いつかの季節に (桃猫)
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1.邂逅

拙い文章ですが、よろしくお願いします
一時に次話が投稿されます。


 僕自身、何かを成し遂げたという経験がない。

 親の七光りで鎮守府に提督として配属され、お飾りのトップに君臨している。

 

 

「お前は何もしなくていい」

 

 

 これは父からよく言われた言葉だ。

 父は僕のことを息子とは考えていないのだろう。自分の出世を円滑に進めるための道具、またはそれ以下としか思ってないはずだ。

『頑張ったな』『よくやった』『愛してる』その言葉が欲しかっただけ。だから僕は父が勧めてきた習い事には文句一つ言わずにこなしてきた。

 

 結局、僕が得たモノは何も無かった。

 才能が無かったのだ。

 

 父の興味が僕から離れていくのが肌で感じとれた。幼い子供の、それもまだ父母の愛情を必要としている年齢の子供が最愛の父から何も受け取れないという感情が誰かにわかるだろうか。

 父は僕に才能がないことを隠すように自分の管轄下に起き、優秀な部下を何人か配属した鎮守府に置いた。

 書類に判を押し、上からの指示に従い、口答えをしない。そうするだけで僕は人生の勝ち組になれたのだ。

 誰もが羨むバラ色の人生。

 

 ──そのはずなのに、

 

 

「……寂しいなぁ」

 

 

 感傷に浸る夜は必ず執務室の窓から星空を眺める。

 別に星が好きだとかそういう訳じゃない。ただ何となく、こうしているのが落ち着くのだ。この鎮守府に僕の居場所はないけれど、今この時間だけは世界にたった一人でいられているように感じられて、幸せな気分になれる。

 

 

「今は……」

 

 

 午前二時を過ぎた。

 本来ならば早々に就寝してまた翌朝から仕事に取り掛からなければならない。

 けれど、現在僕に与えられた仕事はない。

 父の部下たちは召集がかけられここを離れている。残された艦娘達は指示があるまで待機。つまり、部下たちが帰ってくるまでの間ここの鎮守府は活動しない。

 無論、僕が指示を出せば動かせない訳では無いが、下手な指示を出して父に迷惑をかけたくない。だから大人しくしているのが正解だろう。

 

 いつだって僕の行動理念はそこだ。

 認めてもらいたい。褒めて欲しい。愛して欲しい。

 母親を知らない僕にとって愛情をくれる存在というのは父しかいない。その父に迷惑をかける行動だけは絶対にしてはならない。

 してしまえばきっと──

 

 

「……寝よう」

 

 

 暗いことを考えるのは僕の悪い癖だ。

 いつか幸せになれるその事を信じて目を瞑る。

 

 

 ──案外、幸せの種はすぐ側に落ちているものだ。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「おはようございます、提督」

 

「おはよう」

 

 

 朝、僕の目覚めを確認しに来るのは大淀だ。

 畏まった一部の狂いもない敬礼を僕に向ける。敬礼はやめてくれ、と毎度言っていたのだが、どうしてもやめてくれないので僕が折れた。

 見慣れた敬礼、そして腕に抱えた書類。どうやら僕の仕事はあるようだった。

 

 

「今日はどうなさいますか」

 

「どうもしないよ。あの人たちが帰ってくるまで無駄に動いたりはしない」

 

「しかし提督──」

 

「僕は上に立つ才はない。とにかく、今日からしばらくは休暇だ」

 

 

 大淀はこの鎮守府の中で一番僕を見てきている。だから僕が父に抱く感情というものを少なからず理解しているのだろう。

 そして、それを良く思っていない。

 

 当然だろう。

 自分たちの上司である僕が第三者の傀儡であるのだ。逆の立場ならそんな上司の下で行動したくない。

 自分で考えるという機能を失った僕についてくる人たちなどいるはずがない。

 

 

「それで……それでいいのですか」

 

「うん。その書類を置いたら君も自由にしていい」

 

「……わかりました」

 

 

 そういうと大淀は書類を僕の机の上に置き、すぐに執務室を退室した。

 めんどうだ、など感じない。仕事に対して感情などない。情熱も、怒りも、諦めも、全て。

 

 窓を開ければ潮風が運んでくる海の匂いと波の音が聞こえる。

 誰もいなくなった執務室に書類のめくれる音と波の音だけが響いていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 書類仕事をしていた僕の手を止めたのは外から聞こえてきた声だった。

 駆逐艦の子たちだろうか、なにやら少しだけ騒ぎになっている様子だった。

 まずい、とすぐに立ち上がり、声のした方へと走り出した。

 

 到着し、何事かと尋ねてみれば海から傷だらけの艦娘が漂着したとの事だった。

 

 

「何事だ!」

 

 

 僕と同様、異変を感じこの場に駆けつけた長門。駆逐艦の子たちをかき分け件の傷だらけの艦娘とやらに近寄った。

 慌てて僕も長門の後を追いその光景を目にする。

 

 深海棲艦の攻撃だろうか。

 服は裂け、肌にも裂傷が及んでいる。煤けた体からは海に流されていたはずなのに硝煙の香りが少しだけ香る。

 戦いの残り香だ。

 この場にいる彼女たちも怪我をして帰ってきたときに限らずその残り香を漂わせる。

 殺し合いをしてきたという重々しい空気。肌に刺すような痛みさえ錯覚させる。

 

 横たわる彼女からもそれと同じものを感じた。

 

 

「長門、この子を──」

 

「わかっている。すぐに入渠させる」

 

 

 指示を出さずとも理解していた。

 長門はすぐさまその子を抱え、入渠施設まで走った。本来ならば僕の役目だ。

 馬鹿みたいに外野から眺め、何も出来なかった僕はただただ不甲斐ないだけ。惨めだ。

 

 ……とにかく、今は彼女の心配が優先だ。

 

 

 ──先から『彼女』だとか『この子』で名前を濁すのは何も僕が彼女の名を知らないからでは無い。

 

 顔が、わからないからだ。

 

 それはどうやら長門も同じようで、先の艦娘の艦種も何型なのかもわからないようだ。

 体格は駆逐艦の子たちよりかは女性らしさが目立った。だからといって駆逐艦ではないと断言はできない。駆逐艦の子たちの成長に差があるのは知っている。

 兵装などを付けていれば艦種がわかっただろうが、彼女の周辺にそれらしきものは見当たらなかった。

 つまり、彼女は()()()()()()()()()()、という事だ。

 海の底に沈んだ可能性は否定できないがここまで綺麗になくなるものなのか、と長門に尋ねれば

 

 

「否定はしきれないが、可能性はかなり低いだろう」

 

 

 という見解だった。

 僕も同意見だ。彼女は何らかの理由で兵装をつけずに海に出、深海棲艦の襲撃にあった。

 いったい彼女の鎮守府の提督は何を考えたのだろう。

 

 彼女が入渠して何時間が経過しただろうか。

 時間を気にすることの無い生活だったため時計を見ることを忘れたのが少しだけ痛い。長門は既にこの場を僕に任せて離れてしまった。

 こういうとき、彼女らはいったい何をしているのだろう。ふと、疑問に思った。

 自室で本でも読んでいるのだろうか。演習場で模擬戦なりしているのだろうか。思えば、僕は彼女らのことをあまり知らない。

 性格や態度はもちろん知ってはいるがそういった日常的な面を見れば何も知らないと言ってもいいだろう。

 彼女たちとの交流をできるだけ絶ってきた。けれど、それは正解だったのだろうか。

 傀儡である僕に彼女たちと仲良くなることは許されるのだろうか。

 

 暗い考えが頭を過り始めた頃だ。

 強制的にそれをやめさせる音が聞こえた。入渠完了だ。

 

 

「──っ」

 

 

 出てきた彼女は未だ意識を失っていた。

 衣服は戻り、体の裂傷は修復している。が、しかし──

 

 

「……どうしてだ」

 

 

 顔の右側に覆われた包帯。首筋には包帯の隙間から痛々しい傷が少しだけ垣間見えた。

 通常、入渠完了した艦娘たちはどんなに重症だろうが完治する。現代医学の進歩なのか、現代科学の進歩なのかは不明だが、そういった技術として完成している。

 しかし、目の前の彼女はどうだ。

 意識は戻らず、顔の損傷は治っていない。

 現代の技術でさえ治せないほどの傷だった、とそう言われてしまえばそこまでだ。けれど、深海棲艦との戦いにおいてここまでの傷が残るものなのだろうか。

 もしも、その可能性が少しでもあるのならば僕は──

 

 

「うぅ……」

 

「! おい、大丈夫か!」

 

 

 呻き声。

 それは入渠が完了したはずの彼女が未だ苦しめられている証拠だ。

 

 

「ご、ごめん……なさい……」

 

 

 それ以上に言葉を発さなくなった彼女を僕はすぐに医務室へと運んだ。

 

 

 




誤字脱字あればごめんなさい


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2.サクラ

「あの、ありがとう、ございます」

 

 

 翌朝、目が覚めたという彼女が大淀に連れられて執務室までやってきた。

 顔に巻かれた包帯は変わらない。カノジョは怯えたように肩を震わせ、こちらを見つめる。

 どういった経緯で、敵は、なぜ君だけが──聞きたいことは山ほどあった。けれど、それを彼女に聞くのは酷だろうと、そう思えた。

 

 

「まずは君の名前を聞かせてくれないかな」

 

「な、名前……」

 

 

 そういうと彼女は小さく「わからない」とだけ答えた。

 となればあとは身体的特徴から考察する他ない。

 彼女の髪は灰色。白、と言っても差し支えないだろう。背中まで伸びた長く、綺麗な髪だ。髪の色だけで言えば思いつく子達はいる。けれど──

 

 

「その瞳……」

 

 

 桃色……いや、赤色だろうか。

 肌の色も血が通っていないのかと思ってしまうほどに白い。

 

 少しだけ、嫌な考えが過った。

 

 すぐにそんなはずは無い、と被りを振りそんな考えを捨て去る。

 緊縛した空気の中、大淀が口を開く。

 

 

「提督、この子の待遇はいかがなさいますか」

 

「……客人、でいい」

 

「承知しま──」

 

「ちょっと待ってください!」

 

 

 突如として張り上げられた声、そして静寂。

 その声の主は言わずもがな、彼女だ。

 

 

「わ、私は戦えます! 命令さえくれればどんな敵でも! ど、どんなことでも……!」

 

 

 痛いほどに彼女の感情がこもっていた。

 大きく目を見開き、自身の有用さを提言する彼女は過去の自分──いや、自分と重なって見えた。

 もしかしたら彼女は、僕と似た境遇なのかもしれない。と、そう思えた。

 一度そう見えてしまうと、その考えは払拭できず、彼女への見方が変わる。僕になにか出来ることはないだろうか。彼女を助けることは出来ないだろうか。

 

 

「わかった」

 

「提督!」

 

「君には僕の補佐をしてもらいたい」

 

 

 止めに入った大淀だが、僕は下衆な命令など下さない。

 補佐、と言っても書類整理や茶入れくらいだ。今の彼女を戦闘に出せるほど僕に度胸はない。

 彼女がそれで満足するのかはわからないが、これが僕からの最大限できる譲歩だ。

 

 

「客人ではなく、君を一人の艦娘として待遇する。勿論、命令があれば出航してもらう」

 

 

 嘘だ。

 彼女に対し僕がその命令を下すことは一度もないだろう。

 だが、ここで彼女に納得してもらうためにはこれしかない。案の定、彼女は僕のその言葉を信じたのか、頷いてくれた。

 興奮したように上下していた肩も、瞳も今は落ち着いている。

 

 

「となると、君の呼称だが……」

 

 

 制服は白露型の物。彼女の言動は記憶障害により前とは異なると考えられる。髪色だけで言えば近いのは村雨か夕立だろうか。しかし、二人とはどこか違うような気もする。

 

 

「何か、思い出せることはないか」

 

「……雨、です」

 

「雨、か」

 

 

 何となく、彼女の名前がわかったような気がする。

 けれど、ここでその名を口にするのは少しはばかれる。もしも彼女がショックから記憶を閉ざしてしまったのだとすれば今はまだ思い出させるようなことを口にするべきでは無いのではないか。

 であれば姉妹艦と思われる子達との接触も避けた方がいいのだろうか。

 

 

「あ、あの、私何か、悪いこと……」

 

「すまない、これは僕の癖だ。気にしないでくれ」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 

 彼女の前で長い沈黙は禁句なのだろう。

 それだけで彼女の以前を想像できる。

 

 

「大淀、少しだけ調べてもらいたいことがあるのだが、いいか」

 

「構いません。私も少し、気になっていましたので」

 

 

 そういうことなら大淀に任せても大丈夫だろう。

 僕は僕で彼女から何か情報を得られないか試してみる必要がある。

 未だ僕に対して恐怖を宿らせた瞳を向ける彼女にこんな僕が何か出来るのかは疑問だが、やるしかない。

 恐らくタイムリミットは父の部下たちが戻ってくる日までだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「君は桜は好きかい」

 

「は、はい」

 

 

 季節外れの話題。そんなことに疑問を抱かないのか、考えないのか、彼女は素直に答える。

 鎮守府の敷地内には無数の桜の木が植えられている。今の季節では殺風景なものではあるが、春になれば圧巻の光景となる。

 執務室前の窓から眺めることが出来る桜たちは僕にとって季節ごとの楽しみの一つでもある。

 

 この鎮守府の案内、と称して各施設を回ってみたのだが彼女の反応は全て同じものだ。

 興味・関心がない訳では無いのだろう。しかし、どこか他人を意識した答え……いや、正確に言おう。

 彼女は僕を意識した答えしか言わない。

 機嫌取りのつもりなのか、僕が求めているであろう答えを彼女は答え続ける。それは彼女の本心ではない。

 

 

「君の呼称についてだが、『サクラ』というのはどうだろか」

 

 

 少し、安直すぎるだろうか。

 元の名から容易に連想されるものだが、彼女と名前を結びつけるには最適な呼び名だろう。

 記憶を思い起こさせることはしたくないが、思い出させたくない訳では無い。いつかは彼女にも記憶を取り戻してもらい、本来の彼女としての生活を送ってもらわなければならない。

 

 

「大丈夫、です」

 

「そうか、よかった」

 

 

 本当に、『よかった』と言えるのか。

 彼女はただ同調しているだけだ。そこに彼女の感情や考えはない。

 

 ……無駄なことはよそう。

 今考えることではない。

 

 

「あ、あの……アナタのことは……その」

 

「僕のこと? あぁ、呼び方なら好きにしていい」

 

 

 実際、呼び方にこだわったことはない。提督、司令、司令官。

 あまり呼ばれる機会がないため意識したことすらない。

 

 

「し、司令……官」

 

「それで構わない」

 

 

 桜の木の下、彼女は少しだけ微笑んだように見えた。

 

 

「さ、次は君の部屋に行くか」

 

「私の、部屋」

 

「ここは広いからね。余っている部屋ならいくつもあるんだ」

 

 

 そう言って紹介したのは客人用にと設けられた一室だ。

 彼女が安定するまでの間、この客間を使ってもらうことは大淀とも話し合っている。

 ここから一番近くの部屋が大淀、ということも一因としてある。

 

 

「僕の部屋までは少し遠いが、道順は大丈夫かい」

 

「は、はい」

 

「それなら安心だ。これより、君は少し休むといい」

 

 

 さすがに疲れただろう、と。

 

 

「それが命令なら」

 

「……なら、命令だ」

 

 

 時刻はまだ午後の三時。

 これからやることを脳内でまとめあげ、すぐに執務室へと戻る。少しだけイレギュラーな事態が続いたが、これからは本来の執務だ。

 机の上に並べられているのは無数の書類。なんだかよく分からない取り決めだとか、各鎮守府での報告書・問題となっている出来事、この鎮守府の評判にエトセトラ。

 めんどうだが、僕の仕事だ。この程度のことで投げ出す訳にはいかない。

 息を吐き、机と向かう。とりあえずここまで、という目標を決めて取り掛かるのが一番いいのだ。

 

 

 そうして三時間ほど書類と向き合っていた僕だったが、とある事情により、一時仕事を止めなければならない事態になる。

 というのも、大淀と長門が少し焦ったように執務室の扉を叩いたからだ。

 

 

「どうし──」

 

「提督、早く来てくれ!」

 

 

 長門に腕を捕まれ廊下を走る。不思議なことに他の艦娘の姿が見当たらない。食堂に行くような時間でもないだろう、それに長門と大淀はいったい何を焦っているのか。

 嫌な予感を払拭したい一心で大淀に視線を送る。返ってくるのは焦燥と疑問、そして敵意のこもった瞳だ。

 

 長門に連れられやってきたのは先程サクラに紹介した部屋の前だ。

 廊下にいなかった艦娘たちはどうやらここに集まっていたらしい。見れば兵装をつけている者もいる。

 ここまで情報が揃えばさすがに理解ができる。

 

 真白な髪に赤い瞳。そして生気を失ったかのように白い不気味な肌。緊張を浮かべた周囲の皆の顔。

 そして──

 

 

「ァ、ァァァアアアア!」

 

 

 部屋の中から聞こえてくる絶叫。

 

 紛れもない。彼女は──サクラは深海棲艦だ。

 

 



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3.待ちわびたもの

お気に入りと感想、本当にありがとうございます。


 部屋の中から聞こえてくるのは耳を(つんざ)く絶叫。

 言葉とも似つかない悲鳴のようなモノだ。

 

 

「提督、指示を」

 

 

 冷静な様子な大淀が指示を仰ぐ。当然の判断だ。現在、この鎮守府において艦娘の出撃命令を下せる人物は僕しかいない。

 そう、出撃命令だ。

 

 この中にいるのは彼女──サクラで間違いない。

 だと言うのに、出撃命令を下せと言うのか。僕に『同じ艦娘を殺せ』と命じさせるつもりなのか。

 

 ──馬鹿か。

 そんなわけが無いだろう。大淀は現在において最も危惧される事態を警戒した上でのこの対応だろう。彼女たちはこの鎮守府を──海を守るという大前提で動いている。

 であれば僕が下すべき命令は決まっているだろう。

 

 決まって──

 

 

「……待って、欲しい」

 

 

 決まっている、とそう思っていた。

 しかし、口をついて出た言葉は時間を稼ぐための言葉。まだ現実を受け止め切れていないというのか。

 

 いや、違うだろう。そうじゃない。

 

 僕は単に彼女が僕と似ていると感じただけだ。

 何かに怯えたような態度。人を怖がるくせに人の役に立ちたがる。視線を意識し、自分を繕う。

 僕はただ、彼女と仲良くなりたいだけだ。

 彼女を──サクラのことを知りたいのだ。

 

 だから、ここでサクラを手放す訳にはいかない。

 

 

「僕が中に入って確かめてくる」

 

「待て、それは危険だ。お前は仮にもここの提督なのだろう。ならば──」

 

「その提督の判断だ」

 

 

 長門の言う通り、()()()提督なのだ。彼女たちが僕の判断に逆らう資格はない。

 これ以上言うことはなくなったのか、長門は大人しく引き下がると、今度は横に立つ大淀が僕の手を止めた。

 震えている。恐怖か、怒りか。

 

 

「深海棲艦は私たちの敵です。その脅威は私たちが身をもって知っています。生身の人間がどうこうできる相手ではありません」

 

「知っている。けれど、彼女はまだ艦娘だろう」

 

「しかし──」

 

「誰か、確認したのか」

 

 

 皆一様に首を振る。

 中を確認した者はいない。それでこの反応ということは最初から彼女たちはサクラを警戒していたのだろう。

 自分たちが海上で交戦する敵と似た見た目をした者だったのだ、当たり前の判断だ。当然の結果。けれど、それではあまりにも……

 

 サクラの以前を僕は知らない。

 どのような状況に置かれていたのか、どうしてこうなってしまったのか。何もわからない。

 だが、最初から疑われ続けた者の気持ちはどうなる。

 彼女はここに来た当初は確かに艦娘だった。僕の役に立とうと名乗りだし、共に鎮守府を歩いて回った。その時、彼女を目にした子たちもいただろう。

 その時から彼女は敵意のこもった視線を向けられていたのか。誰も彼女を信じてはいなかったのか。

 そう思うと、心が張り裂けそうだった。

 

 

「ならばまだ結果はわからないだろう」

 

「しかし!」

 

 

 大淀が、皆が肌で感じている空気で凡そのことを察し、自ずと結論を導き出したのであればそれは僕の直感よりも根拠に溢れたものだろう。

 僕ら人間が深海棲艦と接敵したことは無い。その空気も緊張感も恐怖も共有できない。

 

 

「ほら、なんとかの猫っていうだろう」

 

 

 中がわからなければ同時に幾つもの事象が異なって存在するという有名なものだ。

 そう言うと大淀は諦めたのか、呆れたのか、僕から手を離した。

 すまない、と短く呟きその扉を開いた。

 

 中の空気は淀んでいた。

 筆舌し難い悪臭。何かが腐っているのだろうかとそう思わせるほどのものだ。

 カーテンが締め切られたその部屋の中央に彼女は(うずくま)っていた。まるで何かを抑え込むように自身の肩を抱き、呻くように声を漏らす。

 先程までは見られなかった黒い帽子のようなものが見える。あれは資料で見たヲ級という深海棲艦のつけているものに似ている。

 しかし、まだ似ているだけだ。

 

 

「ァ、ゥウウ」

 

 

 苦しそうに漏らす声。

 

 

「サクラ」

 

 

 つられて声をかけてしまう。

 もう少しどうするべきかを考えた方がよかったはずだ。様子を見、安全な判断をするべきだった。

 

 

「シ、レイ……」

 

 

 その声でようやく僕を認識したサクラがこちらに視線を向けた。

 不思議なことに恐怖はなかった。

 海の宿敵。深海からの使者。艦娘の敵。無論、僕たち提督にとっての敵でもある。

 彼女はやはり深海棲艦で間違いないのだろう。

 

 

「チガ、ウ。ワタシマダ……」

 

 

 炎のように揺らぐ真っ赤な瞳から雫が零れる。大粒のそれは一度流れると決壊したダムのように溢れてきた。

 彼女はこの部屋で一人、泣いていた。誰にも理解されない苦しみを。誰にも信用されない孤独を。誰にも見て貰えない寂しさを。

 僕はきっと彼女の気持ちを理解できる。サクラの隣に立つことができる。

 

 

「苦しい、か?」

 

 

 ようやく口をでてきた言葉はそんな、馬鹿みたいな台詞だった。

 お前は何を見ているのだ、何を感じたのだと言われても反論の余地が無いほど馬鹿で無意味な問い。

 しかし、彼女はそんな問いにも真摯に答える。

 

 

「──ウ、ン」

 

「寂しいか?」

 

「ウン……」

 

 

 次第に声は呻き声から泣き声へと変わっていく。

 彼女は僕を見つめたまま涙を流し、肩を震わせて泣いた。しかし、その顔は安心したように安らかで、優しい笑顔だった。

 

 あれから一時間ほど が経過した。

 外で待つ大淀たちには大丈夫だったと説明し、解散してもらった。現在、この部屋にいるのは僕とサクラだけ。

 サクラはまだ少し鼻をすすってはいるものの涙は止まったようだった。

 声の方も違和感が消え去り、今朝と同じ声に戻っていた。

 

 

「ごめん、なさい。迷惑かけて」

 

「気にする事はない。 君はよくやったよ」

 

 

 ベッドで横たわるサクラを看病するように僕は隣に椅子を置いて座っている。灯りはサクラの希望で付けていない。彼女の瞳に光は眩しすぎるようだ。

 僕が声をかける度に笑顔になる彼女を見ているとなんだか救われたような気持ちになる。逆だろう。何故僕が彼女に救われているのだ。彼女を救わなければならないというのに。

 

 

「名前……」

 

「どうした?」

 

「名前で、呼んでください。君とかお前じゃなくて、サクラ……がいい」

 

「……サクラはよくやったよ」

 

 

 布団に潜り込み顔を隠すサクラだが、悶絶したような声が漏れている。

 なんだか少し恥ずかしくなって顔を逸らす。

 締め切られていたカーテンを開けると窓の外には美しい満月と海が広がっていた。




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4.紅い満月

お気に入りと感想ありがとうございます。
大変喜んでおります。
誤字の報告ありがとうございました。


「司令官、お茶です」

 

「あぁ、ありがとう」

 

 

 あれから一夜明けサクラは落ち着きを取り戻した。大淀は未だ警戒してはいたが僕が一言添えるとため息一つで納得してくれた。

 現在、彼女と僕は執務室にていつもの雑事に応じている。彼女は優秀なもので、頭が良く、難しい書類であってもすぐに内容を要約してくれたりととても役に立っている。

 

 昨夜のような事態にもならず、安定した状態を保っているため他の艦娘たちからも特に何も言われてはいない様子だ。

 

 

「……そう言えばあの帽子のようなものはいつ取ったんだ?」

 

「帽子? ですか?」

 

「黒い大きなやつだ。歯と目みたいなものもついていたが……」

 

「わかりません。ごめん、なさい」

 

 

 彼女は謝る時いつも心を殺したように静かになる。それが何に由来するものなのか詮索するつもりは無い。が、いつまでもこのままなのは少々よろしくない、とそう思う。

 彼女自身が意識して身につけたのか、無意識のうちにそうなっていたのかはわからないが、その癖をどうにかして治してもらいたい。その一心でこんな提案をしてみた。

 

 

「……遊びに行くか」

 

「し、しかしまだ仕事が──」

 

「大淀には終わったと伝えておけばいい。それに、あとこのくらいの量なら夜には終わる」

 

「で、も……」

 

「サクラ、時には少しの嘘も必要なんだよ」

 

 

 その言葉は少しだけ自分にも向いていた。

 何故僕はサクラが絡むとこうも積極的に動きたがるのだろうか。父の目もその部下の目も気にせずに生きていたいという気になる。

 それは一重にサクラが僕に似ているからという理由だけだろうか、もしくはそれ以上の理由が──

 

 

「はい! 私、も司令官と遊びたい……です!」

 

 

 そんな理由、どうだっていいか。

 今はただサクラの笑顔が見られればそれだけで満たされる。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 遊ぶ、などと豪語して外へ出てみたものの僕自身この鎮守府で遊びをしたことはない。本来なら艦娘との交流という面から見てもそういった行動は大切なのだろう。

 しかし、お飾りである僕はここの艦娘たちとはどこか壁を感じてしまう。一部、真面目な子たちは接してくれるものの、通常ならば挨拶程度でしか言葉を交わしたことはない。

 それ故か、僕は大抵の時間を執務室で過ごす。暇を潰すときも、考え事をするときもだ。そこ以外に居場所がないから。

 

 

「司令官、あの、何かお気に召さないことでも……」

 

「いや、違う。慣れてないんだ、すまない」

 

 

 正直、他者との会話は苦手だ。極力人との関わりを断ち切ってきた僕は本来あるべき能力が普通の人よりも数段劣っている。

 だからこういうとき話を切り出すことは出来ないし、気遣いも出来ない。彼女が何に怯えているのかを理解しているくせに、行動に移せないのだ。

 

 

「えー……と、疲れてないか?」

 

 

 何を話せばいい? 

 自分から誘っておいてこの体たらく。頭をはたらかせてようやくでてきた言葉がこれならもう救いはない。

 

 

「疲れてない、です」

 

「そうか……」

 

 

 気まずさを紛らわせようと空を仰ぐ。空は青く澄み渡る。空気は乾燥し、少し肌寒いがまだ暖房には早い季節だ。

 

 

「あ、の……無理に話したくないなら話さなくても、いい、です」

 

「そういうわけではないんだ。こういうとき、何を話せばいいか……」

 

「なる、ほどです。わかります」

 

 

「ふふっ」とサクラが柔らかく笑う。こんな表情(かお)も出来たのか、と心奪われる。

 ここに来てからの彼女はなんというか、怯えた小動物のような雰囲気だった。人間に怯え、それでいて人間を必要とする矛盾した生き物であるかのような、そんな雰囲気。

 それが昨夜の一件から少しずつ崩れていくのがわかった。

 それが誰のおかげなのか、だとかそんな風に驕りはしない。が、彼女が変わっていく一因として僕の存在があるというのは言葉にし難い喜びを感じる。

 歪んで、いるのだろうか。

 

 

「じゃ、じゃあいいですか?」

 

 

 覗き込むようにして言葉を出す。僕の目を捉えて離さないのは奥にある感情を読み取ろうとしているのか。

 

 

「ああ、構わない」

 

 

 たった一言、そう答えると彼女は笑顔になる。感情の起伏が激しいのはこれまで苛烈な状況下にあったが故、なのだろう。彼女の境遇は知らずとも察することは出来る。

 

 サクラは少し先を行き、演習場近くのベンチに腰掛ける。中からは砲撃の音やらが聞こえてくるので誰かが中で演習しているのだろう。

「騒がしくないか?」と尋ねてみるが、サクラは特に気にした様子もない。艦娘故の感性、なのだろう。──彼女はまだ艦娘なのだから。

 

 嫌な自分を振り払うように首を振り、自分はサクラの左側に腰掛ける。

 パタパタと足を動かす様子は年相応の子供という様子で、見ていてとても愛らしい。きっと駆逐艦の子たちは皆、似たような反応をするのだろう。

 

 

「私、司令官のことを知りたい……です」

 

「僕のこと?」

 

「は、い……」

 

 

 どうして、何故、という言葉は出てこない。きっと自分も彼女と同じ状況ならそう質問する。

 自分を助け、導こうとしてくれている人物を知りたがるのは当然のことと言える。横を見ると少しだけ頬を赤らめたサクラが気まずそうに唇を結び、地面を見つめていた。

 

 

「そう、だな。つまらないが、聞いてくれるか」

 

「はい! 聞かせて、ください」

 

 

 彼女の左目から期待するような眼差しが向けられる。

 彼女が求める答えを僕は答えられるのだろうか。

 

 

「何から話そうか……」

 

 

 そう言って僕は少しずつ口に出す。その声はきっと震えていただろう。自分の境遇を誰かに話すことなどこれまでなかったのだ、いくら自分の中で整理出来ているとは言え、言葉にするのは難しい。

 それでも話を続ける口は止まらなかった。誰かに聞いてもらうことが、誰かに話すことがこれほど救われるとは思ってもいなかった。

 

 震えた声から出てくるのは常に自分を責めるような言葉と、謝罪の言葉。聞いていて楽しいわけが無い。

 そう気づいた頃には既に自身の境遇をある程度語りきってしまっていた。もう、サクラの顔は見れなかった。

 

 楽になった? 救われた? 

 ふざけるな、と叫びたかった。

 

 僕は誰かに聞いてもらって慰めて欲しかっただけだ。同情を誘うように言葉を詰まらせ、自分は不幸だと恥ずかしげもなく語る。滑稽だ。

 大変だったね、辛かったね、と言葉をかけて欲しいだけの利己的な会話。……いや、会話ですらない。

 

 

「──素敵」

 

 

 サクラの口から出てきたのは予想もしない言葉だった。

 驚き、咄嗟に彼女の方を向いてしまった。それが、失敗だったのだ。

 

 

「素敵、私、司令官の気持ちがわかるんです。誰かに認めてもらいたい、必要として欲しい、愛して欲しい。私も、同じです。同じなんです。嬉しい、です」

 

 

 彼女は、そう──笑っていた。

 

 彼女の深紅の左目から目が離せない。吸い込まれるように、落ちていくように。

 興奮しているのか、先よりも頬を紅潮させ、口を三日月のごとく歪ませる。伸ばされた右手が頬に触れ、止まっていた時が動き出すかのように自分の頬も少しだけ緩んだ。

 

 

「私たち、お揃いですね」

 

 

 宝石のように綺麗で美しく、無機質な瞳に貫かれる。衣擦れの音とともに顔の右側を覆っていた包帯が解かれていく。美しかったその笑顔が狂気に上書きされていく。

 

 しかし、それでも──

 

 それでも、彼女の笑顔が美しいと感じるのは、何故なのだろう。

 




小説のタイトルは最後の一文のあとに付けたい一言にするといいらしいですね。


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5.黒い声

お気に入りありがとうございます。


 あらゆる感情が混濁した瞳というものは見たことがなかった。恐らくはサクラが内包する負の側面の全て──否、サクラの全てがその深紅の瞳にこもっているのだろう。

 だからそれを見たときの感情は怖いだとか気持ちが悪いだとかそういったものではなかった。

 

 ただただ美しかった。

 

 それ以上言葉として表せないほどにサクラの瞳は魅力的であったのだ。

 

 

「提督じゃないか。こんなところで何してるんだ?」

 

 

 突如かけられた声に驚き、肩が跳ねる。少し情けない仕草に恥ずかしくなりながらもそちらへと振り向くと、今まさに演習場から出てきたという様子の長門がそこにいた。

 長門は一度視線を僕の隣へと移し、すぐに戻す。

 それがどういう意味なのか問い詰めようとは思わない。サクラをどう思うのかは個人の自由だ。ただ、思うのが自由なだけであってこうして現在、僕の補佐役として置いているからには長門にサクラをどうにかする権利はない。

 ……そんな暗い想像をしたところで意味は無いか。

 

 

「ああ、ちょっと息抜きに散歩をな」

 

「そうか、最近は何かと物騒だ。鎮守府の中とはいえ油断はするなよ」

 

 

 それは何を意図した言葉なのか。

 近頃、深海棲艦の動きが活発化しているのは確かだが、この鎮守府まで攻めてくるとは思えない。単に身を案じての台詞、なのだろうか。

 

 いつから、いつから僕は人の言うことを素直に受け取れなくなったのか。

 

 複数の考えが頭を過り、思考を邪魔する。頭が痛くなっていく。

 

 

 ──俺は……

 

 

「司令官? 大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ、大丈夫だ」

 

「体調が優れないのなら自室に戻ったらどうだ。顔色が悪いぞ」

 

「心配いらない。この程度、何とかできるさ」

 

 

 差し伸べてくれた長門の手を振り払い、立ち上がる。

 視界が歪み、目の前が何も見えなくなる。咄嗟に頭を押え、なんとか倒れるまいと奮起するが、次第に足に力が入りにくくなる。「大丈夫か!」と必死そうな声が聞こえ、体が支えられる。

 

 

「やはり……」

 

「いや、いい。大丈夫だ」

 

「しかしだな──」

 

「司令官が大丈夫だと言っています。それ以上、何も言わないでください」

 

 

 自分よりも体躯の小さい少女に睨まれ言い淀む姿は少しだけおかしかった。今まで何も発さなかったサクラの言葉に不意を突かれたのもあるのだろうが、長門はそれ以上何も言わなかった。

 すぐにサクラは僕の腕を肩へ回し共に歩こうとする。

 

 身長差故にバランスが取りにくいらしく、歩くと言うよりは寄りかかり引っ張られるような形だ。少しして歩きやすくなったのは、サクラの頭に例の帽子が出現したからだろう。

 黒く、大きな帽子。笑っているような馬鹿にしているかのような顔を浮かべそれはゆっくりと口を開く。

 

 

「ォオ、ァ、ェァア」

 

 

 サクラは気づいているのか。いや、そんな様子は一切ない。ということはコイツはサクラの意識とは無関係の何かだ。

 

 

「ァァアィ」

 

 

 耳障りな気色の悪い音の羅列。人間の──この世のものとは思えない音だ。

 

 

「ィ、エエェ──ゥ」

 

 

 ──違う。

 

 

「司令官? どうか、しましたか?」

 

 

 サクラの声により意識が戻される。いつの間にか場所は移動しており、演習場のベンチから執務室裏の日陰まで来ていた。

 風が強く、潮の匂いがここまで届く。嗅ぎなれた匂いはやはり心を落ち着かせる。幻覚はもう、消えていた。

 

 サクラが僕の顔を覗き込む。長い白髪が僕の頬をくすぐり、少しだけむず痒い。

「えへへ」と声を漏らすサクラの笑顔は少女の笑顔そのものだ。年頃の、戦いも孤独も知らぬ少女と同じ。

 

 

「きもちーですか?」

 

「そうだな、たまにはこうしてみるのも悪くない」

 

 

 具合の悪い俺を気遣い、サクラは膝を貸してくれた。

 柔らかい。不思議と海の香りがする。

 彼女が艦娘だから、そう感じるのか。

 

 サクラは遠く、海を見つめ寂しそうに目を細めた。怖いのだろうか、嫌いなのだろうか。それが聞ければどれだけ楽か。

 海風が強く頬を撫で、潮の匂いが目に染みる。そのまま目を閉じれば眠ってしまいそうなほど、心地がいい。今このときだけは嫌なことを考えずにいられる。こんな時間がずっと続けばいいのに。

 

 

 ──俺は、どウしたい? 

 

 

 知らない。

 どうしたいかなんて僕にわかるはずがないだろう。

 考えるだけ無駄だ。僕にその選択権はない。

 

 そして静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「提督、もうすぐであの人たちがこちらへ戻られるそうです」

 

「……そうか」

 

「それで、その……サクラさんのことですけど」

 

 

 大淀の言いたいことはわかる。

 サクラは元々この鎮守府には登録されていない艦娘だ。建造した、と言い張れば普通通じるだろうが、それで済めばどれだけ楽なことか。

 

 サクラは完全なイレギュラーだ。

 記憶を失い、元いた鎮守府のことを知らず漂流してきた艦娘など聞いたことがない。そんなことを告げればあの人たちは父の元へ連れていくか、それよりも上の施設へ連れてこうとするだろう。

 

 いや、それ以上に厄介なことは彼女の正体だ。

 今現在、彼女は艦娘だと言える程度には人間らしさを保っている。が、あの夜一度だけ見せた深海棲艦としての一面がある限り、完全な艦娘だとは言いきれないのではないか。

 

 

「正直に話せば研究施設にでも連れてかれるのだろう」

 

 

 そしてそんな彼女を提供した僕はきっと人類側に最も貢献できるのかもしれない。そうすれば父にも認めてもらえるだろう。

 それは──

 

 

 ──それハなんて魅力的な話なのだろウ。

 

 

「違う!」

 

「! どうかしましたか……?」

 

 

 そんな考えは僕のものじゃない。僕はサクラを売ってまで父に認めてもらいたいなど、そんなこと考えているはずが無い。

 

 

「い、いや、なんでもないんだ。すまない」

 

 

 サクラは既に部屋へ戻り眠っているのだろう。今この部屋にいるのは僕と大淀の二人だけだ。

 そう思って油断した。

 

 その油断が、僕の判断を狂わせる結果になる。



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6.暗く、深く

ルート分岐でのエンド方法を考えております。


「御苦労」

 

 

 その声を聞いたとき、僕は動けなくなった。

 肩は震え、顔は強ばり、声は出ない。

 どうしてこんな所に、と聞きたかった。

 

 

「何故、元帥自らこんなところへ」

 

 

 僕の聞きたいことは大淀が代弁してくれた。

 大淀の反応は冷静なものに見えるが、その裏に隠しきれない動揺があるのは見て取れる。彼女が画策してのことではないのは確かだ。

 

 

「何、とある噂を耳に挟んでな」

 

 

 嫌な考えが溢れて止まらない。

 父の部下でさえ丸め込めるか不確定だと言うのに、父本人が来てしまうだなんて考えもしなかった。

 サクラが見つからずにやり過ごすことは不可能に近い。かと言ってサクラを怪しまれずに父に紹介することも同じように、不可能だ。

 

 このままサクラが見つかれば、どうなる。

 深海棲艦側のスパイだと疑われ、人を裏切った者として僕は処罰されるのだろうか。父だけでなく、人類からも見放されて死ぬのだろうか。

 

 ──いや違う。

 今考えるべきことは僕の事じゃないだろ。

 

 ここでサクラが捕まれば彼女はどうなる。

 どことも知らない研究施設に送られ、自由のない部屋に閉じ込められ壊れるまで実験と研究に付き合わされるのか。これまで以上の孤独と恐怖を僕は彼女に与えるというのか。

 そんなこと、許されるはずがない。

 

 サクラはどうなる。

 サクラが逃げれる可能性は。

 サクラを匿ってもらうように頼み込むのか。

 サクラ、サクラサクラサクラ──

 

 

「殺風景な、部屋だ」

 

 

 無駄なことばかり考え続け、時間を捨てた結果、僕たちはもう執務室まで到達してしまっていた。

 

 

「失礼、します」

 

 

 そう言って扉を開いたのはこの場にはあまりに似つかわしくない少女の姿だった。

 色素が全て抜け落ちてしまった長い髪。スラリと伸びた白磁の手足はなんだか血の気が足りていないようだ。

 

 

「司令官、ご挨拶に参りました」

 

 

 彼女の紅い瞳に射抜かれ、体が固まる。

 どうして、と声に出すことさえ出来ない。

 

 だから心の中で悪態をつく。

 

 似合わない。

 君にそんな笑顔は似合わない。

 禍々しい不気味な帽子も、化け物の口のようなその兵装も、ドレスのようなその服も。何もかも、似合わない。

 似合わないから、やめてくれ。

 

 

「私、聞いてたんです。あの夜、大淀さんとお二人で話していましたよね。『あの人たちが戻ってくる』って」

 

「『サクラのことはどうするんだ』って」

 

「だから私、考えたんです。司令官は何も悪くありません。私は深海棲艦側のスパイであり、あなたを騙そうとして失敗した。そういう事なんです」

 

 

 言え。

 違う、と言え。

 

 動いてくれ。

 

 

「ハジメマシテ、私ハ深海棲艦、駆逐棲姫。人間ニ惚レタ哀レナ化ケ物デス」

 

 

 ──ヤメロ! 

 

 

「ゴ自由ニシテ下サイ」

 

 

 微笑んだ彼女の笑顔はいつもの彼女と全く同じだ。

 何も変わらない。彼女は深海棲艦なんかじゃない。艦娘だ。

 海の脅威から僕たちを守ろうと戦う、可憐な少女だ。

 

 

「司令官、トッテモ素敵デス」

 

 

 最後に見えたのはサクラの優しい笑顔だった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 いつからだろう。

 人の言うことを素直に受け取れなくなったのは。

 

 いつからだろう。

 暗い考えばかりが頭を過るようになったのは。

 

 いつからだろう。

 無駄な考え事をするようになったのは。

 

 いつカラだろウ。

 サクラのこトヲ好きにナッたのハ。

 

 

「……司令官?」

 

「ん、ぁ、あー、すまない。寝ていたか?」

 

「もう、なんで寝ちゃうんですか」

 

 

 どうやら眠っていたようだ。

 執務室の机に伏し、散らばった書類を枕にして。欠伸混じりに書類を手に取り、何となくでまとめていく。目に付いた書類に目を通したところで、相変わらず内容に興味は一切湧いてこない。

 ここの子達が作成してくれたものだけに目を通せばそれでいい。

 

 

「で、確か敵さんに与えたダメージってのが……」

 

「そうですね、総大将とも言える人物とその周辺にいた戦艦級と軽巡級に加えてその他諸々ですね」

 

「おぉー、作戦は成功していたのか」

 

 

「はい!」と自信満々の様子を見ると心が安らぐ。

 彼女の笑顔は出会った頃から何も変わらない。花のような笑顔、それが俺に向けられているとわかるだけで幸せな気持ちになれる。

 

 

「……今日はどうする?」

 

「んー、食堂にでも行きますか?」

 

「そうか、もうそんな時間か」

 

 

 眠っていたからか、時間の感覚が多少おかしくなってしまった。時計に目をやると既に時刻は正午をとうに過ぎており、昼食時を逃してしまっていた。

 椅子の軋む音を響かせ立ち上がり、伸びをする。彼女も釣られたのか、俺と同じような仕草で欠伸をする。

 どんなときでも絵になるな、など当たり前のことを考え、執務室をあとにした。

 

 

「後で扉建て替えないとな……」

 

 

 立て付けが悪くなってしまったらしく、ここの扉は開けるのにコツが必要になってしまった。コツが必要な扉など意味がわからない。

 

 

「提督。遅めのご飯ですね」

 

「ああ、昼寝してたらしくてな」

 

「……サボり」

 

「サボりではない」

 

 

 食堂を出る際にすれ違い、言葉を交わす。以前ならありえない事だったが、今では違う。俺は皆とのコミュニケーションというものの大切さを知った。

 一人一人の個性と向き合い、言葉を交わし、性格を知り、友好関係を築く。苦手意識を持っていたはずだと言うのに、いつの間にか克服され、それが好きになっていた。

 皆との交流の時間は俺にとってかけがえのないものとなったのだ。

 

 

 ──待テ

 

 ──以前ッテナンダ? 

 

 

「司令官、行きましょ?」

 

 

 その声で我に返る。

 

 ──面倒な事を考えるのはよそう。

 

 




感想、お気に入りありがとうございます。励みになっております。


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7.いつかの未来へ

感想、お気に入り、毎度の事ながらありがたく思っております。


 終わりの時というものは以外にもあっさりと来てしまうものだ。

 

 

「提督、どうする?」

 

「どうするも何もないけどな。意外と簡単だったな」

 

 

 俺の指示があり次第すぐにでも砲撃できる準備は整っている。一言、「撃て」と命じるだけでここは壊滅的なまでに追い込まれるのだろう。

 

 

「あ、司令官。ここ! 桜ですよ!」

 

「おぉ──ってまだ咲いてないのか」

 

「そりゃあまだ冬ですからね」

 

「寒いのは嫌いなんだ。早く暖かい季節になってくれないと困る」

 

「そんな軽い気持ちで季節が変わっても困るけどな」

 

 

 瓦礫の山を歩き、資材を集める。使えそうなものは鋼材から木材まで全て持って帰る。ただでさえ俺の鎮守府は資材が少なく、資金も少ない。こういう所で地道に集めるしか手段がないというのは考えものだ。

 

 

「サクラ。今後の予定は?」

 

 

 白く美しい髪が宙を舞う。この名前が気に入っているのか、彼女はこう呼ばないと反応しない。

 少しだけ頬を赤らめた様子のサクラが軽い足取りで横たわる資材を避けながら隣までやってくる。

 

 

「ここを落としたらしばらくはどこも行かなくていいんじゃないですか? なので、今日から少しの間だけ鎮守府でゆっくりしましょうよ!」

 

「それもそうか。じゃ、帰って食堂にでも行くか」

 

 

 足元の資材を担ぎあげ、皆を見回す。それぞれ一つは資材を抱えているので当分資材には困らないだろう。帰ったら直ぐに建造だな、などと思いながら家路に着いた。

 

 

「これ地味に重たいんだよな……」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「サクラ──これでよかったのか?」

 

「? 何がですか?」

 

 

 自分で聞いといてだが、何の意図があっての問いなのか。無意識のうちに口から出てきただけの言葉だそれほど意味は無いはずだ。

 

 

「疲れてるんですね、もう寝ても大丈夫ですよ。あとのことは私が全部やっておきます!」

 

「あ、ああ、頼む」

 

 

 生返事で自室に戻り、布団に入る。

 

 

 ──頭ガ、イタイ

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「ヘーイ! テイトクぅー!」

 

「ぐぉ、危ねっ……ての!」

 

 

 凄まじい速度で顔に抱きついてこられ、勢い余って吹き飛ばされる。資材置き場の壁にまた穴が開き、中からいくつもの資材が溢れてくる。

 

 

「ちょっと! 司令官が怪我したらどうするんですか!!」

 

「ああ、いや大丈夫だ。怪我はないか金剛──」

 

「? ワタシですか? ワタシなら大丈夫デスよー?」

 

 

 ──違和感ヲ感ジル

 

 

 溢れてきた資材を抱え上げ元あった場所に立てかける。そろそろ建造しないと資材置き場がパンクしてしまう。

 今度はどんな子が来るのか、少し楽しみでもある。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ──僕は人間か? 

 

 

 その問いが生まれたのは極自然なことであった。

 俺には幼少の頃の記憶が無い。サクラから見せてもらった資料によればとある事件に巻き込まれたせいで脳に激しい損傷が出て、以来記憶の欠如が目立つようになったとか。

 脳の話だとか医療に関わることを持ってこられると点でわからない。

 

 が、しかし。

 この違和感は記憶の欠如だとかそういうレベルのものなのか。

 

 

「俺は、誰だ」

 

 

 鏡に反射した顔を除く。

 青白く輝く双眸がこちらを睨む。不敵に笑い、見下す。

 

 

 ──馬鹿ナコトヲ

 

 

 時折頭に響く声があることは気づいていた。それでも無視を続け、だましだましやってきた。

 けれど、それと向き合わなければならないのではないか。

 記憶がないことの弊害は今のところない。だがいつまでもこのままでいることは良くないのではないか。

 

 

 ──明日、サクラに聞いてみた方がいい

 

 

「その通りだ。サクラなら、何か知っているかもしれない」

 

 

 根拠も何も無い自信だけがあった。

 サクラは確実に何かを知っている。

 その何かを聞き出す義務が、俺にはある。知る権利がある。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「サクラ、君は俺が──いや、僕が何者か知ってるのか?」

 

「司令官は司令官ですよ? 何を言っているのですか」

 

 

 とぼけるように首を傾げ、真実を濁す。寝ぼけてるんですかー、と書類をまとめながら彼女は笑う。

 

 

「司令官は司令官です。私たち──いいえ、私の司令官なんですよ?」

 

「ああ、そうだな。けれど──」

 

「けれどもでももありません」

 

 

 露骨に話すことを嫌がっているように思える。この話題を避けたがっている。

 理由はわからないが、サクラにとってこの話は嫌なものなのかもしれない。しれない……が、それでも知らなければならない。そうでないと、きっと俺は顔向けできなくなる。

 

 

 ──何ニ

 

 ──仲間たちに、だろう

 

 

「サクラ──いや、春雨。お前は何を隠している」

 

 

 その名前を口にした途端、彼女の空気が別物へと変わった。いつもの暖かな日差しのようなサクラの空気から真冬のような、冷たい空気。

 振り向いたサクラの表情は何も無かった。

 空っぽの、虚無だった。

 

 

「名前」

 

「──春雨、僕は……僕たちはいったいどうなっている。確かに僕はあの日、死んだ──はずだ」

 

 

『死んだ』とそう口にしてようやく理解出来た。

 どうしてそんな言葉が口をついて出たのかはわからない。無意識のうちにその答えにたどり着いていたのか、思い出したのか。そんなことはどうだっていい。

 

 そうだ、僕はあの日──父が執務室に来た日に死んだはずだ。

 

 他の誰でもない。

 

 サクラの手によって。

 

 

「思い出したんですか」

 

「春雨──」

 

「サクラ。サクラと、呼んでください」

 

 

 そうだ。

 こちら側へ来てから資料でも読んだじゃないか。

 

 人間側への被害報告の数々を。

 

 その中に確か、僕の鎮守府の場所と父の名前が記載されていただろう。所属していた艦娘──大淀達のことも触れられていたはずだ。

 何故、忘れた。何故、わからなかった。

 

 

「そんなこと、決まってるじゃないですか」

 

 

 サクラが嗤う。

 生気のない真白な腕を広げ、血のように真っ赤な瞳を見開き。嗤う。

 

 

「──アナタも私と同じだから、ですよ」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「司令官。桜、綺麗ですね」

 

「ああ、サクラと見られる日が来るだなんて、こんなに嬉しいことは無い」

 

「これからはずっと、ずっと一緒ですよ」

 

 

 どこで間違えたのか、どこから狂っていたのか。そんなことをおかしくなるくらい考え続けた。

 考えて、考えて、何も出来なかった結果がこれだ。

 

 

「いいですね。私たちの海に、私たちの家に、私たちだけの世界です」

 

 

 考えることはもうどうだっていいじゃないか。こんなにも幸せそうなサクラが見られているのだから。

 

 

「私は司令官さえいてくれればそれでいいんですけどね」

 

 

 微笑むサクラの横顔をいつまでも見ていたい。誰にも邪魔されず、永遠に。

 

 

「僕も、そうだよ。サクラ」

 

「嬉しい。これからもずっと一緒にいてくださいね」

 

 

 それがサクラの望みなら。僕はなんでも受け入れよう。

 

 

「そしてまた、桜を見ましょう。何年先も、何十年、何百年先も」

 

「そうだな」

 

 

 海の底のように暗く、淀んだサクラの瞳には青白い肌の僕が見える。

 蒼い双眸はサクラと対になっているみたいでなんだか少し暖かな気持ちになる。

 

 

 ──こんな結末にならずに済んだ未来はあったのだろうか。

 

 ──いつか、サクラとちゃんと桜を眺めることはできるのだろうか。

 

 

 いつか──

 




一旦区切ります。別ルートはもう少ししたら上げます。


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