ボーイ8メンタルアウトアウト (真夜中のミネルヴァ)
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シャワーブースは危険がいっぱい 

■ キャラクター設定 

食蜂操祈 二十二歳 常磐台中学教諭
 元メンタルアウト(能力ほぼ消失、ただし美巨乳はレベル5)

密森黎太郎(レイ)十四歳 常磐台中学三年男子 レベルゼロ

栃織紅音 十五歳 常磐台中学三年女子 クラス委員 レベル1

そのほかの生徒たち


■ 物語の背景

京都奈良の修学旅行中のラブホテルでの淫らな火遊び、という場面設定です。
また原作の設定とは異なる部分があることをご了承下さい。



          Ⅰ

 

 

「操祈先生、時間がもったいないからボクも一緒に入りますねっ」

「ええっ!? な、なにっ、ちょっと来ないでっ!」

 シャワーを浴びようと蛇口に手を伸ばしかけたところへ、いきなりドアを押し開けてレイ――黎太郎――が飛び込んできたのだった。それも素っ裸で。

「出ていって! いますぐっ!」

 操祈は、いきなりの無礼に声を尖らせたが、

「もうおそいです、ボクも脱いじゃったので」と、相手は怯むどころか裸の操祈に抱きついてくる始末。狭いシャワーブースにはどこにも逃げ場などなく、結局は肌と肌とを接して揉みあうことになるだけだった。

「イヤぁっ! イヤな子ねっ、ここ鍵がかからないのっ?」

 操祈はロックのついていないノブを呆れたように見やった。

「きっとそんなの必要ないんですよ、その鏡もマジックミラーになってるみたいですから」

「マジックミラー?」

「先生が服を脱ぐところを見ていたら、ボク、もうガマンできなくなって」

 少年は悪びれる様子など微塵も窺わせずに言い放った。

「ほらっ」

 と、壁のスイッチを押して浴室の室内灯を消すと、それまで全身鏡だとばかり思っていた正面がとたんに透けて、ガラス越しに薄暗いベッドランプの灯った部屋が見えるようになってしまうのだった。

 これでは煌々とした浴室の一部始終が反対側からは丸見えだったのに違いない。

「イヤだ何なのよぉ、これぇっ」

 ショックのため思わず黄色い声になってしまう。常の怜悧そのものともいえる操祈からすると、彼女らしからぬとりみだし様である。

「いろいろと変わってますよね、この部屋って」

「だまって盗み見するなんてひどいわねっ、そういう時は目をつぶるのが節度のある男の子のやるべきことでしょっ」

「そんなの無理ですよ。だって先生があんまりキレイだから」

 操祈は、やれやれ、とため息を吐いた。こういう時――デートの際でのささやかな行き違い――はいつも年上である自分の方が譲るしかなかったからだ。

 この密会場所にしてもそう。操祈はシティホテルを利用するつもりでいたが、レイには別の考えがあるらしく、結局、いま居るこの場所になってしまった。

 浴室にマジックミラーのようなおかしな仕掛けのある、この民泊ホテルの一室に――。

 

 

 

 

 

          Ⅱ

 

 

 引率をしていた生徒たちの一団から離れ、ようやく一人になった操祈があらかじめ伝えられていたアドレスに足を向けると、そこはメインストリートの賑わいから離れた、ひと気のない寂れた寺院の裏手にある古ぼけた小さなマンションだった。

 一見したところ建物の外観は廃墟のようにも見えなくもない。外周りの塗装はところどころ剥げかけているし、正面玄関の上に掲げたマンション名のプレートも、文字の一つが欠け落ちていてそのままにされている。

“ここが、そうなの……?”

 荒れた佇まいにはちょっと心細さを感じ、操祈は渡されていたメモにあった住所とマンション名を確認した。

“やっぱりここよね……ふーん……211号室か……”

 見上げると四階建の壁面に並ぶ窓という窓がみな嵌め殺し状態、どの部屋のカーテンもぴったり閉められていて、なんとなく近寄りがたいような陰気な雰囲気が醸し出されている。

“なんだかなー、お姫さまを迎えるお城には見えないわよね、悪い魔法使いが出てこないといいんだけど……”

 それでも一歩、建物内に足を踏み入れると無人のロビーや廊下はそれなりに手入れがされているらしく、ゴミや廃棄物が放置されているというのではなかった。ホールの隅には見慣れない種類の自販機がいくつか並んでいるのが目に入る。

 待ち合わせの部屋番号が二階ということでエレベーターを探した。が、低層階の集合住宅ではときに備え付けられていないものもあって、これもその類いだったのだ。

 不満げに唇を窄めた操祈は、仕方なく階段を上がることにしたのだが、秋とはいえ京都はまだまだ蒸し暑く、少し体を動かしただけで体がじっとりと汗ばんでくる。

 不快――。

 操祈は貼りついた前髪を鬱陶しげに払いのけ、広い額に滲む汗を手の甲で拭った。

 サマースーツを脱ぎたかったが、白いシャツブラウスに汗沁みが浮いているかもしれないと思うと、生徒たちの手前、そうもいかないというのが教師としての辛いところだ。

「……いくら古都だからってこのビル、いったいいつの時代のものなのよっ、エレベーターぐらい用意しておきなさいよね……きっとここの四階は人跡未踏の未開地に違いないわ……探せば未発見の新種のイキモノでも見つかるんじゃないかしらっ……」

 息を乱しつつ毒を吐きながらようやく二階廊下にたどり着くと、一階と同様のレイアウトで内廊下の左右に扉が並んでいた。番号の若い順に五部屋ずつ、どうやらいちばん奥の突き当たりがレイとの約束の部屋のようだった。

 廊下はしーんとしていて、外からの鳥の鳴き声が聞こえるほど静か――。

 だが利用者がいないわけではないらしい。いくつかの扉の上の表示灯には在室中のサインが出ていて前を通る時、扉越しにかすかに人の声が聞こえたからだ。

 やはり住居、という利用のされ方はしていないようだった。

“おかしなホテル……まぁいいけど……”

 めざすドアの前まで来ると、指示されていたとおりにノックはせずに、メモにあった八桁の暗証番号を電子錠パネルに入力する。

 カチリ――。

 施錠が解ける音がして、操祈がドアノブに手をかけるよりも先に、部屋の奥からタッタッタと床を走り寄る気配がした。扉が開いて、ひんやりとした中の空気とともに少年が顔を覗かせる。先入りしていたレイは、操祈の顔を見るなりうれしそうに破顔するのだった。操祈がドキッとするくらい無防備な笑顔で。

「よかった、ボク、もう来てくれないんじゃないかと思って……」と、廊下の先を窺いながら囁く。

「どうぞ中へ入って下さい。嬉しいな、本当に来てくれるなんて、嬉しいなっ」

 はたして自分がちゃんと現れるかどうか、今の今まで案じてくれていたのをと思うと、炎天下の長散歩にささくれかけていた操祈の心も軽くなってくる。

「遅くなってごめんなさい、ちょっと道が入り組んでいて途中で迷いそうになってしまったの」

「それはボクの責任ですね。きちんとした地図を書かなかったということから」

「うん、ゲストの案内はホストの責任よね、後で反省文を提出なさい」

「ハイ、先生、そのようにいたしますっ」

 素直な反応に操祈が白い歯並みを覗かせて笑むと、

「良かった、やっと操祈先生が笑ってくれた」

「あら、わたし、そんなに不機嫌な顔していたかしら? そりゃこの暑さの中、ちょっと長いお散歩だったかもしれないし、階段を上ったり降りたりするのは好きじゃないわよ、でもそれぐらいでむくれたりするほどわたしは心が狭くないつもりよ」

「知ってますよ、先生がただの超絶美人ってだけじゃなくて、心やさしいステキな女性だってことぐらい」

 ド直球で返されては逆に操祈の方が言葉に詰まってしまった。

「ああ、つまんない。そんなことあたりまえすぎて、つまんない返事ナンだぞ」

 そう言ってからはにかんだ笑みを返す。こうした軽口を交わしているときの操祈は年齢以上に若く愛らしくなって、それを間近にしていた少年の頬にも朱がさしてくるのだった。

 

 

 

 

 

 




初出稿、ちゃんと投稿ができていますかどうか・・・

タイトルのアウトアウトというのは誤植ではありません
ドラマをシンボライズしたちょっとした危ない意味を持たせてあります


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年下の彼

          Ⅲ

 

 

 少年の名は密森黎太郎(みつのもりれいたろう)

 操祈が担任をしている三年生のクラスの教え子の一人だ。

 この秋には十五歳になる男子にしては、同学年の中では幼く見える方。眼鏡、ちょっとクセのある黒髪をやや長めにした、小柄で細身の少年だ。

 容貌からの印象通りに温和で大人しい優等生である。パッと見は、ごくごく普通の中学生の男の子。 

 だが、それだけではないことを今の操祈は肌身をとおしてよく知っていた。

「なにかお飲みになりますか? 既製品ですけど冷たいアイスティーなら用意してありますけど」

 二人きりでいるときも少年は操祈に対して敬語を使う。ただ、堅苦しい態度と実際の行動とは必ずしも一致していないところが実にしたたかなのだ。

「ありがとう、いただくわ」

 渡されたハンガーに紺のスーツをかけながら、応接セットの長椅子の端に腰を下ろした。

 エアコンの効いた部屋にホッと一息。

 氷の浮いた冷たい飲み物は、さながら干天の慈雨のように操祈の火照った体に心地よく染み渡っていった。

「今日は、またいちだんと暑かったから……」

「タクシーを使われなかったんですか?」

「そう思ったんだけど、誰かに目撃されてたりすると後で言い訳がめんどうでしょ、だから……あなたはどうやって来たの?」

「ボクはみんなとはぐれたフリをしてから、後はもう一目散の全力疾走です」

「それはお疲れさまなことね」

「だって、ぜったいに先生を待たせるわけにはいかなかったから」

 ぜったい、というのを強調して言って、少年がどれほど懸命であったのかが窺えた。

 好ましく思う少年からギャラントリーを示されるのは、八つも年上の大人の女からすると少々くすぐったいが、もちろん悪い気がする筈もない。

 それだけでもここに来た甲斐があったと感じられるものだ。

 操祈のとなりに座った少年は旅行中に気になったエピソードのひとつ、ふたつを打ち明け、操祈はそれに対して教師としてのアドバイスをしたりする。

 気の合う生徒との和やかな世間話。

 このままおしゃべりをするだけで終わってもかまわない、愚痴を聞いてもらえるだけでもありがたい。

 かえってその方がいいのかも……。

 操祈はそんな気にもなってくる。

 けれども、そういうわけにはいかないことも感じているのだった。

 

 

 

 

 

          Ⅳ

 

 

「先生、お茶のお代わりはいかがですか?」

「ありがとう、いただくわ……あなたはいいの?」

「ええ、ボクは後で別のをたっぷりいただきますから、そっちの方がボクには好みなので」

「そう? じゃあ、わたしもその時にお相伴させていただくことにしようかしら」

「あの、それはムリなんです、先生にはあげられません」

「あら、わたしにそういうイジワルを言うの、ふーん、そう、それならいいわよぉ、こっちにも考えがあるんだから」

「えー、こまったなぁ……」

「少年、元レベル5をなめないことね、女には奥の手があるんだゾ」

 背筋をピンと伸ばして目線をくいっと上げて、傍らの少年に流し目を送る。憧れの眼差しで見上げる少年のひたむきな容子が、操祈の胸の扉をノックしていた。

 他愛もない言葉のやりとりだったが、そうでもしていないと間が持たないのだった。

 ここに来た理由を思えば、やはり女の身、相手のことを意識しないではいられなかった。レイと二人だけになっているのは、けっしてお喋りをしたりお茶を飲むためなどではない。

 だから言葉が途切れてしまうとすぐに微妙な空気がたちこめてしまいそうになる。

 操祈は気まずくなるのを嫌って、ソファから立上がるとあらためて室内を見回した。

「変わったお部屋ね……」

 と、素直な感想をもらした。

 室内は雑然としていてまるで物置のようだったのだ。

「ウエブ契約の民泊だからシティホテルってわけにはいかないですね」  

 窓のない広いフロアーの真ん中に無造作に置かれたセミダブルベッドの他にも、なぜこんなにたくさん置いてあるのかしらと思う、幾つもの椅子やらロングベンチやらといったようなものがゴチャゴチャ据えられていて、中には一体何の為にあるのか器械体操用の平行棒にしか見えないようなものまで置かれている。

“部屋のオーナーが小遣い稼ぎに不要品置場を活用しているってところかしら……”

「窓がないと、長逗留するには息が詰まるわ」

「あまりここで何日も宿泊する人が居るとは思えないですけど」

「ふーん、それでホテルの経営が成り立つんなら私がどうのこうの言うこともないんだけど……」

 ベッドサイドテーブルにランプスタンド、壁際に書棚があって興味を惹かれる。

「あら、本棚があるじゃない……本の趣味は人を現すから……どれどれ……この部屋の持ち主はどんな本を読んでるのかしら……先生にみせてごらんなさい……」

「あ、先生、それには触れられない方が……」

「あら、だめなの?」

「ダメってこともないんでしょうけど……きっと先生の趣味には合わないので……」

「そう……ならいいわ……」

「それより先生、シャワーを浴びられますよね?」

 背中にそう訊かれた操祈は、不意打ちを食らったように一瞬、言葉をのみこんだ。

「え、ええ――」と、反射的に応じてしまってから、その返事が日常から非日常へと切り替わったサインなのだと判って、にわかに胸の鼓動が速くなる。

 もう先生と生徒ごっこはおしまい。

 今からは――。

 少年はそれを実に巧みに、彼女がイヤとは言わない、言えないタイミングを狙いすましたように、さりげなく忍ばせてきていた。

「じゃあ石鹸とかシャンプーとか、いま用意しますね」

 年は下だが、やっぱり相手の方が一枚上手だと認めざるを得なかった。

「脱衣所もシャワーブースも狭いので窮屈かもしれませんが……」

「ええ、ありがとう……平気よ、そういうのは……」

 平静を装おうとすると、かえって意識して態度がぎこちなくなってしまいそう。操祈は少年に背をむけたまま、書棚にあった本のタイトル背表紙に目を転じていた。が、気持ちが揺れて文字面がなかなか頭に入って来ないのだった。

「どうぞ、用意ができましたので」

「うん……」

 操祈が振り返った時、少年は既に彼女の教え子の一人から、恋人の顔に変わっていた。褥をともにしたことのある男と女になって互いの瞳の色を探り合うようにして見つめ合う。

「先生……」

「……なあに……?」

「キス、してもいいですか?」

 操祈にはもうそのプロポーズを拒むという選択肢は与えられていない。

「いいわ……いいわよ……」

 彼といちばん最後に口づけをしたのは、先週末、学校の図書館でのこと。高い本棚の影で偶然すれ違った時、以来。

 たとえほんの一瞬でも、好き、を確認できるのは女にとって心躍る嬉しいもの。

 そしてここでは他人の気配を恐れることなく、すなおに愛情を表現することができるのだった。

 操祈は目を閉じると従順に頤を差し出すようにして、少年の唇が触れるのを待った。操祈の方が十センチほども背が高かったため、少し身をかがめるような姿勢になって。

 少女のように――胸をときめかせて。

 ところが――。

 素足の膝のあたりにふわりと空気が動くのを感じて目を開けると、彼女の足下に跪いた少年がワンピーススーツのスカートを捲りあげようとしていたのだ。

「ちょっと、なぁにっ」

 ぎょっとなった操祈はあわててスカートの前を抑えると半歩身を退いて少年から距離をとった。

「だって先生、いまキスしていいって言ってくれたじゃないですか」

 少年のぬけぬけとした物言いに、瞬間、返す言葉を失ってしまった。

 何をされようとしていたかわかって、ポッと頬をバラ色にしながら、

「そんな、ふざけないでっ」と声をあげて叱る。

 身をまもろうとするしぐさが女らしく、抗う姿がかえって少年の目と心を楽しませていることにも気づかずに、操祈は眉を顰めて少年をキッと睨みつけた。

「あなたって、ホントにエロガキなんだからっ」

「だってボク、いつもキスしていいですかって先生にちゃんと諒解をとってからしてますよ」

「そんなことっ……」

 場面の記憶が鮮明に甦ってきて、操祈の白面の美貌が羞恥のために耳朶まで朱に染まっていく。ベッドでのふるまいをあからさまに言われるのは女にとっては身を切られるような辱めだった。

「ボク、先生のにキスするの、大好きだから」

「なにを言ってるのよぉ……もう、ほんとにイヤな子ねぇ……」

 操祈からそんなふうに言われても、レイは悪びれたようすもなく寧ろ嬉しそうな顔をしていた。

「やっぱり先生はとびっきり可愛いな……」

 少年はつっと立上がると、動揺から立ち直れていない操祈を残して足取りも軽く浴室に消えてしまった。

 ややあって、

「先生、シャワーの時、ヘアキャップ、お使いになられますか?」

 と、何ごともなかったように訊いてくるのだ。

 けれども操祈は、ニンマリしているレイを見たとたん、また悪い胸騒ぎを覚えて身を硬くする。女の本能が緊急事態を告げるサイレンを鳴らしていた。

 人が満足した猫のような顔をしている時というのは、自分を含めてたいてい碌なことを考えていないものなのだった。

 

 

 

 



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シャワーブースは危険がいっぱい2

 

 

          Ⅴ

 

 

「レディのシャワーに押し入ってくるなんて、エチケット違反なんだゾ」

「ごめんなさい、操祈先生」

 しおらしく謝罪の言葉を口にしながらも、なお少年は鏡に映る彼女の体を興味深げにしげしげと見つめているのだ。

「こらこらっ、言ってる尻からっ」

「きれいだな、やっぱり先生はスゴいや、裸になると別人……スーツ着てるとあんなにほっそりとして痩せて見えるのに、でも胸が大きいのは隠しきれてないみたいですけど……」

 股間のものがいきりたち、男の子の体の感動を臆面もなく伝えていた。怒ってでもいるように先端をぷうっ、と膨らませ、ピンとつっぱった粘膜が滾った獣欲の光沢をはなっている。細身で小柄な体には不釣り合いなほど長く美しいフォルムをした陽根。

 ただ、彼女はまだ一度もそれを自分の中に迎え入れたことはないのだった。

 教え子の黎太郎と特別な関係を持つようになってもうかれこれ一年近くにもなるが、相変わらず互いにヴァージニティを保ち続けているのだ。

 はじめは子供同士が戯れにするような他愛のないキスからはじまって、ゆっくりと足元を確かめながらの一歩一歩、自分が次第に恋の魔法にかかっていくのを操祈自身が驚きながら、気がついたときには自縄自縛の官能の淵へとのめりこんでいた。

 今ではとうていプラトニックとは呼べないような親密な男と女の関係になってしまっている。

 よもや女として愛されるとはどういうことかを年下の、それも教え子の男の子から教えられることになろうとは……。

 背中から抱きつかれ、細く締まった操折の胴回りにレイの腕がしっかりからみついてきた。少年の両手は肌触りを楽しむように彼女の脇腹から胸にかけて丹念に往復している。身をかたくして拗ねるようにしてされるままになっていた操祈だったが、腰にあるツボを器用な指先でおさえられると、とたんに体の奥に熱が生まれて密やかな器官が綻んでくるのがわかるのだった。

「聞き分けがない子、おねぇさんキライよ……」

 たしなめる声音にも官能の翳が兆してくる。

 無防備な背後を取られ、言葉とはうらはらに拒絶は既に頑ななものではなくなっていた。

「すぐ済むんだからあっちで待ってて……」

 二人だけでいられる時間は僅かしかないのだから、と操祈は整った眉宇をくもらせて諭した。正味のデートタイムは残すところ、もうほんの一時間あまり。

 午後の自由時間は、修学旅行期間中のぎっしり詰まったスケジュールにがんじがらめにされていた操祈にとって、ただひとつ心待ちにしていた拠り所だったのだ。今を逃してしまうと、もう学園都市に戻るまで互いに教師と生徒という関係をはなれて向き合うことはないかもしれない。

 愛をたしかめあうのはずっと先になってしまうに違いなかった。

 そんな操祈の心中を見透かしているように少年はゆとりのある顔つきをしている。

「大丈夫です、時間がなくてもちゃんと可愛がってあげますから」

「もう、子供がナマ言ってんじゃないわよ、ちょ、ちょっとなぁにっ?」

「ねぇ、隠さないで見せてください、先生のカラダ……」

 少年が腕を絡めてきて操祈の両腕を背中へと導いた。操祈は庇うこともできずに、また全身を姿見に映してしまうことになってしまうのだった。

 レイは鏡に映った操祈と、腕の中にある裸身と見くらべるようにしている。それはもしも大人の男からのそれであれば、女にとってさながら視線によるレイプのように感じられる類いの非礼きわまるもの。女の体の欠点を探り当てようとするような容赦のないものだった。

 子供だから赦されるギリギリのライン、そう思うことで操祈は踏み堪えている。

「じろじろ見ないのっ、失礼ね……」

「どうして? こんなにきれいで完璧なプロポーションをしているのに……セックスのまわりのヘアの生えっぷりだって、ふわふわですっごくやさしそうな感じになっていて……」

 大人しそうな顔であきれた物言いをぶつけてくるばかりか、いたずらな指先が、亜麻色のくさむらをサッとからかうようにくすぐって、操祈はおもわず小さな声を発して乱れてしまった。

「マトモな男の子っていうのは、そういうことは思っていてもけっして口にはしないものよっ、デリカシーのない男の子は嫌われちゃうんだゾ」

 教師として、長上者としてのお姉さんぶった言葉を使っても、もはや女のおもねりは隠しきれなくなっていた。たとえ操祈本人にはその意識がなかったとしても、頬を上気させて、瞳を大きくして、小さな恋人にすがるような眼差しを送ってしまっていては、相手から足許を見られてもいたしかたない。

「けっして口にしないものなのかな? でもボクは先生のならお口にするのが大好きだけどな」

「お口って……コラぁっ!」

 淫らなほのめかしに操祈の顔がたちまち耳まで真っ赤になっていった。

「だって今日はそのためにここに来てもらったんですから、らぶらぶクン――が備え付きの部屋をやっと見つけたので」

 少年は耳慣れない言葉を口にして、

「……らぶらぶ……クン……?」

 と、尋き返した操祈の胸がまた危険な気配を察してザワついてくる。

「ベッドの横にあったでしょ」

「――?!」

 確かにベッドの周辺には雑然といろいろなものが置かれていたが、特に気にも留めていなかった。

「来て、先生……」

 そう言うと少年は操祈の腕を引いて浴室の外へと連れ出そうとする。

「ちょ、ちょっと、まだあたしシャワーを浴びてないっ」

「そんなこと、ボク、ぜんぜん大丈夫ですから」

 

 

 

 

 



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恋人たちの椅子

 

 

 

          Ⅵ

 

 

「あそこにピンク色したローベンチみたいなのがあるでしょ、あれ、らぶらぶクン2号、っていう名前の特別な椅子で、実は二人用なんです。すぐ横にある肘掛け椅子みたいなパイプ椅子と繋がっていて、向き合うように組み合わせてペアで使うものなんですけど……ボク、随分探して、やっとここにあるのを見つけて……それでぜったいに操祈先生に歓んでもらおうと思ってこの部屋を予約することにしたんです」

「いったい……なにを……」

 少年は、フっ、とまた危ない笑みを向けると股間のものをニョッキリそそり立たせたまま、ちょっと歩きにくそうにしながら奇妙な椅子のある方へと行き、二つの椅子を動かして向き合うようにセットする。

 低座の床ベンチのように見えたものには中央に継ぎ目があって半分が背もたれに変形していた。すると、左右一対の椅子がほんの数十センチほどの間隔をおいて上下段違いになって対面するようになるのだった。上手側になる肘掛椅子の座面はU字型に大きくくりぬかれていて、下側ベンチの背もたれのあたりの高さに配置している。

 とたんにその邪な企みがわかって操祈の喉が、ゴクリ、となった。

 さいぜん肘掛のようにみえたものがそうした日常にあるような穏便なものなどではなく、実際は脚をのせるためのアームだったのだ。

 淫らな、とても淫らな目的のために誂えられた、特殊な椅子――。

「男女兼用らしいですけど、もちろん先生が座るのはこっち側です♥」

 少年の人差指が件の椅子のアームのあたりをトントンと叩いている。

「レイくん……」

 恐れのためなのか、間近にする現実を受け止めきれなくて操祈の体は小さく小刻みに慄えはじめた。まだまだ子供だと思っていた中坊の男の子が、こんなにもおぞましいことを自分に求めてくることがにわかには信じられずにいるのだった。

「……わたし……イヤよ……」

「どうしてですか? だってベッドでしていることを、もっとスムーズにやるだけのことですから。ボクも楽だし、そのぶん先生もずっとキモチよくなって楽しめるはずですよ」

 身もふたもないひどい言いようだったが、それにすら気がまわらなくなるほど操祈は追いつめられた気持ちだった。

 たしかにそういうことは、もう――自分たちは経験はしているのかもしれない。

 少年から初めてそれを求められた時には驚いて、ひどいショックだったが、それでも強い羞恥の先にあった歓びはとても尊いものだと思えるのだった。

 レイに愛情を感じて、親密さをいっそう強く抱くようになった、女にとっての特別な経験。

 けれどもそういうことは、ベッドで愛し合うときに、愛撫の流れの中で自然に行われることはあったとしても、それだけを目的にするのとは絶対に違うという思いが操祈にはある。

 理由は言葉にはできないし、もちろん女の口からは言えないこと、口にもしたくないこと。

 だが、感情は強く拒絶している。

「違う、違うのっ!……」

「ぜんぜん違わないと思いますよ」

“それならどうしてあなたは私をこの部屋に招くことに拘ったの――?”

 みんな計算づくだったのか……と、操祈は経緯を思い返して少年の狡知に気づき、恋人への愛情と不審感との間で心が揺れてくるのだった。

「あたし、レイくんにはそんなことして欲しくないの……こんなヘンなことは……」

 散り散りになりそうな思いを整理して、ようやくせつない気持ちを口から紡ぎ出す。

 だが、そんな気持ちを余所に、少年の言葉は更に素っ気なくなっていた。

「変かどうかは、試してからにしませんか? 先生がどうしてもイヤなことならすぐに止めますから、それならいいでしょ?」

「………」

「それに今夜、奈良の旅館でのお風呂の時、一緒に入ることになるかもしれない女子たちの前で、もしも先生の白い肌の上に真新しいキスマークが幾つもついてちゃ、かえってまずいじゃないですか? だからボク、今日はこうしたらいいなって思って計画してたのに……」

 誘惑ぶりは実に手馴れたものなのだ。操祈の心のガードの弱い部分を突いてくる。

「レイくん……」

「こっちに来て、先生……ボクたちはもう裸でいるんだし、裸になった恋人たちがすることをしましょう」

 俯いていた操祈が視線をあげると、少年が口を開いて長く舌を伸ばしているのが目に入った。艶かしく蠢かして操祈を誘っている。その妖しい動きを覚えている体の方が心よりも先に走り出そうとしていた。

「もしも先生がはじめてだったら、さすがにこの椅子を使うのは可哀想かなと思いますけど……でもボクたち、いろいろ経験済みだし……だからそんなに恥ずかしがること、ないと思うんですけど……」

「………」

 少年は屹立させたままの長い男根を片手で摩るようにして慰めながら情欲に潤んだ目で見つめ、操祈に決心を促しているようだった。

「ボク、先生が好きです……大好き……」

 気力も体力もありあまる思春期まっただ中の恋人の情熱。

 その一途な思いに対して、年上の女がいつまでも逃れつづけられるものではないのかもしれない……。

「先生のことが誰よりも大切で、誰よりも好きだから……だから他の誰にもしたいとは思わないことを操祈先生にだけはしたい……愛しているその証として……」

 少年はとどめのひと言をつけ加えて、操祈の心を蹂躙していった。

「……シャワーを、浴びるわ……」

 ついに操祈は少年のプロポーズに同意の言葉を返してしまっていた。

 ここへやってきたときから、自分の運命は定まっていたのだ、と気分は諦めに鈍く沈んでいる。

“あーあ……やっぱりまた言い負けちゃった……いつでも我を貫くのはあの子の方なのよね……子供のオイタを赦してお付き合いするのもオトナの責任、ということなのかしら……でも、くやしいな……”

 心を決めた操祈が再び浴室へと足を向けると、また呼び止められた。

「なあに……?」

「お風呂は後にしませんか? どうせ後でシャワーを浴びないといけないから、今は時間を大事にしましょう」

「冗談を言わないで……」

「ボクも汗かいてるし、お互いさまです、後で一緒に浴びましょう。その方が時間の節約になるでしょ?」

「……そんな……」

「心配しないで、先生……ボクは操祈先生のどんなにおいだって大好きだから……」

「いわないでっ!……レイくん……」

 

 

 

 

 





らぶらぶクン2号機改(アンティークタイプ)

 とっても親密な恋人たちが、さらに深くもっとじっくり愛をたしかめ合うための秘密の快楽椅子がまた再びっ! 多くのご愛好者の熱烈なご要望にお応えして、ここに満を持しての再登場! AUTOが主流の従来品とは違い、恋人たちの自主性に任せるために敢えて電源系を排除した設計が大受けした1号機でしたが、一昨年、大好評の中での終売となりました。その後、評判を聞きつけた多くのみなさまから再販しないのかとのお問い合わせが殺到し、今春、ついにめでたく再販の運びとなりました。ただし今回はただのリヴァイバルセールではありません。弊社が全力を傾け社運をかけて問う大幅改良版のご提案であります。1号機では見送られた油圧系ですが、この2号機では可動部全てに導入、体の動きにピタリと寄り添うスムーズな動きを実現しました。かくして体位のバリエーションは無限大、想像力の羽ばたくまま斬新なアイデアを思いつくままにチャレンジできるようになりました。さあ、みなさまこそが性の深淵を探求する冒険者、真の意味での性戯のフロントランナーです。この2号機では弊社独自のアンチ重力技術で、どんな体勢になってもリラックスしてプレイが続けられるように設計されています。らぶらぶクン2号ならではの浮遊感のある体験を是非お試しくださいっ! 思いがけない大胆な姿になった恋人を見て、新しい魅力を再発見すること請け合いですっ!

      希望小売価格398000円(税+送料+代引き手数料別)




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観光バスの中で

          Ⅶ

 

 

 

「みんな揃ってるぅ? 戻ってきてない子は居ない?」

 操祈は観光バスの前扉のステップにスラリとした長い足をかけて、車内を覗き込みながら既に席についている生徒たちに訊いた。

「レイがいませーん」

 バスの中ほどから男子生徒たちの唱和する声がした。

「あら、密森くん? まだ戻ってきてないの?」

「まだでーす」

 バス内はしばし控えめな罵声のざわめきにつつまれた。

「ハイ、みんな静かにぃ……困ったわねぇ、一号車はもう発車するみたいなのに……」

 腕時計を確認してバスの外へ降りると、周囲を見回してレイの姿を探した。自分と別れた後でレイはひとりだけ遅れてくることになってはいたものの、それでも万が一のことを思うと心に漣が立ってしまう。

 それは生徒の身を案じる教師のものか、それとも恋人を想う女のものなのか境界が曖昧になっていた。

 紺のジャケットの背中に風にゆれるロングストレートのブロンドヘアが映えている。

 スーツとお揃いのワンピース、ローヒールのパンプスというシックなコーディネートは洗練された知性と美貌、それに清潔感のある女らしさを醸し出していた。加えてわずかに眉宇を翳らせた憂いの表情には、常の操祈とは違う弱さがそこはかとなく漂っていて、特別な彼女をいっそう特別な存在にしているようだった。

 それは車窓から操祈の姿を追う男子生徒たちの目を惹きつけずにはおかないものであり、そればかりか、その場に居合わせた多くの観光客の目も楽しませていたに違いない。

「先生、密森くんが来ましたっ」

 少しして、バスを降りてきた女子生徒の一人が背後を指差しながら操祈に告げる。

 操祈が車体の影になっていた側に回り込むと、視線の先、パーキングのトイレの方から走ってやってくるレイの姿が目に入った。

「すみません先生、遅くなりましたっ」

 レイは息急き切ってそう言うと、扉の横に立つ操祈には視線を合わせることもなく、ぺこりと頭を下げただけでステップを駆け上がっていく。

 ほんの三十分ほど前まで自分たちがしていたことを思うと、操祈の心はまた乱れて頬が火照ってしまうのがわかったが、少年の方にはそんな危うい兆しは微塵も窺えなかった。

 どこから見ても無害で安全なイキモノへと見事に擬態している。その徹底ぶりはなにかしらの能力ではないかと疑いたくなるほど。

 しかし、そうしたものではないことは操祈にもわかっていた。

 もしこの事が露見したら……。

 考えただけでも身がすくむほど恐ろしい。

 教師と生徒のただならぬ関係は、たとえどんなに二人が愛しあっていようとも決して許されることはないのだ。操祈が児童虐待の責めを受けるのは火を見るよりも明らかだった。

 そしてもう二度とレイと逢うことはできなくなるだろう。

 それを思えば少年の行動は賢明だった。彼なりにできることを最大限にしてくれている。

 二人きりの時の自分を無慈悲に、そしてどこまでもやさしく苛んだ彼と、今のレイのよそよそしいようすは、全く違うように見えて実は根は同じだとわかるのだった。

 すべて、こちらの身を案じてのこと――だ、と。

 操祈の胸がまた熱くときめいた。

“あーあ、あたしなにやってるんだか、この食蜂操祈が、あんな子供に振り回されてるなんて……”

 操祈はひそかにため息をついて気持ちを整えると、教師の顔をつくってバスに乗り込んだ。

「全員、居るわね?」

 主に男子生徒たちの声が、ハーイ、と応えた。

 シート番号と生徒番号とが一致していて、全員乗車済みであることをチェックし、さらにいま一度、生徒が全員揃っているのを確認した後、操祈はバスの発車ボタンを押した。

 パワーユニットが起動してドアが閉まり、無人バスはゆっくり動き始めた。

「えーと、これからの予定を確認しておくわよぉ――」

 

 

 

 

 

 




前節と本節との間のお話は18禁となりそうですので・・・










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観光バスの中で2

 

 

 

 

          Ⅷ

 

 

「あ、そうだ、忘れてた」

 生徒たちへの伝達、確認など、ひと仕事を終えていちばん前の座席に落ちついていた操祈は、また、つ、とシートから立上がると通路の奥に向かって呼びかけた。

「密森くん、あなたには遅刻したペナルティをあげるわ。理由を書いて後で持ってらっしゃい。反省文よ」

 レイはキョトンとした顔をしていたが、周りの男子にひやかされて頭をかきかき立上がると、素直に「ハイ」と返事をして頭をさげた。

 操祈は自分の視線が、なお少年の様子を追いかけようとしているのを意識的に抑えて席に戻った。

 用心しないと、と言い聞かせて。

#ちなだが、バカレイ、オマエどこ行ってたんだよぉ?#

#トイレに行ってて遅れるなんて、おまぇマスでもカイてたんじゃねぇのかっ、え、おい、白状しろっ#

#そんなワケないよ、コースケ君と一緒にしないでくれるかな#

 生徒たちの話し声の合間にレイの声が聞こえてきて、操祈は座席の背に身をもたせたまま耳をそばだてていた。

 レイはこの旅行期間中、主に男子六名ほどのグループで行動しているらしかった。

#みんなに置いていかれて……後を追っかけたんだけどみつからなくて、ねえ、みんなはどこ行ってたの?#

#俺らは予定通りだよ、ダンゴ食って、舞子はーんの写真を撮りまくって、それから操祈ちゃんを探したんだけど見つかンなくてサ、それで土産物を買いにぶらついたりして……オマエこそどこほっつき歩いてたんだよ#

#ボクはみんなとはぐれてから、あちこち探したんだけど、あんまり観光客が多かったから諦めちゃった……だってさあ、他所の学校の修学旅行と幾つもかち合ってたみたいで、どこもかしこも似たようなのがいっぱい居たから……#

 少年の頭の中では、きっと観光客の多いことまで計算に入っていたのだろうと操祈は思う。

 利発な少年が知略を巡らして、自分と二人だけになる時間を作り出してくれた……。

 学園都市では、生徒には殆どと言っていいほど行動のプライバシーは与えられていないのだ。市外に出るのさえ許可がないと認められていなかった。

 まして――。

 思い出すと、強い羞恥が甦って操祈はすぐに窓の外に視線を転じた。スーツの胸もとを大きく起伏させて熱を帯びかけた呼吸を整える。 

 体の芯にはまだ愛情の余韻が熾となって残っていて、ちょっと油断をするとまた燃え拡がってしまいそうな、そんな危うい感じにされている。

 あんなに烈しい情熱をぶつけてくるなんて……。

 レイがとても情の深い子だというのを分っていたつもりだったが……それでも……。

 操祈はスカートの中で両脚をきつく閉じ合わせ、腿の間に両手を添えて寄せてくる熱をやりすごそうとしていた。生徒たちの熱気がただよう観光バスの中で、人知れずプライベートな闘いを演じながら、もう逃げられない、覚悟を決めるしかないとも思ってしまう。

 何もかも燃やし尽くすまで、この恋からはのがれられない、と。

 潔癖なミドルティーンの少年の面前に、歓びを貪欲に求めて、これ以上ないほど自身の寝乱れた姿を晒けだしてしまった。

 その後悔と不安とで身も心も萎みかけていた操祈に、レイは肌を接して温もりと思いを伝えようとしてくれたのだ。

 男のやさしさが女の肌に沁みた。

 いちばん欲しい時に、いちばん欲しいものを与えて慰めてくれた彼。

「先生はボクの夢だから……」

 その言葉を思い出し、また目頭が熱くなってくる。

 ずるいゾ――。

 あんなことの後で、そんなことを言われたら……もう女は……。

 恥ずかしい椅子の上で操祈は、体だけでなく心の中までも含めて全て、女の秘密を分かち合うしかなかったのだった。

 

 

 

 

 

 





前の説までで、いくつかみつかったミスを修正しました


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観光バスの中で3

 

 

          Ⅸ

 

 

 

 人は恋をすると変わるもの、とワケ知りに言う友人たちを醒めた目で眺めていたこともあった操祈だったが、当事者になって初めてその言葉に共感を覚えられるようになっていた。

 かつての自分の、若さ故の狭量さを微笑ましく感じられるほど。

 自分はただひとり、自分だけのもの――。

 そんな自明であったはずの日常は、実はとても脆くて揺らぎやすいものだった。

 恋をするというのは、いろいろな意味で自分を失うことだ。

 多くを失って、より多くを与えられること。

 失うことで得られる歓びと、与えることでもたらされる充足。それは、なにものにも代えられない尊いものだった。

 けれども操祈は、その甘い果実の味を知ってしまった今、見知らぬ不安とも向き合わねばならなくなっている。

 だから、些細なことで心が揺れてしまう。

#オイ、なんかさあ、臭くねぇ? 誰か屁こいたヤツ居る?#

 後ろの方で、また男子生徒たちの声が響いた。その中にはレイの声も混じっていた。

 オマエだろ、いやオマエだ、の言い合いとなって実に中坊男子らしい犯人探しがはじまったようだ。

 その拙いやりとりを耳にしているうちに操祈は、あの中にはとうてい自分の居場所なんてありはしないことを思い知らされていた。

 認めたくないが、これも認めなくてはならない否応もない現実のひとつなのだ、と。

#オイ、レイ、やっぱオマエじゃねぇのっ?#

#え、ボク? ぜったい違うってば#

#そうか? でもやっぱオメぇ、なんかクセぇぞっ、なぁ、コイツ、クセぇよなっ?#

#あ、ホントだ、ナンのニオイだ、コレ?#

#そんなことないと思うけど……#

 あきらかにレイの声音には戸惑いの響きが感じられて、シートのヘッドレストに頭をあずけて瞑目していた操祈は目を薄く開いた。

#たしかに、おまえ、臭いな#

#ああ、へんなニオイがするな……なんだろう?#

#コイツの顔が臭うんじゃないか?#

 誰かのひと言が耳に届くや、操祈はビクッとなって再び、今度は全身を耳にして後部シートで交わされている男子たちの声に意識を向けることになった。

#変なチーズみてぇなニオイな#

#くせぇ、くせぇ、クサレイだっ#

 男子生徒たちのそうだ、そうだとはやし立てる声が聞こえる度に、操祈の顔がみるみる紅く染まっていった。

#おかしいな、トイレで顔、石鹸でちゃんと洗ってきたんだけど、まだ匂うのかな……#

#なんか変なもんでも食ったのか? 道に落っこちてる犬のクソとかよぉ#

 嘲弄する愉しげな笑いが起こったが、逆に操祈は凝固まったまま、唇をぐっと結んで固唾をのむ。

#そっか、さっき、ちょっとチーズ工房に寄ってたから、その所為かな……#

 と、自身なさげに言うレイの声は相応の男の子のものになっていた。

#チーズ工房? ナニソレ、オマエ、京都にきてわざわざそんなとこ行ってたのかよ#

#……だって、ガイドに絶品だってあったから……ねぇ誰か消臭スプレー持ってたら貸してくれない……?#

 スプレーをかけるシューッという音がして、少しして芳香剤の香りが操祈のところにまで漂ってきた。

#もう匂わないでしょ?#

#ああ、だいぶマシになった#

#だいぶ? じゃもうひと噴きしておこうかな……#

 またスプレーの音がする。今度はより念入りに、長い時間をかけての。

#そんなくっせぇチーズなんてよく食おうなんて思えるな#

#おいら、チーズは好きだぜ、チーバーサイコー#

#でもあのニオイ、苦手ってのはあんがい居るよな#

#……発酵臭って、馴れると気にならなくなるもんだけどね……#

#密森ってチーズに趣味なんてあったんだ? お前とのつきあい長いけど、初耳だな、ちょっと意外#

#特別にこだわりがあるわけじゃないけど、でもソコのは絶品だから、それでつい夢中になっちゃって#

#オメーがそんなにウマいって言うンなら、オレも食ってみたかったかもだが#

#うーん、どうかなあ学園都市に居るときも何回か食べてるけど、でも滅多に口には入らないから憧れの高嶺の花だったりするかも#

#へー、そんな高級品なのか? オマエ、よく金あったな?#

#お金っていうより発酵食品ってナマモノだから、発酵の進み方が常に微妙で同じものを食べても香りや風味が随分違ったりするものなんだ。だから……#

 少年たちがチーズやヨーグルトの発酵についての知識を交換しあっていた。

 他の誰にとってもどうということのない話題だったが、このバスの中でたったひとり、操祈にとってだけはどぎつく、自尊心を打ちのめされるような身につまされるものになっている。

 そのため後ろの席にいた女子生徒から声をかけられたことに、動揺していた操祈はしばらく気がつくことができなかったのだった。

「あの、操祈先生」

 ハッとなって振り返る。

「な、なあにっ? 栃織さんっ」

 呼びかけていたのはクラス委員の栃織紅音だった。

「あの先生、大丈夫ですか? お顔が真っ赤ですけど」

「え、あら、そうかしら……暑かったから、ちょっと熱中症になりかけていたのかもしれないわね……」

 操祈は脇に置いてあったショルダーバッグの中の水筒を探すふりをするあいだ、懸命に心の準備を整えようとしていた。

 たとえ中学生であっても同性の目は侮れない。それが心理系の能力者である場合にはなおさらだった。

 栃織紅音はまさにそれに該当していたのだ。レベル1だが、今の操祈にとっては気のおけない相手などとはとても言えない。

 操祈は頭の中で即席の鍵とキャビネットをイメージすると無防備に散らかったままの心のファイルをかき集め、自分にとってもっともプライベートな記憶として引き出しの奥にしまいこんだ。

 たとえメンタルアウトとしての能力は失っていても精神防壁を組み立てて鉄壁のガードを構成することは今でもできる。

 自分の身を守る術は心得ている。

 そのつもりだったのだが……。

 

 

 

 

 

 



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超能力者(レベル5)

          Ⅴ

 

 

 

 

「そうね、あの頃は私を含めて高い能力を持った子が、あちこちにたくさん居たから……」

 操祈は席を譲って少女を自分の隣に招いていた。

 栃織紅音(とちおりあかね)は、クラス委員らしくひっそりと落ちついた雰囲気をたたえた少女である。抑揚をおさえた話しぶりは老成した印象があったが、間近にすると表情はやはりまだまだ若く幼い。

「エイジオブジャイアント、巨人たちの時代、そう言われているんですよね」

「らしいわね、でも時代といえるほど長続きはしなかったし……だってほんの一、二年の特異なできごとよ。それに巨人だなんてとんでもないわ。実際はヒトでなしやロクでなしばかりがたくさんいただけ……間違いなく私もその中の一人よ」

「そんな、先生が碌でなしだなんて」

 少女は黒ぶち眼鏡の奥の細い目を、驚きに大きくしていた。

「買いかぶらないで、あの頃の私は自分の力に酔っていて、振り回されていることにも気がつかなかった身のほど知らずのただの子供よ。今は力を失って良かったと心から思うわ」

 能力者たちの殆どすべてが十五歳前後をピークにして急速に力を失っていき、その後の数年の内に無能力者のレベルまで堕ちていった。とりわけ上位の能力者ほど急速に。

 学園都市の科学者たちはプロジェクトの予想外の破綻を前に非常な危機意識から、さらに莫大な資金と人員を投じて必死の対応を講じたが、結局いかなる試みも奏功することなく、彼らにとって虎の子とも言える貴重な能力者の子供たちが普通の人間になっていくのをただ呆然と眺めていることしかできなかった。

 十数年に及ぶ巨大計画の結果、得られたのは、子供たちの特殊能力の発現には思春期バーストが関連しているとみられること、殊に超能力者を多数輩出した黄金世代の子供たちには、何らかのウイルスが関与することで相乗効果がもたらされているのだろうと思われること、の、大きく二点だけだった。

 特に後者は一時は有力な仮説として期待され、当該ウイルスの同定まで為されたにもかかわらず、現象が生体で再現されることはついになかった。

 長い時間と金と人とを惜しげもなく注ぎ込んだ挙げ句の結末が、ただ、――みられる、――思われる、では科学側の敗北は明らかである。

 誰が、いつ、どのようにして、どのような能力を発現するようになるか、それら一切の定式化を得られぬままに時間ばかりが過ぎていくなかで、研究者たちの情熱は次第に萎んでいった。

 事ここに至ってようやく彼らは、現象への意識の関与を考慮する必要性を渋々ながら認めはじめたのだった。もしも『現象』に何らかの形で個人の『意識』が関与しているとしたら、研究の迷宮入りは必至となる。

 プロジェクトは次々に打ち切りとなり、その後、学園都市は多国籍企業群や軍、国までをも巻き込んだ例の一大スキャンダルの暴露によって特例の多くを失い、心ある学者や医師を除いて多くのプロジェクト参加者が都市を去っていった。

 あるものは僻地へ、そしてあるものは獄中へ――と。

 現在、能力研究の規模は往時の五百分の一以下にまで縮小されているという、事実上の終了案件だった。

 実験素体供給の中心でもあった常盤台中学も、今は共学化されて周辺にある一般校と殆ど変わらなくなっている。

 操祈の記憶では、常盤台では三年前に一人、高位能力者と言われるレベル3の男子生徒の発生が確認されて以降、レベル2以上の能力者は認められていない筈だった。そのレベル3の生徒も、能力が観られたのは僅か二ヶ月半ほどの間に過ぎず、発現の安定度も低くて、操祈の知るレベル3とは相当の違いがあるもののようだった。

「紅音さんは能力に興味があるのね」

「先生が心理系最強の能力者だって伺っていたので……私も、心理系、みたいなので……でも先生とは比較にもならないくらい些細な力なんですけど……」

 同性として、そして同種の能力を持った先輩としての話を聞きたい、ということのようだった。操祈にとっては身構える必要のない守備範囲の話題である。

「先生は、例えば他人の心の中を覗く、なんてことができたんですか? 大切にしている秘密を本人には気づかれずに知る、なんてことを……?」

「それは俗にサイキック、テレパスって言われているものかしら? 私の能力とは少し違うわね……私の力はもっと物理的だったから……」

 操祈は話をしようとして、開きかけた口を閉ざした。昔年の悪行の仔細を生徒に明かすことには、やはり躊躇いがあった。

「物理的って、例えば他人の心を自由に操るとか、記憶を操作するとか、そういったことですか?」

「え? まあ……そうね……」

 控えめだと思っていた少女から予期せず踏み込まれて、言葉に詰まりながら操祈は首肯する。

「すごい……」

「少しも凄いことなんかじゃないわ、醜い能力よ……心の未発達な子供にあんなに大きな力を持たせようだなんて、いったい何の冗談かしらって思うわ。きっとあの頃の大人たちは私たちにさぞ苦労したことでしょうね。でも、それを利用しようとしていた彼らも私たちに輪をかけてロクでなしばかりだったから、自業自得という面もあるんだけど……」

 会話が途切れてしばしの沈黙が続いた。少女が何かを言おうとしていて、どうすべきか迷っているのが伺えた。

「わたしになにか訊きたいことでもあるの……?」

「……私、先生がうらやましいです……私なんかがそれを口にするなんて、身のほど知らずにもほどがありますけど……でも、うらやましいです……だって私ってこんなだし……力だって無いに等しいくらいだし……」

 何と応じるべきかはかりかねて、操祈の口も重くなる。少女が何を求めているのかが判らなかった。

「……力が、欲しいの……?」

 少女は頚をふるが、それが本音かどうかまではわからない。

「あなたは心理系のレベル1能力者、だったわよね? 例えば他人の心の中をもっとよく知りたい、とかそういうこと? その為の能力強化トレーニングの方法とか……?」

 少女は再び首を横にふった。

「私、テレパシーなんかさっぱりなので、他の人が心の中で何を思っているかなんてわかりません、それに知りたいとも思いません……だって、きっと聞こえてくるのは悪口ばっかりにきまってるから……ただ……」

 少女は俯いたまま暫く口を閉ざしてしまった。

 どうやら学園生活にストレスを感じているようで、操祈は少女が再び話し始めるのを辛抱強く待つことにした。こうした場合、本来はカウンセラーが対応するのが筋だが、今は仕方がない。

 やがて――。

「もし私が先生みたいだったら、きっと学園生活がもっとずっと愉しくなるんじゃないかなって……ただの妄想です……」

「あら、あなたはクラス委員を立派に務めているじゃない? 成績だってすばらしいわよ、えーと、たしか直近の中間テストの成績は、学年で四番、だったかしら?」

 少女はこくりと頷いた。

「すごいじゃない! 私は常盤台での成績はそりゃひどかったのよぉ、あなたの足下にも及ばないわ……能力を使っていつもいい加減にやっていたから、いざ力を失ってからは、それはもうたいへんっ」

 操祈の明るい笑顔に、少女も口角を上げて頬笑んだ。控えめな笑顔だったが、少女らしい初々しさが花開いたように思えた。

「それでも先生は高校は飛び級で、大学もたった二年で卒業されてるじゃないですか、やっぱりさすがです」

「それはもう遅れを取り戻そうとただただ必死だったからよ、おかげで振り出しに戻ってまた常盤台からやりなおしみたいになってるけどぉ」

 操祈の軽口に、少女はやっと歯並みを覗かせる。

「私、先生の母校だから常盤台を選んだんです」

「……?……」

「先輩はずっと憧れのアイドルだったから」

「うーん……」

「常盤台のレベル5、メンタルアウトの食蜂操祈……学園都市の女王……素敵でした……」

「今になってそんな大昔のことを言われても……」

「小さい頃、先生がたくさんのお付きの方たちを従えて街を歩いているのを見かけたことがあって、すごいなぁ、こんなに綺麗なお姉さんが居るんだなって、ずっと眺めていたのをよく覚えています」

 心の中で操祈は頭を抱えていた。

 中二病の症状が最も深刻だったころを知るものが、よりにもよって自分の教え子の中に紛れこんでいようとは。

「おねがいだから、その話は他の子たちにはしないでね、授業ができなくなっちゃうわ、営業妨害よ」

「でも、みんな知ってることだと思うんですけど……先生のファンは男子だけに限りませんから。学校のアーカイブで映像検索するとき、たぶん先生のお名前が検索語のトップになってると思いますよ」

「――?!」

「先生がウチの先輩だってことは、先生ご自身がおっしゃられていたことですから」

 操祈はあらためて自分と生徒たちとの違い思い知らされた気分だった。

 これが世代差というものか、と。

 以前の自分であれば、学内のことで知らないことは無いほど情報戦では常に優位に立っていた。

 (ワレ)、知りうることを他人(ヒト)は知りえず、他人、知りえぬことを吾は知りうる――。

 今、それが全く逆転してしまっている。

 すぐに管理部に掛け合って自身についての情報の全削除を申請したいところだったが、多分、受理されることは無いだろう。

 これも身から出た錆――。

 人生におけるバランスシートの赤字の返済期限が来ているようだった。

"お願いだから、請求書は分割で……一括返済なんて無理よ、さもなきゃ破産申請するんだからっ、そうなったら元も子もないでしょ、交渉の余地ありよねっ”

「だからって担任教師の子供時代の映像を生徒がわざわざ掘り返したりするの?」

「私、いっぱい持ってますよ、先生の映像……」

 少女はスマートフォンを取り出すと、操祈にメンタルアウト画像ファイルを示した。厖大なデータ量に思わず目を覆いたくなる。

「あ、そうだ……先生……この写真なんですけど……」

 少女はファイルを探って画像のひとつを面にした。

 画面には、テラスで仲間たちと寛いでいる時の、勝ち気で怖いもの知らずの愚かな少女の姿が捉えられていた。

 操祈は半ばなげやりな気分で旧悪と向き合った。

「おきれいですよね……薔薇は蕾のうちから薔薇なのだって……」

 他者の評価が自己評価より遥かに上をいくのは落ちつかないものだった。

「その写真がどうかしたの……?」

「ええ、この写真、とってもいい写真だなって思うんですけど、ただ、ちょっと変なところがあるんです……」

「変?」

「え、先生のことではないですからっ……ただ、ここ、ご覧になっていただけますか?」

 少女が指し示したあたり、写真の隅に目を遣ると、遠景の木陰が斜めに切り取られる形で画面に入っていた。

「あなた、まさか心霊写真だなんて言いたいの? お化けは私の専門範囲を超えているんだゾ」

「その……人が映っているんです……」

 操祈は凹んだ気分を紛らわせるつもりで冗談を言ったつもりだったが、少女は逆に真顔になっていた。

 確かに、見ようによっては木陰に人影があるように見えなくもないが、こうした類いは大概、目の錯覚か見る側の思い込みと定まっている。

 オカルトについては操祈は実際的で否定も肯定もしないが、もしトラブルがあるのならそのとき対処すればいい、そう考えている。

「仮にそこに幽霊が映っていたからって、大丈夫、大昔の話でとっくに時効よ、祟りなんて気にしないわよ」

「この写真、ブロック画像なので被写界深度関係無く背景もクローズアップできるんですけど……それで、ここを拡大して……先生、良くご覧になっていて下さい、画像補正を行いますので……」

 少女は真剣な顔をしたままで指先を巧みに操って映像を操作していた。

 黒く影になっていた部分から次第に人型が浮きあがってくる。操祈の目にも確かに人の姿のように見え始めていた。

 人影は拡大されて、さらに鮮明になっていく……。

 制服の襟元、顎のライン、髪……。

 次第に最適化されていく画像を追いながら、操祈の端整な白い瓜実顔が次第に疑惑から当惑へ、やがて驚愕へと変わっていき、そして最後に愁いの表情のままで凝固まった。

「これ、どう思われますか、先生?」

 

 

 

 

 

 



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栃織紅音

          ⅩⅠ

 

 

 

 少女のスマートフォンにはレイとしか思えない顔が映し出されていた。眼鏡のフレームまでもがはっきり見覚えのあるものだったのだ。ツーポイントでブリッジの部分が太さの違う二本のワイヤーで編まれた特徴的なデザイン。

 ほんの一時ほど前には、それが傍らのベッドの上に丁寧に折り畳まれて置かれていたのを、操祈は繰り返し圧しよせるうねりに弄ばれながら幾度も目にしていたのだった。心と体が散り散りになってしまいそうになるのを堪えるための最後のよすがとして、必死の視線を送っていた先にあった、その眼鏡――。

 見紛うはずもなく間違いなくレイのものだ。

「……密森……くん……? でもそんな筈はないわ……だって八年も前にあの子がそこに居る筈がないから……」

「そうですよね、だから私も始めはフェイクじゃないかって、それで学校のオリジナルデータをあたってみたんですけれど、改竄の痕跡は見つからなかったので……」

 他人のそら似――とやり過ごせないほど、レイ本人に酷似している、というより、本人以外にはありえないとすでに操祈自身が認めてしまっていた。

「顔認証にもかけてみたんですけど、結果は同一人物との判定が出てしまって……」

「ねぇ、このこと、もう誰かに話してしまった? 他にも知ってる人は居るの?」

「いいえ、誰よりも先生にお伝えしなければいけないと思ったので」

「そう……」

 真っ先に思うのは事態のコントロール。妙なうわさ話となって尾ひれがついて拡散するのだけは避けたかった。

「ねぇ紅音さん、この件、私にあずからせてもらえないかしら? 本人にも直接、話を聞きたいし……理由が分ったら、なーんだってことになるかもしれないでしょ? もちろん私が調べて分ったことは、密森くんのプライバシーを侵害しない範囲であなたにもちゃんとお話するわ……どう?」

「私などが立ち入ることではないので、先生にお任せします」

「ありがとう、助かるわ」

 操祈は少女に爽やかな笑みを向けたものの、さいぜんからの会話に妙な行き違いを感じていて、少女の顔をまんじりと見つめてしまった。

 少女は少し前の自信なげな時とは違って屈託のない様子になっている。

「私、操祈先生のお役に立てて嬉しいです。きっと先生にはとても大切な問題になると思ったので」

「……?」

 操祈が怪訝そうにしていることで自身の発した失言に気づいたのか、少女はさっと表情を一変させると、また殻に籠るような顔に戻ってしまった。

「だって……密森くんのことだから……」

 俯いて囁くような小声で言い、それを耳にして操祈の顔色も白んでいった。

「どういうことかしら?……私が彼を依怙贔屓しているとか、そう思っているの?」

 と胸を衝かれたかたちになって操祈の声はかすれている。

「わたし……」

 迫られた少女は目を泳がせながら言った。

「そんなこと……思ってません……ただ……あの……」

「……あなた……いったいなにを……」

「信じてください、私、どんなことがあっても先生たちの味方ですから……」

 少女からの予期せぬ物言いに、操祈は足許を掬われたような衝撃を受けていた。

 何か誤解をしているのか、それともこちらにカマをかけている?

 あるいは自分が早とちりをして相手の言葉の意味をとり違えているのかとも思ったが、怯えのにじむ少女の真剣な眼差しが訴えていた。

 私は秘密を知っている――と。

 どうして――!? という不条理を呪う感情が突如、胸の中で渦巻いた。

 そのショックから立ちなおって、操祈の頭はまためまぐるしく動き始めた。

 ならばいったいなぜ、どうやってこの少女は知りえたのか?

 レイも、そして操祈自身も慎重にも慎重を期してひっそりと関係を重ねていたはずなのに。今日のことでもレイは何週間も前から綿密な計画をねりあげて実現させていた。互いにサーバーにログが残るメールや電話などは一切使わず、古いスパイ映画のようにメモや符牒を駆使して連絡をとりあって。

 まどろこしいが安全には変えられない、というレイの考えには操祈も納得していたのだ。

 だからレイ本人がセキュリティホールになっている可能性はまっさきにネグった。

 では、この少女に学外でレイと二人だけで居るところを目撃されたりしていたのだろうか?

 それもありえなかった。尾行などされていれば必ず気がつくからだ。たとえメンタルアウトの能力は失われても操祈は今でも他人の視線には敏感で、半ブロック離れていても気配を感じる自信がある。

 透視や盗聴、盗撮についても同様で、操祈の目を欺くことは難しい。

 メンタルガード――。

 これもレベル4以上の高位の能力者を相手にする場合を除けば、鉄壁のはず。

 自分の心が他人に侵される可能性は、高位能力者どころかレベル2の能力者さえほとんど居なくなった今ではゼロに近い、否、ゼロだ。

 と、頭を整理したところで思考が硬直した。 

 レベル4以上……。

 操祈は悄然となる。

「紅音さん……あなたまさか……」

 

 

 

 

 



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栃織紅音2

 

 

          ⅩⅡ

 

 

 

 宿舎となっている旅館の個室に落ちついて、束の間ひとりになった操祈は広縁の籐椅子に座り、開いた窓の外の中庭を見下ろしながら来客の訪れを待っていた。

 栃織紅音――を。

 時刻は間もなく九時になるところ。

 消灯時間まではまだ二時間ほどあるが、引率する側としてはその後も生徒たちが寝静まるのを見届けなくてはならず、気を抜けない状態が続く。

 スケジュール通りであれば十一時過ぎからは他の教師二人とのミーティングが十五分ほどあって、その後、入浴、何ごとも無ければ十二時ごろには就寝できる筈なのだが、そんなイー感じになったことはこの三日間で一度も無かった。

 レイとの密やかなデートを終えてしまった今、操祈には残り二日というのが長くて煩わしくも思えてくる。

 その上いま、新たな難題が降り掛かろうとしていて気持ちはさらに沈みがちになっていた。

“あーあ、お酒、飲みたいな……”

 飲酒癖があるわけではなかったが、心にちょっと檄を入れたい気分。もちろん酒類など携行していなかったし、仮に持っていたとしても子供たちをあずかるものとして飲めるわけは無かったが。

“あの子、いったい何を考えているのかしら……”

 結局、バスの中での紅音との件は、車内での別トラブルの発生のために水入りとなり、今夜、再び仕切り直しをすることになっていた。

 その分、考える余裕ができたが、さりとて名案ひとつ浮かんだわけでもない。

 学園都市では精神系の有能力者はレベル1から5までの五段階にカテゴライズされている。

 レベル1は無指向性の受動的テレパスで、ラジオの混信のように多くの人の心の声がノイズのように聞こえてしまう状態である。以前は統合失調症と一緒くたにされて、不必要かつ有害な投薬治療が行われていた例も少なからずあったというが、学園都市では表向き、積極的に能力伸長を行うことで『患者』の社会適合を目指していた。

 レベル2は受動的テレパスではあるが指向性があり、意識的に特定の個人の心の声を聴くことができる状態で、一般的にはこのレベルの能力者以上のものをテレパス、テレパシストと呼ぶ。

 レベル3は、能動的に特定の個人の心の中に侵入して情報を取り出せる能力とされ、レベル2と較べると発生頻度が極端に下がり世界的にもほんの数名程度しか確認されていなかった。

 現在、能力者のほとんどは各国諜報機関等での特殊任務にあたっていると推定されるが、非公表であるため実態は不明である。

 このレベルの能力者に対しては特殊な訓練を受けていない普通の人間は、まず相手を偽ることができない。

 レベル4になると、さらに個人の心に直接作用して記憶情報の制御まで可能となるが、これまで公式に確認された例は緩衝期にあった操祈を除いてはひとつも無かった。そしてレベル5、最強の精神系能力者になると、レベル4の能力をさらに拡張し、広範囲多数の人間に対して心理掌握を行いうるようになる。十二歳から十六歳半ばまでの間の食蜂操祈が唯一の例だ。

 最盛期の操祈は、外部増幅装置(エクステリア)を使わなくても視界に入る人間であれば感情まで制御することができた。

 まさにやりたい放題の状態だったが、操祈の唯一の慰めは、圧倒的ともいえる自らの能力の行使について彼女なりに慎重であり続けたということだ。

 しかし――。

 能力を失って、操祈はいま弱者として若い能力者との対峙を迫られている。

“これも因果応報ということなの?……まぁいいけど……ここはオトナ力でなんとかするしかないわね、とは言ってもねぇ……”

 もし栃織紅音がレベル3以上の能力者であれば、操祈に殆ど勝機は無かった。操祈とレイの二人が行ってきた用心深い行動の一切は無駄になったといえる。操祈はともかくも、レイの心を浸食することは紅音には容易いにちがいないからだ。なによりその機会はこれまでいくらでもあった。

 紅音はレイのクラスメートなのだから。

 仮にそうなってしまった場合に、失点をどこまで抑えられるか?

 リスク管理の問題となるが、操祈に特に目算があるわけではない。

 まさに出たとこ勝負。

 教職を辞することになるのは覚悟している。ただ、大人としてレイだけは守らないといけないと思っていたが、代わりに何かを差し出さなければならないとしたら……はたして自分にはなにができるのだろうか……?

「こっちの手札が平札ばっかりって、なんの冗談なのよぉ……」

 つい愚痴が口からこぼれ、ほっそりと長い指の白い両手に視線を落とした。

「いつからだったかしらね……私がおバカなイブニンググローブをしなくなったのは……」

 ひとりごちる。

 ガラ、ガラ、ガラ、ガラ……。

 躊躇いがちに外の引き戸が開かれる音がして、操祈は柱の掛け時計に目を遣った。

 九時――。

 約束通りの時間だった。

 

 

 

 



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栃織紅音3

 

          ⅩⅢ

 

 

 

「……私、操祈先生が恋をされていることには、ずっと以前から気がついていました……私、色でわかるんです……」

 操祈は紅音と広縁の椅子にテーブルを挟んで向かい合って座り、少女の話に耳を傾けていた。

 いきなり少女は気になることを口にしていた。

 色――と。

 普通、低位のテレパスは相手の心の中を『声』として感じることはあっても、色として感じることは無かった。それだけでも少女の能力が非凡なものであることが伺えるように思う。

「……そして、そのお相手が近くに、もしかしたら学内に居るのかもしれないってことも、うすうす感じていました。というのは、ときどき先生から女の子が好きな人に逢った時にだけ現れる特有の反応が見えることがあったので……真っ白に輝く幸せの色です……でも、それらしいお相手がなかなかわからなくて……外部からやってくる非常勤の先生たちの中にお知り合いの方が居られるのかなって、様子を窺ってたりしていたんですけど、全部、ハズレで……でもあることがきっかけで、そのお相手が、もしかしたら密森くんかもしれないってことに気づいたんです。あれは……夏休みに入る前でした。先生が音楽室の入口の前に立って中の様子をごらんになっていて……その時、とても白くキラキラ光って見えて……」

「………」

「……操祈先生はすぐにその場を立ち去さられましたけれど、でも私にはとても不可解で、そのあと音楽室に行って中を覗いてみたんです。そうしたら密森くんが一人で椅子に座って楽器の後片付けをしていました。金管楽器をひとつひとつ丁寧に磨きながら……きっと田辺先生から言われてそうしているんだなって、私、彼が最後の授業の終わりに罰ゲームの籤に当たっていたのを知っていましたから……でも、不思議だったのは先生の反応です。些細なことなのに、どうしてあんなに輝いて見えたのか、わけが分りませんでした。もしかしたら私の見え方が変わってきたのかなとか、夏休みの間もいろいろ考えたりしていて……けれどその後も……夏休みを明けて新学期になってからも同じように妙なことがあって……それで……初めはそんなことありえない、私の感じ方がおかしいからだって打ち消していたんです……だって密森くんって先生のタイプにはとても見えなかったから……たしかに密森くんはやさしいし、とってもいい人ですよ。パッと見、冴えないし、ボーッとして見えるけど、でも本当はしっかりしているし。あれでなかなか女子たちの間でも人気があるんですよ。私も大好きですから……私が相談すると、いつも、うんうん、て話をよく聞いてくれて、アドバイスも的確で……」

 少女の話には幾つも気になる点があった。

 自分の行動が密かにスパイされていたと知るのは、それがたとえ教え子からであったとしても気持ちのいいものではなかったし、話の中味にも女心の琴線に触れることが当然、含まれていた。

 敏感である筈の操祈が少女の視線に気がつかなかったのは、恐らく性的な興味や害意といった邪なものがなかったからだろう。

「でも、はっきり確信したのは、さっきです……今日の午後……バスに乗る時……」

 操祈の見つめる視線に気づいて、気圧されたように少女は下を向いてしまった。

「心を、覗いたの? あの子の……?」

 少女は首を横にふった。

「先生は、きっと勘違いされているんです。私、嘘はついていませんから……私の能力のレベルはせいぜいゼロと1の間程度のささやかなものです」

「でも、あなたには“見える”んでしょ? 他人の心が」

「……見えるというのではなくて……ただ、色として感じる、それだけです……私が分るのは、たぶんその人が持っている感情なんだと思います……」

「あなたメンタリストなの? でもそれはおかしいわ。優れたメンタリストの中には、人の仕草や表情から漏れてくる感情を色として受けとる共感覚者が居るというのは知っているけど。でも、それは能力というより技能に近いものよ。トレーニングによって精度を上げることはできても、人が深く内に秘めた思いにまでは届かない。まして精神系の能力者が必死で隠そうとしているものは……私にはもう殆ど力は残っていないけど、でも私のガードはメンタリストにはもちろん、レベル1の能力者にもこじ開けられない筈のものなの……あなたが高位の能力者でもない限り……」

「私が……私に見えているのは、たぶん、その人の、オーラ……オーラを感じているんだと思います」

「――?!」

 少女の告白を聞いて、驚きとともに漸く合点がいった操祈は、籐椅子の背に頭をあずけて眼を閉じた。小さく息を吐く。

 安堵と悔恨、そして諦観……さまざまな思いのこもった大人の女のため息を。

 喉許を無防備に大きく露わにして、骨細の鎖骨の線が清楚な白無地のブラウスの襟から覗いている。肌はブラウスよりもさらに白く、犯しがたい清潔感をたたえていた。

 それを目の当たりにした少女は、まるで見てはいけないものを目にしてしまったようにまた俯いた。

「……紅音さんは精神系の能力者じゃなかったのね……入学時の評価者の判定が間違っていたということかしら……あなたは物理系の能力者よ。人の体から出ているとても微弱な電磁波や化学物質による空間への干渉を、あなたの視覚……恐らく視覚だけじゃなくて五感から得た情報を色に置き換えて感じとっている……」

「……よく、わかりません……ただ昔から、勘がいいとか、人の心を読む気持ちの悪い子だって言われてきたので……母が心理系の能力者だと思いこんでしまったのかもしれません……」

「あなたを前にメンタルガードなんて何の意味も無かったのね……BC兵器を相手に堡塁の壁を強化していたようなものか……そもそも紅音さんには私たちの記憶は見えていなかった……」

 操祈はうっかり、私たち――と言ってしまってから自分の迂闊さを責めたが、もう今更、というなかば捨て鉢な気分でもいるのだった。

 

 

 

 



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オーラリーダー

 

          ⅩⅣ

 

 

「それで、あなたにはいったい何が見えているの……?」

「それは……」

 少女は言うべきかどうか迷っている様子になって、操祈は

「かまわないわ、続けてちょうだい」

 と、話を促した。

「まず最初に、あっ、て思ったのは、今日のお昼、大食堂で三クラス合同の昼食を摂っていた時です。操祈先生からは、期待、不安、愛情、を示す色のオーラが平均よりも、かなり多く現れていたように感じました。周りに居た殆ど全ての人からは緑や黄色といった旅行者に特徴的なオーラが見られる中で、先生のオーラには赤やオレンジが混ざっていて、それに白くキラキラしていてとても目立ったんです。それで気になって密森くんを見てみたら、彼もまた他の人たちとは全然違っていて、先生と同じようになっていたので、ああ、やっぱりそうなのかって……」

「………」

「仲のいいカップルではそういうことってよくあるんです。オーラが共鳴するっていうのか……とくにデートの前になると。だからお二人は、午後の自由時間をご一緒に過ごされるおつもりなんだなと思いました」

「偶然、そう見えただけ、とは思わないの?」

「それはありえます……お二方が、それぞれ別の方とのデートを心待ちにしていた、と受け取ることもできますから」

 話を穏便な方向へ誘導しようとする試みは、すぐにあえなく潰されてしまう。

「デートって断定するのはどうして?」

「その……わたしには三歳年上の姉が居るんですけれど、姉を見ていたから判るんです」

「……?……」

「姉が彼氏とお泊まりデートするときは、私にはすぐにわかります。きまって友達の家で試験前の勉強会をするってイイワケして出かけて行きますが、赤や白やピンクのそれはそれは賑やかなオーラを振りまいていて、とても勉強するような感じになんてなっていませんでしたから。たぶん、母も気がついていたんだと思いますけど、でも何も言いませんでした。ウチは父親を昨年、亡くしていて、みんなどこかで心の隙間を埋め合わせるものを探していたと思うので……だから姉の行動もおおめに見られていたんじゃないかなって……私がネットで匿名の浮気調査の請負をするようになったのも、きっかけは父の死でしたから。自分の能力を使うことで、どうにか家計を助けようと思って……これまで二十件以上の顧客の要望に応じてきましたけれど、たぶん、みなさんそれなりに満足されていたと思っています……」

 初耳だった――。

 少女は自分の教え子だったが、まさか裏ではそのような仕事をしていたとは……。

 常盤台では生徒のアルバイトについて特に禁則が定められているわけではなかったが、たとえ匿名であったとしても、いきなり浮気調査というのは、あまりにも子供らしくない。

 要するに少女は、ミドルティーンにして既にこういった類いの問題――男女関係のアレコレについて――のプロ、セミプロ、ということらしい。

 控えめで地味な印象から軽視していたというのではなかったが、操祈は栃織紅音の評価についても、自分が見誤っていたことを認めるしかなかった。

“まったく、ちかごろの子供ときたらっ、大人を大人とも思っていないなんてっ……転がされてる方がわたしって、おかしいでしょっ、どうなってるのよぉ、ヒトのパラメーターの配分をしている連中の、頭のネジが跳んじゃったりしてないっ?”

 そう胸の中で毒づいてから、かつての自分自身がそうであったことを思い出して唇をグッと左右に引き結んだ。

「お話にはまだ続きがあるんでしょ?」

「はい……わたしがいちばん驚いたのは、戻って来られた先生を目にした時なんです。あれほど明るく強く輝いているオーラを見たのは初めてでしたから……だからとても幸せなデートだったんだろうなって……あんなのは姉でも見たことがありません……もっとも、姉の場合はボーイフレンドとは大抵あまり長続きしているようではないので、デートが上手くいって上機嫌でいる方が少なかったんですけど……でも先生は、本当に幸せな時間を過ごされていたんだな、良かったって、思いました。きっとあの後、操祈先生はいつも通りにふるまわれているおつもりだったんでしょう? 誰もそのことには気がついては居ないと思いますよ。でも私は嬉しかったんです……幸せそうな先生を見ていると、自分も幸せな気持ちになれるので……」

 操祈には、自分の感情がダダ漏れ状態であったことを思い知らされて、まためまいがしてくる。

 籐椅子の肘掛けに肘を置き、悩ましげに額に手をやって、じっと少女の話に耳を傾けていたのだが、操祈はおもむろに椅子からたちあがると卓袱台の上にあった急須にポットの湯を注ぎ、緑茶を煎れた湯のみを二つもって籐椅子に戻ってきた。

 茶托にのせた湯のみを二つ、テーブルの上に置くと、すっかり恐縮している様子の少女にも飲むように促し、自分も一口啜る。

 少女は長話をして喉が渇いていたのか湯のみに口をつけると、ぐいっと傾け、喉を鳴らして一気に飲み下した。

「あの……まだお話をつづけても大丈夫ですか……?」

「ええ……あなたにはどこまで見えてしまうのか、興味があるわ……だから続けて……」

 知らずに不安を抱えて過ごすよりも、まだマシ、と思ったからだったが、その判断が正しいかどうか、もう操祈にはどうでもよくなってきていた。どうあっても、この罠から抜け出せる道が無いと判った以上は足掻くよりも成り行きに任せるしかなかった。

「私に見えるオーラでは、白赤混色のピンクの明滅は強い恋愛感情を、そして単色のピンクは強い羞恥を意味しています。これは男性と性的な関係を結んだ後の女性によく現れる色で、どんなカップルでも、セックスをした後の女性からは大なり小なり羞恥、が見られるのが特徴です。でも女性同士のカップルの場合には滅多にあらわれません。先生の場合はどちらも強烈にあらわれていました。それと不安、哀しみ、当惑、罪悪感や後悔といったもの、それから感謝の思いも……。罪悪感や後悔といった反応は不倫関係の男女に良く見られるものですが、先生は独身ですので当てはまりません。妻子ある男性との関係の可能性もありますけど、この場合に女性が罪悪感を感じるケースはむしろ希なので、やっぱり先生の場合に当てはまるのは、生徒との関係になります……先生と生徒、ミドルティーンの少年との性関係、というのであれば、そこに教師として懸念を抱くのは当然ですから。だから、この時点で先生の恋人は密森くんしかありえないってことが分りました……」

 少女の口からセックス、性関係、というストレートな言葉が出てくるというのは、操祈には不自然で不健康なことのように思えるが、この世代の異性間交渉についての常識は、自分たちの世代とは少し違うのではないかという印象も感じ始めていた。

 性に関する知識はレイも尋常なものではなかったからだ。怖いことに、女体に関する知識は、女性である自分よりも通じているのではないかとさえ思ってしまう。

「私がそんなふうに喜んでいる最中、密森くんがひとり遅れて戻ってきたんです……案の定というか、もう有頂天に近いような幸福感の絶頂にあるオーラを放出しまくりで、眩しくて直視できないくらいでした。先生よりもさらに強烈に光り輝いて、マンガみたいにオーラパワーのインフレーションを見せつけられているようで……あのバスの中で幸福いっぱいでいる操祈先生と、それ以上に幸せの絶頂にいる密森くんを見ていて、私もお二人の幸せのお相伴にあずかれたようで、幸せだったんです。良かったな、ぜったいにお二人の幸せはお守りしないといけないなって……ただ……」

 少女は操祈の顔を見上げた。今度は視線をそらさずに操祈をまっすぐに見つめている。

「……ちょっと不思議だなって思ったことがあって……密森くんの幸せオーラが、ほぼフルスコア状態で、尊敬、憧れ、好奇心、探求、達成、勝利、支配といったとても男の子らしい反応があった一方で、先生の方からは、その……後悔や羞恥の他にも、嫌悪や恐れ、屈従というようなネガティブな感情がちらついていたことです。それで……」

 少女は一呼吸置いた。こちらの反応を見届けようとしているのだと操祈には感じられた。だからといって抗う術は、もはやなにも持たない。精神的には丸裸状態にされてしまっている。

「あの……もしかして先生……今日が初めてだったりしますか……?」

 完全にセクハラ質問だったが、相手が同性で、自分よりもはるかに年下の教え子となれば黙過するしかなかった。

 しかも、この少女に偽るのは無理であることを知っている。

 感情を読まれたかどうかはともかく、紅音はそれ以上、操祈を追いつめようというつもりはなかったらしく、

「……だって密森くんは先生にへんなことをするような男の子には見えないから……だから、先生の反応は経験の浅い女性の心の動きなんだと思うので……それに、誘ったのはきっと密森くんの方だったんじゃないかなって思っています……先生の方からじゃなくて……」

 ある点を除けば、ほとんど瑕疵のない正しい推論だった。

 

 

 



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ゲームルーラー

 

 

          ⅩⅤ

 

 

 レイが、変なことをする子には見えないですって――!?

 少女の言葉は操祈にとっていちばん弱いところに刺さっていた。事実はまるで逆だったからだ。

 たしかにレイが心のやさしい男の子、というのは間違いない。思いやりがあって、いつも操祈の身をいちばんに案じてくれている。

 やや伏し目がちで、内気そうに見える温和な表情とおっとりとした声色は、猛々しい雄の性を意識させずに女に安心感を与えるもの。

 紅音が言うように女子の間で人気があるというのも頷ける。

 でも……。

 女が褥を共にするパートナーとして、レイは、ある意味でいちばん危険なのかもしれない相手だった。

 優しくて、大切にされていると思わせて、でもけっしてイヤだとは言わせない、女の我を通すことを許してくれないのだ。

 ベッドの上で愛しあう中、さすがにこれは――というようなことを求められて、女の本能から、あるいはレイのような男の子がするには相応しくないと感じて操祈が身を守ろうとすると、そんなとき少年は機嫌が悪くなったり無理強いをしようとする代わりに、いっそうやさしくなるのだった。

 もっと軽い別の愛撫に熱中するフリをして、合間にさらに酷いことをちらつかせて操祈の体に訊いてくる。

 「これはだめですか?」「じゃあ、こっちは?」「それなら、ココをこんなふうにしたらどうでしょう? 操祈先生」「ね、こうするとステキでしょ?」――。

 そんなことを繰り返しているうちに、最後には彼女の方が折れてしまって、最初の要求をそっくり受け容れてしまうことになっているのだ。

 思い通りの姿にされて、望む通りのことをされてしまう。

 後になって思い出した時には、体にカーッと火がつくほどの恥ずかしいことを自らすすんで応じてしまっていた。

 要するにレイは、あの歳にして女の扱いに馴れていて、女の体の泣き所をイヤになるほどよく知っているのだ。

 刹那、午後のことがまたフラッシュバックしそうになって、操祈はぎゅっと目を閉じた。

 うっかりすると喉の奥から、ひっ、と悲鳴を発してしまいそうなほど心がかき乱されてしまう。

 今日のできごとは、けっして誰にも知られてはいけない、悟られてはいけない秘密、レイと二人だけの大切なプライバシー。

 それなのに、オーラリーダー能力者の少女の居る前で、発作のように烈しい羞恥の奔流に襲われるのは最悪だった。

 操祈は肩を竦め、身を小さくして俯くと、すっかり上気させてしまった顔を前髪で隠して、週明けの授業で教材に使うつもりで用意していた例題を反芻することで、なんとか波をやりすごそうとしていた。

「先生は……密森くんのこと、どう思われているんですか?」

 少女が繰り出したのは有利なポジションを得た自信からか、この期に及んでそれを訊くか、というような緩い問いだった。

「……そんなこと……あなたは、わかってるんでしょ……」

 こちらの思いを何もかも見通してしまう少女の視線が怖かった。予想していた通りの、完敗。手も足もでないほどに打ちのめされている。

 それでも操祈は、きっとこれも運命の意趣返しのひとつかもしれない、と受け容れていた。

 昨日までの自分が積み上げた負債を今の自分が支払わされているのだから……と。

 でも、できれば劣後に――。

 そう願わずにはいられないほど、自らの罪深い行いが生んでしまった赤字の総額は厖大だと思う。

 年端もいかぬ少女のオイタと割り切れぬほどの、人生の汚点、忸怩だった。

「いいえ……今までのはみんな、ただの私の空想にすぎませんから……本当のことは何もわかりません……」

「………」

「それに今はオーラは見えていませんから……だから、先生がどうお感じになられているかも、分りません……でもびっくりです、操祈先生が、そんな必死な女のコみたいなカワイイ顔をされるなんてっ」

「からかわないで……」

 半袖ブラウスの中の膨らみが、二の腕の間に挟まれてやわらかな曲線を描いて盛り上がっている。やや興奮気味なのか、起伏のリズムが少し速くなっていた。

 優雅な胸の陰影の変化には、少女の目も惹きつけられている。

「いまは見えていないって、どういうこと?」

「眼鏡をしていますから」

「……?……」

「わたし、近視なので眼鏡をしていると視界がすっきりするんですけど、その代わりに人のオーラは見えなくなってしまうんです」

「でもさっきは……あなたは眼鏡をしていた筈よ、バスに居たときは……」

「あれは度の入っていない方の眼鏡です。オーラを見る時にはそうしているんです。視界の解像度を犠牲にして……でもどうして視界がクリアになるとオーラが見えなくなってしまうのかは分りません……きっと自己暗示か潜在意識か何かのスイッチが入っちゃうんじゃないかなって思ってるんですけど……」

 少女が能力を使っていないとわかると、操祈もいくぶん緊張を緩めることができるようになったが……。

「お話はそれだけ――?」

「いいえ、本当にお伝えしたいことはこれからです」

 操祈の顔がまた警戒にこわばってくる。この上、何をきり出してこられるかと、つい身構えてしまうのだった。

「あの……まだご返事をいただいていないのですが……さっきの問いの……」

「さっきのって……?」

「操祈先生は密森くんのことをどう思っていらっしゃるのかっていう……オーラではなくて、本当のお気持ちを知りたいんです。愛しているんですか? それとも、ただの一時の気の迷い、火遊びのようなものなんですか? もちろん、今だけの話で秘密厳守です。私は誰にも言ったりしません。信頼してください。これでも信用第一でやってきたプロなんですから」

 まだ幼さの残る少女の口から、信用第一のプロというような、そぐわない言葉が発せられると操祈にも自然に笑みがこぼれてしまう。

 しかし詰め寄られると、こういうことは逆に言葉にしにくくなるものでもあるのだった。

 気持ちを言葉にかえるのは、いつでもそんなに容易いことではないからだ。

 言葉はしばしば心を裏切るし、逆に心はときとして言葉を卑しめようとする。

 しかし操祈は、今は偽りのない自分の心をはっきりと言葉にする時だと決心した。ずっと能力を使わずにいた少女に、自分から偽りつづけることはできなかった。

「愛しているわ……とても……」

「それは密森くんを一人の男性として、対等の恋人ということで愛しているということですか?」

「そうよ……おかしいでしょ? こんな年増のオバサンが男の子のことを好きになるなんて……立派な性犯罪者……」

「なに言ってるんですか先生っ、操祈先生はまだ二十二歳じゃないですかっ、オバサンだなんてとんでもないですっ、ウチの男の子たちにとっての憧れの女神で、私にとってもアイドルなんですからっ……それに深く愛しあっている恋人たちを離ればなれにするような条例は、そもそも間違ってますから従う必要なんてありませんっ」

 少女が気色ばむように言って、逆に操祈は苦笑する。

「それでなぁに、これでご満足いただけましたか?」

「はい、そういうことなら私に、先生に是非にも聞いていただきたい提案がありますっ」

「提案?!」

「私にお手伝いさせていただけませんか? 密森くんとのデートをお取持ちする役を任せてくださいっ」

 

 

 

 



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コンディション

 

 

 

          ⅩⅥ

 

 

 

「先生が心配されるのはわかります、ですが本当に大丈夫なんです。先生はただ普通に利用客としてやってきていただければそれで良くて、時間は朝でもお昼でも夜でもかまいません。お店の開いている間の客で賑わっている時間帯ならけっして目立ちませんから。あとは先生のご都合に合わせて密森くんにも調整してもらえばいいだけです」

 紅音の父が所有していた雑居ビルは今は建物の大半が人手に渡っていて、住居として利用していた最上階のペントハウスを除いて、他は全て外部テナントが入っているのだという。地下一階から二階までがスーパーマーケットとファーストフード店に、三階から上はレストランや会員制のクラブなどになっていて、スーパーの名前を聞いて思い出したが、操祈自身も学校帰りに何度か利用したことがある場所だった。常盤台からはモノレールで一駅、徒歩でも15分ほどの近場になる。

 そのビルの最上階のペントハウスをデート場として使うように勧められたのだ。

「買い物ついでに、ちょっとお茶でもするような感じでエレベーターに乗って、Rボタンを押していただけば、後は扉が閉まってパスワードを要求されますので入力して……エレベーターの扉は屋上まで開きません。そうすると家族専用ということでエレベーターを乗り降りする間を含めて前後1分間の監視カメラデータは自動的に消去されます。ですので記録にも残りませんし、外側からは別の階に停止しているように表示される仕組みになっているので、万がいち誰かに後をつけられていたとしても辿られることはまずありません」

 紅音の提案は魅力的なものだった。それに倣えば――さすがに少女の言うように毎日、というわけにはいかないにしても――レイと一緒に過ごす時間を今よりももっとずっと増やすことができそうなのだ。

 そう想うと、どんなに抑えようとしていても期待に胸が膨らんでくる。

 デートの場所選びは操祈にとってもレイにとっても、いつでもいちばん悩ましい問題なのだった。

 これまではそれぞれが別の理由で学園都市(まち)を抜け出し、縁のない地域にあるシティホテルなどを選んで息をひそめるようにして密会していた。ホテルの利用の仕方さえ、レイのトリッキーなアイデアでホテル側はもちろん、たまたま居合わせた利用者にさえ、けっして二人の関係を疑われないようにと気を使っていたのだ。そのため一緒にいられる時間はいつでもとても限られたものになってしまっていた。

 何週間ぶりにようやく逢えたというのに、ほんの一時間足らずで別れなければならないというのは、恋を知ってしまった女の身にはさすがに切なすぎる。

 相手のことを思って少年の前ではつとめて大人の女を演じてはいたものの、操祈にとってレイとの逢瀬は常に歓びと哀しみとが紙一重だったのだ。

 だから、これからはいつでもレイと逢えるようになるかもしれない、という紅音の話は、操祈にすれば提案というよりも誘惑に近かった。既に心は大きく揺さぶられていた。

「いかがですか……?」

「そう言われても……」

 ただ、操祈が即断を躊躇うのは、なぜ少女がこれほどまで自分たちに肩入れしてくれるのか、その理由がよくわからなかったからだ。

 何のメリットもないのに、人は他人のために自分を犠牲にしてまで奔走してくれたりするものなのだろうか――?

 ボランティア?

 たしかにそんな例はいくらでもある。

 しかし少女の提案には、そういった無償行為とはどこかが違うという肌触り、予感めいたものが働いて操祈は態度を決めかねていた。

「ご家族の方たちのプライベートな場所を、私たちのような赤の他人が使うわけにはいかないわ……」

「そのご心配には及びません、住人だった祖父が施設に入居して以降はあそこはもう何ヶ月も空き家同然になっているので。それにエレベーターのパスワード管理をしているのは私なんです。私がその日のパスワードを決めているんですよ、だから不意に誰かが部屋に立ち入るようなこともありえません」

「………」

「部屋の中ではお風呂もベッドもご自由にお使いになっていただけます。ホームバーや、冷蔵庫の中にある物もどうぞ。ただ、もし傷んでいる物があったりしたら廃棄してください。それから冷蔵庫にご自身で食材を持ち込まれて、キッチンをお使いになられるのも結構です。密森くんに先生の手料理をふるまうってのもアリですし、一緒にお料理したりするのもきっと楽しいと思いますよ。アツアツの若い新婚さんカップルみたいでステキじゃないですか」

 少女の言葉に触れて、操祈の脳裏に鮮やかにイメージが拡がっていった。

 夢のように甘やかなシーンの――。

「ただし、テラスに出るのだけはご注意を。周りに高いビルが多いので、プライバシーが保たれるとはかぎりませんから。夜遅く、暗くなってからなら大丈夫だと思いますけど」

 態度を決めかねて、椅子に深く掛けたまま何も言わずにいる操祈を残して少女は席を立つと、手際よく湯のみに茶を注いでまた戻ってきた。

 現れた時には借りてきた猫のようだった少女が、今や態度をすっかり一変させていて、自信を持って話をてきぱきと進めている。その様子はさながら手慣れたビジネスウーマンのようでもある。

 操祈には、控えめな様子の紅音こそ猫を被った仮の姿で、本来はこちらの方が少女の本当の姿なのではないかと感じ始めていた。

「わたしがお二人専属の伝書鳩になりますからお任せ下さい。突然の障害の排除や、約束の微調整などを含めて必要なことにはなんでも迅速に対応させていただきます」

 少女の頭の中では、すでに計画の詳細までもが煮詰められた状態にあるらしい。

 もし仲立ちをしてくれる者が居れば、いままでのようにネットの掲示板でアナグラムなどを使って、二人の間だけに通じる秘密の情報交換をする必要もなくなり、意思の疎通は遥かに確実になるに違いない。

 それだけでも操祈にとっては魅力的なことだった。

 そのうえ――。

“彼に逢えるかもしれない……学園都市に帰ってからも、またすぐにレイと……逢えるものなら……逢いたいっ……”

「わたし、一人では決められないわ……」

 結局、操祈は誘惑に屈してしまっていた。

「では密森くんには私からお伝えしておきます。先生だと周りの目もあるので……それと、部屋の利用料金はいっさい発生しませんので、その点についても心配されないでください」

「そうはいかないわっ」

 操祈は固辞したが、少女の話のペースにまんまとのせられてしまっていた。

 いつのまにか、決まっていないのはデートの日取りだけになってしまっている。

「常盤台は以前のような特別なお嬢様学校じゃないんです。今は潤沢な給付金があるわけでもありませんし、密森くんも僅かな奨学金の一部を生活費にまわしている筈で、そんな中学生にとって、ホテル代ってスゴく負担だったと思うんですけど、でも先生とのデートには代えられないから……彼の性格からすると費用はきっと割り勘だった筈ですけれど、違いますか?」

 紅音の指摘どおりだった。レイは経済的という面でも操祈の庇護を受けることを断固、拒否していたのだ。

 そうしないと対等な恋愛関係ではなくなってしまうからというので、案じながらも操祈は少年の意向を尊重していた。

「中学生の彼氏にいままで以上の費用負担をさせるおつもりですか? 私は先生たちには、いつでも、好きな時に、恋人同士に戻って欲しいんです」

 操祈には返す言葉が思いつかなかった。

 

 

 

 

 



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コンディション2

 

 

 

          ⅩⅦ

 

 

 

「私には、貴方がどうして私たちに良くしようとしてくれるのかが分らないの……私は見返りになるようなものを何も持っていないのに……まさか進路についての便宜でも期待されているのかしらとも思ったのだけれど、成績優秀のあなたにそんなことは必要ないし、そもそも新米教師の私には何の権限もないから……」

「先生のことが大好きだから、というのは理由にはならないのでしょうか? 操祈先生のことを大切に想っているのは密森くんだけじゃないんですよ」

「そういうのって……」

 突然の告白をされたようで操祈は少したじろいだが、その反応に気がついた少女はすぐにそれを打ち消した。

「だからって私、性的マイノリティーではありませんから。先生のことは大好きですけれど性的にという意味ではありませんので」

 納得した操祈は、こくん、と小さく頷いた。

「私にとって操祈先生は、この世界でもっとも美しい女性で、ぜったい幸せになって欲しい人、幸せになってもらわなければならない人なんです。私は先生が傷ついたり悲しんだりする姿を見たくありませんので」

「……私はあなたが期待するような、そんな特別な人間じゃないわ……良くないことだっていっぱいしているし……」

「私、芸術家志望なので、これでも審美眼にはかなり自信があるんですけど、先生は特別ですよ。レベル5以上に出現頻度の稀な特別の中の特別……」

「………」

「はじめ先生は私をとても警戒しておられました。バスの中でも、私がここへ来た時も始めのうちは……そういうのってオーラなんかに頼らなくても感じられることです。きっと私が先生たちを破滅させることができる秘密を握っていると思われたからですよね?……そのことで怖がられられたとしても無理はないと思いますけど、でも私が先生を告発するなんて事は、万にひとつもありえないんです……そんな愚かなことをするなんてことは……」

 少女はきっぱりと宣言した。

「契約として書面にする必要がありますか?」

 操祈は首を振った。

 文書になっていようがいまいが、操祈は既に少女が自分に対して害意を持っていないことを信じている。

 他人を信じる――?

 きっと以前の自分が聞いたら、一笑に付して即座に拒否していたところだろう。

 恥知らずにも、人の心をこじ開けて覗き見るのがあたりまえだった頃の自分には、人を信じるということの意味も価値も全然わかっていなかった。

 喩えるならそれは解答集を見ながら問題集の空欄を埋めていくようなものだ。

 いったいそこにどんな面白さが、値打ちがあるというのだろう?

 物語を結末から読むことに、どんな楽しみがあるのだろうか?

 人は相手が何を思っているか分らないから信じようとするし、信じようとするからこそ胸を焦がすような経験ができる。

 人を想うことは生きていく上でもっとも貴重な体験となるものだ。

 あの愚かな小娘は何も知らず、知ろうとさえしなかったが故に、哀しいほど愚かだった。

 操祈は、もしも力を失わなければ、自分はあのまま生きていたのだろうかと想わずにはいられない。

 人を愛することも、人から愛されることも知らずに、生きて行く――。

 醜い力だけをふるって、人を支配するだけの一生――。

 考えただけでも怖くなってくる。

 操祈はレイに逢いたいと強く願うのだった。

「でも、あなたから受けとるだけで、何もお返しができないのは心苦しいわ……学校でのあなたを特別扱いすることは教師としてできないし……わたしは何をしてあなたに報いればいいのかしら?」

 操祈がそう言うと、紅音はまた視線をテーブルの上に落として、戸惑いの様子を見せるようになった。

 ビジネスウーマンが年相応の中学生の少女に戻ってしまっている。

「私には、ひとつだけ……叶えたい夢があります……」

「夢――?」

「先生にしか叶えられない夢です」

「あら、なぁに? 私にできることなら何でも言ってちょうだい」

 少女からは口にすべきかどうか迷っている様子が窺えた。操祈は小首を傾げて少女の言葉を待っていたが、ややあって、紅音は重い口を開いた。

「怒らないで聞いていただけますか?」

「ええ……」

「あらかじめお断りしておきますが、私の夢と今度のペントハウスの件は一切、関係無いと諒解して下さい。先生がノーと言われれば、この夢のお話はおしまいです。でも私が先生たちのデートの橋渡しをすることに全力をあげてお手伝いすることには、なんの影響もありません。もちろん、先生を告発したりすることもありません」

「わかったわ」

 操祈が首肯した後も、少女はなお、言うべきかどうか躊躇いを見せていたが、やがて

「一度だけでいいんです……わたし、この世でいちばん美しい女の人が、いちばん大切な人にだけ見せる、いちばん美しい姿を間近で見てみたいんです」

 操祈は驚きに大きな瞳をさらに大きくしていた。咄嗟に意味が取れなかったが、言われていることは確かに伝わっていた。

「それって……」

 操祈は出かかっていた言葉をのみこんだ。自分でもいったい何を言おうとしていたかわからぬままに。

「先生たちが愛しあっているところを見ていたいんです」

 

 

 

 



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コンディション3

 

 

 

          ⅩⅧ

 

 

 

「わたし、まだバージンですからセックスが女にとってどういうことなのか、実感としてはわかりません。でも人間の営みの中で愛の表現ほど美しいものはない、ということを信じたいんです。セックスは愛というもっとも大切な感情を行為で示すこと、互いに言葉にできないほどの思いを体をつかって伝えあうことだと思うので……さっき操祈先生は密森くんのことを本気で愛しているとおっしゃいました。密森くんが先生をとても尊敬していて、そして女性として深く愛していることを私ははっきり感じています。歳が離れていても、お二人は互いを強く思い合う、とてもお似合いのカップルなんです。だから、お二人が愛をつむぐ行為は美しいに決まっています。わたしはそれを目の当たりにして自分の目に焼きつけておきたいのです……」

 紅音はふたたび操祈をまっすぐに見上げている。自分が冗談を言っているのではないと訴えるように。

「先生はどうして、こんなにも素晴らしい行為であるはずのセックスが、恥ずべき秘めごとにされているか、そのわけをお考えになられたことがありますか?」

 操祈は仕方なく首を振った。

 力――の所為で、ある面では思春期というものが普通の少女たちと較べて十分とは言えなかった操祈には、性の持つ意味を掘り下げて考える余裕など一度もなかった。

「私には、秘められていること、それこそが愛と美の本質であるように思えてならないのです。キリスト者が言うように愛は誇らない。そして日本にも美は匿すことによってより光輝くという意味の、秘するが花、という言葉があります。あえて表にしないところにこそ真髄がある、という点で両者は共通しています。すると誰かが、愛と美という抽象を唯一感じる種族である人類に、性を隠匿し、そこに羞恥という感情の鍵をかけることで、動物にとっては単なる世代交代のための生殖行為にすぎないものを聖域にまで高めるように企んだ、そんなふうに考えることはできませんか?……人がセックスを強く求めながら、それを恥じるのは、あるとき誰かさんが始めたその仕掛け……誰かさんを仮に宗教家ならば、神、とでも呼ぶのかもしれませんが、その誰かさんのイジワルな計画に気づかぬまま、従うように仕向けられているからじゃないのかって思うんです。だからわたしはその呪いを乗り越えるために、操祈先生から神秘に至る鍵を片時だけお借りして、美の深淵をこの目で確かめたいのです……芸術を志すものの務めとして……」

「………」

 筋が通っているようでいて支離滅裂でもある紅音の思い込みの強さに、操祈はどう応じて良いかわからなくなってくる。

「……これはきっと、わたしにしかできないことだと思うので……当事者である先生にはもちろん、密森くんも近寄り過ぎていて感じとれないことを、わたしならば適切な距離で見届けることができます……ミケランジェロやロダン、ベルニーニでさえ辿り着き得なかった美の極みに、この世でたったひとり、わたしだけが触れることができるかもしれない……これが先生に出会うことによって得た、私の夢なんです……」

 紅音が去って部屋にひとり残された操祈は、籐椅子に掛けたまま、またため息を吐いた。

 少女の希望はあまりにも非常識で、とうてい受け容れられないもの。にもかかわらず操祈には強く撥ね付けることができなかったのだった。

 紅音の話にいちいち論駁することには意味がなかった。

 とどのつまりは、男に肌を許すということが女にとってどれほどの覚悟が求められるものなのか、実際にその場に立つまで未経験の少女には想像しえないことだからだ。

 どんなに愛し合っていたとしても性の場面で男と女はけっして対等ではない。

 だから初めての時、女は自分が受け入れることを決めた男に対して優しくして欲しいと願う。

 操祈の場合は自分の方がずっと年上であることの見栄もあって、レイにはそうしたことを口にしたことはなかったが、仮に相手が年下で、自分が体格でも優っていたとしても、男の手に身を委ねるのは怖いと感じるものなのだ。  

 ただレイの方がそうした女の肌の脆さや心根をよく心得ていて、そういう面での不安は初めのわずかの間だけで、すぐにうち解けた関係になれたのだったが。

 実際、レイは信じられないくらい優しい子だった。肌だけでなく心にも寄りそおうとしてくれる。痛みや苦しみを与えられたことは一度としてなかった。いつも温かな手に励まされて、ひとつひとつハードルを乗り越えてきたのだ。

 あふれた涙も、感動に追いついていけなかった途惑いのあらわれ。

 それなのに――。

 今では別の意味で、この歳若い聡明な恋人に怖れを感じるようになってしまっている。

 操祈は未だにヴァージンのままに留め置かれていたが、だからといって性の世界を知らないわけではなかった。むしろ年相応の若い恋人たちであれば知りえないようなこと、尻込みしてしまうようなことまで経験させられている。

 それは、なまじ交わりを伴わない分、かえって淫靡で背徳的なふるまいなのだ。行為の後で歓びと幸福感につつまれながらも後悔を覚えてしまうのは、強い羞恥の感情はもちろんだったが、愛情の誇張した表現のその先に待っているものへの漠然とした不安があるからなのかもしれないのだった。

 少年は自分を何所へ連れて行こうとしているのだろう?

 このままさらなる倒錯へと導こうとしているかしら、と。

 そしてもう自分からは逃れられない、そのことを操祈は知っている――。

 男の愛し方と女の愛し方は違うし、女の歓びと男の歓びもまた違うもの。今となってはこんなあたりまえのことでさえ、紅音と同じぐらいの少女であった頃の自分には想像もしえない世界だった。

 切なくも甘く、ふと気がつくと、暗闇もすぐ近くにまで忍び寄っているような危うい場所、そこに今、自分は立っている。

 けれども、そうした閨での男と女の機微について、少女に打ち明けられる筈もなく、結局、操祈は「相手のあることだから自分の一存では決められない」という曖昧な返事でお茶を濁してしまった。それが今の彼女にできる精一杯の答えなのだった。

 無下にできなかったのは、やはりレイに逢いたい、という思いが強かったからに他ならない。

 紅音は自分の夢とデートの支援とは無関係だと強調していたが、操祈にはその二つをわけて考えることはやはりできなかった。

 レイに逢いたい、という思いが強くなればなるほど、少女の要望に応えなくてはならないという心の重荷が増してしまうのは容易に想像がつく。

 だからといって、紅音からレイに逢える用意が整ったと聞かされれば、きっと自分の心は矢も盾もたまらず、また走り出してしまうことだろう。

 長い睫に懊悩の翳りが宿って、彼女の端正な白い面差しをいっそう際だたせていた。傲岸な子供の時分には意思的な形をしていた眉の曲線も、歳とともに丸くなって静かな三日月を描くようになっている。明るい茶色の瞳には大人になりかけた少女に特有の、無垢と成熟とが見え隠れしている。

 操祈は、どうやら自分はまたもや袋小路に陥ってしまったようだ、と思ったが、これも運命めというのならば仕方がないと受け容れることにした。これまでにも足掻いてもどうにもならないことをいくつも経験してきていたからだった。

 力を失ってそれを受け容れられなかった操祈は、周囲に当たり散らすことで紛らわせようとしていたこともあった。結果、さらに多くのものを失ったことに気がついたとき、はじめて自分を取り戻すきっかけが得られたように思う。

 人よりも遠回りをしたけれど、無駄だったとは思わない。

 籐椅子から立上がると、張り出しの手摺に両手を置いて少し離れたところにある旅館の新館建物の方を窺った。

 視線はいつしかレイが割り振られた部屋の窓を探していたが、操祈のいる部屋からだと、少年の部屋はちょうど反対側に位置していたために見える筈はなかったのだ。

 そんな些細な心の揺れにおかしみを感じて、小さな笑みを作ることで流した操祈は、いまは気持ちを切り替えようと心にきめるのだった。

 

 

 



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大露天風呂で

 

 

          ⅩⅨ

 

 

 

 外の引き戸がガラリと鳴って「お床は如何為さいますか」という中年の女の声がふすま越しに聞こえた。「ハイ」と操祈が応じると、五十がらみの仲居が一人、部屋の中に入ってきた。操祈を目にするなり「おやまぁ」と吃驚したような顔をする。操祈が怪訝な顔をしていると「いえ、じつは二階の藤の間にとっても可愛らしいお嬢さんがお泊まりになっていると周りで噂になっていたので」と素朴な笑顔を向けてきた。

 押し入れを開けて「あら、ここはお布団は一組だけ?」

「はい……?」

「他の部屋はみんな四組あったんですけど……そうですか……」

「はあ……?」

 仲居はそそくさと台拭きで卓袱台を拭きながら、窓際に立つ操祈に話しかけてくる。

「お庭、きれいでしょ? ウチはね、温泉もそうなんだけど、お庭の方も自慢なのよ。まだ桔梗は終わってないと思うから、明日の朝にでも散策してみたらどう? すぐ下の中庭にでて、そこから小径に沿って歩いていくと、飛び石づたいに池を渡るところがあるから、そこから離れの渡り廊下の下を潜って……そうね若い人の早足なら十分くらい、ゆっくり散策しながらだと二十分くらいでひと回りすることができるわよ」

「素敵ですね……是非そうさせていただきます……」

 一人でお散歩するのも楽しそうだったが、時間をつくるにはその分、早起きしないとならない。早起きするためには早寝をしないとならない。

 また引き戸がガラガラガラっと派手な音を立て、「みさきせんせーい、おられますかぁ」という黄色い声が唱和して響くと、操祈が応えるより先に襖が一尺ほど開いて、教え子の少女たちの三つの顔が縦に並んだ。

「ワー、先生のお部屋広ーい、ここを一人でなんて寂しくないですか?」

「先生、私たちこれから露天風呂に行くんですけど、先生も一緒に行きませんか?」

 少女たちが騒々しく上がり込んできて、仲居の顔がキョトンとなって操祈の方を仰いでいる。

「あら、お嬢さん、先生さまだったんですか?」

「え、まぁ……」

 操祈は苦笑する。仲居のどこか馴れた口調に感じていた違和感の理由が分かった気がした。それにしても、さすがにそれは無いだろうと思う。

「これは失礼いたしました、てっきり生徒さんだとばかり思ってしまって」

 仲居が驚いた顔で操祈に謝すると、

「生徒さんにしてはずいぶん発育がいいなとは思いましたけど、でも最近の子はみんなりっぱなもんだから……ヤですよ、そうならそうとすぐに言って下さればいいのにぃ、年寄りをからかってぇ、だってフツーこんなに可愛らしい先生がいるなんて思いませんから」

「そんな、わたしは別に……」

「仲居さん、こちらはクラスメートの操祈ちゃんでーす。ご覧の通りのスッゴイ美人でみんなの憧れなんですよぉ」

 一人の少女が操祈に抱きついてきて腕に自分の腕を絡めてくる。

「ねぇ操祈ちゃん、一緒にお風呂行こー」

 別の少女も悪のりに加わってきた。

「コラコラあなたたち、私たち職員はあなたたちが消灯してからじゃないと解放されないのはわかってるでしょ」

「そんなこと言わないで付き合って下さいよー、私たち、みーんな先生と一緒に入りたいんですから、それにこっちには男どもは一匹も居ないンです。風呂場を覗こうとする不届きものなんか気にせずに、ゆったり安心して入れるんですよ」

 総檜作りに改築されたばかりの純和風の本館は女子のみに振り分けられ、男子生徒は全員、新館とは名ばかりの古いコンクリの建物の方に収容されていた。もともとは全員が本館に泊まることになっていたのだが、宿に到着した際に復古仕様の本館の客室には鍵がないことが判明し、急遽、そうした変更が行われたのだった。

 施設側が常盤台が女子校から共学校になったことを確認しなかったことによる単純なミスだったが、当然のことながら、変更の際にはひと悶着があった。

 が、賢明な生徒たちが自主性を発揮して冷静に民主的手続きをもって事態の収拾にあたってくれたおかげで、操祈も今夜だけは夜中のピンポンダッシュに眠りを妨げられることは無さそうだと、この決定を歓迎していたのだ。

「みんな今夜こそ、いつまでも枕投げなんかしていないでオトナしく早く休んでちょうだい。引率でお疲れの先生たちにいーかんじにたっぷり羽を伸ばす時間を用意するんだゾ」

 少女たちはハーイと良い返事をするが、六つの目が既に期待にキラキラと輝いていて、ヤレヤレと思う。とはいえ少女たちのガールズトークのお付き合いまでさせられるのは勘弁だった。

「あの、先生、お床を伸べさせていただいても宜しいですか?」

 仲居が訊いて、うっかり部屋の中ほどで立ちつくしていた操祈は、何度も大きく頷きながらそこから小走りになって動いた。

「先生、お布団敷くのにジャマだって言われてますよっ、さ、お風呂に行きましょっ、すごい露天風呂なんだそうですよっ」

 三人の少女が操祈の背中を押してくる。

「ちょ、ちょっと、あなたたちっ」

「大丈夫ですよ、お布団ちゃんと敷いておきますから、ゆっくり浸かってらして下さい。うちのお湯は弱アルカリ性でお肌にもとっても良いんですよ。美人の湯って言われてるくらい。先生も綺麗な肌にさらに磨きをかけてきてくださいましね」

「ほら先生、仲居さんもああ言っておられますし」

 結局、操祈は少女たちに手を引かれ、浴場にまで連れてこられてしまった。

 宿が貸し切りということで脱衣所に居たのもみな女子生徒たちで、操祈を見かけるなり、きゃあ、っという歓声があがる。

「ワーイ、操祈先生だぁ!」

 中のひとりがさっそく仲間に知らせようと浴場へと駆け出して行き「操祈先生ご降臨っ」との声に、大浴場の方からもワーッというが歓声あがった。

 少女たちの誘いに流されるままに浴室へと来てしまったが、早々、操祈は自身の過ちに気づいて後悔するのだった。

 

 

 



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番外編 常盤台中学修学旅行における部屋割り変更問題についての顛末

 

 

 真新しい檜の芳香も馥郁たる優雅な純日本風建築の本館大広間に集められた生徒たちの間には、生徒会議が始まる前から既に深刻な対立の気配が立ちこめていた。

 広間の上座に配された長テーブルには生徒会長を中心に会議議長を兼ねる副会長、そして各クラス委員三名の都合五名が並び、他六十余名の生徒は畳の上に体育座りをして、あるものは賛意の、またあるものは敵意の眼差しで正面に陣取る役員の生徒たちを見つめていた。

 引率教師の三名は、食蜂操祈を含めて会議の傍聴人として広間の奥から事態の成り行きを見守っている。名誉ある常盤台の伝統として、利発な生徒たちの自主的な意思決定を尊重しているためだった。

 事の発端は三十分ほど前に遡る。

 三クラス、都合三台のバスがそれぞれ定刻どおりに宿泊予定の旅館に無事到着したのまでは良かったのだが、その後、予期せぬ事態が発生したのだ。

 旅館側の説明によると、常盤台中学を女子校だと看做していたために特に問題なしと考えていたが、男子生徒が含まれていることに気づいた担当者が、本館の各部屋に鍵がつけられていない点についての確認を求めてきたのだ。

 当然、この予想外の事実は女子生徒からの猛烈な反発を呼んだ。教師たちの目を盗み、消灯後の夜間にも自由に徘徊する男子たちが多く居る現状、同一施設内の鍵のかからない部屋で一晩を過ごすなど「とんでもないっ!」という至極もっともな反応である。

 生徒会はその声を受けて旅館側と直ちに対策協議を開き、当初、全員を本館に宿泊させる予定であったものを、女子生徒のみということに変更し、男子生徒は同敷地内にある別棟の新館に配置替えを行うようにとの部屋割り変更案を手際良く取りまとめたのだ。

 それに対して、今度は男子生徒側から猛烈な抗議が起こり、生徒会はあらためて全体会議を設け、その場で部屋割り変更案についての説明を行い、決を採ることで常盤台中学としての最終意思決定としたいというのがこの緊急会議の目的だった。

 会議の冒頭、生徒会長の山崎碧子が立って部屋割り変更案とそれに付随する生徒会長提案の主旨説明を行った。

「議長っ」

「河内俊英くん」

 始めに質問に立ったのは三組の男子生徒で学園祭実行委員を務める顔役の一人である。現生徒会長と三度にわたって会長選挙を闘い、その都度、苦杯を喫しているものの男子生徒からの信の厚い論客である。

「会長にお尋ねします――」

 少年は、男子生徒たちが一様に抱いている疑問、すなわち何故に急に部屋替えとなったのか、それは果たして本当に必要なことなのか、仮に必要であるとした場合、何故、男子生徒のみが部屋替えの対象となるのかについて会長に説明を求めた。

 これに対して生徒会長は部屋割り変更にいたった経緯と変更事由についての主旨説明原稿を再び読み上げて理解を求めたが、

「ぜんぜんわかりません、会長が何をおっしゃっておられるのか私にはさっぱりわかりませんっ」

 と、少年は撥ね付け、広間を見回して賛意を求め、男子生徒からやんやの喝采を浴びる。

「だいたい、なぜ男子生徒だけが待遇の改悪を受け容れなければならないのか? 会長っ、全員にわかるように説明してくださいっ」

「山崎生徒会長っ」

 生徒会長は再び起立して、

「河内委員による、男子生徒のみが待遇改悪になるのではないかというご指摘でございますが、施設責任者に確認を求めたところ、そのような事実はないとの説明を受けました。したがって本件はそれにはあたらないと考えております」

 木で鼻を括ったような会長の回答に対しては「そんなバカな話があるかっ!」という男子生徒からの罵声の集中砲火が浴びせられた。

「ご静粛にっ、ご静粛にっ!……河内俊英君っ」

「だって、おかしいじゃないですか、女子のみが本館で、男子ばかりが新館ってのは、明らかに差別じゃないですかっ、会長っ」

 生徒会長は議長にひそひそと耳打ちをして、議長は頷く。

「えーと……これについては施設側担当者から直接、説明を受ける方が適切であるとのことで……参考人の……」

「訊いてない、訊いていません、私は会長に説明を求めているんですっ」

 質問者の意向を無視して、議長によって招かれた施設側担当者が説明に立った。

 それによると、本館と新館では部屋の広さにおいては差が無いどころか、新館の各部屋には個室風呂まであること。大浴場、露天風呂の利用についても、食事の内容についても一切、本館とは差が無いことを説明し、また遊戯施設に至っては卓球台が本館においては僅か3セットしか用意されていないのに対して、新館では4セットも用意されているということで、新館の設備の方がより充実していることを説明した。さらに新館は高台の斜面に立てられているために奈良市内を一望でき、景観という意味でも本館より恵まれており、利用客の多くが満足していることを具体的な数字を挙げて説明していったのだった。

 待遇格差だとする立論の根拠の多くを否定されて、男子生徒の間に動揺が広がっていく。

 ここまでの議事進行は完全に生徒会側の描いたシナリオどおりの展開になっていた。

 その後、部屋割りの変更は公平なくじ引きで行うべきとする提案を、手続きが煩雑であるとして速やかに却下、部屋割り変更不要、現行どうりであるべきとの主張も却下、女子生徒が新館に移るのはどうかという、もはや破れかぶれとしか言えないような提案もなされたが、全て粛々と否決された。

 ここに至り、質疑が十分に行われたとみた生徒会側は議長に採決を促したが、これに対して男子生徒は猛然と抗議し、さらに徹底抵抗を続ける構えを見せたのだ。というのも、採決に持ち込まれた場合、男子生徒側にはまず勝ち目がなかったからだ。

 男子生徒二十四名、これに対して女子生徒は四十七名。慣例により全体会議の採決には加わらないことになっている生徒会長、副会長、各クラス委員を除いても四十二名。男子生徒側にもしも時間があれば、女子生徒への個別的根回しと切り崩しによって否決の目も僅かにあったのかもしれなかったが、なにぶん急なことでその時間もなかった。

「ご異議はございませんか?」

 大広間は怒号と罵声に包まれる中、「異議あり!」の低い声は「異議なし!」の甲高い声にたちまちかき消されていった。

「異議なしと認めます。これをもって討論を終結いたします。引き続き採決をいたします」

「議長っ! 止めてください! 採決を止めてくださいっ!」

 質問者は遮るが、議長は容れず、これを見た一部の男子生徒が憤然とした様子もあらわに立上がった。

「まだ、審議はおわってないぞっ!」「採決強行反対っ!」「横暴だっ」「民主主義の不当な運用だ、断固拒否するっ!」

 さらに一人の男子生徒が上座へと押し掛けようとして、それをガタイの良い女子生徒数人がブロックして一旦は抑止した。が、体力に勝る男子生徒たちが加勢したために押し切られ、暴徒と化した数名が長テーブルに迫ってもみくちゃにされる中、議長の少女はメガホンを口にあて大声で採決文を読み上げた。

「……生徒会長提出によるっ、部屋割り変更案および消灯時間以降のみだりな外出に対する罰則の強化案について賛成の諸君の起立を求めますっ」

 体育座りをしていた少女たちが一斉に立ち上がった。

「起立多数っ、よって本案は原案通り可決されることに決定いたしましたっ」

 なおも騒然とする中、女子生徒からの拍手に、生徒会長は席から立ち上がると深々と頭を下げた。

「本日はこれにて散会としますっ」

 議長が宣言をして、臨時全体会議は終了した。

 開始からわずかに五十八分。必ず一時間以内に決着をつけるという生徒会側の狙い通りになっている。その手腕やお見事。

 広間の隅で操祈も思わずつられて拍手に加わってしまっていた。

 そして、つくづく民主主義は大人のゲームだと思うのだった。

 独裁、専制にくらべると手間暇かかるが、ひとつひとつ合意を取り付けて足下を固めていくやり方は、得られた結論に正当性と権威を付与する。この丁寧な手続きこそが重要であることを心得ている生徒会長は、だてに四期二年近くもの長きにわたり会長職の任にあったわけではないと、あらためて少女の能力の非凡さに感心してしまう。

 一方、憤懣やるかたないのは男子生徒の一団である。リーダー格の男子生徒の周りに集まり、みな一様に険しい表情で今後の対応を模索していた。

 この奈良での一泊は、修学旅行中の唯一の和風旅館での宿泊であり、畳とお布団の醸し出す開放的な雰囲気と修学旅行もいよいよ佳境に入ってなにかとガードが下がり加減になる女子たちに対して、日頃の鬱憤を晴らそうとこの時とばかりに不届きな計画を企む男子生徒たちにとっては、まさに絶好のチャンス、期間中の最大の山場だと見られていたからだ。

 もちろん標的の中には常盤台が誇る学園の女王、もとい、いまや学園都市の女神とまで囁かれる存在となった美師、食蜂操祈に対するものも当然含まれていた。

 既に彼らの配信する裏修学旅行通信では彼女のパジャマ姿を撮影したものが数枚アップされてあり、美人教師の夜はネグリジェ派かパジャマ派か、あるいはトレーナー派か、はたまた、教師としては実にけしからんボディに、ナンにも身につけないで寝てしまうケシカラン派か、などという長く続いた神学論争に終止符を打つという確かな成果を挙げていた。

 ちなみに、食蜂操祈パジャマ画像は既に数々のアクセス記録を塗り替えていて、専用サイトにおいて近年にない大ヒットとなっている。

 その上、お風呂上がりの浴衣姿の操祈先生の、もしやの胸許ポロリ画像などのお宝がGETできたとしたらっ!

 少年たちの夢は大きく膨らんでいたのだ。

 そこへもってきての、この事態の急変である。事実上の隔離をされる身となって、今や全ての計画は水泡に帰そうとしていた。

「委員っ、このような事態に陥ったことをどのようにお考えですかっ」

「まったく言語道断、許しがたい暴挙です。山崎生徒会長の長きにわたる独裁がこのような専横を許し、民主的とは名ばかりの数の暴力、蛮行がふるわれたことには強い憤りを覚えるとともに、たいへん残念に思います。会長はもう一度、民主主義というものを最初から勉強しなおした方がいい。民主主義の精神は少数派の意見をいかに汲みあげ多数派の意見に反映させるかにあるはずで、ただ数が多いからといって少数意見を圧殺するというのは、会議の進め方としてはあまりにも拙劣です。このようなことを認めてしまえば、やがては民主主義そのものの否定につながっていってしまう。われわれはこの決定には断固、反対します。そもそもわが常盤台は、かつて能力者たちによる、能力のない可哀想な人々への不当な差別によって生じた多くの悲劇の反省にたって、男女共学校として再出発しました。しかし今、現実におこなわれていることはどうですか? 女子生徒による男子生徒への不当な差別と抑圧ではありませんか。山崎生徒会長と生徒会は新たな差別の助長に加担しました。その責任はたいへん重いと言わざるを得ません。このようなことを続けていれば我が校は近隣校からの信頼を失い、ひいては地域社会からの孤立を招くことにもなりかねません。まことに由々しき事態だと思います。われわれは――」

 少年たちはアジテーションに聴きいり、演者が語気を強めるたびにその都度、我が意を得たりとばかりに「そうだっ!」と怪気炎があがり、拍手が巻き起こっていた。

 

 十五分後――。

 薄ネズミ色のコンクリの壁に縦横に走る補強の跡も生々しい実用的で殺風景なビルを、口をへの字に結んで見上げる二十四の顔があった。

 

 

 

 



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大露天風呂で2

          ⅩⅩ

 

 

 

 身につけていたものを全て脱いで全裸になった操祈は、こんなことなら湯浴み着を持参するべきだったと後悔したが、そもそも今のような状況に陥ることを想定していなかったばかりか、湯浴み着のことなど念頭にもなかったのだから致し方なかった。

「ちょっとみんな、なぁに?」

 操祈は薄手のタオル一枚で股間を、片腕で両胸を庇いながら、興味津々といった様子で次第に自分の周りに集まってくる少女たちを諌めたのだが、いっかな効果がなくて当惑しきっていたのだ。少女たちの輪はどんどん狭まってくるばかりか、人数までも増えてくる。

「わー、なんかウチら、すっごい綺麗なものを見させてもらってるって感じ?」

「操祈先生、すごーい……きれー……」

 一人の少女が操祈の体を感心したようにしげしげと見つめながら、さらに背後を覗きこもうとしていて、操祈は身を捻って庇おうとするのだが、あいにく手は二本しかなく、好気の視線は四方八方からのびてくる。

「肌、真っ白でミルクみたい……」

「ちょっと、みんなっ、あたし、パンダじゃないのよっ」

「先生ってスゴすぎぃ……いーなぁ……」

「あなたたちっ、いい加減になさいっ」

「だっていいじゃないですかぁ、オンナ同士なんですからぁ、先生も隠したりなんかしてないで、私たちみたいにパーって」

 少女たちは腰にタオルを巻き付けている子は居ても、みんな上半身を隠してはいなかった。

 性徴期さなかの少女たちの胸は、発育の良い子も居るが、まだ未成熟の子も居てさまざまである。

“そう言えば……いろんな子が居たわね……”

 操祈は自身が同じ年頃だった頃を思い出して密かに、クスっ、と笑んだ。

“みんな、どうしてるかな……“

 ふと、そんな感傷に浸ってしまった操祈だったが、彼女をとり囲んでいた少女のうちの何人かがヒソヒソやっていて、中の一人が突然、大きく目をみはると「え、先生っそうなんですかっ!?」と、いきなりびっくりしたようすで訊いたので、操祈の方も不意を衝かれてしまった。

「そうなんですかって、いったいなんのお話?」

 操祈には意味がわからなかったが、

「あの、先生……もしかして……」

 少女のひとりが恐る恐るきりだした。

「もしかしたらキスマーク、隠してるんじゃないかって、由香奈ちゃんが……」

 名指しされた少女は「わたし、そんなこと言ってないっ」と即座に否定したが、訊かれた操祈の顔はたちまち朱に染まっていった。

 キスマーク――という意味深な言葉に触れて、行為の最中にレイから「この白いカラダにキスマークなんてつけたらすごーく目立っちゃうから」と言われ、唇の代わりに、いろいろなところに舌を使われていたことをうっかり思い出してしまったのだ。

「そんなことある筈ないでしょっ!」と強く否定したものの、かえって記憶が鮮明に蘇ってまた動揺してしまう。

「きゃあ、先生っ、お顔が赤いですよっ、イヤーッ、あたしショックですーぅ! 先生に彼氏いるなんてぇ」

「だから違うのっ、あなたたちに急にそんなこと言われてちょっと驚いてしまっただけよっ」

「ホントですかぁ?」

「本当よ……」

「だったらいいじゃないですかぁ、そんなに必死に隠さなくてもぉ」

「先生、お風呂の中にタオルの持ち込みは厳禁ですよ」

 二人掛かりで左右から腕を取られてしまい、結局、操祈は少女たちの前に裸身を晒すことになってしまった。

 だからイヤだったのに――。

 そう嘆いても後の祭り、少女たちの好気と羨望の視線を一身に浴びることになってしまった。

 腕の中にあったときには柔肉が白くはちきれんばかりにもりあがり、深い谷間を作っていた二つの乳房が(くびき)から解き放たれて重たげにゆっさりと垂れている。

 豊満な実りに見合って淡い桜色の乳暈(ちちかさ)はみごとに官能的にひろがっていて、真っ白な胸肉の頂きでひときわ目を惹いていた。けれども愛らしい肉芽は、まあるい桜色のシンボルの真ん中で恥ずかしげに小さく身を竦めていて、そこはかとなく無垢の気配を漂わせているのだった。

 ほっそりとした二の腕とたわわな肉の実りとのコントラスト、見事にくびれた腰の曲線、スラリとのびた四肢。

 どれも少女たちの理想が体現された生身のモデルだった。

 股間のヘアもふんわりナチュラルに繁っていて、まるで小動物がそこで身を丸くしているように飴色の可憐な背中を見せているのだ。その日の午後、歳若い恋人からの容赦のない詮索と検分に哀しげに毛を逆立てていたときとは違って、今はひっそり静かに微睡んでいるようだった。

 浮き出た左右の腰骨がつくりだすスッキリとした下腹部の凹みの曲線がにおいたつように甘く、ほの白い肌をいっそう際だたせている。

 少女たちの瞳は憑かれたように妖しげな光を宿して、敬愛する美しい大人の女性の体に表れた美の秘密をひとつひとつ探っているようだった。

「先生って毎日毎日、ご自身の姿を鏡で見てるんですよね、なんだか美意識にものすごい上方修正かかりまくりのバイアスがありそう……」

「なんかもーいろんな意味でフツーじゃないっていうか……やっぱり人間ばなれしているっていうか……」

「何を言ってるのよっ、人を珍獣扱いして――」

「そんな、珍獣だなんて……だって先生って今、学園都市でなんて噂されてるかご存知ですか?」

「ウワサ――?」

「なんか私、いろいろ納得しちゃいました……ホントに違うンだって……ね?」

 一人の少女がそう言うと、周りに居た少女たちも互いに顔を見合わせて頷き合っている。 

 また悪い昔話を持ち出されていたのかしら、と操祈はつい構えてしまいがちになるが、素直な憧れの表情をみせている少女たちからは悪感情は感じられなかったのだった。

 

 

 

 




誤植があり修正しました。
申し訳ありあませんでした。


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大露天風呂で3

 

 

         ⅩⅩⅠ

 

 

 露天風呂は差し渡しが長い所で二十メートル以上はあろうかという広々とした岩風呂だったが、なぜか操祈の周りの人口密度が異様に高くなってしまっている。十数名の少女たちが、なんとなーく操祈の周りに集まっていて、中には栃織紅音の顔も混じっていた。操祈と目が合うと紅音は小さく頷いて会釈をする。少女は眼鏡をしていなかったが、操祈の方でも少女の能力のことはもうあまり気にならなくなっていた。

「ねー、みんなどうしてそんなに狭苦しくしてるの? もっと散らばってゆったり温まればいいのに」

「だって、せっかく操祈先生と一緒なのに、もったいないじゃないですか」

 操祈は、もう何がもったいないのか無理に考えるのを止めることにした。

 そもそも人気のある操祈が生徒から群がられるのはそんなに珍しいことではない。特に試験前になると男子女子ともに操祈の周りには質問に集まる生徒が一気に増え、授業後には教卓の周りに幾重にも人垣ができるのが常なのだった。

 中には質問にかこつけてデートを迫る生徒まであらわれるが、いつも操祈は「テストで百点満点取ったらね」と約束して上手に躱していた。試験問題の中にはこっそりキラー問題を配置してあるので、これまで約束の履行を求められたことは一度としてなかった。

 結果、あまりの難攻不落ぶりに、男子の一部からは不満タラタラ、恨み節まがいの『不沈空母みさき』というありがたい通り名を冠されてしまったりもしているが、操祈の教室運営は概ね順調だった。

 教壇に立つようになって2年余り――。

 自分のようなものに多感な思春期の子供たちを教導することなんて、果たしてできるのだろうかと思っていたが、いざ取り組んでみると存外、自分に合っているかもしれないとも思えるようになっていた。

 教えることと学ぶことは表裏一体。

 それは教科についてばかりでない。操祈自身が半ば素通りしてしまった思春期の追体験というような意味もあるようだった。

 男の子に出逢って、恋をして、胸を焦がす――。

 そんな普通の少女のするような経験を、始めは間接的に、そして今では実際のものとして重ねている。

「操祈先生って昔、ウチのガッコの女王様だったんですよね……」

 少女の一人が、操祈の様子をさぐりさぐり訊いてきた。

「そんなふうに言われていたこともあったわね……恥ずかしい話よ……」

 紅音の手前だからというわけではなく、操祈は子供たちに偽るつもりはなかった。

「えー、どうして恥ずかしい話なんですか? 凄いことなのに。レベル5の能力者ですっごい美人って、もうそれだけでどんだけーって……」

「わたしは……たくさんの人たちを傷つけてしまったの……」

「先生、それ、違うと思いますっ」

 別の一人が生真面目な顔で反論する。少女は、自身が常盤台時代の食蜂操祈について調べた結果、明らかになったことをみんなの前で披瀝した。それによると、操祈が責を問われるようなことは何もない、との確たる結論が得られたと言う。

 少女が語った内容はある面では正しかったが、ある面では間違っていた。ただ、操祈にはそれを少女たちと論じるつもりはなかった。

 折よく、葦簀(よしず)の向こう側が急に騒がしくなってきて、一同の視線が壁に向かった。

 男湯の方に男子たちがゾロゾロと群れてやってきたのが気配でわかった。

#チックショー、せっかく奈良くんだりまで来たっていうのによぉ、俺たちをあんなビジネスホテルみたいなところへ押しこめやがって、生徒会のヤツら、おぼえてろよぉ#

 誰かのボヤキが聞こえてくる。ボヤキというにはあまりにも大声だったので女湯の方まで筒抜けになっていたが、向こう側ではまだそれには気がついていないらしかった。女子たちは息をひそめて男子生徒の話し声に耳を傾けている。

#あーあ、操祈ちゃんの浴衣姿、見たかったなぁ……#

#なぁ密森、おまえ操祈先生に反省文書いて渡した?#

#いや、もう九時以降には男子は本館には立ち入りできないから、村脇先生に渡しておいたけど、なんで?#

 レイの声が聞こえてきて反射的に顔をあげてしまった操祈は、紅音と目が合うとまた視線をしずしずと湯面に戻した。

#え、なんで操祈ちゃんの部屋まで行って直に渡そうとしないのよ、俺ならぜったいそうするのにサ#

#ミツっちって、操祈ちゃんには淡白だよな、おまえの趣味ってロリだったりすンのか?#

#そーいうんじゃないけど、やっぱり先生だし……#

#だって操祈先生って、ぜったいイーじゃん……あんな美人、そうそういないぜ、顔はスッゲーカワイイのにスタイル良くって胸はおっきいって、エロゲならラスボスレベルじゃん……クラスの他の奴らなんかみーんなザコのモブばっかなのにサ……#

 多くの賛同する声が聞こえてくる。

#俺なんかまわり見回して、入学早々退学したくなったからなぁ。はっきり言って操祈先生が着任してくんなきゃ、常盤台なんてただの動物園、なにがお嬢様学校だった、カッコ過去形、だよ、霊長類のお嬢様ばっか集めていったいナニ始めるおつもりだったんですかぁって#

 時ならず耳にする少年たちの本音はことのほか辛辣で、操祈も思わず噴き出しそうになってしまったが、少女たちの手前、さすがにそれは出来ずに笑いを堪えていた。

#でも山崎はいいじゃん、頭いいし美人だし、スタイルもいいし#

#山崎は一組だろ、あそこは別、一組は一部リーグ、三組は二部リーグ、残念ながらウチらのいる二組は女のコのレベルだけでいうなら、ウチらだけサッカーじゃなくて独りカバディやってるようなもんなのっ、もー見た目からして意味不明なヤツばっかしだし#

 黙って聴いていた少女たちだったが、とうとう一人が忍耐と我慢の限界を迎えてしまったようである。少女は湯船から立ち上がり葦簀の前まで行くと、怒りを爆発させた。

「ナニがカバディだっ!」

 

 

 



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大露天風呂で4

         ⅩⅩⅡ

 

 

 まだお下げ髪の似合うキュートな少女は葦簀の前に仁王立ちになると、今度は自分の方から男子生徒たちを挑発し始め、それにのってしまった男子との間で壁を挟んでの罵りの応酬となった。

「テメー、田野倉だろっ、万年幼児体型のっ、俺らの会話を盗み聞きするとはいい度胸じゃネェかっ!」

「聞いてたんじゃなくて聞こえてたんだよっ、あんな大声で喋ってりゃあ聞きたくなくても聞こえるにきまってんだろ、バーカ」

 田野倉美麗(ミレイ)、十四歳、常盤台中学の女子新体操部副部長で、二組女子の切り込み隊長を任じている。小柄だが自他ともに認める武闘派だった。怒気には怒気で、罵声には罵声で返しながらも、少女の表情からは明らかに余裕が感じられる。

 自分の方が優位にあると確信するものの顔をしていた。

「フッフッフ、愚かな男子諸君に告げる――」

 少女はついに切り札を使うタイミングだと判断したようだった。

「今、こちらには御座(おわ)すお方をどなたと心得るかっ……誰あろう、学園都市の女神、食蜂操祈先生にあらせられるぞっ! 一同、頭が高いっ! 控え、控えおろう!」

 時代劇を模したセリフまわしには、誰もが知るあの歴史的長寿番組のテーマ曲が操祈の耳にも聴こえてくるようだった。

 明らかに動揺したのか、とたんに男湯がしーんと静かになった。

 ちょっとした間があって――。

「ホントに操祈先生、そこに居るの?」

 少年たちからはさっきまでの威勢は見る影もなく、声をひそませ不安をにじませた調子になっていた。

「先生、居られるんですかぁ?」

 今度は葦簀越しに操祈に直接、尋ねてくるが、少女たちは自分の口に人指し指をあて、操祈には何も言わぬようにとサインを送っている。

「タワけっ! 分をわきまえよっ、操祈先生はお前たちのような下賎な輩と直接お言葉を交わされることなどないと心得るがよい」

 してやったりの少女はますます芝居がかって言った。

 その合間に操祈は黙って湯から上がることにした。

 水音が立って少女たちが音のする方を振り返ると、肩口から下、白い肌が見事にピンク色になった操祈の背中が目に映った。豊満な胸が体の動きにやや遅れてついてくる、その揺れ具合が細身の体に痛々しく見えるほど重たげな量感をあらわにしていて、居合わせた少女たちの心を奪っていた。

「先生……お美しい……」

 前線で男子とやりあっていた少女も思わずため息をつくように言って、

「オイ、ホントに先生、居んのかよ……」

 葦簀の向う側でも少年たちが当惑したように囁き合っているのが聞こえてくる。

「だから言っておるであろう、私は嘘などついてはおらん。先生は私たちの前で、一糸もまとわぬ見事にお美しい裸身を御示しになられたのじゃ、ああ、ありがたや、ありがたや……どうだ、オマエたち、うらやましいかっ! うらやましいだろう? だがうぬらのような下衆どもは、たとえどんなに長生きしたところで、あのようにお美しい方の隅々まで目にすることはけっしてないのじゃ、ザマーミロぉっ!」

 

 操祈はひと足先に内湯の洗い場へ移動したつもりだったが、すぐに後に従った少女たちによってあっという間に周りの洗い場も埋まってしまい、あぶれた少女の数名が彼女の背後に屯するかっこうになっていた。

 いかな大浴場とはいえ、さすがに十数名分の水栓はなかったのだから仕方がないが、何を思ったかその中の一人が、

「じゃあ私、今日は先生の湯女(ゆな)やらせていただきまーす」

 などと、余計なことを言ったものだから、他の少女たちも「あたしもっ!」とばかりに寄せてきて、また操祈のまわりは穏やかならざることになってしまった。

「湯女って、そんなっ、いーのよ、もうそういうのはっ」

 操祈は固辞したが、

「いーんです、いーんですから、まかせて下さいってば、ウチらやりたくてやってるだけなんで」

 そう言いながら既にボディソープを含ませたスポンジで操祈の背中を擦りだす。

「じゃあ、あたしっ、先生の御髪(おぐし)、洗いますね……わーキレイな髪ー……いーなー……」

 是非もなく別の誰かは操祈の髪にシャンプーを注ぎはじめた。

「お肌、もっちもちのすべすべぇ……」

 同性の気安さで体にまで触れられて、すぐに操祈の声は哀調を含んだものになってしまっていた。

「ホントにいいの、ねっ、わたし、自分でできるから……」

 操祈の腕を取って撫でていた誰かが、とうとう胸にまで手を伸ばしてきて、操祈は「きゃっ」と悲鳴をあげてしまった。

 レイの手にも似たやわらかなタッチで操祈の乳房を下から支えるように包むと、指先が乳先をくすぐるようにやさしくあやしていた。

 たちまち肉の蕾が目覚めて固さを増してしまい、操祈は慌てて少女たちの腕からのがれると、胸を庇ってキッとなった顔を向けるのだった。

「もうダメっ!」

「えー、もうちょっと先生の体に触っていたいのにぃ」

 少女たちはぐずったが、操祈は今度ばかりは譲らなかった。放っておくと何をされるかわからなかったからだ。

「華ちゃんたち、ダメだよ、操祈先生を虐めたら。先生だって女の子なんだよ、大切な人のために操立てしてるんだから、女だからって体に勝手に触ったりしちゃイケナイの」

 隣の少女がシャンプーの泡だった頭を洗いながら助け舟をだしてくれた。クラスの女子の中でいちばん発育が良く、すでに大人びた雰囲気を放っている美少女の舘野唯香だった。

「ですよね、先生?」

「え? ええ……」

「ほらね、先生にはやっぱり好きな人が居るんだよ」

 とたんに「やっぱりそうなんですか!」と、居合わせた少女たちが一斉に操祈の方を興味深げに見つめていた。

「わたし、そんなこと言ってないわ……」

「でもわかりますよ、だって私にだって好きな人ぐらい居ますから……私だけじゃないです、遥果ちゃんもそうだし芳迺ちゃんもそう……ね?」

 唯香に名を呼ばれた二人の美少女が頷いていた。

「女だったら気がつきますよ。去年の春と今とでは、先生の表情がぜんぜん違うってことに……ずっと女らしくなって、さらに綺麗になって……男の子にはわからないことでも女子なら気がつくことっていっぱいあるんです……操祈先生がもう大人の女の人になってるってことも……」

 操祈がドキっとさせられることを少女がさらりと口にしていた。

「きっと男の子たちにとっては凄いショックなことかもしれないけど、でもわたしは嬉しかったな……先生も女の人なんだって分かって……」

 

 




誤植の修正をしました
反省


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間奏曲 アフターシックスエイトウイズボーイ その1

 

 

 シャワーブースで操祈は、背後からひたと肌を接して若い恋人に抱かれていた。

「先生……ごめんなさい……ボク、ひどいことをばかりして……」

 操祈の手の甲に掌を重ね、指と指とを絡めながら少年は耳許で囁く。

 操祈は「うん……」とだけ応えたが、鏡の中で視線が重なると彼女はすぐに少年のひたむきな黒い瞳からのがれて顔を背けてしまうのだった。

 恥ずかしくてとても相手の顔が見られなかった。

「先生の体……ボクに洗わせて下さい……ボクが汚してしまったのだから……」

 シャワーノズルを握ったレイは、操祈の体を撫でつけながら、水流をしぼって勢いの弱い湯を注ぎかけ始めた。指先から腕へ、遠位から近位へ、末梢から体幹へと。

 つい今し方まで、あんなにも大胆に女の心と体とを犯しておきながら、鏡に映るレイの表情は穏やかで、操祈の体に添えられる手の温もりは情愛に溢れている。女の体を無慈悲に苛んだ時とは違う、傷ついた牝を慰める雄のやさしさで、いたわりを感じる丹念な動きで。

 深く情を結んだ男の手の温もりが女の肌にじんわりとつたわってくる。

 それが泣きたくなるくらい嬉しくて、そして恨めしい。

 あともう少し、少年が気持ちをのせてくれば、たちまち操祈の体にはまた火がついてしまうことだろう。けれどもそうはならないぎりぎりのところで少年は留まっている。

 それは女の体に情欲の火を点そうとする時のものではなく、思いを伝えようとする時のやりかただった。

「お湯、熱くはありませんか?」

「うん……」

 操祈はいたいけな少女がするように、こっくり頷いた。

 かいがいしく手をとり足をとりする少年に操祈は従順に身を任せて、若い恋人の望むままになっている。

 この子からはもう逃れられない――。

 そう思いながら。

 レイは、女が不安に感じるような強い愛撫、例えば乳房を強くにぎったり、荒々しく揉んだりするようなことはけしてしなかった。いつでもそっと触れたり、くすぐるように乳暈(ちちかさ)を撫でたり、下から支えるようにして両胸を包んだり、あるいは産毛の流れに逆らって二の腕の内側から腋の下、脇乳のあたりまでの敏感なラインにぞくぞくするような刺戟を加えたり、と、穏やかな愛撫を好むのだった。

 女の体を壊れ物をあつかうように、大切にしようとする。

 けれどもそのやさしさに安心していると、寄せては返す官能の波打ち際に居て少しずつ潮が満ちてくるように、気づいた時には身動きが取れなくなるほどの深みへと流されているのだ。

 いつも最後には操祈の思いに反して――あるいは密かに願っていたのかもしれなかったが――とても濃厚な愛撫に身を任せることになってしまっていた。

 他人目を忍んでの、正味にしてわずか半時ほどの束の間のデート。

 その時間的制約も企みのひとつだったのかしら、と今は思う。部屋を訪れた操祈には、そもそもその時点でもう何かを拒むという選択など与えられていなかったからだ。

 住宅街にひっそりと佇む奇妙なホテルの一室で、奇怪な椅子に座ることを求められ、(あまつさ)え部屋の明かりを消すことすら聞き入れては貰えなかった操祈は、女のもっともか弱い部分を通してなされるやりかたで、少年が一途な思いの丈を説くのをずっと聞かされていたのだった。

 愛している――という百の言葉よりも重い、たった一つの口づけを、女にとってこの上もなく恥ずかしい姿になって受け続けることで。

 情が深いはずの少年が残酷だったのは、彼女に悦楽の海へと逃げ込むことを許してくれなかったことだ。

 成熟したカップルにとっては刺激的な性戯のひとつにすぎないことを、少年は操祈との絆を深めるためのとりわけ特別な愛情表現に変質させてしまっていた。

 それには件の椅子も一役買っていたのだった。

 仮に同じようなことを試みても、ベッドでは両手を使うことができずに、ほんのアクセント程度にしかならなかったことが、その椅子を使えばとても容易く、そして手加減することなく執拗にできるようになるからだった。

 だから操祈が愛撫に我を失いかけると、レイはここぞとばかりに舌と唇と、それに両手の手指とを駆使して、どんなタブーももう二人の間にはないことを思い知らせてきたのだ。

 操祈に、彼女がどんなに罪深く罰当たりなことをしているのかを思い出させて、また羞恥の嘆きへとつれもどしたのだった。

 年下の恋人に、これ以上ないほど自身の醜い姿をさらして、女の誇りをすっかり奪われて、傷ついた女がすがりつけるものは、ただ自分の心と相手への信頼、それしか残されてはいなかった。

 操祈に許されたたった一つの逃げ場所は、愛しているから――と、自分の心に強く言い聞かせることだけなのだった。

 

 

 




今日は6月8日ということで
それにちなんだタイトルの挿話を今日と明日の2回に分けて上げる予定です
メインストリームのお話とも絡んでいます
お読みいただいていることに感謝いたします


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間奏曲 アフターシックスエイトウイズボーイ その2

 

 

「腕を上げてください……」

 操祈が言われるままに片腕を持ち上げると、ひときわ白い二の腕の内側と腋の下に湯をあてながら、手でさすって唾液で(けが)したところを洗い流していく。

 次いで、乳房、腹、臍……。

 最後に少年の手は下腹部へと伸びた。

「脚をもう少しだけ開いてください……」

 操祈は鏡の中の少年に哀訴の眼差しをちらりと送ってから、命じられた通りに閉じていた大腿の間を開くのだった。

 少年は、荒淫の名残りにむごたらしく毛羽立っていた小麦色のヘアにあたたかい湯をかけて水気をたっぷりと含ませると、掌で貯めた湯を操祈の股間にあてがって、そこをポンポンと軽く叩くようにしてやさしく洗い落としていた。少年の手がもう悪いことをしないとわかると、それまで身をかたくしていた操祈だったが何も言わずに睫を伏せるのだった。

「愛してます……ボク……先生のことを誰よりも……」

「……うん……」

「先生はボクのこと、好きですか?」

「……うん……」

 こくん、と頷く。

「さっきから、うん、ってしか言ってくれないんですね」

「……うん……んっ」

 形のよい小鼻を鳴らして、操祈はまた体を緊張させた。

 少年の手が尻たぶの肉の合間をやさしく(ひろ)げていて、隠れていたとてもあいせつな場所に湯をかけられたからだった。すぐにそこにも指先を送ってきて丁寧な(さす)り洗いになっている。

「あっ……レイくんっ……」

 鏡に映る操祈の顔は当惑と愁いに瞳を潤ませて、長い睫を何度も(しばた)かせている。女の急所をとらえられて、か弱い表情を隠しきれずにいるのだった。

「大丈夫です、もう何もしませんから……ただボクが汚したところを元どおりの綺麗な状態に戻すだけなので……」

「………」

 少年は約束したとおりに何もせず、デリケートな部分の(そそ)ぎが済むと、後は操祈の全身に湯をかけて丁寧に仕上げを行っていった。

 長い金髪を濡らさないようにしながらの細やかな気遣いのあるシャワーが済むと、今度は自分の体にも湯をかけはじめる。

 湯勢を強めて勢いよくザーっと流している。

 猛々しく屹立させたままの股間にも、いかにも雑なやり方でしごき洗いをしていて、操祈はちょっと不思議なものを見ている気持ちになってくるのだった。

「……あなたは……いいの……?」

「え――?」

 少年は愛しあった後でも、いつも情熱を滾らせたままでいるからだった。操祈の体には惜しみない愛情を注いでくれても、自身の欲望の充足には関心がないように見えるのが気になっていた。

「コレですか? コレはいいんです。先生のことが大好きだって言ってるだけなんですから、それ以上の意味なんてありませんよ」

 鏡の中で少年は股間のものを、いささかぞんざいに指で弾いてみせた。まるでできそこないの弟分を小突くように。

「でも……」

 操祈は、ゴクリ、と喉を鳴らした。

 レイと睦みあうようになってから、いつしか少年に対しても自分にしてくれたことと同じようなことをしてお返しをしたい、そう願うようになっていたのだった。

 ところが意外なことに、レイは今も彼女がそれに触れることすら許してはくれないのだ。

 いちばん最初は操祈先生の膣内(なか)挿入(はい)りたいから――。

 少年はいつもそう言って拒むのだった。それがいつのことになるかも明かさずに。

「わたしばかりを散々いじめておいて、自分だけは弱みをにぎらせないなんて、ずるいんだゾ」

 (しとね)で、操祈はレイの胸の中で精一杯の強がりを言って甘えたが、その一方で自分を愛してくれる時には手抜きも妥協もしないのに、自らはストイックでありつづける少年に心を動かされてもいたのだった。

 とてもレイらしい、そんなふうに感じて。

 それは自分に対する形を変えたロイヤリティーのようにも思える。

「先生は心配しないで下さい……それに実はコイツ、今日はもう四回も空打ちをしてますから」

 少年は頬笑みを浮かべながら言った。

「下側の椅子ではボクは両手を自由に使うことだってできたんです。だから先生の体がとっても貴重な蜜をボクに分けてくれている間に四回も……ちがった! 最初に先生がボクの前で椅子に座ってくれた時、やさしいステキな香りを嗅いだだけで暴発しちゃったことをいれたら五回だっ」

 少年は満足げにそう言い放って、操祈は恥ずかしさに頬を朱くした。

「もうわたし……あなたには何も隠し事が出来ないのね……」

 そう感じるほど、女が他人には見せられないと思っていたもの、恋人には見せたくないと思う姿をどこまでも晒してしまっていた。

 レイについて言えば操祈のプライバシーは失われたも同じだった。

 自分ですら知らない事を、彼だけは知悉(ちしつ)しているのだ。

「ちがいますよ、先生……」

「………」

「ぜんぜん違いますよ、先生はいつだってボクにとっては甘い謎の塊なんです……絶対に解き明かされることのない永遠の秘密……今だってそうです、ボク、もう先生の秘密が恋しくて……でも時間が許してくれない……本当はいつまでもずっと、こうしていたいのに……」

 たとえ嘘だったとしても、()()を無くしてしまったように感じて、心細い気持ちでいっぱいの女にとってはあたたかな救いとなる言葉だった。

 操祈の胸にまた熱いものがこみあげてくる。

「……愛しているわ……あなたのこと、心が壊れてしまいそうなくらい……好きよ……大好きなんだゾ……」

 

 

 

 



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反省文

         ⅩⅩⅢ

 

 

 浴衣に袖を通した操祈は少女たちとともに露天風呂の脱衣所から出てきた。

 大浴場まで続く長くまっすぐな廊下を本館建家へと歩いていると、これから湯浴みに向かう他の女子たちのグループの何組かとすれ違った。

 少女たちは操祈の姿に気がつくやその都度、一緒に入浴できなかったことを残念がり、中にはもう一度一緒に入りましょうと操祈の袖を引くものまで現れる。

「操祈先生、すっごく綺麗だったよ、びっくりするくらいステキだった」

 一緒に居た少女の一人が自慢げに言うと、

「あーあ、私たちももうちょっと早く来れば良かったな……操祈先生のオールヌード、見てみたかった……ねぇ、操祈先生、もう一度、私たちと――」

「イヤよ」

 操祈はくもりの無い笑顔で、言下に拒否した。

 これ以上の個人情報の漏洩は教師生命の危機にもつながってしまいそうなのだった。

 そんなやりとりを繰り返しながら玄関ロビーまでやってきた時、折悪しくというべきか、ちょうど新館の方から戻ってきた先輩教師の村脇女史と鉢合わせをしてしまったのだ。

 操祈はちょっと後ろめたい気分になった。

 生徒たちと入浴を共にすること自体は特に問題にはならなかったものの、若輩ものが先に済ませてしまったことに気が咎めたのだ。

 本来であれば消灯時間以降が引率教師たちの正規のフリータイムだった。

 四十代後半の村脇は、もと寮監だったキャリアを持つベテランで、厳格な面差しに眼鏡をキリリとさせた痩身の女性である。

 彼女の姿を見るなり、それまで一緒に居た少女たちは蜘蛛の子を散らすようにその場に操祈だけを残して逃げ去ってしまった。

 今回の旅行の最高責任者であり、学内では教務担当主任でもある村脇は、怖いもの知らずの少女たちにとっても畏怖の対象なのだ。

 操祈にすれば、“なによぉ、さっきまでの態度とはまるでちがうじゃないのよぉ、この裏切り者ぉー”と逃げた少女たちを(なじ)りたいところだったが、しおらしく頭を垂れて村脇女史と対峙した。年齢差もあって、まるで叱られた生徒のようになっている。

 実際、村脇は中高時代の操祈の恩師の一人でもあったのだ。

「食蜂先生、お疲れさま」

 この状況で村脇女史から“お疲れさま”と声をかけられると、居心地が悪い。

「新館の男子は海藤先生にお任せしてきたから、今夜はあなたもゆっくりできそうね」

「はい……」

 どうやら深夜のピンポンダッシュの件は村脇女史の耳にも届いていたようである。

「ですから本日のミーティングはお休みにします」

「わかりました……」

 村脇は、ヤレヤレ、とでも言うように大きなため息をひとつつくと、

「あのメンタルアウトの食蜂操祈が変われば変わるものね……」

 眼鏡の奥の眼差しが柔らかくなって操祈を見上げていた。

「もうしわけありません……」

「あなたがあんなに多くの生徒たちから慕われているなんて、嬉しい驚きよ。昔のあなたの荒れようを知るものとしては……」

「………」

「ごめんなさい、イヤミを言うつもりはなかったのよ、気に触ったら謝るわ」

「いえ、そんな……わたしは……」

「正直に言うとね……」

 村脇はロビーに(たむろ)してスマートフォンを弄っている少女たちを見やりながら

「あのぐらいの頃のあなたは苦手だったわ……あなたの持っていた特別な能力はともかくとして、あなたのひとをナメたような態度や言葉遣い、大人を大人とも思わない鼻持ちならない振る舞いも……嫌いだった……」

「……その節は……たいへん、ご迷惑をおかけいたしました……」

 操祈は恥じ入るばかりで深く頭を下げた。

「違うの、違うのよ、食蜂先生……わたしね、あなたに出会えたことを神さまに感謝しているの……こんなステキな子に引き合わせてくれてありがとうって」

「……?……」

「メンタルアウトがメンタルアウトではなくなって、あなたが本当の自分を見つけるまでの間と、その後のあなた……真の奇跡は、あんなつまらない能力なんかじゃなかったのよ……」

 操祈はすなおに頷いた。

「あの時のわたしは、日々変わっていくあなたを見ていて、まるで名花の開花にすぐそばで立ち合っているような幸運を感じていたの、とても大きな花がゆっくりと開いていくのを間近で見ているような気分だったわ……本当の奇跡はね……あなたの今のその姿は、きっと神様からの贈り物、魂にふさわしい姿なんだと思うの……」

「わたしは……」

 村脇女史の言葉は操祈には重たく感じられてしまう。

 振り返ると、ただ失ったものを取り返そうとあがいていただけで、褒められるようなことなど何一つしていた自覚はなかったからだ。今の自分と当時の自分を較べて、いったいどれほど違いがあるかのわからない。今もあの時のように愚かで幼いままの気がする。

 違いがあるとすれば――。

 人を愛することを知ってしまったことだが、それは教師としては許されない行為であるばかりか、人の道も踏み外した後ろ暗いことだった。

「これ、生徒からあずかっていたの、お渡しするわ」

 村脇は、手にしたファイルの中から一枚のコピー用紙を抜き出すと、手書きの文面にざっと目を走らせて操祈に手渡した。

「遅刻した男子生徒の反省文のようね……」

 操祈は一瞬、ドキっとしたが、レイに限って万が一にも手抜かりなどあるはずがなく、確かめるまでもないのは村脇女史の様子からも窺えた。

 村岡はきびすを返しかけ、

「ああ、そうだった、食蜂先生にはひとつお小言があるんだったわ」

 ふりかえった村脇に操祈はまた恐懼(きょうく)する。

「食べ物の好き嫌いはもう少しナントカならない? あなたのお皿に食べ残しがあったりすると男子たちがさわぐのよ。意味はわかるわね? まだ中学生といっても中味はもう大人と変わらない。綺麗な女の先生に(よこしま)な興味、恋愛感情をもつ子だって居るの、だから注意してね」

「はい、気をつけます……」

「椎茸が苦手って、何かトラウマでもあるの? 生椎茸をグリルして粗塩をふって食べたらとても美味しいと思うんだけど……」

 

 



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プリーツスカート

         ⅩⅩⅣ

 

 

 消灯後の点呼を済ませ、部屋に戻った操祈は早めに床についた。

 いろいろなことが一度にあったせいで、心身ともに疲労感を覚えていたからだった。

 床の中で、またレイの反省文を読み返しては感心してしまう。

 まるで好きな男の子からもらったラヴレターを何度も読み返してしまう少女のようね――。

 そんなことを思って、実際、そのとおりなのかもしれない、と、操祈はひとり含み笑いになった。

 そこには彼の自由時間中の行動が記されていたのだが、もちろんホテルでのデートについてなどが記されている筈も無く、少年が散策したと()()()京都市内の様子が、日頃の勉学も怠らない優等生らしいきちんとした文字で要領よく纏められていた。

 詳しくなりすぎず、さりとて大雑把でもなく、ほどよい加減で誰が読んでもリアリティを感じさせる内容になっている。

 恐らく操祈との密会をカモフラージュするために、あらかじめ入念なアリバイを用意していたのだろう、周到な少年らしい緻密さだった。

 本当に賢い子だ――。

 それが操祈にはすこし不安に感じられるくらいに。

 教え子の十四歳の男の子にセックスの手ほどきを受ける二十二歳の女教師って、これじゃ立場が逆よね……。

 普通なら――それも許されないことには違いないが――教師の方が自分に思いを寄せてくる思春期の生徒に性の世界への案内役を果たすべきところ、それなのに……。

 少年の、性的なコミュニケーション能力の高さに、

 これまでにも、いろんな女の子とお交際(つき)あいしてきたのかな――?

 そんなことを考えてしまったこともあったが、レイはそれをはっきり否定していた。

 今の操祈は彼の言葉を寸毫も疑っては居なかった。

 むしろ自分に向けられる愛情の濃密さにたじろぎを覚えるほど、少年の強い思いを感じている。

 心でも体でも……。

 また午後のことを思い出してしまう。

 あんなにいけないことをして……。

 どうして、あんなこと……するのかな……。

 思い出すとまた体の芯が熱く潤んで、女の肉が綻んできそうになってしまうのだった。

 操祈は切ない吐息をついて、布団の中でころんと身を返すと両膝を抱えるようにして丸くなった。

 パジャマの上から両手で下腹部をおさえて目を閉じる。

 まるで乳飲み子がお乳を欲しがるように、操祈の体を一心に求めていた少年――。

 飴色のヘアの向うで、幸せそうにしているレイの顔が脳裏に甦って、操祈は、はぁーっと、すっかり熱を含んだ息を吐いた。

 伏し目がちの黒い睫が、彼女の不安な視線に気がつくとそこから顔を上げて、やわらかな表情で頬笑みかけていた。一途に澄んだ瞳の輝きで。

 愛おしげにヘアを撫でる指の動きがどこまでもやさしい。

 男と女の間で交わされる最も親密で、愛情深いいとなみ。

 心と体と魂とで為される、命の会話――。

 彼女への憧れを、レイは言葉だけでなく行為でも訴えていた。

 だから、操祈には拒めなかったのだった。たとえどんなに非道いことを求められても、少年が望むとおりに大胆に体を開いて受け容れてしまっていた。

 

 逢いたいな……彼に……。 

 

“逢ってどうするっていうの――?”

 もうひとりの自分が問いかけていた。

“あらぁ、こんどは、あなたからおねだりするつもりなのぉ――あんなことや、こんなことを――?”

 

 違うわ……。

 ただ、おなじお布団で一緒に休めたら、素敵だろうなって……。

 もっとレイくんとお話がしたいから……。

 

“本当にそれだけかしら――?”

 

 それだけよ……。

 

“嘘つきね――でも女の体は嘘をつけないものなんだゾ――”

 

 嘘なんかついていないわ……。

 

 おそるおそる肌着の中に手を忍ばせた操祈は、そこが既にすっかりしどけなくなって、肌着まで汚しているのがわかって泣きたくなった。

 なにやってるんだろう……わたし……。

 ほんの少し(なだ)めて聞き分けをよくしてもらおうと思っていただけだったのに、操祈の女性特有の器官は既に罪深い本性をあらわにしていた。

 うっかりすると寝衣どころか、シーツまで汚してしまいそうで、操祈はすぐに布団から起きると手洗い場に向かった。

 このまま悶々として夜を過ごすくらいなら、いっそ自分を慰めてしまおうかとも思ったが、やはり教師の矜持としてそれはできなかった。

 なにより、自分の体はもう自分一人のものではない、そんな思いが操祈をとどまらせたのだった。

 用を足し、一時(いっとき)の熱を追い払った後、ライナーをつけた肌着に穿きかえてから再び寝所に戻った。

 代わりに導眠剤を服用しようかと迷う。

 

 ひどいな、レイくん……。

 もう後戻り、できないじゃないのよぉ……。

 わたしをこんなにして……。

 

 心の中で恨み言をひとくさり。

 けれどもそれに応えたのは、やはりもうひとりの自分だった。

 

“ふしだらなオンナは男のコからキラわれちゃうんだゾっ――”

 

 それはイヤっ……ぜったいにイヤよ……。

 

“じゃあどうするつもり――?”

 

 どうもしないわ……どうもしない……いままでどおりに普通にしているだけよ……普通に……。

 

“どうかしらねぇ、あの子、賢いからとっくにあなたがアバズレだってことに気がついてるんじゃないのかしら? 淫らなオバサンなんて、大方すぐに用済みね――”

 

 そんなことないわ、とても心のやさしい人だから……。

 

 操祈はもう一人の自分の声を断固として追い払った。

 あの人に限って、そんなこと、あるはずがないから、と自分に何度も言い聞かせる。

 暗くなるとまたイヤな声が聞こえてきそうだったが、だからといって一晩中、灯りを点けっ放しにしておくこともできず、操祈は読書灯を消そうと枕元に手を伸ばした。

 すると、また視界に例の反省文の書かれたコピー用紙が目に入ってきたのだった。操祈は読みかえそうとしかけて、その手を止めた。

 自分のしていることが、まるで年増女の執着のように思えてしまったからだ。

 そのまま用紙を伏せる。と、紙の裏に筆算の消し忘れがあるのに気がついて、怪訝そうに形の良い眉を寄せるのだった。

 紙の隅に目立たない感じで、まるで落書きでもしていたように並んだ数字が三段、加算法になっていたのだ。

 ところが計算結果が正しくなかった。数学の教員でなくても、誰でもすぐに気がつく間違い。

 慎重な性格の少年が提出物の裏にうっかり落書きをすることも、それを消し忘れることも、そして簡単な加法の計算間違いをすることも、どれもありえないことだった。

 どうして――? と、思う。

 一段目は五つの数字が並び、二段目は十一文字、三段目も十一文字……。

 もしかして、パズル――!?

 操祈はうつ伏せになると枕の上に顎をのせ、用紙に向き合うと謎解きに挑んでみた。試しに飛ばし文字として、数字にある数のとおりに、表の反省文の文字を拾ってみることにした。

 するとほどなく、意味のある一文が浮き上がってきたのだ。

 

 あさろくじ

 ちくりんのほこらでまつ

 ぷりーつすかーとできて

 

 それは間違いなくレイからのデートの誘いなのだった。

 

 

 



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(ほこら)

 

          ⅩⅩⅤ

 

 

 朝まだき――。

 約束の時間にはまだ間があったが操祈は庭に出ていた。ノースリーブではさすがに肌寒く、シャツジャケットを羽織ってちょうどいい感じになっている。

 踏み石伝いに山の緩斜面に拡がる広い庭をひとり散策する。人の気配は無く、眠りから醒めていない下界の街も静かで、操祈に気がついた早起き鳥が高枝の巣からチュクリと啼くと羽音を立てた。

 紅葉はまだ先で樹々の葉は(あお)い。透明な空気が作り出す香りはどこか厳かで、そこに立っているだけで背筋がシャンと伸びるような気がしてくるのだった。

 宿が作製していた簡易マップには、竹林は庭の周回ルートを離れた脇道の奥にあることになっていたが、(ほこら)の記載はなくて実際には行ってみないことにはわからなかった。スマートフォンで調べても何も出てこなかったため、もしかすると少年は、また謎かけか何かで別の意味を含ませているのかもしれないと思い、早めに向かうことにしたのだった。

 脇道への分岐はほどなく見つかった。ここから先は遊歩道というよりも山道に近いような小途になっていて、宿のサンダル履きだと歩きにくかったところだが、幸い、持参していたスニーカーに履き替えてきていたのでたじろがずに済んだ。

 さわさわという葉の擦れ合う音に惹かれて進むと、杜を抜け少し開けたところに出た。

 そこから先が竹林ということらしいが、あまり人の手が入っていないらしく竹やぶに近い状態になっていて、薄暗くてちょっと立ち入るには勇気が要るのだった。

 どうしようかと迷っていたところ、近くで鳥の鳴き声がして音のする方を探すと、杉の木陰からレイが現れてこちらに手を振っていた。唇に人指し指をあてて声を出さないようにと注意を促していて、操祈は何も言わずに少年の元へと小走りになった。

「ずいぶん早かったんですね」と少年は笑顔で囁く。

「あなたこそ」

 時刻はようやく五時半を廻ったところだった。

 空気の冷えた朝は意外に遠くまで声が通るものだから、と少年は声を忍ばせているわけを説明した。

「万が一、先生が先にきてしまって薮で迷子になったりしたら大変だから、ここで見張っていたんです」

「いつから来てたの?」

「ほんの少し前ですよ」

「本当? まさかここで一晩中すごしていた、なんてことはないでしょうね?」

 いざとなったらやりかねなかったのだ。

 少年は忠誠心を発揮できる機会があれば、けして逃さない――。

 操祈にはそんな確信めいたものがあった。

 もちろん自分もそうなのだった。もし立場が逆なら同じことをするに違いなかった。

「だって夜間外出禁止ですから無理ですよ、海藤先生の目も光ってるし」

 少年は、空が白んできて目が覚めたのでそのまま起きてしまったという。同部屋の仲間を散歩に誘ったが、誰ものってこなかったので独りで外に出てきたのだと言うが、そもそも、そんな朝早くから散歩に付き合うものなど居る筈がないのは操祈にも容易に想像がついた。 

 もしも操祈がメッセージに気がつかなかったら、それならそれで、七時までここに居て現れなかったらフラれちゃったと諦めるつもりだったと、屈託なく笑う。

「でも操祈先生ならぜったい、気がついてくれると思っていましたけれど」

「あぶなかったわ、危うくスルーしちゃうところだった」

 互いに笑顔になって見つめ合い、不意に真顔になると、どちらともなく顔を寄せて口づけを交わした。時間をかけた長いキスになったが情欲をかきたてるようなものではなく、親愛を伝え合うときのものなのだった。

 相手の背に腕をまわして身を寄せ合う。体と体を接して思いを確かめ合った。

「会いたかったわ……」

「今朝の先生は、またいちだんと可愛いなぁ……」

「プリーツスカートを持ってきていなかったから……ゴメン」

「そんなことないです、すごく良く似合ってますよ」

 操祈は白ニットのノースリーブタートルネックにチェック柄の膝丈のフレアースカートを合わせていて、少女の愛らしさと大人の女の(いろ)を品よくブレンドさせていた。ただそれだけだと体のラインが強調されてしまうので、敢えて男っぽい灰緑色のシャツジャケットを羽織ることで、日常、を演出していた。

 髪も活動的なポニーテールにしていて、実際、女子高生と言ってもおかしくないくらい初々しくて愛らしい。 

「ちゃんと良く寝てるの?」

「はい、大丈夫です……先生は? よくお休みですか? ボクが早起きさせちゃったみたいで……」

「わたしは平気よ、眠たくなったらバスの中で寝るから」

「わー寝顔、見たいな……可愛いだろうなぁ……まだ一度も見たことないから……」

「バカ言ってるんじゃないわよ、先生をからかって」

「先生だけど……でもボクのいちばん大切な人でもあるから……」

 少年は真顔になると、

「昨日はごめんなさい……」

 そう言って(うやうや)しく頭を下げた。

「ボク、先生にそれを言いたくて……」

「……?……」

 たしかに非道いことをたくさんされたとは思うが、それはお互い納得づくのことだと思う。

「バスの中で、ひどいこと言ってしまったから……ボクの不注意で……」

 少年が何を気にしていたかわかって操祈は顔を赤らめた。

「前髪に先生のにおいがついていたことに気がつかなくて……他の奴らに先生のにおいを知られたくなかったから……」

「いわないで……そのことはもういいの……それに、よく聞こえなかったし……」

「ごめんなさい……先生……」

 少年は操祈の襟足や胸許に顔を寄せると、しくしくにおいを嗅ぎまわり始めた。

「ちょっとなぁに、変なことしないで……」

「すごくいいにおい……先生の体のにおい、ボク大好き……」

 飾らない言葉で操祈への思いをのせてくる。

 体臭は生理的にその人への好悪の感情をもっとも強く生じさせるものだ。体の匂いが好き、といわれるのは好意や愛着を示されているのと同じことだった。

 操祈はまだボディコロンを使う前で起き抜けの匂いを纏っていたが、少年はむしろその方を好むことを知っていたのでそうしていたのだった。

「わたしもあなたのにおい、好きよ……男の子のにおいがする……」

「え、臭いですか? ボク」

「ちがうわ……あなたの命のにおいよ……」

 操祈はふと、ドリーのことを思い出していた。

 操祈が感じているような幸せを知ることもなく、ほんのささやかなことを人生の歓びとしていた可哀想な少女のことを。

 そのことを思うと胸が痛んだ。同時に怒りの感情もこみあげてくる。

 人間性を否定して破壊することを躊躇わなかった、人でなしたち――。

 そして操祈は、そちら側――に居たのだ。

 どんなに悔いても、取り返しがつかない、愚行。

 ドリーは、たとえ操祈が直接、少女の生死に関わっていたわけではなかったとしても、操祈にとって自身の犯した罪の象徴といえる存在なのだった。

 敏感な少年は、すぐに操祈の心の揺れに気づいて、怪訝そうな顔をして彼女を見ていた。

「どうかされたんですか?」

「え、ちょっと昔のことを思い出していただけよ」

「ボーイフレンドのこととか?」

「ちがうわよっ……わかってるくせに……」

「先生がヴァージンなのは良く知ってますけど、初恋がボクってのは、さすがに高望みし過ぎかなって」

 少年はおどけた口調できわどいことを言い、操祈はため息をつく。

「ちょっとお友達のことを思い出していたの……亡くなった女の子のことを……」

「そうですか……あのころは色々なことがありましたからね……」

 呟いた少年が、懐かしむような顔をしていて操祈は、はっと胸を衝かれた。

 腕の中の男の子が、ひどく大人びて見えたからだった。いろいろな過去を積み重ねた男の顔をしているように思えたのだった。

 唐突に、紅音から見せられた古い画像のことを思い出した。そのことを訊こうと思って、機会が無くそのままになっていたことを。

 いい折だと尋ねようとしかけた操祈だったが、なぜか躊躇われて、口から紡ぎだされたのはまったく別の言葉だった。

「ところで(ほこら)って、どこにあるの? 地図にも無くて見つけられなかったの」

 

 

 



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朽ちた巨木の傍らにて

 

          ⅩⅩⅥ

 

 

 少年はまたあやしい笑顔になって言った。

「昨夜先生に送ったメッセージ、最初は“竹林で(ほこら)を待つ”って書くつもりだったんだけど、それだときっと意味が伝わらないから”竹林の祠で”って書き換えたんです」

「……?……」

「ね、わからなくなっちゃうでしょ? だから……」

「どういうこと……?……祠を待つって、これから何かここに来るの?」

 少年はまた大人びた笑顔を向けると、操祈の手をとって竹林の中へと入っていく。

「どこへ行くの――?」

「すぐそこですから……」

 少年に連れて来られたのは竹林の中にある巨樹の朽ち木跡だった。

 少なくとも樹齢数百年は経ていたものか、往時は幹周りが十メートルはあったであろう大木が、だいぶ以前に何らかの理由で枯死したのだろう、今は高さ数メートルほど岩のかたまりのようになって取り残されていた。

 旺盛な繁殖力をみせる孟宗竹も遠慮するかのように巨木跡のまわりだけは空間ができていて、足下には雑草の類いも寄り付かない。

 どことなく神聖な雰囲気のある場所だった。

 祠、のイメージとは少し違うが、(いにしえ)の信仰の対象だった、と言われれば頷ける。

「ここがそうなの……?」

「先生はここに立って……」

 少年は操祈を朽ち木の壁の前に立たせた。

「ここまで来れば大丈夫かな……?」

 少年は周りを見回してあたりの様子を窺っている。

「でもやっぱり声は立てない方がいいか……」

 言いながら、いきなり操祈のニットシャツの裾をつかむとスカートの中から引っぱりだそうとする。驚いた操祈が声を出そうとして、少年からはしーっと、(いさ)められてしまった。少年は当然のことのようにシャツの中に手を忍ばせてくると、操祈の片方の胸をやんわり包んだ。

 突然のことにどうしていいか判らずに、操祈は悩ましげに長い睫をぱちくりさせて、されるままになっていた。

 やさしい目をして自分を見つめる少年と視線が重なると大きな瞳を泳がせてしまう。

 そうしている間にも少年の手はブラのホックを外してしまい、解き放たれた乳房にじかに触れてきたのだ。

「イヤならイヤだって言ってくださいね」

 乾いた掌が操祈の乳房のひとつを下から上へ、外側から内側へとやさしく撫でていて、くすぐったくも甘い刺戟に操祈は息を乱しながらうったえた。

「……ずるいわ……そういうのって……」

 大好きな人から可愛がられて、イヤって言えるはずが無いのをわかっていながら、こういう時ばかり女に選ばせようとする。

 巧みな指に乳先をなぞられて、一瞬で全身の肌が粟立ってくるのがわかるのだ。

 操祈は目を閉じて心地よい感覚に堪えた。

 その耳許で少年はささやく。

「ボクの言った祠っていうのは先生のことだったんですよ……正確に言えば、先生のだいじなところ、ボクにとってもとても大切なところのこと……」

「――?――」

「とても美しい女性の性器を、神聖なものとして祠に喩えることもあるそうなので……」

 操祈の戸惑いをよそに、背後にまわりこんだ少年は両手をシャツの中に入れてきて、彼らしいやり方で乳房を丹念に愛しはじめた。

 操祈の体に官能の火をつけるときの本気のタッチになっている。次にどのようなことをされるか知っている体が色めき立って今にも奔り出そうとしていた。

「昨日の続きをしますか――?」

 そんな中で少年は誘惑してくるのだ。

 もしも拒まなければ操祈はこのまま丸裸にされて、また恥ずかしい愛撫に我を忘れて乱れてしまうことなるにちがいない。

 いつ、誰かに目撃されてしまうかもわからない野外で――。

 そんなことができるはずもなかった。

 けれども――。

 でも誰にも見つからないかもしれない……こんなところまで人が来るはずが無い……。

 そんなふうに考えてしまう自分が居るのだった。

 この上なく甘美な果実の味を知ってしまった今、それを知る以前の自分には戻れないことを操祈はあらためて思い知らされていた。

 教師としての義務感も、女の虚飾もなにもかもかなぐり捨てて、のめり込みたい、官能の淵をどこまでも深く沈んでしまいたい、そのためなら何を失ってしまってもかまわない。

 操祈の一部は、確かにそれを望んでいるのだった。それが判って彼女は恐ろしくなった。

 少年の手がスカートの中にまで忍び入ってきて、内腿をじっくり撫でながらさらに奥へと進んでいる。

 女の欲望の源を目指していた指が、ついに肌着の中にまで分け入ろうとした時、操祈は自身の中にある勇気をかき集めて拒んだ。

「だめっ……あんなこと、ここでなんて……」

 スカートの上から少年の手を抑えて、すっかり朱らめた顔で乱れた息づかいになって必死にうったえる。

 両脚の間をかたく閉ざして。

 すると少年は意外にも操祈の願いを聞き届け、あっさりと退散してくれたのだ。

 少年にしてみれば、美しい年上の女性の葛藤をしっかりと見届けられただけで、自分の力を確認することができて満足だったのだが、そんな事情を知る由もない操祈は自分の思いが通じたことに安堵していた。

 さもなければ自分が本当にどうにかなってしまいそうなくらい、追いつめられた気持ちで居たのだ。

 体が心のコントロールを振り切ろうとしていて、心が体に引き摺られてしまいそうになる。

 今の操祈は、そんなアンバランスな状態に簡単に陥ってしまうのだった。

「じゃあ、においを分けてくれませんか……?」

 少年はやや掠れた声になって、また別の提案をしてきた。

「……?……」

「先生のこんなに可愛い顔をみせつけられちゃったら、どうしてもにおいが恋しくてたまらなくなっちゃった。それだけならいいでしょ?」

 何を求められているかはすぐに分った。少年の好色な性向を体験を通してもうよく知っているからだ。

 ちっちゃい悪魔、女の天敵、そんな少年を操祈は誰よりも愛してしまっている。

「ボクが先生のにおいが大好きだってこと、いやなニオイがするなんてこれっぽちも思っていないってことを信じて欲しくて」

 応える代わりに操祈は長い睫に女の哀しみを宿して、愁いに翳る瞳を伏せた。

「それ以上のことはしないって約束しますから……」

 言い残すと少年は、操祈のふんわりとしたフレアースカートの中に潜り込んでくるのだった。

 

 

 



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椿事

          ⅩⅩⅦ

 

 

「なんかさー、俺たちにおにぎり二個って少なくね?」

「とりあえずおかずに鳥カラいれときゃいいってのも安易すぎだよな」

「あんだけ歴史ある旅館なんだからさ、弁当、もちっと期待してたんだけどなあ」

 池の見える木陰で支給された弁当を囲んで、あぶれた男子六名が車座になっていた。

「まー予算の都合ということで、昨夜の飯は良かったから許してやるけど」

 彼らはめいめいが手にしたおにぎりをひと齧りして、一人を除くと、コイツも悪くないか、という表情に変わった。

「俺の梅干しだぜ、ちっくしょーハズレかよぉ」

「俺は鮭と鱈子だからあたり?」

「二個目は辛し明太子、俺の勝ちっ!」

「うーん、俺のもう一個は昆布か……まぁいいか……」

 男子中学生たちは健啖ぶりを発揮して、またたく間に昼食の弁当を平らげ、それぞれが持参の水筒の茶を飲み始めた。

「なんかなー、京都も奈良もいたるところ観光客ばっかしで飽きてきたな、チーバーにフラポでコーラにネトゲって生活が恋しいわ」

「俺ももう帰りてぇよ……毎日毎日、仏さまばっかり拝んでって、俺、クリスチャンなんだぜ」

「嘘をつくな嘘をっ、マコトんちは代々、日蓮宗だろっ」

「だってさー操祈ちゃんにもあんまりカラメなかったし、こう期待外れが続くと戦意喪失っていうかさ」

「はっきり言って女どもの取巻きがじゃまだよな、特に篠原とか田野倉とかチョーうぜー」

「今夜はまたシティホテルだからなあ……露天風呂なんてねぇし……聞いた? 一組の特攻隊全滅ってハナシ」

「あー、昨夜なんかあったらしいな、勝俣だっけ? レベル1の」

「飛ばした四機の小型カメラ、ぜーんぶ途中で撃墜されたってよ。女湯に行くどころか飛ばした途端に叩き落されたって、被害額が1万越えたって、あいつら今朝会ったら、泣いてたぜ」

「念動力者なら女子にも居るからな……それも二人も……そっか、やっぱしダメだったか……」

「そーうまくいくとは思っちゃ居なかったけど、やっぱ露天風呂ってのはガード固ぇなぁ……」

「あーあ、人生ままならねぇことばっかだ……」

「ヤっさん、それが人生っつうもんでしょ」

 一人が隣にいた男子の肩をポンポンと軽く叩きながら慰めた。

「これで今夜のメインがコロッケとアジフライだったら俺は怒るぜ、舐めんじゃねぇってな……おいっ! あっち行けよっ、おめぇらにくれてやるセンベイなんてねぇってばっ」

 仲間からヤっさんと呼ばれていた少年は、近寄ってきた牝ジカに気がつくと手もとにあった小さな木切れを掴んで投げつけて追い払った。

「カワイソウだろ、あれはおまえに求愛してたんだぞ、ようやくおまえにもガールフレンドができるとこだったのに惜しいことをしたなぁ」

「うるせえよ、純平っ、オメーだって年齢イコール女日照りって意味じゃオレと同じだろうが」

「にしても、なんか始めはもの珍しかったけど、シカってウゼーよな、間近にするとぜんぜんかわいくねぇし、クセェし」

「でもシカの肉ってすごく美味しいらしいよ、ステーキにすると格別だって」

「お、さすが密森センセ、博識でいらっしゃる」

「いや、そんなんじゃないけど、アメリカに居る従弟がそんなこと言ってたのを思い出したから」

 料理にまつわる雑談になって、自炊のできるレイがレンチンだけでできる簡単レシピを幾つか紹介して、

「コースケくん、料理男子は女のコにモテるんだぜ――」と、誰かの声真似をしてから

「根も葉もない都市伝説だけど」とつけ加えて、一同の賛意を得た。

「なー、ミツってさ、俺らとつるんでていいのか? おまえ、あんがい女子ウケいーじゃん、市ノ関とか杉浦とかと居たほうが美味しい思いできんじゃねぇかと思ってサ?」

「そうかな、ボクはコースケくんたちと居る方が楽しいけどな」

「そーか、そうだよなぁ、やっぱおまえイイ奴だよな、あいつらなんかと違って優等生なのにオレらを見下したりしネェし、付き合いだっていいし」

 友人の夏上康祐に肩を組まれたレイは、刹那ちょっと複雑な顔をしていたのだったが、そのことに気がつく者は誰も居なかった。

 というのも「おい、こっちに誰か来るぜ」という声に全員が促された方に視線を送ったからだった。

 彼らの視界にあったのは、薄茶のニットベストにフレアースカート、ルーズソックスという特徴的な制服を身に着けた長い髪の少女の姿だった。

 ミニスカートの健康的な脚が伸びやかに歩を運んでいる。

「あれ、誰?」

舘野(たての)じゃね」

「なんだろ、俺らに用かな?」

「オイ、なんかやらかしたヤツいんのか?」

 あぶれもんの(ひがみ)から、みな物事を常にネガティブに考える傾向があった。ただ思い当たる節が無く、首を傾げるばかりなのだった。

 少女は男子グループのところまでやってくると、敗残兵のように疲れた顔ぶれを見回してレイの顔を見つけるや、

「密森くんにちょっとお話があるんだけど」

 と声をかけてくる。

 すると、とたんに残りの五人からレイに向けて、ヒューヒューという盛大に冷やかしの声があがるのだった。

「こんな状況で女の子が告白に来ると思ってる時点で、あなたたちの恋愛偏差値って低くすぎて殆ど障害者レベルね」

 美少女からバッサリ斬り捨てられて二の句が継げず、残り一同、呆然とするばかりになる。

「ちょっと来てくれない?」

「舘野さん、ボクに何がご用ですか?」

 用件を聞こうか――とワザと低い声を出しての(あい)()が入り、美少女はその声の主に冷たい視線を放って再び黙らせる。

「聞きたいことがあるの」

「いいですよ」

「折り入って……」

「ここじゃダメなんですか?」

「今ので分ったでしょ、この人たちの前じゃまともなお話なんてできっこないってことが」

「なぁ、俺らってそんなにバカ?」

 問われた美少女は大きな瞳をぐるっとさせて天を仰いだ。

「そんなに、バカじゃないわ」

 そんなに――を、キツメに言って、語感としては“極めつけのバカね”と、言っているようにしか聞こえなかったが、男子生徒たちは美少女からの中途半端な返答を受けて、なんと反応するべきか分らず互いに顔を見合わせている。

密森(みつのもり)くん、バカってウイルスはとても感染力が強いのよ、よほど免疫が強く無いとあなたでも発症するわよ」

「それならボクも既に自覚症状があるから、舘野さんも気をつけないといけないんじゃないですか? 適度な距離をとらないと感染っちゃうかもしれませんから」

 レイが顔を貸すつもりがないと踏んだ少女は

「操祈先生のことなんだけど」

 と、カードを切った。

「先生がどうかされたんですか?」

「今朝、先生と会ってたでしょ?」

「うん、会いましたよ」

 レイは澱みなく反応していた。

 聞きつけた他の男子が、驚いた様子で身を乗り出してくる。

「え、そうなのかっ!?」

「あれ、ボク言わなかったっけ? 今朝、散歩行こうって声かけたけど、みんなのってこなかったじゃない?」

「えーっ、操祈先生が居るってわかってりゃ、そりゃ俺らだって行くっていうに決まってんだろっ」

「そんなのボクも知らないよ、ただ庭を散歩してたら先生が居て、ちょっとすれ違っただけだよ。でも私服の先生、綺麗だったし、ポニテってのも初めて見たかも」

「なんだよーそれー、俺も行きゃよかったよぉ、おいミツ、なんでいっつもおまえだけなんだろうな、一人だけ羨ましー思いしやがってぇ」

 残りの男子が大げさに地面を転げ回った。

「早起きは三文の得ってヤツかと」

 レイは得意げに顎の先を持ち上げた。

「私も先生にお会いしたわ、運動部ってみんな朝が早いのに馴れてるから、あの時間に庭を散歩してた人って私の他にも何人か居たと思うけど」

「そうだったんですか、ボクは他に誰にも会わなかったな……」

「男子で外にいたのが密森くんだけだって分って、それで確かめたいことがあって来たの」

「うん、なんですか?」

「先生とはどのくらい一緒だったの?」

「さあ、せいぜい十分とか十五分かそこらじゃなかったかな……」

「ずいぶん長くお話してたみたいだったけど……少なくとも三十分以上……」

「うーん……このあいだの中間テストの三角方程式の問題でよく分らないところがあったので訊いたら、地面に図を書いて丁寧に教えてもらったりしてたから……でもそんなに長かったかなぁ……ボクは本館の方に向かっていたし、先生は新館の方に行かれるみたいだったから……」

「私も今朝は早く目が覚めて、それで外を見たらもうお庭を歩いている先生をお見かけしたの。随分早かったから、こんな時間に? って思って、それで、そのあと少ししてから私もトレーニングを兼ねて先生の後を追っかけてみたんだけど、結局、追いつかなかったの。ところが宿に戻ってもおられなくて、それで、おかしいなって、だって変でしょ? 一キロほどの周回コースよ、先生はいったいどこに消えちゃったの?」

「消えちゃったって大げさだよ、先生はただ脇道に入ってきちゃっただけだよ。桔梗を探して宿の人に言われたとおりに道なりに歩いてきたら、迷ちゃったわって言われてたから」

「うんわかってる。わたし、コースを逆回りもしてみたの、そうしたら脇道から出てくる先生とウチの男子生徒の姿が見えたから。遠かったからその時は密森くんとは分らなかったんだけど」

「それがどうかしたの?」

「ねぇ、密森くんはどうしてあんなところに居たの?」

「あんなところって言われても、うーん、どうしようかな……」

「なんだよ、ミツっち、おまえ、またナニか隠してんのか?」

「隠すほどじゃないんだけど……ただオカルト趣味かよってバカにされそうで……」

 渋りながらもレイはスマホを取り出すと、パワースポットガイドなるサイトを開いてみせた。

「ボクのお目当てはコレ……」

 画面には件の朽ち木の巨木の画像が映し出されていた。

「なにコレ?!」

 舘野唯香(たてのゆいか)は当惑げに眉をひそめて画像を見つめている。

「パワスポです。ここで日の出の時に願掛けすると叶うって言われてる、知る人ぞ知るマイナーパワースポット」

「パワースポット!?」

「そんな顔されるから言いたくなかったのに……操祈先生にも仕方なく話したら、やっぱり軽く笑われちゃった。みんなひどいですよね、問いつめた後は嗤うって」

「べつに私は嗤ってなんかいないけど……」

「訊きたかったことってそれだけですか?」

「………」

「何かあったんですか?」

「いえ……ねえ密森くん、何か先生の様子で変わったところ、なかった?」

「変わったところって言われても……服装とかは普段着だったから、そりゃいつもの先生とは違って見えましたけど……なんか先生っていうよりJKとかJDっぽいっていうか、親しみやすい感じに……舘野さんは何か気になることでもあるんですか?」

「いいえ、なんでもないわ、きっとただの思い過ごしね……」

 少女が立ち去った後、少年は仲間の五人から質問攻めにあっていた。

 一方、少女はひとり釈然としない面持ちできた道を引き返していた。

“見込み違い?……そもそもそんなことって、ありえない話よね……でも……やっぱり変だ……だってあの時……”

 少女はジョギングの最中、操祈とすれ違った際のことを思い出していた。

 自分がどうして担任であるはずの操祈をひと目見て、声を掛けづらいと感じたのか? 事実、少女は操祈に軽く会釈をしただけで通り過ぎてしまっていた。

 着ているものが違うからそう見えただけなのか――?

 少女は自らに問いかけ、首をふった。

 ちがう――。

 あの時の食蜂操祈は、あきらかにいつもと様子が違っていた。

 そして、密森黎太郎の話から感じた違和感……。

 もっともらしく筋が通っていながら、終始、しっくりこないと感じていた理由。

 それは――。

“あの時、操祈先生は密森くんが言うような数学教師の顔なんかしてなかった……あれは……女の顔……”

 少女自身が男を知っているからわかる、操祈から感じる濃厚な女の匂い、直後の雰囲気だった。

 しかし、そこから先、思考停止してしまう。

 まるで異なるパズルのピースが混ざっているように、いかに組み合わせても全体像を結ばないのだ。

 少女は振り返り、子犬のように愚かに揉みあっている六人を見遣った。一人の手足に残りの五人がじゃれついてそれぞれプロレスの技をかけていた。「ギブ、ギブっ!」の悲鳴とも笑いともつかない声は無視され、次々と別の技が掛けられているようだった。

「密森くん、死なないでね……でももしも死んじゃったら、お花ぐらいは供えてあげるわ」

 

 




 誤植の訂正をしました。
 申し訳ありませんでした。


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シングルライフアズゴッデス(最終回)

 

         ⅩⅩⅧ

 

 

 昨日に続き県内の史跡巡りをし、時間の都合で食事はバス内でホテル側が提供したランチのサンドイッチを摂り、京都に着いたのは二時過ぎ。

 新超超高速鉄道(しんちょうちょうこうそくてつどう)中央リニアの発車までの一時間足らずの間に、駅の土産物店で同僚や友人への買い物などをして慌ただしく列車に乗り込んだ。

 万事遺漏無し、予定どおり――。

 帰京の途についた操祈は、座席のリクライニングを倒してしばし寛いでいた。なじみのスタンドカフェチェーンで買った冷えたカフェオレがいつになく美味しく感じられる。

 前日にも増しての強行軍だったが、幸いにして今日はバス酔いする生徒も無く、また元気旺盛な生徒たちも五泊六日の長旅にはさすがに疲れたのか終始おとなし目で、操祈の指示にすなおに従ってくれたので大声をあげる必要もなく、粛々と最終日のスケジュールをこなしていた。

 長かった――。

 そして公私ともにいろいろなことが一度に起きたように感じる一週間だった。

「あの、食蜂先生」

 操祈が閉じていた瞼を開くと、一組の女子生徒の一人が(かしこ)まった様子で自分を見ていた。

「お休みのところ、起こしてしまったでしょうか?」

「いいえ、いいのよ、ちょっと目を閉じていただけだから、なぁに東風(こち)さん」

「これ、村脇先生から食蜂先生にって」

 少女は手にしたオレンジをふたつ操祈に示した。

「それと先生から伝言です、おつかれさまでした、あともう少しですから頑張りましょうって」

「ありがとう、でも困ったわね、お返しするものが無くて……村脇先生こそいちばんお疲れのはずなのに……あの、先生にはありがたくちょうだい致しましたと御礼をお伝えして、それから足をひっぱってばかりで申し訳ありませんでしたと」

「はい、わかりました……あの、それと……」

 少女は言いにくそうにもじもじしていたが、何を言いたいのか察して

「追試のことなら大丈夫よ、来週の土曜日の放課後に行う予定だけど、中間テストでやった問題をしっかり復習しておけば、満点は取れなくても八割以上は纏まるはず、だから心配しないで。わからないことがあったらいつでも聞きにきてちょうだい」

「ありがとうございます、先生」

 学園生活というのはなにかと行事が多い。時にその合間を縫って授業をしているように感じることがあるほど。

 とりわけ秋は大きなイベントが幾つも控えている。

 以前は合同で行っていたものが、また各校独自に行うようになった体育祭、その後は文化祭、そうこうしているうちに十二月になって、クリスマスや年越し行事などが重なって生徒たちが浮き足立ってくるなか、期末試験をこなさなければならない。

 単位を落としそうな子のフォローアップもしなければならないし、個人面談やレポートの評価もある。

 また自身の教務実績に関する年度ごとの報告書も仕上げなければならなかったし、学校内外の教員間での勉強会やら親睦会、父兄会、自治体である学園都市や業者との折衝など、教師というものはさながら前線の下士官のように忙しいのだ。

 ちょっと油断すると仕事が滞留して、たちまち雪だるま式に増えてしまう。自身が生徒だった頃には窺い知ることのなかった教師生活のバックヤードだった。

 幸いなことに多くの折衝案件はリモートで処理できるようになって、対人ストレスは軽減されているものの、やっと修学旅行の引率が終わったと思ったら週明けからはまたいつもの学校生活がはじまる、それを想うと、休みが一日だけって、少なすぎるぅ、と悲鳴を上げたくなった。

 たぶん操祈のデスクのパソコンには未読書類がうんざりするほど溜まっているはずなのだ。

 三時五十一分、品川到着、所要時間四十八分。

 最高速度時速六百十キロの旅は快適だが、あまりにも短かった。

 その後、学園都市までのリムジンバスに乗車して一時間余り、常盤台に戻ってきた時には五時を廻っていた。

 トラブルなく、ほぼスケジュールどおりに全うできた一大イベント。

 生徒たちは校庭で解散となり、各自、宿舎に戻って行ったが、引率の教員たちにはまだ事務処理が残っていて、教員室に戻ると操祈は自身のパソコンを立ち上げた。到着メールを告げるメッセージは見なかったことにする。

“一週間、開けてないんだから、もう二、三日、見なくたって問題ないのっ”

 バタバタバタ、とA4で十ページほどの質問票にコメントを打ち込んで、経理報告書の確認をするなど、全ての後処理を終えた操祈が自室に帰ってきた頃には夜の八時を廻っていた。

 シャワーを浴びて汗を流し、自分の匂いのする部屋着に着替え、髪はまだ十分に乾ききっていなかったが、かまわずベッドに突っ伏した。

 きもちいいっ――。

 そうしてしばらく枕に顔を埋めていてから寝返りを打って仰向けになる。見なれた天井が目に入って、やっぱり自室はいいな、と独りほくそ笑むのだった。

「おなか空いたなぁ……」

 夜十時近くにもなってからでは調理をする気にもならず、重い食事を摂るのも気が引ける。

 果物でもないかと冷蔵庫を開いたが中は殆ど空っぽだった。

 仕方なくミルクにチョコレートパウダーを加えたものを温めて飲むことにする。

「あ、そうだ……村脇先生からオレンジを戴いていたっけ……」

 まだ荷解きをしていないキャリーケースをそーっと開けて、中にあったオレンジだけを取り出して、すぐにぴしゃりと閉じた。閉じるのがダイジ、と自分に言い聞かせる。

“パンドラの匣を開けると不幸になるの、だからあたしはいま必要な幸せだけを取り出したのよ、やっぱり操祈ちゃんかしこーい!”

 十分ほどの後、カウチの前のローテーブルの上には、カットしたオレンジと、飲みかけのホットチョコレートに数枚のクッキー、それに琥珀色の液体をブランデーグラスに三分の一ぐらいまで注いだものが置かれていた。

 

“あら、なぁに、それが食事のつもり――?”

 もう一人の自分が絡んできた。

 

 いいでしょ、だって冷蔵庫になんにもなかったんだもん……。

 

 カウチの上で体育座りをして、にょっきり白い素足を並べたお行儀の悪い格好のまま、大儀そうにクッキーとオレンジに手を伸ばし、コニャックで流しこんでいく。

 濃いアルコールが喉を通り過ぎるときの焼けつく感じが久しぶりで、ちょっとした快感になっていた。

 

“こんな姿をあの子が見たら、きっとガッカリするわよねぇ……一気に恋が醒めてふられちゃうんだゾ、干物女なんか願い下げだって――”

 

 そんなことないもん……レイくん、だいじにしてくれるんだもん……そう言ってくれたんだもん……。

 

 操祈は、心の奥底から湧き出てくる煽り言葉を無視して、さらにグラスを傾け続けた。

 二杯目……そして三杯目……。

 こんな風にして、いつかあの子と一緒にお酒、呑むことができるのかな……?

「五年後か……」

 ひとりごちる。

 ずいぶん先のことで、それを想うとまた心がもやもやしてきて落ちつかなくなりそうだったので、深く考えるのは止めることにした。

 レイくんが二十歳(はたち)で、わたしが二十七、八……まだまだイケるわよね……。

 大丈夫――!

 慢性的な睡眠不足に長旅の疲労、それにアルコールも手伝ってしだいに意識が朦朧としてくる。そのままカウチで沈没していた。

 ハッと気がついた時には午前二時を廻っていた。

 頭が重く、生あくびをして伸びをすると、操祈はトボトボとベッドへと向かうのだった。部屋着のままバタッと倒れこみ、布団にくるまって丸くなる。

 

“あらぁ歯も磨かずに寝るのぉ!? いったいどこの未開の種族かしらぁ――?”

 

 そんな声を無視して、操祈は深い眠りに落ちて行った。

 




 約一ヶ月もの間、おつきあい有難うございました。読み手があることで励まされて書き続けることができました。18禁シーンを書き加えたR18ver.はR18の方で公開するつもりでおりますが、時期は未定です。次回からは『ボーイ8メンタルアウトアウト~学園都市編~』を連載する予定です。
 よろしければまたお付き合い下さい。






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