俺の家に巫女がいる (南蛮うどん)
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第一話 同居はめんどくさい

初投稿です。よろしくお願いします。


「えー、それでは……これから食事当番のローテーションを決めようと思います」

 俺は目の前で、だらける黒髪の少女に向けて、ため息交じりに告げる。

「博麗さん。一応、希望があれば聞きますが?」

「週七でアンタ」

「はっはっは、博麗さんは冗談がお好きなお方……」

 笑ってごまかそうとするが、黒髪の少女――博麗の目つきはマジだ。マジで、週七で俺に食事当番を任せようとしている。しかも、三食全てという有様。

「待って、待って、博麗さん。これでも俺、仕事持ちなんだよ? 朝に朝食と弁当と、君の昼ご飯作って、帰ってきたら二人分の夕食? ははっ、ちょっと無理があるんじゃないかな?」

「でも、できるでしょ? やろうと思えば」

「可能か不可能かでいえば、可能ですが……」

「じゃあやって」

「…………あい」

 反論は意味を成さない。

 草食系を通り越して、植物系男子な俺が博麗に何を言おうが、怜悧な目つきで黙殺されてしまうことだろう。

 しかし困った。

 これでは掃除当番も、食事当番も全て俺じゃないか。せめて、博麗にも何か一つ、家のことを担当してもらわなければ、俺の不満ゲージが溜まってしまう。

「あの……博麗さん。せめてこう? 簡単な仕事でいいので、何かやってくれませんかね? これから一緒に暮らしていくわけですから、助け合いは大事なわけでして」

「…………」

 じろりとこちらを睨む博麗。

 いやいやいや、ここは譲れないから。譲っちゃいけない最後のラインだから。

「……分かった。それじゃ、アタシはこの家の警備を担当するわ。ほとんと家の中に居るから、最適でしょう?」

「リアル自宅警備員!?」

「なに?」

「いえ、何も文句ありませんとも!」

 実際、博麗は俺と比べものにならないほど強いわけだし。まぁ、それなら何とか自分自身を納得させられるわけでして。

「…………あのさ、博麗さん。文句は無いなけど、一つ質問が」

「なに?」

 博麗さんはつまらなさげにこちらを見る。

 顔立ちは鼻筋がすっと通っていて、一つ一つのパーツのバランスが良い。勝気な瞳と相まって、クールな美少女という感じ。出会った当初は巫女服を着ていたわけだが、今は、緑色のジャージを適当に着こなしている。ただのジャージでも、美少女が着ると、不思議と見栄えが良くなる気がするね。

 そんな美少女が、俺なんかと同居だってさ。

 しかも多分、つーか、絶対未成年ですよ、この人。なんか、十代半ばを過ぎたぐらい。

 ……役得と思えばいいのか、どうなのか?

「本当に俺と一緒に暮らすの? 正気?」

「アンタこそ正気?」

「それは保障できない」

「なら、黙っておきなさい」

 言葉に刃を含めた、辛辣な一言。

 ああ、やはりこれは役得なんかではないのだろうと、俺は思うのだけれど……傍から見たら、そういう風に見られてしまうんだろうなぁ。

 

 

●●●

 

 俺の家は東北地方の田舎町にある。

 空気はさほど汚れていなくて、コミックの新刊が発売日の二日後あたりに届いたりするような僻地だ。近くの駅までは徒歩三十分程度。なかなかの立地だと思う。

 家は二階建ての木造住宅で……それなりに部屋の数も多い。ほとんどが使われていないけれど、きちんと掃除をし直せば、人を泊めることができるぐらいには立派な和室である。正直、一人で住むのには大変な家だったが……仲良く首つり自殺をした両親が残してくれた唯一の遺産だ。売ってしまうのは忍びないので、今まで管理がてらに住んでいた。

 それが功を奏したのか、博麗という突然の同居人の登場にも、何とか対応することができた。家具とか、日用品を揃えるのは面倒だったけれど、一から全部用意するよりかは、全然マシだったと思う。

 そんなわけで、今日から俺は二人暮らしになった。

 同居人の名前は博麗霊夢。幻想郷という、日本のどっかにある秘境だかからやってきた巫女さんだ。外見は良いが、中身がおっかないのが玉に瑕である。

 いつまでこの同居が続くか分からないが、精々仲良くやっていきたいものだ。

 ああ、そうだ。せっかくだから、今のうちに言っておこう。

「博麗さん」

「なに?」

「俺を殺すなら、首絞めでお願いします。両親も同じ死に方だったので」

「…………」

 博麗はため息を一つ。

 俺から目を逸らして、そっけなく答えた。

「善処するわ」

 なら、安心だ。

 

 

 

 これは俺と博麗との日常物語。

 俺が博麗に殺されるまでの日常を綴った、他愛ない物語だ。

 

 

 



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第二話 カレーの万能さよ

「飽きた」

 同居生活の一週間を過ぎた頃、博麗がぽつりと言った。

 昼ご飯である二日目のカレーライスを完食した後に、淀んだ瞳で俺を見据えて。

「飽きたって何がですか? この生活に?」

「食生活に」

「えー、ちゃんと俺が全部作っているじゃないですかー」

「…………全部カレーじゃない」

 じゃきん、とスプーンを博麗は俺の目の前に突き出す。

 これはあれですね。下手なことを言ったら、そのまま眼球を刳り貫かれるとか、そういう感じの脅しでしょう。

「待って。確かに俺はここ一週間、全てカレー料理だった。しかし、レパートリーは工夫し、時に甘口、中辛、激辛と、味のバリエーションを――」

「でも、全部カレーじゃない」

 はい、カレーです。

 なんで俺がこんなにカレー料理ばかり作っているかというと、ちゃんとした理由がある。それは……ぶっちゃけ、俺はカレー料理以外の料理はまともに作れないのだ。それというのも、母親が重度のカレー中毒で、家庭料理の思い出はほとんどカレー色に染まっているからである。当然、母親からしか料理を習ったことのない俺は、カレー関連以外の料理は作れない。頑張って、レシピを見ながら作ったとしても、出来は小学生の『初めてのお料理以下』だろうさ。

「わかった、博麗さん。君の要求は正当だ、考慮しよう」

 なので、これは仕方がない判断だ。

 俺は物置から、とっておきの秘密兵器を取り出し、テーブルの上に置く。

「これから三食の間に、カップラーメンをはさも――――」

 ひゅがっ!!

 なんか物凄い音がしたかと思うと、カップラーメンの容器にスプーンが刺さっていた。いや、よく見ると、俺の手前ぐらいの位置で、テーブルの表面が何かによって刳り貫かれている。おいおい、マジかよ。

「料理は手作り。妥協は許さないわ」

「せめて、外食とコンビニ弁当はありにしてくれませんかねぇ!?」

「前者は許す。後者は許さない」

「うぐぐぐ……全国の独身男性を支えているのに、コンビニ弁当……」

 どうやら、博麗は大量生産品を許さない主義らしい。多分、幻想郷とやらでは、三食全部手料理みたいな生活をしていたのだろう。だから、ただお湯を注いで終わり、とか、レンジで温めて、はいお食べ、みたいな食事に違和感を持っているのだ。

 けれど、よく考えてみれば、それは正当な感性だ。

 生き物を食材にして、食材を料理にして、それを食べるという行為は非常に面倒である。そして、その面倒さこそ、生きているという行為そのものだ、多分。

「わかった、わかったよ、博麗さん。博麗さんもなんだかんだできちんと食費を入れてくれているし……ほんと、どうやって手に入れた金か分からないけど、ちゃんと貰っているし……これからはカレー以外も作ることにするよ」

「……そう」

「その代わり!」

 ぐい、と俺はテーブルに身を乗り出して博麗に言う。

「博麗さんが俺に料理を教えてよ」

「なんでそうなるのよ?」

 博麗は冷たい視線を俺に突き刺してくるが、ここは怯まない。あちらが正当な要求をするのなら、こちらは正当な応答をするだけだ。

「あれ? 博麗さんって料理はできるよね? 幻想郷では基本、自分のご飯は自分で作っていたって聞いたんだけど……紫さんに」

「……だから?」

「俺が作る料理に文句があるのなら、納得する腕になるまで君が教えればいい」

 俺の提案に、博麗さんは一瞬呆気に取られたように目を丸くしたけれど、直ぐにその目つきは鋭く戻った。

「冗談にしては、悪趣味ね」

「同居を先に提案したのは博麗さんだ。悪趣味を始めたのは君だ。なら、最後まで悪趣味である責任があるんじゃないですか?」

「…………」

 無言で数秒間、博麗さんは僕を見つめた。

 眼球から、腹の底まで見透かすような、容赦なく、冷たい目をしていた。

「わかったわ」

 返答はため息と共に吐き出される。

「ただし、アタシは和食しか教えられないわよ」

「十分。カレー料理とローテーションすれば、それなりに充実した食生活になります」

「人に物を教えるのなんて滅多にしないから。わかりづらくても文句は言わないこと」

「もちろんですとも」

「……ねぇ」

「はい?」

「アンタ、なんでそんなに嬉しそうなの?」

 博麗にジト目で尋ねられて、俺は気づく。

 そういえば、俺は今、笑っているのだと。自分でも不思議だ。この場面は横暴な同居人からやっと妥協を引き出したところで、まだ勝ち誇れる段階でもないのに。では、安堵か? それも違う。博麗と共に暮らしている限り、俺に安堵の時間なんてありえない。

 ならば、何だ?

「…………ああ」

 ふと、湧き上がるように幼い頃の思い出が脳裏に過った。

 まだ楽しかった頃。

 父親が居て、母親が居て、両方とも普通に笑えていたころに、俺は料理を初めて習った。初めの料理は、カレー。食材は不揃いで不格好だらけだったけれど、カレールーは偉大だった。そんな下手くそな料理人が揃えた食材でも、食える味にしてくれる。

 きっと、だからなんだ。

「博麗さん。俺が嬉しそうだと思うのならきっと、楽しみだからですよ」

「料理を教えられるのが? アンタ、料理が好きなの?」

「いいえ」

 自分でも今気づいたところだけれど。

「俺はどうやら、誰かに料理を教えてもらうのが好きみたいなんですよ」

「…………アンタは――」

 博麗は何かを言いかけて、止める。

 そして、呆れたような口調で、こう言い換えた。

「アンタは幸せ者ね」

 少なくとも、俺にそんなことを言える博麗よりは……なーんて、口が裂けて言えるわけがない。だから、曖昧に笑って答えるだけにした。

 

 

●●●

 

 

 夕食の買い出しのついでに、少しばかり野暮用を済ませることにした。

 場所は、町から少し外れた県立病院。そこの入院病棟。最近は風邪が流行っているらしいので、マスクをきちんと着けて、受付のお姉さんにご挨拶。

「親戚のお姉さんの見舞いです」

 適当に嘘を吐いて、俺は階段を上がっていく。

 エレベーターは嫌いだから乗らない。あの浮遊感が、どうしても俺は気に入らないのだ。だから、どんなに面倒でも、時間がかかっても、俺は階段で上るようにしている。

 見舞い品は、白玉餡蜜や、桃のゼリーなど、食べやすい物数点。まぁ、定期的に来るようにしているのだし。あまり高い物を押し付けるのも良くないはずだ。

「さて」

 目当ての病室の前に着いた。

 個室だ。

 名札のところには『八雲紫』と書かれている。

 ドアを軽くノックすると、しばらくして「どうぞ」と、鈴の音の鳴るような声が返ってきた。

「やぁ、八雲さん、こんにちは。お見舞いに来ました」

「あらあら、それは申し訳ないわねぇ」

 病室のベッドの上には、金髪の女性が体を起こしていた。

 病院服の上からでもわかる豊満なプロポーションと、妖しい美貌。微笑を向けるだけで、世の男どもの心を、いともたやすく弄ぶことが可能だろう、この人なら。

 まぁ、正確には人ではないらしいのだけれど。

「食べやすい物を選んで買ってきました。食欲ある時にでもどうぞ」

「ありがとう。でも、面倒ではないかしら? 霊夢の家事もやっているのでしょう?」

「あっはっは。一週間もすれば慣れますってば」

 朗らかに談笑を交わす、俺と紫さん。

 いやぁ、出会った当初は殺し合いを繰り広げた仲とは思いませんなぁ、まったく。

「ご加減の方はどうです?」

「どうにもならないわ。このままだと、緩やかに死んでいくだけね」

「こっちにいるのが辛いのなら、能力を使って、どこかの世界軸の幻想郷で休憩してくればいいじゃないですか」

 博麗から聞いた、紫さんの能力なら、それが可能なはずだ。

 けれど、紫さんは静かに首を横に振る。

「もう無理なの。元々力の強い妖怪の分だけ、こちらでは制限を受けるみたいね。ろくに境界を弄ることもできないわ」

「そりゃ残念」

「…………私がこの調子なら、ほかの生き残りはどうなっているのかしらね?」

 首を傾げて、紫さんは弱々しく微笑んだ。

 その微笑みで、俺は思い出す。俺がここに来た野暮用を。

 

「そういえば、吸血鬼さんは死んだみたいですよ」

 

「……えっ」

 目を丸めて、唖然とする紫さん。

 珍しいな、この人がこんな表情をするなんて。

「知り合いが、『レミリア・スカーレット』の死亡を確認しました。吸血鬼らしく、最後は灰になって死んだみたいです。とりあえず、その灰は保管しているので、後で持ってきますよ」

 旧知の仲間が死んだ所為か、紫さんの視線が泳いでいる。

 まさか、でも、やはり、どうして、ぶつぶつと何かを小さくつぶやいた後、

「わかったわ、教えてくれてありがとう」

 仮面のように美しい笑顔を被り、俺に応えた。

「どうしたしまして」

 俺も笑い返す。

 笑顔はコミュニケーションの基本らしいから。

「ねぇ?」

「なんです?」

 紫さんは、唇を三日月に歪めて俺に告げる。

「貴方が生まれてこなければよかったのに」

 妖しく笑っている癖に、今にも泣きそうな声で告げる。

「俺もそう思っていますよ」

 多分、生まれた瞬間から、この時までずっと。

 

 

 



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第三話 病気の時だけ信じる神様

 突然だが、この世界にも神様という奴はいるらしい。

 なぜ俺がそんな結論に至ったかと言えば、それは身をもって神様の脅威というか、神様の仕業としか思えない罰を与えられたからである。

 俺は『仕事』として、この世界に存在するあらゆるものを掃除する会社に所属している。例えばそれはゴミ屑だったり、人間のゴミだったり、あるいは消えきれない幻想の欠片だったりするわけだ。今回の『仕事』は、とある山奥で信仰されていた神様の社を壊すこと。なんでも、土地の所有者がそこを売って、新しくホテルでも建てる予定だったんだとか。まぁ、壊すところまではうまくいったのだが、その後、俺が社を別の場所に移すまで、俺を含めた関係者が、それはもうひどい目に遭ったのだ。

 俺の場合は風邪と中耳炎を併発し、さらに階段から転げ落ちて全身を打撲。ほうほうの体で地元に帰ってきたかと思えば、女子小学生に闇討ちされて、所持金を全部奪われてしまった。もう、踏んだり蹴ったりである。もう、女子小学生に泣きながら『生きるためなの! 生きるためだから、しょうがないの!』とバットで殴打された時には、心が折れた。

 なので、俺はしばらく仕事を休み、おとなしく部屋で療養することにしたのだが、

「なんで俺の部屋にいるの? 博麗さん」

「悪い?」

「悪いというか、なんというか、目的が知りたいというか」

 博麗が俺の部屋に居る。

 うん、黒髪美少女と同じ部屋に居るという字面だけ見れば、世の男子から羨まれることは確実だろうが、その少女が自分の命を狙っていると知っていたら、果たしてどれだけの人間がその羨望を捨てないでいられるだろうか?

「ついに俺を殺しに来た? 弱っている今ならチャンス! とか」

「馬鹿言いなさい。仮に貴方が絶好調で、アタシが瀕死の状態でも、指一本で殺せる自信があるわよ」

「ですよねー」

 その時は、あべし! と奇声を上げて俺は爆散することだろうさ。

「んじゃ、結局何ですか?」

「アンタを看病に来たのよ」

「ははっ、博麗さんはご冗談がお上手で」

 どふぅっ! 布団越しでも、博麗の打ち下ろしは俺を悶絶させるに十分足る威力だった。

「……あ、ありがとうございます、博麗さん。俺、感涙の想いです」

 嘘じゃないよ。本当に泣きたい気分だよ。

「よろしい」

 満足げかどうかは知らないけど、博麗は目を細めて頷く。

 そして、しばらくしてお粥やら、シップやら、怪しげなお札やらを持ってきた。

「とりあえず、これ張っておきなさい。いくらか回復が早くなるわ」

「わーい、博麗さんお手製のお札だー」

 素直に喜んで打撲のひどいところに張ります、ぺたりと。

 するとどうでしょう!? みるみる内に痛みが引いてあら不思議! あっという間に、健康的な肌の色に! …………治りが早過ぎて逆に怖い。

「明日には完治しているわ」

「アリガトウゴザイマス……」

 まぁ、あれだ。巫女さんが作ってくれたお札だし。悪い副作用とかなんてあるわけないじゃないか、きっと。

「後、シップ」

「あい」

 こちらは普通の市販の物だ。

 どうやら、俺が常備薬として薬箱に入れていたものを引っ張り出してきたらしい。痛みと熱が引いていく感触が、たまらなく気持ちいい。

「んで、これがお粥よ」

「わーい。シンプルだけど、美味しそうな塩粥で…………え?」

 俺は思わず目を見張った。

 博麗が俺の目の前で、そのお粥を蓮華で救い――――そして、待ち構えるように俺の口の位置で固定したのである。こ、この構え! 恋愛漫画とかで良く見たことがあるぞ!

「あーん」

 おまけに『あーん』だとぅ!?

 うわぁ、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!! こう、美少女に夢のようなシュチエーションをしてもらうのは良いんだけど、その行為をしてもらうための背景が全く見えない! 意味の分からない善意が怖い! 気持ち悪い!

「何よ、要らないの?」

「要りますが……その、博麗さん? それはどういう真似で御座いましょう?」

 小鳥のように首を傾げる博麗さん。

「ん? こっちでは看病の時って、こうするんじゃないの?」

「ちなみにソースは?」

「漫画」

「……納得、しました」

 秘境育ちの博麗さんは、こちらの常識がいささか欠如しているのだ。なので、その常識を補おうとして、普段から現代が舞台の漫画を色々と読んでいるらしいのだが……たまに、こういったところで弊害が出ていたりする。

 結局、そのまま俺は博麗さんの手によってお粥を完食。大変居心地が悪かったけれど、うん、お粥はさすがに美味しかった。料理の師匠として、純粋に尊敬する。

「……で、理由は?」

「何よ」

 お粥の入っていた土鍋をきちんと片づけて、戻ってきた博麗に俺は尋ねた。

「だってさ、博麗さんって意味のない行動はしないでしょう? 意味のない善意も。だから、こういう親切にしてくれることがあったということは、つまり、それ相応の背景があるんだと思うんですが、どうでしょう?」

「そこはあえて追及しないところじゃないの?」

「生憎、わけのわからない善意に溺れるほど純粋じゃないので」

 じろりと博麗は俺を睨んだ後、呆れるようにため息を吐く。

「悲しい人間ね、アンタ」

「何も知らずに喜ぶ道化になりたくないだけですよ」

 理由のないことは嫌いだ。

 全ての物事の裏には正当な理由があるべきだ。

 降ってわいたような幸運にも、不幸にも、自分が例え知らなくても、納得できる理由が用意されているべきなんだ。

 でなければ……救われないだろ、何もかも。

「ふん。アンタが勝手に変なことを考えるのはいいけど……アタシがアンタを看病した理由なんて簡単よ。それは――――頼まれたから」

「誰にですか?」

「バットと幼女に見覚えは?」

「嫌というほどに」

 将来性を感じさせる素晴らしいスイングだった。

「じゃあ、その子とアタシが顔見知りだった、って知ってる?」

「……それは、知らなかったなぁ」

 というか俺は、博麗の交友関係なんてさっぱりだ。むしろ、ずっと家でお茶飲んでいるか、漫画を読んでいるかのどちらかと思っていたぐらいである。

「と言ってもたまに話をしたり、私が迷子になっていたところを助けてくれたぐらいだけれどね」

「意外と方向音痴ですからね、博麗さんは」

「ええ。なにせ、こっちじゃ碌に空も飛べないから」

 幻想郷という場所では、移動方法が飛行だったのだろうか? それは随分とこう、ファンタジーな光景だな。

「だからまぁ、私は知っていたわけよ、あの子の事情も。あの子が、アンタみたいな奴を襲わなきゃいけなかった理由も」

「…………」

 蛇足だ。

 本当に余計な話だけれど、俺の不幸自慢の最後を付け足すとすれば、俺を襲った少女が、案の定のっぴきならない事情を抱えていたことだろうか。

 虐待なんて当たり前。

 ご飯を貰える日があれば幸運。

 学校に行けば、苛めの対象に。

 それでも何かいいことがあると思って、前向きに生きようとしていたら両親が借金をこさえて逃げてしまいましたとさ。

 もちろん、なすすべなく少女は借金のかたになるはずだった。

 やけくそになって、俺をバットで襲わなければ。

「随分と似合わない真似したじゃない」

「ははっ、そーですねぇ」

 渇いた笑いしか出ない。

 ああ、確かに俺にとってはらしくない出来事だったなぁ。

 ボロボロのまま、その少女を抱えて、借金取りのところまで行ったり。そのまま、借金取りの目の前で札束入ったトランクをぶん投げて、ついでに神様の呪いを借金取りとか、阿漕な商売をしていた奴らに移して。

 あとはまぁ、地道な作業。少女の両親を見つけ出して、少女の代わりにぶん殴って。少女が「今までありがとう、お父さん、お母さん。でも、もう要らない」ときちんと実の両親を切り捨てる判断をするまで見守って。

 少女みたいな境遇の奴らを育てているのが趣味なお人よしのところまで行って。頭を下げて。少女が大学を卒業するまでの生活費を銀行から卸して。

 ここまでやった労働の対価が、

「お兄さん、ありがとう!」

 少女の純粋無垢な笑顔だった。

 ああ、まったく。この俺には随分と分不相応な代物だよ、畜生が。

「その女の子から言われたの。怪我をさせちゃったから、看病してほしいって。それがアンタを看病した理由よ」

「さいですか」

 納得した。

 博麗はわりとドライな人間だが、恩や義理の貸し借りについてはきちんと筋を通すタイプだ。だから、少女から受けた借りをキチンと返したのだろう。

「それで? こっちの理由を聞いたんだから、アンタの理由も話しなさいよ」

「理由って何の?」

「あの子を助けた理由」

 なんとなく。

 とか答えたらきっと、痛烈なデコピンが待っているんだろうなぁ、きっと。あれ痛いんだよ。デコピンの癖に、『どばんっ!』とか鳴るんだぜ?

「理由ねぇ?」

 善意ではない、間違いなく。

 そんな上等な物で、俺が動けるわけがないのだ。

 であれば、何だ?

 俺が動いた理由は、何だ?

「――きっと、むかついたからですよ」

 絞り出した答えは、思いのほか、すとんと胸の内に収まった。

「あの少女が不幸になる理由が納得できなかった。あれは理不尽だった。納得できる理由がまったく見当たらなかった。だから、ぶっ壊してやらなければ気が済まなかったんだ」

 あの理不尽を。

 不幸を。

 涙の理由を。

「そして、たまたまそれができる力があったから、俺はそれを行使しただけ。俺の理由なんてそんなもんだ。だから、もしもその少女が助かったことに何か意味があるのなら」

 そう、そんな都合のいい理由が与えられるのなら。

 

「きっと、神様って奴が上手くやってくれたんだろうさ」

 

 神様はきっと気まぐれだ。

 ずっと頑張っている人間が必ず報われるわけでもないし、幸せを甘受している人間に、その資格があるのかは不明。

 しかし、もしも神様が気まぐれであの少女を見ていたのなら。

 あの少女は多分、神様を魅せたのだろう。ちっぽけな女の子の力と生き様で、思わず助けたくなるようにさせてしまったのだ。

 そういう理由の方がずっといい。

「……そう」

 博麗は静かに頷くと、いつの間にやら果物ナイフを取り出している。

 あれ? 選択肢間違えた? このまま刺殺でバットエンド?

「林檎」

「えっ、あ、うん、なに!?」

「林檎剥いたら食べる?」

 どうやら、まだ看病は終わりではないらしい。

 ならば、甘えよう。

 いつか殺されるために同居しているような相手だけど、

「ええ、頼みます」

 たまには美少女に癒されるのも悪くない。

 そう思えたことを、理由にしよう。

 

 

 



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第四話 いつかどこかのこんな結末

「食べていい人類なのかー?」

「いや、普通に食べちゃダメな訳ですが――」

「でもおなかすいたからどうでもいいのだー」

「いや、ちょちょちょ! ストップ! いたっ、マジ噛みっ! つか、なんで女の子なのに、こんなに怪力ですか!?」

 ばくばく、ぐちゃぐちゃぐちゃ、ごっくりんこ。

 あわれ、×××君は金髪ロリ妖怪に食べられてしまいましたとさ、物理的に。

 きゃははははっ! 主人公力が足りないから仕方ないね! 紫さんが元々『食糧』として用意した人間だから、容赦なくデッドエンド逝きだね! ざぁーんねん!

 徳を積んで、来世から出直して来な!

 さぁて、ここで××君の物語は終わってしまったけど、まだまだ物語は続くよ! 続きはCMの後で! なーんてね!

 

 

●●●

 

 

「うー、おなかすいたのだー」

 いつかどこかの薄暗い森の中。

 金髪ロリの、可愛い宵闇妖怪のルーミアちゃんは困っていました。

 そう、おなかがすいていたのです! つい数日前に人間を一人平らげたばかりでまだ栄養的には余裕ありますが、腹が減ったものは減ったのです。仕方ないのです、本能なのです。

「次はいつまでなのかー?」

 食べてもいい人間が配給されるのは、結構不定期です。それを待っていてばかりでは、腹は膨れないので、自分で食べられる者を探して生きなければなりません。

 ルーミアちゃんは最近、妥協を覚えたので、人間が食べれないときは大人しく獣を狩って空腹を癒していたのですが、今日はそんな気分ではありません。そう、人間! 今日は人間な気分なのですよ!

『それじゃ、人里の人間を食べればいいじゃないか』

 そんなルーミアちゃんに、どこからか悪魔の誘惑が。

「むー、ダメなのだー。人里の人間は食べたら怒られるのだー」

『えー? あんなにたくさんいるのにかい? そりゃ、ケチな奴もいたもんだね』

「そーなのだー。あんなにいるんだから、一人ぐらい……」

『そうそう、一人ぐらい大丈夫だよ。君の能力をうまく使えば、子供の一人ぐらいかどわかすなんて簡単さ!』

「どーやるのだー?」

『大丈夫! 俺も一緒に考えてあげるから! さぁ、一緒に頑張ろうぜ! よりより食生活のために!』

 悪魔は姿も見せずにルーミアちゃんを籠絡しました。

 彼女の欲望を肯定してあげて、彼女にうまく人を浚う方法を教えてあげて、美味しい人間の料理の仕方を教えてあげました。

 ルーミアは美味しい物をたくさん食べれて幸せです。

「うー、おなかいっぱい、むねいっぱいなのだー」

 でも、食べ過ぎて身動きが取れない時に、博麗の巫女がやってきて、ルーミアちゃんをあっさりと殺しちゃいましたとさ。

 仕方ないね! ルールを破っちゃたんだからさ! 悪い妖怪は人間に退治されるのがお話の決まりって奴なのです。ばいばい、来世では食い意地はほどほどに!

 

 

●●●

 

 

 ここは幻想郷の人里。

 妖怪たちとなぁなぁな関係を築いている人間たちの住処だよ!

「おい……大丈夫なのか?」

「馬鹿言うな、もうあの妖怪は退治されただろ?」

「大丈夫さ。賢者様がそう言ったんだ」

「でも、ここ最近、妖怪たちの動きが――」

 おやおや、いつもは活気で溢れている町に不穏な空気が流れています。

 いけませんね! ここはひとつ、盛り上げてあげなくては。

『だったら、先に妖怪を討てばいい』

 どこからともなく、人里の人たちに悪魔の声が囁かれます。

「なんだ?」

「今の声はなんだ?」

「おい、誰だよ?」

『俺だよ、俺! そんなことよりもさぁ。大丈夫? 博麗の巫女や、退治屋さんだって、数に限りがあるんだよ? いつ、自分の子供や妻が、大切な人が妖怪に襲われるかわからないじゃないかー』

 けたけたと、悪魔は心底可笑しいといったように笑います。

『ある程度間引いた方がいいじゃないのかなー? 下級妖怪ぐらいだったら、きちんと装備固めたら行けると思うしー。大体、おかしくね? なんでわざわざ危険因子を見逃すの?』

「だ、だって、賢者様が」

『はぁーん? んじゃお前、賢者様が死ねって言ったら死ぬのかよ? 違うだろ? 生きたいだろ?』

「うぅ……」

『大丈夫! 大丈夫! ちょっと理性のない化物を狩るだけ! 獣狩りの延長線上だから。自分たちの生活を守るためなんだし、きっと賢者様も許してくれるって』

「そう、だよな?」

「……少しぐらい」

「せめて子供が襲われないぐらいには……」

 皆、心の底では不満が溜まっていたのでしょう。

 仲には大切な人を妖怪に食べられてしまったかわいそうな人もいたかもしれませんね? その所為か、『妖怪廃絶!』の動きは驚くほどあっさりと蔓延していきました。

 まるで、悪い悪い病のように。

 さぁ、頑張れ諸君!

 自らの希望と理想生活を手に入れるのだー! なーんてね、きゃははははっ。

 

 

●●●

 

 

 人里の人間に攻撃された妖怪たちは当然、正統な怒りを持って報復を。

 報復はやがて憎しみの連鎖を生み、戦火が幻想郷を焼き尽くすでしょう。

 殺せ殺せぇ! 人間を殺せ! 妖怪を殺せ! 逃がすな! 恨みを晴らすんだ! 俺の母親を! 私の輩を! 同族を! 殺された恨みを今こそ晴らせ!

『大丈夫。君たちの行動は正しい。それは歴史が証明してくれているさ! 安心して殺し殺されするといい!』

 悪魔は慈悲深く彼らを見つめます。

 ああ、なんて素晴らしい人間賛歌。

 悲鳴と怒号。

 満ちる痛みと嚇怒。

 そこから生まれる勇気と希望の物語!

 さぁ、窮屈な幻想なんかに留まってないで! この素晴らしい物語を『外』に――

 

「そこまでよ」

 

 おや?

「可視と不可視。生と死。主観と客観の境界を弄って、ようやく見つけたわ……×××。いえ、今ではもう立派な祟り神かしら?」

 あららら、これはこれは妖怪の大賢者様。

 境界を操りし妖しい隙間妖怪様。

 八雲紫様。

 二度目まして? あるいは初めまして?

「どちらでも構わないわ。貴方と会話するのは、これで最後になるでしょうから」

 ひっどーい! そっちから俺を呼んでおいて、用事が済んだらもうポイですかぁ? 幻想郷はなんでも受け入れてくれるんじゃないんですかぁ?

「死後発動する能力は盲点だったわ。そこから派生して祟り神にまで至ることも……でも」

 おおう?

 ありー? おっかしなぁ、体というか、思考というか、魂が…………ああ、なぁるほど。

『レミリア嬢の能力かなー? 俺の消滅を運命として固定されちゃったかー。あははは、油断しちゃった。まさか、こんな昼間まで起きてるなんてねぇ?』

「これで詰み、よ。哀れな祟り神。存在と非存在の境界を漂い、消え去るがいい」

 うっはぁ、たまんないねぇ。やっぱりメアリー・スー殿のようにはいかないか。いやぁ、やってみたいねぇ、最強蹂躙とか。まっ、愛がないとかアンチとか言われて終わりでしょうけどさぁ。

『けらけらけらけらけらけらけら』

 さてさて、ここで俺の物語は終了!

 哀れな祟り神は信仰を失い、消えていきます。ああ、けれど、けれどもしも。俺のように調子に乗らないような存在が似たような境遇に遭ったら?

 もしも、俺の『××を××××能力』をもっと賢く狡猾な奴が発動させていたら?

 あるいは――――俺よりももっと、この世界に××していたら?

『そうしたら、蹂躙というよりは破滅の物語になりそうですけどねぇええええええ』

 では、失敗した俺はここまで。

 つまらない夢はもうおしまい。

 ばいばい、また来世。

 

 

●●●

 

「――ちょ、それ俺のカルビぃいいいいいいいいっ!!」

「うるさい」

「へぼすっ!?」

 夢から覚めたら、二秒で鉄拳。

 これでも俺、病み上がりなんですけどねぇ?

「あー、最近博麗さんが鳩尾を的確に殴ってくるんだけど……地味に殺人狙ってる?」

「その気になれば、アンタの頭をトマトみたいにつぶせるけど?」

「すみません、ナマ言いました」

 看病された翌朝。

 まぁ、色々ありましたが何とか起床しました。若干、腹部に鈍痛が残っている以外は問題ありません。

「で、どんな夢見てたのよ?」

「えーっと、金髪幼女と一緒に焼肉屋行って『扱いがひどい』だの『どうせやられ役』とか『リボン取ればワンチャン』とか愚痴ってた夢」

「カオスね」

「でも焼き肉は美味しかった気がしますねー」

「そう」

 てなわけで、今日の夕飯は外食だ。

 せめて、生きている内は美味い飯を食っておこう。

 少しでも、後悔を無くしておけるように。

 

 

 

 

 



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第五話 二度寝は幸せ

 微睡は融けるように体を浸す。

 何も考えたくない。

 このまま浮雲の如き感覚に任せて、奈落の底まで沈んでしまいたい。一度意識が浮上したからこそ、なおさら、その要求は強くなる。

 抗いがたいのだ。

 泥のように静かに、悠久の時を過ごせたらどれだけ幸せだろう? 静寂の無窮こそが、至高の幸せであるとなぜ気づかない? ああ、最高だ。

「むにゃ……やっぱり、休日の二度寝は最高だぁ……」

 今日は日曜日。

 お仕事はお休み。

 博麗は朝から近くの本屋に漫画を漁りにお出かけ。

 つまり、心置きなく、昼過ぎまでは惰眠を貪っていられるというわけなのである! ひゃっはぁ! やったね! 自堕落な生活最高ぅ! あははは! もはやこの俺の二度寝を止められるものなんて存在しな――

『Prrr! Prrr!』

 緊急時にしか仕事場からかかってこない番号のコールだった。

 取らないわけにはいかない。

「はい、×××です。ええ……ええ!? はぁ!? 人類の危機!? ちょっと待ってください、どうしてそういう話に……はい、はい……ああ、あの化学兵器。え? バイオハザードとか、あれは洒落にならんでしょう!? わかりました。装備を拾って、直ぐに現場に向かいます。それまで精々生き延びてくださいな」

 ……ふぅ。

「どちくしょう!」

 俺は素早く布団を蹴り飛ばし、ダイナミック起床。身だしなみは最低限だけ整え、厳重に鍵をかけた金庫から装備を取る。まさか、この日本で戦地に赴くような重装備をするとは夢にも思わなかった。

「ロックンロールの始まりだぁ!!」

 ちなみに、道中で三回ほど警察の方に声を掛けられ、その全てを当身でやり過ごしました。

 仕方ないね、緊急事態だからね。

 

 

●●●

 

 

「あ、おかえり」

「ただいまー」

 自宅に帰ると、既に夕方だった。

 俺の装備はボロボロで、一体、どんな戦地に行ってきたのかと問われそうだが、訊かないで欲しい。それほど凄惨な戦いで、ロマンあり、笑いあり、涙ありの大激闘だったのである。

 そして、俺は忘れない。

 神に至ろうと求めすぎた人間が、最後に己の叡智で焼かれて死んだ最後を。

「まぁ、それはそれとしてご飯作りますねー。カレーでいいですかー?」

「殺すぞ」

 今日一番の殺気を、どうして同居人から受けなければならないのだろう?

「ごめんなさい。肉じゃがでどうですか?」

「許す」

「ありがとうございます」

 やはり和食が好みなのか、博麗さんは。というよりも、今までの食生活がずっと和食だったから、それ以外の物はいまいち受けが悪いのかもしれないなぁ。にしても、カレーループがずっと続いた所為で、カレーに拒否反応が起きているのはどうにかしないと。

「前にカレーばっかり出したのは謝りますから、カレー嫌いを治しましょうよ」

「アタシはカレー味の物は口にしないと決めたのよ」

 目つきがマジです。光る眼光が超怖い。

「はいはい、わかりましたよ、もう」

 とりあえずご飯だ、ご飯。

 ぶっちゃけ、俺は朝から何も食べていないのである。水分だけはこまめに取って、仕事中に倒れないようにしていたけど、もう限界。さぁ、博麗直伝の料理テクで、美味しい肉じゃがを作ってやるぞ――っと、お?

『Prrr! Prrrr!』

 緊急コールその2。

 どこぞのお人よしがやっている孤児院から。滅多な事ではこういうことはしない奴なので、本当に緊急事態なのだろう。ちなみに、以前、バットで俺に殴り掛かった少女もそいつが経営している孤児院に居る。

 もちろん、取らないわけにはいかない。

「おう、俺だ。ああ、わかっている……そうか。そいつらがどこに向かったか分かるか? 大体でいい。ん? バックにロシアンマフィアの存在? 死にたがりの戦争屋? 上等だ。そんな理不尽、この俺が綺麗さっぱり掃除してやるぜ。はは、安心しろ……お前のガキどもは絶対に俺が取り戻す――死んでもな」

 さて、と。そいつら相手となると、二段階上の装備も持っていかないとな。最悪、封印していた幻想装備も解除しなきゃいけないか。

「……ん? ああ、すみません、博麗さん。俺、ちょっとこれから野暮用が出来なので、申し訳ないのですが、料理はご自分でどうぞ」

「わかったわ。それはいいのだけれど」

 何やら博麗が疑いと戸惑いが混じった視線を向けてくる。

「貴方ってお人よしなの?」

「まさか」

 俺は博麗の問いを一笑に付す。

「徹頭徹尾、俺は自分のための行動しかしていませんよ。ええ、何が悲しくて休日を他人のために費やさないといけないんですか」

 仕事をしているのは生活のためだ。金払いがいいから、俺は危険な仕事だってするし、理不尽な休日出勤だって認められている。

 誰かを助けているように見えるのは、その部分だけしか見ていないからだ。俺は別に他人の命が失われようが、どうでもいい。子供どもが、マフィアに浚われてどんな末路を辿ろうが、知ったことか。

 ただ、俺が気持ちよく二度寝を味わうためには、そういった物を、降りかかる理不尽を潰して、結末を笑顔の満ちる物にした方がいいというだけだ。

 つーか、休日ぐらい気持ちよく寝られないのなら、俺は生きている理由の大半を失うし。

「俺はいつでも自分のために理不尽を潰しているんですよ。でも、だからこそ他人の事情に命を賭けられるのかもしれませんね」

 それほどまでに、理不尽など許せない。

 運命という言葉で片付けられるのが、神様の気まぐれが、許せない。

「もしも、俺がその意地のために死んでも……まぁ、納得できますからね。少なくとも、理不尽ではないと思って死ねます」

「……なら、もしも」

 博麗はいつもの鋭い視線とは違い、迷うような、伺うような視線で俺に尋ねる。

「アンタが理不尽を感じて死んだら、どうするの?」

「どうにもなりませんよ。人間、死んだらそれでお仕舞です」

 ですけど、と俺は言葉を繋いで笑う。

 嗤う、哂う。

 

「俺に理不尽を与えた存在は絶対に許しませんが」

 

「……そう」

 死んでも許さない、という言葉に何を感じたのか、博麗は少し黙り込んだ。その僅かな沈黙に何を思ったのかはわからないが、少なくとも、顔を上げた時はいつもの博麗の顔だった。

「アンタらしいわ、それ」

 怜悧で、冷静で、容赦のない、そんな女の顔をしていた。

 きっと、俺を殺す時もこんな顔をしているだろう。だからこそ、俺は博麗になら殺されてやってもいいと思ったのである。

「――んじゃ、時間も無いし、そろそろ行ってきますね」

「ええ、行ってらっしゃい。アンタは死んでもいいけど、子供は助けなさいよ」

「もちろん、俺の意地に賭けて」

 全てが終わった後、気持ちよく二度寝するためにも。

 



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第六話 たまの贅沢は心の栄養だ

二か月ほど入院してました、こんちくしょう。
暇だったので、完結まで書き進めましたとさ。
週刊ペースで予約投稿していく予定です。


 金に不自由しているわけではない俺だが、基本的には質素倹約を心がけている。

 人生は死ぬまでの暇つぶしが座右の銘の俺だが、別に早死にしたいわけではないので、贅沢はほどほどにしているのだ。幸いなことに、高価な物を揃える趣味も、美食にこだわる舌も持ち合わせていないので、毎日、テレビのバラエティを楽しみしながらスーパーの食材を上手くやりくりしているのだ。もちろん、バーゲンセールの時は積極的に利用している。

 しかし、だ。いつも質素倹約を心がけている俺だけれど、たまにはちょっと贅沢をして、心の栄養を補給しておきたい。例えば、ノー残業デイだったはずの水曜日が当然の如く残業になり、そこから徹夜で作業した後なんかは、ご褒美が欲しいのだ。美味い物を食べたいと思ってしまうのだ。

「そんなわけで今日のお昼はお取り寄せした醤油ラーメンです」

「……あの袋に入っていた?」

「そうですよ」

「インスタント?」

 そうだったら、次の瞬間にお前の両目を割り箸で突くという、無言のプレッシャーが博麗から放たれている。なんだよ、なんでそこまでインスタントを嫌うだよ。あれは人類の英知が込められた知的食品なのに。

「いえ、スープや麺などは予め作られているので調理こそ簡単ですが――」

「歯を食いしばりなさい」

「ですがっ! これは『お取り寄せ』です! 断じて、インスタントではありません!」

「…………お取り寄せって、あの?」

「ええ、博麗さんが最近気に入っている漫画にも取り上げられているアレです!」

「……とりあえず、味を見るまで保留ね」

 今日という日のために、あらかじめ博麗に『お寄り止せ』の知識を植え付けておいて本当に良かったと思う。基本、漫画から現世の知識を色々と学んでいる博麗なので、その影響力は馬鹿にできない。特に、バトル系の少年漫画を読んだ後だと、意思疎通に暴力手段が用いられることが多くなるので、本当に馬鹿にできない。

「っと、そろそろ麺が良さそうですね」

 袋に付属されていた説明書通りに調理し、後は付け合わせに作っていたチャーシューと、刻み葱、煮卵などをトッピングして完成である。

「どうです? なかなか美味そうじゃありませんか?」

「食べてみなければわからないわ」

「んじゃ、食べましょう、食べましょう」

 いざ、実食だ。

「…………」

「…………」

 しばし、俺と博麗は無言で麺を啜り続ける。大体、全体の三割ぐらいの麺を啜り終わった頃だろうか、俺はそっと器を置き、ため息を吐く。

「うまいですねぇ、これ」

 いや、本当に。

 それなりに人気があって、何か月も待たなくて大丈夫なお取り寄せの中から、適当に選んだこの醤油ラーメンだったが、かなりの当たりだ。魚介ベースの醤油スープが薫り高く、恐らく、アゴと呼ばれるトビウオの乾物から上手く出汁を取っているのだろう。生臭さがまったく感じられない上に、コクと飲み込んだ後の鼻から通るような風味が素晴らしい。加えて、この細麺事態にも味があり、啜ると、ちゅるちゅると気持ちよく口の中に入り込み、程よいコシで楽しませてくれる。

 まさにこれこそ、口福だ。

「確かに、ちょっとしたものね、これは」

「でしょう?」

 珍しく、博麗が驚いた様子でラーメンを褒めている。

「あっちにはこういうのは少なかったから、珍しいわ」

「へぇ、そういえば幻想郷って基本、和で統一された世界観でしたっけ?」

「そうでもないわ。泉の近くに真っ赤な屋敷があったりするもの」

「真っ赤なのか……趣味を疑いますねぇ」

 それともなんだろうか? 前衛的な芸術の類だったのだろうか? 幻想郷には、この世界から忘れらされようとしている幻想が行き着くというが、さて。

「もしも、このラーメンが人々の記憶から無くなったら……『この世界』の幻想郷に辿り着くかもしれないわね」

「そうですか、そりゃ、幻想郷の人には残念だ」

「……どうして?」

 首を傾げる博麗に、俺は告げる。

「こんなにおいしい物、なかなか忘れられませんよ、人間って。きっと、数百年先まで味を受け継いで……いや、もっと美味しくなっているかもしれませんね」

「数百年って…………いえ、案外大げさじゃないのかもね」

「でしょう? なにせ、うなぎ屋なんかは秘伝のタレを百年以上の歳月を経ても向上させ続けているらしいですからね」

「うなぎ……」

 ずるずるとラーメンを啜りながら、博麗は呟いた。

「次は鰻も食べたいわね」

「いいですね。今度贅沢する時はうなぎ屋にでも行きますか」

「…………ヤツメウナギも置いてあるといいのだけれど」

「ああ、とある妖怪がやってたっていう屋台のアレですか? まぁ、まずありません」

「……そう」

 俺に断言されて、若干、残念そうな博麗。

 いや、無いからな? 普通のうなぎ屋に、あんなグロテスクな存在は置いてないと思うのだよ。しかし、グロテスクと言っても、日本人って普通にタコ食うしなぁ。味は良かったりするのか?

「ヤツメウナギ自体なら、購入することもできますけど、やります? うなぎ料理」

「いいの?」

「構いませんよ、ツテはありますし」

「…………ただの感傷だと、笑わないの?」

 さぁ? 博麗にしては珍しくそうだと思ったが、別に何も笑いはしないし、おかしくも無い。

 だから、俺は尋ね返した。

「笑われるようなことだとでも?」

「いいえ」

「なら、いいじゃないですか、たまには」

 俺たちが贅沢品を食べるように、たまにだったら、らしくないことをしても。それが心の糧になるのなら、きっと間違いじゃない。

「…………ん」

 博麗は頷き、無言でラーメンを食べ進める。

 俺も、野暮なことは何も語らず、ラーメンを食べる。

「ご飯チンしてありますので、ラーメンライスにして食べます? 一応、ネギも刻みますよ?」

「ラー油を取って欲しいわね」

「了解です。次は餃子も作っておくとしましょう」

 結局、俺たちはラーメンのスープまで綺麗に平らげた。

「ご馳走様でした」

「ご馳走様」

 少しばかりの塩分過多な食事だが、後から水分を補給すればとんとんだろう。なんにせよ、成分表には載っていない、大切な心の栄養分を補給できたので何よりだ。

「ねぇ、アンタ」

「なんですか、博麗さん」

「ネットにうなぎのさばき方とか載っているかしら?」

「ありますよ。ついでにそのレシピが載っている料理漫画がありますので、買ってきましょう」

「……面白い? その漫画」

「少なくとも、連載開始から今まで、数十年間忘れられないくらいには」

「それは――期待できそうね」

 では、次の贅沢の日まで、ヤツメウナギの味を想像しながら、過ごすとしようか。

 



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第七話 近くに本屋があると幸せ、図書館があるとなお良い

 俺は割と身の回りの物に関して執着が無い方だ。別に雑に使うというわけでもないし、部屋の物は整理整頓、掃除も欠かさず行っている。ただ、それが摩耗して使用不可になったら、面倒になる前にきちんと捨てているし、それを躊躇わない。五年間ぐらい使い続けた財布が壊れても、それを捨てることに感慨は覚えない。

 なので、俺としては軽い気持ちで提案したのである。

「博麗さん。そろそろ漫画がスペース圧迫しているので、売りに行きませんか?」

「…………え?」

 まさか、博麗がこんな唖然としたような顔をするとは思わなかった。

「いや、だから明らかに本棚からはみ出している奴らは売りましょうよ。もしくは、整理して売っていい本を決めましょうよ」

「…………」

「あ、その眼は今ここで俺を殺すかどうか迷っている目ですね?」

「どうしてばれたのかしら?」

 冗談で言ったのに、嫌な方向で当たりだったの巻。共同生活を始めて結構経っているというのに、未だに博麗の殺意に衰えは無い。うん、良いことだ。

「なんにせよ、そろそろ読まない本やハズレだと思った物を売るぐらいはした方がいいですよ。どこぞの捨てられない人間になりたくなければ」

「…………そうね」

 博麗は浅くため息を吐く。

「自分でもびっくりしたわ。あっちに居た頃はそういう執着は少ない方だと思っていたのだけれど」

「人間、生きていれば変わることもあるんじゃないですか?」

「ん、これは変わるというより……」

 未練ね、と心底うんざりしたように博麗は呟いた。

 何が未練なのか?

 何の未練なのか?

 当事者でありながら、まるで関係のない俺にはさっぱりわからない。

「アンタが提案したんだから、古本屋に本を持って行くの手伝いなさいよ?」

「了解です」

 俺にできることと言えば、知人から車を借りてくる程度のことだ。

 流石に、この本を紙袋に入れてずっと歩くのはしんどいだろう。

 

 

●●●

 

 

 初めて本を買ったのは何時だっただろうか?

 気まぐれに、自分の好きなゲームのキャラクターデザインを担当しているイラストレーターが、挿絵を描いているライトノベルを買った時、だったっけか?

 いやいや、当時流行っていた漫画の単行本が先だったような。

 どちらにせよ、子供の小遣いに対して一冊の本の値段はなかなか高く、どうやって両親から金を引き出して美味いこと、買ってもらおうかと考えていた物だ。

 その内、両親が自殺して、一人で生きていくことになって。

 自分の金で漫画を、小説を買うようになって。

 金が無い時はそれを売って、飢えを凌いで。

「さて、両親に買ってもらった本はどこへやら」

 きっとどこかで売ってしまったか、無くしてしまったのだろう。

 割と大切な思い出だった気もするが、今となってはもはやどうでもいい。所詮、死ぬのを待つ身の上だから。

「お客さん、何かお探しですか?」

 ああしまった、どうやら独り言を聞かれていたらしい。

「ええと……」

 俺は言い淀んで、周囲の本棚を見渡す。

 いつもだったら、適当な漫画のタイトルでも言ってごまかせばいいのだろうが、ここは生憎そういう古本屋ではない。CDやゲームも売っていたり、漫画が本棚にずらっと並べられている大型チェーンではなく、古書店と呼ぶべき、本当に古い本だらけの場所。博麗がそういう古本屋で会計を済ませるまでの間、俺は近くにあった見知らぬ古書店へと入り、時間を潰していたのである。

 当然、あくまで暇つぶしであり、俺はどこぞのコレクターでもないので、こういう古書に興味は無い。だから、あからさまに存在しない本の内容をでっち上げたのである。

「タイトルは忘れたんですが、確か……日本のどこかに妖怪と人間の隠れ里がある話で」

「ん……遠野物語の亜種ですかね?」

「さて、内容もうろ覚えですから」

 真面目に探してくれる小柄な女性の店員さん。

 すまない、適当に言っただけだから、さらりと流してほしい。

「あ、ありました。これなんてどうですか? って、さすがに違いますよね。内容は幻想世界の記録みたいなんですけど、さすがに内容が古すぎるといいますか、江戸時代以上昔からの記録が書かれた物の断片ですから」

「え?」

 あったのか、というか、なんだ、それは?

 俺が視線を向けると、店員さんは笑顔で告げる。

「幻想郷縁起というタイトルなんですけど……本の形を取っているのが、最終巻のこれだけなんですよ。いえ、日本のどっかにはあると思うんですが、なにせちょっとした騒動で、かなり巻数が欠けてしまったらしいので」

「そう、ですか」

 和紙で作られたその本。そのタイトルには、聞き覚えがある。そして、それを編集していた一族の名前にも。

「あの……」

「なんですか?」

 尋ねられて、答えに困った。

 例え、この女性がそうだとして、俺はどんな言葉で語り掛ければいいのか、わからない。いや、『語る言葉も無い』という意味合いが適している。

「――いえ、なんでもありません。では、その本を買いますので、会計を」

「はい、ありがとうございます」

 結局、その本だけを買って俺は古書店を後にした。

 

 

●●●

 

 

「お待たせしました……って、また買ったんですか?」

 古書店から戻ると、博麗の手には数冊の本が入ったビニール袋があった。どうせ、暇つぶしに本を立ち読みしている間に、買いたくなってしまったのだろう。

「買ったわよ、悪い?」

 ここで悪いと言ったら、次の瞬間、俺はアスファルトの地面に倒れることになるはずだ。

「悪くはありませんが……なんというか、輪廻のように繰り返しますよ、それ」

「その時はまた売ればいいわ」

「売れるんですか?」

 俺の問いに、博麗はそっけなく答えた。

「売れるわよ。ちゃんと記憶しておけばいいだけだから」

 そういう風に答えられる博麗が、少しだけ羨ましかった。

 

 

 買った本の最後のページ。

 幻想の楽園は、とある男の手によって滅ぼされたとだけ書いてあった。

 男の名前は――――

 



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第八話 旅行は計画を立てるまでが楽しい

 たまには何処かへ行きたい物だと、思う。

 大概それは、何かから逃げたいときに、そう、逃走願望として現れる物だ。それは得てして、ままならない現実だったり、どうしようもない過去だったり、そういった物から、少しでも目を背けるために存在している。

 逃げきれればいいのだが、生憎、俺は足が遅い。すべてを振り切って疾走するのには、何もかもが遅いのだ。

 それに……仮に逃げたとしても、逃げた先にある俺の未来なんてものは、結局のところ……既に終わっている物だ。

 だからせめて、最後に感慨に耽られる場所を探そうと思ったのである。

「んー、新幹線に乗ってなら首都でもいいですねぇ」

 旅行雑誌を読みながら、俺はコーヒーを啜る。

 コーヒーを味わうのにブラックが一番なんて、野暮なことは言わない。そもそも、俺はそこまでコーヒー好きでない。だから、遠慮なく砂糖とミルクを入れて、飲む。味わいなどいらないとばかりに、飲み干すのだ。

「どこかへ行くの?」

 傍らで番茶を飲んでいた博麗が、気まぐれに尋ねてくる。

「ええ、まぁ。そろそろ思い出づくりにでも行こうかな、と」

「…………思い出づくり?」

 怪訝そうに向けられてくる視線に、俺は笑顔で答えた。

「博麗さんと同居してから、約半年……まぁ、そろそろ良い頃合いなんじゃないですかね?」

「…………」

 博麗は何も言わない。

 ただ、その透き通った瞳だけが、こちらに向けられている。

「もう十分、対策も取れたことでしょう。なら、俺は俺がやるべきことをするために、身辺整理をしようと思いましてね」

「アンタは……」

 一拍置いて、試すような口調で問われた。

「アンタはそれでいいの?」

「元々そうであるべきことだっただけですよ」

 出会い頭に殺されなかったのは、そのためだったのだから。

 半年も時間をかけたのは、博麗なりの執行猶予だったのかもしれないし、あるいは、準備に手間取ったからかもしれない。

 ただ、そういう始まりだったのだから、終わりはそうであるべきだ。

 俺が殺されることで、完結すべきなのだ、この日常は。

「あっそ。まぁ、死にたいのなら止めないわ。殺す日時はこちらで決めるけど」

「なら、なるべく早く旅行に行かなきゃですねぇ」

 淡々と、俺と博麗は言葉を交わす。

 死ぬか、殺すか、なんて、物騒な話題を。

 うん、これでいい。これが俺たちの日常であり、そういう目的でずっと一緒に暮らしていたのだから。

「じゃあ、旅行どこ行くか決めたら、アタシに教えなさいよ」

「へ?」

 何かおかしな言葉が聞こえた気がする……なんだ、幻聴か。

「何呆けた顔しているのよ? アンタが旅行行くなら、アタシも付いていかなきゃダメでしょうが。元々、そういう意味で一緒に暮らしているんだし」

「いや……いやいやいや、博麗さん! ちょいとお待ちよ、博麗さん!」

「あによ?」

 じとー、とこちらを見つめてくる眼差しはいつも通り冷たいのだが、気のせいか、何時も以上に機嫌が悪いような? どことなく、険があるし。

「さすがに付き合ってもいない男と、二人で旅行はどうかと思いますよ、淑女として!」

「半年間、付き合ってもいない男とずっと同居してたのに?」

「そ、それとこれとは別でしょうが!」

「はぁ?」

 ごふっ……この巫女、的確に鳩尾を抉りやがった。人差し指一本だけで、どすりと来やがった、なんて力だよ……うぅ、ちくしょう。

「すぐ暴力だ……半年間、実力行使が絶えない日常でしたよ、この暴力巫女」

「こんなの幻想郷じゃ日常茶飯事よ?」

「妖精が出会い頭に弾幕かましてくる世界の常識で語らんでください!」

「断るわ。アタシの常識はアタシが決めるもの」

 さらりと、不遜に言い放つ博麗。

 いつもそうだ。何物にも囚われないような言動でこっちの意図をあっさりかわして、その癖、自分の主張だけは通してくる。

 本当に、厄介な同居人だった。

 でも、だからこそ俺は――――

「わかりましたよ」

 観念した。

 こうなった博麗はどうにもならない。

 おとなしく要求に従おう。

「近場の旅行でよかったら、謹んでエスコートさせていただきますよ、巫女様」

「よろしい」

 笑顔の一つも見せず、博麗は仏頂面で頷く。

 まったく、こんな時ぐらい、愛想笑いすればいいのに。もっとも、俺はこの半年間、今まで一度も博麗の笑顔なんて見た時は無いのだが。

 まぁ、人生の最後くらいこんなことがあってもいいだろう。

 こんな幸いがあっても。

 



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第九話 親の死に目に会えなかったとさ

 さて、何が悪かったかと言えばきっと、俺が悪かったのだろう。

 俺の身の回りで起きた不幸は、大抵、俺が原因だ。原因不明だが、そういう呪いと、幻想を持って生まれてきたのだから仕方ない。

 初めて、俺の体質に気づいたのは確か、両親が自殺した時だった。

 自殺するような両親じゃなかった。そんな性格じゃなかったのに、自殺した。原因は、父がこつこつと貯めた資金で買ったマイホーム。三人家族には少し大きめだけど、両親はこれからどんどん、俺の妹やら弟を作っていく気だったそうな。事実、何事も無ければ、そんな平和でアットホームな日常を過ごすことになっていただろう……その家に、悪霊が憑いてなければ。

『運が悪かったな』

 そう俺に言ったのは、今の職場の上司であり、戸籍上の現父親である人。

 彼は怨敵である悪霊を鼻歌交じりに駆逐し、呆然とする俺に、慰めるでもなく、ただ、事実として告げたのである。

『お前はそういう間の悪い人間だ。悪い魔に憑かれた人間だ。普通の世界では生きづらいだろう。俺の部下になれ』

 当時、まだ高校にも入っていない餓鬼に、彼はそう言ってくれたのである。以来、俺は彼の部下として暮らしている。

 あらゆる物を駆逐し、理不尽を壊す掃除屋として。

 だからきっと忘れていたのだ。

 自分自身がどういう人間なのかって。

 

 

●●●

 

 

「んじゃ、適当に観光地を回って、温泉に一泊して帰る感じで」

「料理は美味しいの?」

「そういう評判の店を選びました」

「よろしい」

 

 そういう会話を経て、俺と博麗は新幹線に乗っていた。

「こういうのには初めて乗ったわ」

意外にも興味津々と、博麗が窓から流れる景色を見ている。

「博麗さんでも、こういうものに興味あるんですねぇ」

「アンタはいつも失礼な物言いね。未知の物に何かしらの感情を抱くのは当然でしょ?」

「や、確かにそうですけど」

「それに、旅行なんだから楽しんだ方が得よ」

 確かにそうだと納得し、俺も折角の二人旅を楽しむことに。

 なにせ、珍しいことに今日は博麗の服装がジャージでもパーカーでもない。どこぞのファッション雑誌に載っていそうな、流行に則ったおしゃれな服で着飾っていたのである。それだけでも、俺としてはこの旅行に来たかいがあった物だ。

「駅弁どうします?」

「せっかくだし、買いましょうか」

「そうですね」

 牛タン弁当を二人で買って、外の景色を眺めながら食べる。

 時々、思い出したように漫画の話や、世間話をいながら、だらだらと、いつも通りの雑談を交わして、俺たちは新幹線での時を過ごした。

 

 

 観光先は牧場にした。

 理由は近かったからと、最近、博麗が農業系の漫画にはまっていたからである。

 それに……

「でかいわね、ここ」

「ええ、伊達に日本最大級の牧場じゃありませんよ」

 この広大に広がる牧場と、そこで育てられている牛や馬などを博麗に見せたかったからだ。人間、身近な物が関わっていると、興味が湧くからな。幻想郷では文化レベルがちょいと遅れていたから、恐らく、普通の農家などが家畜として飼っていた可能性が高いと推測したのだ。

 結果、その推測はきちんと当たってくれていた。

「…………多いわ」

「そりゃ、牧場ですから」

「牛や馬以外にも居るのね」

「まぁ、小動物は食べるようじゃなくて、観光用の奴ですけどねぇ」

「外にも、こういう場所があるのね」

「世界は広いですからね」

 ぐるりと、広い牧場を一周しながら他愛のない言葉を交わす。

 割高のラーメンと、牧場で採れた牛乳を使ったアイス。

 思い出すのに写真が必要でないぐらいには、良い記憶になった。

 

 

 最後は温泉宿で一泊して終わりだ。

 もちろん、部屋は別々。

「……はぁ」

 湯船に浸りながら、俺はため息を吐く。

 誰もいないような時間帯を見計らって、しかも露店風呂を狙って入っていたので、周囲には誰もいない。空には丸い月が一つ。

 何かを呟いても、耳にするものは誰もいない。

 だから、少しぐらいはいいだろう。

「死にたく、ないなぁ」

 かつてはどうでもよかった自分の命だけれど、不覚にも惜しくなった。

 最後の最後、未練を断ち切るための旅行で、どうしようもなく未練ができた。

 今更好かれようなんて思わない。

 最初から最後まで、俺は博麗にとっての怨敵だからだ。

 でも、それでも、一度だけでも俺に――――

「未練だ。みっともない」

 熱い湯の中に、頭のてっぺんまで沈む。

 マナー違反極まりないが、今だけは許してくれ。

 この湯の中で、全ての未練を流して逝くから。

 

 

 旅行帰り。

 自宅。

「ただいま」

「ただいま帰りました」

 誰もいない家の中で、いつも通りの慣習を経て、俺と博麗は一息吐く。

「旅行はどうでした?」

「わるくなかったわ」

「それはよかった」

「…………次は、都会にも行ってみたいわね。漫画の舞台になることが多いから」

 旅行の荷物の整理をしている途中、ふと、そんなことを博麗が言った。

 なんて答えればいいか分からなかったから、曖昧に、誤魔化すように笑っておいた。

「ふん」

 博麗はつまらなげにこちらを見ている。

 生憎、気障な台詞を言えるほどいい男ではない物でして。

「そうですね。それでもいいですね」

 だから、当たり前の言葉を返すだけだった。

 ただ、それだけで俺にとっては幸いだった。

 

『Prr! Prr!』

 

 弛緩した空気を切り裂いたのは、緊急コール。

 嫌な予感が首筋をちくりとさすが、取らないわけにはいかない。

「……はい、××です。ええ……はい。わかりました、ご連絡ありがとうございます」

 通話を切る。

 胸の中に、冷たい物が突き立てられたような気分だった。

「何の電話だったのよ?」

 博麗が珍しく、真剣な眼差しで尋ねてくる。

 滅多に人の電話になんて興味を示さず、俺に声を掛けることすら稀だというのに、本当に博麗は勘が鋭いんだな。

 こんな時まで……いいや、こんな時だからこそ直感が働くのか。

「よく聞いてください、博麗さん」

 だから、俺は包み隠さず真実を告げる。

 

「八雲紫さんがついさっき、亡くなったそうです」

 

 博麗霊夢。

 幻想郷を守護する結界の巫女。

 そんな彼女の教育係にして、親代わりと呼んでもいい存在――八雲紫という妖怪の死亡と、消滅を俺は告げた。

 

 



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第十話 かつての出会い

 博麗との出会いは、半年前までに遡る。

 それは満月が夜空で、煌々と輝く深夜の出来事だった。

「今日も仕事、明日も仕事……休日出勤は嫌になるなぁ、本当に」

 仕事帰り。

 しかも、定時はとっくに過ぎていて、労働基準法に違反しちゃう労働時間をこなしてきたこれは、それはもう疲れ切っていた。

 なにせ、俺の仕事は荒事から雑務までなんでもござれの、ブラックを通り越してダークネスな企業だ。給料とか、福祉関係はそれなりに充実しているのだが、一か月に一度の割合で命の危機があるのはいただけないだろう。

「いやいや、それでもちゃんと給料入っているし、サービス残業じゃないんだし」

 必死で会社のいいところを探す俺。

 悪いところを探していたら切りが無い……というか、裏社会系の会社なので、どうしてもネガティブになってしまうのだ。

 だから、たまにこうやって自問自答をしながら、会社の良いところを挙げて行って、精神の安定を保っているのである。

「それに、あの人には恩があるしな」

 加えて、上司が戸籍上の父親なので、どの道逃げようがないという始末。

 まぁ、逃げませんけどね。

 どうせ俺の命なんて、そこら辺の石ころみたいなもんだし。

「あのお月様とは大違いですね、っと」

 同じ石ころでも、あの月は誰もが見上げる物だ。

 誰かに想われて、歌われて、記憶に残る存在だ。

 俺のような小さな石ころとは、格が違う。

「さて、俺はどんな死に方をするのやら」

 幻想に食われて死ぬのか。

 はたまた、交通事故にでもあって、あっさり死ぬのか。

 あるいは、通り魔にでも遭って死ぬのか。

「通り魔は嫌だな」

 さすがにそんな理不尽な死にざまは御免だ。もしも、通り魔に殺されそうになったら、理不尽さに対する怒りで、ついうっかりそいつを殺してしまうかもしれない。

「殺せれば、の話だけど」

 俺より強い奴が相手だったら、当然死ぬに決まっている。

 けれど、俺は許せないのだ。

 火事や事故。あるいは俺の業が招いた因果で死ぬならともかく、俺とはまったく関係ない理由で殺されるのは苛立つ。

 それこそ、殺してやりたいほどに。

「…………ん?」

 自分の死にざまについて思いふけっている最中、ふと気づく。

 頭上で輝く月。

 満月。

 有り得るはずもないが……その月になぜか、ヒビ、というより割れ目が走っているように見えたのだ。

「あれ?」

 両目をこすって、もう一度、月を見上げる。

 有り得ないはずのその現象。

 けれど、その割れ目は次第に広がって、まるで空間が割れていくようで――

 

『ミ・ツ・ケ・タ』

 その割れ目から無数の目がこちらを見た瞬間、俺は意識が強制的に遮断された。

 

 

●●●

 

 

「残念ながら、その人間は殺せないわ、八雲紫」

「どういうことかしら? レミリア・スカーレット」

「ここでこの人間を殺せば、この世界の幻想郷も崩壊する運命を辿るのよ」

「では、どこかで封印を施して監禁すれば?」

「無理ね。幻想郷の外に出た私たちには不可能よ。ほら、既に世界からの排斥が始まって、どんどん力が削られていくのがわかるでしょう?」

「私たちに無理なら、霊夢に望みを託すのはどう?」

「可能かもしれないけれど、運命を完全に改変するには心もとないわ。私たちはあの祟り神を下し、生き残った住民を避難させるのに力を使い過ぎた……」

「それでも、このまま放置するのはありえないわ」

 ぼんやりとした頭で、何も考えられない。

 目の前で起こっていることすら、何も。

 耳に入ってくる言葉も、何も。

「……全て、霊夢の判断に任せましょう。原因を作った私が、あの子に尻拭いをさせるのは忍びないけれど。もう、それしか手段が残っていない」

「そうね。それが一番マシな運命を引き上げる可能性があるわ……と、そろそろこの人間が所属する組織の奴らがやってくるわ」

「今の私たちでは駆逐するのは無理ね。いずれ私たちが消滅することと、いくらかの技術提供で凌がせてもらおうかしら」

「人間相手の交渉は任せるわ。吸血鬼である私には、そういうのは向いてないもの」

 会話は途切れた。

 しばらく静寂な時が流れて――

「起きなさい」

 気づくと、目の前に巫女がいた。

 白と赤を基調とした紅白の巫女服。

それを着ているのは、黒髪で勝気な瞳の女の子。

美しい女の子。

 けれど、俺は魅了されるよりもまず、恐怖が勝った。

「初めまして。アタシは博麗霊夢。今は無き楽園の素敵な巫女よ」

 黒い瞳の、冷たく、渇いた感情が込められた視線が、俺を射抜く。

 

「そして、アンタを殺す者でもあるわ。今日からよろしく」

 

 愛想の欠片も無い声と共に差し出された手を、俺は恐る恐る取った。

 冷たい手だった。

 

 

 これが、俺と博麗の出会いであり、奇妙な同居生活の始まりだった。

 

 



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第十一話 未来の罪

 

 これは、有り得てしまった未来の話である。

 

 

 一人の青年が居た。

 どこにでもいるような、世界に絶望した青年だ。

 自分の命を自ら捨てるほどではなかったが、自分の命に執着するほど、彼の絶望は甘くなかった。

「では、その命を私がいただきましょう」

 彼のような人間はたくさん居る。

 故に、少しぐらい世界からいなくなったとしても、毎年の行方不明者の中にカウントされるだけで、世界は何も変わらない。ただ、世界に絶望した青年が居なくなって、少しばかり世界が広くなっただけだろう。

 そして、神隠しの主犯たる八雲紫が、その青年に与えた役は『生贄』、あるいは『食糧』だった。彼女が管理する幻想郷という楽園。その楽園に住まう人食いの妖怪たちへ、配給代わりに『死んでもいい人間』を送っていた。青年はその中の一人にカウントされたのである。

 そして、青年は――

「あぁあああああああっ!!」

 荒々しい口調と共に、特殊合金のナイフが振るわれる。

 梵字で『淀みよ、去れ』と刻まれたそのナイフは、低位の妖怪を切り裂き、吹き出る鮮血が、彼の体を赤く染めた。

「死んでたまるか、死んでたまるか、こんなことで……」

 青年は必至の形相で、生存を望んでいる。

 これは、八雲紫の誤算だった。珍しく、彼女は人間の中身を読み違えた。青年は確かに死にたがりに等しいほど、自分の命に執着してないが……それ以上に、『理不尽』嫌う性質を持っていたのである。

 だから、彼に『神隠し』なんて理不尽を与えてしまえば、当然、こうなってしまう。なまじ、外の世界で幻想を駆逐する掃除屋に就いていた青年は、低位の妖怪ぐらいなら排除し、生存を可能とする能力ぐらいはあったのだ。

「――あ?」

「わはー♪」

 しかし、その戦闘力については八雲紫の計算通りだった。

 ただ、殺されるままに殺される人間より、ある程度抵抗した人間の方が、幻想郷の法則にとって糧となるのだから。

 妖怪を恐れる人と、退治されることを恐れる妖怪が両立するからこそ、この幻想郷という楽園は存在しうる。だから、青年が必死に抵抗するのはむしろ、八雲紫にとっては願ってもいないことだった。

「くそっ、この幼女がぁ!」

 加えて、青年は妖怪と戦う手段をもっていたとしても、超人ではない。ただの人間だ。いきなり、闇を操る妖怪に視界を奪われ、不意を打たれれば負傷もする。

 右腕を、食われたりもする。

「わはー♪ やっぱり活きの良い人間の肉は格別なのかー!」

 闇の中から、ぶちり、ぐちゃりと、青年の肉を食らう音が聞こえる。

 食い破られた部分から、青年の体の血が噴出する。

「くそ……」

 致命傷だ。

 青年は助からない。

 むしろ、右腕を食いちぎられた時に、ショック死しなかったのが奇跡なのだ。奇跡は二度も起きない。

「お肉っ♪ お肉っ♪ お肉っ♪」

 闇を纏う妖怪が、鼻歌交じりに青年へと迫る。

「――はっ、上等だ。こんな理不尽で俺を殺そうってんなら、ああ、わかったよ」

「わはー、いたたきまーす!」

 妖怪の牙が、青年の鎖骨を砕いで肉を貪った。

「こっちも手段は選ばないぜ?」

 その隙を、自身が死ぬ僅かな間隙を縫って、青年は残った左腕を動かす。

「わは?」

「ははっ」

 闇の中に居る妖怪を、青年は抱きしめ――――『それ』を唱える。

 

「我が身は全て、御身の糧とならんことを」

 

 神に捧げられた生贄が唱える言葉を、妖怪の魂へと刻み付けた。

 

 

●●●

 

 

 それは異変というにはあまりにも些細過ぎた。

「最近、人里の雰囲気が悪いような気がする」

 人里に住む半妖が、誰に言うでもなく呟いた。

「あんまり、近寄りたくないわね」

 半妖と仲の良い不死人も、その独り言に頷く。

 彼女たちの言葉の通り、幻想郷の人里は少々、空気が悪かった。

 しかし、それは些細な口喧嘩が発展した形だったり、少々、運の悪いことが続いたりするだけで、特に妖怪が積極的に関わっている様子は見られなかった。

 そもそも、幻想郷のルールとして、妖怪たちは、人里の人間には手を出さないということが約束されているのだ。わざわざそのルールを破ってまで、何かをしようとする者は少ない。

 加えて、人里の雰囲気が悪くなったのは、急激な変化ではない。

 一年ぐらい前から、ゆっくりと、些細な口喧嘩が増えていく程度で、ささやかに、段々と、当たり前のように悪化していったのだ。

 傍から見れば、人間たちの自業自得としか捉えられない。

 故に、八雲紫は積極的な干渉を行わなかったのだが、

「嫌な感じがするわね」

 唯一、博麗霊夢だけが『彼』の策略に感づいていた。

 ―――もっとも、その時はもう手遅れだったのだけれど。

 

 

●●●

 

 

「では始めましょうか」

「おうさ、始めようか」

「楽園の終わりを」

「復讐を」

「楽しい虐殺劇を」

「つまらない蹂躙劇を」

 

「「世界に絶望をもたらす神として、今、一つの世界に終焉を」」

 

 一年間。

 長く雌伏した存在が、闇を纏って疾走した。

 

 

 まず、それが狙ったのは、妖怪の山に住まう厄神。

 人々の厄を引き受け、禊ぎ、清める徳の高い神である。

「あは――――」

 しかし、同時に厄神という存在は、悪神という反面も持っている。だからこそ、その属性に干渉できるような存在が、居たとしたら。厄を食らい、弾幕も糧として、瞬時に襲い掛かってきたとしたら、対処は難しいだろう。

「――やめっ」

「反転せよ」

 抗う間も無く、それの存在に引きずられて、厄を清める神は、厄をばら撒く悪神へと反転してしまった。

 

 

 次は、吸血鬼が住まう赤き屋敷。

「――咲夜っ!」

「おまかせを」

 闇とはすなわち不可視、未知を示す。

 光あれ、と世界を照らされる前に存在していた何か。

 故に、運命を操る吸血鬼の視界から、それは逃れることが出来ていたのである。

 しかし、偉大なる吸血鬼と、忠実な従者は動じない。

 例え、館全体を一瞬で闇に包まれようとも、その一瞬で時を止めてしまえば、どんな奇襲も無駄になるからだ。

「…………っく……はぁ、はぁ……これで全てです」

 不可視の闇の中の捜索は、予想以上に従者に負担を掛けた。

 当然だ。時を止めるという破格の能力を、不可視の闇の中で使用し続け、館全体をくまなく警戒してきたのだから。

 けれど、その対価として充分な成果を得られた。

 闇の中ではあるが、館の入り口付近で、この事態を引き起こしたであろう侵入者を見つけた……いや、探り当てたのである。

「――時よ」

 従者は、挨拶代わりに無数のナイフを放って時を動かす。

 時の呪縛から逃れたナイフは、放たれた勢いのまま、侵入者を闇の中で貫き――

「くはははっ! そう来ると思ったわ、時を操りしメイドさん」

「しっかり予習済みだぜ?」

 女と男、二つの嘲る声が返ってきた。

 ナイフが空を切り、そのまま館の壁に突き刺さる音も。

「実体を自在に変えられる妖怪ですか。何者か知りませんが、無断でこの屋敷に入ったことを後悔しなさい」

 だが、その程度で従者はうろたえない。

 あらゆる妖怪が集まる幻想郷で、己の技が通用しない事態を一つも想定していないなんてありえない。事実、このまま戦えば、この侵入者の正体を暴き、魔女と主人が来るまでこの場に縫いとめることができただろう。

 

「あははっははははっはははははははははあっはははははははははっ!!」

 

 館中に響き渡った、狂気の叫び声が聞こえなければ。

「妹様っ!?」

 館を砕き、あらゆる物を壊す破壊の化身が、狂い笑っていなければ。

「闇はどんな者にも存在する――――私はそれを少しばかり押し上げただけさ」

「俺は絶望を教えてやっただけさ」

 愉快そうに笑って、侵入者の声は消えた。

 闇も晴れ、館に光が戻る。

「あははははっ! ぜーんぶ! ぜーんぶ! 壊れちゃえっ♪」

 そして、絶望だけが残された。

 

 

●●●

 

 

「さて、これで終わりね」

「一年間頑張ったかいがあったなぁ」

「意外とあっけないわ」

「俺たちだけの力じゃない。皆の力が合わさって、こうなったんだ!」

「素敵なことね」

「本当に」

「――で、そろそろかしら?」

「そろそだな」

 

「「初めまして。あるいはまた会いましたね、八雲紫様」」

 

 最後に、それは人里を闇で覆って賢者たる八雲紫を待った。

 闇を纏わず、その姿を晒して、待っていた。

「やってくれたわね」

 そして、隙間と共に八雲紫はそれの目の前に現れる。

 いつもの優美で妖しい笑みは浮かべず、険しく、睨むようにして。

「ルーミア……いえ、かつて太陽神の眷属を殺して回り、幻想の果てに封印されし、空を亡くす神よ」

 紫の前に居るのは、かつてルーミアと呼ばれた宵闇の妖怪では、もはやない。

 幼かった彼女の肢体はすらりと伸びて、成熟した大人の女へと変貌を遂げていた。その金髪も、長く伸び、彼女を封印していたリボンはもうすでにない。

「その名前はもう古いわ」

「正確には合っていないわけだ」

 八雲紫の言葉に、かつてルーミアだった存在と、それに食われた存在は、答える。

 一つの口で、二つの声で、答える。

「私は闇」

「俺は絶望」

「ただの本能として」

「ただの復讐として」

「「楽園を終わらせる名無しの神だ」」

 けたけたけたけたけたけた。

 それは、嘲笑う。

 己の成果に酔いしれて、嘲笑う。

 終わる世界と楽園を。

「まだ終わらないわ。厄神は一時的に反転しただけ。ばら撒かれた厄も、山の神々と巫女が鎮めている。狂った吸血鬼だけじゃ、この幻想郷を包む結界は壊しきれない」

「しかし! 異変解決をすべき博麗の巫女を、結界の維持に回さなければいけないほど、事態は大変だろう?」

「ぶっちゃけ、大ピンチだよなぁ? この上――」

 すぅ、とそれは己の足下を指さす。

 そこには、闇に囚われて、意識を失っている人里の人々が。

「ここの人間を皆殺しにされちゃ、バランスが崩れて結界の崩壊が進むよなぁ?」

「守る結界は内側からの破壊に弱い。基本よね?」

「…………させないわ」

 それと八雲紫が対峙する。

 本来なら、蹂躙される立場である青年が、己の無念を空亡へと刻み、祈り、得た境地だ。

 そして、それはもう完遂されていた。

「させないですって?」

「何を勘違いしているんだか」

「貴方がここに来た時点で」

「もうチェックメイトなんだぜ?」

 ぱきん、とガラスが割れるような硬質的な音が響く。

 小さな音だったというのに、幻想郷全てに、その音が響いた。

「これはっ!?」

「今ここに、全てが揃ったの」

 にぃ、と口元を三日月に歪めてそれは言う。

「外を知る者と、闇に囚われ、終わりを望む人々。幕引きの神。境界を司る妖怪。そう、ここに。この魔法陣の中に入った時点で――」

「決着はついていたんだよ、八雲紫」

 ひび割れる音は続く。

 殻が割れるように、雛が孵るように。

 長い間守られてきた、楽園が崩壊する。

「一年がかりで練りに練った術だ」

「魔女にも、普通の魔法使いにすら及ばない無知な私たちだけど」

「外の技術と」

「私の力があれば」

「「ざっとこんなものさ」」

 かつて太陽神に下され、敗北した神は勝ち誇る。

 かつてその命を奪われ、敗北した青年は満足げに笑う。

 やっと、借りを返すことができたのだと。

「――まだよ!」

 八雲紫は敗北した。

 大結界は徐々に綻びを増し、いずれ、博麗の巫女の力をもってしてもその崩壊を止めることはできないだろう。

 だが、しかし。

 この場で、目の前の祟り神を封じ、仕掛けられた魔法陣を利用して、その術を返すことができるのなら、あるいは――

「だが、遅い」

「言ったでしょう? チェックメイトだと」

 八雲紫が何かをしようとした瞬間、それは無造作に己の首を切り裂いた。

 青年が持ち込んだナイフで、首を切り落とした。

「ははは」

「あはははは」

「「はははははははははははは」」

 落とされるはずの首は浮遊し、切り離された体からは膨大な闇が溢れ出る。

 この闇はいずれ、崩れる楽園を多い、終焉を彩るだろう。

「ではでは!」

「俺たちはここまでなので!」

「最後に格好良く」

「ちょいと有名主人公から台詞をパクりまして」

「幕引きとしましょうか」

 引き起こされた現実が信じられず、絶望に沈んでいく八雲紫へ、それは告げた。

「叡智が溢れる世界に」

「汝ら幻想」

「住まう場所無し」

「渇かず」

「飢えず」

「「無に帰れ」」

 忘れ去られた幻想は消えゆくのだと、当たり前の法則を、それに抗いたかった女に告げた。

 

 

 これが有り得てしまった幻想郷の終焉。

 『絶望をばら撒く程度の能力』を持った青年によって、壊されてしまった未来の話。

 

 



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第十二話 断罪者は来たる

紫さんの死去を知ってから、博麗は特に表情を顔に出さなくなった。

 前々から、俺の前では表情の変化が乏しかったが、それが紫さんの死をきっかけに、顕著になったようである。

 これでいい。

 在るべき終わりを経て、少しばかり歪んでいたのが、元の形に収まったのだ。

「今週の土曜日」

「ん?」

 ある日。

 紫さんが亡くなってから二週間ほどたった日の朝。博麗は俺に告げた。

「その日にアンタを殺すわ。準備はしておいて」

 こちらに視線も向けずに、冷たい声で。

 まるで、朝のゴミ出しにでも行ってこい、と言うようなあっさりとした口調で。

 博麗は俺に死刑宣告をしたのだった。

 うん、さすが博麗だ。かなり、らしいやり方じゃないか。

「わかったよ」

 俺もそっけなく対応をする。

 それ以降、事務的な会話以外、俺と博麗は何も言葉を交わさなかった。

 

 

●●●

 

 

 仕事先への連絡はスムーズに済んだ。

 事情を知っている俺の上司が、いつか来る日のために、うまいこと根回しやらなんやらをやっていてくれたらしい。

『仮にも息子の頼みだからな。死に方ぐらいは選ばせてやる』

 上司は……俺の義父は、そんな風に俺へ別れの言葉を送ってきた。

 最後まで、よくわからない人だった。けれど、今まで生きれてきたのと、願った時に死ねるのだから、割と良い人だったのだろう、多分。

「しかし、そういう報告をした後にも容赦なく残業させるところはさすがだよ」

 現在時刻は深夜の二時。

 定時なんてとっくの昔に過ぎている。草木も眠り、何時もは喧しいほど聞こえる猫の鳴き声すら聞こえない。

 今夜は月も出ていない暗い夜。

 今更、自分の身の安全や財産にこだわったりはしないが、好き好んで嫌な思いをするつもりもないので、さっさと家に帰ってしまおう。

「―――お前は××××か?」

 と、そんなことを考えている時に限って、こういうアクシデントに遭うのだ。

「いきなりなんですか? というか、誰ですか、それ?」

 背後から声を掛けてきたのは、頭から足の先まで、真っ黒なコートに身を包んだ不審者だ。声の高さから、コートの中身は女性だろうが、生憎、身に覚えはない。

「お前は××××だな?」

「だから、知りませんって」

 俺の言葉に耳を貸さず、不審者は一歩、俺に歩み寄る。

 これは、質問ではなく確認だ。恐らく、俺に対してではなく、自分自身への。そして、足元を見て分かったが、目の前の不審者が履いているのは、軍用の特殊安全靴だ。これで踏み抜かれたら、あっさり足が潰れる。

 つまり――

「お前が私の敵だっ!」

「やっぱりか!」

 ぎぃん、と鈍い金属音が夜の帳を裂く。

 護身用に隠し持っていた俺のナイフと、相手が振るった小太刀がぶつかった音だ。

「あぁあああああああああっ!!」

 不審者は、雄叫びを上げながら俺に切りかかってくる。

 その太刀筋は乱暴だが、決して、素人の物ではない。むしろ、本来であれば、俺など一刀の下に切り伏せられるが自然の結末だったはずだ。

「――くっ」

 相手の腕が勝手に鈍っているとはいえ、俺が強くなっているわけでもないので、ナイフでさばき切れない攻撃は、当然、腕や足を切り裂く。急所だけはなんとか守っているが、このままだと、じり貧だろう。

「お前は楽に殺さない! いたぶって殺してやる! 苦しんで、苦しんで苦しんで苦しんで死んで行けェ!」

 荒々しい怨嗟の声と共に、不審者の首から上を隠していたフードが脱げた。

 銀髪と黒髪が混じった、よくわからないまだらの髪の少女だった。髪型はショートヘアというよりは、髪をただ、乱暴に切りそろえられただけというもの。なにより、限界まで見開き、目を血走らせた姿は、俺の背筋を凍らせるに十分な異形だった。

 復讐鬼。

 角なんて生えていないが、その言葉こそ、目の前の少女にふさわしい。

「ああ、お前はやっぱり幻想郷の――――」

「黙れェ!」

 結構深く太ももを切り裂かれた。

 大きな動脈にまでは、辛うじて達していないが、その痛みで、俺は転倒してしまう。その隙を当然、目の前の復讐鬼が逃すわけもなく、刃を俺の首元に突き付けた。

「ふぅー! ふぅ、ふぅー!」

 かたかたと、突き付けた刃を震わせ、今にも己の歯を砕かんばかりに噛みしめている復讐鬼。そうか、勢いのままに殺したくないほど、憎んでいるのか、俺を。俺の未来を。

「どうした? 殺さないのか?」

「黙れ」

「誰かの仇を取りたいんじゃないのか?」

「うるさい」

「まぁ、殺したらこの世界の幻想郷は滅ぶ運命になるらしいけどな。やるなら、博麗みたいに、ちゃんと準備してからじゃないと――」

「黙れェ!!」

 容赦なく、俺の肩口に刃が突き立てられた。

「知っている! 知っている! お前に言われるまでもなく、そんなことはぁ!」

「――がぁ…………はは、だったら、待ってろよ。今週の土曜日には、俺は死ぬからさ。こんなことせず、俺の死にざまを見に来ればいいじゃないか」

「うるさい! 黙れ! 黙れ!」

 理性が感情に負けている。

 結論と感情が逆転している。

 恐らく、この復讐鬼はもう、自分でも訳がわからなくなっているのだろう。

 今、辛うじて残っている理性が、己の憎しみを押しとどめているだけ。このままだと、確実に俺はこいつに殺されてしまう。ただ、我慢しきれなくなっただけの復讐鬼に。

「それは、御免だな……」

「うるさい! うるさい!」

 何度も、俺の腕に刃を突き立てる復讐鬼。

 もはや、痛みよりも熱さを感じるのみ。怒りのはけ口とされた右腕はもう、動かない。

「お前が! お前が! お前さえ! お前なんかぁああああああああああ――」

 ぱぁん。

 気の抜けた銃声が一つ。

「――あ?」

 最後に、間抜けな声を上げて、それっきり復讐鬼は動かなくなった。

「…………こんな時だけ、運が良いな、俺」

 右腕は動かない。

 だから、左手に持っていたナイフを――ナイフ型の小型銃で、復讐鬼の頭部を撃ち抜いたのである。至近距離とはいえ、体勢が不安定で、右腕をめった刺しにされた状態で狙い撃てたのは、奇跡に近い。

 どうせなら、違う時に奇跡が起きて欲しかったものだ。

「……あぁ、人間に見えたけど、半分くらいは幻想だったのか」

 力なく倒れかかってきた復讐鬼の体は、この世界の法則に則って、薄れ、消えていく。

 この世界は幻想を許さない。

 科学の叡智が、一秒ごとに、どんどんと世界を定義づけ、かつて存在していた幻想は儚く消し去られるのが定めだ。

「はは、ほんと…………どうして、俺なんかが生きてんのかなぁ?」

 どうせ消えるのなら、博麗に殺されるのなら。

 この復讐鬼のように、後を濁さず消え去りたいと思った。

 



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最終話 君の笑顔

これにて幕引きでございます。
では、また縁がありましたら。


 

 博麗霊夢と俺の関係を一言で表すのなら、同居人だ。

 それ以外で、簡単に、適切に表す言葉を、俺は知らない。

 いずれ殺す者と、殺される者。準備が整うまで、俺が逃げないようにするための、そのためだけの同居だったはずだ。

 理不尽を嫌う俺だったが、俺は、博麗になら殺されても良いと思っていた。

 初めて、あの冷たい瞳に射すくめられた瞬間、俺は自分自身の死に納得できていたからだ。この少女に殺されるのなら、理不尽と思わず、納得して死んで逝けると。

 例えそれが、俺の未来の罪故に、などと訳の分からない説明をされたとしても。博麗に殺されるのなら、俺はそれでいいと思えたんだ。

 そして、今。

 俺はいよいよ殺される。

 今更後悔は無いけれど、つまらない未練なら少しだけ。

 ああ、だから博麗。

 俺のつまらない未練なんて、容赦なく潰して、殺してくれ。

 縊って、惨めに殺しておくれ。

 

 

●●●

 

 

 土曜日。

 時刻は深夜の丑三つ時。

 場所は一目のつかない、寂れた神社で。

「準備はいい?」

「もちろん」

 俺は死に装束として、黒いスーツでびしっと決めて、治りきらなかった怪我は包帯を解いて、そのままに。

 紅白衣装の巫女姿の博麗と、相対する。

「詳しい説明とか、アンタをどうやって殺して、どうやってアンタの中の能力を封じるとか、冥土の土産に聞く?」

「いいえ。三途の川を渡るのには身軽で居た方がいいでしょう?」

「サボり癖のある死神が担当だったら、しばらく現世をさまようことになるかもね」

「はははっ、それは嫌だなぁ」

 そんなことをしていたら、うちの上司に駆逐されてしまうじゃないか。

 だから、手早く死ぬので、さっさと魂なりなんだり、回収しに来てほしい。

「じゃあ、殺すわよ」

「ええ、どうぞ」

 あっさりと言われ、俺も笑顔でそれを承諾する。

 次の瞬間、

「――かはっ」

 俺は腹を蹴り飛ばされ、そのまま石畳へと転がり、仰向けに倒れた。

 あばらが何本か持っていかれた上、内臓も傷ついてるかもしれない。まともに呼吸すらできず、浅く息をしただけでも、体に激痛が走る。

「…………」

 無言のまま、博麗は蹴り飛ばした俺へと歩み寄る。

 ゆっくりと、しかし、逃げることを許さない迫力を持って。

「死になさい」

 無表情で、何の感情も瞳に映さず、両の手で俺の首を絞めた。

「―――っ」

 冷たい手が、蛇のように首に絡みついて、締め付ける。ぐいぐいと、喉を絞めて、血管を締め付ける。

 声も出ない。

 意識も擦れていく。

 間違いなく、俺は死ぬ。ここで、俺は、博麗に首を絞められて死ぬ。

 不思議なことに、走馬灯は見えない。いや、あれは体が死を覚悟していないから起きる現象のはずだ。なら、死を受け入れている俺に、そんな無粋な物は起きないのかもしれない。

 よかった。

 これで、最後に潔く死ねる。

「―――ぁ」

 ……………………

 …………

 ……

「どうしてだよ?」

 絞り出されたのは、俺の声。

 本来だったら、断末魔も許されないほど、首を絞められ、出ないはずの声だ。

「なぁ、答えてくれよ」

 博麗が、その手を緩めなければ、声も出せないはずなのに。

 

「どうして! 今更、お前が泣くんだよ! 博麗ぃ!!」

 

 断末魔より惨めな俺の言葉が、夜空に吸い込まれた。

「…………」

 博麗は答えない。

 無言のまま、無表情のまま――――その両の瞳から、透明な滴を流している。

「憎い相手なんだろ!? お前の故郷を壊した奴なんだろ!? 殺せよ! そのためにお前はわざわざ、境界を越えて、過去にまで戻ったんだろ!?」

 最初の出会いから、俺を殺すと言っていたじゃないか。

「そのためにわざわざ半年も一緒に暮らしたんだろ!? 憎い相手と! 今すぐにでも殺したかったのを我慢して、ここまで来たんだろ!?」

 半年間、歪な同居生活を過ごしたじゃないか。

 毎日、殺意をちゃんと確認してたじゃないか。

「殺せ! 俺を殺して役目を果たせ! 博麗霊夢!!」

 裏切りを責めるような俺の慟哭。

 体の痛みなど、そんなものは引き裂かれるような心に比べたら、なんともなかった。例え、喉の奥から血がせり上がってきても、どうでもいい。

 ただ、答えを。

 ――答えを!

「…………たくない」

 首に絡む手は冷たく、震えていた。

「アタシは、アンタを殺したくない」

 しかし、声は毅然と。

「殺すのは、嫌だ」

 今までの約束を、裏切る言葉を告げていた。

「なんだよ、それ?」

 涙を流す瞳は、俺の目を見つめている。

 ぽつぽつと、熱い液体が、俺の頬に落ちてきて、それが無性に悲しかった。

「だって、お前は……博麗、お前はっ! 一度も俺の名前を呼ばなかったじゃないか!」

 悲しみのまま、俺は吠え猛る。

「出会ってから、半年間! 一度たりとも!」

「――それは!」

 無表情が崩れた。

 なんだ、その顔は。やめてくれ、そんな弱々しい顔を俺に見せないでくれ。

「アンタが、アタシの名前を一度も呼ばなかったから」

「…………っ」

 博麗ではなく、霊夢と。

 呼んでほしかったのか?

 いつから?

 どのきっかけで?

 ああ、わからない。わからないよ、博麗。

 俺はこういう人間だから、君の心を汲むことなんて出来ないんだ。

「…………だったら」

 だから、

「笑ってくれよ。なぁ? 愛想笑いでも、本気で怒っているという意思表示でもいいからさ、笑ってくれよ。俺はまだ一度も……君の笑顔を見たことが無いんだ」

 形にしてくれ。

 そうでなければ、俺みたいな奴は何もわからないんだ。

「無理よ。だって、こんな気持ちじゃ笑えない」

「なら、俺だって無理だ」

 俺はそういう人間だから無理なんだ。

 一度ぐらい死んでおかないと、優しい人間にもなれやしない。

「…………笑えないけど、一人になるのは嫌なのよ」

 なんて、わがままな。

 けれど、君を一人にしてしまったのは、それは、俺の罪だから。今更慣れ合うのは、もう無理じゃないのか? 贖罪なんて形じゃ、もう一緒に暮らせない。

 なのに、君はまだ俺に何かを言おうと口を開く。

「だから――――」

 博麗は、歪んだ顔で言葉を紡ぐ。

 

「アンタがアタシを笑わせなさい、××」

 

 俺の、名前を。

 殺し文句を。

「はは、なんだよ、それ」

 ずるいじゃないかよ、それは。

「そういう殺し方はずるい」

「黙りなさい。アタシが先に妥協したんだから、アンタもさっさと妥協しなさいよ」

 毅然と、涙を流しながら俺に命令する博麗。

 今更、何もかもなかったことにして、新しく始めるのは、俺たち足りなすぎるから。

 恨みも、殺意も、呪いも、親愛も、全部――何もかも足りないから。

 だから、妥協して殺されておくことにしよう。

 

「わかったよ、霊夢。俺が、お前を笑わせてやるよ」

 

 こうして、俺は殺された。

 今までの自分を殺されて、互いに妥協しながら生きていくことになった。

 今更、独りぼっちで生きていくには、お互い、関わり過ぎてしまったから。

 二人で、誤魔化しながら生きていこう。

 

 

●●●

 

 

 なーんて、ことがあったのは、今は昔の、さてどれくらい前だっただろうか?

 それほど時間も経ってないような気もするし、随分と時間が経ったようにも感じる。

 ただ、言えるのは、

「ちょっと霊夢? 冷蔵庫にあった俺のプリン知らない?」

「ああ、それなら食べたわ――――妖怪甘味食らいが」

「正直に言おうぜ、謝ったら許すから」

「悪かったわ。今の私じゃ、あの妖怪からこの家を守るのが精いっぱいで」

「どれだけ強いんだよ、甘味食らい!? 今でも霊夢、指一本で俺を殺せるレベルの強さじゃんか!」

「それはアンタが弱いだけよ、××」

「違う、絶対違う。この世界基準ではそれなりの方だから、俺」

「アンタの強さなんて、甘味食らいの前じゃ、塵同然よ?」

「だから、どうして毎回盗み食いの度に新しい妖怪を捏造すんだよ!?」

 相変わらず、俺と霊夢の日常はだらだらと続けている。

 間違っても、愛のある生活じゃなくて、お互いが妥協し合っている生温い関係だけど、まぁ、今は、悪くないと思えるようになった。

 ああ、後一つだけ。

「ふふふっ、捏造じゃないわ。妖怪は人の心より生まれる存在でもあるの。つまり、盗み食いをしたいというアタシの心が、その妖怪たちを生み出してしまったのよ」

「なにもっともらしいことを言ってんだ、この巫女は」

 最近、霊夢が笑えるようになった。

 だから、こんな日常にも、きっと意味はあるんだろう。

 

 

 俺の家で、素敵な巫女が笑ってくれているのなら、きっと。

 

                               fin

 



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