Kyo After (エリミサ号)
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高校生編
第1話 発展


最近新しい作品を書くのはいいけど他の作品の新しい話を怠ってしまっていいるという現状…笑
今回も本能的に書きたい!と思ったので書いてみました!
面白ければ幸いです!!


「謝らないで下さい。謝られて、それを許してしまうとなんだか、全部嘘のように思えてしまいます。だから……謝らないでください」

 

 

杏に想いを告げられ、俺も杏に想いを告げ、椋に謝りに行くとそう言われた。

そして改めて思う。

この決断をするのに時間がかかりすぎたと。

自分にとっても椋と付き合ってたあの時間というのは、本当に幸せだった、でも気づいてしまったんだ本当に気持ちを。

俺のことをずっと見てくれていた、それは本当に嬉しかった。こんな俺でも好きになってくれるんだと。

だから決めた。

椋が俺にくれた色々なことも含めて、杏を幸せにしようと。

 

「好きだからね、朋也」

 

少し頬を赤らめた杏が腕を絡めて上目遣いにそう伝えてくれる。

好きな子からの好きだという言葉は何故こんなにも嬉しいのだろうか。その一言でまた更に好きになってしまいそうだ。

 

「浮気すんじゃないわよ?」

「しねえよ」

 

しばらくの間は、俺たちは椋を傷つけたという罪悪感があるからこそぎこちない関係になるかもしれない。

でも俺は本当に付き合えて良かったと思ってる。多分杏もそう思ってくれてるだろう。

きっとあいつにも良い人がすぐ見つかるはずだと願いながら、俺たちの恋人生活は始まった。

 

 

 

 

 

「で、結局藤林杏と付き合ってわけか」

 

翌日、3限目に来た春原と授業をサボり最近いい空き教室があったのでそこでダラダラと過ごした。

椅子を並べてそこに寝転がっていた春原はまるで杏と付き合うことを分かってたような顔だ。

つか、ちょっとこの体制腹立つなよし椅子を引いて体を地面に倒してあげよう。

 

「おい、俺が真面目な話してんだからちゃんと聞けよ」

「ん?ああわるーーってなんで椅子を引くんですかねぇぇ!!?って痛い!?」

 

ゴツッッッ!!!!

 

頭と上半身が乗っていた椅子2個を一気に引っ張ると見事に頭を思い切りぶつけた。ああなかなか痛そうだな。

 

「あんた容赦ないっスねえ!?これ地味だけど地味に痛いんだよ!!」

「暇だからしょうがないだろ」

「あんたの暇つぶしになんで僕が痛い目みるんですかねえ!?」

 

ったくうるせえ奴だな杏や智代みたいな酷いことはしてねえんだからむしろ感謝しろよ。

春原はもう椅子を引かれるのは嫌なのだろう立ち上がってサボってもなんもすることがないよなど呟いてる。

俺はそんな春原に呟きにスルーし窓を見ると同じクラスの男子たちが持久走をしていた。

勿論、俺らはそんな面倒なものをしたくないので今こうしてサボっている。

4時間目は確か古文だったな。教室で寝るか…。

 

「なあ岡崎、飯どうする?」

「あぁ、今日は杏と約束してんだ」

「うんまあそうだろうなと思って聞いたよ。また僕1人なんだね結構悲しいよ!?」

「ああ?んなの知るかよ」

「あんたほんと薄情なやつだよ!!」

 

春原は今にも泣きそうな顔で俺を見つめてくる。

悪いな…普通だと罪悪感湧きそうな感じだがお前には全然そんなの湧かねえんだ。

最近の昼飯はずっと杏と椋の3人で食べたり椋と2人で食べたりあの2人どっちかがいた。

そして一昨日杏と付き合いだして、今日からは杏と2人で飯を食べることになる。もうこれからは3人で食べるということはないのだろうか。

 

キーンコーンカーンコーン……

 

「おい岡崎、次どうすっよ?」

「俺は戻る」

「そ。僕はここで寝とくよ」

「そうかい。じゃあな」

 

俺はさっさと空き教室を後にする。

次の時間が終われば杏と会えるってのに気分が晴れねえもんだな…。

でもあいつと会ってしまえば自然と笑顔でいることができるのだろう。

自分の教室に入った時、ふと机でなにか作業をしていた椋と目が合いとっさに逸らしてしまった。

これじゃあ避けているって思われても仕方がないかもしれない、俺はそのまま席に座り寝た。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は結構手間のかかる料理作ったのよ?あんたと付き合って初めての手作り弁当だからね」

「確かにこりゃなかなかだな。んじゃ早速いただくぜ」

 

 

確かに杏の弁当の中身は見事だった。ある程度時間をかけないと作れないような具材ばかりが並んでいて見ていてとても食欲がそそる中身だ。今日わざわざ弁当のために早起きして作ってくれたのだろう、俺の為にだと思うとすごく嬉しく思う。

俺が1品1品に丁寧に頬張るのを正面にいた杏は微笑みながらも少し緊張した顔で見つめてくる。しかも杏は一口も食べずに俺を見つめているので非常に食べにくい。だから早めに感想を言うことにする。

 

「美味いぞ、いつもより」

「ほんと?なら良かったわ。ったく、こうやってこの私がわざわざ毎日お弁当作ってきてあげてるんだから流石に代価を返してもらわないとね〜」

「は?別に俺は頼んでーー」

「んー??なに、トモヤ」

「なんでもありません。何を支払えばいいでしょうか」

 

やべえ目が光ってるよ…ビビってるわけではないが今は何も言わない方が懸命だ。

言い返した所でなにあんた私が作ってきてるのに別に頼んでないとかそんな最低なこと言うわけええ!?とか返されて殴られるのがオチである。

まるで悪女に従ってる小人みてえだ、いや、俺がそれを肯定してどうする!んな事絶対嫌だぜ。

まあ、俺が何も言い返さなかったらこいつはこうやって笑顔で頷いたりと気分が良くなるのでとりあえず肯定しておけばいいのだ、そうすれば殴られずに済む。

 

「それでいいのよ。そうねぇー、次の初デートあんたがなにもかも全部奢るってのは?」

「んな払えるか!せめて飯だけとか遠慮はねえのか?」

「なに言ってんの?私の彼氏だから遠慮しないでやってんのよ?だから素直に喜びなさい」

 

こいつ…遠慮の意味ちゃんと分かってんのかよ。そもそも遠慮というのは相手のことを気遣う行動なのに全くこいつの行動には遠慮というものは感じられない、むしろ逆だ。

あー我慢しろ俺、自分がこいつを好きになって付き合おうと決めたんだこういうイラッとすることは日常茶飯事に起きるってことを分かった上で付き合ったんだ、だから慣れろ…!

だが流石に全部支払うというのは場所がどこであれもできないのでとりあえずこの事は軽く濁そう。

 

「まずそんなことよりどこ行くかさえも決まってねえだろ、話はここからだ」

「まず今デートするってこと決めたしね〜。私見たい映画あったのよってことで初デートは映画でおっけえ?」

「…分かったよ。じゃあ映画代は2人分払うがあとは知らん。それでいいか?」

「ったくケチな男ねえ。しょうがないからそれでいいわよ!」

 

普通は映画代支払ってくれると分かったらお礼を言われるべきなのだろうが仕方ない、相手はこの藤林杏だ、俺が払うなどまるで当たり前みたいに返してきやがる。

ここでありがとうなど可愛らしく言ってきたら他のも何か買ってあげようという良心的な気持ちが芽生えるのだろうがまずその言葉さえも発しないからな。

俺はひとつため息をついて最後のおかずを頬張った。

 

「ごちそうさん、美味かったよ」

「そりゃ私が作ったんだから当然でしょ。あ、それと朋也っ」

「んだよ」

「私椋にもお弁当渡してたんだけどもうチャイム鳴るじゃないアンタのクラスに取りに行く時間もないのだから代わりに椋からお弁当貰っといて〜んで帰りに渡してくれたらいいから!」

 

杏はわざとらしくニコニコしながら早口言葉でまくし立てる。

あの一件から2日しか経ってねえのにこの2人はすっかり元の仲良しさに戻ったようだ。まあ完全に戻ったという訳でもなさそうだが。

 

「お前それ最初から計画してただろ!隣なんだから取りに行けるだろ」

「あーもーー私だって忙しいのよ!!それ以上ぐだぐだ言うならあんたの髪の毛全部抜いて口に入れてやろうかしらええ?!」

「分かりました俺が貰ってきます!」

 

弁当食べるだけでなんでこんなに恐ろしいことを何度も言うのだろうかこいつは…。しかもあれから椋とは気まづいんだ話しかけるのにも躊躇がある。杏からすれば早く前みたいに話して欲しいという意思があるからこうやって俺と椋の仲を取り繕うとしてくれてるのだろうが正直余計だとも思ってしまう。自分が招いた責任なのだ、自ら椋に接しようとも思っていた。まああいつも責任を感じてるからこその行動なのだろうが。

そして杏とは別れまたため息をつきながら自分のクラスに戻った。

 

 

 

 

 

 

「りょ………藤林」

 

正直、なんて呼べばいいのか分からなかった。

椋という言葉が少し染み付いていたので藤林という呼び名に戻った今違和感を感じた。だが別れてから椋と気安く呼び捨てで呼んでいいのか分からなかった。

予鈴が鳴ったので席に戻ろうとしていた藤林に俺はそう声をかけた。

 

「え?と、ともやく……お、岡崎さん?」

 

俺に声をかけられたことにびっくりしたのだろう大きく目を見開いて少し緊張していそうだった。

そして下の名前で呼ぼうとしたが俺が藤林と呼んだのでこいつもとっさに特別な関係でなかった時の呼び名で俺を呼んだ。

 

「悪いないきなり声かけて。杏が藤林に渡した弁当杏に藤林から貰っといてって言われたからよ」

「あ、そ、そうなんですね……!じゃあお願いします…」

 

藤林はオドオドしながら机の横にかけてあった弁当袋を取って渡してくれた。

 

ーー謝らないでください。それを許してしまうとなんだか、全部嘘のように思えてしまいます。

 

その2日前に言われた言葉を俺は思い出した。

だから謝らなかった、俺もあの時の出来事は嘘だとは思いたくなかったからだ。本当に楽しかったんだ、それに嘘はない。

なのに、藤林はあの時そう言ってくれたが今の俺たちはその出来事をかき消すみてえな行動してんじゃねえのか?

本当にあの出来事を俺たちが嘘じゃないと楽しかったと容認しているのならばこんなに緊張しねえ。

 

「…………椋」

「……え??」

 

だから言う。

俺はお前と距離を置きたいわけじゃない、もしかするとお前は距離を置きたいかもしれないが、その時は拒んでくれたらいい。

勝手な言い分だが杏の傍にいれば必ずと言っていいほど近くには藤林椋という存在もいる。その存在を避け続けるというのは俺には無理だ。椋には少ない期間だがたくさんの事を俺に与えてくれた。俺を好きでいてくれることが嬉しかった。

それなのに違う人を見ていた、しかも椋の姉貴に。

本当に遅かったんだ、俺たち。

椋には酷いことをしてしまった。それでも、俺だってあの出来事を忘れたくはない。

 

「椋、俺だってお前と付き合っていたという出来事を嘘だとは思いたくない。楽しかったんだ、ほんとに」

「朋也くん……」

「だから、さ。これからも友達として仲良くしてくれねえかな。杏も、多分それを願ってる」

 

ああ俺、すげえ自己中な発言してんな……。

でも、それが俺の本当の気持ちだ。椋とはこれからも大切な友達として過ごしていきたい。

どっちみち誰かが傷つかずにはいられなかった俺たち3人。

 

「……何言ってるんですか。私だって、あの出来事を嘘と思いたくないです。私だって………朋也くんと話したいです!!」

「そうか。じゃあこれからも友達としてよろしくな、椋」

 

この選択をして、悔いはない。

 

俺は、藤林杏が好きだ。

 

 

 

 

 

 



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第2話 帰り道

「おっそーい!どんだけ待たせんのよ!」

「春原が俺とどうしても帰りたいってわめくからさ時間がかかったんだよ」

「普通あんな奴ほっといてすぐ彼女のとこに来るべきよ!」

 

相変わらずの春原、言われようが凄い。

あとわめかれたっていうのも嘘でただ単に授業中爆睡してしまいチャイムがなっても気づかずに放課後になっていたからだ。

……ん?待て、春原のやつなぜ俺を起こさなかった?

6限目の時は確かいたよな、隣に。

 

「杏、今度春原に会ったら思う存分しばいていいぞ。あいつ何気にお前に殴られんの楽しんでんだよ」

「は??あいつそこまでいっちゃう気持ち悪さなの?次しばく時は私に殴られたという記憶を失くすくらいには殴らないとダメね」

 

おい春原、まじで気持ち悪がられてんぞ。まあこれも嘘だけど。

とりあえず俺を起こさなかった罰としてあいつには殴られる権利を与えよう。

 

「今日も陽平んとこ?」

「ん?あぁ、そうだな」

「いつもあいつといて気狂わないの?」

「狂う狂う」

 

俺は適当に返しその話を流そうとする。

正直あんな家にいるのならば春原の部屋にいるほうがよっぽどマシだ。

杏には俺の家庭事情というものを話しておくべきなのだろうが今は話す気にはなれなかった。まずあんな奴のことをなぜ話さなければならない?そんな話をするならばもっとイチャついたり他愛のない話をしたい、ずっと杏と笑いあっていきたい。

だからわざとこれ以上この話を続けるなと拒否反応を示し伝わったのか杏は違う話題に変えた。

 

「思うんだけどさー、あんた前髪切ったらもっとかっこよくなるわよ」

「あ?なんだいきなり」

「だって結構長いじゃない?せっかく顔は整ってるんだから絶対切った方がいいわよ!そうね、もう切りましょ!私の彼氏なんだからかっこよくないと困るわ」

「なんでお前の判断で俺が髪切らないとーーー」

「なにかなトモヤクン??」

「なんでもないです近いうちに切ります」

 

分かったからその右手に持っている辞書を早く治してくれ。

本当いつも思うが毎回それはどこから出てくるんだ。気づいた時にはもう投げられているからなそれ。

こいつ実は勉強家なのか?家に辞書専用の本棚とか置いてんのじゃねえのか。とにかく春原みたいに辞書を頭にぶつけられて気絶はしたくないので言うことを聞いておくに損なことはない。

あいつはわざと歯向かっていくからダメなんだよ。

 

「決まりね!じゃあ私が切ってあげる!前髪だけで美容院行くなんて勿体ないでしょ」

「お前が!?切れるのかよっ?」

「当たり前じゃない!普通切れるでしょバカにしてんの?」

「いやしてねえけど……」

 

いや普通に怖いんだが。

だって想像してみろ、杏に髪の毛切られんだぜ?それこそ丸坊主とかしそうじゃねえかよ。

いやそれだけじゃ済まないかもしれない、切っている最中に杏を怒られせたりでもしたら、、、、

いや、想像するのはやめようとにかく絶対にしてはいけないことは杏を怒らせてはならないことだ。

怒らせてしまうと俺は意識が一生戻らなくなる可能性もあるからな……これ程怖い散髪は初めてだぜ。

 

「じゃあ明日の放課後切りましょ!袋とハサミがあれば教室でもできるしね」

「……分かった」

 

これは今までで1番したいとは思わない散髪だな。

杏は機嫌が良いのだろう笑顔で今日あった出来事などを話してくる。

そういえば、椋から預かってた弁当箱返さねえといけないな。

俺はカバンを漁り可愛らしい弁当箱を取り出して杏に渡した。

 

「ほら、弁当」

「ん?ああありがとね。で、どうだった??」

「……今まで通り仲良くしようぜってことにはなったよ」

「ほんと!?やっぱ私がいなきゃ話しかけることすら無理だもんね〜これで解決ね!」

 

いやお前がいなくてもいずれ解決することだと思うぞ。

俺だって気まずいまま椋と同じクラスっていうのは嫌だしな、何しろずっと俺の事を想ってくれていた人なんだ、自分の勝手でこの事はうやむやにするということは絶対に出来なかった。でも、今日で本当に解決したと思う。もう少し時間がかかるかなとは思ったが、確かにこの短期間で椋との関係が改めて良くなったのは杏のおかげだろう。こいつの手助けがなかったらしばらくは気まずいままだ。

 

「でもこれで、お前と遠慮なくイチャイチャできるな」

「な、何言ってんのよ!アンタ椋と前までみたいな友達に戻ったってなってもしばらくはそういうのは自粛するもんよ!」

「じゃあいつかはイチャイチャしていいんだな?」

「あーもうっ、そういうのは別に聞かなくても分かるでしょ!!男の子って常にそれしか考えることできないの?」

「健全な男なら普通のことだろ」

 

逆に付き合っているのに何も考えない奴がいたほうがおかしいだろう。今の年齢からしてみると男というのは常にそういうことを考えている奴が多い。俺だって普通並みに性的な興味はある。

好きな女の子だからこそもっと知りたいし一緒にいたいし触りたくなる。言ってしまえばこの感情が出てきたからこそ好きという感情を認識できるのだろう。その好きという感情が溢れ出すと、その人のことを触れたくて仕方がない、これは健全な人だと思ってしまう感情ではないだろうか?

 

「私だってもっと朋也の傍にいたいわよ。でも今アンタと恋人らしいことをしたら絶対に椋の事が浮かんじゃう……。だから学校でそういう事するのはしばらく待って」

「元はと言えば俺があやふやにしてしまったことが悪いんだ、お前が悪いわけじゃない。それにお前、これで良かったんだろ?遠慮しすぎってのも悪いんじゃないか?」

 

かえって俺たちが遠慮しすぎてしまうと常に遠慮がちの椋からすればもっと遠慮させてしまうだろう。

こうなることを分かった上で付き合ったんだ、ある程度は割り切っていかないと俺たち二人も上手くいくか分からない。

 

「お前が1番あいつのことを分かってやってるだろ。だったらどうすればいいかはお前が1番分かってるはずだ」

「……まあね。とりあえず私は朋也より椋優先で考えることを忘れちゃダメよ?」

 

そう当たり前みたいな口調で杏は言う。

たった今、俺は彼女の妹に優先順位が負けてしまった。

そう思っているのは勝手だが口には出さないで欲しい、何しろ俺だってプライドというものがあるからな妹でも負けてしまうのはなんだか悔しいじゃねえか。

そんなこんなで分かれ道になった。

 

「明日の散髪楽しみにしてなさいよー!」

「気が変わって春原を丸坊主にするってのもありだぜ」

「なんで陽平の髪を切らなくちゃいけないのよ。朋也優先よ」

 

お、なんだか春原相手だが優先されたことがすごい嬉しいぞ。

今虫でもなんでも何かに優先されたら多分すごい嬉しい。こいつからして俺という存在はどれくらいの程なのだろうか?

……と、こんなにも人に興味を持っているんだなと感じた俺は鼻で笑った。

髪を切られることに関しては全然切らないで結構だが杏と一緒にいられる面に関しては大歓迎だ、だから前までだったら本気で拒むところを今は拒んだりしない。帰る間際の少し空いた距離から杏に伝える。

 

「杏」

「んー??」

「好きだ」

「なっ……!!」

 

なんてこといきなり言い出すのよ…!!と言わんばかりの真っ赤な顔の杏を見て俺はぶっと笑った。

最近思う。人と関わることでこんなにも人は変われるんだと。

俺がこんなにも相手のことを知りたいと思うのも杏と椋のおかげだろう。

 

「俺から好きって言ってなかったからな。んじゃまたな」

 

 

杏の言葉も待たずに俺は歩き出す。

こんなにも幸せな日々は初めてだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい春原、茶」

 

その後いつものように寮を目指し春原の部屋にたどり着いた瞬間、俺はそう呟いた。

が、当の本人はこんなきったない地面にいびきをかきながら熟睡していたのだ。

 

「てめえ今日の放課後俺を起こさなかったな?よし、お前がその態度なら俺もやってやろうじゃねえか」

 

カバンをどっか適当な空いてる場所に置いてTシャツとパンツ一丁で寝てる春原を見て何をしたら面白そうかを考える。

ラグビー部の連中は確か今日から3日くらい合宿で部屋を空けてたよな……ってなると美佐枝さんくらいだな。

俺は適当な紙にサインペンで《僕と春原大家族を築きましょううひゃっ》と書いてパンツの上に貼り付けて部屋を出た。

そして廊下を進んで美佐枝さんの部屋をノックする。

 

「はぁーーい」

 

掃除機でもかけていたのだろう雑音に混じりながらの美佐枝さんの声が聞こえてきて扉が開いた。

 

「や、美佐枝さん」

「あぁ岡崎か。どしたの?」

 

そういえば今の時間に美佐枝さんが部屋にいるって珍しいよな。

今のちょうど放課後の時間だとご飯作ってるかこらー!!と叫んでラグビー部か春原を追いかけている頃だろうに。

ん、まてそうなると今やこの寮は春原と美佐枝さんだけになるんじゃねえのか!?

他の運動部の奴もいるかもしれないが少なくとも春原とラグビー部の奴以外見た事がない。

だとすると今日あいつが俺を起こさずに帰ったってことは早く寮に帰って美佐枝さんと2人きりで過ごそうという考えがあったからこその行動ではないだろうか。でも何故寝てるんだ?

 

「あ、春原が愛想つかしてるから私んとこ来たの?」

「え?なんで?」

「あいつラグビー部がいないのを機に私の部屋に入ろうとするから鍵かけて無視を決め込んでたのよ」

「ほう。いつもみたいに殴らないって珍しいのな」

「私だってやりたくてやってるんじゃないわよ」

 

なるほど、それでやることもなく俺が来るまで寝てようと言う感じで今に至ってんだろうな。

ていうかあいつはやっぱアホだな。

誰もいない時に女の部屋に訪れるなど下心が丸出しである、少しはもっと考えたことをすべきだろう。たまに核心につく言葉を言う時もあるのに普段はだらしない。

そして美佐枝さんも部屋着なのかいつもとは違う服をしていてそれは何とも胸を強調されるような感じな服だったので俺はつい目線を逸らした。こりゃ普段の服にしてもらわねえとこの寮に住んでる奴らが大変なことになるぜ……。

 

「まあとにかく、その春原が美佐枝さんを呼んでんだよ」

「またあ?なんの用よ」

「なんか大事な話があるんだってさ。進路のこととかじゃね?」

「春原が!?でもそれは確かに相談に乗らないといけないわね……」

 

美佐枝さんは少し考え込むと分かった、今から行くわと言って1度部屋の中に戻ってしまった。

よし、これでセッティングは万端だな。あとは春原の部屋の近くにでも隠れておいて様子を伺うか。

ちょうど死角になるところを身を潜め少し遠くからバタンと扉の音がする。そしてこちらに向かって足音を響かせ春原の部屋に着いてノックをした。

 

「春原ーいるんでしょー?相談乗りに来たわよ」

 

と、美佐枝さんは声をかけるが出てくる気配もなく沈黙の時間が流れる。そして美佐枝さんは考える暇もなくドアを開き中に突っ込んでいった。すると……

 

ブゴンボガアアアボンバヘッッッッッッッッ!!!!!!!!!

 

「岡崎いいいいい!!!アンタも同罪じゃあああああ!!!」

 

ブゴンボガアアアボンバヘッッッッッッッッ!!!!!!!!!

 

…………………………………………。

 

 

 

 

 

 

「でなにこの光景は?!気付いたら殴られてる僕の身にもなってよ!!」

「てめえが下心丸出しなのが悪い」

 

ああ痛え……。

あの後すぐに俺が仕掛けたことだと美佐枝さんにバレて同じくらいに暴力の説教をされた。

今思えば俺の周りって暴力振るう奴って多いよな?美佐枝さんや智代や杏や。その中での杏と付き合っていたら俺の人生長生きできるのだろうか。

 

「ラグビー部がいないからって好き放題しない!はあ……あのうるさいヤツらが居ないうちにゆっくりしておこうと思ったんだがねえ」

「悪いな、明日からちゃんと静かにするからさ」

「ここに住んでるような言葉を言うな!ったく次またあったときは本当に容赦しないわよ?」

 

結構言葉のトーンがガチだったので俺と春原はうんうんと頷く。

今の現状を言うと春原の部屋で俺と春原は美佐枝さんに言葉の説教をさせられていた。

ちなみに春原はもうパンツではなくきちんとヨレヨレのズボンを履いている。その春原を見るとさっきから美佐枝さんの強調された胸に釘付けだったので美佐枝さんもそれに気付きまたボコられた。

 

「はあ……アンタらの将来が本当に不安だわ。岡崎、アンタは卒業したらどうすんの?」

 

そうふいに進路相談のような話題を美佐枝さんは吹っかけてきた。正直俺らがあんまりしたくない話題だ、そんなのを話してどうすんだとつい言い返してしまいそうになる。高校の教師らもそんな話をしてもあまり意味はないと思っているのだろう他の色んな道がある、希望がたくさんある連中ばかりにそういう相談に乗っている。

この人も俺が高校ではどんな奴かというのはある程度知っているだろう、名前を書いたら行ける大学もあるだろうが行きたいとも思わない。

だから就職という言葉を分かりきっての質問だったのだろう、俺は平然と返す。

 

「就職するよ、それしかねえからな」

「ふうん、そ。ま、頑張んなさい?就職でもある程度は内申とかそういうの大事なんだからさ今から少しでも上げてみてもいんじゃない?」

「岡崎が?無理無理、僕なんか勉強しよとか微塵も思っちゃいないしね!」

「春原のことは聞いてないわよ」

「ひどっ!?僕の相談はなしっスか!」

 

そんな春原と美佐枝さんの会話を隅にふと、杏の顔を思い浮かべる。

もし内申が悪くて思ったような就職に就けなかったらあいつはどう思うだろうか?仮に杏とずっと付き合っていくとしてそんな中途半端な就職をしていいのだろうか。

杏と付き合っていなかったら、多分俺も春原と同じ様なことを考えていただろう。でも今は違う。

あいつとしては俺にもちゃんとした就職に就いて欲しいと思っているだろう。私と付き合ってるんだからちゃんとしなさい!!とかなんとか言いながら。

そうか、俺は今、ちゃんと夢があるやつと付き合っているんだな。

保育士を目指したいと杏は俺に伝えてくれた。だから高校を卒業したら大学か専門学校に進学することになるだろう。

と、そこまで考えてふと美佐枝さんを見つめる。やっぱりあいつの彼氏として、少しはきちんとしなくてはならない。

 

「なあ、美佐枝さん」

「なに?」

「俺、少し真剣に考えてみるよ。大事にしたい奴がいるんだ。そいつが困ったりした時、俺1人で助けられるようになりたい」

 

こうやって物事にきちんと向き合おうとしたことは本当にいつぶりのことだろうか?

やっぱり、人を好きになる力というのは凄いなと実感する。

現に春原はなんともいえない感情なのだろうごっちゃになって表現しにくい表情をしている。

そう伝えた俺の目は真剣な眼差しだったのだろうか?美佐枝さんは笑いながら伝えてくれる。

 

「岡崎、そう思えることはすごい大事なことよ。人を好きになったらね、今までしようとも思ってなかったこともできるようになる。だから頑張りなさい」

 

その言葉は前までの俺までには1個も突き刺さらなかっただろうが今はとても突き刺さってくる。

だから決心する。あと1年もないが、少しくらいは大切な人のために頑張ってみるのもいいのじゃないかと。

こんな俺が少し頑張ったところで何も成果が出ないことも有り得るだろうが、やってみないと分からない。

そう思えるようになったことに喜びを感じた。

 

「よし春原、明日から寝坊すんなよ」

「いや僕も!?」

 

だから明日から、春原を巻き込んで頑張ることにしよう。

 

 

 

 



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第3話 散髪

チリチリチリチリチリチリ……。

 

「ん………」

 

次の日、ちょうど朝の7時にセットしていたアラームを止めてゆっくりと体を起こす。

こんなに早起きしたのはいつぶりだろうか。少なくとも高校生になってから滅多にこんな時間に起きることはなかった。

そして少し長い前髪が目に入る。多分、今日は結構ばっさり切られるのだろう。前髪をきちんと切るのも久しぶりかもな。

適当に置いてあったパンを食べて歯磨きをして支度を始める。

準備が終わった頃には7時半を回っていたが充分過ぎるほど時間には余裕があった。

朝早めに家を出て春原を巻き添えにしようかと考えたが一緒に行くってのは気に食わないのでやめた。

しばらく家でぼーっとした後、親父もいないも同然にしながら無視して家を出た。

 

 

 

 

 

「岡崎じゃないか」

 

まだ登校するには早い桜並木の人通りもあまり多くない時間帯に、そう声をかけられた。

そこには2年生の、この前念願の生徒会長になった子が立っていた。

そいつは俺の姿を桜並木の方から少し微笑みながら見ていた。

 

「智代か。いつもこんなに早いのか?」

「生徒会に入ってからこの時間には来るようにしてるんだ。お前こそこんな時間に珍しいな?」

 

高校では有名な不良と学校の代表生徒、生徒会長がこんな目立つところで話してる場面というのはやはり凄く目立つだろう。

俺だって普通の生徒会長にもし話しかけられたりでもしたら無視を決め込む。だけどこいつは俺らの立ち位置というのを理解している人間だ、しかもどこか似ているところもある。

だからこうして普通に話せるのだろう。

 

「これからはちょっと真面目にしようかなと思ってさ。遅すぎたかもしれねえけど、今までみたいな生活よりはマシだろ?」

 

そう言う自分の言葉に少し照れくささを覚える。

今までなら絶対に考えない、考えたくもない言葉を何故か今こうして人に伝えている。

それが自分自身でも変わったということを実感して少し嬉しくも感じた。

智代は何も言わず微笑みながら頷き桜並木を見つめる。

そういえばこいつはこの桜並木を切られないようにする為にここの生徒会に入ったんだよな……それはどうなったのだろうか。

 

「ここの桜並木はどうなったんだ?」

「覚えてくれていたんだな。無事、切らなくて済むようになったんだ」

「良かったじゃないか。お前以外の奴も、ここを切らないでほしいと願ってる奴は多かっただろうしさ」

「ああ、本当にここは素敵な場所だ」

 

智代からは本当に安心した、やっと自分の願いが達成されたという思いが伝わってきた。前に智代は言っていた、この桜並木を切らなくて済むようにこの高校に転入してきたと。

正直、彼女の過去の素性から見ればここの進学校に転入するということは簡単なことではなかっただろう。

彼女にとってここはとても思い入れがある、決して消したくない思い出というものがここにはある。

そんな彼女を見て俺もここの桜並木が切られなくて良かったと心から思った。

 

「きっとお前、いい生徒会長になれるよ」

「岡崎からそんなこと言われるなんてな、意外だ」

「俺もだ」

 

だけど今言った言葉は建前とかじゃなく本当に思ったから言った。

それ程今の坂上智代という女の子は、輝いて見えたのだろう。

やはりこうやって人の上を立っている人物の隣に立つ人ってのもやっぱそれについていける人物とかなのだろう、自分には無縁のところだ。

 

「岡崎、頑張れよ」

「ああ、智代もな」

「うん、いくら桜並木が切られないことが決定しても他にやることはいっぱいだからな」

 

普通なら嫌がりそうな業務をこいつは笑顔でやる気に満ちている顔で平然と言う、その顔を見るとやはり生徒会長という責務をきちんと感じていて本当にこの学校のために頑張ろうと思っているんだなと感じた。だから他の生徒もそうなのだろう。智代がこの学校の生徒会長に相応しいと思っているから選んだ、そして信頼している。

さっきから智代に挨拶している人は多かった。普通だったら生徒会長でも印象が薄かったりや挨拶も通っただけではされないのが普通だろう。挨拶をされるというそれだけの事だがそれは本当に凄いことなのだろう。実際、俺に挨拶するやつなど当然いないし逆に蔑んだ目線を向けられている。しかも智代といるからいつもよりもっと視線を感じる。

智代が生徒会長となった今、俺という存在が近づくのは異様に見えた。

 

「じゃあな」

「おい、岡崎っ?もう行くのか?」

 

智代の声かけに無視して、俺は教室に向かった。

 

 

 

 

 

 

「おい岡崎、本当にこれから真面目にやっていくのかよ?」

「昨日言っただろ」

 

初めて4限もの授業を寝ずに受けた後の昼休み、春原は寝癖がついたまま教室に来た。なんともだらしなかった。

俺はずっとこいつといたのか……少し他のやつから見た春原はどんな感じなのかというのがわかる気がした。

と言っても、春原の目は真面目にやっても何も意味がない、するだけ無駄だよとさりげなく伝える目だった。春原も巻き込もうと思ったがこいつはまず真面目に取り組むという思いがないので俺が無理やりそれをさせるのも違うだろう。ってことで突き放そう。

 

「俺はまだノートが書ききれてねえんだ、どっか行ってろ」

「えぇそんなのいいから昼飯食いに行こうぜー?それともまた杏と食べんの?」

「分からん」

 

今のところ弁当を毎日作ってきてくれるという約束などはしてなく成り行きで一緒に弁当を食べるという感じなので今日は弁当か学食かというのは杏が俺のクラスに来るまで分からない。

付き合ってからもなんとなく作ってきてくれて一緒に食べているという感じなので絶対に作ってきてくれるという確信はなかった。

だとしても、今日は来るのが遅いな……だとすると今日はないということだろう。

 

「春原ちょっと待ってろ。もう終わる」

「腹減ってんだから早くしろよー?」

 

少し言動にイラついたが今は先にノートを終わらせるのが先だこいつの言動にいちいち突っかかってたらキリがねえ…抑えろ俺!

ノートを書き終わり春原と教室を出るといきなり英和辞典??が飛んできてとっさに避けた後それは春原に激突した。

いや危なすぎだろ……あんなの当たったら軽傷じゃ済まないぞ。

普通じゃ絶対にしない行動を俺たちにしてくる奴は1人しか該当しない。

 

「コラァ陽平!!!なにアンタ朋也とご飯食べようとしてるのよ!それとも私が作った弁当を無駄にさせたいわけええっ!?」

 

いや待て、完全にその辞書俺の方にも向かってきたよな?よけなかったら絶対お前の彼氏に当たってたんだぞ?

しかもまたどこから出してきたんだよ、制服に辞書など入れれるポケットとかもねえだろうが。それともなんだそのスカートのポケットってのはそんなに奥深くて横広いのかよ。

春原は見事に辞書に激突したので当然のごとくぶっ倒れているので杏の言葉には返せなかった。

 

「はあ……ま、でもいいわ。朋也、今日私用があるから一緒に食べれないのよだから弁当だけ置いとくから!じゃ、急いでるからまた後でね!」

 

杏は弁当を机に置いてさっさとクラスを出ていった。

その騒動に俺やクラスの奴らはぽかんと見ていたが次第に「やっぱりあいつらって付き合ってるよな?」「いくら藤林杏ってたって選ぶ相手間違えたんじゃないの?」「藤林もああ見えてモテるのになー。なんであいつなんだ?」と言いたい放題にクラスのやつらが言ってるのが聞こえてくる。

 

「なんか文句でもあんのかよ?」

 

俺がその瞬間そいつらを睨みつけてそう言うとすぐに目線を逸らし何事もなかったように振る舞う。

その中で、1人だけオドオドと目線を送ってくるやつが1名、椋だった。

椋にもさっきのクラスのやつらが言っていたのが聞こえていたのだろう、何かを言いたそうな顔をしていた。

俺は無理やり春原を起こした後椋に目線で大丈夫だ、と伝えるように頷いて席に座る。

ここでの俺たちの居場所というのは、本当に少なかった。

 

 

 

 

 

 

「杏のやつ……次会ったら覚えてろよお!!」

「お前まじで寿命短くなるぞ」

「へっ、岡崎相手は女だぜ?坂上智代は論外として藤林杏は女の子なんだよ!この僕が本気を出したらあんな奴すぐに倒せるさ」

「おい、杏は俺の彼女だってのを忘れてんのか?」

「悪いな岡崎。何回も何回もあんな分厚い辞書ぶつけられてこっちはもう我慢できねええんだよおおお!」

 

春原の叫びが教室中に響き渡りまたジロっとクラスのやつに睨まれる。

ていうかこれ、俺たちがこんな目で見られるのって9割方こいつのせいだろ。

あとこいつは本当に杏に何かをしかねないので近々春原がお前を襲うぞ!と忠告しておかねえとダメだな。

相手は杏なのでそう簡単にはいかないだろうがもし本当に春原が男の力というものを見せるつもりなのならばそこは俺が止めるしかない。

 

「とりあえずさっさと食え、もう予鈴鳴るぞ」

「ああ?ったく、今の岡崎は真面目くんなんだもんね授業なんか遅れる訳にはいかないもんねー」

 

普通ならキレるほどの嫌味だったが俺はスルーした、春原が嫌味っぽく言う気持ちも分かるからだ。

真面目にしてもいい事ばかりではないし努力しても報われないことがある、それを俺と春原は知っていた。

でも一生に1度しかない人生の分岐点になるでもあろう高校三年生の1年間。今からでもほんの少し、頑張ってみるのもいいんじゃないか?

それから適度に仕事をこなしてそこそこの人生を築きあげていったらいいんじゃないか。

そこにもし杏が傍にいてくれるのならば。

それだけで俺は、充分だと思える。

 

「お前、変わったね。杏がいるからか」

「中途半端な彼氏にはなりたくねえからな」

 

そうだ、あいつに見放されないように頑張るのも必要だ。

きっと春原にも、もしもしもし大事な人ができたとすればきっと今のこの気持ちが分かってくれるだろう。

 

「そ。とりあえずその弁当のおかずいただーーウギャャャャアア!!」

「てめえ勝手に食うな!」

 

勝手に杏が作った弁当のおかずを取ろうとするので春原が持っていた箸を一瞬で取り上げてそれを鼻に刺す。見事に激痛だったらしく涙目でお前もなかなか遠慮ないっスね!!と言って昼休みが終わった。

 

 

 

 

 

 

五六時間目もなんとか睡魔に耐え抜きながら受けて放課後、春原にも後で家に行くとだけ伝えて教室で杏を待っていた。

放課後とだけあって教室にしばらく残る奴もいるのだろうと思ったが3年という時期であってなのかホームルームが終わってから10分もすれば人もいなくなっていた。進学校ってだけあって5月という今の時期でもライバルと差を離す大事な時期なのだろう。

ぼんやりと見ていた窓から目を逸らして教室の扉に目を移すがまだ杏は来ない、大方クラスの友達と話し込んでるってところだろうな。

俺は今日授業を1個もサボらずに寝ていないということもあり眠気が少し襲っていたので深眠りしないようにイヤホンで音楽をかけて杏が来るまで仮眠した。

 

 

 

 

 

「ーー朋也」

 

 

 

とても安心できる声がした。

それは、いくら聞いてもずっと聞いていたくなるずっと俺の傍でそうやって名前を呼んで欲しいと思ってしまう声。

ずっと他人という存在に興味がなかった俺が必要としている存在。

 

 

「ーーてよ、朋也」

 

 

 

つい前まで鬱陶しくて俺らに絡んでくる数少ない女友達という存在だったのに、今ではそんな言葉では表せない関係になっている。

ゆっくり目を開けると、そこには少しキツめな顔だがとても可愛らしい顔立ちの彼女がいた。

彼女はいつの間にか寝ている時聴いていたイヤホンを片方奪っていてそれを片耳にはめながら俺を見つめていた。

その距離はなかなかの至近距離であり思いを伝えあった時にキスをした光景を思い出させてくれる。キスをしようか、と考えたがつい昨日彼女に学校は椋がいるからしばらくは自粛しましょと言われたので椋は今いないが我慢することにする。俺はそのまま寝ていた体制で杏に話しかける。

 

「……悪い、寝ちまった」

「結構待たせちゃったからねえ〜。友達と話し込んじゃってたの、ごめんね?」

「そうだろうなとは思ってたよ」

「そ?ま、彼氏なんだから彼女を待つのは当然のことだし私が謝る必要もないけどね」

 

いや、謝る必要はあると思うぞ。

あと本当にそれで謝らないやつがいるとするのならば彼氏の方も黙っちゃいないだろう。

そしてやはり距離が近いので、ずっと見つめ合ってると流石に恥ずかしくなってくるのか杏は時々目を逸らしていた。その仕草がとても可愛らしくもっと普段も女っぽいことをしてくれたらいいのにと思った。

俺はそんな杏に愛しさが増して触れたくなったので髪の毛に触れる。

 

「髪、伸ばすのか?」

「アンタはどっちがいいの?」

「俺的には伸ばしてくれた方がいいな」

「なに?じゃあ今の髪には満足してないわけ?」

「そういうわけじゃねえよ。今の髪型になったからこそ付き合えたってのもあるわけだしな」

 

散髪をするはずなのにこうやってダラダラと話をする時間が長引く。それは2人がこの時間が幸せで何よりも優先したい時間でもあり、もっと見つめていたいし話したいし触れたかった。

俺がそのまま頭を撫でるとその手に杏の手が重なる。その手は小さいながらも温かさがあり、人の体温というものを感じることができた。

こんなにも、人の体温が愛おしいと思うのは初めてだ。

 

「そうね。じゃ私の髪だけ、朋也の言いなりになってあげる」

「なんだそれ」

「アンタがいいと思った髪型なんでもするってことよ。その代わりふざけたやつ言った瞬間アンタの脳みそ直接開けて常識ってのをしっかり教えてあげるわ」

 

一瞬、触れていた杏の手に力が込められた。少し考えていた事だったのですぐに消去することにしよう、もしそんなことを頼んだ時俺の脳みそはなくなっているかもしれない。とりあえずもうそろそろ髪の毛切ってもらうか……しかし、春原も呼ぶべきだったか?邪魔にしかならないからさっさと帰ってもらったがここにいてくれればあいつの髪型をもっとアホらしくできたのにな。杏がイヤホンから流れている音楽を口ずさみながら俺の手をずっと握っているのを見ながら俺はため息をついた。

よし、俺も男だ覚悟を決めよう。

 

「……そろそろ髪切るか?」

「んー?そうねえ、じゃきちんと座って!」

 

杏はイヤホンを外して俺の手を離す。正直もっと繋いでおきたかったのだが仕方ない。

近くに置いてあったカバンからハサミと袋とクシと鏡を用意して俺の背に立った。そこから緊張の散髪が始まる……!!

 

「じゃ始めるわよ。まず整えていくから」

「お、おう」

「なに、緊張してんの?前髪切るくらいでなにそんなこわばってんのよ!」

「いや普通なら平然でいられるんだけどな……」

「私に髪の毛切られるってのが嬉しくて緊張してんの?」

「あー嬉しいとても嬉しい」

「なによその棒読み」

 

しばらく髪の毛を整えたり切ったりした結果ーー鏡を見ると前髪が綺麗に切られていて形も不自然ではなかった。

恐れていたことが起きなかったので俺は安心する。そして再び鏡を見る。こうやって自分の顔をまじまじと見るのは滅多にしないことだった。目にかかっていた前髪がないことに少し不自然になるが視界も広いし俺の顔がどんな感じなのかがはっきり分かる。

鏡から映る杏の顔は今のこの時間がとても幸せなんだなと思うくらいに楽しそうな顔をしていた。

 

「やっぱ朋也ってイケメンよねえ、絶対前髪切った方がいいわよ!」

「気が向いたらこれからも切るよ」

「絶対よ?私の彼氏なんだからかっこよくなくっちゃ!あと、朋也」

「なんだ?」

「アンタ、冗談抜きにかっこいいんだからさ……他の女の子に言い寄られちゃうかもしれないじゃない?その時も私だけを見てくれるのかなって……あ、あはは」

「お前……変なところで自信ないのな」

 

いつもは自信満々であたしかわいいからとか言って自分には自信を持っているはずなのに。特に恋愛面ではそう、こいつは自分に自信がないような行動をとっている。だからこうして俺たちが結ばれるのは遅すぎてしまった。

だけどそんなことを普段言わなさそうな杏が俺にこうして可愛いことを言ってくれる、俺を必要としてくれてるのが凄く嬉しく感じた。

そんな強気で常に容赦ない言葉を放って男勝りだがとても可愛らしく世話焼きの彼女に、絶対にそんなことはないから安心しろと言う代わりにその小さな体を優しく抱きしめた。

 

 

 

 

 



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第4話 初デート

CLANNAD書き始めたのはいいけどUA自体余りのびない…笑趣味で書いてるだけなので全然いいのですが!笑あとこの物語では智代を中心的に出していこうかな…??渚やことみや時には風子もバンバン出していきたいなとは思っています!
原作に沿った杏編のストーリーを少々改変するかもです、すみません!
長い文章をいつも読んでいただきありがとうございます。



10時にセットしていたアラームが鳴り響く。

いつもの休日なら12時か1時頃まで寝ているのでなかなか体を起こすこともできずしかも昨日はなかなか寝付けなかったので尚更だった。

なんでアラームなんか鳴らしてたんだっけ……?やべえ、眠過ぎて考えられねえ。

起きなければならないという思考はあるのだが睡魔には勝てずアラームを1度停止してもう一度横になる。最近は寝坊もせずにきちんと学校にも行っていたので余計な疲れも溜まっていた。

 

『じゃあ今週の日曜初デートね!遅刻したら容赦しないわよ?』

『おう』

 

そういや、金曜日杏に髪を切ってもらった後の帰りにそう言われたな……それでその後春原の部屋に行って。

そこで俺の意識は覚醒する。

時計を見ると時刻は10時30分。

 

「今日日曜じゃねえかよ!!」

 

杏との駅前集合は11時だった。

 

 

 

 

 

 

「遅いわよ!!」

「悪い!」

 

意識が覚醒した瞬間俺はダッシュで布団から起きて服を着て歯磨きをして寝癖を直して急いで駅前に走っていったところ着いたのは11時ジャストだった。

初デートに遅刻ギリギリで来るやつとなれば誰もが不愉快になるだろうが相手は杏だ、不愉快どころじゃないだろう。

 

「私つい最近友達と話してたのよ〜。デートで遅刻してくる男は甲斐性なしで馬鹿で陽平と同じくらいヘタレって。特に初デートで遅刻とか最悪よねーね、トモヤ??」

「はは、それは最低だな!」

「分かってるじゃなーい!ってことで次は遅刻しないで済むよう足の骨何回も折って矯正してあげようかええっ!?」

「ま、待て!悪かった次からはしねえから!」

 

杏は俺に一気に詰め寄ってきて本当にやりかねない顔で拳を振り上げる。

殴られるーーと思って構えたが意外にも腹に1発だった、でもすごい痛い。

 

「ギリギリ遅刻じゃないからこれで許してあげるわ」

 

はあ、とため息をつきながら杏はそっぽを向く。普通だったら怒った彼女が可愛いと思う人もいるのだろうが杏が彼女になればそんなことは1ミリたりとも思わないしただただ恐ろしい。

だけど、いつもと違う姿には可愛らしさを覚えるわけで。俺は腹をさすりながら杏を見つめると水色のミニスカートに5月らしい春物のカーディガンを着ていた。杏と外で会うということはなかなかないことだったし前椋と付き合っていた時に偶然会った時も身軽な服装だったので実質私服を見るのは初めてだった。にしてもやっぱり制服のときとは印象がかなり変わるな……私服を着ると一気に大人っぽくなってやがる。

高3というオシャレや化粧などそういう類には敏感な年齢だ、顔を見るとうっすらと化粧もされているのが分かる。きっと杏も、服装選びや化粧などで早起きして準備していたのだろう。それに対して男は特に何もしないで家を出るだけだ、それなのに俺は遅刻してしまった。

それにデートで遅刻をする、ということは待っている相手からすればあまり楽しみじゃないのかなと不安な気持ちを生み出すこともあるだろう。今更ながらなんで2度寝してしまったんだと深く後悔しもう一度杏に謝った。

 

「すまん、杏。俺もすげえ楽しみにしてたんだ。次からは絶対に遅刻しない」

「言ったわよ?次それでしたら本当に足の骨折るわよ」

「ああ、ちゃんと守る」

「そ。ならもう行くわよ!映画始まっちゃうじゃない!ちゃんと予約してるんだから」

「何時からなんだ?」

「11時半よ!」

 

なんでそんなギリギリに予約してやがる!?と反論すればまた怒らせてしまうので黙っておく。

杏は俺の手を取り駆け足で映画館にへと向かおうとする。

今までなら絶対に手を繋いだりする仲でも2人で遊ぶことなどもしない(俺が絶対に断っているだろう)2人なのに、今はこうしてデートをしている、お互いがお互いを想っている。

本当、1年前の俺からすれば予想もしない状況だろうな。まず彼女という存在を必要としていなかったし他人にも興味がなかった。それに杏に関しても全く恋愛感情を持っていなかったしな。

たまに見える杏の横顔は常に笑顔で。それをずっと守ってやりたいと思った。

そのまま駆け足で手を繋ぎながら移動しやっとショッピングモールにたどり着く。ショッピングモールと映画館が併用しておりここの上階に映画館がある。俺と杏はエレベーターに乗り少しかいた汗を拭き取った。

 

「まだ10分は余裕あるわ。よかったあ」

「ちなみに何の映画見るんだ?」

「ん、これ」

 

杏はカバンからチケットを取り出しそれを渡してくる。

そのチケットには『愛しの君へのラブレター』と書かれておりなんとも興味が出にくい内容っぽかった。

 

「面白いのか、これ?」

「アンタ知らないの!?めっちゃ今CMとかでやってるじゃない、今予約しないと席が取れないほど埋まる映画なんだから!ほら、そこのビラも見てみなさいよ」

 

エレベーターの壁にでかでかと貼っていたビラを見るとこのチケットの題名と同じ『愛しの君のラブレター』のあらすじや登場人物などが書かれていた。そして上の方にデカ文字で『日本中が泣いた大ヒット作!!今見ないでどうする!』とありきたりの文章が並んでいた。

正直、全くもって興味がそそられない。だが杏の言っている通りそんなにも流行っているのならばこれで見たいと思う人が続出しているのだろう。こんなのに1000円も払うのならばもっと他のやつに使いたい。

 

「しかも映画代朋也が払ってくれるんだもんね〜いやありがとね!」

「は?」

「なに覚えてないの?言ってたじゃないこの前弁当食べた時、俺が払うって」

 

じわじわと昼休みの時の会話が思い出されていく。

言った、確かに言ってしまっていた。この映画に俺は2000円も払わなければならないのか?興味もない恋愛映画になんで俺の金をつぎ込まなければならないんだ……。

第一今まで映画館など滅多に行く機会もなくDVDが発売されてから見るという感じだったので映画を見るだけで1000円取られるというのは俺にとっては高額だった、バイトもしてないし尚更だ。

映画館に着いて列にしばらく並んだ後仕方なく受付の人に2000円のチケット代を支払ってチケット1枚を杏に渡した。

 

「サンキュー朋也!たまには優しいとこあるじゃない!」

「分かったからさっさと行くぞ。時間ねえんだろ?」

「どうしてアンタってこういう時キザな言葉一言や二言言えないのかしらねぇ?お前の為ならなんでも奢ってやるよ、とかさ」

「言ってほしいのかよ?」

「まあ、好きな人に言われたら嬉しいもんじゃない?」

 

こいつ的には言って欲しいのだろうが断固としてお断りだ。俺はそんなことを言う人柄でもないし言いたくなるセリフでもない。

あと本当に杏の為ならなんでも奢ってやるよ、とでも言った始末には破産の未来が待っていることだろう。ていうか、春原に関して言えばもし彼女が出来たとすればそういうキザなセリフ1日に1回は言ってそうだよな。そしてあの伝説の言葉『君の瞳に乾杯』とかも軽々しく言っているかもしれない………恐ろしいぜ、春原。

 

「とりあえず本当に始まっちゃうから早く行きましょ!ほら朋也、手」

「また繋ぐのかよ?」

「恋人なんだから当たり前でしょーが」

 

強引に杏は俺の手を取り先導していく。

正直さっきはかなり急ぎ足で来たのでまだ暑さは残っていてあまり手は繋ぎたくないのだがこの手を自分から振りほどくのも嫌だった。なので握られている手を握り返し少しお互いの手汗を感じたが気にもとめなかった。

中に入るとほぼ満室状態で杏の言っている通り本当に人気の映画なんだなと感じる。事前に予約していた席は後席付近の真ん中よりの席で、そこに座る。

 

「映画館って後ろの方が見やすいのよねー」

「確かに全体的に見えるな」

「でしょ?ほら、始まるわ」

 

大きなスクリーンに顔を向けると最後の予告編が流れて映画が始まった。小さく聞こえていた話し声も始まると無音になり全員がスクリーンに夢中になっている。

どうやら最初は高校時代の出来事を振り返っているらしく2人は相思相愛だったらしい、それでそのまま何もなく高校生活が終わったと。

そこのシーンまでは俺も見たが、正直全く興味もないジャンルだったので睡魔の限界が来てしまいそこからは話の内容などこれっぽっちも分からなかった。1度杏に何かしてみようかーーと考えたがあまりにも真剣に見ていたので何もせずに静かに寝た。

 

 

 

 

 

 

 

「せっかく感想言い合いたかったのになんで寝てんのよ!」

「お前こそ俺が恋愛映画なんか興味ねえの知ってんだろ!」

「興味なくても彼女と見てんだから無理やり起きるもんよ!第一映画ってのはね終わってから感想を言い合うのが醍醐味ってもんなのよ!」

「だったら友達多いんだからそいつら誘えばよかっただろ」

「あーもう!あー言えばこう言う!!」

 

杏はもういいわ!とだけ言い目の前に置いてあった水が入っているグラスを飲み干して無言になる。

俺たちは映画を見終わったあと近くにあった学生には良心的なファミレスに来ていた。俺は見事に映画が終わる最後まで寝ていて杏も終わった時に俺が寝ていたことに気づいたらしく中盤と後半の内容が全く分からなかった。だとしても普通寝ていたら途中で絶対気づくだろ、それだけこいつが映画に夢中になってたってことだから余程面白かったのだろうが。確かに終わったあとに感想を言い合うのは杏からすれば大事なのだろうがもし仮に俺が全部映画を見て感想を言い合ったとしても一言二言しか話さなかっただろう。そしてしばらく無言だった杏が口を開く。

 

「私は朋也とどこかに行きたかったからこの映画誘ったのよ……」

「なんだって?」

「ほら、今週末にデートしよって決めたのって最近じゃない?遊園地とかだったらお金のこともあるでしょーが。だから身近な映画にしたのよ。恋愛映画にしたのは私の友達が初デートは絶対恋愛映画って勧めてきたからさ……」

 

俺は杏が杏なりに色々考えているんだなと思い少し驚いた。

確かに遊園地などとなれば飛んでいく金が大きすぎるのでいきなりはキツい、そうなればまだ出費があまり出ない映画やカラオケなどになってくる。カラオケは本当に2人の空間になり個室にもなるのでこいつからすれば会話やその他の面も少し抵抗があったのかもしれない。逆に映画となればそれだけで2、3時間は潰れるだろうし終わってからも感想などを言い合うことができ楽しむことができる。なので倍に緊張してしまう初デートに映画を選ぶというのは最もいい選択なのだろう。正直こいつといれるのならば公園でダラダラ過ごすとか金のいらないいつでもできるようなことでも良かった。でもそれは俺の価値観なわけで、杏からすれば2人で色々な所に行きたいと思っているかもしれない。できるだけそれを叶えてやりたくもあった。

 

「……悪かったよ。俺お前と居れたら別にどこでもいいって思ってるからさ、本当にどこでもいいんだ。だからこれからもお前が行きたいと思った場所に行こうぜ」

「え?」

「それで2人の思い出をたくさん作るんだ。まあ、受験だから色々行こってのもせめて夏休みまでくらいだろうけど」

「行きたいと思ったところ、全部連れて行ってくれるわけ?」

「ああ、そうだな」

「……そかっ。ありがと、朋也。確かに今年はキツイだろうから卒業後とかたくさん行けそうじゃない?」

 

そう杏は当たり前のような口調で俺たちが卒業してもまだ付き合っていられるんだ、と確認できることを言う。

そこからは行きたい場所や杏の友達話や椋の話や色々なことを話し(ほぼ俺は聞き役だ)外がだいぶ暗くなっていたのでファミレスを出た。

家まで送るよと伝えると杏は俺の腕に絡んでくる。結構歩きにくい状況だがそれ以上に幸せな時間だった。

 

「杏、お前保育士になるんだよな。大学か専門学校どっちなんだ?」

「専門学校に行くつもり。だから受験っていっても内申きちんと上げとけばいけるかなって感じね」

「そうか」

「朋也は?」

「今できる限り真面目に授業とか課題に取り組んでんだよ。少しでも頑張ってたらもしかすると今の状況で就職するよりはいい所に就けるかもだろ?」

 

杏は俺からそんな言葉が出るとは思いもしなかったのかしばらくぽかんとあの朋也が……!?とでも言わんばかりに驚いていた。

無理もない、自分自身でもこの3年間真面目とかそういう類のものには縁のないものだと思っていたのに今こうして学校という存在と向き合おうとしている。

だけどこうして向き合えるのは、今目の前にいる杏のおかげでありこいつがいるから少しくらい頑張ってみてもいいんじゃないかと思えてくる。今のままダラダラと過ごして適当に就職活動して内定を貰えない、という結末はあまりにも彼氏としてはヘタレで甲斐性なしだ。

杏は更に抱きついている腕の力を強くする。

 

「私のおかげ?」

「まあな」

「今のままじゃ内定取れるかすら不安だもんね〜。確かに彼氏が私よりダメダメだったらもう終わりね」

 

冗談なのか本気で言っているのかは分からないが少し突き刺さるぞ……今までの俺は全部ダメダメってことになるじゃないか、そりゃそうだが。それに俺と付き合っていたらクラスのやつらとかに前みたいに言われるかもしれない。それは賛成的な言葉やめでたい言葉をかけるのではなく否定的な言葉だ。だが杏は人脈が広いのでこいつがどんな性格なのか、どんな人間なのかっていうのは分かってる人が多いはず。だからそこは好都合だ、そういう言葉は全部俺に向かってくるだろうから。そう言われるのは俺の今までした行動や、良くない印象ばかりを与え続けていた結果である。だからそこに杏を巻き込むのはごめんだ。

 

「こっちの方がかっこいいだろ?」

「そうね、まず前までのアンタが無気力すぎんのよ」

「そうだな。なあ、杏」

「ん?」

「キスしたい」

 

唐突に言ったので杏は少し顔が赤くなる。

俺たちはまだ1回しかキスをしたことがないので余計に緊張が走った。俺は喉をごくんと鳴らし杏の返答を待つ。今はこいつに触れたくて仕方がなかった、腕を絡めるくらいじゃ足りない。

そして杏は絡めていた腕を振りほどき俺の真正面に立ち手を俺の肩に置く。OK、ってことなんだろうな。杏の腰に手を置いてゆっくりと接近していく。お互いほんのり顔が赤くなっているだろう、もう口が重なりそうな瞬間、お互い目を瞑ってキスをした。

杏は軽いキスだけのつもりだったのだろう軽く5秒間くらい重ねてた唇を離そうとするので俺は無理やりもう一度キスをせまる。

 

「んっ……!!」

 

驚いたのか僅かに声を響かすが無視してしばらくキスを続けた。

やがてゆっくり離すと杏は顔が赤くなりながら不機嫌そうな顔で2回するんだったらちゃんと言いなさいよ!!と怒鳴る。

俺は軽く謝って杏を抱きしめた。

こんなにも誰かを必要とするのは初めてだ、本当に。

これからの日々は2人とも忙しくなるだろう、そう簡単にデートも行けないだろうしな。でもその分、その後には楽しい出来事がきっと待っているはずだ。

 

 



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第5話 道

先週から本格的に忙しくなってるので更新めっちゃ遅くなると思います…!それか文字数減らして投稿早めにできるようにするか……。。


あの初デートから5ヶ月が過ぎようとしていた。今の季節はもう秋で、改めて時間の流れというのは早いものだなと実感する。

あれからも俺はきちんと学業を真面目にこなしていきテスト勉強にもきっちりと励んだ結果まあまあいい成績を取ることができた。杏は専門学校に進学なのでもうとっくに受験は終わっており椋(椋も専門学校らしい)と買い物に行ったり進路が決まった友達と遊びに行ったりと高校生活を充実している様子だった。

だが、就職組はまだまだ終わっていないわけで内定が決まるその日まで気を抜けないわけだ。もうそろそろ就職組も就職活動が始まろうとしているので杏と会える時間は自ずと少なくなっていくだろう。ていうかまず、あの初デート以来杏の受験が迫っていたのでなかなかデートも出来ずかなり忙しかったので今の今まで特に進展はなかった。そこには少していうか大分不満はあるわけだが……でも仕方ない。少しだけ我慢すれば2人の進路が決まったあとは2人で色々なことができる。

それまで我慢だ、と言い聞かせながら俺は途中だったテスト勉強に再び手をつける。

今の時刻は5時半、俺は1人で放課後の学校に残って就職組からすれば最後のチャンスである定期テストの勉強をしていた。ここで少しでもいい点を取れればいい評価を貰えるのでやっておいて損はない。本当だったらやっと落ち着いた杏と一緒に帰ろうと思ってたのになんで定期テストがこの時期にくるんだよ……。

杏にはやっと落ち着いたんだから少しは自分に時間を使えと言って無理やり帰らせた。それにあいつがいたら絶対に勉強がはかどらなくなってしまうのでそれは嫌だった。

俺がため息を着いた瞬間、教室の扉が開く。

 

「まだ残っていたのか、岡崎?」

 

そう声をかけてきたのは智代だった。普段は眼鏡などはかけていないのに今は珍しくかけていたので生徒会の業務中だったのだろうか。

智代は遠慮なく3年の教室にズカズカと入ってきて何をしているのかと机を覗き込む。

 

「勉強か?」

「ああ、まあな」

「あの時言っていたこと嘘じゃなかったんだな。見直したぞ」

「そりゃどうも。お前はこんな時間まで何してたんだ?」

「生徒会だ。思ったより量が多くてな、なかなか終わらないんだ」

「大変そうだな」

 

あまり学校のイベントや活動には興味がない俺でも智代がどれほど生徒会長として頑張っているのかは知っていた、それにたまにすれ違う時に見てみても下級生や上級生にも慕われている雰囲気があり正に生徒会長という役柄に合っている人物だった。だから俺はそれを壊したくもなかったのであの桜並木で会った時以降智代には話しかけなかったし話しかけられてもすぐ会話を終わらせた。それでもこうしてこいつは俺に話かけてくれるのでそんな人の接し方も智代が慕われている理由だろう。

今は対して誰も見てやしないので普通に話すことにする。

 

「お前はしばらく全然私と話してくれなかったからな。これでも寂しかったんだぞ?」

「悪かったよ。でも俺と話してたらお前の印象が悪くなるさ」

「……そんなことで私を避けていたのか?気にすることはない、周りからすれば生徒会長が不良に注意しているとしか思わない」

「そんなもんだといいけどな」

「そんなもんだ。だからこれからは私と普通に話をしてくれ。嫌われてしまったと思うじゃないか」

 

智代は身を乗り出してそう主張した。確かに自分が関わりたいとか仲良くなりたいと思っている人に嫌われてしまったかもという態度や雰囲気を出されたら誰だっていい気分ではないだろう。一方的に避けてしまっていたことに少し罪悪感が芽生える。だからといって仲良くなりすぎるのもダメよな……流石に杏と付き合っていて他の女の子と仲良くしていたら張本人に絞められる可能性があるかもしれない。

だから適度な距離で今までみたいに会ったら話す、そんな関係を俺は望む。

 

「分かった、じゃあこれからは智代と会った時とかは話しかけるよ。それでいいんだろ」

「ああ、そうしてくれ。それと岡崎、お前テスト期間毎日残るつもりなのか?」

「そうだが?」

「だったら生徒会の仕事が終わったら手伝ってやれるぞ、お前はまず1年からの基礎がついていないだろうからな。私でも教えてやれるし3年の勉強も少し分かるんだ」

 

そりゃすごい、ぜひともその脳みそを交換してもらいたいものだ。

確かに智代の話は俺からすればとてもありがたいことだが放課後の教室で2人きりなど彼女がいたらアウトだろう。しかも彼女はもう既に帰らせてあるのにそれなのに他の女の子と勉強をする、そんなことがあいつにバレてしまったらとんでもないことになるので流石にそれをする勇気はなかった。それに杏には変な誤解を与えたくないし困らせるようなことは絶対にしたくない、誰か頭良い男友達がいれば良かったかな……まあそんなことを今更思っても意味無いが。

多分智代はまだ俺と話そうとしているので帰ったフリをして図書館に向かおうと思い支度を始める。

 

「ありがとよ。でも俺一人でできるよ」

「そうか。……お前はまた、私を避けようとしているな」

 

参考書や教科書をカバンに詰め込み教室を出る前に智代の顔を見るとなんとも寂しそうな顔をしていた。すこし沈黙の時間が流れたので気まづくなる。

……別に言う必要ねえかなと思って杏のこと言ってなかったが、これは言った方がいいのか?

なんで前より距離を保っているのかは確かに付き合っているんだと言えばすぐに解決するだろう。

 

「俺、付き合ってる奴がいるんだ。だからだよ」

「そうなのか!?……誰と付き合ってるんだ?」

「藤林杏だ。お前も知ってるだろ?」

「ああ。そうか……あの方と付き合っているんだな」

 

杏も智代も仲がいい感じではないがお互いの顔や名前は知っているのですぐに認知できるだろう。

俺は教室を出ようと促し教室の鍵を閉める。

 

「職員室に用があるからそれは私が返しておこう」

「そうなのか?じゃあ頼むよ、ありがとな」

「ああ。彼女さんを幸せにな」

 

教室の鍵を渡して智代の言葉に俺は頷き図書室に向かった。あいつもこれで避けられているとか思わなくて済むだろう。それに今までの関係と大して変わりはないし俺と話さないくらいで寂しがる必要もないはずだ。それなのに……なんで付き合っているって話したあとも、あいつは寂しそうな顔をしていた?その理由ってのは絞られるわけだが今はそんなことを考えるより以前にしなければいけないことがある。

もう外も暗くなってきているのであまり長居はできない、30分だけでも図書室で勉強しよう。春原の部屋に行ったところで勉強なんかできねえしな、家に帰るってのも嫌なので俺は学校を選んだ。

幸い図書室はまだ鍵が空いていた、ということは誰かがまだ居てるということになり俺はその誰かというのに心当たりはあった。

扉を開けて入るとそこには地面で本を読んでる奴が1名、予想的中だ。

しばらくその子の近くに突っ立ってみるが一向に気づく気配はない。これも前までと変わらんな、俺はもう少し近寄ってしゃがみ込み本を読んでるその子に声をかける。

 

「一ノ瀬」

「……………」

「ことみ」

「……………」

 

まだ熱中してるのかこいつはっ。

仕方ない、ちゃん付けで呼ぶしかないのか……。

 

「ことみちゃん」

「ん…………朋也くんなの」

「久しぶりだな、ことみ」

 

やっと俺の存在に気づいた彼女は笑うこともなくぼーーっとした顔で俺を見つめた。

こいつとは4月頃にサボる場所を探していたときに図書室で数回話したくらいだった。なので特別親しい関係でもなく会ったら話すくらいの関係。でも不思議と話すのがかったるいとかそういう感情はなかった。

 

「いつもこんな時間までいるのか?」

「大体そうなの」

「そうか。悪いが30分くらい居座らせてもらうぜ」

 

ことみがこくんと頷くのを確認し俺は近くにあった机にカバンを置き教科書類を取り出す。

チラとことみを見たが再び本を読み始めたので邪魔をしないよう静かに勉強を始めることにする。辺りは日を浴びているときと違いだんだんと暗くなっており終わっているクラブも多かったので学校自体が静かだった。これならちゃんと集中できそうだーーと思った矢先少し離れたところから視線を感じたのでそちらを振り向く。彼女は目が合うと読んでいた本を地面に置いたまま近づいてきた。

 

「朋也くんは何をしているの」

「ん?ああ、勉強してんだよ」

「……そこ、答え違うの」

「えまじかっ?」

「そこはこうするの」

 

どこから取り出したのかは分からないがことみは持っていたシャーペンでその間違っていた問題の途中式を書き出してくれる。見てみるととても分かりやすい途中式であり馬鹿な俺でもすぐに理解することができた。流石優秀なだけあって人に教えるということは非常に上手いのだろう。ていうか、テスト前なのに勉強もせず本を読んでるだけって感じなのになんでこうも差が付くんだ?元からの素質もあるのだろうがこうしてことみを見るとこんなにも勉強をしているのがバカバカしくなりそうだ。そしてあっという間に6時になり俺は帰る支度をする。

 

「ありがとなことみ 。そろそろ帰るよ」

「また来るの?」

「あー……気が向いたらな」

「分かったなの」

 

久しぶりに会話をしたことみに別れを告げ俺は図書室を出る。にしても、やはりいまいちどこか掴めない変わったやつだ。気が向いたら行くとは言ったが余程のことがなければ図書室には向かわないだろう、テスト勉強も教室でできるしサボることももうないだろうしな。

もう活動時間も終わったのかクラブ活動のやつらがグラウンドで片付けをしているところを見ながら俺は歩き出す。

ーーそうやって窓を見つめふと校門前を見た時、見知った人物がそこに立っていた。

俺はそれを見つけた瞬間気づいた時にはもう走っていた。この5ヶ月間、一緒にいる時間というものは全然少なかったがどれ程一緒にいてもこの気持ちが薄れるということはなかった。あいつから専門学校に合格したと聞いた時、自分のことのように嬉しくなった。他人の嬉しい出来事を自分も同じ気持ちで祝うことができるようになった。あれ程つまらなかった学校が少しマシになった、少し有意義のある時間を過ごせるようになった。

そう思えることはきっと生きていく上で重要で、俺みたいに何もやる気がなく淡々と過ごしている日々は言葉通りつまらない日々だろう。

だから人は趣味や恋人やら何かと有意義な時間を作ろうとするんだろう。

俺は階段を降りて昇降口を出て走るとそこには校門を背もたれにして立っていた杏がいた。

 

「杏!!」

 

少し汗ばんだ顔の汗を拭き取りながら近づく。

杏は俺の存在に気づき駆け寄ってきた。

 

「おっーそーい!アンタこんな時間までするつもりだったの?」

「お前こそずっと待ってたのかっ?」

「なわけないじゃない。友達と途中までは寄り道してたんだけどさやっぱ朋也と帰りたいなーって思って戻ったらまだ靴あったからさ、待ってたの」

「いつから」

「5時くらい?」

 

1時間、待っていてくれたということか。

杏が1時間も待つということはなかなかにないことだもし1時間も待たせたものなら恐ろしいことが待っていることだろう。

なので1時間も俺のために待っていてくれたということに嬉しさを感じた。俺は杏の頭をありがとうの代わりにぽんと手を置き前を歩き出す。

待ちなさいよと早歩きで俺のところに駆け寄ってきて杏は俺の腕に腕を絡めた。

 

「最近涼しくなってきたからまた腕組めるわね」

「夏は暑っ苦しかったからな」

「ね。明日も残んの?」

「そのつもりだ」

「やっとあたしの受験が終わったってのにね〜。しばらくはどこにも行けそうにないわね」

「それが終わったらいつでも行けるさ。だからそれまで待っててくれ」

 

その言葉の意味がこれからもずっと付き合っていける、という意味で捉えてくれたのだろう杏の組む腕が更に強くなりうんと頷いてくれた。

5ヶ月経ったのだから何か進展はあるはずなのだろうが俺たちはキス以上のことにはまだ進んでいない。

お互いがかなり忙しい状況下だったので2人でいれる時間も昼休みやたまに一緒に帰るくらいしかできなかった。そろそろもっと色んなことがしたいーーとは男の俺は思うわけであるのだが……そういう事も一段落するまでお預けなのだろうか。俺は学校から離れたあまり人目のつかない所に着いた瞬間杏にキスをした。拒む様子もなく杏は俺の腰に手を回し受け入れ態勢に入っていたので構わず続ける。

息が苦しくなってきたら1度呼吸を整えまたキスをして杏の体温を感じる。

 

「んっ………朋也っ」

「杏っ…………」

 

もっとこの体温を感じていたい、もっと触れていたいという感情に支配され俺はもっと深くキスをする。

少し回された腕が固まったが拒まれてはいないので続けることにして試しに舌を入れてみることにする。

5ヶ月も付き合ってこのディープキスも数回しかやったことがないというのとは受験でもなんでもない学生からすればなかなか珍しいことだろう。とにかく今の俺は杏にもっと触れたかった。

舌を入れた瞬間びっくりはしていたが同じ気持ちだったのだろうか?その舌に応えてくれるように杏の舌と絡み合う。

……しばらく互いの体温を味わったあと、ゆっくりと口を離しお互い顔を赤くしながら呼吸を整える。

もっと先に行きたい、と毎回キスをする度に出てくる感情が今日は更に強くなっている。もっと杏のことを知りたい、その先というのは俺が知らない杏も見れるわけで。

その感情を紛らわすように杏を抱きしめた。

 

「悪い、息苦しかったか?」

「そりゃもうめちゃくちゃ。でも朋也とキスしてたらそれに夢中であんま気にすることじゃない……かな?」

「早くお前とずっと一緒にいたい」

「……もうちょっとの我慢よ」

 

一緒にいれる時間は確実に少ないのになぜこんなにも幸せと感じれるのだろうか?こいつがいればこれからの就職活動も自然と頑張ろうと思えてくる。もう少しで定期テストもやってくるのでしばらくは一緒に帰れるかどうかも微妙なところだろう。だけどそれを乗り切ればきっと楽しいことがあるはずだ。

大手の企業は確実に無理だが生活に余裕は出るくらいの少し大きめの会社に就くことが出来てそして杏とも付き合っていけることができる、そんな未来を本気で願う。

卒業まであともう半年あるかどうか、ここからも俺の踏ん張りどころだろう。

俺と杏は手を繋ぎながら再び帰宅路を歩き出しお互いの分かれ道になった。送っていこうかと聞いたがその時間を勉強時間に使いなさいと言われそれに素直に従うことにした。

 

「お前結構髪伸びたよな」

「ん?ああそうねえ、朋也が好きなあの時の髪には全然及ばないけどね」

「今のも好きだぜ」

「そりゃあ分かってるけどやっぱアンタが一番好きな髪型にしちゃいたいじゃない?」

「馬鹿。それじゃお前の意思がねえだろ」

「アンタが私のことずっと見ていてくれたらそれでいいの!それに髪は伸ばしたいしね」

 

杏は少し頬を赤くしながらそう伝えてくれる。

こうやって素直に愛情表現をしてくれたらこっちもある意味恥ずかしくなる、ていうかまじで可愛すぎんか……。正直まだまだ一緒にいたかったが今はやるべきことがあるので欲望を無理やりかき消した。

杏も帰るという行動に躊躇しているのか帰る気配がないので俺は繋いでいた手を離した。

 

「また明日な」

「……うん。じゃあね、朋也」

 

名残惜しそうな顔をしていたがやがて笑顔でそう返し杏は自分家の帰宅路を歩いていく。

俺は見えなくなるまでその姿を見送り重い足で自分家に向かうことにする。

家になどこんな時間に帰りたくなかったが逆に勉強をするという状況でいてばいい環境にあそこはなっていた。

常に静かで人はいるが俺に干渉してくる奴はいないので誰も邪魔をしてこない。部屋に引きこもっていたらあいつの顔も見ずに済む。

あともう少しの我慢だ、杏に見捨てられないためにも頑張る必要がある。

俺はダルい気持ちと奮闘し就職活動に向けてのやる気を出した。

 

 

 

 

 

 



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第6話 出会い

原作と結構話変わるかと思います…!!
あと遅くなってすみません!書く時間がなさすぎてすごい遅くなりました!


「やべ、寝坊しちまった……!」

 

定期テストのために深夜かもう朝なのか分からない微妙な時間に寝た結果見事にダッシュで準備をすればギリギリ学校に間に合うという時間に俺は起きてしまった。

しかも今は定期テスト真っ最中の期間なので遅刻は絶対に許されない。急いで身支度をして朝ごはんもがっつきながら食べ参考書などをまとめて入れ寝癖は適当に手で整えてから家を出る。

あんま寝てないから頭も回ってねえ……まだテスト期間だから午前中だけで終わるのが幸いだったな、帰ってから仮眠でも取るか。

少し走りながら腕時計を見ると準備するのが速かったのかまだ少し時間には余裕があった、このままだったら間に合いそうだ。

……と、桜並木を通り抜け校門に入ろうとする直前に見たことがある少女が隅っこに立っていた。

スルーする、という選択肢もあったが俺はピッタリと足を止めてその少女の傍に立った。

 

「古河」

 

その名前を呼んだのはいったいいつぶりだろうか?学校に行く意味もこれから先のことにも何の見通しもなかったあの頃、こいつと出会った。

演劇部を復活させたいと少女は言っていて俺も協力するつもりだったが結局途中で放り投げてしまっていた。もしかすると何かに一生懸命になるこいつを見て嫌気が差していたのかもしれない。

演劇部を復活させる時に古河と杏を接触させた機会もあってなのか今でも2人は仲のいい友達らしく時々2人で買い物などに行っているらしい。逆に俺はあれ以来全く古河との接点はなくなっていてこんな時間に学校に行くことも最近はなくなっていたので会うこともなかった。

だけどこうして久しぶりに会ってまた校門の前で立ち止まっている少女を見て話しかけいる俺は、どこかでずっとこいつのことを気にかけていたのかもしれない。

じゃあ何故あの時演劇部の手助けをしてやらなかったとーー今更ながら後悔の念が渦巻いて申し訳なく思った。

彼女は誰かに話しかけられるとは思っていなかったのだろう、瞑っていた目を徐々に開き出し俺を見つめた。

 

「……岡崎さんですか?」

「ああ。久しぶりだな」

「本当にお久しぶりです。杏ちゃんとお付き合いされたんですよね?おめでとうございますです」

「ん、ああ。杏とは結構仲良いんだってな」

「はい、よく遊びにも誘ってくれたりしています」

 

俺が演劇部の再建を放り投げたことは全く気にしてないような感じで古河は俺と話してくれていた。

基本的にこいつはすごく良い奴なのだろう、多少変わっている……いやだいぶ変わっている奴だが素直な嫌いになれない性格をしてる。

俺は気になっていた演劇部のことを遠慮がちに聞き出した。

 

「……演劇部はどうなったんだ?」

「しばらくの間は杏ちゃんや椋ちゃんなども手伝ってくれてたんですけどなかなか部員も集まらなくて……残念ながら復活させることは無理でした」

「そうか。悪かったな、途中で放り投げたりなんかして」

「岡崎さんは全然悪くないです!むしろ少しでも手伝ってくれたことに感謝しているんです」

 

古河はふるふると首が取れそうなくらいになりながらありがとうございますと俺に言う。

感謝されるようなこともこんなに庇ってくれるようなことも全くしていないのに古河は心の奥から思っている言葉を発してくれた。だからその言葉は偽りなど何も感じないし素直な思いなのだろうで受け取る。

そして改めて、今の状況はまさに古河と最初に会った時のシーンと同じ光景だった。

こいつはまた学校という囚われた環境に入れないでいるのだろうか?て言ってる俺も、この学校という環境に入れてるわけじゃないが。

1歩を踏み出せずにいる古河を、俺は無視して突き進むことができなかった。

 

「学校行かないのか?もう遅刻になるぜ」

「行きたいです。ですが……」

「じゃあ行こう。ここで立ち止まっていても何にもならない」

 

こうやって俺から積極的に行動することは前までの自分なら考えもしなかっただろう。これもあのお節介野郎の性格が移ったのだろうか。

あんパンーーと古河の声から聞き取れた。

その顔を見るといかにも勇気を振り絞った、自分を奮い立たせるような感じだった。

しばらく俺は古河が行く気になるまで立ち尽くしチャイムが鳴る時間ギリギリまで待つことにした。流石にテスト日に遅刻するなどではシャレにならん。

 

「私、最近またずっと休んでいたんです」

「そうなのか?また体調が良くないのか?」

「はい。1回良くなったと思ったんですけど、周期的に悪くなる感じで……」

 

それでしばらく休んでしまってまた行きずらくなったというわけか。だけど今の古河は前みたいに誰も知らない人ばかり、というわけではないのでプレッシャーも前より少ないだろう。

何せ杏とも仲がいいと本人の口からも聞いてるので例えクラスが違えども安心感はあるはず。

ここで運良く杏が来てくれたらいいんだけどな、流石にテストの日にスクーターで遅刻ギリギリに来るというのはないだろう。いやでもあいつの受験はもう終わってるーーと途端に少し遠いところからブーブーと音が聞こえてきた。

俺は反射的に古河の手を掴んで端っこに逃げようとする。

 

「古河そこどけろ!!」

「えっ??」

 

ビギィィィィィィィ!!!!!!

 

その少し大きな物体は今俺らがいたところをぶった切っていって人影を見つけた瞬間急ブレーキをかけて止まった。

やべえ、少し遅かったら2人とも軽傷ではすまなかったぞ……こいつ本当に免許取ったのかよ!?

そのスクーターを運転していたやつ、杏はヘルメットを取ってこちらに駆け寄ってくる。

 

「なにしてんの?」

「なにしてんのじゃねえ!危うく轢かれるとこだったぞ!」

「アンタがその瞬発力で避けてくれると思ったからじゃない。じゃなかったらあんなスレスレ行くわけないでしょ〜」

「避けなかったらどうするつもりだったんだっ」

「いちいちうるさい男ね、避けたんだからいいじゃない!」

 

杏は片手で持っていたヘルメットをこちらに投げ込んできたので俺は握っていた古河の腕から手を離しキャッチする。

そのままこいつは古河のところに駆け寄っていってその小さい体を抱き寄せた。

 

「渚、大丈夫だった?こいつに何もされてない?」

「いえ、大丈夫です。岡崎さんがとっさに守ってくれましたから」

 

いやおい古河、さっきの危ない状況を作り出したのはその目の前にいるやつなんだぞ何故そんな笑顔で話す?普通自分をめがけてスクーターで迫ってくるという状況はいくら仲良くても怒りが出るものなんじゃないのか。しかも杏も後から心配するのならば何故さっき古河がいたのに迫ってきたっ?こいつら本当に仲良いのかよ……。

俺だけ置いてけぼりの状態にため息をつきこれ以上ここにいる必要もないのでさっさと自分の教室に向かうことにする。そんな俺を杏は横目で見て一言言った。

 

「あ、朋也ー!私今日友達とテスト終わったら遊びに行くから一緒に帰れないの!」

 

こういうことは杏と付き合っていれば普通にある事なので返事として軽く手を上げながらその場を去った。

テスト初日からこんなに騒々しい朝とはな。時計を見ればもう予鈴1分前だったので復習をしようにもできない時間だった。

教室に入ると進学校でもやはり進路先が決まったからだろう勉強をしている奴としていない奴どっちもが存在していた。勉強をしていない奴らも入試組や就職組らを考慮してなのだろう極力喋らずに静かな空気を出していた。

なので俺も静かに教室に入り席について少しでも復習をしようと思い参考書を取り出す、ちなみに春原は相変わらずの遅刻だ。

正直今までテスト勉強というものをしてきた事がなかったのでいまいち要領が掴めず前のテストはあまり点数は高くなかった。それは今までしてこなかった結果でありいくら定期テストでも少し勉強したくらいで伸びるほど甘くはなかった。

しかも3年生だとこれが最後のテスト、今回を頑張れば内申も結構上がるはずだ。いえば最後のチャンスなのだ、だから今回は本気で頑張った。

そして教師がやってきてテスト用紙を配り始める。

 

(俺は杏のためだけにこんなにも学校という存在と向き合っているのだろうか……)

 

最近こうして真面目に取り組むことが俺のしたかったことじゃないのかと思うことがある。だけどそんな思考はすぐに消えた。もし仮に杏と別れることとなったならばすぐに勉強というものから手をつけなくなるだろう。今勉強をせずにいたらきっと杏が私の彼氏なんだからしゃんとしなさいしゃんと!とか言って叱ってくれる。誰かが俺の事を見ていてくれるからこそ今の俺があるのだろう。

筆箱からシャーペンを取り出しチャイムが鳴り出した瞬間名前を書く。

これでこれからの俺の人生がどうなるかの結果が出る。

 

 

 

「よう岡崎!1時間だけテスト受けようと思ったらもう終わったのかよ。ちぇ、来た意味がないなー」

「何時に終わるかとか把握はさすがにしておけよ。さすがバカ原」

「誰がバカ原だよっ!!」

「お前は反応も全部バカなんだよ」

 

3教科のテストがちょうど終わったあと、春原は終礼の時にやってきた。周りのやつらもなぜ今来たんだと不思議そうな顔で最初見ていた。俺は終礼が終わると帰る支度をして教室を出ようとする。

 

「置いてくなって岡崎!んでどこ行く?」

「帰る」

「僕の部屋にこんな時間に帰ったってなにもないでしょ。駅前のゲーセンにでも行って下級生から巻き上げようぜ!」

「お前の部屋じゃなくて俺の家に帰るんだよ」

「は?」

 

俺から自分の家に帰るという言葉を聞くなど思いもしなかったのだろう春原は素でとぼけた声を出した。

家に帰った瞬間すぐに勉強をするというわけではないがもしバカ原とゲーセンに行ったものならばそのままこいつの部屋に行ってダラダラと過ごしてしまうのがオチだろう。

勉強から逃れたい欲求はあるがこのテストさえ終われば成績も付けられ勉強をせずにすむ、だからもう少しの我慢だと言い聞かせバカ原の誘いを断った。

 

「あ、駅前までついてやってやるよ。買いたいものがあるからな」

「それ自分の用事済ますだけで僕の為ではないですよね……しかも駅前僕一人で行っても何もすることないでしょ」

「お前友達いないのな」

「あんたに言われたかないよ!!?」

 

いちいちうるさいので俺はバカ原をスルーし教室を出て駅前へと向かうことにする。何を買うのかというとまずシャーペンの芯が切れてしまうのと今回の買い物の本命、杏への誕生日プレゼントを買うことだった。

この前何が欲しいのかと聞くとテスト終わりでいいと言われていたのでそのつもりでいたのだがさっきのテスト中に気分が変わった。やっぱり

あいつにはきちんと誕生日にプレゼントを渡してやりたかった。杏の誕生日は明日なので今日買わないと間に合わない、まあ駅前に行けば何かしら気に入るものがあるだろう。

ちょっと待ってよとバカ原がかけてきて校門まで他愛もない話をダラダラと続けた。正直、こいつと色々話したりバカするのはすごい楽しい。絶対に言わないが、この高校で春原と会えたことには感謝すべきなのだろう。

 

「お前の彼女最近太った?それともおっぱいが大きくなったのかな?」

「あァ?お前どこ見てんだよ」

 

さっきのは前言撤回だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春原と校門で別れ駅前に着くと相変わらず賑やかな雰囲気を出していてあちらこちらで20%オフや閉店セールなど人で溢れかえっていた。

時間的にも昼頃なので主婦の人たちでいっぱいになるのだろう。

とりあえず買いたいものだけ欲しいので人が多そうな店は極力避けながら良さそうな店を見つけ出そうと思いウロウロする。

しばらく色々な店を見たが、その中のアクセサリー店に目が入った。だが、そこはなかなか男が入りにくい雰囲気の店だった……。

 

「アメジストを買った店も入りにくい場所だったよな……。仕方ねえ、入るか」

 

意を決して入ると面積が狭いのですぐに店員が礼をして近寄ってくる。

いつも思うがこうやって来た瞬間商品の説明とかされるのはなかなか苦痛だ。勝手に自分で選んでそれが人気なのかどうなのかとか聞いて初めてその品物について説明されるのならばいいが最初から1人の客に1人の店員がつくってのは本当に勘弁してほしい、しかも熱心に説明されると何も買わないで帰るという行動がしにくくなる。まあそれも商売の1つの策略なのだろうが。

 

「どういうのをお探しでしょうか?」

「あー……誕生日プレゼントで人にあげたくて。そんなに高くないやつがいいんですけど」

「分かりました、少々お待ちください」

 

店員は店の端っこ辺りからのショーケースから何かを取り出して再びこちらに戻ってきた。

丁寧に箱を開けるとそこにはネックレスとブローチのセットが入っていた。見た感じシンプルな感じなものなので気軽に付けられそうだ。やはり女の子にはネックレスなどのプレゼントが1番無難だろう、ピアスあたりは付けてるところを見たことがないしな。

値札が付いていたのでそこに目を通すと2つセットで6500円。少し出費が大きいがあいつの一年に一回の記念日だ、それに普段もプレゼントというプレゼントはしていないので多少は仕方ないと思うことにしよう。

 

「これ買います」

「ありがとうございます。包装紙に包んでお渡ししますね」

「お願いします」

 

財布の準備をしてしばらく待つとお待たせしましたと声をかけられバイトしていない人からすればかなり痛い出費額を出してオシャレな小袋を貰う。

こりゃしばらくは何も買えねえなと思いながら俺は店を出た。

 

「明日帰る時に渡すか……喜んでくれるといいが」

 

潰れたりしないように学校のカバンに小袋を入れて駅前を歩き出す。改めて駅前の風景を見るとやはり時間も時間なので賑わっていた。たまには近場で杏と出かけてえな……やっぱり住んでいる地域というのは未踏の場所とは違う雰囲気を持っている。最近は全然2人で遊びに行ってないしいつ行けるか分からないが久しぶりのデートはここ辺りでいいだろう。そうやって駅前を通っていると行きの道では気づかなかったある紙が目に入った。

それには《求人募集!!!》と書かれていて仕事の内容や大体月の給料などが書かれていた。

辺りを見回すと同じような紙が何枚も貼られており俺は何枚かに目を通す。正直今までさんざん自由にしてきたので職業など選べる可能性は自然と限られてくるのであまりこういう求人募集を見ても意味は無いが損ではないだろう。

募集仕事の種類は本当に様々でリサイクルショップや電気工事や介護士や他にもたくさんの職業の募集が載っていた。

今のところ特別興味を持っている職業はないが、もしこんな俺でも採用してくれる会社があるのならばそれにきちんと応えなければならない。人に必要とされることがこんなにも嬉しいことなのは杏に教えてもらった、だから誰かに必要とされたならばそれに応えるべきだ。

内定取りやすくなるためにもテストを頑張らないとな……。

俺は心の中で喝を入れここを去ろうと思い体を動かすとーーずっと俺の事を見ていたのだろうか?見たことのない女性がこちらに視線を向けていた。俺が存在に気づいた瞬間、その人は口を開き出した。

 

「就活生?」

 

 

 

この出会いはきっと、必然だったのだろう。

そしてこの人と出会ったせいでもあるのだろう。

俺たちの歯車は、本当に少しずつずれていった。

 

 

 

 



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第7話 学生生活

どういう文章にしようか迷った箇所がかなりあるので変になっている部分があるかもです、すみません!


「就活生?」

 

その人は黒髪のロングで筋の通った顔立ちをしていた。一言で言うと美人顔で少しつり上がった目は少しだけキツそうな印象を持たせていたが逆にこの顔立ちからすればこのつり目はチャームポイント的なものになっているのではないだろうか。

服装は仕事の合間なのだろうか、何一つ乱れてないスーツを着ていて着こなし方にもよるのだろうがとてもスーツが似合っている人だった。右手にはコンビニの袋をぶら下げていたのでちょうど昼時なのだろう。

 

「まあ、そうっすね」

「そっかー!こうやって就活生見ると私も自分が就職活動してる時のこと思い出すなあ」

「……そっすか」

「その制服ってもしかして光坂高校?めっちゃ頭良くない?」

「この辺じゃ進学校っすけど、俺は全然」

「またまたそんなこと言っちゃって。そういう人ほど頭いいのよね」

「…………」

 

ここで本当に頭が良くないとか言い返しても多分似たような感じの言葉を返されるだけなので会話をのばさない為にも敢えて沈黙を選ぶ。

ここで頑張ってねとかじゃあねなどを向こうから言ってくれればそれで終わったのだが、その人はそんな俺の目論見には気づかずにまた求人募集の紙を再び見だした。………ん?これは果たして帰っていい状況なのだろうか?何も言わないままその紙を見られても帰っていいのかどうなのかという判断が難しくなる。でもこの人が求人募集の用紙を見るってのは転職などを考えている時以外全く読む意味がないわけで、やはり俺に何かを言うために求人募集を見ているのだろうか?

ここで何も言わずに帰る、という雰囲気でもなさそうなので一応近くに立ち続けることにする。少しの間そうしていると、その人の口が開いた。

 

「私ね、高校の時本当に勉強しない子だったのよね。中学の時までは定期テストとか常に上位をキープしててさ進学校に通ったのはいいんだけど途中でなんだかやる気がなくなっちゃって。なんで私こんなに勉強してるんだろって思った」

「はあ」

「でもその結果、内申も低くて学力もなかったから進学をやめて就職。就職っていっても全然小規模かつ中規模な会社だけどね。でも私は別に過去を後悔してるわけじゃないの」

「……なんでだよ?」

「この職に就くことができて良かったって思えるくらいいい職場先だから!そりゃたくさん勉強してたらもっといい所行けたんだろうけど今の職場は今までの私だったからこそ巡り会えたわけだからね」

「そりゃおめでとさん。んであんた、それを俺に言って何が言いたいんだ?」

 

初対面の人にこうやっていきなり自分の人生談を語られてもどう反応すべきなのか分からないしそもそもなぜそんな話を俺にする必要があるのか。

勉強してきたしてこなかったとか他人がどうしてきたのかなど知ったことではない、むしろ興味がないのでさっさと帰りたいくらいだ。というかこの人にとっても貴重な休憩時間をこんなくだらない話に費やしているのもどうかと思う。

その人は求人募集の紙に向けていた視線を外して再び帰らせろムードを出している俺の目を見つめ出す。

 

「その目が気になったからよ。これからの人生に何も期待を寄せてないような目」

「だからって何であんたの過去話を聞かなければならねえんだ」

「さっきから思ってたけど目上の人にはきちんと敬語を使いなさい。将来困るわよ」

「少なくとも今初めて会ったばかりの人に指摘される必要のないことだ」

「ふっ………!確かにそうね?まあとりあえずさ、今の自分は落ちこぼれてるとかそう思い込んでるのならすぐにそんな考え消しさない。あなたの未来なんかまだまだ可能性あるじゃない」

 

……本当になぜ俺は初対面の人に説教じみたことを言われているのだろうか。

とりあえずこの人が言いたいことっていうのはこの人自身が高校時代の時に自分は落ちこぼれだとか思っていたのだろう、でもそれでも今は納得できる職業に就くことができたから俺にもそういう自己否定的なことは思わないでやりたいことをやれ、みたいな感じなことを伝えたいのだろう。

確かに自分のことを過小評価していることは認める。だがそれを別に改めようとかは思わないしまして希望など何に対しての希望を見い出せばいいんだ。

杏と出会い付き合って中途半端な自分というのには納得がいかなかったから今こうして勉強に励んでるのはいいが先に対しての希望があるわけじゃない。前までの状況で就職活動に行っても内定が貰えるかどうかもあやふやだったのでせめて貰えるように頑張ってるだけだ。

 

「……あんたの過去の話はよく分かったよ。だから帰っていいか?明日もテストなんだ」

「あ、そうだったの!?ごめんごめん。じゃあこれだけ」

 

そう言うとその人は小さめの財布から白い紙を取り出して俺に差し出してきた。

それを受け取り見ると《桜坂電気株式会社 鈴木 美耶》と書かれた名刺だった。いや、なんで名刺なんだ?今までの会話に名刺を渡されるような会話をしただろうか……?

 

「なんだよ、これ?」

「名刺よ名刺。勤めてる会社の」

「それくらい見りゃ分かる!なんでこれを俺にってことだ!」

「あんまり行きたいところないんだったらウチはどうですか?っていう紹介かな」

「俺が?」

「うん」

「あんたがいるここに?」

「す・ず・き・み・や!あんたじゃない」

「……あんた分かってんのか?俺みたいなやつがそこに就職するってことだぞ」

「なにその過小評価っ。勿論ダメだと思った人になんか名刺渡すわけないじゃない」

 

いや、今までの会話でなんで俺がダメなやつではないという部分があったのか逆に教えて欲しい。他人という関係性だがまず年上という時点で敬語を使ってないのは社会人になるためには基本中なことだしあんた呼ばわりなど尚更ダメな社会人だろう。俺が面接官とかだったら絶対そんな奴採用したりしねえな。

だからこの人がなぜ名刺を渡してきたのかが全く分からない、そして同情とか可哀想だとかそういう同情の類で渡してきたという感じでもなさそうだ。俺は再び桜坂電気会社と書いてある名刺を見る。

名前からして電気会社なのだろう、聞いたことはないので小さい株式会社だろうか。ていうかそもそも電気会社というのは具体的にどんな仕事をするのか全然知らないのでこんな状態で面接に行っても冷やかしに行くだけなんじゃないのか。

さっさと帰りたいので適当に近くのポケットに名刺を突っ込む。

 

「頑張ってね、テスト。あと学校生活ももう少しなんでしょ?楽しみなさい」

「あんたももたもたしてたら昼休み終わるぞ」

「やばそうだった……!じゃあねっ?また会えたらいいね」

 

その人は手を振りながら早足で駅前を去っていった。

俺は深いため息をつき、ゆっくりと家の方向へ向かう。

とにかくよく喋る女だった、あれはすごい苦手な感じの人だ。

 

(ああ……杏に会いてえ)

 

毎日会っているはずなのにこんなにも溢れ出てくる感情は本当に初めてだ。しかも今日はあいつの誕生日プレゼントも買った、だから尚更これを渡した時の杏の表情が見たいのだ。

さっきまでの憂鬱な気分も少し晴れそうなので家に着くまでずっと杏のことを考えておこう。

さっき会った鈴木美耶という変な女のことは忘れよう、もう一生会うこともねえだろうしな。

少し、重かった足取りが軽くなった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

次の日、ついにテスト最終日を迎えると同時にもう少しで就職活動が本格的に入るんだなと自覚する日になった。

普通ならテストから解放され嬉しい気分になるはずだがこの先はもっと大変な時期になるので憂鬱なのには変わりはなかった。

朝に軽く最終日の科目の復習をして身支度をして親父をスルーし家を出る。やはりこの早起きする生活習慣というのはいくら続けてもきつい、少し布団に入っただけでもすぐ寝そうだ。

もう勉強というものに向き合うのはうんざりだ、このテストが終わったら一生向き合いたくない存在になるだろう。そしてさっさと卒業して就職して………そう考えると、俺の人生ってのはとてつもなくつまらなく感じてしまいそうになるので考えないようにする。

そんな思考を巡らせながら桜並木の道にさしかかろうとした時、後ろから俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

その愛しい声に咄嗟に反応し、ようと声をかける。

 

「おはよ。ていうかアンタほんと最近早いわねえ、急に真面目くんになっちゃって」

「つっても今日までだけどな。明日からはまた遅刻の日々だろうぜ」

「まだ就職活動も始まってないのにダメでしょーが!もう内申つけられないから何しても大丈夫だと思って遅刻とかそういう社会的にしてはいけないことする奴が大体痛い目見るのよ」

「じゃあ残念ながら俺はその痛い奴ってことだ」

「この私の彼氏が痛い奴ってうわもうそりゃ最悪ね」

 

杏はジト目で俺の事を非難しながらその痛い奴の手を取って自分の手に絡めた。

そして自分の体も俺の方に寄ってかかりまるでずっと離さないわよと言わんばかりに密着していた。毎回これされる時思うがこうやって密着されると自然と杏の胸が身体に当たるのでなんとも言えない気持ちになる。妹の椋に比べると確かに大きさは劣るが小さいとも言えない。よし、下駄箱までだろうがちゃんとこの感触を覚えておこう。

 

「ね、朋也っ。放課後どっか行かない?」

「いいぜ。久しぶりに地元うろついてみねえか?」

「久しぶりにそれもアリね〜、そうしましょ」

 

テスト最終日なので終わったあと気晴らしにデートに行こう、という気持ちもあるのだろうが多分杏は誕生日というイベントに俺が何をしてくるのか楽しみにしているのだろう。だからわざと自分から今日誕生日だとか言わないしそれで俺が杏の誕生日に何もせずにいたらただじゃおかないはずだ。さっきからのこの嬉しそうな顔がなによりも今日という日を楽しみにしていると分かる証拠だ。

問題はいつ渡そうか……デートの帰りに渡すのがやはり1番無難だろうか。あとやはりこういう特別な日には飯なども奢らないといけないのだろうか?だとすると昨日の誕生日プレゼント代も含めると俺の所有額がだいぶきびしくなる……。バイトなどをしてたら別だがここは仕方ない飯代は払ってもらうことにしよう。色々考えているといつの間にか下駄箱に着いていたらしく靴を履き替えるため自然と杏の腕が離れた。

 

「アンタもこれから忙しくなるし今日はできるだけ遅くまで一緒にいない?次いつ出かけられるか分かんないしさー」

「ああ、そうだな」

「やたっ。んじゃテスト中寝るんじゃないわよ?」

 

おう、と軽くだけ返事して教室前に着き杏と別れた。

相変わらずもう既に人でいっぱいの教室の中に入り1番端っこの窓際の席にへと向かうことにする。すると、自分の席がある列の1番前に座っているやつが参考書に向けていた目をこっちに向けた。

 

「岡崎おはよー。最近早いな」

「あ?あぁ……そうだな」

 

話しかけられると思っていなかったのでつい素っ気ない言葉で返してしまった。最近真面目に授業も受けサボることもなく学校生活を送っているからか前みたいに周りから避けられる、という雰囲気が無くなっていた。こうやって挨拶を交わす程度の仲の奴も数人できたしクラス全体が俺に対しての見方が変わったかのように思えた。挨拶程度でも話す相手がいるということは気分は悪くはないし今思えば俺も他人と関わることを避けていたので余計クラスのやつらにとっては関わりたくないやつだという印象を強めていたのだろう。そんな挨拶の光景を見てる奴が1名、俺はそいつの近くにへと歩き出す。

 

「朋也くん、おはようございます」

「ああ。上機嫌だな」

「最近朋也くんが色々な人と関わっているのを見て嬉しいんです」

「お前が嬉しがることじゃないだろ」

「いえ、嬉しいです」

 

杏の双子の妹、椋は心からそう思ってくれているのだろうなと思える笑顔で返してくれる。そんな椋を見て自然と俺も笑みがこぼれた。

こうやって周りのやつらがだんだんと話しかけてきてくれたのは椋のおかげでもあるはずだ。2人が話しているところはちょこちょこ見かけたりしているはずなのでそれで俺の印象が少し柔らかくなったのもあるだろう。クラスや授業のことで分からないことがあった時、一定の人には聞ける雰囲気になっていた。

 

「椋が俺と話してくれてたおかげでもあるぞ。お前と話してなかったら今みたいにはなってない」

「そ、そんなことないです……!結構朋也くんと話したい人多かったんですよ?」

「へえ。俺とねえ」

「……朋也くん信じてないですよね。本当なんですよ?特に女子とか……」

 

そりゃ大した物好きがいるものだ、俺だったら印象悪い不良生徒なんかと話したくはないって思うけどな。

だけどまあ、こいつが言っていることなんだし信じておこうか。

こんな感じで俺たちは別れたあとしばらくは気まずい雰囲気が漂ったが、次第に気を遣わない友達みたいなのに変わっていった。別れた直後、椋に友達として仲良くやっていきたいと言って本当に良かったと思える。『信頼できる女友達』今の俺と椋の関係はまさにそんな関係だと思う。

 

「とりあえずテスト頑張ろうぜ。もう専門決まった人からすりゃあんま意味無いテストだろうけど」

「でも今回、私結構頑張ったんです。高校生としての最後のテストだから悔いのないようにしようと思って」

「さすが委員長だな。俺も頑張るよ」

「朋也くん最近すごい頑張ってるのでいけますきっと。頑張ってください」

 

こうやって誰かに応援されると本当に頑張ろうと思えてくるのは何なのだろうか。それが自分と仲のいい人からだったりすると余計その気持ちが倍増する。

応援してくれる椋の頭に手を置いてくしゃくしゃと撫で俺は席にへと歩く。少しやる気が出た気持ちのままにあとチャイムが鳴るまで5分程の猶予しか残されてないが最後の確認チェックをする為に参考書を開く。別に高得点を目指してるわけでもなく言えば欠点回避の為に頑張っているという状況だが、全く焦る気持ちはなかった。理由は1つ、俺が俺自身を頑張ったと認めているから別に何点でもいいと割り切ってるからだ。

こうやって何かに取り組むことはめんどくさいことでないと久しぶりに感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、高校生最後のテストが終わった。

1年生から3年生までの何回も繰り返された定期テスト、その最後の2回だけを真剣に取り組みこれから就職活動にへと移り変わる。

答案用紙や課題物も提出しやっと一段落つけるので軽く伸びをした。

結局最後の定期テストに春原は一限も来なかった。あいつの場合俺より遅刻頻度が高かったり来ない回数が多いので今さら何をどう頑張っても意味が無いとでも思っているはずだ。卒業したら地元に帰るとかなんとか言ってたので就職はそっちでするのだろう。だとするともうじき就職活動が始まるわけでありあいつはきっと地元に戻るはずなので2人でバカできるのは本当に少ない時間しか残っていない。

ほかの人達もそうだ、これからは自分の人生を歩むためにバラバラになる。

ーー少しだけ、寂しく感じた。

卒業する、ということに関しては全く何の感情も抱いてないが大切な人たちと別れるという面ではそんな気持ちが芽生えた。

 

(ま、春原に関しては一切そんな気持ちねえけどな)

 

逆にこの辺りにあいつが就職してほぼ毎日会うみたいな状況の方が嫌だしな、せめて1年に1回くらいで充分だ。

そんな色んな考えを巡らせて校門の近くの壁に身を寄せているとやっと待っていた人物が横に来た。遅いぞ、と一声かけるとそいつは笑顔でごめーんとだけ言い自然と俺の腕に掴まる。

 

「おい杏、本気で謝ってねえだろ」

「ん?当たり前じゃない、それともなにアンタ私の彼氏なのにこのカワイイ彼女のこと待てないわけ?」

「痛えって!腕そんなにきつく掴むな!」

 

この暴力癖とすぐにえげつない発言を言うことをやめてくれればもう最高なんだけどな。だが、そんな一面を持っている杏も嫌いではない。

今から始まるデートもきっと楽しいものになるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第8話 就職活動

テスト最終日も無事に終わった放課後、もう何回したか覚えていないデートをする。

デートというのは毎回毎回違う新鮮さがあり飽きを感じさせない、その気持ちがあるということは相手のことが好きだという感情が少なからずあるからだろう。

隣で俺と腕を組んでいる杏は見た感じ飽きた感じはなさそうだったので少し安心する。正直、俺の良さというのは自分では全く見つけられることが出来ないのでいつ杏が俺の傍から離れてもおかしくないとも思ってしまう。まあ簡単に離すつもりもないが。

カバンにも昨日買った誕生日プレゼントも入っておりいつでも渡す準備はできている。……いや、少し不安なのでカバンをちらりと見てちゃんと入っているか確認し視線を戻そうとした瞬間俺の顔を覗き見るような顔で見ている杏と目が合う。

 

「なんだよ?」

「へっ?あっいや……べつに!」

 

杏は少し顔を赤くしながらごまかすように顔を背ける。

もう態度からめちゃくちゃ分かるが、こいつすげえ誕生日プレゼントのこと気にしてやがるな?おそらくプレゼントが何か、というのを気にしてるわけではなく俺がちゃんと杏の誕生日を覚えているのかどうかという点がこいつの中での不安な要素なのでこうやってもろ態度に出てしまうほど気になっている、というところだろうか。

とりあえず赤面している姿が可愛かったので俺は組んでる腕とは逆の手で杏の頬をつまむ。

 

「なによっ?」

「いや、可愛かったからつい」

「地味に痛いんだけど?」

「こっち向いてくれたら離すぞ」

 

そこそこ主婦や学生や社会人などが行き交う地元の商店街の中、道路のほぼ真ん中で腕を組みながら彼女の頬をつねっているカップルというのはなかなかシュールだ。

でもそんな恥ずかしい場で杏の頬をつねるという難易度の高い行為をしてる俺は凄いのではないだろうか?つねるくらいだったら大丈夫だろと思うだろうが杏に関してはその命取りが危ない。いつどこから辞書が飛び出してくるか分からないのである程度の用心はするべきだ。

まあそんなことなどこの柔らかい頬を触っていたらすぐに消えてしまう。

 

「あーもうっ、分かったわよ。とりあえずお腹空いたからどっか入りましょ」

「うわお前顔真っ赤なのな。なに照れてーーぶごっ!!」

「いいから黙って歩け!!アンタがこっち向け言ったんでしょーが!」

 

思い切り杏は俺の腹を殴り飛ばしときながらさっさと前を歩き出す。いや何故殴られる必要がある?顔が赤いのを指摘しただけなのに理不尽すぎる。やっぱある程度の用心は必要だな。

そして近くにあった学生に良心的な店に入りお互い食べたいものを注文した。

店員が去り周りを少し見渡すとテスト帰りと学校から近いってのもあるだろう同じ学校の生徒が結構座っていた。やっぱり値段的には学生的にはこの店人気あるんだろうな……などと思ってた矢先、後ろから肩を触られた。

 

「よっ岡崎。なにデート?」

「ああ?……まあな。白石だっけ、お前も来てたのか」

「おいおい結構教室では話したりしてるんだから名前くらいは覚えてくれよー」

「悪いな、人の名前を覚えるの苦手なんだ」

 

白石はじゃあこれから覚えてくれよと言ってドリンクバーの方へ向かっていく。

あいつとはクラスの中でちょこちょこ話す仲だ。友達、という関係までは行かないが話す時は話すみたいな間柄という感じだろうか。今まで人の名前というのを覚える気にもならなかったが、あいつくらいは覚えるのもいいだろう。こうやってどこかでクラスメイトと会った時に一言二言交わすということは今までの自分には到底考えられないものだった。

前を見ると杏はいつの間にか入れていたドリンクバーのジュースをストローで吸いながら物珍しそうに俺を見ていた。

 

「……珍しいわね。なんかごめんね?アンタって陽平しか友達いないと思ってたからさー」

「あいつを友達とは思ってないがその認識で変わりはないと思うぞ」

「そ?結構朋也と話したいって思ってる人多いでしょ。もっと色んな人と話したらいいのに変にカッコつけてるから誰も近寄ってこないのよ」

「それ椋にも言われたぞ。特に女子は俺と話したいらしいぜ」

「……そうなの?別にそれはデマなんじゃないの」

 

一瞬、杏の動作がピタッと止まったがまるで何事もないかのように再びジュースを飲み始める。

個人的にはここで嫉妬しているかのような言葉や態度をしてほしかったのだがな。だがこれ以上嫉妬をさせるような発言などをしてしまっても怒らせるだけなのでやめておく。

適当な雑談をしながら食事を済ませ伝票を見ると1000円以内に収まっていた。

これくらいなら奢ろうか、と考えながら店員に伝票を渡しいつもならここで2人とも財布を出す行動を取るのだが今日は違った。

隣に立っている杏をちらりと見るが、一向に財布を出す気配がない。しかも誕生日だからきっと奢ってくれるだろうみたいな雰囲気を出しまくりな雰囲気で呆然と立っている。まじで誕生日だということを忘れてやろうかと思ったが後が怖いので仕方なく俺の金で払うことにした。

 

「ありがとうございましたー!またお越しくださいませ」

 

店を出た瞬間杏はまた腕を組み始める。

 

「ありがと朋也っ」

「ああ。んでどこ行くよ」

「私行きたかった店あるのよ。そこ行かない?」

 

奢ったおかげなのか上機嫌な杏は絡めた腕を引っ張りながら先導していく。さっきからだがいつもより密着しているおかげか杏の胸の感触というものがひしひしと感じられた。

さりげなく杏の腕が絡まっている方の腕をもっと密着させてみるが気づいていないのか全く気にしていない様子だった。

逆に俺はといえばさっきから興奮しまくりである。

 

(ああやべえ……このままじゃ変な気になっちまいそうだ)

 

必死にニヤケそうな表情になるのを我慢ししわを寄せて気にしてないような表情を作る。

だが、その俺の踏ん張りは次で壊れるのであった……。

 

「あ、見て朋也っ」

「うおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

隣で必死に変な気持ちになるのを耐えている俺など気にせず、杏はいきなり立ち止まりその反動のせいで絡めていた腕が杏の胸に思い切り触れ俺の理性は少し崩壊した……。

こんな事で興奮してしまう自分が少し恥ずかしいが好きな女の子の胸となるとまたそれは別物だ。

隣で頭を抱え叫んでいる俺を杏はジト目で見つめる。

 

「なにしてんの?」

「え、あ、いや……ちょっと叫びたくなったんだよ」

「は?アンタの頭の中怪獣でもいるわけ?」

「ある意味怪獣だな」

 

ほんとに頭おかしくなってるじゃない大丈夫?元から頭おかしい奴だったけどこれはもう重症よとでも言いたげな引き気味の杏の顔を見て少し冷静になる。正直付き合ってから半年くらいは経っているのでキス以上のこともと思うが、まだそんな雰囲気は一向に出ない。別にその行為を急かしてしたいわけでもないが、男の俺からすれば少しの不満はあるわけである。

1度パンっ!!と両頬を叩き再び腕を杏に差し出す。

 

「ん?」

「腕、組むんだろ」

「あら自分から差し出すほど腕を組んでほしいの〜?」

「ああ組みたい組ませてくれ」

「いやなんでそんな必死なのよ……」

 

そりゃその不満をこの腕を組むという行為で少しは解消されるからな。

少し何かを疑っているのか杏はぎこちなく腕を再び組み始め歩き始める。

そこからは色々な店に行き久しぶりに充実したデートを過ごした。

少しオシャレな店に行ったりデザートなどの甘いものを食べ歩いたりと恋人らしいデートだ。

ほとんど杏に連れ回されている感じだが学校でいるときや春原といるときのあの恐ろしい姿はほとんど消え去っていてただこの時を楽しんだ。まあ調子乗っていらぬことなどしでかしたらその楽しい時ってのはすぐに消え去るだろうが。

そうしてあっという間に夜になり今日は遅くまで一緒にいようということだったので椋と付き合っていた時に杏とキスの練習をしようとしたあの公園が近くにあったのでそこに向かった。

小学生や中学生ぐらいがいる時間帯でもないので辺りはかなり静かであり所々にカップルらしい人達が何組かいた。

その中で空いていた椅子に2人で座る。

 

「あー満足満足!見たい物とか服とかたくさん見れたしもうしばらくはいいわね」

「色んな服とか可愛い可愛い言ってたのにそれだけしか買ってねえのがすげえよ」

「当たり前じゃない。全部買うわけないでしょーが」

 

女子の中でそれは当たり前のことなのかよく分からないがとりあえず適当に相槌をする。

そんなことより……この夜の公園というだけで少しロマンチックな雰囲気を醸し出してるのでここで誕生日プレゼントを渡すというのは絶好なタイミングだろう。

俺はカバンからくしゃくしゃにならないように入れていた誕生日プレゼントを取り出し杏に向き合う。

 

「杏、誕生日おめでとう。これお前に合うか分かんねえけど、誕生日プレゼントだ」

「いいのっ?ありがと、朋也。開けてもいい?」

「ああ」

 

杏は俺から受けとったプレゼントの袋をゆっくりと開けていき、ネックレスとブローチが出てくる。少しどんな反応をするかが不安になったがどんな表情をしているのか確認する暇もないうちに俺は杏の胸の中にへと抱きしめられていた。

 

「アンタにしてはセンスあるじゃない?普通にどこでも付けていけるデザインだし気に入ったわ♪︎」

 

とりあえず頭が胸の中にへとあるので呼吸が苦しいという意思表示も込めながら全力で頷く。やがて解放されるとネックレスを渡され杏が後ろを向く。俺は呼吸を整え直し杏の首にネックレスを付け始めた。

 

「ねえ、朋也」

「あん?」

「就職活動、頑張りなさいよ?しばらく一緒に帰ったりデートができない分全力で」

「へいへい」

「だー!もう、適当に返事すんじゃないわよ!人生かかってることなのよ?…………それに、私を養わなくちゃいけないんだから」

 

ピタッと、ネックレスをつけていた俺の手は止まった。髪が長いとネックレスをつけるだけでもそこそこ時間がかかってしまう。だったらめんどくせえし別に付けなくてもいいんじゃねえのかと思ったがーーこちらを向いた杏がネックレスを付けただけなのにさっきより女という魅了が際立ち、そんな考えはすぐに消え去った。

それプラスさっきの言動だ、俺はそのまま少し固まる。少し……いやかなり顔を赤くした杏は俺の返答を待っているのだろう俺たちはお互いの目を見つめる。

 

「ああ。ちゃんと、頑張るよ」

 

自分でも驚くくらい自分の人生ときちんと向き合わなければならないその言葉を伝えることに抵抗はなかった。

 

(ああ俺、本当にこいつのこと好きなんだな……)

 

ただただ真っ直ぐな気持ちが伝わったのだろうか、杏はその言葉を聞いて安心したのか俺の肩に頭を置いた。

そんな仕草がたまらなく愛しく感じ軽くキスをする。そして、たまらなく杏の全てを求めたくなった。

それは俺だけではなくきっとこいつも俺の事を求めている。

軽いキスだけのつもりだったが、口を離した時の杏の顔がとても可愛らしかったのでつい深い方をしてしまった。

 

「んっ……」

「………杏。まだ、ダメか?」

 

正直先に行きたいという気持ちはもう既に溢れかえっているが俺一人の意思だけでしていい行動ではない。

だけどその理性が消え去りそうになるほど今の俺は杏のことを求めていた。

俺の言葉に杏はビクッと肩を震わせる。

 

「あ……ま、まだ早いんじゃない?別に全然嫌とかじゃないけど心の準備っていうか……」

「じゃあ、就職活動が終わってちゃんと内定を取ってこれたらいいか?」

「え?」

「俺実はさこの前名刺渡された会社があってな。行く気はなかったがやっぱり職を探している奴からすればそれはありがたいことなんだろな」

「マジ?アンタが!?その会社ちょっと危ないんじゃないの」

「お前ほんと俺と付き合ってんのか?

「冗談よ。でもそれってほんとチャンスじゃない?向こうからその機会を与えてくれるってそうないでしょ」

 

確かに杏の言う通りだ、会社の方から個人だけにここはどうですかと紹介されるというのは滅多にないだろう。

ただ俺はその会社の偉い人に紹介されたわけではなくそこに働いている人から名刺を渡されただけなので有利な立場から面接を受けれるというわけではないはず。

だが今こうしてどこに行きたいかも何をしたいのかも決まってないやつからすればこの機会は逃してはいけないチャンスではないだろうか、内申や推薦もなにもなければなおさらだ。

あの時あったあの女性はあんまり好かないが仕事場となれば苦手な人1人や2人はどうしても出てくるだろうしな。

杏自身から養ってくれと言われるときちんとしなければという責任感が芽生えてしまったのだろうか、行く気がなかった所をこうして今行こうとしている意識変革に俺は少し笑った。

 

「そうだな、1度行ってみるよ」

「ええ。ちゃんと内定取ってこれたら……いいわよ」

「なにが」

「分かって言ってるでしょ?」

「まあな。なあ杏、俺は猛烈に叫びたい気分だよ」

「は?」

「岡崎ひゃっほーーーーい!!!」

 

ああ俺、喜びがでかすぎて頭がおかしくなっちまったぜ……まじで自分でも意味不明だ。

きっと杏は二度とこいつとは関わりたくないと思っている表情をしているだろうから見ないようにし俺は椅子から立ち上がって少し歩き出す。

腕時計を見ると既に深夜帯に入っていた。

 

「そろそろ帰ろうぜ。送っていくよ」

「いきなり叫んでおいてすぐに冷静になるのやめてくれる?ある意味怖いわよ」

「1回叫んだら落ち着くもんなんだよ」

「全く意味わからん。アンタの脳みそほじくってその中身調べてみてもよさそうね」

 

えげつない言葉が飛びながらも杏は俺の手を取り2人で歩き出す。

何気ない会話をしながら帰り道を歩き杏を送り出して1人で歩く。

これからはあまり忙しくてずっと一緒にいられる時間というのはしばらくないだろうがあまり嫌な気はしなかった。

俺はあいつといる前にやるべきことがある。それはこれからの人生で避けることはできずずっと目を背けていたこと。

今まで何かの物事を一生懸命にやり遂げるというのは馬鹿馬鹿しいと思っていたが俺は今その一生懸命物事をやり遂げるということを実行しようとしているのかもしれない。

自分自身、本気で就職活動というのをやろうとしているのかは分からない。ただあいつを困らせたくないだけためにこうして将来の自分と向き合おうとしていることに関しては明白だった。

 

 

 

 

 

 

 

少し時が過ぎ、就職活動の期間も終わった。

何個もの会社を巡り巡っては落ちまくりその中で内定を勝ち取ったのはあの日鈴木美耶という女から名刺を貰い、面接に行った《桜坂電気株式会社 》だった。

そして無事就職先も決まり卒業ももうすぐという時期に至る。

また平穏な日々が始まり前までは就職活動が終わったらまた遅刻して行こうーーと思っていたのだが心の変化なのかは知らないが登校時間内には学校に行っていた。

朝食を食べて歯磨きをし頃合いの時間に家を出るとそこには1人の女の子がいた。

 

「おはよ、朋也っ」

「ああ。おはよ」

 

今の俺は、そこそこ幸せだと思えるくらいは充実していた。

 

 

 

 

 




最近杏が好きすぎて辛いです。笑
ニコニコ動画にあるCrystal Kayさんのこんなに近くでの杏のMADがマッチしすぎてて凄くいいのでおすすめです!!
今回も見ていただきありがとうございます!
下手な文章力ですみません…汗


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第9話 卒業旅行1

就職活動が終わってからというものあっという間に卒業の日がやってきた。俺たちは卒業式をするため講堂に移動し、後ろには保護者、前の方に校長や教頭、左右には担任の先生やPTAに加入している人達が揃っていた。

本当は卒業式などだるいだけで出席する意味もないので春原とサボろうかと話していたのだがちょうど近くに杏がいて見事に引きずり戻された。杏は体育の時くらいしか見かけないポニーテールで卒業式に出席していたのでそれを見られたのはいいがさっきからだるいという気持ちが強く残り続けている。

 

(なんで俺はここにいるんだ……今からでも抜け出せねえのか)

 

やはりどうしてもこういう学校行事というのは性にあわない。こうやって人の空気ばかりが漂っているところに居続けるよりは適当な場所で適当に過ごした方が居心地がいい。その輪からはみだしていた俺にとっては苦痛でしかなかった。

ちらっと春原のいるところを見ると同じことを考えていたのだろう、つまらなさそうな顔でこっちを見ている。

そして目が合った瞬間も、きっと同じことを考えているはずだ。

 

((まだ今だったら抜け出せる))

 

講堂に足を踏み入れそうになる直前に俺と春原はみんなとは真逆に方に足を向き直し早歩きで講堂とは無縁の場所に行こうとする。

 

「おいこら岡崎!!春原ァァ!!」

 

幸いにも生活指導の奴らなどは講堂の中に入っていて次々と生徒が入ってくるので出るにも出られず叫ぶだけで追われずに済んだ。

 

「はは、やっぱチョロいねうちの生活指導はさ」

「お前何度も捕まってるけどな」

「はっ、あんなの仕方なく話だけ聞いてやっただけさ」

 

どこからそんな自信ありげの言葉が出てくるのか不明だが言い返すのが面倒なのでスルーして先々と前に進む。

春原は無事卒業式を抜け出したことが嬉しいのかのんきに鼻歌を歌いながら付いてきていた。ていうか、よくこいつはきちんと卒業できたものだ。留年してもよい成績と態度を取っているのにこうして無事卒業できているというのは本当に奇跡だろう。

まあ単に仮にこいつが留年しても問題児が学校に居座っているだけなので学校側が仕方なく卒業させたのかもしれないな。

 

「てかお前いつ金髪に戻したんだよ?」

「地元からこっちに戻って来る間に戻したんだよ。金髪なんか今しか出来ないしね」

「あのだせえ黒髪よりはまだ金髪の方がマシだぜ!」

「その言い方だとどっちもひどいように聞こえるんですけど!?」

「え?その金髪はその最低最悪に似合わねえ髪色を少しでもマシにするためにしてたんじゃないのか?」

「あんたほんとひどいですね……!?今まで僕の髪型のことずっとそんな風に思ってたのかよ!」

「当たり前じゃん」

 

自分ではその金髪頭は最高にイケてると思っていたのか途端に春原の絶望の声が辺りに響いた。

流石の春原も金髪のままで面接に行くというのはまずいと思ったのかしばらくの間黒髪に戻していて当然のごとくその姿を見て俺や杏は大声で笑っものだ。

つい最近こいつも地元から帰ってきたばかりでしかも学校に行く必要も特になかったので卒業式まで見事に春原は学校には来なかった。なのでこいつとこうしてきちんと会話を交わすのも久しぶりだった。

中庭まで移動し、誰もいない静かな場所に俺と春原は芝生の上に寝転がる。

最近授業をサボるということがなかったのでこうやって中庭で寝転がるというのは本当に久しぶりだ、しかも明日からは中庭に行く機会もなくなる。これからはサボることもできずただひたすら働くということを考えたら、社会人になるということが少し億劫に感じてしまった。

 

「お前らって卒業したら同棲とかするの?」

「あ?特に考えてねえよ」

「ふーん。他の男に取られるんじゃないぞ?杏って確か専門学校だったよな。周りに男なんかいくらでもいるだろうしさ」

「そんときはそんときだな」

「そんときって……取られてもいいってこと?」

「そういうわけじゃねえよ。ただ俺以上に好きな奴が出来たってんなら無理やり引き止めたりはしない」

「それってなんか、優しいフリして逃げてるだけだよね」

「………そうかもな」

 

結局、俺は椋を振ったあの日から何も変わってないのかもしれない。どちらかを傷つけてしまうのをただ恐れて大事なことをずっと先延ばしにして結局は自分の身を守っていたのかもしれない。今だってそうだ、もし杏が他のやつに目を向けてしまってもこのまま交際を無理やり続けるということはしないだろう。自分の意思だけ物事を判断しているのだ。勿論藤林杏という存在は今の俺にとって必要不可欠な存在でありかげがえのない人になっている。

だけどそれは自分だけの意思でありあいつはそう思ってないかもしれない。いや、本当は普段のあいつが俺にしてくれる行動でどう思っているのかなどは分かっている。俺は少し、自分に自信がないんだな。

適当に春原とだべっていると卒業式が終わったのか、次々と生徒が出てき始めた。

中庭も友達とゆっくり話したり写真を撮ったりするには絶好の場所となるのでだんだん人が集まり始めてくる。プラス子供の卒業姿を見に来ている保護者もいるのでここは騒がしくなるだろう。

 

「おい春原、どうするよ」

「僕たちがここにいたって特にすることないもんね。でも岡崎、杏はいいのかよ?」

「あいつのことだから誰かと話してんじゃねえか」

「残念、さっきちゃんと卒業式に出ろって伝えたはずなのに何故か途中でいなくなってるお馬鹿なトモヤくんとその隣のヘタレに真っ先に会いに来ちゃったわ♪」

 

後ろからその声が聞こえた瞬間、心臓が一瞬止まったかのように俺と春原は体が固まった。恐る恐る振り返るとそこには笑顔でいたが見るからに怒りのオーラが出ている杏と隣でいつも通りオドオドしている椋、そして古河やことみもいた。

杏は大股で近寄ってきた瞬間思い切り俺と春原の片耳を思い切り引っ張りだす。

 

「ちょっ!!痛い痛いやめてくださいお願いします!!!」

「んーなんてー聞こえなーい??」

「おい杏悪かったから離してくれ……!!」

 

やべえ、耳を本気で引っ張られたらこんなに痛いのかってくらいに痛すぎる。

杏はまるで俺の言い分など聞かずに睨みつけながら遠慮せずに引っ張ってくるので近くにいた椋や古河が止めに入ってくる。

 

「お姉ちゃん流石にもうやめてあげようよ……!」

「そうです、岡崎さんと春原さん凄く痛そうですっ!」

「なんか私がいじめっ子みたいね……まあいいわ。アンタ達2人に感謝しなさいよ」

 

流石に2人の言葉には弱いのかやっと片耳が解放される。春原の片耳を見ると既に真っ赤だったので俺の耳もそれくらい赤くなっているだろう。ていうか、本人が言っている通り充分いじめの範囲にいってると思うんだが。

 

「朋也くん、大丈夫なの?」

「ん?ああ……生きてはいるぞ」

「杏ちゃんやっぱり怖いの」

「ことみー?怖がらなくていいのよ、全部こいつらが悪いんだから」

 

さっきから後ろにいたことみに対して杏はさっきまでの雰囲気を消し去り抱きつく。それでことみも安心したのか嬉しそうな顔で手を回していた。ったく抱き合っただけでマイナスな印象ってのは消えるのかよ?女子というのはある意味怖い。

 

「んで僕たちに何の用だよ?早く帰りたいんだけど」

「陽平には用はないわよって言いたいところだけど、ちょっと提案〜」

「えなに、楽しいことっ?」

「ええ充分楽しいわよっ。ここのメンバーで卒業旅行行かない?2泊3日で!」

 

………いや、マジかよ何故そうなった。

杏と2人だけで旅行に行くのならまだしもなぜこのメンバーなんだ?正直言ってあまり行きたいとは思えない。

そしてその気持ちが出ていたのかさりげなく杏が俺の方を見た。きっとこいつも俺がこういうイベントにあまり興味がないことを分かっているだろう。それでも誘ってきてるということはそれぐらい行きたいという気持ちの現れであり、その彼女の願望をただ行きたくないという理由だけで断る気はなかった。現に春原なんか面倒くさがるどころかすげえ乗り気な顔してるしな。

 

「いいんじゃないか。 ただ2泊もするんなら安いところしか行けねえぞ」

「そこはちゃんと分かってるわよ。椋が事前に安くて学生でも行けるところをピックアップしてくれてるからねっ」

「へえ〜やるじゃん委員長!ねえもう近いうちに行っちゃおうよ!」

 

何気春原が1番楽しみにしてそうだよなこれ。

そこからはだんだんと会話が盛り上がっていき海がいいや田舎辺りがいいやと少し意見が分かれたりしながらも結局は海が近くにあるホテルに泊まろうということになった。

ある程度まとまりがつくと女子軍(と言っても杏や椋)はまだ仲の良かった人達とちゃんと話していないということで先に帰っててと促された。

 

「ねっ朋也」

「あ?」

「ほんとは一緒に帰りたかったんだけどどうしても仲の良かったグループで帰ろって話になっちゃってさ。だからごめんね?」

「気にするな、そいつらとはこれからいつ会えるか分からねえしな。俺らは旅行もすぐに行くんだからまたすぐ会えるだろ?」

「うんっ、そうね。陽平誘ったのもアンタ1人だけだと可哀想かなと思って誘ってあげたんだから感謝しなさいよ?」

「あのめちゃくちゃ丸聞こえなんですけど……!?」

 

最後の春原の嘆きは無視して杏は少ししてその場を離れた。

これからはもう二度と学校へと続くあの桜並木の道も他の道も一緒に歩く必要がなくなるのか。

やっぱり最後にもう一回杏とあの道を歩きたい、という気持ちが芽生えてしまったがこればかりは仕方がないので無理やり欲望をかき消す。それにこれからまた作っていけばいいんだ、あいつとの日常的な何かを。そう思うとこれからの人生が少し明るく見える。2人だけで行くわけではないがきっと卒業旅行も楽しいものになるんじゃないだろうか。

 

(ていうか、そろそろ一線超えてえよな)

 

逆にもう少しで1年ってところまで付き合っててディープキスしかしてないっていうのは遅すぎはしないか?特に友達もいないので同世代のカップルがどれ程そういう事が進んでいるのかというのがいまいち把握しがたい。

特に焦るほどのものではないしお互いの意思を尊重し合わなければならないことなので無理やり迫るということはしたくない。だからそれっぽい雰囲気が出るまで待ってはみたが結局はキスで止まっていてそれ以上がない。まあとりあえず現地でどうなるかだな……。

 

「はあ。帰るか、春原」

「そうだね〜いやついに僕にもモテ期到来かなー!」

「お前相変わらずアホだな。古河とことみも帰るか?」

「すみません、私もうちょっとだけ校舎を見て回りたいんです。ことみちゃんも一緒にどうですか?」

「一緒に行くの。バイバイ、朋也くん」

「ああまたな」

「あの綺麗に僕だけスルーするのはやめてくれるかな?」

 

俺は落ち込んでる春原を無理やり引っ張りながら歩き出す。

しばらくして春原の制服を掴んで前に突き飛ばし1人で歩かせるようにした。

 

「お前1人で歩けやしないのかよ」

「前から思ってたけどあんたらほんと僕の扱い酷すぎません?いじめの範囲入るぜこれ」

「大丈夫、春原陽平という人間らしい名前をしているが実は人間になろうと日々頑張っている猿なんだ」

「どっからそんな外れまくった設定が出てくるんですかねえ!?」

 

せっかく爽やかに言ってあげたのに本人は納得いかない様子だった。

そして特に思い入れもない校門を抜けて桜並木をくぐり抜ける。学校という1つの環境が終わることに対して特に何も思わなかったので、この卒業式もああやっと終わったんだなとくらいしか思えなかった。この高校に入学するまではやる気に満ち満ちていたがそれもすぐに消え去り後は堕落の日々が待っていただけ。だけど一つだけこの高校に通ってよかったと思えた事がある、それは今まで関わってきてくれた人達との出会いだ。もし違う選択をしていてこの高校を選んでいなかったら杏は勿論椋にも古河にもことみにも春原にも、そして最後には関わりをたくさん持ったクラスメイトとは出会うことがなかったはずだ。つまらなかった学校、行く意味もなかった学校、何一つやるべきこともやりたいこともなかった学校。そんな中で学校に行っていたのはやはりそいつらがいてたからだったからだろう。なので俺は少しだけ、学校という建物に感謝した。ここがなければ杏たちに出会うことはなかっただろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業してから約1週間、大体はこの時間からは春原の部屋に行っていつもみたいにダラダラしている頃だったが卒業して以来そんな機会もなくなった。そして今日から2泊3日の卒業旅行なので6時半にセットしていた目覚ましで起き昨日適当に入れておいたトラベルセットを一応確認しておく。まだ時間に余裕はあるので2度寝しようかと思ったが真面目に遅刻しそうなのでやめておく。

俺は机の上に何枚か置いていたプリントを手に取り読み始める。

そこには空き室と書かれたここの地域では安めの家の詳細が書かれていた。卒業してからというもの特に行く場所もなくこのままではずっと家に居てしまうことになりそれだけは嫌だったので商店街の不動屋さんに訪ね何枚かオススメの部屋を紹介してもらった。ちなみにまだ春原は卒業してからも1週間は寮にいれるらしく翌日向かったのだが掃除や荷物まとめるのが大変だから頼むから今はやめてくれと言われ仕方なく自宅にいることしかできなかった。なので春原とはこの卒業旅行が終われば地元に帰ってしまうのでしばらく会えない。そうなってしまうと何もない日もこの家にいなくてはならないことになってしまうのでさっさと飛び出して行きたかった。ちなみにもう本命候補は昨日の夜決めたのであとは電話するだけだ。だから旅行から帰ってきたらさっさと不動屋に電話して契約させてもらおう。

一応考えをまとめたのでプリントを再び机に置きそろそろ時間なので荷物を持って家を出る。

集合場所は駅前なのでそこまで時間もかからず行けそうだ。

しばらく無言で歩き続け駅前に差し掛かった時、見覚えのある頭が登場する。

 

「椋、1人か?」

「えっ?あっ朋也くん……!おはようございます。お姉ちゃん準備に支度かかっちゃって先に行っててって言われたんです」

「なるほどな。まあとりあえず切符だけ買って待っておこうぜ」

「そうですね」

 

あいついつものデートなら10分前には既に来てんのに泊まりとなると遅くなるのな。

駅の方に歩こうとすると椋は大きめの自分の荷物を持ち上げようとしていたので俺はそれを阻止する。

 

「重いだろ、持つよ」

「い、いいんですかっ?」

「隣で重そうに持っている奴を見ながら歩く方が見苦しいからな」

 

頬が赤くなっている椋の返答を待たずに俺は荷物を持ち上げ駅前にへと向かった。時間的にもちょうどいいのできっと誰かいるだろうと思って周りを見渡すと、そこには古河とことみと意外にも春原も来ていて切符売り場の前で待っていてくれていた。

 

「いやー女の子2人に対して僕1人ってなんだかいい気分だねえ!」

「それも今終わったがな」

「うわっ岡崎!?もう来たのかよ!」

「そろそろ着かなきゃいけない時間だからな」

「おはようございます、岡崎さん、椋ちゃん」

 

きっと春原の相手をするのに大変だったのだろう古河の顔が俺たちを見つけた瞬間ほっとした表情になっていた。

椋も古河とことみに挨拶を交わして時間帯的にもそろそろ電車に乗ろうとしていた時間だがあと一人がまだ来ない。

 

「おい岡崎、杏はなにしてんの」

「俺に聞かれても知らねえよ」

「あいついつも僕達のこと散々言ってるくせに自分が遅刻するってどういうーーブホヘッッッゥゥ!!!!??」

 

今なんか辞書みたいなんが春原に直撃したような……??しかも完全に沈黙してやがる。その瞬間の出来事に俺たちは固まり、次第に改札とは逆の方にへと顔を向ける。こんなことをするのはただ1人だけということを知りながら。

 

「ごっめーんお待たせ!!あと陽平ごめんねえ?なんか私の悪口言ってるような気してさー」

 

そんなこんなで、俺たちの卒業旅行は始まった。

 



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第10話 卒業旅行2

またまた投稿が遅くなってしまいすみません!
今回どうしてもこの話で終わらせたかったのでいつもより2000字ほど文字が多いのと内容が進むのが早いと思います。
少しでも面白いと感じてくだされば嬉しい限りです。


2回の乗り換えをして何時間も電車に揺られてやっと着いた場所はこの辺りでは海の色も景色も綺麗だと言われている有名な観光スポットだった。少し3月という季節外れな時期に来ているのに最近の温度上昇のせいかそこそこ多くの人で賑わっていた。俺たちはホテルの前に着くや否やすぐに海の方に歩き出し立ち尽くす。

 

「凄い綺麗なの……」

「ことみちゃんは海に来るの初めてですか?」

「うん。行ったことなかったの」

「じゃあ今日はめいいっぱい遊ばないとダメね」

 

杏の言葉にことみは力強くうんと頷き荷物を置くために一旦ホテルにへと入る。

学生でも泊まれる値段だったのであまり期待はしていなかったのだがフロント1面はとてもオシャレな雰囲気があり宿泊者もかなり来ていた。

チェックインは15時からなので水着と必需品だけ取って荷物を引き取ってもらいさっそく海の方へと向かった。

 

「ホテルも綺麗だし今日すごく楽しめそう」

「なに椋、めっちゃテンション高いじゃないっ」

「お姉ちゃんも既に楽しそうだよ?」

「楽しむために来てんだから当たり前でしょー。渚とことみなんか見てるだけで楽しいしね?」

「見てて飽きないよね」

 

前に4人で歩いている女子軍はキャッキャと女子トークで盛り上がっていて全員がとても楽しそうな顔をしていた。

あまり人が楽しんでいる所を見てもなんとも思わないが杏が楽しそうに話している姿は見ていて飽きなかったので後ろから呆然と見つめる。その姿を見ていた春原が退屈そうに俺に言葉をかけた。

 

「お前、かなり杏にぞっこんだよね」

「あん?」

「恋愛とか興味ねえっ!みたいな態度してたのにさ。今の岡崎がもし藤林杏に振られたりとかしたら凄い見物かもねっ」

「てめえ性格悪いな、見損なったぞ」

「今まであなたが僕にしてきた言動よりかはマシだと思いますけどね……」

 

まあいいや、と春原はその話題を断ち切ってまた別の話題を切り出す。

確かにぞっこんと言われて否定することはできない、ただそれをこいつに言われるのはどうも気に食わなかった。

適当に春原とだべっていると次第に砂浜に着いており、更衣室の前まで来ていた。すると盛り上がっていた女子たちは急に俺たちの方に向き直る。

 

「じゃ、私達着替えてくるから。アンタたちすぐ着替え終わるんだし場所取り頼んだわよ」

「うんうんそれは男の仕事だもんね任せてよ!」

「あ、そうそう陽平?すこーしでも私達に下心ありそうな目で見た時は構わずその目ん玉ほじくって一生見えなくしてあげるからね♪」

 

と、最後に思わず震えてしまいそうな言葉を言い放って女子軍は更衣室に消え去った。

きっと春原はたとえ下心がなさそうな目であいつらを見たとしても蹴られる運命確定だ。行くぞとだけ春原に声かけをして俺も更衣室に入り着替えを始める。

下を着替えればあとはすぐに着替えることができるので春原が来ない内にあまり見せたくはない下の方をさっさと着替えた。

そして俺と春原は着替えを終え場所取りのために更衣室を出て良さそうな場所を見つけ出しそこで杏たちを待つために座った。

 

「あー早く来てくれないかなあ!ことみちゃんとかさ、ありゃナイスバディでしょ絶対っ。委員長も見物だね」

「お前は水着姿が見れるんなら誰でもいいのな」

「まあね〜。岡崎だって杏の水着姿見たいんだろ?」

「まあ、取り立てては」

「んな興味ねえみたいな反応すんなって!今は素直になろうぜ?」

「……流石に彼女の水着姿に興味無いやつはいねえだろ」

「うんうん、素直でいいねえ。っと、岡崎来たぞ!!」

 

そのテンション高めの声に合わせて女子更衣室の方に目を向ける。

そこには確かに見知った4人組の女子がこちらに歩いてきておりそれはまた雰囲気が違って輝いて見えた。

というか俺はというといつもと違う杏の姿から目を離せずにいた。少し、いやかなり期待していた水着姿は想像以上で思い切ったのか可愛らしい水色のビキニを着ていた。こんなにも杏の体のラインが分かるような姿を見たことがなかったので思わず喉をごくりと飲んでしまう。そして向こうも俺がずっと見つめていることに対して恥じるような顔でこっちに向かってきていたので思わずお互い目を逸らしてしまう。正直、こいつの水着姿以外他の奴らの水着姿は全くといってほど目につかない。それほどまでにこいつが綺麗に見えた。

春原もきっとことみや椋の水着姿に見とれているのだろう、俺たち男2人は無言で女子軍を見つめていた。

 

「お待たせしました……って、岡崎さんと春原さん私たちのこと見すぎですっ!」

「え?あ、いや……悪い」

「朋也くんハレンチなの」

「なんで俺だけなんだよ!」

 

合流した途端古河はあまり露出は少ない水着なのに何故か恥ずかしそうに両手で隠していた。てか、第一ことみや古河の水着姿を凝視しているのは春原の方だろっ。しかも杏まで俺が古河たちの水着姿を凝視していると勘違いしたのかさっきまで合わなかった視線がいきなり睨みつけてきた。まったく非がないのでとりあえず視線を逸らして立ち上がる。

一言、似合ってるとかそういう言葉を言わなくてはならない状況かもしれないがそれを言う雰囲気でもなかった。

 

「いやでもほんと似合ってるよみんな!さっ早く海入ろうよ!」

「ジロジロ見るんじゃないわよ気持ち悪い」

「お姉ちゃん言い過ぎだよ……ほら、海入ろ?」

「海の中で陽平を沈み込めるのも楽しそうよね♪」

「さりげなく恐ろしいことも言わないでください……!」

「ぐだぐだ言ってないでさっさと行くわよ!朋也もっ」

「俺は後から入るよ」

 

俺の言葉に杏はなんで?とでも言いたそうな顔をした。

特に深い事情というのはないが結構長い間電車に乗った後にすぐに海に入るというのは疲れそうなので先にクールダウンをしたかっただけだ。

あとことみがビーチパラソルを持ってきていたらしくこいつらが海に入っている間に立てておきたかった。まあ、さっさと日陰に入りたいってのも理由の一つだが。

なので俺はことみが両手で持っていたビーチパラソルを貰う。

 

「俺はこれを組み立てておくからさ、その間遊んでおけ」

「いいんですか?朋也くん」

「任せとけ」

「いやあ悪いねえ岡崎!」

「お前は後片付け1人で頼むな、ちゃんとお前だけ残して帰っておくからさっ」

「お前といい杏といい僕の扱い酷すぎますよねえ!?」

 

ぶつぶつと文句を言っている春原をさっさと海に連れて行ってくれと合図するように俺は杏に目配りをして伝わったのか春原の耳を引っ張りながら4人で海の方に入っていった。

といって組み立てると言ってもすぐに終わる作業なのでさっさとビーチパラソルを立ててチェアに寝転がった。

眠るわけにもいかないので浜辺の方で遊んでいる杏たちを見つめる。

春原を除く女子4人組は海に入って浮き輪で浮きながら会話しているようだ。春原はというと杏にご褒美アリ(本当はない)の命令でもされたのだろうさっきからクロールや背泳ぎなど何故か1人で泳ぎまくっていた。

ていうか、あの4人で話す話題というのは一体どんな内容なのだろうか……想像してみるが全く思い浮かばなかった。ただ言えるのはあのメンツで普通の世間話とかはできねえだろうな。きっと古河やことみがボケて杏がツッコミを入れるみたいな感じだろう。

そうやってぼーっと杏たちを見つめていると目の前に誰かが現れ視界が遮られた。

 

「今1人なんですかー?」

「あん?」

「睨まないでくださいよ〜。暇そうだったから声かけちゃったっ。ていうか、結構かっこいいね!」

 

逆光のせいと話し方からして面倒くさそうな感じっぽいので自然と睨みつけるような視線を送った。

見ると俺と同い年か大学生くらいだろうか、女2人のペアで俺の前に立っていた。顔は少し濃いメイクなのであまり分からないが美人な方だと思う。

これ以上絡まれるのは面倒なので杏たちの方へ向かおうと立ち上がる。

 

「ちょっとどこ行くの?一緒に遊ばない?あ、ていうか日焼け止め塗ってくんない?」

「悪いがあんたらに構ってる暇はなくてな。他を当たってくれ」

「日焼け止め塗ってくれるくらいいいじゃん!」

 

そいつらを通り過ぎようとしたとき2人のうちの1人が俺の腕を掴んでくる。こういう女ほどめんどくさいものはないな。

軽く舌打ちをしもう関わるなという意志を込めて2人を睨みつけると一瞬びくっと肩が震え掴んでいた手を離す。

そのまま立ち去ろうとするーーーブギャンッッッッツ!

 

「おわっ!?」

 

い、今のは何だ!?反射的に避けることができたからいいものの少し反応が遅かったら直撃してるところだったぞ……。

恐る恐るその物が飛んで行った場所を見ると……ええと、和英辞典か??

途端、後ろからものすごいオーラを感じる。いや待てこのことに関しての俺は全く非がないのではないだろうか。ゆっくりとそのオーラか感じる方を振り向くととても笑顔ではない笑顔の杏が立っていた。

 

「トモヤクーン、何してたのー?」

「………見ての通り休憩だ」

「へーー、こんなに可愛い彼女がいるのに休憩中に他の女の子とイチャイチャしてるなんてなかなか根性据わってるわね〜」

「いやまて杏俺は別に……」

「言い訳なんか聞きたかないわよ!腕まで掴まれちゃってさ嬉しかったんじゃないの!」

「あれはしょうがねえだろ!しかも被害者は俺の方だろっ」

「ああそうっほんとは休憩だって言って女の子にナンパされたかったんじゃないの!」

「そんな具体的な内容で休憩するかよ!」

 

っと言ったところで少しやばい雰囲気になってしまった。

いつもみたいに言い返してみたはいいものの杏からすればさっきのは本当に嫌だったらしくこれ以上は反論できなくなった。

悪い、と謝ろうとしたが何も聞きたくないのか杏はもういいわとだけ言ってその場を立ち去る。

 

「おい杏、待てって!」

「離して」

「なんでそんなに怒ってんだよ!あれくらいのことで嫉妬してんのか」

「ーーッ!お願いだから離して」

 

俺の言葉がまた怒りに触れたのか、今度は思い切り掴んでいた腕を引き離された。

また追いかけてしまうと更に機嫌を損ねる可能性が高いので呆然とその場に立ち尽くす。さっきの2人の喧嘩口調が春原や椋たちにも聞こえていたのだろう、杏が浜辺に戻ると椋が心配そうに近くに寄っていっているところが見えた。

と言ってもそんなに怒ることなのだろうか、いまいち女心というのが掴めない。

今あいつらの所に行ったとしても杏と気まずい雰囲気になるだけなので俺は舌打ちをしてチェアに再び寝転がる。

あいつと付き合ってから何回も軽い喧嘩や言い合いはあるが、はっきりとした拒絶が示されたのは今回が初めてだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海で遊んでホテルにチェックインした後も一向に俺と杏が話す気配はなかった。

館内着に着替えてからレストランに夕食を食べに行こうとなったので一旦女子とは別れて俺と春原だけになる。部屋に着いた瞬間春原はすぐに話題を切り出す。

 

「お前らどーしたの」

「別に」

「別にじゃないでしょ、お前なんかヘマしたんじゃねえの?」

「どうだかな。わかんねえ」

「分かんないって、それが1番ダメなやつでしょ?さっさと仲直りしてくれよーせっかく旅行に来てんのに雰囲気ぶち壊しだよ」

「だったらお前がなんとかしろよ」

「あのねえ、この件に関してはお前らのーー」

 

そこで、春原の声は止まった。

あまりにも俺が怒りと悲しみの感情で満ちた表情をしてしまっていたからだろうか、春原は俺の顔を数秒間何も言わず見つめてくる。

しばらくその体制が続いたあと、俺は口を開いた。

 

「……悪い、春原。さっきの言葉は八つ当たりだ」

「いいよ別に。んで本当にどうすんのさ。せっかくの旅行だぜ?このままじゃダメでしょ」

「分かってる、なんとかするよ」

「………あのさ、岡崎。お前ちゃんと杏の気持ち考えてるか?」

「あ?」

「いかにも男みたいな性格してる杏だけどさ、あれでもちゃんと女の子だぜ?」

「……………ああ」

「あいつの気持ちもちゃんと理解するのが彼氏ってやつなんじゃねえの」

 

……確かに春原の言う通りかもしれない。

これが初めて女の子と付き合ってて女心が分からないっていうならまだ納得はできるが俺は違う。

しかも初めてできた彼女に関しては向こうの気持ちを把握するより以前に最後には最低なことをしてしまい終わってしまった。もう既に罪深い行動をしてしまってるのでこれ以上好きなやつを傷つけるという行為は絶対にしたくなかった。

それが例えどんなに小さな言い合いや喧嘩だろうとも。

そう、例えば俺が言われて気にならないこと言葉があったとしてもあいつからすれば気に入らなくイラッとしてしまうかもしれない。

自分の価値観を相手に押し付けるだけではなく、きちんと相手の気持ちや性格を把握するべきだ。

さっきの海辺での杏との会話を思い出すと、俺は自分の価値観を押し付けて話していたのであいつの気持ちを尊重してなかったんだと分かった今無性に自分に対して腹が立った。

とりあえず無視されてもいいので杏に話しかけよう、こうやって1人で考えてたって何かが変化するわけでもねえんだから。

思い立つとさっさと部屋の中にあった部屋着に着替え出しルームキーを持って玄関まで歩く。

 

「おい春原早くしろっ」

「ちょっと待てって、まだ何も着替えてないよっ」

「お前いい加減そのノロさ治せよな」

「アンタもそろそろその自己中さ直した方がいいと思いますけどね……!」

 

まったくその通りだと思うぜ、春原。

 

 

 

 

 

 

 

レストランに春原と向かうと既に杏たちは前で集まっていた。

少し気まずさと緊張が渦まいてしまったが立ち止まるわけにもいかないので平静を保って近くまで歩く。

すると1番俺たちのことに気づきやすい位置にいた椋が最初に気づきこちらに体を向けた。

 

「待たせたな」

「いえ、大丈夫です。私たちもさっき来たところですから」

「って待ってよ、女の子の館内着って浴衣だったの!?」

「いやさっきチェックインしたとき思い切り浴衣受け取ってたの見てただろ」

「そうだっけか?もう覚えてないや〜!」

 

てめえの脳はどっか穴でも空いてんのか。

さりげなく杏を見ると目が合いすぐに逸らされてしまう。だが俺は新鮮な浴衣姿に目を奪われ目を逸らせずにいた。

今日は水着姿や浴衣姿など普段見れない姿ばかり見ているのでもうそれだけでこの旅行は満足な気分を味わえる。まあ、そんな中で1番放ってはおけない問題が発生したわけだが。

既に決められている席まで歩く途中どうやって話しかけようかタイミングをうかがう。

 

(っていうか、普通に話しかければいいんだよな……)

 

こうやってこそこそ話しかけるタイミングを狙ってるっていうのは凄い甲斐性なしな気がする。

全員で食べ物を取りに行こうとしたとき、俺は杏の隣に向かった。

 

「杏」

「っ……!こ、ことみっアンタ変なもの取りそうだから私が選んであげましょうかっ?」

「お姉ちゃん、ちゃんとした所なんだから変なものなんてあるわけないよ」

「あ……そ、そうよね確かにっ。あはは……」

 

さりげなく話しかけたつもりだが思い切っきり避けられてしまっていた……!杏のやつ一体いつまでこんな態度取るつもりだ?

せっかく距離を詰めたが再び遠くなってしまったのでまた呆然と立ちつくす。椋が心配そうに俺の事をチラチラと見ているので心配するなという意思表示で苦笑いしながらも頷いておいた。

確かにあいつが怒る理由も今となれば分かるがせっかくの旅行なのにこのままの状態が続くというのはどうしても癪に障る。まだ高校生としての気分でいられる今だからこそ、こんな雰囲気でいたくなかった。この旅行でしか作れない2人の思い出も作りたかった。

なので俺は古河やことみと話し込んでいる杏の腕を掴み目を見つめる。

 

「来い、杏っ」

「え……?ちょっ、朋也っ!?」

 

杏の腕を掴みながら早歩きでレストランを抜け一旦ホテルを出て目の前にある海岸にへとたどり着く。

もうここまで来た時には何の抵抗も言葉もなかったのでゆっくりと掴んでいた杏の腕を離した。

 

「悪い、痛くなかったか?」

「大丈夫、そんな強くなかったから」

「そか。なあ、杏………今回は俺が悪かった」

 

しっかりと目を見つめ、そう杏に伝えた。

謝罪されたということが意外だったのか杏は何も言わず立ち尽くしているのでしばらく待つ。

すると次第に口を開いたので俺は黙って聞いた。

 

「……私、振られちゃうのかな〜とか思ってた……朋也がそんなナンパじみたことなんかするわけないって分かってたのに、まるで朋也のこと信用してないような言葉言っちゃったからさ……」

 

そんなわけねえだろ、と反論しようとした矢先、杏の目頭から涙が落ちてきたので咄嗟に言葉を失ってしまう。

今の言葉からして自分自身への自己嫌悪からの涙なのだろう、俺は後ろから杏を抱きしめる。

俺がどうやって仲を戻そうか考えてた分、こいつも自分の悪かった部分を責めてそんな考えを出してしまったんだ。1度そんなことを考えてしまったら抜け出すことは難しいだろう。

レストランで話しかけた時もきっと愛想をつかされたんじゃないか、振られるんじゃないかなと思ってしまったからこそ避けられたのかもしれない。

 

「馬鹿、振るとかそんなのするわけねえだろ。俺はそんな軽い気持ちでお前のこと想ってねえよ」

「……うん。ごめん、朋也」

「俺も悪かったんだ。ただでさえ日常的に俺の周りって女の子が多いから余計心配させてるだろうしな」

「……それはごもっとも。でもアンタは……私以外興味ないんでしょ?」

 

当たり前だ、と返答する前に俺は杏の体を向き合わせて軽くキスをした。またいつもと違う心地良さが芽生えもっとしたくなったが我慢し優しく抱きしめる。好きな相手と一緒にいるとこんなにも安らぐのはなぜなんだろうか、出来たらずっとこいつの傍にいたいと思えてくる。旅行前に思っていた一線を超えたい、という気持ちはもうどこかに消えていた。

 

「ね、朋也」

「あん?」

「これからは今みたいには会えなくなってくるじゃない?それでもさ、私の事絶対捨てないって約束できる?」

「……突然だな」

「即答してくれないのね?」

「俺からはそんなことしない。考えたこともない」

「そっかっ」

 

その言葉をずっと待ちわびていたかのように返答を聞いた瞬間俺は杏に勢いよく抱きしめられていた。

とりあえず可愛いので抱きしめ返ししばらくその状態を保つ。

さっきも言った通り、自分からこいつを振るということは今ではとても考えられない。それほど今の自分というのはこいつを必要としている、傍に居てもらわないと困る存在ということだ。

最初は全く恋愛という文字さえも浮かばない奴だったのにいつの間にこんなにもかけがえのない人になっていたのだろうか。

 

(……もしかすると、2年の時からもう俺の気持ちは動いていたのかもな)

 

と考えるが、そんなことはないなと思考を消し去る。本当の気持ちに気づいたのが椋と付き合っている時なのにそんな前から気持ちが動いていたとしたら流石に鈍感な奴だとしても気づくだろう。

好きになった瞬間がいつかなんて明確には分からない、気づいた時にはもう後戻りくらい気持ちが高まっていた。

もうこれ以上は近くに寄れない距離にいる杏を見て思う。

ーー特定の人をずっと必要とするってのはこんなにも幸せなんだな。

 

 

 

 

 

 

 

そして次の日も色々と遊び回り、あっという間に卒業旅行が終わった。

杏の機嫌も治ったのでまた再び明るいテンションが戻り思い切り楽しんで帰りは流石に疲れたのだろう全員とも最寄り駅まで爆睡していた。

最寄り駅に着いて重い荷物を持ちながらそれぞれの分かれ道までたどり着く。

もうここで別れてしまうと次いつこのメンツで会えるのか、これで本当に高校生活というのが終わってしまうんだーーという思いをみんな持っているのだろう、誰も喋らずただ顔を見合わせていた。なので俺は、この空気を変えるためにも声を出す。

 

「……おい春原!お前週1くらいはここに戻ってこいよ、待ってるからな!あと古河っ、お前んとこのパン屋も今度寄るから。ことみもっ、耳が潰れねえ程度ならヴァイオリン聞いてやるからっ。椋は、意外と会うかもしれねえから普通に会ったら話そうなっ」

 

最後にグッジョブ!のポーズを片手で再現しテンション高めにその場を明るくさせようと努める。

これがつまらないばかりの高校生活を過ごしていたとなればちっとも悲しいや寂しいなどの感情は生まれることはないだろう。だけど俺や春原でも少しは充実した高校生活を送れた気がする、だからこうやって一緒に過ごしてきた奴らと別れることに寂しさを感じていた。

 

「岡崎、やっぱり僕がいないと寂しいんだねっ。仕方ない、年に1回くらいは……待て、さっきお前週1で帰ってこいって言ったっ?」

「ああ」

「んな帰ってたら僕の給料それだけで無くなるじゃんかよ!」

「お前なかなかの安月給で働いてるのな」

「こんな低脳を採用してくれるだけそこの会社凄いわよ。ていうか本当に公表できる会社でしょうね?」

「今まで僕のことどんな感じで見てたんですかねえ……!?ちゃんとした会社だっ!」

「岡崎さんと杏ちゃん相変わらず春原さんにはいけずですっ」

「いけずはだめなの」

「わ、私もいけずはダメだと……」

「なんか今日は僕の味方がたくさんいるっ!?」

 

この一連の会話に俺たちはみんなで笑いあった。

今でしかやり取りできない、そんな馬鹿な会話で。

 

 

 

 

 

そしてあっという間に春原は仕事のためここからいなくなり、他の奴らも徐々に新生活にへと動き出していた。

現に俺も卒業旅行の後さっさと一人暮らしのためにワンルームの借家を借りて今日から一人暮らしの日々が始まることとなる。

寝室の壁にはいつも実家でかけていた制服ではなくもう既に仕事用のスーツがかけてある。ちなみに就職先からこの家の距離は近く、歩いて行ける距離だ。明日は朝早いのでさっさと寝ることにして電気を消す。

さあ明日からは、社会人生活の始まりだ。

 

 

 

 

 




次回からはやっといよいよ本番の社会人編にうつっていきたいと思います…!!のですが来月中盤辺りくらいまでやることが結構あるので投稿また遅くなると思います、すみません(--;)


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番外編1 体育倉庫 その後

本編を書くのに結構時間がかかりそうなのでその代わりといってはなんですが杏と朋也が体育倉庫に閉じ込められたあの時、そのまま進んでいたら…?という短編ifストーリーを書いてみましたので見ていただけると嬉しいです!※アニメのストーリー上あまりイチャイチャはしません!


やばい、なんだこの空気……。

この沈黙の雰囲気に俺は気まずさを覚え背中から冷や汗が出てくる。お前だったらもし体育倉庫に閉じ込められても大丈夫かと思ったのになんでさっきから黙ってるんだよ、なんか言えよ……。

 

(お前を選んだ意味がねえじゃねえか……!!)

 

俺も何も言うべき言葉が見当たらないので呆然と杏の方を見つめる。暗くてよく分からないが杏はふんわりと頬を赤くさせて気まずそうに突っ立ていた。

ああ、あんな変なおまじないなんか試すのではなかった、あの資料室にある変なおまじないは絶対にやるべきではないということが分かったぜ。ていうか本当にこんなピンポイントなおまじないよく成功できたよな……。

そしてしばらく2人で沈黙を過ごしていると、杏はやっと口を開き始める。

 

「朋也……椋のこと迷惑………かな?」

「あいや迷惑とまでは……」

「じゃあもしそれが……」

 

と、言ったところで杏の口は再び閉じられた。

咄嗟に俺も杏の言葉を聞いてる時に宮沢から教えてもらった体育倉庫から脱出できる言葉を思い出したのだが、杏の言いかけた言葉の方が気になったので言葉を待つことにする。

 

「それが、なんだよ?」

「えっ、あ、いや……あはは、やっぱ何もないや〜!」

「お前な……言おうとしてたことを結局言わねえんだったら最初から言うなよ、こっちからしたら凄い気になるだろ」

 

だから言え、と催促したのが伝わったのか杏は動揺しながら視線をあちらこちらに向けている。

そんなに言いにくいことなのだろうか?言葉の続き的には藤林関連の話かもしくはこいつのことか。

本人が言いたくないことを無理やり言わせるのも癪なのでもしこのまま何も言わなかったら諦めてこのおまじないを解く言葉を言おうと思ったが、そう経たない内に杏は口を開いた。

 

「あのね、朋也っ」

「あ、ああ」

「もしそれが逆に……椋がいなくて私と2人だけでお弁当食べるってなったら、迷惑かな?」

 

一瞬、思考が止まる。

今の言葉は藤林杏という人物から聞いた言葉だよな……?

それはつまり、こいつは俺と飯を食べたいということなんだろうか?今までの俺に対する行為からしてあんまり好意という好意は向けられてないと思っていたのだが。

だとしても今の言葉や表情からしてあきらかに俺に対してそういう好意があると思っていいだろう。

確かに、杏が作ってくれる弁当は美味いし毎日作ってくれるものならそれはもう最高だ。だが……多分俺は、杏がそこまで俺にしてくれる本来の気持ちには応えることができないだろう。ただ飯だけタダ食いして後は何も知りませんで終わるのはあまりにも残酷ではないだろうか。だから、決して一緒に飯を食うということに関しては全く迷惑ではないし逆に歓迎だがそれと同時に変に期待させて落ち込ませたくもなかった。俺はそれを理由に杏が何故こんなことを俺に聞いてきたのか全く分かってない様子のフリをしながら口を開ける。

 

「別に迷惑じゃねえけどお前の方が俺と一緒に食うなんてお断りだろ。それに藤林だけ除け者にすんのは可哀想じゃないのか」

「っ………そう、ね。私何言っちゃってんだろ、ごめんねっ?変なこと聞いちゃって。……でもね?朋也」

「あん?」

「私、全然迷惑じゃないわよ。逆にアンタと昼休みずっと居れて嬉しいくらいかもね!?」

 

それは杏からすれば凄く言うのが恥ずかしかったのだろう、顔面真っ赤にしてそう告げた。

いつもの杏からは絶対に聞くことのない言葉に少し俺も照れてしまう。

もうこれ以上は2人で居続けるのはあまりよろしくない上に照れ隠しも兼ねて俺は上着を脱いでおまじないを解く体制に入ろうとした。が。

 

「ちょっと待って、何する気!?まさか今ので私のことーー」

「安心しろ、杏。俺に全部任せておけっ」

「へっ??ほ、本気なの!?朋也っ」

「本気って、そりゃこのままだとお前も嫌だろ?それともこのままがいいのかよ?」

「いやそのこのままっていうか……ほ、ほらっ、やっぱりそういうのって順番があるじゃない!」

「いや、やることは1個だけじゃねえか。とりあえず俺に任せておけ、少し後ろ向いててくれないか?」

 

流石に呪いなんてヘノヘノカッパなんて叫んでるところを見られるのは苦痛すぎるのでそう頼んでおくと杏はさっきより緊張した面持ちで後ろを向いてぶつぶつと独り言を言っている。

さっきから微妙に会話が噛み合ってなかったのでまた変な勘違いをこじらせているのだろう。

俺は全意識を集中させ呪いなんてヘノヘノカッパ…呪いなんてヘノヘノカッパ……と3回目の途中まで言った時、小さいながらも微かに杏の声が聞こえてきた。

 

「こういうこと許せるの………朋也だけなんだからね……」

 

……今の言葉で、俺は杏がさっきの会話でなにと勘違いしていたのか少し想像がついたがこれはこれで分かったら色々と今以上に気まずくなりそうなので聞かなかったことにしろと無理やり脳に命令する。そしてさっきのは聞こえなかったんだと自分に言い聞かせ、無事体育倉庫から出ることができ、再び演劇部活動に向けて意識を働かせた。

 

 



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社会人編
第11話 新生活


遅れてすみません…!これからも遅くなるかと思いますが読んでくださると嬉しいです!


「おはようございます!新入社員の岡崎朋也です、今日からよろしくお願いします!」

 

 

桜坂電気株式会社の扉を開け放った瞬間、俺は既に居た社員に向かって大声で挨拶をして礼をする。

今日から社会人としての日々が本格的に始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が桜坂電気社長の坂本だ。よろしくね、岡崎君」

「よろしくお願いします!」

 

朝っぱらから大きな声で挨拶をした後、俺は近くにいた社員に社長室まで案内をしてもらい再び大きな声を出す。

こんなにも朝早い時間に起きるのもずっと声を張り続けるのも何もかもが新しい。今日からずっとこんな日々が続くと思うとぞっとしてくるが生きていくためにはこの生活を続けていかねばならないので耐え抜くしかない。ちなみに今日は仕事が終わった後杏が家で夕飯を作ってくれるらしいのでそれを糧に頑張ることにする。あいつも専門学校に行っていて決して暇ではないだろうにわざわざ来てくれるというのは素直に感謝だ。

 

「今日のお前さんの仕事内容は聞いてるか?」

「はい、しばらく先輩方が付き添って業務に取り掛かるって聞いたんすけど……」

「ああその通りだ。ちなみに先輩方っていっても1人しか付き添わないけどな。ーー鈴木!こっちに来てくれないかっ」

 

はい!と社員さんたちが集まっていた方向から声が聞こえ足音がこちらに向かってくる。

さっき入社したばっかりなのだろうーーその人はやはりスーツ姿がビシッと決まっており、いかにも『仕事ができる女』の象徴だった。

この俺でも分かるほどさらさらした長い黒髪がなびいてより一層女性という印象を強くさせていた。俺の目の前を通り過ぎようとした時にふと目が合う。その時微かに微笑みを浮かべ社長の前に行く時には既にその笑みは消えビシッと真顔で向き合っていた。

 

「岡崎くん紹介するよ、こちらが今日から教育係をしてくれる鈴木美耶くんだ」

「あ、は、はい。今日からお世話になります、岡崎朋也です」

 

自己紹介だけして礼をし、しばらくして顔を上げるとそこには彼女がさっきみたいに微笑んで立っていた。

正直、この前会った時思い切りタメ口で話したり偉そうな口調をたたいていたのでこうして上司になった途端コロッと態度を変えるっていうのはあまり向こうからしても気分がいいものではないだろうのでこっちからすればなかなかに気まずい。まあ向こうからすればそもそも俺の事を覚えているのかどうかもあやふやかもしれない。そんな考えをよそに鈴木……さんは俺の方に近寄ってきて手を差し出してきた。

多分握手をするつもりなのだろう、俺はその手を握る。

 

「初めまして、岡崎くん。……まあ、正式には初めましてじゃないと思うけど改めて。とりあえず暫くは覚えることもいっぱいだし大変だろうけど頑張ってね」

「は、はい!」

「よし、じゃあ早速2人には作業を初めてもらおうかね。鈴木、頼んだぞ」

「はい!」

 

彼女はこの社長さんにとって信用に値する人材なのだろうか?社長は何も心配ないみたいな満更ない表情で去っていった。

確かに見た感じはできる女みたいな印象を持ってしまうが見たところまだまだ若いだろうし俺ともそこまで年齢の差はないはずだ。ふと鈴木、と呼ぶ声が聞こえてきたので声のする方に振り向くと彼女よりは上司だろうっぽい人が鈴木さんの所に向かい何かを細かく教えて貰っていた。

いや……普通鈴木さんの方が教えてもらう側だよな?なに、実は童顔で実際はもっと年齢超えてるとか?いやでもこの美貌からしてもそれはなさそうだな……。

つまり、この人は正真正銘できる人なのかもしれない。そしてそんな人が教育係になった=これからは鬼畜な仕事業務に耐えなければならない!

果たして俺は杏の元へ無事帰れるのだろうか…。。

 

「ちょっと、ぼーっとしすぎ。何考えてたの?」

「あ、いや。何もねえっすっ」

「そ?見るからにこれから自分はどうなるのだろうか……みたいな不安な顔してたけど?」

「……鈴木さんってなんか、怖いですね」

 

やばい、鬼畜生活に加えこれからは心の中で思っていることは全部この人にバレてしまうかもしれない。

途端に俺は何を考えているか分からないように真顔で見つめるようにすると鈴木さんはぶっと吹き出した。

 

「……なんすか」

「いや……意外と面白いよね、君?」

「流石に心の中まで見られるのは勘弁なんで」

「そんな心理的な才能は一切持ってないから大丈夫よ、しかも岡崎くんはあんまり思ったこと態度に出す人じゃないしね」

「はあ」

「あんまり私にプライベートなことは話さないでおこうとか思ってるでしょ?まあいいけどね。とりあえず仕事始めよっか」

 

歩き始める鈴木さんに俺は後ろから付いていきながらこの人に関しては本当に心の中を見透かされてしまいそうだなと考える。

確かにそういう心理的な才能を学んでいたりなどしていなかったんだろうが、並の人以上の洞察力をこの人は持っているのではないだろうか。まだ何もこの人のことを知っていないが、逆に俺のことに関してはこの短時間である程度知られているような感じがした。そう色々考えていると鈴木さんは無人のデスクワークの前で立ち止まったので俺もそこで立ち止まる。

 

「ここが岡崎くんが使うところね。ま電気会社って意外とデスクワークないのかなって思いがちだけどバチバチあるからPCはちゃんと使いこなしといてね」

「俺、パソコンはあんまできないっす」

「基礎のことだけ出来てればなんとかなるわよ。ExcelとかWordとか分かるでしょ?」

「……いや、初めて聞きました」

 

鈴木さんは流石にそこ辺りの知識は流石に持っていると思っていたのだろう俺の予想外の答えにはっきりと驚きの顔を見せる。

確かに授業内でパソコンの授業はあったりしたが3年間ろくに授業を受けていていないのでこういう基本的な事も分かりはしなかった。今の俺に唯一パソコンで出来ることと言えばタイピングだけだ。

 

「岡崎くんがどんな高校生活を送ってきたのか少し分かった気がするわ……。いいわ、とりあえずWordは必要不可欠だからそれだけ後で教える。て言ってもタイピングに応用を交えたみたいな感じのものだからそんなに構えなくていいわよ」

「すみません、ありがとうございます」

「こういう場面になったときに助けるのが今の私の役目だからみっちり教えてあげる。あと岡崎くん、私があなたの教育係……いや専属上司となった以上甘ったるい精神ではやっていけないと思うからそこんとこ宜しくね」

 

鈴木さんはまるで面白いことを言うテンションかのようにウインクをしてそう言った。

もしかするとこの人はSの気質が入っているかもしれない、まあ初めて見た時から変わっている人とは認識していたが。

そしてそこからまずどこに何室があるか、絶対にこれだけは覚えておかなければならない仕事内容など色々教えてもらった。

ある程度の説明や作業の仕方などを教えて貰っているといつの間にか昼をとっくに過ぎていたので一旦研修は中止して昼飯の時間を取る。

 

「じゃあまた1時間後に始めるから。食事はきちんと持ってきた?」

「いや、コンビニで買おうと思って買ってきてないっす」

「あ、そうなの?じゃあ私もコンビニ食だし一緒に行く?」

 

明らかに一緒に行きたくないですという意思表示が顔に出ていたのだろう鈴木さんはまた俺の顔を見てぷっと吐き出す。

正直俺はこの人が最初に会った時から苦手だ。初めて会った時の印象から少しは変わるかもしれないと思ったが逆に関わりにくさも生じてしまっている。確かに仕事面にしては凄く助かる上司だろう、研修の時も1度の説明で理解できるほど丁寧にしてくれた。だがいくら上司でも休憩時間まで一緒にいる必要もないため丁重に断ることにする。

 

「すみません、少し1人でいたいんでやめておきます。せっかく誘ってくれたのにすみません」

「あ、別にご飯までは一緒に食べるつもりじゃないわよ?ただ一緒に買いに行かないかな〜って。これからは一日の半分くらいは一緒に過ごすことになるんだしさ」

 

鈴木さんは多分俺に断る権利を下さないつもりだろうさっさと小さめのカバンから財布を取り出して外に出ようとするので俺も仕方なくその後に着いて行った。最初から上司の命令を断りまくるのは流石に印象が悪くなるので着いて行くが次からはこういう機会に出くわしそうな時はできる限り避けるようにしよう。社会人というのはこういう自分が乗り気ではない場面でも何とかやり過ごさなくてはならないのかと思うとやはりこれからの人生に気が重くなった。

 

「今のところどう?覚えられそう?」

「まだ何とも。ていうか覚えること多すぎません?」

「まあ、そうね。なかなか大変な仕事なのは確かかもね〜台風とか起きて停電とかになった時はもう大変大変」

「やっぱいきなり出勤とかなったりするもんなんすか?」

「夜中とかに停電とか不具合が起きたら可能性はあるかな。でもここの電気会社って本当に小さな規模の会社だからね、広範囲の停電とかはもっと大きな会社がしてくれるわ」

「確かにここの会社鈴木さんが名刺渡してくれた時に初めて知りました」

「でしょーね。だからそんな身構えなくて大丈夫」

 

プライベートの話をする間柄でもないので適当に仕事話を交わしすぐにコンビニにたどり着いたので一旦昼食を買うために1人で移動する。

帰ったらきっとかなりの量の料理を杏は作っている可能性があるので沢山食べるためにも軽食程度におにぎり2つだけを買うことにする。

レジで精算を済ませるともうとっくにコンビニから出ていた鈴木さんの所まで歩いた。

 

「待たせてしまってすみません」

「全然、私いつも買うもの決まってるから。ていうか、それだけで足りるの!?」

「……足りはしねえっすけど、多分帰ったら大量に食うことになると思うんでそれを見越してって感じで」

「え、なに。それって作ってくれる人がいるってこと?」

「まあ」

「ええいいじゃない!そういう人いたんだ、岡崎くん」

 

これで母親が毎晩ご飯をきちんと作ってくれるんです!てへっ☆みたいな回答が返ってくるかもしれねえのに何勝手に解釈しているのだろうか。ここで肯定的な返事をしてもこの人の性格からしてどんな子なの?やいつから付き合ってたりするの?など色々質問攻めにされそうなので敢えてスルーしておく。

だが、ここでこの話題を止めるような人でもなかった……。

 

「わざとスルーしないっ、で?高校生の時から付き合ってた子なの?」

「………別に誰だっていいじゃないすか、他の話題しましょうよ」

「なんでよー?別にいいじゃない話して気分悪い話題でもないんだし」

「それを鈴木さんに話したところでお互い何も無いでしょ」

「だからこれから同じ職場なんだから親交を深めるんじゃない!」

 

だからといって会ったばかりの人にこんなにも俺のプライベートを露出するのはどうかと思うぞ……。

職場に戻るまでずっとこの話をし続けるという展開は避けたいので無理やり他の話題にへと移そうとする。

 

「じゃあ親交深めるためにもってことで鈴木さんは何買ったんですか」

「無理やり感すごいわね……しかもそれ話したところで親交深めるのと関係あるの?」

「ていうかまず話してる時点で深めてるでしょ。いきなり突っ込んだ話ばっかしてると逆効果っすよ」

 

いかにも正論な言葉を投げてやったので当の本人は何も言い返せず俺の質問には律儀に答えてくれた。

といっても俺からすれば全く興味のない質問の答えだったので適当に相槌を打ってそこからは色々なことを話した。

そして職場に戻り自分のデスクワークで軽めに空腹を満たし午後からはまた研修が始まる。

まだ一日目なのにしっかりと覚えることがてんこ盛りなので帰る頃には既に体力を消耗しきっていた。

しかも鈴木さんにパソコンのやり方は一通り教えて貰ったのだが家でWordなどのそういう類は練習しておいてと言われ何枚か練習プリントみたいなのを渡されてしまったので仕方なくそれを持ち帰り家のパソコンでまた練習しなければならない。正直初日からそんなに忙しくはならないだろうと考えていた自分を殴りたくなりそうだ。

 

(杏とあんまりイチャつくことできねえだろうな……せっかく疲れて帰ってきてるのに最悪だ)

 

既に重い足取りがさらに重くなったのを感じながら俺は自分の家に帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

「悪い、ちょっと遅くなった」

 

家の扉を開けた瞬間、ぶわっと美味そうな匂いが広がりキッチンの方を見るとそこには味見をしていた杏がエプロン姿で立っていた。

この新鮮な姿をずっと見ておきたい気も確かにあるがそれより以前にこの匂いのせいで更に空腹度が増しているので俺はさっさと家の中に入り適当な場所にカバンを置いてすぐそこのキッチンの方に向かう。

 

「おかえり、朋也っ」

「ああ、ただいま。早速だが味見させてくれないか」

「もうちょっとで出来るんだからもう少し我慢しなさい。ていうか食べる前にさっさと着替える!」

「杏、エプロン姿可愛いぜ」

「えっ……?あ、ありがとう。最初に言いなさいよねそれ」

「悪いな、ってことで味見させてくれないか?俺はお前が貴重なエプロン姿で作っている時にその肉じゃがを食べたいんだ」

 

そう言いながら近くにあった箸を手に取り肉じゃががたくさん入っている鍋に手を向けたが一瞬でそれは吹き飛ばされた。

今の言葉で味見を許されるかもと思った俺が馬鹿だったらしい、次は腹を蹴られ居間の方までまた吹き飛ばされてしまった。

 

「いってえ……」

「変態にあげる味見はないわよ。しばらく喋りかけないでね、変態エキスがご飯にかかっちゃったら最悪だから」

 

最初は照れてたのになんでいきなりそんな急変するんだてめえはっ。

これで言い返すとしばらく喧嘩状態になってしまう(大体は俺が殴られたり蹴られるだけ)ので我慢して死角のところでさっさと服を着替えてしまいまだ肉じゃがが完成するまで時間がかかりそうなので今のうちに少しでもパソコンに慣れておくために鈴木さんから貰った練習プリントを取り出した。1LDKある部屋の端っこにパソコンは置いてあり電源ボタンを押してまず初めにWordを開いた。

ちなみにパソコンはこの会社に受かった時点で家に1台は必要だからと予め言われていたのでなるべく安めの容量がたくさんある機種を出社前に買っておいたのだ。

それプラス家賃代や光熱費など社会人になると学生時代にはなかった出費が数多くあるので金に関しては今の俺には全然余裕が無かった。

そしてしばらくWordの練習をしていると杏が食器を机に並べているのが見えたので途中で中断し手伝うことにする。

 

「何持ってけばいい」

「いいわよ、何か作業してたんでしょ?私がやるわ」

「別に急ぎでもねえし大丈夫だ。そこにあるものを持ってけばいいか?」

「そ?じゃあそこにあるやつ全部持ってって」

 

お茶や箸などそういうのを運んだ後肉じゃがを入れた食器を受け取り机に並べる。

全部並び終え食べる準備が整うと俺と杏は机に向かい合って手を合わせた。

 

「じゃ、いただきますっ」

「いただきます。あと朋也、さっきみたいな気持ち悪いこともう二度と言わないでよね?……その前言は別に良かったけどさ」

「OK、やっぱエプロン姿の杏は可愛いぜ」

「もう言わなくていいわよっ!」

「けど事実だから仕方ない。俺が思ったことを口に出すタイプってのは昔から知ってんだろ、あと肉じゃがもすげえ美味いぜ」

「実は今日味付け少し変えたのよ」

 

待ってましたとでも言わんばかりに料理のことを話題にすると杏は塩を多めにしたやだしを多く入れてみただの語り出したので俺は頷きながらひたすら箸をすすめる。

高校の時も料理には自信があったらしいが最近は色々な味付けや調理方法を試したりしているらしく本人曰くそれが今の趣味らしい。

 

「アンタちゃんと聞いてんの?」

「あん?聞いてるって。ってかお前、これからも俺ん家来て作ってくれるのか?」

「そうしてほしいんだったら作ってあげてやらないこともないわよ」

「そうか、じゃあこれ持っといてくれ」

 

俺は元々から杏にあげようと思っていた物をポケットから取り出しそれを杏に渡した。

渡した瞬間、一瞬固まった表情だったが自然とそれは崩れていきいかにも嬉しそうな顔で俺の方に目線を向けた。

 

「ちょこれって……合鍵……!?」

 

 

 

 

 



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第12話 幸せ

もっと文章表現上手くできたらなあ…。自分の文章を見返してるとつくづくそう思います。笑
この度は大変お待たせしてすみません!


「ああ、今日みたいにポストの中に入れるってのもいいがそっちの方がいいだろ」

 

そう、今日こいつが俺が家に帰ってくる前に家に入れることができていたのはあらかじめポストに鍵を入れて置いていたからだった。

流石にずっとそういうわけにもいかないしそれだったら元から合鍵を渡していた方が楽だろう。それに部屋を借りた時から合鍵を渡したいとは思っていた。しばらく手のひらにある合鍵を杏は嬉しそうな顔で見つめているので自然とこっちも微笑ましくなり頭を撫でる。

やっぱりこいつのこういう顔を見ていると、なんでも頑張れそうな気がしてしまう。大袈裟かもしれないが、今の俺は杏がいるからこうして頑張って行けてるのだと思う。もしこいつが隣に居てなかったらきっともっと堕落した人生を送っているだろう。

 

「……ほんとにいいの?」

「ああ、お前しか渡すやついねえしな。ていうか今日ポストに元から鍵入れてたから既にそっち持ってたんだよな。まだ持ってるんならそれ使ってくれ」

「ん、ああ……ちょっと待って!」

 

杏はいきなり立ち上がり何故だか部屋の隅っこに置いていたカバンから既に持っていた鍵を取り出してそれを俺に渡してきた。

その謎の行動に疑問を抱くが別にどちらの鍵も変わらないのでとりあえず受け取っておく。

 

「やっぱさ」

「あん?」

「あんたから直接貰った合鍵の方貰っておきたいでしょ?それにその鍵返さなかったのも私からその鍵持ってていいか聞聞きたかったからカバンの中に入れておいたの」

「あ、ああ……そうか」

 

……やけに最近思うが、だいぶこいつ素直にこういうこと言うようになってきたな。

勿論暴力で解決するところはまだまだ変わってないが高校生の時には恥ずかしさの方が勝ってしまいなかなか言えなかったりするようなことも最近になってはスラリと言えている。

その理由は簡単で、ただ単に俺と恋人同士になってからの日常に慣れてきたからだろう。

現にキスだって数え切れないほどしてるしなんならついこの間も一日で数え切れないほどのキスを交わした。

だからキスのことに関しても最初はお互い恥じらいが生じていたが今ではもう“普通のこと”となってしまっている。

正直俺からすると恥じらいを見せなくなったことについては少し落胆の気持ちがあるが。

 

(ちょっとこの辺りでもう少し進展してみるか……?)

 

付き合いだしてから約1年が経とうとしている今、俺と杏はそういう面に関しては異常なほど進んではいなかった。

高校の頃も何度かそういう感じのことをしようかという話もしたことがあったが時期が時期だったので自然と何も進展しないまま卒業してしまい今に至ってしまっている。

流石にこれだけ何も無いというのもおかしな話なのでさりげなく今日そういう感じの雰囲気出してみようか?

逆にこれだけの長期間ほぼ何もしていない俺も褒めて欲しいものだ。

 

「朋也、もう食器片付けていい?」

「ああ。サンキューな、美味かったぜ」

「この私が作ってんだから当たり前でしょ」

「やっぱ少し腕上がったな、肉じゃが以外も味付け変えたろ?」

「まあね。ま、家で練習したりとかしてるから当然のことよ」

 

口ではこう言ってるがやはり褒め言葉は嬉しいのだろう食器を片付ける杏は機嫌が良さそうだった。

俺も立ち上がって自分の食器を台所に持っていき洗うのを手伝おうとしたがゆっくりしててと断られてしまったので仕方なく居間に戻ることにする。

またパソコンの練習をする気力もないのでしばらくテレビを見ることにして電源をつける。今までテレビというのは必要最低限の時しか見ずこの時間は何の番組をしているのか全く知らないので適当にチャンネルを押して静かに見た。

 

「そういや、杏。今日は何時くらいに帰る?」

「んー8時くらいには帰りたいかな、明日も朝早いのよ。あときょうっていう言葉2回連続で言われると紛らわしいからできるだけわけて」

「お前の名前は色々と面倒だな」

「アァ?」

 

台所から背筋が震え上がるほどの何かを感じ取り俺は咄嗟に黙り込んだ。

やばい、テレビを見ながら話してたもんだからつい口が滑っちまった……杏と話す時はできるだけ会話に集中するようにしよう。何も言わずに黙っていると、ふと向こうから失笑するような馬鹿にするような声が聞こえてくる。

 

「……あんたもつくづくヘタレよねえ?こんな事で怖気付いちゃうなんてさー。ひょっとするとあの陽平よりーー」

「アァ?」

 

流石に俺にも言ってはならないワードってもんがありそれが例え杏だとしても許されない。

険しい表情で杏のいる台所の方を見つめているとぶっと吹き出されてしまった。

 

「……んだよ」

「いやっ……あんたってほんと、陽平と比べられるのだけは嫌なのねえ?正直どっちも変わんないと思うんだけど」

「お前それ本気で言ってるのかっ」

 

もしかすると他の奴らから見たらあのバカ原と俺は同類に見えてしまっていたのか………??いやまあ確かに同類だったからこそ高校生活を共に過ごしてきた訳だが性格とかそういう方向ではあいつとは同類にされたくない。

全く関わりのないやつらから見てそう思われるのは仕方ないが思うがある程度仲の良かったやつからも一緒に思われてたかもしれないって考えると凄いショックだな……。

 

「馬鹿、冗談よ。あのヘタレと変わんないんだったら今朋也の隣になんかいないわよ」

「お前っ冗談きついぞ!」

「はいはいごめん、あんたにとっては1番比べられたくないことだもんね〜?ていうかあいつ今何してんの?」

「さあ、連絡取ってねえから分からん」

「あんなに一緒にいたのにあいつのこと心配にならないの?」

「じゃあ聞くがお前はあいつがどうしてるか心配になるか?」

「ならないわよ」

 

こいつも一応かなりの時間は春原と過ごしているはずなのに即答でこの答えだ、つまり今春原のことを心配していたり考えていたりする奴はきっと皆無だろう。

……なんだかそう考えるとすごいあいつが惨めに見えてくるな、仕方がない友達(仮)だったしな気が向いたら電話でもしてやろう。

適当に雑談を重ねていると片付けが終わったのか杏は居間にやってきて俺の隣に座る、しかも距離感ほぼゼロで。

ちらっと時計を見ると8時までは約1時間くらいの余裕があった。

 

「ねえ」

「あん?」

「今日初出勤、どうだったの?」

「あぁ……まあ、覚えることが多いな。俺パソコンとかできねえからまずそれからやってる」

「パソコンの授業とかろくに出てなかったでしょ?また教えてあげよーか?その代わりきちんとお礼をして貰わないといけないけど」

「いや、遠慮しとくぜ」

 

 

そのお礼というものはきっと恐ろしいものに違いないからな。

あっそ、とつまんなさそうに返答をした杏は近くにあったテレビのリモコンを取って違う番組に変える。ちなみに何故この家にテレビがあるのかというとちょうど杏の家庭がテレビを買い換えたらしく古い方のテレビが使わないということなので譲ってもらった。

俺自身テレビっ子というわけではないのでテレビがあろうがなかろうが生活に支障をきたすわけではないので最初はどっちでも良かったのだが譲ってもらえるというならばせっかくなら貰っておこうと思いその結果この貧乏な暮らしには珍しいテレビが設置されたというわけだ。

 

「お前の方は学校どうなんだ?」

「ん〜?まあまだ1年だからね、座学ばっかりの普通の授業よ。周りを見れば女の子ばっかりだからさ少し新鮮よ」

「じゃあ男からしたら最高の学校だな」

「そうでしょうね。あ、男といえばねえ朋也っ、椋ね彼氏出来たのよ!」

「えっ……??」

 

その言葉に、俺は一瞬体が固まってしまう。

 

「………そう、か。どんな奴なんだ?」

「結構優しそうな感じだったわよ?ちょっと変わってる人だとは思うけどね」

「あいつのこときちんと守ってくれる奴だったらお前も安心できるだろ。ーー良かったな」

 

本当に、良かったと思える。

椋の彼氏という役目を果たすことができなかった俺が唯一思っていても許される感情が溢れ出てきた。

少し見ない間にあいつも新しい人と出会い、恋をしていたんだ。

ふと椋と付き合っていた頃のことを思い出す。

とても少ない時間だったが、デートもしてキスもした。その中での椋の遠慮がちな表情、照れた時の表情、楽しそうな表情、どれもこれも覚えている。

あいつは俺と付き合っていた時少しでも幸せだと思っていてくれていただろうか?もし、幸せと感じていたなら。

彼氏とこれからずっとあの表情でいてくれたらと。今度は友達として願った。

そしてこの事を聞いた俺は自然と頬が緩んでしまい、杏は横目で俺を見る。

 

「……嫉妬とかしてない?」

「ん?なんでするんだよ」

「いや、だってあんただって椋と付き合ってたんだからさ。やっぱそういう感情はどうしても湧いちゃうのかなーって」

「ねえな。それに、普通の別れ方ならそう思うのも仕方ねえかもしれないが俺は違う。そんな事思ったら最悪だろ」

 

ふと、杏の顔が険しくなる。きっとこうなってしまったのは自分のせいだとかどうたら思ってやがるのだろう。

こう見えてもこいつは妹思いで面倒見もいい。だからこそ余計に責任や罪悪感といったものがまだ心の隅っこにあるのだろう。

当然俺もそういった気持ちがまだ残っている。むしろ責められるのは俺の方だ。でもこうして椋に彼氏ができたことで少し心が軽くなったのも事実だった。

 

「おい杏、椋は今幸せなんだろ?だったらお前もそんな顔すんな。あいつもお前がまだあのことを引きずっていることなんか願ってないはずだ」

「そんなこと分かってるわよっ。私だって椋に彼氏ができたことは本当に嬉しいの、あの子最近本当に幸せみたいだし」

「じゃあこれからの日々は、姉妹揃って幸せじゃねえか。違うのか?」

「………そう、ね。うん、私も椋も、今とても幸せよ」

 

そう言って杏は俺の肩に寄りかかり安心した表情を浮かべている。

無性にその顔が可愛く見えて、ふいに俺はキスをする。

予想していたのか、すんなりと受け容れてくれそのままだんだんと深いキスに変わっていく。

しばらくキスをし続けてお互い呼吸がキツくなってきた頃、俺は優しいキスをしながらゆっくりと杏を押し倒す。

いつもだったらキスで終わってしまっていた二人の関係。それ以上のことをする時間も場所もなく今まで未遂で終わってきたが、一人暮らしを始めた以上そういうことをする条件というのは完璧に揃っていた。

押し倒した時少し杏の身体はびくっと反応するが反抗もなにもなかったのでまたしばらく深めのキスをする。

所々聞こえる杏の漏れる声は、俺を徐々に興奮させていった。

やがて呼吸も限界になってきてしまったのでキスをやめお互いほんのり蒸気した顔で見つめ合う。

 

「はあ……はぁ…朋也………。私もう、帰らないとーー」

「まだ30分くらいあるだろ?少しくらいダメか?」

「少しって……ま、また今度にしない!?時間ある時にさっ」

「嫌だ。悪い杏、俺今すげえ興奮しちまってる。最後まではしねえからさ、いいか?」

「だからその途中までってのが嫌なのよ……」

「あ?なんて?」

 

いつの間にか顔面を真っ赤にしている杏の言葉はとても小さく、聞き取ることが出来なかったのでもう一度言うように促そうとする。

全く視線も合わせてくれないので両手で杏の顔を押さえ込み視線を合わせた。

 

「なんだって?」

「っ……!は、離しなさいよっ!」

「じゃあ何を言おうとしてたんだ?」

「だからっーー」

 

とまた、直前で恥ずかしくなったのかまた言うのをやめた。

………そこまで言い難いことなのだろうか?

もしかすると、俺とするのが嫌でその事を言いたいけど流石の俺でもショックを受けるのではないかという思考が杏の中で繰り広げられているのかもしれない。だから今の今までこういうことが全くなかったのではないか?

……1度そんなことを考えてしまうと全部が正しく思えてくるので考えるのをやめ、言葉の続きも聞きたくなくなってしまったので抑えていた手を離す。

 

「なあ、杏。俺のこと好きか?」

「ーーは?」

「いや、やっぱ俺とこういうことするのは嫌なのかと思ってな。もし嫌なら無理やりしたりはしないよ」

「あ、うん……別に嫌とかではないからね?」

「じゃあなんで」

「だ、だから今はっ」

「ん?」

「……別にしていいけど、さ。……途中で止められちゃっても、そこで止まれる気がしないのよ……!」

「…………………………へ?」

 

思ってもいなかった予想外の言葉に素の声を出してしまい、次にじわじわと顔が赤くなってくる。

こんな事を言わせるために俺はさっきまで粘っていたのかと考えると恥ずかしくなった。まあ、こういった本音を聞けるのはこっちからすればたまったもんじゃないが……。だが向こうはきっと俺の恥ずかしさとは比べものにならないくらいの羞恥を感じているだろう、そして俺が再び話しかけようとした瞬間には既に顔面を殴られていた。

 

「いってえ……!お前、少しは加減しろよっ」

「ごめんねえ?私加減ってのを知らないの。それに自業自得よ。これだけじゃ足りないでしょもっとしてあげましょうか?」

「遠慮しておきます」

「じゃあそこ、どいて」

 

未だに真っ赤になっている杏の顔を今みたいに近くでもっと見つめておきたいがこのままだと本当に殴られ続ける末路が待っているので仕方なく杏の上から退いた。

正直途中で終わりたくないんだったら最後までやればいいじゃないかと思ってしまうがそれ以上にやはり今は学業の方を優先させたいのだろう。俺は利己的な考えを押し込めちょうど8時の針を指した時計を見た。

 

「もう時間だぞ。送っていくよ」

「いいわよ、別に。あんたも今日初出勤で疲れてんだから大丈夫」

「じゃあせめて途中までは送る。ほら、手を貸せ」

「自分で立てるからいいわよっ。先に行くからちゃんと戸締りしておきなさいよっ」

 

おい、と声をかける隙も与えてくれず杏はせっせと玄関を出て行ってしまった。きっとさっきの言葉を発したせいで杏のプライドはズタボロになっているのだろう、まだ顔を合わせるのは恥ずかしいってところか。

ほんと素直じゃねえ奴……しかも自分の行動が他の人にとって不利益となるのであれば自分の欲をも封じ込めてしまう。

表面だけ見れば遠慮なしの喧嘩っ早いただの暴力女に見えがちだが本当は全然違う。

何故杏が女子たちにあんなに人気があったのか、今ではとても分かるようになった。

 

「はあ……。お前が先に行くんだったら、俺が送る意味ねえだろ」

 

戸締りをして杏に追いつくために早歩きで道路を歩く。少しもしたらすくに姿が見えたので俺は走って横に並んだ。

お互い話しかけることもしなかったのでしはらく無言で歩き続け、俺はチラリと杏を見る。

 

(もう怒ってはなさそうだな)

 

それだけを確認すると、俺は杏の手を握り無言で前を見つめた。

一瞬睨みつけられたが、結局ため息をつきながら手は握り続けていてくれたのでまあ良しだろう。

 

「……明日、寝坊しちゃダメよ。学校じゃないんだから、寝坊なんかしたらあんたの人生終わりだからね?」

「そんなヘマやらかすかよ。今まで散々だらしない人生送ってきたんだ。これで仕事もダメになるのはカッコ悪すぎだろ」

「そうねえ、その時はちゃんと私から振ってあげるから安心しなさい♪」

 

こいつ、安心っていう言葉の意味ちゃんと分かって言ってんのか?

でも、高校時代の俺の成績で内定を取ってくれた今の会社には感謝しなければならない。内定を取ってくれたということは多少は俺をあてにしてくれてるんだよな……。

そう思うと自然と、仕事に対しての熱量が変わってくる。

もっと、今の仕事に慣れて少しでも役に立てれば。

まだ出勤してからたった1日しか経過してないが、そう本気で思えた。

 

 

 

 

 

 

 



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