カナエタイネガイ (○ヲウシナッタナ)
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 ――人も鬼も仲良く出来ればいいのに。

 

 そんな夢物語を何度口にしたことか。その都度周りから批難の声が挙がった。

 アレは倒すべき怨敵だ。奴等のせいでどれだけの犠牲者が出たと思っている。気でも狂ったか、そんなこと出来る訳がない。

 相応の立場を得た後でさえ、彼等の対応は変わらない。強いていうなら言葉にしなくなっただけだ。表情は依然として批難の色が強い。

 身内ですらそうだ。たった一人の妹ですら難色を示す。

 

 ――姉さんは優しいからアイツらが可哀想って思うのかもしれない。でもやっぱり私は父さんと母さんを殺したアイツらを許せない。

 

 そう言って悲痛な表情を浮かべる妹を見て、姉は思う。

 そっか。(しのぶ)には私はそう見えているんだ。

 確かに鬼は可哀想だ。元は同じ人間なのに望まずしてなった者が大半であり、例えどんなに優しい人でも激しい飢餓衝動に駆られ、他人だけでなく親兄弟すら歯牙に掛けその身を喰らう。

 姉はそんな彼等を確かに哀れんだ。

 しかし、妹が思っている程姉は高尚な人間ではない。少なくとも彼女は自分をそう認識している。

 あの『言葉』は別に全ての鬼に対して述べたのでない。

 ある鬼と出会い、彼に感化された影響だ。

 鬼とて全てが全て好き好んで人を殺したり喰らっている訳ではないと知ったから。

 その果てで得た答えであり――彼にいなくなって欲しくないと願った結果出た浅ましい願望だ。

 尤も当の本人に言った結果は、

 

『無理だな。鬼は所詮鬼だ、人間(お前ら)とは在り方が違う。いつまでそんな阿呆なこと宣うつもりだ? 早々に辞めろ、じゃないとお前は人間でありながらも孤立するぞ』

 

 厳しくも思いやりのある否定の言葉だった。

 鬼である貴方がそんな事を気にするの? そう笑い返す。

 すると、その鬼は苦虫を潰したような顔を浮かべた。それがまた愛おしいと思った、琴線に触れた。だからまた自然と笑ってしまう。

 鬼でありながらも極力人を傷つけないよう努める変わり者。血みどろの生より平穏を享受したいと願う偏屈者。

 そんなモノに出会わなければ、ついぞそんな願望など抱かなかったことだろう。

 胡蝶カナエにとって、その鬼との邂逅はそれだけ価値あるものだった。

 

 

 村から外れた深い森の中に小さなあばら家があった。

 幾つもの隙間があり、木材は腐り、豪雨にでもさらされば忽ち倒壊してしまうのではないかというボロボロ具合。

 雨風を防ぐだけでも不安を感じずにはいられないそこに、やはり人は住んでいない。

 元より人里離れた所だ。生活するには色々と不便だろう。

 だが、人以外となれば話は変わる。

 動物であればこれ幸いと巣にするだろうし、草木なら日の光を求め容赦なく育つだろう。

 そして表立って生活出来ないモノからすれば、これほど身を隠すのに打ってつけの場所はない。

 それを顕すように丑三つ時に怪しげな紅い光があばら家に集まってくる。

 大きさは羽虫程度、端から見ればホタルと見えなくもないそれらは静かに、優雅に漂っていた。

 そんな静寂の中に、突如音が鳴った。

 出所は当然あばら家だ。その戸がガタガタと動きゆっくりと開いた。

 暗い闇が支配するあばら家の中。姿を現したのは、人に良く似た……しかし人成らざるモノだった。

 

 姿形は人間の男だ。着てる服も古くはあるが、よくありそうな緑の着物。

 しかしその細部はどう見繕っても人間のものではない。

 肌は死人のように薄気味悪い白。頭には小さいながらも一対の角。長い白髪に隠れているが、左目は無く空洞になっている。

 不気味なその姿は正に『鬼』と称していいだろう。

 彼は静かに歩みを進め、紅い群れの中心に至る。

 すると、それを待っていたかのように紅い光は彼――正確には空洞のはずの左目――を目掛けて一斉に集まって来る。

 まるで底穴の様な空いた目に吸い込まれる様は正に異様。

 しかし当人はそんな事は気にも止めず、一切残らず取り込んだ。

 そして、一呼吸置いて一言。

「……少ない」

 不満。

 そう感じたのは当たり前だ。彼は此処数日同じ量を毎日摂取していた。

 だが、今日に限っては違う。発した言葉通り『少ない』のだ。それも誤差で収まる範囲ではない。

 ――何かあったのか?

 そう思い、彼――(かけい)は麓の村の方に顔を向けた。

 

 『鬼』。日の光を嫌い、闇に紛れ、人を喰らう。筧はそう呼ばれるモノの一体だ。

 しかし、無駄な抗争を嫌う彼は静かに粛々と生き延びる為に痕跡を残す様な行為は行わない。

 欲望の儘に人間を襲い、貪り喰らうなぞ最も嫌う愚行。

 そんな事をすれば自分達()を狩る者達に居場所を教える様なもの。

 故に筧は人知れず気付かれぬまま飢えを満たす。

 先の紅い光は正にその為のもの。

 人が眠りに落ちた深夜に村に出向き、そこの人間達に自らが編み出した技――『血鬼術』を仕掛ける。

 それは毎夜、人々が寝静まった頃に発現する。体内から血が抜かれ、術者である筧の下に来るようになっている。

 無論、全身の血液を抜き取れば大量のミイラが出来、騒ぎになってしまう。そうすれば一時的な飢えは満たされるだろうが、長い目で見れば完全に悪手だ。

 だからこそ筧は細心の注意を払っていた。

 一度に摂る量は人体に影響がない程度に収める。一回の摂取量はそれ程多くはないが、安定して毎日摂れるのであれば上々。ましてや天敵と出会う可能性がない。

 そして数日程で別の狩場へ移動。

 同じ様な事を何度も行い全国を転々として早百年以上。

 常に順風満帆とは行かず、幾度となく問題や事故も起きた。今回もその類だろうと考えたところで――。

「血か」

 風に運ばれてきたのは血の匂い。しかも一人や二人ではなく優に二十人は超える。

 勿論これは筧の仕業ではない。となれば考えうる可能性で高いのは一つ。

「見てくるか」

 ここからでは村の全貌すら見えない為やむを得ず山を降りることにした。

 そう判断するや否や筧の姿はその場からなくなる。

 音も発せず、僅かな旋風(つむじかぜ)を残し、鬼は件の村へと繰り出した。

 

 

 

 人を喰らう鬼を狩る者達がいる。

 『鬼殺隊』と呼ばれる政府非公認の組織だ。構成員の大多数は鬼による被害者であり、彼等に対し並々ならぬ憎悪を抱き、鬼と彼等の始祖たるモノの殲滅に心血を注いでいる。

 人外の力を持つ鬼を相手にする以上、普通の人間では太刀打ち出来ない。

 まず鬼を殺すには太陽の光に当てるか、頸を切り落とさなければいけない。

 前者はともかく後者に関してはただ斬るだけでは駄目だ。日輪刀と呼ばれる特殊な素材で造られた武器が必要になる。

 そして頸を切るにも相当な技量と力を要する。その為鬼殺隊の隊士は皆血の滲む様な厳しい鍛錬をし、鬼を殺す術を身に付ける。

 男でも相応の覚悟がなければ耐えられないものに、しかし一人の女は見事耐えきり隊士となった。

 胡蝶カナエ。鬼に両親を殺され、妹と共に鬼殺隊に入った少女。

 鬼を滅する為に編み出された特殊な呼吸法――水の呼吸から派生した花の呼吸を扱う心優しい可憐な少女だ。

 しかしてその実力は並の隊士とは一線を画している。

 『柱』と呼ばれる鬼殺隊に置ける最高位の力を持つ剣士。カナエはその柱の弟子である『継子』であった。

 柱になるには優れた剣士でなければならず、その後継者である継子もまた高い資質を持つ。

 カナエはその一人であり、将来有望な剣士である。

 だがしかし、それはまだ『先』の話だ。

 

 夜が深まった頃。

 鬼の活動時間帯ということもあり、彼等を狩る鬼殺隊は忙しない。

 元々鬼の仕業とも思える報告が幾つかあった。だからカナエもまた調査し見つけ頸を斬るべく動いていた。

 三つもの村で犠牲者が出た、それも連日連夜。

 被害は相当の物であり、大物が絡んでいると思われていたそれは、正にその通りだった。

 『十二鬼月』と呼ばれる鬼の中でも最強に位置する存在達。その内の一体、下弦の肆が動いていた。

 十二鬼月は上弦と下弦とで組分けされている。壱から陸までの数字を与えられ、数字が小さいもの程強力な個体である。そこは同じだが、上弦と下弦には隔絶的な力の差がある。

 もし、仮に上弦の鬼が今回の騒動の中心にいたのであれば、きっとカナエは無事では済まなかっただろう。

 

 

 遭遇したのは下弦の肆だった。

 その鬼はやたらすばしっこくずる賢い、多くの被害を出した危険な存在だ。

 カナエ含め数人の隊士が討伐に乗り出したが、これがまた難敵であった。

 不意打ち騙し討ちは当たり前、人質まで取る始末。

 誇りも何もない。ハッキリ言って小悪党そのものだが、それが鬼となったのなら尚質が悪い。

 しかも曲がりなりにも最強の鬼の称号たる十二鬼月だ。末席であったとしても侮っていい相手ではない。

 それを改める間もなくカナエは窮地に陥っていた。

 最愛の妹であり、同じく現場にいた胡蝶しのぶを人質に取られたからだ。

 純粋な実力では敵わないと察してからの判断と行動は恐ろしく早かった。

 運が良いのか悪いのか、しのぶは気を失っている。

 責任感の強い彼女のことだ。もし意識があったのなら、姉の邪魔にならないように自ら命を断ったかもしれない。その可能性がないことだけが唯一の救いだが、状況が一変する訳でもない。

 どうすればいいのか、そんな疑問に答えてくれる存在なぞいるはずもなく、また好転の兆しがある訳がなかった……そのはずだった。

 

 ――唐突に血飛沫が舞った。

 それはカナエのでもしのぶのでもなく鬼のものだ。

 何者かが背後から鬼の頭を吹き飛ばしたのだ。それはもう粉々になるような強い力で。

 それを行ったのは『隻眼の鬼』だ。

 不意を突かれたことで動揺し、しのぶを離してはしまったが、すぐに頭が再生した下弦は同じ鬼である者を睨みつけた。

 何をする、と。

 対する隻眼の鬼の答えは酷く単純であった。

 曰く、彼が縄張りにしている村でその下弦の鬼は暴れてしまったようで、結果彼の逆鱗に触れてしまったらしい。

 犠牲者も一人二人ではなく、ニ十人以上出した。人間を生かしつつ長期的に血を蒐集する彼にとって正に看過することは出来ない案件だ。

 例え相手が下弦であろうと、十二鬼月であろうとも関係ない。領分を越えたのなら制裁を与える。

 物怖じせずに言う隻眼の鬼に対し、面白いやってみろと下弦は嗤う。

 身の程を分からせてやると自身の力を過大し驕っていたのだろう。

 それが間違いだった。

 そうして一触即発の空気が漂う中動いたのは――静観していたはずのカナエだった。

 下弦の意識が逸れた所を狙った一撃は、見事頸を斬り、落とした。

 耳をつんざくような断末魔は数秒続いたが、すぐに肉体は霧散し下弦の肆はその命を終えた。

 不意を突いたとはいえ曲がりなりにも下弦の鬼が反応出来ないはずがない。本来ならそうなのだろうが、何も出来なかったことは偏に眼前に立つ『隻眼の鬼』の仕業だろう。

 詳しくは分からないが、何やらかの血鬼術を用いたはず。

 だからこそ、カナエに対し『殺れ』という目配せも出来たのだ。鬼を殺す術は陽の光を除けば鬼狩りの持つ日輪刀のみなのだから。

 下弦の肆の討伐は果たされたが、今度は別の問題が起きた。不意打ち紛いとカナエを利用したとはいえ下弦を倒した鬼が目の前にいる。

 どれほどの力を持つのかは不明だが、先の小悪党よりも厄介なのは火を見るより明らか。

 未だに倒れている最愛の妹の前で構える。

 さっきは助けられたが、それはただの結果論に過ぎない。互いに敵と認識した相手がいたから一時的に共闘出来ただけ、それだけだ。

 カナエとしてはこのまま去ってくれることを期待したい。下弦との問答で彼の縄張りの話が出たが現状一人で対処するのは難しい。その上しのぶを守りながら戦うとなれば困難だ。

 幸い、そろそろ夜が明ける頃。鬼は日の下では生きられない。

 だからどうか――。

 そんな念が届いたのか、ただ用を済ませ終えたからか、『隻眼の鬼』はカナエには目もくれず踵を返し、そのまま姿を消した。

 僅かな砂埃が舞ったことから、異常な速度を以って移動したことは確かだ。

 恐らく先程まで手こずっていた下弦の肆より、力も速さもある。対峙するにしても『柱』に近い力の持ち主でなければ難しいだろう、特に一騎討ちなら尚更。

 敵対するような事態にならなかったことに胸を撫でおろす。

 同時に朝日が残された二人を照らしつけた。

 

 これが変わり者の鬼との最初の邂逅。

 

 次に彼と再び逢うことになるのは半年以上経った初夏となる。

 

 確かそう、その切欠となるものは――。

 

 

 



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ぎゆしの? しのぎゆ?


「赤いホタル?」

「……ああ」

 

 ある日の事だ。

 同じ柱である冨岡義勇が負傷し、カナエが手当てをしている時。ふと思い出したように訊ねてきた。

 曰く、赤く光るホタルは存在するのかという話だ。

 一般的なホタルが放つ色と言えば黄緑色だろう。他にも黄色や橙色がある。故に近い色を発光させることは出来る。

 しかし義勇が言いたいのは原色のそれだろう。

 流石にそれ程までに明確に赤く光るホタルはいない。少なくともカナエが知る得る限りでは。

 

「何か気になるの?」

「……子供が」

「え?」

「……聴こえた」

「んー、冨岡くん、もうちょっと詳しく教えて。下手な所で区切らないで、簡略しないで。大丈夫、多少長くてもゆっくりでも最後まで聞くから、ね?」

 

 その後何とか口下手な彼から聞いた内容を纒めると。

 先日彼が任務である目的地に向かう最中、立ち寄った村で子供達が話している姿を見かけたのだとか。

 聞き耳を立てるつもりはなかったが、ふと気になる単語があった。

 それこそが『赤いホタル』だ。一人の少年が見たと主張するが、他の子供達は信じていないらしい。

 義勇もつい首を傾げてしまう。鬼を狩る鬼殺隊は夜が本番だ。何分鬼が活発化するのは夜で、それを狩る彼等も必然そうなる。

 だからという訳ではないが、夜にしか見れない風景などを目にする機会は多い。ホタルなど見ない年などなかったはずだ。

 だからこそ解せない。

 ホタルの光といえばやはりあの淡い黄緑色ではないのか? 赤い色があるなぞ聞いたことも見たこともなかった。

 しかし、件の少年はやけに必死に真剣に「見たんだ」と言っている。

 その様子から嘘を吐いてようには見えない。

 だからだろう、義勇は思った。

 ――帰ったら胡蝶(姉)に聞いてみよう。

 

 そして現在。

「ごめんなさいね、私も知らないの」

「……そうか」

 表情筋が死んでいる為一見すると分からないが、僅かばかり落ち込んでいる様子。

 気になって、珍しく義勇の方から訊ねたということはもしや実在するのなら見たかったのやもしれない。

 冨岡義勇。見た目は美丈夫だが中身は意外と童心であった。

 一応同い年のはずなんだけど。そんなことを思いつつも可愛らしい反応につい「あらあら」と笑顔を浮かべてしまう。

 と、そこで思い出したように手を叩く。

「そうだ、しのぶなら知ってるかも」

 しのぶはね頭良いのよ。と我が事のように語る。

 実際最愛の妹は博識だ。齢十四にして既に薬学に精通しており、鬼を殺す毒すら作り出した才女。

 勿論、知識なくして物を作るのは難しく、必然彼女は小難しい本を読んでいる。その中には毒や薬草の他にも虫に関するものもある。正に相談する相手としてこれ以上の適任者はいないだろう。

「………………」

 だがそれに反し、当の義勇に影が落ちた……ように感じた。

「冨岡くん?」

「……アイツは、怒る」

 冨岡義勇にとって胡蝶しのぶとはよく怒る年下の女の子という印象だ。

 勿論常時怒っている訳ではなく、笑うことも泣くことだってある。表情がコロコロと変わる元気な娘。カナエ()曰く『笑顔がとっても可愛い』らしい。

 しかし義勇に対し向けられる顔は大体怒っているか呆れている不機嫌なものが多く、要は良い顔をされないのだ。

 その上叱ってくる、小言も多い。「冨岡さん怪我をしたならすぐに来てください」「軽い怪我だからって放置しないでください」「治療が嫌ならせめて薬だけでも取りに来てください」「何度言ったら分かるんですか、そんなんじゃ嫌われますよ」「いいですか冨岡さん、ちゃんと私の顔を見て返事してください」「頷くだけじゃなくちゃんと言葉を発してください」等々。

 それはもう顔を合わせれば必ず何かは言ってくる。会話するのが不得手な義勇からすると正直苦手な人種だ。おまけに義勇は基本言葉足らずで人を怒らせてしまうことが多く、彼女も例に漏れなかった。

 それでも役職柄かよくよく顔を合わせてしまい、そしてその度に……そんなことが何度も繰り返されたせいで義勇のしのぶに対する苦手意識はかなりのものになっている。

「それはね、冨岡くんのことが心配だからよ」

「……そうだろうか」

 義勇本人は意識していないだろうが、彼は柱になる前もなった後もひたすら我武者羅に鍛錬と任務を行っている。それ自身は隊士であれば当たり前のことなのだが、問題はその密度だ。

 いつだったか過労で倒れたことすらあり、その際にしのぶに「どうしてそこまで自分を追い込むんですか!」と散々説教されたことがある。

 思えばそれから口うるさくなったような気がするが、自業自得だろう。それほど心配させてしまったのだから。

 好きか嫌いかは置いておくとして、結果しのぶの中で放っておけない人ランキングの上位になってしまったことは間違いない。当人は知るよしもないことだが。

 

「姉さん、ちょっと相談したいことが……」

「あら?」

「っ」

 

 噂をすれば。扉が開き件の人物が顔を覗かせた。

 宣言通りカナエに相談があってきたのだろう。

 しかし。

「…………冨岡さん」

 彼女、しのぶの目は今、敬愛する姉ではなくその対面に座っている義勇に向けられた。

 ちなみに今回の義勇の怪我は左腕を負傷したものだ。見た目は痛ましいが薬を塗り、数日大人しくしていれば完治するようなものである。

 ――普通なら。

「まさかと思いますが、その傷で帰るなんて言いませんよね?」

 出来る限り冷静に、且つ穏便にしようと笑顔を浮かべ問いかけた。それは一見小綺麗ではあるが、仮面のように張り付いており何処か恐ろしくもあった。

「……大したものではない」

「一応お訊きしますが、その腕で鍛錬や任務をするつもりではないですよね?」

 圧が増した気がした。

 帰ろうとしたのと、その後行おうとしたものを見越してだろう。

 過去の経験上、しのぶはよく知っている。冨岡義勇という男は怪我が治っていないにも関わらず、鍛錬をしたり任務に赴く大馬鹿者であることを。

「………………」

 そして即座に嘘を吐くことが出来ない人間であることも理解している。

「姉さん、確かまだベッド空いてたよね?」

 小柄な身体からとは思えぬ強い力でガシリと義勇の右手を掴む。

「待て胡蝶、俺は――」

「待ちません! ホントに貴方はどうしていつもいつも――!!」

 反論しようとした義勇の言葉を遮り、その倍以上の声量で説教が始まる。そして説教しながらも手を引いて連れていくという器用なことをしながら二人はカナエの前から去って行く。

 連れて行かれる瞬間何か物言いたげな視線をカナエに向けた義勇だったが、当のカナエは――。

「しのぶは本当に冨岡くんが大事なのねぇ」

「っ、違うから!」

 義勇の意を汲むどころか「あらあら、しのぶったら」と微笑ましく眺め、しのぶ()は即座に否定の言葉をあげた。

 顔が赤いのはきっと怒っているからなのだろうと義勇は義勇で見当違いな思考をしている。

 結局カナエに助けて貰うことも出来ず、しのぶの剣幕にも押され義勇はそのまま連れて行かれた。

 あの様子ではしのぶが納得するまで帰しては貰えないだろう。

 柱という立場である為必要以上の休みなぞ許されないだろうが、それでも手負いの状態で任務に就かせる訳にはいかない。

 まるで生き急いでいるかのような彼にはしのぶの様な強硬手段もまた必要なのだ。

 ひらひらと手を振って見送りながらも、カナエはそう思った。

「あら? そういえば、赤いホタルって何処かで聞いたような」

 そしてふと、先の義勇との会話をなんとなしに思い返してみて引っかかりを覚えた。

 何処かで似たような話を聞いた覚えがあるのだ。

 最近ではない。しかしそれほど昔という訳でもない。

 一体いつだったのだろうか。そんな思いを思考の片隅に追いやりながらもカナエは己の職務に勤めていた。

 

 それを思い出したの、その日の夜。

 今日は鬼狩りの仕事はなく、縁側で月を見ながら物思いに耽っていた。

 そこではたと思い出したのだ。隻眼の鬼のことを。

 より正確にいえば彼と出逢った元凶である下弦の肆、その時の調査だ。

 カナエの記憶が正しければその際に『赤いホタル』の話が出たのだ。

 しかし、下弦の肆との関連性はなく、あの鬼が来るまでの村の数日分の記録を見ても、不可解な死や行方不明者が出たという話はなかった為見間違いか何かだと切り捨てられたのだ。

 実際、後日確認した所やはり赤いホタルはいなかった。

 だからこそ関係のない都市伝説や噂話程度に留め、記憶の彼方へと追いやっていた。

 だがしかし、ここで問題なのは下弦の肆ではなく、あの隻眼の鬼だ。

 彼は下弦に対しなんと言った?

 『自身が縄張りにしている村で下弦が暴れた』と確かにそう言ったはず。

 あの下弦の肆による被害と思わしきもので近しいものは三つの村だ。その中で一つの村にだけ何故かあった「赤いホタル」の話。

 偶然と断定するには気になる点が多すぎる。

 なによりも、あの隻眼の鬼に関する情報が一切ない。目撃どころか足取りすら掴めていない。

 巧妙な雲隠れっぷりには舌を巻く程だ。そんな鬼の痕跡かもしれないものが目の前に現れたのは何かしらの縁すら感じる。

「………………」

 思い出すのは一瞬向けられた目。翡翠を思わせる鮮やかなその瞳は、しかし何処か憂いを帯びているようだった。

 それを見て『悲しいヒト』と感じたのは直感のようなものだが、間違っていないのではないかとカナエは思っている。

 鬼である以上身内を殺し、その肉を喰らったのだろう。大半の鬼は人間であった頃の記憶を忘れる。中には覚えているものもいるがそれはかなり希少だ。

 彼はもしかしたらその希少な鬼ではないだろうか? あの憂いは人間であった頃を覚えているからではないだろうか?

 そう考えてしまうのは希望的な観測からか、常に胸の奥で燻る理想故か。

 少なくともカナエ自身がそう願ってしまう程には彼は他の鬼とは違って見えた。

 柱になるには五十の鬼を斬るか、十二鬼月を斬るのが条件だ。カナエはその二つを満たし、見事花柱に就任した。

 それ程多くの鬼を狩り続けて尚、あの隻眼の鬼のような目をする者にはついぞ出逢えなかった。

 だからこそもう一度逢ってみたいと思ってしまったのだ。

 

 その先にどんな運命が待ち構えているのかなど知らぬくせに。



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 今抱いてる感情を吐露しろと言うのであれば、『不服』に過ぎる。

 何故か? それは、鬼となり百年以上の時を生きて尚、相容れないであろうと思う腐れ縁の男が目の前にいるからだ。

「やァやァ筧殿、久しぶり、どうだい首尾は?」

 頭から血を被ったような、それ以外は一見ただの人間の男のようだ。しかしその両目は怪しい虹色をしており、そこには『上弦』と『弐』の文字が刻まれている。

「何しにきた――童磨」

 ある満月の夜、筧は最強とされる鬼の一角と再会を果たしていた。

 

 

 いつものように血の蒐集を終えた後、最近ねぐらにしている洞窟へと帰るべく、山の中を歩いていると琵琶の音と共に眼前の空間に突如場違いな襖が現れた。

 筧は知っている。これはある鬼の血鬼術だ。一種の空間転移が出来るなんとも便利な能力だ。

 この術者は『あの方』のお気に入りだ。ともすれば下手な実力の鬼では使用すら許されない。

 一体誰だ。最悪の展開も踏まえつつ待ち構えてれば、出てきたのはムカつく同僚だった。

 ――童磨。人間であった頃の名前かは知らないが、『あの方』が呼んでいる以上はそういう名なのだろう。

 表向きはとある宗教団体の教祖をやっているが、その正体は十二鬼月、上弦ノ弐。つまり『あの方』を除けば鬼の中で二番目の強さを持っているということだ。

 その強さ、地位に相応しく人間を……それも女を好んで喰らう。曰く女の方が栄養があるらしい。

 人を救うなどと宣い、何の躊躇いもなく殺し、貪るこの男を筧は嫌っている。飢餓衝動からくるのならまだいい、だがその行為を『救い』だなんだと言うから虫唾が走る。

 いや寧ろこの男が好きな奴は果たしているのだろうか、人間であれ鬼であれ。『あの方』ですら遠巻きにしているきらいがある。他の上弦達からも好ましいと思われていないはずだ。

 何せこの男、感情がない。多少は不快感を感じることはあるらしいが、その程度(・・・・)

 鬼といえど元は人間。狂っていたり、異常や過剰になっていたりしても感情というのはある。

 しかしこの男はどうやら人間であった頃からそこら辺が欠如していたらしく、鬼となってからも変わらない。

 感情がないのであれば、つまり感情を理解出来ないのと一緒。それにも関わらず無駄に頭が良いせいか、まるで『ある』ような態度を取ってくる。

 だからこそより一層不気味に感じるのだ。

 

「冷たいなぁ、俺と筧殿の仲じゃないか」

 まるで仲の良い知り合いにでも話す。本当はそんな風に思ってもいないくせに。

「どういう仲だ」

「ほら俺達、同じ年に鬼になったじゃないか。同期ってやつ?」

 馴れ馴れしく肩を叩くな、必要以上に顔を近付けるな。

 口には出さないが、そう思いながら舌打ちをした。

 だから『不服』なんだよ、と。 

「お前と同列に扱われるなど反吐が出る」

「相変わらず辛辣だなぁ、筧殿は」

「……用件はなんだ?」

 埒があかない。

 そう踏んだ筧は何が目的で来たのかを問う。

 曲がりなりにも十二鬼月の第二位だ。わざわざ無駄話をする為に来た訳ではないだろう。

「そう急かすなよ。俺が来たのはほら、アレだよ。例の探し物」

「――青い彼岸花」

 昔記憶力がいいと言ってたくせに、まるで忘れたかのような変な濁し方をしていた為、ため息混じりに探し物の名を出した。

 青い彼岸花。『あの方』が長年探し求めているらしい、あるかどうかも分からないものだ。

 『あの方』がまだ人間だった頃にあったらしいが、それから一体どれほどの年月が経っているか。

 筧を含め、探している鬼は多くいる。それこそ上弦すら動いている。それでもそれらしいものが見当たらないとなれば、既にこの世にはないのかもしれない。……尤もそれを口にすれば間違いなく頸が飛ぶ為言うつもりはないのだが。

「これでも全国をしらみ潰しに探している。が、生憎とだ」

 筧が場所を転々とするのは鬼狩りと遭遇しない事と、もう一つ青い彼岸花を探す為だ。

「そういうお前はどうなんだ?」

「信者に探させたりしてるんだけど、まったくだね。俺自身探索とか苦手だし、困ったものだよ」

 手に持ってた鉄扇をパッと開き、口元を隠す。

 宗教団体の教祖ということもあり、その信者を体よく使っている。しかし成果は出ず。

 当人の能力も戦闘時ならいざ知らず、こういう事には本当に向いていない。まあそこは筧も似たようなものだが。

「産屋敷の方は?」

「……簡単に見つかれば苦労しない」

「だよねー」

 やっぱり筧殿もかぁとヘラヘラ笑う同僚に青筋が浮かんだ。

 そも、産屋敷は鬼殺隊を事実上纒め上げている存在。その価値は一般隊士は勿論柱ですら代えは効かない。故にこそ、秘匿性は何よりも高く、易々と尻尾を掴めるわけがない。

「……進展が欠片もしていないのなら、お前は一体何しにきた」

「いやいや、勿論探し物は大事だけど、実はもう一つあってね」

 遠回しに帰れと言うと童磨は目を細め、鉄扇を閉じ筧に突きつけた。空洞の左目を指すようにし――。

「“そろそろ”だろ?」

 笑みを消し、無表情でそう問うた。

 ――っ……!?

 その瞬間、あるはずのない左目が疼き、熱した鉄を流し込まれたかのような錯覚さえ覚えた。

「前にも言ったけど俺記憶力がいいからさ、筧殿の『周期』覚えちゃったんだよねぇ」

 あっけらかんとそう言い放つと、童磨はまたニヤニヤと笑い始めた。

 

 筧は他の鬼とは違い少し特殊だ。いや、鬼になった経緯はありきたりなのだ、流行り病に掛かり「どうして今なんだ」「あと少し元気でいれば」そんな後悔と自責の中にいる所を漬け込まれ鬼と化した。

 その後もありきたりだ。飢餓衝動を抑えることが出来ず身内を殺し、血肉を食らった。その最中で正気を取り戻したのは、不幸だったのかもしれないが。それ以降は生きた人間の肉は食わず、死肉か血だけで飢餓を満たそうとする変わり者として奇異な目で見られていた。

 転機があったのは、何の気まぐれか『あの方』の血を注がれた時だ。

 身を裂くような痛み、内側から煮たるような熱さ、骨が粉々になるかのような強い衝動。

 激しい拒絶反応にも似たそれを得て筧はある変化に見舞われた。

 その一つがこの欠けた瞳だ。

 これは別に治らない訳ではない。意図してこの様な形を成している。だがそれも常ではなく、ある『周期』を迎えると欠けた瞳は戻ってしまう。

 その『周期』をよりによってこの同僚に知られるとは……。

「――ッ」

 ついぞ舌打ちをしてしまいたくなった。

「えー酷くない? 寧ろ俺で済んで良かったと思うよ」

 あの方に知られるのは拙いからね。それは果たして心配からくるものか、それとも仲の良い同僚なら当たり前のことと考えてか。

 どちらにせよ、本心として見るには胡散臭さ過ぎる。

「ま、その様子だと本当にもう少しみたいだねぇ。いやぁ良かった良かった。これでも心配してるんだぜ」

 流石にそろそろ『本格的』に動いてくれないと擁護のしようがない。

 童磨から見れば、筧はせっかくの同期の同僚だ。何故か(・・・)他者から嫌われているらしい己に対し、辛辣ではあるもののちゃんと付き合ってくれる、鬼らしからぬ『優しさ』というものがある。故に他の同僚達より彼のことは気に入っている。

 だからこそ、いなくなるのは勿体ないと感じ、様子見を兼ねて来たという所存だ。

 睨んでいた通りの結果に満足したのか踵を返す。

 そのままいなくなってくれと顔に出ていた筧の思いを汲み取ってか、琵琶の音が鳴り、童磨の前に襖が現れた。

 あー、ようやく煩いのがいなくなる。そんな思考が過ると同時にふとある事を思い出した。

「そういえば、童磨」

「うん? なんだい、筧殿」

「あの女はどうした?」

 その問い掛けに童磨は首を傾げ、暫しの間記憶を掘り返していたが、『あの女』だけでは分からず「誰だっけ?」と聞き返す。

「お前がわざわざオレに自慢した女だ。十年だか前に『食うのが勿体ない』とか言っていただろう」

 今でも覚えている。

 栄養価があるからと女を好んで食らっていたこの男が、一体どんな心変わりだと訝しんだ記憶がある。「見ていて飽きない」「頭は悪いが一等綺麗だ」などと宣っていたはず。

 童磨との付き合うは長い。この男が何かに執着したことなどなかったはず。そんな彼が恐らく初めて執着したであろう人物。

 たしか子連れと聴いたが、あれから一体どうなったのか、少し興味があり訊ねたのだ。

 すると虚空を眺めたまま「あぁ」と思い出したように呟く。その表情はこちらからでは伺えない。

 

「――食ったよ。勘が鋭い女でねぇ、信者を食ってる所を見られちゃったんだ。ほんとうに勿体なかったけど、殺して食ったよ」

 

 髪の毛一本、爪や産毛すら余すことなく全て。

 残念そうに語ると、筧の返事を待たず童磨はそのまま襖の奥へと消えていく。

 残された筧は黙ってそれを見送った。

 

「そうか。もしかしたらとも思ったんだがな……」

 独り、呟いた言葉に耳を傾ける者はいない。

 目を伏せ、顔に浮かんだのは哀れみか。

 筧にとって女の名なぞ終ぞ知ることはなかったが、彼女のことを語る同僚は少し何時もと違う気がした。

 紡ぐ言葉は表面上は代わり映えしなかったが、乗せる声色からは喜色を感じたのだ。

 「憐れだ」「愚かな娘だ」等よくよく使うそれも、彼女を指す時だけは違ったように思えたから。

 だから、『もしかしたら』と期待してしまったのだ。

「やはり、オレ達が“それ”を手にするのは無理らしい……」

 今更のことだ。

 人を殺し、食らう身で求めようなど虫が良過ぎる。

 分かっていたことだ。

 この身体には数え切れぬ業と罪が刻まれている。鬼となり、人を食らったその日からそれは増え続けている。

 向かう先は地獄しかなく、その道中にてほんの僅かな幸福を味わうことも出来ない。

 分かっていたはずだった……。

「………………」

 不意に、無いはずの目が痛んだ気がし、左手で覆った。

 痛みは一瞬で、引いた後自然と面を上げた。

 ――その先には少女がいた。

 まだ年端もいかない子供が笑っている。人懐っこい笑顔だ、きっと将来は美人になるのだろう。

 長い黒髪を揺らし、駆け寄ってくる。嬉しそうに抱き着いて、腹の辺りに頭を擦りつける。

 その姿が愛らしく、撫でようとし、手は止まる。

 触れる瞬間、顔を上げた少女は先とは違い苦悶に満ちていた。目は見開かれ、血の涙を流している。

「っ……!」

 瞬きをした次の瞬間には、少女は影も形もなくなっていた。

 それはそうだろう、彼女は既にこの世にはいない。数十年も昔に死んだのだ。

 だが偶に、こうして彼の前に現れることがある。

 記憶の中の存在。その中でも、特に印象に残っている子を幻視し始めたとなれば、やはり童磨の言う通り“そろそろ”なのだろう。

 ああ、そうだ。本当に、きっとあと一年も保たないだろう。

 

 ――そろそろ“帳”が降りてしまう。

 



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