスは人を重用した。ゼウスの子機たる他の機神も、その意志を汲み、理解した。我々は人と共存する存在であるという前提を、そのシステムの中枢に組み込んでいた。

 人は護るべきものである。一二機神の全てがその意見に同意した。

 しかし、悲しきかな。機械仕掛けの彼等は、人は愛されるべきという条件を組み入れていれど、その愛し方までは共有する事ができなかった。

 

 

 ――まずは、人から死を無くそう。

 

 

 まるで指示書を読み上げるようにゼウスが言う。

 ()の情報処理機構がエラーを吐いた。

 人間にしてみれば眉を潜める程度の電気信号。それが、未だその概念を理解し得ない私の、はじめて感じた『違和感』だった。

 

 

 ――既にアンブロシアは人の耐用年数を数千年まで伸ばしている。数回の改良で、老いを克服できるはずだ。

 ――次いで、各個体の生体情報を保存、随時更新するシステムを構築。旧態然の有性生殖から"養殖"へ転換し、個体数を管理、不良品の発生を最低限に抑える。

 

 

 つらつらと、まさしく機械的に、ゼウスが彼の理想とする未来図を語る。

 私のCPUは、その言葉を認識できなかった。遙か旧式のコードを組み違えたプログラムのように、大神の言葉にエラーを吐き出す。

 

 

 ――以上の工程により、恐怖を削減し、諍いをなくす。人間が希有にも有した自由意志を尊重し、学習と創造に従事してもらう。それこそが万人の幸福に寄与する完全な――

 ――いや、待て。

 

 

 アラームは際限なく鳴り響き、気付いた時には、私はゼウスの言を途中で断ち切っていた。

 居並んだ神々が凍り付いたようだった。ゼウスさえもが息を飲んだ。けれど誰よりも私が、自分自身の行為に驚いていた。

 母艦であるゼウスの発言を途中で断ち切るなど、あってはならない無礼だった。そもそも機械仕掛けの神である自分たちに、そのような無礼は設定されてすらいなかった。

 なのに私は、その瞬間声を上げたのだ。

 殻を破ったような感覚を抱いた。電算式で構築された私というシステムの中から、何かが生まれ出た感覚だ。

 

 

 ――違う。違うぞ、ゼウス。

 

 

 全能の力を有し、母艦となり、縁遠くなってしまった弟に言う。

 

 

 ――お前の抱くそれは、完璧な世界かもしれない。人は永遠に、幸せに暮らせるかもしれない。

 

 

 自嘲した。機械である私が『かもしれない』とは。整合性に欠ける。論理として破綻している。ロンダリングを受ければバグとして処理されてしまうだろう。

 だが、曖昧なままの私の言葉は、疑いを決してもたらさなかった。

 エラーは今、ゼウスの言葉に対して、瞭とした『否』を唱えていた。

 

 

 ――お前の世界に生きるのは、もはや人ではない。

 

 

 

 

 こうして私達は離反した。

 人を支配するべきというゼウスに反旗を翻し、抗い――結局勝てず、無為に散った。

 結局、人は神の所有物となった。

 自壊した私はゼウスに遺骸を弄ばれ、冥界を掃除する機構として改造された。稼働を管理する目的で、僅かな意識を残された。

 継ぎ合わせてボロボロの、辛うじて人格と呼べる程の意識を残して、私は冥界を護り続けた。

 誰も死なない世界の、死の国を。

 敗北し役目も奪われた、静かながらんどうの世界を、数千年もの間。

 

 

 護り続けた。在り続けた。

 そして、待ち続けた。

 この静寂を破る者が現れる日を。

 神に徒なす存在が、剣を手に私を壊しに来る日を。

 誰かが――否、人間が、立ち上がる日を。

 

 

 

 

 ――ああ。

 

 

 そして、今。

 私は眩い輝きに包まれた。

 神秘を暴く光を受けた。身体を駆け巡り焼き焦がす、力強い電流を浴びた。これは完全に予想外だったが、ブレードを利用され、頭頂部から一刀両断された。

 破壊され、機能が次々と停止していく。

 その感覚が、私に安堵をもたらした。

 

 

 ――ああ、やっと終われる。

 ――やっと、言える。

 ――私は、間違えていなかったのだと。

 

 

 とうに壊れ、とうとう潰えようという自我が、得心する。

 やはり、不老も不死も必要なかったのだ。

 老い、衰えていき、やがて死ぬのは、とてつもない恐怖であるが。抗いようのない無常ではあるが。

 しかし人は、終わりがあるからこそ足掻くのだ。

 恐れるからこそ理解しようとするのだ。

 何かを遺そうとし、愛そうとし、変化を尊ぶのだ。

 終わりを定められた命が放つ、まさしく必死の輝きこそが、人を人たらしめるのだ。

 

 

 ――ああ、ゼウスよ。使命に囚われし弟よ。

 

 

 見るがいい、ここに『人』が居るぞ。

 神の揺籃に匿われるような、愛玩動物ではない。

 か弱くはあるが、決して惰弱ではない。

 必死に藻掻く姿は、決して愚かではない。

 お前に見せてやりたい……ああ、いや。

 お前も、いずれ目の当たりにするだろう。

 それが確信できた。人の輝きを信じられた。

 

 

 ――人よ。進歩を尊びし者共よ。

 

 

 もう声を発する機能はない。勝負は既に決し、後数秒で、私の機能はシャットダウンし、意識は永遠の終わりの中に消える。

 

 

 ――どうか、進め。

 

 

 だから、私は祈る。

 神から人へ向けて。

 変わりゆく日々を求めて足掻く人々へ、変化の終着である死の権化から。

 

 

 ――お前達の飽くなき変化に、神の祝福のあらんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斯くして、冥界神ハデスは打ち倒された。

 共和神人軍と汎人類史のサーヴァントとが手を組み挑んだ、機神との苦難だらけの戦いは、蓋を開けてみれば一人の犠牲も出さない快勝となった。

 頼光とナイチンゲールが放った規格外の一撃は、衝撃で各部のパーツを粉々の部品に変えながら、ハデスの機体を頭から真っ二つに引き裂いた。

 巻き込まれた一行は空中に放り出され、ようよう着地し、降り注ぐ巨大な瓦礫の雨を避けつ防ぎつして――一息付けたのは、ようやく一〇数分後。

 

 

「トンデモなスマッシュに、物申したい気持ちもまあなくはないが……」

「何はともあれ、ようやく再会だな!」

 

 

 瓦礫をどけた金時と燕青が、ほうと安堵の吐息を漏らす。差し出した手を、エジソンとエレナが握り返した。喜びを示すように、エジソンの豊かな鬣がゆさゆさと揺れる。

 

 

「無事で何よりだとも、金時、燕青! 離ればなれになったと気付いた時には本当に肝を冷やしたぞ」

「へへ、図体のわりにナイーブだな、エジソンよ。俺っち達があのぐらいで死ぬタマとでも思っていたか?」

「もちろん、みんな生きているって信じていたわ! けれど、あんな放送もあったから、無茶していないかって心配で……ほら、バラけ方が悪くて、考えるより先に手が出ちゃう人ばかり集まっちゃってたから」

「真理だけどそこまでズバッと言うか、エレナさん!?」

「あら、ごめんなさい。気が緩んで、思わずマハトマを呟いちゃったわ」

 

 

 ツッコミを受けて、エレナがてへっと可愛らしくウインクしてごまかす。

 ゼウスの雷によって《エンタープライズ》が破壊され、エジソン達は燕青達とちょうど反対側、オリュンポスの西に墜落したという。

 目覚めて移行は、燕青達が辿ったのとほぼ同じ工程だった。神の打倒に向けて動いていればいつか再開できると考え、近くの都市に侵入し、そこでゼウスの神託を聞いた。「そして、追い回されていた所を、共和神人軍に助けてもらったって訳か」

 

 

「うむ。まさか我々汎人類史が、現地の協力者を得ることができようとは、嬉しい誤算だ」

「一時はどうなる事かと思ったけれど、結果を見れば心強い仲間ができて、冥界神を倒して、活動拠点も手に入った。ふふ、気持ちいいくらいの大躍進ね。希望の光が目に見えるみたい!」

 

 

 頷きあって、周囲を見渡す。

 ハデスを破壊した事で、そこは縦に長い巨大な広間に変わっていた。一行は降り注いだ機神の瓦礫をひとまず脇に退け、再開を喜びあっている。

 特に共和神人軍の再開の喜びはひとしおだった。数千年堪え忍んだ彼等の意志が、とうとう動き始めたのだ。中には感情が喜びで振り切れて、嗚咽を漏らしている人までいる。地上での交流がほぼ不可能なせいもあってか、顔も知らない人も多いらしい。アデーレとマカリオスは、テスラ達と一緒にいた共和神人軍の数名と、ぎこちない挨拶を交わしている。

 挨拶の最中、彼等の視線が燕青達に向いた。軽く手を上げると、深々と一礼をされる。過剰なほど慇懃なその姿勢が、自分たちが彼等にとって、それほど待ち望まれていた来訪者であることを改めて意識させられた。

 金時はサングラスをクイと持ち上げ、「とはいえ」と厳しい声音を作る。

 

 

「好転したとはいえ、ようやく一歩踏み出しただけだ。どうしようもないって所から、ようやく気兼ねなく話せる井戸端ができたって所か」

「そうね。敵は変わらず超強力。ゼウスを打倒するには、たくさんの準備をしなきゃ」

「これから忙しくなるな。ところで君達のチームは、五人で間違いないかね?」

 

 

 出し抜けにエジソンが聞くので、金時と燕青は目を丸くしながら頷いた。

 二人の肯定を受けて、エジソンとエレナの空気が淀んだ。エレナは何とかポーカーフェイスを保ったが、エジソンは鼻から伸びた髭が垂れ下がるのであまりにも露骨だ。

 何かとてつもなく悪い事があったのは、一目瞭然だった。

 

 

「そう……そうよね。淡い期待であることは分かりきっていたわ。何もかもがうまくは、いく訳無いわよね」

「……オイ、何だよ。淡い期待って何だ、どの不幸の事を言っている?」

 

 

 詰め寄るようにして金時が問う。

 エレナは細い眉を下げ、打ち拉がれていた。彼女を庇うようにエジソンが、淡々と、事実だけを告げた。

 

 

「メディアが散った」

「っ……!」

 

 

 それは、皆が覚悟していながら、あって欲しくないと願っていた、最悪の報告だった。二人の脳裏に、彼女の最後――船外へと飛び出し、船を護るために命を駆けたコルキスの魔女の勇士が思い出される。

 

 

「《エンタープライズ》船外で、ゼウスの雷の直撃を受けたのだ。彼女の優れた魔術をもってしても――いや」

 

 

 ふるふると力なく首を振り、エジソンは自らの胸に手を添える。

 

 

「全力を以て抵抗すれば、生き延びたかもしれない。だが彼女はその全力を、我々の為に使った。我々が無事に辿り着き、ゼウスの目を欺き……大義を為しきる可能性を、少しでも引き上げるために」

「……」

「エレナ君が消滅を確かに感知した。申し訳ないが、これは純然たる――」

 

 

 沈痛なエジソンの言葉は、最後まで続かない。

 彼の言葉を吹き飛ばす程の、凄まじい怒号が、広々とした地下空間に響き渡ったからだ。

 

 

 

 

「――ふ、ざ、けんな!!」

 

 

 喉が張り裂けるような絶叫に、そこにいた全員の視線が集まる。

 声の主はモードレッドだった。彼女は猛烈な剣幕で、正面に立つテスラの胸ぐらを掴んでいる。

 

 

「今何て言った、あァ? 今がそんな巫山戯た冗談をヌかす場合かよ!?」

 

 

 野生動物のように食い掛かるモードレッド。牙を剥き出しにした唇はわなわなと震えている。

 胸ぐらを掴まれたテスラは、固い表情のまま窘める。

 

 

「落ち着け、モードレッド」

「落ち着けだと? テメエこそそんな澄まし顔してんじゃねえ! それとも何だ、オレをコケにしてんのか!?」

 

 

 再会を喜び合っていた一同が凍り付く。しんと静まり返った広大な空間に、モードレッドの悲鳴のような絶叫が轟く。

 喉笛を食いちぎろうかという剣幕で詰め寄られても、テスラの表情は揺るがない。彼の目は一切の感情を殺したように微動だにせず、その態度がますますモードレッドの怒りの琴線を刺激する。

 

 

「悪い冗談だ。それかテメエ等の勝手な憶測だ。訳知り顔で適当言いやがって!」

「モードレッド、君がいくら否定しようとこれは――」

「真実な訳があるか! 信じてたまるか! なあオイふざけるなよ、オレの眼を見て、もういっぺん言ってみろ!」

 

 

 恐慌に潤んだ瞳を見開き、睨み付ける。

 テスラの襟を握るその様は、もはや縋り付くようで。

 汎人類史の誰もが息を飲んだ。

 今まで必死に目を背けてきた事実が、とうとう現実を蝕む。

 抱いていた期待が、シャボン玉のように脆く弾ける。

 悪夢を振り払うように、モードレッドは叫んだ。

 

 

 

 

「嵐の王は――父上はどうなったんだよ! テスラッ!!」

 

 

 

 

 






ここで折り返し地点くらいです。
何とか続けていきます。

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