【完結】西行桜恋録 (ハカナ)
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第一話 春雪の出逢い

新作です


「今年も桜の季節が来たわねぇ」

 

 茶を啜り、少女は一人呟いた。

 白玉楼の縁側は冥界の桜を一望できる絶景スポットである。景色いっぱいの桜からは、僅かながらも淡紅色が窺える。そう、開花が始まったのだ。この様子なら一週間もあれば満開になり、優雅に咲き誇る姿を見せるだろう。ただ一つの桜を除いて。

 ────西行妖。白玉楼の庭に植えられた、巨大な桜。この木の下に埋まった何者かの封印により、幾度春が来ようと咲くことはない。過去に幻想郷中の春を集めることで西行妖を咲かせ、何者かを復活させようと行動を起こしたが、博麗の巫女らによってその野望は惜しくも潰えた。結局のところ、西行妖は満開に至ることはなく、何者かが復活することもなかったのだ。

 

「無理と分かっていても、やっぱり見たいものは見たいわ……」

 

 再び春を集めたとしても、同じように再び阻止されることは目に見えている。どう足掻こうとも、満開の西行妖を見ることは叶わない。しかし、もしも西行妖が満開になったなら────そんな想像が後を絶たない。それはもう見事な景色だろう。世界中の誰もが美しいと言うに違いない。ほんの一瞬でも、どうにかして見ることはできないか……と西行妖を眺めながら、あれやこれやと考えている時だった。

 ────突如して、浮遊感が全身を包み込んだ。

 

「え?」

 

 直後、落下。訳が分からない。自分は今縁側に座っていた筈だ。それが何故、このようなことになってしまったのか。

 

「いやあぁぁぁぁ────!」

 

 迫真の悲鳴を上げながら、下へ下へと落ちていく。飛翔をしようと霊力を練ろうと試みるも、何か別の強大な力によってできず。抗うことも許されず、そのまま地の底に引っ張られるように墜落していった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「痛ったぁ……!」

 

 ────それは青天の霹靂だった。

 突如浮遊感に襲われたと思ったら、急降下する感覚。重力に抵抗できず、尻もちをついてしまった。重力という絶対の法則に従った落下の速度は凄まじく、受け身も何もできなかった。激突こそ逃れられなかったものの、しかしどういうわけか酷い痛みではなかった。

 恐る恐る目を開き、ゆっくりと周囲を見やる。まず視界に入ったのは、一面の純白。そして、空を見上げる。すると、白く、冷たい何かが顔に降ってきた。

 

「雪……」

 

 ここで、辺りに広がる白の正体が雪だということを理解した。成る程、これなら地面にぶつかった際に地面がやたら柔らかかったことに合点がいく。だが、痛みの原因が分かったところで現状何一つとして解決していない。そのことに気づいてしまった。

 

「白玉楼は……?」

 

 立ち上がり、改めて周囲を見回す。確認できるのは、夜を照らす街灯に、ブランコや滑り台といった遊具。そして、幾つかの蕾を付けた桜の木。ここはどう見ても公園であり、どれだけ見回しても自らの住居であるあの屋敷は無かった。

 

「……消えたとでも言うのかしら?」

 

 まさか、あの大きな建物が一瞬にして無くなる筈がない。それに、ここにあるものは白玉楼には存在しない。もしも白玉楼だけが消えたのならば、従者である庭師が一緒にいない理由を説明できない。境界を操る妖怪の賢者ならば可能かもしれないが、彼女には白玉楼を消す理由が無い。故に、消えたという可能性はあり得ない。となると、自分だけが別の場所に飛ばされたと考えるのが妥当だろう。次に考えるべきは、どこに飛ばされたか、だ。

 

「もしかして……!」

 

 ここで、一つの可能性に辿り着く。この考えが間違えなければ、今自分のいる場所は恐らく。そう思い立ち、公園の出入り口まで歩き、三度周囲を見回す。

 ────そこに広がっていたのは、幻想郷のものとは異なる建築様式で建てられた住居。このような住居は幻想郷中を探し回っても存在しないものである。

 ここで、彼女の抱いた疑いが確信に変わる。

 

「ここは、外の世界ね……!」

 

 何もかも違う、非常識で出鱈目な光景。全て辻褄が合うように説明するには、最早この可能性しか残されていない。

 なぜ自分は博麗大結界を越えて外の世界へ来てしまったのか。直前の記憶を辿るが、結界に干渉するような行為をした心当たりは一切ない。ただ、白玉楼の縁側で桜を見ながら茶を飲んでいただけである。暫くの間考えたが、結局答えは分からなかった。

 

「どうしてこうなったのかしら……?」

 

 嘆きにも似たその呟きは誰にも届くことはなく、ただ空しく雪の降る夜空に消えていく。彼女は突き付けられた無慈悲な事実にただ呆然とするしかなかった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 ────今日は、季節外れの雪だった。

 冬の寒さは鳴りを潜め、暖かい春の訪れを告げるように桜が開花し始める時期。その桜の開花を拒むような鋭い寒さが、容赦なく襲い掛かってくる。

 

「雪が降るなんて思ってなかったな……」

 

 雪によって埋もれたアスファルトを、滑らないようにしっかりと踏み締めて歩く青年。この降雪は完全に予想外だったようで、傘などの防御手段を一切持っていなかった。そのため、頭や肩に雪が少し積もっていた。

 

「今日の晩ご飯どうしよう……」

 

 思考を切り換え、晩飯について考えることにした。今日は久しぶりのアルバイトだった。朝から夜まで働いていたため疲労が溜まり、いつもより腹が減っていた。多めに作って沢山食べたい気分だが、時間を掛けずに早く食べるという考えも捨て難い。どのような方向性で料理を作ろうか迷っている時だった。

 

「っ!」

 

 ────気配。何の前触れも無く、それはいきなり現れた。

 霊気。幽霊のような死後の存在のみが放つ独特の気だと青年が自称しているものだ。生きた人間の放つ気とは明確に異なるもの、精気とは対極に位置するものである。

 彼は常人よりも霊感が鋭い。故に、幽霊の存在をハッキリと認知することができる。更に、会話や感情を受け取るすら可能なのだ。ここまで来ると霊感の域を超えているが、あくまでも霊感が強いと言い張る。

 しかし、今回ばかりは訳が違う。今まで感じたことがない強烈な霊気だった。

 一体の幽霊の持つ霊気の総量は基本的に少ない。それは幽霊が身体を持たない、不安定な存在だからだ。不安定な存在は、力も不安定なのである。仮に感知したとしても、道端の小石のようにとりたてて気にするものでもない。

 だからこそ、何か引っかかる。今感じている霊気は非常に強く、且つ安定している。このケースは一度も経験が無い。

 これ程の霊気を放っているのは何者なのだろうか。唐突に興味が湧き上がってきた。得体の知れない存在であることは間違いないが、それに対して不思議と恐怖心は抱かなかった。これも経験が無い。

 

「……行ってみるか」

 

 思い立ったが何とやら、ということで霊気の発生源へと向かうことにした。

 場所は近くの公園。幾つかの桜が植えられており、近所では隠れた桜の名所と言われている。大学やアルバイト先への行き帰りでいつも通るので、道は完全に把握している。

 場所が分かったところで、早速行動を起こす。雪で転ばないよう注意を払いつつ、走り出した。

 

「……よし、そろそろ!」

 

 走ることおよそ一分、公園を視界に捉えた。そのまま走り続けて、出入り口の前で止まる。

 

「……ん?」

 

 青年の視線の先には────ブランコに乗っている一人の人間(・・)

 桜色の髪の少女だった。パッと見た感じ歳は殆ど変わらないように見える。降りしきる雪のように白い肌で、女性としては長身。和服にもドレスにも見えるような水色の服を着ていて、頭には服と同じ色の、天冠が付いた独特な形の帽子を被っていた。

 総じて、奇妙なファッションだ。現代的とは言い難く、どこか古風な印象を抱いた。まるで、この世の人間でないような────。

 

(あの人が……幽霊?)

 

 通常の幽霊と違い、彼女は明確な身体を持っている。身体を持つ幽霊はかなり珍しいが、それだけでこの霊気の異質さを証明できない。

 身体を持つ幽霊は悪霊や怨霊といった生前に強い未練を持つ存在だ。しかし、身体を持っていると言っても気質が人の形をしているだけである。不安定なことに変わりはない。更に、強い未練を持つだけあってその感情は怨みや怒りといった負の感情だ。感じると不快感で心が痛くなる。

 それなのに、目の前の少女はどういう訳か強く安定した霊気を持っている。不快感も感じない。寧ろ心地良さすら覚える。何から何まで青年にとって初めての出来事だった。

 この少女が身体を持つ幽霊だとは到底思えない。が、死者特有の霊気を放っているのは紛れもない事実だ。内心ではまだ納得できていないが、事実は事実なのだから受け入れるしかない。

 

「……かしら?」

 

 ふと、声が聞こえた。

 

「あの、私に何か用かしら?」

「あっ……すいません。じろじろと見てしまって。不快な気持ちにさせてしまったのなら謝ります」

 

 声の主は少女だった。考え事に夢中になっていて気付くことができなかった。知らない男に凝視されたら誰だって驚くし、良い思いはしないだろう。精一杯の誠意を込めて詫びを入れる。

 

「いえ、そこまで気にしなくてもいいわ。それで、どうして私を見ていたのかしら?」

「あー、そうですね……何となく困ってるように見えたので。こんな夜遅くに女の子一人で何やってるんだろうって」

 

 完全に出任せである。何と答えればいいか分からず、咄嗟に喋ってしまった。「貴方死んでますよね」と初対面の人に言うのは失礼極まりない。当たり障りのない言葉を選んだつもりだが、違和感丸出しだ。こんな挙動不審な様子を見れば、変な奴だと思うに違いない。青年は多少の自己嫌悪に陥る。

 

「そうなの、今まさに困ってるの!」

「え?」

 

 しかし、返ってきた言葉を意外なものだった。

 

「私、迷子なの。ここはどこだか分からないし、お金も何も持ってない。だから途方に暮れてたのよ」

 

 しょんぼりと俯き、少女は語る。

 家出でもして動き回っていたら、どこか分からない遠くの場所に来てしまったのだろうか。彼女の言葉からして、スマートフォンのような自らの位置情報を知る手段を持っていないことが分かる。そして、金も無いから電車やバスも乗れずにいる。それで帰れなくて困っているのかと、彼女の置かれている状況を勝手に想像していると。

 

「あっ……」

 

 ────少女の腹が、ぐうと鳴った。

 

(うーん、これは流石に……)

 

 家に帰れず、無一文で、食に飢えている。そんな過酷な状態の少女を放っておく訳にもいかなかった。この青年はお人好しな性分で、目の前で苦しんでいる人を見ると後先考えずに助けてしまうのだ。

 

「……良ければ家に来ます? 温かい風呂もありますし、軽い料理も出せます。一日くらいなら泊まっていっても問題無いですよ」

「ホント!?」

 

 彼の発言を聞いた途端、少女は目を輝かせた。それも、上目遣いで。こうして間近で彼女の顔を見ると、とても端正な顔立ちをしている。更に、桜のような香しい匂いを漂わせている。可愛らしく、それでいて優美。美少女という言葉が正しく当てはまる。

 今になって、自分の行いは本当に正しいことなのかと疑問に思えてきた。初めて会った見ず知らずの女の子を自宅に連れていくなんて非常に危険だし犯罪なのでは? そんな考えが頭をよぎってしまった。

 

「……はい。親は出張で家には俺一人なので、迷惑は掛かりません。安心して下さい」

「じゃあ、お願いしてもいいかしら?」

「分かりました。雪降ってて寒いですし、早く行きましょう」

 

 しかし、状況が状況なだけにやはり見過ごすことはできない。心の底から彼女を助けたいと思ったから助ける。分かりやすい、単純明快な理由だ。そこに嘘偽りも、邪な気持ちも無い。

 

「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったわね。貴方の名前、教えてくれる?」

「言われてみればまだ名乗ってませんでしたね。俺は清和(せいわ)義徳(よしのり)です。よろしくお願いします」

「私は西行寺(さいぎょうじ)幽々子(ゆゆこ)。よろしくね、義徳」

「はい、幽々子さん!」

 

 互いに柔らかな微笑みを湛え、名を名乗った。

 桜の少女────西行寺幽々子との邂逅。この春雪の出逢いが自身の運命を大きく揺さぶることを義徳はまだ知る由もない。




あれこれ設定を考えたら完成しちゃいました。
今は色々あって忙しいので完結まで辿り着けるか不安なところですが、頑張って書いていきたいと思います。


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第二話 生者と死者

書けば出ると信じて


「着きました。ここが俺の家です」

 

 雪の中を歩くこと数分。二人は目的地の家に辿り着いた。

 義徳の家は取り分け目立った所も無い、一般的な二階建ての家である。家の周囲は芝の生えた庭に囲まれている。また、車が二台は停められる程のスペースの駐車場が設けられていた。そこには一台の黒い軽自動車が置かれている。

 

(やっと帰れた……)

 

 正直、彼は安堵していた。というのも、家に帰るまでの間、互いに考え事をしていて終始無言だったからだ。非常に気まずい雰囲気で苦しかった。公園から自宅まで五分も掛からない距離だが、何倍にも長く感じられた。漸くそれも解消されてホッとしたのだ。

 扉の鍵を開け、玄関へと入る。このままだと中は暗いので、廊下の照明を付ける。

 

「この家、電気が通ってるのね」

「今じゃどこの家も電気くらい通ってますよ」

「まあ、そうなの?」

 

 電気が通ってることに対して驚いた様子だった。このご時世に電気の無い家があることの方が珍しいと義徳は思った。ひょっとして、彼女の住んでいる場所は電気が通っていないのだろうか。もしそうだとしたら、外界から隔絶された場所から来たことになる。考えれば考える程謎だ。

 靴を脱ぎ、そのままリビングに向かう。やはり暗いので照明を付けた。

 彼の家のリビングは質素なものである。テレビ、炬燵、木製のダイニングテーブルと椅子、エアコンといったどこにでもあるような必需品で構成されており、インテリアといった装飾類は特に置かれていない。ダイニングキッチンと一体化しており、部屋は簡素だが広めに造られていた。

 

「俺は先に晩飯の準備してきます。あ、何か食べたいものあります?」

「えっと、そうね……」

 

 彼女は真剣な表情で思案する。

 

「私、この世界の料理が食べたいわ」

「この世界……?」

「幻想郷には無い、外の世界でしか食べられないような料理をね」

「あの、その前に幻想郷とか外の世界って?」

「あ、ごめんなさい。先のそちらの説明が必要だったわね。幻想郷というのはね、妖怪、妖精、神といった人々に否定された存在の楽園。百年以上前に博麗大結界によって義徳のいるこの世界と隔絶された世界よ」

「ん……?」

 

 情報量が多過ぎて理解が追い付かない。

 妖怪? 妖精? 神? そのような超常の者が実際に存在している世界? 急に色々な情報が流れ込んできて処理しきれない。

 

「えっと、その……つまりはこの世界とは別に幻想郷っていうもう一つの世界が存在してるってことですか?」

「その考えで概ね問題無いわ」

 

 混乱した頭で何とか情報をまとめ、彼なりの解釈を述べる。強ち間違いでもなかったようだ。

 

「……訊きたいことは山程ありますが、先に飯ですね。話はその後で」

「そうね、腹が減っては何とやらって言うものね」

 

 色々尋ねることはあるものの、色々なことが起こって疲れたので少し休憩したい。だから、一旦質問は切り上げて晩飯の準備をすることにした。彼女も似たようなことを思っていたようで、賛成してくれた。

 

(幽々子さん、一体何者なんだ?)

 

 身体を持つ霊であり、幻想郷という異世界から来た少女。益々謎が深まるばかりだ。

 幻想郷。未だ不明な点が多いが、同時に分かったこともある。電気が通る家は希少であり、人外が跋扈する世界であること。そして、外界との接触を絶ってから百年以上経っているということ。

 情報を整理し、義徳はキッチンに向かった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「幽々子さん、できましたよー」

 

 暫くして、料理は完成まで漕ぎ着けた。リクエストが抽象的で何を作ればいいか迷い、あれこれ調べていたら予想以上に時間は掛かってしまった。取り敢えず完成したことを彼女に知らせ、椅子に座らせた。そして、完成品をダイニングテーブルまで持っていく。

 

「初めて見る……これはどういう料理なの?」

「シチューって西洋が起源の煮込み料理です。これは日本風にアレンジされたクリームシチューですね」

「“シチュー”……美味しそうね」

 

 テーブルに置かれたのは、白いクリームシチュー。中には一口サイズに切り揃えられた肉やジャガイモ、人参といったオーソドックスな具材が確認できる。

 彼女はそれを一瞥すると、微笑んだ。どうやら良い印象を得られたようだ。

 

「それじゃあ、頂きます」

「頂きます」

 

 食前の挨拶を済ませ、スプーンを手に取る。スプーンで掬い、口に入れる。特に問題は無い、シンプルなシチューの味。空腹と寒さで、普段よりも美味しく感じられた。生き返るようだった。我ながら頑張ったと、内心で自画自賛する。

 果たして────彼女の方はどうか。

 

「どうですか、美味しいですか?」

「…………最高よ、貴方の料理」

 

 余程美味しかったのか、彼女は満面の笑みを浮かべ、全身を小刻みに震わせていた。

 

「おかわり!」

「はい、まだまだあるので遠慮無く」

 

 その要求に対し、義徳は快く返事した。同時に、戦慄した。

 スプーンで掬ったシチューが、箸で掴んだ白飯が、口を開けた瞬間に消えるのだ。それは決して見間違いではない。目の前で起こっている確かな事実。電光石火の勢いで飯を平らげる彼女の姿を見て、義徳はただ呆然とする他になかった。この状況を冷静に、何事も無かったかのように見ることなど誰ができようか。いや、誰だって不可能に決まっている。

 

「あの、幽々子さん?」

「義徳、どうしたの?」

 

 美味しそうに食べてくれるのは嬉しいし、作った甲斐がある。しかし、これは言わなければならない────そんな決心が湧き上がった。

 

「少々食べ過ぎでは?」

「そうねぇ、私もお世話になっている身だし、今日はこの位にしておきましょうか。義徳、ご馳走様」

(これだけ食べておいてこの位……?)

 

 そう思わずにはいられなかった。明日の分も含めて多めに作っておいたシチュー、炊いた白米を全て食べておいてまだ余裕がある、彼女はそう言っているのだ。

 

(これは……ヤバいな)

 

 彼女の滞在期間によっては家の食料と食費が悲惨なことになる。底をつく可能性も大いにある。早急に対策を練っておかなければ、と心に誓う義徳であった。

 

「それじゃ、食べ終わったことだし話の続きでもしましょうか」

「そ、そうですね……」

 

 まだまだ言いたいことはあるが、彼女はこちらにお構いなしに話を進める。この少女、かなり天真爛漫である。

 

「貴方、家の専属料理人にならない?」

 

 いきなりの勧誘。予想外の言葉を投げ掛けられた義徳は反応に困る。

 

「さっきのシチューっていう料理、凄く感動したわ! 貴方が白玉楼に来ればもっと食事が楽しくなると思うの!」

「あ、ありがとうございます……」

 

 料理人として雇いたい程に自身の料理の味を気に入ってくれたようだ。ここまで褒められると悪い気はしない。料理が相手の口に合ったのならそれが一番良い。ただ、先を顧みずに食べ過ぎる点は改善して欲しい。食料と食費で家計が悲惨なことになる。白玉楼とやらで料理を作っている者はさぞかし胃が痛くなる思いをしているに違いない。

 

「まぁ、それは後で考えておきます」

「今じゃなくても、私が帰るまでに決めておいて頂戴。良い返事を期待してるわ」

 

 自身はまだ大学生だし、就職先も決めていない。幽々子がいる職場なら楽しそうだと義徳は思った。しかし、肝心の場所がどこにあるかも分からない異世界だ。無理難題も良い所である。

 ということで、うやむやにした。こういった態度が良くないことは分かっているが、現状はこれが最善の判断だろう。あたかも自然な風を装い、次の話に切り替えていく。

 

「で、その白玉楼って何ですか?」

「私の住んでいる屋敷よ。冥界にあるの」

「冥界!?」

 

 その言葉を聞いて、義徳は驚きを抑えられなかった。

 死後の世界は大きく分けて三つある。罪を犯した者が行く地獄、善行を積んだ者が行く天国、そして罪を犯していない幽霊が転生・成仏を待つ冥界。これらは俗に言うあの世と呼ばれている場所である。そのような世界に、彼女は住んでいるのか。

 

「私は亡霊、死んだ存在よ。そんな私が死者の世界たる冥界にいたって不思議なことではないでしょう?」

「亡霊……そういうことか!」

 

 基本的には死んだことに気づいていないか、死を認められず生への執着が強い者が成仏できずに現世に留まるのが亡霊だ。しかし、幽々子は何かしらの要因で亡霊であり続け、死を自覚し生への執着も抱いていない例外の存在だ。だから大きく安定した霊気を持つことができる。感情的な乱れも無い。

 彼女の霊気の異質さを漸く理解できた。数々の霊を見てきた義徳だが、亡霊は今まで一度も見たことがなかった。故に、その可能性を失念していた。道理で答えに辿り着けなかった訳だ。

 

「ごめんなさい。勝手に一人で納得して。思い返せば俺って質問ばかりで幽々子さんに自分のこと何一つ話してませんね」

「そうね、私は義徳のことを知りたいわ。教えてくれるかしら?」

「はい!」

 

 人の要望にはしっかりと応えようと、快活に返事をする。

 

(とは言っても何から話せば……あんまり秘密とか無いんだよな)

 

 威勢よく啖呵を切ったはいいが、正直の所人に話すような秘密など殆ど思い浮かばなかった。隠し事はあまり好きではないし、言いたいことはハッキリと言う性格だという自覚がある。強いて言うとするなら────。

 

「────俺、死者の霊が見えたり会話したりできるんです」

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「────俺、死者の霊が見えたり会話したりできるんです」

 

 清和義徳の口から放たれた言葉は、想定外のものだった。

 

「外の世界では幽霊の存在も否定されてるものだと思っていたのだけれど……」

「そうですね。他の人はそう言いますが、俺からしたら割といるものだと思いますよ」

 

 人間に否定されたのは霊とて例外ではない。近代化していく流れの中で排斥され、現在ではもし見えたとしても見間違い、錯覚などと言われるのがオチだ。しかし、彼の言うように霊は確実に存在する。何よりも自らがその“霊”の類なのだから。

 

「幽霊……というか、地縛霊とか怨霊とか霊全般に言えるんですけど、こういった死者は霊気を持っているんです。生者の気とは決定的に違う、特有の気です。あ、霊気っていうのは俺が勝手にそう呼んでるものです」

 

 彼の言う通り、死霊は生者とは明確に異なる気を持っている。しかし、その気は微弱で不安定である。神秘を失った外の世界でそれを正確に捉えることができる存在は皆無に等しいだろう。幻想郷でも普通の人間が幽霊を認知して会話をするのは困難なのだから、尚更。

 

「幽々子さんの霊気は幽霊のものとは根本的に違うものでした。幽霊と違って強く、安定してるんです」

「私が亡霊だって最初から分かっていたの?」

「いえ、言われて気づきました。亡霊なんて見たことがないので最初は戸惑いました。亡霊だと知って全部納得しましたよ。だって亡霊は他の霊と違って体を持てる唯一の霊ですからね」

 

 幽霊と亡霊は同一視されることがあるが、実際は大きく異なる。亡霊は幽霊と違い身体を持つ。一目見ただけでは人間と判別がつかない。しかし、義徳はその違いを見抜いた。亡霊の存在を見たことがなかっただけであり、本質をしっかりと理解していたのだ。彼の能力は本物だと断言できる。

 

「凄いと言わざるを得ないわ。貴方程のレベルで霊に干渉できる人間は初めてよ」

「そういうものですかね?」

「そういうものよ」

 

 しかし、不可解な点も存在する。彼は生きた人間にしては異常な程に“死”と密接に関わっている。生者と死者が決して交わることはない。だが、義徳はその理から外れている。ならば、もしかすると彼は────。

 

「あ、それはそうと幽々子さんに言わなくちゃいけないことがあるんです」

「どうしたの?」

 

 義徳が唐突に話を切り替える。何故かばつが悪い表情をしていた。

 

「最初に幽々子さんに話しかけられた時です。あの時、俺は嘘つきました。困ってるように見えたって言いましたけど、あれは出任せです」

「でも、結果的には事実だったじゃない。あの言葉が無かったら私はこうして貴方の家にいないもの。貴方が謝る必要なんて全く無いわ」

 

 その嘘は救いだった。どのような形であれ、自身を助けてくれたことに変わりはない。それなのにどうして謝るのか。彼女には理解できなかった。

 

「だとしても、謝ります。嘘をつくのは良くないですから」

 

 そのような、特に気にする必要も無いことで理由で謝るのか。義徳は、かなり実直な性格なのかもしれない。どこかの庭師に似ていて、他人を見ている気がしなかった。

 

「でも、困ってる幽々子さんを見て、俺は貴方を助けたいと心の底から思いました。これは本当です」

 

 義徳の炎のように赤い瞳が、真っすぐこちらを捉える。その眼はただひたすらに純粋で、穢れを一切感じさせない。そこに嘘も偽りもないのは明らかだ。故に────。

 

「その目を見れば分かるわ、全部本当だって。私は義徳を信じるわ」

「……ありがとうございます」

 

 ────彼を、清和義徳という男を、信じたい。

 

「だから、貴方にお願いがあるの」

「お願いですか?」

「実は私、冥界から急にこの世界に飛ばされて……帰れないの。だから、帰る方法を一緒に探してほしいのよ」

 

 この世界にいる以上、どうしてもこの問題が付きまとう。早く帰らないと庭師や境界の妖怪らが心配するだろう。何より、冥界の管理者たる自らが不在では冥界がどうなってしまうか想像に難くない。サボりと見做されてあの説教臭い閻魔に延々と叱られる可能性だってある。そういった面倒事は是が非でも避けたい。

 

「はい。俺に何ができるか分かりませんけど、精一杯やってみます。ここで会ったのも何かの縁だと思うので。何より、ここで幽々子さんを見捨てるのは後味悪いし、きっと後悔するでしょう」

 

 即答。困っている者を放っておかず、全力で助けようとするその姿勢は、長い間世界を見続けた彼女ですら見たことがない。彼は一度でも誰かの問題の深入りしたら絶対に見捨ててはおけない、筋金入りのお人好しである。恐らく────否、確実に当人は自覚していない。

 

「ありがとう。ふふ、義徳ったら本当に面白い人ね」

 

 そんなことを考えていたら、不意に笑みが零れた。死者の霊との意思疎通を可能とし、どうしようもないくらいにお人好し。初めて見るタイプの人間に興味が湧いた。彼と一緒なら、外の世界で過ごすのも案外悪くないかもしれない。そう思えた。

 

「面白いって、俺はそんなんじゃないですよ……」

「褒めてるのよ、心の底から」

 

 溜息をつく義徳を見て、思わずからかってやった。やはりあの庭師に似て、この青年は非常に弄り甲斐がある。外の世界で最初に会った人間が義徳で良かったとつくづく実感する。

 

「とにかく! 今日は色々あったので早く風呂入って寝ますよ!」

「はーい!」

 

 自身でも驚く程朗らかな声で返事をする。想像以上に今、この瞬間を楽しんでいるということか。

 幻想郷に、冥界に帰るまでの時間がどれ程長くなるか分からないが、これもきっと何かの巡り合わせだろう。気を落とさず、外の世界を存分に満喫しようと心を躍らせるのだった。




 この話は前回と合わせて一話分だったのですが一万字を超えるレベルで長くなったので二話に分割しました。
 かなり忙しいので状況で書いているのですが、東方LWにて幽々子様の実装が確定したので色々と犠牲にして完成させました。本当に頼むから幽々子様出てお願い(心の底からの懇願)。
 次回も頑張って書いていきます。ここまで楽しく読んで頂けたら幸いです。


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第三話 失ったもの

 ────あれは十年前のこと。

 父と姉が乗っていた車が大型トラックと衝突し、亡くなった。原因は運転者の飲酒運転だった。

 その情報を聞いた瞬間、居ても立っても居られず急いで事故現場に走った。生きていてほしい、お願いだから死なないでと必死に祈りながら。

 二人の傍に駆け付けた時には既に手遅れだった。即死だったのだ。トラックの特大の質量の前では人間など豆腐のようなもの。最早原形を留めていなかった。

 不快極まりない強烈な死臭と血が混ざった悪臭と、鮮血に塗れたひしゃげた肉体。況してや、この二人は血の繋がった家族だ。九歳の少年の瞳に映る光景は、地獄以外の何物でもない。ほんの数十分前まで元気な様子だった。それが、今では顔も分からない程に無惨な姿。こんな理不尽が許されていい筈がない。

 ────何故二人が死ななければならない。何故この二人でなければならない。何故────自分が二人の代わりに死んでやれない(・・・・・・・・・・・)

 あの事故の時からだった。自身の眼が紅くなったのは。死者の霊気を感じ取って意思疎通が可能になったのは。

 あの日は、桜が酷く綺麗に咲き誇っていた────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 ────夢。

 それは、過去の記憶。心の奥底に刻み込まれたトラウマ。事切れた姉と父親の惨たらしい死体。鼻が捻じ曲がりそうなくらい不快な血の臭い。その光景を思い起こすと、鈍い痛みが走る。身体と心が締め付けられるようだった。

 

「……そう言えばもうこんな時期か」

 

 義徳は桜が咲き始める頃になると決まってこの悪夢を見る。詳しい理由は分からない。きっと、『過去を忘れるな』という強迫観念めいたものだろう。

 もしも、あの時二人が生きていたら────それが叶うことは決してない。起こった事実を受け入れ、前に進んでいくしかないのだ。

 

「起きたばっかなのに疲れたな……」

 

 折角の春の陽気も、こんな夢のせいで台無しだ。おかげで眠気を全く感じない。その代わりに倦怠感が全身に伸し掛かる。最悪な気分だ。

 

「やばっ、今日は色々とやる事があるのに……!」

 

 不意に視界に入った時計を見ると、九時を示していた。普段は七時から八時に起きるようにアラームを設定しているが、昨夜の出来事もあって忘れてしまったようだ。

 義徳は急いでベッドから身体起こし、自室から出る。そのままの勢いで階段を降り、リビングへと向かった。

 

「あら、義徳。おはよう」

「おはようございます」

 

 彼女が既に起きていることは予想外だった。昨日は同じように色々あって疲れていた筈だし、まだ寝ているだろうと考えていた。

 

「貴方って真面目そうだけど意外と寝坊助なのね」

「普段はもっと早く起きてるんですけど。昨日は色々あって疲れてたので」

「ふふ、そういうことにしておくわ」

 

 相変わらずの飄々とした態度で、その真意が掴めない。何を考えているのか義徳には全く分からなかった。

 気分も優れず腹も減っているので、朝食の準備のために台所に向かう。そして、食材の状況を確認するために冷蔵庫を開ける。すると、そこには。

 

(ん……?)

 

 中にある筈のプリンが存在しなかった。義徳はプリンが大の好物であり、常に一個以上冷蔵庫に置くようにしている。故に、存在しないという状況が発生することは基本的にあり得ない。

 周囲を見ると、台所に容器が一つ置いてあった。蓋は開けられていて、中身は既に無い。

 

(まさか……!)

 

 自分以外の誰かが食べたに間違いない。そんなことが可能な人物は────。

 

「幽々子さん……俺が起きる前にプリン、食べましたよね?」

 

 目の前にいる。

 

「いいえ、そんなものは食べてないわね」

 

 お前は何を言っているんだ、みたいな表情でこちらを見つめてくる。この状況で嘘をつくのは余りにも無理がないか。

 

「じゃあ、台所に置いてあるのは何ですか?」

「起きた時には既に置いてあったわよ」

 

 この亡霊、あくまでも白を切るつもりである。どうして頑なに認めようとしないのか。

 

「もう一つ質問していいですか?」

 

 無惨な姿に変わり果てた空の容器。このような犯行が可能な人物はただ一人。動機となったその恐るべき食欲は昨晩に証明されている。更に、その結果を確定させた要因は────。

 

「口元にカラメル、付いてますよ?」

「…………テヘッ☆」

 

 この表情である。

 

「そうですよね! こんな美味しい食べ物があったらそりゃあ食べたくなりますよね!?」

「何を怒っているの? 貴方も“ぷりん”の美味しさを理解しているなら……!」

「だから! だからこそ許されていい筈がないんですよ! こんな……人の楽しみを邪魔するようなことが!」

 

 悪びれる様子を一切見せない幽々子に、流石の義徳も怒り心頭に発する。楽しみにしていたものを奪われてしまったら、余程の聖人君子でもない限り怒らずにはいられないだろう。

 

「仕方ない、また買えばいいか……」

「また食べたいからお願いね?」

「はぁ……」

 

 開き直る彼女に呆れ、思わずため息を吐く。

 西行寺幽々子は見た目こそ気品のあるお嬢様だが、こうして人となりを知ると威厳も何もない。その実態は、天真爛漫な振る舞いで人を振り回す我が儘な亡霊である。人は見かけによらないと言うが、本当にその通りだと痛感せざるを得ない。

 

「取り敢えず朝食の準備しますから、待っててください」

 

 食べられてしまったプリンを偲びながら、義徳は朝食の準備を始めた。

 対する幽々子は、プリンを味を思い出したのか幸せそうな笑顔を湛えていた。

 彼女の表情を見ていると、思考停止に近い形で怒る気力も失せていった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「義徳、何だか機嫌が悪い?」

 

 朝食後。片付けを終えると、いきなり彼女に訊ねられた。

 

「別にそんなことは……」

「さっきので怒ってる?」

 

 さっきの、とはプリンの件に違いないだろう。確かに食べたかったが、既に起こってしまったことはどうしようもない。それに、また買えばいいだけの話だ。値段も安いし、複数買うことだって造作もない。義徳にとって特に大きな問題でもない。

 

「プリンに関してはもう大丈夫です。その……人の命みたいに取返しのつかないものじゃありませんから」

「……?」

「あ、すいません、変なこと言っちゃいましたね」

 

 それは義徳自身も意図していない発言だった。どうやらあの夢のことを未だに引きずっているらしい。とすると、機嫌が悪いというのも強ち間違っていないことが分かる。

 彼女の洞察力には本当に冷や冷やする。最大限心の内を悟られないように努力することを心掛けなければならない。訳も分からず異世界に放られた彼女に無駄な心配をさせる訳にはいかないからだ。

 

(幽々子さんだって内心は不安だろうから……俺がしっかりしないと)

 

 そのためには彼女が幻想郷に帰るための方法を探す必要がある。それが最善の一手であることは決して間違っていない筈だ。例えそれが絵のない白いパズルを完成させる程に難解な事だとしても、諦める訳にはいかない。ここで彼女を見捨ててしまえば、あの世の父と姉に合わせる顔がない。そのような行為は、失った者に対する冒涜に他ならない。故に、前に進まなければならない。

 ただ、その前に────。 

 

「それよりも幽々子さん、今日は買い物に行きますよ」

 

 準備がいる。物事を円滑に進めるためには必要不可欠なことはやっておくべきだ。

 

「買い物って、一体何を買うの?」

「主に服と日用品です。あの水色の着物はこの世界では何かと不便なので」

「なる程ね。代わりに着てる義徳の服、サイズが合わないものね」

 

 昨日幽々子が着ていた服は洗濯しているため、現在は彼の服を借りる形で着ている。しかし、彼の服は女性が着用することを想定していないので不格好な状態だった。それでは駄目だと思い、義徳は提案したのだった。

 

「はい、ということで俺の友人の力を借りることにします」

「友人?」

「正確に言えば幼馴染が正しいですかね。ファッションに詳しいんですよ、そいつ」

 

 そう言うと、義徳はポケットからスマートフォンを取り出して電話帳アプリを開く。慣れた指捌きで受話器のマークをタップし、電話を掛ける。応答は即座に返ってきた。

 

「もしもし?」

『ふわぁ……今起きたばかりなんだけど』

 

 聞こえてきたのは、欠伸をしながら話す眠たげな少女の声。

 

「急で悪いけど、今日空いてるか?」

『大丈夫よ。それにしても、義徳の方から呼び出すなんて珍しいわね。何かあったの?』

「まあ、色々と。取り敢えず俺の家に来てくれ。話はそれからする」

『……急いで準備するから待ってて』

「ありがと、助かる」

 

 協力してくれることに礼を告げ、電話を切る。話が早くて助かる。

 その一連の様子を、幽々子は興味津々な面持ちで眺めていた。

 

「凄いわね、その道具」

「これは“スマートフォン”です。今みたいに離れた相手との会話とか、他にも色々できて便利ですよ」

「へえ、まるで魔法みたいね」

「言われてみれば、ある意味魔法みたいなものですね」

 

 片手に納まる程の小さい道具で様々な事ができる、というのは百年以上も前に外界から隔たれた幻想郷に者にとっては魔法だと思うのも納得できる。彼女からしてみれば、この世界に存在する多くのものに対してカルチャーショックを受けるに違いない。

 

(……にしても、この感覚は何だ?)

 

 当たり前のことにこれ程の感心を示す彼女を見ると、何故か形容し難い感情が込み上げてくる。それは後ろめたい感情ではなく、寧ろ前向きな感情である。しかし、それには胸の辺りがズキリと痛む感覚を伴うのだ。初めての経験に、義徳は疑念を抱かずにはいられなかった。正体不明の感情と痛みに戸惑いながらも、話を進めていく。

 

「あ……そうだ、幽々子さん」

「どうしたの?」

「自分が亡霊だとか幻想郷だとか、そういうことは絶対に隠してください。その……今から来る友人は変わり者なので」

 

 今から来る少女の行動を思い返すと、義徳は苦笑せざるを得ない。うっかりして彼女に幽々子の情報をばらさないように意識しなくてはならない。さもなくば────。

 

「そうなの? 義徳が言うならきっとそうなのかもね」

「本当にお願いします」

 

 良く分からない理論だが、幽々子も理解を示してくれた。恐らく、彼女ならそういう心配は無用だろう。

 それから三十分くらい経て、その少女はやってきた。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「お邪魔しまーす!」

 

 扉を開ける音と共に、朗らかな声が家中に響く。

 

「悪いな若葉、急に呼び出して」

「いいのいいの、今日は暇だったから」

 

 それは背中まで伸びた赤い髪が特徴的な少女だった。年齢は義徳と同じくらいで、少し幼げだが綺麗に整った顔立ち。前髪には星型の髪飾りを付けており、活発な印象を受ける。

 服装は白のシャツに赤のパーカー、黒のジーンズとかなりラフな格好だった。それでも様になっている所が、彼女を美少女と呼べるレベルの容姿だということを決定づけている。

 

「で、義徳が私を呼び出すくらいだから何かあったんでしょ?」

「そうだな……」

 

 彼女に問われて、昨晩のことを思い出す。

 西行寺幽々子。冥界から来た天衣無縫の亡霊との出会い。思い返せば、まるで夢を見ていると錯覚するような状況だ。しかし、自身の霊の気を感知する能力や幽々子本人の発言もあり、現実として受け止めざるを得ない。

 

「で、今日呼んだのこの人についてなんだけど……」

「貴女が義徳のお友達ね?」

「はい。西風(にしかぜ)若葉(わかば)です! よろしくお願いします!」

 

 少女────西風若葉は、丁寧に頭を下げて自己紹介をした。彼女は明るく社交的な性格である。初対面の幽々子にも物怖じせずハキハキと話す。

 

「私は西行寺幽々子、しがない居候よ。よろしくね」

 

 そんな若葉の態度を見て、幽々子も柔らかな笑みを浮かべた。

 

「それにしても義徳、こんな綺麗な人を連れ込むなんてあんたも隅に置けないわね」

「冗談は止せ。別にそういう理由で家に入れた訳じゃないからな?」

「分かってるわ。どうせ困ってたから助けたとか言うんでしょ?」

「まあ、そういうことだ」

 

 幼なじみということで、あまり人と関わりたがらない義徳でも若葉とは気兼ねなく会話ができた。彼女は細かい事を言わなくても雰囲気で察してくれるので、口下手な義徳にとっては非常に助かる存在であった。

 

「そんな訳で、今日は幽々子さんの服とか諸々買いに行きたい。でも俺だけじゃどうにもならないと考えてる。そこで若葉、お前に手伝ってほしい」

「ふーん……確かにあんたはファッションとか無頓着だもんね」

「だからお前に頼んだんだよ」

 

 義徳は服の見た目よりも機能性を重視するタイプなため、自身に似合う服というのがてんで分からない。ましてや異性が着る服など更に理解できない。故に、一人だけではどうしようもなかった。そのために日頃からファッションに詳しい若葉の力を借りることにしたのだ。

 

「事情は分かったわ。そういうことなら早速行きましょう!」

「頼もしいわね、若葉ちゃん」

「任せてください! 私、こういうのは得意なので!」

 

 若葉は胸を張り、自信満々な顔つきで言い放ってみせた。

 その姿勢に頼もしさを感じる幽々子。裏表の無いこの赤髪の少女にどこか惹きつけられる何かを感じたのだった。

 

 

   ※※※

 

 

 

「着きました。今日はここで色々と買います」

 

 三人が向かったのは大型ショッピングモールだった。「まとめて買いに行くならそれが一番手っ取り早い」という義徳と若葉の合意の下での判断だ。

 

「どこを見ても人だらけね……」

「ここはそういう場所ですからね」

 

 周囲は人という人で溢れ返っていた。ここは様々な人のニーズに合わせ、複数の種類の店を一箇所に集めた多機能な施設である。多数の客が押し寄せるは当然と言っても差し支えない。今回は春休みということもあり、特に若い学生層の客が多いように見受けた。

 そうして雑談をしている内に目的のアパレルショップに辿り着いた。

 

「若葉、後は頼む。俺は一人で色々回ってくから、終わったらスマホで呼んでくれ」

 

 そう言って、義徳は別方向へと歩いていった。これと言って特にやることも無いため、気晴らしに散策するつもりだった。

 

「それじゃ幽々子さん、行きましょう!」

 

 ニコニコと満面の笑みでリードする若葉。明らかにやる気に満ち溢れていた。

 彼女のハイテンション振りには、普段は冷静な幽々子ですら戸惑いつつ、為すがままに付いて行く。

 

「ねえ、若葉ちゃん」

「どうしました?」

「私とは初対面だけど、大丈夫なの?」

 

 無論、疑問を抱かずにはいられなかった。会って間もないというのに、手探りで会話をするといった雰囲気が目の前の彼女には一切ない。義徳が初めて自身と話した時はかなり慎重だった。その点では、若葉と彼は正反対の性質の人間だと言えるだろう。

 

「全然大丈夫です! 私、こうして人と話すの大好きですから!」

「そ、そうなの……?」

 

 あっけらかんとした表情で若葉は答えた。日頃から細かい事を考えてばかりで神経質な義徳とは違い、若葉は非常に図太く楽観的な人物である。あらゆる面で義徳とは正反対なのは明白だった。

 

「何と言うか、義徳とは真逆ね」

「そうですね……あいつってば何か考えて眉にしわ寄ってる感じですもんね」

「……若葉ちゃんって義徳に対してかなり辛辣よね」

「────でも、いつも誰かのためにって考えてるんです」

 

 若葉の口から出た言葉が意外なものだった。

 

「義徳は普段ぶっきらぼうだけど、凄くお人好しな良い奴なんです。それこそ見ず知らずの人だってお構いなしに助けちゃうくらい」

 

 若葉も彼のお人好し振りを把握していた。幼い頃から間近で接してきた若葉は、義徳の性格を殆ど完璧に理解している。清和義徳という人間は口数が少なく無愛想に見えるが、表情が顔に出るので意外と分かりやすいのだ。尤も、これは彼と関わった人物ならば誰もが抱く印象なのだが。

 

「……ふふっ、そうね。私も若葉ちゃんと同じ考えよ」

「ですよね~! しかも自覚ないんですよねあいつ」

「そう! 義徳は自分のことには頓着が無いのよ!」

 

 義徳の人物像はどうやら共通しているようだ。そのことが面白くて幽々子は思わず笑ってしまった。

 若葉も彼の内面について共有できたことを嬉しく思い、笑みを湛えた。

 二人が出会ったからまだほんの数時間だが、心が通じ合った。互いにそうだと確信した。

 

「……あ、そうだ幽々子さん! 何かこういうの着たいっていうのありませんか?」

「う〜ん、数が多過ぎて私一人では決められないわ……」

 

 外の世界の衣服は余りにも種類が多過ぎる。分かっていたことだが、こうして実際に見てみると規格外だ。幻想郷のものとは到底比べ物にならない。

 

「そのための私です! 召使いだと思ってどんどん頼ってください!」

「そうねえ……じゃあ言葉に甘えて若葉ちゃんに任せるわ」

 

 こうも数が多いと明確なイメージが湧いてこない。どういう感じの服が着たいかと言われてもすぐには決められそうにないので、ここは大人しく若葉に頼るべきだろう。

 

「ありがとうございます! この私が幽々子さんに似合う衣装を選んでみせます!」

 

 胸に手を置いて、ドヤ顔で言い張る若葉。彼女の底無しの明るさに、幽々子は改めて感嘆するのだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「随分掛かったな」

「そりゃそうよ! ファッションは女の子の命なんだから!」

「若葉ちゃんの言う通りよ義徳。女の子はオシャレが肝要なのよ」

「いや何で幽々子さんまで……」

 

 何気ない一言でどうしてここまで言われなくてはならないのか。女心をまるで理解していない義徳にとっては少し不服だった。

 当の彼女はというと、カーテンの閉じた試着室にいるためその姿を確認できない。

 

「それでは、西行寺幽々子さんのご登場!」

 

 若葉が高らかに宣言すると、試着室のカーテンが勢いよく開かれた。満を持して、新たな装いの幽々子の姿を拝むことになる。

 自信あり気な表情で現れた彼女の服装は“春っぽい感じ”という若葉の発想を表したものだった。

 上は白いシャツに水色のカーディガンを羽織っており、下はベージュのプリーツスカート。ここまで全体的に淡い色の配色で柔らかな印象を受けるが、黒のパンプスを履くことによって全体的にまとまった感じを引き出していることが見て取れた。

 

「義徳、どうかしら?」

 

 笑みを湛えた彼女の姿は正しく優雅だった。彼女の服装はその桜色の髪と瞳に良く合っていた。改めて見ると、やはり美しい。普段は異性に殆ど興味を示さない義徳だが、今回ばかりは流石に意識してしまった。

 

「……そ、その、とても似合ってると思います」

 

 戸惑いからか、上手な感想が浮かばない。必死に思考を張り巡らせても結局無難な返事しかできなかった。

 

「私はそんな無難な感想は求めてないわ。もっとハッキリとお願い」

 

 彼女も義徳の様子を完全に看破していた。視線を幽々子に合わせるのを躊躇うが、許してくれそうにない。

 

「……綺麗ですよ、とても」

 

 観念して、心の底からの本音を告げる。恥ずかしくて堪らない。顔が熱くなっているのが分かる。

 

「ふふ、義徳たら照れちゃって、意外と可愛い所もあるのね」

「こんなにうろたえてる義徳見たことないなぁ」

 

 ニヤニヤと笑う幽々子に若葉。この二人が組み合わさると碌なことがない。これは肝に銘じておこう。

 

「何でそんなに面白がるんだ、みんなして……」

 

 自分が一体何をした? 最早反論する気さえ起きなかった。振り回される身になってほしい、そう心の底から思う義徳であった。

 その後、会計時に合計金額を見て戦慄したことは言うまでもない────。




 普段書かないような描写が殆どだったので思ったより時間が掛かりました。
 この小説は妄想と慣れない描写の練習を兼ねたものなのですが、3話目でこの調子だと完結まで長引きそうです。でも完結できるように頑張っていきます。
 ここまで楽しく読んで頂けたら幸いです。


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第四話 古都京都

「うわぁ……」

 

 財布の中身を見て、義徳は戦慄する。

 

「何と言うかその、ありがとね……」

「若葉、ちょっと申し訳無さそうな感じ出すの止めろ。余計に辛くなるから」

 

 必要な物を全て買い揃えて帰路に就く三人。気が付けば空には夜の帳が下りていた。

 そんな暗くなる空に比例して、義徳の表情は暗く絶望に満ちていた。というのも、幽々子の衣服と日用品のために想定を上回る多額の金を費やしたからだ。彼女が外の世界で生活するためにはこれら必要不可欠なことだ。決して無意味ではない。無意味ではないのだ。そう言い聞かせて何とか平静を保つ。

 

「ごめんね義徳、私のために……」

「幽々子さんは気にしないで大丈夫です。全部出すって言ったのは自分なんで」

 

 乾いた笑いを上げる義徳。これだけの出費も彼が言い出したことであり、彼女を責めるのは筋違いである。全ては為すべきことを為すという義徳の矜持によるものである。しかし、精神的に負った傷は深い。

 日頃から貯めていた全財産を今日一日でどれだけ使っただろうか。考えたくもなかった。

 

「ねえ義徳、これからどうするの?」

「これから……ですか」

 

 義徳を心配して、幽々子が話題を逸らしてくれた。

 事前の準備は終わった。明日からは彼女が幻想郷に帰るための行動を本格的にしなくてはならない。

 

「明日は観光にでも行こうと思います」

「観光ってどこに?」

「京都市……昔の寺や神社が沢山ある場所です」

 

 京都市。それは日本屈指の古都であり、東京に遷都するまでのおよそ千年間に渡って日本の中心だった場所である。故に、近代化以前の風景や文化が色濃く残っている。ならば、幻想郷や冥界に繋がる場所が存在していてもおかしくない筈だ。ずばり、明日やることは観光を兼ねた調査である。少しでも手掛かりを掴むことができれば────そう願って。

 

「京都市って……何で急に?」

「幽々子さんは、その……ド田舎から家出してここに来たんだ。京都の風景を見たいって」

「そ、そうなのよ。私、一度でいいから有名なものを見たくて……」

「へぇ~、そうなんですね!」

 

 無論、咄嗟に思い浮かんだ出鱈目である。即興なので無理があるが、若葉は純粋で騙されやすい一面がある。だから、義徳の下手な嘘でもバレずにやり過ごすことができた。

 

「ねえ、それ私も行っていい?」

「そうだな……いいけど、余りはしゃぐなよ。お前、そういうことになると別人みたいで怖いんだ」

「大丈夫、分かってるから! ちゃんと抑えるから!」

 

 手を合わせて必死に懇願する若葉。そうまでして付いて行きたいのか、と呆れながらも義徳は承諾した。何か不慮の事故で幽々子の真実が露呈する可能性があるので、若葉が一緒にいる状況は好ましくないが、彼はいざ物事を頼まれると断れないタイプなのだ。

 

「ねえ義徳、若葉ちゃんのこと変わり者って言ってたけど……」

「あいつ、オカルトオタクなんですよ。もし幻想郷のことを知ったら飛びついてくると思います」

「成る程、そういうことだったのね」

 

 幻想郷はこの世界から秘匿されたもう一つの世界。幻想となり消滅しつつあった妖の類の存在を保つために、博麗大結界によって遮断されている。外部からの干渉があれば、何か異常事態が起こるかもしれない。もしも悪意を抱いた何者かが幻想郷の存在を知ってしまったならば────想像に難くない。故に、他の誰かに知られてはいけないのだ。

 

「ねえねえ、二人で何話してるの?」

「いや、明日のルートの話だ」 

「そう? あ、じゃあ私はこっちだから」

「また明日な」

「じゃあね~」

 

 道を左折する若葉に対し、右折する義徳と幽々子。手を振って一時の別れを告げた。

 

「もうちょっとマシな嘘はつけなかったのかしら? あれじゃすぐにバレそうよ?」

「大丈夫ですよ。あいつ、何でもかんでも信じる奴なんで。俺のヘタクソな嘘だって通用するんですから。でも、たまに鋭い時があるんで油断はできないんですけどね」

 

 若葉は直感が冴えており、何かを推察することに長けている。特に人の考えを見抜く力には目を見張るものがある。その力が発揮する場面は少ないが、いざ発揮したなら人の考えていることを瞬時に見抜く。隠し事が上手くない義徳には、そのことが不安であった。

 

「にしても、貴方たちって本当に仲が良いわよね。もしかして────付き合ってる?」

 

 何を言い出すかと思えば、そんなことか。

 

「いえ、若葉はただの幼馴染です。それ以上でもそれ以下でもありません」

「意外とあっさり否定するのね」

 

 期待外れとでも言わんばかりに幽々子は不満げな表情を露わにした。

 

「義徳は恋とかしたことないの?」

「そうですね、恋愛的な意味で誰かを好きになったことはないです」

 

 義徳は恋愛感情が分からない。どうしたらその人に恋情を抱いているとか、その基準をまるで理解していない。意中の異性と共に過ごしたいという願望は無く、恋愛について知ろうという気もない。一人で悠々自適に生きていたい彼にとって、恋愛という行為に意義を見出せないのは当然だった。

 

「貴方、歳はいくつ?」

「今年で二十歳ですけど、それが?」

「その年で初恋もまだだなんて……!」

「じゃあ、そういう幽々子さんはあるんですか?」

 

 そこまで言うのなら当然幽々子は恋愛経験があるのだろう。少し不服に思った義徳が訊き返す。

 すると、幽々子は数秒間黙り込んで熟考する。その表情は真剣でどこか憂いを帯びていた。そして。

 

「…………ないわね」

 

 間を置いて、たった一言。

 

「人のこと言えないじゃないですか!」

「だって私亡霊よ? 死んでるのよ? 死者が誰かに恋するなんてあり得ないわ」

「俺には人間よりも人間してるように見えますよ」

「そう? それは死人冥利に尽きるわね~」

 

 義徳渾身のツッコミも空しく、幽々子は彼に構わず自由気ままに振る舞う。完全に彼女のペースである。こうなるともうどうにもできない。

 

「ま、それよりも早く家に帰りましょ! お腹空いたわ!」

「あんまり食べ過ぎないでくださいよ」

 

 本当に、気苦労の絶えない困った亡霊少女である。しかし、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。それどころか、もう少しこの時間が続けばいい────なんてことを考えていると。

 

(視線!)

 

 どこからか、視線を感じた。

 

「どうしたの? 周りをキョロキョロして」

「視線を感じたので、誰か近くにいるのかと思って」

 

 周囲を見回しても、人影は存在しない。この道は人通りが少なく、隠れられる場所は無い。人がいればすぐに分かる構造になっている。

 

「きっと気のせいよ。私たち以外に人なんていないもの」

「うーん、確かに視線を感じたのに……」

 

 視線の正体は、一体何者なのか。何一つ分からないまま、二人は家に帰るのだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 後日。義徳の家に集合した後、三人は電車を利用して京都市へと向かった。彼らの最初の目的地は────。

 

「義徳、ここを選ぶなんてセンスあるわね!」

「あ、あぁ……」

 

 目を輝かせる若葉の勢いに思わず圧倒される。普段から活発な彼女がより活発になるのが趣味である神社仏閣巡りの時だ。

 西風若葉はオカルトオタクである。科学の発達によって今まで不明確だった現象が解明された現代でも全ては解明されていない都市伝説や神仏の存在。否定的な声が多い中、彼女はそれらが確かに存在していると信じてやまない。その熱意は大学でオカルトサークルを創設する程である。そして、それらの存在を証明するため若葉は日々活動している。因みにサークルは非公式であり、部員は彼女一人だけで他には誰もいない。

 

「ここってどういうお寺なの?」

「よくぞ訊いてくれました! この寺の境内は冥界の境界なんですよ! それに、冥界に繋がる井戸が存在していて……!」

「へ、へえ……」

「そしてその井戸を行き来した人間がいるとかいないとか……!」

 

(義徳が言っていたのはこういうことだったのね……)

 

 若葉の力説に戸惑う幽々子。義徳が彼女を変わっていると評する理由をここで理解した。

 義徳ら三人が最初に訪れたのは、現世と冥界の境界とされる六道珍皇寺である。義徳が冥界に関する社寺を調べた際、一番最初に出てきたのがこの場所だったのだ。

 この寺は京都市の東山区に位置している。決して広い寺ではないが、若葉の言うように顕界と冥界の境界となる場所ということで、どこか神秘的な雰囲気に覆われている。また、この寺には過去にこの世とあの世を行き来するために使われたという井戸が存在している。普段は遠くからしか見ることはできないが、今日は偶然にも特別に近くで見ることができる期間だった。

 

「現世と冥界の境界……ねぇ」

「そう! ここは本来交わる筈のない生と死が交わる場所なのです!」

 

 ここで幽々子は違和感を覚えた。若葉の言葉を文字通り捉えるとしたら、井戸の下に冥界が存在することになる。しかし、顕界と冥界を隔てる門は────。

 

「ごめんね若葉ちゃん、ちょっと義徳と二人で話がしたいのだけれど、いいかしら?」

「どうぞ!」

 

 一度情報を整理する必要があると判断し、若葉に頼む。幸い、快く受け入れてくれた。彼女の優しさに感謝しつつ、義徳と共に小声で会話を始める。

 

「義徳、この寺が冥界との境界らしいけれど……」

「そうですね、微かに霊気を感じるので間違ってないと思います」

「私も霊の気配を感じるわ。別の世界と繋がっていることは事実よ。けれど、その場所はあの世であっても冥界じゃない」

「どういうことですか?」

 

 あの世であっても冥界ではない。義徳にはその言葉の意味が分からず、幽々子に問う。

 

「冥界は空の上にあるの。だから、現世と冥界を繋ぐ井戸というのはおかしいわ。上がこの世で下はあの世、というのは冥界の位置を考えると矛盾しているのよ」

「え……? ちょっと待って下さい、今調べます」

 

 彼女の説明に驚きを示しつつ、ポケットからスマートフォンを取り出す。すぐさま検索エンジンを開いて調べる。すると、それはすぐに現れた。

 

「ここの井戸を行き来していた人は閻魔の下で働いてたみたいです」

「成る程ね。井戸の先は是非曲直庁という訳ね」

「ぜ、是非曲……?」

「地獄にある組織の名前よ。死者を裁く閻魔や部下の死神らが所属しているわ」

 

 是非曲直庁。それは地獄に存在しているという組織。幽々子曰く、トップである十人の閻魔王がいて、その下に死者の裁判を担当する閻魔、地獄に堕ちた者の拷問を担当する鬼神長がいて、更にその下には死神がいて、上司の手足となって働いているらしい。

 

「そ、そんな凄い場所があるんですね……」

「貴方も死んだらお世話になるわよ」

「止めてくださいよ、そんな縁起でもないこと」

 

 まるでもうすぐお前は死ぬとでも言われたようで洒落にならない。死者特有のジョークだろうか。もしそうだとしたら止めて欲しい。心が落ち着かない。

 

「まあ、ここは冥界とは関係無い場所よ。残念ね」

「うーん……」

 

 冥界に関係のある寺ということで訪れたが、残念ながら不発であった。流石に最初に一回で成功することはないと思っていたので精神的なダメージはまだ軽い。分かっていたことではあるが、やはり一筋縄ではいかないということだろう。

 

「義徳、話は終わった?」

「あぁ、時間をもらって悪かったな若葉」

 

 幽々子との話が終わったので、若葉のいる場所に戻る。予想以上に時間を取ったが、特に怒っている様子は見受けられない。

 若葉は顔を近づけ、こちらをまじまじと見つめる。

 

「……何か隠してない?」

 

 ムッとした表情で義徳に問い掛ける。ここで彼女の直感が発動するのか。

 

「いいや、そんなことはない。その、あれだ……幽々子さんと昼飯どうしようかって話してたんだよ」

「本当に?」

「本当だ。嘘を言う理由がない」

 

 嘘をつくことが苦手なため、罪悪感がこみ上げてくる。しかし、幻想郷を知る人間は少ない方がいい。無闇に干渉して二つの世界の均衡を乱す訳にはいかないからだ。故に、これは必要な嘘である。

 

「そう、それならいいんだけど……」

 

 若葉は深く疑うこともなく、信用してくれた。幸いにも未然に防ぐことができたようだ。

 

「ごめんね、疑っちゃって」

「別に謝ることでもないだろ。とりあえず次の場所に行くぞ」

 

 罪悪感に苛まれながら次の目的地へと向かうのだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「……!」

 

 ────清水寺。その舞台からの景色は美しかった。

 

「京都に来たならやっぱりここですよね!」

 

 日本屈指の観光地のため当然人が多く窮屈に感じることもあるが、この光景を見ればそんなことは些末な問題である。世界遺産に名を連ねるだけあって、その魅力は伊達ではない。

 

「本当にいい眺め……」

 

 幽々子は感嘆の声を漏らす。

 桜と青空で彩られた景観は、彼女の心に安らぎを与える。初めて見る景色に心が躍った。

 

「ありがとね、義徳」

「どうしたんです、いきなりお礼なんて」

 

 この場所を選んでくれた義徳には感謝する他にない。最初に会った人間が義徳でなかったら、ここに来ることも、このような感情も抱くことはなかったかもしれない。

 最初は人間でありながら死霊を明瞭に認識できる人間ということで興味を持ったが、こうして接してみると揶揄い甲斐があったり、困っている人がいれば後先考えずに助けてしまうような弩級のお人好しであったり、必要以上に距離を縮めようとしないもどかしさを除けば彼は非常に親しみを持てる人物だ。

 

「それは貴方自身で考えることよ?」

「……?」

 

 義徳と一緒にいれば、普段は味わえない非常識なものを見ることができるだろう。素敵でお腹いっぱいな外の世界の観光旅行をもっと体験できるだろう。故に、この世界にいる間は、幻想郷へ帰るまでは、彼の傍にいたい。幽々子はそれが最善だと信じている。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「義徳、次はここよ!」

「いや若葉、ここは縁結びの神社だぞ? 行く理由なんて……」

「義徳、これは絶対に行くべきよ」

「幽々子さんまで!?」

 

 地主神社。清水寺を順に歩いていくと、この神社に行き着く。清水寺のすぐ近くに位置しているため、周囲は人で賑わっていた。

 この神社は大国主を主祭神として祀っており、特に縁結びのご利益があるとされ若い女性や恋人同士などに人気である。

 しかし、義徳は色恋沙汰にはまるで興味が無い。単純に必要が無いと考えているからである。故にこの神社で参拝した経験は一度もない。

 

「どうして二人してそんなに行きたがるんだか……」

「折角来たんだから、そんなことを言うのは野暮だわ」

 

 少し怒った表情をする幽々子。このような顔を見せるのは意外にも初めてかもしれない。

 

「貴方みたいに女っ気のない男は、神様の力でも借りないと彼女を作れないわよ?」

「……余計なお世話ですよ」

 

 乗り気でない義徳に対し、幽々子は容赦のない悪態をつく。

 そんなやり取りをしながら階段を上ると、それは現れた。

 

「あ、これこれ! 恋占いの石!」

「結構な人が並んでいるわね」

「目を瞑って反対側の石に辿り着けば恋が叶うと言われてます! これが凄い人気なんですよ!」

 

 地主神社で特に有名なのが恋占いの石である。本殿前に十メートルの間隔で二つの石が設置されている。この石には神の力が宿っており、片方の石から目を瞑ったままもう片方の石に辿り着くことができれば恋が叶うと専らの評判である。何でも回数によって恋の成就する早さが変わるらしい。一回で辿り着けばすぐ成就するし、何回も挑戦してやっとの場合は成就が遅れるという。また、アドバイス受けて成功した場合は誰かの助力を得ることで成就するなど、やたら具体的な効果がある。

 

「じゃあ義徳、行くのよ!」

「え?」

 

 無茶振りにも程がある。

 

「私と若葉ちゃんは向こうで待ってるから」

「これをやるのがよりによって俺なんですか?」

「義徳にやってもらわないと意味が無いのよ」

「そういうものなんですか?」

「そういうものよ」

「はぁ……」

 

 義徳は不本意ながらも状況を受け入れ、列の後ろへ向かう。幾らか時間が経ち、列の一番前へとやって来た。

 

「本当に効果あるのか……?」

 

 周囲に聞こえないように呟いて、石の前に立つ。前方に見えるもう片方の石の位置を確認してから目を瞑る。視界は暗闇に染まる。深呼吸して精神を落ち着かせ、歩き始めた。

 

(以外と難しいな……)

 

 何も見えない以上、真っすぐ進めているかどうか確認することができない。自身は正しい方向に進んでいるつもりでも、実際はその限りではない。また、周囲は人で溢れ返っているため、ぶつからないように配慮する必要もある。ただ、こちら側は正確な位置を把握できない以上、配慮したところでどうにもならない。

 

(こうなったら……ヤケクソだ)

 

 このままだと長引くし、辿り着けなくてもいいので早く終わらせることにした。周りの人達には申し訳ないと思いながら、無理矢理にでも歩を進める。すると。

 

「……!」

 

 角張ってざらざらした何かが手に当たった。恐る恐る目を開ける。義徳が触れているのは反対側にある石。つまり、彼はこの挑戦を一度で成功させたのだ。

 瞬間、誰かが拍手する音が聞こえた。幽々子と若葉だった。

 

「凄い! 義徳、一回目で成功だよ!」

「おめでとう。これで将来は安泰ね」

「だといいんですけどね」

 

 義徳は神頼みのような科学的根拠の無いことをあまり信じていない。あくまでも感性は現代人のそれである。故に少し複雑な気持ちだ。

 

「そうだ、若葉はやらないのか?」

「私はほら、可愛いし? こう見えて大学の男子には人気あるんだから」

「本当か?」

「……とにかく! 義徳は他人の心配よりも自分の心配!」

「若葉ちゃんの言う通りよ。貴方はもう少し自分を大切にしなさい」

「俺、そこまで心配されるような人間じゃないかと……」

 

 何だか上手くはぐらかされた気がする。それより、自分を大切にしろと言われたことの方が引っ掛かった。自分自身に何か問題があるとは思わないし、問題になるような行動もしていない。故に、二人の言葉は不可解だった。

 二人の顔を見ると、驚きの表情を露わにしていた。直接言ってはいない訳ではないが、「もしかして自覚が無いのか?」とこれでもかと訴えているのは理解できた。

 

「確かに俺はあんまり融通が利かないかもしれないけど、そこまで言われる程じゃ────」

「いや、そういうことを言ってる訳じゃないんだけど」

「ここまで来ると鈍感ってレベルを超えてるわね」

「そこまで!?」

 

 義徳が言い切る前に遮り、強烈な追い打ちが炸裂。一体を何をした? 幼馴染で彼のことをよく知る若葉ならまだしも、一昨日会ったばかりの幽々子にここまで言われるとは。散々という他にない。

 

「……とにかく。ここでの用事は終わったんで次の場所に行きますよ」

 

 怒涛の口撃で余程のダメージを負ったのか、流石の義徳も凹んでしまった。素っ気ない表情で脱線した話を元に戻す。今は義徳の話題で盛り上がっている場合ではない。折角の時間が無駄である。今日一日で市内中を回るには意外と時間が掛かる。

 

「あの、幽々子さん」

「どうしたの?」

「何だかやけに楽しそうですね」

「……そうね」

 

 小さい声で呟くと、蒼空を見つめる。彼女自身も今さっきそのことに気づいたのか、ハッとした表情を見せる。しばらく間を置いて、こちらに向けて悪戯な笑みを浮かべる。

 

「────貴方と一緒にいるから、かしらね」

 

 直後、義徳の耳元で囁いた。彼女の温かい吐息が耳を撫でる。それは鼓膜に響き渡り、心臓の鼓動が早くなる。顔が熱くなっていくのが分かった。

 

「どう? ドキッとしたでしょ?」

 

 唐突の出来事に思考が定まらない。言葉が出てこない。早鐘する心臓の鼓動を感じながら必死に思考を回す。

 

(またこの感覚だ……)

 

 激しい鼓動と同時に胸の奥が痛みが生じる。更に、何とも表現し難い感情を湧いてくる。幽々子のことを考えると、それは更に強くなる。彼女のことが頭から離れない。眼を離せない。一体、どうしてしまったというのか。天真爛漫な幽々子に成す術も無く翻弄されるだけだった。

 

 

(義徳、もしかして……)

 

 若葉は彼の様子を見逃さなかった。人と距離を置き、必要以上に関わろうとしないあの義徳が、まさか。当の本人は無自覚だろうが、抱いている感情は間違いなく────。

 西行寺幽々子という存在は、義徳の心に大きな変化を齎してる。西風若葉の天性の推察力は、その事実をハッキリと捉えていた。




 今回は珍しく実在の場所での描写となりました。一応この話に出てきた場所は全て行ったことがあるのですが遠い日の記憶なので正しいものかと言われると不安だったりします。時の流れが早すぎて怖い。
 何はともあれ、学校の課題を処理しつつこのまま最低月に一回くらいのペースで投稿して完結まで駆け抜けられるように頑張ります。ここまで読んで頂けたら幸いです。


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第五話 死が降りてくる

「幽々子さん、今日はどうでした?」

「とても楽しめたわ。京都市、凄く良い所ね」

「あそこにはまだ行っていない場所が沢山あります! 予定が合えば私と一緒に行きましょう!」

「そうね、また一緒に行きましょう」

 

 空が茜色に染まる頃。京都の観光を一通り終え、それぞれの家に戻る準備をしていた。

 取り合えず今日の観光は一応成功したようである。しかし、本命である冥界や幻想郷に繋がる場所を見つけることはできなかった。やはり、たった一日で見つかる程簡単なことではないようだ。とは言え、まだ始まったばかりだ。万策尽きた訳ではない。諦めるのは早計だ。後で他の方法を考え直そう。

 と、ここで唸り声のような音が辺りに響いた。少しして、それが腹の音だと気づいた。

 

「義徳、お腹が空いたなら夕食よ!」

「決断が早すぎる……でも、賛成です」

「折角京都に来たんだから外食がいいわ!」

「若葉の言う通りだな、ここは……」

 

 スマートフォンをポケットから取り出し、地図アプリを開く。現在地の近くある最適な飲食店を探す。

 

 三人が向かったのは焼肉屋。勿論食べ放題に対応している店である。これなら自らの財布に負担を掛けることもなく、幽々子の腹を最大限満たすことができる。幽々子の食欲に店の食材の供給が追い付くかどうかという懸念はあるが、ここは食べ放題というシステムに心から感謝して店内に入る。

 

「三名様でよろしいですね? それではこちらの席へご案内致します」

 

 店員の丁寧な対応に従い、指定された席に座る。一連の行動を確認した店員は去っていった。

 

「あ、俺はトイレに。メニューは二人で……」

 

 そう言って、義徳はやや急ぎ気味にトイレ部屋の方へ向かっていった。これで、若葉と幽々子が対面して座る形となった。

 

「……あの、幽々子さん」

「ん? どうしたの若葉ちゃん」

 

 もじもじとする若葉。幽々子には彼女が何かを躊躇っているように見えた。そうするようなことは特に無い筈だが。

 

「……義徳のこと、どう思います?」

「どうって?」

 

 それは義徳についてだった。

 

「幽々子さんにとってあいつはどういう人間なのか知りたくって」

「そうねぇ……」

 

 若葉が見た義徳の幽々子への対応は、今までの彼のそれとは異なる。普段は冷静で落ち着いている義徳があそこまで困惑を露呈することは珍しい。やはり、無意識ながらに恋情を抱いていると考えるのが筋だろう。

 

「私は、義徳はとても良い人間だと思うわ。見ず知らずの人だって関係無く助けられる優しさがある。あと、揶揄うと面白い反応をしてくれるし」

 

 ここまでは予想通りの感想だ。それに続く言葉は────。

 

「ただ、どこか壁を感じるのよね。人当たりは良いけど、上手い具合に他人行儀というか……義徳自身は隠してるつもりなんでしょうけど。何かそうする理由でもあるのかしらね?」

 

 これも義徳と親しい者ならば誰しもが抱く感想である。一見親しく接しているように見えて、頑なに距離を縮めようとしない。義徳と接する人間はそこにもどかしさを感じる。

 

「小さい頃は普通に人と接していて友達も多かったんです。ただ……父親と姉を亡くした時から、今みたいに人と積極的に関わるのを控えてて」

「義徳にそんなことが……」

「眼が赤くなって人の死に敏感になったのも、丁度その時からです」

「全ては家族が死んだことが原因……ということね」

 

 恐らく、義徳は大切な者を失うことを酷く恐れているのだろう。確かに失った後にどれだけ嘆き悲しんだところで、人の命が蘇ることはない。失って傷つくことが嫌なら、最初から無くていい。そうすれば、傷つくことも悲しむこともない。それなら彼が人と関わろうとしないことに合点がいく。多くの死を見てきた幽々子には、それが瞬時に理解できた。

 

「でも、幽々子さんと話してる時の義徳は普段と違って楽しそうなんですよね」

 

 若葉は、義徳が幽々子に対して抱いている感情を理解していた。その切っ掛けは知る由もないが、特別視しているのは間違いない。

 幽々子には普通の人間には無い何かがある。あの頑固な義徳の心に変化をもたらしたのだ。理由はそれだけで十分である。

 

「幽々子さんなら────」

 

 ここで、トイレから戻ってくる義徳が視界に入った。慌てて静止した。この話を彼に聞かれると少し不味いことになるからだ。

 

「二人で何の話を?」

 

 戻って席に座った義徳が尋ねてきた。

 

「ただの世間話よ」

 

 若葉は適当な出任せを言って誤魔化す。

 

(……幽々子さんならきっと、義徳を変えてくれるかもしれない)

 

 若葉は心の中で密かに願う。義徳が過去の重荷から解放されることを。それを可能にするのは、幽々子以外の存在しないだろう。

 

 

   ※※※

 

 

 

「今日は疲れたな……」

 

 あれから若葉と別れ、自宅に帰ってきた。

 

「義徳、これからはどうするの?」

「これから、ですか……」

 

 今日は幻想郷の手掛かりを見つけることができなかった。故に、明日以降の予定を決める必要がある。

 

「幻想郷に戻る方法って境界を探す以外にありますか?」

「そうね、それ以外なら博麗大結界を探すことを視野に入れた方がいいわね。」

「成る程……」

 

 この世界と幻想郷を分かつ博麗大結界。幽々子の目的を達成するためには、その結界の場所を特定しなければならない。

 

「博麗大結界の場所は分かりますか?」

「博麗神社に結界があることは分かっているのだけど、その神社の場所が分からないのよ」

「特徴が分かればもしかしたら分かるかもしれません」

「それがね、外の世界にある博麗神社は地図にも記されていないような無人の廃神社なの」

「確かに、そうなると難しいですね……」

 

 どうやら博麗神社は既に神社としての機能を失ってから久しいようだ。その状態では容易に探すことはできないだろう。

 

「でも、それを試してみる価値はあると思います。幸いここは京都です。廃神社なら心当たりがあります」

「可能性は限りなく低いわ。日本全国の廃神社を探し回っていたら、それこそ貴方が死ぬまで見つからない可能性の方が高い。迎えを待つ方が確実よ」

「だとしても、俺はやります」

 

 八方塞がりで絶望的な状況だとしても、決して諦めはしない。

 

「俺は幽々子さんの悩みを知って、助ける道を選んだ。なら────最後まで走り切るしかないじゃないですか」

 

 彼女のために何とか助けになりたい。それは純粋な、心の底からの想いだった。幽々子には笑顔でいてほしい。悲しそうにしている姿は似合わない。彼女の一番の幸せは、やはり冥界に帰ることだろう。このまま帰るべき場所に帰れないのは余りにも辛い。故に、ここで歩を止めるなどという発想は思い浮かばなかった。

 

「少しでも可能性があるなら、俺は絶対に諦めません。それに……」

 

 ここで言葉を止めた。これ以上は言ってはいけない。幽々子との関係は元の居場所に帰れるよう助けるだけのものであり、それ以上のものではない。これより先の言葉は、呪いでしかない。過去に負った傷を再び開くことになる。ただ虚しいだけだ。

 

「いや、何でもありません」

 

 だから、この言葉を決して言うことはない。この一線を超えてしまえば、互いに幸せになることはない。これでいいのだ。

 

「取り敢えず予定が決まりましたね。という訳で食材の買い出しに行きたいんですけど、幽々子さんはどうします?」

「行くわ!」

 

 食べ物のことになると幽々子は途端に明るくなる。直前の厳しい表情が嘘のようだった。幽々子の活き活きとした表情を見ていると、こちらも元気を貰える。そんな彼女だからこそ────一緒にいたいと思うのかもしれない。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「桜も咲いてきてるわね」

 

 道にある桜並木を見て、幽々子が呟いた。

 

「そうですね、これなら一週間も経たずに満開ですね」

 

 月明りを受けて、桜は凛然と咲いている。非常に美しい夜桜だった。現在は五分咲きといったところか。徐々に薄紅の花弁を増やし、満開へ至ろうとしている。満開の日は、そう遠くない。

 

「ねぇ、義徳は────」

 

 幽々子が何か言おうとしたその時、堪え難い頭痛が義徳に襲いかかる。脳内に走る電流と、耳の奥で鳴り響く不快な耳鳴り。全身が焼けるように熱い。突如として起こった異変に悶えていると、脳裏に一つの景色が浮かび上がる。

 それは、道路を走る大型トラックとその前に立ち竦む黒スーツを着た金髪の女性(・・・・・)の光景。トラックの急ブレーキが間に合わず、減速もままならない。勢いを抑えることもできず、トラックは女性に────。

 瞬間、義徳は事態を把握した。間違いない。こうなった時は決まって────死が訪れる。

 女性の命が危ない。このまま何もしなければ彼女はトラックに轢かれ、見ることも憚られる無惨な光景が広がることになる。今から行けばまだ助かる可能性はある。

 

「幽々子さん、ここで少し待っててください!」

 

 つい先程の穏やかな様子から一転、見たこともないような必死の形相を見せる義徳。幽々子に一言告げ、全速力で走りだす。今は幽々子のことを気に掛ける程の余裕が無かった。彼女には申し訳ないと思いつつ、この場を後にする。

 

(いた!)

 

 走ること数百メートル、目的の場所に辿り着いた。女性は十字路の中心で立ち止まっている。それを確認したのと同時に、トラックのエンジン音とブレーキ音が近づいてくることも分かった。この距離ならば────。

 

「危ない!」

 

 彼女の手首を掴み、無理矢理後方に引っ張る。直後、義徳も轢かれないように後退する。

 数秒後、騒々しいブレーキ音が止む。二人はトラックの進行方向から外れることができた。何とか、女性の命を救うことができたのだ。

 

「大丈夫ですか!?」

「……」

 

 女性からの返答は無かった。

 

「怪我は無いかい!?」

 

 トラックのドアが勢いよく開く。そこから慌てて出てきたのは運転手であろう初老の男性だった。彼が慌てるのも無理もない。あと少しを人を殺めるところだったのだから。

 

「大丈夫です。この子が助けてくれましたから」

 

 女性が口を開いた。多少時間が経って落ち着いてきたのだろう。しかし、どこか冷静すぎるように感じる。状況からして至って普通な筈なのだが、心の内に生じた違和感を拭い切れない。

 

「それなら良かった……」

「はい、本当に良かったです。ここで事故なんか起こったら誰も救われないですから」

「本当にありがとう。お礼しか言えないのが心苦しいよ」

「いえいえ、お礼なんていらないですよ。当然のことをしただけですから」

 

 多少のやり取りをした後、初老の男性はトラックの中に戻り、どこかへ走り去っていった。

 取り合えず最悪の事態を防げたことに安堵する。ただ、今はそれ以上に────。

 

「貴女、命を無駄にすることは二度としないでください」

 

 命を投げ捨てるような行為を許してはいけない。これはただのエゴの押しつけでしかないが、言っておかなければ義徳の気が晴れなかった。

 

「ふふ、肝に銘じておきますわ」

 

 女性はにこりと笑う。笑うようなことだろうか。彼女の表情は美しく、どこか引かれるものがある。しかし、漂う胡散臭さが義徳に警戒心を抱かせる。助けておいて失礼な話だが、あまり信用できそうな人物ではなかった。

 ここで足音が聞こえた。後方からだった。

 

「義徳!」

 

 後ろに振り向くと、そこにいたのは幽々子だった。義徳が心配で慌てて駆けつけたのだ。

 

「幽々子さん、待っててって言ったのに……」

「貴方の鬼気迫る表情を見ていたら気になるでしょう?」

 

 確かに、あんなに和やかな雰囲気の中でいきなりどこかに走り出したら誰だって気になる。自分もきっとそうするだろう。否定できなかった。

 

「女の人が……って、いない」

 

 状況を説明するために周囲を見やると、先程の女性はいなかった。ほんの数秒目を放した隙にどこに行ったのだろうか。あの金髪の女性には謎が多い。一体何者なのか。

 

「その、あの女の人がトラックに轢かれて死にそうだったので助けました」

「遠目で見てたわ。でも、どうしてそれが分かったの?」

 

 幽々子の疑問は尤もなものである。あの場所に行くために道を曲がる必要があるため、見ることはできない。何よりも、この事象が起こる前から義徳はハッキリと理解していた。彼の行ったことは紛れもない未来予知であり、普通ではあり得ないことだ。

 

「────俺には霊以外にも、近くにいる人の死が分かるんです」

 

 幽々子の瞳を真っすぐに捉え、その答えを語った。

 

「人の死が分かるって、どういうこと?」

「近くに人が死にそうな人とか死んだ人がいると、その人の死ぬ瞬間が俺の頭の中に入り込んでくるんです。何というか、写真みたいな感じで」

 

 義徳の能力は死者だけが対象ではなく、死に直面した生者にも適応される。近くにいる者の死ぬ直前、或いは死んだ瞬間を見ることができる。また、死んだ者の思念を受け取ることもできる。今回は誰も死ぬことがなかったので思念を受け取ることはなかった。これは負担が大きく、精神的なダメージが大きいので義徳は苦手に思っている。

 

「それで、人が死ぬのが分かったから助けに行ったということ?」

「はい。人の命はたった一つ、代わりはありません。理不尽な死に方じゃ、その人もその周囲の人も報われませんから」

 

 義徳は冷静に、心から思った言葉を幽々子に向ける。

 

「助けられないと分かってても俺は全力で助けに行きます。行かなかったら絶対に後悔する。それだけは絶対に嫌なので」 

 

 改めて聞いた義徳の本音。人を助けようとする信念は素晴らしいものだと思うが、それは同時に狂気的でもある。幽々子はそう感じた。

 清和義徳は過去の体験から人の死を極端に嫌っている。それなのに自ら死地に向かう。少しでも助けられる可能性があると信じて。特殊な能力を備えてはいるが、それは身体能力に作用するものではない。その点で彼はただの人間と変わらない。その力で助けられた人間はどれだけ存在する? きっと、助けられた人間の方が少ない筈だ。今まで多くの死を見てきたに違いない。精神もかなり摩耗しただろう。それでも義徳は人を助けようとするのだ。自身の命を顧みず、自身の信念に背かず、自身の行いを諦めず。ただ助けたい一心で。彼は人を助けることにおいては一切の迷いが無い。明らかに常軌を逸している。それこそ狂気的と感じるほどに。

 

「一つ訊いていいかしら?」

「何です?」

「貴方は、自分が死んでもいいと思ってる?」

 

 義徳は死を厭んでいながら死と密接に関わっているという矛盾を抱えている。多くの死を見た者は自身の命を軽んじるか、より重んじるか、その両極端である。彼はどちら側の人間か。

 

「いや、死ぬのは怖いです。それに、俺が死んで悲しむ人間がいることを知ってるので死ぬわけにはいきませんよ。天寿を全うしてみせるつもりです」

 

 どうやら、最後の一線は超えていないようである。一応自身を勘定に入れているらしい。それが分かったので、幽々子は安心した。しかし、そうした上であのような行動をしているのなら余計に性質が悪いとも思った。あくまでも自分より他人というのが義徳のスタンスなのだろう。それを変えるつもりも毛頭ないようだ。

 

「それが分かっているなら大丈夫ね。でも、少しでもいいから自身のことを大切にしなさい。貴方が死んで悲しむ存在がいる以前に、貴方を常に心配している存在がいる。それを決して忘れないで頂戴」

 

 命を尊重する義徳だが、彼は彼自身の命をあまり考慮していない。幽々子にとってそれが心配だった。死を感じることができる故に、自らが死ぬリスクを背負ってでも人を死から救おうと必死に動く。しかし、そうすればそうするほど彼は────。

 

「確かに貴方の心意気は素晴らしい。でも、それで義徳自身がダメになったら元も子もないわ。貴方が死ぬにはまだ早すぎるから」

 

 堪らず、幽々子は義徳を自らの胸に引き込む。それから腕を背中に回し、抱擁を交わすのだった。少しでもいいから自分ことを気遣ってほしいという彼女なりの労りである。

 対する義徳は、抵抗する暇も無く彼女の抱擁を受け入れた。彼女の心の温もりを直に受け取り、何とも形容し難い感情に襲われる。その感情の正体は、やはり分からない。

 二人がそれぞれの考えを抱く中、彼らを監視するスキマ(・・・)の存在に気づくことはなかった。




 ……話の後半がプロットとは全く違う話になってしまいました。今回は義徳の能力について書いたのですが、物語の前半部分でやっておかないと終盤が唐突な展開ばかりになってしまうので……。この時点でも随分唐突ですけど(汗)。
 次回は本来の五話ということで、そして作中でかなり重要な部分となるので、気合を入れて書きたいと思います。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。


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第六話 桜の過去

「どうしたの、義徳?」

 

 翌日。暖かな春の朝日の下。明るく輝く日光に対し、義徳は憂鬱だった。

 

「その、今日か明日に母さんが帰ってくるんですよ」

「それの何がいけないのかしら?」

「幽々子さんのこと、母さんには伝えてないんですよね……」

 

 義徳の懸念はそこにあった。というのも、彼は母親のことが少し苦手なのだ。

 母は茶目っ気の権化のような人間である。いい大人だというのに子どもらしい。家の中では徹底して自堕落でだらしない。一言で言えば、天衣無縫な振る舞いが幽々子と似ているのだ。一人でも抑えられないというのに、それが二人に増えたら? 考えると憂鬱なことこの上ない。根はしっかり者だから、余計に性質が悪い。

 そんな親だからこそ、義徳は幽々子の存在を隠した。バレた際に何を言われるか分かったものではない。面倒事が多過ぎる。あれこれ策を練っても、同じ屋根の下にいることになるので完全に隠し切ることは叶わないだろう。理由の説明のために少しでも時間を稼ぎたかった。

 

「その、どう説明しようかと考えてて」

「もしかして親が嫌いなの?」

「まさか、嫌いな訳ないじゃないですか。ただ苦手なだけですよ」

 

 断りを入れておくと、義徳の家族関係は非常に良好である。きちんと愛されて育てられたという自覚がある。何より、母親は唯一の肉親だ。無下にできる筈がない。こちらの都合を考えずひたすらに振り回してくる所が苦手なだけなのだ。

 

「なら、そんなのその時になってからでいいじゃない」

「そんなのって、それができたらどんなに楽か……」

 

 幽々子のように楽観的であれば。今日ほどそんなことを考えた日は無い。

 

「で、今日の予定は廃神社巡りだったかしら?」

「今日というか、当分の間はそんな感じですね」

 

 不確実な冥界の境界を探すより、確実に存在する博麗大結界の在りかを探す方向に変更した。しかし、不特定多数の廃神社の中からたった一つしかない博麗神社跡を見つけるという行為は困難を極める。故に、長期間の計画となる。

 

「そう言えば、もし博麗大結界があったとして、それを知る手段ってあるんですか?」

「結界は霊力で構成されているわ。強力な霊力があれば、近くにある可能性が高いということになるわ」

 

 強い霊力を感じることがあれば、そこに何かしらの結界があるということらしい。この計画は、彼女がどれだけ正確に感知できるかに掛かっている。

 

「手段があるなら一応問題無いですね。じゃあ、さっさと朝ご飯を食べて大結界を探しましょう」

 

 そうこうして、相変わらずの彼女の大食い振りに驚嘆しながら朝食を食べ終える。手短に食器の片付けをした後、二人は外に出た。

 

「最初に見た時からずっと気になってたけど……」

「これは車です。これなら広い範囲を移動できます」

 

 今回の移動に用いるのは義徳の乗用車である。特定の場所に長時間いることもなく、様々な場所を動き回るならばこれが最も適しているだろう。

 義徳は運転席に、幽々子は助手席にそれぞれ座る。シートベルトで身体を固定し、ミラーの位置確認等を済ませた。

 

「じゃあ、行きますよ」

 

 エンジンを掛け、サイドブレーキとレバーを所定の位置に動かし、車を発進させた。

 目指すは博麗大結界。どこにあるとも知れないが、これを探さないことには目的の達成はあり得ない。故に、可能性が低くとも義徳は行動を起こすのだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「はぁ……」

 

 思わず、溜息が出てしまった。

 

「分かってたことだけど、こうも手応えが無いと辛いわね……」

 

 気が付けば、太陽が西に沈みかけていた。茜色の空は徐々に藍色に染まりつつあった。

 

「時間的にもこれが最後ですね。ダメだったら家に帰りましょう」

 

 周囲は木々で覆われており、日差しが届かない。黄昏時ということもあり、殆ど夜と変わらない。これ以上の活動は難しいと判断した。

 

「階段か……」

 

 目の前に広がる階段を前にして、義徳は少し憂鬱な気分になった。ここからは光源を利用して進んだ方が安全だ。光源となる懐中電灯とスマートフォンのライト機能を駆使して進んでいくが、少々心許ない。油断は禁物である。

 細心の注意を払って階段を登り終えた。その先には、神社があった。朱色の塗装が剥げ、蔦が絡んでいる鳥居。木材の腐食が進み、崩れかかっている本殿。一目で分かる、疑う必要も無いくらいの廃神社。

 しかし、今まで見た廃神社とは一線を画する光景が広がっていた。

 

「これは……!」

 

 幽々子が言葉を零した。彼女の目に映るのは、境内に植えられた幾本もの桜。その一つ一つが大樹に相当するものであり、樹齢は相当なものだと理解できた。まだ満開ではないものの、その美しさは他の桜を凌駕している。

 

「凄い所を知っているのね」

「若葉ですよ。心霊スポット巡りでたらい回しにされた時、ここに連れてこられました」

 

 この場所を教えてくれたのはオカルトオタクの若葉である。京都周辺の神社仏閣の大半は彼女によって連れて来られた。故に、義徳も多少は知識がある。それらの情報がここで役に立つとは思ってもみなかった。

 

「凄く綺麗な桜ね……」

 

 その美しさに、自然と感嘆の言葉が零れた。周囲のことは気にも留めず、幽々子はただただ眼に映る桜を見上げていた。

 

「あと、この桜は?」

 

 優雅に咲き誇る桜の中で、一本だけ異彩を放つ桜の木が聳えていた。

 それは他の桜よりも一際大きく、注連縄が巻かれている。何よりも目を引くのは、春にも関わらず一切の花どころか蕾すら付けていないことだ。

 

「注連縄があるってことはご神体だったんでしょう。でも、見ての通りこの桜は枯れてます」

 

 注連縄が巻かれたこの木には恐らくは何らかの神が宿っていたのだろう。しかし、その機能は失われて久しい。この神社は長い間無人であり、存在を忘れ去られている。そのため、祀っていた神の信仰は消え失せ、存在そのものが消滅してしまった。故に、神木である桜も枯れてしまったのだと推測できる。

 

「義徳は、この桜が咲いている姿をこの目で見たいと思う?」

「咲いたなら凄く綺麗だと思います。でも、この桜はもう死んでいます。安らかに眠らせておくべきかと」

 

 神木としてきちんと存在していたならば。優雅に咲き誇る姿は想像に難くない。しかし、その姿を見ることは決してない。この桜は既にその生を終えている。枯れた桜も、人の命と同じく生き返ることはない。死んだ存在を蘇らせることはできない。安らかに弔ってやるのが道理だと義徳は考える。

 

「私は見たいわ。だって、咲いたらとても綺麗だと思うから」

 

 しかし、幽々子の考えは義徳と違う。互いに桜が咲く姿は綺麗だと思う点は同じだが、実際には見たいかどうかという点で食い違いがあった。

 

「……今から話したいことがあるのだけれど、いいかしら」

「はい。話したいように話して下さい」

「じゃあ、そうさせてもらうわ」

 

 幽々子は一呼吸して精神を落ち着かせる。彼女の顔から笑みが消え、真剣な表情になる。

 

「冥界には、同じように咲かない桜があるの。西行妖という名の桜よ」

 

 幽々子が目の前の枯れた桜を見たいと思う理由。それは、西行妖が関係している。

 

「私は西行妖を咲かせようとして、幻想郷から春を奪った。結果、幻想郷は五月になっても冬が続いたわ」

「春を奪ったって……?」

「西行妖を咲かせるためには必要なことだったわ」

 

 西行妖を満開にするために幻想郷中から春を集めた。それが唯一の方法だったからだ。しかし、それは大きな禍根を幻想郷にもたらす原因となった。

 

「……長過ぎる冬は人間を苦しめるには十分過ぎた。数は少ないけれど死人が出た。私は罪の無い人間を傷つけた。それを経て尚、私は西行妖が咲く姿を見てみたいの。それは決して叶うことのない願い。それでも望んでしまう。自分でもおかしいと思うわ」

 

 自らが愚かだと自嘲する。満開の西行妖を見たいと思い、他者の安息を破壊して強行した。結果、望みは果たされなかった。結局の所、彼女が西行妖の満開を見ることは絶対に無い。それでも尚、無理だと理解していても心の奥底では望んでいる。

 

「私は叶わない望みのために貴方の最も嫌いな人殺しをした。こんな私でも、義徳は認めてくれる……?」

 

 涙を浮かべ、震えた声で恐る恐る義徳に問う。普段の天真爛漫さは鳴りを潜め、暗く儚げな雰囲気を露わにしていた。気丈な振る舞いは無く、か弱い一面を隠すこともせずさらけ出している。そんな表情は────幽々子には似合わない。

 義徳は幽々子の手を握る。彼女は隠したいであろう過去を包み隠さず話したのだから、自身もそれに報いなければならない。

 

「確かに、幽々子さんのやったことは許されないと思います。でも、絶対に叶わないことを望む。その気持ちは分かります」

 

 幽々子は興味本位で桜を咲かせようと計画を立て、あろうことか実行に移した。それが大勢の人を脅かし、死人すら出した。そこまでは意図していなかったのかもしれないが、悪戯に命を奪ったということに変わりはない。彼女の行いは悪行であり、決して許されるものではない。しかし────義徳には幽々子の内心が理解できた。故に、糾弾せず、共感をもって自身の気持ちを示す。

 

「え……?」

 

 義徳の予想外の行動と言葉に、幽々子は驚きの声を上げた。

 

「十年前の今頃、俺は父と姉を失いました」

 

 若葉から聞いた義徳の過去。彼は良くも悪くもこの出来事に引っ張られている。死を嫌うようになったのも、能力を発現したのも、全ての切っ掛けは家族の死である。非常に辛いことを話しているというのに、彼の表情からは悲観的なものを感じない。赤い瞳には確かな覚悟が宿っている。有無を言わさない凄みに幽々子は圧倒された。

 

「それを機に俺は死を感じる力を得ました。誰かの死が分かるから、大切な人が死ぬ悲しみが分かるから、死なせないように必死に頑張りました。自分みたいな人を増やしたくなかったんです」

 

 大切なものが目の前で理不尽に奪われる。それが嫌で、可能な限り多くの命を救えるように努力をした。しかし────。

 

「でも、俺がどんなに頑張っても助けられないことの方が多かったです。助けると言って、助けられなくて。その度に人の死を目の当たりにして。ふざけるなと責められて。自分の理想を貫こうとすると、必ず誰かが傷つくんです」

 

 事を為せなかったら、罵詈雑言は当たり前だった。目の前で死んだ人間とは縁もゆかりもないが、他の誰かにとっては掛け替えのない大切な人だ。故に、失った際の悲しみは計り知れないものだ。やるせない気持ちは須らくその人を助けようとした自身に向けられる。「何故助けられなかった────?」と。

 

「それでも、一人でも多く助けたいと思って頑張ってきました。手が届く範囲なら、必ず助けたかったから。無理だと分かっていても、できるかもしれないと望むことを止めない」

 

 目の前で散る命を目の当たりにする度に心を痛め、それでも助けることを諦めない。確率が低いだとか、絶対に不可能だとか、そんなものは関係無い。ただ、目の前に誰かが死ぬことを決して見過ごす訳にはいかない。その一心である。

 

「幽々子さんは絶対に咲かない桜の満開が見たい。俺は手が届く範囲の人全てを救いたい。それが多くの人を傷つけることだと分かってても」

 

 咲かない桜を咲かすには、人間の平和な生活を奪わなければならない。目の前の人全てを助けるということは、助けられなかった場合に深い絶望を周囲に振り撒く。どちらも独善的な望みで、他者に決して小さくない傷を負わせる。

 

「俺も幽々子さんも、互いに叶わない望みを持っている。だから、俺は幽々子さんを否定しません。否定なんて、できません」

 

 互いに叶わない望みを抱いている。それを実行に移せば誰かが傷つく。それが分かっていても止めることができない。その気持ちは義徳も同じだった。故に、否定することができなかった。この二人は、ある種の同類なのだ。

 

「……ありがとう」

 

 義徳は優しい。優し過ぎる。優し過ぎて心配になる。しかし、その優しさがありがたかった。己の過去を知ったら嫌われると思っていたから、否定しないと言ってくれたことに感謝した。死に誘う存在である自身を肯定してくれたことが何よりも嬉しかった。そして、彼のことを思うとどういう訳か胸が熱くなった気がした。これはもしかして────。

 

「────話はこれで終わりかしら?」

 

 声が聞こえた。それは女性特有の透き通った声。しかし、それは幽々子ではない第三者の声だ。

 

「……紫?」

 

 声の正体に心当たりがあるのか、幽々子が名を口にする。すると、何もない空間から一人の女性が降りてきた。

 

「こんばんは、幽々子。あと、そちらの人間も」

「────あんたは!」

 

 美しく整った顔、長い金髪、胡散臭い雰囲気。服装はスーツではなくドレスだが、間違いない。昨日、トラックに轢かれそうだった女性である。

 幽々子の表情を見るに、二人は面識があるようだった。それは、金髪の女性が幻想郷に住む者だということを意味している。

 

「私は八雲(やくも)(ゆかり)。昨日ぶりね、清和義徳」

 

 八雲紫。彼女の介入は何がもたらすのか。予想外の人物の登場に、義徳も幽々子も呆然とする他になかった────。




 思った以上に文字数が多くなってしまったので分割します。後編は近日中に投稿します。


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第七話 境を異にする

「私は八雲紫。昨日ぶりね、清和義徳」

「何で俺の名前を……!」

 

 突如現れた金髪の女性────八雲紫。昨日のトラック事故の際に多少の会話はしたが、名を名乗った覚えは無い。一体どこで知ったというのか。

 

「何故かって、それは貴方を監視してたから」

「監視?」

「冥界から消えた幽々子を探しに外の世界に来たら、どういう訳か貴方が一緒にいた。幽々子に害を与える存在かどうか確かめたかったのよ」

 

 紫は義徳を数秒ほど一瞥する。彼女の金色の瞳がこちらを射抜く。その爛々とした眼から放たれるプレッシャーに気圧されそうになった。そんな状態が続くのかと思いきや、紫は柔和な笑みを湛えて────。

 

「その点で言えば、貴方は合格。本当に、ありがとう」

 

 感謝の言葉を告げた。先程の冗談めいた感謝とは違う、心の底からのものだった。彼女は得体の知れない人物だが、意外にも友達思いなのだろう。少なくとも、その点のみは信用できる。

 

「ねえ紫、いつから気づいていたの?」

「一昨日の夕方、貴女たちがやたらと服を買いに行った日ね」

「そんなに早く分かっていたなら……!」

「他にも調べることがあったのよ。だから、少し遅れてしまったわ。ごめんなさいね」

 

 申し訳無さそうに謝る紫。義徳と接する時とは明らかに態度が違う。二人は非常に仲が良いことが分かる。

 

「にしても八雲さん、どうやって幽々子さんを見つけたんですか? 日本は広いし、たったの数日でなんて不可能に近いと思います」

 

 これだけ広い日本の中からたった二日で正確に探すことができる筈が無い。余程の幸運か、何か仕掛けでもあるのか。

 

「貴方の能力が原因、私はそう考えている」

「俺の能力?」

「貴方の持つ能力は死を感じるもの。その所為か、貴方の周りだけ異常に濃い“死の気”が漂っている。昨日の一件で確信したわ」

 

 昨日の一件。それがトラック事故を指しているのは明白だった。

 

「もしかして、昨日の事故はそれを確かめるために起こしたって言うんですか?」

「そうよ。貴方の能力を確かめるために、わざわざ変装をしてね。私は人間よりも強くできているけれど、流石に何十トンものトラックに轢かれたら一溜まりもないわ。貴方の到着がもう少し遅れていたら、私は死んでいた可能性がある」

「死んでいたって……」

「だからこそ、貴方の能力が作用した。そのお蔭で私は助かった」

「八雲さん!」

 

 だったら、あんな自殺行為をする必要は無いだろう────そう言いたかったが、これ以上話を脱線させる訳にもいかなかった。喉元まで出かかった言葉を胸の内に閉まい、ただ八雲紫を睨むことしかできなかった。今怒りを剥き出しにした所で生まれるものは何も無い。

 

「話を戻すわ。異常に強い死の気を感知して来てみれば、その元は貴方たち二人だった。亡霊である幽々子ならまだしも、生きた人間である義徳まで死の気が強いから驚いたわ」

「死の気、ですか……」

「死の気とは死が近い人妖、或いは死者から放たれる気。貴方が感じている死は正確に言えば死の気よ」

 

 死の気────彼女の言葉通り、死が近い生者や死霊などの死者から放出される気。義徳が感じる死はこの死の気のことを指している。

 

「あと、幽々子が外の世界に引っ張られたのも貴方の能力が原因だと考えてるわ。恐らく、義徳の能力は死を引き寄せることもできる。この点については謎が多いけれどね」

 

 この能力は自身でも完全に把握できている訳ではないらしい。長い間この能力と付き合ってきたが、不明な点があるとは思わなかった。紫の言葉や表情から見るに、それが良いことだとは感じられない。これ以上何も無ければそれが良いのだが。

 

「これが私が話せる全てよ。納得できたかしら? ざっくり言えば、私が早く幽々子を見つけることができたのは義徳のお蔭ということよ」

「紫の言っていることに矛盾は無いわね。私が外の世界に来たのは義徳の能力が理由だったのね」

 

 一通りの説明が終わり、幽々子が納得の姿勢を見せる。

 

「すいません。俺のせいでこんなことになって……」

「謝る必要なんてないわ。寧ろ礼を言いたいわ。だって、こうして義徳に会えたんだから」

 

 義徳も一応の納得を示した。しかし、内心は穏やかではなかった。全ての元凶は他ならぬ自身だと懇切丁寧に言われれば機嫌が良くなる訳がない。

 しかし、幽々子が見せた反応は予想とは異なるものだった。てっきり非難されるものだと思っていたが、実際に彼女が見せたのは感謝だった。

 

「貴方に会って、外の世界の美味しい料理を食べられた。美しい街並みを見せてくれた。友達もできた。全部全部、義徳のお蔭よ。だから、そんな辛そうな表情をしないで。貴方には笑顔でいて欲しいから」

「幽々子さん……」

 

 義徳が返答に困っている時だった。

 

「────早く済ませなさいな。それくらいは待ってあげるから」

 

 こちらの気持ちを知ってか知らずか、紫はそう告げて後ろに向いた。別れる前にしなければいけないことがあると察してくれたのだろう。彼女の情けに感謝して、改めて幽々子の方を向く。

 

「俺も、その……幽々子さんと会えて良かったと思います。一緒にいて楽しかったです」

 

 今までうやむやにしたり、謝ったりなことが多かった。せめて最後くらいは本音を告げなければならない。昨日言おうとして言わなかった言葉だ。

 

「ふふっ、貴方も言うようになったわね」

「どういうことですか、それ?」

 

 どういう訳か、彼女は笑った。その理由を知りたくて、義徳は幽々子に尋ねた。

 

「意思表示は大事、と言いたかったのよ」

「え? そんなの当たり前じゃないですか」

「……聞いた私が馬鹿だったわ」

 

 幽々子は時々回りくどい答え方をする。何を言いたいのかさっぱり分からなかった。彼女の言っていることは当然のことであり、否定する点は何もなかった。返答が悪かったのか、珍しく困惑していた。

 

「……義徳、短い間だったけどとても楽しかったわ。貴方と一緒にいたこと、絶対に忘れないから」

「はい。俺も幽々子さんのことは絶対に忘れません」

 

 きっと死ぬまで────否、死んでも忘れられないだろう。それ程までに西行寺幽々子は鮮烈で、眩しくて、絶対的な存在なのだ。忘れろと言われても、それはとても無理な話だ。

 

「また、貴方と会うことはできるかしら?」

「いつか、必ず会えると思います。何故か分からないけど、そんな気がします」

「私もそう思うわ。根拠は無いけれど、絶対に会えるって確信がある」

 

 意外にも考えていることは幽々子と一緒だった。互いに根拠も無いのに再会できると確信している。ここまで彼女と通じ合ったのは初めてだった。

 

「案外、明日だったりして」

「ふふ、義徳が冗談を言うなんてね」

 

 だから、ささやかな希望を言葉にする。渾身の冗談のつもりだが、きちんと伝わったようで安心した。その証拠に、彼女は満面の笑みを浮かべている。

 

「私は貴方の言葉を信じたいわ。だって、その方が希望があるもの」

「はい! 折角会えたのにもう会えないなんて嫌ですから」

 

 尤も、次に会う時は死んで冥界に行った時かもしれない。それでも、もう会えないということは絶対に無い。それは余りにも救いが無い。義徳も幽々子も、全く同じことを考えていた。

 

「……じゃあ、そろそろ私は行くわ」

 

 幽々子は義徳に告げる。その声は震えていた。

 

「終わったようね」

 

 その声を聞きつけた紫が駆けつけた。

 

「今から幽々子と一緒に幻想郷に帰るけれど、それで構わないかしら?」

「はい。元よりそのつもりで動いてたので」

「もう言い残すことは無いわね?」

「言うべきことはもう言いました。問題ありません」

 

 紫に念を押されたが、義徳に後悔は無い。彼は、幽々子が無事幻想郷に戻れることが分かって安心している。そこに後ろめたい感情は無かった。

 

「幽々子さん、ありがとうございました。お元気で」

 

 だから、幽々子に対して心の底から感謝の意を込めて、最後の言葉を紡いだ。

 

「義徳もありがとう」

 

 幽々子も義徳の行動に報いるため、笑顔を湛えて義徳に礼の言葉を返した。これで、互いに為すべきことは為した。これで後腐れ無く別れることができる。本当に短い期間だったが、心の底から楽しかったと胸を張って言える。

 

「また、会いましょうね────」

 

 淀み無く、それでいて清らかな声。不思議と幽々子の声を聴くと心が安らぐ。しかし、この声を聴くのはこれで最後である。だが、それに対して心残りは無い。最初から分かっていたことだ。

 幽々子のその言葉の後。紫は何もない空間に大量の目が付いた裂け目を発生させた。最後に幽々子は笑みをこちらに向けて、裂け目の中に入っていった。後に続いて紫も入り、やがて裂け目ごと消えた。

 

「二人とも消えた!?」

 

 にわかには信じがたい出来事だった。しかし、今までのことを考えると納得するのに時間は掛からなかった。色々あったが、無事に目的を達成することができたのだ。

 

「これで良かったんだ。これで……」

 

 傍にいた幽々子は帰るべき世界に帰った。それは彼女の望みであり、自身の望みでもあった。望みは見事に果たされ、嬉しいと思っている。それなのに。それなのに、何故────。

 

「何で俺はこんなに……!」

 

 幽々子のことを考えると、どうしようもなく胸が締め付けられるのだろうか。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「数日経っても、ここは変わらないわね」

 

 スキマの行き先は、幽々子ら死者の霊が住まう冥界だった。幾度となく見た風景。幾度となく感じた風。幾度となく咲く桜。何一つとして、変わりは無かった。

 

「幽々子様! この数日、どこに行ってたのですか!?」

 

 途端に駆け付けたのは────庭師兼剣術指南役の魂魄(こんぱく)妖夢(ようむ)

 冥界を離れた帰還は決して長いものではないが、彼女との会話はとても懐かしい。こうして考えると、改めて帰ってくることができたのだと実感が湧いた。

 

「どこって、素敵でお腹いっぱいな観光旅行よ」

 

 外の世界は本当に楽しかった。義徳に若葉、二人とも非常に魅力的な人間だった。幻想郷には無い様々なものに触れ、体験することができた。あの二人でなければここまで良い体験にはなり得なかっただろう。感謝する他に無い。

 

「あ、妖夢。早速だけど夕食を作ってくれるかしら?」

「嫌と言ってもダメなんでしょう?」

「答えは勿論“はい”か“イエス”よ?」

 

 いきなり消えたり戻ったりして振り回した挙句、食事の命令だなんて踏んだり蹴ったりだ。このお転婆な主の突飛な行動を制御できる者がいるのなら、ここに連れてきて欲しい。妖夢は心の底からそう思った。

 

「はぁ、分かりましたよ……」

 

 とぼとぼと白玉楼の方へ戻っていく妖夢。その姿には主への怒りや悲しみなど、複雑な感情がこもっていた。

 

「────幽々子、義徳のことだけど」

 

 妖夢との会話が終わると、紫が話を切り出してきた。視線を彼女の顔を見ると、普段の飄々とした笑みは無く、重く厳しい表情で幽々子のことを見つめる。

 

「単刀直入に言うわ。彼は、清和義徳は────死に魅入られている」

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 紫と別れ、夕食を終えた後。幽々子は白玉楼の縁側に座って桜を眺めていた。改めて見る冥界の桜はやはり美しかった。これを超える景色は限られる。

 

『彼は、清和義徳は────死に魅入られている』

 

 紫の言葉を反芻する。最初に会ったあの日から薄々勘づいてはいたが、やはり的中していた。義徳は死を嫌いながら、無意識に死に魂を引かれている。このまま死に魂を引かれ続ければ、彼の精神は耐えられず崩壊してしまうだろう。否が応でも死を見せ、感じさせるあの能力は呪いに他ならない。

 

「大丈夫かしら、義徳」

 

 死に魅入られた生者の辿り着く先など────分かり切っている。故に、幽々子は義徳のことを考えると気が気でなかった。できるのならその行く末を見届けたかった。少しでもいいから傍にいたかった。しかし、彼女は冥界の死した亡霊であり、彼は外の世界の生きた人間である。文字通り、住む世界が違う。それでも、一時的ではあったが二人には明確な交流があった。本来はあり得ない事象が現実に起こったのだ。

 

「ふわぁ、疲れたわぁ……」

 

 ここ数日は動きっぱなしだった。自らの居場所に戻れた安心感からか、疲労が一気に押し寄せてきた。妖夢に叱られるだろうが、今日はここで寝ることにした。夜風に当たりながら寝るのも悪くない。

 

「義徳……」

 

 一人の青年に想いを馳せながら、幽々子は微睡む。恐らく、彼と共にいる夢を見るのかもしれない。もう会うことはないかもしれない。故に、忘れたくなくて、思い出を大切にしたくて、死してなお望みを抱き続ける。西行寺幽々子は、死者でありながらどこまでも人間的だった。

 そして、彼女の望みは思わぬ形で────。




 話が長くなったので前編と後編に分けて投稿しました。これからもこういう形で投稿することがあると思います。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。


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第八話 桜と面影と

 


 ────数え切れない程の、見渡す限りの満開の桜。それは、桜の海とも呼べる光景だった。その中に一つ、樹齢数百年は下らない大樹であり、空を舞う花弁はさながら吹雪にも似ていた。

 

「これは……!」

 

 余りにも優美な存在の前に、年老いた男はただ立ち尽くすことしかできなかった。その大木は見る者を圧倒させる。風に乗る花弁は見る者の心を癒やす。冬を乗り越え、暖かな春の光の下に咲いた新しい命。その眼に映る世界は、今までに見てきた桜を凌駕する程に深く脳裏に刻み込まれた。

 彼の者は桜を求め、全国各地を旅して回った。結果、遂に辿り着いたのだ。この場所こそ、死に場所に相応しい────。

 

「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ────」

 

 感極まり、半ば無意識の内に詠った。桜との出会いを詠ったこの和歌は、約千年に渡り親しまれる。

 近い将来、彼は見事な桜の木の下で永遠の眠りにつくことになる。その死こそが全ての始まりということを、彼が知ることはない。

 彼の死後、死に場所に選んだ素晴らしい桜は、この世に二つと無い血染の花を咲かせたと言う。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 ────目が覚めた。それは、とある誰かの最期。桜のように儚く散りゆく者の夢。

 

(何でこんな夢を……)

 

 その夢は、妙に現実感があった。自分ではない、見ず知らずの誰かのことだというのに。このような夢を、義徳は今までに見たことがなかった。家族が死ぬ夢なら散々見てきたが、誰かの人生を追体験するような夢は彼にとって初めてだった。

 不思議に思いながら、身体を起こす。今は夢のことよりも彼女────西行寺幽々子のことが気になっていた。

 

(幽々子さん、幻想郷に帰ったんだよな)

 

 昨日の廃神社での出来事。八雲紫の出現によって目的であった幻想郷への帰還が叶った。ほんの数日の間だったが、幽々子と共に過ごした朝は非常に騒がしくて活気があった。彼女がいなくなった今、久しぶりに静かな朝を過ごすことになる────そんなことを考えながら身体を起こした時だった。

 

「……ん?」

 

 目を疑った。そこには、いる筈のない存在がいたからだ。昨日の出来事からして、このようなことは在り得ない。

 おかしい、まだ夢でも見ているのだろうか。そう思って頬を強く引っ張ってみる。

 

「痛って……!」

 

 痛覚をハッキリと感じた。つまり、目の前の出来事は嘘ではなく現実のことである。ならば、尚のことおかしい。

 

「何で……!」

 

 昨日、別れを告げた少女。死者の世界である冥界に住み、霊を統括する亡霊の彼女が何故────。

 

「幽々子さんが、ここに……!?」

 

 西行寺幽々子が、再びこの世界にいる?

 

「あの後何があったんだ……?」

 

 彼女は幻想郷へ戻り、同時に冥界に戻った。これは確実だ。この目で見たのだから間違いない。可能性があるとすれば八雲紫だが、幽々子の帰還を望む彼女がこのようなことをするとは到底思えない。だとしたら何が原因だ? 昨日の紫の言葉を思い出す。

 

『幽々子が外の世界に引っ張られたのも貴方の能力が原因だと考えてるわ。恐らく、義徳の能力は死を引き寄せることもできる。この点については謎が多いけれどね』

 

 幽々子がこの世界に来た原因は義徳自身の能力────紫は明確に語った。

 

「まさか、ただあっちに戻るだけじゃダメなのか……?」

 

 ここに幽々子がいるということは、昨日の方法では根本的な解決にはならないことを意味している。正規の方法で幻想郷に戻った筈だが、それが無意味となると完全に解決するためにはどうすれば────。

 

「今考えても埒が明かないな……」

 

 少なくとも、今考えた所で何も思い浮かばないことは分かっている。だから、今起こっていることに対してどうするかを考えることにした。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 静かで、穏やかな寝息。笑みを湛えながら、幽々子は寝ている。きっと、良い夢でも見ているのだろう。寝顔を見るのは趣味が悪いと思いつつも、目が離せない。幸せそうに眠る彼女を見ていると、心がズキリと痛かった。

 

(やっと帰れたのに……)

 

 彼女に起こった異変は、他ならぬ自身が原因である、その現実が義徳にとって辛かった。本来いるべき場所にいることができないのは、彼女にとって堪え難い苦痛に違いない。

 

「朝ご飯、食べるか」

 

 寝ている幽々子を無理矢理起こすのはばつが悪い。羽毛布団をそっと掛けて、自室を出る。 変な夢といい、幽々子の再訪といい、不可思議な出来事が立て続けに起きている。別のことをして少しでも気分を変えたかった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「あら、義徳。久しぶり~」

 

 リビングの扉を開けると、声を掛けられた。締まりのない、どこか間延びした声。聞き間違える筈がない。

 

「……おかえり、母さん」

「ただいま~」

 

 清和(せいわ)(しずか)────それが義徳の母の名だ。

 静は実に多忙な生活を送っており、仕事の都合で日本各地を転々としている。義徳が普段から家で一人なのはそれが理由である。彼女は激務に追われているが、それは決して彼を軽んじている訳ではない。未成年である義徳に苦労させないようにという彼女なりの意思であり、寧ろ溺愛さえしている。事実、彼女はその労力に見合った多額の収入を得ている。義徳はその恩恵を受け、一人でも大きな不自由もなく暮らせている。

 

「義徳、私の分の朝ご飯も作って~」

「うん。丁度そのつもりで起きたから」

 

 帰ってくるなりいきなりの要求。だが、互いに目的は一致しているので断る理由は無かった。

 

(帰ってきちゃったか……)

 

 頭を抱えるような問題が立て続け起きていて義徳の思考が混乱気味だった。再びこの世界にやって来た幽々子や、家に帰ってきた母親に彼女のことがバレないように慎重に立ち回る必要がある。一旦情報を整理して、最善の方法を模索する時間が欲しかった。

 

「────ねえ義徳、最近女の子を家に入れた?」

 

 親の直感というのは、時として何よりも恐ろしい。義徳に考える隙など与えてくれる訳がなかった。

 

「……この家に入る女の子なんて若葉しかいないよ」

「いや、これは若葉ちゃんの匂いじゃないわ。他の誰かのものよ」

 

(犬かよ!)

 

 内心で思わず突っ込んでしまった。

 静は勘に優れている。何か考えていると、心を読んでいるのかと錯覚するほどに的確な問いを投げ掛けてくる。義徳が彼女を苦手とする要因である。

 

「義徳も意外にやり手ねぇ~」

 

(若葉も同じことを言ってた気がするな……)

 

 人はなぜ男女関係に敏感なのか。恋愛に興味が無い義徳には全く理解できない。

 

「とにかく、俺はそんなことしてないから! だからもう────」

 

 義徳が静の問いを否定しようと、言葉をひねり出した時。

 

『どうしてまたここにいるのぉ────!?』

 

 義徳の必死の努力は無情にも裏切られてしまった。目覚めた幽々子が、こちらにも聞こえるほどの大声をあげてしまったのだ。

 

「義徳? どういうことかちゃ~んと説明してもらおうかしら?」

 

「うっ……」

 

 これは流石に、弁解できそうにない。

 

 

 

   ※※※

 

 

 西行寺幽々子は困惑していた。昨日白玉楼に戻り、眠りについた。それははっきりと覚えているし、間違いない。だというのに、いつの間にか再び義徳の家にいた。何が起こっているのか訳が分からなかった。

 余りの衝撃に眠気はどこかへ吹き飛んでいった。気が付けば、周囲の状況も顧みずに叫んでいた。すると、足音が近づいてきた。誰かが階段を上っているらしい。足音が止むと、今度はこの部屋の扉を誰かがノックする。

 

「……あの、幽々子さん?」

 

 声を掛けてきたのは義徳だった。まさか昨日の冗談が実現するとは彼女自身も予想できなかった。義徳だって同じことを考えているに違いない。

 

「義徳! 何で私────」

「話したいことは色々ありますけど、それは後で。とりあえず今は一階に降りて下さい」

 

 どういう訳か、今の義徳は気まずそうな表情をしていた。

 

「一体何があったの?」

「リビングに来れば分かります」

 

 義徳に言われるがままに階段を降り、そのままリビングに入る。以前と何も変わらない、洋式の居間だ。違う所があるとすれば、目の前にいる女性。

 

「この子が義徳の……あ、どうも。私は清和静、義徳の母です。よろしくね」

「私は西行寺幽々子と申します。義徳にはいつもお世話になってます」

 

 義徳が母が帰ってくると言っていたのを思い出した。よく見ると、どこか義徳に似ている気がする。

 

「何かと手が掛かる子でしょう?」

「全く本当に。お母様もさぞかし苦労したでしょう」

 

 しかし、その雰囲気は似ても似つかない。生真面目な義徳と比べると、柔軟で奔放な印象を受ける。

 

「まあまあ義徳、そんな顔しないで。お母様が悲しむわよ?」

「私は義徳をこんな捻くれた子に育てた覚えはないのに……」

 

 表情がころころ変わる所は義徳とそっくりである。やはり親子、受け継ぐものはしっかり受け継いでいるらしい。

 

 

(だから会わせたくなかったんだよなぁ)

 

 盛り上がる幽々子と静をよそに、義徳は憂鬱な気分だった。 

 幽々子と静、想像以上に抜群の阿吽の呼吸である。二人が一緒になるとこちらにお構いなしにあることないこと勝手に喋るのが分かっていたから、絶対に引き合わせてはならないと思っていた。では、目の前の状況はどうか。考えるまでもなく好ましくない状況である。ここまで来ると溜息も出ない。

 

「そろそろ朝飯作りたいんで……」

「頼んだわよ~」

「久しぶりに貴方の料理が食べたいわ~」

 

 少しは自分でどうにかして欲しい、喉元まで出かかった言葉を胸の奥に引っ込める。起きてから少ししか時間も経っていないのに、数日分の疲労が一気に押し寄せている感じがした。このままだと過労で気絶でもしそうだと億劫になる義徳だった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「じゃあ、話してもらうわよ。二人の関係を」

 

 朝食を終え、義徳と幽々子は静に事情を話すことになった。つまる所、三者面談である。義徳からしてみれば全く笑えない状況だった。

 

「幽々子さんは居候だよ。家出して途方に暮れてる所を拾ったんだ。金も無いし、宿も無いし、食べるものも無い。そんな人を放ってはおけないから」

 

 勿論、真実は伏せる。冥界からやって来た亡霊のお嬢様などと説明しても到底受け入れられない。一応見抜かれないように、幾らか真実を混ぜて話す。上手く嘘をつくには嘘と本当を混ぜると良いと何かの漫画で見た。

 

「で、その後は何かやった?」

「若葉含めて三人で幽々子さんの服を買いに行ったり、京都市で観光したり、その位だよ」

「それは実質デートじゃないかしら?」

「デート!?」

 

 予想もしない言葉に驚いてしまい、義徳は素っ頓狂な声を上げてしまった。あの時の状況を思い返してみれば、そのように受け取れなくもない。しかし、義徳にとってデートというのは、恋愛関係を抱いている人の行為を指すものだ。それが無いので、デートとは言えない。

 

「いや、これは幽々子さんの要望に付き合っただけで!」

「付き合った……やっぱり幽々子ちゃんとはそういう関係なのね?」

「だから違うって! 恋人として付き合ってるって意味じゃなくて、ただ一緒に行動するって意味の付き合うだから! 勘違いしないで母さん!」

 

 決して。決して、幽々子とはそういう関係ではない。ただ幽々子を手伝っているだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。義徳は彼女との関係をそう解釈している。

 

「義徳、酷いわ。私とはそんな浅い関係だったのね、ぐすん……」

「幽々子さんも悪ノリしないで下さい!」

 

 しかし、幽々子のことを心の底から嫌だと思ったことは一度たりともない。少なくとも、事情を考えると浅い関係とは言えないと義徳は考える。かと言って、深い関係とも言い切れないのだが。何とも形容し難い複雑さがある。

 

「別に幽々子さんとはそんなに浅い関係じゃないし、少し特別っていうか……」

「やっぱり付き合ってるじゃない!」

「何でそうなるんだよ!?」

 

 静は意地でも義徳と幽々子の関係を恋愛に当てはめたいようだった。そうしようとする理由が、義徳には分からなかった。

 

「とにかく! 俺は幽々子さんのこと、嫌いじゃないです。どこか死んだ姉さんみたいで────」

 

 無理にでも話を終わらせようとして、思わず口走ってしまった。ハッとなって、すぐさま口を閉じる。しかし、言い切ってしまったのでその行為に意味は無い。すぐに冷静になって、義徳は後悔した。

 

「すいません。今のは忘れて下さい」

 

 慌てて謝り、訂正する。今の言葉は、親しく接してくれた幽々子に対する冒涜だ。死んだ人間の姿を重ねるなどあってはならない。

 

「少し、散歩でもしてきます」

 

 何故このようなことを言ってしまったのか、義徳自身が完全に理解できていなかった。一瞬にして冷え切ったこの空間にいたくなくて、急ぎ足で部屋から出ていく。

 

「義徳……」

 

 おもむろに部屋を去った義徳に掛ける言葉が見つからず、ただその背中を見ることしかできなかった。暫く二人の間に沈黙が訪れた。

 

「あれは本当に失礼だと思うけど、あの子に悪気は無いの。許してあげて」

 

 その沈黙を破ったのは静だった。その言葉は、義徳の擁護だった。

 

「あの子、小さい頃からずっとお姉ちゃんを慕ってるの。だから、無意識に幽々子ちゃんに対して姉の面影を見ていたんでしょうね。貴女って死んだ娘に似てるもの。雰囲気が特にね」

 

 義徳は他人をとても大切に思う人間だ。家族なら尚のこと大切だろう。故に、忘れられないのだ。大切な人間に似た存在が目の前に現れれば面影を見ることもある。

 

「でも、死んだ人の代わりなんていない。幽々子ちゃんは幽々子ちゃんであって、他の誰でもない。義徳はそれが分かってるからすぐに謝った」

 

 義徳は死者の霊が見える。恐らく、死んだ姉の霊を見たことがあるのだろう。だからこそ、幽々子と姉は別の存在だと明確に理解している。だからこそ、あのようなことを口走った義徳は戸惑っている。結果として、いたたまれない気持ちになって外へ飛び出した。

 

「義徳ってああ見えてナイーブなのよ。あまり人と関わりたがらないのは繋がりを失うことや拒絶されるのが怖いから。普段は表に出さないから分かり辛いんだけど」

 

 静の言う通り、義徳は誰かに弱みを見せない。彼はどんなに苦しい状況でも目的のために必死に頑張り、やり遂げる人間だ。その精神は逞しいが、意外に簡単に崩れてしまいそうな脆さがある。それは、今までのやり取りで薄々勘付いていた。

 

「でも、今日あの子はあの子なりに変わろう頑張ってる。今日のやり取りで確信したわ。前はもっと口数が少なかったのに、あんなに感情を剥き出しにしてるのは久しぶりだった」

「そうなんですか?」

「そうよ。口数どころが表情もあんまり変わらなかったんだから。それもこれも全部、幽々子ちゃんのお蔭」

 

 以前、若葉も同じようなことを言っていた。

 

「勝手で悪いけれど、幽々子ちゃんさえ良ければ、義徳のことをお願い」

「え……?」

「義徳が頑張ってるのは貴女のためでしょう? あの子って頑張り過ぎる所があるから心配でね」

 

 義徳の目的は幽々子を幻想郷へと帰すことであり、そのために身を粉にして頑張ってくれた。外の世界で最初に出会った人間が義徳で本当に良かった。もし彼以外の人間だったら────そんなことは考えたくない。彼に報いるためにも、ここは。

 

「はい。静さんの願い、聞き入れました。私がここにいる間、義徳が私を見捨てなかったように、私も義徳を見捨てることはしないと約束します」

 

 彼女の願いを無視する訳にはいかない。

 

「ごめんね幽々子ちゃん、本当に勝手なことで」

「いえ、私自身が義徳のために何かできないかと思っていたので」

 

 義徳に助けてもらった以上、恩返ししなければならない。再びこの世界に来たことで、不可能なことではなくなった。今度は自分の番であると意気込み、幽々子は立ち上がる。

 

「私は義徳を追ってきます」

「あの子なら多分近くの公園にいると思うわ。散歩するって時は大体あそこにいるから」

 

 近くの公園、というと心当たりがあるのは最初に外の世界に来た時の公園。それなら道に迷うこともない。彼とはまだ話したいことや、一緒に行きたい所が沢山ある。善は急げと思い立って、幽々子はすぐに外へ出るのだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「はぁ……」

 

 義徳はリビングを出た後、外着に着替えて外を歩き回っていた。行き先を決めず、適当に近所をぶらついたつもりだったが、足は自ずとある場所へと向かっていた。

 辿り着いたのは、初めて幽々子と出会った公園だった。あの雪の夜の時とは違い、晴れやかで明るく、より鮮明に桜を一望することができる。

 

「幽々子さん……」

 

 自身に親しく接してくれた人に向かって誰かの代わりと言うのは無礼極まりない。死んだ人間の霊を見れて区別できるのだから尚更である。死んだ人間の代わりなどいない。幽々子は幽々子であり、他の誰でもない。

 

「後でちゃんと謝らなきゃ……」

 

 素っ気ない謝り方をした上に、負い目を感じてここまで逃げてきてしまった。これでは納得できないし、彼女に申し訳ない。場を整えて改めて謝らなければならない。

 

「……!」

 

 ここで、一つの霊気がこちらに向かってくるのを感知した。それはいつも近くで感じている気であり、考えるまでもなく幽々子だと分かった。

 

「幽々子さん! どうしてここが!」

「静さんが教えてくれたの。義徳が用も無く外に出る時は必ずここに行くって」

「そうですか……」

 

 思い返してみると、この公園に来る頻度は高い。今まであてもなく外に出る時は、決まってこの公園に寄っていたことに気づいた。それが普段は家にいない母親に知られているとは思わなかった。

 何はともあれ、幽々子との会話の機会が訪れた。ここで先に話かけるべきは、自分以外に在り得ない。

 

「────さっきの失言、本当にすいませんでした。俺は幽々子さんに勝手に姉の面影を見て、姉のように思ってました」

 

 彼女に対してやらなければならないことは謝罪である。幽々子という少女は唯一の存在であり、誰の代わりでもない。

 

「幽々子さんは幽々子さんです。俺の姉じゃない。だから……」

 

 後に続く言葉が出てこない。

 

「俺って幽々子さんのことをどう思ってるんでしょうね。あはは……」

 

 友達、というのは何だか違う。恋人や彼女は当然論外。自身にとって彼女がどういう存在なのか必死に考える。しかし、どれだけ考えても当てはまるものが思い浮かばない。自分の気持ちが分からなかった。

 

「でも、決して悪く思ってないです。昨日も言いましたが、俺は幽々子さんと一緒にいるのが楽しいです」

 

 それは紛れもない事実である。心の底から思った、嘘偽りの無い本音。再び彼女と共にいることに嬉しさを感じる。その一方で、自身のせいで外の世界に縛り付けていることに罪悪感を感じている。何とかして完全な解決策を模索しなければならない。

 

「なんて言うかその、色々と迷惑かけてすいません……」

「どうして義徳が謝るの?」

「え? どうして俺が謝るって……?」

 

 返ってきた言葉は予想とは逆だった。てっきり説教でも喰らうのかと思い身構えていた義徳は、思わず聞き返す。

 

「負い目を感じることはないわ。誰かの面影を見ることなんてよくあるし、私が幻想郷に帰れないことを義徳のせいだと思ったことはないもの」

「それは────」

 

 違う。そう言おうと思ったものの、直前で口に人差し指を当てられて遮られた。

 

「みなまで言う必要はないわ。外の世界に来た時は不安だったけれど、今はとても楽しいわ。そう思わせてくれたのは他の誰でもない貴方。だから、私は外の世界をとことん楽しむって決めたの。それもこれも、全部義徳のお蔭。寧ろ私が感謝したいくらいよ」

 

 幽々子の言葉は義徳にとって衝撃だった。全ての元凶は彼本人だというのに、彼女はそれを悪いと思っていない。それどころか、感謝すらしてのけた。

 幽々子のどこまでも前向きな姿勢は、義徳にとって眩しいものだった。そんな明るい笑顔の彼女を見ていると────。

 

「……ふふっ」

 

 義徳はつい我慢できず、笑みを零す。自由気ままな幽々子を見ていると、悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。幽々子から目を離せない理由が何となく分かった気がする。

 

「どうして笑っているの?」

「すいません、余りにも幽々子さんらしいから……」

「どういう意味?」

「そのままの意味ですよ」

「それって褒めてる?」

「勿論、心の底から褒めてますよ」

 

 幽々子には気の向くままに振る舞う姿が一番合う。見ていて気持ちが良い。

 

「どうしたの? そんなに私の顔を見て。何か付いてるの?」

「い、いや、何でもないです!」

 

 こうして彼女のことを意識すると、顔が熱くなる。心が浮ついた感じがする。最近幽々子と一緒にいるとこうなることが多い気がする。どうしてだろうか。何だか心がモヤモヤする。

 

「何はともあれ、俺の行動が少しでも幽々子さんの助けになったのなら頑張った甲斐があります」

「少しじゃないわ。義徳にはとても助けになったわ」

「ありがとうございます」

 

 その言葉を聞いて、義徳は少し救われた気分になった。自分の行動で幽々子が喜んでくれた。自分のような人間でも、誰かの助けになれたことが嬉しかった。

 

「そうそう、義徳にお願いがあるの!」

「お願い?」

「私ね、探してるの。とても大きくて、美しい桜を」

 

 昨晩のことを思い出す。幽々子が求めているのは、巨大で美麗な桜。彼女が心の底から望むことである。

 その桜はどこにあるかも分からない。もしかしたら、そのようなものは存在しないかもしれない。しかし────。

 

「探し物くらいなら、喜んで手伝います」

「ふふ、改めてよろしくね、義徳」

 

 乗りかかった船なのだから、最後までとことん付き合おうと思った。彼女と共に乗る船は、きっと愉快な旅路になるだろう。それなら、悪くない。

 次の目的は死を引き寄せるらしい自身の能力の干渉を断ち切り、今度こそ幽々子を幻想郷に帰す。そして、幽々子の望む桜を探すこと。決して容易ではないが、それでも彼女のためならやり遂げようと思った。

 ────瞬間。

 

「あれ……?」

 

 視界が歪む。周囲の風景、幽々子の顔がぼやけて見える。続いて、金属音に似た不快な耳鳴りに聴覚を支配される。更には、全身が鉛のように重い。意識を保とうと必死に堪えようとするが、抗えずに幽々子の肩にもたれかかる。

 一体何が起こったというのか。唐突過ぎて理解が追い付かない。思考も上手くできず、ただ困惑することしかできなかった。

 

「義徳!?」

 

 微かに聞こえる幽々子の声。明らかに動揺していた。

 徐々に遠のいていく彼女の声を聞きながら、義徳は混濁する意識を闇に放り出した────。




 ここ最近はいつになく忙しかったので予定より少し遅れてしまいました。暫くこんな感じのペースでの投稿になりそうなので申し訳ないです。
 ここまで読んで頂ければ幸いです。


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第九話 思い、偲ぶ

「────ねえ、お父様。どうして私には霊の声が聞こえるの?」

 

 旅の準備をする男に、幼い少女が問う。それは、純粋な疑問だった。

 

「……!」

 

 少女にとってはごく自然なことだが、彼にとってそれは驚くべきことであった。その告白に驚愕の表情を見せる。父の反応を見た娘はたちまち罪悪感に駆られた。

 

「そうか……」

 

 驚いた表情でありながら、その声は非常に穏やかであった。父は娘の言動に怯まず、優しい言葉をかける。

 

「大丈夫、それは怖いものじゃないよ」

 

 肯定を示し、頭を撫でる。それが嬉しかったのか、先程まで不安げな様子だった少女は笑みを見せた。互いに互いを愛していることが伝わってくる。

 

「それじゃあ、良い子でお留守番しているんだよ」

「うん!」

 

 和やかな雰囲気の中、父は旅立った。娘は手を振って父を見送った。互いに再会を願って。

 ────しかし、その約束が果たされることはなかった。翌年も、その翌年も、またその翌年も。どれだけ季節が巡れど、父は帰って来なかった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 ────夢。幼い少女と父の別れ。父は昨日の夢に出てきた年老いた男で、一方の少女は自身と同じように霊を見ることができる。これは明らかに繋がっている。このような夢を見る理由は依然として分からない。だが、間違いなく意味はある。恐らく何かを伝えようとしている。きっとこの先も見続ける可能性は高い。

 

「────義徳!」

 

 ぼんやりしていると、聞き慣れた声が耳に入ってきた。その声は不安げな感情が含まれていた。徐々に五感が冴えていき、ゆっくりと目を見開く。そこには。

 

「幽々子さん、それに母さんも……」

「義徳!」

 

 目に映ったのは幽々子と静。意識を取り戻した彼を見るなり二人は安堵し、胸を撫で下ろす。

 

「大丈夫? 貴方、私と話してる途中で急に倒れたのよ?」

 

 直前の記憶を探る。公園で幽々子と会話をしたのが最後の記憶だ。その間から今までの記憶が一切無い。彼女の言う通り、倒れたのは事実らしい。周囲を見てみると、自身が自室のベッドで横になっていることに気づいた。

 

「何の前触れも無く倒れるなんて、一体どうしたの? 私も幽々子ちゃんも心配したんだから」

「ここ数日は動きっぱなしだったから疲れが溜まってたのかな。よく分からないけど。あはは……」

 

 静に対して、不調でないことを示すために義徳は笑ってみせる。実際、彼本人の身体に異常は無い。倦怠感も特に感じていない。至って健康である。故に、違和感を感じずにはいられなかった。

 

「とにかく今日は休みなさい。親として、子どもに無理をさせる訳にはいかないから。特に貴方のように無理をする子にはね。拒否権は無いわ」

 

 今は色々と考える時間が欲しい。一度情報を整理し、これからのことを考えなければならない。静の提案は、義徳にとって好都合だった。拒否する理由は無い。

 

「それじゃあ幽々子ちゃん、義徳のことは頼んだわ~」

 

 幽々子の肩をポンと叩き、静は「見たいドラマが溜まってるのよ~」と言って部屋を後にした。先程の真剣な雰囲気は鳴りを潜め、いつも通りの呑気な状態に戻っていた。

 義徳は身体を起こし、幽々子の顔を見る。すると彼女はぎこちない笑みを浮かべて。

 

「……二人きりね」

 

 呟くように一言零す。義徳は幽々子と二人きりになった。最近は普通のことで特に何も感じることはなかったが、一度あのようなムードで別れた後だからだろうか。何とも言えない気まずさが押し寄せる。彼女も同じようなことを考えているのか、こちらをちらりと見るものの、言葉を発することはなかった。

 訪れた沈黙。時間にしてほんの数秒だったが、どういう訳か非常に長く感じた。雰囲気は重いが、このままでは何も始まらない。義徳は意を決して口を開く。

 

「……幽々子さん、何かやりたいことあります?」

 

 それは気遣いとしてはどうかと思う言葉だったが、今の義徳にはそれが精一杯だった。一応、部屋にはゲームや漫画といった暇を潰す手段がある。気分転換には丁度いいかもしれない。

 

「だったら、貴方のこと、話してくれないかしら?」

「何を話せばいいですかね?」

「家族の話とか?」

「家族、ですか……」

「ええ、貴方の両親や姉がどんな人か知りたいわ」

 

 正直のところ、義徳は戸惑った。というのも、家族との思い出が少ないからだ。母は仕事で忙しく年に数回しか帰って来ず、父と姉は十年も前に他界している。家族と過ごした時間は短く、話せるようなことは多くない。

 

「母さんはまあ、あんな感じです。真面目なのかふざけてるのか分かりませんよね。でも、良い人なのは間違いないです。俺を養うために年中忙しい仕事してるし、頭が上がりません」

 

 現在に至るまで、母は自分のために必死に頑張ってくれた。それを理解しているから、義徳は彼女への恩返しとして天寿を全うしようと決めた。

 

「父さんは……真面目な人でした。目的を達成するまで諦めないこと、誰かのために行動することの大切さ、色々なことを教えてくれました。自分の生き方にかなり影響を受けてると思います」

 

 父は正義感の強い人間だったと記憶している。その言葉は義徳を動かす力であり、心の根幹である。厳しくも優しく、真っすぐな人柄で、正に理想の父親だった。共に過ごした記憶こそ少ないものの、その全てを忘れることはない。

 

「姉さんはお転婆で、よく人を巻き込んで、凄く自由な人でした。俺も散々振り回されましたんですけど、嫌な気持ちにはならなかったです。何と言うか、不思議な人でした」

 

 姉との記憶も数少ない。しかし、それらは鮮明に残っている。姉は天真爛漫で、何にも囚われない自由な気質の持ち主だった。基本的に自己中心的でよく彼女の行動の犠牲になったが、どういう訳かそれを嫌だと思うことは一度も無かった。今にして思えば、姉には人を惹き付ける天性の才能があったのかもしれない。そういった気質が幽々子と似通っている。だから、面影を重ねてしまったのだろう。

 

「良い人達ね、とても」

「はい。でも、死んだ父さんと姉さんは生き返りません。二人のことを忘れずに生きることが残った者の務めだと思います」

 

 人の死を悼み、生きた証を忘れない。残された者はそれを背負い、前を向いて生きる。それこそが、死者への手向けだと義徳は考える。

 

「死んだ後でもこんなに大切に思われて、義徳の父さんと姉さんは幸せ者ね」

「それしかできないですから。だったら、そうするだけです」

「ふふ、確かにそうね」

「そう言えば、幽々子さんの家族はどんな人なんですか?」

 

 ふと義徳は思った。幽々子の家族はどのような人物なのだろうか。幽々子の人となりはある程度分かったが、人間関係についてはまるで知らない。

 

「その子は私の従者で庭師なの。少しおっちょこちょいだけど真面目で、表情豊かで、誰かのために頑張れる良い子よ。血は繋がっていないけれど、私にとっては立派な家族なんだから」

 

 幽々子の活き活きとした表情を見るに、その子を心の底から信頼しているのが分かる。互いの心が繋がっていれば、血の繋がりは大した問題ではない。そんな思いがひしひしと伝わってきた。

 二人が強い絆で結ばれているのは間違いない。ただ、一つ気になることがある。

 

「……その子に我が儘言ったりしてませんよね?」

「ちょっと料理を多めに作ってもらってるくらいよ」

「あぁ……」

 

 義徳は勘付いていた。庭師の子は自身と同じように、否、自身より苦労しているのだと。たかが数日でも苦労する幽々子の暴食を、庭師の子は数年、下手したら数十年も体験しているのだ。次元が違う。義徳は心の底から同情した。その心労は察するに余りある。

 

「また冥界に戻ったら、庭師の子に優しくしてあげて下さいね」

「そうね、この一件が終わったら贅沢させてあげようかしら」

「絶対ですよ?」

「何かやけに圧が強いわね……大丈夫よ、安心しなさい」

「是非ともお願いします」

 

 できることなら直接会って謝罪すべきだが、残念ながらそれは不可能だ。幽々子が冥界に戻る前に方法を考える必要がある。

 

「それで、次は何をしようかしら? まだ何か話す? 別のことをする?」

「そうですね……」

 

 幽々子はとても楽しそうにしている。些細なことでも嬉しそうに笑っている。彼女との会話は弾み、明るい雰囲気が空間に満ちる。他愛の話に華を咲かせていた。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 翌日。よく晴れた昼間、三人は京都府内のとある墓地に来ていた。今日は父と姉の命日だからだ。

 

「ここに来るのはお盆以来か」

 

 義徳と静は命日とお盆に墓参りのためにこの墓地を訪れる。死んでしまった二人を忘れないように、一度も欠かさずに来ている。

 

清和(せいわ)清嗣(きよつぐ)、清和(ともえ)……この二人が義徳のお父さんとお姉さん」

 

 墓石には、二人の名が刻まれていた。義徳の生き様に影響を与えた父と、心から慕う姉が、この下に眠っている。

 

「本当にいいんでしょうか、よそ者の私がここにいて」

「大丈夫よ〜、幽々子ちゃんに家族を紹介したかったし。それに、あの義徳が連れてきた女の子よ? 二人とも見たいに決まってるわ~」

「母さん!?」

 

 自由に振る舞う静を制御していたであろう清嗣は、さぞ強い人間だったのだろうと幽々子は思った。清和家に居候させてもらっている身として、挨拶と感謝のために墓参りへ同行した。義徳も静も快諾してくれたが、それでも部外者だという意識が消えることはなかった。

 

「そういうのもういいから」

「ダメよ。こういうことはちゃんと報告しなきゃ!」

 

 「次はいつか分からないのよ」と付け加え、それを聞いた義徳は真顔で溜息をついた。相変わらず母親は何を考えているか分からない。冗談で言っているようにも見えないし、本気なんだろうというのは伝わってきた。それが余計に辛い。

 

「とりあえず、早く手を合わせるよ!」

「はいはい」

 

 強引に話を遮り、父と姉が眠る墓前で手を合わせる。遅れて、静と幽々子も義徳と同様に手を合わせる。

 この時、義徳は父と姉が生きていた頃のことを思い出していた。明確に覚えている記憶、薄れつつある記憶、一つとして忘れることのないように必死に思い出す。しかし、どうしてもあの事故が頭をよぎる。血と死臭が混ざった得も言われぬ悪臭。原型を留めていない二人の身体。あの地獄の光景が焼き付いて離れないのに、楽しい思い出は朧気になっていく。時間の経過とは、残酷なものである。

 あの日真紅の眼を手に入れ、現在まで死と向き合ってきた。救えた命、救えなかった命。数々の死の記憶が蘇る。これからも自身は死と関わっていくのだろう。死者を引き寄せ、引き寄せられ、多くの死を感じ、見届けるのだろう。恐らく、開放されることはない。今もこうして────。

 

「うぅ、あぁ……」

 

 墓地は幽霊が彷徨い、死体が眠っている。故に、死の気が満ちている。それらの在り方を理解し、引き寄せる義徳にとって死者が集う場所は危険である。死者の思念を感じ取る能力により、周囲の死者の感情が頭に流れ込んでくる。喜び、悲しみ、怒り、憎しみ────様々な感情が混ざり合い、貫かれたような痛みとなって義徳の心を蝕む。早急に立ち去らなければ彼の精神は耐えきれず崩壊してしまう。

 

「……今回は随分と早いのね」

「今までで一番早いかな、これは……」

「義徳、一体何が起こってるの?」

 

 突如苦しみだした義徳に、幽々子が問い掛ける。

 

「死者の感情が頭に流れてきて、それで……」

 

 状況を説明する義徳の表情は、苦痛で歪んでいる。体調が良くないのは明らかだ。

 

「幽々子ちゃん、義徳が凄い霊感を持ってるって知ってる?」

「はい、二人が死んだのを境にそうなったって」

「それで、幽霊とかの気持ちが分かっちゃうのよ。それで、苦しんでるの」

 

 生者でありながら死を感じてしまう、そのことが義徳の負担となっている。死者である幽々子、静や若葉のような普通の人間には特に影響は無いが、義徳は例外だ。

 

『彼は、清和義徳は────死に魅入られている』

 

 紫の言葉を思い出す。死を引き寄せ、死者の心を理解し、死を予知するその能力を持つ義徳を表現するに相応しい言葉だ。彼女は義徳の能力の危険性をいち早く理解していたのかもしれない。いずれにせよ、この墓地に居続けるのは危ない。ここにいる誰もがそう思っている。

 

「こうなったらもう、帰るしかないわね……」

「……」

 

 残念なことに、これ以上この墓地にいることはできない。この能力を持っている限り、墓参りの機会は限られる。満足に家族と会わせてくれないというのは、能力には肯定的な義徳が不満に思う点の一つだった。

 

(でも、この能力を持ったことに後悔はない)

 

 死と向き合い、命を尊ぶ。過去を糧にして、明日へと進む。それができるのも能力のお蔭だ。決して辛いことばかりではない。

 

「父さん、姉さん。また来るよ」

 

 義徳は父と姉の眠る墓に向かって別れの挨拶を投げ掛ける。心惜しさこそ感じるものの、二度に会えない訳ではない。二人はいつだってこの墓に、そして自身の心にいるのだから────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 墓参りを終えた後、そのまま家へ帰り、今後の予定を決めるなどして一日を過ごした。今ではすっかり夜も更け、義徳も静も眠りについた。しかし、幽々子はどうしても寝る気が起きなかった。

 

「義徳……」

 

 貸し与えられた巴の部屋で、一人彼の身を案じる。義徳は能力を制御できていない。余りにも死の気に敏感過ぎる。普通の人間には死の気を感じることはできない。しかし、義徳は身に危険が生じる程に感じることができる。これは異常なことである。

 

「────紫。いるんでしょう?」

 

 僅かではあるが、気配が漏れていた。幾度となく経験したことである。今更それが分からない幽々子ではなかった。

 

「流石は幽々子、私のことはお見通しって訳ね」

「当たり前よ、伊達に何百年も貴女の親友をやってないわ」

 

 スキマから出てきた紫は相変わらず飄々とした掴みどころのない表情。こちらの悩んでいるのだから、少しは遠慮して欲しい。

 

「紫、ここにいるってことは……」

「貴女を助けようと思って、ね」

 

 しかし、彼女はこちらの考えはお見通しのようだ。

 

「彼の能力をどうにかできないかって考えていたのよね?」

「えぇ。でも、私では何もできないから……」

「だから、私が助けてあげる」

 

 紫はあたかも心を読んでいるように、こちらが言いたいことを先に応える。

 

「紫、何か変なこと考えてない?」

「そんなことないわよ。私は親友の頼みなら何だって引き受けるわ」

 

 普段と何も変わらないように見えるが、何かがおかしい。決定的に何かが違う。これが悪い予感でなければいいが────。

 

「それじゃあ幽々子、期待して待っててね」

 

 柔らかな笑みを絶やさず、紫はスキマの中へと消えていく。全幅の信頼を置く唯一無二の親友の、その笑顔の裏には何が隠されているのか幽々子には分からなかった。何か大きなことが起ころうとしている────そんな胸騒ぎを覚えた。




 最近は色々あったので投稿が遅れてしまいました。いつも言ってる気がして申し訳ないです。これもいつも言ってる……。
 とりあえずできる限り早い投稿を目指していきたいです。物語も後半に近づいてきたので頑張っていきたいと思います。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。
 


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第十話 本心

「何で……」

 

 ────父が死んだ。送られてきた手紙にそう書いてあった。

 あの春に旅立ったのを最後に父には一度も会っていない。定期的に送られる手紙で近況を知ることはできたものの、あの穏やかな顔を見れないことに寂しさを覚えていた。これからもその機会が訪れることは二度と無い。

 

「ずっと、待っていたのに……」

 

 父が帰ってくることをずっと待っていた。旅の土産話が聞きたかった。幼い日に聞いた父の旅の話はとても楽しかった。しかし、それはもう叶わない。

 

「お父様……」

 

 父と共に過ごした日々を思い出す。長い間一緒にいた訳ではないが、記憶は薄れていない。今まで心の支えとしてきた父が死んだという事実を突き付けられても、正直受け入れられない。

 

「でも……」

 

 この手紙によれば、父は見事な桜の下で永遠の眠りについたらしい。三度の飯より桜が好きな人だったから、こよなく愛する桜に包まれて死ねたなら本望かもしれない。会うことは叶わないが、せめて弔うことなら或いは。

 

「その桜がある場所に行けば……!」

 

 自らが愛し、そして自らを愛してくれた父を供養するため、少女は父が眠る桜に向かう。

 その判断こそが、惨劇の引き金となることも知らずに────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「これが……!」

 

 そこは、見渡す限りの桜色。桜の海、桜の世界。そんな言葉が似合う景色だった。

 亡き父と姉の墓参りの翌日。義徳、幽々子、若葉の三人は上野へ来ていた。わざわざ東京まで遠出したのは幽々子の提案である。目的はいつものように理想の桜を探すこと、そして都会で思う存分遊ぶこと。彼女曰く今回は後者がメインだそうだ。

 始発の新幹線で京都駅からここまでおよそニ時間弱、想像以上に早く到着したが周囲には人がそこかしこにいる。早朝でも人がいるのは流石都会といった感じで感心した。

 

「凄い……どこを見ても桜……!」

 

 幽々子は興奮を抑えられないようだった。現在、三人は不忍池周辺を歩いている。ここら一帯は桜並木になっており、左右に満遍なく桜が植えられている。どこまでも続くような桜の道は、見ていて浮ついた気分になる。思わず笑みが零れる。

 早朝だからか、周囲は意外と静まっている。お陰でゆっくりと歩きながら花見ができる。落ち着いた心で見る桜はとても趣深い。

 

「静さんも来ればよかったのに、仕事だなんてねぇ」

「確かに、これは見せてあげたかったですね」

 

 静は早朝に仕事に戻った。やはり忙しいようで、朝食も食べずに挨拶だけして家を出ていった。忙しくても必死に仕事をする母親の姿は尊敬するが、同時に心配でもある。体調を崩さないかどうか不安だ。目の前の美しい景色を共有できないのは残念である。

 

「幽々子さん、若葉、俺の隣に」

「え? うん」

 

 せめて写真で見せてあげようと思い、義徳はスマートフォンを取り出して何枚か写真を撮った。義徳を中心に、背景の桜が目一杯写るようにシャッターボタンを押した。

 

「ハハ、あんまり写り良くないな……」

 

 義徳に自撮りの経験は無かった。故に、かなり拙い仕上がりだった。加工も碌にできずクオリティの向上も望めないのでトークアプリを起動してそのまま母親に送信した。あの母親だ、どれだけ雑なものでも喜んでくれるだろう。根拠は無くともそんな確信があった。

 

「あんた、意外と親孝行よね」

「意外とって何だよ若葉。流石にこれくらいしないと罰当たりだろ」

「静さん泣いて喜んでくれるわよ。普段の義徳はこんなことしないもんね」

「そうだな。自分から誰かと一緒に写真を撮ろうと思ったのは生まれて初めてだよ」

 

 親に生かされている立場として、少しでも恩返ししなければならない。慣れないことをしたのもそんな思いがあったからこそだ。静は義徳にとってたった一人の肉親で、殆ど家に帰れないくらい忙しい仕事をして養ってくれている。だから、それに報いるのは当然のこと。どんな形であれ少しでも母親に恩返しがしたい。

 

「うんうん、良きかな良きかな」

「どうしたんだよ」

「いや、ちゃんと成長できてるなって」

「は……?」

 

(成長? 自分が?) 

 

 何を思って成長していると彼女は言っているのか。自分はただやるべきことをやっているだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

「ごめん、ちょっと一人にしてくれないか?」

「どうしたの?」

「トイレ」

 

 義徳はそんなことを言って、逃げるように二人から離れた。勿論嘘である。本当は一人で考えたいことがあったからだ。この状況で距離を置くのもどうかと思うが、このタイミングを逃したら暫くは考え事なんてできそうにもない。ある程度走り、二人が完全に見えなくなったのを確認した義徳は近くのベンチに座った。

 

(やっぱり、今日も夢を見たな……)

 

 例のごとく、今日も夢を見た。今回は桜の木の下で死んだ父とそれに向かおうとする娘の話。やはり続いていた。これらは一体何だというのか。何を伝えようとしているのか。

 

(それに、あの女の子は……)

 

 気になったことはもう一つある。夢に出てくる少女は幽々子に似ている。というか、幽々子本人に違いない。容姿、気品、風格、どれも幽々子と変わりない。恐らく、自身が見ているのは彼女の生前の姿。そしてその父は────。

 

「────義徳。私、トイレって聞いたんだけど」

 

 思考の途中、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り向くと。

 

「わ、若葉!?」

「ふふ~ん、どうしたの? そんなに慌てちゃってさ」

「い、いや、何でも……」

 

 どうやら、若葉は彼の後を付けていたようだ。全く気配を感じなかった。彼女の意図が分からず、しどろもどろな返答しかできなかった。何か意味深なことを言いたげなのは表情で分かる。しかし、その正確な内容までは見抜けなかった。

 

「お前こそどうしたんだよ。俺のことを追いかけてくるなんてさ」

「単刀直入に言うわよ。あんた────幽々子さんのこと好きでしょ」

「ッ!?」

 

 それは遠慮など一切ない、余りにも直球な言葉。身体から蒸気がボッと吹き出しそうだった。

 

「図星ね。何も言わなくても反応を見れば分かるわ。顔、赤いし」

「んな訳……!」

「隠せてると思ってるの? どう考えても好きでしょ」

「……もしそうだとして、いつから分かった?」

「ショッピングの時から疑ってたわ。確信したのは地主神社の時ね。幽々子さんといる時のあんた、いつもと雰囲気が違うから」

「マジか……」

 

 想像以上に早い段階で気づかれていたらしい。やはり若葉の洞察力は凄まじい。

 今まで全く自覚はなかった。いや、自覚していてもその感情を無理やり奥底に閉じ込めていた。これ以上は駄目だと必死に言い聞かせていた。これ以上先へ行くと────今までの自分に戻れない気がした。

 

「具体的に言えば、幽々子さんを見てる時の義徳、少し辛そうな顔をしてる」

「ッ!」

 

 若葉の言葉は的を得ている。幽々子のことを見る度に思うことがある。このままで良いのか、自分はしっかり役に立てているかと。逆に彼女とずっと一緒にいたいという気持ちも抱いている。どうやら、自分は想像以上に幽々子という存在に惹かれているらしい。明らかに矛盾した考えだった。

 

「確かに、俺は幽々子さんのことが好きだって思う。友人とか家族じゃなくて、その……一人の女の人として」

「はは~ん、やっと気づいた? 恋占いの石、ちゃんと効果あったわね。義徳と幽々子さん、とてもお似合いよ」

「そうか、ありがとう」

 

 そう言われるのは嬉しかった。少なくとも悪く思われてないようで安心した。母親も同じようなことを言っていたことを思い出した。しかし、これ以上踏み込んだ関係にはなれない。なってはいけない。

 

「でも、若葉が考えてるような結果にはならない。俺と幽々子さんじゃ、住む世界が違う」

「そんなことないってば。私、応援するし、手伝うから────」

「ダメなんだ」

「どういうこと? 義徳の言ってること、よく分からない」

 

 幽々子が冥界の亡霊だということを若葉は知らない。だから、彼の発言を理解できなかった。幽々子に関することは隠しているため分からないのは当然だ。

 

「……あんたは控えめな奴だったけど、弱気じゃなかった」

 

 しかし、義徳の煮え切らない態度に若葉は苛立ちを覚えた。いつも前向きとはいかないまでも、決して後ろ向きな性格ではなかった。だが今はどうだ。恐れを抱いて弱気になっている。今の彼は見るに堪えない。だから、このまま放っておく訳にはいかなかった。

 

「義徳、何か隠してるでしょ。私にくらい本当のことを教えてよ!」

「そ、それは────」

「約束する、誰にも言わないって」

 

 若葉の視線が突き刺さる。真っすぐこちらを射貫くように見つめてくる。その眼には確かな覚悟を灯していた。そこに嘘偽りは一切無いことを義徳は察知した。

 

「……分かった。若葉のことを信頼して話す」

 

 ここまで言われたら黙ってる訳にもいかない。若葉の意思を無下にすることはできない。義徳は観念して事実を打ち明けることにした。

 深呼吸をして、心を整える。不思議と少しだけ冷静になれた気がした。決心して、鉛のように重い口を開く。

 

「────幽々子さんは亡霊なんだ。もう死んでるんだ、ずっと前に。それで、この世界の存在じゃなくて、元々冥界……死後の世界にいたんだ。でも、俺の能力が原因でこっちの世界に来た。だから、幽々子さんが冥界に帰れるように色々動いてるんだ」

 

 今までひた隠しにしていたこと打ち明けたからか、心か幾らか軽くなった気がした。なんだか背負っていた荷物を地に置けてすっきりした気分になった。

 一方の若葉は予想通りといった感じだった。口に手を当てて驚愕していた。今まで接していた友人が実は既に死んでいたなんて現実離れも甚だしい。すぐに納得するなんて不可能だ。

 

「だから、これ以上踏み込んだ関係にはなれない。どのみち幽々子さんとは別れなきゃ────」

「だったら、義徳の言ってることは間違ってる」

 

 若葉の答えは、否定だった。まるで裁判で判決を下すようにハッキリと、迷い無く、重圧が掛かった言い方。その証拠に、彼女は怒りで震えていた。こんなに怒った所を見たことがないという程に激しく。義徳にとってそれは不可解なものだった。

 

「分かってるだろ若葉! 俺の言いたいこと!」

「えぇ、分かるわ! 分かるわよあんたが言いたいこと! 幽々子さんが好きだから、大切だから、その想いが大きくなればなるほど別れが辛くなるって言いたいんでしょ? 大切な人を失う怖さや悲しさを理解してる義徳なら尚更よね」

 

 衝撃。心の奥底に秘めていることを全て見抜かれた。心を読まれているような感じがして恐怖すら覚えた。止めろと言いたくても言えなかった。こうも完膚なきまで言葉にされると反論も何もあったものではない。

 

「────でも、それが何だって言うのよ。あんたはそれで後悔しないの?」

「ッ……!」

「言い返せないってことは、そういうことでしょ?」

 

 言葉の槍は立て続けに降ってくる。若葉は義徳が言われたくないことを全て理解した上で話を続けている。幼稚園の頃から今までずっと一緒の親友で、清和義徳という人間の性質を熟知している若葉だからこそ可能な芸当だ。

 

「あんたがやるべきことは別れる時に後悔しないようにできる限り幽々子さんと接すること! 義徳と幽々子さんが結ばれちゃダメ、なんてことはないわ。この私が保証するから!」

 

(……そうだ、俺は)

 

 怖い。辛い。苦しい。悲しい。大切な人と別れるのが。父と姉が死んだあの日から。以降は誰かと親しくならないように距離を置いて接してきた。でも、幽々子と接している内に知ってしまった。思い出してしまった。心の底から誰かを愛することを。今まで否定しつつも、誤魔化しきれなかった。幽々子と出会ってから、義徳は心の奥底でささやかな幸福を感じていた。心の底から楽しかった。

 

「だから、あんたは堂々としてなさい」

「……ありがとう。お前が幼馴染で、親友で本当に良かった」

 

 今まではこれで本当に良いのかと自問自答を繰り返しながら行動をしていた。しかし、若葉の言葉で少しは目が覚めた。

 廃神社で幽々子と別れた時、心の中で後悔した。もっと話がしたかった。もっと一緒にいたかった。もっと同じ時を共有したかった。そんな考えが頭を過った。もう叶わないかと思っていたが、幽々子が戻ってきた今なら或いは。

 

「感謝されなきゃ、あんたのために怒った意味が無いから」

 

 そうだ、今まで若葉が怒る時は決まって誰かのためだった。彼女なりに自身を思いやって、真正面から向かい合ってくれた。全く、本当に良い親友を持った────今以上にそう思ったことはない。心の底から若葉のことを誇りに思う。

 

「あ、それともう一つ」

「何だ?」

「あとで色々聞かせてね? 聞きたいこと、山程あるから。死後の世界とか異世界とか……オカルトオタクとして証明しなくちゃいけないから」

「分かった……って、結構時間経ったな。そろそろ幽々子さんの所に戻らなきゃ」

「折角東京まで来たのに、こんなに待たせたら流石に申し訳がないわね」

 

 腕時計を見て結構な時間が経っていることに気づき、二人は幽々子のいる場所に戻るのだった。若葉は意地悪い笑みを、義徳は安らかな笑みを浮かべていた。心の内はとても晴れやかだった。そんなことは顔を見なくても互いに分かり切っていた────。




 学校が忙し過ぎて投稿がいつも以上に遅れてしまいました。今期はレポートが多過ぎてきつかったです。でもやっと落ち着いてきたので投稿できました。やっぱり一話完成させて投稿するのって気持ちいいですね。
 今回もここまで読んで頂いて幸いです。


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第十一話 悪夢のように、華胥の夢ように

 次にやって来たのは、遊園地。これに関しては幽々子の計画ではなく、若葉の提案である。「男女が仲を深めるならやっぱり遊園地でしょ」とは彼女の弁である。当の本人は東京のオカルトスポットを回ると言って別行動となった。その行動の真意が“二人でデートしろ”ということを義徳は理解している。ここまでお膳立てしてくれた若葉には感謝の念を抱かずにいられない。

 改めて幽々子と二人きりになると、どうにも気恥ずかしさを抑えられない。好意を自覚してしまったためか、感情は今までにないほど激しく昂っていた。隣にいる幽々子に気持ちを悟られてないか心配だった。

 

「どうしたの、そんなに考え込んで」

「ん……どういう順番で回ろうかなって」

「基本は義徳に任せるわ。私はこの場所について何も知らないから。でも、私が興味を持ったものには付き合ってもらうわよ」

 

 直後、幽々子は顔を近づけて────。

 

「その時はエスコート、よろしくね?」

 

 甘い声で囁いた。吐息が耳に当たってくすぐったい。心地良い声色が脳に響く。いきなりのことなので驚いて背筋が震えてしまった。

 

「っ……幽々子さん!」

「ふふ、義徳ったら可愛い」

「止めてくださいよ! 可愛いだなんて言われても嬉しくないですよ……」

「私は事実を言ったまでよ?」

「あ~もう! とっとと行きますよ!」

 

 残念ながら言い合いで幽々子には勝てる気がしない。いつもいつも予想よりも斜め上の言葉が出てくる。これ以上は照れ臭いので無理やり切り上げる。ここで油を売っていても時間の無駄なので、とりあえず施設内を歩き回ることにした。

 

「義徳、あれは何かしら?」

 

 アトラクション施設を歩いていると、早速幽々子が指を差す。

 

「あれはジェットコースターですね。乗るとスリリングな体験ができるって一部の人には人気です」

「へぇ、面白そうね! 最初はあれに決めたわ」

 

 ほぼ直角に急降下するコースを見上げながら、これからのことを想像すると少し憂鬱だった。一目見てこのジェットコースターはヤバいと本能が警鐘を鳴らす。しかし、今日は幽々子とのデートである。率先して行動すべきは他ならぬ義徳自身だ。よって────

 

「じゃあ行きましょうか」

 

 否定は許されない。彼女の意向に従うのが最善手だ。しかし、この判断が間違いだということを義徳はすぐに思い知ることになる。

 少しして二人の順番が来た。他の同乗者と共に二人はジェットコースターに乗り込む。そのまま席に座り、備え付けられた安全バーを下ろした。

 

「こんな風になってるのね」

「凄いのはここからですよ」

 

 直後、ジェットコースターが動き出した。レールに沿ってゆっくりと上っていく。周囲に視線を移す。その先には澄んだ快晴の青空と都会特有のビル群があった。京都では絶対に見られないであろう絶景に軽い感動を覚えたが、それらが頭の中から消え失せるのに時間は掛からなかった。

 進んでいたジェットコースターが急に止まる。そう、頂上に着いたのだ。頂上に着いたら次に起こるなど分かり切っている。

 

「きゃああああああああ!」

「うわああああああああ!」

 

 ────急降下。それもほぼ垂直に。地面に激突しそうな勢いでジェットコースターは走る。間違いなく時速百キロ以上は出ている。真正面からぶつかってくる風が痛くて目を開けられない。そのあとは重力に逆らって急上昇、急カーブなど、縦横無尽に駆け巡る。

 

(思ったより、ヤバい……!)

 

 暴れ回るジェットコースターに振り回されているからか、頭が痛くなってきた。恐らく酔ったのだろう。油断すると意識を失いそうになる。義徳はジェットコースターを何回か経験しているが、ここまで高速で高低差があるものには乗ったことがなかった。予想よりもはるかに辛い。最早罰ゲームなんじゃないかとすら考えてしまう。

 少しして、漸くジェットコースターが止まった。乗っていたのは実時間にしてほんのニ、三分程度だが、体感的にはより長く乗っていたように感じる。非常に恐ろしい体験だった。

 

「楽しかったわ~!」

「……」

 

 存分にジェットコースターを楽しんだ幽々子。それに対して放心状態の義徳。今にも気絶しそうだった。

 

「確かにこれは今まで味わったことのない刺激だったわ。義徳は……」

「……」

 

 頭がガンガンと鳴り響いている。世界が回転しているように見える。この遊園地のジェットコースターは全国でも屈指の出来だと言われている理由を身を以って体感した。正直の所もう二度と乗りたくない。

 

「もう、しっかりしなさいな。今日はまだまだ回るんでしょう?」

「うっ……」

 

 デートはまだ始まったばかりだというのに早くも死に体である。この先気力を維持できるか不安になってきた。

 

「幽々子さん、とりあえず次行きましょ……」

 

 今にも消えそうな意識を根性で保ち、声を絞り出した。歩きながらめぼしい施設を探す。

 

「あっ」

 

 そんな中、義徳はあるものを見つけた。目の前に来て、ふと思い立った。

 

「幽々子さん的にどうなんですかこれ」

 

 二人はお化け屋敷の前に来ていた。しかし、ここであることに気づいてしまったのだ。

 西行寺幽々子は亡霊である。早い話、存在自体がお化けなのである。そんな彼女にとってお化け屋敷という施設は如何なものだろうか。

 

「私、実は一度外の世界のお化け屋敷に入りたかったのよ」

「そうなんですか?」

「だって、外の世界の人間がお化けをどう思ってるか知りたいじゃない?」

「意外です」

 

 お化けの正体なんて分かり切っているのだから興味は無いと思っていた。意外にも乗り気な幽々子に少しばかり驚きを見せる義徳。

 順番が来たので従業員に誘導されて屋敷の中に入った。喧噪に満ち溢れていた外とは打って変わって薄暗く、音も無く、気味が悪い。壁や天井にはお札や血痕が至る所に付いており、本格的に作られていることが分かる。本気で来場者を恐怖に陥れようという意志を感じた。

 道なりに少し歩くと、何の前触れも無く音がした。床を見てみると本が落ちていた。すぐ近くには机があることから、元はここにあったようだ。

 

「あら……」

 

 しかし、二人はこれといって大きな反応を示すことはなかった。説明ができないような、いわゆるポルターガイスト現象は普段から幽霊を相手にしていればよく起こることである。その正体を知っている彼らからしたら驚くことでもない。

 幽々子は本の埃を払うと、そのまま机の上に置いた。本来なら怖がる所なのだろうが、この二人には通用しない。

 

「ヴェアアアアアアアアア────!!」

「「……」」

 

 今度は長い黒髪を垂らした白服の女性が姿を現した。しかし、二人のリアクションは皆無である。驚くどころか、寧ろ哀愁を漂わせていた。霊に扮した従業員がこうして必死に人を怖がらせるようと叫んでいると思うと何だかいたたまれない気持ちになってきた。我ながら非常に失礼なことだと思う。

 確かに、お化け屋敷で出てくる女性の幽霊は定番だ。普通の人なら驚くこと間違いなしだが、この二人は例外である。

 

「……何か、すいません」

 

 気まずい雰囲気になってしまったのでとりあえず頭を下げて謝った。心の中で罪悪感が湧いてきた。本当に申し訳ない。

 その後もお化け屋敷を進んでいったが、二人は目立ったリアクションをすることはなかった。霊が見える義徳と存在そのものがお化けである幽々子にはまるで効果は無かった。

 

「……どうでした? やっぱりつまんなかったですか? 反応薄かったですし」

 

 お化け屋敷を出た後、少し離れた場所にあるベンチで義徳は幽々子に問う。こんなことが言えるのも、義徳ならではだ。

 

「いいえ、そんなことはないわよ。内装はこだわってて雰囲気で出たし、お化け役の皆も頑張ってたし。怖がらせようという努力はこれでもかってくらい伝わってきたわ」

「クオリティ高かったですよね」

 

 二人がノーリアクションだったのは決して安い作りだったからではない。二人がお化けの正体を完璧に理解しているからだ。人が最も恐れるのは未知である。分からないものは想像で補うしかない。極端な話、見えない視界の先には悪霊や殺人鬼がいて、断崖絶壁があるかもしれない。無音の世界ではどれだけ小さな音でも毒蛇が這う音に聞こえるかもしれない。未知であるが故に、想像してしまう。人間は無限の想像力を持つというが、それがかえって悪い方に作用する。

 

「それでも全然怖くなかったのは、何と言うか、俺達だったってのが理由ですかね」

「毎日のように幽霊とか見てるものね。既に耐性が付いてしまっているのよ」

「もし幽々子さんが本物の亡霊だって知ったら、お化け屋敷の従業員はどう思うんでしょうかね?」

「ふふ、それ面白そうだわ」

「絶対にやっちゃいけないんですけどね」

 

 まず間違いなく驚くだろう。亡霊がこんなフレンドリーだなんて信じられる筈がない。そんな談笑をしながら、次の目的地に向かうのだった。

 

 

 

※※※

 

 

 

 あれから、遊園地内の色々なアトラクションを回った。時には叫んだり、時には笑ったり、色々な体験をした。

 

「ねえ、あれには乗らないの?」

 

 幽々子が指差した先には、観覧車があった。

 

「そうですね。そろそろ頃合いですね」

 

 気が付けば時間は既に夕方に差し掛かっていた。楽し過ぎて時間など気にもならなかった。そろそろ若葉と合流した方が良い時間帯だ。でないと次の予定に間に合わない可能性が出てくる。アトラクションは殆ど全て制覇した。合流する時間を考慮した場合、乗れるとしたらこれくらいしかない。

 

「あ、でもすいません。少しトイレに行ってきますね。すぐ戻るんで。幽々子さんはそこのベンチに座って待ってて下さい」

 

 幽々子をベンチに座らせて、義徳は一人でトイレの方へ走る。

 

「ん……?」

 

 走り出してから少し経った後。トイレの前に来て、何か違和感を覚えた。人の気配が全く無いのだ。先程まで周囲には多くに人がいた。営業中の遊園地なのだからそれは当然のことだ。このような違和感は幽々子と一緒にいる時は全く無かった。違和感に気づいたのは幽々子と一時的に離れてからだった。 

 恐る恐る周囲を見回す。どういう訳か、自分以外の誰もいなかった。夕方で閉園時間が迫っているとは言え、人は決して少なくない。しかもここは一番人気の観覧車の近くにある。人がいないなんてことは在り得ない筈だ。一体、どうしてこんなことになっているのか。

 

「────どうしてって思っているでしょう?」

 

 背後から聞き覚えのある声。その正体はすぐに分かった。

 

「八雲さん……!」

「調子はどうかしら、清和義徳」

 

 八雲紫は満面の笑顔を湛えていた。しかし、目は笑っていない。表情こそ明るいが、身に纏う雰囲気は冷たく鋭い。それを察知した義徳は即座に警戒態勢を取る。今の彼女は何をするか分からない。あらゆる事態を想定しておく必要があると判断した。

 

「調子って、こんな所まで付け回してたら分かる筈ですけど。それよりこれは一体何なんです?」

「結界を張ったの。だから今この場所は私達二人だけしか存在しない異空間になっているわ。他の誰も近づけず、認識すらできない世界よ」

「話すだけならこんな回りくどいことしなくてもいいんじゃないですか?」

「私はお話に来たんじゃないの。今日は────」

 

 明らかに紫の様子がおかしい。嫌な予感がする────そう思ったのも束の間。

 

「────貴方を殺そうと思ってね」

「ッ!」

 

 どこまでも真っすぐに透き通る声。聞き入ってしまいそうな程綺麗な声色。しかし、その内容は最低最悪そのものだった。やはり予感は的中した。それも飛び抜けて嫌な予感だ。

 

「安心しなさい。せめてもの情けよ、一瞬であの世へ送ってあげるわ」

 

 紫は依然として冷酷な笑顔を絶やさない。決して嘘で言っているようには見えない。

 

(この人、やっぱイカれてる……!)

 

 彼女から放たれているのは純粋な殺気。目的のためなら殺人をも厭わない意思を持っている。確実に自身を殺すつもりだ。それもその筈、八雲紫は異世界の存在であり人間ではない。倫理観は違って当たり前。殺すという選択肢があっても何ら不思議ではない。言葉での説得など以っての外だ。考え得る中でも最悪な状況。義徳は苛立ちから思わず舌打ちした。とにかく、今考えるべきはこの場を乗り切ることだけだ。

 

(ッ!)

 

 直後、映像が頭に流れ込む。見えたのは義徳と紫の二人。紫が何らかの手段────恐らく手刀────を用いて自身の首を切断する。義徳は成す術も無くその神速の攻撃を受ける。直後、鮮血が周囲に飛び散り、斬られた首は重量に従って地面に落ちた。

 

(────)

 

 一瞬にして血の気が引いた。こういった映像が流れるのは決まって誰かが死ぬ時だ。しかし、自身が死ぬ映像は初めてだった。誰かが死ぬ瞬間を見た時はいつも不快な気分になるが、今回はそれが何倍にも増して強い。余りにも不快だからか何かが喉元へ迫り上がってくる。このまま吐き出したいが、そんな隙を晒してしまえば命が終わる。我慢して飲み込み、彼女との距離を空けるために走り出す。非常に情けないが、今は逃げることしかできない。

 

「逃げないでほしいわね。折角楽にしてあげようと思ったのに」

 

 直後に正面から裂け目が出現し、その中から紫が出てきた。その姿を視認すると同時にドクンと心臓が鼓動を打つ。冷や汗が止まらない。身体が震える。

 今、義徳は死の恐怖に囚われていた。驚愕、焦燥、嫌悪、苦痛────様々な感情が一挙に押し寄せる。初めての感覚だった。人は死ぬ直前にこのような考えを抱くのか。成る程、確かに身の毛もよだつ恐ろしい夢のようだ────と嫌なくらい冷静に受け止めることができた。

 そして、その時はやってきた。紫が構えを取り、攻撃の動作を取る。先程見た映像と同じように、手刀でこちらの命を絶つようだ。ならば────やりようはある。

 紫は義徳の首を目掛けて腕を振り下ろす。それと同時に、義徳は思い切り身体を反らす。目にも止まらぬ速さで向かってくる彼女の手は────すんでのところで命中し損ねる。不安定な状態で思考することもままならないながら、何とか回避することができた。一時的ではあるが死を免れることができた。

 

「……何とか、避けれた!」

「その明らかに分かっていたとしか思えない回避動作、貴方の持つ人の死を予知する能力は貴方自身も対象に含まれていたのね。流石に予想外だったわ。これでは確実に殺せない」

「八雲さん、何でこんなこと……!」

 

 感情のままに叫ぶ。できることなどありのまま思った言葉をを相手にぶつけるくらいしか残されていない。

 

「幽々子が私に頼んできたの。義徳を助けて欲しいと」

「幽々子さんは誰かの死を望むような人じゃない! 例え俺みたいな奴が死んだって幽々子さんは間違いなく悲しむ!」

「そうね、あの子はこんなこと望まないでしょうね。でも、貴方が生きている限り幽々子は幻想郷に、冥界に戻ることはできない。故に貴方は邪魔なの。申し訳ないけど、幽々子のためにも貴方には死んでもらう。これが事を終わらせるための最善策よ」

「ふざけるな! 俺は死ねない! まだやるべきことが残ってるんだ!」

 

 ここで殺される訳にはいかない。母親を一人にすることはできないし、まだ幽々子の望みも叶えていない。それを叶えるまで死ぬことは許されない。何が何でも生きなければならない。

 

「フフフ……死ねない、ね。本当にそうであればいいのだけれど」

「八雲さん、何言って────」

「今回はここで引いてあげる。でも、決して忘れないことね。近い内に貴方を殺してみせるわ、清和義徳────」

 

 紫の声はどこまでも冷たく、重く、耳の奥に突き刺さる。何があっても自身を殺すという明確な意思が籠められていた。

 彼女の言うことは尤もである。元凶は他ならぬ自分自身だ。故に、お前が悪いと言われても否定はできない。しかし、不自然な点もある。

 

(本当にそうであればいいのだけれどってどういうことだ……?)

 

 紫は自分が知らない重要な情報を隠している。そうでなければあのような意味深な発言をする必要はない。しかし、その真意も分からないのでどうすることもできない。

 それに、どう考えても紫は圧倒的に有利な状況だった。自分を殺すことなど造作も無かった筈だ。いくらこちらが死を予知できるとは言え、この能力は体力も精神力を削られるなど負担が大きい。連続で攻撃されていれば間違いなく殺されていた。想定外とは言っていたものの、切れ者の彼女ならばすぐに対応できていただろう。それなのに、見逃された。彼女は一体何を考えているのか。何一つとして理解できないのが歯痒い。

 

「……早く戻らなきゃ」

 

 少し時間が経って頭が冷静になる。今やるべきことを思い出し、義徳は幽々子が待っている場所へ戻るのだった。

 この時、義徳は疲労で鈍った頭で考えていた。八雲紫が本格的に行動を起こした今、時間はもう殆ど残されていないのかもしれないと────。

 

 

 

※※※

 

 

 

「もう! すぐ戻るって言ったじゃない!」

「すいません、長引いちゃって……」

 

 無事に戻ることができたものの、案の定幽々子の機嫌は悪かった。頬を膨らませて怒り心頭だ。紫に殺されかけたなんて口が裂けても言えない。二人は固い絆で結ばれた親友同士だ。真実を言って二人の仲に裂く訳にはいかない。理由が理由なので義徳は誤魔化すしかなかった。

 

「急ぎましょう。もう時間が無いので」

 

 義徳は申し訳なく思いつつも、気持ちを切り替えようと笑ってみせる。幽々子の手を引いて観覧車の待機列に並ぶ。 

 

「ん……」

「どうしたんです?」

「義徳の手、温かい」

「え……あっ!」

 

 視線を手の方へ向けると、幽々子の手を握っていることに気づいた。慌ててを手を離そうとすると、

 

「こ、このままで大丈夫よ……」

 

 幽々子はこちらの手を強く握り締める。死者特有の低い体温は火照った身体に丁度良い。ちらと幽々子の顔を見る。目が合った。照れ臭くなって思わず視線を逸らす。

 

「「……」」

 

 互いに気まずくなって無言になってしまう。二人は一言も喋ることなく観覧車に乗る。

 

「わぁ……!」

 

 茜色に染まる空を見つめる幽々子。幽々子に合わせて義徳も窓の外を見る。街の風景や夕焼けが美しい。

 

「これを最後にした理由が分かったわ。こんなに素晴らしい景色なら最後に取っておきたいと思うのも自然なことね」

 

 しかし、それ以上に夕日に当てられた彼女の横顔は美しい。いつも以上に輝いて見えた。思わず見惚れてしまう。ぼんやりと幽々子を見つめていると、こちらの視線に気づいたようで。

 

「……私の顔に何か付いてるのかしら?」

「いや、その……幽々子さんってとても綺麗だなって思って」

「綺麗……うふふ、嬉しい。義徳に言われると一段と嬉しいわ」

「そ、そうですか……」

 

 反射的に出た答えだったが、好意的に受け取ってくれたようで安心した。

 

「ねえ、一つお願いがあるの。いいかしら?」

「俺にできることなら何でも」

「キ、キス、したいの……」

 

 その言葉を聞いて、時間が止まったかのような衝撃を受けた。

 

「嫌、かしら?」

「い、いや! 全然そんなことはないです! ただその、凄く恥ずかしくて……」

 

 キスと言えば恋人同士がする行為である。観覧車の中でのキスは創作では定番だ。しかし、現実に起こり得る出来事だとは思わなかった。一生することはないだろうと興味を抱くことはなかったが、いざ直面すると気が動転してしまう。いきなり過ぎて心の準備などできる筈がない。

 

「────っ」

 

 あれこれ考えていると、唇に柔らかい感触が有無を言わさず襲ってきた。それが数秒程続いた後、口の中に何かが入ってきた。この状況で入ってくるものと言ったら一つ、幽々子の舌以外に無い。

 舌と舌とが絡み合う。幽々子は舌も冷たかった。しかし、内から湧き上がる情愛という名の炎を静めるにはまだ足りない。寧ろ、この冷たさを求めてさえいる気がする。ずっと、いつまでも、永遠にこの感覚を味わいたいと、この時が続けばいいと。まるで天国にいる夢でも見ているような気分だ。義徳は流されるままに幽々子の行為を受け入れる。

 少しして幽々子の口が離れた。同時に二人を繋ぐ糸状の液が垂れる。不思議なことに名残惜しいと思ってしまった。

 

「……どう?」

 

 幽々子が問い掛ける。上目遣いで、こちらの真意を確かめるように。

 

「…………良かった、です」

 

 初めてのキスは何とも形容し難いものだった。けれど極上のものであったことには違いない。義徳はただただ圧倒されるばかりだった。




 桜が満開の時期に投稿したかったのですが、ドラクエとかFFとかシャニマスとかゼノブレとか予想以上に楽しいゲームが多くて間に合いませんでした。春休みなので余ってるってくらい時間はあった筈なんですけどね。コレガワカラナイ。
 今回の話はこの小説を投稿し始めた当初はプロットに無かった話でした。そもそも本来は東京でデートする展開ですらなかったです。恋愛系なのに恋愛要素が無さ過ぎるだろって思って急遽追加したという流れです。何はともあれ話も進み、そろそろ終わりが見えつつある状況になりました。年内の完結を目指して頑張ります。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。


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第十二話 究極の真実(アルティメットトゥルース)

「あれがお父様の眠る……」

 

 他の桜とは比較にもならない程巨大な桜だった。今までに見たどの桜よりも美しく雄大だった。そして、何よりも目を引いたのは────。

 

「赤い、桜……」

 

 その桜は薄紅に非ず。赤く、紅く、朱く、緋く、赫い血染の桜だった。花は人間の血のように鮮やかで、まるで生きているようであった。

 

「私に来いって言っているの?」

 

 周囲には沢山の死霊が漂っていた。恐らく父の後を追ってこの桜の下で死んだ者達だ。彼らは少女を巨大桜へ導く。

 

「温かい……」

 

 死霊に導かれるままに幹に触れる。桜からは人の体と同じ温かさを感じる。瞬間、一つの事実に気づいた。

 

(この桜は、人の命を吸っている────)

 

 周囲に漂う沢山の死霊、人の体温と変わらぬ温かさ、血の花弁。そして、この桜の木の下には父と同様に死んだ者達が埋まっている。

 これらの要素を持つ血の桜に対して恐怖と同時に、感動を覚えた。咲き誇る姿は必死に生を全うしようとする人間のように美しい。春風に舞う花弁は生のしがらみから解放された霊のように自由に踊る。それだけを見ると、この桜に魅了されて最期を迎えた者達はある意味報われたのかもしれないと思える。しかし、眼前の桜は人の精気を吸った桜であり、人智を超えた魅力に恐ろしさを抱かずにはいられない。これ以上死者が増えたならばどうなるか、少女は危機感を覚えた。

 彼女が危惧した通り、美しく咲く血染の桜はやがて墨染の桜へと姿を変えた。人の命を吸い続けた桜は咲く度に人を死に誘う妖怪桜として覚醒したのだ。同時に、少女の持つ死霊を操る程度の能力は人を死に誘う程度の能力へと変貌を遂げる。

 歌聖の死によって、最愛の娘と桜は人を死に誘うだけの呪いと化した。遂に悲劇は始まった────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「うーん……」

 

 東京から帰ってきた翌朝。義徳はぼんやりとした状態で目が覚めた。昨日の溜まった疲れが抜けきってないからか十分な睡眠を取っても尚身体が重い。目を開けると窓から差し込む朝日が眩しい。思わず腕で日光を遮った。身体を起こす気も湧かないので、感覚がはっきりとするまでの間は何も考えないようにぼうっと天井を見つめることにした。

 

(昨日の、遊園地……)

 

 しかし、何も考えないというのは彼の性分が許さなかった。幽々子と東京の遊園地でデートした光景が頭の中で再生される。中でも鮮明に映し出されるのは、やはり。

 

(キ、キス……!)

 

 彼女の柔らかや唇の感触が未だに忘れられない。幽々子は普段から積極的ではあったが、それは悪戯やからかいが殆どである。昨日のように直接的な接触を求めることは稀だ。幽々子はどういう意図があってあのような行動を起こしたのか。相変わらず彼女の頭は読めない。

 

(いや、それよりも!)

 

 閑話休題。今はキスのことよりも重要なことがある。今回で四回目となる夢のことだ。今日は父の眠る桜に辿り着いた生前の幽々子。人を魅了する血染の桜と人を死に誘う墨染の桜。誰よりも愛した娘と桜が人を死に誘う呪いを背負うことになるとは何と皮肉なことか。これでは幽々子と西行妖の行く末は────

 

「……もうこんな時間か!」

 

 ふとした拍子に目に入った時計は九時半を示していた。予定より二時間も遅れている。今までに無い程の寝坊だった。義徳は慌てて飛び起きるのだった。

 

「おはよう、義徳。寝坊するなんて珍しいわね」

「疲れてるんでしょう。最近ずっと動きっぱなしですし」

 

 リビングに入ると、ソファに座っている幽々子が話しかけてきた。心配してのことだろう。

 ここ数日は一日中外に出て動き回っている。知らないうちに疲労が溜まっていたのかもしれない。ここまで来るといよいよ無視できない状態になってきた。

 

「でも、歩みは止めません。今日も行きますよ、桜探し。今日の目的地は────」

 

 しかし、休んでいる暇は無い。桜の満開はもうすぐだ。それを過ぎてしまえば、幽々子の望みを叶わない。一年も待っている余裕など無い。一刻も早く見つけ出さなければならない。だから、今日も義徳達は桜を探しに行くのだ。

 

 

   ※※※

 

 

 

「ここが弘川寺……」

 

 車で走ること二時間ほど。二人は目的の場所に到着した。

 弘川寺。大阪と奈良の県境近くにひっそりと立つ寺。敷地に植えられた千本もの桜は隠れた桜の名所として人気があるらしい。そして────

 

(西行法師終焉の地……)

 

 これが一番大事な要素である。西行寺幽々子、西行妖と同じ“西行”の名を冠する存在。幽々子の父親であり、全ての始まりとも呼べる人間。彼と関わりが深いこの場所にはそれらの謎を解く何かが必ず見つかるに違いない。今日ここに来た目的である。

 

(ここならきっと、何かが分かるかも────)

 

 と、幽々子の方を見ると。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 熟睡していた。

 

「起きて下さい、着きましたよ」

「あと五分だけぇ……」

 

 起こそうと肩を叩いてみるものの、起きる気配は全く無い。

 

「……今起きないと今日の晩飯抜きにしますよ」

「ひゃっ!?」

 

 幽々子に効果抜群であろう宣告を喰らわせる。寝ていながらもはっきりと聞こえていたのか、驚くべき早さで飛び起きた。

 

「それが人間のすることかしら!?」

「冗談に決まってるじゃないですか」

「だとしても酷いわ! 暴力反対! ぶーぶー!」

「別に手を出した訳じゃないんですけど!?」

 

 子供のようにまくし立てる幽々子を宥めつつ、車から出る。

 

「目は覚めましたか?」

「ええ、それはもう凄く……」

「嫌だったらもう寝坊はしないことですね」

「義徳だって今朝寝坊したじゃない!」

「だって何もしてこなかったじゃないですか」

「後で絶対やり返してやるんだから~!」

 

 下らない言い合いをしながら境内に上がる。その先には一つの桜の木があった。周囲の今にも満開になろうとしている他の桜と比べると少々物悲しく感じる。

 

「桜……でも、少し足りない」

「これは隅屋桜ね。枝垂桜の一種よ」

「枝垂桜って染井吉野より開花が遅いんでしたっけ」

「品種によって早かったり遅かったりまちまちよ。これは遅い品種ね」

「詳しいんですね」

「冥界には多種多様な桜があるのよ」

「へぇ……」

 

 隅屋桜の周辺には人がいない。まだ見頃ではないからだろうが、だとしても寂しく感じてしまう。

 

「今までずっと聞きたかったのだけれど……義徳、貴方は桜が好き?」

「え……」

 

 幽々子の問いを、義徳は純粋な気持ちで受け止めることができなかった。思い出してしまったのだ、十年前のあの日のことを。死臭と血が混じった強烈な悪臭。鮮血に塗れたひしゃげた肉体。いずれも昨日のことのように明確に思い出せた。あの時体験した大切な人の死は、散っていく桜と同じように見えたから。

 

「うーん、そうですね……桜は好き……にはなれないですね」

「と言うと?」

「咲いている姿はとても美しいと思います。それを見るのはとても好きです。でも、散り際を思うと心の底から好きにはなれないんですよね。死んでいく姿を見て美しいとは、とても思えません」

 

 その生が終わる瞬間というのは須らく辛くて苦しい。見ていて悲しくなる。それが嫌だから今まで必死に足掻いてきた。しかし、こうして問題に直面すると何も言えなかった。

 少しの間、両者に沈黙が訪れる。しかし、その沈黙を断ち切るように。

 

「────散る桜 残る桜も 散る桜」

 

 幽々子は詠う。

 

「どんなに美しく咲き誇る桜でも必ず散るものよ。だから、受け入れないと。それを含めて愛さないと。死んだらそれまで、なんてそれこそ救いが無いわ。散っていく姿は笑顔で見届けてあげなきゃダメよ」

「そう……ですかね」

「そうよ。そして、暑い夏や寒い冬の間に桜のことを想い続けるの。何があっても、その咲いて散る美しい姿を忘れないように。義徳が今までに経験した人間の死を忘れないのと同じように」

「っ……!」

 

 死んで時が経てば、やがて忘れ去られる。これは当然のことである。しかし、本当にそれでいいのか? 辛いだけではないか? 余りにも酷くて悲しくないか? これが当たり前だという事実に納得できるか? いや────

 

「確かに幽々子さんの言う通りですね。死んだらそれまで、なんて嫌です。死んでいった人達のことは忘れたくないし、霊達だって忘れられたくないと思っている筈です。桜も、同じことだったんですね」

 

 散っていく桜を思うと心が痛い。しかし、そうやって目を背けるのは桜に対して失礼だ。今まで人の死を受け止めて背負ってきたのと同じように、桜が散る姿も受け止めて、背負っていく。美しさを忘れないように。

 

「ありがとうございます。本当の意味で死を背負いきれてなかったって気づけました。今はまだ、心の底から美しいと思えるようになるかどうか分からないですけど、努力します」

「信じてるわ、義徳ならできるって」

 

 不意に、幽々子が笑みを湛える。それは桜のように美しく、それでいて太陽のように輝いていて。その姿に、義徳は心を打たれる。やはり、幽々子は笑顔が一番似合っている。

 

「あ、今照れたわね?」

「この雰囲気でいきなりそんな顔されたら、照れるに決まってるじゃないですか……!」

「うふふ、してやったり~♪」

「ッ~! そろそろ行きますよ!」

 

 いたたまれなくなって、強引に話を切る。一応ここで時間を浪費するのは勿体ない、なんて言い訳を考えながら山の上へ登る。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「~♪」

「ご機嫌ですね、幽々子さん」

 

 舞う桜の花弁を見上げながら、二人は石畳の山道を登る。閑静な空気、鶯のさえずり、時折頬を撫でる風。全てが心地良く感じる。それが理由なのか、疲れは無く足取りも軽い。幽々子に至っては鼻歌を歌いながら歩いている。余程楽しいのだろう。

 暫くして。意気揚々とした様子の隣の幽々子を眺めながら歩いていると、遂に山道を登り切った。

 ────西行墳・似雲墳。細々とした道から一転、広場になっていた。右手奥には西行法師の墓が、その対角線上には似雲の墓がそれぞれ存在するだけの、なんてことない広場。

 

「とても静かな場所ね」

「そう、ですね……」

 

 しかし、一帯は違和感を覚える程の異常な静謐で覆われている。人や動物の気配は一切無い。二人以外に誰もいない、まるで時が止まったかのような空間。狭い場所に閉じ込められた気分になる。

 

「これは……石碑かしら? 何か文字が書いてあるけれど」

「崩し字ですかね。見ただけ何て書いてあるか分からないですね」

 

 西行墳にある石碑。見た目では意味の分からない言葉である。恐らく『願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ』辺りが妥当なところか。西行法師を象徴する和歌だからという何の根拠も無い推測でしかないが。

 

「とりあえず、山頂に行きましょうか」

 

 見るものは全て見たので、次なる目的地の西行桜山周遊路へ向かおうと一歩踏み出す。その瞬間────

 

『おいで』

 

 どこからか、声が聞こえた。

 

「幽々子さん、何か言いました?」

「いえ……どうかしたの?」

「何か声が聞こえた気がして。すいません、気のせいだったかもしれません」

 

 聞き間違いだったかと流そうとするが。

 

『おいで』

 

 ────否。間違いなく、今度は確実に聞こえた。声の主は一体どこだ、どこにいる。

 

「うあぁぁぁッ────!」

 

 今度は耐え難い頭痛と金属音に似た甲高く不快な響音に襲われる。思わずその場でうずくまる。何かに干渉されている。この状況で身体に干渉できる存在がいるとすれば、それは霊以外にいない。あの嫌な程の静けさは周囲が生者を拒む死の気で覆われていたからだ。だとしたら、何故気づけなかったという疑問が残る。

 

『おいで』

「来るな、俺の心に、入って来るな……!」

 

 鳴り響く『おいで』という声に抗い続けるものの、相手は夥しい数の死霊であり、それぞれの力は強大である。強靭な精神力を持つ義徳と言えど、それは難しかった。

 己の思考に反して身体がひとりでに立ち上がる。そして、歩き出した。正面には、西行墳。

 

「義徳!? 大丈夫!?」

 

 幽々子の問い掛けに応えたかったが、身体の命令権を掌握された義徳には何もできなかった。そして、西行墳の眼の前で足が止まる。

 

「あぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁ────」

 

 足の次は手。それが向かう先は、自らの首。爪が食い込む程の強烈な力で絞められた。気道が圧迫されてまともに呼吸ができない。想像を絶する激痛で意識が飛びそうだった。

 

『この綺麗な桜の下で眠れば幸せだよ』

『歌聖のようにここで気持ちよく眠ろうよ』

『眠れば嫌なことなんて一切無いよ』

『だから一緒に眠ろう』

 

(桜の下? ここに桜なんて────)

 

 一見意味不明の幽霊の言葉だが、それは違う。ここには一つの揺るぎない事実がある。それは、この下で西行法師が眠っているということだ。これが何を意味するか、唯一正常な思考を全力で回転させることで義徳はその結論に辿り着いた。

 

(元々この場所には、西行妖があった!)

 

 西行妖────それは人を死に誘う妖怪桜。西行法師の死後、見る者を例外なく魅了した美しくも忌々しい墨染の桜。幽々子が「西行妖は冥界にある」と語っていたこと、今までに見た夢からしてこの推測は間違いなく正しい。

 ここに漂う幽霊は全て西行妖によって死んだ者達だ。()に魅入られた彼らは義徳を死に誘おうとしている。理由も言葉通りだろう。しかし、ここに妖怪桜は存在しない。それなのに行動を起こすのか。

 

(もしかして、死ぬことが良いことだとか思ってるのか……?)

 

 西行法師は桜の木の下で死ぬことを望んだが、死そのものを良いものとは捉えていない。しかし、西行法師の後を追って死んだ彼らはどうか。死に対して恐怖や苦しみを感じるどころか、幸せだと言い切っている。きっと、死に誘う能力の本質はただ人を死に至らしめるのではなく、()に対する負の感情を正の感情に改変すること(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)なのだ。死が恐怖や苦しみを伴うのではなく、これ以上ない幸福や快楽を伴うものならば喜んで実行してしまうかもしれない。そうして西行妖は人間の精気を吸い取るのだ。

 

(死ぬことが幸せ? 救い? 気持ちいい?)

 

 しかし、義徳には断じて納得できなかった。彼にとって、死は辛くて悲しいことだ。死んだ者は辛い思いをして死ぬ。残された者達は嘆き悲しむ。それのどこに幸福や救済があるというのか。

 

(ふざけるな……! 死が良いことであって堪るか!)

 

 内から怒りが湧き上がる。人の死のあり方を捻じ曲げ、弄ぶ西行妖を許してはならない。憎むべき存在とも呼べる。

 

「うぅぅぅ、あぁぁぁぁぁぁぁ────!」

 

 憑りついた死霊を跳ね除けようと、今にも圧し潰れそうな喉から唸り声を絞り出す。喉が内側からボロボロに裂けそうな程の激痛が走る。どうにかなりそうだ。だが、それでも声を出すことを止めない。止めてしまうということは、負けを認めるようなものだ。だから、何が何でも止めることはしない。

 

「ガッ、ゲホッ……!」

 

 身体がフッと軽くなる。重力に逆えず地面に倒れ込んだ。何とか幽霊の支配を解放された。しかし、疲労と酸欠で上手く立ち上がることができない。

 

「義徳! 大丈夫!?」

「はい……ギリギリ」

 

 幽々子に無事を伝えて、笑顔で取り繕う。

 

「良かった、本当に……!」

 

 彼の笑う姿を見て、幽々子は心の底からの感情を吐露する。いつもなら何故この状況で笑っていられるのか、と問い詰めているだろう。しかし、彼が生きていて、笑顔でいるという事実が幽々子にとって何よりも嬉しかった。

 

「早く帰りましょう、もうこんな所にいても意味無いわ」

「そう、ですね……」

 

 幽々子の手を取り、義徳が立ち上がる。

 

「────いいえ、貴方にはここで死んでもらう」

 

 どこまでも冷酷で、それでいて透き通る声。この声の主は────。

 

「八雲、さん……!」

 

 彼女を見て、義徳は昨日の出来事を思い出した。今放った言葉からして、自身を殺しにやって来たのは確かだ。しかし、不可解なことがある。隣に幽々子がいる状況で何故やって来たのか。あれだけ幽々子に見られることを警戒していたというのに、ここまで大胆な行動を取る理由が分からなかった。

 

「紫、どういうこと? 義徳に死んでもらうって!」

「そのままの意味よ」

 

 紫の言葉の意味を理解できなかった幽々子が問い掛ける。

 

「八雲さん、分かってるんですか!? ここには幽々子さんがいるんですよ! なのにどうして!」

「そんなこと、今となっては最早どうでもいい。私は早急に貴方を殺さなければならない。これが最善で最良の選択────」

「紫、義徳を殺すなんて、そんなことは絶対にさせない。例え貴女でも、許さない。だから、理由を話して頂戴」

 

 幽々子が義徳の前に立ちはだかる。その眼差しは怒りに満ち溢れていた。今まで見たこともない表情だった。対する紫は冷徹な表情を崩す。親友の怒りを目の当たりにして面食らった。それから、少し間を置いて。

 

「……清和義徳。貴方が取るべき道は二つある。一つはここで私に殺されて楽になるか。もう一つは……真実を知って絶望するか。私は前者をおすすめするわ」

 

 相も変わらず、紫の言葉は無機質的である。まるで人の心を持たない────彼女はそもそも人間ではないのだが────機械を相手にしているようだった。しかし、だからと言って気圧されることはない。己の意思は曲げることもない。

 

「そんなの、決まってるじゃないですか。俺は真実を知りたい。絶望するかしないかは、その後です」

「……そう」

 

 すると、こちらを睨んでいる紫の表情が一瞬だけ揺らいだ。悲しむような、そんな表情だった。

 

「────結論から言うわ。貴方はもう、普通の人間として生きることはできない」

「……どういうことですか?」

「貴方は西行妖に魅せられた死霊に憑かれた。その際に聞いている筈よ。死に喜びや救いを見出す声を」

「どうして……!」

 

 何でそれを知っている? と言おうとしたタイミングで。

 

「何で西行妖が出てくるの? あの桜は冥界にあるのよ。おかしいわ」

「いいえ、それが全くおかしい話ではないの。何故ならここは、元々西行妖が存在した場所なのだから」

「え……?」

 

 紫の言葉に強い反応を示したのは幽々子だった。

 

「いいえ幽々子さん。八雲さんの言う通りです。ここには元々、西行妖があったんです」

「義徳までどうしちゃったのよ……私、何が何だか分からないわ」

 

 義徳まで何を言っているのだろうか。意味が分からなかった。自分だけが置いてけぼりの状況。しかし、今の幽々子にはこれ以上喋る気力が無かった。自分ではどうしようもないことを察してしまったからだ。

 

「話を戻すわ。通常、生者が死を理解することはあり得ない。しかし、例外がいる。義徳のように死者と繋がることを可能にする能力を持つ人間がそれに該当するわ。そして、そういう力を持つ者は────死の本質を理解してしまう。そうなった場合、周囲の人間を死に誘う。西行妖と同じになるのよ」

 

 紫の言葉を聞いて、義徳は今朝見た夢を想起した。

 人の命を吸う墨染の桜、西行妖。それと同様に人を死に誘う存在と化した生前の幽々子。ここで、彼女の能力が変化した理由を把握した。彼女は、生きた人間でありながら死を理解したのだ。先程の自身と同じく、西行妖によって死んだ死霊の声を聞いてしまったからだ。“死は救済”────それが、死の本質なのだ。

 

「────」

 

 紫の言葉を否定したかったが、声が出なかった。何故なら、それが嘘偽りの無い真実だと納得できてしまったから。自身が憎き西行妖と同じ存在になってしまうことを確信できてしまったから。何より、この世で最も忌み嫌う理不尽な死を撒き散らす存在と化すことを認識してしまったから。

 

「……やはり、こうなると思っていたわ。だから死ぬべきだったのよ。何も知らずにいた方が幸せだったでしょうに」

 

 紫は吐き捨てるように義徳に言葉を投げ掛けた。

 そうだ、確かに彼女の言う通りだった。こんなこと、知りたくなかった。知らなければどれだけ楽だったか。死んだ方がマシとさえ思える。しかし、今となってはもう遅い。全て、知ってしまったのだから。彼女の言葉に抵抗する気などまるで起きなかった。

 

「他に……他に道は無いの!?」

 

 幽々子が紫に問う。しかし、普段の爛漫さは鳴りを潜め、非常に弱々しい雰囲気だった。

 

「第三の道は無いわ。もしもそのような道があったなら、今こういう状況にはなってないの」

「そんなの、そんなのって!」

「残念だけど、これが真実なの。幽々子も薄々理解していたでしょう? 死に魅入られた人間は碌な結末を迎えないって」

「でも!」

 

 幽々子もまた、義徳がいつかこうなってしまうことは理解できていた。死と密接に関わることは良い事ではないと。そうだとしても彼から離れたくなかったし、傍にいたいと思った。その想いが、今このような惨状を引き起こした。

 

「……とりあえず、貴方達は家に帰すわ。そんな状態では家に帰ることなんてできないでしょう」

 

 これはきっと、配慮だろう。紫なりに二人に気を遣っているのだ。彼女としてもこの状況は不本意なのだろう。その気持ちを察したところで、最早どうにもならない。真実を知った二人の心は、諦観と絶望に覆われていた。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 紫の力によって義徳と幽々子は自宅へ帰還した。重苦しい空気が二人を覆っていた。

 

「……義徳。貴方、これからどうするの?」

「ははは、どうなんでしょうかね」

「何で笑っていられるの? 一番辛いのは義徳なのに……」

「いやぁ、あそこまで言われるといっそ清々しいなって」

 

 あれだけのことがあったのだ、前向きでいることなどできなかった。この微笑みは、苦し紛れの微笑みだ。

 

「ごめんなさい。私が、桜を見たいだなんて言ったばかりに。あの場所に行かなければ、貴方はこんなことにならなかったのに……」

「いえ、幽々子さんは悪くないです。俺が、こんな能力を持ってた所為でこうなったんです。全部、全部、俺が悪いんです」

 

 この能力が無ければ、幽々子がこの世界やって来ることも、西行妖の真実に辿り着くことも、人を死に誘う存在になることもなかった。彼女はただ巻き込まれただけの被害者である。こんな事態に巻き込んだのは他の誰でもない自分自身だ。

 

「……すいません。少し、一人にしてくれませんか?」

「……ええ、私も」

 

 偶然にも幽々子と同じことを考えていたようだ。ならばと思って二階にある自室に逃げるようにして入る。

 

「……これから、どうすればいいんだ?」

 

 布団に寝転がって考え込む。自分はもう普通の人間として生きることはできない。近い内に人を死に誘う存在になるからだ。その時が来てしまった場合、自分は。

 

「────それなら、私がアドバイスしてあげましょうか?」

「八雲さん! まさか俺を殺しに……!」

「全てを知った貴方を殺しても手遅れ。貴方の最期は貴方次第よ」

「やっぱり俺が死ぬ前提なんですね……」

「仕方ないでしょう。解決方法がそれしか無いんだから」

「そう、ですか……」

「殺してほしいなら殺してあげるけど」

「……」

 

 いきなりやって来て我が物顔で振る舞う紫に少しの苛立ちを覚えた。しかし、彼女の言葉を否定できるだけの力は今の義徳には残っていなかった。

 

「────清和義徳。貴方は己の為すべきことを為しなさい。心の内に秘める望みを叶えるために最善で最良の選択を導き出しなさい。この先の道を決めることくらいならできる筈よ。まだ、貴方は生きているのだから」

「っ!」

 

 その言葉を聞いて目を見開く。そうだ、まだ全てが終わった訳ではない。暗闇で覆われていて見えない状態ではあるが、その先に道が無い訳ではない。見えないのなら、切り開けばいい。進むべき道を、自らの手で。

 

「……まさか、八雲さんに感謝する時が来るとは思いませんでした」

「何よその言い方。これでも私、貴方のことを何度も助けたつもりなのだけど。感謝されるのは当然のことでしょう」

「心底不服ですけど、そうですね」

「ホント、貴方って嫌な奴ね」

「八雲さんに言われたくないです」

 

 それぞれ嫌味を言い合う。正直のところ嫌いだと信じて疑っていなかったが、心の底では何だかんだ信頼していたらしい。それが可笑しくて、二人は互いに見えないようにフッと微笑む。

 

「……八雲さん、本当にありがとうございます。少しは落ち着きました。後は俺が本当にやるべきことを見つけるだけですね。後悔しないように」

「精々頑張りなさい、一応期待はしておくわ」

「えぇ、期待してて下さい。最善で最良の選択、考えてみせます」

 

 僅か、ほんの僅かだが気力が湧いてきた。予想外の人物によって助けられる形にはなったが、今はそれがありがたかった。

 今のままでは未来は無い。自身が本当にやるべきことは何なのか。それさえ分かれば────義徳は今までの記憶を辿り、自身の気持ちを整理するのだった。




 自分でもビビるくらい超展開になりました。本来のプロットとかけ離れすぎて自分でも驚いてます。キャラが勝手に動いていくのを制御できない……
 この話では西行妖や死に誘う程度の能力の解釈が非常に難解になってしまって凄く苦労しました。一応自分で納得できるように極力分かりやすく書いたつもりなのですが、それでもしっかり伝わっているかどうか非常に不安です。この小説では、西行妖や死に誘う能力は食虫植物と同じように甘いもので対象を釣って死ぬように誘導する能力なんじゃないかと解釈しています。多少に違いはありますが。
 次回はいよいよ最終回となります。投稿ペースが遅すぎてここまで来るのに一年かかってしまいましたが、しっかりと完結できるように頑張って書こうと思います。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。


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最終話第一部 幽雅に咲かせ、血染の桜

ここから最終話です。アホ程長くなったので三分割で投稿します。


 西行妖は今日も狂い咲く。そして、少女は独り、その木の下に立つ。

 周囲は霊に満ち溢れていた。彼らは少女に願いを語る。立派な桜の下で眠ることは幸せだと。その願いを持つ者達が増えると、墨染の桜はより見事に咲き誇る。春を迎えるたび、その願いを叶えるのだ。

 しかし、それは歪んだ願いだ。呪いとも呼べる。“死は悲しくて辛いもの”であるという人の死の在り方を捻じ曲げ、“死は救済”という本質を植え付ける。人は本来、死を恐れるものだ。しかし、西行妖に魅入られた者は自ら死を望む。そこに恐れなど無い。

 そんな考えを抱く少女もまた、西行妖に魅了された人間の一人だ。既に数え切れない程の人を死に誘ってしまった。その死を見る度に死の本質を突き付けられた。喜びながら死ぬ数多の人間を前にして、少女の心は摩耗していった。死に誘う力が、そしてその力を持つ自分自身が、何よりも怖かった。死は絶対的なものである。何者もその理には抗うことはできない。

 命に優しくありたかった。死者の声を聞き、人の死を察知できる自分だからこそ、生きとし生ける者に優しくありたかった。しかし、今となってはもう遅い。過ちを犯す度、罪の意識が重く圧し掛かる。人の命を糧として生きる自身と西行妖の存在が忌々しくなる。心は矛盾に浸食され、崩壊していく。不治の病のように、自らを蝕む。

 そんな少女の心が晴れることはない。生きていても誰かを死に誘うだけだ。こんな生き方をしていても希望はない。生きたいと願うことは許されない。どれだけ贖ったところで罪は消えない。もう、後戻りはできない。

 そして、彼女は今その命を自らの手で絶つ。この災禍を終わらせるために。その心に恐怖は一切無い。

 

「ガッ……!」

 

 腹部を刃で貫く。瞬間、内臓から鮮血が迸る。刺し込まれた刃はどこまでも冷酷に、無慈悲に、残酷に、その痛みを伝える。身を焦がす程の苦痛に、身体が悲鳴を上げる。しかし、逃げてはならない。この痛みは多くの人を死に誘った自身への罰だ。罪を贖うためにはこうする他に無い。それに、心の苦痛を思えば肉体の苦痛など取るに足りない。これでいい。これが、最善で最良の選択。

 

「桜……綺麗……」

 

 少女は最も美しい桜の下でこの命を終えることに喜びを感じていた。死に誘う力。耐え難い悩みと苦痛、絶望に蝕まれた心。最早、今の彼女は普通の人間ではなかった。しかし、もうすぐそれら全てから解放される。故に、少女は自らの死を望む。心の底から笑みを浮かべながら。

 

「ふふ……」

 

 “死は救済”というのは、どうやら間違っていないらしい。こんな綺麗な桜の下でこの生を終えられるならば、この命も報われたというものだ。少女が最後に死に誘うのは、他ならぬ少女自身である。

 

「仏には 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」

 

 最愛の父が遺した歌を詠い、ゆっくりと目を瞑る。少女が最期に視たのは、幽雅に咲き誇る満開の墨染の桜だった────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「そうか、そういうことだったのか……!」

 

 ────目が覚めた。同時に、理解した。

 生前の幽々子と、西行妖。これらが示していた答えを、義徳は見つけた。

 西行妖。それはあらゆる人を魅了する桜。人の命を吸うことで誕生する桜。人を死に誘う桜。そして────幽々子自身の命で封印した桜。ならば、亡霊の幽々子がそれを見ることは決して叶わない。亡霊の最大の弱点は自分の死体である。その封印を解くことは西行妖の開花を意味すると共に、彼女の消滅を意味する。開花したところで永過ぎる時の流れによって死に至る。やはり、幽々子の望みは決して叶わないものなのだ。

 しかし、例外はある。ここには生前の幽々子と同じように生きた人間でありながら死に魅了され、死に誘う唯一の存在がいる。だからこそできることがある。

 

「そうだ、俺は……!」

 

 為すべきことは決まった。あとはそれを為すのみ。

 義徳は急いで階段を降り、リビングに移動する。幽々子とあの場所に行けば、全てを終わらせることができる。

 

「幽々子さん!」

 

 義徳はその名を呼ぶが、返事は無い。いつものように「おはよう」と返してくれる少女はそこにいなかった。代わりに、テーブルに紙が置いてあることに気づいた。

 

『暫く一人でいたい』

 

 間違いなく幽々子だ。自分以外にこの家にいるのは彼女だけだ。理論上で言えば紫の可能性もあるが、わざわざこんなことをする意味が無い。

 

「何でこんなこと……」

 

 彼女の突然の家出に疑問を覚える。このままではいけないと、義徳は最低限の準備をして外へ出るのだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 外は幾千もの桜の花弁が舞い散っていた。遂に満開となった桜達の宴、と言うべきか。その中を義徳は走り抜ける。このまま彼女と分かり合えないまま別れるなんてできない。

 義徳は幽々子がどこにいるか分かっていた。彼女の霊気を追わずとも、理解できていた。まるで運命に導かれるように、一心不乱にその場所へ向かう。

 そうして辿り着いたのは、あの春雪の日、幽々子と最初に出会った公園。二人にとっての始まりの場所。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 朝起きてすぐに全速力で走るのは義徳の身体に大きい負担をもたらした。全身が熱い。疲れた。しかし、ここで止まる訳にはいかないと自分を言い聞かせ、顔を上げる。その先に彼女はいた。

 幽々子は悲しげな表情で満開の桜を見上げている。やはり、普通の桜では満足できないのだろう。自身の望みは叶わないと絶望しているのだろう。それは義徳にとって何よりも辛いことだった。

 

「やっぱり、ここにいたんですね」

「義徳? 何で来たの……?」

 

 幽々子は彼から目を逸らす。

 

「何でって、探しに来たからに決まってるじゃないですか」

「もう少し一人でいたかったのに……もう」

 

 口では否定する幽々子だが、笑みを浮かべていた。肯定はされなくても、義徳はその言葉の裏にある真意を察していた。彼女は、彼がこの公園に来ることを確信していたのだ。

 

「ねえ義徳。桜、満開になったわね」

「そうですね。ここまで長いようで短かった気がします」

「けれど、色々あったわね」

「はい。本当に、色々ありました」

 

 思い返せば、幽々子と初めて会ってから一週間と少ししか経っていない。なのに、ここまで辿り着くまでに多くの出来事が起こった。ある時は彼女の健啖ぶりに戦慄し、ある時は幻想郷に帰る手段を模索し、ある時は彼女の求める理想の桜を探した。他にも若葉と共に幽々子の服を買ったり、共に亡くなった父と姉の墓参りに行ったり、東京に行って遊園地でデートをしたり。つい先程のことのように思い出せる。

 

「そして、そのどれもが楽しかった。幽々子さんとの生活全てが、俺にとっては眩しい太陽のようでした」

「私も同じよ。私達、やっぱり相性が良いのかしらね」

「当然、最高だと思いますよ」

 

 両者ともそれを信じて疑わない。生者と死者という相反する存在でありながら、通じ合うことができたのだから。

 

「だからこそ、幽々子さんに伝えたいことがあります」

 

 今まで必死に隠して否定してきたが、今更抑える必要など無い。強い想いで繋がっているからこそ、伝えなくてはならない。胸に秘めるありったけの気持ちを────。

 

「俺は────幽々子さんが好きです」

「え……?」

「その綺麗な顔、桜色の髪、天真爛漫で、優しくて、包容力があって、儚げで、桜が好きで、大食いで……その他も全部、全部好きです。大好きです」

「え……え? 義徳?」

 

 突然の告白に困惑する幽々子。しかし、義徳は構わずに言葉を紡ぐ。

 

「そんな幽々子さんと、俺は死ぬまで(・・・・)一緒にいたい」

「そ、そんな、いきなり────」

 

 頬を赤らめる幽々子。いつも余裕の表情を見せる彼女にしては珍しい反応だった。そういう一面も愛おしい。

 義徳は幽々子の顎に指を添え、そのまま引き寄せる。勢いに任せて唇を重ねた。時間にして僅か数秒、しかし永遠にも感じられた。それは偏に彼女を愛しているからだ。義徳にとって絶対にして唯一の理由だ。

 

「……どうです。これが俺の答えです」

 

 こうして幽々子と触れ合いたい。たとえ短い時間でもいい。普通の人間であるうちにそれをできたことが義徳は嬉しかった。

 

「やっと……やっと、伝えてくれたわね。貴方の想い」

「っ……!」

 

 羞恥に駆られる義徳に、幽々子が抱き着いた。

 

「私も貴方が好き。その鮮やかで綺麗な紅い瞳、人の死を自分のことのように悲しめる優しさ、危なっかしくて放っておけないところ、私のために全力で動く姿……全部、全部大好き」

「幽々子さん……!」

 

 気づいていながらも、今まで向き合おうとしなかったもの。改めて聴く幽々子の想いは、自分を肯定してくれるようで喜ばしいことだった。

 

「死者である私が、まさか人間に恋をするなんてね」

「それを言うなら俺もです。生きた人間が、亡霊の女の子に恋してるなんておかしい話ですよ」

 

 生と死。決して相容れない存在。それでも惹かれたのは────運命に他ならない。

 

「だから、俺と一緒に理想の桜を探しましょう。貴女の望みが決して叶わないものじゃないって、証明してみせます」

「ありがとう。でも、受け取るのはその気持ちだけにしておくわ」

「は……?」

 

 義徳は困惑した。いや、呆れたと言った方がこの場合は正しい。目の前の亡霊はいきなり何を言っているのだろうか。ここまで言わせておいて、今更この気持ちを否定するつもりか。

 

「義徳はもう普通じゃいられない。だから、その時(・・・)が来るまで私は大好きな貴方と共にいる。桜は────もういいの」

「どうしてですか?」

「一人であれこれ考えたけれど、やっぱり私が悪いもの。貴方を散々振り回して、得た結果が人を死に誘うだなんて……だったら、私が責任を取らなくちゃいけないわ」

「成る程……」

 

 幽々子の言葉は、義徳の逆鱗に触れるには十分過ぎた。感情が爆発する。抑えられない。頭に来た。自分は幽々子のために命を投げ出す覚悟で来てるというのに────。

 

「────そんな馬鹿なこと、言わないで下さい!」

「え?」

「馬鹿なこと言わないで下さいって言ったんです! 何がもういい、ですか! 人を散々振り回しておいて、探し物を頼んでおいて、もういいだなんて虫が良過ぎますよ!」

 

 良く言えば天真爛漫、悪く言えば傍若無人な彼女の振る舞い。それについて一度はこうして怒らなければならないと義徳は常々考えていた。散々こちらの都合を無視しておいて、この土壇場で自分の純粋な想いを否定されたのだ。頭に血が上るのも仕方が無いことである。今まで頑張って耐えてきたと自分を褒めてやりたい気分だった。

 

「……確かに幽々子さんからしてみれば、俺は頼りないかもしれません。でも、それでも俺を頼って下さい! 俺に貴女の求める桜を見つけさせて下さい! ここで後悔したくないなら、俺と一緒についてきて下さい! 俺のこと、必要だって言って下さい!」

 

 義徳は感情に任せて捲し立てる。幽々子は心からそれを望んでいる癖に。責任とかいうつまらない理由で否定させるものかと立て続けに叱咤する。

 

「だから、もういいとか絶対に言わないで下さい。次言ったら何があっても許しませんから」

 

 義徳が人生でこれ程の怒りを露にしたのは初めてだった。きっと最初で最後だろう。これ以上反論されたら彼女を許せそうになかった。

 

「……ごめんなさい。そして、ありがとう。私には義徳が必要だわ。貴方と一緒なら、何だってできる気がするの」

「その言葉、待ってました」

 

 幽々子が望むのなら何であろうとやってみせる。義徳はそのつもりで彼女の前に立っている。

 暖かい春風が頬を撫でる。咲き乱れる満開の桜が激励してくれている気がした。

 

「じゃあ、行きますよ」

 

 これで全ての準備は整った。漸く幽々子の絶対に叶わない望みを叶えることができる。この方法ならば、間違いない────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「ここはあの時の廃神社、よね?」

 

 幽々子の疑問は一理ある。以前、この廃神社にはどこかにある博麗神社を探すために訪れた。その際に桜を見た。それが幽々子の望むものでないことを知っている。

 しかし、義徳にとってこの場所以外考えられない。絶望の中必死に悩み、苦しみ、考えた結果、辿り着いたのはここだった。

 

「はい。ここでいいんです。ここには、幽々子さんの探していたものがあります。俺、見つけたんですよ」

「どういう、こと?」

「ここに貴女の求める桜があるんです」

 

 咲き乱れる満開の桜の中に、たった一つ存在する朽ちた桜。一切の花を付けず、今にも崩れ落ちそうな巨木。とうの昔の枯れた神木。もう、生き返ることのない死んだ桜。

 しかし、今この時だけは。例え禁忌を犯そうとも、為さねばならないことがある。

 

「────仏には 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」

 

 詠う。彼の歌聖にして幽々子の父、西行の歌を。死ぬ時は桜の花を供えてくれればいい。そうして誰かが弔ってくれるならば、少しは救われるというものだ。

 

「幽々子さん、一分だけ目を瞑ってて下さい」

「え、ええ……」

 

 幽々子に目を瞑らせ、手で覆わせる。こんなことをさせる必要は無い。ここでも問題無く遂行できるにも関わらず、彼女にこんなことをさせる自分は卑怯だ。ここに来て少し覚悟が鈍ってしまった。やはり、その時が近づくのは怖くて、彼女に醜い姿を見せるのは恥ずかしい。でも、自分はこの道を選んだ。だったら、走り切るしかない。

 義徳は朽ちた桜へ向かう。そして、幽々子からは見えない位置で止まり、懐から包丁を取り出す。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 その先端を自身の腹に突き付ける。手がガタガタと震える。ここまで来て、まだ少しの躊躇いが残っていた。どうやら、自分はまだ普通の人間らしい。死を恐れている。自身の明日や未来を己の手で潰すことに恐怖を感じている。

 

「恐れるな……!」

 

 必死に言い聞かせる。ここでやらなければ、今までの覚悟はどうなる。幽々子の意思を無下にしてどうする。未練がましく生き残ったところ待っている未来は死だ。誰も幸せにはならない。それどころか最悪の不幸をもたらすことになる。考えてみろ。今できる後悔しない選択を。最善で最良の選択を。もう分かっていることだろう。

 もうすぐ一分。幽々子が目を開ける。それまでに事を為さなば意味が無い。

 

「そうだ、たった一つ……俺にしかできないことがあるだろ!」

 

 幽々子に望む桜を見せること。自身が人を死に誘わないようにすること。その二つを同時に解決できる選択。改めて自分に問う。

 ────既に答えは得ている。ならば、それ以外の命の意味は不要。ここで、為すべきことを為す。

 

「────グッ!」

 

 葛藤を乗り越え、自らの腹部にその刃を突き立てる。これこそ、義徳にのみ為せる業。自らの命を捧げることで死んだ桜を咲かせる禁忌の呪法。嘗て人を死に誘ったあの少女がそうしたように、義徳も桜の下で死ぬことを選んだのだ。明確に違うのは、少女は桜を二度と咲かせないために自刃したのに対し、義徳は桜を再び咲かせるために自刃したことだ。

 弘川寺での一件と、生前の幽々子の夢。この二つが無ければこの方法を見つけることはできなかった。そして、紫の言葉が無ければ実行する覚悟ができなかった。どれか一つでも欠けていたならばこの道に至ることはなかった。

 

「アッ、アァ……!」

 

 苦痛が全身を蝕む。想像を絶する程の激しく鋭い痛み。これは死に直結するものだと考えることすらなく本能で理解できた。最悪の気分だ。

 腹部からは鮮血が溢れ出る。徐々に冷たくなっていく身体に反して、その痛みと血は温かい。これが生の温もりなのだと義徳は改めて実感した。

 痛い。苦しい。辛い。怖い。全身を串刺しにされた気分だった。これを堪えようだなんて頭がおかしいとしか思えない。しかし、それでも逃げてはならない。自身は幽々子の望みを叶えるための最後のピースだ。彼女に足りなかったのは死に魅入られた命である。それさえあれば、桜を蘇らせることも封印することも訳ないことだ。自身はそのための生け贄だ。そう思えば、こんな苦痛は屁でもない。

 上を見上げる。自らの血、苦痛、そして命を啜り、枯れた巨木は瑞々しく蘇る。やっと辿り着いた。これこそが、求めて止まなかった究極の真実。幽々子の望みそのもの。

 

「やっと、これで……!」

 

 やはり、この判断は間違いではなかった。これが、清和義徳が選んだ道。彼にとっての最善で最良の選択。その命を自らの手で絶つ。そうすることで幽々子を冥界に帰すと同時に、望みを叶えることができる。

 徐々に桜が花を付ける。それは薄紅ではなく、赤く、紅く、朱く、緋く、赫い血染の花。脈打つように花は咲く。妖しく幽雅に咲き誇る────。




 やはりという感じですが、文字数が多くなったので分割しました。細かい後書きは三部で書きます。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。


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最終話第二部 生と死の境界(ボーダーオブライフ)

「義徳……?」

 

 自身の名を呼ぶ声が聞こえる。幽々子の声だ。

 

「やっぱり、この道を行くのね。分かっていたわ、貴方ならこうするって」

 

 幽々子から発せられた言葉は糾弾ではなかった。全てを包み込むような優しい声で彼を受け入れる。本当は驚きや怒りを露にしたいだろうに。それでも、彼女はグッと涙を堪えている。微笑んでこちらを見つめている。義徳の見るも無惨な姿については一つも言及することをせずに。きっと、これは彼女なりの覚悟なのだろう。

 

「言いたいことは色々あるけれど、私は受け入れる。貴方と共にどこまでも行くわ」

「ありがとう、ございます……」

 

 幽々子が隣にいてくれるのなら、これ程嬉しいことはない。義徳は苦痛に抗って、笑顔で感謝を告げる。

 

「どうして私から隠れたの?」

「だって、こんな姿、大好きな女の子に見られたくないじゃないですか。ここまで来て、覚悟できてないなんて、恥ずかしいじゃないですか……」

 

 最愛の人に血塗れの醜い姿など見せられる筈がない。見てもらうなら何の異常も無い万全な姿が良かった。こうなってしまっては最早無意味だが。

 

「でも、全てを解決するためには……この方法しか、無いから……」

 

 思ったように声が出ない。懸命に絶え絶えの呼吸を整える。そして、ゆっくりと、噛み締めるように喋る。

 

「死ぬのは怖いですけど、これが、俺にとって最善で、最良の選択、だから……」

「ええ、分かってる。分かってるわ……」

 

 幽々子は義徳の言葉を否定せず、隣で話を聞いてくれる。寄り添ってくれるのが嬉しかった。

 

「幽々子さん。俺、貴女の望み、叶えましたよ……」

 

 義徳は空を指差す。その先には、幽雅に咲き誇る血染の桜があった。幽々子が求めて止まなかった桜。本来であれば未来永劫咲くことのなかった桜。生と死の境界に立つ者によって蘇った禁忌の桜。究極の真実。

 

「……やっと、見つけることができた……」

 

 幽々子はそれ以上何も語らず、しかしその表情は感動に溢れていた。言葉を紡ぐことはなくても、彼女の想いは伝わった。

 桜を見上げる幽々子の姿は眩しかった。鮮やかで、彩りで満ちていた。それはこの世のどんなものよりも美しいと────心の底からそう思った。輝くような表情が見るために桜を咲かせたかったのだと────改めて理解した。

 

「どう、ですか……?」

「これが私の、理想の桜。貴方が見つけてくれた……究極の桜。本当にありがとう、義徳」

「それが聴けて、良かったです……」

 

 なればこそ、この命に意味はあった。幽々子の言の葉と満面の笑顔が何よりの証明だ。義徳は彼女の願いに応えられたことに安心した。

 

「……幸せだなぁ。こんな綺麗な桜の下で……しかも、幽々子さんの腕の中で死ねるなんて……」

 

 幽々子がいることも気にせず、敬語を使うことも忘れて独り言ちる。緊張が解けて、奥底に秘められた想いが零れた。

 

「……本当に、俺は恵まれてる」

 

 認めるのは癪だが、“死は救済”というのも強ち間違いではないらしい。幽雅に咲く桜の下、最愛の人に看取られて死ねるのならこれ以上の救いは無い。死の間際でありながら、義徳の心は安らかだった。

 

「でも、母さんを一人きりにするのは駄目だな……親が悲しむから、死ぬ訳にはいかないって言ったのに……これじゃあ、最悪の親不孝者だ……」

 

 母親は今生きている、義徳のたった一人の肉親である。しかし、それも今日までの話だ。自身の死によって彼女は天涯孤独の身となる。幾つかある死ねない理由の中でも最も大事な理由だが、残念ながらそれを全うすることはできなかった。

 

「それに、若葉と約束、したのにな……色々聞かせてくれって……死んだって言ったら、あいつ絶対怒るよな……」

 

 親友との約束も破ってしまった。義徳はもうこの世に留まることはできない。故に、彼女と話すことは二度と無い。

 

「俺、地獄行きかな……閻魔様に怒られるだろうな、あはは……」

 

 義徳は以前幽々子と閻魔について話をしたことを思い出した。あの時はほんの冗談のつもりだったが、まさかこんなに早く世話になる時が来るとは思わなかった。それがおかしくて、思わず笑ってしまった。

 義徳は大切な者の意思を無視してここにいる。自分に生きていて欲しいという願いを切り捨てて死を選んだ。それを閻魔が許してくれるとは到底思えない。

 

「まだ分からないわ。閻魔様、意外と優しいから」

「俺からしたら、凄く怖いですけどね。だって、判決次第で、死んだ後も幽々子さんと一緒にいられるかどうか決まるんですから……」

「義徳……!」

「あ……そうだ、幽々子さん。白玉楼の専属料理人の話、あれ、受けることにしました……」

「もう、こんな時に何言ってるのよ……」

 

 彼女の住む白玉楼に行くためには死者であることが必須条件だ。誘われた時は無理難題だと思ったが、すぐに死ぬのだからそれは不可能ではなく──閻魔の判決次第だが──十分に実現できる。そんな義徳の急な発言があまりにも場違いでおかしいと思ったのか、幽々子はフッと微笑んだ。

 

「でも、嬉しいわ。ありがとう」

 

 幽々子は喜んでくれたようだ。なら良かった。死後に行きつく場所が冥界ならば、永遠に過ごせる。彼女と共にいることが、義徳の何よりの望みなのだから。

 

「はい、だから、安心して、下さい。何があっても、幽々子さんに、会いに行くって……約束します」

「信じてもいいのね、その言葉」

「たとえ肉体が、無くなっても……魂だけになったと、しても……必ず会えますよ」

 

 根拠は無い。しかし、絶対の自信はあった。幽々子が信じてくれるなら、何の躊躇いも無く、清和義徳はあの世に行くことができる。

 

「────ガッ、ゲホッ……!」

 

 吐血。義徳の口から溢れんばかりの鮮血が飛び散る。服が頭上の桜と同じように赤く、紅く、朱く、緋く、赫く彩られる。それは血染の死装束のようだった。着実にその準備が整えられていることを実感する。

 

「義徳! 大丈夫!?」

「大丈夫です。まだ、生きてます……!」

 

 幽々子は口を大きく開けて必死に叫ぶ。そして、義徳の右手を両手で握り締めた。しかし、義徳は既に彼女の亡霊特有の冷め切った肌の感覚を感じることができなかった。あの心地良い冷たさはもう無かった。

 それでもと、気丈に振る舞ってみせる。まだ、命という灯火を消す訳にはいかない。幽々子に全てを伝えるまで、何としても生きる。この命を捧げるのはそれが終わってからだ。

 しかし、確実に鼓動は弱まっている。動いているかどうかも怪しい程微弱。きっと、これが最後────確信へと至る。

 機能停止しつつある思考を回転させる。残る全ての力を振り絞る。そうして、この想いを届ける。それが今の清和義徳に許された、たった一つの行為である。

 

「幽々子さんは、俺の、生きた、証として、俺を待ってて、くだ、さい……」

「ええ、貴方という人間がいたことは忘れない。この胸に刻むわ」

 

 幽々子は今にも泣きだしそうだった。自らの死が確実に近づいていることを嘆いているのだと義徳はすぐに理解した。一つ、また一つ、彼女の眼から雫が零れ落ちる。それらは義徳の顔に当たる。しかし、彼にはそれがどんな感覚か分からなかった。

 

「あと、笑顔でいて、下さい。泣いてるのは、似合ってないです……幽々子さんには、笑顔が一番です……」

「本当に、無茶苦茶なこと言うわね……」

 

 幽々子から皮肉が返ってくる。しかし、その顔は笑顔だった。どんな形であれ、彼女が笑ってくれるならそれで良い。それだけで、心は晴れる。

 

「……最期に。幽々子さん、貴女を、死んでも、愛してます」

 

 散り散りになっていく意識。燃え尽きようとする命。その最中にありながら、義徳の心は安堵に満ち溢れていた。後悔は無い。それどころか、幸せですらある。他の誰かを一人も殺すことなく、幽々子の望みを最高の形で叶えることができた。この世で最も尊い存在を守ることに成功したのだ。

 

「ははは、これ、で……」

 

 やはり、この道を選んだことは決して間違いなんかではなかった。生前の彼女もこうして安らかに死んでいったのだと思うと、嬉しかった。愛する人と同じように死ねるのだから────。

 

「ぜん、ぶ……」

 

 ────最愛の少女に想いを伝え、ゆっくりと目を瞑る。最期に視たのは、幽雅に咲き誇る満開の血染の桜と、涙目になりながらも笑顔を絶やさない西行寺幽々子の姿だった────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「義徳……?」

 

 幽々子は目を閉じた青年の名前を呼ぶ。しかし、返事は無い。

 

「義徳! 義徳!」

 

 再び彼の名を呼んでも、言葉が返ってくることは一切無い。寝てないで起きて欲しい。そしてまた自身の名を呼んで欲しい。いつものように優しく「幽々子さん」と。ただ、その一言だけでいい。

 

「お願いだから何か言ってよ! ねぇ!」

 

 渾身の力で叫んでも、義徳はピクリとも動かない。その穏やかな表情を崩さない。それでいて、もうやり残したことは無いと、満足したように笑みを浮かべている。

 

「うぅ……こんな……こんなことって……」

 

 いずれこの時がやって来ると覚悟はしていたが、いざ直面するとその絶望は計り知れない。

 両の手で握り締める彼の右手は生ぬるい。そこに生者の温もりは無かった。彼が物言わぬ存在となってしまったことの何よりの証明だ。

 彼女の望みを叶えた青年の魂は、現世を旅立った。もう、この世にはいない。目の前には、空っぽになった彼の亡骸があるだけだ。

 

「義徳、私には無理よ。笑顔でいるなんて……」

 

 幽々子は首を横に振る。大切な存在を失っても尚笑顔でいることなどできない。いくら義徳の頼みと言えど無理な話だ。最早、我慢の限界だった。今まで必死に抑えていた涙が雨のように溢れ出る。

 

「────彼は為すべきことを為した。笑顔でいろと言った。今貴女がすべきことは泣くことではない筈よ」

 

 悲しみに暮れる幽々子の隣に、彼女────八雲紫は現れた。そして、呟く。その言葉は鋭く、しかし温かみを帯びていた。紫なりの気遣いだろう。

 

「紫……」

「綺麗ね、桜」

 

 次は感嘆の声だった。春の息吹に満ち満ちたこの空間で、完全なる血染の桜は見事に咲き誇っている。紫もまたこの桜に魅了されたのだと、表情を見なくても理解できた。

 

「こうして、幽々子とこの桜を見ることができて嬉しいわ」

「私の愛する人が命と引き換えに咲かせたのよ。当たり前でしょう?」

「ええ、そうね。人を死に誘う墨染の桜なんかより、この血染の桜の方が何千倍も良い」

「その通りね」

 

 死の象徴である冷たい黒桜と、生の象徴である暖かい紅桜。比べたらどちらが良いかは明白であった。それについては幽々子は勿論のこと、隣にいる紫も同じ想いだろう。

 

「紫、その……全部見てたの?」

「ええ。私は清和義徳の行動を後押しした。だから、その最期を見届ける責任があった」

「そう……」

 

 普段なら許可無しで見ていたことに怒っていただろう。しかし、今の幽々子にそんな気力は無い。紫が来たことで少しは落ち着いたが、それでもまだ前向きにはなれない。

 

「紫、ありがとう。義徳を信じてくれて」

「いいえ、私はただ幽々子が信じた義徳を信じただけよ」

 

 その後で「だから、私自身が彼を信じた訳ではないの」と付け加える。紫らしい冷めた言い方だ。しかし、彼女の表情は晴れやかだった。つい先日まで義徳に対して殺意を剥き出しにしていたとは思えない。口では否定的な発言をしつつも、しっかりと彼を認めているのが分かった。

 

「それでもよ。今こうしてこの桜を見られているのは、紫が義徳を殺さなかったお陰だから」

「……清和義徳は早々に始末するべきだった。人を死に誘う存在になることだけは何としても避けたかった。それでも殺さなかったのは、義徳が覚悟を決めて為すべきことを為したから。まあ、彼は良くやったわ」

「義徳のこと、ちゃんと信じてるじゃない」

「勘違いしないで。私は貴女のためを思ってそうしたのよ。決して彼のためではないわ」

「そういうことにしておくわ」

 

 紫はあくまでも義徳を信じないという態度を貫くようだ。つくづく素直ではない。秩序を優先する紫にとって、感情を優先する義徳とは気が合わないことは今までの会話で分かる。それでも尚彼を助けてくれたのだから、感謝する他に無い。

 

「────紫。貴女は最高の親友よ」

「何を今更。ずっと昔からでしょう?」

「ええ、そしてこれからも私達の友情は変わらないわ」

 

 噓偽りの無い言葉である。長い時を経ても変わらず親友でいてくれる妖怪の大賢者に心からの想いを贈る。紫は晴れやかな表情を崩さずに応えてみせた。

 真紅の花吹雪の中、二人は義徳が遺した血染の桜を見上げる。彼の命を以って解き放たれた望みは、彼女らの心を歓びで満たす。

 

(待ってるわよ、義徳)

 

 そして、幽々子は桜の下で横たわる義徳の亡骸に向かって微笑む。この表情と光景が彼への手向けになることを願って。いつか再び逢えることを信じて────。




 第二部でした。次でいよいよ完結です。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。


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最終話第三部 死して全て大団円

ついに本編完結です。


「黒。次の方」

 

 閻魔────四季映姫・ヤマザナドゥは淡々と告げた。幽霊の判決を簡潔に述べ、次に移る。

 前に出てきた幽霊を浄玻璃の鏡で照らす。この鏡で死者の生前を見ることにより、閻魔は公正な裁判ができる。

 

「……!」

 

 眼前の幽霊の生前を見た映姫は目を見開く。通常ではあり得ないものを見たからだ。

 ────生者でありながら死霊との意思疎通を可能にする人間の青年。何の因果か外の世界へやって来た西行寺幽々子に出逢い、共に生活をした。彼女と愛を育みながらも、最終的には分かたれる結末を迎えた。彼は自らの能力を疎まく思い、既にその役目を終えた桜を蘇らせるために自決したのだ。それは、彼が最も忌み嫌う理不尽な死を阻止し、相思相愛の女性の望みを叶えたいと思ったが故の行動だった。

 彼は生者であるにも関わらず死者に寄り添い、結果的に死に囚われた。生来の真面目さと優しさによって心に深い傷を負い、その在り方を歪んだものにしてしまった。

 

「……黒。貴方の罪は重い」

 

 迷う理由は無かった。全てにおいて彼が悪いという訳ではないが、間違いなく普通の人間の在り方ではない。故に黒の判決を下す。

 

「たとえ植物であろうと、死んだ存在を蘇らせるという行為は大罪です。何があっても許されることではありません」

 

 彼が死に際に行ったのは反魂の術。死者の魂を復活させる大禁呪。対象が意思を持たない桜であろうと、死んだ存在を蘇らせたことに変わりはない。それは世界の理に真っ向から反する行為だ。結果だけを見れば悪影響は何一つ無かったが、それでも許してはいけない。悪行を為した存在は悪と判断せざるを得ないのだ。

 

「それに、貴方は唯一の肉親や親友、何より愛する女性の“生きて欲しい”という願いを無視して自ら死を選びました。確かに、その決断によって数多くの命が救われたでしょう。しかし、大切に思う存在の意思を無下にしたという事実は変わりません。これも罪です」

 

 彼は彼自身を大切に想う者の願いをことごとく無視して死に至った。その者達は揃って彼の危うさを心配していた。彼はそれを理解していながら、己で定めた道を走り切った。彼を取り巻く環境を考えれば、それは最善の手段だったかもしれない。自分の信念を貫いた点は称賛に値する。しかし、それは独り善がりとも言える。彼の場合は後者の方が少しばかり勝っている。

 

「……以上が貴方の罪です」

 

 悔悟の棒に罪状を書き込み、幽霊を二度叩く。一応反省はしているらしい。自らの行いが自分本位のものであることは理解しているようだった。

 

「貴方にはこれから────」

 

 彼の行く末を決める。四季映姫の選択肢は一つしか存在しなかった。過去の、彼とよく似た人間の判決をしたことがある。それを踏まえた上での判断だ。

 

「では次────」

「閻魔様、良いのですか? そんなに軽い罰で」

 

 裁判を終えた直後。映姫の仕事を遮って割って入って来たのは────八雲紫だった。紫はこの時を待っていたと言わんばかりに彼女に問い掛けた。

 

「それがどうかしましたか?」

「彼は禁忌を犯しているのですよ? 地獄に堕としてやるのが彼のためだと私は思いますが」

「貴女はそう思うでしょう。しかし、私は判決を覆すつもりはありません。彼の生前の罪や能力、そして前例を考慮し、彼が善行を積むための最良の罰を言い渡しました」

 

 何があろうと閻魔の判決は揺るがない。そこに疑問や葛藤は無い。故に、映姫はありのままの真実を述べる。

 

「……それに、彼女は仕事をサボり過ぎる。真面目な彼が隣にいてあげた方が良いでしょう」

「ふふ、それもそうですね。野暮な質問でしたわ。仕事の邪魔をして申し訳ございません」

 

 紫はスキマを開き、この場を去っていった。何かが可笑しいのか、彼女は笑っていた。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 ────春。寒い冬を乗り越え、今年も暖かな季節がやって来た。

 清和義徳の死から一年。あれから冥界に帰った幽々子はいつも通りの平穏な日常を送っている。彼の遺言を律儀に守り、幽々子は一年を過ごした。そうすることで義徳が喜んでくれると考えたのだろう。故に、苦しい表情を見せることは無かった。

 しかし、今の幽々子は違った。桜を見るその表情は憂いを帯びていた。

 

「今年も桜が綺麗ね」

「ええ……」

「やっぱりあの時を思い出しているの? もう一年経ったものね」

「そう、ね……」

 

 紫の問い掛けに、幽々子は歯切れの悪い言葉を返す。時が流れても彼への想いは永遠だ。だからこそ、彼女は辛いのだろう。

 

「……紫。私をあの場所に行かせて欲しいの」

「勿論よ。幽々子の頼みなら断る理由は無いわ」

「ありがとう」

 

 幽々子の悲惨な生前を知る者として、亡霊の彼女には優しくあらねばならない。それが、あの子への恩返しになると信じて。幽々子のためなら、無理なことは無い。

 紫はスキマを開く。この先はあの廃神社と繋がっている。そこには清和義徳の形見とも呼べるあの桜がある。きっと、美しい血染の花を咲かせている頃だろう。

 幽々子はスキマの中に入っていった。彼女が何を考えているかは分からない。分からなくていい。二人の間に自身が入るのは無粋だ。紫は敢えて考えないようにした。

 

「すいません」

 

 幽々子を見送った直後、背後にある戸が開いた。

 

「あ、紫様。幽々子様がどこにいるか分かりますか?」

 

 出てきたのは、白玉楼の庭師にして剣術指南役の魂魄妖夢だった。

 

「幽々子なら丁度冥界を出ていったわよ。暫く戻らないでしょうね」

「そうですか。凄く重要な報告があったのですが……」

 

 重要な報告。それが何を示しているのか、紫は既に分かっていた。

 

「妖夢、それは言わない方が良いわ。その方が幽々子のためになるから」

「……? はい、分かりました……」

 

 事情を知る紫にとって、この事実が幽々子に知られるのは都合が悪い。そう判断して妖夢に釘を刺す。妖夢には悪いが、これは幽々子には秘密にしていることなのだ。不用意に喋ってもらうのは困る。

 妖夢は彼女の言動に困惑し、そのまま室内へ戻った。

 

「────死して全て大団円、ね」

 

 紫は笑みを浮かべる。最早、彼女らの邪魔をするものは何も無い。いよいよその時が来たのだと、目の前にやって来た一人の青年を見て呟くのだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 幽々子がやって来たのはあの廃神社だった。幾本もの桜は今年も変わらず咲いている。それらは冥界の桜にも引けを取らない素晴らしいものだった。

 しかし、以前とは明確に違う点がある。それは────幽雅に咲く血染の桜。義徳が命と引き換えに咲かせた、この世で最も美しい桜だ。

 

「やっぱり、これが一番ね」

 

 義徳の命を吸って開花したこの桜は、言わば義徳の分身だ。世界に二つと無い絶世の桜であり、幽々子の望みそのものだ。それが一番でない筈がない。

 幹に触れる。そこには確かな温もりがあった。人間だった彼の肌を思い出す。

 

「あれからもう一年よ、義徳。時間の流れは早いものね」

 

 木の傍にある墓標に語り掛ける。そこには“清和義徳之墓”という文字が刻まれていた。

 彼の遺体はこの桜の下に埋葬した。そうした理由は二つある。

 一つ目は、彼が死ぬ直前に『仏には 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば』と詠っていたからだ。最初は気が動転していたため意味が分からなかったが、今ではあの和歌が遺言だったと分かる。きっと『もし自分が死んだら、その時は桜の花を供えて欲しい。そうして弔ってくれる人がいるのなら自分は救われるし、幸せだ』という意味を込めて詠ったのだと思われる。彼がそう望んだのなら、愛する者としてその望みを叶えない訳にはいかなかった。

 二つ目は、彼がこの桜を秘匿する結界の核だからだ。第二の西行妖が誕生することを何が何でも阻止したいという紫の意向により、血染の桜を廃神社ごと覆い隠す結界を展開することになった。その際、義徳の身体を核として結界を構築した。この結界を維持するには莫大な力を必要とする。義徳の身体を使うことでその力を大幅に削減し、結界の強度を簡単に維持することができた。一つ目の理由もあるので、幽々子は彼女の提案に賛成した。

 しかし、この決断は義徳の死後の安息を願うことであると同時に、彼が死んだという事実を隠すことでもある。たとえ母親の静や親友の若葉であっても、彼の死を知ることは永遠に無い。どれだけ親しい存在であっても、この結界の中に入れる訳にはいかない。普通の人間では桜の魅力に抗えず、死に誘われる可能性があるからだ。それを幽々子や紫は許さない。義徳も同じことを考えるだろう。だから、彼を弔うにはこの場所で、方法でなければならないのだ。

 

「義徳、居心地はどう?」

 

 問い掛けても、答えなど返ってくる訳がない。それを理解しつつも、幽々子は続ける。

 

「お義父さんやお姉さんと同じ墓に入れてあげられなかったのは許してね」

 

 義徳よりも先にあの世へ旅立った彼の父と姉。もしも義徳があの世にいるのなら、きっと二人との再会を望んだかもしれない。幼い頃に死に別れた家族だ、会いたいと思う筈だ。しかし、残念ながら二人と共に眠らせてあげることはできなかった。

 

「でも、貴方は独りじゃないわ。どんな時でも私が一緒にいるから」

 

 かと言って、義徳が独りということはない。他ならない自身がいる。

 

「だから、時々でいいから……私の声に答えてくれると嬉しいかな……なんて」

 

 当然反応は無い。この下で眠っているのは物言わぬ死体だ。意思のある魂は宿っていない。

 

「義徳。私、もう一度貴方に会いたいわ。必ずまた会うって約束したでしょう……?」

 

 紡ぐ想いは虚空に消えていく。返ってくるものはただの一つも無い。その事実を認識する度、心が苦しさと悲しさで圧し潰されそうになる。この場所に来れば少しは気持ちが晴れるかと思ったが、ただただ傷つくだけだった。

 

「ねえ、あれは嘘だったの……?」

 

 義徳が死の直前に言ったことを思い出す。

 

『はい、だから、安心して、下さい。何があっても、幽々子さんに、会いに行くって……約束します』

『幽々子さんは、俺の、生きた、証として、俺を待ってて、くだ、さい……』

『あと、笑顔でいて、下さい。泣いてるのは、似合ってないです……幽々子さんには、笑顔が一番です……』

『……最期に。幽々子さん、貴女を、死んでも、愛してます』

 

 彼の願いは彼女にとって呪詛に等しいものだった。一方的に希望を押し付けて、絶望することを許さない。こんなやり方は余りにも卑怯だ。

 咲き誇る血染の桜は暖かくて優しいのに、幽々子の心は冷たい悲しさで満ちる。この一年、幾度となく義徳の名を呼んだ。決して忘れないように彼と共に過ごした日々を胸に刻んだ。一度たりとも泣かなかった。できる限り笑顔であり続けた。彼を想い、愛し続けた。それなのに、彼は何一つ返そうとしない。

 

「義徳、私を独りにしないでよ……」

 

 在りし日のように、義徳の隣にいたい。一度でいいから、その姿を見たい。しかし、その想いが届くことは無い。彼との思い出はいつまでも癒えない傷となって、幽々子の心に刻み込まれる。

 

「────幽々子さん」

 

 自身の名を呼ぶ声が聞こえた────気がした。それはどこまでも穏やかで優しい声。以前、何度も聞いた声。しかし、その青年はもういない。気が滅入っていよいよ幻聴が聞こえ始めたらしい。或いは、周囲の木々がそよぐ音と勘違いしたのかもしれない。しかし、もしかしたら、或いは。そんな淡い希望を抱いて、恐る恐る後ろを振り向いた。その先には────。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

「…………よし、のり?」

「はい。貴方の知ってる清和義徳ですよ」

 

 その名を呼ぶと、彼女はゆっくり振り向いた。そして、己の存在を証明する。

 

「義徳よね……? 本物よね……?」

「安心して下さい。ちゃんと本物ですから」

 

 状況を理解できていないのか、幽々子は義徳の存在を再度確認した。義徳は笑顔で返事をする。それを聞いた幽々子は、こちらへ駆け寄って来た。 

 

「ばか! ばかばかばかぁ……! 私を置いて行かないでよぉ……!」

 

 幽々子は義徳の胸で泣きじゃくる。それは、純粋な叫びだった。心の奥底に秘めていた感情が溢れたのだろう。反論することはできなかった。

 

「すいません。大切な者の気持ちを無視するなって、閻魔様にも怒られちゃいました」

「当たり前よ。私、貴方には少しでも生きていて欲しかったのに……!」

「ごめんなさい。でも、あれしか方法が無かったので」

「本当に貴方って人は、一人で突っ走って……!」

 

 義徳は他人思いの優しい人間だが、自分の信念に忠実過ぎる一面がある。一度決めたことは絶対に曲げない。それが誰かのための行動ならば、自己犠牲すら厭わない。自決を選んだのは、その性格が如実に表れた結果だ。他の誰かに咎められようと、義徳は絶対に成し遂げる。それが正しいと信じているからだ。

 

「義徳、一年も何をやってたのよ……」

「最初の三ヶ月は是非曲直庁で幻想郷や冥界での仕事について勉強してました。その後は表向きは外来人だって正体を隠して人里にいました。その時は八雲さんや藍さんがサポートしてくれました」

「ならもっと早く会いに来なさいよ。私、今すっごく怒ってるんだから!」

「すいません。八雲さんや映姫さんにそれは絶対に止めろって言われたんですよね。だから無理でした」

「紫と閻魔が結託してたなんて……それならまあ、納得できなくはないかも」

 

 四季映姫・ヤマザナドゥは勿論、八雲紫も──不服だが──自分を救ってくれた恩人である。故に、二人の言葉は守らなければならないと思った。それが彼女らに報いることだと分かっていたから。しかし、理由はそれだけではない。

 

「それに、再会するなら────桜の下が良かったので」

「……!」

「俺が幽々子さんと最初に逢った時も桜の咲く春でした。でも、あの時はまだ桜は咲き始めで、雪も降ってて寒かったから春って感じじゃなかったですけどね。だから、次は桜が満開で暖かい時って決めてたんです」

「……懐かしいわね。あの時は途方に暮れてたっけ」

 

 幽々子と逢うなら満開の桜の下、暖かい時が良い。これが一番の理由だ。最初に出逢った時はまだ桜が見頃ではなかったし、厳しい寒さの中だった。だから、次はその逆が良かった。単純だが、義徳にとっては十分過ぎるものだった。

 理由も分からないまま外の世界に放り出されて、一人で寒さに震えていた幽々子を助けた。あの春雪の出逢いが全ての始まりだった。以降、彼女の心と行動にどれだけ救われたか。今でも忘れることはない。

 

「何はともあれ、これでまた俺達は一緒です」

「ええ、そうね」

 

 多くの壁を乗り越え、こうして再び逢うことができた。今の二人にとって、それは最上の歓びだった。

 義徳は幽々子の手を握る。驚くことに、生きていた頃に感じた冷たさを感じられない。彼女の手は温もりに満ちていた。

 

「……幽々子さんの手、温かいですね」

「そう言う義徳の手は冷たいわ。貴方、本当に亡霊になったのね」

「はい。亡霊でいられるのは映姫さんの判決のお陰です。俺が亡霊になって、幽々子さんと一緒に冥界を管理しろって。それが俺が積める善行だって。感謝してもしきれません。下手したら地獄行きの可能性もあったので」

 

 「まあ、理想は専属料理人だったんですけど。流石にそんな我が儘は言えませんでした」と付け加えて、義徳は苦笑した。

 義徳の外見は人間だった頃と変わらない。そのため、死んだという実感が殆ど湧かなかった。しかし、こうして幽々子に直接触れることで、自分が死んだことを改めて認識させられた。今までは幽々子の肌に触れる毎にその冷たさに驚いていたのに、今では逆に温もりに驚いている。それが可笑しくて、思わず微笑んだ。

 

「……俺、今は幽々子さんと同じ亡霊なんですね。不思議な感覚です」

「嫌だ、とでも言うつもりかしら?」

「そんな訳ないじゃないですか。亡霊になったお陰で、本当の意味で俺の望みは叶ったんですから」

「望み?」

「幽々子さんと死ぬまでじゃなくて────死んだ後も(・・・・・)一緒に、永遠に過ごしたい。あの時言えなかった、俺の本当の望みです」

 

 それは廃神社に訪れる直前、幽々子に告げた言葉だ。あの時の自分はまだ生きた人間で、もうすぐ死ぬことを理解していた。また、こうして再び逢える確証も無かった。まだ覚悟が足りていなかった。だから、敢えてその部分だけは告げなかった。義徳もまた彼女と同じように、叶わないであろう望みを内に秘めていたのだ。

 二人は生者と死者という相容れない関係にある。どれだけ共に過ごそうとも、交わることは決して無い。しかし、それは過去の話だ。今はここにいるのは死者と死者である。なればこそ、その繋がりは永遠である。

 

「幽々子さん。俺は今、本当に、本当に……幸せです」

「私もとっても幸せよ、義徳。また逢いに来てくれてありがとう」

 

 再び彼女と再会できた。死して尚自分を想っていてくれたことが嬉しかった。

 

「────愛しているわ、義徳」

 

 幽々子が紡いだのは誓いだった。短く、簡潔に、余計な言葉は使わずに。だからこそ、全ての想いが伝わってきた。

 

「────愛しています、幽々子さん」

 

 義徳もまた、全ての想いを込めた誓いを紡ぐのだった。

 

 二人は心からの笑顔を浮かべた。それは現世の桜よりも、冥界の桜よりも美しく、暖かく、優しく、絶世の血染の桜にすら匹敵する屈託の無い笑顔だった。最早二人を阻むものは何も無かった。

 暖かな春風を感じ、幽雅に咲き誇る血染の桜を見上げながら。桜吹雪が舞う蒼空の下、義徳と幽々子は新たな始まりに想いを馳せるのだった────。




 西行桜恋録、ようやく完結しました。ここまで付き合ってくれて本当にありがとうございます。
 最終話、三分割するくらい長くなりました。だいたい2万字あります。初めての最終話なので文字数の勝手が分かりませんでした。申し訳ないです。
 改めて読み返すと、自分の予想以上にキャラが成長していて驚きました。そういった過程を楽しみながら書いていたんだなと感慨にふけっています。いざ書き終わってみると改善点・反省点がたくさん見つかりましたが、完結できて一安心です。一応分岐ルートとか考えたんですが、これが一番良いと思います(ハピエン厨並感)。
 最終話は割りと泣きそうになりながら書いてました。初めての完結作品なので思い入れが強いのかもしれません。自分で物語を完結させるのは達成感があってとても嬉しいですが、主人公達の物語が終わると思うと少し悲しくもあります。初めての感覚で心がバグってます。とりあえず、こういった経験を糧にして物書きとして成長できれば良いなと思います。
 何はともあれ、これにて西行桜恋録は完結です。改めて、1年と2ヶ月という長い間この小説に付き合ってくれて本当にありがとうございました。ここまで続けられたのはこの作品を読んでくれた皆様のおかげです。心から感謝を申し上げます。西行桜恋録が皆様にとって有意義なものであったならこれ以上の喜びはありません。
 これ以降は少し後日談を投稿できればいいなと思ってます。もしかしたらまだ続くかもしれないので引き続き応援してくれると嬉しいです。これで怪文書染みた後書きも終わりです。
 ここまで読んで頂けたら幸いです。重ね重ねになりますが、本当にありがとうございました。他の作品でお会いできればまたお会いしましょう!


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