夢で逢えますように (春川レイ)
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蝶と夢
夢で出逢ったあなた


 

 

 

 

 

……私の目の前に少年がいる。

「俺の妹は鬼になりました。だけど人を喰ったことはないんです。今までも、これからも、」

この光景、()()()()()()と思いながらじっと少年の顔を見つめた。

 

 

 

 

人間を守るために鬼と戦う鬼殺隊。私は鬼殺隊の中で最も位の高い剣士、いわゆる“柱”だ。そんな私には少し変わった、ある能力がある。

そもそも、私のその能力が目覚めたのは今から6年前、12歳の時だった。その頃の私は鬼殺隊に入っておらず、両親と多くの使用人とともに何不自由なく暮らしていた。私はいわゆる名家の出身だ。上流階級の者として生まれ、自分で言うのもなんだが蝶よ花よと育てられた。良家の女子が通う、日本でも有数の学校を卒業した後は、両親が決めた相手と結婚することが決定していた。完全なる政略結婚ではあるが特に疑問に感じたことはなかった。

そんな暮らしが変わったのは、ある夜会に両親とともに出席した日だった。ちょっとした面倒事が起こり、私は両親よりも先に一人で自宅に帰ることになった。母は私を一人で帰すことを渋ったが、夜とはいえそんなに遅い時間ではなかったし、車には護衛と運転手もいたため、不安そうな母を宥めて私は車に乗った。

 

今でも心の底から思う。私一人でよかった。本当に。

 

人気のない道を車で通っているときに、恐ろしい何かに襲われた。それはおぞましい、人間の血肉を食らう生き物、鬼だった。車を破壊したその鬼は、私の目の前で、運転手と護衛を一瞬で殺した。抵抗する間もなかった。その残虐な光景に私の頭は真っ白になった。鬼が私の方を見た瞬間、私は無意識に動いた。護衛の持っていた短刀を手に取る。ヌルリと血が手に触れたことは、なぜかはっきりと覚えている。襲ってくる鬼を見据えて、私は動いた。

それから先の事は、実はよく覚えていない。

気がついたら、私は鬼殺隊の隊員に保護されていた。後から隊員に聞いた話によると、私は無我夢中で短刀を使い何度も鬼を刺し続けていたらしい。鬼は何度も身体を再生し、私を喰べようとしたが私は何とか抵抗した。鬼殺隊が早く駆けつけてくれたことが幸いし、私は助かった。それもほとんど無傷で。それは非常に驚愕的で幸運な事だったらしい。私はそのまま気絶し、病院へと搬送された。

誰かから連絡を受けたらしく、両親が慌てて病院に駆けつけてきた。二人とも顔が真っ青になり、何かいろいろ言っていたが、私はそれどころではなかった。

気絶している時、不思議な夢を見たのだ。一人の少年の夢だ。赤い髪と瞳。鬼になった少女を連れている。そして、刀を手に持ち鬼を倒そうとしている。

その夢は一回では終わらなかった。眠る度に、不思議な夢を何度も何度も見た。赤い髪の少年が出てくる事が一番多かったが、黒い髪を一つに結んだ青年が鬼と戦う夢もあれば、列車の中で炎のような派手な容姿の青年が刀を持っている姿も見た。

私はその夢に苦しむ事となった。夢の中で私の知らない誰かが、戦い、苦しみ、死んでいく。私は夢の謎を追うために、自分が襲われた鬼について独自に調べ始めた。

この世に鬼という恐ろしい生き物がいること、そしてそれを狩るための政府非公認の組織、『鬼殺隊』が存在する事を知った私は、考えた末に鬼殺隊に入ることを決心した。どうしても夢の謎を解きたかったのだ。その頃には夢を見ることに少し慣れ始めていたが、それでも時々夢の中で人が死ぬと悲鳴を上げて飛び起きたり、そのおかげで睡眠不足になったりと日常生活にも支障をきたしていた。私の中の何かが私に語りかけていた。夢の謎を追え、と。

もちろん、女であり卒業したら結婚も決まっている私が鬼殺隊に入ることを両親が許してくれるはずはない。私は身の回りの物と信用できる使用人を一人連れて、家を出た。

使用人に手伝ってもらいながら、私はまず自分の着物やドレス、装飾品を全て売り払った。両親に見つかるのを恐れ、転々と居場所を変えながら少しずつ、計画的に。それと同時に鬼殺隊に入るため、剣士になるための育成者、いわゆる育手を探した。少し時間はかかったが、金で新しい戸籍を手にいれ、別人として生きる準備が出来た頃、私はようやく私を受け入れてくれる育手を見つけた。

育手の方は最初私が来たことに非常に戸惑っていた。無理もない。鬼殺隊とは無縁そうなひ弱な女が来たのだから。育手は厳しい修行を課してきた。恐らく私がすぐに諦めて家に逃げ帰ると思っていたのだろう。しかし、私は諦めなかった。今となっては何がそんなに私を駆り立てていたのか分からない。その頃は夢の謎を追うのにただただ必死だった。幸運なことに私は剣士としてそこそこ才能があったようで、数ヶ月ほどで最終選別に行くことが許された。

最終選別では多少怪我を負ったものの、無事に藤襲山で7日間生き延びることが出来た。初めて鬼を殺すことに成功した時、感じたのは不思議な達成感だった。それと同時に奇妙な感覚を覚えた。私はきっと鬼を殺すために生まれてきた。そんな気がしてならなかった。

多くの鬼を殺し続け、7日間を乗りきると無事に鬼殺隊への入隊に成功した。隊服と日輪刀を支給され、すぐに鬼狩りの最前線へと投入される。とにかくどんどん鬼を切って切って殺していった。それと同時にさりげなく情報収集を始めた。私が夢の中で見た人物たちを探すためだ。しかし、どれだけ情報を集めても赤い髪と瞳の少年は見つからない。それには首を傾げるしかなかった。私が見たのは、やはりただの夢だったのだろうか。

しかし、ある合同任務で私は『煉獄杏寿郎』という人物を初めて見たとき、ハッとした。間違いない。私は彼を夢の中で見た。しかし、夢の中の彼とはほんの少し違っているような気がした。具体的に言うと、実際の彼は若いような気がするのだ。夢の中の人物はもしかしたら彼の父親など親類という可能性もあるが、私は心の中で彼だと確信していた。もしや、私が見た夢はこれから起こる未来の出来事、予知夢ではないだろうか。それならば納得がいく。そして、新たな可能性に気づいた。私は夢の中で彼らの死を知っている。もしかしたら救えるのかもしれない。苦しんで死んでいく予定の人物たちを。

私はその考えに有頂天になった。愚かにも人々を救済できる神になった気分だった。それがどんな後悔を生むのかも、全く予想できずに。

 

 

 

 

鬼殺隊に入って数年たった。私は隊を支える最上級の剣士、柱にまで昇進した。この数年、いろいろな事があった。本当に。

そして今、目の前には鬼になった妹を庇う少年がいる。その姿を見た瞬間、私は歓喜した。

この子だ。この少年がきっと鍵となる存在なのだ。

鬼を連れている?そんな事とっくの昔に知っている。私は何年もあなたを待っていた。

不意に少年の赤い瞳と目が合う。私はゆっくりと優雅に彼に微笑みかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※名家の令嬢 : 圓城(えんじょう) (すみれ)

戸籍上の年齢は20歳。本当は18歳。上記の名前は本名ではない。家出をした時、家族と縁を切るため、自分と近い歳の適当な戸籍を買い取った。本名を名乗る予定は二度とない。

趣味は華道と茶道と習字という根っからのお嬢様。実は現代社会から過去へと生まれ変わった『転生者』なのだが、自分の前世は何一つ思い出していない。ある夜の出来事から不思議な夢を見続ける。それは「鬼滅の刃」の情景。ただし、自分の前世は思い出せないため、転生者とは気づかず予知夢だと認識している。

裕福な家を飛び出して鬼殺隊へ入り、柱にまで昇りつめた。単独任務が好きで、他の隊員や柱と協同での仕事をするのは少ない。鬼殺隊の剣士達からはあまり評判がよくない。立ち居振舞いや仕草から裕福な家の娘と分かってしまうため、「鬼殺しはお嬢様の道楽」「金の力で柱になった」などと噂されている。その噂のため、他の柱とも仲はあまりよくない。

唯一蟲柱の胡蝶しのぶとは友好的な関係を築いていたが、ある事情からその関係にひびが入った。現在は仕事上の付き合いのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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気に入らない女

 

 

 

胡蝶しのぶには嫌いな女がいる。今現在、鬼になった妹を連れている少年の前に立つ女だ。うつ伏せになって拘束された少年を庇うように両手を広げ、にこやかに笑っていた。

「圓城、テメェ、どういうつもりだァ…!」

「まあまあ、風柱サマ、少し落ち着いてこの少年の話を聞きましょう。行動するのはそれからでも遅くありませんわ」

「話を聞く必要がありますか?彼は鬼を連れているのですが」

思わず反発するように胡蝶しのぶは口を開く。しのぶと目があった圓城菫が上品に笑った。しのぶは苛々したが、それを悟られないように圓城に負けないくらいニッコリと笑った。普段から徹底している感情制御を一瞬忘れそうなほど怒りを感じた。

 

 

 

 

 

圓城菫という女は鬼殺隊の中でも異彩を放つ有名な剣士だ。容姿は貴族や華族の令嬢のような、上品で優雅な女性。本人はあまり話したがらないが、実際に名家の出身らしい。そんな雅な生まれの女性がなぜ鬼殺隊に入ったのか、誰も理由を知らない。鬼殺隊の中では悪い噂が絶えない。「鬼殺しはお嬢様の道楽」「金の力で柱へ昇進した」など、しのぶも隊員達が噂しているのを聞いたことがある。

しかし、胡蝶しのぶは知っている。「金の力で柱へ昇進した」という噂は完全に出鱈目だ。その可憐な容姿からは考えられないほど、圓城は恐ろしく腕の立つ剣士だった。切った鬼の頸の数は、恐らく本人も覚えていないだろう。恐ろしいほどの速さで鬼を切っていく姿をしのぶは見たことがある。その時は、あまりにも異様な光景に一瞬ではあるが鳥肌が立ったほどだ。単独で行動することが多いため、その優れた技能を知るものは少ない。

しかもほとんどの任務をほぼ無傷で終える。単独での行動で、それは驚愕的な事だ。実際に圓城が怪我をして蝶屋敷にやって来るのは滅多にない。蝶屋敷に顔を出すのはしのぶがしつこく口を出す定期検診の時だけだ。先日もそうだった。同じ柱である甘露寺と共に蝶屋敷で検診を終えるとすぐに自分の屋敷へと戻っていった。

「圓城さんっ、もしよければこの後食事でもどうかしら?」

「……お誘いありがとうございます。とても嬉しいですわ。でも、今日は疲れたのでまたの機会にいたしましょう。」

「そ、そうなの。残念だわぁ」

甘露寺が食事に誘い、丁寧に、しかし素っ気ない態度で断られている姿を見た。しのぶは苛々が止まらない。柱や隊員と交流しようとしない姿勢も、にこやかに笑っているのように見えて実際は冷淡な姿も、何もかも気に入らない。

検診の帰り際、しのぶは蝶屋敷の廊下で足早に帰ろうとする圓城とすれ違った。圓城はしのぶと目があっても何も言わずにニッコリと上品に笑い、頭を下げると足早に去っていった。しのぶも顔に張り付けた笑顔で見送る。

 

 

 

 

 

『しのぶ、しのぶちゃん』

 

 

『そんなに怒らないでよ。今日は特別にしのぶの好物を買ってきてあげる』   

 

 

『強くなりたいの、もっと、もっと』

 

 

『だから、ね。私は作りたいの。平和な世の中を、未来を』

 

 

 

 

しのぶは頭の中で響いた声に思わず目を閉じた。今では考えられない事だが、しのぶと圓城は仲の良い時期があった。あの過去は正直思い出したくない。その頃、しのぶは圓城に対して確かな友情を感じていたし、圓城の方もそうだっただろう。それは温かくて大切な想いだったような気がする。

でも、もうその感情は、思い出せない。しのぶは蝶屋敷を去っていく圓城の後ろ姿から目を背けた。

 

 

 

 

 

その圓城菫が今、普段からは考えられないほど強い瞳で他の柱を見つめている。顔は笑っているが、少年に手を出そうとするのは許さないとでも言いたげに、両手と足を広げ立っている。

胡蝶しのぶは、また思う。

気に入らない。ああ、本当に嫌な女だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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これには事情がありまして

「そいやぁっ!おらぁっ!」

ズパンっ、ズドンっと音がなる。天井からぶら下げられた円筒状の革袋に向かって、圓城菫は何度も腕で打撃を繰り返していた。へんな掛け声と共に、鋭い眼光で、時には蹴りを交えながら革袋を親の仇のように打ちのめしている。その光景を後ろで見ているのは50代ほどの髭を生やし、眼鏡をかけたスーツのような服を着ている男性だ。男性は苦笑いをしながら圓城に声をかけた。

「お嬢様、その、もう少しお上品に鍛練されてはどうですか」

「こんな鍛錬している時点でお上品も何もないでしょうっ!」

「……外ではあんなに猫被ってるのに」

「なにか言った!?そりゃぁっ!」

ドカン、と今までで一番激しい一撃が入った。自分を睨み付けてくる圓城に男性は特に何も言わずにこやかに笑った。

 

 

 

 

 

ここは圓城邸。男性は圓城から『じいや』と呼ばれている昔からの使用人である。圓城が自分の実家から連れ出した、信用できる唯一の使用人だ。元々、圓城は一人で家出するつもりだったが、その準備の最中この男にバレてしまった。しかし、驚いたことにじいやは両親に何も言わず家出の準備を手伝ってくれて、しかも家を出るときは一緒に付いてきてくれたのだ。家を出てからずっと圓城を支えてくれたのはこの男である。そして唯一圓城の本名と夢の力を知る人物だ。

「それで、その後はどうなったのです?」

「どうもこうも。竈門炭治郎と妹の件はお館様も容認していたそうよ。竈門禰豆子が人を喰べたら兄とその育手と水柱サマは腹を切るんですって」

満足するまで革袋を殴った後、稽古場の隅でじいやが差し出した水を飲みながら鬼殺隊本部での出来事を説明した。

「…それ、他の柱の皆様は認めたんですか?」

「まさかぁっ!こっちが必死に止めたのに勝手に竈門兄を処分しようとするし。一番納得していないのは風柱サマね。最後には自分の血を使って妹が人を襲うことを証明しようとしてたわ。結局無駄だったけど」

「ほう。人を襲わない証明まで」

「でもその竈門兄も大変だったわよ。せっかくこっちが話を聞こうとして柱サマ方を説得しようとしたら、風柱に頭突きを食らわせるし。穏やかに口添えしようとしたのにぜーんぶ無駄になったわ。」

「なるほどなるほど。こういうことですね。結果的にお嬢様への柱の方々の好感度がまた下がってしまわれたと」

「あなた馬鹿にしてるの!?」

じいやが笑い、圓城は思わず噛みついたが、言ってることは間違っていないので、すねたように唇を尖らせた。

「何故竈門兄妹を庇ったのです。庇ったら他の柱の皆様方から反感を買うに決まっているではないですか。適当に『鬼は殺せ』等言っておけばよかったんですよ」

「そんなこと言って本当に首を切られたら大変じゃない!まさかお館様が容認していたなんて知らなかったのよ!」

「また鬼殺隊でのお嬢様の評判が下がってしまわれましたな。嘆かわしいことです」

その慇懃無礼な態度に圓城は思わず拳を握りしめたが、黙って革袋の所へ向かい再び殴り始めた。

「竈門兄妹は結局どうされたのです?」

「…蝶屋敷で療養中。」

おや、とじいやは意外そうに目を見開いた。

「それはそれは。私はてっきりお嬢様が保護されるのかと」

「もちろんそのつもりだったけど、蟲柱に先を越されたわ。まあ、怪我もしていたしこればかりは仕方ないわね」

手拭いで汗を吹きながら圓城はチッと舌打ちをした。できればもう少し竈門兄妹から話を聞きたかったが、流石にあの場で怪我人へ、いろいろ聞き込みするのはよくない。

「では、蝶屋敷に行ってみてはどうですか?お見舞いの名目で話を聞きに行くんですよ」

「……え」

その提案をしたとたん、圓城がものすごく嫌そうに顔をしかめた。その理由を知っているじいやは穏やかに笑った。

「……いやぁ、そこまでして話を聞きたいわけではないし、ね。まあちょっと考えてみるわ」

それより、と圓城は気を取り直してじいやに声をかけた。

「会社の業績はどうかしら?最近なかなか新商品の開発が進まないそうだけど」

「はい。こちらが書類になります」

圓城菫は鬼殺隊の一員ではあるが、ちょっとした会社の経営者でもある。家出をした後に、自分の私物を売った金がなかなかの金額となった。その大部分は新しい戸籍を買うのに使ったが、余った金で起業したのだ。ただし、圓城が表に立って社長を名乗ると目立ってしまうため、公ではじいやに社長をしてもらっていた。少し時間はかかったが、会社がそこそこの成功をおさめため、現在経済的には多少の余裕がある。

「うーん。少しずつ売り上げは上がってきているみたいだけど、もう少し上げたいわね。やっぱり新商品の開発を進めて、取引先とも…」

書類を読みながらブツブツ呟く圓城をじいやは優しく見つめた。このお嬢様は昔の姿と比べると、信じられないくらい行動的で快活だ。そんな主の事をじいやは心から尊敬し、本人の前では絶対言わないが娘のように愛していた。

「ようっし!仕事の話はこれで終わり!そろそろ夜だし、鬼の頸チョンギってぶち殺しに行ってくるわね!」

……昔と比べるとかなり言葉遣いが悪くなってきているのが心配の種ではあるが。そう思いながら、刀をもって部屋から出ていく圓城をじいやは静かに見送った。

 

 

 

 

 

 

「あーあー。油断した。これはちょっと自然治癒は厳しいわね」

数日後、朝の早い時間に圓城は人通りの少ない道を歩いていた。今回の任務は、そんなに強くない鬼の抹殺だったが、鬼に体を突き飛ばされ、受け身に少し失敗した。左腕を少し捻ってしまった。利き腕でないのは幸いだったが、さっきから痛みが止まらない。

「この近くに病院が…」

「そこは蝶屋敷でしょう、お嬢様」

「……じいや、なんでここにいるのよ」

「帰りが遅いため迎えに来たんですよ。お嬢様、骨が折れてる恐れがあります。早く蝶屋敷へ行きましょう」

「……気合いで治、」

「お嬢様、怖いなら私も一緒に行きますから」

「誰が怖いもんですかぁっ!行くわよ、行ってやるわよ!一人でね!」

じいやに噛みつくように怒鳴った圓城は怒りを露にしながらプンプンと蝶屋敷の方角へ歩き出した。その後ろ姿をじいやはにこやかに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

※じいや

本名不明。いわゆる執事に近い存在。元々は圓城菫の実家の使用人。家を飛び出したお嬢様になぜか付いてきた男。夢の力を知っている。家出をした当初は圓城のために戸籍を買ったり住む場所を用意したりと、一番苦労した人。圓城が鬼殺隊に入るまでは日雇いの仕事をして、生活を成り立たせていた。圓城が起業した後は、表向きはその会社の社長として活躍する。

一番の悩みは鬼殺隊に入ってからお嬢様の言葉遣いがだんだん乱暴になってきていること。外ではそんな言葉遣いをしないように言い含めている。そのおかげで、じいや以外の人の前では自然に「~ですわ」「~ですのよ」等を使っている。しかし、その事から、実は上流階級の家の出身であることが分かってしまい、『鬼殺しはお嬢様の道楽』という噂へと繋がってしまった。

 

 



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蝶々とお嬢様

 

「とは言ったものの、行きたくないわね」

圓城菫の足取りは重かった。圓城は他の柱と交流することはあまりなく、それ故にあまり良好な関係を築いていない。交流するには私生活と仕事があまりに忙しいのと、そもそも例の悪い噂のおかげであまり話す機会もないのだ。特に蟲柱の胡蝶しのぶとは一番関係がよくない。昔いろいろあって、お互い避けている。

「……ちょっと何か差し入れを用意すれば少しは行きやすいかしら」

圓城は近くの店で適当に包帯や創傷被覆材を買い漁った。蝶屋敷ではいくらあっても困らないはずだ。それでも足取りは重い。できれば本当に行きたくない。さっさとしのぶ以外の誰かに治療をしてもらって帰ろう。

「……ごめんください」

「え、あれ?菫様?どうされたんですか?」

蝶屋敷へ向かうとパタパタと足音をたてて迎え入れてくれたのは神崎アオイだ。

「ごきげんよう。アオイさん。ちょっと腕を捻ってしまいましたの。治療をお願いできるかしら?」

「え、ええ、はい。珍しいですね。怪我をするなんて」

「少し油断していましたの。これは、差し入れですわ。使ってくださいね」

「あ、ありがとうございます!」

アオイが差し入れを明るい笑顔で受け取ってくれた。その笑顔を見て、思わず圓城もニッコリ笑ってしまい頭を撫でる。

「もう、頭を撫でないでください!」

「あ、ごめんなさい。なんとなく」

「それよりも!早くしのぶ様のところに行きましょう」

「…それじゃあ、お邪魔しました」

しのぶの名前が出たとたん、圓城がクルリと背を向けたため、アオイは慌てて着物を引っ張り止めた。

「菫様!そんな腕で帰すわけにはいきませんよ!」

「大丈夫。私、気合いと呼吸で全部治せますのよ」

「さすがに無理ですって!」

「では、アオイさんが治療をしてくださいません?」

「それも無理です!まずはしのぶ様に診てもらわないと」

「蟲柱サマの手を患わせるくらいなら、このままで十分ですわ」

「ダメですって!」

二人で蝶屋敷の玄関でワーワー言い合っていると、静かな声が割って入った。

「なんの騒ぎですか?」

圓城とアオイがピタリと言葉を止める。二人揃って声の方へ顔を向けると、胡蝶しのぶが笑顔で立っていた。顔は笑っているが、視線は冷たい。明らかに怒っている。

「アオイ、圓城さん、朝早いですし、他に療養している方もいますので静かにしてください」

「し、しのぶ様、すみません」

「………」

アオイが即座に謝り、圓城は何も言わずに謝罪のためにペコリと頭を下げた。そんな圓城の様子にしのぶはますます怒りを感じたらしく、その場の温度がどんどん低くなっていく気がする。ピリピリとした空気にアオイは思わず唾を飲み込んだ。

「それで、圓城さんはなぜここに?」

「あ、あの、どうやら腕を怪我したようです。しのぶ様、治療をお願いします!」

アオイさん、余計な事を……と圓城は思わず言いそうになったが、我慢した。

「あら、珍しいですね。それではこちらへどうぞ」

しのぶが処置のために手で部屋を指し示しながら歩き出した。圓城は思わずため息をつきながらそれに従う。残されたアオイは、

「お二人とも、昔はあんなに仲良しだったのに…」

ポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

「それでは腕を見せてください」

しのぶの前に座らせられた圓城は黙って左腕を差し出した。関節の部分が明らかに腫れている。

「まだ痛みは続いていますか?」

「……」

「もしもーし。お口がどこかに行ってしまわれましたか?」

そうしのぶに言われて、圓城は渋々口を開いた。

「痛みは続いていますわ。大したことありませんが」

「……軽い捻挫ですね。これなら保存的な治療で十分でしょう。包帯巻いときますね。」

そう言いながらしのぶが包帯を取り出し、グルグル巻いていく。圓城は黙ったままそれを見つめていた。

「それでは腕の件はこれで終わりです」

「…感謝申し上げますわ。それではごきげんよう」

と立ち上がろうとすると、しのぶが冷たい笑顔のまま声をかけてきた。

「誰が帰っていいと言いましたか?」

「…は?」

「私は“腕の件”は終了と言ったのです」

意味が分からず、圓城は瞬きを繰り返す。

「まだ何かあるんですの?」

「ええ。もちろん」

しのぶが突然両手で圓城の顔をガシリと掴んだ。そのまま顔を近づけてくる。突然綺麗な顔がどんどん近づいてきて、圓城は目を見開いた。

「なんですの、蟲柱サマ」

「……圓城さん。いつから寝ていませんか?」

顔には出さなかったが、圓城はギクリとして視線を逸らせようとした。ここ何日か睡眠をとっていない。誰にも分からないと思っていたのに。

「3日ですか?4日ですか?」

「……」

「体調管理も仕事のうちですよ」

「私が寝ていないからといって、仕事で失敗したことはありませんわ」

「そういう問題ではありません。圓城さん、部屋を用意するので少し睡眠をとってください」

「お断りです。それなら家に帰って睡眠をとりますわ」

「だめです。あなたの事だから、家に帰ったら帰ったらで、鍛錬やら会社の仕事をしようとするでしょう」

「……」

圓城は何も言わずに顔をしかめた。大当たりだ。

「まったく…。睡柱のあなたが睡眠が嫌いとは不思議ですね」

「……それはあまり関係ありませんわよ」

「とにかく、こちらの部屋で布団を用意するので、眠ってください。おうちの方には私から説明しますから」

しのぶが立ち上がったため、圓城は諦めたようにそれに従った。

 

 

 

 

 

 

圓城菫は『睡(ねむり)柱』である。圓城が独自に型を作り出した、『睡の呼吸』を使う。そんな名前を持つ柱ではあるが、圓城は眠るのが好きじゃない。何故なら見てしまうからだ。恐ろしい夢を。

「…蟲柱サマ。やっぱり家に、」

「まだ言いますか」

「…なんでもありませんわ」

今のしのぶに逆らうのは無理だ。圓城は完全に抵抗を諦め布団に入る。そんな圓城を見て、しのぶは少し考えた後、懐から粉薬の入った包みを取り出す。

「…これは?」

「新しく開発した睡眠薬です。おそらくはぐっすり眠れると思いますよ」

「…夢は見ます?」

「え?そこまでは…」

しのぶが困ったように首を傾げる。その様子に苦笑し、圓城は一気に薬を飲み込んだ。そのままおとなしく横たわる。強力な薬なのかすぐに目蓋が重くなってきた。意識を失う寸前に、

「おやすみなさい、菫」

というしのぶの声が聞こえた気がしたが、気のせいにちがいない。

 

 

 

 

 

 

 

夢を見た。竈門炭治郎が鬼と戦っている。炭治郎だけではなく、金色の髪を持つ少年と、猪頭の少年も戦っていた。

「……あれ?伊之助、あいつどこ行ったんだ?」

「善逸!勝手に部屋を開けたらダメだ!」

「うわっ、人がいた。お、女の人だァっ!しかも美人!」

「あれ、この人…」

「炭治郎、知っているのか?!」

声が聞こえる。どこかで聞いたことがあるような声。圓城は無意識に呻いた。

「うぅぅ…」

「ぜ、善逸、取りあえず一旦この部屋を出よう。この人寝てるみたいだし、」

「うぅぅ、待って、かまぼこ…」

「かまぼこ?」

その瞬間、一気に意識が浮上する。圓城はカッと目を見開き体を起こした。

「あれ?私…?」

頭が痛く、こめかみを押さえる。

「あの?大丈夫ですか?うなされてましたけど、」

「お姉さんっ!大丈夫ですか?かまぼこ買ってきましょうか?あとついでに結婚してください!!」

そして、赤い髪の少年と金色の髪の少年が目の前にいることに驚き、息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 



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色は匂へど

 

一瞬自分がどこにいるのか分からず混乱したが、すぐに蝶屋敷で仮眠をとっていたことを思い出した。一体何時間寝ていたのだろう。手でこめかみを押さえながら目の前の少年達を見つめる。

「ええと、とりあえず結婚はお断りしますわ。」

「そんな!お願いです!一生分のかまぼこを贈りますから!」

「…かまぼことは?」

「え?今うなされながら、かまぼこって呟いていましたけど…」

「……」

はて?自分はかまぼこの夢を見ていただろうか?圓城は首をかしげた。なんか違う気がする。

「…多分美味しいものを食べる夢を見ていたのでしょう。それよりも、竈門炭治郎さん、ごきげんよう。また会えて嬉しく思いますわ」

「は、はい!俺もあなたに会いたいと思っていました!」

「あら、私に?」

「お礼を言わなきゃと思って!本部で俺を庇ってくれたのはあなただけでしたから!」

「…ああ」

炭治郎にそう言われて苦笑した。そのおかげでこちらは微妙な立場になってしまったが、こんなに輝くような笑顔で礼を言われると満更でもない。話に置いてきぼりの金髪の少年が不思議そうな顔をしていた。

「炭治郎、どういう知り合いだ?」

「あ、この人は、」

「そういえばご挨拶がまだでしたわね」

圓城はきちんと正座をすると、背筋を伸ばしゆっくりと頭を下げた。

「ごきげんよう。私は鬼殺隊・睡柱、圓城菫と申します。以後お見知りおきを。」

「柱ァ!?こんなにおしとやかそうな人が柱?うっそだろう!?」

「こら、善逸!失礼だろう!」

何やら興奮している金髪の少年は我妻善逸というらしい。後からきちんと自己紹介してくれた。

「えーと、圓城さんは、なぜここに?」

「…ちょっと、体調を崩しましたの。炭治郎さんと我妻さんはあれからずっとここに?」

「はい!今は機能回復訓練をしています!」

炭治郎が明るく答える。

「まあ、それは大変ですね。ひょうたんはどこまで割れましたか?」

「いや、まだまだで……あれ?圓城さんもここで訓練したことあるんですか?」

「……まあ」

嫌なことを思い出してしまい、誤魔化すように炭治郎へ笑った。表情を崩さないようにしながら圓城は立ち上がる。

「頑張ってくださいね。炭治郎さん、我妻さん。ちなみに私は1日で特大のひょうたんを割ることに成功しましたわ」

「えっ」

「ひぇぇぇっ、うそぉ!」

「す、すごいですね。何かコツとかあるんですか?」

「うーん、こればかりは頑張ったとしか言いようが…」

適当に布団を整えながら会話を続けていると、誰かがやって来た気配がしてそちらに顔を向けた。そこには炭治郎と同じ歳ほどの少女が立っており、じっとこちらを見つめていた。

「…カナヲさん。久しぶりですわね」

「……」

栗花落カナヲは何も答えずにまっすぐ圓城の方を見つめてくる。

「そういえば、鬼殺隊に入ったと聞きましたわ。おめでとうございます。」

「あれ、圓城さん、カナヲとも知り合いだったんですね」

「ええ。ちょっと」

不思議そうな炭治郎にそう答えると、カナヲが意を決したように口を開いた。

「…あの、」

「はい。なんでしょうか?カナヲさん」

「…今日、アオイが夜ご飯に鯖の煮込みを作る、って」

圓城はどんな顔をすればいいのか分からず、戸惑った。鯖の煮込みは圓城の好物だ。

「…そうですか。美味しそうですわね。アオイさんも料理の腕がどんどん上がってきているようで、羨ましいこと。」

「……あの、……それで、」

カナヲが何かを言い淀み、言葉がつっかえているところで、今度は胡蝶しのぶが現れた。

「…ずいぶん楽しそうですね。少しは眠れましたか?」

「…ええ。これ以上迷惑をかけるわけにはいきませんので、そろそろお暇しますわ」

しのぶと視線を合わせないようにしながら、圓城は手早く荷物をまとめた。しのぶと圓城の様子に戸惑っている炭治郎と善逸、そして何やらショックを受けたように落ち込んでいるカナヲに向かって微笑む。

「それでは皆様、ごきげんよう」

 

 

 

 

竈門炭治郎は非常に戸惑っていた。訓練中に友人を探していたところ、見つけたのは、細くて華奢で上品な雰囲気の美しい女性だった。真っ直ぐな黒髪に、やはり黒い瞳。その女性と炭治郎は前に会ったことがある。鬼殺隊で裁判にかけられたとき、唯一庇ってくれた柱だ。

不思議な匂いの人だ、と炭治郎は思う。なんというか、チグハグなのだ。その容姿からは考えられないくらい強靭な固い匂いがする。しかし、それ以上に悲しみの匂いがする。まるで、いつも泣いているみたいだ。蝶屋敷にいる彼女は前に会ったときよりも、悲しみの匂いが強かった。

しのぶがこの部屋に来たあと、圓城は逃げ出すように蝶屋敷から去っていった。炭治郎はもっと話したかったな、と思いながらその背中を見送った。

「カナヲ、よかったのか?圓城さんを夕食に誘いたかったんじゃないのか?」

「……」

カナヲは珍しく気落ちしたような表情をしており、思わず炭治郎は声をかけた。カナヲは何も答えず、代わりにしのぶが口を開いた。

「あの人はここで食事をしませんよ。例え誘っても」

「え?」

「圓城さんは、ここが嫌いですし、私も彼女の事はちょっと苦手ですから…」

「えっ、それは違いますよね?」

「はい?」

しのぶは炭治郎の言葉に思わず首をかしげた。

「え、いや、だって」

 

 

 

「しのぶさん、圓城さんの事、すごく大好きですよね?」

 

 

 

「……」

「あ、あれ?違いましたか?だって匂いがして」

「……」

「本部で圓城さんが俺を庇ったときも、圓城さんをものすごく心配してる匂いがしたし…、それに、」

「た、炭治郎、炭治郎、ちょっとやめろ」

善逸が思わず口を出した。しのぶが信じられないほど恐ろしい笑みを浮かべていたからだ。微笑んでいるのに、怖い。

「…炭治郎君」

「は、はい」

「そのようなことは二度と口に出さないでくださいね?」

「は、はい!」

何がなんだか分からないが、炭治郎はとにかく頷いた。善逸はしのぶに怯えて炭治郎の後ろに隠れてガタガタと震えている。そんなしのぶの姿をカナヲはじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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大丈夫

 

 

「…ただいま」

「おかえりなさいませ、お嬢様。早かったですね。てっきりあちらで夕食を食べてくると思っていましたよ」

圓城が自邸に帰ってきたのはまだ空の明るい夕方だった。

「…ああ、カナヲがなんか誘ってくれそうな感じだったわね。でもまあ、食べないわよ、あの屋敷では」

「……はあ、鬼に対してはあんなに強気なのに、しのぶ様を怖がるとは情けない」

「誰が怖がるもんですかぁっ!私はあの子とはあんまり仲良くないだけよ!」

「あの子と“は”って、お嬢様と仲のいい方なんて全然いないじゃないですか」

「……分かってるけど、地味に傷つくから、もうやめて」

おや、とじいやは目を見開いた。いつもならこれくらいの言葉にキャンキャン噛みついてくるのだが、今日はだいぶ疲れているらしい。

「睡眠をとってきたのでしょう?それなのに疲れるとは、よっぽど蝶屋敷で気を張っていらしたんですね」

「……あの屋敷は私にはきついのよ」

「それで、竈門様とはお話をされたんですか」

「…ちょっとはね。でもあんまり話をする時間はなかったわ」

ふむ、とじいやは少し考える仕草をした。

「お嬢様、竈門様と合同任務ができるよう頼んでみてはどうでしょう?」

「頼むって、お館様に?嫌よ。絶対怪しまれるじゃない。今まで進んで単独任務ばっかり請け負っていたのに」

「じゃあ、いっそのこと、竈門様を継子にするとか」

「それもダメ」

キッパリと首をふる圓城にじいやは首をかしげた。

「なぜです?今彼は個人的な師範はいらっしゃらないんですよね?それなら……」

「あの子の使う呼吸は水よ。あと想像だけどそれも合ってない気がする。私が使う、睡の呼吸では指導は難しいわ」

「はあ、私にはさっぱりですが、そんなものですか。」

「そもそも私、継子をとるのは好きじゃないの。いつ死ぬか分からないし、中途半端な指導はしたくないわ」

あまり思い出したくない記憶がよみがえって、圓城は顔をしかめた。記憶を無理やり振り払うように、首をふってため息をついた。

「まあ、私の夢の中に出てくる少年はあの子で間違いないと思うし、今後様子を探ってみるわ」

「…そうですか。それじゃあ、夕食にしましょう」

「ええ。今日の献立はなに?」

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、今夜は少し冷えますから。早めに布団に入ってくださいね」

「はいはい」

「はいは1回」

「はーい。おやすみ」

じいやが屋敷の離れにある自分の部屋へ向かった。圓城も自室に向かうふりをしながら、稽古場へと行く。稽古場で自分用の木刀を握り、そして素振りを始めた。

じいやには言わないが、眠る気はない。昼間にたっぷり睡眠をとったおかげで眠くないし、元々圓城はあまり眠らない。寝るのは4~5日に1回、数時間程度だ。

圓城にとって、睡眠はこの世で一番嫌いな物だ。見たくないのに、他人の苦しむ夢、傷つく夢を見てしまう。眠った日の朝は夢の内容によるが、ひどい時は汗で全身ビッショリとなり、絶叫しながら目を覚ますのだ。

昔は、鬼殺隊に入った頃は、夢が嫌いではなかった。予知夢だと気づいた当時は進んで睡眠をとり、未来を見ようと一生懸命だった。それによって、少しでも人を助けたかったから。

でも、今は見たくない。夢と現実の境目でもがき苦しみ、自分を傷つけるのはもう二度とごめんだ。

素振りを繰り返していると、頭の中で声がした。

『分からないでしょうね』

素振りが止まる。聞こえる。思い出したくない、声が。

『あなたには、理解できないのよ。そうでしょう?』

涙があふれてくるのを必死に堪えながら、圓城は木刀をその場に落とすと、うずくまった。

「分かるよ。分かってるよ…」

ポツリと呟く。

「大丈夫。私には鬼が、斬れる。まだ、斬れるの。その力があるから。大丈夫、大丈夫だもの…まだ、大丈夫」

声が漏れるのを止められなかった。

「…涙腺を、制御しなければ。私はまだ泣いてはいけない。だから、泣くな。大丈夫。私はやれる、鬼を倒せる。」

稽古場に圓城の小さな声が響いた。自分に言い聞かせるように言葉を紡いで、圓城は再び立ち上がり素振りを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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泣かない

 

「ごめんください」

その2日後、圓城は再び蝶屋敷を訪れた。

「あっ、菫様!こんにちは!」

出迎えてくれたのは、蝶屋敷で生活する少女、きよだ。

「ごきげんよう。お久しぶりですわね」

「はい!先日はご挨拶できなくてすみませんでした!」

「いえいえ、私が勝手に来て勝手に帰ってしまったのですから…今日は蟲柱サマは?」

「あ、しのぶ様なら用事で出掛けています」

胡蝶しのぶが留守であることにちょっと安心した。

「竈門炭治郎さんはいらっしゃるかしら?様子を見に来たのだけど」

「炭治郎さんならお庭の方ですよ」

そう言われ、蝶屋敷の庭の方へ行くと、ちょうど炭治郎はひょうたんを吹いている所だった。そばには、なほとすみがいて「がんばれ!がんばれ!」と応援している。邪魔したくないため、気付かれないように黙って見守った。

ブオッと低い音がする。炭治郎の顔が真っ赤になったかと思った次の瞬間、バンと鋭い音がしてひょうたんが粉々に割れた。

「割れたーー!!」

「キャーっ」

炭治郎が大声で叫び喜んで、3人娘も続いて叫ぶ。その光景に圓城は思わずクスクス笑いながら拍手をした。

「あれ?圓城さん?」

「ごきげんよう。炭治郎さん。そして、おめでとうございます。ようやく呼吸が分かってきたみたいですわね」

圓城はニッコリ笑いながら炭治郎に近づいた。

「こんにちは。圓城さんはどうしてここに?また体調が悪いんですか?」

「それもありますが、お見舞いに来たんです。あなたに差し入れですよ」

と言って、圓城は大きな重箱を差し出した。

「うわー、なんですか、これ。」

「筋肉をつけるのに効果的な食材を使ったお弁当ですのよ。どうぞ召し上がれ」

「はい、いただきます!」

圓城が箸を渡すと、炭治郎は縁側に座ってすぐさま食べ始めた。

「美味しいです!これ、圓城さんが作ったんですか?」

「いえ、まさか。うちの使用人が作りました」

「しようにん?」

食べながらキョトンとする炭治郎に構わず、圓城は次に、きよ、すみ、なほに包みを手渡した。

「あなた方には、こちらを用意しました。異国で作られているという甘いお菓子ですよ。みんなで食べてくださいね」

「ありがとうございます!」

3人娘が顔を輝かせる。キャーキャー喜ぶ3人娘になごみながら、圓城も炭治郎のそばに腰かけた。

「今日は我妻さんは?2人分持ってきたのだけれど」

「えっと、今はどこにいるか分からなくて。ちょっと諦めかけてる、みたいで」

「習得するまではきついですからねぇ」

「はい。だから、俺が先に頑張って、後で教えてあげようと思って!」

前向きでいい子だなぁ、と圓城は思いながら今度は持ってきた水筒を差し出す。

「お茶です。どうぞ」

「うわ、何から何まですみません」

「…そんなに心配しなくても、大丈夫ですわ」

「え?」

「蟲柱サマは教えるのがかなり上手です。そして、相手のやる気を引き出す方法もよく知っています。そのうちなんとかなりますわよ」

薄く笑いながら圓城がそう言うと、炭治郎がその姿を見て口を開いた。

「…圓城さんって、」

「はい?」

「なんでいつも泣いてるんですか?」

「……うん?」

圓城は首をかしげた。

「あの、俺、鼻がきくんです。圓城さんからはいつも悲しい匂いがするんです。ずっと、ずっと、泣いている、みたいな」

「……」

この少年はかなり鋭い。圓城はどう答えていいか分からず、迷った。

「…炭治郎さんは、意外と積極的ですわね」

「えっ、あっ、すみません」

少し慌てたような様子の炭治郎にクスリと笑う。

「……情けないから」

「え?」

「自分が情けなくて馬鹿で愚かだから、泣いている。誰かを救えるなんて勘違いをしてた自分が腹立たしくて悲しくて、でも涙は流さないって決めたから……」

ポツリと呟くと、急に胸が詰まったように苦しくなった。そんな苦しみを消すように、思い切り立ち上がる。

「次は鬼ごっこかしら?カナヲさんは手強いでしょう?」

「えっ、は、はい」

「でも、あの子に追いついて、そして追い抜くほど頑張らなければ、ね。私はあなたが強くなるのを楽しみにしていますわ」

そう言った時、ちょうどカナヲがテクテクと歩いてきた。圓城の姿を見て、近づいてきたらしい。

「ああ、カナヲさん。ごきげんよう。美味しいお菓子を持ってきたのでぜひ召し上がってくださいね」

「……」

カナヲは何も答えない。圓城は気にせず続けた。

「悪いのだけれど、アオイさんはどこにいらっしゃるかしら?先日負傷した腕がまだ少し痛むから、痛み止めを分けて欲しいのだけれど」

圓城がそう言うと、カナヲが圓城の着物の端を引っ張って歩き出す。そんなカナヲの様子に苦笑しながら、圓城は引っ張られるがままに歩き出した。

「炭治郎さん。またお話しましょうねぇ」

炭治郎はモグモグとお弁当を食べながら、その後ろ姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

「カナヲさん、任務はどうですの?困っていることがあれば……」

「………、ぅ…ぃ」

「はい?」

カナヲが何かをモゴモゴ言ってきたが聞き取れず、圓城は聞き直した。

「ごめんなさい。聞き取れなくて。何かしら?」

そう言っても、カナヲは小さい声で言いにくそうに言葉を紡ぐ。そして、

「……もっとうちに、来て欲しいんです」

やっとの事で聞き取れた言葉に圓城は困ったように眉を寄せた。

「うーん、とは言われても、私はあまり怪我をしませんし、継子のあなたには言いにくいのですけど、蟲柱サマとはあんまり会いたくなくて…」

「…師範は、菫様と、もっと話したいんだと、思います」

カナヲが迷うように、小さな声でそう言ったため、圓城は苦笑した。

「無理ですわ」

「……」

「ごめんなさいね。気を使わせてしまって。でも、私は話したくないんですの」

「……」

「あなたも知ってる通り、いろいろあって、私達は反目し合う関係となってしまった。それでいいんです。私は私の目的ができて、蟲柱サマもそれは同じ。お互いにそれだけは邪魔しないと、決めました。それで、いいんですよ。争うなんて、もうごめんですから。」

「……」

「でも、ありがとう。蟲柱サマと私のためを思ってそう言ってくれたのでしょう?あなたも本当にいい子ねぇ」

カナヲが気落ちしているのが顔色から分かったが、圓城は知らないふりをして、カナヲの頭を撫でた。

「…銅貨が、」

「うん?」

「銅貨が、表を出したから」

ああ、と圓城は笑った。そうだ。カナヲは銅貨を投げて自分の意思を決めていた。それでも、自分に話しかけるのには葛藤があったのだろう。あんなに必死に話しかけてきたのだ。様々な葛藤をして、それを乗り越えて、実行に移した。もしかすると、自分自身の意思が出来てきているのかもしれない。

「あ、アオイさんはむこうの部屋かしら?ここからは1人で大丈夫ですわ。鍛練に戻ってください」

「……」

カナヲがペコリと頭を下げて去っていく。圓城は薄く笑いながらそれを見送った。

気を使わせてしまうとは情けない。やはり、ここには来ない方がいいようだ。痛み止めをもらう事を理由に思いきって蝶屋敷を訪れ、夢の件で炭治郎に探りを入れるつもりが、蝶屋敷では人目もあるためやりにくい。何度も差し入れをするのも怪しまれるし、ここに来るのはやめよう。

「……決して、蟲柱サマが怖いわけではない。ここではやりにくいだけ……」

自分に言い聞かせるように呟くと静かな声がした。

「あら、私が怖いんですか?」

「……」

蟲柱、胡蝶しのぶがいつの間にか後ろに立っていた。

「……ごきげんよう。蟲柱サマ、今日はご不在だと伺ったのですが」

「ついさっき、帰ってきました。圓城さん、今日はどうされたんですか?また怪我ですか?」

しのぶも圓城もニコニコ微笑みながら、会話をしているが、お互いの目は全然笑っていない。特にしのぶは機嫌が悪そうで苛々している。

「…痛み止めを、少しいただけるかしら。先日の腕が時々痛むんですの」

「ああ、分かりました。今すぐ持ってきます」

しのぶはすぐそばの部屋に入り、小さな包みを持ってきた。

「さあ、どうぞ。用事はこれだけですよね?ならとっとと帰ってください」

「……お邪魔しましたわ」

やはり、気のせいではない。しのぶはいつも以上に機嫌が悪い。カナヲが、しのぶは自分と話したがっているなどと言っていたが何か思い違いをしているのだろう。その冷たい瞳に追い出されるように、圓城は去っていった。

 

 

 

 

 

やってしまった、と胡蝶しのぶは思う。いつも圓城と話す時は、感情的にならず型通りの対応をしていたのに。先日の炭治郎の指摘が頭に残っており、必要以上に冷淡な対応となってしまった。

圓城に話しかける前、カナヲと二人で話しているのを見てしまった。会話の内容は分からなかったが、カナヲの頭を撫でながら、優しい笑顔で語りかけていた。

決して、自分の前では、もうあんな風に笑わないのに。

不意に浮かんだ考えを頭から振り払う。今、変なことを考えてしまった。きっと自分も疲れてる。

そろそろ、療養中の人々の様子を見に行こう。しのぶは足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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その花は夢でしか咲かない
彼方の夢


本日は2話連続で更新しています。今回から無限列車編です。












 

 

夢を見た。布団に寝ている具合の悪そうな少女と、それを看病する青年。少女が泣いている。でもそれは、悲しい涙じゃない。何故だろう。それだけは、分かる。

場面が変わる。綺麗な花火。愛らしい少女と、さっきの青年。少女が何かを言って、青年がその手を握った。

ああ、美しい。花火が空に輝く。色鮮やかな炎が夜空に舞う。この世のものとは思えないほど美しい光景だ。なんて、幸せな―-―-、

 

 

 

「…お嬢様」

気がついたら、圓城は布団の上でうずくまっていた。じいやが部屋に入ってくるのも構わずに。

「…また、誰かが亡くなる夢ですか?」

「……うん。でも、たぶん今日のは予知夢じゃない、と思う」

圓城が顔を上げる。顔色が真っ青で、目に光がなかった。

「予知夢ではない?」

「……私の見る夢は過去も入ってるから。なんとなく、だけどこれから起こる出来事じゃない」

小さな声で呟いた。夢を見るようになって数年、その日の夢が今後起こる出来事か、過去の出来事か、なんとなく感覚で分かるようになった。

「なんでかな。こんな夢、救えないのに、見るなんて。いっそ何も知らない方がよかったのに」

その姿をじいやが何も言わずにしばらく見つめる。そして、穏やかに声をかけた。

「…本日は久しぶりの合同任務ですよ。お食事を用意しています。準備は一人でしてくださいね」

圓城の返事を待たずに出ていった。気を使ってくれたのだろう。圓城はしばらくそのままうずくまって物思いにふける。そして、勢いよく立ち上がり、隊服を棚から出した。

 

 

 

 

 

 

 

「うまい!うまい!」

「……」

圓城は目の前の光景を見て一瞬固まった。この場面、だいぶ前の夢で見た覚えがある。

「うまい!」

炎柱、煉獄杏寿郎が勢いよく弁当を頬張っていた。見てるだけでお腹一杯になりそうだ。

「炎柱サマ、」

「むっ!圓城か!君と合同任務は初めてだな!」

「……いえ」

今日、圓城は煉獄と共に列車に乗っている。短期間でこの列車から人々が行方不明となっており、剣士を送り込んだらしいが全員消息を絶った。そこで柱である圓城と煉獄に任務が回ってきた。元々は煉獄1人だけだったが、それを知った圓城が補佐を志願したからだ。列車での任務と聞いて、とてもとても嫌な予感がした。自分から合同任務を名乗り出ることで、かなり珍しがられたが仕方ない。

「炎柱サマは覚えていらっしゃらないと思いますが、私が鬼殺隊に入ったばかりの頃、共に任務をこなした事がありますわ」

「そうか!俺は覚えていない!」

「でしょうね」

「安心しろ!今日の任務は俺がいる!君が動けなくても、俺が鬼を切ってやろう!」

「まあ、頼もしい」

決めつけるな、私だって鬼くらい切れる。あなたと一緒で柱だぞ。心の中で苛々しつつ、表面上は笑顔で適当に言葉を返していると、大きな声が聞こえた。

「うおおおおっ、腹の中だ!主の腹の中だ!」

突然の大声にちょっと驚いてそちらに顔を向ける。そこには竈門炭治郎、我妻善逸、そして猪頭の被り物をしている少年がいた。どうやら大声で叫んだのは猪頭の少年らしい。

「あっ、圓城さん!」

「炭治郎さん、我妻さんも…。どうしたのです?」

話を聞いたところ、どうやら3人は煉獄に会うために列車に乗ってきたそうだ。猪頭の少年は嘴平伊之助というらしい。

何やら炭治郎がヒノカミ神楽とやらの事を煉獄に尋ねていたが、圓城は頭の中で物思いにふけっていた。やはり、私はずいぶん前にこの日の夢を見た。何か、大きな事が起こった気がする。とても、重要で恐ろしい夢だった。そんな気がしてならない。でも、一体どんな夢だったっけ―-、

「圓城はどうだ!溝口少年の話に心当たりはあるか!」

「俺は竈門です」

「え、ああ、申し訳ないのですが、私にもヒノカミ神楽という言葉は聞き覚えはありませんわね」

「そうか!ではこの話はこれで終わりだな!」

「えっ、ちょっともう少し…」

「俺の継子になるといい!面倒を見てやろう!」

戸惑う炭治郎に煉獄は今度は呼吸の話を始めた。

「炎の呼吸は歴史が古い!炎と水の剣士はどの時代でも…」

なんだろう。さっきから嫌な予感が止まらない。怖い。恐ろしい何かが近づいてきている。

「竈門少年!君の刀は何色だ!」

「え、色は黒です」

「黒刀か!それはきついな!」

「きついんですかね」

「黒刀の剣士が柱になったのは一度だけだ!今君の隣に座っている!」

「え、」

パッと炭治郎が圓城の方を見た。圓城は苦笑する。

「炎柱サマ、私の刀は黒ではありませんわ。限りなく黒に近いですけど…」

「む!そうだったか!失礼した!」

「炭治郎さん、大丈夫ですよ。確かに黒刀の剣士が柱になった事はないようですが、前例がないのであればあなたが最初の人になればいいのです。あなたはもっと強くなれますわ」

「そうだ!俺のところで鍛えてあげよう!もう安心だ!」

その時、ガタンと振動がして、列車が動き始めた。伊之助がはしゃぐように大声を出す。

「うおぉぉっ!すげぇすげえ。速ぇええ!」

「危ない、馬鹿この!」

興奮のあまり列車から飛び出そうとする伊之助とそれを止める善逸に圓城は声をかける。

「いつ鬼が出てきてもおかしくありませんわよ。もう少し静かにしましょう」

「え?」

善逸の顔が一気に青くなった。

「嘘でしょ、鬼出るんすか、この汽車!?」

「出る!」

「出ますわ」

煉獄と圓城が同時に頷く。

「出んのかい!嫌ぁ―-―-!!」

煉獄が今回の任務の概要を説明していたが、圓城は嫌な予感に鳥肌を立てていた。なんだろう。この後だ。この後、鬼が襲ってくる。そんな予感が……、

その時、列車の扉が開いた。圓城はハッと顔を上げる。しかし、入ってきたのは鬼ではなく人間の車掌だった。

「切符……拝見……いたします……」

圓城は思わずほっとして気が緩んだ。何かの勘違いだったのだろう。不安を隠すようにして、笑顔で切符を車掌に手渡した。

 

 

 

 

 

 

「……え?」

気がついたら、圓城は蝶屋敷の庭に立っていた。あれ?なんで、ここにいるんだっけ?だって私は、あれ?どこにいたんだっけ?何、これは。早く、早く戻らないと、

「あら?どうしたの、菫」

その時、後ろから声がした。とても優しくて、温かい声。勢いよく振り返る。そこに立っていたのは、長い美しい髪の女性だった。髪には2つの蝶の髪飾り。フワフワとした空気がその場に満ちる。

「鍛練をしていたの?そろそろしのぶも戻ってくるわ。一緒にお茶でも飲みましょうか」

胡蝶カナエが柔らかに微笑んだ。その姿を見て、圓城は思わず声を漏らした。

「………師範?」

 

 

 

 

 

 

 

 



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幸福からの脱出

「あらあら、師範じゃなくてカナエって呼んでちょうだいって、いつも言ってるでしょう?」

「……」

「姉さんでもいいのよ?」

ぼんやりと頷きそうになって、ハッと我に返った。ゾワリ、ゾワリと寒くなる。

違う!と圓城は後ずさりをした。

これは、この世界は現実ではない!頭の中で声が響いた。これは夢だ。

間違いない。鬼がいる。ここではない、どこかに。

周辺の景色をじっと目を凝らして見つめたが、全く鬼の気配が感じられない。どこからどう見ても平和で穏やかな蝶屋敷の庭だ。それでも、ここが現実ではないという事実は確かに分かるのだ。

なぜなら、圓城は眠るのが嫌いだから。睡眠が嫌いすぎて、夢そのものを本能的に憎悪している。その証拠にさっきから鳥肌が止まらない。吐き気がして、胸が詰まって苦しい。刀を手に取ろうとして、腰に手を伸ばし、そこに刀がないことに気づいた。

早く、早く、ここから出なければ。必死に庭を見渡した。どうすれば、出られる?鬼はどこにいるんだ?

「……どこ、どこにいるの?」

「さあ、菫。お茶の準備を手伝ってちょうだい。今日は菫の好きな、香りのいいお茶もあるのよ」

カナエが優しく圓城の肩に手をかけた。圓城は鬼を探すのを思わず忘れてそちらへ顔を向ける。

「し、師範……」

「あっ、姉さん、菫!何してるのよ!」

そこにやってきた人物を見て、圓城は目を見開いた。

「……し、」

「あら、しのぶ、早かったわね」

「もう、これでも大変だったのよ。菫の好きなお菓子がなかなか売ってなくて。お茶の準備はできた?」

「今から菫とやろうと思ってたのよ~」

「今から?もう仕方ないわね。私もやるわ。ほら、菫、湯呑みを準備して!」

胡蝶しのぶがグイッと圓城の手を引っ張った。圓城は思わずそれにつられそうになるが、慌てて足を踏ん張る。

「菫?どうしたの?あ、もしかして、もっと鍛練したいの?」

「ええ?仕方ないわね。少しなら付き合ってあげてもいいわよ」

カナエとしのぶが笑いかけてきた。その笑顔を見た瞬間、突然呼吸が楽になった。圓城は胸の中に温かい物が満ちるのを感じる。

ああ、2人のこの笑顔、大好きだった。幸せだなぁ。こんなに幸せな夢って初めてだなぁ。目覚めたくないなぁ。もう二度と、現実に帰りたくないなぁ。

 

 

夢から出たくないなぁ。

 

 

そんな思いに捕らわれた瞬間、圓城は正気に戻った。

「…夢から出たくない?この、私が?」

パッとカナエの顔を見る。

「?、どうしたの?」

カナエが首をかしげ、しのぶもきょとんと圓城を見てきた。

そうだ、何を考えてるんだ。私は、あの日に誓ったのに。

鬼を、倒す。例え、救うことができなくても、もう二度と現実から目を背けない。私は私の意思を貫く。どんなに悲しい現実でも、決して心を捨てない。私は、私を曲げない。私は―-、

 

 

人を護るために、鬼を斬るんだ。あなた達と同じように。

 

 

「すみません、師範!」

「え、あっ、ちょっと!」

「菫!?どこに行くの?」

圓城はその場から駆け出す。

私は何を考えてるんだ。夢から出たくないなんて。私は馬鹿だ。愚か者だ。未熟者だ。なにが睡柱だ。

それでも、と圓城は思う。頭の中がカナエとしのぶの笑顔でいっぱいになった。涙があふれるのを必死に堪える。悔しい。鬼に見せられた情景に幸福を感じてしまうなんて。

「私は、私は―-―-」

涙の代わりに出てきたのは、鬼への怒りだった。

「許さない。この私に、よりにもよってこの私の夢を蹂躙するとは」

駆け出した足が速くなる。

「夢は私の領域だ。お前ら鬼などが立ち入ることは許さない」

その時、何もなかった腰に重みを感じた。それは圓城の日輪刀だ。ほとんど無意識に刀を手に取る。

「―-―-そこか!」

不意に、自分以外のほんの少しの殺気を感じた。感じるままに、刀で空間を切る。空間が切れたと思った瞬間、不思議な場所が現れた。まるでダンスパーティーが開けそうな、宮廷のようなきらびやかな場所だ。その中心には硝子細工のような玉が浮かんでいた。そして、そのそばには圓城より少し年下だと思われる青年がいて、ギョッとした表情で突然空間に入ってきた圓城を見てきた。

「そいやぁっ!」

一瞬で鬼ではなく人だと悟った圓城は、刀は振るわずに、代わりにいつも鍛練で行っている飛び蹴りを青年に食らわせた。グエッと変な声を出して、青年が倒れこむ。その青年の襟首を両手で強く掴む。

「教えなさい!夢から目覚めるにはどうするの?早く、答えなさい!」

「な、なんでここに?ここには来れないはず…」

「いいから、早く私を目覚めさせなさい!」

圓城が叫ぶように大声で言った瞬間、聞き覚えのある声がした。

 

 

 

「圓城さん、起きて!」

 

 

 

 

 



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眠りへの抵抗

「圓城さん、起きて!」

声が聞こえた瞬間、圓城はパンっと風船が破裂したような軽い衝撃を感じた。次の瞬間、反射的に拳を握り、目の前にいる人物の腹部に一撃を食らわせた。

気がつくと足元に知らない人間が気絶していた。いや、知らない人間ではない。圓城の夢の中に出てきた青年だ。

「な、なによ、あんた…!」

誰かの叫ぶ声がして、ハッと顔を上げる。そこは列車の中、間違いなく現実だった。何故か見知らぬ少女や少年が、細長い尖った武器を持って、自分に向けている。疑問に思いながらも、あからさまな敵意を向けられたため、手早く全員を軽く殴り気絶させた。素早く周囲を見回すと、起きていたのは自分と炭治郎、そしてその妹の禰豆子だけだった。

「……え、圓城さん、よかった。目が覚めて…」

「…どうやって?」

「え?」

声をかけてきた炭治郎に思わず呻くように聞いた。

「なぜ、起きることができた?夢の中だという事はすぐに分かったのに、どうしても鬼は見つからないし、目も覚めなかった…」

「あ、それは…」

いつもと様子の違う圓城に炭治郎が戸惑ったように口を開いたが、その前にユラリと背後から人の気配がして、圓城は振り向き、身構えた。

そこに立っていたのは顔色の悪い青年だった。なぜか悪意は感じられず、涙を流している。

「……?あなたは…」

炭治郎が不思議そうな顔で声をかける。しかし、敵意はないと心の中で断定した圓城は、青年に構わず車両の端にある扉まで走った。

「え、圓城さん!待ってください。ごめんなさい、俺も行かないと…」

「…ありがとう。気をつけて」

微かに会話が聞こえたが、それに構わず扉を開けた。外の空気は信じられないほど重苦しく、気持ち悪かった。辺りを見渡すが、鬼の気配は感じられない。

「…鬼はどこ?」

「…圓城さん、こっちです!禰豆子はそこで待ってろ!みんなを起こせ!」

気がつくと炭治郎が汽車の屋根の上へ上がっていた。圓城も慌てて後を追いかける。

「さっきの、質問…、夢からどうやって抜け出した?」

「夢の中で自分の頚を斬ったんです。俺が目覚めた時は、さっきの人達と縄で一人一人繋がっていて…禰豆子の炎で燃やして切りました。そしたら、圓城さんはすぐに目覚めて…」

屋根の上で走りながら、眠った後の経緯を聞いていると先頭車両に人影が見えた。

それは、一見すると洋装の優しげな青年だった。しかし、その目には『下壱』『一』と刻まれていた。

「あれえ、起きたの。おはよう。まだ寝ててよかったのに」

下弦の鬼が穏やかに笑った。圓城は日輪刀に手を伸ばす。

「せっかくいい夢を見せてやっていたでしょう」

そのまま鞘から刀を抜いた。黒に近い、濃紺に染まった刀が姿を現す。

「お前達の家族や友人が惨殺される夢を見せることもできたんだよ?」

その言葉に圓城だけでなく、炭治郎も怒りの表情を見せた。炭治郎が刀を手に持ち構える姿が目の端に映る。

「人の心の中に土足で踏み込むな!俺はお前を許さないーー」

しかし、同時に鬼もまた左手を伸ばす。何かの血鬼術を仕掛けるようだ。

「来るわ!」

圓城は身構えながら、炭治郎に向かって叫んだ。

「お眠りイイ…眠れえぇ…眠れえぇ」

その左手には唇が存在し、眠れ眠れと語りかけてきた。どうやら、強制的に眠らせようとしているらしい。炭治郎が一瞬白目を剥いたが、すぐに意識は戻ったようだった。

「……効かない?」

鬼が圓城の方を見つめ、ポカンとしていた。炭治郎は術にかかったが、かかった瞬間に自決し意識を戻している。しかし、圓城は顔色が変わらず、そもそも術がかかっている気配がない。

「……なめるなよ、鬼。私は鬼殺隊・睡柱、眠るのがこの世で一番、嫌いな人間だ」

圓城は鬼に鋭い眼光を向けながら口を開いた。

「さっき人間に切符を見せた時は油断したが、不眠不休で最高12日間は活動できる。この程度の術、大したことない」

かつて夢を見るのが恐ろしくて、眠くても眠くても必死に起き続けていた。今でも睡眠時間は極端に少なく、それ故睡魔には尋常じゃないほどの抵抗力がついた。

鬼が少し驚いたように口を開いた。

「…へえ。すごいね。睡柱、か。人間にしては凄まじい体力と精神力だ」

そして、再び笑う。

「そんな君に敬意を表して自己紹介するよ。俺は魘夢。同じ眠りを司る者同士、仲良くしてくれるかな?」

「答えはこうだ!」

圓城が動いた。

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝(うたたね)

一気に駆け出し、距離を詰めると一瞬で魘夢の頭と胴体が二つに分かれた。しかし、

「…おかしい」

圓城は不審げな顔をする。全然手応えがない上にあまりにも簡単に頸が斬れた。

「圓城さん!これーー」

炭治郎が声を上げる。

「やれやれ、柱っていうのはせっかちだ」

斬ったはずの首が口を開き、ニヤリと微笑んだ。

「死んでない!?」

炭治郎が驚愕し、圓城が舌打ちをする。

「やはり、お前の本体は別にいるな」

「その通りさ。君たちがすやすや眠っている間に、俺はこの汽車と“融合”した!」

圓城は思わず呻きそうになった。

「この列車の全てが俺の血であり肉であり骨となった。この汽車の乗客二百人あまりが俺の身体を強化するための餌。そして人質。」

魘夢が楽しそうに喋り続ける。

 

 

 

「ねえ、守りきれる?君達2人だけで」

 

 



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夢と現実

圓城が列車の中に戻ると、座席や壁が肉のように膨らみ人々を侵食しようとしていた。脈打つ肉塊を迷いなく刀で斬り込む。乗客は魘夢の術により、眠っているため混乱せずに済んでいるのが不幸中の幸いだった。

「煉獄さん!善逸!伊之助ーっ!寝てる場合じゃない!起きてくれ!」

炭治郎が必死に叫ぶ声が聞こえた。圓城も素早く肉塊を斬りながら、車両を進む。途中で禰豆子と、覚醒したらしい伊之助、そして何故か寝ながら戦っている善逸がいたが、とにかく煉獄の元へと走った。

「…くっ、戦いにくい!」

車両は座席があるため刀を振りづらい。とにかく煉獄を起こし、連携を取らなければ非常にまずい。

その時炭治郎が同じ車両に入ってきた。

「圓城さん!煉獄さんは…」

「流石に起きているはずよ!とにかく一度合流…」

「よもやよもやだ!」

その時、前の車両から大声が聞こえた。圓城は叫ぶように声を出す。

「煉獄さん!鬼です!この汽車そのものが、鬼です!」

取り繕うのも忘れて、とにかく声を上げる。

その時、突然大きく列車が揺れた。衝撃で炭治郎と共に前方へ倒れ混む。

「何が…?」

炭治郎がわけも分からず呟いた時、炎のような羽織をはためかせ、煉獄が現れた。

「圓城!竈門少年!」

「煉獄さん!」

「よかった、起きたんですね!」

「ここに来るまでにかなり細かく斬撃を入れてきたので鬼側も再生に時間がかかると思うが、余裕はない!手短に話す!」

煉獄が手を広げながら大きく声を上げた。

「この汽車は八両編成だ!圓城は後方五両を守れ!残りの三両は黄色い少年と竈門妹、猪頭少年が守る!俺と竈門少年はその三両を注意しつつ、鬼の頚を探す!」

「頚!?でも今この鬼はーー、」

炭治郎が戸惑った声を出したが、それに構わず、煉獄の提案に圓城は思わず声を上げた。

「煉獄さん、私が頚を斬ります!交代してください!」

「む!頚を斬れるのか!」

「はい!場所も検討がついています!」

「いいだろう!俺が後方五両を守る!圓城と竈門少年は頚を斬ってくれ!どのような姿になろうとも、鬼である限り急所はある!俺も急所を探りながら戦う!君達も気合いを入れろ!」

「はい!」

圓城と炭治郎は同時に返事した。その瞬間、ドンとまた衝撃が襲い、煉獄がその場から消えた。どうやら先ほどの衝撃は煉獄が移動した揺れだったらしい。

「炭治郎!もう一度屋根に上がるのよ!」

敬称も忘れて炭治郎に呼び掛け、車両の扉を開けた。

「上にですか!?」

「さっきあいつは先頭車両にいたわ!恐らくはそこよ!匂いは感じない!?」

「強い風のせいで匂いが流れるんです!」

「とにかく急ぎましょう!」

2人で屋根へ上がり、前方を目指してとにかく走る。先頭の運転車両に到着すると、2人で一気に車両へ乗り込んだ。そこにいた運転手が真っ青な顔で叫ぶ。

「なんだ、お前らは!出ていけ!」

「ごめんなさい!」

圓城は叫ぶように謝ると、運転手の腹部を殴り気絶させた。同時に四方八方から手の形の肉塊が襲ってくる。圓城が刀を振る前に炭治郎が動いた。

「水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦」

上半身下半身をねじり、刀を振るう。螺旋を描くように周囲を切り裂いた。

「圓城さん!ここです!真下から匂いがします!」

「任せて!」

圓城は刀を構え大きく振り下ろす。

「睡の呼吸 弐ノ型 枕返し」

床が切り裂かれ、破壊される。圓城と炭治郎はそこに大きな頚の骨を見つけた。

「水の呼吸 捌ノ型 滝壺」

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」

2人揃って一気に攻めるが、肉塊に防がれる。裂け目がすぐに塞がり、再生を繰り返した。必死に攻撃を繰り返すが、骨に届かない。

「圓城さん!呼吸をあわせて連撃しましょう!どちらかが肉を斬り、どちらかが骨を絶つんです!」

「ではあなたが肉を!」

「はい!」

2人で呼吸を合わせる。

「行くわよ!」

「はい!」

刀を構え振り下ろす瞬間、不意に肉塊から眼が現れた。中心には『夢』と刻まれている。

「ーーがっ!」

血鬼術だと理解した瞬間、突然の襲撃に対応出来ず一瞬目眩がしたが、ギリギリの所で持ちこたえた。

「ーーっ、炭治郎!」

炭治郎も意識を消失したが、夢の中で自分の頚を斬り覚醒したらしい。しかし、覚醒する度に鬼の眼と視線が合ってしまい、消失と覚醒を繰り返している。

「炭治郎!私なら術に持ち堪えられる!私の方が肉を斬るわ!だから、なんとかーー!」

と、言った瞬間、夢と現実が混乱したらしい炭治郎が自分の頚に刀をかけた。ギョッとした圓城が慌てて、炭治郎の腕を掴み止める。

「炭治郎、私の目を見なさい!」

「え、圓城さーー」

「罠に嵌まるな!心を強くもて!強い心をもたないと刀を振るえないわ!これは現実よ!」

圓城は大声で叫びながら、片手で隊服の中から次々に短刀を取り出し、眼の方へ向かって投げた。短刀で鬼は倒せないが、時間稼ぎにはなる。

「私が肉を斬るから、あなたはーー」

「圓城さん!」

その時、後ろから目を覚ましたらしい運転手が桐を持ち、圓城に襲いかかった。

「夢の邪魔をするな!」

圓城が反応する前に、炭治郎が動く。とっさに圓城を庇った炭治郎の腹部に桐が深く突き刺さった。

「炭治郎!」

炭治郎はすぐに運転手を殴り気絶させる。

「大丈夫です!圓城さん!」

「動けるのね!?」

「はい!」

「じゃあ、行くわよ!」

一瞬だけ目をつぶり深呼吸をする。そして、刀を構えた。

「睡の呼吸 伍ノ型 浅睡眠」

勢いよく刀を四方八方に振るう。肉塊を一気に切り裂いたその時、ようやく骨が露出し一瞬の隙ができた。そこを狙い、炭治郎が動いた。回転をしながら刀を振り下ろした。

「ヒノカミ神楽 碧羅の天」

その刀はしっかりと、そして確実に魘夢の骨を捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※大正コソコソ噂話
圓城は最初に鬼に襲われた時、短刀を使ったから日輪刀よりも短刀が好き。自分で集めた短刀を隊服の中にたくさん隠しています。短刀投げの技術は名人級。


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その強さは光輝く

 

炭治郎が骨を捉えた瞬間、凄まじい揺れと衝撃、悲鳴が響いた。

「ギャアアアアアッ!」

鬼の肉塊が吹き出し、車両が横転する。

「乗客が!!」

圓城は揺れる衝撃の中、後ろの車両を振り向くが間に合わない。とっさに、その場にいた炭治郎が気絶させた運転手の腕を引っ張ると、車外へ突き飛ばした。

その瞬間、今までで一番の衝撃が襲う。車両が揺れて圓城は前方に倒れ込んだ。うつ伏せで地面に倒れ込んだ直後、凄まじい衝撃と痛みを左足に感じた。とっさに振り返ったところ、車両と地面の間に左足が挟まっていた。

あ、コレまずい、と感じたが、とりあえず動けないため視線だけで運転手と炭治郎を探す。炭治郎は圓城から少し離れたところに倒れていた。近くで気絶しているらしい運転手も見つけた。

「大丈夫か、三太郎!」

伊之助が炭治郎に駆け寄った。助け起こした炭治郎と何事か話しているらしい。会話ができるくらいには無事らしいと分かり、ホッとする。

圓城は全集中の呼吸を行う。どうやら、一人で足を抜くのは厳しいようだ。呼吸で痛みは失くならないが、少し楽になったような気がした。

「おい、大丈夫か、東条!」

「…圓城です」

「今、これをどけてやるからな!」

伊之助が突然やって来たため面食らったが、どうやら助けてくれるらしい。煉獄が炭治郎の元へ駆け寄るのを見て、再びホッとした。どうやら煉獄も無事だったようだ。

「クソーッ!こいつ、どかねえっ!」

伊之助がドン!ドン!と何度も圓城の上の車体に体当たりをしてくれるが、なかなか足が抜けない。

「いいですよ、伊之助さん。一人では厳しいわ。もう少し待ってたら、鬼殺隊の誰かが……」

伊之助にそう呼び掛けた時だった。

ドオンッと凄まじい音が響いた。圓城はパッと顔を上げる。そして、目を見開いた。

炭治郎と煉獄のそばに、人影が見えた。紅梅色の短髪に、細身で筋肉質な青年。全身に藍色の線状の文様が浮かんでいる。そして、その瞳には「上弦」「参」と刻まれていた。

「……っ!れ、」

動揺のあまり、声が出ない。とっさに煉獄に向かって声をあげた瞬間、その鬼が動いた。拳を握りしめ、炭治郎に振り下ろす。それを煉獄が炎の呼吸で止めた。

「なんだぁ、あいつ!」

伊之助が大声で言うのが聞こえたが、圓城も何も答えられない。圧迫感と鬼気を感じて苦しくなる。

鬼が刀を受けた手の血を舐めながら、

「いい刀だ」

と言った。

「なぜ、手負いの者から狙うのか理解できない」

「話の邪魔になると思った。俺とお前の」

煉獄の当然の問いかけに、鬼はそう答えた。

「君と俺が何の話をする?初対面だが、俺は既にお前の事が嫌いだ」

「そうか。俺も弱い人間が嫌いだ。弱者を見ると虫酸が走る」

圓城は、とにかく足を抜いて煉獄の助太刀をしなければと焦り、左足を少しずつ動かした。思ったよりも深く入り込んでいる。その時聞こえた鬼の言葉に耳を疑った。

「お前も鬼にならないか?」

「……は?」

思わずポカンと口を開く圓城をよそに、煉獄ははっきりと断る。

「ならん」

「見れば分かる。お前の強さ。柱だな。その闘気、練り上げられている。至高の領域に近い」

「俺は炎柱、煉獄杏寿郎だ」

「俺は猗窩座。杏寿郎、なぜお前が至高の領域に踏み込めないのか教えてやろう」

圓城は必死で足を動かした。同時に猗窩座をじっと見つめる。何故だろう。彼をどこかで見たことがある気がする。

「人間だからだ。老いるからだ。死ぬからだ。鬼になろう、杏寿郎」

圓城はそばでポカンとしている伊之助に声をかけた。

「伊之助さん、ごめんなさい!やはり、早く足を抜きたいの!体当たりを続けてちょうだい!」

「あ?俺に命令するんじゃねぇ!」

「じゃあ、お願いします、伊之助様!」

「よし!いいだろう!お前も今から子分だ!親分は子分の頼みは聞かないとな!」

私は柱で、一応あなたの上司なんだけど…と言いたかったが、とにかく伊之助が体当たりを再開してくれたので何も言わずに這い出ることに集中した。その間にも猗窩座と煉獄の対話は続けられている。

「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく、尊いのだ。強さという言葉は肉体に対しての言葉ではない」

その強い気迫に思わず身体を動かすのを忘れ、見とれそうになる。流石は代々“炎の呼吸”を伝え継いできた煉獄家の人間だ。生粋の鬼殺隊士らしい強い言葉だった。

「この少年は弱くない。侮辱するな。何度でも言おう。君と俺とでは価値基準が違う。俺は如何なる理由があろうとも、鬼にならない」

圓城は薄く笑って、

「同感だ」 

と呟いた。本当に凄い人だ。この人のように強くなるには、一体何年かかるだろう。と、考えた瞬間、猗窩座が動いた。

「そうか」

手と足を開いて武道のような構えをした。

「鬼にならないなら、殺す」

雪の結晶を模した陣が出現する。その瞬間、どこで彼を見たのか思い出した。

「あの人……!」

圓城は思わず声を漏らした。間違いない、彼はーー、

「おい、そろそろ出られるんじゃねぇか!?」

伊之助に声をかけられ、ハッとする。後ろを振り返ると、車体と足の間に少し隙間が出来ていた。腕を使って思い切り這い出る。左足の怪我は思ったよりもひどい。今後歩くのも困難かもしれない。そう思いつつ、圓城は伊之助の肩を借りてゆっくり立ち上がった。

離れた場所で煉獄と猗窩座戦いが続いている。炭治郎がその姿を見て、何も出来ずに呆然としていた。

「この素晴らしい反応速度!この素晴らしい剣技も失われていくのだ、杏寿郎!悲しくはないのか!?」

「誰もがそうだ!人間なら!当然のことだ!」

圓城は痛みを感じ、頭を押さえる。押さえた手には血が付いていた。どうやら怪我をしたのは足だけではないらしい。その時、煉獄が大きく動いた。

「炎の呼吸、伍ノ型 破壊殺・乱式 炎虎」

炎が舞うように繰り出される技に、圓城は熱を感じた。しかし、すぐに再生してしまう猗窩座が傷ついた様子はなかった。反対に煉獄は満身創痍になっていた。目は片方潰れ、恐らくは骨や内臓も傷ついている。

「生身を削る思いで戦ったとしても、全て無駄なんだよ杏寿郎ーー」

猗窩座が何事か言うのを圓城はじっと見つめる。

「ーーどうあがいても人間では鬼に勝てない」

その瞬間、煉獄が刀を構えた。

「俺は俺の責務を全うする!ここにいる者は誰も死なせはしない!」

そして、刀を振るった。猗窩座の喜びの声が圓城の耳にも届く。

「素晴らしい闘気だ!それほどの傷を負いながら、その気迫、その精神力!一部の隙もない構え!やはり、お前は鬼になれ、杏寿郎!」

猗窩座が動く。

「俺と永遠に戦い続けよう!」

そして圓城もまた、痛む足を無視し、動いた。

ドオンっと爆撃のような音が響いた。

「……圓城?」

「女!お前、何のつもりだ!?」

圓城は猗窩座と煉獄との間に体を滑り込ませ、猗窩座の攻撃を肩で受け止めていた。あまりの痛みに歯を食い縛る。それでも突然第三者が入ってきたことに気づいた猗窩座が、寸前で手加減したことが圓城には分かった。

「圓城さん!!」

どこかで炭治郎の声が聞こえる。それに構わず、気が遠くなりそうな痛みに耐えながら無理やり猗窩座へ笑いかけた。

「話の、腰を、折って申し訳ない……煉獄さんの、言う通りだ」

「…は?」

目の前の猗窩座がポカンとするのがなんだかおかしかった。

「強く生まれた者は弱き者を救う。しかし、多くの、人間は、弱い。弱いからこそ、それを全て肯定して、強くあろうとする。本当の強さは、弱さを知り、認める事から始まるんだ。そんな人間は、お前達よりずっと、強い。そして人間のその強さは、誰かを想う時、守ろうとする時、もっと光輝く。()()()()()()()()()()()()()()()

「……は?」

猗窩座がますますポカンとするのも構わず、圓城は口を開いた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()

その時、一瞬猗窩座の顔に動揺が走った。その瞬間を狙ったように圓城は横に倒れる。最後に圓城が見たのは、煉獄が猗窩座の頚に刀を振り下ろす光景だった。

 

 

 

 

 



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温かい手

 

「この度は結婚おめでとうございます、✕✕✕様」

その声に圓城はパチリと目を開けた。そして、目の前の景色に目を見開く。縁を切ったはずの実の家族や親戚など多くの人間が圓城を見ていた。しかし、何故かこちらからは、彼らの顔が見えない。まるで墨で塗りたくられたように顔が隠れている。

「おめでとうございます。お綺麗な花嫁さんだこと」

「お二人の末永い健康とご多幸をお祈りいたします…」

「両家の縁が結ばれることで、事業の推進も…」

次々と祝いの言葉がかけられる。なぜこうなったか分からず、ぼんやりとしていると、突然自分が立派な着物を着ていることに気づいた。華やかな婚礼衣装だ。

「どうされました?✕✕✕さん」

ふと隣を見ると紋付羽織袴を身につけた男性が微笑んでいる。やはり、顔が見えない。そういえば、かつて✕✕✕と呼ばれていたなぁと、圓城は久しぶりに本名を思い出した。

「さあ、皆がお祝いしていますよ。共に挨拶をしなければ。これから夫婦になるのだから」

そうか、この人と結婚するのか。それは、なんて、なんてーー、

「馬鹿げた夢だわ」

圓城はいつの間にか手に持っていた刀で、一気に隣の男性を切った。その瞬間、幻のように男性も周りで祝いの言葉をかけていた人々も消えた。

「あれぇ?なあんだ。切っちゃったの?」

突然聞き覚えのある声がして、後ろを振り向いた。そして顔をしかめる。

「なぜ、お前がここにいるの?」

そこには魘夢がいた。正しくは首だけになった魘夢がニヤニヤと笑っていた。

「お前は死んだはずよ。炭治郎が頚を切ったわ」

「そうだよ?俺はあの時死んだ。だから、これは君が、君の夢の中で勝手に作り出した幻だ」

圓城は舌打ちをした。

「馬鹿馬鹿しい。さっさと目覚めるから、早く地獄に行きなさい」

「へー、いいの?目覚めても」

「は?」

魘夢がニヤニヤ笑いを続けながらそう言って、思わず圓城は首をかしげる。

「目覚めたら、君は現実で苦しみ続けるよ。ずっと、ずっと、ずーっとだ」

「……」

「さっきの結婚式、幸せな光景だったでしょう?あれが君の本来の姿だった。鬼殺隊に入らなければ、とっくの昔に結婚してたよね」

「……」

「未来の夢を見て、それがきっかけで鬼殺隊に入ったんでしょう?全ての過去も、歩むはずだった幸福な人生も、名前まで捨てて。君もなかなか単純だね」

「……」

「嬉しかったんだねぇ。誰かを救えるって勘違いしちゃったんだ」 

「……れ」

「流されるだけの人生で、初めて自分が何かを成し遂げられるって思ったんだね。君ってやっぱり現実を知らない、所詮は温室育ちのお嬢様だ。冒険活劇の女主人公の気分はどうだった?」

「…黙れ」

 

 

「それで?君は何をしたの?救うことはできたのかな?大切な人を、さ」

 

 

「黙れ!」

圓城は目の前の魘夢の首へ刀を振り下ろす。しかし、刀が触れる前にフッと魘夢は消えた。すぐにまた、別の場所に魘夢は現れる。

「だからね。ここにいた方が幸せだよ。幸せな夢を見よう。鬼殺隊なんか知らずに素敵な結婚式をあげる夢。その方が君も嬉しいでしょう?」

「その口を閉じろ!私は過去を捨てたことも、鬼殺隊に入った事も後悔したことなんかない!鬼を斬り、人を護ることが出来た!大好きで、大切な人が出来た!幸せな思い出もできた!」

圓城が再び刀を振る。

「私の人生を、誇りを、鬼ごときが汚すな!」

どれだけ刀を振っても、魘夢は消えなかった。それどころか、ますますニヤニヤと笑いを深めている。

「そうだなぁ、じゃあ、こんな夢はどうだろう?君が最も恐れている夢だ」

魘夢がそう言って、消える。その瞬間、周囲の景色が変わった。

「……え」

目の前の景色に釘付けになる。血のような真っ赤な帽子に服、縦縞の袴を着た白橡色の長髪の鬼が、胡蝶しのぶを抱えこみ吸収していた。

「やめて!やめなさい!こんな夢は嫌だ!これは夢だ!ただの夢なんだ!」

圓城はその恐ろしさにただ叫ぶ。

「ちがう!これは、ただの夢だ!現実じゃない!」

「そうだね。これは夢だ。でも現実になるかもしれないよ?」

後ろから魘夢が囁くように話しかけてきた。

「怖いよね。恐ろしいよね。でも大丈夫。君が言ったとおり、これは夢なんだから。ところで、これが現実になった場合、君は耐えられるかな?」

「……」

「だから、ここにいようよ。君と君の好きな人が幸せになる夢だって見続けられるんだよ。君の望んだ通りの夢を。」

「……」

「現実は辛いよ。苦しいよ。君は、目覚めたら今までよりも、もっと、もっと苦痛をーー」

「それが、どうした」

突然口を開いた圓城に、魘夢はキョトンとした。

「それでも、いい。私は誓った。どんなに厳しい現実でも、もう目を背けない!もう、逃げたくない。どれだけ傷ついても構わない!裏切られたって、嫌われたって、憎まれたって、絶対に逃げない!」

「……」

「幸せになれなくたっていい!明日死んでも構わない!私は鬼殺隊・睡柱、圓城菫だ!眠りに、夢に縛られたりしない!人を護るため、鬼を斬る!」

「……ふーん」

魘夢がつまらないとでも言いたげな顔をして呟いた。

「それが君の答えかあ。でも、どうやって目覚めるの?自分を殺してみる?あの小僧みたいに」

「うるさい、お前はさっさと消えろ!それか地獄に行け!」

「消えないよお。君が作り出したんだもの。そうだな、じゃあこんな夢はどうかな?」

その言葉とともに、どこからか恐ろしく禍々しい鬼の集団が出現し、襲ってきた。圓城は何度も刀で斬るが、斬っても斬っても鬼は次々と出現してきた。止めどなく続く襲撃に、夢の中なのに憔悴するような感覚が芽生えた。

「ほら、君は戦えないよ」

「うるさい!」

その時、誰かが圓城の手を握った。圓城はハッとそれに気づき、その手を握り返す。その温かい手の持ち主を、圓城はよく知っていた。

「し、しのぶだ!しのぶの手だ!」

圓城を導くように、手を握り引っ張ってくれる。

「しのぶ、ごめんね、ごめんね。ありがとうーー」

思わず泣きそうになりながら、進む。魘夢を振り返って、叫んだ。

「私は、現実で戦う!最後まで!」

そして、周りが光輝いた。

 

 

 

 

 

 

「お目覚めですか?」

気がつくと、胡蝶しのぶが上から圓城を見下ろしていた。どうやら、自分はベッドに横たわっているらしい。

「気分はどうですか?あなたは一週間も意識が戻らなかったんですよ、圓城さん」

しのぶが声をかけるも、圓城はぼんやりしている。

「圓城さん、大丈夫でーー」

「しのぶ」

胡蝶しのぶは突然名前を呼ばれ、思わず動揺を顔に出した。圓城が「蟲柱サマ」ではなく、「しのぶ」と名前を呼んだのは4年ぶりだったからだ。

「え、圓城さん…、えっ、ちょっ、」

突然圓城がしのぶの手を掴み、グイッと引っ張った。突然引っ張られたことで、バランスを崩したしのぶはそのまま圓城の体の上に倒れこむ。

「圓城さん!何をするんでーー」

「しのぶ、生きてる?」

突然圓城が問いかけてきて、しのぶは眉をひそめた。

「死にかけていたのはあなたですけど」

「……え?」

圓城は首をかしげた。あれ?なんで私はしのぶが生きていることを確かめたんだろう?なんだか、恐ろしい夢を見た気がする。あれ?どんな夢だっけーー?

「……ん?」

「とにかく、圓城さん。体は大丈夫ですか?どこか痛いところは?」

「……えっと、ない。……あ!」

突然意識を消失する前の記憶がよみがえった。

「煉獄さんは?!あと炭治郎達は?」

「…よかった。ちゃんと覚えているようですね」

しのぶが圓城の手から自分の腕を抜いて、身を起こす。そして、圓城が意識を失ってからの事を語るため口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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あなたに会いたい

結論から言うと、猗窩座を倒す事は出来なかったらしい。煉獄が猗窩座の頚を斬ろうと刀を振り下ろし斬り込んだが、最後まで出来なかった。そして、朝日が昇る事に気づいた猗窩座は逃走してしまった、との事だった。その後、一行は鬼殺隊に保護された。列車の中の乗客も、怪我人はいたが、全員の命は助かった。

「……煉獄さんは?」

「あなたよりも重傷です。一命は取り留めましたが、まだ意識は戻っていません」

「……そう」

「あと、圓城さん。言いにくいんですが…」

珍しくしのぶが何かを言おうとして、言葉に詰まったように口ごもった。チラリと、布団に隠れている圓城の下肢の部分を見る。圓城は眉をひそめながら、布団を退かした。

「ああ、なるほど」

そして、苦笑する。左足の、膝から下がそこにはなかった。

「…とても、重傷だったんです。なんでその足で動けたのか分からなかったくらい。あのままでは重度の感染症や壊死を起こす危険もあったので、やむなく…」

「別に構わないわ。私の足一本で他の人の命が助かったんだから」

しのぶが何かを言おうとして、何故か不満そうな顔をする。圓城はそれに構わず、一度深呼吸すると、いつもの外にだけ向ける笑顔を作って頭を下げた。

「蟲柱サマ、この度は治療をしていただき、ありがとうございました。ご迷惑だとは思いますが、今後もよろしくお願いいたします」

「……ええ。あなたの場合、頭と肩の傷もありますので。しばらくは入院になります」

入院という言葉に唇がピクッと引きつる。

「…できれば、自宅で療養したいですわね」

「ふざけないでください。何がなんでも入院していただきます。これは決定事項です」

「……はい」

しのぶが怒りを目に宿らせて笑い、圓城はそれに気圧されて仕方なくうなずいた。

「……アオイに傷の処置と包帯の巻き直しをしてもらってください。私は他の人を見に行かなければならないので。その後はもう少し休んでください」

「…分かりましたわ」

しのぶがスルリと立ち上がり、部屋から出ていった。その姿を見届けた後、圓城は窓から外を見てため息をついた。

 

 

 

 

 

「……びっっっくりした」

胡蝶しのぶは圓城の部屋から出て、廊下を進みながら思わす呟いた。圓城の意識が戻らなかった一週間、時間がある時は様子を見に、部屋を訪れていた。全然意識は回復せず、このままでは本当に危ないところだった。意識が戻らないまま、息を引き取ったら、と思うと恐ろしかった。だから、手を握った。生きていることを確認するため。

その瞬間、握った手に反応したかのように圓城は目を開き、意識が戻ったため、しのぶは慌てて手を離したのだ。しかも、意識が混濁していたのか「しのぶ」と名前まで呼んだ。数年ぶりに名前を呼ばれただけなのに、心臓が早鐘を打つ。

「…これしきの事で情けない」

圓城の前では、なんとかいつもの冷静な自分を保てていた、と思う。でも、感情が高ぶったような感覚がまだ消えなかった。

「……」

そんな自分に少し腹が立つ。結局のところ、圓城に関わるといつも振り回されるのだ。それが分かっているのに、放っておけない。

「アオイに知らせなければなりませんね」

声に出してそんな自分の感情を押し消す。そしてアオイに声をかけるため、足を進めた。

 

 

 

 

 

「お嬢様、その強靭的な生命力は見直します。しかし、今回は馬鹿すぎました。なんでその足で戦おうとしたんです?」

「……体が勝手に動いたのよ」

その日の夕方、じいやがお見舞いにきてくれた。

「いいじゃない。私の足一本で炎柱サマが助かったんだもの。むしろ安いくらいだわ」

「あなたはもっと自分を大切にすべきです」

じいやが大きなため息をついた。

「それより、じいや。足の事だけど…」

「はい。既に義足を注文しております。新しい隊服も。明日には届くでしょう」

「……デキる使用人がいると楽ね」

「これくらいでお嬢様が鬼殺隊をやめるとは思えませんでしたから。本音を言えば引退をしていただきたいですが」

「それは、嫌だ」

圓城は、キッパリと首を振った。

「絶対にやめない。じいやも知ってるでしょう?私にはやめられない理由がある。例え四肢の全てを失くしたとしても、体が動く限り鬼を斬るわ」

「……はい。お嬢様」

その時ドタバタと足音が聞こえた。

「圓城さん!目が覚めたってーー」

「よかった!よかった!」

「子分その四!体は無事か!」

炭治郎、善逸、伊之助が一緒に入ってきた。

「皆様、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫ですわ」

「本当に心配しました!意識が回復したって聞いて…」

炭治郎が心から安心したようにそう言った。

「よかった、本当によかった!圓城さん、俺目覚めたらいつの間にか全部終わってて、なんか圓城さんも煉獄さんも意識不明だし…」

「おい、子分!俺様に感謝しろ!俺様が助けたんだからな!」

善逸と伊之助も口々にそう言って、圓城は思わず笑った。

「あなた方も無事で本当によかった。怪我は大丈夫ですの?炭治郎さんはーー」

「俺はもう全然大丈夫です!」

運転手に刺された腹部も回復しつつあるらしい。安心してホッと息をつく圓城に、じいやが声をかけた。

「お嬢様、では私はまだ仕事が残ってますゆえ…」

「ええ。暗くならないうちに帰ってちょうだい。仕事の方はあなたの好きなようにやっていいから。今日はありがとう」

「はい、お嬢様」

炭治郎達がじいやを不思議そうに見た。

「圓城さんのお父さん…じゃないですよね?」

「これはこれは申し遅れました。私は圓城様にお仕えしている使用人でございます」

「使用人!?圓城さんって何者なの!?」

「それでは、私はこれで」

驚愕する善逸をよそに、じいやは素早く部屋から出ていった。

「……ところで、ずっと聞きたかったんですけど、炎柱サマは」

「それが、まだ意識が戻らないんです。大怪我をしてて…」

圓城は顔をしかめる。どうにか回復してくれればいいが。いや、回復しても鬼殺隊に戻れるだろうか。

思わず首を振った。それでも、生きてるのだ。生き残ったのだ。きっと、本来なら煉獄はあそこで命を落とすはずだった。少なくとも、私は救えたのだ。

「…煉獄さんのところに案内してくださる?」

「ダメです、菫様!」

その時、突然アオイが部屋に入ってきて、叫ぶようにそう言った。手には食事を抱えている。どうやら夕食を持ってきてくれたらしい。

「まだ安静にしていてください!煉獄様ほどではないですが、あなただって大変な怪我だったんですよ!」

「やはり、ダメですか。分かりましたわ」

圓城は苦笑しながら素直に頷いた。

 

 

 

 

 

炭治郎達も食事のため部屋から出ていった。もう外は暗い。少しずつ夜の静けさが深まっていく。なんだか、とても寂しい気持ちになった。

アオイが持ってきてくれた食事を口に運ぶ。しかし、あまり食欲はなく箸が進まない。

「……」

足さえ無事ならば、あの猗窩座を斬れたかもしれない。今頃になって悔しさが胸を満たす。情けない。本当に情けない。もっと強くならなければーーもっと、もっとーー。

「ムー」

「え?」

突然聞こえた声に、圓城はキョトンとしてベッドの横に顔を向ける。そこには炭治郎の妹、禰豆子が立っていた。

「あ、あら。あなたは…」

「ムー?」

禰豆子が首をかしげる。今の姿は幼女のように小さくなっている。

「禰豆子さんも無事でよかったですわ。そういえばお礼もまだでしたわね」

圓城は思わず穏やかに笑いながら、禰豆子の頭を撫で、言葉を紡いだ。

「あなたのお陰で夢から覚めることができましたわ。本当にありがとうございました」

そうだ。あの時目覚めなかったらと考えるとゾッとする。あの夢の中の出来事は思い出したくない。あの時の、あの夢は、もうどんなに望んでも取り戻せない、圓城の思い出だ。

「……本当に吐き気がする。私は…」

「ムー!」

突然頭を撫でられるがままだった禰豆子が声を上げた。そして、そのまま体を大きくする。

「え、えっと禰豆子さん…?」

圓城よりも体が大きくなった禰豆子がベッドの上に乗り込んでくる。思わず身を引いた瞬間、禰豆子が圓城の腕を引っ張り抱え込むように抱き寄せた。そしてそのまま今度は禰豆子が圓城の頭を撫でる。

「あ、あの禰豆子さん…」

何も言わず、ただただ頭を撫でてくれる。その感覚に次第に心も落ち着いてきた。

「…ありがとう。あなたは優しい子ね。炭治郎さんと同じ」

「ムー」

圓城は穏やかに笑った。そして、禰豆子の体から離れ、口を開く。

「…禰豆子さん。1つお願いがあるんですが」

「…ム?」

 

 

 

 

 

 

 

「…煉獄さん」

圓城が禰豆子に頼んだのは杖を持ってきてもらう事だった。通じるか分からなかったが、事情を説明すると、禰豆子は任せろと言わんばかりの表情をしてすぐさまどこからか杖を持ってきてくれた。

朝の早い時間、圓城は蝶屋敷の廊下を杖を使って進む。初めは使い勝手がよく分からなくてフラフラしたがすぐに慣れた。そして、煉獄が寝ている部屋にたどり着く。

「……」

ひどい状況だった。身体中包帯だらけで、点滴をしている。

「煉獄さん。申し訳ありませんでした。私は、戦えませんでした。あなたの盾になるのが精一杯でした」

煉獄の目は閉じたままだった。

「…また、来ますね。どうか早く目を覚ましてください。炭治郎さん達も待っています」

圓城はそのまま煉獄の様子を見つめていたが、しばらくするとその場から立ち去った。

もう一ヶ所、行きたい所がある。

 

 

 

 

 

 

「……お久しぶりです、師範」

そこは、胡蝶カナエの墓だった。圓城が誰よりも信頼していた人。もう二度と会えない人。

「師範。圓城菫、ただいま任務を終え帰還しました」

圓城は墓の前に座り込む。

「…師範、私は未熟者です。夢の中であなたと会えた時、一瞬でも夢から出たくない、このまま戦わずにあの場所にいたい、とそう思ってしまいました。」

静かに言葉を紡ぐ。

「……いつも思っています。あなたに会いたい。蝶屋敷に帰りたい。アオイの鯖の煮込みを食べたい。カナヲと一緒に遊びたい。きよ、すみ、なほのお手伝いをしたい……しのぶのそばにいたいって」

馬鹿な女だ。愚かな女だ。そんな事を望むだなんて。

「師範。私は、柱失格です。本当の私は、弱い。柱になるべきじゃなかった。でも、強くなりたかった。鬼を倒したかったんです。あの日あなたを失ってから、全てが変わりました。でも、私には泣く資格がない。最後まで戦うって決めたから、あなたの代わりに人を護るって、そう誓ったからーー」

そして墓を見上げた。

「……寂しい。会いたい。会いたいんです」

涙が流れるのを必死にこらえる。それは、絶対に人前では言えない本音だった。

しばらく座り込んで、じっと墓を見つめていたらしい。気がつくと後ろに誰かが立っていた。振り向かなくても、誰なのかすぐに分かった。

「…よくここにいる事が分かりましたわね」

「なんででしょうねぇ。分かってしまったんですよ。帰ったらお説教です」

胡蝶しのぶが静かに答えた。

「アオイさんは怒っているでしょうね」

「もちろんです。大人しく怒られてください。さあ、帰りますよ」

圓城はゆっくりと立ち上がり、後ろを振り向く。そこにはいつも通り笑みを浮かべるしのぶが立っていた。何を考えているのか分からない。ただ、笑っている。

「…早く任務に戻りたいので、治療をお願いいたしますね」

「そう言うなら、勝手に屋敷から出ていかないでください。大変だったんですよ。きよ、すみ、なほも大騒ぎして」

「ああ、それは謝らなければ」

「そもそも、その杖はどうしたんです」

「禰豆子さんがどこからか持ってきてくれましたわ」

「…彼女にもお説教ですね」

「私が頼んだことなので、あの子は勘弁してあげてくださいな」

「全く、あなたは昔から変わりませんね。いつもいつも、勝手な行動で周りに迷惑をかけて。少しは大人になってください」

「まあ、生意気な。私の方が年上ですわよ」

「それ、戸籍上の年齢でしょう?あなた、実年齢は私と同じじゃないですか」

「あーあ。お腹が空きましたわ」

「ちょっと、聞いています?」

2人でポツポツ話しながら帰路につく。朝日が眩しい。圓城は深呼吸をする。少しだけ、心が晴れたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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それからのこと

 

その日、アオイとしのぶからは大人しく説教を受けた。自分が悪いことは明白だし、2人が怖いので特に反抗もしない。説教が終わったらすぐにベッドへ戻された。

「……お嬢様、お願いですから勝手な行動は慎んでください。私までアオイ様に睨まれましたよ」

「悪かったわ。それで?私の足は?」

昼前にじいやがやって来た。大きな包みを抱えている。

「こちらがお嬢様の義足です。頑丈な物を作らせましたよ」

それは、圓城の新しい左足だった。パッと見は足に見えない。金属で作られた機械的な義足だった。

「走ることは?」

「もちろん。訓練次第で跳躍も完璧にできます」

「すごいわね!」

「ただ、見た目が少し、その、悪目立ちすると思いますが…」

「え?いいわよ。別に。そんなの気にしないわ。それより早く着けてみたい」

「ダメです。せめてしのぶ様の許可が出てからにしてください」

「…はーい」

また怒られるのは流石に嫌だったので、大人しく頷いた。

「あと、お嬢様、こちらが新しい隊服です」

「ありがとう…あら」

隊服が入っている包みを開き少し驚く。今まで圓城の隊服は長めのスカートだったが、今回支給された隊服は洋袴(ズボン)式だったのである。しかも、他の隊員が着ている物ともちょっと違う。洋装に近い形となっていた。

「あらまあ、これが新しい隊服?なんだか斬新ね」

「ええ。なるべく、着やすくかつ義足が目立たないように作っていただいたのです」

「まあ、後で縫製係の方にお礼を言わなければ」

「いえいえ、私の方からきちんとお礼は言いましたので。お嬢様はお気になさらず」

「そう?」

と会話しつつ、新しい隊服をしげしげと見つめた。早くこれを着て、任務に行きたい。

「新しい羽織も今作っています。お嬢様は自分の療養に専念してくださいね」

「はいはい」

「はいは一回」

「はーい」

 

 

 

 

 

 

それから2日程経った。しのぶからも許可が出て、やっと今日から義足を装着し、歩行訓練ができる。圓城が上機嫌で朝食を食べていると、

「菫様!」

突然アオイが飛び込んできた。

「アオイさん?どうなさったの?」

「煉獄様が、煉獄様が、目を覚ましました!」

「えっ!」

慌ててベッドから降りようとするも、そばに杖がないため立てない。アオイから事情を聞いたところ、数分前に意識を取り戻したらしい。今はまだぼんやりしているようだが、はっきりと声も出しているそうだ。

「…よかった。本当に。一安心ですわ」

「今はまだ面会できませんが、もう少し回復したら会うことは可能だそうです」

「もしよければ、一日も早い回復をお祈りしております、とお伝えしてね」

「はい!」

 

 

 

 

 

「本日は私のためにお集まりいただきありがとう。感謝申し上げますわ」

数日後、圓城の目の前には炭治郎、善逸、伊之助、カナヲが座っていた。

「あのー、俺達なんで呼び出されたんですか?」

善逸の疑問に圓城はニッコリ微笑む。

「私の訓練に付き合っていただきたいの」

「訓練に?」

「ええ。恥ずかしながら、足がこのようになってしまいまして」

と、言いながら左足を前に出す。その金属製の新しい足に、炭治郎と善逸は痛ましげな顔をした。伊之助は猪頭のため表情が分からないが、カナヲも唇がピクッと動いた。

「全身訓練です。前にあなた方がやった鬼ごっこを、私としていただきたいの」

「あ、あー、あれですか」

炭治郎達が納得したような顔をする。

「最初は私が鬼になります。全員逃げてください。私が全員捕まえたら終了。その後は皆さんが鬼になって私を捕まえてください」

「分かりました!じゃあ、頑張りましょう!」

炭治郎が元気よく声を出す。圓城はニッコリ笑って言った。

「では皆様、死ぬ気で逃げてくださいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ア゛ーーーー!来ないでェ!すみません!すみません!なめてました!ホントすみません!」

善逸は後悔した。おしとやかで上品な女性とキャッキャウフフと鬼ごっこできるなんて、俺ってなんて幸運なんだろうと思った数分前の自分を殴りたい。

「……遅い!」

圓城がそう呟いて、義足を着けているとは思えないほどの速さで追いかけてくる。その眼光は鋭く、なのに顔はいつも通り上品に笑っている。端的に言えば怖い。まるで肉食動物に追いかけられてるみたいだ。

あっという間に善逸、その次に伊之助が捕まった。

「……あの人、怖い」

今、圓城は炭治郎に狙いを定め追いかけていた。炭治郎も必死な顔をして身を躱している。伊之助が興奮したように叫んだ。

「速えぇ!あいつ、すげえな!」

「……この後、俺達が鬼なんだよな。俺、もう帰りたい」

数分後、全員が圓城に捕まった。

「圓城さん、すごいですね。速くて、義足とは思えないくらいでした!」

「全然ですわ。私はもっと短時間で捕まえられると思っていました。まだまだ走る練習が必要ですわね」

「そ、そうですか」

圓城が手拭いで汗を拭きながら、再びニッコリ笑った。

「それじゃあ、次は私を捕まえてくださいね。鬼さん方」

「……」

その後何時間も4人で圓城を追いかけ回したが、圓城は素早く走り続け、1度も捕まらなかった。

 

 

 

 

数日間鬼ごっこは続けられた。善逸は最後は泣きながら拒否していた。無理やり参加させたが。

「うーん。まだまだね」

今日の午前中は走り込みに集中し、現在は遅い昼食を摂取していた。訓練は続けているが、いまいち義足を使いこなせている感覚がない。

「あ、圓城さん!今日は鬼ごっこはどうしますか?」

その時、炭治郎が現れた。炭治郎達は明日から任務に戻るらしい。そんな炭治郎を羨ましく思いながら圓城は口を開いた。

「大丈夫ですわ。それよりも明日に備えて今日は早く休んでくださいね」

「はい!あの、ちょっと聞きたいんですけど…」

「はい?」

圓城が首をかしげると、炭治郎は迷っているような様子で言葉を続けた。

「あの、いつもの圓城さんと、列車の中で戦っているときの圓城さんはなんだか雰囲気や匂いが違うんですけど、なんでですか?」

「……」

「あの、すみません。答えたくなければ別に大丈夫なんですけど、なんか気になって。でも、別に変な匂いというわけでは…」

「どちらの私も、私ですわ」

「え?」

圓城は優雅に笑った。

「驚かせてすみません。でも、鬼を斬る時、戦っている時はそれに集中するから、自分がちょっと迷子になってしまうんですの。私が単独任務ばかり受けてるのもこれが理由の1つですわ」

「は、はあ…」

「ごめんなさい、嫌だったかしら?」

「い、いえ!嫌な匂いじゃないです!全然!」

炭治郎がブンブンと強く首を横に振る。その様子に苦笑しながら圓城は食事を続けた。

 

 

 

 

翌日、圓城はようやく煉獄と面会をすることが叶った。

「……炎柱サマ」

「む!圓城か!」

思ったよりも元気そうだ。まだ包帯だらけではあるが。ベッド上で上半身を起こしている。

「お体の調子はどうですか」

「まだまだだ!よもや俺がここまでやられるとはな!」

「…炎柱サマ、」

「圓城!すまなかった!」

「え?」

圓城は自分が謝る前に、煉獄に謝られて面食らった。

「俺は君の能力を見くびっていた!まさか、あそこまで強いとは知らなかった!」

「……」

「列車の鬼の首を斬っただけではなく、俺は君に命を救われた!すまなかった!君が左足を失ったのは俺の責任だ!」

「…いいえ、いいえ、違います。違うんです。炎柱サマ…」

圓城は言葉に詰まった。

「…私の責任です。私が足を怪我せずに、あの上弦の鬼を倒していれば、あなたはここまで大きな怪我を…」

「それは違う!君は俺を救ったのだ!圓城!君は優れた柱だ!俺は君を尊敬する!」

「……っ」

救ったのだ、という言葉に心が締め付けられた。圓城はそれを隠すように後ろを向いた。

「…また、お見舞いに来ますね。どうかまた元気なお姿を見せくださいね。待っています」

圓城は足早に部屋から出ていこうとするも、煉獄が声をかけた。

「圓城!()()とはなんの事だ!」

ピタリと足を止めた。

「あの時、あの上弦の鬼に君が言った言葉、よく分からなかった!どういう意味だ!」

「…あら、私、そんな事言いましたか?実はあの時、必死すぎてよく覚えていませんの」

圓城は早口でそう言って今度こそ部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

「……さっきのはちょっとまずかったわ」

圓城は部屋で腕立て伏せをしながら呟く。今後言動には注意しなければならない。恐らく煉獄は怪しんでいるはずだ。

「……さん、圓城さん」

「ーーえ、あ、何?」

気がつけばしのぶがそばにいて、圓城に声をかけていた。

「傷の具合の確認に来ました。こちらの部屋に来てください」

「……もう治りましたわ」

「それを確認するんです。早く来てください」

「…はーい」

 

 

 

 

 

その2人の様子を遠くからたまたま見ていた、炭治郎と善逸がコソコソ話す。

「なんかさ、あの2人って変だよなぁ」

「あ、善逸もそう思うか?そうなんだ。しのぶさんと一緒にいる時の圓城さんって甘いのにすごく悲しい匂いがするんだ。しのぶさんも同じくらい甘いけどほろ苦いような複雑な匂いがする。」

「へー。よく分からないけど、確かにあの2人の音ってなんかややこしいっていうか、掴みきれないんだよな。やっぱり仲が悪いのかな」

「仲はよかったんですよ。昔は」

突然アオイが話に割って入ってきたので炭治郎と善逸はギョっとした。どうやら、アオイは洗濯物を干しに行く途中だったらしい。洗濯物が入った籠を抱えている。

「え?昔ってーー」

「菫様はしのぶ様のお姉様、胡蝶カナエ様の継子だったんです。だから、昔は仲がよかったんですよ」

「え、そうなんですか!?」

「へー、そんな風には見えないけどなぁ」

炭治郎と善逸が不思議そうな顔で、しのぶと圓城に視線を向ける。アオイは、思わず余計なことを話してしまった、とちょっと後悔しながら洗濯物を抱えて庭へ出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次に番外編を挟みまして、過去編に入ります。更新はゆっくりになります。


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番外編
隊服とじいや




じいやはセコム


 

 

▼圓城菫 鬼殺隊入隊直後▼

じいやはのんびりと緑茶をすすっていた。お嬢様も最終選別を無事に終えたらしく、一安心だ。自分もそろそろ日雇いの仕事ではなく、きちんとした仕事を見つけようか…。

「じいや!見てくださいな!」

そして、上機嫌で家に帰ってきた圓城を見てじいやは

「ブーっ!!!!」

とお茶を吹き出した。圓城の隊服は上は普通だった。問題は下のスカートだ。長めのスカートではあるが、横に大きく切れ目(スリット)が入っている。太腿どころか、もう少しで下着も見えそうだ。

「お、お嬢様…」

「素晴らしいでしょう?これで私も鬼殺隊の一員ですわ」

「え、ええ。はい。そうではなくて、いやそうなんですけどーー」

思わずしどろもどろになってしまうじいや。

「?どうかしましたの?」

「お、お嬢様。このじいや、鬼殺隊の服はそんな服じゃなかったと記憶しているんですが…」

「でも、縫製係の隊員さんが、これで完璧だとおっしゃっていたわ」

「……」

圓城菫は、世間知らずで温室育ちで箱入り娘で人を疑うことを知らなかった。

「…お嬢様、そのスカートではお風邪をひいてしまわれます。じいやが直しましょう」

「え、でもいいのかしら、そんな勝手に……」

「心配ならば、私から鬼殺隊の方に言いますゆえ」

「そ、そう…?それなら…」

なんか今日のじいや怖いと思いながら、その気迫に負け、圓城は隊服を脱いでじいやに渡した。

その後、じいやは単身で鬼殺隊の隊服縫製係・前田まさおの元へ乗り込んだ。

「これはどういう事でしょうか?」

「いや、あの新しい隊員の方は下半身の体形が素晴らしかったので、これで完璧なのです」

「……」

「残念ながら、胸部の方は控えめでしたので、こちらの方を強調していただければーー」

シュッ、ボオっ

じいやが無言で隊服を燃やした。

「ああああっ、チクショオぉぉぉ!」

前田の悲しみの悲鳴が響き渡った。その後泣く泣く普通の長めのスカートを用意し、無言で怒りを強調するじいやに手渡した。

 

 

 

 

 

 

 

▼無限列車直後▼

「…というわけで、以前の隊服もボロボロですし、お嬢様の新しい隊服を作っていただきたいのです。できるだけ義足が目立たないように」

「承知しました」

じいやは前田をジロリと睨む。

「言っておきますが、以前のようなスカートは無しです。普通でお願いしますよ」

「ええ、ええ、もちろん。ドンピシャなのを作らせていただきますよ」

じいやは不安を抱えながら、前田に隊服を依頼した。

その数日後、

「こちらが新しい隊服となります」

「ほお、これはなかなかですね」

じいやは出来映えに満足した。洋袴風の隊服だった。上手い具合に義足も目立たなくしてくれそうだ。

「それでは お包みしますねー」

「…いや、ちょっと待ってください」

前田の顔を見た瞬間、じいやの第六感が警報を鳴らした。

「な、なんです?別に普通でしょう?」

「……もう少し見せてください」

「あ、ちょっ、」

じいやがその隊服をやや強引に手に取る。そして、ペラリと服を裏返したとたん、温和な顔が引きつった。

その隊服は背中が大胆に開いていた。

「……」

「……」

シュッ、ボオっ

「もう少しだったのにぃぃぃっ!」

もちろん、その後にきちんとした隊服を用意させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





※大正コソコソ噂話
圓城は貧乳。本人もちょっと気にしている。


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悲しみの夢で蝶々は舞う
涙と優しさの出逢い


今回から過去編です。


 

 

 

馬鹿な女の話をしようか。

 

 

 

自分の事を救世主だと勘違いした愚かな女の話をしようか。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

圓城菫が鬼殺隊に入隊し、数ヶ月。鬼狩りとして、圓城はそこそこ優秀だった、と自分でも思う。その頃はただひたすら目の前の鬼を斬る事に集中していた。少しでも気持ちがよそへ向けば、殺され喰われる。だから、任務を命じられれば、鬼を斬る事を一番に考えて刀を振るった。隊員として指定された場所に赴き、無心で鬼を斬り続ける。

鬼殺隊に入ってから、新たな悩みが増えた。自分が使っている呼吸が合ってないような気がするのだ。圓城は水の呼吸を使っている。圓城の育手は、柱ではなかったものの鬼殺隊隊員として甲まで昇りつめ、活躍したという水の呼吸の使い手だったからだ。鬼狩りの数を重ねるうちに、明確な理由はないが、なんとなく自分に合ってないという感覚が芽生えてきた。そして、最大の悩みがもう一つ。

「…まだ、見つからない…」

任務をこなしながら、夢の中で見た赤い髪の少年を探す。合同任務の際には必ず少年がいないかと他の隊員の顔を見て回った。だが、今のところ手がかりはなく、夢の中で見た人物はほとんど見つからない。また、他の隊員達はなぜか圓城を遠巻きにしており、挨拶をしても返してはくれるがどこかよそよそしい。周囲から扱いづらいと思われていることに気づいてからは自分から必要以上に他の隊員に話しかけるのはやめた。それ故に情報が集めにくい。それに、

「……いつ、なのかしら」

恐らく自分が見ている夢は未来の光景なのだろうと、既に検討はついた。しかし、それがいつ起きるかは全く分からないのだ。

その日、圓城は小さな村で住人達を襲い喰らう複数の鬼を倒すため数人の隊員と合同で任務をこなした。特になにも考えず、いつも通りただひたすら鬼の頚を斬って仕事が終わった。

「……もう、帰りましょう」

きっと帰って、眠れば新しい手がかりが見つかるかもしれない。そう信じながら帰路につく。

そんな圓城をよそに、隠の隊員達が、鬼に襲われたがすんでのところで助かった子ども達を保護していた。

その子ども達をチラリと見たが、特に何も感じず足を前へ踏み出した時、子どもの一人が叫んだ。

「……っなんで!」

それは、幼い少年には似合わない苦悩の叫びだった。圓城は思わず足を止める。

「なんでもっと早く来てくれなかったんだ!?もっと早く来てくれれば母ちゃんは助かったのに!!」

後から分かったことだが、被害者の中に少年の母親がいたらしい。鬼に喰われて遺体も残らなかった。少年の叫びは圓城への呪いの言葉となった。

圓城はその場に棒立ちになり身動きができなくなった。

「……っ、なんでだよぅ、…なんで俺は助かったのに、母ちゃんは死んじまったんだよぉ」

少年は耐えきれずに泣き出した。その涙が、泣き声が圓城の胸を刺した。わけの分からない感情が湧き出て胸が痛くなる。鬼狩りとして働きはじめてから、初めての事だった。

それからどうやって家に帰ってきたのか、覚えていない。気がつけば自室の布団の上でぼんやりと日輪刀を手に持ち見つめていた。

なんだろう。この気持ちは。あの少年の叫びが心から離れない。こんな事は初めてだ。なんでこんなに苦しいの?

「………ああ、そうだわ」

 

 

私、誰も救えてない

 

 

夢を見たから、その夢の謎を解明したかったから、そしてその夢を通して誰かを救えると思ったから鬼殺隊に入った。だけど、実際の自分は何も救えてない。何もしていないのだ。やったのはただ、目の前の鬼を斬るよう命じられてそれを実行しただけ。その中には必ず被害者がいた。鬼に襲われた一般人、合同任務の時に圓城の目の前で隊員が命を落とした事もある。夢に夢中で、失くした命に対して今までほとんど向き合った事がなかった。圓城は初めてそれに気付き呆然とする。

「……」

だって、仕方ないじゃないか。私の夢はいつの夢なのか分からない。その日の夢を見せてくれるわけじゃない。私は彼らの死を知らなかった。だから、

 

 

救えなくても仕方ないじゃないか。

 

 

そんな気持ちが心をよぎり、自分に衝撃を受けた。

「………っ、」

涙が溢れてきた。私は鬼を斬るという事について何も考えていない、未熟者だった。夢や目の前の出来事に夢中で、そこに人の命が関わっている事をよく考えていなかった。涙が止めどなく流れ続ける。

「………私は、馬鹿だ」

無力感が胸を満たした。目の前が暗くなる。

どうして都合のいい事ばかり考えていたのだろう。夢を通して誰かを救う、なんて。目の前の人達も救えていないのに。夢の力に魅せられて、救世主気取りだった。

「………」

鬼殺隊に入ったのは鬼を斬るため、救済のためなんて自分で自分を誤魔化していた。結局は圓城の自己満足だった。他の隊員達がよそよそしいのは、きっと無意識にそれに気づいているからではないか。鬼殺隊の隊員として、あるべき心を持っておらず、人を護るために動いていない事が分かってしまうから、だから圓城を避けている。

それに思い当たった瞬間、自分が恥ずかしくてたまらなかった。泣きながら日輪刀を放り出した。そして立ち上がり、今度は木刀を手にすると素振りを始めた。

明日も任務がある。もう寝るべきだ。休息をとらないと、仕事に支障が出る。

でも、どうしても布団に横になる事ができなかった。どうせ見るのは見知らぬ隊員が鬼を倒す夢だ。

誰も救えないなら、こんな夢は見たくない。

 

 

 

 

睡眠を取らずに働き続けて5日経った。圓城が眠っていないことに気づいたらしいじいやが、心配そうに声をかけてきたが無視して任務へ行く。その日の任務は北の山で暴れている鬼を斬る事だった。合同任務を取り仕切る柱をぼんやり見つめる。命じられるまま、自分の持ち場に付き、刀を手に取った。

任務はアッサリと終了した。圓城の目の前に現れた鬼は既に他の隊員に何度か斬られており、弱っていたからだ。

「水の呼吸 壱ノ型 水面斬り」

できるだけ勢いをつけて水平に刀を振るう。拍子抜けするほど簡単に頚は切れた。

「皆さん、お疲れ様でした」

誰かが労りの言葉を言っていたが、圓城はぼんやりと自分が斬った鬼を見つめた。

この鬼だって、元は人間だった。きっと好きで鬼になったわけではないだろう。こんなに凄惨な最期を迎えるとは思いもしなかっただろう。救えるものなら救いたかった。鬼を倒すのではく、鬼になる前に救える方法があればいいのに。私にその力さえあれば……。

いつの間にかまた涙が溢れていた。声も出さずに無表情で泣き続ける。

救えない。私には人も、鬼も、誰も救うことはできない。

何度も何度もその考えが胸を満たす。目の前が暗くなる。気がついたらその場に倒れこんでいた。

 

 

 

 

 

鬼がいる。まだ、幼い少女の鬼だ。雪の中、青年が鬼を斬ろうとしている。それを少年が庇った。これは何度か見た夢だ。でも彼らは一体誰なのだろうーーーー

圓城はゆっくりと目を開けた。知らない天井が目に写り、眉をひそめる。ここはどこ?

「あ、起きましたか?」

突然声をかけられて、圓城は顔を横に向けた。頭の両脇で蝶の髪飾りを着けて髪を結っている、圓城と同じ年くらいの少女がいた。

「大丈夫ですか?」

少女は心配そうな表情で圓城を見ている。圓城は戸惑いながら体を起こし口を開いた。

「…ここは?」

「蝶屋敷です。あなたは任務終了後、倒れてここに運ばれたんですよ」

「…それは、ご迷惑をおかけしました」

圓城は情けなさにうつむいた。最近の睡眠不足が祟ったのだろう。いろんな人に迷惑をかけて、自分で自分が嫌になる。

「申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。後ほどお礼はさせて頂きますわ。失礼します」

「あ、ちょっと…」

圓城が慌てて立ち上がり、帰ろうとした。それを少女が止めようとしたその時、聞き覚えのある声が割って入った。

「そんなに慌てて帰らなくてもいいじゃない?」

圓城が声の方を向き、そして目を見開いた。そこには、今日の合同任務で出会った花柱、胡蝶カナエが立っていた。

「……花柱様」

「大丈夫?まだ顔色が良くないわ。とにかくもう少し横になって」

心配そうに圓城に声をかけてくる。

「……いえ、あの、もう動けますわ。家に、帰ります」

「ダメよ。せめて一晩入院した方がいいわ」

優しげな声だが、有無を言わせない気迫があった。自分より上位の柱の言葉には背けない。圓城は渋々そのままベッドへ戻った。

「アオイ、食事を用意してくれる?あとはもう一枚布団を。今夜は冷えるわ」

「はい、カナエ様」

アオイと呼ばれた少女が部屋を出ていった。てっきり、花柱もそのまま部屋を出ていくと思ったが、なぜかそのまま圓城のそばに来る。そして、ベッドのそばの椅子に腰かけて口を開いた。

「さて、あなたのお名前は?」

「…圓城菫、と申します」

「あら可愛らしい名前。年は?」

「……15です」

「私の一つ下なのね。もっと下かと思っていたわ」

圓城はギクリとしたが、表情は変えなかった。戸籍上は15だが、実際の年齢は13歳だ。外見の幼さはなかなか隠し切れない。

「それで、圓城菫さん。何日寝ていないの?」

「……」

「最近鏡は見たかしら?目の下にすごいクマがあるわ。それに、今日の任務でもぼんやりとしていたし…」

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「いいえ、結局あなたが鬼を斬ったのだし、それはいいの。でも、寝不足はよくないわ。あなたには休息が必要よ」

カナエが諭すように優しくそう言うが、圓城はただうつむいた。その様子を見てカナエが首をかしげる。

「もしかして、眠れない理由でもあるのかしら?」

「……いえ」

夢が怖くて眠れないんです、とは口が裂けても言えない。

「とりあえず、今日は…」

カナエが何事か言いかけた時、また誰かが部屋に入ってきた。

「姉さん、ここで食べるの?」

「あら、しのぶ。食事を持ってきてくれたの?」

入ってきたのは、やはり蝶の髪飾りを着けている少し怒ったような表情をした少女だった。胡蝶カナエに似ている。その少女を見た時、圓城は首をかしげた。どこかで見たような気がする。

「あ、この子は私の妹よ。胡蝶しのぶっていうの」

カナエが戸惑っている圓城に妹を紹介した。圓城はペコリと頭を下げたが、しのぶは目礼だけしてすぐに圓城から目を離す。

「久しぶりに戻ってきたんだから、あっちで食べればいいのに。カナヲだって待ってるわ」

「あらあら。嬉しいわねぇ。でも、今日はここで食べるわ」

「姉さん!」

「大丈夫よ~。明日は非番だし、そっちに行くから~」 

どうやら、カナエはここで圓城と食事をするらしい。戸惑う圓城をしのぶが睨んできたため、圓城は慌てて口を開いた。

「あ、あの、花柱様、ご家族と食べた方がよろしいのでは……。私ならここで食べて、すぐに休ませていただきますので…」

「私はあなたとお話がしたいのよ」

カナエがニッコリ微笑んでそう言って、圓城は唇が引きつった。結局その気迫に負けてカナエと向き合い食卓についた。しのぶは二人分の食事を運び終わると、プリプリしながら部屋から出ていった。柱と二人きりの食事ではあるが、思ったよりは緊張していない。実家にいる時は、自分よりも身分が高く風格のある上位の人間と食事をするのは珍しくなかった。

「いただきます!」

「……いただきます」

カナエとともに手を合わせて挨拶をし、箸を手に取る。優しい味の和食でとても美味しかった。食事の途中、カナエから何度か話しかけられ、それに細々と答えながら箸を動かす。

「ところで、あなたはなんで泣いていたの?」

「……はい?」

「さっき倒れる前に鬼を見て、泣いていたわ。どうしてかしら、と思っていたのよ。」

「……」

「あ、答えたくなければ別にいいのよ」

「……うまく、言えないのですが…」

どう答えたらいいのか分からず、箸を置いてから、うつむいて少し口ごもりながらゆっくり口を開いた。

「……鬼、なんですけど。鬼は元々人間、だったのに。私は斬るしかなくて、他にも救う方法があればいいのに、とか考えてしまって、でも、鬼殺隊として斬らないわけにはいかなくて。でも、あの、」

「……」

カナエは黙ったまま話を聞いてくれた。

「……私は、結局救えなくて。鬼になる前にその事が分かっていたら、とか考えてしまって…でも、私にはできることは何もなくて、命じられるまま、斬るしかなくて…」

結局、うまく自分の考えを伝えることができなかった、と思う。きっとカナエも困っているだろう。そんな風に考えながら恐る恐るカナエを見上げ、そして戸惑った。カナエが温かく優しい微笑みを浮かべていた。

「……あなたは優しいのね」

そして圓城の頭を撫でた。圓城は頭を撫でられたのは初めてで、どうすればいいか分からず固まる。そして口を開いた。

「……や、優しくなんかありません!」

「あら、優しいわよ」

「……優しくないです」

「優しい優しい」

違うのだ。圓城はどう言えばいいのか分からず口ごもる。自分は全然優しくない。人の生死ときちんと向き合えない未熟者だ。鬼を救えたら、と思うのも結局は圓城の自己満足だ。

そう思いながらも言葉にはできず、カナエが満足するまで頭を撫でられ続けた。

食事の後もカナエと少し話をした。その後寝るように言われて仕方なくベッドに横たわる。

「……あの、なぜそこにいるんですか?」

「あら、ダメなの?」

カナエは圓城がベッドに入っても、まだそばの椅子に座っていた。

「…そこにいたら眠れません。私なら大丈夫ですから」

「そうねぇ、それなら子守唄でも歌いましょうか」

「いえ、結構です。柱にそんな事をさせるわけにはいきません」

「あら、気にしなくていいのに」

そう言いながら、またカナエが頭を撫でてくる。その感覚が心地よくて、圓城は徐々に目蓋が重くなってくるのを感じた。

「おやすみなさい」

カナエの優しい声が意識を失う寸前で聞こえた。

翌朝、圓城は清々しい気分で目覚めた。思い切り伸びをする。やはり疲れていたのだろう。夢も見ずにぐっすり眠ったのは久しぶりだった。毎日こうだといいのだが。

「おはよう、菫」

「お、おはようございます」

カナエが部屋に入ってきて声をかけられた。突然呼び捨てで名前を呼ばれて戸惑う。

「眠れたかしら?」

「はい。ありがとうございました」

「もしよければ、こちらの部屋で朝食を食べない?皆を紹介するわ」

正直面倒くさかったし、一人がよかったが、断る理由を見つけられず、圓城はカナエに促されるまま部屋を出る。

案内された部屋には大きな食卓があり、昨日会ったしのぶとアオイも含めて何人かの少女が座っていた。カナエに紹介されながらペコリと頭を下げる。ほとんどの少女達が圓城を興味津々に見つめていた。しのぶだけは鋭い目で見てきたが。食事の時間もチラチラ見られながら食べたため、落ち着かなかった。そのため、多分美味しいのに、よく味が分からない。

食事が終わってすぐに圓城は立ち上がった。

「あの、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。そろそろ失礼します」

「あら、もう帰るの?」

「…あまり遅くなると家の者が心配すると思いますので」

嘘だった。じいやは時々任務が長引くことを承知しているのであまり心配はしていない、と思う。問題はさっきから自分を睨み付けてくるしのぶだ。なんでこんなに怒っているんだろう。気づかなかっただけで、自分は何かしてしまったのだろうか。

「じゃあ、お見送りしてくるわね~」

カナエが他の少女達に声をかけて、圓城のそばにきた。しのぶの怒りの視線も漏れなくついてくる。勘弁してちょうだいと思いながら、圓城はカナエに手伝ってもらいながら荷物をまとめ、蝶屋敷の玄関へ向かう。

「花柱様、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございました」

「あらあら、気にしないで。ここは療養所も兼ねているし」

「いえ、本当に助かりました。また任務が一緒の時はよろしくお願いいたします」

そう言って頭を深く下げる。そして、頭を上げ帰るために後ろを向こうとした時、カナエから声がかけられた。

「菫、私の継子にならない?」

「…………はい?」

 

 

 

 



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決心の日

「…それで、どうしたんです?」

「…考えさせて下さいって言って帰って来ましたわ」

「…逃げたんですね」

「逃げてません!」

蝶屋敷から帰宅後、圓城は昨日の出来事と、胡蝶カナエに継子にならないかと言われた事をじいやに話した。

「どうするんですか?継子になるんですか?」

「……うーん」

圓城は顔をしかめて思い悩むように両腕を組んだ。継子は最高位剣士である柱にその才覚を見込まれ、直々に育てられる隊士だ。相当優秀でないと選ばれないらしいという話を前に聞いたことがあった。

「…正直言って、とてもいいお話だとは思いますわ。でも…」

「でも?」

「…花柱様の考えが分かりません。なぜ私に声をかけてくださったのか…あと、花柱様はともかく、その妹さんとは仲良くはなれないと思いますわ。既にもう嫌われていますし…」

「お嬢様、妹様にどんな失礼な事を仕出かしたんです?」

「何もしていません!本当に!だって、話したこともありませんのよ!」

と言いつつも、きっとしのぶにとって何か気に入らないことを知らない間にしてしまったのだろう、と圓城は思った。

「…とにかく、しばらく考えてみますわ」

結局考えがまとまらず、じいやにそう言って圓城は口を閉ざした。じいやも少し困ったような顔をしながら仕事へ出掛けた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

その剣士の噂は聞いた事があった。鬼殺隊に似つかわしくない少女が入隊した、という噂。

胡蝶カナエは昨日の任務を思い出す。合同任務を命じられ、北の山に赴いた。既に山の付近には数人の隊員が待機していた。その隊員の中にどう見ても剣士に見えない少女がいて、ああ、この子の事か、とカナエは納得した。

外見は本当に鬼殺隊隊員とは思えないほど可憐で清楚な少女だった。夜を表しているような純度の高い黒髪は美しくサラリと背中に流れている。隊服は清潔で、手入れが行き届いた身なりだった。礼儀正しく、背筋をピンと伸ばして立っており、手はお腹の当たりで軽く組んでいる姿は剣士というよりも、良家の娘が間違って紛れ込んだと言われても信じてしまいそうな雰囲気だった。

その少女の顔を見て、カナエはあら?と首をかしげた。どう見ても顔色が悪く気分が悪そうだ。目の下にはクマができている。体調が悪いなら帰らせようか、と考えているうちに山の鬼が暴れ始めたため、カナエは急いで隊員達の持ち場を決めてそれぞれ着かせた。念のため、例の少女はカナエの近くの持ち場を担当させる。鬼を気にしながら、少女の様子をチラチラと見ていたが、どこかぼんやりしているようで、カナエはハラハラした。

しかし、そんな心配と焦りは杞憂に終わった。鬼を目にした途端、少女の瞳に光が宿る。片が付いたのは一瞬だった。カナエが動く前に少女は刀を振るう。呆気なく鬼の頚を斬ることに成功し、カナエは目を見開いた。速い。正確で力強く、そして精密な攻撃だった。

少女のお陰で思ったよりも早く任務は終了した。犠牲者は出ずに済み、怪我人もほとんどいない。他の隊員達に労りの言葉をかけ、少女の方へ視線を向ける。

少女はカナエの言葉が耳に入ってないようだった。自分が今斬った鬼をじっと見つめている。その表情は何を考えているのか分からなかった。カナエは不思議に思い、声をかけようとしたその時だった。

少女の大きな瞳から大粒の涙が溢れだした。カナエは声をかけるのも忘れて呆然とする。何が起きたのか分からず、戸惑っているうちに少女は無言で泣き続ける。そしてそのまま意識を失い、倒れたため、カナエはその体を受け止めた。

「花柱様!大丈夫ですか?」

「ええ。この子を蝶屋敷へ」

隠の隊員に手伝ってもらいながら、蝶屋敷に搬送する。ベッドに寝かせ、全身を観察するも、少女に大きな外傷は見当たらないため、単純な過労と睡眠不足だろうとカナエは判断した。

しばらくすると少女は目を覚ました。恐縮した様子ですぐに帰ろうとする少女を強引に引き留め食事を共にする。

少女は圓城菫と名乗った。自分の妹と同じくらいの年だと思っていたが、カナエの一つ下らしい。それにしては幼い感じがした。礼儀正しい言葉遣いで話し、食事時の動作も箸使いが綺麗できちんとした教養を受けた者であることはすぐに分かった。

食事の時になぜ鬼を見て泣いていたのか尋ねてみた。口ごもった彼女を見て、何か事情があるのなら追求するのはやめようと思ったが、意外にも圓城は箸を置いて、迷うような様子でゆっくり答えてくれた。

「……鬼、なんですけど。鬼は元々人間、だったのに。私は斬るしかなくて、他にも救う方法があればいいのに、とか考えてしまって、でも、鬼殺隊として斬らないわけにはいかなくて。でも、あの、……私は、結局救えなくて。鬼になる前にその事が分かっていたら、とか考えてしまって…でも、私にはできることは何もなくて、命じられるまま、斬るしかなくて…」

自分でも何を言っているのかよく分からなくなったのだろう。圓城は申し訳なさそうに顔を上げてカナエの方を見た。カナエは思わず微笑みを浮かべた。

ああ、この子は私と同じだ。哀れみと慈悲の心を鬼に向けている。鬼殺隊の隊員達は自分も含めて親兄弟や親しい人を亡くした者が多い。それ故に鬼を憎悪している者がほとんどだ。鬼を救いたい、という考えを持つのは鬼殺隊隊員としてふさわしくないだろう。それでも、自分と同じ考えを持っているこの少女の事が気になって仕方なくなった。

カナエがそばにいることでソワソワしていた圓城は、疲れていたのか早々と寝てしまった。カナエはその場をそっと離れる。蝶屋敷の廊下を歩き、自室に向かっていると途中で妹の胡蝶しのぶが待っていた。

「姉さん、あの人…」

「ああ、やっぱりしのぶも知っていたのね」

「…噂になっていたから。どこかのお嬢様が道楽で鬼殺隊に入ったって」

「う~ん。道楽ではないと思うわ」

カナエは苦笑した。そんな目的で鬼殺隊に入れるほどこの世界は甘くないし、圓城の様子はどう見ても道楽とは思えない。

「あの子ね、とっても優しい子なの。きっとしのぶとも仲良くなれると思うわ。しのぶよりちょっと年上だけど」

「……姉さん、それどういう意味?」

「あの子をね、私の継子にしようと思うの」

「姉さん!?」

言葉にすると、とてもいい考えに思えた。あの子の事をもっと知りたい。あの子の強さをもっと見てみたい。カナエは知らず知らずのうちに胸が高鳴る。そうだ。あの子をそばに置いておこう。

「姉さん、私は絶対に反対よ!!」

「あらあら、いいじゃない。しのぶが思っているより、あの子すごく強いのよ?」

「よくない噂のある隊員なのよ!絶対にやめた方がいいわ!」

「まあまあ。大丈夫よ~」

「姉さん!!」

しのぶが食って掛かったが、カナエは特に気にせずフワフワと笑みを浮かべる。しのぶの反対をかわしつつ絶対に継子にするという意思を固めながら自室に戻った。

翌日、圓城は一晩寝たことで疲労を回復したらしく、スッキリとした表情をしていた。朝食に誘うと、緊張した面持ちで付いてきた。食卓ではしのぶが怒りの視線を向け、他の少女達もチラチラと圓城の方を見るため居心地の悪そうな表情をしていた。

食事の後、すぐに帰るという圓城をカナエは見送る。そして、蝶屋敷の玄関で、継子になるよう誘いをかけた。圓城は戸惑ったように目を白黒させた後、

「…か、考えさせてください」

と呟くように言って、逃げるように帰ってしまった。

「…うーん。来てくれるかしらねぇ」

「姉さん、私は反対だからね」

いつの間にかそばにいたしのぶがまだ顔をしかめてそう言って、カナエは苦笑した。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

それから、数日後。じいやが目を覚まし、着替えてから洗面所へ向かうと、圓城が既に起きていて食卓の前に静かに座っていた。

「…おはようございます。お嬢様。申し訳ありません。すぐに食事を…」

「おはよう。じいや。とりあえずここに座って」

圓城は真剣な顔で自分の正面に座るよう示す。その顔を見てピンときたじいやはすぐにそこに腰を下ろした。二人で向かい合って正座をする。しばらく圓城は黙っていたが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。

「…じいや。しばらく、この家を任せてもいいかしら?」

「はい。もちろんでございます。お嬢様がいらっしゃらない間、このじいやが留守を預かります」

じいやは穏やかな表情で言葉を返した。

「では、お決めになったのですね」

「…ええ。私は花柱の継子になります」

圓城ははっきりと強い瞳でそう言った。

「…私、水の呼吸が合ってないんです。このままでは、これ以上はきっと強くなれない。だから、花柱の所で学んでこようと思います。だから…」

「はい、お嬢様。行ってらっしゃいませ。ご武運をお祈り申し上げます」

じいやは優しい笑みでそう言って、圓城も少しだけ笑って言葉を返した。

「…行って参ります」

 

 

 

 

 

 

 

胡蝶しのぶが蝶屋敷の玄関に出向くと、そこには数日前に一泊入院した圓城菫が立っていた。緊張した面持ちでしのぶに声をかけてくる。

「…ごきげんよう。お忙しいところお邪魔して申し訳ありません。花柱様はいらっしゃいますか?」

「…どうぞ、こちらへ」

しのぶは心の中で舌打ちをする。結局来てしまったのか。渋々姉の元へ案内した。

 

この日、花柱に新しい継子ができた。

 

 

 

 

 

 




※大正コソコソ噂話
圓城は鬼殺隊に入隊した当初はじいやと共に、家賃の安い長屋に父娘として偽って住んでいた。近所では、夜になる度にどこかへ出掛ける不良娘と苦労性のお父さんとして噂になっている。


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新しい生活とキャラメル

 

 

 

「圓城菫です。今日からお世話になります」

胡蝶カナエの継子になった圓城菫は、蝶屋敷の少女達に挨拶をし深々と頭を下げる。少女達は戸惑ったような顔でソワソワしており、カナエはただいつものようにニコニコと笑っていた。胡蝶しのぶはムスッとした顔で圓城を見つめた。

「じゃあ、しのぶ、菫に屋敷を案内してちょうだい」

「はあ?なんで私が…」

「あらあら、いいじゃない」

「…よろしくお願いします。しのぶさん」

圓城が軽く頭を下げた。しのぶは渋々圓城を引き連れて屋敷を案内する。案内しながらこっそりと圓城を観察した。どこかのお嬢様が道楽で鬼殺隊に入ったという噂は前から聞いたことがあった。そのため、どんなわがままで傲慢な女なのだろうと思っていたが、今のところ圓城はそんな様子は見せない。それどころか、しのぶの後をおずおずと付いてくる様子は幼子のようだった。これで自分より年上だとは信じられない。

案内した後は、菫のために用意した部屋へつれていった。ここで彼女は生活することになる。

「では、これで案内は終わりです。後で姉さんが鍛練を始めると思いますので、準備をしておいてください」

「はい。しのぶさん、お忙しいところありがとうございました」

圓城は丁寧に頭を下げる。しのぶは軽く頷くとその場を後にした。

圓城菫が蝶屋敷に滞在して数日経った。胡蝶しのぶは苦々しい思いで鍛練をしている圓城を見つめた。カナエの言った通り、圓城菫は優秀な剣士だった。基礎的な体力は備わっており運動神経がいい。全集中の呼吸を教わるとすぐに取得し、1日で巨大なひょうたんに息を吹き込み、破壊する事に成功した。恐らくは心肺機能や呼吸器系が元々強いのだろうとカナエが笑いながら言っていた。カナエが課した厳しい訓練を黙々と涼しげな表情でこなしていく。華奢でおしとやかな雰囲気を持つ彼女が、頑強な体力をもって鍛練していく姿は、こう言ってはなんだが少々異常な光景だった。

しかし、欠点や短所もあった。初日の鍛練の後で皆で屋敷を掃除することになったため、圓城に箒や雑巾を渡したところ、圓城は戸惑ったように口を開いた。

「あ、あの、これはどうやって使うのでしょうか?」

「……は?」

話を聞いたところ、圓城は今まで掃除をしたことがないらしい。しのぶは唖然とした。圓城は顔を真っ赤にしてうつむき、消え入るような声で、

「ご教示ください…」

と言った。一体どんな育ち方をしてきたんだと思いながらも事務的に掃除の仕方や道具の使い方を教えた。

それ以外にも料理ができなかったり、洗濯をしたことがないなど、家事全般はいろいろと出来ない事が多く、しのぶは頭を抱えた。蝶屋敷にいるからには家事や負傷者の看護を手伝ってもらう必要がある。しのぶは頭を痛めつつも、一から圓城に指導をした。

「圓城さん、そうではありません。包帯はこうやって巻いてください」

「……こうですの?」

「締めつけ過ぎです。もっと体に負担がかからないように…」

その様子をカナエが微笑ましそうに見つめていたが、冗談じゃない。いい迷惑だ。

ただ、圓城は決して愚痴や文句は言わなかった。どんなに厳しい鍛練でも、どんなに難しい仕事でも失敗しながらもこなしていく。分からない事はすぐに聞き、一度教わった事や聞いた事は忘れなかった。その点はまあ、認めてやってもいい。

それからしばらくして、初めてカナエとしのぶと圓城の3人で任務に赴いた時、しのぶは圓城の強さを目の当たりにした。圓城は瞬発力に優れ、筋力がある。攻撃がとにかく速い。鮮やかに、正確に鬼の頚を斬っていく姿に鳥肌が立った。小柄な体躯を持ち、鬼の頚を斬れないしのぶにとって、喉から手が出るほど欲しい戦闘力だった。

それ故に、しのぶは圓城が気に入らない。雰囲気が、その強さが、全てが気に入らないのだ。

最愛の姉が気にかけ、継子にしたから。その嫉妬もあるのかもしれない。しのぶはいつまでも頑なな態度が崩せなかった。

 

 

 

圓城菫が蝶屋敷に来て1ヶ月ほど経った。圓城は徐々に蝶屋敷の暮らしに慣れてきた。最近はカナエに相談して花の呼吸を習っている。少しずつ取得しつつあるが、圓城は花の呼吸も自分に合っていない事に気づいた。水の呼吸と同様、なんとなく刀を振るっていて、しっくりこないのだ。できれば独自の呼吸の型を作りたいと考えているが、それにはまだまだ自分の実力が足りない。

「アオイ、今日の昼食はなんですの?」

「卵焼きと焼き魚です」

「それは楽しみですわ。私、アオイの卵焼き好きです」

「褒めても今日の夕食に鯖は出ませんよ」

「あら、残念」

台所でそんな会話ができるくらいにはアオイと打ち解けることができた。アオイが作った鯖の煮込みが圓城のお気に入りだった。最初に作ってくれた日に、美味しかった、絶品だ、と声をかけるとアオイは照れたようにそっぽを向いた。

蝶屋敷の少女達とも徐々に親しく会話ができるようになってきた。圓城が苦手な家事や看護で困ったときはこっそり助けてくれるし、鍛練の際は差し入れもしてくれる。

栗花落カナヲとは残念ながら一度も話したことはない。何度か話しかけてみたが、ニッコリ笑って黙ったままだった。どうやら圓城以外の人にもこんな感じらしいので、圓城は気長に待つことにした。

そして、胡蝶しのぶとは、

「あの、お疲れ様です」

「…お疲れ様です」

全然打ち解けられなかった。継子になってから、鍛練や任務を共にすることが多くなったが、挨拶ぐらいしか交わさない。何か気に入らないことでもあるのか、しのぶは圓城に対してよそよそしい。カナエに相談しようとも思ったが、どう言えばいいのか分からず、結局そのままの状態で日々が過ぎる。

ある日、蝶屋敷に客が訪れた。

「ごめんください」

たまたま手が空いていたしのぶが応対する。そこに立っていたのはピシッと洋装を着こなした初老と思われる男性だった。

「どちら様でしょうか?」

「お初にお目にかかります。私、圓城菫様にお仕えしております使用人です。お嬢様のお荷物を届けに来ました」

使用人?と疑問に思いながらも、圓城を呼んだ。圓城は慌てながら玄関に現れた。

「じいや、わざわざ来なくても、連絡してくれれば取りに行きましたのに」

「いえいえ、仕事関係で近くに用事がありましたので」

圓城と男性が親しげに会話を交わす様子を、しのぶは離れた場所で静かに見ていた。荷物を渡すと、男性はすぐに去っていった。圓城はいくつかの大きな荷物を両手で抱えながら自室に向かう。しのぶは少し迷ったが、圓城の元へ行くと荷物を半分手に取る。

「あ…しのぶさん…?」

「手伝います」

「あ、ありがとうございます。でも、結構重いですよ?」

「これくらい大丈夫です。さっさと運びましょう」

そう言ってしのぶは圓城の部屋へ向かう。圓城も慌てて追いかけた。

「…さっきの方は?」

しのぶが珍しく圓城に話しかけてきた。圓城は戸惑いながら答える。

「私の、使用人です。ずっと私のお世話をしてくれていますの」

「……使用人というのは」

「はい。元々は私の実家に仕えていたのですが、私が家を出る時に付いてきてくれたんです」

「は?家を出た?」

「はい。鬼殺隊に入る事を両親が許してくれるとは思えなかったので、思いきって家を出たんです。その時に、あの人は付いてきてくれました」

しのぶは少し目を見開いて圓城の方を見てきた。

「…それは、ご両親が心配してるのでは」

その言葉に圓城はかなり言いにくそうに言葉を選びながら答える。

「そうですわね。でも、父母や兄弟とは縁を切りました。その、いろいろあって、どうしても鬼殺隊に入りたかったので…」

圓城の言葉を聞きながら、しのぶの心にはドロドロとした黒い感情が渦巻いた。今、再認識した。やっぱり自分は圓城を好きになれない。カナエに気に入られているから、だけではない。圓城は、しのぶが幼い時に鬼によって理不尽に奪われた物を、自分から捨てた。親を、愛してくれる人を、自ら切り捨てた。そして、鬼に全てを奪われたしのぶよりも、自らそれを捨てた圓城の方が鬼狩りとしての実力がある。

しのぶはこっそりと唇を噛んだ。早歩きで圓城の部屋に行き、荷物を畳の上に置く。

「……圓城さん、もう大丈夫ですよね。それじゃあ、私は任務があるので、失礼します」

「あ、待って下さい、しのぶさん!」

目を合わせないようにして部屋を出ようとするしのぶを、圓城は引き留める。

「これ、さっきの使用人がくれましたの。よければおひとつどうぞ」

と差し出してきたのは小さなキャラメルだった。ニッコリ笑う圓城にしのぶは鋭い視線を向ける。

「いりません」

吐き捨てるような口調でそう言うと、その場を去っていった。後に残された圓城は手のひらの小さなキャラメルに視線を落とし、小さくため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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泣き虫と護るための刀

 

 

「……どうしようかしら」

しのぶが去った後、圓城は縁側に座ってぼんやり物思いに耽っていた。今日は任務が入っていないため、鍛練をするつもりだったが、さっきのしのぶの様子が頭から離れない。

「できれば仲良くしたかったけど、無理なのかしらねぇ…」

手のひらのキャラメルを見つめながら小さく呟く。同じ屋根の下で生活するうえで、少しずつ親しくなれるだろうと楽観視していたが、あの様子では難しいのかもしれない。

そんな風に考えていた時、誰かが近づいてくる気配がした。顔を横に向けると、珍しい事に栗花落カナヲが圓城の方へ静かに歩いてくる。圓城は小さく笑って話しかけた。

「ごきげんよう、カナヲさん。何か用事ですか?」

「……」

圓城の顔をまっすぐに見つめ、しばらくしてから小さな口を開いた。

「…アオイが、…呼んでいます」

圓城は苦笑した。きっと仕事が忙しく、手伝いを求めているのだろう。圓城はゆっくり立ち上がった。

「分かりましたわ。すぐに行きます」

カナヲの横を通りすぎようとして、ちょっと考えてから圓城はカナヲに右手を突きだした。

「カナヲさん、どうぞ」

「……?」

カナヲが訝しげな顔をする。圓城はカナヲの手を取ると、しのぶにあげようと思っていたキャラメルをコロンと渡した。

「お菓子です。もしよければ食べてくださいね」

そう言って、カナヲの反応を待たずにその場を離れる。残されたカナヲはキャラメルをしばらく凝視した後、懐から銅貨を取り出しピンと弾く。その結果を確認してからキャラメルを口に放り込んだ。そしてキャラメルの甘さを感じ、ほんの僅かに口が綻んだ。

 

 

 

 

 

胡蝶しのぶは複雑な表情をしていた。先日の圓城への態度は自分でもかなり悪いものだったと自覚している。圓城の話を聞いた時は一瞬頭がカッとなり、ひどい態度をとったが、しばらくしたら頭が冷えた。冷静に考えると別に圓城は何も悪い事をしていない。怒ったのは自分自身の感情の問題であり、圓城自身は関係ない。謝ろうと何度か思ったが、圓城を前にすると黒い感情が溢れだしそうでうまくいかない。結局あの日からほとんど話してはいなかった。しのぶは顔をしかめながら、刀の手入れをしている姉に話しかけた。

「姉さん、明日の任務は?」

「明日は何人かの隊員と合同任務ね。少し離れた森に行くよう命じられてるわ。ちなみに菫も一緒よ~」

その話を聞いて、しのぶは思わず声をあげた。

「私も行く!」

「え?ダメよ。しのぶには別の任務が出ているじゃない」

「うっ、そうだけど、」

「ちゃんと任務を遂行しないと、お館様に怒られちゃうわよ~」

圓城と話すいい機会になると思ったが、さすがに任務を無視できない。しのぶは姉にバレないように小さくため息をついた。

 

 

 

 

その日の圓城の任務は他の隊員と合同で、森で人を襲う鬼を倒す事だった。師範であるカナエの指示のもと、何人かの隊員と共に鬼を追い詰める。鬼の頚を斬ることは成功した。しかし、犠牲が出てしまった。鬼に襲われて、出血多量で死んだ隊員が2人。その直後に鬼を倒したため、喰われずに遺体が残っただけでも幸いなのかもしれない。

圓城は隠の隊員に運ばれていく遺体を見つめながら、涙を流した。声を出さないように必死に我慢する。また、救えなかった。今日の戦いの夢は見なかった。もし、夢を見ていたら救えたかもしれないのに。どうして私には何も出来ないんだろう。

他の隊員に泣いていることがバレる前に、涙を隊服の袖でゴシゴシと拭う。すると、カナエが近づいてきて圓城の頭を優しく撫でた。

「さあ、菫。帰りましょう」

「…はい」

圓城はうつむきながらカナエの後を付いていく。カナエが静かに話しかけてきた。

「菫は泣き虫ねぇ」

「…いつも、こうではありません」

「ええ、分かってるわ。あなたが涙を流すのは、誰かのために泣いている時だもの」

カナエが圓城の方を向いてハンカチを渡してきた。

「さあ、涙をふいて。泣いてはダメ。顔を上げて前を向くのよ。私達は戦わなければならないの。亡くなった人のためにも。」

圓城はハンカチで目元を拭ってから少し顔をあげて、前を歩くカナエに話しかけた。

「師範、あの…」

「師範じゃなくて、カナエって呼んでちょうだいってば~」

「いえ、師範は師範なので…」

圓城はまた流れそうな涙を必死に抑えながら口を開く。

「師範は、なぜ私を継子にしたんですか?」

「だって、あなたが可愛かったから~」

困ったような表情をする圓城にカナエはクスクスと笑うと、言葉を続けた。

「あとは、あなたが私と一緒だったから。最初に出会った時、鬼に優しさを向けていたから」

「…優しさ」

圓城は首をかしげる。

「鬼を救いたいって思ったんでしょう?私もなのよ。あなたとおんなじ」

「……」

「鬼と仲良くなれたらって思うのは、おかしいと思う?」

「鬼と仲良く、ですか」

「人だけではなく、鬼も救えたらって思ってるの」

圓城はその言葉に大いに戸惑う。そして、口を開いた。

「…鬼と共存できる方法が、あればいいのにと思った事はあります。私は、鬼に特別な憎しみはありません。人を襲うのは許せないですが、救う方法があるのならば、救いたいです」

迷うように言葉を選んで紡ぐ。カナエが笑って圓城の頭を再び撫でた。

「ほら、やっぱり菫は優しい子だわ!」

「……優しくありません」

「あなたも頑固ねぇ。しのぶと似ているわ」

「…それ、しのぶさんの前では言わないでください。私が睨まれます」

「あらあら、あの子ったら」

カナエがフワフワ笑って、それにつられて圓城も顔が緩んだ。

「…師範」

「うん?」

「私は未熟者です」

「そうなの?」

「はい。人を救いたいと、思いました。そのために鬼殺隊に入りました。でも、任務で命じられた通りに鬼を斬るだけで、救えていません」

「……」

「私は自己満足で鬼を斬ってるだけでした。人の命と向き合わずに。こんな私は鬼殺隊にいてよろしいのでしょうか」

カナエは圓城の話を黙って聞いた後、再び頭を撫でた。

「…菫。あなたは人を護るために刀を振るいなさい」

「護るため…」

「私としのぶと一緒に。もう鬼によって悲しい思いをする人が出ないように、あなたは護るのよ。その刀で」

圓城はカナエから視線を外し、自分の日輪刀を見つめる。そして、再びカナエの方を見て、

「はい」

と頷いた。カナエがその姿を見て再び笑った。

「あなたならきっともっと強くなれるわ」

「そうでしょうか」

「大丈夫!菫は可愛いもの~」

圓城は苦笑した。そして少し考えた後に口を開く。

「でも、師範……、私が、もしも、…きっと…、」

「うん?」

「……いえ、何でもないです」

優しい瞳を向けてくるカナエに圓城は心の中で思ったことは口に出せなかった。

 

 

私がもしも、大切な人を鬼に殺されたら、その時は、私は鬼を許さないと思います。鬼への慈悲の心を捨てるでしょう。憎しみに心を染めて刀を振るい、鬼を殺すでしょう。

地獄の果てまで追い詰めて。

 

 

そんな事を言ったらカナエはどんな顔をしただろうか。しかし、結局圓城は何も言わずにそのままカナエと共に他愛ない話をしながら蝶屋敷へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 



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名前を呼んで

※今更ですが、この小説には犯罪行為の描写が含まれています。
犯罪を推奨しているわけではありません。現実に行なえば法律により罰せられますので、絶対に行なわないでください。












 

 

夜が嫌いだった。

眠りたくなかったから。

 

でも、あの夜は私にとって大切な思い出で、宝物になった。

ずっと、ずっと覚えてる。笑い合った時間を、あの夜のあなたの笑顔を。

過去を捨てて、悲しい記憶に捕らわれてしまった今でも、私はずっと忘れない。

 

 

 

あの夜に見た、あなたの笑顔の美しさを、私は死ぬまで忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

胡蝶しのぶはふと目を覚ました。今は真夜中。外は暗く、まだ起きるには早い時間だ。二度寝しようかと目を閉じたが、のどの乾きを感じた。

「……何か飲んでこよう」

体を起こし、布団から出る。静かに、ゆっくりと台所へ向かい、水でのどの乾きを潤した。

満足したため、そのまま自室へ戻る。廊下を歩いていると、庭から何か物音がした。

「……?」

しのぶはゆっくりと縁側に向かう。そして庭の方へ視線を向けて、目を見開いた。

庭の隅っこで、圓城菫が木刀を持ち素振りをしていた。無言で何度も何度も素振りを繰り返している。体は汗びっしょりで、パッと見ただけでも長時間鍛練していたのが分かった。

しのぶは吸い寄せられるように、圓城の後ろ姿に近づく。圓城は集中しているのか、しのぶが近づいてくることに気づかないようだ。近づきながら、しのぶが話しかけようか迷っていた時、足が小さな石を弾いた。その瞬間、圓城が振り向く。そして振り向きざまに、懐から短刀を取り出し投げた。短刀がしのぶの横を飛んでいく。そして、うしろの樹木にグサリと刺さった。しのぶは悲鳴こそあげなかったが、ヒヤリと鳥肌が立った。圓城はうしろにいたのがしのぶだと認識すると、サッと顔が青ざめ、木刀を放り出すと慌てて近づいてきた。

「し、しのぶさん、申し訳ありません!つい反射的に投げてしまって…!あ、お、お怪我はありませんか!?」

「……当たってないので」

オロオロする圓城に冷静を装って答える。あの短刀が刺さってたらと思うと恐ろしい。

「…圓城さん、こんな時間に鍛練ですか?」

「え、ええ。眠れなくて…」

圓城がきまりが悪そうに答える。少しでも強くなりたくて、そして眠るのが怖いから、こうして真夜中にも鍛練を繰り返している。

「眠らないと任務に支障が出ますよ。無理にでも寝た方がいいのでは?」

「は、はい。分かっているのですけど…」

しのぶの指摘にうつむく。しのぶの方は圓城から目を逸らしながら怒ったような口調で言葉を続けた。

「だいたい、あの短刀はなんですか?危険な物を投げないで下さい。あんな物を普段から持ち歩いてるんですか?」

「……申し訳ありません。さっきは、その、鬼が、襲ってきたと思ってしまって」

「は?あんな小さな刀で鬼が倒せるわけないじゃないですか。」

「わ、分かってますわ。でも、私にとって短刀は武器というだけでなくて、御守りみたいな物だから…」

「御守り?」

しのぶは首をかしげた。

「は、はい。一年ほど前に、鬼殺隊に入る前なんですが、鬼に初めて襲われた時に、短刀で戦ったんです。それから、短刀を持ってたら安心するというか、ないと落ち着かなくなってしまって…。いつも、何個か服の中に隠し持ってます。もちろん、任務の時は日輪刀を使いますが…」

圓城の話にしのぶはあんぐりと口を開けた。

「短刀で戦った?鬼と?」

「はい。護衛の方と運転手が一緒だったんですが、鬼に殺されて……。護衛が持っていた短刀で何度も鬼を刺し続けました。すぐに鬼殺隊の方が来てくださったので本当に助かりました。あのままでは私も死んでいましたから」

圓城が少し話しにくそうに答えた。しのぶはその話に若干引きつつも、後ろを向いて短刀を樹木から引き抜く。思ったよりも深く刺さっていた事にゾワッとしながら、圓城にそれを渡した。

「…くれぐれも、もう投げないでください。人に刺さったら大変な事になりますよ」

「申し訳ありません」

ペコペコと頭を下げながら圓城が謝る。

「…もう寝ます。あなたも早く寝たらどうですか?」

「いえ、私はまだもう少し鍛練を続けます。おやすみなさい」

そう言って圓城は再び木刀を手に取った。しのぶはその様子に少しイラつきながら言葉をかける。

「だから、寝ないと任務に支障が出ると言っているでしょう?あなただけではなく、鬼殺隊に迷惑がかかるんですよ」

「……少しくらいなら、任務に支障は出ません。私、元々あまり寝ませんので、」

しのぶの鋭い眼光にも圓城は臆することなく淡々と答えた。

「…無理やり寝るくらいなら、もっと鍛練をして、強くなりたいんです。今のままでは、私は人を護ることは、できません」

「……」

再び木刀で素振りを始めた圓城をじっと見つめ、しのぶは口を開いた。

「…なぜ、そんなにも強くなりたいんですか?なぜ、家を出てまで鬼殺隊に入ったんですか?」

その言葉に圓城はしのぶの方を振り向いた。そして、短く答える。

「救いたかったから」

「……」

何の反応も返さないしのぶに向かって、言葉を続ける。

「でも、今のままでは、何も、誰も救えない。師範が言ったんです。護るために刀を振るいなさいと。誰かのために、もう誰も悲しい思いをしないように、刀を握りなさいと。私は、鬼を哀れな生き物だと思っています。不憫で可哀想だとも思います。甘い考えかもしれないけど、できれば鬼も救いたいとさえ、思います」

「……」

「でも、そんな思いだけじゃ、救えないから。だから、せめて目の前の人を護るために、私は強くなりたいんです」

しのぶは、初めて圓城をまっすぐに見つめた。その顔を、瞳を真正面から見つめた。そして、ポツリと呟く。

「…本当に、馬鹿馬鹿しくて、甘い考えですね。姉さんと同じ」

「……」

「…木刀を持ってくるので、待っててください」

「え?」

戸惑う圓城に構わず、しのぶは言葉を続けた。

「あなたのせいで完全に目が覚めてしまいました。手合わせをしましょう。」

「……え、あの」

「鍛練は誰かとした方が、もっと強くなれますよ。それとも、私とでは不満ですか?」

少しすねたような口調でそう言うしのぶに、圓城はパッと顔を輝かせると木刀を握り直した。

結局その後はずっとしのぶと鍛練を続けた。何度か手合わせをして、疲れた2人は縁側に座り休息を取る。しのぶが水分補給にと台所から水を持ってきてくれて、圓城はそれを一気に飲んだ。しのぶも水分補給をしながら口を開いた。

「それにしても、さっきの短刀はやはり危ないです。持ってても構いませんが、絶対にこの屋敷では出さないようにしてください」

しのぶの言葉に圓城は神妙な顔で頷いた。

「はい。仰る通りですね。もう少しでしのぶさんに怪我をさせてしまうところでした。気をつけますわ」

自分も水でのどを潤しながらしのぶはまた口を開く。

「……あなたの、さっきの話、短刀だけで鬼と戦ったというのは、正直驚きました。こう言ってはなんですが、よく生き残れましたね…」

「ああ、元々運動神経はいい方でしたし、最近ようやく伸び始めましたが、12歳の時は身長が低くて小さかったんです。その分、素早く動けて鬼も捕まえにくかったのでしょう。」

「ああ、なるほ……ん?」

「ん?」

会話の途中で突然言葉を止めたしのぶが首をかしげたため、圓城も不思議そうな表情をした。

「……一年前に鬼に襲われて、鬼殺隊に入ったんですよね?」

「?ええ、そう言いました」

「…姉さんから、あなたは15歳だと聞いたんですが…」

「………あ゛っ」

圓城はしまったと思い、思わず口を両手で押さえる。その様子を見てしのぶが怖い顔で睨んだ。

「どうやら、説明をしていただく必要があるみたいですね」

「………」

圓城が顔を青くする。しばらく抵抗する様子を見せていたが、しのぶは圓城から強引に話を聞き出した。

「こ、戸籍を買った?」

「……はい」

「え、ちょっと待ってください。じゃあ、あなたの名前って…」

「……生まれた時は違う名前でした。これは元は他人の、買った戸籍の名前です。年齢も、本当は13歳です…」

物凄く言いにくそうに圓城が答えて、しのぶは顔を引きつらせる。

「……それって、あの、不法、なのでは…?」

「……」

しのぶの言葉に圓城は黙りこみ、突然土下座をした。

「しのぶさん、お願いですから、この事はご内密にお願いします」

「……」

「私は、全ての過去も名前も捨てて、鬼殺隊に入りました。この名前で、今後の人生を歩むつもりです。本名のままでは、父母に連れ戻される危険があります」

「……」

「だから、どうか、どうか、…ご内密に…」

しのぶは、目の前の小刻みに震えながら土下座をする圓城の姿を見つめた。そして、思う。

姉さんの言う通りだ。彼女が道楽で鬼殺隊に入っただなんて、とんでもない。何かは分からないが、彼女は私が考えるよりも、ずっと重いものを背負ってこの場にいる。家族も、本来の人生も、名前さえ捨てて。でも、ただ一つだけ確かな事は、彼女の思いは私と一緒だ。人を護るために、誰かの幸福を護るために、鬼殺隊にいる。

しのぶは頭を下げたままの圓城に向かって口を開いた。

「この前の事、許してくれるなら、秘密にする」

「……?」

圓城は訝しげな表情で顔を上げた。

「この前私がひどい態度をとった時の事、ごめんなさい。私もいろいろあってむしゃくしゃしてた」

「……いえ」

「あと、同じ年ならこれから敬語はやめる。私は、あなたの事を菫って呼ぶ。あなたもしのぶと呼びなさい」

「…え、あの…」

「そうしてくれたら、誰にも言わないわ。私も墓まで持っていく。これでいいでしょう?」

「は、はい!」

「だから、敬語はやめなさいってば!」

「も、申し訳ありま、…じゃなくて、すみま…」

「もう、だから!」

しばらく同じような会話を繰り返し、やがて2人は同時に吹き出し、笑った。

「…慣れるまでは、時間がかかるかもしれませ、じゃなくて、かかると、思う…」

「それでいいわ。ゆっくり慣れればいいの」

「…しのぶ、しのぶちゃん」

「ちゃんもいらない。しのぶの方がいい」

「……しのぶ」

「うん、いい感じ」

「…難しい」

「なんでよ。名前を呼び捨てにするだけじゃない」

「…しのぶ、しのぶ、」

「そう、その調子」

そんな2人を空に浮かぶ満月だけが見ていた。

それから、少しずつしのぶと圓城は距離を縮め始めた。圓城は徐々に敬語のない会話に慣れていき、2人は打ち解け合っていく。そんな2人の姿をカナエが嬉しそうに見ていた。

「菫、すっかりしのぶと仲良しねぇ」

「仲良し、でしょうか」

「ええ!あなた達ならきっと仲良くなれるって思ってたわ。だって、2人ともとっても優しくていい子だもの!」

圓城はその言葉に照れたように笑って下を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

その数日後のこと。圓城の元に荷物が届けられた。どうやら、じいやからの荷物らしく、圓城はピンときた。受け取って、自室に戻るのも忘れてそれをじっと見つめる。

「菫?どうしたの、それ?」

廊下で包みを手に持ちじっと見ている圓城に、しのぶが声をかける。

「使用人からの荷物みたい」

「開けないの?」

「…うん」

しのぶに促され、圓城はその場で包みを開いた。

「わ、綺麗!」

しのぶが思わず声をあげる。包みから出てきたのは美しい空色の羽織だった。黄色の可愛らしい花が描かれている。

「綺麗な羽織ね。これ、何の花かしら?」

「……たぶん、雛菊」

「へえ。よく知ってるわね」

しのぶはしげしげと羽織を見つめ、言葉を続けた。

「なんだか、あなたの花って感じね」

「え?」

「うまく言えないけど、この花、あなたに似合ってる、すごく。あなたの名前、菫だけど、スミレよりもこの花の方が似合うわ」

その言葉に圓城はキョトンとした後、なぜか突然クスクスと笑い始めた。

「え、何?私、変な事言った?」

「ううん。言ってない」

そう言いながらもクスクス笑うのを止めない圓城にしのぶはムッとする。

「もう、何よ!意味分からないわ!」

「ごめん、ごめん」

圓城はそっとしのぶの耳に顔を近づけて囁いた。

「今日ね、実は私の誕生日なの。本当の」

「え!」

「これは、使用人からの贈り物。」

本来なら今日は圓城の14歳の誕生日なのだ。戸籍上の出生日は違うため、公に祝福できない。これは唯一誕生日を知るじいやからの極秘の誕生日の贈り物だ。

それを聞いて、しのぶは少しだけ痛ましげな顔をした後、誰にも聞こえないように圓城にそっと囁いた。

「誕生日、おめでとう。菫」

「…ありがとう、しのぶ」

「今日は私がごちそうを作るわ」

「いいの。アオイが今日は鯖の煮込みを作ってくれるって。それで十分」

「あなた、あれ好きねぇ」

小声で会話を交わしながら圓城は思う。想像よりもずっと素晴らしい誕生日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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睡の呼吸

「あら、菫。その羽織、素敵ね」

隊服の上から新しい羽織を身につけた圓城を見て、胡蝶カナエがフワリと微笑んだ。

「…ありがとうございます」

「とても可愛いわ。一気に華やかさが増したわねぇ」

カナエの言葉に圓城は顔を赤くして、はにかんだ。

「そうだわ!菫、ちょっと後ろを向いて」

「?」

カナエにそう言われて訝しげな顔をしながら、言われた通りにクルリと後ろを向く。カナエが圓城の長い髪に触れる。

「はい、出来上がり。どうかしら?」

圓城が戸惑っているうちにカナエが髪を後ろで緩くまとめた。可愛らしい黄色の蝶の髪飾りがついている。

「師範、これは…」

「気に入らない?皆とお揃いなのよ」

「…ありがとうございます」

圓城が嬉しそうに微笑み、カナエも目を細める。

そんな2人にしのぶは声をかける。

「姉さん、菫、早く任務に行かないと!」

「はいはい。そんなに焦らなくても大丈夫よ~」

今日は久しぶりに3人一緒の合同任務だ。他の隊員との合流場所にはすでに何人かの隊員が待機していた。

「現地の人から鬼の情報を聞いてくるわ。しのぶと菫はここで待っててちょうだいね」

カナエはそう言って足早に離れていく。残されたしのぶと圓城は、他の隊員達と少し離れた場所でカナエを待つことにした。

「…その羽織と髪飾り」

「うん?」

しのぶが話しかけると圓城は首をかしげながらしのぶの方へ視線を向ける。

「本当に、似合ってるわよ。とっても。」

「ありがとう、しのぶ」

圓城が嬉しそうに笑い、しのぶも笑い返した。

「羽織といえば、師範のあの羽織って凄く素敵よね。ひらひらして、本当に蝶々が舞ってるみたいで綺麗。憧れるわ…」

「……そうね」

「きっと、しのぶにも似合うと思う」

「え?」

「しのぶが、師範と同じ羽織を着ているの、見てみたい。きっと綺麗でしょうね…」

その言葉にしのぶは少し面食らったような表情をした。

そして何かを言おうとして口を開いた時、近くにいた数人の隊員の話が耳に飛び込んできた。

「おい、あそこにいるの、花柱の継子だろ。いいところのお嬢様だって噂の」

「遊びで鬼殺隊に入ったなんて、迷惑な話だよな」

「継子になったのも金の力なんだろ。図々しい」

聞こえよがしの悪口に、しのぶがその隊員をギロリと睨む。そして、そちらに足を踏み出し

「ちょっと!あなた達……」

と抗議の声をかけた時、圓城がしのぶの腕を掴んだ。しのぶが驚いて足を止め圓城の方を振り向く。圓城はしのぶの目を見つめて、黙ったまま首を横に振った。

「菫!あの人達…」

「いいから。気にしないの」

「いいからって、だって…」

しのぶがなおも言いつのろうとした時、

「お待たせ~。あら、どうしたの?」

カナエが帰ってきた。険しい顔をしているしのぶと、しのぶの腕を掴んでいる圓城を見てキョトンとしている。

「いえ、何でもありません。師範、今日はどのように動きましょうか」

「そうねぇ、とりあえず菫には西の方へ行ってもらって、私と他の隊員は…」

カナエは不思議そうな顔をしていたが、圓城に尋ねられ任務の詳細を話すうちにそちらに集中し始めた。しのぶだけが悔しそうに唇を噛み締めていた。

その日の任務はすぐに終了した。数人の隊員とカナエが鬼の頚を斬り、犠牲者は出ず、怪我人はいたが皆軽傷だった。

「じゃあ、ちょっと報告に行ってくるわね。あなた達2人は先に帰っててちょうだいね~」

カナエはそう言って足早に去っていった。圓城としのぶは蝶屋敷へ戻るため2人で歩を進める。しのぶは黙りこんでおり、その沈黙に圓城は一つため息をついて口を開いた。

「まだ怒ってるの?」

「……」

「そんなに怒らないでよ。今日は特別にしのぶの好物を買ってきてあげる」

「……」

「……どこかでお土産も買って帰りましょうか。何がいいかな…」

「なんで、そんなに平気な顔をしてるのよ!」

突然しのぶが大声を出した。圓城はビクッとしたが、静かに見返す。

「あの人達、最低!あなたの事、何も知らないくせに、勝手な噂をたてて、あんな悪口許せない!」

「……放っておきましょう」

静かにそう言った圓城を、しのぶは睨み付けるように視線を向けてきた。

「なんで!」

「あんな噂に振り回されるくらいなら、鍛練して自分を高める方がずっといいわ。それに…」

「それに?」

「…少し前の私は、あんな噂を立てられても仕方なかったの。人の命と向き合わずに、任務をこなしていたから。だから、いいの。どんなに悪くいわれても、人を護るために、ここにいるって決めたから。」

「……納得できない」

しのぶはそう言いながらも、自分も前までは、噂話をしていた隊員と同じような目で圓城を見ていた事を思い出し、圓城から目を逸らした。再び黙りこんだしのぶの手を握ると、しのぶが顔を上げる。圓城は笑って口を開いた。

「…しのぶ、私ね、自分で呼吸の型を作るの」

「…え」

しのぶは目を見開いた。

「水の呼吸が合ってないのよ。花の呼吸の方が使いやすいけど、やっぱり完全じゃない。だから、花の呼吸を元にして、独自に編み出そうと思って。」

「できるの?」

「師範と話しながら、少しずつ考えてる。自分に合った戦い方を見つけたら、もっと強くなれるわ。さっきの人たちが黙るくらい。」

「……」

「強くなりたいの、もっと、もっと」

圓城は真っ直ぐに前を見つめる。まだまだ、強くなる必要がある。鬼を斬るために。そして、誰かを護るために。悪い噂なんてどうでもいいのだ。自分の道を自分で切り開き、もっと強くなってみせる。知らず知らずのうちにしのぶの手を強く握っていた。

しのぶはその姿をじっと見つめ、何も答えなかった。

 

 

 

 

 

「また、寝ていないの?」

夜、圓城が走り込みをして帰ってくると、縁側でしのぶが待っていた。圓城はしのぶがいたことに驚きつつ、苦笑いをしながら近づく。

「しのぶも起きてたの?」

「…なんだか眠れなくて」

「じゃあ、起きてましょうか?手合わせでもする?」

「いえ。明日も任務があるし、もう少ししたら部屋へ戻るわ」

「あら残念」

そう言いながらしのぶの隣に座る。

「……何日寝てないの?」

しのぶは圓城がしばらく寝ていないことに気づいていた。本人は上手に隠しており、実際しのぶ以外は気づいていないようだ。しのぶが心配そうな表情をしているのを見て、圓城は苦笑しながら人差し指を立てた。

「ヒミツ」

「…寝ないと、そのうち倒れてしまうわ」

「大丈夫。自分の体の事は私が一番知ってるわよ」

圓城は手拭いで汗をふきながら笑う。

「どうして寝ないの?」

「……嫌いなの。眠ってしまうのが」

「なんで?」

「…ヒミツ」

「もう!いつもそればかり!」

しのぶが口を尖らせる。軽く睨み付けるが圓城は困ったように笑うだけでそれ以上は答えなかった。少し黙った後、圓城が迷ったように口を開いた。

「…私のね、呼吸の型の事、なんだけど」

「うん?」

「睡の呼吸って名前にしようと思うの」

「ねむりの呼吸?睡眠が嫌いなのに?」

「うん。自分への戒めをこめて」

「戒め?」

「そう。ちなみに“睡眠”の“睡”って書いて睡の呼吸なの」

圓城は微かに笑う。戒めであり、警告だ。睡眠で人を救えるなんて思わないように。もう二度と勘違いしないように、自分で自分を戒めるための名前だ。しのぶがなおも不思議そうに尋ねる。

「眠るって書いて眠の呼吸じゃないの?」

「最初はそうしようと思ったんだけど、“睡”の漢字も、ねむりって読むの。“目”に“垂れる”って書くでしょう?一説によると花が垂れ下がる事を示してるんですって。その横に「目」を加えて、眠くなってまぶたが垂れてくるって意味を持つらしいの。花の呼吸からの派生になるし。眠るって漢字より、こっちの漢字を使おうと思って」

しのぶが目を丸くして何度か頷きながら小さく息をついた。

「…あなたは、どんどん上に行くわね。そのうち柱になるかも」

「ええ?無理よ。師範みたいになるにはまだまだだもの」

「分からないわよ。階級も上がってるんでしょう?」

「うーん、まあ…」

圓城は適当に言葉を濁しながら立ち上がった。誤魔化すように話題を変える。

「ねえ、しのぶ。今度の休み、どこかに出掛けましょうか」

「え、どこに?」

「甘味処はどう?」

「いいわね。甘いもの食べたい」

「よかった。楽しみね」

圓城としのぶは笑い合う。しのぶは休みが待ち遠しくなり、胸が高鳴った。しかし、

「きっと、カナヲさんも喜ぶわ」

と、圓城が続けた言葉にポカンと口を開いた。

「?しのぶ、どうしたの?」

「…なんで、カナヲ?」

「え、いや、今日、カナヲさんが珍しく私と少しだけ話をしてくれたの。その時、前に私があげたキャラメルが美味しかったって言ってたから、甘味処に連れていってあげようかなって思って…」

「……」

「…しのぶ?」

なぜかしのぶの目がつり上がった。圓城がその様子に戸惑っていると、それに構わずしのぶは立ち上がる。

「じゃあ、私とあなたとカナヲの3人ってことなのね」

「え、ええ。あ、でもアオイとか他の子も誘ってもいいわね…しのぶ、なんで怒ってるの?」

「怒ってない!」

「怒ってるじゃない…」

「怒ってない!もう寝る!」

誰がどう見ても怒ってる様子でしのぶは自室に戻っていった。圓城はポカンと口を開いてその場でしばらく固まっていた。

 

 

 

 

 

 

 



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願いをこめて

 

 

 

「菫、どうしたの?集中できてないわね」

カナエに指摘されて、思わず圓城は顔をしかめた。現在は鍛練をしているが、カナエの言う通りいまいち身が入らない。

「すみません、師範……」

「何かあった?」

「…何も、ありません」

「あらあら、嘘が下手ねぇ」

カナエがクスクス笑う。特に気を悪くした様子はないようだ。圓城は小さくため息をついてから口を開いた。

「…しのぶを、また怒らせてしまったみたいで」

「あら、今度はどうして喧嘩したの?」

「喧嘩、じゃないんです。今度の休みの日に甘味処に行こうって言っただけなのに、なぜか怒ってしまって…」

「甘味処?」

カナエが微笑ましそうな顔をする。

「2人でお出かけなのね。本当にすっかり仲良くなって…」

「いや、2人じゃなくてカナヲさんも…。あ、師範も一緒に行きませんか?」

「残念だけど、その日は私は仕事なの。今度の機会にするわね」

そう言うと圓城は残念そうな顔をする。カナエはニコニコ笑いながら慰めるように頭を撫でた。

「…師範はよく頭を撫でてくれますね」

「あ、嫌だった?」

「いえ…、」

嫌などころか、とても心地よくて嬉しいとはさすがに恥ずかしくて言葉に出せなかった。

「…頭を撫でられるのは、師範が初めてなので…」

「あら、そうなの?ご両親からはしてもらった事はないの?」

その言葉に圓城が苦笑したため、カナエはしまったと思う。カナエは圓城の過去を知らない。鬼殺隊に属するからには、何か事情があるのだろうと考え、カナエの方からはあえて圓城に尋ねた事はなかった。

「……時々、羨ましくなります」

「うん?」

「しのぶが。……しのぶには、師範がいて、帰る場所があるから。私は、事情があって家には帰れないので…それが時折どうしようもなく、寂しくなるんです」

圓城はそう言いながら、自分の言葉に吐き気を覚える。自分からこの世界に飛び込んだのに、情けない。寂しさを、孤独を嘆く資格はない。

「あらあら、あなただって、ここに帰ってくればいいでしょう?」

「……」

「ここはあなたにとっての帰る場所じゃあないのかしら?」

「……」

「帰ってらっしゃい、菫。私もしのぶもみーんな、あなたを待ってるわ。この蝶屋敷で」

カナエの言葉に圓城が頬を赤く染める。そして花が咲いたように無邪気な笑顔を浮かべて、

「はい!」

と大きく返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

そんなカナエと圓城を、少し離れた場所でしのぶはじっと見つめていた。圓城の真っ赤に染まった屈託のない笑顔から目が離せない。

「……」

少しだけ何かを考えるような仕草をする。そして、ふいっと目を逸らして蝶屋敷へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、お嬢様」

「ええ、お久しぶり。じいや、この羽織ありがとう」

休日、朝早くからじいやが蝶屋敷を訪れた。2人で蝶屋敷の庭で小声で挨拶を交わす。じいやは少し大きめの鞄を携えて、いつも通りきっちりと洋装を着こなしていた。

「例の件はどう?資金は大丈夫かしら?」

「はい。ギリギリですが、何とかなりそうです。こちらをご覧ください…」

じいやが鞄から書類を出した。少し時間にも余裕が出てきたため、じいやと連絡を取り合い、事業を始めることにした。まだ計画段階ではあるが少しずつ進んでいる。じいやには社長をやってもらうことになっているので、最近圓城もじいやも大忙しだった。

「……うん。このまま進めてちょうだい。資金が足りないときは何とかするからいつでも連絡して」

「大丈夫でこざいますよ。お嬢様は鍛練もあるのですから。そちらに集中してください」

「ありがとう」

じいやは圓城の顔を眩しそうに見つめた。

「何、じいや?」

「いえいえ、いつの間にかとてもいい顔をするようになったと思いまして」

「そう?」

「…昔のお嬢様はおしとやかで気品ある美しさを持っていましたが、失礼ながらまるでお人形のような無機質さがありました。今のお嬢様は瞳に力が宿っていて、強い意志が感じられます。私は、戦っているお嬢様が一番お美しいと思いますよ」

「まあ、お上手だこと」

圓城はクスクス笑う。そして、身に付けている羽織の裾を少し持ち上げた。

「ねえ」

「はい」

「これ、雛菊でしょう?」

「はい。その通りです」

「……しのぶがね、私みたいな花だって言うの」

「おやおや。それは…」

じいやは苦笑した。

「……綺麗な花だけど、私にはもう、重くて、華やかすぎるわ……」

「私はお似合いだと思いますよ」

圓城はその言葉に少しだけ悲しそうに笑い、何も答えなかった。

 

 

 

 

 

 

「何を話してたの?」

じいやが帰った後、しのぶが圓城に声をかけてきた。圓城がしのぶの方を振り向き、笑って答える。

「あら、もう怒ってないの?」

「最初から怒ってないわよ!それで、あの人と何の話をしてたの?」

「仕事の事で少しね、」

「仕事?」

「うん。鬼殺隊と平行して商売を始めようと思うの」

「は?」

しのぶが驚きでポカンと口を開いた。

「商売って…」

「お金はないより、ある方がいいから。あ、でも副業ってわけじゃないのよ?表向きの経営は使用人がしてくれるから…」

「……すごい事を考えるのね…」

「そう?でもまだ計画段階だからどうなるかは分からないのよ」

圓城は笑いながらしのぶの肩に手を置いた。

「さて、甘味処に行きましょうか」

 

 

 

 

「さあ、何を食べましょうかね」

圓城としのぶ、そしてカナヲの3人は甘味処に来て、品書きを見ていた。圓城は楽しそうに笑い、しのぶは落ち着かない様子でキョロキョロしている。カナヲは表情を変えず、大人しく席に座っていた。

「しのぶ、カナヲさん、何が食べたい?お団子?あんみつ?」

「ええっと、ほら、カナヲも品書きを見て」

しのぶが品書きをカナヲに向ける。カナヲがじっとそれを見つめ、やがて懐から銅貨を取り出す。しのぶがやっぱり銅貨を使うのか、と思った時だった。

「あ、そうだわ。カナヲさん、ちょっと待って。銅貨は出さなくていいわ」

「へ?」

圓城がカナヲの行動を止めた。そして、近くにいた給仕を呼び止める。

「すいません。この品書きの物、全てください」

「はあっ!?」

しのぶが圓城の言葉にギョッとした。給仕も驚いた様子を見せたが、すぐに厨房へ下がる。

「ちょっと、何考えてるのよ!全部なんて!」

「あら、大丈夫よ。私、貯金していたからお金はあるわ。少しくらい贅沢しても大丈夫!」

「そういう問題じゃない!食べきれるわけないじゃない!」

「大丈夫、大丈夫。なんとかなるわよ」

ニコニコしながらそう言い放つ圓城に、しのぶは頭を抱えた。やがて給仕がやって来て、団子やあんみつ、わらび餅にお汁粉やおはぎなど大量の甘味を並べた。しのぶは見ただけでげんなりする。こんなに食べきれるわけない。

「菫、あなたねぇ…!」

「はい、カナヲさん。あーん」

「ちょっと、聞いてる!?」

圓城がしのぶを無視してカナヲの口に団子を突っ込んだ。

「美味しい?じゃあ、しのぶもあーん」

「いや、私は自分で…」

モゴモゴ何かを言うしのぶの口にも団子を突っ込む。

「ね?美味しいでしょう」

「……まあ」

しのぶは口の中の団子を飲み込み渋々返事をした。

それから少しずつ3人で大量の甘味を食べ続けた。最初にカナヲがもう入らないと言うように箸を置き、次にしのぶも、

「もう、あんこは一生見たくない」

と、机に突っ伏した。

「うーん、無謀だったかしら?でも美味しかったわねえ、カナヲさん」

「……」

カナヲは何も答えず、圓城をじっと見つめてきた。しのぶが圓城を睨みながら口を開く。

「本当に何を考えてるのよ。こんなに食べきれるわけないじゃない」

「うーん。そうなんだけど、でもね、こういう選択肢もありかなって」

「は?」

圓城があんみつをすくいながら、言葉を続けた。

「カナヲさん、銅貨で自分の意思を決めてるでしょう?でも、裏か表か、どちらかしか選べない。何かを選ぶってことは、それ以外を諦めるってことだから、それなら、ぜーんぶ選ぶって選択肢もあるんじゃないかなって、ふと思ったの」

「……」

「でも、私もさすがにお腹いっぱいだわ。どうしましょうか、これ」

「……っ、もう!本当に信じられない!」

しのぶが怒り、圓城が笑う。そして、そんな2人をカナヲがじっと見つめていた。

結局、店の好意で残りの品は包んでもらう。

「お土産ができてよかったわね。きっとみんな喜ぶわ」

「カナヲ、いくら自分で決めることが出来ないからって、こんなバカなことしちゃダメよ」

間にカナヲを挟んで3人で帰路につく。圓城がカナヲの手を握った。ビクリとするカナヲに微笑みかける。

「今日は楽しかったわ。カナヲさん、私の遊びに付き合ってくれてありがとう」

「……」

カナヲはやはり何も答えない。圓城は手を繋ぐのは嫌だったかな、と思い、手を離した。

「ねえ、もしまた暇な時があったら、アオイや師範とも行きたいわね」

「その時はぜっっったい全部の品を注文させないから!」

「あら残念」

しのぶとそう言いながら歩いていると、ふいに2人の間に挟まったカナヲが圓城としのぶの手を握った。しのぶがハッとその手を見る。圓城は何も言わずにその手を握り返して、ただ笑った。

「ねえ、しのぶ」

「……なに?」

「こうやって、何も考えずに遊びに行ける日々が来るといいわね」

「……」

「時々、想像するの。争いがなくて、誰も戦う必要がなくて、家族を愛して、友達と語り合って、何にも怯える必要のない、平和な未来を」

「……」

「でも、待ってるだけじゃ、それは来ないから。だから、ね。私は作りたいの。平和な世の中を、未来を。カナヲさんが生きる世界はそんな希望のある世界であってほしいなぁ」

「……うん」

しのぶは短くそう答えてカナヲの手を強く握った。帰り道、圓城はカナヲに楽しそうに話しかけ続けた。

「帰りにシャボン玉を買って帰りましょうか。私、シャボン玉したことないの。教えてくれる?」

「……」

「次の休みはいつかしらね。あ、ねえ、私もカナヲって呼んでもいい?ずっとそう呼びたかったの」

「……」

カナヲは何も答えなかったが、圓城の手を強く握ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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破滅の始まり

 

 

「これ、どうしたの?」

甘味処からのお土産を食卓に広げると、カナエは目を丸くした。

「聞いてよ、姉さん!菫が店の甘味を全部注文したのよ!」

「師範、このおはぎ美味しいですよ」 

「菫!」

しのぶが噛みつき、圓城が苦笑する。カナエも笑いながら口を開いた。

「ずいぶん思い切ったわねえ」

「でも、美味しかったです。師範も今度は一緒に行きましょう」

「ええ、もちろん。楽しみにしてるわね」

「私はもういい…。一生分の甘味を食べたわ…」

しのぶがげっそりしながら言い放ち、カナエはますます笑った。

「それじゃあ、これはみんなで食べましょうか。菫、アオイや他の子も呼んできてちょうだい」

「はい!」

圓城は立ち上がって蝶屋敷の少女達を呼びに行く。少女達は大量の甘味に目を丸くしたが、その後は楽しそうにみんなで食べ始めた。そんな姿を静かに見つめながら圓城はしのぶに声をかけた。

「しのぶ、今日は楽しかったわね」

「……あなたがあんなに大量に注文するまではね」

「だから、ごめんなさいってば」

「本当は反省してないでしょ」

「してるわよ」

「どうだか」

唇を尖らせるしのぶに、圓城は笑いかける。

「お互いに任務があるから……、私達も階級が上がれば、これから、こうやって一緒に出かけるのは少なくなるでしょう」

「……そうね」

「だから、一緒にこうやって同じ時間を過ごせる時に、遊んだり出かけたりしたかったのよ」

「…まあ、任務がなくて、私に暇があれば、また今日みたいに一緒に出かけてもいいわよ」

「じゃあ、今度は甘味処以外で」

「当たり前!今日みたいなのはたくさんよ」

しのぶはまた大量の甘味を思い出したのか顔をしかめ、圓城はクスクス笑った。

 

 

 

 

 

 

 

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」

圓城は刀を振るった。今日の任務は1人だ。最近単独での任務が続いている。鬼の頚を一人で斬らなければならないため、責任重大だ。しかし、他人に気を使う必要もなく、自由に刀を操れるのは嬉しかった。早々と複数の鬼の頚を斬っていく。自分の呼吸の型を作ってから、格段に能力は上がり戦いやすくなった。以前より攻撃の威力も上がり、素早く動けるようになった事に素直に喜びを感じる。

全てが終了し、後始末を隠の隊員に任せ、圓城は近くの木の下に座り込む。疲労が貯まっているのがよく分かった。今日で睡眠を取らずに動き続けて12日目だ。睡眠不足によるめまいや頭痛にはもう慣れた。肌質の悪化や目の下のクマはなんとか化粧で隠している。しかし、これが限界なのかもしれない。少し動くだけで身体の倦怠感が増していき、吐き気まで感じる。

「……階級示せ」

自分の手の甲を見ながら呟くと、“甲”の文字が浮かんだ。圓城は黙ってその文字を見つめる。いつの間にか階級がこんなに高くなった。ずっとひたすら鬼を斬り続けた結果だ。鬼殺隊に入って1年と数ヶ月、死なずにここまで出世できたのだから運がいいのだろう。だが、自分が強くなった気はしない。まだ足りない。全然足りない…。

「…帰ろ」

圓城はヨロヨロと立ち上がり、蝶屋敷へ向かって足を踏み出した。

「ただいま戻りました」

「おかえり、菫」

深夜にも関わらず、しのぶが出迎えてくれた。圓城は少し驚く。

「しのぶ、まだ起きてたの?」

「ええ。研究がいいところまできてるから…」

圓城は苦笑した。しのぶは小柄な体躯故に鬼の頚を斬ることが出来ないため、鬼を殺す毒を開発しているのだ。

「すごいわね。鬼を殺せる毒かぁ…。完成したら少し分けてね」

「え?何するのよ?」

「短刀に塗る。そしたら短刀だけで戦えるかもしれないでしょう?」

なるほど、としのぶは頷きながら、圓城の顔をじっと見つめた。

「菫?あなた、何日寝てないの?」

「うーん、何日だったかしら…」

圓城はしのぶから目を逸らす。しのぶが怒ったように眉を吊り上げた。

「誤魔化さないで。もうずっと寝てないんでしょう!」

「えっと、まあ…」

「早く布団に入って!寝なさい!」

「……大丈夫よ」

「大丈夫じゃない!早く寝ないと姉さんに言うわよ!」

その言葉に圓城は顔をしかめる。

「…分かった、分かったわよ…。でも取りあえず化粧だけでも落としてくるから…その後寝るわ」

「寝るまで見張ってるから。早く化粧を落としてきなさい!」

しのぶの厳しい言葉に思わずため息をついて、圓城は洗面所に向かった。化粧を落としてから、顔を洗い自室に向かう。部屋の前で待っていたしのぶは圓城の顔を見てギョッとした。

「…そんなにひどい?」

「顔色がひどいわ。クマも。一体どうしてそんなに眠りたくないの?」

「…もう寝るから。しのぶは研究に戻りなさいな」

「ダメ。あなたが寝るまでここにいる」

圓城は渋々しのぶを自室に入れた。着替える間、しのふが布団を敷いてくれた。

「ほら、早く横になって」

「はいはい。ちゃんと寝るから」

圓城が布団に入り、横になってもしのぶはまるで睨むように圓城を見張っている。圓城は少しだけ笑って目を閉じた。どうやら今夜はこのまま眠るしかないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

泣き声がする。誰?誰の声?この声を私は知ってる。どうしてそんなに泣いてるの?

『姉さん…っ、姉さん!』

暗闇。どこまでも広がる暗い世界。ここはどこだろう。

『…言って!どんな鬼なの!どいつにやられたの…!!』

ふと泣き声の方へ顔を向ける。そして絶句した。

胡蝶しのぶが泣いていた。その腕の中には血にまみれた胡蝶カナエがいる。どう見ても死にかけている。

『姉さん!!』

カナエが何かを言って、しのぶが絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

そして、圓城は飛び起きた。

 

 

 

 

 

 

 



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花散る時

 

 

「あああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

突然眠っていた圓城が絶叫しながら飛び起き、その悲鳴が屋敷中に響き渡る。アオイが慌てた様子で部屋へ駆けつけてきた。

「菫さん、どうしました!?」

アオイの声は圓城の耳に届かない。圓城はまるで何かに追われたように息を切らしており、瞳には涙が溢れていた。顔色は真っ青で、苦痛を感じているように表情は歪んでいる。

「……っ、アオイ、師範は!?」

「え、カナエ様なら、任務に行かれましたが…」

「任務!?昼間なのに--」

「何言ってるんですか、もう夜ですよ?」

「はあ!?」

圓城は驚愕しながら外へ視線を向ける。アオイの言った通り、屋敷の庭は真っ暗だった。

「……っ、なんで」

「なんでって、菫さん、昨日任務から帰ってきた後、何をやっても起きなくて。カナエ様が、今日は菫さんの任務はないからゆっくり休ませるようにって…」

「……っ!」

圓城は素早く立ち上がった。寝衣のまま羽織だけを身に付け、刀を手に取る。そして部屋から飛び出した。

「菫さん、どこに行くんですか!?」

アオイの驚愕する声が後ろから聞こえたが無視をした。蝶屋敷から飛び出し、走る。

(しずか)!」

圓城が名前を呼ぶと、鎹鴉が飛んできた。

「花柱はどこにいる!?」

「カァー!圓城ォ!今日ノ任務ハナシ!!任務ハナシ!!休養シロ!」

「師範はどこにいるの!答えなさい!」

圓城は走りながら怒鳴った。鎹鴉の閑は何度か屋敷に戻るように言ってきたが、圓城が短刀をチラつかせると怯えたように、

「花柱ハ南西ノ町ニイル!現在単身任務中!」

と言ってきたため、圓城は大声で、

「案内しなさい!」

と叫んだ。

鎹鴉の後に付いていきながら、ひたすら走る。嫌な予感に心臓が痛みを訴えてきた。あれは夢だ。カナエが鬼に負けるはずはない。だって、あんなに強い人が負けるわけないんだ。だから、あれはただの夢なんだ。

 

 

本当に?

 

 

圓城は今にも悲鳴をあげそうになる自分の口を片手で防いだ。悲鳴の代わりに鴉に向かって怒鳴る。

「まだ先なの!?もっと早く!!」

「無茶言ウナ!」

鴉が負けじと圓城に叫んだ時、見覚えのある鎹鴉が別方向から飛んでくるのが見えた。

「あれは…!」

間違いない。何度か見た、カナエの鎹鴉だ。

「花柱胡蝶カナエガ単独ニテ上弦ノ鬼ト戦闘中!至急救援ヲ求ム!」

圓城の青白い顔がもっと青くなる。カナエの鎹鴉に

「他の隊員を呼んできて!妹のしのぶも!!」

と声をかけてから、疾風のように駆けた。どうか、どうか間に合いますように------

もう朝も近い。圓城は鴉の案内のもと、素早く足を動かす。そして、人通りのない道で不気味な人物を見つけた。

「----っ!」

それは、どこかで見たことのあるような人物、いや鬼だった。血のような真っ赤な帽子と服、縦縞の袴を着た白橡色の長髪の鬼だ。しかし、先に圓城の目に飛び込んだのはその鬼の足元に倒れている、血にまみれた胡蝶カナエの姿だった。

「っ、あああああぁぁぁぁぁ!」

呼吸をするのも忘れて鬼に斬りかかる。

「おっと、危ないなぁ」

鬼は簡単に圓城の攻撃を避けた。圓城はカナエの前に庇うように立つと、日輪刀を構える。

「……菫、…ダメ、逃げて…」

カナエのか細い声が聞こえたが、圓城は目の前の鬼をただ睨み付ける。

「おやおや、突然攻撃してくるとは物騒だね。君も鬼殺隊かい?」

鬼はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる。その瞳は虹色で、『上弦』『弍』と刻まれていた。

「……死ねェっ!」

圓城は生まれて初めての罵倒を叫びながら刀を振り下ろした。

「睡の呼吸 弍ノ型 枕返し」

渾身の力で刀を振るうも、鬼はやはり簡単にそれから逃れる。そして、不気味に笑いながら口を開いた。

「うわぁ、君、すっごく美味しそうだね!君みたいな純粋培養で大切に育てられましたって感じの女の子は珍しいよ!こんな田舎で君みたいな娘に出会うなんて…運命なのかなぁ…」

鬼の方へ振り向き、再び刀を構えるが、鬼はそれに気づいてないように言葉を続けた。

「美味しそうだなぁ……。でも、残念だけど、本当に残念だけど、もう朝だ。そろそろ退散しなくては--」

そう言うと鬼は一気に圓城との距離を詰めた。あまりの速さに反応できず思わず後ずさりしそうになる。鬼は圓城の、刀を握る腕を強く掴んだ。そして、覗き込むように圓城へ顔を近づける。

「ああ、今も美しいけど、まだ幼いね。もう少し大きくなったら、きっともっと別嬪になるよ。その時は美味しく食べてやろう」

「----っ、うわあぁぁぁっ!」

怒りで頭がおかしくなりそうだ。圓城は絶叫しながら片手で短刀を取り出し鬼の頚にへ突き立てようとする。しかし、短刀に触れる前に鬼は素早く消えてしまった。

一瞬だけ呆然としたが、すぐにカナエに駆け寄る。

「師範!師範!大丈夫ですか!?今すぐ助けが--」

圓城はカナエを抱き抱えて、息を呑んだ。カナエの口からは大量の血が流れており、呼吸が弱い。全身がグッタリしており、危険な状態だ。

「師範、頑張ってください、絶対、絶対、大丈夫ですから--」

圓城はカナエを背負い、必死に足を踏み出した。まだ救援の隊員の姿は見えない。

「師範、申し訳ありません、ごめんなさい、頑張って、お願いだから--」

混乱のあまり、わけの分からない言葉が口からはこぼれ出る。涙もどんどんあふれでる。それでも必死に足を動かした。そろそろ救援の隠や隊員が来るはずだ。彼らの助けを借りて蝶屋敷へ運ばなければ--

「……菫、泣いてはダメよ……大丈夫……泣いては…」

背中からカナエの言葉が聞こえた。圓城の肩にカナエの血が流れる。

「姉さん!」

その時、しのぶの声が聞こえた。圓城が足を止め振り返る。後ろから必死の形相で走ってくるしのぶの姿が見えた。

「姉さん!姉さん!」

「……しのぶ」

圓城は泣きながら震えるように声を絞り出す。しのぶは圓城の姿が目に入らないようにカナエの元へ駆け寄ってきた。

「姉さん、どうして……!だれにやられたの?!」

「しのぶ、とにかく師範を運ばないと…」

圓城がそう言った時、カナエが小さく口を開いた。

「…菫、下ろしてちょうだい…」

「師範!」

「…もう無理よ。お願い…」

その言葉に圓城は目の前が真っ暗になる。心の中では分かっていた。傷は深く、この身体の状態ではもう助からないだろう。圓城は一瞬だけ目をつぶり、その場でゆっくりとカナエの身体を下ろした。カナエの身体をしのぶが抱き締める。

「姉さん!菫、どうして下ろすの!早く…」

「しのぶ」

カナエが細い声で妹に語りかけた。そっとしのぶの頬に触れる。

「しのぶ、鬼殺隊を辞めなさい」

しのぶが目を見開いた。

「あなたは頑張っているけれど、本当に頑張っているけれど、たぶんしのぶは……、」

カナエが何かを言いかけて言葉を止める。圓城はカナエが何と言おうとしたのか察し、拳をギュッと握りしめた。

「普通の女の子の幸せを手にいれて……お婆さんになるまで生きて欲しいのよ…もう十分だから…」

しのぶが涙を流しながらカナエの手を握りしめ、叫んだ。

「嫌だ!絶対辞めない!姉さんの仇は必ず取る!」

その声に圓城は痛いほどに唇を噛み締める。

「言って!どんな鬼なの、どいつにやられたの!!カナエ姉さん!言ってよ!!お願い!!こんなことされて、私、普通になんて生きていけない!!」

カナエが静かに涙を流した。そして口を開く。

「……菫が、戦ったわ。だから、菫が--」

そう続けようとした瞬間、カナエが咳き込み更に血を吐く。

「姉さん!」

「……その、鬼は、鋭い対の扇を武器に使ってた」

カナエはそう言った後、少しだけ深く息を吸う。

「……菫、ごめんね。もう泣かないで。しのぶを、よろしくね……」

「……っ、」

圓城はカナエの目を真っ直ぐ見ながら拳を握る。その目からは涙が止めどなく流れ続けた。そして、カナエはしのぶの頬を撫でながら、

「しのぶ、……しのぶ、幸せになって……しのぶ」

と妹の名前を呼び続けた。やがてその声も消える。そして、ゆっくりと静かに呼吸が止まった。まるで花が散るように、命が消える。

 

 

 

その日、胡蝶カナエは永遠の眠りについた。

 

 

 



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悲しみの約束

 

 

 

胡蝶カナエの葬儀が行われた。圓城は目の前の墓を見つめる。しのぶやアオイ、蝶屋敷の少女達が泣いている。カナヲだけは汗をかきながら呆然とした様子で立っていた。しのぶがそんなカナヲの手を握り抱き締める。圓城は少し距離を置いて皆の姿を見つめた。そして再び墓に視線を向ける。カナエの最期を思い出し、涙が滲んできたところで、カナエの声が頭の中で響いた。

『菫、ごめんね。もう泣かないで。』

圓城は唇を強く噛むと着物の裾でゴシゴシと目の周囲を擦る。カナエに泣くなと言われた。だから、耐えなければ。

それに、泣く資格なんてない。救えたはずだった。もう少し早く目覚めて、駆けつければよかった。あの上弦の鬼に敵わないだろうが、せめてカナエの盾になれたかもしれない。もう少し急げばカナエは助かったかもしれないのに。

圓城は墓から目を逸らし、クルリと後ろを振り向くと、足早に屋敷に戻っていった。その後ろ姿をしのぶがじっと見つめていた。

その日からしのぶは自室に篭ってしまった。アオイや他の娘が呼び掛けても出てこない。圓城は少しずつ荷物の整理を始めた。カナエが亡くなった以上、ここに圓城の居場所はないだろう。

「菫さん……」

呼び掛けられて振り向くとアオイが立っていた。

「…出ていって、しまうんですか?」

「……ええ」

「し、しのぶ様は、きっと菫さんにここにいて欲しいと思ってるはずです!」

「…どうかしら。私は、師範を救えなかったわ…」

アオイがその言葉に黙ってうつむいた。

圓城の瞳は悲しみと憎しみに満ちていた。鬼へ慈悲をかけるんじゃなかった。鬼と共存できればいいなんて、馬鹿馬鹿しい。あいつらは残虐で凶悪で、この世に存在してはいけない生き物だ。仲良く出きるわけない--、

 

『鬼を救いたいって思ったんでしょう?私もなのよ。あなたとおんなじ』

 

『鬼と仲良くなれたらって思うのは、おかしいと思う?』

 

『人だけではなく、鬼も救えたらって思ってるの』

 

カナエの言葉を思い出し、耐えきれずにその場にしゃがみこむ。膝に顔を埋めるが、それでも絶対に涙は出さなかった。

「師範、ごめんなさい--」

無理だ。鬼と仲良くなんて。あなたをあんなにひどい方法で殺した鬼を救うなんて。

それでも胸の中でカナエの言葉が響いた。どうしてあんなにも優しい人が、こんな残酷な方法で殺されなければならなかったのだろう。どうして私は、救えなかったのだろう。

圓城は今、自分の夢の力を心の底から憎悪した。

どうしてあんな夢を見せた?

見せるならどうしてもっと早く見せてくれなかった?

もっと早く分かれば間に合ったかもしれないのに!

「----っ、」

自分が不甲斐なくて、情けない。胸が痛くて堪らない。

「菫さん…」

アオイが心配そうに声をかける。圓城はゆっくり立ち上がった。

「しのぶに、声をかけてきますね…」

そう言って、しのぶの部屋に向かった。

「…しのぶ?入ってもいい?」

「……ええ、どうぞ」

すぐに返事があったことに驚きつつ、少し安心して部屋へ足を踏み入れる。そしてしのぶの姿を見て目を見開いた。

しのぶは部屋の真ん中に座っていた。その顔は穏やかに笑っている。その表情を見て圓城は思わず声を上げた。

「…なに、その顔」

「あらあら、何をそんなに驚いているの?」

「……っ!」

張り付けたような笑顔だった。目には光がなく、笑顔の仮面を被っているようだ。圓城はそれ以上何も言えず、ただ目を逸らした。しのぶの正面に正座し、うつむく。言おうとしていた言葉が喉に詰まって出てこない。

震えながらうつむく圓城の姿をしのぶはしばらくじっと見つめていた。そして、声をかける。

「…感謝します。あの日、あなたが姉を見つけてくれたおかげで最期に言葉を交わすことができました」

「……っ」

「ありがとうございました。」

「……やめてよ!」

圓城は顔を上げながら叫んだ。しのぶと顔を合わせ、その瞳を真っ直ぐに見る。そして口を開いた。

「そんな言葉、聞きたくない!……っ、」

そしてしのぶの笑顔を直視出来ず、再びうつむく。

なぜ救ってくれなかった?なぜ鬼の頚を斬れなかったんだ、と罵倒された方がマシだった。感情の消失した笑顔でそんな言葉をかけられて、呼吸が苦しくなる。

しのぶはそんな圓城の様子を見つめながら再び口を開いた。

「…教えてくれる?姉さんを殺した鬼の事を」

「……しのぶ」

「お願い。あなたは戦ったのでしょう?」

圓城は言葉に詰まる。そしてゆっくりと顔を上げて、再びしのぶと顔を合わせた。その笑顔を、瞳を真っ直ぐに見る。そして口を開いた。

「……しのぶ、無理よ」

「--っ」

「はっきり言う。あなたにあいつは倒せない。今の私も、絶対に敵わない」

「--なんで!」

しのぶが笑顔を崩し、立ち上がる。圓城を鋭い視線で見返し、大声を上げた。

「--姉さんの仇は私が取る!だから、教えなさい!その鬼の事を!」

「敵うわけない!しのぶは頚を斬れない!あんなに強い鬼、しのぶには倒せない!上弦の鬼なのよ!私だって死んでてもおかしくなかった!!」

圓城も立ち上がり同じくらい大きな声で叫ぶ。しのぶが激昂した様子で顔を赤くし、圓城の胸元を乱暴に掴んだ。

「そんなの関係ない!私が鬼を必ず斬るの!だから教えなさい!!」

「私が倒す!必ず私が師範の仇を取る!だから、だから……」

思わず涙がこぼれそうになった。圓城は震えながら声を出す。

「…ごめん。こんな事言う資格ないの、分かってる。でも、師範は、望んで、ないよ……」

突然頬に衝撃が走った。頬の火照ったような感覚と痛みで、しのぶに殴られたことが分かった。圓城が呆然としていると、しのぶが憎悪を瞳に宿し、憎々しげに口を開く。

「分からないでしょうね」

その声が、呪いのように圓城の胸に刺さる。

「あなたには、理解できないのよ。そうでしょう?」

しのぶがまた張り付けたような笑顔を浮かべた。

「家族を、大切な人を殺された気持ちなんて分からないのよ。そうでしょう?理不尽に大切な人を奪われた悲しみも、苦悩も、何も分かっていない。私の気持ちも分かってないでしょう?だから、鬼を救いたいなんて考えを簡単に言えるのよ。姉さんを殺した鬼も救うつもり?」

「しのぶ……ちがう…」

「ああ、姉さんも鬼と仲良くしたいって言ってたものね。そうね、拷問に耐えて罪を償った鬼ならば仲良くできるかもしれないわね…。でも、姉さんを殺した鬼は、私が殺す、必ず。姉さんの望みじゃなくても構わない。これは私の望みなのだから!あなたには関係ない。あなたはたった一年と少し、姉さんの継子だっただけの、無関係な人間なんだから!!私に、口出ししないで!分からないの?迷惑なのよ!」

圓城が目を見開いた。しのぶから目を逸らし、口を開く。震える声が口からこぼれた。

「……そうね。その通りだわ。私の独り善がりでわがままな願望ね……」

「……」

「赤い帽子と服、ベルトで締められた縦縞の袴を着た男の鬼よ。白橡色の長髪に、虹色の目を持っていたわ。気持ち悪い笑い方をしていた。」

小さな声で語ると、しのぶは笑顔のまま強く自分の手を握りしめた。

「……私が、その鬼を必ず殺す。姉さんの仇を……」

「そう。それなら、私も」

圓城が顔を上げた。

「強くなる、今以上に。全ての鬼を倒す。鬼を救うなんて言わない。しのぶの邪魔はもうしない。だから、しのぶも…」

「ええ。約束しましょう。あなたの邪魔はしません。もう関り合いになるのも、やめましょう。……その方がお互いのためだわ。正直、あなたの顔はもう見たくない」

圓城は暗い顔で少し後ずさりした。そして、その場に座り込み頭を下げる。

「…今までありがとうございました。今日でお暇させて頂きます。大変お世話になりました。」

「ええ」

しのぶが短くそう答え、圓城に背を向けた。圓城はその背中を少し見つめて、そのまま立ち上がる。そして静かに問いかけた。

「最後に一つだけ……その笑顔は何?」

「…姉が笑顔が好きだと言ったから」

「……ああ、そう…」

きっとカナエが好きだと言ったのは、そんな感情を殺した笑顔じゃない。無邪気で心から笑う可憐な笑顔だったはずだ。圓城もまた、しのぶのそんな笑顔が大好きだった。

でも、その虚しい笑顔をやめろという資格も、圓城にはない。

「さようなら、胡蝶しのぶ。……ご武運をお祈りしております。」

「ええ、さようなら、圓城菫。あなたもご武運を。」

そしてしのぶの部屋から出ていった。部屋の外ではアオイとカナヲが呆然とした様子で立っていた。恐らく全て聞いていたのだろう。圓城は薄く笑う。

「さようなら、アオイさん、カナヲさん」

「す、菫さん……!」

アオイとカナヲの戸惑った様子を無視して圓城は自室に戻り、荷物を手に取ると蝶屋敷から出ていった。

ただただ何も考えずに歩き続ける。また、涙が出そうになった。

「泣くな、……泣くな!泣くな!泣くな!私は、泣いてはいけない!」

自分に言い聞かせるように呟く。信頼する師範の最後の言葉を守るため、圓城は胸を張るように歩き続ける。

心の中では、どしゃ降りの雨が降っているように泣いている。つらくて、悲しくて、突き刺されるような悲しみが胸を支配する。

「……救えなくて、ごめんなさい」

とうとう最後までしのぶに言えなかった一言が空に響いた。

 

 

 

 

 

 

 



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蝶々羽織

 

 

「お、お嬢様?どうしたのですか?蝶屋敷は…」

「…今日からはまたここで暮らすわ。突然、ごめんなさいね」

突然帰ってきた圓城を見て、じいやは一瞬ポカンとしていたが、慌てて部屋に引き入れた。

「どうなされたのです?ひどいお顔ですよ」

「……うん」

説明しなければならないとは分かっていたが、どうしても気力が湧かない。圓城は、

「明日、説明します。これまでの事とか、いろいろ。ごめん」

「お嬢様?」

戸惑うじいやに構わず、そう言うと自分が使っていた部屋に入った。物が少ない室内はガランとしていたが、じいやが掃除をしているためか清潔に整えられている。圓城は部屋の真ん中で座り込んだ。

「……もう逃げたいな。何もかも、忘れたい」

ふと、そんな感情が芽生える。しのぶの憎悪の表情が頭から離れない。

全て失くしてしまった。導いてくれる師範も、温かな帰る場所も、大好きな友人も。

「……師範、師範……師範……っ」

何度も口に出す。もう決して返事をしてくれない人をただ、呼び続ける。

「……」

全てから逃げ出したら、楽になるだろう。負担から解き放たれるだろう。でも、それは----、

「………ちがうっ、あいつを殺す!あの鬼を!」

自分の感情を押し潰すように、思わずそう叫んだ。あの夜見た鬼の薄気味悪い笑顔が脳内を占める。憎しみが、嫌悪が、口からこぼれ出した。我慢できずに涙が滲み出る。

「許さない--!私が、必ず……」

そう口に出したとき、不意に何かがポタリと床に落ちる音がした。

「……あ、」

それは圓城の髪を結っていた、黄色の蝶の髪飾りだった。カナエが圓城にくれて、しのぶが似合うと言ってくれた、大切な髪飾り。

「……っ!」

圓城は髪飾りを手で掴み、そっと抱き締めた。目を強く閉じる。いつかのカナエの言葉が心の中で響いた。

 

 

『さあ、涙をふいて。泣いてはダメ。』 

 

 

はい、師範

 

 

『顔を上げて前を向くのよ。』 

 

 

はい、師範

 

 

『私達は戦わなければならないの。亡くなった人のためにも。』

 

 

--では、私は、あなたのために、強くなります。あなたの教えを守るために。あなたと同じように、誰かの幸福のため、人を護るために、私は、戦う。もう、目は逸らさない。現実からも目を背けない。

 

 

決して、心を捨てない。私は、折れない。

 

 

圓城は蝶の髪飾りをギュッと抱き締めたあと、戸棚にしまった。これはもう着けないと決めた。もう、自分は蝶屋敷に関わってはいけない人間だ。蝶屋敷を象徴するような髪飾りを身に付けるのはやめよう。

圓城はゆっくりと心を落ち着けるために深呼吸を繰り返す。そして、適当な服に着替え、自室から出ていった。

「じいや、ちょっと出てきます!」

「お、お嬢様?どちらに…」

じいやが何かを言いかけてきたが、気にせず出ていく。そのままの勢いで適当な装飾品店に入る。グルリと見渡すと、ある小さなリボンが目に入った。

「……あ」

それは真っ白なリボンだった。真ん中には可愛らしいスミレの飾りが付いている。

「これ、頂けるかしら?」

店員に金を支払い、その場で髪にリボンを結んだ。左肩に垂らすように、緩く一つにまとめる。

「……」

少しだけ気持ちが向上したような気がした。店から出ていき、強い足取りで通りを歩く。

「強くなる……!絶対に諦めない!必ず、あいつを追い詰めて、殺す!地獄の果てまで追いかける!」

口に出すと実現できるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

それから、しばらく経ったある日、圓城は鬼殺隊の本部に呼ばれた。

隠の隊員に立派な屋敷へ連れていかれる。門の前にいた護衛の剣士に会釈をして門をくぐる。立派な庭に面した座敷へ通されて、しばらく待っていると、襖が開いた。小さなおかっぱの子どもがぺこりと圓城に頭を下げる。

「お館様のお成りです。」

圓城もまた頭を下げる。産屋敷耀哉ことお館様が座敷の中に入ってくるのが気配で分かった。

「お初にお目にかかります。お館様。」

「ああ、初めまして。頭を上げてくれるかな?」

圓城は頭を上げて、お館様の顔を静かに見返した。顔の上半分が焼けただれたような痕がある。少し驚いたが、顔には出さずに口を開いた。

「……圓城菫と申します。いつもお世話になっております」

「うん。今日は来てくれてありがとう、菫」

その言葉と声に不思議な感情、高揚感のような物が芽生える。なんだろう、これは。

「菫、そろそろ生活は落ち着いたかな?」

「……はい」

「つらいかもしれないが、亡くなったカナエのためにも上弦の鬼について詳しく聞かせてもらえるかな?」

「……はい」

やはりか、と圓城は思った。報告書には書いたが、どうやらお館様は実際に圓城の口からあの鬼について聞きたいらしい。

圓城はあの夜の事を事細かくお館様に話した。まるで小説を音読しているように、感情のない声で報告するように話す。ただ1つ、カナエが死んだ夢を見たため駆けつけたという事だけは隠した。妙な胸騒ぎがしたため、任務中のカナエを探していたら鎹烏を見つけて駆けつけた、と誤魔化す。

全てを話した後、お館様は何度か頷いて口を開いた。

「すまなかったね。つらい事を思い出させてしまった」

「……いいえ。報告するのは、隊員として当然の事です。」

圓城はできるだけ静かにそう言った。そろそろここにいるのも疲れてきた。帰っていいだろうか、などと考える。

しかし、次のお館様の言葉に耳を疑った。

「君をね、次の柱に任命しようと思っているんだ」

「……は、」

変な声が思わずこぼれ出る。お館様の言葉の意味が一瞬分からず、口をポカンと開いた。

「あの、柱とは……」

「菫、君の階級はずいぶん前から“甲”だ。そして、君は既に100体以上の鬼の頚を斬っているよ。気づいていたかい?」

「……」

「私は、君が柱として、十分に相応しいと考えているよ」

「…私は、弱いのです。お館様」

圓城は静かに声を絞り出した。

「私は、運動機能と呼吸器が少し発達していて、刀を上手く使えるだけです。ここまで生き残れたのは、ただ、運がよかっただけなのでしょう。私は、柱には不適格です…」

「菫、君は自己評価が低すぎる。自分を卑下してはいけないよ」

お館様はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「カナエは優秀な子だった。君を継子として見出だし、素晴らしい剣士に育て上げたのだから」

「……」

「君は、柱になるべき剣士だよ、菫。カナエのためにも」

圓城は少しだけうつむき、顔を上げる。強い瞳でお館様を見返した。

「……花柱様は、喜ぶでしょうか」

「もちろん。いつも自慢気に他の柱に話していたよ。君と、妹のしのぶの事を…」

圓城はその言葉に少しだけ微笑んだ。

ああ、あの人はそんな人だった。優しくて温かくて、この世で一番慈愛に満ちた人。

お館様が口を開く。

「君は睡の呼吸を使っているんだったね……。圓城菫、本日より、君を睡柱に任命する」

「……はい。柱の名に恥じぬよう、微力ながら尽力させて頂きます」

圓城は、はっきりとそう応え、また微笑んだ。

 

 

 

 

圓城菫が睡柱に任命された。その話を聞いた時、胡蝶しのぶは驚きよりも、当然だ、と感じた。圓城菫は強い剣士なのだから。

「……しのぶ様、菫さんとは……」

「ちょっと毒の研究が忙しいんです。アオイ、隊員の方の看病をお願いしますね」

圓城の名前が出る度、ニッコリ笑って意図的に話を逸らす。アオイやカナヲまでが何か言いたげな顔をするが、全て無視した。

姉の死に苦しみながらも、この笑顔にはだいぶ慣れた。姉を殺した鬼を殺すために、毒を調合し続けなければならない。そして、姉の代わりにこの屋敷を守り抜かなければならない。圓城の事など、もはやどうでもいい。

「……」

しのぶはふと蝶屋敷の庭に視線を向けた。あの庭で圓城と笑顔で語り合っていたのが、まるで嘘のようだ。

しのぶは少しだけ唇を噛んで、また笑顔を顔に張り付けると研究室へ戻っていった。

 

 

 

 

 

胡蝶カナエの死から、圓城菫と胡蝶しのぶが顔を合わせることはなかった。圓城は睡柱として任務に忙しく、しのぶもまた任務をこなしながら鬼を殺す毒を研究し続けている。圓城は怪我をしても蝶屋敷には行かず、じいやに手当てしてもらうか、適当な病院で治療してもらった。しばらくしてから、しのぶが鬼を殺す毒を開発したと風の噂で聞き、心の中で祝福した。

そして、季節が何度か変わった。空が明るく広がる気持ちのいい天気の中、柱合会議が開かれる。

お館様が座敷に入室し、挨拶もそこそこに口を開いた。

「柱合会議を始める前に、皆に紹介しよう。」

そして、座敷に入ってきたのは蝶の髪飾りを着けた美しい少女だった。蝶の羽を模した柄の羽織がヒラリと揺れる。

「新しく蟲柱に任命した、胡蝶しのぶだ」

「ご紹介に預かりました、胡蝶しのぶと申します。何卒よろしくお願いいたします」

圓城はその姿を見て思わず目を逸らしそうになったが、なんとか踏みとどまって蟲柱の目を真っ直ぐに見た。そして、彼女が着ている美しい羽織が目に留まる。かつて、2人にとって大切な人が着ていた蝶々のような羽織。フッと笑う。

「…ほら、やっぱり似合ってる…」

ボソリと呟いた。隣にいる水柱が怪訝な顔を向けてきた。

「……何か言ったか?」

「いいえ、水柱サマ。何も」

圓城は優雅に笑い、再び真っ直ぐに前を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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進め、前へ

 

 

そして、現在。圓城菫と胡蝶しのぶが共に柱になって数年。2人は任務以外で顔を合わせることも話すこともない。圓城はしのぶのことを常に「蟲柱サマ」と呼び、しのぶは圓城のことを「圓城さん」と呼ぶ。圓城が蝶屋敷を自ら訪れることもない。蝶屋敷で行われる定期検診だけは来るように、しつこく言われるため、その日だけは蝶屋敷に足を運ぶ。アオイや他の娘達が何かを言いたげに圓城に声をかけるが、他人行儀でよそよそしい態度しかとれなかった。今でも、圓城はしのぶの顔を見るのが苦手だ。その笑顔を見ると苦しくなる。きっとしのぶも圓城の顔を見るのが嫌で堪らないだろう。仕事のために我慢しているのだろうが。

圓城は義足を外しながらぼんやりと考えた。目の前にいるしのぶは笑顔のまま、圓城の足の切断面を診る。

「ああ、炎症兆候もないようですね。綺麗ですし、問題ないでしょう」

「…それでは」

「ええ。退院しても構いませんよ。任務にも戻っても大丈夫です」

圓城はホッとため息をついた。よかった。ようやく自分の家に戻り、任務をこなすことができる。

「あ、それと圓城さん」

「なんですの?」

「明日、緊急の会議があります。本部に来るようにとお館様からの伝達です」

「……うぅ」

圓城は義足を装着しながら思わず呻いた。いつかは本部に行かなければならないと分かっていたが、気が重すぎる。しのぶはそんな圓城の様子を気にする様子もなく、書類に何かを書き込みながら、

「必ず出席してくださいね。すっぽかしは許しません」

と言った。そんなしのぶの光のない笑顔を見ながら、圓城は思いを馳せる。

----この笑顔、嫌いだ。

胡蝶カナエの死から、胡蝶しのぶはずっと怒っている。人も鬼も仲良くすればいいと、姉と同じ和解を唱えながら戦っている。本心では憎悪の炎を燃やしながら、表面は笑顔のままで嘘を付き、理想を追い求める。

私とは反対だ。圓城はうつむいて少しだけ笑った。

--あの日から私はずっと心の中で泣いている。

『圓城さんって、なんでいつも泣いてるんですか?』

いつかの炭治郎の言葉が胸に響く。圓城は目を閉じた。

『……情けないから』

----大切な人を救えなくて

『自分が情けなくて馬鹿で愚かだから、泣いている。誰かを救えるなんて勘違いをしてた自分が腹立たしくて悲しくて』

 

 

 

 

 

ちがう。本当は。

 

 

 

 

 

しのぶを、支えられなかったから。私はしのぶのそばにいたかった。助けたかった。共に戦いたかった。

きっと、カナエは自分としのぶの関係がこうなったことに悲しんでいる。

 

 

--そうよ、炭治郎さん。私、いつも泣いてるの。

 

 

師範が亡くなってから、大切なものを、全て失ってしまった。鬼への慈悲の心を捨てた。あの人が願っていた想いを継ぐことは出来なかった。そして、宿ったのは鬼への真っ直ぐな怒りと恨み。そんな自分が悲しくて、情けなくて泣いている。

そして、あの頃のようにしのぶと笑い合うことはきっともうないだろう。それが、一番悲しい。しのぶの思いを1度は否定してしまった自分に、そんな資格はない。しのぶのそばにいたいなんて、それこそ愚かな願いだ。様々な感情を殺しながら戦っている彼女の生き方に、私は、もう、何も言えない。

「圓城さん?今すぐ退院されますか?」

「……ええ。お世話になりました」

「体に十分お気をつけください」

「ええ。それではまた明日」

「はい、また明日」

しのぶに笑顔で見送られて圓城は部屋を出た。荷物を手に持ち、蝶屋敷から足を踏み出す。

今日は穏やかで涼しく、いい天気だ。空が高くて、澄みきった青さが眩しい。圓城はふと立ち止まり、ゆっくりと青い空に向かって手を伸ばした。まるで、空を掴もうとするように。そんな自分の行動に苦笑して、手を下ろす。そして、後ろを振り返り、蝶屋敷を見た。己の、かつての居場所を見た。何かが見えた気がした。自分としのぶが笑顔で手を繋ぎ、蝶屋敷から飛び出す。そんな2人の肩を抱くようにしてカナエが笑う。そんな、幸せな光景が。

「……あ」

圓城は思わずそちらへ手を伸ばしかけた時、その光景は煙のように消えた。幻覚だったようだ。目を見開いて、それから少しだけ笑うと、再び蝶屋敷に背を向けた。そして、大きく歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、いつも泣いている。それでも、涙は流さないと決めました。

 

 

あなたの最後の願いだったから。

 

 

どんなにつらくても、苦しくても、悲しくても。

 

 

過去は二度と戻らない。それならば、前に進むしかない。

 

 

前を向いて、護るために戦う。

 

 

誰かの幸せが永久に続くように願いながら

 

 

たとえ、あなたに二度と逢えなくても

 

 

今日を生きる自分をあなたに誇れるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて過去編終了です。次章はもうしばらくしてから、始めます。
次回予告『夢の中の夢は儚い幸せ』


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番外編
幸せの黄色の蝶


次章がなかなか書けないので番外編です。時間軸としては圓城が蝶屋敷にいた頃。14歳の誕生日よりも後の出来事。












彼女にスミレの花は似合わない。

 

青に近い美しい紫色の花。ひっそりと静かに咲いている花なんて。

 

彼女には、似合わない。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

その日、胡蝶カナエと胡蝶しのぶの姉妹は買い物のために町を歩いていた。

「姉さん、あと買うものはある?」

「それじゃあ、カナヲの服を買いましょうか!」

「ダメよ!この間も買ったじゃない!いっぱいあるんだから、無駄遣いは禁止!」

「そんな~」

シュンとして落ち込む姉の顔をしのぶはチラリと見た。姉は目を離せば、すぐに必要ないものをアレコレ買おうとする。

「もう帰りましょう、姉さん。もうすぐ食事の時間だし。それに、今日は菫と鍛練する約束してるんだから」

「あ、そうだったわね。ウフフ」

落ち込んだ顔から一転、突然笑い始めた姉にしのぶは眉根を寄せる。

「なんで笑ってるの?」

「嬉しいのよ。しのぶと菫、すっかり仲良くなっちゃって。あなた達2人とも本当に可愛いわ~」

「……」

しのぶが何も言わず、照れたように唇を尖らせたため、カナエはますます笑った。

「あ!そうだわ!」

「どうしたの、姉さん?」

「思い出したの。もう一つ、買いたい物があるのよ!」

「何?」

「あっちの店に寄りましょう!」

カナエが突然何かをひらめいたようにしのぶの腕を引っ張り、早足で歩き出す。しのぶも慌てて付いていった。

「ここ!」

「ここって……」

カナエとしのぶが来たのは装飾品を売っている小さな店だった。

「姉さん……、必要ないものを買うのは…」

「絶対必要なの!」

カナエはしのぶの言葉を気にする様子もなく、店に入っていく。しのぶは深いため息を吐きながらそれに続いた。

「ね、しのぶ。どれがいいと思う?」

「?」

カナエは真っ直ぐに髪飾りのある店の一角に向かい、しのぶに声をかけた。しのぶは姉が指し示す物を見て、思わず首をかしげる。

そこに並んでいたのは、いくつかの蝶の髪飾りだった。カナエやしのぶ、蝶屋敷の少女達が付けている物に非常によく似ている。

「え?姉さん、髪飾りを新しくするの?」

「私じゃないわよ~。菫に買ってあげるの!」

「菫?」

カナエは楽しそうに頷いた。

「菫はいつも髪をおろしているから、任務や鍛練中は邪魔になりそうだし。あと、単純に蝶屋敷でこの髪飾りを付けてないのはあの子だけなのよ。なんだか寂しくて」

カナエは髪飾りを一つ手に取りながら言葉を続けた。

「私から贈れば、きっと菫は付けてくれるでしょう?どれがいいかしらね~」

「ふーん。まあ、どれも似合うだろうし、どれでもいいんじゃない?」

しのぶが適当にそう返すと、カナエは少し膨れっ面をした。

「どれでもじゃダメよ、もう!ほら、しのぶが選んで」

「ええ…?なんで私が…」

「ほらほら、どれにする?」

カナエに促されるように髪飾りに視線を向ける。ふと目に留まったのは、端っこにあった、黄色の蝶の髪飾りだった。

「……」

檸檬のような明るい黄色に、少しだけ淡い桜色も入っている。華やかで可憐な髪飾りだ。しのぶがそれを手に取ると、カナエの顔がパッと輝いた

「あら、いいじゃない!これにしましょうか!」

「え、これ?」

「きっと菫に似合うわ~」

しのぶが戸惑っているうちに、カナエがサッと素早く会計を済ませた。そのまま上機嫌でニコニコしながら店から足を踏み出す。

「髪に着けてあげるのが楽しみね~」

「……うん」

そういえば、昨日は圓城の本来の誕生日だった。カナエは知るよしもないが。姉からの贈り物として、きっと圓城は喜ぶだろう。そう考えると、しのぶの顔は自然に綻ぶ。

「……あ」

ふと目の前を桃色の何かが横切る。それは桜の花びらだった。

「あら、綺麗ねぇ」

カナエが上を向いて感嘆したようにそう言い、しのぶもそちらを見ると美しい桜の木が花を咲かせていた。

「本当、綺麗…」

あまりの美しさに呆けたように声が漏れる。

淡い桃色の花びらが幾重にも重なり、太陽の温かい光の粒が降り注いだ。散りゆく花たちがその儚い存在を主張するかのようにフワリと揺れる。信じられないほど美しい光景だ。

「あら、見て、しのぶ!こっちも可愛いわ!」

しのぶが桜の美しさに見とれていると、カナエが声をあげる。そちらに視線を向けると、カナエは木の根元にしゃがみこんでいた。しのぶが不思議そうな表情で近づくと、カナエが指で何かを指し示す。

「……あ、スミレ?」

「ええ。可愛くて、綺麗ねぇ」

桜の木の根元には小さなスミレの花が咲いていた。ひっそりと一輪だけ、紫の花を咲かせている。カナエが見つけなければ気づかなかっただろう。ふと、昨日の圓城との会話を思い出し、しのぶは苦笑いをした。

「?しのぶ、どうしたの?」

「…いえ」

突然苦笑したしのぶに、カナエが不思議そうに首をかしげる。しのぶは少し笑いながら言葉を続けた。

「昨日の、菫との会話を思い出しちゃって…」

「菫?」

「菫って、名前なのに、あの子にはスミレの花は似合わないなって。そう思ったの」

しのぶは根元のスミレの花をじっと見つめる。やっぱり圓城にスミレの花は似合わない。こんなふうに誰にも気づかれないようにひっそり咲く花よりも、上で満開に咲いている華やかな桜の方がよっぽど似合っている。

そう考えていたら、カナエがきょとんとしながら口を開いた。

「え?似合ってるじゃない?」

「え?」

今度はしのぶがきょとんとする。

「だって、スミレの花って、こんなに可愛いのに、実はすっごく強い花なのよ?小さな花だけど、山や森だけでなく人が多く住んでいる町の道端でも花を咲かせるの。ほら、可愛くて強い菫にピッタリでしょう?」

「へぇ……」

確かに言われてみれば、スミレの花を町中でもたまに見かけることがある。しのぶはカナエと共にしゃがみこんで、そのスミレを見つめながら、

「……確かに、似合ってるかもね」

と呟いた。

 

 

 

翌日、新しい羽織を見に纏った圓城に、カナエがさっそく髪飾りを着けた。

「はい、出来上がり。どうかしら?」

カナエが圓城の髪を後ろで緩くまとめる。可愛らしい黄色の蝶の髪飾りが揺れた。

「師範、これは…」

「気に入らない?皆とお揃いなのよ」

「…ありがとうございます」

圓城はしのぶが選んだ黄色の蝶を着けて、本当に嬉しそうに笑った。その光景に思わず頬を緩ませながら、しのぶが声をかけた。

「姉さん、菫、早く任務に行かないと!」

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

あの日から数年経った。

 

 

 

胡蝶しのぶが蟲柱として任命されて、初めての柱合会議が開かれる。

「新しく蟲柱に任命した、胡蝶しのぶだ」

「ご紹介に預かりました、胡蝶しのぶと申します。何卒よろしくお願いいたします」

自己紹介で頭を下げる。そしてゆっくりと顔を上げて、しのぶは顔に張り付けた笑顔で他の柱を見渡した。

柱の中に、空色に雛菊が描かれている羽織を着た、かつての友人がいた。黒い瞳がしのぶの顔を真っ直ぐに見つめ、優雅に笑っている。

ふと、彼女の髪が目に入る。その髪には黄色の蝶が着いていなかった。まるで初めから存在していないかのように。

髪を横で結い、左肩に垂らしている。黄色の蝶の代わりに着いていたのは、スミレの飾りが着いた純白のリボンだった。

一瞬だけ幸せな思い出が甦る。

買い物、姉の笑顔、自分が選んだ蝶の髪飾り、そして桜とスミレの花---。

「……やっぱり、似合わないわよ」

しのぶは誰にも分からないようにそっと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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夢の中の夢は儚い幸せ
折れない意志を


 

 

 

白い朝の光が町を照らす。今日も穏やかで平和な1日が始まろうとしている。人々は互いに挨拶を交わしながら、職場や学舎に足を運ぶ。そんな人々の間を掻い潜るように、強い風がザッと吹いた。その強さに思わず声をあげる。

「キャッ、何?今の風」

「ずいぶん強かったわねぇ」

そんな会話を交わしながら、町の人々はそれぞれの目的の地へ歩いていった。

その強い風の正体、圓城菫は人気のない場所で足を止める。1度だけ深呼吸をし、義足でトントンと地面を蹴った。この義足にもずいぶん慣れてきた。少なくとも、歩くことと走ることに支障はない。以前のように素早く走ることも可能となり、こうして朝の走り込みにも十分集中できる。

「……」

問題は、任務においてこの義足がどれだけの負荷に耐えきれるかだ。今夜から来るであろう任務に不安が少しずつ大きくなってきた。圓城はその不安を振り払うように頭を左右にブンブンと振り、ゆっくりと歩いて自邸へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

「おかえりなさいませ、お嬢様。さあ、早くお着替えをなさってください。会議に遅刻しますよ」

「……あぁ」

帰宅した圓城は、じいやの言葉に大きなため息をついた。そうだ。任務の前にもう一つ面倒事が待っている。

「……行きたくない」

「欠席は駄目ですよ。ますます他の柱様からの顰蹙を買います」

「……分かってる。分かってますとも」

圓城はじいやの言葉にしかめっ面をしながら新しい隊服に手を伸ばした。

キッチリとした隊服を身に付けると少しだけ気分も向上する。長い黒髪は後ろで編み込んだ。最後に、スミレの花の飾りが着いた白いリボンを結ぶ。

「……行きたくないぃぃ」

「お嬢様、いい加減にしてください」

じいやに怒られながら、圓城はブツブツ言いつつようやく準備を終えた。

「では、行って参ります」

「行ってらっしゃいませ」

じいやに見送られ、圓城は顔をしかめながら扉を開けて出ていった。

 

 

 

 

 

 

鬼殺隊本部にて緊急の柱合会議のため、柱は集まっていた。

「煉獄、もう体は大丈夫なのか?」

「今はまだ自宅で療養中だ!任務に復帰するのはやはり厳しいな!よもやよもやだ!」

炎柱の煉獄もその場にいた。潰された方の目に眼帯を装着している。目を潰され、内臓や骨を痛めていたが、徐々に回復してきているらしい。しかし十分に呼吸を使うことは出来ないため、考えた末に柱を引退する事になった。今後は若手の育成に力を入れるらしい。今日は煉獄にとって最後の柱合会議になるだろう。この場の全員にその事が伝わっており、残念そうにしていた。胡蝶しのぶは苦笑しながら煉獄に声をかけた。

「煉獄さん、くれぐれも無理は禁物ですよ。まだ完全に治ったわけではありませんので…」

「うむ、心得ている!それよりも圓城はまだ来ないのか!」

その言葉にしのぶの唇がピクリと動いた。現在、ほとんどの柱が本部に集結している。圓城菫だけがまだこの場にいなかった。

「全く、今回の件の当事者が遅れてくるとは。いい気なものだな」

蛇柱の伊黒小芭内がネチネチと声をあげた。

「む!もしや、左足が原因で遅れているのではないか!」

煉獄が大声でそう言ったため、しのぶが慌てて口を挟んだ。

「煉獄さん、あの人ならとっくの昔に歩けるようになっています。訓練をしていたので、走ることも…」

その時、ようやく後ろから、

「お待たせして申し訳ありません」

と声が聞こえた。何人かの柱が振り向き、驚きを顔に出した。

圓城菫は元々清楚で優美な雰囲気の女だ。いつも清潔を保っている隊服は足首まである丈の長いスカートで、雛菊の描かれた空色の羽織を身に付けていた。上品な西洋風の日傘をさしつつ、礼儀正しく、背筋を伸ばして立っているのがいつもの姿だった。

それが今は洋装のような洋袴(ズボン)式の隊服を身に付けている。また、羽織は群青色で、長いマントのような物に変わっていた。マントにはよく見ると黄色の雛菊を象った釦が着いている。そして、頭には学生帽のような帽子まで被っている。まるで隊服というよりは軍服のようだった。編み込まれた長い髪が帽子で隠れているため、パッと見は中性的で、美麗な男性にも見える。

「こりゃあ、ド派手に変わったな…」

音柱の宇髄天元がボソリと呟いた。しのぶは思わず声をかけた。

「…何なんですか、その格好…」

「え?おかしいでしょうか?」

圓城がキョトンと首をかしげる。

「以前の隊服も羽織もボロボロになったので、家の者が一式新しく準備して下さいまして……、あの、皆様、どうかされましたか?この格好、変なんでしょうか?」

何も疑問に思わず、じいやに言われるがまま新しい服を身につけ本部に来た圓城は、自分の姿を見た他の柱の反応に戸惑った。もしかして、何か間違っただろうか?

「わ、私は、凄くいいと思うわ、圓城さん!キュンとしちゃった!」

「キュン…?」

恋柱の甘露寺蜜璃が笑顔でそう言ったため、圓城は戸惑いながらも少し安心した。煉獄が大きな声で圓城に声をかけた。

「久しいな、圓城!体の調子はどうだ!」

「ええ、お久しぶりです、炎柱サマ。上々ですわ。今夜から任務に復帰する予定です。」

「そうか!それは…」

煉獄が何か言葉を続けようとした時、おかっぱの子どもが座敷へ入ってきた。

「お館様のお成りです」

柱が全員その場で頭を下げた。

「お館様に置かれましても御壮建で何よりです。益々のご多幸を切にお祈り致します」

「おはよう、みんな。今日は突然呼び出してすまないね。顔を上げてくれるかな。」

お館様の声が聞こえ、知らず知らずのうちにいつもの高揚感が胸を満たす。他の柱と共に頭を上げながら、圓城はひたすら「早く終われ」と念じていた。

「さて、みんなも知っている通り、杏寿郎と菫が上弦の鬼と戦った」

ピンと緊張感が部屋を満たす。圓城はスッと目を伏せた。

「頚は斬れなかったが、幸運なことに2人とも命は助かった。杏寿郎、菫、よく頑張ってくれたね。体はもう大丈夫かな?」

「……有難いお言葉感謝致します。私は、もう完全に治癒しております」

「まだ療養中ですが、問題ありません!」

「うん。では、ここにいる皆に、どんな力を使う鬼だったか、話してくれるかな?」

「はい!」

煉獄が上弦の参、猗窩座について話す。圓城は特に口を挟まず無表情でそれを聞いていた。煉獄が全てを話すと、お館様は何度か頷き、今度は圓城の方へ顔を向ける。

「菫からは何か話したいことはあるかな?」

「……はっきりとは、断言できませんが、」

圓城は迷うように口を開いた。

「……あの猗窩座という鬼は、恐らく女を殺せないのでは、ないかと」

ザワリと柱が揺れ、お館様が首をかしげた。

「どういうことかな?」

「……私が、炎柱サマと鬼の間に入った時、一瞬ですがあの鬼は躊躇ったような顔をしました。そして、拳を入れるときに瞬時に力を抜いたのです。あのまま攻撃をまともに受け止めていたら私は死んでいたでしょうし、炎柱サマも大変危険だったでしょう。恐らくあの鬼は何かの理由で私に攻撃を入れるのを迷ったのではないかと…」

「それが、何故女を殺せないという事になる?適当な事を言うな」

伊黒の言葉に圓城は言いにくそうに言葉を紡いだ。

「いえ、その場にいた炭治郎さんには躊躇いなく攻撃し、殺そうとしていたのです。ですから、私と彼らの違いといえば、単純に性別なのかと…。申し訳ありません、私のただの想像です…」

「いや、参考になったよ。あとは?」

「……」

「何か話したいことはあるかな?」

圓城はお館様の言葉に薄く笑いつつ、口を開いた。

「私からの報告は、以上です。」

恐らく煉獄から、圓城が猗窩座に話しかけたことを聞いたのだろう。お館様から探るように問いかけられたが、圓城はそのまま口を閉ざした。お館様は気にする様子を見せず優しく笑った。

「そうか。よく頑張ってくれたね」

「…いいえ。上弦の鬼の、頚を斬ることが出来ませんでした。申し訳ありません。私の不徳の致すところです」

「チッ、鬼の頚を斬れねェとは情けねェ。」

「お前は柱に相応しくない、煉獄ではなくお前がとっとと辞任したらどうだ」

不死川と伊黒の声を聞きながら、圓城は深々と頭を下げて言葉を続けた。

「いかなる処分もお受けします。誠に申し訳ありませんでした…。」

「お館様!圓城の責任ではございません!処分は…」

煉獄が圓城を庇うように声を張り上げたが、お館様が口元に人差し指を持っていくと皆がピタリと静かになった。

「処分なんて考えていないよ。2人とも本当によく頑張ってくれた。杏寿郎は特に重傷だったみたいだしね。本当にありがとう」

「有難いお言葉、感謝致します!」

煉獄も圓城と同じように深々と頭を下げた。

「さて、菫。足の方はどうかな?今日から任務に復帰できると聞いたけど、無理しなくてもいいんだよ」

「……義足を作成しましたので、問題ありません」

「まだ、戦えるかな?」

「はい」

圓城はお館様を真っ直ぐに見据え言葉を続けた。

「まだ、戦えます、お館様。例え四肢の全てを失くしても、この身が滅びようとも、最後まで戦いたいです。戦わせてください。」

「……」

「頚を斬らせて下さい。人を護らせて下さい。---私は、弱い柱ですが、それでも折れません。折りたくありません。せめて最後まで柱の名に恥じぬ戦いを……」

「ありがとう、菫」

お館様が優しく笑った。

「君は弱くはないよ。菫のおかげで今回1人も犠牲は出なかったのだから。本当にありがとう、菫。これからも無理せず頑張ってほしい」

「……はい」

「さて、他に報告はあるかな?」

他の柱が何かを報告するのを聞きながら、圓城はチラリと煉獄の方へ視線を向けて、ひそかにため息をついた。煉獄が引退すると聞いてからモヤモヤがとまらない。自分が辞任する方がよっぽど収まりがいいだろう。それでも、一度決めたことを自ら曲げるのは嫌だった。自分は弱いが、本当に弱いが、それでも柱なのだ。絶対に折れない。そのために全てを捨てて、前へ前へと進んできたのだから。

「それじゃあ、皆お疲れ様。今日は集まってくれてありがとう」

柱合会議は滞りなく終わった。圓城は素早く立ち上がった。とにかく早く帰りたい。そのまま部屋から出ようとした時、お館様から声がかかった。

「あ、菫と義勇は残ってくれるかな?」

「はい?」

「……」

圓城は驚いて思わず声を出す。同じく名前を呼ばれた水柱、冨岡義勇は何も言わずに無言だった。

ゾロゾロと他の柱が部屋から出ていく。その姿を少し羨ましそうに圓城はチラリと見た。

「さて、呼び止めてすまないね、菫、義勇」

「いえ…」

「……」

お館様の正面に、圓城と冨岡は正座して並んだ。冨岡は無表情で何を考えているか分からない。圓城は戸惑っていると、お館様が口を開いた。

「南西の山奥でかなり強い鬼が出るらしい。今まで何人かの隊員を送ったが、帰ってこなくてね。柱を行かせなくてはならないようだ」

「……はい」

圓城はまさか、とひそかに冷や汗を流した。

「菫、義勇、2人で行ってくれるかな」

「お、お館様!それならば私1人で十分ですわ。水柱サマのお手を煩わせる必要は…」

「菫、君が単独で動くのが好きということはよく知っているよ。でもね、義足での戦いになれるまでは誰かと合同で動いた方がいい。」

「……」

「君の命が心配なんだよ」

「……ありがとうございます」

流石にお館様からここまで言われ、圓城も何も言えなくなった。冨岡をチラリと見ると、さっきから全く表情が変わらず何も言わない。この人と合同任務---?

圓城は目の前が真っ暗になった。

「それじゃあ、菫、義勇、お願いできるかな?」

「御意」

冨岡がようやく口を開く。じいや、助けてと圓城は心の中で叫びながら囁くように小さな声で返事をした。

「…………御意」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※大正コソコソ噂話
群青のマントと帽子はじいやの手作り。短刀がたくさん隠し持てるため、圓城は気に入っている。






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憂鬱な合同任務

圓城菫は冨岡義勇が非常に苦手である。というか、あまり話したことがない。

「水柱サマ、本日はよろしくお願いいたします」

「……」

「このような体ですが、ご迷惑にならないよう任務に励ませていただきますので--」

「……」

「……」

何度か話しかけたが冨岡はずっと無言だった。圓城はため息をつきたいのを必死にこらえて、拳を握った。

そもそも圓城は鬼殺隊に入るよりも、ずっと前から冨岡の事を知っていた。圓城の見る夢は炭治郎が戦う夢が最も多いが、冨岡が戦う夢も見たことがある。一番印象的だったのは、雪の中で禰豆子を殺そうとし、炭治郎が必死に庇う夢だった。恐らくその夢こそが彼らが初めて出会った日の出来事だったのだろう。圓城が睡柱に就任してから、その夢の人物が冨岡だとすぐに分かった。コッソリと怪しまれないように探りを入れようとしたが、

『水柱サマ、最近変わった出来事はありましたか?』

『……』

『変な鬼に会ったとか』

『……』

『……』

『………………関係ない』

ずっと無言を貫き、ようやく口を開いたと思ったらこの一言だけだった。圓城は冨岡から情報収集をすることを早々に諦めた。

チラリと冨岡を見る。顔がいい。声もいい。ついでに強い。これで社交的な性格であれば、さぞかし女性からモテていただろうに、もったいない、などと現実逃避を始めた時、鎹鴉が飛んできた。

「カァー!圓城!圓城!南西二行ケ!南西ノ山ダ!心シテカカレー!」

「閑、うるさい。分かっていますわ」

鎹鴉の閑が大声で叫ぶのを止めながら、圓城は冨岡と共に走って南西へ向かった。

 

 

 

夜、空を漂う雲の隙間から美しい星が散らばっているのが見える。圓城と冨岡がたどり着いたのは人里離れた山だった。大きな木が巨人のようにそびえている。不気味なほど陰鬱な静寂に満ちており、道のりが険しかった。圓城は冨岡と共に素早く木々の間を走りながら必死に目を凝らした。鬼の姿は見えないが、微かに気配がする。圓城は走りながら声をかけた。

「水柱サマ、取りあえず私は北側から、水柱サマはその反対から鬼を探すのはどうでしょうか?」

「……」

「……あのぅ、お願いできませんか?」

冨岡は何も言わず、突然足を止めた。圓城も慌てて立ち止まる。

「………やめておけ」

「えっ、はっ?」

突然言われた一言に圓城は思わず変な声を出してしまった。

「えっと、あの、水柱サマ、もしや何か計画があるのでしょうか?」

「……」

「計画があれば、聞かせていただけますか?もしよければ、私はそれに従いますので」

「……」

「決してご迷惑をかけることは致しませんし--」

「……」

「あの……」

無言で圓城を見つめる冨岡に圓城は困り果て、じいや、助けてとまた心の中で叫んだ。思わずため息を吐きそうになった時、ようやく冨岡が口を開く。

「……足が」

「はい?」

「………動くのはダメだろう」

「……えっと」

「……」

「……」

まずい。どういうことだろう。思ったよりも意志の伝達が不可能だ。会話がさっきから全然繋がらない。もうこれ、命令無視してでも単独で動いた方が楽な気がする。そうだ、そうしよう。圓城が半ば本気でそう考えた時だった。ポツンと頭に水が落ちてきた。

「……あ、雨?」

圓城は空を見上げる。いつの間にかまた曇っており、次々と雨粒が降ってきた。

「……まずい、ですわね」

圓城は顔をしかめた。山にいる時、雨は危険だ。地面が濡れて滑りやすくなるし、視界が悪くなる。おまけに服が濡れると動きにくいし、何よりも低体温症が心配だ。

「水柱サマ、とにかく--」

早く鬼を探しましょう、と言葉を続けようとした瞬間、背後から気配を感じた。

「…っ!」

素早く日輪刀を抜いたが、冨岡が動く方が速かった。圓城の後ろから襲いかかってきた鬼の頚を一気に斬る。しかし、

「肉だ!肉!食わせろ!」

「上手そうな肉だ!」

次から次へと鬼が飛びかかってくる。圓城は舌打ちをしながら大きく息を吸い込む。そして刀を振るった。

「睡の呼吸 参ノ型 睡魔の嘆き」

一気に3体の鬼の頚を切った。異形の首が宙を舞うのを確認しながら、更に刀を振るい続ける。冨岡も圓城に背を向けて鬼を次々と斬り続けていた。どんどん鬼は現れ、襲いかかってきた。圓城と冨岡は素早く動きながら鬼を斬る。

「……?」

戦いながら圓城は首をかしげた。程度の低い雑魚鬼ばかりだ。この程度の鬼に柱が2人も来る必要はあったのだろうか--?

そう考えながらも刀を振り続け、ようやく襲ってくる鬼が減ってきた。

「……ん?」

気がつくと、ずいぶんと山奥まで来ていたらしい。いつの間にか雨も上がっていた。圓城は最後に残った鬼を手早く斬り、死んだのを確認すると辺りを見渡した。

「……ここは」

冨岡も珍しく戸惑ったような声を上げる。目の前には小さな湖が広がっていた。湖というよりも沼と言った方がいいかもしれない。水が夜の色を写していて、不気味なほど静かな場所だった。

「……?」

なんだろう。何か、気持ち悪い。圓城は不穏な空気を感じて、湖から離れようとしたその時、コポコポと湖が音をたてた。

「…!水、」

冨岡に声をかけた瞬間、湖が突然轟音のような凄まじい音をたてる。そして、大量の水が圓城と冨岡を襲った。

「--っ!」

一気にその場から跳び跳ね、後ろへ下がった。荒れ狂う水流が再び圓城を襲う。それを必死に避けながら圓城は湖に視線を向けて、そして目を見開いた。

青い髪の女が水面に立っていた。いや、あれは鬼だ。美しいきらびやかな着物に、瞳の下には雫のような紋様が浮かんでいる。一瞬泣いているのかと勘違いしたが、鬼はニヤニヤと笑っていた。

「やれ、うれしや。強い鬼狩りが2匹も来たよ。--今夜はご馳走だねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※大正コソコソ噂話
圓城の鎹鴉『閑』は、気は強いが小心者。圓城が何かとすぐに短刀を取り出すので怯えている。


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虹立ちて

 

「美味しそうだねぇ。早く食べさせておくれ」

鬼が笑いながら水面を歩いてくる。鬼の右手は圓城に、左手は冨岡に向けられていた。鬼の手から水が噴き出す。その水が生き物のように荒れ狂う水流となり、圓城を追いかけてきた。恐らくはこの鬼の血鬼術なのだろう。

「ああ、この2匹を食べれば、きっとあの方にも認めてもらえる…」

鬼が笑う。水流が圓城の顔の横を掠めた。

「……っ!?」

まるで刃物のように水が変形し、頬を切りつける。頬から血が流れるのを感じた。

「……んー、結構厄介ですわね」

圓城は足を動かしながらも、冷静に鬼を観察していた。山で暴れていた雑魚鬼とは違い、強い力を持つ鬼だ。恐らく今まで派遣された隊員達は、今夜の圓城と冨岡のように雑魚鬼を使ってこの鬼にここまで誘き寄せられたのだろう。そして、油断した所を攻撃され、喰われた。なるほど、この鬼は十二鬼月ではないものの、この方法で多くの人間達を喰ってきたため、ここまで力も強くなった。しかし----、

「……甘い!」

圓城は一気に走り込み、鬼へ近づく。その頚を狙って刀を振り下ろした。

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」

鬼がギリギリの所で身をかわす。そのまま圓城に左手を向けてきた。

「--っ!」

素早く動いたが、避けきれず首に水流が当たる。鋭い痛みに顔をしかめた。

「食べたい…食べたい…食べなければ…」

鬼がそう言いながら再び圓城に手を向けたところで、今度は冨岡が鬼の後ろから攻撃してきた。

「水の呼吸 壱ノ型 水面斬り」

冨岡が刀を水平に振るうのが見えた瞬間、圓城も飛び上がる。そして再び刀を振り下ろした。

「睡の呼吸 弍ノ型 枕返し」

一気に鬼の身体を斬り込んだ。鬼の身体がバラバラに崩れる。

「あ、ああぁぁぁぁっ!」

鬼が悲鳴をあげた。頚が圓城の目の前に転がってきた。まるで人間の少女のように泣きじゃくる声が聞こえる。

「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。許して」

鬼の瞳から涙が流れる。

「本当は食べたくなかった。でも我慢できないの。ごめんなさい。ごめんなさい。許して…」

そのまま燃え尽きたように消滅した。

圓城はぼんやりとその鬼の最期を見つめていた。再び雨が降り始める。雨に濡れるのも構わず、圓城はじっと鬼の頚が消滅した場所を見つめ続けた。

「……圓城」

名前を呼ばれて、我に返ったように顔をあげる。そして冨岡の方をを振り向きニッコリ笑った。

「思ったよりも早く片付きましたわね、水柱サマ」

「……」

冨岡は何も答えない。よく見ると冨岡の足や顔にもいくつか切り傷があった。圓城は苦笑する。

「水柱サマ、雨が激しくならないうちに帰りましょう。風邪をひいてしまいますわ。傷の手当てもしなければ…」

「……目が」

「は?」

冨岡が突然口を開いたため、圓城はキョトンとした。

「目?目がどうかしましたか?」

「……」

「…あの、水柱サマ?」

「……何でもない」

そのまま冨岡は口を閉ざしてしまった。圓城は今度こそ大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

冨岡義勇は圓城菫が苦手である。いつ死んでもおかしくない殺伐とした世界にいながら、いつも穏やかに笑い上品に佇む女。それが圓城菫だ。始めに柱として紹介された時は、何かの間違いではないのかと疑ってしまった。

『あら、初めまして。……睡柱の圓城菫と申します。』

清潔な隊服の上に、花柄の羽織を身に付け、日傘をさしながらフワリと微笑む。鬼殺隊に存在しているのが信じられないほど優美な女だった。

共に柱でありながら、圓城が単独での任務を好むため、冨岡が圓城と任務につくのはこれが初めてだった。圓城は先日の任務で左足を失い、義足になったらしい。それならばできるだけ自分が中心になって動こうと冨岡は考えた。

「水柱サマ、取りあえず私は北側から、水柱サマはその反対から鬼を探すのはどうでしょうか?」

山に入ってすぐに圓城からそう提案されて、少し考える。その方が確かに効率的だ。しかし、圓城に何かあった場合、離れていたら逆に危険だと冨岡は思った。

「……あのぅ、お願いできませんか?」

「………(なるべく2人で動いた方がいいから)やめておけ」

「えっ、はっ?えっと、あの、水柱サマ、もしや何か計画があるのでしょうか?」

計画、と言われて冨岡は考える。

「計画があれば、聞かせていただけますか?もしよければ、私はそれに従いますので。決してご迷惑をかけることは致しませんし--」

冨岡はじっと考えながら、圓城の左足を見つめた。もし圓城を1人にして、何かあったら大変なことになる。圓城は義足での任務はこれが初めてとお館様が言っていた。ならば、やはり山の中では2人で動いた方がいいだろう。

「あの……」

「……足が」

「はい?」

「………(義足での任務が初めてならば1人で)動くのはダメだろう」

「……えっと」

圓城が困ったような顔をした瞬間、その後ろから鬼が現れたので冨岡は素早く動いた。圓城もほぼ同時に刀を鞘から抜く。2人で背中合わせに鬼を斬る。冨岡は鬼を斬りながら、圓城の方をチラリと見た。そして驚きで目を見開く。義足とは思えないくらい激しい動きで戦っていた。涼しい顔で次々と鬼を切り刻んでいく。冨岡は少し安心して自分も戦いに集中した。

水の中から現れた女の鬼にも、躊躇いなく攻撃する。2人で一気に攻めこんだ事で、思ったよりも早く片付いた。

大きく息をついて、刀を仕舞う。冨岡が思ったよりもずっと、圓城は強かった。流石は柱として鬼殺隊で生きる女だ。自分のような未熟者とは全然違う--、そう思いながら圓城の方を振り返る。そして、目を見開いた。

消滅する鬼の頚を圓城はじっと見つめていた。泣きじゃくる声が聞こえる。

「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。許して」

圓城は何も言わずにその頚を見つめ続けている。

「本当は食べたくなかった。でも我満できないの。ごめんなさい。ごめんなさい。許して…」

圓城のその瞳を、冨岡はじっと見つめた。その瞳に宿るのは、怒りや憎しみではない。

それは悲しみだった。哀れみだった。憐情だった。

鬼殺隊とは思えない、深い慈悲のこもった瞳だった。

冨岡は心臓が凍りついたようにゾッとした。なんだ、この女。自分が殺した鬼を、なんでそんな目で見ているんだ?

「……圓城」

思わず冨岡が声をかけると、圓城は顔をあげる。そこにはいつもの穏やかな笑顔があった。

「思ったよりも早く片付きましたわね、水柱サマ」

「……」

「水柱サマ、雨が激しくならないうちに帰りましょう。風邪をひいてしまいますわ。傷の手当てもしなければ…」

その顔は何を考えているか分からない。冨岡は戸惑いながら口を開く。

「……目が」

「は?目?目がどうかしましたか?」

圓城は本当に不思議そうに首をかしげた。なんと言ったらいいのか分からず、冨岡は口ごもる。

「…あの、水柱サマ?」

「……何でもない」

結局何も言えなかった。そのまま背を向ける。

「……戻る」

「はい。そろそろ夜明けになりますわ。傷を手当てしてから報告に行きましょう」

冨岡と圓城は雨の中、ゆっくりと山を下った。雨は激しくないが、なかなか止まない。2人はお互い会話をせずにひたすら足を動かす。山を半分ほど下った所で、ようやく雨が上がった。冨岡は心の中でホッとする。これで少しは動きやすくなるだろう。

雲の隙間から、白い明るみが広がる。夜明けが来た頃、冨岡と圓城はようやく山から出た。

「水柱サマ、この度はありがとうございました。」

「……」

「任務をご一緒できて、心より光栄でした。とても心強かったですわ。」

山を下り、夜明けが来たことで安心したのか、圓城の顔が明るくなる。冨岡は何も答えなかったが、圓城は1人で話し続けた。

さて、傷の手当てをしてもらいに藤の花の家紋の家に行こうか、と冨岡が考えていると、今まで話していた圓城の足がピタリと止まった。冨岡も足を止めて訝しげな顔で振り向く。圓城は何かをじっと見ていた。その視線の先を冨岡が追うと、そこには見事な虹が出現していた。まるで空に橋がかかったように、七色の光が輝いている。女性が好きそうな美しい光景だ。きっと圓城も見とれているのだろう、と冨岡は考えながら圓城の方へ再び視線を移す。そして首をかしげた。

圓城の瞳は深い憎悪がこもっていた。鋭い視線で虹をずっと見つめている。顔中に殺気が溢れている。鬼と戦う時でさえ、そんな顔はしなかったのに。

「……圓城?」

冨岡が声をかけると、圓城はハッとしたように慌てて虹から目を離した。冨岡に優雅に微笑みかける。

「失礼しました。綺麗な虹ですわね。思わず見とれていましたわ」

「……見とれているとは、思えなかったが」

冨岡がそう言うと、圓城は驚いたような顔をした後、苦笑した。

「あら、分かってしまいましたか」

「……」

「……殺したい鬼が、いるんです」

圓城が迷ったように口を開いた。冨岡は黙ってそれを聞く。

「その鬼は、虹色の瞳をしているんですの。水柱サマは会ったことありませんか?」

「……いや」

「まあ、上弦の鬼ですからね。もしも、見かけたら教えてくださいな。その鬼は私が殺しますから。地獄の果てまで追いかけて」

圓城が笑った。その瞳には深い憎悪がまだ宿っていた。

やっぱりこの女はよく分からない、と冨岡は思う。鬼を恨んでいるのか、憎んでいるのか。

 

それとも--、哀れんでいるのか。

 

そして、2人はそれ以上なにも話さずに静かに帰路についた。

 

 

 

 

 

 



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偽装兄妹

 

 

 

 

 

 

その日、見たのは血まみれの少女だった。

 

泣きじゃくりながら小さな刀を振り上げる。

 

覚えているのはこちらを見る闇のような黒い瞳と、

 

血で汚れた花の着物----

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

合同任務は疲れる事ばかりだ。圓城菫は今日もため息をつく。

冨岡との任務が終わった後、幸運にも他の柱との合同任務はなかったがそこそこ階級の高い隊員との合同任務を命じられた。これがまた別の意味で面倒くさい。こちらが指揮を取らなければならないし、他の隊員の安全管理も徹底する必要がある。

「わっしょい!わっしょい!」

「喜んでいただけたようで、こちらも嬉しいですわ」

任務のない昼間、圓城は見舞いのため煉獄家を訪れていた。煉獄は身体の調子はいいらしく、圓城から見舞いのさつまいもをもらい大声で叫びながら喜んでいる。

「圓城、感謝する!さっそく焼き芋でもしよう!圓城も食っていくといい!わっしょい!」

「いえ、私は…」

「遠慮するな!わっしょい!」

「そ、それではお言葉に甘えて…」

勢いに押されて思わず頷いてしまった。煉獄の弟、千寿郎が掃除をして集めたという落ち葉を使って焼き芋をする。庭で焼き芋をした事がない圓城は、興味深げに近くで眺めていた。

「圓城様、どうぞ。熱いので気をつけて下さい」

「ありがとうございます、千寿郎さん」

紙で包まれた焼き芋を渡され、圓城はそっと受け取る。熱さに戸惑いながら皮を剥き、頬張った。

「あつっ!あ、美味しい…」

物凄く熱かったが、同じくらい甘くて美味しい。煉獄が笑いながら自分の分の芋を手に取る。

「圓城!気をつけて食べるんだ!火傷するな!」

「はい…」

「うまい!うまい!」

煉獄も幸せそうな表情で芋を食べ始めた。隣では千寿郎もそっくり同じ顔で焼き芋を食べており、その光景に心が和む。

「ところで、圓城!宇髄の任務の件は聞いたか?」

「?音柱サマですか?」

「遊郭にいるという鬼の捜査中に、奥方と連絡が取れなくなったらしい!」

圓城は目を見開いた。

「まあ……、奥様が?確かくの一、でしたわね」

「ああ!なかなか尻尾が掴めないようだ!よもやよもやだな!」

圓城は顔をしかめた。

「大丈夫でしょうか?私が潜入すればよかったですわね…」

「圓城はちょうど他の任務に行っていたからな!それに、その足で遊郭に潜入するのは流石に難しいだろう!仕方あるまい!」

「それでは、音柱サマはまだその遊郭にいるんですの?」

「ああ!今度は竈門少年と我妻少年と嘴平少年を連れて潜入しているらしい!」

「???」

圓城は芋を口に含んだまま目をパチクリさせた。

「…あの3人ですか?女性隊員ではなく?それって大丈夫なんですか?」

「まあ、宇髄がいるなら大丈夫だろう!わっしょい!」

圓城は芋を咀嚼しながら眉をひそめる。本当に大丈夫だろうか、と恐らく苦労しているであろう炭治郎達に思いを馳せた。

しかし、他人の心配をしている場合ではなかった。圓城は切実にそう思う。煉獄を見舞った数日後、鎹鴉の閑が圓城に向かって叫んだ。

「カアァッ!圓城ォ!西ノ村ヘ迎エ!西ノ村ダ!幻ヲ見セル鬼ガ出ルトイウ情報アリ!!」

「幻?」

圓城は首をかしげる。どんな幻なのだろう?とにかく急いで向かわなければ。圓城が走り出そうとしたその時、再び閑が叫んだ。

「カアァッ!今回ハ風柱トノ合同任務ゥ!」

「え」

 

 

 

 

「まあ、それではご兄妹で湯治に?」

「はい!お兄様が、どうしても私を連れてきたいとおっしゃって…」

「まあ、仲がよろしいんですねぇ」

「はい!お兄様は本当に優しいんです!ねっ、お兄様!」

「…俺に妹は、いね--」

「あはは、もう、お兄様ったら、恥ずかしがり屋なんだから!」

西の村のとある温泉宿にて。圓城は隣に立つ不死川実弥の背中を、パシンと強めに叩いた。不死川の顔が怒りで歪むのが分かったが無視をする。

ああ、なんでこんな事になったのか。

いや、理由は分かっている。風柱の不死川実弥との合同任務を命じられた時は思わず顔が引きつった。抵抗しても無駄だという事はよく分かっている。圓城は任務を放棄したい気持ちを必死に切り捨てて、大きな荷物を携えながら不死川との合流場所に向かった。

不死川はいつもの怖い顔で圓城を待っていた。

「風柱サマ、お待たせして申し訳ありません」

「……けっ」

うわぁ、と圓城は口が引きつりそうになる。冨岡とは別の意味でやりにくい。風柱が自分を嫌っているのは知っていたが、ここまで顔を歪める程とは。嫌われるのは慣れているので別に構わないが、任務に支障がでるのは非常に困る。

「おい、テメェ、圓城。お館様の命令だから仕方なくお前と合同で動くが、迷惑だけはかけんな。なんなら、今すぐ帰れェ」

「残念なから、帰ることはできませんわ。風柱サマ。早く現地へ向かいましょう」

圓城がそう言うと、不死川は舌打ちをして不満そうに歩き始めた。

「風柱サマ、鬼の事は聞きましたか?」

「…西の村に出るんだろ?幻を見せるとかいうふざけた鬼が」

「はい。ただ、どのような身なりの鬼なのか、どのような幻を見せる鬼なのか、情報が少なすぎる上に曖昧で、概要がよく分からないのです。合同での調査が必要ですわ。怪しまれないように一般人に偽装しましょう。鬼に鬼殺隊だと知られると動きにくくなりますし…」

「ああ?そんな面倒くせぇこと…」

「今から行く村は、小さな村ですが温泉が有名で観光地としてそこそこ賑わっているそうです。他の方を巻き込む事は絶対にいけませんわ」

「…けっ」

圓城は苛立っているらしい不死川に荷物を渡した。

「というわけで、こちらをどうぞ」

「あァ?なんだ、これ?」

「着替えですわ。風柱サマ用の着物が数着入っています」

「なんでテメェがそんなもん持ってくるんだ!?」

「風柱サマの事ですから、隊服で来るに違いないと思いまして。その隊服では鬼殺隊ですと主張してるようなものですからね」

「隊服を脱いで着替えろってのかァ?」

「服を着替えても、風柱サマはお強いでしょう?安心なさってください。うちの使用人が風柱サマに似合いそうな服を見繕ったので。」

「……クソッ」

「村に入る前にお互い適当な所で着替えましょう。ああ、それと、村の中ではあなたが兄で私は妹という事にしてください。兄妹で湯治に来たという設定でいきましょう」

「ああ!?なんでテメェと兄妹になるんだよ!?」

「仕方ないでしょう。何日か滞在することになりますし、未婚の男女が同じ場所で一緒に過ごすとなると目立ちますわ。兄妹という設定が一番自然なんです。それとも風柱サマ、兄妹よりも夫婦の方がよろしいですか?」

「……あ゛ァ?」

不死川が今度こそ明確な殺意のこもった目で睨んでくる。圓城も自分で言っておきながら、思い切り顔をしかめた。

「……ちっ、仕方ねェ、さっさと終わらせるぞ」

「ええ。迅速に終わらせましょう」

そう話しながら2人は現地へと向かった。

村の近くで2人は隊服を脱ぎ、着替える。不死川は上品で落ち着いた若草色の着物へ、圓城もまた薄い橙色の着物へ着替える。日輪刀は見えないようにじいやに持たされた大きめの袋に隠した。義足は敢えて見せるようにして、最後に杖を手に握る。

「何だ、その杖?」

「鬼殺隊だとバレないように、念のため足の不自由な娘を装うんですのよ。いいですか?私は不幸な事故で左足を失くした妹で、風柱サマも同じくその事故で怪我をした兄です。2人で身体を癒すために湯治に来ました。設定としてはそんなところです。覚えてくださいまし。」

「……クソッ!なんで俺がこんな事を…」

不死川がブツブツ不満そうに言っている。圓城は心の中でため息を吐きながら村へ歩き始めた。

 

 

 

 

 

村に入ると、事前の情報通りそこそこ人が多く、賑わっていた。温泉が有名だという宿に滞在することになったため、そちらに向かう。杖をついて足が悪いフリをする圓城に合わせて不死川がゆっくり歩いてくれたのは意外だった。温泉宿に着くと、女将や仲居が一瞬不死川の顔を見てびっくりしたような顔をした。不死川は頼りにならないので、圓城はよそ行きの笑顔で必死に健気な妹を装う。

「さあ、お兄様、早く部屋に行きましょう!」

「……けっ」

「申し訳ありません。お兄様ったら、緊張しているみたいで…」

「いえいえ、それではお部屋はこちらになります」

不死川の分も精一杯愛想を振り巻いたことで、女将達は警戒心を解いたらしかった。優しそうな表情の仲居が部屋へ案内してくれる。ちなみに部屋は別々である。兄妹という設定なので一緒の部屋の方が怪しまれないかなと考えたが、流石に圓城も抵抗があったし、不死川が必死の形相で断固拒否したためだ。その代わり、いつでも動けるように部屋は隣同士にしてもらった。

「お客様、ぜひお部屋の方でお茶を…」

「あ、この後、お兄様とこの辺りを散歩をしようって約束してるんです!だから、荷物を置いたらすぐに出ますので…」

「まあ、本当に仲がよろしいんですねぇ。では、お夕食を用意してお待ちしております」

「ありがとうございます!」

部屋まで案内してくれた職員にお礼を言う。職員が立ち去った後、圓城は笑顔を消し、鋭い瞳で不死川を睨んだ。

「お兄様、なんですぐにボロをだそうとするんです?」

「うるせぇ、誰がお兄様だ、クソが」

「誰が聞いてるか分からないのですよ!愛想よくしゃべれとは言いませんが、せめて、妹がいる事を否定するのはやめてください!」

不死川はそっぽを向き、圓城は頭を抱えそうになる。ああ、これだから柱との合同任務は嫌なのだ。

「……とにかく、調査をしましょう。まだ昼間ですし、散歩をするふりをしながら情報を集めましょう」

「……」

不死川はもはや何も答えない。圓城は黙って拳を握る。

 

 

こうして、風柱と睡柱の合同任務は始まった。

 

 

 



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花の着物

※時系列の関係で少し読みにくさがあるかもしれません。すみません。


 

 

 

 

「とりあえずは、村を歩いて異変がないか観察をいたしましょう。できれば村の住人からも話を聞きたいですわね」

不死川実弥はチラリと隣を歩く睡柱の圓城菫を見た。圓城は穏やかな顔でそう言いながら、杖をついて歩いている。どこからどう見ても品のいい清楚な女性だった。鬼殺隊の隊員には見えない。しかし、穏やかに微笑みながらもその瞳は鋭く周りを見渡している。

不死川は圓城菫の事が嫌いというわけではない。隊員の中には「鬼狩りはお嬢様の道楽」「金の力で柱になった」などと悪い噂を流す者がいるが、そんな噂は、はなから信じてはいない。圓城が柱を任命して4年、技能がなければとっくの昔に死んでいるはずだ。恐らくは相当の実力があるのだろう。

圓城はなぜか合同任務をやりたがらない。お館様もその事を承知しており、柱になってからはほとんど単独で仕事をこなしていた。数少ない圓城と共に仕事をしたことのある隊員達は彼女の事を、こう語る。

『睡柱は人間とは思えないほどの速さで動く』

『気がついたら鬼の頚が斬れていた』

『一瞬で任務が終わっていた』

不死川は再び圓城をチラリと見た。そう、自分はこの女が嫌いなわけじゃない。たた、圓城を見るたびに、複雑で形容しがたい感情を抱いてしまうだけなのだ。

この女は覚えていないのだろう。自分と初めて会った時の事を。

不死川は数年前の事を思い出した。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不死川くん、自分の体を傷つけてはダメよ。何度も言ってるじゃない」

「放っとけ」

それは、数年前、不死川が怪我の治療のために蝶屋敷を訪れた時の事だ。同じ柱である胡蝶カナエから叱られながら手当てを受ける。傷口を消毒しながらカナエは困ったように首をかしげた。

「また傷跡が増えてしまうわ」

「……別にこれくらい何でもねぇ」

「もう!不死川くん--」

カナエが何かを言いかけた時、診察室に誰かが入ってきた。

「師範、ガーゼと包帯お持ちしました」

「あら、菫、ありがとう。そこに置いてちょうだい」

不死川は入ってきた人物に視線を向ける。ガーゼと包帯が入ってるらしい箱を持ってきたのは、隊服を来ている少女だった。結っていない長い黒髪が背中でサラリと揺れる。深い黒の瞳が不死川の方へ向けられた。

「………ん?」

その少女と目が合った時、不死川は強い既視感を覚えた。この女、どこかで会ったような気が----。

「あ、不死川くんは初めてだったかしら?最近私の継子になった子よ。圓城菫というの。菫、こちらは風柱の不死川実弥くんよ。ご挨拶して」

カナエがそう言うと、少女は深いお辞儀をした。

「お初にお目にかかります。圓城菫と申します。」

「……おう」

名前に聞き覚えはない。不死川の勘違いなのだろう。圓城はカナエから何事か頼まれたらしく、すぐに部屋を出ていった。きっと、気のせいだ。何かの任務の時に圓城を見かけただけだろう、と思い直す。しかし、不死川はその奇妙な既視感がなかなか頭から離れなかった。

圓城と再会したのは、その1年後の事だった。

「新しく睡柱となった圓城菫だ」

「お初にお目にかかります。睡柱の圓城菫と申します。よろしくお願いいたします」

柱合会議にて、お館様から紹介されたのはかつての花柱の継子だった。

前に見た時はとは雰囲気が違う。黒い、闇のような瞳がこちらへ向けられる。美しい黄色の花が描かれた空色の羽織を着ていた。華やかで優雅な花が描かれた着物----、

「……あ?」

その羽織を見た瞬間、唐突に思い出した。不死川は圓城と会った事がある。ずっと、ずっと前の事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

それは、不死川が柱を任命される、ずっと前。鬼殺隊の末端の隊員として活動していた時の事だ。静寂に満ちた、不気味な夜だった。

「カアァーッ!コノ先、南区ニテ鬼ガ出現!直チニ迎エェ!」

鎹鴉が大声でそう叫び、不死川は即座に南へと向かった。鬼に対する並々ならぬ憎悪に顔を歪めながら走る。

「クソが。鬼共は俺が殲滅する」

吐き捨てるようにそう言って、鴉の後へ付いていく。人気のない道を横切ると、原形を留めないほどに破壊された自動車が目に入った。

「!」

どうやら一般人が巻き込まれたらしい。車のすぐそばには運転手らしき人物と品の良い洋服を着た男性が倒れている。2人は鬼に身体を切り裂かれたらしく、血で汚れていた。一目見て死んでいることが分かった。

「……チッ」

不死川は舌打ちをする。その後、不信に思いわずかに首をかしげた。何故、死体が残っている?鬼は殺しただけで、食べなかったのだろうか?

死体が残っている理由はすぐに分かった。

「ガガガガガガガッ、ギイイイイッ」

奇妙な声をあげる鬼が、そこにいた。図体は大きいが、程度の低い鬼らしく、まともな理性は残っていないようだ。その鬼のそばには、

「ふっ、あ、ああ、ああああ----」

小柄な少女がいた。か細い悲鳴をあげている。泣きじゃくりながら、何かを振り下ろしていた。悲鳴をあげながら、泣きながら、振り回しているのは短刀だった。小さな身体を素早く動かしながら、必死に鬼に短刀を突き刺している。

「ひっ、ひぃぃ、あ、ああああ!」

また、少女の悲鳴が響く。鬼が少女を捕まえようと何度も腕を伸ばしたが、その度に少女は身をかわしていた。そして、また何度も何度も短刀を鬼に突き刺す。

決してそんな小さな刀で、鬼は死なない。突き刺した身体はすぐに再生していた。それでも少女は鬼への攻撃を止めなかった。

「……っ!」

不死川は目の前のそんな光景に一瞬呆気に取られたが、すぐに動いた。一気に鬼の頚を日輪刀で斬る。やはり、雑魚鬼だったらしく、頚を斬られた瞬間、すぐに死んで消滅する。

「--っ!あ、え、え?」

突然現れた不死川に少女はポカンと口を開いた。不死川と少女の目が合う。

少女は深い闇色の瞳をしていた。夜よりももっと暗い、深い井戸のような黒い瞳。そして、不死川が今まで見たことのないくらい上等な着物を着ていた。着物には美しい花が描かれているが、血で真っ赤に染まっていた。

「………え?」

「オイ、大丈夫--」

不死川が声をかけたが、少女はそのままバタリと倒れてしまった。慌てて駆け寄り、慎重に身体を調べる。怪我はなく、ただ気絶しているだけのようだ。汚れているのはどうやら車のそばで死んでいる男性達の血なのだろう。不死川は大きな怪我がないことにホッとして息をついた。少女が手に持っている短刀が目にはいる。こんな小さな短刀1つで鬼と戦い、生き残った。それもほぼ無傷で。とんでもなく幸運な少女だ。

遅れてやって来た隊員達に少女を引き渡す。少女はすぐに療養所へ搬送された。

あとから、その少女がとんでもなく身分の高い家の娘だと聞いた。あの夜はたまたま両親と別に車で帰宅する途中で、鬼に襲われたらしい。

不死川はぼんやりと考えた。少女にとって、鬼に襲われたあの夜は、恐ろしい出来事となっただろう。かつての自分のように。あんな記憶、消えてしまえばいい。クソみたいな鬼の事なんて忘れてしまえ。そして、幸せになればいい。鬼とは無縁のあの少女には、幸せになる権利があるのだから。

不死川は確かに名前も知らない少女の幸せを願った。その事は明確に覚えている。しかし、多くの鬼を斬っていく日々がその記憶を少しずつ消していった。もう少女の顔も思い出せないほどに、記憶が薄くなっていく。

ただ、少女の暗い瞳と、血で汚れていた華やかな花の着物は覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

なぜ、あの時助けたはずの少女が鬼殺隊にいるのか。

不死川は柱合会議で、圓城の瞳と花柄の羽織を見た瞬間、彼女を助けた記憶が甦った。間違いない。あの時、小さな刀1つで鬼と戦っていた少女だ。

蝶屋敷で会った時は思い出さなかった。突然思い出したのは、恐らく彼女の羽織を見たからだろう。彼女の羽織は、あの血で汚れていた着物と同じ花が描かれていた。何の花かは分からないが。

不死川のその時の気持ちをなんと形容すればいいのか。なぜ、鬼殺隊に入った?なぜ全てを忘れなかった?なぜ、なぜ、なぜ----?

頭の中が疑問でいっぱいになる。

幸せになれるはずの女だった。鬼とは無縁の世界で生きるはずの女だった。

何か事情があるのだろう。何かの理由があって、鬼を斬っているのだろう。不死川には関係のないことだ。圓城には圓城の事情があるのだから。

結局、不死川はなぜ圓城が鬼殺隊に入ったのか知らない。圓城とあまり関わる機会がなかったし、なんと声をかければいいか分からなかったからだ。圓城から声をかけられた事もほとんどない。圓城が自分で選んだ道だ。自分の邪魔をしなければ、どうでもいい。

それでも、と不死川は少しだけ複雑な感情を抱く。

あの時、自分が鬼から助けた命。死に急いで欲しくなかった。鬼とは無縁の世界で、幸せを享受すればよかったのに。

圓城の姿が、もう随分と長い間顔を見ていない弟と重なる。

 

 

ああ、どうしてこいつらは、こんな生き方を選んだのか。不死川はまた舌打ちをした。

 

 

 

 

 

 

 







※大正コソコソ噂話
圓城の戦いの特徴は、俊敏で正確な斬撃と長期戦になっても続く体力。
とにかく攻撃がズバ抜けて速い。ただし、全身に隠している短刀が重しになっているため、全力で動く時は短刀を全て除去する必要がある。
不眠不休で動けるのは12日間。12日を過ぎても戦えるが、全身の倦怠感と頭痛と吐き気に襲われる。






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届かない攻撃

 

 

 

「どうやらこの辺で観光をしている方が行方不明になったらしいですわ」

圓城と不死川がやって来たのは村のはずれにある小さな林だった。目の前には崖が広がっている。

圓城は崖の近くまで行き、見下ろした。かなり高い崖だ。下には大きな川が広がっている。ここから落ちたらただでは済まないだろう。

「表向きは観光客が事故でここから落ちて行方不明、という事になっているみたいですわね。」

「圓城、あまり身を乗り出すんじゃねェ。落ちても俺は助けねェぞ」

崖から下を見下ろす圓城に不死川が声をかける。やっぱり怖いけどいい人だ、と圓城は思った。

「流石にまだ夕方ですし、鬼の気配は、ありませんわね。風柱サマ、どう思われます?」

「あぁ?夜に出直せばいいだろうがァ…」

「ですが、幻を見せるという術が少し気になりますわ。結局その辺の情報がよく分かりませんし…」

「クソが。どんな鬼であろうと、俺が殺す」

不死川の様子を窺いながら、圓城は眉間に皺を寄せた。何も対策をせずに戦いに挑むのはあまりよくない。もう少し調べる必要がある。

「風柱サマ、とりあえず一度宿に戻りましょう。夕食を準備しているでしょうし…」

「あぁ?俺はこのままここに残って…」

「お忘れですか?お兄様」

圓城がわざとそう呼ぶと不死川は憤怒の表情になった。

「私達は湯治に来ているという設定なんですよ。怪しまれるのは困ります」

「……ぐっ」

「一度は帰るべきです。温泉にも入らずにずっと散歩していたなんて、流石に不自然ですしね。夜にこっそりと宿を抜ければいいではないですか」

「…くそっ」

不死川が渋々クルリと背を向けて、宿への道を歩きだした。圓城も苦笑しながら後に続いた。

 

 

 

 

 

それから4日経った。

「…クソがぁ!鬼の野郎!早く出てきやがれ!」

「……はあ」

圓城は頭を抱えた。この4日間、村を見回り鬼の事を探ったがほとんど情報は集まらなかった。夜は不死川とともに崖の付近で鬼を探すも、全然見つからない。

不死川はもう完全にキレていた。さっきから鬼への憎悪を叫んでいる。圓城の方も割りと限界だった。温泉宿で不死川と仲良し兄妹のフリをするのも疲れてきたし、何よりも鬼の動きが全然ない。一度出直す事も考えた方がいいかもしれない。

圓城は少し考えながら口を開いた。

「風柱サマ、今夜は別行動をいたしましょう」

「あ?別行動?」

「私が北の林の方を。風柱サマは南の方を見回って、今夜鬼が出なければお館様に報告して一度戻る事も考えましょう。もしかしたら、幻を見せるという鬼は別の地に移った可能性もありますし…」

「…ケッ、仕方ねェ、じゃあ、何かあったら鴉を寄越せェ」

「はい。それではご武運を」

2人は別々の方向へ足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

林は月の光に照らされて、静寂の空間が広がっていた。重なりあうように樹木が茂っている。圓城は何度も歩いた木々の間をじっと観察する。やはり、何もいない。鬼どころか人間も獣も見当たらない。まあ、こんな夜中に林の中に人がいるわけはないだろうが。

「……」

圓城は立ち止まった。この先を少し進めば崖だ。やはり何もいない。もう少し見回ったら、不死川と合流しようか。そう考えた時だった。

「--っ!」

僅かに崖の方から鬼の気配を感じた。圓城は間髪をいれずに日輪刀を抜いて、走り出す。

「…閑!」

小声で鴉の名を呼ぶ。圓城のそばに待機していた鎹鴉がすぐに飛び去った。不死川を呼んできてくれるだろう。

崖の方へ向かうと、すぐに異形の鬼の姿が目に入った。まるで圓城を待っていたように、牙を剥く。圓城は刀を振るった。

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」

鬼の頚らしき場所へ刃を当てる。しかし--、

「……は?」

当たった感覚が全くなかった。刀で斬れた感覚もない。

「これ--、そうか、幻!」

鬼が鋭い爪の生えた腕らしきものを圓城に伸ばす。

「……っ!」

とっさに圓城がその攻撃を避けた瞬間、何かが後ろから圓城の身体を引き裂いた。ギリギリで気配に気づいて避けようとするが、羽織が切り裂かれる。隠していた短刀がいくつかカランと音をたてて落ちたのが分かった。

「……っ、」

圓城は顔をしかめながら後ろに飛び上がる。

「--!?」

周囲を見渡して唇を噛んだ。数体の鬼が圓城を囲んでいた。鬼へ向かって刀を振り下ろす。

「睡の呼吸 参ノ型 睡魔の嘆き」

力を込めて刀を動かしたが、やはり鬼に当たった感覚はない。これもまた、幻なのだろう。圓城は思わず舌打ちをする。どこに本物の鬼がいる?私が見ているのは全部幻か?

その時、何かが圓城の耳元で囁いた。

「お前、柱だな?」

鬼の気配。圓城はとっさに後ろへと刀を向けるが、やはり攻撃は空を斬った。

「ああ、柱を喰えるなんていい夜だな」

次の瞬間、何かに攻撃されて圓城は後ろの樹木に強く身体を叩きつけられた。痛みに呻く。骨が折れたのが分かった。

すぐに立ち上がるが、今度は何かの斬撃が圓城を襲う。同時に再び地面に激しく叩きつけられる。こちらが反応する前にいくつかの攻撃を食らった。

「……ああ、もう!」

圓城は立ち上がりながら、顔を歪めた。怒りで思わず声が出る。その口から血が流れた。腕の骨は折れてないからまだ戦える。しかし、目に見えない相手とどう戦えばいいのか。鬼は幻影を使って目をくらましている。鬼の頚どころか姿さえ見えない。見えない相手と戦うという事の厄介さを圓城は初めて知った。

「…見えないなら」

姿が見えないならば、気配を追うしかない。圓城は目を閉じた。目に頼らず、必死に鬼の気配を感じ取ろうと、周囲を探る。感じろ、感じろ--!

「睡の呼吸 伍ノ型 浅睡眠」

ほんの少しの気配を感じたところへ、四方八方に刀を振るった。今度こそ、何かに攻撃が当たった感覚があった。目を開ける。

「ちくしょうっ!人間風情が!」

やはり姿は見えないが、鬼の罵倒する声が聞こえた。圓城は再び目を閉じる。今度こそ、頚を切る。次は逃さない。

圓城が刀を構えたその時だった。

「オイ、圓城ォ、遅れて悪ィなァ!」

不死川の声が聞こえた。圓城はパッと目を開ける。不死川が凶悪な笑みを浮かべて目の前に立っていた。

「随分と怪我してるじゃねェか。珍しい光景だなァ」

「……見えないんです。風柱サマ、申し訳ありません」

「ケッ」

不死川が刀で自分の腕を切り裂いた。

「クソ鬼が!出てきやがれ!」

その瞬間、周囲にいた幻の鬼達の姿がユラリと揺れた。まるで煙のように消える。

「……貴様、稀血か!」

目の前に現れたのは切り傷のある男の鬼だった。圓城と不死川を鋭い瞳で睨んでいる。しかし、不死川の稀血の効果なのか身体がグラグラと揺れていた。考える前に圓城と不死川は動いた。

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」

「風の呼吸 壱ノ型  鹿旋風削ぎ」

一瞬で鬼の身体がバラバラになった。幻を見せる以外はあまり力のない鬼だったようだ。

「ギャアアアァっ!」

鬼が悲鳴を上げる。圓城はホッと息をついた。同時に悔しさに歯ぎしりをする。こんなに弱い鬼相手に苦戦し、しかも最後には不死川の稀血に頼ってしまった。情けない。

身体の骨がやはりいくつか折れているし、切り傷も多い。打撃を食らったため、所々痛かった。こんなに怪我をするのは久しぶりだ。羽織も破れたし、じいやに悪いなぁと圓城が思った時だった。

「ちくしょうっ!ちくしょうっ!柱を食べて認められる予定だったのに!」

消滅しかけている鬼が叫んだ。同時にバラバラになった身体の腕の部分が動く。

「…っ、オイ!」

不死川の声が聞こえた瞬間、鬼の腕が圓城を襲った。それは、最後の悪あがきだったのだろう。鋭い爪で身体を切り裂かれる。そして、同時に後ろへ突き飛ばされた。

「あ、…」

後ろは崖だった。

「圓城!」

不死川がこちらに走りよってきた。腕を圓城の方へ伸ばす。圓城もその手を掴もうと腕を伸ばしたが、空を切った。

圓城は真っ逆さまに崖から落ちていった。

「圓城!」

不死川が叫ぶ。崖から見下ろすが、その下には大きな川が流れており圓城の姿は見えなかった。

 

 

その日、睡柱、圓城菫が行方不明になったという一報が鬼殺隊に届いた。

 



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私は知っている

連続で更新しています。久しぶりのしのぶさん回。












 

圓城菫が行方不明となって3日経った。崖の下の川の底からはいくつかの短刀と日輪刀が発見された。更に圓城の帽子と破れた羽織も発見されたが、肝心の圓城は見つかっていない。圓城が落ちた川の周辺には森が広がっている。川と森の中を中心に現在も捜索が続けられていた。

「……」

胡蝶しのぶは圓城邸の前で立ち止まり、その大きな屋敷を見つめていた。思い迷うように視線を動かした後、門を叩く。

「ごめんください」

声をかけると、何度か見たことがある圓城の使用人が顔を出した。

「これはこれは、胡蝶しのぶ様。ご無沙汰しております」

「……突然お伺いして申し訳ありません。圓城さんは、帰ってきてませんか?」

使用人は沈んだ表情で首を横に降った。

「いえ、私も仕事を休んでずっとこちらに待機しておりますが…」

やはり、帰ってないか、としのぶはため息をついた。圓城が生きてるならここに帰ってくるはずだ。もしやと思い訪ねたが、ダメだった。

「…鬼殺隊の隊員が、圓城さんを探していますので、気を落とさないでください」

あまりにも使用人が暗い顔をしているのでしのぶは思わずそう声をかける。しかし、使用人は何かを決心したような顔をして口を開いた。

「胡蝶様、お嬢様の捜索はやめるよう隊員の方にお伝えください」

「は?」

しのぶはその言葉に唖然とする。

「な、なぜ…」

「鬼殺隊の方々は鬼を倒すのにお忙しいはずです。お嬢様の捜索に時間をかけるのはお止めください。お嬢様も決してそんな事は望んでおりません」

「で、でも…」

「あの方の望みは少しでも多くの鬼を倒す事です。自分の事に隊員の方々の時間を使うのは嫌がるでしょう。あの方は、そんなお方です」

使用人は深々としのぶに頭を下げた。

「ですから、どうか捜索を打ち切ってください。私が1人で探しますゆえ…」

「……」

しのぶはまともな返事が出来ずに、フラフラと圓城邸を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

蝶屋敷に戻ると、怪我をしている隊員達が待っていた。何かに追われるように仕事をこなす。

やっと一仕事終えた時、もう夕闇が迫っていた。少し時間が空いたため、休息をとる。今夜は運良く任務は入っていない。ぼんやりと縁側に座って庭を眺めた。

「………」

気持ちに余裕ができたため、先ほどの使用人の言葉をよく考える。彼の言う通りだ。圓城の捜索に時間をかけることはできない。自分達は鬼殺隊なのだから。

それに、行方不明になってもう3日も経った。もう厳しいのかもしれない。川に流されて溺死したか、森の中を迷って衰弱死したか--、

「………」

胸が苦しくなった。なぜこんな感情になるのか、分からない。どうでもいいはずだ。あの人のことなんか、どうなっても自分は気にしない。だって、私達はいつ死んでもおかしくないんだから。それが、あの人の方がちょっと早かっただけ。ただ、それだけ。

蝶屋敷の庭に視線を向ける。とっくの昔に忘れたはずの圓城と過ごした日々が脳裏を過った。初めて圓城と腹を割って話したのも、この庭だった。あの時の圓城の声が、頭に響く。

 

 

『しのぶ』

 

 

 

「……あ」

胡蝶しのぶは不意に気づいた。しのぶ、と。そう呼んでくれる人がこの世から完全に消えてしまうことに。

底知れない感情が心を満たす。心臓が痛い。今、自覚した。それは絶望であり、悲しみであり、喪失感だった。

「……本当に、どうしようもない人」

この場にいない圓城に向かって囁く。いつものように笑おうとするがうまくいかない。

本当に、圓城菫という女は嫌な女だ。この場にいないのに、こんなにも振り回されるなんて。ああ、だから自分は彼女の事が嫌いなんだ。

彼女の事になると、感情制御ができなくなる。殺したはずの自分の感情が表に出ようとするから。

どうしてこんなに振り回されなければならないのか。どうでもいいんだ。彼女の事なんか。死んだって何とも思わない。そうだ。別に気にしない。

しのぶは心の中で何度もそう唱える。自分に言い聞かせるように。

どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。------、

 

 

菫がこの世から消えたって、別に気にしない

 

 

「--胡蝶」

その時、自分を呼ぶ声がして、とっさにしのぶは笑顔を作った。

「あら、冨岡さん。どうされました?」

そこに立っていたのは水柱、冨岡義勇だった。いつものように何を考えているか分からない顔で廊下に立っている。

「怪我でもしましたか?」

「……」

「冨岡さん、私も忙しいのでとっとと用件を言ってください。黙ってたら何も分かりません。そんなんだから嫌われるんですよ」

「…俺は、き」

「あ、もういいです。とにかく、どこが悪いんですか?」

「…傷の軟膏が、なくなった」

ああ、としのぶは数日前の事を思い出す。冨岡は任務で鬼の攻撃を食らっていくつかの切り傷を作っていた。その怪我の治療をした時に、軟膏を渡したが、もう切れたらしい。

しのぶはとりあえず冨岡を診療室へ案内した。念のため怪我の具合を確かめる。

「うん、綺麗に治っているみたいですね。このまま軟膏を塗ってください」

「……」

棚から、傷に効く軟膏を取り出し冨岡に渡した。

「はい、どうぞ。軟膏です」

「……」

冨岡は黙って受け取った。

「冨岡さん、気をつけてくださいね。傷口から感染を起こして重体になる可能性もあるんですから。圓城さんも行方不明ですし、これ以上柱が減ったら大変ですからね」

「……行方不明?」

冨岡が首をかしげる。しのぶはあら?と口元に手を当てた。

「ご存知なかったんですか?」

「…聞いてない」

「思ったよりも嫌われていますね」

「……」

「3日ほど前、任務中に、鬼に崖から突き落とされて行方不明なんですよ。もう生きてないかもしれませんね…」

自分でそう言葉にすると、また絶望が胸を襲った。その時、冨岡が口を開いた。

「あいつは、死なないだろう」

「……は?」

冨岡の言葉に目を丸くする。

「…どういう意味ですか、冨岡さん」

「……」

「冨岡さん?」

しのぶが声をかけると、少し迷うような表情をした後、冨岡はゆっくりと言葉を紡いだ。

「あいつは、殺したい鬼がいると言っていた。虹色の瞳の鬼を殺すのだと」

「--っ」

「地獄の果てまで追いかけて、殺すのだと言いきった。強い意思を持ってそう言っていた。あんな目をする人間は、簡単には死なない」

冨岡の声が、言葉が響いた。

そうだ。私は知っている。私が一番よく知っている。忘れていた。あの子は簡単に死ぬような人間じゃない。折れる人間じゃない。自分を曲げる人間じゃない。

だって、柱なのだ。いつでも強くあろうとする剣士で、人を護るために刀を振るう鬼殺隊員で--、

 

 

 

大好きな姉さんが選んだ継子だったんだから。

 

 

 

「……私、初めて冨岡さんの事、尊敬しました」

「……は?」

訝しげな声を出す冨岡を無視して、しのぶは立ち上がった。するべき事がたくさんあるのは分かっている。それでも、自分もまた、折れたくない思いがある。

しのぶは診療室から足早に去っていった。キョトンとした顔で戸惑う冨岡だけを後に残して。

 

 

 

 

 

「夜分遅くすみません。不死川さん」

「なんだァ、胡蝶…」

不死川は突然訪ねてきた胡蝶しのぶに戸惑った。胡蝶しのぶはいつものように張り付けた笑顔で笑っており、何を考えているか分からない。

「…圓城さんが崖から落ちた状況と場所の詳細を教えてください」

「あァ?」

不死川はますます困惑した顔をする。

「なんでテメェがそんな事を聞く?」

「今から私が圓城さんを探しに行くからです」

「はァ?なんでお前が…」

「とにかく、早く教えてください」

しのぶは笑顔だが、苛々している様子でそう言った。不死川は舌打ちをした後口を開く。

「やめろォ。あそこは深い森だ。俺もあいつが落ちた後、周辺を探したが全然見つからなかった。」

「……」

「お前だって任務があるんだろォ。ここは隠の隊員に任せておけェ」

「…教えてください」

「しつけェな。そもそも、かなり高い崖から落ちたんだから、死んでてもおかしく…」

不死川がそう言った瞬間、しのぶが口を開いた。

「あの人のことは!」

珍しく大声を上げたしのぶに不死川は呆気にとられる。

「あの人のことは、私が一番よく知っています!殺しても死なない女です!私が、探したいんです!」

不死川はしのぶの顔を見た。そこにはいつもの笑顔がなかった。拳を強く握っている。

睡柱と蟲柱は仲が悪いと、不死川は今までそう思っていた。柱合会議で2人はほとんど話そうとしない。それどころか目を合わせるのも嫌がるふしさえあった。お互いに話す時もギスギスとした雰囲気が漂うので、相性が悪いのだろうと考えていた。

それは不死川の勘違いだったらしい。

不死川は1つため息をつくと、圓城が崖から落ちたときの状況をしのぶに話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アオイ、蝶屋敷をお願いしていいですか。1日だけでいいので。少し出かけます」

しのぶから突然声をかけられた神崎アオイはポカンと口を開いた。

「え、あの、しのぶ様?どこに?任務、でしょうか?」

「いえ、圓城さんを探しに行ってきます」

「え!?」

既にお館様から圓城の捜索の許可はもらった。他の任務もあるため、捜索に当てられる時間はたった1日ではあるが。必ず、見つけてみせる。諦めない。絶対に。

アワアワと戸惑っているアオイに悪いと思いながらも、しのぶは蝶屋敷から足を踏み出した。

 

 



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儚い幸せならば

 

 

 

 

なんだろう。これは。

まず認識したのは竈門禰豆子の姿だった。いつもの可愛らしい姿ではない。大人の女性の姿だ。額からは鬼の象徴である角が現れ、体に枝葉のような紋様が現れている。

これは、何?

今度は奇妙な薄着の女の鬼が現れた。2体の鬼が屋根の上で対峙する。禰豆子がその鬼に蹴りを入れた。鬼が帯を操り、禰豆子の足が切れる。

ダメ、禰豆子さん。このままじゃ。炭治郎さん、早く、早く助けてあげて----、

 

 

 

 

「……あ?」

圓城は目を覚ました。夢だったようだ。

「痛い……」

凄まじい痛みが全身を襲う。いつの間にか川辺に倒れていた。

なぜここにいるのか分からず、一瞬混乱する。唐突に鬼に攻撃されて、崖から突き落とされた事を思い出した。川に流されながら必死に泳いで川辺にたどり着き、そのまま気を失ってしまったようだ。取りあえずは溺死を免れたことに息を吐く。

「……うぅ、……」

起き上がりながら呻いた。全身のあちこちに切り傷があり、出血している。骨が折れているため痛みも酷い。

目の前には深い森が広がっていた。ここはどこなのだろう。自分がいる場所が分からず途方に暮れる。チラリと上を見上げるが、鎹鴉の姿も見えなかった。まだ日は高いのが救いだ。刀がないため、鬼に襲われでもしたら流石に対処できない。

一体何時間気絶していたのか。圓城はそう思いながら立ち上がった。幸運にも足の骨は折れていない。義足もまだ動くので歩くことに支障はなさそうだ。

「…はあ、」

取りあえずは森を抜けなければならない。圓城は痛みに顔をしかめながらゆっくりと川沿いを歩き始めた。

 

 

 

 

「……まずい」

本当にまずい。川沿いを歩き始めて2日ほど経った。全然森を抜けられない。思ったよりも深い森だった。川があるため、水分補給は心配ないが、流石に体力の限界が近い。

それに、身体の傷があちこち痛む。歩くのも精一杯で1日に少しの距離しか歩けない。歩いている途中で人間に会わないかと希望を持っていたが、何も見かけなかった。

「……」

どうするべきか。自力で森を抜けるつもりだったので、ここまで歩いてきてしまった。こんなことなら最初の場所で留まっておくべきだった。もしかしたら、不死川や他の隊員が捜索してくれていたかもしれない。圓城は唇を強く噛む。いや、他人に頼ろうとするのはダメだ。鬼殺隊は常に鬼を倒すために忙しいのだから。

鬼殺隊隊員で、しかも柱とあろう者がここで挫けるわけにはいかない。必ず帰らなければ。

そう思いながらも、いつしか足が重くなっていく。意識が朦朧としていった。空腹のまま、傷だらけで動いた結果だ。圓城はフラフラと歩いていたが、やがて力尽きたように、近くの大きな樹木に体を預けるように倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「----れ、菫」

「はい、師範」

大好きな優しい声が聞こえて、圓城は反射的に返事をした。パッと目を開ける。目の前には胡蝶カナエがいた。圓城は困惑して口を開く。

「え、え?師範?なんで?」

「…菫」

カナエが泣きそうな表情で圓城の顔を両手で包み込んだ。

「よく頑張ったわねぇ」

「……師範」

「疲れたでしょう?とっても、とっても痛いでしょう?」

「……」

「あなたが自分で思ってるよりも、ずっと大きな怪我をしてるのよ。もう無理しないで」

「……」

「……疲れたら、休んでもいいの。ね?」

カナエの大きな瞳と目が合う。そして、圓城は口を開いた。

 

 

 

「それはできません、師範」

 

 

 

カナエが目を見開いた。圓城は思わず笑う。

「私は、前に進みます。疲れてはいませんよ、師範」

「……菫」

「私、頑張ったんです。でもね、しのぶの方がずっと、ずーっと、頑張ってるんですよ。師範もご存知でしょう?」

「……」

「あの小さな背中にたくさん背負って、いつも頑張ってる。私の努力なんか比じゃないくらいに。だから、これくらい全然苦じゃないんです」

「……」

「私は生きますよ、師範。ご心配なく。ここで死んだりしません。こんな森なんか必ず抜け出します。そして、もっともっと強くなる!人を護るためにー--」

「…菫、ごめんね」

カナエが圓城の頭を撫でた。圓城は心地よさに目を閉じる。カナエが頭を撫でてくれる瞬間が、大好きだった。目を開いて笑いながら口を開いた。

「…それに、師範。らしくないですよ、休めばいいなんて、そんな事を言うなんて」

「だって、あなたは人一倍がんばり屋で、自己評価が低くて、いつもいつも自分に厳しいから。ついつい甘やかしたくなっちゃうの」

カナエの言葉に苦笑した。そして、

「……師範、ごめんなさい」

そんな言葉が口から漏れた。

「うん?」

「私、師範が望んだような隊員には、なれませんでした」

「……」

圓城はうつむいた。

「あの時、間に合わなくてごめんなさい。救えなくてごめんなさい。私が盾になるべきだったのに--」

「菫、ちがう。ちがうわ」

「師範が、いなくなってから、鬼が憎くて仕方ありません。あなたのような柱にはなれませんでした。鬼を救いたいとは、思えませんでした--」

「ちがうでしょう、菫」

カナエの言葉にハッと顔を上げる。

「菫、あなたはずっと嘘をついている。周りにも、自分にさえも。本当はずっと、心の奥底で鬼が可哀想だって、気の毒だって、思ってるでしょう?」

その言葉に拳を強く握った。

そうだ。本当はずっとそう思っていた。鬼が憎いと思いながらも、怒りを胸に抱えながらも、心の奥ではずっと哀れんでいた。ほんの僅かな慈悲の心がどこかに残っていた。気づかないふりをしていた。見て見ぬふりをしていた。こんな気持ち、しのぶと決別したあの日に全て捨てたはずなのに。

自分でも認めたくなかった。誰にも悟られたくなかった。

だからこそ、お館様に無理を言って単独任務ばかり請け負ってきたのだ。誰かと仕事をすると、その気持ちを見透かれそうで、怖かったから。

「やっぱり、あなたは優しい子ねぇ」

「…優しく、なんかないです。しのぶの、ことも」

圓城は思わず涙を浮かべそうになってグッと唇を噛んだ。

「あの日、あんなこと、言うべきじゃなかった。鬼を倒せない、なんて。しのぶの気持ちは分かってるはずだったのに、何も分かってなかった。だって、私、しのぶには死んでほしくない--」

「……ええ」

「幸せになってほしい。笑顔でいてほしいんです。あんな、空っぽの笑顔じゃなくて、心から笑ってほしい。だって、誰よりも、大好きだから。」

「そうね。私も、そう思ってる。そして、あなたにも…」

カナエが圓城を強く抱き締める。

「あなたにも、幸せになってほしいの、菫。人を護るために戦って、誰かのために泣いてしまうあなたにも、笑顔でいてほしい。しのぶと一緒に」

「……もう、泣いてませんよ。」

圓城は笑った。

「師範が、泣くなって言ったから。私、あの日から一度も泣いていないんです。いつも前へ前へ進んでる。ね?頑張ったでしょう?」

「ええ…」

「でも、師範の事を思い出す度に、涙が出そうになるんです」

圓城はカナエから身を離し、その手を強く握った。

「もっと教わりたいこと、たくさんあった。話したいことも。師範がくれたもの、私、一度も返せてない。お礼も十分に言えなかった。いっぱい恩返ししたかったのに。」

 

 

 

「一度でいいから、カナエ姉さんって呼びたかった」

 

 

 

 

カナエがフワリと笑った。

「呼べばよかったのに。私、何度も師範じゃなくてカナエか姉さんって呼んでちょうだいって言ったでしょう?」

「……だって、しのぶの姉さんだから。」

「あら、遠慮していたの?」

「それも、あるんですけど。一度でもそう呼んだら、甘えてしまいそうで、怖かったんです」

「もう、菫は本当に自分に厳しいわねぇ」

カナエの言葉に圓城も微笑む。ああ、そうだった。この人は誰よりも優しくて温かい人だった。随分と長い間、忘れていたような気がする。幻でも、夢でも逢えて嬉しい。

私が一番信頼してた人。大好きだった人。あなたの力が私を生かしてくれた。ここまで命を引き伸ばした。あなたにもう一度逢いたくて、生きていたのかもしれない。苦しくても、悲しくても、決して屈したりしなかった。だって、ずっと、ずっと、逢いたかった。

 

 

ずっと、あなたに、逢いたかったんです。

 

 

カナエが微笑みながら口を開く。

「菫、知ってる?」

「はい?」

「私、あなたの事が大好きなの」

圓城はキョトンとした。

「私も師範の事、大好きですよ」

そう言うとカナエはクスクス笑い、再び圓城の顔を両手で包み込んだ。そして額と額をくっつける。

「さあ、そろそろ帰らないと。きっとしのぶが待ってるわ」

「……え?」

「忘れないで。覚えてて。睡柱、圓城菫。私はあなたの事をいつも誇りに思ってる。」

「…師範」

「挫けそうになったら、悲しみに襲われたら、思い出して。人の強い想いと希望だけは、誰にも奪えない。鬼にさえも。あなたが、それを覚えているだけで、永遠になるわ。決してそれは、なくならない。消えたりはしないの」

「…はい」

「菫、大好きよ、心から」

そして、カナエの姿がフワリと消えた。

 

 

 

気がつくと目の前にアゲハ蝶が見えた。ぼんやりとその蝶を見つめる。圓城の鼻にとまっているらしい。

「…師範」

口を開くと、蝶は舞い上がるように飛んでどこかへ行ってしまった。そして、圓城は目の前にいる人物を見て、目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

胡蝶しのぶは森の中を駆け巡りながら必死に目を凝らす。圓城の姿は全然見えない。今は真夜中だった。夜明けまであと少し。

川の中に沈んでしまったのだろうか。だとしたら、絶望的だ。そんな考えが脳裏を過り、しのぶは首を横に強く振る。

圓城がそんな簡単に川に沈むわけがない。あの子が死ぬわけない。

周囲に目を走らせた。1日中、休む間もなく足を動かしたせいで身体が重い。視界も霞んできた。

しのぶは足を止めた。空を見上げる。青みがかった空が広がっていた。そろそろ夜明けだ。

「…菫、どこにいるの…」

もう、ダメなのだろうか。これだけ探してもいないなんて。

「返事を、して。お願いだから…」

もう、失くしたくない。4年前、姉さんが死んでから絶望に突き落とされた。あんな思いはもうたくさんだ。

「……姉さん」

思わず最愛の姉を呼んだ時だった。

「………あ」

目の前を何かが横切る。

それは美しいアゲハ蝶だった。フワリフワリと舞うようにしのぶの目の前に飛んできた。

「……」

しのぶはまるで吸い寄せられるように蝶に近づく。蝶は軽やかに飛んでいった。

なぜこんな事をしたのか、しのぶにも分からない。まるで導かれるように蝶の後に付いていった。

木々の間を進んでいく。そして--、

「……っ!」

大きな樹木に身体を預けて目を閉じている圓城を発見した。

一瞬、しのぶは圓城が死んでいるのかと思い、息を呑んだ。圓城は傷だらけで顔もやつれていたからだ。しかし、アゲハ蝶が圓城の鼻にとまると、ゆっくりとその瞳が開いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

圓城は目の前に立つしのぶの姿を見て、大きく目を見開いた。しのぶの顔はいつもの張り付けたような笑顔ではなく、呆然として口が開いていた。ぼんやりとその顔を見つめる。そして、圓城は笑った。

「…すごい。こんないい夢初めて見た」

その時、しのぶが圓城に駆け寄り、強く抱き締めてきた。息が止まるほどギュッと抱き寄せられる。

「…よかった。よかった。本当に。菫……」

しのぶの声が聞こえた。顔は見えないが泣いているのが分かった。圓城は朦朧としながら自分もしのぶを抱き締める。そして思った。

こんなにいい夢、初めてだわ。また菫って、しのぶが呼んでくれるなんて。しのぶ、あなたは知らないでしょう。あなたのその声で、菫と呼ばれるだけで、私の心がどんなに震えるか。何千回だって、何万回だって、あなたに名前を呼ばれたい。

本当に、なんて幸せな夢なんだろう。こんな夢ならいつまでも見ていたい。温かいなんて、おかしな夢。ああ、夢は儚くて、脆いものだけど、今なら、私、言える。

「……ねぇ、しのぶ。ごめんね。…私の事、許してくれないって分かってるけど、それでも--」

 

 

 

しのぶの事が大好きなの。この世で、一番。

 

 

 

 

そう言って圓城はそっと目を閉じる。そして意識が遠くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

しのぶは圓城を強く抱き締めた。圓城は酷い状態だが、それでも生きていた。涙が流れるのが止められない。感情が、涙腺が制御できない。いや、そんなのどうでもいい。生きていてくれたのだ。死ななかった。よかった。本当に。

フワリとしのぶの視界の上でアゲハ蝶が舞う。まるで安心したようにどこかへと飛んでいった。

きっと、姉さんだ。姉さんが助けてくれた。奇跡なんて信じないけど、でも、それでも……、

ありがとう、姉さん。

しのぶは心の中で叫んだ。その時、圓城の小さな声が聞こえた。

「……ねぇ、しのぶ。ごめんね。…私の事、許してくれないって分かってるけど、それでも--しのぶの事が大好きなの。この世で、一番…」

しのぶはただ強く圓城の体を抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







次章は刀鍛冶の里編です。予告『夢の星は永久に輝きて』


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番外編
優しさの人


番外編。圓城の知らない裏話と胡蝶カナエの思い。
















 

私はあの子に何かを残せただろうか?

 

私にとって、あの子の存在は、誰よりも複雑で不可解だった。

 

たった1つだけ、確かなことがある。

 

あの子のことが、大好きだから、過去も未来も現在も、独り占めしたくなるの。

 

私は今日も願う。

 

妹とあの子の未来が希望に照らされますように。

 

あの子が涙を流しませんように。

 

その願いだけは、私の中にいつまでも残っている。 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

胡蝶カナエにとって、圓城菫という継子は、妹のしのぶとは別の意味で大切でかけがえのない存在だった。

長い真っ直ぐな黒髪と華やかな美貌を持つこの少女は、パッと見は近寄りがたく、取っ付きにくい印象を相手に抱かせてしまうらしい。本当はとても優しくて、泣き虫な少女なのに。

継子としても申し分ない。圓城は才能豊かな剣士だった。元々の身体能力の高さに加え、心肺機能や呼吸器系が発達しているため、厳しい鍛練を課しても易々とこなし、教えたことは全て吸収していく。何よりも素晴らしいのは、攻撃の速さだった。正確で息もつかせぬ連続攻撃を繰り出す。いまいち能力が生かしきれていないのは、水の呼吸が合っていないせいだろう。しかし、合っていない呼吸の型でそれだけの能力が出せるのだ。圓城が自分に合った呼吸を見つけた時、攻撃の威力がどれだけ上がるのか楽しみだった。

妹のしのぶはそんな彼女のことが気に入らないらしい。蝶屋敷にやって来て、しばらく経つのに2人の関係はギクシャクしていた。

「う~ん…」

カナエはしのぶと圓城の関係をどうにか改善したかったが、下手に口を出すともっと拗れる予感がして、前に踏み出せなかった。現在、圓城は遠方の任務に出向いており、しのぶの方は町に必要な物の買い出しへ行っている。

「あの2人、絶対に仲良くなれると思うんだけど…」

カナエが報告書をまとめながら頭を悩ませていると、アオイが部屋にやって来た。

「カナエ様、お客様です」

「は~い、誰かしら?」

「えーと…」

珍しくアオイが言い淀んだように言葉を濁して、カナエは首をかしげた。

蝶屋敷の玄関に行くと、そこに立っていたのは洋装の黒いスーツをピシッと着こなした、髭のある壮年の男性だった。眼鏡をかけており、優しそうな瞳をしている。

「あの…」

見覚えのない人物にカナエは困惑して声をかけると、男性は頭を深く下げた。

「お初にお目にかかります、胡蝶カナエ様。わたくし、圓城菫様にお仕えしております、使用人です。お嬢様がたいへんお世話になっております。」

「しようにん?お嬢様?」

聞き覚えの無さすぎる単語に思わず挨拶も忘れて首をかしげた。男性は苦笑しながら口を開く。

「圓城様の保護者、のような者でございます」

「はあ…」

よく分からないが、圓城の関係者だという事はなんとなく理解した。頭の中で使用人、という単語がやっと追い付く。使用人の存在や、彼の“お嬢様”という呼び方で、なんとなく分かっていたがあの子は裕福な家の娘なのだろうな、とカナエは思った。

「初めまして。鬼殺隊、花柱の胡蝶カナエです。菫に会いに来たんですか?生憎、あの子は…」

「いえ、お嬢様が任務という事は承知しております。遅くなりましたが、使用人として、保護者として、一度きちんとご挨拶をしたいと思いまして…」

「まあ、ご丁寧にありがとうございます」

カナエはニッコリ笑いながら男性を中へ招き入れた。

アオイにお茶を入れてもらい、カナエと男性は向かい合って座る。

「お嬢様は息災ですか?」

「ええ。いつも熱心に鍛練をしています。任務も本当に頑張っていて…」

「そうですか。心配しておりましたが、大丈夫なようですね」

男性は心の底からホッとしたように笑った。カナエは迷ったが、少しだけ踏み込む。

「あの…」

「はい?」

「あの子の、家族は…」

男性は少しだけ固い顔をして首を振った。

「申し訳ありませんが、わたくしの口からはお答え致しかねます」

「…それは」

「申し訳ありません」

男性の口調は頑なだったため、カナエはそれ以上詳細を尋ねるのは諦めた。少しだけ気まずい沈黙が流れる。男性の方が静かに口を開いた。

「……花柱様は、」

「はい?」

「お嬢様が、道楽や気まぐれで鬼殺隊に入ったとお考えですか?」

その質問に目を見開き、すぐに首を横に振る。

「いいえ。鬼殺隊は、道楽や気まぐれで入れる組織ではありません。確かにあの子に関して、そんな噂もありますが…、戦っている菫を見ればすぐに分かります。あの子は、いつも真面目でひたむきで、誰よりも人を救おうとする気持ちが強いです」

そう答えると、男性は安心したようだった。

「その通りでございます。お嬢様は決して遊びで鬼殺隊に入ったわけではありません」

男性は笑みを消すと、難しい顔をして口を開いた。

「お嬢様の家族の事や、過去の事はわたくしの口からは何も話せません。ただ、1つだけ。お嬢様は大変な思いをされて鬼殺隊に入ったのです」

「大変な思い…?」

「あの方は、」

 

 

「--鬼殺隊に入るために、人を殺したのですよ」

 

 

「……は?」

とんでもない言葉が耳に届いた。その意味を脳が理解し、唖然とする。

「ころ…、え?」

「あの方は、殺したのです。自分自身を。」

男性の言葉の意味が分からず、カナエは眉をひそめた。男性はそんなカナエの様子に構わず言葉を続ける。

「失礼しました。不謹慎な言い方でしたね。……お嬢様は、少し前まで別人でした。あるきっかけから、鬼殺隊に入ることを決心され、その時に…それまでの自分を切り捨てました」

「……」

「全ての人生を捨て、幸福を放棄し、自分自身を殺しました。それはあの方自身の望みでした。お嬢様は鬼殺隊に入るときにこう仰っていました。『私は人殺しだ。過去の自分を殺してしまった。その報いはいつか受けるでしょう。せめて、その日が来るまでは、できる限り多くの人を救いたい』と。お嬢様は、鬼殺隊に入ったその時に、…一度死んだのです」

「昔の…」

カナエがゆっくりと口を開く。

「昔のあの子は、どんな子だったのですか?」

「……お嬢様は、昔の自分のことを、『誰かの付属物としてしか、生きられない子ども。流されるだけで決断力どころか、意志も何も持たないお人形』だと語っていました」

男性は悲しそうに笑った。

「的確な自己分析だと思います。まさに、そのような方でした」

「…なぜ、あの子はそこまでして鬼殺隊に?」

一番知りたかったことをカナエは聞く。男性の答えは予想通りだった。

「お答えできません」

「……私が、菫に聞くしかありませんね」

「簡単には答えないでしょうね。それでも知りたいですか?」

カナエは少し考えて首を横に振った。

「…あの子が自分から話してくれるまで、待ちます」

男性はカナエの言葉に安心したようだった。お茶を1口飲むと、カナエに頭を下げる。

「感謝申し上げます。お嬢様を理解していただいて…」

「いえ、……」

「…正直に言うと、ずっと不安でございました。お嬢様が鬼殺隊で受け入れられないかもしれないと思いまして…。あの方はとても難しい方なので…」

男性は再び頭を深く下げた。

「どうか、お嬢様のことをよろしくお願いいたします。無茶なことをしないように、見守っていただけたら幸いです」

男性は何度も頭を下げて、暗くなる前に帰っていった。

「ただいま戻りました」

男性が帰ってしばらくして、圓城が任務から帰ってきた。

「師範、圓城菫、ただいま任務より帰還しました」

「……」

「…師範?」

いつもなら温かい笑顔で「おかえり」と言ってくれるのに、今日は無言で自分を見つめるカナエに、圓城は首をかしげる。カナエはその姿を見つめながら思った。

 

菫、あなたは何者なの?

 

そう口を開きかけたが、思い直して閉ざす。そんな聞き方をしたら、きっとこの子は困るだろう。この子のこと、何も知らない。知りたい。どこで生まれ育ったのか。今までどんな暮らしをしていたのか。家族はいるのか。なぜ鬼殺隊に入ったのか。--、

昔の菫に会ってみたい、とカナエは思った。でも、それはきっと不可能なのだろう。あの男性が言ったことが真実ならば、他ならぬこの子自身が捨てたのだから。カナエはいつものように笑った。

「おかえりなさい、菫。今回の任務はどうだった?」

「はい、少し厄介な鬼がいて…、」

一生懸命任務の事を報告する菫を見て、カナエは思う。いつか、きっと自分から話してくれるだろう。それまで待とう。話してくれるその日までは、この子を甘やかそう。いつも厳しい鍛練を課しているのだから、それくらい、いいだろう。

そして、いつか話してくれたその時は--、

カナエはそう考えながら圓城の話をニコニコしながら聞いていた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

日々は穏やかに過ぎていく。カナエは圓城に花の呼吸を教え始めた。とはいえ、花の呼吸も圓城には合っていないようで刀を振るいながら首をかしげていた。最近は自分で呼吸の型を作り出すことを考えているらしく、ますます鍛練に力が入っている。

また、しのぶと圓城はいつの間にか仲良くなったようで、最近は2人で楽しそうに笑いながらお喋りしている様子をよく目にした。

ある日のこと、しのぶが診療室で作業をしながら、怒っているような顔をしていたため、カナエは声をかけた。

「しのぶ?どうしたの?」

「……っ、姉さん。聞いてよ!菫が--」

しのぶの話によると、昨夜の任務の際、他の隊員が圓城の悪口を言っていたらしい。しのぶがその隊員に言い返そうとしたところ、圓城が止めたとのことだった。恐らく、圓城は事を荒立てたくなかったのだろう。カナエは苦笑した。

「菫は、強いのに…、実力があるのに!もう!あの子は!」

「まあまあ、落ち着いて、しのぶ」

「菫のこと、何も知らないくせに!あの子がどんな思いでここにいるか、知ろうともしないで…っ!」

「…え?」

しのぶの言い方が引っかかり、カナエは首をかしげた。

「?どうしたの、姉さん」

「…しのぶ、もしかして、菫から何か聞いたの?あの子の昔の話とか…」

そう言うと、しのぶは焦ったように首を横に振った。

「う、ううん!何にも!」

「……そう」

しのぶの様子から、その答えが嘘だと分かった。恐らく圓城がしのぶに何かを話したのだろうと検討がつく。

モヤモヤとよくない何かが心を支配する。少し考えて、それが不満と寂しさなのだと分かった。

圓城がもし自分のことを話してくれるのだとしたら、最初はカナエに話してくれるだろう、と勝手に思っていた。過去や自分の思いを打ち明けてくれるとしたら、カナエにだけだろうと。しかし、圓城が話したのはしのぶの方だった。

なんだか、面白くない。そんな事を考えてしまい、カナエは慌てて、そんな思いを振り切るように首を振る。

「姉さん…?どうしたの?」

「あ、いえ、なんでもないの!」

しのぶが訝しげな視線を向けてきて、誤魔化すように笑った。

 

 

 

***

 

 

 

鬼殺隊という組織に身を置いていたら、死とはいつも隣り合わせだ。

昨夜の任務は圓城を含めた数人の隊員による合同任務だった。見かけは子どものような姿の鬼だったが、そんな姿に似合わずかなり強い鬼だったらしい。外見に騙された数人の隊員が喰われた。最終的には、見事圓城が頚を斬ったらしい。

「ただいま戻りました」

「菫!大丈夫?」

カナエとしのぶが出迎えて、しのぶが声をかける。圓城は泥だらけだったが、怪我はほとんど見当たらなかった。

「…圓城菫、ただいま任務より帰還しました」

「おかえりなさい、菫。怪我は?」

「…顔に少し…。あとは大丈夫、です」

「こっち来て、私が手当てする!」

しのぶに手を引かれ、圓城は治療のためにすぐそばの部屋に入った。カナエはホッと息をつく。かなり難しい任務だと聞いて心配していたが、圓城は生き残った。それもほとんど無傷で。本当によかった。安心感で胸がいっぱいになり、自分の継子に誇りを感じる。やはり強い子だ。

圓城は軽傷だったので、処置をしのぶに任せて、カナエは他の隊員の治療へ向かった。

一通りの治療が終わり、カナエが診療室で物品の後片付けをしていると、しのぶが入ってきた。

「姉さん、菫を見てない?」

「え?こっちに来てないわよ?」

「あの子ったら、傷の手当てが終わったらすぐに休むって言ったくせに、部屋にいないの。探したんだけど屋敷にはいないみたいで…。どこに行ったのかしら…」

「あらあら…」

圓城が何をしているか察してカナエは苦笑した。

「しのぶ、私が探すから、ここの片付けを頼んでいい?」

「え、ちょっと、姉さん!?」

「よろしくね~」

しのぶが戸惑っていたが、笑いながら部屋から出ていく。そのまま屋敷中を見回る。しのぶの言った通り、圓城の姿はどこにもなかった。

「うーん、どこかに行ったのかしら…」

カナエは蝶屋敷の庭を見渡して首をかしげる。

「もうすぐ雨が降りそうだから、早く帰ってくればいいのだけど…」

と、庭から上を見上げてそのまま蝶屋敷に視線を移す。

「あら…」

そして、圓城を発見した。圓城は蝶屋敷の屋根の上にいた。膝を抱えて座り込んでいる。

「……」

カナエは困ったように笑って屋根へと登った。

「…菫」

圓城は屋根の上で顔を膝に埋めていた。カナエが名前を呼んでも顔を上げない。

「菫、顔を上げて」

圓城がゆっくりと膝から顔を出す。思った通り、その顔は涙で濡れていた。大粒の涙がゆっくりと頬を流れ、膝に落ちる。

「菫…、」

カナエが背中を擦ると、圓城は袖で涙を拭った。

「申し訳、ありません。すぐに、すぐに…止めますから…」

必死に涙を止めようとする姿がいじらしくて、カナエは圓城の体を抱き寄せた。

「…うー」

腕の中で、何事か呻いて圓城が体を離そうとするが、更に強く抱擁する。やがて諦めたように力を抜いた。

そのまま圓城はカナエの腕の中で声を出さず静かに泣いた。

きっと、それは今回の任務で亡くなった隊員達を思っての涙なのだろう。この子が泣く時は、いつも誰かのために涙を流しているから。

やがて、圓城の体の震えが止まる。

「…もう大丈夫?」

圓城がコクリと頷き、ゆっくりとカナエから身を離した。もう涙は流れていない。どうやら少し落ち着いたらしい。

「……申し訳ありませんでした」

「どうしてこんな所にいるの?落ちたら危ないわ」

泣いていたことには触れずに、そう切り出すと圓城はばつの悪そうな顔をして口を開いた。

「……こんな、顔、誰にも見られたくなかったんです。しのぶとか他の子達にも。弱い、隊員なんだって、思われたくない。それに、私が泣いたって、何かが変わるわけじゃない…っ」

また涙があふれそうになったのだろう。圓城はグッと耐えるような顔をした。

カナエは圓城の頭をゆっくり撫でる。こうすると圓城の心が穏やかになるのを知っていた。思った通り、圓城は少し落ち着いたような顔をする。

「…師範にも、本当は、こんな姿見せたくないんです。申し訳ありません。不甲斐ない継子で…」

「そんなこと、言わないで。あなたはとても頑張ってるわ」

「……でも、私は弱い。また、救えなかった…。全然、ダメだ。なんでこんなにダメなんだろう…っ、」

ああ、この子の悪い癖だ、とカナエは思う。圓城は自己評価が低く、何かと自分を卑下する。どんなに強くなっても、その癖は治らなかった。

「菫、そんなことを言うのはやめなさい。」

「……」

「さあ、立ち上がりなさい。そして鍛練をなさい。強くなりたいのならば、泣くのではなく、努力をしなさい」

「…はい」

厳しい言葉をかけると、圓城は静かに頷いた。そして立ち上がる。

「申し訳、ありませんでした。師範」

「頑張れるわね?」

「はい」

圓城が今度は強い意志を持った目でしっかりと返事をした。その姿にカナエは思わず笑う。カナエは真っ直ぐで強い瞳をした圓城が好きだった。

「あなたはやっぱり泣き虫ねぇ」

「……師範の前では、つい涙が我慢できなくなるんです。いつもは堪えられるんですけど、師範は優しいから、その優しさが嬉しくて。すみません、甘え、ですね…」

ああ、そうか。この子は私の前では素直に泣けるんだ、とカナエは思う。ならば、この子の泣いている姿は私だけが知っている姿なのだろう。私だけが、知っている菫の一部分。

なんだかそれが特別なような気がして、カナエは圓城の手を握った。圓城は強く握り返してくれた。

「……師範、私、もっと頑張ります。師範みたいに、なりたいから…」

「あら、私みたいに?」

「師範のように強くて優しい人でありたい。誰かが傷ついている時や泣いてる時、すぐに手を差し伸べるような、そんな人になりたい、です」

「嬉しいことを言ってくれるわねぇ」

「…師範がそばにいてくれると、世界が優しく光って見えるんです。自分の存在もほんの少し輝ける気がする。ここにいていいんだって思えるんです。師範の事を思うだけで、心が温かくなって、胸が詰まって、でもそれが心地いいと思うんです。変ですよね?」

「……」

なんだかすごい事を言われたような気がする。カナエは思わず真顔になった。

圓城に自覚はないのか、涼しい顔で気合いを入れるように深呼吸をしていた。そしてカナエの方を見て、花が咲いたように笑った。

「師範!明日から、また指導をお願いします!私、必ず自分の呼吸を作って、もっと強くなります!」

「…ええ」

やっぱり自分が言った言葉の意味に気づいていないのだろう。カナエは苦笑しながら頷いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

それからしばらく経って、圓城が自分の呼吸の型を作り出し始めた。独自の呼吸を使い始めたことで、圓城の攻撃はどんどん鋭く、大きなものへと変化していく。

「うふふ、どうしようかしら」

ある時、しのぶがカナエの部屋へ訪れると、カナエは数枚の紙を手に、筆で何事か書き込んでいた。

「姉さん、何してるの?」

「あ、しのぶ、どれがいいと思う?」

「え?」

カナエが見せた紙には『春の呼吸』やら『彩の呼吸』やら『蕾の呼吸』など書き込まれていた。

「なにこれ?」

「決まってるじゃない!菫の呼吸の名前の候補よ!」

「……」

「どれがいいと思う?やっぱり花の呼吸の派生だし、女の子だから華やかなのがいいわよね。もちろん最終的に決めるのは菫だけど、でも、私の一押しは…」

「えーと、いや、姉さん…」

「うん?」

「呼吸の名前なら、菫、自分でもう付けていたわよ。睡の呼吸にするって…」

「え~!!」

カナエがガックリと肩を落とした。

「そんなぁ~…」

「いや、そんなに落ち込まなくても…」

「だって、私が名前を付けようと思ってたのに…」

「まあ、こればかりは本人の意志が大事だからね」

しのぶは落ち込む姉を慰めながら苦笑した。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

圓城が独自の呼吸の型、睡の呼吸を本格的に使い始めた。階級も上がっていき、恐らくはそう遠くない内にカナエと同じ柱になるだろう。その日が来るのがカナエは楽しみだった。

しかし、心配事もあった。圓城の顔色が悪い気がするのだ。

「ねえ、しのぶ。菫、体の調子がおかしいのかしら?最近、特に顔色がおかしいような気がするのよね…」

「…あー、」

しのぶが何かを知ってそうな顔をしたため、カナエはグッと顔を近づける。

「しのぶ、何か知ってるの?」

「姉さん、近いわよ。…あの子なら、多分寝不足ってだけよ」

「寝不足?」

「菫って、元々睡眠時間が物凄く少ないのよ。なぜか眠るのが嫌いなんですって。睡の呼吸を使ってるのに、変な話よね?」

「……」

知らなかった。でも、考えてみれば圓城が最初にここに来た時も過労と睡眠不足のための入院だった。眠るのが嫌いと言うのは確かに変な話だ。それに、しのぶはずっと前から知っていたらしい。カナエが知らない菫の一部を知っているしのぶに対して不思議な感情が湧く。

「……じゃあ、最近寝てないってこと?」

「まあ、寝ないのは元からだけど。最近は特にずっと起きてるような気がするのよね…必死に隠しているみたいだけど…」

「…なんで眠るのが嫌なのかしら…?」

「さあ…?何度も聞いたけど教えてくれなかったわ」

カナエは顔をしかめた。

「しのぶ、今日はあなた、任務はなかったわね?」

「?ええ」

「私は今夜任務があるから、いないの。菫が帰ってきたら無理矢理にでも寝かせてちょうだい」

「うーん、でもあの子、何度も怒ってるけど全然寝ないのよね…」

「私に言いつけるわよって言えば、さすがに寝ると思うわ。このままじゃ体が危険よ。」

その言葉にしのぶが固い表情をしてしっかり頷いた。

 

 

 

 

「ただいま~」

その次の日の早朝に、任務を終えたカナエは蝶屋敷に帰ってきた。カナヲが静かに出迎えてくれる。

「カナヲ、いい子にしてた?」

カナヲが黙って頷き、カナエは笑って頭を撫でる。そこにしのぶも顔を出した。

「おかえり、姉さん」

「ただいま、しのぶ。菫は?」

しのぶが苦笑して圓城の部屋の方を指差した。圓城の部屋を覗くと、布団の中でぐっすりと眠り込んでいる姿があった。

「よかった。寝たのね」

「姉さんの言う通りだったわ。姉さんに言うわよって言ったらすぐに寝たの」

カナエは苦笑して圓城の頭を撫でる。寝ているのにそれが分かったのか、圓城の顔が少し綻んだ。

「そろそろ起こす?」

「いいえ。ぐっすり寝てるし、かわいそうだわ」

カナエは圓城の穏やかな寝顔を見つめながら微笑んだ。

起きたら、お説教だ。きちんと体調管理をしなさいと、叱らなければ。

「しのぶ、菫は今日は任務もないし、このまま自然に起きるまで寝かせておきましょう。アオイにも伝えておいてくれる?」

「うん。分かった」

「さて、今夜はお互い任務だし、私達も休みましょうか」

「姉さんはどこの任務?」

「南西の町よ。しのぶは?」

「私は…」

カナエはしのぶと小声で話ながら圓城の部屋から出ていった。そして思う。この任務が終わったら、みんなで甘味処にでも行こう。以前圓城と約束していたのに、まだ行けていなかった。お説教のあと、圓城にそう提案したらきっとあの子は大喜びするだろう。圓城の笑顔を予想しながら、カナエは自分も小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※大正コソコソ噂話
圓城が年下の子の頭をよく撫でるのは、無意識に胡蝶カナエを真似しているから。





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夢の星は永久に輝きて
戻ってきた現実


 

 

 

 

まず認識したのは、再び竈門禰豆子だった。いつも口に咥えているはずの竹がない。明るい太陽の下を歩き、笑って何かを話していた。そしてそんな彼女に兄である竈門炭治郎が駆け寄り、抱き締める----、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

「……ええ!?」

自分の見た光景が信じられなくて、圓城は大声を上げた。同時に覚醒し、勢いよく起き上がる。

「ね、禰豆子さん…」

思わず呆然と名前を呼ぶと、すぐそばで声が聞こえた。

「…禰豆子さん?」

圓城が右を向く。そこには胡蝶しのぶがキョトンとした顔で立っていた。

「……え?」

「禰豆子さんが、どうかした?」

圓城はなぜしのぶがそばにいるか分からず首をかしげ、周りを見渡した。どうやらここは蝶屋敷らしい。前に入院していた部屋だった。自分の身体には所々包帯が巻かれている。

「……?」

なんでこんなに怪我してるんだっけ?いや、それはともかく…

「禰豆子さんは、どこ…?」

「え?多分、炭治郎くんと遊郭に任務に行ってるはず、だけど…」

遊郭?じゃあ、さっき見た夢はいつの夢なのだろう?よく覚えていないが、遊郭の光景でないことは、確かだ。禰豆子は太陽を克服する。恐らくは近い将来に。でも、あれは、一体いつの光景なの--?考え込む圓城に、しのぶが言葉をかける。

「……体は?痛いところは、ないの?」

しのぶが話しかけてくるのを、ぼんやりと考えながら適当に答える。

「……節々が痛いですわね。いろんな所を強く打ったような…」

あれ?なんでそういえば蝶屋敷にいるんだっけ?

その疑問が浮かんだ瞬間、全てを思い出した。不死川との潜入捜査、幻を見せる鬼、崖から突き落とされたこと、深い森での遭難、そして----、

「----っ、………あ?」

なんだか、すごい夢を見た気がする。カナエが出てきて励ましてくれた。その後はしのぶが助けに来てくれて、名前を呼んでくれて、しかも抱き締めてくれた。そして、それが嬉しすぎてとんでもないことを言ってしまったような--、

「………え」

待って、どこからどこまで夢なの?

パッとしのぶの顔を見る。しのぶはいつもの笑顔ではなく、心配そうな顔をしていた。

「骨が折れていて、切り傷もたくさんあるの。あなたなら、すぐに治せると思うけど…」

あれ?なんでしのぶはいつもの他人行儀な敬語じゃないんだろう。

まさかとは、思うけど、----全部現実?

そう認識した瞬間、身体中に熱が走ったのを感じた。羞恥が顔に上ってくる。それを感じた瞬間、圓城は布団を大きく被り、全身を隠した。

「…何を、しているの?」

しのぶの声を聞くのも恥ずかしい。

「助けて下さって、ありがとうございました、蟲柱サマ。気分が悪いので、しばらく一人で休ませてください」

「……」

馬鹿!馬鹿なのか、私は!この愚か者!未熟者!あんな、あんな事をしのぶに言ってしまうなんて。本当に阿呆!ああ、もうこのまま一生布団の中から出たくない!しのぶの顔を一生見ることができない!

師範、助けて、と圓城が心の中で叫んだ瞬間、勢いよく布団が剥ぎ取られた。

「ああっ!」

思わず顔を上げて叫ぶ。そしてまた、しのぶと目が合った。

「……ねえ、覚えてないの?」

しのぶが無表情で圓城を見つめる。圓城は必死にしのぶから目を逸らして、口を開いた。

「こ、この度は、助けていただき、ありがとうございました。全然!全く!覚えていませんが、蟲柱サマのおかげで命拾いしましたわ…」

「……で?」

「へ?」

しのぶの冷たい声が聞こえて、思わずそちらを見そうになる。次の瞬間、しのぶが圓城の両腕を掴み、ベッドに押し倒していた。覆い被さるように、しのぶが圓城の上に乗り込んでくる。顔が近い。え?なんでこんなことになってるの?うわ、しのぶの力、思っていたより全然強いなどと、圓城はあまりの出来事に現実逃避をする。

「--っ、え?」

「ねえ、私に言うべきことがあるでしょう?」

「あ、あの--」

「菫」

名前を呼ばれて、また顔に燃えるような熱が満ちた。その真っ直ぐな視線から、もう目を逸らせない。

「あ……、」

「……菫、あなた…」

そう、しのぶが口を開いた時だった。

「よォ、圓城!さっさと目を覚ませやァ……へ?」

不死川実弥が病室に勢いよく入ってきた。しのぶと圓城が同時にそちらへ視線を向ける。不死川は、しのぶが圓城をベッドに押し倒している姿を見て、完全に体が凍り付いていた。

「……」

「……」

「……あー、すまねェ」

珍しいくらいのしおらしい姿で謝ると、不死川はクルリと背を向けた。その瞬間、しのぶが素早くベッドから降りて笑顔で不死川に近づき、肩を掴んで止める。

「あら、不死川さん。お待ちください。お見舞いですか?」

「いや、お見舞いというか、圓城が生きて帰ってきたって聞いてよォ。様子だけでも見ようと…」

「ああ、それなら、今からどうぞ。圓城さんも大きな怪我はないようですし、目覚めたばかりなので無理をさせないようにしてくださいね。それでは」

しのぶは早口でそう言うと、逃げるように病室から出ていった。一方で圓城はベッドの上でまだ固まっていた。

「あー、圓城?」

「……」

「なんか、邪魔してスマン」

「……」

「圓城、生きてるか?」

「……風柱サマ」

「おお、なんだ?」

「…介錯を、お願いできますか?」

「待て待て、切腹するな、早まるなァ」

「……ア゛------っ!!」

圓城は大声で叫んだ。蝶屋敷に響かないように、顔に枕を当てる。不死川がいなければ、羞恥のあまり、この場で転げ回っていただろう。

「ア゛--っ!もう!もう!なんで、なんでこんな事に!」

「どうどう、落ち着けェ」

「もう嫌だ!穴があったら入りたい!いっそ埋まりたい!そのまま日本の裏側に行きたい!」

「おお、確かにあれはいろいろとヤベェ光景だったがよォ…」

「ア゛ー--っ!いっそ殺してぇっ!」

不死川は圓城が落ち着くまでひたすら宥めた。

「……う、うぅ、なんでこんな事に」

時間が経つと、やっと圓城の心も落ち着いてくる。それでもブツブツと呻くように嘆いていた。

「圓城、お前、胡蝶と…」

「…悪いんですが、その名前を言うのはやめていただけませんか。名前を聞いただけで、もう死にそうなんです…」

「おゥ、でも、きちんと礼は言っておけェ。お前が行方不明になった時、あいつ必死で探していたんだからよォ」

「……」

圓城はそれを聞いて、思わず鼻の奥がツーンとなった。自分が死んでも、きっとしのぶは気にもとめないだろうと思っていた。素直に喜びを感じる。しかし、必死で探しに来てくれたしのぶに対して自分がかけた言葉を思い出し、また悶えそうになった。

「圓城、悪かったなァ」

「はい?」

不死川が突然謝ってきて、思わずポカンと口を開いて彼を見つめた。

「あの時もう少し俺が速く動いてお前を掴んでいたら、落ちることはなかったのによォ。悪かった」

不死川は決まり悪そうに視線を逸らしてそう言った。圓城は慌てて、首を横に振る。

「ち、違いますわ、風柱サマ!私があの時、油断したのが悪かったんです!風柱サマは全く悪くありませんわ!」

「……ほら、お前のだァ」

不死川が差し出したのは、圓城の日輪刀だった。

「あ、ないと思っていたら…」

「お前が落ちたあと、これだけは発見できた。返すぜェ」

圓城は日輪刀をそっと手に取る。紛失したと思っていたため、戻ってきたことに心から安心した。

「…ありがとうございました、風柱サマ」

「…とにかく、早く体を治せェ。」

「はい、もちろん」

「あと、胡蝶とのことは…、」

「風柱サマ、お願いですから今日見たことは、お忘れください」

「…別になんも見てねェよ。余計なお世話だと思うが、きちんと話せよ」

そうぶっきらぼうに言って、不死川は帰っていった。

「話せって言われても…」

圓城は刀を見つめながら、呟く。

「……顔を見るのさえ無理なのに。できるわけないじゃない」

そして膝を抱えて、圓城は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、最近気が緩みすぎでは?」

「……来て早々、何よ」

「最近怪我をしすぎですよ。もう少し自分のお身体を大切になさってください。」

「……悪かったわ」

おや?とじいやは首をかしげた。今日はやけにしょげている。

「それよりも、もう退院するから、準備して」

「え?よろしいのですか?退院の許可はもらったので?」

「…さっさと準備して」

「ダメです。胡蝶様に許可をもらってください」

「ア゛--っ!あの子の名前を出さないで!!」

「?どうしたんです?」

顔が赤くなるのを止められなくて、また圓城は枕に顔を埋めた。

「お嬢様、胡蝶様と何があったのです?」

「……言いたくない」

「?」

じいやは不思議そうに首をかしげた。何かまずいことでもしでかしたのだろうか?

その時、バタバタと誰かが騒ぐ声が聞こえた。廊下を鬼殺隊員達が右往左往している。

「何か、あったのかしら?」

「ちょっと聞いて参ります」

圓城が不思議そうにしていると、じいやが詳細を聞くために部屋から出ていった。数分後、戻ってきたじいやは少し顔が暗かった。

「どうやら、上弦の鬼が倒されたそうです」

「えっ!本当に!?」

「はい。しかし、音柱様と竈門様、我妻様、嘴平様が大怪我をされたらしく…」

圓城も顔をしかめる。

「皆さん、大丈夫なの?」

「申し訳ありません。詳しいことは聞けませんでした。しかし、生きていることは、確かです。恐らくは近日にでも詳細が分かることかと……」

「……そう」

圓城は誰も死んでいないことにホッと息をついた。そんな圓城を見て、じいやが口を開く。

「お嬢様、退院してもよろしいそうです」

「え?」

圓城は驚きで思わず口をポカンと開ける。

「音柱様や竈門様の怪我の方がかなり重傷のようなので、ここも忙しくなるでしょう。胡蝶様にお話しして、お嬢様の自宅療養の許可を取りました。かなり渋られましたが。通院することが条件だそうです」

「……ありがとう」

じいやに心の底から礼を言う。よかった。本当によかった。今は本当にしのぶの顔がまともに見られない。

圓城は荷物をまとめると、じいやと共にコソコソと蝶屋敷を後にした。

 

 

 

 

 

 



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尋問の時間

 

 

 

結論から言えば、圓城は蝶屋敷へ通院しなかった。

「お嬢様、本当によろしいので?」

「…よくないけど、いいのよ」

民間の病院で治療し、傷はほとんど治った。何度も蝶屋敷から鴉が飛んできたが、無視をする。しのぶも忙しいだろうに、一度圓城の屋敷を訪ねてきたが、居留守を使った。多分バレていただろうが。

「胡蝶様、かなり怒ってましたよ。凄まじい笑顔でした」

「でしょうね」

「でしょうね、ではありませんよ。対応する私の身にもなってください。胡蝶様に視線で殺されるかと思いました」

「大丈夫。もう治ったし、今日からまた任務にも行けるから。蝶屋敷にも鴉できちんと知らせるわ」

じいやが大きなため息をつきながら頭を抱えた。

とにかく圓城はしのぶを徹底的に避けた。どんな顔で会えばいいか分からない。今だに森の中で自分がしのぶに言った言葉を思い出すと顔が赤面し、悶えそうになる。

「あー、死にたい……いや、死なないけど…」

「…本当に一体何をやらかしたんです…?」

じいやが何度も尋ねてくるが、口が裂けても話せなかった。

 

 

 

 

鬼殺隊では大きな動きがあり、騒がしくなった。音柱一行が130年ぶりに上弦の鬼を撃破する偉業を成し遂げた。しかし、音柱、宇髄天元はその戦いにより左手と左目を失い引退することになった。

「……そういうわけで、俺達なんとか頚を斬れたんです!」

「まあ、大変でしたわね。炭治郎さん、お疲れ様でした」

圓城は蝶屋敷を訪ね、大怪我をした炭治郎の話を聞いて、ニッコリ笑った。

上弦の鬼との戦いから炭治郎は2ヶ月もの間意識不明だったが、3日ほど前に目覚めた。圓城がお見舞いに訪れると、炭治郎はお土産に持ってきた饅頭をパクパクと勢いよく食べながら、戦いの話をしてくれた。ちなみに今、蝶屋敷にしのぶはいない。炭治郎を見舞う前に、任務で外にいることをしっかり確認した上で圓城は蝶屋敷を訪ねた。

「本当によく頑張りましたわねぇ。あなたはやっぱり強いですわ」

圓城が頭を撫でると、炭治郎はそれを避けるように身を引いた。

「あ、いや、当然です!俺、長男なんで!」

「……?そうなんですの?」

長男が何か関係あるんだろうか、と圓城が首をかしげていると、今度は炭治郎が圓城に話しかけてきた。

「そういえば、圓城さんもとても大変だったって、聞きました。任務で森の中で遭難したって…」

「あ、ああ、私の場合は自己責任なので…強い鬼と戦ったわけではありませんし…」

圓城は思わず炭治郎から目を逸らしながらそう答える。炭治郎は圓城を不思議そうに見つめると、口を開いた。

「あのー、圓城さん…」

「はい?」

「…間違ってたら、すみません。もしかして、しのぶさんと何かありましたか?」

「……」

圓城の顔が真っ赤になった。炭治郎は、突然圓城から発せられた匂いに驚く。強烈な恥じらいとほんの少しの喜びの匂いだった。

「……ダメっ!」

「うっ!」

圓城が突然炭治郎の鼻をつまんだ。

「……っ、私の感情を、嗅いじゃダメっ!」

「は、はい!自分で鼻をつまみます!」

そう言われた炭治郎が慌てて自分の手を鼻に持っていくと、圓城は炭治郎から手を離し、そのまま顔を両手で覆った。炭治郎がその姿を見て、鼻をつまんだままオロオロする。

「あ、あの、圓城さん…」

「ごめんなさい。動揺しましたわ。柱として不甲斐ないですわね」

圓城が顔から手を離すと、そこには穏やかな顔があった。

「……恥ずかしながら、遭難した時、蟲柱サマに助けられましたの。それで、少し…いろいろありまして……」

圓城が言い淀んだようにそう言って、再び炭治郎から目を逸らす。炭治郎は鼻をつまみながら口を開く。

「……しのぶさんと、仲直り、できないんですか?」

「あら」

圓城はその言葉に苦笑した。

「仲直り?そもそも喧嘩などしておりませんわ」

「え……、だって…」

「あの人とはそれぞれ違う方法で戦っているだけ。目的を成し遂げるために、お互いに邪魔しないと、そう約束しておりますから…」

炭治郎が不思議そうな顔をする。

「圓城さんは、しのぶさんのお姉さんの継子だったんですよね?」

「よくご存知ですわね。誰かから、聞きました?」

「あ、アオイさんから…。すみません」

「なぜ謝るんですの?別に構いませんわ。昔の話ですしね…」

胡蝶カナエの顔を思い出して、圓城は微笑んだ。

「蟲柱サマとはその時に交流があっただけですわ。もう終わったことですが…」

「でも、圓城さん、しのぶさんのこと……」

「え?」

炭治郎が鼻から手を離す。そして言葉を続けた。

「あの、嘘、ですよね?しのぶさんのこと、とても大好き、ですよね?」

「……」

「しのぶさんの名前が出ただけで、圓城さんから甘い匂いがします…、悲しい匂いも濃くなって…」

「炭治郎さんに、嘘は通じませんねぇ…」

圓城は笑いながら炭治郎から目を逸らす。ゆっくりと目を閉じて口を開いた。

「そうですよ。あの人の事が好きです。誰よりも、何よりも。どんなに足掻いても、この感情を断ち切れないほどに。でも、知られたくなかった。私はそんな気持ちを持つ資格はないから--、」

森で助けられた時、なんで、あんなこと言えたのだろう。自分に対して腹が立ち、虫酸が走る。決して言ってはいけない言葉を言ってしまった。後悔しても、もう遅い。圓城は目を開いて、炭治郎に笑いかけながら言葉を続けた。

「昔、私は、あの人の大切な人を護れませんでした。しかも、あの人に対して言ってはいけない言葉を言いました。私は、あの人の、しのぶの決めたことを、否定せずに見守るべきだった…」

「……」

「もう元には戻れないでしょう。いえ、違いますわね。私は、私が許せない」

「…どうして」

「私は弱いんですのよ。本当に。しかも馬鹿なんです。救世主気取りの馬鹿な女。大切な人の盾にもなれなかったひ弱な女。過去の自分が殺したいくらい憎い…。過去に戻れないのならば、せめて、仇を打ちたい…」

「……」

「しのぶは、鬼を殺すために、自分の感情を切り捨ててしまった。空っぽの笑顔で、嘘をつきながら、師範の思いを繋いでいる。あの小さな背中にたくさんのものを背負って。それを一度否定してしまった私は、……もう共には戦えない。」

「圓城さん--」

「それでも、私も鬼を殺したい…、しのぶの、そばにはいられなくても、せめて同じ柱として、師範の仇を、この手で…」

圓城はそう言いながら両手で拳を握った。一瞬だけ目を閉じて、笑顔を作ると顔をあげる。

「申し訳ありません。つまらない話をしてしまいましたわ。ところで炭治郎さん、話は変わりますが、禰豆子さんはどうしました?」

「え?禰豆子?まだ夜じゃないので箱の中で寝てますけど…」

「……夜しか、出られません、ね?」

「…?鬼ですから…」

炭治郎が不思議そうな顔をした。圓城は笑って立ち上がる。

「長く居座って申し訳ありませんでした。そろそろお暇しますわ」

「は、はい。お饅頭、ありがとうございました」

「これからも頑張ってくださいね。あと、今日の話は忘れてください。お大事に」

圓城はそのまま素早く病室から出ていった。

 

 

 

「いつなのかしら…?」

帰り道で、圓城は呟く。禰豆子は太陽をいつ克服するのだろう。恐らくはそんなに遠い未来ではない。あの夢の、あの感覚はかなり鋭かった。胸がザワザワして、光景も鮮明だった。いつの、どこの光景かは分からないが、必ず近いうちに来る未来だろう。

少しだけ顔をしかめる。禰豆子が、太陽を克服したら、その時は--、

「きっと、来る。大きな、戦いが…」

もうすぐだ。きっともうすぐ--、

怯むな。恐れるな。私は、もう、

 

 

戦う準備はできている。死ぬための準備も。

 

 

そして圓城は真っ直ぐに前を見て、歩き続けた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

でも、この準備はできていなかった。

「さあ。何を食べようかしら?迷うわね!」

「どれもいいですねぇ」

「……」

ここは甘味処だ。目の前には甘露寺蜜璃が、右隣には胡蝶しのぶが品書きを手にして座っている。右隣の方へ顔を向けられない。圓城は黙って品書きを見つめるふりをしながら、冷や汗をかいていた。

どうして、こうなった?

圓城は数分前の事を思い出した。

 

 

 

今日は久しぶりに非番だった。じいやと共に買い物のため、町へ出向くことになり、圓城は上機嫌だった。

「うふふ。なかなかいいモノが手に入ったわね」

「……短刀を買って、そこまでウキウキできるのはお嬢様くらいでしょうねぇ」

珍しい短刀が手に入り、圓城は歩きながらニコニコしている。じいやは荷物を運びながらため息をついた。

圓城は可愛らしい雛菊柄の着物を着ており、淡い色合いの羽織を身につけている。長い髪は後ろで編み込み、大きめの赤いリボンを着けていた。どう見ても上品な可愛らしい娘にしか見えないこの少女が、危険で鋭利な短刀を全身にたくさん隠しているなんて誰も思わないだろうな、などとじいやは思った。

「帰ったら、早速投げてみましょう。切れ味も良さそうだったわねぇ」

「あっ、壁に投げるのはやめてください!これ以上稽古場を傷つけたら承知しませんよ!」

「分かってるわよー。でも……」

「あら、圓城さんじゃない!」

突然声をかけられ、圓城は後ろを振り向いた。そして笑顔が固まる。視線の先には甘露寺蜜璃と胡蝶しのぶが立っていた。

「……っ、あら、ごきげんよう。お二人とも、町で会うのは珍しいですわね」

「こんにちは!今日は私、長期任務の帰りなの!しのぶちゃんとは、たまたまそこで会っちゃって…」

「私は蝶屋敷に必要な物の買い出しに。圓城さんもお買い物ですか?」

「……ええ、まあ」

しのぶの顔から目を離す。久しぶりに話しかけられて、対応が分からない。

「えー、それでは私はこれで…」

圓城がその場を離れようとすると、甘露寺がグイッと近づいてきた。

「ねえ、圓城さん!よかったら、このまま三人で美味しいものでも食べに行きましょうよ!」

「え゛っ…」

輝くような笑顔でとんでもない提案をされて、思わず圓城の顔は引きつる。

「えっと、いや、私は、これから用事があるので…」

「おや、よろしいではありませんか、お嬢様」

突然じいやが話に割って入ってきた。圓城は鋭い目をじいやに向ける。その視線を受けても、じいやは穏やかに微笑み言葉を続けた。

「用事なら大丈夫でございますよ。ぜひ皆様とお食事をお楽しみください」

「いや、あの…」

「そうですよ。圓城さん」

今度はしのぶが圓城の腕を掴んできた。逃がさないとでもいうように強く掴まれて思わず変な声が出そうになる。

「……えっ、あのっ」

「あなたにはいろいろ聞きたいこともありましたし。ちょうどよかったです。さあ、行きましょう」

「キャーっ!楽しみねぇ」

一人空気を読んでない甘露寺が歓喜の悲鳴をあげる。そして、そのまましのぶに引きずられるように圓城は引っ張られていった。

「じ、じいやぁ、……」

圓城は引きずられながら声を出す。じいやは穏やかな笑顔で手を振ってきた。

しのぶに引っ張ってこられたのは、見覚えのある店だった。

「……」

継子だった時代に、しのぶとカナヲと共に訪れた事もある甘味処だ。チラリとしのぶの顔を見るが、いつもの張り付けたような笑顔を浮かべており、何を考えているか分からない。

3人は席に座り、品書きをそれぞれ手に取った。

「しのぶちゃん、圓城さん、何を食べる?どれも美味しそうね!」

「たまには甘いものもいいですね」

「……」

圓城は品書きを睨むように見つめて、冷や汗を流す。本当になんでこんなことになった?今の状況に心が追い付かない。頭が混乱してぐちゃぐちゃになる。

「圓城さんは何が好きかしら?」

「……えーと、鯖の煮込みとか…」

「残念だけど、甘味処に鯖の煮込みはないわぁ」

「……」

甘露寺の質問に思わず的はずれな答えを言ってしまい、圓城は頭を抱えた。

落ち着け、落ち着け、私。何かを適当に頼んで食べてすぐに帰ればいいんだから!

しのぶの方を見ないようにしながら深呼吸をして、自分を落ち着かせる。しかし、そんな圓城にしのぶが声をかけてきた。

「圓城さん、また品書きの物、全部頼みますか?」

「……っ、」

しのぶがあからさまに昔の話を持ってくるのは初めてだった。圓城は一瞬息が止まる。

「あら、なあに?全部って?」

「圓城さんは、前にこの店に来た時、全部の品物を注文したことがあるんですよ」

「まあ、前にも来たことがあるの?しのぶちゃんも一緒に?」

「ええ」

分からない。しのぶが何を考えているのか全然分からない。

圓城の顔にまた冷や汗が流れる。そんな圓城をよそに、しのぶと甘露寺は話を続け、なぜか以前のように品書きの物を全て注文していた。まあ、食べる量が多い甘露寺がいるから大丈夫だろう。

「おいしー!」

「美味しいですね。ね?圓城さん」

「……………はい」

目の前の膨大な量の甘味を甘露寺が凄まじい勢いで食べていく。隣ではしのぶが笑顔で団子を手に取りながら圓城に話しかける。圓城は必死に視線をそらしつつ、あんみつをすくいながら小さな声で返事をした。

昔、しのぶとカナヲと三人でこの店を訪れた事を思い出した。あの時は幸せだった。三人で甘いものを食べて、しのぶといろんな話をして、帰りはカナヲとシャボン玉を買って、蝶屋敷に帰ったら師範が笑顔で「おかえりなさい」と迎えてくれて----、

「……」

もう二度と戻ってこない幸福の時間が恋しくて、圓城はそれを誤魔化すように白玉を口に含んだ。甘い。

甘露寺が大福を食べながら圓城に話しかけてきた。

「こうして圓城さんとゆっくり話すのは初めてね!」

「…そうですわね」

「体の調子はどうかしら?少し前に森で遭難してひどい怪我をしたって聞いたけど…」

「ゴホッ!」

甘露寺の質問に圓城は思わずむせ混み、ハンカチで口を押さえながら答えた。

「…ご心配には及びませんわ。既に完治しております」

「結局蝶屋敷に通院しませんでしたが、大丈夫だったようですねぇ」

「……」

しのぶの視線が痛い。必死にあんみつに入っているサクランボを見つめ、その視線を受け流した。

「しのぶちゃんと圓城さんは前にもこの店に来たのよね?2人は一緒にお出かけしたりするの?」

「いえ、圓城さんは、以前私の姉の継子だったので、その時に……」

「まあ、そうだったの?知らなかったわ!」

圓城は慌てて口を開き、話題を変えた。

「こ、恋柱サマは、最近どうですか!?今回は長期任務だったとさっき言っておりましたが…」

「私?全然大丈夫だったわよ。長期任務と言ってもそんなに大変じゃなかったし……」

うまい具合に甘露寺が中心となり話が進む。圓城はため息をつきそうになるのを押さえながら表面上はニコニコと甘露寺の話を聞き続けた。

「でね、仕事の方はいいんだけど、添い遂げる殿方はなかなか見つからないのよ~」

「……え?殿方?」

甘露寺の言葉に圓城が目をパチクリさせると、しのぶが解説するように言い添えた。

「甘露寺さんは、添い遂げる男性を見つけるために鬼殺隊に入ったそうですよ」

「そうなの!自分より強い人を見つけたくて!柱の人はすごく強いでしょう?だから、自分でも柱にならなきゃと思って、すごーく頑張ったの!」

甘露寺が顔を赤くして、モジモジしながらそう言った。

「……素敵な話ですね」

圓城は心からそう言った。恋のために、結婚のために、鬼殺隊に入って、柱に昇りつめたのだからきっと相当の努力をしたのだろう。圓城は素直に感心する。真っ赤な顔で恥ずかしがる甘露寺はとても可愛らしかった。

甘露寺は恥ずかしさを誤魔化すように口を開く。

「え、圓城さんは恋人はいるのかしら?慕ってる方とか」

「え、あー、昔、婚約はしていましたが、今はいませんねぇ」

圓城はお茶を飲んで、ぼんやりとそう答える。圓城に婚約者がいたのは、鬼殺隊に入る前、実家にいた頃の話だ。父親が決めた結婚相手だった。子どもの時から結婚することが決まっており、何度か会ったこともあるが、もう顔も覚えてない。かなり年上の上流階級の家の男らしかったが、何一つ印象に残らなかった。そういう意味では、結婚相手を探すために鬼殺隊に入った甘露寺と圓城は正反対だ。圓城は鬼殺隊に入らなければ今ごろ結婚していただろう。

「えー!婚約!?」

「は?」

甘露寺が大声をあげて、しのぶは笑顔を消して圓城の方を向いた。

「え、圓城さん!婚約って?誰と!?」

「……いや」

しまった。余計なことを言ってしまった。

甘露寺がグイグイ近づいてくる。圓城が思わず顔をしかめて、どう誤魔化すか思案していると、今度は隣のしのぶが圓城の両肩を掴んできた。そして強引に自分の方へ向かせる。

「え、えっと、蟲柱サマ」

「……詳しくお話を聞きたいですね、圓城さん」

しのぶが怖い笑顔を浮かべる。顔には青筋が立っていた。間違いなくめちゃくちゃ怒っている。圓城は生唾を飲み込んだ。

「あ、いやー、あの…」

「私も聞きたいわ、圓城さん!」

恋柱サマ、空気読んで、と圓城は思わず叫びそうになる。しのぶが全然笑っていない瞳で真っ直ぐに圓城を見据えて言葉を続けた。

「……あなた、婚約までしている相手がいたんですか?私、知らないんですけど」

「圓城さん、どんな方だったの!?」

圓城は二人の勢いに押されながら答える。

「いや、あの、すみませんが、黙秘します」

「あらあら、圓城さん。そんなこと言わずに。是非教えてください。先日の森での事も含めてあなたとはじっくり話し合う必要がありますし、ね」

しのぶの言葉に忘れかけていた熱が身体中に走った。顔が真っ赤になるのが分かる。

圓城は渾身の力でしのぶの手から離れると、お金を机に置いた。

「すみません、失礼します!」

そして今までで一番の速さで走り、甘味処から飛び出していった。

 

 

 

「あーん、逃げられちゃったわ」

「……」

しのぶは黙ったまま思わず舌打ちをする。また逃げられた。あの速さではもう追いつかないだろう。

何度も圓城と話したくて、接触しようとするのに、圓城はしのぶから逃げ続ける。そもそも、しのぶも任務や他の仕事が忙しくて、接触自体が難しい。

あの森で、圓城から告げられた言葉。それを思い出すだけで、しのぶの心には温かい灯火のようなものが宿る。

もう一度、ゆっくりと圓城と話したかった。いい機会だと思ったのに。この後、隙を見て甘露寺に協力を依頼して、蝶屋敷に無理やりにでも連れていこうと思ってたのに。

「しのぶちゃん?どうしたの?怖い顔をしているわ」

甘露寺がしのぶの顔を覗き込むように見て、そう言った。しのぶは瞬時に顔に笑顔を浮かべる。

「すみません。ちょっとびっくりしてしまって…」

「慌てる圓城さん、可愛かったわねぇ。キュンとしたわ。なんだか幼く見えて。私より年上なんて信じられないくらい!」

「……ああ、そうですね」

意外と甘露寺は鋭い。実年齢は圓城の方が年下なのだから。しのぶは苦笑しながらお茶を一口飲んだ。

さあ、今度はどのようにあの子に接触しようか。

 

 

 

 

 

 

 



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刀鍛冶の里にて

 

 

 

 

「ア゛----っ!ア゛----っ!」

しのぶと甘露寺から逃げるように帰ってきた圓城は、自邸の稽古場にて、叫びながらゴロゴロと転がる。たまに無言になって悶えたかと思えば、また叫ぶ。最近ようやく治まってきたと思っていた発作がまたぶり返した。じいやはため息をついた。

「お嬢様、何があったんです?」

「じいやぁ…、よくもあそこで私を行かせたわね…、来世まで恨んでやる…」

「はいはい。それで?胡蝶様と何があったんです?」

「……ア゛----っ!」

圓城は両手で顔を隠すように押さえた。恐らくその顔は真っ赤になってるのだろう。

「お嬢様。いい加減きちんと胡蝶様と話すべきです」

「……できない」

「おや、逃げるんですか?睡柱ともあろう方が」

「……」

「情けない。そんな方は、鬼殺隊の柱として相応しくありません」

「……私にとって、あの子と対話することは、鬼と戦うよりも、怖い」

おや、とじいやは目を見開く。いつもならこのくらい挑発するとすぐに乗ってくるはずが、今日は静かに言い返してきた。寝転んだ体勢のまま、顔から手を離し、じっと考えるような表情で天井を見つめている。

「これ以上、嫌われたくない。前に、言われたの。か、顔も見たくないって。あの時の、こと……二度と思い出したくない。刀で斬られたみたいに、胸が痛くて、目の前の全ての色が失くなって、世界が、壊れていくみたいだった……」

「……」

「話したら、きっと感情が爆発するわ。冷静に、なれないの。そしたら、私はまたしのぶにとって嫌なことを言ってしまうでしょう」

「…お嬢様」

圓城が声をかけてくるじいやを無視して、立ち上がった。

「鍛練をします。じいやは出ていって」

「…お嬢様、そろそろお休みになった方が…最近、また眠っていらっしゃいませんよね?」

「自分の体調は自分がよく分かっています。眠るべき時にきちんと眠るわ。出ていきなさい」

圓城が頑なにそう言うと、じいやは心配そうな表情をしながら出ていった。

残った圓城は刀を手に取り、素振りを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「……どうしてもダメです?」

圓城が上目遣いで刀鍛冶の里長、鉄地河原鉄珍を見つめる。鉄珍は、

「いや~、さすがに無理ですな、圓城ちゃん。短刀はあかん」

と言い放った。圓城はその答えにため息をついた。

ここは刀鍛冶の里。圓城は、最近自分の日輪刀の切れ味がどうも悪い気がすると訴え、お館様に許可をもらい、この地を訪れていた。まあ、これは口実である。本当の目的は炭治郎がここに長期滞在していると聞いたためだ。禰豆子が太陽を克服していないか探りたかった。それに、変な胸騒ぎがする。

予想通り、日輪刀の調整は1日で終了した。

調整してもらったついでに、前から考えていた事を鉄珍に尋ねた。鬼を倒せる短刀が作れないか、という質問に鉄珍は首を横に振る。

「日輪刀は鬼の頚を斬る事ができる唯一の武器。残念ながら、短刀で斬ることは不可能ですな」

「……うーん」

「短刀での攻撃は刺突が最も効果的でしょう。しかし、それでは鬼は死なずにすぐに再生する。斬撃はできるが、刃渡りが短すぎて頚を斬るのは物理的に難しい。圓城ちゃんがいつもやっているように、鬼に刀を投げて攻撃するか、目眩ましするのが精一杯やろ。それでも威力は低く、攻撃としては弱すぎる…」

「……うーん」

思っていた通りだ。圓城は苦笑しながら頷いた。

「ありがとうございました。鉄珍様。参考になりましたわ」

「いやいや。こちらこそ、すみませんなぁ。期待に応えられず」

そう答えた鉄珍は、少し首をかしげながら言葉を続けた。

「ところで、圓城ちゃん。話は変わるが…」

「はい?」

「体調でも悪いんか?顔色が悪いが…」

圓城は誤魔化すように笑った。

圓城はここ最近眠っていない。任務や他の仕事が立て込んでいたのもあるが、いつ禰豆子が太陽を克服するのか気になり、眠れなくなった。既に臨界点である12日を過ぎ、現在不眠不休の活動が13日目に突入した。顔色は化粧で誤魔化しがきかなくなり、頭痛がさっきから止まらない。身体も重い。

「ちょっと最近頑張りすぎただけですわ」

「それにしても、顔色がひどい。今日は温泉にでも入ってゆっくりと休みなさい。」

「あら、いいですわね」

鉄珍の言う通りだ。さすがに今日こそは睡眠をとる必要がある。圓城は重い身体を引きずるようにして、里の宿へ向かった。

もう夜も遅い。圓城はぼんやりと里を見回す。なんだかザワザワしていて落ち着かない。温泉は明日の朝一番に入ろうか。本当に身体がだるい。今夜は睡眠を優先した方がよさそうだ……。

その時、目の前に変な鯉が現れた。

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」

圓城はぼんやりと歩きなから、調整された日輪刀でそれを斬る。あっけなく鯉は消滅した。

「やだ、私ったら寝不足のあまり、幻覚まで…」

圓城が思わず独り言を呟き、笑った時だった。カンカンと、大きな音が鳴り響いた。

「敵襲ー!!鬼だ-!!敵襲ーっ!」

「……え?」

ハッと我にかえり、周りを見渡す。

「……っ!?」

背中に壺をつけ、人間の手足がついた大小様々な鯉の化け物が里を練り歩き、人々を襲っていた。

「各一族の当主を守れ!柱の刀を持ち出せー!」

圓城は一瞬のうちに飛び上がり、日輪刀を振るう。

「睡の呼吸 参ノ型 睡魔の嘆き」

複数の鯉がバラバラになった。すぐに消滅する。鬼にしては弱すぎる。本体ではない。使い魔か何かだろうか。ならば鬼はどこに?

「早く、早く逃げてください!皆さん!逃げてください!」

圓城は叫びながら刀を振るった。まずい。こんな体調で戦う羽目になるなんて。

「……っ、」

次々と目の前の鯉を斬っていくが、身体が重くて仕方ない。さっさと鬼の本体を倒さないと、非常にまずい。ここの人間が死ぬということは、私達の力も弱くなってしまう。そうなると--、

圓城は青ざめながら叫び続けた。

「逃げて!早く、皆さん!」

どこからか声が聞こえる。

「里長を守れー!」

そうだ!先ほど別れたばかりの里長はーー、

「…!」

圓城は辺りの全ての鯉を斬ったのを確認し、鉄珍の元へ急いだ。長の屋敷は半壊しており、何人かの人が倒れている。

「鉄珍様!」

圓城が屋敷の中へ入って大声で名前を呼んだ。屋敷の中には里を襲っていた化け物よりも、更に巨大な手足の生えた鯉が立っていた。その手の中には鉄珍がいて、締め付けられて苦しそうにしている。

圓城が刀を振り上げた瞬間だった。桃色と緑色が目の前を舞った。

「こ、恋柱サマ…?」

そこにいたのは恋柱、甘露寺蜜璃だった。凄まじい速さで駆け抜けながら、その薄く柔らかい刀を振るう。

片がついたのは一瞬だった。巨大な鯉の化け物が細切れにバラバラになる。

「…すごい」

初めて間近で甘露寺の攻撃を目にした圓城は思わず呟く。女性特有の柔らかい動きでしかも速い攻撃だった。鯉の化け物が消滅する。その消滅する手から鉄珍がスルリと落ちた。

「…よっと、」

近くにいた圓城がその小さな身体を受け止めた。

「鉄珍様!ご無事ですか?」

「え、圓城ちゃん…」

「あら、圓城さん!どうしてここに!?」

甘露寺が突然現れた圓城に驚いたように声をかける。

「たまたま、刀の調整に来ていたのです。それよりも、恋柱サマ、里の方々を逃がさなければ--」

「そうね!とにかく--」

その時、ドオン!と凄まじく大きな音が聞こえた。

「……!」

何の音だろうか。何かが崩れるような音だった。そうだ。ここには炭治郎がいる。あの子も恐らく戦っているはずだ。

圓城は甘露寺に声をかけた。

「恋柱サマ!私は炭治郎さんの元へ助けに行きます!恋柱サマは里の皆さんをお願いします!」

「分かったわ!圓城さん、気をつけて!」

「はい!」

圓城はまだ身体の動く里の人間に鉄珍を引き渡すと、即座に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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星は涙のように

 

「きつ……」

圓城は走りながら思わず呟く。身体が重くて頭痛が止まらない。何も口に入れてないのに吐き気がする。

必死に足を動かすが、倦怠感でどうにかなりそうだ。いや、自業自得だ。全然睡眠を取らなかった自分が悪い。

視界はまだ霞んでないから大丈夫。手も足もまだ十分動かせる。なんとか朝まで頑張らなければ。

「--、鬼め、許さない、こんな時に現れるなんて。絶対殺す。馬鹿。阿呆。糞。死ね」

じいやが聞いたら卒倒するであろう汚い罵りが口から漏れる。まずい。頭が働かない。圓城は一瞬だけ立ち止まって隊服から小さな刀を取り出し、少しだけ手の甲を傷つけた。

「……っ。よっし!」

痛みで少しだけ頭が冴えた。そのまま走り続ける。崩壊した建物が見えてきた。炭治郎と禰豆子の姿が目に入る。なぜか禰豆子が刀を握りしめていた。

「……た、」

遠くから声をかけようとした瞬間、不思議な光景を目にした。

「……?」

禰豆子の手から火が出て、刀を包んだ。黒い刀が赤くなる。

「……なに、あれ」

圓城が半ば呆然と呟いた瞬間、炭治郎が動いた。

崩壊した建物から出てきた三体の鬼へ刀を振り上げる。

「ヒノカミ神楽 目暈の龍 頭舞い」

炭治郎がうねるように移動し、三体の頚が一気に斬った。その鮮やかさに圓城は思わず声を出す。

「……素晴らしい」

やはりあの子は相当強くなっている。圓城の予想よりも遥かに。圓城は駆け寄りながら炭治郎に声をかけた。

「炭治郎さん!」

「え、あ、圓城さん!どうしてここに!?」

「それはいいから、とにかく--」

その時、炭治郎がふいに左を向いた。

「玄弥が…っ」

「?」

圓城が同じ方向を振り向くと、背の高い少年が鬼の首を持ち木の下に立っていた。

「……あの子は」

よく分からないが炭治郎と共にそちらへ駆け寄る。少年がそれに気づいたのかこちらを振り返った。

「……?」

その玄弥という少年はどう見ても様子がおかしかった。目が明らかに人間のそれとは違う。鋭い犬歯を口から覗かせ、涎を垂らして荒い息遣いをしている。

「ガアっ!何だ、この斬撃は!再生できぬ!」

気持ち悪い声が聞こえて圓城は刀を持ち直した。炭治郎が斬った鬼が何事かわめいている。

「うるさい」

圓城はその鬼達を次々に斬っていく。

「睡の呼吸 参ノ型 睡魔の嘆き」

鬼が完全に再生する前に攻撃を繰り出していく。しかし、鬼はバラバラになっているのに消滅する様子がない。ずっとわめいている。

「圓城さん!ダメです!同時に斬らないと!5体目がいるんです!!」

炭治郎の言葉に圓城は思わず舌打ちをした。

「なんっなのよ、それ!忌々しい!」

口が汚くなるのを止められない。だるい。頭が痛い。ただでさえ身体がきついのに、5体同時に斬る?嘘でしょう?

とにかくこの場にいる隊員全員で連携をとらないと、と圓城が炭治郎の方を振り向くと玄弥が炭治郎の首元を掴んでいた。

「上弦の鬼を倒したのはお前の力じゃない!だからお前は柱になってない!」

「あ、うん、そうだよ!」

「お前なんかよりも、先に俺が--」

圓城は頭に血が上るのを感じた。今は仲間割れをしている場合じゃない。

「柱になるのは俺だ!!」

「なるほど!そうか!分かった!俺と禰豆子が全力で援護する!皆で頑張ろう!」

炭治郎のこの場に似合わない明るい声が聞こえる。圓城は怒りで唇がピクピクと動くのを感じながら、大股で二人のもとへ近づいた。

「お前の魂胆は分かってるぞ!そうやって油断させ……」

「いい加減にしろおっ!!」

圓城が玄弥の胸元を無理やり掴んで無理やり自分の方へ向かせ、叫んだ。玄弥が戸惑ったような顔をする。

「え、お前、誰……」

「今、クソみたいな鬼をなんとか斬らなきゃいけないんだ!見りゃ分かるだろうが!!馬鹿が!目を覚ませ!!」

「え、あ…」

「夜明けまで何時間あると思ってるんだ!空気読めよ!私の身体が持つまでに全員で斬るんだよ!!」

「……へ」

「柱とか今はどうでもいい!人を護れ!鬼を斬れ!分かったらさっさと動け!分からなくても動け!とにかく鬼を斬れ!鬼を斬るんだ!分かったら返事しろ!阿呆!」

「は、はい」

あまりの体調の悪さに頭が回らない。信じられないほど乱暴で下品な言葉が自分の口から飛び出た。その剣幕に玄弥が震えながら返事をした。炭治郎が圓城の豹変ぶりを呆然と見つめてくる。

「え、圓城さん…」

「……5体目、早く見つけて。死ぬ気で匂いをたどって」

圓城は思い切り叫んだことで少し冷静になって炭治郎に指示した。

炭治郎が辺りを駆け回る。圓城は他の鬼が再生するのを警戒しながら何度も斬りつける。

「この小娘が!!」

鬼が叫び、雷撃を放った。素早く身を交わしながら圓城は短刀を投げる。その時声が聞こえた。

「北東です!圓城さん!低い位置にいます!!」

圓城は即座に動いた。

「炭治郎、禰豆子、玄弥、援護して!私が5体目を斬るから!」

指示を出しながら、必死に目を走らせる。

どこだ!どこにいる!感じろ!気配を感じろ!

「圓城さん!南です!移動しています!!」

圓城は感覚と炭治郎の声を頼りに走った。その時、草木の間に変な気配を感じ、そちらへ視線を向けた。

「…ヒイィ」

額に大きなコブと二本の角がある老人の姿をした鬼だった。まるでネズミのように小さい。

「……っ!」

圓城が刀を振るう前に情けない悲鳴をあげて逃げていく。

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」

刀で斬ろうとするが、あまりにも小さくしかもすばしっこいため当たらなかった。

まずい、視界が霞んできた。

「……っ!」

その時玄弥が現れて、動いた。刀ではなく銃を構える。

「!?」

その武器に一瞬呆気にとられる。銃弾が放たれた。しかし、やはり当たらない。

「……小賢しい!」

圓城がそう言いながら再び刀を構えた瞬間だった。後ろから殺気を感じた。圓城が振り向き様に刀を振るう。

「睡の呼吸 肆ノ型 微睡み(まどろみ)子守唄」

後ろに接近していた鬼の頚が一気に斬れた。圓城は再び小さな鬼を追う。

「玄弥ー!諦めるな!圓城さんと協力するんだ!必ず斬るんだ!」

炭治郎が叫んでいる。まずい。あまりにも目を酷使したため、痛い。身体が本当にきつい--、

「……っ!」

その時、炭治郎の背後から三叉槍を持った鬼が姿を現すのが見えた。炭治郎も気づいたようだが間に合わない。圓城は炭治郎が振り向く前に動き、庇うように立った。

「圓城さん!」

鬼の攻撃で、身体中が切り刻まれる。

「………っ、いいから、早くあいつの頚を…!」

痛い。炭治郎に叫びながら、それでも圓城は笑う。一気に目が覚めた。玄弥が圓城を攻撃した鬼に向かって銃弾を放つ。同時に圓城は再び駆け出し、炭治郎と共に小さな鬼を探した。そして、必死に逃げる鬼を見つけた。

「……さっさと、死ね!」

圓城が先に刀を振り下ろす。

「睡の呼吸 弍ノ型 枕返し」

鬼の頚に確かに当たったのを感じる。

「ギィヤアアアアアアアアア!!」

小さな声に似合わない凄まじい悲鳴が響いた。硬い。圓城は目を見開く。こんなにも硬い頚なんて--、

次の瞬間、背後に気持ちの悪い気配を感じた。炭治郎が動く。

「避けろ!」

玄弥の声が聞こえたが、圓城は動けなかった。なんとしてでも、例え死んでもこいつの、頚を----!

「……っ、」

その時、圓城の腰を誰かが掴み抱き上げる。圓城と炭治郎が今までいた場所を竜のような凶悪な形をした樹木が襲った。圓城と炭治郎を抱き上げ、間一髪で助けてくれたのは禰豆子だった。頚を斬り損ねた圓城は思わず舌打ちをする。樹木の攻撃を直接受けたらしい禰豆子の足が切れた。その場に禰豆子が倒れこみ、圓城も身体を強く打つ。

「禰豆子!」

炭治郎が叫ぶが、足は直ぐ様再生された。圓城は立ち上がり再び刀を構える。

「弱き者をいたぶる鬼畜。不快、不愉快極まれり。極悪人共めが」

背中に雷神の太鼓のようなものを背負った鬼が現れた。ビリビリとした威圧感が周囲を支配するが、圓城はそれを気にせず舌打ちをした。怒りのあまり体温が上がるのを感じる。いい加減にしてくれ。こっちはもう死にそうなんだ。やっと、やっと、頚が斬れるかと思ったのに--!!

鬼から伸びた樹木が本体を囲む。これでは頚がますます斬るのが難しくなる。

「何ぞ?貴様、儂のすることに何か不満でもあるのか」

重く、恐ろしいほどの力のある声が聞こえたが、圓城は怒りのあまりそれどころではなかった。水の壁で隔てられたかのようにぼんやりとしか聞こえない。

「ど、どうして俺達が悪人、なんだ…」

炭治郎の声に鬼が答えた。

「『弱き者』をいたぶるからよ。のう。先程貴様らは手のひらにのるような『小さく弱き者』を斬ろうとした。何といつ極悪非道。これはもう鬼畜の所業だ」

何なのよ、この鬼、ふざけるな。こっちは不眠不休で働いてんだよ。13日だぞ。人間の限界をとっくに越えてるんだ。眠らないと本当に死ぬ。いや、自分が悪い。柱として本当に情けない。でも、眠らないと本当に死ぬんだ。鬼に殺されるならともかく、こんな死に方なんて。師範に顔向けできない!

殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す----!

この鬼に慈悲など必要ない。私が斬ってやる。

心臓の鼓動が異常に速くなる。体温が恐ろしいほど上がるのを感じた。炭治郎が何かを鬼に向かって叫んでいるが、よく聞こえない。

「うるさい!!」

一瞬だけ辺りが静かになった。あまりにも大きな声に、その場にいる全員が圓城を見た。

「うるさいうるさいうるさいうるさい!極悪だの非道だの、どうっっっでもいい!黙って殺されろ!」

圓城が鋭い瞳で鬼を見据えた。その時、少し距離をおいて圓城の右側にいた玄弥は、一瞬圓城が泣いているのかと思った。いや、違う。圓城の目の下から何かが出ている。

それは痣だった。深く黒に近い青色の、星のような形の痣が、圓城の両目の下から首にかけて流れるように出てきた。

 

 

 

 

 

 

 



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太陽の下で

 

 

「なん、なんだ、あれ……?」

玄弥が圓城の顔に出現した痣を見て、思わず声をあげる。それに構わず圓城は動き、また炭治郎も飛び上がった。刀を思い切り振るう。

「睡の呼吸 参ノ型 睡魔の嘆き」

強く振り下ろすが、ほぼ同時に竜の口から雷と恐ろしい音が飛び出した。

「……っ!」

耳が痛い。クラクラする。それでも圓城は刀を振るい続けた。いつもより腕も足も速く動かせている気がする。そうだ。もっと、もっと、集中しなくては。早く本体を斬らなければ。呼吸をしろ。心拍数を上げろ。まだまだ、私は動けるぞ!圓城は思わず笑った。なぜだろう。物凄く身体が軽くなった気がする。

必死に攻撃を避けながら隙を探った。

「睡の呼吸 伍ノ型 浅睡眠」

禰豆子と玄弥が竜に捕まる。それを助けるために、四方八方に刀を振り、攻撃を続けた。しかし、同時に炭治郎も捉えられる。

「……っ、炭治郎!」

圓城が振り向いて叫んだ瞬間、炭治郎を捕まえた竜がバラバラに斬れた。

「キャーっ!すごいお化け!なあに、アレ!」

恋柱、甘露寺蜜璃が現れ、炭治郎を救出した。

よかった。これで柱が二人もこの場にいる。希望が見いだせた。なんとかなる、なんとかしなければ!

鬼が動いて、竜の口から雷と音波の攻撃が放たれた。ほぼ同時に甘露寺が刀を振るう。

「恋の呼吸 参ノ型 恋猫しぐれ」

広範囲を猫が跳ねるように斬撃を繰り返して、鬼の攻撃を斬っていく。圓城も身体を軽くするために、帽子と羽織を素早く脱ぎながら動いた。

「睡の呼吸 参ノ型 睡魔の嘆き」

甘露寺の後を追うように竜の頚を斬っていく。

「恋柱サマ、このまま鬼の攻撃を斬って!」

「圓城さんは、頚を!」

二人で息を合わせるように攻撃を繰り出す。圓城は思わず笑った。確かに甘露寺の攻撃は柔らかいうえに力強く、速い。しかし、速さなら圓城だって負けない。甘露寺の柔らかい愛刀が自分に当たらないように切り抜け、竜への攻撃を繰り返した。

次の瞬間、鬼が一面に樹の龍を生み出し、思わず息を呑んだ。一瞬のうちに圓城は飛び上がるように大きく下がる。しかし、甘露寺はその竜の攻撃を斬る自信があるのか、その場で大きく宙返りするように動いた。

「恋の呼吸 伍ノ型 揺らめく恋情・乱れ爪」

流れるような無尽蔵の斬撃を繰り出す。

「なんて、技を使うの…」

圓城が思わず呟いた瞬間、甘露寺が一気に鬼への距離を詰める。

「ダメ!それは本体じゃない!」

圓城が叫んだ瞬間、鬼が大きく口を開けた。その口から凄まじい怪音波を放つ。圓城は思わず耳を防いだ。直接その音波を受けた甘露寺が膝をつく。その直後に鬼が拳を甘露寺に向けた。

「させない!」

圓城が数少ない短刀を懐から素早く取り出し、鬼の目に向かって投げる。上手い具合に鬼の目へ深く突き刺さった。

「貴様……!」

鬼がこちらを向いたのが分かったが、既に圓城は動いていた。圓城だけでなく炭治郎と禰豆子と玄弥も甘露寺に向かって抱きつくように引き寄せる。その拍子に地面に身体を大きく打ち付け、痛みで眩暈がした。思わず目を閉じてしまう。

「立て立て!次の攻撃が来るぞ!」

吐き気がまた出てきた。頭も痛い。暗闇の中で炭治郎の声が聞こえる。

「甘露寺さんを守るんだ!圓城さんも!この人達が希望の光だ!この人達さえ生きていてくれたら、絶対勝てる!!みんなで勝とう!誰も死なない!俺達は…、」

守る?ああ、この言葉。何だか懐かしい気がする。なんだっけ?そうだ。

 

『あなたは人を護るために刀を振るいなさい』

 

圓城が目を大きく開けた。それと同時に甘露寺が刀を振り回す。ハッと顔を上げた。どうやら再び繰り出された鬼の攻撃を全部斬ったらしい。

「みんな、ありがとお~!!柱なのにヘマしちゃってごめんねえぇ!」

甘露寺が泣きながら、それでも強い視線で鬼を見据えて叫んだ。

「仲間は絶対死なせないから!鬼殺隊は私の大切な居場所なんだから!上弦だろうがなんだろうが関係ないわよ!」

圓城は身体の痛みに耐えながら、甘露寺の言葉に微笑む。

「私、悪い奴には絶対負けない!!覚悟しなさいよ、本気出すから!!」

そうだ。炭治郎と甘露寺の言う通りだ。負けない。絶対に。

圓城は立ち上がると、口を開いた。

「炭治郎、禰豆子、玄弥、本体を斬って。できるわね?」

「はい!」

炭治郎と玄弥が同時に答え、禰豆子もムー!と片手を上げた。いい返事だ。今度は甘露寺が圓城に声をかけてくる。

「圓城さん、まだ、いけるわよね?」

圓城は大きな声でそれに答える。

「笑止千万!」

そして、甘露寺の隣で刀を構えた。

「愚問ですわ、恋柱サマ!私は決して折れません!人間の力を見せてやりましょう!柱の名に懸けて!!」

そして、二人揃って動いた。炭治郎、禰豆子、玄弥も本体を倒すために走り出す。

甘露寺が攻撃を斬る。圓城がそれに続くように竜を斬っていく。

もっと、もっとだ!呼吸に集中!師範に教えられたことを思い出せ!心拍数を上げて!血を循環させろ!斬って、斬って、とにかく斬るんだ!!

また攻撃の威力が上がってきた気がした。甘露寺の動きも先程から速くなっていく。甘露寺の左首に何かがチラリと見えた気がしたが、疑問に思う間もなく、攻撃を繰り返す。

森の奥で大きな音が聞こえた。炭治郎、禰豆子、玄弥、お願いだから、頑張って。

信じろ、信じろ!あの子達は強い!素晴らしく強い!必ず炭治郎が頚を斬るはずだ!どんなに苦しくても諦めない、挫けるな!あの子達を信じるんだ!

足が重い。目の前の竜を睨んで斬りつける。私は、私は必ず--、

「帰って寝るの!もう疲れた!!」

心の中の欲望を思わず叫びながら、圓城は刀を大きく振り下ろした。竜がバラバラになる。

一瞬視界の隅で、なぜか霞柱の時透無一郎が見えた気がしたが、圓城の目を引き付けたのは空の色だった。薄い光が見える。夜明けまでもう少しだ。

血が顔に流れるのが分かった。たぶん骨も所々折れている。痛い。苦しい。何よりも身体がだるい。クラクラしてきた。かなりまずい。それでも足に力を入れて、刀を強く握った。ダメだ。柱ならば、折れてはならない!

「ぎゃああああ~!もう無理!ごめんなさい!殺されちゃう~!!」

「まだ、いけます!恋柱サマ!もうすぐ朝が--、」

圓城が大きく叫んだ甘露寺に声をかけた瞬間、そばに迫っていた樹木の竜が崩れた。

「………あ、」

鬼もボロボロに消滅していく。甘露寺がホッとしたように声をあげた。

「ひゃあ、助かった!!炭治郎君達、本体の頚を斬ったんだわ!」

なんだろう。これ。鬼は倒したけど。この後に、何かが……、

圓城は奇妙な胸騒ぎに襲われ、クルリと振り向くと森の奥に向かって走り出した。

「え、圓城さん!?」

甘露寺が声をかけてきたが気にせずに、とにかく走る。

「……これ、この光景は--、」

森の奥から信じられない光景が見えて、圓城は息を呑んだ。そこにいたのは玄弥と時透、刀鍛冶の里の人間。そして、太陽の光が差しているにも関わらず、禰豆子が炭治郎を抱えて笑顔で立っていた。

「……あ、ああ、……」

これだ。夢で見た光景。今、この時のことだったんだ!

禰豆子が圓城を見て笑う。

「お、おはよう」

「ね、禰豆子さん…、太陽を…」

圓城が震えながら声を出した時、後ろから甘露寺が勢いよく走ってきた。

「みんなあぁぁぁぁ!うわあぁぁ!勝った勝ったあ!みんなで勝ったよ!凄いよお!」

その勢いに驚きながら、ようやく圓城は実感した。そうだ。勝ったんだ。上弦の鬼に、勝った。しかもみんな、生きてる。

「よ、よかったねぇ」

禰豆子が笑顔でそう言った。その通りだ。よかった。本当に、よかった。これで、やっと………、

「も、………無理……」

圓城は急激な睡魔に襲われて、その場に倒れた。

「キャー!圓城さん!?」

甘露寺の叫びを最後に、圓城の意識は遠くなった。

 

 

 

 

 






※大正コソコソ噂話
玄弥は圓城のことを、服装と最初に怒鳴った時からの印象で男だと勘違いをしていた。戦いの途中で女だと気づいてギョッとした。戦いの後、炭治郎から「あの人、柱だよ」と教えられてもう一回ビックリした。


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言えなかった言葉

 

「やあ、また会ったね」

気がついたら圓城は暗闇の中にいた。ぼんやりとここが夢の中だと理解する。目の前にはいつか見た魘夢の頭がいて、笑って声をかけてきた。

「……また、あなたなの?」

「いやあ、お見事お見事。なかなかの戦いっぷりだったよ」

圓城が睨み付けると、魘夢はニヤニヤと笑った。

「鬼の娘が太陽を克服した。この意味が分かるよね?」

「……」

「大きな戦いが起こるよ。どういう事が分かるかな?」

「……私の死ぬ時期が近いという事よ」

「せいかーい」

魘夢が楽しげに笑いながらクルクルと転がった。

「まあ、君は確実に生き残れないだろうねぇ。だって、弱すぎるもの」

「……」

「怖くないの?君くらいの年の女の子が死を覚悟するって相当の事だと思うけど」

「怖いわけ、ない……」

圓城が冷たい声でそう言うと、魘夢は笑いながら言葉を続けた。

「じゃあ、最後まで全部見せちゃおうかな。特別だよ」

次の瞬間、暗闇から何かが光った。

「あ………」

たくさんの恐ろしい場面が目の前に広がった。

爆発によってお館様とその家族が死んだ。

柱をはじめ、隊員達が必死に鬼と戦っている。しのぶが鬼に吸収されていた。時透が、玄弥が死ぬ光景が見えた。身体は傷であふれ、血だらけだった。眠るように死んでいる悲鳴嶼がいた。泣きながら抱き合っている伊黒と甘露寺が見えた。二人とも傷だらけで絶対に助からないと分かる。分かってしまう。

圓城は延々と続く鬼との戦いと、死の光景を無言で見続けた。

「悲惨だよねぇ。ほんと。これが最期だよ。びっくりした?」

「……」

「ほとんど死んじゃうんだ。生き残れるのはほんの僅か。人間って本当に弱い種族だよね。」

「……」

「ねえ、どんな気持ち?仲間の最期を知って、今、どんな気分?」

沈黙を守る圓城へ魘夢が語りかけてくる。圓城は勢いよく魘夢の方へ顔を向けた。魘夢が驚いたような表情をする。

圓城の顔は笑っていた。輝くような笑顔だった。

「どんな気持ちか、ですって?教えてあげる。嬉しくて、嬉しくて、たまらないわ!鬼舞辻無惨が敗れるのよ!」

圓城が見せられた光景の中には無惨の最期も含まれていた。みんなが一丸となって無惨を追い詰めていた。必死に抵抗しながらも、最後には朽ち果てる姿が見えた。最大の敵を、あいつを、とうとう倒せるのだ。

「……でも、みんな死ぬよ?ほとんど生き残れない。怖いでしょう?」

「鬼殺隊で有る限り、命の保証はない。そんなこと、みんな承知している!生半可な覚悟で鬼殺隊に入る人間はいない!みんなが命を捨ててでも、あいつを、鬼舞辻を倒したいのよ!」

圓城は声をあげて笑った。

「後悔なんてしない!怯みはしない、恐れない!どんなに絶望しても、私達は前に進むんだ!私達の強い思いは繋がっていく!それは、誰にも奪えない、私達の物なの!」

そして、圓城は魘夢の顔を両手でゆっくりと包んだ。微笑んで言葉を続ける。

「……だから、帰ろう」

「へ?」

魘夢が不思議そうな顔をする。

「……あなたは、私が作り出した夢の中の存在。あなたは、私の分身なの。私の、臆病な心、弱さそのものなの。」

圓城は魘夢の額に自分の額をくっつけた。

「ごめんね。みんなを救いたいよね。助けたいよね。でも、私は救世主じゃない。私1人では全てを変えることはできない。私ができることは、みんなを信じること。そして、出来るだけ役に立てるように、戦わなければならないの。」

魘夢の呆けたような顔が見えた。圓城は笑った。

「今までずっと無視してごめんね。もう泣いてもいいよ。私、本当は泣き虫だもの。ごめんね。辛かったよね。ずっと我慢させちゃったね」

魘夢の瞳からジワジワと涙があふれてきた。次の瞬間、魘夢が自分の姿に変貌した。

目の前の自分が泣きじゃくっている。大粒の涙を次々に流し、体を震わせながら口を開く。

「帰りたくない……っ。みんな、死んじゃう、なんて。現実に戻ったら、辛いことばかりよ。夢の中にいたい……っ」

「ダメよ。師範に言われたことを思い出して。鬼によって悲しい思いをする人が出ないように、戦いましょう。例え辛くても、悲しくても、私はまだ戦える。折れてはダメよ、柱ならば」

圓城は泣き続ける自分自身の手を握った。

「大丈夫。ずっと一緒だから。もう知らんぷりはしない。過去も名前も全て捨ててしまったけれど、最後まで心は捨てないわ。全部受け止める。だから、共に戦いましょう。私の命が尽きるその日まで」

そしてその手を引っ張って、歩き出す。遠くで光が見えた。その方向へ向かって二人で足を進めていく。圓城は泣いている自分を引っ張るように導きながら声をかけた。

「ありがとう。正直でいてくれて。--私の代わりに泣いてくれて、ありがとう」

泣いている自分がハッと顔を上げる。圓城は足を踏み出しながら微笑んだ。

「進むのが怖いなら、いつでも手を握るわ。真っ直ぐに前を向きましょう。それだけで、どんなに悲しくても、辛くても、きっと私は戦えるから。最後まで、師範が誇りに思ってくれるような剣士でありたい。そうでしょう?」

自分自身が泣きながらも大きく頷いた。圓城と肩を並べ、共に歩き出す。

そして、周りが光り輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「………」

「あっ!圓城さん、起きたのね!!」

気がつくと、甘露寺が見下ろしていた。圓城は自分がベッドに寝ていることに気づいた。

「待ってて!しのぶちゃんを呼んでくるから!」

バタバタと甘露寺がこの場から去る足音が聞こえた。圓城はゆっくりと起き上がり周りを見渡す。思った通り、蝶屋敷だった。自分の身体にはたくさんの包帯が巻かれており、点滴までしている。

圓城は起き上がったまま、目を閉じて、今見た夢の事を考えた。しっかりと記憶に残っている。

もうすぐ大きな戦いが始まる。

たくさんの人が死ぬ----。

「………そうね。怖いわよね」

自分が死ぬ覚悟はとっくの昔にできている。でも、夢の中でたくさんの隊員が死ぬ姿は、やはり辛く恐ろしい光景だった。

ダメ。恐れてはいけない。私達は鬼舞辻を倒すのだ。例えどんなに苦しくても、絶望しても、最後に笑うのは私達なんだ!

それでも---、

「ああ、やっと起きたんですね、圓城さん」

その時、しのぶがやって来た。

「圓城さん、大丈夫ですか?三日間意識が戻らなかったんですよ」

しのぶがベッドのそばの椅子に座り、圓城の顔を覗き込む。

「最近本当によく怪我をしますねぇ。今、痛いところはありますか?」

圓城はしのぶの方を向いて、その目をまっすぐに見つめた。何も言わないまま、黙って見つめた。しのぶが首をかしげる。

「圓城さん?どうしました?」

「…………………しのぶ」

圓城が突然小さな声で名前で呼んだため、しのぶは驚いたような表情をした。

「はい?」

圓城はゆっくりと震えるように口を開いた。

「………あの、……今、少し……少しだけで、いいから………、て、手を、…………握っても………、いい?」

か細い声で懇願されるようにそう言われ、しのぶはきょとんとする。そして、数秒後、黙って手を差し出した。

圓城はゆっくりとその小さな手を握る。ぬくもりを求めるように少しだけ力をこめた。しのぶの手も包み込むように握り返してくれる。懐かしい温かさだった。

しのぶが存在していることを実感して、圓城はゆっくりと息を吐いた。そして目を閉じる。

「……菫、どうしたの?」

圓城の様子を見たしのぶが、昔のように名前を呼んで問いかけてきた。圓城は震える声で答える。

「……なんでも、ない……、なんでも……」

「何でもなくないわ。話して」

圓城は目を開いて、微かに笑った。

「………本当に、なんでもない。ただ、……うれしいの。しのぶがここにいることが……」

「……ずっと、ここにいるわ。どこにも行かない」

圓城は今にも泣きそうな表情をして言葉を続けた。

「……ごめんね。迷惑ばかりかけて。私のこと、許してくれないって、……分かってるけど。……顔も見たくないって、分かってるけど。それでも、…私は折れたくないの。鬼殺隊で、戦いたいの…」

しのぶがほんの少しだけ目を見開く。そして口を開いた。

「それで?私に言うべきことがあるでしょう?」

言うべきこと?ああ、そうか。ずっと言えていなかった言葉がある。私が戦いで死ぬ前に、しのぶに言わなければいけない。四年前にとうとう言えなかった言葉を--、

「……ごめんなさい。師範を、カナエ様を救えなくて、ごめんなさい」

圓城の言葉に、しのぶが息を呑んだ。

「……は?」

「私、……あの日……、師範を、す、救えなかった。ま、間に合わなかった。救えなくて、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

四年前に、しのぶに言えずにいた言葉がどんどん出てくる。そして、圓城はカナエが死んでから初めて涙を流した。ポロポロと雨のように大粒の涙を流し続ける。

「ま、間に合ってたら、た、戦えたかもしれない。せめて、盾に、なれたかもしれない。そしたら、きっと師範は、死なずにすんだのに」

「……っ、ち、ちがう。菫、ちがうわ。私は……、そういう事が聞きたいんじゃなくて………っ、」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

何度も謝りながら涙を流し続ける圓城を、しのぶがギュッと抱き締めてきた。

「菫、あなたのせいじゃない。あなたを責めたことなんて、ないわ。だからもう、謝るのはやめて」

「………っ、」

「姉さんだって、そんなこと思ってないはずよ。あなたはよく知ってるでしょう?」

しのぶの言葉に、嗚咽しか出てこない。

「………っ、ふ……う……うぅ」

「ずっと、そんなふうに思っていたの?自分を責めないで……」

抱き締められたぬくもりが身体に満ちていく。瞳から零れた涙が頬を流れしのぶの羽織を濡らしていく。

ああ、私は、ようやく、心を解放できる。もう、あの幸せな時間は永遠に戻って来ないけれど、それでも、伝えなければ。

あの人の微笑みが、優しい声が、撫でてくれる温かい手が、自分にとって、かけがいのない記憶で、宝物だったこと。

永遠に大切で、愛おしい時間だったこと。

私は、あの日々を忘れることはない。私の一生で最も幸せだった思い出を。

私は死ぬまで忘れない。

「生きていてほしかった……っ、師範のこと、大好きだったの……本当に……、」

「……うん」

「……毎日、願わない日はない。あの頃に戻りたいって……っ、師範と、しのぶのそばにいた時間が、私にとって一番、幸せな、思い出なの……、」

「うん。幸せだったね。本当に」

「……寂しい、寂しいの。……逢いたいよぉ……っ、」

「うん。私もよ。ずっと、ずっと思ってる。早く姉さんのところに行きたい……っ」

その声が震えていて、しのぶも泣いているのが分かった。圓城は自分もしのぶの背中に手を回しながら泣き続ける。

二人は決別してから四年を経て、初めて寄り添って悲しみを分かち合った。

 

 

 

 

 

 

 



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光輝く星

 

 

「……落ち着いた?」

二人で寄り添うように泣いて、どれくらいたっだろうか。そう声をかけられて、圓城はしのぶの腕の中で頷いた。ゆっくりとお互いに体を離す。

しのぶの顔を見ると、頬と目の縁に泣いた痕跡がまだ残っていた。圓城はその顔から目を背けるようにうつむく。

「……ごめんね、そんな、顔をさせて」

「……菫」

「しのぶに、そんな顔をさせたくなかった。私はいつも、こうだ。自分の感情ばかり先走ってしまう……っ、」 

圓城はゆっくりと視線を上げてしのぶを真正面から見た。

「私は、--しのぶ、……あなたに、……あなたを--、」

圓城が言葉に詰まりそうになりながらも、そう続けた時だった。

「しのぶ様、よろしいですか。お怪我をされた方が、」

そこに入ってきて声をかけたのはアオイだった。圓城としのぶのただならぬ雰囲気を感じたのか、戸惑っている。

「……すみませんが、圓城さん、」

「ええ。私なら大丈夫ですわ」

「痛いところがあれば、アオイに」

「ええ、ありがとう」

一瞬で二人はいつものよそよそしい関係に戻る。しのぶは顔を伏せるようにして部屋を出ていった。

圓城は大きく息を吐いて、ゆっくりとベッドに倒れる。

「……菫様、しのぶ様と何かありましたか?」

アオイが言葉をかけてきて、圓城は苦笑した。

「うーん、……少し、ね。」

アオイが何かを言いたげな顔をする。そんな顔を無視して、圓城は口を開いた。

「ところで、刀鍛冶の里はどうなったの?」

「……大変だったらしいですよ」

上弦二体による襲撃を受けたが、どうやら被害は最小限だったらしい。現在復興させる取り組みが行われているとの事だった。圓城は目を見開く。

「え、……ちょっと待って、二体?上弦二体?」

「はい」

アオイの話によると、圓城が戦った鬼の他にもう一体、上弦の伍がいたらしい。霞柱の時透無一郎が頚を斬ったとの事だった。その話を聞いて圓城は口に手を当てた。

「素晴らしいですわねぇ、霞柱サマ1人で勝つなんて。」

時透とほとんど話したことはなく、普段ボーッとしている姿しか知らないため、圓城は心から感心した。

時透と甘露寺は圓城より一日早く、昨日目が覚めた。もうほとんど全快しており、退院する準備をしているらしかった。甘露寺は圓城の事を心配して何度か様子を見にきてくれていたそうだ。

炭治郎の方はまだ意識が戻らないらしく、圓城は顔をしかめた。あとでお見舞いに行こう。ちなみに玄弥の方は既に悲鳴嶼のもとへ戻っているらしかった。圓城は少し首をかしげる。そういえば戦いのせいでまともに話したことないけど、あの子は誰なんだろう。なんかどっかで見たことあるような顔をしていたな。悲鳴嶼のもとにいるってことは彼の継子なんだろうか?

「……大変でしたわね。本当に」

「菫様、体の調子はどうですか?」

「うーん、特に痛いところはないですわ。なんだか、怪我をした割には体も軽い気が…」

圓城がそう言って立ち上がろうとした時、

「あら……?」

義足を装着していない事に気づいた。辺りを見回すが、どこにも見当たらない。

「ああ、菫様の義足、かなり傷がついていたらしいです。壊れてはいないようですが、手入れと不具合がないかの点検のため、さっき菫様の使用人さんが持って帰っていました」

「あらまあ……」

かなり激しい戦いで、さすがに酷使しすぎたらしい。圓城は苦笑した。

「代わりに、これを置いていきましたよ。あと、羽織と帽子もボロボロだったので持って帰るそうです。」

そう言ってアオイが杖を差し出してくれた。圓城はホッと安心してそれを受けとる。よかった。これなら歩くのに支障はない。しかし、一日でも早く元のように動けるようにならなければ。残された時間は少ない。アオイが食事を運ぶために部屋を出ていったあと、圓城は杖をじっと見つめた。

 

 

 

 

 

 

今回の傷の治りが異常に早く、圓城は首をかしげた。あんなに怪我をしていたのに、どういう事だろう。まあ、それはともかく翌日には早くも自邸に戻ることになった。

この二日間しのぶとまともに話す時間がなかった。どうやらかなり忙しいらしく、話をしたのは自邸に戻る前に傷を確認してもらった時だけだった。それもほんの数分でしのぶは他の娘に呼ばれてその場を離れてしまった。

「私の義足はまだ?」

「開口一番それですか」

迎えにきてくれたじいやがため息をつく。

「まったく、本当に怪我ばかりして。いい加減にしてください」

「私だって好きで怪我したわけじゃないわ。」

じいやに荷物を預けて、圓城は杖をついて片足で歩き出す。

「それで?義足は?」

「現在点検中です。もう少しお待ちを」

「遅い。早くしなさい。時間がないわ」

その言葉の調子がおかしいような気がして、じいやは圓城の顔を見た。思い詰めたような表情をしている。

「……お嬢様……?」

「ああ、じいや。この後寄りたいところがあるの。どこかでお土産を買ってから行きましょう」

「え、今からですか?」

「山に登るわよ。準備はいい?」

「………え?」

 

 

 

 

 

 

「この度は助けていただきありがとうございました。お恥ずかしい姿をお見せしまして……」

「………ぁ……いえ、………」

圓城がやってきたのは岩柱、悲鳴嶼行冥の住む場所だった。隣には山をスーツで登りボロボロになったじいやがいる。退院したばかりなのに山を登るなんてやめてくれと何度も止めたが圓城は聞かなかった。病み上がりで片足にも関わらず、圓城は涼しい顔で山道をどんどん進んでいくため、じいやはついていくのが精一杯だった。いや、多分圓城はこっちに合わせていてくれたのだろう。じいやはその体力と身体能力に若干引きつつ、目の前の人物に買ってきたお土産を手渡す。

不死川玄弥は突然やって来た圓城に顔を真っ赤にしながら応対した。圓城の姿は前に見た時とは全然違う。羽織も帽子も身につけておらず、清潔な隊服をそのまま着こなし、まっすぐな髪は頭の後ろで一本に結んでスミレの飾りがついた白いリボンをつけている。ニッコリ笑いながら玄弥を見てくる表情は刀鍛冶の里で見た時の姿とは全く違い、戸惑った。圓城は玄弥とその隣に座る悲鳴嶼に向かって口を開いた。

「突然お伺いして申し訳ありません、岩柱サマ。玄弥さんに大変お世話になりましたので、せめてものお礼の気持ちをお伝えしなければと思いまして……」

「南無……、圓城、体の調子はどうだ……?」

「まだ義足が戻らないため全力では動けませんが、それ以外は問題ありませんわ」

圓城はそう言って笑いながら、言葉を続ける。

「何がお好きかは分からなかったので、美味しいお煎餅やお菓子をお持ちしました。あとは岩柱サマがお好きと言っていた炊き込みご飯も。ぜひお二人でどうぞ。お口に合うか分かりませんが…」

「………あ、ありがとう、ゴザイマス……」

なぜか玄弥はほとんどしゃべらない。圓城はお菓子なんて好きじゃなかったかなと首をかしげたが、玄弥はたどたどしくお礼を言って受け取ってくれたので安心した。

「玄弥さん、里では乱暴な事をして本当に申し訳ありませんでした。言い訳にはなりませんが、あの時は少し体調を崩していまして……」

「……ぃ、ぃぇ、……」

「……?圓城、どこか悪かったのか?」

「あ、いえ、もう治りましたから」

悲鳴嶼の問いかけに圓城は苦笑しながら言葉を濁す。ただの寝不足とはいいにくい。

「とにかく、玄弥さんのおかげでとても助かりましたわ。本当にありがとうございました。あなたはとっても強いんですのねぇ。あなたが頑張ったから、上弦の鬼を倒して、みんなで生きて帰る事ができましたわ。」

圓城がそう言って頭を撫でると、玄弥はますます真っ赤になり、その場で立ち上がると走り去ってしまった。

「……何か嫌なことを言ってしまったかしら?」

「…心配するな。慣れていないだけだ」

「……?はあ……。ところで、玄弥さんは岩柱サマの継子でいらっしゃるんですの?」

「…いや、いろいろあって面倒を見ている」

「そうなんですか…」

継子とは違うのかな、と圓城が不思議そうな顔をしていると悲鳴嶼の方が言葉をかけてきた。

「圓城……、少し先になるが緊急で柱合会議が開かれることになる。必ず参加しろ……」

「ええ、それはもちろん。禰豆子さんの件ですわね。」

「それもあるが……お前達に出てきた痣の件も含めて話し合わねばならん…」

「痣?」

圓城は首をかしげた。痣とはなんだろう?

「何の事ですの?」

「……そうか。まだ知らなかったのか。先日の戦いでのことだ…」

圓城は悲鳴嶼の話を黙って聞き続けた。

 

 

 

 

 

 

その数日後、悲鳴嶼が言った通り、緊急柱合会議が開かれた。

「あーあ、羨ましいことだぜぇ。なんで俺は上弦に遭遇しねえのかねえ」

「こればかりはな。遭わない者はとんとない。甘露寺と時透と圓城、その後体の調子はどうだ」

「あ、うん。ありがとう。随分よくなったよ」

「僕も…、まだ本調子じゃないですけど…」

「……私も義足以外は、特に問題ありませんわ」

「これ以上柱が欠ければ鬼殺隊が危うい…。死なずに上弦二体を倒したのは尊い事だ」

「今回の三人ですが、傷の治りが異常に早い。何があったんですか?」

「その件も含めてお館様からお話があるだろう」

柱達がそれぞれに話す間、圓城は微笑むふりをしながらも、かなり機嫌が悪くイライラしていた。義足に不具合が見つかり、調整と手入れに思ったよりも時間がかかっていた。じいやを急かすが、こればかりはきちんと調整しないと危険だと諭され、どうにもならない現実に怒っている。どんなに鍛練を頑張っても、片足では戦えない。

「大変お待たせ致しました」

その時部屋に入ってきたのはお館様ではなく、お館様の妻、産屋敷あまねだった。

「本日の柱合会議…、産屋敷輝哉の代理を産屋敷あまねが務めさせていただきます」

そういいながら、あまねが頭を下げる。その後ろにはおかっぱの子どもが控えていた。

「そして、当主の輝哉が病状の悪化により、今後皆様の前へ出ることが不可能になった旨、心よりお詫び申し上げます」

柱全員が一斉に頭を下げた。代表して悲鳴嶼が口を開く。

「承知…、お館様が一日でも長くその命の灯火、燃やしてくださることをお祈り申し上げる…」

圓城は夢の中のお館様の最期を思いだし、伏せた顔を大きく歪めた。ゆっくりと他の柱とともに顔を上げる。

「すでにお聞き及びとは思いますが、日の光を克服した鬼が現れた以上、鬼舞辻無惨は目の色を変えてそれを狙ってくるでしょう……」

あまねが言葉を続け、圓城は自分の顔を無理やり穏やかな表情に戻しながら話に集中した。

「上弦の肆・伍との戦いで甘露寺様、時透様、圓城様のお三方に独特な紋様の痣が発現したとの報告があがっております。お三方には痣の発現の条件をご教示願いたく存じます」

圓城は黙って顔を伏せる。戦いの最中、自分の顔に星のような形の痣が発現したという話は事前に聞かされていたが、あの時の感覚はよく覚えていない。家の鏡で自分の顔を確認したが、痣の痕跡は全く見られなかった。

あまねの話が続けられる。どうやら鬼舞辻を追い詰めた始まりの呼吸の剣士達に同じような痣があったらしい。

「痣の者が一人現れると共鳴するように周りの者たちにも痣が現れる--」

その最初の一人が、竈門炭治郎だった。強い少年の姿を思い出して圓城は拳を握った。

「…ご本人にもはっきりと痣の発現の方法が分からない様子でしたので、ひとまずそれは置いておきましたが、この度それに続いて柱のお三方が覚醒された。ご教示願います。甘露寺様、時透様、圓城様」

あまねがペコリと頭を再び下げた。甘露寺がすぐに声を上げる。

「は、はい!!あの時はですね、確かに体が軽かったです。え~と、え~と、ぐあああ~ってきました!グってして、ぐぁーって。心臓とかがばくんばくんして、耳もキーンてして、メキメキメキイッて!!」

一瞬周囲が静寂に包まれる。圓城は思わず苦笑した。

「申し訳ありません。穴があったら入りたいです……」

甘露寺が汗をかきながらその場に頭を下げた。

「痣というものに自覚はありませんでしたが…、あの時の戦闘を思い出してみた時に、思い当たること、いつもと違うことがいくつかありました」

時透が甘露寺に代わり話し始めた。その話によると、強すぎる怒りにより心拍数が高い数値となり、更に体温は三十九度以上になっていたらしい。そう説明されて、自分の戦っていた時の状況を思い出す。そうだ、あの時は鬼に対して私も怒っていた。寝不足で、疲れていて、怠くて、頭が痛くて、なのにしつこく現れる鬼にとにかく怒っていて身体が熱くなったんだ。

「圓城様はどうでしょうか。何か気づいた事はありますか」

あまねに話しかけられて、圓城は迷いながら口を開く。

「……ええ、大体は霞柱サマと同じ状況でしたわ。ただ、あの時は……、私の身体状況と精神状態が普通ではありませんでしたので…、正直よく分からないのです」

「その普通でなかった状況というのはどういう事だ。それが知りたいんだ。さっさと話せ」

伊黒にそう言われて、圓城は少し決まり悪そうに答える。

「えー、あのですね。……実を言うと、あの時少々寝不足気味だったといいますか、……柱として不甲斐ないのですが、疲労でどうにかなりそうだったんです…」

「……圓城さん、何日寝ていなかったのですか?」

しのぶが鋭い視線で問いかけてきて、圓城はそれから目をそらすようにうつむき、仕方なく正直に答えた。

「……13日ほど、ですわ」

「ハアァっ!?」

不死川がギョッとしたような声を出す。不死川だけでなく、その場の全員がこちらを見てきたのが分かった。

「……13日って…、あなた、なぜそんなに……、」

しのぶの呆然とした声が聞こえた。圓城は顔を上げて誤魔化すように話を続ける。

「あの時はとにかく早く休息をとりたくて、そんな時に鬼が現れたものですから、怒りでかなり体温が上がってましたの。三十九度というのは分かりませんでしたが、たぶんそれくらいでしょうね。」

「……ってことはよォ、痣を出すには13日間は眠らずにいなければならねェってことか?」

「それはありませんわ」

不死川の言葉を圓城ははっきりと否定する。

「私は不眠不休で約12日間の活動が可能です。しかし、12日を越えても戦えないことはありません。実際少ないですが、何度か12日を越えた状態で戦ったことはあります。体調は最悪でしたが、今まで痣が出たときのような症状が出たことはありませんわ。最も、単独任務が多いので、もしかすると知らないうちに痣がでて、私が気づかなかったという可能性もありますが……」

圓城が淡々と話を続けると、悲鳴嶼が問いかけてきた。

「南無……、人間はそんなにも長い間眠らずに活動できるのが可能なのか……?」

「まさか。普通は途中で倒れます。私は眠るのが非常に嫌いなだけです。この数年で常に寝不足の状態が続き、睡魔への耐性が異常に強いというだけの話ですわ。」

「眠るのが嫌いって……、お前睡柱だろう?」

伊黒の言葉に圓城は笑う。

「睡柱の名前をいただいておりますが、私はこの世で一番睡眠が大嫌いです」

そのキッパリとした言葉に全員が訝しげな表情となった。圓城がそれを無視するように言葉を続ける。

「私の話は以上です。何の参考にもならずに申し訳ありません…」

圓城はそれを最後に口を閉ざす。今度はしのぶが口を開いた。

「……では、痣の発現が柱の急務となりますね」

「御意。何とか致します故、お館様には御安心召されるようお伝えくださいませ」

悲鳴嶼がそう言うと、あまねは少しだけ顔を伏せて口を開いた。

「ありがとうございます。ただ一つ、痣の訓練につきましては皆様にお伝えしなければならないことがあります」

圓城は眉をひそめ、甘露寺は首をかしげた。

「何でしょうか……?」

「もう既に痣が発現してしまった方は選ぶことができません……。痣が発現した方はどなたも例外なく---」

 

 

 

 

あまねの話を聞いても圓城は何も感じなかった。目の前で冨岡と不死川が何事か争っているが、ぼんやりとしか聞こえない。そうだ。私が死ぬ前に、お館様に直接伝えたいことがある。どうにか謁見する方法はないだろうか----、

物思いに耽っていると、突然悲鳴嶼が両手を叩いた。パァンと音が響き、ビリビリと電流のような衝撃がくる。圓城はハッと顔を上げた。

「座れ……。話を進める。一つ提案がある…」

 

 

 

 

 

 

 

「圓城さん」

全ての話が終了し、全員が立ち上がる。圓城も自邸に帰るために杖を使って立ち上がると、突然しのぶが話しかけてきた。

「何でしょうか、蟲柱サマ」

圓城が冷静な顔で笑いながら答えると、しのぶが少し怯んだようだが、そのまま話を続けてきた。

「……どう考えても13日間も眠らないなんて問題があります。きちんと睡眠をとってください」

「その通りですわね。申し訳ありません。今後気をつけますわ。では」

圓城は早口でそう答えて、背を向けようとすると、しのぶが圓城の腕を掴んでそれを止めた。

「……蟲柱サマ?」

「嘘をつくのは止めてください」

「あら、嘘なんてついてませんわよ」

「これからもそんな生活を続けるつもりですよね?誰にも気づかれないと思ったら大間違いですよ」

圓城は笑顔を消して唇を噛む。周囲の柱達が訝しげに自分としのぶを見てきたのが分かったので、腕を掴んでいるしのぶの手を無理やり離した。

「……自分の体調の限界ならもう把握しております。今後は十分気をつけますから。もうこの話は終わりにしてくださいな」

「なぜ、そんなにまでして眠りたくないんですか?」

しのぶの問いかけに思わず顔をしかめた。嫌な質問をされて、思わず声が冷たくなってしまう。

「蟲柱サマ、その話は今は止めてください」

ダメだ、と分かっているのに冷静に話せない。しのぶから視線を外して、言葉を続ける。

「眠りたくないのは私の勝手でしょう?蟲柱サマには関係のないことです」

そう、しのぶには関係ない。絶対に知られたくない。圓城が今度こそ背を向けようとするが、しのぶはそれを許さなかった。再び圓城の腕を掴む。その顔からはいつもの笑顔が消えかけている。

「今はって……、あなたはずっと、ずっと、黙ったまま、教えてくれたことなんてないじゃないですか!」

「……っ、教える必要はありません。眠りたくない、それだけです!」

「なんでそんなに眠るのが嫌いなの!なぜそこまで追い込むの!」

「ちょ、ちょっと、本当にやめて、」

「菫!」

珍しくしのぶが感情を制御できなくなっている。圓城が焦って顔を引きつらせた時、今度は後ろから誰かに隊服を引っ張られた。パッと振り向くと、不死川が圓城の襟元を引っ張っており、後ろに下がらせた。目の前のしのぶは悲鳴嶼が後ろから肩を掴み下がらせていた。

「……ここで争うのはやめろ…お館様の屋敷だぞ」

「二人とも、ちょっと落ち着けェ」

それぞれから注意され、しのぶがハッとした表情で笑顔を作り直し、圓城もため息をついた。

「……申し訳ありません」

「……お恥ずかしい姿をお見せしました」

二人同時に口を開いて謝る。

「……もう、帰ります。お疲れ様でした」

今度こそ逃げるように圓城は杖をついて部屋から出ていった。しのぶはもう引き留めずに、笑顔のまま黙ってその後ろ姿を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局今日もしのぶから逃げてしまった。圓城は唇を噛む。しのぶときちんと話さないといけない。分かっている。よく分かっている。それでも、怖い。今日のように、感情が爆発する。冷静になれなくなる。

「私、できるのかな。ちゃんと、話せるの、かしら……」

でも、もう逃げることは許されない。立ち止まることは許されない。

戦いは、既に終焉へと向かっている。自分の命は長くない。鬼のように永遠はない。時間は有限であり、世界は回っている。物事は続いていき、始まったから、もう終わるしかない。自分に出来ることは限られている。

「しのぶ……」

大切で最愛の、その名前を小さく呼ぶ。死ぬ準備はずっと前からできている。だが--、

「しのぶに、伝えなければ……」

たくさん伝えたいことがある。言わなければならない思いがある。

「………」

何もかも失くしてしまっても、しのぶの事が好きだった。その気持ちはきっと永遠で、消滅することはない。例え嫌われていても、憎まれていても。

ああ、だけど、もっと嫌われるかもしれない。そう思うだけで、刀で斬られたように痛くて心が死んでしまいそう。この世から消えてしまいたいくらいに苦しい。

 

私にとって、彼女は光だから。暗闇の中で光輝く星のような存在だから。

 

「師範……、勇気をください……」

夢でもいいからまた逢いたいなぁ、と思い瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この後いくつか番外編を挟んで本編に戻ります。
次回予告・最終章『希望の世に咲く花』


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番外編
あなたのことが大好き


ご都合血鬼術もの。幼児化注意。圓城の継子時代の話。時間軸としては甘味処に行く前くらい。






「……」

「……」

「……なんか、言えば?」

「……いえ」

圓城が鋭い目をしながら口を開き、しのぶが言葉に詰まる。カナエが苦笑する。

目の前の圓城の姿は背が縮み、どう見ても十歳ほどの少女へ変貌していた。

 

 

始まりは鬼との戦いだった。単独任務で鬼を斬ったのはいいが、最後の最後で鬼に何らかの術をかけられた。後はお察しの通り。気がついたら背が縮んでいた。

「不覚!不覚です。なんでこんなことに…!」

「あらあら、そんなに自分を責めないで、菫」

カナエが頭を撫でながら慰めてくれるが、圓城は歯軋りをした。悔しさで冷静さが保てない。完全に油断していた。

一方しのぶは複雑な思いで圓城をじっと見ていた。可愛い。元々圓城はしのぶより十センチほど身長が高い。なのに、今は逆に圓城の方がしのぶよりも十センチ以上低く、しのぶが見下ろす側になっている。隊服もブカブカだ。プンスカ怒っている姿が、なんか可愛い。

しのぶがひたすらじっと見つめていると、圓城がしのぶの方へ視線を向けてきた。

「しのぶ!これ、治るのよね!?いつ治るの?」

「え、えーと、たぶん、そんなに強い術じゃないし、すぐに治ると思う……」

「すぐって、いつ!?」

しのぶにグイグイ近づいてくる圓城をカナエが宥める。

「まあまあ、落ち着いて、菫。焦らなくても大丈夫。その姿もとっても可愛いから」

「師範!可愛いとかは問題じゃなくて、このままでは身長も腕力も足りなくて鬼が斬れません!」

「……とりあえず、薬を作ってみるから」

しのぶがそう言うと、圓城はホッとしたような顔をした。しのぶは苦笑しながら薬を作るために研究室へ向かう。

「え~、菫、しばらくはこのままでいいんじゃない?」

「何言っちゃってるんですか、師範!嫌です!」

「菫、本当に可愛いわよ」

「可愛くなくていいんです!早く戻りたいんです!」

「小さい頃の菫ってこんな感じだったのねぇ」

しみじみと感じたように呟くカナエと怒り続ける圓城が残された。

その夜はしのぶが出してくれた苦い薬を無理矢理流し込み、元に戻ることを願いながら床についた。

 

 

 

 

 

翌日。

「うそつき!しのぶのうそつきぃ!」

うわーん、と声をあげて泣く圓城にしのぶは困り果てて頭を抱えた。一日経ち、目が覚めた時、圓城は元に戻るどころか、身長がまた縮んでいた。現在五歳ほどの年齢の少女となっている。

「ぜんぜん、もとにもどってない!くすりがきいてないの!?」

「うーん…、正直こんな事態初めてで…。どうすればいいか分からない…」

「そんなぁ…っ」

瞳に大粒の涙を貯めて、しのぶをすがるように見てくる。なんだか精神も幼児になってきた気がする。しのぶがそんなことを思いながら圓城を見つめていると、カナエが泣いている圓城を腕に抱えた。

「ほらほら、菫、泣かないの。大丈夫だから」

「うえぇぇぇん、しはん……」

「よしよし、いい子ねぇ、もう泣き止んで。ほら、カナヲとアオイもびっくりしているわよ」

カナエが菫を抱っこして、まるであやすように言葉をかける。チラリと部屋の外を見ると、カナヲとアオイがソワソワとこちらを見ていた。

「しはん…、もとにもどれなかったら、どうすれば……」

「その時は私がお母さんになって、菫を育てるから大丈夫!」

「それは、なんかちがうきがする……」

「ほらほら、お母さんよー」

「……しのぶぅ」

幼児化した涙目の友人と、母性全開となっている姉を見ながらしのぶは頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

そして三日目。

「ねーたん、かなえねーたん」

「あらあら、どうしたのー、菫。甘えんぼさんねぇ」

目が覚めたら圓城は二~三歳ほどの幼女になっていた。ついでに精神も完全に退行している。自分からカナエに甘えるように抱きつき、それをニコニコとした顔でカナエが受け止めた。しのぶは困り果てて眉間に皺を寄せる。

「うわぁ、菫さん、可愛いですね」

「……」

アオイとカナヲも近づいてきてしげしげと圓城を見てくる。圓城はいろんな人間に囲まれて、何が楽しいのかずっと笑っていた。しのぶは大きなため息をついた。

カナエが圓城を抱っこしながら話しかける。

「さあ、菫、私の名前は?」

「かなえねーたん!」

「じゃあ、この子は?」

「かなをねーたん」

「私は?」

「あおいねーたん」

「じゃあ、あっちにいるあの子は?」

「しのぶ!」

「正解よ!菫はかしこいのねぇ」

「いや、なんで私だけ呼び捨て?」

こんなことしている場合じゃないと分かっているのに、しのぶはついツッコんだ。

「どうしよう、姉さん…、薬も効かないし…、」

「うーん、なんだか本当にこのまま育てればいいような気がしてきた……」

「姉さん!!」

「冗談よ。」

そう言いつつも、たぶん、姉の目は半分本気だった。

「薬の効能がまだ出ていないだけだと思うわ。もう少し様子を見ましょう」

「大丈夫かしら……」

圓城はアオイやカナヲとじゃれ合いながら、キャッキャッと本当の子どものように笑っている。しのぶはまた大きなため息をついた。

その夜、カナエが羽織を身に付けながら玄関に向かう。

「じゃあ、今夜は私は任務があるから、しのぶ、菫のことよろしくね」

「うん……」

「菫、お姉ちゃん、任務に行ってくるから、しのぶと待っててねー。」

「……はやく、かえってきてね、ねーたん」

圓城のその言葉にキュンとしたらしいカナエが抱きついた。

「……しのぶ、今日、私、任務休むわ」

「ダメに決まってるでしょ」

「しのぶ、」

「行ってらっしゃい」

無理矢理カナエを外に出す。しのぶはクルリと圓城に向き直ると、口を開いた。

「さ、菫。夜遅いし、もう寝なさい」

「……ねむくないもん」

幼児化しても眠るの嫌いなんだ、としのぶは思いながら圓城の手を握り引っ張った。

「眠くなくても、寝るの。もう遅い時間なんだから。さあ、部屋に行くわよ」

「……しのぶといっしょに、ねる」

「はあ?ダメよ。私は今日、毒の研究したいんだから」

「しのぶのいじわる……」

「あなた、なんで姉さんには素直なのに、私には生意気なのよ…」

そう言葉を交わしながら、しのぶは圓城を寝室へ連れていった。

布団に寝かせると、圓城はブツブツ文句を言っていたが、すぐに眠気に襲われたのか、寝入ってしまった。しのぶは眠るまで様子を見ていたが、圓城が完全に寝たのを確認して、研究室に戻った。

 

 

 

 

 

しのぶが食べられる。血のような真っ赤な鬼が、しのぶを吸収している----。

 

 

 

 

 

圓城はあまりにも恐ろしい夢を見て飛び起きた。

「……しのぶ」

そばには誰もいない。それが悲しくて、涙がこぼれる。会いたい。しのぶはどこ?

立ち上がって、寝巻きのまま屋敷内を歩く。フラフラするが気にしない。やがて、灯りのついた部屋へたどり着いた。

「……しのぶ」

「え、菫?起きちゃったの?」

突然部屋に入ってきた圓城を見て、しのぶが驚いたように声をかけてきた。もうすぐ日付が変わる時間だ。

「どうしたの?もしかして、廁?」

「……」

トコトコと圓城が近づいてきて、しのぶの足にギュッと抱きついた。

「菫?」

「……」

何も言わない。しのぶは一旦圓城の手を離して、しゃがみこみ、視線を合わせる。

「どうしたの?お腹すいた?それとものどが乾いた?」

「……いっしょにねる」

泣きそうな表情をして、それだけしか言わない。しのぶは少しだけ考えて、苦笑すると頭を撫でた。

「分かった。切りのいいところまで終わったし。それじゃあ、寝ましょうか。」

「……」

圓城は何も言わずにコクンと頷いた。

 

 

 

 

 

 

「菫、今日だけだからね」

「……」

自分の布団に圓城を寝かせ、その隣にしのぶも横たわる。しのぶの体に圓城がギュッと抱きついてきて、思わず抱きしめ返した。

こんなに甘やかしてしまうなんて、姉さんのこと棚にあげられないなぁ、と苦笑する。

圓城を見ると、既に目を閉じている。しのぶは圓城を抱きしめながら思った。

明日、この子はどうなっているだろう。もしかすると、本当にこのまま元に戻らないのかもしれない。私の知ってる菫が消えるかもしれない。そんなの、嫌だ。

抱きしめる手に力を込めた時、何かが頬に触れた。パッと体を離すと、圓城がしのぶの頬を撫でていた。

「……菫?」

「……だいじょうぶ。しのぶはだいじょうぶ。」

圓城が笑う。

「しのぶはつよいから、だいじょうぶ」

「……強くないわ」

「つよい。わたし、しってる。わたし、しのぶのことだいすきだから、しってる」

圓城の言葉に顔が赤くなったのが分かった。圓城がまた笑う。

「しのぶがそばにいてくれるから、わたしもがんばる」

「……うん」

「あのね、ないしょにしてね。かなえねーたんもだいすきだけど、しのぶもだいすき」

圓城がぼんやりしながら呟くように言った。そんな圓城を見て、しのぶは意地の悪い質問をした。

「……私と姉さん、どっちが好き?」

「…んへへぇ、ないしょ」

「こら、答えなさい」

「キャーっ」

圓城の体をくすぐると、笑いながら小さい悲鳴をあげた。そのままやがて、二人は笑い合いながら、ゆっくりと眠りについた。

 

 

 

 

翌朝、早い時間にカナエは任務から戻ってきた。屋敷の者はまだ寝ているため、静かに玄関から入り、自室へ向かう。

「……あら?カナヲ?」

廊下のしのぶの部屋の前で、カナヲが棒立ちになっている姿を発見した。名前を呼ぶと、カナヲがこっちを向く。

「どうしたの?こんな早くにしのぶの部屋の前で……」

カナエがそちらへ近づき、しのぶの部屋を見た。そして、思わず笑った。

「あらまあ……」

しのぶと、元の姿に戻った圓城が一つの布団でくっついて眠っていた。お互いに抱きしめ合いながら、穏やかな顔をして寝入っている。

「仲良しねぇ……」

カナエは笑いながらそんな二人を姿を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

「……なんで私、しのぶの部屋で寝てるの?」

「さあね」

「え、全然思い出せない。何があったの?」

「自分で思い出せば?」

「え?え?」

その数分後、覚醒した圓城はしのぶの布団で寝ていたことに驚きながら、しのぶに何度も問いかける。

「え、お願い、待って、しのぶ。私、変なことしてないよね?」

「………。してないわよ」

「待って、今の間は何?私、何したの!?」

「してないってば」

「私の目を見て話して!」

オロオロと狼狽えている圓城と、目をそらしながらもなぜか嬉しそうにしているしのぶを見て、カナエは笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※大正コソコソ噂話
カナヲは朝早くに廁に行くために、しのぶ姉さんの部屋の前を通って、二人が仲良く寝ている姿を発見した。起こそうかな、でもなんか幸せな光景だからこのままにしとこうかな、どっちにしようかな、と銅貨を出して決めようとした時にカナエ姉さんが帰ってきた。




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雛菊の娘

 

 

 

世界は、灰色だった。

 

 

 

 

 

『×××』

誰かが名前を呼ぶ。私の名前。

『×××、ほら、あなたの花よ』

私の、花?

『あなたのお祖父様が、あなたが生まれた頃に咲いた花だから、×××と付けてくだすったのよ。ほら、綺麗でしょう?』

綺麗。本当に、綺麗な、----雛菊

『あなたの好きな花よ』

ええ。そうですね、お母様。

 

 

 

 

 

私は男性への贈り物。結婚できる年齢になったら、嫁ぐ。

他の人より裕福で贅沢で、苦労せずに人生を送ってきた。感謝している。本当に。

だから、父母のために、家のために結婚するのは私の望み。

幼い頃からお父様もお母様も何度も言っていた。

『良き妻になれるように。良き母になれるように努めなさい』

はい、お父様

『それがあなたの幸せなの』

はい、お母様

これが私の幸せ。お父様もお母様もそう仰るんだもの。そうに違いないわ。

 

 

 

 

 

本当に?

 

 

 

 

 

感情の間を掻い潜るようにそんな声が聞こえた。思わず首をかしげる。なんで疑う必要があるの?

だって間違いないわ。お父様が私の幸せを願って、立派な殿方との結婚を決めたのだもの。

ずいぶん前に紹介された。

『×××、将来、お前の夫となる方だ。ご挨拶しなさい』

私よりもずっと年上の背の高い紳士に頭を下げて精一杯笑って挨拶をしたのは覚えてる。この人と結婚するんだって、実感はなかったけれど。

あら?あの人、どんな顔をしてたかしら--?

全然顔を思い出さない。でも大丈夫。だってその人と結婚するのが私の幸せなんだって、お父様とお母様が仰っていたから。

学校はいつまで通えるかしら?出来れば勉学を続けて、卒業したいと言ったけど、お父様はいい顔をしなかった。お母様も勉強などよりも、習字や手芸、お花やお茶を学ぶようにと仰っていた。あとは行儀作法を完璧にするようにと。だから頷いて、言われた通りに、毎日いろんな習い事をした。

 

 

 

 

 

灰色の世界で私は生きていく。どうしてこんなに色褪せてるんだろう。不思議。でも平気。色はないけれど、幸せ。だって、今まで辛いことや悲しいことなんて全然なかったから。お父様もお母様もお兄様も、とても素晴らしい方々。私は、恵まれているのだ、と知っている。だから、疑問なんて持ってはいけない。わがままを言ってはダメ。

小さい頃は、まだ世界にほんの少し色があった。だから、愚かなわがままを言ってお父様とお母様を困らせた事がある。お父様の会社で働いたら、きっとお父様を助けられると思って、そう言うと、怒られた。そのような職業婦人のような事をする必要はないのだと。私はすぐに謝罪して、二度とそのような考えは持たないとお父様に誓った。

そういえば、同じくらい怒られた思い出がもう一つある。私は走るのが好きだった。体を動かすのが好きだった。異国では運動の競技大会があるらしいと知り、それに出てみたかった。随分と前だけど、一度だけ、お兄様やそのお友達と走って競争した事がある。私は誰にも負けなかった。お兄様の悔しそうな顔がなんだか嬉しくて、つい口を滑らせてしまった。

--もっと速く走れます。それで、競技選手になります。

それを聞いたお父様が静かに怒った。お母様が顔を曇らせたのが分かった。

『なんとはしたないことを』

『男の子と走るなんて。恥を晒すようなことをするのはお止めなさい』

そう言われた。

その通り。

走る必要なんてない。私は運動の競技選手などにはならない。私は立派な殿方と結婚して、子どもを生んで、尽くさなければならないのだから。成長するごとに、どんどん世界から色が失くなっていったけど、気にしていない。

 

 

 

 

 

それでいいの?

 

 

 

 

また、誰かが叫ぶ。それを無視して、今日も私は笑う。

良き娘であり続ける。そして良き妻となり、母となるのだ。それが私の望みだから。

だってそうでしょう?私が言う通りにすれば、みんな満足してくれる。このまま、立派な家に住んで、美しい着物を毎日着て、信じられないくらい美味しい食べ物を食べて、裕福な生活を送ることができる。なんて贅沢で幸せな生活なんだろう。

灰色の世界で、私は笑う。

『×××、見て、この美しい着物を。お父様があなたにと』

お母様が差し出したのは美しい着物だった。薄紅色の、雛菊が描かれた華やかな着物。

『よかったわねぇ。×××の好きな薄紅色と雛菊の着物よ』

本当に。とても嬉しい。私には灰色しか分からないけれど。

 

 

 

 

 

ああ、でも一度だけ、色のついた世界を見たことがある。

使用人のフミが一度だけ、内緒で庭を走らせてくれた。

--フミ、本当にいいの?

フミにそう言うと、彼女は笑って頷いた。

『お嬢様、大丈夫です。旦那様と奥様は旅行中ですし、お坊っちゃまは学校に行っています。誰にも分かりませんよ』

そして、お兄様が着られなくなり捨てる予定の洋袴を着せてもらって、私は広い庭へ出た。

フミの方を見ると、笑顔で私を見ていた。なんだかそれが安心できて、私は思い切り足を踏み出した。

勢いよく地面を蹴る。手を振り回して駆ける。周囲の景色が流れていく。自分が風に溶け込んだような気がして、夢中で足を動かした。

ああ、なんて清々しくて、気持ちいいんだろう。いつもこんな風に走っていたい。

そう思った次の瞬間、地面に落ちていた石につまずいた。思い切り転んでしまう。倒れた衝撃にビックリして、少しだけ痛みを感じる。クルリと仰向けになった。フミが慌てて駆け寄ってきたのが見えたけど、私の目は、視界いっぱいに広がる空の青さに釘付けとなった。

雲ひとつない。高くて、何もかも吸い込んでしまいそうな青。知らなかった。世界ってこんなにも広くて、美しいんだ。なんて綺麗な空だろう。こんなにも素晴らしいなんて、私、知らなかった。

しばらくぼんやりとその美しさに見とれて、腕を伸ばした。その美しい青を掴めそうな気がして。フミが助け起こしてくれるまで、ずっと空を見つめていた。

--フミ、私、あんな世界をもっと見てみたい

『そうですか。よっぽど楽しかったのですねぇ』

--いつか、もっともっと走ってみたい。無理だって分かってるけど。

『……お嬢様』

フミが悲しそうに笑う。そんな顔、してほしくない。

フミには本当に感謝している。いつも優しくて、温かい人だった。

『お嬢様、お嬢様がお嬢様らしく、自由に生きられる日がきっと来ますよ』

そんな言葉をかけてくれた。フミは本当に優しい人。そんな日は決して来ないと知ってるのに。そんな言葉をかけてくれた。

自由?ううん。そんなの望んでないわ。私は今のままでとっても幸せだから。

 

 

 

 

嘘つき

 

 

 

 

また誰かが叫ぶ。もうやめて。

私に優しくしてくれたフミも、もういない。いつの間にか消えていた。フミと一緒に働いていたフミの夫もいなくなった。いろんな人にフミはどこに行ったのか聞いたけど、誰も何も教えてくれなかった。不思議に思っていると、フミの夫だけが一人で戻ってきた。

--ねえ、フミは?

フミの夫はまるで泣き出しそうな表情になると、膝をついてしまった。私が慌てていると、フミの夫が言葉を絞り出した。

『……妻は……、死にました。心臓が……弱くて。悪化してしまって、……もう治らないと言われて……』

そう聞かされて、体が凍ったように固まる。知らなかった。フミが病気だなんて。

フミの夫が一瞬だけ目を閉じて、再び立ち上がった。そしてそのまま私に向かって深くお辞儀をすると、立ち去っていった。

私は、あんなに、フミに世話になったのに、何も出来なかった。

 

 

 

 

もう世界に色はない。二度と色づくことはない。

あの美しい空の色を見ることはない。でも大丈夫。お父様とお母様が望む通りの娘であればいい。

それが私の存在理由だから。

おしとやかに、上品に、従順な娘でありさえすれば、みんなが満足してくれる。それが、私の望み。

 

 

 

 

それは本当の私じゃない!

 

 

 

 

また、誰かが叫んだ。

いいじゃない。本当の自分なんて、気にする必要はない。目をそらして。無視をして。自分の考えなんて持つ必要はない。疑問に思わなくていい。そしたら、私は----、

 

 

 

 

ねえ、なんでこんなことしてるの?

 

 

 

 

目の前に恐ろしい鬼がいた。なんでこんなことになったのかしら?

ああ、そうだわ。夜会が催されて、お父様とお母様と一緒に出席しなければならなかった。大人に囲まれて、いつものようにただただ笑っていた。だけど、夜遅くなりそうだから、先に帰るように言われた。お母様が一人で帰すのは心配だと仰っていたけれど、私はお父様の望んだ通りの答えを口に出した。

--大丈夫ですわ。護衛も運転手もおりますし、先に戻っています。ご心配なさらず。

そう言うと、二人とも安心したような顔をした。

車に乗ってぼんやり外の景色を眺めていると、突然の衝撃。目の前で護衛と運転手が切り裂かれる。真っ赤な血が、私の着物を汚した。ああ、お母様が用意してくださった薄紅色の雛菊の着物。私のお気に入り。

お気に入り?そうだったっけ?

そう疑問に思いながら目の前に落ちていた短刀を手にとって、私は動いた。

 

 

 

 

 

 

気がついたら、私は暗闇の中にいた。たくさん怖い夢を見た。

 

 

 

 

 

 

赤い髪の少年と鬼になった妹。

その妹を殺そうとしている、髪を後ろで結っている変な羽織の青年。

赤い髪の少年が必死に刀の修行をしてる。たくさんの鬼と戦っている。

金髪の少年と猪頭の少年が戦う光景も見えた。

炎のような青年が、列車の中で鬼と戦い、殺された。

そして、蝶の髪飾りをつけた綺麗な女の子が鬼に食べられる光景も見えた。

たくさんの、人が次々に死んでいく。

 

 

 

数えきれないくらい、そして覚えきれないくらい恐ろしい夢を何度も見た。これは、なんだろう。

鬼に襲われたその日から、私は暗闇の中にいる。なんでこんなところにいるんだろう。

早く、元に戻らないと。

そう思うのに、戻れない。

()が家を出ていこうとしている。あれは、あの()は私じゃない。いつも頭の中で叫んでいた()だ。

 

 

ーーやめて!そんなこと、ダメよ!

 

 

 

私は叫ぶ。聞こえているはずなのに、()は無視をした。

家も家族も捨てて使用人と共に出ていってしまった。

何度もやめるように叫ぶのに、こちらの言うことを聞かない。

居住地を転々と変え、両親に見つからないように逃げ続ける。途中で家から持ち出した着物や装飾品も全て売ってしまった。

そして、信じられないことに、誰かから買い取った赤の他人の戸籍を自分の物にしてしまった。

『×××』

私の名前、捨ててしまった。ああ、どうして。

私が、私でなくなっていく。私の存在が消えていく。

 

 

 

 

 

 

()は、山の中に移り住み、そこで刀の修行を始めた。そんなこと、続くはずがない、と思ってたのに、大きな間違いだった。厳しい修行なのに、信じられないくらい苦しくて辛い修行なのに、思い切り体を動かしていく。

私って、あんなに体を動かすことができたのね……。

思わず叫ぶのを止めて、感心してしまうくらい刀の腕が上がっていく。

 

 

 

 

 

 

やがて、藤の花が咲き誇る山で鬼と戦うことになった。何かを傷つけるなんて初めてだった。()は躊躇いなく、涼しい顔で鬼を斬っていく。恐ろしい七日間が過ぎていく。服が汚れるのも構わずに、体に傷がつくのも気にしていない。

 

--お願いだから、もうやめて……

 

最終日、私がその後ろ姿に声をかけると、()は立ち止まった。振り向きもせずに、その場に留まっている。ようやく耳を傾ける気になったのかと思い、私は叫んだ。

 

--こんなこと、する必要はない!私はお父様とお母様に従ってさえいれば、幸せになれるのよ!

 

()は口を閉ざしている。

 

--考え直して。私はここにいるべき人間ではない。

 

()は動かない。

 

--ねえ、帰りましょう。今ならきっと、お父様もお母様も許してくださるわ。思い出して。みんなの願いは、私が良き娘として素晴らしい方と結婚し、子どもを生んで、幸せになることなの!

 

そう叫ぶと、()が振り向いた。こちらを鋭い目で見据えながら、口を開く。

 

「……もう、黙って」

そして私に向かって真っ直ぐに刀を向けてきた。

 

--やめて!どういうつもり!?

 

「あなたは偽物の私。父母が作り出した理想の娘」

 

--そうよ!それでいいじゃない!何を血迷ってるの!

 

「私は、私として生きたい。私は、人を救いたいの。」

 

--無理に決まってる!流されるだけのお人形の私が、人を救うなんて!

 

「なんだ。分かってるじゃない。そうよ。私は意思を持たないお人形で、常に誰かの付属物だった。いえ、違うわね。意思を持つのを止められていた。そして全てを諦めていた」

 

--それの何が悪いの!何も苦労することなく幸せになれるのに!

 

「色のない世界で幸せになっても意味はない。お人形は、もうたくさんよ。私は、」

 

 

 

 

 

 

 

「……あの日見た青空の下で生きたいの」

 

 

 

 

 

 

「だから、邪魔しないで」

そう言って()は刀を振るい、私の首を斬った。

私が消滅していく。フワフワと目の前の灰色の景色が薄くなっていく。()が静かに涙を流していた。その涙を見た時、不意に思い出した。

--そうだ。私、本当は運動の競技選手になってみたかった。走るのが好きだった。思い切り体を動かして運動してみたかった。もっと勉強したかった。お父様の会社で働いてみたかった。結婚なんてしたくなかった。薄紅色なんて好きじゃない。お母様が勝手に私の好きな色なのよって言ってただけ。本当は私、あの日走った時に見た空色が好きだったの。

私を殺した()が唇を動かす。

「ごめんね。さよなら……」

--おかしな話。どうして()が泣くの?謝るくらいなら、こんなことしなきゃよかったのに

ああ、でも、きっと、これが本当の私の望みなんだわ。私はその涙を見つめながら、思わず笑った。

ひとつだけ、本当の思いがある。お母様が私の花だって仰っていた雛菊。私は、あの花が結構好きだった。これは偶然だけど今の()の新しい名前も花の名前だ。

消滅していく中で、私は目を閉じた。

--新しい名前も好きになれるといいな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日『×××』は死んで、圓城菫が生まれた。

そして、人形は少女となり、また、剣士となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ただいま帰りました」

「お帰りなさいませ、お嬢様」

最終選別から戻った圓城をじいやが出迎えてくれた。微笑みながら声をかけてくる。

「よくぞご無事で。最終選別の突破、心よりお祝い申し上げます」

「……ありがとう。取りあえずは休息をとります。布団を用意して」

「はい。かしこまりました」

じいやが準備してくれている中、圓城は疲れた体を動かして着替える。

「育手の方には挨拶をされましたか?」

「ええ。ここに戻る途中で御礼を伝えてきました。」

「それはよろしゅうございました。この数ヶ月、大変でしたねぇ」

「……大変?大変じゃなかったわ。あの頃と比べたら、ずっと楽だった気がする……」

圓城がボソリと呟くと、じいやが首をかしげた。

「お嬢様……?」

圓城はフッと笑い、じいやに正面から向き合った。そして口を開く。

「じいや。今日、私は、私を殺してきました」

「……」

「私は人殺しよ。過去の自分を殺してしまった。その報いはいつか受けるでしょう。せめて、その日が来るまでは、できる限り多くの人を救いたい」

「……お嬢様」

「改めまして、私は、鬼殺隊隊員、圓城菫です。この命が燃え尽きるその日まで、末長くよろしくお願いします。」

「……はい」

圓城は笑って、窓から外を見上げる。あの日に見たような青空が広がっている。

 

 

 

 

もう世界は、灰色じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 





もう一つ、番外編を挟んで本編に戻ります。


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その瞳は


カナヲ視点です。








 

 

 

 

あの人は、とても真っ直ぐな瞳をしていた

 

 

 

『……カナヲ』

 

 

あの人の声が聞こえる

 

 

『……よく聞いて。絶対に忘れないで……』

 

 

優しい微笑みを、覚えている

 

 

『……ごめんね』

 

 

 

ああ、どうしてそんな事を言うの

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日突然、あの人は蝶屋敷にやって来た。

「圓城菫です。今日からお世話になります」

カナエ姉さんの継子になったあの人。最初はどうでもよかった。関わるつもりはない。一緒に住む人が一人増えた。それだけ。

何度か話しかけてくれたけど、なんと言えばいいのか分からなくて、いつもみたいに笑って、何も言わずにその場から逃げた。あの人は何も言わなかった。ただ、目が合ったら優しく微笑んでくれた。

カナエ姉さんやアオイとはよく楽しそうに話をしているのを見かけた。しのぶ姉さんとは仲が悪いみたいであまり一緒にいるところを見たことはない。

ある日、アオイが忙しそうにしていた。たくさんの怪我人が運ばれてきたらしい。

「あ、カナヲ、菫さんを呼んできてくれる?」

そう言われたから頷いて、あの人の部屋へ向かった。

あの人は部屋ではなく縁側でぼんやりとしていた。どこか悲しげな顔をしている。近づいていくと、こちらへ向かってにっこり微笑んだ。

「ごきげんよう、カナヲさん。何か用事ですか?」

「……」

何と言えばいいか一瞬だけ迷って、口を開く。

「…アオイが、…呼んでいます」

あの人は少し笑ってから、ゆっくり立ち上がった。

「分かりましたわ。すぐに行きます」

そのまま横を通りすぎるのかと思ったらあの人はこちらに右手を突きだした。

「カナヲさん、どうぞ」

「……?」

突然そう言われて反応ができなかった。そんなことを気にする様子はなく、あの人は手を取ると、小さな四角の固まりをコロンと渡した。

「お菓子です。もしよければ食べてくださいね」

そう言って、すぐにその場を離れた。しばらくそれを見つめた後、迷いながら懐から銅貨を取り出して、ピンと弾いた。その結果を確認してからそれを口に放り込む。想像以上の甘さを感じ、びっくりした。なんという食べ物か知らない。ただ、美味しい、と感じた。

 

 

 

 

 

 

 

お礼を言わないと、と思った。でも、なんと話しかければいいのか分からない。あの人は、任務以外では、いつもカナエ姉さんに稽古をつけてもらうか、一人で鍛練をしていた。声をかける隙を見つけられなかった。

そのうち、しのぶ姉さんとも仲良くなったらしく、よく一緒にいるのを見かけた。二人が屋敷の庭で鍛練をしたり、何かを話しているのを見かけた。しのぶ姉さんが何か怒って、あの人が笑う。そのうちしのぶ姉さんも一緒に笑い出す。それは、遠くから見てるだけでなぜかフワフワして、奇妙な心地よさがあった。

 

 

 

 

 

ある晴れた暖かい日、あの人が屋敷の庭に一人で立っているのを見かけた。珍しく鍛練をしていない。上を見上げて、右手を空へ向かって伸ばしていた。まるで何かを掴もうとしているみたいだった。

不思議に思って思わず近づいてしまった。あの人は気配で分かったのかこちらを振り向いた。そして苦笑する。ゆっくりと屈んでこちらと目線を合わせた。

「……恥ずかしいところを見られてしまいました。今のは見なかったことにしてくださいね」

意味が分からなくて、首をかしげる。

「……空をね、掴めそうだなって思ったの。あんな風にどこまでも高くて、透き通るような青空が好きだから。ほら、私の羽織とおんなじ色でしょう?」

あの人がフワリと微笑んだ。その微笑みは少しカナエ姉さんに似ていて、ドキッとした。

「こんなこと、してるの知られたら恥ずかしいから、二人だけの秘密にしてね、カナヲさん」

あの人が口元に人差し指を当てる。よく分からないけど、頷いたら、あの人が苦笑した。

「ダメねぇ、私ったら。師範もしのぶもいないから、気が緩んじゃったわ」

そして立ち上がった。

「カナヲさん、そろそろお昼ごはんだわ。一緒にアオイのお手伝いに行きましょうか?」

頷くと、こちらの手を握った。思わずビクリとすると、あの人はハッとしたように手を離した。

「あ、ごめんなさいね。つい」

嫌だったわけじゃない。ただ、びっくりしただけ。でも、なんと言えばいいのか分からない。あの人はこちらを咎めもせずにまた笑い、ゆっくりと台所へ向かって歩き出す。それについていくように歩を進めた。あの人はこちらの方をチラチラ伺いながら歩いていた。目が合う度に優しげに笑う。そのカナエ姉さんと似ている微笑みが安心できて、自然と言葉が口から飛び出した。

「………ありがとうございました」

あの人が不思議そうな顔をする。

「何が?」

「………前に、もらった、……」

あの人が、ああ、と頷く。

「キャラメルのことね。美味しかった?」

あれはきゃらめるって名前なんだ、と思いながら、その言葉に頷くと、あの人は嬉しそうな表情をした。

「よかった。甘いもの、苦手じゃなくて。美味しいわよねぇ、キャラメル」

あの人はそう言いながら、こちらの方へ体をクルリと向けた。

「ねぇ、カナヲさん。今度の休みに、行きたい甘味処があるの。甘いものがいっぱいあるお店。もしよければ一緒に行ってくれる?」

その言葉になんと答えればいいのか分からなくて、体が固まった。あの人が慌てた様子で言葉を続ける。

「あ、私と二人じゃなくて、しのぶも誘ってみるつもりよ。カナヲさんが忙しければいいの。無理しないで」

忙しいなんて、あるわけない。ただ、どこかへ出かけるのに緊張しただけ。あまり関わりのない人と出かけるのは怖い。しのぶ姉さんが一緒なら大丈夫かもしれないけど。

考えがら、銅貨を取り出す。表なら行く、裏なら断る。あの人がじっと見ている前でピンと弾いた。銅貨は表を出した。それを確認して、口を開いた。

「………行きます」

あの人は嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

甘味処ではあの人が言ったみたいに、たくさんの甘いものがあった。あの人がたくさん注文していて、しのぶ姉さんが怒っていた。でも、あの人はそんなこと気にせず、食べながら話す。

「カナヲさん、銅貨で自分の意思を決めてるでしょう?でも、裏か表か、どちらかしか選べない。何かを選ぶってことは、それ以外を諦めるってことだから、それなら、ぜーんぶ選ぶって選択肢もあるんじゃないかなって、ふと思ったの」

全部、なんて、そんな選択肢、選んでもいいのか、とぼんやり思った。甘味処からの帰り道、あの人がまた手を握ってきた。その温かさにまたビクリと震えてしまう。

「今日は楽しかったわ。カナヲさん、私の遊びに付き合ってくれてありがとう」

なんと答えたらいいか分からなくて、体が固まってしまう。ちがう。私の方がありがとうって、言わなければならないのに、言葉が出てこない。あの人はすぐに手を離した。

「ねえ、もしまた暇な時があったら、アオイや師範とも行きたいわね」

「その時はぜっっったい全部の品を注文させないから!」

「あら残念」

あの人が、菫さんが楽しそうに笑う。しのぶ姉さんも怒ってるけど楽しそうにしているのが分かった。いつもと全然違う表情をしていたから。

二人が楽しそうにしている姿を見ると、不思議な気持ちになる。なんだろう、これは。

菫さんの手を見る。傷だらけ、だけど温かい手だった。しのぶ姉さんの手も見る。こちらは菫さんよりも小さな手。きっと、大丈夫、怒られない。そんな気がして、思いきって二人の手を握った。どっちの手も温かい。同時に握り返してくれて、安心した。菫さんが笑いながら口を開く。

「ねえ、しのぶ」

「……なに?」

「こうやって、何も考えずに遊びに行ける日々が来るといいわね」

「……」

「時々、想像するの。争いがなくて、誰も戦う必要がなくて、家族を愛して、友達と語り合って、何にも怯える必要のない、平和な未来を」

「……」

「でも、待ってるだけじゃ、それは来ないから。だから、ね。私は作りたいの。平和な世の中を、未来を。カナヲさんが生きる世界はそんな希望のある世界であってほしいなぁ」

「……うん」

二人が話しているのが聞こえたけど、あまり聞いていなかった。カナエ姉さんとしのぶ姉さんと初めて出会った日を少しだけ思い出していたから。ギュッと手を握ると、二人とも握り返してくれる。それが、嬉しかった。

その後、三人でシャボン玉を買ってから家に帰った。何日か経って、蝶屋敷のみんなでシャボン玉を飛ばした。

「綺麗ねぇー。自分でシャボン玉を作るのは初めてだわ。貴重な体験ねー」

「シャボン玉作るのが貴重なの?」

「だって、楽しいもの。ね、しのぶ、どっちが大きく作れるか対決しましょうよ」

「もう、子どもなんだから」

しのぶ姉さんと菫さんがシャボン玉を作りながら、笑顔で話していた。二人が笑っていると、やっぱり不思議な気持ちになる。温かくて、心地よくて、

「あっ、見て、しのぶ!カナヲが一番大きいの飛ばしたわ!」

「騒ぎすぎよ、菫!でも綺麗ねー」

楽しい、と感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

カナエ姉さんが死んだ。私は泣けなかった。

泣けなくて、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

菫さんはもうここにはいない。

あの日、しのぶ姉さんと菫さんは、しのぶ姉さんの部屋で何か話をしていた。アオイと二人で部屋の外から話を聞いてしまった。よく聞こえなかったけど、菫さんが何かを言って、しのぶ姉さんが怒っていた。その後、菫さんは出ていき、しのぶ姉さんは、しばらく部屋に閉じこもっていたが、笑顔を顔に張り付けて部屋から出てきて、仕事を再開した。菫さんがいないことについて、何とも思っていないみたいだった。ただ、笑顔で仕事をこなしていた。

失ってから、気づいたことがある。私は、しのぶ姉さんと菫さんが二人で笑顔でいてくれることが嬉しかった。三人で一緒に町まで出かけて、手を繋いでくれた帰り道、楽しかった。

もう、戻ってこない。しのぶ姉さんは菫さんの話をしたら、露骨に嫌がる。顔は笑顔だけど、よく見れば分かる。菫さんの事が嫌いになったみたいだった。

菫さんは鬼殺隊の柱になったらしく、忙しいらしい。でも、怪我をすることはほとんどないみたいで、屋敷に来ることはない。それが、たまらなく寂しい。あの人の温かい笑顔が好きだった。

定期健診の時、ようやく菫さんが屋敷に来た。アオイや他の子もソワソワして、菫さんに話しかけていた。でも、菫さんはよそよそしい笑みを浮かべて、ほとんどしゃべらずにすぐに帰ってしまった。私と目が合っても、無表情で少しだけ頭を下げて何も話しかけてくれなかった。じっと見ていたけど、しのぶ姉さんともほとんど話をせずに、それどころか目も合わせなかった。健診が終わると、そのまま足早に帰っていった。その後ろ姿を、ずっと見ていた。

どうしようもなく、悲しい。胸が詰まり、心が沈んでいく。

しのぶ姉さんと菫さん、もう二人が笑い合うことはないのだろうか。

二人の関係が、元に戻ってほしい、と思う。

だけど、それは私の勝手な願望で、きっと不可能に近いのだろう。

それでも、願ってしまう。

いつか、菫さんがこの屋敷に帰ってきますように。

いつか、しのぶ姉さんとまた笑い合えるような関係に戻れますように。

言葉には出せないけど、それでも、願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……カナヲ』

 

 

あの人は、とても残酷な事を言った

 

 

『……ごめんね、……っ、だけど』

 

 

どうしてこんなことになったんだろう

 

 

『……カナヲ』

 

 

あの人の瞳はどこまでも真っ直ぐだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








※本当はキメツ学園パロを書こうとしましたが、長くなりそうで断念。
たくさんのお気に入り登録、評価ありがとうございます。次から最終章に入ります。





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希望の世に咲く花
その感情の名前は


 

 

 

私にとって彼女の存在は何だったのだろう

 

 

今でも自分の気持ちが分からない

 

 

そばにいてくれる絶対的な存在である姉を失った時、彼女との繋がりは消滅した

 

 

私の世界はその時に一度崩壊した

 

 

手を伸ばしたら必ず握ってくれた温かい手も

 

 

名前を呼んでくれる優しい声も

 

 

無邪気な子どもっぽい笑顔も

 

 

もう、思い出したくない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

この世で一番大切で、唯一無二の存在、私にとって姉さんが全てだった。その姉さんが見出だした継子、圓城菫は、今まで会った誰よりも、不可解で謎めいた存在だった。鬼殺隊に入るために、過去を、家族を、名前さえも捨てた、私と同じ歳の女の子。

「師範が言ったんです。護るために刀を振るいなさいと。誰かのために、もう誰も悲しい思いをしないように、刀を握りなさいと。私は、鬼を哀れな生き物だと思っています。不憫で可哀想だとも思います。甘い考えかもしれないけど、できれば鬼も救いたいとさえ、思います」

そう話す彼女は、吸い込まれそうなほど澄んでいて、強い意思を秘めた瞳をしていた。

「でも、そんな思いだけじゃ、救えないから。だから、せめて目の前の人を護るために、私は強くなりたいんです」

誰よりも強くあろうと努力し、人を護るために、未来を切り開こうとする剣士。姉さんと同じ、鬼を救いたいという稀有な考えを持つ鬼殺隊隊員。仲良くなって随分と経つが、私は、彼女のことはほとんど何も知らない。

「ね、しのぶ、手合わせしましょう。新しい技を考えたの。」

「ダメ。それよりも早く寝なさい」

「……眠くないもの」

「菫、また昨日も寝てないでしょう!隠したって分かるんだからね!」

菫が拗ねたように唇を尖らせる。彼女はなぜか睡眠が嫌いで、ほとんど眠ろうとしない。睡眠不足で身体の調子も悪くなるはずだが、そんな様子は絶対に見せないうえに、化粧で顔色の悪さを上手く隠すのだから、たちが悪い。

何度も怒って注意するが、菫の睡眠嫌いは直らなかった。身体をいつか壊すのではないかと心配で、いつしか、気づかれないように遠くから彼女の姿をじっと観察する癖がついた。

だから、気づいた。菫が、姉さんを見る目。

あの目は、あの視線は、師範を見るそれじゃない。憧れとかでは決してない。もっと、熱がこもっていて、夢見るような瞳。

菫は姉さんのそばにいるだけで幸せそうな表情をする。頭を撫でられると嬉しそうに笑い、話しかけられると顔が輝く。庭で鍛練している菫に、姉さんが何か声をかけて、菫が頬を真紅に染めて、はにかんでいる所を見たこともある。別世界のような、甘い光景。

「…………」

つまりは、そういう事なのだろう。

それは菫の一方的な想いだ。だから別に気にしていない。気にしていないけどモヤモヤする。それは、最愛の姉にそんな感情を向けているのが気に入らないから。姉さんと彼女が二人で幸せそうに笑い合っている光景が気に入らないからだ。

たぶん。

「あの子は、菫は、人一倍自分に厳しくて、自己評価が低くて……、なんというか、自分を追い込むような戦いをするのよ。それでいて優しすぎて、泣き虫だし……、ついつい甘やかしてしまうわ。ダメね~」

姉さんがそうこぼしているのを聞いたことがある。

姉さんと菫との間には、私が立ち入ることが許されない繋がりが、確かに存在していた。

心のざわめきが止まらない。胸に小さなトゲが刺さったみたい。別に怒ってるわけじゃない。ただ、気に入らないだけ。不愉快なだけ。

「ねぇ、しのぶ、お願い!手合わせしましょう!ちょっとだけ、ほんの少しだけだから!終わったら寝るから!」

「もう、しつこいわね。明日なら姉さんがいるから、姉さんとしなさいよ」

「私は、しのぶとしたいのよ。しのぶなら遠慮なくいろいろ意見を言ってくれるから…」

「……仕方ないわね」

そう答えると、菫の顔がパッと明るくなる。子どものような無邪気な笑顔が広がる。それにつられて、こちらもつい笑ってしまう。

黒い気持ちに蓋をする。見て見ぬふりをして、忘れてしまえばいい。菫に気づかれないように。姉さんにも分からないように。自分でも知らんぷりをする。

あの頃は幸せだった。毎日がキラキラと宝石のように輝いていた気がする。幸せ、なんてありふれているように見えるけど、実際は世界にほんの一握りしかない。よく分かってる。

それでも、確かに言える。断言できる。

あの頃は何もかもが光り輝いていた。世界は、確かに、美しかった。

 

 

 

 

 

だからこそ、思ってしまう。

『幸せ』なんて知らなければよかった。知らないうちに死んでしまえばよかった。いや、違う。姉さんが死んだあの日、私の一部は死んだのだ。

 

 

 

 

 

時間は永遠に戻ってこない。残酷なほど、確実に過ぎてゆく。目の前はもう、真っ暗だ。

慈しむように、誰もが安心できるような笑顔の仮面を被る。

ああ、でも、姉さん、心が痛いの。寂しくて、寂しくて、たまらない。

私は、彼女のように強くはない。一人で生きていくのが辛いの。怖いの。

誰よりも真っ直ぐで、全てを捨てた彼女のような強さは私にはないの。

だから、戦わなければ。彼女とは別のやり方で。

姉さんの意思を継いで、思いを繋ぐの。

微笑みで心を隠しながら。

だって私、こんな風にしか生きられないもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姉さん、私は、どうすればよかったの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菫の顔はもう見たくない。そう言ったのは私だった。あの日、彼女と決別した日、私は自ら繋がりを断ち切った。姉さんを殺した鬼の特徴を聞く私に、彼女は真っ直ぐな瞳で見据えて、口を開いた。

「しのぶ、無理よ」

菫のキッパリした声が胸を刺す。

「はっきり言う。あなたにあいつは倒せない。今の私も、絶対に敵わない」

知ってるわ。姉さんが、あなたが、敵わなかった相手を、私が倒すなんて、できるわけない。誰よりもよく知ってる。でも、それでも、私はーー、

「ーーなんで!、--姉さんの仇は私が取る!だから、教えなさい!その鬼の事を!」

思わず笑顔が消えた。立ち上がって叫ぶ。彼女も立ち上がって叫ぶように言い放った。

「敵うわけない!しのぶは頚を斬れない!あんなに強い鬼、しのぶには倒せない!上弦の鬼なのよ!私だって死んでてもおかしくなかった!!」

事実を指摘されて、現実を認識してしまい、怒りで顔が赤くなる。頚が斬れない。私には鬼を殺すことが出来ない。彼女のように、戦えない。その事実に、今までずっと苦しめられてきた。姉さんを殺した相手を私は、倒せない。それをはっきりと、指摘されて、灼熱のような怒りが胸を満たした。

「そんなの関係ない!私が鬼を必ず斬るの!だから教えなさい!!」

目の前の彼女が今にも泣き出しそうな顔をした。

「私が倒す!必ず私が師範の仇を取る!だから、だから……ごめん。こんな事言う資格ないの、分かってる。でも、師範は、望んで、ないよ……」

絞り出すような声が響く。その瞬間、思わず力に任せて殴りかかった。パンと乾いたような音が響く。彼女の頬が赤く染まり、呆けたような顔をした。

知っている。私はよく知っている。

姉さんが私の幸せを願っていたこと。だって最期の瞬間にもそう言っていたから。

私にできることは、もうないのだ。姉さんの言うとおり、鬼殺隊を辞めて、ただの一般人として、普通の娘として暮らしていくのが私には相応しい。やがて恋をし、結婚し、年老いて死ぬまで平穏な人生を歩んでいく。それが姉さんの望み。

それでも、私はそれを否定する。姉さんを殺した鬼を、私は許さない。必ず私が、殺す。

菫なら、それを分かってくれると思っていた。姉さんのことを慕っていた彼女なら、私の気持ちを分かってくれるだろう、と。

でも、彼女は私の思いを否定した。姉さんが仇を取ることを望んでない、とはっきり言った。

世界が崩れる。

知ってる。分かってる。よく分かってる。

でも、これは私の望みなの。幸せなんてどうでもいい。私の幸せは鬼を倒したその先にしかない。

そうよね。菫には分からないでしょう。理解できないんだ。私の気持ちは。

鬼を救いたいという希望を持つ彼女には、私の気持ちは決して分からない。

そう言ったら、彼女は泣き出しそうな顔をしたけど、決して泣かなかった。諦めたように鬼の特徴をポツリポツリと呟くように言う。そして、

「強くなる、今以上に。全ての鬼を倒す。鬼を救うなんて言わない。しのぶの邪魔はもうしない。だから、しのぶも…」

絞り出すようにそう言った彼女に、私は頷いた。

「ええ。約束しましょう。あなたの邪魔はしません。もう関り合いになるのも、やめましょう。……その方がお互いのためだわ。正直、あなたの顔はもう見たくない」

そう言うと、菫は暗い顔で少し下がって、その場に座り込み頭を深く下げた。

「…今までありがとうございました。今日でお暇させて頂きます。大変お世話になりました。」

「ええ」

彼女から目をそらし、後ろを向く。もう顔を見たくなかった。これ以上振り回されたくない。感情を制御しなければ。彼女の顔を見るだけで、爆発しそうだ。それは、絶対にいけない。

最後に小さな声が聞こえた。

「さようなら、胡蝶しのぶ。……ご武運をお祈りしております。」

そして、私も決別の言葉を吐く。

「ええ、さようなら、圓城菫。あなたもご武運を。」

 

 

 

 

 

そして、その日、私の世界は崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

姉さんがいなくなっても、菫と決別しても、世界はほとんど何も変わらない。明日は必ず来るし、鬼は人を襲う。

「あら、ごきげんよう、蟲柱サマ。相変わらずお早いこと」

「……どうも。こんにちは、圓城さん。そういうあなたはいつも来るのがギリギリですね」

菫と次に会ったのは、柱に就任してからだった。私の事なんて全く何も覚えていないように、他人のように振る舞う。いや、実際他人なのだが。

久しぶりに会った彼女は随分と大人びて見えた。空色の羽織だけはあの頃と同じ。身長が伸びて、子どもっぽい無邪気な雰囲気は皆無だ。どこで買ったのか、珍しい西洋風の日傘を手に、優雅に上品に微笑み、挨拶をする。長い黒髪は左側で緩く結び、肩に垂らしている。その髪には姉さんが贈ったはずの黄色の蝶の髪飾りが見当たらなくて、なぜかそれに無性に腹が立った。

もう、あの頃の私達じゃない。任務ではほとんど関わらないし、会議でも目を合わせることさえほとんどない。精々挨拶を交わすくらいの、同僚だ。感情に振り回されないように、お互いに仕事仲間として対応する。間違っても『菫』『しのぶ』とは呼び合わない。

「しのぶちゃんって、圓城さんと仲が悪いの?」

ある時、甘露寺さんにそう聞かれて、思わず苦笑した。

「いえいえ。仲が悪いも何も、あの人とそんなに話さないので……」

「ええー?でもしのぶちゃんと圓城さん、二人が会議で話す時って、なんだか空気がギスギスするような気がするんだけど……」

その指摘に頭を抱えそうになった。自分でも気がつかないうちに、無意識に感情が表に出かけていた。気をつけなければならない。

彼女は、どんどん鬼を斬っていく。単独で、命じられた任務をこなしていく。周囲からは相も変わらず「お嬢様の道楽」「金の力で柱になった」と陰口を叩かれながらも、それを気にせず、自分の道を進んでいく。

きっと、彼女にとって、姉の事は、もう昔の話なのだろう。過去のどうでもいい記憶。鬼を斬ることだけに集中していて、熱心で、私の事も見ていない。

それでいい。私も彼女の事はどうでもいいから。

幸せな思い出が薄れていく。それでいい。風化して、消滅してしまえ。

彼女だって、もう忘れているはずだ。たった一年と数ヶ月の思い出なんて。

やることはいっぱいある。柱としての任務、毒の研究、負傷者の治療、継子の育成、自分の鍛練、そして、姉さんの仇を取るための準備……。

だから、どうでもいい。彼女が私の邪魔をしなければ、なんとも思わない。

彼女が鬼を連れた隊員を庇った時も、列車の任務で左足を失った時も、そして、崖から落ちて行方不明になったと聞いたときも、何も思わないようにした。

だってあの日に約束したから。お互いのやり方で戦って、邪魔しないようにするって。

彼女と別々の道を進んで、数年。彼女が私に関わることはなかった。だから、私も、同じ柱として、仕事仲間としての義務は果たすが、絶対に彼女の歩む道に入り込んだりはしない。

私がやるべき事はたくさんある。姉さんの仇を取るために忙しい。だから、だから、ーーーー、彼女が死んでも気にしない。

そう思っていたのに。

「あいつは、死なないだろう」

「……は?」

冨岡さんの言葉に変な声が出るのを抑えられなかった。

「あいつは、殺したい鬼がいると言っていた。虹色の瞳の鬼を殺すのだと」

「--っ」

「地獄の果てまで追いかけて、殺すのだと言いきった。強い意思を持ってそう言っていた。あんな目をする人間は、簡単には死なない」

虹色の瞳の鬼。姉さんの仇。

私は、見誤っていた。

彼女の中で、あの頃の思い出は消滅していない。

彼女は忘れてなんかいなかった。それどころか、姉さんの仇を取るために、強い意思を静かに燃やし続けていた。鬼への復讐心を抱いていた。私と同じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

姉さん、知ってる?あの子は、菫は、ーーーー姉さんのことが好きなの。

きっと、世界で一番。

だって、姉さんがそばにいる時のあの子の笑顔は、私と一緒にいる時とは全然違ったもの。

無邪気で子どもっぽい笑顔じゃなくて、

心から幸せそうで、花が咲いたような、甘くて可愛い笑顔だった。

私、菫のその笑顔が好きだった。

姉さんもそうでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、助けに行った森の中で、菫にあの言葉を言われた時、形容しがたい不思議な感情が、自分の中に芽生えた。

「……ねぇ、しのぶ。ごめんね。…私の事、許してくれないって分かってるけど、それでも--しのぶの事が大好きなの。この世で、一番…」

菫は、確かにそう言った。

視界が歪む。涙が落ちていくのを止められない。息が苦しい。もう何も分からない。制御できるはずの感情が、うまく稼働していない。いや、そんなのどうでもいい。

心に小さな灯火がともる。温かい。

崩壊したはずの世界が、また、動き出す。

孤独が消えていく。菫がそばにいてくれるから、もう怖くない。だって、こんなにも温かいから。

このまま時間が止まってしまえばいいのに。

彼女の体を強く抱き締める。彼女も腕を回して抱き締め返してくれる。

それが、たまらなく愛おしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

菫と、話をしたい。彼女に伝えなければならないことがある。そして、彼女からも言ってほしい言葉がある。

なのに、彼女は私から逃げる。彼女は森の中でのことは覚えていないなんて言ったけど、顔を見れば分かる。しっかりと覚えているはずだ。

追いかけても追いかけても彼女は逃げる。終いには菫の邸宅に忍び込もうかとさえ考えていた時、彼女が再び怪我をして蝶屋敷に運び込まれた。

目覚めた彼女は奇妙な顔をしていた。まるで何かを決心したような、諦めたような奇妙な表情。不思議に思っていると、珍しく彼女の方から私の名前を呼ぶ。請われるままに、手を握った。そして、彼女が口を開く。

「……ごめんなさい。師範を、カナエ様を救えなくて、ごめんなさい」

「……は?」

その思いもよらない言葉に、ポカンとした。彼女が震えながら言葉を紡ぐ。

「私、……あの日……、師範を、す、救えなかった。ま、間に合わなかった。救えなくて、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

懺悔の言葉が部屋に響く。その真っ直ぐな瞳から涙が次々に溢れてきた。

「ま、間に合ってたら、た、戦えたかもしれない。せめて、盾に、なれたかもしれない。そしたら、きっと師範は、死なずにすんだのに」

「……っ、ち、ちがう。菫、ちがうわ。私は……、そういう事が聞きたいんじゃなくて………っ、」

そんな言葉が聞きたかったのではない。まさか、菫がずっとそんな思いを抱えていたなんて、知らなかった。

今さら思い知る。菫はずっと自分を憎んできた。きっと、何でもない顔をしながら、ずっと心の中で泣いていたのだろう。私と同じ、立ち直ってなんかいなかった。絶対に悟られないように、気づかれないように、心の中で泣き叫びながら、毎日を過ごしてきたのだろう。自分を責めて、責め続けて、懺悔を繰り返してきた。

そして、今、それを初めて言葉に出した。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

何度も謝りながら涙を流し続ける。ちがう。彼女のせいだなんて、思ったことはない。どうして救えなかったとか、間に合わなかったせいだ、なんて思ったことはない。目の前の震える彼女を抱き締めた。

「菫、あなたのせいじゃない。あなたを責めたことなんて、ないわ。だからもう、謝るのはやめて」

「………っ、」

「姉さんだって、そんなこと思ってないはずよ。あなたはよく知ってるでしょう?」

菫の口から嗚咽がこぼれる。自分の目からも、涙が出てきたのが分かったけど、止まらなかったし、止めようとも思わなかった。

「ずっと、そんなふうに思っていたの?自分を責めないで……」

菫が抱きついてきた。そして、言葉がこぼれる。

「生きていてほしかった……っ、師範のこと、大好きだったの……本当に……、」

「……うん」

「……毎日、願わない日はない。あの頃に戻りたいって……っ、師範と、しのぶのそばにいた時間が、私にとって一番、幸せな、思い出なの……、」

「うん。幸せだったね。本当に」

「……寂しい、寂しいの。……逢いたいよぉ……っ、」

「うん。私もよ。ずっと、ずっと思ってる。早く姉さんのところに行きたい……っ」

ああ、私達、四年前にこうするべきだった。悲しみで壊れる前に、寄り添って、大きな声で泣いて、支え合うべきだった。

本当は、ずっとそばにいてほしかった。手を握っていてほしかった。もっと言葉に出して、伝えればよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねえ、菫、またそばにいてくれる?

 

 

今度は一緒に肩を並べて、戦ってくれる?

 

 

手を握っていてもいい?

 

 

あなたは知らないだろうけど、私、あの頃よりずっと強くなったの。今なら背中合わせで戦える。

 

 

どんなに暗くて歪んだ世界でも、菫と一緒なら進んでいける気がするの。

 

 

争いがなくて、誰も戦う必要がなくて、家族を愛して、友達と語り合って、何にも怯える必要のない、平和な未来を、あなたは、ずっと、願っていた。

 

 

私もそうよ。

 

 

だから、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姉さんじゃないけど、ずっとそばにいてもいい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと言いたかった言葉はまだ伝えられていない。菫と話す時間がなかった。

上弦との鬼の戦いに関して、緊急柱合会議が開かれた。そして、彼女の戦いや痣の件を聞いて、その内容に思わず一瞬笑顔が消えて、唇を強く噛んでしまう。

菫の戦い方の危うさを忘れていた。あまりにも離れている時間が長かったから。

誰よりも自分に厳しく、自己評価が低い。自分を追い込むように、潰れる寸前まで戦う。姉さんの言った通りだ。

彼女が今でもあまり眠っていないのは知ってた。柱に就任して数年、たまに疲れたような顔をしていたし、その顔色を隠すために、化粧の技術が高くなっていたから。それでも13日という長い期間、不眠不休で働くなんて、信じられない。

そして、菫が上弦の鬼と戦った時、痣が出現した。痣が出現した者は、長く生きられない。全身に稲妻のようなものが走る。胸が詰まって言葉が出ない。笑顔を保つのが精一杯だった。自分でも意外なほど衝撃を受けているのに気づいて、また驚いた。

それを聞いても、菫の方は表情は変わらなかった。まるでどうでもいいことのように、すました顔をしている。

それが腹立たしくて、思わず問い詰めるような真似をしてしまった。情けない。他の柱の目もあったというのに。

菫はいつも通り、優雅に笑って、杖をつきながら帰ってしまった。感情が表に出てしまいそうで、もう引き留めなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菫と話がしたい。彼女に託したい事がある。

私が姉さんの仇を取るために、やった事を知ったら、菫はどんな反応をするだろう。

また、私の事を否定するかもしれない。

でも、きっと菫なら、最後は必ず受け入れてくれる。

なんの根拠もないけどそんな気がした。

もう十分悲しんだ。苦しんだ。今だってつらくてたまらない。

それでも、終焉に向かって、自分の足で立ち上がらなければならない。

前に進むのはもう決まっている。

終わることも決まっている。

でも、最後は菫と手を繋いで、一緒に進みたい。

手を伸ばせば、必ず握り返してくれる。

私が知ってる彼女はそんな人だから。

あの温かい手を、今度は、二度と離したくない。

 

 

 

 

 

 

 

そして、私は鴉に手紙をくくりつけた。宛先は睡柱・圓城菫へ。

「それでは、お願いしますね」

そう言うと、鴉はすぐさま飛び立っていった。その姿を見えなくなるまで見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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温かい言葉

 

 

 

 

戦え 戦え まだ終わりは来ていない    

 

 

憎しみも怒りも痛みも悲しみも

 

 

全て背負ったままで戦い続けろ 

 

 

私は 救世主にはなれない

 

 

それでも 誇りを胸に 戦え

 

 

そして 最期は

 

 

私らしく くたばってやる

 

 

 

 

 

***

 

「炭治郎さん、この度はありがとうございました。大変助かりました」

「こっちこそ、ありがとうございました!」

蝶屋敷にて、圓城菫は竈門炭治郎と向き合い、お互いにペコペコ頭を下げていた。

炭治郎が意識を取り戻したと聞き、見舞いのために蝶屋敷を訪れた。ちなみに、しのぶは何か忙しいらしく、現在この屋敷にはいないらしい。顔を合わせるのが気まずい圓城はちょっと安心した。

「圓城さん、大丈夫でしたか?刀鍛冶の里ではものすごく体調が悪そうでしたけど……」

「ええ、寝不足で頭が回らなくて……。乱暴な事をしてすみません。本当にご迷惑をかけましたわね……」

「いえ、圓城さんがいてくれたから助かったんです!ありがとうございました!」

明るい笑顔で炭治郎がそう言ったので、圓城もつられたように笑った。

圓城はお土産に持ってきた羊羮を炭治郎に渡した。

「そうそう。合同強化訓練が始まりますよ」

「なんですか、それ?」

「柱全員で隊員の皆さんに稽古をつけるんです。現在準備をしています」

「そんなことするんですか?」

「鬼の出没がピタリと止まりましたからねぇ。夜の警備は必要ですが、日中の訓練に集中出来るようになりましたの」

「へえ、訓練って何をするんですか?」

「それは始まってからのお楽しみに。厳しい訓練になりますよ。覚悟しておいてくださいね」

「は、はい!」

圓城が笑いながらそう言うと、炭治郎は元気よく返事をしたが、少し不安そうな顔をした。

「大丈夫です。あなたならすぐに強くなりますから。いえ、もう十分すぎるほど強いですよ。でも、まだまだです。努力はどれだけしても足りませんが、正確な方法で培った努力は絶対に裏切りませんからねぇ」

圓城の言葉に、炭治郎は羊羮を飲み込んだあと口を開いた。

「……圓城さん、何があったんですか?」

「……はい?」

炭治郎の言葉に首をかしげる。

「今日の圓城さん、匂いが全然ちがいます。前までは悲しみの匂いがしましたけど、今は、なんというか、…うまくいえないんですけど、複雑な匂いです……」

「………」

圓城は苦笑いしたあと、口を開いた。

「……炭治郎」

「はい?」

「死なないでね」

「はい?」

炭治郎がポカンと口を開く。圓城の雰囲気が、匂いがガラリと変わった。真っ直ぐな瞳が炭治郎へ向けられる。

「もうすぐ、大きな戦いが始まる。たくさんの犠牲が出るでしょう。悲しいけれど、つらいけれど、絶対に、避けられない。」

「……」

「でも、それは、希望の世界が来るのが近いということよ。鬼は必ず滅びる。誰も戦う必要のない、何にも怯える必要のない世界が、来るの。平和な未来は、もう、すぐそこなの。だから、どうか、死なないで、生き延びて。そんな世界の景色を、見届けてね。禰豆子や他の子達と一緒に」

「……圓城さんは、見たくないんですか?その世界を」

圓城は笑った。

「見たかったなあ……。きっとこの世で一番美しい情景よね。本当に、見たかった……」

まるで諦めたような笑顔を浮かべる圓城に、炭治郎が大きな声を出した。

「見られますよ!皆で戦いましょう!圓城さんは一人じゃありません!皆で勝ちましょう!」

「……ありがとう」

炭治郎の力強い言葉に少しだけ気持ちが楽になった。

「……あなたのその心の強さは大きな武器になる。その強さを持ち続けてね。決して手放さないで、変わらないで。そのままの炭治郎でいて。あなたがあなたで有る限り、きっと希望は消えないから…」

「はい。もちろんです。俺、長男ですから!」

「あら、頼もしい」

コロコロと笑う圓城に今度は炭治郎が声をかける。

「圓城さん、あの、…すごくお節介かもしれないんですけど」

「はい?」

「しのぶさんと話さないんですか?」

「……んー、」

年下の隊員に心配されるのを情けなく感じながら、炭治郎から目をそらした。

「唐突ねぇ…」

「あ、すみません。何だか気になって…」

「…うーん。そうね。話さなければならないわ」

そらした目を外に向ける。蝶屋敷の美しい庭が視界に入った。

「……怖いの」

「え?」

「私は、あなたのように心が強くない。これ以上嫌われたくない。話したら、きっとまた感情が制御できなくなる。そしたら、もっと嫌われる。そう考えるだけで、痛くて痛くて、死んでしまいそうなの……」

「え、あの、しのぶさんは圓城さんのことを嫌っていませんよ」

「え?」

思わず目を見開いて炭治郎の方へ顔を向けた。

「しのぶさん、圓城さんと一緒の時は甘いけどほろ苦いような、圓城さんを心配したり怒ったり、ちょっとややこしい匂いがしてますけど、でも、絶対に嫌いなんて感情は全然なかったですよ」

「……」

「だから、大丈夫です、圓城さん」

「……」

圓城は少しだけうつむいて、やがてゆっくりと顔を上げて、

「……ありがとう、炭治郎」

と言って、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

炭治郎が入院している部屋から出て、玄関へ向かっていると、玄関のそばに栗落花カナヲが立っていた。圓城の姿を見てペコリと頭を下げる。

「あら、カナヲさん。ごきげんよう。お久しぶりですね」

「………」

「お元気でしたか?」

カナヲは静かに圓城に近づいきた。そしてゆっくりと口を開く。

「……あの、……師範と菫様が…」

「…うん?」

ゆっくりとたどたどしく話そうとするカナヲの目を見つめる。

「私と蟲柱サマ?」

「あの……、お二人が……、その……」

上手く言葉が出てこないのか、カナヲの話はなかなか進まない。それを見て、安心させるように微笑んで頭を撫でた。

「大丈夫よ、カナヲさん、ゆっくりでいいわ。感じるままに話してみて」

カナヲはゆっくりと言葉を続けた。

「……三人で、……甘味処に……行ったの……覚えていますか?」

「ああ、ありましたね。そんなこと。」

あの日のことを思い出して、思わず笑みがこぼれた。そんな圓城を見つめながらカナヲは言葉を続けた。

「……師範と菫様が、……一緒に…いる光景が、……好き……でした」

「うん?」

突然の言葉に首をかしげる。

「……お二人が一緒にいる時、…すごく楽しそうで……泣きそうなほど温かくて……見ているだけで、幸せだったんです……」

「……」

「……今でも……夢を見ます。……三人で、手を繋いで、歩いて、……蝶屋敷に帰る、夢。とても楽しい、…思い出の、一部。……私、なんかが、……口を出せることじゃないって、分かっています。でも、……それでも……」

「……」

カナヲはそこから言葉を続けられなくなったのか、詰まってしまった。圓城は苦笑してもう一度カナヲの頭を撫でる。

「ごめんなさいね。あなたにこんなにも気を使わせていたなんて。情けないわね、私ったら。あなたがこんなに頑張ってるのに、柱である私が前に進めないなんて…」

自分の意思を表出するのが苦手なカナヲが、こんなにも必死な顔で思いを訴えてきたのがとても意外だった。

「……あなたの師範は……」

「……?」

「とても、幸せね。あなたのような弟子を持てて。きっと心強いでしょうね……」

カナヲが静かに圓城を見つめてくる。

「……私も大好きなあの人が誇りに思ってくれるような剣士でありたい。あの人を救えなかった分、人を護るために、戦い続けたい。最後の最後まで……」

「……カナエ、姉さん……」

「うん。とても素敵な人だったね。私にとっての、光。大好きだった。今でも大好き。カナヲ、あなたもでしょう?」

カナヲがコクリと頷いた。圓城は笑って、もう一度頭を撫でた。

「……約束するわ。しのぶときちんと話す。また、喧嘩になるかもしれない。軽蔑されて、嫌われるかもしれない。それでも、向き合って話すわ。だからーー」

少しだけ屈んでカナヲと真っ直ぐ目を合わせた。

「あなたも、約束して、カナヲ。死んではダメよ。必ず生き延びて」

「……」

「私、あなたのことをとても尊敬してるの。私は花の呼吸を扱えなかった。たくさんの心残りはあるけれど、それが一番悔しかったのかもしれない。あの人の呼吸、とても憧れてた。今でも後悔してるわ。私ではどうにもできない問題だけど………」

「……」

「だから、とてもうれしいの。あなたが花の呼吸を継いだことが。あの人の、カナエ様の思いは繋がったのね……、それが、とても、嬉しい」

「……」

「もうすぐ平和な世界が来るわ。必ず生きて、見届けてね。炭治郎と一緒に」

炭治郎の名前を出すと、カナヲの顔が戸惑ったように揺れた。その表情が何だか可愛らしくて、圓城は笑った。

「さあ、もうすぐ合同訓練よ、カナヲ。覚悟しておいてね」

そして、最後にもう一度頭を撫でて、圓城は蝶屋敷から出ていった。残されたカナヲはその後ろ姿をいつまでも見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いろんな人に支えられている。一人じゃなかった。炭治郎やカナヲのように、温かい言葉をかけてくれる人が、また現れた。

「あ、圓城さーん」

「……恋柱サマ」

圓城の屋敷を訪ねてきたのは甘露寺蜜璃だった。

「ごめんなさいね、突然来てしまって」

「いえいえ、私もお会いしたいと思ってましたので。蜂蜜、ありがとうございます」

甘露寺がお土産にと持ってきてくれた蜂蜜の瓶を持って笑う。甘露寺はその言葉を聞いて少し安心したような顔をした。屋敷の客間に向かい合って座る。甘露寺はソワソワと落ち着かない様子だ。

「圓城さん、忙しかったでしょう?本当にごめんなさいね」

「いえいえ、稽古の準備はほとんど終わっていますから、大丈夫ですよ」

「よかったあ。それにしても、大きな屋敷ね。ここに一人暮らしなの?」

「ええ。使用人が離れにおりますが」

「使用人って、さっきの優しそうなメガネの人?」

「はい。」

ちょうどその時、じいやがお茶とお菓子を運んできた。

「わあ、美味しそうね。これ、何?」

「焼き菓子です。恋柱サマ、さあ、どうぞ召し上がれ。おかわりもありますので遠慮はいりませんよ」

「そんな、悪いわあ。でも、せっかくだから、いただきます!」

甘露寺は楽しそうにお菓子を口に運んだ。

「美味しい!」

「お口に合ったのならよかった」

圓城が少し食べる間に、甘露寺は目の前のお菓子を吸い込むように食べていく。気をきかせたじいやがどんどんおかわりをもってきてくれた。

「あ、ご、ごめんなさい。私ったら、つい夢中になっちゃって」

「いえいえ、遠慮なさらないでください」

圓城が微笑むと、甘露寺は安心したように笑い返した。

「圓城さん…」

「はい?」

「刀鍛冶の里では、ありがとうございました。」

甘露寺が改まったように頭を深く下げる。圓城も慌てて頭を下げた。

「いえ、こちらこそ。ありがとうございました。私一人では確実に死んでいました。恋柱サマのお陰で助かりましたわ」

「圓城さんって、すごい技を使うのね!睡の呼吸って初めて見たけど、あんなに速いなんて知らなかったわ!なんか、ドーンっていって、バビューンって飛んでいって、グサグサ、ガチーンって感じ!!」

「恋柱サマの方がずっとずっと、すごかったですよ。見習いたいです」

しばらく、お互いを誉め合う。そして、

「圓城さんは、しのぶちゃんのこと、好き?」

「………っ、」

甘露寺が突然そう質問してきて、思わずお茶を吹き出しかけた。必死にこらえて、飲み込む。

「……えーと」

「ごめんなさいね、突然。ずっと気になってて…」

「……んー」

必死に笑って誤魔化そうとするが、甘露寺がワクワクしたように見つめてくる。後ろに控えているじいやの強い視線を感じた。

「……あなたは出ていきなさい」

圓城が後ろを振り向いて睨むと、じいやは今にも舌打ちしそうな表情をして部屋から出ていった。

「……恋柱サマ。なぜそんなことを?」

「私ね、しのぶちゃんや圓城さんと仲良くしたかったの。だって、同じ柱で、女の子同士だったから。三人で、おでかけとかできればいいなーとか思ってたの。まあ、任務が忙しいから難しいけど。」

「はあ」

「でも、しのぶちゃんと圓城さんって会議で会う時、すごくギスギスしてて、特にしのぶちゃんはイライラしてて。それがとても残念だなって思ってて。だから、この間入院した時はすごく意外だったわ」

「……意外?」

「圓城さんが意識不明だった時、しのぶちゃんね、仕事をしている時以外はずーっと圓城さんのそばにいたの。私が圓城さんの様子を見に、何度か来たとき、必ずしのぶちゃんが部屋の中にいたわ。手を握って、何度も圓城さんの名前を呼んでた」

「……」

スッと顔を伏せた。知らなかった。そんなに心配してくれていたなんて。

「二人がどんな関係なのかよく知らないし、私が口を出すことじゃないけれど、……きっとしのぶちゃん、圓城さんと仲良くしたいと思ってるんじゃないかしら?」

「……私は」

「うん?」

口を開くと、甘露寺が優しく笑って首をかしげた。

「……私は、蟲柱サマーーしのぶに…」

「……うん」

「また、優しい言葉をかけられる資格はないんです。そばにいることは、許されない。ひどいことを言ってしまった。ずっと、ずっと後悔しています。過去の自分を殺したいほど憎いです。ずっと、ずっと、嫌われるのが怖くて、死ぬよりも怖くて、目をそらし続けていました。逃げていたんです……」

「……」

「でも、これだけは、本当の気持ち。幸せになってほしい。護りたい。しのぶが大切だから。傷ついてほしくない。生きてほしい。私の名前を呼んでくれた彼女が愛しくて、あの笑顔を護りたかった。幸せになってほしかった。それだけだったんですよ。本当に。ただ、それだけ……」

「……それじゃあ、気持ちを伝えなくちゃ」

甘露寺が圓城の隣に移動し、そっと労るように肩を支ええくれた。

「大きな戦いが始まるわ。生きて会えるか分からない。だから、言葉に出して、伝えなきゃ。背を向けちゃダメ。逃げないで、勇気を出すの。でないと、一生伝わらないわ。そんなの、ダメよ。ね?」

「……はい」

「大丈夫!しのぶちゃんはとっても優しい子だもの!きっと、ちゃんと言葉にすれば、必ず伝わるわ!だから、絶対に諦めないで!」

「はい。ありがとうございました。」

お礼を言うと、甘露寺はにっこりと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甘露寺が手を振り、帰っていった。それを見送った後、庭に立って上を見上げる。どこまでも高くて、青い空が広がっていた。太陽が、何にも遮られずに輝き、目に染みるほど、青が濃い。

屋敷の庭で、圓城はその突き抜けるような青空を見上げる。そして、何かを掴もうとするように、空へ向かって、手を伸ばした。

世界を満たすような、青一色の、美しい天空。一番好きな空の色だ。

「お嬢様、どうされました?」

後ろから声をかけられて、圓城は振り返った。じいやの姿が視界に入り、微笑む。

「綺麗な空ね、じいや」

「はい。日本晴れですね」

圓城は微笑みながら、再び空を仰いだ。そして口を開く。

「……よかったあ」

「何がです?」

不思議そうなじいやの声に、空を見つめたまま言葉を続ける。

「ずっとずっと、この空の下で生きることを、焦がれていた。だから、自分が選択した人生を後悔なんてしないわ。この世界に生まれてきて、よかった。私、絶対に忘れない。この美しさを。」

「……お嬢様?」

圓城は笑いながらじいやの方へ顔を向けた。

「さあ、明日から柱稽古よ。頑張らなくちゃ」

「……隊員の方々は大変ですね」

「あら、とても貴重な訓練なのに……」

と言葉を続けたところで、二匹の鴉が舞うように飛んできて、圓城の近くに寄ってきた。

「ん?手紙?」

二匹とも足には手紙らしきものがくくりつけられている。手紙を外すと、鴉はどこかへと飛んでいってしまった。

「誰からでしょうか?」

「えーと……」

二枚の手紙を広げて目を通した圓城は少しだけ目を見開く。そして笑った。

「お嬢様……?」

「……忙しくなるわねぇ」

じいやの不思議そうな視線を無視して、再び空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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柱稽古

 

 

 

朝、圓城は調整が終わった義足を久しぶりに身につけた。

「うん。いい感じね。よかったわ、返ってきて…」

「かなり頑丈になりましたよ。それから、これを…」

じいやが差し出したのは新しい羽織だった。前の群青色のマントではなく、白の羽織だった。

「ん?前のは?」

「もうボロボロだったので、また新しい羽織を作り直したんですよ」

「悪かったわね、ありがとう……あら?」

差し出された羽織を広げて、圓城は思わず声を出した。

新しい羽織は、白い生地に鮮やかな紫色のスミレの花が描かれていた。

「……雛菊じゃないのね」

「なんとなく、ですが、今のお嬢様にはこちらの方がお似合いだと思いまして」

「……」

薄く笑って、それを羽織った。

「どうかしら?」

「とてもお似合いですよ」

圓城はその言葉に嬉しそうにクルリとその場で回った。

「……私ね、じいや」

「はい」

「雛菊の花、好きよ。昔から好きだけど、前にしのぶが私みたいな花だって、言ってくれたから、今も大好き」

「……はい」

「でも、スミレの花も好き。……今の、私の名前。大好きな人達が呼んでくれた名前だから。本当の名前じゃないけど、大切な名前なの。……この羽織を作ってくれて、ありがとう、じいや。最後まで、大切にするわね」

圓城が嬉しそうに笑い、じいやも微笑み返した。

 

 

 

 

 

本日より柱稽古が始まった。柱稽古はその名の通り、最高階級の柱による稽古のこと。柱より下の階級の隊士は柱を順番に巡っていき、それぞれの稽古を受ける。

圓城は宇髄による基礎体力向上の次、第二の訓練を担当することになっていた。

「はい、皆様、ごきげんよう!早速始めましょう!」

宇髄にしごかれてヘロヘロになっている隊員達がやって来た。圓城はにっこり微笑みながら手を叩く。

「私と手合わせをしましょう。勝っても負けても、私が合格を出せばそこで第二の訓練は終了です。手合わせした上で、皆様の改善点をお伝えしますので、直してくださいねー」

全員に木刀を手渡し、圓城はにっこり笑った。

そして厳しい稽古が始まった。

「……なあ」

「あ?」

「睡柱って、金の力で柱になったから弱いとかほざいたやつ、誰?」

「……さあな」

「なんだよ、アレ。バケモンかよ」

隊員達は頭を抱えた。

十人以上の隊員が圓城に飛びかかっていく。それを次々と涼しい顔で避け続け、更にほぼ全員に木刀で攻撃を加えていた。

「軸、ぶれてる!なに、その攻撃!弱い!」

「遅い遅い遅い!!呼吸が乱れてる!型が不安定過ぎる!」

「踏み込みが浅い!力に頼りすぎるな!」

おしとやかで上品な雰囲気は完全に消滅していた。攻撃を分析しながら、大きな声で改善点を指摘し続けている。しかも、隊員達は何度か休憩を挟んでいるが、圓城は全く休んでいない。長時間隊員達との手合わせを繰り返していた。ちなみに勝っても負けても、と圓城は言っていたが、勝った者は一人もいない。

「柱って、すげぇな」

「全くだ」

「あの方の体力が異常過ぎるんですよ。これでも全力ではありませんしね」

突然じいやが口を挟んできたため、隊員達は不思議そうな顔をした。

「さあ、どうぞ。おにぎりとお茶です」

「あ、ありがとうございます」

じいやは休憩中の隊員達に次々に食事とお茶を配った。

「おかわりもたくさんあるので好きなだけ食べてください。体力をつけないと、死にますからね」

じいやが冗談めかしたようにそう言ったが、隊員達は冗談には聞こえず顔を引きつらせた。

「さあ、次に移りましょう。休憩中の方々、前へ」

「お嬢様、そろそろお嬢様も休憩をとった方がよろしいかと」

「そう?まあ、お腹もすいたから少し休みましょうか」

隊員達はその言葉にホッとしたような顔をした。圓城がじいやが差し出したおにぎりを頬張っていると、隊員の一人が話しかけてきた。

「あのー、睡柱様?」

「はい?」

「合格の方は……」

「うーん、正直全員難しいですわね」

「ええー?」

何人かの隊員が悲鳴を上げて、圓城は苦笑した。

「今のままでは鬼舞辻どころか上弦の鬼と戦っても秒で死にますわよ」

「そんな……」

全員が青い顔をする。圓城は困ったように首をかしげた。

「これでも皆様はだいぶ有利な側なんですよ。今の私に敵わないのは少し残念ですわ」

「有利?」

「はい」

圓城はにっこり笑って自分の羽織を思い切り広げた。隊員達はギョッとする。おびただしい数の短刀が羽織の中に隠れるようにして入っていた。

「これ以外にも隊服の中にたくさん隠していますしね。重しになってるんですよ。だから、さっきまでの動きも全力ではありません」

「………」

「ですから、もっともっと頑張りましょうね!」

圓城が拳をグッと握る。隊員達はますます顔が青くなった。

 

 

 

 

 

 

 

翌日になるとなんとか合格をもらう隊員が少しずつ出てきた。

「よし、子分!俺がぶっ倒してやる!」

「まあ、伊之助さん、ごきげんよう。楽しみですわ」

久しぶりに会った嘴平伊之助に圓城は楽しそうに笑った。

「クッソォー!!なんだよ、その動き!」

伊之助が刀を振るいながら、飛びかかってくる。それを避けながら、圓城も攻撃を分析しつつ怒鳴った。

「感情で刀を振るわない!力任せにしない!無駄な動きが多い!何よりも、調子に乗って油断するな!」

「うるせぇ!チクショー!!」

いろいろと改善点を伝えるが、あんまり伝わった気がしなかった。長時間手合わせを続け、基本的な攻撃の威力はよかったので迷いつつも合格を伝えると伊之助は両手を上げて次の訓練へ向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

「うわーーー!!!すいません!すいません!許してください!本当に無理です!!」

「………うーん」

次にやって来た我妻善逸は別の意味で厄介だった。泣き叫びながら圓城の攻撃を避け続け、なかなか攻撃をしてこない。

「うーん、我妻さーん。これでは次の訓練にはいけませんよー。もっと頑張りましょうねー」

バシン、と木刀で強めに打つと善逸はパタリと倒れた。次の瞬間、スッと立ち上がり、構えた。

「……あらあ?」

踏み込みから、一気に攻撃を仕掛けてきた。その速度に圓城の顔が輝く。腰の柄に手を置いた善逸が瞬間移動したようにしか見えない。

「まあまあ、素晴らしいわね」

それを避けながら、圓城は楽しそうに自分も攻撃を繰り返した。

「………ハッ!?禰豆子ちゃんはどこ?俺は誰?」

「はい、お疲れさまでした!次行ってくださーい」

覚醒してポカンとしている善逸に合格を伝える。

「え?圓城さん?何があったんです?合格?なんで?」

「はいはい。いいから。次はもっと大変ですよ。頑張ってくださいね」

戸惑う善逸をさっさと追い出し、圓城は次の隊員と向かい合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナヲはほぼ完璧。よく見ているわね。でも見すぎに注意して。反応が少し遅れていたわ。もっと速く動けるはずよ。あとさっきの攻撃はもう少し力を抜いて……」

栗花落カナヲはすぐに合格を出した。さすがは蟲柱の継子だ。彼女の攻撃技を目にするのは初めてだったが、誰よりもズバ抜けて強かった。少し改善点を伝えるとカナヲは黙って何度も頷き、次の訓練へ向かっていった。

 

 

 

 

 

 

不死川玄弥は呼吸が使えないらしいとは聞いていたが、それを補うためなのか工夫された戦い方をしていた。

「攻撃だけじゃなく、防御も意識!もっと速く!身体全体を使って!」

数時間ほどで合格を告げると、玄弥は赤い顔をしながらペコリと頭を下げ屋敷から出ていった。

 

 

 

 

 

 

「圓城さん!よろしくお願いします!」

「ごきげんよう、あなたが来るのを楽しみにしていたわ」

竈門炭治郎が元気一杯に圓城邸へやって来た。さっそく手合わせを始める。

「炭治郎、匂いに頼りすぎない!匂うだけじゃなく、もっと見なさい!隙を突くのよ!攻めが甘い!動きが重い、もっと身軽に!」

「はい!」

圓城の容赦ない攻撃にきちんとついてくる。素直な性格なのが最大の長所だ。言われたことをすぐに吸収していく。しばらくすると、動きが格段に良くなってきた。

「はい、お疲れ様でした。次に行ってください」

「え?もういいんですか?」

「ええ。とても素晴らしい動きでしたよ。次はもっと厳しい訓練が待ってるので、頑張ってくださいね」

「はい、ありがとうございました!」

汗を拭いながら圓城が合格を告げると、炭治郎は頭を深く下げ、次の訓練へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どう?」

「ダメです。全く出ませんでした」

「あー、もう。やっぱり」

夜、圓城は鏡を見ながらため息をついた。柱稽古は、圓城にとって常に痣を出している状態にする目的もあった。心拍と体温を高めようと努めているが、うまくいかない。じいやに稽古中、自分の顔を見てもらい、痣が出てきたら知らせるように頼んでいるが、今まで全く痣は出てこなかった。

「本当に痣なんて出たんですか?信じ難い話ですが……」

「頬から首にかけて、星みたいな痣が出たらしいのよ」

鏡の中の自分をじっと見つめるが、やはり何もなかった。

「まあ、稽古を続けるしかないわね。」

「隊員の皆さん、死にそうな顔をしていましたね」

「これでもだいぶマシになったわ。そもそも、私の稽古なんて軽い方よ。他の柱の稽古はもっと厳しいんだから。できれば私が稽古をつけてもらいたいくらいだわ」

圓城は苦笑しながら、言葉を続けた。

「……きっと、強くなるわ。みんな同じ志を持つ者よ。もっと、もっと、強くなれる。みんな、同じ未来を望んでいるから……。あなたにも迷惑をかけるわね。もう少し付き合ってちょうだいね」

「はい、もちろんでございます」

じいやが微笑む。圓城も笑い返して、自室に戻った。

自室の棚から二枚の手紙を出す。もう一度読み返した。

「………」

全てに目を通した後、同じ棚から、黄色の蝶の髪飾りを取り出す。圓城にとっての大切な宝物。

「……師範」

髪飾りを壊さないようにそっと抱き締める。そしてゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








※大正コソコソ噂話
睡の呼吸の型は全部で七つ。全てに睡眠や眠りに関する名前が付けられている。ただし、圓城が夢を嫌悪しているため、「夢」という言葉を名前に入れるのは嫌がった。名前に「夢」の言葉が入っているのは終ノ型のみ。







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私が殺しました

 

 

 

 

 

数多くの隊員達を指導していった柱稽古はだいぶ落ち着いてきた。

「はい。合格としましょう。それでは、次へ」

「ありがとうございました!」

合格を告げた隊員がホッとしたような顔をして稽古場を後にする。圓城はその姿を笑顔で見送った後、ため息をついた。やはり、今日も痣は出てこなかった。

「お嬢様、そう気を落とさないでください。きっと、大丈夫ですよ」

「……ダメなのよ、きっと、では、ダメ……」

じいやの言葉に小さく呟く。じいやが首をかしげた。

「お嬢様?」

「……ごめん、何でもないわ。隊員もほとんど合格を出して次に行かせたし、稽古は一段落したわね。明日からは私の訓練は休止よ」

「え?よろしいのです?」

「うん。正直まだまだだけど……明日から私は個人的な用事もあるし、隊員は他の柱達が鍛えているから大丈夫よ」

「用事?」

じいやが不思議そうな顔をする。圓城は笑って頷いた。

「お館様のところへ行くの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

圓城はゆっくりと産屋敷邸の門をくぐった。少しだけ足を止めて、その大きな屋敷を見上げ、庭を見渡す。

「………」

平和で静かな光景だ。とても大きな戦いが始まるとは思えない。

「お館様はこちらです」

おかっぱの子どもに導かれて屋敷内を静かに歩く。初めて通る廊下を歩き、やがてふすまの前へと案内され、その場に正座をした。

「睡柱様がいらっしゃいました」

「……ああ、待っていたよ。菫」

圓城はそのまま深く頭を下げる。同時にふすまが開かれた。

「……本日は、ご療養中のところ、申し訳ありません。心よりお見舞い申し上げます。」

「いや、君と話したいと思っていた……手紙をありがとう。こちらへおいで」

圓城は言われた通りに頭を上げた。そして唇を噛む。緊急柱合会議のあと、誰にも内緒で会って話したいとお館様に手紙を送っていた。療養中のため、恐らく不可能だと考えていたが、意外にもお館様から了承の返事を頂いた。しかし、お館様の姿を目に入れた瞬間、後悔に襲われた。お館様は布団に横たわっており、顔は包帯で覆われていた。ヒューヒューとか細い呼吸をしている。そばには妻のあまねが静かに寄り添っていた。

表情を変えないようにしながら素早く部屋へ入る。お館様のそばに近寄り、再び頭を下げた。

「……申し訳ありません」

「どうして謝るんだい?」

「……お館様がお辛いのに、私個人の我が儘で時間を取らせてしまい、本当に申し訳ありません」

「大丈夫だよ。じゃあ、さっそく用件を聞こう。何か伝えたいことがあったのだろう?」

圓城は一度だけ深呼吸し、口を開いた。

「……私は、お館様にずっと秘密にしていることがありました」

「うん。知っていたよ。君が何かを隠していることは」

「……お館様は今まで何も言ってきませんでしたね」

「君が自分から話してくれるまでは待とうと思っていた。カナエもそうしていたみたいだしね」

その名前が出た瞬間、圓城はうつむいて、ほんの少し微笑んだ。そして、すぐに顔を上げてお館様を真っ直ぐに見る。

「信じ難い、話かもしれませんが……」

「信じるよ。君が嘘をつく理由はない」

お館様のはっきりしたその言葉に圓城は目を見開いた。

「さあ、聞かせておくれ、菫。君の話を…」

「……私には、少し変わった、ある能力があります。その能力が目覚めたのは今から6年前、鬼に襲われた時でした……」

圓城は自分が見る不思議な夢の事を話し始めた。何度も何度も鬼殺隊の柱や隊員達が戦う夢を見たこと。そして、それは予知夢や他人の過去の夢だったこと。その夢がきっかけで鬼殺隊に入ったこと。

「……本当に、信じられない話かもしれませんが」

「いや、信じるよ。君があれほど睡眠を嫌ったのは、夢を見たくなかったからだね」

「……はい。恐ろしい、夢ばかりでした。それに、……夢を見たからといって、未来を変えられるとは、限らないのです……。師範……元花柱様も救うことは出来ませんでした……」

「……それで、菫。君は、何を伝えに来たのかな?」

圓城は一瞬だけ下を向いて、真っ直ぐにお館様を見据えた。そして口を開く。

「お館様。私達が、勝ちます」

お館様の顔が一瞬だけ揺れた気がした。あまねが圓城の方を見つめてくる。

「鬼舞辻は、倒されます。鬼殺隊の手で追い詰められ、太陽に焼かれ、死にます。消滅します。もうすぐです、お館様。私達の代で全てが終わります。お館様、最後に笑うのはーーーー私達です」

「……ああ……ああ」

お館様が言葉にならない声を上げた。

「菫………それは、………確定された未来なのかな?」

「はい」

短く答えるとお館様が笑みを浮かべた。

「……そうか………そう、なのか……」

お館様が呟くように何度もそう繰り返す。その手をあまねが包み込むように握った。

圓城はその姿から目をそらすようにうつむきながら声を絞り出した。

「……しかし、犠牲者も出ます。多くの、隊員が死にます。柱もほとんど生き残らないでしょう……」

その言葉にお館様が圓城の方へ顔を向けた。

「……ああ、そうか。菫」

「はい」

「……君は私の最期も知ってるんだね」

そう言われた瞬間、涙がこぼれた。思わず畳に突っ伏すようにして必死に嗚咽を出すのをこらえる。

「……申し、申し訳、ありません……」

「いいんだよ。ごめんね。」

「お館様が……爆発で……っ、鬼舞辻が………」

「ありがとう、菫。私のために泣いてくれて」

お館様が優しい言葉をかけてくれた。ちがう。私は、あなたに、そんな言葉をかけられる資格はない。

だって、未来を知ってるのに、何も出来ないのだ。あなたの子ども達を救う強さを、私は持っていない。

必死に涙を止める。羽織の袖で目元を拭った。

「申し訳ありません。お館様。そして、心より感謝申し上げます」

そして、深々と頭を下げた。

「私に居場所をくださったこと、人を護るために戦わせていただいたこと、感謝しております。本当に、ありがとうございました」

「礼を言うのは、こちらだ。世のため人のために戦ってくれたこと、産屋敷家一族を代表して感謝する。本当に、ありがとう、菫。いやーーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、希世花(きよか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼ばれたその名前に、ゆっくりと顔を上げて、微笑んだ。

「……やはり、お館様は、私の素性をご存知だったのですね」

「確信があったわけではないよ」

お館様は少しだけ笑った。

「……君は、多くの事業を展開している八神家の息女、八神希世花だね。莫大な資産を持ち、華族にも連なる家柄の…」

「分家の一つです。たいした権威は持っていない、事業を興してそれが少し成功したというだけの、成金ですよ……」

お館様の言葉を思わず遮るように言ってしまい、圓城は顔を伏せた。

「……6年前、八神家の娘が鬼に襲われた、という報告は聞いていた。そして、その怪我が元で、亡くなったという噂が流れてきたんだ」

お館様の言葉に思わず笑いそうになった。そうか、自分は死んだことになっているのか。

「奇妙なことに、娘が鬼に襲われて亡くなったというのに八神家は特に騒ぎもしない。亡くなったという噂だけが静かに広がって、まるで娘など最初から存在しなかったかのように、忘れられていった。ずっと、不思議に思っていたよ」

「家を出て、ちょっとした小細工をして名前を変えました」

圓城は目を閉じた。

「鬼殺隊に入って、人を救いたかったんです。……家族を、人生を、名前を捨てました」

お館様が少しだけ笑った。

「……希望の、世に咲く、花、か。捨てるにはもったいない、君にピッタリの名前だね」

「……雛菊を象徴してるそうです。私が生まれたときに庭に咲いていたとか。雛菊は、希望を示す花、と言われているそうなので……」

「ああ、だから、君は昔から雛菊模様の羽織を着ていたんだね」

圓城は目を閉じたまま、笑った。

「……今は、スミレの花の羽織を着ております。私は、今の名前を、愛しています。大切な人達が呼んでくれた名前だから……。一生本名を名乗ることは、ないでしょう。そう決めております。」

「希世花、今からでも、遅くない。ご両親に……」

「いいえ」

またお館様の言葉を遮ってしまった。しかし、圓城はそのままゆっくりと言葉を紡いだ。

「鬼殺隊に入った日、全てを捨てました。もう、絶対に過去は振り返らないと、決めました。私は、後悔していません。例え、どんな結末が待っていようとも。私は、私の意思をもって、前に進みます。過去の私は、もう存在していません。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「八神希世花は、私が殺しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捨てたものは二度と戻ってこない。死んだ者は生き返らない。お館様、私は、睡柱・圓城菫です。」

「……そうか、……菫、ありがとう。鬼殺隊に入ってくれて。戦ってくれて、ありがとう。ごめんね、たくさんの物を背負わせて」

その言葉にジワリと涙が浮かんできた。耐えきれずにその場で泣き崩れる。

「……お館、様……申し訳ありません……っ、ごめんなさい、ごめんなさい……、私では、全てを救えません。皆を、……助けたかった。……お館様に……死なないで、ほしかったんです。生きていて、ほしい……っ、」

「大丈夫だ、菫。大丈夫。ほら、涙を止めて。」

そう言われてしまったが、止められなかった。次から次へと涙がこぼれ、嗚咽が漏れる。

「……う、……ご、ごめん、ごめんなさいっ、……うぅ……っ」

「カナエの言った通り、泣き虫だね。菫は、いつも誰かのために泣いている、優しい子だと言っていたよ」

お館様が布団からゆっくりと細い手を伸ばしてきた。ハッと顔を上げて、あまねの方へ向ける。あまねは無言で頷いてくれた。その手を、そっと握りしめる。

「……お館様」

「私も、君も、そして鬼殺隊の皆も、思いは一緒だよ。それは決して消滅しない。永遠であり、不滅だ」

「……はい」

「菫、どうか、その強い思いを繋げておくれ。いいね?」

「……はい」

お館様は微笑んで、ほんの少しだけ力を込めて手を握ってくれた。

「さあ、そろそろ時間が来たようだ。暗くならないうちにお帰り」

「はい。……お館様、お時間をいただき、ありがとうございました。……どうか、つつがなくお過ごしください。」

そう小さな声でいいながら、圓城は手を離す。そして立ち上がり、涙を拭いつつ部屋から出ていこうとした。その時、お館様が声をかけてきた。

「ああ、菫。私からの最後のお願いをしたいんだが、聞いてくれるかな?」

「は、はい。何でしょうか」

最後、という言葉に思わず反応してしまいながら振り返る。

「菫、しのぶと話しなさい」

「………」

「もうそろそろ、気づいているだろう。君もしのぶも意地っ張りだ。喧嘩したまま、というのは悲しいからね」

「………御意」

静かに返事をして、圓城は今度こそ部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、お嬢様。その顔、どうされました?」

「何でもない。じいや、話があるから、こちらへ」

帰宅した圓城は真っ赤になった目を隠すようにしながら、じいやを屋敷の客間に連れていった。向かい合って座る。

「お嬢様……?」

「……じいや」

圓城は少しだけ躊躇ったような顔をした後、真っ直ぐにじいやを見据えて口を開いた。

「私はもうすぐ死にます」

「………」

「大きな戦いが起きることは前に話したわね。私は恐らく生き残れないでしょう。あなたには本当に申し訳ないけど、後片付けをお願いしたいの」

「………」

「事業の方はだいぶ整理をしているから、続けるなり潰すなり、あなたの好きにしてちょうだい。あなたにはきちんとお金を残します。一生遊んで暮らせる、というのは難しいけど、働かないで食べていけるくらいのお金は残すから……」

「……お嬢様」

じいやが震えるように声を出した。そして、頭を下げる。

「……お任せください。このじいやが、全て責任持って最後まで終わらせます」

「……ありがとう」

圓城は笑った。その笑顔を見て、じいやが涙ぐむ。

「お嬢様、一つだけ、聞いてもよろしいですか?」

「なあに?」

「本当に、後悔していませんか?お嬢様はお嬢様として、生きられましたか?」

「当然でしょ」

圓城はキッパリと言いきる。

「私は、人生を捨てたことを後悔していません。私は、新しい人生を、圓城菫として、心のままに、生きました。そして、最後まで、私らしく生き抜きます。」

それを聞いたじいやが安心したような表情をした。

「……よかった。本当によかったです。それだけで、十分です。十分でございます。……妻も、喜びます」

「……うん?」

「お嬢様は覚えていらっしゃらないと思いますが、お嬢様が小さい頃、私は妻と共にお嬢様の実家で働いておりました。妻は昔から少し心臓が弱く、…私どもには子どもが出来ませんでした。それもあってか、おこがましい事ですが、妻は、お嬢様の事を娘のように思っておりました」

「………」

「妻はずいぶん前に、病気が悪化して亡くなりました。最後までお嬢様の事を気にかけておりました。自分の意思を封じ込め、大人の道具として生きることしか出来ないお嬢様が可哀想だと何度も言っていて……。ですから、もし、お嬢様が自分の人生を自分で決めたその時は、必ず味方になってあげたいと、言っていました」

「……ああ、そうだったのね。だから、あなたは、何も言わずに、私の手助けをしてくれたのね」

「はい。妻の遺志でもありました。ですから、私も、後悔はしておりません。お嬢様がお嬢様らしく、自由に生きることが出来たのであれば、それだけで、十分でございます」

「……ありがとう。そして、ごめんなさい。許してね。あなたを残して、逝くことを。最後まで、我が儘を言ってごめんなさい。残酷な事を、頼んでしまって、ごめんなさい」

圓城はまた涙が出そうになって、必死に堪えた。そんな圓城にじいやが声をかける。

「……無理を承知で、お願い申し上げます。どうか、悔いのない戦いを。そして、最後まで、生きることを諦めないでください」

「……うん」

圓城は静かに頷いて、また笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

圓城は自邸の庭に立つ。じいやは今日、この屋敷にいない。圓城以外誰もいない屋敷は、信じられないほど静寂に満ちている。ゆっくりと上を見上げると、美しい青空が広がっていた。

「……あ」

フワリ、と美しい蝶が飛んできた。圓城は薄く笑いながら指を蝶に差し伸べた。フワフワと舞うように飛んできた蝶は圓城の指に静かに止まる。

「……その羽織、似合っていますね」

後ろから声をかけられた。圓城は驚く様子もなく、笑う。そして、ゆっくりと振り向いた。蝶が指から離れて、どこかへと飛んでいく。

「……ごきげんよう。お褒めの言葉、ありがとう。そして、ようこそ。蟲柱サマ」

胡蝶しのぶと圓城菫は真っ直ぐにお互いの姿を見据えながら向き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







※大正コソコソ噂話
じいやが用意した圓城の最初の羽織は、空色の生地に黄色の雛菊が描かれたもの。空色は圓城の好きな色。雛菊の花言葉は『希望』『平和』。そして、黄色の雛菊の花言葉は『ありのまま』。圓城が本名を名乗れなくても自分らしくありのままで生きられるよう、じいやが願いを込めて作った。




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託されたもの

 

 

 

 

「……こちらへ」

屋敷の中へとしのぶを案内する。しのぶは圓城の後に付いていきながら口を開いた。

「誰も、いないんですか?」

「ええ。今は私達だけです。使用人も外に出ています」

そう答えながら、用意していた部屋へと通す。

「どうぞ、蟲柱サマ。」

しのぶが座ったのを確認し、お茶を準備した。静かに湯呑みへと注ぎ、しのぶと自分の前に置く。しのぶがゆっくりと湯呑みに口を付けた。圓城は自分の入れた緑茶を見つめながら口を開いた。

「……先日は、手紙を、ありがとうございました。」

「いいえ。正直、断られるかと思っていました。あなたは、ずっと逃げていましたから」

数日前、しのぶから手紙が届いていた。その手紙には、どうしても会って話したい旨が綴られていた。

「……そうですわね。正直、今も逃げたいです」

「逃げないんですか?圓城さん」

しのぶの言葉にそっと笑う。

「……いろんな人に言われました。あなたと話すようにと……使用人や風柱サマ、炭治郎さんにカナヲさん、それから恋柱サマ、それに……」

お館様にも、と言いかけて口をつぐむ。お館様と会って話したことは誰にも言わないと心に決めていた。誤魔化すようにお茶を少しだけ飲んで言葉を続ける。

「……あなたから歩み寄ってくれていたのに、私は……あなたと話すのが、怖くて、……逃げていました。今まで、申し訳ありませんでした」

ゆっくりと頭を下げた。そして、しのぶを真正面から見つめる。

「もう、逃げません。話を、しましょう。蟲柱・胡蝶しのぶ」

しのぶが静かにこちらを見返す。静寂が一瞬だけその場を支配した。しのぶが少し目を伏せ、再び真っ直ぐに圓城に視線を向けた。そして口を開く。

「……あなたに、頼みたいことがあります」

「はい」

圓城は短く返事をした。

「禰豆子さんが太陽を克服した以上、大きな戦いが始まるのは近いでしょう。それは明日かもしれないし、もしかしたら今日かもしれない……」

「はい」

「……あなたに、お願いしたいのは、姉を、殺した、鬼の件についてです」

「はい」

圓城の表情は変わらなかった。何を考えているか分からない、真顔で、ただ、しのぶを見つめている。

「もし……、もし、私が、姉を殺した上弦の鬼と巡り合い、戦うことが出来たのなら、」

しのぶが自分の右手を胸に当てた。

「まず、第一の条件として、私は、鬼に喰われて死ななければなりません」

しのぶのその言葉に、やはり圓城の表情は変わらなかった。背筋をピンと伸ばし、眉一つ動かさず、しのぶの言葉に耳を傾けている。

「上弦の強さは、少なくとも柱三人分の力に匹敵します。……」

しのぶも冷静に言葉を続けた。

「身体能力が高く、優秀な肉体を持つ『柱』、加えて『女』であれば、まず間違いなく鬼は私を喰うでしょう。……私の体は、血液、内臓、爪の先に至るまで、高濃度の藤の毒が回っている状態です。一年以上かけて、準備をしてきました。」

「……」

「今の私を喰った場合に、その鬼が喰らう毒の量は、私の全体重三十七キロ分、致死量のおよそ七百倍です」

「……」

圓城の反応は全くない。ただ、沈黙を守り続けながら、しのぶの話を聞いていた。

「それでも……、命がけの毒でも、上弦の鬼を滅殺できる保証はありません。少なくとも、お館様は無理だと判断しています。だから、私に、私が仇討ちできる確率を上げるため、鬼との共同研究をするよう、助言されました。」

しのぶが少し目を伏せた。

「仮に、毒が効き始めたとしても、油断なりません。やはり、確実なのは……頚の切断です。」

そして、再び圓城を真っ直ぐに見つめた。

「必ず、私が鬼を弱らせます。だから、その後にーーーーあなたに、頚を斬って、とどめを刺していただきたいのです」

「……」

二人の視線が交差した。沈黙が部屋に落ちる。静寂の後、圓城が動いた。

「……承知しました。蟲柱サマ」

正座した状態でゆっくりと頭を下げる。

「微力ながら、あなたの思いを引き継がせていただきます。私が必ず、その鬼の頚を斬りましょう。……心より感謝申し上げます。私に託していただき、ありがとうございます。」

深くお辞儀をしたあと、ゆっくりと頭を上げた。しのぶは口を閉ざし、圓城を見つめている。圓城はその視線から逃れるように、湯呑みを手に取った。

「……何も、言わないんですね。私がやった事に対して」

しのぶの言葉に薄く笑う。

「何を言う必要があります?鬼を倒すために命を懸けるのは、柱として当然のことですわ」

湯呑みの中の冷めたお茶を見つめ続けた。

「……そうですね。あなたの、……言う、通りです」

しのぶが微かな声で呟くように言った。そして、言葉を続ける。

「ーーーー菫」

名前を呼ばれて、またしのぶへと視線を向けた。しのぶの方も、圓城を真っ直ぐに見ている。二人で見つめ合う。しのぶが笑って口を開いた。

「……ありがとう。……私を止めないでくれて。」

ガチャン、と耳障りな音が響き渡る。圓城の手から湯呑みが滑り落ち、砕け散った。

しのぶのその言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜けるような感覚がした。柱としての冷静に話を受け止めるはずだったのに。我慢できず、仮面が外れていく。そして、瞳から次々に涙が溢れてきた。

「………っ、どうして………っ、どうしてぇっ………」

そのまま体をふたつに折って両手の中に顔を埋めて泣く。

「………しのぶ、………しのぶ、しのぶ、……どうしてっ……あなたが、……死ぬなんて……しのぶ、……っ」

言葉が支離滅裂になる。何と言えばいいのか、分からない。ただ、涙が流れ続けた。嗚咽が止まらない。泣いちゃダメだ。しのぶの方が、つらいのに、私が泣くなんて、いけない。分かってるはずなのに、止められなかった。心が、折れてしまう。柱なのに、情けない。胸が苦しい。覚悟していたはずなのに、未来が怖くて怖くて、たまらない。

 

ひとりぼっちはイヤだ

行かないで

寂しい

一人にしないで

置いていかないで

いや、ちがう。生きていて欲しかった。それだけでよかった。あなたに嫌われててもいい。一生話せなくても、目が合わなくたって構わない。

生きていて、ほしいの。ただ、それだけ。

あなたが同じ世界にいる、それだけで、救いなのだから。

 

自分勝手な思いが口から漏れそうになる。必死にそれをこらえた。不意に頭に温かさを感じた。

「………私なら、大丈夫。ほら、菫。もう泣き止みなさい。この泣き虫」

しのぶが近づいてきて、その手が頭を撫でていた。圓城は頭を上げる。しのぶは笑顔を浮かべていた。それは、あまりにも悲しくて、優しい笑顔だった。どうしても涙が止められずに、拳を強く握る。

「……っ、……う、うぅ……ご、ごめんね、ごめんなさい、しのぶ……」

「……何が?」

「……私、……強く……っ、なれなかった……私、一人で……上弦の鬼を……あいつを……倒そうって……思ってたのに………っ、強く、なれなかった……っ、強くなれなくて…、ごめんなさい………っ」

「あなたは強いわよ。あなたが思っているより、とても強いの」

「強く……ない!……っ、あなたに……こんな事……させてしまった………っ、ごめんなさい……ごめんなさい……、」

泣きながら謝り続ける。しのぶがまた笑って口を開いた。

「………菫なら、私を、止めると思ってた」

「………っ、う……」

「きっと、無理矢理にでも止めるだろうって思ってたのに」

その言葉に、強く唇を噛んだ。そして口を開く。

「……っ、しのぶ、私が、やめてって、言ったら、やめるの?」

「……いいえ」

しのぶの短い返答に、圓城は真っ直ぐにその目を見た。

「……しのぶの、思いは二度と否定しないと心に決めていた。あなたの、命懸けの決意を、私は絶対に否定しない。全部まとめて肯定するわ。胡蝶しのぶ」

そして、その小さな手を握った。

「約束するわ。あなたの覚悟を絶対に、無駄にはしない。必ず、絶対に……、私が、あの鬼を、この手で殺す。私が、あの鬼を……必ず、地獄へ、……っ」

最後は言葉にならなかった。また涙がこぼれ落ちる。

「しのぶ、しのぶ、……ありがとう。私に託してくれて。ありがとう……っ、」

しのぶがギュッと抱き締めてきた。

「……ごめんね、菫。ありがとう。」

「……しのぶ」

「菫なら、あの鬼を斬ることができる。信じてるわ。絶対に、諦めないで」

ゆっくりとしのぶの背中に腕を回す。

「……うん……っ、必ず、斬るわ、しのぶ。絶対に……っ」

そのまま、しのぶの腕の中で泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「……静かで、平和な光景ね。大きな戦いが近づいてるなんて、信じられない」

少し落ち着いて、二人は並んで縁側に座った。手を握り合って庭を見つめる。しのぶの言う通り、信じられないほど穏やかな時間だった。赤い目をした圓城が口を開く。

「……意外、だった」

「うん?」

しのぶが圓城の方へ顔を向ける。圓城はまっすぐに庭を向いたまま言葉を続けた。

「……しのぶが、最後に、誰かに何かを託すとしたら、それはカナヲだと思ってた……」

「……」

しのぶが強い力で圓城の手を握りしめる。

「……菫、私ね」

「……うん」

「……今なら、姉さんの気持ち、とてもよく分かるの」

「……」

「カナヲに、死んでほしくない。カナヲだけじゃなく、アオイや蝶屋敷の子ども達、全員の未来が、明るくて優しいものであってほしい」

「…うん」

「みんな、たくさんのもの、失ってしまった。これ以上、失ってほしくない。みんなに、生きていて、ほしいの。幸せに、なってほしい。私がいなくなっても……」

「……きっと、カナヲはそれを聞いたら、否定するわ。あの子の幸せは、しのぶがそばにいて、そしてあなたと共に戦い続けることなのだから……」

「ええ。分かってる。誰よりも分かってる。それでも、願わずにはいられないのよ。みんなのこと、とても大切だから」

しのぶがそっと肩に寄りかかってきた。

「あなたと同じように、願ってる。もう、誰にも死んでほしくない。争いがなくて、誰も戦う必要がなくて、家族を愛して、友達と語り合って、何にも怯える必要のない、平和な未来を、あの子達に生きてほしい。」

「……しのぶ」

「あなたなら、きっと必ず思いを繋げてくれる。あなたは姉さん自慢の継子で、絶対に折れない、柱だから。だから、あなたに託したいの。ずっと、ずっと、私と同じ、姉さんのために戦うことを決めていたあなたに。」

同じようにしのぶにそっと体を寄せた。そっと目を閉じる。そのまま手を強く握って、口を開いた。

「しのぶ、やろう」

「……」

「二人で、倒そう、あの鬼を。カナエ様の仇を、取ろう」

「……うん」

「何があっても、絶対に諦めない。信じて」

「……ええ、信じてる」

「私、たくさんのもの、捨ててきた。家族も、人生も、名前も。でも心だけは、死んでも捨てない。必ずしのぶの思いを繋ぐわ。人の思いの強さを、思い知らせてやろう。ーーー私達で、終わらせましょう」

「……ありがとう、菫」

そのまま寄り添って、また目の前の穏やかな光景を共に眺める。次に口を開いたのはしのぶだった。

「……私に言うべき事があるでしょう?」

圓城はチラリとしのぶの顔を見た。静かな笑顔を浮かべている。少しだけ目を伏せてから口を開いた。

「四年前、……ごめんなさい」

「……」

「私は、あの日、あなたにひどいことを言ってしまった。カナエ様の仇を取りたいあなたの思いを、真っ向から否定してしまった。あんなこと、言うべきじゃなかった。あなたの思いを、私は何も分かってなかった……」

「……」

「もしも叶うのなら、時間を戻してあの時の自分を殺したいくらい、後悔してる。私が、あの日やるべきことは、あなたを否定することではなかった。あなたのそばであなたを支えて、あなたが諦めそうな時は鼓舞するべきだった。」

「……」

「……でも、あの時は、ただ、幸せになってほしかった。私の思いは、カナエ様と同じなのよ、しのぶ。あなたに幸せになってほしかったの。あなたは、私の光だから。」

 

 

 

 

「しのぶのことがこの世で一番好きだから、幸せになってほしかった。ただ、それだけなの」

 

 

 

 

サラリと言葉が出てきた。そんな自分に少し驚く。しのぶの方はクスクスと笑い出した。

「……やっと言ってくれたのね。長かったわねぇ。森の中ではあんなに素直だったのに。」

「……覚えてないわ」

「まだそんなこと言うの?あなたが嘘をついてるのは、顔を見れば丸分かりよ」

その言葉に、思わず背中を向けて唇を尖らせた。

「……覚えてません」

「ほら、こっち向いて、菫」

「やだ」

しのぶが背中をツンツンとつついてくる。

「菫、顔を見せて」

「いや」

そう言うと、今度は体をくすぐってきた。

「……っ、ちょっ、しのぶ!」

「ほら、いい加減にしなさい」

「それは卑怯……っ」

抵抗しようとして、身体をしのぶの方へ向ける。その拍子にしのぶが身体を押し倒してきた。

「……またこれ?」

「あなたを見下ろすというのは貴重な機会なので……」

「この間のアレも、風柱サマに見られた時は死にかけたんだけど。……主に私の心が」

「フフ、誰もいないから大丈夫よ」

しのぶが笑い、圓城も苦笑する。

「ねえ、菫」

「うん?」

「そばにいてくれる?私は、姉さんじゃないけど、それでも、一緒にいてもいい?」

「当たり前でしょ。しのぶはしのぶよ。カナエ様は関係ない。誰の代わりでもない。私にとっての唯一無二の存在なんだから」

しのぶがくしゃりと泣きそうな顔をして笑った。そして、そのまま圓城の身体に抱きついてきた。

「……大好きよ、菫」

「うん。私も」

「忘れないでね。私の思いを」

「死んでも忘れない。しのぶ、ありがとう」

そして再び静かな時間が流れる。

ずっとこうしていたいくらい、幸せな時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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おかえりとただいま

 

 

 

 

夢を見た。

とても幸せな夢。

カナエとしのぶが二人並んで幸せそうに笑ってる。

カナエが何かを言って、しのぶが怒った。でもすぐに笑いだす。

大好きな、二人の笑顔。

遠くから見てるだけで、とても幸せ。

あまりの多幸感にうっとりしていると、二人がこちらを向いた。揃って近づいてくる。

カナエが頭を撫でてくれた。

しのぶが手を握ってくれた。

その温かさが愛しくて、涙があふれた。

 

 

 

 

 

「……あ、起きた?」

「………」

気がついたら真上にしのぶの顔があった。一瞬混乱して、すぐに自分が泣き疲れて、あのまま寝てしまったことに気づく。どうやら自分はしのぶに膝枕されているらしい。

「……何時間寝てた?」

「そんなに長くないわよ。精々数分ってところ」

その言葉に少し安心した。そのままじっとしのぶの顔を下から見つめる。

「?……どうしたの?」

しのぶが不思議そうに声をかけてきた。ゆっくりとしのぶの顔に手を伸ばして、頬を撫でる。

「……久しぶりに、夢を見た。幸せな、夢」

「うん?」

「しのぶが、出てきた」

「あら、何をしてたの?」

「カナエ様と二人で笑ってた。すごく、幸せな夢だった」

その言葉にしのぶが苦笑した。

「あなたって、本当に姉さんが好きねぇ」

「そりゃあ、師範だもの……ずっと私の憧れよ」

「憧れ?そうじゃないでしょ」

「……?何が?」

「だから、あなた、姉さんのことが好きじゃない」

「…………?」

一瞬意味が分からずに混乱して、ようやくしのぶの言った言葉の意味を悟る。

「……はあっ!?」

思わず起き上がった。顔に熱がたまる。自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。

「な、な、なな、なんで!?」

「……え、違ったの?」

「師範をそんな目で見るなんて、失礼にもほどがあるでしょ!」

「え、でも、あなた、姉さんと一緒にいる時、恋する乙女みたいになってたけど……」

「…………」

しのぶの言葉に愕然とする。口をポカンと開けて無言でしのぶを見つめた。しのぶが首をかしげた。

「……自覚、なかったの?」

「………いや、ちがう。ちがうから。たぶん」

ようやく口を開いて頭に手を当てる。慎重に言葉を選びながら言葉を続けた。

「……師範がそばにいてくれると、……幸せな気持ちに、なるだけ。胸が詰まって、心が温かくなって、……世界がほんの少し、……優しく光って見える。だから、……自分の存在も輝ける、気がする。自分の存在が許された気がして………、ここにいていいんだって思えるのよ」

「……え、……だから、それ、姉さんのことが好きってことでしょ?」

「……………」

あれ?そうなの?と圓城は思いながら、無言で目を泳がせた。

「……今の、ほぼ、告白、だと思うけど……」

「ええっ!?」

その言葉に圓城は大声を上げた。

「私、今の言葉、ほとんどそのまま師範に言っちゃったんだけど!!」

「……えー……」

「……うわぁ……、どうしよう、……だから、師範、あの時、微妙な顔してたのね……うわあぁ、……」

そのまま頭を抱えてうずくまった。

「……最悪……絶対に引かれた……」

「引いてないわよ、たぶん」

しのぶにそう言われて、圓城は顔を上げた。

「……姉さんは、あなたのこと、とても大切に思ってたから。びっくりはしたでしょうけど、引いたりなんかしないわ」

「……そう思う?」

「ええ」

少しだけ気が晴れて、圓城は神妙な顔をして呟いた。

「……そうかあ……。私、……師範のこと、好きだったのね……」

「自覚するのが遅すぎよ。この鈍感」

「うるさい」

口を尖らせながら睨むと、しのぶが笑いだした。

「ふ、……ふふふ」

「何よ、なんで笑うの!」

「だって、……おかしくて……自覚もないまま告白しちゃって、それに何年も気づかない、なんて……あなた、実は馬鹿でしょう?」

「うるさい!仕方ないでしょう!」

「姉さんのその時の顔、見たかったわあ……」

「ア゛ーー!……っ、もう思い出させないで!」

しのぶの背中を軽く叩く。しのぶがそのまま笑い続け、最初は怒っていた圓城もつられるように笑いだした。

しのぶの顔を見て、再び泣きそうになる。

 

 

ああ、この笑顔だ。

私、ずっと、この笑顔が見たかった。

しのぶ、しのぶ、私、大好きなの。あなたのその、笑顔が。

きっと、この笑顔の美しさを、私は絶対に忘れない。

ずっと、ずーっと、笑っていて。

それだけで、私は、戦えるのよ。

 

 

「……ところで、聞きたいことがあるんだけど」

不意にしのぶが笑みを消して、圓城を見てきた。

「……なに?」

「あなたは、姉さんのことが好きで、今は私のことがこの世で一番好きなのよねぇ?」

「……っ」

真正面から直接的に聞かれて動揺する。

「………」

「そんなに好きなのに、過去に婚約していたとは、どういうこと?」

「………え」

「どこの馬の骨と、そんな仲になっていたの?」

「……あー…」

甘味処での会話を思い出して思わず目をそらした。

「……いや、しのぶには、関係ないから……」

「あらあら、関係ないなんて、今さらそんなことほざくの?」

「……っ、いや、本当に、勘弁して…」

「さあ、答えてもらうわよ。逃げないって言ったわよね、菫?」

しのぶがどんどん近づいてくる。

「なんで、そんなこと、知りたがるの!」

「知りたいに決まってるでしょ!誰かとそんな仲になってたなんて、信じられない!場合によっては毒を使って拷問してやるーー」

「ちょっと!さすがに今のはアブナイ発言!」

「あら、当然でしょ。私は鬼を殺せる毒を作ったちょっとすごい人なんだから」

しのぶが顔に青筋を浮かべた。その顔を見て、圓城は顔が引きつった。

「……っ、仕方ないでしょ!子どもの時の話なんだから!」

「………?子ども?」

「そうよ!婚約していたのは実家にいた時の話!親に結婚相手を決められていたの!拒否できなかったのよ!」

しのぶが目を見開いた。

「……じゃあ、その人が好き、というわけでは……」

「ないわよ!もはや顔も覚えてないから!」

圓城がキッパリ言い切ると、しのぶが安心したような顔をした。

「……そんな昔に、婚約、していたのね。」

「え、まだそこ掘り下げる?」

「……気になって。子どもの時に結婚を決められる、というのはすごい話ね……」

「……そういう、家だったのよ。当人の意思は全部無視して、結婚によって繋がりを求める、そんな立派な家……」

少し暗い顔をした圓城を見て、しのぶが口を開いた。

「……菫」

「うん?」

「もう一つ、知りたいことがあるんだけど」

「なあに?」

「……あなたの、本当の名前」

その言葉に圓城は目を見開いた。

「そんなこと、知りたいの?」

「……考えてみれば、私、あなたのこと、ほとんど何も知らない。誕生日と年齢と、好きな食べ物、それくらいしか知らないわ」

「十分知ってると思うけど……」

しのぶが少し睨んできた。圓城は苦笑する。

「……教えない」

「なんで?」

「もう捨てた名前だから。捨てたその日に、一生自分からは名乗らないって決めたから」

しのぶが不服そうな顔をする。その顔を見て圓城は笑った。

「ごめんね。でも、私、今の名前が好きなのよ」

「……」

「師範とあなたが呼んでくれた名前。菫って呼んでくれただけで、幸せになる。家を出た時、幸せになるのは諦めていた。……でも、私の人生で一番幸せだったのは、蝶屋敷で過ごした時間だったわ。あんなに幸せな時間が過ごせるなんて、思いもしなかった……」

「……」

「……あ、見て、きれいな蝶」

庭に美しい蝶が飛んできた。その美しさに思わず圓城は立ち上がり、手を差し伸べる。蝶はヒラヒラと舞うように飛んできて、圓城の指に静かに止まった。

「……蝶屋敷の庭を思い出すわね。あの場所が、とても大好きだった……」

圓城の後ろ姿を見つめながらしのぶも立ち上がった。そしてそばに寄ってくる。

「……これ」

「ん?」

しのぶが何かを差し出してきて、圓城はそちらへ向き直る。指に止まっていた蝶がフワリと飛び去った。

「これって……」

しのぶが差し出してきたのは黄色の蝶の髪飾りだった。数年前、カナエが贈ってくれた髪飾りと同じものだ。

「……あなたには、リボンよりこっちの方が似合うわ。前に姉さんが贈ったものと同じやつ。本当に、一番似合ってたから。同じ物を探して買ってきたの」

しのぶが拗ねたようにそう言って、圓城は苦笑した。

「買わなくても、よかったのに……」

そして懐から、かつてカナエに贈られた髪飾りを取り出す。それを見てしのぶが呟くように

「……まだ、持ってたのね。もう、ないのかと思ってた……」

と言ったため、苦笑する。

「そんなわけないでしょう?師範がくれた物なんだから。私の一番の宝物」

「……贈ったのは姉さんだけど、選んだのは私なのよ」

「え、そうだったの?」

少し驚いて髪飾りを見つめる。そして笑った。

「……これをつけると、しのぶが嫌がるだろうと思って、ずっと仕舞っていたの」

「……まあ、複雑な気持ちになっていたでしょうね」

「……もう、つけても、いい?」

「もちろん。私がつけるから、後ろ向いて」

しのぶにそう言われて、クルリと後ろを向いた。自分の持っていた髪飾りをしのぶに手渡す。

「どっちも付けてくれる?」

「重くないかしら?」

「平気」

しばらく経って、

「はい、できた」

しのぶがそう言って圓城は振り向いた。頭の両脇につけられた黄色の蝶の髪飾りが揺れる。

それは、カナエと同じ髪型だった。同じくらいの髪の長さのため、後ろ姿はそっくりだ。

「……しのぶ、この髪型は似合わないんじゃない?」

「似合ってるわよ。気に入らないなら変える?」

「気に入らないとは言ってない」

圓城は髪飾りを手で優しく撫で、微笑んだ。

「ずっと、大切にする。ありがとう、しのぶ」

「……うん」

二人で微笑み合った。そして、しのぶが口を開く。

「じゃあ、そろそろ帰るわね」

「……もう、行くの?」

「長く居すぎたわ。きっと、アオイ達が心配してる」

しのぶがそう言って玄関の方へ向かう。圓城は見送るために付いていきながら、ソワソワした。まだ、離れたくなかった。もっと話したいことがたくさんある。

「………じゃあね、菫」

「……」

そう言って玄関から足を踏みだそうとするしのぶの羽織をとっさに掴んで止めてしまった。

「……?菫?」

「あ、……あ、……ご、ごめんなさい。さよなら、しのぶ……」

自分の行動が恥ずかしくて、しどろもどろになりながら羽織から手を離した。

「……」

「……」

沈黙がその場に落ちる。しのぶが何かを考えるような顔をして、それから笑って手を差し出した。

「……一緒に行きましょうか?」

「……っ、」

圓城は思わず顔が真っ赤になった。気まずそうな表情をして、しのぶの顔をチラリと見る。

「……いいの?」

「ええ。蝶屋敷は、一人くらい増えても大丈夫よ」

その言葉に恥ずかしそうに笑いながらその手を握る。

そして二人は手を繋ぎながら、並んで蝶屋敷へと歩を進めた。

「ねえ、やっぱりこの髪型、似合わないんじゃない?」

「そんなに気になるの?」

「だって、師範と同じって、なんだかおこがましいというか、分不相応って感じで……」

「そんな大袈裟な。私がいいって言ったんだから、いいのよ」

「師範みたいに綺麗な髪じゃないし……」

「十分綺麗よ」

そう話しながら夕方にしては明るい道を歩く。

「お腹、空いたなぁ」

「言っとくけど、夕飯は鯖の煮込みじゃないと思うわよ」

「いいわよ。アオイのご飯はなんでも美味しいから」

やがて蝶屋敷が見えてきた。それが嬉しくて、圓城は自然と進む足が速くなっていく。

「ねえ、ちょっと、菫、速すぎ!」

「あ、ごめん、だって……」

そう言った時、誰かが蝶屋敷から飛び出してきた。

飛び出してきたのはカナヲだった。その後から慌てたようにアオイが出てくる。そして、きよ、すみ、なほも転がるように飛び出してきた。皆が呆然とこちらを見つめていた。

「……あ……あ…」

「カナヲ?」

カナヲが、手を繋いでいるしのぶと圓城を見て、言葉にならない声を出した。しのぶが訝しげに声をかける。そして、カナヲは今にも泣き出しそうな表情をして、震えながら口を開いた。

「……菫、様……っ、おかえり………なさい……」

そうカナヲに言われた瞬間、昔カナエに言われた言葉を思い出した。

 

 

『帰ってらっしゃい、菫。私もしのぶもみーんな、あなたを待ってるわ。この蝶屋敷で』

 

 

ああ、師範。あなたの言う通りでした。

私、ちゃんと、帰れる場所がありました。

どんなに苦しくても、つらくても、私、最後は必ずここに帰ってきたい。

大好きな人が待っててくれる、温かい、この場所へ。

 

 

「みんな、……ただいま」

圓城がそう言った瞬間、その場の全員が抱きついてきた。口々に「おかえりなさい」と何度も言われる。

その温かさに触れながら、また涙がこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 






しばらく更新が遅くなります。気長にお待ちいただければ幸いです。


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そして、終焉へ

 

 

 

偽りだらけの人生だった

 

 

嘘にまみれた生涯を送ってきた

 

 

たくさんの物を捨てて、それでも生きてきた

 

 

いつか報いを受けるとしても、私は、最後までこの思いを繋ごう

 

 

交わした約束を、決して忘れない

 

 

しのぶ、私は絶対に諦めないよ

 

 

絶対に曲げない

 

 

絶対に折れない

 

 

大丈夫 

 

 

一人じゃないからね

 

 

 

 

 

***

 

 

 

もみくちゃにされながら蝶屋敷に入り、まずは仏間に向かった。仏壇の前に正座し一礼する。線香に火を付けて静かに合掌した。

「……帰ってきました。師範、遅くなりましたが、圓城菫、ただいま蝶屋敷に帰還しました……遅くなって申し訳ありませんでした」

ゆっくりと再び一礼する。その姿を後ろからしのぶが見つめていた。

「……姉さんも、喜んでると思うわ」

「……うん」

仏壇にお参りした後、二人で話しながら並んで台所へと向かう。

「今は、患者はいるの?」

「ええ。柱稽古で怪我した隊員が何人か……アオイが中心になって治療しているわ」

「ああ、しのぶは、毒の研究をしてるんだっけ?」

「ええ。毒と薬の研究を、珠世さんと一緒に……」

「珠世さん?」

知らない名前が出てきて首をかしげる。しのぶが言いにくそうに言葉を続けた。

「さっき言ったでしょう?お館様から頼まれて、鬼と共同研究をしてるの。……珠世さんは、お館様から紹介された、鬼、よ……」

しのぶの顔が複雑そうに歪む。圓城はその気持ちが痛いほど分かった。尊敬しているお館様からの頼みでも、鬼そのものに対する憎しみや怒りを抑え切れないのだろう。思わずその手を握ると、しのぶは笑みを浮かべて圓城の方を向いた。

「……大丈夫。大丈夫よ。分かってる、から……」

「……」

なんと声をかければいいか分からず迷っていると、カナヲが駆け寄ってきた。

「師範、菫様。夕食が、出来たそうです」

「あら、早かったですね。それじゃあ、食べましょうか」

しのぶが笑いながら手を引いた。それを見てカナヲが微かに顔を綻ばせた。

「……」

しのぶに手を引っ張られながら、こっそりと小さくため息をついた。

夕食は豪勢だった。しのぶや圓城の好物が並んでいる。どうやら急遽アオイが作ってくれたらしい。皆が笑顔を浮かべて話しかけてくる。その明るさに圓城も笑顔を浮かべながら賑やかに食卓を囲んだ。

 

 

 

 

 

 

真夜中、皆が寝静まった時間に圓城は蝶屋敷の庭に出る。静かな夜だった。空気が澄んでいて、天空には数多の星が瞬いている。眠らなければならない、と分かっているが、昼間の出来事による高揚感が残っていて眠れなかった。

「……」

ゆっくりと庭を歩いて、縁側に座った。じっと夜の庭を見つめる。

初めてしのぶと名前を呼びあった夜を思い出す。この場所が、とても好きだった。

物思いにふけっていると、誰かの小さな声が聞えた。聞き慣れない声だ。そちらに顔を向ける。

縁側を歩いてきたのは見たこともない人物だった。奇妙な二人組だった。一人は、着物を着た美しい女性。もう一人は、不機嫌そうな眼付きの青年。その気配は、間違いなく鬼のものだった。

「ーーー」

反射的に立ち上がって殺気を放つ。刀へ手を伸ばしたところで、青年が女性を庇うように前に立った。しかし、すぐにその鬼の女性の正体に気付き、殺気を消した。そして一礼する。

「初めまして。……珠世さん、ですね?」

「……あなたは、」

「鬼殺隊、睡柱・圓城菫と申します」

顔を上げると、珠世と青年は警戒を露にしてこちらを見ていた。圓城は薄く笑いながら言葉を続けた。

「……しのぶから、話は聞いています。薬の開発をしているんですよね?…すみません。私はもう、部屋に戻りますので……」

そう言って背中を向けてその場を立ち去ろうとする。その時、珠世が声をかけてきた。

「私を殺さないのですか?」

「珠世様!」

青年がギョッとしたように声を上げた。圓城は珠世の方へ向いて笑った。

「……なぜ?」

「……」

「だって、あなたが、鬼舞辻を殺す鍵を握ってるんでしょう?」

「……私はーー」

「もうすぐ、鬼舞辻は倒される。鬼は、消滅する。あなたの力が必要です。だから、頑張ってください。……絶対に完成させてください。」

「うるさい、醜女が!お前に言われずともーー」

「愈史郎!」

愈史郎と呼ばれた青年が圓城を睨みながら罵倒し、珠世がそれを止めた。

「……まるで、あの鬼が、死ぬことが確定しているかのような言い方ですね」

珠世が話しかけてきた。思わず笑う。

「殺しますよ。私は弱いから、無理かもしれないけど、私がダメでも、私と同じ意思をもつ他の隊員達が必ずやってくれるでしょう。私達の代で、全て終わります」

「……」

「あなたも同じ意思を持つ人なのでしょう?それならば、私はあなた方を良き隣人として受け入れます。共に、励みましょう」

珠世は目を見開いた。圓城の言葉に嘘はないように思われた。心から信頼している目をしていた。

「……不思議な人ですね。鬼である私のことも、人と呼ぶ隊員。それも柱とは……」

そう珠世が呟いた時、しのぶが現れた。

「……菫?」

珠世と対峙している姿を見て戸惑ったように声をかけてくる。圓城は苦笑してしのぶに近づき口を開いた。

「ちょっと挨拶しただけ。もう寝るわ。研究頑張って」

「……大丈夫?」

「ええ。何か手伝えることあったら、いつでも声をかけて」

しのぶの手を軽く握ってから、珠世と愈史郎に一礼する。そして、与えられた部屋へ戻っていった。その姿を珠世がじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

それからの日々は穏やかだった。圓城は自邸に戻り、隊員の稽古を再開したが、それ以外のほとんどの時間を蝶屋敷で過ごした。出来る限りのしのぶのそばにいたかった。稽古の後は蝶屋敷へ向かい、アオイと共に柱稽古で負傷した隊員の治療をし、機能回復訓練を行う。しのぶは研究が忙しいようで顔を合わせることは少なかったが、それでもなんとか時間を作って二人で過ごした。

二人で研究用の材料を買いに行ったり、時には蝶屋敷の庭や縁側で会話を交わし、短いが幸せな時間を過ごす。静かに寄り添って話すだけだが、しのぶの顔を見るだけで喜びがあふれた。研究のこと、日常生活のこと、蝶屋敷で起こったこと、些細で他愛もない会話ばかりだったが、圓城にとってはこれ以上ないほど幸せな時間だった。ただ、しのぶは疲れた顔をすることが多くなった。心配だったが、見守ることしか出来ない。

そんなある日、アオイが大きな荷物を持ち、声をかけてきた。

「菫様、少し出掛けてきます」

「どこに行くの?」

「風柱様のところへ、薬や包帯を届けに行ってきます」

その言葉に苦笑する。柱稽古では怪我をするのが日常茶飯事だ。その度に蝶屋敷へ治療するのも手間がかかるため、隊員達は軽い怪我ならば、わざわざ蝶屋敷には来ずに、各地で処置をしている。

「私が行くわ」

「えっ、でも…」

「ちょうど用事もあったから。アオイは患者さんの治療をしてあげて」

にっこり笑って荷物をアオイの手から取る。アオイは迷いつつも、

「それじゃあ、お願いします」

とペコリと頭を下げた。

「では、行ってきます」

圓城は荷物を持って、不死川の屋敷に向かって足を進めた。

 

 

 

 

 

 

不死川の邸宅に行くのは初めてだった。鴉に案内してもらいつつ、圓城の屋敷と同じくらいの大きさの屋敷にたどり着く。

「ごめんください」

門戸を叩くが、返事はない。人の声や気配はあるので中で稽古をしているのは間違いない。仕方なく勝手に門戸を開いて中へと足を踏み入れる。

「……まあ」

庭の光景を見て、思わず声が出た。口元に手を当てて目を見開く。そこには屍のように多くの隊員達が倒れていた。話には聞いていたが、相当きつい稽古らしい。

「……私の稽古って甘かったのかしらね」

今更少し後悔して呟いたところで、後ろから声をかけられた。

「………胡蝶?」

その声に圓城は振り向く。そこには呆然とした表情の不死川が立っていた。圓城が振り向いた瞬間、顔をしかめる。

「……圓城か。何しに来やがった?」

不死川は動揺を隠すように言葉を放つ。圓城の後ろ姿がかつての花柱とそっくりだったため、思わず名前を呼んでしまった。圓城の髪に付いている二つの蝶の髪飾りを睨むように見つめる。

「すみません。勝手に入ってしまって。これ、蝶屋敷から届けに来ました。隊員のための薬や包帯です」

荷物を差し出すと、不死川は訝しげな顔をしながらそれを受け取った。

「……なんで、てめェが届けに来た?」

「……今、蝶屋敷で少しお仕事をしてるんです。私の稽古はほとんど終わりましたし……」

不死川が今度は圓城の髪に目を止めた。

「……その頭はなんだ?」

「……変、でしょうか」

髪飾りに手を当てて、思わずうつむいた。

「……一つは、昔、師範ーー花柱様にいただいたもので、もう一つは、先日、蟲柱様にいただいたんです……」

その言葉に不死川は少し驚いたような顔をした後、ニヤリと笑った。

「……胡蝶と話をしたようだなァ」

「……」

その言葉になんと答えればいいのか分からず、ただ困ったように首をかしげた。

「ーーおら」

「え?」

突然木刀を渡されてキョトンとした。

「ちょうど、全員気絶して暇していたところだ。手合わせしていけェ」

「……えーと」

「どうせ、痣も出てねェんだろ?いい機会だし、相手しろ」

その言葉に顔をしかめた。仕方なく木刀を構える。

不死川が木刀で斬り込むように技を繰り出した。それを素早く避けながら自分も木刀を振るった。久しぶりの戦いに気持ちが昂る。呼吸を整え、出来る限り血液を循環させる。心拍数が上昇していくのを感じながら、木刀で攻撃を繰り返した。

「なんだあれ……」

「すげえな……」

目を覚ました隊員達がその戦いを見て、呆然としていた。

「睡柱って、弱いって噂があったけど、やっぱり噂って当てにならねえな…」

「風柱と対等に打ち合ってる…」

「すげえ攻撃。なんであんなに速く動けるんだ?」

ヒソヒソと話す声は、戦う二人の耳には届かなかった。

「圓城、なかなかやるじゃねえか!」

「どうも!」

そのまま何本か木刀を折りながらも打ち合いを続けた。

全てが終わった後、息切れもせずに涼しい顔をしている二人を見て、隊員達が引いていた。圓城は乱れた髪や服装を直して頭を下げる。

「大変有意義な時間でした、風柱様。ありがとうございました」

「おう」

不死川は短く答えて、出口まで見送ってくれた。

「……圓城」

「はい?」

「お前、雰囲気変わったなァ?」

圓城は少し驚いて目を見開く。

「そう、思いますか?」

「前のお前は、胡散臭い言葉を使って、何を考えているのかも分からねぇ得体の知れないヤツだったがよぉ…」

「そんな風に思ってたんですか?」

「でも、なんと言えばいいのか分からねェが、今のお前、いい顔してるぜ」

そして不死川は頭を軽くポンと叩いた。

「よく、頑張ったなァ」

圓城は思わずポカンと口を開いた。

「なんだ、その顔?」

「……いえ、びっくりして。風柱様にそんな言葉をかけられるとは、思わなくて…」

そう言いながら、不死川の言葉がじわりじわりと心に染み込んできた。

「……私、少しは柱らしく、なりましたか?」

「馬鹿なことをほぞいてんじゃねェ。てめェは柱だ。今までも、これからも、な。」

「……ありがとうございました」

「おう」

圓城はペコリと深く頭を下げる。そして背を向けて足を踏み出す。

少し進んだところで、突然後ろから声がした。

「圓城!」

不死川の大声に振り向く。

「その頭、似合ってるぞ!!」

その言葉に思わず泣きそうになりながら笑って、不死川に向かって手を大きく振った。

 

 

 

 

 

 

明け方、圓城は蝶屋敷の屋根の上に座り、空を見つめていた。空が明るみ始め、星のまどろみを消し去っていく。現実とは思えないほど美しい光が少しずつ広がっていく。

「……何をしてるの?」

しのぶの声が聞こえて、そちらに顔を向けた。しのぶが近づいてきて、隣に座る。笑いながら口を開いた。

「……出来るだけ、いろんな景色を目に焼き付けておきたいと思って。もうこんな景色を見ることはできないかもしれないから…」

「……」

しのぶが何も言わずに圓城の手を握った。それを握り返す。しばらく二人で黙って夜明けの光を見つめた。

「……研究、うまくいってる?」

先に口を開いたのは圓城だった。

「ええ。珠世さんのおかげで、ね。」

「あの人、凄い人なのねぇ。何年くらい生きてるのかしら…」

ポロリと出た言葉に、しのぶの手がピクリと動いた。

「……人、じゃないわ」

「……あ」

ハッとして口元に手を当てるが、しのぶの顔は怒っている様子は見られなかった。

「……ごめん」

「………菫。珠世さんから、聞いたわ。あなたが、彼女を受け入れるって言ったって……」

「……うん。言った」

「……菫、本当のことを言って。あなた、昔と同じように、……鬼を救えたらって心の底では思っているでしょう?」

その指摘に目をそらしそうになる。しかし、しのぶの目を真っ直ぐに見ながら口を開いた。

「救えたら、とは思ってない」

「……」

「でも、可哀想だとは、思ってる」

しのぶから視線を外し、夜明けの空を見ながら言葉を続けた。

「哀れで、虚しい、生き物、だと思う。この美しい朝日を憎まなければならない、可哀想な生き物……決して仲良くは……出来ない。でも、それでも、望んでないのに鬼になった人間もいる。……禰豆子のように。鬼であることに苦しみ、悲鳴をあげている人を、私は、傷つけたくない……」

「………」

「……だって、人間、なのよ。私達と、同じ……人間、だったのに……」

しのぶが握っている手に力を込めた。

「……あなたが、炭治郎くんを庇った時、……」

「うん?」

「柱合会議で、炭治郎くんを庇った時、姉さんを思い出したわ…」

「……師範を?」

「……姉さんなら、真っ先に炭治郎くんを庇ったと思う。あなたのように。……結局、私には無理なのよ。姉さんと同じ、鬼と仲良くなりたい、なんて考えは持てない。鬼が憎い。全てを奪った鬼が……」

「……それで、間違ってないよ」

しのぶの手を強く握りしめた。

「しのぶは、間違ってない。……ごめんね。私、こんな柱で。変われなくて、ごめんね。でも、もう嘘はつきたくないの」

「……」

「憎くて当たり前、なのよ。ずっと苦しかったよね。ごめんね、一人で頑張らせてしまって。」

「……」

「これだけは、信じてね。例えこの身が滅びようとも、必ずカナエ様の仇は取るから。…もう絶対に迷わない。あなたのために、鬼を斬り裂く刃になるから…」

「……うん」

しのぶの小さな声が聞こえた。

やがて太陽が昇る。その眩しさに目を細めながら呟いた。

「綺麗な、景色ね。私、この景色を絶対に忘れない。生まれ変わったら、ずっとこんな綺麗な景色を見ていたいなぁ」

「……生まれ変わりなんて、信じるの?」

「あら、しのぶは信じないの?」

笑いながら目を向けると、しのぶは首をかしげた。

「……そうね、あったらいいな、とは思うわ。もしも、鬼のいない、平和な世界で生まれ変われるなら、とても素敵なこと、だと思う……」

「もうすぐ、その世界は来るよ。もしも、なんかじゃない。その日は必ず、来るからね……」

微笑みながらキッパリ言う。しのぶが圓城を見つめながら口を開いた。

「……あなたは、生まれ変わったら、何がしたいの?」

「え?うーん、そうだなぁ……」

少し考えて、笑いながら言葉を続けた。

「カナエ様としのぶが、また姉妹で生まれてきてほしい。それで、幸せになってほしい」

「……なんで、自分のことじゃなくて、私達のことなのよ」

「あはは、だって、私、二人が一緒に笑っていると、すごく幸せなんだもの。だから、自分のことなんて、どうでもいいのよ」

「……」

「呆れちゃった?」

「まあね」

「でも、本当に、そう思うのよ。ずっと、ずっと、笑っていてほしい。今度こそ、幸せになってほしいの……」

しのぶから手を離し、膝を抱えて腕の中に顔を埋めた。その姿をチラリと見てから、しのぶが立ち上がった。

「そろそろ研究に戻るわね。少し冷えるから、風邪ひかないように気を付けなさい」

「……うん、わかった」

しのぶが屋根の上を歩きながら、下りようとしたその時だった。

「……しのぶ!」

名前を呼ばれて、振り向く。圓城が立ち上がって、まっすぐにしのぶを見つめていた。

「……ごめん。また、嘘をついた。本当はね、一つだけ、叶えたい願いがあるの。もし、もしも、……あなたと、同じ世界に生まれ変わることができたら、その時は………」

言葉を絞り出すように、紡ぐ。

「その時は、また友達になってくれる?そばにいても、いい?」

しのぶは少しだけ驚いたような顔をして、フワリと微笑んだ。

「……来世でも、あなたには苦労させられそうね」

圓城は涙をこぼしながら、しのぶに駆け寄り、抱きついた。お互いに強く抱き締める。

「……しのぶ……しのぶ、しのぶ。大好きよ。」

「ええ。私も大好き」

「本当は、離れたくないの。さみしい。ずっと、ずっと、そばにいたい……しのぶがそばにいてくれないと、私、また泣いちゃうよ…」

「…それでも、あなたは自分の力で立ち上がるでしょう?どんなに泣いても、あなたは、あなたの戦いを始め、そして必ず勝つのでしょう?」

「……っ」

「菫。あなたは弱くない。必ず勝つわ。だって、姉さんの継子だもの。どんなに傷ついても、苦しんでも、最後は必ず勝利する。……私は、信じてるの。あなたの強さを、思いを。それは、絶対的で揺るぎない、確かなことよ」

その言葉にまた涙がこぼれた。

 

 

しのぶ

本当は、私、本当は、

あなたを止めたい

行かないでって、大声で叫びたい

一人にしないでって、泣きたい

ギリギリの世界を生きる私達はいつも否定されてばかりだ

きっと私はあなたを無理矢理にでも止めるべきだった

それでも、私は

敢えてあなたを肯定する

あなたの強さを、戦いを肯定しよう

あなたの命の使い方を、全て肯定しよう

それがあなたの意思ならば

今度こそ、肩を並べて、共に戦おう

 

 

「……ありがとう、しのぶ」

「そろそろ泣き止みなさい。目が腫れてしまうわ」

体を離すと、しのぶが頭を撫でてきた。その温かさと優しさがカナエにそっくりで、また涙があふれそうになる。しのぶの手がそのまま頬に触れ、涙を拭ってくれた。

「……本当に、泣き虫ね。今回だけは特別よ。次からは、自分で涙を拭いなさい」

「……うん」

「……菫、私、待ってるわ。あなたを、ずっと、待ってる。だから、大丈夫よ。自分を信じて」

「うん…っ」

そのまま、二人は屋根の上で、お互いの手を強く握り締めた。

 

 

 

 

 

 

「緊急招集―――ッ!緊急招集―――ッ!」

戦いは、突然始まった。

「産屋敷邸襲撃ッ!産屋敷邸襲撃ィィ!!」

ああ、お館様。

圓城は涙が出そうになるのを必死に抑えながら、駆け出した。

柱を始め、剣士は一斉に産屋敷に走り出す。屋敷が見えた瞬間、ドン!!と大きな音が辺りに響き渡る。それが爆音だとすぐに気づいた。燃え盛る屋敷を見て、唇を噛む。火薬の匂いにクラクラする。早く、早く行かなければ。お館様の命を無駄にするわけにはいかない!

屋敷へと向かった時、異様な光景が見えた。一人の男が無数の黒い棘に身体を串刺しにされていた。その男の前には、腕を突き刺している珠世の姿があった。

「無惨だ!!鬼舞辻無惨だ!!奴は頸を斬っても死なない!!」

悲鳴嶼の声が耳に届く。柱が一斉に刀を構えた。攻撃を一気に加えるために、圓城も呼吸を整える。

「睡の呼吸 参ノ型ーーーー」

あと一歩で技が出るという瞬間、突然足元が消えた。

「……っ!」

浮遊感に襲われて、悲鳴をあげそうになるのをこらえた。

それは、恐らく血鬼術で作られた空間だった。上下左右に襖や畳が張り巡らされている、城のような謎の空間。

「……あ」

落ちる瞬間、確かにしのぶと目が合った。思わずそちらに向かって手を伸ばす。しかし、届かない。

そのまま、吸い込まれるように落下していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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勝利の微笑み



※二話連続で更新します。









 

 

 

 

「……っ!」

圓城は浮遊感に混乱しながらも、まずは体勢を変えた。目に入った襖を思い切り蹴って、飛び込むように着地する。衝撃に顔をしかめながら、周囲に素早く視線を走らせる。目の前には廊下が広がっていて、自分以外の人間はいない。

とにかく誰かと合流して鬼舞辻のところに行かなければ…、いや、できればしのぶと合流して…、などと考えながら足を踏み出そうとしたその時だった。

「………!」

廊下の奥から、二体の異形の鬼が姿を現した。一気にこちらに近づいてくる。

「睡の呼吸 肆ノ型 微睡み子守唄」

一気に刀を振り下ろすと簡単に頚が斬れた。鬼が消滅していくのを確認してから、走り出す。

 

 

しのぶーーーー、どこにいるの?

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

胡蝶しのぶはその鬼を見た瞬間、身体中の血が沸騰するかのような感覚を覚えた。

「やあやあ、初めまして。俺の名前は童磨」

血のような真っ赤な帽子と服、縦縞の袴を着た白橡色の長髪の鬼。その瞳には『上弦』『弐』と刻まれている。

「た…たす、け、助けて…!」

童磨の傍で倒れていた女性が、怯えた表情でしのぶに手を伸ばし、助けを求めた。しのぶは素早く移動し、女性を抱えて童磨から距離を置く。

「大丈夫ですか?」

しのぶは一度、女性を安心させるように穏やかな笑みを浮かべた。だが、女性は苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。そして次の瞬間、女性の身体は細切れになってしまった。その場に真っ赤な血が広がる。

「あ、大丈夫!そこにそのまま置いといて!後でちゃんと喰べるから」

陽気な声が響いて、しのぶはゆっくりと童磨の方を振り向いた。

童磨の手には一対の扇が握られており、それを楽しげに振り回しながら言葉を続けた。

「俺は『万世極楽教』の教祖なんだ。信者の皆と幸せになるのが俺の務め、その子も残さず綺麗に喰べるよ」

激しい怒りが全身に広がりゆくのを感じながら、それでも冷静に言葉を返す。

「・・・皆の幸せ?何を呆けたことを。この人は嫌がって助けを求めていた」

「だから救ってあげただろ?」

童磨は、死んだ女性を見ながら穏やかに笑った。

「その子はもう苦しくないし、辛くもないし、怯えることもない。誰もが皆、死ぬのを怖がるから、だから俺が喰べてあげてる。俺と共に生きていくんだ。永遠の時を。」

童磨を鋭い目で見据えながら、しのぶはゆっくりと立ち上がった。

「俺は信者たちの想いを、血を、肉をしっかりと受け止めて救済し、高みへ導いている」

自分の胸に手を当てて、童磨が語る。顔を怒りと憎しみで歪ませながら、しのぶは口を開いた。

「正気とは思えませんね。貴方、頭大丈夫ですか?本当に吐き気がする・・・」

童磨は「え~?」と、キョトンとした表情をする。

「初対面なのに随分刺々しいなぁ・・・あっ、そうか」

そして、優しく微笑みながらしのぶに語りかけた。

「何かつらいことがあったんだね…、聞いてあげよう。話してごらん?」

「つらいもなにもあるものか…!」

怒りに震えながら声をあげた。羽織を掴んで見せつけるように示す。

「私の姉を殺したのはお前だな…この羽織に見覚えはないか?」

「ん?」

童磨は不思議そうに首をかしげ、やがて「ああ!」と頷いた。

「花の呼吸を使ってた女の子かな?」

その言葉に刀を握る手に力がこもった。

「優しくて可愛い子だったなぁ。邪魔が入って喰べ損ねた子だよ、覚えてる。ちゃんと喰べてあげたかっ」

「た」、と童磨の言葉最後まで続かなかった。しのぶが一気に刀を突き刺してきたからだ。

「蟲の呼吸 蜂牙ノ舞 真靡き」

日輪刀が童磨の目を襲う。

「おっと!凄い突きだね。手で止められなかった」

童磨は楽しそうに笑うと扇を構えた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

異空間を圓城は走り続けた。障子戸やら襖から異形の鬼が何体も姿を現す。攻撃を避け、斬り、そして走り続ける。

「しのぶ……!」

恐らく他の柱や隊員達も、この空間に引き込まれてしまっているだろうが、誰にも会わなかった。

必死に目を凝らし、耳をすませながら、しのぶの姿を探す。

『第一の条件として、私は、鬼に喰われて死ななければなりません』

いつかのしのぶの言葉が頭に響く。

「……クソっ!」

また目の前に鬼が現れて、思わず罵倒しながら一気に斬った。しのぶは自分の身体を使って鬼を殺そうとしている。命をかけて、あの鬼を弱らせる。だから、私が必ず、とどめを刺さなければならない。分かってる。覚悟はもう、できている。

でも心のどこかで、自分はその戦いを拒否している。その証拠にしのぶの顔を思い浮かべるだけで、胸が痛くなり、涙が滲んできた。

「……迷うな……迷ってはいけない……折れるな……柱ならば!」

自分に言い聞かせるように叫んだ。また鬼を斬る。

「繋ぐ……私は、繋ぐんだ……!」

思いを、繋げ。

例え、大切な人の命が散ろうとも。

そして、圓城は襖を勢いよく開けて、また走り出した。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

童磨へと毒を五回打ち込むが、全て分解された。そして今、しのぶは童磨に斬られ、床に膝をつけている。大量に出血し、自分の手にも血が滴り落ちる。その真っ赤な血を見つめながら、思った。

 

なんでかなぁ。

なんで私の手はこんなに小さいのかなぁ。

なんでもっと身長が伸びなかったのかなぁ。

 

私は鬼の頚を斬れない。だからこそ、毒を打ち込んで殺すしかないのに、それなのに、あの鬼にはもうその毒も効かない。

どれだけ鬼が憎くても、刀を振って戦う力がない。もっと私の背が高くて、もっと力があれば、ちゃんと戦えたかもしれないのに。毒が効かないならば、今の私にできることはーーーー、

『私が、あの鬼を、この手で殺す。私が、あの鬼を……必ず、地獄へ、……っ』

あの時の、あの子の言葉が頭の中で響いた。

「……すみれ」

思わず囁くようにその名前を呼ぶ。でも、その場に彼女はいない。自分の無力さに涙が出そうになる。

 

 

 

『しっかりしなさい。泣くことは許しません』

 

 

 

その時、頭上から声が聞こえた。

よく知っている、大好きな、懐かしい声。

 

 

姉さん

 

 

 

 

『立ちなさい』

 

 

 

姉さん

立てない。

失血で肺がざっくり斬られている。

息もできないの。

 

 

 

『関係ありません。立ちなさい。蟲柱・胡蝶しのぶ』

 

 

 

優しい声、でも厳しい言葉。

 

 

『倒すと決めたなら倒しなさい。勝つと決めたのなら勝ちなさい。どんな犠牲を払っても勝つ。私とも、あの子とも約束したんでしょう。』

 

 

 

そう。菫と約束した。

『約束するわ。あなたの覚悟を絶対に、無駄にはしない。必ず、絶対に……、』

また、心に、小さな灯火がともる。温かい。

菫に思いを繋ぐと約束した。だから、諦めるわけにはいかない。菫は必ず繋いでくれる。だって、柱なのだから。

ひとりぼっちになっても、片足を失っても、崖から落ちて死にかけても、痣が出て長く生きられないと分かっても、折れなかった彼女。

そうだ。

菫のように戦えなくても、力が弱くても、私もまた柱だ。だから、折れてはいけない。弱気になるな!戦いを捨ててはいけない!

 

 

 

『しのぶならちゃんとやれる。頑張って……』

 

 

 

ええ。私はやるわ、姉さん。

まだ、戦える。

絶対に折れない。

 

 

 

そしてしのぶはゆっくりと、立ち上がった。

「え、立つの?立っちゃうの?えー?」

童磨が、呟いているのが聞こえた。

「君、ホントに人間?」

凄まじい胸の痛みにゴホッと咳き込むと、また口から血が飛び出した。喉がゴロゴロと悲鳴をあげる。それでも刀を構えた。

絶対に殺す。

狙うは急所である頸。

にこやかに笑う童磨を見据えて、痛みに堪えながらゆっくりと呼吸を整える。

「蟲の呼吸 蜈蚣の舞 百足蛇腹」

最後の力を振り絞って、床を蹴る。四方八方にうねって距離を詰める。そして低い位置から一気に頸目掛けて刀で突いた。童磨が天井へめり込む。 

 

 

できる、できないじゃない。

やらなきゃいけないの。

 

 

そうでしょ?姉さん

 

 

そして、支えるものがないしのぶの体は落下していく。次の瞬間、童磨の気持ち悪い笑顔が目に飛び込んできた。顔が歪む。

ほんと、頭にくる。ふざけるな、馬鹿。なんで毒効かないのよ、コイツ。

馬鹿野郎。

床に落ちる直前、氷の触手がしのぶの身体に巻き付いてくる。そしてそのまま童磨の元へと運ばれた。童磨は天井にめり込んだまま、腕を広げてしのぶを抱き締めてきた。

「えらい!頑張ったね!俺は感動したよ!こんな弱い女の子がここまでやれるなんてーー」

あまりの不快感に吐きそうになる。憎悪と怒りで胸が苦しい。

「姉さんより才もないのに、よく鬼狩りをやってこれたよ。今まで死ななかったことが奇跡だ!全部全部無駄だというのにやり抜く愚かさ、これが人間の儚さ、人間の素晴らしさなんだよ!」

童磨の腕に力が籠っていく。しのぶを殺すために。

 

 

やっぱり、私だけじゃ敵わなかった。

姉さん

やっぱりダメだった。

毒を使うことでしか戦えない私では、この童磨には勝てなかった。

 

 

菫。

 

 

 

今どこにいるの?私、ダメだったの。

もうすぐ死ぬわ。

ねえ、どこにいるの?

 

 

 

「君は俺が喰うに相応しい人だ。永遠を共に生きよう!言い残すことはあるかい?聞いてあげる!」

童磨が力を込めているのを感じた。身体から骨が軋む音が聞こえてくる。

 

 

 

そしてーーーー、

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

あまりの空間の複雑さに圓城は舌打ちをする。鬼が出現する度にひたすら刀で斬り、もはや消滅を確認もせずに進み続ける。今、重要なのはこんな雑魚鬼じゃない。頭の中で声が響いた。

『菫、私、待ってるわ』

うん。待ってて。

『あなたを、ずっと、待ってる。だから、大丈夫よ。自分を信じて』

そうだ。自分を信じろ。走れ、走れ、走れ!しのぶが、待っててくれるのだからーー、

迷うな!!

廊下を走り、階段を上り、再び廊下を駆け抜ける。やがて、蓮の花が浮いた溜池を見つけた。その近くにある扉を開けて、部屋の中へと飛び込む。そして同時に天井を見上げる。

そこにはしのぶがいた。

「……っ!!」

天井にめり込んでいる鬼に抱き締められている。何度も夢に見た光景。来て欲しくなかった、恐ろしい未来。

「しのぶ……!」

圓城は叫んで、動いた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

そして、自分の名前を呼ぶ声が耳に届き、胡蝶しのぶは、微笑んだ。勝利を確信して。

ほら、やっぱり来てくれた。思ってた通り。

菫が来てくれた。

あの子は必ず、この鬼を斬るだろう。

だって、約束したから。

絶対に諦めないと言ったから。

菫は思いを繋ぐだろう。

泣き虫だけど、とびっきり強いあの子は絶対に諦めない。

託した思いは、必ず繋いでくれる。

そうでしょう?菫。

 

 

カナヲまでもが駆け付けてくれたらしく、叫び声が聞こえた。

カナヲ、あなたの歩む未来が優しいものでありますように。

光輝く世界を私の代わりに生きてほしい。

大丈夫。あなたはもう、自分の意思で前に進める。

 

 

だから、菫。あとはお願いね。

私が必ず、コイツを地獄に連れていくから。

菫、菫、菫

私は信じてる

 

 

しのぶは残り少ない力で指先を動かした。そして笑いながら口を開く。

 

 

 

「地獄に堕ちろ」

 

 

 

そして、全身の骨が砕けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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不滅の思い

※二話連続で更新しています。









 

 

「しのぶ…!」

叫びながら思い切り飛び上がった。一瞬しのぶの指が何かを訴えるのを確認する。

「睡の呼吸 弍ノ型 枕返し」

刀を振るうのと同時にしのぶの骨が砕ける音が響き、圓城の顔が歪む。しのぶの手から日輪刀が落ちていく。それと同時に誰かの悲鳴が聞こえたが、気にする余裕はなかった。一気に刀を振り下ろすが、鬼はしのぶを抱えたまま、簡単に攻撃を避けた。

「うああああっ!!」

「……っ!」

ハッと後ろを振り向くと、カナヲが叫びながら刀を振り下ろしていた。鬼はその攻撃も全て躱す。

「いやー、危ない危ない」

そして、にこやかに笑いながら身体全体でしのぶを呑み込んでいった。

「吸収している最中に斬りかからないでおくれよ」

カナヲが顔に青筋を立てながら、震えていた。殺気があふれだし、憎しみで表情が歪む。怒りのあまり、呼吸が乱れている。

「……落ち着きなさい、カナヲ。呼吸を、整えなさい。自分を見失うのは許しません」

静かにそう言われて、カナヲは思わず鋭い瞳で圓城の方を向いた。そして目を見開く。圓城の両眼の下から星のような痣が浮き出ていた。その顔は動揺も何も見られない。

「この鬼の、冷気を吸ってはダメよ。集中して、見て」

圓城は、そう言いながら、ただ、冷たい瞳で童磨を真っ直ぐに見据えている。

「あれ?んー?」

童磨が圓城を見て、少し首をかしげた。そして嬉しそうに笑う。

「君、あの時の極上の女の子だね!喰べ損ねて、本当に残念に思ってたんだよ。思った通り、別嬪になったねぇ」

童磨がしのぶの髪飾りを手で玩びながら笑った。

「いやあ、今日はいい夜だなぁ。次から次に上等なご馳走がやってくる。君達の名前はなんて言うんだい?」

先に動いたのは圓城だった。素早く童磨との距離を詰め、刀を振り下ろす。

「睡の呼吸 伍ノ型 浅睡眠」

刀を四方八方に動かし斬りつけようとするが、全て扇で防がれた。

「……っ!」

顔をしかめる。次の瞬間、童磨が消えた。後ろから気配を感じる。扇で攻撃を仕掛けられた。

呼吸を止めて一気に飛び退いた。攻撃を避けながら短刀を取り出し、童磨の目を狙って投げる。上手い具合に目に突き刺さり、同時にカナヲも動いた。童磨の頚を狙って斬りかかるが、やはり扇で防がれる。

「なにこれ、小さな刀だね。こんなの鬼には効かないよ」

童磨の眼から短刀がカランと音を立てて落ちた。そして不意に不思議そうな表情をする。

「あれえ?猗窩座殿、もしかして死んじゃった?」

その名前に圓城の顔がピクリと反応した。

「一瞬変な気配になったけど気のせいだよね。猗窩座殿が何か別の生き物になるような…。死んじゃったからもう分からないや」

アハハ、と童磨が無邪気に笑った。

「それで?まだ質問に答えてないよ。君達の名前は?」

圓城が刀を構えながら口を開いた。

「……鬼殺隊・睡柱、圓城菫だ。お前を殺すために、この四年間、生きてきた」

「柱!柱になったのかい!最高じゃないか!」

童磨が顔を輝かせた。

「その純粋培養されたような極上の肉体!しかも強い能力を持つ柱だなんて!嬉しすぎるよ!なんて最高なんだろう、そこまでして強くなってくれたなんて……喰べるのが楽しみだなぁ」

「そうだ。お前のために強くなった。お前を地獄へ、落とす、そのためだけにーー」

怒りで全身が熱くなる。

「私は栗花落カナヲ。胡蝶カナエと、胡蝶しのぶの妹だ…」

カナヲもまた、童磨を睨みながら言葉を絞り出す。

「え?ホント?肉質の感じからして、血縁ぽくないけど……若い女の子はだいたい美味しいからいいよ、何でも!女の子といえば……そうそう、猗窩座殿が負けたのも仕方ないよね」

童磨が何かを話し続けるが、圓城は聞いていなかった。冷気を吸うと、肺が凍る。どう動けばコイツの頚を切れる?近づくのも難しい。なんとしてでも、しのぶの毒の効果が現れるまで、持たせなければーー、

必死に考えを巡らせていると、童磨が悲しそうにうつむき、突然涙を流した。

「死んでしまうなんて……。悲しい……、一番の友人だったのに」

嗚咽を漏らす童磨に鳥肌が立つ。なんだ、この鬼。

気持ち悪い。

その時、カナヲが口を開いた。

「もういいから」

静かな声がその場に響く。

「もう嘘ばかりつかなくて、いいから」

童磨が涙を流しながら、不思議そうにカナヲの方を向いた。

「何?」

カナヲが表情を変えずに、冷たい声を出した。

「貴方の口から出る言葉は、全部でまかせだって、分かってる。悲しくなんて、ないんでしょ、少しも。あなたの顔色、少しも変わってない。“一番の友人”が死んだのに、顔から血の気が引いてないし、逆に怒りで頬が紅潮するわけでもない」

童磨が扇を顔に当てながら、言葉を返した。

「それは、俺が鬼だからだよ」

「鬼は常に瞳が潤い続けるから、瞬きしないけど、人間と同じく血は巡ってるから、顔色は変化する……」

視力のいいカナヲは気づいていた。その鬼の異様な本質に。

「あなた、何も感じないんでしょ?」

圓城はその言葉にハッとしてカナヲの顔を見る。

それは、

その言葉は、恐らくーーーー

「この世に生まれてきた人たちが、当たり前に感じている喜び、悲しみや怒り、体が震えるような感動を、貴方は理解できないんでしょ?」

カナヲの唇の端がゆっくりと吊り上がる。

「でも、貴方は頭がよかったから、嘘をついて取り繕った。自分の心に感覚がないってばれないよう、楽しいふり、悲しいふり……、貴方には、嬉しいことも、楽しいことも、苦しいことも、つらいことも、本当は空っぽで何もないのに……。滑稽だね。馬鹿みたい……」

「カナヲ!」

思わず声が出た。カナヲはそれを気にする様子もなく、獰猛な笑みを浮かべ、童磨を見た。

「貴方、何のために生まれてきたの?」

「……っ、」

それに息を呑んだのは、童磨ではなく圓城だった。唇を噛んで、カナヲの顔を見つめる。

童磨が扇をギチギチ音を鳴らして閉じた。

「……今まで、随分な数の女の子とお喋りしてきたけど、」

バチン、と音が響く。

「君みたいな意地の悪い子、初めてだよ。なんでそんな酷いこと、言うのかな?」

ビリビリと殺気が伝わる。圓城が刀を構えながら口を開いた。

「……本当、カナヲの言う通りだ。なんでお前みたいな生き物が生まれてきたんだろうね……。お前がいなければ、お前さえ、いなければ、……」

怒りで言葉がうまく出てこない。代わりにカナヲが言葉を続けた。

「あなたのこと、嫌いだから、一刻も早く、頚を斬り落として地獄へ送る。一つだけ、訂正しようかな。貴方って、頭よくないみたい。みっともないから、さっさと死んだ方がいいよ。貴方が生きてることに、何の意味もないからーー」

次の瞬間、童磨が動いた。カナヲの後ろへ回り込み、扇で攻撃する。

「カナヲ!」

カナヲが素早く身を屈めて避ける。圓城は走りながら童磨へ刀を振り下ろした。

「睡の呼吸 弐ノ型 枕返し」

同時にカナヲもまた刀を振るう。童磨の腹部や肩が斬りつけられ、血が吹き出るが、頚には届かなかった。

「……っ!」

すぐに童磨が血鬼術を仕掛けてくる。蓮の花のような氷が襲ってきた。凍結させられそうな強烈な冷気が発せられる。必死に口と鼻を手で覆う。

震えだしそうなほどの冷気に顔をしかめた。だが、灼熱のような怒りの熱は治まらない。内臓が震えるほど、怒りと憎しみで体が熱くなっていく。止まらない。爆発しそうだ。

 

 

しのぶーーーー、お願い。

力を貸して。

 

 

先に動いたのはカナヲだった。

「花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬」

連続した技が繰り出された。同時に圓城も動く。後ろから刀を一気に振り下ろした。

「睡の呼吸 壱ノ型 転寝」

しかし、やはり攻撃は届かない。

「いいねぇ、綺麗だねぇ!じゃあ、俺も!」

楽しそうに笑いながら童磨が攻撃を返す。

「血鬼術 枯園垂り」

冷気を纏った扇が近くで揺れた。呼吸を止めて一気に飛び退く。カナヲの方は再び攻撃を仕掛けていた。

「花の呼吸 弐ノ型 御影梅」

自分自身を護るように周りを囲って斬撃を放つ。 

「……っ」

圓城は攻撃を放てずに苦悩して唇を噛む。圓城はカナヲのように優れた視力を持たない。故に、童磨の動作を予測し、ギリギリで攻撃を受け流すことが不可能だ。

どうする、どうすればいいーーーー?

次の瞬間、カナヲの視力の特殊性に気づいたらしい童磨が扇で目を狙ってきた。

「……させるか!」

その背後から、一気に攻めるために、一度息を吸った。

「睡の呼吸 陸ノ型 入眠儀式」

一気に連続して攻撃を仕掛ける。童磨の身体を斬り刻むように刀を振るった瞬間、煙幕のような氷が周囲で発生した。

「血鬼術 凍て曇」

攻撃を中断し、目を閉じて後ろへ下がる。目が痛い。いや、大丈夫。冷気に当たったのは少しだけ。右の視界がボヤける。大丈夫だ。まだ見える。

カナヲもまた飛び上がるようにして攻撃を回避していた。それを確認してから、一端距離を置く。童磨を睨みながら、呼吸を整え、血液を必死に循環させる。

また頚に届かなかった。大丈夫。もう一度ーーーー!

例え身体が全て凍ったとしても、必ず、頚を斬る!

「血鬼術 蔓蓮華」

今度はたくさんの氷の蔓が襲いかかってきた。

「睡の呼吸 伍ノ型 浅睡眠」

四方八方に刀でその攻撃を斬っていく。どうにかして、あいつに近づかなければーーーー、でも、どうやってーーーー、

考えても考えても、どうすればいいか分からない。その間にも童磨がにこやかに次の攻撃に移る。

「次いくよー」

氷で二体の女の銅像のような物が発生した。女が吐息のように冷気を吐き出す。

「血鬼術 寒烈の白姫」

なんだよ、これ。最悪。

広範囲の技により、周囲が凍りついていく。必死に目を閉じて、足を動かし、歯を食いしばってなんとか避け続ける。

どうしよう。近づけない。それどころか目も開けない。

しのぶ、師範、どうすればいいの。

次の瞬間、上から何かの気配を感じ、目を閉じたまま、一瞬で飛び退く。何かが落ちてきたのは分かったが、何かは分からない。

「……カナヲ!」

叫びながら、冷気から十分に距離を置いて、薄く目を開いた。

「菫様ーーーー!」

カナヲの声が響いた。カナヲは刀を手に持っていなかった。童磨に奪われたらしい。そして、童磨はそのままカナヲに向かって大きく扇を振るった。

「……っ、あぁ!!」

悲鳴のような声が漏れる。あまりにも遠く距離を置いたため、間に合わない。それでも童磨へ近づこうと動いた瞬間、この場にいないはずの声が響いた。

「どおりゃあアアアッ!」

威勢のいい声が響く。天井がメキメキと悲鳴をあげた。

「……っ!」

突然の乱入してきた人物にカナヲと童磨がポカンと口を開いたが、圓城だけはニヤリと笑った。

やって来たのは嘴平伊之助だった。上から攻撃を仕掛け、直後に冷気が消え去る。

「ドンピシャじゃねえか、鴉の道案内はよォ!!勝負勝負ゥ!!」

ウヒャウヒャと笑う声に圓城は声をかける。

「伊之助さん、集中!上弦の鬼よ!」

「ああ!?うるせえ、子分!俺に指図するんじゃねぇ!」

圓城に向かって怒鳴った後、伊之助は

「んんー?」

と目のに手を当てて童磨を見据えた。童磨はまだポカンとして戸惑っている。次の瞬間、圓城は重しになっている羽織を脱ぎ捨て、動いた。素早く移動して一気に距離を詰める。

「睡の呼吸 肆ノ型 微睡み子守唄」

刀を回転させるように振るい、頚を狙ったがやはり簡単に跳ね返された。

「おっと、いや、すごいね、君。流石柱だ。まだこんなに速く動けるの?」

冷気に再び襲われる。一瞬だけ呼吸を止めて、童磨のすぐそばにあった刀を左手で掴んだ。

「……!」

童磨が驚いたように目を見開く。後ろへ飛び上がってカナヲにその刀を突き出した。圓城は童磨を見据えながら自分に言い聞かせるように呟く。

「……集中……集中して。もう少し……もう少し耐えれば……」

刀を受け取りながらカナヲは眉をひそめた。もう少し?

伊之助はそんな様子に構わず大きな声をあげる。

「お前ら、よく見たらボロボロじゃねーか!何してんだ!怪我したら、お前アレだぞ!!」

 

 

「しのぶが怒るぞ!!スゲー怒るからな、アイツ!!」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、カナヲの顔が悲しみに染まる。圓城は顔色を変えずに、童磨へと刀を構えた。

「睡の呼吸 参ノ型 睡魔の嘆き」

大きく刀を振るった。やはり扇で防がれるが、直後に連撃を開始する。

「睡の呼吸 陸ノ型 入眠儀式」

扇ごと斬り裂くように、連続して攻撃した。次の瞬間、童磨の口元が横に斬り裂かれる。

「……っ!」

惜しかった。もう少し、もう一度ーー!

再び刀を振るおうとしたその時、鋭い痛みを感じた。

「………うっ」

一瞬で飛び退く。そのまま着地するつもりだったのに、できなかった。その場に倒れこんでしまう。

「いやあ、本当に柱の女の子って頑張るね。さっきの子とおんなじ」

「菫様!!」

童磨の気持ち悪い笑い声と、カナヲの悲鳴が聞こえる。圓城はそっと口元に手を当てた。

「………うぅ…」

口から血が流れてきた。身体を斬り裂かれたのだと理解して、声が漏れる。激しい痛みに一瞬呆然とした。あまりの不甲斐なさに拳を握る。

「すごく痛いでしょう。君、さっきから視界もギリギリだったよね。その状態でよく頑張ったよ、うん。流石だ。偉い、偉い」

身体が燃えるように熱い。痛みでどうにかなりそうだ。それ以上に怒りで歯を食いしばる。童磨への怒りではなく、自分自身への怒りで頭がクラクラする。

伊之助が戦っているのが気配で分かった。怒っているような声がする。

 

 

立て。

立って。

立ち上がれ、睡柱・圓城菫

ここでくたばるわけにはいかない。

交わした約束を忘れるな。

死んでもあの鬼を殺すと、誓ったのは私なんだ。

クソ、痛い。痛くて痛くて、気が狂いそうだ。

あの鬼を倒さなければ。

あの子達を護らなければ。

例え、この身が朽ち果てようとも

絶対に諦めるわけにはいかない。

 

 

 

『菫』

 

 

 

突然聞こえた、大好きなその声に、思わず笑った。

大丈夫よ。心配しないで。

絶対に大丈夫。

すぐに、立ち上がるからね。

 

 

ゆっくりと身体を動かす。カナヲと伊之助が戦っているのが見えた。

必死に呼吸を整える。血液を循環させて、心拍数を高める。

 

 

 

『私が信じた人は、どんなにつらくても、必ず自分の足で立ち上がる、絶対に折れない強い柱だったはずよ』

 

 

 

そうかな。しのぶ。

私、本当に強いかな。

弱くないかな。

 

 

 

『私はあなたを信じてる。だから、あなたもあなたを信じなければ』

 

 

 

そうだった。

しのぶが信じてくれている。

だから、もう少しだけ。

 

 

 

しのぶの笑顔を思い出しながら、ゆっくりと上体を起こした。

 

 

 

しのぶ しのぶ しのぶ

あなたが笑ってくれるだけで、私はまだ戦えるの

もう一度、あの笑顔、見たかったなぁ

しのぶ

本当は、こんな風に終わりたくなかったよ

一緒に、あの蝶屋敷へ、帰りたかったね

あの優しくて、温かい場所へ、帰りたかったね

きっと、もう少しで終わる。

だから、ほんの少しでいい。

私の身体よ、動け。

託されたものは、絶対に手放さない。

心は捨てない。

忘れるな。

人の強い想いと希望だけは、誰にも奪えない。鬼にさえも。

その思いは、不滅であり、永遠だ。

決してそれは、なくならない。

消えたりはしない。

 

 

しのぶ

二人で倒そう、あの鬼を。

 

 

『菫』

 

 

ありがとう。名前を呼んでくれて。

 

 

 

「……あは」

思わず笑い声が漏れる。ゴロゴロと肺から音が聞こえるが、構わない。笑顔のままで、足を動かして立ち上がった。

「あれ?まだ死んでなかったの?」

いつの間にか天井にいた童磨が、こちらを不思議そうに見つめてきた。冷静にそれを見上げる。

「ほんと、さっきの子と、おんなじだね。あの子も最後まで必死に立ち上がって攻撃してきたよ。本当に君達って、人間なの?」

「……可哀想な、鬼」

呟くように声を出すと、童磨が首をかしげた。

「んー?」

「……何も、分からなかったんだ。心も、感情も、大切なもの、何も、持てなかったんだ。……何にも、芽生えなかった、……のね……」

「君、何を言ってるの?」

「……人を好きになる、尊い心も、……誰かを護ろうとする、心の輝きも……、断ち切れないほどの、強い絆も、……青い空の美しさも……なにも……、理解、できなかったのね、……哀れな、鬼」

「……うーん?ちょっと意味が分からないよ」

「……分からなくて、いい。」

悲鳴をあげる身体を必死に動かして、刀を構える。

「お前はーーーー、私が、この手で、……、殺す」

呼吸を、整えた。

「うーん、よく分からないけど、ごめんねぇ。君達の相手はこの子にしてもらうよ」

童磨が作り出したのは、自分に似た小さめの氷人形だった。その人形が扇子を振るい、砕けた花のような氷を発生させる。痛む身体を動かして、一度距離を置く。

 

しのぶ

あと一回なら、動ける

もう少しだけで、いいの

お願い

 

カナヲと伊之助が攻撃を避けながら何かを叫んでいる。それに構わず、圓城は童磨を真っ直ぐに見据えた。

童磨が扉を開けて出ていこうとする。

ダメだ。お願い。

何とかして、アイツをここに留めなければーーーー!

顔を歪めながら動こうとしたその時だった。

 

 

「えっ?」

 

 

ドロリ、と童磨の顔が溶けた。目玉が床に落ちる。

「あれ、何だ、これ?」

 

 

 

来た。

 

 

 

圓城は素早く距離を詰めた。童磨がグラリと倒れ、膝をつく。

 

 

 

 

しのぶ、しのぶ、しのぶ

 

 

 

ありがとう

 

 

 

伊之助を攻撃していた氷人形がパキパキと割れる。

「何だあぁ!急に消えたぞ!罠かァァ!何かの!?」

それに答えず、渾身の力で叫ぶ。

「しのぶの、毒!!頚を、狙うーーーーっ!」

ゴポリとまた、口から血が漏れる。

大丈夫。

もっと、もっと速く動け!!

圓城は距離を詰めながら、隊服の上着を脱ぎ捨てた。これで全ての重しがなくなった状態だ。サラシだけになった上半身を気にすることもなく、走る。

後ろからカナヲと伊之助が圓城を追いかけるように近づいてくるのを感じた。

その時、

「……!?」

目の前に巨大な氷の仏像が姿を現した。凄まじい冷気を感じる。

こんな技が残ってたなんて。

いや、違う。明らかに、精度が落ちてる。

苦し紛れの、技なんだ。

だったら、これが、最後の攻撃だ。

あと、一回。

どうせ死ぬなら、全てが凍っても、構わない。

 

 

 

 

独自の特殊な呼吸をする。冷気が肺に入ってきた。構わない。もう痛みも感じない。目と腕と足さえ機能していれば、それで十分。

「睡の呼吸 終ノ型 永久(とわ)の眠り 胡蝶の夢」

床に穴があきそうなほど、強く踏み込み、飛び上がった。

「……え」

カナヲが思わず目を見開き、声が漏れた。一瞬圓城が消えた、と思った。そのすぐ後に、カナヲの目でとらえられないほど、圓城が速く動いたことに気づく。

呼吸で全身が砕けそうなほどの衝撃を感じた。腕の力を最大限まで引き出す。あまりの負荷に内臓が潰れ、骨が折れたが、気にしない。

 

もう少し、

もう少しーーーー!

 

その頚に刃がかかったところで、菩薩像の顔が圓城の方を向き、腕と身体を凍らせてきた。

腕が固まるのを感じる。それでも力任せに動かした。

その時どこからか刀が飛んできた。伊之助の日輪刀だ。童磨の身体に押し込まれる。肺が凍るのを感じながら、もう一度呼吸をする。身体能力を高めるために冷気ごと吸い込む。痛い。痛いけど、大丈夫。血流が激しく身体に流れる。また出血するのを感じた。

最後の力を振り絞り、最大限の力で、圓城は刀を振り下ろす。

そして、ついに童磨の頚が飛んだ。

 

 

 

 

 



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また逢おうね

 

 

 

童磨の頚を斬った瞬間、圓城は呟くように言い放った。

「……見くびるな、人間の力をーーーー!……侮るな、人の思いをーーーー!」

次の瞬間、全身に冷気を感じて目を閉じた。身体の大部分が凍りついている。勢いよくその場に倒れた。

「………う………あ………、」

呻き声が喉を掠れて漏れた。目を開けたはずなのに、何も見えない。さっきまであんなに身体が熱かったのに、今は寒くて寒くてたまらない。

心臓がどくんどくんと早鐘を打つ。必死に呼吸を続けるが、うまくできない。

どうなった?あの、鬼は、本当に死んだ?分からない。とにかく、現状を、確認しないと。ああ、立ち上がらなければ。必死に足を動かそうとするのに、動けない。それどころか呼吸をするのも苦しい。

また口から血が流れてくるのを感じる。胸が痛かったはずなのに、何も感じない。ただ、苦しくて、必死に小さく呼吸を繰り返す。

「………どう……なって、……」

必死に声をあげると、また呼吸が苦しくなった。

「菫様………、菫様ーーーー!!」

「おい、子分、しっかりしろ!」

どこかでカナヲと伊之助の声が聞こえた。手は動かせるようだったので、必死に左手を伸ばす。その手を誰かが握ってくれた。柔らかくて温かい手。きっとカナヲの手だ。声を絞り出す。

「……あ、いつ……死ん、……だ……?」

「はい……!はい、死にました……消滅、しました!!」

「よくやった、子分!!」

その言葉にホッと息をついた。そして心の中で叫ぶ。

 

 

 

 

 

しのぶ

やったよ

二人で倒したのよ

やっぱり、あなたはすごい

アイツを毒で倒したのよ

痛かったね

つらかったね

でも、あなたが倒したの

ありがとう、しのぶ

 

 

 

 

 

 

「子分、子分!!しっかりしろ!呼吸しろ!」

「菫様……!大丈夫ですから、すぐに、手当てをーー」

その言葉に圓城はカナヲの手を少しだけ強く握って止めた。

「……やめな、……さい……、も……いい……から……、それより……も、……カナ……カナヲ」

よかった。まだ声が出ることに、感謝して微笑む。言葉が出せる。それで十分だ。

 

 

 

 

 

 

次は、私が思いを繋げる。

 

 

 

 

 

 

 

「……カナヲ」

もう何も見えない。それでもカナヲがいる方向へと顔を向ける。

「……あなた、の姉さん、達が……死んだ……のは……私のせいです」

カナヲが息を呑んだのが分かった。

「……ごめんね、……っ、だけど」

また血が出てきた。それでも言葉を続ける。

「……しのぶ、が、……自分、自身…を、毒に……して、……あの…鬼を、弱ら、せ、……私が、その、……頚を、斬る……ことに、なって……た、……私、は……しのぶ、を……止めな……かった、ごめ、ごめ……んね」

喉がヒュウヒュウと鳴った。寒い。あまりの寒さに声が震えた。

「菫様!」

カナヲが叫んで手を強く握ってくれた。

「……許さ、……ないで、ね。一生、……恨みな、さい……、だけど、……」

伝えなければ、これだけは、絶対に。

「カナヲ……よく聞いて。絶対に忘れないで……」

ゆっくりと言葉を絞り出す。

「……しのぶ、は……願って…た、……あなた、や、他の子達、に……明るい、……未来、……を、歩んで……ほしい、と……」

「菫様!もう、もういいです!お願いだから、呼吸をして!」

「……あなた、は、あいつ、とはちが、う。だって、……ほら……大きな、声、で……叫べ、……ている。心の、奥で、……感情、が……燃えて……いる」

 

そうだ。

あんな生きている価値のない、空っぽの鬼とは違う。

違うよ、カナヲ。

全然、違う。

 

 

「愛される、ため……に、……幸せに……なる、……ために、生まれ、て……き……た……」

ゴボっと、また口から出血した。必死に血を口から吐き出す。

もう一つ。もう一つだけ。伝えなければ。

「……たん、じろ……」

「た、炭治郎?」

突然圓城から飛び出した名前にカナヲが戸惑ったのが分かったが、構わず続けた。

「た、……助けて、……あげ、…て……、炭治郎を……あの、子は、……き、ぼう……」

最後まで言葉を続けられず、唇を噛み締める。大丈夫。伝えたいことは、不完全だけど、なんとか伝えられた。思いは、きっと繋がる。

 

 

カナヲ、大丈夫。あなたは繋げることができる。

あなたは胡蝶カナエと胡蝶しのぶの最愛の妹なのだから。

しのぶ自慢の継子なのだから。

 

 

呼吸が徐々に弱くなっていく。寒さで唇が震えた。頭の中が溶けていくような感覚がする。

ああ、でも。

小さく笑った。

うん。悪くない最期だ。

仇を討って、誰かに看取られるなんて、私にしては贅沢な最期だ。

大好きな青空の下で死ねないのは、少し残念。

でも、睡柱・圓城菫らしい最期だ、と思う。

 

 

ねえ、ねえ、聞いて。

 

 

私は、私らしく生き抜いたよ。

 

 

その時、不意にあることに気づいて、圓城は笑った。

 

 

 

そうだ。

私、やっと、ぐっすり眠れるんだわ。

 

 

 

 

 

そう考えると、死に対して楽しみさえ覚える。

大丈夫。何も怖くない。

とっくの昔に準備して、覚悟を決めていたからね。

ああ、でもーーーー

 

 

 

 

しのぶ

 

 

もう一度、逢いたい

 

 

 

 

 

突然そんな感情が湧き出てきて驚いた。そしてぼんやりと考える。

 

 

死んだら逢えるのかな。

でも、私は地獄に行きそうだから、逢えないかも。

ああ、悔しいな。

もう一度だけでいいから、笑顔が見たかった。

その声で名前を呼んで欲しかった。

名前を呼ばれるだけで、嬉しくて、

本当に、嬉しくて、

自分の物じゃない、この名前が大好きになったのよ。

逢いたい

逢いたいよ

さよならも、言えなかった。

ああ、だけど、生まれ変わったら、また友達になってくれるって、言ってくれた。

嬉しかったなぁ。

しのぶ

待ってて。

もう一度、待ってて

私、また、走って行くから。

必ず、行くから

お願い、待ってて

 

 

 

 

次の瞬間、確かに、感じた。

誰かが、頬を撫でてくれた。カナヲじゃない。知ってる。覚えてる。忘れるわけない。この、この温かい感触はーーーー、

瞳から涙がこぼれる。最後の力を振り絞って声を出す。

「……ああ」

あまりの幸せに、顔が綻んだ。

「ーーーーそこにいてくれたのね、……しのぶ」

 

 

ありがとう

 

 

ありがとう、しのぶ

 

 

また、逢おうね

 

 

そして、花が咲いたように笑いながら、圓城菫はその生命を終えた。

 

 

 

 

 

「子分……」

伊之助が呆けたように声を出す。カナヲは涙を流しながら、たった今、息を引き取った睡柱の目を閉じさせた。

「……おやすみなさい、菫様」

 

 

 

 

 

 

鴉の声が響き渡る。

「撃破!!撃破!!胡蝶シノブ・圓城菫ノ両名ニヨリ上弦ノ弐、撃破!!」

その声に、竈門炭治郎と冨岡義勇は顔を上げた。

「カアアーー!!死亡!圓城菫、死亡!!上弦ノ弐ヲ打倒シ、死亡!!」

その言葉に二人とも大きく目を見開いた。

「……しのぶさん……圓城さん」

炭治郎の瞳から涙がこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






もう少し続きます。








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最後の任務

 

 

桜の花が散っている。綺麗。

「しのぶ」

優しい声が、聞こえた。

「しのぶ」

胡蝶しのぶは導かれるように、声が聞こえた方へ、ゆっくりと歩き出す。いつの間にか、周りには枝垂桜が咲いていて、その下にいる人物を見て、顔を輝かせた。

二つの蝶の髪飾り、優しい笑顔で笑っている。ずっと、会いたかった。

「姉さん!」

思い切り、駆け出した。

「しのぶ」

カナエが駆け寄ってきたしのぶを抱き締めてくれた。懐かしい温もり。思わず、涙が滲んでしまう。

「しのぶ、よく、頑張ったわね」

うん。私、姉さんの仇を討ったよ。

「さあ、行きましょう。これからはずっと一緒よ……」

姉さんが手を引いてくれて、また笑った。遠くから、人影が見える。きっと、両親だ。それが嬉しくて、足を踏み出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

『しのぶ』

 

 

 

 

 

 

 

不意に、その声が後ろから聞こえて、しのぶは立ち止まった。そして振り返る。誰も、いない。それでも、そのままじっと遠くを見つめる。

「どうしたの?」

突然立ち止まったしのぶをカナエが不思議そうに見てきた。

「……姉さん」

しのぶは囁くように小さな声を出す。

「私、行かなきゃ」

カナエの手を、離した。

「あの子のところへ、行かなきゃ」

カナエの顔を見つめて、言葉を続ける。

「あの子を、もう二度とひとりぼっちにしたくないの。だから、私が行かなきゃ」

その言葉にカナエが目を見開いて、笑った。そして頷く。

「……行ってらっしゃい、しのぶ」

「姉さん」

「大丈夫。姉さん、ここで待ってるわ。行ってあげて」

しのぶの肩を優しく抱いてくれた。

「あんまり遅くなったら迎えに行くから。だから、気をつけて行ってらっしゃい」

しのぶは力強い瞳でカナエを見返し、しっかりと頷いた。

「ありがとう、行ってきます!」

思い切り駆け出す。カナエが笑って手を振っているのが見えた。

いつの間にか、隊服と羽織を身に付けていた。どこに行けばいいのか分からない。それでも、心のままに、走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、終わっちゃった」

圓城菫は小さく呟いた。目の前には真っ暗な闇が続いている。

死んでしまった。

でも後悔はしていない。

仇は取れたのだから。

まだ鬼舞辻は死んでないけど、大丈夫。絶対に鬼殺隊の剣士達が倒すって分かってるから。

未練はない。

「……私が行くのは、やっぱり、地獄かなぁ」

きっと師範やしのぶは天国にいるよね。

私は天国に行ける気はしない。

「……」

ゆっくりと足を踏み出す。この闇がどこに続いているのか分からない。分からないけど、進むしかない。

大丈夫。前に進むのは慣れている。

もしも行き先が、地獄だったら、あの鬼を何度も殺してやろう。一度殺しただけなんて、不十分だ。

何度でも、殺してやる。

「………あ」

そんな事を思いながら足を進めていた時、不意にある事を思い出した。ピタリ、と足を止める。下を向いて目を閉じた。

『どうか、その強い思いを繋げておくれ。いいね?』

お館様の言葉が脳裏で響く。そうだ。

まだ、仕事が残っている。

まだ繋げなければならない思いが残っている。

死んだからって、任務が終わったわけではない。

ゆっくりと顔をあげて目を開いたその時、後ろから声がした。

 

 

 

「菫」

 

 

 

その声が耳に届いた瞬間、涙がこぼれた。勢いよく振り返る。そこには思った通り、しのぶが立っていて、優しく微笑んでいた。

「しのぶ!」

我慢できずに抱きつく。しのぶも強く抱き締めてくれた。

「ーー勝ったよ、勝ったのよ!」

「うん」

「あの鬼、馬鹿みたいな顔してた!しのぶの毒に、最後まで気づきもせずに!」

「うん」

「しのぶが、倒したのよ!」

「ええ、そして、菫が頚を斬ったわ。約束、果たしてくれたのね」

「うん!」

笑って大きく頷く。体を離して、しのぶの顔を見た。しのぶは涙を滲ませながら、微笑んでいる。圓城も涙を流しながら笑った。

「私ね、しのぶの思いを繋いだわ」

「ええ……」

「そして、また、繋げた。だから、大丈夫。みんなが、必ずやり遂げてくれる」

「ええ。私も、そう確信してるわ」

しのぶが涙を拭うように頬を撫でてくれた。その腕をそっと握る。

「ありがとう、しのぶ。しのぶが頑張ったから、私も最後まで戦えたの」

「あなたを信じていたから、頑張れたのよ。ありがとう、菫。私の思いを繋いでくれて」

「何だか、疲れたわね」

「あんなに戦ったんだもの。当たり前よ」

「……そっか」

「もう、休んでもいいのよ。お疲れ様」

その言葉に、圓城が笑みを消した。何かを考えるように目を閉じる。

「……菫?」

しのぶが不思議そうに声をかけると、圓城が目を開いた。そしてまた微笑む。その微笑みを見て、しのぶは息を呑んだ。それはさっきまでの子どもみたいな無邪気な笑顔ではない。何度も、見た微笑み。

強い意思を秘めた、勇ましい微笑み。

柱の、顔だ。

「……まだよ、しのぶ」

「……え」

「まだ、私達は仕事が、残ってる。最後の、任務だ」

そしてしのぶの腕を掴み、走り出した。

「え、菫!?」

「しのぶ、あっちよ!あそこ!上を見て!!」

圓城が指差した方を見て、目を見開く。闇の中から、炭治郎がゆっくりと落ちてきた。

「炭治郎!」

圓城が叫んで、片腕を炭治郎の体へと腕を伸ばす。しのぶもつられるように腕を伸ばした。片方の腕は炭治郎の体を押し上げ、もう片方はお互いの手を強く握る。

藤の花の匂いがした。ゆっくりとその体を押し上げる。

「がんばれ、炭治郎ーーーー」

押し上げながら圓城は声をかける。炭治郎の耳には届かないかもしれない。それでも、構わない。ただ、言葉をかけ続けた。

「あなたは、帰らなければ。だから、頑張って」

いつの間にか、周りにはしのぶだけではなく、鬼殺隊の柱や隊員達が集まっていた。共に炭治郎の体を押し上げる。

「負けるな、負けるな、炭治郎!!みんなが、待ってるよ!!」

 

 

心を、強くもて。

決して手放すな。

変わるな。

そのままの炭治郎でいて。

あなたがあなたで有る限り、希望は、消えないーー!

 

 

その時、確かに見えた。上に美しい藤の花。

花の中から誰かが腕を伸ばしている。炭治郎がその腕に向かって手を伸ばす。たくさんの腕が炭治郎を引き上げた。圓城は涙を流しながら、微笑んだ。

「……早くおうちへ、お帰り。炭治郎」

渾身の力で思い切り炭治郎を押し上げる。

そして炭治郎は藤の花の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

気がついたら、周囲にはしのぶ以外誰もいなくなっていた。圓城はじっと炭治郎が消えた先を見つめていた。

「……終わったわね」

「……うん」

声をかけると、圓城は笑ってしのぶの方を向いた。笑い返しながらしのぶは言葉を続ける。

「それじゃあ、行きましょうか?」

「……え?」

しのぶの言葉に圓城はキョトンとする。

「……どこに?」

「さあ?でも、ずっと一緒よ、菫。一緒に歩いて行きましょう」

その言葉に目を見開く。

「……一緒に、いてくれるの?」

「当たり前じゃない」

「……私、地獄に行くかも」

「なんでよ。そうなったら無理矢理にでもこちらに引き戻すわ。大丈夫。もう絶対に手を離さないから」

しのぶが強く手を握りしめてきた。

「そばにいたいって、言ったのはあなたなんだから。責任を取りなさい」

「……しのぶの方が、先に、そばにいてくれる?って聞いてきたじゃない」

「あら、そうだったかしら?」

とぼけるようにそう言うと、圓城が拗ねたように唇を尖らせる。その時、圓城の後ろからやって来た人影が目に入り、しのぶは笑った。

「ほら、菫があんまりモタモタしてるから、迎えが来ちゃったじゃない」

「え?」

しのぶの言葉に首をかしげた時、その声が聞こえた。

 

 

 

 

「菫」

 

 

 

 

また、涙がこぼれた。頭を優しく撫でられる。大好きな、温もり。

「よく、頑張ったわね」

優しい、声。

「あなたは、私の誇りよ」

涙を流しながら、後ろを振り向く。

思った通り、そこには大好きな、あの人の笑顔。

「師範」

声が震えた。涙が流れ続けて、止められない。それでも、背筋を伸ばして、胸を張る。

 

 

「師範。圓城菫、ただいま任務を完了致しました」

 

 

そして、笑った。

 

 

 

 

 

 

 





あと二話で終了です。本日中に一話更新します。






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手紙

 

鬼になった少女、竈門禰豆子は人間に戻った。

そして、鬼の始祖である鬼舞辻無惨は、鬼殺隊によって追い詰められ、日の光を浴びて消滅した。千年以上に渡る鬼との戦いが終わった。

多くの被害と犠牲を伴うものだった。一般の隊員はもちろん、柱でさえ命を落とした。

 

 

 

 

竈門炭治郎はベッドの上で一人で外の景色を眺めていた。静かな光景が広がっている。さっきまでいろいろな人がお見舞いに訪れ、騒がしかったのが嘘のように静まりかえっている。お見舞いに訪れた人を見送るため、妹の禰豆子もこの場にいない。

「ごめんください」

その時、誰かの声がして炭治郎は振り向いた。そこに立っていたのは、眼鏡をかけて髭を生やした優しそうな男性だ。一瞬、誰だっけ?と首をかしげたが、すぐに思い出した。

「圓城さんの……」

「はい。使用人を勤めておりました。お久しぶりでございます」

じいやは炭治郎に向かって深々とお辞儀をした。

「お、お久しぶり、です……」

炭治郎は戸惑いながらも頭を下げる。

「お体の調子はいかがですか?」

「は、はい。もうすっかりよくなって……。もうすぐ、家に帰る予定です!」

「それはよろしゅうございました」

じいやはニコニコと微笑みながら言葉を返す。

「あの、圓城さんのことは……」

炭治郎がそう切り出すと、じいやが持っていた鞄から何かを取り出した。

「こちらを……」

「?」

炭治郎がキョトンとする。じいやが差し出したのは封筒に入った手紙だった。

「圓城菫様から、竈門炭治郎様への、お手紙でございます」

「え……」

「戦いが始まる前に、お嬢様からお預かりしました。全てが終わった後、竈門様に渡すようにと……」

炭治郎は驚きながら、それを受け取る。手紙をじっと見つめ、じいやの顔をもう一度見てから、ゆっくりと封を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

『  竈門 炭治郎様 

 

 拝啓 

 

そちらは桜の季節となり、輝かしい春をお迎えのことと存じます。

あなたがこれを読んでいるという事は、私はこの世にいないのでしょう。

どうしてもお伝えしたい事があり、筆を取りました。私はいつも大切な言葉を言えずに、後悔することが多いから、せめて手紙で伝えたかったのです。

 

炭治郎さん、ありがとう。

 

直接この言葉を言えないことを、とても悲しく思います。

最後まで、戦ってくれてありがとう。

あなたの、諦めない強い心が、鬼殺隊を奮い立たせ、鬼舞辻を倒した。

戻ってきてくれて、ありがとう。

あなたが戻ってきたことが、皆の大きな希望になったはずです。

本当に、あなたにはどれほど感謝しても足りないくらいです。

あなたの優しさが、私には眩しかった。

その心の強さに、私は救われたのです。

だから、もう一つ、感謝を伝えます。

 

しのぶと話すように、と言ってくれてありがとう。

炭治郎さん以外からもたくさんの人に、しのぶとの事を心配されました。

多くの人に話すように、と言われました。

怖くて、怖くて、たまらなかったけど、でも、いつかの、あなたの言葉に、背中を押されました。

しのぶから嫌われていない、と教えてくれて、ありがとう。

大丈夫、と言ってくれてありがとう。

あの言葉によって、あなたが想像しているよりもずっと、私は勇気を持つことができたのです。

 

先日、しのぶと話をしました。

四年間の溝は埋まらないかもしれないけど、それでもたくさん、話をしました。

大好きだ、と伝えることができました。

私は、今度こそ、間違えません。

しのぶのために、鬼を滅する刃となります。

私の刃が届かなくても、絶対に思いを繋げます。

 

私は、成し遂げられたでしょうか?

いえ、絶対に出来たはずです。

なぜなら、私は知っているから。

人の思いが不滅であることを。

しのぶの御姉様であり、私の師範でもあるカナエ様に言われました。

人の強い想いと希望だけは、誰にも奪えない。鬼にさえも。

それを覚えているだけで、永遠になる。

決してそれは、なくならない。消えたりはしない、と。

私は忘れません。絶対に。

 

変な話になってしまいましたね。ごめんなさい。

あなたに御礼を伝えたかっただけなのに、長くなってしまいました。

これを書いている今は静かな夜です。

もうすぐ、何にも怯える必要のない夜が来るのだと思うと、限りない嬉しさを感じます。

さっき、しのぶに早く寝なさいと、怒られたので、そろそろ筆を置くことにします。

 

でも、最後に、もうひとつだけ。

あなたは今見ている世界は、私が想像しているよりも、きっと、ずっと美しい世界なのでしょう。

きっと、美しい青空がどこまでも広がっているのでしょう。

世界が変わっても、これからたくさんのつらいことや苦しいことがあるかもしれません。

でも、どうか、挫けないで。

どんなにつらくても、あなたの隣には仲間がいる。

どんなに苦しくても、必ず太陽は昇ります。

必ず明日は来るのです。

その、美しい世界で、心のままに生きてください。

あなたが思うままに、生きてください。

どうか、あなたにとって、これからの未来が明るく優しいものでありますように。

たくさん幸せになれますように。

では、また逢う日まで

ごきげんよう

 

 

                    敬具

 

                    圓城菫

 

 

追伸

 

カナヲのこと、よろしくお願いします。私から言う事じゃないかもしれないけど、とても優しくて、強い子です。私の大切な人達の、大切な大切な、妹です。私にとっても、可愛い妹のような子です。支えてあげてください。どうか、幸せに。 』

 

 

 

 

炭治郎の瞳からポタポタと涙がこぼれ、手紙に落ちる。全てを読み終わった後、微かに笑いながら口を開いた。

「すごい、ですね。圓城さん、まるで俺達が勝つのが、分かってた、みたいです」

「ええ、分かっていましたよ、あの方は。絶対に負けるわけがない、と確信しておりました」

炭治郎はじいやの方へ顔を向けた。

「……圓城さんは、俺が、禰豆子のことで、裁判に、かけられた時、唯一、庇ってくれたんです…」

「はい。存じております」

「……すごい、人だった。強くて、優しくて、温かい、……本当に、すごい人でした……」

その言葉にじいやが笑った。

「そうですか。竈門様の前ではそうでしたか」

「え?」

じいやの言葉に炭治郎がキョトンとする。

「……あの方は、私の前では、本当に我が儘で、高飛車で、意地っ張りで、泣き虫なくせに必死に一人で我慢していて、……本当に困ったお嬢様でした……」

じいやは今にも泣き出しそうな表情でそんなことを言う。その言葉は確かな温もりがあった。

「……どれが、本当の圓城さんなんですか?」

「全てです」

炭治郎の言葉に、じいやがきっぱりと答える。

「我が儘で意地っ張りで、泣き虫で、………それでも優しく強い柱であろうと常に心がけていました。あの方の師範である、カナエ様のようになりたい、と……」

じいやがまた笑った。

「竈門様にそう思われていたのならば、何よりでございます。」

そして再び頭を深く下げた。

「お嬢様の最後の思いを受け取って頂き、感謝申し上げます。ありがとうございました」

炭治郎はまた泣きそうになった。頭を上げたじいやに声をかける。

「……あの、あなたは、これからどうするんですか?」

その問いにじいやが笑って答えた。

「お嬢様はたくさんの物を残していきましたから……微力ながら、それを繋いでいこうと思います。」

そしてまた頭を下げて静かに部屋から出ていった。炭治郎はその後ろ姿を見送り、再び圓城の手紙を最初から読み直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

栗花落カナヲは縁側に座り、蝶屋敷の庭を静かに見つめていた。

花が咲き乱れ、蝶が飛んでいる。手を伸ばすと、その指に蝶がとまった。

目を閉じて、思いを巡らせる。いつも思い出すのは、カナエ姉さんやしのぶ姉さんの笑顔。この静けさと寂しさに慣れるのは時間がかかりそうだ。

そして、

 

『……許さ、……ないで、ね。一生、……恨みな、さい……』

 

あの人の言葉が胸に響く。そっと蝶の髪飾りに手を当てる。指にとまっていた蝶が離れて、舞うように飛んでいった。

 

 

あの人の覚悟は、痛いほど、分かる。

命を懸けたしのぶ姉さんと共に、鬼を倒した強い人。

恨むことなんて、できない

だって、あなたが、仇を取ってくれた。

 

 

カナエ姉さん しのぶ姉さん 菫様

私、自分の意思を叫べるようになりました。

表か裏か、それしかなかった私は、

自分の心の声が聞こえるようになりました。

今なら、表か裏かなんて気にせずに、

全部選ぶことだって、できます。

 

 

懐から銅貨を取り出す。しばらく見つめて、苦笑しながらピンと弾いた。弾かれた銅貨を受け止めようとした瞬間、誰かの笑い声が聞こえて、ハッと前を向く。カナヲのすぐそばで、音を立てて銅貨が落ちた。

蝶屋敷の静かな庭に圓城菫が立っていた。

カナヲは大きく目を見開く。圓城はフワリと優しく笑った後、大きく手を振った。そして後ろを向いて、どこかへと駆け出す。

「……あ、」

思わずカナヲは声をあげた。駆け出した圓城が、ふと立ち止まり、右を向く。何かに気づいた表情をすると、今度はカナヲの方へ振り向いた。人差し指を口に当てて微笑む。

「………す」

「カナヲ!」

右からやって来たのは炭治郎だった。名前を呼ばれて、そちらへ顔を向ける。炭治郎が手紙らしき物をカナヲに差し出してくる。

「これ、圓城さんが……」

「菫、様……」

カナヲは再び顔を庭に向けた。もう庭に圓城の姿はなかった。静かな景色が広がっている。

「カナヲ、どうした?」

「……今、」

幻、だったのだろうか。

「カナヲ?」

「……なんでもない。それより、炭治郎、どうしたの?」

「これ、この手紙。圓城さんから、手紙をもらったんだ」

カナヲはその言葉に大きく目を見開いて、それを手に取る。

そして、全てに目を通して、泣きそうになりながら笑った。

「……菫様」

その手紙を強く抱き締めた。

最期に握った傷だらけの、手。あの時は、冷たかった。でもカナヲの手を力強く握ってくれた。

 

 

 

どうか、幸せに

 

 

 

手紙の最後の一言が、胸に響く。

 

 

 

 

『愛される、ため……に、……幸せに……なる、……ために、生まれ、て……き……た……』

 

 

 

声が。

 

 

あの時の、あの人の言葉が、脳裏に響く。

 

 

ーーーー愛されるために、生まれてきた

 

 

ーーーー幸せになるために、生まれてきた

 

 

私は、生きている。

 

 

そして、これからも、心のままに、生き抜く。

 

 

必ず幸せに、なってみせる。

 

 

 

菫様、私、忘れません。

 

 

あなたとしのぶ姉さんの笑顔を。

 

 

『時々、想像するの。争いがなくて、誰も戦う必要がなくて、家族を愛して、友達と語り合って、何にも怯える必要のない、平和な未来を』

 

 

あの日の言葉を、忘れない。

 

 

『でも、待ってるだけじゃ、それは来ないから。だから、ね。私は作りたいの。平和な世の中を、未来を。カナヲさんが生きる世界はそんな希望のある世界であってほしいなぁ』

 

 

私はあの時の光景を、大好きな人達の笑顔を、握ってくれた手の温かさを、真っ直ぐな瞳を、尊い願いを、

 

 

きっと、死ぬまで忘れないでしょう

 

 

 

 

 

カナエ姉さん 

 

しのぶ姉さん

 

菫様

 

 

ありがとうございました

 

 

 

慰めるように炭治郎が肩を抱いてくれる。

その手は、あの人よりも、大きくて、そして、泣きたいほどにーーーー、

 

 

温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あと一話で最後です。日付が変わる頃に更新します。


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夢で出逢えたから

 

 

夢を見た。

とても幸せな夢。

×××と×××が二人並んで幸せそうに笑ってる。

×××が何かを言って、×××が怒った。でもすぐに笑いだす。

大好きな、二人の笑顔。

遠くから見てるだけで、とても幸せ。

あまりの多幸感にうっとりしていると、二人がこちらを向いた。揃って近づいてくる。

×××が頭を撫でてくれた。

×××が手を握ってくれた。

その温かさが愛しくて、涙があふれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女は涙を流しながら目を覚ました。ベッドの上でぼんやりとする。

とても幸せな夢を見た。昔から、よく見る夢。泣きたいほどに、幸せな夢。この夢を見るだけで、いつも泣いてしまう。

悲しい夢なんかじゃない。幸せに満ちた、温かい夢。なのに、目を覚ますと、いつも泣いてしまう。

なんでだろう?

「ちょっとー!そろそろ起きなさーい!ごはん出来たわよ!」

母親の声が聞こえて、顔をしかめる。ゆっくりと起き上がり、時計に視線を向けた。そして大きく目を見開く。

「うっそ……」

勢いよく立ち上がり、慌ててパジャマを脱いだ。準備しておいた制服に袖を通す。リボンを結びながら、部屋から飛び出した。

「もう、お母さん、もっと早く起こしてよ!」

「えー?まだ間に合うでしょ?」

母親はのほほんと言葉を返してきた。テーブルの上に用意されていた朝食をかきこみながら、言葉を返す。

「今日が転入初日だから、早く行こうと思ってたの!!」

「あらあら」

母親が困ったように頬に手を当てた。

「ねえ、お母さん、やっぱり一緒に行きましょうか?初日なんだし……」

「え、いいよ。別に。一人で大丈夫」

牛乳をコップに注ぎながら首を振った。

「悪いわね、お父さんの転勤で、学校も変わっちゃって……」

「もう、何度それ言うの。本当に大丈夫だから。なんかすごく雰囲気の良さそうな学校だったし」

一度転入手続きのために訪れた学校は女子校で、明るい雰囲気だった。母親がにっこり笑う。

「鶺鴒女学院の制服、似合ってるわねぇ」

「えへへ、そうかな?」

少女はその言葉に思わず笑ったが、こんなことをしている場合ではない、と気づいて素早く牛乳を飲み干し、身を整えるために洗面所へと向かう。

リビングのテレビでは、ニュースが流れていた。

 

 

 

『創業100年を越える企業【ENJYO】が、新しくアパレルブランドを立ち上げました。スミレの花と蝶のロゴが特徴的で、最新トレンドからベーシックなものまで、小物なども取り揃えており……』

 

 

 

「あら、可愛い」

ニュースをのんびりと見ている母親の横を、少女は鞄を持ちながら勢いよく通りすぎて、玄関から飛び出す。

「行ってきまーす!」

「はい、行ってらっしゃい」

母親が笑顔でその後ろ姿を見送った。テレビはそのままニュースを流し続ける。

 

 

 

『次のニュースです。日本最高齢記録が更新されました。取材に応じてくださったのは、最高齢を記録した、産屋敷さんで……』

 

 

 

澄みきった青空が広がっている。いい天気だ。少女は走る。転入初日はできるだけ余裕をもって早めに学校に行くつもりだったのに。まあ、遅刻はしないだろうが。周りでは少女と同じような学生やサラリーマン達が足早に歩いていた。

角を曲がった時、ドン、と誰かとぶつかった。同じ年くらいの少年だ。

「あっ、ごめんなさい!」

「いえ……」

一瞬だけ、その少年と目が合う。少年は何故か驚いたような顔をしたが、少女は気づかずに、謝りながら頭を下げると足早に去っていった。

「………」

走り去る少女の後ろ姿を見つめて、少年は首をかしげた。

「カナタ、どうしたの?」

少し離れた所を弟と歩いていた、髪の長い少女が声をかける。カナタと呼ばれた少年は首をかしげながら言葉を返した。

「……なんでも、ないよ。燈子」

 

 

 

 

 

 

少女は走り続けた。学校まで、もう少し。その途中で、何人かの同じ制服を着た少女達が登校しているのを見かけた。

急に不安と緊張に襲われる。

新しい学校で、友達、できるかなぁ。

その時、後ろから声が聞こえた。

「あっ、ちょっと、ハンカチ、落としましたよ!」

その声に反応して、立ち止まり、後ろを振り向く。そして、目を見開いた。

同じ鶺鴒女学院の制服を着た少女が二人、そこにいた。リボンを髪に着けた、姉妹らしい、二人の少女。紫色のリボンを着けた子が、ハンカチを手に取って、こちらへと差し出している。

その姉妹を見た瞬間、奇妙な感覚に襲われた。なんだろう、これは。

 

 

ーーーーもう一度、待ってて

 

 

あれ?

 

 

ーーーー死んでも忘れない

 

 

なに、これ?

 

 

ーーーーこの世で一番、大好き

 

 

 

 

 

 

 

『大好きよ』

 

 

『忘れないでね。私の思いを』

 

 

『私、待ってるわ。あなたを、ずっと、待ってる』

 

 

 

 

 

 

脳裏で声が響いた。懐かしい、声。心が揺さぶられる。

この気持ちはなんだろう。

あの、泣きたいほどに幸せな夢を、見た時みたい。

自分で自分がよく分からない。

でも、たった一つだけ、分かる。

すごく、幸せなの。

 

二人の少女もこちらを見つめてくる。不思議そうな表情で、二人揃って首をかしげている。

 

 

その姿を見て、胸がいっぱいになる。幸せで心が満ちているはずなのにーーーー、

 

 

何故か涙があふれそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

道端にスミレの花が咲いている。その花に誘われるように蝶がとまった。

少女達を祝福するように、スミレの花がフワリと揺れると、蝶は青い空へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「夢で逢えますように」本編完結です。
約三ヶ月かけて、何とか無事に終わらせることが出来ました。
読んで頂いた多くの方々、しおりを挟んで下さった方々、お気に入り登録していただいた方々、様々な感想を下さった方々、ありがとうございました。
元々は、お金持ちのお嬢様が鬼殺隊に入って活躍する、みたいな薄い設定で物語を考えていました。しかし、漫画でしのぶさんの最期を読んで、もしも彼女に、カナヲという継子ではなく、全てを託せる友人がいたらどうなっていたのだろう?と考えて、この話を作りました。
ぼんやりした設定ですし、戦闘描写が苦手なため、読みにくいところがあったと思います。結末に納得できない方もいると思われます。不快にさせた方がいたら申し訳ありません。
でも彼女の物語はここで終わらせると決めていました。
本編は完結しましたが、キメツ学園世界に転生した主人公の話を考えています。本編ではあんまりしのぶさんと仲良くさせてあげられなかったので、できれば書きたいと思っています。
興味のある方がいましたらまた読んでくれると嬉しいです。
最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。




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キメツ学園ifストーリー
序章


◆注意!
こちらは「夢で逢えますように」の番外編です。キメツ学園が舞台のifストーリーとなります。少々特殊な世界観になります。キメツ学園世界に転生した主人公がいろいろ苦労する話。











 

 

少女はマンションのベランダからぼんやりとその景色を眺めた。高いビルや家がごちゃごちゃと並んでいる。

上を見上げると、抜けるような青色の空が広がっていた。不意に少女は空へ向かって手を伸ばす。まるでその青空を掴もうとするように、遠くへ遠くへと手を伸ばした。そして、そんな自分の行動に首をかしげて、腕を下ろした。

 

 

 

 

少女は、セーラー服を身に付け、自宅であるマンションから出て、ゆっくり歩き出した。少女は、最近まで有名なお嬢様学校に通っていた。しかし、ある事情で来週から他の学校に転校することになった。お嬢様学校の制服であるこのセーラー服を着るのも、今日が最後になるだろう。もう少ししたら、転入する学校の制服が届く予定だ。今日はその学校に挨拶と転入の手続きをしに行くことになっていた。

やがて、来週転入する予定の学校に到着した。正門には「キメツ学園」と書かれている。しばらくその広大な学舎をじっと見つめて、やがて何かを決心したような顔をすると、その建物に足を踏み入れる。

スリッパを履いて、少し歩くと、すぐに職員室を見つけた。少し躊躇った後に、扉をノックしてガラリと開ける。職員室にいた教師達が一斉にこちらへ視線を向けた。その視線を受け止め口を開く。

「失礼します。突然すみません、私、来週転入する予定のーーー」

入り口でそう言った時だった。

「………菫!」

教師と思われる、頭の両サイドに蝶の髪飾りを着けた綺麗な女性が駆け寄るように近づいてきて、少女に抱きついてきた。少女は突然の出来事に戸惑い、狼狽して身体が固まった。

「菫!よかった、ずっと会いたかったの……っ、」

女性が感極まったように言葉を続ける。一瞬呆気にとられた少女は我に返ると慌てて女性から身体を離した。そして口を開く。

「あの、……人違い、です」

「……は?」

女性がポカンと口を開けた。

「……菫?なに言って……」

「いえ、あの、私、菫という名前ではありません」

女性だけでなく、周囲の教師達が訝しげな顔をした。少女は彼らに向かって頭を深く下げた。

「初めまして。来週、この学校に転入予定の、八神希世花と申します。本日は手続きと挨拶に伺いました。よろしくお願いいたします。」

そう言って頭を上げると、目の前の女性が呆然と口を開け、固まっているのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※八神 希世花

前世は睡柱・圓城菫。キメツ学園世界で、なぜか前世の本名で生まれてしまった。前世の記憶は一切ない。記憶がないのと名前が違うということで、キメツ学園に転校してきてから、前世の関係者達を大いに混乱させた。

実家は資産家で、お嬢様育ちだが、いろいろあって現在はマンションに独り暮らし。

前世の睡眠不足を解消するかのごとくよく寝る。成績はいいが、授業中の居眠りの常習犯で、ある意味学園の問題児。

部活は胡蝶カナエによって強引に華道部に入部させられた。

特技はダーツ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




設定としてはこんなところです。
主人公以外は前世の記憶あり。
本編の雰囲気が好きだよ、という方は要注意。
かなり人を選ぶ作品だと思いますので、閲覧は自己責任でお願いいたします。
更新はゆっくりになります。






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胡蝶しのぶは激怒した

 

 

「なあ、八神よォ、お前、前世って信じるか?」

突然目の前の人物がそう言ったため、八神希世花は顔を思い切りしかめた。

「……先生」

「ん?」

「そういった宗教の勧誘はお断りいたします」

「ちげェわ!」

不死川実弥は叫んだ。

 

 

 

「……でよォ、鬼殺隊は、犠牲をたくさん出しながらも、鬼舞辻の野郎を皆で倒したんだ。100年ほど前の話になるな。あの頃は忙しかったぜ」

「へぇ……」

希世花はぼんやりとプリントに数字を書き込み、顔を上げた。

「創作ものとしては、かなり面白いです。意外ですね、先生にこんな才能があるなんて」

「……おう」

「鬼殺隊を支える『柱』かぁ。なんか、かっこいいですねぇ」

「そ、そうかァ」

顔をポリポリと掻く不死川に、プリントを渡し、希世花は大きなため息をついた。

「……はぁ~」

「なんだ、そのため息」

「いやぁ、私、花の女子高生なのに、放課後に遊ぶことも出来ず、補習を受けながら数学教師の少年マンガ的壮大ストーリーを聞かされる現状について、憂いを感じていました……」

「補習を受けてるのはテメェが授業中居眠りして小テストが白紙だったからだろうが、ボケェ!」

丸めた教科書でスパァンッ!と頭を叩かれた。希世花は苦笑した。

「すみません。気がついたらグッスリ寝てて…」

「てめェ、本当は全然反省してねェだろ」

不死川がプリントを採点しながら睨んでくる。

「してますよ。私だって本当は寝たくないんです。でも睡魔には勝てないんですよー…」

「本ッ当にいい加減にしろよ。煉獄の爆音授業をBGMに気持ち良く昼寝できる猛者はてめェくらいだ…」

「……煉獄先生、怒ってました?」

「いや、逆に感心してたぜ。『よもやよもやだ!俺の授業で寝るとは、とんでもない度胸だな!』とかいってたな」

「いやぁ、それほどでも…」

「言うまでもないが、褒めてねェからな」

プリントを採点し終わった不死川は、それを希世花に返す。

「ほら、満点だ」

「ありがとうございました」

「おめェもよ、実力はあるんだからもう少し授業は真面目に受けろォ。そのうち伊黒のヤロウから磔にされてペットボトルロケット食らうぞ」

「伊黒先生、そんなこと生徒にするんですか…」

「お前がかろうじて刑を食らっていないのは、成績だけはいいのと、胡蝶が止めているからだ。感謝しろ」

「……あー」

希世花は複雑そうに笑い、不死川から視線をそらした。それを気にも止めずに不死川は立ち上がる。

「そんじゃ、補習は終わりだ。気をつけて帰れ」

「はい。ありがとうございました」

ペコリと頭を下げて希世花は立ち上がり、鞄を持った。素早く移動し、教室のドアを開ける。そのまま出ていこうとしたところで、不死川が再び声をかけてきた。

「八神」

「はい?まだ何か?」

希世花が振り向くと、不死川が静かに問いかけてきた。

「ーーーーお前、本当に思い出さねェのか?」

不死川のその言葉に首をかしげる。

「何か追加の宿題がありましたか?」

「……いや、なんでもねェ」

「……?失礼しました。先生、さようなら」

「おう」

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

教室を出て足早に昇降口へと向かう。靴箱から革靴を取り出して、履いていると声をかけられた。

「あら、八神さん。今から帰るの?」

その声に希世花の顔が大きく引きつった。恐る恐る振り返る。

「……胡蝶、先生」

「八神さん、明日は部活に来れるかしら?最近あんまり参加してないみたいだけど……」

胡蝶カナエが少し首をかしげながら聞いてきた。

「……すみません。えーと、勉強が忙しくて、なかなか時間がなくて……」

希世花はその言葉に言い訳をするようにモゴモゴと返した。希世花は華道部に入っている。というか、転入してから半ば強引に入部させられた。だが、あまり活動はしていない。

「そうなの?アオイやカナヲも寂しがっているし、明日は来れるかしら?」

カナエがそう聞いてきて、希世花は目をそらした。勉強が忙しいのは本当だ。ただ、部活に参加できない一番の理由はーーーー、

「あら、八神さん。補習終わったんですか?」

後ろから聞こえたその声に一気に鳥肌が立った。

「ひぃっ……」

思わず情けない悲鳴が漏れる。そして素早くカナエの背中に隠れた。

「あら、しのぶも今から帰るの?」

「ええ。フェン部も終わったし」

カナエの背中に隠れて必死に気配を消すが、すぐに目の前に綺麗な顔が現れた。クラスメイトであり、カナエの妹でもある胡蝶しのぶだ。

「八神さん、補習、どうでしたか?」

「こ、胡蝶、さん……」

生唾を飲み込んで、少し後ずさりをする。

「思ったよりも、補習が終わるの、早かったですね。もう居眠りはダメですよ」

「………はい」

「それじゃあ、一緒に帰りましょうか」

「え゛っ……」

しのぶの言葉に思わず変な声が出る。

「あら、仲良しねえ」

「姉さんは?まだ帰れないの?」

「仕事が残ってるから、もう少ししたら帰るわ」

「じゃあ、先に帰るわね」

胡蝶姉妹が会話を交わしているうちにこっそりと逃げ出そうとしたが、ガッシリとしのぶに腕を掴まれ逃げられなかった。

「あ、あの、私、寄るところがあるから…!」

「あらあら、じゃあご一緒しますよ。どこにです?」

「いや、胡蝶さんに悪いし、先に帰って……」

「そんなつれないこと言わないでくださいよ。さあ、早く行きましょう」

そのまま希世花はズルズルとしのぶに引きずられるようにして校門へと向かっていった。昇降口でカナエが笑顔で手を振っているのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八神希世花は胡蝶しのぶが怖い。

最初はなんて綺麗で優しい子なんだろうと思ったものだ。

しかし、今は怖くて怖くて仕方ない。

初めて出会ったのは、今の学校に転校したその日だった。

「……青花女学園から転校してきました、八神希世花です。よろしくお願いいたします」

転校初日、新しいクラスで挨拶をし、ペコリと頭を下げる。新しいクラスメイト達の強い視線を感じた。

「じゃあ、席はあの一番後ろ。胡蝶しのぶさんの隣ね」

担任に示された一番後ろの端っこの席へ向かい、腰を下ろす。右隣から強い視線を感じて、そちらへ顔を向けると、胡蝶と呼ばれた生徒が希世花をじっと見つめていた。わあ、綺麗な子だなぁ、と思いながら、希世花は笑顔で頭を下げた。

「胡蝶、さん?初めまして。よろしくお願いいたしますね」

その言葉に胡蝶しのぶは大きく目を見開くと、同じように笑って

「はい。よろしくお願いします、八神さん」

何故かその口調が強くて、怒っているような印象を受けた。実際顔は笑っているが、目は全然笑っていない。青筋まで浮かんでいる。

え?私、なんか怒らせるようなことした?と考えているうちに授業が始まってしまったため、そちらに意識が向いた。胡蝶しのぶは顔に青筋を浮かべたまま希世花をまだ見つめていた。

最初、胡蝶しのぶはとても優しくて親切だった。学園内を案内してくれたり、授業の進み具合を教えてくれたり、クラスメイトを紹介してくれた。怒ったように感じたのは自分の勘違いだったのだろう、と希世花は安心した。時々しのぶが何かを言いたげに自分のことをじっと見つめてくるのが気になったが、新しい学園生活は順調な滑り出しだった。

それが間違いだったと気づいたのは転校した翌週のことだった。

「八神さん、これ、どうぞ」

「?なあに、これ?」

「私が作った特製ドリンクです。とっても体にいいんですよ。ぜひ飲んでみてください」

「わあ、ありがとう」

しのぶにボトルに入った変な色のドリンクを手渡された。あまり人を疑うことを知らない希世花は喜んでそれを受け取り、すぐにボトルに口をつける。そのドリンクが喉を通った瞬間、この世のものとは思えないその味に目を白黒させた。

「……あ、の、なに、これ……?」

「あら?お口に合わなかったですか?」

「う、ううん!そんなことないわよ!」

しのぶが悲しい瞳をしたため、慌てて首を振った。

「よかった。ぜーんぶ、飲んでくださいね」

「……はい」

しのぶがニッコリ笑い、希世花は顔を引きつらせて頷いた。結局吐きそうになりながらそのドリンクを飲み干した。その夜は自宅で一晩中便座の前に座り込み、トイレとお友だちになった。

その次に渡されたのはクッキーだった。

「これ、どうぞ。家で妹と作ったんです」

「あ、ありがとう……」

しのぶのドリンクが軽いトラウマとなった希世花は顔を真っ青にさせながら受け取った。

「……家に帰ったら、食べるね」

「食べてみてください。今、ここで」

「えっ」

「感想が知りたいんです。さあ、早く」

そう言われて紙袋から恐る恐るクッキーを一つ取り出す。見た目は普通のクッキーだったため、意を決してそれを齧った。その味に一瞬目眩がした。

「……っ、と、とても個性的な味、ね……」

「健康によく効く薬が入っているんですよ。頑張って作ったんです。全部食べてくださいね」

「……」

その言葉に内心泣きそうになりながら、なんとか頑張ってクッキーをたいらげた。結果、体調を崩し、翌日学校を休むことになった。

それ以降も特製のお弁当だったり、ジュースだのケーキだの様々な食べ物をプレゼントされ続けた。そのどれもが変な薬が入っており、凄まじい味だった。

ここまで来ると、ようやく希世花は悟った。

自分は、この胡蝶しのぶというクラスメイトから命を狙われている。薬学研究部に在籍している彼女は何らかの毒か薬を、自分に飲ませようとしている。

なぜそんなに恨まれているのか分からない。分からないが、底知れぬ恐ろしさを感じた。

それからはなるべくしのぶのことを避け始めた。しかし、避けようとすればするほどしのぶはどんどん近づいてくる。

一度しのぶの姉であり、教師でもあるカナエに泣きついて助けを求めたが、

「あらあら、あの子ったら仕方ないわねえ。それよりも八神さん、転校してきてから、部活、入ってないでしょう?華道部に入ってちょうだい。聞くところによると、華道を習っていたことがあるんでしょう?経験者なら、ぜひ入ってほしいの」

などと、誤魔化された挙げ句、強引に華道部に入部させられた。これも失敗だった。華道部としのぶの部活は部室が近いらしく、ますますしのぶとの接点が増えた。しのぶがよく華道部の部室に顔を出すため、希世花は部活を避けるようになった。まあ、カナエが何かを言ってくれたらしく、最近は変な食べ物をプレゼントされることは無くなったが、それでも希世花はしのぶが怖い。何故かいつも距離を詰めてくるし、いつの間にか監視するようにじっと見つめられているのだ。その視線は、まるで肉食獣に睨まれているような恐ろしさがあった。

 

 

 

 

 

チラリと隣を歩くしのぶの横顔を見る。穏やかに笑っているが、その笑顔が怖くて目が合う前にサッとそらした。

「八神さん、どこに寄りたいんですか?」

「……いや、やっぱりこのまま、まっすぐに帰る……」

「あら、もしよければ何か食べにいきませんか?アオイの家の食堂とか……」

「い、いや、宿題もあるし、今日はやめとこうかな……」

しのぶの前で何かを食べるのは、薬を盛られそうで恐ろしい。震えながらそう答えると、しのぶは

「あら、残念」

と、肩をすくめた。

希世花はこっそりとため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胡蝶しのぶは隣を歩く希世花をこっそりと見つめた。

ずっと、ずっと彼女に逢いたかった。この世界に生まれ変わって、 かつて鬼狩りをしていた頃の仲間達に会った。姉さんやカナヲはもちろん、鬼殺隊の柱や隊員もこの世界に存在していたし、全員記憶もあった。なのに、菫には会えなかった。あの子がずっと願っていた平和で穏やかな世界なのに、肝心のあの子がいない。もしかしたら菫は今世には居ないのかもしれないとまで考えた。しかし、それは覆された。

ある日、姉である胡蝶カナエが真っ青な顔で学校から帰ってきた。フラフラとソファーに座り込み、呆然としている。

「カ、カナエ姉さん?」

「どうしたの?顔が真っ青よ」

カナヲと共に戸惑いながら声をかけると、カナエが口を開いた。

「……いたの」

「何が?」

「いたのよ、菫が……」

その言葉にカナヲは目を見開き、しのぶは息を呑んでカナエの肩を勢いよく掴んだ。

「どこ!どこにいたの!?」

「し、しのぶ、ちょっと落ち着いて……」

「教えて!どこにいたの!?」

詰め寄るようにそう聞くと、カナエは言いにくそうに口を開いた。

「……菫、なんだけど、違うかもしれない」

「?なにそれ、どういうこと!?」

「来週、しのぶのクラスに転校する予定らしくて、挨拶に来たの。……でも、あの子、私に向かって、……“初めまして”って言ったのよ」

「……は?」

「記憶が、ないみたいなの……」

「……はあ?」

しのぶは呆然と口を開いた。全員記憶があるのに、あの子だけそれがない、なんて。

そんな馬鹿な。

「……でも、菫様、なんですよね?」

カナヲの問いかけにカナエが首をかしげた。

「それがね、おかしいのよ。あの子の名前、八神希世花っていうらしいの」

「……え?」

「不思議よね。あの子だけ名前が違うなんて。やっぱり別人なのかしら……」

その言葉にしのぶが微かに目を泳がせた。その様子にカナエが目敏く気づいた。

「……しのぶ、あなた何か知ってるわね?」

「……知らない」

「しのぶ、知ってるわね?」

「……しのぶ姉さん」

「……」

今度はしのぶが姉と妹に詰め寄られる。しばらく粘っていたが、その勢いに負けたしのぶは渋々口を開いた。

「……そもそも、あの子の前世の名前、偽名だもの」

「……は?」

カナエとカナヲが眉をひそめて顔を見合わせた。

「どういうこと?」

「……」

しのぶは言いにくそうにしていたが、圓城菫という名前が戸籍上の名前であり、偽名であることを話す。全てを聞いたカナエはショックを受けたように固まり、カナヲも呆然としていた。

「じゃ、じゃあ、あの子はやっぱり菫なの?それともちがうの?もうわけが分からないわ……」

カナエが混乱したように呟いた。

その次の週、カナエが言った通り、前世の友人はしのぶのクラスに転入してきた。

「……青花女学園から転校してきました、八神希世花です。よろしくお願いいたします」

その顔を見た瞬間、確信した。彼女は間違いなく圓城菫だ。違うのは名前だけで、その顔も、声も、雰囲気も彼女そのものだった。

隣の席に座った彼女をじっと見つめる。しのぶは一縷の望みをかけていた。自分と会ったら、彼女は前世を思い出すかもしれない、と。

しかし、それは大きな間違いだった。

彼女はしのぶに視線を向けると、

「胡蝶、さん?初めまして。よろしくお願いいたしますね」

と笑った。

笑顔でそう挨拶をする彼女。 漸く会えた。再会に心が弾み、歓喜したのはこっちだけ。視線が合って、しのぶのことを認識したのに、彼女は何も思い出さない。その瞳にかつての熱はもうない。他の人間を見る時と同じ瞳。

 

 

『本当はね、一つだけ、叶えたい願いがあるの。もし、もしも、……あなたと、同じ世界に生まれ変わることができたら、その時は………』

 

 

前世の彼女の言葉が心に、響く。

 

 

『その時は、また友達になってくれる?そばにいても、いい?』

 

 

そう願ったのは彼女の方だった。

私は、覚えている。あの時の彼女の言葉を。涙を。

なのに、彼女は全てを忘れた。いともあっさりと。

 

胡蝶しのぶは激怒した。必ず、彼女の記憶を取り戻さねばならぬと決意した。

怒りやら悲しみやらショックやらで脳内がごちゃごちゃになったしのぶの行動は早かった。

まずは在籍している薬学研究部で記憶中枢を刺激する薬を開発し始めた。その薬をジュースやらお菓子やらに混ぜて彼女に摂取させる。残念ながら薬の効果は出なかったうえに、彼女は体調を崩したらしい。そのせいか、しのぶに対して怯えたような様子で避けるようになってしまった。流石にカナエに怒られたので薬に頼るのは中止した。

しかし、胡蝶しのぶは諦めない。

彼女は怯えた様子でしのぶのことを避け始めたが、そんな事に構わず距離を無理矢理縮めていく。

いつか彼女が全てを思い出すように願いを抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※胡蝶 しのぶ

やっと再会できた友人にあっさりと「初めまして」と言われて血管がブチ切れた人。

記憶中枢に効果のある薬を開発し、主人公に飲ませようと試行錯誤した結果、怯えられ避けられるようになって、またブチ切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






思い出してほしいしのぶさんと、思い出せない主人公の攻防。
しのぶさんと仲良くさせたかっただけなのに、どうしてこうなったんでしょうね。


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胡蝶カナエは首をかしげた

 

「あ、不死川くん、お疲れ様ー。」

『おう』

「それで、どうだった?あの子のこと。探ってくれたんでしょ?」

『ああ。ダメだな、ありゃ。全然思い出さねェ』

「やっぱり?」

『鬼殺隊やら柱やら話してみたが、創作ものとしてはかなり面白いですね、とか言いやがった。ダイレクトに前世って信じるか?って聞いてみたら、変な宗教やってるんじゃねェかって誤解された』

「あらあら、困ったわね~」

『別によォ、無理して思い出させる必要はねぇだろ?』

「まあ、そうなんだけど、しのぶが怒っちゃってて……」

『あー……、お前の妹と継子って前世でも今世でもややこしいっつーか、拗らせまくりだなァ……』

「うふふ。そこが可愛いんだけどね~」

『はあ……』

「でも最近はしのぶを怖がって部活にも来てくれなくなっちゃったのよ。困ったわ…」

『そりゃ、お前の妹が全般的に悪い』

「しのぶも一生懸命なのよ……最近は少し落ち着いてきたけどね……」

『ところでよォ』

「なあに?」

『教え子に変な宗教やってんじゃねェかと疑われ、ドン引きされた俺のメンタルケアはしてくれねェのかィ?』

「うふふ。今度焼き肉おごるから」

そして胡蝶カナエはスマホを切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八神希世花は独り暮らしだ。そうなった経緯はいろいろと長いので省くが、独り暮らしならば、当然家事全般する必要がある。

学校に通いながら家事をするのはなかなか大変ではあるが、その中でも苦労しているのが料理だ。希世花の料理スキルは決して高くない。特に早起きして、お弁当を作るのはかなりきつい。そもそも希世花は朝が苦手だ。お弁当を作る時間があるのならば、一秒でも長く寝ていたい。独り暮らし当初は頑張っていたが、早起きするのが厳しくなってきたため、最近はお弁当作りを完全に諦めた。なので、

「……」

『かまどベーカリー』と書かれた看板をチラリと見てから、そのパン屋の扉を開いた。チリン、と鈴のような音がする。

「あら、いらっしゃいませー」

もうすっかり顔馴染みになった、パン屋の奥さんにペコリと挨拶をすると、トングとトレイを手に取った。今日は午後に体育の授業があるから、なるべく腹持ちのいいパンを選ばねばーー、

「あ!えん……、じゃなかった、八神先輩、おはようございます!」

「……おはよ」

「いつもありがとうございます!!」

店の奥から、大量の焼きたてパンを手に顔を出したのは、このパン屋の息子であり後輩でもある竈門炭治郎だった。ニコニコ笑いながら、すっかり常連になった希世花に話しかけてくる。

「今日のオススメは塩パンです!ほら、焼きたてなんですよ!」

「……じゃあ、ひとつ」

「ありがとうございます!あとは、このサンドイッチも美味しいですよ!」

「……ひとつ」

「ありがとうございます!」

輝くような炭治郎の笑顔を眩しく思いながら、勧められたパンを次々にトングで掴む。

「あ、そうだ!八神先輩、昨日しのぶ先輩と一緒に帰ってましたね」

その言葉に顔が凍りついた。

「すごく仲良しですね~。よかった!」

炭治郎が嬉しそうに笑う。なぜ自分としのぶが仲がいいと炭治郎が喜んでいるのかよく分からず、首をかしげた。

「うーん、仲良し、ね……」

「?どうしました?」

「……ううん。なんでもない」

まさか、しのぶに命を狙われてる、とは言えなくて神妙な顔で会計を済ませる。

そうか。傍から見たら自分達は仲のいい友人に見えてるのか。

そう考えるとなんだかムズムズしてくすぐったい気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

 

歴史の授業が終わった後、希世花はたくさんのノートを抱えながら職員室へ向かい、扉をノックした。ガラリと扉を開けて足を踏み入れる。

「失礼します」

チラリとカナエの机の方を見たが、今は不在のようだ。ホッとしながら歴史教師の煉獄の元へ向かう。

「煉獄先生、これ、クラスの課題ノートです」

「む!助かった!すまんな、八神!」

「いえいえ、いつも先生の授業で寝てるのでこれくらいは…」

「相も変わらず、立派な爆睡っぷりだったな!」

「……すみません」

「まさか騎馬戦の最中にも寝るとは!よもやよもやだ!」

まさか私も歴史の授業で騎馬戦するとは思わなかったですよ、と心の中で言いながら、煉獄に課題ノートを手渡した。

「八神、寝不足か?夜更かしは体に悪いぞ!」

「いえ、夜もきちんと寝ているんですが……、なぜか昔から常時寝不足のような状態なんですよね……」

苦笑しながらそう言った希世花に、煉獄の近くにいた美術教師の宇髄が話しかけてきた。

「よう、八神」

「あ、こんにちは、宇髄先生」

「さっきよ、ちょうど胡蝶姉とお前の話をしてたんだわ」

「……私、ですか?」

「お前さ、部活、ほとんど参加していないんだって?胡蝶姉が困ってたぞ」

その言葉に希世花は気まずそうに宇髄から目をそらした。

「あー、勉強が忙しくて……」

「まあ、大方胡蝶妹を怖がって部室に近寄れないんだろうけどよ」

バレてる、と思いながら苦笑した。

「それはいかんな、八神!学生たるもの学業が本分だが、部活動も大事だ!」

煉獄が口を挟んできた。

「……えーと、はい。……分かりました。今日は、行きます……」

「そんなド派手に嫌そうな顔で言うなよ……。参加するのがきついなら、辞めるって選択肢もあるぞ?まあ、胡蝶姉は悲しむだろうが……」

その言葉に希世花はうつむいた。

「………辞められません」

「あ?なんで?」

「……なぜか、胡蝶先生には逆らえないんです」

「?」

煉獄と宇髄が不思議そうな表情で顔を見合わせる。希世花は誤魔化すかのように早口で言葉を続けた。

「いや、私にもよく分からないんですけど、胡蝶先生には歯向かえないというか抵抗できないというか、………なぜか困った顔をされるとNOが言えなくなるんですよ……。何度か部活を辞めようと思って、胡蝶先生に言おうとしたんですけど、全然ダメで……。結局いつも流されるように胡蝶先生の言葉に従ってしまうんです……。不思議ですよね。私、反抗期の時は親に逆らい続けて喧嘩ばっかりだったのに、胡蝶先生にだけは逆らえないんです……」

「……」

「……」

「あれ?どうしました?」

気がつけば、目の前の煉獄と宇髄が奇妙な視線を希世花に向けていた。

「いや、なんでもねぇ。とにかく、無茶しない程度に頑張れ」

「うむ!困ったことがあれば相談に乗るぞ!」

「あはは、……ありがとうございます。それじゃあ、失礼しました」

力なく笑うと希世花は職員室から出ていった。

残された煉獄と宇髄は顔を見合わせた。

「……あいつ、ド派手にすげえな。記憶をなくしていても、前世の師範に従順で忠実じゃねえか」

「うむ!骨の髄まで胡蝶の継子だな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休み、胡蝶しのぶは廊下で立ち止まり、キョロキョロと辺りを見渡した。

「あれ?しのぶ先輩、どうしたんですか?」

「あ、アオイ。八神さん見ませんでした?」

しのぶに尋ねられたアオイは首を軽くかしげた。

「さあ……、見てませんね。いなくなったんですか?」

「ええ。一緒にお弁当を食べましょうって誘ったんですけど、逃げられちゃって……」

悔しそうにしているしのぶに、アオイは苦笑しながら口を開いた。

「一階では見ていないので、いないと思いますよ」

「そう……。見かけたら教えてくださいね」

そう言ってしのぶは小走りで去っていった。

「……八神先輩、これでいいですか?」

「助かった。アオイさん、あなたは救世主よ」

アオイが廊下の窓から下を覗き込むと、窓の下の壁にへばりついている希世花の姿があった。

「私もしのぶ先輩に嘘をつくのは心苦しいんですが……。もう諦めたらどうです?」

「私に死ねと?」

「いや、別にしのぶ先輩は八神先輩を殺そうなんて考えてませんよ……」

「とにかく、ありがとう。今度何かおごるね」

アオイの視線から逃げるように希世花はその場から去っていった。残されたアオイは困ったようにため息をついた。

 

 

 

 

 

「さて、どこで食べようかな」

朝に購入したパンを手に校内をウロウロする。うっかりしのぶと会ったら大変なことになるので、用心しながら、落ち着いて昼食を取れる場所を探す。

「こっちの階段は……」

人気のない階段の方へ向かうと、絶賛ぼっち飯中の体育教師、冨岡と目が合った。菓子パンらしきものをモソモソ食べている。

「……」

「……」

希世花は何も見なかったことにして、その場を去った。

「……もう、ここでいいか」

結局は屋上に腰を下ろし、ビニール袋からパンを取り出す。幸運なことに、屋上には現在誰もいない。落ち着いて食事ができそうだ。

「……」

炭治郎に勧められたサンドイッチを口に入れながら、ぼんやりと物思いにふける。午後の授業は体育なので居眠りの心配はない。問題は今日参加する予定の華道部だ。久しぶりに活動するのでなんだか行きにくい。胡蝶先生は喜ぶだろうが……。

「……あー、昼寝したい」

上を見上げたら透き通るような青い空が広がっていた。このままここで全てを忘れて昼寝をしたら、どんなに気持ちいいだろう。紙パックのコーヒー牛乳をストローで吸いながら右手を空に伸ばす。そのまま空が掴めそうだった。

ぼんやりと考えているうちに、強烈な眠気が目蓋を襲った。「ダメだ」と思いながらも睡魔には勝てずに目を閉じる。そのまま幸せな微睡みへ落ちていった。

 

 

 

 

誰かに頬を撫でられた。温かい手。その手が今度は額を撫でる。

幸せ。

思わず微笑みながら枕に抱きついた。あれ?いつもの抱き枕とは違う感触。

「あらあら、困りましたね」

その声に眉をひそめる。枕が喋った?

あれ?

カッと目を開くと目の前には胸があった。柔らかい。

「?」

恐る恐る視線を上げると胡蝶しのぶと目が合った。しのぶがニッコリ微笑む。

「八神さん、お目覚めですか?」

その言葉にようやく完全に覚醒し、現実をはっきり認識する。

自分は寝ぼけてしのぶに抱きついている。

「ア゛ーーーーっ!!!」

学校中に希世花の悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

胡蝶カナエは生物準備室にて、次の授業の準備をしていた。授業の後は部活もあるのでその準備もしなければならない。今日は久しぶりにあの子も部活に参加するようだし、楽しみだ。無意識に鼻歌を口ずさみながら資料をめくっていると、突然奇妙な悲鳴が聞こえた。

「ア゛ーーーーっ!!!」

聞き覚えのあるその悲鳴にカナエは首をかしげた。

「しのぶったら今度は何をやらかしたのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※胡蝶 カナエ

前世の継子が年齢はおろか名前まで偽っていたと知り、ガチでショックを受けた人。

その後は気持ちを切り変えて継子をベタベタに可愛がろうとするが、教師として贔屓はダメよね、と葛藤中。妹と継子の攻防を遠くから優しく見守るのが最近の楽しみ。妹の行動が行き過ぎたら流石に止める良心は持ち合わせている。なお、継子を強引に華道部に入れたことは後悔していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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不死川実弥はため息をつく

 

 

「八神先輩、昼休み、何があったんですか?」

放課後、華道部の部室にてアオイにそう聞かれて、希世花は顔をしかめた。花を手に取り、無言で茎をチョキンと切る。

「……」

「昼休みの変な悲鳴、八神先輩ですよね?」

その言葉に目を泳がせながら希世花は口を開いた。

「……私は、今度こそ本当に殺されるかもしれない……」

「またしのぶ先輩と何かあったんですか?」

「………ア゛ーーっ!」

鋏を手放し顔を両手で覆った。

「あらあら、どうしたの、八神さん」

「胡蝶先生……」

困ったような表情で顧問のカナエが近づいてきた。

「もう、もう……ムリなんです。本当に怖い……。胡蝶先生、なんとかしてください……」

畳に突っ伏してぐったりしている希世花が唸るようにそう言う。その頭をカナエが優しく撫でた。

「あらあら、ずいぶんお疲れねぇ。しのぶのこと?大丈夫よ、八神さん。別に取って食われるわけじゃないんだから……」

「うぅぅ、……なんでこんなことに……」

「はいはい、元気だして。ほら、飴をあげるから」

カナエが頭を撫でながらポケットから飴を取り出す。それを受け取りつつも、カナエにすがるように呻く。そんな希世花の頭をカナエが微笑みながら撫で続けた。

その時ちょうど運動部の助っ人に行っており、部活に遅れた栗花落カナヲが部室に入ってきた。自分の姉にすがりつくようにしている希世花と、頭を撫でている姉の光景に目をパチクリさせる。

「あ、いらっしゃい、カナヲ」

「……アオイ、なにがあったの?」

「いつも通り、カナエ先生のよしよしタイムの真っ只中よ」

「しのぶ姉さん、今度は何したの?」

「さあ……?」

アオイとカナヲが話しているのが聞こえ、涙目になりながら顔を上げた。そんな希世花にカナエが微笑む。

「しのぶから聞いたわよ。うちでお泊まり会するんですってね。いつにする?」

その言葉に希世花の顔が引きつった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休み、盛大な悲鳴の後、しのぶの体から手を離し、希世花は飛び跳ねるように後ろへ下がる。そしてそのまま土下座した。

「も、申し訳、ありません……っ!」

ヤバい。もうヤバい。本当にヤバい。今度こそコロサレル。

頭の中がぐちゃぐちゃになる。混乱のあまり、言葉がうまくまとまらない。

「そんなに気にしないでください。寝ぼけていたみたいですし、ね。よく寝ていましたね」

恐る恐る顔を上げるとしのぶが微笑んでいた。一見怒っているようには見えない。それどころか楽しそうに笑っている。そんな彼女が恐ろしくて仕方ない。まずい。本当に命が危ない。ゾワリと鳥肌が立ち、思わず口走ってしまった。

「あの、あの、……許してください……何でも、するから……」

「あら、何でも?」

しまった。

希世花の顔が凍りつく。しのぶがグイっと顔を近づけてきた。

「ひぃっ……」

「そうですねぇ。それじゃあ、お泊まり会をしませんか?」

「お、お泊まり……?」

「ぜひうちに遊びに来てください。あなたとは、もっとじっくりお話をしたかったことですし、姉や妹も喜びます」

その言葉に顔が真っ青になった。慌てて口を開く。

「い、いや、胡蝶さんのお家にお邪魔するのはちょっと……」

「あら、何でもすると言いましたよね?」

「そ、そうね……」

「あ、私があなたのお家にお泊まりというのもいいですね。そっちにします?そっちの方が私としても……」

「ぜひ胡蝶さんのお家に遊びに行かせていただきますっ!!」

自分の家でしのぶと二人きりになるなんて、考えただけでクラクラした。

しのぶが嬉しそうに笑った。

「それじゃあ、楽しみにしときますね」

「………」

希世花は何も答えられずその場で気絶しそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、八神先輩、うちに来るんですか?お泊まり?」

カナヲの顔がパッと輝く。反対に希世花の顔はげっそりとしていた。

「楽しみねぇ。先生、腕によりをかけてご飯を作るわ。何が食べたい?」

「お菓子も買いましょう。あとはゲームとか……」

「あら、いいわね!」

カナエとカナヲが楽しそうに話している横で、希世花は今度はアオイにすがりついた。

「アオイさん……、助けて」

「無理です。腹括ってください」

「……もう、もう海外へ逃亡するしか……」

「しのぶ先輩なら地球の裏側まで追いかけてくると思いますけど」

「私の息の根を止めるために……?なんでそこまで恨まれているの……?」

「いや、だから……」

あなたの命を狙っているのではなくて、普通に仲良くしたいんですよ、とアオイは呟いたが、崩れ落ちるように座り込み涙目になっている希世花の耳には届いていなかった。そんな希世花に構わず、カナエとカナヲの姉妹は楽しそうにお泊まり会の計画を立てていた、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「助けてください。助けてください。本当に助けてください」

「諦めろォ」

とうとうお泊まり会当日が来てしまった。放課後、数字をプリントに書きこみながら何度も呟く希世花に、不死川は可哀想なものを見る目で言い放った。

「そんな殺生な……」

「どうでもいいから早くプリントを終わらせろ」

「うぅ……、これが終わったら連行されるんですよ……」

今日は学校が終わったらそのまま胡蝶家に向かうことになっている。しかし、今日も今日とて授業中に居眠りをした希世花は再び不死川の補習を受けていた。プリントに数字を埋めながら、呻き続ける。先ほど、しのぶから、

「あら、今日も補習なんですか?仕方ないですね。早く終わらせてくださいね。補習が終わったら一緒にうちへ行きましょう。待ってますから」

と言われた。今の心理状態としては、死刑執行を待つ囚人に近い。

「どうしましょう……、明日の太陽は拝めないかもしれません……」

「大げさだ。胡蝶妹は別にお前を襲いやしねェよ」

「不死川先生、後生ですから本当に助けてください。このままこっそり逃がしてくださるだけでいいので……」

「断る」

「なぜ!?」

「そんなことしたら俺が胡蝶姉妹に睨まれる。俺もまだ命が惜しいんでな」

「……うぅぅ……この世に神はいない……」

不死川は答えの書かれたプリントに丸をつけながら、打ちのめされている教え子をチラリと見た。

「そんなに嫌なら適当に理由つけて断ればいいだろォ」

「……無理です。何度もそうしようとしたんですけど、のらりくらりとかわされて、最後には胡蝶先生に『あら、お泊まりは中止なの?悲しいわ…』なんて言われて……」

「断れなかったんだな。まあ、覚悟を決めておけ。骨は拾ってやるよ」

「………あ、夕焼けが綺麗」

「現実逃避をするな」

不死川は、遠い目で外に視線を向けた希世花の頭を教科書で軽く叩いた。

「あ、そうだ!不死川先生も来てください!一緒にお泊まり会しましょう!」

「なんでそうなる!?お前、混乱しすぎだろ!!」

「楽しいですよ、きっと!だから、お願い!見捨てないでぇ!」

「いや、だから……」

希世花が不死川にすがりつくように泣きついた時、後ろから声がした。

「……ずいぶん仲良しですねぇ」

「ひぃっ……」

いつの間にか胡蝶しのぶが後ろに立っていた。ニッコリ微笑んでいるが、その目は全然笑っていない。

「あ、あの、あの、胡蝶さん……」

「……胡蝶、なんでてめェがここにいる?」

「八神さんが待ちきれなくて、ついついここまで来ちゃいました。私ったら、うっかりです」

しのぶが不穏な笑みを浮かべたまま不死川を見据えた。

「ダメですよぉ、不死川先生。この子と前から仲良しなのは知っていますが、あんまり近づきすぎるのはいけません」

「……ケッ。別に邪魔するつもりはねェよ。ほら、八神、プリント、満点だ」

「あら、よかったですね、八神さん。先生、これで補習は終わりですよね?」

「おう」

「それじゃあ、うちに行きましょうか。もう、待ちくたびれちゃいましたよ」

しのぶがガッシリと希世花の腕を掴んだ。まるで逃がさないとでも言うように。

「し、不死川先生……、助け……」

「ほらもう、先生も困ってますよ、八神さん。さあ、行きましょう」

そのまま希世花はしのぶにズルズルと引きずられていった。

引きずられて行く途中で、教室に残された不死川が無言で合掌したのが見えて、希世花はまた泣きそうになった。

不死川は合掌しながら見送った後、前世と同じくややこしい関係になっている教え子達のこれからを思い、大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※不死川 実弥

久しぶりに会った睡柱に前世の記憶がなく、名前も違うことに混乱した関係者の一人。成績はいいくせに、授業中頻繁に居眠りをする主人公に頭を抱えている。こいつ、前世より今世の方がよっぽど睡柱って感じじゃね?と思っている。補習のためにしょっちゅう主人公を居残りさせるが、最近しのぶに睨まれ始めて、めんどくさい。

 

 

 

 

 

 



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栗花落カナヲは戸惑った

 

 

「八神先輩、……いらっしゃい……お待ちしていました!」

胡蝶家に到着すると、栗花落カナヲが笑顔で出迎えてくれた。

「お、お邪魔します……」

震える声でそう言いながらゆっくりと家に足を踏み入れる。家にいるのはカナヲだけのようだった。

「あれ、胡蝶先生は?」

「夕食の材料を買ってから帰るそうです。もうすぐ着くと思います」

希世花はソワソワしながら勧められるままに、ソファに腰を下ろした。カナヲが入れてくれた麦茶で喉を潤し、ホッと息をつく。少し落ち着いた気がした。

「今日は両親は仕事の関係でいないので、気を使わずゆっくりしてくださいね」

「……はい」

しのぶが微笑みながらそう言って、希世花はその笑顔から目をそらしながら、誤魔化すように再び麦茶を口にした。

「あ、今夜は私の部屋で寝ましょうね」

しのぶの突然の言葉に思わず麦茶を吹き出しかけた。

「………へあ?」

変な声が漏れる。

「もう布団も用意してます。長い夜になりそうですね」

しのぶが楽しそうにそう言って、希世花は息を呑んだ。これは間違いない。寝入ったところをグサッと殺るつもりだ。

「あ、あの、それは、ちょっと……」

「あら、嫌なんですか?」

「そ、そうだ!せっかくだからカナヲさんと一緒に寝たいな!」

「えっ」

慌ててそばに座っていたカナヲの腕にすがりつくように言うと、カナヲが大きく目を見開いた。

「ね?ね?考えてみれば、カナヲさんとはあんまりお話したことないものね!一緒に寝ましょう!」

「……先輩」

カナヲがパァッと嬉しそうに笑って頷こうとした瞬間、しのぶの静かな怒気に気づいた。即座に顔が強ばり、慌てて口を開く。

「し、しのぶ姉さんの部屋の方が広いから……」

「えっ、じゃ、じゃあ、カナヲさんと同じ布団でいいから!」

「ええっ!?」

「なっ……!同じ布団なんて、そんなのダメでしょう!!」

希世花の言葉に、カナヲが叫んで、しのぶが思わず怒鳴った途端、カナエが帰ってきた。

「ただいま~。あら、何やってるの?」

なぜか顔を赤くしているカナヲと、カナヲの腕にすがりついている涙目の希世花と、珍しく怒った様子のしのぶを見て、カナエはキョトンとした。

 

 

 

 

 

 

「先生、手伝います……」

「あら、ありがとう。じゃあ、そっちのお皿を運んでくれる?」

取りあえずどこで誰と寝るかの問題は先送りにし、料理を作り始めたカナエの手伝いをするために希世花は台所に立つ。しのぶとカナヲは何かをコソコソと話し込んでいた。台所ではすでにたくさんの料理が出来上がっている。それを運びながら、希世花は口を開いた。

「たくさん料理を作ったんですね。なんか、すみません……」

「昨日からいろいろ作りたくて、仕込んでいたのよ。八神さんの好きな鯖の煮込みも作ったの。楽しみにしててね」

「わあ、ありがとうございます………え?」

「ん?」

突然不思議そうな声を出した希世花に、カナエが視線を向ける。

「……私、鯖の煮込みが好きだって、先生に話したことありましたか?」

「うふふ、どうだったかしらね~」

楽しそうな笑顔ではぐらかされて、希世花は眉をひそめた。カナエはそれ以上何も答えず、希世花に皿を手渡した。

「さあ、ご飯にしましょう!」

 

 

 

 

 

「八神さん、これ、美味しいですよ」

「あ、ありがとう……」

希世花は勧められた料理を口にしながらも、しのぶの動きに十分に注意する。料理はカナエが作ったみたいだし、今のところしのぶが料理に薬を混ぜようとする動きはないようだ。それでも油断は禁物だ。しのぶをこっそりと観察しながら少しずつ料理を口にいれた。

「……美味しい、です。先生、お料理上手なんですね」

「ほんと?嬉しいわ。遠慮しないでたくさん食べてね」

幸いなことに、料理の味に異常はなかった。というか、絶品だった。久しぶりに他人の作った料理を食べることができて、こんな状況じゃなければ素直に楽しめたのに、と思いつつ箸を進める。食事の後は、カナヲと共に皿洗いを行った。

「八神さん、悪いわね。後片付けを任せちゃって」

「いえ、このくらいはさせてください。お世話になるので……」

カナエがニッコリ笑った。

「今、しのぶがお風呂を沸かしているから、すぐに入ってちょうだいね」

「はい」

「あ、そうだ。一緒に入る?」

「なんでそうなるんですか……。1人で入りますよ」

「あら残念」

カナエの軽口に苦笑いしながら、持参したパジャマを取り出す。そして案内された浴室へと向かった。

順番に風呂に入り、夜も更けてきたところで、カナヲがいそいそとお菓子やらジュースやらをテーブルに並べ始める。その楽しそうな姿にホッコリしながら話しかけた。

「それ、食べていいの?」

「はい、もちろんです。たくさん用意したので……」

カナヲが楽しそうに頷き、希世花の顔も自然と緩む。そのまま思わずカナヲの頭を撫でてしまった。

「……っ」

「あ、ごめんね、つい。………嫌だった?」

カナヲが目を見開き、固まったため、希世花は慌てて頭から手を離した。そんな希世花に向かってカナヲが焦ったように口を開く。

「ち、違います!びっくり、して、……昔と、……同じ……」

「ん?」

カナヲが奇妙な事を言ってきて首をかしげたところで、風呂から上がってきたしのぶが部屋に入ってきた。

「あ、準備できたみたいですね。姉さんがお風呂から上がったら始めましょうか」

「……始める?何を?」

希世花が不思議そうな顔で聞き返すと、しのぶが笑顔で答えた。

「楽しい楽しい映画鑑賞会ですよ」

 

 

 

 

 

 

「これ、……ホラー?」

「はい。みんなで見ようと思って準備したんです。面白いって評判の映画ですよ。あ、八神さん、こういうのは苦手ですか?」

「……ううん。グロいのはちょっと苦手だけど、こういうのは、多分、大丈夫、かな……。それに、これ観たことはないけど、原作を読んだことある……」

しのぶが用意していたのは海外のホラー映画のDVDだった。どうやらピエロが次々と人を襲う猟奇的なホラーらしい。

4人で並んでお菓子をつまみながら、そのホラー映画を鑑賞する。思った通り、残酷な描写はあるが、なかなか楽しめるものだった。

「映像凄いわね。……うん、面白い」

お菓子を食べながらそう言った時、突然何の前触れもなく大画面に恐ろしいピエロの顔がバン!と現れた。

「キャッ!」

油断していたところで、突然怖い顔が出てきたため、驚きのあまり、悲鳴をあげて反射的に左隣のカナエに抱きついた。

「あ、すみません、先生」

「あらあら、大丈夫よ。びっくりしたわね~」

「……」

右隣に座るしのぶの顔がほんの少し強ばったのは気のせいだろうか?もしかして、姉さんに気安く触るなって怒ってる?やだ、怖い。

映画よりも、しのぶを怖がってガタガタ震えているうちに、エンドロールに入った。

「……面白かった。用意してくれてありがとう、胡蝶さん」

「……いえ、楽しんでいただけたようで、何よりです」

恐る恐るお礼を言うと、しのぶが苦虫を噛み潰したような顔をしながら答えた。その様子に首をかしげていると、カナヲがおずおずと話しかけてきた。

「あの、カナエ姉さん、しのぶ姉さん、八神先輩、今度は、ゲームを、しませんか?いろいろ、用意したので……」

明日は学校も休みなので、夜更かししても大丈夫だ。希世花はカナヲの方を向いて笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 

「……八神さん、眠いですか?」

「……ん……んん……眠くない」

カナヲが用意したゲームをしているうちに、目蓋が重くなってきた。コックリコックリと船をこぎ始める。

「あらあら、疲れちゃったのかしらね」

カナエの優しい声が聞こえる。

「ほら、布団はこっちですよ」

しのぶが希世花の腕を掴み、立ち上がらせた。抵抗できずにフラフラと誘導されるように歩かされる。

「……うー……眠くないの……」

「半分寝てるじゃないですか。ほらほら、ここに横になってください」

「んんー……眠くない……」

腕を引っ張られてどこかの部屋に入らされた。どこなのか認識する前に、ヒョイと軽く押され、体を倒される。布団が希世花の体を受け止める。その柔らかさにうっとりしながら、とうとう睡魔に敗北した。

「おやすみなさい」

最後に聞こえたのはしのぶの優しい囁きだった。

 

 

 

 

 

 

 

胡蝶しのぶは希世花の頬をそっと撫でた。すやすやと赤ん坊のように眠っている。前世ではほとんど見ることのなかった穏やかな寝顔だ。

「……まったく、こちらの気持ちも知らないで……」

小さな声で呟く。希世花が起きる気配はなかった。

「……早く、思い出せばいいのに」

こんなに近くにいるのに、前世よりも距離があるような気がする。カナエには躊躇いなく甘え、カナヲとも仲が良い。二人の前では屈託のない笑顔なのに、しのぶに対しては常に怯えている。

気に入らない。

いろいろと考えている内に腹が立ってきて、ツンツンと頬をつつく。ピクリと希世花の眉が動いた。

「………」

まあ、その原因が例の薬を何度も服用させようとしたから、ということは分かっている。彼女が転校してきたばかりの頃は怒りと悲しみで混乱していたため、自分も空回りしてしまったことは認めざるをえない。

ゆっくりとまた頬を撫でる。そしてまた小さく呟いた。

「………なんで忘れたのよ、バカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

希世花はふと目を覚ました。

「……あれ?」

ここは、どこだっけ。

「……?」

右に顔を向けるとしのぶが眠っていてギョッとした。慌てて起き上がる。左右に布団が敷かれており、右の布団ではしのぶが、左を向くとカナヲが眠っていた。それを見て、ようやく胡蝶家に泊まっていることを思い出した。チラリと時計を見ると日付が変わったばかりだった。どうやらゲームしている途中で寝てしまったらしい。

「……」

ゆっくりと立ち上がり二人を起こさないように部屋から出た。先程までゲームをしていたリビングはまだ明かりがついている。

「あら、起きちゃったの?」

「先生」

リビングではカナエが後片付けをしていた。

「すみません……。いつの間にか寝ちゃって……。手伝います」

「いいのよ。私も楽しかったから」

一緒に後片付けをしながら静かに会話をする。

「しのぶもカナヲも楽しそうだったわ~。あなたが寝た後はどっちがあなたと寝るか喧嘩になっちゃって……。結局3人分の布団を並べたのよ」

「……そうですか」

何と返せばいいのか分からず曖昧に笑う。寝ている間、しのぶに何もされなかった事に取りあえず安心する。

「……八神さん」

「はい?」

突然カナエが頭を撫でてきた。

「ごめんなさいね。今日は私達の我が儘で遊びに来てもらっちゃって」

「いえ、楽しかったです。本当に。ちょっと胡蝶さんが怖いだけで……」

少し言いにくかったが本音を言うと、カナエが苦笑した。

「しのぶはね、あなたと仲良くしたいだけなのよ」

「……」

「あなたに変な薬を飲ませようとしたのも、ちょっといろいろ考え過ぎちゃっただけなの。だから、許してあげてね」

「……結局、胡蝶さんは私に何をしたいんですか?」

「うふふ。それは秘密。でも、しのぶがあなたの事を大好きなのは本当よ。だから、……嫌いにならないであげてね」

「……?嫌いじゃないですよ」

カナエの言葉に思わずキョトンとした。カナエが驚いたような顔をする。

「え、えーと、確かに、何を考えているかよく分からなくて、怖い、ですけど、……でも、えっと……胡蝶さん、優しいし親切だし、いい子ってことは分かってますから。……だから、……」

モゴモゴとそう言うと、カナエが突然抱きついてきた。

「わっ、……先生?」

「……少しだけ。少しの間だけ、こうさせてね」

希世花はカナエの突然の行動に頭が真っ白になる。しかし、なぜだかカナエが泣いているような気がして、そのまま黙って抱き締められた。

しばらくして、カナエがゆっくりと体を離した。フワリと微笑んで、再び希世花の頭を撫でる。

「……ごめんなさいね。あなたはやっぱり優しい子ね」

「優しくないですよ」

「優しい優しい。……うふふ」

「?なんで笑ってるんですか?」

「なんでもなーい」

楽しそうにクスクス笑うカナエに希世花は首をかしげた。

「さあ、そろそろ寝ましょう。もう遅いわ」

「はい。おやすみなさい、先生」

「おやすみなさい」

軽く頭を下げて、先程の布団が敷かれていた部屋へ向かう。しのぶとカナヲは安らかな顔で眠っていた。

「……」

しのぶの寝顔をじっと見つめる。

決して嫌いなわけではない。ただ、何がしたいのか分からないだけ。距離を異様に詰めてくるこのクラスメイトと、どう接すればいいのか分からないだけ、なのだ。たまに顔は笑顔なのに青筋を立てて怒っている時は怖いが、基本的には優しくて親切な子だということは知っている。

カナエの言っていることが正しいのならば、彼女は自分の命を狙っているのではなく、仲良くしたいだけらしい。ならば、なぜ、変な薬ばかり飲ませようとしたのだろう。

「……」

考えれば考えるほど分からなくなった。思考を放棄して、迷いつつも音を立てないように静かに真ん中の布団に入った。

どうか寝ている間にしのぶに刺されませんように、と願いながら目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

『……×××!』

誰かが叫んでいる。

いや、誰か、じゃない。叫んでいるのは、“私”だ。

“私”は思い切り飛び上がって、腕を動かした。その手には、いつの間にか刀が握られていて戸惑う。

『………!』

また、誰かが叫んだ。

それに構わず目の前の景色をまっすぐに見つめる。

 

 

ああ、この光景、知っている

 

 

彼女が、食べられている

 

 

吸収、されている

 

 

やめて

 

 

こんなの、見たくない

 

 

ダメだ、そんなこと言うな

 

 

曲げるな、折れるな

 

 

だって、彼女と約束したんだ

 

 

仇を取るって

 

 

ああ、ダメ、やめて、殺さないで、

 

 

私の大好きな人

 

 

あれ、大好きな人?

 

 

それって、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一体、誰の事を言ってるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

「……さん!八神さん!」

気がついたら、誰かに名前を呼ばれていた。ハッと目を開ける。目の前にしのぶの顔があった。

「八神さん?起きましたか?ずいぶんとうなされていましたよ……」

希世花は起き上がった。その顔色は真っ青で、全力疾走したかのように息を切らしている。体が震えて、瞳から涙が溢れてきた。

怖い夢だった。なんて、恐ろしいーーーーー、

あれ?何の夢をみてたんだっけ?

思い出せない。ただ、ひたすら恐ろしい夢だったという事は確かに覚えている。

「八神さん?大……」

大丈夫ですか?と続けようとしたしのぶに、希世花は思い切り抱きついた。

「八神さん?」

泣きじゃくりながら、しのぶを強く抱き締める。不思議なことに、しのぶがここにいることに大きな安堵を感じていた。

「どうしました?怖い夢でも見ましたか?」

「………う、……うぅ、……」

嗚咽が漏れる。涙が次々と流れて止まらない。なんでこんなに泣いてるんだろう。自分で自分が分からない。怖かった。怖くて怖くて、死にそうだった。

よかった、ただの夢で。現実じゃなくて、本当によかった。

何も言わずに泣き続ける希世花を見て、しのぶが口を開いた。

「相変わらず泣き虫ですねぇ。今日は特別ですよ」

しのぶも強く抱き締め返してくれた。それが嬉しくて、抱き締める腕に力がこもる。

泣いている希世花と、優しく微笑んでいるしのぶが抱き合っている姿を、隣の布団でカナヲが戸惑いながら見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※栗花落 カナヲ

睡柱に前世の記憶がないことと名前が変わっていることに驚いたが、すぐに受け入れた心の広い胡蝶家の末っ子。主人公が同じ部活に入った事に素直に喜び、先輩として慕っている。いろいろと勘違いされているらしいしのぶ姉さんに関しては、何かと思うことはあるが、二人がまた仲良しになればいいなあ、と思っている。

 

 

 

 

 

 

 



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悲鳴嶼行冥は忠告する

 

「あら、八神さん、どうしたの?目が赤いわよ」

「……何でもないです、先生」

朝食の席で、希世花はぼんやりと答えた。

今朝、しのぶに抱きつきながらひたすら泣いた。ようやく涙が止まり、体を離すと、しのぶは穏やかな顔で尋ねてきた。

「どうしたんですか?そんなに泣くほど、怖い夢を見たんですか?」

「……覚えてない」

うつむきながら小さな声を出す。動揺のあまり、しのぶに抱きついて大泣きしたのが恥ずかしかった。

「……先輩、大丈夫ですか?」

カナヲも心配そうな顔をして問いかけてきた。希世花は無理やり笑顔を作ると、顔を上げた。

「うん。ごめんね。なんか怖い夢を見て、びっくりしただけだから」

「……もう大丈夫ですか?」

しのぶがそう聞いてきて、希世花は気まずそうな顔でチラリとしのぶを見て、頷いた。

「……はい。ごめんなさい。こんなことして……」

「いいえ。気にしないでください。そろそろ朝食の時間ですし、着替えましょうか」

しのぶの言葉にコクリと頷き、希世花は立ち上がった。

朝食の席ではカナエが心配そうな顔をしていたが、なんとか誤魔化した。

「今日はみんなでお買い物にでも行きましょうか?」

朝食の後、カナエがそう提案してきて、希世花は首をかしげた。

「……買い物、ですか?」

「ええ。最近できたショッピングモールがあるでしょう?いい機会だし、みんなで行ってみましょうか」

そういえば大型のショッピングモールがあったな、と思い出して希世花は頷いた。

外出の準備をしていると、しのぶが声をかけてきた。

「八神さん、こっち来てください。髪がボサボサですよ。整えてあげますから……」

「……ん」

ぼんやりとしのぶの前に座る。しのぶが櫛で髪をとかし、髪を結ってくれた。

ちょうどその時、別室で着替えていたらしいカナヲが部屋に入ってきた。しのぶと希世花の姿を見て顔を綻ばせる。

「……しのぶ姉さんと先輩、今日は仲良し、ですね」

「………あ」

ぼんやりとしていた希世花は自分の行動に気づいて、慌てて後ろを振り向く。しのぶは楽しそうに笑っていた。

「……ありがとう、胡蝶さん」

おずおずとお礼を言うと、しのぶは

「どういたしまして。八神さん」

とますます嬉しそうに笑った。希世花は複雑そうに表情を曇らせる。いつもしのぶに怯えて避けていたのに、今日は何故だか自然に近づいていた。

「………」

「八神さん?どうかしました?私の顔に何かついてますか?」

「……ううん。なんでもない」

しのぶの顔をじっと見つめ、それに気づいたしのぶが首をかしげる。希世花は視線を外した。

不思議だ。今日はしのぶが近くにいるだけでうれしい、と感じる。そばにいたい、と感じるなんて、変だ。今日の私はおかしい。おかしすぎる。

「………」

変な夢を見たせいで調子が悪いだけだ。きっと、それだけ。

希世花は無理やり自分を納得させるように心の中で呟きながら、胡蝶姉妹とともに玄関から足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

ショッピングモールでは服や雑貨、インテリアなどを見回って買い物を楽しんだ。モヤモヤしていた心も自然と明るくなる。

「少し疲れちゃいましたね」

「……うん」

現在、希世花はモール内のソファに座り、コーヒーを飲みながら休んでいた。隣ではしのぶが同じように座ってジュースを飲んでおり、少し離れたところではカナエとカナヲが楽しそうにアイスクリームを買おうとしている。

「……八神さん」

「…なに?」

「八神さんは、楽しんでますか?」

しのぶの突然の質問に希世花はぼんやりと答える。

「……うん。楽しいわ。こんなふうに、誰かと買い物に行くことは、初めてだったから」

「それは、よかったです」

しのぶの笑顔をチラリと見て、少し迷ってから希世花は思い切ったように口を開いた。

「……胡蝶さん、は」

「はい?」

「私に、何を、したいの?」

「……何を、とは?」

希世花は言葉を選ぶように、言いにくそうな顔で言葉を続けた。

「……胡蝶さんが、何を考えているのか、よく分からない。……最近は、ないけど、私に変な食べ物を食べさせようと、するし……、いつも、私の事、監視するようにしてる、でしょう?」

「………」

「私、胡蝶さんを、怒らせるようなことを、何かした、かな?気に障るようなことをしたのなら、謝りたいの、……だけど……考えても考えても、私、胡蝶さんになにをしたのか分からない……理由も分からないまま、いい加減な謝罪はしたくないのだけど……」

「……忘れてしまったからですよ」

「え?」

しのぶが何かを言ったが、よく聞き取れなかった。怪訝な顔をして視線を向けると、しのぶが珍しく笑顔を消して下を向いていた。

「……ひどい人、ですね。あなたは。私はずっと、ずっと、ずーっと、待っていたのに……」

「……え?」

「そばにいたい、と言ったくせに。本当、ひどい人………」

「胡蝶、さん?」

しのぶが顔を上げる。その瞳を見て、希世花は思わず息を呑んだ。その瞳は、希世花を映しているのに、そのはず、なのにーーーーー、

「ごめんなさいね、選ぶのに時間がかかっちゃって……」

「しのぶ姉さん、先輩、今度はどこに行きますか?」

その時、アイスクリームを購入したカナエとカナヲが近づいてきた。瞬時にしのぶが笑顔を作り、立ち上がった。

「ああ、やっと買えたんですね。それじゃあ、今度は八神さんの行きたいところに行きましょうか?」

「………」

希世花は固まったようにしのぶを見つめたままだった。そんな希世花を見て、カナヲが不思議そうに声をかけてくる。

「八神先輩?どうしました?」

「……ううん。なんでもない」

希世花はゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

「楽しかったわねー。こんなに買い物したの久しぶりだったわ!」

夕方になって、一行はショッピングモールから外へ出た。ニコニコしているカナエに声をかける。

「すいません、私、そろそろ帰ります」

「あら、もう帰るの?」

「はい。今日は楽しかったです。お世話になりました」

希世花がペコリと頭を下げるとカナエとカナヲが残念そうな顔をした。

「なんだか、寂しいわね」

「先輩、またうちに遊びに来てくださいね……」

「はい。ありがとうございました」

二人から目をそらすようにそう言った時、しのぶが口を開いた。

「……姉さん、私、八神さんを送ってくるわね」

「え?」

希世花は驚いてしのぶに視線を向ける。

「あら、あんまり遅くなるのはダメよ」

「分かってる。それじゃあ、行きましょうか」

「え?え?」

戸惑っているうちに、しのぶが希世花の腕を掴んで引っ張っていく。それをカナエとカナヲが微笑ましそうに見送っていた。

「八神さん、お家はこっちですか?」

「……うん。」

二人でゆっくりと歩く。なんだか気まずい。

「……」

「……」

会話が途切れた。希世花は歩きながら口を開く。

「あの……」

「はい?」

「こ、胡蝶先生が、言ってたんだけど……、胡蝶さんが、その、私と仲良くしたいだけだ、って……」

「……」

「……あ、あの、胡蝶さん、は、私を殺したい、わけじゃない、のよね?」

「そんなわけないでしょう」

しのぶが即座にそう言ったので、希世花はホッとして胸を撫で下ろした。そして言葉を続ける。

「そ、それじゃあ、」

 

 

 

 

 

 

 

「私と、……と、と、友達になれない、かな?」

 

 

 

 

 

 

 

「………」

しのぶがその場で立ち止まり、表情が固まった。

「あ、あの、嫌なら、いいの。ごめ、ごめんね。変なこと言って。わ、忘れて」

そのまま何も言わないため、希世花は慌てて誤魔化すようにそう言った。しかし、その直後にしのぶが勢いよくこちらに顔を向けてきた。その視線の威圧感に、思わず後ずさる。

「………ひっ」

「……そうですね。それは素敵な提案です」

悲鳴を上げた希世花に、しのぶはニッコリと微笑んだ。

「え、えっと、じゃあ……」

「はい。改めまして、お友達ということで。よろしくお願いしますね、八神さん」

「う、うん。よろしく」

その言葉に安心して希世花は微笑んだ。しのぶが笑いながら言葉を続ける。

「それじゃあ、手を繋ぎましょう」

「………へ?」

突然のその言葉に希世花はポカンとする。

「……手?」

「友達なら手を繋いで歩いてもおかしくありません。ええ、全然おかしくなくて、普通の事ですよ。友達ならできるはずです。そうですよね?」

「え、えっと」

「手を繋いでください、八神さん。さあ、早く。」

「あ、あのー」

「遅いですよ。何をしてるんです。手を繋ぐだけですよ。それとも、何ですか?本当は友達じゃなかったんですか?悲しいですね。ひどいですね。友達になるといったのにーーーー、」

「わ、分かった!」

言葉を続けるしのぶに根負けして、希世花はその小さな手を握った。すぐに温かい手が握り返してくる。

「………?」

その温かい手を、前にも握った事がある気がして希世花は首をかしげた。しのぶと手を繋ぐのはこれが初めてのはず、なのにーーーーー、

「さあ。帰りましょうか」

しのぶが満足げな顔をしてそう言った。希世花は首をかしげながら、しのぶに引っ張られるように帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

「……八神、最近大丈夫か?」

「え?」

数日後、希世花は放課後に公民の補習を受けていた。公民教師の悲鳴嶼行冥から突然そのように話しかけられて戸惑う。

「え?授業中のことですか?居眠りなら前からしてますけど……」

「南無……。それも問題だが、胡蝶しのぶのことだ……」

「あー…」

「最近、よく一緒に行動しているらしいな」

希世花は困ったように笑う。改めて友人という関係に収まり、以前のようにしのぶから逃げることはしなくなった。相変わらずその距離の近さに戸惑いながらも、昼休みに食事をしたり、放課後は一緒に過ごしたりもしている。少しずつ、ではあるが関係が改善されていき、親しくなっている、と感じる。

「少し前まではよく悲鳴をあげながら逃げていたが……、何かあったか?」

「……えーと、逃げるのはやめようかな、と思いまして」

「……ほう」

「胡蝶さんが、私を恨んでいるわけじゃない、と分かりましたし……きちんと、向き合おう、と思って……うーん、なんと言えばいいのか分からないんですけど……」

どう伝えればいいか分からず首をかしげながら言葉を続ける。

「……えーと、怖がらずに、話してみよう、みよう、と思って……今さら、ですけど。逃げてばかりでは、前に進めませんから……」

それを聞いた悲鳴嶼が安心したように微笑んだ。

「……南無。心配無用だったようだな」

「え?」

「いや、胡蝶しのぶに何か弱味でも握られてそばにいるようならば、こちらも介入しようと思っていた…」

「あはは、大丈夫ですよ。でも、ありがとうございます」

希世花は笑いながら、仕上げたプリントを悲鳴に手渡した。

「……これで授業中の居眠りさえなくなれば本当に安心できるのだが……」

「……善処します」

 

 

 

 

 

 

 

胡蝶しのぶは部活が終了したため、荷物を持ちながら廊下を歩いていた。希世花の補習は終わっただろうか。タイミングが合えば一緒に帰りたい……、終わっていないのなら待っていようか……などと考えていると、悲鳴嶼行冥が廊下の向こうから歩いてくるのに気づいた。

「あ、悲鳴嶼先生」

「む、胡蝶か」

「八神さんの補習、終わったみたいですね」

「南無……。八神はまだ教室にいる」

「ありがとうございます」

ペコリと頭を下げ、教室に向かおうとした時、悲鳴嶼が声をかけてきた。

「……胡蝶、あまり八神に無理をさせるな」

「……はい?」

しのぶは眉をひそめて悲鳴嶼を見返す。

「……失った記憶を取り戻すことを、八神が望んでいるとは、限らん」

「……」

「こうして平和な世界に生まれたのに、わざわざ残酷な過去を思い出させることが本当に良いことか?」

「……」

「お前の気持ちは分かる。忘れられてしまい、悲しむ気持ちも分かるのだ、本当に………。だが、八神の記憶を刺激し続け、無理矢理思い出させることが、本当に八神の幸せなのだろうか……」

「……先生」

「本当に八神の事を思うのならば、今の幸せを願ってやるべきではないか……」

「……私は、……」

「南無……。よく考えろ、しのぶ……」

そう言うと、悲鳴嶼は職員室に向かって去っていった。

残されたしのぶは、そのまましばらく考え込むようにその場でうつむいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※悲鳴嶼 行冥

他の教師と同じように、授業中の主人公の居眠りに頭を抱える公民教師。教え子達の追いかけっこに介入するべきか迷いつつも、結局遠くから見守ることにした。最近しのぶと主人公が仲良くなってきたようなので一安心、と思っていたが、しのぶが脅迫でもしているようならば、やはり介入するべきかと悩んでいた。

記憶を取り戻すことが、幸せに繋がるとは限らない、と思いつつも、しのぶの事を思うと、主人公にはやはり思い出してほしいと願ってしまう、複雑な心境を持つ。

 

 

 

 

 

 

 

 




少しずつ関係が変化していきます。ちょっと私生活でバタバタしていまして、今までよりも更新が遅めになりますが気長にお待ちください。


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冨岡義勇は屈した

 

 

「眩しい……」

希世花は自宅のベランダに出ると、空に手をかざして、顔をしかめた。朝早いのにも関わらず、今日は一段と日差しが強い。じりじりと刺激するような光が降り注いでいる。その光に少しうんざりしながら、部屋へ戻り、いつもは下ろしている長い髪をシュシュで左肩に垂らすように緩くまとめる。そして学校へ行くために、制服を身につけ、鞄を手に持ち、玄関へ向かった。革靴を履いた後、少し考え、

「……これ、使おうかな」

小さく呟き、日傘を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……暑い」

しのぶは日差しの強さに少しうんざりしながら登校していた。ちなみに今日、カナヲは日直の仕事があり、カナエの方は授業の準備があるため、先に学校に行ってしまった。珍しく一人での登校だ。気温の高さにげんなりしながら通学路を歩く。ふと、前方に視線を向け、そこに見たものに驚き、目を見開いた。

そこにいたのは、八神希世花だった。横断歩道の前で、佇んでいる。

いつもは下ろしている長い黒髪を、左肩に垂らすように緩く結んでいた。いつもとちがうのはそれだけではない。レースのついた華やかな日傘を差している。まっすぐに前を見て、信号が青になるのを、静かに待っていた。

その姿を見た瞬間、しのぶの脳裏に過去の記憶が甦った。

 

 

 

 

 

柱合会議でいつも日傘を差しながら優雅に佇んでいた彼女。空色と雛菊の羽織、白いリボンとスミレの髪飾り、左肩で結ばれている長い黒髪。誰とも関わろうともせずに、いつも隅っこで、一人静かにお館様が来るのを待っていた、過去の彼女。しのぶと目が合うと、いつもよそよそしげに、しかし上品に笑いながら、口を開いた。

 

 

 

 

 

『あら、ごきげんよう、蟲柱サマ』

 

 

 

 

 

「あ、おはよう、胡蝶さん」

ハッと気がつくと、いつの間にか希世花がこちらに気づいて近づいてきた。日傘を手に、笑いながら話しかけてくる。

「今日は暑いわねぇ」

「………」

「胡蝶、さん?どうかしたの?」

挨拶に何も答えず、じっと自分を見つめてくるしのぶを不思議に思ったのか、希世花が首をかしげていた。

「あ、いえ、なんでもありませんよ。おはようございます」

しのぶは慌てて誤魔化すように笑った。

そんなしのぶを見て、希世花は眉をひそめる。

今のしのぶの、瞳。ショッピングモールの時に見たのと同じ瞳だった。その瞳は、確かに自分を映しているのに、そのはずなのに。

 

 

 

 

 

しのぶは、希世花を見ていない。自分ではない誰かを見ている。

 

 

 

 

 

一体、誰を見ているのだろう。

 

 

 

 

 

「……素敵な日傘、ですね」

しのぶがなぜか懐かしそうな表情をして希世花の持つ日傘を見て言った。その様子を不思議に思いながら希世花は答える。

「あ、ありがとう。日差しがあんまり強いから、持ってきちゃった」

「本当に、今日は一段と暑いですね」

「もうすぐ夏だしねー。日焼けが心配だわ」

二人でゆっくりと学校へ歩みを進める。

しのぶは隣を歩く希世花をチラリと見た。女子高生が日傘を差して登校しているなんて、違和感を覚えそうな光景なのに、希世花がそうしていると全くそんな感じはしない。それどころか異様に似合っている。あの時のような、よそよそしい笑顔じゃない。フワリと微笑みながら穏やかな顔で歩くその姿は、前世と同じく、優美だった。その姿を見ることができたのが嬉しくて、そして懐かしくて、思わず頬が緩む。

最近、希世花としのぶは少しずつ言葉を交わすようになり、ずいぶん親しくなってきた。しのぶと目が合っても希世花は悲鳴をあげなくなったし、逃げ出したりもしない。最近はしのぶの前でもよく笑うようになったし、打ち解けて話せるようになってきた、と思う。

しかし、希世花は前世の記憶を全く思い出さない。何度かほのめかしてみたが、不思議そうな顔をされただけだった。

しのぶは微笑みを消して目を伏せる。そして、

『……失った記憶を取り戻すことを、八神が望んでいるとは、限らん』

悲鳴嶼の言葉を思い出して、唇を噛んだ。

 

 

 

 

 

校門の前では風紀委員が服装チェックをしていた。

「………あのー、八神先輩?」

「はい、なんですか?」

「その日傘は……」

「今日は日差しが強いので持ってきました。日焼け予防です」

「……えーと」

「校則には日傘禁止とは書かれてないですよね?」

風紀委員の我妻善逸がものすごく何か言いたげな顔をしたが、結局校則には日傘禁止とは書かれていないということを強調し、そのまま校門を通った。

その姿を校門の近くにいた体育教師の冨岡が見ていた。顔には出さなかったが、冨岡もまた、しのぶと同じように希世花の姿を見て固まっていた。

記憶がないというのに、日傘を差した希世花の姿が、あまりにも前世の彼女と同じだったからだ。

横を通りすぎる希世花をじっと見つめる。冨岡と目が合うと、彼女はニッコリ微笑み会釈した。

ハッと我に返った冨岡は慌てて希世花の肩を掴んで止めた。

「八神。確かに校則には書いてないが、流石にその日傘は……」

その時、希世花の向こう側にいたしのぶが殺気を放ちながら冨岡を睨んできた。笑っているのに、その顔には青筋が浮かんでいる。その手を離せと言わんばかりに希世花の肩を掴む冨岡の手を見てきた。その顔を見た善逸が「ヒェッ……」と小さく悲鳴をあげる。冨岡もその雰囲気に圧倒されて思わず口を閉じた。

「………」

しのぶの殺気に気づかず、急に言葉を止めた冨岡を、希世花が不思議そうに見てきた。

「あの、冨岡先生?」

「………」

そして、親から苦情が来るほど生徒に厳しいと有名な冨岡は、

「……いや、なんでもない」

しのぶの殺気にあっさり屈した。希世花の肩から手を離す。

「よかったですね、八神さん。日傘を許してくれるなんて、冨岡先生、優しいですね」

しのぶが殺気を消してニッコリ微笑み、希世花も

「本当ね。冨岡先生、ありがとうございます」

と嬉しそうに笑った。冨岡はもう何も言わずにその場から逃げた。

 

 

 

 

 

二人の後ろ姿を見ながら善逸は冨岡に声をかけた。

「先生、あの日傘、本当によかったんですか?」

「お前は早く髪を染めろ!!」

「だから、地毛ですってば!!」

善逸の悲鳴がその場に響いた。

 

 

 

 

 

お昼休み、教室でしのぶと向かい合いながら希世花はパンを取り出した。

「八神さん、またパンですか?」

「うん。お弁当作るのめんどくさくて……」

「いつもそれじゃあ、体に悪いですよ」

「朝弱いから、早起きしてお弁当作るのは厳しいの」

他愛もない言葉を交わしながらパンを頬張る。今日は炭治郎オススメのクロワッサンだ。

「胡蝶さんのお弁当、美味しそうね」

「姉さんが作ってくれたんです」

「先生が?いいなぁ」

「もしよければ少し食べます?」

「いいの?」

パッと希世花の顔が輝いた。しのぶが笑いながらお弁当に入っていた肉団子を箸で掴み、こちらに差し出してきた。

「はい、あーん」

反射的に口を開いた。その口に肉団子が入ってくる。希世花はそれをモグモグと咀嚼し、頬を緩めた。

「美味しいですか?」

「うん!」

しのぶがますますニッコリ笑った。

「じゃあ、この卵焼きも食べますか?」

「いいの?」

「ええ。この生姜の佃煮も美味しいですよ」

「先生、本当に料理上手なのねぇ」

「はい、あーん」

「あーん」

しのぶが次々とおかずを分けてくれる。希世花もお返しに自分のパンをいくつかしのぶに差し出したが、いつもよりお腹いっぱいになってしまった。

人間は満腹になると眠くなる。そして当然、その日の午後は、

「胡蝶!!てめェの隣で幸せそうに寝ているそこの居眠り女を起こせやァ!!」

数学の授業でスヤスヤと眠る希世花に激怒し、不死川が怒鳴った。

 

 

 

 

 

不死川に散々怒られ、もちろんその日の放課後はいつも通り補習で残された。不死川に睨まれながら補習を終わらせて、部活終わりに待っていてくれたしのぶと共に帰路につく。

「ひどい目にあった……」

「居眠りするあなたが悪いです。よくもまあ、不死川先生の授業であんなに眠れますねぇ」

「うーん……」

希世花は首をかしげながら言葉を続けた。

「……昔からね、いっつも睡眠不足なの。前の学校でもよく居眠りして怒られていたわ。どんなに寝ても寝ても、足りないの。不思議よね」

「……そうですか」

しのぶはどう答えればいいか分からず苦笑いした。前世の彼女はどんなにしのぶが注意しても怒っても眠ろうとしなかった。暇さえあれば寝てしまう現在の彼女と大違いだ。そこにほんの少し寂しさを感じながら、しのぶは口を開いた。

「八神さん、今度の日曜、お暇ですか?」

「日曜日?特に予定はないけど……」

「じゃあ、遊びに行きませんか?」

「え、胡蝶さんと?二人で?」

「いえ、実は友人にあなたの話をしたら、ぜひ会いたいと言ってまして……」

「胡蝶さんの、お友だち?」

「はい。うちの学校の卒業生の方なんですけど……」

「なんで私に会いたいの?」

「……とにかく、遊びませんか?楽しいですよ、きっと」

「う、うん。分かった」

なんとなくしのぶの勢いに圧倒されて、希世花は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※冨岡 義勇

顔には出さなかったが、主人公の記憶がないのと名前が違うのにやっぱり混乱した体育教師。しのぶの殺気に怯んで主人公の日傘を没収できなかった。その後、職員室にて「……胡蝶妹(の目、あの目は確実に)……()る気だった」とこぼし、カナエが首をかしげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 







次回は甘露寺さんとのお出かけ回。













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甘露寺蜜璃は涙ぐむ

 

 

暗い

 

 

寒い

 

 

ここはどこだろう

 

 

『ーーーーー』

 

 

誰かの声が聞こえた

 

 

誰だろう?

 

 

ちがう

 

 

私は、この人を知ってる

 

 

だって、一番尊敬していて、信頼している人だったんだもの

 

 

ずっと、逢いたかった

 

 

あれ?

 

 

どうして顔が見えないの?

 

 

確かに、知っているはずなのに、

 

 

誰か分からない

 

 

 

 

 

私が大好きな、この人はーーーーー、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希世花はゆっくりと目を開けた。ぼんやりとベッドの上で身を起こし、頭を抑える。

「…………?」

とても不思議な夢を見た気がする。でも、どんな夢だったか思い出せない。

「…………んー」

とても、とても重要な何かを忘れているような気がした。なんだっけ?

「………」

どうしても思い出せない。それに、身体にはまだ眠気がこびりついている。眠い。怠い。今日は休みだし、二度寝してしまおうか………。

「………ダメだ」

今日は日曜日。しのぶと、その友達と遊ぶ日だ。眠気に抗いながらゆっくりとベッドから降りて、パジャマを脱いだ。用意していたワンピースを身に付け、髪を後ろで簡単に編み込む。

適当に朝食を摂り、身を整える。そしてマンションから出て、待ち合わせ場所に向かって歩き出した。大きな時計台のある所が待ち合わせ場所だ。少し早めに家を出たため、ちょうど約束した時間に到着する。待ち合わせ場所では、少し不思議な女性が立っていて、思わず視線がそちらに向いてしまった。長身で、華やかな服装をしている、とても綺麗な女性だ。何よりも目立つのはその髪だ。ピンクと黄緑色の長い髪を三つ編みにしていた。

その女性は希世花と目が合うと、顔を輝かせて近づいてきた。

「キャア!久しぶりね!」

「………はい?」

声をかけられたことに驚いて首をかしげた。自分はこの人と会ったことがあっただろうか?いや、こんなに目立つ女性なら覚えているはずだが………、

「あ、そうだったわ!そうよね、分からないわよね!初めまして。甘露寺蜜璃です!」

「………は、はあ」

「しのぶちゃんの話を聞いてから、えん、……じゃなかった、八神さんと会うのを楽しみにしていたの!今日は本当に嬉しいわ!!」

どうやら、この人がしのぶの友達らしい。希世花は慌てて頭を下げた。

「は、初めまして。八神希世花です。よろしく、お願いします……」

「こっちこそ、よろしくね!本当に、嬉しい!キュンキュンしちゃう!」

「は、はい……?キュン……?」

そのテンションの高さにポカンとしていると、ようやくしのぶが姿を現した。

「すみません、遅れちゃって……」

「あ、しのぶちゃーん!久しぶりね!」

「はい。お久しぶりです、蜜璃さん。ああ、もう自己紹介もしたみたいですね」

しのぶが希世花の方を見てクスリと笑った。

「う、うん……」

「もうね、私、今日が楽しみすぎて昨日は全然眠れなかったの!」

「あらあら、それじゃあ、さっそく行きましょうか」

テンションの高い甘露寺に圧倒されながら、希世花は二人に付いていった。なんで甘露寺は初対面の希世花の事を知っているのだろうと首をかしげながら。

 

 

 

 

 

 

まずは三人で映画鑑賞をした。今話題の恋愛要素もあるアクション映画だ。

「こっちじゃなくていいの?」

いかにも怖そうなホラー映画のポスターを指差しながらしのぶに聞くと、苦笑した。

「今日は蜜璃さんもいますしね。そっちは今度二人で観に行きましょうか」

「う、うん」

サラリと次のお出かけをしのぶから提案され、それに流されるように頷きながら希世花は劇場に入った。

映画は今話題の作品ということもあり、とても面白かった。映画が終った後、劇場から出ながら甘露寺が楽しそうに口を開く。

「すごくよかったわね!なんかバビューンってなって、ドーンって感じで!」

「そうですね。なかなか面白かったです。ね、八神さん」

「うん。面白かった」

三人はそのまま休憩と昼食を兼ねてレストランに入った。

「ここのお店ね、前にも来たことがあるんだけど、何を食べても全部美味しいの!」

「それは楽しみです」

注文を終わらせて、ホッと息をはき、椅子にもたれかかる。そんな希世花に、甘露寺がモジモジしながら声をかけてきた。

「あ、あの、八神さん」

「はい?なんでしょうか?」

「あ、あのね……その……」

甘露寺はしばらく言い淀んだようにしていたが、思い切ったように言葉を続けた。

「も、もし、嫌じゃなければ、……き、希世花ちゃんって、呼んでも、いいかしら……?」

その問いかけにきょとんとした後、希世花は微笑んだ。

「……じゃあ、私も蜜璃さんって呼んでもいいですか?」

その言葉に甘露寺の顔がパアッと輝いて、希世花の手を握ってきた。

「もちろんよ!とっても嬉しいわ、希世花ちゃん!」

「は、はい……」

甘露寺の勢いに押され、隣に座ったしのぶが顔をしかめたことに希世花は気づかなかった。やがて、注文した料理が運ばれてきた。

「じゃあ、食べましょうか!」

「す、すごい量ですね」

甘露寺の前に並べられた、たくさんの料理に目を白黒させながら思わずそう漏らす。本当に食べきれるのだろうか、と疑問に思ったが、それらの料理が次々と甘露寺の口に吸い込まれていき、希世花はまた驚いた。しのぶが微笑みながら口を開く。

「ここの料理、美味しいですね。さすが、蜜璃さんオススメの店です」

「でしょ?デザートも美味しいのよ!」

そのまま三人で談笑しながら食事を楽しんだ。

 

 

 

 

 

食事の後は街中を歩き、買い物を楽しむ。街は、日曜日ということもあり、買い物客で賑わっていた。三人でおしゃべりしながら服や小物の店を見て回った。

アクセサリーショップで可愛らしいネックレスやブレスレットを見ていると、しのぶから声をかけられた。

「何か買うんですか?」

「うーん、どうしようかな。これとか、可愛いわね」

「あら、あなたにはあっちのネックレスの方が似合いますよ」

「ちょっと派手すぎない?」

「それなら、これとか……」

しのぶと二人でアレコレ話しながらアクセサリーを吟味する。そんな二人の姿を、離れた所で甘露寺が嬉しそうに見つめていた。

 

 

 

 

 

「今日は楽しかったわね!」

「そうですね、ね、八神さん」

「うん」

本当に、楽しかった。こんなふうに一日中友人と出掛けたのは初めてだ。まだ気持ちが弾んでいる。そろそろ帰らなければならないが、それが寂しかった。

「あら、あれ、何かしら?」

甘露寺の声に釣られるように、希世花はそちらに視線を向けた。

視線の先には多くの人間が並んでいた。その行列の先には可愛らしいカフェらしき店がある。首をかしげていると、しのぶが気づいたように口を開いた。

「ああ、あれ、テレビで特集されていたカフェですね。確かスフレパンケーキが絶品だとか……」

「パンケーキ!」

甘露寺の顔が輝く。

「食べてみたいわ!」

「うーん……」

しのぶが困ったような顔をした。

「すみません……。今日は夕食までには帰ると家族に伝えてきたので……。ずいぶん並んでいますし……、今日はちょっと厳しいですね……」

「あら、そうなの……。残念だわ」

甘露寺が残念そうな顔をする。その顔があまりにも悲しそうだったので、希世花は口を開いた。

「それじゃあ、今度、行きましょうか」

「え?」

甘露寺が驚いたようにこちらを見てきた。

「……今度?」

「はい。三人で予定を合わせて、今度はあのカフェに行きましょう。私、来週なら空いてますし、次の週末も……」

甘露寺が何も答えずに呆けたように希世花を見てくるため、だんだん不安になってきた。

もしかして、自分と出掛けるのは嫌だろうか。

「あ、あの、……すいません。突然こんなこと言って……。蜜璃さんもお忙しいなら、……無理せず……」

「え?あ、ち、ちがうの!」

甘露寺が慌てたようにそう言って、希世花の方へグッと体を近づけてきた。

「ぜひ、ぜひ、行きましょう!三人で!」

「は、はい」

よかった、と思いながら胸を撫で下ろす。どうやら嫌なわけではないらしい。その時、甘露寺が涙ぐんだため、希世花はギョッとした。

「あ、あの、蜜璃さん……?」

甘露寺が聞き取れないほどの小さな声で、

「……そうよね。“今度”行けばいいのよね。私たちには“今度”があるんだものね……」

と言った。その言葉に首をかしげていると、しのぶが何も言わずに甘露寺を慰めるようにその肩に手を置く。甘露寺はチラリとしのぶと顔を見合せ、希世花の両手を取り、ギュッと力を込めて握った。

「私ね、すっっっごく嬉しいわ。希世花ちゃんから誘ってもらえるなんて……」

「は、はあ……あ、あの、すみません、ちょっと痛いです」

手を握る力があまりにも強いため、希世花がそう言うと、甘露寺が慌てて手を離した。

「あ、ごめんなさいね!」

「いえ……」

希世花は苦笑しながら、すごい力だったなあ、と心の中でこっそり呟く。

「それじゃあ、そろそろ帰りましょうか」

「あ、私はこっちなので」

帰る方角がちがうため、しのぶと甘露寺とはここでお別れだ。

「今日は楽しかったわ、希世花ちゃん!」

「はい。私も楽しかったです。」

「八神さん。それじゃあ、また明日。学校で」

「うん。それじゃあ、また」

「希世花ちゃん、また今度遊びましょうね!」

しのぶと甘露寺に大きく手を振りながら、その場から足を踏み出した。

「……またね、希世花ちゃん」

甘露寺は、もう一度別れの言葉を噛み締めるように小さな声で囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……蜜璃さん」

「ごめんね、しのぶちゃん。抑えきれなかったわ」

希世花と別れた二人は、ゆっくりと歩きながら話す。しのぶがそっと甘露寺の方へ視線を向けると、甘露寺はまた涙ぐんでいた。

「……圓城さんって、あんな風に笑う人だったのね。凄く、凄く可愛かったわ。まるで普通の女の子みたいで……」

「……普通の女の子、ですよ、ここでは。あの子も、私たちも」

「あ、そうよね。私ったら、ついうっかり……」

しのぶが鞄からハンカチを取り出して差し出し、甘露寺はそれを受け取って涙を拭った。

「……“またね”って、素敵な言葉ね。“今度”ってすごくキュンとしちゃった」

「……ええ」

「当たり前に、未来の約束ができるなんて。……“今度”があるなんて嬉しくて、嬉しくて、……思わず泣いちゃった。ごめんね。私、希世花ちゃんに変に思われてないかしら?」

「……大丈夫ですよ」

また涙がこぼれそうになって、それを必死にこらえながら甘露寺は笑みを浮かべた。

「……うふふ」

「どうしました?」

「圓城さんからね、誘われたの、初めてなの。前は私から何度誘っても、断られていたから。……お出かけしたのは三人で甘味処に行ったあの一度きりだったわ」

甘露寺は前世の圓城菫の姿を思い出す。いつも上品に振る舞い、おしとやかな微笑みを浮かべていた。しかし、常に一歩引いた態度で、誰とも親しく関わろうとしなかった。

甘露寺が何度か食事に誘ったが、彼女がそれに応えたことはなかった。

『圓城さんっ、もしよければこの後食事でもどうかしら?』

『……お誘いありがとうございます。とても嬉しいですわ。でも、今日は疲れたのでまたの機会にいたしましょう。』

『そ、そうなの。残念だわぁ』

いつも丁寧に、しかし有無を言わせぬ口調でキッパリ断られていた。

しのぶが懐かしそうに目を細める。

「あの子、昔は人と関わるのは避けていましたしねぇ……」

「私ね、しのぶちゃんと、圓城さんと、三人でお出かけしたいなって、ずーっと思っていたから。それが叶って、本当に嬉しいの」

甘露寺はしのぶの方を向きながら言葉を続けた。

「それにね、しのぶちゃんと希世花ちゃんが、とっても仲良しで、安心したわ。圓城さんもしのぶちゃんも、お互いに大好きなのに、昔はいつもギスギスしてたから……」

「………」

しのぶが少しだけ照れたような顔をして、甘露寺はますます笑った。

「希世花ちゃんって、圓城さんだった時と、全然ちがうわね」

「……そうですか?」

「ええ!圓城さんは綺麗でおしとやかで大人っぽくて近寄りがたい雰囲気だったけど、希世花ちゃんは大人っぽさが抜けて可愛くて親しみやすい感じ。不思議ね、こんなにもちがうなんて……」

「………ちがう。そうですか、ちがいますか」

甘露寺の言葉に、しのぶは物思いにふけるようにそっと呟く。

「……?しのぶちゃん?どうかしたの?」

「…いえ、なんでもありませんよ」

しのぶは誤魔化すようにそう言って笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※甘露寺 蜜璃

前世では年上だと思っていた睡柱が、今世では年下のため、最初に聞いたときは大いに驚いた。でも年下の圓城さんも可愛いわ!とときめいた。前世では仲が悪かったしのぶと楽しそうに買い物をしている姿を見てキュンとした。というか、一緒にいる間キュンキュンしまくりだった。これからも三人でお出かけしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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嘴平伊之助は怒鳴る

 

 

『ーーーーー』

 

 

 

『ーーす……………れ』

 

 

 

 

 

 

大好きな、声が聞こえた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かに名前を呼ばれたような気がして、希世花は目を覚ました。布団の中で数秒間ぼんやりする。今日は学校は休みだ。何も予定はないのでのんびりできる。ゆっくりと起き上がり、時計を確認する。もう昼に近かった。パジャマのままで立ち上がると、カーテンを開けた。

窓の外ではパラパラと雨が降っていた。どんよりとした空をチラリと見て、うんざりと顔をしかめる。冷蔵庫からペットボトルに入ったミネラルウォーターを取り出し、少しずつ飲みながら外の景色を眺めた。街は雨に包まれ、いつもより暗い。今日は予定もないし、家で静かに過ごした方がよさそうだ。

「………」

なんだろう。なんだかモヤモヤする。

希世花は眉をひそめた。なんだろう、なんでこんなに陰鬱な気分になるんだろう。まるで心にポッカリ穴が開いたみたいだ。

一人の時間は好きだ。誰にも気を使うこともなく、好きなことをしてのんびり楽しめる。なのに、なんだろう、この不思議な感情は。モヤモヤが止まらない。心が冷えて、どんどん暗くなっていく気がする。戸惑いながら、気分転換に、部屋にあるダーツを手に取った。安定させるように親指と人差し指で挟むと、ダーツボードをじっと見据え、投げる。ダーツは真っ直ぐにボードの真ん中に突き刺さった。

「………」

狙ったところに綺麗に刺さったのにも関わらず、気分は全然晴れない。

心がどんどん沈んでいく。なんだか寒くなってきたような気がする。夏が来るというのに、おかしい。心の中にも雨が降っているみたいだ。

「………あ」

ふと、その奇妙な感情の正体に気づいて、思わず声をあげた。

これは、寂しさだ。

最近、自分の周りはとてもにぎやかだった。胡蝶家に遊びに行ったり、週末はしのぶや甘露寺と会ったりしていた。

一人で過ごすのは久しぶりだった。慣れている、はずだ。一人で静かな時間を過ごすのは苦じゃない。幼い頃から両親は忙しく、実家では一人で過ごしていたし、前の学校では仲のいい友人はほとんどいなかった。

なのに、

「………へんなの」

ボソッと呟く。こんなに孤独感を感じるなんて、本当に変だ。ぼんやりと窓の外の景色を眺める。

なぜだか、しのぶと逢いたい、と思った。

自分がそんな事を思ったことにびっくりして、目を見開いた。思わず窓の景色から目をそらす。

最初はあんなに恐ろしくて、逃げていたというのに。いつの間にか、彼女が隣にいることが当たり前のようになっている。まあ、学校にいる間はほとんどを、しのぶと過ごしているので当然だが。

しのぶがそばにいないだけで、こんなに寂しさを感じるなんて、自分はおかしくなっている。

希世花は考えるのを放棄して、冷蔵庫を開けた。

「……あー」

冷蔵庫にはミネラルウォーター以外何も入っていなかった。台所の戸棚を漁るが、そこも空っぽだった。買い物に行かなければ。

チラリと窓の外を見て、大きなため息をつくと、クローゼットから適当に服を取り出す。身を整えると傘を持って外に飛び出した。

 

 

 

 

 

マンションから出て空を見上げる。細い雨が静かに降っていた。傘を差して足を踏み出す。しっとりとした空気を胸いっぱいに吸い込んだ。外に出ると、ますます心の中のモヤモヤが大きくなっていく気がした。

少し先にある大きめのスーパーを目指して歩く。買い物をして、何か食べて、それから好きな本を読んだりDVDでも見て気分転換しよう。いつもの休日の過ごし方だ。ずっと一人でそうやって過ごしてきたんだから、大丈夫。そうだ、まだもう少し先だが、テストもある。勉強をすればいい。勉強に集中したら、このモヤモヤだって消失するはずだ。

そう考えながら、傘の手元をギュッと握ったその時だった。

「……八神さん?」

後ろから聞こえたその声に驚いて振り向いた。

「………あ」

「こんにちは。奇遇ですね」

胡蝶しのぶが傘を差して微笑んでいた。

逢いたいと思っていたその人が突然現れた事に動揺して、声をあげる。

「……なんで」

「はい?」

しのぶが首をかしげたので、慌てて言葉を続けた。

「あ、……えっと、こんにちは、胡蝶さん。どうしてここにいるの?」

「この近くの本屋で買い物をしていたんですよ」

しのぶが手に持った紙袋を示しながら笑った。

「あ、……そう、なの」

「八神さんも、お買い物ですか?」

「……うん」

「もしよければ、一緒に何か食べに行きませんか?もうすぐお昼ですし……」

しのぶの誘いに一瞬希世花はパッと顔を輝かせたが、すぐに目を伏せた。

「……あー、今日は、ちょっと……」

「何か他に予定が?」

「……………うん」

しのぶから目をそらすように短く答える。そんな希世花をしのぶがじっと見つめて突然距離を詰めてきた。

「わ、……こ、胡蝶さん?」

「何も、予定、ないですよね?」

「………あるわよ」

「あなたは嘘をついたらすぐに分かりますよ」

「えっ……」

びっくりしてしのぶの方へと視線を向けた。

「なんで分かるの?」

「顔に出るからです」

「嘘……、顔に出るってどこに?」

「秘密です」

「えー……、教えてよ……」

「それよりも、何も予定がないなら、なんで嘘をつくんですか?」

希世花はしのぶからまた目をそらした。

「えっと……」

「……私と、一緒にいるのは嫌ですか?」

「ち、違うわよ!逆!」

思わず口を滑らせてしまい、顔をしかめた。

「……逆?」

「………あー、えーと……」

モジモジしながら言いにくそうに小さな声を出した。

「……胡蝶さんと一緒にいると、楽しくて、……一人が、寂しくなるっていうか……一人になるのが悲しくて、たまらなくなるの……。わ、私、一人暮らしだし……、えっと、……なんか、ね、胡蝶さんと、過ごすと、……家に帰るのが、い、嫌になっちゃいそう、だから……」

ボソボソと言い訳のような言葉が漏れた。

「………」

しのぶの強い視線を感じてうつむいた。

馬鹿みたいだ。

今まで、一人でも平気だったのに。いつの間にか、誰かと過ごすことに幸福感を感じるなんて。一人でいることが寂しい、なんて思ってしまうなんて。感情のコントロールができなくなってしまった。でも、どうしようもない。仕方ないじゃないか。

だって、しのぶの隣は、温かい。

なぜだろう。あんなに怖い、と思っていたのに。今はそばにいるだけで、日だまりの中にいるみたいに安心できる。心地よくて、不思議な懐かしさを感じる。

その幸福感に慣れてしまって、今まで平気だった一人ぼっちの日々が、つらい、なんて思ってしまう。

本当に、不思議だ。こんな気持ちになるのは、いつからだっけ。そうだ。胡蝶家に泊まった時に変な夢を見てからだ。

ぼんやりと考えていると、突然手を握られた。そのまま思い切り引っ張られる。

「え、こ、胡蝶、さん?」

「あなたのうちに行きましょう」

「へ?」

「いいでしょう、別に。何も予定がないなら」

「え、え……、ちょっと、待って」

「あ、何か適当に食べるものを買っていきましょう。何がいいですか?」

「ま、待って、待って、待って!ちょっと、話についていけない!」

戸惑う希世花を引きずるようにしのぶはどんどん歩いていった。

 

 

 

 

「………どうぞ」

「お邪魔します」

結局しのぶに押しきられるようにして、一緒に自宅に帰ってきた。途中で買ってきた食料品が入ってる袋を運びながら口を開く。

「胡蝶さん、料理できるの?」

「まあ、多少は。あなたはできるんですか?」

「う……、そんなには……」

言葉を交わしながらリビングに案内する。

「……綺麗な部屋ですね」

しのぶが呟くようにそう言った。

「そうかな?」

「あ、これ……」

しのぶが目に留めたのは部屋にあるダーツボードだった。

「ダーツ、好きなんですか?」

「あー、うーん……、好き、というか得意、かな。たまに気分転換にやるの。自慢じゃないけど結構上手いのよ」

「………」

「どうしたの?」

「…いえ、別に」

しのぶがなぜか笑いをこらえるような顔をしたので、希世花はきょとんとした。

 

 

 

 

しのぶはダーツボードをじっと見つめる。また笑いそうになって、手で口元を抑えた。こんなところにも、面影を感じる。前世の彼女は短刀投げが得意だった。御守りだと言って、いくつもの短刀を隊服の中に隠し持ち、継子だった時に蝶屋敷でこっそり投げる練習をしていたのをしのぶは知っていた。

「……胡蝶さん、あの、なんで笑ってるの?」

「笑ってません」

「笑ってるじゃない……」

「それよりも、昼食を作りますよ。私が作るから手伝いなさい」

「……はーい」

二人で台所に立つ。しのぶに指示されながら希世花は動いた。野菜を洗いながら、包丁で材料を切るしのぶの手元をチラリと見る。

「胡蝶さん、手慣れてるね」

「たまに家で姉さんやカナヲと料理しますからね」

「ちなみに得意料理は?」

「そうですねぇ…、どちらかというと和食が得意ですね…」

二人で話しながら料理を続け、あっという間に完成した。テーブルに二人分の食事を並べる。

「……おぉ」

「どうしました?」

「いや、テーブルの上に、久しぶりに人間らしい食事が並んだから感動しちゃって……」

「あなたの毎日の食生活、一体どうなってるんです?」

しのぶの呆れたような声を聞きながら、お互いに向き合ってテーブルの前に座った。

「いただきます」

手を合わせてそう言い、箸を手に取る。

「……おいしい」

「それはよかったです」

「なんか、家庭の味って感じ……」

希世花の言葉に、しのぶが言いにくそうに口を開いた。

「……八神さん、一人暮らし、なんですよね?」

「うん」

「……あの、失礼ですが、ご家族は……?」

「あー」

希世花は少し笑って答えた。

「……両親とは、離れて暮らしてる。……いろいろあって家を出たの」

「そうですか……」

希世花の言葉にしのぶはそれ以上踏み込めずに黙りこむ。

少しだけ気まずい沈黙が流れた。希世花が誤魔化すように口を開く。

「ええと、そういえばなんで突然うちに来たいなんて言ったの?」

「……だって、さっき、あなたがあんな顔するから」

「あんな顔?」

「まるで迷子になったみたいな、心細そうな、今にも泣き出しそう顔をしてましたよ」

「………」

希世花は羞恥でしのぶから顔を背けた。

「……気を使わせて、ごめんなさい」

「別に。前からあなたの家に行ってみたいと思ってましたし。ちょうどよかったです」

しのぶが少し笑いながら食事を口に運んだ。

食事の後は食器を洗いながら他愛もない話を続ける。

「……これ、どうやるんですか?」

「え?」

後片付けをした後、しのぶがダーツボードを見ながら希世花に声をかけてきた。

「普通にダーツを投げてボードに刺せばいいのよ」

「普通にって……」

首をひねるしのぶに希世花は笑うと、ダーツを手に取り、軽く投げた。手から飛び出したダーツは真っ直ぐに飛んでいき、真ん中に突き刺さる。

「……見事ですね」

「まあ、よくしてるしね」

「一度やらせてください」

「どうぞー」

ダーツを手渡すと、しのぶが思い切り投げた。しかし、ダーツは的に当たらず下に落ちていった。

「意外と難しいですね」

「まあね。ちょっと持ち方が違ったわ」

そう言うと希世花はしのぶの後ろへ回って、その手を握った。

「………っ」

「 4本で持つのもいいけど、親指と人差し指でこう挟んで、中指を添えるようにするの」

小さな手にダーツを握らせ自分の片手も添える。そして今度はしのぶの顔に片手を伸ばした。

「顔を正面に、まっすぐに両目で的を見て。肘を中心に動かすの。あまり力を込めずに……」

しのぶが黙りこんだため、希世花は眉をひそめた。そして、自分がしのぶに身体をこれ以上ないほどくっつけているのを自覚して慌てて身を離した。

「あ、ご、ごめんなさい!」

「いえ……」

しのぶが大きなため息をついたので、焦る。

「あ、あの、怒った?」

「なんで怒るんですか、馬鹿。びっくりしただけですよ」

そしてしのぶは希世花から顔をそらすようにして今度はリビングのソファに座った。

「……あー、なんか、見る?」

また気まずくなった空気を消すため、希世花はテレビをつけた。

「……お茶でも入れてくるね」

しのぶが黙ったままなので、逃げるようにして台所に戻った。熱いお茶を用意して戻ると、しのぶはCDやDVDを収納しているラックを眺めていた。

「……どうしたの?」

「あ、ごめんなさい。勝手に見て」

「ううん。別に構わないわ。何か見る?」

「……じゃあ、これ。前から興味あったので」

しのぶが指したのは数年前話題になったサスペンス映画だった。DVDをラックから取り出し、レコーダーで再生する。二人並んでソファに座り、テレビに視線を向ける。

「なんか、胡蝶さんのお家に泊まった時のこと、思い出すわね」

「……あの時は、姉さんに思い切り抱きついてましたね」

「……あー……、やっぱり怒ってたの?」

「ええまあ。あなたって姉さんのこと、大好きですよね。……相変わらず」

「うん?」

妙に引っ掛かる言い方が気になったが、映画が始まってしまい、しのぶがそっちに集中し始めたようだったのでそれ以上は聞けなかった。

映画が始まって半分過ぎた頃、希世花は目蓋がどんどん重くなっていくのを感じた。ほとんど目を開けていられないほどの強い眠気が襲ってくる。

あ、これ、まずい。起きなきゃ。

そう思うのに、意識が朦朧となっていくのを止められない。そのままゆっくりと眠りの海へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

温かい。

「……うーん」

なんだろう、これ。すごく心地いい。

「………あ、起きました?」

目を開けると、真上にしのぶの顔があった。目を見開く。どうやらソファの上でそのまま眠ってしまい、しかもしのぶに膝枕をされているらしい。

「おはようございます。と言っても、もう夜ですけど」

「………」

「八神さん?」

何も言わずにじっと見つめてくる希世花を不思議に思ったのか、しのぶが首をかしげた。希世花はゆっくりとしのぶの顔に腕を伸ばす。その柔らかい頬を撫でた。

あれ?なんか前にもこういうこと、あったような…………、

「八神さん?」

「あ、ごめん。起きるわね」

ハッと我に返り、慌てて体を起こす。そして、窓の外が思ったよりも暗いことに気づいてギョッとした。いつの間にか、雨も止んでいる。

「え……、今何時!?」

「えーと、7時ですね」

「もうそんな時間!?」

思ったよりも長い時間寝ていたようだ。

「ごめん。いつの間にか、寝ちゃって……。足、痛くない?」

「大丈夫ですよ。そろそろ何か食べましょうか」

「いや、それより、胡蝶さん、お家の人……先生とかカナヲさんが心配してるんじゃない?帰らなくて大丈夫なの?」

「あ、それなら大丈夫です。さっき連絡して外泊の許可を取ったので」

「……へ?」

しのぶの言葉に希世花は思わず変な声を出した。

「と、……泊まるの?」

「ダメですか?明日も休みですし……」

「い、いや、いいけど……」

なんか今日はいつもより更にグイグイくるなぁ、と思いつつ、希世花は困ったように首をひねった。

「えーと、…でも、うち、布団ないから、とりあえず胡蝶さんは私のベッドで寝てくれる?私はソファで……」

「あら、ベッドがあるなら一緒に寝ればいいじゃないですか」

「えっ」

希世花はポカンと口を開けた。

「い、一緒に……?」

「ええ」

「それは……」

「あなた、カナヲには同じ布団で寝ましょうって言ってたじゃないですか。それとも、なんですか?カナヲはよくて、私と一緒は無理なんですか?」

「えーと、そういうわけじゃ…」

「じゃあ、別にいいでしょう?ベッドがあるのはどの部屋です?」

結局流されるようにしのぶと寝ることが決まってしまった。

適当に夕食を済ませ、順番にお風呂に入った後、寝室へと向かう。

「結構大きなベッドですね……」

「ちょっと狭いけど二人寝られそうで、よかったわ」

しのぶに自分の部屋着を貸して、二人でベッドに入った。

なんでこんなことになったんだろう。横たわって天井を見ながら考える。怒涛の一日だった。孤独感はいつの間にか消失していた。チラリと横のしのぶを見る。いつも一人で寝るこの場所に、誰かがいるのは不思議な感覚だった。

でも、この感覚が嫌というわけではない。それどころかーーーーーー、

「……ありがとうね」

突然希世花がお礼を言ったので、しのぶは横たわったまま、そちらに視線を向けた。

「何がです?」

「……今日、楽しかったの。……なんか、ね、うまく言えないけど、最近、ずっと周りがにぎやかだったから……、一人が寂しいって、初めて知ったわ」

少し照れ臭くなって、天井を真っ直ぐに見たまま、言葉を続けた。

「すごく、ね、寂しかったから。胡蝶さんが遊びに来てくれて、嬉しかったわ。本当に、ありがとう。何かお返しをしなくちゃね……」

「……じゃあ、今、お返ししてください」

「うん?」

その言葉にしのぶの方へと顔を向けた。

「名前……」

「え?」

「名前で、呼んでください。胡蝶さん、ではなくて、名前を…」

「え……お返しが、それ?」

「呼べないんですか?あなた、蜜璃さんの事は名前で呼んでるじゃないですか」

「ま、まあ……」

「ほら、早く呼びなさい」

強めにそう言われて、その勢いに負けて口を開いた。

「……しのぶさん」

「さん、はいりません。しのぶの方がいいです」

「………………しのぶ」

「そう。それでいいです。これからはそうやって名前で呼んでください。いいですね?」

しのぶが嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に一瞬見とれてしまう。

「……あ、そ、それじゃあ、私の事も名前でーー」

「あ。それは結構です」

「なんで!?」

「……なんとなく」

「なんとなくって……」

希世花はポカンと口を開けた。

「ほら、そろそろ寝ますよ。おやすみなさい」

しのぶが会話を絶ち切るようにそう言って瞳を閉じた。希世花はしばらく呆然としていたが、やがて再び強い睡魔に襲われ、ゆっくりと眠りへ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だって、あなたは菫なんだもの」

希世花が眠ったことを確認して、しのぶは呟いた。その寝顔をじっと見つめる。

希世花、とそう呼ぶのは簡単だ。でも、今の名前を呼んだら、彼女が完全に別人になるような気がして怖かった。

彼女は、圓城菫だ。少なくともしのぶの中では。

だけどーーーーーー、

「……ずっと、ずーっと待ってたのに」

ずっと、待ってる。今も、これからも、待つ。あなたが帰ってくるのを。

「………あなたは、思い出したくないの?もう、思い出してくれないの?」

ゆっくりとその顔を撫でる。

「…………菫」

しのぶの小さな呟きが部屋に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めたら隣にしのぶはいなかった。

「……あれ?」

ぼんやりと起き上がり周囲を見渡す。窓の外は昨日とは打って変わっていい天気だった。澄みきったような空が広がっている。

「あ、起きましたか?」

しのぶが部屋に入ってきた。

「……おはよう」

「おはようございます。簡単ですが朝ごはんを作ったので食べましょう」

「あー、……ありがとう。ごめんね」

ほんの少し倦怠感を感じながら立ち上がった。客に朝食の用意までしてもらったことを申し訳なく思いながらフラフラと寝室を出る。

テーブルには既にしのぶが作ったらしい朝食が並んでいた。

「昨日の残り物で簡単に作りました。もう食材がないのでまた買いに行かないと行けませんね」

「……なんか、ごめんね。本当に。いただきます」

謝りながら箸を手に取った。

結局その日も一日中しのぶと共に過ごした。二人でまたDVDを見たり、本を読んだり、買い物をしたりと、のんびりと静かな時間を過ごす。

「そろそろ帰りますね」

夕方になってしのぶがそう言った時、希世花は落胆した。しかし、明日は学校なのでさすがに帰らなければならないのは分かっていた。分かっていても、寂しい。

「そんな顔をしないでください。また遊びましょう」

「……うん」

「寂しかったら電話してください。いつでもいいですから」

「……いいの?」

「ええ」

しのぶが微笑んで頷き、希世花も笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しかったなぁ……」

その次の日、登校しながら希世花は呟いた。昨日までの二日間、しのぶと一緒に過ごして本当に楽しかった。数週間前までは彼女の存在が恐怖で怯えていたのに、こんなにも仲良くなれたなんて今でも信じられない。

そう考えながら歩いていたその時、後ろから大きな声が聞こえた。

「猪突猛進!猪突猛進!」

希世花は後ろを振り向いて首をかしげる。

「……あ、伊之助、さん?」

「グワハハハ!よう、子分!」

振り向くと、そこには後輩の嘴平伊之助がいた。初めて会った時から、希世花の事を“子分”と呼ぶ不思議な後輩だ。弁当だけを抱えて裸足でこちらに向かってきた。

「おはよう、伊之助さん。相変わらず元気ねぇ」

「おう!子分も元気か!?」

「ええ。おかげさまで」

「しのぶとは今日は一緒じゃねえのか?」

「あんまり登校で一緒になることはないわねぇ。帰りは一緒に帰るけど……」

その元気いっぱいな姿に笑いながら希世花は答えた。

「そういや、子分、お前、そろそろ思い出したか!?」

突然伊之助からそんなことを聞かれ、首をかしげた。

「何を?」

伊之助が希世花の答えにチッと舌打ちをする。

「てめえ、早く思い出しやがれ!!」

「だから、何を?」

「ふっざけんなよ!しのぶとあんなにホワホワしてるくせに、忘れてんじゃねえよ!!」

「え………」

「早く、思い出せ、馬鹿野郎!!」

伊之助がそう怒鳴ると、再び「猪突猛進!」と叫びながら走り去った。

残された希世花は呆然と佇む。最近感じる奇妙な違和感が心を支配した。

『早く、思い出せ』

何を?

『忘れてんじゃねえよ』

忘れてる?

何を思い出すの?

私、何かを忘れてる?

何か、とても大切なことーーーーーーーー

「………痛っ」

その瞬間、ズキリと頭が痛んで思わず声をあげた。痛みに顔をしかめながらゆっくりと学校へ向かって再び歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※嘴平 伊之助

睡柱の最期を見届け、ある意味いろいろわだかまりがある後輩。主人公に今世で再会した時は喜んだが、全てを忘れてしまった事に対しては割りと怒ってる。記憶が戻ったら伝えたいことがあるから、早く思い出してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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素山夫妻は手を繋ぐ

 

 

希世花は痛みを訴える頭を抑えながら教室に入り、自分の席についた。なんだろう、先ほどの伊之助の言葉。何か引っ掛かる。

「おはようございます」

「……あ、おはよう」

希世花が席についてすぐにしのぶも教室に入ってきた。希世花の顔を見て訝しげな視線を送ってくる。

「どうしました?顔色が悪いですよ」

「……うーん、なんか、忘れた気がして……」

「忘れ物ですか?教科書なら見せますよ」

「うーん、そうじゃなくて……」

上手く言えずに希世花は曖昧に笑って誤魔化す。しのぶは何かを言いかけたが、直後に教師が教室に入ってきたため、心配そうな表情をしながらも前を向いた。

 

 

 

 

徐々に頭痛も治まっていき、昼前にはすっかり良くなっていた。しかし、妙な心の引っ掛かりは残ったままだ。

「失礼しまーす」

休み時間、希世花は生物の課題ノートを提出するため職員室に入った。生物教師のカナエのいる机へと真っ直ぐ向かう。カナエは希世花が職員室に入ってきた事に気づかず、何やらスマホを楽しそうに見ていた。

「うふふ……」

「すみません、胡蝶先生、ノートを………え!?」

「あっ、八神さん――」

後ろからカナエに声をかけた時、カナエのスマホが目に入った。心の引っ掛かりが全部吹っ飛び、思わず大声をあげる。スマホの中には自分としのぶの寝顔が映っていた。

「な、……な……、なんですか、それ!?」

「あー、見られちゃったわね……」

「先生!それ、い、いつ!?」

「うふふ。この間のお泊まりの時、ちょっとね」

カナエがニッコリ笑いながらそう言って、希世花はクラクラした。

「け、消してください!!」

「あら、ダメよ。お気に入りの写真なのに」

「いやいやいやいや!!そんな写真、即刻削除してください!」

動揺のあまり、思わずスマホに手を伸ばすが、カナエは希世花の手に届かないようにスマホを思い切り高く上げた。

「先生!そもそも、なんでそんな写真撮ったんですか!?」

「だって~、あんまり可愛くて……つい、ね?」

「つい、じゃありません!本当に消してください!!」

「それはイヤよ」

「先生!!」

希世花が叫び、カナエが楽しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

「それは姉さんが悪いわ」

「え~」

「え~、じゃない!」

放課後、華道部の部室で、希世花の話を聞いたしのぶが怒鳴った。希世花も拗ねたように頬を膨らませている。近くではアオイが呆れたような顔でこちらを見ていた。結局絶対にカナエは写真を消してくれなかった。

「ほら、姉さん。早く消して」

「え~、でも~」

「姉さん!!」

「……しのぶだってこっそり八神さんの写真を持ってるくせに」

「はあ!?」

カナエの言葉に今度は希世花が大きな声をあげた。

「な、な、なに、なに、それ!撮られた覚えなんてないんだけど!」

「…………」

しのぶが無言になって目をそらした。

「ちょ、ちょっと!それ、どんな写真!?」

「……どうでもいいでしょう、別に」

「よくない!ちょっとスマホ貸して!」

「ダメです。プライバシーの侵害です」

「盗み撮りしといてそれはないでしょう!!」

二人でワーワー言い合っていたその時、カナヲが部室に現れた。

「あら、いらっしゃい。カナヲ。遅かったわね」

「すみません。……あ、あのー、姉さん、お願いが、あるんですけど………。あとでの方がいいですか?」

しのぶと希世花の様子をチラリと見て、カナヲが言いにくそうに切り出す。

「いえ、大丈夫よ、カナヲ。どうしたの?」

希世花から逃げるように、しのぶはカナヲに近づきニッコリ笑った。

「えっと、これ、行きませんか?みんなで……」

「あら、お祭り?」

カナヲが机に出したのは花火大会のチラシだった。どうやらこの近くで開催されるらしい。希世花も一旦気持ちを落ち着けてそのチラシに視線を送る。

「いいわねえ。みんなで行きましょうか。アオイや八神さんも予定がないなら一緒に行きましょう!」

「すみません。私は家の手伝いがあるのでちょっと難しいですね……」

アオイが残念そうな顔でそう言った。

「あら、残念ねえ……。八神さんは?」

「え……」

「一緒に行きましょうよ。きっと楽しいわ」

「は、はい……」

なんとなくカナエの笑顔に押し切られるように頷いた。しのぶが微笑んで口を開く。

「楽しみですねえ、お祭り」

「それよりも!写真っていつ撮ったの!?」

「………さあて、私もそろそろ部活に行ってきますね」

「ちょっと!しのぶ!!」

そしてしのぶは素早く逃げるように部室から去っていった。追いかけようとした希世花はカナエに肩を掴まれて止められる。

「まあまあ、八神さん。落ち着いて」

「先生!」

「それよりも、八神さん、いつの間にしのぶのこと名前で呼ぶようになったの?」

「え、あ、あー、昨日そう呼ぶように言われて……」

「ずいぶん仲良くなったのねぇ。先生、嬉しいわ」

カナエが嬉しそうに笑って、希世花は少し照れたように下を向いた。

結局カナエもしのぶもスマホの写真は消してくれなかった。何度か詰め寄ったがのらりくらりと躱される。カナエとしのぶに写真を削除するよう懇願するうちに、伊之助の言葉をすっかり忘れてしまった。

そして花火大会当日。

「うん!とっても似合ってるわ!」

「すみません、先生。でも、本当にいいんですか?」

「いいのいいの!私の昔の浴衣なんだけど、ピッタリでよかったわ~」

胡蝶家にて希世花はカナエによって浴衣を着付けられていた。紺色の生地に赤い金魚が描かれた可愛らしい浴衣だ。本当は普通の服で行く予定だったが、カナエの勧めで浴衣を着て行くことになった。カナエの浴衣を借りて着付けてもらい、鏡を見る。無意識に顔が緩んでしまう。

「あら、いいじゃないですか」

「先輩、すごく似合ってますよ」

「あ、しのぶとカナヲさんのも可愛い浴衣ね」

胡蝶姉妹も華やかな浴衣を身に付けていた。

「じゃあ、行きましょうか!」

カナエ、しのぶ、カナヲと共に祭りの会場へ歩いていく。到着すると、既に多くの人が集まっていた。夜空の下、会場には屋台が連なり、にぎわっている。

「わあ……」

希世花はその光景に目を輝かせた。

「すごい。こんなの初めて……」

「え?お祭り、初めてなの?」

カナエがびっくりしたようにそう聞いてきて希世花は頷いた。

「はい……。こういう場に、あまり行く機会がなかったので……」

ワクワクしながら周りを見渡す。

「人が多いから、はぐれないようにね」

カナエの言葉が耳に届いたが、屋台を見るのに夢中になっていた。

「ね、ねえ、しのぶ、あれ、なに?」

「射的ですね」

「あっちは?」

「金魚すくいです」

「あの赤いのは何を売ってるの?」

「りんご飴の屋台です」

「あれ、りんごなの?なんか可愛い」

「甘くて美味しいですよ。買ってみますか?」

「うん!」

初めてのお祭りに希世花は珍しく気持ちが高ぶっていた。胸を踊らせながらしのぶやカナヲと共に屋台でりんご飴やたこ焼きを買ったり、射的に挑戦する。その姿をカナエがニコニコと見守っていた。

「……あっ、」

射的を楽しんだ後、歩いていたその時、すれ違った人とぶつかってしまい、その拍子にバッグを落としてしまった。バッグの中身が地面に散らばる。

慌てて手早く中身をかき集めて顔を上げると、前を歩いていた胡蝶姉妹の姿が消えていた。

「しまった……」

表情を曇らせて、自分のスマホを取り出す。

「………」

スマホの充電が切れていた。うんざりしながらスマホをバッグの中に仕舞う。どうしようか。このままここで待つべきだろうか。下手に動くよりもその方が無難かもしれない。でも人通りも多いし、どうしよう。

そう考え込んでいたその時、ドン、とまた誰かとぶつかった。

「すみません!」

「ご、ごめんなさ……」

ぶつかった相手と目が合う。希世花よりも年下らしい少女だ。あれ?と首をかしげる。この子、知ってる。誰だっけ。確か――――、

「あ、あのー、八神先輩、ですよね?」

「え、あ、は、はい。確か同じ学校よね?ええと……」

「あ、一年の素山恋雪です。こんばんは。」

恋雪と名乗ったペコリと頭を下げた。そうだ。思い出した。噂を聞いたことがある。高校生にして、既婚者の後輩だ。希世花とは違うクラスの同級生の男子生徒と結婚していた。二人が仲良く話しているのを何度か見たことがある。

「こ、こんばんは。ええと、素山さん、よく私の名前知ってるわね…学年も違うのに……」

「あ、はい。八神先輩って有名なので……」

「え、有名?なんで?」

「あ、えーと、いろいろ……」

恋雪が誤魔化すように笑い、希世花は首をかしげた。

「あ、あの、それより、狛治さんを見ませんでしたか?」

「え?うーん。見てないわ。ごめんね」

「そうですか……」

恋雪が不安そうな顔をする。その顔を見て希世花は口を開いた。

「はぐれたの?」

「……はい。さっきから探してるんですけど、人も多いし、見つからなくて……」

「スマホとか携帯電話は?」

「家に忘れてしまったんです……」

「あー、私とおんなじね」

「え?」

「胡蝶先生と、その妹さん達と一緒に来たんだけどはぐれちゃった。見てない?」

「見てないです……。すみません……」

恋雪が申し訳なさそうにそう言ったので、希世花は苦笑した。

「えーと、素山さんはこの辺ではぐれたの?」

「それが、いつの間にか、一人になってて……。狛治さんを探して、はぐれた場所からかなり歩いてきてしまいました……」

その時、アナウンスが響いた。あと三十分ほどで花火が打ち上がるらしい。

そのアナウンスを聞いた恋雪が今にも泣きそうな顔で下を向いた。

「……せっかく、一緒に、……花火……」

か細い声で呟く。その声を聞いた希世花は恋雪の手を握って歩き出した。

「あ、あの、先輩?」

「一緒に探すわ」

「え、で、でも……」

「いいから。はぐれた場所はどこ?大体でいいから、覚えてない?」

恋雪が慌てたように口を開く。

「多分、なんですけど、……金魚すくいの近くで…」

「金魚すくい?それなら、私、さっき見たわ。行ってみましょう」

歩きにくい下駄で少しだけ早く歩き、金魚すくいの店を目指す。恋雪の手を離さないようしっかり握りながら、人波の中をグングン進んでいった。やがて、金魚すくいの店が目に入った時、声がした。

「恋雪さん!」

「あ、は、狛治さん!」

大きな声と共に現れたのは、八神とは同級生で恋雪の夫である素山狛治だった。狛治の姿を見た恋雪はすぐに駆け寄り、狛治に抱きつく。

「恋雪さん、よかった。本当に……」

「ご、ごめんなさい。狛治さん」

仲のいい若夫婦を、離れた場所から希世花は黙って見つめた。

やがて狛治から体を離した恋雪が慌てたように希世花の方へ顔を向け、ペコペコと何度と頭を下げた。

「先輩、ありがとうございました。本当に、本当に、助かりました」

「いや、私は何もしてないから……。ここに連れてきただけで……」

狛治の方は何故か物凄く複雑そうに顔を歪めて希世花の方を見てきた。

「えーと、お前は……」

「…蓬組の八神よ」

「狛治さん。八神先輩が一緒に狛治さんを探してくれてたの」

それを聞いた狛治が慌てて頭を下げた。

「そ、そうか。世話になった」

「ううん。気にしないで。それより、花火が始まるわよ。楽しみにしてたんでしょう?」

「あ、ああ。じゃあ……」

「先輩、本当にありがとうございました!」

恋雪は何度もお礼を言いながら、狛治と共にその場から去っていった。去り行く二人の手はしっかりと握り合っていた。もう絶対に離さないとでもいうように。

その後ろ姿を、希世花はじっと見つめた。

いいなあ、とぼんやりと思う。

あんな風に、はぐれたら探してくれて、手を繋いだら絶対に離さない相手がいるなんて、羨ましい。

やがて二人の後ろ姿が人混みの中へと消えた。見届けた後、フラフラと人混みから少し離れて、邪魔にならないように隅っこに佇む。どうしようか。はぐれた場所からずいぶんと歩いてきてしまった。この人の多さでは胡蝶姉妹を見つけるのは無理かもしれない。

じっと、祭りを楽しむ人々を見つめる。みんな笑顔で誰かと楽しそうに歩いている。ただ一人、自分だけ違う世界に取り残されたような感覚になる。

みんな、誰かと一緒なのに。

私は、ひとりぼっちだ。

覚えのある感情が心を支配した。最近すっかり寂しがりやになってしまった。

「……帰ろう、かな」

ふと呟いてしまい、思わず笑う。自分のマンションに帰ったとしても、誰も待っていないのに。ますます孤独感が増すだけだ。

夜空を見上げる。雲はほとんどなく、星が輝いていた。黒よりも藍色に近い、美しい夏の夜空だ。きっともうすぐ花火が始まる。

ここで一人で花火を見るというのも、悪くない。ほんの少し、寂しいけど。

そんな事を思った瞬間、声が聞こえた。

「――――さん!」

綺麗な、声。

騒がしさの中からその声だけが耳に届く。どれだけ人がいても、姿が見えなくても、聞き逃すことはない。

「………しのぶ」

声に応えるように、その名を呼ぶ。足を動かそうとしたその時、手を掴まれた。

「――――八神さん、見つけた!」

しのぶが息を乱しながら怒ったように眉を吊り上げていた。希世花は大きく目を見開いて、息を呑んだ。

「もう!勝手にいなくなって……、心配したんですよ」

しのぶはハアハアと息切れしており、その髪は少し乱れていた。その姿を見て、小さく声を出す。

「……探してくれたの?」

「当たり前でしょう!突然いなくなって……。携帯も繋がらないし。姉さんとカナヲに連絡しないと……」

しのぶがスマホを取り出して電話をかける。やがてカナエと繋がったようで、何事か話していたが、希世花は聞いていなかった。しのぶの片手は希世花の手を握っていて、その手をじっと見つめる。

なぜか目が燃えるように熱い。一瞬の後、自分が泣いていることに気づいた。さっきまで冷たかった心臓が、どくんどくんと、音をたてて耳に響く。

希世花が泣いていることに気づいたしのぶがギョッとした。

慌てて電話を切り、ハンカチを取り出す。

「八神さん、大丈夫ですか?なんで泣いてるんです?」

「………っ、」

ハンカチで涙を拭われながら、希世花は眉をひそめた。

本当に、なんで泣いてるんだろう。

少し考えて、その理由に思い当たり、そっとうつむいた。

嬉しかった、からだ。

先ほどの素山恋雪に狛治という存在がいるように、自分がいなくなったら探してくれて、そして手を握ってくれる人がいるということが、心が溶けそうになるほど嬉しい。

胸の高鳴りが、歓喜が、止まらない。温かな気持ちで満たされる。震える声が口から漏れた。

「……はぐれてしまって、ごめんなさい」

「本当ですよ。ほら、早く姉さんのところに行きましょう」

しのぶが手を握ったまま、導くように引いてくれた。

群衆の中を掻き分けるようにして進んでいく。

握ってくれるその手が信じられないくらい温かくて、また、涙がこぼれた。自分はいつの間に、こんなに泣き虫になってしまったんだろう。

胡蝶姉妹と過ごす時間が、楽しくて、楽しくて、楽しくて、世界が色づく。だから、一人になった瞬間、全てに見放された気がして、怖くなった。

でも、探してくれた。そして、見つけてくれた。

 

寂しかった。

 

ひとりぼっちは嫌なの。

 

ずっと、ずっと、隣にいてほしい。

 

無意識にそんな言葉を口走りそうになって、慌てて唇を噛んだ。

あなたがいてくれるだけで、光が灯ったように、心がほんのりと明るくなる気がする。

不思議。こんな気持ちになるなんて。

「……しのぶ」

その名前を呼んだ時、突然大きな音が響いた。

耳を襲うような炸裂音。空に火花が一瞬だけ花開き、儚く消えていく。

「……わあ」

夜空を彩る美しい花火に思わず見とれた。しのぶと共に足を止める。

「綺麗……」

「本当ですね」

火の雫が夜空を支配し、暗闇に消えていく。周囲からは自然に歓声が沸き上がる。きらきらとした火の粉が広がっていく。その光景はこの世のものとは思えないほど美しい。

不意に隣を見ると、しのぶが少しだけ微笑みなから花火を見つめていた。その手はしっかりと希世花と繋がっている。

二人並んで花火を見続けた。カナエやカナヲ、そして素山夫妻も楽しんでるといいな、と思った。

やがて、花火は全て打ち上がったようで、夜空に静寂が戻る。暗い空は、しんと静まり返り、さっきより黒くなったように感じる。

「すごかった、ね」

「ええ。綺麗でしたね。さあ、そろそろ行きましょう。姉さん達はあっちで待ってるそうです」

そう言われて、頷き、しのぶと共に歩き出す。希世花は歩を進めながら口を開いた。

「ごめんね、迷惑ばかりかけて」

「まあ、いつものことです。来年はこんなことにならないようにしてくださいね」

来年、と自然に言われて、希世花は首をかしげた。

「………来年」

「ええ。来年はみんなで見ましょう」

その言葉にまた歓喜が胸を満たした。しのぶの手を強く握りしめる。

ああ、私、この子のこと、好きだ。

不意に、希世花はその気持ちを自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※素山 狛治

恋雪と共に花火を楽しみ、幸せ。妻とはぐれた時は焦ったが、見つかって一安心。見つけた時は、自分が前世で殺しかけた女が一緒だったので動揺した。何も覚えていないらしい主人公にどう接せればいいのか分からない。恋雪が世話になったようなので、今度改めてお礼をするつもり。

 

 

※素山 恋雪

狛治とはぐれてしまい心細かったが、再会できてほっとした。主人公と学年は違うが、名前と顔だけは知っていた。転校当初は「お嬢様が転校してきた」などと噂されていたが、「不死川の授業で堂々と居眠りする勇者」「フェンシング部の胡蝶しのぶに何かやらかしたらしく、追いかけられている」などと意味不明の噂に広がっていって、どれが本当なのかよく分からない。一緒に狛治さんを探してくれて、あの先輩優しい人だったなー、と思った。

 

 

 

 

 



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竈門炭治郎は気づいた

 

 

胡蝶しのぶは横に座る八神希世花をチラリと見た。ここ最近、彼女の様子がおかしい。あまりしのぶと目を合わせなくなり、じっと何か考え込む事が多くなった。更に、いつもなら授業中、ぐっすり居眠りをしているのに、最近はほとんど眠らない。今も黒板に視線を向け、教師の話をじっと聞いている。その顔はどこかぼんやりとしているようで、何を考えているか分からない。

「八神さん?どうしました?気分が悪いですか?」

授業の後、しのぶが話しかけたら、希世花は顔をそらすようにして

「……別に。大丈夫よ」

と小さな声で答えた。そしてニッコリ笑うと、

「部活、行ってくる。じゃあ、またね」

「あ……」

しのぶが呼び止めようとしたのを無視して教室から出ていった。

 

 

 

 

 

 

「姉さん、最近あの子、変じゃない?」

自宅でしのぶにそう尋ねられて、カナエは首をかしげた。しのぶの言う“あの子”が誰なのかはすぐに分かった。

「変って?」

「最近ね、なんだかぼんやりしてるのよ。たまに悩んでるような顔してて、宿題も忘れてくるし……」

「まあ、どうしたのかしら?」

カナエが頬に手を当てながら心配そうな表情をする。しのぶが考え込むような顔をしながら言葉を続けた。

「何よりね、授業中の居眠りが減ったの!!おかしくない?前まではしょっちゅう寝てたのに、今はほとんど寝ないで授業を受けてるのよ!」

「授業中に寝ないなんて……!それは確かに変ね。心配だわ」

真剣に話す姉達に対して、カナヲが冷静に

「あのー、そこは安心するところなのでは……」

と呟いたが二人は聞いていなかった。

 

 

 

 

 

「八神さん、最近何かあった?」

「え……?」

華道部の部室にてカナエに突然そう尋ねられ、花器を洗いながら希世花はキョトンとした。カナエが心配そうに顔を覗き込んでくる。

「最近元気がないようだけど、どうかした?悩みがあるとか……」

「うーん、別に何もないですよ」

さりげなく視線をそらされて、カナエは眉をひそめる。

「…何かあればいつでも相談にのるから、ね?」

少し考えたが、結局カナエは希世花にそれ以上何も言わなかった。これ以上踏み込まれたくなさそうな顔をしていたからだ。希世花は誤魔化すように口を開く。

「……そうですね。それじゃあ、先生のスマホにある私の写真を消してください」

「あ、それは断るわ」

「先生、ほんっとうに困るんですけど……」

「だって~、どの写真もすっごく可愛いのよ?消すなんてもったいないわ……」

「ちょっと待ってください!私の写真って一体何枚あるんですか!?」

希世花が悲鳴を上げて、カナエがフワフワ笑った。

 

 

 

 

 

それから何日か経った昼休み、いつものように希世花が昼食のパンを取り出した時、しのぶが声をかけてきた。

「八神さん、今日は先に食べててください」

いつもなら何も言わずに希世花と向かい合ってお弁当を食べるはずのしのぶがそう言ってきた。

「……どうしたの?」

希世花が尋ねると、しのぶがなぜか言いにくそうに言葉を続けた。

「ちょっと、用事があるので……すぐに戻りますから」

「……?うん。分かった」

しのぶが素早く教室を出ていく。希世花は不思議そうな顔をしてその後ろ姿を見送った。

「……あ、忘れた……」

パンを口にしようとしたその時、飲み物を持ってくるのを忘れたことに気づいた。少し迷ったが、財布を取り出して席を立つ。のんびりと歩いて学校の自販機へ向かい、紙パックのジュースを買った。そのまま歩いて教室に戻ろうとした時、声が聞こえた。

「あいつ、胡蝶さんに告白するんだって?」

その声に思わずそちらへ視線を向けた。数人の男子生徒が集まって話していた。

「今頃告白してるよ。昼休みに呼び出すって言ってたし」

「へー、あいつ勇気あるな」

「胡蝶さん、美人だしな」

顔が凍りつくのを感じた。フラフラと教室に戻り、呆然と椅子に座る。

だからさっきのしのぶは気まずそうに、言いにくそうな顔をしていたのか、と納得した。そのまま隣の机に視線を向ける。きっと今頃告白されているのだろう。荒々しい何かが心を満たした。無意識に唇を固く結んで、拳を握る。

告白してくれた男の子と、付き合うのかな。

「………」

まるでトゲが刺さったような鋭い痛みを感じて、顔が引きつった。無言でパンが入った袋を手に取ると、立ち上がって教室から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

素早く歩いて屋上へと向かう。きっと、あそこなら一人になれる。屋上へと繋がる扉を開けると、既に先客がいたようで誰かの声が聞こえた。しまった、と思い、扉を閉めようとした時、声をかけられた。

「あ、八神先輩!」

「……あ」

名前を呼ばれて扉を閉めるのを止める。視線を向けるとそこにいたのは後輩の竈門炭治郎、我妻善逸、不死川玄弥だった。三人で昼食を食べているらしい。

「先輩もお昼ごはんですか?」

「あ、うん。邪魔してごめんね」

「いやいやいや!邪魔なんてとんでもない!もしよければ、一緒にいかがです?」

善逸の言葉に希世花は少し考えると、

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

その言葉に三人がビックリしたような顔をした。

そんな三人に構わず玄弥の隣に腰を下ろす。玄弥が真っ赤な顔で下を向いたが、気にせずに袋からパンを取り出した。

「あ、あのー、先輩、こちらから誘っておいてなんですけど、しのぶ先輩はいいんですか?」

「……うん。しのぶは、ちょっと用事が、あるみたいで……」

その瞬間、炭治郎の鼻がピクリと動いた。ハッと何かに気づいたような顔をする。希世花はその様子を不思議そうにチラリと見ながら、言葉を続けた。

「そういえば、伊之助さんは?いつも一緒なのに、今日はいないの?」

「あー、あいつなら、また窓ガラスを割って教室に入って来て……。今説教されています」

「………そう。残念だわ。ちょっと聞きたいことがあったのだけど」

「あいつに?何かあったんですか?」

「……ううん。なんでもない。今度会った時にでも声をかけてみる」

善逸と話しながらゆっくりとパンを頬張った。炭治郎が嬉しそうに口を開く。

「先輩、それ、どうですか?新商品なんですけど」

「うん。美味しいわ。カリカリだけど、中はフワフワで、バターの風味、すごいね……」

「ありがとうございます!!」

モソモソと食べながら感想を述べると、炭治郎は輝くような笑顔でお礼を言った。

そのまま後輩達とおしゃべりを続けながら昼食を続けた。玄弥だけはほとんど口を開かず顔を真っ赤にしながらお弁当を食べていた。

2つ目のパンを取り出して、食べようとするが、あまり食べる気にならず、手を下に下ろす。その様子を見て、善逸が口を開いた。

「八神先輩、さっきから思ってたんですけど、もしかして、体調が悪いですか?顔色がよくないですけど……」

「……ううん。悪く、ないわよ」

「え、でもーーーー」

炭治郎が何かを言いかけた時、後ろから声が聞こえた。

「なんで、ここにいるんです?」

振り向くとしのぶが笑顔で立っていた。

明らかに怒った笑顔だ。希世花はうつむいた。

「八神さん、私、すぐに戻るって言いましたよね?なんで黙ってどこかに行くんですか?」

「………」

「こっちは昼食も食べずにあなたを探していたのに。ここでのんびり食べているとはどういうことです?」

「あ、あのー、しのぶさん……」

炭治郎が話しかけたのを、しのぶが視線で止めた。その視線を受けた後輩三人がビクッとした。希世花はボソッと小さな声で答えた。

「……別に。ただの気分転換」

「はあ?なんですか、それ……」

しのぶが何かを言おうとしたが、希世花は勢いよく立ち上がった。

「気分、悪い。早退する」

「は?ちょっ……」

しのぶはその場から去ろうとする希世花の腕を、慌てて掴んだ。希世花はしのぶと一瞬だけ目を合わせ、すぐにそらす。

「……悪いけど、体調悪いの。帰るわね」

そしてしのぶの手から逃れるようにその場から走り去った。

残されたしのぶは呆然と立ちすくんでいた。あからさまに拒絶されて、意味が分からない。その時、炭治郎が声をかけてきた。

「……しのぶさん」

「………」

声をかけられるが、先ほどの希世花の様子が気になって答えられなかった。しかし、

「しのぶさん、ひょっとして、なんですけど、八神先輩、記憶が戻ってるんじゃ……」

「……は?」

炭治郎の言葉に動揺して視線をそちらに向けた。

「お、おい!どういうことだよ、炭治郎!」

善逸と玄弥も驚いた顔をしている。

「善逸は音で分からなかったか?今日の八神先輩、圓城さんだった時と同じ匂いをしてた。特にしのぶさんの名前が出た時」

「えー?そうかぁ?」

善逸は怪訝な顔をする。一方しのぶは真剣な顔で炭治郎に顔を近づけた。

「………炭治郎くん、間違いない、ですか?」

「は、はい!匂いは確かに圓城さんそのものでした!」

「………そう」

しのぶは呟くようにそう言うと、神妙な面持ちで下を向いた。

 

 

 

 

 

 

逃げるように自宅へ帰った希世花は、玄関にうずくまる。

最低だ。しのぶにあんな態度をとるなんて。

頭が痛い。胸から喉にかけて、熱い何かが込み上げてくるような感覚がする。

あまりの苦しさにそのまま適当に着替えるとベッドに横になった。

眠ろう。眠れたら、きっと元通りになってるはず。それで、明日はきちんとしのぶに謝ろう。そう思いながら目を閉じた。

しかし、次の日、ひどい風邪を引いた。全身が熱いが、体温計がないため、どれくらい熱があるのか分からない。頭痛がひどい。なんとか学校へ電話して休むことを伝えて、這うようにキッチンへ向かい、ペットボトルを取り出して水を少しずつ飲む。そのままベッドへ戻って眠りについた。

玄関のチャイムが鳴って、希世花は目を覚ました。さっきよりは熱が下がったようだが、頭痛は続いていて、更にのども痛い。時計を見ると夕方だった。倦怠感でふらつきながらインターホンに出る。

「……はい」

「八神さん?大丈夫ですか?」

その声に目を見開いた。しのぶだ。慌てて言葉を返す。

「……帰って。風邪、うつしちゃうから、」

「八神さーん、とりあえず開けてちょうだい?ね?いい子だから」

カナエの声が聞こえて顔をしかめる。しのぶはともかく、カナエには絶対に逆らえない希世花は、痛む頭を抑えながらマスクを装着し、ドアを開けた。

ドアの向こうでは胡蝶カナエ、しのぶ、栗花落カナヲが立っていた。

「八神さん、大丈夫?熱は何度あるの?」

「病院は行きました?」

「先輩、薬は飲みましたか?」

三人がそれぞれいろいろ聞いてきたが、クラクラして何も答えられない。

「……ただの、風邪。別に病院に行かなくても、寝てたら、治るので……」

やっとのことでそう答えると、しのぶが怒ったような顔をして口を開いた。

「何を言ってるんですか!重症化したり、肺炎だったら大変じゃないですか!」

「とにかく、八神さん、そのままの格好でいいから、下に行くわよ。タクシー待たせてるから。あ、カナヲは買い物をお願い」

カナエが指示するようにそう言って、希世花はぼんやりと首をかしげた。

「タクシー……?どこに……?」

「病院に決まってるじゃないですか!」

しのぶがまた怒ったように言った。あれよあれよと言う間にタクシーに乗せられ、病院に連れていかれた。診察を受け、薬を受けとる。やはりただの風邪だったようで、カナエとしのぶはホッとしていた。

再びタクシーに乗せられ、気がついたら自宅だった。カナヲにベッドに寝かされる。

「先輩、少しおでこ失礼しますね」

カナヲが冷却シートを貼ってくれた。ひんやりとした冷たさが心地いい。ぼんやりとしばらくベッドで横になっていると、今度はしのぶが入ってきた。

「カナヲ、姉さんがお粥作ってるから、手伝ってきてくれる?」

「はい」

「さあ、八神さん。脱いでください」

「………へ」

突然言われたその言葉に呆気に取られる。

「脱ぐ?」

「身体を拭いてあげますから。その後は着がえましょう。」

しのぶがタオルを持ってそう言ってきた。

「い、いい……!自分でやる……」

「一人でやるのはしんどいでしょう?ほら、脱いで」

「あ、……ちょっ……」

倦怠感で体に力が入らず、抵抗するのは不可能だった。結局しのぶにされるがまま体を拭かれる。

「………なんでこんなことに」

打ちのめされたように顔を両手で覆ってベッドに横たわる希世花に、今度はカナエがお盆にのった鍋を差し出した。

「はい、お粥よ。食欲はないかもしれないけど、少しでもおなかに入れた方がいいわ。」

「先輩、水分も摂ってください。アイスもありますよ。あと、ヨーグルトとかゼリーも」

「……ありがとうございます」

胡蝶姉妹に見守られながらお粥を口に入れた。風邪のせいか、よく味が分からない。

「明日は学校が休みでよかったわ。週末はゆっくり休みましょうね」

「薬は必ず飲んでください。あと、暖かくして寝なきゃダメですよ」

「先輩、他に食べたいものはありませんか?買ってきますよ」

お粥を半分ほど食べるのが精一杯で、あまり聞いていなかった。食べ終わった後はしのぶによって薬を口に入れられる。それを無理やりのどへ流し込むと、ゆっくりと意識が遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

声が聞こえる

 

 

『私、待ってるわ』

 

 

大好きな、声

 

 

『あなたを、ずっと、待ってる』 

 

 

彼女が、待ってる

 

 

走って行かなくちゃ

 

 

ねえ

 

 

その声で、もう一度名前を呼んで

 

 

それだけで、きっと、私はーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

不思議な夢だった。いや、本当に夢なのだろうか。目が熱い。涙がこぼれる。切なくて、苦しい。心細くて仕方ない。

 

 

死なないでほしかった

 

 

本当は、引き止めたかった

 

 

一緒にいたかったんだよ

 

 

ずっとそばにいたかった

 

 

大好きなの この世で一番

 

 

 

「しのぶ……しのぶ……」

のどが痛い。自分の声が掠れていた。それでも必死に声を出す。

「はい。ここにいますよ」

温かい手が包み込むように希世花の手を握ってくれた。ゆっくり瞳を開ける。そこにはしのぶがいてくれた。そばに彼女がいることに安心して、また口を開いた。

「……ずっと、待っててくれたのね」

「はい?」

「私、……走ってきたの。今度は、絶対に、……迷わないって、……決めてた」

「八神さん?」

「でも、さびしいの。怖いの。私、本当は弱いのよ……」

「……」

「ずっと、ずっと、そばにいて……しのぶがそばにいてくれないと、私、また泣いちゃうよ…」

その言葉にしのぶがハッとした。

「八神さん!?」

大きく呼びかけるが、希世花は気絶するように再び眠ってしまった。

しのぶは呆然とその場に座り込む。

「菫………?」

そっとその名前を口にするが、希世花は目を覚まさなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………お目覚めですか?」

目を覚ますと、しのぶが微笑みかけてきた。ゆっくりと起き上がりながら口を開く。

「………今、何時?」

「もうお昼前ですよ。体はどうですか?」

「……うん、大丈夫」

まだ少し体はだるいが、スッキリしていた。頭も痛くない。念のためしのぶに体温を測るよう言われ、体温計を渡された。思った通り、平熱になっていた。

「よかった。食欲はありますか?姉さんが食事を用意してくれましたよ」

「うん」

立ち上がり、しのぶに続いてリビングに向かう。

「あれ?先生とカナヲさんは?」

「一度家に帰りました。買い物をしてから、また来るそうですよ。あなたの冷蔵庫、空っぽでしたし、カナヲが買ってきた食材はもう使い切っちゃいましたし」

「……お世話になりました」

会話を交わしながらテーブルの前に座った。カナエが作ってくれたらしい食事をしのぶが用意してくれる。少しずつ食べていると、しのぶがじっとこちらを見つめているのに気づいた。まるで何かに期待するかのような視線だった。

「………?なに?」

しのぶがゆっくりと口を開いた。

「……昨日の、夜中のこと、なんですけど、あなた……」

言いにくそうに言葉を紡ぐしのぶに、希世花はきょとんとした。

「夜中?何かあったの?」

「………は?」

しのぶが呆然とした。

「……覚えて、ないんですか?」

「え……、だって、ずっと寝てたし……」

呆然としていたしのぶの顔が徐々に引きつっていく。顔面には青筋が現れ、希世花はギョッとした。しのぶは青筋を立てたまま無理やり笑顔を作ると、言葉を続けた。

「いえ、何でもありません。期待した私が馬鹿でした」

「え……?なにそれ?何があったの?」

「何でもありません」

「何でもないって……、なんで怒ってるの?私、何かした?」

「何でもありません」

「あの、しのぶ……」

「何でもありません」

「……期待って、何を期待してたの?」

希世花がそう言った時、しのぶが大きな声を出した。

「何なんですか、あなたは!」

「え……?」

荒々しい声に口をポカンと開いた。

「突然こちらを拒絶したと思ったら、今度は期待させるだけ期待させて!そのくせ、全然覚えてない!いつもいつもいつも!いっっっっつも、昔からあなたに振り回されてばかり!いい加減にしてください、いつまでも期待する私が馬鹿みたいじゃないですか!そんなだから、そんなだからーーーー!」

突然の爆発にどうすればいいか分からない。呆気に取られていると、しのぶは言いたいことを言い終わったのか、ハアハアと息切れをしていた。

「……し、しのぶ……?」

「……この間の、屋上で、様子が変でしたけど、何があったんです?」

「えーと……、と、取りあえず、その、ごめんなさい。ひどい態度をとって……」

「謝罪は結構です。理由を言ってください」

「……うー」

言いたくなくて顔をしかめた。しかし、しのぶの気迫がそれを許してくれなかった。渋々口を開く。

「……あの、ね。告白、されたって、聞いて……」

「……?告白?」

「あ、あれ?噂で、聞いたんだけど。男の子が、昼休みにしのぶを呼び出して……」

「………。ああ」

しのぶは思わず声を上げた。そういえばそんな事があった。いろいろあって、正直今の今まですっかり忘れていた。

「それが?」

「つ、付き合うの?」

「いえ。断りました」

「そ、そう」

思わずホッとしそうになって、顔をそらす。しのぶが眉をひそめて口を開いた。

「それが、どうかしたんですか?」

「あ、あのー、う、うまく、言えないんだけど……」

希世花はどう言えばいいか分からず、言葉を濁すように続けた。

「し、しのぶが、誰かと付き合うのは、とっても喜ばしいこと、だって、わ、分かってるんだけど。あ、あのね、なんというか、一緒にいる時間が減るのは嫌、なの。……さ、寂しい。なんか、ね、もし付き合うことになったのなら、純粋に祝福できなさそうで、申し訳ないなって思って……、だから、あの、顔を合わせるのが怖くなっちゃった……ごめんなさい」

思わず泣きそうな顔になった。自分は一体何を言ってるんだろう。言ってることが支離滅裂になっているのが分かって、再び謝った。

「……………なるほど」

気がつくと、しのぶが真顔になってこちらを見つめており、短く呟いた。

恐る恐るその顔を見返すと、今度は突然ニッコリ笑った。

「……まあ、いいです。許します」

「……ありがとう」

今日のしのぶは感情が豊かだ。こんなに怒るのを見たのは初めてで、新たな一面を知った気がした。

「……八神さん」

「うん?」

「あなたは、たまにすごい事を言いますよね」

「ん?」

「大切な言葉はきちんと考えてから発言しないとダメですからね」

「……?」

首をかしげながらしのぶに視線を向けたとき、玄関のチャイムが鳴った。

「あ。きっと姉さんとカナヲです。出ますね」

「……うん」

しのぶの言葉の意味をよく考える前にカナエとカナヲが再びやって来た。希世花は深く考えるのを放棄してしまった。

「良くなったみたいね。よかったわ。でも体調には気をつけてね」

部屋に入ってきたカナエが希世花の顔を見て安心したように笑った。

「はい。本当にお世話になりました。ありがとうございました」

希世花はペコペコと何度も頭を下げた。

その横ではなぜかしのぶがニコニコと機嫌よさそうに笑っている。その様子を見たカナヲは、姉さんと先輩、何かあったのかな?と不思議そうな顔をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※竈門 炭治郎

久しぶりに会った睡柱が記憶はないし、名前がちがうし、更に匂いが前世と全然ちがうことに一番混乱した。でも毎日パン屋で昼食を買い、店の売り上げに大いに貢献している主人公に大感謝。おすすめしたパンは大体買ってくれるので嬉しい。主人公の匂いが前世と同じ匂いになってきたので、しのぶさんと何かあったんだろうなぁ、と推察している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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伊黒小芭内はイライラする

風邪をひいたものの、すぐに熱は下がり、頭痛やのどの痛みも消失した。看病に来てくれたカナエ、しのぶ、カナヲのおかげだ。しのぶの爆発というわけの分からない事件は起こったが、週末はゆっくり体を休め、次の週から無事に学校に復帰できた。

「無理をしてはいけませんよ。気分が悪くなったらすぐに言ってください」

「……うん。」

隣の席のしのぶの言葉に小さく頷く。

「もうすぐテストもありますし、体調管理には気を付けないと、ダメですよ」

「……ああ、そういえば、もうすぐだね」

少しだけうんざりとしながら言葉を返す。

「……嫌だなぁ」

「頑張りましょうね」

その言葉に苦笑いしながら頷いた。

授業が始まり、しのぶは気づかれないようにそっと希世花の顔を見つめる。なんだろう。彼女の様子はやはりどこかおかしい。夏祭りの後くらいからだ。最初は風邪をひいたため、体調が悪いのだろうと考えていたが、それだけじゃない気がする。今も授業を聞いているふりをしているが、何か他の事を考えているような…

「………?」

視線を感じたのか希世花がこちらに顔を向けた。しのぶは慌てて誤魔化すように微笑んで視線を前に戻す。授業に集中しなければならない。

そんなしのぶを、今度は希世花がじっと見つめていた。そして、うつむくと、思い悩むような表情で唇を噛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、テストが近いため、希世花のマンションで二人で勉強をすることにした。

カリカリとペンを走らせる音が響く。希世花は教科書を開いてノートに文字を書き綴っていた。正面にはしのぶが座り、同じように勉強をしている。

「……うーん」

「どうしたの?」

「いえ、ここ、ちょっと分かりにくくて……」

「ああ、それは公式を使って……」

行き詰まったらしいしのぶに問題の解説をする。一通り終えると、希世花はペンを置いて、思い切り伸びをした。

「……少し休憩にしましょうか?」

「そうね。なんか飲み物でも持ってくる」

教科書を閉じて、キッチンへ向かった。2人分のコーヒーを用意して、自分としのぶの前に置く。

「……前から思ってましたけど、あなた、あれだけ授業中に居眠りする割には、勉強できますよね」

「まあ……、居眠りしてその上成績も悪いのは、さすがにマズイしね。受験生だし」

受験生、という言葉に反応したかのようにしのぶが口を開いた。

「そういえば、あなた、どこの大学に行くんです?」

「うーん、ここから通える大学……、一応目指してるのはーーーー」

近くの大学名を希世花は口にした。

「……そっちは?」

「薬科大を……」

「ああ、さすがね」

希世花は納得したように何度か頷いた。

「姉さんと同じ大学にしようか迷ったんですけどね」

「へえ………」

苦笑するしのぶに、希世花は笑いながら口を開いた。

「本当、姉妹仲いいわよね。うらやましい」

「普通ですよ」

「そうかなぁ?うちは兄弟仲あんまり良くないから、そういうの、なんかいいなーって思うよ」

「……え?」

「ん?」

しのぶが驚いたような声をあげたため、希世花は首をかしげた。

「兄弟仲って……、あなた、ご兄弟がいるんですか?」

「え?うん。兄が一人」

「……知らなかったです」

「まあ、別にわざわざ言うことじゃないでしょ」

しのぶが突然頭を抱えたため、希世花は面食らった。

「え?どうしたの?」

「……いえ、私は相変わらずあなたの事をよく知らないなって再認識しただけです」

その言葉に戸惑っていると、しのぶが言葉を続けた。

「お兄さんと、仲、悪いんですか?」

「うーん、悪いって言うか……、年も離れてるし、あんまり話したことがないのよ……えーと、元々、私、家族とは合わないというか、ちょっと縁が薄い、のよね」

言いにくそうにそう言う希世花に、しのぶが悲しそうな顔をした。

「それは寂しいですね……」

しのぶがそう言うと、希世花は教科書を開きながら口を開く。

「うーん?今は寂しくないよ」

「はい?」

「しのぶがそばにいてくれるから、寂しくないよ」

「………」

しのぶが黙りこんだ。奇妙な沈黙が落ちたため、希世花は教科書からしのぶの方へ視線を移し、再び首をかしげた。

「しのぶ?」

「……そういうとこですよ、八神さん」

「ん?」

「いえ」

しのぶは微笑むと言葉を続けた。

「テストが終わったら、二人でどこかに行きましょうか?」

「あ、いいわね。どこに行く?」

「どこでも。あなたが行きたいところでいいですよ」

「本当?」

希世花は顔を輝かせた。

「えっと、遊園地とか、水族館……、また映画も行きたいなぁ……、あとは、買い物とか……」

「あらあら、行きたいところがたくさんですね。テストが終わるまでに決めておいてくださいね」

「うん!」

希世花は嬉しそうに笑いながら大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー』

 

 

また、この夢だ

 

 

誰かが笑ってる

 

 

ああ、そうだった

 

 

忘れていた

 

 

この笑顔、大好き

 

 

あなたが笑ってくれると、私も幸せ

 

 

夢でも、幻でも、逢えて嬉しい

 

 

とても、嬉しいわ

 

 

あなたの笑顔の全てを、忘れないように、心に刻みたい

 

 

だから、もう少しだけ

 

 

もう少しで……

 

 

『ダメよ』

 

 

その時声が聞こえた

 

 

後ろから誰かに目隠しをされる

 

 

目の前が闇に染まる

 

 

『思い出すなんて、許さないわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

「八神さーん、そろそろ起きましょうか」

「………んあ?」

しのぶの声が聞こえて、覚醒する。変な声が漏れた。ぼんやり顔をあげると、クラス全員がこちらを見ていた。

「………あー、よく寝た」

思わず呟くと、すぐ近くから低い唸り声が聞こえた。

「八神……、俺の授業はよく眠れたようだな?」

気がつくと目の前に化学教師の伊黒が希世花を睨み付けながら立っていた。それを見て思い出す。そうだ。今は化学の授業中だった。顔が思わず引きつる。

「最近、貴様は居眠りをしなくなったと聞いていたが、どうやら噂に過ぎなかったらしい」

「あ……、いえ……」

「放課後の補習を楽しみにしておけ。ペットボトルはいくらでもあるぞ」

「……」

伊黒はイライラしながら教壇へと戻る。希世花はガックリと肩を落とした。

 

 

 

 

 

「八神、俺はとてつもなく怒っている。なぜか分かるか?」

「えーと、居眠りして申し訳ありません……」

放課後、教室で伊黒の用意したプリントを解きながら希世花は謝罪した。伊黒がますますイラついたように目を吊り上げる。

「そうだな。出来ることなら磔にしてペットボトルロケットを食らわせたい。貴様の成績が悪ければ即座に刑を執行していた」

「………」

「しかし、残念ながら、八神、お前は成績だけはいい。しかも、お前を可愛がっている胡蝶からそれだけはやめろと何度も言われている。命拾いしたなあ?」

「………」

「だが、俺が一番怒っているのはそんな些細な事ではない」

「え?」

希世花は不思議そうな顔でプリントから顔をあげた。伊黒が鋭い目で希世花を見据えた。

「八神。貴様、甘露寺と遊んでいるそうだな。それも何度も」

「……はい?」

なぜここで甘露寺の名前が出てくるか分からず希世花はポカンとした。伊黒がネチネチと言葉を続ける。

「最近俺が甘露寺と話す時、何度も貴様の名前が出てくる」

「え、えっと……?」

伊黒の言う通り、甘露寺とはしのぶを交えて何度か食事に行ったり遊んだりした。だが、なぜその話が今ここで出てくるのか全然分からない。

「甘露寺は貴様とどこに行っただの、何を食べただの、それはそれは楽しそうだ」

「は、はあ」

「クズが、馴れ馴れしく甘露寺に近づくな」

「ええ……?」

なぜそこまで言われなければならないのか、さっぱり意味が分からず希世花は呆然とする。

「え、えーと、伊黒先生は、蜜璃さんと……」

「このゴミカスが!甘露寺を名前呼びだとーー!」

「ええ…?だってそう呼んでもいいって、ご本人が……」

伊黒が怒りでプルプルと震え出した。希世花は戸惑いながら言葉を続ける。

「先生は蜜璃さんと、その、お付き合いを?」

「そんな事を貴様が知る必要はない」

「え、えーと、すみません……?」

伊黒の視線がもっと鋭くなった気がする。どうやら違うらしい。伊黒の片思いなのだろうか。

そんな事を思いながら希世花は再び口を開いた。

「……お二人が並んでいたらお似合いだと思ったのですが……」

その言葉に伊黒の震えがピタリと止まった。鋭かった目が、大きく見開かれる。

「……ふん。早くプリントを終わらせろ」

そのまま伊黒は希世花から視線を外して、そう言い放った。取りあえずは怒りが治まったらしい。

そのことに安心した希世花はぼんやりとプリントの問題を解きながら口を開く。

「……恋って、楽しいものですか?」

「………はあ?」

突然の希世花の言葉に伊黒が訝しげな声を出す。

「なんだ、その質問?」

「あ、えーと、すみません」

希世花は謝りながらも、少し考えてから話を続ける。

「……好きな人が、できたら、それは楽しいことだ、幸せなことだ、って以前は思ってたんですけど、……なんか、難しいですね、人を好きになるって」

「………」

「好きなだけじゃ、ダメなんだな、と思って。相手の気持ちとか、距離とか、いろんなことがよく分からなくなって……、ずっとモヤモヤしてる……」

伊黒は不審そうな顔をしていたが、ネチネチと声を出した。

「そんなわけの分からんことを言ってないで、さっさと終わらせろ、クズが。俺の貴重な時間をこれ以上無駄にするな」

「あー、すみません。もう終わります」

希世花は素早くプリントに文字を書き込み、それを伊黒に手渡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、この夢だ

 

 

目の前に誰かがいる

 

 

優しい微笑みを浮かべている

 

 

なのに、顔が見えない

 

 

誰だっけ?

 

 

知っているはずなのに、分からない

 

 

いや、ちがう

 

 

思い出した

 

 

そうだ、この人は

 

 

私が、誰よりも尊敬していて信頼していた人

 

 

ぼんやり考えていると、ふいにその人が近づいてきて、私の頭を撫でてくれた

 

 

それがうれしくて、頬が緩む

 

 

ああ、逢いたかった

 

 

逢いたくて逢いたくて、たまらなかった

 

 

次の瞬間、再び目を隠された

 

 

『思い出しては、ダメだと言ったでしょう?』

 

 

その声に、鳥肌が立った

 

 

思い切って振り返る

 

 

そこに立っていたのは、自分自身だった

 

 

華やかな花柄の着物を着ている

 

 

自分自身が、口を開いた

 

 

『これは呪いであり、報いであり、罰よ』

 

 

そして、微笑んだ

 

 

『あなたが私を殺したの』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

「………あ?」

希世花は目を覚ました。ゆっくりと体を起こす。また何か、とても不思議な夢を見ていた気がする。なのに、全然覚えていない。最近よく分からない夢を見る事が増えた。

何の夢だったっけ?

ぼんやり考えながら、ベッドの近くの時計に視線を向け、顔をしかめた。

「しまった……」

 

 

 

 

 

「遅刻して申し訳ありませんでした……胡蝶先生」

寝坊して急いで学校へ向かったが、結局1時間目には間に合わなかった。本日の1時間目は生物の授業だったため、担当の胡蝶カナエに謝罪するため希世花は職員室に足を踏み入れた。

「八神さん、どうしたの?また体調が悪い?顔色が悪いわ」

目の前で胡蝶カナエが心配そうな表情で顔をのぞきこんてきた。

「……いえ、ちょっと疲れてるだけです。すみませんでした……」

「授業には出られる?体調が悪いのならいつでも言ってね。部活も無理しなくていいし、しのぶを頼ってもいいのよ」

「……ありがとうございます」

優しい言葉に感謝しながらもう一度頭を下げた。

「……大丈夫です。部活も、きちんと参加しますので……」

別に体調が悪いわけじゃない。変な夢を見て、その夢がなぜか気がかりというだけだ。そんなおかしな話、とても他人には話せない。

「大丈夫?本当に無理しないでね」

ふいに、カナエが希世花の方へと手を伸ばし頭を撫でてきた。

その瞬間、希世花の顔が固まった。見たことがないほど表情が強ばり、目を見開いている。

「八神さん……?」

カナエが不思議そうに声をかけると、希世花が震えながら目を閉じて頭を抑える。そして、口を開いた。

「……っ、先生」

「うん?」

「………わ、私、……先生と、……前に、どこかで、会ったこと、ありますか……?」

その言葉にカナエは息を呑み、職員室の他の教師達が一斉にバッと二人の方へ視線を向けた。

「……どうして、そう思うの?」

カナエが恐る恐るそう聞くと、希世花は目を閉じたまま、首を横に振った。

「……いえ。すみません。変なこと、いいました。そんなわけないのに。忘れてください。失礼します」

そしてパッと職員室から足早に出ていった。

「あ、待って、八神さん」

カナエは慌てて呼び止めようとしたが、希世花はすぐに廊下の向こうへと消えてしまった。

 

 

 

 

カナエは職員室の自分の席に戻ると、呆けたように椅子に腰を下ろした。

「今のってよォ、まさか、あいつ……」

「南無……。記憶を取り戻しかけているのか……?」

「ようやくか。ド派手に遅かったな」

「遅すぎるくらいだ。まったく、鈍感にもほどがある」

「よもや!なんだか感慨深いものがあるな!!」

職員室に集結し、たまたま話を聞いていた前世の関係者達がワイワイと騒ぎ始めた。

それに構わず、カナエは少し考えたあと、ため息をついて頬に手を当てた。

「……しのぶがまた暴走しなければいいけど……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※伊黒 小芭内

記憶がないとか、名前が変わっているとか、主人公の事はどうでもいい。甘露寺とはたまに食事に行って話すくらいの仲。前世と同じく甘露寺ガチ勢。甘露寺が幸せならもう何でもいいや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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時透無一郎は助言した

 

 

「今日はどうしたんです?遅刻なんて……」

職員室から教室に戻り、一息ついた希世花にしのぶが話しかけてきた。

「……寝坊しただけ。なんでもない」

希世花は言いにくそうに視線をそらしながら言う。

「夜遅くまで勉強してたんですか?テスト前とはいえ、きちんと睡眠はとらないといけませんよ」

「大丈夫。次の数学の授業できちんと寝るから」

「……そんなんだから、不死川先生に怒られるんですよ」

「冗談よ。とにかく大丈夫」

希世花は笑い、しのぶは呆れたような顔をした。

 

 

 

 

 

「あれ?八神先輩が食堂にいるなんて珍しいですね」

昼休み、希世花が学食で昼食を食べていると、カナヲとアオイが現れた。一人で黙々とランチを食べている希世花に驚いたように話しかけてくる。

「うん。今日は寝坊して遅刻しちゃって……、パンが買えなかったの」

学食のフライを箸で掴みながら、答える。初めて食堂を利用したが、とても美味しかった。これから時々利用するのもいいかもしれない。ぼんやりそう考えていると、カナヲがキョロキョロと辺りを見回して口を開いた。

「先輩、しのぶ姉さんは、一緒じゃないんですか……?」

「あ、しのぶなら、胡蝶先生に呼ばれたらしくて生物準備室に行ったわ」

「カナエ姉さんに?」

「うん」

希世花の言葉にカナヲが不思議そうな顔をした。

「先輩、ちょうどいいから一緒に食べてもいいですか?」

「うん。私も一人は寂しかったから……」

希世花が前の席を勧めると、カナヲとアオイがそこに座った。

「今日はカナヲさんは部活来れそう?」

「……難しいかもしれないです。バレー部の助っ人を頼まれてて……」

「カナヲも大変ね。テストもあるし、無理しちゃダメよ」

「うん」

三人で昼食を食べながら他愛もない話を続けた。

 

 

 

 

 

 

「……それ、本当に?」

その頃、カナエから呼び出されたしのぶは生物準備室にて、今朝の職員室での出来事を聞かされ目を見開いた。

「ええ。あの子、今度こそ思い出しかけてるかもしれないわ」

「………そう」

しのぶは一言だけ呟くと、大きく息を吐きながら椅子にもたれかかった。複雑な表情で目を閉じる。

「しのぶ、大丈夫?」

カナエは心配そうな表情で妹を見つめる。やがてしのぶは目を開いて、ゆっくりと言葉を絞り出した。

「……姉さん」

「うん?」

「本当に、このまま思い出していいと思う?」

「………」

「ずっと思い出してほしいって、思ってた。私だけが、覚えてて、あの子は全部忘れてしまった、なんて……。認められなかった。早く思い出してほしかったの……」

「………」

「でも、残酷な過去を思い出させるのが、本当にいいことなの、かしら。……それをあの子は望んでいるのかしら……分からないの。あの子はもう、前の彼女じゃない。鬼殺隊員じゃない。睡柱じゃない。一人の、八神希世花という名前の、普通の女の子、なの……」

「……しのぶ」

「……でも、私は、会いたいの。会いたいのよ。菫に会いたい……」

「ええ……。会いたいわね。私もよ」

カナエがそっとしのぶを抱き締める。しのぶはじっと考え込む表情をしており、それ以上は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

放課後、希世花が部活に行くために荷物をまとめているとしのぶが声をかけてきた。

「八神さん、………」

「ん?なあに?」

しのぶはなぜか複雑そうな表情をしていた。まるでどうすればいいか分からず困ってるような、不思議な顔だ。それを見て希世花は首をかしげる。

「どうしたの?」

「………いえ」

しのぶは無理やり笑顔を作り言葉を続けた。

「もしよければ、週末、また一緒に勉強しませんか?」

「勉強?いいわよ」

希世花は笑って頷いた。しのぶも微笑む。

なぜかしのぶのその顔が一瞬泣きそうな表情に見えて、希世花はギクリとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胡蝶しのぶは闇の中に一人で立っていた

 

 

ここはどこだろう

 

 

暗くて、寒い

 

 

「姉さん……?カナヲ……?」

 

 

姉や妹を呼ぶが、答える者はいない

 

 

不意に花の香りがした

 

 

誰かに呼ばれた気がして、後ろを振り向く

 

 

振り向いた先に立っていたのは、長い髪の少女だった

 

 

華やかな花の羽織、黒い隊服、髪には黄色の蝶の飾り

 

 

「………あ」

 

 

その姿を見て駆け出す

 

 

しのぶは思い切り手を伸ばした

 

 

その手が届く寸前、圓城の姿が崩れ始めた

 

 

「え………」

 

 

その身体が、少しずつ花びらとなり、儚く散ってゆく

 

 

「……あ、……待って、待って!ダメ!消えないで!」

 

 

しのぶは叫びながらその花びらを掻き抱いた

 

 

「お願い……!お願いだから……、行かないで!」

 

 

しかし、その姿はすべて花びらとなり消失してしまった

 

 

「………っ、会いたい!会いたいのよ!それだけなの!」

 

 

そして、その名を叫ぶ

 

 

「ーーーー菫!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叫んだ瞬間、しのぶは覚醒した。

「………っ!」

勢いよく起き上がる。呼吸が乱れ、瞳には薄く涙が浮かんでいた。今のが夢だと認識した瞬間、大きなため息をつき、頭を抱えた。

 

 

 

 

 

「あ、いらっしゃーい」

勉強をするためにしのぶが希世花のマンションへ向かうと、希世花はニッコリ笑いながら出迎えてくれた。

「お邪魔します……」

小さな声でそう言いながら足を踏み入れる。

「……しのぶ?どうかしたの?」

希世花がしのぶの顔を見て、不思議そうな顔で尋ねてきた。

「何がです?」

「……なんだか、顔色が悪いけど……気分が悪いの?」

しのぶは無理やり笑顔を作って答える、

「気にしないでください。ちょっと疲れてるだけなので」

夢の内容はさすがに言えなかった。

「本当……?無理しないでね?」

「大丈夫ですから」

しのぶはそう言い切ったが、希世花は心配そうな表情をしていた。

 

 

 

 

 

リビングで教科書やノートを広げながら勉強をする。時折分からないところは教え合いながら、順調に勉強を続けた。ふと、しのぶは教科書に集中する希世花を気づかれないようにじっと見つめた。

どこからどう見ても、圓城菫だ。でも一緒に過ごす内に、前世の彼女と違うところをたくさん見つけた。暇さえあれば寝てしまうところ、気が強そうに見えて本当は臆病な性格、感情豊かでコロコロと変わる表情………、

「………?どうしたの?分からないところが、ある?」

視線を感じたらしく、顔を上げた希世花がしのぶと目を合わせ、そう聞いてきた。しのぶは慌てて口を開いた。

「いえ、ちょっとぼんやりしていました」

ちょうどその時、しのぶのスマホが着信を示した。カナエからの電話だ。

「八神さん、姉さんから電話なのでちょっと出てきますね」

「うん」

リビングから廊下に出て、電話に出る。カナエと少し話してスマホを切り、リビングに戻ると、

「……あら」

クッションにもたれかかるように希世花が眠り込んでいた。すやすやと穏やかな顔で寝ている。

「仕方ないですねぇ……」

起こそうと思い、声をかけようとしたその時だった。

「……」

ふと、目に止まったのは希世花の脚だった。今日はスカートを身に付けているため、白い脚が無防備に晒されている。

「……」

そうだ、としのぶは思う。前世と違うところがもうひとつ。彼女の足。前世では列車の任務で、左足の膝から下を失った。その足を切ったのは他でもないしのぶだった。そうしないと壊死や感染症を起こす危険性があったので、やむを得なかった。彼女は片足を失った事を悲しむどころか、他の人間の命が助かったことを何よりも喜んでーーーー、

しのぶは希世花の左脚に手を伸ばした。そっと触れる。白くて柔らかい、脚だ。ゆっくりと優しく撫でる。膝から指先へ、流れるように。

じっとそれを見つめる。彼女は片足を失っても絶対に戦うことを諦めなかった。いつも前を向いて戦っていた。最後の数ヵ月は義足だった。冷たくて、固い、金属の足ーーーー、

「……何、してるの?」

気がつくと、希世花が目を覚ましていた。自分の脚を撫でているしのぶを見てポカンとしている。

「……」

「……」

「……すみません。なんとなくです」

「な、なんとなく?」

しのぶはすぐに手を離して誤魔化すように笑った。

「さて、勉強の続きをしましょう。テストは再来週ですよ」

「……」

何事もなかったように教科書を開くしのぶを、希世花はしばらく呆然と見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かが呼んでいる

 

 

行かなくちゃ

 

 

彼女のところへ、走って行かなくちゃ

 

 

足を踏み出そうとしたその時、手を掴まれた

 

 

『行かせないわ』

 

 

手を掴んでいるのは、花の着物を着ている自分自身

 

 

『絶対に、許さない』

 

 

自分自身が手を伸ばし、今度は私の首を絞めてきた

 

 

苦しい

 

 

首を絞めながら、自分自身が言い放つ

 

 

『呪いは解けないわよ。どんなにあなたが望んでも』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッと目を覚ます。思い切り身体を起こした。そっと自分の首に触れる。なんだろう。夢の中でとても苦しかった気がする。

ゆっくりとベッドから立ち上がり、カーテンを開いた。いつもより早い時間に起きたらしく、まだ外は暗い。今日は月曜日だ。少し倦怠感を抱きつつ、朝食の用意を始めた。

 

 

 

 

 

その日の放課後、部活が終わった希世花はしのぶと一緒に帰るため、学園の中庭でしのぶの部活が終わるのを待っていた。いよいよ来週からテストだ。図書室で勉強をしながら待とうと思っていたが、いまいち集中できないため、中庭に出てきた。

「………」

空をぼんやり眺める。

「……なんだっけ。何かを忘れてるはず…………」

小さく呟く。心の引っ掛かりがとれない。モヤモヤとした何かがどんどん蓄積されていく。

「……」

ゆっくりと上に向かって手を伸ばす。伸ばしたその先にはほんのりとオレンジ色に染まりつつある空が広がっていた。

「ーーーーーーねえ」

なんだっけ。思い出さなくちゃ。

「ねえ、ちょっと」

ほら、早く思い出せ。だって……待ってるんだから。

「ねえってば。聞こえてないの?それとも無視してる?」

「……え?」

ようやく声をかけられたことに気づいて、希世花は横に視線を向ける。そこに立っていたのは知らない少年だった。希世花と同じくらいの身長だが、恐らくは年下の少年。長い髪で可愛らしい顔をしていた。学ランを着ているので、多分中等部の生徒だ。あれ、この子、どこかで見たような……。

「……えっと」

「何してるの?」

「……」

突然知らない少年に話しかけられて戸惑ったが、なぜか言葉がスルッと出てきた。

「……大切な、何かを、忘れちゃって……」

「……で?」

「え、えっと、記憶がぼんやりしている、ような気がするの。思い出しそうなんだけど、思い出せなくて。そ、それで、空を見てたの」

脈絡のない事を言ってしまい、思わず苦笑する。なんでこんなこと、今日初めて会った相手に話してるんだろう。そう思っていた時、少年が口を開いた。

「……そういうのは」

「え?」

「きっかけが、大事なんだ」

「……?」

「思いもしない、些細な何かがきっかけで、案外、簡単に取り戻せたりするよ」

そう言うと、少年は希世花に興味を失ったように、フラリとどこかへ行ってしまった。

「……なんだったの、今の?」

戸惑っていると、部活を終わらせたらしいしのぶが希世花の方へ駆け寄ってきた。

「ごめんなさい。待たせちゃって…」

「あ、ううん。大丈夫」

慌てて荷物を手に持ち、しのぶと校門へ向かった。

「時透くんと何をしていたんですか?」

「ときとうくん?」

「え?今、何かを話してましたよね?」

そう言われて、希世花は首をかしげた。

「今の、髪の長い男の子のこと?」

「え、あなた、知らなかったんですか?」

「……うん」

「あの子、有名ですよ。将棋が強くて、テレビに出たりしてて、……双子のお兄さんと一緒にプロになるんじゃないかって言われてる子です」

そう説明されて、希世花は納得したように頷いた。

「ああ、だから、なんか見覚えがあったのね」

「それで、何を話してたんです?」

「うーん、よく分かんない」

「はあ?」

希世花は曖昧に笑って、しのぶは呆れたような声を出した。

「なんか突然話しかけられて……よく分からないうちにどこかに行っちゃった……」

「そもそも、さっきのはお兄さんの有一郎くんの方ですか?それとも弟の無一郎くん?」

「え……、さあ……?初めて話したし、分からないわよ…」

「まあ、そっくりな双子ですしね……」

そうやって話しているうちに、別れ道に差し掛かった。

「またね、しのぶ」

「ええ、また明日」

お互いに挨拶をしながらそれぞれの道を歩いていく。

希世花はのんびりと歩きながら、小さく呟いた。

「……きっかけ、かぁ……」

思いもしない、些細なきっかけ。それが簡単に見つかればいいのに。

そうしたら、きっと全部思い出せるはず。

忘れてしまった、大切な、何かを。

「ま、そんな簡単には無理よね……」

希世花は独り言を小さく呟きながら、マンションに向かって歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーやあ、久しぶりだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然、肩をポンと軽く叩かれ、話しかけられた。その声が耳に届いた瞬間、ゾワリ、と全身に鳥肌が立つ。

 

振り向くな

 

誰かが頭の中で叫んだ気がした。しかし、希世花はそれに構わず後ろを向く。

そこに立っていたのは、一人の背の高い男だった。ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべている。変な帽子を被っており、一目で分かるほど高価なスーツを身に付けていた。キラキラと輝く髪は長い。その瞳はまるで虹のように不思議な光を放っていてーーーー、

「……どちら様、ですか?」

久しぶり、と言われたが、見覚えのない男だった。しかし、今度は頭の中で警報音のような音が鳴り響く。

なんだ、これ。この感覚、知ってる。何か、こう、嫌で嫌で、たまらない、この感覚はーーーー、

「あれぇ?なんだ、覚えてないのかい?そんなパターンもあるのか。残念だなぁ」

男は少し驚いたような顔して、そう言った。そして、手に持った扇子を広げて、再びニッコリ笑った。

 

 

「やあやあ、はじめまして。俺の名前は童磨。今度こそ、よろしくね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※時透 無一郎

主人公とは前世でもほとんど関わらなかったし、今世でも興味ない。なんなら名前も覚えてない。中庭で突然話しかけたのは、暇だったのと、主人公が空を眺めてボーッとしている姿が自分と少し似てるなあ、と思ったから。つまりはただの気まぐれ。心の片隅で、早く思い出せたらいいね、と思ったが、すぐに忘れた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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不死川玄弥は赤面する

 

 

首を絞められている

 

 

苦しい

 

 

私を鋭い瞳で見据えているのは、自分自身だ

 

 

『私を殺したのはあなたよ』

 

 

その鋭い瞳はまるでガラス細工のように透き通っていた

 

 

まるで人形みたいな目だ

 

 

自分自身が絞り出すように声を出す

 

 

『だから、これは、罰なのーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おはよ……」

希世花が青白い顔で登校してきたため、しのぶは眉をひそめながら声をかけた。

「どうしたんです?また風邪ですか?」

「……なんでも、ない」

「なんでもないって顔じゃないですよ」

「……本当になんでもないの。最近、ずっと、変な夢を見て……」

希世花は目を閉じながら頭を抑えた。目が覚めてから頭痛が止まらない。じわじわと締め付けられるような痛みが広がってきたような気がした。

「八神さん?保健室に行きますか?」

「……ううん。大丈夫」

痛みを誤魔化すようにしのぶに微笑んだ。しのぶは心配そうな顔をしていたが、教師が教室に入ってきたため、結局何も言わずに席についた。それでもまだチラチラと希世花の方を見てくる。希世花はなんでもない顔を装って前を向いた。

 

 

 

 

 

「やあやあ、元気かい?」

「……」

学校からの帰り道、しのぶと別れて一人になったところで、再び話しかけられる。昨日突然話しかけてきた童磨と名乗る胡散臭い男だ。昨日話しかけられた時は、逃げるように走って帰ってしまった。この男の顔を見るだけで、頭痛がひどくなってきた気がする。痛みに顔をしかめながら口を開く。

「……何か、ご用でしょうか?」

「あれえ?なんでそんな顔をしてるんだい?」

童磨が不思議そうな顔をして希世花の顔を覗きこんできた。

「何か嫌な事があったのかい?もしよければ聞いてあげよう。話してごらん」

「……」

あなたの顔を見るのが嫌なんですよ、と言おうとしたが僅かに残っていた理性がそれを止めた。童磨の言葉を無視して歩き出す。

「あ、そうだ。君の名前、何だっけ?教えてくれるかな。昨日聞こうとしたらすぐに帰っちゃったし。」

童磨が後ろから付いてきながら、楽しそうに話しかけてくる。

うるさい。わずらわしい。

話しかけてくる男を無視して歩を進めたが、

「へえ。八神希世花ちゃんっていうんだ。あれぇ?こんな名前だったっけ?」

その言葉にギョッとして後ろを振り向く。いつの間にか、鞄に入れてたはずの希世花の生徒手帳を、童磨が手に持っていた。

「返してください!」

慌てて手を伸ばすが童磨はヒョイと軽く避けた。

「そんなに怖い顔をしないでおくれ。ちょっと借りただけじゃないか」

「借りたって……、勝手に鞄から取り出したんじゃないですか!」

思い切り手を伸ばすが、身長差があるため届かない。

「ふーん、キメツ学園の3年生か。可愛いねぇ。相変わらず別嬪だ」

希世花の顔を見てニッコリ微笑む。その笑顔を見てゾッとした。あまりの不快感に、頭痛に加えて吐き気まで感じる。心臓が張り裂けそうだ。

「本当、残念だなぁ。もったいない……、まあ、でも俺も今は人間だしなぁ……」

奇妙な事を言う男を、鋭い目で睨む。そんな希世花を童磨は楽しそうに眺めた。

「それで?希世花ちゃん、どんな嫌な事があったんだい?教えておくれよ。君の事がもっと知りたいんだ」

「……今現在の状況以上に嫌なことなんてないですが。馴れ馴れしく名前を呼ばないで!早くその手帳を返してください!」

童磨が声をあげて笑った。

「冷たいなぁ。俺は君と仲良くなりたいだけなのに」

そして童磨は希世花の手帳を自身のポケットに仕舞い、扇子を広げた。

「返してほしい?そうだなあ……、それなら明日、俺とデートしようぜ」

「はあ?なんですか、それ……」

「ちょっとお茶するだけだよ。変なことはしない。俺はこう見えて誠実な男なんだ」

希世花は顔を引きつらせながら怒りのあまり体を震わせる。そして、

「明日この時間にここで待ってるよ。じゃあ、またね、希世花ちゃん」

童磨は楽しそうな顔で手をヒラヒラ振りながら去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦しい

 

 

人形のような瞳が私を見つめてる

 

 

『報いを受けなさい』

 

 

着物を着た自分自身が囁く

 

 

『覚悟してたはずよ。私を殺したその日に』

 

 

自分自身が歪な笑みを浮かべた

 

 

いつの間にか周囲の様子が変化している

 

 

不思議な場所。まるでダンスパーティーが開けそうな、宮廷のようなきらびやかな場所だ。

 

 

ここはどこなんだろう。さっきまで暗闇だったのに……

 

 

『楽しかったでしょう?私を殺してまで手に入れた人生は』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、教室に入ってきたしのぶは、希世花が机に突っ伏しているのを見て、そっと肩を叩いた。

「八神さん?寝ているんですか?」

「……起きてる。おはよ」

ゆっくりと希世花が顔を上げる。その顔を見てしのぶは驚いた。昨日よりも更に顔色が悪い。

「八神さん、大丈夫ですか?」

「うん……ちょっと、寝不足ってだけ」

「保健室に行きましょう。ひどい顔色ですよ」

「大丈夫。ちょっと疲れてるだけだから」

「大丈夫って顔じゃないですよ」

しのぶは希世花の腕を掴んで言葉を続けた。

「とにかく、保健室に行きましょう」

「行かない。体調は悪くないのよ……、本当に」

「いいから、早く立ってーーーー、」

「だから、大丈夫だってば!!」

希世花が大きな声で言い放ち、教室にいた生徒達がこちらを向いた。しのぶは目を見開く。希世花はハッとして、再びうつむいた。

「……ごめん」

「……八神さん?」

「ごめんね。大きな声出して。ちょっといろいろあって、疲れてイライラしてたわ」

希世花は頭を抑えながら顔をしかめた。これでは八つ当たりしているみたいだ。情けない。

「……しのぶの言う通りね。ちょっと保健室行ってくる。先生に言っといてもらっていい?」

「……一緒に行きますよ」

「いい。一人で行きたいの。ありがとうね」

頭を抑えたまま、希世花はフラフラと教室から出ていった。その後ろ姿をしのぶはじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

保健室で養護教諭に頼み、ベッドを借りて横になる。

「……最悪」

変な夢を見続けるせいなのか、頭痛が止まらない。具体的な内容は覚えていないが、苦しい夢だった気がする。何かをもう少しで思い出せそうなのに、思い出せない。心の中にモヤモヤが蓄積されたままだ。鬱陶しい。

それに、気がかりがもう一つ。

放課後、あの胡散臭い男と会わなければならない。童磨の事を考えただけで吐き気がする。

なぜだろう。二回ほど会って話しただけなのに、あの男の顔を思い浮かべただけで、嫌悪感に胸が潰れそうだ。全身の血液が沸騰し、身が震えるほどの不快感を感じる。

「………?」

なんでそんな感情が出てくるのか、全く分からない。そういえば、あの男は初めて会ったとき「久しぶりだね」と言っていた気がする。

もしかして、忘れてしまっただけで、前に会ったことがあるーーーー?

「………」

いや、あんなに目立つ容姿の男なのだ。一度会ったら忘れるわけない。

でも、なんだろう。この感覚。

そう考えているうちに、目蓋が重くなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「……さん、……八神さん」

「……んー」

名前を呼ばれて目を覚ました。ぼんやりと視線を横に向けると、しのぶがベッドの横に立っていた。

あれ?ここ、どこだっけ?と一瞬戸惑い、すぐに保健室で寝ていた事に気づいた。夢も見ずに眠っていた。本当に身体が疲労していたようだ。

「八神さん、起きましたか?」

「……うん。今、何時?」

「もう放課後ですよ」

「ええっ!?」

しのぶの言葉に驚いて慌てて起き上がる。保健室の時計に目を向けると、時刻は確かに夕方だった。

「ええ……?そんなに長い時間寝てたの……?」

あまりにも長い時間寝ていた事にびっくりしながら呟く。

「昼休みにも様子を見にきたんです。何度起こしても起きないから、そのまま寝かせてたんです。とにかく、帰りましょう。鞄を持ってきましたから…、」

「う、うん」

しのぶが持ってきてくれた自分の鞄を受け取りながら頷いた。布団をめくり、立ち上がろうとした瞬間、思い出す。

そうだ。あの男に手帳を返してもらわないとーー、

突然顔が強張った希世花を不思議そうに見つめながらしのぶが口を開いた。

「八神さん、ほら、帰りますよ。送っていきますから……」

「……ごめん。今日は一人で帰るわね」

「は?」

しのぶが戸惑ったような顔をする。それに構わず、希世花は立ち上がった。素早く保健室から出ていこうとする希世花の腕をしのぶが掴む。

「ちょっと待ってください!心配だから送って……」

「いらない。大丈夫だから。じゃあね」

しのぶの手を振り払うように離す。しのぶがポカンとしているのが分かったが、構う余裕がない。申し訳なく思いながら足早に保健室から出ていった。

 

 

 

 

 

「やあやあ、来てくれてありがとう」

「………」

うんざりとした顔で目の前の男を見上げる。童磨はニコニコと微笑んでいた。

「手帳を返してください」

「そんなに焦らなくてもいいじゃないか。ほら、一緒にお茶でもしよう。近くにいいカフェがあるんだ」

童磨が楽しそうに歩き出す。希世花は怒りを圧し殺すように拳を握りながらそれに付いていった。

童磨の後に付いていって到着したのは、静かな雰囲気のオープンカフェだった。店員に案内された席に腰を下ろす。

「希世花ちゃんは甘いものが好きかい?ここはケーキやパフェが上手いんだ。お腹が空いていたらピザなんかもあるぜ」

「……アイスコーヒーをひとつ」

童磨の言葉を無視して店員に注文する。そんな希世花の様子に構わず童磨も微笑みながら店員に注文した。店員が去った後、童磨が扇子を広げて口を開いた。

「今日も顔色が悪いねぇ。何があったんだい?聞かせておくれよ」

「あなたに話す義理はありません。それよりも手帳を返してください」

「まあまあ。そんなことより、君の事をもっと知りたいな。今は高校生だったね。勉強は好きかい?部活は何をしてるの?趣味は何だい?」

「……っ、いい加減にーー」

希世花がイライラしながら声をあげた時、店員が注文した品を運んでくるのに気づいた。口をつぐんだ希世花の前にコーヒーの入ったグラスが置かれる。店員が去った後、コーヒーには手を付けずに童磨を静かに睨んだ。

「あはは、怖いなぁ。せっかく可愛い顔をしてるのに、そんなに怖い顔をするなんてもったいないぜ」

「………あなた、なんなんですか。本当に」

「うーん?」

「あなたを見てると、頭がおかしくなりそう。本当に、イライラする。なんだか分からないけど、あなたの顔が視界に入っただけで爆発しそうになる」

「………悲しいなぁ」

「不愉快すぎてゾッとする。忌々しい。虫酸が走るほど、気持ち悪い」

「………」

「あなたの事が、嫌いだと、言ってるんです」

キッパリそう言った希世花に対して、童磨は少し目を見開いた後、声を出して笑った。

「あははははは!なあんだ。君、気づいていないだけで、やっぱり覚えてるじゃないか!」

「……は?」

「面白いなぁ。人間の深層心理って……。いや、君自身が本当に興味深い。もっと仲良くなりたくなったよ」

ニヤニヤと笑う童磨を、希世花は戸惑いながら見つめた。しかし、

「あ、そうだ!しのぶちゃんも一緒に三人でデートってのもいいなぁ……」

その童磨の言葉に今度こそ吐き気が込み上げてきた。手を口元に当てる。この男の口からしのぶの名前が出てきた事に驚きと、燃え上がるような怒りが沸いてきた。今までの人生で感じたことのないほど激しい怒りが全身を駆け巡る。

「………っ、なんで、しのぶを……」

「うん?そういえば、この間二人で楽しそうに歩いてたね。しのぶちゃんと仲良しなのかい?いいねぇ」

「………っ」

「実を言うと、ここ(・・)ではしのぶちゃんと関わった事はないんだ。今すぐにでも話しかけたいけど、いろいろ複雑でね……」

「……しのぶに、近づかないで」

希世花の言葉にますます童磨は楽しそうに微笑んだ。

「本当に大切なんだね。記憶がなくても」

「………記憶」

希世花は頭を抑えた。激しい頭痛がまた襲ってくる。

「……私、何を、……忘れて……」

「ああ、苦しいのかい?ひどい顔をしているね。可哀想に。でも、それは君が思い出さないと。」

童磨が突然希世花の手を握ってきた。ギョッとして慌てて手を離そうとするがビクともしない。

「…離して!」

「何もできないけど、俺でよければ話くらいは聞こう。さあ、話してごらん」

「……っ、」

渾身の力で思いきり手を振り払う。そしてそのまま立ち上がり、逃げるようにカフェから出ていった。

「明日も待ってるよー」

童磨の声が聞こえたが、振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションに着くと、玄関に座り込む。頭痛でどうにかなりそうだ。いや、それ以上に童磨に触れられた嫌悪感で吐き気が止まらない。

「……しのぶ」

スマホを取り出してしのぶに連絡しようとする。しかし、

「………っ」

スマホの画面に触れようとして、その手を止める。電話したら、きっとしのぶはすぐに希世花の様子がおかしい事に気づいて、いろいろ聞いてくるだろう。なぜだか、あの男の事は話したくなかった。あの男がしのぶに関わると考えただけで身体が震える。

スマホを鞄の中に仕舞いこみ、フラフラと着替えもせずにベッドに倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

『ダメよ!!』

 

 

自分自身が強く首を絞める

 

 

『あなたは八神希世花よ!思い出さないで!』

 

 

そう、私は八神希世花

 

 

そうよ。それが私の名前。

 

 

私の、名前ーーーー?

 

 

『思い出す必要なんかない、あなたは八神希世花なの!それは揺るぎない事実なんだから!』

 

 

「ち……がう、ちがう!!」

 

 

初めて自分の夢で大きな声を出した。目の前の自分自身がビクリとする。

 

 

それに構わず首を絞めていた自分自身を突き飛ばした。

 

 

「呪いとか罰とか報いとか、どうでもいい!!私は、私はーーーー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も希世花の体調は悪そうだ。しのぶはぼんやりしている希世花に声をかけた。

「八神、さん?」

「……ああ、おはよう」

「おはようございます。大丈夫ですか?」

「……うん」

どう見ても大丈夫じゃなさそうだ。しのぶが保健室に行かせようか迷っていると、希世花が口を開いた。

「……あの、しのぶ」

「はい?」

「……私……、」

私が何を忘れたか、知ってるのよね?

しのぶは何を知ってるの?

希世花はそう言葉を続けようとしたが、結局何も言えなかった。しのぶをじっと見つめて、そっと顔を伏せる。

「……なんでもない」

「……?」

しのぶは不思議そうな顔をしていた。

放課後、しのぶが鞄を手に取って声をかけてきた。

「八神さん、帰りましょう」

「……ごめん。今日も、ちょっと……、」

「え?部活はないですよね?」

テストが近いので部活は休止だ。

「……用事が、あるから、一人で帰るわね」

「用事?」

「またね」

「あ、ちょっと、八神さん!」

しのぶから逃げるように教室から出ていく。どうせ今日も童磨は帰り道で待ち伏せしているはずだ。しのぶとあの男が関わることは絶対に避けたかった。

残されたしのぶは眉をひそめる。今まで帰りはほとんど一緒だったのに、昨日といい今日といい、一緒に帰るのを拒否するなんて、どうしたのだろう。なぜか希世花の様子が妙に引っ掛かって首をかしげた。

 

 

 

 

 

 

「そろそろ思い出したかい?」

「……」

童磨の顔が目に入り、げんなりした。昨日と同じようにカフェに二人で入る。

「その様子だとまだみたいだね。可哀想に」

「いい加減に手帳を返してくれません?そして二度と話しかけてこないで」

「冷たいなぁ。俺は君の記憶が戻るお手伝いをしようとしてるのに」

「はあ?」

その言葉に童磨を睨んだ。

「必要ありません。あなたの力添えなんて……」

「でも思い出したいんだろう?」

童磨が微笑みながら希世花の顔を覗き込んできた。

「……っ、」

「ああ、ちがうね。君、本当はとっくの昔に記憶は戻ってるんじゃない?」

「は……、そんなわけ……」

「でも、君の心の何かが、それを拒否してるってところかな?どう?当たってる?」

「………」

何も答えずに童磨をただ睨んだ。

「あはははは!そんな顔すると、昔の君を思い出すよ。最後までそんな顔で僕を睨んでいたなあ」

童磨は笑顔を消さない。ニコニコ笑いながら頬杖をついて言葉を続けた。

「ねえ、そもそも思い出す必要はあるのかい?」

「は?」

「思い出さなくても別に不都合はないだろう?そんなに苦しむくらいなら、思い出さないほうがよくないかい?」

「………」

「いいじゃないか。これは君の人生なんだから。今が楽しければ、それでいいじゃないか」

「………なんで……っ」

言い返そうとしたが、言葉に詰まった。

思い出したいのは、本当だ。でも、最近ずっとその思いに支配されてる。いや、ちがう。この男の言う通りだ。ずっと前から兆しはあった。本当は、分かってた。知らないふりをしていた。自分は何かの記憶を失っていて、それを取り戻そうとしている。でも、心のどこかでそれを拒否してるからずっと思い出せない。

「………」

そうだ。本当に、思い出さなければならないのだろうか。心が拒否しているということは、自分にとって辛く苦しい記憶なのではないか。

 

 

本当に私は、記憶を取り戻したいの?

 

 

呆然としている間に、いつの間にか、童磨はいなくなっていた。

希世花はゆっくりと立ち上がると、フラフラしながらカフェから出ていった。

 

 

 

 

 

 

翌日、しのぶは教室に入ってすぐに希世花の顔を見てギョッとした。

「や、八神さん?」

「……ああ、おはよ」

「すごい顔ですよ。寝ていないんですか?」

「……」

顔をしかめる。昨日は一睡もできなかった。頭痛が止まらないし、不快感でどうにかなりそうだ。しのぶに言われるまでもなく、顔色が悪いことは気づいていた。クマもできている。

「本当に最近どうしたんです?なんだか、ずっと変ですよ」

「何もないから……、何も……」

ぼんやりとそう答えた。しのぶが心配そうな顔で見つめてくる。

「保健室に行きましょう」

「行かない……。大丈夫よ……、ただの寝不足だから」

しのぶの言葉に希世花は首を横に振った。その頑なな様子にしのぶが戸惑っていると、教師が入ってきたため、取りあえず自分の席に座る。そっと希世花の方に視線を向けるとぼんやりと前を向いていた。

その後も希世花の様子ははいつにも増しておかしかった。授業中何度もうつらうつらしており、起きている時もぼんやりしている。まあ、居眠りはいつものことだが、何だかその様子に引っ掛かりを覚えた。教科書や宿題などの忘れ物も多い。しのぶが何度も声をかけるが生返事しかしない。

ぼんやりとしたまま一日を過ごし、ようやく放課後になった。

「八神さん、帰りましょうか」

「あ、ごめん。今日は……」

「今日も何か用事が?」

しのぶの言葉に首を横に振った。

「先生から言われて、生徒指導室の掃除をしなきゃいけないの……。ほら、今日、居眠りもしたし、宿題とか忘れ物が多かったから、……先生達もテスト前で補習はできないから、その代わりに……、」

「ああ、そうでしたか」

しのぶは苦笑した。

「仕方ないですね。手伝いますよ」

「え、いいよ。悪いし……」

「二人でやったほうが早いですよ。ほら、行きましょう」

「……うん」

二人で教室を出ようとしたその時、

「あ、ねえねえ、八神さん、昨日の放課後、一緒にいたのって彼氏?」

クラスメイトの女の子が話しかけてきた。しのぶの顔が凍りつく。希世花はぼんやりと顔をあげた。

「……え?」

「昨日見ちゃった。すごいイケメンとカフェでお茶してたでしょう?いいなあ、放課後デート」

「……」

「あんなかっこいい彼氏、どこで知り合ったの?」

「……えっと」

その時、誰かに呼ばれたらしく、クラスメイトは

「あ、じゃあ、また話聞かせてねー」

と言って離れていった。

「……」

「……彼氏。へえ……」

しのぶの声が聞こえて、ビクっと震えた。

「……あ、あの」

「どうりで最近様子がおかしいと思ったら……」

恐る恐るしのぶの顔を見て、思わず悲鳴をあげそうになった。ぼんやりしていた意識が一気に目覚める。しのぶの顔は笑っているが、青筋が立っていた。唇もよく見たら歪んでいる。今まで見たことがないくらい怒っているのが分かった。

「……ほら、生徒指導室に行きますよ。」

「………はい」

しのぶに手を引っ張られながらまるで連行されるように生徒指導室へ向かった。

「……」

「……」

無言でモップを手に掃除をするしのぶが怖い。希世花は窓を拭きながらしのぶの様子を伺う。意を決して話しかけようとしたその時だった。

「……彼氏が」

「えっ」

「彼氏がいるなんて初耳ですね」

「い、いや、えっとね……」

しのぶにどう説明したらいいのか分からず言い淀んでいると、それに構わずしのぶが言葉を続けた。

「別にどうこう言うつもりはありませんが、テスト前なのにデートとは、少し気が緩みすぎでは?そんなだから体の調子もおかしいんじゃないですか?」

「……」

「で、誰です?名前は?」

「え?」

「あなたの彼氏。どこの誰なんですか?」

「……か、彼氏じゃなくて」

「あら、デートしてたんでしょう?」

「い、いや」

「私に教えてくれないなんて水臭いですねぇ」

しのぶがグイッと近づいてきた。それに思わず後ずさりする。

「し、しのぶ……」

「ほら、教えなさい。誰とデートしてたんです?」

「……」

「うちの学校の生徒ですか?」

「……」

「もしかして、今日もデートする予定ですか?それは都合がいいですね。紹介してください。是非……」

「ダ、ダメ!!」

しのぶの言葉に思わず叫んだ。

「それだけは、絶対に、ダメ!!」

あの男をしのぶに会わせるなんて冗談じゃない。それだけは、ダメだ。絶対に、それだけはーーーー、

「……っ、なんですか、それ」

しのぶが笑顔を消した。希世花は動揺しながら必死に言葉を続けた。

「別に誰とデートしようが私の勝手でしょう!?しのぶには関係ない!放っといて!!」

次の瞬間、周囲の景色が反転した。体が重力に引っ張られ、生徒指導室の大きな机に押し倒される。キョトンとしながら見上げたらしのぶが覆い被さっているのが分かった。両腕を強い力で捕まれる。

「なっ、ちょっと、何……!?」

「関係、ないなんて、よくそんな事が言えますね」

しのぶが顔を歪めながら苦々しい声を出した。

「私が、……どんな思いで今まで……っ」

「し、しのぶーー」

「どんな思いであなたを見てきたか、何も分かってない……っ、何もかも忘れたあなたをーーっ」

その言葉がグサリと心に突き刺さった。無意識に声が漏れる。

「ーーーーーーちがう」

「は?」

しのぶの顔が揺れた。それに構わず言葉を続ける。

「しのぶは、……あなたは、私を見ていない!!」

「……っ」

「知ってるわよ!気づいてないと思ってた?しのぶの中に私がいたことはない……!最初から今まで……ただの一度も!!」

「……っ、私は」

しのぶが何かを言おうとしたその時だった。

突然ガチャリと音がして、生徒指導室の扉が開いた。しのぶと希世花がそちらにパッと顔を向ける。

そこに立っていたのは不死川実弥とその弟の玄弥だった。しのぶが希世花を押し倒している姿を見て、不死川は目を見開き、玄弥は「ふぇっ……!?」と顔を真っ赤にして声をあげる。

「……」

「……」

「……」

「……」

生徒指導室を恐ろしい沈黙が支配した。数秒後、不死川が扉を素早く締める。再びしのぶと二人きりになった。

今の状況を不死川に見られたのは、もしかしなくても、かなりマズいのではないか。

希世花は真っ青になった。そして、しのぶの手を思い切り払いのけて起き上がった。

「不死川先生!!ちょっと待って!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……クソが。あいつら、後で説教だァ」

「あ、あの、あの、兄ちゃん、あのままにしててよかったの!?」

「あァ?どうしようもねェだろうが」

「どうしようもないって、……ていうか、なんで兄ちゃん、あんなところを見てそんなに落ち着いてるの!?」

「あいつらがああしてんの、前世でも見たからなァ」

「ええっ!?あの二人って、そんなに前から、あ、あ、あんな……」

玄弥の顔がますます赤くなった。不死川の方は「うちの弟に刺激の強いもん見せやがって……」と顔を引きつらせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※不死川 玄弥

兄から呼び出され、数学のテストの事でいろいろ言われるんだろうな、と覚悟しながら生徒指導室に入ろうとしたら、とんでもない光景を目撃した思春期少年。あまりにも混乱して数日間頭がグルグルしており、テスト勉強に集中できなくなった。テストでとんでもない点数を取ってしまい、兄から怒られる事になるが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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“八神希世花”は指し示す

 

 

「なんか申し開きはあるかァ?」

「……………すいませんでした」

数学準備室にて、しのぶと共に不死川の前で正座をする。不死川が睨んでいるのが分かったが、目を合わせられなくて希世花は下を向いた。

「俺も教師になってそこそこ経つがよォ、生徒指導室で不純同性交遊してる馬鹿を見るのは初めてだァ」

「ふじゅ………っ!?そんなはしたない事はしておりません!!」

とんでもない言葉に顔を上げて、思わず叫ぶように反論するが、不死川に舌打ちされながら睨まれて、またしおしおとうつむいた。その時、隣のしのぶが口を開く。

「……申し訳ありませんでした、不死川先生。ですが、誤解です」

しのぶの冷静な声に、不死川が眉をひそめた。希世花も不安そうな顔でしのぶに視線を向ける。

「誤解?」

「私が掃除の途中でつまずいて、倒れた拍子にあのような体勢になっただけです。ですから、先生が思っているような事はしておりません。全て誤解です」

「……」

「……」

「私ったら、うっかりです。」

涼しい顔でそう述べるしのぶに、希世花は複雑そうな顔をして黙ったままだった。不死川は少し考えるような表情をした後、

「………はあ、分かった。もういいわ。見なかった事にする。お前ら、もう帰れェ」

ため息をついて、物凄く面倒くさそうに言い放った。

その言葉にホッとしながら希世花は立ち上がる。隣のしのぶも立ち上がる姿を確認しながら、深く頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

「……二度と学校であんな真似するんじゃねェ。俺はもう忘れることにする」

また頭を下げると、希世花としのぶは数学準備室から出ていった。

不死川はその後ろ姿をじっと見つめた。二人が出ていった後、数学準備室に静寂が戻る。不死川は少し考えた後、鞄からスマホを取り出した。そしてスマホの画面に触れてから、それを耳に当てた。

「……よう。お前の妹、またなんかやらかしたっぽいぜェ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数学準備室から出た希世花はすぐさましのぶに背を向け、歩きだした。素早くしのぶから離れる。しのぶが慌てて希世花の腕を掴んだ。

「八神さん……っ、話は、まだーー」

「話すことなんて、ない」

希世花が振り向いて、しのぶと真っ直ぐに目を合わせた。その暗い瞳に、息を呑む。

「……っ、」

「……悪いけど、ちょっと距離を置きましょう。私も、あなたも、混乱してるんだわ。……心の、整理が必要なのよ」

「わ、私はーーーー」

「ごめん、だけど……」

希世花は少しだけ迷うように目を逸らしてから、またしのぶを真っ直ぐに見つめ、口を開いた。

「……その方がお互いのため、だと思う。……正直、今は、しのぶの顔を見たくない」

その言葉に、しのぶが雷に打たれたような顔で固まった。そんなしのぶを尻目に、希世花は素早く背を向けると、小走りでその場から離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胡蝶カナエは帰宅した瞬間、家の空気が沈んでいる事に気づいた。

「ただいま」

「おかえりなさい、……あの、……カナエ姉さん」

カナヲが何かを訴えたいが、何と言えばいいか分からないというような顔をして出迎えてくれた。そんなカナヲに苦笑しながら頷く。

「大丈夫。分かってるから。しのぶは部屋にいるの?」

「……はい」

「分かったわ。ちょっと話してくるわね」

カナエは苦笑したまま、しのぶの部屋へ向かった。

コンコンと扉を軽くノックする。

「しのぶ、入るわよ」

返事はなかったが、気にする事なく扉を開けた。電気のついてない暗い部屋でしのぶはベッドの上にうつ伏せで横たわっていた。制服も着がえていない。顔を枕に埋めている。

「……しのぶ」

「……」

しのぶは何も答えない。カナエは黙ってベッドに座ると、しのぶの頭を優しく撫でた。

カナエは何も言わずにしのぶに寄り添う。

「……何も、聞かないの?」

やがて、しのぶが小さな声を出した。

「聞いた方がいいの?」

「………」

「しのぶ。おいで」

カナエがそう言って腕を広げると、しのぶは顔を上げて躊躇ったような顔をしつつカナエに抱きついた。

カナエがギュッと抱き締め、しのぶはその肩に顔を埋めた。沈黙が落ちる。カナエがしばらくそのまま抱き締めていると、ようやくしのぶが口を開いた。

「………ーーーーあの子に、ーーーーーーれた」

「うん?」

「あの子に、……か、顔を見たくないって、言われた。ーーーー距離を置きたいって、」

「……あらあら」

カナエは困ったような顔をしてしのぶの背中を擦った。

「喧嘩しちゃったのね……。原因は?」

「……」

「姉さんには言いたくない?」

しのぶは再び口を閉ざし、カナエの背中に回した腕に力を込める。カナエはそれ以上何も言わずにずっと背中を擦ったり頭を撫でてくれた。

姉の優しさに感謝しながら、しのぶはぼんやりと考えていた。

 

『……その方がお互いのため、だと思う。……正直、今は、しのぶの顔を見たくない』

 

希世花の言葉が脳内に響いて、頭が揺れるような感覚がした。意識がバラバラになりそうだ。

カナエが優しく頭を撫でてくれて、少しだけ心が落ち着く。しかし、

「ああ………、そっか……」

「うん?」

しのぶは小さな声で呟き、カナエが不思議そうな声を出した。

今日の希世花の言葉。前世で一度決別した時、しのぶが言った言葉とほぼ同じだった。

 

『ええ。約束しましょう。あなたの邪魔はしません。もう関り合いになるのも、やめましょう。……その方がお互いのためだわ。正直、あなたの顔はもう見たくない』

 

しのぶがそう言った時の、彼女の顔を、覚えている。まるで、世界から光が消えたような絶望の表情だった。深い悲しみを宿した瞳。でも決して涙は流さなかった。

今の自分は、きっとあの時の彼女と同じ顔をしている。

まるで、大きな悲しみの底へ一気に突き落とされたみたい。

知らなかった。知りたくなかった。拒絶されることが、こんなにも、苦しくて、痛いだなんて。

ああ、でも、それでも、あなたはーーーー、

「………姉さん」

「大丈夫よ、しのぶ。大丈夫……」

カナエの優しい声が、温かい。しのぶの心にじわじわと広がっていく。

支えてくれる姉に感謝しながら、しのぶは思った。

 

今なら分かる。あの時のあなたの悲しみが。そして、強さが。

絶望に突き落とされたあなたは、それでも、立ち上がったのね。

前に進んできたのね。

最後まで、折れなかったのね。

やっぱり、あなたは強い。ーー誰よりも。

 

『しのぶ』

声が脳裏に響く。昔のあなたと、今のあなた。

今日の彼女の暗い瞳。あんな目をするなんて、初めて知った。

彼女の言う通りだ。心の中にあるのは、昔の彼女の姿。だって、ずっと、ずっと、待ってた。昔の彼女に会いたくて、会いたくて。

だから、彼女を真っ直ぐに見ていなかった。

「………会いたかったの。ただ、それだけなのに」

しのぶが小さな声で、また呟く。それを耳にしたカナエは、またしのぶを強く抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

今日が休みでよかった。

希世花は洗面所で顔を洗いながら、そう考えていた。

昨日の生徒指導室での事件後、しのぶを拒絶してしまった。しのぶのショックを受けた表情を見て、少し後悔したが、お互い心の整理が必要だと考えたのは間違ってない、と思う。

希世花は鏡の中の自分を見つめて、顔をしかめた。ひどいクマだ。昨日もほとんど眠れなかった。眠るのが怖い。最近、苦しい夢を見ることが増えている。夢の中で苦しむくらいなら、無理矢理にでも起きていた方がマシだ。

そう考えながら、リビングのソファに座り、教科書を広げる。テスト勉強をして気を紛らわせよう。

「……あ」

不意に思い出した。悩み事がもうひとつ。

あの童磨とかいう胡散臭い男から生徒手帳を返してもらっていない。昨日はあまりにも顔を見るのが嫌すぎて、いつもとは違う道から下校した。そのため、遭遇はしなかったが、あの手帳は返してもらう必要がある。悪用されるかもしれない、と考えただけで頭に血が上りそうだった。

「どうしよう……」

頭を抱えながら呟いたその時、希世花のスマホが何かの通知を示した。首をかしげながら、スマホに触れる。そして、送られてきたメッセージに目を通して、大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

「こんにちは、八神さん」

「……こんにちは」

希世花のスマホにメッセージを送ってきたのは、胡蝶カナエだった。

呼び出された公園に行くと、カナエはもう到着していて、いつもの優しい笑顔で声をかけてきた。しかし、

「八神さん?体調が悪いの?」

「あー、勉強していて、あまり寝てないだけです。……気にしないでください……」

希世花の顔を見たカナエが心配そうな顔をした。化粧でなんとか睡眠不足を隠そうとしたが、あまり効果はなかったみたいだ。希世花は誤魔化すように笑った。

「それよりも、先生、どうしたんですか?突然……」

「少しだけ、あなたとお話したくて、ね」

カナエはニッコリ笑った。

「テスト前に悪いけど、散歩しながらお話しない?いい天気だし」

「……はい」

その言葉に頷きながら、カナエの隣に立つ。二人でゆっくりと公園を歩き始めた。

「テスト勉強は大丈夫かしら?」

「……範囲は予想していたほど広くは、ないので。多分大丈夫だと思います。化学と数学はちょっと大変ですけど……」

テストの事や部活の事など、他愛もない話をしながら二人で肩を並べて歩く。

希世花はカナエと話しながらぼんやりと考える。

この人と一緒にいると、心から安心する。不思議だ。考えてみれば初めて出会った時から、そうだった。なんと言うか、うまく言い表せないが、すごく温かい。目の前の景色がほんの少し光って見える気がする。

なぜだろう。この気持ちを、ーー私はずっと前から知っている。

いや、知っているんじゃない。

()()()()()()()

「八神さん。少し座りましょうか」

カナエにそう言われて、考え事をしていた希世花は我に返った。カナエが示す方に視線を向けると、ベンチが設置してある。

「疲れてない?」

「平気です……」

近くの自販機で飲み物を購入し、並んでベンチに座る。

少しだけ沈黙が落ちた。希世花は購入したコーヒーをゆっくりと飲む。

「八神さん、あのね……」

「しのぶとは、いずれきちんと話します」

カナエが口を開いたが、希世花は先回りするようにそう言った。カナエが目を見開く。

「……八神さん」

「ごめんなさい。でも、今は、話したくないです……。距離を、置きたいんです。いろいろと、考えることが多すぎて……」

希世花はうつむいて、手の中の缶コーヒーを見つめる。

向き合わなければならないと、分かっている。自分の記憶に決着をつける必要があるということも、分かっている。

だけどーーーー、

「……しのぶは、何か言ってましたか?」

「……いいえ。あの子は、何も言わなかった。だけど、ずっと悲しそうにしていたわ」

そう言われて、昨日のショックを受けたしのぶの顔を思い出した。缶コーヒーを強く握りしめる。

「……しのぶのこと、嫌いになったわけじゃ、ないわよね?」

「あり得ません。万に一つも」

カナエの質問に思わず即答し、希世花は気まずそうに顔を逸らした。

「……逆に、しのぶが、私の事、嫌いになったのでは、ないですか?昨日、ちょっと……いろいろあったので……」

「それこそあり得ないわよ~」

カナエのフワフワした声に、希世花は顔を上げた。

「しのぶは、あなたの事が大好きなの。だから、そんな事は絶対にないわ。断言できる」

その言葉に安心する。迷うように目を泳がせてから、希世花は口を開いた。

「……すみません。だけど、」

「うん?」

「……ちょっと、距離感が、分からなくなりました。しのぶとの」

「距離?」

カナエが不思議そうな顔をする。希世花は言葉を選ぶようにしながら話を続けた。

「……私、もともと親しい人がいないんです。両親は仕事にしか興味がなくてほぼ家にいないし、兄とも年が離れてるからほとんど話さないし……。お金だけはある家だったから、なに不自由なく暮らしてきたし、感謝はしてるんですけど、ね」

「……」

「前の学校は、幼稚園から通っている厳格な女子校で……全然馴染めなくて、友達もいなかったんですよ……別にそれを寂しいとも悲しいとも思わなかったんです……当たり前だったから」

「……それで、うちの学校に?」

「いえ、家出してきちゃいました」

笑いながらそう言うと、カナエは驚いたような表情をした。

「家出?」

「……両親が、私の将来を勝手に決めて強制してきて……私には、どうしても、無理でした。親の敷いたレールを、歩くのは。だって、いきなりお見合いしろ、なんて言うんですよ。学校を卒業したら結婚するようにって」

「そ、それはすごいわね」

「だから家を出たんです。幸い、祖父が味方になってくれたので、いろいろゴタゴタはありましたが、結局実家を出て、一人暮らしをすることになりました。その時、祖父にお願いして、今の学校に転校もさせてもらいました」

「……大変だったのね」

「はい。でもーー」

希世花は小さく笑った。

「家を出たこと、後悔は、しません。今の学校に、転校してよかった。だって、先生やしのぶに出逢えたから」

「……そう」

「たくさん友人もできました。楽しい思い出も。ーーーーだけど」

再びうつむく。

「……最近、分からなくなったんです。しのぶとの距離が。今まで、親しい人がいなかったから……、自分の気持ちを自覚して、どんなふうに接すればいいのか、分からなくなって……」

「………気持ち?」

無言でこちらを見つめてくるカナエから顔を逸らすように、真っ直ぐに前を見て、希世花は口を開いた。

「しのぶの事が、好きなんです」

カナエが目を見開く。希世花は淡々と言葉を続けた。

「好きだから、もっと近づきたい、と思う。他の人と仲良くしてほしくない。ずっとそばにいたい、なんて思ってしまう……しのぶを独占したい、なんて考えて、しまって、……っ、」

カナエの顔を見るのが怖かった。下を向いて、言葉を続ける。

「……好きだから、しのぶと一緒にいるだけで、楽しくて、幸せ、だと感じます……だけど、同じくらい心が、痛い」

「痛い?」

「だって、しのぶは私を見ていない。……先生も、ですよね。たまに私を通して、私じゃない誰かを見てる」

「……」

「ああ、すみません。違いますね。しのぶと先生が見ているのは、私じゃなくて、ーーーー」

 

 

「私の知らない、私、なんですよね」

 

 

目を伏せて微かに笑うと、カナエが震えるように声を出した。

「……八神さん」

「あはは。すみません。なんだか、湿っぽくなっちゃって。こんな話をするつもりは、なかったのに」

わざと明るくそう言って顔を上げる。カナエは顔を強張らせていた。それを見て、希世花は自分の言葉を後悔する。そんな顔を、してほしくなかった。

だって、私はーーーー、

「八神さん、あのねーー」

「すみません、先生。変な話をしてしまって。別に、気にしてません。きっと、二人にとって大切な人だったんですよね」

カナエが何かを言う前に言葉を重ねる。

「気にしてません。本当に……」

「私は……」

「ごめんなさい。ただ、なんと言うか、……ちょっと悔しかったんです。悔しい、というか、………嫉妬しました。私じゃない、私に」

「………」

「悔しいな。……本当に悔しい。きっと、私は、その人には決して敵わない……」

そう呟きながら、思わず笑った。我ながら、女々しい。馬鹿だな、と感じる。

本当は、こんなにも強く強く、気にしているのに。気にしていないと、とぼけたふりをして嘯く。

「……違うわ。違うの。八神さん」

カナエが首を横に振りながら口を開いた。希世花の手を包み込むように握ってくる。

「ごめんなさい。知らず知らずのうちに、あなたを傷つけていたのね」

「……傷ついてなんか、いませんよ」

「これだけは分かって。私もしのぶもあなたの事が大好きで、大切なのよ」

「……」

「私達は、あなたをずっと待ってたの。あなたの事が大好きだから……」

「だから、それは私じゃないんでしょう、()()!!」

思わず口をついたように出てきたその言葉に、希世花はパッと両手で口元を抑える。そしてサッと青ざめた。

「や、八神さん……」

カナエが震えるように声を出した。

「やっぱりそうなの?記憶が、戻ってるの?」

口を抑えたままカナエに視線を向けると、呆然とこちらを見つめていた。

「い、いつから?どうして……」

戸惑ったようにオロオロしているカナエに希世花は諦めたように手を口元から離した。

「……先生のお家で、お泊まり会した日に……」

「えっ……、そ、そんなに前から…?」

「いえ」

希世花は顔を強張らせた。

「正確には、思い出したわけじゃありません。あの日、先生のお家に泊まった日から……ずっと、ずっと、夢を見るんです」

「夢?」

「私じゃない、私の夢……。夢の中で、私は誰かと、……懐かしい誰かと過ごしたり、戦ったり、してる……」

「それはーー」

カナエが戸惑ったように言い淀む。

「何度も何度も、思い出しそうになってるんです。だけど、なぜか、思い出せない。多分、……私の心が、それを拒否してる」

「思い出したく、ないの……?」

カナエが悲しそうに顔を歪めた。希世花は考え込むような顔をしながら答えた。

「……どう、なんでしょうね……。私は、思い出したいのかな……、思い出したくないのかな。つらくて、苦しい思い出なら、いっそ、思い出さない方が、幸せなんじゃないかって思って……。だけど、きっと、それじゃあ………」

しのぶの瞳に私は一生映らない、そう続けそうになって口を閉ざした。

思わず笑ってしまいそうになる。馬鹿みたいだ、本当に。自分に嫉妬するなんて。

怒りと悲しみ、いろんな感情で頭が混乱して、おかしくなりそうだった。拳を強く握りしめ、立ち上がった。

「先生、すみません。疲れたので、お先に失礼します」

「八神さん、待って!」

カナエが慌てたように希世花の腕を掴む。

「お願い、これだけは、信じて。私は、今のあなただって大好きなのよ。もちろん、しのぶもそうなの」

「……失礼します」

希世花は唇を噛みしめて、その場から逃げるように走り去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、この夢だ

 

 

目の前にはこちらを睨む自分自身

 

 

彼女に向かって、声の限り、叫ぶ

 

 

「私に干渉しないで!もう、嫌よ!私はーー、私はーーーー!」

 

 

そして、目の前の自分自身を見つめる

 

 

美しい雛菊の着物を着た、人形のような彼女は笑った

 

 

『なあに?あなたは、どうしたいの?』

 

 

覗き込むように顔を見てくる。

 

 

「私はーーーー、思い出したい」

 

 

『本当に?本当に思い出したい?』

 

 

彼女が、問いかけてくる

 

 

『いいじゃない。思い出さなくても。つらいことや苦しいことなんて、思い出す必要はないでしょう?』

 

 

その言葉に、情けないほど狼狽した 

 

 

その様子を見た人形のような彼女が、笑う

 

 

『あなたは私。私はあなた』

 

 

そして、囁いた

 

 

 

『結局、自分の意思を持てない、お人形なのよ』

 

 

その言葉に怒りが心に満ちる。真っ直ぐに彼女を見据えた。

 

 

 

「ちがう!!私はーーーー、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希世花は目を覚ますと、うんざりしながら起き上がった。

急いで身を整えると、鞄を持ってマンションを出る。今日からテストだ。遅刻はまずい。

時間を気にしながら教室に入ると、既にしのぶは椅子に座って教科書を広げていた。希世花が入ってくると、ハッとしたようにこちらを見てきた。

「……あ、あの」

「おはよう」

しのぶが何か話しかけてきたが、顔を逸らしながら挨拶だけして隣に座る。そして、しのぶを無視するように鞄から単語カードやノートを取り出し、そちらに集中するふりをした。

しのぶの表情が固くなったのが分かったが、その顔を見る勇気はなかった。

数日かけて、テストは行われた。難しい問題もあったが、思ったよりも上手く出来た、と感じる。現実逃避するように勉強したお陰だ。しかし、流石にテスト最終日になると、疲れが襲ってきてグッタリしていた。最後のテストは数学だった。計算式を書きながら、隣のしのぶがチラチラとこちらを見ているのを感じる。今の自分が、また顔色が悪いことは気づいていた。勉強で忙しいということもあるが、夢を見るのが嫌で、テスト期間中は一睡もしていない。暇さえあれば寝てしまう希世花にとって、信じられないことだ。こんなにも長期間起き続けるのは初めてだった。倦怠感でどうにかなりそうだ。頭痛もひどい。

それに、と希世花は解答欄に数字を書きながら、思わず顔を歪めた。童磨から、生徒手帳を返してもらわなければならない。あの日から童磨とは会っていない。この数日は遭遇するのが嫌すぎて他の道から下校していた。幸運にも童磨と顔を合わせることはなかった。しかし、問題から目を逸らすのもそろそろ限界だ。本当に返してもらわないとーーーー、

「よし、終了。手を止めろォ」

ようやくチャイムが鳴った。テストが終了し、試験監督の不死川の声が響く。ホッとしながら立ち上がり、テストを集め、不死川に手渡した。今日はこれで学校も終わりだ。早く帰ろう。

「……あ、」

自分の机に戻った時、しのぶと目が合ったが、思いきり逸らした。そして、自分の鞄を抱えて逃げるように教室の扉へ向かう。

「あれ?」

その時、教卓の上にペンケースがあるのを発見した。見覚えのあるペンケースだ。どこで見たんだろうと一瞬考え、そして思い出す。不死川のペンケースだ。補習の時に使っていたのを覚えていた。

「忘れ物かな……」

見つけてしまったので、放っておくというのはなんだか悪い。仕方なく希世花はそれを手に取ると、数学準備室に向かった。きっと試験直後だから、そこにいるはずだ。

その姿をしのぶはじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

数学準備室の扉をノックして、声をかける。

「すみませーん。不死川先生。いらっしゃいますかー?」

すぐに扉は開いた。

「おう、八神。どうした?」

「これ、不死川先生のですよね?教卓に残っていましたよ」

希世花がペンケースを差し出すと、不死川が頷いた。

「ああ、俺のだ。悪かったな、わざわざ……」

「あっ、子分じゃねえか!!」

その時、数学準備室から大声が聞こえた。その声に思わず部屋の方へ視線を向けると、嘴平伊之助の姿があった。

「伊之助さん?」

「よう!」

「こんにちは。どうしてここにいるの?」

不思議に思ってそう尋ねると、不死川が苦々しげに答えた。

「こいつ、テストだっつーのに、遅刻しやがった。しかも俺のテストをほぼ白紙で出しやがった」

「だから、悪かったって言ってんだろう!」

「うるせェ!!てめえのそれは反省してねぇだろうが!!」

伊之助が大声で叫び、不死川も負けじと怒鳴る。その姿に希世花は苦笑いした。

「先生も大変ですね……」

その時、伊之助が希世花の方へ近づいてきて、口を開いた。

「子分!!お前、そろそろ思い出したか!?」

その言葉に希世花の表情が大きく引きつる。伊之助はそれに気づかないように言葉を続けた。

「なんか権八郎が匂いがしたとか言ってたしよ!そろそろ思い出すンじゃねえかって……」

勢いよく言葉を続ける伊之助とは逆に希世花の顔色はどんどん悪くなっていった。うつむいて、唇を噛み締め、拳を強く握る。それを見た不死川が驚いたように、

「お、おい、八神?大丈夫か?」

と聞いてきた。その問いに答えられず、身体が震える。

「……っ」

慌ててその場を離れようとしたが、伊之助が腕を掴んできた。

「子分、どうした?何かあったのか?」

「……なん、でもない」

やっとのことでそう答えるが、伊之助はグイッと顔を覗き込んできた。

「誰かにやられたのか?それなら、お前に代わって俺がぶっ倒してやる!子分の面倒を見るのは親分の役目だからな!!」

「……」

何と言えばいいのか分からず下を向いた。伊之助と不死川が不思議そうな顔をする。

「八神?本当にどうした?」

「……私は、……」

途方に暮れたように、か細い声が自分の口からこぼれ出る。そして、身体を震わせながら、言葉を続けた。

「……こ、子分じゃない……、あなた達の知ってる、人間じゃない……っ」

涙がこぼれそうになって、下を向いた。その姿にギョッとしたらしい不死川が慌てたように希世花の腕を引っ張るように数学準備室へ入れる。そして、素早く扉を閉めた。

「や、八神?どうしたァ?何があった?」

「誰にやられた!?言え、子分!!」

「嘴平がなんか嫌なこと言ったか?こいつをぶん殴ればいいか?」

「てめぇ、なんでそうなるんだよ!!」

オロオロしている不死川と、怒ったような顔をしている伊之助が次々と声をかけてくる。希世花は口を一文字に結び、じっと下を向いていたが、しばらくしてようやく口を開いた。

「……私は、……みんなが知ってる私じゃない」

その言葉に、不死川がハッとしたような顔をした。

「ダメ、なんです……、心が、拒否してる……、思い出すのを……。つらいことや、苦しいことから、目を背けて、……ずっと逃げてしまって……いっそ、思い出さない方が、いいって、どこかで、考えてて……、だけど……それじゃあ、………しのぶが……私を、見てくれない……」

耐えきれずに、涙がこぼれた。

「………私は、ここに、いるのに……ずっと、ここに、いるのに……っ」

その言葉にどう答えればいいか分からず、不死川が言葉に詰まった時だった。

「お前、何わけの分からねぇこと言ってんだ?」

伊之助がキョトンとしながら口を開いた。

「馬鹿じゃねーか?お前はお前だろ。昔も今も俺様の子分だ。全部お前自身に決まってるじゃねえか」

あまりにも普通にそう答える伊之助に希世花が呆然とする。

「え………」

「つーかよ、お前、しのぶのこと、好きなんだろ?しのぶも、お前のことめちゃくちゃ好きじゃねえか。いっつも二人でホワホワしてるしよ。それだけでいいんじゃねーの?」

「えっと……」

当然のようにそう言われ、どう反応すればいいのか分からず涙も引っ込む。

「俺はな、子分!お前に文句があるんだ!あの時、親分である俺様を差し置いて、トドメを刺しちまいやがって!!しかも、あっさり死にやがって!!今でもクソ腹が立ってるんだからな!!」

伊之助が睨みつけながら言葉を続けた。

「でも、一番言いたいのは、……っ、礼を言いたかったんだよ!!お袋としのぶの仇を取ってくれたのはお前だ!!あの時はなんも伝えられなかったからな!!」

唐突な言葉にわけが分からず、伊之助の言葉が頭をグルグルと回る。

「だから、つべこべワケ分かんねぇこと言わず、とにかく思い出しやがれ!!話はそこからだ!!よく分かんねえことグダグダ考えてんじゃねえよ!!分かんねえことは後から考えりゃいいだろ!!」

どう答えればいいのか分からず、立ち尽くしていると、今度は不死川が声をかけてきた。

「あー、八神。なんか、よく分からねェが……、昔のお前は……そりゃあ、いろいろあってつらかったり苦しかったりしただろうがよォ……」

不死川が顔をポリポリと掻きながら、続けた。

「お前はずっと胡蝶の事を想っていたはずだァ。俺が最後に見たお前は、……少なくともすげェ幸せそうだったぞ」

不死川は、自分が見た圓城菫の最後の姿を思い出す。

髪に付けた黄色の蝶の髪飾りに触れながら、小さな声を出していた。

 

 

『……一つは、昔、師範ーー花柱様にいただいたもので、もう一つは、先日、蟲柱様にいただいたんです……』

 

 

その時の、彼女の顔を今でも覚えている。一瞬だけ、見せた表情。

それは、花が咲いたような美しい笑顔だった。最高に幸せで、これ以上満足することなんて、絶対にないというような、眩しいほどの笑顔。

「それは、お前にとって大切な思い出じゃねェの?それすらも、思い出したくないのか?」

「……たい、せつ」

ああ、そうだ。

いつもいつも、夢に見るの。途中で邪魔されるけれど、でも、それでも、覚えてる。ほんの少しの、幸せな記憶の欠片。

 

優しい眼差し

 

温かい声

 

そして、輝くような笑顔

 

その声で名前を呼ばれるだけで、私は前に進める

 

あなたの笑顔のためなら、私は何度だって戦える

 

 

 

私の、大切な、最後の一欠片

 

 

 

 

「……不死川先生」

「ん?」

「……変な宗教やってるんじゃないかって疑ってすみませんでした」

「あァ!?」

顔を引きつらせる不死川を無視して、希世花は伊之助に声をかけた。

「伊之助さん、ありがとう。私、頑張るわね」

「おう!!よく分かんねえが、猪突猛進だ!!」

その言葉に微笑んで、希世花は数学準備室から出ていった。

できるだけ急いで走り、昇降口から飛び出す。汗だくになりながらマンションに帰り着いた。

取りあえずはシャワーを浴びて、部屋着に着がえる。そして鏡に写った自分をじっと見つめる。そしてゆっくりと口を開いた。

「ーーーー私は、思い出したい」

鏡に向かって手を伸ばす。

「彼女が待ってるの。全てを置いてきてしまった。忘れたまま、彼女と再会してしまった。でも、それでも、ーーーー私は、私よ。全部私なの。もう間違わない。つらいことも苦しいことも、全て受け入れるわ」

指が鏡に触れた。

「私の、わがままよ。でも、どうか、お願い。力を貸してほしいの。……私も、頑張るから」

鏡の中の自分を撫でて、微笑む。そして、希世花は寝室に向かい、ベッドに横になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

宮殿みたいなきらびやかな場所で、人形のような彼女が笑う

 

 

『思い出さなくてもいいでしょう?このままでも十分なはずよ』

 

 

「ちがう!!私は、思い出すわ!!」

 

 

叫んだ私に、彼女の表情が揺れた

 

 

「だって、待ってるの!!しのぶが待ってる!!」

 

 

いつの間にか、手には大きな刀が握られていた。

 

 

「しのぶが待っててくれるから、私はもう迷わない!!また、走ってそこに行くんだ!!」

 

 

そして、私は素早く距離を詰めると、手を動かした

 

 

彼女が避けようとするが、もう間に合わない

 

 

雛菊の着物が揺れる

 

 

そして、刀を振るってーーーーーー

 

 

刃が当たる寸前で、私はその動きを止めた

 

 

『……え?』

 

 

彼女が戸惑ったようにこちらを、見てきた

 

 

「ち、がう……」

 

 

私は手を下ろした

 

 

刀が床に落ちる

 

 

「こんな、ことを、したいわけじゃない!!殺したいわけじゃない!!」

 

 

彼女がポカンと見つめてきた

 

 

「傷つけたくなんて、ないの!!だって、あなただって、私なんだもの!!人形なんかじゃ、ない!!あなただって、“八神希世花”よ!!全てが、私なの!!」

 

 

こちらを見つめてくる彼女に歩み寄る

 

 

そして、抱き締めた

 

 

「一緒に、行こう。前に進もう。きっと、私なら大丈夫。どんなにつらくても、立ち上がれる。もう、諦めない。傷つけたりなんか、しない。だから……」

 

 

そして、笑った

 

 

「今度こそ、一緒に生きていこう」

 

 

そう言うと、呆然としていた彼女の体が震えた

 

 

静かに泣いているのが分かった

 

 

しばらくすると、腕の中の彼女が動いた

 

 

『あっちよ』

 

 

「え?」

 

 

彼女が前方を指差す

 

 

『あっちに、あるわ。あなたの探していたものが。あなたの、最後の一欠片が』

 

 

「……」

 

 

『何してるの、早く行きなさいよ』

 

 

「あなたは……?」

 

 

『私はここから離れない。あなたの心の一部分だから』

 

 

「……」

 

 

『ほら、行きなさい。取り戻したいんでしょう』

 

 

「……ありがとう」

 

 

小さく呟いて、立ち上がる

 

 

そして、彼女が指差した方向へと走り出した

 

 

『ーーーーごめんなさい』

 

 

後ろから彼女の声が聞こえた

 

 

『ごめんなさい。羨ましかっただけなの。何にも縛られず、自分の意思を貫いて、自由に生きることができるあなたが羨ましかった。私も、ーーーー本当は、そうしたかった』

 

 

もう振り返らない

 

 

『一緒に生きていこうって言ってくれて、嬉しかった』

 

 

私はあなた

 

 

あなたは私

 

 

『ーーーーありがとう!』

 

 

こちらこそ、ありがとう

 

 

心の中でそう言いながら、私は走る

 

 

そして、見つけた

 

 

「……あ」

 

 

美しい、光輝く球体

 

 

「……綺麗」

 

 

目が眩むほど、キラキラと輝く

 

 

まるで、太陽みたい

 

 

ゆっくりと近づき、それに触れた

 

 

そうすると、それは一層力強く輝く

 

 

なぜか涙が浮かんで、微笑んだ

 

 

それを包み込むように抱き締める

 

 

日だまりのように温かい

 

 

次の瞬間、目の前が光に包まれた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※“八神 希世花”

雛菊の娘。主人公の、心の化身の一人。お人形のようにおとなしく、従順で、周りに流されるだけのお嬢様。その性格ゆえに表面化することはなかったが、無意識領域にひっそりと存在していた。

心のままに自由に生きている「自分自身」を羨ましく思い、更にかつて“殺された”事を思い出し、怒りが芽生えた。その妬みと恨みから夢の中に現れ、記憶を取り戻す事を妨害、「自分自身」を翻弄する。だけど、本当は何よりも、己の意思の弱さを憎み、嘆いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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“圓城菫”は目を覚ました

 

希世花はそっと目を開いた。

「……あれ?」

紫色の花弁が目の前でふわりと揺れる。

これは、何?

不思議に思いながら、ゆっくりと起き上がった。そして周囲を見渡す。

「ここは……」

美しい場所だった。果てしなく広がる大地には紫色の可愛らしい花が咲いている。スミレの花だ。上を見ると、抜けるような青い空があった。

「………」

愛らしい花が咲き誇る大地をゆっくりと見回す。

 

 

これは、夢だ。夢の中だ。

 

 

なぜかすぐに分かった。透き通ったような美しい風景、静かな空間だった。フワフワとした感覚に包まれる。気持ちいい。まるで別世界に来たみたい。

その時、誰かに呼ばれたような気がして、希世花は後ろを振り向いた。そして、目を見開く。遠く離れた場所に、誰かが立っていた。

「……あれ、は……、」

よく知っている後ろ姿だった。長い黒髪、頭の両サイドに付けられた蝶の髪飾りーーーー、

フラフラしながらもゆっくり立ち上がる。その人のいる方へと向かって、勢いよく地面を蹴り、思いきり走り出した。美しい景色が瞬く間に流れていく。その人に近づき、口を開いた。

 

 

「ーーーー胡蝶、先生」

 

 

声をかけた瞬間、彼女が振り向く。そして、希世花はギョッとして足を止めた。

後ろ姿は胡蝶カナエそっくりだが、その顔は紛れもなく自分自身だった。真っ直ぐな長い黒髪、不思議な黒い服を着て、華やかな羽織を身にまとっている。よく見ると、蝶の髪飾りもカナエの物ではない。鮮やかな黄色の蝶だった。

 

 

一目見て、分かった。

 

 

彼女は、私がずっと探していた最後の一欠片だ。

 

 

希世花と彼女は真正面から向かい合い、しばし見つめ合う。そして、彼女はその瞳から静かに涙を流した。雨のような大粒の涙だ。希世花がその様子に戸惑っていると、彼女は微笑みながら口を開いた。

『……ごきげんよう。あなたに逢うことができて、とても嬉しいわ』

涙を流しながらも、嬉しそうに笑った。

「……どうして、泣いてるの?」

希世花が震える声でそう尋ねると、彼女は涙を拭いながら答えた。

『………ああ、私ったら、また泣いちゃったわ。ダメねぇ……、泣き虫はどうしても治らないみたい……』

彼女が、また涙をこぼす。

『……幸せ、なの』

花が咲いたように笑って、言葉を続けた。

『幸福で満たされているから、泣いているのよ……』

希世花は首をかしげた。

「幸せ?」

『ええ……』

彼女が胸に手を当てて、大きく頷いた。

『とても、幸せよ。……願いが叶ったから』

「願い?」

『ええ。私のたった一つの願い』

「……何を願ったの?」

『あら?あなたは、もう分かってるはずだわ』

彼女が希世花の手を握った。温かい手だった。びっくりして思わず身体が震える。彼女はそれを気にしていないように、言葉を続けた。

『今も、昔も、私の願いはたった一つ。その願いのためならば、私は命さえも惜しくはない……、何度でも立ち上がり、前に進んで、戦えるの……たとえこの身が朽ち果てようとも……』

彼女が、そっと目を閉じて、希世花の額に自分の額をくっつけた。

『私は、私達は、大切な人に再び巡り会うために、長い長い旅をしてきた。走って、走って、走り続けて、たくさん遠回りをしてしまったけど、ようやく、たどり着いたわ』

「……しのぶ」

希世花はそっと、その名前を呟いた。彼女が小さく頷く。

『ええ…。この世で一番大好き。私の、全て』

彼女が、微笑みながら言葉を続ける。

『偽りだらけの人生だった。全てを捨てて、それでも生きてきた。心だけは、捨ててない。この、気持ちだけは絶対に変わらない。しのぶの事が、大好き。ずっと、ずっと、しのぶだけよ……』

その想いを唇にのせて、彼女は囁く。

『その瞳に私が映らなくても、そばにいることが許されなくても、嫌われたとしても、想う気持ちは止められなかった……。今も、そして、これからも……特別で、一番大好きなの……』

目を開いて、フワリと笑う彼女は、その微笑みまでカナエに似ているような気がして、希世花は息を呑んだ。

『しのぶに名前を呼ばれるだけで、私は、幸せだった。私という存在を、肯定してくれたのは彼女だから。名前を呼ばれるとね、……心が溶けてしまいそうなくらい、胸がいっぱいになって、嬉しいの。自分が見ている世界が、輝いて見える……。この気持ちは、私の中で永遠よ。ずっと、ずっと、続いているの……』

「………帰ろう」

希世花は小さな声を出した。

「帰ろう。しのぶが、待ってる」

彼女の手を強く握り、口を開く。

「ずっと、ずっと、あなたを待ってる……!」

彼女が悲しそうに目を伏せて、首を横に振った。

『ダメなの』

希世花は呆然として声を出した。

「どうして……っ!?」

『……』

彼女がそっと手を離した。そして、今度は両手で希世花の顔を包む。

『……私が、帰ったら、あなたが消えてしまう』

「……?」

その言葉に眉をひそめた。

『……私は、あなたの、心の化身……あなたの失った記憶そのもの。あなたはもう“八神希世花”という新しい人間として、生まれ変わった。私が、無理に介入する事で、あなたの意識が、存在が、……消失してしまう。それだけは、ダメよ』

そっと、希世花の頬を撫でた。

『私は、かつて、自分の心を殺してしまった。必死の叫びを無視して、目を背けて、……挙げ句の果てに、その心を……この手で斬ってしまった。自分の人生を、後悔したことはない。……でも、自分自身を殺してしまったことだけは、後悔してるの。あんなことを、するんじゃなかった。決して、殺してはいけなかった……』

雛菊の着物を着た自分自身が脳裏に浮かんだ。

『もう、自分の心を、殺したくないの。あなたは、あなたよ。他の何者でもない。八神希世花という一人の人間なの。だから、私は、一緒には行かない。ここに、残るわ』

その時、遠くから光が見えた。視界が塞がるほどの、美しく輝く光だ。

『さあ、帰り道は、あそこよ。あそこに向かって、まっすぐ進んで』

希世花から手を離した彼女は、光の方を指差し、微笑む。

『あなたの、旅はこれからも続くわ。あなたの人生は、あなたのもの。慌てず、ゆっくり前に進んで……』

希世花の後ろに回った彼女が、そっと背中を押す。

『私の代わりに、しのぶを支えてあげて。あなたなら、大丈夫。今度こそ、手を離しては、ダメよ』

そして、囁くように声を出した。

『しのぶのこと、お願いね』

希世花は光の方へ向かって、足を踏み出す。地面を踏みしめるように、ゆっくりと一歩進んだ。

そしてーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……嘘だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希世花は足を止めて小さく呟いた。

『え?』

彼女がキョトンとした顔で首をかしげる。

「絶対に、ちがう……っ、」

希世花は再び呟いて、拳をギュッと握った。

「………っ、嘘つき。あなたは、嘘つきだ!!」

彼女の方を振り向いて、希世花は叫ぶ。

「全部、全部嘘よ!!何よ、その顔!私はそんな風に笑わない!!それは、胡蝶先生の真似をしてるだけでしょう!!そんなの、ちがう!!それは私じゃない!!」

彼女が唖然として、目を見開いた。

「それに、まだ本当の意味で、あなたの願いは叶ってない!!あなたの願いは、あなたなしでは叶わない!!本当は、分かっているんでしょう!!」

彼女の身体が震え始める。希世花は睨みながら近づいた。

「本当は、逢いたいくせに!!」

一歩、足を踏み出す。

「そばにいたいくせに!!」

彼女に近づく。

「狂おしいほど、しのぶに逢いたいくせに!!そばにいたいくせに!!物わかりのいい顔を装って、嘯くな!!」

彼女は希世花の言葉に絶句した後、今度はまた泣き出しそうな顔をした。

希世花は彼女の手首を強く掴んだ。

「一緒に、行くわよ」

彼女がハッとしてその手を見つめる。

「あなたが、何と言おうとも、一緒に、帰るの。しのぶが、あなたを待ってる」

『で、でも……、そうすると、あなたが……』

「消えない」

希世花はキッパリとそう言い放ち、彼女を正面から見据えた。

「絶対に、消えない。あなたが、そうであるように、私だってしのぶの事が好きなの」

『……』

「自分だけがしのぶのことを、好きだと思ってた?そうだとしたら、大きな勘違いよ!私の、思いはあなたと同じくらい、強いの。決して、消えたりしない。私の存在は、そんな事で消えるほど、弱くはない!!」

希世花は彼女の腕を引っ張り、足を踏み出した。

「……きっと、そんなに、複雑な問題じゃない」

希世花は自分に言い聞かせるように小さな声を出した。

「何も、特別なことなんて、ない。私達の思いは、同じ。私はあなたで、あなたは私。全てが、私自身よ。そして、私達の思いは共通している。ただ、しのぶが好きだって、だけ。そばにいたいだけ。それだけで、いいのよ」

伊之助の言葉を思い出して、思わず笑ってしまった。

「ーーしのぶと一緒に過ごす時間が好きなの」

歩きながら、希世花は言葉を続けた。

「しのぶと見る景色が好き。一緒に食べるご飯が好き。綺麗な声が好き。優しい眼差しが好き。握ってくれる手の温かさが好き」

ゆっくりと、その想いを紡ぐ。

「しっかり者で、強いところが、好き。優しくて、包容力があるところが好き。意地っ張りなところが好き。素直じゃないところが好き。でも、一番、一番、大好きなのはーーーー」

『笑顔よ』

希世花が続けようとしていた言葉を、彼女が囁くように言った。足を進めながら振り向くと、彼女がまた涙をこぼして笑っていた。

『……しのぶの、笑顔が大好きなの。カナエ様と二人で笑っているだけで、私は、……』

それ以上言葉が続かない様子で、彼女は顔をクシャリと歪めた。

『……本当に、大丈夫だと思う?あなたは、消えたり、しない?』

「消えない」

希世花はもう一度、はっきりそう言った。なぜか、その確信があった。

「だって、私の思いは私だけのものだもの。これは永遠で、絶対に誰にも奪えない。たとえ、自分自身にさえも!」

 

ーー待ってるわ

 

どこからか、声が聞こえた気がした。大好きな、声が。

 

ーーあなたを、ずっと、待ってる

 

 

 

うん。待ってて。

 

 

また走って、あなたに逢いに行くから。

 

 

 

 

怖さと期待で胸が苦しい。ああ、でも大丈夫。

私は、もう、一人じゃない。

目が熱い。いつの間にか、希世花も泣いていた。これは、何のための涙だろう。自分で、自分がよく分からない。もう自分の感情が、よく分からない。

その時、後ろの彼女が小さな声を出した。

『……あは、私ったら、馬鹿ね』

「うん?」

希世花は彼女の方へ顔を向ける。彼女は涙を拭いながら、微笑んだ。

『忘れていたわ。やっぱり私はダメな柱ね……』

「何を、忘れてたの?」

彼女は希世花の問いに応えた。

『人の、強い思いと希望は、誰にも奪えないってこと。それは、絶対に消えたりしない、不滅だってこと。師範にもお館様にも言われたのに、私、忘れてたわ……』

「……うん」

『……ありがとう。そして、ごめんなさい。嘘をついて。あなたの言うとおりよ。本当は、私は、本当は、ーーーー』

 

 

『しのぶに、逢いたい!』

 

 

彼女がそう叫ぶように言った瞬間、希世花は駆け出した。彼女の手を引きながら、思い切り足を動かす。強い光がどんどん近づく。彼女もまた、希世花と並んで走っていた。

 

ーー菫

 

声が。

また、大好きな声が聞こえた。その声が、その名前が、耳に届いた瞬間、心が震えた。胸が詰まったように苦しい。しかし、あまりの喜びに涙が流れ続ける。

 

ああ、そうだ。

 

希世花は心の中で呟く。胸が熱くなって、苦しい。感情が、心が、いっぱいになる。

そうだ。そうだった。ずっと、名前を呼ばれたかったの。

あなただけに、呼ばれたかった。

 

 

 

ねえ、しのぶ

 

 

まだ、待っててくれてる?

 

 

全てを忘れた私を、あなたはまだ、待っててくれてる?

 

 

ごめんね。こんなに遅くなって。

 

 

今度こそ絶対に迷わない。あなたのもとへ、もう一度、走っていくから。

 

 

だから、お願い

 

 

しのぶ

 

 

……ああ、ちがう。そうじゃない。

 

 

そうじゃなくて、

 

 

しのぶ、私ね、

 

 

私、本当は、自分の事なんて、どうでもいいの

 

 

私、本当はね

 

 

私の、本当の、願いはーーーー、

 

 

 

 

 

 

希世花は微笑んだ。やがて、涙も止まる。ひたすら足を進めて、ようやく光の近くへとたどり着いた。隣の彼女はまだ泣いていた。一度足を止め、口を開く。

「ーーーー私達の命は、続いていく。絶対に、終わったりしない。消えたりもしない。一緒に前に進もう。夢はもうおしまい。そろそろ起きなくちゃ。私達は生きているのだから」

彼女が静かに頷いた。共にゆっくりと光の方へ一歩踏み出す。

「ねえ」

声をかけると、彼女が視線を向けてきた。希世花は彼女に笑いかける。

「もうすぐ、逢えるね」

そう言うと、彼女もまた微笑んだ。

そして、二人は光の中へと足を進め、やがて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けると、見慣れた天井が見えた。ぼんやりと天井を見つめ、やがてゆっくりと起き上がる。

「………」

大きく一度深呼吸をして、自分の手を見つめた。そして、ゆっくりとベッドから降りようとして、床に足を着け、立ち上がった。

その瞬間、バランスを崩し、倒れこんだ。衝撃に驚き、少し遅れて身体に痛みが走る。

「痛い……」

思わず声を出すと、その声も掠れており、びっくりした。

あまりの倦怠感で身体に力が入らない。頭と、腰を痛みが襲い、クラクラした。

必死に床を這いながら、洗面所にたどり着いた。洗面台に手をかけ、ゆっくりと立ち上がる。身体中の痛みに思わず悲鳴をあげそうになりながら、鏡の中の自分と視線を合わせた。

鏡に自分自身が映る。髪はボサボサでひどい顔色だった。鏡の中の、真っ黒な瞳と目が合った。ゆっくりと口を開く。

「……おかえり、なさい」

自分の、掠れた小さな声が耳に届いた。その姿をじっと見つめ、やがて鏡に向かって手を伸ばす。そっと鏡の中の自分を撫でた。

そして、薄く笑って、再び囁いた。

「…………ただいま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胡蝶しのぶは暗い顔で一人下校していた。スマホを鞄から取り出し、チラリと見る。そして、大きなため息をついた。

テストが終わってから、希世花が学校に来なくなった。教師の元へは、しばらく休むとの連絡があったらしい。しのぶは何度もスマホで電話をしたが、希世花は電話に出ることはなかった。あちらからも全然連絡が来ない。カナエやカナヲも心配していた。

何かあったのかもしれない。また、体調を崩しているのかも。しのぶは不安で押し潰されそうになりながら、希世花のマンションに向かって足を進めた。最後に会った時の、希世花の暗い瞳が脳裏をよぎる。多分自分とは会ってくれないだろうな、と予想していた。でも、ただ無事を確認するだけでいい。とにかくマンションに行かなければーーーー、

「やあ、しのぶちゃん。久しぶり」

その声が耳に届いた瞬間、全身が震えた。勢いよく振り向くと、この世で、最も憎い者がそこに立っていた。

「お前ーーーー!」

「会いたかったよ、しのぶちゃん」

怒りで目の前が真っ赤になる。憤怒と殺気、憎しみで身体が熱い。その微笑みに吐き気を覚え、鋭い目で見返した。

童磨はそんなしのぶの様子をにこやかに見つめながら口を開いた。

「そんなに怖い顔をしないでおくれよ。相変わらずだねぇ」

「なんで、お前がーー!」

「もちろん、人間に生まれ変わったのさ。ずーっと、しのぶちゃんに会いたかったよ」

「……っ」

猛毒を盛られたかのように、心が殺気だつ。ピキピキと血管が浮きだつのを感じた。

殺したい殺したい殺したい。

この男を、今すぐにここでーーー!

しかし、この男を殺したら、殺人犯として捕まるのはしのぶだ。そもそも、今のしのぶは日輪刀どころか、何の武器も持っていない。しのぶは必死に殺気を圧し殺しながら、身体を震わせ、声を出した。

「……っ、私に、関わるな。二度と、私の前に、姿を現さないで!」

「おお、怖い怖い」

楽しそうに扇子を広げてそう言う童磨を、しのぶは無視して、素早くその場から去ろうとした。しかし、

「希世花ちゃんと同じくらい怖い顔をするねぇ……」

童磨の言葉に、足をピタリと止めた。息を呑み、振り返る。

「なんで、……あの子を」

「うーん?」

「お、まえ、あの子に、会ったの……?」

「うん。何度かデートしたよ。まあ、カフェでお茶したくらいだけどね」

その言葉に唖然とした後、再び怒りが激しい波のように心に広がった。

「……何、したの」

「うん?」

「お前、あの子に何をしたの!?」

「何もしてないよ。ただ、仲良く話しただけさ」

曖昧なその言葉に、しのぶは唇を強く噛んで、童磨を睨んだ。その様子に童磨はますます楽しそうに笑いながら口を開く。

「どんな風に仲良くしたか、知りたいかい?」

「……っ」

「じゃあ、俺と食事に行こうぜ。ずっとしのぶちゃんとデートしたかったんだ」

「……なんで、私がお前なんかと……っ」

「希世花ちゃんと俺が、どんな話をしたか、知りたくないのかい?」

その言葉に、しのぶは鋭い瞳で童磨を睨んだ。

「さあ、行こうよ、しのぶちゃん。いいレストランを予約したんだ。きっと気に入るぜ」

ニコニコ笑いながら、童磨はしのぶに向かって、手を伸ばした。その手を避けようとして、しのぶは身を引くが、それに構わず童磨は笑いながらしのぶに近づく。

そして童磨の手がしのぶに触れる直前、誰かが、その手を横から掴んだ。

「……あなたの、デートのお相手は、私よ」

横を向いて、しのぶは目を見開いた。

「八神、さん……」

八神希世花が童磨の手を掴み、そこに立っていた。まるで全力疾走した後のように、激しい息づかいをしており、いつも整っている真っ直ぐな髪も乱れていた。その瞳は童磨をまっすぐに睨んでいる。

「あれ?希世花ちゃん?なんでここにいるんだい?」

童磨が驚いたように口を開いた。

「……童磨、デートを、しましょう。あなたと、お話がしたいの」

童磨の問いに応えず、希世花はそう言う。その言葉にしのぶは唖然として口を開いた。

「なっ……、八神さん!?何を……」

希世花はチラリとしのぶに視線を向けるが、すぐに逸らした。

「……しのぶは、帰って」

「は?なんで……」

「いいから。とにかく、ここにいない方がいい。早く、帰って」

なぜか希世花はしのぶと視線を合わせようとしない。そして、童磨の手を掴むと、無理やり引っ張って去っていった。

「ええー?どうしたんだい、希世花ちゃん。今日はなんだか大胆で強引だねぇ」

童磨のすっとぼけたような声が響いた。しのぶはしばらく呆然としていたが、我に返ると、慌てて二人を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「希世花ちゃん、久しぶりだね。最近見かけなくなったなーと思ってたんだよ。何度か学校の周りを探してみたんだけど、見つからないし。学校に行ってなかったのかい?体調でも悪かった?」

「………」

希世花はベラベラと話し続ける童磨に構わず、無言でその腕を引っ張り歩き続けた。やがて、童磨と何度か訪れたカフェにたどり着く。

「え?希世花ちゃん、ここが気に入ったのかい?もしよければ、俺が予約したレストランに行こうよ。しのぶちゃんも誘ってさあ……」

「うるさい」

ベラベラと喋る童磨に一言だけ言い放ち、カフェへ足を踏み入れた。店内は都合のいいことに、他の客はいなかった。

無表情で童磨と向かい合ってテーブルにつく。注文を済ませると、すぐに二人の前に飲み物が運ばれてきた。童磨はにこやかに笑って口を開いた。

「希世花ちゃん、突然どうしたんだい?まさか、君からデートに誘われるなんて……、驚いたけど、すごく嬉しいよ」

「………」

希世花は何も応えずに、テーブルの上のコーヒーを見つめながら静かに座っていた。喋り続けていた童磨は首をかしげる。

「希世花ちゃん?どうかしたのかい?なんだか、今日はいつもとちがうね。なんだろう……。なんか、前に会った時とは、雰囲気が……」

その言葉を聞いて、希世花はフッと薄く笑った。ゆっくりと目を閉じる。すぐに目を開いて、童磨をまっすぐに見据えた。

「ーーあなた、相変わらずね。せっかく生まれ変わったのに、何も変わっていない。空っぽのまま、のうのうと馬鹿みたいに生きてる……」

それを聞いた童磨が目を見開く。そして、口元を隠すように扇子を開いた。

「ーーーー君、希世花ちゃんじゃあ、ないね?」

目を細めながら言葉を続ける。

「君は、かつて、俺を殺した可愛い女の子だね?」

圓城菫は、何も答えず優雅に微笑んだ。

「なあんだ、結局記憶を取り戻しちゃったのかぁ。あれほど苦しんで、葛藤してたのに。なんだか、呆気なかったねぇ」

「………」

圓城はゆっくりとコーヒーカップを口元へ運ぶ。独特のほろ苦い香りが広がった。

コーヒーでのどを潤すと、目を伏せて口を開いた。

「……さっきの、言葉は訂正しなさい」

「うん?」

圓城の言葉に童磨が不思議そうな顔をした。

「あなたを殺したのは、しのぶの毒よ。私は手助けをしただけ………。あなたは、私ではなく、しのぶに倒されたの」

そう言うと、童磨はますます不思議そうな顔をした。

「うーん。……俺ねぇ、ずっと不思議に思ってるんだ。前世から、ずっと疑問が解けないんだよね。あのさ、なんで君やしのぶちゃんは、あんなにも命懸けで俺を殺そうとしたの?」

「………」

圓城は無言で童磨を見返した。

「しのぶちゃんはお姉さんの仇を取るため。それで、君はしのぶちゃんの仇を取るため、なのかな?よく知らないけど。でもさ、俺が強いから彼女達は負けたんだよ?普通に自然の摂理で、弱肉強食ってだけでしょ?なんであんなに怒ったの?弱い弱い君達が、なんであんなにも必死になって俺を殺したのかなあって、ずっと不思議に思ってるんだ……」

童磨は再び微笑んだ。

「ねえねえ、希世花ちゃん、教えておくれよ。あ、今は希世花ちゃんじゃないんだっけ?」

圓城はまたコーヒーを一口飲み、口を開いた。

「どこまでも馬鹿で愚かな、鬼ね……。可哀想……」

「うん?」

「本当に……心から、気の毒だと、思うわ。結局、何も、分からなかったのね。ううん、何にも持てなかったのね。致命的なまでに、感情が、欠落している……あなたの存在は、どこまでも、不完全で、未熟なんだわ」

「………」

「ここで、私が何を答えても、あなたは、何も理解しないでしょう。何も分からない………永遠に。欠けた感情は、一生、埋まらないのよ……」

「…そういえば、君、俺を殺す時も、そんなこと言ってたね」

童磨が思い出したように言った。

「しのぶちゃんの妹の、……あれ?名前はなんだったかな……まあ、いいや。しのぶちゃんの妹にもそう言われたな。感情が理解できないから、空っぽだって……滑稽で馬鹿みたいだって……」

「あなたは、一生そのままでしょうね。何にも理解できず、誰とも繋がりを持てず、ずっと、ずっとひとりぼっちなのよ」

圓城は哀れみの宿った瞳で童磨を見た。

「可哀想に」

その言葉に童磨が笑い声をあげた。

「あはははは、ちがうよ、希世花ちゃん。俺ね、実は、死んでから一つだけ感情を知ることができたんだ!」

「………」

「それはね、恋だよ!俺は、しのぶちゃんに恋をしたんだ。死んでから初めて知ったよ。恋ってすごいねえ……びっくりしたよ。心臓が脈打って、胸がいっぱいになって……自分の中に、こんな感情が生まれるなんて本当に驚いたんだ」

「………」

「希世花ちゃんも、しのぶちゃんのこと、好きだろう?もちろん、恋愛的な意味で。隠したって無駄だぜ。君を見てたら、すぐに分かったよ。俺達、ライバルだね」

「……気色悪い」

ボソリと呟いた言葉は童磨には聞こえていないようだった。恍惚とした表情で何か語り続けている。

「……ああ、本当に、あなたをこの場で殺したい」

「うん?」

静かに囁くと、童磨は言葉をピタリと止めて首をかしげた。

「何度も何度も殺したい。一度だけなんて不十分よ。この手でまた地獄に送りたい……」

「へえぇ。じゃあ、殺しなよ。俺は構わないぜ」

童磨はニヤリと笑って圓城を見返した。

「……」

「ほら、どうしたんだい?殺れるものなら殺りなよ。今すぐに」

「……殺さない」

圓城の静かな言葉に、童磨はますます楽しそうに笑った。

「やっぱりねぇ。希世花ちゃんは殺らないと思ったよ。君はそんなことをするほど馬鹿じゃないよね」

「……いいえ。私が殺さないのは、あなたを苦しめるため」

「うん?」

圓城はテーブルに身を乗りだし、不思議そうな顔をした童磨の襟元を強く掴んだ。

「あなた、本当は羨ましいんじゃない?……豊かな心や感情が溢れている人間が。本当はずっとずっと焦がれているのよ……ずっと、ずっと、失くした心を、欠けた感情を探し求めてる。あなた自身が、救われたいと、思っている。あなたは私達を弱いと言ったけれど、本当に弱いのは……あなたの心だわ」

「……」

「しのぶへの恋心だってあなたの幻想なんじゃない?恋したふりをして、自分に感情があるって、思い込みたいだけ。……そんなの、ただの悪足掻きよ。本当に、憐れな鬼……いえ、憐れな男ね……お気の毒に……」

「……」

「同情するわ、本当に……。けれど、同じくらい、あなたのことが、憎い。憎くて憎くて、何度殺しても足りないくらい。……この憎悪は、私の中で一生消えないでしょう。だけど、殺さない。……きっと、何にも得られないこの世界は、あなたにとっての、地獄……」

「……」

襟元を掴んだまま、顔を近づけ、その虹色の瞳を見つめながら言い放った。

「そのまま、……何も理解できず、誰とも繋がることなく、ひとりぼっちで、惨めに生きていきなさい。その命の、灯火が消えるその日まで」

「……ああ」

童磨は何かを理解したような顔をした。

「……ああ、そうか。やっと分かったよ。うん、そうか……これかぁ……」

「何が?」

「俺はしのぶちゃんに恋をしてドキドキしたけどね……君を見てると、なんか、なんというか、こう……すごく不快で、ムカムカするんだ……」

 

 

「君のことは、なんか、……嫌い、だなぁ……」

 

 

「……あら、一つは理解できたのね。おめでとう」

圓城は微笑むと襟元から手を離した。

「ーー二度と私の視界に入らないで。もちろんしのぶにも近づかないで」

「ええ?それは約束できないなぁ。俺はしのぶちゃんと仲良くしたいんだ。それにーー」

「あなた、詐欺師なんですってね」

圓城がそう言うと、童磨の言葉が止まった。

「調べたわよ。複数の事件に関与してる疑いがあるけれど、証拠不十分で不起訴ですってね。テレビでも取り上げられて、ずいぶんと有名人らしいじゃない?」

「……それが、どうかしたのかい?」

「今から警察に行きましょうか?ご存知の通り、私、今は未成年で高校生よ。ちなみに家はちょっとした会社を経営してて、親族は社会的地位が高い人達ばかり……警察に、生徒手帳を奪われて無理矢理デートさせられたって訴えましょうか?警察が、胡散臭い詐欺師と、それなりに家柄のいい女子高生のどちらを信用するかは、明白よね。きっと警察は喜んで、被害にあった可哀想な女子高生の話を聞いてくれると思うわ。第二の人生を、ブタ箱で過ごすのもきっと楽しいわよ」

「……あーあ。やっぱり俺、君のことは嫌いだなぁ……」

童磨はため息をついて、ポケットから生徒手帳を取り出した。そのまま放り投げるようにテーブルに置く。

「残念だよ。君とも仲良くしたかったのに」

圓城は素早く生徒手帳を自分のポケットに仕舞い、テーブルにコーヒー代を置くと素早くその場から去っていった。

残された童磨はしばらくの間、じっと何かを考えるような顔でテーブルの上の現金を見つめる。そしてニヤリと笑った。

「馬鹿な希世花ちゃん。俺は諦めるなんて一言も言ってないのに」

そして、椅子から立ち上がると会計を済ませ、カフェの外に出た。のんびりと歩きながらこれからの事を考える。

「どうにかして、希世花ちゃんの隙をついてしのぶちゃんと接触したいなぁ。希世花ちゃんの弱みって何かないかなぁ……」

その時、目の前を綺麗な女性が横切る。その姿が目に留まり、童磨は笑った。そうだ。しのぶちゃんと接触する前に、一仕事するのも悪くない。

そして童磨は、ニコニコと微笑みながら、そのピンクと緑のグラデーションの髪の女性に声をかけるために近づいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

圓城はできるだけ速く走ってカフェから離れる。かなり距離を置き、人通りのない道で立ち止まると、一度後ろを振り向いた。童磨が追いかけてこなかったのを確認し、ホッと息をついてその場にしゃがみこむ。

「……最悪、あいつ……何よ、恋って………」

小さな声で呟いた。

「……やっぱり殺しとけば、よかった……」

そう漏らした時、突然声が聞こえた。

「ーーーー八神さん!!」

その声に顔を上げた瞬間、衝撃が襲う。気がついたら息が止まるほど強く抱き締められていた。見慣れた蝶の髪飾りが目の前に現れて、目を見開く。

「よかった……、無事で……っ」

しのぶが息を切らしながら、安心したようにますます強く抱き締める。圓城がどう反応すればいいか分からず戸惑っているうちに、しのぶは体を離して、今度は肩を強く掴んだ。

「八神さん、大丈夫でしたか!?あいつに何かされましたか!?」

その問いに答えず、圓城はしのぶから視線を外す。

「……帰らなかったのね。帰ってと、言ったじゃない」

「………っ、あなたを置いて帰れるわけないでしょう!あんなやつと、どこに行ってたんです!?追いかけたのに、途中で見失って……、必死で探したんですよ!」

「……ああ、……うん。大丈夫。何にも、なかったから……」

「嘘。何があったんです?答えなさい!!」

「何でもない。……それより、」

圓城はそっと肩からしのぶの手を離した。そして一度だけしのぶの顔を見ると、着ているパーカーのフードを深く被る。

「八神さん!!何でもないわけないでしょう!!あいつと何を……」

「しのぶ。あなたと話がしたい」

しのぶの視線から逃げるように、うつむいて言った。しのぶが戸惑っているのが分かった。

「八神さん?」

「話を、しましょう……しのぶ。大事な、話があるの」

少しの沈黙の後、しのぶが口を開いた。

「……ええ。私も、あなたと、話したいと、思っていました。場所を変えましょうか。どこに行きます?」

しのぶの言葉に、うつむいたまま、微かに微笑んだ。

「どこでも。あなたと二人きりになれるところなら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※“圓城 菫”

主人公の心の化身の一人であり、前世の記憶そのもの。かつて、自分の心の一部を殺してしまった事をずっと後悔していた。

彼女の願いはたった一つ。その願いを叶えるためならば、命さえも惜しくない。全てを捨ててでも、必ず叶えてみせましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





この後、単行本通り、童磨はピンクと緑のグラデーションの髪の女の子に話しかけたあと、行方不明に。一体何があったんですかね?
キメツ学園ルートもそろそろ終わりに近づいています。もしよければ最後までお付き合いください。






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胡蝶しのぶは微笑んだ

 

 

 

とりあえず希世花の自宅であるマンションへ向かうことになり、二人は歩き出す。しのぶは前を歩く希世花をじっと見つめた。久しぶりに会った彼女の様子がなんだかおかしい。しのぶと目を合わせようとしないし、ずっとフードで顔を隠すようにして歩いている。それに、なぜかいつもと雰囲気がちがうような気がしてならない。

「八神さんのお部屋に行くのも久しぶりですね」

しのぶは少し早めに歩き、声をかけながら希世花に並ぶようにそばに寄る。顔を覗き込むと、しのぶの様子に気づいた希世花が、それを防ぐようにますますフードを深く被り、

「…………うん」

と、小さな声で返事をして下を向いた。しのぶが眉をひそめたところで、ちょうどマンションに到着した。

黙ったまま、マンションに足を踏み入れる。二人揃ってエレベーターに乗り、希世花の部屋へと向かった。

希世花が部屋の扉を開き、しのぶは部屋へと入る。

「お邪魔します」

何度か訪れた部屋なので、しのぶはまっすぐにリビングへ向かった。希世花は無言でキッチンへ入ると、お茶を用意した。

「………どうぞ」

「ありがとうございます」

希世花がお茶を差し出し、しのぶもお礼を言いながらそれを手に取る。希世花はしのぶと向かい合うように座った。

「………」

「………」

沈黙が落ちた。希世花はまだフードを被ったまま下を向いている。しのぶはお茶を少しだけ飲むと、口を開いた。

「……八神、さん」

「………」

「……なんで、学校を休んでたんですか?また体調が悪かったんですか?」

「………………寝てた」

「はあ?」

思わぬ返答にしのぶは唖然とした。

「ね、寝てた?」

「………その、……いろいろ、あって、……ずっと、寝てただけ。別に、体調は、……悪くないの」

希世花がソワソワと落ち着かない様子でそう言う。しのぶは首をかしげて、尋ねた。

「何があったんです?」

「………」

「言いたくないですか?」

「………」

「なんで、さっきから、こちらを見ないんですか?」

「………」

しのぶが何を聞いても、希世花は、どう答えればいいのか迷っている様子で、何も答えずにうつむいたままだった。それを見つめながらしのぶは質問を続けた。

「……そんなにも、………顔を見たくないほど、私のことが、嫌いになりましたか?」

「そんなわけないでしょう!」

即座に鋭い返事が返ってきた。希世花が弾かれたようにしのぶの方へ視線を向ける。その真っ直ぐな瞳と、視線が交わった。しのぶはホッと息をつくと、微かに微笑んだ。

「……やっと、こっちを、見てくれましたね」

そう言うと、希世花は気まずそうな顔をして再び視線を逸らそうとする。それを押し止めるように、しのぶは希世花に近づき、その顔を両手で包んだ。

「……八神さん」

「……」

必死に視線から逃げようとする希世花に、しのぶは言葉を続けた。

「………ごめんなさい」

突然のしのぶの謝罪に希世花は目を見開いた。

「…なんで、謝るの?」

「………」

しのぶは少しだけ複雑そうな顔をすると、再び口を開いた。

「……あなたを、傷つけてしまったから」

「……」

希世花は唇を一文字に結び、何も答えない。しのぶはだんだん不安になっていく気持ちを抑えながら言葉を続けた。

「傷つけるつもりは、なかったんです。……本当に。ごめんなさい……あなたの、気持ちを、私は考えていなかった……」

「……」

「あなたは、私の知ってるあなたではなくて、でも、間違いなく、あなたはあなたで、………、私は、ずっと、ずっと、待ってたんです……ただ、もう一度、会いたかった……」

「……」

「許されるなら、……今度は、ちゃんと、あなたと向き合いたい、です……」

小さな声でそう言うしのぶに、希世花はやはり何も答えなかった。ただ、じっと思い詰めた顔をしている。

そんな希世花の顔をじっと見つめながら、しのぶは言葉を続けた。

「……なんで、あの男と会ったんです?」

その問いかけに、希世花の肩がピクリと動いた。

「何度かあの男と会っていたんですね。なんで言ってくれなかったんですか?」

「………」

「一体何があったんです?何か吹き込まれましたか?さっきも、あいつとどこで何をしていたんです?」

その質問に顔をしかめた後、希世花はボソボソと声を出した。

「……何も、なかった」

「嘘ですよね。本当の事を言ってください」

「本当、よ。何もなかったの………」

震える声でそう答え、希世花はそっとしのぶの手に触れて、自分の顔からそれを離した。しのぶは顔を強張らせる。

「八神さん、あの男は―--」

「もう、終わったの」

希世花がそう言うと、しのぶは怪訝そうな表情をした。

「は?」

「大丈夫……あの男は、二度としのぶに近づかせないから。次に、姿を見せたら………今度は、私が全力で止める。どんな手を使ってでも……。だから、大丈夫。終わったのよ。」

「八神さん……?」

「あの男のことを、言わなかったのは……しのぶには関わってほしくなかったから。絶対に、触れさせない。今度こそ、護るから……だから、もう、……あの男のことは、忘れて。ね?」

「……」

希世花の言葉にしのぶが表情が固まった。そして、しのぶが口を開いて何かを言う前に、希世花は言葉を続けた。

「--ごめんなさい」

ゆっくりと頭を下げる。しのぶは驚いて声をかけた。

「なんで、あなたが謝るんです?」

「……勝手に、怒って、いじけて、子どもみたいに、あなたを無視してしまって。本当に、ごめんなさい」

「……」

しのぶは何も答えなかった。その顔を見るのが怖くて、下を向いたまま拳を強く握りしめ、また口を開く。

「……わ、私は、……悔しかったの。羨ましかった。しのぶに、こっちを見てほしかった。しのぶ、お願いだから、私を見て。余所見なんて、しないでよ。あなたが、こっちを見てくれないと、私、痛いの。痛くて痛くて、死んじゃいそうなのよ……」

我慢できずに涙がこぼれる。

「……ご、ごめんね。こんな、こと言って。また、あなたを、困らせて……最悪よね。気持ち悪いでしょう?でも、これは、私の、本当の、気持ち……」

隠さない。隠したくない。

嘘はもう、たくさんだ。

あなたに、二度と、嘘はつきたくない。

素直になろう。きっと、しのぶなら受け止めてくれる。

私が好きになった彼女は、そんな人だから。

「こんな、私のそばに、いつもいてくれて、ありがとう。手を握ってくれて、ありがとう。出会ってくれて、ありがとう……」

顔をあげる。しのぶの顔をまっすぐに、見る。

しのぶは、今は、希世花を見ている。

その瞳が、綺麗だと思った。

「しのぶのことが好きなの。世界で一番。」

震える声でそう言って、また下を向いた。

「ずっと、これからも、そばにいてほしい。私だけを見てほしい。他の人のものに、ならないで。……私の、名前も、呼んでほしいの。それだけで、きっと、私、幸せなの。幸せなのよ……」

「……私は、」

しのぶが小さな声で囁くように口を開き、希世花はそれを遮るように言葉を重ねた。

「……でも、でもね、しのぶ。……私は、こんなにも、……あなたを、困らせるくらい、こんなにも我が儘で、身勝手だけど、………もう一人の私は、ちがうの……」

「……八神さん?」

また、涙がこぼれた。もう止まらない。熱い雫が次々と目から流れ出す。今度は体を二つに折り、両手の中に顔を埋める。そして、泣きながら、ようやく言葉を紡いだ。

「………しのぶ、……しのぶ、しのぶ……し、のぶ」

何度も、その名前を呼ぶ。

「……ごめんね、あなたは、ずっと、待っててくれたのに。でも、でもね、私、本当は……本当はね、……記憶なんて、どうでもいいの。自分のことなんて、どうでもいいのよ……」

自分の感情がぐちゃぐちゃになりそう。

もう何が正しくて、何が間違っているのか分からない。

それでも。

それでも、私の願いは、昔も、今も、たったひとつ。

「……お願いだから、笑って」

何もいらない。他のことはどうでもいい。自分のことさえも、どうでもいい。

この願いのためならば、全てを失っても構わない。

「私のことなんて、気にしないで。ただ、笑っていて。心から、笑ってほしいの。今度こそ、幸せになって。それだけなのよ。……ずっと、ずっと、笑顔で、幸せでいてほしいの。お願いだから……」

我慢できずに嗚咽が漏れた。言葉の代わりにどんどん涙が流れる。止まらない。

「ご、ごめんね、……こんな、こと、言って……でも、もう二度と、誰にも邪魔させないから……だから、……っ」

何を言っているのか分からない。もう思考がぐちゃぐちゃだ。言葉はそれ以上出なかった。顔を伏せて泣きじゃくっていると、ようやくしのぶが口を開いた。

「……バカねぇ。本当に、昔から変わらない。本当に、バカ。この鈍感。」

しのぶがフードを下ろしたのが分かった。それでも顔を上げられず、泣き続ける。

「……あなたが、そばにいてくれないと、私、心から笑えないじゃない」

「………し、のぶ」

やっとのことで声を出したが、言葉は続けられなかった。その時、しのぶが再び口を開く。

 

 

「菫」

 

 

小さな声でそう呼ばれて、圓城菫はゆっくりと、涙で濡れた顔を上げた。正面からまっすぐにしのぶを見つめる。何かを言おうとしたが、でも何も言えず、口を開いたが、すぐに閉じる。

少しの沈黙がその場を支配した。

「菫」

また、しのぶが名前を呼んだ。その声に、思わず微笑む。

ああ、やっぱり、私、あなたに名前を呼ばれるのが好き。

この喜びは、忘れようがない。

何かを言わなければ、と思って口を開く。

でも、何も出てこない。何度も何度も、口を開いては、閉じて。

そして、やっぱり、出てきたのは、名前だけだった。

「しのぶ」

二人で見つめ合う。

先に動いたのはしのぶだった。そっと、圓城の手に触れる。その小さな手を、圓城は強く握った。しのぶが口を開く。

「ねえ」

「……うん」

「抱き締めても、いい?」

「ダメ」

圓城の返答に、しのぶがムッとしたような顔をする。その顔を見て、圓城はまた涙をこぼしながら笑った。

「今度は私が抱き締めるから」

次の瞬間、しのぶは体が引っ張られるのを感じた。気づいたら、圓城に強く抱き寄せられていた。さっきしのぶが抱き締めた時よりも強く、押し潰されそうなほど抱き締められている。

「………っ」

声が出なかった。心臓が激しく動悸している。時間が止まったようだった。隙間なく抱き締められ、腕の中で、涙がこぼれる。

最初に口を開いたのはしのぶだった。

「ーー菫、ーーーー菫」

何度も、名前を呼ぶ。

「………しのぶ」

圓城もそっと名前を呼ぶが、それ以上何も言えなかった。息をするのも苦しい。しのぶが声を絞り出す。

「…………っ、ずっとーー」

しのぶの体は震えていた。

「………ずっと、会いたかった!」

その言葉で、歓喜が、心を満たした。それは涙となり、またこぼれていく。

二人で抱き合いながら、涙を流す。視界がぼやけた。信じられないくらい目が熱い。泣きながらも、思わず笑いたくなった。

あの暗くて、残酷な世界から、何十年も経て、今ようやく心が届いた。

長い時が経った今でも、しのぶへの想いはずっと燃えている。その想いは混沌としていて、愛おしく、熱く、苦しく。

それでも、どこまでも深い幸せに満ちていた。

「………っ」

言葉が出なかった。二人で抱き合って泣き続けた。

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経っただろう。しのぶがゆっくりと体を離す。圓城もしのぶから手を離すと、その手ですぐに顔を覆った。

「……菫、なんで顔を隠すの?」

「ーーごめん、ちょっと、今は見ないで」

またフードをかぶりたかったが、顔から手が離せなかった。

「私、……今、しのぶの顔を、見ると、いろいろ、あふれちゃいそうだから……」

必死に止めようとするのに、瞬きとともに、雫がまたこぼれた。その時、しのぶの声が耳に届いた。

「顔、見せて」

その言葉に体が震えた。

「ほら、手を取って」

しのぶの手が、圓城の手首を掴む。圓城はまるで聞き分けのない子どものように頭をイヤイヤと横に振った。

「……あなたの、涙を拭いたいの」

その言葉に、圓城の体が震えた。しのぶはその耳元に口を近づけて囁く。

「ねえ、涙を拭かせて。……あなたの、顔が見たい」

その声で、圓城は力が抜けた。そして、しのぶによってゆっくりと手首を開かれる。

そこには、昔、何度も見た懐かしい泣き顔があった。

「……ふふっ」

しのぶは思わず声を出して笑った。そっとその頬を撫でて涙を拭う。

「やっぱり、あなたは泣き虫ねぇ……」

「………しのぶ」

「うん」

「あのね、こんなこと、言ったら、また困るかも、しれないけど……」

「なあに?」

「……私は、全部私よ。圓城菫も八神希世花も、全部まとめて私自身なの。過去も現在も未来も、全てが私。私自身も今は少し混乱して、よく分からないけど、……でも、それでもね。この気持ちは共通してる。ずっと、変わらないわ」

そして、再びしのぶの手を取って、強く握る。

「前世とか、記憶とか、関係なしで、……一人の人間として、あなたがこの世で一番好きよ、胡蝶しのぶ」

その言葉にしのぶは何も答えなかった。

ただ、涙を一滴こぼして、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「………いまだに、分からないんだけど」

「うん?」

ようやく涙が止まると、もう夜の遅い時間だった。結局その日しのぶはこのままマンションに泊まることにした。二人でひとつのベッドに入り、横たわる。手をまだお互いに強く握ったままだ。

「どうして、あなただけ、記憶が戻らなかったのかしら?他の人には記憶があったのに……」

「いや、戻ってたわよ」

「え?」

「ほら、一度しのぶのお家でお泊まり会をしたでしょう?あの日に、本当は記憶は戻ってたのよ」

「はあ!?」

しのぶが勢いよく起き上がった。

「どういうこと!?」

「……あの日、昔の夢を見たの。その……あなたが、いなくなった時の、夢……」

「……」

「その後くらいからかな……昔の自分の夢を何度も何度も見るようになって……でも、思い出せなかった。正直、今でも不思議な感覚よ。前世の自分と今の自分が混ざり合って……」

「……どうして」

「私の中の私が、それを拒否していたから」

ふと頭の中に、雛菊の着物を着た自分自身の姿が浮かび小さく笑った。しのぶが眉をひそめる。

「なによ、それ?」

「うーん、説明すると長くなるから……」

適当に誤魔化そうとするが、しのぶはそれを許さなかった。

「菫、説明して。どういう意味?」

「……ほらほら、もう寝ましょう。明日も学校なんだから」

「ちょっと、菫!そもそもね、なんであなただけ名前がちがうのよ!?」

「明日話すわ。それじゃ、おやすみ」

「菫!!」

しのぶが怒鳴るが、構わず目を閉じた。しのぶが何事か言うのを聞きながら、ゆっくりと眠りの世界へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……菫」

誰かに名前を呼ばれたような気がして、ゆっくりと目を開いた。目の前に、しのぶの寝顔があって、一瞬ギョッとするが、すぐに昨日の事を思い出す。

「……菫」

「しのぶ?」

また名前を呼ばれた。しかし、しのぶの瞳は閉じられたままだ。どうやら寝言らしい。

「……どんな夢をみてるのかしら」

微笑みながら、軽くしのぶの頭を撫でた。そのまましばらく寝顔を見つめた後、ゆっくりと起き上がる。そして、しのぶを起こさないように注意しながらそっとベッドから下りた。

時計をチラリと見ると、早朝だった。まだ学校へ行くには十分すぎるほど時間がある。

ゆっくりと台所へ向かい、冷蔵庫を開ける。ペットボトルを取り出し、中の水を飲んだ。

喉の乾きが治まると、すぐに寝室へと戻る。しのぶはまだ眠っていた。

ベッドに座ると、その寝顔をまた見つめて、微笑みながらまた頬を撫でた。

一瞬だけしのぶが眉をひそめたが、そのまま起きることなく眠り続ける。

ふと、ベランダの方に視線を向けた。ベッドから下りて、窓の方へと向かう。鍵を開けて窓を開く。

ベランダに出ると、ぼんやりとその景色を眺めた。

高いビルや家がごちゃごちゃと並んでいる。上を見上げると、そこには青い空ではなく、早朝の銀色のような白く輝く空が広がっていた。

不意に空へ向かって手を伸ばす。まるでその空を掴もうとするように、遠くへ遠くへと手を伸ばした。

綺麗。

とても、綺麗な空。

この世界の空は、なんて美しいんだろう。

いや、ちがう。

空はいつでも美しい。

この空の下で生きられるなんて、幸せ。

ゆっくりとベランダから身を乗り出すように手を伸ばしたその時だった。

 

 

 

「----希世花!!」

 

 

 

突然大きな声で名前を呼ばれた。驚いて振り向こうとした次の瞬間、後ろから抱きつかれる。

「……ダメ、--ダメ!!」

「しのぶ?」

いつの間にか目を覚ましていたらしいしのぶが強く抱き締めてきた。驚いて口を開く。

「しのぶ、どうしたの?」

「行っちゃダメ!!どこにも行かないで!!」

顔は見えないが、また泣いているのが分かった。前を向いて、正面からしのぶを抱き締める。

「……どうしたの?突然」

「……」

「なんだか、しのぶらしくないわ。ほら、泣き止んで」

「……夢を見たの。何度も見た夢。……あなたが、近くにいるのに、……そばに行こうとすると、……すぐに消えてしまうの」

「……」

「目が覚めたら、大丈夫だと思ったのに……ひどいわ。隣にいないなんて」

「……ごめんね」

「どこにも行かないで。そばにいて」

「うん」

「置いていかないで。私のことが好きなんでしょう」

「うん」

「だったら、もう、……二度と、私を忘れないで」

「うん。忘れない」

汚れるのも構わず、しのぶを包み込むように抱き締めたままゆっくりとその場に座り込む。ベランダの壁に背中を預けながら、しのぶを安心させるように抱き締める腕に力を込めた。

こんなにも不安にさせてしまった。きっと、今まで、知らないところで、何度も悲しませたのだろう。自分の責任だ。

「大丈夫。大丈夫よ、しのぶ」

「……」

「ごめんね。どこにも行かないわ」

「……」

「あなたは私の全てよ。昔も今も、……私の光なの」

しのぶの頭を優しく撫でながら、思わずクスクスと笑った。しのぶが胸の中で声を出す。

「……なんで、笑ってるのよ」

「いつも、私が泣いて、あなたの方が慰める側だったのに。今は反対ね」

「……誰のせいだと」

「うん。ごめんね。今度は、私が支えるから」

抱き締めながら、しのぶの耳に唇を寄せて、囁くように言葉を続けた

「私も、昔はそう思ってたな。しのぶはいつも、遠くにいて、……絶対に手の届かないところにいて、ずっと、それが悲しかった……」

「……」

どんなに嫌われても、否定されても、あなたの瞳に私が映らなくても。

この気持ちは、捨てられず、諦められなかった。

全てを捨てても、この心だけは、捨てられなかったの。

「……もう、離ればなれはおしまい。ずっと戦わせて、ごめんね。待っててくれて、ありがとう」

「……」

追いかけて、追いかけて。

今、ようやく、たどり着いた。

「もう、大丈夫よ。私ね、強くなったわ。今なら、あなたのそばで、あなたを護れる」

「……」

しのぶは返事をする代わりに、ぎゅっと抱き締めてきた。

その温もりを感じながら、また笑う。

「あーあ。私、生まれてくるところ、間違ったなぁ」

「…なにそれ」

「時々、思うの。私ね、どうせ生まれ変わるなら、しのぶと姉妹で生まれたかったな。カナエ様や、カナヲみたいに」

「……」

「そしたら、ずっと、ずっと、そばにいることができたのに、ね……私がいない間の、しのぶの時間、全部、知りたい」

「……私も、知りたい」

「うん?」

「あなたのこと、もっと、知りたい。前は、何も教えてくれなかったもの」

「……そうだったわね」

「教えて、あなたのこと」

「うん」

しのぶの体から手を離す。その顔を両手で包み、まっすぐに瞳を見つめた。

微笑みながら、自分の額をしのぶの額にくっつける。

「私の名前は八神希世花。そして、圓城菫。私達に共通しているのは、たったひとつ。胡蝶しのぶのことが大好きだってこと。」

「……」

「だけど、私が何であろうと、否定されようとも、蔑まれても、あなたが幸せで、笑顔でいてくれれば、それでいいの」

「……それは、もう知ってる」

「あは。そっか」

「もっと、知りたい。今日はもう学校休む」

「ええ?胡蝶先生に叱られるよ……」

「いい。今日はずっと、あなたと一緒にいる」

しのぶの拗ねたような声にそっと微笑んだ。

「そうだね。ずっと、一緒にいよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




もう少し続きます。


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終章

 

 

「……起きて、起きて、しのぶ」

「……うぅん、姉さん、……もう少し」

「胡蝶先生じゃないわよ。しのぶ、起きてったら。今日こそは学校に行かないと……」

胡蝶しのぶはその言葉にようやくしっかりと覚醒した。ゆっくりと目を開けると、すぐそばに希世花の姿があった。ぼんやりと見つめてくるしのぶに、希世花は微笑みながら口を開いた。

「おはよう、しのぶ」

「……おはよう、ございます」

「今日はちゃんと隣にいたわよ」

悪戯っぽく笑う希世花になぜかほんの少し腹が立って、手を伸ばして鼻を軽くつまむ。

「う?何よ、しのぶ」

「なんかムカついて……」

「えー?」

首をかしげる希世花の鼻から手を離すと、しのぶは体を起こし、時計へ視線を向けた。

「……まだ、早いじゃない」

「今日は少し早めに学校に行きたいって、昨日話したでしょ。ほら、例の……」

「ああ…」

しのぶは不満そうに唇を尖らせた。

「……もうちょっと、寝たい」

「ダメ。遅刻するわよ。ほら、早く着替えて。朝ごはんの用意もしなきゃ」

「……」

しのぶは不満そうな顔をしたまま、希世花の腕を掴んだ。そのまま押し倒す。

「わっ、しのぶ?」

「……」

希世花は戸惑って声を出す。それに構わず、しのぶは希世花の胸に顔を埋めるように抱きついてきた。

「えー……、そんな可愛いことされると、いろいろまずいんだけど……」

「もう、今日も学校休みましょう」

「……魅力的な誘いだなぁ」

希世花は笑いながらしのぶを抱き締める。

「でもダメ。あなたはともかく、私はちょっと休みすぎたし。今日こそは本当に学校に行かなきゃ」

「……」

不満を表すようにしのぶが抱き締める腕に力を込める。それにクスクス笑いながら希世花は言葉を続けた。

「ね、決めたわよ」

「……何が?」

「ほら、テストが終わったら二人でどこかに出かけようって約束してたじゃない。私が行きたいところなら、どこでもいいって」

「……どこに、行きたいの?」

「本当のところ、しのぶと一緒だったらどこでもいいんだけどね。……あのね、私、また、しのぶのおうちでお泊まりしたい」

「……」

「前に泊まったときは緊張して楽しむどころじゃなかったから。またしのぶと、それからカナエ様やカナヲと遊びたいなぁ……」

「私は二人だけがいい」

「うーん?そっかぁ。じゃあ、お泊まりはやめて、どこかに……」

「いえ」

しのぶは希世花から離れると、苦笑した。

「あなたの行きたいところなら、どこでも、と言ったのは私だし……。またお泊まり会をしましょう」

「いいの?」

「ええ。二人で出かける機会なら、今後いくらでもあるし」

その言葉に希世花は顔を輝かせて微笑んだ。

「うん!二人で、いろんな所に行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不死川先生、おはようございます。」

朝早く登校した希世花がまず足を踏み入れたのは自分のクラスではなく、職員室だった。まっすぐに不死川の元へ向かい、挨拶をする。不死川の方は、ここ数日休んでいた希世花が突然現れたことで戸惑ったような顔をしていた。

「よう、八神。久しぶりだなァ。休んでいたようだが、大丈夫か?」

「ええ。少し事情があって、休みを頂いておりました」

「そうか。……それで、お前は……」

何かを言おうとした不死川を遮るように、希世花は手に持っていた包みを不死川に差し出した。

「どうぞ」

「あ?何だァ、これ?」

「不死川先生には大変お世話になったので、お礼です」

「あァ?礼だァ?」

「最初はおはぎにしようかと思ったんですが、先生の好みが分からなかったので……、おはぎに合いそうな茶葉を持ってきました。とても美味しいと評判のお茶なので、是非おはぎと一緒にどうぞ」

不死川は眉をひそめつつ、その包みを受け取った。

「なんで礼なんだ?」

「……えーと、テストの後、いろいろお世話になったので……」

数学準備室での事を濁すように言うと、不死川はますます戸惑ったような顔をした。

「別に俺は何もしてねェだろうが」

「いえ、とても、本当にとても助かりました。ありがとうございました」

希世花はそう言って頭を下げた。そんな希世花を見つめながら不死川は顔をポリポリと軽く掻き、口を開く。

「ところでよォ、八神……」

「はい?」

「さっきからこっちを親の仇のように睨み付けているそこの背後霊は何だァ?」

「背後霊とは何ですか!?」

希世花の後ろで、無言で不死川を睨んでいたしのぶが大きな声でそう言って、希世花は苦笑した。

朝早くに学校に登校したのは、不死川にお礼を言うためだった。結果的に不死川のお陰で記憶を取り戻せたため、きちんとお礼をするべきだと思ったのだ。しかし、職員室に一緒についてきたしのぶは、希世花が不死川にお礼の品を渡すのを何故か不満そうに見ていた。

「不死川先生がいらないなら、それは私がもらいます。こっちに渡してください。さあ、早く」

「いらねェとは言ってねェだろうが。なんでそんなに怒ってんだ?」

「怒っていません。ちょっと気に入らないだけです!!」

「なんだァ、それ?」

不死川がまた首をかしげたところで、胡蝶カナエが出勤してきた。希世花としのぶの姿を見るなり声をあげる。

「あっ、しのぶ、八神さん!!」

「姉さん、おはよう」

「おはよう、じゃないわ、しのぶ!2日も帰ってこないし、学校は休むし!一体何をしていたの!?」

「うっ、えーと、いろいろ……」

「八神さんもよ!最近ずっと休んで、連絡しても何にも返事してくれないし、……本当に心配したのよ!」

「すみませんでした、先生」

カナエの言葉に素直に頭を下げた。そのまま大人しくしのぶとともにお説教を受ける。説教をされている間、次々と出勤してきた他の教師達が不思議そうにこちらを見てくるのを感じた。やがてカナエがため息をつきながら頬に手を当てた。

「はあ……、もう、本当に心配したんだから。とにかく、もう授業が始まっちゃうし、……何があったのか、放課後にちゃんと話を聞かせてもらいますからね」

「はーい」

しのぶが短く返事をして、希世花も口を開く。

「あの、先生……」

「うん?」

声をかけられたカナエが希世花の方を見て、軽く首をかしげる。希世花が迷ったようにしながら口を開こうとしたその時だった。

「今日こそは、そのピアス、外してもらうぞ」

「何度も言いますがそれは無理です、冨岡先生!」

体育教師の冨岡が炭治郎を引き連れて職員室に入ってきた。炭治郎は職員室にいる希世花としのぶの姿を見て、不思議そうな顔をする。そしてそのまま軽く頭を下げて、その場を通りすぎようとしたその瞬間だった。炭治郎の鼻がピクリと動き、ギョッとした顔で立ち止まった。勢いよく後ろを振り返り希世花に向かって大きく声で呼び掛けた。

「―――――圓城さん!?」

炭治郎の声が職員室に大きく響き渡り、前世の関係者達が一斉に希世花の方を見た。近くにいたカナエと不死川も面食らったように炭治郎を見る。そして、希世花も炭治郎の方へ顔を向けた。

「………」

少しの沈黙の後、希世花は微笑んだ。次の瞬間、いつもの穏やかな雰囲気が一瞬でガラリと変わった。その微笑みは、かつての優美で、凛としていて、勇ましい、そして懐かしい微笑みで、前世の関係者達は息を呑む。

圓城菫は優雅にお辞儀をして口を開いた。

 

 

「ごきげんよう。再びお逢いできたこと、大変嬉しく存じます」

 

 

顔を上げると、周囲の人々がポカンとこちらを見つめていた。その光景に思わず希世花は声を出して笑った。

「あはははは、それじゃ、授業が始まるので失礼しまーす。しのぶ、行こ!」

「え、えーと、じゃあね、姉さん」

希世花はしのぶと手を繋ぎ、笑いながら職員室から廊下へ飛び出す。

「え、あっ、ちょ、ちょっと、待って、待ちなさい!!」

カナエが慌ててその後を追った。

職員室では教師達がまだ呆然としている。それに構わず、炭治郎は希世花としのぶ、そしてそれを追いかけるカナエの後ろ姿を見つめた。

「不思議だなぁ……」

今の彼女の匂い。八神希世花と圓城菫が混じり合い、不思議な匂いとなっていた。今までの彼女の匂いと全然違い、驚いて声をかけたのだ。しかし――――、

「幸せそうだなぁ……」

希世花としのぶ、二人が手を繋いだ瞬間、今まで嗅いだことのないくらい幸せの匂いを感じた。

炭治郎は微笑みながらその後ろ姿を見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、しのぶ」

「なあに?希世花」

呼ばれた名前に笑みがこぼれる。

嬉しい。幸せで、涙が出てきそう。

「ありがとう。名前を呼んでくれて」

「うん?」

「私、大好きなの。あなたに名前を呼ばれることが」

そう言うと、しのぶは少しだけ驚いた表情をして、そして微笑んだ。

その笑顔を見て、胸の奥からたまらなく愛おしい気持ちがあふれてくる。

 

きっと、永遠だ。

どれほどの時間が経っても、世界が変わったとしても、この気持ちは、永遠に色褪せないだろう。

彼女の笑顔が好きだということ。

名前を呼ばれるだけで幸せを感じたこと。

全てが、永遠だ。

 

 

「しのぶ、私と出逢ってくれて、ありがとう!」

そうだ。今日は早く寝よう。きっと、昔の夢を見るはずだ。根拠はないけど、そんな予感がした。

昔の、蝶屋敷で過ごした日々。温かくて優しい、幸せな夢を見たい。

そして目が覚めたら、学校に行って、しのぶにこんなこともあったねって、たくさん話をしよう。

「希世花」

「ん?」

しのぶが声をかけてきて、視線を向ける。

「ありがとう。諦めないでくれて。思いを繋いでくれて、ありがとう。あとね、言い忘れてたけど……」

しのぶは希世花の耳元で小さく囁いた。

 

 

「圓城菫としても八神希世花としても、―――あなたのことが大好きよ」

 

 

その言葉に、耐えきれなくて涙がこぼれる。それでも、夢のような幸福感に胸がいっぱいになった。

そんな様子を見て、しのぶがまた笑う。希世花も涙をこぼしながら微笑んだ。二人はお互いに強く手を握りしめながら教室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







キメツ学園編はこれでおしまいです。ifストーリーのつもりですが、実質的な続編のようになってしまいましたね…。本編でギスギスしていた主人公としのぶさんを、ホワホワさせたくて書きました。書き始めた当初は、もっとコミカルな感じで進めたかったのですが、私が書くと、どうしても暗くてシリアスになってしまいます。不快にさせた方がいたら申し訳ありませんでした。
一応キメツ学園編の後日談を書きたいと思っています。更新は遅くなりそうですがよろしくお願いいたします。






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キメツ学園編・後日談
あなたに出逢えてよかった



カナエ先生のお説教タイム










 

 

八神希世花は必死の形相で廊下を走っていた。周囲の生徒達が不思議そうな表情でその姿に視線を向ける。そんな視線を気にせずに、希世花は驚くべき速さで一目散に走る。

「おい!廊下を走るな!!」

「すみません、冨岡先生!見逃してください!!」

途中ですれ違った冨岡に叱責されるが、立ち止まらずに走り続けた。

 

なんでこんなことに―――、

 

希世花は走りながら数分前の出来事を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「八神さん。私はね、とても、とっても、とーっっっっても、怒っています」

「はあ………」

記憶を取り戻してから初めて学校へ登校したその日の放課後、華道部の部室にて、希世花は正座して顔を青くしていた。正面には胡蝶カナエが笑顔で立っており、その後ろではしのぶとカナヲが心配そうな顔でソワソワしていた。目の前のカナエの顔は笑っているが、後ろには般若が見える。

怖い。希世花は小さく息を呑む。冷や汗が流れるのを感じた。間違いなく今まで見たことがないくらい、カナエは怒っている。胡蝶先生は怒り顔まで美しいんだなぁ、きっと明日も美しいぞ、と希世花は恐怖のあまり現実逃避をしていた。

そんな希世花を見つめながらカナエが口を開く。

「なぜ怒っているか、分かるかしら?」

「……え、えーと」

まずい。心当たりが多すぎる。

「授業中、いつも居眠りしてすみません……」

「それは今に始まった事じゃないでしょ」

「学校サボって、すみません」

「それもあるけど、そうじゃないわ」

「……き、記憶が戻ったこと、すぐに報告しなかったから……?」

「そうね。とっても悲しかったわ。でも、それだけじゃないの」

「……?」

希世花がキョトンとした顔で首をかしげると、カナエが希世花の顔へ手を伸ばし、両手で顔を挟んだ。

「う?」

奇妙な声をあげる希世花に、カナエは恐ろしい微笑みで口を開いた。

「ーーーー菫、しのぶから聞いたわよ。あなた、前世では年齢詐称していたんですってね。本当は、しのぶと同じ歳だったのよね?」

「………あっ」

「しかも、名前まで偽名だったそうじゃない?他人の戸籍を買ったんですって?」

希世花は顔を強張らせ、しのぶの方に視線を向けた。しのぶはサッと顔を逸らした。

「………」

「それを聞いた時、私がどんなにショックだったか、分かる?可愛がっていた弟子が、まさか年齢を誤魔化していて、しかも本名ですらなかったなんて……」

「……」

「戸籍を買ったなんて、意味が分からないわ」

カナエが希世花の顔から手を離して、その手を腰に当てる。その恐ろしい威圧感に戦きながら、希世花は口を開いた。

「も、申し訳ありませんでした……」

「……」

カナエは無言で笑っている。その恐ろしさに希世花は震えながら言葉を続けた。

「いや、あのー、えっと、……なんと言いますか、……あの頃は、家出して鬼殺隊に入ったので、……とにかく逃げるのに必死だったんです……。そのー、本名では、家族にすぐ見つかってしまう恐れがあったので……、お金の力で名前を変えて……、結構、その、誤魔化しが、効いたのでーー」

カナエの視線の圧力に、うつむいてしまい言葉が尻すぼみになっていく。何か言えば言うほど、言い訳のようになっていくのを感じていた。

チラリと上を見上げると、カナエはやはり無言で上品な微笑みを浮かべており、希世花は思わず

「ひっ……」

と小さな悲鳴を上げた。

怖い怖い怖い!!!

あれ?もしや、今日は私の命日?

ガタガタ震えながら希世花はそう思った。それを見ていたしのぶがカナエに向かって口を開いた。

「ね、姉さん……もう、そのくらいにして……」

「しのぶは黙っててちょうだい」

カナエが後ろを振り向いて、今度はしのぶに向き合う。

「あの、でも、……菫も十分反省してるし……」

「これは私と菫との問題なのよ。しのぶは口出ししないで」

「私からもこの子に言い聞かせるから……」

「ダメよ。しのぶはなんだかんだで結局菫に甘いんだから」

「うっ……。とにかく、ちょっと落ち着いて……」

「私はね、しのぶにも怒ってるのよ。ずっとずっと隠していたなんて――」

カナエとしのぶが言い合っていると、今度はカナヲがおずおずと口を開いた。

「あ、あのー、カナエ姉さん……」

「もう、カナヲ、あなたもちょっと黙ってて」

「いえ、だけど……」

「菫にはきちんと話をしないといけないの」

「あの、ですから、菫様が、に、逃げました」

「え?」

しのぶの方を向いていたカナエが後ろを向く。そこに正座していたはずの希世花の姿が忽然と消えていた。

「………逃げた?」

「は、はい。菫様、すごい速さで窓から飛び出していきました……」

「………」

カナエが無言になる。華道部を沈黙が支配し、しのぶとカナヲがハラハラしていると、カナエはようやく口を開いた。

「……カナヲ」

「は、はい」

「あなたは廊下を出て右へ。私は、左から追い詰めるわ。必ず捕まえるわよ」

「は、はい!!」

カナヲが元気な返事をしてすぐさま部室から飛び出す。カナエもそれに続いた。

残されたしのぶは頭を抱えて大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「怖い怖い怖い怖い……」

無意識に呟きながら必死に走る。とにかく、早く逃げないと―――!

「アレ?八神先輩、何やってるんだ?すごい恐怖の音がする……」

「どうせまたしのぶから逃げてんじゃね?」

「なんか懐かしい光景だな。先輩が転校してきたばかりの時は、ああやって、よくしのぶ先輩から必死に逃げていたなぁ……」

途中ですれ違った善逸と伊之助と炭治郎が和やかにそう会話しているのが聞こえたが、構ってられない。

「どこか隠れるところは――、」

一度立ち止まり、そう呟いて辺りを見回した時、後ろから声をかけられた。

「八神?何やってんだァ?」

「よもやよもや!すごい顔をしているな!!」

「おっ、八神、お前、記憶を取り戻したって……」

振り返ると不死川と煉獄と宇髄が廊下に立っており、希世花は思わず三人にすがりついた。

「た、助けてください!!追われてるんです!!」

「なんだ、八神!!また胡蝶か!!」

「お前、今度は何をしたァ?」

「そ、それは後で説明しますから!!何も聞かずに匿ってください!!本当に怖くて―――、」

その時、後ろから誰かが走ってくるような足音が聞こえた。希世花はビクリとして素早く振り向く。つられて不死川と煉獄と宇髄もそちらを見る。

廊下の向こうから、栗花落カナヲがこちらへまっすぐ走ってくるのが見えた。

「ひいぃっ!!来たぁっ!!」

「ん?胡蝶じゃなくて栗花落?お前本当に何を……」

宇髄が何かを尋ねてきたが、それに答える余裕はなかった。

考える前に廊下の窓を開け、思い切り身を乗り出す。

「おい、ここ三階―――!」

不死川の声が聞こえたが、それに構わず窓から飛び降りた。見事な動きで外にあった木に乗り移る。そして俊敏に枝を使いながらスルスルと降りていった。

廊下でたまたまその光景を見ていた生徒達は「オ~!」と歓声をあげた。

「素晴らしい運動神経だな!!」

「おーおー、よく分からんがド派手だな!」

「あいつは猿か……?」

楽しそうな煉獄と宇髄、そして呆れたような不死川の声が聞こえた。

木から降りると、逃げるべく足を踏み出して―――、

「はーい、捕まえた!」

後ろから首を羽交い締めされた。顔が大きくひきつる。胡蝶カナエが笑顔でそこにいた。

「もーう、ダメじゃない、菫。お話は途中だったでしょ?」

「せ、先生……」

「さ、部室に戻りましょ」

そのままズルズルと引きずられる。

「カナヲ~、ありがとうね~」

カナエがそう叫び、希世花は上を見上げた。三階の窓から、カナヲがカナエに向かって親指を立てる姿が見えて、希世花はまた泣きそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの~、もう逃げませんから、これ外してください……」

「あら、ダメよ。絶対に逃げるもの」

「いや、本当に逃げませんから……」

再び華道部の部室にて、希世花は身体をロープでグルグル巻きにされて転がされた。

なんでこんなロープが華道部の部室にあるんだろ?と考えながら、目の前に正座するカナエを見つめる。横からしのぶが恐る恐る口を開いた。

「姉さん、……あの、……本当にあんまり怒らないで……」

「大丈夫よ~。私はね、ちょ~っとだけ、菫とお話がしたいの」

カナエが再び恐ろしい微笑みを浮かべる。希世花は生唾を飲み込んだ。

思えば、カナエからこんなにも怒られるのは初めてのことだった。先ほどカナエは、しのぶが希世花に甘いと言ったが、基本的に前世からカナエも圓城に非常に甘い。鍛練の時に厳しい事を言われることはあっても、怒られることはほとんどなかったのだ。

それ故に、今の状況が怖くて怖くて仕方ない。

割とガチめに命の危険を感じた希世花は震えながら口を開いた。

「し、師範!申し訳ありませんでした!!」

「あら?何が?」

「な、名前や年齢を偽ったこと、ふ、深く深くお詫び申し上げます!!あの時は仕方ないと思っていましたが、師範にはきちんと話すべきでした!!本当に、本当に申し訳ありませんでした!」

「……」

「そ、それから、逃げてしまって申し訳ありませんでした!もう二度とバカな真似はいたしません!!」

転がされた体勢で必死にペコペコと頭を下げる。縛られてなかったらその場に土下座していただろう。

「………」

「ね、姉さん?」

長い沈黙が落ちて、それに耐えきれなかったのか、しのぶがカナエに声をかけた。カナエは大きなため息をついて、ようやく口を開いた。

「……そうね、私もちょっと怒りすぎたわね……」

「し、師範……」

「カナヲ、ロープを解いてあげて」

そばで見守るように立っていたカナヲが頷いて、希世花の体からロープを解いてくれた。ロープが体から離れるとすぐさま体を起こし、その場で正座をする。そして震えながら口を開いた。

「ゆ、許していただけますか……?」

「そうねぇ……」

恐る恐るカナエに問いかけると、カナエは何やら考えるような表情をした後、ニッコリ笑った。

「それじゃあ、こうしましょ!一緒にお出掛けしてくれたら許してあげる!」

「お、お出掛け?」

「ええ。1日、一緒に過ごすの!そしたら許してあげる!」

「ほ、本当ですかぁ?」

「ええ!」

「い、致します!私でよければ、いくらでもお供致します!!」

希世花はホッとしながら答えた。よかった。それで怒りが収まるなら万々歳だ。

希世花と共にホッとしたらしいしのぶが声をかけてきた。

「よかったわ。お出掛け、楽しみね。どこに行こうかしら?」

「あら、何言ってるの、しのぶ?」

「え?」

「お出掛けは私と菫の二人だけよ」

カナエが楽しそうにそう言って、みんなで出掛けるのだろうと思っていた希世花としのぶは、

「へ?」

「えっ!?」

と揃って大きな声をあげた。

「ふ、二人だけ……?」

「そう。しのぶはお留守番ね」

呆然としているしのぶにカナエはそう言い放ち、希世花に向かってニッコリ微笑んだ。

「楽しみね~。初デート」

「デッ……!?」

しのぶは顔を真っ青にして、大声をあげた。

「ダ、ダメ!!デートなんて、絶対ダメ!!」

「なんでしのぶが反対するのよ。関係ないじゃない」

「うっ……、と、とにかく、ダメよ!!二人だけなんて!!」

「ダメじゃないわ!だいたい、前から思ってたんだけど、しのぶはズルいわ!一人だけ菫と遊んだり、おうちに泊まったり!!私だって遊びたいのに!!」

「姉さんは教師でしょう!!」

目の前で繰り広げられる姉妹喧嘩に希世花はまだポカンとしていた。カナヲがそんな希世花に、湯呑みに入れてくれたお茶を差し出す。

「先輩、お疲れですよね。お茶、どうぞ」

「あ、ありがと……」

無意識にそれを受け取って、湯呑みに口をつけ、喉を潤す。

その時、カナエが、

「そもそもね、菫が初めに好きだったのは、私だったはずよ!!」

と、大声でとんでもないことを言った。

「グッ、ゴボッ――!」

希世花は思わずお茶を吹き出しそうになり、むせ込む。何度も咳き込む希世花の背中をカナヲが優しく擦ってくれた。

やはりバレていたのか、と希世花は口元を抑えながらカナエに視線を向けた。一方、しのぶは悔しそうにカナエに反論をしている。

「そ、それは、そうかもしれないけど……」

「とっても可愛い事を言ってくれたもの!私の事を思うだけで、心が温かくなって、胸が詰まって、でもそれが心地いいんだって……」

「ちょっ、なっ……し、師範!!」

なぜか自慢気にそう語るカナエに、希世花はあまりの羞恥に顔を真っ赤にした。

しかし、今度はしのぶが、

「わ、私にだって――――、言ってくれたもの!!前世でも今世でも、私の事が、この世で一番好きだって……」

などと言い出したため、

「ア゛―――――っ!!やめて、しのぶ!!」

恥ずかしさに耐えきれず悲鳴をあげるが、姉妹喧嘩は終わらなかった。

その喧嘩をどう止めればいいのか分からずオロオロしていると、今度はカナヲに声をかけられた。

「あ、あの、先輩……」

「ん?」

声をかけられて視線を向けると、カナヲが下を向いてモジモジしていた。そして、意を決したように小さな声を出す。

「わ、私も先輩と、……い、一緒に、遊びたい、です」

「………」

「ア、アオイとも、よく話してて、……先輩と、遊びに行きたいねって、……」

「………」

「ダ、ダメですか?」

黙ったまま見つめてくる希世花に不安を感じたのか、カナヲがようやく顔を上げた。

そんなカナヲに希世花は静かに切り出した。

「――――どうして?」

「……えっ、」

「カナヲ、……私のこと、恨んでるでしょう?」

「………っ」

「言ったじゃない。私のこと、許さないでねって、……一生恨みなさいって……」

それは、覚悟をしていたことだった。

しのぶに託されたものを繋ぐと決めた時に、覚悟をしていた。

カナヲやアオイ、蝶屋敷の少女達に一生憎まれ、恨まれることを。

『なぜ知ってたら止めなかったの?』

『なぜ、受け入れたの?』

『なぜ、護れなかったの?』

そう責められて、憎悪されることを、覚悟していた。

だから、記憶を取り戻した今となっては、カナヲやアオイが仲良くしてくれる現状が正直信じられない事だ。

「カナヲ、私は……」

「わ、私!……っ」

カナヲが突然大声を出したため、希世花は驚いた。

「わ、私、恨んでなんか、いません……私は、……後悔してるんです」

「……うん?」

「わ、私がもっと、強かったら、お二人を護れたのにって、思って……絶対に、死なせなかったのにっ、て……」

「カナヲ……」

「か、覚悟をされていたんですよね……。師範と同じくらい、大きな、覚悟を……、命を懸けて、倒すことを、き、決めていらっしゃったんですよね……」

「……うん」

「……三人で、帰りたかった、です。師範と菫様が、二人で手を繋いで、笑っている姿をもう一度、見たかった……」

希世花はカナヲの言葉に目を見開き、すぐにそっと微笑んだ。ゆっくりとその手を握る。

「……思い出したわ。カナヲ、私ね、ずっと、あなたにお礼を言いたかったの」

「……お礼?」

「最期のあの時、私の手を握ってくれて、ありがとう」

「……っ」

「カナヲが、手を握ってくれたから、私、全然怖くなかったのよ。あんなに幸せな最期になるなんて、……思いもしなかった」

希世花はそのままカナヲをギュッと抱きしめた。カナヲの身体が硬直するのが分かったが、構わずに口を開く。

「ありがとう、カナヲ!私の思いを繋げてくれて」

硬くなっていたカナヲの身体から力が抜ける。そのまま希世花の身体にそっと腕を回した。

「あーっ!ちょっと!!どさくさに紛れて、なんでカナヲと抱き合ってるのよ!!」

しのぶの悲鳴が響き渡る。苦笑しながら希世花はカナヲから手を離したが、なぜかカナヲの方はますます力を込めて希世花に抱きついてきた。

「カナヲ!何やってるの!離しなさい!!」

「……私も、しのぶ姉さんはずるいと思ってました」

「は……?」

「私だって先輩と遊びたいです。先輩、今度アオイと三人で遊びに行きましょう」

「あらあら、カナヲ。言っておくけど、私の約束が先よ」

「ちょっ……、なんでそうなるのよ!」

しのぶが怒り、希世花は耐えきれずに声を出して笑った。

 

 

 

 

 

「やきもち焼きね」

「え?」

騒ぎが一段落し、しのぶは自分の荷物を取りに行くために一旦華道部の部室から出ていった。カナヲもアオイと何か約束があるようで先に帰ってしまった。カナエと二人きりになった部室で、帰るために荷物をまとめていると、カナエがポツリと呟き、希世花は首をかしげる。

「やきもち……?私、ですか?」

「そんなわけないでしょう?しのぶのこと」

「……」

「私があなたをデートに誘った時のあの子の顔、すごく可愛かったわぁ……。あなたを私に取られると思って必死になっちゃって……ついつい、からかっちゃった」

「……やっぱり、煽ってたんですね」

希世花が呆れながらそう言うと、カナエが悪戯っぽく言葉を返してきた。

「あら。あなただって、しのぶを可愛いなって思って見てたでしょ?」

「……」

希世花は何も答えず、ただ苦笑する。そんな希世花を見つめながら、カナエが口を開いた。

「妬けちゃうわ……」

「何が、ですか?」

カナエの言葉に希世花は再び首をかしげる。

「しのぶと、あなたのこと」

「……?」

「しのぶとあなたの一番は、きっと、私だったのに……、今のあなたとしのぶの間には、……私が立ち入ることができない、絶対に断ち切れないほどの強い結びつきがあるのね……なんだか、悔しいわ……」

その言葉に希世花は目を見開く。そして、

「……でも、先生」

カナエに近づいて微笑んだ。

「昔も、今も……私が一番に尊敬していて、誰よりも信頼していて、100%甘えられるのは、あなただけです」

「……」

「先生は、私に生きる道標をくれた、絶対的で唯一の方なんですよ……あなたとの出会いは、私にとっての宝物であり、……あなたが与えてくれた優しさとぬくもりが、私の希望でした」

「……」

 

 

「師範。あなたのことが、好きです。あなたと出逢えて、本当によかった」

 

 

カナエが何かを言おうとしたその時、しのぶが戻ってきた。

「希世花、帰るわよ。準備できた?」

「はーい。先生も、もう帰りますか?」

希世花の言葉に、カナエは首を横に振る。

「……もう少し仕事が残っているから、先に帰ってて」

「はい。ご指導ありがとうございました。それじゃあ、また明日」

「姉さん、早く帰ってきてね」

「はい。お疲れ様」

しのぶと希世花が部室から出ていく。残されたカナエは部室の窓へと移動し、二人の後ろ姿を見つめた。二人が何かを話しながら仲良く歩いている。

「うふふ」

カナエが嬉しそうに笑った。そして小さく呟く。

 

 

「私も、あなたに出逢えて、よかった……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっと補足すると、主人公のカナエさんへの気持ちは、恋慕というよりも、甘えられる唯一の人であり、彼女の存在そのものが心の拠り所のような感じです。



後日談は全部で3つ、あと小話を1つ書こうと思ってます。
後日談の2つ目は今週中に更新予定です。
もしよければ最後までお付き合いください。










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そして二人は

 

 

「ねえ、まだ怒ってるの?」

「……」

不貞腐れたような顔をしているしのぶに苦笑しながら話しかけるが、しのぶは何も答えない。

週末、しのぶは希世花のマンションへと再び泊まりに来ていた。

夜、二人そろってソファに座り、しのぶは希世花の髪を櫛で丁寧に梳いてくれていた。その手はとても優しいが、さっきから無言だ。どうやら、先日カナエやカナヲと出かける約束をしたことがまだ気に入らないらしい。

希世花は困ったような顔をしながら言葉を続けた。

「もう。いいじゃない、別に。先生とカナヲとは、少し出かけるだけよ」

「……なんだか、嬉しそうね……。そうよね……あなたはカナヲの事を可愛がってるし……姉さんのことも好きで好きで仕方ないって感じで、ベッタリだものね……昔も今も……」

「それ、しのぶにだけは言われたくない……自分だってシスコンじゃない……」

苦笑しながらそう言うと、しのぶは希世花の髪を手でまとめながら、口を開いた。

「そりゃね、あなたの気持ちは分かってるけど……、正直、私抜きで出かけてほしくないわ」

「いや、ちょっと遊ぶだけじゃない……大げさ――」

「じゃあ、あなた、私が蜜璃さんと二人でデートするわって言ったら、どう思う?」

「えっ……」

その言葉に、しのぶと甘露寺がキャッキャッウフフと二人で歩いているところを想像した。

「……」

思わず真顔になる。しのぶが希世花の顔を覗き込んできた。

「ね?それよ、それ。いい気分じゃないでしょう?」

「えー……でも、もう約束したし……」

「今からでも断りなさい」

「いや、無理よ……私が先生に逆らえないってしのぶも知ってるでしょ……」

「……」

ますますしのぶの顔が渋くなる。そのまま希世花に後ろから抱きついてきた。

「うわっ……、しのぶ?」

「……」

無言で強く抱き締めてくる。そんなしのぶに戸惑っていると、ようやくしのぶが口を開いた。

「……あなたの、一番は……私、よね?」

「……ん?」

「ずっと、そうよね?これからも、変わらないわよね?」

不安げで小さな声に、目を見開くと、希世花は微笑んだ。

「……しのぶ」

「……」

「しのぶ、可愛いね」

「はあ?」

しのぶが怒っているような声を出した。希世花は笑いながらしのぶの腕を解き、正面を向いた。

「分かった。じゃあ、こうしましょう。しのぶのわがままを、なんでも一つ聞いてあげる。それでどう?」

「……なんでも?」

「うん。なーんでも」

それで機嫌がなおるのなら、少しのわがままくらい、なんでも叶えてあげよう。

希世花がニッコリ微笑むと、しのぶの目の奥がキラリと光ったような気がした。

あれ……?私、なんか、またバカなこと言っちゃった……?

その目を見て、思わず顔が曇ったが、もう遅い。

「なんでも……なんでも、ね。……そう、なんでも……」

「……えっと、でも、私ができることなら、だからね?」

しのぶは希世花の言葉が耳に入らない様子で、また嬉しそうに何度も呟きながら笑った。

「なんでも、ね……それなら……」

「ねえ、本当に、無茶なわがままはやめてね……?」

「無茶なことなんて言わないわよ」

しのぶは少し考えた後、なぜかモジモジし始めた。希世花がその様子に首をかしげていると、ようやく口を開く。

「……写真」

「ん?」

「写真、撮りたいの。……一緒に」

「写真?」

しのぶの言葉にキョトンとする。

「え?そんな事でいいの?」

「そんな事、じゃないわ」

希世花の言葉にしのぶがムッとした表情をした。

「あなたの写真はいくつか持ってるけど……、二人で撮った写真はないんだもの……」

「いや、いくつか持ってるって……前も言ってたけど、それ、どんな写真?私、撮られた覚えない……」

「……」

しのぶが無言になって目をそらした。希世花はため息をつくと、スマホを手に持ち、しのぶの腕をグイッと引き寄せる。

「え?」

カシャッ

スマホを上にあげて、写真を撮った。

「はい。これでいいでしょ?あとでしのぶのスマホに送るわね」

「……ちょっ、今、変な顔してたから、ダメ!今のはなし!!」

しのぶが不満そうな声をあげた。

「もっと、ちゃんとした写真を撮りたいの!」

「え?なに、それ?……よく分かんないけど、じゃあ、これは削除して……」

「いや、それはそれで、あとで送ってほしい!」

「えぇ……?なに、それ……?」

希世花は呆れたような声を出す。

二人でワイワイ話しているうちに夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刀を振るう。

 

 

思い切り飛び上がり、鬼の首を斬る。

 

 

容赦はしない。

 

 

戦え

 

 

戦え――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん……」

目が覚めた。いや、半分以上は夢の中だ。眠い。目が開けられない。頭がもうろうとする。

ぼんやりと手を動かし、辺りを探る。

――――義足、義足……、あれ?義足はどこだっけ?

目当ての物がどうしても見つけられずに、ゴソゴソしていたその時、柔らかいものが手に触れた。

「……?」

なにこれ?柔らかくて、気持ちいい……。枕ってこんな感触だったっけ……?

「ちょっと、どこ触ってるの」

ペシっと手を叩かれた。

「……んー?」

不思議に思いながら、目を開く。目の前では、横たわったしのぶが少し怒ったような顔でこちらを見ていた。

「……あー」

ようやく、しっかりと意識が覚醒する。思い出した。今日は、学校が休みだ。昨日から、またしのぶが泊まりに来ていたのだった。

希世花は目を一度閉じてから、また開いてしのぶに向かって苦笑する。

「ごめん。おはよう、しのぶ……」

「おはよう。何かを探していたの?」

「……ごめん。ちょっと、夢と現実がゴチャゴチャになってた……」

「夢?」

「うん。……昔の、夢。記憶を取り戻してから、たまにあるの。起きたら、つい昔の癖で、一番に義足を探そうとしちゃって……もう、いらないのにね」

その言葉にしのぶも少しだけ笑った。そしてゆっくりと起き上がる。

「もう10時よ。朝ごはんの用意をするわね。希世花、今日の予定は?」

「……買い物」

「あら、何か欲しいものがあるの?」

「布団……」

「布団?」

「しのぶ用の、布団を買いに行きましょう」

「えっ」

しのぶが驚いたような顔をする。

「なんで?」

「なんでって、最近よく泊まりにくるし……、やっぱり、二人で寝るにはこのベッドじゃ狭いじゃない」

「私は構わないわ」

「いや、今日みたいに寝ぼけて迷惑かけるし……、いい機会だから買いに行きましょう」

しのぶが一瞬不満そうな顔をしたが、小さく息をついて口を開いた。

「……買わなくて、いいわ。うちに使っていない布団があるから。それを持ってくる……」

「運ぶの大変じゃない」

「なんとかするわ。それに、こっちに持ってきたい物もいくつかあるし……この機会に持ってくる」

「持ってきたい物?」

「日用品よ。着替えとか、あとはケア用品とか……」

考えながらそう言うしのぶに、希世花は笑い、そして

「もうここに住んじゃえば?」

と、冗談めかして言った。

しのぶはその言葉に目を見開き、希世花の方へ勢いよく近づいてきた。

「……いいの?」

「へっ?」

ポカンとする希世花をよそに、しのぶが嬉しそうな様子で口を開く。

「あなたからそう言ってくれるなんて……、嬉しいわ。今すぐは無理だけど、……そうね。そうよね。今は一緒だけど、大学はちがうし、その方がいいわよね」

「……えっ?いや、えっ?」

「姉さんを説得すれば……うん、大丈夫。大変だけど、頑張るわ。待っててね。卒業までには、なんとか説得するから」

「……えーと、しのぶ?」

「引っ越しはまだ無理だけど、そうと決まれば、いろいろと買いに行きましょう。お揃いの食器とか小物とか欲しいわね」

「……」

しのぶがどんどん一人で決めていく。

いや、冗談のつもりだったんだけど……とは言えず、希世花はいつまでもポカンとその様子を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





主人公は根本的に流され気質なので、多分この後、押し切られるように同棲が決まってしまう。





次の後日談は更新が遅くなります。気長にお待ちください。












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想いは、不滅

 

 

「うめぇー!」

「それはよかった。好きなだけ食べてね」

目の前で大盛りの天ぷらを頬張る伊之助に向かって、希世花は微笑んだ。

放課後、希世花はアオイの食堂へとやって来た。一緒に来ているのは後輩の炭治郎、善逸、伊之助の仲良し三人組だ。

後輩達と食堂に来た目的は、伊之助へのお礼のためだった。希世花の記憶が戻るきっかけになったのは、伊之助の言葉があったからだ。何かお礼をしたいと申し出た希世花に伊之助は、

「死ぬほど天ぷらが食いてぇ」

と言った。伊之助の要望を叶えるため、希世花はさっそくアオイに頼み込み、とにかく天ぷらをたくさん作ってもらった。

凄まじい勢いで大量の天ぷらにかぶりつく伊之助を微笑ましく眺めながら、アオイへ話しかける。

「ごめんね、アオイ。作るの大変だったでしょう?」

「いえいえ、事前にご予約いただいたんで!」

快くそう言ってくれたアオイに感謝しながら、希世花は自分が注文したコーヒーをゆっくりと飲んだ。伊之助を眺めているだけでお腹いっぱいになりそうだ。

「あの、本当にごちそうになっちゃっていいんですか?」

「俺達、何もしてませんけど……」

伊之助の左右に座る炭治郎と善逸が居心地の悪そうな顔をして希世花に話しかけた。二人の前にも美味しそうな料理が並んでいる。伊之助と一緒にいた二人も希世花が連れてきたのだ。希世花は手をヒラヒラと振りながら笑った。

「いいのいいの。好きなだけ、食べて」

「で、でも、こんなにたくさんなんて、――あの、お金とか」

心配そうな炭治郎に希世花は苦笑した。

「大丈夫。私ね、お金は持ってるから――。たまには、先輩面させてちょうだい」

元々希世花は資産家である両親から十分すぎるほどの生活費とおこづかいをもらっている。後輩三人の食事代くらいは余裕だ。

炭治郎と善逸は戸惑ったような顔をしていたが、希世花が安心させるように微笑むと、やっと食事を始めた。

三人ともいい食べっぷりだ。

「そういえば、しのぶさんはどうしたんですか?八神先輩といつも一緒なのに――」

炭治郎の質問に苦笑しながら答える。

「今日はフェンシング部で後輩の指導をしてるんですって。だから久しぶりに、帰りは別々なの」

希世花がそう説明していると、お茶を運んできたアオイが口を挟んだ。

「とかいいつつ、どうせこの後、しのぶ先輩は八神先輩の家に突撃してそのまま泊まりますよ」

その言葉に思わず声を出して笑う。

「あははは!よく分かったわね。アオイ」

「まあ……だって、しのぶ先輩と八神先輩、最近本当にベッタリですもん」

その言葉に希世花はコーヒーを一口飲んで、また微笑んだ。

「可愛いでしょう?ずっと、ずーっと、一人で頑張らせちゃったからね……。しばらくは、しのぶが望むことなら、何でもするつもり」

「何でも、ですか……」

「ええ。しのぶはそれでとても嬉しそうだし、……それに、甘えるしのぶを見ることができて私も満足」

楽しそうにそう話す希世花に、善逸が鰻丼を食べながら眉をひそめた。

「あ、甘えるしのぶ先輩……?想像できない……」

「とっても、とっても、可愛いのよ。具体的に言うとね――」

希世花が言葉を続けようとした瞬間、衝撃が頭を襲った。スパアァンッ!と変な音がする。

「イテッ!」

「何を変なこと話そうとしてるの!」

噂をすればなんとやら、そこにいたのはしのぶだった。手には丸めた教科書らしき物を持っている。どうやら、その教科書で勢いよく希世花の頭を叩いたらしい。しのぶの顔は真っ赤になっていた。

「あれ、しのぶ?部活は?」

「終わらせたわ。あなたが私を置いて、男の子達とご飯を食べに行ったって、親切な方が教えてくれてね」

しのぶはジットリと希世花を睨みながら、隣に腰を下ろした。希世花は戸惑いながら口を開く。

「え、怒ってるの?」

「怒ってない」

「怒ってるじゃない」

「怒ってない!」

どう見ても怒っていた。

「それで、なんで炭治郎くん達とここへ?」

しのぶが後輩三人組に視線を向けて不思議そうに尋ねてくる。お礼のためにご馳走をしている事を話すと、しのぶは納得したように何度か頷いた。

「そういうことね……、私ったら、てっきり……」

「てっきり?」

「なんでもない」

そっぽを向いたしのぶの背中を、希世花は悪戯っぽく笑いながら人差し指でつんつんと突っついた。

「ねえ、てっきり、どう思ったの?」

「……」

「ねえねえ、しのぶ、私が男の子と食事をするのが嫌?寂しかったの?ねえ、しのぶ」

「知らない」

不貞腐れたような顔のしのぶを見て、希世花は楽しそうに笑った。

「……俺達、何を見せられてるんだろう」

「いいじゃないか。仲良しなのはいいことだ」

目の前の炭治郎と善逸がコソコソ話している声が聞こえた。希世花はそんな会話を気にも留めずにしのぶにメニューを手渡した。

「しのぶも何か食べる?」

「そうね。軽く何か食べようかしら。あなたはコーヒーだけ?」

「今日は久しぶりに家で夕食を作ろうかと思って」

「あら、珍しい。じゃあ、私も手伝うから、帰りにスーパーに寄って帰りましょう。何を作るの?」

「えっと……」

希世花が答えようとしたその時、

「少年少女達!珍しい組み合わせだな!!」

爆音ボイスが響いた。

しのぶと同時にパッと振り返る。そこにいたのは歴史教師の煉獄杏寿郎、そして、

「こんにちは。奇遇ですね」

その弟の千寿郎だった。同じ顔が二人並び、揃ってにこやかに立っている。

「煉獄先生、千寿郎くん!偶然ですね」

炭治郎がそう言うと、煉獄が大きく頷く。

「うむ!千寿郎と夕食を食べようと思ってな!竈門少年達も夕食か!」

「はい!」

会話を交わしながら煉獄兄弟は隣のテーブルへと座った。

「八神!今日の授業では昼寝しなかったな!!よもやよもやだ!感心したぞ!」

「あ、ど、どうも……」

声をかけてくる煉獄にペコリと頭を下げると、隣でしのぶが呆れたように

「授業中に昼寝しないのは当たり前ですよ……」

と呟き、希世花は吹き出した。

やがて、アオイが煉獄兄弟が注文した定食を運んできた。

「うまい!うまい!うまい!」

「おいしいですね」

煉獄は大声を出しながら勢いよくご飯を頬張り、千寿郎の方はニコニコしながら食べていた。

相変わらず声が大きくて、感情表現が豊かな人だなぁ……と希世花が思っていると、突然煉獄がこちらを向いた。

「そうだ!少年少女達、今週末は暇か!?」

「週末?」

「もしよければうちに来ないか!!我が家で流しそうめんをするんだ!!」

「流しそうめん?」

希世花が驚いて聞き返すと、煉獄は大きく頷いた。

「うむ!夏が来ることだし、教師の間で本格的に流しそうめんをやってみないかという話になってな!!宇髄や甘露寺と共に竹で作ってみたんだ!!」

「す、すごいですね…」

戸惑いながら希世花がそう言い、隣のしのぶは呆れたような声を出した。

「蜜璃さんはともかく、煉獄先生と宇髄先生は暇なんですか?」

それに構わず煉獄が大声で話を続ける。

「そういうわけで、今週末に我が家で本格的に流しそうめんを行う!!そうめんだけではなく、他にもいろいろと料理を用意するつもりだ!!宇髄や甘露寺はもちろん、伊黒や不死川も来るぞ!!君達もどうだ!」

「行きます!」

「俺達も行きます!!」

希世花と炭治郎が揃って目を輝かせながら即答した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「意外だったわ」

夜、当然のように希世花のマンションに泊まったしのぶは、自宅から運んできた自分の布団に横たわりながらそう呟いた。

「何が?」

ベッドに潜りこんだ希世花が不思議そうに聞き返す。

「……いえ、あなたは、あんまり人と関わるの好きじゃなさそうだから、煉獄先生の誘いを断るのかなって思ったの」

「嫌いじゃないわよ。むしろ、にぎやかなのは好き」

「え?そうなの?」

しのぶが驚いたような顔をする。

「そんなに意外?」

「だって、……昔は、私や姉さんや蝶屋敷の子達はともかく、他人とはいつも一歩引いてるっていうか、……避けてるような感じだったから」

その言葉に希世花は少し頬を膨らませた。

「それは、ほら、私が道楽で鬼殺隊に入ったとか、お金の力で柱になったとか噂されてたから。おかげで、見事に周りから遠巻きにされていたわ」

「あー、そういえばそうだったわね…」

昔の事を思い出し、しのぶは苦笑する。

「ま、好都合だったんだけどね」

希世花がポツリと呟くと、しのぶは首をかしげた。

「好都合?」

「……いつも死と隣り合わせだったから……。誰かと仲良くなっても、すぐに去ってしまうかもしれない。……自分が死ぬことに対しては、覚悟してたけど……大切な人を失う、ことに対しては、どんなに回数を重ねても、……慣れるなんて無理よ……」

「……」

「ひとりぼっちは、つらいの。……でも、大好きな人が去ってしまうのは、もっとつらくて、悲しい。心が崩壊しそうなほどに。……だから、そんな気持ちになるくらいなら……最初からひとりきりでいい、と思ったのよ」

「……今は違うでしょう?」

しのぶの静かな囁きに希世花は目を見開き、そっと微笑んだ。

「……さあ、もう寝ましょう。明日も早いんだから」

質問には答えずに、毛布を頭まで被る。そんな希世花を見てしのぶはゆっくり立ち上がると、ベッドに入ってきた。無理やり希世花の隣に横たわる。

「わっ、しのぶ、何してるの」

「今日はこっちで寝る」

「ちょっと、それじゃあ、布団を用意した意味ないじゃない!」

「おやすみ」

「しのぶ!」

希世花は言葉を続けようとしたが、しのぶがギュッと強く抱き締めてきたため、それ以上続けられなかった。

「……まあいいか。おやすみ、しのぶ」

しのぶの腕の中で諦めたように笑い、希世花は瞳を閉じる。そんな希世花を強く抱き締めながら、しのぶは何かを考えるような表情をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごい……」

「本当にね」

日曜日、しのぶやカナエ、カナヲと共に煉獄家を訪れた。広い家には、希世花が予想したよりも多くの人が集まっていた。

炭治郎、善逸、伊之助、玄弥やアオイはもちろん、教師達、禰豆子や時透兄弟などの中学生組も来ている。中には希世花の知らない人物もいるが、そのほとんどが前世からの関係者達のようだ。校務員の鱗滝まで来ているのにはビックリした。

「あっ、希世花ちゃーん!」

人数の多さに戸惑っていると、突然誰かに抱きつかれた。甘露寺だ。

「会えて嬉しいわ!!記憶が戻ったんですってね!!私のこと、分かる?」

「分かりますわよ……恋柱サマ」

希世花がそう言うと、甘露寺がキャーっと悲鳴を上げた。

「そうよ、そうなの!甘露寺蜜璃よ!!圓城さん、また会えて本当に、本当に嬉しいわ!!」

「……私も、嬉しいです」

希世花も少し胸を詰まらせながらそう言ったとき、やんわりとしのぶが甘露寺の体を希世花から離した。

「蜜璃さん、ちょっと落ち着いて……」

「あ、そうよね。私ったら」

甘露寺が少し笑って希世花としのぶの手をギュッと握った。

「こっちへ来て。たっくさん美味しいもの用意したの。今日は楽しみましょう!」

その言葉通り、家の中や庭にはたくさんの料理が用意されており、希世花は顔を輝かせた。

誰かが持ってきたらしい料理がたくさん並んでいる。庭では流しそうめんが行われており、炭治郎達がワイワイと騒いでいた。更には、宇髄と学園の食堂で働く宇髄の嫁達がバーベキューを用意していた。

しのぶと顔を見合せる。そして同時に笑いながら希世花としのぶは、そのにぎやかな宴会に加わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よもやよもや!楽しんでもらえたようで何よりだ!!」

「本当にな、ド派手だしな」

「お腹もいっぱいだわ~」

夜は更けてきたが、宴会はまだ続いている。学生組は誰かが持ってきたらしい花火を始め、キャーキャーと騒いでいた。縁側ではその光景を教師組が眺めていた。宇髄は酒を片手に笑い、煉獄とカナエもニコニコと学生達を見守っている。

「甘露寺、花火はしなくてもいいのか?」

「ええ。それよりも伊黒さんともっとお話がしたくて」

「そ、そうか」

伊黒が照れたようにモジモジしており、甘露寺が少し顔を赤くして微笑んだ。

「南無……。たまにはこういうのも悪くないな」

「冨岡!てめェはさっきから鮭大根ばっか食ってんじゃねェ!!栄養が偏るだろうが!!」

「……」

悲鳴嶼が穏やかに微笑み、冨岡はずっと鮭大根を無言で食べ続け、不死川が呆れたように怒っていた。

教師達はそれぞれに会話を交わしながら、笑顔で学生達を見守った。

「――先生方」

その時、後ろから声をかけられる。

希世花がお盆を手に、彼らに近づいてきた。

「おう、八神。どうした?」

「煉獄先生のお母様と作ったんです。もしよければどうぞ」

あっさりとしたおつまみの入った皿を差し出すと、宇髄がすぐに受け取った。

「悪いな、八神。そうだ、お前も呑めよ」

「いや、私未成年ですから」

「そんな地味なこと言うな。少しくらいいいじゃねえか」

「悲鳴嶼せんせーい、不良教師がここにいまーす」

「宇髄」

「あ、冗談です、冗談」

悲鳴嶼の怖い声に、慌てて宇髄が誤魔化すように笑う。

希世花も呆れたように笑いながら、縁側に座った。

「八神。お前はあそこに加わらなくていいのか?」

不死川が学生組を指しながらそう尋ね、希世花は苦笑した。

「さすがに疲れちゃって……少しだけ休んでから、行きます」

「おっ、それならよ、八神。お前にちょっと聞きたいことがあったんだわ」

宇髄が希世花の方に身を乗り出してきた。

「……なんですか?」

「お前さ、胡蝶妹とどこまで進んでんの?」

その言葉にカナエの眉がピクリと動き、甘露寺がキャッと短く叫びながらこちらへ視線を向けてきた。希世花は無言で宇髄から視線をそらした。

「……」

「最近のお前ら、いつもどこでもいちゃついてるしよ。胡蝶はお前の家にちょくちょく泊まっているらしいじゃねえか。ド派手な関係だな!」

「キャーっ!もしかしてとは思ってたけど、やっぱりそうなの?希世花ちゃんとしのぶちゃんが?」

甘露寺のテンションの高い声に必死にため息をはきそうになるのを堪える。

「それで?どこまで進んでんの?」

「……八神さん、それは私も知りたいわ」

カナエの言葉に、一瞬ビクリと肩を震わせたが、顔を引きつらせながらやっとの事で答えた。

「……答える義務はありません」

「おーいおい、そんな地味なこというなよ。これでも俺は心配してるんだ。安心しろ。とやかくいうつもりはねえよ。どうせ毎晩一緒に寝て……」

「悲鳴嶼先生」

希世花が助けを求めるように悲鳴嶼に声をかけ、悲鳴嶼も宇髄の方へ怖い顔を向けた。

「宇髄も甘露寺もその辺にしておけェ」

不死川までもがそう口を出し、詮索するのを諦めたらしい宇髄と甘露寺が不満そうな顔をした。カナエの方は複雑そうに頬に手を当てている。しかし、再び宇髄が口を開いた。

「そんじゃあ、八神、別の質問をするわ」

「……なんですか?」

警戒するような視線を向ける希世花に宇髄は言葉を続けた。

「お前、前世の事、どこまで思い出したんだ?」

「……」

その質問に希世花は目を見開く。他の教師達もこちらに視線を向けてきたのを感じた。

「胡蝶妹の話によると、今のお前と前世のお前、二人が混じり合って、お前自身もかなり混乱してるらしいじゃねえか」

「……まあ、そう、ですね」

「そろそろ、落ち着いたか?どこまで思い出したんだ?」

「……」

一度だけ、瞳を閉じる。

ゆっくりと目を開き、微笑んだ。雰囲気が一瞬でガラリと変わる。優雅な微笑みを顔に浮かべたまま、圓城菫は口を開いた。

「……全部ですわ。幼い時の事も、鬼殺隊でのことも、そして、自分の最期も……」

「……圓城。自分の……最期も思い出したのか」

悲鳴嶼の言葉に頷いた。

「もちろん。最期は……上弦の弐と戦って……、失血死……いや、凍死?……死因は、正直自分でもよく分かりませんが、……鮮明に覚えていますわ」

「ああ、そういえば、お前が上弦の弐を倒したって聞いた時、正直ぶったまげたわ」

宇髄が思い出したように声を出した。

「まさか、お前が頚を斬るとはなぁ……派手に驚いたぜ」

「違います。私は倒していません」

圓城がキッパリそう言い、周囲の人間が訝しげな顔をした。

「――あれを、倒したのは蟲柱・胡蝶しのぶです。私は最後の手助けをしただけ。上弦の鬼を倒したのは、紛れもなく、彼女です」

圓城はまっすぐにしのぶを見つめた。しのぶはカナヲやアオイと何か楽しそうに話しているが、時折こちらを気にするようにチラチラと視線を向けている。

「しのぶが、毒で鬼を倒しました。だから、違いますよ。私は倒していません」

「……それでも、頚を斬ったのはお前だ」

珍しく冨岡が声をかけてきた。それに驚きながら、圓城は苦笑する。

「約束していましたから。――あの鬼を、二人で倒そうって」

「……菫」

カナエの声が聞こえた。それに構わず圓城は下を向いて言葉を続けた。

「これでも、柱でしたから。折れるつもりはありませんでしたよ。……それでも、私の命ひとつ捨てただけじゃあ、足りない。全然足りなかった……それなら、最後は、せめて最後だけは、……二人で戦おうって……しのぶと約束しました。二人で想いを繋ごうって……彼女の死と引き換えに、私は、最後の、その一瞬だけ、ようやく強い刃に成り得ました」

「……止めようとは、思わなかったのか、胡蝶を」

伊黒の問いかけに、ゆっくりと顔を上げて優雅に微笑んだ。

「ええ。しのぶの大きな覚悟を、誰よりも知っていました。どんな思いで生きてきたかも。そんな彼女の戦いを、私が否定なんてできませんよ。彼女は鬼を滅ぼすために、命を、心を、未来までも毒に沈めました。そして、……私に託してくれたんです。……結果的にはとても満足ですよ。心から願ったとおりに、あの鬼を倒せましたから……弱い柱でしたが、最後の最後でようやく鬼殺隊に貢献できました……」

圓城がそう言ってまたうつむいた時だった。

「―――圓城」

悲鳴嶼が声をかけてきた。突然呼びかけられ、圓城は顔を上げる。

「はい?」

「こちらへ来なさい」

「……?」

指示されるようにそう言われ首をかしげたが、言われた通りに立ち上がり悲鳴嶼の方へ近づく。

「……なんでしょうか?」

近づきながら、そう言った時、ゆっくりと悲鳴嶼が腰を上げた。圓城と向かい合うようにその場に立つ。

「……?」

圓城がキョトンとしたその瞬間、悲鳴嶼が大きな手を圓城に伸ばしてきた。そのまま圓城の頭を強く撫でる。

「よくやった」

「……はい?」

突然の悲鳴嶼の行動が理解できず、思わず変な声が漏れる。

「友の死を受け入れるのは辛かっただろう。苦しかっただろう。それでも、お前は決して諦めず、折れなかった……お前の命を懸けた戦いが、我らの勝利へと繋がったのだ。よくぞやり遂げてくれた」

「……」

唐突なその言葉にポカンと口を開ける。

「諦めずに、死をも覚悟して、戦い抜いた。お前としのぶ、……二人が肩を並べて鬼を倒したんだな。完璧な任務の遂行だった。」

悲鳴嶼が微笑んだ。

「お前は誇り高き強い柱だ。睡柱・圓城菫。心から……感謝する。本当に、よくやった」

圓城はポカンとしていたが、やがてほんの少しだけ微笑んだ。

「……あは、やだな、今、そんな事言われる、なんて、……そんな、わ、私……」

ふと周囲を見渡すと、宇髄や煉獄、カナエが笑っていた。甘露寺も顔を輝かせ、伊黒は肩をすくめている。冨岡は何度も無言で頷き、不死川もニヤリと笑っていた。

「……わ、私は……」

我慢できずに涙がこぼれる。そしてそのまま、

「うっ……うぅっ……ふ……ひっく……」

声を出して泣きじゃくった。止めなければ、と思うのに止まらない。涙がどんどん溢れてくる。

「ちょっと!何を泣かせてるんですか!!」

その時しのぶの声が聞こえた。どうやら突然泣き出した圓城の姿を見て、慌ててこちらにやって来たらしい。

「おーおー、八神、お前のモンペがやって来たぞ」

「何をしたんです!!こんなに泣くなんて……!冨岡先生、あなたですか!?また失礼な事を言ったんですか!?」

「……」

冨岡が無言で心外!と言わんばかりの表情をする。それに構わず、圓城はしのぶに抱きついた。

「え、ちょっと、希世花?どうしたの?何をされたの?」

「あらあら、菫ったら。嬉しかったのねぇ~」

「嬉しかった?どういうこと、姉さん?何があったの?」

慌てるしのぶの腕の中で、圓城はひたすら泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?八神先輩、寝ちゃったんですか?」

数分後、泣き疲れた希世花はそのまま眠ってしまった。現在、縁側に座るしのぶに膝枕をしてもらいながら、スヤスヤと寝ている。その顔には涙の跡があった。

近づいてきたアオイとカナヲに、しのぶは人差し指を口元に当てて、しーっと小声を出す。

「疲れたみたい。もう少し寝かせておくわ」

「しのぶ姉さん。膝枕、代わりましょうか?」

「ダメよ、カナヲ。これは私の仕事だから」

残念そうな顔をするカナヲに笑いながら、しのぶは希世花の顔を撫でた。

「どんな夢を見てるのかしら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希世花がふと目を開くと、そこには見覚えのある顔が二人、並ぶように立っていた。

一人は雛菊模様の華やかな着物を着ている“八神希世花”、もう一人は鬼殺隊の隊服を身につけ黄色の蝶の髪飾りを付けた“圓城菫”だ。

ぼんやりとここが夢の中だ、と認識する。

“八神希世花”が拗ねたような顔をして腕を組んだ。

『結局、“めでたしめでたし”ってこと?』

“圓城菫”が楽しそうに笑う。

『ふふふ、いいじゃない。とても嬉しいわ。だって、こんなにも幸せなんだもの』

希世花も一緒に微笑み、左手で“八神希世花”の手を、右手で“圓城菫”の手を握った。

「ずっと、一緒に生きていこう」

そのまま強く握りしめる。もう離さないと言うように、強く。

「私達は、永遠が何か、もう分かってる。それは……人の想いよ。誰にも奪うことはできない。そして、もう、決して手放さないわ……。夢だって私達だけのもの。……みんなで一緒に生きていこう」

“八神希世花”がため息をついた。

『仕方ないわね。最後まで付き合ってあげる』

“圓城菫”が微笑んだ。

『……あなたと夢で逢えて、本当によかった』

二人が強く手を握り返してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドン、という衝撃音が響き、希世花は目を覚ました。

「あら、ようやく起きたのね」

膝枕をしてくれているらしいしのぶが顔を覗きこんでくる。

「おはよう、ねぼすけさん」

「……今の音、何?」

「宇髄先生が打ち上げ花火を用意してたのよ。ほら、見て。とても綺麗よ」

その言葉にゆっくりと起き上がり、縁側に座り込みながら空を見上げる。見事な花火が空に広がっていた。

「綺麗ね……」

花火に見とれながらポツリと呟く。そんな希世花の顔を見つめながらしのぶが首をかしげた。

「……なんだかすごく嬉しそうね。何かいい夢でも見ていたの?」

しのぶの問いかけに、希世花は笑った。

「うん。……とっても幸せな夢」

「どんな夢?」

「秘密」

「なによ、それ」

しのぶが唇を尖らせる。それに構わず希世花はしのぶの手を握った。指を絡め合う。

「ねえ、しのぶ」

「なに?」

「昔、私は、しのぶの想いを繋ぐために戦ったわ」

「……うん?」

「だけどね、今、私はね」

希世花はそっとしのぶの耳に唇を寄せ、言葉を紡いだ。

「共に同じ時間を生きられるのならば、……私は――、しのぶ、あなたとずっと繋がっていたい」

「……」

「あなたの笑顔をずっと隣で見ていたい。……また離ればなれになったとしても、私、きっとまたしのぶを探すわ。そしてどんなに傷ついても、絶対に走って、またあなたの隣に行くの」

「……また忘れたら、その時は?」

その言葉に苦笑しながらしのぶの額に自分の額をコツンと当てた。

「忘れたとしても、私の気持ちは永遠よ。絶対になくなったりしない。しのぶだって知ってるはずよ。人の想いは、不滅。だから、大丈夫。絶対に、――心は、決して離れない」

「……」

「好きよ、しのぶ。この世界で一番、愛してる」

しのぶが目を見開き、希世花の手を握りながら口を開いた。

「……希世花、……っ、菫、私も――」

その時、今までで一番強く大きいドンっ!という花火の音が響いた。その衝撃音に、しのぶの声がかき消される。

「―――ごめんなさい。聞こえなかった。今、なんて、言ったの?」

花火が消えてから、希世花がしのぶにそう尋ねると、しのぶは少しだけ言葉に詰まったように無言になる。しかし、すぐに笑いだした。

「あはははは!もう、肝心なところで――、本当に、タイミング悪すぎ――」

「しのぶ?」

「ふふふふ、まあ、いいじゃない」

「いいって……気になるわよ。なんて、言ったの?」

「教えない」

「しのぶ、教えてよ!」

「っていうか、あなた、本当はなんとなく分かってるんじゃない?私がなんて言ったのか」

しのぶのその言葉に希世花は顔を赤くした。

「だって―――、だって、ずるい!!」

「ずるいってなによ」

「私は、ちゃんと言葉に出して伝えたのに!」

希世花が怒ったようにそう言うと、しのぶはますます楽しそうに笑った。

「じゃあ、こっち来て」

「……なんで?」

「いいから」

しのぶが立ち上がり、希世花の腕を引っ張る。そのまま二人は、コッソリと誰もいない物影へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学生組が花火を見ながらワイワイと騒いでいる。そんな中、

「……」

「カナヲ?どうしたんだ?トイレに行ってたんじゃないのか?何かあったのか?」

トイレに行ったカナヲが、なぜか顔を真っ赤にして戻ってきた。その姿を見て炭治郎が不思議そうな顔で尋ねる。カナヲはパクパクと何度も口を開いては閉じ、ようやく声を出した。

「……っ、い、今、……しのぶ、ねえさ………、キ……キ………………っ、先輩と………キ………キ………、……………………っ」

炭治郎は首をかしげる。カナヲの最後の言葉は消え入るように小さくなり、なんと言ったのか聞き取れなかった。

「……?なんだ?しのぶさんがどうかしたのか?」

「………なんでもない」

何かを目撃したらしいカナヲは湯気が出そうなほど顔を真っ赤にしたまま、結局それ以上何も言わずに黙りこんでしまった。その姿を、不思議そうな顔をした炭治郎がいつまでも見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく最後の後日談を書くことができました。キメツ学園編はこれで終了です。読んでいただき、本当にありがとうございました。
日常ものを書くのは初めてでした。書いている間は本当に楽しかったのですが、もし不快にさせてしまった方がいたら申し訳ありません。
これで最後にするつもりでしたが、本編軸の甘露寺さん視点の話を書いてしまいました。ちょっと忙しくてまだ完成はしていないんですが、今月中に小話として投稿したいなと考えています。もしよければ読んでいただけたら嬉しいです。




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オマケ小話
いつまでも、ずっと



本編軸の甘露寺さん視点。
あるいはどこかの定食屋のご夫婦のお話。





























 

 

 

ああ、よかった

 

 

ひとりぼっちじゃなかったのね

 

 

きっと、きっと―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒なら、寂しくなんか、ないわよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甘露寺蜜璃が、その女性と出会ったのは、柱を任命され、初めて鬼殺隊本部を訪れた日だった。

 

 

わ、綺麗―――、

 

 

思わず挨拶を忘れて、見とれる。

整った顔立ちの、美しい女性だった。明るい空色の羽織、長い黒髪を花の髪飾りで結っている。西洋風の、ヒラヒラした飾りの付いた日傘を差しながら、しずしずと歩くその姿は、一枚の絵のようだった。

その上品な女性が、羽織の下に自分と同じ黒い隊服を着ているのを認め、驚いて声が出そうになった。

「……あら。初めまして。新しい、柱の方ですか?」

女性は甘露寺を見て、フワリと笑った。

その美しい笑顔にドキリと胸が高鳴る。

「お初にお目にかかります。……睡柱を名乗らせていただいております、圓城菫です」

目の前の女性はそう言いながら、ゆっくりと一礼した。彼女が柱を名乗ったことに驚きながら、甘露寺も慌てて頭を下げた。

「は、初めまして。恋柱の甘露寺、蜜璃です!」

「……同じ柱として、今後とも何卒よろしくお願いいたします。恋柱サマ」

言葉を返しながら、上品に笑う彼女を見て、また甘露寺の胸は高鳴った。

 

 

 

 

 

圓城菫、という柱は謎めいた存在だった。

甘露寺の一つ年上らしいその女性は、見た目は本当に剣士に見えない。気品があり、優雅で独特な雰囲気を持つ人だった。日傘を差しながら静かに微笑むその姿は、剣士というよりも、どこかの良家の娘に見えた。

菫、という名前を示すように、その髪にはスミレの花の髪飾りが付いていた。しかし、どちらかというとスミレの花よりは、もっと華やかで派手な花が似合いそうだな、と甘露寺は思った。

同じ柱ではあるが、甘露寺と圓城が会うことはほとんどない。なぜか圓城は単独任務を好んでおり、お館様もそれを承知しているらしい。そのため、任務が一緒になることは全くなかった。顔を合わせるのは柱合会議くらいだ。その会議でも、圓城はほとんど言葉を発することはなく、他の柱とも常に一定の距離を置いている様子だった。

会議でお館様の言葉に耳を傾けながら、時折圓城の姿に視線を向ける。

 

 

多分、こういう女性だ。

 

 

世の殿方が、結婚を望むなら、こういう女性なのだろう、と甘露寺はふと思った。

 

 

甘露寺とは何もかもが違う。上品な顔立ち、常に一歩引いている、静かで落ち着いた性格、美しい艶のある長い黒髪。―――決して奇抜な桃色と緑色の髪ではない。

本当に、全てが違う。きっと、圓城のような女性が、立派な男性から望まれて、幸せな結婚するんだろうな、と甘露寺は思った。

 

 

 

 

 

圓城と話してみたい。

同じ柱なのだから、どういう人なのか、もっと知りたい。そう思った。

会う度に、甘露寺は積極的に圓城に話しかけてみたが、彼女は仕事以外の話は言葉を濁し、ほとんど答えてくれなかった。何度か食事にも誘ってはみたが、いつも断られてしまう。

「圓城?知らん!ほとんど話したことはないな!」

自分の師である煉獄に、圓城の事を聞いてみたが、煉獄も彼女の人柄をほとんど知らないようだった。

「睡の呼吸というのも聞いたことがない!恐らくは自分で考えた、独自の呼吸なのだろう!甘露寺、君と同じだな!!」

「そうなんですか……」

甘露寺と同じく独自に型を作り出し、そして自分よりも早く柱になったのだから、強い剣士なのだろう、と甘露寺は思った。しかし、時折聞く圓城の噂はあまり良くないものばかりだった。

「睡柱は金の力で柱になったらしい」

「元々は金持ちの家の生まれで、鬼狩りは道楽らしい」

他の隊員達がそう噂をしているのを聞いたことがあった。しかし、どの噂もチグハグで、真実とは思えなかった。

「圓城?ああ、あまりいい噂は聞かないな」

蛇柱の伊黒と食事に行った際、何かの拍子に圓城の事が話題になった。

「伊黒さんはどう思う?」

「……いや、あいつの事は、よくは知らないしな……、なんというか……掴み所がないというか……、何を考えているのかよく分からない、というか……。とにかく、変なやつだ、とは思う……」

「そう……」

「だが、金の力で柱になったという噂は、デマだろうな」

「え?」

「普通に考えて、金の力なんかで、鬼殺隊で柱にまで昇進するわけない。柱になったのも、俺よりあいつのほうが先だし……。戦っているところを見たことはないが、多分強いのだろう……」

伊黒は少し困ったような声でそう話してくれた。甘露寺も首をかしげながら、口を開いた。

「やっぱり不思議な人よね、圓城さんって。仲のいい人もいないみたいだし……」

甘露寺の言葉に、伊黒は何かを思い出したように口を開いた。

「ああ、逆に仲の悪いやつならいるぞ」

「えっ?仲が悪い?圓城さんと?」

「ああ。胡蝶だ」

「えぇっ?」

驚きで思わず大きな声を上げる。いつも優しい笑顔の穏やかな蟲柱、胡蝶しのぶと仲が悪いなんて、信じられない。

「うそ、しのぶちゃんと?」

「ああ……。気づかなかったか?あの二人、会議でいつもお互いを避けている。目さえ合わそうとしない。やむを得ず会話をしなければならない時は、あからさまに険悪な雰囲気になるしな」

その後の会議で注意深く観察してみたところ、伊黒が語った通りだった。圓城菫と胡蝶しのぶの二人は絶対に話すことはない。関わりを徹底的に避けている様子だった。会話をしなければならない時は、圓城の声はいつにも増してよそよそしくなり、しのぶも微かにイライラしているのが分かった。

「しのぶちゃんって、圓城さんと仲が悪いの?」

しのぶにそう尋ねると、苦笑しながら答えた。

「いえいえ。仲が悪いも何も、あの人とそんなに話さないので……」

「ええー?でもしのぶちゃんと圓城さん、二人が会議で話す時って、なんだか空気がギスギスするような気がするんだけど……」

甘露寺の言葉にしのぶは困ったような顔をして、何も答えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

圓城さんは不思議な人だ、と甘露寺は思う。

竈門炭治郎と鬼になった妹が、本部で裁判にかけられた時も、ほとんどの柱は兄妹をすぐにも斬首しようとしていた。しかし、唯一圓城だけは、最初から彼らの盾になるように庇っていた。

「いけませんわ」

周囲の冷たい瞳を浴びながらも、両手を広げ、兄妹の前に立つ。そしていつものように華やかな笑顔を見せた。

「この子達を、殺してはいけません」

いつも周囲の目を気にすることなく、一人で動く。何を考えているのか、よく分からない。本当に、不思議な女性だった。

その後の圓城は列車の任務で片足を失ったり、森で遭難したりと慌ただしかったようだが、残念ながら甘露寺は彼女と話す機会はやはりほとんどなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに気づいたのは、甘露寺が長期の任務から帰ってきたその日のことだった。

「あっ、しのぶちゃーん!」

「まあ、甘露寺さん。こんにちは」

自分の屋敷に帰ろうとしていた時、たまたま胡蝶しのぶと出会った。

「奇遇ね!お買い物?」

「はい。蝶屋敷で必要な物があって、買い出しに……。甘露寺さんは任務ですか?」

「今日やっと長期任務が終わったの!」

「それはそれは、お疲れさまでした」

ニッコリ笑うしのぶに、甘露寺は笑顔を返しながら、言葉を続けた。

「ねえ、しのぶちゃん!もしよければ何か美味しいものでも食べに行かない?」

「美味しいもの?」

「ええ!甘いものとか」

「構いませんが……、でも甘露寺さんはお疲れじゃあ……」

「全然大丈夫!行きましょうよ!」

「そうですね。それじゃあ、この近くの……」

しのぶが考えるような表情で首をかしげたその時、見覚えのある姿が視界に入った。

「あら、圓城さんじゃない!」

声をかけると、圓城がこちらに顔を向ける。一瞬しのぶがなぜか息を呑んだような気がした。

圓城は今日は非番なのか、隊服ではなく、可愛らしい着物を身に付けていた。こうして見ると、やはり剣士には見えない。

圓城さん、可愛いわ!と心の中でときめく。しかし、圓城の方は、なぜかかなり動揺した様子でこちらを見返してきた。

「……っ、あら、ごきげんよう。お二人とも、町で会うのは珍しいですわね」

「こんにちは!今日は私、長期任務の帰りなの!しのぶちゃんとは、たまたまそこで会っちゃって…」

「私は蝶屋敷に必要な物の買い出しに。圓城さんもお買い物ですか?」

「……ええ、まあ」

なぜだろう。圓城は落ち着きのない様子でソワソワしている。今にもここから逃げ出しそうだ。そんな様子を察した甘露寺は圓城が立ち去ってしまう前に、急いで声をかけた。

「ねえ、圓城さん!よかったら、このまま三人で美味しいものでも食べに行きましょうよ!」

「え゛っ…」

変な声を出しながら、圓城の顔が大きく引きつった。

「えっと、いや、私は、これから用事があるので…」

目を泳がせながら圓城がそう言った。しかし、

「おや、よろしいではありませんか、お嬢様。用事なら大丈夫でございますよ。ぜひ皆様とお食事をお楽しみください」

突然誰かが話に割って入ってきた。圓城と一緒にいる眼鏡をかけた男性だ。彼は圓城の家族だろうか?と甘露寺が疑問に思っている間に、今度はしのぶが圓城の腕を掴んだので、思わずびっくりして口をポカンと開けてしまった。しのぶは、戸惑っている圓城の腕を、逃がさないと言わんばかりにしっかりと握っている。

「あなたにはいろいろ聞きたいこともありましたし。ちょうどよかったです。さあ、行きましょう」

しのぶが圓城に話しかけるのを初めて見た。その姿に驚きはしたものの、女三人で食事に行けることへの嬉しさがじわじわと込み上げてくる。

「キャーっ!楽しみねぇ」

甘露寺はウキウキしながら店へと向かった。しのぶもニコニコしながら甘露寺と共に歩き出した。いまだにアワアワとしている圓城を引きずりながら。

 

 

 

 

 

 

しのぶちゃんと圓城さん、どうしたのかしら。

しのぶが案内してくれた甘味処にて、品書きを手にしながら、甘露寺は首をかしげた。二人の様子はやっぱり変だ。圓城はまだ落ち着かない様子で絶対にしのぶと目を合わせようとしないし、しのぶの方は逆にいつもと違って積極的に圓城に話しかけている。

二人の関係が変わった。明らかに。

距離が大きく近づいている。

甘露寺はすぐにそれが分かった。

「こうして圓城さんとゆっくり話すのは初めてね!」

そう話しかけると、圓城は必死に冷静な顔をしながら答えてくれた。

「…そうですわね」

ゆっくり話ができるのが嬉しくて、甘露寺は微笑みながら問いかける。

「体の調子はどうかしら?少し前に森で遭難してひどい怪我をしたって聞いたけど…」

「ゴホッ!」

甘露寺の質問に圓城は大きくむせ混み、ハンカチで口を押さえた。

「…ご心配には及びませんわ。既に完治しております」

「結局蝶屋敷に通院しませんでしたが、大丈夫だったようですねぇ」

「……」

しのぶの言葉に圓城は何も答えず、必死に甘味を見つめながら、その視線を受け流していた。その姿を不思議に思いながら、今度はしのぶに話しかけた。

「しのぶちゃんと圓城さんは前にもこの店に来たのよね?2人は一緒にお出かけしたりするの?」

「いえ、圓城さんは、以前私の姉の継子だったので、その時に……」

「まあ、そうだったの?知らなかったわ!」

初めて知る事実に甘露寺は驚いて声をあげた。しのぶの姉の話は聞いたことがあったが、圓城がその継子だったとは、初耳だ。質問を続けようとしたその時、慌てたように圓城が口を開いた。

「こ、恋柱サマは、最近どうですか!?今回は長期任務だったとさっき言っておりましたが…」

「私?全然大丈夫だったわよ。長期任務と言ってもそんなに大変じゃなかったし……」

徐々に話は大きく逸れていく。やがて、話題は甘露寺の鬼殺隊への入隊理由の事へと切り替わった。

「でね、仕事の方はいいんだけど、添い遂げる殿方はなかなか見つからないのよ~」

「……え?殿方?」

甘露寺の言葉に圓城が不思議そうな顔をする。しのぶが解説するように言い添えてくれた。

「甘露寺さんは、添い遂げる男性を見つけるために鬼殺隊に入ったそうですよ」

「そうなの!自分より強い人を見つけたくて!柱の人はすごく強いでしょう?だから、自分でも柱にならなきゃと思って、すごーく頑張ったの!」

甘露寺の話を聞いた圓城は、

「……素敵な話ですね」

と、ポツリと呟いた。甘露寺の話を馬鹿にする様子はなく、蔑むような表情もしない。それに安心した甘露寺はモジモジしながら、恥ずかしさを隠すように圓城に声をかけた。

「え、圓城さんは恋人はいるのかしら?慕ってる方とか」

「え、あー、昔、婚約はしていましたが、今はいませんねぇ」

その言葉に大きく衝撃を受けた甘露寺は思わずその場で叫んだ。

「えー!婚約!?」

圓城の隣に座るしのぶの顔から笑顔が消えた。

「は?」

しのぶの表情を気にするどころではなくなった甘露寺は、問い詰めるように圓城へと顔を近づける。

「え、圓城さん!婚約って?誰と!?」

「……いや」

圓城が顔をしかめた。話したくない様子で顔をそらす。その時、しのぶが圓城の両肩を持ち、強引に自分の方へと向かせた。

「え、えっと、蟲柱サマ」

「……詳しくお話を聞きたいですね、圓城さん」

しのぶは笑ってはいるが、その顔には青筋が立っていた。圓城の顔が青くなっていく。

「あ、いやー、あの…」

「私も聞きたいわ、圓城さん!」

甘露寺は叫び、しのぶは冷たい声を出した。

「……あなた、婚約までしている相手がいたんですか?私、知らないんですけど」

「圓城さん、どんな方だったの!?」

圓城はしどろもどろになりながら、やっと声を出した。

「いや、あの、すみませんが、黙秘します」

「あらあら、圓城さん。そんなこと言わずに。是非教えてください。先日の森での事も含めてあなたとはじっくり話し合う必要がありますし、ね」

次の瞬間、圓城の顔が真っ赤に染まった。プルプルと震え、言葉に詰まったその様子に、甘露寺はまた胸が高鳴った。

何これ。すごく、可愛い。キュンキュンしちゃう。

この人、本当に私より年上?

そう思った次の瞬間、圓城は強い力でしのぶの手から離れた。そして、お金を机に置き、

「すみません、失礼します!」

そう叫ぶと、見たこともないくらいの速さで甘味処から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

「あーん、逃げられちゃったわ」

圓城が逃げた後、甘露寺が残念そうにそう言うと、しのぶの方は無言で何かを考えるような表情をしていた。その顔にいつもの優しい笑顔はない。

「しのぶちゃん?どうしたの?怖い顔をしているわ」

甘露寺が心配になりそう言うと、しのぶは瞬時に顔に笑顔を浮かべた。

「すみません。ちょっとびっくりしてしまって…」

「慌てる圓城さん、可愛かったわねぇ。キュンとしたわ。なんだか幼く見えて。私より年上なんて信じられないくらい!」

「……ああ、そうですね」

しのぶは苦笑しながらお茶を一口飲んだ。そんな姿を見つめながら甘露寺は思う。

圓城さんとしのぶちゃんの間に何かがあったんだわ。きっと、決定的な何かが。二人が仲良くなれれば、いいな。そうしたら、三人で、もっといっぱいお出かけしたり、おしゃべりできるのに。

そう思いながら目の前の大きな団子を頬張った。

 

 

 

 

 

 

 

次に甘露寺が圓城と関わったのは、意外にもそのすぐ後の事だった。

突然始まった、鬼による刀鍛冶の里の襲撃。

任務で一緒になる事はないだろうと思っていたのに、刀鍛冶の里を来訪していたらしい圓城と予期せず共闘することとなった。

圓城の攻撃を見て、甘露寺は目を丸くする。速い。とにかく速い。甘露寺のような、なめらかで柔らかい動きではないが、とにかく素早く俊敏で、しかも力強い攻撃を繰り返していた。長い戦いになったが、その動きは全く衰えず、正確な斬撃を繰り返す。いつもの上品で穏やかな姿とは大違いだ。

やっぱり噂って当てにならないわね、と甘露寺はこっそり心の中で呟いた。

甘露寺と圓城、そしてその場にいた隊員全員で協力しながら鬼と戦い、ギリギリではあったが、なんとか勝利した。圓城はそのすぐ後に倒れこむように気絶し、甘露寺も傷だらけだったので、そのまま全員が蝶屋敷へと運ばれて行った。

甘露寺の傷は驚くほど早く治ったが、別室に入院している圓城はまだ意識が回復しないらしい。その様子を聞いて心配になり、お見舞いに行くことにした。痛む身体を動かして圓城の部屋を訪れる。部屋に入ろうとしたその時、誰かが圓城のベッドのそばに立っているのに気づいた。

「……しのぶちゃん?」

「ああ、甘露寺さん」

胡蝶しのぶが振り向いた。

「お見舞いですか?残念ですが、彼女の方はまだ意識が戻らないんです」

「う、うん。ちょっと心配になっちゃって、」

甘露寺が近づくと、穏やかな顔をして眠り続ける圓城の姿が見えた。身体中包帯だらけで、点滴もしている。

「圓城さん、大丈夫かしら?」

「……目を、覚まさないんです。傷も深いし」

しのぶは呟くように声を出す。その表情は暗く、何を考えているのかよく分からなかった。

「……本当に、しょうがない人……そんなだから……」

「しのぶちゃん?」

甘露寺が声をかけると、しのぶはハッとしたようにこちらへ微笑みかけた。

「甘露寺さんも、決して傷は軽くないので、お見舞いもほどほどにしてくださいね。無理してはいけませんよ」

「う、うん」

戸惑いながら頷く。しのぶは軽く頭を下げると、その場から去っていった。

甘露寺はしばらく圓城を見つめる。そしてその手に少しだけ触れてから、小さく呼びかけた。

「圓城さん。早くよくなってね……また、来るから」

早く、目が覚めますように。

甘露寺はそう願いながら自室へと戻った。

その日は圓城の様子が気になって、何度か部屋へ様子を見に行った。

「……しのぶちゃん」

甘露寺が圓城の部屋に行くと、必ずしのぶはベッドのそばで圓城の様子を見ていた。

「しのぶちゃん、ずっとここにいるの?」

「……ずっとでは、ありませんよ」

しのぶが微かに微笑んだ。

「この人への治療は終わっていますしね。後は意識が戻るのを待つだけ、なんです」

「そ、そう……」

「……ただ、ちょっと気になって……」

しのぶはベッドで眠り続ける圓城の姿を、ただ見つめ続けていた。

後から蝶屋敷の少女に聞いたところ、しのぶは仕事以外は必ず圓城のそばに付き添っていたらしい。その話を聞いて、甘露寺は驚いた。よほど圓城の事を心配しているのだろう。

そして、その日の真夜中、甘露寺が厠に行くために静かに廊下を歩いていると、小さな声が聞こえた。

「……ん?」

圓城の部屋からだ。もしかして意識を取り戻したのかもしれない、と思い、そっと部屋を覗く。そして目を見開いた。

しのぶがベッドのそばに座り、圓城の手を握りしめていた。か細い声が甘露寺の耳に届く。

「……菫、………菫」

しのぶは甘露寺がいることに気づかず、ただ圓城に向かって呼び掛けていた。

「……菫……お願い、起きて……、菫……」

甘露寺はその姿をしばらく見つめた。その後、声をかけることはせず、ゆっくりとその場から立ち去った。

 

 

きっと、しのぶちゃん、圓城さんの事、大好きなんだわ。

仲が悪いなんて、とんでもない。

きっと、誰よりも何よりも、大切なんだわ。

 

 

二人の間に何があったかは分からないが、そのわだかまりが解ければいいな、と思った。

その次の日、圓城は意識を取り戻した。意識を取り戻した時、たまたま見舞いに来ていた甘露寺がしのぶを呼びに行くと、しのぶはその場の仕事を放り出してすぐさま部屋へと駆けつけた。その姿を見て、甘露寺はホッと息をついた。

 

 

よかった。無事で。本当によかった。これでしのぶちゃんも安心ね。

二人の関係、どうなるのかしら。

きっと、大丈夫よね。

 

 

きっと、すぐに仲直りできるだろうと思っていたのに、二人の関係はそう簡単に修復できるものではないらしい。退院してすぐに行われた柱合会議で、圓城としのぶは何事か諍いをしていた。二人の間に再び険悪な空気が流れる。しのぶが珍しく声を荒げ、圓城が鋭い瞳でしのぶを睨んだ。甘露寺はどうすればいいのか分からず、ハラハラする。結局風柱と岩柱によってその場は収められたが、圓城はしのぶを避けるように素早く帰ってしまった。

 

 

 

 

しのぶちゃんは、きっと圓城さんの事が好きよね。

でも圓城さんはしのぶちゃんの事を、どう思っているのかしら。

 

 

 

「あ、圓城さーん」

「……恋柱サマ」

甘露寺は圓城の屋敷を訪ねたのは、柱稽古が始まる少し前の事だった。

「ごめんなさいね、突然来てしまって」

「いえいえ、私もお会いしたいと思ってましたので。蜂蜜、ありがとうございます」

お土産にと甘露寺が持ってきた蜂蜜の瓶を持って圓城が笑う。屋敷の客間に案内され、二人向かい合って座った。

「圓城さん、忙しかったでしょう?本当にごめんなさいね」

「いえいえ、稽古の準備はほとんど終わっていますから、大丈夫ですよ」

「よかったあ。それにしても、大きな屋敷ね。ここに一人暮らしなの?」

「ええ。使用人が離れにおりますが」

「使用人って、さっきの優しそうなメガネの人?」

「はい」

使用人という言葉に少し驚いていると、その使用人がちょうどお茶とお菓子を運んできた。

たくさんの焼き菓子に思わず甘露寺は顔が綻ぶ。圓城が微笑みながら、

「恋柱サマ、さあ、どうぞ召し上がれ。おかわりもありますので遠慮はいりませんよ」

と言ってくれた。

「そんな、悪いわあ。でも、せっかくだから、いただきます!」

少しだけ、と思ったのに、そのお菓子が美味しくてどんどん食べてしまった。

気がつくと目の前のお菓子はほとんど甘露寺の胃袋の中へと消えていた。

「あ、ご、ごめんなさい。私ったら、つい夢中になっちゃって」

「いえいえ、遠慮なさらないでください」

圓城が特に気にする様子もなく、そう言ってくれたので、安心した。

その後はお互いに仕事のお礼を言い合う。圓城は穏やかな顔をしていたが、甘露寺が

「圓城さんは、しのぶちゃんのこと、好き?」

と問いかけると、その表情が変わった。

「………っ、」

飲んでいたお茶を吹き出しかけるが、無理やり飲み込んでいた。動揺しながら口を開く。

「……えーと」

「ごめんなさいね、突然。ずっと気になってて…」

甘露寺は興奮が隠しきれずに、圓城に顔を近づけた。圓城が誤魔化すように、

「……んー」

と笑う。やがて、誤魔化しきれないと諦めたのか、使用人の男性を外に出すと、姿勢を正した。そして口を開く。

「……恋柱サマ。なぜそんなことを?」

「私ね、しのぶちゃんや圓城さんと仲良くしたかったの。だって、同じ柱で、女の子同士だったから。三人で、おでかけとかできればいいなーとか思ってたの。まあ、任務が忙しいから難しいけど。」

「はあ」

甘露寺の言葉に困った表情で首をかしげた。

「でも、しのぶちゃんと圓城さんって会議で会う時、すごくギスギスしてて、特にしのぶちゃんはイライラしてて。それがとても残念だなって思ってて。だから、この間入院した時はすごく意外だったわ」

「……意外?」

「圓城さんが意識不明だった時、しのぶちゃんね、仕事をしている時以外はずーっと圓城さんのそばにいたの。私が圓城さんの様子を見に、何度か来たとき、必ずしのぶちゃんが部屋の中にいたわ。手を握って、何度も圓城さんの名前を呼んでた」

圓城が目を見開く。何も言わずにそっと顔を伏せた。甘露寺はその様子を見つめながら言葉を続ける。

「二人がどんな関係なのかよく知らないし、私が口を出すことじゃないけれど、……きっとしのぶちゃん、圓城さんと仲良くしたいと思ってるんじゃないかしら?」

しばらく沈黙が続く。そして、圓城が体を震わせながら、ようやく口を開いた。

「……私は」

「うん?」

甘露寺が笑って首をかしげると、圓城は言葉を詰まらせながら、小さく声を出す。

「……私は、蟲柱サマーーしのぶに…」

「……うん」

少しだけ、圓城が息を吐く。そして、唇を震わせながら、言葉を続けた。

「また、優しい言葉をかけられる資格はないんです。そばにいることは、許されない……」

泣いているみたいだわ、と甘露寺は思った。

しかし、圓城の瞳から涙は流れなかった。必死に泣くのを堪えるように、唇を噛んでいる。

「ひどいことを言ってしまった。ずっと、ずっと後悔しています。過去の自分を殺したいほど憎いです。ずっと、ずっと、嫌われるのが怖くて、死ぬよりも怖くて、目をそらし続けていました。逃げていたんです……」

苦しそうな顔をしている。絞り出すように、声を出していた。

「でも、これだけは、本当の気持ち。幸せになってほしい。護りたい。しのぶが大切だから。傷ついてほしくない。生きてほしい。私の名前を呼んでくれた彼女が愛しくて、あの笑顔を護りたかった。幸せになってほしかった。それだけだったんですよ。本当に。ただ、それだけ……」

 

 

なんだ。

なんだ、そうだったのね。

やっぱり、二人は、すれ違っていただけで、とっても仲良しなんだわ。

 

 

甘露寺は圓城の隣に移動し、そっと肩を支えた。

「……それじゃあ、気持ちを伝えなくちゃ」

ゆっくりとその細い肩を撫でる。

「大きな戦いが始まるわ。生きて会えるか分からない。だから、言葉に出して、伝えなきゃ。背を向けちゃダメ。逃げないで、勇気を出すの。でないと、一生伝わらないわ。そんなの、ダメよ。ね?」

「……はい」

「大丈夫!しのぶちゃんはとっても優しい子だもの!きっと、ちゃんと言葉にすれば、必ず伝わるわ!だから、絶対に諦めないで!」

「はい。ありがとうございました。」

圓城は少しだけ笑ってくれた。

 

 

 

 

 

 

それから、二人の間に何が起きたのか、甘露寺は何も聞いていない。

柱稽古が始まり、それぞれ忙しくなったからだ。お互いにゆっくり話す暇がなかった。

 

 

 

 

 

でも、実はほんの少しだけ、知っている。

 

 

 

 

 

柱稽古の合間を縫って、伊黒の屋敷を訪れた帰り道で、しのぶの姿を見かけた。買い出しをしている途中のようで、大きな荷物を抱えている。

「し――、」

甘露寺が顔を輝かせて声をかけようとしたその時だった。

「しのぶ!」

しのぶを追いかけるように、誰かが名前を呼びながら、走ってきた。

しのぶを追いかけて来たのは、可愛らしい少女だった。甘露寺は、それが誰なのか、一瞬分からなかった。しかし、すぐに気づいて、目を見開く。

それは、圓城菫だった。しかし、前のような彼女ではない。羽織の模様がちがうし、頭にはスミレの髪飾りではなく、黄色の蝶の髪飾りを二つ、付けている。

何よりも雰囲気が、全然違った。同じ顔なのに、別人のようだ。上品だが近寄りがたい笑顔ではなくなっていた。その顔は、小さな子どものように無邪気に笑って、輝いている。

しのぶの荷物を半分ほど奪い取るように持つ。そして二人は何事か話すと、そのまま手を繋いだ。

「………あ」

思わず声が出る。

しのぶが、今まで見たことのない顔をしていた。満面の笑みを浮かべており、その全身から幸せが溢れている。圓城も同じくらい楽しそうに笑い、お互いに手を絡めるように繋いだ。

そして二人は、甘露寺に気づくことなく、寄り添うように歩きだした。

「そう……そうなのね」

甘露寺は小さく呟く。

よかった。二人、ちゃんと話せたのね。

本当によかった。

甘露寺は微笑みながら、二人の後ろ姿をずっと見つめていた。

 

 

 

 

しのぶちゃん

 

 

圓城さん

 

 

二人の思いは、繋がったのね

 

 

本当によかった

 

 

 

やがて、二人の後ろ姿は見えなくなり、甘露寺も自宅へ向かって足を踏み出した。自然と口が緩んでしまう。そして、願った。

 

 

二人が、ずっと、いつまでも、一緒にいられますように

 

 

もう決して離れませんように

 

 

これから先、どんなことが起きたとしても

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甘露寺はそれからも何度か、二人の事を考えた。

全てが終わったら、三人でお出かけしたい。買い物をして、美味しい物を食べるの。そして、たくさん、おしゃべりしたい。きっと、それはとても楽しくて、素敵な事にちがいないわ。

甘露寺はそんな事を想像しながら、口を綻ばせた。

 

 

 

 

 

そして―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「カアァー!!撃破!!撃破!!胡蝶シノブ・圓城菫ノ両名ニヨリ上弦ノ弐、撃破!!」

鴉の声が響き渡り、甘露寺は顔を上げた。

「死亡!圓城菫、死亡!!上弦ノ弐ヲ打倒シ、死亡!!」

その言葉に、一瞬だけ呆然とした。

「しのぶちゃん、圓城さん……」

息が詰まる。頭が真っ白になった。

信じられない。

二人に、もう二度と、会えない、なんて。

悲しみが心を支配する。

あまりの苦痛に胸が張り裂けそうだ。

ああ、でも――、

「……よかった。二人、最後は一緒だったのね」

震えながら、囁いた。

「ごめんね……ありがとう……」

瞳から涙がこぼれた。

「きっと……きっと、大丈夫よね」

二人の笑顔が脳裏に浮かんだ。そして、呟く。

「しのぶちゃん、圓城さん……、二人一緒なら、きっと寂しくない、わよね……」

 

 

泣いている暇はない。ゴシゴシと目元を拭う。

 

 

想いを繋ぐのだ。二人の分まで。

自分も戦う。命を懸けて。

 

 

そして、甘露寺蜜璃は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、時は巡る―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日のこと。

小さな定食屋の店主は、自分の妻の様子に首をかしげた。さっきからソワソワしている。

「どうした?」

声をかけると、妻は無言でチラリと客席を見た。

「……?」

そちらに顔を向ける。現在、定食屋にいる客は、紫色のリボンを頭に付けた小柄な少女一人だけだった。

その紫リボンの少女には見覚えがある。近くにある鶺鴒女学院という学校に通っている少女だ。たまに顔の似ている姉らしき人物や、友人らしき少女と甘い物を食べに訪れる、定食屋の常連客だ。

その紫リボンの少女が、今はメガ盛りの定食を食べていた。

どう見ても全部食べきるのは不可能ではないか、とは思うが、客の注文なので仕方ない。

無言で黙々と定食を食べるその少女は怒っているような泣き出しそうな、よく分からない奇妙な表情をしていた。

「……ねえ、どうしたの?何かあったの?」

様子が気になったのか、我慢できずに、妻が少女に話しかけた。仕事中ではあるが、他に客もいないし、別にいいか、と店主は思い、それを見守る。

「……何も、ないです」

「でも、さっきから、何だか様子が変だわ。大丈夫?」

紫リボンの少女は箸を持つ手を止めると、うつむいて、小さな声を出した。

「……と、友達と、喧嘩しちゃって……」

「友達って、最近転入してきて、仲良くなったって言ってた子?うちにもよく来る、あの可愛い子、かしら?」

少女はコクリと頷いた。妻が心配そうな表情をする。

「何が原因か、聞いてもいい?」

「……さ、最近、よそよそしく、て……。姉さんと何かずっとコソコソ話してるし……。この前、遊びに行こうって誘ったけど、断られちゃって……、その日、姉さんと二人だけで出かけた、みたいで……」

泣き出しそうになりながら言葉をこぼした。

「……私だけ、仲間はずれに、されて……。どうしてって、聞いても、何も答えてくれなくて……。喧嘩に、なっちゃって……」

「まあ、……そうなの……」

妻は何度も頷くと、紫リボンの少女の肩を慰めるようにポンポンと叩いた。

「きっと、何か事情があるのよ。きちんと話した方がいいわ」

「………でも……」

「二人、とっても仲良しじゃない。最近出会ったばかりとは思えないくらい」

妻は客と世間話をすることが多く、彼女達の事もよく知っているらしかった。優しく言葉をかけ続ける。

「転入初日に、ハンカチを拾ってあげて、すぐに仲良くなったんでしょう?」

「……はい。クラスも一緒で……、話しているとすごく、楽しくて……」

「その子のこと、大好きなのねぇ」

妻の言葉に、紫リボンの少女が照れたように下を向いた。

「見ていたら分かるわ。あの子の方も、あなたの事が大好きのはずよ。だから、きっと何か誤解があるのよ」

「……そう、でしょうか」

「ちゃんと、話さなくちゃ。背を向けちゃダメ。逃げないで、勇気を出すの。ね?」

「……」

紫リボンの少女が再びうつむいたその時だった。

「あー!ここにいた!」

扉をガラリと開けて、大声を出しながら誰かが入ってくる。

入ってきたのは、長い黒髪と大きな瞳が印象的な少女だった。少し怒ったような顔をしている。紫リボンの少女の友人だ。

「もう、ずーっと探していたのよ。こんな所にいたなんて」

黒髪の少女は軽く店主や妻に頭を下げながら、紫リボンの少女に近づいてくる。紫リボンの少女は動揺したような顔をしながら、顔をそらし、口を開いた。

「……なによ。私よりも、姉さんと仲良くしたいんでしょう。私のことなんて、放っておきなさいよ」

仲直りしたいくせに、なんでそんな事を言うんだ、と店主は頭を抱えそうになった。妻もオロオロしている。

黒髪の少女が少し怒ったような顔で口を開いた。

「だから、違うんだってば。誰もそんな事、言ってないでしょう、もう……」

「……」

「お姉さんも心配してるよ。早く帰ろう」

「……仲間はずれにしたくせに、そんな事……」

黒髪の少女は大きなため息をついた。そして、

「……はい、これ」

何かを紫リボンの少女に向かって差し出す。

「なに?」

それはリボンの付いた小さな包みだった。黒髪の少女が言葉を続ける。

「今日、誕生日でしょ?」

その言葉に紫リボンの少女が一瞬だけポカンとした。

「……あ」

「忘れてたの?」

「だ、だって……姉さんと、あなたの事ばかり、気になってたから……」

黒髪の少女が苦笑した。

「プレゼント選びに迷って、……お姉さんに、手伝ってもらったのよ。絶対に、喜んでほしかったから……。この間のお出かけも、これを買いに行ったのよ。ごめんね。内緒にしてたから、最近よそよそしくなっちゃったわね」

そして、微笑みながら言葉を続けた。

「お誕生日、おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう!」

紫リボンの少女は戸惑いながらも、そのプレゼントを受け取った。

「……開けて、いい?」

「もちろん」

ガサガサと包みの開く音がする。

「これって……」

「どう、かな。この前、可愛いねって話してた、新しいブランドのハンカチ、なんだけど」

「あの、【ENJYO】って会社の……?」

「うん!」

それは、紫色の生地のハンカチだった。スミレの花と蝶の刺繍が可愛らしい。

「……かわいい」

「最初に出逢ったとき、私のハンカチを拾ってくれたでしょう?私にとっては、すごく、大切な思い出なのよ」

黒髪の少女は、照れたように笑いながら言葉を紡いだ。

 

 

「あなたと出逢えたことが、本当に、とても嬉しいの。友達になってくれてありがとう。――これからも、ずっと、ずっと、そばにいてくれる?」

 

 

しばらく沈黙した後、紫リボンの少女が吹き出した。

「ふふ、よくそんな恥ずかしいこと、言えるわね……」

「……だって、本当にそう思ってるんだもん。……嫌だった?」

「そんなわけ、ないでしょう。嬉しいに、決まってるじゃない」

紫リボンの少女がハンカチを胸に抱き締めながら、笑った。そして、口を開く。

「もちろん。ずっと、ずっと、そばにいるわ」

その言葉に黒髪の少女は顔を輝かせた。

二人の少女は笑い合う。店主とその妻もホッと息をついた。

黒髪の少女は、テーブルに乗っているメガ盛りの定食に視線を向けた。首をかしげて口を開く。

「ねえ、なんでこんな大盛のごはん食べてるの?」

「……ちょっとやけ食い」

「これ、食べきれるの?」

「……無理かも」

「仕方ないなぁ。手伝う!すみませーん、お茶をお願いします!」

黒髪の少女が大声を出す。妻は笑いながら、

「はーい!」

と答えた。

その後、二人は仲良く話しながら、メガ盛りの定食を食べ終えた。

「ありがとうございましたー!」

勘定を済ませ、二人の少女は楽しそうに話しながら立ち去っていく。その姿を、妻がじっと見つめており、店主は声をかけた。

「どうした?」

「うん。なんだかね、嬉しくて」

「何が?」

妻はニッコリと微笑みながら、言葉を紡いだ。

「あの二人が、仲良しなのが、なぜか、すっごく嬉しいの。きっと、いつまでも、ずっと、ずーっと仲良しだと思うわ。とっても、とっても素敵よね!」

その笑顔が眩しくて、店主も笑い返した。

「そうだな。それは、とても、素晴らしいことだな……」

定食屋の夫婦はお互いに微笑み合いながら、二人の少女の後ろ姿をいつまでも、見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※鶺鴒女学院に通う名も無き少女

最近、父親の仕事の都合で鶺鴒女学院に転入してきた。元気で明るい普通の女の子。

花を育てるのが好きで、園芸部に入っている。特にスミレの花が好き。最近は、【ENJYO】という会社の新しいアパレルブランドの商品が気になっており、スミレの花と蝶のロゴが可愛いなーと思っている。

転入初日に、落としたハンカチを拾ってくれたことがきっかけで、鶺鴒女学院の美人姉妹と友達になる。しょっちゅうお互いの家に泊まりに行くほど仲良し。二人の事が大好き。特に妹の方とはクラスも同じで、一番の友達である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










ここまで読んでいただきありがとうございました。
「夢で逢えますように」はこれで完結となります。
予想していたよりも長期の連載となりましたが、たくさんの方々に読んでいただけたようで、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
断ち切れないほど固い絆を持つ女の子達の話が書きたくて、この話ができました。決して強くなくても絶対に挫けず、どんなに絶望的な状況でも自分の力で立ち上がる主人公の話を書こうと思ってできたのが、この小説です。今読み返すと主人公のキャラがブレブレで不安定ですね。申し訳ありません。
こうして多くの方の目に留まり、評価や感想をいただいたこと、とても嬉しく思っております。もしかしたら、今後、小話を思いついたら投稿するかもしれませんが、一応は完結となります。
重ね重ねとなりますが、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。







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