明日方舟 短編集 (すきゃーいふれあ)
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目覚めろ。

「なぁ『ドクター』。お前は何時になったら目覚めるんだろうな。」

 

 

それは夕方だった。夕暮れに染まり、オレンジ色が視界を阻むそんな空模様。そのサルカズの男は何かを思い出したように、私に向かって言った。

 

 

「お前ももう分かっているだろう?以前のお前はお前が思ってるより真っ当な存在でないことなど。」

 

 

彼は雑草を刈りながら何てこのない世間話のように言葉を続けていた。その言葉が余りにも棘を持っていることもおそらく承知で。

 

 

「カズデルでの戦争があったことくらいは聞いたことがあるだろう。」

 

 

首肯する。かつて内戦が彼の地であったと、それは凄惨な事件であったと。このロドスにいるサルカズの旅医者が教えてくれた。その戦争は血で血を洗う泥沼の闘争であったと。

 

 

「かつて俺はあの戦争において地獄というものを見た。互いが互いを蹴落とし合い、生き延びようとあまりにも醜く足掻き、そしてそれが叶わずに死んでいった。裏切者のせいでサルカズは随分と数を減らした。」

 

 

しかし彼の声音に哀悼の意など含まれていなかった。同胞とも呼べる存在がいなくなったことに彼は何の感慨も抱かなかった。

 

 

「ふん。所詮死んだ者など過去の産物だ。戦場という食らい合いに適応できなかった軟弱者どもに駆ける意などない。」

 

 

多くの戦場で彼は生き延び、殺してきた、だからこそ戦場で死ぬのは当人の自業自得という考えが存在していたのだろう。彼はそのまま花を土に還しながら何てこのない日常の動作のように続けた。

 

 

 

「だが、あの地獄は本来あそこまで発展することはなかった。精々、お家騒動で終わった。何も国そのものが大打撃を受けるほどの内戦に発展することは普通はなかった。」

 

 

そこで彼は一言言葉を切った。そして植えた花の周りをパンパンと土で固めてシャベルを置くと、その視線だけで鋼が斬れそうと錯覚するほどの眼光で…私を見た。

 

 

 

「あの地獄を作ったのはお前だ。俺の記憶に間違いはない。お前があの戦争に介入したからあの地獄を作り出した。」

 

 

貫かれた、と思った。刀術師である彼に背中まで貫かれたと思った。だがそれは錯覚で彼は刀は愚か、凶器となるモノなど何も持っていなかった。ただただその視線でこちらを見詰めていた。

 

 

「お前は…内に何者にも制御できない獣を飼っている。今はお前の中に獣は目覚めていない。」

 

 

だが彼はそれから少し首を振ると何かに呆れたかのような視線を送る。だがそれも一瞬再び突き刺す視線が私の体全てに刺さった。

 

 

「だが…俺には分かる。お前には世界を変えるだけの力がある。そしてその力は間違いなくあの地獄を再び作り出すことが出来る。」

 

 

彼の瞳に込められたのは期待。何かを待ちわびる子供のように酷く純粋な期待。

 

 

 

「俺が…俺が求めるのは何よりも過酷な戦場だ。あの地獄は俺にとってまさに天国と呼ぶに相応しい光景だった。俺がロドスに加入した理由はそれだ。お前の傍に居ればまたあの地獄に巡り合えるとそう実感したからだ。」

 

 

今の彼に殺気はなかった。ただひたすらに次の遊びを求める子供の如く純粋だった。だからこそ…その純粋は殺意は私の身を震わせた。

 

 

 

「『ドクター』。お前は何時目覚めるんだろうな。あまり俺を待たせてくれるなよ。」

 

 

 

言いたいことは全部言ったと言わんばかりに彼は園芸道具を持つとそのまま私の横を通り過ぎていく。空はもう暗く染まり始めていた。すれ違いざまにオレンジの閃光が私を遮った。

 

 

 

 

「…エンカク、君は…君は…今の私を殺したいほど嫌ってるんだろうね。」

 

 

 

その言葉が果たして届いたかもしれない。返事もなかった。彼はそのまま歩き去って行ってしまった。そして風に乗って呟きと軽い打撃音が耳に何となく届いた。

 

 

 

 

「今殺したいのは俺自身の方だ。お前を悪くないと思ってしまった俺自身を。」



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貴女の腹部で。

ホシスワ。


龍門近衛局特別督察隊隊長、チェンが緊急搬送された。その報せが近衛局の面々に届いたのは直ぐだった。彼らのそれからの行動は非常に迅速で、隊長不在であっても完璧に仕事をこなして見せた…一部を除いて。

 

 

 

 

「チェン!!」

 

 

緊急治療室の前で叫ぶ愛らしい容姿の女性、彼女は龍門近衛局、上級警視。スワイヤーだった。

 

 

 

「チェンは無事なの!?」

 

 

今にも突っ込みそうな勢いの彼女を食い止めながら医療オペレーターが必死に説得を試みる。

 

 

「現在、心拍は安定していますが如何せん出血が多いためあまりにも予断は許されない状態です、どうか落ち着ていてくださいスワイヤー警視!」

 

 

スワイヤーは優秀な捜査員である。今まで多くの犯罪者を検挙してきて、龍門の犯罪率減少に貢献した来た。されど彼女に応急手当の心得はあれど本格的な医療知識の類の物はなかった。

 

 

 

「放しなさい、あのバカ女に一言言ってやらなき…」

 

 

そんなスワイヤーの肩に手がかけられた。彼女を諫めるかのように。

 

 

「…そこまででいいでしょう。スワイヤー氏。彼らはプロです。…隊長の事は彼らに任せましょう。」

 

 

「…ホシグマ。」

 

スワイヤーよりニ十センチほど大きな体躯。女性においては長身にあたる彼女が、同じく龍門近衛局のエリート、ホシグマだった。彼女は取り乱すスワイヤーとは打って変わって冷静に状況を見ていた。

 

 

 

「申し訳ありません。身内がご迷惑をおかけしました。…それから、隊長の事をよろしくお願いいたします。」

 

 

その恐れられる見た目とは裏腹に非常に丁寧に彼女は頭を下げた。スワイヤーも彼女に諫められたことで多少は落ち着いたのか押し入るような真似はせずその場から何処かへ行ってしまった。

 

 

 

「…これだから、『お嬢様』は…」

 

 

ホシグマの小さな呟きは誰にも届かなかった。

 

 

場所が変わり廊下。椅子が併設されている場でスワイヤーはあちらこちらをウロウロウロウロと忙しなく歩き回っていた。一方ホシグマは誰かに通信をかけているようだった。

 

 

「はい。チェン隊長は一命は取り留めました。ですが今は油断できない状況、とのことです。しかしロドスの医者たちは優秀ですのであまりそこの心配はしておりません。はい、ではまた後程連絡させて頂きます。失礼します…ウェイ総督。」

 

 

そして通信を切ったホシグマは五メートルほどをウロウロウロウロしているスワイヤーに漸く声をかけた。

 

 

「ミス・スワイヤー。隊長の事が心配なのは分かります、が今のあなたはあまりに落ち着きがありません。もう少し冷静にお願いします。」

 

 

「ち、違うわよ…あたしはアイツの心配なんかよりアイツがいないときに引継ぎだとかを考えていただけで…」

 

 

「どちらにせよ…今の貴女は冷静さを欠いています。小官が咎めることでもありませんが近衛局の看板を背負ってる身なのです。」

 

 

ホシグマは椅子から立ち上がりうろつくスワイヤーの元に迫った。そんなホシグマに威圧感を感じたのかスワイヤーはあっという間に壁際に追い込まれた。追い詰められた鼠のようになってしまったスワイヤーはおずおずとホシグマを見上げた。

 

 

「現在チェン隊長にメスを執ってるのはかつて神の腕を持つと呼ばれた外科医です。間違いなく隊長は助かりますよ。ミス・スワイヤーも目覚めた隊長にそのような姿を見ればまた笑われてしまいますよ。」

 

 

「…む、そ、それは腹ただしいわね…アイツの思い通りになったみたいで…」

 

 

「不思議なものですよ、ミス・スワイヤーは。いつもあれほど隊長と喧嘩をしているかと思えば今は全力で心配をしているのですからね。」

 

 

「し、心配なんてしてないと言ってるでしょ!ただアイツが欠けたら今それだけで近衛局は混乱するしそれの埋め合わせにあたしは必死になるっていうか兎に角今アイツがかけた方が損失は大きいという事を考慮してるだけであって…」

 

 

ホシグマはドンと、スワイヤー横の壁に手を置き、所謂壁ドンの状態になった。

 

 

「妬ましいですね。」

 

 

「ほ、ホシグマ…?」

 

 

「ミス・スワイヤーの視線を独占する隊長がこの時ばかりは小官は妬ましいですね。」

 

 

更に密着する、スワイヤーの首元とホシグマの腹部がくっつく。

 

 

「貴方の視線を独占したいと、こんな状況でも思ってしまう自分が惨めに感じられます。」

 

 

そこには二人以外の誰もいない。壁際で至近距離でくっついている二人以外何者も存在しない空間だった。

 

 

 

「自分自身の醜さに死にたくなりますよ。」

 

 

「ホシグマ…」

 

 

「今は小官が心配すべきは隊長のことなのでしょうに、それを上回り嫉妬が湧いてくる。こんな小官は…ミス・スワイヤーは嫌いでしょうね。」

 

 

 

暫く沈黙が流れる。どちらも何も言わない時間が少しだけ続きやがて一言だけスワイヤーが呟いた。

 

 

 

「き、嫌いじゃ…ないわ…よ。」

 

 

 

顔を真っ赤にしたスワイヤーはその顔を見られたくないとホシグマの腹部に顔を思い切りうずめた。

 

 

 

 

 

 

それから手術が成功したという知らせを持ってきた医療オペレーターに見られるのは5分後の出来事であった。



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背中の温もり

「…ドクター。」

 

それはもう夜も深まった遅い時間の事、身辺警護に当たっていてくれた彼女は何かを唐突に思いついたのか私にへと声をかけて来た。普段あまり口数が多くなく必要以外の事を口にしない彼女が、だ。いそいそと後ろへ回って来た彼女は私に背を預けるようにもたれ掛かって来た。そして一言尋ねた。

 

 

 

「済まない、少し背中を借りて良いか。」

 

 

既に借りられているが彼女からの滅多にない願いを断る理由もなかった。了承の意を示すと。

 

 

「ありがとう。感謝する…」

 

 

それから数分、彼女は背中を合わせると何かを懺悔するかのように静かに語り始めた。教会で聖職者へ己の罪を告白し懺悔する、そんな状況かと錯覚させた。

 

 

 

「…私は復讐が全てだ。」

 

漏れるのは彼女の心よりの渇望。それこそ彼女の行動原理、それこそがあの日、彼女から全てを奪われてしまった時の彼女に唯一残された感情だった。

 

 

「私には家族がいた。仲間がいた。友人がいた。戦友と呼べるものがいて、故郷と呼べるものがあった。」

 

 

一つ一つ何か大切なものを思い起こしているのか思い出を噛みしめるように語っていく。

 

 

「だが全てが失われた。あの日、喪ったんだ。」

 

 

 

かつて居たという裏切り者。その裏切り者が反乱軍を誘い込み、彼女の故郷を壊滅させた。そして彼女はわずか数名の戦友たち以外全てを失った。それはメテオリーテから聞いた顛末と同じだった。

 

 

「それからは貴方も知っているとおり、私は憎しみを糧に、復讐を為すためだけに生きて来た。」

 

 

ロドスで初めて会った彼女はひどく哀しみに満ち溢れていた、と思う。だが彼女に悲壮さを感じさせることはなくむしろ強い怒りを感じた。

 

 

「ああ、確かに私を支配している感情は裏切り者への憎しみ、故郷が滅ぼされたことへの怒り、そして故郷の同志達を弔ってやるものも居なかった哀しみ…それらの負の感情ばかりだ。」

 

 

恐らく、彼女も負の側面に囚われていることも知っているだろう。そして知っているうえでその憎しみを受け入れてた筈だ。その感情を利用し、生きて来た。

 

 

「だが…」

 

 

彼女はそこで一度言葉を切った。私に彼女の顔は見えないがおそらく彼女は目を閉じているだろう。そして何を言うべきか、何が正しいかをしっかりと精査しているはずだ。

 

 

「ロドスは…いい場所だ。」

 

 

彼女は話の方向を変えた。まだ本題を語るべきではないと判断したのか。私は黙って聞き役に徹する。それが彼女への手助けに一番なるはずだから。

 

 

「鉱石病というどうしようもないほど困難のある問題に対して正面から挑み、それらを取り巻く困難を越えようとしている。」

 

 

彼女は感染者ではない。彼女がロドスに加入したのはロドスの情報網が何かを調べるのに優位だったからに過ぎない。彼女自身ロドスに戦力を提供するのみでその理想に共感をしたわけではなかった。だが彼女にも何か心境の変化があったらしい。

 

 

「私にはそれほど高潔な目的もあるわけでもなく、ただ個人の復讐を完遂するためにここに来た。…だが少し思い出した。」

 

 

それからまた彼女は一度言葉を切った。それから数秒間沈黙し、言葉をつづけた。

 

 

「仲間と共に戦う…という事だ。私もかつては…仲間と共に戦っていたことを思い出した。」

 

 

ロドスは他企業や移動都市などと契約を結び、様々な人員が派遣される。それだけでなくロドスへ就職したり患者として受け入れられ本人の意志でオペレーターとなるものもいる。能力はあるが個性的な面々が揃っておりその中では物静かな彼女に怯みもせず話しかけに行く者も居た。

 

 

「なんだか懐かしい感覚だった。こうして誰かと共に戦場で肩を並べて戦うというのは…」

 

 

ファイヤーウォッチは何処か感慨深く呟いた。

 

 

「…そして、こういった『大義』を持った戦いというのは怨恨も生むがそれ以上に未来を切り開くという意味を持っていると考える…私も少し誇らしかった。」

 

 

そう語る彼女の声音は柔らかかった。復讐を忘れたとは言えないだろうが、素の彼女という側面なのだろうか。

 

 

「だが…同時に不安にもなった。」

 

柔らかかった声はまた憂いを帯びた。その声が私の耳にのしかかるように聞こえる。

 

 

 

「私のこの復讐心が…ここにいると薄れ、錆びつくのではないか。…そう、思ってしまった。」

 

 

確かに、ロドスの環境は彼女にいい影響を与えていた。だがそれと同時に彼女の負の側面を少しずつ癒していった。それが彼女の不安の原因だった。

 

 

 

「憎しみと怒りを糧に生きて来た私は…この感情を失うわけにはいかない。復讐は果たさなければいけない。そうでなければ彼らへの手向けが出来ない。」

 

 

彼女が穏やかになったとしてもその復讐心は消えるわけでもない。今だ彼女の中にはその怨嗟の炎が燃えているだろう。

 

 

 

「だが…心を乱す。」

 

 

そして彼女は他の誰でもない私に向けてそう言った。

 

 

「ドクター、貴方は…鉱石病の治療技術をここまで発展させた。今は記憶を失っているが、貴方もまた理想を持って戦っていたはずだ。貴方の以前を知るオペレーターを見れば分かる。貴方は彼らに慕われ、彼らを導いていた。…もっとも私が貴方の以前を知るオペレーターなど数名ほどしか見たことはないが…それでもアーミヤを見て居れば分かる。貴方の理想や思想、夢…それらは高潔な物だったという事は。」

 

 

そして彼女は恐らく顔を伏せた。途端に弱い声で言った。

 

 

「…そして何よりもあなたの存在は…私を乱す。」

 

そこから彼女は饒舌に語りだした。

 

 

 

「貴方は優しい。兵というのはあくまでも使い捨ての駒にすることも出来る。犠牲を割り切って勝利をもたらすことなど戦争ではよくあることだ。味方の犠牲よりも敵の犠牲が多ければそれで勝ちだ。戦争というのはどれだけ犠牲を出すかだけで勝ち負けが決まる…けれどもあなたは誰一人の犠牲も許しはしなかった。勿論、私でさえも死ぬのは許さなかった。」

 

 

戦場に立つ以上誰でも死ぬ可能性はある。相手も命を奪いに来ているのだ。こちらが躊躇していれば命を無為に奪われるだけだ。

 

 

 

「…久しぶり、なんだ。」

 

 

ぽつりと彼女は呟いた。

 

 

「『死ぬな』と言ってくれた人間は…貴方が久しぶりなんだ。…いや、初めてかもしれない。かつての仲間たちは健闘を祈りはしてくれたが、死ぬなということは言わなかった。そうだ…死んでしまうのは戦士として戦場に立ったからには仕方ない。だから敬意をもって送ろう。私たちの間にはそういう認識があった。だから、貴方が初めてなのだろう…私に『死ぬな』と言ったのは。」

 

 

——————名誉の戦死という考え方もあるのかもしれない。指揮官としては間違えている考えなのかもしれないは…それでもやはり私はこのロドスの上に立つ者として、仲間が失われるのは耐えられない。

 

 

 

 

「…ああ、やはりあなたは優しい。…だからあなたは私の心を乱す…貴方の傍に居れば居るほど私は復讐心を忘れてしまう。」

 

 

彼女は安堵しながらも恐れていた。このままロドスに居れば安寧に身を任せ平穏に生きれるかもしれない。しかしそれでは死んでいった故郷の仲間たちはあまりに報われない。そのためには復讐を果たす他ない。けれども…

 

 

「…このままでは私は、幸せになってしまう。」

 

 

それは二つの感情に板挟みされたただ一人の女性の苦悩に過ぎなかった。

 

 

 

——————良いんじゃないかな。

 

 

「…ドクター?」

 

 

——————幸せになることに資格なんてない。だから幸せになる権利は君にもある。

 

 

 

「…だが、それでは私の復讐が…」

 

 

——————ロドスに居る以上私たちは君との契約に従う。君たちの故郷の裏切り者も順次調べ続ける。それに必要な戦力も提供するだろう。…だからまずは少し待ってみてくれないか?

 

 

「…待つ?」

 

 

——————そうだ、待っていてくれ。復讐の対象を見つけ出し、その時にも憎しみが君を動かすのならその引き金を引くと良い。

 

 

「…だが私は…復讐心を失いたくは…ない。」

 

 

——————忘れる必要はない。忘れるのが恐ろしいのならば、私が君のその復讐心をしっかりと覚えていよう。

 

 

 

「…全く…貴方には勝てないな。」

 

 

 

——————君は幸せになってはいけないわけがない。人が幸せになるのは理由もいらないことだ。

 

 

 

 

彼女の体重が背にかかって来た。そして彼女は恐らく目を閉じながら言った。

 

 

 

「少し背中を借りる…」

 

 

 

そして消えてしまうほど小さな声で呟いた。

 

 

 

 

「暖かいな。…よく居眠りをしていた木の上を思い出す。」

 

 

 

 

おやすみ、ファイヤーウォッチ。

 

 



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感情的な機械

無機質、無感情、機械的、人とは思えない。…それらは全て一人の女性に当てられた評価だった。

 

 

彼女は機械的に喋り、機械的に行動し、機械的に生きる。はた目から見れば彼女は機械のように見えるだろう。

 

事実、彼女自身もそれは承知している。鉱石病に罹り、意思を蝕まれ、そうならざるを得なかったことを知る人間は少ない。彼女は機械であることを、受け入れた。

 

 

 

 

「…それじゃあ、フィリオプシス。私が留守の間、イフリータのことをお願い…」

 

 

彼女の前で彼女に語り掛ける眼鏡をかけた知的な女性…オリヴィア・サイレンスは彼女へ向けて話していた。

 

 

 

「お任せください、サイレンスさん。こうして彼女の世話を任されるのは17回目です。私も慣れてきました。」

 

 

「そう…それならば良いのだけれど。彼女の気分によって対応が結構変わってくるから…今日は多分大丈夫。ドクターのおかげで上機嫌だったから。」

 

 

「情報提供感謝します。マニュアル通りに進めていきます。」

 

 

「ま、マニュアル…そんな物があったのね…。ごめんなさい、今日は貴方に任せるわ。この用事は私も外せないから。」

 

 

「はい。サイレンスさんにとってこの学会がどれほど重要なモノかは私もしっかりと認識しています。貴方の留守はお任せください。」

 

 

彼女にとってサイレンス医師は同僚でいて今の上司だ。彼女はサイレンスの腕を信用しているし、サイレンスも彼女の腕をライン生命に居た時から知っている。だから互いの手腕は信頼をしているし、一見話し合いすら難しそうに思える組み合わせだが彼女もサイレンスもお互いの人柄を知っているため自然と話も続く。

 

 

 

「…イフリータが貴方に何かをしたら遠慮せずに叱って。あの子はまだまだ子供だから…」

 

 

それがサイレンスの去り際の一言だった。果たしてこの言葉を貰うのも何度目だったか。データベースに照合すればまだ三回目だった。それから間もなく彼女は歩き出した。

 

 

ロドス・アイランドは施設そのものが移動する移動施設だ。そしてその規模は国が所有する移動都市に比べては当然劣るがそれでも一つの企業が所有する移動施設に比べたらそれはあまりにも強大だった。それを所有するほど一大勢力として頭一つ抜けているロドスには多種多様な人員が雇用されていた。彼女もまたその一人であり、出奔してきたとはいえライン生命において研究員であった彼女は重宝される存在だ。

 

 

元ライン生命医科学研究所アナリスト 現ロドス・アイランド医療班所属オペレーター、フィリオプシス…それが今の彼女の肩書だった。

 

 

 

それからしばらく歩いた彼女が辿り着いたのはオペレーターたちの居住区にある一つの部屋。ネームプレートには「サイレンス」と書かれている。彼女はそこの目の前で一度立ち止まるとノックをして返事を待った。

 

 

 

「開いてるぞー。」

 

中から聞こえた声は幼いが、低く棘を持っているそんな声だった。彼女はそれを確認すると扉を開いた。そんな彼女の来訪に振り返る一人の少女がいた。

 

 

 

「…ああ、なんだ。オマエか。今日はオマエがサイレンスの代わりか?」

 

 

何処か気だるげに目を細めながら来客を見詰めた彼女は机にそのまま突っ伏した。

 

 

「5日ぶりです、イフリータ。サイレンスさんが留守の間、私と共に留守番をしましょう。」

 

 

「…わっーてるよ。」

 

 

そして机に突っ伏したまま彼女を見つめる少女の名前を「イフリータ」と言った。

 

 

 

元ライン生命治験対象「イフリータ」。それが彼女の前職だった。そもそも職業でもない。暴れん坊で乱暴者、短気な少女…それが周囲から見たイフリータの評価だった。

 

 

 

「…ドクターの宿題を確認。現在進めているようです。」

 

 

誰かに言うまでもなく彼女は呟く。それはもう何か理由があるわけでもなくそうなってしまっただけだ。だから理由は今更ない。

 

 

 

「…そうだ、ならよオレサマがやってる宿題、オマエが教えてくれよ、オマエもサイレンスのどうりょう?…ならアタマ、良いんだろ。」

 

 

そして彼女の脳内で審議がすぐに始まった。宿題は彼女の成長のためにあるものだ、ここで手助けをしてしまったら彼女の成長の阻害になるのではないか?だがしかし待って欲しい、彼女は本当に問題が分からない場合教える教師もいないときに詰まっているとそれは何も進歩しないのではないだろうか。ここはヒントを与え、彼女に理解を促させることが最善なのではないだろうか。 そんな考えが一瞬で彼女の脳内を駆け抜けて決議した。

 

 

「3対7で決議が可決されました。これよりイフリータに宿題を教えます。」

 

 

「お、おうそれはありがてぇが誰に向かって言ってるんだ…?」

 

 

「大人の事情です。」

 

 

それから彼女はイフリータの横に立ち、宿題を見始めた。

 

 

 

「まあ三角形は何とか分かったけどよ…公式に当てはめればいんだろ?三角形の公式は底辺×高さ÷2…けどこの逆から考える問題が分からねえ。なんだよ、Cとするって。もう訳が分からねぇ。」

 

 

イフリータからはお手上げという声音が聞こえる。彼女にとってまだ理解が及ばない場所になるらしい。

 

 

「それほど難しく考える必要はありません。いいですか、公式を当てはめていけば簡単に分かります。まずは面積が既に求められているので公式に当てはめましょう。そして高さはこの数値です。残るは底辺だけですのでここを計算すればCの答えは求まります。」

 

 

「…おお、ホントだ。分かりやすいな…こうすりゃ確かに一目瞭然って奴だな。」

 

 

「まずは式に当てはめてみるということも大切な課程のうちの一つです。慌てず一つずつ書いていきましょう。」

 

 

「な、なるほどな…」

 

 

それからしばらくイフリータは黙々と宿題に取り組んでいた。知恵熱を暴走させることもなく彼女自身も自分がすらすらと解いていることに驚いているのか多少驚愕を含んだ表情で。そして…

 

 

「出来た…」

 

 

やったという表情でノートを見詰める彼女の表情はニッと笑っていた。彼女が訪ねて来た最初の仏頂面に比べて劇的な変化だ。

 

 

「ヒヒっ、オマエありがとな。オレサマもこんなにスラスラと解けるのは知らなかったぜ。」

 

 

「私がしたことは少しのアドバイスだけです。解けたのは紛れもなく貴方の頭脳のおかげです。イフリータ。」

 

 

「そ、それってオレサマまた頭良くなったってことだよな…」

 

 

嬉しそうにイフリータは微笑んだ。そしてノートを閉じると何かを思ったのかまた振り向き、彼女へと声をかけた。

 

 

「オマエ、結構わかりやすく教えてくれたんだな。もっと分かりにくく回りくどく言われるかと思った。」

 

 

「それはスマートではありません。教えるならば簡潔に、分かりやすく教える必要があります。」

 

 

「…いや、やっぱ分かんねえや…まあいいか…とりあえずオレサマはもう宿題をやったから自由にしていいよな!」

 

 

「許可します。それとこれをサイレンスさんから持たされています。」

 

 

ガサゴソと彼女が取り出したソレはイフリータの好物だった。

 

 

 

「唐辛子チップス!良いのか!」

 

 

「歯磨きをすること、とのことです。」

 

 

「分かった!やる、やるから食う!」

 

 

イフリータはそのお菓子が好物だった。嬉々としてそれを受け取った彼女はベッドに腰を掛けながら食べ始めた。

 

 

 

 

「なぁ、オマエ…名前なんて言ったっけ。」

 

 

「フィリオプシス、です。」

 

 

「ああ…そういやそんな名前だったな。なんか長くて覚えにくいんだよなぁ…んでよフィリオプシス。」

 

 

「はい、質問なら可能な限りはお答えします。」

 

 

「オマエも白衣の連中の一人だったんだろ?でもなんでロドスに居るんだ?ていうかあの時オレサマとサイレンスと一緒に来てたのはなんでだ?」

 

 

サイレンス、イフリータはともにライン生命から飛び出て来た。その際フィリオプシスも同行し、ロドスに加わった。

 

 

 

「解答します…それは私がライン生命において危うい立場だったからです。私は鉱石病にり患し、稀有な症状を抱えています。大脳付近にオリジニウムが侵入し脳神経に異常を来して今のような喋り方しかできなくなりました。元々種族としての影響もありますが私のこの症状は鉱石病患者の中でも珍しくこのままライン生命に属していると『治験』の対象にも成り得たため…」

 

 

「…難しいんだよ。もっと、こう簡単に言ってくれよ…」

 

 

「貴方と同じ実験台になり得たからです。」

 

 

その瞬間イフリータの顔色は何げなく聞いたというものから暗い色を帯びた。彼女の忌むべき過去の一つが思い浮かんだ。

 

 

 

「…確かにソイツはあそこには居られねえか。」

 

 

それから彼女は黙り込んでしまった。不味いことを聞いたと幼いながらもイフリータは察した。

 

 

 

「ですが…」

 

そして彼女はそのまま言葉をつづけた。

 

 

「私はライン生命で貴方たちを見てきました。」

 

 

それから語りだす彼女の言葉。

 

 

「サイレンスさん、サリアさん、そしてあなた。私は遠巻きで見てきました。」

 

 

彼女は積極的に過去に絡んでいるわけでもない、彼女はあくまでもその立場は中立的なモノであった。

 

 

「確かにあの場で貴方に行われていたものは決して褒められるものでもないでしょう。そして非難されるべきものです。しかし人類は未だ鉱石病というものに対して有効打を得ていません。そのためには時には倫理に囚われないことも必要になります。あの場は貴方の犠牲を割り切って使おうとしていました。そしてその結果人類のためになっているという一面は否定しきれません。」

 

 

イフリータの顔には既に疑問符が浮かんでいた。彼女に小難しい話は似合わないのだ。

 

 

 

「私は…その点では中立を保ちどちらかに与する点はありません。ですが…個人的な望みがありました。」

 

 

「望み…?」

 

 

 

「これはただの機械の漏らしたエラーです。聞き流してください。」

 

 

 

そして彼女は…

 

 

 

「貴方達の行く末を見届けたい」

 

 

 

そう、小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま…」

 

 

 

日はすっかり落ちて深夜。サイレンスは漸く自分の部屋へと戻れた。そして彼女が部屋に入ってみた光景は…

 

 

 

「フィリオプシス、貴方…」

 

 

フィリオプシスは人差し指を口の上に立てしっーというポーズをした。

 

 

 

 

「…良かったね、イフリータ。」

 

 

 

彼女の膝の上ですやすやと眠るイフリータにサイレンスは微笑んだ。



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約束したからね

騎馬警官グラニはヴィクトリア出身で今はロドスとの契約でオペレーターとして雇われている身だ。

 

彼女は明るく元気が一杯というのが最初に出会った時多くの人物が感じた印象だ。事実彼女は天真爛漫で誰に対しても分け隔てなく接する。その評価は間違えではないのだろう。だがそれでも彼女と少しでも付き合いを持つことがあると分かることもある。彼女はとても責任感の強い女性であり、同時に勇敢な女性でもあるという事だ。

 

 

 

「んー…いい空気だな、ホントに。」

 

 

そしてその話題の女性、グラニは現在ロドスから遠く離れた村。カジミエ―シュに位置する村で「滴水村」と呼ばれていた。少々前まではこの辺境の村に大量の賞金稼ぎが訪れていたがそれはもう昔の話…

 

 

 

「さってと…キャロルは元気にしてるかなぁ。」

 

 

グラニは以前この村にまつわる騒動に関わっていた経緯を持つ。そしてその経緯でこの村の村長である少女、キャロルと親交を持ち、解決した後、彼女がロドスに戻った後もその親交は現在まで続いていた。

 

 

 

「村の修繕もすっかり済んでるね。ボブおじさんたちが手伝ってくれたって言うのも大きいのかもね。」

 

 

ビッグ・ボブというレユニオンムーブメントの元幹部もかつてこの村での騒動で関わり、一度は敵対したが後に和解して今彼らはクルビアに根を下ろして自給自足の生活をしているという。

 

 

「しかし…結構久しぶりだね。もうあの騒動から一年も経ったのかぁ。」

 

 

滴水村の財宝の騒動から一年。一年前は村を横暴の限りを尽くした賞金稼ぎも今は影も形もなかった。何処にでも溢れる平穏な村の光景がそこにあった。

 

 

 

「スカジも来ればよかったになぁ。」

 

 

オペレータースカジ。バウンティハンターとしてロドスで雇用されておりその実力は圧倒的の一言。そんな彼女もまたこの一年前の事件に関わっていた。そして村を再訪するにあたってグラニは彼女を誘ったが…

 

 

「そう、興味ないわ。」

 

の一言にバッサリと斬り捨てられてしまった。

 

 

「思い出を懐かしむのは別にいいとは思うし私はそれを止めようとは思わない。でも私はそれをする必要がない。だから強制でもない限り行くつもりはないわ。それに私には私にやるべきことがあるから。」

 

 

と更に追い打ちの一言でグラニは完全にバッサリと断られた。

 

 

「まぁしょうがないよね…スカジも今やドクターにお熱だもんねぇ。」

 

 

ドクター。ロドスに所属する者にとってその言葉が指す対象は一人。最高執行責任者、かつての天才神経科医、源石研究の第一人者、各方面へ精通する天才、そして戦場においては無敗の指揮官…。謎に溢れたドクターという男がロドスを動かす人物だった。そして現在スカジはそのドクターに対して付いて回っている。護衛をしているというのだが周囲から見れば彼女がドクターに執着しているのは丸わかりだろう。

 

 

 

 

「まぁいないことに文句を言ってもしょうがない!あたしもあたしでやることやろう。」

 

 

そして彼女が再びこの村を訪れた理由。一年前の騒動以来、復興を記念した村を挙げての祭りを開催するという事で彼女が村長キャロルの直々の賓客として招かれていた、グラニはその招待に二つ返事で回答し、今この日に至る。

 

 

「さて、キャロルは…」

 

 

辺境の村は総出をかけた祭りという事で近くの町や遠くの所からも今日は多くの人間が訪れていた。村長である彼女も今日は大忙しなのだろう。

 

 

 

村を歩いて行くグラニ、一年前はなかった活気に溢れており今はこの復興の象徴としてかつての財宝の話が出回っているという話だ。

 

 

 

「あ、いた…」

 

 

グラニの視線の先には何やら複数人の村人に指示を出しているらしい少女の姿、村長であるキャロルがいた。

 

 

 

「おーい!」

 

 

指示出しを終えた瞬間を見て彼女はぶんぶんと手を振った。そんなグラニにキャロルも気が付いたのか、控えめに手を振って応えた。

 

 

 

「やっほ、キャロル。久しぶりだね。」

 

 

「グラニ…良かった、貴方が来てくれて。貴方が忙しくて無理があるんじゃないかって思ってた…」

 

 

「まあ忙しいのは否定できないけれどロドスだって休暇が出ないほど黒い組織ではないよ。それにあたしの上司がそこらへんは融通利かせてくれるしね。」

 

 

「…良かった。貴方が来てくれなけばこの祭りの意味がなくて…」

 

 

「そんなことないよ、あたしだけじゃない。この村があってこその祭りでしょ?勿論、招待してもらったのは有難いけれどね!」

 

 

二ッと彼女は天真爛漫な笑みを浮かべた。そんな彼女につられてキャロルもまた微笑んだ…が、すぐに彼女が一人ということに気が付いた。

 

 

「スカジさんは…」

 

 

「いないよ、残念だけれど…」

 

 

「そう…ええ、何となく分かっていたわ。あの人は応じてくれないって…」

 

 

紆余曲折あったが彼女もこの村の恩人であることには違いない。だからキャロルはその意も込めて招待したが彼女からバッサリと蹴られて流石に少し悲しそうにしていた。

 

 

「ご、ごめんね…スカジも悪気があったわけじゃないんだ…」

 

 

「良いよ。でもその分グラニには楽しんでいった貰うよ。」

 

 

「それはもちろん、呼ばれたからには全力で楽しんじゃうよ!」

 

 

 

それからキャロルは予定を開けてグラニを案内した。多くの屋台や出店が出ていて彼らの周りには更に多くの観光客が押し寄せている。かつての賞金稼ぎを思い出すがそんな粗暴さもなく礼儀正しくお金をちゃんと払う者たちばかりだ。

 

 

「一年前の騒動以降、この村からある特産品を作ることにしたんだ。」

 

 

「へぇー、それってどんなもの?」

 

 

キャロルは懐に閉まっていた物を取り出してグラニに見せた。

 

 

「記念硬貨かな、多分。」

 

 

純金で作られたそれは恐らく売ったとしてもかなりの値打ちが付く物だろう。あの財宝のいくつかを元に作られているのだろう。そのコインの表面には騎馬、裏面には牙を剥く鯱が描かれていた。

 

 

「これって…」

 

 

「そう、グラニとスカジさんの事。村を救ってくれた恩人に対する何かを残して置かないかという話になって、こういう形になったんだ。」

 

 

「へぇー、あたしがコインに刻まれるっていうのもなんか気恥ずかしいけど…カッコいいね!」

 

 

「気に入ってくれてありがとう…」

 

 

ホッと胸を撫でおろしたのかキャロルは安心した様子を見せた。当人の不興を買ってしまったのかと気が気ではなかったようだ。

 

 

「ううん、あたしは勝手にやったとか全然気にしないよ。それにこんなカッコいいコインにしてくれたんだからね、むしろ感謝しなきゃ!」

 

 

一方グラニはまたニッと微笑んだ。彼女はおおらかなためそんな細かいことは気にしないのだ。そしてそれからまた歩き出して出店で食べ歩きをしているとキャロルの元に不穏な空気を漂わせた村人が来た。

 

 

 

「村長、すぐにお耳に入れておきたいことが…」

 

 

「…何でしょうか。」

 

 

「村の外に到底観光客とは思えないような柄の悪い男たちがいて…」

 

 

「…案内してください。」

 

 

不穏な空気が伝染した。このままではまたあの時の繰り返しになってしまうと判断したのかキャロルはすぐに行動を開始した。

 

 

「待って、キャロル。あたしも連れてって。」

 

 

「で、でもグラニ…貴方は今日はお客さんで…」

 

 

「客だとかそうじゃないとか関係ないよ。今日ここに居る時点であたしも当事者なんだ。…だから、お願い。」

 

 

「…分かった。でも無茶はしないで。」

 

 

渋々といった様子でキャロルはグラニの提案を受け入れた。そして村の入口へと足を進めた。

 

 

 

入り口には報告通りにまともには思えない柄の悪い連中がいた。

 

 

 

「…当村に何か御用でしょうか。」

 

 

 

「へぇ本当に噂通りこんなガキが村長なんだな。」

 

 

しかし男たちのリーダーと思える男は答えなかった、むしろ嘗め回すような視線を送ってる。そして一言だけ告げた。

 

 

 

「俺たちゃ賞金稼ぎとは名ばかりの盗賊だ…この村の全部、頂くぜ。」

 

 

 

そして瞬間、男は獲物であるナイフがキャロルに向けて刺そうとした…が間に入った長槍に受け止められた。

 

 

 

「悪いけれどそうはさせないよ!」

 

 

警戒していたグラニが彼女への攻撃を防いだ、そしてキャロルは一歩下がった。リーダーを蹴り飛ばし、グラニは槍を構えた。

 

 

「今日は大切な日なんだから…村には手を出させない!」

 

 

 

「なんだこのチビ…おいお前ら、全力でやれ!」

 

 

 

そして一味の男たちがグラニに襲い掛かる。グラニは槍で剣を受け止め、足払いをして転ばせて男たちを巻き込む。そしてその隙に槍の側面で男の腹を叩き衝撃を与え気絶させる。更に突っ込んできた相手と鍔迫り合いのような形になりその隙に他の男たちに横を抜けられて行ってしまった。

 

 

 

「しまっーー」

 

 

「よそ見をしてる場合か馬鹿め!!」

 

 

思い切り弾かれ、グラニは切られそうになる…

 

 

 

しかしそこで男は吹き飛ばされた。わき腹からフルスイングを受けて男は吹っ飛んだ。そして、グラニの横を抜けていった男たちもいつの間にか地面に転がされていた。

 

 

 

「…相変わらず詰めが甘いのね。」

 

 

 

そしてそれをやったと思われる張本人が声を上げた。

 

 

「…スカジ!!」

 

 

長髪を持った帽子を被った女性…件のオペレータースカジがそこにはいた。

 

 

 

「助かったよ…でもどうしてここに?」

 

 

「任務よ。」

 

 

「に、任務…。」

 

 

「ええ、そう任務。ドクターから直接言われたわ。『休暇を楽しんで来い』って。だからこれもある意味の任務でしょう?」

 

 

「任務…なのかなぁ…?ってそんなこと言ってる場合じゃなくて…」

 

 

「ええ、分かっているわ。まずはこの無粋な連中をさっさと片付けましょう。息の合わせ方はもう分かってるわよね。」

 

 

「勿論、あたしだって一年間何もしてこなかったわけじゃないよ!!」

 

 

 

 

——————それからはもう語るまでもないだろう。荒くれ者達は村に入ることも叶わず一掃され、めでたしめでたしということだ。(ワルファリン)

 

 

 

 

 

 

 

 

「…グラニ、スカジさん…本当にありがとうございました。」

 

 

キャロルはまた改めて彼女たちに頭を下げた。あの後賞金稼ぎたちは命が惜しくなり次々に撤退していき今は問題なく祭りが行われている。

 

 

 

「良いって。このお祭りを荒らされるのはあたしも嫌だからさ。せっかくのお祭りなのに略奪何てあったら許せないよ。」

 

 

「私も…別にただ障害を排除しただけだから。」

 

 

 

スカジは相も変わらず興味もなさげに呟いていた。

 

 

 

「その、スカジさん…来ていただけないかと思っていました。」

 

 

「もともと来るつもりは無かったわ。ただあの人に勧められたから…あとは少し気になっていたわ。」

 

 

「…気になってること?それって何、スカジ。」

 

 

「…私が一年前に壊したところ。気が立っていたとはいえ申し訳ないことをしたもの。」

 

 

キャロルは驚いた、一年前のあの時はあまりにも話を聞かなかったため怖い人物かと思っていたがその実彼女は不器用でもありながら優しかった。

 

 

 

「修復は完全に済んでいるので大丈夫ですよ…それよりも二人とも。」

 

 

キャロルは二人の視線を浴びた。

 

 

「折角来たのだから楽しんでいった。貴方達二人はこの村の恩人だから精一杯歓待させてもらうわ。」

 

 

 

グラニとスカジは顔を見合わせ、グラニは天真爛漫な笑みで、スカジはしょうがないわねという風にうなずいた。

 

 

 

「勿論、約束だからね!!」

 

 

 

「そうね…たまにはこういうのも悪くないわ。」

 

 

 

 

そしてまたロドスのファイルに一枚の写真が追加された。

 

 

 

 

 

 

「この日に乾杯!」という文字と共に樽ごとお酒を飲もうとするスカジとそれを慌てて止めるグラニ、そして微笑んでいる村長…そんな何てことのない一枚だった。

 

 



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リーガルオアユー

独自解釈が強め注意


それはなんてことのない休憩の一幕だった。彼は意外なことにお茶を淹れることも心得がありこういった小休止にお茶を淹れてくれた。

 

 

 

「ありがとう、イグゼキュター。いつも君は助けられてるよ。」

 

「礼は不要です。現在の私の仕事は貴方のお世話です。これも業務です。」

 

 

「相変わらず君は堅いね…」

 

 

ラテラーノ公証人役場法定執行人。それが彼に与えられた肩書であり名前であった、彼は法律を守る番人であり、法律に背くものを裁く処刑人でもあった。今彼はロドスに協定しに従いオペレーターとして滞在している。

 

 

彼はただ淡々と法律を執行し、背くものを赤い海に還してきた。彼は善良なラテラーノ人だ。むしろ秩序を守る側の人物といってもいい。だけれども彼の光臨は光を失い真っ黒に染まっている。

 

聞く話によればサンクタ族が同族を殺めた時、光臨は黒くなっていくという。そして堕天使なる存在が出来上がると。けれども彼は普通のサンクタ族に過ぎない。彼は法を執行して来た過程で大量の同族を執行した。故にこそ光臨は黒く染まった。けれどもそれは彼が極悪人という証明にはならない。

 

 

 

「どうか致しましたか。ドクター。私の顔に何か付いていらっしゃいますか。」

 

 

「いいや、何でもないよ、ただ少し考え事をしていただけだ。」

 

 

彼は笑わない、鉄面皮という表現すら生ぬるいほどに彼の表情は動かない。彼が表情を動かないのはもうこのロドスにおける全てのオペレーターの共通認識だ。感情表現が苦手なオペレーターというのはスカジやテキサスと言った面々がいるが少なくとも彼女らには感情が備わっており、わずかでもちゃんと表情は動かす。感動が少ないだけであってちゃんと感動する心は持ち合わせている。

 

 

だが彼にはそんなものすらないとも思わせるほど、表情筋が仕事していない。笑いも、怒りも、哀しみも、喜びも、全部何処かへ置き去ってしまったとでも思わせるかのように無感動、無感情、無表情だった。だからそんな彼が何の感慨もなくレユニオンムーブメントを撃ち殺す様を見て彼を不気味がった人々はまるで機械のようだと彼を指して揶揄した。そしてそれを否定できる材料もなかった。

 

 

「…先ほどからドクターは私の顔を見詰めたまま黙り込んでいます、何かを伝えたいのならば早めに言う事を進言します。」

 

 

成程、彼はまさに機械のようだった。何もその瞳に感情を映さず、ただ淡々とやるべきことに従うロボットとそう認識されているだろう。だが彼はそんな他者からの評価も気にせず、動ぜずまた淡々と任務をこなすだけだろう。

 

 

 

「いや。それほど深いことを考えているわけじゃない。私は常にロドスの未来をどうするかなど考えているわけでもなく、目の前のことを考えることもある。」

 

 

「つまり、ドクターは現在何について考えているのでしょう。」

 

 

そして対面の彼に向けて視線を渡した。

 

 

 

「君についてだよ、君は契約が満了になればどうなるのかなとそう思っていたんだ。」

 

 

「契約内容の再確認ですか?それならば今一度ロドス・アイランドと公証人役場で交わされた協定に関して復唱いたしますが。」

 

 

「いいや、そういうことじゃないんだ。契約が切れれば君のオペレーター情報は消されてそのまままた過去のように執行人としての仕事を続けるだろう。契約ではそうなっている。私も勿論それは承知している。ただ、君とは少なからず仕事を共にしてきたつもりだ。」

 

 

「…そうですね。ドクター。貴方とは現在記録しているだけでも二二七回、仕事を共にしました。」

 

 

そんなイグゼキュターに彼は苦笑を漏らした、こういうところは出会ってから一ミリも変わってない。だからこそ逆に安心するものすらあるのだが…

 

 

 

「君にこういうことを説いても無駄かもしれないが…私は少なからず執着というものを持ち合わせて生きている。争いがなく人を殺す必要がない日常に関しては尊いものと認識しているし、それの世界を作るために多少の執着を抱いている。人ととのつながりも惜しいし、別れとて必ず訪れるものとはいえやはり躊躇いが起きる。だから執着を抱えて生きているんだ。」

 

 

 

「ドクター。つまりあなたは、私との別れが惜しいという事ですか?」

 

 

「はは、バッサリと聞いてくるね、君…まあそうさ、否定できないし肯定するよ。私はイグゼキュター、君との別れに一抹の寂しさを覚えている。」

 

 

 

その言葉は普段ポーカーフェイスで腹芸をして生きている彼からすればかなりストレートに出た本音だった。そんな言葉を聞いてイグゼキュターは少し黙り込み、考え込むような動作をした。普段の彼を知る者からすればその彼の行動はあまりにも意外なものだった。

 

 

彼は直ぐに返答する。まるで最初から答えを持ち合わせていたかのように数秒で返答し、有無を言わせないスピードで話を進める。それが彼を機械と言わしめる所以だが。そんな彼が数秒とはいえ黙り込み、考え込んだのだ。そして考えた末に漏らされた言葉は実に少なかった。

 

 

 

「困ります。」

 

 

彼はまた顔色を変えずにそう言った。けれども顔色は変わってないが声音には困惑の色が塗り込まれていた。確かに彼は今困惑している。

 

 

 

「そう私にまっすぐと感情をぶつけてくる人物がいるのはどれほど久しぶりなのでしょうか。また対応に困ります。」

 

 

そして彼はまた数秒黙り込んだ。そこでドクターは少しだけ言葉を掛けた。

 

 

 

「君も人間さ。そういう感情を向けられることもあるだろう?」

 

 

何てことのないただの質問に過ぎない。

 

 

 

「いえ、有りませんでした。生まれてからただの一度も。」

 

 

彼は真顔で反論した。だからこその困惑だと言わんばかりに。そして彼はまた口を開いた。

 

 

 

「少しばかり身の上話というものになりますが構わないでしょうか。」

 

 

その様子にドクターはただコクっと頷いて神妙な面持ちで聞くことにした。

 

 

 

「私の生まれはただの何てことのないラテラーノの一般家庭でした。世間から見れば穏やかな夫妻とその子供が平和に暮らしている。そう見えたでしょう。…ですがその実、家族間に愛情というものは存在していませんでした。仮面夫婦と呼ばれる形態で、父は愛人を作り、当たり前のように帰らず、母も母でそれを承知の上で彼女もまた頻繁に夜に出ていくのが普通でした。彼らはお互いの浮気について承知していたでしょう。そしてそれで不干渉を貫いた。家族と言う形を保っていたのは彼らが地位のある人物でありその喧伝に扱えると判断したからでしょう。打算と思惑だけで作られた家族に愛情は存在しませんでした。当然そんな家庭に生まれた私は真っ当な育ち方もしませんでした、だから夫婦間どちらにとっても疫病神と呼べる存在だったかもしれません。」

 

 

彼は早口で語った、感情はないが普段の彼に比べていやに饒舌だった。そして言葉を一度区切りまた語り始めた。

 

 

「対外的には仲の良い家族はすぐに崩壊しました。あの件を気に彼らはどちらも死に、私は行く当てもなく適当な孤児院に押し付けられました。」

 

 

幼かった少年にその扱いはあまりにも酷であっただろう。だが彼はそんなことすら感慨を抱かなく機械的に続けていた。

 

 

「孤児院で私は法律について学びました。そこの院長が趣味で法典を持っていることが始まりでした。…それからです、私の中に法が全て、真実という考えが芽生えたのは。」

 

 

あれほど饒舌に語っていた言葉はそこで急に途切れた、纏めるのならば彼は幼いころから愛情を向けられずに育ったため今現在でも他者のことが分からない。そしてそんな彼のオリジンがあったからこそ今の機械染みた彼を形作っているという事だ。

 

 

 

「私にそのような感情を向けて来たのは貴方が初めてです。この感情を戸惑い、というのでしょうね。」

 

 

感情と彼は声に出しているがその表情に一ミリも変化は見られない、けれども確かに彼の中に感情は芽生えた。

 

 

 

「…やはり君は機械ではないよ。間違いなく君も人間だ。感情を覚えるというのは人が人たる所以だからね。」

 

 

「成程、これが感情…」

 

 

そしてイグゼキュターは少しだけ考え込み、また言葉を紡ぐ、今日の彼はやけに饒舌だった。

 

 

 

「ドクター。先ほどの質問ですが契約が満了になれば私はまた以前の職務に戻ります。そしてロドスからも離れるでしょう。」

 

 

「そういう契約だからね、個人の感情を抜きにしても契約は守らねばロドスは真っ当な組織とは言えなくなる。だからそれは守ると保証するよ。」

 

 

「ありがとうございます。私も私が約定に反することは望みません。ただ…」

 

 

 

そして珍しく彼が言葉を濁らせた。視線はドクターを捉えて話そうとはしていないが口が動いていない。重い沈黙の後彼はたっぷり一分をかけて言葉を探していた。

 

 

 

 

「意外なものですね。私にこんな感慨が生まれるなど。」

 

 

 

「…イグゼキュター?」

 

 

 

「私を未練を作らせるなど…貴方は何よりも罪深いお方だ。」

 

 

そしてその鉄面皮が少しだけ動いた…ようにドクターには見えた。

 

 

 

「私にとって法こそ真実です。法を破る者には裁きをこれからも与えるでしょう。」

 

 

 

そしてイグゼキュターは立ち上がり、執務室から出ていく。当直が交代の時間だ。そしてその退出間際に振り返り…

 

 

 

 

「ですが貴方のためならば私は法を破ることに躊躇わない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

それからドクターは当直できていたアーミヤに揺すられるまで呆けていた。

 

 



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今度は私が言おう

銀博。

過去は完全に捏造なので注意。


[その男と初めて会った時、抱いた感慨は綺麗、だった。

 

その男は特段顔立ちに優れていたわけじゃない。むしろ顔をフードを多い、素顔を見せずその目だけを見せていた。だが初めてその目を見た時、私は確かにキレイと感じた。その瞳に確かに引き込まれた。]

 

 

 

「やぁ、済まない。隣を座らせてもらうよ。」

 

 

学び舎というものは基本的に食堂などを併設しているのは当然だ。だからこうして食堂を利用していればその隣に座る人がいるというのも分かりきっていることだ。だから隣に座ることは大して珍しいことでもない。

 

 

 

「……」

 

 

「ん?ああ…突然こんなフードを深くかぶった不審者が隣良いかって聞かれたらそりゃあ困るか。でも安心してくれ。ここの学生だ。このフードは何というか、ただの日光避けに過ぎないからそう気にしないでくれ。」

 

 

先客だった青年のその隣に座りながらその男は饒舌に語った。確かに彼の風貌は一見して異質のため人の目を引くだろう。だがそれよりも彼は風貌だけではなくその名が知れ渡っていた。

 

 

 

「…おや、こちらの顔に何かついてるかな?」

 

 

「…いいや。」

 

 

「ならオーケー。隣、座らせてもらうよ。」

 

 

何故ならこのフードを被っている男こそが既に大成したと称される男。…ヴィクトリアのこの学び舎において誰よりも注目されている男だったからである。

 

 

 

「そんな歯を食いしばるような表情ばかりしてると折角のカッコいい顔が台無しだぞ。」

 

 

「は…?」

 

 

「笑顔とは言わないけれどそんな目で見られ続けるのは慣れてないからすこーし変えてくれると有難いんだが…」

 

 

「え…?あ、ご、ごめんなさい…」

 

 

銀髪の青年はぶしつけな視線を送り続けていたことを悔いた。だがフードの彼は深く気にしていたわけでもなく。

 

 

「視線というのはその人となりを見極めるために向けられるものだと個人的には推測する。つまり視線で相手を見極めているわけで今の君は私を見極めようとしていたのかな。ああ、でも私はそんな評価にも値しないし見るだけ無駄なんじゃないかなと思うんだけれどそれはそれで何というか落ち込むしやっぱり評価されないのは悲しいというは、でもやっぱり目立つのは…うーん。」

 

 

そのまま彼は一人で百面相をし始めた。顔はフードで隠れて見えなかったがその顔の表情は恐らくコロコロ変わっていただろうと銀髪の青年はその声の様子から予想した。急に饒舌に語り始めたかと思えば自虐をしだし、落ち込み始めた。そんな彼の様が面白かったのか、銀髪の青年は少しだけ表情を緩めた。

 

 

「ああ、やっといい表情になった。」

 

 

「…え?」

 

 

そんな彼の表情の変化にフードの彼はしっかりと気づき良かったと安堵したように息を吐いていた。

 

 

「そんな浮かない顔はするもんじゃないよ。やはり楽しくいないと…特に笑顔でね。」

 

 

「…?」

 

 

その言葉の意味を彼はまだ理解することが出来なかった。しかしフードの彼はそんなこともどうでもよいのか勝手に話題を作り、勝手に話題を変えていったのだった。

 

 

 

「_____だ、君の名前は?」

 

 

 

「…シルバーアッシュ。」

 

 

 

「よろしく、シルバーアッシュ。」

 

 

 

それがこの天才で何よりもの変人と、彼「エンシオディス・シルバーアッシュ」との出会いだった。

 

 

 

 

エンシオが彼と親交を持ってから幾つかすぐに分かったことがあった。

 

 

 

「将来の進むべき道?そうだね、あまり深く考えてないけれど多分おそらく医者になると思うよ。」

 

 

彼はこの学び舎において何よりも、誰よりも天才であった。教師でも彼に頭脳で勝ることはなく彼の頭脳はそれだけで戦略的な価値があった。

 

 

そんな彼の注目の的であるのは困難な話題であった。

 

 

 

「しかし…出来るのか。鉱石病の解決など…」

 

 

「出来る出来ないの話ではないさ。やるんだよ。」

 

 

彼は確信めいた表情で語る。彼にとって不可能で困難な課題も良いハンデにしかならない、エンシオは確信した。この男ならば鉱石病に対して一手を投じることが出来ると。彼は学生の身でありながら既に研究者として名を挙げており、その分野も鉱石病だけでなく天災、源石と多岐に渡る。

 

 

「確かに…お前ならば出来るかもしれんな。」

 

 

「そういう君は?エンシオ。君は将来に進むべき道を考えてるのかい?」

 

 

エンシオは少々考え込む動作をした。そして神妙な面持ちで答えた。

 

 

 

「…家を。再興したいと思っている。」

 

 

だが彼にはどこか諦めが含まれておりその夢を自分で叶うわけがないと否定しているようにも見えた。

 

 

「エンシオ。」

 

 

不安げなエンシオに対して彼は手招きをするように誘った。怪訝な顔をしつつもエンシオが招かれた先にはチェスボードが置いてあった。

 

 

「チェスの経験は?」

 

 

「…一応得意の分野だ。」

 

 

「それは好都合。まずは一手打たないか?」

 

 

どういうつもりだとエンシオは訝しんだがそんなことは気にするなと彼はそのままゲームを始めてしまった。始めた以上は仕方ないとエンシオはチェスを始めた。しかし結果は…

 

 

 

「負けた…」

 

 

「チェックメイト、だね。」

 

 

結果はエンシオの大敗、つまりフードのこの男の圧勝だった。エンシオも並の相手では相手にならないほどの読み合いが出来るが彼はその何倍もの上を言った。間違いなく時代が時代ならば天才プレイヤーとして名を馳せただろう。だがそんなことよりもエンシオは急に何故彼がチェスを誘って来たかが分からなかった。

 

 

 

「何故急にチェスを?」

 

 

「まあそうだね。君が夢を語っておきながら腑抜けてるからそれに道を示そうと思ってね。」

 

 

「…道?」

 

その偉そうな物言いに少しムッと来たエンシオだが目の前の男は自分の何倍もの頭が回る男で、間違いなく有効な情報を引き出せるため彼は大人しく言葉の続きを促した。

 

 

「究極に敷き詰めれば世の中の大抵のことはチェスと同じだ。」

 

 

そして彼は語り始める。

 

 

 

「勿論何から何まで計算づくとはいかないが基本的に私たちは盤面の上で動かされているだけの存在に過ぎない。誰かの意図に踊らされて、自分で選択したつもりでもそれは誰かが計算した結果だったということもある。」

 

 

エンシオには心当たりがあった。むしろ心当たりしかなかった。

 

 

「しかしチェスを行われるという事は当然プレイヤーがいる。だから…そのプレイヤーになるんだ。」

 

 

「プレイヤー…」

 

 

「そう。手駒を増やし、勢力を広げる。そして踊らしていると思っていたプレイヤー達からその席を奪い、こちらがプレイヤーになるんだ。」

 

 

彼はエンシオに向き合い、言った。

 

 

「夢だけでは足りないかもしれない。だからこれは…野望だよ。誰しも野心を秘めている。だからそれに振り回されるのではなく、野心を利用するんだ。野心を制御できず身を滅ぼした人間など有史以前にたくさん居た。それこそ数えきれないほどにね。だけれど…野心を制御できればそれはもう秘めた物じゃない。『野望』だ。」

 

 

 

「…野望。…野望を持てば…」

 

 

「そうだよエンシオ、野望を持て。執念を持て。まだ何も始めてないのに諦めるのはどうしようもない弱者の言う事だ。君に弱者という言葉は似合わないし、何よりも弱者で終わるつもりは無いだろう?」

 

 

「…当然だ。俺は…妹たちのためにもここで…ここでは終われない。」

 

 

「うんうん。良い目だ。浮かない顔よりもやはりそちらの方がいいよ。生き生きとしている人を見るのは好きだしね。」

 

 

 

そしてフードは満足そうにうなずいた。覇気が宿ったエンシオに対して。

 

 

 

 

それからしばらくの事だった。フードの男が博士号を得て、学舎を飛び級卒業したという報せを聞いたのは。

 

 

たった2か月の付き合いだった。だがそれでもエンシオの心にはその出来事は全て記憶された。否、忘れることが出来るはずもなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その顔をずっと覚えていた。顔は見えないけれども彼の表情は分かった。あの時から彼の瞳は何も変わっていなかった。誰よりも優れていたというのに誰よりも子供のように瞳を輝かせていたその瞳は…何も変わっていなかった。

 

 

記憶喪失など些細な問題に過ぎなかった。

 

 

 

「イェラグのカランド貿易の社長。シルバーアッシュだ…本日よりこのロドスで世話になる。ドクターというのは貴方の事だな。」

 

 

そして彼は似合わずに頭を下げて来た。怪訝で、世界に対しての警戒心を抱いているその顔。その顔は何時かの少年の顔が重なった。

 

 

だが…

 

 

「似合わないな…」

 

 

「…え?」

 

 

 

「そんな浮かない顔をするな…私の前では楽しそうにしていてくれ、我が盟友よ。」

 

 

 

 

 

今度は私が言おう。あの時、言われたように。

 

 

 

「笑顔でいてくれ。」



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カレの気持ちは

銀博。前回から続きます


カランド貿易の社長、イェラグの実質的な権力者。やんごとなき身分であるはずの男であるのになぜかロドスへオペレーターとして参画している…不平等条約も呑み、彼の考えを読むことは現在のロドスには出来なかった。

 

 

それがシルバーアッシュという男だった。考えは読めないが彼の存在は少なくとも現時点ではロドスにとって有益になっているため彼の思惑その他諸々は今は目を瞑られていた。しかしそれでもロドス内では彼を不気味がっているオペレーターも少なからずいた。

 

 

そしてロドスの最高執行責任者である「ドクター」も彼も考えを読めないため距離を測りかねているが…それよりも分からないことがあった。

 

 

 

 

「…あの、シルバーアッシュ氏?」

 

 

「どうした、我が盟友よ。」

 

 

ここはドクターの私室である。今日の業務のために酷使され、疲れ切った体を引きずり部屋に戻って来たドクターを出迎えたのは聞き心地の良いバリトンボイスだった。

 

 

 

 

「あの、もしかして私は自分の部屋を間違えたか…?」

 

ドクターはつい疑問に感じてしまうが部屋の名札は「Dr.○○」となっているがここはドクターの部屋で間違いない。

 

 

「何を言っている。ここはお前の部屋だ、盟友よ。」

 

 

「あっはい…間違いなくそうですね…」

 

 

あまりにもシルバーアッシュが自然と寛いでいたためドクターはつい不安になってしまった。

 

 

 

「どうした、入らないのか?」

 

 

「入ります…入ります…」

 

 

どこか腑に落ちないが入り口に立ったままだと廊下を歩く人の迷惑になるため渋々と部屋に上がることにした。そして何故かシルバーアッシュはソファの向こう側に居た。

 

 

 

 

「…どうだ、飲むか?」

 

 

そんな風に彼が差し出したのは紅茶だった。しかも見事な御手前の。

 

 

 

「…いただきます。」

 

 

ドクターもドクターで彼の空気に感化されたのか急にぶっきらぼうな口調で紅茶を飲み始めた。そして感想はすぐに出た。

 

 

「…美味しい。」

 

 

「そうか、お前の口に合ってよかった。」

 

 

その低くも心地よい声は、ドクターの脳内へ響き渡って行った。紅茶を飲み続けるとドクターはいよいよ疑問を聞くことにした。

 

 

「ところで…何故私の部屋に?」

 

 

「故郷から良い茶菓子を取り寄せた。良ければお前と茶をしようとな。」

 

 

鍵は閉まっていたはずなのに忍び込めていた理由も知りたかったが知ると何か深淵なる闇に落ちてしまうそうな気がしたからドクターは聞かないことにした。

 

 

シルバーアッシュはかつてドクターと何かがあったのか、ドクターに対してある種の絶対の信頼を置いている、ドクターは残念なことに記憶喪失なので過去のことは一切覚えてないが彼の接する態度を見て並々ならぬ何かがあったということは何となく分かった。それ以上は何も分からないということだが。

 

 

「どうだ、お前の口にそれは合うか?」

 

 

彼の顔が近くにあった。綺麗な顔がそれはもう近くに。

 

 

「お、美味しいです…」

 

 

ドクターは思わず声がどもった。仕方のないことである。それからドクターとシルバーアッシュは他愛ない会話を重ねた。

 

 

 

「どうだ、最近のレユニオンムーブメントの動きは。」

 

 

「龍門に居座っていた者を追い出した後は大きな動きはない。けれども残党がいることは確かだし、あのスノーデビル小隊の動向も分からないから油断は出来ないと思う。」

 

 

「スノーデビル。…嗚呼、ウルサスの悪魔か…それほどの大物までもレユニオンムーブメントに参画している以上敵の規模は相当大きいものと言ってもいい。努、警戒は怠らない方が良いだろうな。」

 

 

「同感だ。あのタルラも規格外だし、ロドスの勢力をもっと増強させなければ…」

 

 

紅茶を飲みながらも彼らは険しい顔で話し合っている。ここに第三者が来たら思わず踵を返すだろう。忘れられがちだがドクターもシルバーアッシュもお互いの勢力のトップであるためこういう方針の話し合いをすることは珍しくない。プライベートな時にやるのは初めてかもしれないが。

 

 

ふとドクターは職務の話をしていたことに気が付き頭を下げた。

 

 

「…申し訳ない。こんな時までに職務の話をするべきではなかった。」

 

 

「構わない。」

 

だがシルバーアッシュは即座に否定した。

 

 

「お前との話し合いはどのような些細な物であろうと有意義な物だ。さて、次は何を話す?」

 

 

彼は嘘を言っているようにはドクターは思えなかった。本心から言っているようにそう、思えた。だからこそ疑問点も出てくる。

 

 

「…シルバーアッシュ。私には分からないんだ。」

 

 

当の本人には聞きにくいことだが、それでも彼は聞きたくなってしまった。

 

 

 

「シルバーアッシュ、君は…私に何を求めているんだい?」

 

 

それはこれ以上ない彼への疑問。彼の向けてくる視線にはあまりにもいろいろな意味が込められすぎていた。

 

 

「求めているか…か。求めていないさ、何もな。」

 

 

だがシルバーアッシュは何も求めていないとそう返した。確信を持って。

 

 

「盟友よ。お前は覚えてないことは承知しているが、私はお前に憧れているのだ。」

 

 

「あ、憧れ…?」

 

 

予想外の返答にドクターは困惑した。ドクターから見てもシルバーアッシュは堂々としており威厳にも溢れ、誰かに羨望しているような節も見て取れず、むしろ理想の男性として畏敬を向けられてさえいる。そんな彼がドクターにあこがれているという告白はドクターにとって衝撃を受けるには容易いことであった。

 

 

「いや、それだけではない…私はお前が妬ましい。それに憧れても居て…何よりもお前を超えたい。」

 

 

それを吐露するシルバーアッシュはいつもの威厳に満ち溢れた権力者ではなく何処にでもいるような普通の青年のようにドクターは覚えた。

 

 

 

「本当に過去の私は貴方に何をしたんだ…?」

 

 

ドクターは頭を抱えた。いつの間にか厄介ごとの種を記憶を失う前から抱え込んでいたことに。だがシルバーアッシュは顔を上げさせた。

 

 

「そんな浮かない表情をするな。過去のお前がいたからこそ今の私がある。だからこそお前を打ち破りたいとそう思うのだがな。」

 

 

「え…あの、昔の私は凄かったかもしれないけれど今の私はただの木偶の坊でそうお眼鏡に叶うようなものでは…」

 

 

「…変わったな。」

 

 

シルバーアッシュはどこか名残惜しそうな、そして寂しそうな視線を向けて来た。

 

 

「認めよう。記憶を失う前のお前と、今のお前が違う事は。だが…」

 

 

そして彼の視線は途端にぎらついた物にへと変貌を遂げた。その覇気にドクターは一瞬怯んだ。

 

 

 

「だが…お前と前のお前は別人ではない。確かにお前は彼奴だ。お前に自覚はないだろう…だが間違いなくお前はまたあれになるだけの可能性を秘めている。」

 

 

期待するような、目線。それは恐怖を煽るには十分なものだった。

 

 

 

「…意外だな、私自身もこれほど強い欲望がまだこの身に残っているとは。」

 

 

シルバーアッシュ自身も今までの言動に意外を覚えたのか自分自身に向かって言っている。紅茶を置きながら彼は言葉を続けた。

 

 

「今の私は手に入れようと思えば大抵のものは手に入る。それほどの力を持った。手駒を増やし、勢力を伸ばした。全てはかつて、お前に言われたようにな。」

 

 

シルバーアッシュは語りだした。だがドクターは分からない。

 

 

「だがそんな私が渇望しているものは未だに手に入ってない、だから…何としてでもこの手に掴む。」

 

 

その視線に込められているのは羨望…嫉妬、憧憬…そして期待。それらの感情が全てごちゃごちゃになりドロドロに溶けあい一つになり矛先としてドクターに向けられている。

 

 

 

「…分からないな。今の私は君にとって腑抜けとも呼べるものだ…そんな腑抜けに期待する必要があるのか…私には分からない。」

 

 

 

「腑抜けか…」

 

 

 

シルバーアッシュの鋭い視線が再びドクターを向く。

 

 

 

「…自覚はないようだが…お前の戦場に立つ目…あの時と同じだ。」

 

 

 

「……。」

 

 

「お前は生まれながらの強者だ…お前の存在が多くの者たちを狂わせる…私もその一人だ…だからこそだ、お前を超えることで私は…俺は…遂に辿り着く。」

 

 

そして普段の彼からは考えもつかないほど嗜虐的な笑みが零れていた。

 

 

 

 

「さあ、私に生きる実感を与えてくれ…友よ。」

 

 

 

そして肩に手を置くとシルバーアッシュはそのまま退出してしまった。

 

 

 

 

 

「お前の存在こそが…私の…」

 

 

 

その声がドクターの耳に残った。暫く離れないほど…



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His answer

ドクターの仕事は本人が自認するよりもロドス・アイランド全体へ影響する。仕事のローテーション、貿易の決定、製造所での製品決定を含め、作戦指揮、事後処理、書類その他、山のようにある仕事を片付けている。

 

ある時はチョコレートをほおばり、またある時は如何にも怪しげな薬を飲み仕事する。ドクターの仕事を中心にロドスは回り、動いていた。そんな大役をになっているドクターはよっぽどの体調不良でもない限り休むことが許されないのでいつも命を燃やしながら仕事にいそしんでいた。

 

 

そんなある日、激務を終えて理性が燃え尽きたドクターが机に突っ伏したままの時にドクターはふと、こう独り言を漏らした。

 

 

「甘いもの…甘いものが食べたい…」

 

頭を使った時は脳の活性化のために糖分を取るというのは良くある話である。実際ドクターも塩味のチョコという糖分と塩分を同時に取れる画期的なものだが味が壊滅的なチョコを頬張りながら仕事に勤しんでいるときもある。だが今夜はチョコの在庫を切らし、購買にも置いてなかったためドクターは怪しい薬を飲んで仕事をこなした。どちらにせよ仕事は終わったのでもう甘いものを取る必要はなかったがドクターの酷使された脳は糖分を求めた。

 

そんなドクターの呟きを秘書を務めていた彼は律儀に拾った。

 

 

「ドクター。この後、少し付き合っていただけませんか?」

 

 

「アドナキエル…?」

 

 

コードネームアドナキエル。いつも笑顔のサンクタ族の青年。そんな彼の柔和な顔がドクターの目の前にあった。

 

 

「多分、ドクターの要望にお応えできると思いますよ。」

 

 

「…甘いもの?」

 

 

「甘いものです。」

 

 

コクリと彼は笑顔で頷いた。

 

 

「まだ30種もレパートリーはありませんが幾つか習得したんで味見、してくれませんか?」

 

 

ラテラーノ人はスイーツが上手い。そういうお国柄なのかは不明だが兎に角ハズレがない。ドクターはそれを知っていたため目の前で釣り下げられた極上の餌に食いつかない選択肢はなかった。

 

 

 

「是非!!」

 

 

飛び跳ねるように顔を上げながら勢いよく返答した。

 

 

 

 

 

出されたスイーツはシュークリームだった。

 

 

 

「甘い…美味しい…」

 

 

シュークリームの中のひんやりとした生クリームの甘みがドクターの酷使された脳内に染み渡った。ドクターの顔は甘く蕩け切っておりそんなドクターの顔を見ながらアドナキエルはニコニコと微笑んでいた。

 

 

「何か飲み物を淹れますね。」

 

 

彼はごく自然にエプロンを付けていたがむしろ違和感なく、というよりもかなり似合っているためドクターは気が付かなかった。今のドクターは理性がゼロのため細かいことは気が付かない。

 

 

 

「今日もお疲れ様でした。はい、冷えたお茶です。」

 

 

アドナキエルはアイスティーが入ったカップを置きドクターはありがとうとお礼をしてシュークリームを食べながらアイスティーも堪能していた。

 

 

 

「はぁ…美味しい…」

 

 

「気に入ってくれたみたいで嬉しいです。」

 

ドクターはその味がすっかりと気に入っているのか先ほどからしきりに美味しいと漏らしていた。アドナキエルはそんなドクターを見ていても柔和な笑みを崩さなかった。

 

 

 

「しかしラテラーノの人は本当にスイーツが上手だね。勿論君の作るスイーツは絶品だ…。」

 

 

「そうですか?…故郷じゃオレはまだまだの方ですからね。そう認めていただけるのは嬉しいです。」

 

 

「まだまだ…どれほど魔境なんだ、ラテラーノ…」

 

 

スイーツに関しては間違いなく世界トップレベルであるラテラーノにドクターは夢を馳せていた。そんなドクターの気持ちを察したのかアドナキエルは親切に解説を始めた。

 

 

 

「故郷の先輩方は皆軽く50種類のスイーツは作れました。だからオレの技術なんてまだ小手先だけのものですよ。」

 

 

そうきっぱりと言い切るという事は間違いなく事実であり、ラテラーノが修羅の国であることをドクターは何となく分かった。と思考しているうちにドクターはシュークリームを食べきってしまった。

 

 

 

「…あ、もう全部か…美味しかったよ。ご馳走様。」

 

 

「はい。お粗末様でした。また食べたくなったらいつでも言ってくださいね。」

 

 

「…え?本当?いつでも良いの?…毎日食べたいなあ、なんて…」

 

 

「どんなに好物であっても三日間同じものを食べれば舌があきちゃいますよ。ドクターがお望みなら毎日違うものをローテーションして作りますよ。」

 

 

 

理性を蒸発させたドクターにとってその提案はどんな金塊にも勝る涎が出るような条件だった。そして是非と言おうとした所でドクターはふと正気に返り、疑問に感じた。

 

 

 

「ドクター?」

 

 

何かを言おうとして黙ったドクターに彼は首を傾げるように見た。

 

 

 

「…アドナキエル。君は…」

 

 

ドクターは言葉に詰まる。面と向かって聞くには少し聞きにくい内容だからだ。

 

 

「何でも聞いてください。オレが答えられる限りは答えますよ。」

 

 

「そ、そっか…じゃあ…」

 

 

ドクターの懸念を感じ取ったのかアドナキエルは心配するなと言わんばかりの言葉を送ってきた。その言葉に背中を押され、ドクターは聞くことを決意した。

 

 

 

 

「アドナキエル。君は随分と私を慕ってくれているみたいだけど…私は君に何か返せているのか?君に良くしてもらっているという何も返せている自身がない…」

 

 

アドナキエルがドクターに対する態度は人懐っこい後輩のそれだ。彼は良くドクターのことを慕っているがドクターはそんな彼に報いれているかが不安だったのだ。

 

 

 

「なんだ、そんなことですか」

 

 

しかしアドナキエルは笑顔を崩さないまま答えた。

 

 

 

「オレはオレを使っていただけることに満足しています。ドクターはオレを使ってくれるだけでなくてこんなにもオレの力を上手く引き出してくれたじゃないですか。もうそれだけでオレは満足なんですよ。」

 

 

「そ、そうかい…?オペレーターの力を最大に引き出すことは確かに努力しているがでもそれでは私が君に報いれてるかは…」

 

 

アドナキエルの答えを聞いてもドクターは不安がっていた。元々ドクターは記憶喪失のため自己肯定感は低い、その資質がたまにこのように不安となって具現する。

 

 

 

「本当ですよ。…オレはドクターを尊敬していますから。」

 

 

よく彼は何を考えているか分からないと称されているがそのように語る今の彼の表情は笑顔でそれが本心かどうかは今のドクターには判断するだけの力がなかった。たとえ…それが真実だとしても彼のポーカーフェイスはそれを隠してしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翼もなく、光臨も傾いた天使

 

奇形

 

異形

 

生まれた時から存在が堕天するもの。生まれるべきではなかった。

 

 

 

 

何度、そういう言葉を聞いたことがあっただろうか。何度ちゃんと翼を持つ同級生に蔑まれ、光臨が真上にある彼らに嘲れられただろうか。

 

 

オレは生まれた時から奇形で、それが罪だった。前世はどれほど重い罪を犯したらこんな酷い罰を背負ったのだろうとオレは幾度も思った。

 

 

全員が全員、偏見に満ちていたわけじゃないけれど、人というのは自分と違うものを徹底的に糾弾し、排除したくなるモノだから、彼らの心理は理解できた。

 

理解は出来たけれど、認めたくはなかった。

 

 

 

そんなオレが鉱石病になった。いよいよ神様からも捨てられたものだと思った。

 

 

彼女は、メイリィちゃんはオレのために親身に尽くしてくれたけれどロドスに来ても希望はないとそう思っていた。

 

 

だけどそれは大きな間違いで。

 

 

 

 

 

『今日から君の主治医になる____だよ。気軽にドクターって呼んでくれたまえ。』

 

 

 

最初に思ったのは可哀そうだという憐憫の気持ち。こんな異形を相手にするなんてこの先生もツイてないなとそう思った。

 

 

『私の夢は鉱石病の根絶だよ。だから君も必ず治す。治して見せる』

 

 

 

次に思ったのは変な人だということ。鉱石病という困難な事に真っ向から挑んで、絶対にやると自身満々に言い切った変な人。

 

 

 

『へぇ…これがサンクタ族の光臨かぁ、触ってみてもいい?』

 

 

—————オレのを触るとドクターの腕が汚れちゃいますよ。

 

 

『こんなに綺麗なのに?』

 

 

—————綺麗?

 

 

 

『そうそう、綺麗で澄み切った白色…私の勘に過ぎないけれど君もこんなに暖かい光を持っているんだろうね。』

 

 

 

…そして暖かい人だとそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

すうすうと寝息を立ててドクターは机に突っ伏して寝てしまった。疲労困憊を忘れていたからが急に思い出したため眠気という反動で返って来たのだろう。アドナキエルはドクターの背中に自身の上着をかけてドクターの前に回り込んでドクターの顔を見た。

 

 

 

「…ドクターの休んでいる顔も…凄く印象的ですよ。…とても、暖かいです。」

 

 

 

そしてクッキーを添えて執務室から彼は穏やかなまま退出していった。

 

 



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星はいつも輝いて

「ねぇ、ドクター。星がどれくらい明るいか知ってる?」

 

 

 

「いや…詳しくは知らないな。でもかなり離れていてこれほど照らしているのだから相当な光量なんじゃないか?アステシアにでも聞いてみるか?彼女は天文学者だからそういうことにも詳しいだろうし…」

 

 

「いや。いいよ。…ただ気になっただけだからさ。」

 

 

ここはロドスの甲板。そこに仕事を終えたドクターとアンジェリーナは星を見ていた。きっかけは…

 

 

 

『ねぇドクター、今夜は流星群が降るらしいんだよ、一緒に見てみない?』

 

 

というアンジェリーナの誘いをドクターが受けたからだった。

 

 

「あたしのお母さんの故郷、極東にはね、こんな言い伝えがあるんだよ。流れ星を見つけて心の中で三回、お願い事をすればその願い事が叶うっていう、そんなお話。」

 

 

「ほう、それは面白い話だが…だが光速を目視してからでは三回も出来るのか…こう言ってはあれだが人間というのは唐突なことに弱い。意表を突かれたことには対応が出来ないときもある。」

 

 

「もう…そういうことじゃないよ…ドクターって浪漫がないよね…」

 

 

「むっ…すまない。何事もつい論理で理屈付けて考えてしまう…確かに私の悪手だな。」

 

 

ドクターは学者肌である。それは記憶喪失になってからも変わらない。理屈屋であるため時々発言で空気を台無しにしてしまう。それに関しては彼も悪癖であることを理解しているが中々直らない。

 

 

「…まあ今そんなことを考えていても意味がないか。それで、アンジェリーナ。流星群は何時頃に見える予定なんだ?」

 

 

「もうそろそろ見たいだけど…場所によっては見えないかも。天気で見えないっていうことはないと思う。」

 

 

「そうだな。こんなにも晴れているし。」

 

 

今夜の夜空は雲一つ見当たらない快晴だった。雲で隠れて見えないという事はまずないだろう。

 

 

「まあ気長に待とうか。ドクターも何か飲むよね?色々飲み物用意しているんだ。」

 

 

カバンからいくつもの缶を取り出すアンジェリーナ。彼女は長期戦になることを見越して準備を進めていた。

 

 

「ならコーヒーを。」

 

 

「コーヒーだね、オッケ。本当は美味しいメーカーがあるんだけど流石に外には持ってこれないから今日はこの缶コーヒーで…」

 

 

「大丈夫さ。それに、アンジェリーナ。今は缶コーヒーであっても相当美味しいんだ。君がそう気に病む必要ない。」

 

 

「そっか…ごめん、なんか気を遣わせちゃってさ…あたしから誘ったていうのに…」

 

 

少し彼女の様子がシュンと落ち込んだように見えた。普段明るいアンジェリーナはポジティブかと思われているが彼女は確かに明るいが繊細な性格のためこういったちょっとしたことでも落ち込んでしまう時はある。

 

 

 

「…夜空に輝く星で最も明るいものを一等星と呼ぶんだ。」

 

 

「ドクター?」

 

 

「今日は良く晴れている、一等星だけじゃなくその下の二等星、三等星も良く見える。」

 

 

ドクターは頭上を見上げる。それに釣られてアンジェリーナも上を見た。

 

 

 

「けれど、ああやって輝いてる星たちは。今よりずっと昔に輝いてその輝きを今こうやって私たちの目に映しているんだ。」

 

 

光年というのは距離だ。光が一年で進める距離。その果てしない光年を超えて、今こうやって夜空で輝いている。

 

 

「そう言った意味で見ると、私が思うには君たちは星だと思うんだ。」

 

 

「あたしたちが…星?」

 

 

「うん、ロドスのオペレーターは皆、それぞれ複雑な思いがあってオペレーターになったと思う。けれどこうして皆が戦ってくれることは私はとてもありがたい。こんな私の理想を手伝ってくれる君たちはさながら、輝き続けている星のようだ。」

 

 

ドクターは世界を変えるだけの力はある。そう言われている…が、彼はあくまで指揮官として優秀なだけであって戦士ではない。だから一人になれば弱いし、一人では勝てない。兵があっての指揮官で、兵のない指揮官などただの弱者だった。

 

 

「…ドクター。」

 

 

アンジェリーナはそんなドクターを見てどこか感慨深げに、しかし少し寂しそうに視線を送っていた。

 

 

 

「ならね、ドクター。あたしたちは衛星だよ。」

 

 

衛星、星の周りを周る星。そのいくつもの衛星が回っている。

 

 

 

「ドクターが星であたしたちが衛星。みんなね、ドクターの理想に共感して、叶えたいと思っているから今ここに居るんだよ。あたしたちのキングは…貴方なんだよ。」

 

 

 

「私に王は似合わないさ。それに王ならば私よりももっと適任がいる。彼女こそこの混迷に満ちた時代を照らす星になってくれるだろう。」

 

 

「…それって、アーミヤちゃん?」

 

 

 

「ああ…だから私は王ではない。王にはなれないが王を支えることはできる。軍師にはなれるからな。」

 

 

ドクターは自分を真っ当な人間とは評価していない。どれほど崇高な理由があったとしても戦争に身を投じてしまえばその身は黒く染まり、光を齎すことなど出来ない。それが彼の持論であった。

 

 

「けれどもアーミヤは違う。彼女は…彼女はこの時代で光になれる。幾ら戦火を進んでも彼女の輝きが失われることはない。」

 

 

 

上空を指さし、一等星を彼は見た。

 

 

「アーミヤは一等星だ。…そして君たちも星だ。私は夜の暗闇に過ぎないが、星があってこそ暗闇も映える。だから…君たちの存在はもう私にとっては不可欠なのだろうな。」

 

 

うんとドクターは納得するように頷いた。が、アンジェリーナは不服そうな視線を送っていた。

 

 

 

「ね、ドクター。」

 

 

「うん?どうかしたのかい。アンジェリーナ。」

 

 

「あたしは…あたしは正直ね、ロドスに居るのもつらいって思ったことがあるんだ。ただの高校生だったあたしが何か出来るわけもないって…そう、思ってたんだ。」

 

 

そう語るアンジェリーナの表情はとても暗かった。

 

 

 

「あたしは感染者になっちゃったけどそれでも夢を見たいとは思う…けど、あたしが感染者であることが発覚するとさ、みんなに迷惑がかかっちゃう。そう思って、故郷からは離れたんだ。」

 

 

家族にも、友人にも、誰にも告げず一人故郷から誰にも見送られることなく旅立ったアンジェリーナ。その孤独さは語るまでもなかっただろう。

 

 

「あの時は何も見えなくて暗闇に居たんだ…けど今は違うよ。ロドスに来て、ちょっとは迷ったけど。今のあたしは…ちゃんと見えている。」

 

 

「…そうか。ロドスは君の明かりになれたんだな。」

 

 

「うん。あたしの道を照らしてくれたよ…でも…やっぱり星は…ドクターが…」

 

 

アンジェリーナはにこやかな顔で言っていたが最後はぼそぼそと小声になり最終的には消え入りそうになり、聞こえなくなった。そのためドクターは最後の言葉が聞こえなかった。

 

 

 

「アンジェリーナ、すまない。最後の辺り、何て言っていたんだい?」

 

 

「え!?あ、や、やっぱり何でもないよ。うん…」

 

 

疑問符を浮かべたドクターだったが深くは追及しないべきかと納得し、とりあえずは聞かないことにした。

 

 

 

 

「あ、ドクター見て!」

 

 

アンジェリーナは空を指さした。そこには数多の流れ星が降り注いでいた。

 

 

 

「…流れ星…」

 

 

「綺麗…」

 

 

その神秘的な光景に一時期目を奪われていたがドクターはふと思い出したのか。

 

 

 

「そうだ、アンジェリーナ、お願いするのか?」

 

 

「え、あ。そうだやろう!」

 

 

アンジェリーナも思い出したのか目を閉じたまま何かを祈りだした。ドクターもまた願いが成就しますようにと祈り、願った。

 

 

 

 

『この世界に光がありますように』

 

 

誰に言うわけでもないが彼は呟いた。それが叶うかは自分次第だが願掛けには丁度いいだろう。

 

 

 

 

 

「そっか…やっぱりドクターは…」

 

 

 

「うん?アンジェリーナはもう祈り終わったのか?」

 

 

「うん…まあね。」

 

 

「どんなことを願ったんだ?」

 

 

「普通、それ聞いちゃうかな…。でもドクターと似たようなことだよ。」

 

 

 

アンジェリーナはまたふと空を見上げた。

 

 

 

「ねぇドクター。流れ星の言い伝えって知っている?」

 

 

 

「うん?…いや、知らないな。」

 

 

「ともに願った人たちは永遠の絆で結ばれる…なんていうチープなものだけれどさ。」

 

 

「永遠の絆か…」

 

それは良いものだなと彼は言った。

 

 

 

「うん、これからもよろしくね、ドクター。」

 

 

アンジェリーナは微笑み、振り返った。その笑顔は多分今まで一番良い笑顔だった。

 

 

 

 

「いつでも待ってるよ。星が…あたしに気が付いてくれるのを。…貴方という、あたしを照らす星が…」

 

 

 



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果たされて欲しかった約束

ライン生命三人組の話


どれほど後悔しても過去は変わらない。どれほど過去を呪詛しても今が変わるわけではない。もう時計の針は戻らない、過ぎてしまったことは進まない。

 

そんなことは誰だって分かってる。だけれども人は祈らずにはいれらないのだ。もし、あの時失敗していなかったら、もし呼び止めて入れたら、もし上手く行っていたら。

 

 

そして彼女たちもそのもしを考えていた。もしも、あの時の約束のちゃんと果たせていたらと、彼女たちは全員がそう祈った。

 

その祈りが叶うことはないと知っていたとしていても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事は数日前まで遡る。

 

 

 

 

 

「…眠い…なぁサイレンス…この検査受けなきゃいけねぇのかよ…」

 

 

「我慢してイフリータ…これは貴方にも大事なことだから…」

 

 

「分かったよ…まあ他の奴らじゃねえサイレンスならいいけどよ…オレサマの体をどうこうしねぇだろ?」

 

 

「…うん、約束するよ。」

 

 

 

ライン生命医科学研究所。それがこの施設に与えられた名前だった。そこの一室に眼鏡をかけた女性とその女性の前に眠そうに座っている少女がいた。

 

 

 

「しかしヒマ過ぎて死にそうだぜ…なんかやる事ねぇのか…」

 

 

「やること…」

 

 

サイレンスはつい顔を俯いてしまった。彼女は研究一筋で何年もこの道を進んできた根っからの研究者だ。だから彼女のように幼い相手に対してどのように接するかが、気の利いたことが言えるかは怪しかった。とはいえイフリータはサイレンスのことが基本的には好意的なため彼女たちは悪い関係にはならなかった…のだが。

 

 

 

「イフリータ、サイレンス、いるか。」

 

 

部屋をノックして扉を開けて来たのは長身の女性だった。

 

 

「…サリア!」

 

 

イフリータは退屈そうにしていた顔をぱっーと輝かせその来客の長身の女性に振り返った。

 

 

 

「ああ、居たか。良かった。」

 

 

「…サリア…今、イフリータの検査中。」

 

 

サイレンスは訪ねて来た女性、サリアに少ししらっとした視線を送ったがサリアはそれを躱してイフリータに声をかけた。

 

 

「イフリータ…サイレンスも聞いておいてくれ。」

 

 

「なんだ?なんだ?楽しいことか!」

 

 

イフリータはふんすと無邪気にサリアの言葉に耳を傾けている。

 

 

「明後日のこと…あれが終えたら外出許可を得ている。イフリータ、外へ連れていってやるぞ。」

 

 

 

「…ホントか!!」

 

 

彼女の表情は途端に明るくなっていった。イフリータは外へ出たことがない。そのため外にあるものをサイレンスやサリア、マゼランといった知り合いに聞くしかなく、実物を見たことがない。彼女は外へ出るという事が夢の一つであった。

 

 

 

「…ああ、本当だ。だからイフリータ。明後日の治験…いい子にしているんだぞ。」

 

 

「分かった!でも明後日はサイレンスが担当なんだろ!なら心配いらねえだろ!」

 

 

イフリータは彼女を信頼していた。彼女のやることに間違いはないだろうとそう信じていたためいつもは気が進まない治験に関しても大丈夫だとそう思っていた。

 

 

 

「…サリア、少しいい?」

 

 

サイレンスはサリアを端に連れていきイフリータに聞こえないように話を始めた。肝心のイフリータは外へ思いを馳せているため特に気にしてはいなかった。

 

 

 

「よく、上層部はイフリータを外へ出すことを許可したね。」

 

 

「許可を取り付けるには少しばかり苦労した。だがこれも彼女のリフレッシュのためだ…サイレンス、イフリータの源石融合率は…上がっているのだろう?」

 

 

「…やっぱりあなたは知っていたんだ。」

 

 

「保安とはいえ一応研究員だ。彼女の様子を見ていれば分かる。とにかく…彼女は何かしら気分の転換を図る必要がある。上にもそうやって説得した。」

 

 

「…そっか、ありがとう…」

 

 

「いや、礼は良い。明後日の治験、サイレンス…お前にかかっているプレッシャーは相当なものだと思う。だがお前が確信しているのならそれは間違いではない筈だ。」

 

 

 

「…そう言ってくれて嬉しいよ。正直、どうなるか私にも分からない…けれどこれはあの子のためにもなるはず。」

 

 

サイレンスやサリアの言う治験。それはオリジニウムの断片を直接イフリータに投与するというものだった。源石を体内に取り入れさせることで融合を遅らせて集まった結晶を時期を見て取り除き、血中源石濃度を下げるという試み。

 

 

 

だがこれはサイレンスが考案したものではなくライン生命の幹部が直接提言して来たことだった。

 

 

 

 

『サイレンス君、いいかね…彼女の源石融合率を抑えるのは毒を食らう必要がある。だがその毒を克服した時に「アレ」の鉱石病は遅らせることが出来る…いや、むしろ治すことも見込めるようになるだろう。』

 

 

だがそれは実証されてもない理論、仮説も彼女は立てたが今の手詰まりの状態であるサイレンスはそれをやることを決めざるを得なかった。何より上層の決定には彼女は異議を唱えることは許されないのだ。

 

 

 

「サリアー、サイレンスー…何話してんだー?」

 

 

話している時間が長かったためかイフリータはしびれを切らしたようで退屈そうな視線を送っていた。おまけに眠そうに欠伸をしていた。

 

 

 

「おっと…あまり待たせるわけにいかないか。戻ることにしよう。」

 

 

「ええ…それとサリア、ありがとう。」

 

 

「フッ…どういたしましてだ。」

 

 

サリアとサイレンス、彼女たちはパートナーであり、信頼できる友人であり、そして何よりイフリータの保護者でもあった。

 

 

 

 

「…ごめんね、待たせて。」

 

 

「別にいいぜ。オレサマには分からねえ話してたってことは分かるからな。どうせ聞いてもオレサマ眠っちまうだけだろーな。」

 

 

「いや、案外とそうでもないかもしれないぞイフリータ。お前も将来はサイレンスのようにとても頭がよくなっているぞ。」

 

 

 

「ホントかよー…そりゃあさそういう時のサイレンスはカッコいいと思うし憧れるけどよオレサマがそれになれるかったら実感がねえぞ。」

 

 

「幼いころなどそういうものさ。サイレンスとて最初から今のような頭脳明晰だったわけではない。あるきっかけで今のここまで来ているだけだ。そのきっかけなどこれから幾らでもある。だからイフリータもその機会を逃さなければサイレンスのように格好良くなれるぞ。」

 

 

「きっかけかぁ…でもオレサマ分からないぞ、ならサリアそのきっかけを教えてくれよ、オレサマもサイレンスみたいにカッコよくなりたい!」

 

 

「ああ、良いとも。」

 

 

 

「ふ、二人とも…あまり褒めないで…」

 

 

サイレンスはうつむいた、彼女はあまり褒められなれてないため現在進行形で目の前で褒められていることに気恥ずかしさを感じた。

 

 

 

「…全く。」

 

 

サイレンスはそんな二人にふぅと嘆息し、そして自分のデスクを開けて中からある物を取り出した。

 

 

 

「イフリータ、こっち向いて。」

 

 

「ん?どうしたんだ、サイレンス。」

 

 

そして正面を向いたイフリータの首もとにペンダントのようにその物をかけた。

 

 

 

「ん、なんだこれ…」

 

 

「それは私の羽根から作ったお守り。貴方に受け取っておいてほしくて。」

 

 

「へぇ…サイレンスかぁ、なんか暖かいな!」

 

 

そしてサリアにも向き合い、彼女の手にも同じものを握らせた。

 

 

 

「私にも、か?」

 

 

「そう。貴方にも…私も同じものを持ってるから。」

 

 

 

「いっひひ…オレサマにサイレンスにサリア!お揃いだな!」

 

 

イフリータは嬉しそうに笑った。つられてサイレンス、サリアも笑った。そしてサイレンスが二人に聞こえるように言った。

 

 

「これは、約束の証。明後日の治験が終わったら外へ行こうっていう約束の証。」

 

 

「それは…いいな。ああ、約束だ。サイレンスの羽根に誓ってな。」

 

 

 

「絶対に約束だぞ、二人とも!破ったら本当にただじゃおかねえからな!」

 

 

「ふふ…それは怖いな。…ああ、守るとも。必ずな。」

 

 

 

そして三人は改めて約束を交えた。これからも過酷な環境であってもこの穏やかな関係が続くとそう思っていた。思われていた。

 

 

 

 

二日後…とあるアクシデントがライン生命で発生した。後に『炎魔事件』と呼ばれる出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女たちの約束は二度と果たされることはなかった。

 

 

 

 

 

 

「イフリータへ 言えた義理ではないが、私は自分の事をお前の親だと思っていた。お前が生まれてから今まで私はお前と接し、色々なことを教え続けて来た。お前と色々と経験し、通じ合っていたと思っていた。さながら私は父親でサイレンスが母親。そのように思えていた…女である私がそういうのもおかしな話に思えるが。だが、私は結局目を背けていただけに過ぎなかった。お前の現状を理解していても変えようとはせず、正しいことだと思って、自身をお前の親だと思い込んで偽り目を背けていただけだった。そして結局お前を傷つけてしまい、取り返しのつかないところまで来てしまった。…こんな私にお前の親だと名乗る資格はもうない。どうか、私のことは忘れて、幸せを掴んで生きてくれ。   サリア」

 



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姿を重ねて

その誘いは突然だった。

 

今日はドクターの休日。最高執行責任者という立場にいる以上ドクターはあまりにも仕事が多く、休暇など滅多にない。今日はその滅多にない休暇の日であり、ドクターが心待ちしていた日でもあった。そんな日に、

 

 

 

 

「どうだ、盟友よ。少し、私の戯れに付き合ってはくれないか。」

 

 

ドクターの私室には何と我が物顔でいるシルバーアッシュがいた。しかしドクターは既にこれまでも何度も何度も私室で遭遇したことがあるのでこの程度では驚かなくなっていた。

 

 

そんな彼が机の上に広げているのはチェス盤だった。

 

 

 

「…チェス?」

 

 

「そうだ。この盤上遊戯に少々付き合ってくれないか。」

 

 

それは意外な提案だった。普段のシルバーアッシュはもっと威厳に満ち溢れた振る舞いをしているためこのような遊戯に対しては鼻で笑うようなイメージがドクターの中にはあったが…その実、彼はこう言ったこともしっかりと嗜んでいた。

 

 

「そう意外そうな顔をするな。私のこれも貴族の嗜みとしての一環だ。だが嗜みで終わるつもりは無い。…問題はだが、ドクター、お前にチェスの知識はあるかという事だ。」

 

 

シルバーアッシュは言外にドクターが記憶喪失のためやるのが出来ないのではという不安を見せていた。しかし…

 

 

「大丈夫だ。確かに今の私に経験がないのは事実だが…どうやら以前の私は随分と嗜んでいたらしい。頭が覚えている。」

 

 

彼の思考内にはどの駒をどのように動かせば最善手になるかが並列的に考えが浮かぶ。その様子は他者から見ればさながら機械のように見えるかもしれない。だが彼は確かにチェスを知っていた。そしてその様子を見たシルバーアッシュは上々と笑みを浮かべた。

 

 

 

「ならば余計な理屈は不要だ。私とこれに少しばかり付き合ってくれないか。」

 

 

「…勿論だ。」

 

 

実は言えばドクターは休日を過ごすのが下手糞な人間だ。目覚めてからこの方バケモノのような仕事量をこなして滅多にない休日はどうすればいいか分からないという仕事に生きている人間ならではの休日をどうすればいいか分からない人間だ。そのためシルバーアッシュのこの誘いはドクターにとって渡りに船。願ってもないヒマつぶしの手段であった。

 

 

 

「そう来なくては。」

 

 

シルバーアッシュはドクターが乗ることを予想していたのか不敵な笑みを浮かべたままドクターへ着席を促した。

 

 

それから彼らのチェスが始まった。

 

 

もはや語るまでもないがドクターは用兵に置いて誰も寄せ付けないほど高いポテンシャルを所持している。だが今の彼は記憶喪失のためまだ十割ではないと言われており底が知れぬ状態だ。故に盤上であろうとも彼にとって戦場は戦場。これもまた彼の本領を見せる絶好の場。

 

 

 

「流石、盟友。戦場においては無敵の振る舞いをするな。」

 

 

「其方こそ。私に食い下がるだなんてあなたも実に卓越しているよ。」

 

 

現在、ドクターがやや優勢、シルバーアッシュがやや劣勢。だが逆転の余地がないわけではなくシルバーアッシュにも挽回の機会は残されていた。

 

 

恐らく並の相手ならばドクターは最短手で蹴散らしてしまうだろう。だがドクターにシルバーアッシュも食い下がる。シルバーアッシュもまた名将ということがよくわかる。

 

 

 

一手。

 

 

「こうしてまたお前と打っていると学生の頃を思い出す。」

 

 

また一手。

 

 

「学生の頃?私とシルバーアッシュはその時からチェスをしていたのか?」

 

 

そしてまた一手進む。

 

 

「嗚呼、実に鮮明に覚えている。当時では私はお前に一度も勝てはしなかった。」

 

 

ドクターが一手を指す。

 

 

「そんなに強かったんだな、当時の私は。」

 

 

シルバーアッシュが進める。

 

 

「ああ。そしてその輝きは今も変わりない。いや、むしろ今以上に光り輝いている。ロドスという場がお前の輝きを増幅させているのだ。」

 

 

ドクターが一手打つ。

 

 

「勿体ない評価をどうも。けれど私は所詮指揮官、兵がなければ成り立たない。」

 

 

シルバーアッシュが長考。ここまで来て始めての出来事だった。

 

 

「だが兵を得たお前は誰にも止めることはできない。お前はそうして生まれて来たものだ。」

 

 

不本意かもしれないがな、と彼は足し一手を指した。

 

 

 

「そうかもしれない…けれど、そうじゃないと思う。私はそれだけの為に生まれただけじゃない筈だ。もっと多くのことをするためにこの世で生み出されたはずだ。」

 

 

一方ドクターは迷わずそのまま指す。シルバーアッシュも道筋が見えたのか。

 

 

「では問おう、我が盟友よ。お前にとって戦いとは、戦場とはなんだ。」

 

 

彼も迷わず一手を打つ。そして回ってくるドクターの番。

 

 

「手段の一つだ。戦火を終わらせるためには戦火に身を投じるしかない。そして全ての戦火を消し終えるために戦闘という手段を取る。」

 

 

ここに来てドクターも少し考え込む。そして一手を指してボーンを取る。

 

 

「成程、それがお前の戦場への解か。面白い、お前はあくまでも本質ではなく、側面に過ぎないと、そう言うか。」

 

 

長考せず迷いなき一手。シルバーアッシュにやや有利に傾き始めて来た。

 

 

「そうだ。戦争だけが全てではない。私が、ロドスが戦う理由はその先にある平穏のためだ。」

 

 

反攻に移るドクター。ドクターは反撃の一手を講じ始める。

 

 

「それは高尚な理想だ。だがお前は…お前は戦場においてこそ最も輝く。誰よりも戦場を求めているのはお前だ。」

 

 

反攻を一蹴するシルバーアッシュ。

 

 

「それは…」

 

 

迷いを見せるドクター。その迷いが隙となりドクターに迂闊な一手を打たせてしまった。

 

 

 

「違うとでも言うか。お前は自分の本質を誰よりも理解しているはずだ。お前は戦場で感じているはずだ。喜びを…相手を屈服させる征服感を。」

 

 

そこを見逃す彼ではなく、あっという間にピンチに陥ったドクター。

 

 

 

 

「…確かに。」

 

 

だが彼の声音は落ち着いていた。先ほどまで見せていた動揺はまるで最初からなかったように雲散霧消し、その瞳は冷静ないつものように俯瞰する瞳だった

 

 

「確かに私は口で語るほど真っ当な存在ではないだろう。戦場が最も私を活躍させる場かもしれない。だけれど、だ…私の掲げた理想に嘘偽りはない!」

 

 

 

そしてドクターが打った一手。それがきっかけとなる。

 

 

「お前にはあるのか、その理想に殉じる覚悟が。」

 

 

「言わなくとも。」

 

 

 

「…なるほどな…」

 

 

シルバーアッシュはふむと言葉を漏らした。そして自身が追い詰められていることを悟っていた。

 

 

 

「やはり…お前は何も変わらないな、盟友よ…。機械のように正確であっても己の信念が一切揺らぐことなく、貫く…」

 

 

 

「私はシルバーアッシュとの過去を覚えているわけではない。けれどそれでも分かることはある。深い因縁があることも。…けれど私は一歩も退くつもりは無い。血に濡れる道であっても進んで見せる。」

 

 

 

「…ああ。そうだな…そこで進めなかったならば…全てが嘘になる。」

 

 

「そうだ。これまで後ろで流れて来た血が私に止まるなとそう言っているんだ…だか…チェックメイトだ。シルバーアッシュ、いや…エンシオ。」

 

 

 

ドクターの指した一手…それはすなわちシルバーアッシュの詰みを表していた。

 

 

 

「…そうだ、私の負けだ。さすがだな盟友よ、ブランクがあるとは思えない。」

 

 

シルバーアッシュは負けた。だが彼の表情はかなり生き生きとしている。そう見えた。

 

 

 

「いや…正直危ない試合だった、後何回もやっても私が勝ててたとは思えない。…其方も良い腕だ。」

 

 

シルバーアッシュもとても強敵であったとドクターは賞賛する。だが彼は首を振り…

 

 

 

「いや…まだだ。私はお前を越えねばならない…肉薄するだけではだめだ。このままではまだ足りない。」

 

シルバーアッシュのその瞳は晴れやかであっても奥にはドロドロとした感情の渦が蠢いていた。

 

 

 

「盟友よ。お前と対峙する日が――いずれは訪れるだろう。」

 

 

そう語る彼の表情は真剣であって喜色を帯びている。

 

 

「私が嬉しそうだと?フッ、そうかもしれんな。相手がお前なら、期待も膨らむというものだ。」

 

 

彼は実に楽しそうだった。ドクターとの敵対の未来を望んでいるのかもしれない。だが今はまだその時ではないと言う。

 

 

 

「私はお前を超える。超えてお前から全てを貰う。…無論、お前自身もだ。」

 

 

それは獲物を狙う瞳。そしてシルバーアッシュはドクターの顎を掴むと、ドクターの目線を強制的に自分に合わせ、そしてそのまま囁いた。

 

 

「お前を我がものとすれば…フッ、私の人生の悲願が全て叶うというものだ。ああ、実に楽しみだ、その瞬間が、な…」

 

 

 

それを語る彼の笑みが焼き付いて離れなかった。



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隠されもしない好意

銀博。私銀博好き


「盟友よ、困ったことはないか。」

 

 

それは突然の一言。シルバーアッシュとドクターがカランド貿易とロドスの今後についての会談での場の一言だった。

 

 

「困ったこと…?正直言えば色々課題は山積みだからな。どれを困ったことと言えばいいのかと分からないほど前途多難だな。」

 

 

ドクターはふむむと考え込んだ。正直言えばロドスは勢力こそ伸びたが組織を管理する人材の方があまりにも未熟であり、人手不足だった。その先導をしているのがドクターであったが彼もまた記憶喪失であり、目覚めたばかりの為本来は赤子のようなものだ。

 

だが記憶を失うための優れた頭脳は健在だったためたとえ一からであったとしても瞬く間に知識を習得し実行に移してきた。だがあくまでもその場しのぎの騙しだましでやってきたことの為やはりどうしても穴が出る。

 

故に優秀な指導者であるシルバーアッシュを頼るという事もあるのだが…

 

 

「まずは一つずつ話してみてくれ。」

 

 

「まあ相談に乗ってくれるなら有難く相談させてもらうが…」

 

 

ドクターは現在抱えている問題を軽く整理してから考えを話す。まずは重要度の高く早急な課題として。

 

 

 

「やはり人材不足が深刻だな。ああ、いや…オペレーターの数は十分すぎるほど足りている。足りているんだが指揮官が圧倒的に足りていないんだ。重要な作戦こそ指揮を執るのは私だが私が全ての指揮を担当しているわけでもないし、どれほど優秀な指揮官だったとしても5個の作戦を一手に引き受けるのは不可能だからな。戦術立案に長けた者たちに分隊指揮をお願いしているがやはりそれでも足りない…」

 

 

レユニオンムーブメントは兎に角数が多く、分隊単位で行動し、そのリーダーが統率し行動するといった体を執っている。総指揮官こそドクターではあるがそれでも指揮を執れる人間が多いに越したことはないとドクターは考えていた。

 

 

「それならば我がカランドのクーリエやマッターホルンを使うといい。彼奴らには私が直々に兵法を手解きしている。一分隊程度なら余裕で指揮は可能だ。それでも足りないというのならば一部の見どころのある者達を集めて講習会を開くといい。お前の手が足りないというのならば私が引き受けよう、なに心配することはない。これでも用兵には心得があるつもりだ。」

 

 

「それは把握しているさ。この前のチェスでシルバーアッシュが優秀な指揮官であることは疑いはない。…だがそれでも分からないことがある。」

 

 

「…どうした。話してみるといい盟友よ。」

 

 

彼の低いバリトンボイスがドクターの耳にしっかりと届く。彼らの身長差はかなりのものになるがそれでも見下すような視線ではなく対等な視線を送っていた。

 

 

「シルバーアッシュがそこまで私に好意的な理由だ。今の私たちの理由は良好な物であったとしても我々は互いに組織を預かる者。貴方の言うとおり、将来的には敵対することもあるはずだ。むしろあなたはそれを望んでいる節すらある…だが、何故そんなにも私に、ひいてはロドスへ好意的なんだ?」

 

 

不平等条約ですら呑んでしまう彼の行動。あまりにも常軌を逸しており、利益を度外視している。その行為は他の者から狂っていると見られても可笑しくない。

 

 

 

「私がお前たちに対して利益になる行動を取る理由だと?そうだな…色々とお前に抱えている感情はあるが。」

 

 

 

シルバーアッシュも言葉を選んでいるように考えている。彼にも彼に考えがあるようで少々悩んでいるようだった。そして慎重に言葉を吟味しているようで漸く口を開いたのが。

 

 

 

「お前は覚えていないだろうが、私はまだ幼いころ、学生だった時だ。お前にはかなり世話になった。野心を持ったのも、今の私を形成したのも全てお前がいたからこそだ。勝手にだが恩を感じている。借りを返すという意味もあるがまずは感謝の気持ちとでも思っていればいい。」

 

 

「…しかし私がそれを覚えていないのでは私が貴方に恩を売ったかということすら分からない。そんなものは無視をすればよかったのでは?」

 

 

ドクターの言う事はもっともだ。ドクターはその恩を覚えていないためその恩返しを必ずしも実行する必要もない。ましてや不平等条約では釣り合う気もしない。だがシルバーアッシュはフッと笑った。

 

 

 

「覚えている覚えてないなどそういう次元の問題ではない。私がそれほどまで感謝しているという事だ。だがそれだけではない。私とて打算なしにこのようなことをやっているわけではない。」

 

 

だが彼も一筋縄ではいかない人物。彼自身が優秀な王であり、最強の駒でもあるのだ。

 

 

「…それを私に聞かせても?」

 

 

「構わないとも。むしろ聞かせたことで危機感をあおるのもまた良い。お前ならば良い次の一手を考えるだろう。」

 

 

それすらも計算済みであるかのようにシルバーアッシュは言う。それは野望に満ち溢れていた目だ。

 

 

「お前との一戦を望んでいるのは肯定しよう。だがそれではまだお前たち、ロドスアイランドは羸弱すぎる。幾ら指揮官が稀代の化け物であっても兵が、軍が羸弱であれば物量によって踏み潰されてしまう。そして現状カランドではそれが可能だ。だがそれでは面白くない。」

 

 

「成程、貴方自らでロドスを強靭なものにして同じ高みへ立たせて戦いたいと…そういうことか。」

 

 

「そういうことだ。だがロドスの成長速度はかなり早いものだ。いずれは此方の支援など必要せずともこちらの領域へ達してくるだろう。」

 

 

シルバーアッシュはドクターの経営手腕とオペレーターたちの腕を買っていた。やがて障害と成り得るかもしれない相手を強靭なものにするのは非常に危険な行為だが…

 

 

「そう油断しているといつの間にか格上になっているかもしれないぞ?」

 

 

「それも一興だ。格上が相手でお前が相手となったとしたらそれは最高の戦場になるであろうな。」

 

 

しかし彼は流血を躊躇いはしない。ドクターとの戦争という行為そのものを心待ちにしているのかもしれない。だがそれだけではないと彼は指を立てた。

 

 

「だが、私にとっての本命はこれだ。」

 

 

「まだ、何かたくらみが?」

 

 

ドクターも怪訝な表情を隠せなかった。当然だ、戦争を望むという相手に警戒しない方がおかしいものだ。

 

 

「企みか…そんな俗事ではない、もっと崇高な私の理想だ。」

 

 

シルバーアッシュは堂々と言い切る、そして再びドクターへ複雑な視線を向けた。期待、好意、羨望、嫉妬、憧憬…色々と混雑し、そしてそれを超越した視線。その視線を向けられたドクターはつい顔を歪めた。

 

 

そしてシルバーアッシュは立ち上がりドクターの元へとずんずんと近づいて行った。ドクターも立ち上がり壁に追いやられていく。

 

 

「私の悲願は何よりもお前を超えることだ、私の人生を導いたお前という存在を超えたことで私の人生に意味が見出すことが出来る。それから漸く人生が始まる。」

 

 

そしてドクターは壁にぶつかり目の前に彼の巨躯が現れた。シルバーアッシュは手をドクターの顎に添えるとそのまま視線を見上げさせるように合わせた。

 

 

 

「お前こそ私の人生そのものだ。故に…お前を超えてお前を手にする。お前の持つ全てを収めて…そしてお前という人生を手にする。冗談などではない…本気だとも。」

 

 

彼の射抜く視線に人を揶揄するものは混じっていなかった。つまり彼にとってその発言は真理であり、全てであるという事だ。

 

 

 

「お前に抱いているのは好意などという簡単な物だけではない。全ての感情がお前に向いている。執着、羨望、嫉妬、歓喜、悲哀、好意、口惜しさ…いやこの感情は言葉などには出来ないな。」

 

 

だがとシルバーアッシュは言葉を切り再び言った。

 

 

「世間一般ではこの感情を『愛』と言うのかもしれないな。ああ、それもまたよかろう。確かにこの気持ちは一種の愛だ…」

 

 

低く貫く声がドクターの鼓膜へ伝達する。そしてここまで一言も言わなかったドクターが口を開いた。

 

 

 

「…ならば。」

 

 

そしてシルバーアッシュを押しのけて反対にドクターが壁側に立った。

 

 

 

「私が勝ったら君の全てを貰おう、シルバーアッシュ。いや、エンシオ。」

 

 

「ほう…」

 

 

 

「勝者にこそ与えられる権利というのはそういうものだ。だからこそ…私が勝ったのならば君のこれからの全ての人生を貰う。これからも私が君の人生として君臨する。」

 

 

ドクターはそう啖呵を切った。空気によって言ったかと思われるかもしれないがその声に迷いはない。シルバーアッシュは面白いと笑った。

 

 

 

「それもまた良いな。…お前に一生を縛られるのは楽しそうだ。…ああ、どう転んでも実に心が躍る。」

 

 

 

そして獲物を狙う捕食者の如くの視線で。

 

 

 

「一度しか出来ぬというのは口惜しいものだ…だが、実に楽しみだ、その時が…盟友よ。」

 

 



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ベストマッチな奴ら

、これは彼女たちがロドスに出会う前の話。

 

彼女たちの所属する組織の名前はブラックスチールワールドワイド。略称はB.S.W。国際的な警備会社で民間警備コンサルタント会社。主に要人警護や拠点防衛、護送などを担当する警備会社と体を打ってはいるが実態は派遣する傭兵のような組織だ。

 

 

それに参画するメンバーには…二人の女性がいた。

 

 

 

 

 

「…フランカ、目標は?」

 

 

「無事逃げたみたいね…でもこのまま追うのを許せばすぐに追いつかれるかも。」

 

 

瓦礫に身を隠し、拳銃のマガジンを入れ替えている盾を持った女性…リスカムは瓦礫の向こう側の様子を伺いながら相方である彼女に問うた。

 

 

そんなリスカムの言葉に返事をして退路を見た女性…フランカはレイピアを構えて再び出れるようにと構えた。

 

 

 

「つまり私たちがここで足止めするしかないと…」

 

 

「そういうこと。あたしたちが退いちゃったらあのお偉いさん死んじゃうから強制的に任務失敗。良くて減給、最悪解雇ってところ。」

 

 

「どちらにせよ私たちがやるべきことは一つ。フランカ、やりますよ。」

 

 

 

 

このような状況になった経緯は…まずBSWの元に一つの依頼が入った。それはなんてことのない要人警護なのだが、それがクルビアの政権幹部であり政敵に狙われているとのことらしく国家の護衛だけでなくBSWを雇い警備を万全にした。

 

 

そこで保証員として派遣されてきたのがリスカムとフランカ率いる小隊。彼女たちはSPと協力しその要人の護衛を行っていたが、その幹部が視察中のビルが突如として崩落。敵対している政治家が雇った武装勢力が爆弾を仕掛け、崩落させ、そして強襲した。

 

 

SPは崩落で全滅、BSWの小隊はたまたま政権幹部の近くに居たため無事だった彼を保護し、リスカム、フランカ以外のメンバーは彼を連れて撤退していった。そして残った彼女たちはというと撤退戦のためのしんがり、つまり囮になったのだった。

 

 

 

ここまでかなり交戦し多くの敵を倒してきたはずだがそれでもまだ止まらない。リスカムとフランカは一時退避して現状を確認していた。

 

 

 

 

「戦術はいつも通りに行きます。私が受けます。貴方は遊撃を。」

 

 

「戦術っていうよりただのコンビネーションよねそれ。」

 

 

「…」

 

 

こんな状況でも軽口の絶えないフランカにリスカムはもはや逆に安心感を覚えた。

 

 

 

「…5秒数えた後に私が飛び出します。表で引き受けているうちに側面は背後が任せました。」

 

 

リスカムは彼女の軽口を無視して、告げた。フランカも渋々承知し、己の獲物である剣を構えた。

 

 

「1…2…」

 

 

リスカムが飛び出る構えを作る。

 

 

「3…4…」

 

 

 

フランカも全力で走るように構えて。

 

 

 

「5!」

 

 

 

カウントと同時にリスカムが転がり、盾を構えて拳銃を発砲する。今の今までにじり寄って来た敵に牽制し、一人の脳天を打ち貫いた。

 

彼女が姿を現したことで敵方も攻勢に移り、戦闘員が押し寄せてくる。

 

 

 

飛んで来る矢を盾で弾き、自身は盾を構えながら相手の弓手を撃つ。たとえ当たらなくとも銃弾が真上を飛ぶという事は相手の弓兵方にもプレッシャーを与える。

 

近接戦闘員がリスカムの周囲を包囲するようにじりじりとにじり寄ってくる。リスカムも拳銃で牽制こそしているが数が如何せん多い。

 

 

剣を構えた敵が側面から襲い掛かる。

 

彼女は盾でそれを受け止め、そのまま力強く弾く。

 

怯んだ瞬間に敵の腹部に銃弾を撃ち込み戦闘不能にさせる。

 

更に彼女の隙を狙って今度は長槍を持った戦闘員が襲い掛かる。

 

すんでの瞬間で彼女は体を躱し、槍の一突きを避けた。そしてそのままスライディングの要領で滑り、戦闘員を転ばせる。地面ですれ違った瞬間に頭部に一発、腹部に一発銃弾を叩き込み、槍の戦闘員を絶命させる。マガジンを引き抜き、それを思い切り、襲い掛かって来ていた斧の戦闘員に投げつけ顔に直撃させる。顔に鉄の塊がぶつかり悶えている隙にリロード。そして怯んでいる斧男に盾で突貫し、その場に倒し、そのまま胸を踏みつけ気絶させる。

 

 

再び矢が降ってくる。盾で防ぐが後ろが無防備になり、そこの隙を突かれて後ろから襲い掛かられた…が

 

 

 

「油断禁物ってね。」

 

 

強襲した敵たちが一刀の元に斬り伏せられた。

 

 

「…フランカ。」

 

 

「まだ油断しないで。これからも来る。」

 

 

「…油断なんてしてませんよ。」

 

 

リスカムの言うとおり彼女はすぐに銃を構えて向かってきた敵を射殺した。そしてリスカムとフランカが背中合わせになった。

 

 

「結局こうなるんですね。」

 

 

「優等生サマは不満かもしれないけれど今はあたしで満足してね。」

 

 

「…こんな時までふざけないでください。…それに不満なんてありませんよ。貴方になら私の背中を任せれます。」

 

 

 

「…きゅ、急に素直にならないでよ。なんて言ったらいいか分からないじゃない。」

 

 

フランカの声音が困惑しているのが分かった。ただしここは戦場。そんなことを気にしている暇はない。そして彼女は銃と盾を構えた。

 

 

 

「まとめて片付けますよ。フランカ。」

 

 

「りょーかい。行きましょうか、相棒さん?」

 

 

その言葉と共に二人は駆けだした。包囲していた戦闘員たちも彼女たちに向かって突っ込む。リスカムが盾で守りながら銃撃で向かって来る敵を蹴散らす。彼女が背中と地面を水平にするように屈んでその背中を滑るようにフランカが躍り出た。蹴りを入れて怯ませたのちに剣で斬る。そしてそのまま流れる動作で足払いをして空中に舞うように跳び、空中から一閃。周囲の敵を蹴散らす。着地の隙をリスカムがカバーする。フランカが着地した瞬間に降り注いできた矢を盾で弾き、フランカに突撃して来た剣を持った兵を盾で突き飛ばし、銃撃する。フランカが体勢を立て直したらリスカムは後ろに跳び、数発銃撃する。それぞれ腕、脚などに当たり怯んだところを前に飛び出たフランカが切り裂く。

 

 

リスカムが空になったマガジンを前に投擲し、フランカがそれを首をひねって躱す。フランカの前にいた大男の顔に直撃し怯む、怯んだ隙にフランカが大男に蹴りを入れて、足を崩し、その崩れている途中に大男に致命傷を与える。完全に絶命していなかったが奥から飛んできた銃弾によって命が絶たれる。再びリスカムとフランカが背中合わせなる。

 

 

 

「重装甲とか超こわーい。」

 

 

敵もしびれを切らしてきたのか重装部隊を投入して来た。

 

 

 

「…フランカ、決着をつけますよ。」

 

 

「同感、あたしもいい加減飽きて来たからね。」

 

 

 

彼女たちから発せられる雰囲気が変わった。重装部隊が彼女たちに襲い掛かる。フランカは身軽な己の身を使いひらりひらりと愚鈍な攻撃を躱していく。リスカムは重装兵の攻撃を盾で防ぎながらぎりぎりまで引き付ける。

 

 

そして互いに同時にアーツを発動した。重装兵たちは銃弾を弾く頑強な装甲を貫通していく衝撃に動揺を隠せない、リスカムたちが引き寄せた重装兵たちは悉く感電しその鋼鉄製の装備が皮肉なことなことに電導していった。そして雷鳴を放ち終わるころには彼女の目の前にいた重装兵は全て焼き焦げていた。

 

 

 

一方フランカは剣を振るった。重装兵たちは頑強な装甲で通りもしないと油断しタカを括っていたがそれは大間違い、バターのように鋼鉄の装備は溶けて引き裂かれた。そしてそのまま間を縫う様に走り回り鋼鉄を糸を切るかの如く全て斬り伏せた。

 

 

 

目に見えた勢力は全て全滅し、リスカムは反動で足を付いた、フランカも負荷がかかってなかったわけではなく少し遅い歩調でリスカムに近づいていた。

 

 

 

 

「…死ねぇ!!」

 

 

倒れ伏していた戦闘員の一人が何かを彼女たちに投げた。…それは爆弾だった。

 

 

しかもただのモノではなく、源石爆弾。相当高い威力を誇るもので食らえば一たまりもない。リスカムは痺れる体を酷使して銃を構えて源石爆弾を撃ちぬいた。無事撃ち抜かれたそれは上空で爆発したが…その余波は彼女に襲い掛かった。爆風だけでも相当不味いものであると覚悟しリスカムは身構えた…が

 

 

 

リスカムがその爆風を受けることはなかった。…何故ならば

 

 

 

 

「…フランカ!?」

 

 

フランカがリスカムの前に立ちふさがり爆風から彼女を庇ったのだ。体が動くようになったリスカムは倒れたフランカを慌てて抱き起す。

 

 

 

「…どうして私を庇ったんですか!」

 

 

 

「…ほんと、なんでだろ。」

 

 

リスカムの悲痛な問いにフランカは弱弱しくにへっと笑った。

 

 

 

「優等生サマのパートナー…だからかなぁ…」

 

 

 

リスカムの腕を掴んでフランカは意識を失った。先ほど爆弾を投げた男が立ち上がり彼女たちにとどめを刺そうと近づいてきている。その手にはボウガンが握られていた。

 

 

 

「手間取らせやがって…でもこいつで仕舞いだ。」

 

 

リスカムはフランカの身を抱くように構えた、拳銃は先ほどので弾切れだ。リロードしている時間もない。男が引き金に指をかけた。

 

 

 

 

次の瞬間に銃声が鳴り響いた。ボウガンを持っていた男は心臓を撃ち抜かれて絶命した。

 

 

 

「…ここにもまだ残党がいたか。だがこれで最後のようだな。」

 

 

 

銃を使ったのはフードを被った謎の男だった。その男がリスカムとフランカの存在に気が付き近づいてきた。

 

 

 

 

「…怪我をしているな。このままでは長くは持たないぞ…。」

 

 

 

「…貴方は?」

 

 

 

「先ほどあなた方が戦っていた武装勢力を追っていたものだ。過去に何度か敵対し壊滅を狙っていた。だがそれもこれで終わりだ。貴方方のおかげだ。」

 

 

「そうですか…いえ、そんなことより。フランカを助けてください、お願いします。」

 

 

リスカムは見ず知らずの相手に頭を下げた。だが男は…

 

 

 

「勿論、最初からそのつもりだ。お礼の意味もあるし、何よりこれでも医者だ、けが人は治したい性分なんだよ。」

 

 

 

そして男は迅速にフランカの手当をした。止血などを的確に行い、輸血すら完備し。フランカは安静にしていればもう大丈夫と言うところまで治してしまった。

 

 

 

 

「……」

 

 

男が何かを考え込むようにフランカを見ていた。

 

 

 

 

「あの、どうかしましたか?」

 

 

「…源石爆弾を受けた影響で…彼女は鉱石病に罹ったかもしれない。」

 

 

 

「…本当ですか!?」

 

 

リスカムは思わず男に詰め寄った。それはフランカが心配という本心から来るものだった。

 

 

 

「まだ影響は分からない。ただ源石をその身で浴びて傷口から入ったという可能性も捨てきれない。…リスカムさん、貴方は彼女を助けたいか?」

 

 

 

「…はい。」

 

 

リスカムは神妙に頷いた。助けなければ助けてもらった恩を返せない。

 

 

 

「ならば…もしも彼女が鉱石病になっていたら…『ロドス・アイランド製薬』に来てくれ。…無名の組織だが治療を提供できる。」

 

 

 

彼もそこの医師だという先ほどの手際の良さを見ていると彼が優れた意志であることは疑いもない。だからもしも鉱石病だとしても上手くやってくれるではないだろうか。リスカムはそう考えた。

 

 

 

「…とりあえずは慎重に様子見をしてくれ。私はそろそろ発たなければならない。」

 

 

色々とお世話になりましたとリスカムは頭を下げ、男はそのまま旅立っていった。男の姿が見えなくなった瞬間。

 

 

 

「…ん?」

 

 

フランカが意識を取り戻した。

 

 

 

「フランカ!」

 

 

 

「…リスカム?あたし…生きてる?」

 

 

 

 

「…生きてる。…生きてくれていてありがとう…」

 

 

リスカムはフランカの手を取り涙を溢した。フランカはそんな様子を見て

 

 

 

「優等生サマの目にも涙…ってことかしら?」

 

 

 

伸ばした指先でその涙を拭った。

 

 

 

「こういう時は笑うべきでしょ…リスカム。」

 

 

 

自分のために泣いたという事実が急に気恥ずかしくなったのかフランカは顔を赤くして視線を逸らした。リスカムはそんな様子に気が付かず涙を溢している。

 

 

 

片や恥ずかしくてそっぽを向いている、片や泣いているという状況が救援の部隊が来るまで続いていた。

 

 



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貴方の幸せが一番

オリヴィア・サイレンスには己の命を放り捨ててまで守りたい存在がいた。かつて自分が生み出した自分の罪の象徴であるイフリータが彼女の全てであった。だから彼女の幸せを願い、何より彼女の願いを叶えたかった。…そんなサイレンスではあるが今日、この場に居るのは彼女としては予想外だった。

 

 

 

 

 

「…暑い。」

 

 

照り付ける日差し、蒸し暑さを超える温度、そして何より見渡す限りに集まる人。人、人。サイレンスは人混みが苦手である、というよりも人が集まる場所が苦手である。元々研究者気質な彼女はコミュニケーションが得意なわけではない。最低限の社交性というものを身に着けてこそいるがそれでも消極的だ。そんな彼女が何故シエスタの人だらけのビーチにいるというと…

 

 

 

 

「サイレンス!アイス買ってきたぞ!!」

 

しっぽを振るのが幻視してしまうかのような上機嫌な少女がサイレンスに駆けよって来た。サイレンスの現在の格好は水着に軽く上着を羽織っているだけ。その少女もまた元気そうに水着で砂浜を駆け回っている。

 

 

 

「イフリータ、ごめんね。ありがとう。」

 

 

 

彼女こそがサイレンスの大切な人、イフリータ。普段出不精なサイレンスが外に出て来たのも何より彼女の存在によるものである。

 

 

「おう気にすんなよ。でも早く食わねえとこの暑さだとすぐに溶けちゃうぜ。」

 

 

「そうだね、一緒に食べようイフリータ。」

 

 

 

サイレンスは彼女を日傘の下に招きともにアイスを食べ始めた。イフリータが選んだのはかき氷で美味しそうにしゃくしゃくと食べ進めている、一方サイレンスはオーソドックスにソフトクリームを食べている。

 

 

 

「美味しい?」

 

 

「おう!冷たくて美味いぞ。ほら、サイレンスも食べてみろよ!」

 

 

イフリータはスプーンを差し出し、サイレンスに食べるようにと促した。サイレンスは少し躊躇いを持ったが彼女の他ならぬ望みなので大人しく差し出されたものを食べる。

 

 

 

「…美味しいね。これ、何の味なのかな。」

 

 

「確かぶるー…何だったっけ。まあオレサマとしてはもっと辛いのとか欲しいけどねえしな。これも美味いしまあ良いか。いやでも味何だったかな…」

 

 

イフリータはおおむね満足しているが味を思い出すことに四苦八苦している。彼女は何となくの流れでおすすめを食べたので詳しくは覚えていなかった。

 

 

 

 

「おそらくその味はブルーハワイと推測します。」

 

 

そんな二人の団欒の中で二人ではない声音が混じった。

 

 

 

 

「ん?この声はフィリオプシス?でもどこに居るんだ?見えねえぞ?」

 

 

 

イフリータはきょろきょろと辺りを見回した。サイレンスも何処に居るのかを探している。そんな声は下から聞こえた。

 

 

 

「ここです。私はここにいます。」

 

 

 

そんな声に二人はつられて下を見た。そこにはフィリオプシスが顔だけ残した状態で砂に埋まっていた。

 

 

 

「…!?」

 

 

「ビックリした!?」

 

 

 

そんな彼女の様子に一度サイレンスもイフリータも怯んだ、見知った顔が顔だけ出ているのを見ればそれはもうビビるし怯むだろう。

 

 

 

 

「…フィリオプシス、貴方は何をしているの?」

 

 

サイレンスは努めて冷静な口調を取り戻し彼女に聞いた、この奇行には理由があってのことだろう。

 

 

 

 

「マゼランさんに言われた海の楽しみ方というのを実践します。」

 

 

彼女の答えは実に簡素だった。他人に教わったから実行したというそれだけの単純なこと。だがイフリータもサイレンスもその言葉に頭を捻らせた。

 

 

「こ、これが楽しみ方…?楽しいのかこれ…いや、でもマゼラン的には楽しいのか…?」

 

 

マゼランはイフリータとも仲のいいライン生命の外部観測員である、同じく出向でロドスに滞在しているため今も彼女たちは仲が良いがイフリータばかりもこの時は彼女の気持ちが読めなかった。

 

 

 

「このようにして砂に埋まっていると波の音、人々の喧騒、遠くから聞こえる音楽。様々な物が聞こえてどこでどんなものが動いているのかなどという推測が立てられて見てもないものをまるで見たかのように楽しめます。」

 

 

「まさかの好評だったか。」

 

 

だがフィリオプシスにはそれが好評だったらしくイフリータもついいつもの尊大な口調を忘れてツッコミを入れてしまった。

 

 

 

「まあ貴方が楽しければ…楽しい…?…ばいいと思うよ。私たちに貴方の趣向を否定することはできないから。」

 

 

 

「はい、フィリオプシスは現状を楽しんでいます。余計なご心配をおかけしましたが、心配には及びません。」

 

 

ツッコミどころしかないが本人が満足してるならまあいいかとイフリータは無理やり納得した。

 

 

 

そんなフィリオプシスが砂に埋まったまま眠り始めたのでとりあえずサイレンスは他のことを考えることにした。

 

 

 

 

「…暑いね。」

 

 

アイスは既に食べきってしまった。彼女は水分を摂取しながらそんなことを漏らした。現在のシエスタの気温は三十六度。猛暑日とも呼べるので外に出ているだけで体力を使ってしまう。それにサイレンスは己の体力に自信がある方ではない。人並み程度にはあると言いたいがどうしても室内に居る時間が多いため頑丈ではない。

 

 

 

「サイレンス、やっぱ無理矢理連れてきちまったか?やっぱ帰るか?オレサマ、ホテルまでサイレンス運ぶぞ。」

 

 

イフリータはオロオロとしてサイレンスの心配をしている。イフリータは彼女と共に海に来れたのは嬉しいが彼女の無理をさせたくはないと心より願っているため自身の望みの優先度はかなり下がる。

 

 

 

「…大丈夫。少なくとも私は耐えれるから。」

 

 

しかしサイレンスも自身よりイフリータのことを優先したいという強い望みがあるため譲りはしなかった。

 

 

「そ、それならいいけどよ無理しないでくれよ?本当にさ…」

 

 

イフリータはかなり心配そうな表情をしていた。そんな彼女を安心づけるようにイフリータの頭を撫でながらサイレンスは立ち上がった。

 

 

 

 

「飲み物が切れたから買ってくるよ。イフリータはなにが飲みたい?」

 

 

「いやオレサマが行く。オレサマなら暑いのも十分耐えれるしわざわざサイレンスが行く必要なんて…」

 

 

「いいから。貴方はここでフィリオプシスを見ておいて。万が一にでも何か盗られることがあったらことがあると困るから。」

 

 

「…む…まあ分かったよ。けれどあんま遠くいかないでくれよ。」

 

 

イフリータはかなり不服そうな顔をしていたがサイレンスの頼みのため渋々承知した。サイレンスは立ち上がりイフリータの希望の飲み物を聞くとそのまま安定した足どりで歩いて行った。

 

 

 

 

少し離れた売店で彼女は自身の欲しいものとイフリータの望みの飲み物を買うとそのまま帰りの道を進んでいたのだが。

 

 

 

「…っ…想像以上に暑い。」

 

 

日差しが焦がすように彼女に照り付けてくる。彼女の足取りが少しふらふらとしたものになってきた。更にタイミングが悪いことに。

 

 

 

「あっれーそこの美人さん大丈夫ー?」

 

 

明らかに柄の悪そうな男が数人、サイレンスに目を付けたのだ、サイレンスは地味ではあるが彼女もかなり美人だ。そんな美人が一人でいたら軟派な男には見逃す手はなかった。

 

 

 

「連れを待たせているから、どいて。」

 

 

サイレンスはそんな男たちなど歯牙にもかけず通り過ぎようとした。

 

 

 

「まぁまぁそんなつれないこと言わないで、俺達とそこの岩場でも休憩しようよ。」

 

 

サイレンスの肩に男の手がかけられた。明らかにそういう目的なのは語るまでもないだろう。

 

 

 

「放して。」

 

 

「良いから来い!!」

 

 

どこまでもチンピラな男はサイレンスの腕を掴み引っ張って行こうとしたがそんな腕が更に別に腕に遮られた。

 

 

 

「…いだだだだだだだ!!」

 

 

 

あまりの強い力に軟派男は悶絶しサイレンスから腕を放した。

 

 

 

「何するんだテメェ!!」

 

 

チンピラは腕をつかんだ本人に食って掛かったがすぐに怯んだ。

 

 

 

「彼女は私の連れだ。…失せろ。」

 

 

そのあまりにも鋭い眼光に怯み失禁しそうな顔でお仲間たちと共に逃げていった、その人物とは…

 

 

「サリア…。」

 

 

 

サイレンスもかなりかつては深い関係だった相手。その瞬間にサイレンスの体が倒れかけた。

 

 

「おっと…」

 

 

サイレンスが倒れかけたのをサリアは支えた。

 

 

 

「昔からサイレンス、お前は暑いのに弱いんだ。無理をするな。」

 

 

「…どうして貴女がここに?」

 

 

 

現在サイレンスとサリアはそれはもう不仲である。だが同じロドスに属している以上顔を合わせる機会は出来てしまう。

 

 

 

「誘われた。だが私のことは良い…とりあえずイフリータの所まで送るぞ。」

 

 

 

「…大丈夫、少し立ちくらみをしただけだから。」

 

 

サイレンスは自分の足で立ち、背負われるのを拒んだ。しかしふらふらとなったためサリアはため息を吐いた。

 

 

 

「それでもまだ行くか?」

 

 

「…お願い。」

 

 

サイレンスも無理と判断したのか大人しくサリアに背負われることを選んだ。

 

 

 

そしてサイレンスが背負われてイフリータの元へと戻った。

 

 

 

「…あれ、サリア?…背中にいるのはサイレンスか!?大丈夫か!?」

 

 

 

フィリオプシス周りで遊んでいたイフリータはサイレンスの様子を心配している。サリアはサイレンスを日傘の下に寝かしてそのままそそくさと立ち去ろうとした。

 

 

 

「ではな、あまり無理はするなサイレンス。」

 

 

 

「待って。」

 

 

サイレンスは声だけでサリアを呼び止めた。

 

 

 

「…イフリータは貴方といることを望んでいる。今日だけは彼女といてあげて。」

 

 

サイレンスを心配そうに見ていたイフリータはサリアの方に振り向いた。その瞳はかなり輝いているように見えた。

 

 

 

「…しかし…」

 

 

「良いから…今日だけは私も許す。…あの子の幸せのためにも。」

 

 

イフリータの幸せという言葉を聞きサリアはそれはもう強く出れなかった。なんだかんだでイフリータの幸せもサリアは願っているという証拠だった。

 

 

 

「…サリアも居てくれるのか!!」

 

 

凄く期待する視線でイフリータは見ている。サリアは困ったように頭を少し掻き、戻った。

 

 

 

「…イフリータ、何がしたい?」

 

 

 

「んー…そうだな…もう少し涼しくなってから…サイレンスが楽になってからでいい。バーベキューがしてぇ!!」

 

 

道具もドクターから借りたんだぜと笑う彼女にサイレンスとサリアは顔を見合わせて苦笑した。

 

 

 

「ああ、良いぞ。お前がどれほど上手く焼けるか見せてもらおう。」

 

 

「焦がしたら宿題を増やすよ。」

 

 

 

「ええっ!?そりゃねえだろサイレンス!!」

 

 

 

日傘を囲み彼女たちは談笑する、この時ばかりはあの時に戻ったように。そんな彼女たちを見ながら少し離れたところでフィリオプシスは一人呟いた。

 

 

 

「これにて一件落着です。ちゃんちゃん。」

 

 

 

そんな彼女の手元には端末がありサリアの呼び出し記録が残っていたという…



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影響

銀博


シルバーアッシュは傍目から見て完璧な存在である。

 

 

かなりの若さで軍閥、ひいてはイェラグを牛耳り、率いるトップであり、人心掌握に長け、莫大な勢力を持ち、そして自身も優れた剣士であり指揮官でもある。まさに完璧、雲の上の存在と称されている。だからこそロドス内に滞在する彼は近寄りがたい存在で対等に話せる人物がなかなかいないのだが…数少ない対等に話せる人物ことドクターは件の彼に関心していた。

 

 

「空陰りなば、そは雪舞う兆しなり――。」

 

 

これから先のカランド貿易とロドス・アイランド製薬の打ち合わせを終えその資料をドクターが纏めていた時シルバーアッシュは手持ち無沙汰で空を見詰めながら独り言のように呟いていた。事実それは独り言だろう。だが無意識のうちに呟いていたのかシルバーアッシュも意図していなかったようだ。

 

 

 

「驚いたな、君は詩的なことにも長があるのか。どこまでも万能なのだな。」

 

 

「いや…これは元々私のではない。」

 

 

シルバーアッシュは否定するように首を横に振った。目を閉じて何かを思い出しているように見えた。そして再びゆっくりと語り始めた。

 

 

 

「これは元々ある人物から教わったものだ。私は所詮それの借り物に過ぎん——————」

 

 

 

 

彼の記憶は遠い昔の日に戻って行った。

 

 

 

 

 

「空陰りなば、そは雪舞う兆しなり」

 

 

フードを被った人物が紙に読み上げながら絵を描いていた。そんなデッサンの様子を見詰めながらエンシオは何処か呆れたような視線を送りつつも関心をしていた。

 

 

 

「それで、お前は何を言いながら何を描いているんだ?」

 

 

 

「ああ、エンシオか。何、言ったこともない見たことすらない景色を私の知識と偏見と想像で描いているだけだ。」

 

 

見事な色彩でそこには景色が描かれていた。エンシオはその絵を見て感想を述べていた。

 

 

 

「…故郷に似ているな。」

 

 

 

その景色は雪景色であり、雪山の僅かな晴れ間から太陽が照っているというものだった。それはエンシオの故郷であるイェラグでよく見れる光景だった。

 

 

 

「故郷、というのはイェラグの事かな。私はイェラグの景色をこれっぽちも知らないがそんな景色に似たものなのだね。」

 

 

 

「ああ…似ている。今よりもっと幼かった時妹たちと良く、雪山を踏破した。その頂上で見た景色によく似ている。先ほど呟いていたことは何だ?」

 

 

 

「詩的な意味もあるけれど普通の意味で言うのなら『空が曇って来た、雪が降るぞ』ってことかな。」

 

 

フードは嬉々として楽しそうに語る。エンシオは思う。此奴は何事も楽しんでやる奴だと。

 

 

 

「普通の意味か…詩的な意味というのは?」

 

 

 

「解釈の次第で色々とあるよ。別に深い意味で色々考えていたわけではない。けれど…そうだね、強いて言うならば『貴方という空が隠れた、それは私にとって止まない雪の始まりです』とかそういう解釈も出来ると思う。」

 

 

「…なるほどな。しかし意外だったのはお前が詩という造詣に深いことだ。てっきりそのうような事には興味がないと思っていたが…」

 

 

「私がこの世で興味のないことは二つ。話を聞こうとしない人間と権力に目が眩んだ人間だけだよ。どのことにも一定以上の興味はあるつもりだ。まあ、でも詩文に関してはケルシー…私の師匠が好きでね。良く付き合わされたものだ。だからこうやってある程度は造詣があるっていうことだ。」

 

 

フードを被った彼は少し懐かしそうに語った。だがエンシオはそれよりも少々気になったことがあった。

 

 

 

「お前の師匠…か。それもまた意外だ。誰にも師事していないと思っていたが…。」

 

 

「まさか。私だって師の導きが無かったわけじゃない。お世辞にもあの師匠はまともな師匠とは言い難いがそれでも私をここまで育て導いてくれたのは事実だ。感謝もしているし敬愛もしているよ。」

 

 

「…少し興味があるな。お前にそこまで尊敬される人間か。」

 

 

「あまり良いものではないよ。優れた人物なのは間違いないが性根はまともなモノとは言い切れないし出来るならば遭わない方が幸せな人生を送れるよ。」

 

 

警告めいたことを言う。普段フードの彼はそこまで忠告染みたことは言わない。それは彼の師匠が本気でやばいということであろうとエンシオは理解した。

 

 

「まあケルシーのことは今は良いよ。そんな師の影響で私も詩に関して造詣が詳しくなりたまに呟いているのさ。」

 

 

あっけらかんに彼は語る。だがエンシオは畏敬の念を向けるとともに嫉妬の炎が一筋灯った。

 

 

 

「…お前は凄いのだな。どの事にも一定以上の才能を示してしまう…万能の天才か。」

 

 

エンシオは考える、少し前の自分がそれほど才に溢れていたら果たしてシルバーアッシュ家は取り潰しになりはしなかったのではないかと。だがフードの彼は否定した。

 

 

 

「それは違うね。少なくとも私にも出来ない分野はあるし君が勝ることもあるよエンシオ。」

 

 

「…それは謙遜だろう。」

 

 

「いいや、謙遜じゃないさ。少なくとも私は戦闘に関してはからっきしだ。剣は振り回すことすらままならない。そういう意味では君は私に勝っている。」

 

 

「…知っていたか。」

 

 

「私自身は剣を振ることはないが優秀な剣士は山ほど見て来たからね。君のそれは剣を振るう人間のマメさ。」

 

 

 

確かに上回るかもしれないがそれでもまた違う面で優れているという事を彼は見せつけていく、先ほどの観察力や洞察力の鋭さも今のエンシオには無いものだ。彼にはある炎が燃え滾っていた。

 

 

 

「…お前に一つ頼みがある。」

 

 

「いいよ、よっぽど無茶ぶりじゃなければ聞くよ。」

 

 

「詩を教えてくれ。」

 

 

エンシオは真っ直ぐとした視線で彼を見た。その瞳は至って真剣だろう。

 

 

 

「私が、エンシオにかい?」

 

 

確認するような問いかけにエンシオは神妙に頷いた。

 

 

「構わないけれど、良いのかい?詩じゃなくてもっと他に有益なことを教えられると思うけれど。」

 

 

 

「それでは意味がない。お前に与えられた物でお前を超えても超えたという気はしない。其方は何れ自分で積み上げる…だがこの詩に関してはそこに純然たる優越など関係ない。」

 

 

エンシオが言うには詩を学ぶことはエンシオがフードの彼を超えることには関係がないと。しかし何かまだ言い淀んていた。

 

 

 

「言いたいことは伝えておいた方が良いと思うよ。」

 

 

その言葉にエンシオはため息を吐き、観念したように言葉を続けた。

 

 

 

「…興味がある。」

 

 

「それは詩にかな?」

 

 

「勿論それもあるが…お前が教えることには…興味がある。」

 

 

そのエンシオの顔は非常に複雑そうに見えた。いや、実際に彼の心境はかなり複雑だったのだろう…

 

 

 

「忘れない方が良いよ、エンシオ。この世において無意味な学びは殆どない。だからこれも何かしらの糧にはなる筈さ。」

 

 

そんなエンシオの心境を見透かすようにまた彼は言った。その教えが未来にどんな影響を及ぼすかはその当時の彼らは与り知らぬことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「…ああ、色々と過去にあった。この詩もそれの借りものに過ぎない。」

 

 

シルバーアッシュは長く閉じていた瞳を開けた。そして重い口を開いた。何かを感慨深げに思い出していたようだ。

 

 

 

「成程。それでこれはどういった意味なんだ?」

 

 

ドクターは先ほどシルバーアッシュが呟いた詩の意味が気になっているようだ。シルバーアッシュは顎に手を当て少し考え込んだ。

 

 

 

「解釈によっては様々だが…私が言った意味で答えるならば。」

 

 

シルバーアッシュの鷹の瞳がドクターと交差した。そして最適なものを思いついたというシルバーアッシュの顔がドクターには目に入った。

 

 

 

 

「空陰りなば、そは雪舞う兆しなり――天が曇り、日が遮られた。それは雪が舞い散る予兆だ。…ああ、だがその雪はもう既に晴れ間に変わった。」

 

 

 

シルバーアッシュの視線が再びドクターを突き抜ける。そしてシルバーアッシュは獰猛な笑みを浮かべていた。

 

 

 

「既に太陽は出ている…今、私の目の前にな。」

 

 



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執行人のお世話契約

その日、ドクターは非常に疲弊していた。ドクターは優れた指揮官でこそあるが体力は常人のモノと比べてもそう多くはない。頭脳労働をし続けて疲れないほど超人ではないのだ。

 

 

しかも危機契約というハードな任務を乗り越えてドクターの感情を抑える理性はダム決壊を迎えていた。理0である。今の彼に理性というタガが存在しないため本音が駄々洩れとなると言った事態が起きていた。

 

 

 

「お疲れ様です、ドクター。」

 

 

そんなヘロヘロのドクターを迎えたのはラテラーノ公証人役場法定執行人ことイグゼキュタ―。彼が今現在のドクターの秘書であった。当然秘書である以上出迎えなども役目というのは彼の談。

 

 

 

 

「…ああ、イグゼキュターか。流石に今日は疲れたからもう休ませてもらうよ。」

 

 

「そのようですね。何時もより窶れて見えます。今は休息をとって英気を養うべきと進言します。」

 

 

「元よりそのつもりだよ。…しかし出迎えに来てもらってありがとう。」

 

 

「いえ、これも秘書の務めかと。ドクターはお気になさらず。」

 

 

そんな職務に忠実なイグゼキュターを見て理性が決壊しているドクターは独り言に近い形で言葉を漏らしていた。

 

 

「君のように優秀な秘書がいるのはとてもありがたいな。叶うのならば色々な面倒を見てもらいたいものだ。」

 

 

実はドクターはこの時自分でも何を言っているかよくわからないしよく覚えていない。どうしろと言いたいがどうしようもない。理性が決壊しているため仕方ない。普段ならば冗談なのだが如何せん相手が悪かった。相手は生真面目の代名詞であるあのイグゼキュターであり全く融通など効かない。そのためこの発言すらも…

 

 

 

「ふむ、色々な面倒というのは具体的にはどのような内容ですか?」

 

 

案の定イグゼキュターは真剣に捉えてしまう。普段ならばここでドクター自身がストップをかけているが如何せん今のドクターは理性ゼロだ。自身の暴走など止められもしない暴走特急である。

 

 

 

「具体的か…職務を始めとして私の日常生活をサポートしてくれるのならば有難いな。聞けばラテラーノ人は皆料理やスイーツに関しては造詣が深いとのこと。是非身支度などの手伝いもしてほしいものだ。」

 

 

 

まさに本音が駄々洩れである。普段のドクターならば決して喋らぬようなことが饒舌に口から声として発せられる。そしてイグゼキュターはまた生真面目にその内容をメモしてしまった。

 

 

 

「成程、了解しました。契約内容を多少変更します。ドクターはこれからも変わりないように私を使っていただければ構いません。」

 

 

メモを閉じたイグゼキュターはそう言ったがもうドクターは疲労やら眠気やらでその言葉が耳に届いてなかった。今にも倒れそうなところをイグゼキュターが支えた。

 

 

 

「疲労困憊ですね。ドクター、私が私室までご案内します。暫くの辛抱を。」

 

 

 

こうして運んでくれるなどイグゼキュターはとても良く出来た人物であることが分かるが今のドクターは最早半ば寝かけけていたのでやはり状況が分からなかった。その後、イグゼキュターによりドクターは無事私室へ運び届けられてすやぁと安眠を手に入れた。

 

 

 

 

 

 

「ター…あ…で…す…そ…ぎ…し…す」

 

 

 

微睡みの中、心地よい音が反響するように伝わる。全容は分からないがこの心地よい感覚を味わっていたい。そうしてドクターは睡眠に耳を沈めていた。…だが彼は粘り強かった。

 

 

 

「ドクター。朝です。そろそろ起きなければ業務に支障が出ます。」

 

 

そう目覚ましのスヌーズのように繰り返すのは執行人ことイグゼキュターである。任務や契約に忠実な彼は翌日に実施をし始めた。やがて繰り返し続けるとドクターの目もうっすらと開いた。

 

 

 

「ん……?イグゼキュタ…?」

 

 

だがその目は半開きの寝ぼけ眼のためまだ状況を把握しきれてないだろう。そこを見逃すイグゼキュターではなく畳みかける。

 

 

 

「おはようございます。ドクター、目覚めは如何ですか。」

 

 

 

少しぼっーとしていたドクターだが意識がはっきりとして現実に回帰して来たのか状況をようやくわかったようでその目を見開いた。

 

 

 

「イ…イ…イ…イグゼキュター!?どうしてここに!?」

 

 

「モーニングコールというものでしょうか。起きれたのならば幸いです。さぁドクター、起きましょう。」

 

 

 

「あ、ああ…」

 

 

呆然としているドクターはイグゼキュターに促されるままにベッドから立ち上がり移動した。そこで彼の格好に気が付いた。

 

 

 

「イグゼキュター…それ、エプロン?」

 

 

「はい、エプロンです。」

 

 

彼は無地の水色のエプロンをしていた。いつもの制服の上から。

 

 

 

「…なんで?」

 

 

「料理の為です。」

 

 

 

「ああ、なるほど料理のた…え、料理?」

 

 

思わずドクターの声がくぐもった。イグゼキュターの案内の元、辿り着いたのは最低限の家具しか置かれていないドクターの私室の机と椅子である。

 

 

 

「ドクター、こちら朝食です。貴方はあまり時間がないためすぐに食べれるという事を重視しました。」

 

 

「…おしゃれだ。」

 

 

それは小綺麗に盛り付けられたハニートーストだった。はちみつが飛ばないようにナプキンまで用意されているところが彼の細かい気づかいを感じる。

 

 

 

「蜂蜜の量はお好みどうぞ、私が塗ると基準通りになってしまうので少なくしたい場合や、多くしたい場合は申しつけてください。しかしトースト一枚では満腹にならないと予想しているためこちらにベーコンエッグを作っております。飲み物のお好みはありますか、ドクター。」

 

 

イグゼキュターは甲斐甲斐しくドクターの給仕を始めている。それはプロ顔負けのものである。

 

 

「あ、ええと…じゃあコーヒーで。」

 

 

「コーヒーですね了解したしました。砂糖やミルクはどういたしますか。」

 

 

「シュガーはスプーン一杯で構わない、ミルクは不要かな。」

 

 

「了解いたしました。すぐに淹れますので少々お待ちください。」

 

 

それからイグゼキュターは見事な手際でコーヒーを淹れ、食事を促した、なお味はとても良かった。朝食を終えたドクターに付き従う様にイグゼキュターは予定を読み上げていく。本物の秘書のようである。あながち間違いではないが。

 

 

 

「本日の予定ですが…」

 

 

 

それからイグゼキュターはドクターの仕事を全身全霊でサポートした。ドクターが忘れ物をしてしまった時は音速の如く取りに戻り、ドクターが眠気を感じたのならば光のような速度でコーヒーを最適な状態で提供し、誠心誠意の世話をした。それこそまるで機械のように。

 

 

 

 

「…終わってしまった。」

 

 

 

いつもは夜にも食い込むドクターの仕事が日没には終わってしまい、驚くべきことにドクターが手持ち無沙汰になった。これも全てイグゼキュターのサポートのお陰でもある。

 

 

 

「お疲れ様です。ドクター、こちらが本日の成果です。」

 

 

その日の仕事の結果を手早く彼はまとめて見やすい資料としてドクターに渡した。ドクターはそれを見て関心するように言った。

 

 

「効率がいいな。ありがとう、イグゼキュター。これも君のお陰だ。」

 

 

「お気になさらず。これも務めです。」

 

 

ドクターは昨日の理性ゼロ状態のことを漸く思い出し面倒を見てくれればいいなという本音が駄々洩れだったことを思い出した。苦笑しつつもそれを忠実に実行してくれたイグゼキュターには感謝していた。

 

 

 

「だが…しかしイグゼキュター。昨日のアレは正直言えば戯言のようなものだ。あれを契約内容に含むのは公証人役場にとってはこちらの権力の乱用に思われるかもしれない、君のサポートはとても有り難いがその契約は…」

 

 

「破棄したいと?」

 

 

「有り体に言えばそうなるな…言い出したこちらがそう言うのもとても気まずいが…」

 

 

「いえ、契約者の意向に従うのみです。ただ…」

 

 

その時イグゼキュターは珍しく言葉を含んだ。いつもの彼は単的かつストレートに言葉を言うため珍しい光景だった。

 

 

 

「ただ…何かな。」

 

 

ドクターは言葉の続きを促した。

 

 

 

「ただ…私としては惜しいですね。貴方のサポートをするということは今日一日を通して私は…どうやら充足感を得ていたようです。可能ならばこのまま続けたいとそう思いました。」

 

 

それはイグゼキュターからは滅多に見たことがない感情の吐露。ドクターは固まった。

 

 

 

「え…それは続けたいという解釈で良いのかな?」

 

 

「はい。」

 

 

イグゼキュターは頷いた。至極真面目に。

 

 

 

「…あ、えとこれからもどうぞよろしくお願いします。」

 

 

思わずドクターは敬語が漏れた。現状があまり理解できていないかもしれない。

 

 

 

「こちらこそよろしくお願いします、ドクター。」

 

 

イグゼキュターも生真面目な顔のまま答えた。だが無表情でも少し笑っているように見えた。

 

 

 

 

「これが温かみというものなのですね、ドクター…もっと私はそれを知り、理解したいです。…これからも私を側に置いて頂ければ幸いです。」

 

 

 

ドクターはぶっ倒れた。



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イェラグ貴族結婚騒動話

久しぶりの銀博ゥ!!


シルバーアッシュ家は雪境、イェラグのトップ、三族会議の一つの貴族でありかつて現当主の両親は死んだことによりお飾りとなっていたが現当主、エンシオディス・シルバーアッシュの手腕により復権し返り咲き、現在古風なイェラグに対し革新的な姿勢を見せており保守派の三族会議の残り二家とは対立的関係にある。

 

その実情は物凄く複雑でエンシオの妹であるエンヤは宗教のトップとなり宗教の権力が大きいイェラグでは三族会議のトップの一人であるエンシオディスでさえ合掌を尽くさねばならないほどであり、三族会議の残りの二家は保有する宗教のリコリス院を用い、エンシオディスに対してエンヤを利用し、革新派の彼を排除しようとしている。その複雑な関係上彼らの中はあまり良いものと言えず同じロドスに滞在するというのに話し合う事さえないと言う。

 

 

革新派のトップであるエンシオディスは若手であり、彼はまだ独身である。敵も多いが間違いなく名のある貴族というのは事実であるためそんなエンシオディスに擦り寄ろうとする者がいるのもまた事実である…。

 

 

 

 

ここはロドスの執行責任者、通称ドクターのお仕事部屋。普段は激務に駆られているドクターだったがその日は珍しく激務もなく仕事は緩やかに終わり、貴重なプライベートの時間を過ごしていた。そんなドクターの執務室にはドクターともう一人の男の姿があった。

 

 

「こうして君と静かに茶を飲む…というのも妙な気分だな。」

 

 

ドクターがカップに手を付けながら目の前の男を見た。彼こそがシルバーアッシュ家の当主、エンシオディス・シルバーアッシュである。ドクターの言葉に彼はフッと笑うと返答した。

 

 

「同感だな。互いに多忙な身であることはともかく、我々の間にこのような静かな時間があることに驚きだ。」

 

 

野望を隠そうともしないシルバーアッシュにその挑戦に対し好戦的なドクター。今でこそロドス・アイランドとカランド貿易の協定により協調姿勢を見せているがいつか敵対する日も来るのではないかとまことしやかに言われている。

 

 

 

「この地上に生きている生物だ。幾ら激動に生きていたとしても静かに過ごす時間くらい誰にでもあるものさ。」

 

 

「それは道理だな。だが妙な気分というのは賛同する。我らの関係に静かというのは似合わないと思っていた。」

 

 

シルバーアッシュは育ちの良さが垣間見える動作で紅茶を飲んでいた。そんな静かな茶会は一つのノックで終了することになる。

 

 

執務室のドアがノックされた。ドアの向こうから声が聞こえる。

 

 

 

「失礼します。シルバーアッシュ様。」

 

 

それはシルバーアッシュの側近の声だった。

 

 

「入ってくれ。」

 

 

ドクターの許可を貰いシルバーアッシュは側近…クーリエを執務室中へ招き入れた。

 

 

「失礼します、ドクターもお騒がせして申し訳ありません。」

 

 

「いや、良い。私のことはないものとして扱ってくれて構わない。」

 

 

ドクターもシルバーアッシュとクーリエの事に配慮し、執務机の方に退避していった。私的な報告を聞かないためである。流石に勢力のトップを担っていることもありドクターは機密に対しては気を使っていた。

 

 

 

 

「それで、報告は何だ?」

 

 

「はい。イェラグの貴族…という客人がシルバーアッシュ様にお見えになっています。」

 

 

「…何だと?どこの者と名乗った。」

 

 

「『アルベルト』家と名乗っておりました。アルベルト家といえば保守派にも革新派にもつかない中立勢力でしたが…」

 

 

「良いだろう。会うと伝えてくれ。私が直々に見極めよう。」

 

 

シルバーアッシュは重い腰を上げ立ち上がり、執務室から出ていった。ドクターは何かを思ったのか彼が退出したのを確認し電話を入れ、何かの指示を飛ばしていた。

 

 

その頃シルバーアッシュは客間に通された客人と会っていた。

 

 

 

「それで、アルベルト伯が若輩者の私に何か御用ですか?」

 

 

来客は初老の男性だった。高貴な身なりで名家の人間という事を感じさせる。シルバーアッシュも立場上は彼の方が上だが一応の年長者という事で敬語で接していた。客人、アルベルト伯は堂々と言いながら返答した。

 

 

 

「謙遜などしなくても私は貴殿を高く評価しています。エンシオディス殿。シルバーアッシュ家をその若さで背負って立つ貴殿の手腕には非常に関心を覚えております。」

 

 

シルバーアッシュは内心眉を顰めた。しかしポーカーフェイスなどお手の物の彼はそれを微塵にも表情に出さず賛辞を聞き流していた。そろそろ限界に思って来た頃、シルバーアッシュは切りだした。

 

 

 

「申し訳ございませんがアルベルト伯。私もあまり余裕のない身です。できればそろそろ本題を話していただければ助かりますが。」

 

 

「おお、失礼しました。本日エンシオディス殿を伺ったご用向きは…家の娘を是非貴殿の縁談相手にと。」

 

 

更にシルバーアッシュの内心眉を顰めた。確かにシルバーアッシュは独身であるがまさかここまで下心を隠さず近づいてくる相手がいるとは思わなかった。しかしシルバーアッシュは相変わらず顔には出さない。

 

 

「確かに私は独身の身ではありますが。」

 

 

「ええ、うちの娘は貴殿とも年頃が近く、それに器量の良い娘です。私としては身内贔屓になりますが貴殿に是非うちの娘を娶ってほしいと思っております。」

 

 

「…直ぐに結論の出せる話でもありませんので今回は持ち帰り、ということでよろしいでしょうか。また日を改めてお返事いたします。」

 

 

「ああ、こちらこそ突然のことで申し訳ございません。是非ご検討を…」

 

 

 

そうしてアルベルト伯は帰って行ったが…怪訝さしか残らなかった。シルバーアッシュは魂胆を端から見抜いていた。

 

 

 

「あのアルベルト伯の目的は最初から明らかだ。私に娘を嫁がせ親族関係になることで我が家に取り入ろうということだろうな。」

 

 

「どういたしますか?シルバーアッシュ様。今シルバーアッシュ様はロドスに駐在している身。もし婚姻となるのならばイェラグに戻らなければなりませんが…」

 

 

「元より受けるという選択肢はない。しかし如何せん断る口実が…だな。相手の提示して来た条件が断りにくいものだ。この持参金を見たか?」

 

 

「はい。正直一つの縁談としての持参金としては異例だと思います。それほど真剣にシルバーアッシュ家に取り入ろうとしていたことでしょうか。」

 

 

シルバーアッシュとクーリエがうーむと頭を悩ませているとそこに一人の人物が近づいて行った。

 

 

 

「だがその金が汚れた物…ならば話は別だろう?」

 

 

「…盟友か。」

 

 

シルバーアッシュの言葉通りドクター、その人だった。

 

 

「どこで聞いていた…などとは聞くつもりは無い。ここはロドスであればお前の耳は至る所に張り巡らされているだろうからな。」

 

 

シルバーアッシュは話を聞かれたことを咎めるわけでもなく言葉の続きを促した。

 

 

「それで、さっきの続きだがアルベルト家の事を少し調べただけでかなり黒い噂が流れていたよ。あくまで噂に留まってるがそれでも調べてみる価値はあると思うけれども、どう思うかな?」

 

 

「ああ。私も碌な噂は聞いたことがなかった。この際洗い直すとしよう。クーリエ、頼めるな。」

 

 

「勿論でございます。僕の事は手足のようにお使いください。」

 

 

クーリエが退出した後ドクターも動こうとした。

 

 

 

「さて、シルバーアッシュ、君はどうする?ただ成果をぼっーと待っているだけかな?」

 

 

「フッ、お前にそう挑発されては動かざるを得ないな。」

 

 

そしてシルバーアッシュ及びドクターはその日からロドスから暫く姿を消した。ドクターの「少し空けます」という書置きを残し。

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

「調べれば調べるほど悪事の証拠が出てくるな。グレーだとは思っていたが真っ黒じゃないか。」

 

 

五日後、独自の調査をしていたシルバーアッシュとドクターだったが既に十分すぎるほどの悪事の証拠をつかみ、告発すればすぐにでも廃嫡が可能なほどの量の証拠が集まった。

 

 

 

「殺人、謀殺、脅迫、賄賂、情報漏洩…今の地位を築き上げるためには何でもやったという感じだな。」

 

 

「私もシルバーアッシュの名をのし上げるためならばグレーゾーンに手を出してきたがここまで薄汚いものではないな。こんな家と親戚関係を結べば我が家食いつぶされるだけだ。早くロドスに帰還するとするか。」

 

 

 

彼らがいるのはイェラグの山岳地帯。件の縁談相手のいる屋敷の近くの地域だった。

 

 

 

「いや…そう簡単にはいかないようだな。」

 

 

ドクターは潜伏する兵たちに気が付いた。それはシルバーアッシュも同様だったようで…

 

 

 

「…下がっていると良い、盟友よ。」

 

 

 

「…ああ。」

 

 

 

やがて伏兵たちが姿を現し、奥から何と縁談を持ち掛けた本人であるアルベルト伯が登場した。

 

 

 

「何やら嗅ぎ回っている鼠がいるとは思いましたそれが貴殿だとは夢にも思いませんでしたよ。エンシオディス殿。」

 

 

「随分な挨拶だな、アルベルト伯。この情報が行きわたると一番困るのは貴様であろうというのに」

 

 

「ええ、ですから回収させていただきます。それからエンシオディス殿、貴方の身柄も預からせていただきますよ。」

 

 

兵たちがじりじりとにじり寄ってくる。おそらく男の配下なのだろう。しかしシルバーアッシュは余裕を持った態度を崩すことはない。

 

 

「お前は私を利用しようと取り込もうとしていたがその一方、私のことを若造と見下していたようだな。」

 

 

「…何?」

 

 

 

「ここはイェラグだ。…我が威光が最も輝くその地だ。」

 

 

 

シルバーアッシュが言い切ると彼の背後から矢の雨が降る。そして的確に兵士を打ち抜き、一掃した。崖上からはシルバーアッシュの私兵たちが続々と現れる。形勢が一気に逆転した瞬間だった。

 

 

 

「シルバーアッシュの名、甘く見るな。」

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

それからの事の顛末は語るまでもない。私兵により排除されたアルベルト伯は拘束され、三族会議の場に置いて数々の悪事の証拠と共に裁かれた。彼が表舞台に出ることは二度とないだろう。それから後始末を終わらせ、すべてに片を付けロドスに戻ったのは一月後の事だった。

 

 

 

ドクターはあの後ケルシーの私兵に連れ戻され執務部屋に監禁されていたが何とか軟禁を抜け出し、元の生活に戻っていた。そんな彼らは今日もまた茶会をしていた。

 

 

「ともあれこれで一件落着ということか。」

 

 

「ああ、そういうことだ。だが私には一つだけ腑に落ちないがある。それは盟友、お前にだ。」

 

 

「私、にか?」

 

 

ドクターは怪訝そうな顔でシルバーアッシュの質問を受けた。

 

 

 

「お前は今回の一件、直に動く必要はなかった。だが何故職務を放棄してまで直々に動いた?」

 

 

 

「それは…」

 

 

ドクターは言葉に淀んだが少し躊躇った後に観念したように答えた。

 

 

 

「自分でもよくわからない心境なんだ。ただ、君が結婚するということを聞くと少しばかり嫌な気分になった。ある種の…『嫉妬』なのかもしれない。」

 

 

その言葉にシルバーアッシュは一瞬詰まった後おかしそうに笑い始めた。

 

 

 

「ククククッ…なるほど…ククッ…嫉妬か…ああ、それは面白いな…」

 

 

「自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきたよ。ただどうにも喪失感があったのは間違いない。」

 

 

 

シルバーアッシュはそんなドクターを見詰め直し鷹の目で射抜きながら言った。

 

 

 

「心配は無用だ、盟友よ。私は結婚する気はない。今のところ、は。」

 

 

そして少し笑いながら続けた。

 

 

 

「今はお前と共にいる時間の方が楽しいからな。」

 

 

 

 

 

 

「この時間だけであってもお前は私のモノ…そして私はお前のモノだ。約束しよう、友よ。」

 



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ちっぽけな勇気を胸に

いつまで経っても怖いものは怖い。未だに寝るときは震えているし、夢見は最悪だ。悪夢を見ない日は無く、魘されない日は無い。

 

けれどようやく今は一歩ずつ進めている。どんなに小さい歩幅だろうと確実に前進している。私にとってそれは明確に大きい変化だ。何時たどり着くはわからない。感染者はいまだに怖い。

 

 

けれど私は知っている。非感染者だろうが感染者であろうが結局大きな差など無いということに。それを知るにはずいぶん時間がかかった気がする。…けれどもそれを理解できたのはアーミヤと…あんたのお陰よ、ドクター。

 

 

 

 

―――――――

 

 

グレースロートは非常に気が難しいオペレーターである。彼女はもともと一人を好むし大抵のことをひとりで完遂してしまうためなれ合いを好みはしない。必要ならば協調はするが積極的には関わろうとはしない。しかしそんな彼女とも任務をある程度ともにしてある程度お互いに信頼関係が何とか築けてきた。

 

 

アーミヤはグレースロートにとって貴重な同年代だ。一時期の拒絶が酷かった時期でも距離は取っていたこそあるが、それでも普通に話せていた。

 

 

 

「アーミヤ。」

 

 

「グレースロートさん、はい、何でしょうか。」

 

 

「一応報告しておこうと思って。大したことじゃないけど…」

 

 

 

アーミヤとグレースロートが話をしているのを視界に納めている人物がいた。ロドスの執行責任者ドクターである。ドクターはグレースロートのような気の難しい人物にはよりいっそう注意を払っており、気にかけている。あとたまたま遭遇したようだ。

 

 

「そう…わかった。目は離さないようにしておく。不安分子は何時だって排除するべきだろうし。」

 

 

「お願いします。グレースロートさん…あの、ですが物騒なことはなしで、お願いしますよ…?」

 

 

「わかってる。アーミヤが嫌うことは何かは理解してるつもり。それに片っ端から排除していったらロドスの理念に反するから、でしょ?」

 

 

「は、はい…すいません。難しい注文をしてしまって。どのような思惑があれロドスに加入してくださった皆さんを信じるのが私の責務だと思っています…だから疑わしいと思っていても表で堂々とやるのは難しくて…」

 

「皆まで言わなくていいから。アーミヤの姿勢に共感する人は多いんだからあんたは迷っちゃダメ。そういう裏のことは適役がいるから。役割分担だと思って。」

 

 

「そう…ですね。ありがとうございます。グレースロートさん。」

 

 

「別に、お礼はいいから。言われるようなことはしていないから。」

 

 

「あなたはそう思ってなくても…私は感謝してますよ、グレースロートさん。」

 

 

アーミヤの言葉は誠意が籠っていて聞くものに実直さを感じさせるものが多い。まだ若いという理由で軽視されることはあるがそれでも彼女の信念は間違いなく本物だと伝わる人も多いだろう。グレースロートもそのうちの一人というわけだった。

 

 

 

「それよりそろそろ行った方がいいと思うけど。あんただって暇じゃないでしょ。」

 

 

「あ、そうですね。それじゃあ失礼しますね、グレースロートさん。」

 

 

アーミヤがペコリと頭をさげてそのまま立ち去っていった。やがてグレースロートは一息ついて適当なベンチに座ると明後日の方向に声をかけた。

 

 

「出てくれば?あんたがそこに居るのはわかってるから。」

 

 

おとなしくドクターが壁から出現した。特に隠れる理由もないからだろう。

 

 

 

「やはり気づいていたか、まあ気づかない方がおかしいとは思うがな。」

 

 

ドクターも気づかれていたことに対して動揺はない。ドクターは戦場で指揮する存在、グレースロートの腕前や狙撃手の素質も詳しいだろう。だからこそ気づいているということも分かった。

 

 

 

「私は…」

 

 

ドクターは近くに座りながら話を始めた。グレースロートは特に不快感を示すわけでもなく話を聞き始めた、初対面では棘のある彼女だったが今では少しは気を許せる関係になったようだ。

 

 

「私は極端な話、リスクを嫌う。それは人であろうと誰もが同じことかもしれないが…だがそれでも不穏分子を泳がせておくのにはリスクが高すぎる。疑惑の種子は早めに摘んでおくべきだとは思う。」

 

 

「それは私も同感。けれどあの子がいる手前そんなことは言えない…言えるわけがない…って、あんたもそれは分かってるでしょ。」

 

 

「勿論だ。あの子の理念や思想は痛いほど理解しているさ。甘いと言われるだろうが間違いなく彼女の美徳だ。こんな世界だ、誰かしらが理想論を語らなければ希望も見えない。足りない部分は周囲が補えばいいさ。」

 

 

アーミヤはロドスのリーダーである。リーダーである以上先導しなければならない時もある。彼女はまだ年若く未熟な面も見受けられる。

 

 

「確かに彼女はまだ将としては未熟だろう。だがそれでもいつかは成熟する時が来る。その時が来るまで庇護し、支えるのが私の役目だと思っているよ。」

 

 

「…まぁ好きなようにすれば?多分アーミヤはあんたを支えたいと思ってるだろうけど。」

 

 

「確かにその傾向はある。それに彼女の気持ちは嬉しくはあるが…ただ、私はやはり表に出るべき存在ではないよ。裏方で十分だ。」

 

 

「…それが許されたらいいんだけど。」

 

 

グレースロートは一人が好きである。あまり社交的ではない。だがロドスの、もといアーミヤの信念に協力する以上、裏方に完全に徹することは許されないだろう。

 

 

 

「アーミヤは…アーミヤは君にとってどういう存在かな。グレースロート、率直な意見を教えてほしい。」

 

 

ドクターは話題を変えた。それはアーミヤについての話題だった。

 

 

「言葉…言葉にしにくいけれど…恩人、だと思っている。アーミヤは、私を少しずつでも変えてくれた。私は、正直に言えば未だに感染者も、鉱石病も怖い。けど、感染者だって、私たちと何一つ差はないって教えてくれたのはアーミヤだった。ただ難病に罹っているか罹っていないかの差。それだけしか差がないのに…私は…」

 

 

「いや、君の気持ちも理解できる。グレースロート、実際今の世界において鉱石病の感染者というのは感染者というだけで厳しい境遇に立たされている。ウルサスを始めとして世界で排斥する動きが高まっている。だがそれでも人間は鉱石病の原因となる源石を使うことを止めはしない。それはなぜだと思うかな。」

 

 

「…考えたこともなかった。私が生まれてからオリジニウムがあるのは当たり前だったから…。」

 

 

「そう、誰ももう源石(オリジニウム)無しの生活を考えられなくなってしまったからだ。源石(オリジニウム)があるのは当たり前。便利だから手放せない。だけれどそれによって生まれた負の側面は排斥する。実にお笑いだよ…言ってしまえばね、グレースロート、感染者というのは源石(オリジニウム)という者がなければまわらなくなったこんな社会が生み出した被害者なんだ。」

 

 

「…被害者。」

 

 

「そう、被害者だ、便利さに胡坐をかき、改善をしようともしない社会が生み出した被害者だ。しかしそんな被害者をまるで悪鬼を見る如く差別し、排斥する。それが今のこの世界の現状なんだ。鉱石病患者は忌み嫌うものという認識はね、グレースロート。君が生まれる以前遥か前にあったものなんだ。当たり前の常識として定着してしまったものを抜け出すのは意識したとしても難しい。」

 

 

そんな中ドクターはグレースロートを横目に見ながら言葉を続けた。ふざけた様子はない、真剣な声音で。

 

 

「グレースロート、君は感染者に偏見を持っていたね?」

 

 

「…ええ。今の自分が誇れるとか成長したとかそんなことを言うつもりはないけれど…あの時の私は本当に子どもだった。」

 

 

グレースロートは後悔を滲ませる声でそれを言った。実に悔いているように聞こえた。

 

 

「いや…君はある種当たり前だよ、グレースロート。先ほども言った通りまだまだ感染者への差別や偏見は解消されないし当たり前という認識も多い。自発的にそれについて疑問に感じる人も多くはない。けれども君は気づけた。しかし、それで一つだけわからないことがあるんだ。グレースロート。」

 

 

 

「…わからないこと?」

 

 

そこで質問をされるとは思ってもいなかったのかグレースロートは首を傾げながら聞き返した。

 

 

 

「そうだ、感染者への偏見や差別は各地に呪いのような形で残り続けている。ただ君は感染者への偏見を自力で解いて見せた。半ば呪縛のようなものをね。…どのようにして君はその呪縛を解いたのだい?」

 

自分から過ちに気づくものは多くない。特にそれが周囲で当たり前と受け入れられた場合自分から気が付くのは不可能と言ってもいいかもしれない。ただしグレースロートは自らその過ちを認めた。どのようにしてそれを行ったのか。その疑問がドクターの心を捉えて離そうとしないである。

 

 

 

 

「…。」

 

 

グレースロートはわずかに沈黙しているがやがて覚悟を決めたように口を開いた。

 

 

 

 

「私は…ロドスに来てからずいぶん時間が経った気がする。今も壁を一枚隔てれば感染者は普通にいる。けど感染者はその壁一枚向こうで非感染者と何一つ変わらず暮らしている。…当然差異があるのはわかってる…けれど、アーミヤにその光景を見せられて、ようやく理解した…彼らはただ生きたいだけ。そこに感染者も非感染者も差なんてないって…ようやくわかった。」

 

グレースロートは一度言葉を切り、目を閉じた。その時の光景を思い出しているのだろうか。

 

 

「それを理解するのに随分と時間をかけてしまったけれど…理解ができたのはアーミヤと…あんたのお陰よ、ドクター。」

 

 

 

「…私の?」

 

 

ドクターはやや虚を突かれたように声を出した。まさかここで自分の名前が出てくるとは思わなかったのだろう。

 

 

 

「アーミヤに言われたのよ。  『感染者に対してすべてを受け入れてくれ、とは言いません、けれどもこうして生きる人に感染者も非感染者も関係ないんです。受け入れるのは難しいかもしれないですが…どうか、ちょっとの勇気を持って貰えませんか、グレースロートさん』って…後から聞いたけれどもこの言葉あんたの教えらしいよ、ドクター。」

 

 

「いやしかしそれは以前の私であり今の私では…」

 

 

「私は昔のあんたを知らないから。だからドクターに昔も今もない…とにかく、私は理解できた。元を辿ればあんたのお陰でね…だから、ありがとう、ドクター。」

 

 

「私に礼は不要だよ、君を説得したのはアーミヤさ…だが、世界を君のような人間で埋め尽くすにはまだまだ道のりが長い。我々が目指すのは感染者は差別や偏見を持つものという常識を壊す世界だ。だから…これからも力を貸してほしい、グレースロート。」

 

 

 

「私の力で…少しでも何か変わる…っていうなら喜んで協力させてもらうわ。」

 

 

グレースロートは自ら手を差し出し、握手を求めた。ドクターはそれに応じ、握手で答えた。グレースロートはそのまま言葉を続けた。

 

 

 

 

「それに…今はここが私の家よ、まだ恩返しは何も済んでない…付いていくことにするわ…どんなに道でも、ね。」

 

 



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あの時の一番を超えて

その日、彼女は、イフリータは珍しく大人しかった。普段の彼女は興味の赴くままに暴れ回り、気分の赴くままに動き回る、そんな暴れん坊なイフリータが今日は何かをするでもなくただ雨の降る窓を座って見続けている。

 

 

時折何かを思い出すような仕草をしてそのまま、また窓に視線を向け物憂げにため息などを吐いている。はっきり言ってしまえば彼女の普段を知っている人間からすれば今の彼女の様子は異常だった。もちろん暴れ回って損害を出すのよりは全然いいのだが元気のない彼女、というのも調子を狂わせる一因だった。さて、そんな中、彼女の後見人であるサイレンスは現在臨床実験中、彼女が懐くフィリ姉ことフィリオプシスは業務中。

 

 

 

「隣、いいかなイフリータ。」

 

 

そんな彼女に声をかけたのは彼女の動向に気を配っている人物の一人。ロドスの中でも特に多忙なその人物は珍しく手持ち無沙汰らしく彼女の隣に座った。

 

 

 

「…ドクターか…別に良いぜ。」

 

 

そしてイフリータは覇気のない声で返した。今の彼女にとってはあまり興味の対象とはなり得ないらしい。普段は声が覇気やら怒気やらが籠りすぎた声だが今日に限って覇気も怒気もない。

 

 

 

「今日は雨だね、見ての通り良い天気とは到底言えない。君は確か雨は嫌いだったかな?」

 

 

「…雨か…別に嫌いではねェよ。苦手だけどな。」

 

 

彼女が扱うアーツは炎である、その火力は凄まじく彼女自身が炎、とも呼べるほどまで強力だが、炎自身であるが故に雨の日は力が出ないらしい。

 

 

 

 

「…はァ。」

 

 

そしてイフリータはまた物憂げにため息を吐き、机に伏せた。確かに妙なものだとドクターは納得した。朝にサイレンスに「イフリータが元気がないみたい、私は離れられないけれどもしドクターに時間があったらあの子を気にかけておしてほしい」と言われ、実際に心配になり見に来たドクターは納得し、確信した。彼女は確かに様子が妙だ、と。ここはいっそと思いドクターは踏み切った質問に移った。

 

 

 

「イフリータ、聞いても良いかな?」

 

 

 

「…………何をだよ。」

 

 

間の空いた場はあったがそれでも彼女は質問に対して応じた。これぞ好機と見たドクターは余計な話題を振らずに本題を切り出す。

 

 

 

「今の君は元気がない、と皆、心配しているよ。君がもし答えたくないのならば構わないが…何か悩んでるのかな。もし話せるならば私に話してほしい。少しは力になれるかもしれない。」

 

 

イフリータは突っ伏したまま顔だけ動かし、視線をドクターに向けた。

 

 

 

「……。」

 

 

しばらく見続けて沈黙を保っている。ドクターも何も言わずに見返し、そして答えを待っている。数秒の沈黙の後、イフリータはまたため息を吐き、まァいいか…とつぶやき話し始めた。

 

 

 

「未練、あるんだよ。」

 

 

そして起き上がったイフリータは胸部で隠していた写真を取り出し、ドクターに見せた。それは古い年月の経った写真に見える。

 

 

 

「これは…」

 

 

 

「オレサマとサイレンスと…サリアの写真だ。」

 

 

これ以外無いんだよと付け加えた。聞く分にこれは彼女たち三人が一緒に写った唯一の写真であり、イフリータはそれを絶対に焦がさないように慎重に扱うほど彼女にとっては大事なものだった。

 

 

 

「端、焦げてるだろ?間違ってやっちまってもう二度と焼きはしねぇって誓ったんだよ。」

 

 

現在のサリア、サイレンスの関係は非常に悪化しており、今のイフリータが喧嘩している二人に板挟みになっているという現状だ。かつて仲の良かった頃が未練があるのだろうか。ドクターはそう思いイフリータに聞こうとし…

 

 

 

「未練ってのは昔した約束のことだ…いやそんなに昔じゃねぇけどよ。サイレンスとサリアとオレサマ、三人で外に出て一緒に飯を食おうって約束だったんだよ。結局その約束が果たされる前にサリアはオレサマたちの前から消えたからやってねぇんだけれどよ…。」

 

 

イフリータはまた物憂げに顔を伏せた。声にならない呟きで「行きたかったな」と言ったのをドクターは読み取った。それからまたため息を吐いて机に突っ伏した。それからの経緯を彼女は語る。

 

 

 

「最近は忘れてたけれどよ、失くしてたと思ったその写真が昨日、出てきた…それで…まぁ、な。」

 

 

どうやらイフリータは郷愁に襲われたようだ。何がきっかけで過去の記憶を呼び寄せるかは人それぞれだがイフリータの場合は大切な思い出である写真を見てフラッシュバックしたのだろう。

 

 

 

ドクターはしばらく考え込むような動作をし、沈黙していた。だがやがて何かを思いついたのかはたと考える動作をやめ、机に突っ伏したままのイフリータに声をかけた。

 

 

 

「イフリータにとってこの写真を撮った時は一番の瞬間だったかな?」

 

 

「いちばん?どういうことだよ。」

 

 

「そうだね…この写真を撮った時、君は最高に幸せだったかい?」

 

 

 

「…まァ、そりゃ…な。サイレンスとサリアは喧嘩してねぇし、フィリ姉とかも居るし…最高だったよ。…でも白衣の連中は…」

 

 

「うん、どんな形であれ君はこの写真を撮った時は幸せだったんだろうね。ただ、同時に不幸でもあった。」

 

 

 

イフリータ、その身を形成した出自はお世辞にもまともには言い難いし、何よりその出生に付きまとう要素は悲惨という言葉があり、本人はあまり気にしてはいないが彼女の過去は同情にも値するものだ。間違えて同情でもしたら彼女は容赦なく燃やしてくるだろうが。

 

 

ドクターはイフリータにいつも教えるような視線を向け、話を続ける。

 

 

 

「さて、イフリータ、少しだけ難しい話をする…頑張って理解してほしい。」

 

 

「…オレサマ、ドクターの難しい話苦手なんだよ…」

 

 

顔は見えないが恐らくイフリータは露骨に嫌な顔をしているだろう、最近はめきめき上達こそしているがそれでもまだ本質的にはイフリータは頭脳労働を嫌う。そして何よりもドクターの婉曲的な表現は苦手だった。

 

 

「なるべく分かりやすいように話すから、聞いてくれるかな?」

 

 

ドクターは諭すような口調で話すとイフリータは渋々といった感じだがうなずいた。

 

 

「…分かったよ。」

 

 

分かったとこそ言ったが完全に不貞腐れてるだろうなとドクターは苦笑した、これ以上不興を買わないためにもドクターは慎重に言葉を選ばなければなかった。

 

 

 

「イフリータ、君はこの写真を撮った時、一番幸せだったって答えたね。」

 

 

「…ああ。」

 

 

「けれども、その時君は…ええと…。」

 

 

「…言っていいよ、オマエになら別に…良い。」

 

 

 

「…ありがとう。君はその時に治験…いや、人体実験を受けていた。これは幸せ、とは言えないだろう?」

 

 

「……まァ…な。」

 

 

 

イフリータの顔がゆがむ、当時受けた散々な仕打ちを思い出してしまったのだろうか。ドクターは落ち着かせるように頭に手をのせた。

 

 

 

「って、オイ!」

 

 

「良いから。…すまないね、イフリータ。君の嫌なことを思い出させてしまう。」

 

 

歪んだ顔が徐々に戻っていきしかめっ面も少しずつ解けてきた。やがて一つだけ言葉を漏らす。

 

 

「…別に、いいぜ。オレサマにとってあんなこと何でもねェ…続けてくれよ。」

 

 

 

先ほどの言葉の続きを言うようにとイフリータは言外でドクターに促した。その意図を察してドクターは頷き、一言「ありがとう」と言い、話を続けた。優しく読み聞かせをするかのような調子でイフリータに語り掛ける。

 

 

 

「イフリータ、ロドスは良い所、だろう?」

 

 

「…あァ。」

 

 

投げやり気味に、しかし先ほどよりも感情のこもった声でイフリータはドクターの問いかけに返事をした。イフリータがロドスに来てからそこそこの月日がたつが彼女にとってこのロドスは良い場所、という認識までには上がっていた。

 

 

 

「ここでは君を実験しようと思うものは居ない。そういう意味では君は前に居たところよりは全然いいと思う。それに…今、このロドスには君が親しい人が多くいるだろう?もともと連れ添ってきたサイレンスやサリア、フィリオプシス…それに君自身もこのロドスで友達が出来たと思う。」

 

 

 

「…ともだち、…あれを友達ってのか?」

 

 

イフリータの脳内に浮かぶのは近い年頃のオペレーターたちだ。少し考えた後友達判定をしていいのかと疑問に思ったようだ。

 

 

「ああ、友達さ。友達になることにタイミング何て無いんだよ。さて、君の好きな人は今、君の周りにいる…まぁサイレンスとサリアはずっと喧嘩してるが…」

 

 

そのドクターの言葉にイフリータはさらに表情を曇らせた。二人が大事なイフリータにとって二人が喧嘩していることは彼女の心に暗い影を落とすことになる。それの理由が彼女自身であるということも彼女はわかってしまっているためにさらにその陰に拍車がかかってしまう。

 

 

 

「けれどね、イフリータ…そう悲観することはないよ?」

 

 

 

「……ひかん?」

 

 

 

「ああ、ごめんね。少し難しかったね、ええと悲観というのは後ろ向きな考えのことだよ。」

 

 

つい難しい表現をしてしまったことにドクターは謝罪を入れつつ、イフリータにへと諭すように話すのを続ける。

 

 

 

「この写真を撮った時、君は『一番』幸せだったかもしれない。けれどねイフリータ、思い出というのは過去のものだ。懐かしがることは悪くはないけれど、やはり過去に囚われすぎているのも良くないんだ。」

 

 

「…確かにロドスは好きだ…けどよ、今サイレンスとサリアは喧嘩してるんだ。オレサマにとって…それがある限りは…一番とは言えねえよ。」

 

 

同意を示しつつもイフリータは肝心のところを否定した。確かにお気に入りであったとしてもサリアとサイレンスの二人の問題が解決しなければ彼女に真の幸せはないだろう。

 

 

 

「私が思うにね、彼女たちの喧嘩というのは実に些細なすれ違いからなんだ。もう後に退けなくなってお互いに意地になっているだけ。イフリータ、君は二人が仲直りしてほしい、って思うかな?」

 

 

 

「…当たり前だろ。」

 

 

その返答はイフリータにとってごく自然なものだ。ドクターもまたその返答が来るものだと分かったいたのか頷き、話を続けている。

 

 

 

「君の一番がこの写真の時で止まるというのは良くないことだと思うし、私としてはこれからも一番の思い出をどんどん書き換えてほしいと思うんだ。…だからね、イフリータ、二人を仲直り、させてみないか?」

 

 

 

「…オレサマが?」

 

 

 

「ああ。君にしかむしろできないことだよ。これはね、そのためには私はどんなことでも君を手伝うよ。」

 

 

 

「…良いのかよ、迷惑…じゃねェのかよ。」

 

 

「ああ、迷惑じゃない。それにこの話を提案したのは私だからね、ここで君を助けなければ大人としても名折れだからね。…イフリータ、君にとってこの写真は大切な一番な思い出だと思う。けれど、新しい一番の思い出を君は作るべきだよ。そのためには私はどんな努力も惜しまない、頼ってくれ。」

 

 

その言葉を聞き届けるとイフリータは顔を上げた。先ほどまでの陰鬱な表情はもう無く、屈託のない笑みが浮かんでいた。イヒヒと笑いながら立ち上がりイフリータはドクターに向かって話しかけた。

 

 

 

「まァ、それだけ言われたらしょうがねェな。やってやるよ、オマエの言うとおりにさ…『あの時の一番を超えて』、作ってやるよ。新しい一番をな。だから…お前が根を上げんなよ?」

 

 

 

「……ああ。望むところさ、イフリータ。どこまでも付き合うよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、物陰

 

 

 

 

「イフリータの機嫌の上昇を検知。…しかし、サイレンスさん、良かったのですか?」

 

 

「ん?何が、かな。フィリオプシス。」

 

 

 

「いえ。彼女を説得する役回りはドクターではなく恐らく貴女でも十分だったと思います。しかしそれが出来たにも関わらずドクターにその役割を託した。その疑問がフィリオプシスの脳内に残り続けています。」

 

 

「…ああ、それのことだね…確かに私でもできたかもしれない…けれどイフリータの…あの子の悩みの一因に私はなっている。だからそういう意味ではドクターが一番の適任だった、と思っているよ。…それに…私もそろそろ向き合わなければいけない…からね。」

 

 



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散弾銃の誓い

ドクターはその日、工房を訪れていた。実際用事はあったのだが工房の担当者…ヴァルカンとの打ち合わせが思ったよりも早く終わったためにドクターは暫く時間を持て余していた。故に工房を少し探索しようとしていたのだが…。

 

 

 

「あれ、ドクター。ここで見かけるのは珍しいですね。」

 

 

そんなドクターに声をかける人物がいた。ドクターも声をかけてきた青年に挨拶を返した。

 

 

 

「やぁアドナキエル。少々時間を持て余していてね。ちょうど良い機会だから此処の辺りで散歩でもしようかと思っていたところだったんだ。」

 

 

「あれ、確かヴァルカンさんと打ち合わせだって聞いていましたけれど。」

 

 

「それが早く終わったんだよ。彼女は優秀な鍛冶師だからね、私の要望にもしっかりと応えてくれて助かっているよ。そういう君はまた何時ものように機械いじりかな。」

 

 

青年…アドナキエルは狙撃オペレーターではあるが機械や装置と言ったものが好きで時間の空いた時は工房へ入り、機械やら装置やらを見せてもらっているという話はドクターの耳にも届いていた。しかし今日の彼はそう言った予定ではないようで…

 

 

 

「オレは…今日はそうですね…」

 

 

「どうかしたか、アドナキエル。何か言いにくいことでも強要したか?」

 

 

「あー、いえ。そういうわけじゃなくて。説明するよりも見てもらった方が早いと思います。」

 

 

アドナキエルの視線がドクターの向こう側へと向けられていた。その視線に釣られたかのようにドクターも後ろを振り向き、彼の見る視線の先へ…

 

 

 

「こんにちは、ドクター。」

 

 

「うおわっ!?」

 

 

いつの間にかドクターの背後には長身の男性が立っていた。その光景に思わずドクターは飛び上がった。

 

 

「い、イグゼキュターか…驚いたぞ。」

 

 

「申し訳ございません。御二方の会話に割り込むことは気が引けたために終わるまで待機していました。」

 

 

相変わらず生真面目だが心臓に悪いとドクターは思ったがそこは言わない。出来る指揮官は余計なことを言わないのだ。

 

 

「失礼、通っても?」

 

 

「ああ、すまない。」

 

 

そしてイグゼキュターはドクターの居た通路を通過し、アドナキエルの待つ工房へと入って行った。そしてドクターは二人を交互に見た後呟いた。

 

 

 

「…意外な組み合わせだな。」

 

 

イグゼキュターとアドナキエル。確かに二人は同じ種族のサンクタ族ではあるが、それ以外に共通点というよりも接点が見えない。しかしアドナキエルはそう思わないらしく。

 

 

「そうですか?オレは結構、同族の人に守護銃を見せてもらってるんでイグゼキュターさんにも声をかけてるんですよ?今回の用事もそれの絡みですからね。」

 

 

アドナキエルはラテラーノ出身のれっきとしたサンクタ族である、しかし彼の出身の地方は銃という物に関してはあまり興味やら関心が持たれていたないらしく同じラテラーノ内でも銃を異端視しているようだ。故に彼は銃を扱う資格を持たない。

 

 

「オレの周りには結構銃を嫌ってる人もいますけれどオレはそうは思いませんね。こういう技術は知れ渡ってこそだと思いますし。」

 

 

機械好きな青年のアドナキエルだからこそ言えることだろう。

 

 

「銃に関して調べるのは構いません。しかし、銃に関する技術というのは技術規定三項四条に抵触する可能性があります。くれぐれも広めるような事は…。」

 

 

「オレもそこは理解してますよ。『守護銃の技術は何物にも広めてはならない』…サンクタ人なら誰でも知ってることですよ。」

 

 

イグゼキュターとアドナキエルの間でしっかりと会話は成立していた。そんな様子にドクターは意外そうに見ていた。

 

 

「ん、どうしました?ドクター。」

 

 

そんなドクターの様子に気が付いたのか声をかけるアドナキエル。相も変わらず周りが良く見える青年だ。

 

 

「いや、大したことではないんだが…こういっては失礼かもしれないが…。」

 

 

ドクターはちらりと視線でイグゼキュターを見た。イグゼキュターは無機質な声で答える。

 

 

「構いません。私はどのような誹りや罵倒でも気に留めることはありません。」

 

 

「そんな酷いことを言うつもりではないんだけれどね…まぁいい君がそう言ってくれるならば言うとしよう。…イグゼキュターは職務上、同族であるサンクタから恐れられている節があると思っていたんだが、アドナキエルは少しも怯みはしないな、と思ってな。」

 

 

それは純然たる疑問。イグゼキュターは同族殺しをライセンスとして許されている人物。彼の仕事が『執行』することだから他の同族から恐れるはともかく避けられている節はあると思っていたが…

 

 

 

「ああ、そんなことですか?」

 

 

しかしアドナキエルはそれを些細な事と言い切った。

 

 

「別にオレはイグゼキュターさんの『執行対象』には入りませんからね。そういう仕事だっていうのは理解していますしイグゼキュターさんの『執行対象』はそうなった相応の理由がありますし、思うところは特にありませんよ。機械のようだと言いますけれど聞いたことには答えてくれますから冷静であっても冷酷な人では無いとオレは思いますよ。」

 

 

アドナキエルは流されない。大多数が感じている心証に流されず、彼の思うままの意志に従い行動する。故に差別はなく、忌避もない。あるのは純然たる興味のみ。

 

 

 

「鉱石病が『執行対象』になるならオレも流石に少しは考えましたけれどね。」

 

 

「いいえご心配なく。鉱石病に罹患したことはラテラーノが有する法典には現在どれも抵触することはありません。死亡した場合は相応の処理がされますが。」

 

 

イグゼキュターは至って淡々と無感情に真実のみを告げる、彼の口から嘘が漏れ出ることはないだろう、それを理解を痛いほどしている。

 

 

 

「なるほどね、君のその傾向は真似してもらいたいものだ…。」

 

 

ドクターはアドナキエルの態度に関心していたがやがて思い出したのか言葉を続けた。

 

 

「そういえば、結局イグゼキュターはアドナキエルにどんな用事があったんだ?」

 

 

その言葉を聞いてアドナキエルも思い出したかのような表情になった。イグゼキュターは無表情である。

 

 

 

「すっかり話し込んで忘れていましたね、今日はオレがイグゼキュターさんの銃のメンテナンスをするんですよ。」

 

 

「…君が、イグゼキュターの守護銃を?」

 

目をぱちくりとさせたドクターがアドナキエルとイグゼキュターを交互に見た。アドナキエルは笑顔のまま言葉を続けている。

 

 

 

「はい、オレもかなり頼み込みましたけれど許可出してくたイグゼキュターさんには感謝してますよ。」

 

 

そしてドクターはイグゼキュターを見ながら…

 

 

 

「…良いのかい?自分の守護銃を他人に触らせるのは…。」

 

 

「問題ないと判断しました。彼が私の守護銃に細工をするというのならば話は変わってきますが彼の評判、接してみた人柄、性格、人格。全てを鑑みて問題ないと判断しました。」

 

 

一度イグゼキュターは言葉を切る。がすぐに続けた。

 

 

 

「私も勿論メンテナンスはしていますが専門的な知識は欠如しています。故に何時不具合を起こすかは分からないため専門的な知識を有する彼に依頼しました。」

 

 

 

「なるほど。」

 

 

実に理屈の通った理論だった。イグゼキュターらしいとドクターは思った。そんな風に思いつつ視線をアドナキエルに向けた。

 

 

 

「へぇ…こうやって銃身を切り詰め、威力を増加させてるんですね。なるほど、それに弾が数方向に飛ぶことで近くの障害を一掃して…確かに近距離では無敵ですね…。」

 

 

そのアドナキエルはイグゼキュターの守護銃に対して興味津々の状態だったため視線には気づいていない。…イグゼキュターは声を落として…元々あまり抑揚もないため大きな声でもないが…声を落とし、ドクターに言葉を続けた。

 

 

 

「私はあまり他人を気に掛けるということはしません。しかしこのように話しかけてくる彼は特異な存在です。…ドクター、あまり言葉は得意ではありませんがこれだけはお願いします。」

 

 

「…何かな?」

 

 

「彼の身は案外、危うい存在です。少々調べましたが…彼の出身である地域では鉱石病に対して排他的な対応になります。排他的ならばまだ構いませんが一部の思想のサンクタ人にはウルサスと比べても劣らないほど過激な思想を持つ人間が居ます。そして不幸なことに彼の出身地域がそう言った思想のサンクタ人でした。…彼はリターニアで感染しそのままロドス・アイランドへ来ましたが見せしめとして彼の命を狙う存在もいるかもしれません。」

 

 

少々早口に言葉を述べる。あまり彼に聞かせるべきはない話というのはイグゼキュターも理解しているのだろうか。

 

 

 

「…私の方でも勿論注意は払います。ただしドクターには彼の身をお願いしたいと思っております。」

 

 

「…それは勿論、ロドスのオペレーターである以上皆、私の子のようなものだから。…しかし珍しいな?」

 

 

ドクターは肩をすくめ、イグゼキュターに尋ねる。

 

 

「…珍しいですか?」

 

 

「ああ、君が先ほど自分でも言っていたが私はね、君が殆ど他人に対して気に掛けるとは思っていたんだ…失礼なのは承知だが。」

 

 

「構いません、事実ですので。」

 

 

イグゼキュターも肯定する、彼は自身でも深い付き合いは苦手と言っている、それだからこそ。

 

 

 

「まぁ…とにかくだな、君が自分でも言っている通りに誰かを気に掛けているという事に今はそこそこ驚いているんだ。彼は君の何かの琴線に触れたという事かな。」

 

 

その言葉を受けてイグゼキュターは無表情…だが僅かに眉毛が動いた。そして数秒間黙り込んだまま動かなくなり、その数秒後に口を開いた。

 

 

 

「…自覚していなかったようです。私がこのような心情に至った理由は自分でも分かりません。」

 

 

イグゼキュターの顔は相変わらず表情筋は動かない、だがそれでも目を閉じて何かを考えている。

 

 

 

「…分かりません。」

 

 

しかしイグゼキュターにその感情を突き止めることは出来なかった。だがドクターはなるほどという表情をし、何かを納得したかのように頷いた。

 

 

 

「君は存外に彼を気に入っていたようだな。」

 

 

「…私が?」

 

 

無表情だがどこかきょとんとした様子で答えるイグゼキュター。

 

 

「ああ、初めての事だから自覚はないかもしれないが、君は彼を気に入っているよ、差し詰め後輩と言ったところの彼にか。」

 

 

なるほどな、とドクターは頷いていた、一方イグゼキュターはまだきょとんとしていたが…

 

 

 

「ドクター、イグゼキュターさん、どうかしましたか?」

 

 

「ん?ああ、いや何でもないよ、それよりも私も少し興味があるんだ、一緒に見ても良いかな?」

 

 

「オレは大丈夫ですよ。」

 

 

 

イグゼキュターの銃をドクターに解説するアドナキエルとそれに関心するドクター。…そんな様子を見てイグゼキュターは無表情のまま

 

 

 

 

「…後輩……存外、悪くない感覚ですね。」

 

 

 

そしてフッと笑ったのを本人も含めて気が付くことはなかった。



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非情の慈悲

更新


「重装オペレーター、布陣を保ったまま半歩後退。狙撃オペレーター、穴埋めしつつ、術師オペレーターへ交代せよ。」

 

 

「了解!!」

 

 

それは指揮だった。だが戦場で行うような指揮ではなく、流れる様に紡がれる音を調律する指揮。まるで戦場がオーケストラのように彼の指先一つで音が変わる。優美な音楽ではなく、凄惨な紛争の音ではあるが。紛争の音を奏でる指揮者はオペレーターというオーケストラを率い、その音を己の自由自在に調律する。

 

 

 

「前衛オペレーター、あと30秒持ちこたえた後に後退せよ。医療チーム、後退する前衛オペレーターのフォローに。術師オペレーター、軽装の敵は捨て置け。重装甲を優先して攻撃せよ。狙撃オペレーター、撃ち漏らしを討滅せよ。」

 

 

 

彼は一人の人間に過ぎない。その身は一つ、170㎝程度の身長にしか満たない彼はただ一人の人間だ。だが彼は凡人にあらず。

 

 

戦場は広大だ。ただ一人の人間がすべてを視ることなど到底不可能だ。無理して視界を広げれば何処かで綻びが生まれ、その綻びは強大なものとなり、指揮者の命を見るも無残に奪い去っていく。だが、彼は戦場の全てを俯瞰している。広大な戦場をすべて己の視界に収めている。その場に居るように全ての様子を把握し、全ての指示を的確に、一ミリもズレなく伝える。

 

 

 

「前衛オペレーター、全員後退だ。敵を引き付けろ。」

 

 

 

前線を守っていたオペレーターが全員、退いた、敵としては青天の霹靂だがどちらにせよ防衛対象に攻め入る、絶好のチャンス。敵の全兵士が集結し、防衛ラインへ踏み出す。

 

 

息を呑んでみるオペレーターがいる。今の現状、攻め込まれたら全てが終わりだ。彼の命も、護衛対象も、全てが無に帰す。それまでの歩みがすべて消し飛ぶ。

 

 

だが心配することなかれ。ここは彼のオーケストラ。独壇場。全ては彼の想いのまま。

 

 

 

「総員に伝える、防御態勢を。…今だ、『W』。」

 

 

 

そして彼は本日のクライマックスと言わんばかりに宣言する。

 

 

 

「やれ。」

 

 

 

 

『…了解、分かったわよ。』

 

 

気怠げな声が通信機の向こうから届く。それが本日、演奏会最後のフィナーレだった。

 

 

 

そしてレユニオンが足を踏み入れた其処。…防衛ラインの一歩手前で地面が爆破した。爆破範囲に入った構成員はこの世から肉体が消えうせ、物言わぬ肉塊となった。運よく範囲に踏み入れなかった構成員でも爆風により体の一部が吹っ飛び、瀕死の重傷を負った。あと少しで物言わぬ骸に成り果てる。動揺は伝播する。恐怖は伝染する。そして叫びは最高の瓦解を与える。最早彼らに指揮系統は無くなった。あとは死体と木偶の坊が残るだけ。討滅するには簡単な事。…そう、滅ぼすなど赤子の手をひねる程簡単な事。

 

 

 

 

「諸君、最終通告だ。投降をしろ。…選ばないのならば我々は君たちを慈悲も容赦もなく討滅する。」

 

 

 

それは地獄で差し伸べられた最後の光。彼らがどちらを選択したかなど最早答えるまでも、考えるまでもないほど明確で分かりやすいだろう。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

戦場の跡は悲惨の一言に尽きた。ロドス側の損害はない。僅かなケガこそあれど戦地医療は万全だ。オペレーターたちに怪我人は居たとしても死者はない。彼は…ドクターは味方側の犠牲を極端に嫌う。

 

 

その凄惨な跡は全て全て、レユニオン・ムーブメントの構成員だったものだ。だったの言葉通り、生前の面影はない。ぐちゃぐちゃになり、鮮血に染まり、そして物言わなくなった死体、骸。それらが凄惨な現場を構成した。ドクターはその凄惨な跡を歩き、何かを思い更ける様に見回す。これが積み上げて来た死体のほんの一部に過ぎなかった。

 

 

 

「指揮系統を壊し、恐怖で撹乱し、選択の余地を与えず、『最小限の犠牲』で争いを留める…本当、お見事な御手並みね?『ドクター』」

 

 

そんなドクターに声をかける一人のサルカズの女性が居た、手にはハンドグレネードを握っており、とても剣呑な雰囲気と言えた。

 

 

「紛争や小競り合いにおいても犠牲は付き物だ。命を払うことでその戦いが終わるチケットを買えるならば、払うべきは戦いを始めた方に他ならない。…それで損害が少ないのだから問題はないだろう?」

 

 

サルカズの女性…Wはそんなドクターを見てフンと鼻を鳴らし言葉を返した。

 

 

 

「そうね、正しいでしょうね、指揮官として、組織としては間違いなくあんたは正しいわ。正しすぎて悪寒がするくらいにはね。」

 

 

まるで吐き捨てるような言葉だった。Wの言葉には棘が生えていた。むしろ棘しか生えてなかった。棘で構成されすぎていて言葉を包む吹き出しも棘があっただろう。

 

 

 

「本当に記憶喪失なの、あんた。一ミリも変わってないじゃない。」

 

 

疑念、彼女がぶつけてくるのは正しく疑念、疑惑という視線。Wの訝し気な視線がドクターに突き刺さる。彼は棘が体中に突き刺さる錯覚を覚える。

 

 

 

「残念だが記憶はない。私には目覚めて以来の記憶はない、だからこそ過去の私が何を考えていたかには至らない。」

 

 

返す言葉は否定。彼は事実としてそれ以前の記憶を持ち合わせていないし、知りもしない。一部は彼が前に戻ることを望まない者もいる。

 

 

 

「アーミヤやケルシーが言うにはあんたは変わったらしいけれど。」

 

 

Wはドクターの前に立ち、そして視線が交差した、とはいえドクターの視線はバイザーの下。彼が何処を見ているかはWには分からない。交差して数秒、話は続く。

 

 

 

「あたしからすればあんたの事は何も変わってない、着実に勝利し、そして前に進むことだけに執着してる。記憶を失う前だろうと失った後だろうとあんたの本質は何も変わってない。」

 

…だから記憶喪失への疑惑が彼女を包んでいた。

 

 

「ヒトの本質は記憶を失ったくらいでは変わらないさ。根底に刻まれた物は例え全ての記憶を失っても、知識を失っても。…それでも意志は消えない。」

 

 

彼が語る、ヒトの本質。思いは途切れない、その本質。意志は消えず残るというヒトが持つ素質。記憶を失った程度では消えない彼の想い。

 

 

「だからこそ我々は犠牲を抑え、相手方の犠牲を最小限で抑え、その犠牲を使って戦火を終わらせる必要があるんだ。」

 

 

それは傲慢に映るか。だが結局戦争は勝った方が正義、負けた側は勝った方に逆らえはしない。だからこそロドスは勝ち続けなければならない。

 

 

 

「…本当に何も変わらないわ。あんた。病的なまでに勝利を求めるその姿、三年前のあんたと何も変わらないわ。」

 

 

「それを聞いて安心した。」

 

 

Wが募らせるは不信感。もともとドクターのことを彼女は信じてはいない。記憶を失う前のドクターの事を知っている彼女はドクターを信じる気などおきはしなかった、例えそれが記憶を失っていたとしていても、だ。だが、彼女は記憶を失ったドクターが以前のドクターだと一緒だとは思っていなかった。以前のドクターならば味方の犠牲は厭わずして勝利をもぎ取っていた。だが今のドクターは味方の犠牲を酷く嫌う。その差異が、Wには以前のドクターとの違いと認識していた。

 

 

「で、あんたはそれだけ勝ち続けて何処へ行こうっての?まさか世界を支配するだなんて馬鹿げたことでも言うつもり?」

 

 

それは嘲り。ドクターの不信感は募るばかりだが、それでもWはどうしても気になることをこのドクターから聞き出すことは出来ない。記憶でも戻らない限り、彼女は永遠にドクターから知りたい真実を聞き出せない。その無念さが詰められているのか言葉は何時もより数倍刺々しい。

 

世界を支配というのはロドスの目指すところではない。だが彼は真面目に思考した。

 

 

「我々の目指すところを最速で辿り着くならば正直それも悪くないとは思っている。世界を支配することが出来たならば実際鉱石病患者の立場を改善することも難しくはない…」

 

 

ドクターは大真面目にそう思考した。傍から見れば狂気の沙汰。とても正気とは思えない考えだが彼は真面目に、大真面目にそう考えていた。これには刺々しかったWも思わず呆れの感情を覚えざるを得なかった。

 

 

「…あんたさぁ、それ正気で言ってるわけ?」

 

 

「勿論。…ただこれは現実的ではないというのも承知しているさ。だがこれからの道のりを考えるとそれが最速で辿り着く一番の方法だとも思っている。」

 

 

「…道のりねぇ…。あんたたちは何処を目指してるわけ?」

 

 

ドクターが空を見た。釣られて彼女も空を見上げた。

 

 

「既に私たちは幾千もの死体を積み上げて来た。この屍を前にすればもう後に退くことなんて許されない。」

 

 

瞬間、Wは幻視した。それはもう見ることの無いと思った幻想。幻想と分かっていても彼女はその姿に一つ、彼女の背を重ねた。

 

 

『私は多くのサルカズを巻き込んできたから、責任を持って進まなければいけないの』

 

 

声が聞こえる。それは幻聴だ。もう二度と聞くことは無いと思っていたその声。人は時が経てば故人の情報を、声帯を、顔を思い出せなくなると言うがその懐かしい声が再びWの耳に響いた。勿論それも幻だ。

 

 

「この大地には怒りが満ち溢れている。」

 

 

『この国にはたくさんの怒りが溢れている。』

 

 

重なる。ありえないと分かっていたとしても彼女が否定したしてもどんどんと重なっていく。

 

 

 

「感染者が虐げられたことで生ずる怒り、そして感染者に家族を殺された非感染者の怒り。怒りが連鎖して大地を包んでいる。」

 

 

『連鎖した怒りが牙を剥いて無辜の民が虐げられている。彼らはただ生きたかっただけなのに、それすらも許されずに死んでしまった。』

 

 

「行き場を失った怒りを鎮めるために私たちは戦いに身を投じている。」

 

 

『たとえどれほど死体を積み重ねて…この両手が血に濡れてしまっても。』

 

 

 

――――――――虐げられない世界が来るまで、歩みを止めることは許されない。

 

 

 

「既に後には退けない、ならばあとは進むだけだ。何があろうとも止まることは許されない。」

 

 

 

 

…その言葉を聞き、Wは顰めていた眉を漸く解いた、そしてフッと鼻を鳴らした。

 

 

 

「…意志は消えない、か。」

 

 

そう、独りごちた。気になることはあれど、それは今問うても無駄な事だった。ならば彼女なりの務めを果たす必要があるだろう。そう結論付けた。

 

 

 

「何かな、W。」

 

 

ドクターが疑問を投げかける。それに対し彼女は投げやりな返答をした。

 

 

 

「何でもないわ。でもそうね…」

 

 

少し考えこむ動作をした彼女は夕日を見て、漸く立ち上がった。

 

 

 

「…少しだけ認めてあげるわ。あんたっていう存在をね。」

 

 

どういう意味だという問いを無視してWは歩き出した。

 

 

 

慈悲深く、それでいて戦争を起こした彼女。それが多くの人々が泣くものだと承知していた彼女。彼女は自負深く、そして非情だった。

 

 

冷酷で、温厚。慈悲深く、無慈悲。彼女を構成していたものは疾うにこの世から消え失せていたと思っていた。だが…

 

 

 

「…貴方は消えてなんかいない…貴方は永遠よ………テレジア。」

 

 

 

 

その呟きは夕闇に吸われて誰の耳に届くこともなく、虚無へと消えていった。



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その手に恐怖はあるか

一般的に鉱石病に感染してしまうのは源石が血中に数多く入ってしまうことにより、鉱石病の症状は出てくるという。故に感染者と身体的な接触をしたとしても鉱石病になることはないと言われているのだが…。

 

 

 

 

 

 

「………。」

 

 

一人のリーベリ族の少女が気難しそうな表情で自分の手のひらを見ていた。ボウガンを撃ち、その癖がすっかりと付いてしまった自身の手。この手は何の対象か、少女…グレースロートはただ無言で自分の手を、掌を見つめていた。

 

 

 

「………。」

 

 

そしてずっと見つめていても答えは出ず、彼女は息を吐いた。そして自身の手を見て、何をやってるんだと独りごちた。彼女は自身の掌に赤い鮮血が染まっている錯覚を覚えていた。それは気のせいだ。だが、その両手を以てグレースロートは幾つかの死を齎してきたのもまた事実だ。彼らにとってグレースロートはどう映っただろう、死神か、それとも悪魔か。死んでしまったものの答えを聞くことなどできはしない。しないが、それでも彼女は自問自答を繰り返す。

 

 

 

「感染者を救うために感染者を殺す…。」

 

 

勿論レユニオンを断つという有用性も彼女は理解している。ロドスの理念は彼女も理解しておりそれ故にその作戦行動に不満はない。『感染者の問題を感染者が解決する』。…それが感染者が虐げられない世界の第一歩だとアーミヤは語る。だがそれでも彼女は己の手に疑問を抱かざるを得なかった。そうして自問自答を繰り返し、答えのない問いを繰り返していた。

 

 

「やっほ、燕ちゃん。」

 

 

そんな自問自答を繰り返すグレースロートの背中をドンと押した存在が居た。…フェリーン族のオペレーター、ブレイズだ。

 

 

「何するのよ…馬鹿猫。」

 

 

自問自答を一度中断した彼女は悪態を吐いた。強く寄せられていた眉が少しだけ解け、グレースロートの纏っていた緊張感が僅かだが緩んだ、その変化はブレイズが登場したことによる物というのは誰の目から見ても明らかだった。

 

 

 

「何って大した用はないわよ。ただ小鳥ちゃんがずっと壁に向かってブツブツ言ってるから何言ってるか気になっちゃって。」

 

 

「…あんたには関係ない事よ。」

 

 

はぁとグレースロートはため息をついた。彼女と居るとグレースロートはペースを乱される…が、正直に言えば彼女はそれが今は助かった気持ちだった。ナーバスな気持ちになってしまっている彼女は今は流されている方がむしろ気が紛れて丁度いい。勿論口が裂けてもブレイズに対して言いはしないだろうが。

 

 

グレースロートはまだ年若い。普段彼女の周りに居る人間は大人ばかりだ、勿論アーミヤのような例外もあるが、それでも意志が強く、そして精神的にも落ち着いた大人ばかりだ。ドクターは彼女にとっても尊敬するべき人物であり、そもそもドクターなくしてロドスの発展は無かったと言われる傑物だ。彼女にとってドクターは、純然に尊敬する人物だった。ただその精神性は真似できるものではないと思っているため、彼女は己の精神の弱さを卑屈に思っていた。

 

 

 

「……。」

 

 

沈黙してしまったグレースロート。彼女はまだ感染者になることは怖い。そもそも進んでなりたがる人物はいないだろうが。

 

 

 

「…………。」

 

 

ちらりとブレイズを一瞥する。彼女は感染者だ。それも結構病状が進行してしまってる類の。以前のグレースロートならば全力で拒否して、そしてブレイズがその差別的な発言にキレて、悲惨な現場になっただろう。…とはいえ彼女は成長する。確かに感染者は怖いが、それでもこのように隣に居るだけで感染することはないことは理解している。

 

 

 

「それで、今日はどうしたの?」

 

 

普段騒がしいブレイズからは考えられないほど、穏やかでそして気遣いに満ち溢れた声、その声にグレースロートは意外さを隠しきれなかった。

 

 

「…珍しいわね、あんたが私を気遣うなんて。」

 

 

「本当…この小鳥ちゃんは言葉に棘が多いわねぇ…。」

 

 

とはいえ彼女の物言いに悪気はない。彼女は物言いこそ冷たく感じることがあるかもしれないがそれでも、正論を言う。ブレイズにも自身が似合わないことをやっていることの自覚はある。誰かのメンタルケアなど彼女の不得意とすることだ。

 

 

 

 

「…本当に珍しい。初対面じゃあんな事を言っていたのに。」

 

 

「あ、その話はもう無しでしょ…確かにあの時は私はグレースロートに苛立っていたから酷い言葉をぶつけちゃったけどさ。」

 

 

この二人の出会いは龍門でのレユニオン排除作戦の時だった。その時、ブレイズはグレースロートが感染者に対して差別的な発言をしたことで怒り心頭であり、出会い様にブレイズはグレースロートを罵倒した。グレースロートも感染者に対して恐怖を抱いていることは否定できないため、その罵倒を受け入れざるを得なかった。グレースロートには既に感染者に対しての見方はその時に変わってはいたが、それでもブレイズがその怒りを収めるには十分な情報にはならなかった。その場はドクターが間に割って入ったお陰で何とか収まりはした…が。

 

 

ブレイズがグレースロートを見直したのはそれから間もなくの事だった。確かにグレースロートは感染者を恐れるような素振りを見せはした…が、それでも彼女は真摯に向き合おうとしていた。疲労困憊のブレイズの手を取り、肩を貸したのは他ならないグレースロートだった。

 

 

戦場を駆けて、互いの最悪な第一印象を超えて、二人は奇妙な関係に収まった。それは友人というには遠くて、他人と呼ぶには近すぎる。そんな絶妙な距離感での関係。

 

 

 

 

「…別に、大したことじゃない。何時もの自己嫌悪。」

 

 

「そっか…。」

 

 

一方、グレースロートが非常に強いトラウマを感染者に対して持っているということをブレイズが知ったのは最悪な第一印象を超えてからの事だった。彼女に対しての見方があると知ると同時にそれまでの態度を謝罪すると同時に妙に態度が軟化した。とはいえ殺気が飛び交うような関係だったことを考えると大分進歩したと周囲は喜んだ。…元々ブレイズが一方的にグレースロートを敵視していただけではあったが。

 

 

グレースロートは思うところがあったのかぽつりと言葉を漏らし始めた。

 

 

 

「ブレイズ。」

 

 

「うん、言ってみなよ。」

 

 

現在、ブレイズはグレースロートに対して悪感情はない。彼女が感染者と平等に接しようとしてることを知ったブレイズはもう彼女に対して罵倒するような事は選択肢に無かった。彼女が言うには「私だってそこまで意地悪じゃない」とのことだった。ともあれ悪感情を捨て去ったブレイズは彼女の事を何かと気に掛けていた。こうして話を聞くのもその一環だった。

 

 

 

「アンタも…アンタも自分の手で感染者を殺したことはあるのよね。」

 

 

「…うん、あるよ。」

 

 

ブレイズは肯定する。彼女は強襲オペレーター。最前線の矢面に立ち、荒事に身を投じる彼女は相手の命を奪い去ってしまうことも一度や二度ではない。ましてや彼女の得物はチェーンソーだ。相手の命を切り裂くのは容易い道具。そして何よりもロドスと敵対するレユニオンは止まらない。

 

 

 

「感染者を救うために戦ってる筈なのに、私たちは感染者を殺してる。そのたびに思う…私は一体何のために戦ってるのって。…どうしてこの手を感染者の血に染めてるのって。」

 

 

「………」

 

 

ブレイズは己の掌を見つめるグレースロートを見て、少し考えて、そして口を開いた。

 

 

 

「ねぇ、グレースロート。手を見せて。」

 

 

「…何で?」

 

 

「良いから。」

 

 

彼女は半ば強引に押し切るように言葉を進めた。そしてグレースロートの手を見て、言った。

 

 

「グレースロートは自分の手が怖い?」

 

 

その投げかける質問にグレースロートはこくりと頷いた。

 

 

「…怖い。こうやって相手に死を与え続ければ、私は何時か手が真っ赤に染まって取れないんじゃないかって…。」

 

 

グレースロートは不安を漏らす。彼女の年若さで人を殺すのは一体どれほどの人間が経験するだろうか。ああ、だがそんなことは結局切欠に過ぎす、彼女の不安を加速させるだけだった。

 

 

「それはないよ。」

 

 

しかしブレイズは面と向かってグレースロートの不安を否定した。その目がしっかりとリーベリの少女の不安を否定し、彼女の目を見据えた。

 

 

 

「本当に殺しを楽しむような人は血も冷たい。…良く、手が冷たいは人は心が温かいというけれど。…そんなものは関係ない。」

 

 

ブレイズが首を横に振り、否定する。彼女の手が、グレースロートの手に触れられた。思わずグレースロートはビクッとなった。そしてブレイズが尋ねる。

 

 

 

「感染者に触れられるのは、まだ怖い?」

 

 

…一瞬沈黙したグレースロートは少しだけ逡巡し、そしてその手を受け入れた。

 

 

「この程度の接触で感染することがないのは知ってる…だから大丈夫。」

 

 

それはグレースロートからすれば大進歩。かつて彼女は工業用源石機械に触れてしまった際に、業務用やすりで血が出るほど擦り続けたということがあった。…それほどまで感染者やひいては源石との接触を恐れた彼女からすれば感染者と触れ合う、それだけでとても勇気のいることだった。だが彼女は知っている。

 

 

 

「…ほら、何も変わらない。…感染者だって非感染者だって…ただの手なんだから。」

 

 

「うんうん、よく出来たね。」

 

 

ブレイズは満足そうに、グレースロートの頭を撫でた。彼女の進歩を褒め称えていた。

 

 

「…だからと言って撫でるのはなし。子供扱いしないで。」

 

 

その手は直ぐに跳ね除けられてしまったが…。再びグレースロートの手を握り、ブレイズが言葉を続ける。

 

 

 

「…グレースロートが血塗れになることはない。それは私が保証する。」

 

 

「…どうしてそう言い切れるの?」

 

 

グレースロートの訝し気な目線がブレイズと交差した。まるで理由を求める様に彼女はおずおずとブレイズに答えを求める。

 

 

 

「…だって、燕ちゃんの手はこんなに暖かいだから…血の通ってない化け物じゃない君は他人の痛みがちゃんと分かる子だから、君の手は血を忘れて冷たくなんかなりやしない。」

 

 

…それは果たして理由と言えるのか。確かにブレイズは理論派ではなく感覚で生きるタイプだがこの場合悪手であるとは考えなかった…などど色々と言えるがグレースロートにはそれが面白おかしく感じられた。

 

 

 

「…何それ…もっとマシな理由なかったの…?」

 

 

可笑しく感じられ、グレースロートは破顔した。厳しい表情だった彼女の表情は柔らかいものになり、笑顔が浮かんだ…とはいえ僅かに笑っているだけだが。

 

 

「…むっ、酷いね、これでも頭を結構使ったのに…。」

 

 

「口下手…っていうより本当、頭を使うの下手ね。」

 

 

だがそれでもグレースロートは笑った。…少なくとも先まで悩んでいたものは消し飛ばせていたようだ。グレースロートはブレイズの手を握り返した。

 

 

 

「…燕ちゃん?」

 

 

 

「…あんたの手も暖かい。…感染者だって血の通った人間だから当たり前だけれど…。」

 

 

その顔色に恐怖はもうない。彼女はやがて恐怖心を克服するだろう。そしてブレイズと目があったリーベリの少女は面と向かって告げた。

 

 

 

 

「…これでもあんたには感謝してるのよ…馬鹿猫。」



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