海軍は陸軍の外局ですか? (かがたにつよし)
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大戦前夜
プロローグ


準拠の比重は
 Web版>史実>>>>>漫画版>>>>アニメ版>小説版
です。


 かつて、「帝国」という国家があった。

 

 新興国家にもかかわらず技術・経済・軍事、どれをとっても周辺列強諸国より頭一つか二つ飛び抜けており、もし今日まで存続していれば"人類は火星にさえたどり着けたであろう"と言われている。かつてのイルドア帝国の崩壊とまでは言わないが、人類史の後退であったことは間違いない。

 

 なぜ帝国は滅んだのか。

 

 確かに、"帝国"を冠する通り民主的な国家とは言えなかった。拡張主義を唱え、周辺諸国と係争地を抱えていたのも間違いない。軍人が文官に対して優越しており、産官学の全分野で軍人が権力を振るっていたことも事実だ。

 

 しかし、帝国が滅んだ"世界大戦"の引き金を引いたのは()()()()ではなかった。

 現在でこそ被害者面をして賠償金を求めつつ平和の尊さを謳っている協商連合、それが始めに帝国に殴りかかったのだ。同じく共和国・ダキア・連合王国・連邦――いずれも帝国から戦争を仕掛けていない。

 彼らが帝国に戦争を仕掛けたのだ。

 合州国は……少し事情が異なるので置いておこう。

 

 では、なぜ周辺諸国は帝国に戦争を仕掛けたのか。

 

 ここが帝国崩壊の原因であろう。つまるところ、帝国は中途半端に強かったのだ。

 

 合州国ほど隔絶しているのであれば諦めもついた。共和国程度の実力であれば周辺諸国も警戒せず、欧州のバランスが失われることもなかったであろう。

 しかし、囲んで殴ればなんとかなる程度でしかなかった。

 

 ――帝国は一度も戦争に負けたことがない――この文句は事実であった。世界大戦前に帝国は最大版図を記録するが、それは巧みな外交戦略により徹底した一対一戦争によって得られたものである。

 しかし、周辺諸国を相手に勝ちまくり領土と国庫を増やして列強まで上り詰めた帝国は、周辺諸国の恨みを盛大に買ってしまう。世界大戦前には、帝国と完全な攻守同盟を組む国家はなく、共和国を中心とする対帝国包囲網が出来上がっていた。それに対して、帝国は外交で包囲網を崩すのではなく、内線戦略による多正面作戦の完遂へと舵を切ってしまう。

 

 すなわち、次の戦争が始まった時点で帝国の敗北は必至であった。統一歴1900年以降の帝国は、前世紀のツケと外交戦略の失敗により、いつ敗北してもおかしくない状況だったのだ。

 

 次の問題は、"負け方"であった。

 

 前世紀の戦争――例えば帝国が最後に経験した帝国=共和国間戦争の共和国のようにさっさと負けてしまえば、帝国が滅ぶこともなかったであろう。周辺諸国が溜飲を下げ、包囲網を崩すことができたかもしれない。

 

 しかし、帝国は大真面目に戦争をしてしまった。中途半端に強かったがために国内世論は負けることを認めなかった。建国以来敗北を経験していないというのも大きかっただろう。

 悲しいことに、軍人達も同じような思いであったという。殴りかかってきた分からず屋に泥の味を教え込む以外に、帝国は紛争解決手段を知らなかった。

 

 結果、帝国を相手に戦った国々は無視できない人的及び経済的損失を被り、それを補填するため帝国の解体を是としてしまう。前世紀であれば考えられない愚かな行為であるが、終戦後もしばらく国家の理性を溶かすほど"世界大戦"は熱く眩しい劇薬だったのだ。

 

 

 

 そんな帝国にも、勝ちの目が無かったわけではない。帝国を救えたかもしれない、優秀な頭脳を持った輝かしい人材が存在したのだ。

 

 例えばゼートゥーア将軍。

 世界が経験しえない大規模戦争に戸惑っている間に多数の合理的かつ効果的な作戦を遂行し、連合軍に大きな打撃を与えた。合州国をして"我らの恐るべき敵"と言わしめたのは彼以外に存在しない。また、彼の下には参謀本部直属の魔導師部隊がおり、数々の前代未聞の作戦の成功に寄与したと言われている。

 

 だが、それはあくまでも戦術的なものでしかなかった。彼らは懸命に祖国の運命を回天させるべく行動したのかもしれないが、結局のところ負けるべくして始まった戦争の敗北を少し遅らせた程度でしかなかった。

 敗戦処理をより過酷にしたという意味では、逆効果だったかもしれない。

 

 根本的な問題として、戦争を始める前に何とかしておかなければならないことが多すぎたのだ。始まってから泥縄式に手当てしていたのではお話にならなかった。

 

 他にもルーデルドルフ将軍やロメール将軍等優秀な人材は多かったが、あまりにも戦術的過ぎた。しかし、帝国にも"始める前に状況を打開すべき"であることを理解している戦略的思考を持つ人間が存在しなかったわけではない。

 

 さて、今日でも"11番目の女神"等、情報の秘匿や散逸が絶えない帝国陸軍に対して、帝国海軍の情報は比較的揃っており、入手も容易である。事実、しかるべきところに要求したとある士官学校生の卒業論文は、この通り手元にある。

 

 ――統一歴1918年 エリカ・ブランデンベルガー著 『海軍建設の今後と仮想敵国について』――

 

 艦隊機動や砲雷撃戦等の戦術的な論文が多い中、余りにも巨視的な視点で書かれた本書。周辺諸国をそれぞれ仮想敵国とし、その全ての組み合わせにおいて海軍の果たすべき役割とそのために必要な装備や施設の建設計画及びその勝敗の予想を論じていた。

 

 もし、歴史のIFが許されるのであれば、この通り行動した帝国を見てみたい。

 きっと、今日まで国家の命脈を断たれることなく存在しているだろう。

 

 だが、それは果たされなかった。

 なぜならば、帝国において、海軍は陸軍の外局でしかなかったのだ。




執筆中で腐ってたSS投稿第二弾は幼女戦記。

~普仏戦争~日露戦争をだいたい史実通り起こした後、Great Warが10年遅れで勃発する平行世界線。

原作(漫画/アニメ)ではなんかとても近代的な(気がする)兵器群が出てきますが、いやちょっと待ってと。
WW1を経験してないのにWW2の兵器出る?
なので、フォッカーやソッピース、A7VやMk.1で大戦序盤を戦いながら、Bf109やスピットファイア、7号戦車やチャーチルが"決戦兵器"として登場する世界線を描きたいなぁって(当時は思ってた)。

あと、史実ではチョビを蜥蜴の尻尾にして切り抜けた国防軍がこの世界線ではどうするのかなぁって考えて、ライヒの黄金に疑問を投げかけるべく、オリ主ちゃんは海軍に。

漬物が後50kbくらいあるのでちょっとだけ続きます。


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第1話:戦艦を減らしたい海軍士官候補生

この世界線って、英独建艦競争が史実より10年長く続いているんでしょ!?!?
楽しみですねぇ!!!(何が)


 神とは何か。

 神とは人類が御し得ぬ現象ではないか。故に、文明の進歩とともに神の権能は漸減されてきた。

 例えば、雷は科学技術の進歩と共に電気だと判明し、川の氾濫は治水技術によって制御されつつある。21世紀を迎えた今、神に残された権能は宇宙の創生くらいではないだろうか。

 

「なのに貴様らは、多少とはいえ神に祈るではないか。それはどう説明するつもりだ」

 

 現在、私は神を称する存在と禅問答を繰り返している。ちょっとした戯れかと思えば、なかなか深刻な状況のようであった。

 端的に言えば、爆発的に増加した人口に対して信仰が圧倒的に足りていないらしい。その打開のためのサンプルとして、私は輪廻転生の輪から召喚されたという。

 

「それは諦めと妥協です。現在の自分の力が及ばないところで物事の成否が分かれる時、人は祈っているのです」

 

 本気で祈っているのであれば、貴方が私を召喚した説明がつかない。すなわち、皆本気で祈ってはいないのだ。

 入学試験や入社試験、出世や取引の成功等。

 全て人事であると知った上で、心の平穏を得る為に天命だと言い訳をしている。それは祈りであっても、信仰ではない。

 

「ではどうすれば貴様らから再び信仰を得ることができるようになるのだ?」

 

 回答に対する再質問。神は文章の理解力に乏しいのではないか。

 科学技術や社会システムといった文明の進歩が人を神から切り離す、と申し上げている。であれば、答えはその逆だ。

 

「人類を石器時代に戻すことです。文明の衰退により神は権能を取り戻すことができるでしょう。しかしながら、再び文明の発展と共に漸減されるでしょう」

 

 人類に知的好奇心がある限り、必ず神の権能を手に入れようとする。それは避けられない必然だろう。高度な社会システムを構築せず、科学の発展を目指さない人類など、2足歩行の獣でしかない。

 

「それではイタチごっこではないか。私は貴様に、人類史のいついかなる時点においても同様に信仰が得られる仕組みを問うている」

 

「文明の発展と共に自然現象も発展させるしかありません」

 

 鉄筋コンクリートをなぎ倒し、各種センサーに捕まらない、そんな災害を起こせば良い。文明がいくら進歩しようとも、森羅万象を司るのは神だと言ってやればよいのだ。

 

「それは不可能だ。貴様の言う通り、我々は多くの権能を失っている。それに、貴様らの“地球”で起こりうる事以上の現象を起こすことはできん」

 

 では、この問答はお仕舞だ。

 一部を妥協すれば解決できないことはなかったが、一切の妥協が不可能であれば私にはどうすることもできない。

 

「では申し訳ありませんが、私の知恵では貴方の抱える課題を解決することができません」

 

 神の要求には根本的な矛盾がある。神は人類が文明の発展の過程で生み出した存在にすぎない。その時点では存在価値があったのかも知れないが、時代とともに需要は変わっていくのだ。

 神もまた変わらざるを得ないのだが、旧来の在り方であろうとするなら、残念ながら市場原理に従って淘汰されていただくしかない。

 

「そうか、残念だ」

 

 あまり残念そうには見えない。おそらくこの無意味な問答を何十回も行ってきたのだろう。私を輪廻転生の輪に送り返した後、また別の人間を召喚するに違いない。

 

「ところで、先程召喚した愚か者は"非科学的で"、"女に生まれ"、"戦争を知り"、"追いつめられる"と信仰に芽生えるそうだが、貴様はどうか」

 

 凄まじいドMがいたものだ。

 エリートは赤ちゃんプレイかドMプレイが大好きだというが、彼は後者の性癖持ちだったのだろう。

 

 確かに、科学技術で説明のつかない超常の力があり、それが信仰によって得られるのであれば分からなくはない。私だって、魔法のある世界に生まれれば神を信仰せざるを得ないだろう。

 

 性別の逆転が信仰に繋がるかは答えかねる。女性で生きたことが無い以上、彼女らが信仰を育んでいたのかどうか分からない。

 

 また、戦争になれば極限環境で祈る人間も出てくるかもしれないが、戦争という行為自体が人間の作り出した国家という社会システム同士の衝突である以上、人事でしかない。微視的には神に祈る行為に妥当性があるが、巨視的には全く意味のない行為である。

 

「魔法以外の部分は意味がないと考えられます」

 

 人類が神を求め、そして人類が手放した。であれば、人類が手放せないよう、侵すことのできない神の権能を一つ追加すればよい。

 

「人類の知的好奇心によって奪われる権能ではない、ということで間違いなければ」

 

「無論だ。その辺りに抜かりはない」

 

 神を称する存在の表情が少し穏やかになり、ふぅ、と一息ついた。

 依然、私が生きていた世界に対する課題は何も解決していないが、どうやらこれで良いらしい。まったく、迷惑な話である。死後もこき使われるなど予想していなかった。さっさと私を輪廻転生の輪に還して欲しい。

 

「"魔法"という解決策は、先ほどの人間が言っていた世界に包含される。実験のために世界を何個も作っていては到底コストに耐えられない」

 

 なぜだ、なぜそんな話になる。相談に乗っただけで、ドMの仮定を私が実証する責任はないはずだ。

 

「サンプルは多いほど良いと思っていたところだ。黙って行ってこい」

 

 私として最後に聞いた言葉は、あまりにも理不尽で無慈悲だった。

 

 

 

***

 

 

 

 なるほど、神の言った通りだ。

 私が転生した先には、確かに超常の力があった。教会では超常の力をつかさどる神に対して信仰をささげるよう、神父や修道女が説いていた。

 

 ここまでは神とやらの実験に付き合ってもよかった。

 

 しかし、今世では私の体は女性であり、教会に預けられているように親無き子であった。つまり、私の前に神との問答を行ったドM野郎のとばっちりを受けていた。

 

「……糞ったれ」

 

 修道女に聞こえないように、十字架に向かって悪態を吐く。理不尽な不利益が自然法則によるものであれば諦めもつこう。社会システムによるものであれば溜飲も下げて見せよう。

 

 だが、ドMのツケなど、私が黙って受け入ると思うなよ。

 

 

 

 統一歴1900年。

 それが私の生まれた年である。ここが前世の地球における欧州に類似した地域であり、国はドイツ帝国を模していた。

 

 社会的基盤は先述の通り良好とは言えなかったが、戦争といえば最近のものでも30年ほど前の普仏戦争にあたる帝国~共和国間戦争であり、帝国が拡張主義を唱えていたとしても世界情勢的にも当面――第一次世界大戦すら起こりそうになかった。

 強いて言えば、日露戦争にあたる連邦~皇国間戦争の足音が聞こえていたのだが、遥か極東のことなど帝国国民の大多数にとっては知ったことではなかった。

 

 ただ、戦争がなくとも社会的基盤が脆弱な人間にとっては、日々を生きることに必死にならざるを得ない。衣・食・住、いずれも十分でないのはもちろん、学習環境が致命的に足りていなかった。最低限の読み書きは修道女が教えてくれるものの、それだけではこの先必要な稼ぎが得られるとは到底思えないのだ。

 

 

 

「修道女、私はこの先どうなるのでしょうか」

 

 そう問うたとき、修道女は困ったような悲しいような複雑な表情を作った。孤児院出身の子供の進路のうち、男は簡単だった。

 ――兵隊か工員か。

 産業革命に出遅れ、周囲を列強に囲まれている帝国にとって、いくらあっても足りない社会の歯車である。

 しかし、女はそうではない。この時代はまだ女性教育というものが浸透しておらず、高等教育を受けるなど滅多に無いことであった。端的に言えば嫁に行くしか選択肢がなく、そして孤児院出身者の嫁ぎ先などあまり大きな声で言えるようなところではなかった。

 

「みんなと同じように……といっても、貴女をそうするのはとても惜しいことだわ」

 

 そうだ、そう迷わせるように今まで努力を重ねてきた。

 修道女がバラバラに教える読み書きをまとめて体系化したのは私だ。修道女に代わって年少の子の教育を行ったり、読み書き以外の簡単な理科の教鞭まで執ったのも私だ。加えて、魔法の才覚まである。その行く末が専業主婦というのはあまりにも状況に対して主導権がなさすぎる。

 あのドMが想像した世界だ。

 いつ不測の事態が起こるか分からない。せめて、経済的に自立しておきたいのだ。

 

「私は魔法が使えます。軍隊に入ることはできないでしょうか」

 

 魔法が存在する世界とはいえ、それは希少技能。近年、演算宝珠が発明されたことによって、帝国はせっせと自身の軍事体系の中に魔導師を取り込んでいた。

 

 勧めない。

 そう修道女の顔には書いてあった。彼女は私から見て、"古き良き女性像"というモノに拘っているように見えた。

 男女平等国民皆兵とはいえ、職業軍人と徴兵では話が大きく異なる。数年の兵役を終えた後は嫁ぐのでなくとも、教会の修道女や貴族または官僚の女中等はどうかと提案してくれた。

 有難いことだ。しかし、それは兵役の後の選択肢。

 幼年学校を受けるというのは、兵役の前にある選択肢なのだ。

 

 ――落ちたら、そうします。

 

 私達の妥協点であった。

 

 

 

 結論から申し上げれば、私は幼年学校へ入学することができ、更にその上の士官学校に進学することができた。

 

 士官学校に入学することで、孤児院では難しかった様々な情報にアクセスすることが可能になり、自分の身の振り方を考えるための材料が豊富になった。帝国の外交戦略や軍備の状況等もその一つである。

 

 あろうことか、帝国は"周辺列強を全て仮想敵国"とし、"有事の際には多正面作戦を取りつつ内線戦略によって各個撃破を狙う"事を金科玉条としていた。同じような状況で同じようなことを考えた国を私は知っており、その末路も把握している。

 すなわち、帝国はいずれ負ける戦争を始める、あるいは始めざるを得ないということだ。

 

 さらに問題なのは、私が士官学校に入学してもなお戦争が起こっていない、ということだ。未だに連合王国との建艦競争が続いているなど、国庫を預かる者からしたら悪夢的状況である。バイエルン級どころかマッケンゼン級も揃い踏みしており、観艦式は壮観であったが、私の心の暗雲は広がるばかりであった。

 

 神は、第一次世界大戦と第二次世界大戦を合わせた規模の戦争を、この世界に起こすつもりなのだ。

 

 

 20世紀前半のみ行われた総力戦。

 

 帝国主義の狂気の成れの果て。

 

 あまりにも暑く眩しい戦争の季節。

 

 

 魔法もあった、社会的基盤が脆弱な女性に生まれた。けれど、非常事態はまだないとどこかで安心していた。

そんなことはなかった。ただ、彼の者が極限状況を作り出すために、つかの間の平穏が訪れていただけであった。

 

 何か、自分が生き残る確率を上げるような手を打たなければならない。

 しかし、士官学校に入学した今となっては何もかも手遅れであった。軍人である以上、戦争からは逃れられない。もっとも、帝国国民である以上、戦火を避けることは叶わないだろう。この時代、既に都市爆撃や市街戦を行うことが可能な技術的基盤は整ってしまっている。

 あとは、「誰が思いつくか」だけであろう。平和な国に移住・帰化しようにもこの魔導の才能が邪魔をする。帝国出身の魔導師など、どこに行っても軍隊に放り込まれ、世界大戦に参加する以外の道が無い。

 

 結局のところ、帝国国民かつ帝国軍人である私が生存する上で、ある程度の権利を保障してくれるのは帝国しかなかった。であれば、せめてマシな道を模索するしかない。

 

 次の戦争が全部ひっくるめた"Great War"として勃発すると仮定して、陸戦が地獄になることは明白であった。第一次世界大戦だけでも、不発弾によって21世紀に至るまで非可住となる地域を作り出すほどだったのだ。

 今次大戦の陸戦など想像したくもなかった。

 

 対する海戦であったが、連合王国と帝国の間には狭い北海しかなく、前世で日米が繰り広げたような大洋での消耗戦とはならなさそうであった。連合王国に対する無制限潜水艦作戦は行われるかもしれないが、空中機動が武器の魔導師は潜水艦には配備されなさそうだと判断できる。

 未だ数的劣勢を覆すことができない帝国北洋艦隊は、艦隊保全主義(Fleet in Being)を取ることになるだろう。そうなれば海兵魔導師も一緒にドックでお休みだ。

 

 後は、余り酷い負け方にならない程度に頑張ればよし。

 

 

 

***

 

 

 

 エーリカ・ブランデンベルガー。

 幼年学校を経て士官学校に入学したという、当時としては珍しい経歴の女性であった。孤児とはいえ見目麗しい少女であったため、「士官よりウチの女中の方が高給取りだ」と誘惑する将官も少なくなかったという。今でこそ、齢一桁で入学してきた()()に士官学校女性史の印象を持っていかれているものの、当時の男連中にとっては時の人であった。

 

 とはいえ、純軍事的に彼女の能力を図った場合、()()ほど初期から飛び抜けていたわけではなかった。

 在学中の成績は中の中から中の上辺り。座学の成績は良かったものの、女性の常か、非魔導依存環境下での実技が足を引っ張っていた。

 

 ブランデンベルガー候補生の評価が変わるのは3年次を待たなければならなかった。

 

 

 

 魔導士官学校生は魔導師であり、魔導師に飛行技能は欠くことのできない能力の一つである。

 近接戦闘機動はもちろん必要だが、何よりも「目的地にたどり着く」能力が重要である。その場にいない戦力など、全く役に立たないからだ。

 

 それを鍛える航法の科目は1年次から座学に含まれており、2年次からは陸上における地紋航法の実技がある。地紋航法とは、陸上の山河や市街、主要な道路等のランドマークをもとに自らの位置を把握する航法であり、これができない魔導師は欧州大陸での戦争の役に立たないため、何が何でも叩き込んでいたものである。

 

 対して、全く目印の無い洋上で飛行するための技術が洋上航法である。洋上で目的地にたどり着く手段として、主に無線航法・天文航法・計器飛行の3種類があり、世界情勢にも余裕があった当時は全て履修させていた。

 

 もっとも、洋上航法は候補生から忌み嫌われた科目であった。

 帝国は大陸国家であり、帝国国民である候補生の多くは全く海に馴染みがなかった。実技のため北海へ巡洋艦で繰り出すだけでも、船酔いで倒れる連中が続出するくらいである。

 更にランドマークがない洋上で、水平線の向こう側の目的地に向かうというのは候補生にとって大きな精神的負担となり、集団行動すらままならない事例が多々発生した。道中で精神衰弱に陥り、頭で理解しているはずの航法を満足にいかせないまま遭難するのが常であった。

 陸軍からの批判もあり、世界情勢の悪化に伴う短期促成化の際には真っ先に削除されている。

 

 そのような中、ブランデンベルガー候補生の小隊は、300km離れた駆逐艦へ危なげなくたどり着いた。無線航法はもちろんのこと、別の実習では電波封鎖している目的地にもたどり着くことができたという。冒険飛行家や熟練の海兵魔導師であれば分からなくもないが、候補生としては驚異的な成果であった。

 早速配属に関して海軍が首を突っ込んできたほどである。

 

 

 

「先日の洋上航法訓練では見事だった」

 

 ブランデンベルガー候補生を教官室に迎え入れ、本題に入る前の挨拶。彼女は「恐縮です」と答えると、コーヒーにどんどん角砂糖を入れ始めた。先日の超人的技能の後に、こういう年相応の行動を見ると少し安心する。

 

「海軍が君を欲しがっていたよ。もっとも、陸軍だって手離したくはないだろうがね。辞令には逆らうことができないとはいえ、一応希望は聞いておきたい。遠慮せずに言ってほしい」

 

 とはいえ、十中八九陸軍行きだ。

 対連合王国や対協商連合等、世界情勢を考えると渡洋作戦が必要になるケースはいくらでもある。

 

「海軍が希望である、と申し上げます」

 

「……その訳を聞きたい」

 

 志を曲げさせるような辞令は後味が悪そうだ。

 自分の精神安定のために、更問を用意する。どうせ、候補生位の若人ににありがちな「自分の能力を活かすために~」といった理由がつくのであろう。ほとんどの場合、希望先でない部署でも問題ないものだ。

 

 だが、返ってきたのは想像とは全く異なるものであった。

 

「海軍の拡張を止めるためです」

 

 

 

***

 

 

 

 私達は何のために戦うのか。

 それを知らずに死ぬほど悲しいことはないだろう。理由もなく「周辺列強全てが敵だから頑張ってね」などと言われて、納得できる人間などいまい。

 

 では、なぜ周辺列強が全て仮想敵なのだろうか。

 少なくとも"一度も戦争に負けたことのない"帝国は、過去に2正面以上の戦争を戦ったことがない。常に1国のみを相手に戦い、勝利を収めてきた。であれば、金科玉条とすべきは"常に1国のみを相手取る"外交戦略であるはずだが、内的・外的それぞれの要因によりそうもいかなくなったようだ。

 

 外的要因は、帝国が戦争に勝ち過ぎたことによる包囲網である。

 周辺列強は少なくとも1度帝国に負けており、賠償金や領土的な恨みを持っている。「君は殴り終わったから今度から仲良くしようね」などと言われて、笑顔で握手できる人間など存在しまい。

 そして、同盟を組めなくなった帝国は、多正面作戦のために周辺列強を凌駕する軍事力を整備せざるを得ず、それを見た周辺列強は帝国を恐れ、包囲網を益々きつくする悪循環に陥っていた。

 

 内的要因は、戦争に勝ち過ぎたことによる軍隊の巨大化である。

 軍隊は巨大な官僚組織であり、そのピラミッド状の人員構成を保つためには、組織拡大か天下りを行わなければならない。そして戦争に勝ち続け発言力が大きくなった軍部は、周辺列強を凌駕する軍事力を整備するため自らの組織拡大を是とした。

 そして、納税者へその軍事力の保持が妥当であることの説明として「周辺列強全てが仮想敵だ」との建前を取り続ける必要があった。

 

 連合王国との建艦競争はその代表例であろう。

 欧州大陸に覇権国家が生まれることを良しとしない連合王国は、帝国を仮想敵とすることに躊躇がなかった。帝国もそれに対応して連合王国を仮想敵とし、連合王国との戦争に必要となる弩級戦艦の整備に手を付けた。

 当初は「連合王国への抑止力になればよい」程度だったかもしれない戦艦群であったが、整備に伴う予算やポストの増加は官僚達の目を瞬く間に曇らせてしまった。今となっては、無為に国庫を浪費し、連合王国を完全に敵に回し、陸軍戦力の整備の足かせとなる、3重の役立たずでしかなかった。

 

「海軍へ入隊し、国庫を傾けて戦艦を建造するよりも、陸軍同様魔導戦力の拡充による戦闘教義の更新をすべきと提案したい次第です」

 

 

 

「……正気か、君は。自らの組織の縮小を望む人間がどこにいる」

 

 残念ながら、教官は普通の官僚であった。

 贈収賄も、横領やコネクションの不正利用もしていない清く正しい官僚であろう。軍隊という小さな視点であれば、花丸付きの満点であった。

 しかし、帝国に迫っているのは第一次と第二次を併せた未曽有の世界大戦であり、国家という大きな視点で及第点を得る必要がある。その点では、赤点であった。

 

「帝国が次の大戦に負けないためです。私に基本的な権利を有したままの生存を保障してくれる国は帝国以外に無く、帝国を存在させ続けるためには、所属組織の多少の不利益には目をつぶらなければならないと考えます」

 

「なるほど。だが、次の戦争相手は連合王国かも知れん。海軍を縮小して良いとする根拠は何だ」

 

 教官は陸軍出身者だからな。予算を食いつぶしている戦艦には多少なりとも言いたいところがあるのだろう。

 今日の問答がどこで役に立つのかわからないが、教官の異動先によっては日の目を見るかもしれない。

 

「このまま建艦競争を継続したとしても連合王国に勝利することは不可能です」

 

「それは建艦競争の勝敗、あるいは戦争における勝敗のどちらを指している」

 

 回りくどい、言わなくても分かってほしいところだ。

 

「もちろん、連合王国との戦争における勝敗です」

 

 

 

「ブランデンベルガー候補生、その発言はいささか戦意に欠けるのではないか」

 

 遠慮せずに話した内容は、余りお気に召すものではなかったようだ。教官は私の後方、扉に何度か目線をやって閉まり具合を確認していた。

 

「私の戦意次第で無力化できる敵兵の数は変わるかもしれません。しかし、戦意で戦艦は増えず、また大戦の帰趨にも影響を与えることはないでしょう」

 

 私の手の届く範囲であれば、私のやる気次第で何とかしよう。

 しかし、戦艦同士の艦隊決戦や戦争の帰趨等は個人の意思で左右できるものではない。

 

「……君の思いは理解した。私も陸軍出身者だ。海軍の浪費には思うところがないわけではない。思う存分やってくれたまえ」

 

 しばしの沈黙の後、長考を終えた教官から発された言葉は私の望むものであった。

 

 

 

***

 

 

 

「魔導士官学校生の人事担当は陸軍のポストだったと記憶しておりましたが、これはどういうことでしょうか」

 

 陸軍軍人を見ると一言以上嫌味を言わなければ死んでしまうのが海軍軍人という人種である。海軍の希望通り、とある候補生の配属内示を通達したところ、わざわざキィエールから暇人が飛んできた。

 

「海軍の意向を反映しただけですが、何か問題でも」

 

「いえ、非常に感謝しております。しかし、このようにこちらの要求が通った例が過去に存在しないため、何か候補生に問題があるのではないかと」

 

 余計な詮索だ。ブランデンベルガー候補生に関する成績や講師の所見をまとめて突き出す。

 

「座学は優秀だが実技に若干の難。総合成績は中の上。出自や思想、周囲との協調性に特段の問題なし。――これで満足でしょうか」

 

「……いえ、問題ありません。大変失礼いたしました」

 

 渡した書類に目を通し終えたあと、彼はスゴスゴと引き下がっていった。問題があるとすればあの面談だけであったが、それは聞かれなかったので黙っておいた。

 

「戦艦を求めない海軍軍人など、聞いたこともない」

 

 ほとんど陸軍のスパイみたいなものだ。海兵魔導師も陸軍航空魔導師と同じく若い兵科である。

 しかし、士官学校生からは碌な人材を送っていないので、海兵魔導師の今後は彼女によるところが大きくなるだろう。

 そんな彼女が海軍予算を減らそうと提案してくれるのだ。ありがたい話である。

 

 では、彼女は減らした予算をどこに使うつもりなのだろうか。

 「陸軍戦力の拡充」とは流石に言ってくれなさそうである。その仮定が正しいとすると、消去法で公共事業または民需となる。だが、それで彼女の言う「大戦に負けず、帝国が存在し続ける」ことが達成可能なのだろうか。

 

 彼女の言葉を反芻したとき、何かが引っ掛かった。

 なぜ彼女は「大戦」という言葉を用い、「帝国の存在」を保障したがったのだろうか。

 

 普通、「大戦」といえば、かつてフランソワの皇帝が起こした戦争を指す。文字通り「欧州の国のほとんどが関わった戦争」だからだ。

 だが、彼女の用法では言葉の趣旨が異なるように思えた。

 

――欧州のほとんどが戦場となる戦争

 

 いくつかの候補の内、これが最もしっくり来た。

 その中で、彼女は「帝国の存在」についても言及している。

 

 しかし、戦争の帰趨によって存在が脅かされる列強が存在するのだろうか。

 フランソワの皇帝が敗北しても、フランソワは残った。連邦=皇国間戦争においても、どちらの国も滅んではいない。 強いて言えば、皇国は負ければ滅んでいたかもしれないが、有色人種の国家なので例外である。

 先の対共和国戦争、更に遡って対ダキア戦争でも、お互いの国が地図上から消えることはなかった。

 

 一体、彼女はどのような戦争形態を描いているのだろうか。

 

 奥歯に挟まったそれが取れるのは、()()が「世界大戦」と「総力戦」を提唱するのを待たなければならなかった。




ターニャちゃんはMの気質があると思います。


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第2話:存在していたい海軍士官候補生

原作ではノモンハンと日露が合体した何かが起こってますが、本作は開戦まで史実トレースさせていただきます(でないと破綻するので)。


 我儘も偶には言ってみるものである。十中八九陸軍だと考えていたが、あら不思議、海軍行きとなりました。

 送り出しの言葉は「海軍の予算を削ってきてくれ」。まぁ、私が削らなくても「魔導士官学校生の配属に配慮したのだから、予算は陸軍に融通せよ」くらいは言いそうだけれど。

 

 予算不足により艦艇数が予定よりも減少すれば、ドイツ海軍らしく引きこもりが加速して私の安全がより確保される。何もかも良いこと尽くめだ。上手く行き過ぎてしっぺ返しが怖いくらいだった。

 

 

 

 士官学校の4年次の半分ほどは配属先での実習訓練にあてがわれている。同期が帝国各地に飛んで係争地を駆けずり回っている中、私は海軍工廠で見学に励んでいた。

 

「……このように、陸軍の航空魔導師に求められる宝珠の性能と、海兵魔導師に求められる性能は大きく異なります。したがって、海軍は海兵魔導師用の宝珠工場を有しております」

 

 私を案内してくれている技術士官だ。

 大学在学時からその専門性を買われ、海軍は奨学金を出して囲い込んでいたという。海軍には帆船時代の生き残りのような人種も多い一方、彼のような先端技術に明るい専門家も豊富だ。

 

「現在、私は士官学校から支給された宝珠を使用していますが、配属後は別な宝珠を使うことになるのでしょうか」

 

 支給品の宝珠を胸元から取り出す。性能はまずまずだが、堅牢で安定性重視の宝珠を私は気に入っていた。

 

「別な宝珠、と言うと語弊があるかもしれません。海軍工廠では宝珠の海兵魔導師用改造のみ行っており、新規生産は行っておりません。ブランデンベルガー候補生の宝珠もここでチューニングされたものを使用することになるでしょう」

 

 なるほど。

 陸軍航空魔導師と比較して圧倒的に数が少ない海兵魔導師用の宝珠を新規に生産する必要性は薄い。既存品の改造で事足りるのであれば、それに越したことはないだろう。零戦にフロートをくっつければ立派な水上戦闘機だ。わざわざ水上戦闘機を1から開発しなくてもよかったろうに。

 

「それで、どのような改造を施されるのですか」

 

 まさかフロートというわけではあるまい。

 

「海兵魔導師が求める性能でも特に重要なのが塩害対策です。潮風に煽られ波飛沫を浴び続けた宝珠は、簡単に錆付き、塩が纏わりついて動かなくなります」

 

 実際、沿岸部の自動車は内陸部に比べて早く腐食が進むという。また、同じ金属製品でも軍艦は防錆塗装を施すことができるが、宝珠はそういうわけにもいかない。魔力を内部でうまく伝達させる必要がある以上、それを阻害するような塗料は使えないのだ。廃熱や魔力運用の都合上開口部を設けざるを得ず、塩類の侵入を食い止めるのも難しい。

 

 そこは冶金学の先進的組織である海軍。魔力伝導性と防錆性を併せ持つ合金を開発し、宝珠に使用している。もっとも、防錆に関しては素体よりマシな程度であり、錆びる前に交換・メンテナンスを行うことでなんとかやりくりしているようだ。

 

 手持ちの宝珠を海軍工廠に預け、海兵魔導師用の宝珠を受領した後、しばらく宝珠工場の見学を行った。魔法が神の権能とはいえ、それを利用する過程では演算宝珠という形で科学技術が侵食している。

 

 ――魔法の権能を神の手から剥奪することができれば、少しは鼻を明かすことになるのではないだろうか。

 

 "決して侵すことのできない権能"とほざいた神だが、前世で信仰不足により人間を管理するリソースがショートするという間抜けを晒した連中だ。どこかに穴があってもおかしくない。

 大戦が終わったら大学に行って演算宝珠の研究をするのも悪くないだろう。

 

 

 

 しかし、帝国海軍と世界情勢はそんな夢想すら許してくれなかった。

 海軍工廠見学が終わると同時に巡洋艦に放り込まれ、今では北大西洋のど真ん中である。逃げ出そうにも西太平洋と違って島嶼は皆無だ。

 

「ブランデンベルガー候補生、私は貴官の長距離作戦能力を見込んで艦隊に招聘した」

 

 司令塔で20に満たない乙女相手にカイゼル髭と三白眼で脅しに来ているのは、当巡洋艦隊の司令、ヒッパー提督である。基本的に引き籠り艦隊である帝国海軍において珍しく好戦的な人物だ。余り構って欲しくない。

 

「最近の海兵魔導師は母艦が見えるところでしか活動せん。私が若いころは大西洋を飛び回って略だ……ほかの船に遊びに行ったものだ」

 

 海兵魔導師が生まれたのは最近ですし、そんな大法螺は辞めていただきたい。

 とはいえ、提督の要求も分からなくはない。陣取りゲームの要領で進む陸戦とは異なり、大海原で双方が縦横に動き回る海戦では索敵の優劣がものをいう。索敵のため、長駆海兵魔導師を艦隊から敵艦隊に向け出撃させることができれば、海戦において大幅に有利になることは間違いない。

 幸か不幸かこの時代、航空母艦は未だ机上の空論でしかない。艦載機といえば水上機だが、カタパルトがまだ開発中のため、運用には艦を停止させクレーンで水上機を海面に降ろさなければならなかった。そのため、作戦行動中の艦艇から自由に出撃できる海兵魔導師は、海戦の帰趨に寄与できる存在であるとする提督の考えには同意できる。

 

 しかし、主砲の射程である20~30km程度飛べばよい着弾観測とは異なり、索敵のためにはその10倍以上の距離を飛ばねばならない。もちろん帰ってくる必要があるので、実際の移動距離はその倍だ。

 

「士官学校で洋上航法を経験済みのブランデンベルガー候補生には朝飯前かも知れないが、本艦東方200kmの位置に別働隊が待機している。洋上進出訓練だ。1個小隊を率いて別働隊が牽引している訓練標的を破壊し、本艦に帰投せよ」

 

「……しかし」

 

 海兵魔導師とは言え、私以外の士官学校卒は碌な連中ではない。そんな重りを担いで往復400kmの洋上作戦行動など御免だ。

 

「案ずるな。彼らは私秘蔵の海兵魔導師である」

 

 

 

 司令塔を降りると、甲板には私が率いる1個小隊が既に整列していた。

 小隊、とはいえ私含めて4名なので、提督から与えられたのは眼前の3名だけである。男2女1とここだけ見ればおおよそ帝国海軍の魔導師の男女比と一致するが、私がいるので半々になってしまう。

 

「エーベルバッハ曹長です。小隊の先任となります」

 

 赤毛の壮年が一歩前へ進み、自己紹介をしてくれた。候補生(士官学校生)とはいえ、士官相当なので下士官である彼は一応敬語を使ってくれる。

 しかし曹長か。士官学校卒ではないとすると、提督がコネクションを利用して海軍内に囲い込んでいたのかもしれない。

 

「よろしく曹長。ところで、長距離作戦行動に従事した経験は?」

 

「十分、とは言えません。飛行時間こそ全員200時間を超えておりますが、飛行距離は最長でも連続300kmです」

 

 なるほど、提督も無茶を言う。おそらくこれは、提督の中にある焦りなのだ。

 海軍に責任ある立場の者なら皆が理解している"このままでは連合王国に勝てない"という焦り。海軍内ではこのまま建艦競争を続けることで数的優位を作り上げようというのが主流だそうだが、基礎国力でも植民地の大きさでも、そして何より大型艦建造可能ドック数でも負けている以上、差が開くばかりだ。

 

 私の人事に口を挟んでいただいただけあって、提督は魔導師を利用した新しい戦闘教義に賭けているのだろう。もっとも、本気で勝とうとしているのは提督だけであって、私は港に引き籠っておくほうが良いのだが。

 

「……標的艦にたどり着くことは可能だろう。帰投が難しければその場で拾ってもらえばよい。これは訓練なのだから」

 

「小官が言うのも何ですが、目標が低くありませんか」

 

 所詮候補生では部隊の先任の理解を得ることは難しいのだろう。それとも、本当に提督に心酔していてここまでついてきたのかもしれない。

 

「真面目だな曹長」

 

「任務なので」

 

 可愛げがない。

 まぁ、自分より1回り以上年上のおっさんに向かって、可愛げも糞も無いのだが。

 

「話は飛行中に聞こう。往復4時間程度の長丁場だ。時間はいくらでもある」

 

 

 

 思ったよりエーベルバッハ曹長は饒舌であった。

 如何に帝国が外交的に困難な状況にあるか、そこで海軍が果たすべき役割とは何かについて熱く語ってくれた。曹長という立場で得られる情報以上に思考を回転させ帝国の未来について論ずる彼は、士官学校へ行くべき人材なのだろう。おそらく、戦艦建造費とバーターで幾ばくかの士官学校卒の魔導師が海軍へ配属されることになるので、その暁には推薦状を書こうではないか。

 

 往路は危なげなく標的艦までたどり着き、牽引している気球を術式で破壊することができた。

 

「さて小隊諸君、帰れるかい?」

 

 先程まで好戦的な曹長を適当にいなしていた戦意薄弱な私がまだ余裕で飛んでいることに思うところがあるのだろうか、3名とも休息無しで復路に就くという。

 

 

 

 往路ではあれほど饒舌だった曹長も、今では飛行術式に集中するためか一言も喋らない。他の二人に至っては顔色もよくない。

 だからといって私が手加減すると思ったら大間違いだ。往路で話してくれた君の考えに対して、私の答えを話そうじゃないか。

 

「曹長、私が士官学校で学んだことは、"勝つ必要はない。負けなければ良い"ということだ」

 

「――それは……」

 

 もちろん、教官達はそんなこと一言も発してはいない。しかし、士官学校で手に入る情報をすべて統合すれば、曹長ならその結論に至るだろう。

 

 協商連合や連邦の海軍はあってないようなものだ。共和国海軍とだって十分以上に戦うことができる。

 けれど、それだけであった。

 七大洋を制する連合王国海軍(Royal Navy)にはどう逆立ちしたって勝てない。

 仮に、偶然と幸運に恵まれて欧州を統一したとしても、次は合衆国だ。あの時空犯罪者が作ったとしか思えない国家は地政学的にあまりにも有利な位置にあり、合衆国以外の国家が束になってかかってようやく、といったところだろう。帝国単独で相手にした場合の結果は火を見るより明らかだ。

 

「故に、海軍は連合王国の参戦を躊躇わせる程度に強力であればよい」

 

 第一線兵力に偏重した今の帝国海軍では徒に連合王国を刺激するだけだ。表面は可愛く、その内は真に戦争をするために――そういった海軍にする必要があるだろう。

 

「それを成すのは戦艦ではなく、我々――」

 

「ヴァルトハイム伍長――!」

 

 そう言い切るか言い切らないか、息も絶え絶えな曹長が目を見開いて叫ぶ。どうやら一人、限界が来たようだ。

 

 気を失ったのか、私を挟んで曹長の反対側を飛んでいた少女――ヴァルトハイム伍長の高度が急激に下がる。下は海だが、この高度からの自由落下のダメージは飛込競技の比ではない。

 咄嗟に動こうとする曹長を制する。彼ではミイラ取りだ。

 

 急降下して彼女を抱きかかえ、慣性を殺すよう徐々に減速。体温・脈拍ともに問題なさそうだ、ただの疲労だろう。このままでは両手が使えないので、背負うように彼女の位置を変え、ベルトを利用して私に縛り付ける。

 

「往復400kmでこれとは、ラバウル~ガダルカナル間は無謀だったのだろう」

 

 なんせ片道1,000kmもある。片道3~4時間の長丁場だ。

 移動と戦闘での消耗によって、欧州であれば帰還できたであろう機材や搭乗員が帰路で失われたことは想像に難しくない。別な要因も大きいとはいえ、片道750kmのアウトレンジ戦法もあまり戦果を挙げなかったあたり、過剰な長距離作戦は避けるべきなのかもしれない。

 

 事実、母艦が見えたあたりで緊張が解けたのか、残り2人も疲労により失神し、私が3人とも連れ帰る羽目になった。

 

 

 

***

 

 

 

 演習後の報告は演習前と同様ブランデンベルガー候補生一人で行われた。候補生に鍛えてもらう、あるいは候補生を鍛えるために付けた3名は帰還次第医務室送りとなっている。

 

「片道200km、実戦としても少し短いであろう距離だが、やはり難しかったか」

 

 そもそも、碌な魔導師がいない海兵魔導師だ。長距離作戦行動訓練など大して積んでいなかった。私が幼年学校時代から青田刈りした彼らとて"マシ"な程度である。

 

「連合王国の海兵魔導師であればともかく、帝国の魔導師であれば十分な結果でしょう」

 

 一番若いヴァルトハイム伍長で350km程度、他の二人も380km程度は飛んでいる。これまでの訓練内容からすれば飛躍的な進歩といえるだろう。

 だが、これではダメだ。

 

「やはり、連合王国の海兵魔導師は飛んでくると思うか」

 

「魔導師を索敵に長駆放つ、というのは大陸国家である帝国すら思いつくものです。海軍先進国の連合王国が先んじていないと考えることは難しいでしょう」

 

 自分だけが特別、なんてことはない。よほどのことがない限り、世界は平等だ。

 しかし、連合王国も同じことを考えているとすれば、索敵に放った魔導師同士の会敵も考えられる。更に、敵の魔導師を自艦隊上空から排除する必要もあるだろう。

 

「……対魔導師戦闘も必要だな」

 

 観測魔導師同士の小競り合いではなく、海兵魔導師同士による制空権争いが発生する。

 今までの海戦ドクトリンでは想定していない領域だが、私の思い付きを軽々実践するブランデンベルガー候補生を見ていると、夢物語ではないことは明らかだ。

 

「それに、対艦戦闘も考慮すべきかと考えます」

 

 魔導師による対艦攻撃。それが机上の空論でないのならば、既存の艦艇の攻撃範囲は一気に10倍程度増すことになり、艦砲は歩兵の銃剣やシャベルの様に近距離兵器扱いされてしまう。戦場の女神は海では砲兵ではなく魔導師になる時代が来るというのか。

 もっとも、柔な人間とは違って戦艦は重装甲重防御の鉄塊である。魔導師程度で沈むのであれば帝国海軍は苦労しない。

 

「正気か。戦艦の装甲は術式で抜けないだろう」

 

「おっしゃる通り、術式では戦艦への決定打になり得ません。しかし、バイタル・パートを抜かれなくても戦艦が無力化される可能性があることは、ルーシー人が身をもって教えてくださいました」

 

 確かに、彼らは地球を半周した先で秋津洲人の艦隊に袋叩きにされ、火達磨になって壊滅した。

 非装甲区画への攻撃や上部構造物への放火等、考えてみれば魔導師にできることは多い。それに、敵は戦艦だけではない。巡洋艦や駆逐艦といった補助艦艇は軽装甲であり、術式が致命傷になることもあるだろう。

 

 そうならば、魔導師が艦隊決戦の帰趨に影響を与えうる――否、大きく関わってくることになる。

 数百kmの作戦行動半径及び数十分の戦闘行動は今は現実的ではないが、彼女と共に海兵魔導師を徹底的に鍛えることができれば、5年後には中隊が数個出来上がるのではないだろうか。

 もし、それで連合王国海軍との艦隊決戦の結果を覆せるのであれば――。

 

「ブランデンベルガー候補生、仮に海兵魔導師を率いて敵艦隊に打撃を与える任を負った場合、何人くらい必要か?」

 

「……1回の出撃当たり300人程度与えていただければ、3割の損害を以って連合王国の主力艦隊に打撃を与えられるでしょう。この規模の対艦攻撃を10回も行えば本国艦隊を無力化することも夢ではありません」

 

 解散だ解散。

 質を問わずに帝国中の海兵魔導師を搔き集めても4桁に届かないというのに、その海兵魔導師を作戦の度に100人も使い捨てるようでは話にならない。

 

「現行の海軍教義において、海兵魔導師は上陸作戦等の特殊な状況を除いて大規模な消耗を前提としていない。それは艦艇も同じだ。1度あるいは2度の艦隊決戦において連合王国の本国艦隊を撃破し、海上封鎖を打破。連合王国の海上交通網を脅かし、講和のテーブルに持ち込むのが我々の仕事だ」

 

 秋津洲人達が2度の戦争でそうしたように、と押しても彼女は表情一つ変えなかった。

 まるで、我々が20年前に見てきた戦争とは違う戦争を見ているように――。

 

「提督。お言葉ですが、彼のような艦隊決戦が帝国と連合王国の間で起こり得る可能性は極めて低いと思われます」

 

 

 

***

 

 

 

 "艦隊決戦"という言葉を聞いて笑うことができるのは、20世紀中盤以降を生きた人間だけだ。

 現に、20世紀前半では、他ならぬ我が国が艦隊決戦による勝利によって相手を講和へと引きずりだしたのだ。その成果を以って"戦艦"は神話を纏い、戦略兵器(伝説)となった。

 そのベールが剥がれるのは第1次世界大戦――のユトランド沖海戦――を待たなければならない。

 艦隊決戦の帰趨が戦争の帰趨に直結しないことを、人は身をもって知る以外に知覚する方法が無いのだから。

 

「それはなぜだ、候補生」

 

 少し怒気を孕んだ問いかけ。この時代の海軍軍人の多くにとって、艦隊決戦の否定は存在意義の否定にも等しい。

 ――いや、そもそも海軍の存在意義を考えればそれが間違いであることが分かると思うのだが。

 

「戦艦は高価です。国民にも広く公開され、国家の象徴としても愛されております。万が一にも無駄に失うことがあれば、国民の士気は潰え、戦争遂行に支障をきたすことでしょう」

 

 ルーシー人の様に。

 だから、艦隊決戦には勝たなければならない。可能であれば、秋津洲人の成し遂げたようなパーフェクト・ゲームが必要なのだ。

 では、我々は数で優越する連合王国海軍との艦隊決戦に勝てるのだろうか。

 我々が有色人種と蔑む秋津洲人ですら、2度の海戦共にルーシーとほとんど同数の戦力を整えたというのに。

 

「彼我の戦力差から勘案するに、連合王国海軍とまともにぶつかっては十中八九負けます。従って、艦隊決戦前に連合王国海軍を"漸減"し、勝機ある戦力差へと詰めねばなりません」

 

 答えは"――勝てない――"。

 この単純明快な回答を得てもなお、戦うことを強要された軍隊の末路とは世界中どこも似たようなものだ。

 戦艦以外を使って敵の戦艦を削ること、それが可能かどうかは棚に上げておいて。

 

「巡洋艦、駆逐艦、魚雷艇、潜水艦、航空機、魔導師。戦艦以外のありとあらゆる資源を投じて、敵の戦艦を減じねばなりません。ですが、それを連合王国海軍が黙って受け入れてくれるでしょうか。同じ様に補助戦力を投入して対抗してくるに違いありません。

 

 そうなれば終わりなき消耗戦です。

 

 そして、補充能力に劣る帝国は櫛の歯が欠けるように補助戦力を失い、丸裸にされた戦艦群は港を出ることなく終戦を迎えるでしょう」

 

 あるいは、進退窮まって出撃し、タコ殴りにあって壊滅するか。

 

 そこまで言った後に提督の顔を窺ったところ、思考の海に沈んだように焦点が合っていなかった。

 帝国には珍しい"海の男"の見本のような提督は、やはり艦隊決戦を夢見ていたのだろう。しかし、夢想家でありながらも艦隊決戦に勝機を見出すために海兵魔導師に力を入れるなど、地に足を着けた着眼点も持つ男であった。

 理想と現実が彼の中で拮抗し、蹴りが着いた頃に視線が合った。

 

「君の考えは良く分かった。一考に値する。

 だが、最後に聞いておきたい。"勝てないのなら我々はどうするべきだ?"」

 

 提督の口から出たのは思考時間の割に、簡単な質問であった。

 しかし、本質的でもある。

 

Fleet in Being(存在していれば良いのです)

 

 

 

***

 

 

 

 報告は候補生一人で終えたのだろう、演習終了後医務室に寝かされていた我々のもとにヒッパー提督がやってきた。

 起き上がろうとする私達を制し、医官が持ってきた椅子に腰かけると、そのまま医官を退席させた。

 

「諸君らにとっては実績の3割増しの飛行とはいえ、散々だったな。彼女の指示か?」

 

「いえ、我々の意思です」

 

 実際、形だけかもしれないが、候補生は標的艦で休息をとることを提案していた。

 しかし、我々が彼女の指示に従いたくなかっただけだ。

 あるいは、そう仕向けるように戦意薄弱な会話をしていたのかもしれないが。

 

「エーベルバッハ曹長、君はもう少し客観的に自分を見ることができると思っていたが」

 

「はい。端的に申し上げれば、候補生の提案に乗ることが気に食わなかったのです」

 

「らしくないな。何があった?」

 

「……候補生の戦意に疑問が生じたためです」

 

 ここで少し提督の表情が曇る。

 候補生は提督に対してどのような報告をしたのであろうか。

 

「候補生は"勝つ必要はない。負けなければ良い"と言いました。提督や皆が必死になって連合王国との戦いに備えている中、戦意あるいは協調性を欠いた発言であると愚考しました」

 

「曹長、彼女は私への報告でも同じことを言ったよ。なかなか勇気ある行動だと思わんか?」

 

 勇気。いや、蛮勇と言っても良いだろう。

 昔は"海賊"とまで噂されたこともある苛烈な性格だ。丸くなったとはいえ、下手なことを言えばあの部屋で乙女でなくなっていても文句は言えない。

 

「そして、私は彼女の発言に一考の価値があると考えた。

 我々は、"連合王国海軍に勝てない"という認識から目を背けていた。そして、それを覆そうと小手先の技に頼らんとしていた」

 

 それは痛いところだ。

 戦いの本質は数である。数の差を覆そうとする奇策は、堅実な常道で簡単に破られる。

 その矛盾に、帝国海軍は陥っていることに気が付かなかった。

 

「何も、帝国海軍が連合王国海軍との戦いに勝つ必要はない。帝国が連合王国に勝てばよいのだ」

 

 七大洋を制する連合王国は、守るべきものが多い。そして、その全てを守り切れるほど、連合王国海軍が多いわけでもない。

 北洋艦隊主力がキィエールにいる限り、例え港で遊んでいようともその1.5倍の本国艦隊を拘束することができる。

 協商連合を無視するという都合の良い仮定があるが、その隙にフィヨルド沿いに北方から北海を出ることができれば、あとは連合王国の大事で柔らかい大西洋だ。

 

 そう雄弁する提督はいつになく楽しそうだった。

 

「"海賊艦隊" 良いと思わんか?」

 




エーリカ「港でじっとしておけって言ってるだろ!!!!」


漬物はこれで打ち止めなので、後は気が向いたときに更新します。

というか、本命が放置状態なのが一番いけない。


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第3話:左遷される海軍士官(1)

短いですけどキリが良いので。


「実習訓練ご苦労だった。ブランデンベルガー候補生」

 

 ヒッパー提督の巡洋艦隊にて約半年間の実習訓練を終えた私は、海軍司令部のあるキィエールにて提督以下艦隊幕僚の送別を受けていた。

 

「貴官を訓練するつもりが、逆に我々が訓練されてしまったようだ。半年前と比較して、我々が抱える海兵魔導師の成長ぶりは凄まじい」

 

 提督子飼いの3名を基幹に1個中隊ほどを鍛え、約200kmの作戦行動半径を得るに至った。

 同じことが可能な海兵魔導師隊が他に存在しないことが欠点だが、作戦立案における自由度が大きくなったことは間違いないだろう。

 現に、提督は艦隊幕僚に海兵魔導師を主軸とした新たな海戦教義を考案させているという。

 

「――そんな貴官を送り出すこの場で、このようなことを聞くのは不愉快かもしれないが――『海軍建設の今後と仮想敵国について』、本当にこれを卒業論文とするのか?」

 

 提督の表情は祝いの場に相応しくないものであった。

 それも当然だろう、海兵魔導師にテコ入れするため引っ張った候補生が艦隊主義者ではなかったのだから。

 

 皇帝の深い思慮なのか、浅いノリと勢いなのか分からないが、沿岸警備隊に毛の生えた程度であった帝国海軍はこの20年で連合王国海軍に次ぐ世界2位の規模となった。

 それが素晴らしい大戦略上必要なものか、それとも税金と鉄鋼の無駄遣いかはさておき、箱が増えれば予算もポストも増えるのだ。

 官僚組織の一つである海軍が歓迎しない訳が無かった。

 このご時世、艦隊主義者であることは帝国海軍軍人として"当然のこと"であり、そうでない人間は出世街道を外れる――いや、むしろ海軍軍人にあらず、といった状態だ。

 

 私は別に出世しなくて良いが、査読した提督の出世街道まで閉ざしてしまうことには多少の罪悪感がある。

 

「勿論です。しかし、提督のご指示であれば取り下げることに異論はありません」

 

「私はそこまで恩知らずではない。だが、君の出世が損なわれるのは帝国海軍にとって許容しがたい損失だと考えている。四半世紀後の帝国のために、ここを耐える気はないか」

 

 ヴァイキングの様な厳つい見た目から出てくる人格者の言葉に違和感を覚える。けれど、提督がそれなりに私を買ってくれていることには感謝しなければならない。

 だが、それは神が目論む大戦争を前にしてはあまりにも悠長なのであった。

 

「――それまで世界に待って貰えるのであれば」

 

 

 

***

 

 

 

「――それで、彼女の卒業論文を通したと? 正気かヒッパー」

 

 彼女を送った後、私はキィエールの自宅に同期のシェーアを招いていた。

 

「25年物だ、どうだ?」

 

 彼は、私が地下のワインセラーから持ってきたボトルをむんずと掴むと、荒っぽくコルクを抜いた。

 注いだ量の1割が飛び散ったのではないかと思うような注ぎ方をした後、ぐっと一息に煽って吠えた。

 

「馬鹿かお前は! 将来の北洋艦隊司令とも目された男が、あんな女で躓くのか!? この論文が提出されてみろ、お前も彼女も閑職行きだ! それこそこの論文の言う海軍建設は永遠に不可能だろう!!」

 

「よく読んでみろシェーア、彼女は本文中に"戦艦が不要"とは書いていない」

 

 簡素な糸閉じの論文を鞄から取り出して卓上へ投げた。

 彼に向って滑って行く冊子を、ワインの瓶を文鎮にすることで止める。

 

「大筋は聞いたよ、君の所の幕僚がこっそり相談に来てくれたからな。確かに直接"戦艦が不要"とは書いていないようだ。だからこそ質が悪い」

 

 彼女は戦艦の存在意義に疑問を呈しているわけではない。

 彼女が言うには、戦艦は伝説の存在であり、その神話を敵味方共に信じている限り有効な兵器なのだと。

 問題は、彼女が疑問を呈しているのは海軍そのものの存在意義であることだ。

 

「自分の組織の価値を疑うなど、組織人としての資格が無いのではないか。士官学校の教官は何を教えたんだ!?」

 

「だが、価値ある組織として育ててこなかったのは我々だ」

 

 『海軍建設の今後と仮想敵国について』の内容はその題が示す通り、海軍が取るべき大戦略――所詮「誰を相手にどう戦うか?」ということに尽きる。そして、そのために何が必要かを論じたものだ。

 悪い言い方をすれば、こんな論文を士官学校生に書かれてしまうほど、海軍にはまともな大戦略が無かったのだと言えよう。

 そしてその大戦略を仮定したとき、"海軍の陣容はこれで良いのだろうか?"と突っ込まれたわけだ。痛いところを突く正論だが、それを言われて喜ぶ人間はいない。

 

「シェーア、我々は過去1度でも本気で戦争をすることを考えたことがあっただろうか?」

 

 シェーアは2杯目のワインを注ごうとした手をふと止めた。

 

「……毎日考えているだろう? 連合王国海軍の本国艦隊を打倒する方法を」

 

「違うぞシェーア。"連合王国に勝つ方法"だ。同じように、協商連合・共和国・イルドア・連邦・合衆国……ありとあらゆる敵対国の組み合わせに対して、海軍は一体どうするべきなんだ? そして、それを考えたことが我々にあるか?」

 

 

 

 例えば、連合王国と連邦が敵に回ったとき、連邦は確実に連合王国からの支援を求めるだろう。

 彼らは革命の後遺症で他の列強に対して技術力で遅れを取っており、その巻き返しの政策のため歪な産業構造となっている。他国の支援無くば長くは戦えない国家なのだ。

 連合王国から連邦への支援ルートは3つ。

 北海と白海を経由して連合王国から海路で直接連邦北部へ至る北海ルート、連合王国植民地から陸路と河川で連邦南部へ至る南方ルート、太平洋から連邦東部へ至る極東ルートである。

 

 北海ルートは北洋艦隊が全力で封鎖するとしても、他の2つは?

 帝国海軍の南方大陸艦隊は解散して久しく、極東艦隊は極東大陸の権益保護のため数隻の巡洋艦と旧式の砲艦が浮かんでいるだけだ。連合王国海軍の極東艦隊どころか、コモンウェルスの植民地艦隊にだって勝てやしないだろう。

 

 連邦がその産業構造的弱点を補えるのであれば、列強最大の人口が暴力となって帝国陸軍に叩き付けられる。

 そうなったとき、我々に勝機はあるのだろうか。

 

「――彼女が論じた通り、我々の海軍陣容は歪だ。正面戦力だけは世界2位を謳っているが、支援艦艇に欠け、配置も本国に集中しており戦略的柔軟性に乏しい。我々は張子の虎であってはならない。いざという時に勝てる軍隊でなければならんのだ」

 

「ヒッパー、君の言うことは良く理解できた。だが、こうも"今の海軍は役に立たん"と言われて黙っていられる海軍軍人は少ないだろう。我々も只の人に過ぎん」

 

 エリートも人の子だ。特に面子で生きているような軍人や官憲は特にその節が強い。

 鼻面をベキベキにへし折られて"ごもっとも"と引き下がるような人種は、出世レースで既に淘汰されている。

 そして、彼らを淘汰してきた私が今、()()()側に回ろうとしていた。

 

「シェーア、君が北洋艦隊司令をやると良い。私の役目はこれを世に出すことだ」

 

 やれ、大巡洋艦を囮に敵艦隊を各個撃破するだの、機雷源に誘い込むだの、潜水艦隊の狩場に誘引するだの小手先の戦術ばかり考えている連中に、目の前の大問題を認識してもらわなければならん。

 軍人は"○○があれば勝てます"と言って予算を持ってくることだけが仕事ではない。"何があっても負けます"と言うのも仕事の一端だ。

 そうして政治家に冷や水をぶっかけ、この全周が敵だという外交関係をどうにかしてもらわんと、戦争の土俵(リング)すら整わない。

 

「君ほどの人材をここで失うのは惜しいがね……。安心しろ、禊が済んだら偵察艦隊辺りに引き上げてやる」

 

「だったら彼女もくれ。やりたい事がある」

 

 テーブルの上のボトルとグラスを避けるよう指示すると、その上に世界地図を広げる。

 ()()()を駒に見立てて語り合う大戦略は、朝日が昇るまで続いた。

 

 

 

***

 

 

 

 統一歴1919年は帝国海軍にとって波乱の年であった。

 

 とある士官学校生から提出された論文が、海軍内部に留まらず陸軍や果ては政界にまで飛び火したからだ。

 内容は自国海軍戦略の再提案という、半ば海軍自身を批判するものであり、題目だけならば少し尖った学生が書きそうなものであった。事実、現在は資料請求によって閲覧できる文献の中にも、出来はともかくとしてその論文より過去に海軍について批判したものが存在する。もっとも、人事記録を見る限り著者の異動先は碌でもないような場合がほとんどであった。

 

 風通しの良い組織とは言えないが、自身の体に巣食う異物を排除できる程度の免疫機構を海軍は有していた。

 それがこれほど大問題になった原因は、海軍自身がこの論文に反論できなかったこと、そして彼女が陸軍と繋がっていたことだ。

 

 『海軍建設の今後と仮想敵国について』が提出されたとき、陸軍は士官学校から送り込んだ事実上のスパイが行動を開始したと判断し、ここ最近デカい顔をするようになった海軍叩きに奔走し始めた。もちろん、陸軍自身の"内線戦略"がまともな大戦略かどうかの議論は、そのやたらと大きな棚の上だ。

 具体的な戦争計画をおざなりにし、戦術的にも連合王国に勝てる目算も立てず、ズルズルと建艦競争を続けてきた――と一方的に断定されてしまった海軍はぐうの音も出ない程に論破されてしまい、議会にそっぽを向かれてしまう。

 

 もっとも、海軍からすれば建艦競争は皇帝主導の下でトップダウン式に行ってきたのであって、その恩恵に授かって組織拡大を行っていたに過ぎず、陸軍ほど議会への積極的な働きかけもしていなかった。所詮、彼らは大陸国家の海軍であり、本能的な部分で国家のメインプレーヤーでないことを自覚していたのだろう。

 それに、連合王国海軍との戦いに勝機を見出せないことは彼ら自身が薄々感じていたことであり、無理に"勝てます"と主張して議会に変な期待を抱かせるより、素直に"負けます"と認めた方が傷は浅いとの判断であった。

 事実、この事件で海軍内主流の艦隊派から退役や辞任に追い込まれた将官は皆無であり、戦後に軍事裁判で"戦争責任"を取らされた者も居なかった。

 

 つまり、帝国海軍はこの時点ですべての外交・戦争に関する判断責任を、皇帝と議会へ放り投げたと言えるだろう。

 

 "今の帝国海軍ではこの程度が精一杯です、後は煮るなり焼くなりお好きにどうぞ"と言う訳だ。そして、"連合王国と戦争になった場合、我々に出来ることは勇敢に戦って死ぬことだけ"とも。

 海軍拡張に積極的だった皇帝は残念がったが、彼もまた20年に渡って続けた建艦競争に()()が来ており、少し文句を言う以外のことはなかった。

 自分が言い出した手前、駄目だと分かっても止めることができずに10年近く引きずってしまったのだ。当の海軍が空中分解してくれるのは、むしろありがたいことであった。

 

 四方に係争地を抱える帝国としては、こんな余興に金と時間を使っていることはあまり好ましい状況ではなかったのだ。現に、協商連合は帝国陸軍の拡張が止まったのを見て、ノルデンへとちょっかいを出すことが増えた(低地地方の失地奪回と復讐戦に燃える共和国は言わずもがな)。

 

 この事件により、戦艦の新規建造スケジュールは全て白紙撤回され、改マッケンゼン級大巡洋艦4隻の就役を以って帝国は連合王国との建艦競争から降り、その資材と予算は伝統と信頼の陸軍へと振り替えられることとなった。

 そのバーター取引の結果として魔導師の海軍割当てが若干増えたものの、事件の主因が海兵魔導師であったことから海軍主流派は魔導師にあまり良い印象を抱いておらず、海兵魔導師を大々的に用いた戦闘教義は大洋艦隊の一部提督だけが研究を進めるのみであった。

 

 

 

 この事件を受けて震え上がったのが協商連合と共和国で、一息ついたのが連合王国であった。

 

 

 

 七洋を制する連合王国はアーシアン・リングを国力の基礎としており、相対的な海軍力の低下はその維持を困難とさせていた。

 ただでさえ礼儀がなっていない植民地人(合衆国)や同盟国でありながら分不相応な欲を出し始めた極東の蛮族(秋津洲)に手を焼いているというのに、帝国まで海洋進出を図ってきたのは悪夢的状況であった。

 世界2位と3位の合計より大きな海軍力を備えるという連合王国の方針は、帝国との建艦競争で国庫に尋常ならざる負担をかけていたのだ。

 帝国が大陸国家らしく陸に引き籠っているのであれば、地続きの共和国や協商連合と睨み合ってもらえば良く、連合王国は労せずして本国周辺の安全保障を手に入れることができる。

 

 帝国の海洋進出を抑えるため連合王国は共和国や協商連合に接近したが、陸軍に注力するのであればいけ好かない共和国らとつるむ必要はないのではないかという声も政権内で聞こえてきた。

 得体の知れない()()の膨張を抑える意味でも、陸軍が強化された帝国は共和国や協商連合より同盟国として有力だろうとの見方であった。

 

 

 

 対して、共和国と協商連合はより強固な同盟関係を構築し、帝国の侵略に備えることとした。

 

 帝国が主戦場とは関係の薄い海軍力整備に注力している隙に、係争地を少し齧り取ったりしていたのだ。強化された帝国陸軍による報復が行われるのは目に見えていた。

 一応友好的関係にある連合王国だが、腹黒な彼らは十中八九帝国との戦闘正面に立たないだろう。帝国が大陸を統一することは良しとしないが、だからといって共和国や協商連合が勝つことも望んではいないのだ。双方共倒れこそ連合王国の望みであり、そのためには帝国にすら援助を送ると思われていた。

 

 共和国や協商連合が望む決定的な勝利のためには連合王国は微妙に役に立たない存在であり、彼らに依存しない対帝国包囲網を作るべく、ダキアとの同盟関係を結んだり、帝国とイルドアの離間工作を図った。

 更には、連邦の政権に帝国の脅威を吹き込み、万が一の対帝国戦の際には参戦するよう要請して見たりもした。アカと手を結ぶことに国境を接する協商連合は難色を示したが、政権が半分人民戦線に染まっている共和国は積極的で、帝国の東西で関係は深化しつつあった。

 

 

 

 こうして、帝国と帝国を取り巻く外交情勢が大きく変化しつつあった時期、当の震源地は船上の人となり、極東に飛ばされていた。

 




どんどん「血沸き肉踊らざる戦記」になってきました。
あと2-3話で戦争に突入するんじゃないですかね?(知らんけど


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第4話:左遷される海軍士官(2)

いつになったら大戦に辿り着くんですかね?


 

 

 閑職行きは避けられないと思っていたが、まさか物理的な左遷だとは思いもしなかった、ブランデンベルガー海軍魔導少尉です。

 赴任先は極東租借地のティンダー要塞、地球の裏側である。左遷ここに極まれりといったところだ。

 

 同日の辞令でヒッパー提督もケーニヒス海軍要塞司令官となった。最低でも北洋艦隊の主要な部隊を任されるだろうと目されていた男ですら、組織に楯突くとこの有様だ。

 まだ本国勤務とは言え、帝国最優の"海の男"の隷下には、要塞砲を除けば港湾防御用の魚雷艇程度しか存在しない。

 これ以上無いくらいの見せしめだ。

 

「まったく、申し訳ないことをしたと思っているよ」

 

「だったらもう少し申し訳なさそうにしましょうや」

 

「しているさ。お行儀よく兵舎も引き払ってきた」

 

 不敬にも上官の発言に水を差すのはコンラッド軍曹。ヒッパー提督子飼いの3羽烏の1羽である。

 親戚が極東で商社を営んでおり、彼の地にも明るいということで副官にして頂いた。

 

 しかし、餞別に部下を寄こすのはいかがなものか。本人が同意したから良いものの、下手をすればパワハラである。

 まぁ、ヒッパー提督と違って、私は一海軍士官として理想の上司たらんと日々心掛けている。

 例えば、このように出張先で部下にご飯を奢るように。

 

「提督への申し訳なさで、私は食事も進まないが」

 

「巡洋艦の出港時刻待ちとは言え、往来の食堂でモリモリ食ってる将校様のセリフとは思えませんな」

 

 最後の母国の味になるかも知れんのだ、旨いかどうかはさておき。

 土産物になる保存食を除けば、新鮮な食事というのはしばらく無いだろう。植民地や赴任先の租借地にもレストラン位はあるだろうが、まぁ、期待はすまい。

 

「長距離航海に備えての()()()()だ。これでも少ないくらいだよ」

 

「いったいどこに納まるんですか?」

 

「見て分からんのか?」

 

 お伽噺のドワーフの様に筋骨隆々な彼だが、残念ながら胸囲だけは私に一歩及ばない。

 厚い軍服の上からも分かるよう脇を締めて寄せてやったが、帰ってきたのは大きな溜め息だけであった。

 

「頭に行くべきでしたな。提督が浮かばれません」

 

 勝手に殺すんじゃない。

 

 

 

***

 

 

 

「艦隊へようこそ、魔導少尉」

 

「よろしく頼みます、提督」

 

 キィエール軍港で私達を迎えてくれたのは、大巡洋艦ブリュッヒャーとそこに座乗する極東派遣艦隊の提督であった。

 

 ブリュッヒャーは装甲巡洋艦から巡洋戦艦(帝国(ライヒ)では"大巡洋艦"という。)へ進化する過渡期の艦艇であり、主砲は統一されているものの配置は艦の首尾線上ではなく、一部が舷側に配置されている。

 初期の弩級戦艦に見られる主砲配置であり、片舷砲戦時は反対舷の主砲が飾りになるため、火力効率的にはあまりよろしくない。

 それに、主機の安定性に乏しく、航続距離はともかく最大戦速を発揮可能な時間が極めて限られており、新鋭の巡洋戦艦と戦列を組むことは非常に難しい。

 

 要は、旧式艦だ。

 

 本国に置いていても戦力的価値が乏しいので、極東の植民地や租借地の統治のため回航しようという魂胆だろうか。

 列強にとっては何の脅威でもない艦だが、そうでない人々にとっては怪物にも等しい存在だ。

 まぁ、極東(ド田舎)にも気骨のある人種が居たのだが。

 

「まるでヴィンスキー提督の艦隊のようですね」

 

 悪い意味で世界一有名な提督であろう。

 15年ほど前、この欧州から極東まで大艦隊を落伍なく率いるという離れ業を成し遂げた彼だが、ゴール一歩手前で秋津洲人による袋叩きに遭い、その偉業に画竜点睛を欠くどころか一切合切を無に帰してしまった。

 

「海戦の顛末を聞いたときは質の悪い冗談かと思ったよ。後世、同じルートを辿るだけで兵の士気が下がる」

 

 我々は彼とほとんど相違ないルートで極東に向かうことになる。

 縁起でもないが、皇国と戦争状態でもないので大丈夫だろう。

 帝国は地球の反対側の彼らと係争地を抱えるほど広くはない。

 "極東(FAR EAST)"とは侮蔑でもなんでもない、ただの本音なのだ。

 

 とはいえ、別にルーシー人の故事が無くとも士気は上がらなかっただろう。

 回航される艦隊の陣容は、ほとんどあの頃と変わらないのだから。

 

「よくもまぁ、これだけ搔き集めたものです」

 

「港に眠ってた前弩級戦艦を総浚えだ。まさかルーシー人も15年後に同じ規模の艦隊が跡を辿るとは思っていなかっただろう」

 

 汚名を残したとはいえ、ルーシー人の艦隊は当時最強最新鋭の戦艦群であり、極東に回航する価値があった。

 対する我々は今となっては二回り近く型落ちの艦艇だ。連邦への支援ルートの一つ、極東ルートを封鎖するためにはあまりにも頼りない。

 

「万が一の場合、このポンコツで連合王国の極東艦隊やコモンウェルスの植民地艦隊と渡り合え――ということでしょうか?」

 

 であれば、とんでもない貧乏くじだが。

 

「まさか。流石にシェーア提督もそこまでは求めておらん。根無し草の極東租借地のため、漁礁になって根を張る時間を稼げとの事だ」

 

 いや、もっと酷いじゃないか。

 

 

 

***

 

 

 

 キィエール軍港を発って早数週間。尾行していた連合王国の巡洋艦も飽きたのか姿を見せなくなった。

 

 南方大陸西岸を南下するに従って鮮やかになる景色に、北海の灰色しか知らない水兵達はしばらくはしゃいでいたが、数日後には暑さのあまり日陰に死屍累々となった。

 これからは南下するにしたがって涼しくなるとは言え、しばらくはこの暑さが続く。

 居住性の良くない軍艦とはいえ、軍人がして良い態度ではない。

 

「気合が足りん。これなら商船の船員の方が根性があるぞ」

 

 そう兵を叱咤する提督だが、露天艦橋に天幕を張った上、バケツに素足を突っ込んでいては格好がつかない。

 

「君は根性があるな、コンラッド軍曹」

 

「は。親戚が極東で小さいながらも商社を営んでおり、船に乗る機会は多かったもので」

 

 水兵達のように持ち場があるならともかく、客人として乗船している限り涼しい場所を選んで過ごすことが可能だ。

 例えばここ露天艦橋は、艦の前進に伴う風が受けられるため非常に涼しい場所だ。天幕を張っていれば直射日光も防ぐことができる。一等席の一つと言って良いだろう。

 本来であれば自分のような階級の人間が出入りできる場所ではないが、この艦隊に2人しか居ない海兵魔導師と言う立場と、腐っても士官である()()の副官であるというだけで優遇されている。

 恩師を左遷させた張本人だが、そこだけは感謝しなければならないだろう。

 

「海軍は帝国になってから、それまでとは比べ物にならない程にデカくなったが、その水兵の大半は海軍に入ってから海を見たような連中ばかりだ。軍曹のような人材は貴重だよ」

 

「光栄です」

 

「……そして君と同じように、彼女も貴重な人材なのだろうな」

 

 艦長は天幕から顔を出して上空を見上げた。

 日光を躱すため細められた目の先にあるのは、かれこれ半日近く飛び続けている上官の姿だった。

 

 

 

 我々海兵魔導師が艦隊内の伝書鳩扱いされ始めたのは、出航して間もなくであった。

 手旗や旗旒信号よりも大容量の情報を運ぶことが可能であり、内火艇よりも素早くて海面の状態も選ばないとあっては、当然の帰結であった。

 

 もちろん、使い走りの対価として階級以上の待遇を融通して貰えたものの、あまり勤勉でない上官は頻繁に呼び出されるのがお気に召さなかったらしく、適当な任務をこじつけて逃れようとした。

 

 「演算宝珠の耐久試験」とやらもその一つだ。

 

 戦艦という男所帯に居る少尉(女性)に気を使っているのか、提督は「飛べるだけ飛んで来い」と許可してしまった。

 お陰様で、今日の伝書鳩は1羽で2倍の業務をこなさなければならない。苦言の一つや二つ許されるだろう。

 

「変わったお方です。優秀なのは間違いありませんが」

 

「"聡明にして類稀なる長距離作戦能力。ただし、戦意と協調性に極めて乏しい"――左遷に際しての評価だ。部下である君はどう思う?」

 

 彼女より長期間海兵魔導師として訓練を積んだ我々より、遥かに海軍の可能性を拡張する能力を持っていることは間違いない。

 帝国海兵魔導師の役割が、ただの着弾観測から索敵・制空に発展しつつあるのは、他ならぬ彼女のお陰だ。

 だからと言って、その歯に衣着せぬ物言いで自身どころか恩師を左遷させるのはどうかと思うのだが。

 

「"聡明"というよりは"視点が高い"と言う表現がしっくりと来ます。我が国を取り巻く外交関係をしっかりと整理した上で"勝てない戦争はするべきでない"と論じることができる。しかし、論理的に正しくとも軍人として相応しくないとされるその言動が評価に繋がっているのでしょう」

 

「"勝てない戦争はするべきでない"――か。もちろん、そのとおりだ。

 では軍曹、次の戦争で帝国は勝てると思うか?」

 

「――相手に依る、としか」

 

 そう答えたところ、提督は少尉の卒業論文の写しを引っ張り出して苦笑した。

 

「ここに書いてあることとそっくりだ。君も上官に似てきたな」

 

 不本意な評価に少し顔を歪ませてしまったのだろうか、提督が肩を叩きながら「冗談だ」と笑った。

 

 

 

 日が西の水平線に顔を隠した頃、東の空にパッと光が生じた。

 少し涼しくなって元気を取り戻した水兵達が、やれ一番星だ、やれ流星だと騒ぎ始める。

 

 そんな水兵達を上空から見下ろしながら、艦隊各艦から搔き集めた日報を手にブリュッヒャーへと着艦する。

 

「軍曹ご苦労。今日の伝書鳩はこれで終わりだ。晩飯が君を待っている」

 

 艦内の食堂の位置を指す提督に礼を言い、艦橋を降りようとするが。

 

「――そう言えば軍曹、少尉は一緒ではないのか」

 

「いえ、先程までまだ上空で飛んでおりましたが……」

 

 食い意地の張った上司の事だ、流石に晩飯まで抜くことはないだろう。

 未だ食堂には行っていないとのことであり、訝しんで空を見上げるが、日没後の光量では少尉を確認することができなかった。

 魔導師は飛行機と違って静かなのも発見を困難にしている。演算宝珠を起動して魔導反応を探ってみるが――。

 

「魔導反応もありません。既に降りたのでは?」

 

「この艦以外にか?」

 

 海兵魔導師の増員に伴い女性も増えたとは言え、彼女らは基本的に本国勤務だ。地球の裏側に左遷されるような問題児は未だ一名しかいない。

 すなわち、女性向けの施設がこの艦にしか備わっておらず、他の艦に降りてしまえば寝床どころか着替えもままならないらしい。

 

「意外と平気そうですが」

 

「船上の男は皆餓狼だ。魔導師とて無事ではすまん」

 

 厄介なことに見てくれだけは100点満点中120点だ。

 水兵達は毎晩お世話になっていることだろう。中身を知らないのは幸せなことである。

 

 提督が手隙の水兵を呼びつけて少尉を探させようとしたところ、伝令が艦橋へ登って来て妙なことを告げた。

 

「提督。艦隊左方に現れた火球ですが、流星ではなく炎上した人工物のようです。波間を漂流しながら燃えているように見えます」

 

 また連合王国が尾行のついでにちょっかいを掛けてきたのか、と提督は双眼鏡を手にする。

 自分もそれに倣うが、下士官用の安物では倍率も光量も足りず何も見えない。日中ならまだマシだったのだろうが。

 

「なるほど……ほとんど消えかけているが、確かに燃えている。南方大陸の植民地から気球が流されて来たのではないか? 万が一、人が乗っていた可能性もある。軍曹、少し見てきてくれないか」

 

 艦隊を崩したり、内火艇を下ろしたりする程ではないらしい。

 巣に戻りかけた伝書鳩は、浮き輪を片手にもう一っ飛びする羽目になった。

 

 

 

「助かったよ軍曹」

 

 提督の言う"万が一"が正しかったと気づいたとき少し冷や汗が出たが、波間に漂う影が見知った顔だと分かった途端に、浮き輪を取り落としそうになった。

 

「何をしているんですか?」

 

「海水浴」

 

 浮き輪だけ放り投げて帰還だ。後は南方大陸まで泳ぐなり、鮫の餌になるなりどうぞ。

 

「冗談だ軍曹。演算宝珠が熱暴走した。工廠は連続12時間駆動を考慮していなかったらしい」

 

 そんな無茶をさせるのはアンタだけだ、と喉まで出かかった言葉を飲みこむ。

 

「泥沼の塹壕戦を想定した陸軍の個人装備にしては、()()()だとは思わないか?」

 

「小銃だって連続射撃を続ければ焼き付いて撃てなくなります。少尉がやったのはそういうことですよ」

 

 陸軍の航空魔導師とて、四六時中演算宝珠を起動しているわけではない。

 むしろ、非魔導依存訓練等がある辺り、塹壕に籠っている間は魔導反応を探られないように起動しないのだろう。

 

 その点、海兵魔導師は下が海なので作戦行動中は常時演算宝珠を起動しなければならない。

 新しくかつ小さな兵科であるが故に陸軍と同じ装備を使用していたものの、昨今の騒動の後、海兵魔導師はゆっくりではあるが兵科として独り立ちを始めた。

 装備の設計思想と兵科の運用思想がズレていることが問題視されるのは遠い未来ではないだろう。

 少尉の道楽も、あながち的外れではないのかもしれない。

 

「軍曹の言うとおりだ。装備の設計思想を誤って解釈すると碌なことにならんな」

 

 少尉が海面に浮いている炭に手を突っ込むと、半分溶解した演算宝珠が取り出された。

 

「よくご無事で」

 

「術式が使えない状態で軍服に燃え移ったときは焦ったがな、完全装備で飛んでいたのが幸いした。銃剣でベルトごと裂いて事なきを得たよ」

 

 嫌な予感がしたが時既に遅し。渡した浮き輪に乗せた上体は危惧したとおりの恰好だった。

 濡れた躰に月明かりが反射して艶めかしい。この状態で連れ帰ったら艦内は乱痴気騒ぎになることだろう。

 

「……相変わらず、見た目だけは良いことで」

 

 こちらの動揺を隠すために、奥歯で頬の内側を噛んで苦い顔を作る。 

 

「見た目"も"良い、だろう? ところで軍曹、上着を貸してくれ。このままでは流石に不味い」

 

 不味いどころか大事件だ。

 ただでさえ、男所帯の水兵の中に異性が混じっているというだけで、提督に気を使わせているのだ。

 これ以上問題を起こさないでいただきたい。

 

 

 

***

 

 

 

「不貞腐れているんじゃないかと心配したが、元気そうで安心したよ」

 

 再度編制された帝国極東艦隊が無事ティンダー要塞へ到着したとの知らせを受け、ケーニヒス要塞へと赴いた。

 要塞司令官を務める同期は要塞砲の射撃訓練の最中であり、砲撃音と自身の部下を叱咤する声にかき消され、私の声は届いていなさそうであった。

 

「ん? あぁ、シェーアか。華の戦艦部隊提督は暇なのか?」

 

 三度声をかけたところようやく気付いたヒッパーであったが、その声色は極めて不機嫌であった。

 

「忙しい中わざわざ訪ねてやったんだ、感謝の言葉を期待していたんだがな」

 

「ここに居れば不機嫌にもなるさ」

 

 そう言って顎で指した先は要塞砲陣地である。

 野砲とは異なる大口径砲独特の重低音が響く。

 

「……問題なさそうに見えるが?」

 

 そう訝しんだところ、ぐいと無言で双眼鏡を押し付けられた。

 遠方の標的の辺りに高々と水柱が上がる。

 

「そこそこ近いじゃないか」

 

「今ので一体何斉射目だと思っている? これは艦砲じゃない、要塞砲だ。射程内の海域には諸元を作成しているべきなのに、未だ夾叉弾すら得られていない」

 

 "職務怠慢だ"とヒッパーが憤るとおり、十分な練度を有しているとは言えない海軍要塞であったが、原因の一端は私が勤める戦艦部隊にある。

 

 この二~三十年で急速に拡大し、世界第二位の戦力を有するに至った帝国海軍。

 その世界有数の工業力で艦艇はドンドン造れても、肝心の水兵(セイラー)の育成が全く追いついていなかった。

 連合王国との建艦競争の真っ最中であった帝国は、並べた戦艦群が()()()()()だと悟られないよう、海軍要塞兵員等の陸上勤務の兵隊を片端から戦艦に放り込んだ。

 

 その結果、砲が扱えるからと戦艦に載せられた水兵モドキは未だ船酔いを完全に克服することができておらず、主要要員を引き抜かれた海軍要塞は備砲の運用ノウハウすら失いかけているといった有様である。

 建艦競争から降りたことで水兵不足は将来的に解消される見込みであるが、新規起工艦が無いだけで、現在建造中の改バイエルン級戦艦や改マッケンゼン級大巡洋艦の就役は今後もしばらく続く。帝国海軍史上最も大型であるこれらの艦級はその体躯に応じて必要な乗員数も多く、就役前から海軍省を悩ませていた。

 

「悪いとは思っている。だからこその在庫一斉処分だ」

 

 極東に派遣した大量の前弩級戦艦は、そこで(フネ)として運用するために地球を半周させたわけではない。

 文字通り帝国極東植民地の「礎」となるべく、戦略的に重要な根拠地の即席要塞として半永久的に錨を下ろしたのだ。

 なお、文書手続き的には座礁により除籍である。

 

 前弩級とは言え戦艦は戦艦。

 漁村に毛の生えた程度の極東植民地があっという間に海軍要塞へ早変わり。

 

 動かなくて良いので、機関要員や航海要員は本国へ召還して新造艦の乗員へと充てることも可能だ。

 

「極東に送った前弩級戦艦の乗員が帰ってくれば、海軍の人手不足も少しはマシになるだろう」

 

「だと良いがな」

 

 そんな付け焼刃で、帝国海軍が慢性的に抱える問題を解決できるほど、世の中は甘くない。

 

 そもそも、陸軍国家に生まれたにもかかわらず海軍を志すなど、出世的にもあるいは世間体的にも初めから二番手を目指すようで具合が悪いらしく、志願者だけで兵員を満足した年度は一度も無かった。

 (兵員の多くを徴兵制で賄っている陸軍と違って、海軍は志願兵に頼る傾向にある。)

 

 そしてついこの間、連合王国との建艦競争から降りた帝国海軍は、その拡大のペースを大幅に落としてしまった。

 去年までのイケイケドンドン状態であればともかく停滞期に入ってしまった以上、ただでさえ少ない海軍志願者は、来年には大幅に減ることだろう。

 

「水兵の人気が無いのはもちろんだが、魔導師からの人気が無いのも問題だ。陸軍は建艦競争から降りたことへの補填として海兵魔導師の割り当てを増やすと言っているが、これではまた碌でもない連中を押し付けられるだけになりかねない」

 

 これまで着弾観測を主な任務としてきた海兵魔導師であったが、ブランデンベルガー候補生(当時)の登場によりにわかに索敵任務への適性が拓けた。

 飛行船よりも気象状況を問わず、水雷戦隊より速くて視認範囲が広く、艦載機より発着艦の手間が少ない。

 そんな、艦隊の"目"に求められるところに丁度手が届く、そんな存在に海兵魔導師は昇華しようとしていた。

 更に、ヒッパーは魔導師による長距離対艦攻撃すら検討しているらしい。

 

 ところが、これまで使えない魔導師の最終処分場として機能してきた海兵魔導師には、まともな士官が少なかった。

 ヒッパーが望む対艦攻撃等、母艦から遠く離れた魔導師隊の指揮を一体誰が取れるというのだろうか。

 

「そういえば、"彼女"は元気なのか?」

 

 本国には候補生としてしか居なかったというのに、良くも悪くも逸般的な海兵魔導師の代名詞と化したブランデンベルガー少尉。

 彼がこんな窓際にいる原因だが、なんだかんだと彼女を買っているのか。

 

「元気だよ、元気過ぎて困るぐらいだ」

 

 極東艦隊の航海中、中継地の南方大陸植民地等から報告書が随時送られてきていた。

 

「演算宝珠を連続12時間駆動させて炎上・溶融で全損させた。それも着任後支給したての新品をだ」

 

 海軍工廠曰く、前代未聞だそうだ。

 初期不良の線も考えられたが、十分なスクリーニングを通過しているので薄いという。

 

「左遷先でくらい大人しくできんのか」

 

 のほほんとした要塞師団相手に辣腕を振るっている貴様が言うことじゃないと思うがな。

 

 しかし、左遷されてもなお血気盛んなヒッパーと違って、彼女は"演算宝珠を喪失した"ことを理由に随分とのんびりしているらしい。

 一応、演算宝珠の一件に関して始末書も出させたのだが、「現行の演算宝珠では海兵魔導師の任務に対して能力不足」と、自分の行動を棚に上げて演算宝珠に責任を押し付けてきた。

 同行しているコンラッド軍曹からは、「少尉は"演算宝珠が無く職務を遂行できない"と女優の様に嘆きつつ、極東植民地で優雅にバカンスを楽しんでおります」との愉快なメモすら送られてきている。

 

「海軍は彼女にお灸を据えるために極東に蹴り出したのであって、太平洋の赤道直下で海水浴をさせるために公費を使って船旅をさせたわけではないんだがな」

 

 "優秀な怠け者だ"、とヒッパーは笑った。

 半分どころかほとんど彼女自身の所為とは言え、左遷された部下が元気だと分かって少し機嫌が良くなったようだ。

 

「彼女の言うとおりだな。普通の兵隊なら銃が無くとも塹壕を掘ったり輜重を運んだりと仕事があるものだが、魔導師の職務は演算宝珠の所持が大前提だ」

 

 一応、士官としてのデスクワークもやっているようだが、そもそも極東艦隊の規模が小さく書類仕事の絶対量が少ないため、彼女を十分に拘束できていない。

 

「確かに、遊ばせてしまっていることは否めない」

 

 帝国魔導師の最終処分場こと海兵魔導師士官の中ではトップクラスに使える人間であることは間違いない。

 多少、士官学校の卒業論文が尖っていたところで、捨ててしまえるほど海軍の人的資源には余裕が無かった。

 だが、禊は済まさなければならない。

 

「海軍中央に目を付けられない程度には仕事を回してやろう。左遷の経歴も後から見れば、皆が通る駐在武官として扱ってもらえるかもしれん。その方が彼女のためだろう」

 

 




書いてなかったわけじゃないんです。
この文書ファイルのプロパティには「作成日時2020.6/21」ってあります。
ただ、出来るまで半年以上掛っただけなんです(言い訳)


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第5話:テストパイロットの海軍士官(1)

少年漫画的健全スケベをTSもので書きたいなー


 

 帝国極東植民地、カロリーナ諸島ペラウ環礁。

 エメラルドグリーンの大洋と、眩いばかりの白砂に、抜けるような青空。

 

「絶景だな、軍曹」

 

「大分風景が変わってしまいましたがね」

 

 珊瑚礁で彩られた環礁に、点々と黒鉄色の人工物が浮かんでいる。

 座礁させられたうえ喫水線まで重コンクリートで固められたそれらは、戦力的価値が低い(役立たず)として極東に回航された前弩級戦艦群の姿であった。

 

「文明の足跡の無い大自然も悪くないが、それではアクセントに欠ける。鈍色の人工物は多少違和感を生むかもしれないが、100年も経てばそれはそれで味になるさ」

 

 史跡やダイビングスポットとしては一定の魅力があるのではないだろうか。

 もっとも、その日まで帝国がここを保持していればだが。

 

 

 

***

 

 

 

 ティンダー要塞に到着した極東艦隊は、補給もほどほどにカロリーナ諸島に向けて出港した。

 極東大陸から東方に突き出した半島に存在するティンダー要塞は、帝国が現地政府から好意的に租借した(因縁をつけて毟り取った)植民地である。地形・気候共に優秀な軍港であり、帝国の極東における根拠地として整備する予定であった。

 

 しかし、帝国の軍拡及び拡張政策により連合王国との外交関係が悪化すると、ティンダー要塞は根拠地として不十分であることが判明した。連合王国の極東根拠地及びその同盟国である秋津洲に近すぎるのだ。

 本国から直接鉄道で極東に兵力を送り込めるルーシーや、十分な海軍力を保有する連合王国ならいざ知らず、そのどちらも有しない帝国が仮想敵国の目と鼻の先に極東の根拠地を構えることは無謀だと考えられた。

 

 代わりの根拠地となる場所を探してはみたものの、植民地獲得競争に出遅れた帝国の手札にはティンダー要塞以上のものは見当たらない。

 仕方なく妥協に妥協を重ねた結果が、カロリーナ諸島ペラウ環礁であった。

 

 環礁は珊瑚の防波堤に囲われた天然の港のようなものである。帝国植民地の中部太平洋には、大艦隊を収容できるような巨大な環礁がいくつもあった。

 その中でも連合王国の根拠地や秋津洲から適度に離れており、帝国植民地群の中央付近かつ極東大陸にも睨みを利かせることができる場所として、ペラウ環礁が選ばれた。

 

 このように純軍事的には合格点であったが、問題点も多かった。

 

 植民地として帝国がこの地を手に入れて以降、実施した施策は「帝国国旗を立てただけ」と揶揄される程、全く投資を行っていなかった。

 港湾としての機能は最低限であり、漁港として使うならともかく、軍港として機能するには数年の歳月が必要だと見積もられた。

 また、赤道直下のため気候は悪く、高温多湿かつ常夏の環境で行政組織を運用することは、欧州の気候に慣れた帝国人には酷であった。同じく赤道直下に巨大な極東根拠地を建設し運用している連合王国人に、混り気の無い称賛の声が上がったほどだ。

 

 次善の策として、行政機構はティンダー要塞に残し、軍港機能のみペラウ環礁に移すこととなった。

 

 ただの珊瑚礁に海軍要塞としての防衛力を早急に備えさせるため、旧式戦艦のリサイクルが考案された。

 一から鉄筋コンクリートで造られた永久要塞ほどの防御力は持たないが、座礁させてコンクリートで固めるだけという工期の短さは魅力的であった。

 

 また、ペラウ環礁には固有の軍港機能を持たせることはせず、新たに建造されるサービス艦隊がそれを担うこととなった。

 建艦競争から降りた帝国であったが、国家の経済面や雇用面から直ちに造船業界を絞める訳にもいかず、戦艦より安上がりな船舶を発注してお茶を濁すこととした。シェーア提督の提案によって、遠隔地でも艦隊活動が可能となる浮きドック艦や工作艦が建造され、極東艦隊へ派遣されることとなった。

 流石の帝国人でも、珊瑚礁の上に乾ドックを作る趣味は無かったのだ。

 

 とはいえ、現段階ではペラウ環礁に軍港機能は無く、補給や修理のためにはティンダー要塞に寄港する必要があった。

 

 

 

***

 

 

 

 水兵達は自分が乗ってきた戦艦をコンクリートで固め終わった後も、島の地層である強固な石灰岩を掘削して陣地を作っていた。

 

「真面目だな、帝国人は」

 

 白砂の上にパラソルを立てて寛いでいる自分とは大違いだ。

 あんな堅い地層を掘らなくて良いように、戦艦を持ってきたのではなかったのだろうか。

 

「不真面目なのは少尉くらいですよ。本当に帝国人なのですか?」

 

「失礼な。歴とした帝国人だとも」

 

 見よこの白い肌を。炎天下のペラウに滞在していればシミになりそうじゃないか。

 不敬なほど大きなため息を吐いた軍曹は、私にぐいと封筒を突き出した。

 

「仕事か? 今日のビーチバレーは終わったはずだが」

 

 艦隊がペラウ環礁に到着した後、提督はペラウ環礁の要塞化工事における水兵達のモチベーションを上げるため、「その日最も評価の高かったチームには報酬を与える」と発表した。その報酬が、私(と軍曹)とのビーチバレーである。しかも、ビーチバレーに勝てば私に日焼け止めを塗る権利が与えられるとのこと。航海中での女性に対する気遣いはどこに行ったのだろうか。

 寝耳に水であったため軍曹に確認したところ、「気を遣わせ過ぎて、逆に振り切れたのでしょうな」とにべもない。

 

 いや、演算宝珠を失ったのは悪かった。

 本当にあれほど無防備になるとは思っていなかったんだ。

 

 航海中は常に軍曹のボディーガードが付く羽目になり、艦隊の伝書鳩は使用不能になった。提督の苛立ちは想像に難しくない。

 

 さて、この提督の発案によって男子禁制の肌の禁が破られるかと思いきや、ビーチバレーは連戦連勝。私がスパイクするだけで奴らはボールから目を離す、いや別のボールに目が吸い寄せられている。チョロイ。

 軍隊内で不純な行為が発生することなく水兵達のモチベーションが上がったため、最近は提督の機嫌も治ってきた。

 ずっとボディーガードを務めさせられている軍曹はそうでもないようだが。

 

あれ(余興)は終わりです。本国から電報が」

 

 開封すると、それはティンダー要塞への召還命令であった。休暇は終わりということだろうか。

 

「ティンダー要塞へ来いとさ」

 

「巡洋艦エムデンが2日後にティンダー要塞へ発ちます。それに同乗させてもらいましょう」

 

 ここからティンダー要塞へは約3500km。頑張れば飛べないこともないのではないだろうか。

 残念ながら私は演算宝珠を欠いているが。

 

「軍曹は? 飛んでいくのか?」

 

「御冗談を」

 

 

 

 ティンダー要塞に着いた私達を待っていたのは、本国から来た民間人であった。

 

ハインツ&カール(H&K)精密機械?」

 

「開発部のバッヘムと申します。帝国軍には演算宝珠用の工作機械等を納入しております」

 

 その軍の関連企業の人間が何の用だろうか、と訝しんだところ、シェーア提督の署名入りの紹介状が手渡された。

 皇国軍用の次期演算宝珠のコンペティションに参加するから、その実機試験の検証員を務めるようにとのことだ。

 

「それなら、連合王国の演算宝珠の輸入か型落ちのライセンス生産になるのではないだろうか」

 

 一応コンペはやるが、同盟国の顔を立てるという出来レース。

 コンペティションで最新の演算宝珠のライセンス権や技術移転等の条件の良いものを入れたいのだろうが、連合王国との同盟関係をもってしてようやく列強の末席にしがみついている秋津洲には夢のまた夢物語だ。

 

「恐らくは。しかし、全く可能性が無いわけではありません。弊社の調査によると、皇国軍は魔導師に長距離作戦能力を持たせたいと考えているようです。仕様に明確に記載されているわけではありませんが、稼働時間の項目には点数の上限が定められておりません。長ければ長いほど加点されるのであれば、それに特化した演算宝珠を作ってやろうと思ったのです」

 

 ただ長く飛んでいるだけの魔導師にあまり価値は無いと思うのだが。

 長く遠く飛べるというのは、魔導師という兵科の戦術又は戦略上の柔軟性を増やすだけであり、戦力として「その目的を達成できるか」という観点とは少し異なる。

 結局のところ、兵力である以上は打撃力あるいは制圧力が無ければお話にならないのだ。

 

「戦闘能力に関する仕様は? どの程度作り込まれたのか?」

 

「は?」

 

 は、じゃないが。

 

 

 

 

 バッヘム技師がティンダー要塞に持ち込んだ演算宝珠は、その言に相違なく「長く遠く飛ぶこと」だけを考えて作られていた。

 長距離・長時間の任務に耐えられるよう、全体的に保守的で堅牢な設計となっている。目新しい点としては、宝珠核を2基搭載していたことだろう。

 それぞれ独立駆動する宝珠核は、万が一片方が壊れて片肺となっても帰還できる可能性を残すものであった。

 

「エレニウム工廠のモノ好きは"複核同調技術"を研究しているとのことですが、夢物語です。それに、複核同調では1つの宝珠核の破損が演算宝珠そのものの破損に繋がります。並列駆動こそが堅実に能力を増強しつつ、宝珠に冗長性を与える手段です」

 

 いや、そんな1+1=2のように簡単に演算宝珠の能力が向上するのであれば、どの国もやっているのはではないか。誰もやっていないというのは、何らかの欠点があるのだ。

 

「宝珠核は術式を用いて魔力を事象に変換する機関だと聞いている。その原則は1宝珠核につき1術式。近年では技術の発展により、1つの宝珠核で複数の術式を展開できるようになったが、その逆は聞いたことがない。可能なのか」

 

 できなければ、単に出来の悪い演算宝珠を2個握っているのと変わらない。

 

「一応、可能です」

 

 バッヘム技師の歯切れは非常に悪かった。しかし、スペックを偽っているのではなく、科学的に正しい言葉と、営業的に分かりやすい言葉が衝突する、技術者にありがちな現象であった。

 

「"術式解析"という理論があります。従来ブラックボックスであった術式を解明し、より良い術式を創作しようという技術です」

 

 術式は神が人類に授けた聖句の一種であり、単語やその構文がどのような意味を持つのか、まだ十分に解明できていない状態で使用している。それを読み解いて、神話や聖書等で今日に伝えられている術式だけではなく、必要な術式を自由に作ろうという試みだ。

 いや、どっちが夢物語なのだろうか。

 

「もちろん、理論に過ぎない"術式解析"を兵器転用できるとは思っておりません。この理論の研究中に偶然発見された、"術式分割"技術が兵器転用できると考え、複核並列駆動型の演算宝珠を開発したのです」

 

 ブラックボックスである術式を可逆的に分割、結合できる"術式分割"技術。

 昨今発展著しい魔導技術だが、またこれで一段飛躍したのだという。

 

「話を伺っている限り良いこと尽くめだが、本当なのか。そうだとしても、その"術式分割"はどう行うのか」

 

「そこが、この技術が兵器転用されない所以でしょう。術式分割用の機構を搭載するため大型化すること、そしてなにより術式の分割速度が遅いことです。単純な光学術式ですら、通常の単核タイプの演算宝珠と比較して最小0.3秒の遅延が生じます」

 

 欠陥品じゃん。

 海兵魔導師も、接敵時は高速機動戦闘を行わなければならない。

 Ping300msオーバーの状態でFPSができるものか。

 

 シェーア提督には悪いが、コンペ以前の問題だと報告しておこう。

 お客様がお帰りだ、と軍曹に目配せをしたところ、大人の対応が帰ってきた。

 

「とりあえず飛んでみては?」

 

 もう少し上官を立ててくれないものだろうか。

 これでは、私がただ我儘を言っているだけのようではないか。

 

 

 

 ティンダー要塞の練兵場を借り、H&K社の演算宝珠を起動させることとなった。

 バッヘム技師がやたらと大掛かりな梱包を解いたところ、その複核並列駆動型の演算宝珠が姿を見せた。

 

「大きいな。連合王国の宝珠程か?」

 

 機動戦を重視する帝国魔導師は、懐中時計型の小型の演算宝珠を好んだ。

 対して、大火力による統制射撃を教義に持つ連合王国や共和国は人が乗るような大型の演算宝珠を装備していた。

 

 このH&K社製の演算宝珠はその中間程度で、とてもポケットに収まるものではないが、だからと言って車庫が必要なほどでもなかった。

 

「お伽話に出てくる魔法使いの箒をイメージしてデザインしております。長距離飛行においては術式で全身を支えるより、何かに腰かける方が楽でしょうから」

 

 それに、術式分割機構を搭載しつつ、帝国流の機動戦がギリギリ可能なサイズとのことだ。

 

「箒に跨って巴戦など、まるでサーカスじゃないか」

 

「邪魔なことは弊社のテストパイロットも同意見でした。背中側のアタッチメントで宝珠を体に固定すれば、柄の部分を背中側に跳ね上げることができます。一応、既存の戦法も取れますよ」

 

 "一応"、ね。

 大きなデッドウエイトを背負うことになるのは間違いないのだ。

 

 とはいえ、文句ばかり言っていると軍曹が怖い。

 給料をもらっている以上、国家に奉公するとしよう。

 

 

 

 演算宝珠の形状上地面に転がっていては乗るのも難しいので、演算宝珠を起動して浮遊術式を用い手元まで浮かせようとするが、ピクリとも動かない。

 自身の魔力が使われている感覚はあるのだが。

 

「……故障か?」

 

 思わずそう呟いたところ、演算宝珠が腰の高さまで浮き上がった。

 

「意外に思われるかもしれませんが、浮遊術式や飛行術式は難解な術式です。事象の発現には大きめのタイムラグがあることをご承知おきください」

 

 万が一採用されれば、皇国兵はこれで戦うことになるのか。

 いや、ご愁傷様としか言いようがないが。

 

 足を揃えてお行儀よく演算宝珠の柄に腰掛け、テスト飛行の準備に入る。

 残念ながらまだ股に棒を擦りつける趣味はないので、自転車の後席に乗る女学生にのみ許された座り方だ。

 

「それでは不安定ですよ、跨らないんですか?」

 

 乙女に足を開け、と。

 技術者の割になかなか積極的だな。

 

「余計なことを考えずに飛んでください」

 

 ……軍曹、なかなか察しが良くなったじゃないか。

 

 

 

 機動戦用途としては絶望的な反応速度とは裏腹に、技師の言のとおり長距離巡行用途としては非常に優れた演算宝珠であった。

 船旅の途中で溶融させた既存装備のそれとは異なり、長時間駆動による過熱等の異常は全く見られない。洋上でも演算宝珠のご機嫌を取るために余計な気を使わなくても良いのはプラス要素だ。

 それに、演算宝珠自体の処理能力にも大幅な余裕があり、戦闘用の術式を割り込ませても問題なさそうであった。実際に戦闘できるかはさておき。

 

 練兵場の上をぐるぐると周回していると、地上の軍曹から通信が入った。

 

「少尉、バッヘム技師から"もっと振り回しても良い"とのことです」

 

 曰く、武人の蛮用に耐えうるよう設計した、と。

 宝珠核自体の性能は帝国軍の正規採用品より幾分低いのだが、それは耐久性とのトレードオフのようだ。

 

 そうか、では遠慮なく。とりあえず最高速度でどの程度飛べるかやってみようか。

 演算宝珠に追加の術式を放り込むと、ワンテンポ遅れて少しずつ加速が始まる。

 

 ……いや、トップスピードに至るのも遅いな。

 低空で一度運動エネルギーを失ってしまえばただのカモになりかねない。

 

 その後も高高度性能の確認や意図的に片方の宝珠核を停止した片肺での試験を行い、地上へ帰還した。

 

 

 

「全体的に"重い"」

 

 H&K社製演算宝珠の特性を要約するとこうだろう。術式分割機構の遅延で空中機動では加速も旋回もワンテンポ遅れるため、既存の演算宝珠を持った魔導師との機動戦は望むべくもない。

 

 通常の演算宝珠を単発単座戦闘機だとすると、これは双発重戦闘機だ。

 複核並列による冗長性や、大型化による堅牢な設計は長距離長時間の任務を可能とさせている。

 だが、英国の戦い(Battle of Britain)でのBf110の戦績を見ればその成否は明らかだ。

 

「やはり、複核並列のコンセプトが悪かったのでしょうか」

 

 散々文句を言った所為でしおらしくなってしまったバッヘム技師が、おずおずと聞いてくる。

 

 いや、コンセプト自体は悪くないのだ。

 P-38は米軍にとって無くてはならない機体だったし、海兵隊は重量増加を承知でコブラを双発にすることを要求した。

 Bf110とてスペックは高く、「爆撃機を守りながら単発単座戦闘機と戦う」という絶望的に向いていない任務を任されなければ優秀な機体なのだ。

 

「機械的な欠点は2つだ。反応が遅いこと、宝珠核自体の性能が高くないこと」

 

 後者については小さな問題だ。コンペ相手の連合王国も、皇国には最新型の演算宝珠を提案しないだろうから。

 問題は前者だ。

 

「コンペティションの詳細が分からない以上何とも言えないが、相手との模擬戦があった場合は間違いなく勝てない」

 

 この演算宝珠は対魔導師戦闘という一点に対して大きな欠陥を抱いている。それに、私自身がそれをカバーできる程戦闘能力に長けているわけでもない。

 まぁ、ほどほどに頑張ってみるさ。

 

 

 

***

 

 

 

 コンペティションは思いのほか上手くいっていた。

 連合王国は自身が採用しているものと同じ最新型を売り込んできており、単純な性能では劣っているものの、H&K社は民間らしい柔軟な発想で演算宝珠を売り込んだ。

 

 バッヘム技師が提案したティンダー要塞から秋津洲までの無着陸飛行といったパフォーマンスは、皇国軍の担当者の度肝を抜いた。

 演算宝珠の柄の部分を跳ね上げ、四肢の自由を確保し機動戦も可能とする(実際にできるとは言ってない)機構も、格闘戦を重視する皇軍には受けていた。

 H&K社の営業攻勢はさらに続き、大ロットでの割引や演算宝珠の技術移転を伴うライセンス生産も可能だと提案していた。

 

「大盤振る舞いだな」

 

 ライセンス料だけでは食べていけないのでは、と考えた私に対してバッヘム技師は自信をもって返した。

 

「我々は本来、演算宝珠用の工作機械を売るメーカーです。皇国は近い将来自前で演算宝珠を作れるようになるでしょうが、その工作機械を作れるようになるまではさらに時間がかかります。ここで売り込んでおけばマザーマシンを握れるんで、安い投資ですよ」

 

 そんなものなのだろうか。

 聞けば、一番危惧しているのが連合王国製の演算宝珠をライセンス生産されることだとか。連合王国と帝国では単位系が異なり、皇国のデファクトスタンダードが連合王国側の単位系となってしまうと、将来ずっと商売が難しくなるということだ。

 

「インチ規格なんて、滅んでしまえば良いんです」

 

 

 

 恐れていたことが起こってしまった。

 

 技術移転がオマケで付いて来るH&K社の演算宝珠を買いたいが、政治的に連合王国の演算宝珠を買わなければならない皇国担当者は相当悩んでいたようだ。

 また、皇国魔導師達のH&K社製演算宝珠に対する関心は高く、一応仕様も満たしているので、頭ごなしに連合王国製の演算宝珠を採用すると禍根が残りそうであった。

 

 結果、皇国担当者は演算宝珠の模擬戦を提案した。

 

 H&K社が負ければ皇国魔導師を納得させる材料となるし、連合王国が負ければ政治的な言い訳になる。

 要は、担当者が責任を負いたくなかったのだ。

 

 

 

 優柔不断な官僚ほど使えない奴はいない。

 

 模擬戦なんてやらずに大人しく連合王国製の演算宝珠を採用していればよかったのに、余計なことを。

 どうせ勝てないからと全く準備もしていなかった私も悪いのだが。

 

 バッヘム技師には「勝てない」と何度も伝えたのだが、もう一押しで採用されるという状況では受けるしかなかった。

 責任を部外者の私に回すなよ。

 

「軍曹、相手の魔導師の詳細は分かるか?」

 

 「キャンフィールド中尉、連合王国海軍極東艦隊隷下の巡洋戦艦"クイーン・メリー"所属の海兵魔導師ですな。詳細は分かりませんが、少尉より格上であることは間違いありません」

 

 そんなことは分かっている。

 向こう側にいる壮年の偉丈夫が、飛行時間二桁以下のひよっこだとは思っていない。

 

「軍曹、こっそり君の演算宝珠を貸してくれんか? こいつでは勝てない」

 

「反則ですよ。バレないとでも? 大人しく撃墜されて来てください」

 

 やはりダメか。

 

 

 

 こういった公的な場での結果の影響は大きい。

 如何に善戦しようとも、「帝国魔導師が連合王国魔導師に敗れた」という記録は残る。また、戦場とは異なり大勢の見物人がいるため、伝聞での広がりも早い。

 

「再就職に影響のない程度には努力しなければ」

 

 十中八九、帝国は無くなるのだ。

 帝国海軍は伝統の引き籠り芸を発揮するだろうから、私は生き残れるとしても、その後の再就職先が無ければ飢えてしまう。

 履歴書に傷をつけないためにも、この模擬戦で変な戦績を残すわけにはいかなくなった。

 

「お嬢さん、よろしく頼むよ」

 

 ブツブツと考え事をしていた私に、キャンフィールド中尉が手を差し出した。

 決闘前の挨拶だろうか。握り返した手はふんわりと優しく包まれた。

 クソ。紳士面する余裕があるということか。

 

「ええ、胸をお借りします」

 

 貸すほどあるのは私の方だけどな。

 

 

 

 




誤字報告ありがとうございます。
毎話、とても助けられております。

何でなくならないんでしょうかね......やっぱり作者のスペック不足か。


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第6話:テストパイロットの海軍士官(2)

執筆環境がメモ帳から進化しました()


 キャンフィールド中尉から放たれる光学術式が掠める度、背中に悪い汗が流れる。

 死なないと分かっていても、当たりたくはない。

 模擬術式とはいえ、ちょっとは痛いのだ。

 

 大柄な連合王国式の演算宝珠は、大出力の長距離射撃を行うために先端に術式投射用の銃身が設けられている。故に、距離を取っていれば相手の演算宝珠の向きを見て術式を避けることは十分可能だった。

 通常の帝国式演算宝珠を使用していれば、という注釈が付くが。

 

 コンペティションに参加したH&K社の演算宝珠は、その圧倒的な長距離作戦能力の代償として、術者に対する反応が致命的と言えるほどに遅かった。

 相手の演算宝珠の銃身を見て、否。予備照射を受けてからでも間に合うはずの回避ですら、この演算宝珠は許してくれない。

 

 

 

 だから、私は決して先手を奪われるわけにはいかなかった。

 

 

 

 常に、先に避け続ける。

 演算宝珠への術式の入力から発動までのタイムラグが大きいなら、先に術式を放り込んでおけば良いのだ。幸い演算宝珠自体は連合王国式のものより幾分軽量小型なので、機動性自体は悪くない。

 後は、キャンフィールド中尉が入力済みの軌道へ術式を撃ち込んでこないことを祈るだけだ。

 

 攻撃?

 Ping3~4桁の回線で当てることのできる猛者が居たら替わってもらえないだろうか。

 

「少尉、バッヘム技師から射撃精度を上げろとの要望が。皇国軍担当者は射撃精度について疑義を持ち始めております」

 

 千日手という名のコイントスを続けていたところ、地上のコンラッド軍曹から通信が入った。

 皇国軍担当者は見る目があるな、そのとおりだよ。

 

 相手が射爆場の的ならともかく、機敏に動く魔導師なのだ。

 照準して術式を放り込み、しばらく経って発射される頃にはキャンフィールド中尉はもうそこには居ない。

 

「バッヘム技師に伝えろ、射撃精度を上げたいなら案山子相手に限るとな!!」

 

 キャンフィールド中尉の照準の精度も上がってきた。私の回避機動が不自然なことに気が付き始めているのだろう。

 しっかりと避けているものもあれば、明らかに外れている射撃に突っ込んでいこうとする動きも生じてしまうのだ。

 

「誤魔化すのも限界なので格闘戦に移行してください、と」

 

 無理難題に大人げなく怒鳴ってしまったところ、返ってきたのはまたしても勝手な要望だった。理系の癖に人使いが荒くないか?

 

 とはいえ、術式が当たらないことを祈り続けるのでは勝ちの目が無いのも確かであった。

 賭博は嫌いだが、それ以外に道が見当たらない。いや、ただ確認していないだけで、その道も行き止まりなのかもしれないのだが。

 

 遠距離での回避行動を止めて近接格闘戦ができるよう軌道を変更し、演算宝珠の柄を背中側に跳ね上げる。キャンフィールド中尉もこちらの意図に気付いたのか射撃を停止し、模擬魔導刃を起動した。

 愚かな。そのまま射撃を続けていれば稚拙な機動で接近する私を落とせたかもしれないのに。

 

 魔導刃同士が交錯し、網膜を焼く火花が飛び散る。射撃戦よりは可能性を感じられる一撃だった。キャンフィールド中尉の顔に張り付いていた余裕の笑みが薄くなる。

 射撃戦では致命的な欠陥だったタイムラグも、ここまで張り付いてしまえば気にならない。なんたって四肢は私の思い通りに動くのだ。

 キャンフィールド中尉の男性由来の屈強な肉体や反応の良い術式も、大柄な演算宝珠に跨っているという姿勢の悪さが足を引っ張り生かし切れていない。

 

 しかし、決め手に欠けるのも事実だった。

 浮いたまま魔導刃を打ち合うのは、若干有利とは言えあと一歩届かない。その一歩を補うべき近距離戦での機動力はこの演算宝珠には備わっていなかった。

 だが、キャンフィールド中尉の体勢が整わない今こそが僅かなチャンスでもあった。

 

 キャンフィールド中尉の死角を取るための機動術式を演算宝珠に放り込み、発動までの間鍔迫り合いを継続する。その後は機動力で中尉を翻弄して勝てる――ハズであった。

 何かを察したような中尉が、絶妙なタイミングで魔導刃を押し返して距離を取るまでは。

 

 慌てて術式をキャンセルするが時すでに遅く、間抜けな機動で中尉の前に躍り出てしまった。

 防御のために戻した両手は冷静に振られた中尉の一撃で跳ね除けられ、無防備な躰がさらけ出される。

 キャンフィールド中尉はそのチャンスを逃さないよう演算宝珠から身を乗り出して右手と共に魔導刃を突き出し――

 

 

 

 ――私の左胸を()()()と掴んだ。

 

 

 

 こういった演習や模擬戦で使用される模擬術式は人体に当たると消失し、当てられた人間が自覚できるようピリリとした電流のような刺激を与える。

 キャンフィールド中尉が突き出した魔導刃はしっかりと私にヒットした。十分に撃墜だと判定されるだろう。しかし、だからといって身を乗り出した中尉の勢いは止まらず、私に当たったことで消失した魔導刃の刃渡りの長さ分つんのめって、身を支えるものを掴んでしまったという訳だ。

 

 どうせ減るわけではない。

 そう思っていると信じていたのだが、20年近く維持していた肌の純潔を失ったのは、私にとって意外と大きな衝撃であったようだ。

 

 反射的に後退機動の術式を叩きこむと共に、右足を蹴り上げてしまった。

 遠心力で加速した爪先が、演算宝珠から身を乗り出した中尉の《当たってはいけない所》に突き刺さり、革製の軍靴越しに嫌な感触を伝えてきた。

 

 

 

「やり過ぎです、少尉」

 

 地上に戻ってきた私に対して、軍曹は辛辣だった。

 大事な所に手を出された上官より、使わないかもしれない部分に爪先が刺さっただけの敵兵に気を使うのか。同性より同国軍人の肩を持って欲しい。

 

「感触的には……大丈夫だと思う」

 

 私はその辺りの塩梅に理解がある女なのだ。あれは致命傷ではない、多分、いや恐らく、きっと。

 

 ガニ股のままふらふらと着地したキャンフィールド中尉は、同僚の肩を借りてなんとか歩いている状態だった。あれはしばらくそっとしておいた方が良さそうだ。少なくとも、戦闘開始前の様な紳士然とした対応は期待すべくもない。

 だからと言って、握手で始まった出会いが金的で終わるのも申し訳ない気がする。仮想敵国の同業者だ、次の機会は模擬戦ではなく本当の殺し合いかもしれない。

 肝心な場面で妙な引け目を感じないよう、何とか清算できないだろうか。

 

 

 

***

 

 

 

 後日、皇国軍は連合王国製の演算宝珠を採用すると正式に通達があった。

模擬戦の場でおおよそ分かっていたことではあるが、いざ書面が届くまでは人は一縷の望みを抱いてしまうようだ。そのバッヘム技師は書類を握り締めながら意気消沈していた。まるで志望校に落ちた受験生のように。

 

「行けると思ったんですがね……」

 

 あれで?

 H&K社からすれば商売の機会を逃したのだが、皇国からすれば不良品を掴まされずに済んだのだ。第三者としては、悪徳商売に加担せずに良かったというのが正直な感想である。

 

「皇国が求める長距離作戦能力と格闘戦能力、どちらも十分だったハズですが……」

 

 グチグチと嘆き続けるバッヘム技師とて、自身の演算宝珠が致命的な欠点を抱えているのは十分理解してるのだろう。模擬戦の後、演算宝珠のログを確認したのは他ならぬ彼なのだから。

 

 言い方は悪いが、所詮バッヘム技師――いやH&K社は工作機械メーカーであった。演算宝珠を製造するための機械は作るセンスは有していても、演算宝珠自体を作るセンスは育っていなかったのだろう。

 一度でも正式採用された演算宝珠を設計していれば、術式分割機構の遅延は致命的な欠点だと分かったはずだ。

 

「まぁ、ダメで元々だったのです。良い所まで行ったため変に期待を抱いてしまいましたが、本来の目的は達成できました」

 

 本来の目的とは、帝国軍の演算宝珠コンペティションに参加することだとか。

 帝国軍の仕様書には一見さんお断りのため、参加要項に"過去に軍用演算宝珠を設計した経験を有するもの"との記載がある。H&K社はそこに参入しようとしているのだ。

 皇国のコンペティションに参加したことで、採用されなかったとはいえ"軍用演算宝珠を設計した経験"が担保されたので、次回以降の帝国軍のコンペティションには参加できることになっているという。

 

 とはいえ、実際には技術力と経験で既存の装備品を供給している工廠に軍配が上がると思うが。仕様やコンペティションの結果を捻じ曲げようにも、軍に対する政治力も民間企業では限界があるだろう。

 

「幸い、シェーア提督から海兵魔導師用次期演算宝珠の案内をいただいております。当分はこれを目指して開発を続けることになるでしょう」

 

 私達用のものか……。

 その時までにはもう少しマシなものになっていることを祈っているよ。

 

 

 

***

 

 

 

 その後、バッヘム技師らH&K社の面々は皇国軍の担当者や技術者と1カ月程度の交流をし、帝国へと帰還することになった。皇国軍としても、ライセンス生産のみならず技術供与まで提案しているH&K社を、コンペティションに落ちたからと言ってばっさり切り捨てるつもりは無かったのだろう。

 

 戦艦・戦闘機・戦車・演算宝珠。

 これらの近代兵器が自前で設計開発・製造できる国家は限られており、それができてこそ"列強"であり"一等国"であった。秋津洲は列強の末席に座ってはいるものの、未だ演算宝珠の自力製造には漕ぎ着けておらず、真の"一等国"とは言えない状況であった。

 

 開国以降なりふり構わずに富国強兵に努めてきた秋津洲にとって、H&K社の提案は非常に魅力的なものであった。コンペティションに落ちたにもかかわらず、"お雇い外国人"としてH&K社の技術者を招く話もあったという。

 

 しかし、H&K社の本来の目的である帝国海軍海兵魔導師用演算宝珠の開発のため、技術者達は帝国へと帰国することとなった。無理に引き留めて連合王国からの要らぬ警戒を買うことは、まだ時期尚早だと判断されたようだ。

 その機会が来たときのため、パイプを繋いでおくことの方が重要だと考えられたのだろう。

 

 

 

 このようにコンペティションが終わった後も引っ張りだこであったバッヘム技師とは異なり、私はまたしても事実上の休暇を謳歌していた。

 キィエールから"秋津洲大使館付駐在武官"の辞令が届き、しばらくこの国に滞在することとなったが、ティンダー要塞に赴任した時と同様にやることが無かった。しばらくは演算宝珠が過熱するような長距離訓練にコンラッド軍曹を付き合わせることで遊んでいたのだが、彼は溜っていた休暇を放出するという卑怯(真っ当)な戦術で逃走したため、文字通り手持無沙汰となってしまった。

 暇すぎて、勤務時間中に謝罪を兼ねてキャンフィールド中尉をお茶に誘ったほどだ。

 

 そのキャンフィールド中尉だが、皇国軍で新規採用された連合王国製演算宝珠の教官を務めているとのことで、余り暇そうではなかった。

 私に付き合ってくれたのは連合王国人らしい紳士然対応ということだろうか。

 

 しかし、模擬戦での一件以降、秋津洲人から尊敬を買っていたその紳士的態度が、助平の代名詞となってしまったと嘆いていた。

 申し訳なかったと言いたいところだが、残念ながら自業自得ではなかろうか。模擬術式は射撃も魔導刃も当たれば消えることを知らなかったとは言わせない。演算宝珠から身を乗り出した攻撃は実戦なら有効だったであろうが、今は平時なのだからその後の事を考えるべきだった。

 

「アウェーな環境で愉快な個性が付いて良かったのでは?」

 

 秋津洲人も取っ付き辛い気障野郎より、変態紳士の方が話しやすいだろう。異文化交流だと思って大目に見て欲しい。

 

 事実、キャンフィールド中尉も嘆きながらもまんざらではなさそうであった。世界帝国たる連合王国の軍人なのだ。多種多様な人種の中で上手くやっていく必要がある。いや、やっていかなければならないのだろう。本国は小さな島国で、本当の力の源は遠く離れた植民地だ。過剰な偏見は彼の国では出世を阻む要素となる。もちろん、私がかつて生きていた時代とは物差しの目盛間隔が全く異なるが。

 

 

 

「ところで、ブランデンベルガー少尉は暇なのか?」

 

 何度目かの()()の際、キャンフィールド中尉が切り出した。

 曰く、件のコンペティションを見ていた皇国魔導師の一部から、長距離作戦の顧問として私を招きたいとの声があるとのこと。

 いや、大使館を通じて言えよ。

 

 内実は皇国魔導師隊の組織に由来する問題であった。

 連合王国を模範として組織された皇国海軍とその海兵魔導師は連合王国製の演算宝珠とその戦闘教義に満足していたが、建軍以来帝国陸軍を手本としていた皇国陸軍とその航空魔導師には不満があるようだ。

 

「まぁ、同じ演算宝珠を採用しているだけ、我が国(連合王国)の陸海軍の仲の悪さと比べれば遥かにマシさ」

 

 どこも似たようなものか。

 軍事費という限りある予算を奪い合う官僚組織なのだ。仲良くなれるはずがない。

 

 しかし、H&K社の演算宝珠と比較して長距離作戦能力に劣る連合王国製の演算宝珠で、皇国海軍が満足しているとはどういう了見なのだろう。彼の国の海軍は色々な要素を切り捨ててまで航続距離を重視するのではなかったのだろうか。

 

 その疑問は大使館経由で正式に顧問としての要請が来ることで解決した。

 

 

 私の教導を要請したのは、皇国陸軍の加藤少佐。設立されて間もない皇国陸軍魔導師の実戦部隊指揮官だという。

 少佐の開口一番は、意外な情報であった。

 

「海軍の連中は長距離作戦能力というのをあまり重視しておりません」

 

 え、そうなの? 海広いじゃん。

 

 もちろん、一部には長距離作戦能力を与えようと考えている人間もいるらしいが、それは少数派とのことであった。汎用性に富む魔導師だが、如何せん数が少なかった。希少な魔導師を母艦から遠く放って損耗することは、リスクに対してリターンが少ないと考えられていた。

 それもそのはず。未だ大戦が起こっておらず、内南洋を手に入れていない弧状列島の海軍は、対ルーシー戦役の様に「近海で敵主力艦隊を迎え撃つ」ことを金科玉条としており、荒れ狂う太平洋にちっぽけな魔導師を飛ばす必要はどこにもなかった。

 

 艦隊同士の決戦が起こる様な戦争であれば、少なくとも宣戦布告あるいはそれに準じた最後通牒等が手渡されてからであり、奇襲を受ける可能性は少なかった。また、戦艦を持つような列強が極東に艦隊を派遣しようとすれば、自ずとルートが限られてくるため、そこを前線配備した通報艦で捉えれば十分だとの考えであった。

 

「皇国陸軍では魔導師を騎兵に代わる兵科だと考えております。対ルーシー戦役で我が国の騎兵隊が任されたが実現できなかったこと、これを魔導師で実現したいと考えております」

 

 対ルーシー戦役時、ルーシー軍の補給線は首都ピチルブルグから遥か東方のマンチュリアの前線まで、1本の鉄道"シベリア鉄道"で賄われていた。なお、開戦当時シベリア鉄道は全線開通しておらず、輸送力が不足していた。敷設の終わっていなかったバカイル湖周辺は、険しい地形による難工事となっており、秋津洲との戦争中にようやく開通したほどであった。

 そんなルーシーのアキレス腱を、皇国が狙わない訳が無かった。

 

 ところが、皇国軍の前線からバカイル湖までは約2000kmもあり、とてもではないが騎兵で到達可能な距離ではなかった。諦めて手前のマンチュリア支線を狙い、度々騎兵の小部隊を派遣したが、ルーシーの反撃やマンチュリアの自然に阻まれ、最後まで叶わなかったという。

 

「騎兵隊がルーシーの補給線を叩けなかったため、我が軍は数的優勢なルーシー軍相手に大きな損害を出すこととなりました。次の機会では、同じ失敗を繰り返すわけにはいきません」

 

 帝政が崩壊して共産主義国となったルーシーだが、秋津洲に復讐戦争を挑む気は変わっておらず、マンチュリア周辺には大軍を置いていた。もちろん、皇国もそれに対抗して軍隊を配置しているが質量とも十分とは言えない状況だった。

 シベリア軍団だけではなく、欧州から増援が来るようであればマンチュリアどころか大陸が持たない――そう考えた皇国陸軍は、シベリア鉄道の破壊工作が可能な兵科を探し、魔導師に行きついた。

 マンチュリアの広大な荒野を抜けるためには、大喰らいの機械化部隊では物資が足りず、この時代の航空機では航続距離が足りなかったのだ。

 

「つきましては、長距離飛行の権威たるブランデンベルガー少尉には、皇国陸軍魔導師に長距離浸透訓練を行っていただきたい」

 

 いつの間に権威とやらになったのだろう。

 それに、私にできることは海上を魔力垂れ流しで飛ぶことであり、隠密に浸透することではない。

 とはいえ、馬鹿正直に宣言してお断りするのもキャリアに瑕がついてしまう。何とか適当にごまかせないだろうか。彼らはニンジャの末裔なのだ。飛ぶことだけ教えれば、後は彼らが創意工夫で何か良い感じにやってくれることを期待しよう。

 

 

 

 魔導師の能力は生まれ持った才能に依存する。単位時間あたりに生成できる魔力量、自身に蓄えて置ける魔力量、単位時間あたりに放出できる魔力量。そういった術式運用の根本的な要素は、個人の"定数"とされており、訓練では運用効率を上げることしかできない。

 ――と、経験的に言われている。

 

 不思議に思って士官学校時代に文献を漁ってみたが、どいつもこいつも「昔から言われている」で誤魔化していたり、出展も定かではない古の書籍を参照していたり、再現性に乏しい計測であったりと、ついぞ確実かつ定量的な証拠を見つけることができなかった。

 魔導師という魔法のプロフェッショナルになって薄々感じたことではあるが、我々は「なんとなく」で魔法を使っている。

 今使っている術式も、古来から伝わっている聖句であったり、それらを組み合わせたらある日偶然上手くいったものだったりと、ブラックボックスを開けるには至っていない。

 

 魔法というエネルギーが一体何なのか。

 それを物理世界に干渉して事象を発現させる術式はどういったものなのか。

 

 人類は、これを定量的に計測し、または人語に読解する術を未だ持っていない。故に魔法は「神の権能」と比喩されているのだ。

 

 

 

 しかし、私は科学者(サイエンティスト)ではなく技術者(エンジニア)だ。三現主義に基づいて、現実的に魔法で実現可能な範囲を調べなければならない。

 

 要は、落ちるまで飛ばせればよいのだ。

 流石"精神エネルギー"と言われるだけあって、精神論と相性が良いな。

 

 

 

***

 

 

 

「皇国は広いそうですね。案内してもらえないでしょうか」

 

 ブランデンベルガー少尉に長距離浸透の教導を依頼した際、彼女は冗談交じりにそう言った。

 確かに皇国は広い、と言うよりは細長い。北はクリル諸島から南は高砂島まで、緯度にして30度も幅があるというのは、陸地が小さくまとまった欧州では考えられないことなのだろう。

 軍隊、それも士官ともなれば全国転勤は避けられず、それを理由にエリートコースを避ける人間もいるのだが、帝国の様にわざわざ海軍の艦艇を借りなくても長距離訓練ができるのは得難い利点だ。

 

 少尉は軍機に当たらない程度の大雑把な地図を眺めながら、「どうせ飛ぶなら観光がしたい」と言い出した。

 西洋人にとってはオリエントな風景が物珍しいのだろうか。しかし、皇国に貢献してくれる所詮"お雇い外国人"だから許されるものの、秋津洲の軍人が発そうものなら"職務怠慢""敢闘精神の著しい不足"等の官僚文書的罵詈雑言で履歴書が真っ黒になってしまうだろう。

 一応、彼女の要望に応える様に、各地の名産や観光地を提示する。それを聞いた彼女が地図上に航路と経由地を線と点で描くのだが、線が異様に長い。

 

「少尉、航路が長すぎるのでは? 道中で魔力が尽きて落ちてしまうだろう」

 

 少尉は非常識な程長く飛べるようだが、それは彼女の先天的な才能によるものだ。皇国陸軍が想定しているのは陸地での長距離浸透であり、無着陸飛行という前提は必要ない。休憩を挟んでも辿り着くことが出来れば良いのだ。

 だが、彼女は無着陸飛行にこだわった。いや、魔導師の可能性というものに執着していたのだろう。

 

「"魔力が尽きる" 本当にそう思っていらっしゃいますか?」

 

 どういう意味だろうか、と一瞬考え込んだ。

 工廠の技官じゃあるまいし、現場指揮官にそういった学者的な思考はあまり備わっていないのだ。

 

「一般的に"魔力量"というのは、ある魔導師に失神するまで消耗させた時の総魔力量を指します。失神すれば術式の行使は不可能ですから、それ以上の計測も不可能です。

 しかし、この計測方法には欠陥があります。失血死するまで血を流したとしても、人間の血の量を量るのには適していないように」

 

 清流の様にさらりと彼女の口から流れ出た言葉は、私の背中を冷たく下った。

 本当にやる気なのだろうか、たとえ魔力を消耗し尽くして失神したとしても、叩き起こして飛ばさせる。蠟燭が燃え尽きてもなお燭台に着火するような理不尽を。

 だが、彼女の表情は微動だにせず、声の抑揚にも違和感は無かった。

 まさかとは思うが――

 

「……少尉は実践したのか? 魔力が尽きたとしてもなお飛び続けるということを」

 

「試したのですが、先に演算宝珠が音を上げまして。退役後は頑丈な演算宝珠で、賞金が付いているような長距離飛行に挑んでみたいと考えております」

 

 柔らかな微笑を崩さずに答える彼女を見て確信する――頼む相手を間違えた。

 優秀な兵士は、必ずしも優秀な教官になるとは限らないのだ。

 

「ご心配なく、少佐。十字教圏では魔法のことを"神の御業"とも称します。信ずれば叶う、不可能はありません」

 




後2~3話で戦争に突入するといったな?
あれは嘘だ

いや、あまり戦前編が長くなると仮想戦記としての面白みが漸減するのは分かっているのですが、ちゃんと書こうと思うとどうしてもやっておきたいことがありまして。。。
多分後2~3話で戦争に突入します(2回目


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第7話:駐在武官の海軍士官

4ヵ月は自分的に早い更新()


 皇国陸軍航空魔導師1個中隊9名。

 それが、ブランデンベルガー少尉の長距離浸透訓練に参加する全員であった。頭数だけでいえばもっと居るのだが、むやみやたらと多くても訓練の質を低下させるだけだと考え、最小限の選り抜きのみとした。

 "お雇い外国人"には国内で最も優秀な者たちを預け、その後彼らが次代を育成する。それが我が国のやり方であった。

 

 ――先日の打合せにおける少尉の雰囲気から、生半可な者を参加させた場合の被害が頭をよぎったというのも理由の一つではあるが。

 

「ごきげんよう」

 

 少尉を整列させた中隊の前に案内すると、鈴のような声を発した。

 部下達が少しざわつく。無理もない、見た目は冗談抜きで良いのだ。

 

 西洋の女性は幼い頃こそ人形のように可愛げがあるものの、成長するにつれ――我々の美的感覚からすれば()()()()()()しまう事が多い。その点、彼女は絶妙なラインでそれを回避していると言えるだろう。西洋人同士で彼女を見たときは分からないが、少なくとも東洋人的感覚では特級の美人だった。

 

 彼女を叩き上げの兵隊の前に出そうものなら、黄色い声でしばらく仕事にならなかったであろうが、精鋭の第一士官で固めていたため動揺は最小限で済んだ。"陸士卒"の肩書はそれ程までに重いのだ。

 

「帝国海軍魔導少尉のエーリカ・ブランデンベルガーだ。加藤少佐より長距離浸透訓練の教官として招聘していただいた」

 

 少尉という階級はお世辞にも高くない。教導を受ける側が士官ばかりというのもあって、この中では彼女の階級は同率最下位だ。

 しかし、彼女が部下に()()()()()心配はなさそうであった。

 人種・母国・性別、普通ならマイナスになりそうな要素を上手に取り込み、どもりの無い良く通る声も合わさって、一段上位の教導者を演出している。

 

「――とはいえ、過剰に"訓練"だと意識して身体を強張らせるのは、長距離長時間の訓練に悪影響を与える。気楽に行こう。外国人である私に、秋津洲の名所や名産を案内する気持ちで頼む」

 

 少尉の言葉に、部下達が張った気が緩むのが分かった。

 陸軍士官かつ魔導師という特権階級の恩恵を二乗で授かれる彼らだったが、その代償として今までの訓練は過酷だった。他ならぬ私がそうしたのだから。

 しかし、その訓練の内容は既存の兵科の延長線上にあり、魔導師としての能力――特に皇国陸軍が求める能力を鍛えることが出来ていたかは、甚だ疑問であった。

 

「まずは――そうだな、加藤少佐からこの時期のクリル諸島の鮭が美味しいと聞いた。手掴みで獲れる程の群れが川を遡上してくるそうだ。是非、食べてみたい」

 

 訓練を散歩や旅行に例えるのは良くある話であった。上官が冗談を言ったときは部下も冗談で返して良いという暗黙の了解もある。

 故に、彼女の口から出た地点を聞いて、部下達は笑いながら返すのだ。「遠すぎます」「もっと近くに良い所がありますよ」と。事実、クリルは皇都近郊から気軽に飛べる場所でもなく、冬の足音も近づいてきた季節に赴く場所でもない。

 

 だが、残念ながら彼女は本気でこの国を端から端まで巡るつもりなのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 加藤少佐に案内されたところには、私より立派な階級章をくっ付けた面々。

 教官と生徒が逆なのではないかと疑ってしまう。軟弱な帝国魔導師に皇国魔導師が稽古をつけてやる、と言ったところだろうか。

 

 事実、私は魔導師として戦闘能力に秀でているわけではない。特に先日の模擬戦では演算宝珠の性能差というハンディキャップもあったとはいえ、巴戦で負けてしまった。

 士官学校時代の白兵戦成績は下から数えた方が早かったため、サムライ・ソルジャーとの呼び声が高い皇国魔導師、それも精鋭中の精鋭には瞬きする間もなく蹴散らされることだろう。

 

 生徒より弱い教官が下手に厳しい訓練をした結果、後ろから刺されるのはゴメンだった。

 

 その点、長距離行動訓練は都合が良い。飛んでいるだけならそう簡単に恨まれないし、恨まれる頃には凶器になり得る演算宝珠は過熱で使い物にならない。どれ程の手練れであろうとも、武器を失っていれば無力化は容易だ。

 

 とはいえ、初めから舐められるつもりはない。

 階級の不足は、この国に蔓延っている舶来コンプレックスで補うことにしよう。術式を応用し、ちょっと声質に威厳を持たせたり、気づかない程度に視覚効果を纏ったりと、ちょっと演出するだけで「外国から招いた専門家」像が出来上がる。

 

「まるで詐欺師ですな」

 

「失礼な、女優と言ってくれないか」

 

 相変わらず敬意もへったくれもない軍曹だったが、言わんとしていることは分からなくもない。ちょろっと大陸から演算宝珠で飛んできただけで高給取りの"お雇い外国人"扱いしていては、秋津洲中の女工が生糸を紡いでも足りないだろう。

 私としてはお人好しの国民性に感謝する一方、悪い奴に騙されないか心配である。

 

 

 

 口だけの授業もほどほどに、さっさと実践訓練を行うことにした。

 

 魔導は雑に言ってしまえば"原理は分からないけれど再現性があるから使っている"という、工学者は納得させられても科学者が助走を付けて殴りかかってくるような代物だ。それに、私自身"飛べるから飛んでいる"ところもあるので、下手に話を続けるとボロが出てしまう。

 

 事前に加藤少佐に話を付けてもらった駐屯地を経由して、秋津洲の弧状列島を太平洋沿いに北上して行く飛行計画を提示する。経由地の間隔は、コンラッド軍曹らの実績を考慮して200km程度から徐々に伸ばしてゆくことにした。

 流石私、教導者の鏡である。

 

「飛行距離が長すぎるのでは? 最後の行程に至っては1,000km近くあります」

 

 そこ、うるさい。

 君達がサハリンと交換したクリル諸島に全然駐屯地を置いていないからじゃないか。まぁ、島伝いに飛ぶ予定なので最悪その辺りに降りれば良い。心配は無用だ。

 

 実のところ、"イザとなったら降りられる"というのは非常に重要な要素である。

 第二次世界大戦時の撃墜王がドイツ人で占められているのは、何度か撃墜されても歩いて基地まで帰ってこれるからだ。如何にエースと言えども、その時々の体調やうっかりミス、ラッキーヒット等で不運に見舞われることがある。そこでリカバリーが利き、貴重な人材を失わずに済むことは大きい。日本人は鮫の餌になるしかなかったのだから。

 なお、勝ち戦で余裕のある連合国軍は別枠だ。

 

 それに、私には候補生時代、コンラッド軍曹らを飛行訓練中に疲労困憊で"撃墜"しかけたという前科がある。

 「自分ができるので他人にも同様の成果を求めた結果、失敗する」というダメ上司の見本のような失態であった。正直、お咎めなしで卒業できたのが不思議なくらいだ。

 

 それ以降、本国での飛行訓練ではヘボでも貴重な海兵魔導師を失わないよう、恐る恐る飛行訓練を行わなければならなかった。

 対して、ここは他国の精鋭に言いたい放題、好きな訓練メニューを押し付けることが出来る。大西洋と比較して秋津洲近海や西太平洋は島嶼が多く、休憩地点にも事欠かない。

 それに、万が一の場合は本国に高跳びするという最終手段もある。

 

 秋津洲からも謝礼は出ているとはいえ、所属は帝国海軍である。馬鹿正直に「仮想敵国の兵隊を鍛えてきました」では、駐在武官として2流どころか3流だ。多少無茶を押し付けても大丈夫なモルモットを使って、何か+αの成果物を持ち帰らなければならない。

 

 

 

***

 

 

 

 てっきり部下達を扱き倒すのかと思われたブランデンベルガー少尉の訓練は、その予想に反して気遣いに富んだものであった。

 部下が過度な疲労を訴えれば目的地でなくとも降着休憩を挟んだし、飛行速度も落とした。

 疲労を訴えた部下は「部隊の足を引っ張った」という自責の念に駆られることも多かったが、1対1での個別面談等による精神状態への配慮にも余念がなかった。

 飛べなかったことを責めるのではなく、"何故飛べなかったのか"、"どのような症状が心身に生じたのか"を細緻に聞き取るという、我が国の諺である「罪を憎んで人を憎まず」を文字通り実行出来る軍人は、皇国でもあまりお目に掛かれないものだ。

 

「魔導技術には未知の領域が多く、長距離長時間の作戦行動でのそれもまた同様です」

 

 クリル諸島最北端の皇国軍駐屯地。寒空の中、部下達が川に飛び込んで遡上する鮭を手掴みで獲るのを眺めつつ、焚火で焼いたそれを頬張りながら彼女は言った。

 

「出来ない事には2種類あります。原理的に不可能なこと、未知の原因が妨げていること。少なくとも同じ人間である私が可能なのです。前者はありえません。であれば訓練を通じて後者を一つ一つ暴いて潰すだけです」

 

 事実、障害となっていた原因は、この訓練を通じて複数特定されている。

 

 例えば、魔導師の精神状態。特に"航法が確立されている"か否かというのは長距離作戦能力に大きな影響を与えていることが分かった。

 ティンダー要塞から本土まで約1,000kmを飛んできた実績を持つブランデンベルガー少尉が編隊を先導した場合と、なんの実績も無い皇国魔導師が先導した場合では、最初の落伍者が出るまでの航続距離に倍以上の開きがあったのだ。

 

「皇国魔導師に足りないのは長距離作戦における成功体験です。然るべき技術と経験を取得した上で、"出来る"という自己暗示が成ればこの障害を乗り越えることは容易でしょう」

 

 意外なことに、彼女は魔力量等の個人の資質に言及しなかった。

 否、言及したものの、「甲虫にダンプカーを引かせるような無理難題ならばともかく、甲虫同士の喧嘩の勝敗には体格差ではなく"勝った経験があるかどうか"が最も支配的です。もちろん、体格があるに越したことはありませんが」といったように、重要視していないようであった。

 人間と昆虫を同列視する思想には苦笑いを隠せなかったが、そもそも自民族以外を人間として見ない連中もごまんといる中では一番マシな部類ではある。

 

 出来た人間なのだろうか。

 あるいは、そもそも興味が無いのか。

 

 旬の幸をある程度堪能したところで、変わりやすい北国の空が暗い色と重い風で嵐の到来を告げた。

 

「少尉、中に入ろう。もうじき荒れ模様になる」

 

 しかし、少尉はその場から動かず、迫りくる雪雲を見つめたままであった。

 

「少佐、悪天候はどれくらい続きそうなのですか?」

 

「"しばらく"としか。冬の北太平洋は人の居るべき場所ではない。大型船舶ですら、経済的な大圏航路を避けて通る程だ」

 

 列島沿いであればそこまで荒れはしないが、霧が酷く、こちらも航路に向いているとは言い難い。お陰で、この辺りは冬になると残っている兵隊以外に人間が居なくなってしまう。

 訓練前に部下達が"もっと良い所がある"と言ったのは、ある意味冗談ではなかったのだ。

 

「そうですか。では、休息が取れ次第出発の準備を」

 

「は?」

 

 少尉は私の話を聞いていたのだろうか。

 悪天候で行動を阻害されるのは船舶だけではない。航空機や魔導師だってその例に漏れないのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 うっかりしていた。

 

 大体定刻通りに飛んでくれる飛行機がある時代の人間には想像し辛いが、この時代の航空機は雨や曇りで飛べなくなる。某南の島の大王並みの稼働率だ。

 厳密には、飛べないことは無いが降りることが出来ないというのが正解だろうか。

 雲が垂れ込めていれば、どこに滑走路があるのか分からない。適当に高度を下ろせば雲中から突然現れる山腹と熱いキスを交わすことになる。

 

 もちろん、魔導師も例外ではない。

 

 しかし、ヘリコプターの様に垂直離着陸やホバリングが可能な魔導師であれば、運用次第で前述のような事故は減らすことが可能だ。付近の想定障害物よりも高い高度を飛べば良く、迷ったら真っ直ぐ降りてしまえば良い。航空機の様に滑走路も要らなければ、ヘリコプター程の面積も不要だ。下が市街地だろうと山林だろうと、魔導師は降りることが出来る。

 

 なので、秋津海上を飛行し、サハリンを経由してマンチュリアを目指す行程は、可能か不可能かで言えば十分可能だと言える。

 海上は高速飛行しても激突する障害物がなく、マンチュリアの冬は高気圧に覆われて晴れやすい。経由地の天候に不安は残るが、慎重に降りれば問題ないだろう。

 

 障害となるのは、北太平洋の比ではない荒れっぷりの冬の秋津海を通ること、その辺の地面がツルハシを弾き返すようになる極寒のマンチュリアが目的地であること程度だ。まぁ、ちょっと距離があるのだが、皆ここまで飛んでこれたので案外大丈夫なのではないだろうか。

 

 けれど、少佐にとってその程度の問題がお気に召さないらしい。

 ここは適当な屁理屈で丸め込んでしまおう。せっかくの優秀なモルモットを自由に使える貴重な機会だ。なるべく逃したくない。

 

「少佐、魔導師の飛行術式は天候により妨げられるものでしょうか」

 

「いや、そのようなことは無いが……」

 

「では、索敵術式や攻撃術式が天候により妨げられることは?」

 

 この問いにも否定の言葉が返ってくる。

 もちろんそうだ。演算宝珠が濡れたぐらいで術式が発動しなくなったりなんてことはない。まぁ、雨天だと光学術式の減衰が多少早くなったりもするかも知れないが、誤差の範囲だ。

 

「私達魔導師は"理論上"()()()()()()()()()を有しています。艦艇や航空機等既存の兵科の常識を我々に当てはめるべきではありません。いえ、むしろ諸外国が魔導師という兵科に対して既存の常識を持ち込んでいる今ならば、皇国が一歩先んじることが可能です」

 

 さぁ頑張れ私。口八丁手八丁で堅物の首を縦に動かすんだ。

 穏やかな笑みを貼り付けて少佐に一歩近づく。どうだ、神造の美に屈するが良い。

 

「……それは、皇軍に必要な能力なのか? 部下を危険に晒してまでも得るべき力なのか?」

 

 じり、と一歩後ずさる少佐。美女を前に失礼な男である。

 

「秋津洲大陸派遣軍――"関東軍"がマンチュリアで睨み合っているのは、世界最大のルーシー連邦シベリア軍団です。共産主義者と相容れない政体である貴国に対して、彼らはいつ戦端を開くか分かりません。訓練を恐れるべきか、それとも赤の津波を恐れるべきなのか、良くお考え下さい」

 

 少佐が下がった分だけ私が進む。

 もっとも、真正面から行っても引かれるだけなので、斜め前に踏み出して、彼の耳元で囁くように伝える。見てくれ相応の声で良かった。少佐は1920年代にASMRを体験した初めての人間となっただろう。

 

「帝国の、貴官の真意はなんだ?」

 

 うーん。帝国の信用度が足りていないのだろうか。

 帝国の軍需産業は極東大陸に武器を売りさばいており、軍閥の群雄割拠状態という火に油を注いでいる。勿論、帝国政府もそれを大っぴらに支援しているのだ。勘違いした軍閥が手に入れた兵器でマンチュリアにちょっかいを出すこともある。

 

 極東大陸の安定を望む秋津洲としては、帝国の行動にフラストレーションも溜まろうというもの。

 しかし、帝国にとっては貴重な外貨収入源なので、適当に見逃していただきたいところだ。 

 

「何も。ただ、共産主義者を相手にしている限り、帝国は貴国と共にあります」

 

 ルーシーの戦力を極東に分散してくれるのであれば、別に誰でも構わなかったりするのは内緒だ。

 

 

 

「先日から秋津洲の兵隊の目つきが厳しくなりました。何をしたんですか?」

 

 加藤少佐の説得に成功し、全天候作戦能力獲得に向けた実験もとい訓練の準備を行っていたところ、コンラッド軍曹から不穏な一言が発せられた。

 彼らの中に憲兵や特高は居なかったはずだが。

 

「まさか。加藤少佐に訓練の必要性を説明して、快く了承してもらっただけだ」

 

 上官の前でデカい溜め息を吐く軍曹。

 最近溜め息しか吐いてないのではないか。幸せがどこかへ行ってしまわないか心配である。

 

「何か知りませんが、不適切な言動があったことは承知しました。精々刺されないように頑張りましょう」

 

 勝手に決めつけるんじゃない。

 

 

 

 なお、訓練自体は順調に進んだ。

 

 秋津海上の分厚い雪雲を突破し、氷点下のマンチュリアの大気を抜ける。道中風邪を引きそうになる者が出たため、環境制御用の術式を教える羽目になりスケジュールが後ろ倒しになったが、まぁ許容範囲内だろう。

 

 ちなみに、クリルからマンチュリアまでの最短ルートは、ルーシー連邦領の沿海州に引っかかってしまうため、これを避けるために南下して遠回りをする必要があった。

 人民"平等"を謳うルーシー連邦は特定個人に特殊能力を付与する魔導師を良しとしておらず、全員収容所に放り込んでしまったようなので、上空を侵犯しても魔導反応の探知ができずバレないのではないかとも思い、加藤少佐には提案してみたものの、一顧だにされなかった。

 常識的な外交判断だと思うが、もったいない気もする。

 

 その後、当初目的は達したという少佐に対して、「極東での皇国の役割を考えると、熱帯での作戦能力も必要」や、「皇国の地理的環境を考えると、渡洋能力も必要」といった適当なそれっぽい理屈をくっつけて、南西諸島から高砂まで巡ることが出来た。

 

 最初は渋っていた少佐も、私の魅力的な提案と部下の加速度的な成長に最後は気を良くして、進んで協力してくれるようになった。「季節が許せば台風の中を飛んでみたかった」等、私ですら尻込みするような発言すら出るありさまだ。

 そんな隊長の魂が伝搬したのかはわからないが、いつの間にか彼らは世界中大体どこにでも持っていけそうな魔導師へと成長してしまった。

 

 

 

「……やり過ぎたかもしれない」

 

「今更でしょう」

 

 訓練終了後、しばらく駐在武官として暇をしていたところ、加藤少佐より"皇国陸軍魔導師の発展に著しく貢献"と称して叙勲の案内が届いた。本国の勲章を1つも持っていないのに、である。

 

 流石にキィエールも真っ新な軍服で公の場に立たせるのはまずいと思ったのか、適当な理由を付けて勲章を贈ってきた。

 特段戦功を上げているわけではないので、女性皇族用に設けられていた儀礼的な勲章を授与してもらうことになったのだが、陸軍国家である帝国では彼女らが海軍に入隊した前例がなく、慌てて陸軍のものを真似て新設したようだ。

 お陰で、同封されている勲章の説明書きと実際の造形に著しく差異が生じている。酷い手抜き製作であり、世が世なら「箱絵詐欺」と呼ばれても仕方がないだろう。

 

「……その、個性的な勲章ですな」

 

 叙勲の場で出会った加藤少佐も顔が引き攣ってしまう。無理もない。

 一応、勲章のデザインは「人魚と錨」ということになっているが、錨の造形が稚拙で蛸足にしか見えない。非常にセンシティブな形状だ。

 送って来ない方がマシとしか言いようがない。

 

「海軍女性士官用の儀礼的なものです。お気になさらず」

 

 恥ずかしいと思うから恥ずかしいのであって、堂々としていれば相手も「そういうものだ」と誤解してくれるのではないか。

 変な文字のTシャツを着ていても、母国語でなければ問題ない理論でいこう。

 顔に出てしまった少佐と違って、皇族は場慣れしているのか式典中眉毛一つ動かさなかった。流石である。

 

 下賜されたのは皇国の勲章と"恩賜の軍刀"。

 残念ながら私は秋津洲の剣術を履修していないので、極東帰りの米兵よろしく自室に飾っておくことしかできない。

 私より格闘戦が強そうなコンラッド軍曹に渡しておけば、それなりに活躍してくれるのではないだろうか。

 

「それはあくまで儀礼用の刀だ。古式ゆかしい製法で作られており、美術品としてならともかく実戦で使うものではない」

 

 式典後、貰った軍刀を軍曹に振らせて遊んでいたところ、少佐がやってきた。

 彼自身が佩用している軍刀を見せてもらって比べてみたが、私には違いが分からない。

 

「装備としての軍刀は、冬のマンチュリアでも夏の高砂でも変わらない切れ味と強度を提供できるよう、新たに開発した刃物鋼を使用し、強力なスチームハンマーで叩き上げた逸品だ。加えて、我々魔導師に支給されるものは特殊な合金鋼を用いており魔導伝導度も高く、魔導刃より効率の良い格闘戦が可能となっている」

 

 曰く、対ルーシー戦役において、秋津洲兵が個人でマンチュリアに持ち込んだ由緒ある刀剣が、冬期になると低温脆性でほとんどダメになってしまった反省だとか。

 そんなところに冶金学のリソースをつぎ込んでいる暇があれば、もっと他の所に手当てをするべきだとも思わなくも無いが、なんらかの理由があるのだろう。それで納税者が納得しているのであれば、何も言うまい。

 

 しかし、魔導刃より魔力が効率良く運用できるのは魅力だ。十分な攻撃力を持つ高出力の術式を顕現したままとなる魔導刃は、大変燃費がよろしくない。

 重量が無いのは魔導刃の代えがたい魅力だが、直感的にリーチや打撃力が把握できず、慣れを要する欠点も併せ持つ。私の近接戦闘科目の成績が良くない原因だ。だからと言って、全く素養の無い刀を今更手に取る気も無いが。

 

「演算宝珠のコンペティションの時に思ったのだが、少尉は格闘戦が苦手と見える。長距離作戦教導の礼だ、一つ秋津洲の剣術を覚えて帰るというのはどうだ? 実戦用の軍刀も私のコネで用意できる」

 

 いや、銃砲弾飛び交う中で刀を振り回すのはナンセンスだ。近接戦闘なら短機関銃と手榴弾が大正義、ロシア人もそう言っている。

 しかし、私が断る言葉を口に出す前に、軍曹が一歩前に出た。

 

「素晴らしいアイデアです。我がブランデンベルガー少尉は近接戦闘に難があり、本官としても不安に思っていたところです。加藤少佐の教導があれば、帝国海軍一の魔導士官へと成長するのではないかと考える次第です」

 

 見事な上官売却である。

 私から逃げるために休暇を使い切ったかと思いきや、今度は上官を秋津洲のブートキャンプに放り込むとは。

 覚えていろよ軍曹、戻ってきたら秋津洲からペラウまでの無着陸訓練に連れ出してやる。

 




めっちゃ今更ですが、コンラッド軍曹は”副官”ではなく"従卒"が正しかったかもしれません。
尉官に1:1で従卒が付くのか問題もあるのですが。


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第8話:再会する海軍士官

こんな事を書いていますが、この秋津洲陸軍はWW1前の日本軍と同様、優勢火力ドクトリンを採用しております。Great Warで消費される鉄量を見た後どうなるか分かりませんが。


 

 

「筋は悪くない。時間さえあれば秋津洲の精兵にも劣らない強者になれるだろう」

 

 加藤少佐とその愉快な仲間達にボコボコにされた結果、お世辞に毛の生えた言葉を頂戴することが出来た。

 こっちは外様だぞ、手加減ぐらいしてくれても良かったのではないだろうか。

 

「ところで、少尉用の軍刀を用意させているところだが、良かったら工場でも見学していかないか?」

 

 曰く、外国の外交官や駐在武官には土産としてオリエントな刀とその製造風景は好評だそうだ。あまり興味は無いのだが、その地方は飯が旨いと聞いたのでホイホイ付いていく。他国の国費で高級旅館が付いて来るのであれば、断る理由は無い。

 

 

 

 製鉄が盛んな地方だというだけあり、軍刀のみならず、鉄鋼業に関する大小様々な工場が立ち並んでいた。

 しかし、工業刀を作っている工場は典型的な二流国家のそれであり、よく言えば堅実、悪く言えば何ら見るところが無かった。手工業の方は極めて興味深かったものの、伝統工芸品の域を出るものではない。

 帝国に比肩するのは、甘く見積もっても隣に建っている新型の大規模製鉄所くらいのものだろう。

 

 そんな心の内を漏らしたつもりはなかったのだが、少佐は私を秋津海岸沿いの神社に連れてきた。目の前では魔導師用軍刀の材料となるインゴットを中心に、神主や巫女によって何やら怪しげな儀式が行われている。

 魔導師だからと言って、こんな非科学的な行為に興味があると思われたのだろうか。これを見るくらいなら、あのインゴットの合金組成や溶解鋳造の工程を知りたかったのだが。

 

「他国の宗教に口を出す気はありませんが、アレは意味のある行為なのですか?」

 

「少なくとも軍刀の機械的性質が落ちることは無い。伝統行事を存続させ、雇用も創出できる。良い事ばかりだ」

 

 肝心の軍事的性能に何ら寄与していないことを無視して良いのなら、な。

 

「この辺りでは神話に出てくるような刀剣が作られていたという伝説もある。所縁の地で造られ、高名な神社のお墨付きがあれば兵士の士気も上がる。どれほど、とは言えないが、無視できない要素だ」

 

 そういえば、この国はついこの間まで内戦で抜刀隊を活用していたんだった。

 未熟な近代国家の国民軍では、最新の後装式施条銃で武装していようとも、旧戦士階級の白刃突撃を許すことが多々あったという。加護があるのか無いのかは知らないが、そのような状況では霊験あらたかとされる神刀神剣がありがたがられることだろう。

 とはいえ、銃砲弾が飛び交う近代戦で御守り以上の意味があるとは思えない。ビームでも撃てれば話は変わってくるのだろうが。

 

 

 

 儀式を終えたのか、巫女達がしずしずと祝福されたインゴットを倉に仕舞い始めた。

 

「潮風が直撃しそうな倉の位置ですが、錆びないのですか?」

 

「錆びます。錆びた部分を削ぎ落すことで減る質量は"神が地金の品質を確認した証"だと言い伝えられております」

 

 そう流暢な帝国語で答えたのは神社の神主だった。その教養があるなら、ただの酸化反応をスピリチュアルな言い方に置き換えないで欲しい。ワインじゃあるまいし。

 

「とはいえ、倉の中で進む錆などしれております。()()()に半年お預けすることで、鋼に真の御利益が授けられるのです」

 

 はぁ。

 歩留を下げるだけの工程に半年もかけるなんて気の長いことだ。

 

 その御神体とやらは、秋津海の荒い波が打ち寄せる磯にある岩だという。彼らの神話では、そこに穿たれている穴の中に、名高き一柱が顕現されたとか。

 神主の案内に従って歩いていると、なるほど、海岸から少し離れた位置に注連縄が巻いてある岩が見える。よくあそこまで持っていったものだ。

 

「大潮期の干潮時のみ、御神体まで渡れるようになります」

 

「こんな感じに?」

 

 引いた潮の間から頭を出した岩礁が点々と飛び石として道を作っている。

 世が世なら、"映え"を狙った無謀な観光客による水難事故が多発しそうな場所だ。関係者以外立ち入り禁止にすべきだな、いや、既に神域か。

 

「ええ……そうですが、今日の月齢は……そんなことは……」

 

 確かに、今日は新月でも満月でもない。

 だけれども、これはそれ程不思議なことではない。

 

 突き出た岩礁を一つ一つ跳んで進む私に対して、後ろから声がかかる。

 心配は要らない、だってこれは()()()から呼んでいるのだから。

 

 先程までの海面の高さを忘れたかのような波が私を浚う瞬間、()()は来た。

 

 

 

「随分と遠回りなお誘いですね」

 

「妾はここから動けんのでな。近寄ったときに気付いてもらうよう誘導するしかあるまいて」

 

 私をこの世界に放り込んだ存在はどこの民族とも文化とも形容しがたい衣装と造形をしていたが、目の前の存在は先程の神社の巫女と似たような衣装を纏っていた。"動けない"のもあながち嘘ではないのかもしれない。

 

「久しいのぅ、息災か?」

 

「私としては、"初めまして"なのですが」

 

「そなたと会った存在は、妾自身でもあり、上司でもあり、同僚でもあり、商売敵でもある。人の子の言葉は難しいのぅ」

 

 ややこしい存在だな。「異教の神だ、やってしまえ」くらい分かりやすい方が良い。この体はあの偉そうな唯一神ぽい奴による神造ボディだ。性能が見てくれだけでないのであれば、ワンチャン目の前の一柱なら何とかなるのではないだろうか。

 しかし、向こうもこちらを誅するために呼んだわけではなさそうなので、平和に行くとしよう。

 

「それで、わざわざ呼び出しておいて何用ですか?」

 

「神たるもの、そなたらをこの世界に呼んだからには不公平であってはならんと思うてな」

 

 そう言えば他にもこの世界に放り込まれた奴がいたな、「魔法が存在し、社会的弱者に生まれ、大戦争に遭う」という3重苦を望んだドMが。

 そのドMが更なるハンディキャップを望んだ結果、こっちにまで追加されるというのだろうか。人様の趣味にとやかく言うつもりはないが、それをこっちへ強要することには断固として反対したい。

 

「彼――否、"彼女"に"聖遺物"が与えられる事となった。故、そなたにも何らかのものを与える必要があろうかと。あやつは"彼女"にご執心でそなたの事を忘れておるでな」

 

 おい。呼んでおいて忘れるな。釣った魚に餌をやらない男は好かれないぞ。

 しかしまぁ、神話の時代じゃあるまいし、そんな御大層なものが個人に与えられていれば有名になっていそうなものだが、全く耳にしたことがない。

 

「そなたの時間軸では"彼女"は未だ幼子である故、渡されるのはまだ先の事じゃ。そなたらの世界の時間軸など、妾らにとっては数直線上を動く点Pの如き存在よ」

 

 "私にとっては昨日の出来事、貴方にとっては明日の出来事"、と言う訳だ。

 して、何が貰えるのだろう。後発品であれば、性能の良い改良型が貰えたりするのだろうか。

 

「"彼女"の聖遺物となったのは、愚かにも神の権能に挑んだ試製の演算宝珠じゃ。じゃが、そなたの宝珠は一山いくらの量産品で聖遺物にするにはちと強度が足りん。故、そなたの肉体に直接加護を授けよう」

 

 神造ボディに加護が加わり最強に見える。

 それで、どんな加護が貰えるのだろうか。

 

「それは後々のお楽しみじゃ。気付けば強いが気付かなくても便利、そなたが神を信ずる限りにおいて、きっと役に立つじゃろうて」

 

 そこは教えないのかよ。

 しかしまぁ、"神を信ずる限り"か。意地の悪いことで。

 

 目の前の存在が私の額に触れると、そこから人肌より少し温かい液体が流れ込んでくるような何かが襲ってきた。それは首を通って胸まで辿り着くと、散り散りになって全身に行き渡る。何とも言えない感覚だ。

 

「これでそなたも、歴史に残る聖人や預言者と同じ力を有する者となった。その加護をもって神の名を知らしめ、この地上を信仰で満たすことがそなたの使命」

 

 海を割ったりできるのだろうか。

 しかし、あの伝説の場所はただの塩湖だ。大西洋とは言わないが、ドードーバード海峡を真っ二つにできるぐらいでないとあまり役に立つ未来が見えない。ビックリどっきり宴会芸で終わるのはごめんだ。

 どうせなら風邪をひかないとかの方がありがたい。

 

「妾の仕事はこれで終わりじゃ。主の名を(とな)えよ、主の名を(たた)えよ。その使命が果たされた時、そなたはこの輪廻から解き放たれるであろう」

 

 色々混ざりすぎでは?

 我々人類が無限の次元を持つ神の内、解釈する(捉える)ことのできた部分で個々に宗教を作っているのかもしれないが。

 

 まぁ、あまり期待しないで欲しい。

 伝説の聖人のように、何かを為したくて、あるいは何かを救いたくて神の力を欲した訳ではないのだ。聖書や歴史書に書ける程の高尚なモチベーションが無い。せめてそれを演ずるに足る十分な給与が欲しいところだ。

 顧客が求めているのは、あるかどうかわからない未来の解脱ではなく、当座の頭金である。

 

 加護とお言葉を投げつけて満足したのか、彼の存在は薄っすら消えていく。

 後に残ったのは岩礁に一人立つ私と、不思議な力が無くなったため覆い被さってくる周囲の高波だけだった。

 

 

 

「――とまぁ、誰に話しても信じられないであろう出来事があったわけだ」

 

 秋津洲の戦闘狂達にたっぷり扱かれたおかげで、大使館に帰ってきてもコンラッド軍曹を振り回す気力は湧かず、しばらく仕事も軽いものにしようとデスクワークに勤しんでいた。秋津洲魔導師(モルモット)を使った実験――もとい、訓練の結果をまとめるという大義名分もある。

 もっとも、軍曹はこういった書類仕事を「学が無いので」とにべもなく断っており戦力に数えることが出来ない。仕方なく部屋でお茶を淹れたり私の軍靴を磨いたりと雑務にいそしんでもらっているが、何というか視界の端で動体が映って気が散るため、いっそのこと話し相手になってもらった方が良いのではないかと考えた次第である。

 

「秋津洲の郷土料理には生モノが多いと聞きます。寄生虫が頭に回ったのでは?」

 

 私のテーブルに淹れたてのお茶と共に、帝国製の虫下しが置かれた。

 流石、海外経験があるだけあって用意が良いが、その中に上官への敬意は含まれていなかったようだ。

 

「帝国にも生モノはあるだろう、生イワシのサンドイッチとか」

 

 確かに、秋津洲には生モノの料理が多いが、だからと言って秋津洲だけかというとそうではない。

 しかし、彼らの中では"秋津洲だけ"という固定観念が強いようで、なんのリアクションもなく食べるとガッカリされる。ホストを満足させるためにも、さも珍しがって食べなければならない。この国で"渡来人"として成功するためには、高度な演技力が必要だ。

 

「ここは帝国ではありません。有色人種の後進国です。本国の衛生状態と同一に扱うのは危険かと」

 

 確かに、帝国や他の一等国と比較すると遅れていることは否めない。

 秋津洲をぐるりと回ったが、真に一等国と言えるのは都市部だけで、その都市部すら少し外に出るとスラムが広がっている。彼らの言う"下町風情"などで美化出来るものではない。

 ましてや、地方の農村などそれ以前の問題だ。中世の延長線上の封建国家が近代国家に完全に脱皮するには、半世紀程度では足りないのだ。

 

 しかし、そんな二等国に軍人として派遣されてしまった以上、起こる出来事に対して「本国相当のインフラが無かったので対処できませんでした」ではお話にならない。

 実際、秋津洲は帝国に居ない寄生虫が山ほど存在する。最近まで都市部ですら糞便をほぼ完全にリサイクルするエコシステムが存在していたらしいが、それは同時に寄生虫の感染環も伴っていたようだ。

 

「軍曹、我々は魔導師である。ならば想像しうる事態について、普段から自己の能力で対策しているとは思わないか?」

 

 こういう時、懐に携帯できる帝国式の演算宝珠は便利だ。

 しれっと対寄生虫用の術式を起動したまま会食に臨むだけで良い。

 

「失礼しました。そこまで考えていらっしゃるのであれば、問題ありません」

 

 遠回しに馬鹿にされているのではないだろうか。

 虫下しを仕舞う軍曹を睨み付ける。相手が特殊性癖持ちならご褒美となってしまうところだが、軍曹はノーマル(のはず)なので、釘になるはずだ。

 

「まぁ、薬も宝珠もバレない様に使うことだ。我々はゲストだからな」

 

 とはいえ、加護付き神造ボディならアクティブ防御無しでも耐えられそうな気がする。怖くて試していないけれど。

 

 しかし、彼の存在は一体何をしてくれたのだろうか。

 この不愛想な部下の態度に変化が無いということは、布教のため自分の雰囲気に神秘性が付与されたり、言葉の説得力が増したり、ということはなさそうだ。"地上を信仰で満たせ"というが、隣の男一人心変わりさせられないようでは先行きが思いやられる。

 

 この世界はとあるドMの仮定で造られた神々の実験場だ。

 元の世界の「1次」と「2次」をくっつけた世界大戦が待っている状態で、神の機嫌をこれ以上損ねるのも危険だろう。折角貰った加護を取り上げられたくはない。

 今は何の役に立つのか分からないが、そういうのが分かるときは大抵絶体絶命のピンチと相場が決まっている。残念ながら、ドイツ帝国相当の我が祖国にはこれからそのピンチが土石流の如く押し寄せてくることは約束されてしまっている。

 

「後10年くらい秋津洲で教官として雇ってもらえないだろうか」

 

 連合王国との同盟関係がダラダラ続いている秋津洲であれば、Great Warは勝ち組になる可能性が高い。未だ一等国に妙な憧れが残っている秋津洲なら、在留帝国人を戦争中適当な軟禁状態に置くだろうから、人命のバーゲンセールの近代戦争からは距離を取れるのではないだろうか。

 

「馬鹿なことを言ってないで、仕事をしてください」

 

 真面目だな軍曹。

 君は神々が嬉々としてこねくり回している"世界大戦"とやらに参加したいのか?

 

 

 

***

 

 

 

「そろそろほとぼりも冷めただろう。次の人事異動で艦隊に戻れるよう根回しをしておこうと思う」

 

 件の候補生が起こした騒動により海軍要塞司令という閉職に回されたものの、私はヒッパーという男をこのまま腐らせるつもりは無かった。

 

「艦隊派は未だ煩いだろう。押し切れるのか?」

 

 世界に"海軍"が誕生して以来、艦艇の数というのは、そのまま海軍将官のポスト数に直結している。戦争が高度化した今となっては陸上のバックオフィスも無視できないハズなのだが、官僚的硬直思考の持ち主達には旧態依然とした「艦艇数=将官数」の図式があり、中々それを払拭できていない。

 例の騒動では戦略・兵站等の後方部門を拡張し、それに除籍した艦艇数相当のポストを割り振ったので、誰もクビを切られてはいない。しかし、新しい職務内容になじめない者も多く、彼らは"艦隊派"として建艦競争への再参加を目論んでいた。

 

「皇帝陛下も建艦競争から興味を失った。他省庁も艦艇削減ならともかく、増やすなどもってのほかだという意見だ。海軍の中だけで声が大きくとも、奴らに味方は居ない」

 

 実際、建艦競争から降りてから、「連合王国の外交態度が目に見えて良くなった」と外務省からお礼の言葉を貰ったほどだ。財務省や産業省は勿論、()()陸軍も賛成している。

 また、皇帝陛下自身も戦艦という玩具に()()が来ていたようで、自分から言い出した手前止めることもできず、誰かが止めてくれるのを待っていた節がある。それを察している海軍将官も居ただろうが、"ババ"を引くのを嫌がって傍観していたのだろう。

 それを、一介の候補生(と提督)に押し付けたままにするのは余りにも情けない。

 

「戦艦部隊は厳しいが、偵察艦隊なら勝算はある」

 

 経歴に泥がついてしまった以上、華の戦艦部隊は難しい。

 だが、この男には寧ろ偵察艦隊の方が合っているのではないだろうか? "戦略兵器"として決戦以外に出すことが難しい戦艦部隊と違い、偵察艦隊は海軍の目となり耳となり、そして来るべき決戦の際は先鋒を務めることになる。

 ヒッパー()()()配役と言えよう。

 

「シェーア、次の戦争に負けないためには偵察艦隊もそうだが、()()も必要だ」

 

 艦隊決戦のみならず航路封鎖のためにも、艦隊には"長い目"が必要だ――というのが我々の結論であった。

 陣取りゲームになりがちな陸戦とは異なり、彼我が縦横に動き回る海戦では、索敵の優劣がそのまま勝敗に繋がることは珍しくない。より早く、より遠くで敵を見つけることで、より有利な体勢で決戦に持ち込むことが出来る。

 

 帝国海軍はその任務のため、「偵察航空巡洋艦」と言う名目で飛行船を有していた。空という高い視点と圧倒的な滞空時間は魅力的であったが、出撃が天候に大きく左右されることや、高空という環境は霧の濃い北海でどの程度のアドバンテージとなるかは疑問だった。

 飛行船に代わる存在として航空機の開発が進められてはいたが、未だ技術的に未熟であり、滞空時間が極めて短かった。艦載することも考えられてはいたが、着水のためのフロートは飛行中無用の長物である他、回収の際には「アヒルの池」と呼ばれる凪いだ海面を作る必要があり、作戦行動中にそんな曲芸ができるかどうかは怪しかった。

 

「何度も考えたが、やはりこの任務には"魔導師"が最適だ」

 

 水上機のように、既存の艦艇を改造したり、回収のために面倒な艦隊運動を取ったりしなくて良い。彼女の場合、飛行船に準ずる滞空時間を誇り、なおかつ十分な自衛能力もある。

 

「北洋艦隊戦艦部隊の"存在"によって本国艦隊主力を拘束し、フリーハンドを得た偵察艦隊が敵航路を叩く。無論、数的優勢の連合王国海軍は戦略予備から抽出した追跡部隊を差し向けるだろう。それから逃れ、あるいは各個撃破するためには、敵の位置を早く、正確に掴む必要がある。

 ()()以外には出来ないことだ」

 

「送られたレポートを見たな? それが本当なら、彼女にとって北大西洋などプールに過ぎないだろう」

 

 レポートによれば、「魔導師への長距離及び全天候での作戦能力の付与」と称してマンチュリアの吹雪の中から西太平洋のスコールの中まで飛んだらしい。命知らずの冒険飛行家ならともかく、軍隊が組織としてやって良いことではないだろう。秋津洲(他国)の兵だから良いものの、本国であれば査問モノだ。

 

「それが法螺ではないことも裏取り出来ている。コンラッドは信用できる男だ」

 

 彼女に付けたヒッパー子飼いの兵からも、非公式に報告を受けているようだ。

 曰く、「帝国海軍の海兵魔導師は貧弱で訓練以前の問題なので、屈強な秋津洲陸軍航空魔導師で実験している」「長距離・全天候作戦能力の付与は成功」「秋津洲陸軍将校に気に入られ、パートタイムとして軍事顧問に招聘」「秋津洲陸軍将校の依頼で台風(タイフーン)中での作戦行動を実施」……

 

「……話題に事欠かんな」

 

「さっさと呼び戻せ、このままでは秋津洲に就職しかねない」

 

 コンラッド軍曹の報告によると、秋津洲陸軍でのパートタイムの俸給はかなり良いらしく、皇都の一等地に庭付き戸建ての一軒家まで買ったらしい。よく秋津洲の軍人や他の国の駐在武官を招いているとの事だ。

 確かに、外交関係者は自宅で接待するために、自腹でそれなりの家を用意する必要があるが、任官したての尉官がやることではないだろう。

 この間の叙勲といい、本国で冷遇しすぎると向こうに行く可能性は無視できない。彼女はお世辞にも愛国心や敢闘精神に溢れているとは言い難い人間だからだ。

 

「分かった、君の人事異動と同時に彼女を北洋艦隊に呼び戻す」

 

 お望みどおりヒッパー隷下の偵察艦隊付きだ。

 陸軍との取引で随分とマシな魔導師も入ってくるようになった。そろそろ彼女にも本業に専念してもらおう。

 

 

 

 




投稿後数日はモチベがあって3000字くらい書けるのに、もう3000字を書くのに数カ月かかる……
3000字で連投した方が良いのでは?


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第9話:帰国する海軍士官

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。



 

 

「遂に帰国か。見送りたい者も大勢いるだろう、出立の日が決まれば教えて欲しい。送別会を開催したい」

 

 ティンダー要塞から大使館を通じて駐在武官の解任と帰国命令が届いたので、二つ目の雇い主たる秋津洲陸軍航空魔導師隊指揮官の加藤少佐――もとい、出世して中佐だ――にも伝えたところ、ただの挨拶がパーティーの日取りに化けてしまった。

 

「いえ、一介の尉官には分不相応なこと。お気持ちだけで十分です」

 

 "この国が想像するテンプレートな外国人"を演じ過ぎたのだろうか。少佐の好感度が高止まりしている。

 そんな盛大な見送りは本当に貢献のあったお雇い外国人に行うべきであって、本国から飛ばされた新人、それもパートタイムにやることではない。

 

「ブランデンベルガー少尉は謙遜するが、貴官のお陰で我が魔導師隊は見違えるほど精強になった。以前なら夢見ることすら叶わなかったシベリア鉄道攻撃は、今や陸軍内の対ルーシー作戦の1つとして当然のように加えられている」

 

 いや、私が教えたのは魔力を垂れ流しで飛ぶだけで、隠密行動による補給線破壊工作には全く向いていないのだが。あぁ、ルーシー連邦は魔導師を全員収容所に送り込んでいるので、魔力垂れ流しでもバレないのか。

 

「もはやルーシー連邦恐れるに足らず、そういった言葉すら陸軍省内では聞かれるようになった。この間まで我々の中に当然のようにあった意識は、今では”恐ル病”とすら揶揄される。信じがたいことだ」

 

 そこは恐れておけよ。

 ルーシーは腐っても列強の一角。連合王国との同盟関係でかろうじて列強の末席にしがみついている秋津洲が正面から殴り合って勝てる相手ではない。

 かつてのように国内情勢で揺さぶりをかけることは、赤化した今のルーシーでは不可能だ。例えシベリア鉄道攻撃が成功したとしても、人口・国力、そして何より総力戦のための”狂気”に劣る秋津洲では島の本土はともかく、大陸の喪失は避けられないだろう。

 

 まぁ、そんなことを口に出すのは無粋なことだ。

 帝国もルーシー連邦を仮想敵国の1つとしており、その陸軍戦力を極東に張り付けてくれる秋津洲は潜在的な同盟国といっても過言ではない。現実的な意見を言って、連邦と外交的に妥協されれば大損だ。暴発しない程度に甘い言葉を囁いて、極東の緊張を適度に高めてもらいたいところである。

 

「いえ、元々秋津洲の魔導師が精強だったのです。私は、その力が十全に発揮できるよう、お手伝いをしたに過ぎません」

 

「お世辞として受け取っておこう」

 

 お世辞ではなく。

 実際、魔導の先端を走る帝国陸軍魔導師よりは劣るかもしれないが、帝国海軍のそれよりは遥かに優秀なのだ。

 

「――とはいえ、こちらとて貰いっぱなしでは面目が立たん。何か手伝えることがあれば遠慮なく教えて欲しい」

 

「では、先般購入した自宅なのですが……」

 

 意外と秋津洲赴任が長かったので、皇都に自宅まで購入した矢先に異動命令だ。

 本俸と秋津洲でのパートタイムとで使い切れない金が舞い込んで浮かれていたことと、「きっと中央は左遷した後私の存在を忘れてしまったのだろう」との希望的観測に基づいた行動だったが、やはり裏目に出たようだ。

 社員の忠誠心を試す悪名高き人事異動を、今世でも経験するとは思わなかった。

 新品少尉という不安定な立場で亡命するのもお先真っ暗なので母国に戻らざるを得ないのだが、だからといってこれから価値が上がると分かっている大都会の一等地に建てたばかりの新築を手放すのも惜しい。

 放っておいても良いのだが、空き家は早く朽ちると言う。適当な借家として使ってもらえれば幸いだ。

 

「そんなことか。お安い御用だ」

 

 勝手に劇的な大改造を施されたら溜ったものではないが、中佐に任せておけば大丈夫だろう。

 

「維持に必要な費用は残していきますので」

 

 どうせ大戦後に紙屑になる帝国通貨に換金するよりは、パートタイムの給与としてもらったまま皇国通貨として置いておくほうが良いだろう。皇国通貨もその内インフレで漸減するだろうが、敗戦のハイパーインフレより遥かにマシだ。

 もっとも、現金として残しているのは当座を凌ぐ分だけで、残りは"来るべき大戦"で伸びるであろう重化学工業株だ。

 

 我ながら酷いインサイダー行為だと思う。まぁ、職務上知り得た知識で取引した訳ではないから、大目に見て欲しい。

 しかし、金融関係の法に引っかからなくとも、そもそも軍人が敵国企業の株を買って良かっただろうか? いや、未だ平時だし関係は良好だ。戦時になったらマズいだろうが、「元々持っていました」で押し通そう。

 最も怖いのは皇国政府による強制差押えだが、こればかりはどうにもならない。ダメもとだが加藤中佐の頑張りに期待しよう。

 

 

 

***

 

 

 

「行ってしまいましたね」

 

「あぁ」

 

 ブランデンベルガー少尉が皇国陸軍航空魔導師の軍事顧問として招かれていた期間はあまり長くはないが、それを意識させない程、強烈な印象を残していった。

 

 彼女の協力で行った、長距離・全天候作戦能力獲得のため我が国とその勢力圏を一周する訓練は、陸軍内で非公式に"ブランデンベルガー旅行"と呼ばれ、魔導師教育課程の必須訓練として定着しつつある。

 今までの魔導師の常識を超える長距離を、南洋の台風の中だろうがクリル諸島の吹雪の中だろうが関係なく突き進むことを要求するこの訓練は、新兵から忌み嫌われているものの、「初回からそうだった」という理由で経由地では観光が推奨されていたり、宿泊地で振舞われる料理が名産品の大盤振る舞いであったりと、中堅~古参兵には評判が良い。この訓練を楽しめるようになれば一人前だと言われている程だ。

 

「魔導師としての能力、指導能力、人柄、どれをとっても素晴らしい帝国軍人だった」

 

 マンチュリアの皇国-連邦勢力境界線からシベリア鉄道のボトルネック地点まで「飛べる」と教えてくれたのは彼女だ。実際に、相応の距離を飛んでみせた。

 現実を見ない夢想家の寝言だと一笑されていたそれを軽々と行ってみせ、参謀達に"検討に値する現実だと"兵棋演習上にすら持ち込んだのは、他ならぬ彼女の能力によるものだ。幾ら優秀な陸大卒達でも、"ありえない"と頭の外に追いやっていることは検討できないのだから。

 

 加えて、類稀なる指導能力を持っていたことも大きいだろう。

 今までの軍隊での教育というのは、教官が指示したことを新兵が行う一方向なものであった。ところが、彼女の教育では新兵から自身の状態を事細かに聞き取り、訓練が上手くいった/いかなかった理由をしっかりと把握・説明することとしていた。

 特に、新兵が所定の訓練をこなせなかった際に怒鳴ったり殴ったりして無理矢理こなさせるのではなく、新兵の身体や魔力運用、精神状態を観察して対策を講ずる科学的アプローチは、非常に効果的であった。陸軍魔導師隊でも取り入れるべきではとの意見もあったが、余りにも難しかったため、そういった研究・学問分野の創設から必要ではないかと考えられ、残念ながら未だ取り入れられていない。

 

 そして、最も優れていたのは人柄だ。

 いわゆる"お雇い外国人"は欧州列強から招いた技術者達だが、当然の如く彼らの母国の価値観を色濃く持っている。端的に言えば、人種差別だ。

 もちろん、彼らは秋津洲政府が各国政府を通じて招聘したエリートであるので、あからさまに出す不届き者は少ないものの、日常のちょっとした仕草で感じるところは多々ある。内向的な我が国の人間は、そういったことに非常に敏感だ。幸運(不運)にも欧州列強に留学できた人間であれば、”我が国に渡来する”という篩にかけられてない本物のソレを投げつけられた。お陰で過激な人間は「極東から欧州列強を駆逐する」などと言い出す始末。

 その点、彼女にはそういった偏見が一切存在しなかった。強いて言えば人間を対象とした話の最中に虫けらを比喩に出すくらいだ。その例えが良いか悪いかはさておき、肌の色に囚われずに人を評価出来る、稀有な存在であった。

 些細な仕草にしても完璧で、他のお雇い外国人が嫌がる我々との食事も始終にこやかであった。挙句、我々をホームパーティーに招くことも抵抗がない。

 

「それに、顧問としての給与は実質我が国に全て置いて行ったようなものです。信じられません」

 

 お雇い外国人の給与は高い。モノにもよるが、総理大臣より高給取りな者までいたともいう。

 我が国の持たない技術を仕入れるため、相手の言い値で招聘する以上仕方がない部分もある。この世界では遅れていることが罪なのだ。

 

 我が国も、そして欧州列強も金本位制を採用しているので、お雇い外国人に支払われた給与はそのまま母国に持ち帰って両替することが出来る。お雇い外国人には高給のため実質的な出稼ぎに来ている者も多く、支払われた給与の多くが彼らの母国に流出し、ただでさえ不足している我が国の外貨準備を減らした。

 

「自宅と調度品、そして企業の債権。全て我が国のものだ。彼女に支払った給与は全て我が国に落ち、そこで循環している――お雇い外国人の理想形だ」

 

 彼女が当然のように我が国で発注を行おうとした際、大慌てで制止した。

 欧州列強のように代金に比例した品質が保証されるほど、我が国の民度は高くない。油断をするとすぐ値段不相応な粗悪品まみれになる。

 部下達に相談し、信頼できる業者を紹介することで事なきを得たが、彼女の信頼を失っていたらこの綺麗な別れは無かったであろう。

 

「他の我が国に貢献のあった者と同様、高級勲章の授与や送別会を行ってもおかしくない貢献だ」

 

「せめて、佐官であれば違ったのでしょうね」

 

 彼女に渡すことが出来たのは、陸軍の中級将校でも持っている程度の勲章だ。我が国では別段珍しいものでもない。

 

「何かで補償できないかと聞いてみれば、"自宅を頼む"とはな」

 

 その分の代金まで貰ってしまった。到底無下には出来ない。

 

「信頼できるものを使用人として置き、朽ちることの無いよう手入れさせよう。すぐ戻ってくることは無いだろうが、10年、20年後でも使えるようにしておけ」

 

 偶には陸軍魔導師隊で使わせてもらって、あの過酷で楽しい訓練の話に花を咲かせるとしよう。

 

 

 

***

 

 

 

 ティンダー要塞で正式な辞令を受け取った後、再び船上の人となり地球を半周して我らが帝国へと向かう。

 辞令交付の際に少し耳が悪くなった振りをしてみたが、何度聞き返しても内容は変わらず、コンラッド軍曹の冷たい目の温度がさらに下がっただけに終わった。

 

 ティンダー要塞では、極東に回航されてきたであろう新造された巡洋艦やサービス艦隊が錨を下ろしていた。

 帝国としては「明日から戦艦を作りません」と言いたいところだが、造船業者やその下請けメーカーの事も考えると急な軍縮は経済的な損失となってしまうため、陸軍の軍拡に合わせて海軍産業を徐々に陸軍向けに転換している。彼らはその間の埋め合わせで発注された補助艦艇だろう。

 

「その内、ペラウに回航されるのでしょうな」

 

「あそこは暑いからな。ここで可能な限り長く涼んでおいた方が良い」

 

 何度か軍曹を連れまわしてペラウ環礁に遊びに行ったが、あそこはリゾート以外の用途にあまり向いていない。

 エメラルドグリーンの海で遊ぶのは最高だが、実際に要求されるのは炎天下で石灰岩と鋼鉄の陣地に籠ることだ。勿論、空調は付いていない。

 

「少尉は極東がお好きなようでしたが、自分は長く居たいとは思いません。それに、万が一連合王国や皇国と事を構える場合、我々はペラウを拠点とすることになります。それをお望みでしたか?」

 

 確かに、その可能性も無視できない。しかし、海兵魔導師が海軍要塞に籠るような時点で、白旗を上げた方が賢いだろう。

 最も有り得るのは、大巡洋艦ブリュッヒャー以下帝国海軍極東艦隊の海兵魔導師として西太平洋の航路を荒らすことくらいか。それなら海軍要塞での我慢大会に参加しなくて済むが、"勝利"のビジョンが見えない。根無し草の極東艦隊が連合王国の有事になった場合に捨て石にしかならないのは、当初から織り込み済みだからだ。

 

「損な役であることは確かだな」

 

 勇敢に戦って討ち死にしようにも、補給の関係で満足に戦うことが出来るかどうかも怪しい。敵艦隊から逃げ回りつつ嫌がらせのように敵輸送船をいじめる、映えない戦闘が精いっぱいだ。

 一方で、それも出来なくなれば、さっさと降伏してしまえば良い。本土みたいに銃後に守る者が居るわけではないペラウは、”死守”しなくて良い場所だ。

 

「だが、責任も少なく、気楽だ」

 

 国家だとか民族だとか、そういったものを背負わされると身動きが取りにくくて仕方がない。

 私が軍に志願したのは、この時代で最高の教育と福利厚生を受け取るためで、沈みゆく国家と心中するためではないのだ。

 

「提督は少尉を買っております。だからこそかつては盾になって左遷され、今回は偵察艦隊に呼び戻されたのです。その事をお考えの上、発言なさってください」

 

 だが、模範的な帝国軍人である軍曹はこの考えがお気に召していないらしい。真面目な部下も考え物だな。

 

 提督には世話になっているが、それとこれとは別だ。

 ――いや、世話になっているのか?

 

 あの論文を通してもらったのは確かにそうなのだが、候補生にもかかわらず軍曹達の長距離作戦行動訓練をさせられたり、欠陥演算宝珠のテストパイロットをさせられたりと、こちらの持ち出しの方が多いような気もしないでもない。

 もちろん、そんなことは口が裂けても言えないが。

 この距離の殴り合いなら、演算宝珠を起動する前に拳が届く。流石にステゴロで軍曹に勝てるとは思っていない。胸のデッドウエイトも邪魔だ。被弾面積は増えるが防具になってくれない。

 

「感謝しているよ。だが、私を偵察艦隊に置いたところで何かが変わるわけでもない」

 

 こういう厄介者を呼ぶということは、何らかの変えたい現状があるのだろうが、まぁ望み薄だ。

 

「少尉、貴女も加藤中佐と同じ士官です。イエローに出来たことが、なぜ我々にできないのです?」

 

「同じではない。彼は皇国陸軍航空魔導師隊の司令官だ。魔導師隊の――否、陸軍の総意として考え、実行したからこそできたのだ。私は何だ? 部下は君だけだ、一体何ができる?」

 

 佐官という肩書も軍隊という巨大な組織を動かすには不十分だが、"陸軍航空魔導師"という部分に限っていえば彼は十分な裁量を与えられていた。

 「創設間もない秋津洲陸軍の魔導師隊をどのように形作って行くか」ということについて、彼は考え決定する責任と権利を持っていた。魔導師でもない人間や時代遅れの将官ではなく、現役の魔導師内で優秀な者に任せたのは秋津洲陸軍の英断だろう。

 ――流石に他国の尉官の考えで自国の戦時作戦計画に影響を受けるのは無謀だと思うが。

 

「裁量があれば、と?」

 

 任せられた仕事相応の裁量があれば出来なくはない。

 だが、尉官にそんな大きな裁量を与えることは組織的な禍根を残しかねない。ヒッパー提督も経歴書に()()がついてしまった人間だ。あまり目立つ行動は避けた方が良いのではないか。

 

「――誰の所為だと……まぁ、承知しました。提督に伝えておきます」

 

 何を?

 

 こちらが聞き返す前に、軍曹は艦の電信室へ行ってしまった。

 上官権限で覗きに行っても良いのだが、今までの経験からして彼の提督当て私信は強力な抵抗にあって見せてもらうことが出来ない。別に男同士の手紙を見たいとも思わないのだが、今回に関しては仕事関係のやり取りが入っていると思われるので気になるところだ。

 

 

 

 極東は良いところだった。

 インフラは不十分だし、大陸では欧州列強が永眠中の獅子にウジ虫の如く群がっており、マンチュリアでは皇国(蛮族)連邦(無法者)が大軍を張り付けて睨み合っている。

 

 だが、次の大戦は極東が舞台ではない。それだけで評価に値する。

 

 あの偏屈の神が、そしてこの世界を望んだドMが、こんな田舎の戦争で満足する訳が無いのだ。高い工業力を持ち、狂気の総力戦を行うことが出来る先進国が集中している欧州こそ、地獄の舞台に相応しいのだろう。

 事実、極東に送られてくる情報にも、帝国周囲の係争地での緊張が日に日に高まっていると記されている。既に導火線に火は点いており、あとは火薬庫に辿り着くのを待っているだけだった。

 

 「さようなら、極東の自由と放埒の日々」

 

 水平線の向こう側に沈むティンダー要塞へ別れを告げ、私も艦内に戻った。

 

 

 

***

 

 

 

「極東では随分と羽を伸ばしていたようだな」

 

 キィエールに着いたところで早速ヒッパー提督に呼び出され、辞令の前にお小言をいただく羽目になった。

 

「いえ、そのようなことは……」

 

 おかしい。レポートに書いてないようなことまでバレている。

 左遷先で意欲的に勤務に励む必要はないだろうし、就業時間を無視するほど怠けていたわけでもないのだから、お咎め無しが相場だと思うのだが。

 

「本来ならば我が偵察艦隊で1個魔導小隊を率いてもらおうかと思ったが、コンラッドからの報告で気が変わった」

 

 やっぱり余計な事まで報告していたようだ。

 ヒモ付きの部下はいかんな。私にも信頼できる子飼いが必要だ。

 

「貴様に我が偵察艦隊の海兵魔導師隊を指揮してもらう。遠慮はいらん、思いっきりやれ」

 

 は?

 

 

 

 帰国後出た辞令は中尉任官の上、ヒッパー提督隷下の第二偵察艦隊所属海兵魔導師隊指揮官だ。

 恐ろしいことに偵察艦隊付き魔導師の定員は36。中尉が大隊を指揮するとはどういう状況だ。訓練中に実弾が士官室に直撃したのだろうか。

 

 曰く、「階級だけが高い無能は他の艦隊に押し付けた」とのこと。

 軍隊、それも仲間(海軍)内でババ抜きみたいなことをするな。

 

「軍曹、流石に36人と一度に顔合わせするのも大変だから、まず士官だけ集めておいてくれ」

 

「よろしいのですか?」

 

「下士官には後で埋め合わせをするよ」

 

 適当な額を包んで「飲みに行ってこい」で事足りるだろうか。

 まともな現場経験なく事実上の大隊長など、経験も勝手も分からない。そもそもそんな奴に部下が付いて来るのだろうか。私だったら怖くて付いていかないか、小銃が暴発するかの2択なのだが。

 友軍誤射だけは勘弁だ。何らかの対策を考えねばならない。

 

 自己保身の思考に浸っていたところ、部屋の扉がノックされた。どうやら軍曹の準備が整ったようだ。

 提督選りすぐりの魔導師を見に行こうじゃないか。

 

「中尉、部下が見たいそうだな? 私が案内しよう」

 

 軍曹、私は提督本人を連れてこいと指示しただろうか?

 

 

 

「士官だけとは言わず、全員を集めた。着任時の挨拶は分けない方が良い」

 

 提督から仕事に対するアドバイスをいただいた。

 その辺は本当なら小隊長あたりからコツコツ学んでいくのだろうが、残念ながら3段飛びで大隊長。上官も中尉から佐官をすっ飛ばして将官たる提督なので、本来であれば頂かないような指導まで提督から受ける始末。

 私の出来も良いわけではないが、これに関しては組織的な問題の方が大きいのでは、と弁明したい。

 

 提督が私と部下達を交互に紹介したのに合わせ、私からも挨拶する。

 

 会議室の端にズラリと並んだ部下達はなかなか壮観だった。提督と私が歩くのにつれて首を正す仕草がなんとも心地よい。儀仗隊の存在理由が分かるというものである。

 しかし。

 

「――提督、私の数え間違いでなければ、大隊どころか両手に収まる程度の数しか居ない気がするのですが」

 

 部屋の四辺を使って並ばせているのかと思いきや、一辺で終わった。

 

「質か量のどちらかを妥協せざるを得なかった結果、量を妥協した。今すぐ完全編成の魔導師隊が必要な訳ではない。いずれ、定数を満たせば良いのだ」

 

 軍靴の足音が聞こえている状況で、初めから定員割れとは。

 始まる前から末期ドイツ軍とはこれ如何に?

 

「士官学校卒は陸軍がまず美味しいところを攫っていると理解できますが、幼年学校の方は?」

 

 そもそも魔導師を戦力としてカウントするためには、その辺の歩兵と違ってある程度高度な教育を受けさせねばならない。したがって、魔導師に兵卒は居らず、最低でも幼年学校卒の下士官が充てられるはずなのだが、そちらにまで陸軍の青田買いが行われているのだろうか。

 良くも悪くも余程の存在でなければ幼年学校で優劣付けることは難しいと思うのだが。

 

「海軍への志望者が少ない。士官学校を目指す志願兵は勿論の事、徴募組も海軍が魔導師を募集していることを知らん」

 

「広報活動の不足、ということでしょうか」

 

 まぁ、海軍は伝統的に志願兵制だから、徴兵された彼らへの知名度が低いのも頷ける。

 しかし、原因が分かっているのならば、広報活動に精を出すなど対策を取ればよいと思うのだが。戦艦が減ったお陰でバックオフィスが充実しているのだから、人が足りないということはないだろう。

 これからの戦争は銃砲弾も無論だが、新聞と電波とフィルムを投げつけ合うものにもなるのだ。絶妙に広報センスが無い帝国も、ここら辺で鍛えておいた方が良いのではないだろうか。

 

「貴官の意見も尤もだ。検討しよう。だが、貴官も指揮経験が不足している。まずは中隊規模からやってみたまえ」

 

 それを引き合いに出されると、何も言えないじゃないか。

 

 

 

 提督が選別した海兵魔導師は士官・下士官合わせて8人。私とコンラッド軍曹を含めて10人と、中隊にすら少し届かない。

 指揮分隊として私達を除外して、この8人で2個小隊を作らねばらない。

 エーベルバッハ曹長ら懐かしい顔も居たので少し安心する。彼らには小隊の先任をやってもらおう。

 

 問題は他の初見の面々だ。少し聞いたところ、多い者でも飛行時間が3桁に届かない。初めて出会った頃の曹長らが200時間超えであったことを考えると、大いに不安である。

 彼らではドイツ伝統の引き籠り(艦隊保全)戦術しかできない。いやまぁ、それで十分と言えば十分なのだが。

 

「ヒッパー提督の選抜基準は、"可能性"で行われた、と?」

 

 戦争が始まった瞬間から、艦隊どころか魔導師まで"保全"を謳うのはいささか無理がある。あまりにも仕事をしていないと、国民擲弾兵ならぬ”国民魔導師”という名目で地獄の陸戦に放り込まれかねない。

 適度に海兵魔導師の存在意義を示す必要があるだろう。なので、せめて初めに配られる手札は良いものであってほしいのだが、現実は非情である。

 

「情勢の悪化に伴って、両学校では課程を削減した短期促成教育が行われている。洋上航法訓練は真っ先に除外され、事前に長距離作戦能力を測ることは不可能となった。苦肉の策だ」

 

 未だ大戦が始まっていないのにこの有様。帝国は大丈夫なのか。

 

「なに、良いニュースもある」

 

 

 

「お久しぶりです、ブランデンベルガー少尉――いえ、中尉」

 

 提督の案内で久々に海軍工廠に赴いたところ、懐かしい顔と再会した。

 ハインツ&カール(H&K)精密機械のバッヘム技師だ。

 

「秋津洲ではお世話になりました。あれ以来、中尉のアドバイスを元に宝珠を改良し、この度海兵魔導師隊の演算宝珠の一つとして採用頂ける運びとなりました」

 

 あの欠陥宝珠を採用するとは、さては担当者が接待攻勢でも受けたのだろうか。

 

「そう怪訝な顔をするな。コンペティションの上、真っ当に採用されたのだ」

 

 ping300msオーバーという致命的な欠陥が改善されていれば良いんですがね。

 半信半疑でいると、「現物を見て納得いただきたい」とバッヘム技師に引きずられる羽目になった。この技術オタク、変なところだけ強気である。

 

「Hk211型演算宝珠は秋津洲でのコンペティションを踏まえ、演算宝珠及び術式分割機構に大幅な改良を加えたものになります」

 

 案内された区画に鎮座しているモノの覆いを取ると、ティンダー要塞で見たそれよりさらに一回り大きくなった演算宝珠が現れた。

 柄の部分に大口径自動砲を内蔵。機構部の上に座面があり、その後ろに術式分割機構を格納。これだけで既に2m程度、更にその後ろに2機の宝珠核が配置されている。全部含めれば秋津洲も採用している連合王国式の演算宝珠の大きさに準ずるほどだ。

 あちらは投射火力と瞬時速力に重きを置いているが、こっちは巡航速度と航続距離。マトモに殴り合ったらかなり苦しい。以前同様宝珠を背中側に跳ね上げるアタッチメントもあり、その場合の格闘戦能力は上だと謳っているものの、図体の大きくなったコイツでどの程度使えるのかは疑問だ。

 

「個々の宝珠核は、帝国陸軍の最新型と同等の性能があります。勿論、海上での運用や艦上での整備を考慮した堅牢な設計です」

 

 帝国陸軍の最新型が相変わらず懐中時計サイズなのに、こっちは座布団ぐらいの大きさがある。「工廠の専用機器が無くとも、艦上で整備士が扱える大きさ」を謳っているが、その実ただ個々の部品がデカいだけだという。

 あまり大きくなりすぎると、艦上機と比較したときのメリットが薄くなるので止めていただきたいところだ。

 

「術式分割機構は作動周波数を上げ、遅延を可能な限り低減しました。聖句の分割単位を細かくすることで、それぞれの単語/文節が割り振られた宝珠核の同期に要する時間を小さくしています」

 

 何を言っているのか良く分からないが、比較的分かりやすい言葉を選ぶバッヘム技師でこうなのだから、実装内容の複雑さは推して知るべし。まぁ、ユーザからしてみれば、改善されていれば問題ないのだ。

 

「結果、分割機構は複雑になったため、艦上整備を諦めて弊社工場によるパッケージとしております。整備の際は丸ごと交換していただければ、と」

 

 そこだけ妙に現代的だな。宝珠ごと鹵獲されても技術流出の可能性が低いのは良いことだが。

 

「――とまぁ、100の言葉を尽くすより1度飛んでいただいたほうが分かりやすいでしょう。以前の弊社の演算宝珠を知る中尉なら、すぐに違いが理解できるかと」

 

 やたらと強気なバッヘム技師がぐいぐいと押してくる。そこまで言うのなら、と提督に目線をやれば、「キィエール軍港上空の飛行許可は取ってある」と準備が良い。

 ではご自慢の新型の性能とやらを見せてもらうとしよう。

 

 

 

 キィエール軍港上空で通常の巡航飛行から戦闘機動まで一通りこなした結果、バッヘム技師の強気は事実に裏打ちされたものだと判明した。

 

 確かに、帝国式の機動性はもはや語ることすらおこがましくなったものの、双発重戦闘機ならぬ重演算宝珠としては合格点であった。欠点だった反応の遅さは目を瞑れる程度に改善され、さらに拡張された術式処理能力の余裕は強引な戦闘機動も難なくこなした。通常の演算宝珠なら悲鳴をあげるような急降下中の上昇術式割り込みによる急制動にすら、過熱一つ起こさないのは驚きであった。

 

 バッヘム技師は「術者の強度と魔力の残量が許す限りの無茶が可能」だと豪語したが、あながち嘘でもないのだろう。

 

 なお、最大の欠点は値段で、陸軍の新型演算宝珠の倍だという。

 宝珠核を2個搭載しているため分かりやすい足し算だ。もっとも、技師曰く宝珠核は単純なので安いが、分割機構や塩害対策等の通常の演算宝珠に無い仕様に掛る費用で結果的に2倍になるらしい。

 

 お陰で全然数が揃っていない。まぁ、使用に値する海兵魔導師の数も足りていないのだからお相子だ。どちらかが余らなくて良かったと喜ぶべきか。

 

「任務柄、偵察艦隊付きの海兵魔導師から順次配備する予定だが、戦時でもない限り到底海兵魔導師全員に支給する予算が付かん」

 

 まるで専守防衛国家の年間装備調達数のようだ(直喩)。

 

 

 

***

 

 

 

 提督曰く「可能性の塊」の新品士官下士官を何とかものにすべく、北海や北太平洋をタクシー代わりの巡洋艦と共に飛び回り、ようやく皆の飛行時間が100時間を越えた。

 天候・昼夜関係なく飛べる魔導師は飛行時間が稼ぎやすく、促成栽培に向いているのではないだろうか。パイロットの訓練では天候の兼ね合いもあって年間飛行時間が300時間程度という。けれども、風雨をものともしない魔導師の場合、無理すれば倍くらい稼ぐことが出来そうだ。

 

「そんな非常識な思考をしているのは中尉だけですよ」

 

 士官室に入ってきたコンラッド軍曹に次の訓練内容を相談しようとしたところ、上官に対してあるまじき言葉が返ってきた。

 

 君達が陸軍の精鋭並みに優秀なら、このような手段を取らなかっただろう。むしろ、意図的に訓練時間を減らして我が海軍の戦闘教義(fleet in being)に向いた兵士に仕立て上げたいところだ。

 

 ところが、現実に与えられたのは並みの兵隊どころか、「北洋艦隊も頑張っています」というポーズすら取れるか怪しい新兵。

 軍港に引き籠って大戦をサボタージュするにも、”戦っているフリ”くらいはやって貰わなければならない。何もしていないのは逆に目立つのだ。

 

「残念ながら訓練密度は現状維持だ。陸軍に再就職したくなければ、な」

 

「いえ、訓練は中止していただかなくてはなりません」

 

 なぜ私がやる気満々の教官みたいなことを言わなければならないのか。

 軍曹のキャラクター性からして、私と台詞が入れ替わっているような気がしないでもない。

 

「ヒッパー提督から帰港命令が」

 

 それを先に言え。

 

 

 

***

 

 

 

「お堅い軍隊様の、それも海軍(マイナーな方)から広告作成の依頼なんて、どういう風の吹き回しです?」

 

 分厚く筋肉の付いた長身という恵まれた体躯だけ見れば、キィエール軍港司令部という場に相応しいものの、軽薄な口調とだらしない長髪が、彼が軍人ではないことを表している。

 

 だからといって、ただの民間人ではない。隣に抱えた機材や旧式の()()()()が示す通り、彼は"元魔導師"という肩書を持つフリーのカメラマンだ。かつては陸軍航空魔導師だったそうだが、係争地の戦闘で片足を失って退役し、趣味のカメラで食べているらしい。

 キィエール周辺の製作会社に海兵魔導師募集広告の話を持っていったところ、「ピッタリの人間が居ます」と紹介されたが、余りに態度が軽く不安になる。

 

「既存の海軍の募兵のやり方は水兵向けだ。我々が欲している魔導師には効果が薄い。その分野に強い人間を紹介してもらったまでだ」

 

 断じて貴様の様なチャラ付いた輩を指名した訳ではない。

 

「なら正解です。魔導師に売り込むなら魔導師に任せた方がいい。貰った分の仕事はさせてもらいますよ」

 

 "だからちょっと提督さんにも協力してもらいますよ"と彼は笑い、詳細な打ち合わせを要求した。

 

 彼はその言動の軽さとは裏腹に、自身の魔導師としての経験に裏打ちされた確かなものであった。

 元来、海軍は志願兵制に頼ることから、水兵の給与や福利厚生、技術訓練を重視していた。実際、海軍が身近な帝国沿岸部では「海軍に入っておけば食いはぐれない」とも言われている。

 もちろん、海兵魔導師もその延長線上だ。

 

 一方、徴兵された兵卒が大部分を占める陸軍はそうではなかった。高給取りなのは士官学校卒の高級将校だけで、兵卒はその辺りの地方公務員にも劣る有様だった。徴兵が忌み嫌われていた理由が垣間見える。

 

 だが、そんな陸軍でも"魔導師"は別格だった。

 その兵科柄、砲兵や工兵と同等以上の教育を受けることができ、給与も海軍のそれに準じていた。兵舎等の福利厚生も、一般の兵卒とは比べ物にならない。

 

 つまり、特に志望の無い魔導師にとって、陸軍だろうが海軍だろうが、給与面での大きな相違は無い。後は、塹壕で土と泥水に塗れるのが良いか、数カ月の航海で汗と海の匂いが抜けなくなるのが良いか選ぶだけだ。

 

「そうなった時、()()()()()()はどっちを選ぶか。簡単です、"外聞の良い方"――これに尽きます」

 

 彼がそう言ったとき、私は思わず眉をしかめた。

 確かに、陸軍のような華々しい戦績は無いものの、後発とはいえ帝国が広大な海外領土を持てるようになったのは、他ならぬ海軍の力によるものだ。

 連合王国や共和国のような先発国家が油田や鉱山を先に押さえてしまっており、めぼしい資源は無いものの、帝国の生活や食卓を彩っている消費財や嗜好品は、それら植民地からもたらされている。

 このように、帝国海軍は陰になり日向になり帝国の秩序と安寧を担っているのだ。それが臣民が分からないとでもいうのだろうか。

 

 そのようなことを思わず苦い顔で口走ってしまったが、彼はうすら笑いを崩さずに言い放った。

 

「分かりませんよ。興味ありませんから」

 

 普通の魔導師は興味が無い、だから建国に貢献した歴史があり日々国家の盾として活動している陸軍を選ぶ――その仮説は、誇り高き海軍軍人として認めがたい事だった。

 今すぐ目の前の男の長髪を掴んで机に叩き付け、その生意気な口を塞いでやりたい衝動に駆られた。

 だが、"彼女"の言葉が脳裏をよぎり、何とか思いとどまることに成功する。

 

 ――艦隊は存在していれば良い(Fleet in Being)――

 

 ()()が普通の魔導師なのかはさておき、海軍軍人ではない人間にとって、戦艦は港に並べて列強としての威信を担保する存在であり、必要ではあるが積極的に関わっていく存在ではないのだろう。

 

「艦が浮かんでいるだけではイカンということか」

 

「ええ、よくお分かりで。

 海軍には市井に対する“魅力”に欠けています。端的に言えば“海軍に就職した”と友人や家族に自慢できるほど、世間体が良くありません」

 

 沸騰寸前の腑に無理やり蓋をして、歪んだ一文字の唇を作る。

 

 確かに、連合王国海軍の様な華やかな歴史も無ければ、皇国海軍の様な伝説的勝利に恵まれたわけでも無い。

 そもそも、帝国が帝国でなかった頃から、我が海軍はマトモな戦争をしていないのだから。

 

「“海軍の戦争”が必要ということか?」

 

「まさか。今やってる係争地の小競り合いですら死人が出ているんです。戦艦が出張る様な戦争など、誰も望んでいませんよ」

 

 義足になった片足を叩いてみせ、彼自身も小競り合いの被害者であることを改めて認識する。小火器の撃ち合いでこの有様だ。艦砲クラスの砲弾で人間がどうなるのか、想像に難くない。

 だからと言って、艦艇が実寸大の模型であって良いと言う訳はないだろう。それでは現状維持だ。なんの改善にもならない。

 

「何を難しく考えているんです?」

 

 思考の袋小路に入っていると、彼はヘラヘラと答えを見せびらかすように笑った。

 

「簡単なことです。格好を良くすればイイ」

 

「その格好が付く機会が無いと言っとるんだ」

 

 そう、言葉のやり取りが千日手になりかけた時、彼はふと気付いたように真顔に戻り、その後襟と背筋を正していった。

 

「だから、こうやって格好"だけ"付ければいいんですよ」

 

 

 

 彼が提案したのは、文字通り「格好良い」だけの宣伝。

 

 見てくれの良い俳優を起用し、流行を取り入れた軍服にする。

 徹頭徹尾、世間受けを狙った提案だった。

 

 現役の軍人から適当に選んだ人間をバックに"君達の志願を待っている"等の黴の生えたようなキャッチコピーをくっ付けたポスターを募兵所に張り出すだけでは余りにも官僚的で、前時代的。

 ――そう、彼は今までのやり方をこき下ろし、広報・採用活動への人的・物的資源の投入を提案した。

 

 余りにも常識外れで突飛な提案であったがために、怒ることも忘れて逆に頭が冷えてしまった。だが、そうすることで冷静になれたのは幸いだったのだろう。

 考えてみれば当然で、軍隊一般において最も優秀な人材や予算の大半は第一線に費やされるのが常であり、後方ましてや広報など窓際も良いところであった。海軍とて例外ではない。

 

 さらに言えば、海軍の思想も問題であった。

 海兵魔導師は海軍歩兵の延長線上の存在だとされていた。そしてその海軍歩兵は、艦艇を操作する水兵よりワンランク下に置かれており、お世辞にも待遇が良いものではなかった。

 もっとも、海軍の考えからすれば、「常に陸に居られる」というのは大きな福利厚生なのだが、それが海軍歩兵に理解されているとは言い難かった。

 

 事実、水兵の制服は幾分前に更新されたものの、海軍歩兵の制服は未だ戦列歩兵時代からあまり進歩しておらず、それに準じている海兵魔導師も同様である。

 自分の親どころか祖父世代ですらもう時代遅れだっだ軍服に袖を通したいか、と問われて首を縦に振る人間は多くないだろう。

 

 "ライヒス・ブルー"が格好良いとされたのはもう100年も前の事だ。

 当時花形だった戦列歩兵の後継である陸軍の軍服は、既にフィールドグレーに移行して久しい。

 

 

 

「君の考えは理解した。広報活動の強化や宣伝ビラの刷新の提案は直ぐにでも認可されるだろう。だが、軍服の更新は相当な予算が必要だ。直ちに手を付けることはできない」

 

 水兵より数が少ないとはいえ、海軍要塞や海軍管轄の植民地の駐屯部隊を合わせれば軍規模で存在する海軍歩兵と、最近増えた海兵魔導師の軍服を一度に更新するとなると、結構な規模の事業である。

 戦艦建造程ではないとはいえ、予算的にかなり弱体化した海軍ではその費用を捻出することは難しい。

 

 しかし、彼はその辺も問題ないという。

 

「何も、全ての軍服を更新する必要はありません。私達が必要なのは魔導師――それも精鋭の、です。それ以外は考える必要はありません。もしくは、糧になってもらうべきでしょう」

 

 更新する軍服は巡洋艦隊付の海兵魔導師のみ。なんなら、普通の海兵魔導師や海軍歩兵はスケールメリットを得るため、陸軍の軍服の徽章違いにしても構わないという。

 流石に特別扱いしすぎではないか、と苦言を漏らしたところ、陸軍では普通にやっているとのこと。

 

 例えば、戦車や装甲車搭乗員用の軍服は一般歩兵のフィールドグレーのものと違い、黒一色で作りも凝ったものだ。明らかに「格好良さ」を意識して作っているという。

 これは、自動車の運転や整備といった特殊技能を有する人間をより多く採用するための試みで、それなりに上手くいっているのだとか。

 

「更に、軍服が異なることにより、その兵科に"エリート意識"を植え付けることが出来ます。戦車や装甲車は先頭に立って突撃し、敵弾に晒される危険な兵科ですが、自他ともに"エリートである"という意識を持たせることで任務を遂行させやすくなります」

 

 現に、「勇敢でないものは戦車兵にあらず」といった教育もされているという。

 陸軍は先進的なのだろうか、それとも倫理観をどこかに置いてきたのだろうか。

 

「よく言えば、現代のノブレス・オブリージュ、ということか」

 

「ええ、我が国らしいでしょう」

 

 未だに「フォン」の貴族称号がそれなりに意味を持つ帝国だ。陸軍大学では成績優秀者を一代貴族とする制度もある。

 流石に貴族称号の新規創設であれば色々と大変だが、見てくれだけであればそう手間はかからない。採用可能な範疇だ。

 

「そしてここからが本番ですが」

 

「まだあるのか」

 

 よくもまぁ、ポンポンと考えが出てくるものだ。

 これで多額の予算を投入するような事業であれば、国相手の詐欺師ではないとかと勘ぐられても不思議ではない。

 

「本業はカメラですから。こんなことは良い絵を撮るための前座です。そしてここからは、少しカネとヒトが必要になってきます」

 

 

 

 他人に何かを伝える時に、より短時間でより多くの情報を伝えられる方法。

 それは文章より画像であり、画像より動画だという。

 

 だからこそ、より多くの人に読まれる新聞に文字広告を入れるより、募兵所の入り口に紙面いっぱいのポスターを貼っている。それと同様に、宣伝は新たな段階へ進むべきだという。

 

「活動写真は広く大衆に親しまれています。そしてその上映前には、"広告"という形で協賛企業のコマーシャルやニュース映像が流れています。ここに食い込むのです」

 

「軍隊が民間の、それも娯楽に金を出すというのか?」

 

 軍需産業からの調達ですら、コンペやら入札やらの面倒な手続きを経なければならないのが官公庁の一つたる軍隊だ。本業とは関係の無い分野への税金投入の言い訳など、あまり考えたくはない。

 

「後ろめたい気持ちも分かります。試しに1本撮らせてください。きっと流したくなりますから」

 

 自信満々の彼の実力を見るためにも、撮るだけなら構わないだろう。

 活動写真自体は、海軍でも記録映像として利用することがある。軍艦に撮影機材を持ち込むことは、特段珍しいことではなく、手続きも簡単だ。

 

「ただ、活動写真を撮るにあたって、一つお願いがあります。見た目の良い魔導師を手配していただきたい」

 

 立って撮るだけの宣伝ビラなら俳優を使えば良いが、動画となると被写体も魔導師である必要が出てくる。

 術式を特撮で無理やり再現しても構わないが、本物の魔導師を抱えている組織がわざわざリソースを割くようなものでもないだろう。

 

 それに、見た目だけで良いなら()()がいる。

 

「分かった。飛び切りの魔導師を用意する」

 

 

 




第6話の後書きで「後2~3話で戦争に突入します(2回目」って書いたけど、未だ大戦に辿り着いていません……
後2~3話で戦争に突入すると思います(3回目

1920年代の活動写真に上映前広告ってあったんですかね?
サクラ大戦活動写真では、ダグラス・スチュアート社の広告っぽいニュース映像が入っているから、まぁヨシ!


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第10話:銀幕の海軍士官

セーフ(アウト


「広報活動?」

 

 殻の付いた雛どころか親鳥をさばいて取り出した卵の如き新兵達の訓練を切り上げて帰港したところ、ヒッパー提督から告げられたのはそんな用件であった。

 こっちは陸軍への再就職という名の地獄への片道切符が掛っているのだ。

 そんなことでいちいち呼ばないで欲しい。

 

 そう喉まで出かかった言葉を何とか飲み込む。

 そういえば、「海軍の魔導師不足は広報活動の不足が原因ではないか」と提督と話したのも自分ではなかったか、と。

 

 目の前の細事に追われて、未来への投資を「無駄」だと断じてしまうのは組織として末期症状だと言わざるを得ない。

 提督からこのような提案をいただける程度に、海軍は健全だということだろう。

 

「そうだ。士官学校組の陸軍志願者が多いのは如何ともし難いが、徴募組からの志願者は改善できるのではないか、と海軍内でも考えられている」

 

 そう切り出した提督が続けたのは、活動写真を利用した広報プロジェクト。20年代にしては官公庁らしくないハイカラな試みだ。

 現役軍人にこんな事を言い出す人種は居ないだろうから、民間人材の活用というヤツだろうか。零細省庁程こういうことには熱心だ。

 

「この広報活動については、民間の協力を得ている。紹介しよう、ケットナー氏だ」

 

 提督は扉横の従卒に目配せすると、外に待機していたであろう男を招き入れた。

 なるほど、屈強な長身であるにも関わらず、身なりが軍人のそれではない――有り体に言えば、チャラいおっさんだ。

 

「氏は元陸軍航空魔導師の経歴を持つカメラマンだ。魔導師の経験と技能を生かして、海兵魔導師の採用に資する活動写真を撮ってもらう予定である」

 

 確かに、空中機動が売りの魔導師を撮影するのであれば、魔導師の方が都合が良い。

 地上にカメラを配置しているだけでは絵が単調だ。航空機からの空撮も良いが、被写体が航空機より小さく遅いことを考えると、同じスケールの魔導師の方が何かと便利だろう。

 

 しかしまぁ、委託先の選定センスが海軍らしくない。どうせならそのセンスを演算宝珠選定の時に活かしてもらいたかったところだ。

 

 そう少し考えていたところ、提督の紹介を受けたケットナー氏がいつまで経っても口を開かない。

 こういった場合は、自分の方から挨拶すべきだっただろうか。

 ビジネスマナーとやらでは「目下の方から先に」と言われているが、民間の肩書と軍隊の階級がどう比較されているのか、イマイチ理解できていない。

 まぁ、奇妙な沈黙が続くのもアレなので、こちらから挨拶させてもらおう。

 

「海軍魔導中尉を拝命しております。ブランデンベルガーです。良い絵を期待しています」

 

 敬礼か握手か少し逡巡した後、相手が民間人ということで手を差し出した。

 しかし、何時まで経っても彼はそれに応じない。元陸軍航空魔導師なら敬礼の方が良かっただろうか。もっとも、彼の右手が上がることも無いのだが。

 

「――こりゃあスゲェ……。提督さん、神様と契約して天使でも連れてきたんですか?」

 

「違う。愛国心と敢闘精神を雲の上に置いて堕天して来たから、海軍で飼ってるんだ」

 

 もう少し言い方があっただろう。

 

 

 

 再起動したケットナー氏がようやく握手に応じ、話が進み始めた。

 その後もしばらく意味深に自分の右手を見ていたのが気になる。食事の前にはちゃんと洗えよ?

 

「先ずは1分間の活動写真を製作します。それが上手くいけば、第2弾、第3弾と活動写真を追加で製作させていただく予定です」

 

 初めは大いに不安であったが、彼の企画自体は真っ当なものであった。

 海兵魔導師の質を改善するため、精鋭――それも偵察艦隊付の魔導師にのみターゲットを絞るというのは随分と挑戦的だが、その分製作物の内容に凝っていた。

 

「しかし、活動写真のために軍服まで更新するのですか?」

 

 現行のものが良いデザインと問われると難しいが、だからと言ってそこまで貶められるものでもないだろう。

 私が今まで着ていて、「ダサい」と言われたことは一度も無いのだが。

 

 そんなささやかな反対意見は、彼に「貴女が特別なんです」と一蹴された。

 

「何を着ても似合うのは極一部の例外です。そうでない普通の者にとっては、"自分が身に着けて格好良いか"がもっとも重要でしょう」

 

 軍服等の制服はどれも同じようなものではないのか、というのは素人意見なのだろう。

 事実、前世で「軍服」と言って真っ先に出てきたのは今の時代の陸軍式のものがほとんどだった。時代を越えてなお魅力的なデザインということなのだろう。戦列歩兵時代のものは、余程のモノ好きでないと例えとして出てこない。

 海軍歩兵の古臭い制服を今の陸軍式にしてしまえ、というのも乱暴な気もするが一理あるのだろう。

 だからと言って、海兵魔導師の――それも偵察艦隊付魔導師のみ制服を独自のものに更新するなど、突拍子もない考えではないのだろうか。

 

「海軍歩兵など言ってしまえば2線級部隊です。海軍がコストをかけて育成するものではありません。そして、海兵魔導師、特にこれから優秀な人材を集めようという偵察艦隊付魔導師の制服を陸軍式にしてしまっては、陸軍航空魔導師との差別化が図れなくなります。

 "海兵魔導師、それも偵察艦隊付は特別なんだ"と世間に刷り込まなければなりません。そのための制服更新です。他のを陸軍式にするのは、陸軍の首を縦に振らせるための餌に過ぎません」

 

 もうちょっとオブラートに包めよ。まぁ、元陸軍という話だし、彼の目から見たら海軍歩兵などその程度なのかもしれないが。

 しかし、あまりにもバッサリ言うものだから、顔が引きつっていないか心配である。いや、それでも見苦しくないのがこの神造ボディの恩恵なのだが。

 

「それで、私は何を?」

 

 新しい制服のための着せ替え人形にでもなっていれば良いのだろうか。

 幸い外見には自信がある。撮られ慣れていないから綺麗なポーズを魅せることが出来るかどうかは分からないが、そこはカメラマンの技量で何とかしてもらいたい。

 

「魔導師は飛んでいる姿が最も映えます。なので、陸軍の教導隊のような編隊飛行を撮りたいと考えています」

 

 ちょっと待て。

 

 

 

「彼はああ言ってますが、今の我々では戦技教導隊のような曲芸飛行どころか、ただの編隊飛行ですら怪しい状況です」

 

 ケットナー氏が退室した後、部屋に誰もいないことを確認してヒッパー提督に詰め寄る。

 帝国海軍の情けない現状を誰かに聞かれるわけにはいかない。

 

「員数も技量も足りていないのは理解している。しかし、何もしなくては改善されん」

 

 私だけならフォトスタジオでマネキンになったり、なんならその新型の軍服を纏ってランウェイを歩いたって良い。だが、練度未熟の部下を率いて、ということになると話は別だ。

 とはいえ、何もかも「出来ません」では給与をもらっている身として苦しいところである。

 

「時間が必要です。今までは海上での長距離作戦行動能力の獲得を第一に訓練を行ってきました、逆を言えばそれ以外やっておりません」

 

「新型の軍服の用意には時間がかかるだろう。それまでに形に出来れば構わん」

 

 イチからデザインを起こす必要があるとはいえ、調達数が僅かだ。生産に時間がかかるとは思えない。

 ケットナー氏のやる気の入れようからしても、短期間で用意してくる可能性がある。

 

「2週間だ。その間に軍服が届いても"訓練で洋上中で帰港まで時間がかかる"と言い訳してやる」

 

 学芸会の練習期間じゃあるまいし。

 

 

 

***

 

 

 

 ヒッパー提督の呼び出しを終えた後、直ぐキィエールの巡洋艦にとんぼ返りし、補給も早々に再度出港した。

 せっかくの帰港が早々に切り上げられたため部下達から不満も少なくなかったが、訓練内容が母艦上空での編隊飛行訓練だと説明すると、その声も小さくなった。何という現金な奴らだ。

 

 まぁ、長距離作戦行動訓練が過酷だというのは分からなくもない。

 

 このような反応を見ていると、万が一落ちたとしても助けてくれる母艦が見えている訓練と、長駆母艦を離れる訓練とでは、受けるストレスの大きさに違いがあるのだと思う。

 秋津洲の精鋭ですら、長距離作戦行動訓練ではストレスによる著しい能力低下が見られたのだ。それと比べることすらおこがましい帝国海軍の魔導師はもっと酷くても不思議ではない。その喜びようも理解できる。

 ただ、残念なことにそれとは別種のストレスと戦ってもらうことになるのだが。

 

「して、なぜ急に訓練内容の変更を?」

 

 流石コンラッド軍曹、良い勘をしている。

 基本的に、「長距離作戦行動」という海兵魔導師にとって最も必要な能力が欠けている彼らに対して、私が訓練の手を緩めることはない。常に「現時点の限界の1mm向こう側」を求め、魔導師の卵達の能力を骨延長の様に引き延ばす訓練を継続していただろう。過酷かもしれないが、最も効果的だ。

 しかし――

 

「重要かつ緊急の任務のためだ」

 

 先程まで浮かれていた新兵達が息をのみ、互いに目を合わせる。

 一刻一刻と外交情勢が緊張を増す今日だ。予定を繰り上げて帰港し、私が提督とあった後とあっては「すわ、開戦か」と勘違いするのも無理はない。

 まぁ、建艦競争に白旗を挙げた海軍から殴り掛かることはないと思うのだが。

 

「ところで軍曹、活動写真は好きか?」

 

 "はぁ?"、という軍曹から漏れた声と共に部下の緊張がほどけたのを感じる。

 無理もない、私だって聞いた時は"そんなこと"と思ったのだから。

 

「喜べ諸君。今日から君達は銀幕のスターだ」

 

 

 

***

 

 

 

 "活動写真"

 自分のような兵卒を始め、労働者階級にも手の届く数少ない娯楽だ。流行りものともなれば、話題に付いていくためにも鑑賞した経験がある者は多いだろう。

 かく言う自分も、何度か足を運んだことがある。

 

 活動写真が世に出る前は、娯楽と言えば舞台であった。ただ、舞台は活動写真より敷居が高く、そして閉鎖的であった。

 

 "生き物"とされ、個々の上演が微妙に異なる舞台は、今世紀の集約化された労働者階級に均一な話題を提供するという点では不向きであった。「特定の上演を鑑賞していないと分からない」というのは、一部のディープな層を除き、受けが悪かった。

 

 また、舞台は舞台の上で完結していた。

 大道具や照明等が演出するとはいえ、海で、空で、山で、街で、平原で、文字通り世界中で撮影が可能な活動写真にリアリティで一歩劣るのは仕方がない事だろう。

 それに、"エキストラ"として自分達が活動写真に出演することだって不可能ではなかった。劇団の門を叩かなければ立てない舞台より心理的な距離が近く、だからこそ主役たる銀幕のスター達は視聴者の憧れであった。

 

 画面の隅に豆粒程度にしか映らないエキストラでさえ、なれたら地元では英雄だ。ブランデンベルガー中尉の言葉に目を輝かせるのも無理はないだろう。

 

 

 

 しかし、その輝きは訓練が始まるとともに消え失せることとなった。

 

 撮影用の編隊飛行訓練は長距離作戦行動訓練とは違う意味で過酷であり、"ただ飛ぶだけ"と高を括っていた想像力の乏しい輩に現実を突きつけた。

 少しでも考える力があったのならば、精鋭の実戦部隊とは別に儀仗兵が存在する理由に思い当たったのかもしれないが。

 

 "編隊間隔を維持したまま既定のコースに沿って飛行する"

 

 言葉にすればたったそれだけの行為が、我々――特に最近飛ぶことを覚えたばかりの新兵――には極めて難しかった。

 風の流れや空気の粗密によって飛んでいる魔導師は常に揺さぶられ、そしてそれを抑えられない者に編隊間隔を合わせている者が釣られる。編隊は振り子のように揺れ動き続けた。

 

「軍曹、これであのカメラマンが満足すると思うか?」

 

「まさか」

 

 予想に反して厳しい訓練を受けさせられた――と思い込んでいる連中を黙らせるために、中尉は1人ずつ編隊の外に出して、我々の編隊飛行がどれほど"素晴らしいか"を観察させた。

 エーベルバッハ曹長を始めとした古参も例外ではなく、我々は自分達が思っていたのより酷く稚拙な編隊飛行を見せつけられることとなった。

 更には、中尉から直接感想を求められる始末。

 

「空中にマス目でもあれば良いのですが」

 

 我々には"間隔を揃えて飛ぶこと"の他、"定められたコースを逸れずに飛ぶこと"の2つの課題がある。

 地上では腕の長さを用いて間隔を揃えたり、地面にレーンを描いてコースを可視化したりと、直感的にそれらの課題が解決できるのだが、空中ではそうもいかない。

 棒や物差しで間隔を測ろうとも、地上の行進よりはるかに高速で行われる編隊飛行中の接触は大惨事になりかねず、当然のことながら空中にレーンは描けない。スモークで一時的に線を引くことは可能だが、時間と共に風に流され、コースが変わってしまう。

 

「光学術式で引いてみようか、誤って触れればただでは済まないが」

 

 銃口管理が厳格な軍隊組織で、軽々しく口に出して良い言葉ではないだろう。

 もっとも、術式に関しては演習用の非殺傷式もあるので不可能ではないが、あれは触れれば消えてしまうので、スモークよりマシ程度でしかない。

 

「中尉。ここは帝国で、教導中なのは本物の部下です。好き勝手出来るイエローではありません」

 

「だからといって、甘やかしながらでも目的が達成できるほど、彼らが優秀でもあるまい」

 

 やりたい放題した極東の成功体験が、悪い意味で上司の脳にへばりついているのではないか。

 あまり言いたい事ではないが、部下に死傷者が出る前に方向転換を促さなければならない。

 

「中尉が10人分の飛行術式を管制する方が現実的では?」

 

 

 

***

 

 

 

 余りにも部下達の編隊が酷いのでコンラッド軍曹に等身大のイライラ棒を提案したところ、却下されるどころか「全部あんたがやれ」との文句が返って来た。

 これが最近の若者を部下に持つということなのだろうか。とはいえ、軍曹の方が一回り年上なのだが。

 

「私の脳か宝珠、どちらが先に焼け付くか我慢比べをしろと?」

 

 まぁ、バッヘム技師の言い分を真に受けるのであれば、宝珠が焼け付くことはないのかも知れない。

 だが、心配なのは替えの利かない自分の身体である。いくらこの神造ボディとはいえ、飛行術式を並列10個となると厳しいのではないだろうか。

 

「放っておいたら大西洋でも横断しそうな魔力量です。10人くらい余裕でしょう」

 

 量の問題ではない。宝珠を管制するこの灰色の脳みそが持つかどうかだ。

 

「一度焼き付いた方が、その桃色の脳みそも良い塩梅に火が通りますよ。そうしたら、突飛な発想も落ち着くことでしょう」

 

 こっちは大真面目に"大戦"から可能な限り逃れる方法を考えているんだ、君らの分もな。

 その過程でヒッパー提督の左遷という多少の犠牲は出てしまったが、許容して欲しいものだ。現に、我々は地獄の陸戦から遠ざかりつつある。

 ――この宣伝が上手く行き、帝国海軍が解体されて陸戦に投入されない程度には、王立海軍を抑えることが出来る存在となれたのならば、の話だが。

 

 

 

 用意された2週間の訓練期間が終わらないうちに、キィエールのヒッパー提督から「ケットナーが来た」との連絡が入った。せっかちすぎる、こっちはそろそろ帰港のための日程と航路を相談していたところだぞ。

 

 あまりにも氏の押しが強いため、「未だ洋上だ」と突っぱね続ける提督も辟易としたらしく、直ちに帰港するよう命令が入った。2週間の訓練期間に加えて移動時間というロスタイムを加える予定だったが、叶わないようだ。

 あまり気が進まないが、軍曹の提案を受け入れざるを得ない。

 

「軍曹、予備として使えるはずだった移動時間が短くなった。非常に残念だが君の意見を採用しようと思う」

 

「ようやく決心がついたようで何よりです。して、あと半日もしないうちにキィエールですが、いかがいたしましょう」

 

 軍曹は私が見て分かるほど上機嫌だ。

 成果が見えない上に戦力に繋がっているように思えない編隊飛行訓練だ。カッコいい航空魔導師を夢見て入隊したら、軍艦に放り込まれて無意味な訓練に付き合わされていると思い込み、ストレスをため込んでいてもおかしくない。先任として部下を宥めるのも大変だったのだろう。

 だからと言って、今からの訓練が優しくなるわけではないのだが。

 

「キィエール上空まで無着艦で訓練を行う。諸君らは編隊を組んだ後、私に演算宝珠の権限を委任するだけでいい。後は振り落とされないように宝珠にしがみついていれば母港だ」

 

 

 

 軍曹ら先任下士官に命じて、やる気のない新兵達を無理やり巡洋艦上空に連れて来させた。不平不満が顔に出ている彼らであったが、訓練内容を伝えると急にパァッと明るくなる。何という現金な奴らだ。

 

「合図と共に自分の演算宝珠の管制権限を私に譲渡、そのまま軍港上空まで訓練飛行を行う。良いな?」

 

 念のため最も重要なことを伝えるが、浮かれた彼らにはどうも伝わってないようだ。

 20世紀初頭とは言え、魔法が飛び交う世界でリテラシーの低い部下を持ちたくはない。自分の宝珠(デバイス)の管理者権限を渡すことが何を意味するか、体で覚えてもらわなければ。

 

 宣言通り、秒読み終了と同時に全員の演算宝珠にアクセスし、あっさりと管制権限を取得。

 予測はしていたが、脳髄に流れ込んできた10人分の飛行術式の負荷は相当量だった。この神造ボディでさえ、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受け、気が付いたら目の前に海面が迫っていた。

 頭に余計な思考が走っていると管制が覚束ないので全て放りだし、全力で引き起こしにかかる。隣で軍曹を始め部下が何か叫んでいるが全部無視、それどころじゃないんだ。

 人類が耐えられる限界までプラスGを掛けながら、海面スレスレで引き起こす。悪いな、君達の分どころか私の分さえ対G術式を組んでいる余裕はない、軍人の端くれなら物理で耐えてくれ。

 

「殺す気ですか!!」

 

 何とか水平に持ち直したところで、ようやく軍曹の叫び声を聞き取ることが出来た。この灰色の脳みそがウェルダンになりかけたのだから、こちらの心配をして欲しいところだ。

 

「結果オーライだ、軍曹。皆生きている」

 

 ざっと見渡した限り、海に還った者もGで首が逝った者も居なさそうだ。宝珠の上でグロッキーになっている者は多いが、悪態を吐く余裕がある。どちらかかというと、余裕が無いのは私の方だ。

 単純な水平飛行で何とか周りに気が配れる程度、旋回等の複雑な機動をすれば直ぐに脳みそがパンクしてしまうだろう。

 それもそのはず、自分1人だと気にならない飛行術式をイチから構築するのも、流石に10人分となると大事である。脳に負担を掛けない、選択するだけで発動するようなインスタント術式が欲しいところだ。

 

 ところで、魔導師用に支給されている小銃は歩兵用のものと異なり、攻撃術式発現用のアシスト機能が付いている。平たく言えば、「光学術式を撃とう」と思えばわざわざ宝珠で術式を組まなくても、小銃にプリセットされている術式に魔力を流し込めば発現してくれる機能だ。

 宝珠側には何のプリセットも用意されていないが、元々陸軍の宝珠は小さいサイズの中から出力を目一杯絞り出す設計思想のため、その余裕が無いのだろう。反面、デカいだけが取り柄のコイツなら詰め込めないこともない。

 

 休憩の名目の下しばらく水平飛行を続ける間、適当なプリセットを演算宝珠の空き領域にセットする。

 あのカツカツの陸軍式演算宝珠と同等の演算能力を謳いながら、随分と空き領域が多い。10人分の編隊飛行なら余裕をもって使用できるだろう。唯一の不安は、この空き領域を一般ユーザが使用して良いものなのか分からないことだが、今の所問題ないのでヨシとする。

 

 

 

***

 

 

 

「酷い訓練だった」

 

 キィエール軍港に帰還し、ブランデンベルガー中尉がヒッパー提督に呼び出されたのを良いことに、部下達が公然と愚痴を言う。

 

「あの容姿でなければ付いて行ってないよ」

 

「違いない。見た目だけは最高だ」

 

 イエローの実験で上手く行ったからと言って、帝国で同じ発想を用いた訓練を実施すればどうなるか分かっていたことだが、中尉には伝わらなかったようだ。

 もっとも、背後から撃たれないのは、本人の言う"神造の容姿"が寄与しているのかもしれないが。

 

「コンラッド軍曹は中尉の極東出向にも付いて行ったらしいじゃないですか。どうです、2人だけだったら何かイイ事無かったんですか?」

 

 眼福なイベントはあったとはいえ、四方八方に迷惑を掛けながらだったので、一緒にいる身としては冷汗が途切れなかった。楽しめる状態ではない。

 

「今と何も変わらんな」

 

「ですよね、中尉は何かとガードが堅い」

 

 こいつらの目はガラス玉か何かで出来ているんじゃないのか。脇が甘すぎてこっちはひやひやしているんだが。

 

 

 

 そんな馬鹿話は、当のブランデンベルガー中尉のノックによって遮られた。もう提督達との打合せが終わったのだろうか。

 一応上官なので起立し、一番扉に近い奴に目配せして開けさせる。

 

「諸君、楽にして良い」

 

 入室した中尉は開口一番そう言うが、誰も動かなかった。

 皆、中尉に目を奪われていたのだ。

 

「どうした? 掛けて良いぞ」

 

 自分だけ妙に自覚の乏しい中尉が再度声をかけるが、皆が気にしているのはそこではないのだ。

 当然の如く誰も答えないので、間を埋めるためにも自分が声を出す。こんなことをするために、極東くんだりまで付いて行ったわけではないのだが、変な能力ばかり身に付いた自分を少し恨んでしまう。

 

「訓練の後はお色直しですか?」

 

「あぁ、新しい軍服だ。活動写真撮影の前に、その説明も行う」

 

 時代遅れの海軍歩兵式軍服に袖を通していた頃でさえ、その"ダサさ"を貫通してなお「神造の美」に恥じない容姿だったのだ。あの胡散臭いカメラマンが持ってきた今風のデザインのものを身に付ければどうなるか、火を見るより明らかだった。

 

 新しい軍服はかつての戦列歩兵の代名詞であった"ライヒスブルー"から、黒とネイビーブルーを基調に白をアクセントで加えたものとなっていた。

 艦上で行動することを考え、海軍歩兵よりは水兵や海軍将校のものにテーマを近づけたのだろう。海上勤務の軍服が詰襟を廃したのと同様、こちらの軍服も開襟として着用することもできるようになっていた。

 生地も無駄に分厚くゴワゴワした旧式のものから、薄く機能的なものに洗練されており、身体の線が出やすくなっている。こと中尉に関しては大問題だと言えよう。

 

「良い生地なのでしょうが、これで上空を飛ぶのは気温的な意味で不安ではないでしょうか」

 

 後から運ばれて来た軍服を受け取りながら、何とかカバーできないか考える。

 せめて上着があれば周囲の被害は軽減できるのだが。

 

「服装規程も更新され、軍服の上にフライトジャケットを羽織ることが可能だ。支給はされないから、好きなものを着ると良い」

 

 なお、今回の撮影ではそのフライトジャケットは使用しないとのことだ。意味がない。

 まぁ、この中尉の下に配属されてしまった以上、慣れるしかないのだろう。彼らが退役後、普通の女性に目移りできなくならないよう祈るしかあるまい。

 

「軍服を受け取ったら袖を通してサイズ確認を行え。合っていない状態でフィルムに映りたくはないだろう?」

 

 確かに、そんな状態で活動写真に出たくはないだろう。

 そこの女優モドキはともかく、普通の人間にとっては一世一代の大舞台だ。

 

「中尉の軍服は大丈夫そうですが、既に衣装直しをされたので?」

 

「さっきポスター用の写真を撮る際にな。まぁ、私に掛かればどんなサイズの服も着こなせるさ。なに、それとも着換えが気になったのか? 見てもいいが、高くつくぞ」

 

 そういうところが良くないんだ、と言いたいのをぐっと飲みこむ。

 

「いえ、遠慮します」

 

 

 

 あれほど帰港を急かしたにもかかわらず、活動写真の撮影は延期されていた。

 原因は我々海兵魔導師にではなく、発案者のケットナー氏にある。

 

 彼は軍服を着たブランデンベルガー中尉や部隊の面々を見て絵的に満足していたものの、演算宝珠を見ると顔を顰めた。曰く「デザインが魅力的ではない」とのことだ。

 急遽ハインツ&カール社から設計主任のバッヘム技師が呼び出され、演算宝珠の設計変更が依頼された。変更箇所は演算宝珠のシルエットの大部分を担う宝珠核廃熱板と自動砲カバーであった。

 バッヘム技師は「自動砲のカバーは何とでもなる」と請け負ったものの、宝珠核廃熱板の設計変更には抵抗した。「性能に影響する部分であり、直ちに変更できない」とのことだ。

 しかし、ケットナー氏は「活動写真を直ぐ撮りたいから、指定の形状に削ってくれ。正規の形状変更は後で良い」と強引に事を進めたがった。実際に演算宝珠を扱う中尉は苦言を呈したものの、面倒ごとを避けたいヒッパー提督の了承もあり、応急的な改造を施すことになり、全員の演算宝珠が海軍工廠へ預けられることとなった。

 そうしてできた時間で、サイズの合っていない数人分の軍服の手直しも行われた。

 

 工廠から帰ってきた演算宝珠は、粗削りだが放熱板が陸軍式のものと同様に鳥の翼をモチーフにした形状に加工されていた。

 ケットナー氏曰く陸軍同様鷲がモデルだそうだが、華々しい対魔導師用の戦闘訓練を一切していない我々は「カモメの方が良かったのではないか」と思わずにはいられなかった。

 

 

 

 新品の軍服と改造宝珠で挑んだ活動写真撮影は途中まで順調に進んでいた。それもそうだ、ブランデンベルガー中尉以外はただ演算宝珠に跨っているだけで良いのだから。

 

 カメラを持って編隊の周りをぐるぐる飛び回るケットナー氏は、矢継ぎ早に中尉に指示を飛ばし、それを受けて我々は編隊を組み、旋回し、散開した。

 ケットナー氏は即席の海兵魔導師隊が高度な編隊飛行を実現したことに驚き、そして褒め称えていたが、そのトリックが露呈するのは時間の問題だと思われた。一応、中尉は我々に対して個々の行動の前に指示をする()()をしているものの、受ける部下側がカメラに緊張して中尉の方を向いていないからだ。

 

 もっとも、その心配は途中から別の問題によって上書きされた。

 

 編隊飛行中、唯一フル稼働している中尉の演算宝珠の宝珠核が徐々に光を持ち始め、時間と共に眩く爛々と輝きだした。熱暴走であることは明らかだ。

 ケットナー氏は「幻想的な光景だ」と興奮してカメラを回し続けていたが、編隊の後方でその熱風を受ける我々はたまったものではなかった。しばらくはカメラの手前我慢していたものの、滝のように流れる汗を拭うため、演技に支障をきたし始めた。

 ケットナー氏からは「気合が足りない」だの「陸軍では云々」だの小言が飛んできたが、生理現象は如何ともしがたい。

 当の中尉からも演算宝珠の挙動がおかしいとの声が上がり、撮影は一旦中断して休憩となった。

 

 

 

「残念だが撮影はここまでだ」

 

 休憩時間終了間際、ブランデンベルガー中尉が皆にそう伝えた。

 地上に戻った際、中尉は駆け付けたバッヘム技師と何か話していた。きっと、あの熱暴走が良くなかったのだろう。先程まで中尉は我々同様演算宝珠を手にしていたが、戻ってきたときには手ぶらだった。

 

「無理に放熱板を削ったのが良くなかったのだろう。バッヘム技師からの助言で、改善されるまでHK211演算宝珠の運用禁止が決まった」

 

 あのデザインを維持したまま以前の性能を発揮するためには、海軍工廠ではなくメーカー引き取りとなる大規模な改修が必要だそうだ。我々の演算宝珠もH&K社に引き渡すように、との指示が下った。

 

ケットナー氏は「理想にはまだ遠い」と文句を言っていたものの、ヒッパー提督の「今ある映像で完成させろ」との鶴の一声で大人しくなった。提督もいい加減うんざりしたのだろう。

 まぁ、彼も軍人だ。完璧を目指すより手持ちのモノで何とか形にする大事さは理解していると思われる。

 しかし、そもそもこんなところに理想の被写体が転がっている方が根本原因ではないだろうか。何もかも中尉が悪い。

 

「それで、これからどうします?」

 

「休暇だ軍曹、宝珠の無い魔導師はただの人だ」

 

 中尉の口から「訓練」の言葉が出そうになったら膝の裏でも蹴ってやろうかと思っていたが、意外なことに常識的な指示が出された。

 

「しばらく訓練漬けだったからな。里に帰って親御さんに顔を見せると良い」

 

 ええ全く、その通りで。

 

 

 

***

 

 

 

 魔導師の価値は様々だが、一つに絞るのであれば"飛べる"ことだろう。

 宝珠を失って飛べなくなった魔導師など、ただの高価な歩兵に過ぎない。アドリア海の豚もそう言っている。

 

 もっとも、ここの所母艦をローテーションしながらぶっ続けで訓練を行っていた所為で、「ブラックだ」との口コミが広がるのを恐れたというのもある。せっかく宣伝を打つのに、当の本人たちの口からマイナスイメージが発せられては意味が無い。

 確かに連勤は続いたがそれは上官たる私も同じだし、何より艦上勤務とはそんなものだ。度が過ぎないよう長期休暇を挟むことで、年単位で見ればホワイトになる。

 

 コンラッド軍曹ら下士官・兵を順次シャバに送り出し、ついでに自分も提督に休暇申請を行ったところ、相当量の事務作業が押し付けられた。曰く「海上に居た期間に溜ったモノ」だという。何というブラックな上官だ。

 

「我が艦隊の士官魔導師は貴様しか居らんのだから仕方ないだろう」

 

 人材不足も甚だしい。

 さっさとマトモな人間を士官学校から引っ張ってきてほしいところだ。

 

 こんな事なら軍曹だけでも置いておくべきだったかと後悔しながらなんとか片付け、念願の休暇申請に辿り着いたところで提督からありがたい一言をいただく。

 

「外に出るなら顔を隠すことだ。貴様が士官室に籠っている間に巷は騒がしくなった」

 

 

 

 ケットナー氏は材料が足りないとボヤいていたにもかかわらず、何時編集したんだと言わんばかりの速さで上映用フィルムとついでの募兵用ポスターを納入した。フィルムは焼き増しされた上で各地の映画館へ上映前広告の一環として配布され、ポスターも全ての海軍募兵所に十分な数が行き渡るよう送付された。

 これで1人でもマシな魔導師が来るようになればいい、そう広告の効果に半信半疑だった海軍にもたらされたのは、まったく別種の報告であった。

 

 ポスターの盗難である。

 

 ある募兵所では、外に張り出したポスターを目にした通行人が足を止めるのを見て効果を実感していたところ、翌朝には無くなっていたという。何度貼り直しても盗まれるため、外に張り出すのを止めて目の届く屋内に掲示せざるを得なかった。

 もっとも、そんな募兵所はまだマシな部類で、酷い所は内部犯による盗難により掲載すらされなかった。地元の募兵所に掲載が無いことに怒った住民からの通報で発覚するほどだ。

 

 

 

「同様に活動写真も大人気だ。海軍の窓口には映画会社からの電話が殺到している、"あの女優は誰だ"とな」

 

 思ったより大事になってしまったようで恐縮である。

 ただ、責任はケットナー氏を雇ったヒッパー提督にあるので、私を責めるのはお門違いというものだ。

 

「それで、もう止めるのですか?」

 

「ターゲットではないが水兵の志願者はここ数日で先月分を越えておる。止める理由などない」

 

 魔導師はその入り口が幼年学校又は士官学校に限られており、通年募集ではないから効果が判明するまでには時間を要する。

 しかし、代替の指標となる水兵の志願者数に良い傾向が表れているのなら、魔導師も同様だと見積っているのだろう。

 

「懸念事項は貴様が女優に転職しないか、ということだ」

 

「魅力的な提案ではありますが」

 

 やり方しだいで海兵魔導師より稼げるだろうが、帝国本国に滞在する必要が出てくる。

 大戦末期には西から飛んでくる戦略爆撃機が都市という都市を破壊するだろうし、東から大地を埋め尽くす労農赤軍がなだれ込んでくるだろう。

 その時ただの女優という肩書はあまりにも心もとない。魔導師の良いところは演算宝珠による最低限の自衛能力と行動能力があることだ。その気になれば海峡を越えて亡命も出来る。

 

「落ち着くまではこのままでいようかと」

 

 大戦さえ終わって神が満足すれば晴れて自由の身だ。身の振り方はその時考えても十分間に合うだろう。

 

「それを聞いて安心した。休暇は了承しておこう」

 

 ひょっとして辞めるなら休暇なしだったのか?

 




本当はもう少し区切りの良いところまで書ききるつもりでしたが、これ以上(文章量と前話からの空き期間が)長くなるのも微妙なのでいったん投稿しました。
リアル事情で長期にわたって長文を書く必要があり、脳内常駐タスクから執筆.exeを削除したら、再起動時にめっちゃ時間かかるという...


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第11話:陸軍士官と海軍士官

初:原作キャラ登場


 

 

 

「女に気を付けなさい」

 

 帝国陸軍の将校であれば、仮想敵国等のハニートラップに引っかかることの無いよう、そのような訓示を受ける。しかし、それは陸軍の防諜部門からの言葉であり、間違ってもその辺の怪しい占い師から掛けられるような言葉ではなかった。

 

 "レルゲン殿は席次だけでなく女まで持っていくのか"

 士官学校査察公務の帰り道、同期がそう揶揄ってきたが自分としては余り笑えない状況であった。

 

 士官学校の査察ではとんでもない幼女――あれも生物学上は女だ――に3度目の遭遇をしてしまったのは確かだ。だからといって、裏通りの占い師が表通りを歩いている軍人の集団を追いかけてまで伝えることだろうか。

 例えば、"あのとんでもない幼女と今後も付き合いが続く"というのであれば、確かに気を付けるべき厄災かもしれないが、士官だけで万単位の人間が存在する帝国陸軍で、これ以上関わりが続くということも無いだろう。

 

 であれば、()()と同じような女に出会う可能性があるということだろうか。どちらかと言えば、そちらの方が可能性として大きい気がする。

 更なる軍拡のため、帝国は魔導師に関して素質さえあれば性格性別年齢問わず徴兵するようになってしまった。その問題児も今までであれば海軍に押し付けることが出来ていたが、建艦競争離脱時の妥協でそういうわけにもいかなくなっている。従来の価値観では測ることのできない存在が陸軍に入り込んでしまっていてもおかしくはない。

 官僚組織としては帝国陸軍の拡大を歓迎すべきところだが、要員の質の低下は憂慮すべき問題だろう。

 

 共に歩く仲間も同じような思いを抱いていたようで、通りの先にあるバーに入ることを提案してきた。視線の先にあるのは陸軍将校のOBが経営する店で、庁舎内で話すほどでもないが、公の場で話すには機微な話題を取り扱うのに重宝している。

 

 

 

 ドアボーイの案内で、1階の尉官用フロアに通される。

 上階には佐官用や将官用のフロアがあり、値段も相応に上がるものの提供される酒類や店内の内装のグレードも上がる。その構成員の多数を貴族階級が占める帝国陸軍将校は、そういった社会的ステータスが大好きだ。

 自分も、帝国の未来を背負って立つという理想以外に俗な気持ちがないとは言えない。もうすぐ同期に一歩先んじて佐官用フロアに案内される日が来ることを、少し楽しみにしている自分がいる。

 

 案内されたテーブルに着いたところ、普段とフロアの雰囲気が異なることに気づく。

 尉官用フロアはこんなに静かだっただろうか。佐官将官に比べまだ若く元気が有り余っている尉官共は、酒が入るとすぐ騒ぎがちだ。少なくとも、教官が怒鳴り散らした後の教室のような雰囲気になることはない。

 

 そんな疑問は、わざわざフロアのマスターが席まで注文を取りに来ることで解決した。

 

「……大尉殿、海軍将校の相手をしていただけないでしょうか」

 

 マスターの目線の先には、カウンターの一番奥の席に座る絶世の美女がいた。

 アレもまた、気を付けるべき女性というのだろうか。

 

 

 

***

 

 

 

 悪いことをしたな、と思う。

 

 久々の休暇だが、とくにやることがないので、適当に帝都を観光しようと考えたのが間違いだった。

 ――帝都には数々の歴史的建造物が存在するが、砲爆撃で破壊されたり東西分割で観に行けなくなったりする前に見物してしまわなければもったいない。神造ボディとは言え、大戦を越えてさらに冷戦が終わるまで寿命が残っていることを期待しない方が良いだろう――

 そう思っている間は素晴らしいアイディアだと自画自賛していたが、もう少し提督の注意に耳を傾けるべきだったと突っ込まれればぐうの音も出ない。

 

 外を歩けばあっという間に群衆に囲まれ、店に入ろうものなら店内外からサインを求められる。情報化が進んでいない時代の有名税がこれほどまでに高価だとは思わなかった。

 

 慌ててキィエール軍港に駆け戻り、職権を乱用して車を調達することでようやく駅まで出ることができた。さらに、駅員からは「迷惑料です」とのことで強制的に一等車に乗せられ、想定外の出費を強いられる。泣きっ面に蜂とはこのことか。

 

 キィエールでの騒動を、遥かに規模の大きな帝都で繰り返すわけにはいかないので、帝都行きの特急車内で髪を括って帽子を被り、サングラスをかけて目元を隠して一般人に変装する。

 "変な女だ"程度には目を向けられるものの、黒山の人だかりを作るようなことはなく、私の作戦勝ちといえるだろう。

 

 ただし、屋内では帽子もサングラスも外さなければならない。

 屋内観光は諦めるにしても、腹ごしらえだけはどこかの店内に入らざるを得ない。その辺の飲食店では変装を解いた瞬間、キィエールの二の舞だ。

 

 しかし、そこは我らが大帝都。ご丁寧なことに軍人専用の店舗がある。

 

 海軍軍人は帝都では少数派なので恐らく陸軍軍人用なのだと思われるが、看板には「軍人専用」と記載されているだけで陸海の区別はされていない。

 幸いにして車を借用するため軍服を着てきたので入れそうな気がする。海兵魔導師の軍服は陸軍のそれと大きく異なるので、海軍という理由で弾かれるのであれば、ドアボーイがそう判断するだろう。

 

 そうやって堂々と扉に向かったところ、ドアボーイは一瞬逡巡したものの"魔導中尉だ"と伝えると店内に案内してくれた。

 

「ありがとう」

 

 そう変装を解いて微笑んだところ、ドアボーイはマスターに店の奥に連れていかれ、私は店内で一番人目に付かない奥のカウンター席に押し込まれることとなった。

 

 

 

***

 

 

 

 公の場で話すことは躊躇われるが、庁舎で話すようなことでもない。

 そういったグレーな相談に用いられてきた店にとって海軍軍人――それも女性の――というイレギュラーをどう扱うべきか、マスターを始めここに居る者は全員答えを持たないようであった。

 

 たしかに店先には"海軍軍人お断り"とは記載していないものの、そこは暗にドアボーイが弾いていた。しかし、彼が新人であったこと、彼女が海兵魔導師という絶滅危惧種であること、なぜか変装していたこと、海兵魔導師の制服が最近一新されたこと等の要因が重なって、偶然店内に入れてしまったようだ。

 あまり上品な手ではないが、相手が野郎であれば陸軍軍人で取り囲んで追い出すこともできようが、相手が女性だとそれも難しい。

 だからといって、店内に居る者が全員警戒体制では、前述のような"場"を提供することができない。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが、尉官フロアで同率一位で階級が高くかつ少佐への昇進が内定している自分だった。

 あの胡散臭い占い師の言葉もあり全く気が進まないが、これも上位者の義務というやつだろうか。

 

「隣、座らせてもらう」

 

 マスターから"迷惑料"として受け取ったグラスを手に、彼女の横のカウンター席に座る。

 

「エーリカ・ブランデンベルガー、海軍魔導中尉を拝命しております」

 

 なるほど、遠くから見ても目の覚める美人だったが、近くかつ正面で見ると言葉にするのすら困難だ。彼女の輝く瞳と激しく主張する胸元を往復しそうになる視線を強引にずらして無難な場所に向け、鋼の精神で差し障りのない自己紹介をする。

 

「エーリッヒ・フォン・レルゲン、陸軍大尉だ。貴官の募兵用活動写真は陸軍でも話題になっている」

 

 陸海軍間の人材の取り合いという観点では、悪い意味で話題になっているのかもしれない。

 海軍の募兵方法を知った陸軍は当初、「女に釣られて来る者など軟弱な連中ばかりだ」と笑っていたが、海軍の募兵所に殺到する志願者を見て、兵役適正者の大部分が自身の欲求に正直だという現実を突きつけられた。

 

 陸軍も負けじと同様の広報戦略を打つべしという声も上がったものの、海軍の二番煎じは嫌だというプライドや、陸軍の主だった女性魔導師は本業的には頼りになるものの広報的には頼り難いという事情もあり、行動には移せていない。

 先日まで「彼女を海軍に潜入させた」と大きな顔をしていた士官学校の教官も、今回ばかりは縮こまっているという。

 

「貴官が関わったという建艦競争からの離脱や海軍陸戦隊の陸軍との軍服共通化は、陸軍内でも評価が高い」

 

「恐縮です」

 

「しかし、広報用活動写真は今までとは毛色が違うようだが?」

 

 なので、少し嫌味を言ってみる。

 これくらいは迷惑料として彼女から徴収してもかまわないだろう。

 

「いいえ、全て目的を共有しております」

 

「その心は?」

 

「来るべき"大戦"において、帝国の敗北を避けるためです」

 

 

 

 大戦? 帝国の敗北?

 

 自分の背中に対して、聞き捨てならない単語の羅列を彼女に問い詰めるよう、フロアの視線が突き刺さるのが感じられる。

 一方、発言の当事者は素知らぬ顔でサラミをつまみ、グラスを傾けていた。会話のボールは渡していたのだから、あとはどうぞと言わんばかりだ。こちらの立場を考えない暴投であることは咎めても許されるだろう。

 

「……貴官は次の戦争がどのような形で発生し、どのような結末を迎えると想定しているのか?」

 

 自由人である彼女はこちらの詰問にすらどこ吹く風で、質問を重ねてきた。

 彼女は本当に士官学校で教育を受けたのだろうか?

 

「ところで大尉殿。"動員"についてどのように考えておられますか?」

 

 

 

 動員。

 

 平時、陸軍の各師団は将校過多の状態に置かれており、国民を兵士として師団に充足することで実戦部隊としての能力を得る。逆に言えば、師団は動員が完了するまでその戦力を十分に発揮することが出来ない。

 平時から比較的充足しているのは、西方軍や東方軍等に所属する師団の内、係争地周辺で準戦時体制を維持している部隊くらいだろう。

 

 故に、四方に仮想敵国を抱える帝国は、内線戦略を完遂するためにもその高密度な鉄道網を利用した迅速な動員を可能としている。例え複数の仮想敵国が宣戦してきたとしても、迅速に動員が完了すれば仮想敵国間の動員速度の差を突いて各個撃破が可能だ。

 

「兵は神速を貴ぶ。動員速度が帝国の生命線だと考えている」

 

「ええ、動員が完了した国家は、動員が行われていない国家に対して圧倒的な優位を得ることが出来ます」

 

 彼女の返答はただのオウム返しのようで、少しずれた視点であった。

 ――動員が行われていない国家――そんな平和ボケした国家を帝国が相手をする必要があるのだろうか。

 

 と、そこまで考えたところで一つの解に辿り着く。

 果たして動員の連鎖はどこかで止まるのだろうか。

 

 帝国は複数の国家との係争地を抱えているが、常に砲火が絶えないのは低地地方だ。よって、次の戦争はフランソワとの戦争になる可能性が最も高いと言えよう。

 仮に帝国とフランソワとの戦端が開かれた場合、両国は直ちに動員を行うことになるだろう。それを見た諸外国はどう思うだろうか。

 

 果たして、動員が完了しつつある帝国を見て、帝国と国境を接する協商連合・連邦・ダキア・イルドアは動員せずにいられるのだろうか。また、それらの国が動員を完了したとして、その充足した部隊をただ遊ばせておくことが出来るのだろうか。

 

「隣国が動員を開始した時点で、その国は動員を余儀なくされます。そして、動員が完了した国家は、戦端を開かざるを得ません」

 

 彼女は自分の思考が結論を出すのを待っていたかのように口を開いた。

 

「列強全てが参加する戦争――これが君の言う"大戦"か」

 

「ええ」

 

 なるほど、対フランソワ大同盟以来の"大戦"だ。

 帝国の内線戦略は仮想敵国間の動員速度差を突く各個撃破が根幹である。だが、それは必ずしも全仮想敵国を同時に相手取ることを想定していない。帝国の動員開始と時同じくして仮想敵国全てが動員を開始するのであれば、それは帝国にとって辛く厳しい状況に陥るだろう。

 

「だが、帝国が負けるとは限らないだろう」

 

「先の大戦ではフランソワは負けました」

 

 確かにフランソワは敗北した。

 直接的な原因は主に2つとされている。1つはフランソワ軍が1人の天才に依存していたこと。もう1つはルーシー侵攻が失敗し、大陸軍を失ったことだ。

 

 果たして、彼女は帝国がどちらの原因で敗北すると考えているのだろうか。

 仮想敵国が全て帝国に宣戦するのであれば、内線戦略を取る帝国がルーシーに遠く進攻する可能性は極めて低いだろう。

 だからと言って、帝国が1人の天才に依存しているわけではない。なぜなら、帝国はそのフランソワの弱点を咎めた初めての国家だからだ。

 

「それはフランソワ軍が皇帝1人の才能に依存していたからだ。近代軍は1人の人間で掌握出来る規模を超えている。だから彼の皇帝の本隊さえ避けていれば勝てた。だが、帝国陸軍は違う。参謀本部という組織で軍隊を掌握している」

 

 組織によることで天才は現れにくくなるかもしれないが、近代軍という巨大な軍隊を掌握することが出来る。全軍が均一的な能力を持つのであれば、フランソワ大陸軍の様に各個撃破されることはない。

 

「フランソワが負けたのは皇帝に依存していたのもそうですが、ルーシーに侵攻するという過ちを犯したためです。参謀本部が、そのような過ちを犯さないと言えますか?」

 

 そちらだったか。

 だが、ルーシー侵攻は政治的な問題だ。アルビオンに対する大陸封鎖令を守らなかったルーシーに懲罰を加えなければ、諸外国はルーシー同様大陸封鎖令を守ることは無くなり、アルビオンへ対抗することはできなかっただろう。

 

「それは、陸軍が政治に介入すべきと主張しているのか?」

 

「いいえ、大尉殿。政治と軍事を1人の皇帝が担っていた当時のフランソワと異なり、帝国は政治と軍事が分離しております。故に、政治的に軍事作戦を行う必要がある場合は、政治側は必ず軍事側にその勝算等を尋ねるはずです。そこで、判明している限り正しい情報を、他者の声に忖度することなく当初の目的を達成するために必要なことを伝えるべきだと主張しています」

 

「であれば問題ない。陸軍は政治的に中立だ」

 

 だからこそ、共に大同盟を形成したダキアとも戦争することが出来たのだ。帝国の発展には必要な戦争だと政治が判断した。そこに陸軍の戦友意識が入る余地はない。

 しかし、彼女はそうは思っていないようであった。

 

「ところで、対フランソワ戦争ではパリースィイに進軍されたようですが、なぜでしょうか」

 

 

 

 確かに、対フランソワ戦争当時、敵野戦軍を撃破して勝敗がほぼ確定した後直ちに講和に入るべきと主張する宰相に対して、パリースィイ進撃を主張・実行したのは他ならぬ陸軍だ。

 

「だが、あれは結果的には必要であったことだ」

 

 予定されていた講和案は低地地方の帝国への割譲が飲めないということでフランソワから破棄された。更に徹底抗戦を叫んでパリースィイ外周に塹壕陣地まで構築したのだから、戦争を終わらせるためにはパリースィイ進軍は不可欠であった。

 

「結果的には、です。

 当時の諸邦が帝国として団結するための対外戦争であるのならば、あのような大勝利は不要でした。純軍事的には必要であったかも知れませんが、外交的影響を考えると寧ろ今日の国難を招いているとも言えます」

 

 なるほど。対フランソワ戦争は激戦であったが故に、帝国の損害も大きかった。

 当初の目的は共通の敵を得ることで諸邦を合邦し帝国を形成することだったが、大勝利の果実を求める世論や、従軍した兵士たちの声に押されて講和案に低地地方の割譲が加えられた。フランソワが飲むことのできない過剰な講和案がパリースィイ進軍を引き起こし、諸外国の警戒を招いたとするのも納得がいく。

 

「しかし、海軍はその愚を犯さないとでも?」

 

 対フランソワ戦争での劇的な勝利は、協商連合を初め周辺諸国の警戒心を買ってしまったのは事実だ。しかし、今日の国難は陸軍のせいだけではない。

 

「犯します。ですが、過ちを正すこともできます。

 例えば建艦競争は帝国の財政を傾け、連合王国を明確に敵に回した悪手です。しかし、海軍(我々)は財政を司っている訳でもなく、外交を司っている訳でもありませんから、皇帝や政治が止めない限り継続することは不可能ではありませんでした」

 

 軍隊も官僚組織である以上、放っておけば組織拡大を図るのは自明の理だ。気に食わないことだが、海軍が金食い虫の軍艦を港に並べる行為も組織として健全な証だと言える。

 国家という視点では間違っているそれを止めるためには、外部からの力が必要だ。

 

「君と同じように、私が海軍のスパイになれと?」

 

「何のことでしょう? 私は私の意志で海軍への配属を希望いたしましたが」

 

 そんなことがあるのだろうか。

 しかし、確かにあの教官は「彼女を海軍に潜入させた」と言っていたが、彼女の意志は聞いたことが無かった。寧ろ、彼女のように特異な能力を有する魔導師であれば、陸軍へ引き入れることが普通ではないのか。

 であれば、彼女は士官学校の配属決定時に、教官に対して何を言ったのだろうか。

 そして、なぜ彼女は海軍のために左遷の代償を払い、陸軍を巻き込んでまで、建艦競争から降ろさせたのだろうか。

 

 いずれにせよ、正気の沙汰ではない。

 

 帝国軍人として国家に殉ずる覚悟はある。しかし、それと同じくらい立身出世も重要なものだ。寧ろ、死後も評価という形で報いられるからこそ、殉じることが出来るのではないか。

 誰にも評価されず、ただ後ろ指をさされるだけの施策を積極的に行う軍人など、今までの経験上出会ったことが無かった。

 

「君は、何だ。何を望んでいる」

 

 士官学校で見た()()()()とは方向性が違う、だが同じく狂っている。

 彼女に感じた狂気に思わず身を引いたところ、その空隙を埋めるように彼女が身を乗り出した。

 

 宝石の様な瞳が眼前に迫り焦点距離の内側に入った後、彼女は私だけに聞こえる声で囁く。

 

「レルゲン大尉殿。これは私個人のたっての願いです。どうか、その日が来ても過ちを犯さないよう、あるいは過ちを犯そうとしているのであれば、それを正していただきますよう」

 

 反応できない私を他所に、彼女は空になった皿とグラスをカウンターの奥に押しやり、幾ばくかの帝国紙幣を置いて退店していった。

 

 

 

***

 

 

 

 明らかに場違いな店に入って反省していたが、まさか陸軍大尉殿が口説きに来てくれるとは思わなかった。あの若さで大尉か、エリートコースに乗っているのは間違いない。唾を付けておくべきだっただろうか。

 唯一惜しむらくは、話題が全く口説き文句っぽくなかったことだ。レディに対する扱いとは思えない。これだから仕事一筋の陸軍軍人は。その肩書が無かったらモテないだろう。

 

 一方で、大尉殿から仕事の話を振ってきてくれたのはありがたかった。

 いくら海軍が引き籠り戦法を取ったところで、港まで敵地上軍がなだれ込んできては意味が無い。WW2の様な国土のほとんどが占領されているような結末は避けるべきだろう。可能な限り、WW1の様な形で終結することが望ましい。

 

 しかし、海軍軍人の私が陸戦に介入し辛いのも事実だ。

 どうせ消耗で根こそぎ徴兵すると思われるので、海軍軍人でも手を挙げれば陸戦に参画することは可能だろうが、そもそも地獄の陸戦から逃れるために海軍軍人になったのに本末転倒である。

 陸軍の中に、私の理解者が居るに越したことはないのだ。

 

 そういった意味で、あのエリートコースに乗っているであろうレルゲン大尉殿は良い人材であった。帝国陸軍が見た目通り官僚的な組織であれば、彼の様な実務担当クラスが作成した案を上が承認することになるだろう。

 その際、彼らが作成する案に下手なものが混じらないよう、釘をさせたのは大きい。

 

 なにより、この世界の人間はWW1も知らないのにWW2に近い技術水準で戦争をおっぱじめることになるかもしれないのだ。下手な機動戦意識を持たれて攻勢限界まで突出するようなことがあれば、史実の様に返り討ちに遭いかねない。もっと酷いのは、史実以上に悲惨な敗北を被ることだ。

 可能な限り、余力を残しつつ防衛戦に徹して貰いたい。

 敵地上軍さえ国境沿いに留めておけるのであれば、軍港をはじめ内地には爆弾くらいしか降って来ないのだから。

 

 更けてきた夜に紛れるように変装を整え、日中とは違った顔の帝都に繰り出す。

 さぁ、この景色が無くなる前に堪能しなくては。

 

 

 

***

 

 

 

「女に気を付けろ、か。全くその通りだ」

 

 彼女が退店した後、感想を聞くために寄ってきた仲間に対してそう吐いた。

 

「美人には棘があるってか?」

 

「棘どころではない。もっと恐ろしいものだ」

 

 士官学校で頭蓋骨を切り裂こうとした幼女が"知っていてもやらない狂気"であるのならば、彼女は"そもそも知らない狂気"だ。

 幼女の狂気が軍人としての純粋性に起因するのであれば、彼女の狂気は軍人にあるまじき怠慢に起因するのであろうか。いずれにせよ、関わりあいになりたくない人種であることは確かだ。

 

「らしくないな、最後のキスで魂まで抜かれたのか?」

 

「されていない」

 

 心労すら感じる"業務"をこなした気分なのにもかかわらず、あくまで"役得"だと揶揄う同期をテーブル席に押し返す。

 自分も未だ中身が残っているグラスを回収してカウンター席を立とうとしたが、マスターに呼び止められた。

 

「大尉殿――申し訳ないのですが、海軍中尉の支払額が足りておりません」

 

 アイツはいったい何を飲んでいたんだ?

 

 

 

 




流石に半年以上空くとエタった感じがしますね(他人事)
あと、いい加減大戦に入りたいです...


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対レガドニア協商連合戦
第12話:協商連合海上封鎖


ようやく開戦です(が特に何も変わらない...


 

 

 

 ブランデンベルガー中尉を起用した広報活動は当たり、通年募集している水兵の他、幼年学校及び士官学校の魔導師においても海軍志望者が増えている。

 これに気を良くした海軍は、中尉を起用した活動写真やポスターを次々と作製した。それどころか、各地の募兵所を回らせて握手会やサイン会を行っている。

 

 艦隊付の海兵魔導師からは中尉の非常識な訓練が減ってやや好評なものの、水兵からは眼福の機会が減ったと大いに不評である。

 もっとも、自分の様な元々中尉との接触が多い人間にとっては、別な問題が生じているのだが。

 

 中尉はその美貌にも関わらず、仕草が比較的()()であった。

 人を試すように流し目を送ったり胸を寄せて上げたりと、自身の女性としての価値を異性への揶揄いに用いているところがあった。

 

 これに堂々と苦言を呈したのが海軍の広報活動を一手に引き受けているケットナー氏であった。

 

 ケットナー氏は中尉を海兵魔導師の広告塔として用いるにあたり、中尉に礼節や作法が必要だと主張。油断すると素の出るようなメッキの仕草ではケットナー氏は満足していないようで、実際何度も取り直しを要求する場面があった。

 中尉は「私は貴族ではない」と抵抗していたものの、中尉の言動に危ういものを感じていた私や提督の後押しもあり、渋々ケットナー氏に従った。

 

 これで心理的負担も減るだろう。そう思っていた時期が自分にもあった。

 

 ケットナー氏のマナー講座から返ってきた中尉は、前にもまして厄介な存在になっていた。

 見た目相応の清楚さを備えながら、異性への揶揄いが治っていなかったのだ。

 

 こんな対野郎特効兵器が男所帯の軍艦内を闊歩していて問題が発生しない訳が無い。

 我々は頭を抱えながら、軍艦内の動線を変更する羽目になった。

 

 

 

 艦が中尉やその流れ弾を受けるであろう他の女性士官・下士官の対応で改修を迫られている間、邪魔な魔導師はキィエールへ陸揚げされてしまった。

 そんな我々の気も知らない中尉は、今日も優雅に大量の砂糖を入れた珈琲を飲んでいる。

 

「コンラッド軍曹、私が広報活動で不在の間の訓練の進捗を教えて欲しい」

 

「新兵が8名入りましたので、彼らを既存隊員の水準に引き上げる訓練を行っておりました。リードはともかく、ウイングマンであれば務まるかと」

 

 中尉の広報の甲斐あって第二偵察艦隊付海兵魔導師は、遂に定数の半分を越えることが出来た。新兵の質も、提督が産廃から厳選していた頃と同等かそれ以上であり、この短期間で既存の隊員に追いつくことが出来ている。

 だが、その程度では中尉は満足していないようであった。

 

「遅い。偵察艦隊の任務遂行を行うためには、今の水準ですら不足していると私は考えている」

 

「お言葉ですが中尉、長距離作戦行動訓練は魔力切れ又は疲労に伴う墜落や機位の喪失に伴う遭難の危険がある過酷な訓練です。今以上の水準、すなわち中尉以外不可能な水準の訓練を中尉抜きで行うことは、兵を失う危険があります」

 

 それに、長距離作戦行動訓練は兵士からも評判が良くない。

 イエローの所でやったように、各地で旅行を楽しめるのであれば多少気は紛れたかも知れない。しかし、帝国の様な立地ではそういうわけにもいかず、巡洋艦で北海や大西洋へ繰り出してただ海の上を飛び回るだけになる。へとへとになって艦に帰ってきたところで娯楽はない。

 

 訓練中の兵士達のストレスは極めて高い状態に置かれており、そのストレス発散方法は中尉という"眼福"な存在に依存している。我々先任下士官が「他の女で満足できなくなるからやめておけ」と注意しても治らない。

 だからといって、中尉が居たところで、訓練で使用している巡洋艦の士官から「魔導師隊が使用している部屋が()()()()()()()臭いので止めてくれ」と苦言を呈される始末。

 一体どうしろと言うのだ。

 

「私抜きでは怖くてできないと?」

 

 中尉は多少の呆れと共にまんざらでもないような表情でわざとらしいため息を吐いた。

 なんとなく腹が立ったので、冷や水を浴びせておく。

 

「中尉が居てもやりたくないというのが本音です」

 

 

 

 流石に言葉が過ぎただろうか。

 たが、それは咎められることはなかった。中尉がその細い眉をしかめて何か言葉を発そうとしたものの、それは鳴り響いた電話の呼び出し音に遮られた。

 

 中尉の表情の変化と、その短い受け答え。

 もし、神様が居るのならば、人の願いを叶える時は半分だけで、もう半分は人が最も避けたい事を起こすのではないだろうか。

 

「喜べコンラッド軍曹。訓練は当分中止だ」

 

「おおよそ想像はつきますが、理由を伺っても?」

 

「上陸中のやつらを呼び戻せ、実戦だ」

 

 

 

***

 

 

 

 統一歴1923年。協商連合から帝国に対して「係争地ノルデンから24時間以内に撤兵せよ」との最後通牒が在帝国大使より手交された。どう考えても無謀な行動に世界中の軍事関係者は自らの耳を疑ったが、キッカリ24時間後に自分が難聴ではなかった事を理解する。

 師団規模の協商連合軍が、帝国が主張する国境線を越えたのだ。

 

 もっとも、この時代軍隊が国境――それも係争地の――を越えることは珍しい事ではなかった。帝国は四方に係争地を抱えるが故、常にいつもどこかがボヤを起こしている。多少のドンパチは別に珍しい事ではない。

 今回の協商連合の侵攻も、師団規模の地上軍に加えて砲兵や魔導師を伴うものであるが、あくまでも紛争の域を出ていなかった。規模で言えば、先日マンチュリアで軍団規模の勢力圏紛争をやった連邦と皇国の方が大きいだろう。彼らは中小国間であれば十分戦争になるような兵力を動かしておきながら、外交の場では両国共に「戦争ではない」と言い張っていた。

 

 協商連合の政界に詳しいものであれば、協商連合内におけるナショナリズムの勃興と政権交代を、この軍事侵攻に結び付けることが出来たかもしれない。

 しかし、彼らであっても「協商連合が最後通牒を手交した」ことについては上手く説明できなかった。四方を敵に囲まれた帝国とは言え、帝国に徹底的に防戦に務められれば協商連合では損害多くして得るものが少ない事は、政治を司るものであれば火を見るよりも明らかであった。国内向けのデモンストレーションであれば、連邦や皇国の様に「係争地紛争である」と言い張っていれば良かったのだ。

 

 さらに、世界中の軍事関係者が首を傾げるのは、協商連合が動員を行っていなかったことだ。

 一応、部分的には動員が行われており、例えば開戦当初に国境を越えた数個師団は充足していたものの、それ以外の師団は平時状態に置かれたままであった。そのため、諸外国の諜報機関は「大規模係争地紛争の予兆あり」とは判断していても、まさか戦争になるとは考えていなかった。

 海軍及び海運関係はもっと酷く、戦闘艦艇は協商連合の広大なフィヨルドに散らばっており、統一した艦隊行動がとれるような状況ではなく、大慌てでオースフィヨルドに集合している状況であった。海運に至っては、開戦時帝国の港湾で積み下ろしの最中であったため、拿捕された協商連合船籍の船舶が多数存在するような有様だ。

 

 誰がどう見ても、国家の命運を賭するような状況ではなかった。

 しかし、実際に最後通牒は手渡され、その内容のとおり24時間後には協商連合軍が国境を越えたため、帝国は協商連合に対して宣戦布告することとなった。

 

 

 

***

 

 

 

 あろうことか相手が殴り掛かってきたので、自国から手を出さないよう行動していた私の努力は水泡と化した。神はどうしても大戦をやりたいらしい。

 大戦となれば軍人の職場環境はブラック一直線。全くやる気が出ないが、だからと言って文句とサボりを重ねすぎると軍法会議に連れていかれかねない。

 

 まぁ、ほどほどに働くとしよう。

 

 現在は協商連合との単独戦争状態であり、その場合の作戦計画に基づいて海軍は協商連合の海上封鎖を実施することとなった。

 ――協商連合は連合王国や共和国程ではないとはいえ、多少まともな海軍を有している。封鎖突破のために必ず出撃してくるだろう――そう建軍以来の艦隊決戦を期待して意気揚々とキィエール軍港から出港する帝国艦隊を、思いもよらない敵が足止めした

 

 協商連合商船団である。

 

 協商連合は欧州有数の鉄鉱石産出量を誇り、その鉄鉱石は極めて質が良いことで知られている。鉄鋼業を生業とする帝国は良いお客様だ。鉄鉱石は鉱山から鉄道が繋がっているナルヴィグ港を始めとした協商連合の港湾から搬出され、帝国各地の港湾で積み下ろされるのが日常であり、恐ろしいことに最後通牒が手交されたタイミングでも変わらなかった。

 

 よって、開戦時も膨大な協商連合商船が帝国の港湾や領海にたむろしており、その拿捕に帝国海軍は忙殺されることとなった。

 商船の拿捕に主力艦を用いるのは流石に無駄遣いなので、小回りの利く軽艦艇や海兵魔導師がその任務に当てられた。一方で、護衛や掃海を欠いた状態で主力艦だけを出撃させるわけにもいかず、軍港で石炭を無駄食いしながら時間を潰している。

 

「アイツらも内火艇くらい下ろして手伝ったらどうだ」

 

「あんな玩具じゃ商船相手に返り討ちに遭いかねませんよ」

 

 もう何隻目か分からない協商連合の船舶を拿捕しながらボヤく。

 小人数で自己完結性の高い我が第二偵察艦隊付海兵魔導師はこんなところでも大活躍だ。人員不足故分隊毎に作戦行動が出来るよう訓練したため、他の海兵魔導師の様に非武装の商船相手に小隊や中隊規模の大名行列を作らなくて良い。

 

「しかし、これほど拿捕した船舶が多いと戦後が不安ですな」

 

「そうか?」

 

「どうせ賠償として取得して、民間に二束三文で叩き売られるんでしょう? 私の親戚は商売上がったりですよ」

 

 そういやコンラッド軍曹の親戚は極東で商社を営んでいたんだったか。

 海運業も営んでいたとは聞いていないが、商売の規模からして恐らく付き合いのある個人船主と契約しているのだろう。

 海運は船というイニシャルコストの高さがそのまま参入障壁となっているが、賠償の放出でそれが崩壊すれば、既存の業者――それも小規模な程苦しい立場に置かれることは想像に難しくない。

 

 しかし、軍曹の心配は杞憂に終わるだろう。

 あの偏屈の神々が、この世界にそんな幸せな未来を寄こすとは、とても期待できないからだ。

 

 

 

「北洋艦隊主力の戦艦部隊は、ノルデン半島西岸、キィエール軍港の反対側であるカイザースハーフェン軍港で待機し、オースフィヨルドの協商連合主力艦隊を拘束。

 第一・第二偵察艦隊で協商連合を海上封鎖し、その継戦能力を破壊。これが対協商連合単独戦争時における海軍作戦の骨子である」

 

 第二偵察艦隊旗艦ヒンデンブルク露天艦橋。

 ヒッパー提督以下艦隊幕僚が集うこの末席に、何故か座ることを許されている尉官が居る。どうも、ブランデンベルガー魔導中尉です。第二偵察艦隊の魔導参謀も兼務しております。

 

「協商連合を援助する外国勢力は、その外交的状況から連合王国及び共和国に限定されると考えてよい。流石の協商連合も、唯一陸路で援助可能な連邦とは手を組めないだろう。

 連合王国及び共和国からの援助ルートは3通り。アルビオン島南岸――つまりドードーバード海峡を抜けるルート、アルビオン島東岸から直接北海を横断するルート、アルビオン島を北側に迂回――つまりノース・アルビオンギャップを通過するルートだ。

 我が第二偵察艦隊の任務は最後のルートの封鎖である」

 

 一番しんどい所じゃん。

 ドードーバード海峡は狭い上に本国に居座っている戦艦部隊が抑えられる。アルビオン島東岸にはマトモな港湾が少なく、戦争という大量消費の需要に耐えられそうな港湾の多くはアルビオン島西岸のウエスタンアプローチに位置している。

 つまり、連合王国及び共和国からの援助船団の多くはノース・アルビオンギャップ――所謂GIUKギャップ――を通らざるを得ない。

 

「しかし提督、協商連合海軍が出撃してくるなら、この最も重要なノース・アルビオンギャップを切り開きに来るでしょう。我が艦隊の主力艦は最も艦齢が若い艦でも、このデアフリンガー級です。我が艦隊が協商連合海軍に劣るとは思いませんが、戦争には万が一があります。確実を期するためにも、新鋭艦で揃えた第一偵察艦隊と任を変更すべきでは?」

 

 それっぽい事を言って楽になれないか試してみる。

 金モールをいっぱいぶら下げた偉そうな筆頭参謀が「末席は黙っていろ」と目で訴えてくるが、逆に微笑んだらそっぽを向いた。私の勝ち。

 

「魔導参謀、残念ながらその案は採用できない。3つのルートのうちノース・アルビオンギャップの封鎖は最も広い海域を担当する必要がある。貴官が訓練した我が艦隊の海兵魔導師隊とは異なり、第一偵察艦隊のそれは未だ100kmに満たない作戦行動半径しか有していない。この任が務まるのは貴官が所属している我が艦隊だけというわけだ」

 

 あ、私が原因ですか。

 

 

 

 陸戦から逃れたいという私の願いと、海兵魔導師志望者の上澄みを配属させるという提督の選り好みが悪魔合体し、旧式艦と定員割れの魔導師隊に最も重要な海域が任されてしまった。

 艦齢が若く優秀な艦艇を揃えた最精鋭たる第一偵察艦隊は北海の封鎖しか任されていない。だったらその新鋭の改マッケンゼン級を寄こしたらどうか。

 

「中尉が余計なことをしなければ、今頃ヒッパー提督は第一偵察艦隊どころか戦艦部隊の提督でもおかしくなかったんですよ」

 

 私が悪うございました、とでも言えばいいのだろうか。

 ヒッパー提督が戦艦部隊の提督をしているのであれば、前弩級戦艦群が維持費という予算を食い潰していたり、そもそも水兵が足りていないという問題は未だ解決されていないだろう。陸軍も予算不足で、ノルデンの戦線は押されていたかもしれない。

 軍曹の諫言は仮定の中から都合の良い部分を抜き出しただけだ。

 

「もし提督が戦艦部隊を率いていたら、この状況でも自ら進んで出撃しかねないだろう」

 

 それに、提督は高血圧が心配になる程の熱血漢だ。

 エスカレーション理論を無視して、この時代の戦略兵器である戦艦を気安く出撃させかねない。

 

「それは……否定できませんな」

 

 帝国が"大巡洋艦"と言い張っているこのデアフリンガー級も、30.5cm(12inch)砲とは言え諸外国から見れば立派な巡洋戦艦だ。第一偵察艦隊の改マッケンゼン級に至っては遂に連合王国海軍の巡洋戦艦に追いついた38cm(15inch)砲艦である。

 こんなものが連合王国の庭先である北海やレガドニア海を遊弋していて、彼らを刺激しないわけがない。現に、スカパ・フローでは本国艦隊の巡洋戦艦部隊が臨戦態勢に入ったという。戦艦部隊を出撃させていればどうなっていたことか。

 

「まぁ、程々にやろう。協商連合()()が相手の間は楽な仕事だ」

 

 

 

 協商連合商船団による妨害を排除して、ようやくキィエール軍港を出港した第二偵察艦隊は、道中北海の封鎖に当たる第一偵察艦隊と別れてさらに北上し、レガドニア海へ到着した。

 艦隊に先立って情報収集に当たっていた飛行船隊からの報告では、開戦後急激にノース・アルビオンギャップを通過する船舶が増加したという。

 恐らく、泥縄式に装備や軍需物資を買い入れているのだろう。

 協商連合商船団がその身をもって稼いだ貴重な時間は、意外にも協商連合を延命しているのかもしれない。

 

「総員傾注」

 

 ヒンデンブルクの後部甲板に並んだ部下達を前に、コンラッド軍曹が声を張り上げる。こういう時、声が低く威厳がある方が締まるのでちょっと羨ましい。

 軍曹の前座の後を譲り受けて、私が中央に立つ。

 

「諸君、実戦だ。

 

 協商連合は無謀にも我が国に対して戦争を仕掛けたが、意外なことにノルデンの戦域は拮抗状態であるという。

 陸軍がサボタージュしていることが原因だと思いたいところだが、残念ながらそうではない。準備不足と行き当たりばったりの協商連合が曲がりなりにも我が国と張り合えているのは、第三者の介入があるからに他ならない。

 現在の状態は二国間戦争であり、連合王国や共和国の介入を許してはならない。故に、ノース・アルビオンギャップを通過する船舶を臨検し、装備や軍需物資が協商連合本土に渡ることを阻止せよ。臨検を拒否するようであれば撃沈も許可する。

 

 指揮分隊を除く16名は4分隊で1個中隊を編成。2中隊の交代により24時間の封鎖・哨戒体制を取る。

 哨戒は分隊単位で行え。最大の効率が得られるよう、艦隊と協力し、各分隊に定められた航路を哨戒せよ」

 

 哨戒区域は南北に約1500km。ノース・アルビオンギャップは中央にデカい島があるので、1個分隊当たりの哨戒区域は約300km程度になる。

 魔導師単独では多少無理がある範囲だが、艦隊と協力できるのであれば何とかなるだろう。

 

「中尉殿、万が一接敵した場合はいかがいたしましょうか」

 

 部下も作戦行動範囲についての懸念は無いようであった。

 しかし、彼は"実戦"における我々の最大の懸念点を容赦なく指摘してきた。

 

「……直ちに退却せよ」

 

「は?」

 

「万が一敵魔導師が迎撃に上がってきた場合は直ちに退却せよ」

 

 我ながら酷い回答だ。

 「零戦と積乱雲を見つけたら逃げろ」ならぬ「敵魔導師を見つけたら逃げろ」である。なお、敵魔導師とは一度も刃を交えたことが無い。

 だいたい、限られた時間と部下の意欲を長距離作戦行動訓練に全振りしなければ今日の封鎖自体夢物語だったのだ。土俵に立つための鍛錬は積んできたが、土俵に立った後の勝負の訓練までは間に合っていないことを糾弾されるいわれはない。

 

「指揮分隊は主力艦群と共にノース・アルビオンギャップの中間で待機する。

 任務中は原則無線封鎖だが、敵魔導師との接敵や敵艦の出撃等が見られた場合は無線封鎖を解いて直ちに連絡せよ」

 

 余りにも部下達の表情が硬いので、一応「万が一の時は助けるよ」っぽいことは言っておく。私自身助けられる実力があるか分からないので、明言しないのがポイントだ。

 

「他になければ以上とする。初の実戦とは言え、相手は無抵抗の民間船舶がほとんどだ。気楽にいこう」

 

 

 

 封鎖作戦が開始されて以降、しばらく我々指揮分隊は暇を持て余していた。

 協商連合がマトモな海上護衛を行っていなかったからである。

 

 作戦開始から数日間は入電がある度にソワソワしていたが、敵魔導師戦力と遭遇の報は皆無であった。

 我々に関係する無線で最も多いのは「濃霧で機位を失った」くらいである。

 隣で無線を聞いている艦隊幕僚はギョッとした顔でこっちを見てくるが心配ない。こっちが魔導反応を追って迎えに行くまで生きていてもらうことくらいはできるよう訓練済みだ。

 

 稀に「協商連合の艦隊を発見した」との無線もあったが、その対処は艦隊の仕事だ。

 建艦競争から降りたとはいえ"艦隊決戦は漢の浪漫"という発想は消えていないようで、現にその報を聞いた時の提督を初め艦隊幕僚達は非常に嬉しそうな表情であった。

 なお、後日聞いたところによると、協商連合艦隊は多くとも巡洋艦1隻と駆逐艦数隻しか居らず、不完全燃焼だったようだ。

 

 協商連合が「世界一の海軍力を有する連合王国が帝国海軍を牽制してくれる」と高を括っていたのか、あるいは「オースフィヨルドに集めた艦隊が帝国海軍を拘束してくれる」と淡い期待を抱いていたのかは分からない。

 どちらにせよその願いは儚く散り、ノース・アルビオンギャップには我が帝国海軍が居座り、協商連合商船団は壊滅的打撃を受けつつある。

 

 現に、我々は拿捕した船舶が多すぎて帝国本土への回航が間に合わず、海没処分せざるを得ない状況だ。勿体ない上に後世環境活動家に怒られそうなので、この辺りで協商連合には振り上げた拳を下ろして欲しいところだが。

 

 

 

***

 

 

 

「ええ、連合王国としても可能な限り力になりましょう」

 

「何卒よろしくお願い申し上げます」

 

 連合王国首相は、在連合王国協商連合大使を労いつつも体よく追い払うと、会議室に残った閣僚に愚痴をこぼす。

 

「事前に通告しているならまだしも、勝手に始めた上に旗色が悪くなると泣きついて来るとはな」

 

 世界帝国たる連合王国の抱える問題は多い。

 猛追してくる元植民地人(合衆国)に経済力で肩を並べられ、「有色人種の列強」という同盟国(皇国)が植民地の現地人に要らぬ幻想を与えている。本家本元たる欧州も得体の知れない共産主義者(連邦)に、地域に覇を唱えようとする帝国と火種には事欠かない。

 これ以上余計な問題を起こすなと言いたいのが本音であった。

 

 海洋進出を諦めた帝国には、その伝統に従って共産主義者への防壁をやってもらえば良く、同じく連邦と国境を接する協商連合にもその役割を望んでいた。

 防壁が増長するのは望ましくないが、防壁同士が崩れるまで殴り合われても困るのだ。

 

「とは言え、我が連合王国の庭先で帝国海軍の艦艇が遊弋しているというのは、王立海軍の面子に関わる」

 

「面子で飯が食えるなら宣戦もやぶさかではないが、そうではないだろう海軍卿」

 

 封鎖線を形成している巡洋戦艦を中心とした帝国艦隊に対して、本国艦隊から巡洋戦艦部隊を出撃させ、「演習」という名の脅迫を行った。

 しかし、それは封鎖線を東へと押し下げたものの、協商連合の状況の好転には繋がっていない。故に大使は更なる援助を求めたのだろうが、中立国としては演習だけでも十分過ぎる支援だろう。

 

「我が国の参戦は避けたいが、帝国がこれ以上増長するのは好ましくない」

 

 そのため、先述の艦隊演習の他、装備や物資の提供に加えて義勇兵まで参加させている。 中立違反スレスレの行為に手を染めても、協商連合を戦わせ続けることが必要なのだ。

 

「しかし、同様に協商連合の増長も好ましくない」

 

 欧州列強としては連合王国をはじめとするトップ層と比較するとやや見劣りする協商連合だが、それでも一部比肩する分野がある。

 

 例えばかつての協商連合の海運業は、海洋帝国たる連合王国のそれに並ぶほどであり、両者激しい競争を繰り広げていた。

 ところが、開戦早々協商連合の不手際と帝国の海上封鎖により協商連合商船隊は大打撃を受けた。商売敵としては笑いが止まらない状況である。

 

「とはいえ、適度なところで手打ちにして貰わなければならん」

 

「白紙講和が理想ですが、そのためにはやや協商連合の旗色が悪いかと」

 

「仕方がない、少し梃入れをしてやろう。確か、我が国の演算宝珠を無心しに来ていた協商連合の魔導師が居たな?」

 

 

 

***

 

 

 

「連合王国の船団?」

 

 哨戒中の部下からの無線は、中立国であるはずの連合王国の船団がノース・アルビオンギャップを東進しつつあるとの情報であった。

 

「連邦行きの船団でしょうか?」

 

「賭けてみるか?」

 

「まさか」

 

 コンラッド軍曹も流石に賭けにはならないと踏んだようだ。

 連合王国と連邦は共に自身の経済圏で自給自足が出来る。お互いに欲しい物など無いだろう。強いて言えば、技術力に遅れと偏りがある連邦は手に入れたい物があるかもしれないが、反共を謳う連合王国が堂々と輸出に応えてくれるとは思えない。

 入手できる可能性があるのならば、赤化浸透が進んでいる共和国だろう。

 

「船団には魔導師を貼り付けてますが、万が一を考えて逃がしますか?」

 

 船団ということなので臨検は艦艇にやってもらう手筈だが、見失うわけにはいかないので哨戒役を貼り付け続けなければならない。

 だが、どんなに小さく離れていようとも、海の上を飛び続ける魔導師は魔導反応で容易に検知される。相手がその気なら迎撃は容易だ。

 

「連合王国が宣戦して来るとは思えないが――」

 

 奴らはこんなところでリスクを取るようなことはしない。共に争わせ、漁夫の利を得るタイプだ。

 なのに、これほどあからさまな中立違反を犯すだろうか?

 

 そう疑った結果を軍曹に伝える前に、電信兵が第二報を伝える。

 

「偽装です! 商船旗が協商連合のものに変わりました! 敵魔導師の迎撃を受けているとのことです」

 

「コンラッド!」

 

 遂に恐れていた事態が起こった。

 ぼかしたとは言え救援するといった手前、それっぽい行動をしなければ部下にそっぽを向かれてしまうだろう。開戦早々背中から撃たれるのは御免被りたい。

 直ぐに出撃すべく軍曹に声をかけたところ、彼は既に宝珠を起動していた。流石は最古参である。

 

「第1中隊第3分隊ですな。あの哨戒域なら40分もあればつくかと」

 

 間に合うかなぁ。

 

 

 

***

 

 

 

 強くはない。ただ、厄介な相手だ。

 自分達から逃げ惑う帝国の魔導師分隊を追いながら苦い唾を飲みこむ。こっちは時間が無いというのに。

 

 王立海軍から帝国海軍の封鎖艦艇の配置を教示して貰っているのにもかかわらず、協商連合船舶の封鎖突破率は極めて悪い。あの、外洋のど真ん中まで飛んでくる非常識な敵魔導師のせいだろう。

 お陰で、連合王国の支援を受けて協商連合と他国の中間線まで国籍を偽装し、封鎖を突破するという目論見も露呈した。敵魔導師の通報を受けて帝国海軍の艦隊が駆けつければ、この船団も遠からず拿捕されるだろう。

 船団を解散して独航させる最終手段に出るにせよ、あの張り付いている敵魔導師を排除しなければ未来はない。

 

 幸い、実力には自信があった。協商連合魔導師内では上から数えた方が早いという自負がある。精鋭と名高い帝国陸軍の魔導師にも後れを取るとは思わない。

 2対1かつ高度差があるという条件なら、帝国海軍の魔導師も自分を墜としに来ると考えていた。そこをカウンター機動で返り討ちにしてやろう、その魂胆はもろくも崩れ去ることとなった。

 

 奴らは私を見つけると一目散に逃げだしたからだ。

 

 最新の連合王国製演算宝珠は加速も最高速度も火力も申し分ない。

 しかし、奴らに高度有利を捨ててまで降下・加速を行われると直ちに追いつけるほどではなく、後方に魔力障壁を集中されると遠距離から撃ち抜けるほどではなかった。

 

 だからと言って放置すれば、おっかなびっくり遠くから船団を監視し続ける。

 

『帝国艦隊の来援予想時刻まで時間が無い! 早く魔導師を排除してくれ! このままでは船団を解くことも出来ん!』

 

 このままズルズルとにらみ合いを続けたところで、船団からの悲鳴が途絶える訳でも、事態が解決するわけでもない。

 

「忌々しいが、やるしかない……か」

 

 そう腹をくくったものの、その判断は遅すぎた。

 奴らと不毛な鬼ごっこを再開してしばらく、ようやく有効射程に捉えたところで私の意識は北の海に散ったのだから。

 

 

 

*** 

 

 

 

 海面スレスレをひたすら逃げる部下達を発見し、追いすがる敵魔導師を逆落としからの演算宝珠搭載自動砲で吹き飛ばしたところで、ようやく自分が間に合ったことに気が付いた。

 

「教本に載っていない新型です。お手柄ですな」

 

 敵魔導師()()()()()がこべりついているにもかかわらず、さっさと海面から演算宝珠を回収するコンラッド軍曹は流石古参と言ったところだろう。

 こっちは最後の瞬間が目に焼き付いて離れないというのに。

 

「少々早いですが分隊は帰還させます。哨戒は我々が引き継ぎましょう」

 

 余韻で動けない私を置いて、軍曹はさっさと部下達に指示を出して母艦に返してしまった。

 

「――ありがとう、軍曹」

 

「酷い顔です」

 

 この神造ボディを前に空前――そして恐らく絶後の――言葉が軍曹の口から出てきたのを聞いて、思わず笑ってしまった。

 

「ついさっきまで処女――いや、童貞だったんだ」

 

 士官学校では銃殺刑に参加することで()()させる訓練があったが、あれだけでは"素人"のままだ。

 

「その口ぶりですと、大したことはなさそうですな」

 

 いたいけな乙女の扱いが雑である。

 初めての後は優しくしろと学校で習わなかったのだろうか。

 

 

 

 魔導師が撃墜されたのを見て、協商連合の船団は散り散りになって逃げだしたが、その大半は私達と駆け付けた艦隊によって拿捕された。

 

 当初想定していなかった敵魔導師との交戦があったにもかかわらず、この成果は上出来だ。そう艦隊内で発言したところ幕僚達から袋叩きにあった。

 曰く、「護衛の魔導師1人相手に4人も必要なのか」「今回のどこに敵船を逃す要素があったのか」等言いたい放題。下手に出てれば良い気になりやがって。

 

「敵魔導師との戦闘は、我が海兵魔導師隊の任務ではありませんから」

 

 ご存じありませんでした?

 そう堂々と言ってやったら言葉に詰まったようで口を開いたまま動かなくなった。いや、呆れて言葉が出ないのかもしれないが。

 

「件の船団も魔導師隊が発見しました。艦隊ではありません」

 

 うーん、論破楽しい。

 腹が立ったので大人げなく挑発して見たら、レフェリーの提督からストップが入った。

 

「そこまでだ魔導参謀。艦隊も良くやっているが、連合王国海軍に封鎖線を押し下げられ、成果が上げにくくなっていることを考慮してやれ」

 

 確かに、言葉の殴り合いでは問題は解決しない。

 生産的な議論へ移行しよう。

 

「それでは説明がつかない程、ピンポイントで艦隊間を抜けられています」

 

 連合王国の艦艇が堂々と封鎖線を覗きに来ていることも無関係ではないだろう。

 流石に中間線を越えてくることは無いが、それでも得られる情報は多い。

 ひょっとすると、潜水艦などは中間線を越えている可能性もある。対潜哨戒に最も効果的な魔導師は封鎖線形成に駆り出されてしまっており、真偽のほどは分からないが。

 

「情報が漏れている、ということだな」

 

「ええ」

 

 先述の艦艇による情報収集か、暗号解読か、あるいはスパイか。

 史実を考慮しても全ての選択肢に可能性がある。

 連合王国は戦時平時問わずこういう事が得意だ。外交の歴史という意味では2歩も3歩も遅れを取る帝国の裏を掻くことなど、赤子の手をひねるより容易いだろう。

 

「防諜に注意を払う必要がある。だが、連合王国経由であればそれもどこまで可能かは分からん」

 

 提督も連合王国の諜報の質の高さを理解していたのだろう。

 同時に、こちらが打てる手の少なさも分かっていた。

 

「現状では、漏れていたとしても問題は少ない。

 協商連合は1隻の船を通すために10隻の船を我々に捧げている。この出血を強い続ける限り、封鎖は成功していると言えよう。

 

 一方で、大巡洋艦を初め大型艦は連合王国を過度に刺激したのは間違いない。建艦競争から降りて得たものを大きく損ねた可能性もある。

 協商連合艦隊が出てこないのであれば、大型艦を本土に送り返し、軽艦艇でより重層な封鎖線を形成しよう」

 

 少なくとも今は勝っている。連合王国を刺激しないよう、大型艦ではなく軽艦艇をというのは十分効果的だ。

 軽艦艇が足りなくとも私達には大量の拿捕した船舶がある。協商連合が大慌てで物資を輸入すべく徴発した、外洋を高速で航行可能な優秀船舶ばかりだ。仮装巡洋艦には事欠かないだろう。

 そう、艦隊主力の帰港を決定した提督は幕僚を解散させたが、私だけは露天艦橋に残るよう言った。

 

「とは言え、現状の海兵魔導師では船団に敵魔導師が1個小隊護衛に着くだけで作戦は破綻する。何らかの対策が必要だ」

 

 陸戦で押しているから協商連合の魔導師が護衛に着くとは思えないが、連合王国の自称義勇兵が乗り込んでくる可能性はある。

 現に、先の敵魔導師が使っていたのは、連合王国の新型演算宝珠だったのだ。

 

「隊で最も経験を有しているのは提督の子飼いの3羽烏です。しかし、それも海軍基準で優秀なだけで、陸軍の航空魔導師には遠く及ばないでしょう」

 

 あんな1年中戦技に明け暮れているゴリラ共とは色々な意味でお近づきになれる気がしない。

 士官学校卒業間際、私が海軍で研修という名の工場見学の最中に同期は係争地で浸透訓練を実施していたという。イチ官僚組織が外交問題のリスクを抱いてまで実戦訓練を行う連中だ。確かに強いがならず者的な強さではないだろうか。

 

 触接が撃退されるのは問題だが、空戦が強くとも母艦の周りでウロウロするだけではそもそも海上戦の土俵に立てない。

 それに、私としても労働者的にもそして法的にもブラックな訓練に自身を染めるつもりもない。

 

「本気で魔導師戦に勝とうとするのならば、私達を陸軍に半年ほど放り込むべきでしょう。

 しかし、既に戦争は始まっており、海兵魔導師も第二偵察艦隊も今ある手札で戦うべきだと考えます」

 

「確かに戦技には陸軍に一日の長がある。一方で、貴様らを遊ばせておく余裕が無いのも確かだ。なら、戦技に優れた陸軍の魔導師に来てもらえば良い。人材を都合してもらえるよう掛け合ってみよう」

 

 絶対に誰も来ないだろ。

 

 

 

***

 

 

 

 ――この機に協商連合を叩き潰すべく総動員を!

 

 その声が帝国内で大きくなっている。

 新聞を開いても、ラジオを点けてもその話題が絶えることはない。国民が望んでいるのだろうか、あるいは誰かがそのように仕向けているのだろうか。

 

 自分が所属する陸軍内でもその声を耳にするようになった。否、メディアより先だったかもしれない。

 戦争となれば陸軍は戦時へと移行しその規模は膨れ上がる。組織拡大をその本能とする官僚には耐えがたい魅力だろう。自分も、出世したくないかと問われれば嘘は吐けない。

 

 一方で、あのバーでの会話が脳裏を反芻する。

 ――どうか、その日が来ても過ちを犯さないよう、あるいは過ちを犯そうとしているのであれば、それを正していただきますよう――

 同じく組織拡大を図った海軍をその身を以って留めた彼女。

 自分の人生を棒に振ってまで、大戦は恐れるべきものなのだろうか。

 

「レルゲン少佐、動員決議のための御前会議だ。いい機会だから君も末席に居たまえ」

 

 目を掛けてくれている上官が、栄えある御前会議への参加を打診してくれる。勝てるのならば類稀なる栄誉だ。しかし、そうでなければ汚点として残るかもしれない。

 

 一瞬の逡巡の後に承諾した。

 やはり、自分には身を賭せる程の勇気はない。

 

 

 

 もう根回しは済んでいるのだろう。各省庁の次官が総動員の弊害を述べるものの、上座の皇帝陛下には響いていない様子である。

 陛下が多少眉を動かしたのは、海軍の番が回ってきてからであった。

 

「海軍としましても、動員には反対です」

 

 規模は小ぶりとは言え、陸軍と双璧をなす政府の暴力装置。それが動員に反対の意を示したのだ。各省庁からの参加者からも吐息が上がった。陛下としても、自身が言い出した海軍建設が多少役に立って安堵しているのかも知れない。

 

「現在の海上封鎖で協商連合商船団は壊滅的打撃を被りつつあり、その経済力は戦争遂行が困難となりつつあります。帝国は北方軍の一部動員のままで戦争に勝つことが可能です」

 

 動員は国家経済を傷つけるのだろう。

 だが、多少傷ついたとしても後世に係争地のような外交問題を残さなくて済むのであれば、今ここで我々が決断すべきではないのか。

 それが、陸軍に籍を置くものの一般的な認識であった。

 

 だからこそ、このような言葉が大臣からも自然と出る。

 

「陸軍としては海軍の提案に反対である」

 

 私は、後世この日の判断を一生後悔することとなった。

 

 

 




誤字修正いつもありがとうございます。
この場をお借りして御礼申し上げます。


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