フリーダムウィッチーズ-あなたがいたからできたこと- (鞍月しめじ)
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クライムウィッチーズ-罪人と異世界人-
第一話『騒がしい日』


 かつて、英雄となりかけた部隊があった。

 幾度も人類の敵、『ネウロイ』の侵入を阻み、そして打ち砕いた空の魔女の飛行隊。

『統合戦闘飛行隊』と違い、堅苦しい部隊番号と名前しか無かった小さな部隊。

 ブリタニアから世界へ羽ばたき戦い続けた少女たちは、だが、ある日を境に壊れた。

 

 かつて、英雄となりかけた部隊があった。その部隊長が、味方であるブリタニア人に射殺されるまでは確かに英雄だった。

 その少女は今、銃殺刑をただ待つために営倉に入れられている。

 いつ実行されるのか。戦果を上げていたウィッチである彼女を処刑するのは惜しい、せめて懲罰部隊行きへ、と反対や死刑回避の声も挙がっていた。だがどれだけ戦果を上げたところで、上官を射殺して許されてはいけない。命令不服従など些事に思える、遥かに超越した所業だ。

 しかし、そうであるならばなぜ少女はその場にいた他の隊員から攻撃を受けなかったのか。即刻銃殺刑執行とならなかったのか。

 それを調べる人間は、恐らくもう居ないだろう。もはや彼女は犯罪者でしかない。

 

 □

 

「今日は騒がしい」

 

 モンキーハウス、と大国は言う。見世物小屋のような格子の箱の中で、ブロンドヘアの少女は呟いた。

 少女の名はイヴリン。イヴリン・カルヴァート。特別な力を持った、ウィッチと呼ばれる人間……つまりは魔女であり、本来はネウロイという災いを退けるため前線に出なければならない人間。

 ブリタニア空軍所属、もはや存在しない飛行隊のしがない元副隊長。頭に元がつくが、階級は少尉。

 それでも、銃殺刑を先延ばしにされるくらいの戦果は上げていた。囚われる前には取材も幾つかあった。それくらいのウィッチではあった。

 

 並べられた格子の牢。ちょうどイヴリンのいる牢左手側は無人だった。

 右手側の人間とは会話もしない。隊長を撃ち殺した狂気の魔女と話すことなどない、と彼女が入ってすぐに釘を刺された。

 それから彼女はずっと独りで牢に背中を預けていたが、今日は騒がしい。

 

「離して! 話を聞いてくださいよ!」

「黙れっ! 今すぐ射殺してもいいんだぞ、スパイめが!」

「だから、知らないって!」

 

 男の兵士に引き摺られる少女。営倉の中から、イヴリンもその姿を見ていた。

 少女は左手側、無人の営倉に放り入れられるとすぐに閉じ込められる。

 

「何をしたんだ、君は」

 

 イヴリンには手慣れたものだ。軍の問題児たちに軽く語りかけるのも、それを諭すのも。

 叫ぶ少女へ、彼女は語りかける。柵を揺らして外へ出せと必死に叫ぶ少女へと。

 少女はイヴリンへ向き直ると、必死に手を伸ばした。

 

「あのっ! 貴方も軍人さんなんじゃないですか!? 出してくれるように説得してくれませんか?」

「そりゃ無理だよ。君はなにか犯罪を犯してここに来たんだろ。何処の部隊だ?」

「知りませんよ!」

 

 はて? イヴリンが首をかしげる。

 自分の部隊を知らないと返してきた者は流石に初めてだった。そんな筈あるものか。先ほどは軍人たちにスパイと罵られていたし、脱走兵かもしれない。

 

「わかった。じゃあ質問を変えよう」

 

 もしかすると、部隊の名誉を守るために語らないのかもしれない。ならば、一番身近なものから訊ねていこう。

 

「君、名前と階級は?」

「階級!? なんですかそれ!」

 

 困った。イヴリンの眉間にしわが寄る。自分で自覚できる程度に、だ。

 頭を抱えつつ、錯乱しているのかも知れない少女へなおも問う。

 

「じゃあ名前、名前だ。名前は?」

「堀内明里です!」

 

 驚いた。イヴリンも思わず目を丸くする。

 確かに同じブリタニア人の特徴ではなかったとはいえ、名前からして扶桑人なのだろう。

 それではスパイと疑われても仕方ない。服装も見慣れないものだ。扶桑の軍は新しい制服でも採用したのか? イヴリンの脳裏を疑問が掠める。

 

「じゃあアカリ。扶桑人の君がなぜ、ブリタニアに?」

「扶桑? ブリタニア? なんですか、それ」

「んぅ……」

 

 イヴリンに頭痛が走る。錯乱にも程がある。

 頭を抱えるイヴリン。明里と名乗った少女はなおも喋りかける。

 

「私、本当に何も知らないです! 英語みたいですけど、イギリスって戦争してないですよね? なんかのドッキリですか?」

(んん?)

 

 イギリスとは何ぞや。イヴリンが更に深く考え込む。

 今は絶賛ネウロイとの戦争中で、一般人ですら周知。それに、イギリスとは何なのか。

 

(困ったね、全く)

 

 もしかすると明日からいなくなるかもしれない自分の横に来たのは不運か、それともまともに話に付き合っている自分の横で幸運か。

 

「ええと、スマホ……無い! そうだった、取られたんだった!」

「はぁ……」

 

 スマホ? なんだそれは。イヴリンも十七年、この世界で生きてきた。いくら軍人だって世界を渡り歩いて、その文化に少なからず触れた。

 つまるところ、世間知らずでは無いつもり。

 それが何だ。明里が入ってきた今、この時になって知らないもの、名前がぞろぞろと出てくる。いつ銃殺刑が決まるとも分からない身には惜しいくらい、知的好奇心は刺激された。

 

「ここに来たら、手持ちは没収されるさ。集めてある場所は知ってるが」

「じゃあ取り返してください! 大事なデータだとか入ってるんです!」

「……機密か?」

「機密!? SNSのデータだとか、電話帳だとか──」

「待て待て待て! もういい、理解を越えてる」

 

 思わずイヴリンも抱えた両ひざに顔を埋める。盛大なため息と共に。

 関わらなくていいんじゃないのか。構いたがりなイヴリンですらそう思った。しかし明里に目をくれると、彼女は格子の向こうから真剣に助けを求めているのだ。

 

(ハァ……無視なんてムリだよ。私には)

 

 イヴリンは世話焼きだった。その甲斐あってか、彼女の下では部下がよく育った。精神的にも彼女が副官を務めた部隊は安定していた。

 よく話を聞き、問い、答えを導かせる。彼女がやみくもに怒鳴ることなど、恐らくほぼ無かった。

 だから、明里の目を見ては放ってはおけないと思う。

 

「少し落ち着け。本当に潔白なら、その内出してもらえる」

「出してもらえるのに何日掛かります?」

「流石に分かりかねる。私もいつ死ぬか分からない身だ」

「え!?」

 

 悲鳴にすら聞こえる声が上がった。

 しまった。イヴリンが手で目を覆い隠した。ただでさえ錯乱しているのに、生死に関わる話題を出しては余計混乱するに決まっている。

 しかし、もう明里にはそれしかない。とにかく落ち着かせなくては。

 

「君が潔白なら、何もない。騒ぐと本当に殺されるかもしれない、ブリタニア軍じゃないなら尚更だ」

「ブリタニア……? いやいや、あなたは死んじゃうんですか!? 年なんて私と同じくらいじゃないですか!?」

「判断に困っている間はいい。やるならいっそやってくれ、といった感じだけど」

「そんな……なんで死ぬんですか!?」

「銃殺刑だよ。私は、仲間を──自分の隊長を撃った」

 

 語るイヴリン。明里の目が驚きに見開かれるのを彼女は見た。

 

「隊長さんは、悪い人だったんですか」

「いや、彼女ほど素晴らしいウィッチは居ないだろう。彼女の下で、副官として働けたのは素晴らしい経験だった」

「じゃあ、どうして!?」

 

 格子がうるさいほどに揺すられていた。

 明里には理解しがたい倫理観だった。気に入らないわけでもない、むしろその逆だった人間を殺した? 有り得ない。

 いや、それよりも彼女にはイヴリンの見せる投げやりな視線が気になった。諦めていて、全てに投げやりなその目が。

 

「君に話すことじゃない」

 

 イヴリンは拒絶した。明里がこれ以上、自身に踏み込んでくるのを。

 知的好奇心はくすぐられたが、それとこれは話が違う。

 

「少し休んだ方がいい。ここで叫び散らして、それこそ死んでしまいたいなら別だが」

 

 イヴリンはそれだけ言い残して背中を格子に預ける。

 明里は一先ず落ち着き、説明する手段を考えるべく休憩する。ちらりとイヴリンを見遣り、見よう見まねで格子に背中を預けた。

 鉄が食い込んで背中が痛かった。だが、彼女にはここしか無かった。

 

 □

 

「イヴリン……撃って。足手まといにはなりたくない」

 

 砂浜に打ち上がった少女。左腕は千切れ飛んで、血が止めどなく溢れていた。

 脚部の魔装脚──ストライカーユニットも、魔法力切れで少女からは外れて砂浜に転がってしまっている。

 

「……出来ない」

 

 拳銃を構えはするが、イヴリンは銃口を向けられない。

 

「撃鉄を起こして……私を撃つの」

「出来るわけがないッ!」

 

 イヴリンが叫ぶ。喉がひりひりと渇くのが彼女にもよく分かった。

 

「そうです、隊長!」

「まだ助けが来ないと決まったわけでは……」

 

 降り立った少女たちは口々に満身創痍の少女を励ますが、もう満身創痍の彼女は諦めていた。

 敵に不覚を取り、武器を振るう腕を失い、力の源である魔法力さえ残されていない。自分は足手まといになる。はっきり、そう理解していた。

 

「隊長命令よ、私を撃ちなさい」

「従えないッ! 従ってなるものかッ!」

「臆病者……ッ!」

 

 満身創痍の少女は残された右腕を伸ばし、イヴリンを引き寄せる。親指で撃鉄を押し起こしてやると、銃身を握って自身の頭部へ向けた。

 

「隊長が撃墜されたのよ。指揮系統を、あなたが引き継ぐの。大丈夫……こんな辺鄙な土地よ、軍部に見つかりはしない。ああ……私の刀は持っていってね」

 

 少女はゆるりと手を離し、今度は真っ直ぐにイヴリンの手を握るようにしつつ、拳銃の引き金に親指の腹を置いて微笑んで見せる。

 

「やめてくれ……」

「イヴリン、みんな。私の分を──」

「止せェッ!」

 

 世界が黒に染まる。何も聴こえなくなる。

 

「はぁっ! 夢か……くそッ」

 

 イヴリンが飛び起きた頃、外は夜闇に染まっていた。サーチライトが時おり眩しく営倉を照らす。

 ひどい脂汗だった。毎夜毎夜見ているが、慣れない夢だ。

 

「ずっとうなされてましたよ、あなた」

「アカリか……。私の忠告は聞き入れてもらえたみたいだ」

「『出来ない』って、ひょっとして隊長さんの夢ですか?」

「……」

 

 少し眠ってしまった間に、明里は随分と冷静になったようだった。

 それから自分の寝言を聴かれてしまったらしい。汗でぐっしょりと濡れた髪を不快そうに掻き乱すイヴリン。

 

「……もしかして、撃ちたくて撃ったんじゃないんですか?」

「気に入った相手を撃ち殺す理由なんて、ありはしない。あれが彼女の望みだったのさ」

 

 檻に身を横たえ、明里の牢を見上げるようにしてイヴリンは語った。明里とは頭を突き合わせるような形になる。

 

「私、深い事情なんて分からないけど……それ、どうして話さないんですか」

「君にか? それとも、ブリタニア軍に?」

「軍にです。仕方なく撃った、望まれたって言えば……」

「通らないよ。そんなものがまかり通っては、戦場は味方の死体だらけになるだろうね」

 

 力無い笑い声がイヴリンの口から漏れた。

 

「だが、私だってタダで死んでやるつもりはなかった。手紙をくくりつけた使い魔を、捕まる直前に放ったよ」

「使い魔……。魔女らしくなってきましたね」

「まあ、おおかた上手く行かなかったんだろうさ。かれこれ三ヶ月、ここで上官殺しのウィッチとして見世物さ」

 

 明里はうっすらと理解する。だからイヴリンは何もかも諦めているような素振りなのか、と。

 手は講じていた。でも上手く行かなかった。それほどに、その使い魔が頼みの綱だったのだろうと。

 

「君の話を聞きたいな。聞きなれない、イギリス? だとか、どうしてここに来たかとか」

 

 これ以上、明里に軍部の事情を話してはいけない。イヴリンは察知し、話題を切り替える。そういえば訊いていなかった、と。

 

「私、イギリスに留学に行く途中だったんです。ただ、途中で飛行機が……」

「軍用機?」

「まさか。そんなもの、日本じゃ乗れません。旅客機ですよ」

「本当に、君は……」

 

 つくづく知的好奇心をくすぐるな。そういった言葉を、イヴリンは途中で封印した。

 旅客機、なんて言うものを彼女は聞いたことがない。いつネウロイが現れるか分からない空を飛ぶのは、大きくても貨物機だとかその辺りだ。あとは船か。

 

「……今って、何年ですか」

「1942年だ」

「……あっははは。これ、夢なのかな。あのね、軍人さん。私──」

 

 明里は夜の闇に解けるような声で、イヴリンへ囁いた。

 

「──私は2020年に、故郷の日本を出発したんですよ」

「はぁ?」

 

 間の抜けたイヴリンの声が響いた。

 だが、見張りももはや気にしない。ここにいるのは所詮ならず者どもかスパイかだ。

 それより、2020年などイヴリンには想像が出来なかった。約80年後の世界など分かるものか。

 しかし、衣服が珍妙──というより扶桑人らしくない洋服なのも、妙な単語が出てくるのも、無理矢理にでもこじつければ納得は出来た。

 

「じゃあ、ネウロイは? 1942年、ネウロイはどうなっていた?」

「ネウロイなんて居ませんよ。確か1942年は太平洋戦争です」

「待って。ネウロイがいない戦場って、まさか……」

「私だって戦時を体験した訳じゃないですけど、間違ってないです。人間同士の、国同士の戦争です」

 

 明里の告げる話は、イヴリンの中にどうも重くのし掛かる。

 人類は団結していなかった。明里の見ていた世界というのは、むしろ人類同士の争いの上に成り立っているようだった。

 ネウロイがいないなら、確かに明里がウィッチを知らないように振る舞うのもある意味納得が行く。

 

「すまない、思ったより深刻だったね」

「いえ。今はそんな戦争起きてませんし……ここが本当に1942年だとして、どうしてここに居るとかは後にして、人類は戦争してないんですよね?」

「うん。人類の相手はネウロイだ、他の国じゃない。ただ──もし仮にネウロイを駆逐できてしまったら、どうなるんだろうね」

 

 イヴリンはそんな事を考えたこともなかった。ネウロイを倒して、倒して。その先に何が待っているかなど、考えもしなかった。

 いつも何処が陥落寸前か頭に入れ、前線に出張っていたから、終わりなんて考えたことはない。明里という存在に出逢って、初めてそんな事を考えた。

 

「君は、本当に面白いね」

「な、なんですか? 急に……」

「いや。名乗ってなかったな。私はイヴリン、イヴリン・カルヴァート」

 

 横になると、牢の向こうに星空が見えた。

 たまにこうして見るのもありじゃないか。イヴリンはそう思う。

 

「イヴリンさん……」

「イヴリンでも、イヴでもいいさ。私が君をアカリと呼ぶんだ、そっちも気軽に呼んでくれ」

「は、はい。イヴリン……?」

「今はそれでいいよ。まだ夜は明けない、休むぞ。すまない、私のせいで」

「いえ……おやすみなさい」

 

 おやすみ。イヴリンは答え、明里の牢を見上げる。寝入る訳ではないようだが、体力は温存するように動いているのは間違いない。

 イヴリンは星空を見上げ、そこにいない自分を憂いだ。




 なんとスト魔女二次。
 君、何作書くの? 何作でも気が向くままに書きます。
 イヴリンですが、パイロットのモデルは居ません。不名誉になりかねないためです。

 ビューリングさんへの愛情が爆発しているうちに気付いたら書いてました。
 まあ、むかしスト魔女二次書いてたんですけど。F-5Cが活躍するやつ。かなりガチめに設定組んでましたが、今回はそういったガチガチよりは、モチモチ……じゃないゆっくり見られるような感じで。

 銃殺刑についてもかなり調べたんですが、イギリスがどうしていたか個人では調べがつかず、取り敢えずフィクション式にしました。


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第二話『その日、君が来たから』

 陽が昇る。それは戦争犯罪者となろうが変わらず、太陽は営倉さえも別け隔てなく照らす。

 

「起きてるかい、アカリ」

 

 イヴリンが何気なく問う。

 

「寝れませんよ……。身体痛くて」

 

 気だるげな明里の声が、それに答えた。

 見回りの目もそこそこに受け流して、二人は昨日のように柵に背中を預ける。

 

「今日はなんの話をしようか」

「どうしましょうね」

 

 この閉鎖空間だ。自称未来から来た一般人には、なおさら極限状態だろう。

 イヴリンが出来るのは、ひたすら話し続けること。とは言うものの、お互いに知っていることは話しきってしまった感が強い。

 

「代わり映えもしない毎日だ。狂うなよ?」

「不吉なこと言わないでください……!」

 

 ぶるりとわざとらしく、明里は身体を震わせて見せる。

 しかし、やはり昨日以上に会話は弾まなかった。明里はこれ以上イヴリン側へ踏み込めなかったし、イヴリンもまた同じ。

 明里の語ることが妄言かさえ、彼女には見抜くことが出来ない。

 

 話題もなく過ぎ去っていく時間。それを破ったのは、見張りと共にやってきた一人の少女だった。

 ブリタニア軍とはまた制服の違う少女は真っ直ぐにイヴリンの牢へ向かうと、内側で座り込んでいた彼女を見下す。

 

「起きなさいよッ!」

 

 イヴリンが反応しないと見るや、少女は牢を蹴りつけて無理矢理に意識を向けさせる。

 

「……トゥシャールか」

 

 イヴリンにとって、知らぬ人物ではない。彼女がいた隊で、彼女の元で当時訓練を受けていたガリア空軍の部下だ。

 マルレーヌ・トゥシャール。隊長が射殺された時点での階級は准尉になる。

 

「やっとあんたの顔を拝めたわ。隊長を返してよ」

「来るなりそれか……。お前も見たろ。アイツは私が殺した」

 

 そうよ。マルレーヌは牢を殴り付け、イヴリンを強く睨みつけ、地の底から響くような恨みを滲ませ語る。

 

「そうよ、アンタが殺したッ! 隊長はまだ生きてたのに、助けも待たずッ!」

 

 柵を掴み、マルレーヌが叫んだ。

 

「返してよ! 私たちの隊長をッ! 返しなさいよッ!」

 

 柵の間から手を入れたマルレーヌはイヴリンの服を掴み上げ、牢へ叩き付ける。

 イヴリンは無理矢理に手を離させると、マルレーヌを突き飛ばした。

 

「お前もウィッチなら、少しは現実を見ろ」

「ええ、そうね! 今日は顔を拝めただけよかったわ。また来る」

 

 再び牢を蹴飛ばし、営倉を立ち去るマルレーヌ。途中、明里へ視線をくれるもつんと冷たく視線は逸らされてしまった。

 

「お仲間……ですよね」

 

 騒動から少し。最初に口を開いたのは明里だった。

 

「元、な。……アカリ、少し周りを見ててくれ」

「はい?」

「いいから」

 

 はぁ。明里も何がなんだか分からず、ただ言われるがままに周囲へ注意を向け始める。

 ほんの少し。興味本意にイヴリンを見やると、彼女は小さな紙の切れ端を食い入るように眺めている。

 いつの間にそんなものを用意したのか。明里には分からぬまま、ただイヴリンの合図を待つ。

 そんな時だった。一羽の鷲が明里とイヴリン、両名の檻に空いた広い隙間に降り立った。

 

「こんなところに……鷲かな?」

 

 鳥に詳しくはない明里だが、著名な猛禽だ。答えが出てこないわけではない。

 

「トゥシャールも素直じゃないな。……アカリ、感謝する」

「え?」

「君が私へ答えてこなかったり、途中で私が諦めていたら──」

 

 イヴリンは鷲に手を伸ばすと、見張りが来ないか目を配らせ、そして柔らかな輝きと共に鷲と一つになる。

 彼女の頭から伸びた雄々しい鷲の両翼、腰には立派な尾羽まで。明里も思わず腰を抜かす変貌ぶりだ。

 

「──彼女の言葉を思い出すことはなかったろう」

「……え?」

「出られたら教えてやる。危険だが、来るかい? アカリ。ここで無為に時間を過ごすよりはいい。けど、君の決断だ。危険に巻き込むことになる、軍を言い負かせるなら……逆に居た方が安全だ」

 

 脱走を図る気だと、明里が気付くにはあまりに簡単すぎた。異形の姿と化したイヴリンを前に、明里は意外なほど早く冷静さを取り戻す。

 彼女の言う通りだ。このままでは処刑されるのは免れないと。

 故に、答えは一つだった。

 

「行きます。連れていってください」

 

 イヴリンと行く。魔女と共に、自由を求めて走る。

 何より、彼女の知る世界ではないと分かった。ならば、この世界から脱出する方法も知らなくてはならない。このままただ押し付けられるように死刑になるのは、当然ごめんだ。

 目の前にいる魔女から感じる迫力は、もはや全てを諦め、死を受け入れた処刑待ちの軍人ではない。生きるため、自由になるため、それこそ鷲のように鋭い眼をしていた。

 だから明里は決意できた。脱出は楽ではないだろう。だが、イヴリンに付いていけば心配はいらない。そんな気がしたのだ。

 

「私を導いてください、イヴリン」

「……勿論、手伝ってはもらうよ。とはいえ、そう言われるのはむず痒いな。よし、やるか」

 

 イヴリンは牢の扉から距離を取る。戸を閉めているのは堅牢な鎖で、それが幾重にも巻き付けられた上で巨大な南京錠がされているようなものだ。更に扉自体にも鍵が掛かっている。二重ロック、というべきか。

 とてもではないが、素手では開くものではない。

 

「ハァッ!」

 

 けたたましい金属音。イヴリンの右ハイキックが真っ直ぐに戸へ突き刺さった。

 鎖が引きちぎれる。それだけに収まらず戸の蝶番まで弾け飛び、牢はいとも容易く開いてしまった。

 

「待っててくれ、アカリ」

 

 一度営倉の奥へ駆けていくイヴリン。明里からは姿が見えなくなった。当然、慌て食って入ってくるのは巡回の軍人たち。小銃で武装していて、素手では打ち勝つのは難しい。

 銃に詳しい明里ではないが、留学を予定していた者として銃器の恐ろしさは学んでいた。イヴリンに武装はない。

 一体どうするのか。明里が悩むより早く、檻の間から飛び出したイヴリンが横から兵士の一人を蹴り飛ばすと、同時に小銃を掠め取る。

 

「動くな! ウィッチ相手に勝てると思わないことだ」

 

 小銃を構え、残った兵士を牽制。瞬時に長い小銃の前後を反転させて持ち直すと、大きく振りかぶって銃床で強く対峙した兵士たちを殴り倒す。だが、殺してはいない。

 苦しみ、呻く声は聴こえるものの、生きてはいる。それをかき消すように、牢に入れられた人間達からは歓声が上がった。

 

「アカリ、今開けるから」

 

 素早い身のこなしで反転し、イヴリンは明里の牢へ。鎖を容易く引きちぎり、戸の鍵はそれ自体を引っ張って変形させて壊した。

 戸が開くと、イヴリンは明里へ手を差し伸べる。

 

「行こう」

「……はい!」

 

 その手を取り、明里は漸く自由に一歩近づいた。イヴリンが手に持っていた小銃を明里へ預ける。

 その重さには一般人の明里も驚かされた。外観などほぼ木製だというのに、長時間持ち運ぶのは難しいと判断せざるを得ない重量。それに、使い方もわからない。

 

「あの、私使い方なんて知りませんよ?」

 

 思わず共に駆けるイヴリンへ問う。

 

「いや、知らなくていい。軍人は殺せない。私だって軍人だったんだからな」

 

 持ち運んでくれるだけでいい。イヴリンは最後にそう付け足した。火の粉は自分が払う、と。

 

「他に捕まっている人たちは!?」

 

 営倉には他にも十数名、各個檻に入れられている。イヴリンに釘を刺した兵士ですら、今となっては檻にしがみついて助けを求めている。

 明里には見捨てられなかった。皆が皆、悪いことをした訳ではないと思えたから。しかし、イヴリンは違った。

 

「混乱は起こせる。それに、手が増える。けど私たちと同じだ。ここの兵隊に見つかったら、その場で射殺される」

「でも……」

「分かってくれ。今の私には、君を生きて連れ出すだけでも難しい」

「あ……」

 

 明里は理解した。理解出来た気がしただけかもしれない。

 イヴリンだって今まで投獄されていたのだ、半日かそこら牢に入れられた明里とは違う。ずっと体力だって消耗しているはず。

 それに明里という、一般人の道連れがいるのだ。非戦闘員を守りながら、すぐに発砲してくるであろう訓練された兵士たちを、殺さずに突破する。それがいかに難しいか。

 営倉を解放すれば、次々に死ぬ人間が増える。最悪は、裏切るかもしれないということ。リスクは大きい。

 

「あ、いや。えっと……ただ、ここにいれば逆に生きて出られるような者もいるだろうと思ってね……」

「いえ。大丈夫です、行きましょう。──ごめんなさい」

 

 明里は小さく牢へ頭を下げると、イヴリンの後に続いて営倉を出た。

 早めに兵士たちを無力化したおかげか、基地はまだ大きな騒ぎを起こしていない。

 昨日、気付けば基地内だった明里は、ようやくこの敷地の全貌を目にする。

 

「思ったより大きくない……」

 

 基地というより収容施設なのか。塀の外に出れば、意外と簡素な作りをしている。

 対空機銃などは置かれているものの、本格的な軍事基地とは少し趣が違っていた。

 とはいえ、軍事施設なのは変わりない。イヴリンにも注意を促される。

 

「油断しないで。これから中に潜り込んで、私物を取りに行く」

「……はい」

 

 明里のスマートフォンはついでだ。それは彼女も分かっている。イヴリンが一体何を取り返しに行くのか、それだけは分からないが。

 彼女はイヴリンの指示のまま姿勢を低く、奪ったM1895ライフルを抱き抱えるようにして施設内を行く。

 

「止まって。静かに」

 

 イヴリンに止められ、明里も動きを止めた。

 ほんの十数メートル先に歩哨が立っている。一人だが、小銃を抱えたまま睨みを利かせていた。

 

「あの建物の中なんだが……」

 

 イヴリンは苦い顔を見せ、頭を働かせる。

 突撃しても勝てるだろう。相手は一人、こちらはウィッチで魔法力も解放している。

 いや、悩んでいる暇がない。イヴリンが覚悟を決めた。

 

「全力で私の背中を追って、アカリ」

「はい」

「よし。あの歩哨を倒したら、その背後の建物に飛び込む。行くよ」

 

 一斉に立ち上がり、駆け出す。イヴリンの足の早さには明里も出遅れるが、必死についていった。

 それから歩哨がこちらへ振り向いた瞬間、イヴリンが顔面へ右ストレートを叩き込んで気絶させる。流れるように二人は建物の扉を開け、閉めた。

 格子付きの窓の向こうに、伸びた歩哨が見える。巡回に気付かれれば騒ぎになる。

 

「よし、早めに必要な物を探そう」

 

 飛び込んだ建物は何かの倉庫か。明里にはそう見えた。

 雑多に物が置かれているが、その中の一部にイヴリンが食い付いている。彼女は明里へ手招きすると、いくつか物を預けた。

 

「凄いですね……」

 

 恐らく拳銃用の弾倉が二本。これは明里も映画で見たことがあった。

 

「私の愛銃でね」

 

 イヴリンの手に握り締められる、ガンブルーの自動拳銃。M1911.455仕様。大国、リベリオン製の自動拳銃をブリタニア軍が空軍向けに仕入れ、採用拳銃のウェブリー自動拳銃の弾薬をそのまま利用するように小改造を加えたものだ。

 ガンブルーに染め上げられた仕様は多くないだろう。活躍していた頃のイヴリンの看板でもあった。

 

「そうだ、アカリ。君も探し物があったら今のうちに」

「あ、はい。探してみます」

 

 と、いったところで明らかに不釣り合いな旅行カバンが投げ出されているのを見た。

 間違いなく、明里の物だった。全てを持っていくのは無理と踏んで、カバンの付近に無造作に置かれていたスマートフォンの電源だけを確認する。

 ぱっと画面が点灯し、見慣れた画面が目に入った。

 

「よかった。まだバッテリー生きてる……」

 

 日付を思わず確認した。彼女が最後に記憶した月、そして日付。西暦も2020年を指している。

 ただ、電波は圏外だった。山の奥と言うわけでもない。明里に言わせれば、圏外になるなんて有り得ない。今や旅客機だって機内Wi-Fiを採用しているし、繋がらないなんてあり得なかった。

 それでも、明らかにずれてしまっている時計と圏外になった電波表示がどこか彼女を焦らせる。

 

「よし、これもここにあった」

 

 スマートフォンをポケットにしまった明里が振り向くと、イヴリンが一振りの刀を眺めていた。

 その長さはあまりに長い。1メートルはゆうに超えている。刀にやたらとはまりこんだ友人はいたが、明里はやはり知らないもの。

 ただ、そのあまりの長さには驚かされる。鞘に納められるとその長さは、160cm以上はあろう背の高いイヴリンの身長すらも超えた。

 

「それは?」

 

 明里が問う。どう考えても、イヴリンには不釣り合いな“日本”刀であったから。

 

「隊長──紀子(キコ)の愛刀だよ。私が捕まってから、これも取り上げられてた」

「隊長って、日本人なんですか?」

「だから扶桑の……いや、そこは今いいか。アカリ、物はいいかい?」

「あ、はい! 大丈夫──」

 

 答えようとしたその時だった。施設内にけたたましいサイレンが鳴り響く。

 身構えるイヴリン。拳銃へ初弾を送って身に付けたホルスターへ仕舞い、刀を抜き出す。

 

「ネウロイの警報じゃないし、そこの歩哨に気付いた声はしなかった。営倉で誰かが、助けなかった報復に見張りへたれ込んだか、倒した見張りが見つかったかだ」

「じゃあ、ここからは……」

 

 明里の声が少し震えた。緊張して口が乾くのが判る。イヴリンは静かに頷くと、刀を構えて窓を覗く。

 兵士たちが騒いでいるのが聴こえた。

 

「銃弾が飛んでくるぞ。極力庇うけど、なるべく物陰を移動して。勿論姿勢は低くね」

 

 建物を静かに出た二人。兵士たちが血眼になって二人を捜している。

 イヴリンに何か考えがあるのか? ただついていくだけの明里だが、イヴリンの背中に迷いは無いように見えた。




脱走開始の第二話です。
途中で作業BGMに埼玉県のうたとか流したら頭変になりそうでしたけど、やりきりました。

当時っぽい日本人名とか難しいですよね……。


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第三話『大脱出』

『居たぞ!』

 

 兵士の声が銃撃に変わるまで、然して時間はかからなかった。

 イヴリンは刀を構え、さも当然のように撃たれた弾丸を弾き飛ばす。そして停められていた軍用車の陰に隠れ、一息。

 

「大丈夫かい、アカリ」

「……ちょっと恐いです。なんでだろ。なんで私、こんな訳の分からないところで、こんな目に遭ってんの……? なんで──」

「アカリ! しっかりしないと、本当に君を連れ出した意味がない。もっと君から未来の話を聞きたいんだ、私は……」

 

 銃撃が止む。明里は半分パニック状態だった。

 必死に宥めるイヴリン。しかし、言葉だけでは限度があった。

 

「アカリッ」

「なん──ふえっ!?」

 

 軍用車の陰で、イヴリンは左手で明里を抱き寄せた。自分の胸に彼女の耳を押し当てるようにして。

 彼女は自分の身体で明里に訴えた。早鐘を打つ鼓動で、浅い呼吸で。

 

「私だって恐いんだ。彼らだって恐い。ウィッチも軍人も、いつも恐い。冷静を保っているつもりで、戦闘が終わったら震えが止まらない事もある」

「イヴリン……?」

「だけど、生きて帰るんだ。紀子が言ったんだ。私が彼女を撃つ間際、『私の為に生きて』と」

 

 だから、とイヴリンは紡ぐ。

 

「だから、生きてここを出る。君を連れて、ここを出る。大丈夫、必ず守る。使い魔が帰ってきてるんだ、トゥシャールはただ私に罵詈雑言を浴びせに来たわけじゃない」

 

 イヴリンは明里の手を取り、深く息を吐いて、軍用車の陰から飛び出した。

 後を追うように銃弾が地面の土を抉っていく。それでも速度を落とさない。落としたら、二人とも撃たれてしまうから。

 ウィッチは頑丈だが、それでも銃弾で撃たれてしまえば分からない。明里などもってのほかだ。

 

『イヴリン貴様ァッ! ビューリング少尉にでもなったつもりかッ!』

「ひどい言い種だな。私は彼女ほど皮肉屋では無いよ──っと!」

 

 兵士の口車にも乗らず、明里を背中へ回り込ませてからイヴリンは刀を大きく斜めに振り上げた。

 刀から起きた風圧が兵士たちを薙いでいく。無血のまま無力化していく。

 

「よし。紀子の見よう見まねだが、出来たな。走れアカリッ! 走れ!」

 

 もうすぐイヴリンが予定していた出口だ。だが、歩哨が小銃を構えて立っている。

 

「イヴリン! 駄目ですっ!」

 

 明里の足が止まった。撃たれる。イヴリンの身体は考えるより早く、明里を守るために動いた。

 刀を地面に突き立て、明里のか細い身体を突き飛ばす。銃声と共に、小銃弾がイヴリンの右腕を掠めた。

 地面へ滑り込んだイヴリンはホルスターから1911拳銃を引き抜き、横倒しのまま歩哨の右腕、左膝と的確に一発ずつの発砲で撃ち抜く。

 

 ほんの数秒の出来事。明里にも何が起きたか分からない。イヴリンが自身を突き飛ばし、右腕から血が噴き出して痛みに顔を歪めたかと思えば、彼女は撃ち返していた。

 頭の中が空洞にでもなったかのように、イヴリンの拳銃が放った銃声が明里の中で反響している。

 

「イヴリン!」

「大丈夫! ……ッ! アレだ、あのジープまで走れッ!」

 

 歩哨の倒れた先に、綺麗な軍用車が停まっている。

 敵の車ではないのか、二人を見つけてもドライバーが攻撃を仕掛けてこない。

 突き立てたままの刀を引き抜いて、左手に拳銃を持ち変え、イヴリンは後ろに迫る兵士たちへ威嚇射撃しながら明里の後を追いつつ後退する。

 

「イヴリン早く!」

「よし、よしッ! 出せ出せ!」

 

 バンタムジープの後部座席へ、明里の後に乗り込んだイヴリンが運転席を叩く。

 黒い布で頭からすっぽり包んだ謎のドライバーは素早いギアチェンジと共に車を発進させる。あまりの急加速に、後部の二人も危うくもみくちゃにされる所だ。

 

「少尉はともかく、その人は誰?」

 

 助手席から振り返って問うのはマルレーヌ。怪訝な目を向けられ、明里も思わず身をすくめる。

 

「私の恩人だよ。彼女も連れていく、無実の罪で危うく処刑されかねなかったからね」

「恩人って、私なにもしてないですし……」

「私が勝手に恩を感じてるだけかも。取り敢えずは安心だ。これ、新型のジープなんだって?」

 

 マルレーヌへイヴリンが問う。あたかも自身の手柄のように、マルレーヌが胸を張る。

 

「ええ。最高の乗り心地でしょう? きっと、後世にはリベリオン製自動車は広く伝わるんでしょうね」

「これ、ジープですよね? 私でも分かります。車に興味なくても分かるくらいの、軍用車の代名詞ですよね?」

 

 はい? マルレーヌが明里を睨む。

 

「あのねぇ。この車は、つい二年ほど前にリベリオンからブリタニアへ貸与されたものよ? 代名詞になるのはまあ、間違いないだろうけど」

「まあまあ。とにかく、上手く行った……長かった」

 

 今は明里の事をマルレーヌに話したところで混乱が増すばかりだ。イヴリンはひとまず喧嘩腰なマルレーヌを宥めると、背もたれに深く寄り掛かる。

 刀を鞘へ収め、拳銃には安全装置を。小銃は明里から預かった。

 

「あの、イヴリン?」

「何?」

 

 不機嫌なマルレーヌの長い髪を遠慮がちに眺めつつ、明里はイヴリンへ訊ねる。

 

「えっと……ブリタニア? の軍人さんがイヴリンに言ってた『ビューリング少尉にでもなったつもり』って、何だったんですか?」

 

 ああ、それか。イヴリンから深い嘆息が漏れた。

 

「1939年、スオムス義勇独立飛行中隊で戦ったブリタニア空軍のウィッチだよ。命令違反が多くて、ついたあだ名は『スクリューボール』。たしか銃殺刑になりかけたことが三回だったか。すぐにスオムスに行っちゃったし、何回かしか会ったこと無いけど、私が会った時はくらーい皮肉屋だったな」

「それはひどいな。三ヶ月も銃殺刑執行を待っていたウィッチの台詞じゃない」

 

 明里の聞き覚えの無い声がした。運転席からだ。マルレーヌではない。

 イヴリンも目を丸くする。運転手は顔を隠していた布を剥ぎ、車外へ放った。

 

「ビューリング!? ブリタニアに帰ってたのか!?」

 

 ジープを運転していたのは、ブリタニア軍兵士がイヴリンと重ねた女性だった。整った顔立ちに、気だるげだが鋭い目付き。

 気付けば煙草までくわえていた。

 

「色々あってな。『ガン・ブルー』が三ヶ月前に営倉行きと聞いて柄にもなく心配したが、まさか本当に私に憧れでもしたのか?」

「紀子も私も、憧れてはいたよ。けど、君とは違う」

「意外と連れないな。イヴリンは牢でもこんなだったか?」

 

 ビューリングと呼ばれた女は明里へ振り返る。完全なる前方不注意。更にうっすら吐息から漂う酒の匂い。飲酒運転らしかった。

 

「いえ、すごく良くしてくれました。あと、前は見てください」

「つまらん。スリルが大事だろうに、こういうのは。そこの崖っぷちに片輪落とすとか」

「ぜっ──たいにやめてくださいね? 少尉」

 

 助手席にいるマルレーヌからも釘が刺さった。

 つまらん。ビューリングは煙草を吹かして呟く。

 

「せめて音楽でもあればな。ひたすら道無き道、聴こえてくるのはギシギシギシギシと、サスペンションの騒音に、友人の連れない言葉ばかり。ギシギシ聴こえてくるのは、トモコの部屋だけで充分だ」

「文句ばかり言うな。サウンドボックスなんか無いぞ」

 

 ねちねちと文句ばかりのビューリングへイヴリンが返す。

 そこへ切り込んだのは意外にも、今まで固まっていた明里だった。

 

「音楽ですよね? 少しくらいなら……」

「ほう? サウンドボックスを組み立てて、新型のジープを蓄音機にでもするのか? それとも、お前が自慢の歌声を披露するのか?」

「えっと……電波無くても音楽は聴けるから──」

 

 明里がスマートフォンを取り出すと、ウィッチたち三人の視線が集中する。もはやビューリングなど、ステアリングを軽く触れる程度だった。

 

「なんだこれは。ずいぶん薄いな、折れないか不安になるぞ」

 

 少々不安そうにビューリング。

 

「指で触ると動いてる? なにこれ、魔導具? あんたもウィッチなの?」

 

 ウィッチ疑惑を投げ掛けるマルレーヌ。

 

「そういえば回収していたな。それも、2020年とやらから持ってきてるのかい?」

 

 事情を知るイヴリンだけが、少々分かっているようだったが不思議そうに眺めている。

 

「2020年? 80年近く先だな。残念ながら私は死んでしまっているが……。ビューリング家の跡継ぎはどうだ? 銀行強盗の夢は叶ったか?」

「え? ちょっと待って、意味がわかんない」

 

 やはり混乱を招いているようだった。ビューリングに関してはそうではないようだが。

 明里は言語から推測して、英語の音楽をチョイスする。この時代にはまだ無い、UKロック。ロックというジャンルが確立するには、まだ三十年は先になる。

 

「少しやかましいな……」

「ごめんなさいイヴリン。止める?」

「…………いや、止めるな。悪くないぞ、その感じ。全く触ったことはないがな」

 

 ステアリングを操るビューリング。その白い指が、リズムを刻むようにステアリングをノックしている。

 心なしか乱雑だった運転は落ち着きを取り戻している。

 

 ジープは森を行き、ようやく減速する頃には夜になっていた。

 暗い森の中、小さなキャンプ地が焚き火の灯りを放っている。

 

「目的地はあそこだ。私は忙しいから行くが、まあ頑張って逃げてくれ」

「ありがとう。君も元気で」

 

 刀を背負い、小銃を抱えて車を降りたイヴリン。明里とマルレーヌも降車し、運転席のビューリングを見送るべく待機する。

 

「全く、調子が狂う。少しは言い返して来い。じゃあな」

 

 イヴリン、マルレーヌの敬礼に見送られ、ジープは森の奥へと消えていく。

 明里には軍隊流の敬礼など分からなかったから、精一杯頭を下げてから手を振る。

 掴み所の難しい人物だったが、明里は見た気がした。ビューリングが明里へ見える程度に手を振るのを。

 

「さ、少尉たちはこっちへ」

 

 マルレーヌがキャンプへ二人を招き入れる。数時間車に揺られ、いつしかマルレーヌの明里に対する警戒心も薄れていた。

 二人は案内されるまま、キャンプへと歩いていった。




思ったより短くなってしまった……。

もともとややこしくなるので、ビューリングなどは出す気がありませんでした。1942はちょうどアフリカの魔女ですし。本来ならマルタ島にいるはずなんですよ。
しかし、気付いたら出していました。
行く直前にわざわざ来てくれた、ということですね。

あとさらっと爆弾発言してますが、穴拭さんはちゃんと抵抗してます。食べられてないし、撃墜もしてません。
なんなら私はビュー智です(?)


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第四話『しんじていたからできること』

 森の中に作られたキャンプ地。とても急造とは思えないほど、しっかりと各スペースが分けられていた。

 焚き火をするメインエリア、休息用に簡素ながら布を敷いた仮眠エリア、それに調理エリア。

 

「一人でやった訳じゃないだろ? トゥシャール」

「勿論。あなたが捕まったあと、二ヶ月かけて解散した部隊の仲間をかき集めましたから」

 

 得意気にマルレーヌは語る。腰に手をあて、無い胸を張って。

 

「ああ、でも今は見回りに出てます。ここ、単なる森ですし」

 

 キャンプ地はまるで神隠しにでもあったかのように人が居ない。荷物や火はそのままだが、始末をしないまま出てしまったのか。

 静かに吹き抜けるはずの風も、木々を揺らしていくせいで妙にやかましい。

 少し休もう。イヴリンが明里に提案しようとした時だった。

 不意に彼女は明里の眼前で拳を握る。その手に握られていたのは、矢だ。正確に明里の眉間目掛けて飛んできていたのを、イヴリンが掴んで止めていた。

 

「もしかしなくても、歓迎されてませんよね……」

 

 ほんの数センチ先に鋭い矢じりを見つめながら、明里が小声で呟く。

 軍人に捕まり、牢に入れられ、挙げ句に銃撃戦を潜り抜けたのだ。一般人であっても明里はもう驚かない。今の一射は流石に死んだ、と思ったが。

 なんにせよ、あの一射を向けられてしまうと軍人の小銃射撃のほうが単純に思えた。弓矢なら音もない、次の一射をイヴリンが止める保証もない。

 

「ヤエか!? 彼女は味方だ、弓をしまってくれ!」

 

 イヴリンが何処かへと叫ぶと、生い茂る草が不自然に揺れた。

 

「ごめん。扶桑の顔立ちをみたら、つい」

 

 葉を掻き分けて現れたのは、少々不思議な出で立ちの少女だった。

 直線を織り混ぜた刺繍の入った青いバンダナのような布を頭に巻き、扶桑皇国陸軍の和装にも同じ柄の青い刺繍がある。もっとも、それが改造軍装と明里が知る由は無い。

 薄褐色の肌、目元や腕には直線を基調にしたような入れ墨が入っている。

 和弓を携えた腕は下ろされていたが、鋭い目は敵を見るように明里を射抜いていた。

 

「火の始末がなかったのは、君が見ていたからか」

 

 イヴリンが少女へ問うと、静かに頷く。

 

「私は基地施設からの追っ手を見張っていたから」

 

「来てたかい?」

 

 否定。かぶりを振った、ヤエと呼ばれた少女の耳飾りが揺れる。追っ手は居ないらしい。

 

「もうすぐみんな戻ってくる。……それから」

 

 ヤエの視線が再び明里を貫く。

 

「この扶桑人は?」

 

 イヴリンから止められた矢を受け取りつつ、ヤエが問う。

 

「私の恩人。つい最近、覚えの無い罪で営倉に来たところ仲良くなってね」

「お、お邪魔します……」

 

 イヴリンの紹介を受けつつ、明里が小さく頭を下げた。

 ヤエの後ろで焚き火が揺れる。火に照らされた彼女の影が、少々不穏に揺れた。

 

「イヴリンが言うなら信じる。好きにして」

 

 敵意というべきか。ヤエから感じたプレッシャーが、急に失われた。彼女の言葉通り、明里を信じたのだろう。

 少々落ち着かないが、明里は焚き火の傍に腰を下ろし、隣に座ったイヴリンへ訊ねる。

 

「あの……あの子は? 雰囲気がちょっと一段違うというか」

 

 休憩に入ったのか、焚き火を挟んだ向かいに腰を下ろしたヤエを見つめる明里。彼女に感じたのは、世俗的でない感覚。

 改めて見れば、イヴリンもマルレーヌもボトムスを履いていないなどの違和感はある。だが、ヤエに感じた違和感はそういったものとは違っていた。

 答えはすぐに返ってきた。

 

「昔の部隊の仲間だよ。茨戸八重……が扶桑の名前って、紀子が言ってたかな。扶桑からオラーシャの方にかけて居る、アイヌという民族の人間らしい」

「アイヌ民族……。その文化は変わらないんだ」

「知ってるのか?」

「はい……ただ、こっちではもう語り継ぐくらいのものになってて、博物館が出来るくらいです」

 

 アイヌ民族。明里にもようやく耳にした単語が聴こえた。本物に会うことなど、アイヌの子孫の話を訊かなければ彼女の時代では難しいが。

 

「なるほど……。そっちの世界は、本当にどんな風になっているんだろうね」

「期待しても、楽しいのは最初だけですよ」

 

 焚き火に手をかざし、冷えた体を暖めながら明里は小さく笑む。それは少しだけ、困ったような笑みだった。

 

『おっ、副隊長のお帰りだぞ!』

『ほんとだ』

 

 不意に明里には聞き慣れない声が更に二つ。いずれも女の声だった。

 

「おやまぁ、副隊長。しばらく見ない間に彼女ですか? ボクも負けてられない」

「ベルティーナ。相変わらず──本当に、その妙な一人称含めて相変わらずだな」

 

 気さくそうなショートカットの少女とイヴリンはハイタッチで再会の喜びを分かち合ったようだった。

 

「仕方ないでしょ。こうでもしないといけなかったんだから」

 

 ベルティーナと呼ばれたショートカットの少女は随分と陽気で気さくなようだった。

 明里の横に腰掛けると、彼女へ手を差し出す。

 

「よろしく、お嬢さん。ボクはベルティーナ・アッビアーティ、元准尉」

「あ、はい……ベルティーナさん」

 

 その距離の近さに驚く明里。身体的にも、精神的にも近い。

 

「ベルとか好きに呼んでよ。他人行儀なのはキライだからさ。これ、ロマーニャ人の()()だね」

「ろ、ロマーニャ……」

 

 知らない名詞がまた出てくる。ベルティーナという名の響きから推測すると、イタリアに当たる国だろうか。国名が違いすぎて、明里も考え付くまで少し時間がかかった。

 

「にしても、変わった格好してるよね。扶桑人?」

「いえ、あの……」

 

 矢継ぎ早、といった具合か。爪先から頭のてっぺんまでベルティーナは眺めて訊ねてくる。八十年後の洋服だ、よほど気になるのか、時々明里の上着に手をかけては物珍しそうに眺める。

 

「あまり困らせないでくれ。一般人なんだから」

「あはは! それは申し訳ない。珍しくて、ついついボクもね」

 

 明朗に笑うベルティーナ。しかし、その右手ではリボルバーが鈍い輝きを放つ。

 銃はイヴリンも持っていた。だが、彼女は出したまま。それが必要なほど気を張る巡回だったのか、思わず思考する明里。

 

「銃が気になる?」

「あ、ごめんなさい。見慣れなくて……」

「そうなんだ? この時世だし、いろんなところで見ると思ったけど」

 

 まだベルティーナたちは明里の話を知らない。イヴリンも一通り紹介が終わるまで話す気はないのか、ベルティーナへ銃はしまうよう指示を出して、それだけだった。

 

「次はわたし。いいですか?」

「ごめんよ。前もそうだったね、キミの話よく食っちゃったっけ」

「気にしてません」

 

 色白の少女は赤い瞳を明里へ真っ直ぐに向けた。赤いほうき星のようなマークが右胸に記されている。軍服だろう。

 彼女もまた、イヴリンが紹介した部隊では八重の袴についで珍しくスカートらしいものを履いている。丈はかなり短かったが。

 

「フェオドラ・コセンコ。オラーシャ空軍。イヴリンを連れてきてくれて、ありがとう」

 

 フェオドラと名乗った少女は小さく頭を下げる。

 

「い、いえいえ! 私はむしろ助けてもらった側で……」

「ううん。きっとイヴリンは諦めていたから。彼女の使い魔は、最初にわたしのところに来たの」

「フェオドラさんのところへ……」

「そう。でもわたし、部隊解散後は一度国へ戻っていて……」

 

 そう簡単には行かなかった。フェオドラはそう締めた。

 そして、イヴリンの使い魔であるイヌワシは、世界を飛び回ってネウロイと戦っていた元部隊員である、マルレーヌの存在をフェオドラから聞いたのだとも。

 

「消耗しきったその子を見て、私だってただ事じゃないと思った。けど私にも立場があったし、何より副隊長──カルヴァート少尉を迎える用意が必要だったのよ」

「犯罪者である私を迎えるために、こうした訳か」

「ええ。突貫だったけど、ビューリング少尉の手伝いもあって、脱出は上手く行った。──ただ、間近であの事件を見た数名は未だに見つかってないわ。少尉が殺したと思ってる筈」

 

 誤解、曲解、そして理解。様々な解釈が入り交じっている。明里にもそう感じた。

 では、紀子の判断は果たして合っていたのか。ネウロイとは何なのか、まだ明里には分からない。だがもし彼女たちに付いていくのだとすれば、恐らくその内出会うことになるのだろう。

 彼女の知る正史を書き換えた未曾有の敵である、そのネウロイに。

 しかし、その戦いで負傷した自分を足手まといと切り捨てさせた紀子の判断は正しかったのか? 

 

(結果としてイヴリンは捕まったし、まだ仲間は誤解してる。それにイヴリン自身も。紀子さんは、ちょっとだけ甘かったのかも)

 

 その場に居合わせた訳ではない。だから分かりはしない。だがもし、いくら見つからないとしても誤解したままの仲間から密告されたら? 

 もしかしたら、別な軍隊が何処からか見ていたかもしれない。

 イヴリンが即刻銃殺されないとも限らなかった筈だ。

 

(分かんないなぁ。頭が回らないのもあるけど、紀子さんはどういう心境だったんだろ)

 

 分かるわけがない。飛行機事故に巻き込まれたといっても、重傷を負って浜に転がった訳でもない。

 瀕死の重傷を負って、それでまともな判断が出来たのか。出来るわけが無いと断じる思考と、紀子が心の底から“軍人”であったと庇う思考が入り交じった。

 

「アカリ……? 大丈夫?」

「えっ──あっ!」

 

 イヴリンが心配そうに顔を覗き込んでいるのを理解して、明里は自身が深く考え込んでいたことに気付かされた。

 慌てて手を振る。

 

「な、なんでもないよ! ちょっと疲れたのかもしれないけど、大丈夫!」

「本当か? ウィッチじゃないんだ、ムリはするなよ?」

「うん。そうだ、私が挨拶まだだったよね? 私は堀内明里です。本当に、なんでここにいるかよくわからなくて……」

「ホリウチ……? 驚いたね。副隊長、キコ隊長と同じファミリーネームの一般人と営倉で知り合うなんて」

「へ……?」

 

 ベルティーナの言葉に、明里が固まった。傍らでイヴリンは申し訳なさげに頭をかいている。

 

「ゴメン。ファミリーネームで呼ぶ癖が抜けていてな。堀内紀子……それが、私の親友で、部隊の隊長の名前だよ」

「イヴリン、待って。偶然?」

 

 明里は何かに驚愕したようだった。様子がおかしい。いやにそわそわと忙しない様子だった。

 

「何かあったの? 勿体ぶらないでよ」

 

 マルレーヌが苛立ち始める。八重はその傍らで、弓の調整をしつつ視線は明里へ向けていた。フェオドラもだ。

 

「おばあちゃんの名前と同じなんです。あの、えっと……日本じゃなくて──扶桑? の文字で書ける方は?」

「書ける。私は、紀子とよく話していたから。集落(コタン)にもよく来ていた」

 

 八重は立ち上がると木の棒を拾い上げ、明里に寄り添って地面に文字を刻んでいく。

『堀内紀子』と、少々不恰好な文字が明里の前に現れた。

 

「こう」

「……文字も同じだ。偶然だと思うけど」

「そんなに珍しい名前じゃないと思ってた」

「そうですね。多分、偶然」

 

 偶然だ。あるわけがない。明里はそう断じた。飛行機事故で八十年前に行く事自体が信じがたい事象だったし、この程度の偶然はいくらでも転がっていると思えた。

 

「……でもそっか。アカリは紀子と同じファミリーネームなんだな。──彼女が巡り逢わせてくれたのかな」

 

 空を見上げ、イヴリンは感慨深そうに呟く。

 

「副隊長、今更気取っても遅いですよ。星を見上げるのは、ボクの得意技なんだから」

 

 ベルティーナがからかうと、イヴリンは笑う。

 いよいよ本題だった。ここからが問題だ。

 

「そうだな。見てもらう方が早いか。トゥシャールは見たな?」

「ええ。あの不思議な板でしょ? 確かに、この時代には無い物だわ」

 

 イヴリンは論より証拠で行くようだ。明里はすぐに、それがスマートフォンの端末だと気がついた。

 

「スマホですよね。どうぞ」

 

 ポケットから取り出し、サイドボタンを押す。暗い森の中、焚き火の柔らかな光に液晶の灯りが混じった。

 その灯りを不思議そうに眺めるイヴリンの部隊員たちはさながら光に群がる蝶か。

 

「これ、新型のライトかい?」

 

 不思議そうに灯りを眺めながらベルティーナ。

 

「実用的じゃない。狩りに使えない」

 

 八重は至極単純な断定を行う。

 

「でも、暗いところは……あ、消えちゃった……」

 

 自動消灯した液晶を、フェオドラは寂しげに眺めている。

 

「それがね、音楽も流れるのよ。レコードなんて入るスペース無いのに」

(本当にタイムスリップ物ドラマみたいな反応されてる……。仕方ないよね……これ、多分現実だし)

 

 脱出に居合わせたマルレーヌは分かっていたが、他のメンバーは単なるライト程度にしか思っていない。

 電話は使えないし、当然ネットワーク回線も拾えない。Wi-Fiなんて飛んでいる筈もなく、メールにソーシャルネットも使えない。となれば、他に使える機能といえば限られてくる。

 

「あの、皆さん焚き火を背に集まってもらえませんか?」

「何よ。不意討ちでもするの? 悪いけど、魔法力の無い一般人じゃ私たちウィッチには勝てないわよ」

 

 唐突な申し出だ。マルレーヌが警戒するが、イヴリンがそれを制した。

 

「アカリはそんなことしないよ。もし私たちを殺したければ、チャンスはあった。全員、集合」

 

 イヴリンの指示に合わせ、ぞろぞろと集まるウィッチたち。

 

「えと、集合写真みたいになりませんか? もっと横に広く……そうです」

 

 明里の指示で横に広く並ぶウィッチ。アプリケーションを立ち上げて、彼女はスマートフォンを横に構える。

 

「仕込み銃じゃないよね、まさか」

「ベルティーナもか……。まあ不安にはなるけど、銃ならそれこそ私をすぐに殺せた筈なんだ」

「……不安になるのは痛いほどわかりますけど、一瞬でいいので笑ってもらえませんか皆さん……」

 

 困惑する明里。仕方なしに、固い笑顔を見せたウィッチたちへ向けたスマートフォンの画面を、彼女はタップする。

 一瞬の眩い灯りと共にシャッター音が鳴り響いた。

 

「……兵隊さん、来ませんよね」

 

 やってしまった、と気付くには遅かった。しかし、基地からはだいぶ離れているようで、問題無さそうに皆は反応する。

 

「これ、どうぞ」

 

 集まったウィッチたちへ画面を差し出し、見せる。

 明里が使ったのはカメラ機能だ。1942年、フルカラーのカメラなど存在しない。しかし、ウィッチたちへ向けられていたのは間違いなく彼女たちを撮した姿だ。

 

「蓄音機どころか、カメラ? これ」

「本当は電話なんですけど、この時代には無い物なので使えないんです……」

「電話? これがか?」

 

 本来の使い途を聞いて、イヴリンですら驚いた。

 行き過ぎたテクノロジーは魔法と変わらない、とよく明里の時代のフィクションでは語られたものだが、まさか本職の魔女たちを驚かせることになるとは彼女も思わなかった。

 

「わたしたちの無線に周波数とかを合わせれば使えない?」

「無理だと思います。無線機とは違うので」

「なるほど。それはボクらのと同じだ。ホテルの電話で通信は出来ないだろ? 多分、それとコレは差が無いんだね」

 

 ベルティーナの順応力が比較的高いのが救いか。解説するにしても上手い言葉が出てこない明里には、非常にありがたい存在だった。

 なにより、電話自体はすでにある程度普及した時代だ。携帯電話が手離せなくなる時代はまだまだ先だが、認識としてはズレが少ない。

 

「で、結局これでイヴリンは何を説明したかったの?」

 

 八重がイヴリンへ問う。本題を忘れていた。イヴリンが額を掻きつつ、また申し訳なさそうに笑った。

 

「ゴメンよ、逸れた。いわく、明里は2020年から来たらしいということ。その謎の機械が、その証明ということだ」

「八十年後……? タイムスリップしたの?」

 

 フェオドラが問う。明里は否定した。

 

「厳密に言うと、私の知っている世界と皆さんの知っている世界の認識はズレているんです」

「営倉でコソコソ訊いたが、私の国はイギリスという名になっている。扶桑はニホンというらしい」

 

 イヴリンの記憶に間違いはない。明里は頷いた。

 

「つまり、また別なところから来たのがアンタってワケ? あーもう、なんなのよ……」

「まあまあ、マルレーヌ。混乱するのはお互い様だろ? ボクだって混乱してるんだからね」

 

 混乱する。それはどちらの立場に立っても同じだ。明里も認識のズレには少々頭を悩ませるところがある。

 

「それでどうだろう? 彼女がもし別な世界から事故で来てしまったなら、帰す必要もある。それに、フェオドラの言う通り私は紀子の言葉を忘れて死ぬ気で居た。生きてみたいと思わせてくれたのは、大なり小なりアカリなんだ」

 

 だから、とイヴリンは繋ぐ。

 

「だから、私はアカリを捨て置けない。集まってくれてありがとう。でも、恐らく解散した方がいい。皆まで軍に追われることになる」

 

 イヴリンが明里の傍らに並び、部下たちへ告げる。

 明里も忘れていた。自分たちは兵士を攻撃して逃げたのだ。イヴリンに同行した彼女も、次見つかればその場で撃ち殺されるに違いない。

 イヴリンはその危険を皆にまで背負わせられないと判断していた。

 

「やだなぁ、副隊長……いや、カルヴァート少尉。そんなこと知ってますよ」

 

 ベルティーナがそれを聞いてもなお、笑っていた。

 

「私が従うのは軍じゃない。紀子だった。今私が従うとすれば、それはここに来た仲間たち」

 

 八重も迷いなく告げる。

 

「だから言ったでしょ? 準備して脱け出させたのよ。今日は交替で仮眠をして、明日明朝に監視の目を避けるために低空で離脱。近くに廃棄された基地を見つけたから、そこへ一時的に退避する。そこから、あとはネウロイを潰しまくって名誉を回復するの」

 

 イヴリンは上官を撃ち殺したのだ。回復される名誉など無い。だがマルレーヌは、ブリタニア軍内部でさえ、イヴリンの処遇に対して意見が割れている事も調査済みだった。

 

「カルヴァート少尉を処分すれば後悔する。ネウロイとの戦争が続き、あなたが魔法力を失ったその後も。イヴリン・カルヴァートというウィッチが不可欠であることを、あえて見せるのよ。最初は話がわかりそうなウィッチの出来るだけ前へ──それからは徐々に、規模の大きい前線へ出向く」

 

 ただ、とマルレーヌはその視線を明里へ向ける。

 

「ただ、一般人がいる。それは想定外だったわ。だから、そこはあとで考えていく。もしくは、覚悟があるなら──アンタは今から一人で森を抜けて。ビューリング少尉のジープが走っていった道を慎重に行けば、森は抜けられるわ」

 

 マルレーヌは明里へ選択を迫る。ネウロイという彼女にとって未知の脅威との戦争、その渦中にイヴリンと共に飛び込むか。もしくはそれを避け、一人で抜け出し帰る術を捜すか。

 抜け出しても責める者などいない。手配はされているかもしれないが、軍は捜すとすればイヴリンを優先する、とマルレーヌは踏んでいた。

 

 明里の答えは、イヴリンの手を牢で取った時に決まっていた。

 

「行きます。連れていってください。雑用でもなんでも、役に立てることならします。私、一人でいても何も出来ないから……だから、手伝わせてください。助けられたのは私だから、イヴリンをもう一度祖国に帰れるようにする──そうしないと、私は帰れません」

「いいのね? 戦争よ。いくら別世界から来たと仮定しても、戦争が無かったワケじゃないわよね? 少尉をそこまでするのに、一ヶ月や二ヶ月じゃ済まないかもしれない。もしかしたら、失敗するかも。それでも、私たちと来るのね?」

 

 マルレーヌの問いに、明里は迷いなく頷いた。

 イヴリンが一人一人、アイコンタクトをしていく。異議のある視線は誰一人返さなかった。皆、現在犯罪者のイヴリン・カルヴァートというウィッチを信じていた。

 

「分かった。異議も出ないし、連れていくわアカリ。まずは一般人であるアンタと少尉が優先して休んで。少尉、基地へ下がってからの指揮は任せます」

「いいんだね? ものすごくリスクがある」

「くどいよ、少尉。基地についたら、隊長って呼ばなきゃいけないんだし、今のうちに副隊長呼びは止めておかなきゃね」

 

 リスクは承知。マルレーヌは先までそれなりのリスク、期間も承知した上で決行したようだ。ここに集まったウィッチたちは、少なくともそれに同意したことになるのだろう。

 来なかった仲間は、イヴリンに従えないと判断したに過ぎない。意識が変わるかはこの先の話だ。

 

「ありがとう。私のストライカーユニットは?」

「スピットファイヤMk.Ⅰbを用意してあります。別なユニットではありますが」

「ありがとう、トゥシャール。じゃあ、先に少し休むよ。アカリ、明朝はどんな恐ろしい思いをしても私を信じてくれるかい?」

 

 イヴリンが明里を見つめる。何をする気かは明里には分からないが、小銃を持った兵隊がうろつく基地を抜け出す事に比べたら、些細だろうと思えた。

 

「うん。何でもするって、言ったから」

「よし。ならなおさら、アカリは休むように。寝てしまって構わない。皆も、交替をするなら私だけ起こしてくれ」

 

 イヴリンに対し、それぞれが了解の旨を伝える。

 夜も深まり、明里にとって檻から出て初めての夜。時間は深夜だろうか、スマートフォンの時計は役に立たない。

 簡素な寝床も、檻の中より何億倍もましに思えた。明朝には大移動になるのだろう。新たな体験は不安だ、戦争など知らない時代に生まれた明里には尚更。

 だけど、寝返りを打つと見えるイヴリンの顔を見ると不思議と安心できた。信頼できた。何故かは分からないが、心の底で彼女についていけば大丈夫だとする思いがあったのは間違いない。




うわ、ひたすら書いてたら今度はまあまあ長くなりましたね……。
長らく1940年代には触れていなかったので、時代と物の普及や形態を調べるのが大変な話になりました。
もしかすると「42年には無いよ」とするものもあるかもしれません。一応充分調べながら書いています。

あとはキャラクターの武器や国による言葉遣いを考えるのも大変です。
字を知っている、知らないで明里の名前をカタカナに変えたりとか、階級を付けて呼んだりしなかったりとか。
ウィッチ組と明里との認識のズレを表現するのも大変です。
「え、こんな順応出来るか?」と思いながら書いてますが、そりゃ異世界転移なんて出来ないしそこはもうしょうがないよね、って。

次は恐らくガーリー・エアフォースの二次を更新するので、気長にお待ちいただけたらと思います。


最後に、アイヌウィッチ概念を教えてくれたフォロワーの方々に感謝を。


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第五話『可能性を捜して』

 断崖で、イヴリンは紀子に並び立った。

 彼女の顔は深刻そうで、紀子にはその顔をうかがわずとも分かった。

 

「随分悩んでるわね、イヴ」

 

 太刀を片手に、紀子が浮かない顔をしたイヴリンに語り掛ける。

 崖の向こうには、大きな海があった。二人はそれを見下ろしていた。

 

「私、不安なんだ。みんなを引っ張れる存在になれるのかどうか」

「そうね。確かに、私も不安だった」

 

 海の向こうから照り付ける朝陽。柔らかい太陽の灯りは紀子の刀を照らし、刃は眩く煌めきを返す。

 隊長である魔女、堀内紀子。彼女にはイヴリン以上の重責があった。全ての責任は彼女が負うのだ、マイナスもプラスも全て。

 

「昔ね、扶桑で海軍所属のウィッチに会ったの」

 

 語る紀子の右手で、刀がくるりと翻る。重さを感じさせない扱い、そして本人も意識しているようには見えない。それほど馴染んで、自然だった。

 

「海軍の? 扶桑の陸と海は仲が悪いって噂があったけど……」

「そうだった? まあ、とにかく彼女も扶桑刀使いでね。結構色々話したわ。豪快に笑う、本当に気合いでなんとかする人だった」

 

 それでね、と紀子は繋げる。

 

「彼女には口癖があったの。『ウィッチに不可能は無い』って」

「……人生楽しそうだな、そいつは」

「でも、私たちに可能性はまだまだあるとは思わない? まだまだ限界は見えていないし、この先どんなウィッチに出会うか、現れるかもわからない」

「確かにそうだが……」

 

 言うは易しだな。イヴリンはその言葉を飲み込んだ。

 朝陽を浴びる紀子の後ろ姿に見とれて、そんな言葉も出てこなくなった。真っ白に染まるような、強い陽光を浴びる紀子。その刀を携えた後ろ姿は強く在り、そしてどこか儚げだ。

 

「もし分からなくなったら、考えに詰まったら、彼女みたいに物事を単純化して笑ってみたらいいんじゃないかしら。『はっはっは!』なーんて、大きな声で笑えたら悩みも吹き飛びそうでしょ?」

「……かもしれないな」

「だから安心して。あなたに任せたのは、間違いない。もし二人で詰まったら、二人で笑いましょう。ね?」

 

 また紀子の右手で刀が翻った。逆手に持ち変えられた刀は刃の腹で鞘の口をなぞり、そして納められた。

 世界が白に染まる。紀子の姿が呑み込まれていく。

 

「……朝か」

 

 次に目を覚ました時、イヴリンは森の中に居た。焚き火は消え、キャンプ用品は幾つか片付けられたようだ。

 隣で寝ていた明里の姿が無い。寝ぼけ半分の頭を叩き起こして、イヴリンは身体を起こした。

 

「詰まったら笑え、か。フッ……ガラじゃないよ、紀子」

 

 刀を取り上げ、ゆっくりとその白刃を持ち上げる。

 周囲に人は居ない。見回りだろう。

 柄を握りしめ、そして真っ直ぐに振り下ろす。そこから右に薙ぎ、重さに振り回されるまま身体を一回転させ、勢いをつけつつ左へ一気に切り返す。

 

「……私に使いきれるかも、私次第。ウィッチに不可能は無い、か」

 

 紀子が出会ったという、扶桑人の言葉。又聞きでしかないが、今思えばそうなのかもしれない。

 基地脱出でも、紀子の見よう見まねだけで剣風を操った。自分でさえ可能性が秘められているかもしれないのだ。この先どんなウィッチに出会うか、それもわからない。

 

「分かったよ。代わりに探してみよう。君の代わりに、皆と生きて。そして、ウィッチの可能性を探してみよう」

 

 手で刀を翻し、逆手で鞘へそれを納める。木々の間から漏れる光が刃を煌めかせ、そしてそれは鞘へ吸い込まれて消えた。

 

「あ、少尉。起きました?」

「ベルティーナか」

 

 刀を背中に背負い、声をかけた主へ振り返るイヴリン。

 見回りから戻ったらしい、茶髪のショートカットの少女がそこにいる。ベルティーナだ。

 

「アカリなら先に起きて、ボクらが概要を説明しましたよ」

「ふう。私と交替しなかったのか、見回り」

 

 明里を起こした訳でもなさそうだ。かといって、イヴリンも寝過ごすような人物ではない。起こされれば気付く。

 それが無かったのだ、恐らくマルレーヌ、八重、ベルティーナ、フェオドラで深夜の見回りを終わらせたのだろう。

 

「バレました? これから世話になる方々に、起きてくれなんて言えませんからね。休みなら四人で交替しながら取ったんで、問題ないです」

「そうか」

 

 情けないが、思ったより心配はなさそうだ。イヴリンは納得する。

 そうと決まれば、長居は無用だ。作戦を決めなければ。

 なにしろウィッチである元隊員たちはストライカーユニットがあれば良いものの、明里は人間だ。魔装脚を履く力はない。つまり、明里だけは空を飛べない。

 

「アカリは納得するかな」

「何か考えがあるんでしょ? 待ってますよ、彼女」

「ありがとう。伝えに行くか」

 

 ベルティーナに寝床の整理を任せ、イヴリンは焚き火をしていた場所へ赴く。

 メンバーは勿論、明里も燃えかすになった焚き火跡を囲んでイヴリンを待っていた。

 

「おはようございます、少尉」

 

 最初はマルレーヌからだった。昨日までのつんけんした口調はウソだったかのように、柔らかな口調。そしてしぐさだ。

 挨拶が終わり、イヴリンは明里へ視線を向ける。彼女は問う。

 

「アカリ、寝る前に言ったね? 何があっても、私を信じてくれるかって。変わりはない?」

「無いです。ベルティーナさんたちからも、無茶になるだろうって聞きました。でも、それでも私は付いていくって決めたんです」

 

 そうか。イヴリンは感慨深げに頷いた。

 

「トゥシャールの見つけた基地への移動は、彼女の言う通りに進める。アカリ、君は私が抱える。絶対に落としたりしないから。約束する」

「……ッ! そうなるだろうとは聞いてたけど──。わ、わかりました!」

 

 ぐっ、と覚悟を決めたらしい明里。口を堅く結びつつ、彼女はイヴリンを見上げた。

 

「よし、待たせておいてなんだがストライカーの起動は目立つ。ブリタニアの追撃がここに及ばない保証もない、動こう」

『了解!』

 

 全員が動き出す。明里も立ち上がり、皆に付き添った。

 木の陰には彼女の見慣れない、奇妙な機械があった。マルレーヌたちはそれを脚にはめると、イヴリンがそうしていたように、各々違う動物たちの耳と尻尾を生やす。

 けたたましいエンジン音と共に、彼女たちは木伝いに空へ上がっていった。

 

「不思議かい、アカリ」

「それは、まぁ……」

 

 イヴリンもストライカーユニットを装着しながら、明里へ訊ねる。濁したが、不思議でない訳がない。

 脚にちょっとした機械を装着するだけで空を飛べるなんて、2020年の人間が知ったら大騒動だ。空の歴史が書き変わりかねない。

 

「これはストライカーユニット。そうだね……アカリは、魔女の箒はわかる?」

「あ、はい。魔女といえばって感じです」

「うん。そう、これは今を生きる魔女の箒なんだ。このストライカーユニットには、魔法力を増大する効果もある。魔法力を使って駆動する。言うなら、燃料としても使われてる」

「ガソリンとかじゃないんですね……」

「ストライカーユニット自体、ウィッチ専用武装だからね。人間の常識は通用しないんだよ」

 

 青い魔方陣がイヴリンを中心に広がる。基地で見た、イヌワシの翼が頭から伸びる。長く綺麗な尾羽が腰から尻にかけてを隠した。

 見とれてしまうような変貌を遂げながら、イヴリンは魔導エンジンの始動と共に空へ浮き上がる。

 

「アカリ、もう一度言うよ? 私は、君を絶対に離したりしない」

「うん。私は、イヴリンを信じるから」

 

 空から手を差し伸べるイヴリン。明里がその手を取ると、思いの外力強く空へと引き上げられた。

 空で抱き抱えられると、イヴリンの横顔がすぐ目の前だ。明里の時代で言えば『お姫様だっこ』とでも言われる体勢、彼女も憧れはした。

 しかし、まさか体験するのがそんな言葉がありもしない異国の、しかもそんな概念さえあるか分からない1942年の空の上でとは思わない。

 

「……ッ!」

 

 真っ直ぐに前を見据えるイヴリンの力強い眼差し。それを真横で見ると、同性であっても照れてしまう。空中にいる恐怖心など、それだけで上書きされた。

 既に森を抜け、遠くには市街が見えている。

 

〈ロンドン市街は避けましょう。基地はもう少し先──ガリア近辺になります〉

 

 マルレーヌからの通信。隊は高度を落とし、広大な街をわずかに掠めるような軌跡を描く。

 

〈ロンドンにいても良かったんじゃない?〉

〈どうせ同じブリタニア。すぐに捜索の手が伸びる〉

〈それもそっかぁ〉

 

 ベルティーナの言葉をバッサリと切り捨てた八重。世界がネウロイに注視している。

 観測人員に見つかれば、間違いなく逃げ場がなくなる。ロンドンの端を飛び、ウィッチを見上げる人々へ小さく手を振るベルティーナ。

 

「今はあまりサービスするなよ。目立ちたくない」

〈大丈夫です。ボク、純粋な人間は見分け付きますから〉

「お前の過去も()も知ってはいるけどなぁ……」

 

 そういう問題じゃない。イヴリンが小さく息を吐く。

 しかし、なんにせよウィッチが低空編隊飛行で街を抜けていくのだ。その時点で『目立たない』という目的は破綻していた。

 

「誰も嫌がらないんですね。聞く限り、ウィッチは戦争の象徴なのに」

 

 明里がイヴリンへ語る。彼女の知る限り、ウィッチとはネウロイという人類の敵との戦争の象徴だ。

 現代でも軍人は一部の人間に忌避される事がある。何より、ウィッチいるところにネウロイ在りのような世界らしい。

 石でも投げられると思ったものだが、人々は好意的に手を振り返していた。

 

「ネウロイを退けられるのはウィッチだけだからね。広報の甲斐もある。勿論嫌われてないわけじゃないよ」

「そうなんですか?」

「知らないだけで、いるかもしれない。それに、私たちが挙げる戦果は上層部の人間には邪魔だ。少なくとも、軍上層部には嫌われてるのが大半だろう」

 

 内輪揉めは良くあることだ。イヴリンは語る。

 明里も予想は出来た。明里の居た時代でだって、内輪揉めは日常茶飯事だった。ソーシャルネットは『炎上』と呼ばれる個人思想の罵詈雑言まみれ、現実でだってそうだ。笑顔で並ぶ友人同士が、その実は足で脛を蹴り合ってるような事が何処でもある。

 そう考えると、人類が一丸となっているであろうこの世界はよほど平穏なのかもしれない。ネウロイという存在さえ除けば。

 

〈間も無くです。高度を下げます、ついてきてください〉

 

 案内飛行で先頭にいたマルレーヌが更に高度を下げる。後に続いたウィッチも次々に高度を下げ、イヴリンも下降する。

 

「わあ……」

 

 地面に手が届きそうな高さ。そこを非日常的な速度で通過する。たまに見えるようになった残骸が、戦争という事実を突き付けるがそれ以上に綺麗な世界だった。

 声を漏らし、手を伸ばす明里。しかし、それはイヴリンによって慌てたように引き戻された。

 

「危ないぞ! もう少しだろうから、辛抱してくれ」

「あう……ごめんなさい……」

「あ、いや……。私もごめん。けど、怪我をさせたくない。それは分かって」

「うん……」

 

 頷く明里。イヴリンも気を張って飛んでいる。それを理解しなくては。

 かなり低い高度を飛んでいるが、明里が右手側から進行方向前方を見ると、大きな軍事基地が見えてくる。

 遠くから見ても分かるほどに人気がなく、稼動しているようには思えなかった。

 

〈あれです。一通り探索しましたが、ガリア、ベルギカ近辺からのネウロイ襲撃により撤退したものかと〉

「随分でかいが、取り返しに来ないか?」

 

 その大きさにはイヴリン自身も驚いた。単なる急造の前線基地ではない。それこそ、ブリタニア軍が始めから置いていたかのように思える立派な基地だった。

 

〈取り返しに来る頃には、ボクたちは別な場所にいくって寸法だよ。今はベルギカ、ガリアも戦線になってる。通信を引き直して、必要そうな場所に出てはあそこへ帰ることになる〉

 

 ベルティーナがイヴリンへ振り返りつつ、交信を入れる。

 まさに渡り鳥か。イヴリンが微かに唸る。そして、そう上手く行くか不安に思う彼女も居た。

 しかし何より、まずは着陸だ。発進機が無いことが今唯一の難点だが、補給くらいは可能だろうか。

 順番に降りていく僚機を追い、イヴリンも着陸。倉庫の中へと皆を追った。

 

「到着。無事に行ったね……」

 

 フェオドラが揃った全員を見渡し、告げた。

 確かに人はいなく、大事もなかった。強いて言うなら都市通過で多少目立ったことだが、特に問題はなかったように思える。

 明里を下ろし、イヴリンも一息吐いた。

 全員ユニットを外し、綺麗に並べ置く。

 

「それで、どうするの?」

 

 八重がマルレーヌへ視線を向けてから、イヴリンへ判断を仰ぐように問い掛ける。

 

「物資を捜そう。雨風を凌げる宿舎はあるから、保存食と武器、弾薬だな」

「あとは車かしら。ガソリンがあれば、誰かがロンドンへ買い出しも行けるわ」

 

 マルレーヌが言う。今のところ問題になるのはイヴリンと明里だ。買い出し自体は、その他のウィッチに任せれば良い。

 

「よし、手分けしよう。明里は私についてきて。車と燃料はそうだな……ベルティーナとマルレーヌ、食料弾薬は私、フェオドラ、明里。八重、申し訳ないがもう一度この基地を検めて欲しい」

「分かった。何かあったら連絡する」

「ああ、頼む。君の察知力が頼りだ」

 

 頷いた八重。一足先に倉庫を出ると、八重はそのまま駆け出した。

 

「我々も捜そう。無線はそのまま、何があるか分からない。連絡は密にやるぞ」

『了解』

 

 イヴリンの指示の下、グループに分かれる。

 それぞれが物資を捜しに倉庫を出た。

 

「明里、最初の仕事はここで食料を見つけることだ。車とガソリンは考えなくていいし、気になったら何でも訊くこと。勝手な判断は許さないし、許可もしない。だから何かあったらすぐに訊け、いいね?」

「は、はい!」

「……もし、隊長に訊きにくかったらわたしが居るから。だから、気になったら訊いてね?」

 

 フェオドラの柔らかな声に、明里も一種の安心を抱く。先に出た車両、燃料組を追うように、食料組も倉庫を出た。

 彼女たち、戦線離脱者最初の任務はまず、生き延びる術を確保することだった。




彼女たちももはや、ただの戦線離脱者になります。
ここからの巻き返しをお楽しみに。

でもちょっとゆっくりした話もそろそろ挟みたいですね……。
冒頭のウィッチ、誰かはもう言わなくても分かりますよね(


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第六話『物資を探して-燃料、車両組-』

「ここはハズレだね」

 

 燃料、車両捜索組であるベルティーナ。空っぽの車庫を眺め、彼女は両腕を頭の後ろに組んだ。

 

「燃料は……ダメね。放置されてかなり経ってるかもしれないわ」

 

 ガソリン缶の中身を覗き、同じ班のマルレーヌもかぶりを振る。

 不純物だらけで、仮に車があったとしても燃料として機能するとは思えなかった。

 

「んー、ボクもロンドンには出たいしな。車と燃料はあったほうがいいね」

 

「どうせナンパしたいだけじゃないの? アンタ」

 

「イヤイヤ。ボクとしては、部隊も皆魅力的だから。ただまぁ、買い出しついでにはね」

 

 呆れたこと。ベルティーナの言葉に、マルレーヌがため息を吐く。こんなやり取りも初めてではない。ベルティーナはどこかナンパな雰囲気を漂わせて部隊にやってきた。

 プレイボーイならぬ、プレイガール。マルレーヌがあしらったって、ベルティーナはあの手この手で食い下がった。

 

「買い出しはいいけど、アカリにまで手出さないでしょうね? 少尉のお客さんよ?」

 

 曇天に変わった基地の中、別な車庫を捜して二人は歩く。

 マルレーヌが問うと、ベルティーナは図星だったのかあからさまに視線を逸らした。

 

「まあ、アカリだってネウロイと戦わないだけさ。他の仕事を任せるんだ、立派な仲間だろ?」

 

「手、出す気だったのね」

 

「嫌がられてないしね」

 

「多分彼女、私たちにはイヤって言わないわよ……」

 

「それは……面白くない。断ることの大事さも教えてあげないと」

 

 もう何も言うまい。マルレーヌから何か言葉を発することはなかった。

 探索を続行、相変わらず重苦しい雰囲気を纏う曇り空の下を、ベルティーナとマルレーヌは目的の物を求めて歩く。

 

「ん……」

 

 ふと、ベルティーナが何かを察知し足を止めた。建物の陰からこちらへ向けて、何かが来る。

 

「ベル? いったい──」

 

「黙って」

 

 万が一もある。左手でマルレーヌを庇いつつベルティーナはホルスターからリボルバーを引き抜き、感じるままに建物の陰から飛び出した。

 

「──ッ!」

 

 リボルバーを構えると、相手も弓を構える。弓だ、小銃などではなかった。

 独特な改造扶桑陸軍軍装は八重のそれだった。他には恐らく存在しない。するかもしれないが、今この場に例外が居る筈はなく。

 

「なんだ、ヤエか。ビックリしたよ」

 

「射るところだった。次は気をつけて」

 

「はぁ……。こんな調子で大丈夫かしら」

 

 頭を抱えるマルレーヌの傍ら、ベルティーナは華麗なガンスピンと共にリボルバーをホルスターへ収める。

 

「燃料はあった?」

 

「今のところは全部ハズレさ。車も何もありゃしないよ」

 

「そう。この先、文字が掠れてたけど多分六番? 倉庫で燃料の匂いがした。行ってみたら?」

 

 思いがけない情報提供だった。見回りの八重から、思ってもいない情報がもたらされた。

 

「ありがとう、ヤエ。今度なにかご馳走させてよ」

 

「要らない」

 

「空振りかぁ……。ボクも腕、落ちたかな」

 

 きっぱりと八重にデートの約束を断られたベルティーナは、マルレーヌを引き連れて六番倉庫とやらへ向かう。

 その途中だった。

 

「ん、バイクの車輪かな」

 

 放置されたままなのか、バイク用とおぼしきホイールの錆び付いた細い車輪が転がっている。都合良く、六番倉庫のちょうど前だ。

 扉は固く閉ざされていた。期待が出来そうだ、とベルティーナが意気込んで手を掛けた。両手で必死に、全身を使ってスライドさせようと試みる。

 

「ふっ……! くゥッ! 開かない──!」

 

 だが巨大な鉄扉だ、開く筈がない。どれだけベルティーナが歯を食いしばっても、扉は侵入者を拒み続ける。

 

「魔法使えば?」

 

「そうしようか」

 

 あっさりだった。ただ、魔法力も無限ではない。むやみに使わないというベルティーナの判断が間違っていた訳ではない。

 失念していたのは事実だが。

 とにかく、魔力顕現の証拠として狼の耳と尻尾を見せたベルティーナ。非常にゆっくりだが、重厚な扉が鈍い音を立ててスライドしていく。だが、すぐに限界が見えた。

 

「む──ムリッ! 手伝ってくれないかな……っ!? マルレーヌ!」

 

 いくら筋力も幾分か人間より優れているウィッチといえど、限度はある。無理をすれば身体を痛めかねない。

 

「ハァッ……。ホントに、それじゃ落ちる女の子もいないわね」

 

 呆れ半分に髪を手で払うと、使い魔として従わせるライオンを顕現させ、魔法力を解放するマルレーヌ。

 ベルティーナが扉を引き、マルレーヌが空いた隙間から押す。ウィッチ一人加わると、それは意外にもあっさりと開いた。

 

「はぁ……開いた。助かったよ、マルレーヌ」

 

「全く、汗びっしょりで言われても何もときめきゃしないわよ?」

 

「手厳しいね……。よし、調べようか」

 

 体力を消費はしたが、ベルティーナも軍人である。この程度で這いつくばるほど軟弱ではない。

 反対にマルレーヌは何事もなかったように涼しい顔をしているが、これは彼女の魔法に筋力強化が少し強く掛かっている為。ライオンを従わせる彼女の力は伊達ではなかった。

 

 中に入った二人は懐中電灯で辺りを照らす。非常用として装備品に入れていたものだ。

 扉も完全には開いておらず、内部は薄暗い。

 

「確かに燃料の匂いがするね」

 

「そうね。ちょっと隊長に連絡するわ、ベルは捜索を」

 

「了解、お嬢さん」

 

 誰がお嬢さんだ。ベルティーナへ舌を出して反論しつつ、振り返ってインカムを押し込む。

 

「隊長、燃料は多分全滅です。不純物だらけで……」

 

〈あるにはあるのか?〉

 

「ええ。今、新しい捜索範囲を探っていますし。その前にもガソリン缶を幾つか」

 

 マルレーヌの報告に対し、イヴリンが無線越しに唸る。よく耳を澄ませると、明里が慌てるような声を上げているのが聴こえてきた。

 

〈フィルターを捜そう。ろ過すれば、一時的には動かせるかもしれない〉

 

「何でろ過を?」

 

〈使えそうなものは使う。コーヒーフィルターでも行けるかもしれない、こっちで探してみよう〉

 

「うわっ! マルレーヌ、スゴいものがあったよ!」

 

 交信途中に割り込んだベルティーナ。その声はイヴリンにもよく聴こえていた。

 

〈何があった? 報告してくれ〉

 

 困惑を見せるイヴリンの声。ベルティーナは慌てたようにインカムを手で触れる。

 

「最新式のブリタニア製バイクですよ! トライアンフ3HW……少し埃かぶってるけど、状態は悪くない」

 

〈動かす燃料は? 無いんじゃないのか?〉

 

「それを探すんですよ。車両は引き上げてるか、破壊されてますね。コイツだけ置いてかれたんだ。なんにせよ、ロンドンへの簡単な買い出しくらいになら使えますよ」

 

 なるほど。イヴリンが答えた。

 

〈わかった。こっちでコーヒーフィルターか何か捜してみる。ベルティーナ、マルレーヌの両名は、八重が行う基地警戒に協力すること。見つけた燃料をかき集めてからでいい〉

 

 イヴリンの指示に了承の意を返す。燃料をかき集めて、この六番倉庫に保管しよう。マルレーヌが動こうとすると、彼女の後ろでけたたましい音が響いた。

 

「掛かっちゃった、エンジン」

 

 ベルティーナは埃の被ったバイクに手を掛け、鼓動を打つように振動する車体のエンジンを吹かす。

 低い唸りのようなエンジン音は重たく、それでいて力強い。回転数を上げようとすればそれは尚更顕著になった。

 

「……ガソリン集めにいくから、エンジン切って。あとバイクのエンジンはなんとかなったって、ベルから伝えてね」

 

 もう何も言うまい。本当に言うまい。マルレーヌはバイクに夢中なベルティーナへ釘を刺すと、倉庫を後にした。

 あとは明里が何か困っていなければいいが。出会って数日にも満たないというのに、マルレーヌは何処か彼女を気にせずいられなかった。




 今回は欧州組です。プレイガールなベルティーナと、それを制するマルレーヌの組み合わせ。
 結構お気に入りなコンビだったりします。

 今回ではトライアンフ3HWというバイクが登場しています。
 なかなかカッコいい軍用バイクですので、気になったら調べてみてくださいね!

 次回は明里、イヴリン、フェオドラ組になります。お楽しみに。


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第七話『物資を探して-食料、弾薬組-』

前回の話で、裏側になっていたイヴリン側のお話になります。


「さて、宿舎まで来たのはいいが……」

 

 食料、弾薬探索組のイヴリン、明里、フェオドラの三人がまずやってきたのは兵員宿舎だ。

 この基地を使うのであれば、ついでに検めておけば八重の負担も減らせる。人気はないが、念には念をだ。

 イヴリンは1911を、フェオドラもTT-33ピストルを取り出してそれぞれ初弾を籠めた。

 

「アカリ」

 

 建物を進む前に、イヴリンが明里へ声をかけた。

 

「ここはもう閉鎖されてるとは思うが、軍事施設だ。何があるか分からない。私たちから離れず、変な物には触らないこと。何かあればフェオドラか私に教えるんだ、出来る?」

 

「大丈夫……。うん」

 

 少々重圧になってしまったか。明里は生唾を呑み込んだ。しかし、仕方がない。それがこの世界で、イヴリンたちに付いていくためのルールのようなものなのだから。

 

 重苦しい重圧さえ感じる埃っぽい建物内を、イヴリン、フェオドラの二人に付いて回る明里。

 まず見に行ったのは調理場だった。

 

「匂いがすごい……」

 

 立ち入った瞬間に込み上げた悪臭に、思わずフェオドラが鼻を左手の甲で押さえた。恐らく、献立用の食材が放置されて傷んだのだろう。片付けないと、いざ湧いた食欲も失せてしまいそうだった。

 

「缶詰か何か無いですか? 戸棚とか、そういうところに」

 

「私が調べるよ。フェオドラ、手分けしよう。アカリも、調理場を調べて何かあったら教えて」

 

 戸棚はイヴリンとフェオドラが。明里も周囲を見渡して、調理場を探る。

 次々に戸を開けていくと、やはり保存食は幾つか見つける事が出来た。だが、決定的に量が足りない。一日をここで明かすだけならまだしも、何日ブリタニアに居るかはまだハッキリとしないのだ。

 それで六人の食事を賄うにはあまりに量が少なかったし、缶詰では気心知れた仲が大半とはいえ士気にも関わってくるだろう。

 

「どうするかな。調理器材が使えれば、あとはトゥシャールたちが車と燃料を見つけてさえくれるなら買い出しも手段に入るが……」

 

 頭を悩ませるイヴリン。こうしては居られないと、明里が彼女へ歩み寄った。

 

「洗えば使える鍋だとか、そういうのは残ってるよ。水は……まだ生きてるね」

 

 蛇口を捻れば水は出た。給水塔は生きているらしい。もっとも、そのまま飲める水にはおおよそ見えない有り様だったが。

 

「火は分からないけど、完全に人が居ないなら外で焚き火をしてもいいと思う。水はしっかり沸騰させてから、調理器材も煮沸消毒すれば使ってもお腹を下す事はないと思うけど」

 

「……そうだな。それなら、まずは缶詰と調理器具をかき集めようか。トゥシャールたちに連絡を取るから……フェオドラ、明里と一緒に器材を集めてくれ」

 

「了解しました。アカリちゃん、やろっか」

 

 フェオドラの言葉に頷いて、明里もキッチンの収納棚を開けていく。流石にこんなところにトラップがある訳もなく、がたがたと音を立てつつ鍋を引っ張り出していく。

 ふと、収納棚奥の器材を取り出そうとして手を突っ込んだ明里の腕に違和感が走る。何かがくすぐってくるような、そんな違和感だった。

 

「ん?」

 

 気になって腕を引いた。二の腕を走った違和感の正体は、黒々とした輝きを放つ虫だ。

 

「ひあぁぁぁぁぁッ!?」

 

 不意を突かれた上に虫が得意という訳でもない明里が、すっとんきょうな悲鳴を上げる。

 こういう時、人間というのは意外と動かない。ただ一度気を取り戻してしまうと、とにかく振りほどこうと暴れてしまう。

 

「アカリちゃん……! 待って! 暴れないで、取ってあげるから……!」

 

 ベルティーナたちと交信を行うイヴリンが少々心配そうに様子をうかがう中、フェオドラが明里から虫を取って窓から外へ放る。

 

「よ、良く取れますね……」

 

 跳ね回る心臓と荒い呼吸を調えつつ、明里はフェオドラの勇気を称えた。というより、元から何でもないように彼女は取って見せたが。

 

「一応、軍人だから。野営じゃこんなことも良くあるの……」

 

「あっ、そっか……。虫よけスプレーだって、大して役に立たないしなぁ」

 

 改めて、軍人という存在に興味が湧いた。虫を取れるという意味でなく、どのような生活をしていたのかが気になった。

 

「フェオドラ、アカリ。コーヒーフィルターがあれば持っていこう。トゥシャールたちに連絡を取ったが、車は無い。だがバイクがあるらしい。燃料も、不純物さえ除けば一時的に使えるかもしれない」

 

 通信を終えたイヴリンが新たな仕事を持ち掛けた。コーヒーフィルターといわれ、周囲を見渡す明里。

 フェオドラも首をかしげた。

 

「ブリタニア人って、コーヒー飲みますか……? 泥水って言いそうですけど……」

 

 うぐ、とフェオドラの言葉を受けたイヴリンが唸った。

 

「反論出来ん……。私も正直紅茶派だが、コーヒーを飲まない人間がいない訳ではないだろう。幾つかは取り揃えがあっても良い筈だ」

 

 無理矢理納得させるように頷くイヴリン。

 何もコーヒーフィルターじゃなくても良い。目の小さめなネットだって、浮いた錆をふるいに掛ける位は出来るだろう。

 無いなら無い、だ。武器、弾薬庫を見に行ったついでに探すのも良い。

 

「少尉、私がコーヒーフィルターを探します。ここから人の気配はしませんし、武器弾薬も並行して探すべきです」

 

 不意に、フェオドラがそう申し出た。

 調理場は粗方探してしまった。調理器具は全て出してしまったし、缶詰もあるだけかき集めた。

 フェオドラはウィッチであり、軍人だ。いざというときに無力な訳でもない。

 手分けをすべきだ、という彼女の意見は無謀ではないように思えた。明里を残すことに不安があるなら、結局はどちらかに付いていくしかない。

 ならば、明里もイヴリンについていく方が安心できるのではないか? それがフェオドラの考えだった。

 

「アカリ、どっちがいい?」

 

「ふぇ!? えっと……えー!?」

 

 イヴリンに問われて、明里は困り果てたように声を上げた。イヴリンを選べばまるでフェオドラを嫌ったように思われるような気がしたし、逆もまた同じだ。

 意地の悪い質問だ、と明里がむくれる。

 

「少尉」

 

 フェオドラも理解しているのだろう、言い聞かせるようにイヴリンを呼ぶ。

 

「あははは! ごめんよ。よし、じゃあまず約束だ。武器、弾薬庫にいくけど私が良いと言った物以外には触れないこと。暴発したりしたら大変だからね」

 

 大袈裟に笑うイヴリンから言われ、明里はおずおずと頷いた。恐ろしくて銃器など触れはしない。

 フェオドラ一人に任せるのも気は引けたが、彼女は明里へ視線で『イヴリンと行ってきて』と言っているような気がしてならなかった。

 

「じゃあフェオドラ、フィルターは任せるよ」

 

「はい。宿舎の見回りも同時にやっておきます」

 

 軽めの敬礼を見せたフェオドラを宿舎に残し、イヴリンと明里は兵員宿舎を後にする。

 イヴリンはインカムの向こうにいる八重へ、この基地の配置を訊ねるべく交信を試みた。

 

〈こちら八重〉

 

「ヤエ、武器庫と弾薬庫は見つけたか? 宿舎をフェオドラに任せてこれから行くんだが、場所が分からない」

 

〈そこから遠くはない。保管庫の横に壊れた対空機銃が棄てられてるから、それが目印〉

 

「了解した。引き続き見回りを頼む」

 

〈了解〉

 

 交信終了。重苦しい空の下を明里と共に歩きつつ、イヴリンは空を見上げる。

 ネウロイと戦うより、今は生きる手段を探すことに手一杯だ。ガリア、ベルギカは海を挟んですぐ目の前だと言うのに、まずは補給が先とは。

 

「うぅーん! ……はぁ。今日は物資を漁ったら、休息だな。皆にも無理をさせてるし」

 

 大きな伸びをして、イヴリンは呟く。

 肩を回し、鈍りつつある身体を動かしていった。

 

「今日は外ですか?」

 

「いや……宿舎があるんだ、そこを使おう。ベッドの寝心地がいいかは保証しないけどね」

 

 広大な基地を二人で歩く。冷えた風が色味の無い不気味な基地内を駆け抜ける。

 ふと、明里は気になってイヴリンへ訊ねた。

 

「あの、寒くないの?」

 

「なんで?」

 

「いや、あの……下──」

 

「ズボンのこと? ああ、脚は丸出しだしね」

 

 そうだけど、そうじゃない。第一に、明里の常識ではイヴリンがズボンと呼んだものはズボンではない。

 

(まともなのは私だけ?)

 

 いや、むしろ異常なのが自分なのか。明里が折れんばかりに首をかしげる。

 

「逆に良いかい。明里はずいぶん変わった格好をしてるよね。ベルトも長いし、ズボンなんて見えない」

 

「普通そこは見せないの……」

 

「何故?」

 

「下着だから!」

 

 叫んだって、イヴリンは理解できない。今度はイヴリンが首をかしげた。

 ズボンが下着? 妙な事を語るものだ、と彼女は思った。やはり明里の来た世界は面白そうに感じる。

 

「本当、叶うなら見てみたいよ。明里の世界」

 

「叶うなら、ですけどね」

 

 勿論、そんなものが叶う訳もない。明里が1942年にいる、ということさえ実感がまだ湧かないのだから。部隊についてまわって、ようやく彼女の常識の外にウィッチ達がいることは分かったが。

 

「壊れた対空機銃……ここか」

 

 イヴリンが足を止めたその先に、比較的小さな建屋が鎮座している。八重の報告通り、横には壊れてひしゃげた対空機銃とそれを載せた銃座が放置されていた。

 

「じゃあ明里、私と話したことは忘れずについてきて。外にいても良いけど、万が一狙われていたりすると大変だ。八重が報告してきてないから、大丈夫だとは思うけど」

 

「端にいれば良い?」

 

「うん、それでいいよ。銃は重いから、弾薬だけ持ってもらおうかな。勿論、残っていればだが」

 

 武器、弾薬保管庫は危険物が大量の火気厳禁エリアだ。そのせいか、少々開けた場所に存在していた。狙撃手がいれば、狙いやすいことだろう。

 万が一を考えれば、明里を外に待機させるよりはイヴリンの監督下で武器庫に入室させてしまった方が分かりやすい。

 

「……やはり、残ったのは状態の悪そうな物だけかな」

 

「でも、それでもたくさん……」

 

 武器庫にはイヴリンからすれば外れ、素人である明里から見れば大層な武器が置かれていた。

 火力があり、汎用の利く武器は大半が持ち出されてしまっていたが、一部は残されている。イヴリンが手にとって確かめるが、作動の感覚が良くないものばかりだった。

 状態の悪い武器は放置されたのだろう。簡単な結論だ。

 

「弾は残ってるね。弾薬箱に入れていくから、力仕事の用意を──あれは……」

 

 弾薬だけを集めよう。イヴリンがそうしようとした時、彼女はある一点で巡らせていた視線を止めた。

 壁に立て掛けられている長物。それは現在いるブリタニアには本来無いものだった。

 

「MG34……? どうしてカールスラント製がこんなところにあるんだ」

 

「何か変なんですか?」

 

「うちの国じゃ作ってない銃だからね。いや、待てよ……」

 

 MG34を手に取り、確かめるイヴリン。作動は滑らかそうで、レバー類も気掛かりな引っ掛かりはない。

 そもそもアッパーレシーバーが交換されていた。給弾部に向かって、何か固定具のようなものが伸びている。

 

「……私の知っているものより、リアサイトも高いな」

 

 跳ね上げ式の照門も通常の物より背が高く、合わせて照星も高さが増されていた。

 通常仕様では明らかに必要がないどころか、アッパーレシーバーの交換状態を見れば、ベルト給弾では使い物にならないはずの改造である。どうしても疑念が湧く。なぜ、こんなことをしたのかと。

 

「イヴリン、近くに転がってる変なの。それ、何か使えるんじゃ?」

 

 明里がイヴリンの足下を指差した。下を見ると、大きな弾倉が転がっている。円筒が左右に大きく回り込むような形状をしている、不思議なものとして明里の目には映った。

 

「これ、ウィッチ用のカスタムか?」

 

 弾倉を拾い上げ、MG34の交換された給弾部にそれを被せるように装着する。固定具で銃本体と弾倉を挟み、しっかりと嵌め込んだ。

 そうすると、かさを増した照準器も交換されたアッパーレシーバーも、全てが納得がいくように改造されていたことが初めて分かった。

 大型化された弾倉は背が高く、通常の照準器では高さは足りない。それに、弾倉給弾式に変更しているならアッパーレシーバー全ての開放は必要ない。本来ベルト給弾式ではあるが、MG34は下向きに空薬莢を排出し、右向きにベルトを排出する。弾倉使用も予測されており、ベルトも無いため右面が埋まったところで困りもしない。

 装填数はおおよそで百連分といったところか。こんな一見すれば必要ない改造を、現在のネウロイ戦において、一般兵向けに使ったりはしない。

 

「間違い無い。ウィッチ向けのMG34だ……。カールスラント製の交換パーツ流用の、結構思い切った改造だが」

 

 MG34を肩付けで構え、イヴリンは呟く。単発射撃はほぼ不可能だろう。照準器が申し訳程度にしか機能していないため、狙撃代用する意味がない。

 

「どうしてウィッチ用だと?」

 

 明里に銃の知識はない。イヴリンが呟いたようなことも、彼女には何一つ理解できていないし、何をもってそれをウィッチ用の改造だと言い切るのかが気になって彼女は訊ねる。

 

「ネウロイとの戦闘で、私達が行うのは空中戦だ。空を飛べるのは分かったろう?」

 

 イヴリンの問いに明里が頷くと、更に話を紡ぐ。

 

「空中戦ではとにかく補給が出来ない。いくら人より力を発揮できても、弾が切れれば基地に引き返さなきゃならない。だからといって、弾薬のベルトを吊り下げて飛ぶわけにはいかないんだ」

 

「何故?」

 

「エラーだよ。給弾中のベルトが、飛行時に変な曲がり方をしたりすると操作不良を起こすこともある。どこかに引っ掛かるかもしれないし。──勿論、全部がそういう理論ではないけどね」

 

 手に持ったMG34を使い、イヴリンは明里へジェスチャーを交えて説明する。この時代の軽機関銃では一般的だったのは、むしろ箱型弾倉だ。ベルト給弾可能なMG34、それに最新のMG42は珍しかった。イヴリンとしても、説明がしづらい。

 本来一般人にここまで銃の詳しい話をすることはなかったから、尚更だ。

 

「とにかく、スピードが必要なんだ。のんきに隠れたりする暇も無いから、弾が切れたら素早く交換できる方がいい。でも弾薬数が減ると困る」

 

「要は、わがまま改造ってこと?」

 

「まあ、そうだな。どっちも無きゃ困る。だから開発部門を悩ませる。好きでやってくれる国、部隊もあるだろう。けど、ウィッチを嫌っている部隊に引っ掛かったら最悪だな」

 

 イヴリンが見つけたMG34は元々のパーツに弾倉給弾があるが、他はそうでもない。

 中には無理矢理給弾方式を換えて使用するウィッチもいる。ベルティーナなど、この部隊にもそういうウィッチがいる。

 

「大変なんだね」

 

「でも、楽しいこともある。紀子と出会わなければ、私には分からなかったかもしれないがね」

 

 イヴリンの話はそこで終わった。昔話はまた別な機会に。

 弾薬を集めるため、イヴリンが見つけた弾薬箱にありったけを詰める。ブリタニア軍基地ではあったが、ウィッチ用の改造銃があった。それもカールスラント製の。それ故なのか、MG34用の7.92mm弾共々そこそこ幅広い国の弾薬が手に入った。

 

「流石に全員分を賄うのはここだけじゃ無理か。幾つか銃を整備して行き渡らせるしかないな。MG34もあるし、纏めて持ち帰ろう」

 

「は、はい……!」

 

 弾薬箱を持ち上げる明里。ありったけの金属薬莢弾を、鉄製の箱に押し込んだとなると見かけ以上の重さがあった。

 それを両手に持ち上げるのは、戦争知らずの一般人には少々つらい。しかし、イヴリンも銃火器の運搬で手一杯だ。

 

「大丈夫かい? 急がなくていい、なんだったら往復しようか?」

 

「だ、大丈夫! 行こう……?」

 

 弾薬箱を下げる明里の腕は震えていたが、それでも彼女は甘えなかった。

 イヴリンは少々心配そうに彼女を見つめ、だが頷いた。

 

 武器庫の外へ出ると、低い唸りが二人を待ち受けた。

 黒い鉄馬とも言えるバイクに跨がってベルティーナが待っていた。健康的な褐色肌を冷たい風にさらしつつ、それも気にしない涼やかな表情で二人を迎える。

 

「ベルティーナ? バイク、動いたのか」

 

「ええ。通信を終えてすぐに。で、何やらお嬢さんが大変そうなんでマルレーヌに燃料を任せて追ってきた訳です」

 

 ベルティーナの視線が、苦しげな明里へ向けられる。しかし、すぐにイヴリンが間に割って入って睨み付けた。

 

「ベルティーナ、まさかマルレーヌを置いてきたのか?」

 

「はい。彼女なら大丈夫ですって」

 

 あっけらかんとベルティーナは返す。

 

「……帰ったら殴られるな、ベルティーナ」

 

「まあ、女の子のためならボクはなんだっていいですよ。アカリ、それをバイクの後ろに積もう」

 

 スタンドを立て、ベルティーナがバイクを降りる。バイクの荷台にはあらかじめロープがくくりつけられていて、明里から弾薬箱を受け取ったベルティーナが荷台にそれを縛り付けていく。

 

「よし、と。少尉、銃だけ頼みました」

 

「分かってる。ついでに運べなんて言わないさ」

 

「じゃ、また後で。六番倉庫に燃料を集めてますから、弾薬は離して置いておきます」

 

 高鳴ったエンジン音と共に、砂ぼこりを巻き上げてベルティーナはバイクを発進させる。

 見ている限りは好調に動いているようだ。

 

「アイツめ……。だがまぁ、助かったかな」

 

「すごくありがたかったです……正直」

 

 申し訳なさそうにイヴリンから視線を逸らす明里。

 気にしなくていい。イヴリンはそう語りかけて、明里と共に基地を移動し始めた。

 途中、八重も合流し、三人で六番倉庫へ向かう。

 空は曇りのまま、既に太陽は天辺を越え、傾き始めていた。




 ようやく物資探しが終わった……。眠い……。

 今回からウィッチ専用カスタムMG42S(資料集のみの名称ですが)の前身、MG34が増えます。
 使用者は決めております。あの頃のドイツ銃はどいつもこいつもカッコいいのだ……。


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第八話『そして怪異は目前に迫る』

「成果を発表しようか」

 

 六番倉庫。イヴリンは部隊のメンバーを集合させ、それぞれの成果を調べることにした。

 車両、燃料組であるマルレーヌ、ベルティーナの一番の成果であるバイクは静かに倉庫の真ん中に鎮座しているが、他にもまだ、ありったけ集めたガソリン缶があった。

 

「車両は全部破壊されたか、ブリタニア軍が引き上げたんでしょうね。残ってたのはコイツと──」

 

 ベルティーナが見つけたバイク、3HWのシートに右手を載せて語る。

 それから視線はガソリン缶へ。

 

「──不純物だらけのガソリン缶ならありました。これ以外は何も」

 

 それ以外には何も無かった。ベルティーナは申し訳なさそうに首を振る。

 

「いや、気にしなくていい。ひとまず走れるバイクを見つけてくれたお陰で助かった」

 

「本当にありがとうございました」

 

 実際に助けられた明里が深々と頭を下げる。

 ベルティーナがバイクを走らせなければ、明里もスタミナを切らしていたに違いない。

 

「気にしなくていいよ、アカリ。ボクが勝手にやっただけだからね。力仕事は大変だし、折角の綺麗な肌も汚れるだろう?」

 

「ベル、一言多いわよ」

 

 また少々ナンパな一言を加え入れるベルティーナを、マルレーヌがじっとりとした視線で睨めつける。

 

「マル、嫉妬かい? そうだね……じゃあマル、後で一緒にドライブでもしよう──」

 

 言いかけて、頭にマルレーヌのげんこつが落ちた。

 

「いっ──たぁ……」

 

 ぶたれた頭を抱えて屈み込んだベルティーナ。あまりに痛かったのか、涼しげだった表情は失せて涙目になっていた。

 

「少しは節操を持ちなさい! クルピンスキーさんじゃないんだから……」

 

「彼女にはボクなんかじゃ敵わなかったさ!」

 

「そうじゃないっての……!」

 

 口論も最高潮に達しようとした時、明里が手を叩いて場を纏めた。イヴリンでも誰でもなく、明里が場を制した。

 驚いたのはイヴリンだけではない。八重ですら、彼女の行動には驚いた。

 

「……不思議だ。紀子にもよくそうやって、手を叩いて口論を止めるクセがあったんだ」

 

「へ!? あ、ごめんなさい! 思わずクセで……」

 

 出過ぎた真似をしたと、申し訳なさそうに縮こまる明里。慌ててフォローするイヴリンも大変だ。しかし、何せ明里以外は皆軍人。彼女には遠い人間なのだ。ましてや、魔女となれば尚更だった。

 

「続きを話すべきじゃ?」

 

 会話の間、じっと物珍しそうにバイクを眺めていた八重だったが、話が脱線し始めたのを察知して声を上げる。

 

「じゃあ、次は私たちかな」

 

 イヴリンはそう話して、回収してきた銃火器を改めて床に整然と並べていく。

 大半はエンフィールド小銃と、その弾薬だ。それからブリタニア軍の制式ピストルであるウェブリーピストル。

 それ以外はカールスラントのMG34、リベリオンのM2重機関銃、ガリアのブレンガンなどウィッチ向けとおぼしきカスタムモデルだけだ。弾薬は少なく、試射をする余裕もない。

 

「エンフィールドもウェブリーも、状態がよくない。だが、MG34やM2といった比較的新型の武装があったのは奇跡だな」

 

「本当に……。どれもウィッチ専用ですね、ここはウィッチの基地だったのかな」

 

 MG34を持ち上げたベルティーナが不思議そうに呟く。ウィッチが配属されていなければ、当然こんな手の込んだカスタム銃など存在する意味がない。他の場所に配備すべきだ。つまり、彼女たちがたどり着いたこの基地は少なからずウィッチに関係のある基地だったのだろう。

 ネウロイ制圧下のガリア、ベルギカ共に近い。ブリタニアからウィッチを送り出すにはピッタリの場所でもあった。

 

「問題は、誰がこれらを使うかだ」

 

 イヴリンはベルティーナから機関銃を受け取り、改めて皆へ訊ねた。歩兵用の通常武器はともかく、ウィッチカスタムの機関銃類は強い味方になるだろう。イヴリン自身、多少揉めるのは想定していたが。

 

「隊長じゃ……ないんですか?」

 

「流石にボクたちは武器、あるしね」

 

「カタナに拳銃じゃ、ちょっと火力不足よね」

 

 フェオドラ、ベルティーナ、マルレーヌの意見はイヴリンが武器を増やすべきというもので一致していた。端から見れば扶桑刀一振りに、愛用してきたとはいえピストル一挺では不安も覚える。

 この先の戦いは激化すると予想できたし、イヴリンが火力増強を行うことに関しては誰も反対しなかった。

 

「MG34ならまだ歩兵向けですし、多少弾もあるんでしょう? なら、隊長はそれを使えばいい」

 

 ベルティーナは手に持ったままだったMG34を軽く放り上げて銃身を掴み取り、イヴリンへ差し出した。

 

「……いいのか?」

 

 やはり反論は無い。八重も特に興味はなさそうだった。

 ならば言葉に甘えよう。イヴリンはMG34を受け取り、天井へ銃を向けて照準器を覗く。感触は悪くない。ブリタニア製のボルトアクションでネウロイとの空中戦を繰り広げるよりは、よほど増しと言えた。

 

「監視報告、いい?」

 

 MG34の様子を眺めていたイヴリンへ、八重が踏み込んだ。彼女も重要な役割を担っている。

 イヴリンが報告を頼むと、八重は基地を見て回った感触を説明し始める。

 

「基地は放置されて、恐らく数ヵ月以上経過している。危険はない。肝心の通信設備は、一部の機器に不具合がありそうだけど、ちょっとした修理で直る」

 

 それから、と八重が続けた。

 

「それから、作戦指令室らしき部屋に地図があった。ベルギカ、グツェンホーフェン基地に向けて派兵の予定があったみたい。もしかすると、助けを求めているかも」

 

 長い横髪を手で軽く払いつつ、八重が報告を終える。

 ベルギカ、グツェンホーフェン。ガリアとどちらにしてもネウロイと戦う前線だ。ウィッチが居たであろう基地の者が、グツェンホーフェンへ兵を送ろうとしていたのなら、そちらへ向かってみるのも良いかもしれない。報告を聞いたイヴリンは顎に手を当て、最終決断を行うために思考を回す。

 

「よし、通信機器の修復を行いながらグツェンホーフェンへ向かう予定を立てよう。通信復旧次第、あちらの様子をうかがって再度目的地を考える」

 

「了解!」

 

 ベルティーナが敬礼と共に声をあげる。それから靴音と軍服の擦れる音が倉庫に反響するほどに力強く、綺麗な敬礼が全員からイヴリンへ向けられた。

 

「よし。そうだ、フェオドラ? コーヒーフィルターはあったかい?」

 

 すっかり失念していた。イヴリンは忘れていたことを誤魔化すように額を掻きつつ、フェオドラへコーヒーフィルターの有無を訊ねた。

 

「あるにはありましたけど、本当に少しだけでした……。燃料の量と釣り合うかどうか……」

 

 ブリタニアは紅茶の国と言っても過言ではない。モーニングティーにランチティー、ナイトティー。細分化すればこれだけでは済まない。そういった国の基地だから、むしろ少しでもコーヒーフィルターが見つかったのは奇跡と言える。

 ほんの少しのフィルターではあるが、燃料を濾す事が目的だ、気にはならない。

 

「上々だ、フェオドラ。ありがとう。よし、コーヒーフィルターは預かるとして、ここから暫く出撃を繰り返すことになる。いつブリタニア軍がこの基地へ帰ってくるか分からないが、巡回は定時のみとする。飛行訓練は暫く無し、各々イメージトレーニングだけは忘れないように」

 

 了解、とウィッチたち。イヴリンはそれから明里の方へ向きを変え、彼女へ別な指示を下した。

 

「アカリには料理だとか、身の回りの手伝いをしてもらう。それから、私が最低限のスタミナを付けられるように運動させるから、そのつもりで」

 

「隊長、アカリには色々やってもらうんだし、いざって言うときはボクたちで守れば……」

 

 ベルティーナが出した反論は、次の瞬間マルレーヌによって切り捨てられた。

 

「バカね。私たちは航空ウィッチよ? 空を飛べないアカリを、いちいち見てなきゃいけないの? それより、ネウロイの攻撃に晒された時が一番恐いわ」

 

 マルレーヌの語る通り、ここにいるウィッチは全て航空ウィッチだ。戦闘になれば全員が空へ上がるし、明里には酷だがいちいち護衛を付ける訳にもいかない。戦力を割く余裕は現時点では全く無い。

 ネウロイの攻撃に明里が晒されたなら、彼女には逃げる以外の術は無く、避難できる場所が近いとも限らない。そんな時に『もう走れない』などと泣き言を言う前に、ネウロイは明里を殺すだろう。

 軍人ほどの訓練は必要無いにせよ、明里にもいざというときのスタミナは必要だった。

 

「マルレーヌが言った通りだ。アカリ、君は一般人だからそれなりに手心は加えるつもりだけど、やれるかい?」

 

 イヴリンが問う。明里は生唾を呑み込んで不安でいっぱいになり始めた思考を振り払うように頭を振り乱す。

 大丈夫、心配ない。明里もここまで付いてきたのだ、むしろ望むところだと思うようにする。

 

「大丈夫。やれます!」

 

「いいね。凛々しい顔のアカリも綺麗だよ。オフが出来たら、ボクとデートしよう」

 

 明里へ歩み寄ろうとしたベルティーナの上着の襟が掴まれ、彼女はマルレーヌの元へ引き戻される。

 

「アンタは黙ってなさいってのッ!」

 

 そして二度目のげんこつがベルティーナに落ち、再び彼女がうずくまった。

 笑いに包まれる倉庫。しかし、気付けば分厚い曇り空の隙間から夕焼けの光が漏れている。

 

「よし、夜まで休憩にしよう。八重、指令室に案内してくれ。私は通信機器を見てみる」

 

「わかった」

 

 イヴリン、八重の二人は倉庫を後にして指令室へ向かう。残されたウィッチと未来の異世界から来た一般人、明里。

 彼女たちもフェオドラの提案で、宿舎へ向かうことにした。

 目的地は恐らくベルギカ。明里にはベルギカという国も分からない。認識がやはりズレている。しかし、この世界の敵であるネウロイとの戦闘は、もう間も無くだと考えていた。




目的地はベルギカ、グツェンホーフェン基地になりました。
今回は少し短いですが、個人的にはオーケーラインなので許してください。

ベルギカ、グツェンホーフェン。これも昔書いていたSW二次で出した基地になります。
早くネウロイと戦え()


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第九話『なかよくなりたくて』

 宿舎へやってきた明里たち。部屋は各隊員二人部屋で用意され、放置されたことで少々カビ臭くなってはいたものの、床で寝るよりは圧倒的にマシであろうベッドが、それぞれ全員分しっかり整頓されていた。

 

「これ、フェオドラが一人で?」

 

 建物の損傷はともかく、塵や埃にまみれていたであろう部屋は、ずっと綺麗に掃除されていた。マルレーヌはその光景に目を奪われつつも、フェオドラへ問う。

 

「はい。……建物の見回りも終わって、時間はたくさんありましたから。部屋はこちらへ」

 

 フェオドラは各々を部屋へと案内していく。おおまかに部屋割りは決めていたらしい。

 隊長であるイヴリンも、作戦に関係の無いところには比較的寛容だ。むしろフェオドラに任せていたかもしれない。

 マルレーヌはベルティーナと相部屋、八重はフェオドラと。

 イヴリンと明里は同じ方が互いに安心だろう。故に、彼女たちの相部屋はすぐに決めたという旨をフェオドラが説明すると、間髪入れることなくベルティーナから不満が上がった。

 

「ボクがアカリについた方が良くないかい? 隊長ばかりズルいよ」

 

「ズルい、ズルくないの問題じゃないでしょうに。というか、アンタそんなにアカリを気に入ったの?」

 

 マルレーヌは、自分本意に駄々をこねるベルティーナを、腰に手を当てつつ睨み付ける。ライオンを使い魔とするに相応しい、まさに猛獣の威嚇とでも言うべき威圧にも、ベルティーナは屈しなかった。むしろ「ああ、そうさ」と逆に胸を張って肯定して見せる。

 

「気に入ってるよ。それに、ボクだってもっと未来の話が聞きたいしね?」

 

「……アンタの善悪見極めるその眼は、確かに信用出来るわ。けど、アカリの意思はどうなのよ?」

 

 他人事ではないのだが、完全に蚊帳の外にされてしまった明里は「私、ここに居ますよ……?」と小さい声で存在をアピールする。しかし、今回ばかりはそれでは止まらなかった。知的探究心をくすぐられるのは、何もイヴリンだけではないということだ。

 

「隊長ばかりズルいだろう!? ボクももっとアカリと仲を深めたいよ! そうだよ、親睦を深めるべきだろう!?」

 

 一歩踏み出し、マルレーヌへ詰め寄るようにしてベルティーナは語る。

 

「とうとう()()()の本性見せたわね! アンタの親睦とやらには、頭に『意味深な』が加わるのよ!」

 

 対したマルレーヌも一歩も退かず、むしろ拳を握り締めて応戦した。

 

「なっ……!? そんなこと無理矢理なんてしない! ボクは野獣じゃないんだぞ!」

 

 売り言葉に買い言葉で、最早収拾が付かない。元々引っ込み思案ぎみのフェオドラも完全に狼狽えてしまっていたし、明里も口を挟むべきところを見失ってしどろもどろだ。

 ただ、一歩を踏み出さない訳にもいかないわけで。なにより放っておくと、話が大変な方向へと、嵐のごとく飛んでいきかねなかった。

 

「あ、あの! 未来の話が聞きたかったらまたお話しますから、フェオドラさんの部屋割りで行きませんか? もしくは、イヴリンが戻るまで待つか……」

 

 どうにでもなれ、といった覚悟があった。とにかくこの言い合いを止めないことには、何も事態が動かないと明里は悟った。銃を向けられたらそれまでだと。

 

「アカリが言うなら……。じゃあ、次の基地では相部屋になってくれるかい?」

 

 口論の激昂したテンションから一転、ベルティーナは少々屈み込んで明里を下から見上げつつ、懇願するように訊ねた。勿論、明里本人としても拒否するようなことはない。

 

「いいですよ。私も色々お話聞きたいですし」

 

 明里の快諾と共に、ベルティーナが「やった」と小さくガッツポーズを見せた。

 部屋割りでの揉め事が終息すると、指令室からイヴリンと八重が戻ってくる。

 

「綺麗になってるな……。フェオドラ、助かるよ」

 

 宿舎を最初に確認した一人であったイヴリンは特に、その驚きはひとしおだったようだ。

 

「いえ……。部屋割りは決めちゃいましたけど、大丈夫でしたか?」

 

 フェオドラが問うと、イヴリンは予想通り「大丈夫だよ」と問題無さそうに頷いた。明里が相部屋であることも分かっていたようで、それ以外でも彼女が不満を漏らすことは無い。

 

「食事の前に、指令室の状況を共有する。通信器機はあらかた直したが、予断は許さない。復帰を確認してすぐ立場を隠し、グツェンホーフェン空軍基地に連絡したが、やはり状況は芳しくないようだ。『ウィッチがいるなら送ってくれ』と懇願されたよ」

 

 目的地は変わらずベルギカである。イヴリンはそう語っているようだった。

 やはりか。ウィッチたちも特に驚いた様子ではない。彼女たちは無許可で戦線を離脱している。今や逃亡兵同然、大きな戦線はカールスラントなどもあるがリスクが高すぎる。

 いや、リスクなどどこの戦地も変わりはしない。ただカールスラントは1939年辺りから各国がウィッチを次々に送り込んでいたし、イヴリンという良くも悪くも比較的広く知られた存在を、あの『大舞台』とも言うべき場で披露するには早すぎるのだ。

 だからまずは優先順位が各国から比較的低い国へいく。本来ならばもっと小さな戦線であるだろう北欧、スオムス辺りにでも顔を見せるのが一番確実。しかしそれも、ウィッチだけならの話だ。

 一般人を乗せる貨物機などの支援を受けられない彼女たちには、明里を移動させる方法が直接搬送以外に無い。そうなると、スオムスはあまりに遠い。現在コネクションが持てて信頼の出来る軍属の人間ないし、ウィッチもいない状態では双方に負担だ。

 故にベルギカ。一度ガリアにあるネウロイの巣付近は迅速に通過し、グツェンホーフェン空軍基地へ入れるように顔を売る。それがイヴリンの出した答えで、大きく見たマルレーヌの計画とも言えた。

 そしてベルギカはウィッチを求めている。これは好都合だった。

 

「陸も空も休む暇がないって。義勇兵としてウィッチは来たけど、カールスラントを主に大体がベルギカより優先されている」

 

 弓を壁に立て掛けて、八重は語る。

 

「すぐ隣の国なのにね、カールスラントからベルギカなんて」

 

 マルレーヌは少々物憂げに目を伏せ、壁に寄り掛かった。「だからこそだろうけど」と最後に付け足しつつ。

 

「そうだね。ほぼ海も挟まないから、カールスラントからダイレクトに奴等は来る。ライン川とかはともかくね。ガリアには巣もあるし」

 

 カールスラントでのネウロイの討ち漏らし、ガリアからは巣から新たな発生がある。それが両国からベルギカに流れている。そう考える事も出来た。

 ベルティーナもどこか淋しげだ。

 

「川になにかあるんですか?」

 

 ベルティーナの言葉が、明里には少々引っ掛かった。

 

「ネウロイは水を渡れない。海を越えるには、奴等も空を飛ぶしかないんだ」

 

 イヴリンが腕を組みつつ語る。大戦線、カールスラントとベルギカは川を除けば陸で続いている。ネウロイが流れるとすれば、かなりの被害が想定できる。

 しかも国の反対側はネウロイの巣。両側から圧迫され、潰されるのも時間の問題に思えた。

 

「どうします? 隊長。ガリアを掠めるように飛べば、アカリを乗せたまま戦うことになりますよ」

 

「ガリアには近寄らない。更に外れを飛ぶさ。ベルギカ北部から直接上陸だ」

 

 少々楽観視も入っている。しかし、危険だからとしり込みしていては彼女たちに未来はない。自由はなく、いつかは捕らえられ銃殺が待っているだけ。だからイヴリンは、敢えて難しくは考えなかった。

 紀子の教えか、煮詰まりそうになったから笑う。それはつまり、深く考えるより動いてみろという意味になるのではないか。彼女はそう考える。

 

「まあ、ベルギカの軍に恩を売るのは有りですね。犯罪者だろうとしっかり働けば、働いてる間くらいは使ってくれるでしょうし」

 

 マルレーヌの作戦も、一歩間違えれば全員を破滅させかねないものだ。中には利用するだけ利用して、使い捨てようとする者や軍もいるだろう。だが、そんなことは百も承知。それを分かっているからこそ、イヴリンの力をより強く知らしめる必要があるのだから。

 

「じゃあ、本日就寝の前に、夕飯にしましょう! イヴリン、缶詰はあったよね?」

 

 両手を合わせ、明里は笑顔で話題を切り替える。煮詰まってはいけない。まずは食事だ、空腹だから腹も立つのだ。

 明里の提案はある意味、円滑な相談を進めていく為のものでもあった。

 

 □

 

 すっかり陽も落ちて、辺りは漆黒の闇に包まれている。周辺を照らすのは、場こそ変われどまた焚き火だった。

 基地の中からかき集めた紙片、木屑。あらゆるものを集めて、棄てられていたオイルライターで火を点けた。

 今回違う点があるとすれば、部隊で食事を摂っていること。缶詰ではあるが、軍用食だ。間違いなく腹は膨れる。

 飲料は大小様々な石と砂を拾ってろ過し、更に火に掛けて殺菌した湯冷ましだ。給水塔は生きているが、明里が確認した通り、そのままではとても飲めたものではなかった。

 

「アカリ、こっちの缶詰美味しいよ? 一口交換しないかい?」

 

「いいですよ」

 

 ベルティーナが明里にすり寄り、缶詰の中身を掬って明里の口元へ運ぶ。

 

「はい、アカリ」

 

「あ、はい。……あむっ」

 

 なにも特別なことなど考える事もなく、明里は差し出された食事を口へ入れる。

 望んだ反応を得られなかったのか、少々ベルティーナの表情が曇る。それを右斜め前から見ていたマルレーヌは見逃さず、「そら見なさい」と蔑んだ。勿論、聴こえないように。

 

「あ、交換でしたね。じゃあ、こっちもどうぞ」

 

「むぅ……。──ん、こっちもいいなぁ」

 

 普通に差し出された缶詰へ、ベルティーナは自身のフォークを刺し入れて料理を口へ運んだ。

 咀嚼しつつ、ベルティーナは思う。自分はきっとまだまだ甘いのだと。

 

 フェオドラも八重も、比較的明るく周囲へ接していた。やはり食事は大事だと明里が納得した時、彼女が羽織るジャケットのポケットの中で何かが振動した。

 入れているのはスマートフォンだ、そんなことあるハズがない。しかし、明里は端末を取り出すと画面を点灯させる。

 その一挙一動はやはり、ウィッチたちには不思議に映るのだろう。会話は少々控え目に、だが画面を見て目を丸くする明里を注視していた。

 

「どうして……」

 

「何かあったか?」

 

 イヴリンが明里の傍らに座り、その画面を覗き見た。到底彼女には理解の出来ない表示が画面いっぱいに映し出されている。

 

「どうかしたの? アカリ」

 

「どうして、ラインが来るの? ユーザー名も知らない人から、何も書かずに」

 

 明里のスマートフォンはバッテリーが生きている。しかし、電波などがなく使用できるのは電卓やカメラ、音楽プレイヤーなどネットワークを使用しないものだ。

 ソーシャルネットの類いは一切機能しないし、繋がる訳もない。それが差出人が一切不明のまま、彼女の端末に届いた。

 イタズラなど有り得ない。端末は完全にネットワークから外れているし、ウィッチたちはスマートフォンの操作など分からない。「一体なんなの……」不気味な通知を眺め、明里は傍らのイヴリンに身体を預けた。とにかく夜の雰囲気と謎の通知から来る寒気を、人に触れる安心感で打ち消してしまいたかった。

 

「大丈夫だ。何があったか、私には分からないけど君の事は私たちが見てる」

 

「……うん、ありがとう。イヴリン」

 

 揺れる炎が眠気を誘う。今日は基地探索でかなりの体力を使っている。

 そのままイヴリンの腕の中で、明里は寝息を立ててしまった。困ったようにマルレーヌへ視線を向けるイヴリン。しかし、返ってきたのは肩を竦めて「分からない」と同じく困った声色の声だけだった。




本日より、タイトルが『フリーダムウィッチーズ-あなたがいたから出来たこと-』に変更されました。
自由を捨て、しかし自由を求めて戦う彼女たち。
いよいよ次回はベルギカへ向かう準備です。


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第十話『あなたのために』

 早朝、疲れも抜けきらぬまま明里はイヴリンに呼び出され宿舎の前にいた。

 ただ、その雰囲気を目にしては寝ぼけ眼を見せる訳にもいかなかった。フィクションメディアで見るような、まさに軍隊の教官めいたオーラが彼女にはあったからだ。

 

「おはよう、アカリ」

 

 最初にイヴリンから挨拶があった。声をかけられて、思わず姿勢を正す。

 

「お、おはようございますっ!」

 

「よし、おはよう。さて……流石に疲れはまだ抜けきっていないと思うし、君は民間人だ。昨日話した軽い運動を、まず少しだけやってみよう。無理をしないで、まずはそうだな……」

 

 イヴリンが周囲を見渡し、何かを探す。『そうだ』と彼女は呟いて、朝もやの中に見える格納庫を指差した。距離にすれば200メートルかそこそこだろう。

 

「ここから、あの格納庫の前を往復。勿論ランニングでだ。ゆっくりでいいから、二往復しろ。息を上げないように、でも歩かないように」

 

「わかった……いや、分かりました!」

 

「いいよ、敬語は無しで。君とは部下とかじゃなく、友人でいたい」

 

 思わずびしっと背筋を伸ばす明里を見て、イヴリンは苦い笑いを浮かべた。これはイヴリン達からすれば訓練にもならない。だが、それでいい。明里が学ぶべきことは無く、いざというときに足を止めないスタミナをつけるだけでいいのだ。

 走っていった明里の背中を見送り、イヴリンは少々格式張っていた立ち居振舞いを解いた。

 

「やってますね」

 

 声をかけてきたのはマルレーヌだった。

 

「ああ。今日は特別ぬるくしてあるけどな」

 

「本当に。私を指導していた時は、鬼教官でしたからね」

 

 口元を手で隠しつつマルレーヌは笑う。やめてくれと、イヴリンは困ったように返すだけだった。視線は走る明里をずっと見守っている。

 

「でも隊長、忘れないで。その教官が居たからこそ、私は義勇兵として戦えたの」

 

「ああ。その時は嫌でも、叩き込まれたことはいつか戦場で役に立つ。だけど、彼女はそれを知る必要はないからな」

 

 朝も早ければ風は冷たい。吹き抜けた風に靡いた髪を手で押さえるイヴリン。

 マルレーヌは風に身を任せ、一度空を仰いでからイヴリンへ向き直って告げた。

 

「基地を見回ってきます。インカムの通信は開けてください」

 

 右耳に嵌めたインカムを人差し指でノックして、指し示す。

 

「わかった。今は大丈夫だろうけど、気を付けて」

 

 イヴリンの気遣いに敬礼で返し、マルレーヌは明里の走る方向とは正反対へ消えていった。運動も兼ねているのか、駆け足だ。

 

「ま、まず一往復……」

 

 それから少しして、イヴリンの元へ戻ってきた明里はそれだけでひどく息を切らしていた。

 

「大丈夫か? 息を整えてからでいいよ」

 

「い、いえ……! 行ってきます!」

 

 勇ましい返事だった。軍人としてなら当然ではあるが、教えがいがあるものだ。しかし明里は民間人。特にウィッチですらない。

 止めようかとも思ったが、それよりも先に明里は最後の一往復を走りに行ってしまっていた。

 これではいけないとイヴリンは思う。明里は恐らく、付いていくために無理をしている。それでは絶対に身体は付いてこなくなる、いつか故障する。それだけはあってはならない。新隊員教育ならいじめ抜くが、明里に対してそれでは逆効果になってしまう。

 

「まぁ、まだ出会って数日もないんだ。こんなんじゃ堅くなるよな……」

 

 久々の訓練とあって、イヴリン自身少々勇み足だった部分も否めない。軍人として振る舞っては、明里も遠慮できないだろう。

 見守る彼女の背中が、不意に大きく揺らいだ。まずい、倒れる。イヴリンが駆け出そうとすると、姿勢を乱した明里を前方に躍り出たベルティーナが抱き止めていた。

 

「ベルティーナ! アカリ!」

 

 尋常では無い様子に、イヴリンが思わず駆け出した。

 

「隊長、ちょっと厳しくし過ぎなのでは?」

 

 ベルティーナにしがみつくようにして、限界を越えていた明里は喘ぐ。まるで外敵から守るように、ベルティーナは強く明里を抱き締めた。

 

「すまん。私も調子に乗っていた……。アカリ、大丈夫?」

 

 ベルティーナに睨まれながら、イヴリンは明里へ訊ねる。息を整えた彼女は静かに頷いた。

 

「うん……。ごめん、出来なくて」

 

「無理しちゃダメだよ。隊長、必要なのは分かりますけど、ならボクも参加します。二人でやれれば、気持ちも楽になる」

 

「悪いですよ……。これは私の問題で──」

 

 遠慮する明里の唇に、そっと人差し指が添えられた。ベルティーナはウィンクを一つ飛ばすと、気にしないでと陽気に言ってみせた。

 

「ボクたちは今、とにかく自主訓練しかないしね。みんなもそうしてるし、ならボクはアカリたちに付き合うよ」

 

「いいのか、ベルティーナ?」

 

「ええ。隊長も走ります?」

 

「そうしようか。私だけ走らないのはズルい」

 

 イヴリンとベルティーナ、二人の魔女が明里へ微笑みかける。心細さなど、初日に消え失せてしまっていた。だが、今はもっと心強い。明里はウィッチの二人と共に弾むように駆け、ペースを調整しながらランニングを走りきった。

 結果、予定より一往復半多い約600メートルを走る。

 

 □

 

「ベルギカにはいつ出ます?」

 

 ランニングくらいは毎日しても問題ない。煮沸殺菌済みの水を水筒に入れていたベルティーナは、座って休む明里へそれを差し出しながらイヴリンへと訊ねた。

 

「いきなり行っても混乱させるが、引き伸ばす気はない。今日はベルギカ(あちら)との交信を主に行うから、皆は自主訓練になるな」

 

「自分もその交信、参加して大丈夫ですか?」

 

「……そうだな。お前の力は役に立つか」

 

 明里が語らう二人を見上げる。美味しいとは言えないものの、乾いた喉に水分がよく染み込む。水筒をあおりながら、彼女は何度も聴いた台詞に疑問を抱く。

 

「あの、ベルティーナさんの善悪を判断する能力っていうのは……?」

 

 飛行中にイヴリンも言っていた。マルレーヌも、宿舎の部屋割りで揉める直前に語っている。

 

「ちょっとした魔法みたいなものかな。敵の掛けるフェイクだとか、そういうもの含めて見つけられるんだ」

 

 魔法力を解放し、ロマーニャオオカミの尻尾を振って見せるベルティーナ。物珍しそうに、明里は釘付けにされていた。

 

「ネウロイの撹乱を見抜くのが本来の使い方だが、応用して彼女は相手の悪意や嘘を見抜けるんだ。勿論、相手が看破すればまた確認しなおしになるけどね」

 

 情報更新が常時になればなとイヴリンが言うと、ベルティーナは無茶を言うなと言いたげに睨む。

 

「あの……もし機密保持だとか大丈夫だったら、私も行ってみちゃダメですか?」

 

 好奇心でないと言われると嘘になる。しかし、分からないなりにどういった状況かは知りたかった。専門用語が分からなくとも、雰囲気でどうなっているかは彼女も分かるつもりだった。

 訊ねられて、イヴリンは暫し悩む。だが、もはや悩む必要もないのだと思い直した。

 

「わかった。今さら機密も何もないし、他言出来るような環境じゃないからね」

 

「アカリも来てくれるんだ。じゃあ、分からないことがあったら何でも訊いてよ。隊長が忙しそうなら、いくらでも答えるよ」

 

 ぱっと表情を明るくするベルティーナ。全く現金な、イヴリンは呆れたようにかぶりを振った。

 

 □

 

 通信室は流石というべきか、黒板にところ狭しとブリタニア語のメモが残されていたり、机には殴り書きのメモも置かれている。

 通信機器も当時の軍用らしい、巨大で複雑な物だ。飛び出た配線は修繕の跡だろう、テープで複雑に固定されている。

 

「なんというか……スゴいですね」

 

 周囲を機械に囲まれる雰囲気、というものはなかなか一般人には理解しがたい。機器には触れないように気を付けながら、明里はあちらこちらにある興味深い物を見て回る。それは通信機器だったり、メモだったりした。

 

「まあ、民間人では触れないものだろうからね」

 

 通信機をチューニングしつつ、イヴリンは明里へそう語った。傍らには難しい顔をしたベルティーナが控えている。

 ベルギカに繋がる瞬間を逃さないため、注意は絶対に逸らさない。ベルティーナは本当に軍人だったのか、とさえ思える空気感を漂わせるのを見て、明里も思わず息を潜める。

 

「よし、繋がった」

 

 イヴリンの一言で、場の空気が張り詰めた。

 

「こちらブリタニア軍、ドーバー観測隊である。グツェンホーフェン空軍基地、聴こえるか」

 

 イヴリンの交信を、ベルティーナと明里は互いに顔を見合わせながら聴いている。

 返答はあるようで、特に怪しまれてもいないようだ。

 

「……了解した。こちらからすぐウィッチを送るよう提案する。もう少しだ、耐えてくれ」

 

 暫しの問答の後、イヴリンが通信を切った。全くのハッタリで、彼女は見事に騙しきった。

 

「どうでした?」

 

 ベルティーナが訊ねるが、イヴリンの答えは変わらずだ。

 

「早くウィッチを寄越してくれ、その一点張りだ。もう少し訓練をしておきたいが、明日には支度を終えよう。ベルティーナ、隊員に通知を頼む」

 

「了解です、隊長」

 

 素早く立ち上がり、敬礼を一つ。ベルティーナは足早に指令室を立ち去っていった。

 イヴリンは大きく息を吸って、吐く。それから明里へと視線を向けた。覚悟を問うような、鋭い視線だった。

 

「いよいよネウロイと戦う予定になった。ここにブリタニア軍の手が伸びる可能性はゼロじゃないから、君も連れていくよ」

 

 覚悟はいいか? とイヴリンは訊ねているようだった。明里は生唾を呑み込んで聞き入る。

 

「まず、体力作りは忘れないこと。それから、行くのはネウロイ占領下だ。襲来時は絶対に外へ出ないこと」

 

「わかってる。皆には迷惑かけないから。だから、連れていって」

 

 拳をぎゅっと握りしめ、明里は決意を示す。料理に掃除だけでも、皆の役に立ちたかった。それ以外でも役に立てるなら、元の世界へ戻る前に必ず役に立って見せたかった。

 

「よし、今日アカリは休んでくれ。食事の用意だけ呼ぶ。あと帰りは駆け足だね」

 

「わ、わかった!」

 

 意気込む明里にイヴリンは、まるで雛でも見つめるかのような視線を向けていた。

 二人揃って指令室を出る。昨日とはうって変わって、綺麗な青空だった。怪異が飛び回るようには見えない、快晴だ。

 基地にいた隊員たちはベルティーナからの伝令を受けて、各々準備を開始している。ネウロイとの戦いは、文字通り目の前だった。




なんかこう、501部隊的な小ネタ書きたいですわね……
勿論別作品で、ですが……


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第十一話『空と陸を結ぶ場所』

 翌朝、ベルギカへの出立直前。

 格納庫にはイヴリンの部隊が勢揃いした。満足な整備も受けられない魔装脚に武装。食事も満足でなく、部隊員の体調すら不安視される。しかし、このまま燻っていては意味がない。

 各々が魔装脚に足を入れ、魔導エンジンを吹かす。これからドーバー海峡を渡ることになる。ガリアを逸れて飛んだとしても、ベルギカ上陸まではせいぜい60キロメートルかそのくらいか。しかし、海の上を飛んでいくとなればその寒さは尋常ではない。その為、明里には宿舎に残されていた防寒着が渡されている。よほど屈強な男性隊員の物だったのだろう、裾が膝までくるほどにオーバーサイズで何より分厚く、米俵でもくくりつけられたのかと錯覚するほど重たい。それでもイヴリンはMG34と紀子から受け継いだ柏太刀をそれぞれ背負ってなお、軽々と明里を抱え上げていた。

 ホバリング状態で全員が視線を交わし、それぞれが右耳にはめたインカムをノックする。もはやエンジンの騒音で、普通にしゃべっただけでは聴こえない。

 

「行こう。ネウロイを発見した場合、予測進路上の国家へ通信、警告すること。こちらに来る場合は各個迎撃。ただ、こちらにはアカリがいることは忘れるな」

 

 イヴリンが言うと、皆が頷いた。

 格納庫を出るその間際、明里は隅に佇むバイクへ視線を巡らせた。ベルティーナが見つけてからたった一日だが、まるで新車のようにピカピカになっていた。いつか取りに来られるのだろうか、明里は離れていく格納庫を見下ろしながら感慨に耽る。

 

 □

 

 ドーバー海峡は比較的穏やかで、周囲に視線を配らせるイヴリンの僚機も落ち着いていた。だが、遠くガリアに見える、不気味な雰囲気を纏う真っ黒な雲の渦めいたものは、他ならない仇敵であるネウロイの巣だ。

 しかし、今戦っても自殺と変わり無い。イヴリンも巣を眺め歯噛みしつつベルギカ方面へ身体を倒す。

 巣に近寄ってはいたが、ネウロイの姿は無い。予報が入ってこないイヴリンたちには安心できない状況ではあるものの、ベルギカへの距離は順調に縮まっているように思えた。

 

〈隊長……!〉

 

 不意にベルティーナが編隊を崩し、イヴリンの前方へ躍り出た。飛んできた紅い光線を魔方陣のシールドで四散させ、同時に自身のウィッチ用カスタムSAFAT12.7mm重機関銃を構える。

 

「まずいな、ネウロイだ」

 

「えぇ!?」

 

 あまりに唐突な遭遇に、明里がすっとんきょうな声をあげた。ベルティーナに続いてマルレーヌ、八重、フェオドラと次々に臨戦態勢に入る。

 明里がイヴリンの腕の中から見たのは、奇妙な飛行機のような黒い塊だ。赤いラインを煌めかせ、こちらへ向かいながら複雑な軌跡を描く光線を幾つも飛ばしてくる。

 

〈イヴリン、こちら八重。敵は中型二機、私たちが引き付けるから離脱して〉

 

 弓を構え、前方のネウロイへ矢を放つ。

 風に乗って飛んだ矢は魔法力の明かりに包まれ、避けたネウロイを追尾するかのように緩やかに曲がる。着弾すると、爆弾が炸裂したかのような衝撃が空を襲った。

 

〈隊長、早く……!〉

 

 自国から持ち寄った最新式対物ライフル、PTRS1941の2メートルにもなる長大な銃身。その先を八重が射抜いたネウロイから露出した赤い塊……コアへ向け、トリガーを引く。

 発射炎が青い空に噴き出し、消えると共に14.5mmという大口径ライフル弾がネウロイのコアを撃ち抜き、消し飛ばす。

 

〈私が近辺を援護します! 隊長はネウロイを避けてベルギカへ!〉

 

 ホッチキス機関銃を手に、マルレーヌは肩越しにイヴリンを見遣る。イヴリンは黙って頷くと、更に身体のバンクを大きくして旋回。エンジン出力を更に上げ、仲間から離れていく。

 

「イヴリン、私のせいで……」

 

 明里は小さな声で語った。少なからず自身が居たから、イヴリンは仲間を置いていかなければならなかった。

 だが、イヴリンははっきりとかぶりを振って否定する。仲間はそんなに柔ではないと告げる。

 

「彼女たちは中型程度に手間取るウィッチじゃないよ。指揮系統にはマルレーヌもいる、彼女は私の代わりだ。だから、まずはベルギカへ向かう……!」

 

 高鳴るエンジン音。速度は更に増して、明里の顔を叩く風が痛いほどになってきていた。

 そこへエンジン音が更に複数重なり、明里が周囲を見渡すとマルレーヌたちがけろりとした表情で編隊へ戻っている。だから言ったろう、とイヴリンはウィンクと共に明里へ語りかけた。

 

〈ちょっとブランクあるけど、まあこんなものだね〉

 

 得意気に宙返りしつつ、ベルティーナは言う。

 

「助かったよ、ベルティーナ」

 

 縦横無尽に飛ぶベルティーナを微笑ましく眺めつつ、イヴリンは彼女へ礼を述べた。

 

〈いえいえ、久々に“眼”が利きました〉

 

 イヴリンと視線を結び、ベルティーナは自身の眼を指差す。

 彼女の固有魔法だ。未来予知にも似ているが、ベルティーナが察知出来るのは知覚でき、且つ悪意のあるものだけ。ネウロイに見える悪意があるかは別にして、彼女にデコイの類いは基本的に通用しない。

 とにかく大前提として、まずはその目に見なければならない。今回はネウロイの発見が早かったからこそ、間一髪その力を発揮できたと言えるだろう。

 

「助かったよ。皆もありがとう。また襲われないように、スピードを上げよう」

 

 一度下げていた出力を、編隊に合わせて徐々に上げていく。イヴリンの腕の中で視線を巡らせる明里。一分の狂いもなく、魔女たちは追従してきた。まるで飛行隊の展示飛行だ。

 風の冷たさはイヴリンが手で顔を覆ってくれたから、気にならなくなった。

 

 暫く飛ぶと、次第に陸が見えてきた。とても軍事基地には見えず、むしろビーチのようだ。

 ブランケンベルヘ、ベルギカの海側にある街である。しかし、ビーチにあるべき騒がしさは無く、あるのは銃声と怒号、重々しい足音だった。

 

「既に戦線か……。全員、弾薬をチェックしろ!」

 

 ビーチへ降り、明里を下ろしたイヴリンもMG34と1911の装填をそれぞれ確かめる。

 いよいよネウロイとの本格戦闘になる。目の前で武器をチェックしていく魔女たちを見て、改めて明里は実感する。先ほどの攻撃だってそうだ。あっさり倒してきたかもしれないが、ここから感じる雰囲気は規模が違う。

 一歩間違えば、死が待っているだけなのだ。

 

「アカリ、これを」

 

「これ……通信機?」

 

 イヴリンが差し出してきたのは、耳に嵌めるインカムだった。

 受け取り、耳に押し込む。

 

「感度はどう?」

 

「うん、良く聴こえる」

 

 魔装脚の騒音の中でも、クリアな音声が届いた。これなら困ることはないだろう。

 そして同時に、イヴリンが明里から離れなければならないという事実の提示でもあった。

 

「アカリ、まずは近くの避難できそうな建物まで案内する。インカムは全員と通信が出来るから、必要に応じて切り替えて。その後は離れなきゃならない、グツェンホーフェン軍事基地へ顔を売るのが目的だからね」

 

 イヴリンの宣言。明里はこくりと頷いた。

 いつまでも問答している余裕はない。明里を走らせ、イヴリンたちは超低空飛行で陸上型ネウロイに見つからない建物を捜し、隠れているように指示を出すとすぐさま飛び去っていった。

 

 □

 

「陸戦がずいぶんいるな……。爆弾でも持ってくるべきだったか」

 

 明里を置いて空を飛ぶイヴリン。地上は地獄絵図だった。一般兵たちが必死に戦っているが、多脚型を中心にしたネウロイの攻勢には押され気味だった。

 その地獄のような戦場の矢面に立っていたのは、リベリオン陸軍の制服を着たウィッチを先頭にした中隊だった。

 

 ウィッチには陸戦特化の者も居る。魔装脚を履帯に変え、戦車のように戦場を突き進む魔女たちだ。

 陸には陸の、空には空の戦いがある。しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。イヴリンの指示はフェオドラへ向けられた。

 

「フェオドラ、君のPTRS1941なら陸戦ネウロイの装甲にも打撃を与えられるハズだ。弾が続く限り、頼む。私たちはフェオドラの邪魔をさせないように撹乱するぞ」

 

 ブレイク。イヴリンの掛け声で、飛行隊は扇を開くように散開した。

 地上を守る兵士たちは空を見上げる。ウィッチが来たぞと歓喜の声が点々と聴こえた。

 それぞれがネウロイへ向かっていく中、イヴリンは一人1911──ガン・ブルーを引き抜き、眼下から見上げる陸戦ウィッチたちへ視線を向けた。

 やはり名は知られているらしい。ウィッチたちから歓喜の表情が失せ、不穏そうに眉を潜める。

 

「フェオドラ、私がそのネウロイを撹乱する。何発で装甲を抜ける?」

 

〈……五発は必要です。ううん、もっと要るかも〉

 

「充分だ。他のウィッチが見てる、援護がない訳ではないだろう、行くぞ!」

 

 イヴリンはフェオドラが狙う多脚型大型ネウロイへ向かって高度を落とす。光線をかわし、.455口径弾をとにかく撃ち込む。だが、所詮は拳銃弾。有効打には欠けている。

 フェオドラがライフルで装甲に穴を空け、光線をシールドで防ぐ。光線の切れ間に彼女はすぐ撃ち返した。

 

「小賢しいな……!」

 

 フェオドラのライフルが再装填に入る。地上からの援護はあったが、コアへの打撃は無いらしくダメージを与えているようには思えないように見えた。

 

〈空のウィッチ、聴こえるか〉

 

 不意に、インカムにイヴリンが知らない声が割って入った。光線をかわしつつ、イヴリンは答える。交信の主は言う。

 

〈私はリベリオン陸軍義勇中隊中隊長、サマンサ・アディソン大尉だ。ネウロイコアを視認した、そちらのオラーシャ人が引っ張り出してくれたが、修復された。だがこちらには弾薬が無い〉

 

「私たちに任せると?」

 

〈弾薬を取りに戻れば他の兵が危ない。貴君らは私の指揮下ではない、やるかは貴君ら次第だ〉

 

「では、コアの位置を」

 

 ガン・ブルーを仕舞い、背負った柏太刀を引き抜いたイヴリン。光線の範囲外にフェオドラ共々逃れ、最低限の回避で交信に注意を向ける。

 

〈ネウロイの前方下部だ。特に装甲が分厚い、そんな扶桑刀では死ぬだけだぞ。背中のMG34を使った方がいい〉

 

「弾を無駄に出来なくてね。情報感謝する。……フェオドラ」

 

〈はい〉

 

 呼ぶと、通信はすぐにフェオドラへ切り替わった。イヴリンの見る先で、ライフルの用意は終わっていた。考えは読めているようだ。

 

「私が突入する前に、ライフルでもう一度装甲を抜いてくれ。刀でコアを破壊する」

 

〈分かりました。ただ、次で弾切れになります〉

 

「分かってる、私もさ」

 

 明里を運んだことで魔法力の損耗は計り知れない。エンジンの調子が悪く、咳き込んでいる。ドーバー海峡での離脱時に回しすぎたのか。しかし行くしかない。

 刀を振り回し、多脚型ネウロイへ鋭い眼光を向ける。

 PTRS1941の爆弾が炸裂したような銃声が、彼女の突撃ラッパだった。

 紀子は扶桑刀使いだった。イヴリンの中で、彼女の動きをトレースする。光線が頬を掠めたが、それでも視線を目標から逸らしはしなかった。

 大きく回り込み、フェオドラが装甲を割る時間を稼ぐ。

 

〈……隊長!〉

 

 刹那、銃弾が装甲を穿った。しかしコアの破壊には至っていない。ネウロイはまた装甲を修復し始めているが、そんなことをさせてたまるか。イヴリンは一振りの刀を手に、コアへ突撃した。

 シールドを張り、左右に揺さぶり、そして切っ先を穴の空いた装甲に突き立てる。修復が止まった。

 

「撃破できない……そうか!」

 

 ネウロイは通常、コアを破壊された時点で形状を保てなくなる。破片に変わり、散って行く。

 しかし今回、ネウロイはまだ生きていた。刀がコアを破壊する寸前で止められたのだ。それどころか、ネウロイは柏太刀を取り込もうとすらしている。

 それがイヴリンの逆鱗に触れた。

 

「その刀を蝕むなッ!」

 

 ガン・ブルーを引き抜き、刀を突き立てた位置へ立て続けにトリガーを引く。たまらずネウロイが暴れまわるが、しっかりと柄に掴まったイヴリンは離れない。

 装甲を削り、ネウロイは柏太刀の吸収を諦めた。やや乱暴に刀を引き抜くと、イヴリンは最後の一発をコアへ向けて撃ち込む。

 幕引きだった。ネウロイは消え、同時にイヴリンのストライカーも左エンジンが停止する。

 

「隊長……!」

 

 フェオドラが駆けつけ、抱き抱える。イヴリンは気付いていなかったが、ネウロイが発した光線は彼女に幾つもの切り傷を残していた。

 

「まず最初の一歩だな、フェオドラ……」

 

 フェオドラに抱かれながら、イヴリンは力無く微笑む。ダメージは想像以上だった。

 

「隊長があんな突っ込み方をして……どうするんですか」

 

「ごめんよ。やっぱり、ブランクかな……」

 

 ネウロイの脅威は一時消滅した。マルレーヌたちも帰投し、一度地上へ下りる。隠れていた明里にも出てくるよう伝えると、フェオドラの肩を借りたイヴリンに腰を抜かす勢いで驚いていた。

 だが何より、まずはウィッチと出会った。それが収穫だった。

 

「ありがとう、『ガン・ブルー』……元ブリタニア空軍、カルヴァート少尉」

 

 イヴリンたちを改めて出迎えたのは、コアの位置を伝えた交信の主。リベリオン陸軍の軍装に身を包んだ、サマンサ・アディソン。金髪碧眼に湛えるのは確かな闘志と、相反して微かに宿る優しさ。160cmほどの身長は少し厳しい姉かといった印象だった。

 

「どうします? 憲兵隊を呼びますか」

 

 イヴリンも退かない。援護があったにせよ、倒して見せたのは自分達だと逆に詰め寄ろうとする。

 

「……しないよ。私の部隊はまだ新入りばかりだ、貴方の噂を知りもしない連中しかいない」

 

「助かりますよ、大尉」

 

 ひとまず、憲兵に突き出されるのは回避された。

 

「付いてきてくれ、簡単な怪我くらいなら治療が出来るし……脱走して、三日か? ろくに食っても居ないんだろう。少しだが、マシな飯がある」

 

 サマンサが背を向け、イヴリンたちを案内する。

 グツェンホーフェン軍事基地からは遥かに遠いが、ウィッチに出会えたのは僥倖だった。男性兵士の冷ややかな視線を除けばだが。

 しかし、その視線に敏感に反応していたのは明里だけだった。




ベルギカ入りです。
やっとネウロイが……やっとネウロイが……!


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第十二話『ガン・ブルー』

 サマンサに案内された先は、本当に急造の前線基地と言える場所だった。いや、基地といえるかも怪しい。野外指揮所とでも言うべきか。

 簡素な機材に雨避けの質素なテントを張り、軍用車も無造作に停められている。ウィッチと男性兵士を分けている様子も無く、絶えず忙しなく行き交っていて、それどころではない雰囲気だった。

 

「仲間を紹介するのは、後でも良いか。カルヴァート少尉、こちらへ」

 

 サマンサの対応は、イヴリンを引き連れてもやはり変わらないようだった。上官殺しの犯罪者であると、知らないわけではない素振りではあるが。

 簡素な救護テントに案内されたイヴリンは、そこでそれこそ簡単な治療を施された。自身の魔法力で傷を塞ぎつつ、賄えない部分は包帯を巻いて止血を行う。

 

「申し訳ない、助かりましたよ」

 

 相手は上官にあたる。イヴリンも今までの振る舞いを変えて、言葉に気を付けねばならなかった。

 サマンサは気にするなと一言で返して、イヴリンたちの部隊を別なテントへ案内した。待っていたのは他のウィッチ、陸戦タイプの魔装脚を傍らに置いた陸戦ウィッチだ。

 その中の一人が、イヴリンの姿を見つけて立ち上がった。

 

「お目にかかれて光栄です! ガン・ブルー……失礼、カルヴァート少尉! 自分はリベリオン陸軍義勇兵、グリゼル・ロウイット准尉です!」

 

「ロウイット准尉か。よろしく頼む」

 

 堅苦しいまでの敬礼を見て、イヴリンは思わず苦い笑みを見せる。自分はそんなに小難しい人間ではないのだが。

 

「大尉の前ゆえならば仕方ないけど、私たちにはもっとフランクでいいよ」

 

「そんな……! あの『氷のガン・ブルー』にそのような……!」

 

 妙に感極まったらしいグリゼルの言葉を聞いて、イヴリンが固まった。痛いところを突かれたのか、口を「い」の字に固め、身体を軽く仰け反らせている。

 

「氷のガン・ブルー……? なに、それ?」

 

 明里からも無垢そのものな問い掛けが突き刺さった。

 

「むかーし、隊長って結構冷たい性格だったらしいんだよね。それこそ、キコと会う前はそんな風に呼ばれていたよ」

 

 頭の後ろで腕を組んでベルティーナが語った。

 冷たい性格か、と明里が真剣に頭を悩ませた。今のイヴリンを見る限り、想像もつかない。そんな彼女を変えてしまうほど、紀子の存在は大きかったのかとすら思えた。

 

「あの頃の話はあまりしないでくれ……結構気にしてるんだ」

 

 こめかみを掻きつつ、イヴリンも困ったように眉を潜める。

 

「し、失礼しました!」

 

 対して、まるでこの世の終わりを宣告されたかのようにグリゼルの顔が青ざめていく。背筋を伸ばし、敬礼だけはしていたが。

 イヴリンにとっては、とにかくやりにくかった。過去の話はともかく、今の彼女たちはそこそこ自由にやっていたのだ。本格的な軍規模範のようなウィッチは久し振りだった。

 

「今はここの守備が重点なんですか?」

 

 周辺を見渡しながらマルレーヌが部隊へ訊ねた。八重は既に男性部隊に交じって周囲を警戒している。彼女の珍妙ともいえる出で立ちに、少々奇異の視線が集まっていた。

 マルレーヌの問いには、報告業務で忙しくなってきたサマンサに代わり、グリゼルが応えた。

 

「そうです。ただ、空軍がいる場所ではありません。飛行場は各地にありますが、自分が何かしら報を受けたのはグツェンホーフェンです」

 

「ウィッチを送る、とでも来たのかしら」

 

 マルレーヌが問うと、そうですとグリゼルが返す。ベルギカが戦場になって、各国のウィッチが陸空問わず集まったものだと思ったが、そんなに易々と情報が回ってくるのだろうか。ネウロイの襲撃で連絡もめちゃくちゃだろう。

 

「自分は航空ウィッチに友人がいるんです。少々問題児ですが、彼女はそう話していました」

 

「グツェンホーフェンにいらっしゃるんですか?」

 

 明里の問いに、グリゼルが頷く。

 

「今は自室謹慎四回目と聞きました。というより、空襲がある以外はほぼ自室謹慎だとか……」

 

 話を聞いて、イヴリンは「問題児というレベルか?」と思わず呟いた。自分を棚に上げた話ではあるが、緊急出撃以外自室謹慎とはとんでもないウィッチだ。もはや禁固ではないかとすら思う。

 

「何をやらかしたんだい? 流石のボクも、ほぼ自室謹慎だなんて聞いたことがない」

 

 ベルティーナが訊ねる。イヴリンたち逃亡部隊も大まかに同意だった。そんなウィッチはそうそう居ない。

 顎に手を当て、記憶を遡るしぐさを見せたグリゼル。暫しうんうんと悩んで、答えが出たのか「そうだ」と手を叩いて語った。

 

「部隊長のウィッチに銃を向けたそうです。指示を訊いてられない、とかで……」

 

「あーらまぁ」

 

 マルレーヌは表情こそ変えなかったが、どこかで聞いた話に似ていると心中で囁く。しかしそれはほぼ共通認識。世の中にはつついて良いものといけないものがある。だから、部隊は口をつぐんだ。

 

「よく自室謹慎で済みましたね……」

 

 上官に銃を向ける。やはりそれはあってはならない。それも命令不服従とあっては、営倉で済むかどうか。

 フェオドラも首をかしげた。

 

「彼女は私より階級は下です。しかし、近接戦闘を果敢に仕掛けて、既に戦果は挙げていた。他国のエース方のように行きませんが、もっと規律に従えば尉官昇進の辞令も早かったかと……」

 

 ふむ、とイヴリンは指を口許に置いて熟考に入った。陸と空では戦い方も違うが、同じウィッチから見た評価はかなり高い人物らしかった。性格に難があったのは自分も同じ、と考えて思考を打ち消す。

 とにかく、かなり有望そうな人材なのは聞いている限り確実なようである。グツェンホーフェンに居るならどちらにせよそこへ行くのだ、いずれは会うだろう。その時に話してみる価値はあると思えた。

 

「あの、ところで少尉……?」

 

「ん……どうかしたか?」

 

 まだ見ぬウィッチについて、少々悩みすぎた。近接戦闘はエースオブエースにのみ可能な高等戦術なのだ。そんな話を聞いては会ってみたくもなる。

 イヴリンを引き戻したのは、少々恥ずかしそうに両手の人差し指を突き合わせるグリゼルの声だ。

 

「自分は、ずっと貴方のガン・ブルーに憧れていたのです。勿論、今する話でないのは分かるのですが……」

 

 ちらりと通り掛かったサマンサを見遣る。

 

「いいぞ、別に。ネウロイの報告も今はない、今の内に憧れのエースに訊きたいことは訊いておけ」

 

 通りすがり、サマンサは足を止めグリゼルへそう語った。「感謝します!」と表情をぱっと綻ばせるグリゼルは一転、詰め寄らんばかりの勢いで食いかかった。

 

「是非! もし、迷惑でないならガン・ブルーを見せてほしいのです!」

 

「1911をか? 青くて口径がわずかに違うだけだけど……」

 

 関係ありません。グリゼルはきっぱり言い放った。

 彼女はイヴリンに憧れてM1911ピストルを持っているのだと言い、少しでも参考にしたいのだと語った。

 そこまで言われて良い気はしても、悪い気は当然しない。イヴリンは愛銃をホルスターから引き抜いて抜弾し、手の中で銃身とグリップを反転させる。

 

「ありがとうございます! ……スゴいな、本当にガンブルーフィニッシュだ」

 

 食い入るようにガン・ブルーを眺めるグリゼル。気恥ずかしさで居たたまれなくなったイヴリンは、ベルティーナたちへ助けを求めるような視線を向けたが、当の彼女たちは肩を竦めて助け船を出すのを拒否する。

 ファンを相手にする時の気持ちは、ベルティーナたちも知っている。邪魔をするだけ野暮なのだ。明里を引き連れて、皆は『触っちゃいけない機材』を見せに歩いていってしまった。

 残されたのは、テンションも最高潮のグリゼルとそのテンションを向けられるイヴリンだけだ。周囲の喧騒も程好く落ち着いていた。

 

「ここまでの戦果を挙げてきた銃……。フレームとスライドにガタつきが無い」

 

 自身のM1911を取り出して、スライドの調子を比べるグリゼル。銃を左右に軽く揺すってやると、ガン・ブルーは音を立てなかったが、M1911はかたかたとパーツ同士がぶつかった。

 

「空は障害物が基本的に無いからね。精度を上げるために、パーツ同士の噛み合わせはかなりタイトに詰めてある。だから、普通のM1911のように使うとあっという間に調子を崩すよ」

 

 そこまでの逸品になるまでは非常に長かった。ガン・ブルー染色のブリタニア1911を持ち始めたのは、それこそイヴリンの軍歴開始とほぼ同時期。最初はグリゼルの物と変わらない、純正程度の仕上がり同然だった。

 

「自分の1911と、同じようで全く違う。パーツに触れた感じもしっかりしています」

 

 出来るなら試し撃ちしてみたかった。しかしここは前線で、物資が潤沢な訳でもない。仕方なく、グリゼルは青い空へガン・ブルーを構えて撃鉄を起こす。かちり、と何の抵抗もなく滑らかに撃鉄が起こされた。

 弾倉は入っていない。薬室からも弾は抜かれている。引き金に指をかけ、力をかけた。

 あまりに軽いトリガープルと、短い引き代に驚いた。ほんの少し、指を曲げたかも感じない程度で撃鉄は勢い良く跳ね起きたのだ。

 

「1911A1よりも軽いかもしれない……。なるほど」

 

 M1911ピストルは1926年、一度改修を行っている。その際に名をM1911A1と変え、様々な部分に変化が加えられたが、その一つは引き金の引き代短縮だった。グリゼルのものは改修前で、並べ比べるとその差は歴然である。

 

「もういいかな?」

 

「はい。空のウィッチ……それ故のカスタムであることが解りました。陸でこんなカスタムをしたら、すぐに作動不良を起こします」

 

 ガン・ブルーをイヴリンへ返しつつ、グリゼルは自身のM1911を眺める。確かにまだ足りない。しかし、何をすべきかは分かった。陸ならば、陸なりのやり方もあると。

 

「失望したか?」

 

 薬室を開放し、抜いた銃弾を直接籠めて閉鎖。弾倉を挿し込み、安全装置を掛ける。イヴリンにとっては使いやすい銃なのだ、失望されようと構わなかったのだが。

 

「とんでもありません! 勉強になりました!」

 

 同じように銃を仕舞ったグリゼルは、敬礼と共に礼を述べた。

 サマンサが居ないのだから、もう少し気楽にしても良いのに。イヴリンはただ苦笑を浮かべるだけだ。

 

「話は終わったか? 准尉」

 

 グリゼルの後ろからひょい、と顔を覗かせたサマンサ。あまりの近さに、彼女のボブカットの金髪がグリゼルの頬をくすぐった。

 

「た、大尉!? 驚かせないでくださいっ!」

 

「すまんな。あまりに年相応に騒いでいて、声を掛けられなかった」

 

 涼しい顔で語るサマンサ。反対に、グリゼルは顔を真っ赤にしている。

 固まったグリゼルを脇へ退かすと、サマンサはイヴリンへ真っ直ぐに向き合った。

 

「カルヴァート少尉、グツェンホーフェン空軍基地に連絡を取った。貴君らが必要だそうだ」

 

「ここの防衛は?」

 

「我々を甘く見るな。グツェンホーフェンの方まで行けば、貴君らの仕事がある。ここは我々、陸のウィッチと歩兵部隊、兵器に任せてもらう」

 

 ネウロイの出現もない。イヴリンの傍らに戻っていた八重も、敵影無しを告げていた。

 

「故障した少尉のストライカーだが、一応飛べる程度の修復はした。グツェンホーフェンについたら、改めて整備を受けろ」

 

「了解。感謝します、アディソン大尉。この出会いに感謝を」

 

 イヴリンが手を差し出すと、サマンサは迷うこと無く手を交わす。しっかりと握り合い、そして離れた。

 

「八重、明里たちに伝令を。すぐに出るぞ」

 

「もう必要ない」

 

 八重が言う。イヴリンが振り返ると、仲間たちは既に準備万端で待機していた。

 全員魔装脚を履き、空へ上がっていく。明里もイヴリンの腕の中で地上へ手を振っていた。

 故障したイヴリンのスピットファイヤはなんとかエンジンが回っているが、出力を極端に上げればまた不調を起こしかねない。今はネウロイを避け、グツェンホーフェンまで入り込む。

 綺麗な編隊を維持し、イヴリンたちはブランケンベルヘの空を飛び去っていった。

 

 □

 

「……私はバカだな」

 

 空を見上げ、サマンサは呟く。手にはイヴリンたちの到来を知らせる手紙が握られていた。

 通信は味方を優先している。ブリタニアへ知らせるには、手紙が良い。彼女たちは脱走兵、つまりは重罪人だ。グリゼルから離れている間、彼女は手紙を書いていた。

 

「逃げろ、カルヴァート少尉。そして勝ち取るんだ、お前の価値を」

 

 サマンサは手紙を粉々に破ると、吹いた潮風に紙片を乗せて飛ばした。

 どんな事情があるかは知らない。だが、一度だけとはいえ傷を負ってもサマンサたちを助けた彼女たちを軍のために売るほど、軍人として出来ていない。

 消えていく飛行機雲をもう一度見上げ、彼女はただイヴリンたちの無事を願って指揮所へ戻っていった。




最近暑い日が続きますね。場所によっては雨でしょうか。
私は熱中症になったようで、身体に熱を感じながら後書きを書いてます。
今回はガン・ブルーの話がメイン。
グリゼル准尉はかなり前に書いていたSW二次に登場していました。三年後には隊長で大尉になって、1911使いになってます。


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第十三話『グツェンホーフェンへ』

 ベルギカ上空。まもなくグツェンホーフェンに差し掛かるといったところで、イヴリン率いる部隊のインカムに通信が飛ばされた。

 

〈聴こえるか。こちらブランケンベルヘ指揮所、サマンサだ。返事は良いから聞いてくれ〉

 

 飛び立った街、そこにいたウィッチからの通信だった。全員が飛行を続けつつ、サマンサの話に耳を傾ける。

 

〈最近人型ネウロイ……いわゆる『ウィッチもどき』の目撃情報があるのを伝え忘れていた。スオムスの義勇部隊が撃破したものと近いが、また動きが違うようだ〉

 

 深刻そうに語るサマンサ。ネウロイには様々な形状、性質を持つ個体がいる。しかし、人型となると話は違ってくる。

 ウィッチを学習し、ウィッチを倒すためネウロイが放つ精鋭とでも言うべきか。しかし、人間側の連携に為す術はなかったとも言われる。

 

〈既にベルギカで数名、航空ウィッチは落とされたらしい。生存者の話によれば……えっと〉

 

 通信機ごしに、紙をめくるような音が聴こえた。

 

〈失礼した。シールドを張るだけでなく、剣のようなもので斬りつけられたという報告があるな。気をつけてくれよ、新たに侵入してきた貴君らにネウロイも気付いた筈だ〉

 

 通信終わり。サマンサが言うと、通信機は無音となった。

 人型ネウロイの存在は、このベルギカにあるようだ。当面はここで飛ぶことになるのは間違いなく、遭遇の可能性も高い。

 サマンサの話の信憑性はともかく、通常以上に気を引き締めて掛かることに変わりはない。

 

 そうして空を飛ぶうち、独立飛行隊の眼下に広大な飛行場が見えてきた。グツェンホーフェン基地、その敷地だ。

 

〈隊長、大丈夫ですか?〉

 

 ベルティーナは傍らを飛びながら、イヴリンへ視線を向けた。

 既に基地からは所属を示すよう通信が飛んでいる。イヴリンの名前を出せば、撃墜される可能性もあった。

 だが、彼女は地上管制を信じた。

 

「こちらブリタニア空軍少尉、イヴリン・カルヴァート。ブリタニアにて応援要請を聞いて来た、着陸許可を願いたい」

 

 地上と上空の空気は一気に張り詰めた。対空機銃が部隊へその銃口を向けている。

 撃たれれば作戦は失敗だ。明里を危険に晒すし、ベルギカでの活躍の場を失うことになる。次はサマンサたちも受け入れられないだろう。

 そうなれば、マルレーヌたちの作戦もまた一からだ。

 

〈こちらグツェンホーフェン基地、地上管制。着陸を許可する、良く来てくれた〉

 

 その言葉と共に、対空機銃の銃口も外される。

 部隊全員から安堵のため息が漏れた。イヴリンを先頭に、着陸体勢に入っていく。

 滑らかなタッチダウンは明里も不快感さえ抱かなかった。柔らかく、かつ確実に地上へ降り立つ。

 次々降りてくる味方たちも問題なく、そのまま格納庫へと案内された。

 

「なんとかここまでは入れたが……」

 

 用意された発進機に戻り、ストライカーを外すイヴリンが呟いた。傍らには不安そうな明里がいる。

 特に服装からして常識から外れている明里へ注がれる奇異の視線は、彼女を萎縮させるには充分だった。

 

「よく来てくれた。ブリタニアの通信は本当だったようで、嬉しく思う」

 

 格納庫に現れたのはブリタニア空軍の制服に身を包む茶髪のウィッチだった。

 

「シーラ・デ・ブラバンデル。ブリタニア空軍少佐だ。生まれはこの国だけどね」

 

 ブリタニア空軍。そう聞いて、イヴリンたち独立飛行隊の空気が凍る。まずい相手だ。

 間違いなく、イヴリンを知っている人物の筈だと。

 しかし、応えない訳にもいかない。イヴリンは敬礼しつつ、口を開いた。

 

「イヴリン・カルヴァート、ブリタニア空軍少尉です。要請に従い、援護へ──」

 

「もういい、カルヴァート少尉」

 

 誤魔化すつもりだった。しかし、遮ったのは他ならぬシーラだ。

 気付けば彼女の右手には拳銃が握られている。

 

「脱走したそうだな、カルヴァート少尉。……君には期待していたのに」

 

「……返す言葉もありません」

 

 反論は無い。射殺することも、シーラになら可能かもしれない。ベルティーナたちはホルスターに手を掛けているが、佐官相手となっては安易に銃口を向ける訳にはいかなかった。

 

「……私はね、少尉。君の処刑には反対していたんだ。もし覆らないなら、ベルギカへ無理矢理連れてくる気だった」

 

「え……」

 

 気の抜けたような声を漏らすイヴリンの前で、シーラは静かに拳銃を戻し微笑んだ。

 

「大丈夫だ、君たちの到来を通報したりはしない。だが、その分キッチリと働いてもらう」

 

「勿論です、少佐。感謝します」

 

 イヴリンの敬礼と共にマルレーヌ、ベルティーナと次々に敬礼していく。明里も慌てたように見よう見まねの敬礼を見せた。

 

「よし。では、早速宿舎を案内……と行きたいが、そこの奇妙な服の子は? ウィッチなのか?」

 

 シーラの鋭い視線が明里を貫いた。思わず萎縮する。

 

「彼女はウィッチではありません、少佐。訳あって我々と行動を共にしています」

 

「話せる理由なのか?」

 

「いえ、私でさえ未だに信じがたい話です。失礼ですが、理解しきれないものと」

 

 そうか。シーラが腰に手を当て、やれやれとため息を吐いた。

 

「まあ、新しく現れたウィッチもどきのように、こちら側へ害為す存在でなければいい。君、何か特技は?」

 

 シーラはイヴリンの後ろに隠れるようにしていた明里へ、問いを投げ掛けた。

 しばししどろもどろして、小さな声で答える。

 

「えっと……料理を少し……」

 

「よし、上々だな。君にも色々手伝ってもらえそうだ。中で改めて顔合わせしよう、来てくれ」

 

 シーラに引き連れられ、格納庫を出る一行。周囲はネウロイに対する厳戒体制が敷かれており、空気も張り詰めていた。

 空は気付けば分厚い雲が一帯を覆っていて、冷たい風が飛行場を吹き抜けていく。

 

 □

 

 宿舎はやはりかなりの手入れが入っていた。男性兵士とウィッチを分けるなど、通常通りの配慮も為されていた。

 最初にイヴリンたちが通されたのは、ブリーフィングルーム。広い会議室のような空間に、シーラ含めた他のウィッチたちも集められていた。シーラ側の航空隊も六人程度は人数が揃えられている。

 

「グツェンホーフェン航空隊の面々だ。自己紹介は後でゆっくりしてくれ。それから、義勇兵としてリベリオンから一人来ているが……謹慎中で、空襲以外で会うことはないから気にしなくていい」

 

 シーラが漏らしたのは、間違いなくグリゼルの語ったウィッチだろうとイヴリンは考える。まだ会う時ではないだろうか、言い出してみるか迷う。

 

「……少佐、宜しいですか」

 

 イヴリンは訪ねる事に決めた。グリゼルから聞いた話では、隊長についていけず銃を向けたとされていたが。

 

「この部隊の指揮はブラバンデル少佐が?」

 

「勿論だが、何の関係が?」

 

「いえ、そのリベリオンウィッチは隊長へ銃を向けたと聞いています。あなたがそうかと」

 

 ああ、そうか。シーラは頷いた。「確かにそうだよ」と彼女は軽い調子で言ってのける。

 

「カウガールを気取っているらしい。映画の観すぎだ。……だが、実力はある」

 

 悩ましげにシーラは語る。評判はやはりグリゼルが語ったのと差異無く、ウィッチとしての実力はあるものとイヴリンは疑念を確信に変えた。

 

「人を変えるのは難しい。しかし私としては、あまり閉じ込めたままにはしたくないんだけどな……」

 

 だが仕方がない。シーラはあくまでも、軍規に則って行動すると言っているようだった。

 

「会うことは?」

 

「許可できない。まあ、じきに会えるだろう。ここも最前線だ」

 

 イヴリンが面会の申し出をしたが、シーラはそれを拒否した。当然だろう、相手は謹慎中なのだ。分かってはいた。

 リベリオンウィッチのことはひとまず置いておくにしても、グツェンホーフェンにはたどり着くことが出来た。ウィッチもどきなど不安はあるものの、マルレーヌたちの考える作戦はようやく第一段階へと足を踏み入れた。




もう口調が入り乱れてるよう……(


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第十四話『あなただからできること』

「共に戦えるようで光栄です、ガン・ブルー。あ、いえ……あまりこの名前を言わない方が良かったですか」

 

 ブリーフィングルームに残ったイヴリンたち一行に話し掛ける存在があった。

 ブリタニア空軍制服を着ている辺り、シーラの部下なのだろう。発覚しないよう釘を刺されたのか、イヴリンを過去のあだ名で呼ぶのを避けるようだった。

 しかし、ブリタニア空軍の少女ははっとしたように敬礼する。

 

「いえ、失礼しました! ブリタニア空軍、シェリル・アスキス曹長です! ……やっちゃったー……!」

 

 上官にあたるイヴリンたちに名乗るのが遅れたことが相当ショックだったのか、シェリルは敬礼を解くと、その場で頭を抱えてしまった。

 

「いや、別に気にしなくていい。アスキス曹長か。暫く宜しく頼む」

 

 イヴリンも隊を代表し、シェリルへ手を差し出す。手を交わし、互いに敬礼。

 

「ガン・ブルーの知名度もここまで来ると、改めて実感させられるね」

 

 ベルティーナがしみじみと語った。

 ウィッチや各国軍人に知れ渡るあだ名だ。中途半端なものではないが、基地を出てから出会ったウィッチは皆イヴリンを『ガン・ブルー』と呼んだ。

 

「紀子がいたら、もっと凄かったかも。言わないようにしていたけど」

 

 八重が目を細めて語る。イヴリンだけで有名なのだ、その隊長であった紀子が有名でない訳がない。

 だが、いない人間について“たられば”で語っていてはしようがない。紀子は死に、彼女たちは犯罪者を擁した脱走兵。今残された事実は、これだけだ。

 

「本当にスゴい人なんですね……イヴリン。なんだか私、居ていいのか分からなくなりました」

 

「何言ってるのさアカリ、隊長が自分でキミを運んだんだ。ボクたちも反対する気はないし、隊長もそうだよ」

 

 然り気無く明里の肩に手を回して、ベルティーナが語る。すぐにマルレーヌがその手を払い落とし、あたかも猛獣から大事なものを庇うかのように明里を抱き寄せた。

 

「全く、油断も隙もありゃしないんだから」

 

 ベルティーナの毒牙に掛けてたまるか。強く明里を抱き締め、マルレーヌは唸っている。

 肩をすくめ呆れたように頭を振るベルティーナ。フェオドラが困っていると、不意に明里の上着に入れたスマートフォンが通知を告げた。

 来る筈の無い通知。これで二度目になる。

 放っておいてもいい。だが、不思議と明里には無視できなかった。手は勝手にポケットをまさぐり、スマートフォンを取り出している。

 

「『空を見て』……って、どういうこと?」

 

「またその板からか……。一体なんなんだろうね」

 

 ベルティーナは勿論、皆が疑問に思う。気味は悪いが、何故か不思議と恐怖は感じなかった。

 肝心の内容はただ一言だった。名の無いユーザーから、ただ一言。ブリーフィングルームには窓があったから、明里は試しに従ってみた。

 勿論暗殺者が狙っている可能性もあったが、ならばスマートフォンなど使えないだろう。

 

「……なにも無いけど──」

 

 窓から曇り空を見上げる。何もない筈の空に、不意にネウロイ出現のサイレンが鳴り響いた。

 

「独立飛行隊、行くぞ! アカリ、絶対に建物から出ちゃダメだよ」

 

「気を付けて、イヴリン」

 

 明里の言葉に、イヴリンは確かに頷いた。

 流石軍基地として利用しているだけあり、準備は早い。ブリーフィングルームに残された明里は、曇天の空へ次々に上がっていくウィッチたちを窓の向こうから見送っていた。

 

「……どうしよう。勝手に歩き回る訳にいかないだろうし」

 

 ここは立派な軍事基地だ。一般人の立ち入りなど本来あってはならない。結局、明里はブリーフィングルームの椅子に腰掛けてイヴリンたちの無事を祈る。

 大丈夫だ、彼女たちは無傷で戻ってくる。今度は他のウィッチも一緒なのだから、尚更だろう。

 だが、明里が耳に嵌めていたインカムから聴こえてきた交信が事態を一変させた。

 

〈ウィッチもどきか……! まさかこんなところで!〉

 

 シーラも出撃しているようだ、彼女の驚愕に満ちた声が響き渡る。

 イヴリンたちの部隊も苦戦しているのか、いつもの軽口さえ飛び交わない。通信を開けて聴こえるのは銃声、エンジン音と風切り音だけ。

 席を立ち、窓から空を見ようとして再び通知が鳴った。

 

『外に出て』

 

 メッセージは明里へそう指示をしているようだった。しかし、イヴリンは絶対に建物を出るなと釘を刺している。明里はメッセージを無視しようとした。

 すると、更に更新される。

 

『このままだとイヴリンは死ぬ。貴方の力が必要なの』

 

 イヴリンが死ぬ。何の証明もない、ただの妄言だ。しかし明里の脳裏を、ネウロイの光線に撃ち抜かれたイヴリンの姿がよぎってしまった。

 戦場になっているのはまさに上空、頭の上である。対空砲も絶えず唸りを上げ、サイレンは未だ鳴り止まない。そんな状況の下へふらふらと出ていけば、イヴリンが気にする。ネウロイの攻撃に巻き込まれるかもしれない。

 分かっている。しかしそんな思いとは裏腹に、足は勝手に宿舎の外へと向かっていた。

 

「おい、どけ! ノロマッ!」

 

 不意に明里を誰かが突き飛ばした。振り返ると、軍人らしい軍服に身を包んだ少女が苛立ちもあらわに走り去るところだった。

 去っていったものを追っている余裕は無い。明里は出入り口から、騒がしい基地へ出ていった。

 ネウロイの攻撃は幸いにしてウィッチによって防がれている。対空陣地が破られることはなく、だがネウロイを倒す決め手にはなっていなかった。

 響く銃声、部下を叱咤する声。次々に運ばれてくる機材。そんな中、また一人ウィッチが空へ上がった。

 

「イヴリン……」

 

 にび色の空に、その姿を捜す。刀を片手に戦うその少女はすぐに見つかった。

 黒い影のような、人型の何かと剣を打ち合う。赤い輝きを放つ剣を振るう人型に、イヴリンは苦戦していた。

 その動きはあまりに早く、ウィッチを翻弄しシーラの率いていた部隊のウィッチを一人、剣で切り捨てるとその場で宙返りし、イヴリンへ再び向かっていく。

 

「くっ……私狙いか──!?」

 

 イヴリンの視野は広い。地上を視界に入れると、本来居てはならない人間がいるのが見えた。

 

「どうしてそこにいる!? アカリ──うわッ!?」

 

 気の逸れた瞬間、人型の放つ一閃がイヴリンの持つ刀を叩き折り、その手から離させた。

 人型──いわゆる『ウィッチもどき』の狙いは、すぐさまイヴリンから地上で棒立ちしていた明里へ切り替わったようだった。

 

「まずい、明里のところへ行く」

 

 八重が矢を射るが、ウィッチもどきは複雑に曲がりくねる矢をかわし、銃撃、対空砲火をすらかわし、明里へ機関銃らしきものを向けた。

 明里はそのウィッチもどきへ手を伸ばす。否、その後ろから落ちてきていた刀へ手を伸ばしていた。

 

「……!」

 

 ウィッチもどきの攻撃より早く、イヴリンが手放してしまった扶桑刀は明里の手に握られた。

 刹那、眩い青い光が基地を覆った。輝きの中で折れた刀は再生し、顕現する筈の無い使い魔の特徴が身体に現れる。

 

「まさか……」

 

 ウィッチもどきと共に襲ってきていたネウロイは消滅する。上空で明里を見下ろしていたイヴリンたちは目を丸くした。

 明里の頭に伸びた翼はハヤブサのもの。青白い光は魔法力のものだが、それよりも驚くことがあった。

 

「隊長、ハヤブサに扶桑刀って……キコだよね」

 

 機関銃の再装填を終え、ベルティーナが問う。

 

「ああ……有り得ない。そもそもアカリは、ウィッチですら無いじゃないか」

 

 イヴリンも現実を呑み込めずにいた。異世界からやってきた一般人、かと思えば魔法力の覚醒。

 まるで意味がわからない。一体何が起こったのか。

 

 □

 

『ありがとう、明里』

 

 何かが明里に感謝を伝えてきた。暖かく、そして覚えのある雰囲気だった。

 ずっと一緒にいて、でもそれとは少し違う雰囲気。だがハッキリそれとわかった。

 

「おばあちゃん……?」

 

 堀内紀子。その存在を、明里はどこかに感じていた。

 身体は軽く、今ならば思う通りに身体が動きそうだった。

 

『イヴリンを……皆を死なせない。手伝ってくれる? 明里』

 

「……まだ、あの人たちとは出会って数日だけど──」

 

 ウィッチもどきが動いた。振るわれた剣を明里は弾き、勢いよく地面を蹴る。

 

「でも、分かるよ。おばあちゃんが──紀子さんが、皆を守りたいっていう気持ち」

 

『あなたが(ふみ)を受け入れてくれてよかった。無視されたら、私にはどうしようもなかった』

 

 恐らく紀子は、メッセージのことを言っているのだろう。

 激しい刀と剣の打ち合いを、何の訓練も無い明里に切り抜けるのはやはり難しい。

 距離を取っても、魔装脚らしきものを着けたウィッチもどきには一瞬で詰められてしまう。

 

「……もっと走り込んでおけばよかった」

 

 肩で息をしながら、明里は迫るウィッチもどきネウロイを睨み付ける。

 刀が重い。しかしあれだけ振り回せたのだ、まだ行けるはず。刀を構え、攻撃に備える。

 

「邪魔だッ!」

 

 明里の背後から、激しいエンジン音が轟いた。背中を引っ張られ、明里はその場を離れる。振り返ると、引っ張ったのはイヴリンだと分かった。

 すぐに入れ替わりで、最後に上がったウィッチが水平二連散弾銃を片手にウィッチもどきへ突撃していく。その加速力はすさまじく、まるで剣で突きに行くように銃口を突き出し、発砲する。

 反対にウィッチもどきは赤いシールドで攻撃を防ぐと、散弾銃を切り捨てようと右手の剣を振るう。

 

「あめェんだよ!」

 

 まるでダンスを踊るようにターンして剣を避けると、ウィッチは青白い輝きを得た散弾銃を再びウィッチもどきへと向けた。

 雷鳴がとどろくような銃声が響いて、だが気付けばネウロイの姿はなかった。上空を見上げると、ウィッチもどきがグツェンホーフェン基地領空から飛び去っていくのが見えた。

 

「チッ、逃がしたか」

 

 ウィッチは悔しげな舌打ちと共に散弾銃を器用にスピンさせると、腰の革製ホルスターに滑り込ませた。

 異例なまでの低空戦だ、ほぼ地上戦といっても変わりはない。基地内部での戦いを一先ず制したのは、グツェンホーフェン基地側だった。

 

 明里の魔法力覚醒という、数多の謎を残した勝利だ。

 格納庫へ向かったウィッチたちは、すぐに明里を取り囲んで彼女へ問いを投げる用意を始めていた。



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第十五話『継がれるチカラ』

 ウィッチに囲まれた明里はその迫力に萎縮し、いつもより小さく見えた。

 携えた()()()を抱き寄せ、怯えたように周囲へしきりに視線を配らせる。

 最初に声を上げたのはイヴリンだった。しかし、その内容は彼女の覚醒についてではなかった。

 

「どうして外に出た? アカリ」

 

 あれだけ言うことは利くようにと念を押しただろう。イヴリンは暗にそう言っていた。

 

「それは……その」

 

 説明しようとして、明里はその口をつぐむ。口で言っても分からない。きっと伝えられない。

 彼女はスマートフォンを取り出して、メッセージアプリの画面を見せた。

 

「皆には少し伝えたつもりだけど、私のこれは電話なの。でも、この世界では使えなかった」

 

「何が言いたいのよ。そんなんじゃ、いくらアンタに甘い隊長も納得しないわよ?」

 

 マルレーヌが腕を組んで語る。難しそうに眉間にしわを寄せ、首をかしげていた。

 

「無線が通じないのと同じ。だから、同じく電波を利用している以上は、このメッセージは私に届く筈がないんです」

 

「届く筈がないメッセージが、アカリちゃんに窓を見ろ、外へ出ろと指示を出した……ということ……?」

 

 フェオドラが問うと、明里はハッキリと肯定した。

 有り得ない話だ。切って捨ててもよかった。しかし明里は異世界の人間で、魔法力にさえ目覚めた。彼女に関して、なんでも有り得ないと切り捨てることは、もはや出来なくなっている。

 

「混乱しているんだが、彼女は一体なんなんだ? ウィッチではないのではなかったのか?」

 

 シーラ率いる隊のウィッチたちの混乱は、イヴリンたち以上だ。何も知らない状況で、いきなりウィッチでないものが魔法を使うなどとは。

 シーラは説明を求めるが、イヴリンたちは顔を見合わせて暫し悩んだ。

 だがもはや、隠し立ては出来そうにない。説明は部隊を代表し、イヴリンと補足を明里が行うことにして、シーラ達へ明里の正体を明かした。

 未来から来た人間であること、そもそも別世界の人間であることも含め、全てを話した。

 証拠にはやはり、スマートフォンが役に立った。それから世界地図、情勢の話も。

 

「有り得ないわ……」

 

 シーラの口調に女性らしさが表面化する。頭を抱える彼女は、取り繕っていたらしい厳格な口調さえ忘れたようだった。

 

「魔法が存在しない世界にいたのなら、なおさら彼女の魔法力の説明がつかないでしょう?」

 

 シーラは語る。その通りだとイヴリン側でさえそう思った。

 

「逆なんじゃないのか」

 

 一人、隊の輪から外れていたリベリオン空軍制服の少女が、格納庫の壁に寄り掛かったまま話題に割って入った。

 逆とはなんだ。シーラもイヴリンも、少女へ視線を注いで答えを待つ。

 

「ソイツ、アンタらの元隊長と同じ名前の人間と知り合いなんだろ。その世界に魔法力が無いってだけで、家系で魔法力自体は継いでいたとしたら?」

 

「ブランソン曹長、話は簡潔に述べろ」

 

 シーラは壁に寄りかかる少女を睨む。

 

「つまり、魔法力の無い世界から来たが、実はウィッチの素質はしっかり遺伝してました。簡潔にしちまえば、それだけのことだ」

 

 上官であるシーラにさえ、少女は畏まったような口調にはならなかった。

 イヴリンはふと、明里の抱える扶桑刀に注目する。

 

「そういえばそれ、折れた筈だな?」

 

「これのこと?」

 

 明里は鞘から刀を抜き、イヴリンへ見せる。折れた筈の刀身には勿論継ぎ目などなく、うっすらと青白い、魔法力を体現するようなオーラを纏う。もはや単なる扶桑刀ではないように思えた。

 

「魔法力で刀身を形成しているのか……? あのウィッチもどきの打ち合いでも、折れる様子は無かったね」

 

 刃こぼれしている様子も無い。

 むしろ問題は、訓練を積んだウィッチでもない明里が魔装脚にフル武装のウィッチでさえ苦戦する、ウィッチもどきに正面から挑んで無事に済んだことだ。

 普通なら即時に殺されていておかしくはない。

 

「アカリ、キミがあのネウロイと戦ったことについてだけど。そんなに身体が動いたのかい?」

 

 ベルティーナの態度は柔らかく、明里も話しやすかったのか返答は早い。

 

「分からないんです。ただ、刀を無我夢中に振ってただけで。でも紀子さんの意志みたいなものが見えて、その通りに動いてみたら……」

 

「戦いになっていた?」

 

 ベルティーナが代わりに言葉を繋ぐと、明里は静かに頷いた。

 分からないことだらけだ、その場にいたウィッチ皆が揃って唸った。

 

「現状分かっているのは、アカリに魔法力が目覚めたこと、紀子の扶桑刀は最早普通の刀でないこと、その魔法力は恐らく以前から封じられていたものらしいということか」

 

 イヴリンが大まかに話をまとめる。それ以上に言えることはなく、解明するにはまだまだ時間も足りなかった。

 では、もう一つ。シーラが発進器に固定された魔装脚を示し、明里へ装着するように指示する。イヴリンは難色を示したが、シーラの考えが正しければ明里もウィッチだ。いつかは戦えた方が良いのは当然だった。

 

「どれを使えば……」

 

 グツェンホーフェン基地は飛行場。空軍ウィッチの基地になっている。予備機のストライカーはたくさんあり、知識の無い明里にはどれを使えばいいのか分からなかった。

 

「どれでもいい。『これだ』と思ったものに、脚を入れて」

 

 シーラが答える。皆が見守る中で、明里は一機のハリケーンへ足先を向けた。

 魔法が反応する。強い光と共に、脚が魔装脚に吸い込まれるように抵抗無く入っていく。使い魔の顕現と共に、共鳴するように刀も輝きを放った。

 

「うわ……」

 

 感じた事の無い感覚だった。明里は魔装脚に脚を入れるという、不思議な光景を自ら目の当たりにしながら、声を漏らすしかなかった。

 魔導エンジンに火が入る。明里のスカートが微かに靡いた。固定されている状態ですら生地が干渉するのか、少々脚が窮屈に感じた。

 

〈ズボンにする気になったか?〉

 

 インカムに、イヴリンから交信があった。見てみれば、ウィッチたちに交じって独立飛行隊は腕を組んで意味ありげに笑みを浮かべている。

 なるほど、あの独創的な服装にはちゃんと利点があったのか。明里自身が同じ舞台に立ったことで、ようやく“ズボン”の意味が分かった。しかし、それはそれ。

 

「絶対イヤッ!」

 

 明里には恥じらいがあった。文化の圧倒的な違いによる、恥じらいがあったのだ。

 ここの人間たちは皆口を揃えてズボンと言う。しかし、明里にしてみればどれだけズボンと言われようが、やっぱりそれはパンツなのだ。

 下着である以上、晒すのは絶対に避けたかった。理想は八重の軍装である、扶桑陸軍の袴くらいだろう。それならまだ耐えられそうだ。

 

「おい。どうしてもイヤだってんなら、そのベルトの横を切れ。可動域作りゃ何とでもなる。ナイフ貸してやるから」

 

 発進器の傍らに立っていたリベリオン人ウィッチ、ブランソンはホルダーから軍用ナイフを抜き取ると、手のひらでくるりと回し、柄を差し出した。

 ベルトとは。明里が視線を迷わせると、ブランソンは「それだ」と明里のスカートを指差した。

 

「ここじゃ一張羅なのに……」

 

「なら都合いいだろ。ダメになったら、イヤでも仲間入りだ」

 

 早くしろと言いたげにずい、とブランソンがナイフを押し付けてくる。

 明里は恐る恐るそれを受け取り、スカート両側の生地に刃を入れた。小さく切れ目を入れてやると、あっさりと手で裂ける。窮屈さは無くなったが、やはり羞恥心が強い。

 

「行ってみます!」

 

 動けるようになったところで、明里は勇ましく声を上げエンジンの回転数を上げる。

 固定具が外れ、魔方陣と共に地面を滑空。格納庫から勢いよく飛び出すところで大きくバランスを崩し、墜落した。

 

「いったぁ……」

 

 エンジンが停止し、地面で擦りむいた腕を見る。相当な衝撃だったが、擦り傷程度で済んでいる。明里はなによりそれに驚いた。

 

「大丈夫かい、アカリ!?」

 

 駆け寄ってきたイヴリンに、明里は問題ないと笑いかけた。

 そもそも超低空での離陸失敗だ、大した怪我にはならない。

 

「飛行訓練が必要だな。グツェンホーフェン基地には併設の訓練学校がある、そこに少し通うといい。戦闘に出ようとは思うな? 残酷だが、医官の仕事量も限られているからな」

 

 ベルティーナやマルレーヌたちの手を借りて魔装脚を外しつつ、シーラの言葉に耳を傾ける明里。

 確かに少し離れた場所に、基地とは関係なさそうな建屋があった。恐らくウィッチはもっと沢山いるのだろう。グツェンホーフェンにはまだ居ることになる、明里も自身が負担にならない為、シーラの話を呑む事にした。

 飛行技術を学び、せめて仲間たちの邪魔をしないようになるために。




いくらズボンって言ったって、やっぱりそれはパンツだよ。


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第十六話『荒れ果てた過去は湯に解かして』

 明里が飛行学校に通い、飛行訓練に勤しみだして一週間。ネウロイの襲撃を退けながら、ウィッチたちは一進一退の攻防を続けていた。

 明里自身も離陸から通常飛行までは安定して行えるようになったが、戦闘機動となれば話は別だ。そもそも軍属でない彼女に、そんな機動は必要無いというイヴリンの意見もあった。だが、明里は積極的に戦闘機動をも学ぶ気でいる。

 

 ネウロイの絶え間ない襲撃から一転して、明里が訓練学校を終えて宿舎に戻るまで何もない日があった。

 薄暗くなってきたベルギカの景色も、今や見慣れたものだ。

 

「あっかりー! 待ってたよー」

 

「ベルティーナさん? どうしたんですか?」

 

 飛行場の中心で、ベルティーナは明里の名を叫ぶ。ぶんぶんと手を振り回して、随分と嬉しそうだった。

 興奮冷めやらぬ様子で、彼女は語った。

 

「ほら、アカリが学校に通う前に言ってたドラムバス。あれ、やっと稼動したんだ」

 

「え? あ、ドラム缶風呂ですか?」

 

「そーそー、それそれ!」

 

 グツェンホーフェン基地は最前線だ。そもそも欧州には風呂という概念が一般的でなく、シャワーがあるくらい。それはこの基地も変わらず、訓練生を含めたウィッチの多さもあって、順番待ちの列はかなりのストレスのようだった。

 そこで明里は考えたのだ。なんとか湯船を作れないかと。勿論この時代だ、簡単ではない。ならば簡素な湯船を作ればいい。

 明里がいた時代には、古代ローマからやってきた技師が、日本の風呂の技術を模倣する漫画が有名だったが、つまり似たような事をしたのである。

 

「評判はどうです?」

 

「上々なんてモノじゃないよ! 士気も上がると思う」

 

 人間皆平等だ。シャワーばかりでは疲れも取れない。ネウロイの予測が無い日くらいは、ゆっくりと湯船に浸かれば疲れも悩みも解けていく。

 火を炊くのは大変だが、それさえ出来ればあとは浸かるだけなのだ。一番風呂はグツェンホーフェンのウィッチ部隊指揮官、シーラだったとベルティーナは明里へ教えた。

 

「ロマーニャ人もお風呂は好きなんだけど、なかなかねぇ……」

 

「そういえば、イタリアもお風呂文化ありましたね」

 

 認識の齟齬はそこそこで、ベルティーナも大して気にしなくなっていた。

 明里の知るイタリアの風呂文化は、公衆浴場。要するにスパで、個人用のバスはやはり少ない印象だ。

 

「でさ、アカリ」

 

 ふと、改まってベルティーナは明里を見つめる。首をかしげる明里。

 

「一緒に入らないかい? 二人で入れば、悩みも打ち明け合えるだろう?」

 

「お気持ちだけ! お気持ちだけ、ありがたく受けとります!」

 

 ありがとうございました。明里はだいぶ様になってきた敬礼を見せると、宿舎へ歩いていく。

 

「あー! 待ってよー! ボクが火も炊くから!」

 

「大丈夫、大丈夫です!」

 

「分かった! ボクの昔話も付けるよ!」

 

 ぴたりと明里の足が止まった。ベルティーナも手応えがあったと思った。

 しかし明里の表情は複雑そうで、悩ましげに唸っている。

 

「そんなテレビショッピング感覚で……」

 

「テレビショッピング?」

 

 何でもないです。明里はそう返すと、仕方なく折れることにした。どういうわけか必死なのだ。当然同性であったし、頑なに拒む理由も無いと言えば無い。

 風呂に入るのが決まると、ベルティーナは明里の手を掴んで引っ張っていく。よほど嬉しいのか、年相応の少女らしい笑顔が垣間見えた。

 

 □

 

「どう、アカリ?」

 

 グツェンホーフェン基地に新設されたドラム缶風呂は、明里のいた日本で昔見られたものとほぼ同じだ。

 使い古されて空っぽになった燃料用の大きなドラム缶を洗浄し、危険な縁の部分は丸めて、煉瓦の上に置き、真下で火を炊く。それに簡素な筒で息を吹いて、火を強めて湯を沸かす寸法だ。

 

「あ、いい感じですー」

 

「よし、ボクもはーいろっと」

 

 ベルティーナがドラム缶に入ってくる。流石に二人も入ると身動きが取れないが、まだ多少のスペースはある。

 

「少し熱くない?」

 

「そうですか?」

 

 扶桑人は熱い風呂が好きらしい。ドラム缶風呂の案を出してイヴリンと話している時、紀子がそうだったと語ってくれた。

 明里は熱すぎる湯は苦手だったが、それでもロマーニャ人のベルティーナには熱く感じたようだ。

 

「に、しても流石軍人さんですね」

 

「ん?」

 

 ベルティーナの小麦色の肌は張りがあり、小さいながらも身体はよく引き締まっている。軍人としての訓練の賜物なのだろう。

 ネウロイの襲撃がないまま、一日が終わろうとしている。どうやら後がつかえている訳でもないようで、二人は揃って星の見え始めた薄暮れの空を見上げた。

 

「そうだ、昔話だったね」

 

 ベルティーナが湯を手で掬い、語った。

 彼女が自ら語ると言ったのだ、明里も遠慮無く聞くつもりでいる。

 暫し静寂が続くと、静かに過去の記憶がベルティーナの口から紡がれていった。

 

 □

 

 ロマーニャの生まれである彼女は、決して恵まれた家庭ではなかった。それでも両親と幸せに過ごしていた。魔法力に目覚める、ほんの一年前くらいだ。

 しかし、ネウロイの襲撃によって両親は死んだ。あまりにもあっさりと、今まであったものが奪われた。

 家も、友人も、何もかもがなくなった。彼女の家はごみ溜めのような路地裏になった。

 少し前までは暖かい料理と家族が待っていたのに、今では何もない。空腹が苦しかったのは数日だった。それからはどういうわけか気にならなくなった。

 頭にもやが掛かったようになって、苛立ちやすくなった。不幸なのは自分一人ではないと思っても、そんな考えすぐにかき消えた。

 路地裏から大通りを見ると、幸せそうな人間が見えた。許せなかった。理由など無い、ただ自分がそう思っただけ。

 気付けばベルティーナは通りかかった家族から、買い出しの食料を盗んでいた。気付かれなかった。その日食べたパンは、罪悪感の味だった。

 そんな日がしばらく続くと、今度は金に困るようになった。割れた鏡に映った、無造作に伸びた髪をした自分を見て、彼女は手近のナイフで髪を切った。

 長い髪との別れは、ある意味家族との決別だった。それからベルティーナは持ち前のスタイルと、男から真似た一人称を使って女性から金を貰うようになった。

 やり方は様々だったが、当然トラブルもあった。騙され、痛め付けられた事もあった。

 それからほぼ同時期に、彼女は魔法力に目覚めた。金をせしめる時、不思議と相手が悪意を持っているのか分かるようになった。不埒な輩も追い返せるようになった。

 そんな生活が続いて、彼女はある日ウィッチの募集をロマーニャ軍がかけているのを街で見かける。自分にはどうせ何もない、ならば軍に入って金を儲けてもいいか。

 ベルティーナがロマーニャ軍に志願したのはそんな単純な理由だった。落ちぶれた自分なら、どうなってもいいという理由だった。

 

 □

 

「ベルティーナさん……」

 

「あっははは、ちょっと重かったね。色んな事があったけど、ボクは隊長やキコたちに出会えて感謝してるよ。少なくとも、昔の荒れ果てた自分からはサヨナラできたしね」

 

 少しのぼせたかな。ベルティーナはまるで話を遮るように、明里より先に風呂から上がっていった。

 一人残された明里は、星空を再び見上げて物思いに更ける。

 イヴリンたちがベルティーナの“眼”を信用すると語っていたのは、もしかするとここから来ているのかもしれない。

 何にせよ、ネウロイが残す爪痕は深く、どこまでも人をドン底に突き落とす。明里のいた世界の戦争と同じだ。

 戦争は技術発展の場でもある、とはたまに明里も聞くことがあったがネウロイとの戦争ではどうだろうか? 

 数少ない人間──ウィッチばかりが前線に立つ世界に、技術発展はあるのだろうか。

 

「う……のぼせた」

 

 ふらつく身体で風呂から上がり、着替えて宿舎に戻る。入り口で待っていたのは、シーラだった。

 

「お疲れ様、堀内軍曹」

 

「え!?」

 

 唐突に階級付で呼ばれ、明里は飛び上がってしまうほどに驚いた。

 冗談よ。シーラはけらけらと楽しそうに笑って見せた。そこに、戦闘指揮を行う厳しい佐官の姿は無かった。ベルギカ人らしい、綺麗な顔立ちで満面の笑みを見せる少女だけがいた。

 

「確かにあなたは軍属ではないけれど、飛行技術は日に日に伸びている。あとは着陸や、戦闘機動を少し学べば大丈夫よ」

 

「ありがとうございます。あ、えと……はい!」

 

 少し手を迷わせて、明里は敬礼を見せる。

 本来ならば叱責もあるだろうが、シーラはそれでも笑っていた。

 

「気にしなくていいわ。カルヴァート少尉の拾ってきた人間だもの、信用はしているわ。……今度、未来の話を聞かせてね」

 

「はいっ! 必ず!」

 

「ありがとう。それじゃあ、私はまだ仕事があるから。おやすみ、アカリ」

 

 シーラ自ら、敬礼ではなく手を振って明里の前から立ち去っていく。

 明里が出会ったウィッチたちは、今のところ皆優しい人間だ。だが、不安にもなる。何かが迫っている気がする。

 ネウロイでは無い何かが、自分達を見ている気がした。魔法刀が輝きを放ち、何かに反応する。だが、明里にその理由を知る余地はなかった。




ベルティーナの過去が少し語られました。
実はならず者です。不真面目なのはそのせいだったりもします。
ちゃんとお風呂回をしたいですね……。


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第十七話『目覚めるココロ』

「ダメだ、アカリに銃は持たせられない」

 

 それは明里がベルティーナの過去を聞いてから二日後。

 午前中に現れたネウロイを撃墜し、午後は明里の訓練となっていたが、射撃訓練に入ろうというところでイヴリンがそれを止めた。

 

「護身という意味でも、彼女は銃の扱いを学んでおくべきだ。元の世界に戻るというのも、いつになるか分からないそうじゃないか」

 

 シーラが返すと、イヴリンはぐっと言葉を呑み込んだ。すかさず、ここぞとばかりに畳み掛ける。

 

「それにな、道端の石をどかしてやるより一度くらい踏んで転んだ方が強くなるし、危機対応も学べる。それはカルヴァート少尉が一番分かってるだろう?」

 

「しかし……」

 

「……アカリは厳密にはどこの隊にも所属していなかったな。であれば、この基地のウィッチを預かる私の命令だ。堀内軍曹に射撃訓練を行う。軍曹、ストライカーを装着し、五分後に射撃訓練場へ来い」

 

 命令だと言われては何も言えない。イヴリンが歯を食い縛り、悔しげに地面を睨む。拳を握りしめ、震えている。

 明里を自分達の隊の所属と明言しておかなかったのはミスだ。彼女の存在はあくまでも『隊付補助』とでもいうべきもので、曖昧なものだ。部隊員の指揮系統も簡単に覆る。

 明里は困ったようにイヴリンたちを見つめて、それから格納庫へ駆け出していった。

 シーラもまた、涼やかに茶色の髪をなびかせて射撃訓練場へと歩いていった。イヴリンたち独立飛行隊のメンバーは、なかなかその場から動けなかった。どちらも正しい。だから、どちらにも甲乙を付けるわけにはいかなかったのだ。

 

 □

 

 五分後。シーラは私物の懐中時計を確認し、訓練場にある明里の姿を見て「よし」と頷いた。時間に狂い無し、軍人としてなら当然だが、一般人として見れば上々と言えた。

 明里の表情は浮かない様子だった。ベルギカ製のM1935ピストルを一心に眺めているようで、そうではない。シーラには気付いていた。

 

「イヴリンが気になるのか?」

 

「……はい。悪いことしたんじゃないかって」

 

 斜を向いて明里は小さな声で返した。

 ふむ、とシーラは顎に手を当てて考える。ここで重要なのは信頼だ、依存ではない。

 

「アカリが気にしているのは、イヴリンに見捨てられたくないということじゃないのか?」

 

「そんなことありませんっ! イヴリンは私を助けてくれて、私はあの人が居なかったら……」

 

 イヴリンがあの牢で手を差し伸べてくれなかったら。きっと軍人に殺されていた筈だ。いや、死ぬよりもっと悲惨だったかもしれない。

 明里は嘘をついていない。真っ直ぐにシーラと視線をぶつけてくる彼女を見れば、思いが伝わるようだった。だが、なおもつつく。

 

「イヴリンに見捨てられたら、君は一人で帰る手段を捜さなきゃならない。見捨てられないために機嫌を取りたいんじゃないか」

 

「そんなこと……」

 

 明里の否定が弱くなる。

 

「君はイヴリンに捨てられたくない。イヴリンは何らかの理由で、君に戦ってほしくない。それは信頼じゃない、一種の依存だ。互いが互いにしがみつくだけのモノだ、そんなモノ……ちょっとした拍子で簡単に突き崩される」

 

 だから、とシーラは続ける。

 

「だから、君も彼女たちと並んで飛べるようになれ。少尉を心配させることなく、元の時代に戻れるように」

 

 明里の中には、まだ引っ掛かる部分があった。しかし、シーラが語ることは正しい。いつも背中の後ろに隠れて、一般人だからと庇ってもらうのはもう嫌だった。

 自分もイヴリンの飛行隊の一員だと胸を張って言いたくなった。その為には飛べなくては、戦えなくては。守られたくないのなら、皆を守れなくとも自身を守れるくらいの力を身に付けなければ。

 固く結ばれた口。明里の瞳にも決意の火が宿る。置かれていたピストルを手に取ると、教官となるシーラの説明を待った。

 

「良い眼ね。では説明するが、危険だから指示あるまで絶対に引き金に指を掛けず、銃口は何があっても自分と味方に向けるな。位置に困るなら、楽にして上へ向けておくと良い」

 

「はい!」

 

 精一杯の返事だった。銃の説明を聞きながら、魔装脚の出力を安定させるのは難しかった。ホバリングは飛行訓練過程で学んでいたが、他のことに集中し出すと魔法力の集中が乱れる。

 本来の射撃練習、訓練だけなら魔装脚は必要ない。これはシーラが少ない時間で魔法力の安定と射撃の練習を兼ねるよう編み出した、一種の複合練習だった。

 

「ベルギカ製M1935拳銃。装填数は十三発、薬室に一発。その拳銃を超える装填数を持つものは、機関銃以外に存在しない」

 

 シーラが明里の傍らに寄ると、指差しでピストルの操作を教えていく。安全装置のオンオフ、撃鉄の引き起こしと戻し方。弾倉の入れ方から出し方まで。

 

「それから、その銃は軍曹にそのまま支給する。軍用のプロ仕様だから、扱いにはより気を使って」

 

 訓練に使用したものを支給すると言われ、明里は不安になった。

 

「大丈夫なんですか……? 立派な備品じゃ……」

 

「それは私の私物よ。押し付けるみたいで申し訳ないけど、私も少尉たちと同じで.45口径のほうが好みなのよ」

 

 9ミリ弾では威力が足りないの。シーラはそう締め括った。銃を渡された明里は威力だとかそんなものは良く分からなかったから、押し付けられたなんて考えていない。

 

「さて、次はいよいよ発砲だ。覚悟は出来てるな?」

 

「はい……!」

 

 緊張が強まる。明里の頬を一筋の汗が伝った。

 前方には標的が10メートル間隔で置かれている。ピストルの最大射程はおおよそ50メートルといわれている為、五つ目の標的がM1935で当てられる最長標的になる。

 

「弾倉、装填!」

 

 シーラが声を張り上げた。明里は慌てつつもミス無くM1935のグリップに弾倉を押し込んだ。

 

「堀内軍曹も声を出せ。次、初弾装填!」

 

「初弾装填っ!」

 

 スライドを引くと、排莢孔から金色の弾丸が覗く。手を離し、スライドを戻す。

 

「装填完了!」

 

「よし! 構え!」

 

 シーラは最初、構えの基礎以外教えていない。力の入れ加減などの教示は一切無いまま、明里はピストルを標的へ向けた。

 

「一番手前、狙え! ──撃て!」

 

 シーラの指示にしたがって照準を移し、照準器を覗いて一射。思いがけない反動が明里の両腕を跳ね上げ、乱れた集中は魔法力制御にも現れた。魔装脚のエンジンが一瞬停止し、また回転を始める。

 危うく一発撃っただけで墜落するところだ。実戦だったら間違いなく死んでいる。

 ただ、そうなるのは初めて銃を撃つ人間、皆がそうだ。力の入れすぎや、構えの些細な違いは正確な射撃に結び付かない。

 

「右手はグリップのもっと上を握って。スライドが勢い良く動くから恐いかもしれないけど、大丈夫」

 

 明里の握りは少々グリップの下を握っている。反動を逃がすより先に銃が暴れて、弾が明後日の方向に飛んでいっていた。

 

「左手、右手両方共に指に隙間を作らないように。左手も出来るだけ上側で右手を包んで」

 

 より細かく教わって、明里は再度ピストルを構える。

 

「身体の力は抜いて、握る指に力を入れる。身体が固いと反動を逃がせないぞ」

 

 シーラのアドバイスを加えながら、更に構えを直していく。柔らかに。だが、しっかりと。

 そして一射。着弾と共に響いた高らかな金属音が命中を告げていた。

 

「よし、これだけで命中させられたなら充分だ。もっと当たらないと思ったが」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ。まあ拳銃だから、このくらい出来てもらわなければ困るがな。だが理解力と吸収力はある」

 

 シーラが微笑む。安全装置をピストルへ掛け、明里は静かにM1935を置いた。

 

「本当なら、ちゃんと学校に通って軍籍を得るべきなんでしょうけど……。イレギュラーなのよね、あなたは」

 

「すみません……」

 

「良いのよ。ただ、そうね。少しだけ休憩がてら、未来の話が聞きたいわ。ストライカーを外して、そこに座って」

 

 木製の資材箱の上にシーラと共に腰掛け、青い空を二人で見上げる。

 午前中にはどす黒かった空も、今は嘘のように綺麗な青に染まっていた。

 明里はイヴリンにも話した、2020年の世界についてシーラに語った。ネウロイなど存在しないことや、戦争の違いなど。国の違いについても話した。

 ただやはり、一番驚いていたのはこの世界の女性のズボンという概念は、明里の世界では露出に含まれるということだった。

 

「パンツ……パンツって、何なのかしら」

 

 シーラは触れてはいけない世界の事象に触れようとしているようだった。哲学的にするには、少々明里には気恥ずかしい。

 休憩を終えようと二人で立ち上がったその時だった。

 

「アカリッ! ブラバンデル少佐ッ! ウチの隊長と、リベリオンのウィッチが!」

 

 二人を呼んだのはマルレーヌだった。ひどく慌てた様子で、立ち止まると膝に手をついて荒い息を吐いた。

 

「なんだとッ!?」

 

 リベリオンのウィッチ、ブランソンのことだ。彼女は謹慎の筈。まだ期間は終わっていない。

 シーラと明里は互いに視線を配らせ、頷くとマルレーヌの案内で飛行場の中心へと戻っていく。

 

 

 広い滑走路の真ん中に、人だかりが出来ていた。中心に居たのはイヴリン、そしてリベリオン人ウィッチ、ジェイス・ブランソン。

 

「ブランソンッ!」

 

 シーラが怒鳴る。しかし、とうの彼女はそんなシーラの声を鼻で笑い、イヴリンと対峙する。ホルスターに手が伸びている。イヴリンも、ガン・ブルーに手を添えていた。

 

「イヴリン、やめて!」

 

 明里の声も届いていなかった。独立飛行隊のメンバーも手を出せないようだった。

 その様相はまるで西部の一騎討ち。ファストドロゥによる、早撃ち勝負だ。

 

「来い、カウガール!」

 

「上等だ。そのガン・ブルーはアタシが貰う。腑抜けたテメェにゃ必要ねぇ!」

 

 どちらがどちらの挑発に乗ったのか。だがどうであろうと、冷静な筈のイヴリンがこのような喧嘩染みたことに命を捨てようとする筈がない。

 

「まずい、急げ! 銃を抜くぞ!」

 

 シーラには見えた。互いにグリップへ伸ばした手が動くのを。

 既に手遅れか。仲間たちもイヴリンの前へ飛び出そうとして、だがそれよりも早く明里が間に割り込んだ。

 イヴリンへ柏太刀の切っ先を。ブランソンへ柏太刀を模したような、青白い刀を向けて。

 

「アカリッ! 邪魔を……」

 

「イヴリンのバカ! なに考えてるのか知らないけど、隊長なんだよね!? なんで急にこんなことしてるの!?」

 

「ヤツが喧嘩を売ってきたッ! だから買った!」

 

「だからってウィッチ同士で命の取り合いなんて、間違ってる!」

 

「邪魔すんじゃねぇよッ! ノロマッ──!?」

 

 刀を避け、イヴリンへ引き金を引こうとしたブランソンは明里の目を見て息を呑んだ。

 刹那、明里はまるで誰かに操られるかのように刀を翻し、二人の拳銃を跳ね上げる。

 明里がその視線を向けた時、イヴリンには見えていた。

 

『ブラバンデル少佐の下で反省しなさい!』

 

 明里の言葉だった。明里の声だった。だが、その鬼気迫る迫力は本気で怒った紀子だった。『鬼面の堀内』──紀子は生前、イヴリンと知り合う前、扶桑陸軍でそう呼ばれていた。

 その紀子の姿が、明里に重なって見えていた。捕縛される間も、イヴリンは抵抗すること無くただただ明里の姿を見つめるだけだった。

 左手の幻影刀を振り消す仕種まで、イヴリンの知る紀子だった。

 

「……アカリちゃん」

 

「ごめんなさい。きっと、私のせいです。私がはっきりしないから、イヴリンの機嫌を損ねないように中途半端な態度ばかり取ったから」

 

 まるでそこに紀子がいるかのように、明里は柏太刀を瞬時に逆手へ持ち変えると、納刀する。

 フェオドラの声に、彼女は初めて毅然と答えた。

 

「マルレーヌさん。私、独立飛行隊に志願します」

 

「え? ……まあ、確かに厳密な籍は無いけど……。どちらにせよ、私たちも似たようなものよ?」

 

「構いません。おばあちゃんが教えてくれました、イヴリンを支えてやらなきゃダメだって」

 

 柏太刀を掲げ、明里は語る。

 2020年の堀内紀子ではない、1941年に死亡した堀内紀子が告げるようだった。

 太刀から魔法力の光が消える。明里に、とてつもなく大きな変化が起きた。

 だがその代償が小さいわけはなく、彼女はそのまま膝から崩れ落ち、意識を失った。




幻影柏太刀は何本でも魔法力が続く限り生成できます。


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第十八話『1939年、扶桑より』

ちょっと回想が入ります。


 1939年という年も、まもなく終わる頃。この年は様々あった。いや、悪化の一途を辿る今では、この先にこそ様々なものが待ち構えているかもしれないが。

 北欧スオムスでは義勇独立飛行中隊が活躍し、各国ウィッチの寄せ集めだった同隊は目覚ましい活躍を見せた。

 そういったこともあり、扶桑皇国陸軍所属である堀内紀子中尉はキ34輸送機に揺られながらブリタニアへ向かっていた。手には一通の手紙。送り主の名には穴拭智子とあった。

 当たり障りの無い文面に、元気にやっているという内容。紀子はそんな手紙を見て、北欧で戦う戦友を思う。扶桑では幾度か背中を預けたこともあるウィッチだ。活躍できている事を、自分の事のように思う。

 しかし、彼女は大戦地カールスラントへ送られる事はなかった。紀子の指揮能力を鑑みて、陸軍は一度ブリタニアで各国統合飛行隊の試験運用を試みる事に決め、カールスラント行きを遅らせたのである。

 成功すれば各国に向けて、強力なウィッチ部隊を派遣できる。スオムスで証明された手段の更なる拡大が可能になると考えられていた。

 

「間も無くブリタニアに入ります、中尉」

 

 輸送機クルーが敬礼と共に紀子へ報告した。

 何度か安全な飛行場に着陸し、給油を繰り返した長旅もようやく終わる。普通こういう長旅は船を使うものだが、時間が何より掛かる。

 陸軍も必死で輸送機の手配をして、漸く実現した手段だ。

 

 紀子は乗室を見回す。固定された自身の魔装脚、キ27こと九七式戦闘脚を眺める。まだまだ戦闘証明の少ない新型ではあるが、この機体に不安は無い。

 彼女にはどんな機体も選り好みする気は無かった。

 もうすぐ、知らないウィッチに会える。躍る心をなんとか抑えるために目をつむり、精神統一。十秒ほどして、機体が異常なほどバンクした。

 

「一体なに……!?」

 

 揺れる機内で掴まるものを探しつつ、紀子は機内にいる人間に問う。

 

「ネウロイです……! 予測地点を避けきれませんでした!」

 

 機内クルーが青ざめた顔で語る。まずい、ネウロイに攻撃されれば足の遅い輸送機など即時に撃墜されてしまう。

 もうすぐブリタニアだというのに。紀子は舌打ちと共に、拳を握る。もう目的地は目前なのだ、乗員を守る為にも墜ちる訳には行かない。護衛機を用意しなければ。だが、どうすればいい。自身がそうなれば良い話だ。

 

「出撃する! ストライカーの固定を外してっ!」

 

「危険です、中尉! ネウロイの真っ只中に輸送機から出撃なんて……!」

 

 本来は発進器を用いて、ウィッチの離陸は補助されるものだ。それにエンジンを機内で回すことは出来ない。いくら腕に抱えて持ち運べる程度とはいえ、その出力は本物の戦闘機と変わらないのだ。

 第一、ネウロイに囲まれている。それでは良い的が増えるだけだろう。

 クルーはそれらを鑑みて紀子を止めようとした。

 

「あなた、名前は?」

 

「加藤技術二等兵です!」

 

「加藤二等兵、ストライカーの固定を外しなさい。命令よ」

 

 職権乱用。だが、階級の使い方などこの程度なのかもしれない。少なくとも紀子は、普段の生活に際して上下関係を厳しくする事はなく、こういった非常時に渋る兵卒を動かすために上官命令を使った。

 加藤は敬礼もそこそこに九七式戦闘脚の固定を外すと、紀子へ受け渡す。

 

「昇降口を開けて、そこから飛ぶわ。二等兵、私を抱えて外へ放ってもらえる?」

 

 紀子の提案に、加藤は目を丸くした。そんなこと出来る筈がない。何のためにウィッチと男性兵士を分けていると思っているのだ。何より、上官を戦場へ放り投げるなど有り得ない。

 

「自分には……で、出来ません!」

 

「いいからやるのッ! じゃなきゃ皆死ぬッ!」

 

 戦闘脚を装着したが、紀子はまだエンジンを始動しない。始動に必要な魔法力は送っていない。

 戦闘脚を装着しての自立は形状の問題で難しく、精密な機械であることも相まって実質不可能である。乗室に座る紀子は、加藤を怒鳴った。

 

「あなたが規律を守るならそれでいい。でも、規律に縛られて死ぬのは違うッ! 早く!」

 

 五秒ほど、加藤が黙る。それから昇降扉を開け放つ。

 

「失礼します、中尉!」

 

 紀子を抱え上げ高所の強風吹き荒れる昇降口に立った。

 ネウロイの姿は輸送機上からでもかなりの数が確認できた。銀色の小型ばかりだが、脅威に変わりない。

 

「御武運を、中尉」

 

「ええ、ありがとう」

 

 二人はそのようなやり取りを交わし、離れた。青い空へ、紀子の身体が放たれる。ネウロイ達はすかさず、幾つかを落ちていくだけのウィッチへ分散させた。

 離れていく輸送機は雲をたなびかせ、紀子の視界からみるみる内に離れていく。

 

「やりましょう」

 

 共に携えた柏太刀を太陽へ掲げ鯉口を切り、魔装脚のエンジンを始動する。プロペラが回転を始めると、紀子は背中から地面に向かっていた体勢を後方宙返りで反転。

 急上昇と共に太刀を引き抜き、襲い来るネウロイをその刃で切り伏せていった。まだ輸送機は遠い。もっと速く、もっと高く。紀子は内で魔法力が強まっていくのが分かった。

 彼女の一種の固有魔法というべきか。切れば切るほどに、彼女は雷のように速く、炎のように強くなる。扶桑海事変にも参戦した彼女だが、特に目立たなかったのが不思議なほど、堀内紀子は強かった。

 

「キリがないッ!」

 

 歯を食い縛り、ネウロイの攻撃を魔法力を込めた刀で弾きながら倒し続ける。

 なおもネウロイは輸送機を狙っている。すでに数発被弾していたが、小型なのが幸いだ。エンジンに攻撃を受けていないようで、なんとか飛んでいる。しかし、それもいつまで持つか。

 

「……使うしかない」

 

 紀子が更に上昇し、空の真ん中で目を瞑る。

 魔法力の輝きと共に、激しい風に服が靡いた。

 

「こっちへ来なさい」

 

 巨大な魔方陣が、空を包んだ。それは輸送機人員でさえ確認した。

 青い魔方陣は赤く変わり、ネウロイはまるで何かを察知したかのように輸送機への攻撃をぱったりと止めて、全てが紀子へと向かった。

 

「ブリタニアには無事でたどり着きたかったわね……」

 

 諦めたような笑みを紀子は一瞬浮かべ、すぐに仇敵の姿を睨み付ける。

 視界一杯に迫る、ネウロイの渦。そこへ紀子も真っ直ぐに突っ込み、太刀を振るった。

 上段袈裟斬りから機動力を利用した回転斬り、上下反転斬りなど、陸では披露出来ないような三次元機動を利用した刀の扱いが、空での紀子の強みだった。刃の軌跡は複雑に絡み合い、ネウロイを次々に撃破していく。

 だが、物量が違いすぎる。紀子も攻撃を捌ききれなくなっていた。ネウロイを斬り倒し、斬り倒し、更にひたすら斬り倒す。

 

「輸送機はブリタニアへ離脱したわね。……私も一緒に行きたかったけど」

 

 まだまだネウロイは紀子を狙う。彼女は太刀を一度払い、鞘へ戻すと空中で静止。

 居合いの構えを取り、高まった魔力に集中力を最大限に合わせる。身体は何より、魔装脚への魔法力配分さえ最大化する。エンジンを壊そうが関係ない。

 彼女は散る気だった。輸送機は逃がしたのだ、ブリタニアと扶桑皇国での話は出来る。

 

「今ッ!」

 

 魔装脚が瞬く間に排気管から火を噴いた、まるで火の鳥の翼のように。目を見開いた彼女は驚異的なスピードでネウロイの中を飛び回り、瞬時に十数機を撃墜する。

 気付けば空からネウロイを追い払った後だった。しかし、魔法力も魔装脚も限界だ。エンジンは停止寸前で、飛ぶのもやっと。

 しかし、まだネウロイはやってきた。そう簡単にウィッチを逃がしてたまるかとでも言いたげに。

 

「冗談……」

 

 このまま戦い続ければ、受勲も一気に近付く。だが、紀子にもはやそんなことを考える気力は無く、無慈悲に迫るネウロイを睨む以外無かった。

 

「何をモタモタやっている」

 

 不意に、空を魔装脚のエンジン音と冷たい女の声が覆った。

 ネウロイが銃声と共に砕け散る。紀子が見たのは青い自動拳銃を手に、冷たく彼女を見下ろす金髪のウィッチの姿だった。

 

「モタモタ? ソイツらは増援よ、『ガン・ブルー』さん」

 

 彼女はブリタニアで有名なウィッチだった。冷徹だが確実に敵を落とす、『青い銃の彼女(ガン・ブルー)』が二つ名だ。扶桑にもその名は轟いている。もっとも、その冷たい性格から二つ名の前に、氷がつく。『氷のガン・ブルー』だ。

 名はイヴリン・カルヴァートといった。階級は少尉。

 

「そうなのか? まあどうだっていい、へばっている暇があるなら輸送機へ続け。ここからはブリタニア空軍が引き受ける、お前はジャマだ」

 

「噂に違わぬ素っ気なさなのね。ちょっとは愛想良くしたらどう?」

 

「知らん。これが私だ」

 

 とっとと行け。イヴリンは紀子を手で払うと、残ったネウロイへ先陣を切った。他にもウィッチは上がってきている。

 ならば不愉快だが、下がらせてもらおう。紀子はブリタニアの飛行場へ向け、飛行を開始した。既にエンジンは黒煙を上げているがまだ飛ばせる。

 

 そうして無事に飛行場へ着陸した紀子を、扶桑皇国軍の人員達は拍手と共に出迎えた。自分達を、身を呈して救ってくれたウィッチが無事に帰ってきたと。

 その後ろから、イヴリンたちもやってくる。一瞥も無く扶桑人たちの馴れ合いの横をすり抜け、ブリタニア空軍飛行隊は自身の格納庫へ真っ直ぐに向かった。

 

 そんな最悪の出会いが、二人の出会いだった。




1939年末、ほぼ1940年です。
紀子も扶桑海事変に参戦していた設定ですが、あまりにも周りが化け物過ぎて目立たなかったんですね……。
だからもっちゃんも知ってる。
イヴリンはまだ14歳。反抗したいお年頃。
次回もまた回想回になりますが、ちょっとお付き合いくださいませ。


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第十九話『1939年、ブリタニアの氷』

 誰かに出会ったことを知ると、人は必ずといっていいほど「第一印象は?」と訊ねてくる。

 基地内の通路を憮然とした顔で歩くイヴリン・カルヴァートもまた、そう訊ねられた一人だった。

 堀内紀子に会った第一印象など、存在しない。肯定もなく、また否定もない。全くの無関心だ。好きの反対は嫌いではなく、無関心である。故に、全く眼中に無かった。

 最近軍部が執心な多国籍ウィッチによる飛行隊。その視察ついでに連れられてきたらしいが、彼女からすれば知ったことではない。適当に見回って適当に連れていってくれ、といった程度の感覚だった。

 

 通路ですれ違っては敬礼する兵卒を流し見つつ、イヴリンはただ目的もなく基地を見回っていた。

 今日の戦果もそこそこだ。彼女は自身の力を誇ったことはない。誉れもなく、ただネウロイという、世界の強大な敵を倒す為の機械のように存在していた。

 誰に興味も抱かず、いよいよついたあだ名は『氷のガン・ブルー』だ。

 

「ん? あれは……あの扶桑人か」

 

 基地の外には、水路が引かれている。広い基地に水を行き渡らせる為の策で、水量は比較的ある方だ。

 他人に興味を抱かないイヴリンは珍しく、そこにいた紀子の姿を見て足を止めた。

 何をする気だ。見てやろうと待っていると、紀子は水路へ足を進めた。

 

「全く、生活用水にもなるのに──」

 

 水を浴びたいならシャワーがある。はた迷惑な事をするなと思った。しかし、紀子は水に浸かってなどいなかった。

 魔方陣を足に作り出し、水の上を歩いている。流石にイヴリンも息を呑んだ。

 空で見た、無茶苦茶な戦いを見せていた時と同じウィッチとは思えないほどに繊細な魔法力制御。その上にそれは成り立っている。水路を歩く扶桑皇国陸軍の緋袴を纏う少女は、不思議とイヴリンの目を引いた。

 それと共に、興味が湧いた。彼女と自分は、いったいどちらが上なのか。空戦ではなく、身体の動かし方など地上で見られる全てが気になった。

 

「おい」

 

 イヴリンが紀子へ声をかける。

 

「私についてこい。話がある」

 

「……てっきり嫌われてると思ってたけど?」

 

「いいから来い」

 

 ぶっきらぼうなイヴリンの指示に、紀子は悩むこと無く従った。水路を出て、後ろをついてくる。ちらりと後ろの紀子を見遣るが、靴すら濡れていない。おおよそ水の上にいたとは思えない光景だった。

 しばらく基地を歩くと、人気の無い倉庫裏に出た。イヴリンはそこで足を止めると、くるりと紀子へ振り返る。

 正対し、ゆっくりとイヴリンは後ずさって距離を置く。

 

「ウェスタンは分かるか、扶桑の」

 

 イヴリンが問う。

 

「良くあるだろう? 一対一で、勝負をする話」

 

「西部劇ね。知らなくはないけど、それが?」

 

 二人の間に流れる空気が、びりびりと張り詰めていく。殺気のようなものが漂う。

 

「扶桑のサムライっていうのは、人を後ろから斬らないんだろう? 正々堂々としている辺りは、西部劇の一騎討ちに似てないか?」

 

「そうかしら」

 

 紀子の目は既にイヴリンの右手に向けられている。ホルスターに手を伸ばし、突き出したピストルのグリップを取ろうとしている。

 

「ウィッチ同士で殺し合いでもする気なの?」

 

 紀子が問うと、イヴリンは「どうだろうな」と笑った。殺しになるかならないか、それは紀子次第だと語った。

 イヴリンは紀子が乗っては来ないと考えたが、やはりその通りだった。構えない。扶桑刀に手すら掛けず、ただそこに立っているだけ。

 彼女が見たいのは、紀子の力だ。惹かれたのは初めてだった。故にイヴリンは紀子に刀を抜かせるため、ピストルを引き抜いて足元に銃弾を見舞おうとした。

 引き金を引き、出方を見ようとした。

 しかし、それは何かが砕けるような音がしただけで着弾音らしい音はいつまで経っても鳴らなかった。

 

「なんだ……?」

 

 数メートル先の紀子には、魔法力を使用している痕跡以外はない。刀にはやはり手を掛けず立っている。

 困惑。それがイヴリンを惑わせた。

 シールドで弾いたのか。で、あればもう一発撃ってみる。

 銃弾、破砕音。今度はしっかり紀子を視認して、肩を撃ち抜くように撃った。それでも紀子は立ち尽くしたままで、銃弾を何かで弾いていた。

 当たらない。それがイヴリンを苛立たせた。しかし、それ以上の苛立ちを見せていたのは紀子だった。

 

「いい加減にして。さっきは助けてもらったわ。あなたが力試しをしたいのも分かる」

 

 だけどね、と紀子。

 

「だけど、私たちはウィッチなの。他に替えの無いネウロイへの最終兵器。それが、地上で殺し合い? 一騎討ち? バカにしないで」

 

 紀子が僅かにうつ向いた。肩を震わせ、だが前髪で隠れたその表情はうかがい知ることができない。

 

「好きなだけ撃ちなさい。私は絶対に、味方に武器は向けない。“私がそうさせるまで”」

 

「綺麗ごとを……」

 

 だが興醒めだ。イヴリンはピストルから弾薬、弾倉を抜き取ると、本体を一回転させてからホルスターに押し込んだ。

 

 結局、視察の間も紀子の力を見ることはかなわなかった。ネウロイとの戦いでは、互いが別ルートに当たるなどで戦闘を見ることもなかった。

 だがある日、それが一変する。

 ウィッチの編隊が、一機の中型ネウロイへ向かっていく。イヴリンたちブリタニア空軍ウィッチだ。

 コア持ちとはいえ、所詮一機。部隊に驕りがなかったと言えば嘘になる。今日の出撃には、学校上がりの新任軍曹も加わっていたのだ。そこが、普段との違いだった。

 

「チッ! コアは何処だ……」

 

 ネウロイの周囲を飛び回り、銃撃。外板を割りながら様子を見るが、コアを見つけるに至らない。

 イヴリンも『氷』の異名さえ溶かし、苛立ちをあらわにしていた。不幸にも、その苛立ちをもっとも強く感じ取ってしまったのは新任ウィッチだった。

 

「自分が集中攻撃します!」

 

 ブローニング機関銃を手に、そのウィッチは果敢に距離を詰めていく。

 

「チッ、待てッ! お前にはまだ早いッ!」

 

 近距離戦闘など愚の骨頂。イヴリンはスピットファイヤのエンジンをフル回転させ、新任ウィッチの後を追った。

 墜とさせてはならない。他人に興味を抱かなかったイヴリンは、今回何故かそう思った。紀子と正対してから、まるで自分を書き換えられているような奇妙な気持ちだった。

 初めて他人に興味を抱き、そして今初めて他人を助けに向かっている。

 

「しまっ──」

 

 新任ウィッチへ光線が向かった。

 

「ちぃっ!」

 

直撃ルートにイヴリンが割って入る。初めてだった。部下をかばった事など、彼女には無かったから。

 シールドを構える間もなく、二人は光に呑み込まれる。インカムから悲鳴が聴こえた。それから次第に、驚愕の声に変わる。

 

「扶桑皇国陸軍、堀内紀子。統合戦闘飛行隊隊長として、部下を守る」

 

 長大な扶桑刀を構え、イヴリンたちの窮地に駆け付けたのは紀子だった。イヴリンよりも更に前で、扶桑刀を振り抜いていた。聞き覚えの無い肩書きまで背負って、彼女はイヴリンへの攻撃を防いでいた。

 

「どういうことだ。統合戦闘飛行隊?」

 

「話は後! 二人は一度下がりなさいッ!」

 

 紀子を狙った光線を、彼女は刀の一振りで切り払う。ただの刀ではない、魔法力を持った特殊な刀なのだとイヴリンには分かった。

 

「援護するぞ、行けるな?」

 

「……はいっ!」

 

 話は後だとイヴリンも分かっていた。再び視野を広く持ち、ネウロイの周囲を旋回飛行する。光線をロールでかわし、ピストルを発砲しながら戦う。

 味方も不思議とついてきていた。しかし、さしもの紀子であっても刀一本では苦戦しているらしい。だがあの一騎討ちで弾薬を弾いたからくりが分かった。

 紀子は魔法力で複数の刀を生成し、ネウロイへ向けて投射していたのだ。刀を抜かずとも弾丸を撃ち落とすという、離れ業の正体がそれだった。

 

〈少尉! コアが見えました!〉

 

 通信。その声は、先ほど庇った新任ウィッチの声だった。紀子にも通信が行っているらしい、二人揃ってコアが発見された位置へ向かう。

 

「アレか……。ややっこしいところに」

 

 舌打ちと共にイヴリンが憎々しげに言う。

 コアがあったのはネウロイの下部。もっとも陰になりやすく、攻撃のしづらい位置だった。

 不幸は重なり、さらに小型が三機編制でイヴリンたちの空域に侵入し、攻撃を開始している。

 

「時間がない。纏めてやるわ」

 

「またあの自殺技か、扶桑の」

 

「私は堀内紀子よ。階級は中尉。残念だけど、ハズレ。カルヴァート少尉、コアへの攻撃をすぐに通せるように装甲へ集中攻撃を。速い小型を仕留めてくる」

 

 紀子はそれだけ言って、左手に魔法刀を作り出すと、二刀流で小型ネウロイの迎撃に向かった。

 指示に従う、従わないの問題ではない。そうしなければ皆の命がない。イヴリンが指示を出したのは、その直後だった。

 銃撃の最中、三機の高速飛行するネウロイを二振りの刀で次々に切り払う紀子を見たブリタニア人ウィッチが呟いた。

 

「イカれてる、あんな戦い方」

 

 向かってくるネウロイの攻撃を弾き、正面から恐れることなく叩き斬る。

 二振りの刀を操り、逃げるネウロイを魔法刀投射で足留めしつつ切り払う。

 ネウロイはどちらかといえば逃げているようにも見えた。しかし、もう遅い。紀子のすれ違い様、銀色のネウロイは彼女の背後で砕け散る。

 

「せぇいッ!」

 

 瞬時に反転した紀子が、ブリタニア空軍ウィッチの間を高速で通り抜け、コアへ向かう。装甲の修復をさせまいとする射撃援護を受けながら、紀子は九七式のエンジンを更に回す。

 再び排気管からは激しい炎が上がった。二振りの刀を眼前で交差させ、光線を防ぎながら出力で押し返す。

 

「こっちにもいるぞ、デカブツ!」

 

 紀子に集中していた攻撃を、イヴリンたちブリタニア空軍ウィッチたちが拡散させる。

 光線が弱まった隙に距離を詰めた紀子が、コアへ突撃。黒煙が青い空を昇っていく。

 砕け散ったネウロイを確認すると、ブリタニア空軍ウィッチたちから歓喜の声が上がった。

 

「……刀を抜かせなくて正解だったな」

 

 イヴリンは上空で、あたかも血振りするかのように左へ大きく魔法刀を振るうと共に消失させる紀子の姿を見た。

 本物の刀を仕舞う所作でさえ美しく、また隙がない。仮に一騎討ちで刀を抜かせていたら、イヴリンも叩きのめされていたかもしれない。

 蒼天の輝きの下に輝いた柏太刀の刃を見て、イヴリンは初めて自身が何故か笑みを浮かべていることに気がついた。

 

 □

 

「まるで君は、昔の私だよ。少々荒れているがな」

 

 1942年、ベルギカ。イヴリンとジェイスは私闘を問われ、営倉に入れられていた。

 ブリタニアで入ったような格子牢ではなく、何かの壕を改装したような洞窟牢だった。

 壁に寄り掛かり、イヴリンは過去の自分を思い返していた。氷の時代、それを溶かした紀子の存在。

 それがジェイスと少し重なっていたこと。

 

「ブランソン。私たちと来ないか」

 

「あ? どういう了見だ」

 

 壁越しにジェイスが返す。彼女もまた、イヴリンとは背中合わせに寄り掛かっている。

 

「グリゼルという陸のウィッチから聞いた。問題児なんだろ」

 

「チッ、アイツ……」

 

 何でもかんでも喋りやがって。ジェイスはぶちぶちと小言を漏らし始める。

 知り合いなのは間違いないようだった。

 

「まあ、何にせよ営倉に逆戻りしてしまったしな。今度は出られるといいんだが」

 

「出られるさ。じきに隊長が来るぜ」

 

 営倉に足音が響く。姿を見せたのは、ジェイスの言う通りシーラだった。

 二人を交互に眺め、腕を組む。

 

「二人とも、アカリたちに感謝しろ。彼女達から頼まれた。具申とも違うな、扶桑のドゲザとやらも見せられた」

 

 シーラが合図すると、二人のウィッチが牢の鍵を開ける。

 

「今回のことは何かの間違いだ。もう反省しているから、許してやれ。アカリはそう言っていたよ」

 

「なんだよ、隊長。エラくあの新入りの肩を持つな?」

 

「口を慎め、ブランソン。お前は引き続き自室謹慎だ。──連れていけ」

 

 ジェイスを部下に預け、シーラはイヴリンへ向かい合う。その視線は冷たかった。

 

「次、勝手をしたら許さない。分かったな? アカリの面子を潰すなよ」

 

「分かってます。昔の私とは、もう決別したつもりでしたが……イラついてた」

 

「コントロールしろ。魔法力も乱れる」

 

 シーラへ敬礼するイヴリン。冷たい営倉から出ると、今度は夕陽の明かりが彼女の目を突き刺した。

 

「イヴリン!」

 

 それからすぐに、強い衝撃。胸元に飛び込んできたのは、他ならない明里だった。

 

「アカリ……。ゴメンよ。私きっと、君をコントロールしたかったんだ」

 

 イヴリンが静かに語る。扶桑刀を受け継いで、明里が紀子の関係者であることは分かってしまった。

 彼女は何処か明里に紀子を重ね、操ろうとしていたのだと考えていた。ずっと敵わなかった紀子が今、自身より下の立場に居るということを利用して。

 

「汚い人間だよ。なんと罵ってくれても構わない。だけど、それでもいいから傍に──」

 

「思わない。私も、イヴリンの機嫌を取ろうとしてたと思う。見捨てられたら、知らない世界で独りになるから。でも今は、あなたに並びたい。皆と並んで飛びたい。そう思ってる」

 

 明里がイヴリンの傍らに居たシーラへ視線を配らせる。彼女は優しく微笑むと、何処か納得したように頷いた。

 

「……次の訓練は私が。少佐、いいでしょうか」

 

「勿論。元よりアカリは君の部下だろう、君が監督しろ。機材は貸す」

 

 それじゃあね。“佐官モード”を解いて、シーラはひらひらと手を振って二人の前から立ち去った。

 ネウロイの予報はない。薄暗くなってきた空を二人眺め、彼女たちは部隊の仲間たちの元へと戻っていった。




今回はイヴリンの話。
突然時代が戻っているので少々混乱されることとは思いますが、ちゃんと42年まで描いてこその回想なので許してください。


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第二十話『自由を求めた魔女たちへ』

 魔法力が覚醒してから、明里は日に日に悪夢を見るようになっていた。

 何もストレスも不安もない。イヴリンが教官に変わってからもそれは変わらず、むしろ比較的気心しれた仲で安心出来た。

 悪夢の内容は、最初はぼやけていた。しかし、日が経てば経つほどに内容がハッキリしてくる。

 ネウロイに撃墜され、墜落する自分。それは理解できた。その後はまだ分からない。浜辺へ──そうだと気付いたのは数日前だが──激突する直前に、いつも目が覚めるのだ。

 

「おはようございます……」

 

 早朝に起きるのも慣れてきたが、悪夢を見たあとではテンションも上がらない。グツェンホーフェン飛行場宿舎、その食堂に集まるとしても彼女の表情は優れなかった。

 

「大丈夫? また悪夢を見たのかしら」

 

 シーラが初めに声をかけた。明里は静かに頷く。

 

「顔色が悪いな。今日は訓練を休むかい?」

 

 イヴリンは明里の身を案じたが、彼女は訓練は続けると返した。それだけはやめないと。

 身体を壊しかねないと不安に思ったが、イヴリンは明里の向上心を信じることにした。休むことも仕事だと無理矢理休ませたところで、今の彼女では勝手に訓練を始めてしまいそうな勢いだったからだ。

 

「でも、悪夢の内容がなんだか引っ掛かるのよね」

 

 最近グツェンホーフェン基地人員の伝で仕入れたらしいハーブティーを口にしつつ、マルレーヌは眉を潜めた。

 ネウロイに撃墜され、墜落する。それはウィッチならば誰しも覚悟することだ。経験した者もいる。各国軍の飛行隊、戦闘部隊に配属された時点でどんなウィッチも見る悪夢とも言えた。

 ただ、明里を悩ませる悪夢にはイヴリンが率いる独立飛行隊メンバーは少々思うところがある。

 

「浜辺に墜落か。キコと同じ状況……浜辺への飛行訓練なんて、アカリはやってないしね」

 

 リボルバーにガンオイルを注す手を止め、ベルティーナも明里へ視線を向けた。

 浜辺へ墜ちた紀子はそこで砂浜に打ち上げられ、当時の飛行隊メンバーに発見された。その後は周知された通り、イヴリンが射殺している。

 しかし、明里まで浜辺に墜落する悪夢を見るとはあまりに奇妙だった。海の真ん中であったり、魔法力に目覚めたグツェンホーフェン基地や最初に経験したような森であるならまだしもだ。

 

「明里が魔法を使えるようになった日。その日から、紀子を近くに感じる気はしている」

 

 そう語る八重の視線は、明里が携える扶桑刀へ向けられている。

 ある意味明里の魔法力を象徴しているといえる魔法刀、柏太刀。イヴリンも明里に紀子の姿を重ね見た。遠い親戚ならば雰囲気も似るだろうか。いや、おかしい。

 魔法幻影刀まで紀子と同じというのは、やはり紀子の魔法力をそのまま明里が継いだという考え方がしっくり来た。

 

「悪夢の内容は、まさか紀子の記憶か……?」

 

 イヴリンが口許に手を当てて推理する。刀が見せている紀子の記憶。そう考えられなくはない。

 だが、果たしてそこまでのものだろうか。そう思ってしまうと、やはり確定は出来なかった。

 

「なんにせよ、悪夢の内容がアカリの体調や精神的に良くないのは確かね。今日の訓練、私も付き添うわ」

 

 シーラの提案に、イヴリンは素直に応じた。他のメンバーには相応の任務がある。空けられるのは、指揮さえ取れれば良いイヴリンとシーラのみ。

 最悪前線に出ることになっても、飛行場だ。なにも問題はない。

 

 三人で射撃、飛行訓練を行おうと飛行場の外へ出たところだった。

 飛行場は地上人員の騒ぎ立てる声で沸き上がっていた。空を見上げ、ウィッチが来たぞと歓喜の声を上げている。ベルギカにもようやく、応援が来はじめたと。

 

「カールスラントの軍服だぞ。最前線のその本国から、わざわざ来たのか?」

 

 シーラは双眼鏡を手にウィッチの姿を見る。だが太陽に向かって行かれてしまい、仕方なく双眼鏡をはずした。

 

「着陸してこないな」

 

「太陽が眩しくて見えない……」

 

 イヴリンと明里は太陽を背にしたウィッチを観測できない。だがなかなか着陸して来ないそのウィッチを、基地の人間も不審に思いだしていた。

 まさか着陸誘導が必要な新米ウィッチだったのか。いや、ならばずっと太陽を背にするのはおかしい。誘導しやすくするためにも、極力姿は見えやすくするはず。

 

「……マズい。カルヴァート少尉、伏せ──!」

 

 不意だった。そして、刹那だった。シーラがイヴリンの前へ立ち塞がると、彼女の右目から血が吹き上がる。

 遅れて聞こえたのは銃声。バランスを崩したシーラの身体が、さらに左へ捻られるように宙を舞う。続いて銃声がもう一発分遅れて響いた。

 宙を舞ったのは、シーラともがれた左腕だった。

 左腕を失い、地面に突っ伏した彼女を嘲笑うようにウィッチは呆気に取られるイヴリンたちをフライパスしていく。

 

「──エデルガルトなのか……?」

 

 騒ぎの中、イヴリンだけはそこからまるで切り取られたかのようにウィッチを見上げていた。

 返り血を浴びたイヴリンを、そのウィッチは憎々しげに睨み付けた。

 

「バルシュミーデ!? どうして!? 彼女は招集に応えなかったのに……」

 

 騒ぎを聞き付け、慌ててやってきたマルレーヌはその正体を知っていた。

 よく見た顔、よく共に笑っていた筈の横顔は、獲物を仕留め損なった狩人同然だった。

 しかし、シーラという人物を銃撃して無事に済むわけがない。ウィッチを敵と認識せざるを得なくなったグツェンホーフェン基地は、ウィッチへ向けての対空射撃を開始する。

 そのウィッチは高度を限界まで低く取ると、そのまま地形に追従して飛び去っていく。遂に対空砲火が届く事はなかった。

 

「少佐が大変だ。左腕を持ってかれて挙げ句に、衝撃で脳震盪でも起こしたかな。下手に動かせないよ……」

 

 ベルティーナは血の海の中に足を踏み入れ、とにかく応急処置を試みるものの、なにしろ出血がひどい。

 

「そんな……っ!? シーラさん! シーラさんッ!」

 

 明里はパニックになる暇すらなかった。動かないシーラの名前をただ叫ぶしかない。

 

「少佐……」

 

 イヴリンだけは空虚だった。シーラは彼女をかばった。それを撃ったのは元の仲間だった。

 恐らく、その銃弾は本来イヴリンを貫くものだった筈だ。それをシーラが庇い、代わりに受けた。

 

「イヴリン。治癒魔法、効かない?」

 

 八重が語り掛ける。急襲には生粋の狩人であるアイヌ出身の八重でさえ、矢をつがえる暇もなかった。

 彼女の問いに、イヴリンは静かにかぶりを振った。

 

「私のは簡単な応急魔法だ。ここまで酷いものは……クソッ!」

 

 ようやく、イヴリンが現実を直視し始める。紀子が持っていた統合戦闘飛行隊、その元隊員の襲撃だったのだ。

 イヴリンは忘れない。自身を睨み付ける、元の仲間の歪んだ表情を。

 

「……少尉ッ」

 

 シーラが覚醒した。既に衛生兵が彼女を運び出そうとしている。

 

「ホリウチ中尉と私は違う……くっ! ──私は……生きる。生きてみせる……っ!」

 

「少佐、動かないでください!」

 

 押さえ付ける兵士たちを押し退けるようにして、彼女はなおも叫んだ。

 

「カルヴァートッ! 前を向けッ! あの悪夢を振り返るなッ!」

 

 シーラがふらつく身体で飛び出そうとするのを、衛生兵だけでなくクルーたちも総出で止めた。

 

「前へ進めッ! 時は……ぐぅっ! 止まらないんだからッ!」

 

「少佐ッ! 駄目です!」

 

「聴こえないのか!? カルヴァート少尉ッ!」

 

「ダメだ、ひどく興奮してるぞッ! メディック、鎮静剤を──」

 

 ひたすら騒ぐシーラへ、注射針が突き立てられる。

 古めかしい注射器から薬液が無くなる頃、彼女は糸の切れた人形のように力を失った。

 

「隊長、少佐の言う通りだわ」

 

 運ばれていくシーラを目で追いながら、マルレーヌは現状を呑み込みきれていないイヴリンへ語る。

 

「……あぁ。わかってる。だけど、理解に苦しむんだよ……!」

 

 ぎゅっと拳を握るイヴリン。

 エデルガルト・バルシュミーデ。カールスラント空軍の、当時新鋭ウィッチの一人だった。彼女は大変紀子を気に入っていたし、紀子も彼女をよく鍛えた。

 イヴリンがマルレーヌを訓練する傍ら、エデルガルトも紀子の訓練メニューをこなしていた。

 紀子が墜落したその日、真っ先に駆け付けたイヴリンに続いたのは彼女だった。助けを待つように進言したが、彼女が見たのはイヴリンが紀子を射殺するその瞬間だった。

 

「……恨みを持ったウィッチによる、暗殺未遂……。恐れては、いました」

 

 フェオドラは両手を胸の前で握り合わせ、視線を血の跡へ向けた。

 恐れてはいた、だが本当に来るとも思ってはいなかった。フェオドラもまた、エデルガルトには不意を突かれたと言っていい。

 

「ウィッチがウィッチを殺しになんて……」

 

「なおさら、アカリを出すワケに行かなくなったね。キコの姿を重ねたら、彼女が何をするか分からないよ」

 

 ベルティーナの目は真剣だった。本気で殺しに来るウィッチを相手にした戦い方は習わない。

 模擬戦闘では相手にするが、別に被弾したところで死にはしない。せいぜい身体を洗う手間が増えるだけで、ついでに説教を受けるくらいか。

 

「バルシュミーデを相手にするのはやめた方がいいわね。彼女、カールスラントに戻ってから撃墜数を増やしまくってるもの」

 

 まるで何かに八つ当たりするかのようにね。マルレーヌはそう締め括った。

 

「そんな……」

 

 折角並び立てる。そう考えた矢先だったから、なおさら明里にはショックが大きかった。

 シーラが重傷を負わされ、撃ったのはイヴリンたちの元仲間で、それをどうすることも出来ない。

 独立飛行隊のメンバーは、その場で立ち尽くすしかなかった。

 

 □

 

「……不自由になったな」

 

 医務室で、シーラは静かに呟いた。

 左腕は肘より少し前で失われた。右目側も見えない。感覚のある右手で左目を覆うと、何も見えなくなった。暗闇が眼前を包んだ。

 全身に痛みがあった。だがそれに苦しむほど、彼女も弱くはない。

 

『少佐。少々、お時間をいただいても宜しいでしょうか』

 

 ノックと共に、男の声が部屋に飛び込む。

 

「入っていい」

 

「失礼します、少佐」

 

 やって来たのは衛生班の一人だ。神妙な面持ちで、シーラの傍らに立つ。

 

「少佐、右目ですが……」

 

「分かっている。もう二度と見えないんだろう」

 

「……はい。それから、左腕も。銃弾はもちろん抜けていました。襲撃を見上げていた者によればあなたを撃ったウィッチの武装は、カールスラント製のゲヴェーア98だった、と」

 

「ハッ……。ネウロイと戦う魔女が、“あがり”ならともかく、たかだか直径8mmかそこらの銃弾で戦闘能力を奪われるとは」

 

 バカらしい。シーラは自嘲ぎみに笑う。

 

「少佐。率直に申し上げて、基地を離れ療養すべきです」

 

「……君は、片手で物は持てるか?」

 

「は?」

 

 主語の無い、不意な問い掛けに男は間の抜けた声をあげた。

 

「残った目で照準を覗き、残った手で武器を持つ。簡単だ」

 

「そんな……! 衛生班を代表して、許可は出来ませんっ! 基地で襲撃を受けたのはまだよかった。本来ならば、後方へ下がるべきなのですよ!?」

 

 身をのりだし、衛生兵は必死の反論をする。

 

「それから、あのウィッチはカルヴァート少尉のいた『統合戦闘飛行隊』とやらの元隊員だったと、本人たちが話しているのを聞きました。ブラバンデル少佐、これ以上少尉たちを匿っては……」

 

『少佐ッ! 失礼します、緊急の連絡がッ!』

 

 衛生兵の言葉を遮り、入ってきたのは通信兵だった。一枚の電信文を手に、彼はシーラの体調を気にしつつ素早く話題を切り出す。

 

「ブランケンベルヘの陸軍ウィッチについてですが……」

 

「あのリベリアン……アディソン大尉か?」

 

「はい。カルヴァート少尉たちは、そこから来たと。少佐、あの飛行隊は逃亡兵です。アディソン大尉は彼女たちを匿った責を問われ、その際自殺を図ったと」

 

 報告を受けたシーラが目を丸くした。それほどの衝撃だった。ブランケンベルヘのリベリオン陸軍義勇部隊隊長、サマンサ・アディソンはシーラとよく連絡を取っていた。

 イヴリンの存在をシーラが知っていたのは、彼女が有名だったからということだけではない。サマンサが教えていたのだ。まもなくグツェンホーフェンへ応援が行くと。

 

「少佐。これ以上、あのウィッチたちを匿うのは危険です。このような事案も起きた以上、もはや隠し立ても出来ません」

 

「……そうか、わかった。確かにそうだな。すまん、お前たち。少し一人に──いや、ジェイスを連れてきてくれ。部屋から出して構わない」

 

 二人の兵が顔を見合わせる。だが、指示とあっては従わねばならなかった。

 しばらくして、ジェイスが入室しシーラとは二人きりになる。

 

「ブランソン曹長、お前は刺激を求めていたな」

 

 静かな医務室。その静寂を破ったのは、病床のシーラだった。

 

「ああ。アンタみたいな体たらくにゃなりたくねぇがな」

 

 笑いながらジェイスが返す。

 

「私もなりたくなかったよ。……恐らく、私もカルヴァート少尉たちを匿った罪に問われる。どうだ、ブランソン?」

 

 どうだと言われてもな。ジェイスが困ったように天井を仰ぐ。

 

「アタシなら奴等についていく。部屋でこっそり、使った銃弾をリロードし続けるよりマシだからな」

 

「勝手にそんなことをしてたの? まぁ……私も後方へ下がるくらいなら、脱走する気だったわよ」

 

「アンタがアタシに対して、その口調になったのは初めてだな」

 

「そう? まぁいい、間も無く日が暮れる。ブランソン──いや、ジェイス。誰にも気付かれないように、少尉たちをここに集めろ。基地の人間はもはや私以外に信用するな」

 

 シーラが言うと、ジェイスは静かに敬礼して見せた。

 

「アイ、マム」

 

 それは、彼女が初めてシーラへ見せた敬礼だった。

 イヴリンたちと行く。療養になどどうせなったりはしない。サマンサまで行き着いたのなら、シーラまで調査の手が伸びるのは時間の問題となっている。

 サマンサは恐らくそれを少しでも遅らせるために、自ら命を絶つことで永遠に口をつぐんだのだろう。そうであるならば、それを無駄には出来ない。

 

 それから独立飛行隊メンバーがジェイスによって医務室に揃えられたのは、日が沈んでからだった。エデルガルトの襲撃によって飛行学校も一時休校を余儀なくされ、ウィッチたちも警戒や哨戒に当たっていた為に、シーラが想定していたよりも集結は遅くなっていた。

 

「本当に、我々と来るんですか。少佐」

 

 イヴリンの前にいるシーラは、既にベッドから身体を起こし、軍服に着替えていた。

 左腕が無いために、そちらの袖がばたついている。

 彼女の問い掛けに、シーラは迷わず頷く。

 

「決めたの。後方へ下がるくらいなら、私は脱走してでも戦う」

 

「どうして……」

 

 明里には理解できなかった。シーラという軍人の思考回路を。だが彼女は暗くなった窓の外へ視線を配らせると、語る。

 

「私も、背負わなきゃならなくなったから。だから戦う」

 

「ブラバンデル少佐。お言葉ですが、その身体では……」

 

「分かっているわ」

 

 マルレーヌの心配も、シーラは分かっていた。通常、片腕に片目を失って戦場に立つ人間はいない。

 戦闘速度の早い航空戦ならば、なおのことだ。しかし、シーラはそんなことに構わなかった。

 

「だが私にはまだ右腕がある、左目がある。腕一本と片目があれば、銃は撃てる……!」

 

「アタシからも頼む。戦いたいって気持ちは、よくわかンだよ。アタシがそうだからさ」

 

 ジェイスが珍しく神妙に語った。

 

「隊長、どうします?」

 

 医務室にいるウィッチたちの視線が、一斉にイヴリンへ向けられる。全ての決定権は彼女にある。

 シーラたちを置いていっても、彼女はイヴリンたちを恨まないだろう。無理の通し方は他に幾らでもある。しかし、シーラもジェイスもその目は真剣で、イヴリンにも気持ちは通じた。

 

「分かりました。ただ、一度ベルギカを脱出します。ブリタニアまで後退、私たちがいた未使用の基地で新たに手を練らなければ」

 

「……構わないわ。強がったけれど、少しこの身体で訓練はしたいから」

 

「本当にいいんですね、少佐。曹長も。脱走兵扱いにある、一生追われるが」

 

 イヴリンが二人へ視線を向けると、彼女たちは揃って頷いた。

 話は纏まった。シーラもジェイスも、半端な覚悟ではないことがわかった。

 

「なら、グツェンホーフェンを脱出だね。ブリタニアからやり直しなのはツラいけど、アカリの事もあるしエデルガルトから逃れる意味でも、一旦下がるしかない」

 

 ベルティーナは既にリボルバーを抜き、廊下の物音に耳を澄ませている。

 

「よろしくお願いね、隊長。同じ脱走兵になるのだから、階級は気にしなくていいわ」

 

「……わかった、シーラ。それにジェイスも。やってみよう、全員でベルギカを脱出だ」

 

 サーチライトの灯りを窓の外に見て、イヴリンたちは格納庫へと向かう。

 一度スタート地点まで戻る。だが、決してゼロからではない。新たな仲間、新たな力を得て再スタートだ。

 魔装脚を履いたイヴリンたちは、グツェンホーフェン基地が警報を鳴らすのも構わず空へ上がった。素早く高度を落とし、皆が夜の闇に紛れて空を飛ぶ。

 飛行に慣れていない明里はイヴリンが手を繋いで、補助しながらベルギカの外へと向かって低空飛行を続ける。

 

「そうだ、カルヴァート。我々の隊の名前を決めないか」

 

 イヴリンの横を飛ぶシーラが不意に提案した。

 既に基地の警戒網は抜け、編隊を組み直している。余裕はあった。

 

「考えてました。我々は自由を求めて国を出た。だから自由を求めるウィッチたち……『フリーダムウィッチーズ』──どうだ、みんな」

 

 付いてくる味方を振り返るイヴリン。異議は上がらなかった。

 

「異議は無いみたいだぜ、隊長さん」

 

「ああ。よし、フリーダムウィッチーズ各員、再スタートだ。ブリタニアまで一気に駆け抜ける……! 悩むのは無事に着いてからだ」

 

 ぐん、と明里を引っ張ったままイヴリンが一段加速した。続いてマルレーヌ、ベルティーナ、八重、フェオドラと続き、更にシーラ、ジェイスも速度を上げる。

 フリーダムウィッチーズ。その隊の名は、この世界の八人の魔女しか今は知らない。




なんとスタートに戻る……!
新たな仲間を加え、フリーダムウィッチーズいよいよ本格始動です!

そしてウィッチもどきに続く新しい影、明里の悪夢。
新章をお楽しみに!


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フリーダムウィッチーズ-自由への航跡-
第二十一話『始まりの地』


 ブリタニア。イヴリンにとって見慣れた景色を眼下に見るまで、行きほど手間はかからなかった。

 ネウロイも軍の追手もなく、恐ろしいほど静かなブリタニア空軍基地。イヴリンたちが最初にいた、その基地へ独立飛行隊改め『フリーダムウィッチーズ』のメンバーは着陸していく。

 

「おっと……」

 

 着陸時、意外にもバランスを崩したのは戦闘経験の豊富な筈のシーラだった。ハンデは片腕を失い、片目が見えないだけ。しかし、それだけが想像以上に人間から視野だけでなく遠近感などの感覚を奪う。バランスも知らぬうちに狂わせていく。

 

「大丈夫ですか? 少佐」

 

 素早い反応で着陸を遅らせ、後方へ回ったのはベルティーナ。よろめいたシーラへ手をさしのべ、差し出された右手を取る。

 

「ん、すまない」

 

「いいえ、お気になさらず。これは僕が好きでやってますから」

 

 着陸を終えていたマルレーヌからの視線はどこか冷ややかだった。

 

「アイツ、ほんっとに命知らずね」

 

「……次は少佐狙いなのかな?」

 

「彼女、こういうことはとことんまで無謀だから」

 

 フェオドラ、八重からの評価もさんざん。イヴリンと明里はただ苦笑するしかない。

 

「何にもねぇな。本当に基地か、こりゃあ」

 

 着陸するなり、ジェイスは無人の基地を見てぼやく。航空用魔装脚はホバリングが出来ることを利用して、まるでスケートコースでも回るかのように、彼女は周辺を散策していた。

 

「部隊を下げるために空けた可能性があるんだ。勿論油断は出来ない、私たちはブリタニアから逃げてきたからな」

 

「またしばらく、気を張る生活だね」

 

 でも、仕方ない。明里は少しだけ前を見つめていた。自身は今、慣れないながら魔女たちと同じ場所に立っている。受け継いだ武器を持ち、自身が知りもしなかった力を持ってそこにいる。最初の守られてばかりで仕方ないと言われた頃とは違っている。

 悪夢のことは気がかりだったが、夢ならば恐れることはないとすら思えた。

 

「しかし、流石に長旅の直後だ。消耗もある、少し休まないといけないね」

 

 全員が格納庫に魔装脚を置いたのを確認し、その姿を確認してイヴリンは言う。

 ウィッチは通常の二倍、力を使う。体力と魔法力だ。回復には人よりよく休み、よく栄養を取るしかない。だからウィッチのカロリー管理には気を配る。

 ウィッチは戦えなくなれば、ただの非力な少女と変わらなくなる事もあるのだ。元から武力や戦闘経験があり、戦えるなら地上からでもネウロイを落とす強者はいるが、そんな凄腕はごくごく稀にしかいない。

 皆、表情には出していないが疲弊はあった。特に重傷のシーラは身体の感覚も慣れていないし、塞いだばかりの傷を気にしている。

 

「少佐。左腕は既に止血、縫合してますね?」

 

「え? えぇ、勿論。基地内の術式だから、姑息な手段だけれどね」

 

 ふむ。イヴリンが息を吐く。

 行けるかと彼女は呟いて、シーラの失われた腕へ手を差し出す。

 

「……治癒魔法? カルヴァート少尉の固有魔法?」

 

 暖かな魔法力の輝きを見て、シーラは少々驚いていた。だが、イヴリンは「そんなものじゃありません」とかぶりを振った。

 

「私に固有魔法らしい力はありません。ただ、魔法は意志と知識を伴った無限の可能性を持った力です。多少身体の構造が分かれば、再生を促すくらいは出来ます。身体強化も同じです」

 

「……万能ね、少尉」

 

「私の特徴は、銃が青いだけですよ。少佐」

 

 だから、あなたを完全には救えなかった。イヴリンは悔しげに呟く。

 もっと強力な治癒魔法であれば、せめて右目だけでもとは思うが、それは最早遅い話だ。

 

「卑下するな、素晴らしい才能だ。アディソン大尉が君を守った理由が、少し分かった」

 

「え?」

 

「いや、こちらの話だ。気にするな」

 

 サマンサがイヴリンたちを庇い自害したという話は、時が来るまで封印する。シーラはそう決めていた。

 危うく口を滑らせる所だったが、上手くかわせたらしい。追及は無かった。

 

「バイクがあるな。ブリタニア製か」

 

 ジェイスは格納庫にひっそりと置かれたままのトライアンフ3HWに目をつけたらしく、興味深そうにしげしげと眺めている。

 

「いいマシンだよ。綺麗に走ってくれる」

 

 シートの埃を落としつつ、ベルティーナは語った。基地で見つけ、最初にバイクへ乗ったのは彼女だった。

 

「近くに街はねぇのか? 買い出しに行ってきてやるぜ? コイツを預けてくれるならな」

 

「ロンドンが比較的近いかな。ただ、今は隊長指示を優先すべきだよ。分かるだろう?」

 

「はぁ……仕方ねぇ」

 

 ベルティーナが制止すると、ジェイスは心底つまらなさそうに髪を掻き乱す。

 同時に、シーラに施されていた治癒も、抜糸含め終わっていた。念のため、右目の傷も出来る限り塞いだ。不意に傷が開くことは、余程の事がない限りは無いだろう。

 

「まず全員で休憩する! その後、買い出し人員を決めよう。私たちはそろそろ逃亡兵として、情報が行っているかもしれない。慎重に行くぞ」

 

 イヴリンの声は格納庫に反響し、フリーダムウィッチーズ各員の耳に届いた。皆が自由にやっているようで、しかし声がかかればしっかりと了解の声が揃って上がる。

 新たなメンバーも迎えたが、今のところ目立った問題は無いようだった。

 

 □

 

「なんか、ここに来て最初の夜を思い出すかな」

 

 再び皆で円になり、缶詰で腹を満たす。明里にも懐かしい状況と言えた。

 ベルギカでは腹一杯に食べられたが、今回ばかりは仕方がない。缶詰も切れてしまって、買い出しが急務になっていた。

 

「次はどこへ行くの? いっそ遠くまで行った方がいい気もするけれど」

 

 シーラは目的地の不安も持っていた。

 次の目的地。これも決めなくては。

 

「これは私個人の意見だが、明里の謎を解きたい。紀子は扶桑に墓を建てられたと聞いたからな。そこにいけば、答えがある気がするんだ」

 

 イヴリンが口を開いた。ブリタニアから扶桑など、一回で行ける距離ではない。それこそ各基地、戦地を転々としながらになる。

 そんなところへ行こうと言うのだから、相応の理由があるのか。フリーダムウィッチーズ各員からの視線が突き刺さる。

 

「明里の謎も、紀子の謎も、扶桑にある気がする。だからいずれにせよ、いつかは立ち寄るつもりだったんだ」

 

 遅かれ早かれ立ち寄る気だった。イヴリンが言うと、部隊内からは少々無謀だとする声が上がった。

 

「ガリア、ベルギカ、カールスラントをかわすにはバルトランド、スオムスを抜けて遥か広大なオラーシャを抜けるのが安全な最短ルートね。スオムスのカウハバに寄ることが出来れば、上手いこと補給出来るかもしれないけど」

 

 あまりおすすめは出来ない。マルレーヌは経路を考えながらも、そのルートには多数の問題があると指摘する。

 

「まず北欧、東欧から途端に気候は変わる。きちんと連携を取らないと、途中で吹雪に巻かれて墜落しかねないわ」

 

 マルレーヌ自身、否定的というわけではない。途中、スオムスのカウハバには義勇独立飛行中隊の基地もある。何事もなく立ち寄ることが出来れば、顔を売るチャンスでもあった。

 

「それで、隊長。途中のスオムス、カウハバに寄れれば……」

 

「分かってる。ビューリングが元居た部隊だろう? 事情は隠すにせよ、上手くいけばオラーシャは一回か二回のストップでいける」

 

 そこから扶桑に北から進入する。イヴリンが言うと、八重の表情が少々驚いたように変わった。

 

「北海道に寄れるの?」

 

 八重は北海道のアイヌ民族だ。久しぶりに集落に顔を見せる事も不可能とはいえない。

 いくら狩人として大人ぶっても、彼女もまた親が恋しい少女なのだ。

 

「ああ。八重が望むなら、少し顔を見せる時間を作れるかもしれないよ」

 

 イヴリンの言葉を聞いて、表情に乏しかった八重がぱっと明るい笑みを浮かべた。

 やはり年相応だ。仲間たちからは優しく見守るような笑みを向けられていた。

 

「それは良いけどよ。買い出し、急がねーと時間無くなるぜ」

 

 和みの空気を破り、ジェイスが声をあげる。

 たしかにロンドンまで比較的近いとはいえ、すぐに着けるというわけではない。

 イヴリンも気持ちを切り替え、必要品のメモを記し始めた。主に食料だ、嗜好品などは後回し。まずは生き残るのに必要なものから。

 支度をする間、ジェイスはバイクを引っ張り出して各部の点検を行う。調子は悪くないようで、彼女も満足げに頷く。

 颯爽とシートに跨がり、エンジンを掛けてやると、3HWは久々のツーリングを待ち望んでいたかのように歓喜の音を上げる。

 

「よし、ジェイス。メモの通りに買ってきてくれ。余分な物を買う金はないからな」

 

「あいよ、隊長」

 

 軽く手を振り上げ、ジェイスはバイクのスロットルを捻る。砂ぼこりを上げ、基地を出ていく後ろ姿を見送り、ウィッチたちは再び基地内へと戻っていった。

 ウィッチであることを街でバレる訳にはいかない。そこはジェイスに懸けるしかなかった。

 

「よし、私は少し通信室へ行く。カウハバに連絡がつくか試してみるよ」

 

「手伝うわ」

 

「助かります、少佐」

 

 イヴリン、シーラは通信室へ。残された隊員は、皆宿舎へと戻っていった。

 フェオドラはシーラ、ジェイスの部屋を用意するために場を離れる。

 部隊がそれぞれの持ち場について、時間はゆっくりと進んでいっていた。




基地へ戻ってきて、今度はなんと扶桑を目指す……!
果たしてフリーダムウィッチーズの運命や如何に?


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第二十二話『あなたの影』

 通信室。以前はグツェンホーフェンとの連絡に使用したが、今回は様々な周波数を慎重に確かめ、スオムスはカウハバ基地へと繋ぐ。

 

「流石に無謀か……」

 

 あらゆる周波数に合わせ、とにかく相手の応答を待っては通信を切った。

 シーラは残った右手で、使用した周波数に斜線を引いていく。そうして残されたのは、もはや片手で数えられる程度になっていた。

 

『こちらスオムス空軍、カウハバ基地。そちらは?』

 

 雪のように冷たい女性の声がした。だが、繋がった先は間違っていなかった。イヴリンとシーラは互いに顔を見合わせ、頷く。

 

「こちら自由独立飛行隊フリーダムウィッチーズ。一週間後、そちらで補給を受けたい」

 

『フリーダムウィッチーズ……? 聞かない名前ですね。確認を取るので、お待ちを』

 

 失敗したか。交信先に注意しながら、イヴリンとシーラは顔を見合わせた。

 もし失敗なら、カウハバ基地に寄る作戦自体がふいになる。そうなれば、別なスオムスの基地を利用することも視野に入れなければ。

 なるべく全力で抜けるのはオラーシャからにしたい。そう思う。何しろ国土が半端ではないのだ、天候もあって長居が出来る土地ではない。

 

『聴こえますか?』

 

 応答だ。イヴリンが思考を切り替え、シーラも息を潜める。潜める必要はないのだが、不思議と息さえ止めてしまうような緊張感があった。

 

「こちらフリーダムウィッチーズ、聴こえています」

 

『……一週間後でしたか? 天候が変わりやすいため、足止めを食らう可能性は考慮してください』

 

「……確認は──」

 

 確認は取れたのか。イヴリンが訊ねようとして、シーラがその肩を叩いた。そんなことを自分から訊いてどうするのだと。自滅行為だ。

 向こうが「良い」というのだから良い。今はそれで通すしかないのだ。

 

『では一週間後。近くへ来たら、改めて交信をするように。こちらで手の空いたウィッチをエスコートに回します』

 

「……感謝します」

 

 ぶつんと音を立て、交信が切られた。

 見破られるような雰囲気はあったが、なんとかカウハバ基地行きの話をつけることに成功した二人。ほっと胸を撫で下ろし、一先ずの吉報として情報を記録すると、すかさず地図へ向かう。

 ルート設定は大事だ。扶桑を目指し、三国を抜けることになる。ブリタニアから海を渡り、バルトランドへ。そこで補給を速やかに済ませたら、バルトランドの大陸を真っ直ぐ切り抜けるようにしてまた海を抜け、カウハバ基地に到着する。

 順調に行けばその後オラーシャに入り、一回もしくは二回ほどの休息と補給を行い、扶桑は北海道方面へと抜ける。

 

「見れば見るほど強行軍ね」

 

 通信室のブラックボードに大雑把なルートを記したシーラだったが、やはりそれを見れば無謀という言葉しか出てこなかった。

 

「確かにそうだが、マルレーヌの作戦にも乗れる。それに、明里の謎も扶桑でわかる気がする」

 

「……その謎って? 根拠はあるの?」

 

「無い。だが、紀子が間違いなく絡んでる。扶桑に行って明里が帰れる保証はないが、彼女についての事案は先に進む筈だ」

 

 イヴリンの言葉に、シーラはため息交じりに頭を振った。しかし、動かずにいるよりは余程いい。

 カールスラントに行くには戦力的に不足があるし、エデルガルトの件もある。ウィッチとして数えられるようになった明里を連れていくには、危険が大きすぎた。

 

「よし。そうと決まったなら、私も今の身体に慣れなければいけないわね」

 

「少佐?」

 

「シーラでいい。暇な人員を集めて、宿舎前へ呼んでくれる? ちょっと戦闘訓練がてら、身体の運動をするわ」

 

 あまりに無謀ではないか。イヴリンは言いかけて、言葉を呑み込んだ。シーラが重傷を負ってから、一日も経っていない。いくら魔法で傷を塞いだと言っても、あまりに無茶苦茶だった。

 

「……無理しないでくださいね」

 

「勿論よ」

 

 □

 

 心配が杞憂だったと気付くのは、訓練開始からすぐだった。

 訓練に参加したのはベルティーナ、マルレーヌ、それからフェオドラだ。八重は基地の見回りをするために断った。明里とイヴリンは共に見学だ。シーラからは「手出し無用」とだけ言われた。

 

「おわぁっ!?」

 

 まずベルティーナが情けない悲鳴と共に宙を舞った。

 

「次」

 

 汗一つ垂らすことなく、シーラは次の相手となるであろうマルレーヌへ鋭い視線を向けた。

 身体の動きを見るとあって、ウィッチでは有り得ない近距離戦闘での訓練だった。訓練用にか、刃を無くしたナイフをたまたま見つけ、全員がそれを使っている。

 正対する二人。ナイフを構え、シーラはマルレーヌをじっと見つめる。だからといって、マルレーヌもむやみに仕掛けたりはしない。

 だが、今回の相手は一人ではなかった。

 銃声が響く。しかし、シーラはそれより僅かに早く、左足を地面に擦りつつ素早く半身立ちになる。

 

「きゃっ!? ちょっと、フェオドラ!? どっち狙ってんの!?」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 狙撃手として、フェオドラが張っているのだ。だが、彼女が扱うペイント弾仕様のPTRS1941はシーラを外し、あろうことか味方のマルレーヌにペンキを付けてしまった。本来ならば弾丸のエネルギーで真っ二つになっているところだろう。

 フェオドラはたまたま外したと思った。一度場を離れ、場所を変える。

 

「そこっ!」

 

 マルレーヌがすかさず切りかかる。それさえシーラはまるで初めから分かっていたかのように往なし、右手一本でナイフを逆手に持ち変えて背後へ回り、背中を柄で叩く。

 

「意外と動くな。まだ左側の感覚、右目の死角には慣れないが……」

 

 まだまだ戦える。シーラはそう考えつつ、左へ身体を動かす。すぐに銃声と共に、ペイント弾が近くを通過していった。

 照準器から目を離すフェオドラは、疑念を確信に変えた。

 

「避けられてる……。でも、魔法じゃない? どうして……?」

 

 明らかに銃弾を避けている。だが理由が定かでない。なにせシーラはフェオドラには見向きもしていないのだ。

 隙があるから撃っている。なのに何故当たらないのか。

 

「……誘導されてる」

 

 隙があるから撃っている。フェオドラは分かっている。撃てるから撃つ、待つべきところは待つ。それがスナイパーだ。

 闇雲に撃つのは彼女ではない。照準に重なったシーラに『当たる』と判断したから引き金を引いた。状況は様々だが、基本的には横方向への照準移動はしない。未来位置予測などを用いるなら別だが、極力は直線を結ぶ位置に重なってから撃つ。

 では、それを意図的に生み出されたら? 横方向にも動かず、敵と戦っている最中に察知され、判断を誘導されたらどうなるか。

 

「……紀子隊長だ」

 

 その動き方は、紀子もしていた。彼女はそれを『先の先』、『対の先』、『後の先』と大まかに三つのタイミングに分けて呼称していた。

 シーラの思考誘導は紀子の判断を使うのなら、後の先に近いものだ。相手に攻撃をさせ、引き付けて往なすもの。それが紀子いわく『後の先』というらしかった。

 

「……なら!」

 

 狙撃を諦めるしかない。フェオドラが狙撃すると読まれている以上、シーラの意識を逸らせなければ弾丸は当たらない。

 PTRS1941をその場に残し、ホルスターからTT-33を引き抜いた。遠距離だと信じているなら、不意を突く。近距離戦闘の心得がない訳ではない。

 マルレーヌとナイフで戦っているその背中へ、フェオドラは一息に駆けた。離れては当たらない。ギリギリまで近付いて撃つ。

 

「すまない、コセンコ」

 

「えっ」

 

 シーラが再び銃口の中心から身体を逸らし、フェオドラが伸ばした拳銃に手を掛ける。

 身体の内側に右手首を捻られ、驚く間も然程無いままにフェオドラは堪らず拳銃から手を滑らせた。

 

「戦術を変えたのは良い判断だ。少々焦ったわ」

 

 シーラの手にはフェオドラのTT-33が握られている。ナイフでは太刀打ち出来ず、フェオドラはすかさず撃たれるような距離にいる。

 

「本当に隻眼、隻腕なのか……」

 

 少し離れて訓練を眺めていたイヴリンも驚かざるを得なかった。真っ先にダウンしたベルティーナはどうもウィッチ同士の『絡み合い』に意味を見出だしたらしく、訓練を放棄して眺めていた。

 

「いやはや、まさか全く知らないベルギカ人にもキコ隊長を見るとはね」

 

「扶桑の武術は魅力的だからな。佐官になる前は、色々取り寄せて訓練に使っていたわ」

 

 ネウロイ戦にもそれなりに役立つし。シーラはそう締め括った。

 もしブラバンデル式でウィッチの飛行学校生徒が戦闘術を学んでいたら、もしかするとネウロイからしても大変な脅威だったかもしれない。

 

「ただ、私も完璧じゃない。実を言うとね、ホリウチ中尉の訓練は見たことがあるの。一回だけね」

 

 ベルギカに出入りしていた頃だ、イヴリンもいた頃だろうか。明里が彼女を見遣るが、イヴリンは首を縦には振らなかった。

 

「私がブリタニアに行った時……1939年のほぼ終わり頃ね。彼女の戦いは素晴らしかった」

 

 対人だったとはいえ、攻撃、防御、誘導と場を支配する戦いだったとシーラは語った。

 

「ネウロイ戦にも彼女は使っていたと思う。ネウロイにも……どこか、意思のような物を感じることがあるから」

 

 その意思を読み取れば、先を取ることは出来る。シーラはそう語った。

 そんな簡単に行く筈はないが、もしかすると紀子のレベルなら出来たのかもしれない。

 

「……協力に感謝する。まだまだ私は戦えそうね」

 

 TT-33をフェオドラへ返し、シーラは長い髪を振り払った。

 

 暫くして、バイクの音が基地内に侵入する。倉庫の屋根を伝い、斥候をした八重の報告ではジェイスが帰還したと通信があった。

 

「ふぅ。買った買った、流石にコイツじゃキツいかと思ったぜ」

 

 3HWはリアタイヤの両サイドに取り付けたサイドバッグに、荷台には木箱一杯の食品や飲料が積まれている。

 一週間は余裕を見ても問題ない量だった。

 

「ありがとうジェイス。よし、火を起こして食事にしよう。もう日も沈んだからな」

 

 時間はかなり遅くなっていた。早く休まなくては、身体に影響が出てしまう。

 イヴリンたちは荷下ろしの後、すぐに明里、フェオドラの二人による簡単な料理で腹を満たしていた。




ここにも、紀子の意思は生きていました。
本当に彼女は死んだのでしょうか。それは、それを受け止める側次第なのかもしれません。

次はカウハバへ向かいます。
そう、原作側キャラクターとの絡みがあります。
個人的にもすごく楽しみなシナリオになります……!
夜は危険が危ないぞ!


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第二十三話『最後の良心』

 すっかり日も沈みきり、真っ暗な闇に包まれた基地宿舎。監視があるわけもなく、サーチライトの類いも動いていない。本当の意味で、基地は闇の中にあった。

 

「明里……?」

 

「あ、八重さん。ご苦労様です」

 

 眠れずに宿舎から出てきた明里が、屋根の上で見張りをする八重に気付いて頭を下げた。

 今宵は満月。月を背に、弓を携える八重は何処かこの世のものではない不思議な雰囲気を纏って見えた。

 

「眠らなくて大丈夫?」

 

 ふわりと軽く屋根から飛び降りて、明里へ視線を配らせながら訊ねる。しかし周辺への警戒を止めることはなかった。

 

「ちょっと、悪夢を見るんじゃないかって思うと怖くて。少し手伝って良いですか?」

 

「分かった。眠くなったら、ここで寝ても良い。膝は貸すから」

 

「ありがとうございます、八重さん」

 

 優しい笑みを見せる明里の顔を見て、八重は少々恥ずかしげに顔を逸らした。

 耳飾りが揺れて、音を立てる。思えば、八重にここまで近付いたのは明里にとって初めてだった。

 

「八重さんは、紀子隊長とはどうやって知り合ったんですか?」

 

「……紀子は新しい飛行隊の為に、ウィッチを探してた。多分イヴリンはもう配属が決まっていて、その後」

 

 弓の弦を軽く弾きながら、八重は語る。

 思い出話も彼女はあまりしなかった。だが明里なら、少しは話してもいいと彼女は思った。

 

「私が狩りをしてるところを、紀子に見られた。魔法を使っていたから。弓の扱いを褒められて、扶桑陸軍にスカウトされた」

 

 でも断った。八重の話は続く。

 

「私たちは扶桑人が嫌い。私たちの住む場所を奪った扶桑人は敵。私は、彼女に矢を射掛けた」

 

「射ったんですか……!?」

 

 明里が目を丸くして驚いた。八重は迷うことなく頷く。

 だけど、彼女には届かなかった。八重はそう語る。

 

「射った矢を止められて、焦った。その時は退いたけど、紀子はコタン──集落までついてきた」

 

「すごい執念ですね……」

 

 明里の感心ももっともで、八重も今更ながら「本当に」と静かに笑っていた。

 

「扶桑人の、それも軍人が来たから集落の皆は紀子を囲んだけど、彼女は何もしなかった。ただその場で頭を下げて、私を扶桑陸軍にスカウトさせてくれって」

 

「でも、ダメ?」

 

「うん。私たちはその程度で扶桑人を信じない。でも、それから二ヶ月は毎日欠かさず集落に来ていた。飛行隊のメンバーも決まり始めていた頃だと思う」

 

 忙しいはず。それでも紀子は顔を出し続けた。

 そうなると、いよいよ八重も根負けだ。色々話をして、軍に入るからといって、入ってしまえば無理に従う必要はないと紀子は彼女に語っていた。

 

「『困ったら私に言って。私が上申するから』って、紀子は言っていた。私の力を、純粋に部隊の為に……そして集落を守るために貸してほしい。そう言われた」

 

「それで……部隊入りを?」

 

 八重が頷いた。

 

「二ヶ月の間に私も紀子とは話していたし、楽しかった。だから、決断した。今、その選択を後悔はしていない」

 

 晴れやかな表情で語る八重。部隊結成の裏にある、紀子の苦労。そして、皆が皆喜んで紀子に着いていこうとしたわけではなかったことを明里は知る。

 携えた柏太刀を掲げ、眺める。紀子の愛刀であったそれは、月明かりを受けて輝く。

 

「ん……?」

 

 ぴくりと八重が何かに反応を示す。

 宿舎の屋根へ壁を使い、素早く駆け上がると彼女は感覚の向く方向を注視する。

 基地入口付近に、奇妙な光が見えた。自然光とは違う、まばゆい黄白色。車のヘッドライトだ。

 

「まずい……!」

 

 建物から飛び降り、状況を掴めない明里へ八重は告げた。

 

「ブリタニア軍が来る。急いで隠れるか、逃げないと」

 

「えぇっ!?」

 

 皆を起こすべきだ。明里が言うと、八重も同意した。

 八重は斥候に向かうため、屋根を伝い倉庫の上へ。明里は部隊を起こす為に宿舎へ飛び込んだ。

 大騒ぎする訳にはいかない。慎重に、迅速に各部屋を回りイヴリンから順に起こし、状況を伝える。

 人手が増え、手も増えると起床はより早く済んだ。

 二分もする頃には、全員が起床。宿舎前で作戦会議を行っている。

 

「全員聞いてくれ。八重からの通信では、ブリタニア軍は再びここを取り戻す気らしいが、様子が少し変だと言っている」

 

「変って? まさか、全員小銃で完全装備だとか言わないですよね?」

 

 マルレーヌが言うと、イヴリンの視線が彼女へ突き刺さった。

 

「残念ながら当たりだ」

 

「基地を取り戻すために様子を見に来たなら、そんなに武装はいらないよね。……ってことは」

 

「なるほど、アタシらがここにいるってのがバレたか?」

 

 ベルティーナ、ジェイスの考えていることは同じのようだ。だが、違うのはその後。

 ジェイスはすかさず腰のホルスターからM1911を一挺引き抜いて、初弾を籠める。

 

「よせジェイス。私たちは軍人を殺さない。殺すために逃げたんじゃないんだ」

 

 当然、イヴリンからは間を置くこと無く制止された。

 

「じゃあどうすんだよ。黙らせる方法があんのか?」

 

「……隠れるしかない。だが宿舎はダメだ、隅々まで探索するだろうしな。全員散るぞ、明里は私とだ」

 

 ネウロイを相手取るのとは訳が違う。相手は人間で、軍人だ。安易に引き金を引いていい相手ではない。

 故に、一度身を隠す。殺さないためには、息を潜めるしかない。

 

「ストライカーはどうする? 見つかって破壊されたら大変(コト)だぞ」

 

 シーラが問う。魔装脚は全て纏めておかれていて、そこを燃やされでもしたら全員が作戦能力を失うことになる。

 

「六番倉庫は私と明里だ。入ってきた兵を追い返してやるくらいは出来る」

 

 いいね? と明里へイヴリンが問うと、明里も緊張の色を見せながらだが頷いた。

 その後、散開の一声で全員が散らばる。イヴリン、明里は全員の魔装脚を集めた六番倉庫へと向かっていった。

 

 □

 

「これも想定内とはいえ、随分とタイミングが悪いというか……」

 

 マルレーヌは近くの破壊された建築物跡を見つけ、そこへ入り込む。

 隊長であるイヴリンからの厳命は『殺傷禁止』だ。気絶させたとしても、人数が足りなくなれば当然ブリタニア軍も不審に思う。

 彼女の命令は、今回に限って言えば攻撃禁止にも等しいものと言える。

 

 近くをライトを持った歩兵が通過する。

 マルレーヌは瓦礫に隠れ、そこから歩兵の装備を確認した。

 

「エンフィールド小銃か。結構ガチじゃない……」

 

 端整なボルトアクション小銃を持った歩兵が、マルレーヌの見える範囲だけでも二人一組で歩いている。

 とてもではないが、気絶させるために素手で殴りかかれるような装備ではない。

 仕方ない。悔しさはあったが、息を潜める以外に彼女に手段はなかった。

 

 マルレーヌから近く、宿舎から距離を取り、廃棄された軍用車の下に隠れたベルティーナ。

 地面に這いつくばると、過去の自分を思い出した。

 

「……大丈夫、大丈夫だ。みんなも悔しい筈だから」

 

 気にするな。ベルティーナは必死に自身を抑止する。

 すぐ目の前をブリタニア軍の軍靴が通り過ぎて、息を潜めた。

 夜というのはどちらかといえば、フリーダムウィッチーズに味方している。影が消え、敵はより注意して対象を捜さなければならない。

 ベルティーナが隠れたような完全な死角は、ライトを照らして覗き込みでもしなければ見つからないだろう。

 

「行ったね……」

 

 ブリタニア軍歩兵の足は車の下からは見当たらない。まだ予断は許さないが、一先ずベルティーナも一息をついた。

 

 フェオドラ、八重は互いに遠距離を見ることが可能とあって、各倉庫の屋根に張ることで敵の動向に注視する事が出来た。

 

「数が多い」

 

 矢をつがえることも出来ず、八重は屋根の上で姿勢を低くするばかり。

 通路反対の倉庫の上に、フェオドラの姿を確認出来た。彼女も武器は使えない。

 

「全員を黙らせれば楽だけど、そうなると……」

 

〈ヤエちゃん、ダメ〉

 

 フェオドラからの交信が八重に二重の制止を掛けた。全員を黙らせれば、今度は彼らの所属基地が部隊が戻らない事を怪しむだろう。

 そうなれば、より大規模な部隊で“掃除”されるのは目に見えている。カウハバへ逃げる頃まで持つかも微妙だ。

 

「まだ誰も見つかってない。上手くやり過ごせば、切り抜けられる」

 

 八重の視力では、シーラやジェイスの姿も捉える事が出来た。無茶をしそうなのはジェイスだったが、シーラが上手く制止しているお陰か敵をやり過ごす事は出来ていた。

 だが、八重は歩兵の一部が未探索部分──六番倉庫に向かうのを目の当たりにする。

 耳に嵌めたインカムを押し込み、そこで隠れるイヴリンたちへ警告する。

 

「歩兵がそっちへ向かった。イヴリン、大丈夫?」

 

〈なんとかする。一度交信を切るよ〉

 

 話していては見つかってしまう。判断は間違っていなかった。

 八重、フェオドラはただイヴリンたちの無事を祈りつつ、いざというときに武器を使用できるようにしておくことしか出来ない。

 

 □

 

「ストライカーは隠したね」

 

 真っ暗な倉庫内で、イヴリンは声を潜めつつ明里へ訊ねる。

 

「う、うん。大丈夫。でも、私たちはどうやって隠れるの?」

 

「じきに敵も来る。外へ出る余裕もない……物陰を使おう」

 

 羽織った青いブリタニア空軍軍装を靡かせ、イヴリンは明里を近くの鉄骨付近に隠した。

 イヴリンは停められたバイク、3HWの陰だ。上手く隠れれば、充分に逃れられる。

 すぐにライトの灯りが倉庫を照らす。明里、イヴリン共に息を限界まで潜め、姿を隠す。

 足音が近付くと、壁に背中をぴったりと張り付けた明里は声も漏らさぬように口を押さえて、恐怖と戦う。見つかったらタダでは済まない。また営倉か、その場で射殺だ。

 近付く足音が想像を絶する恐怖にしかならない。しかし、泣いては駄目だ。明里も必死に恐怖心と戦う。

 

 ライトは倉庫を照らすように周囲をぐるりと一回りし、バイクも照らす。

 しかし、一瞬バイクを照らして止まったものの歩兵は何にも気づいた様子は無く、倉庫を後にする。

 去り際、紙が捨てられるような音がして、歩兵は居なくなった。

 

「……行ったな」

 

「恐かった……」

 

「頑張ったね、明里。一先ず見つからずには済んだか」

 

 倉庫から二人で出ようとして、イヴリンの足に丸められたメモ用紙がぶつかった。

 軽い物だが、何もない基地には異質なもの。怪しんだイヴリンが紙を開くと、そこには殴り書きでフリーダムウィッチーズ──主にイヴリンへと向けられたメッセージが残されていた。

 

『明後日明朝、ブリタニア空軍は基地を取り戻しに来ます。今のうちに逃げてください、ガン・ブルー』

 

 それは警告文だった。ブリタニア軍がいよいよ基地を取り戻しに来る。

 恐らく残したのは先ほどの歩兵なのだろう。僅かな可能性に懸けて、イヴリンへメッセージを残したのか。

 罠である可能性も考えられた。

 

「いい兵士さん……なのかな?」

 

「分からないね。だが、ゆっくり出来る訳ではなさそうだ。どちらにせよカウハバ基地との約束は一週間後だ。明後日には発てるように、皆へ知らせよう」

 

「そうだね。あのウィッチさんが来る可能性もあるし……」

 

 エデルガルトのことを明里は言っていた。流石にドーバー海峡を越えてまで追跡はしてこないと思うが、あの執着加減は油断できない。

 イヴリンも頷き、インカムのスイッチを入れて部隊のメンバーを宿舎前に集合させる。

 既にブリタニア軍の歩兵部隊は基地から去っていた。無人と判断し、基地を取り戻すため動くのは決まったも同然だろう。

 

「少し休んで、明朝に作戦会議だ。明里、大丈夫?」

 

「うん。でもイヴリン、少し手──繋いでいい?」

 

「……? あぁ、恐かったか。いいよ。宿舎まで、一緒に帰ろう」

 

 イヴリンが差し出した手を、明里は遠慮がちに握り締める。

 暖かな人の感覚は、少なからず恐怖心を薄めてゆく。

 二人は手を繋いで宿舎へと戻っていった。今度は一刻も早く、基地を脱出する話をするために。




今回はちらりと明らかになった八重と紀子の話、そして恐れていたブリタニア軍の基地偵察でした。
相手はあのガン・ブルー。きっと歩兵にも彼女のファンはいたのでしょう。


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第二十四話『寒空の邂逅』

 フリーダムウィッチーズが動いたのは、ブリタニア軍の偵察からわずか半日後だった。スオムスと話をつけた一週間後まで、既に待てないとの判断だ。

 ネウロイに襲撃される前に北海を通過し、バルトランドへ。途中カールスボリ飛行場で補給を受ける。身分の証明には、シーラが役に立った。まだ彼女の脱走までは広く知られておらず、可能な限り最大限の補給が手に入った。

 フリーダムウィッチーズをシーラの隊とし、北欧戦線に飛ばされたと半ば無理矢理な理由を付けたが、その追及も無くなんとか切り抜ける事に成功する。

 天候の急変で冷え込む空も、厚着と魔法力でなんとか凌ぎながらボスニア湾を通過してカウハバ基地へと向かった。

 先頭を飛んでいたイヴリンは全員に停止命令を出すと、右耳に嵌めたインカムに人差し指を添えて通信を始めた。

 

「こちらフリーダムウィッチーズ。現在ボスニア湾を抜けるところだ、エスコートがあると聞いたが」

 

 反応があるまで、暫し時間が掛かった。

 ざざ、と砂嵐のようなノイズが入ると、カウハバ基地の人間と無線が繋がる。

 

『バルトランドで補給を受けたという話を伺っています。既にそちらへウィッチは派遣しました。一週間後のつもりが早すぎて、こちらも合わせるのが大変でしたが』

 

「すまない。急に動かなくてはならなくて仕方なかった。それで、確認の方法は」

 

『今から向かうのはスオムス空軍の第34飛行隊──義勇独立飛行中隊“オーロラ”です。違う答えが返ってきたら、追い返して構いません』

 

 インカムの向こうから聴こえてくる声はやはり感情を感じさせず、彼女たちへ吹き付ける風のように冷たかった。

 しかし、話は分かりやすい。

 

「了解した。暫し待機する」

 

 イヴリンの返答に簡単な応答をして、相手の通信は切れた。

 

「義勇独立飛行中隊か……」

 

 イヴリンの呟きは、風に掻き消されていた。彼女にはその部隊に思うところがある。

 脱走時、イヴリンに手を貸したビューリング。彼女が元居た部隊がスオムス義勇独立飛行中隊。風の噂では、問題児ウィッチの左遷先として『いらん子中隊』と呼ばれていたらしい。

 1939年に設立された同部隊は、それから戦果を挙げ続け、“いらない子”の集まりではなくなっていた。ウィッチもどき──人型ネウロイや、最近増えた『黒いネウロイ』を観測したのも実は彼女たちなのだ。

 もはや左遷先としての蔑称は使えない。だからこそ、対外的な部隊名を有したのだろう。

 

「あれか?」

 

 一瞬止んだ吹雪の中に、シーラは人影を見つける。

 

「敵意は無いね。あれがオーロラだと思うよ」

 

 ベルティーナの固有魔法にも、悪意は引っ掛からなかった。撃墜に向かってきたウィッチかネウロイでないのなら、通信先が用意したオーロラ部隊だろう。

 前方を飛行するウィッチは扶桑陸軍の巫女のような紅袴を身に纏った、端整な黒髪の少女だった。扶桑少女は何かに気付いたのか、手を振りながらその速度を上げた。

 

「紀子っ! 紀子じゃない! 生きてた……の……」

 

 近付いて、少女は明里の姿を目にする。求めていた結果と違い、その声は徐々に小さくなっていった。

 

「あの……おばあちゃんのお知り合いですか?」

 

「おば──!? えっ、紀子に孫がいたの!?」

 

 明里が咄嗟にフォローに入ってしまったからか、余計に扶桑少女は混乱してしまったようだ。

 しかし、紀子の名前を知っている。それはイヴリンたちからしても逃せない情報だった。

 

「失礼、紀子中尉のお知り合いですか?」

 

 明里より少し前に出たイヴリンは、オーロラ部隊と正対。扶桑少女と向き合った。

 

「紀子とは昔からの知り合いよ。私は穴拭智子。扶桑陸軍の中尉。そして、この『いらん子中隊』の隊員よ」

 

 扶桑少女が名乗る。

 

「まさか知り合いとは。イヴリン・カルヴァート、ブリタニア空軍少尉です。フリーダムウィッチーズの隊長を──」

 

「そう、あんたが()()イヴリンね」

 

 イヴリンが名乗った刹那、智子は腰に携えていた刀を引き抜き、その切っ先をイヴリンの喉仏に突き付けていた。

 

「隊長ッ!」

 

 ベルティーナを始めに、フリーダムウィッチーズ全員が銃を構える。だがそれは智子の部隊も同じだった。

 ネウロイ戦との緊張感とは違う、張り詰めた空気がスオムスの空を覆った。

 

「穴拭さん、やめてください!」

 

 スオムス空軍の空色をした軍服を纏う少女が止めに入るが、智子はその刀を下ろすことはしなかった。

 

「止めないで。こいつが私の戦友を殺した……そうよね、ガン・ブルー」

 

 刀の切っ先の向こうに、刀以上に鋭い智子の視線があった。

 

「そう思うなら、斬って構いません」

 

「あ、そう。じゃあ遠慮無く行くけど、恨まないでね」

 

「まさか。殺した事実は変わらない。購えるなら、恨みはしない」

 

 喜んで斬られてみせよう。イヴリンは首を見せ、智子は軽く刀を振り上げた。

 だが、そこに柏太刀を抜いた明里が立ち塞がった。智子の手が止まる。

 

「退きなさいよ。それに、その刀は訳のわからない格好した他人が持ってていいものじゃないの。紀子の墓に置くべきなのに」

 

「退きません。私は堀内明里。紀子は私の別世界の祖母で──ううん、私の親族です」

 

 だから退きません。明里は左手に魔法刀を作り出し、二刀一対で智子と真っ直ぐに向き合った。

 

「イヴリンは殺したくて殺した訳じゃない。紀子は自殺です」

 

「どう証明するの? 世界の軍隊が、カルヴァート少尉を上官殺しだと言っているのに」

 

「それを証明する為に、私たちが空を飛んでるんです」

 

 イヴリンたちフリーダムウィッチーズの隊員が呆気に取られていた。明里が前面に立ち、そして部隊の意義を語る。

 いざというときに出る、明里の豪胆さが今出た形だ。

 

「基地に戻ったら話を聞くわ。それでいいわね?」

 

「はい。どちらにせよ、話さなければならない事もあります」

 

「そうだな。紀子の戦友もいるとなっては、余計な隠し立ては出来ない」

 

 智子が刀を納め、明里もゆっくりと太刀を納刀する。その姿を智子は不思議そうに眺めていた。

 

「紀子のクセまで一緒か。全く、どうなってるのよ」

 

 智子が呟く。

 イヴリンの合図で全員が銃を下ろし、オーロラ部隊も合わせて警戒を解いた。

 

「あ、あの! まずは、長旅お疲れ様です。私はスオムス空軍のエルマ・レイヴォネンです。一応、中隊長……なんですけど……」

 

 どんどんと語尾がトーンダウンしていくエルマ。中隊長の風格は、どちらかといえば智子の方にあったかもしれない。

 だがそれは個人の性格だ。中隊長はエルマ、それが事実である。

 

「とにかく、自己紹介は一旦後にしませんか? 空は危ないですし」

 

「同意します、レイヴォネン中隊長。案内を頼みます」

 

 イヴリンが言うと、エルマもはっきりと頷いた。

 飛行姿勢に移り、エルマ率いるオーロラ部隊に導かれてフリーダムウィッチーズが後を追う。

 途中、紺のセーラー服を着たボブカットの少女がやけにちらちらと明里を見ていたのを、当の本人が気付く事はなかった。

 

 □

 

 カウハバ基地へ降りる頃には、スオムスの気候がウィッチ達へ牙を剥いた。

 強風に寒気。不思議と寒いという言葉すら出てこない。

 八重とフェオドラは北国出身とあってか慣れているようだが、温暖気候な国の出身ウィッチたちは皆震え上がっていた。

 

「腕の傷が痛むな……」

 

 特にシーラは左腕を抱え、寒さに疼く傷の痛みに顔を歪める。

 魔装脚は格納庫にしまったが、智子の疑念を解くために居住区画へ入るのは後回しになっていた。

 

「それで? 紀子が自殺だっていうあんたは、一体何者?」

 

 強風が格納庫を殴り付ける中で、智子は明里を睨むようにしながら腕を組んだ。

 

「堀内明里です。軍隊には居たことがありません。気付いたら、ブリタニアに居ました」

 

 先ほどの豪胆さは何処へやら。明里の視線は少々泳いでいた。それが尚更、智子の疑念を深いものにする。

 

「軍人じゃないのに何で軍人といるのよ。それに、気付いたらブリタニアにいたってどういうこと?」

 

 イヴリンと明里が視線を配らせる。また話すべきなのだろう。

 幸い、切れかけながら明里のスマートフォンは省電力モードで生きていた。

 明里が未来から来た、別な世界の紀子の孫と知るや智子は混乱しきって空を仰ぐ。

 

「冗談じゃなさそうね。その変な板といい、人をからかうには手間を掛けすぎだし」

 

「すみません。でも、私も迷惑は掛けませんから」

 

「いいわよ。それに、あんたからは紀子の雰囲気を感じる。懐かしい感じ、悪くないわ」

 

 変わらずイヴリンには敵意を見せる智子だったが、それも先ほどの空よりは薄れていた。誤解を解くには、確実な証拠が必要になるだろう。

 

「エルマ中尉、自己紹介を始めても?」

 

 智子が控えていたエルマへ振り返る。エルマは迷わずに了承した。

 それから、順番に自己紹介が始まる。

 

「扶桑海軍の迫水ハルカです。ところでアカリさん、その服装はなんですか?」

 

「へっ?」

 

 思わぬ方向への問いかけがハルカから入って、明里も情けない声を漏らす。

 見かけは可愛らしい少女だが、もしや智子以上に軍規に厳しいのかと思った。

 

「軍人じゃないって聞いてましたけど、綺麗な肌ですよね。未来の方はみんな、そんなに肩を見せつけるんですか? 智子お姉さま程じゃないにしろ、スタイルもいいですし、夜にお茶でもどうですか?」

 

「やめた方が良いわよ。こいつ、平気で睡眠薬盛るから」

 

「同意が得られないから仕方ないだけです!」

 

「永遠に得られないから安心して休んでいいわよ、ハルカ」

 

 一瞬不穏な単語が智子から出たようだったが、何にせよ共にいる時間が長い彼女ならハルカを往なすのは簡単のようだった。

 

「本当に彼女が紀子の親族だとして、ハルカが何かしたら、私は墓前で紀子になんて言えばいいのよ……」

 

 そう呟いた智子の言葉が、この部隊の異常さを表すようで。明里は少々背中に走る悪寒を感じながら、しかし苦く笑っているしかなかった。

 少々脱線していたが、次はエルマが一歩前に出た。

 

「改めまして、エルマ・レイヴォネンです。スオムス空軍中尉で、この部隊の中隊長をしています。補給と伺っていますが、天候次第では暫く足止めになるかもしれません……」

 

 まあ、もう半分確定ですよね。エルマはごうごうと吹き荒れる悪天候すら自身のせいだと言わんばかりに申し訳なさそうにしながら、フリーダムウィッチーズの隊員へと頭を下げる。

 

「チュインニは地上型の偵察で居ないし、また後で紹介するわ。少ないけど、今のところこの三人。もう少し早かったら、オヘアも居たからまだ騒がしかったわね」

 

 語ったのは智子だ。何かを懐かしむように、彼女は目を細める。

 

「ビューリングも居たそうですが」

 

 イヴリンが言うと、智子はさほど驚いた様子もなく返す。

 

「ビューリングの知り合い? まあでも、あの時首を差し出してきたのはビューリング以外には、あんただけだわ」

 

 なんか被るのよね。智子は不思議そうに語る。

 それからフリーダムウィッチーズの隊員の自己紹介へと移り、エルマたちはその部隊の国籍、階級のばらつきに驚いた。

 何せ一番上は佐官。だというのに、隊長は少尉なのだ。しかもシーラたちが一番の新入り。

 

「本当に自由なんですね……」

 

 エルマがフリーダムウィッチーズの部隊名を誤解したが、イヴリンは否定しなかった。その名前には、様々な自由の意味を込めている。

 エルマの解釈でも、間違いはなかったからだ。

 

「紀子の親族か」

 

 フリーダムウィッチーズの面々を眺める智子。途中抱き付こうとしてきたハルカの顔面を、手で押さえ付けて引き離しつつ、彼女は1942年には異質な服装の少女を目で追い続けた。

 外は強風だ。小さな話し声なら聴こえない。だが、智子が一瞬の微かな耳鳴りを感じて不思議に思っていると、昔聞いた声が彼女に語りかけた。

 

『少しの間、お邪魔するわね。智子』

 

 紀子の声。智子が口を開こうとすると、明里が彼女へ振り返っていた。違う、紀子は死んだ。気のせいだと。

 だが、確かに智子には紀子が振り返っているように見えていた。

 

「ほんっと、無茶苦茶ばっかりなんだから」

 

「なんですかー? 秘密は私との秘密だけにしてください!」

 

「うっさいの。折角人が感傷に浸ってたのに」

 

 ハルカの言葉を適当に受け流し、智子は改めてフリーダムウィッチーズと暫く過ごすことになると思い知る。




いらん子の出番です!
10月、リブート四巻ですよ!
予約しましたか!?

私は金欠です。
この話におけるいらん子はリブートと無印が少々入り交じった、独自時空になっております。
ハルカのキャラ難しくないっすか……これ……。


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第二十五話『あの日、叶わなかった想い』

 カウハバ基地指令室。格納庫から最初にフリーダムウィッチーズが案内されたのがここだった。

 

「ようこそ、フリーダムウィッチーズの皆様。カウハバ基地管制士官、ヨンナ・ハッキネンです」

 

 通信で聴こえてきた冷たい声。その主が、今イヴリンたちの目の前にいた。

 眼鏡を掛けた理知的な外観だが、その目は鋭く、やはりどこか冷たさを感じる。その一方で、ジェイスが暇をもて余して部屋を見渡していると、クマのぬいぐるみがひっそり置かれているのを見た。

 

 つつかない方が良さそうか。問題児ジェイス・ブランソンも、どこかで何かを察しざるを得ない。

 補給の予定を話すハッキネンとイヴリン。しかし、悪天候により本日中の出立は不可能と判断が下り、天候の回復を待つことになった。

 指令室を出て、次に向かった先は談話室。さほど大きな部屋ではないし、豪華というわけでもない。だが風を凌げるならそれだけで充分だった。

 

 適当に座って構わないとエルマに言われ、フリーダムウィッチーズの隊員たちも立ちっぱなしからようやく腰を落ち着ける。

 五分ほど会話がないままだったが、ふと明里が智子に視線を向けた。

 

「あの、智子中尉。おば……じゃなかった。紀子さんって、どんな感じだったんですか?」

 

「智子でいいわよ。どんな感じって……扶桑海事変で私、無茶やって突っ込んじゃってね。味方の援護が届かないトコまで離れちゃった事があったの」

 

 当時は若かった。今も若いはずの智子だが、自嘲気味にそう語る。

 それから何かを紐解くように、智子は天井を仰ぎ見つつ語り始めた。

 

「怪異……ネウロイに囲まれて、流石に死んだと思った。でも、そこに来たのが紀子だったの。当時はまだまだひよっ子だったんだけど、あの太刀筋は忘れないわ」

 

 けどね。何かを否定するように智子。

 

「あいつは、敵を斬れば斬るほど昂る癖があったの。魔力としてもそれが現れて、端から見たら辻斬りよ」

 

 エルマが用意してくれたコーヒーに口をつけ、智子は眉を潜める。

 話を聞いていたイヴリンがコーヒーの湯気を燻らせつつ、その話へ切り込んだ。

 

「私が初めて会った時は、そんな感じじゃなかったけど……」

 

 1939年の終わり。彼女と紀子の出会いは散々だったが、智子が語るほど狂ったようには見えなかった。

 

「魔法力をばらまくような戦い方よ? 当然、矯正されたわ。でも紀子はそれを応用して、敵を引き寄せて斬る魔法に変えたの」

 

「あの時、ブリタニアで観測された赤い魔方陣か。ネウロイが一斉に方向を変えたとか……」

 

「そう。だから最初はそのイカれ具合から『鬼人の堀内』だった。ただ、途中からその顔を見たウィッチが『まるで鬼の顔だ』なんて言うから、『鬼面の堀内』って呼ばれるようになっていったの」

 

 話を聞いている明里は、少なからず意外に思っていた。紀子はもっと理性的な人間だと思い込んでいたが、かなり攻撃的なタイプであったらしい。

 だが仲間を助けるために全力を尽くしたという話は、間違いなく紀子の人格を現している。

 

「ねえ、明里って言ったわよね。未来の紀子って、どうだったの?」

 

 話を振られるとは思っても見なかった。明里はコーヒーカップを慌てたように皿へ戻し、智子のまっすぐな視線に合わせる。

 そんなに固くならなくても、と智子は言うが、かつての戦友に話すとなっては話も変わる。

 

「おばあちゃんは、優しい人でしたよ。本当に何か変わってる訳でもない、優しいおばあちゃん」

 

「……異世界って言うだけあるわね」

 

「でもおじいちゃんと一緒に、私たち家族に『入るな』って言ってた蔵があるんです。昔かくれんぼしようとしたけど、扉も開かなくて」

 

 明里の傍らに立て掛けられた柏太刀が、談話室の明かりで鞘を輝かせる。

 怪しい蔵の話には、フリーダムウィッチーズの面々も食い付いた。しかし、中身がわからないとなっては話もそれ以上膨らみはしなかった。

 それからしばらく、風の音が談話室を包んだ。落ち着かない様子の八重はしきりに周囲を気にしている。

 

「大丈夫。敵はいないわ」

 

「分かってる。けど、うん……」

 

 フェオドラに言われ、返答する八重だが、その視線は扶桑人である智子に向けられていた。

 分かっている。今が弓を向けている場合でないことは。

 

「なぁ、射撃場か何か無いのかよ? 銃もしばらく撃たないと調子くるっちまいそうで──」

 

 フラストレーションを溜め込み気味だったジェイスだが、彼女の言葉をネウロイ襲撃の警報が遮った。

 オーロラ部隊、フリーダムウィッチーズ共に視線を配らせる。ネウロイは共通の敵だ、共に手を取り戦う。そしてイヴリンの有用性を世界へ。それがマルレーヌの作戦だ。

 彼女たちは迷わず格納庫へ向かい、魔装脚を装着。離陸していった。明里が唯一、残った。離陸途中、ハルカが引き返して心配そうに明里の顔を覗き込む。

 

「大丈夫ですか、明里さん?」

 

「少し、気分が変で。──来る、行かないと!」

 

「へっ──ひゃあっ!?」

 

 一転して勢い良く飛び出した明里。勢いに巻き込まれ、ハルカはわたわたと腕を振り回して、崩れたバランスを取り直す。

 

〈敵数は多くないが、最悪だ。小型数機、それにベルギカで戦ったのと同じ人型が一体いる〉

 

 シーラの交信が最悪の展開を告げていた。

 イヴリンたちはベルギカで、同一個体のウィッチもどきと戦闘をしており、狙う優先順位も把握している。

 

〈だとしたら、ヤツは明里を狙うぞッ! カバーに行く!〉

 

 視界に離陸してくる明里を捉えたイヴリンは、その場で転進し明里の傍らへ。

 

「……ネウロイ」

 

 明里が呟いた。なんて事の無い呟きの筈だった。

 

〈隊長ッ! もどきが抜けたよッ!〉

 

 小型ネウロイの機動性に振り回されたベルティーナたち。ウィッチもどきの機動力はそれ以上で、瞬く間に明里とイヴリンの元へ近寄ってくる。

 

「下がれ、明里ッ!」

 

 今回ばかりはガン・ブルーでは相手にならない。背中に背負ったMG34を取り、ウィッチもどきへとその銃口を向ける。

 トリガーを引くと、すぐさま強烈な反動と共に弾幕が張られた。一体のネウロイに集中する弾幕は驚異だが、ウィッチもどきは巧みな機動力でそれらをかわし、太刀を構える明里に右手の剣で切りかかった。

 

「ひゃっ……!」

 

 刀を振り、なんとか攻撃を弾く。しかし、ネウロイと明里の距離が零に近くイヴリンが射撃援護出来ない。

 ベルギカでのラッシュ攻撃は、カウハバで更に進歩していたようだった。捌かれた事を学習でもしたのか、明里の限界を試すように次々と斬撃を繰り返し、そして。

 

「あぐっ……!?」

 

 ウィッチもどきの横一閃が、ついに明里を斬りつけた。

 

「明里ッ!」

 

 すぐさま救援に向かおうとしたイヴリンだが、撤退しようとしたらしいウィッチもどきの機関砲光線の前に近寄る事さえ出来ない。

 

〈ハルカっ!〉

 

〈はい、中尉っ!〉

 

 意識を失った明里はそのまままっすぐにスオムスの大地へ墜ちていく。

 地面に激突すればタダではすまない。智子は素早い状況判断で、明里より更に遅く上がってきたハルカに全てを任せた。

 力強い返事と共に、彼女は明里をキャッチ。バランスを崩しつつ、ウィッチもどきが残す複雑な軌跡を見届けながら後退する。

 襲撃といえば、それだけだった。明里を斬りつけ、ウィッチもどきは撤退した。小型ネウロイは全滅させたが、またしてもウィッチもどきには撤退を許してしまった。

 

 戦闘終了。カウハバ基地へ戻り、意識の無い明里を介抱するウィッチたち。建物に入る余裕など無かった。

 だがどういうわけか、出血は止まっていた。明里がしっかりと握りしめる柏太刀はまばゆい輝きを放っている。

 

「明里……。頼む、帰ってきてくれ!」

 

 魔法力を送り、イヴリンは必死に彼女の命を繋ぎ止めようとする。

 すると、不意に明里を囲うように魔方陣が現れた。強大な魔法力に、紙のように吹き飛ばされるウィッチたち。

 青白い魔法力の輝きは、直視さえ許さないほど強烈であった。

 

 □

 

 海の上を明里は飛んでいた。

 既に魔法力は尽きかけていて、よろよろとした機動と共に、高度は急速に下がっていく。

 虚ろな視界に映るのは、接近してくる浜辺の波打ち際だ。

 あの悪夢。そうだと彼女に気付く余地は無く、迫る自身の死を間近に感じた。

 

『大丈夫』

 

 優しげな少女が明里へ語り掛けた。左手を、誰かが握り締めた。

 ぐん、と引っ張られて落下が止まる。急速な落下はゆっくりとした降下に変わり、明里はふと身体を捻って後ろを見た。

 

『ごめんなさい。もっと早く、こうすべきだったのに』

 

 太陽を背にした少女の姿はわからない。だが、大太刀を背にした巫女のような装束の少女であることはわかった。

 その声、その感覚。明里は、ベルギカでの覚醒で柏太刀から感じたものであると認識した。

 

「ううん。大丈夫、皆がいて……そしてきっと、何処からかあなたが守ってくれていた。そんな気がしていたから」

 

 悪夢であった空間は消えていく。白く霞み、少女と明里は手を繋いだまま互いに目を瞑る。

 

 □

 

 カウハバ基地。光と共に吹き荒れた衝撃波が、ウィッチたちを吹き飛ばしていた。

 刹那、複数の剣閃があたかも空間を切り裂くかのように走る。

 

「一体なんなの、あんた……!」

 

 やっと目が利くようになった。やっと姿を確認できた。

 智子は光の中から現れた少女の姿に、目を丸くする。

 

「紀子……!」

 

 複数の魔方陣の中で、夢幻のように虚ろに揺れる姿はかつてイヴリンが射殺した隊長であり戦友、堀内紀子だった。

 二人の姿は智子が最初間違えるほどに似ていたが、明里のぎこちなかった握りとは違い、しっかりと握りしめられた柏太刀と虚像のように青白く揺れる姿、扶桑陸軍軍装がその差を明確にする。

 

「ごめんね、明里」

 

 紀子は自身の胸に手を当て、呟く。

 強風吹き荒れるカウハバ基地だが、不思議なことに紀子は全く意に介していなかった。

 鏡のように崩れる空間は、まるでイヴリンたちの世界から切り離されているかのよう。しかし、間違いなく紀子はその先に存在していた。

 彼女は魔法力の輝きを強く放つ柏太刀を携えて振り返り、イヴリンを肩越しに見つめていた。




次回はちょっと更新が遅れるかもしれません。
少しお待ちいただければ、と思います。

次回もフリーダムウィッチーズ、宜しくお願い致します!


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第二十六話『発端』

「紀子……。いや、有り得ない」

 

 よろよろと紀子のもとへ引き寄せられようとして、イヴリンは頭を振って現実に戻ろうとする。

 しかし、やはり眼前にいるのはかつての戦友の姿だった。明里ではなく。

 

「そんな、明里さんの姿が変わっちゃいましたよ!?」

 

 ハルカも目の前で起きた超常現象とも言える事態に目を丸くして騒ぐ。

 見慣れない洋服姿の少女が智子で見慣れた扶桑陸軍の軍装に変わり、目付きも全く違っているのだ。

 

「……そうですよ! 明里さんは、一体どこに!?」

 

 そう叫んだのはエルマ。目の前の少女が紀子なら、今までそこにいた明里は? 

 当然の疑問だった。

 

「大丈夫。私は生き返った訳じゃない」

 

 疑問に答えたのは他でもない紀子だった。

 

「この身体は彼女のもの。記憶は刀が持ったもの。私の姿は……魔法で再現してる感じね」

 

 左手に携えた太刀。その鍔を親指で押し上げ、鞘から刀身を晒す。青白い輝きが白刃を包み込んでいた。

 

「『ずっと守られているのはイヤだ』──それが、彼女が見た悪夢の正体」

 

 一瞬止んでいたスオムスの吹雪が、次第に吹き始める。風の音。だが、紀子の声は掻き消されることなく澄み渡る。

 

「彼女が聞いた『私』と、彼女は一緒になろうとした。でも、この子は私じゃないから──」

 

 紀子が不意に、虚空へ右手をかざす。

 

「──八重、やめて」

 

 手を握ると、その手中には矢があった。八重の放ったものだとその場の皆が理解する。既に弓矢では大きく道が逸れてしまうほどの強風が吹き荒れているが、鋭い矢じりは正確に紀子の側頭部を狙っていた。

 

「……明里なら、まだ止められない」

 

「分かって射ったの? 身体は彼女のものよ」

 

「明里にも、後で謝る……」

 

 弓の構えを戻し、八重は申し訳なさげに俯いた。

 

「あの……ともかく一旦、基地に戻りませんか? 天候も荒れてきちゃいました、これでは学校もおやすみになります」

 

 カウハバ基地には飛行学校もある。しかし、座学はともかく実技の授業は不可能だろう。新米を空へ飛ばす天気では既に無かった。

 紀子はまだその姿を保っていた。そのまま、ウィッチたちは基地へと戻っていく。

 

 □

 

 談話室。ストーブの熱が部屋を循環し、程よく暖まった頃に智子は紀子へ詰め寄った。

 じっと顔を覗き込むと、次の瞬間彼女は紀子の頬を問答無用につねり上げる。

 

()たたたっ! 痛い!」

 

 そのまま上に引っ張りあげられた紀子は悲鳴を上げながら身体をばたつかせた。

 

「……本当に紀子じゃないの?」

 

「いったた……。記憶は私。でも、身体は明里の物なの」

 

 痛そうに頬をさすりつつ語る。涙を浮かべ、腰を曲げた彼女は智子を見上げていた。

 

「つまり、今は明里の身体を借りて紀子がそこにいるってワケ?」

 

「だからそう言ってるのに……」

 

 理解できるわけがない。智子はため息交じりにそう考える。何度言われたって理解できない。まるで降霊術ではないか。胡散臭い事この上無い。

 だからといって、明里に紀子の真似をして周囲を騙し通そうとするような悪戯心があるようにも思えなかった。何しろガチガチに緊張していたのだ、そんな悪戯が出来るわけがない。

 

「ヤエの話は正しかったんだね。確か、キコの気配を感じるって言ってなかった?」

 

 談話室の椅子に腰掛けたベルティーナは、後ろに立つ八重を振り返る。

 ベルギカ脱出前、明里が悪夢に悩まされていた時に八重が漏らした言葉だ。彼女は頷いて応える。

 

「でも、まさかこんな事になるとはな」

 

 シーラも壁に寄り掛かりつつ、紀子を視認している。一度は目の当たりにした堀内紀子、その姿は彼女が見たものと相違無い。

 

「めんどくせぇぞ。結局どうなんだ? 隊長は変わるのか?」

 

 ジェイスは難しいことを考えないタイプだ。目の前にいるのが紀子だろうと、新入りの彼女には然して関係の無い話。

 問題は、誰についていくかだ。しかし紀子は迷わずイヴリンを指し示した。

 

「私の最期の言葉、あの通り生きてくれている。隊長は彼女よ。私は堀内明里の内で、この戦いを俯瞰するしかない」

 

 数々の雪に耐えてきた建物。少々くたびれた天井へ、紀子は静かに手をかざす。

 

「明里を──この子をこの世界に呼んだのは私なの」

 

 紀子の呟きに、談話室がにわかにざわついた。

 

「どういうことだ、紀子」

 

 イヴリンが真っ先に紀子へ掴みかかる。全ての原因が彼女にあるかのような物言いだ、腕を握るイヴリンの手は力が入って震えていた。

 

「私が墜落した時、ネウロイに私の魔法力を奪われたのよ。恐らく、それをベースに奴等が出してきた答えが……今回のウィッチもどき」

 

「それと明里が何の関係があるんだ!? 彼女にも故郷があるんだぞ!?」

 

 談話室中にイヴリンの怒鳴り声が響き渡った。「分かってる」と紀子は間を置かずに返した。

 

「奴等が私の魔法力を使ったのを知った時には、私はもうあなたにしたようにするしかなかった。早い話、あのネウロイは私なのよイヴリン。私が残した、最期の痕跡よ」

 

 フリーダムウィッチーズの面々の表情に戸惑いが浮かぶ。明里をこの世界へ呼んだのが紀子というだけでなく、ベルギカから現れ始めたウィッチもどきですら、紀子が原因だと言われては致し方無い。

 

「あの、お言葉ですが紀子中尉? ウィッチもどきは綿密な連携に弱いと、まさにここの部隊が証明しています。なのに、どうして……」

 

 マルレーヌが、言い合いの最中におずおずと控えめながら口を挟んだ。

 彼女が見つめる先には、真剣な表情の智子たちがいる。

 

「そうね。でも、それだけじゃダメ。今回は異常なの」

 

「どういうことよ、紀子? 私たちの戦闘記録は役に立たないってこと?」

 

 智子が言う。自身を否定されたように感じて癪に障ったのか、その言葉にはかなりの刺があった。

 

「私だって分からない。だからこんな奇跡に頼るしかなかった。明里は向こうの世界で一度死んだの」

 

「なんだって……!?」

 

 明里は死んでいる。紀子が発するその一つ一つが、イヴリンたちには衝撃的だった。

 

「彼女が飛行機事故に遇って、死んで。世界の境界があやふやになって、そしてこちらへ来たの」

 

「待ってくれ……。それじゃあ、明里に帰る場所なんて無いじゃないか!?」

 

 イヴリンが問うと、紀子は一つだけ方法があると返す。

 

「こちらへ来た原因は私なの。ウィッチもどきを倒し、この身体の魔法力すら枯渇させる。堀内紀子の痕跡を完全に消し、この世界の異常を排除するの。そうすれば、この世界に居ない人間も消える」

 

「消えた後は!? 死んでるんだろう!?」

 

「分からない。私だって、まさかこんな事が出来るなんて思わなかった。でも、きっと向こうでは遺体も見つかっていないはずよ。身体はこっちにあるんだもの」

 

「……もしかしなくても、私たちとんでもない話を聞いてますよね?」

 

 真剣な紀子の話を輪の外で聴きながら、エルマがひっそり呟いた。

 いらん子中隊──もといオーロラ部隊には、にわかに信じがたい話だった。否、今も妄言ではないかと言わざるを得ない荒唐無稽この上無い話だ。

 堀内明里という実例が目の前に居なければ、堀内紀子という死んだはずの人間が目の前で話をしていなければ、真面目に取り合いもしない。気が触れてしまった哀れな魔女だと言う他にない事態だ。

 ネウロイ戦争という枠に収まらない、世界を超えた戦い。その一部始終を智子たちは聞いていた。

 

「紀子? もし奴等を無視して倒さなかったら……明里はどうなるの?」

 

 智子はそこへ足を踏み入れることに決めた。彼女たちにも自らの任務がある、同行は許されない。だからこそ、手伝えるところは全力で手伝おう。それが、紀子に作った借りを返すことになると思った。

 構わなければそれでいい。それでも智子は、言葉と共に足を踏み入れた。

 

「彼女は多分、向こうに居場所が無くなるわ。こちらでどうなるかは、私にも何とも」

 

「帰れなくなっちゃうか、こっちでも死んじゃった事になったりしませんか?」

 

 そう問うのはハルカだ。智子が何かに驚いたように目を丸くしている。

 

「あんたでも気にするのね……」

 

「当然です! 智子お姉様のご友人は私の友人です! 仲人になってくれるかもしれないじゃないですか!」

 

「随分個性的なご友人が出来たのね、智子……」

 

「私だってゴメンよ!」

 

 ハルカが吹き入れた空気は、少なくとも張り詰めっぱなしだった談話室を弛緩させた。

 悩んだって仕方がない。振り返れないのなら、進むしかない。

 

「よし。とにかくまずは予定通り、扶桑を目指す。扶桑軍を少し探るべきだ。紀子に関して、気になることも出来たしね」

 

 怒鳴ったって責めたってどうにも出来ない。イヴリンは振り切るように、計画続行を宣言した。

 

「私は眠るわ。またいつかね、みんな」

 

「気ままな隊長さんだな。アタシら引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、自分は勝手に消えやがった」

 

 ジェイスの見つめる先に居たのは、逆に見慣れた異世界のオフショルダーニットの上着を着た明里の姿。

 ぼんやりと椅子に座っているが、意識はあるようだった。

 

「紀子さん、全部喋っちゃったんだ」

 

「聴こえてたんですか?」

 

 エルマが訊ねると、明里は静かに頷いた。

 

「なんだかラジオを聴いてるみたいだったけど、全部聴こえてました。やるしかないんですね」

 

「大丈夫? キミが……その、割と危ない状況だっていうことまで聴こえてたろうけど」

 

 歯切れの悪いベルティーナの言葉にも、明里は「大丈夫です」ときっぱり返した。悩みはある、だが止まったところで意味はない。

 明里は自分の窮地を知ったからこそ、動き続ける必要があると判断していた。

 

「そろそろチュインニさんが帰ってきますね。気分転換──にはならないかもしれませんけど、一緒に行きませんか?」

 

「この状況を更に引っ掻き回すのね。ハルカが大人しいと思ったけど、チュインニが帰ってきたら全部同じよ……」

 

 魂すら抜け出しそうな深い溜め息。智子が頭を抱えると共に、格納庫から談話室目掛けてとてつもない速度で近付いてくる足音が聴こえてきた。

 

『智子ーっ!』

 

「ウソでしょ!? 噂をすればなんてどうでもいいってのに!」

 

 再び騒がしくなる談話室。銀髪の少女が飛び込んでくるまで数十秒、呆気に取られるフリーダムウィッチーズメンバー。

 先ほどまでの張り詰めた空気は、すっかり無くなってしまっていた。

 

「大丈夫かな……」

 

 不安そうに、イヴリンはポツリと漏らす。

 

「大丈夫。私も、私なりに頑張って帰れるようにするから」

 

「明里……」

 

 イヴリンと明里の空気、そしてカウハバにいたウィッチたちの空気。重くて軽い、ごちゃ混ぜの空気。

 ジェイスが呆れ返ったように、壁に寄り掛かって身体を伸ばした。

 全く相反するが、騒がしいと同時に、静かだった。カウハバで明かされた事実は重くのし掛かるが、まだ目的地までは遠い。出立も先になるだろう。

 しばらくはその騒がしさと共に過ごす。明里はそれでも構わないとそう考えて、逃げ回る智子たちを眺めていた。

 落ち着いている。彼女にも不思議なほど、自分が死んでいるかもしれないという言葉を聞いても、ざわつきはしなかった。左手に握る柏太刀を伝って勇気のような、力強い不思議な何かが流れてくるようにすら感じた。だから頑張ろう。明里は心の内で、静かにそう誓う。




途中でシリアス書いてるのかギャグ書いてるのか分からなくなったので、いらん子のノリはかなり危険であると共に腕が試される(配点5点)


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第二十七話『寒空の一時』

誤字報告機能すごい便利ですね……。
助かります。


「コホン……色々あったけど、彼女がジュゼッピーナ・チュインニ准尉よ。これで全員……全くもう」

 

 フリーダムウィッチーズの面々へ、新たに輪へ加わった少女の話をする智子は、ひどく疲れた顔をしていた。

 時おり腕にすりつくチュインニとハルカを引き剥がしていて、なおのこと体力を失っていっているようだ。

 

「チュインニ准尉って、ロマーニャ空軍急降下爆撃の第一人者だよ……! 僕らロマーニャ軍人なら、一度は絶対に名前を聴く。そうか……スオムスに行った話、僕は信じてなかったけど」

 

 名前を聞いて慌てたのはベルティーナだった。

 

「あら、あなたもロマーニャ人? そうよね、その軍服はロマーニャ空軍のだもの」

 

 よろしくね。にこやかにチュインニがベルティーナへ手を差し出した。

 

「よろしくお願いします、チュインニ准尉。自分はベルティーナ・アッビアーティ。最近少尉になりました」

 

「あぁ、噂に聞いたロマーニャ空軍のナンパ師ね! 永遠の愛を捧げられる人は見つけた? 私は見つけたわ、智子よ!」

 

「はい、ちょっと黙って。──続けて、少尉」

 

 暴走し始めたチュインニを黙らせるために口を塞ごうとした智子だったが、逆効果になると判断したのだろう。紀子よろしく、手を叩いて場を収める。

 

「あ、いや……。知られているのなら、僕から言うことはもう──」

 

「そう? じゃあ、各自で自己紹介お願い。ちょっとコーヒー入れてくるから」

 

「私もお供します! お姉様!」

 

「うるさい、近寄るな、あっち行け!」

 

「あぁっ! 今日もお姉様欲張り三点セットです……! しかも最後がちょっと強い!」

 

 チュインニですら暴走すると止まらなかった。恐らくハルカはもっと止まらなかったのだろう。

 あとから合流したチュインニへ自己紹介する傍ら、イヴリンたちはハルカを手で払う智子を少々憐れんでいた。

 

「状況が状況だったんで訊けなかったんだが、レイヴォネン中尉? 穴拭中尉はずっとこんな調子ですか」

 

 いよいよイヴリンも知的好奇心が限界だった。思えば、明里との繋がりも自身の好奇心だった。

 懐かしく思いつつ彼女が問うと、エルマは迷うことなく肯定した。

 

「私たちの共通認識でした。正直、今更感すら感じるくらいで……」

 

「どエラい日常だったんだな。同情するぜ、中隊長さん」

 

 相変わらず気だるそうに壁に寄りかかるジェイス。仮にも上官への態度ではないが、エルマは特に気にしていない。少々疲れが見えるようだったが、同時に全てを悟ったような表情でもあった。

 

「あ、そうだ。チュインニさん、地上はどうでしたか?」

 

 危うい雰囲気だったものをなんとか思い出したような雰囲気だが、エルマがチュインニへ地上偵察および哨戒の確認を取る。

 

「相変わらずね。もう一人、頭のネジが飛んじゃったような戦い方をする陸戦ウィッチが増えてたくらい」

 

「なんだかとんでもない人ばかり増えてませんか……? 負けたり傷ついたりするより、ずっとマシですけど……」

 

 複雑そうにエルマは頭を悩ませる。

 

「何かあるんですか?」

 

 反応を示したマルレーヌ。こくりとエルマは頷いた。

 

「最近、地上型ネウロイの動きが活発なんです。大きなものは確認されてないんですけど、その分数が多くて……」

 

「爆撃をしようにも、効果的な爆撃が難しいから様子を見に行ってるの。でもあの陸戦ウィッチがいれば、終わる気もするわ」

 

 出撃する意味も無さそうだ、と言いたげにチュインニはやれやれとかぶりを振った。

 そこまで言われては気になるのは、ウィッチだからという訳ではないだろう。

 

「なんだ、そんなに腕の立つウィッチが居るのか?」

 

 同類を見つけたような目をしつつ、ジェイスは腰を使って壁から跳ね起きながらチュインニへ視線を向けた。

 

「ストライカーを使わないで戦うような陸戦ウィッチがいる場所だもの、よく探せばたまにいるわ」

 

「ストライカーを使わないってなんだそりゃ……? バケモノじゃなきゃ新手のネウロイか?」

 

 ジェイスがそう語った刹那、微かに空気が張り詰めた。当人は全く気付いていないが、オーロラ部隊の隊員たちは冷や汗を見せていた。

 

「まぁとにかく、暫く動けないのは確かのようだ。あのウィッチもどきの対処に関しても、手はある方がいいな」

 

 ジェイスと同様、壁に背中を預けていたシーラはクールだった。ここカウハバで、事態があまりにも動きすぎている。

 幸い智子たちも「訳のわからないネウロイを呼んだなら、倒してから行け」といった雰囲気で、早急に出立させようとは考えていないようだった。

 

「じゃあ、皆さんのお部屋を用意しなきゃいけませんね。少し空きを確認してきます」

 

 エルマはそう言うと、騒がしい談話室からぱたぱたと出ていった。

 その姿を見送ってから、イヴリンは少々物思いに耽る。

 

「扶桑に行くのは少し遅れるか」

 

「別に気にしなくていいのに……」

 

 イヴリンの横に座った明里がそう語るが、彼女は「違うんだ」と首を振った。

 

「私が気になるんだ。恐らく一番手っ取り早いのが、扶桑に行ってしまうことだしね。それにバルシュミーデからも一度距離を置かないと」

 

 イヴリンの脳裏を、ベルギカで遭遇したエデルガルトの姿が過る。憎々しげに見つめる視線、ほとばしる殺意。

 何より彼女は容赦無く闇討ちをしてくる。『いざ覚悟』などと声をかける、扶桑の侍めいた戦いなどはしないだろう。

 だがカールスラント軍は他国軍より厳しく、規律を重んじる傾向が強い。そういった背景を考慮すると、原隊を離脱し、はるばる北欧まで来るのは難しいと考えられた。

 そういった意味では、距離を取ることには成功しているとも言えた。

 

「バルシュミーデさん……か。話し合いは出来ないかな」

 

 両手の指を絡めつつ、明里はぽつりと呟いた。

 イヴリンにも気持ちがわからないでもない。だが、元々とはいえ志を共にした人間へ銃を向け、あろうことか他人を傷つけたのだ。話が通じる状態でないのは明らかだった。

 

「難しいだろうね。そもそも、そんな話も生まれなさそうだ」

 

 イヴリンにはそう返す以外無かった。一つ手段があるとするならば、明里の内に眠った紀子の記憶に出てきてもらうくらいしかない。

 だが、それも一時しのぎだ。紀子が死んだ事実が変わる訳でもなく、そんな手段を取ってバルシュミーデが仮に逆上しては元も子もない。

 

「今は逃げるしかないと思うよ、アカリちゃん」

 

 暫く口をつぐんでいたフェオドラが、気付けば二人の対面に座っていた。

 気性穏やかな彼女でさえそう言うしかないのだ、今は解決よりも手札を作る方が先決だ。

 

「戻りました。部屋の空き、なんとか見つかりましたよ」

 

 再び空気が重くなろうとしていたところに、エルマが戻ってきた。

 一時的とはいえ、数日はカウハバで過ごすことになる。決して多くはない空き部屋のため、二人一部屋で利用する旨がエルマから説明される。

 

「隊長、覚えてるよね?」

 

 二人一部屋。そう聞いてから、ベルティーナはじっとりとした視線をイヴリンへ向けつつ訊ねた。

 

「……分かってる。明里と同じ部屋だろ?」

 

「おっ、覚えててくれた。さっすが隊長」

 

 ブリタニアの基地で部屋決めをした際、ベルティーナが駄々をこねた部屋割り。それをイヴリンは忘れておらず、渋々といった雰囲気ではあるものの明里へ視線を向ける。

 

「どう? 明里はそれでいい?」

 

「うん。私は大丈夫だけど……」

 

 なぜそうなるのが嫌そうな雰囲気なのか。明里は首をかしげる。

 

「何かされそうになったらちゃんと声上げるのよ? 遠慮してたらウィッチでいられなくなるわよ」

 

 腰に手を当て、マルレーヌが忠告する。その忠告には深く、そして重たい何かが含まれていそうだ。

 

「全く、僕はそんな野獣じゃないってば」

 

 ため息交じりに頭を振る。ベルティーナの視線は、智子にまとわりつくハルカに向けられた。

 

「どちらかといえば、今回は守る方さ」

 

 腰に差したリボルバー。そのグリップの感触を確かめつつ、ベルティーナは誰にも聞こえないように静かに呟いた。




最近体調をくずしたり、免許取りに学校いったりで忙しく、気付いたらほんの3000文字書くのに一ヶ月近く掛かりました。
いや、いけないね。

チュインニもいよいよ登場。
スオムスでの戦いはまだ続きます。


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第二十八話『スオムスの大地にて』

 スオムス空軍カウハバ基地は変わらず。だが、少し離れて市街に出るとスオムス軍とネウロイがにらみ合いだ。ネウロイが睨むかどうかはともかく、互いが互いに攻めきれない。

 ネウロイは珍しく、人類に対して二の足を踏んでいた。

 

 一瞬の予断さえ許されない状況の中、一人のスオムス陸軍ウィッチが立ち上がる。ホルスターに挿したピストルを抜き取り、弾倉の弾を数えてグリップに押し戻す。

 淡いブルーが特徴のスオムス軍服のウィッチ。更に後ろに、同様の軍服に身を包んだウィッチたちが更に十名ほど控えている。

 

「全員、武器の弾倉は持ち帰ること」

 

 ピストルを手にしたウィッチは振り返ると、控えるウィッチたちへ告げた。

 

「特に、我々は諸外国から融通してもらった武器を利用している。弾倉を失くせば、その武器が使えなくなるぞ。忘れるな!」

 

 声を張り上げる先導のウィッチ。控えのウィッチたちは声高らかに賛同した。

 

「ランタサルミ、出るぞ」

 

 先導していたウィッチがピストルのスライドを引いて宣言する。ランタサルミの背後ではウィッチたちの戦闘脚が唸りを上げる。ところが、ランタサルミは戦闘脚を着けていない。自らのその足で、睨みを利かせるスオムス軍のその更に前へと躍り出る。

 

「少尉はまたストライカー無しなの?」

 

 ウィッチの一人が誰に宛てたわけでもなく呟く。

 

「ユーティライネン中尉の実質弟子みたいなものらしいしね。いつか私たちも、そんな部隊にいたって語り継がれたりして」

 

 また別なウィッチが愉快そうに反応を返した。

 ランタサルミというウィッチは戦闘脚も使わず、そして圧倒的な力でネウロイをねじ伏せる。そういうウィッチだった。しかし、既にそこにはユーティライネンという前例がいた。ランタサルミはユーティライネンと共に一時戦い、そしてその背中を見て戦い方を学んだ魔女なのだ。

 

「来たぞ、構えろ」

 

 極めてクール。部隊に聞こえる程度にしか、ランタサルミは声を張り上げない。

 戦闘に立つ彼女も味方に預けていたヘルウェティア製S-18対物ライフルを受けとると、自身より巨大なそれを軽々と掲げる。

 

「向こうもお待ちかねだったらしい。建物を使え、地の利は我々にあるぞ。向こうを驚かせてやろうじゃないか」

 

 散開。ランタサルミは部隊に散るよう指示を出す。本来ならば自滅行為にすら等しいが、彼女の部隊はネウロイに対し奇襲を行うことで戦果を挙げていた。

 ランタサルミ自身も部隊から離れ、裏道をいくつも駆け抜ける。50kgはあろう巨大な対物ライフルを手にしても、彼女は息を乱すことはない。

 

「おっと」

 

 ランタサルミの眼前をネウロイが塞ぐ。それを確認し、彼女はスライディング姿勢へ切り替え、足を滑らせながらライフルを構えた。

 刹那、雷鳴のような銃声が響き渡った。20mmという巨大なライフル弾は比較的小型だったネウロイの装甲を容易く貫き、撃破する。

 

「フゥッ。一体撃破だ、他から撃破報告が挙がってないな?」

 

 ライフルを肩に担ぎ、ランタサルミはインカムの向こうにいる隊員たちを煽り立てた。

 銃声は絶えず聴こえている。鳴り止まない内はいいが、それが無くなった時が一番不安になる。

 

「援護に行くか。いくぞ、着いてこい」

 

 ランタサルミに着いてきた二名ほどのウィッチに合図を出すと、彼女は一息で裏路地から飛び出した。

 迫るネウロイの脚をライフルで吹き飛ばし、続けざまに装甲もろとも打ち砕く。彼女に続いたウィッチもまた、機関銃でネウロイを討ち払っていく。

 

「私は上から行く」

 

 部隊を振り返り、ランタサルミはそう語ると軽い足取りで建物へジャンプ。そのまま屋根を伝い、苦戦する味方の別分隊を狙っていたネウロイを真上から撃ち抜いて着地する。

 

「大丈夫か?」

 

 少々交戦部隊に疲れが見られた。しかし彼女たちは問題ないと、調子を訊ねたランタサルミに返答した。

 

『少尉! ネウロイの一団が近くにっ!』

 

 インカム越しに、銃声と共に味方の援護要請を受けとる。S-18対物ライフルを背中に背負うと、ランタサルミは柄付き手榴弾を手にネウロイの進行直線上を駆け抜ける。

 手榴弾を投げ、オストマルク製VIS35ピストルをホルスターから引き抜く。ネウロイのただ中に落ちる手榴弾を狙うと、視界はスローモーションに変わった。

 照準器に手榴弾が重なると、彼女は引き金を引く。9mm魔法弾は真っ直ぐに手榴弾を射抜き、ネウロイの真ん中で爆発。比較的小型のネウロイは耐えきれずに消失する。

 

「援護頼む」

 

 駆け出し、ランタサルミはピストルと共に残った中型に狙いをつけた。

 走りながら立て続けにトリガーを引き、中型の多脚型ネウロイの下部に滑り込んで通過すると、残った手榴弾を肩越しに後ろへ放り投げて止めを刺す。

 爆風に激しく髪がなびく。ネウロイは跡形もなく消えていた。近くにネウロイの姿もない。

 

「よし、一旦引き上げるぞ。またにらみ合いだ」

 

 ランタサルミは部隊へ指示を出しながら、空を見上げる。航空ウィッチが彼女を気にするように旋回していた。

 援護は無いが、気付けば空の目はいつもランタサルミたちを見ていた。制空権も取れている。

 

 まあ気にするものでもない。ランタサルミは特に気にしてはいない。陸と空の戦いは違うものだ、援護を強要するつもりは無かった。

 スオムスの情勢は急激に悪化している。謎の人型ネウロイといい、イレギュラーが増えているのだ。

 それに、カウハバ基地に見たこともないウィッチが駐在しているとも聞いている。

 何かが起きている。ランタサルミは重苦しい空を眺め、漠然とした考えを抱く。何かとてつもない事が起きていると。




少々短いですが、次回への繋ぎに。
ランタサルミという新たなウィッチが登場しました。
アウロラさんの下位互換です(


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第二十九話『残されたモノ』

 スオムス、カウハバ基地に来てからほぼ半日。

 半日とはいえ既に日を跨ぎ、太陽の昇り始める頃合いになっている。

 明里は智子の提案により、剣術指南を受ける事になった。智子の扱う備前長船とは勝手の違う刀ではあるが、何もないより余程まし。

 構えから付け焼き刃で切り抜けてきた明里に、刀の扱いを教えるのは智子も骨を折った。癖として染み付いた動きを取り除くのはそう簡単ではない。

 そもそも抜刀術を軸にする時点で、少々智子と堀内流は異なっている。

 

「紀子の戦いは否定する気無いんだけど、あなたがやるならもっと基礎をやらないとね」

「ご、ごめんなさい……」

 

 縮こまって謝る明里へ、智子は少々困ったように空へ視線を泳がせる。

 

「それで戦果を挙げていた以上、紀子の戦い方を間違っていたとは言えないわ。けど、それは基礎が出来てからの話。だから私は、基礎を叩き込むからそのつもりで」

 

 きっぱりとした声音。明里も思わず見よう見まねの敬礼を返す。それを見て、智子は微かな笑みを見せた。

 スオムスの寒さはまだ牙を剥いている。しかし、厚着をすればまだ凌ぐことはできる。

 

「やってますねぇ、アカリ」

 

 訓練に精を出す明里を遠くに眺め、ベルティーナは昨晩に危うく発砲しかけたリボルバーをくるくると指で回していた。

 

「カタナは私には教えられないからな。ヤエもカタナは範疇でないし、ああいったウィッチに出逢えたのは僥倖だが……」

 

 僥倖なんだがな。呟いて、イヴリンはベルティーナの手で自在に回転するリボルバーに目を遣った。

 

「危うく迫水さんを撃ちそうになったって?」

 

 イヴリンは鋭く問いを投げ掛けた。

 ピタリ、とリボルバーの回転が止まる。

 

「ハルカがいけないんだ。アカリとボクの部屋に忍び込むから」

「だからって……」

「ボクはいいけど、アカリはダメだ。いや、今はボクもダメだけど……」

 

 落ち着かない様子のベルティーナ。手持ち無沙汰なのか、リボルバーだけは彼女の手で前転後転を繰り返していた。

 

「頼むから問題を起こさないでくれよ。まだまだ問題は山積みだ」

 

 イヴリン自身のことは勿論、明里を元の世界に戻すためにはもっと力が必要な事も分かった。更にエデルガルトという追跡者の影もあるし、今はそれを振り切って扶桑に向かわなければならない。

 

「おはようございます。カルヴァート少尉、アッビアーティ少尉」

 

 外で話していると、エルマが挨拶にやってきた。挨拶を返す二人に、彼女は更に踏み込んだ。特に、イヴリンへ。

 

「ガン・ブルー、ですよね。ホルスターの拳銃って」

「スオムスにも噂が?」

「はい。すっごく有名ですよ。ビューリング少尉も話題に挙げていましたし」

 

 おやおや、それはそれは。エルマの話を聞いて、イヴリンは恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「それで、一つお力添えが出来るのではないかと思って声をかけたんです」

 

 ぽん、と柔らかく手を合わせてエルマはにこやかに微笑む。

 基地にどこの隊とも聞かずに置いている今、これ以上の力添えとはなんだ。イヴリンとベルティーナは互いに顔を見合わせ、首をかしげた。

 エルマは一言「ついてきてください」とだけ言うと、二人を引き連れて基地内を歩き始めた。足音の他に聴こえるのは、風の音を除けば智子と明里の声だけだ。

 

 □

 

 エルマがイヴリンを連れてやってきたのは、一棟の倉庫だった。出入りが無いのか、扉は堅く閉ざされている。

 それを開け放つと、すぐに目に入るのは多数の機械工具。金属加工機のみならず、薬品の調合を行うためか、空の瓶が並んだ棚もある。

 しかし、この時世にスオムスでこれ程の設備を備えていたとはイヴリンたちも聞いたことがない。雰囲気を察してか、エルマが口を開いた。

 

「元々は、中隊に居たウルスラさんというウィッチの設備です。前の基地は何棟か設備が爆発したんですけど……」

「ばく……はつ?」

 

 あまりに恐ろしいエピソードが差し込まれたおかげで、イヴリンの背中が寒気とは別な何かで凍りついた。

 

「ですが、ウルスラさんは空対空ロケット発射器を開発した功績でカールスラントへ正規士官教育を受けに行ったんです。大躍進ですよ、大躍進」

「……まさか、フリーガーハマーですか。まだ現物を見たことはありませんが」

 

 カールスラント製対ネウロイ用ロケット発射器。アンテナの広いベルティーナは、その原型が戦果を挙げた事を知っていた。

 開発中のロケット発射器。それがフリーガーハマーという名を持つらしいということも、聞いたことくらいはあった。

 原型とはいえ、それを生み出したのがこの場だとするならば、それはちょっとした事件だ。機密がそこらに転がっている事になる。

 

「ここでなら拳銃の整備、可能なら改良も出来ます。ウルスラさんはMG34を使っていましたから、パーツも出ますよ」

「レイヴォネン中隊長……」

 

 微笑むエルマ。補給が目的とは言え、ここまで手を貸すのは正直に異様といえる。ガン・ブルーの名まで知っておいて、何も知らない訳はない。紀子の話も聞いていた筈だ。

 

「私が言えたことではないですけど、きっと辛かったと思います。だから、機密だらけだとしても、仲間の機材を使って戦力は整えてほしいんです」

 

 斜を向きつつ、エルマは語った。

 やはり、彼女は全て知ってしまっていたようだった。いや、恐らくエルマだけでは無いのだろう。基地管制士官であるハッキネンも、或いは事情を知っていたのかもしれない。

 

「隊長、どうします?」

 

 ベルティーナが訊ねる。答えは決まっていた。

 

「感謝します。ガン・ブルーも、これでワンランク上に行ける筈だ」

 

 ガン・ブルーのみならず、ブリタニアで拾得したMG34もだ。無理矢理な改造により崩れていたバランス、磨耗したボルトキャリアや各種可動部は勿論、熱により僅かに変形している銃身も。ここでなら交換や調整が出来る。

 

「フリーダムウィッチーズの皆さんにも使うように伝えますね。機密さえ守っていただければ、自由にして構いません」

 

 エルマはそれだけ言うと、ぱたぱたと宿舎へ戻っていったようだった。

 

「自由に、か。でもこんな機械をいきなり使えって言われても……隊長? 何してるんですか?」

 

 使い方も分からぬ機械をただただ睨んでいたベルティーナをよそに、イヴリンは拳銃を作業台に置いて、抜いた弾倉の型を紙に取り始めた。

 それから、ベルティーナにもあまり見馴れない図面も同時に引かれているようだ。比較的小さなパーツのようだが、何かは分からない。

 

「ボクは一旦戻ってますからね。アカリの事もあるし」

「あぁ。私は暫くここを使わせてもらう。何かあったら連絡を頼む」

 

 逃亡兵であるフリーダムウィッチーズに、この先何度訪れるか分からない装備強化のチャンス。イヴリンはそれを逃すまいと躍起になっているようだった。

 

 □

 

「なんだよ、隊長さんはまだ籠ってんのか」

 

 早朝にエルマがイヴリンたちを倉庫に案内してから、彼女は一度も姿を宿舎に見せていない。ジェイスは天辺を指す時計を見て呆れた。

 既に昼時だ。だというのに、イヴリンは機械いじりに夢中のようだった。ガン・ブルーの話は有名だ。リベリオンのガンマンを自負する彼女も、それは知っている。だが、所詮は素人。一からパーツ作りなど出来ようか。

 

「ガン・ブルーは特に自分が弄ってきた銃だからね。ブリタニア空軍時代は、よく『拳銃だけで戦うなんて正気じゃない』とか言われたって聞いたわ」

 

 マルレーヌら元『統合戦闘飛行隊』のメンバーはその歴史と進化を間近で見てきた人物でもある。

 

「自分の愛用する武器だから、他人には触らせない。気持ちは分かるもの」

 

 コーヒーを一口飲んで、マルレーヌは一息つく。

 

「噂は知ってる。箔が付くと思って奪おうともしたさ。けどよ、そこまでスゴいのか? アレは」

 

 ジェイスはあくまでも噂しか耳にしてこなかった人物。正式な名前でなく、ガン・ブルーと、ペットネームが通称になる程の戦績があるとは考えられていない。

 

「隊長が戦果を挙げる時は、必ずあの銃だったから。小型を蹴散らす時も、コアを撃ち抜く時も、いつも手には青い銃が握られていたの」

 

 フェオドラもまた、その戦いを間近で見てきた。その青い拳銃が放つ弾丸から、逃げ切ったネウロイは居なかった。

 特に、紀子と共に肉薄して行われる近距離射撃は遠距離戦を得意とするフェオドラからすれば、羨望すら抱く。果敢にネウロイへ立ち向かうその姿こそ、真のウィッチだと思いもした。

 

「でも、もう完成してるんですよね……? これ以上、イヴリンは何をする気なんだろう」

 

 午前の訓練を終えた明里は、疲弊からか椅子にもたれ掛かるようにして座っている。だが、なんとか話題には参加しようとしているようだった。

 

「見た感じ、普通の拳銃だったわね。中身がどうなってるとか私は良く分からないけど……有り得るとしたら、まずは弾倉じゃない?」

 

 ハルカもチュインニも哨戒でいない今の基地は、智子には安息の地。すぐに戻ってくるだろうが。

 とにかく、智子もイヴリンの行う改造には少々興味があるようだ。

 

「でも、このままだと身体を壊しちゃいますね。もうすぐ昼食ですし、呼んできます」

「あ、エルマさん! それなら私が行きます。場所だけ訊いてもいいですか?」

 

 エルマがイヴリンを呼びに行こうとして、それを明里が呼び止めた。

 エルマからイヴリンの所在を聞くと、彼女は少々小走り気味に部屋を飛び出していく。

 

「アレだけスタミナが余ってるなら、午後はもう少ししごいても良さそうね」

 

 明里の背中を見て、智子は少々意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「あの子、隊長の事になるとああいう風になるので、お手柔らかに……」

 

 結局、マルレーヌが代わりに頭を下げた。

 全員揃っての昼食までは、まだ時間は掛かりそうだ。

 

 □

 

 基地を走る明里。滑走路脇を走り抜け、目的地を目指す。ふと、それなりの距離を走っても息が上がらない自分に気がついた。

 訳の分からないままこの世界に来て、正体不明の敵と戦って、軍人と共に来て。

 元々明里はアクティブではあるが、スポーツがずば抜けて得意ということもない、普通の少女だ。自覚もある。

 少しは成長出来ているのか。一度足を止め、カウハバ基地を振り返る。

 

「ん……?」

 

 ふと、黒い何かが空を横切った気がした。ネウロイであれば基地で警報がなっているはず。では今、空を飛んでいる影は? 

 チュインニとハルカであれば、二人分の影があるはずだ。それは明里でもわかる。仲間を置いて帰投するなど、ほぼ有り得ない。

 

「……なんだろう」

 

 影はまるで明里を探るように右へ左へと飛び回っていた。そして遂に、太陽を背にする。

 同じ光景を見た。明里の背中をぞくりと寒気が走る。

 刀を──いや、遅い。魔法力を引き出し、両手を突き出した。シールドが展開され、刹那に基地中に警報が鳴り響く。シールドに銃弾が一発、直撃していた。

 

「バルシュミーデさん……!」

 

 魔法力解放による僅かな身体能力向上により、その姿を捉えられた。スオムスには来ないと思われていたエデルガルト・バルシュミーデ。シーラの腕と目を奪ったウィッチが、今度はピストルカービンを手に明里を狙っていた。

 

「どうした!? って、明里? 一体何が……」

「イヴリン、ダメ! 隠れてッ!」

 

 イヴリンは倉庫から慌てて飛び出してきた為に状況を理解できていない。エデルガルトが狙うなら、まずはイヴリンのはず。明里は後ろからやってきたイヴリンへ叫ぶ。

 着弾音。イヴリンの足元に銃弾が直撃する。恐ろしく射撃の精度が高い。その上、銃弾は次から次へと飛んできていた。

 明里の手を取り、イヴリンは倉庫へ引き返す。銃撃を掻い潜り、通信機を耳に嵌める。

 

「こちらカルヴァート! チュインニ准尉を含む、哨戒ウィッチを基地に近付けるなッ! 私と明里は現在、ウィッチによる襲撃を受けている!」

『把握しています。あのウィッチはこちらの交信に応えませんでした。現在、対空攻撃を用意しています。凌いでください』

 

 イヴリンの声に答えたのはハッキネンだった。いくらウィッチとはいえ、敵対行動を取ってしまっては追い払う他に無い。撃墜せずとも、対空攻撃を行えば逃げる筈。

 少なくとも、ベルギカではそうだった。

 

「イヴリンッ! あの人、こっちに来てるッ!」

「クソッ! ガン・ブルーは調整中だ、弾幕を張るしかない!」

 

 置かれていたMG34を抱え上げ、魔法力を解放すると倉庫から飛び出した。

 瞬間、耳をつんざくような銃声が絶え間なく響き渡る。薬莢は地面を跳ね回り、絶え間無い銃声は確実に聴力に影響を及ぼしていく。

 飛んでくるエデルガルトは弾幕をロール機動でかわし、瞬く間に倉庫へと近付いてくる。

 

「弾がもたないかッ!?」

 

 MG34の銃身は赤熱し、既に弾薬も打ち切ろうとしていた。弾が切れれば、イヴリンに武器はない。

 更に肉薄してくるエデルガルト。イヴリンが歯を食い縛る。

 明里は刀の柄を握り締めた。やるしかない。だが、エデルガルトもまた歴戦のウィッチだ。付け焼き刃程度でしかない明里の実力では、むしろ反撃を受けるのは目に見えている。

 

(頼るしかない……!)

 

 極力彼女に頼らない為に力をつけようとしていた。しかし、今は全員が無事に切り抜ける為にも解放するしかなかった。堀内紀子、恐らくエデルガルトの復讐を駆り立てているであろう張本人の魔法力を。

 

「くッ──!」

 

 イヴリンが限界を迎えるその刹那、剣閃がエデルガルトへ向けて走った。

 慌ててシールドを張ったようだが、イヴリンには攻撃を当てられないどころか手痛い反撃となったようだ。高度を取り、再び二人を見下ろす。

 

「き……いや、明里か」

 

 イヴリンの傍らに居たのは紀子。その姿を借りた、明里だ。危うく呼ぶ名を間違えそうになる。

 

「……困ったものだわ。私がしたことが、ここまでになるなんて」

 

 いくら明里とはいえ、記憶は紀子のものでもある。自身を睨み付ける魔女を見上げ、明里は刀を抜く。

 

「やる気なのか。間も無く対空攻撃が始まるぞ」

「そうなる前に、彼女を追い返すわ」

 

 エデルガルトが急降下と共に明里へ向かう。反対に明里は地面を強く蹴り、膝のバネで一気に加速する。

 このままでは地表で激突する。再装填を終えたイヴリンは、明里の後ろで機関銃を構えて備えていた。

 影が交差しようとしたその時、エデルガルトはシールドすら間に合わず、明里の後ろ回し蹴りに吹き飛ばされる。魔法力を使ったその力は並大抵ではなく、あたかも戦車にでも激突されたかのような勢いで、魔装脚を使用したウィッチですら地面に叩き付ける程だった。

 

「エデルガルト!」

 

 地面を転がった少女へ、明里が呼び掛けた。本来なら名も知らぬ少女。しかし紀子の記憶が、彼女との思い出を明里に教えている。

 

「何をしているの? 仲間のウィッチを狙撃し重傷を負わせて。また同じことをしに来たの?」

 

 明里の問いにエデルガルトは答えない。立ち上がろうとして、その先に立つ明里を睨み付けた。

 

「ネウロイ……」

「ネウロイ?」

「私はウィッチ……敵は、殺さないと」

 

 明らかに様子がおかしい。イヴリンも紀子の記憶を借りた明里も、統合戦闘飛行隊時代のエデルガルトではないとはっきり断定した。

 

「対空攻撃が始まるわ。投降しなさい」

「断るッ!」

 

 即答と共に、エデルガルトはホルスターから拳銃を引き抜き、明里めがけて引き金を引いた。

 直ぐ様刀で弾頭を両断する。どうやらエデルガルトは完全に二人を敵と認識しているようだった。しかし、なぜそうなっているのかが分からない。

 

「カルヴァート少尉! 明里さん! 下がってください!」

 

 声を張り上げ、存在を知らせたのはエルマだった。智子も臨戦態勢で滑走路に出てきている。

 

「チッ!」

 

 数的不利を悟ったか、エデルガルトは周囲へ拳銃射撃を見舞って牽制すると、瞬時に体勢を整え、魔装脚で飛び去っていく。

 その姿は、複数の航空学校ウィッチに目撃されていた。ウィッチの襲撃は、少なからずショッキングな事件として記憶に残ったであろうことは間違いない。

 

「……なんとか凌いだわね」

 

 刀を鞘に収めながら、智子はエデルガルトの飛び去っていった空を見上げる。

 確かに凌いだ。しかしウィッチの襲撃はカウハバ基地にとってイレギュラーだ。

 

「カルヴァート少尉、それから明里さんも。お話を伺うことになると思います」

 

 優しげだったエルマの口調も、少々きつくなる。仕方の無いことだ、名前を呼ばれた二人はエルマの言葉に従い、宿舎へ向かう。先導するのは勿論エルマだった。

 

 一体何が起きているのか。カウハバ基地の部隊にそれを語る時が来た。



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