クラスメイトの立花響とお好み焼きを食べに行くだけの話 (幸海苔01)
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立花響とお好み焼きを食べるだけの話

リハビリ。
ほのぼの系です。


 

 

 妹が死んだ。

 

 残されたのは、ほんのごくわずかな遺品のみ。

 遺体など無い。骨すらも残らず灰にされた。 

 

 合宿から帰ってくると同時に、その旨を聞かされ、

 

「へぁ?」

 

 思わず間抜けな声が出た。

 

 その日は現実感が無く、ぼんやりと宙を漂うような心地で通夜を過ごした。

 

 次の日には、いきなり現実に晒され、恐ろしくなり、吐いた。告別式には最初だけ参加し、その後はまともに顔を出せなかった。

 胃の中をあまさず空っぽにするかの如く、吐いて吐いて吐きまくった。

 そして、ここまで人間はやる気を失うのかと自分でも笑ってしまうほどに、全身をただひたすらに虚脱感が蝕んだ。

 

 さらにその次の日には、溢れる涙が止められず、泣いて泣いて、泣き疲れて、寝てしまった。

 

 仲の良い兄妹だった、と思う。互いに憎まれ口を叩き合いながらも相手のことを大切にしていた。

 特に自分は親にも周囲にも妹に甘いと苦言を呈されていた。

 自分ではそう思ってはいなかったが、友人にはシスコンと揶揄されるくらいには、甘かった。

 

 そして、次の日にひどく疲れた顔の両親を見て、このままでは家族全てがダメになってしまうと思った。

 泣き叫びたいのは両親も同じなのだ。その事実に気づき、三人で肩を寄せ合い、バカみたいにまた泣いた。

 

 それからさらに幾日か休み、ようやく学校に向かうことにした。このままではきっとダメになる。それを妹が望むとは思えない。

 せめて、彼女が胸を張って、立派だと言えるような兄でいるためにも、最低限のことはしなければならない。

 

 学校もまた暗い雰囲気に包まれていた。同じ部活の級友たちが心配そうに恐る恐る声をかけてきたため、ぎこちないながらも、ひとまずは心の整理がついたことを彼らに伝えた。

 

 その途端、彼らも泣き出し、辛いのはお前のはずなのに、ゴメン、と何度も謝られ、こちらの方が慰める側になってしまった。

 

 何か解決したわけでは無いが、自分が良い友人たちを持ったのは確からしい。

 

 聞いてみれば、他にも自分のような人たちが少ないながらもこの学校にいるらしい。

 当然と言えば、当然のことではある。何せ―

 

 

 ――ツヴァイウイングのコンサートなど行きたくない人間の方が珍しいだろう。

 

 

 それに加え、今回のコンサートはかなりの大規模なものであった。厳しい抽選を勝ち抜いたとは言え、それなりの人数が集まったことも確かだ。

 だからこそ、

 

「おい、あれって―」

 

 『生き残り』がいたとしてもおかしくはない。

 

「立花って、みんなを見捨てて自分が誰よりも先に逃げたらしいよ」

 

 そう、おかしくはないのだ。

 

 それが、自分の妹ではないというだけで。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ノイズ。13年前の国連総会にて認定された特異災害の総称である。

 

 同体積に匹敵する人間を炭素転換し、自身も炭素の塊と崩れ落ちる以外には、 出現から一定時間後に起こる自壊を待つしかなく、有効な撃退方法はないとされている。

 

 そして、妹を殺した犯人でもある。

 

 憎んでも憎んでも憎んでも、どうしようもない相手。

 

 だからこそ目に見える矛先、生贄(スケープゴート)に目をつけてしまうのが人の性。

 何より厄介なのが、その主張が悪ではないため、尚の事始末に負えない。

 

 その生贄の名は立花響。

 他ならぬ自らのクラスメイトでもある、少女だ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 彼女のことについて、自分はそれほど多くのことを知っているわけではない。

 良く悪くも、彼女の印象はクラスメイト。

 たまに話すし、明るく付き合いの良い性格であることを知っているくらいだ。それほど仲が良いわけではない。

 それから割と周囲の男子に人気があったらしいが、それ以上のことは知らない。

 

 そんな関わりの薄い自分でもおかしいと分かるくらいに、今の彼女は憔悴していた。

 

 彼女もまた例のコンサートにてノイズに被災した一人とのこと。負傷し、病院には運ばれたものの、割と早い段階で復学出来ており、自分よりも先に学校に来ていたらしい。

 彼女の場合は少し他の被災者たちと毛色が違う。あの場での数少ない生存者で、直接被災した人間。

 それだけならば良かったのかもしれない。しかし、広まった噂が良くなかった。

 曰く、当時の事故の状況によると、彼女は他人を踏みつけ、自らのみが助かろうとした結果、この場所にいる。曰く、助けを求める声を無視して、自分一人だけ逃げた。

 

 そのような噂が広まれば、それに応じて彼女のことを中傷する人間が現れ始めるのにそう時間はかからなかった。

 また、教員の中にも、身内の人間が被災した者がいたのが更に事態を悪化させた。そう、本来であればストッパーとなるべき、教員も見て見ぬ振りの状態となったのだ。結果として、ある種『制裁』とも言えるような、彼女へのいじめは苛烈さを増していった。

 

 それが自分のいない時期に起こった一連の出来事。

 

 彼女への行為は目に余るものだと思わなかった訳ではない。だが、自分は助けようとは思わなかった。いや、思えなかった。

 誰かに目を向けるような余裕が自分には無かったのもある。親しくなかったこともある。

 

(本当に、それだけなのか?)

 

 心の何処かにある行き場のない怒り。それが自分の中には一ミリたりともないとは言えない。

 彼女への行為を見逃すことで、憂さを晴らしたかったのかもしれない。ざまあみろ、と思ったのかもしれない。

 

 それを考えようとして、やめた。

 無駄だ。自分に誰かのことを慮る余裕なんてない。そう、無いはずだ。自分は今の壊れそうな家族の状況をつなぎとめるので、精一杯なのだから。

 

 しかし、ふと思った。思ってしまった。学校に行くことを決めた誓いを思い出してしまった。

 

(今の俺のことを、妹が見たら、どう思うんだろうな)

 

 兄に対しては横暴だったものの、妹は存外正義感が強い人間だった。尚且つ好き嫌いもはっきりしていた。

 人をいじめるような人が嫌い。それを見過ごすような人も嫌い。そう言っていたのはいつのことだったか。

 

 確か、妹の友人が以前いじめを受けていた折の話だ。

 当時、妹が怒りのあまり、女子同士の喧嘩に似つかわしくない殴り合いにまで発展させてくれたおかげで、親が学校に呼び出しを喰らった。妹を抑えるために、自分まで引っ張り出されたのには思わず笑ってしまった。

 それ以来、そうした主張を持つようになり、弱者を一方的に踏みにじるようないじめに関しては、蛇蝎のごとく嫌っていた印象がある。

 

 そんな妹が今の立花響の状態を見れば、間違いなく周囲に噛みつくだろう。そしてその上、自分も失望されて、怒られてしまうかもしれない。

 

(妹が誇れるような兄貴なのかな、俺は)

 

 少なくとも、今の自分を見て、妹が誇れるような兄かと言えば、それは決してないだろうとは言える。

 

(それで、良いのかな)

 

 分からない。正しさなんて投げ出してしまいたい。別段、自分は正義感が強いわけでも無い、一般人だ。

 

 結局、その日はぼんやりとした考えのまま、学校を終えた。

 

 顧問には休んでもいいと言われたが、何かしていないとおかしくなりそうだったため、部活にも取り組んだ。頭の中を空っぽにしたくて、誰よりも熱心に取り組んだ。

 

 そして帰路に着く。級友たちに一人にして欲しい旨を伝え、一人で歩いて帰っていた。あたりは既に茜色を通り過ぎ、薄暗くなり始めていた。

 思い出されるのは、今日の光景。唯一の生存者、立花響。

 机への落書きは当たり前。昼休みを過ぎた頃には、彼女の着ている服は皆のような制服ではなく、体操服に変わっていた。

 

 自分は本当にこのまま見過ごして良いのだろうか。そんな思考のループに入りかけた時――

 

「たち、ばな…?」

 

「あ、えっと、こんばんは」

 

 よりにもよって、今一番出会いたくない人間と出会わせるとは。

 薄暗いこじんまりとした公園の中で、ぼんやりと一人でブランコに腰掛ける立花響がそこにいた。いつの間にか彼女の姿は制服に戻っていた。

 

「…こんなとこで、何してんだ?」

 

 声をかけた以上、何か話さなければいけないような気がして、言葉を紡ぐ。言った後に、このまま無視して大人しく帰れば良かったとも思ったが、今更だ。

 

「あー、えっと、ちょっとね…」

 

 どことなく歯切れも悪く、気まずそうな声音。

 それもそうだろう。恐らく、あちらも自分の状況は知っているはずだ。話しかけられたから返したが、普通に会話をするような間柄では無いことくらい分かっている。

 

「「…………」」

 

 沈黙が二人の間を支配する。

 

 ぐ〜、きゅるる。

 

 そんな沈黙に耐えきれなくなったかのように、腹の虫が鳴り響く。そして、その音の出所は、

 

「ご、ごめん」

 

 視線の先にいるのは、薄暗くて、微かにしか見えないが、顔を赤くして俯く立花響。

 まあ、自分でないのなら、この場にいるのは彼女のみ。当然と言えば当然の帰結だろう。腹の虫で思い出したが、そう言えば―

 

「立花、お前今日の給食食ったのか?」

 

「あー、えっと、まあ、うん」

 

 明らかな嘘。思わずこちらが呆れてしまうくらいに、下手くそな嘘だ。

 恐らく、いじめの一環で、彼女は今日の給食を食べることが出来ていないのだろう。

 

「…おい、立花」

 

「えっと、何かな?」

 

 自分でも何故そうしようと思ったのか分からない。

 彼女に対し、そうしてやる義理などないはずだ。おかしいとは思う。変だという自覚はある。だけど何故かその時はそうしようと思った。

 

「お前、暇なら来い」

 

「へ?」

 

 惚ける彼女に対し、口を開く。

 

「飯、食いに行くぞ」

 

 そしてそれは恐らく正しいことだったのだろう。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ここは…」

 

「今日は、父さんも、母さんも色々忙しくて、外で食う予定だったんだ」

 

 立花を連れ立って向かった先は、自らが贔屓している穴場こと、『お好み焼き ひまわり』。

 よく妹や一部の友人たちと連れ立って訪れていた店だ。部活帰りの夕飯までの繋ぎとして、腹を持たせるために寄ったり、夕飯代わりに利用したりと、よくお世話になっている。

 

「いや、でも私、お金…」

 

「奢ってやる、いいから来い」

 

 ハッと気付き、遠慮しようとする立花を半ば強引に説き伏せて、店内へと入る。

 

「いらっしゃ…って、また随分と珍しいお客さん連れてきたね」

 

「ん、おばちゃん。適当に座っていい?」

 

「ま、今日はお客さんあんまいないし、好きにしなさい」

 

 顔見知りの店主に軽く手をあげつつ応え、聞けば、了承を得られたので、適当な座敷に座る。そこへ立花に手招きをし、対面に座らせる。

 

「それで?いつもので良いのかい?」

 

「ん、明太餅チーズと、豚玉のそば入りで。立花は?」

 

「え!?えっと、わ、私は…」

 

 恐る恐る座敷に腰かけたかと思うと、急に話を振られ、慌てふためく立花。

 

「…適当で良いなら、イカ玉とかその辺食うか?俺のやつシェアしても良いし」

 

「へ!?あ、えっと、じゃあそれで!」

 

 思わず大きな声を出してしまう立花に内心苦笑しつつ、メニュー表の中から適当に選び、注文する。

 

「はいよ、今日は自分で焼くかい?」

 

「そうする。座敷だし」

 

「はいよ」

 

 間を置かずして、すぐさま何品か持ってくるおばちゃんから商品を受け取りつつ、油を引き、手早く焼いていく。

 何度も来ていることもあって、割と焼くのは得意だ。

 

「…………」

 

 目の前の立花は俯き、黙したままだ。

 混乱もするだろう。何せ急に訳もわからず連れてこられたのだから。

 生地が焼けるのを待ちつつ、口を開く。

 

「何で、って思ってるんだろ?」

 

「へ?」

 

「俺がお前を連れてきた理由の話だよ」

 

「…うん……」

 

「だろうな」

 

 疑問に思うのも当然だ。何せ他ならぬ自分自身もよく分かって無いのだから。

 

「…ぶっちゃけた話、俺にも何でかは分からん。ただそうしようと思って今こうしてる」

 

「…………」

 

 立花は黙って大人しく自分の話を聞いている。視線は向けない。

 お好み焼きの焼ける音が一際大きく聞こえる。そんなお好み焼きの生地の状態を見つつ、話を続ける。

 

「お前、俺の妹のこと多分知ってんだろ?」

 

「…うん……」

 

 立花の手に微かに力が篭ったような気がしたが、構わず続ける。

 

「お前に対して何も思うところが無いって言えば、嘘になる」

 

「…………」

 

「かと言って、何かしようとも思ってはいない」

 

「え……」

 

 立花が初めてこちらの顔を見た。

 

「お前のことは心底羨ましいとも思った。何で妹じゃないんだって思った」

 

「うん…」

 

「でも、それとお前のことを憎むこととは話が別なんだと思う」

 

「…………」

 

「ええっと、つまりだな、俺も正直、お前に対してどういうことを言いたいかは分かんねえけどー」

 

 うまく言葉にならない。もどかしい感情が心を支配する。

 

「腹が減った状態で考えたとしても、ロクな答えが出せねえと思った」

 

 つまり、こういうことなのだろう。何かしたかった訳ではないのだ。恨み言を言いに来たわけでも、慰めに来たわけでも無い。

 

「だから、ここで腹一杯食って、その後のことはその後考えれば良い。ここは飯屋だ。食うことだけ考えてれば、それで良いんだ」

 

 所詮、中学生の浅はかな考えだ。そんな大層な御高説を垂れに来たわけでは無い。

 

「何、それ…」

 

 立花の顔を見ずに、お好み焼きをひっくり返す。たとえ、聞こえる声が涙で滲んだような声でも、見なければそんなことは分かりっこ無い。女子の泣き顔を見たところで、自分にはどうにか出来るような甲斐性はない。だから、見ない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 その後は一言も喋らず、ただ静かにお好み焼きを二人で食べて帰った。一人当たり三枚、計六枚も食べてしまい、思った以上にお金を使ってしまったがそれはご愛嬌というやつだ。ひまわりがリーズナブルであることをこれほど感謝した日はない。

 

 そして、腹一杯になって、落ち着いたのか、腹も据わった。

 

 どうなるかは分からない。もしかしたら標的や矛先が自分に向くかもしれない。それでも、きっと自分のやることは間違っていない。そのはずだ。妹が誇れるような兄になるために。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 翌朝。

 気合を入れるために、髪型をセットした。ワックスは校則違反かもしれないが、今日くらいは良いだろう。

 

 教室の前に立ち、気合を入れる。

 

(ビビるな、俺)

 

 そうして、教室のドアに手をかけ、勢いよくドアを開けた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 結論から言えば、上手くいった訳でも無いし、状況が悪化した訳でもなかった。

 

 立花響に対しての態度が、腫れ物に触るような扱い程度になったことくらいだ。

 自分に対してはと言えば、あまり変わらなかった。

 自分もまた被災者だったからというのもある。一部の女子との関わりこそ完全に絶たれたが、男子で加担していた者はごく僅かであり、自分の級友にそれらの人間が含まれていなかったことも大きい。

 

 結局、その後の立花本人との関係性も変化する訳でもなく、結局あの日以来、事務的な会話を交わすのみで卒業までを過ごした。

 

 元々自分はそういうタイプではなかったのだから、この結果は上々と言えるのかもしれない。

 

 風の噂で聞いたところによれば、彼女は無事どこかしらの学校に入学を決めたらしい。恐らくこれからは会うこともないだろうと思う。

 

 自らもまた無事に進学を決め、この春から一人暮らしが決まった。親には少し反対されたが、元々妹が死ぬ前からある程度決まってはいたことなので、少し週末に実家に戻る日が多くなるくらいで済んだ。

 

 ひまわりのおばちゃんに報告しに行けば、近くには『ふらわー』なる姉妹店的なものがあるらしいが、まあこれは余談だろう。

 

 完全に過去を乗り越えた訳ではない。一生背負っていくことになるかもしれない。だが、それでも時間は過ぎていく。

 ならばせめて妹が胸を張って、兄貴はすごいんだと自慢できるように、そんな人間でいられるくらいの努力はすべきだろう。

 

「いってきます」

 

 誰もいない部屋にはまだ慣れない。早く慣れないとなと考え、苦笑しつつ、新しい学校への一歩を踏み出した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 これは立花響に救われる少し前の話だ。

 

 

 

 

 

 




ほのぼの系です。(断言)


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クラスメイトの男子とお好み焼きを食べた話

裏話的なやつです。


 

 

 

 守興(もりおき)(まこと)

 

 彼のことを知らなかったわけではない。クラスメイトの一人としては認識していた。

 女子からは結構人気がある。友達も極端には多くないが、割といる。

 クラスの中心に居てもおかしくない存在。だが、積極的に目立とうとはしない。

 所属するサッカー部でも、レギュラーを勝ち取るくらいには優秀。勉強もできない訳ではなく、むしろ上から数えたほうが早い。

 欠点を上げるとすれば、割と天然なことと、シスコン気味だとまことしやかに囁かれていることくらいだ。

 

 そんな彼がある日を境に登校しなくなった。

 

 理由は分かっている。

 何せ他ならぬ自分が関わっていることなのだから。

 

 まあ、今の自分にとってみれば、どうでも良いことかもしれない。

 

「何で学校に来てんのよ!人殺しのくせに!!」

 

 女子トイレに響く怒号。上から浴びせかけられる冷水。そして、足早に去るように響く足音。

 

 ああ、またか。

 

 制服乾かさなきゃ、と。どこか他人事のように、ぼんやりとした頭で考える。

 

(未来に心配かけないようにしないと…)

 

 自分のことを学校の中で唯一心配してくれる親友の顔を思い浮かべつつ、重い腰を上げる。

 

(体操服まで汚されたりしてないと良いけど)

 

 諦観。もうどうにもならないことだと、心の中で諦めている自分がいる。

 自分一人ならまだ良かった。何より辛かったのは、家族を巻き込んでしまった時だ。

 何度命を絶とうと思ったか分からない。だが、その度にあの時の言葉が脳裏に浮かんだ。

 

『生きるのをあきらめるなッ!』

 

 あの時言われた言葉を片時も忘れたことはない。文字通り自らの命を懸けて自分へと繋いでくれたこの命を軽々しく投げ捨てるような真似をしてはいけない。

 

「へいき、へっちゃら…」

 

 呟き、無理矢理自らを奮い立たせる。

 

 心が、欠けそうだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 そうした日が幾日か過ぎ、遂に守興誠が登校を再開したらしい。

 

 彼は友人たちに囲まれ、彼らから慰めを受けていた。いや、それは正しくないかもしれない。何せ、途中からは彼のほうが慰める側に回っていたのだから。

 

 羨ましい。

 

 素直にそう思った。そして、そう思うと同時に、自分にはそんな資格が無いとも思った。

 これは報いなのだ。あの時に生き残ってしまった自分への報い。

 

 そして、今日も今日とて、机に書かれた、『人殺し』の文字を親友が消そうとするのをどうせまた書かれるからと留め、自らの給食はどこぞへと向かい、昼休みには相も変わらず冷水をぶっかけられ、制服を乾かし、帰路に着く。

 

(少し、疲れちゃったな…)

 

 自分がいると、家にまた石が投げ込まれるかもしれない。怖い思いを家族にさせてしまうかもしれない。

 そう考えると、何となく家に帰り辛く感じた。

 足取りがどんどんと重くなり、やがて立ち止まり、ふと気付いた。

 

(こんなとこに、公園なんてあったんだ)

 

 こじんまりとした、ごく僅かな遊具しか無い公園。昔はよく未来とブランコで遊んでたっけ、と何となく思いつつ、腰掛ける。

 

 それから、どれだけ時間が経ったのだろう。

 帰る際は茜色に染まっていた周囲が、既に薄暗くなりはじめていた。

 

(あ…そろそろ、帰らなきゃ)

 

 あまりに遅いと母と祖母に心配をかけてしまうかもしれない。

 

 そう思い、立ち上がろうと考えた瞬間、一つの人影が近くを通り過ぎようとし、声を上げた。

 

「たち、ばな…?」

 

「あ、えっと、こんばんは」

 

 守興誠。

 他ならぬあの時のノイズによる災害で大切にしていた妹を失った少年。

 最悪だ。よりもよって彼と鉢合わせることになるとは。

 

(私、呪われてるかも…)

 

 だが、きっとこれも罰なのだ。

 どれだけ詰られようと、どれだけ憎まれようと、彼とはいずれ向き合わなければならない運命だったのだろう。

 

 そうして、部活帰りであろうユニフォーム姿の彼は、少し思案するように目線を横に逸らしたかと思うと、口を開いた。

 

「…こんなとこで、何してんだ?」

 

 彼はその言葉を口にした直後に、しまった、とでも思うかのような顔を浮かべる。

 分かりやすいなあ、と思いつつ、

 

「あー、えっと、ちょっとね…」

 

 と、適当に誤魔化す。

 

「「…………」」

 

 沈黙が二人の間を支配する。

 それはそうだろう。話すことなどと言われても、そもそも元の関わりも薄い上に、現在の関係性など、気まず過ぎて一周回って笑えてくる。

 

 そんな自らの心情とは裏腹に、

 

 ぐ〜、きゅるる。

 

 沈黙に耐えきれなくなったかのように、腹の虫が鳴る。

 

「ご、ごめん」

 

 慌てて、相手に向かって謝罪する。

 最悪だ。冗談抜きで呪われてるかもしれない。彼の視線もどことなく呆れたようになっているのは気のせいではないだろう。

 

 だからこそ、続いた彼の言葉には少し驚かせられた。

 

「立花、お前今日の給食食ったのか?」

 

「あー、えっと、まあ、うん」

 

 つい反射的に、誤魔化しの言葉を述べてしまうが、彼には気付かれているようで、先程よりも更に呆れるような視線が強くなったような気がする。

 未来にもよく言われるが、そんなに自分は嘘が下手だろうか。

 

 そして、再度彼は思案するように視線を横に逸らした後、口を開く。

 

「…おい、立花」

 

 思わず身構える。罵倒だろうか。恨み言だろうか。

 

「えっと、何かな?」

 

 だが、続く彼の言葉は予想と正反対の言葉であった。

 

「お前、暇なら来い」

 

「へ?」

 

 思わず、惚けて、間抜けな声を上げてしまった。そこから更に彼は畳み掛けるように言葉を紡ぐ。

 

「飯、食いに行くぞ」

 

(いや、何で?)

 

 自らの頭に浮かんだのは、率直な感想だった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 結局、教室で比較的大人しめのはずの彼とは打って変わっての半ば強引な誘いにより、お店の前にまで来てしまった。書かれている文字にちらりと目を向ければ、『お好み焼き ひまわり』。

 

「ここは…」

 

「今日は、父さんも、母さんも色々忙しくて、外で食う予定だったんだ」

 

 その言葉に嘘はないのだろう。家族が亡くなれば、色々と手続きもあるのだろう。

 そんなことをふと考えてしまう自分に嫌気が差す。そう考えたところで、ハッと思い出す。お金など持ち合わせいないことに。

 

「いや、でも私、お金…」

 

「奢ってやる、いいから来い」

 

 そう口にして、断ろうとすれば、あっさりと逃げ道を塞がれた。

 彼はと言えば、躊躇いなく暖簾をくぐり、扉を開く。行くしかないのだろう。どこか諦観した気持ちで自らもまた店内に入り込んだ。

 それと同時にソースの香りが鼻腔をくすぐる。店内は明るすぎず、どことなく柔らかいオレンジ色の光で照らされていた。

 

(またお腹鳴っちゃいそう…)

 

 懸命に自らの空腹と格闘している横で、

 

「いらっしゃ…って、また随分と珍しいお客さん連れてきたね」

 

「ん、おばちゃん。適当に座っていい?」

 

「ま、今日はお客さんあんまいないし、好きにしなさい」

 

 彼はと言えば、顔見知りであろう中年の女店主に声をかけ、適当な座敷へと向かい、こちらへ手招きする。

 

 ぺこりと女店主に軽く頭を下げつつ、彼の対面に座る。

 彼はメニュー表にさらりと目を通し、注文を決めたようで、店主に目を向ければ、

 

「それで?いつもので良いのかい?」

 

「ん、明太餅チーズと、豚玉のそば入りで。立花は?」

 

 阿吽の呼吸と言っても良いくらいに、既にオーダーを完了していた。メニュー表を見た意味は何だったのか。

 そして、急に話を振られた自分はと言えば、

 

「え!?えっと、わ、私は…」

 

 盛大に焦っていた。

 気付けば、メニュー表は自分の方に最初から向けられていた。なるほど、彼がメニュー表を取り出したのは、見るためでなく、見せるためだったのか、と関係ないことにまで頭が行きつつ、慌ててメニュー表に目を通す。

 

 またもや呆れたような視線を向けられつつ、彼が口を開く。

 

「…適当で良いなら、イカ玉とかその辺食うか?俺のやつシェアしても良いし」

 

「へ!?あ、えっと、じゃあそれで!」

 

 何だか恥ずかしくなってきた。

 …気遣いは出来るようだが、如何せん彼はどうにもマイペース過ぎる気がする。

 店主の方にちらりと目を向ければ、苦笑し、呆れたような視線を彼の方に向けていたので、自分の感想は間違っていないのだろう。

 

 そうして、ひとまず注文を終えたところで、店主が口を開く。

 

「はいよ、今日は自分で焼くかい?」

 

「そうする。座敷だし」

 

「はいよ」

 

 店主なりの気遣いなのだろう。

 二人は親しい様子だ。恐らく彼の状況も知っているだろうし、もしかしたら自分のことも知っているのかもしれない。

 だからこそ、ここに余計な世話を焼いてはいけないと思ったのかもしれない。

 

 間を置かずに、彼女が次々と商品を持ってくる。それを彼が受け取り、手慣れた様子で生地を混ぜ、油を引き、焼いていく。

 自分はと言えば、手持ち無沙汰で、手を虚空に浮かせてうろうろさせていたくらいだ。

 まあ、実際慣れているのだろう。店主にメニューを覚えられるくらいには繰り返し来ている様子であったし。

 

 その作業すらも、自分には見る資格が無い気がして、思わず顔を俯ける。

 そのまま黙していると、彼が口火を切った。

 

「何で、って思ってるんだろ?」

 

「へ?」

 

「俺がお前を連れてきた理由の話だよ」

 

「…うん……」

 

「だろうな」

 

 その通りだ。最初は恨み言をぶつけるためかとも思った。ただ、自分とご飯を食べる理由が分からない。自分が逃げられないようにするためだろうか。

 

「…ぶっちゃけた話、俺にも何でかは分からん。ただそうしようと思って今こうしてる」

 

「…………」

 

 どう反応して良いのか分からなかった。訳がわからない。一体彼は何がしたいのだろうか。

 そんな自分の心情など知ったことではないとばかりに、彼は言葉を続ける。

 

「お前、俺の妹のこと多分知ってんだろ?」

 

「…うん……」

 

 来た。やはり来るのは罵倒か。思わず手に力が篭もる。

 

「お前に対して何も思うところが無いって言えば、嘘になる」

 

「…………」

 

 当然だ。彼の妹は死に、自分は生き残った。

 

「かと言って、何かしようとも思ってはいない」

 

「え……」

 

 続く彼の言葉に思わず顔を上げる。彼の視線は相変わらず、お好み焼きに注がれたままだ。

 

「お前のことは心底羨ましいとも思った。何で妹じゃないんだって思った」

 

「うん…」

 

 彼が言葉を紡いでいく。軽く相槌を打ちつつ、彼の話に耳を傾ける。

 

「でも、それとお前のことを憎むこととは話が別なんだと思う」

 

「…………」

 

「ええっと、つまりだな、俺も正直、お前に対してどういうことを言いたいかは分かんねえけどー」

 

 そこで、彼がどことなく困ったような顔になった。

 言うべき言葉を探しているのだろう。そうして、少し逡巡した後、

 

 

「腹が減った状態で考えたとしても、ロクな答えが出せねえと思った」

 

 

 …何だ、それは。それだけのために、自分と夕飯を食べに来たのか。

 なるほど、彼は天然だ。そしてどうしようもなく不器用なのだろう。

 ふと、思い出した。

 彼はシスコンだが、彼の妹もまたかなりのブラコンだという話を。彼は生粋の兄なのだろう。懐くのも当然の話だ。そして、彼が女子に人気があるのも当然の話だ。

 

「だから、ここで腹一杯食って、その後のことはその後考えれば良い。ここは飯屋だ。食うことだけ考えてれば、それで良いんだ」

 

「何、それ…」

 

 ようやく出せた声は震えていた。

 ああ、きっと今の私はひどい顔をしているだろう。

 

 彼は私に視線も向けず、お好み焼きに視線を注いでいる。なんだ、そんなにお好み焼きが大切なのか。

 いや、違う。本当は分かっている。彼は自分が折れてしまわないように、慮ってくれているのだろう。

 

 彼みたいな人がいる。それだけで自分は救われた気がした。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 結局、その日はそれ以上言葉を交わすことなく、普通にお好み焼きを食べて帰った。

 …それはそれとして、三枚は少し食べ過ぎたかもしれない。お会計の際に、少し彼の眉がピクリと動いたのは見なかったことにした。

 

 家に帰り着いた時、母と祖母が心配し過ぎて通報寸前だったのには、かなり焦った。

 

 父のこともあったばかりだ。余計に心配したのだろう。

 

 大丈夫な旨を伝えたが、体にまとうソースの匂いで、お好み焼きを食べてきたことが一発でバレてしまった。

 結局隠しきれずに正直に話せば、母と祖母は泣きながら、良かったね、良かったねと繰り返し言ってきた。

 自分がいじめられていることはバレバレだったらしい。

 

(心配かけないようにしてたんだけどなあ…)

 

 わざわざ親友の未来にまで口止めした意味はあまりなかったらしい。

 

 その日は石を投げ込まれることもなく、いつもよりも穏やかに眠れた気がした。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 翌日。

 幾分か軽くなった心情ではあるが、足取りが重いことには変わりない。未来には心配されたが、大丈夫だと言い含め、予鈴が鳴るギリギリ前に教室に入る。

 

(あれ?)

 

 自分が入った瞬間に、水を打ったように静かになるのはいつものことだが、何だか今日は様子が違う気がする。そして、違和感は続く。

 

 未来とともに昨日必死で綺麗にした机がそのままなのだ。

 いつもであれば有り得ない。翌日には『死ね』、『人殺し』などと書かれた、見るも無残な姿に変貌していた。

 

 何と言うか、教室内が張り詰めている。

 そして、その中心にいるのは――

 

 ――ワックスで乱暴に撫でつけたかのような髪型。

 

 ひどく似合っていない。その上、彼の顔に似つかわしくない、どことなく不機嫌そうなしかめっ面。だけど、私にはそんな彼が誰よりも輝いて見えた。

 

 なるほど、これは、少しまずいかもしれない。

 自分でも笑ってしまうくらいに単純だ。

 

 彼はきっと、立花響のためではないと言うだろう。だけどそれでも。

 

 

 立花響は確かに救われたのだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 その日から、学校生活という一点に関しては、劇的に変化した。

 制服は濡らされず、一人ではあるが、給食は食べることができ、机も綺麗なままだし、事務的な会話に限っては無視もそんなにはされなくなった。

 

 一人、もしくは未来と二人だけの機会が多かったお陰で苦手な勉強が少しは改善され、未来と同じ進学先に進むことが出来ただけ、僥倖だろう。…ギリギリではあったが。

 

 ちなみに、肝心要の彼とはなんの進展もなく、事務的な会話のみで卒業を迎えてしまった。

 だが、これで良かったのだろう。自分のような人間が彼のような人間を大切に思う資格などないのかもしれない。彼には自分の親友のような素晴らしい人間こそがふさわしいのだろう。

 そう思いつつ、その親友である未来と共に帰路に着く。そんな時に、ふと声をかけられる。

 

「あら、まこちゃんと一緒に来た娘じゃない。それに、未来ちゃんも」

 

「あ、えっと、こんにちは」

「こんにちは」

 

 声をかけてきたのは、あの時のお好み焼き屋の女店主。未来とは既に顔見知りなことに少し驚いた。

 

「何でも、リディアンに行くとか聞いたけど」

 

 本当に驚いた。教員でさえ自分の進路は知らない人間が多いと言うのに、どこから聞いたのだろうか。ちらりと目を向ければ、隣の未来も驚いている。

 

「良い女には秘密が付きものだからね」

 

 自分と未来の驚いた様子に女店主はそう言いつつ、ウインクしてきた。

 

「「な、なるほど…」」

 

 思わず感心した声を未来と揃って上げてしまった。

 

「ちなみに、リディアンの近くには『ふらわー』ってお好み焼き屋あるから、よろしくね♪うちの姉妹店的なものよ」

 

「は、はあ…」

 

 何故か店の宣伝をされた。しかし、ひまわりのお好み焼きはかなり美味しかった。あの味が味わえるのなら、是非訪れようと心の中で密かに決意する。

 

「そう言えばまこちゃんね、サッカーで推薦決まったらしいわ。何でも一人暮らしするとか」

 

 それは初耳だ。上手いという話は聞いていたが、そんなレベルだったとは。

 

「ちなみに、そこも『ふらわー』が近いのよねー」

 

 悪戯めいた顔を浮かべつつ、そう口にする女店主は、じゃあねー、と言いつつ、その場から去っていった。

 

(そっか、そうなんだ…)

 

 まだ彼に恩を返す機会は失われてないようだ。

 

 ちなみに、その言葉を聞いて、知らず知らずの内に笑みを浮かべていたらしく、未来が少し拗ねた様子だったのは、ちょっとした余談だ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「知ってますか、翼さん。おなか空いたまま考えてもロクな答えが出せないってこと」

 

 これは、立花響が救われた話だ。そして、それを誰かに繋ぐ話だ。

 

 そして、彼と再会する少し前の話でもある。

 

 

 




主人公の誠君は多分イケメンなので大概酷い目に遭います(無慈悲)


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お好み焼きを一人で食べようとした話

特に山も谷もない、クッソつまんないマコちゃんの日常です。

要は繋ぎ回。


(…割と近いな…)

 

 朝につけたニュースにて、昨日の夜にノイズの出現が確認されたことを知った。

 

 思わず眉根に皺が寄る。ノイズと聞くだけで、その日一日が不幸に彩られた気さえする。

 だが、自らに出来ることなど一つもない。どう足掻いたとて、そもそもの対抗手段が現状無いのだから。

 まともな対抗手段さえあれば、もっと早期に解決できていただろう。

 

 

 それこそ、妹が死ぬ必要は無かったはずだ。

 

 

 かれこれ二年の歳月が経ってはいるものの、片時もあの時を忘れることなど無かった。それこそ寝ている時でさえ、未だに悪夢に苛まれる日もあるくらいだ。

 結局、誰にでも平等なはずの歳月が、自らを癒やしてくれることは無かったらしい。

 

(…くだらない)

 

 昔はともかく、今は癒やされることを、救われることを求めている訳ではない。自らに出来る精一杯をやるだけだ。

 起きたことは戻せないし、失ったものを取り返せる訳でもない。怒りもある。憎しみも消えない。

 だが、失ったものをただ数えるしか出来ない自分になど、なりたいはずもない。

 

 妹が誇れる自分になる。その決意は変わらない。

 

(それはそれとして、朝練に遅れたら洒落になんねえ!)

 

 テレビを慌てて消し、昨日のうちに用意していた荷物を手にとり、足早に家を出た。

 いまいち締まらない気もするが、これが今日まで続く今の日常だ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 サッカーを究極的に突き詰めれば、単純な作業だ。

 ひたすらに蹴り、駆け、蹴る。

 相手のチームよりも、自らのチームが点を取れば勝てる。

 だからこそ、自らに向いていると思った。

 

 ちなみに当時は野球も考えたが、坊主が嫌だったので、サッカーにした。

 

 周囲は自らを器用な人間だと言うが、自分はそう思ったことなど無い。単純に、人よりもスイッチの切り替えが多少なりとも早く、上手いだけだ。

 勉強の時はそれのみに専心し、MFとしての役割を求められたならば、それのみに専心する。

 同時並行での作業が苦手だからこそ、身につけたやり方。集中の切り替え速度の早さと、集中自体の深さを両立させる。

 

(ここまでにしとくか…)

 

 まだ外は比較的明るいが、ほとんどの部員たちは帰路についている。元々今日は午前の授業のみかつ、自主練習の予定であった。

 ほぼ全員集まり、紅白戦までしたのはご愛嬌だ。結局それにより皆疲れ切ってしまい、解散と相成ったが、確認したいことがあり、自らはシュートの練習とドリブルの練習のために残った。

 一刻も早く確認したかったのだ。あの時の先輩たちの動きを。自らにもできないかとそう思った。記憶の残っている内に、取り組めば精度も上がるかとも思ったが、流石にここまでが限界だろう。

 これ以上は明日の練習に差し障りがありそうだ。オーバーワークが逆効果なことは、中学時代に散々学んだ。

 

 滝のように流れる汗を拭いつつ、事前に顧問に願い出て、使えるようにしていたシャワールームへと向かう。

 着替えはもちろん持参済み。運動部に着替えは必須アイテムだ。

 

 シャワーを浴びつつ、今日の食事をどうするか考えるが、答えは半ば決まっているようなものだ。

 

(今日もふらわーだな)

 

 最近、行く機会が多い気がする。

 ふらわーのおばちゃんにも、食生活には多少気を遣うように言われたものの、積極的に改善しようとしない自分に根負けしたのか、はたまた諦めたのか、炭水化物よりも野菜や肉、魚介類の具材が多めのお好み焼きが出されるようになった。

 

 以前おばちゃんに対し、他の客と比べ、平等では無いのでは?と少し皮肉気味に問えば、長期の需要が見込める客に対する投資だとあっさり返された挙げ句、年若い少年の不摂生を咎める者がいても、そこら辺にいるおばちゃんのお節介を咎める者などいないと、感情面でも畳み掛けられた。

 その上、自らのちょっとした罪悪感からのお節介もバレていたようで、子供に心配される程、経済状態は悪くないと窘められてしまった。

 ここまで手痛い反撃をされたのは、妹とひまわりのおばちゃん以来だった。

 

(ま、気にしても仕方ないか)

 

 帰りついたとして、料理をする気力などほとんどない。風呂に入って、勉強して、洗濯して、明日の準備を行えば、それだけで終わってしまう。洗い物も面倒だ。

 流石にそこまで完璧にしろとまでは、妹も言わないだろう。自分にできるのは、文武両道までだ。

 

(それに…)

 

 洗い物や料理といった待ち時間が多い作業をしていると思わず、『どうでもいい』考え事をしてしまう。

 出来る限り、そうしたことを考えられないように、何かの情報で頭を埋めておきたかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「おばちゃん」

 

「明太餅チーズと、豚玉そば入りかい?」

 

「ん、お願い」

 

 そういう訳で今日も今日とて寄るのはふらわー。手っ取り早く栄養を体に取り入れるためだと自分に言い訳しつつ、いつもの注文を頼む。おばちゃんの呆れた視線は気にしないことにした。

 カウンターに突っ伏し、置かれたお冷の水滴を眺めながら、焼けるのを待つ。

 流石に選手権常連校ともなると、中学の時とは違い、かなりの練習量でもある上に、周囲のレベルも格段に違う。加えて今日のように自主練も行っているため、流石に疲労も溜まる。

 

「また随分としごかれたみたいだね」

 

 おばちゃんがこちらに目線を向けながらも、そう口を開き、その手は止めない。手元に目も向けず、よく出来るものだ。まさしく職人技と言うべきだろう。

 

「ん、まあ先輩たちとの紅白戦は楽しかったし。サッカー好きだから良いけど」

 

 姿勢はそのままに、自らも口を開く。何となく起き上がる気になれなかった。

 

「そうかい。結果は?」

 

 分かってて言っているだろうとばかりに恨みがましい視線を向けるが、おばちゃんはいつの間にやら、目線をお好み焼きに戻しており、どこ吹く風といった様子だ。

 

 溜息を吐きつつ、仕方なしに結果を伝える。

 

「一年組のボロ負け。DF固いし、FWはいつの間にかゴール近くいるし、パスの精度えげつないし。最後ら辺意地になって、前に出まくって、超攻撃型の布陣で点をもぎ取って、ようやく一矢報いたレベル」

 

「おや、良かったじゃないの」

 

 おばちゃんはそう言うが、問題はその後だ。

 

「でもその後、先輩たちに火付けちゃったみたいで、めっちゃ抜かれまくって、1点も取れなくなって、圧倒的点数差でボコボコにされた」

 

 結果は9対1。そのフィールドの広さとも相まってか、サッカーとは存外点差の開きにくいスポーツである。にも関わらず、この点差。まさしく格の違いを見せつけられた気分だ。全国レベルが揃い、年齢差があるとは言え、こちらも選ばれた人間、生半可な選手はいなかったはずだ。

 

 そう、個々の技術に著しい差というのは—一部の選手を除き—無かった。

 一番の敗因は、練度の差。対応力の差。

 

 個々人の技量は確かに大切だ。だが、サッカーは『チーム』のスポーツだ。どんなに技量の優れた人間が居ても、活かせるだけの土台が無ければ、囲まれ、潰される。

 それさえも踏み越える圧倒的なまでの『天才』も居るが、その『天才』だって、止められない訳ではないし、限界だってある。3点入れることが出来れ(ハットトリックを決めれ)ば、偉業と言われる世界なのだ。点を稼ぐという、簡単に見える内容がどれほど難しいことかが分かる。

 そして、自分たちはまともな『チーム』になっていなかった。その綻びをものの見事に突かれ、終盤の超攻撃型布陣にするまで、連携らしい連携も取ることが出来なかった。

 

「まあ、あの子たちも相当負けず嫌いだからねえ…」

 

 どことなく苦笑混じりに、おばちゃんが呟く。

 

 先輩たちの中には、ふらわーの常連が何人かいるらしい。DFの先輩に聞いたところ、たまに行くのだと言っていた。

 ついでに聞いた話だが、近くの女学院の娘たちがたまに来るから、それ目当てでこっそりと通っている先輩方もいるらしい。

 そういう馬鹿が増えて食べられなくなっても困るんだけどね、とその先輩がどことなく腹黒さを感じる笑顔でそう言っていたのを思い返す。顔は王子様系かつ爽やか系のイケメンであったため、どことなく恐ろしく感じた。やはり、いやらしいディフェンスをしてくるだけのことはあるな、と思ったのは秘密だ。

 ちなみに、その先輩が本気を出したせいで、その後1点も取れなかった。

 

「まあ、だろうね」

 

 そうでなければ、常連校のレギュラーなどやっていけないだろう。別段、根性論を振りかざす訳ではないが、闘志や覇気のない人間に務まる代物では無い。その闘志や覇気の最たる代表例が負けず嫌いと言っても過言ではない。

 

(でもまあ、久々に楽しいと思えたな)

 

 色々あった中学時代に比べれば、多少なりとも前を向けるようになった。おまけに最近伸び悩んでいたプレイの幅に、今日の試合とDFの先輩によるアドバイスのお陰で伸び代が見えた。目指すべき場所が多少なりとも見えたと言っても良い。

 

(頑張ろう。まずはレギュラー入りだな)

 

 そこから更に目指すのは、プロのスカウト。既にFWの先輩や話を聞いたDFの先輩には話が来ているらしい。早いとも思ったが、実力があるのだ。当然の話だろう。

 

 今出来る精一杯を。少なくとも自分に高校生の時分で世界を救うだとか、ご立派なことなんぞ出来ない。

 

 だが、サッカーならば。追いつけるだけの才能は持っていると自負している。あとは自らの努力次第だ。

 

「はい、お待たせ。出来たよ。まずは豚玉そば入り」

 

 目の前に出来立てのお好み焼きが、ドンと置かれる。

 とはいえ、今やる事は決まっている。一先ずは腹ごしらえだろう。

 

 そんな時だった。

 ひどく耳障りな警報が周囲に鳴り響いたのは。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一口も口をつけていないお好み焼きは惜しかったものの、すぐに悪くなるような代物でもないので、ラップをかけて置いておくことにした。もしもの時はふらわーのおばちゃんに、新しいものを作ってくれるとの約束も取り付けたため、避難を始める。

 

 幸いにも、自分が来店していた時は、来客も既に落ち着いた後だったため、避難誘導も特に必要なく、二人揃ってシェルターに避難するだけで済んだ。

 

 出現場所が近くとは言っても、割と離れていることもあり、不安がる声もそんなに挙がらなかった。

 

 避難している際、ふと手に痛みを感じて目を向けてみれば、知らず知らずのうちに手に力が篭っていたようで、掌にはっきりと爪の跡が残っていた。よほどしっかり握り込んでしまったらしい。

 

「大丈夫かい?」

 

「ん、ああ、大丈夫」

 

 おばちゃんにまで心配される。いつの間にか表情にまで出ていたようだ。よくない兆候だ。少なくとも今は割り切り、避難に集中すべきだ。切り替えの速さが取り柄なのだから、それくらいのこと、自分に出来ない訳がない。いや、やらなければならない。

 

 

 

 自分は所詮、『無力』なのだから。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 避難は大きな混乱はなく、時間としてもそんなに長いものではなかった。

 

 出現場所自体が近くとは言っても、それなりに距離も離れていたことに加え、ノイズ自体も更に離れた場所へと移動していったとのことであったため、すぐにふらわーへと戻ることが出来た。そもそもシェルター自体がそんなに効果のあるものかどうかというのは大いに疑問が残るが。

 

 流石にお好み焼きは冷めてしまっていたが、おばちゃんが新しいものを作り直してくれたため、無事夕食にありつけた。残ったお好み焼きはおばちゃんの夕食代わりにするらしい。

 

 お好み焼きを食べ終えた頃には、ニュースにてノイズの消滅が確認された旨を放映しており、おばちゃんと二人でほっと胸を撫で下ろした。

 ふらわーを出た頃には流石に周囲も暗くなっており、特に買い物も無かったので、寄り道せず大人しく帰路に着くことにした。

 

 ノイズは消えた。

 今のところ知り合いに被害もない。

 

 学校や部活のメッセージのグループでも、安否確認があったが、特に問題は無かった。

 そう、特に何もない、はずなのだ。

 

 なのに、妙な胸騒ぎが消えてくれない。

 

 何かを見落としているような、そんな気がするのだ。

 

(いや、気のせいだ)

 

 切り替えは得意なはずなのに、ここのところ妙に上手くいかない。

 ノイズの話を聞いたからかもしれない。

 その単語を聞けば、否応がなく妹のことを連想してしまう。

 

(出来ることなんてない。諦めろ)

 

 自らに言い聞かせるように、心の中で呟く。

 

 前に一度、妹が死んだ少し後に何か解決法がないかと探したことがある。とは言っても、当時の自分は所詮中学生。精々ネット検索や図書館で情報を探すのが関の山。一般向けに公開されているような情報しか見つけることが出来なかった。分かったことと言えば、ノイズがどこから来たかも、その目的も分からないということくらいだった。

 ノイズの持つ位相差障壁という特性により、現行兵器も大きな効果はなく、過去にあったノイズ撃退用の爆撃によって、地形が変わり、土砂崩れが起き、そちらの被害の方がむしろ大きいと言うのだから、何とも笑える話だ。

 

 自らの心に折り合いをつける切掛にこそなったが、専門家たちが探し続けて、未だに解決法すら発見できていないものを自らに見つけることが出来る訳もなく、至極当たり前のことでもあった。

 

 まあ、折り合いをつけたからと言って、納得し切れているわけではないのだが。

 

(明日も早いし、今日のところ寝るか)

 

 結局、『どうでもいい』考え事をしてしまった。胸騒ぎは消えてくれない。

 翌日の準備を行い、早々にベッドにその身を埋め、目を閉じた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 夢を見た。

 

 荒野の中に少女の歌声が響く。

 少女の容姿は分からない。

 ボロボロのフードのようなものを被り、こちらに背を向けたまま歌い続ける。

 

 ただ一人荒野に真っ直ぐと立ち、歌い続けるその姿はまるで—

 

「—正義の、味方」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 朝。目が覚める。

 

「……いや、何でだよ」

 

 別に歌っていただけだ。それに、見えていたのはフードを被った後ろ姿だけ。それなのに、どこかで少女と確信している自分がいた。正義の味方だと確信していた。訳が分からない。

 それは良い。いや、良くはないが、それより訳が分からないのが、

 

「何で泣いてんだよ、俺…」

 

 その姿を見て、涙が溢れて止まらなかった自分だ。

 ただ、その後ろ姿を見て、どうしようもなく悲しく感じた。どうしようもなく寂しく感じた。

 

「疲れてんのかね、どうにも」

 

 昨日の件を引きずっているのかもしれない。それに、もしかすると居残り練習は流石にオーバーワークだったのかもしれない。

 体感的には体の疲れは取れている。だが、今日の練習は少し抑え目にしておくべきかもしれない。

 

 一つ溜息を吐き、ベッドから身を起こす。

 涙で濡れた顔を洗い、着替えつつ、ニュースを確かめ、買い置きしていた、野菜ジュースとパックに包まれたドリンクゼリーを朝食代わりに流し込む。流石にこれだけでは足りないので、道中でパンを購入し、練習前に食べるというのが自分のルーチンだ。

 

(よし、行くか)

 

 今日もまた、テレビを消し、昨日のうちに用意していた荷物を手にとり、足早に家を出た。

 

 

 



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旧友とお好み焼きを食べる話

友達とモンハンやってたせいで遅れました。

悪いのは友達です。俺じゃありません。


 

 

 

 あれから、かれこれ一ヶ月。

 ここのところ、ノイズの出現が妙に多い。

 通常であれば、ノイズの災害自体かなりのレアケース。

 にも関わらず、ノイズの出現率、回数ともにこの街は異常だ。

 あるのだろうか。『何か』が。それさえ分かれば、ヤツらを―

 

「守興!休憩おわりだぞ!」

 

 その言葉に、ハッと現実に立ち返る。

 

 現在は部活動中。

 『どうでもいい』ことを考えても仕方ない。

 そうだ、切り替えろ。自らの度量を弁えろ。出来ることなんて無い。

 

「どうした!守興!そんなパスじゃ通るもの通らんぞ!それとも、相手にパスしたのか!!負けたいなら、余所でやれ!!」

 

「すいません!!」

 

 監督の怒号が響く。

 パスの精度にまで影響が出始めている。無駄なことを気にしているからそうなる。

 このままではあの日の誓いさえ守れない。

 

 そんな自分(理想)になれない自分に何の価値がある。妹さえ守れなかった自分(出来損ない)に。

 

 集中を深く。何も感じないように。何も考えないように。目の前のプレイのみに集中をする。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「守興、お前何か悩みがあるのか?」

 

 練習後。監督から呼び出され、彼の元へと赴き、投げかけられたのは、そんな言葉だった。

 

「…いえ、特には」

 

 そう口にすると、監督からどことなく呆れたような表情を向けられた。

 

「嘘吐くなら、もう少しマシなモンか、バレないように嘘を吐け。それじゃ、悩みがありますって宣言してるようなもんだぞ?」

 

 自分はそんなに分かりやすかっただろうか。

 これでも表情は変えていない自信はあったのだが。

 

「お前、何かを我慢する時とか嘘を吐く時に必ず表情が硬くなる癖、何とかしたほうが良いぞ」

 

 更に考えを読まれた。自分にそんな癖があったとは。何と言うか、人をよく見ている人だ。だからこそ、監督としての仕事を任されているのだろうが。

 

「……」

 

 監督の言葉にバツが悪くなり、思わず俯き、そのまま黙りこんでいると、彼は更に言葉を重ねる。

 

「今日のプレイだが、途中までは明らかに精彩を欠いていたかと思えば、注意した後から動きが良くなっていた。但し、『個人プレイとしては』だが。それは理解しているな?」

 

「はい…」

 

 監督の言わんとしていることは、何よりも自らが一番理解できている。途中までは集中が浅く、途中からは集中が深すぎた。いつものような迅速な切り替えと適度な集中の深さが両立出来ていない。

 

「お前の持ち味はその器用万能さと、俯瞰の能力の高さだ。お前は確かに、同学年の人間よりもセンスもある。だから個人プレイで突出したとしても、同学年同士での練習が多い、『今は』問題無い。実際、お前のチームは勝った」

 

「……」

 

「だが、上の奴らとやったとして、今のままでは九分九厘負ける」

 

 監督の言葉に思わず拳に力が入る。理解している。このままでは駄目だ。

 現在の練習は、いわば慣らし運転。どれだけの人間がどれだけの伸び代があり、どれだけ現状動けるかを把握する意味合いが強い。

 必然的に実力の近しい人間と比べた方が、細かな差も把握しやすい。だからこそ、同学年同士での練習試合。

 

「FWなら良い。ヤツらは誰よりもゴールに対して貪欲であるべきだ。個人プレイで突出しないと意味がない」

 

 既にスカウトを受けている先輩などが良い例だ。誰よりもピッチ上では暴君であるが、同時に絶対的な安心感を与えてもくれる。フィジカルもテクニックも、ゴール及びボールへの嗅覚も突出している。

 彼のプレイはサッカーの技術を磨く上で参考にした部分も多い。だが―

 

「だが、お前はMFだ。FWに行きたいなら別だが、どうなんだ?」

 

 そう、自分はMFだ。FWではない。自分は誰よりも我儘になどなれない。自らの武器を間違えてはいけない。

 

「いえ、自分は…MFが良いです」

 

 絞り出すように、監督の言葉にそう答える。

 

「俺もその方が良いとは思う。お前のその能力は得難い。集中の切り替え速度と、深さを両立させることのできる人間は貴重だ。世辞抜きで、このまま行けば、プロだって目指せると俺は思ってる」

 

「ありがとうございます」

 

 本当にそう思ってくれているのだろう。元々、歯に衣着せぬ物言いをする人だ。お世辞なども苦手な人が嘘を言うとは思えない。

 

「だからこそ、今日のようなプレイを必要な時以外はするな。俺はカウンセラーでは無いが、お前らの監督ではある。悩みがあるならここで吐き出しておくか?解決の保証はできんが、聞くくらいはできる」

 

「…すみません」

 

 こちらのことを慮って言ってくれているのだろう。それは理解できる。だが、出来ない。何せ、解決しようのないことなのだ。他ならぬ自分自身で整理をつける必要がある。

 

「そうか、無理強いはせん。話したくなったら言ってくれ」

 

「ありがとうございます」

 

「話は以上だ。明日は休みだから、体をしっかり休めて、次の練習に備えるように」

 

「はい、失礼しました」

 

 監督は大して問い詰めるわけでもなく、自らに退出を促す。元々今日は注意喚起の予定だけだったのだろう。このようなことが続くようでは駄目だと、釘を刺す意味合いもあったのかもしれない。

 

(どうにか、しないとな…)

 

 焦りは募る。だが、焦ったとして何の意味もない。これといった解決策も思いつかないまま、その日の練習を終えた。

 何だかんだで一番世話になっているDFの先輩にも、今の乱れたプレイのままでは、自主練習をやったとしても変な癖がつきかねないと言われ、久々にまともな自主練習もせずに早々に切り上げた。

 

 とは言っても、身についた習慣というのは、無意識でこそ発揮されるようで。

 

「今日は来る気なかったんだけどな…」

 

 気がつけば足はいつもの『ふらわー』へと向いていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「何か悩みでもあるのかい?」

 

 本日二度目のその言葉に思わず苦笑を浮かべる。

 そんなにも自分は表情に出やすいのであろうか。そのようなつもりはこれっぽっちも無いのだが。

 

「見る人が見れば、かなり分かりやすいタイプだと思うよ」

 

 それは特殊な事例だと声を大にして言いたいが、こうも連続して指摘されると、自らの顔つきがいつもと違うのだろうかと、思わず頬の筋肉をほぐすかのように、手を添え、グニグニと上下に動かす。

 

「話せないことなのかい?」

 

「んー、そういう訳ではないんだけど…」

 

「話したくないってモノの類かい?」

 

「いや、そういう訳でも無いんだけど…」

 

「話しても解決出来ない類かい」

 

「まあ、ね」

 

 恐らく、人に話したところで納得できるような理由を見つけられない。

 参考にはなるかもしれないが、自分自身で折り合いをつけないと納得出来ない、いや、したくないのだ。

 自分で答えを見つけ、乗り越える。そうでなければ、自分は―

 

「もしかして、守興くん?」

 

 聞き慣れぬ、されどどこかで聞き覚えのある声。ふと振り向いた視線の先にいたのは、

 

「小日向?」

 

 久々に顔を合わせる旧友であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 小日向未来。元陸上部。中学時代の友人の一人。

 中学生の時は、サッカー部と陸上部はグラウンドを共に使うことも多かったので、割と話したりもした。

 妹が生きていた時には、妹への誕生日プレゼントなどの相談に乗ってもらったこともあるが、逆に言えば、学校以外であまり話すことは多くなかった。交友のあった女子の面々の中では、比較的仲が良かった方ではあるが、それだけの関係。

 進学先も全く違ったので、卒業後に連絡を取り合うこともなかった。一応メッセージアプリで連絡を取り合えるようになってはいるが、それくらいの関係性だ。

 ただ何となく印象に残っている。その理由は、

 

『あの』立花響の親友ということに他ならないだろう。

 

 若干、卒業前の出来事は自らにとって黒歴史気味だ。正しいことをしたとは思うのだが、わざわざワックスでキメなくても良かったのではないかとたまに思う。何より恥ずかしいセリフを吐いてしまったのは、未だに思い出して悶える。妹が生きていれば、しばらくは笑いの種にされただろう。

 

 それはそれとして、小日向未来の話だ。

 彼女は立花響から離れていった周囲の人間とは違い、決して立花響を見捨てることはしなかった。最終学年時には別クラスではあったものの、彼女の姿はたまに見かけた。

 彼女とて後ろ指をさされることもあったろうに、立花響の隣に寄り添い続ける彼女のことを、強い女性だとも勝手に思っていた。

 

 進学先については聞いたような気もするが覚えていない。制服は見たことがあるような気がする。朧気な記憶を引っ張り出しながら、旧友に問う。

 

「あー、学校この辺だっけ?音楽学校かなんかだったよな」

 

「守興くんって、たまに適当なとこあるよね。私立リディアン音楽院、だよ。割と有名なはずなんだけど」

 

 どことなく呆れたような声音と視線に少しだけばつが悪くなる。

 

「あー、聞いたことあるような無いような」

 

 サッカーの対戦校(予定)以外の情報はあまり知らない。確か女子校のはず。間違いなく対戦することはないので、どうにもうろ覚えだ。

 

「サッカー以外にももう少し興味持ったら?」

 

「ニュースは見てるんだけどな…」

 

 小日向から呆れたような視線さらに強くなった気がした。それから逃れるように、自らの目線をちらりと横に向け、言い訳がましく呟く。以前、妹のプレゼントの相談をした時も似たような視線を向けられた気がする。

 

「はいはい、スポーツニュースと政治経済ニュースだけでしょ。チョイスが微妙におじさん臭いよね」

 

「前に話したの覚えてたのか……」

 

 反論したかったが、言葉が出てこなかった。妹にも以前全く同じことを言われた。普通に傷つくのでやめてほしい。

 

「まあ、いいけど。でも、守興くんがいるとは思わなかった。そう言えば、スカウトされた学校この辺だったから、おかしくはないか」

 

 どうやら、彼女は自分の進学先を覚えていたらしい。さらにばつが悪くなる。

 

「知ってたんだな、俺の進学先」

 

「守興くん、私たちの中学で割と有名人だし」

 

「そうか?」

 

「スカウトまでされたら、そりゃそうでしょ」

 

「そんなもんか」

 

 そうかもしれない。もともと普通の公立中学だ。サッカー部も中体連で、そこそこ目立ってはいたが、全国まで駒を進めたわけではない。

 そんな中で有名校にスカウトされたのだ。ある程度噂が拡がるのも、当然と言えば当然の帰結だ。スカウトは渡りに船だったから受けただけで、意識してはいなかったが、周囲からはそう見られていなかったのかもしれない。

 卒業式に幾人からか告白を受けたのは、そうした要因もあるのかもしれない。サッカーに集中したいのと、遠距離恋愛が面倒に感じたので、断りはしたが。

 そこでふと気付いた。

 

「小日向、何か元気なくないか?俺の気のせいかもしれないけど」

 

 自らの言葉に少しばかり驚いたように目を見開く小日向。どうやら当たりだったらしい。

 

「……守興くんって、周囲への興味薄いくせに、たまに鋭いことあるよね」

 

「MFだからな」

 

「それ関係あるの?」

 

 少しだけ胸を張って答えると、クスリ、と微かに彼女の顔に笑顔が浮かぶ。

 

「でも、守興くんも同じでしょ。何かテンション低いよ」

 

「んー、あー、まあ、な」

 

 これで指摘されるのは三度目だ。どうやら自分は相当に隠し事が下手らしい。割とポーカーフェイスの自信はあったのだが。

 

「人の心配ばっかり。変なとこで響と似てるんだから」

 

「立花と?」

 

 思い出されるのは、彼女の沈んだ顔。最後に関わった時期が時期なので、イマイチ想像がしづらい。しかし、人の心配ができるくらいには元気を取り戻したのだろう。

 

「うん」

 

「悩み事は立花関連?」

 

「……守興くんってエスパー?」

 

 半分勘だったが、またもや当たりらしい。とは言っても、

 

「いや、ここで立花の名前出したら何となく察するだろ。伏線的な」

 

「まあ、そうかも?」

 

 ここにいない第三者の名前をいきなり出せば、そう思うのも無理からぬことだとは思うのが。

 

「立花が何かやらかしたのか?」

 

「まあ、響は割と頻繁にやらかしてはいるけど」

 

「ええ…立花ってそんな奴だったか?」

 

 関わりが薄いせいもあり、そんなイメージは全く持ってなかったが、意外と問題児らしい。まあ、成績は芳しくなかったような気もするが。

 

「多分、守興君が想像しているようなものじゃなくて、こう、善行で結果的に問題起こしちゃうって言うか…」

 

「多分だけど、フォローになってねえぞ」

 

 まあ、素行不良でないなら、大きな問題ではないのかもしれない。

 

「まあいいや、その立花がどうかしたのか?」

 

 善行を行っているだけなら、小日向もここまでは心配することはないだろう。恐らく、何かあるのかもしれない。

 

「最近、響の帰りが妙に遅いの」

 

「え?お前ら同棲してたの?」

 

 そう口にした瞬間、小日向の眉がピクリと動いた気がした。

 

「寮生活だからね」

 

「なる。すまん、続けてくれ」

 

 その後、特段反応することも無く、話を続ける小日向。

 それを要約すると、

 

「ある日を境に、立花の帰りが毎日のように遅くなっている、と。で、何か危険なことに首突っ込んでんじゃないかって?」

 

「…うん」

 

「根拠としては薄い気もするが、立花と一番親しい小日向が言うなら、あながち間違いじゃなさそうな気もするな」

 

 普通に考えれば、質の悪い夜遊びにでもはまっている程度の認識だが、どうにも気になる。その一番の理由が。

 

(ある日ってのが、近場でノイズが発生した日と被ってる…)

 

 何より、その日辺りからノイズの発生が異常な増加傾向にある。

 

(何か、あるのか?)

 

 ノイズの大災害から奇跡的に生き残った少女。そして、彼女の帰りが遅くなった日はノイズの発生日。偶然にしてはあまりに様々な事柄が符合し過ぎている。

 ひょっとするとノイズは―

 

「守興くん?」

 

「ん?ああ、悪い」

 

 考え込みすぎてしまった。これでは小日向の心労が増えるだけだ。

 

「立花がどこ行ってるかってのは分かんねえのか?」

 

「さっぱり」

 

「でも、遅くまで出てる割に普通に寮内に帰ってこれるんだな。女子寮ってそこそこ監視の目が厳しい気がするんだけど」

 

「言われてみれば、そうかも?」

 

 不自然なのだ。小日向曰く、寮監の目を盗んで遠出するような器用な真似が立花響にできるとは思えない、とのこと。それはそれでひどい気もするが、ひとまず置いておく。

 であれば、寮監自体が承知済みなのか、それとも、

 

(目的地がそもそも寮内か、校内、とか?)

 

 伝聞情報通りの立花ならば、前者の方が可能性は高いような気もするが。

 とは言っても、立花響とてたかだか自らと同い年の高校生。何かある可能性の方が低い。ただ、妙に引っかかってしまうのは、彼女が『あの事件』の関係者であるからなのだろう。

 

「んー、小日向が出来ないことを俺が何とかできるとも思えないけどなあ…いっそのこと直接聞くとか?」

 

「やっぱり、それしかないよね…」

 

 小日向が諦めたように溜息を吐く。実際問題、解決策が思いつかないのだ。情報があまりになさすぎる。どれもこれも推論かつ状況証拠ばかりで、確信を持つには至らないのだ。

 

「何はともあれ。飯だ飯。腹減ったままじゃロクな考えも浮かばん」

 

「何それ」

 

 クスリ、と自らの言葉に対し、小日向が笑みを浮かべる。笑う要素はなかったようにも思うが、まあ良いだろう。

 

「そう言えば、私ばっかり話してたけど、守興くんも悩み事あったんじゃないの?」

 

「ん?まあ、これは自分で折り合いつけなきゃいけない類だからな。詰まった時には助けてもらうようにするよ」

 

「そう?なら良いけど」

 

 しばらくの間、誰かに話す気は持てそうに無い。少しだけ気になることもできたが、何はともあれ腹ごしらえ。

 

「守興くん、自分で焼くの?」

 

「たまにはな。今日はあんま疲れてないし」

 

「焼けるの?」

 

「舐めんな。これでも料理はそこそこ得意だ」

 

「へえ、意外かも」

 

「失敬な」

 

 などと旧友とくだらないやり取りをしつつ。手早く生地を混ぜ、鉄板へと綺麗な円を形作るように流し込む。

 横から覗く小日向にドヤ顔を向けるのも忘れない。呆れた視線を向けられたが気にせず作業を進める。

 そこでふと、疑問に感じていたことを思い出した。

 

「そういや、小日向は何で自分とこの学校のこと、割と有名だって言ってたんだ?音楽学校って一般人からしたら、そんな有名なイメージ無いんだけど」

 

「まあ、世間一般じゃそうかもしれないけどね。でも、世間一般から見ても比較的有名だと思うよ。私たちの学校」

 

「え?マジ?」

 

 なぜそう言い切れるのだろうか。何か理由があるのだろうが、思いつかない。

 

「うん、だって――」

 

 小日向の声に、生地の焼ける音が一瞬かき消され、

 

 

 

「―――私たちの学校、風鳴翼さんがいるんだよ?」

 

 

 

 

 カチリ、と自分の中で何かが嵌まった音がした。

 

 

 

 



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外出して旧友+αに鉢合うだけの話

シンフォギア10周年おめでとうございます。
滑り込みセーフ(アウト)


 

 風鳴翼。

 

 彼女は世間で言うところの『歌姫』。その圧倒的な歌唱力と、キレのあるパフォーマンスに魅了される人間は多い。国内における若きトップアーティストとして、今も尚第一線を走り続けている。

 

 そして何より―

 

 立花響以外で『あの事件』を生き残った数少ない人間の一人。

 

 とは言っても、立花響の扱いとは裏腹に、彼女に対する世間の風当たりはあまり強くなかった。多少なりとも心無い言葉が向けられたりもしたが、自然とそうした風評被害は消滅していった。

 そうした扱いを受けた大きな要因は、彼女自身、『被害者』としての側面が強かったからだ。

 芸能人であり、多くの人々に絶大な支持を得ていた、というのも勿論あるが、一番大きな要因は前者だろう。

 

 他ならぬ天羽奏(片翼)の存在によって。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 旧友である小日向未来とお好み焼きを食べた後から、幾日かが過ぎた。

 相も変わらず、練習に身が入らない日々が続いていた。このままの状態が続けば、ルーキーリーグのレギュラーメンバーへの選出も危ぶまれる。折角の貴重な試合に出場できる機会を失いかねない。

 そんな焦りとは裏腹に、学校と部活動ともに珍しく休み。簡単な自主練習は許可を出されてこそいるが、後で自分だけ呼び出され、体をゆっくり休めるよう監督に厳命された。曰く、今の状態で練習しても、一切お前のためにならん、とのことだ。終わった後の自主練習に打ち込みすぎだとも言われた。

 多少なりとも自覚していることではあったので、大人しく監督の指示に従うことにして、ユニフォームの洗濯や、スパイクの手入れなどの雑務を行う時間に充てることにした。 

 実家にいる時から、スパイクの手入れなどは日頃から癖づいていたが、洗濯といった煩雑な家事は親に任せっきりだった。実家暮らしの人間が少しだけ羨ましい。家族が裏からきちんと支えてくれていたことで、ここまで来ることが出来たのだと改めて思う。

 ちなみに寮は洗濯機が設置こそされてはいるが、数が限られているので、結構な頻度で奪い合いになっているらしい。幸いにも、先輩のものを洗濯させられるような風土は無いらしいが、どうしても学年が上の人間の方が優先される傾向にはあるとのこと。こういう上下関係は、運動部である以上、仕方のないことだろう。

 

(偶然にしては出来過ぎな気もする)

 

 スパイクの手入れを行いながら考えるのは以前の話。

テレビも点けてこそいるが、自らにとって、環境音以上の役割は果たしていなかった。

 多大なる犠牲を出した、あの日の数少ない生き残りが二人。揃いも揃って同じ学び舎。しかも、そのうちの一人の様子がおかしいらしい。この話だけでも、引っかかることが多すぎる。疑ってくれと言っているようなものだ。

 

 この情報を得られたのは奇跡に近い。何せ、恐らく知っているのは当事者に最も近い、小日向くらいだろうからだ。

 とは言っても、

 

(じゃあどうしろって話だよなあ)

 

 多少勉強やスポーツは得意でも、所詮一高校生である自らに、画期的な秘策が思いつくわけではない。折角のチャンスを生かし切れていない感じがして、どうにももどかしい。

 

(忍び込むか?いや、でもなあ)

 

 夜の女子寮に忍び込む。言葉にしただけで、普通に捕まりかねない案件だ。次の日の一面は飾れなくとも、ネットニュースの話題の一つにはなりそうだ。いずれにせよ社会的に死ぬのは間違いない。

 

 そもそも限りなく怪しいだけで、物的証拠など何もない。そもそも立花が赴いているであろう、目的の場所すら分からない。

 

(だからこそ、でもあるんだけど)

 

 その証拠を掴むために、何かしらの行動が必要なことは確かだ。

 知る以上、リスクは承知の上ではある。こういうリスクは望んでいなかったが。

 

(立花に直接聞くか?)

 

 本人の連絡先は知らないが、小日向とは連絡が取れる。快く、とまではいかないまでも、立花本人からの了承を得られればやり取りできるだろう。

 小日向曰く立花は非常に隠し事が下手らしいが、流石に馬鹿正直に話すとも思えない。どうも頑固な面もあるらしく、小日向相手でも口を割らないそうだ。尚のこと、関わりが薄い自ら相手に話すとも思えない。

 

『若き歌姫こと、風鳴翼さんの体調不良による休業を―』

 

(こんな時にテレビなんて点けるんじゃなかったな)

 

 午前中とは言っても、今は昼時に近い。そうすれば必然的に多くなるのが、エンタメ関連を取り扱うワイドショー。そして、そのワイドショーが彼女を取り上げることは何の不思議もない。何せ、日本の歌姫ともいえる存在だ。新曲リリースやイベントを行えば、それだけで話題にもなる。彼女が体調不良により休業するともなれば、連日取り上げられるのも致し方ないことだろう。

 妹の一件以来、風鳴翼とツヴァイウイングのCDや関連商品は一切手元に残していない。実家のものも処分してしまった。元々自らの興味がサッカーの方に向いており、そこまで熱心なファンでは無かったこともあるが、どうにも妹のことを思い出してしまうせいで、素直に楽しむことができなくなってしまった。

 

 立花響への思いと同じく、別段、憎んでいるわけではないが、複雑な思いはどこかで抱いている。

 

――ライブさえ無ければ、妹は死ぬことはなかった。

 

 心の片隅で、どうしてもそういう考えが浮かんでしまうのだ。正直、ノイズの発生を予想しろと責める方が無理な話ではあるし、彼女もまた大切な人を失っている。無茶苦茶な言い分であることは理解している。ただ、極めて個人的な感情面で納得できていないだけ。そのはずだ。

 

(…つまんねえ考え)

 

 雑念を振り払う。このままぼんやりとしていても気が滅入るだけ。外に出れば多少気分も晴れるかもしれない、と思い直す。ちょうどスパイクの手入れも終わったところだ。

 

「――また、防衛大臣死去に関する続報です。――」

 

 惰性で点けていたテレビを消し、着替え、ランニングシューズを履く。昨今は色々と物騒な話題も多くなった。しかし、それが自らの生活に影響を与えるかと言われると、そうでもない。

 多少なりとも動きやすい服装ではあるが、外へと出かける格好としても、おかしくはない程度に取り繕う。

 気が向けば、運動もできるし、外で遊ぶこともできる。良く言えば臨機応変な、悪く言えば中途半端な恰好。

 

(いちいち卑下してどうする)

 

 一つ長く息を吐き、気分を切り替える。そのままの勢いで、ドアを開けた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 外に出ると、そういえば足りないものがあったと、意外とあれこれ浮かんでくるのは何故だろうか。特に、靴下は買わなければならない。そろそろ生地の限界が見えてきている。穴が開いてもおかしくないレベルだ。

 そういう訳なので、取り敢えず、店舗が集中する場所まで出ることにした。部のメンバーを誘っても良いが、何となく今日は一人で居たい気分なので、ほんの少し遠出をする。

 とは言っても、メンバーの行動範囲から外れているわけではないので、鉢合わせする可能性は十分にあるが、その時はその時だ。

 

 ぼんやりとモノレールに揺られながら、市街地の方面へと向かい、到着したのはゲームセンター。もちろん本来の目的地ではない。ただ、せっかくの遠出で、少し憂さを晴らしたかったこともある。友人や妹を連れ立って来たことは何度もあるし、一人で来ることも割と多かった。肝心のゲームの腕前はと言えば、別に上手くはないが、極端に下手でもない。楽しむ分には困らない、そんな程度の腕だ。

 だが、久々に自らの射撃の腕を確かめてみるのも一興かもしれないと思い、足を踏み入れたところで気付く。

 

 

 ドクン。

 

 

 一際大きく鼓動が響いた気がした。

 

 そんなことが?あり得るのか?このタイミングで?

 思わず自問自答する。だが、見間違えるはずはない。そこまで耄碌してもいない。一瞬の逡巡。しかし、こちらから声を掛けるよりも先に、向こうが気付く。

 

「あれ?もしかして、守興くん!?」

 

 立花響。かつての級友。小日向との間で話題になっている人物。そして今、自らが探し求めていた人物。

 

「どうした、立花?知り合いか?」

 

 連れ立っていたらしき人物が、声を掛けてきた。ひどく聞き覚えのある声。しかし、馴染み深くはない。

 そして、『彼女』を認識し、思考が停止する。

 

 ああ、これはきっと「運命」だ。

 

 決して逃げることも目をそらすこともできない、絶対的なモノ。

 

「よう、立花。久しぶり。お連れの人の名前は、あー、言わない方が良いか?」

 

 思考の停止した頭とは裏腹に、まるで反射のように言葉が自動的に紡がれる。

 それと同時に頭の片隅で、自分は今、決定的なまでに道を踏み外してしまったのではないか。

 

 どうしてか、そう思えて仕方がなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 何故か三人で話すことになった。久々に知己と会ったのならば、話すべきだろうと、よりにもよって風鳴翼本人に言われた結果だ。こちらとしては、願ったり叶ったりだが。

 

(つーか、今時話し言葉で、知己なんて言うか、普通)

 

 微妙にズレた、というより古臭い言い回しをする翼に対して、思わず苦笑してしまう。

 

「えーあー、ひ、久しぶり、だねっ!」

 

 立花の話題の振り方が雑過ぎる。それも仕方のないことではある。

 そもそも、例の件があったとは言え、立花とそこまで仲良くはないのだ。むしろ小日向との仲の方が良いと言える。

 

「だな、卒業式以来か。まさか風鳴さんと仲良くなるとは思ってなかったけど。良かったのか?風鳴さんと遊ばなくて」

 

 だからと言って、話すことがない訳ではない。久しぶりの再会だ。積もる話くらいはある。

 

「私からお願いしたことです。気にしないでください」

 

 柔和な笑みを浮かべる風鳴翼に、意図せず心臓が高鳴る。シンプルに顔が良い。なるほど、妹を含め、多くの人間が魅了される訳だ、と心の中で納得する。

 

「そうですか。では、お言葉に甘えます。自分もかの風鳴翼さんとお話出来る機会が出来て嬉しいですし」

 

 少し立花が驚いた顔をする。敬語を使えない人間だと思われていたのだろうか、だとすれば心外なのだが。

 

「なんだよ、立花。その意外そうな顔は」

 

「いや、翼さんと普通に話すんだなぁ、と思って」

 

「ああ、そっちか」

 

 確かに、有名人に会って自然体でいられるのは珍しいのかもしれない。常であれば自分とて、かの歌姫に会えたことに感動して、上手く会話ができなかったかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 今は『そんなこと』どうでもいいのだ。

 

「んー、まあどんな芸能人だって、結局は『人』だろ?騒ぎ立てて迷惑かける趣味はないよ」

 

 それはそれとして、芸能人とてプライベートがあるのは当たり前のことではあるし、個人間の関係にそこまで深入りするつもりもない。つまるところ、関わることがないであろう人間のプライベートなど、割とどうでもいいというのが正直な話だ。さすがに犯罪まで起こすようなら話は別だが。

 

「そっか」

 

 少し嬉しそうにする立花。自らの言葉の中に、何か喜ぶ要素があったのだろうか。下世話な勘繰りをする人間も多いので、そういう人間でなくて安心しただけなのかもしれない。

 どうやら、立花と風鳴翼はそれなりに親しい仲であるようだし、風鳴翼のプライベートは立花とて守りたいだろう。

 

「ふっ、貴方は良き御仁ですね。立花が慕うのも分かる気がします」

 

「あー、そうですかね?」

 

 やはり風鳴翼の言葉のチョイスは少し変だ。今時の女子高生は「御仁」とか言わないと思うのだが。 

 褒められて悪い気はしないが、少し気恥ずかしい。しかし、今は良いタイミングかもしれない。話を切り替える意味でも、本題に突っ込んでみるべきか。今を逃せば、永遠に同じような機会が訪れることはないかもしれない。

 意を決する。

 

「つーか立花、あんま小日向に心配かけんなよ」

 

「えっ?」

 

 あくまでもさりげなく。確信を持ってから。逃げ道があれば、誤魔化されるかもしれない。確実に繋ぐのだ。真実への道筋を。

 

「何か帰り遅いとか聞いたぞ」

 

「ええっ!?な、何で知ってるの!?」

 

 この焦りよう、やはり何か知っているのだろうか。いや、まだだ。まだ確信が持てない。

 

「いやだから、小日向に聞いたんだよ。何だ、夜遊びか?」

 

 半ばからかうような口調でカマをかけてみる。あくまでも自然な話の流れで。

 

「いや、夜遊びなんてしてないよ!」

 

 簡単に引っかかりすぎて、こちらが不安になるレベルだ。将来、詐欺師などに引っかからないと良いのだが。あまりの正直さに思わず毒気を抜かれそうにもなるが、そうもいかない。追い求めて止まなかった手掛かりが目の前にあるかもしれないのだ。

 

「じゃあ、何で夜遅いんだ?」

 

「それは、えっと―」

 

 動揺する立花。これで多少情報を引き出せるかもしれない。微かな罪悪感とともに、そう確信した時だった。

 

「立花には、私のリハビリに協力してもらっているんです」

 

 すかさずフォローするのは、これまで静観していた風鳴翼。流石に一筋縄ではいかないようだ。むしろこれまでが上手く行き過ぎた。

 

「はあ、リハビリ、ですか?」

 

「ええ、実はちょっとした怪我をしてしまいまして」

 

 体調不良による休養は既に発表されている。辻褄は合う。

 

「あー、ニュースで見ました。怪我って、大丈夫なんですか?」

 

 落ち着け、焦るな。少しずつ、確実に。

 怪しいと思われてしまえば、手掛かりを逃してしまう。何気ない会話を装え。必死に自らにそう言い聞かせ、早まる鼓動を落ち着ける。

 

「はい、今は」

 

「しかし、どうして立花を?同じ学校なのは知ってましたけど」

 

 知ったのはつい最近だが。色々と愚痴ついでに教えてくれた小日向には感謝だ。

 

「立花にはどうやらリハビリの経験もあるようですし、色々と話す機会にも偶然恵まれ、付き合ってもらっているのです」

 

(偶然、ね)

 

 確かにここまでも辻褄は合っている。小日向からの前情報がなければ納得したかもしれない。いや、色々と踏まえたとしても、納得できる要素の方が多い。だが、

 

(違う。何か隠してる)

 

 勘だ。ただの勘。不思議と確信がある。サッカーと同じだ。フェイントでこちらの目線を誤魔化そうとしている相手と同じ匂いがする。

 何より、そうであるならば、立花が小日向に隠す理由が分からない。彼女は決して口は軽くない。重要な話だと分かれば、口を噤むに決まっている。少なくとも、自らに世間話がてら話すとも思えない。親友である小日向にも言えないこと。それこそ、非常に重要で、取り扱いが難しいような内容であるはずなのだ。『その程度』の情報を小日向に話さないわけがない。

 

(間違いない。何か知っている。一般人に知られるとまずいことを)

 

「なるほど、そうだったんですね。でもまあ、あまり無理せずに。無理しても良いことないですよ」

 

 白々しい。自分でも嫌になるくらいの作り笑い。

 

「お心遣い感謝します」

 

 しかし、分かったところで簡単に踏み込めるものでもない。

 

 そう、『簡単』には―

 

 

 

「妹が生きていれば、この状況に喜んだでしょうけど」

 

 

 

 ああ、

 本当に、自分が嫌になる。

 

 

 



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