REASON OUT (劇団兄弟船)
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「重力」「引力」

 七月下旬、うちの学校では学ランからYシャツ登校の時期になり、暑さが少しはマシになる。

 この時期の高校生は高体連や期末試験などで慌ただしくしている真っただ中だが、俺は相も変わらず友達とぶらぶら時間潰しの予定しか入っていない。

 乗らなきゃいけない電車が遅延して、それを延々と待っているような状態に気が滅入る日々。

 

 俺は怪しい都市伝説が大好きだ。頭からかぶりつきたいくらい好きだ。遠いようでいて日常のすぐ近くにあるような非日常の裏世界。

 そこへたどり着いた時、きっと俺が昔から抱いてきた葛藤や疑問は、溢れる情熱によって蒸発してしまうだろう。

 まるで神託を授かる巫女のような気持ちで、厳かに情報とやらの詳細を待つ。

 

 

「雨の日に現れる怪人、"ずぶ濡れ男"だよ

なんでもそいつ、真っ赤なアイシャドーをしてて、肌が死人の様に白過ぎるらしい

それでな、遭遇したやつが言うには……笑いながら聞いてくるんだってさ

"赤い雨がいいか、青い雨がいいか?"って 選んだ方の雨を降らせて、答えた人を殺しちまうんだと」

 

 

 赤い雨は十中八九血の雨の事だろう。でも青い雨ってなんだ? それにどちらを選んでも殺すなんて、聞く意味があるのだろうか。

 ないに決まっている。都市伝説というヤツは出会った時点で詰み。人間如きが問答一つで逃げおおせると思う方がオカシイ。

 

 

「へえ……場所は?」

 

「目撃されてる場所は結構バラバラらしい 他校でも見たって言ってる奴がいっぱいいるんだ」

 

 

 雨の日にだけ現れる怪人か……。俺と同じ苦しみを抱いているだろうか。

 俺と同じ始まりを求めてやまない人だろうか。きっと、出会って目を見れば分かる。

 

 

「俺から話しといてなんだが、深口(ふかぐち)ってこういう話題すぐ信じるよなぁ」

 

「あー、ん……まあね 何事も火のない所に煙はたたないっていうか

ノーミソがさ、火を見たがってるんだよ」

 

「の、脳みそ?」

 

「そう、燃え盛る業火さ 一度も火を見ないで終わる人間がいたとすればソレは猿と同じじゃないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 日曜日。今日は天気予報で雨だと言ってたのにあいにくのカンカン照り。まあこの時期そうそう雨なんか降らないからなぁ。

 セミの声を間近に渇きを癒すためペットボトルを口にする。この生ぬるい炭酸飲料の何とも言えないもの悲しさ。

 眠らないようにだけ注意しつつしばらく木陰で休んでいると、遠目に、まれによくあるアレが映った。

 

 男が数人がかりで「よおよおネエチャーン」てやるアレである。

 慌てて背中を起こし、目を細めて詳細を確認すると、そこにはなんとも珍妙な光景が広がっていた。

 まず絡まれていたのはなんと男性一人であり、短い金髪に筋肉隆々と、どうみても仕掛けるに相応しい外見でその表情は困惑しかないといった感じだ。

 さらに解せないのは仕掛ける側は小学生高学年の女子が一人、俺と同じ高校生くらいの女子が二人。自分たちより一回りも二回りも大きな青年に立派に啖呵(たんか)を切っている。

 そのままでは埒が明かないと思い、また好奇心から俺はそのトラブルの元へ駆け出して行った。

 

 

「おーいちょっと何してるの皆さん!」

 

 

 俺が近づいて声をかけると、一番まくし立てていたリーダー格の女子がこちらに向き直って視線を向けた。

 

 

「ちょっと何よアンタ! ナンパならよそ行きなさいよ」

 

 

 三人の中で一番小さい小学生が、フンとない胸を反ってこちらを見上げる。

 三つ編みにした真っ赤な髪が印象的な活発そうな少女だ。

 

 

「いや、このお兄さん困ってるじゃん 俺っていう第三者いるし話してみなよ」

 

 

「変な奴ねアンタ…… えっとね、そこの商店街で福引やってたのよ

あたし引こうと思ったんだけど、急にお花を摘みたくなって……戻ってきたらその慶代(けいだい)って人が先に引いてたのよっ!」

 

「え、それで怒ってるってことは慶代さんあんた」

 

「……ああ、一等温泉旅行だった」

 

「あたしはティッシュだったわよ! しかもそいつは温泉チケットで鼻かんでポイよ!? これで怒るなって言う方が無理よ!!」

 

 

 何? 一等の旅行券を手にしておきながら……この慶代さんは、ティッシュ代わりにしたって言うのか。

 

 

「俺はティッシュが欲しかったんだ しゃあねえだろ」

 

 

 慶代さんはぶっきらぼうにそう言うと、すぐにそっぽを向いてしまう。

 あ、この人不器用なタイプなんだな。ここを離れたいけど手段が思いつかないって感じだ。

 

 

幽李(ゆうり)! 久瑠実(くるみ)! あんたらさっきから関係ないことブツブツうるさいのよっ!!」

 

月歌(げっか)ちゃん、早くラーメン屋さん行こうよぉ 麺が伸びちゃう」

 

「まだ頼んでもないのに伸びるわけないでしょうがっ!!? アホ幽李!」

 

「月歌さん、なぜ削り節にはかつおしかないのでしょう? 他のお魚さんも試した結果なのでしょうか」

 

「そんなのあたしが知ってるわけないでしょ!? 知りたきゃ自分でほかの魚削りなさいよバカ久瑠実!」

 

 

 月歌が二人のお姉さんにツッコミまくるのが止まらない。

 幽李と呼ばれた子は、この暑いのにゆったりとした猫耳フードパーカーを着込み、それでいるのに汗一つ垂れていない。色素の薄い瞳からは冷気さえ感じる。

 

 久瑠実と呼ばれた子は後頭部にリボンをつけたザ・お嬢様と言った風体なのだが、何がそんなに嬉しいのか月歌にニコニコとした微笑みを絶やさない。

 二人ともぽわぽわという擬音が体から沸き上がりそうなおっとりさんだ。

 

 

「旅行券やるからとっとと失せろ 乾かせば問題なく使えるだろ」

 

「なんでアンタの鼻水まみれの旅行券貰わなきゃなんないのよ!? 弁償しなさいよ弁償!!」

 

「あーもう落ち着いて月歌ちゃん そもそも君のものじゃないし…… 幽李さん達も保護者なんだからもっとしっかり手綱を握って」

 

「あたしも高校生よ失礼ね!!」

 

 

 あらそうでしたか……。月歌ちゃ、さんはぱっちりとした可愛い瞳を潤ませて、抗議の視線で俺を見上げてくる。

 きっと禁句であっただろう事を口にしてしまい、ぷりぷりと怒りに怒った月歌さんは二人を連れてどこかへ行くらしい。

 

 

「あ、月歌さん! 旅行券いいの?」

 

「もう知らないわよ! ふんっ」

 

 

 三人の姿が見えなくなると、自然と安堵の息をついた。

 刺激的な体験だったな。三人とも可愛かったし何よりアレだ。南米の珍獣みたいな取り合わせ。

 すると慶代さんも踵を返し歩いて行ってしまう。どうせずぶ濡れ男は今日は出ないんだし、ここで逃がしてなるものか!

 

 

「慶代さん! 何で旅行券フイにするような事したの? 変わってるよね~

あ、俺深口情成(ふかぐちなさなり) 以後よろしく」

 

「うるせえ ついてくんな」

 

 

 取りつく島もないとは正にこの事であるものの、声色には恫喝や嫌悪は含まれていない。

 ああ……この人はとことん真っすぐで、俺みたいな迷惑な奴にも心を閉ざさない人なんだ。クラスにもこんな人はいない。

 

 

「いや、たまたま道が同じだけだよ 何歳? どこの高校?」

 

「しつけえなインタビュアーかよ…… 十七だ、学校は行ってねえ つうかお前、さっき木陰で寝てただろ」

 

「よく見てるんだね~ ねえねえ、旅行券要らないなら売るって選択肢もあったと思うんだけど?」

 

「俺には関係ねえ これで満足か?」

 

 

 一緒に歩いていた慶代さんが立ち止まり、俺の方にまっすぐ向き直った。改めてみると強面でありながらも整った顔をしている。

 カワイイっつったら怒るだろうな。けど不良を地でいくような人たちって上半分エイ、下半分ブタみたいな顔面が多いから珍しいんだよね。

 

 

 

「俺ずっと変わった人と友達になりたかったんだよ 慶代さん! あんたが友達になってくれないなら代わりを用意して欲しいもんだね」

 

「クソ……めんどくせえ奴に捕まった」

 

「一応助けに入ったんだけどな……で、どうする?」

 

「あああ゛わかったよクソミソ! ついてこい」

 

「えっ、どこに」

 

「俺が行く予定のところだ」

 

 

 慶代さんはそのまま一人ですぐに行ってしまう。ぶっきらぼうな人なのはわかったしこっちから色々聞いてみるか。

 横に並ぶと顕著になるが、165cmの小柄な俺と比べて天を突くような威厳を感じる。180前後だな。

 

 

「慶代さんどうして学校行ってないの? あんたさ、長身の筋肉マンなんだから行けばモテるよ~」

 

「知るか 俺はそんなもんどうでもいい」

 

 

 朴念仁、修行僧……てな感じはしない。かといって遊んでる感じでもないが。

 間違ってもイカニモ系には見えないし。

 

 

「じゃあこれから行く場所はどうでもよくないんだ?」

 

「ああ、だからお前に助けられたのは後悔してる」

 

 

 残念だったね。世の中人助けには必ず裏があるって事だよ。

 しかしこうまでぶっきらぼうな人はなかなかお目に掛れない。慶代さんが用があるとハッキリ言うなんてどんな場所なんだ。

 俺はこれから出会うであろう謎の友達に対して、期待に胸躍らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビジネス街の奥まった路地までついて行くと、そこにあったのはごく普通の雑居ビルだった。佐橋(さはし)ビルというのだと慶代さんに聞いた。

 ぐるりと観察してみると細かな異常が際立つ。非常口とか、職員専用通路といったものしかないのだ。デカいガラス扉で横に郵便受けがついている正門らしきものはない。

 促されるまま裏手のドアを開き、ソワソワと足を踏み入れると……中はおしゃれなバーだった。

 暗がりでやわらかく光るオレンジのライトと、木材を基調とした調度品の数々が、独自の落ち着いた雰囲気を生み出している。

 

 

「おじゃましますっ」

 

「……いらっしゃいませ 初めてのお方ですね」

 

 

 暑さを忘れさせるような声の主は、毒々しいほどに全身に包帯を巻きつけた淑女だった。身に着けた真っ赤なドレスと足元まで届く濡れ羽色の髪が、包帯の内の美貌を想像させる。

 奇怪であり婉美(えんび)なお姉さんは、グラスを拭きながら異界へと誘うように薄く笑っている。これはもう変わってるとかいうレベルじゃない。まるで怪談に出てくる怪異に遭遇してしまった気分だ。

 めったに警戒などしたことのないこの身が、ぶるりとひと際大きな震えに襲われた。

 

 

「初めまして! 深口情成って言います」

 

「私は卿燐(けいりん)と言うそうです さあ、お掛けになってください」

 

 

 と言うそうです、ってのも聞かない自己紹介だよな……。

 

 

「いや卿燐 コイツは何の変哲も異常もねえ、いや、多少変人だがただのガキだ

依頼に来た訳でもねえんだが……構っといてくれねえか」

 

 

 ああ、ダメだ。 口角が引き上がるのが止まらない。 今の、つまりそういうことだよな……。

 

 

「……!」

 

 

 刹那、地響きと共に骨を貪るような(ひし)めきがバーに響き渡り……バーの半分の床が圧し曲がった。

 

 

「慶代さ――」

 

「オイクソミソ!」

 

 

 慶代さんが俺の胸倉を掴み、ぐいと持ち上げる。やばい、誤解させたかも!

 

 

「す、スパイとかじゃ……ないです!」

 

「スパイ? どこにスパイを認めるスパイがいやがる」

 

「それは……」

 

 

 視線を泳がせていかにも怪しい動きをしてしまう。だが仕方がない、ようやく理解者を得られるかもしれない瀬戸際なのだ。

 慶代さんは今起こった現象にまるで疑いを持っていない。それは床板の劣化や地震など考慮しない程、本物の異能、超常現象に出会ってきたという結果だ。ここで失敗するわけにはいかない。

 

 

「スパイじゃないんです……」

 

 

 ここは正直の一手だ。何事も真心を込めて行えば、同じく真心を持つタイプの人になら伝わるはずだ。

 重苦しい雰囲気が場を支配する。俺は慶代さんの目を真っすぐ見つめ訴えた。

 

 

「……はぁ、分かった 分かったからその顔やめろ

同類が居ても今みてえに(タガ)外すんじゃねえぞ」

 

「あ、あれ?」

 

 

 急にため息をついて俺を放してくれた。何が何やらと混乱する俺に、卿燐さんは優しく笑いかけてくれた。

 

 

「ふふ どうぞ、階段をお降りになってください」

 

 

 思いが通じた安堵で腰が抜けそうになる。場合によってはひっ捕らえられてもおかしくないのに、客人という枠を越えて俺をこの佐橋ビルの深い所まで案内してくれようとしている。

 きっとこの先に俺の求めた人がいるのだろう。卿燐さんが見送る中、俺は地下への階段を一段一段踏みしめて、扉に手をかけ……ゆっくりと開いた。

 そして扉の向こうは意外な事に、普通の雑多な事務所という大部屋だった。

 入って左手に巨大な掲示板があり、そこに何人か若者が集まっておしゃべりしている。ざっと見ても個性的な容姿の人々がちらほらとこちらに注意を向けてきた。

 

 

「ん、慶代、その少年は誰だ?」

 

「ああ、面倒な奴に絡まれたと思ったら……アンタの客だったぜ おっさん」

 

「何だと……?」

 

 

 この人が……おっさん? 確かに慶代さんと比べて年上だが……天色の長髪を肩まで伸ばしたその白人男性は、年の頃で言うとまだ三十路手前くらいだろう。とてもおっさん呼ばわりされる感じではないのだが。まあでも否定してないようだし。

 

 

「よろしくね! おっさん」

 

 

 俺もおっさんと呼んでみるが、おっさんは真剣な顔つきで俺をじっくりと見据えている。ともすれば仏頂面と形容してもいいその凄みに、思わず視線を逸らしたじたじとしてしまった。

 基本的に能天気な俺だが、おっさんに嫌われるような言動はこれから控えないとな。

 

 

「俺はエルアだ 君はなぜここに来たんだ?」

 

「深口情成っていいます えっと……偶然慶代さんに会いまして

以前から変わった人と友人になりたいって思ってましてね ほら、超能力を持ってるなんて、家族とか近しい友達に打ち明けられないじゃないですか」

 

「ほう……つまり君は、今のところ自分の異常を周囲に隠し通せているということだな」

 

 

 問われたので俺は軽く頷く。なにやら品定めするように見つめるエルアさんの瞳に、体が試験前のように緊張してきた。

 

 

「はい、えっと……自分でもどのくらいが限界か測りかねているんですけど、人間を超える身体能力を持ってます 後超常現象を起こせます」

 

「……まさか……それが事実なら、君は鬼に分類していいだろう」

 

「鬼……ですか?」

 

「何も君が想像するような金棒を持った奴じゃない。超能力の種類は現代までに数多あるが、あくまで俺は分類の一つとしてそう呼んでいるんだ 鬼の基本的な定義は三つ

極めて稀に強い願望を抱いた者が変容する、身体能力が人類の域を超える、そして肉体、あるいは精神に通常では考えられない疾患を患う」

 

 

 その説明を聞いて俺の脳裏に違和感が走る。強い願望を抱いたとき後天的に発現するらしいが、俺は小学生の時にはすでに膂力も異能も持っていた。

 

 

「あの、俺小学生の時にはすでに鬼? で……特に強い願望を抱くような思い出もないんですけど」

 

 

 エルアさんの眉間にクワッと皺が寄った。まるで猛禽のように厳粛な頼りがいを滲ませている。

 この人は疑うべくもなくリーダーだし、教育者でもあるのだろう。

 

 

「……驚いたな久遠(くおん)

 

「嘘は言っていませんよ」

 

 

 シックなメイド服を着こなす長身の久遠さんは、さっきからエルアさんの隣にずっと佇んでいた。

 時折目が合っては感情のないロボのような瞳で俺を打ち据える。さっき卿燐さんが言っていたスパイの証明に関係しているのだろう、エルアさんは久遠さんの断言を完全に信頼しているようだった。

 

 

「君のそれは先天性か……とても稀なケースだが、人を超えた身体能力と超常現象を持つ以上そうなのだろう」

 

「は、はい」

 

「君の力の詳細を聴かせてほしい」

 

「瞬間的にですが、体の重量を増加させることができます」

 

「肉体異常か……では情成、君の鬼としての名を鈍鬼(どんき)と命名させてもらう 住所と電話番号を控えるが、問題ないな?」

 

 

 そう言うが早いか、久遠さんはメモを取り出しすらすらと何かを書き始めた。まさか今書いているのって……。

 

 

「久遠さんて、心が読めるんですか?」

 

「……」

 

「さて情成、君は今周囲に問題なく溶け込んでいるし……先天的に持って生まれた余裕か価値観なのか分からないが、力に溺れるような兆候もない」

 

 

 力に溺れる……考えたこともなかった。やっぱある日いきなり手に入れたってなったら人は欲望を抑えられないのだろうか。今までできなかった事をどうしてもしたくなるのか。

 でも……他の鬼は皆苦しみや悲しみを経験してるんだとしたら俺はなんて薄っぺらい男なんだろう。

 

 

「今の生活を大事にするんだ 俺たちと関われば、周囲にばれる余計なリスクを負うことになる」

 

「えっ……」

 

「普通に生活できている以上、君を怪事に巻き込むわけにはいかないし、俺たちの助けは必要ないだろう」

 

 

 拒絶された。しょうがないのかも知れない。だって俺には精神的支柱が何もない。

 指向性、キャラの濃さ、責任感、とにかくそんな感じのものが欠けている普通の子供。

 普通に生活しているのに、そんなやつが悩み苦しむ人たちに寄り添って、友達になりたいというのは厚かましい。

 ……だけど、俺にだって他人に迷惑をかけてでも得たいものがある!

 この情熱だけは、帰巣本能とでも言うべき渇望だけは絶対に譲れない。

 

 

「お願いします! 俺を仲間に入れてくださいっ!! 見捨てないで下さいエルアさん! 俺のゴッドファーザーじゃないですか!」

 

「驚いたな 君は自ら平素から足を踏み外したいのか……うーん、ではこうしよう 久遠の面接をパスすれば、社員として雇ってもいい」

 

 

 数少ない鬼だしな、とエルアさんは短く言葉を切り目をつむった。

 やった! 言質は得たぞ、これで久遠さんに認められさえすれば俺も本当の居場所を見つけられる……。

 でも、久遠さん……なんていうか無機質だ。

 

 

「では面談室に行きましょう」

 

 

 抑揚のない機械音のような声で久遠さんが告げる。パタパタと早歩きしてしまう久遠さんに俺は慌てて追従した。

 後ろで慶代さんが「まさかあれやるのかよ」とか言っているが聞かないようにする。あれってなんだあれって……。

 

 

「救急箱どこだ? おっさん」

 

 

 救急箱必要なの!?

 

 

「座ってください」

 

 

 案内されたのはどこまでも白い部屋だった。壁も机も椅子も、ついでに仕切りも白い雪景色。

 ずっと白一色の部屋にいると発狂すると言うが、この謎の集団な皆さんならそれを考慮していてもおかしくはない。

 だが、例えこれが人体実験だろうと何だろうと、俺は居場所を手に入れる為なら最後まで受けてみせる。

 俺は促されるままに久遠さんの向かい側に腰を下ろした。

 改めて久遠さんの顔を見つめる。クールな印象を受ける切れ長の眼には、なんの感情も浮かんでいないように思える。部屋の白さと久遠さんの無機質さが相まって息苦しさまで漂ってくるようだ。

 俺が緊張にあえいでいると、久遠さんが手を差し出す様求めてきた。これは握手を求めているのだろうか。

 そう思ってそっと右手を伸ばす。とたん、激痛。

 

 

「うぎああああああああ!!!?」

 

 

 久遠さんが俺の手の甲にフォークを突き立てている、と気づいたときには声をあげていた。今までの人生でもここまで鮮烈なダメージは久方ぶりだ。

 恐怖に震える体を無理やり起こし、久遠さんの顔を見る。その唇は高速で動いておりかすかに振動にも似た声にもならないような声が聞こえた。

 

 

「身長165センチ体重58キロ好物中辛カレー苦手なものゴーヤ初恋は十歳彼女なし」

 

 

 他にも壊れたように俺の情報を羅列していく。

 さっきまでの様子とは完全に異なり、目はカッと見開かれ光っているようにすら見える。俺は心臓が止まったように硬直しながらも久遠さんの瞳から目を離せないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガーゼが巻かれた右手をさすりながらちらと横目で久遠さんを見る。

 結局あれからたっぷり十分かけて久遠さんは語り続け、その間ジクジクと手の痛みは増していくばかりだった。もう表面の傷穴は塞がっているがもちろん今だって痛みは治まっていない。

 だがこれも皆の仲間になるためだ。このくらいの痛みを耐えられないで何が鬼だ!

 俺はさっきから心配そうにこちらを見る人だかりが気になっていた。最初に掲示板の前にたむろしていた人たちで、様々な特徴を備えていて皆個性的だ。

 なにやら「誰が選ばれるか?」という話声が聞こえてくる。

 

 

「次はこちらの依頼を解決していただきます」

 

 

 久遠さんは掲示板へ向かうと、そこにピン留めされていた手紙の一つを無造作にとった。放られたそれを左手でキャッチする。

 

 

「これが依頼ですか……」

 

「うちではそれぞれ個人事業主として依頼を受けてもらう 依頼に取り掛かる際誰かと組んで報酬を山分けしても別に構わない シフトもないし、好きな時にここへ来て掲示板を覗いてもらう形になるな」

 

「えっ、じゃあ依頼を受けられるって事は俺は面接に合格したんですか?」

 

「いや、君は依頼を完遂して初めて合格となるだろう 依頼を直接受けるのは……そうだな、劉謖(りゅうしょく)、情成の初仕事に付き添ってくれないか たまには二人仕事もいいだろう」

 

 

 たまたま今日事務所に来ていたであろう人だかりにエルアさんが声をかけた。

 すると目の覚めるような美しい金髪の白人美少女が、いたずらっぽく笑いながらこちらに近づいてきた。カチューシャと制服風のホワイトコーデが清楚さを醸し出すものの本人の性格は全く異なるみたいだ。

 

 

「コニチワ~! ワタシ劉謖アル! よろしくネ」

 

「劉謖さんだね! 俺鈍鬼っよろしく!」

 

「なかなかイケメンアルな~ ま、死にそうになるまで助けはしないから、あくまで自分の力だけで何とかするアルヨ?」

 

「……死にそうになる?」

 

「依頼によっては、とんでもない死闘を繰り広げる事になるネ

覚悟するヨロシ」

 

 

 死闘って……何請け負ってるんだ? この会社。

 俺は引きつった笑いを浮かべつつ、手紙の内容を熟読し始めた。



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「虚像」「拒絶」1

 初めまして、大宮潤之助といいます。誰にも相談できないため手紙を送らせていただきました。

 僕には好きな人がいました。同じ大学の先輩で玉本成美さんといいます。

 僕は知り合った時からすでに彼女に惹かれていて、本気で恋をするのにそう時間はかかりませんでした。連絡先を交換して共通の友人と飲み会も重ねていきました。

 

 でも、おかしいんです。自分にそんな趣味はなかったはずなのに、近しい友人関係なのに、ある日突然成美さんのストーキングを始めてしまったんです。

 最初はほんの些細な事で皆で集まって騒いだ後、僕が皆のゴミを一つの袋にまとめて片付ける時に、急に魔が差したんです。

 彼女の食べていたおでんの容器、それがどうにも気になって寝付けないほどでした。その日の深夜過ぎ、皆が帰宅した後眠りにつこうとしました。まだ寒さの残る時期だったのに体は汗ばんで、とても気持ちが悪かったのを覚えています。そうしているうちに我慢できなくなってゴミ袋から容器を取り出してしまいました。

 本物の方達のことは想像に過ぎませんが、普通その時ってひどく興奮して嬉しい気持ちになると思うんです。なんていうのかな……相手とこれでまた一歩距離が縮まったな、なんて思うんじゃないでしょうか。でも僕にはその時プラスの感情はありませんでした。

 どうしよう、こんなものインテリアどころか花瓶にさえならない。保管しておく自然な道理がない。ほかにも色々な不都合に悩んでいたと思います。

 

 おかしいです。成美さんの使用した物を取っておきたいという衝動と、こんなものどう扱えばいいんだという苦悩の間に隙間なんてなかったんです。

 そこには、ストーカー特有の喜びが挟まれていなければおかしいはずなのに。

 それから今に至るまで盗撮もしていますしゴミ漁りもしていますが……相変わらず喜びはなく自分への嫌悪感しかありません。彼女への罪悪感にも圧し潰されそうです。今は量も少ないので隠し通せていますが、誰かに見られでもしたら死ぬしかありません。

 そして以上のことに加え、僕を混乱の極みに叩きこんだのがこの手紙を書いている三日前の事です。

 大学の廊下ですれ違いざまに成美さんが「だんだん写真の腕上げてるね」と囁くように呟いたんです。幻聴ではありません……といっても自分自身が信じられないレベルです。僕は成美さんに写真が趣味だと言った覚えはありません。

 独り言ではないとすれば、彼女は僕の盗撮に気付いているという事なのですから……。

 どうか調査をお願いします。

 

 

「堂々と自分の犯罪行為書いてるじゃないですか……」

 

「よくアルよくアル」

 

 

 事務所を出てから、俺は劉謖さんと依頼人の家へ向かっていた。今は日陰になっている路地を歩いているが午後をまわって暑さは更に増している気がする。

 ジリジリと照り付ける太陽の中、俺が改めて依頼内容にブッたまげているのを劉謖さんは雛鳥を見守るような眼差しで見つめている。それにしても語尾がアルなんて胡散臭いを通り越してあり得ない。画になる美少女だし勿体ないの一言に尽きるよな。

 

 

「それにしてもストーキングなんてスパっとやめたらいいのに 本人も苦痛でしかないのに続けるって不可解ですよ」

 

「多分そこがエルアの気になったところネ 佐橋の連中のような能力者に狂わされているか、本人が精神異常をきたしてるか……いずれにせよ表ざたにはできないヨ」

 

「佐橋の連中って……劉謖さんは違うんですか?」

 

「ワタシは月に二、三度しか利用しないアル 情報収集の一環ネ」

 

 

 月に二、三度しか出社しない人でも問題ないのか……。佐橋の連中と自分は違うってハッキリ言ってるし。それに……普通の女子高生が情報収集なんて言ってあそこに出入りしないだろう。

 そこから導かれる答えは。

 

 

「えっと、答えたくないならいいんですが……劉謖さんて癒氣城(ゆーしーちょん)のホストガールだったりします?」

 

「ご想像の通り、あの漢字とネオンの迷路に住んでるヨ」

 

 

 さっきの依頼でも驚いたのに、自分が犯罪者であることを悪びれもなく告白する劉謖さんにさらに驚いた。あのリトル九龍城とも評される中華街の城で生活していると誰でも凄みを持つものなんだろうか。

 俺が劉謖さんに圧倒されていると彼女はそれにしても、と俺の持っている手紙に視線を落とした。

 

 

「この話、意図的に隠されているファクターもありそうアルな」

 

 

 隠されている? 依頼人が手紙に載せていない情報があるって言うのだろうか。……考えてみよう。

 罪の告白は特に引っかかる事はない。何か不自然な箇所……不可解な事件の不自然なところを探すってすごい難しいぞ。しばらく黙考していた俺は一つ気になることがあった。

 

 

「二人の仲……ですか?」

 

「ワタシも腑に落ちなかったネ 何で依頼主は早い段階で成美さんに告白しなかったカ?

自分で一般的ストーカーの気持ちを考える余裕もあったなら、思い当たっていることがあるはずヨ

つまり……ストーカーは普通話しかける勇気や告白する勇気といった、近づく努力というものとかけ離れている事が多いはずアル 部屋を盗撮写真で埋め尽くすなんてのはまさに典型的!」

 

「でも大宮さん……依頼主はその行為に喜びを感じられませんでした その異常な状況が告白を躊躇わせたんじゃないですか? だってほら、手紙に好きな人が「いました」と過去形で書かれてますよ

きっと今はもう好きじゃないんでしょう」

 

 

 自分が誰かを好きになったとしてもさあ本気で告白するぞと意気込んでいた矢先、例えばいきなりネクロフィリアなんかに目覚めてしまったら。許されない性癖に覚醒してしまったら。

 それはもう相手に何の落ち度もなくても終わりだ。一体俺はどうしちまったんだ、その気持ち以外に考える事はないだろう。

 

 

「それは文章を鵜呑みにし過ぎアル 依頼主が本当はただのストーカーで、何かの拍子に自分は成美さんと近しい友人関係だったと思い込まなきゃならない状況に陥ってしまったのなら

こういう事にして自己防衛に走る可能性もなくはないアル」

 

「な、なるほどー」

 

 

 狂人の文章は確かに鵜呑みにするべきではないのかも。確かにこの依頼主が語っている内容には、妄執的な面もないとは言い切れない。

 どんな人物か会えば分かるのだろうか。もし自分の破綻した人格を隠すのがうまい人ならば、俺たちは依頼主とそのほかで二律背反した疑いを持たなきゃいけなくなる。

 皆は基本一人で依頼をこなしているのだろうか? 俺は自分の判断だけではとても自信が持てないな、とかんかん照りに似合わない沈んだ気分の中路地を抜け住宅街へ歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、いらっしゃい」

 

 

 分譲マンションの玄関で力なく微笑んでいる依頼人、大宮潤之助さんは完全に参っていた。見たところ本当に不本意な出来事に翻弄されている被害者という印象を受けるなぁ……。

 髪の毛も明るく、ピアスはしていないが穴は開いていて、とてもストーカーになるような陰鬱な人には見えない。

 俺は心理学者でもなんでもないが、目の前の人がアカデミー賞ものの名演技をしているのでなければ限りなくシロだと断言できた。

 すると挨拶もそこそこに劉謖さんが一気に廊下を先行し、ずいと部屋に上がり込んだ。

 

 

「ほっほーう……アルバムアルか……異常ネ」

 

 

 劉謖さんの言う通り盗撮写真はアルバムに収められていた。俺はもっと、こう……壁のコルク板にビッシリと乱雑に留めているイメージを持っていた。

 でも大宮さんは違う。自己の欲求やフラストレーションを部屋という領域にまき散らす、という衝動は見られないしコントロールされていた。壁に貼っているポスターだって有名なアイドルのもので……ストーカーとして異常極まりない。

 

 

「えっと、おでんの容器とかは」

 

「はい パック詰めにして野菜室に入れてます」

 

 

 そう言って大宮さんは冷蔵庫を開けてくれた。中にはニンジンやキャベツなどと仕切った区画に確かにパックに入った大量の生活ゴミがあった。

 

 

「大宮さん、これはどうして……冷蔵庫に入れようと思ったんですか? 見たところ全部綺麗に洗っているようですし」

 

「それは……洗わないと衛生的に汚いと思ったし、夏場なので冷蔵庫に、と思ったんです」

 

「……普通、洗いませんよね ストーカーって」

 

「そうかもしれな……いや深口くん、さすがに夏に放っておくって事はないと思うな   

その、舐めたりするのが目的だとしても」

 

 

 今現実にストーカーを目の当たりにしているのに『ストーカーならこうするだろう』という異常な問答を繰り返す。それはすべて、大宮潤之助というストーカーから執着や情熱がまるで感じられないからだ。マトモなのだこの人は。

 依頼主はやはり潔白で、ストーカー行為をさせられているに過ぎないのかも。

 ……そう、自分が盗撮されていると知りながら写真の上達を褒めた女。好きだった成美さんに。

 

 

「おみゃーさんは成美さんを最近家に招いた事はないアルか?」

 

「お、おみゃーさんてなんです?」

 

「大宮だからおみゃーさんか 面白いっすね劉謖さん

ないんですよ、おでんの時から一度も なのに盗撮の事を知っていたって事は、僕が大学に行っている間に彼女が忍び込んでたって事でしょうね……」

 

 

 一瞬だがぶるると震えた大宮さんがうつむく。なにせ先にストーキングを始めたのは自分なのだ。そんなことをされても強くでられるはずもない。きっとただ浅はかな自分を責め続けているのだろう。

 その事で一つ浮かんだ可能性がある。成美さんを説得できる余地だ。

 彼女は大宮さんが警察に訴えないことを知っていて、自分も遠慮なくストーキングを行い始めたのなら……弱みを握って自分の本来の欲望を満たすという方程式が成り立つ。

 成美さんがストーキングに関する異能を持っているのなら、急接近してきた大宮さんの好意に気付き、自己の性癖を共有しようとしたのかな。

 

 

「大宮さん、大学の場所を教えてください 後できれば成美さんにアポも取りたいです」

 

 

 そうと決まれば行動は早い方がいい。そそくさと出かける支度を始めると不意に大宮さんの携帯が鳴り響いた。まさか、という表情で大宮さんは耳にゆっくりと近づけていく。

 

 

『――潤之助くん その子供たち、誰?』

 

 

 表情筋が凍り付く。劉謖さんに視線を移すと、なんと彼女は腕を組んで不敵にニヤニヤと笑っていた。これは……ここから先は明らかな"戦い"だ。俺の知らない世界だ。

 俺より動揺がひどい大宮さんは震える唇をようやく開いて言葉を紡ぐ。

 

 

「あの……成美さん どこから見てるんですか?」

 

『質問してるのはなるなんだけどな~……ま、いいやアポ取りたかったんでしょ? 今白崎大学の学内カフェにいるから あんまり待たせないでね』

 

 

 アポを取りたいと発言したのは俺だ。つまり……成美さんが今話しているのは、俺に……!

 電話が一方的に切られた。盗聴器なのか分からないがこちらの行動は筒抜けになっていたようだ。

 ご丁寧に、自分の居場所まで教えて……。

 

 

「……劉謖さん、どう思いますか?」

 

「どうって言われてもネ? こっから先はワタシの助言はナシアル」

 

「えっ!? まだ何もしてくれてないじゃないですか!! 言葉くらいはサービスしてくださいよ!」

 

 

 確かに一人でこなさなければ試験にならないだろう。でも助言くらいなら……。

 涙目になりそうな俺を見かねてか劉謖さんは最後に一つだけ、と前置きしてから口を開いた。

 

 

「深口 これはワタシの……アウトローの論理アルが、ストーキングを警察にタレ込まれておみゃーさんが困るのはわかるアル 学内カフェで人目について困るのは深口アル」

 

「そ、そうですね」

 

「DVを受けた妻が、弁護士同伴でしか夫と会えない、というように 裁判では傍聴席から穴のあくほど見つめるクセに個人で面会にはいかない、というように」

 

 

 神様が丹精込めて作った芸術品と言っても差し支えないはずの劉謖さんのまたとない造形美が、歪む。

 

 

「成美さんのしているこんな虚仮脅しは、自分が雑魚ですって白状してるのと変わらないのよ……

予防線を踏み越えた結果ってのは困るで終わっちゃいけないわ あくまで暴力で返さないと意味がないの」

 

 

 劉謖さんの表情は微笑してはいるものの憤怒と悲哀に塗りつぶされており、そこにあるのは狂気に侵され崩れた人格だった。

 原因はやっぱり中華の内乱だろうか……とばっちりを受けた少女。そのか弱い少女が……俺という甘ちゃんの新入りに発破をかけてくれている。

 暴力こそ、お前が鬼である事こそ肝要であり、この相手に恐れる心は捨て去ってしまえと。おそらく自分のトラウマを引っ張り出してまで助言をしてくれている。

 

 

「劉謖さんありがとう 実際に戦うのは選択肢としては持っておきますけど、なるべく同胞にそんなことしたくないです でも腹は括りました……! 行ってきます」

 

「……ここで待ってるアル 話がついたら連絡するヨロシ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 日曜日という事もあって、白崎大学は意外と出歩いている人が少なめだった。

 というよりカフェとかサークルとかあるから、大学って高校までと違って日曜日も授業あるのかな~なんて思っていたが変わりないらしい。ということはだ、学内カフェはほぼ貸し切り状態になっていて、戦いで決着をつけるために成美さんが待っているという可能性もある。自分の居場所を教えるというのも自信の表れなんではないだろうか?

 

 並木道を歩きながらそんな思考に囚われていると問題のカフェが見えてきた。なるべく身をかがめて木にもたれかかって中の様子をうかがってみる。

 瞬間、おぞ気が全身を這いまわり、先ほどかけられたはずの発破は霧散して消えた。だってアレはあってはいけない現実だ。俺の想像の余地を超えた能力だ。

 ……明るい髪のボブカット、特徴からして彼女が玉本成美さんである可能性は極めて高い。

 その彼女の隣に、眼から光を無くした大宮潤之助が人形のように佇んでいた。俺は震える手でポケットから携帯を取り出そうとして……反射的に諦めた。

 

 直感だけど、大宮さんは瞬間移動したのではなく二人いる。もう一人は今も劉謖さんと一緒にいると思えた。

 劉謖さんに今連絡したら大宮さん経由でばれてしまう。アレはそういう能力な気がする。

 ……荒くなっていく吐息は暑さのせいだけじゃない。俺は自分の口角が釣りあがっていくのを止めることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 虚像というのは本当に"うつろ"なんだろうか。

 (ヴィジョン)とは多角的に見るたびにその印象を変えていく。優しい夫で通っていた男性が浮気三昧だったり。バリバリのキャリアウーマンが家に帰るとベロベロに寝酒をあおったり。なる達が虚像と呼ぶ像こそが尊ぶべきものであり、人間味に溢れた本当の人格こそがうつろで醜悪で、度し難いものなのではないだろうか。

 

 つ、と流し目で潤之助くんの"像"を見る。安心感漂う優しい眼差し。なるへの執着と保護欲に満ち溢れたたくましい微笑み。余分なものを一切取り除いた、なるにとっての理想像の潤之助くん。

 なるはいつも苦しかった。ヒトの虚像しか認識することができなかったから。

 なるはいつも自戒した。悪い人たちは外面がいいものだから。

 人間を、同族を信じなければ人は前に進めない。新たな関係を築くことが当たり前のように求められてきた。なるは泣きながらも嘔吐しながらも胃に硫酸を流し込まれながらもなんとか、他人の外行きの虚像を疑わず生きてきた。

 

 だから……あの”声”と一緒にこの能力を授かったときはとうとう狂ったんだと思った。

 クク、と噛み殺しきれなかった笑いが口の端から漏れ出た。像を通じて見た高校生ぐらいのガキどもは、どうやらなるを取るに足らない能力者だと思っているらしい。

 ……巫山戯(ふざけ)るな。あいつらがどんな力を持っていようが……なるが要素を根こそぎ奪い取ってやれば"本体"の方は生活破綻者としていずれ破滅する。

 この世で最もつらく恐ろしいことって異常者として理解を拒まれ、排除の対象になって、あらゆる人に心を許せなくなって、縮こまって生きていくしかなくなってしまう事でしょう。

 何が暴力だ、なるに挑戦する事の恐怖をいずれきたる後悔の時にたっぷり教えてやる。

 

 

 ――――あれ? ぐわん   ぐわん?

 アタマ、ユレル、アツイ、イタイ、ナニガ………………オチテキタ…………?

 

 

 轟音、激烈。

 崩落した天井もろとも俺のフライングボディプレスが後頭部にぶち当たり、成美さんは激しく頭をブレさせながら倒れ伏した。

 初めて実戦で使った”体を重くする能力”。だがやりたかった事は失敗に終わった。俺はこれまで何キロまで重くなったのか自分で数値を見ることができないでいた。人間用の体重計は壊れてしまうから、乙女のような心境で実験していない。

 瞬間的と言っても恐らく持続時間は1秒ないし1.5秒はある。もし重くなり過ぎれば、地面に胴まで突き刺さり抜けないという笑えない状況に陥ってしまう。

 だから天井が突然崩落したときはまさにビビった。そして能力を緊急解除し、仕方なくそのまま下にいた成美さんを襲ったのだ。

 

 本当なら人間の頭など卵のように潰れる(かかと)落としをお見舞いしているはずだったのに。こんな攻撃では能力者同士の戦いに到底通用しないだろうし、あまりのお粗末さに無礼でもあるだろう。

 俺は顔から火が出るような恥ずかしさに辟易しつつ、成美さんと謎の大宮さんに相対するために急いで起き上がり。

 

 

「ゆ、許してください! なる死にたくないですッ!!」

 

 

 俺の初めて経験した"本物"同士の決闘は、ただのカスり当たりで幕を閉じた。



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「虚像」「拒絶」2

 目の前に佇むなるにとっての死神は、まるで言葉が通じてないかのようにきょとんとしていた。

 宝塚男役スターのようなバッチリとしたまつ毛と瞳の魔少年。

 赤色の染髪も相まって無邪気なサイコパスにも思えてくる。

 ずるずると無様に這いまわり足元へ近づく。体は司令塔を揺さぶられた事でマトモな機能を停止していた。考えすらろくに纏まらなかった。

 

 

「なるが調子こいてました……お許し、ください」

 

 

 もう一度許しを請うと深口はようやく表情らしい表情を見せてくれたが、それは明らかに不愉快の色を含んでいた。今まで感じたことのなかった直接の死の恐怖が脊髄を駆け抜ける。

 なるはこんな目に遭うような事してない。そう言いたかったがこれまで自分が行ってきた悪行の数々を思うと一層死の実感が強まる。

 今まで何人も破滅させてきた。だからこんな結末は残念ながらなるに相応しいんだ。

 

 

「えっ……と違くて」

 

 

 深口がゆっくりとなるをおぶり倒壊したカフェから出ていく。従業員は真っ先に逃げ出したようで、天井に備えていた監視カメラも滅茶苦茶だろうから深口の存在が明るみに出ることはおそらくないだろう。

 意外にも優しい態度でけが人を労わる様になるを扱っている深口は、ひとまずは信用できるように思えた。なるは虚像だけを信じる。本心や裏では何を考えているかなどどうだっていい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい成美さん! 俺最初は説得するつもりだったんです」

 

 

 なるを芝生に寝かせた深口は開口一番平謝りを繰り返した。今こうして後頭部を強打させておいて何を、と言いたくなるが彼が言葉に出して発した以上そういう事で話を進めよう。

 

 

「でも……じゃあ何? なるならあのぐらい避けて当然とか思った?」

 

「俺……舞い上がっちゃったんです。初めてマジの喧嘩ができるって」

 

 

 鈍い痛みに耐えつつ記憶を掘り起こせば確かにこの子は新米扱いされていた。そういう組織があったのはなるにとっては仰天で脅威に感じたため、すぐに深口を意のままの虚像にして実態を探ってやろうと思っていたのに結果はこの様だ。

 正規メンバーですらない深口に敗けた時点で格付けは明らかになったとみるべきなんだろうな。

 

 

「いいよ 闘争心を煽ったのはなるだもん それに戦いになったら運動神経の要素を限界まで強化した潤之助くんで迎撃する気でもあったしさ」

 

 

 なるは決して戦えない訳ではない。でも女子なら皆そうなんだろうけど殴り合いの戦いに必要な覚悟がなくて、一発いいのを貰っただけで闘志は完全になえ切ってしまった。幼稚園児の喧嘩と同じ、泣いたら試合終了である。

 

 

「許してくれます? じゃあついでに俺がカフェ壊したことも秘密にしてくれたらな~……なんて

アッハハハ、だめ?」

 

「深口くん、懇願されてるなるがこういうのもなんだけどさ……そういう時って目を泳がせながらお願いするより恫喝した方が効果的だと思うよ ほらあの中華人の子も言ってた風に」

 

「……仲間に、同胞になるべくそんな事したくないですよ」

 

 

 そう言った深口の顔は後悔と反省が強く浮き出ていて……なる的には素直で好感の持てる態度だった。皮肉を言われて真っすぐに落ち込むなんてちょっとでき過ぎだけど……なるは信じる、表層に浮かんだ虚像だけを。

 

 

「仲間って言うなら組織の人たちの事でしょ なるは……多分深口くんの仲間じゃないよ」

 

 

 なるに仲間なんていない。異能を持っていようがいまいが関係ない。玉本成美という人間はどうしようもなくヒトと馴染めない欠陥品だったのだから。

 能力があった為にこうなったんじゃなく、こういう人間だから行くところまで逝った末に謎の声とともに異能を授かった。深い孤独の最後は精神世界との親和や同調なのは考えればわかることだ。あとは多分、才能の違いなんだろう。

 

 

「俺は仲間になりたいです その為ならできうる範囲で何でもしたいです」

 

「なんでもって……何で、そこまで? なるは君に敗けたし、組織には大勢仲間がいるんでしょ」

 

「足りないですよ! 人間は何億人いると思ってるんですか 割合にして1%にも満たないです!」

 

 

 足りないと言うからには、深口が目指すのは友達百人? はたまた千人? 一見あっけらかんとした目の前の少年の意図が読めず、なるは少し言葉に詰まってしまう。

 なるがしゃべりださない為説明不足だと思ったのだろう、深口はゆっくりと考えを整理しながら再び話し始めた。

 

 

「やっと見つけたんです、本当の仲間を 家族って言い換えてもいい 俺先天的に鬼っていう肉体異常?だったかな……とにかく子供の頃から能力者でですね

ずっと神託のようにこの日を待ってたんですよ」

 

「トラウマか何かで使えるようになったんじゃないの……? 最初から…………?」

 

「そうなんです実は! いやでも皆さんかただの人間かで言えば間違いなく皆さんの部類に属してますから! 誰がどう見たってね」

 

 

 ああ……こいつ本当に疑いようもなく本物の化け物なんだ。

 苦しんで苦しんで苦しみぬいた末人間を拒絶したなる達と違って、きっとこいつは"初めから人間を拒絶していた"んだ。深口にとっては恐らく、今暮らしている家族なんて簡単に切り捨てられる存在だ。RPGのプロローグで全滅した村民の事を誰も(おもんぱか)らない様に。どんな巨匠の名画でも下書きの段階では価値が感じられないように。

 

 深口にとって以前の人間関係は語る価値すらない前日譚に過ぎないんだ。そこまで考えて深口の瞳をじっと見つめた。彼はまじめそのものといった緊張を浮かべつつなるをじっと見つめ返してくる。

 

 

「悪いけどさ なるにとっては深口くんもその他大勢の人間と変わらないんだよね

とことんつらい経験をして……とことん人に合わせられない自分を鏡で直視してしまって……他人なんか信用できないんだよなるは

唯一信用してもいいと思えるのは、なるの能力で優しく正しい要素だけを奪い取った虚像だけ そう……本物の人間なんかもうごめんなの!!」

 

 

 最後は声を荒げてまくし立ててしまった……これじゃヒステリックばばあと言われても文句は言えない。でもなるは深口に合わせて友達になるなんて選択肢は初めからない。こんな無神経そうなやつ大学のグループでないなら口も利きたくないんだ。

 たとえひどい言葉になってもずるずる引き延ばしてはダメ。ちゃんと相手に拒絶を伝えれば余計な傷を負わなくて済むんだから。

 

 

「成美さん! どうかもう一度だけ俺を信じちゃくれませんか?」

 

「ほんとにやめてよ……ウザいんだけど なるの事何も知らないくせに もしなるが一般人で、隣に能力者がいればそっちにいくくせにさ!!?」

 

「確かに成美さんが言う通り、トラウマやつらい体験がきっかけで発現する人が多いみたいですね

俺なんか何にもないヤツです 悔しくて泣いたことや悲しくて泣いたことも一度もありません」

 

「だったら消えてよ! 潤之助くんのストーキングとかの問題行動は無くさせるからさあ!!」

 

 

 もう何も聞きたくない。両手で頭を抱え胎児のように(うずくま)ると、まるで巨大な蚕の繭でも持ち上げるように両手で抱えられた。

 何をされるんだと恐怖からその姿勢を解いて目を開けると。

 深口は、泣いていた。鼻水をすすり、涙こそ目じりを伝っていないけど目は潤み真っ赤だ。

 

 

「俺が何もトラウマを作らずに今日まで生きてきたのは! 成美さんたちの痛みを半分肩代わりするためなんですっ!!」

 

 

 心の底からの言葉だ。

 なるは外面だけを見る。なるは外行きの仮面の表情を見る。別に心の底で何を企んでいようが関係ないはずなのに。ふいに、心の底から言っていると感じてしまった。

 いや、九割の確率でそうなんだろう。まず悪人ならなるはもう死んでる。そんで頭が良ければなるに……自分が倒した相手にへりくだらない。だからこいつはきっと底抜けのお人好しでバカなんだ。

 でも残り一割ではなると同じタイプの人間で、道化を装っているだけかもしれない。だから10%も可能性があるならなるは心を許さない。……なのに。

 

 

「深口くん 今泣いたことないっつったじゃん 嘘つきだね」

 

「いえ……これは、信じてもらえないかもしれないけど初めてで……」

 

「悔しいんだ 悲しいんだね なるに……ようやく発見した仲間に拒絶されちゃって、諦めるしかないのが」

 

「これが泣くほど悔しいって事なんですね! っつうか諦めるなんてあり得ないです」

 

「ねえ、友達になってあげてもいいよ 条件があるけど」

 

「えっ!? ほ、本当ですか……」

 

「うん」

 

 

 この子は……結構顔もいいし。バカで操りやすいし。家を壊すほど強いし。とどめを刺すつもりはないくらいには優しいし。

 別に信用するわけじゃないけど。心を許したわけじゃないけど。

 

 

「なるにあと一度でも逆らったら……一度でも傷つける事言ったら絶交 約束できる?」

 

「一般的な傷つける言葉は言いませんけど、その人にとってだけの禁句を言っちゃうかも……

それに成美さんだけとしか会ってはいけないとかも、約束できません……」

 

「じゃあ禁句は一度までならセーフで、深口くんの根幹的な無茶は言わない」

 

「それなら約束します!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから……病院に付き添ったり買い物に付き合ったりと暗くなっても色々した。

 成美さんの過去を聞いてみると予想通り、俺の予想もつかない内容だった。

 彼女が人間とズレて向き合えなくなったきっかけは小学生の時だ。両親の浮気が原因で大喧嘩が起きて、表面上は徐々に元通りになり離婚はしなかったもののその爪痕はすさまじかった。

 幸せに見えた家庭像は虚像であり、本当の家族の実態は心の絆など何もない他人の集まりだった。ただ生まれてきたから子供として扱ってもらっていただけだったと知った成美さんは、実態や中身を見ることをやめた。

 すると世界は変わって見えた。家に泊まるような近しい親友はいなくなり、触れ合いそうで決して触れることはない友達だけになった。それで幸せだったものの、心を許すという行為がまるでやめた習い事のように錆びついて忘れてしまった。

 

 高校生になってからは芸能人の追っかけになり、態度が急変するたびに絶望し傷ついた。びりびりに破かれた制服を抱いて、泣きながら下着姿でタクシーに乗った夜もあった。

 最初は心の中で見えざる悪魔が囁くこともあったのだそうだ。「よく考えろ 本当にその人間は(芸名)なのか?」と。

 だがそのたびに思い出してはいけないものがせり上がってきて無理やり押し殺した。

 ニンゲンには目で見る事しかできない。ココロの中は見えないんだから……見えないものを見たら、目が潰れてしまう。そんな強迫観念が成美さんから野生の勘をそぎ落としていった。

 

 なんで人が相手の真意を、隠された本性を探ったり疑うのか。それは自分が生きていく為に危険なものとそうでないものを分析するための防衛本能だと成美さんは言う。

 心を守るために人の内面を見ることをやめたのに、生きていく為に必要だった防衛本能を押し殺してしまった。結果自分にとって危険なものとまで付き合ってとことん傷ついていく。

 それが玉本成美という人間で――――。

 

 

「エルアアァ!!! このトンチキ不合格でいいアルな!?」

 

「夜までかかったのは謝ってるじゃないですか! お願いですから許して!!」

 

 

 命じられるままに色んな場所をまわりつつ成美さんの過去を隅々まで聞いた結果、当然のように十時過ぎまで劉謖さんを大宮さんのマンションに放置してしまっていた。ガチギレである。

 玄関を開けた時から悪寒が止まらず、成美さんのは最近まで錆びついていたようだが、俺の防衛本能は鋭すぎるくらい機能していることが確認できた。人間自分から危険に近寄ってはいけないな、うん。

 

 

「劉謖からあらましは連絡してもらった 依頼人の症状は改善されたそうだ よくやった情成、君を歓迎しよう」

 

「……」

 

 

 そういうエルアさんは心なしか柔らかい表情をしているように見えた。久遠さんは相変わらずだけど……。

 俺は涙をこらえながら何度もお礼の言葉を口にした。

 

 

「深口」

 

「慶代さん! もしかして俺を待っててくれたんですか?」

 

「別に待ってねえ 私用で時間がかかってな……一人でできねえと思ったら、無茶すんじゃねえぞ」

 

 

 慶代さんも仲間だと認めてくれた。困ったときは頼っていいと言ってくれたんだからこれから大いに助けを借りるだろう。態度はひどくぶっきらぼうなんだけど、やっぱ最高に真っすぐで素敵な人だ。

 

 

「じゃあ俺帰ります 遅くなるよ、って連絡はいれときましたがこんな時間まで夜遊びしたの初めてなんで、きっと面倒くさいことになってますから」

 

 

 親にどう言い訳をでっちあげようか今頃になって悩む。今日は相当急な事態ばかりだったから、なんて特例扱いはできない。きっと依頼内容によっては三日も四日も帰れないなんてことはザラにあるのだ。

 そしてエルアさんは俺の学業や私生活に(ほころ)びが出る事を心配しているんだから……クビにならないように俺が細心の注意を払わなければならないんだ。

 

 

「ワタシタクシーで移動アルが、乗っていくカ?」

 

「え、いや癒氣城とは逆なんで」

 

「どうせ今日も帰らないからいいのネ 深口の家で降りればヨロシ

風の向くまま気の向くままアル」

 

 

 劉謖さんはこう言ってくれているが……未来を予測しろ。一度立ち止まってよく考えるんだ。

 俺がここで働き続けられるかは、俺自身の危機管理能力に懸かっているんだ。

 

 

「それもやめておきます きっと家族総出で表に出てきますから その時こんな美少女と一緒でなおかつその美少女が中華人だって知れたなら……犯罪に巻き込まれているって思われます」

 

「なるほどワタシの印象としてもっともアルな というより最初深口にも見抜かれた事ネ

その調子なら親御さんも納得させていけそうアル、頑張るヨロシ さいなら~♪」

 

 

 俺の無礼な物言いにも笑顔を崩さずに応えてくれた劉謖さん。こんな女の子がどうして酷い目に遭って暴力主義に走ってしまったのか。知りたい……その苦悩を語って少しでもラクになって欲しい。

 

 

「じゃあな情成 分かっていると思うが学校はサボるんじゃないぞ」

 

「はい! ちゃんと今の生活を守ります」

 

 

 そう、サボるのはたまにだけだ。単位を落とさない程度に……。

 俺はかつてない高揚を胸に、本当の居場所に少しだけ後ろ髪を惹かれつつ家路についた。



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「共鳴」「激情」1

 放課後になって、俺は急いで校門を飛び出した。

 初めての依頼を解決してから一日経って、早くも俺の生活には違いが出始めていた。

 佐橋ビルへと向かいながら昨日帰り際ギリギリに渡された茶封筒を開けてみる。

 中身は少なくない現金で意図せず成金街道まっしぐらだ。

 そもそも俺は依頼を受けられないはずじゃなかったのか? お守り代として報酬は劉謖さんに支払われると思っていたのに。

 そんな風に釈然としないまま歩を進めていると、商店街の書店前で見知った顔が目の前に現れた。

 

 

「深口これから仕事? 大変だねー」

 

「成美さん? 一体どうしてここに……昨日別れた場所に?」

 

 

 虚像の能力者、玉本成美さんとは帰宅してからも少し連絡を取り合った。でも昨日はここで待ってるなんて言ってなかったのに。

 俺がアホみたいに呆けているとクワッと眼を見開いた成美さんの回し蹴りが、一瞬前俺の頭があった場所を掠めた。

 

 

「うおっ!? ああ、危ないじゃないですか! それにここ人通りが多いですし目立っちゃまずいですよ」

 

「うるさい! 今なるは不機嫌なの!!」

 

 

 聞く耳持たないという表情で更に俺を追い詰めてくる成美さんの動きは、はっきり言って驚嘆と心配が同時に襲ってくるものだった。

 今どきのゆるふわ女子大生といった雰囲気の成美さんからは想像できないほどの峻烈で正確無比な動きのキレ。まるで脳のリソースを戦闘だけに割いているような……戦うためだけの機械という印象だ。

 

 そんなだから筋肉が悲鳴を上げそうな動きをしているのも分かる。ハイキックは脚がきれいな直角に跳ね上がり、バレエダンサーでも無い限り脚の腱が切れてもおかしくない。

 腰の捻りも無茶で、内臓を傷つけるのも厭わないレベルだ。昨日会って一緒に過ごした彼女とは同一人物とは思えなかった。……同一人物じゃ、ない?

 

 

「成美さん、もしかして……自分の虚像を生み出したんですか? 怒りや苦しみとかのマイナス要素だけを奪い去って」

 

「違うよ 人付き合いに最適な虚像を生み出して、そっちを大学に行かせたの

……おかげでかなーりイライラしてっけど」

 

 

 つまり、こっちが本物。人間嫌いを直そうとするのではなく、自分の人格に不足が生じたとしても人付き合いをコピーに任せるとは……成美さんらしいというか。

 

 

「あれ、でもだったら成美さんて元からすごい格闘家って事ですか?」

 

「今のなるはすべてにおいて運動能力に適した体なんだよ~ もしウザい奴らに絡まれてキレちゃったときのためにね」

 

 

 それで、と成美さんは少しバツが悪そうに本題を切り出した。

 

 

「深口がさ、もし不安そうだったら仕事場ついてってあげようかなとか思ってたんだけど……その分だと必要ないね」

 

「いや成美さんも行きましょうよ 皆仲間ですよ!」

 

「なるはあんたとしか友達にはならないっ!!」

 

 

 まぁ、しょうがない。人それぞれだもの。

 友達ってのは誰もいなければ地獄だが、一人いれば十分という考え方は理解できる。

 成美さんは心底不機嫌そうにバイバイ、と吐き捨てるとそのままそそくさとどこかへ消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちはー卿燐さん」

 

「こんにちは情成サン 入社おめでとうございます」

 

 

 相変わらず毒蜘蛛が糸を張るように笑う卿燐さんは俺に紅茶を一杯差し出してくれた。

 芳醇な香りのアップルティーだ。

 

 

「うわぁいい匂いですね~ いただきます!」

 

 

 口に運ぶと味もさすがだし、店全体の雰囲気を尊重した空間すべてが香るような錯覚を覚える。こういうのも一種の結界というんだろう。五感とともにこのフロア全体が異空間に飛ばされたような浮遊感だ。

 

 

「とっても美味しかったです……ここ、結構お客さん多いんじゃないですか?」

 

「嬉しいです でもお客さんは滅多な事では入ってきませんよ」

 

「でも一度味わったら、鼠算式にリピーターが増えるぐらいおいしいんだけどなー」

 

「理由はそのうち分かります」

 

 

 クスクスと口元を綻ばせて笑っている卿燐さんは、やはりどんな顔か包帯で分からないけど美人だった。

 お祝いの一杯で体を温めた後地下の事務所に入ると、昨日見た顔も知らない顔もちらほら集まっていた。どうやらエルアさんも久遠さんも面談室か留守らしい。

 

 

「こんにちは! 昨日入社した新入りの深口情成です!」

 

 

 とりあえず全体を見渡せる位置に陣取り挨拶しつつ、ちょっとお高めのマカロンを配っていく。まるでアメちゃん渡す大阪のおばちゃんだな……。するとツインおさげを大きい輪っかにした幼女がとことことすり寄ってきてくれた。肌は褐色で顔立ちもヒスパニック系だ。

 

 

「あっぢゅー」

 

「あっぢゅー?」

 

「レイーノでしゅ はよーね」

 

 

 レイーノちゃんはそう言ってハイタッチを求めてきたので、俺もはよーねと返しつつ手のひらを重ねた。レイーノちゃんの手はちっちゃくてぷにぷに。まるで猫の肉球のように思えた。残る四人もおおむね第一印象を好意的に捉えてくれたようだ。

 そのうち二人が一歩前に出て挨拶を返してくれた。深い群青をイメージさせる同い年くらいの青年と、背が低く髪をざんばらに伸ばした快活そうな少女だ。

 

 

「俺は多苦磨(たくま)

 

「アタシは偽名だけど蘇若(そわか)ざんす」

 

「多苦磨さんに蘇若ちゃん これからよろしくね!」

 

「多苦磨でいいよ どうせ一つ二つしか変わらないだろ」

 

「じゃあ俺の事も情成って呼んでね、多苦磨」

 

 

 いいな、こういうの。学校じゃ絶対に味わえない感覚だ。それにしてもいくら偽名にしたって蘇若って変な名前だな、もっと可愛い名前にすればいいのに。

 それに一人称があたしで、語尾がざんす。胡散臭い落語家に居そうだと思いつつ蘇若ちゃんに注意を向けると腰に二つの大きな巻物をぶら下げていた。これが武器か、分かりやすいな……。

 

 

「ねえなんかいい依頼ないかな 一緒にやらない?」

 

「あっ、アタシはあっちのだんぴと先約があるんざんす ごめんね」

 

 

 蘇若ちゃんが指さしたのは俺がさっきマカロンを配った五人のうち二人組だった。具合が悪そうにやつれながらも可愛い顔だとわかる少女と、赤と黒のゴスロリドレスに身を包んだ鋭い目の白人少女だ。

 顔色の悪い少女はこちらに気付くと軽く手を振りながら微笑んでくれた。

 

 

「今笑ったのがだんぴざんす 本名は貢千鮫(みつぎちさめ)って言うんざんすよ」

 

「へえー千鮫ちゃんか ……全然だんぴと繋がらないんだけど」

 

「まあそのうち本人に聞けよ それと俺なら空いてるぜ」

 

「一緒にやってくれるの よっしゃ!」

 

 

 やった! 早くも仲良くなれそうだ。多苦磨は俺より背が大きい。慶代さんと俺の中間ぐらいだ。

 落ち着きもあって笑顔も自然だけど、この人も何か強いトラウマを抱えているんだろうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 街の雑踏に客引きの声が響いては吸い込まれていく。家路を急ぐいいパパさんや飲みに急ぐ不良会社員達を尻目に、俺たちは依頼人の家に向かっていた。

 依頼人の名前は枠中定一(わくなかていいち)。本人いわく普通の高校生。これまで付き合った彼女全員から「相手の気持ちが全然わかってない」と振られてしまい、そのことにひどく思い悩んでいたという。そしてつい数日前、相手の感情が分かる能力を手に入れたそうだ。

 

 だがその能力こそが問題で"相手の感情が自分に上書きされる"というものだったため、相手が怒れば自分も怒ってしまう。相手が離れようとすれば追いかけてやれずに自分も離れてしまう。という欠陥人間ができあがってしまったのだ。今は誰にも会わない様に引きこもっているらしい。

 

 

「行き過ぎた共感能力って感じだね、これ」

 

「ああ そもそも人の気持ちなんて分からないのが当然なんだ まだ発症し始めだから実害はないだろうが、放っておけば最悪の事態もあり得るだろうな この異常は」

 

「エルアさんが俺の能力を肉体異常って言ってたけど……たまたま役に立つように制御できたから、俺自身は"能力"って呼んでたんだよな」

 

 

 一つボタンを掛け違えるだけで。少し制御できなくなるだけで。"異能"はただの邪魔な病気になる。昨日の話でエルアさんは異能を異常と言っていたが、その意味がよくわかるケースだ。

 

 

「そうそう俺さ、昨日玉本成美さんて精神異常者に会ってね 彼女は力が発現する時に声を聴いたって言うんだよ」

 

「ああ、結構多いようだな」

 

「……その声の主がこういう事起こしてるのかな」

 

 

 俺ももしかすれば聞いているのかもしれないが確かめる術はもうない。遠い遠い昔の記憶なのだから。

 俺に鬼の力を授けてくれた存在に感謝はする。でもそれとこれとは話が別だ。

 

 

「何を企んでいるのか知らないが、そんな存在がいるなら止めないと……!」

 

「そうか でも俺は感謝してるよ

だから止める必要なんてない」

 

「感謝してるから、止める必要はない、か……俺の方がズレてるのかな

成美さんから声の話を聞いた瞬間に、なんていうかこう……生まれ持った使命みたいに感じたんだよね」

 

 

 そうだ。俺はずっと自分が生きる意味を探していた。仲間を、理解者を探していた。そして今ようやく多くの仲間と出会い、その仲間たちが苦悩を誰かに利用されて騒ぎや事件を起こしていたのだとすれば。

 

 仲間たちのトラウマを半分肩代わりするのと同じくらい、黒幕に鉄槌を下すのは重要な事ではないだろうか。たとえ俺が一歩も二歩も及ばず死んでも。たとえ勝利した末に異能を失っても。それはもう、疑いようなく俺の人生は満足だ。歯車がかみ合ったようにしっくり来る。

 だが多苦磨は興味なさげに胡乱な目で俺を見つめた。

 

 

「そういう崇高な使命とか、俺には理解できないな

俺はチンピラに殺される寸前に声が聴こえたんだけど……今はただ平穏に生きていければそれでいいって思ってる」

 

「そうか……死ぬ寸前に そりゃあ命の恩人だね 人の恩人を悪くは言えないなぁ」

 

 

 多苦磨と自分の言葉を反芻して納得する。まあ多苦磨の言う通りだ。成美さんから話を聞いた時に天啓を授かったのは確かだが、それはスタート地点であることを強く意識し過ぎて興奮していたからかもしれない。

 もし俺が多苦磨のように中途で能力を手に入れていた場合。目の前に黒幕が現れてもよっぽどひどい要求をしてこない限り戦おうとは思わないだろうし、仲間になれと言われれば素直に軍門に下ってしまうに違いない。

 

 人間よほど間が良くないとスピリチュアルな使命感など抱かないものなのか。先日芽生えた俺のヒロイックな考えは、地に足の着いた能力者である多苦磨と話したことですっかり霧散していた。

 

 そんなことを話している内に、俺たちは定一くんの家についた。普通の一軒家という感じだがいい立地だ。駅まで結構近い。呼び鈴を鳴らしドアが開く。

 腹に、衝撃――――。

 ドアを開けざまに俺に包丁を突き刺した少年の表情は、犬歯を剥き出し眉間に皺が這いこれ以上ないほどの嚇怒(かくど)を表していた。



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「共鳴」「激情」2

「ごっあっ……!」

 

 

 俺の隣で驚きの声をあげながら後ずさる情成の腹には、包丁が深々と突き刺さっていた。瞬間洋服のほつれた糸を引っ張る様に俺の(いと)を無数に伸ばし枠中を確保した。

 

 

「何しやがる枠中……返答次第じゃただじゃおかねえ」

 

 

 身体を絡め捕られ身動きがとれなくなったにも関わらず、枠中は狂気を孕んだ怒りの表情で(うごめ)いている。試しに圧力を強め体中に格子状の切り傷を浅くつけてやっても変わらない。枠中は精神異常者だからこれは何らかの暴走状態とみるべきだろう。

 

 

「大丈夫か情成」

 

「う、うん大丈夫 もう塞がったから」

 

 

 そう言って苦笑しつつ情成はシャツを捲った。……とんでもない身体なんだと心の方でも理解した。人の身体をとやかく言える立場じゃないが、すでに表面の傷が閉じてやがる、さすが鬼ってとこか……。

 情成も心配いらないようだし、後はこいつの暴走の原因を探るか。

 服装は……来客に備えた感じで特におかしいところはない。普通のTシャツにジーンズ。あとはイヤホンのコードがポケットに伸びているぐらいか。

 

 

「多苦磨、俺枠中くんの部屋見てくるね 何か手掛かりがあるかもしれないし」

 

「そうだな もしかしたら枠中に殺意を上書きしている奴がいるかもしれない、気をつけろよ」

 

「合点承知の助!」

 

 

 情成は刺されて赤黒く染まったワイシャツを脱ぎ捨てながら、階段を上がって二階に足を進めた。

 自分で言っておいてなんだが恐らくもう一人はいないだろう。感情の上書き、つまり電気信号の同調なんてことが起きるには、相当近づいていなければならないはずだ。そこまで考えてから、俺は冷や水を浴びせられたように勢いよく首を枠中の方に向けた。体に伝わってくる力が加速度的に増している。その原因を俺は見た。

 

 枠中は音楽プレーヤーを取り出し操作している。こちらにまで曲が聴こえてきたのを考えると音量を上げているのだろう。

 流れてくる曲は確か失恋ソングでありきたりな歌詞、メロディーの凡曲。歌手が焼身自殺したとかでちょっとは有名になったやつだ。こいつの能力は感情が乗せられているなら音楽でもいいのか!

 

 

「多苦磨離れるんだ!」

 

「ッ……!」

 

 

 能力を解き距離を取る。枠中は「男なんて……」などとブツブツ呟きながら包丁を握り直し俺たちを交互に見つめた。

 初めて人を殺した時のことを思い出す。異常を発症する前、心臓がはちきれんばかりに躍動していたのを覚えている。今は……その時よりかは落ち着いている。どんなに困難でも味方が一人いる。それだけでやぶれかぶれな心なんて消えてしまう。

 

 

「男なんて皆死ねッ!!」

 

 

 先に飛び出したのは枠中だった。凄まじい跳躍力で階段途中にいる情成に襲い掛かる。それを視認するが早いか情成は一瞬だけ俺に目配せすると、階段の上部に取り付けられていた窓を蹴破りそこから外へ躍り出た。

 急いで外に出ると二人はもう遠くなっていた。情成は枠中の服であろう黄色い目立つTシャツの裾を翻らせながら猛スピードで逃走している。それを追う枠中も一歩も譲っておらず二人とも信じられない速度でどこかへ走り去ってしまった。

 

 

「くっ……追えねえ」

 

 

 しょうがない、レイーノに電話だ。まだ夕方で目立つが背に腹は代えられない。

 レイーノに俺の居場所を伝えると、近くのマンホールの蓋が輝きだした。そして俺はそのマンホールに思い切りダイブした。

 事務所にワープした俺は着地すると振り向いてレイーノに向き直った。レイーノの輪っかはいつも通りシャボン液に浸したフラフープのように怪しく光り輝いている。

 

 

「情成と依頼人を見失ってな 目撃情報があったら飛ぶから」

 

「あっぢゅー わかりましゃ」

 

「多苦磨、だいたいの方角は分かるのか?」

 

 

 帰ってきていたエルアが相変わらずのしかめっ面で問いかけてくる。まだ深い考えまでは読めないが、一見して情成の考えそうな事と言えば……。

 

 

「ああ、それに依頼人は男とみたら誰でも殺すような暴走状態だ きっとあいつなら人の少ない場所に誘導しようとするだろうな」

 

 

 以上の要素から導き出される予測は三か所だ。俺は地図上のマンホール分布図で、気になった場所にマグネットを張り付けた。レイーノはそれを見てしばらく頷きながら調整をしていたが、すぐに俺ににこやかに笑いかけた。

 

 

「いくぅ?」

 

「ああ、でももうちょっと待ってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は走った。必ずかの邪知暴虐の王を……っじゃなくて。殺人鬼と化した依頼人から逃れるためだ。

 というよりあの曲を歌った人は一体どういう感情だったんだ!! とか様々な不平不満が湧き出してくるが、足を止めたら包丁が飛んでくる。

 あの時は腹だったからよかったが、首などを斬られていたら俺でもどうなったかわからない。本当にあっけなく失血死していたかもしれないし、すぐに死ななくともこうして追いかけっこしてる最中に気を失うかもしれないのだ。

 

 ひりつくような感覚を覚えながらちら、と振り向く。枠中くんは最初に比べて明らかにスピードが落ちていた。大量の発汗も見られる。

 さすが俺、さすが鬼。精神面では何事もなくループ再生中の曲に込められた感情を再現し続けているが、肉体面ではすでに限界を突破し始めている。心臓が破裂されても困るしここらで迎撃するか、と俺は目についた廃工場に一直線に入った。

 

 

「あらよっと!」

 

 

 これまでは他の男に注意を向けない様につかず離れずの距離を保っていたが、それももう終わりだ。すぐさま階段をすっ飛ばし上階に跳躍すると、手ごろな角材を両手で持つ。

 鬼である俺は素手では相手を殺してしまう可能性があるため、膂力をセーブするために武器を握ることにした。優しく、武器自体が折れ曲がらない程度の威力で殴るのだ。

 

 廃工場に遅れて入場してきた枠中くんと目が合った。余裕しゃくしゃくな俺の姿を見て一瞬怒りを更に濃くするも、不可解な事にその表情が急に破顔した。

 訳が分からないと困惑する俺を無視するように、まるで最初から持っているのが当然という態度で。

 火炎瓶を盛大に炸裂させた。更に不運なことにこの廃工場、古い油が大量に染み込んでいたようだ。一気に燃え広がり黒煙がもうもうと立ち上る。

 

 

「ちょっと驚いたけど、これぐらいで死にませんよっての」

 

「一緒に死のう?」

 

 

 ん? 俺一人逃げるにはお釣りがくるレベルで楽勝だが。

 もしここをてこでも離れようとしない枠中さんを、やさし~~く殺さない様に力をセーブしつつ倒して、一緒に脱出するという条件が重なれば。

 

 

「……キツいなぁ」

 

 

 ファイティングポーズを取りつつ、俺は武器を手に階下へと再び舞い戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆発、少し遠くに見える火柱。間違いないあそこに情成達がいる! ここからなら再ワープするより走っていった方が確実だ。俺は脚に力を籠めると人通りの全くない路地を一直線に駆け抜けた。

 途中で俺はエルアから借りた音楽プレーヤーの再生ボタンに手をかける。耳障りな大音量で流れるのはネットで適当に拾ったレスキュー隊の叫び声集という意味不明な動画。理由はあの曲の歌手が焼身自殺したという点だ。奴が声の感情に支配されているというなら自殺も模倣することは予測できた。だったらレスキュー隊の気持ちにチェンジしてもらう。

 

 後はこいつが役に立ってくれれば万々歳なんだが……。

 俺はふいに足を止めた。向こうから肩を組みあって這うように歩いてくる二人組を見る。

 お互いに顔はボッコボコで派手に殴り合ったのが伺えたが、大事には至っていないようだ。枠中の耳からはイヤホンが外れコードごと無理やり引きちぎられている。

 

 

「終わったのか」

 

「うん、千日手でもう死んだかと思ったんだけどさ

その時閃いたんだ イヤホンのコード引っ掴んで引っ張ろうとしたの

抵抗されたけど重くする能力でストンと耳から引っぺがすことに成功したんだ」

 

「ご、ごめんなさい二人とも……僕めっちゃ迷惑かけて! 放火までしちゃって」

 

 

 枠中は申し訳なさそうに肩を震わせている。もうプレーヤーは壊れているようで正気に近い状態なんだろう。

 ふと情成の腹がまたドス黒く染まっていることに気付いた。こいつ、戦っている内にさっきの傷が開いたのか!

 

 

「おい! 腹……」

 

「ちょっと……無理し過ぎたみたいだね」

 

「こっちに来い あのマンホールだ」

 

 

 困惑する情成を引きずりマンホールの側でレイーノに連絡した。すぐ消防や警察がやってくるこういう時のために、早く情成にも覚えてもらわないとな。

 蓋がついたままの輝くマンホールに着地するように俺たちは連絡を受けた蘇若の待つ事務所にワープした。目の前ではすでに蘇若が黒い巻物を広げて準備万端だ。

 

 

「よござんすか? よござんすね! オンマカキャラワ! ソワカ!!」

 

 

 蘇若が呪文を唱えると巻物から小槌を手にした白兎が現れ、ぽんと小槌で軽く二人を叩いた。それだけで腫れ上がった顔や腹の刺し傷も完全に治癒した。

 

 

「す、スゲー! 蘇若ちゃんすごい!」

 

「エッヘヘヘーざんす」

 

「ええっ!? さ、さっきまで僕たち廃工場の近くに……!!?」

 

 

 枠中は何が何やらと混乱しているが情成はもうなんか、何が起きてもそういう事だと納得するようにしたらしい。情成の切り替えの早さに唖然としていると当の人物が俺の方に歩み寄り深々と頭を下げてきた。

 

 

「あのさ多苦磨

俺土壇場で能力を使う事閃いたとき、授けてくれた存在にすごく感謝したんだ」

 

「……ああ」

 

「倒すとか使命とか軽々しく言ってごめん! 俺何も分かってなかったよ」

 

「別に謝らなくてもいいんじゃないのか でも、その事を理解して俺と同じ気持ちでいてくれるって言うのは嬉しいよ」

 

「うん!」

 

「ありゃ情成おにーさんと多苦磨おにーさん アヤシイ雰囲気ざんすねー」

 

「ちょっと! 別に怪しくなんかないって!!」

 

「否定するのがますます怪しいざんす! ってキャー! からかい過ぎた!」

 

「待てこらー!」

 

 

 深口情成か……平穏を求める俺とは全然違うけど。まだ何も知らない、分かっていない、平穏に最も近い奴なんだよな。

 こいつから無邪気な笑顔を消したくない。誰もが取り繕ってでしか平穏でいられないなんて、そんなの苦しすぎるから。



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「遠心」「神域」1

 放課後俺が佐橋ビルに向かうには、駅まで30分歩いてそこから更に10分電車に揺られなければならない。しかも家とは真逆の方向なもんだから帰るにも同じ時間を要するわけだ。なんだったら帰りに買い物頼まれてもう10分追加される日もある。

 

 だから転校ないし一人暮らしを考え始めた俺は、だんぴちゃんと依頼を無事終えた後家族に朝帰りする旨を伝え、佐橋ビル周辺エリアをじっくりと見物している最中だ。

 時刻は夜八時。そろそろどこかで夕食をと思っていた時、デパートでたまたま開かれていた美術展が目に留まった。

 入場無料……か。話のタネにはなるし、まぁたまにはいいかなと思い一際煌々と明かりがきらめくブースに足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん~~~~……」

 

 

 正直意味不明。風景画とかならそっちの才能が無くても上手か下手かは分かるものだが、革新的というか独創的過ぎる作風だと反応に困る。

 これは邪推だけども、音声読み上げソフトがあるから本来ニュースキャスターはもう必要ないように、写真があるから普通の上手な絵はもう必要とされていないのかもしれない。だからこうやって写真に真似できない奇妙奇天烈な方向へ絵画分野はシフトしていってるのかも。

 

 そんなようなことをボーッと考えていると肩をトントンと小突かれた。

 驚いて右へ体ごと振り向くとおな中だった鈴木貴彦が嬉しそうに「久しぶり!」と元気に挨拶してきたのでこれまた驚いた。

 

 

「え、どしたの? 鈴木そんなんじゃないでしょ アレじゃんめっちゃ不良だったじゃん」

 

 

 鈴木はドのつく不良で何度もほどほどにたしなめてやった事がある。最終的には中三の夏に急に学校に来なくなり、やれ暴力団に入っただの他校の奴に殺されただのと噂が噂を呼ぶ大騒ぎになったものだ。担任も家庭の事情としか答えなかったし、俺も今日まで全く死んだも同然の環境にいると思っていたのだ。

 

 

「うん、ちょっとさ……俺先生に会って生まれ変わったっていうか いや本当の自分を取り戻したんだ!」

 

「……先生って、どんなお人……?」

 

「そう疑いなさんな! 別に怪しい教祖サマとかじゃねえよ ただの女子大生だからな」

 

 

 女子大生……。本当なら俺らといくつも離れていない。ていうかもしかして成美さんじゃないだろうなその人。

 

 

「その人の名前は?」

 

「藤原智余(ともよ)先生だ 俺以外にも何人も不良や引きこもりを更生させてるんだぜ」

 

「なんかイメージ湧かないなぁ…… 何かその、特別な事やってるの?」

 

「いいや ただ……なんつうか智余先生には反発力があるんだよ 目には見えない力が」

 

 

 反発力? もしかしたら、これは佐橋の皆さんに協力を仰ぐべき案件かも。真剣な俺の眼差しに気を良くしたのか、鈴木は思わずといったふうに嬉しそうに笑った。

 

 

「こんな事言ったらさっき否定した教祖がどうとかと変わんなくなっちまうけど、

あの人に関われば関わるほど環境が改善されて整えられていったんだ! 荒んだ家庭はちゃんと温かい普通の家庭になったし、やりたい事に援助を惜しまないってスポンサーまで現れて……!!」

 

「それは……家族も含めて智余先生と付き合いがあるって事?」

 

「いいや、俺だけなんだ 家族はなんとひとりでに変わっていったんだよ 

ちなみに勿論スポンサーも智余先生とは何の関係もない 俺が偶然知り合った」

 

「智余先生とは関係ないところで、智余先生と関わるほど状況が改善されていく

つまり鈴木が言いたいのは、智余先生には悪いものに対する反発力があって、その恩恵を自分も受けていると」

 

「そういうこと!」

 

 

 詳しく調査してみない事には何ともだが、これは他人を幸福にしたい観念に駆られた精神異常者が疑わしいかな……。大勢人を集めてるみたいだし、悪い人とは言い切れないけど。

 

 

「ところで深口はどうだった? この個展」

 

「へ?」

 

 

 言われて自然と視線は看板の方へ。

 ……鈴木貴彦作品展。

 

 

「ここお前の個展だったの!!??」

 

「ええ!? 知らないで入ったの!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室の窓から青空を眺めながらこれからの事を考える。昨日鈴木に先生の居場所を聞いても教えてくれなかった。曰く智余先生には偶然や直感で会わなければならないと。

 先生の反発力を信じている鈴木からしてみれば、それを押しのけるように人を引き合わせるのは抵抗があるんだろう。

 

 先生が居そうな場所ってどこだ? 俺なんかのおつむじゃ推理しようがないぞ……。

 やはりここは佐橋ビルの皆さんに頼るしかない。一度考えを整理させたら後は簡単だ、人の捜索に向いている人に頼めばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐橋ビルに足を運ぶと一階のバーカウンターにお客さんがいた。なぜか食事中に口に歯ブラシを突っ込んだちょこなんとした和服の女の子と、黒いパーカーを着込んだポニーテールのお兄さんだ。二人とも初めて見る顔だ。直接やってきた依頼人かな?

 

 

「卿燐さんこんにちは こちらの方たちは……」

 

「こんにちは情成サン こちらは社員の雪木緋色(ゆきぎひいろ)サンと坂洋絵理(ばんようかいり)サンです」

 

「お前が深口か 話はエルアさんから聞いてるぜ」

 

「よろしくお願いします緋色さん! 絵理さんもどうぞよろしく」

 

「……」

 

 

 坂洋絵理さんは持っていたスケッチブックにさらさらと何かを素早く書き込み、ずいと俺の眼前に突き出した。

 そこには『ええ よろしくお願いします』と書かれていた。

 ススッと視線を上に。目が合う。絵理さんはきょとんと俺を見つめ返すのみだ。なるほど嫌われてるとかじゃなくこれが絵理さんスタイルなんだね。

 

 

「情成サンは何かお飲みになりますか?」

 

「ではアップルティーをお願いします つかぬことを聞くんですがお二方は人探しって得意だったりします?」

 

 

 俺の言葉に二人は顔を見合わせ、緋色さんだけが悪戯っぽく笑った。

 

 

「おう! 俺も得意な部類に入るけどここじゃ絵理がナンバーワンだろうな」

 

 

 そう言ってにこやかに絵理さんを褒めそやす緋色さんだが、当人は全く意に介さずスケッチブックに新たな声を書き込んでいく。

 

 

『だとしても言霊は無暗に使われるべきものじゃない あなたの言葉には危急性も切羽詰まった緊急性もない』

 

 

 そしてじとっと睨まれる。どうやら強力な力をお借りするには相応の理由が必要らしい。

 ……理由か。別に依頼でもないし報酬もないけど、異能を持つ仲間同士ぜひ会ってみたいんだよな。

 

 卿燐さんに差し出されたアップルティーに息を吹きかけて冷ましつつ口に運ぶ。……うん、甘くて優しい味がする。

 俺は緋色さんと絵理さんに向き直った。俺は心底おちゃらけた、何の面白みも苦悩もないヤツだけど努力の必要性は分かるし、半端な気持ちや労力で凄い方達とお近づきになるべきではない事も分かっている。

 俺が佐橋ビルの皆さんと巡り会えたのも、ひとえに力をセーブして品行方正に人間として暮らしてきたご褒美に違いない。

 

 

「緋色さん、絵理さん、この話は忘れてください

自分の興味本位で始まった事なんで……まあ、自分自身でまったりケリをつけます」

 

「そうか? まあ急いでないなら別にそれでいいんじゃないか」

 

『頑張ってください』

 

 

 二人はフルーツケーキに再び舌鼓を打ち始めた。さて……地下に集まっている人たちは依頼を受けに来ているんだから迷惑をかけるわけにはいかない。俺がやろうとしてるのはタダ働きなんだから。

 俺から依頼を出そうにも困ったり苦しんだりしてる訳じゃない。本当に助けを必要としている依頼人の邪魔をしている、とひんしゅくを買うだけだろう。

 それに……ここで独力で調査を進展させられれば今後の依頼のノウハウにもなるはずだ。

 

 そうと決まれば考えろ! 最初から他人の能力を頼るな!! そんな気持ちが藤原先生の反発力に引っかかるのかもしれないぞ深口情成!

 でもとりあえず顔見せはしなくちゃ。俺はアップルティーをゆったりと楽しんだ後、地下の事務所へ降りた。

 

 

「こんにちはー」

 

 

 相変わらず我が佐橋ビルは世界の停滞に反比例して活力に溢れている。

 挨拶もそこそこに事務所に来ていたメンバーを見渡す。皆地図を指さしたり装備を確認したりと、もうどこに行くかは決めているようだ。事務所に住んでるレイーノちゃんとリリアナさんはいつも通りだけど。

 

 レイーノちゃんは東京中のマンホールとあのリング状のおさげがリンクしている。我々佐橋ビルの社員は必要と感じたときはレイーノちゃんに電話していつでもこの事務所にワープすることができるのだ。……まぁ、人が見てるとこでは厳禁なんだけどね。

 リリアナさんは事務所の端っこに直立に立てかけてある棺桶で寝泊まりしている。やっぱ、ゴスロリファッションもそうだしどう見ても吸血鬼なんだよなぁ。夜しか出歩けないって聞いたし。

 

 

「なにじろじろ見てるもえ? ああ、皆もう相方決まっちゃってあぶれたから困ってたもえね」

 

「いや、今日は依頼をこなそうと思ってなかったんで大丈夫です

リリアナさんは今日は出ないんですか?」

 

「もえ! 今夜はバーに籠ってピアノジャズの練習でも……」

 

 

 ん? 籠る……引きこもり。

 

 

「あ゛ーーーーッ!!!」

 

「ぎゃあああーーーッ!!? い、いきなり大声出さないでもえ!」

 

「こりゃまた失礼っ」

 

 

 そうだそうだよ何で気付かなかったんだ。

 不良や引きこもりを更生させてるだって? 他人と接点のない引きこもりに出会う手段なんて限られてるじゃないか! 鈴木の言葉を信じるなら藤原先生はごく普通の大学生。それならプロのカウンセラーではなく、就労支援ボランティアに参加しているに違いない。

 

 

「リリアナさんありがとっ! んじゃまた明日ねー」

 

「へ? うん……ばいばい」

 

 

 よおし、きっと探し出してみせるぞ智余先生!



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「遠心」「神域」2

 就労支援のボランティアを束ねる施設はこの辺ではここしかない。

 ××区府立ワーキングセンターの自動ドアをくぐると人は全くいなかった。受付のおばさんもやる事がないので俺と目が合う。

 鉢合わせなんて都合の良すぎる期待はしないが、ズルズル進んで実際にボランティアをやらされるのだけはポリシーの面で絶対嫌だ。俺は伊達直人活動、それも現ナマ丸ごと送る主義なんだ。

 何とかして個人情報、つまり智余先生がどう出入りしているのかを盗み見しなければならない。

 

 とりあえず缶コーヒーを買ってシートに座り周りを観察してみる。

 横並びになった受付の脇には発券機が置いてあり、あれから出てきた番号を呼ばれたら用件を聞いてくれるという仕組みだ。視線を上げると大きなモニターが壁に掛けられており、呼び出し番号が映し出される仕組みになっている。

 

 

「やばいな 俺めっちゃこういう時無能じゃん……」

 

 

 このまま名案が浮かぶまで張り込みか? 探偵の仕事は地道な張り込みが一番大事だと聞く。でもそれは他に方法がないからであって、佐橋ビルの皆さんはほとんどの社員が何かしらショートカットに応用できる異能を持っているのに。

 俺の能力は自分の身体を重くするだけ。ここまでたどり着いたのもリリアナさんの言葉に閃いたっていう、異能関係ない要因だ。

 

 何かアクションを起こすとしたら……うーん、シミュレーションしてみよう。

 すいません、こちらに登録しているボランティアの藤原さんて人に用があるんですが。

 そういった個人単位のご用件は対応しておりませんので。

 こうなるよなぁ。ボランティアの人頼みますって言っても誰が来るかなんて分かんないし。よしんば騙して呼べるとしても事前に家族の状況とか事細かに相談して、必要な書類も交えてミーティングしなきゃいけないだろうし。

 ……優理愛ちゃんの事は、いくら智余先生といえど手出し無用だ。

 

 ……こっちで呼ぶのが難しいんなら、先生の方から呼んでもらうとかは?

 呼んでもらう……どういう風にしたらいいかな。俺が智余先生を探してるよってことを先生に知ってもらう必要があるな。

 以前ボランティアの藤原先生のお世話になった者なんですけど。ぜひお礼を言いたくて手紙をしたためて参りました。でも住所までは知らなくて……うん、これならいけるかも。だが本当にそうなら連絡先くらい交換してて当然だよね。直接住所教えてって言えばいいんだ。

 いや待てよ、俺が智余先生に恋してるっていう風にすれば……。恥ずかしいから直接聞くことはできない。

 それもちょい違うな、ええと……直接住所聞いたら嫌われちゃうかもしれない。うん、これだこれでいける!

 完璧で穴のない作戦なはず!!

 

 

「よおっし!! こうなったらもう告白する!」

 

 

 俺は受付のおばさんに見せつけるようにわざと気合を入れる。別に自意識過剰な訳ではないが少しでも自然に見せるためだ。さっきまでうんうん悩んでいたのは、後付けだがお礼の手紙をギリギリまでためらっていた的な設定だ!

 いったんセンターを後にする。便箋を買うためだ。

 

 設定としては、お礼の手紙はもう用意してたけど勇気がなくって出せない。ならもう気合を入れて愛の告白をブローチと一緒に送ろう! とブローチを買いに出ていったというものだ。

 で、送るブローチは鈴木の個展の販促で買ったやつだ。

 文面は、やはり虚実織り交ぜるのが一番真実味がある。

 鈴木の中学の友達の深口です。長らく消息を絶っていた鈴木の変貌に驚いています。鈴木と会って先生のお話を聞きましたが、鈴木は俺や仲間たちに会わせることはできないと言います。先生の助けが必要です、この番号に連絡お願いします。

 ふっふ~~ん、我ながらこれは見事だ。きっと智余先生の性格上連絡してくれるに違いない。

 そんなこんなで手紙を書き終えて、俺は再びワーキングセンターにやってきた。

 

 

「140番の方、4番窓口にお越しください」

 

「はい、ボランティアの方にお礼の手紙を送りたいんですが」

 

「藤原さん?」

 

 

 頭が真っ白になった。おばさんはうんざりといった表情だ。

 またかよ、みたいな。

 俺が口をぱくぱくさせていると、無機質な声色で。

 

 

「申し訳ありませんが、そういう事は業務の妨げになるので直接本人にお渡しください」

 

 

 直接渡せないからこうやって策を弄してるんでしょうが!!

 俺は逃げ帰る様にセンターを後にした。

 

 

「うううぅぅん……」

 

 

 ベンチに座って背もたれに頭を90度預ける。完全におばさんの塩対応にノックアウトされてしまった。打つ手なし、八方ふさがりだ。

 でもここまで来てやめたら駄目だよな。ちゃんと一人前になる為には自分が納得できるケリをつけるべきだ。

 やっぱ張り込みするしかないのかな。そう思った矢先ふくらはぎを指でつつかれた。

 慌てて顔を正面に向けると透明感のある印象が特徴の黒髪ショートお姉さんが微笑んでいた。

 

 

「先生のファンの子よね ふふふ……可愛い」

 

「とっ、智余先生ですか!?」

 

「ええ 偶然二階であなたの告白聴いてしまったの ……ごめんね」

 

 

 智余先生は悪戯っぽくぺろっと舌を出して盗み聞きを謝った。でもそれはわざと大きな声を上げたんだ。

 なんだこの感覚。こんな素敵なお姉さんを罠に嵌めちゃったいけない気分。

 

 

「いえそんな! 謝らないでください 俺深口情成です」

 

「ふふ、少し歩きましょうか 深口くん」

 

「はいっ」

 

 

 すげえ、感動だ……。俺自分だけの力で智余先生に会えたんだ。

 俺たちは木陰を選びつつ並木道をゆっくりと歩き始めた。

 

 

「まず最初になんだけど、先生記憶力には自信あるの 初対面よね?」

 

「はい、俺鈴木貴彦と同じ中学だったんですよ」

 

「へぇー鈴木くんと さぞかしクラスメイトの子達は大変だったでしょうね」

 

 

 やはり智余先生はあの全盛期? の鈴木に真正面から対峙して更生させたようだ。この溢れ出る母性や謎めいた親近感には思わず甘えたり、言いなりになりたくなるものがある。

 

 

「とんでもないワルでしたからね彼は それこそ危ない教祖に洗脳でもされてるのかと疑ったんですよ」

 

「あら、今も疑ってるのかしら?」

 

「いいえ 智余先生には関わった者の不幸を遠ざける反発力があると伺いましたので」

 

「そう……貴彦くんもそう言ってるの 先生は、彼の努力の賜物だと思うのよね」

 

「鈴木に聞いた限りでは、とても努力だけじゃ当時彼を取り巻いていた環境は変えられませんよ

努力ももちろん大事ですけどそれは、分かるんじゃないですか?」

 

「……ごめんなさいね 貴彦くん、決して自分の悩みを話してくれなかったから

だから、彼がどんな環境にいたか知らないの」

 

 

 伏し目がちに俺に謝罪する智余先生は本当に申し訳なさそうにしており、嘘などついているようには見えなかった。

 何も知らないし、何も特別な事はしていない? ただ側に寄り添っていてくれたという事なんだろうか。

 だとすれば鈴木が自分の努力以上に先生の神がかりを信じるのも納得がいく。

 側にいるだけで運気が上がりまくるなんて座敷童じゃないか。

 

 

「それにね、先生はその神秘主義に反論する材料があるわ」

 

「材料……?」

 

「先生の両親ね とっても素晴らしい人たちだったわ でも不幸にも父は飛行機事故で、母は列車の脱線事故で立て続けに亡くなっているのよ

ちょうど二年前……高三の秋だったわ」

 

「あっ……」

 

 

 ……確かに、それではとても不幸を遠ざけるなんて……。

 

 

「ごめんなさい 嫌な事……」

 

「ううんいいのよ 謝らないで」

 

 

 両親が亡くなっているのに、他人に親身になれるなんて いやだからこそか……。



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「遠心」「神域」3

 智余先生と別れた次の日、俺は釈然としない気持ちを引きずったまま事務所に入った。

 今日はあんまり人がいないんだな。レイーノリリアナお二方はおいといて、慶代さんと劉謖さんだけがテーブルに対面して何やら話し込んでいた。

 劉謖さんは自前であろうノートパソコンを操作し、かなり早いタイピングを見せている。

 

 

「こんにちは慶代さん、劉謖さん」

 

「おう情成」

 

「コニチハアル~」

 

 

 依頼の手紙も剥がし尽くされた後のようだし、今日はこの二人とお留守番でもしようかな。俺はパイプ椅子を持ってきて二人の間に座った。

 

 

「お二人とも何話してたんです?」

 

「ああ、報告書っつうか……事の顛末の詳細な書留をしてもらってんだ

そんで保管して後日何らかの役に立つだろうってこった」

 

「そうアル ワタシ自身依頼をこなす事はあまりないアルが、佐橋ビル自体にはこうして事務作業やりに来るのヨ」

 

「へぇー……それも、この前言ってた情報収集ってやつですか?」

 

 

 確か劉謖さんは情報収集で忙しい、みたいな事を以前言っていた。となるとやはりこの報告書にはそれだけの価値があるというわけだ。

 

 

「そういう事アル バイトの報酬はこの情報自体ネ だから深口も依頼を解決したら、ちゃんと報告するヨロシ」

 

「あれ、でも俺……玉本成美さんの時の初仕事も、そのほかも……一回も報告してないですけど」

 

「深口は一人で依頼やらないからヨ もし自分一人で解決したときはお願いネ

ワタシにももちろん得アルが、誰かに話せばモヤッとした気分を晴らせることもできるネ」

 

「モヤッと……ですか」

 

「どうした? なんかあったのか」

 

 

 慶代さんがぶっきらぼうに俺の顔を覗き込む。

 誰かに話せば少しは楽になるのかな、やっぱり。……そうだよな、だって俺ずっと皆さんみたいな人に聞いてほしかったんだよ。自分の事、膂力の事、能力の事。

 それなら今後は俺の仲間探しの事も洗いざらいぶっちゃけよう。仲間なんだから。

 

 

「聞いてもらえますか 俺の話」

 

「わかったヨ 慶代の報告が終わったら聞くアル」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 慶代さんの報告が終わって俺は二人に事の経緯を話した。偶然超不良だった鈴木に再会し、智余先生と出会った事。鈴木が先生を精神異常者だと思っている事。先生のご両親は亡くなっている事。

 すべてを語り終えて深呼吸。うん、だいぶ気分は晴れた。まだどこか心に引っかかりがあるけど。

 

 

「おかしいだろそれ」

 

「そうアル 慶代も気づいたカ」

 

「え、二人とも……何か気づいたんですか?」

 

「両親が死んだのに、直後に大学生になれたなんて変だと思わないカ?」

 

 

 ……確かに。両親が立て続けに亡くなって……大学受験なんて手につくはずがない。気持ち的にも、経済的にも。

 そうか、モヤモヤや引っかかりの正体はそれだ! 身に起こった不幸を鑑みると彼女の行動や身なりはどうしても結びつかない。

 相当大金持ちでもない限り、あんな風におしゃれしてボランティアやってる暇があれば学費の為に必死でバイトしてるのが普通だ。

 じゃあ、やはり苦悩やトラウマが何らかの精神異常を引き起こしているのか……。

 

 

「ちょっと興味湧いてきたネ 金にはならんアルがこっちでも色々調べてみるヨ」

 

「情成、そいつと話がしてえ 呼び出してくれるか?」

 

「あっ……ごめんなさい、連絡先交換してない……」

 

 

 どうせ仲間じゃないからいいや、ってしてなかった……。これは痛いな、どうしよう。

 

 

「住所わかったアル」

 

「……あの、劉謖さん? 一体どんな方法を使ったんですか」

 

「ワタシ癒氣城の凄腕スパイアルヨ? フルネームと事故の情報なんて手掛かりあり過ぎてチョロいネ」

 

 

 自分でスパイって言っちゃったよこの人。難民マフィア怖いなぁ。

 話せば楽になるって劉謖さん自身は言ったけど、俺にも劉謖さんの抱えてる苦しみ、少しでも打ち明けてくれないかなぁ。

 今まで見たことがない程美人だし、胸も結構大きいし……才女だし。

 

 

「うっし、行くぞ情成」

 

「い、いや慶代さんちょっと待って!」

 

 

 俺が裾を引っ張ると心底面倒くさい、という顔で睨まれた。即断即決は尊敬すべきところだが両親の不可解な死が危険を知らせるシグナルに思えてならない。

 

 

「深口の言う通りアル もっと情報を整理して異常を看破しなければご両親の二の舞ネ」

 

「じゃあ……劉謖さん、智余先生に救われたという人たちを調べてくれませんか? 鈴木の家庭に何が起こったのかも含めて」

 

 

 鈴木は死人が出たなんて言っていなかったが、彼のあずかり知らぬところで誰かが亡くなっているかもしれない。

 もし多数のケースがあればパターンを割り出し、異常の症状を特定できる。

 

 

「りょーかいアル! じゃあ慶代達は鈴木の作品展にもう一度向かって欲しいネ」

 

「あ? そこに行って何しろってんだ」

 

 

 鈴木自身の口からこれ以上新しい情報が得られるとは思えないけど……。

 すると劉謖さんは俺にペンダントを渡した。振るたびにチャポチャポ音が鳴る。なんだこれ。

 

 

「小型爆弾アル もしもの時は鈴木を人質にとるヨロシ」

 

「いらねえよアホ なんてもん持ち込んでんだ」

 

 

 俺の手から爆弾……? をひったくると慶代さんはぽいっと投げて、劉謖さんは視線すら動かさず軽くキャッチ。爆弾の取り扱いとはとても思えないんですけど……。

 

 

「冗談ヨ ほんとは一つだけ直接聞いといて欲しいことがあるネ

なんで鈴木は智余センセにお悩み相談しなかったカ? ってことネ」

 

「そうですね……これではまるで鈴木は智余先生を信頼してないみたいだ」

 

「それだけじゃねえ 鈴木は、そんなことない、ちゃんと相談したって言うかもな」

 

 

 智余先生に何も打ち明けなかったという不自然な行動。

 訳があっての事ってだけじゃなく、どちらかが嘘をついている可能性もあるか。

 よし、行ってみるか。再び鈴木のところへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちが作品展についたのは17時過ぎ。俺を発見した鈴木はすぐにこちらへやってきた。

 

 

「深口! と、お友達か? すげえガタイだな どうだ、智余先生には会えたか」

 

「うん、会えた でもちょい気になる事あってさ」

 

「だろうな 答えられる範囲でなら答えるよ」

 

「鈴木さぁ、智余先生に一回も悩みを打ち明けなかったんだって?」

 

 

 聞いたとき、鈴木はかなり驚きの表情を浮かべた。その反応はごく自然で、俺のような素人目にはとても嘘とは見えない。

 

 

「それはな、話そうと思ったらいつも邪魔が入ったんだよ テレビドラマみたいにな

信じられるか? 着信、インターホン、果てはバドミントンの羽根」

 

「バドの羽根って……あれか、公園のベンチとか?」

 

「そうそう ま、野球の硬球でないだけマシだよな

もう五、六度目以降はさ、逆に試すような気分で話そうとしてたわけ」

 

「今回も邪魔が入るかな、って?」

 

「そうだ そして俺は先生には運命を操る力があると確信したんだよ」

 

「違うな」

 

 

 腕を組んで沈黙を守っていた慶代さんが一言発した。その響きは重く鋭い。だが鈴木は不服そうに体格差のある慶代さんを見上げながら詰め寄った。

 

 

「違うだって……いやそんな事ないでしょ だって俺は見たんだぜ」

 

「俺は少なくともてめえよりはオカルトに詳しい 俺なりの考えとして、藤原はマインドコントロールの類の能力だ」

 

 

 強く断言されて鈴木はひるむ。慶代さんが大きくおっかないのもそうだが何よりようやく気付いたらしい。

 最強と言われ、長幼の序を無視して悪い先輩にも慇懃無礼にしていた俺が、慶代さんには尊敬の態度をとっている事に。

 

 

「そうやって邪魔がいちいち入るのは邪魔する相手を操ってるってこった

ちょうど電話をしたくなったり、ちょうど近くまで立ち寄っていたり、たまたまコントロールがズレたりした為だ」

 

「じゃあ慶代さん 智余先生の周りには、常に知り合いがウロチョロしてるってことですか? いつでも偶然会ったり、インターホン鳴らせるように」

 

「ああ、飛行機事故も機長を操って、脱線事故も運転士を操った」

 

 

 慶代さんに怯んでいた鈴木が、事故の事を耳にした途端目がくわっと見開かれる。

 それは、そうだ……。

 

 

「おいてめえ! 智余先生が事故を引き起こして何十人も殺したって言いてえのか!?」

 

「ああ 運命を操るなんて芸当は俺以上に詳しいおっさんすら存在を疑ってた

それならたとえいくら距離が離れていても、人間の心を操る方が現実的にあり得る」

 

「そんな……ありえねえ」

 

 

 鈴木は口をつぐむしかない。智余先生の正体不明の異能を、詳しいという専門家に説明づけられてしまった。無知な信奉者の鈴木はなんの反論のしようもないのだ。

 重い沈黙が場を支配する。おおもとの種に説明はついたかも知れないが、次に問題となるのは智余先生が自分の精神異常をどこまで故意に使っているのかという事だ。

 彼女に邪悪な裏の顔があるなんて思いたくないが……。

と、その時不意に携帯が鳴った。

 

 

「あ、劉謖さんからです 調べた結果興味深いことが分かったから帰ってきて欲しいと」

 

「駄目だな」

 

 

 吐き捨てるように慶代さんは呟いた。そして疑問符を浮かべる俺に向かって。

 

 

「ここまでタイミングがいいなんて、おかしいと思わねえか? 店内で時間潰すぞ」

 

「なーるほど……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局40分ほど時間を潰して事務所に戻った。帰ってくるなりジト目を向けてくる劉謖さんから目を逸らす。

 

 

「ワタシ随分待ったアル さっさとおみやげ渡すヨロシ」

 

「粗茶ですが……」

 

「それは事務所の備品だ 勝手に渡すんじゃねぇ」

 

 

 財布に電車代しか入ってないんだもの。銀行で下ろそうにもこの時間だと手数料かかるし。なのでおみやげはないです。

 地団太を踏む劉謖さんを意に介さず椅子に腰を下ろした慶代さんは真剣な目つきで劉謖さんを見つめた。

 

 

「で、何が分かった」

 

「やはり、過去にボランティアを行ったことに関連した死人が出ていたアル」

 

 

 劉謖さんも一瞬で真剣な表情になり、俺たちにノーパソの画面を見せる。

 そこには戦慄すべきデータが映し出されていた。

 まず鈴木だが、父親がギャンブルで多額の借金を負っていた。ここまではよくある話だ。だが鈴木父が借金を返すべき人間が次々死亡。最終的に借金は帳消しになり、父もまじめに働き始めたという。

 

 鈴木母は不倫をしていたのだが、死亡したのは不倫相手……ではなく、その不倫相手が役員を務め次女に婿入りしていた創業家のこれまた長女の入り婿。

 それによって長女がフリーになった途端、不倫相手は奥さんの次女も鈴木母もかなぐり捨てて長女と結婚してしまったようだ。それを機に鈴木母も火遊びはやめたようである。

 

 他のケースで特に面倒くさくてややこしくてまどろっこしいのは、次のような場合がある。

 不登校気味だったあるサーフィン少年の元へ智余先生が通った。

 地元の海で、海開きと同時に毎年精力的に練習に励んでいたのだが、ある時から豪華客船が夏の間少年の練習場所だった岸壁付近に停泊する事になってしまった。

 

 いい波が来る場所だったのに、でかい図体が遮るせいで練習の中止を余儀なくされてしまったのだ。海の家などもある隣の正規海水浴スポットでは人が多すぎて衝突事故の危険性もあり使えない。

 その客船が岸壁に停泊するきっかけになったのが漁業協同組合のストだ。

 地元議会の決定で漁業用の港を客船用に改造整備、カジノ目当ての豪華客船をより停泊させるための法案だったのだが漁業者が猛反発。港を封鎖、占拠し逮捕者まで出てもストは容易に終わらなかった。

 そこで死んだのが……なんとストの代表でもなければ法案を推し進めていた議員でもない、地元Jリーグのサッカー選手だったのである。

 

 実は、議員達に働きかけて港を客船誘致用に変えようとしたのは選手の父であり、息子が所属するチームのスポンサーでもある旅行代理店の常務だった。

 彼が企んでいた真の目的は、カジノ目当ての客船の旅行日程にサッカー観戦をゴリ押しでねじ込むことだった。要は親バカ。

 問題の複雑化と衝突の激化ですでに状況は泥沼。そこで息子が死んでしまった事によって、この客船誘致法案に拘泥する意味も理由もなくなった常務は撤退。見事ビーチに平穏は戻った。あーややこしい。

 

 つまりまとめると、サッカー選手が死んだからビーチから豪華客船がいなくなった、という絶対に=では結びつかない "風が吹けば桶屋が儲かる" を正確に行っていたのだ。

 状況が悪化する原因。因果の根本ともいうべき人間が死んでいる。

 これは、智余先生自身が意図した能力ではない気がする。

 

 

「これは恐らく、個々人の気持ちの指向性を逆探知して潰す能力アルな

それも本人が情報を知る必要はないヨ」

 

「なるほど……智余先生に悪気があるわけじゃないんですね」

 

 

 ……少しだけ、ホッとした。

 

 

「どうやら確実に精神異常者だな おっさんに知らせるぞ

っと劉謖」

 

「アル?」

 

「てめえ連絡入れたとき操られてたぜ、多分」

 

「…………そういえば、いつもより調査の精度や速度が冴え渡ってたアルな……」

 

 

 そしてベストなタイミングで調査を完遂させ連絡を入れさせる……? もう、運命を操ると言い換えても何の問題もないじゃないか……!

 

 

「情成」

 

「はい! なんでしょう」

 

「お手柄だ」

 

「そうアル! もう一人前の調査員ネ」

 

 

 目が熱くなって、思わずギュッと瞑る。

 ああ、俺がこの事件に絶対ケリをつけてやる。仲間である智余先生を……もう暴走させてはおかない!



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「遠心」「神域」4

 高校二年生の時、私は声を聴いた。透き通るような、慈悲深く無垢な声。

 まるで静かな水面のように、まるで廃墟で錆びついた発条のように。

 私の心はそこにそのままあるべきようにと、神聖不可侵の誰もが憧憬する幻想(ユメ)となって絶対不変の理となった。

 

 だってその声はあまりに儚く、あまりにも細い一本の糸のよう。きっと他の誰が聴いても分からない。当時から特別清らかだった私にしかわからない真理の到達点。

 その感覚を私は忘れたくない。

 あの時確かに感じた綺麗すぎる生き様。だから思い出し続ける。あの時に何度でも戻って感じ直す。未来を捨ててでも、停滞に沈んでも。あの時から、あそこから動くわけにはいかない。

 

 両親が死んだ時……何も感じなかった。だって当たり前だ、父も母も目の前で困っている他人、目の前で苦しんでいる他人の為に生きようとしなかった。ただ家族を、ただ娘を愛した。

 私は知ってしまった。真理に到達した者は何者も恐れることがない。いいや、恐れることなどできない。

 私は清貧を恐れない。どれだけ私財を投げ打っても後で誰かが助けてくれる。

 私は非暴力を恐れない。暴力を信条とするけだもの共は、私の視界に入る事すら決して叶わない。

 私は人を愛することを恐れない。私と接触できている時点で、例え今はひねくれていても素晴らしい人物であるのは疑いようがない。

 

 自分を取り巻く淡く弾ける深緑色の奔流をよく知っている。知識としてはなんら識らないけど、確かに私は知っている。

 これは運命の遠心力。

 私の能力は、私より程度の低い人間を遠ざけて吹き飛ばすこと。

 竜巻の外に吹き飛ばされた者に待っているのは死、あるのみ。誰が死んだかなんて私には知る由もないけど精一杯叱ってあげたい。なぜもっと努力して清く正しい人間にならなかったの? と、額を小突いてあげたい。

 だから私は聖人であり続ける。すべての救われぬ者を愛し、抱き留めて心を通わす。皆出会った時とは別人。成長して凄い人ばかり。

 誠太郎くんは世界中の貧困を救うため、安価で生産でき、大量に実をつける穀物の研究で成果を上げている。

 亮介くんも今や二十半ばで警視庁の改革派トップエリート。

 

 

「あなた、何なの?」

 

 

 ……そんな中現れたあの男の子。深口情成の顔を思い浮かべ独りごちる。

 私は自宅のソファに身を沈め黙考する。

 貴彦くんのクラスメイトだったと言うけど、私には一つの違和感があった。

 荒れていた頃の貴彦くんに友達がいたとは思えない。だというのに情成くんは貴彦くんをまるで恐れている様子がなく、積極的に旧交を温めたからこそ私の事を聞き及んだのだろう。

 

 それに彼は……就労支援センターで別れた時に、とても……程度の低そうな行動をとった。私が渡したボランティア要項のチラシを、丸めて近くのゴミ箱に捨てていたのを見てしまった。

 私はおよそ三年ぶりに目にした心無い行動に、その時不覚にも目を熱くしながらチラシを拾い上げた。

 すごく真面目そうで朗らかで、とてもかわいい男の子だわと思っていたのに。

 酷い悲しみを覚えるとともにおぞ気が背筋を走った。これは三年ぶりどころじゃない、もっともっと長い間感じたことがなかったある意味懐かしい感覚。

 

 今そのおぞ気は漠然とした不安に変わって私の心臓を銅鑼の様に鳴らしまくっている。

 なぜ彼のような人間が私に接触できた? 答えの出ない違和感はこれだ。

 それはまるで、私が実は麻薬中毒者であの時の声も、自分の能力もすべて幻聴、幻覚と言われたようだ。

 あらゆるアイデンティティにヒビが入っていく。

 額に滲む脂汗をウェットティッシュで拭き取りながら、思考を最大限高速回転させる。

 貴彦くんが居場所を教えた? いいや、それなら例え接触を図ろうとしてもニアミスし続けるはず。

 私に恋していたから情成くんの程度が一時的に上がっていた? それも違う……。だって私は別れ際振ったわけじゃない。ただ両親の死を伝えただけだ。そのあとチラシを捨てる行動に出たのは私の見ていないところなら捨ててしまえという気持ちだろう。ついでに言うなら情成くんはきっと私を尊敬しておらず顔や体目当て。きっとまだ私に邪恋を抱いている悪い子なのだ。

 

 少し気になるのはそれによって彼が意気消沈していたけど、口説く雰囲気を挫かれたためかしら……?

 考えれば考えるほど不安が脳内を圧迫し、能力の機能不全という可能性が濃くなってくる。嫌、それだけは嫌。

 あの声はいつだって、今だって思い出せる。私はずっとあの時に固定されたままなのに、今更この能力が薄れて消える? そんなことあり得ないと思いたい。なのに体は震え、まるで胎児の様に丸まって自分をかき抱いた。

 

 

「……!」

 

 

 天啓ともいうべき閃き。私が能力を否定したことで、情成くんは意気消沈した。

 その意味するところは、彼も同じような能力者……?

 

 

『トゥルルルル』

 

 

 いえ電に着信が来た。妙にタイミングがいい。

 緊張に体が強張ってしまうのをなんとか喝を入れて這うように電話へ手を伸ばす。

 

 

「もしもし、ふ、藤原です」

 

 

 上ずった声で電話に出る。息遣いまで相手に聞こえてしまいそう。

 処刑を待つ死刑囚のように、吐き気を伴って脳みそが貧血になっていく。一瞬だったかもしれない。不意に長い沈黙を破ったのは。

 

 

『藤原さん 貴女は人を殺し過ぎたかもしれないが、その異常疾患を我々なら制御できるかもしれない

どうか今から言う住所に来て欲しい』

 

 

 絶対不変であるはずの私の美しく正しい思いは、同等の相手が現れたことによって脆くも崩れ去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうやら藤原智余には自覚があったようだな」

 

「そ、そんな……! っていうか! それならいきなり殺す殺したとか言っちゃダメでしょう!?」

 

 

 エルアさんのいつも以上に険しい顔を見て、ごくりと唾を飲み込む。

 智余先生があれほどの事件を自らの意思で起こしていたなんて……。もし、もしこの告発に反発したら……俺たち全員殺される……?

 

 

「いや、深口が心配してる事は起こらないと思うアル」

 

「え、どういう事です?」

 

「実はネ、私心身ともに至って健康的! 異常は患ってないのヨ スペックが高いだけの一般人アル」

 

 

 ギョッとして劉謖さんを見つめる。……どうやら冗談じゃなさそうだな。

 一般人なのに依頼こなすとかアグレッシブ過ぎるし勇気ありすぎだろあなた。

 

 

「多分ワタシが操られたのはそういう事ネ だから深口達は操られる心配はないはずアル」

 

「なるほど……ってことはつまり」

 

 

 智余先生の現在の心境は、自分がモグリの能力者だって気付いたって感じかな。あと俺たちをうまく操れない事にも気づいてるかも。

 呼び出しに応じるだろうか? もしこちらから出向くとなったらリスクになるな。

 

 

「あのー……エルア リリアナも手伝うもえ?」

 

「ん、いや大丈夫だ 会うのが怖いなら寝ていなさい」

 

 

 リリアナさんはツインテを揺らしながらおずおずと棺桶に収まっていく。そりゃあんだけ死なせてる人にリリアナさんを会わせたくないよなぁ。親心ってやつだ。

 

 

「レイーノも卿燐のところへ行ってくれ」

 

「あっぢゅー? 分かりましゃ」

 

 

 皆気が立ってるな……慶代さんは普段からぶっきらぼうだけど。

 劉謖さんは操られたことがよほど不愉快だったのか、太もものホルスターからナイフを引き抜きクルクルと遊ばせている。っていうか何そのスパイ映画みたいな装備。大腿動脈うっ血しますよ。

 エルアさんはあくまで治療が目的だが……両脇のキレたナイフ二人が手を出さないよう俺がちゃんと仕切らなくちゃ。智余先生を守るのは俺の役目だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉が開いた。時刻は午後9時半過ぎだ。以前見た時と同じくらい清楚で透明感のある彼女は、しかしとても憔悴しきっていた。

 

 

「初めまして エルアさんでしたわね」

 

「ああ、藤原智余さん 早速だがどうぞ掛けてくれ」

 

「はい……」

 

 

 被告席へ向かうようにエルアさんの対面に座る智余先生。普段余裕を満面に湛えていたであろう彼女の表情は緊張と苦悩に彩られている。間違いなく大なり小なり自分の能力を把握していて……それを告発されて心が痛んでいるんだ。

 

 

「貴女の事を調べさせてもらった これは、すべて貴女の精神異常によって引き起こされたもので間違いないだろうか」

 

 

 劉謖さんのノーパソを智余先生が見た。数秒視線がスクロールし、次の瞬間。

 

 

「い、いい、いやぁぁぁぁぁあああああっ!!!」

 

 

 両手で顔を覆い、魂に染み渡るほど悲痛な絶叫を響かせた。

 先生は、きっとここまで悲惨な結果になっているなんて知らなかったんだ。知っていればこんなに絶望した声を上げはしない。

 今すべてを理解し、罪に向き合っているんだ。

 

 

「落ち着いて、初めからうまく能力を扱えるものなど存在しない 大事なのは貴女の危険な能力を制御し生活と擦り合わせる事だ」

 

「……私、耐えられませんわ いっそ死んでしまいたい……」

 

「死なないでください先生! ほらあれですよ、死んだ人たちだって智余先生がやったなんて誰も信じませんよ絶対」

 

「でも……私、あなた方に告発されなかったら……ずっと自分の殻に閉じこもって無用な殺人を……!!」

 

 

 法で裁かれないとはいえ、自分では知る事ができない範囲とはいえ、智余先生のような潔癖な人が向き合うには、あまりに多い……。

 どう励ませばいいんだ……。そうして悩んでいる内に恐れていた事態が。

 キレたナイフが動き出した。劉謖さんがずかずかと俯く先生の前に陣取る。

 

 

「ワタシ、出身は中華アル 反政府勢力とNATOが支配する成都生まれ成都育ちネ」

 

「え……中華人なの さぞ苦労してきたの……でしょうね」

 

 

 怯えたように上目遣いで立っている劉謖さんを見る智余先生。人殺しだと自分を非難していると思っているようだ。

 

 

「ワタシも貴女には負けるアルが、何人もブッ殺してきたヨ 気にすることないアル

逃げ切ったもの勝ちネ」

 

「そ、そんな物言い……こ、ここにいる人たち、皆そうなの……?」

 

 

 そう言って智余先生は、俺やエルアさんに恐怖と警戒の視線を向けた。

 劉謖さんたら……その言い方じゃ人殺し稼業の仲間にならないかって誘ってると思われるよ。

 

 

「いいえ、この中で直接の人殺しは劉謖さんだけですよ この人能力者じゃないですからね」

 

「ワタシが異常者じゃないと知ったとたんに冷たくないカ? 深口」

 

「いーから黙っててくださいっ!! 今事態をややこしく引っ掻き回さないで!

……コホン、智余先生 誰も貴女を非難しません 病気は治療すればいいんですからね!」

 

「……な、さなり、くん

…………エルアさん 私……高二の時に声を聴いたんです それからこの、程度の低い人間を遠ざける能力に目覚めました。私のような罪深い人間も救ってくださる社会があるのなら……私の治療、お願いできますか」

 

「一度目覚めた能力を完全に消すことは限りなく難しい だが一番無害な形で落ち着くよう全力を尽くそう」

 

 

 歯ぎしりしながら「程度が低いだとぉ!?」と気炎を吐く劉謖さんを尻目に、俺は慶代さんを見る。その目は雄弁に語っていた。

 俺も見捨てる気はなかったぞ。この人に協力はしてやる、と。

 

 

「あれ、程度の低い? じゃあ鈴木……」

 

 

 そこまで言いかけて勝手に納得した。鈴木の話を遮っていたのは、鈴木を遠ざける為じゃなくて鈴木の両親を智余先生から遠ざけていたんだ。

 

 後、劉謖さんは異常者には効かないって推測してたけど、程度の低いなんて曖昧な条件なら俺たち異常者もふつーに巻き込まれるだろう。事実慶代さんが警戒しなければ何らかの不運に襲われていたはずだ。

 尤も俺が智余先生に会えている事を鑑みれば、あの電話は劉謖さんと会わないための妨害だったのかも知れないが……。

 

 

「情成くん……」

 

「あ、どういう話になりました?」

 

「とりあえず久遠さんと一緒に暮らして謹慎する事になったわ

誰とも関わらなければ、きっと誰も死なずに済むって」

 

「でもボランティア好きなのに、かわいそうだなぁ」

 

「あ、その事なんだけどね」

 

 

 智余先生は人さし指をピッと立ててにこりと微笑み。何やらポーチからチラシを取り出した。

 おや? これ確かボランティア募集の……。

 

 

「私もう良い先生でいるの、やめるわねっ ボランティアなんて別に好きでやってた訳じゃないし!」

 

 

 そう言うが早いか、チラシをまとめてビリッビリに破り捨ててしまった。

えぇ……。

 

 

「ま、待ってくださいよ智余先生 イメージが、俺の中でのイメージってもんがですね?」

 

「あーら何言ってんのかしらねこの子は あなたの真似しただけなのに私を非難するの?」

 

 

 べしりと、なんか玉っころを投げつけられた。ひょいと拾い上げてみると、クシャクシャに丸められた先ほどのチラシ……だ……。

 ……ん?

 

 

「もしかして、コレ……」

 

「いい笑顔で「わぁ! ボランティア興味あったんですよ~」って言った後、センターに入っていかなかったから気になってちょっと尾けさせてもらったの

先生悲しかったわ、あんな風に捨てられて」

 

「待ってください あれにはふかーい訳がありまして……」

 

「問答無用よ悪い子ねっ! とにかくそういうわけで、先生は聖人でいるのをやめまーす

私自身の程度が低くなればいい結果を生むのは間違いないでしょうし 以前はそんな発想あり得なかったけど、告発されたいい機会だわ」

 

 

 なんか、立ち直ってくれたのはいいんだけど……。いい性格してるなぁ全く。



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「絵巻」「迷路」1

 適当に選んだばちが当たったのかなんとも味の冴えない喫茶店で待ち合わせまでの暇をつぶす。

 窓からぼおっと人の行き来を眺め、思う。一体この中の何人が、自分の心に嘘をついて生きているんざんしょ。多くの人はこういうだろう、人間大なり小なり自分に嘘をついてでも折り合いをつけて生きているんだ、と。

 

 アタシは家業である歌舞伎役者を捨てて、女であることを選んだ。アタシは自分の性に正直になる代わりに、大好きな夢に嘘をついて諦めたんだ。

 辛くなんかない。アタシは女の子なんだから、これでいいんだ、と。でもアタシは苦悩を抱えている。梨園から追い出された事を激しく後悔している。本当に歌舞伎が大好きだったから。

 

 アタシはどうすればよかったざんしょ? どちらを選んでも自分の望みに嘘をついて背を向ける、二律背反のジレンマ。

 エルアやおにーさんおねーさん達と出会って少しは癒されたこのささくれも、答えだけは、まだ……出ない。

 おっと、もうそろそろ10分前ざんす。会社のイメージを損ねない為にも10分前行動はデキるオンナの基本スキルなんざんすよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 待ち合わせのホテルについてキョロキョロと依頼人を探す。やっぱり平日の真昼間に可愛いじぇいしーがうろついているのは目立つざんすね。視線をびしばし感じるざんす。するとロビーの椅子から立ち上がった女の子がいた。メガネがよく似合っててかわいいざんす。

 

 

「大きな巻物を二つ腰に下げた……おーい! こっちですよー」

 

「あっ、依頼人の方ざんす? アタシは舞川蘇若ざんす」

 

「私は倉田満帆です! 同い年くらいだねっ」

 

 

 まほちゃんはそう言ってアタシのボーイッシュヘアを撫で繰り回す。いやんざんす、いくらアタシがきゃわいいからって。

 

 

「確かお手紙では、お父さんが総支配人をしてるこのホテルで幽霊が出るって」

 

「うん、お父さんのホテルだし私にもばりばり責任ある事件でしょ?

もし従業員の人たちもやめちゃって、お客さんも来なくなったらお父さん絶対クビだよ! ヤバいよ何とかして蘇若ちゃんっ!」

 

「任せるざんす まほちゃんの生活はアタシが守るざんすよ」

 

 

 きっとまほちゃんは騒ぎが大きくなるたびに、自分の首が真綿で絞められている気分だったんだろう。まほちゃんが路頭に迷うかどうかはアタシに懸かってるんざんす!

 キッチリ除霊して褒めてもらうざんすよ~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが幽霊の出る部屋ざんすね」

 

「うん、今月に入って四件も見たって人がいるのよー……」

 

 

 アタシが案内されたのは四階左角部屋の一つ右の部屋、401号室。クリーム色の扉に銀色のドアノブと意匠が高級感を醸しているざんすね。部屋は400から409まで横並びであり、眺めがよくて陰気な風はしない。

 当然ながらドアも内装も他の部屋と同じ。アタシはお札が貼られていたりしないかと絵画を取り外したり家探しを始めた。

 

 こういう旅館施設で過去に何か事故が起きた場合、神主さんやお坊さんまで呼んで祈祷や供養をするのは稀。もし他のお客さんに見られでもしたら体裁が悪いからね。

 だから素人はお札で済ませる。

 ただしこのお札は薬のようなもので、症状は腹痛なのに鼻炎の薬を服用してもなんら意味がないように、安産祈願のお札で悪霊退散は無理ざんす。

 そして真っ当なところなら悪霊退散のお札なんて売っているわけがない。その他のお札もプラシーボ効果しか期待できない偽物ざんす。

 

 

「お札はないざんすね このホテルって築どれくらいだかわかるざんす?」

 

「う~ん、分かんない お父さんたちの会社が別のホテル業者から買い取ったものだからさ」

 

「それじゃあ……考えられる可能性はこのホテルが建つ前はお墓だったとかざんす」

 

「なるほどー お墓を取り壊したから、眠りを妨げられたんだね」

 

「眠ってる訳じゃなくて極一部のお墓に留まる霊が怒るざんす 自分の生きていた唯一の痕跡って事が多いから」

 

「ああ……お墓に執着するのって少ないんだ 時代かなぁ」

 

「幽霊の仏教離れざんすね」

 

「んじゃあそういうのお姉ちゃんが管理してるから、いろいろ持ってきてもらうね

蘇若ちゃんはここのお隣の部屋で待ってて」

 

 

 二人で幽霊部屋を後にする。キーを受け取ったけど、ベッドでゴロゴロしてても無為だし……。

 

 

「アタシ一階のレストランにいるざんす お腹すいてて」

 

「うん分かった」

 

 

 部屋を出て早速一階へ戻る。昔は結構こういうホテルビュッフェにも来たざんすが、家出同然の現在では考えられないざんすね。

 佐橋の甲斐性なしな先輩たちにはもっと先輩風の何たるかを理解して、ビュービュー吹かしてもらいたいものざんす。あざっす! ゴチになるざんす! とか言ってみたい。

 そんなことを考えながら食事を済ませ、ドリンクバーやアイスクリームで時間を潰していると、二十歳前後の知的なこれまたメガネお姉さんがまほちゃんを連れ立ってやってきた。

 

 

「あなた……まだ満帆と同じくらいじゃない! 中学校はどうしたのよ」

 

「あぁ……アタシ、その、小卒ざんすから」

 

 

 いや、正確には義務教育でもあるし中学校に在籍してはいる。ただ通学の実態はない。

 まぁんなこと倉田さんには関係ないことざんすが。

 

 

「あぁ……こんな小さな子を怪しい霊感業界で働かせるなんて! 日本は一体どうなっちゃうの!?」

 

 

 不安の増幅の片棒を担っている神秘主義者の一人としては、なんかもう申し訳ないとしか言いようがないざんす。

 同業他社に対して皆が不安になるから活動やめてね、なんて自分を棚に上げる独善的な発言はできないし、かといってうちが随一のノウハウを持っていて、どこよりも問題解決に役立てるという自負もあればこそやめることはできんざんす。

 

 

「改めまして、アタシは舞川蘇若ざんす もちろんソワカなんてのは偽名ざんすよ

除霊はバッチリこなしてきた熟練者ざんすからその点は保証するざんす

それと妹さんにはすでにご説明したざんすが、必要経費さえ落としていただけるなら謝礼も不要、チップは大歓迎ざんすがね」

 

「それって……ただ働きってこと? 怪しい……怪しすぎるわ、脅されてるの?」

 

「いや、報酬はうちの社長からもらうんで、お客さんはほんとに何もしなくていいんざんすよ」

 

 

 報酬の資金源は不明ざんすが、エルアの事だし怪奇情報をお金に換える錬金術を持っていても何ら不思議とは思わんざんすね。

 実際アタシのような半浮浪者の中坊を重用してるなんて、アタシの存在自体……というかこの秘伝の巻物にお金になる情報の価値があるのかもしれんざんす。

 

 

「私は倉田美奈よ 蘇若ちゃん、あなたには悪いんだけど私は幽霊自体の存在に懐疑的なの 霊能者と呼ばれる人たちは皆詐欺師だと信じているわ

気分が悪いかもしれないけど、そういう人間もいると分かって欲しい」

 

「もちろんざんす そういう人が多いからこそ人間社会はまっとうに機能するんざんすよ

アタシたちのような連中が日の目を浴びるようになったら不健全ざんす」

 

 

 美奈さんは驚き目を見開いている。アタシだってたかだか十四年の人生でも、今は空席である三升蔵(さまぞう)の名跡を諦めた時からずっと日陰者として女々しい生活を送ってきたんざんす。

 マイナスからスタートした人間が多少の努力や幸運でそう簡単に日向に出る資格を得られるなんて……思えんざんすよ。

 

 

「ま、まぁ分かったわ とにかく怪しいことがないか……例えばこのお札を買えば万事解決、とかわざと仕掛けを施して騒ぎを大きくするとか、そういうことが無いよう見張らせてもらうわね」

 

「ざんす」

 

 

 と言ってもまずは資料ざんす 除霊というのは実のところ、霊の居場所さえ分かれば個人まで特定する必要はないわけで 霊には悪いんざんすが無縁仏には無銘のまま二度目の死を迎えてもらうざんす。

 持ってきてもらった目撃情報を精査していると、見逃すことができない記述と写真が目に入った。視線を上げ、美奈さんを見つめる。

 

 

「これは人為的な事件の可能性があるざんす つまり、このホテルの評判を落とそうとした」

 

「なんですって!?」

 

「どゆことどゆこと? 蘇若ちゃんもう何か分かったの?」

 

「この写真、白い和服に三角頭巾の幽霊に腕を掴まれた事によるアザ……と書いてあるざんすね

霊が人に直接危害を加える事は絶対に不可能なんざんす それは霊界の物理法則と言っても差し支えない原理原則で、それを覆しうる霊はもはや妖怪ざんす

だからそんなあるかもわからないものを論ずるより、人の仕業とみるべきざんすね」

 

「へえー! あ、でもさ……さすがに人間に掴まれたら分かっちゃうんじゃない?

いくらおばけの格好してても、なんていうの、本能的に

その場から一瞬で消え去るトリックだって大変だしさ」

 

「もっともな意見ざんす だから……呪詛、呪いによる被害というのが今のところ一番高い可能性ざんす」

 

「呪い……って、あの、藁人形に釘を打つ?」

 

 

 美奈さんの身体がぶるりと震えた。急に彼女にとって現実感の強い話になって委縮しているのかもしれんざんすね。

 でも彼女の感じている苦悩はきっと的外れだからすぐ解消してあげなくちゃ。

 

 

「お父様は恨まれていないざんすよ だってそれならお父様自身の体に危害が及ぶはずざんす

しかしこれは特定の部屋にのみ被害が出ているざんす」

 

「でも……評判を落とせるならどこの部屋でもいいって考えたとかは?」

 

 

 確かに総支配人自身に怪我をさせるより、その経営するホテルを潰した方がスカッとする呪者も性格によってはもちろんいる。

 でもただ一室にのみ呪いをかけるなんて非効率的だし、深刻な事態を巻き起こすというよりは……そう、よりリアルな幽霊騒ぎを起こしたいといった理由か。

 

 

「一室だけ、あそこには霊が出るといううわさが立っても実はさほど悪いイメージはつかないどころか、かえって話題作りになるんざんす」

 

「ど、どうして? 自殺が起こったとか、ありもしない尾ひれがついてまわるんじゃ 私もそれが心配で……」

 

 

 美奈さんはアタシの意見に真っ向から反論する。確かに例えばアパートなんかであそこは出ると言われたら、真っ先に思いつくのは首つりが昔あったという発想。

 でもそうはならない、なぜなら。

 

 

「幽霊の特徴は大昔の人ざんす ホテルとは明らかに時代が違う」

 

 

 実際に被害に遭った泊まり客たちでさえ漠然と理解しているだろう。あれはあの部屋で自殺した霊ではない、と。

 

 

「リアリティのないコテコテの霊は、結構いい話題になるものざんすよ」

 

「あれ? でもさ、そうなるとむしろホテルにとってプラスになるんじゃ……」

 

「アタシの勝手な推測ざんすが、よござんすか?」

 

「蘇若ちゃんもう犯人分かっちゃったの?」

 

「犯人はお父様の部下ざんす そして幽霊騒ぎの起こった時期に亡くなっている」

 

「推測っていうか、ほぼ断定だけど……ど、どうして?」

 

 

 もちろんそう思う原理原則はある。知らない人に上手く説明できるかは分からんざんすが。

 

 

「まずこの呪詛がかけられた目的ざんすが、以前所有していた会社に手放させるためざんす」

 

「……? えっ、今発生してるのに?」

 

「それは後述するとして幽霊騒ぎが起こった場合二通りの対応があるざんす

形式的なお祓いをして、それで駄目ならまほちゃんのように胡散臭い霊能者に縋る方法

もう一つはさっさとホテルを手放してしまう方法ざんす

前の会社の選択はホテルのイメージ低下を恐れて損切する方だった その後お父様の会社が手に入れたんざんす」

 

「長期的に見れば、さっき言ったようにプラスになるのに気が逸っちゃったってことか」

 

「ざんす 続いて……その昔の所有会社にしかけた攻撃がなぜまた再発しているのか

それはね、呪詛は無くならないからざんす」

 

 

 二人とも口を挟む気配はない。理解が追い付いているようで何よりざんす。

 

 

「人を呪わば穴二つとはよく言ったもので、一度生まれた呪いは自然消滅してくれないざんす

ちょうど、オリンポスの神々の祟りは当人が許しても残り続けるのと同じ まぁ人の呪いと神の祟りは明確な違いが、あっと脱線したざんすね

お父様の部下がビジネスのためにホテルに呪詛をかけた ……一旦成功したけど、犯人には一つ不勉強な見落としがあった

それは呪者が死ねば呪いのコントロールは失われ、本人の意思と関係なく憎悪が進化していく事ざんす」

 

「なるほど……呪者が死んじゃったら呪いが暴走しちゃうんだ」

 

「その線が濃いとアタシは思うんざんす

ただビジネス目的だから悪意も全然込められてないし、今もこれからも残りカス程度の脅威しか起きないとは思うけど」

 

「その残りカスを消すにはどうするの?」

 

「呪詛返しの法を行うざんす 一番簡易的なもので呪者のフルネームが書かれた木板をあの部屋で焼けば終わり!」

 

 

 他には腕を掴まれた本人が聖域だと思い込める場所で呪者の名前入り木板を持ってえんがちょと言えばいいだけ。十字教徒なら教会、仏教徒ならお寺といった具合に。

 アタシはその手順を詳しく教えて、もしアタシの見込み違いで呪詛が強くなったら連絡をくれるよう頼んだ。

 

 

「じゃあ鬼籍に入った会社の人を調べてみるわ そして、解決したらオカルトも少しは信じてみるわね」

 

 

 美奈さんは複雑そうな表情だ。それはそうざんしょね、だって大仰な儀式もなにも要らないってんだから。でも恨みに拠らない呪詛なんてこんなもんざんすよ。

 二人にビュッフェのお礼を言ってホテルを後にする。すると去り際まほちゃんが追いかけてきてこちらをまじまじと見つめてきた。

 

 

「その巻物、使えないの……?」

 

「これは対人戦闘用ざんすから」

 

 

 ぽかんとするまほちゃんを尻目に今回の件を報告するべく佐橋ビルへ帰る。

 ……恨みに拠らない呪詛かぁ。アタシの心のささくれも、突き詰めればそんなものなんざんしょか。



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「絵巻」「迷路」2

 数日前出会った不思議な女の子、舞川蘇若ちゃん。私はずっと彼女の事が気になっている。

 あの後具体的な調査に関して蘇若ちゃんはお姉ちゃんだけに相談していたけど……私は悪用しちゃうかもって思ったのかな。私の方がオカルトに理解があるのに……

 とにかく今は行動を起こしたくても動けない。私に出来る事と言えば、何があるのかな。もっと彼女と仲良くなって……蘇若ちゃんと同じ景色を見たい。きっと彼女の世界は私には想像もつかない世界なんだろうな……。

 

 

「満帆ーご飯だよ」

 

「! はーいお母さん」

 

 

 だいぶ精神的に根を詰め過ぎたみたいだ、もうこんな時間。今日はもう忘れよう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お風呂から上がって、部屋でぼうっと考え込む。明日から学校だけどどうしよう。思い切って蘇若ちゃんの会社にお邪魔しちゃおうか。

 そもそも佐橋ビルに依頼を出したのは私だ。前からクラスの一部で噂になってたからちょうどいいと思って手紙を書いた。

 

 認識が甘かった。うかつだった。私は今思春期だというのに、あんな生き様を見せられたらあこがれてしまう。

 アイデンティティの宝庫。異能力者のコミュニティ。若者としてこれほど琴線を刺激されるものもない。

 秩序より混沌を。平穏より狂騒を。社会の被保護者から英雄に。それがティーンエイジャーの何よりもの正義。

 今この大波に乗り遅れたら生涯特別な力は得られないぞ、と強迫観念が強くなる。

 私が特別になったら……特別になれたら。別に戦いたいわけじゃない。そんなバーサーカーみたいな女、そうそういない。

 超能力が手に入ればそれは私の揺るぎないステータスになる。毒ならヤンデレ系、水使いなら水色のメッシュを入れてみたり、ファッションの指針にもなる。

 

 そして蘇若ちゃんは恐らくあの巻物の使い方を熟知していて……組織内で自分のポジションをはっきり確立させている。もし私の様に特別性がない場合の蘇若ちゃんと比べたら今の蘇若ちゃんはさぞモテるんだろう。キャラが立ってるどころじゃない。

 

 

「い、いけないいけない 今やばい橋を渡りかけた」

 

 

 ふと正気に返り身震いする。このまま余計に首を突っ込んでいればきっと後悔していただろう。私は普通に学校に通っている今の生活で満ち足りているし、分不相応なのは分かっている。

 多分もしすべてが順調にいって私が佐橋ビルに入れたとしても、客観的な人気投票とかやったら間違いなく最下位になる自信がある。いや、ヘイトを稼ぐような性格の人が居ればその人よりか上かも知れないけど。

 結局普通人が輪に入ったところで埋めようのないものは存在するんだ。……寝よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、私は慌ただしい喧騒に目が覚めた。何やらリビングからああだこうだと声が聞こえてくる。眠い目をこすりながら私は緩慢な動きでリビングへと向かった。

 

 

「おはよー 何なの朝っぱらから?」

 

「満帆……お母さんね し、信じられないかも知れないけど、昨日お母さんの部屋に幽霊が出たのよ」

 

「……え?」

 

「私もよ……」

 

 

 お姉ちゃんとお母さんが深刻そうに告げる。その顔は蒼白で嘘をついているようにはとても見えなかった。

 幽霊? このタイミングで? まさかあの部屋からついてきたとでも言うの?

 というか蘇若ちゃんは霊じゃなく、霊に見せかけた呪いって言ってたのに……。

 何が何やらわからないと閉口している私を尻目に、お父さんがコーヒーを淹れ終わって椅子に座る。明らかに不機嫌そうだ。

 

 

「夢でも見たんじゃないの? だいたい幽霊なんて今どき馬鹿らしい

そんなものいたら今頃お寺は日本中から拍手喝采の嵐だよ」

 

 

 確かにお父さんの言う通りネットで語られる怪談の多くに、お坊さんから「なんてものを連れてきたんだ」などと怒鳴られるという場面が存在する。これが本当ならお寺はきっと今ここまで衰退していないだろう。私ならそんなお坊さんに救われたら篤く帰依してしまうだろうから。

 だがそう諭されても二人の顔色は晴れず、お姉ちゃんが重々しく口を開く。

 

 

「二人とも同じ夢を見るなんてあり得ないわ 私もお母さんも同じ男に襲われたのよ」

 

「そうよ……あなた信じて 右目と鼻頭のちょうど間にすごく大きな黒子のある垂れ目の男……」

 

 

 お母さんの述べた男の特徴を聞いた瞬間、お父さんが明らかに硬直した。目をこれでもかと見開き、お母さんへと向き直る。

 

 

「成槻……か?」

 

 

 成槻。お父さん、なんか知ってるっぽい?

 

 

「あいつはもう2年も前に死んだのに! なんで知っているんだ!?」

 

 

 その言葉は蘇若ちゃんから聞いた霊界の常識とはかけ離れているように思えた。蘇若ちゃんの言う通りなら、幽霊騒ぎは二年前から起きていなければおかしい。そのことはお姉ちゃんも思い至ったようで鋭い目で俯いている。

 ともかく私たち家族にまで危険が及ぶなんて予想外だ。ここはもう一度蘇若ちゃんに掛け合う前に、別の霊能者に見てもらうしかないだろう。医者の世界にはセカンドオピニオンというものがある。

 

 動揺するお父さんを会社に送り出し、帰ってきたら成槻の事を詳しく教えてもらう約束をした。次は二人から証言を細かく取らなければ。霊能者に状況を正確に伝えなければ意味がない。

 これを機にお姉ちゃんもオカルト肯定派になってくれれば霊能者に支払う予算も増えるんだけど……とはいえ私もインチキには気を付けよう。本物の噂名高い人に、今のうちあたりをつけておかなければ。

 こんな時でも日常と言うのは待ってはくれない。焦燥した二人に代わって慣れない朝食を作り、どうにかこうにか学校へと赴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、霊能者に詳しい人?」

 

「うん、有紀子なら知ってんじゃない?」

 

 

 私が通う西第2中学でもオカルト好きは一定数存在する。無論私もその一人で専門と言うか特に興味があるのは超能力、PKだ。

 友人の今田有紀子は錬金術に神秘性を見出し好きだと言っていた。でも賢者の石の存在は信じていない。そういう片手落ちなスタンスだ。

 別にオカルト部みたいなのに入っているガチ勢でもなく、こうして短い休み時間に机を突き合わせて皆の喧騒にかき消されそうな駄弁り程度で満足するオカルト好き。

 

 

「に詳しいってかぁ、霊能者なんじゃないかって言われてる子がいるよ」

 

「え、この学校に」

 

「うん 隅田夜更(すみだよふけ)って言うんだけど、え、知んない?」

 

「知んないな どんな子なん」

 

「なんかね、小学の時にその子に手縫いのぬいぐるみ貰った男子いたんだって」

 

 

 ……手縫いのぬいぐるみ? あ、ああ……手のひらに収まるくらいのやつね。

 一瞬でかいクマのぬいぐるみ想像しちゃったよ。

 

 

「なんか、隅田さん自身をモデルにした一メートルはあるやつだったんだって」

 

「……重いね」

 

 

 隅田さん自身がモデルのぬいぐるみ。送られた男子はどう思ったんだろう? すでに思春期を迎えていたと仮定しても、気味の悪さは拭えないのではないだろうか。

 

 

「でさ、その子は思春期を迎えてなくって……まだまだガキだったわけ

貰ったぬいぐるみを最初は好意的に受け取って飾っていたんだけど……家に遊びに来た友達にからかわれた」

 

 

 それは……あり得る話だ。そんなぬいぐるみが飾られていたら、翌日相合傘の一つでも触れ回りたくなる年ごろ。男子小学生にとっては、女子を大切にし愛するという行為はまだよく理解できていない奇行。

 男として情けない、と嘲弄の対象になる。

 

 

「で、これも当然の帰結なんだけど……貰った子がね

これはサンドバックにする為に貰っただけだ! って照れ隠しにぬいぐるみを何度も殴ったんだって」

 

 

 うげえ、最低……。いくら男子小学生がバカといっても限度があるだろうに。限度があると信じたい。

 

 

「そしたらさ 翌日の授業中その子が戻したんだ」

 

「えっ、隅田さんの呪いって事?」

 

「うん、そう言われてるし本人も否定していない

それも可愛いもんじゃないよ……ムカデやミミズを一分間に渡って吐き続けたって」

 

 

 ……なんて、こった。貰った子の主食がムカデだったわけじゃないはずだ。隅田さんが胃の中に送り込んだ?

 呪詛で? そんな規格外と思える呪いを女子小学生が使えるの?

 

 

「隅田さんに助けを頼むなら、満帆も気を付けなよ 一オカルト好きとして最大級の敬意をもって接することだね

あ、言い忘れてたけどもちろんからかった子達も……」

 

 

 腹の底にずっしりと響く忠告だった。機嫌を損ねたら私の主食はムカデという噂が流れるだろう。けど私の周囲にそんな霊能者がいただなんて。

 これはきっと運命のいたずらだ。接触するしかないっしょ!

 

 

 

 

 

 

 

 

「エルア、エルア」

 

「ん、どうしたんだリリアナ」

 

 

 棺桶から出てきたリリアナおねーさんが甘え交じりに養父の袖を引っ張る。なんでも彼女、棺桶に籠っている間はエルアに語る話題をずっと考えているそうざんす。なんて健気でいじらしいんざんしょ。

 

 

「呪いについて詳しく教えて欲しいもえよ」

 

「そんなものを知っても碌なことにならんぞ 駄目だ」

 

「でもリリアナも詳しくなれば、専門家がいない時に助言できるもえ! きっと役立つもえっ」

 

 

 リリアナおねーさんはエルア曰く数少ない妖人類(トバ・カタストロファー)の一人。そんな彼女が呪詛を極めたら妲己やスフィンクスと並ぶ強大な妖女になるざんしょね。

 

 

「だいたいお前、どうして呪いなんて知りたくなったんだ?」

 

「蘇若もえ」

 

「……いやいやそんなカミソリみたいな視線で睨まないで欲しいざんす アタシは何も知らんざんすっ!

リリアナおねーさんも端的過ぎる返事はやめるざんすよ!」

 

「え、えっとお 最近蘇若が幽霊に見せかけた呪いの事件を見破ったもえね?

その時にみすりーどを見抜くなんて格好いいって思ったもえよ」

 

「だがリリアナには関係ない事だ こういう話は霊感のあるだんぴや蘇若に任せておけば問題ない」

 

 

 ……ん?

 

 

「うぅ……分かったもえ でもリリアナは妖人類(トバ・カタストロファー)なのに何で霊感がないもえ!?」

 

「だからこそだ いいかいリリアナ、妖人類には霊力や霊界といった法則は存在しない その代わりにマナといった、古代に亡失したはずの高等な力を君は持っているんだ

リリアナが持ってないものを蘇若が持っているように、リリアナにしかないものはあるのだから隣の芝を羨むんじゃないぞ」

 

「はい……」

 

「ちょっと待つざんす! 今聞き捨てならない言葉が……アタシには霊感はないざんすよ?」

 

 

 その言葉を聞いた直後、エルアがこちらに勢いよく振り向いた。

 心底不可解そうな表情で見てるこっちが不安になるざんすね……。

 

 

「待て……だんぴは蘇若こそ自分のパートナーと言っていたこともあるし、《デジタルゴースト事件》の時も《虚ろ木》の時も蘇若に助けられたと……」

 

「それは巻物が霊に対して有効で、探知もしてくれていたおかげなんざんすよ! アタシはいわば座標に従って見えざる敵に攻撃してたんざんす」

 

 

 現代社会は武器の遣い手がそれの専門家である必要はないざんす! いや、まぁこの巻物が記されたのは室町時代ざんすけどね。

 するとエルアは顎に手を当てて考え込むような仕草を見せた。意外な事実といった感じざんしょがそんなに深刻な事?

 

 

「蘇若 今回の事件、見解と解決法を間違えているかも知れないぞ

すぐにだんぴに掛け合った方がいい」

 

 

 なぬ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 隅田夜更さんに会うために、私はご飯を食べてすぐ階段を上った。 三階の図書室によく一人でいるという情報を得たためだ。

 廊下では口々に楽しい話題を共有したり、逆に気に入らない人物の短所を上げ連ねて嘲笑していたりと様々だ。 共通するのは暇つぶしという事だが。

 そんな中、私はいそいそと廊下を歩き続ける。 確たる目的をもって目標にひた走る時、人は周りの人間を必要としなくなる。

 

 ……私が憧れた彼女たちプロフェッショナルとは、すなわち終わらない課題を押し付けられた人たちなのではないだろうか。

 一生付きまとって離れないもの。 力ある限り果たさなければならない使命。

 あるいは一足先に大人になった人たち、か。 だけど子供が憧れるヒーローのような、少年漫画のような煌びやかな仕事内容ではないか。 私たちが空想で補うしかないような体験を日常的に仕事として消化しているのはうらやましい限りだ。

 

 だけど私には普通の生活がある。投げ出す理由は残念ながら今のところない。

 ならば最適解は、友人として側にいる事じゃないだろうか。

 私の冒険心を危険なしで満足させてくれる語り手、そういう関係になれたら、私も妙にハイにならずに済むのだろう。

 

 ……などと考えていたら図書室にもうついていた。 一呼吸置いて扉を開ける。

 私のような普通の人間には、残念ながら空気が張り詰めたとか妖気を感じるとかそんなことはなかった。 ただ静かに本を読む彼女の落ち窪んだ根暗そうな目元が、彼女の人物像と一致するな、などとつまらない感想を抱いただけだった。

 

 

「こんにちは! 隅田夜更さんだよね……?」

 

 

 うん、無視。もう一度元気よく声をかける。

 こちらにじとりと視線を向けた彼女は、ややあってから口を開いた。

 

 

「そうだけど」

 

「私B組の倉田満帆っていうの 今家で幽霊騒ぎがあってさ……専門家に頼りたいなって思って」

 

「他当たって」

 

 

 うーん、予想通り。完全な模範解答。だがね、ここから変なきっかけ作って渋々了承させるのがモブキャラの腕の見せ所よ!

 

 

「いやぁ、そっかーダメかぁ じゃあやっぱりもっと格上の蘇若ちゃんに頼むしかないっかぁー!!」

 

「倉田さんうるさいわよ静かにして」

 

「……ハイ」

 

 

 ……動じない。お前なんかよりすげえ奴知ってるんだぞって挑発したのに。そこはオッ! いっちょやってみっかぁ!! っていう流れだと思うんですけど。

 な、ならば……。

 

 

「呪いを使いこなす霊って普通いないよね……興味ない?」

 

 

 戦いや争いの面で惹かれないなら知的好奇心を攻める!

 

 

「いるんじゃない? 普通に」

 

「えぇ……」

 

 

 ある人はいないってハッキリ言ったんだけど。いや今ここにいない人の事はいい!

 こうなれば最後の策……。

 

 

「……吐きます」

 

「は?」

 

「……ムカデを吐くので、それと引き換えに我が家を救ってください……!

もちろん他の霊能者の相場でお礼もしますから」

 

 

 土下座。そして必死の懇願……! お願いしますマジで。

 

 

「あなたがムカデを吐いたら私に何の得があるのよ……」

 

「そのぐらいの覚悟って意味です」

 

 

 変な沈黙が場を支配する。私は頭を床にこすりつけているので隅田さんの様子は窺い知れない。一瞬後に嘔吐感が襲ってくるかも知れない恐怖に緊張しながら必死に沈黙を貫く。こうなりゃ根競べだ。

 それから約2分ほど過ぎただろうか、不意に私の前に隅田さんがしゃがみ込んだ。

 

 

「どうして他を当たらないの?」

 

「どうせなら同じ学校で、それも女子の霊能者がいるなら友達になりたいと思いまして」

 

「……いつまでもそうされては困るから、顔を上げて」

 

 

 ……恐る恐る顔を上げる。相変わらずの死んだ魚のような瞳に、落ち窪んだ目元。ろくに手入れされてないざんばら髪。

 ヘアスタイルは蘇若ちゃんそっくりだなぁ、私もこのくらいズボラにしたら能力者になれるかな?

 

 

「お願い隅田さん 私……人より貴女の事尊敬してるの 力を貸してほしいのよ」

 

 

 隅田さんはぎりりと歯を鳴らすと、心底困ったように頷いた。私の自惚れでないとすれば、その時確かに表情の中に喜びも感じられたように思うのだ。



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「絵巻」「迷路」3

 放課後、私は隅田さんを伴って我が家へと帰宅した。

 よくあるベタな、家に着くなり気分が悪くなるみたいな事はなく淡々と靴を脱いでリビングへ向かう。その姿がいかにも自然体でお母さんやお姉ちゃんの緊張感が少しは薄れたようだ。

 インスタントティーとお茶菓子を出すと、私は早速興奮を抑えきれず隅田さんに説明を始めた。

 

 

「まず私たちのお父さんはホテルの支配人をしていてね 今回、そこで幽霊騒ぎが起こったんだ

で、別の霊能者の人に見てもらった結果、幽霊じゃなくて一見そうと思える呪いによる事件だと告げられたの」

 

 

 私の言葉を聞いていた隅田さんの片眉がわずかに下がった。どうやら反応からするに隅田さんも私の話は体系的に理解できているみたいで興奮する。

 主観ではあるけどアナタ、わかってるじゃないみたいな視線を受けつつ私は話を続ける。

 

 

「それで…成槻っていう人が捜査線上に呪者として浮上したの

でもね、お父さんはその人はもう二年前に死んでいるって!」

 

「……成槻の詳しい話を聞かせて」

 

「……そ、それが……今朝の事だったし、話聞く前にお父さん兎にも角にもホテル行っちゃって 仕事から帰ってきたら聞く予定でさ……」

 

「そう、じゃあそっちの霊能者の話を聞くわ」

 

 

 隅田さんは猫背を前方に伸ばして、恐ろしい角度の上目遣いで私を威圧するように見つめた。なんか罪悪感があるけどちゃんと話しておかないと解決しないかもしんないし、別に売るわけじゃないよ? ずけずけ聞いてきたって事は霊能者界隈でも同業他社に探りを入れるのはそんなタブーじゃないだろうし……ないよね?

 

 

「えっと、舞川蘇若ちゃんていって私たちと同じ中学二年生の女の子だよ

佐橋ビルってとこから来たんだけど、知ってる?」

 

「……知らないわ 興味もないし」

 

 

 ……きょ、興味もないのに聞くんですかい? 隅田さんの真意を量れないまま私はホテルでの一件、蘇若ちゃんの知見を述べていく。すると隅田さんはまるで嘲るような笑みを浮かべ、私の話を手で制した。

 

 

「その蘇若が怪しい」

 

「なっ……」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 

 話を聞いていたお姉ちゃんが飛び跳ねるように隅田さんに詰め寄る。

 そうだ、お姉ちゃんたちは実際に犯人と思しき者を見ている。

 

 

「私たちは今朝男に襲われたの! 確認した顔だって特徴が一致しているのよ!!

それを……あんな偶然やってきた小さな女の子が」

 

「蘇若という少女の中身が……魂が成槻とすり替わっているかもしれないの」

 

 

 ……言っている事が分からない。比較的オカルトマニアの私はまだ表層の意味は理解できるが、お母さんとお姉ちゃんは可哀そうなくらい疑問符を頭に浮かべている。

 

 

「無論根拠はあるわ 死霊となっても呪術を制御し続けるなんてかなりの大物よ ……そうなると一つ考えられる可能性がある」

 

「可能性?」

 

「魂の乗っ取り……侵魄(しんぱく)転生よ

霊といっても、それは構成するものが(コン)(ハク)に大別されるわ 魂は霊の精神性……心よ

魄は霊の肉体にして、自分の思考回路、電気信号を外界からガードするための防御壁 そして特徴としては現実の肉体と違って自由にイメージ通り変えられるところね

部位が欠損した幽霊が多いじゃない? あれは歩くのが面倒だから空中浮遊するために無くしているのね

侵魄転生はいわば卵の殻に針のような小さな傷をつけて侵入し、黄身を食べてしまうわけ」

 

 

 ……聞いている内に気分が悪くなってくる。死後の世界は確実に存在し、そう悪いものでもなさそうだ。

 そんなら死を恐れず誇り高く生きたり、体に悪いタバコを楽しんでみてもいいかもしれない。

 私も歩くのは面倒だし幽霊になったら手足を無くそうと思う。だが今重要なのはそんな事じゃない。

 

 毒虫を生きた人間の体内に押し込めるほど霊力の高い隅田さんが言う魂の乗っ取り。彼女と同格ないし、彼女よりも霊力の高い凄腕の男たちがその恐ろしい外法を行使しようと思ったら。思い立たれたらそれを防ぐ手立てが実質存在しないのだとすれば。

 街ですれ違ううら若き乙女の何人が中身おっさんなのだろうか?

 

 

「蘇若はこの事を指摘しなかったでしょう」

 

「……えと、マジ?」

 

「侵魄転生者かどうか、私なら会えばすぐに分かる」

 

「じゃあ呪いの話も全部デタラメとか……!?」

 

「富をもたらす呪いが制御を失って暴走状態にあるのは間違いないでしょうね

ただそんな事はもうどうでもいいわ なぜ推測の体で正直に成槻の存在を明かしたのか

倉田さんの父親に対する怨恨なのは間違いないけど……」

 

 

 余りにおぞましい予想に身の毛がそそり立つ。どうしよ、もしそうだったら……!! みんな殺されるの……?

 

 

「お、お母さんやお姉ちゃんが襲われたのはどういう訳なの?」

 

「……顔を印象付けるため 父親に確認したら成槻だと言ったんでしょう

要はさんざん普通の幽霊に人は襲えないと言っておいて、自分はその例外、強力な悪霊なのだと誇示したいのよ」

 

「そ、そう! そうだ、あの……その侵魄転生っておかしくない? 普通の幽霊って生きてる人間を直接傷つけられないんでしょ?」

 

「そうよ、だからやたらと起こせるわけじゃない

被害に遭うのは魄に……生まれつき隙がある人だけ」

 

「具体的にどういう意味?」

 

「言う訳ないわ……オカルト趣味だと言うなら自分で研究して発見したら?」

 

 

 ご機嫌で嘲笑するような面持ちから一転、苦々しそうな不機嫌に変わった。いうべき事は言ったという意思表示?

 つまりあれか? 隅田さんは……もし蘇若ちゃんが成槻だったら戦ってくれるという事なんだろうか。

 

 

「ね、ねえ 戦ってくれる?」

 

 

 酷く落ち窪んだ眼が据わった。腐臭さえ放つように濁り、淀み、腐った瞳が何事か訴えようと威圧してくる。私はその迫力に逃げ出しそうになりながらも必死で視線を合わせ続ける。

 どうせ死んだって死後の世界があるんだから、ここでビビる要素なんかないんだ。

 しばらくそうやっていたところ、遂に隅田さんの表情筋が沈静した。

 

 

「他人に命を懸けて戦えと言うからには……自分も命すら賭ける覚悟があっての事よね……?

私が敗死したなら…………倉田さんも道連れよ…… いいわね?」

 

「なっ……」

 

「満帆……!」

 

 

 お母さんとお姉ちゃんが口を押え、目を剥き隅田さんを睨む。

 ……私は深呼吸をゆっくり行った。

 

 

「いいよ 一緒に死のう! 隅田さん……!!」

 

 

 クソモブが隅田さんのような人と仲良くなるためには、それくらいの覚悟決めなきゃダメでしょうが……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ええと、なんというか……アタシは何でまほちゃんのパパからこんなにおもてなしされてるんざんしょ?

 ただ事件が再発してるか聞きたかっただけなのに……。

 

 

「さあさもっと食べてください! あの歌舞伎の総本家である舞川の御嬢さんをもてなせるなんて光栄ですよ!」

 

「はあ……」

 

 

 ホテルレストランのスタッフも支配人がいる事が滅茶苦茶気になってるし……ここにいるよりもまほちゃん達に早く会って確認したいんざんすけど。

 

 

「あの、アタシはまほちゃんに依頼を受けたんざんす その事で緊急にもう一度話がしたくって……」

 

「幽霊騒ぎの事ですね それでしたら今朝動きがありまして……」

 

 

 ……動き? 今朝っていうと、パパさんがホテルに来てすぐ……?

 

 

「妻と美奈が……同じ男に襲われたと 特徴を聞いた私はピンときた

……二年前死んだ成槻という部下なんです」

 

「成槻……!! ほ、本当に二年前ざんす?」

 

「ええ間違いありません、こちらが当時の記録です 帰宅したら家族に見せるために大急ぎで用意しました」

 

 

 渡された書類には不審点はなく、完全に当時に成槻の死が証明されていた。

 つまり……成槻は死んでいるのにここ最近まで呪いをコントロールできていたって事ざんす。

 

 

 

 

「……理由は不明ざんすが成槻は倉田さん一家を恨んでいるのかもしれんざんす

そして……死んだはずの人間が呪いを制御できていると知れれば、恐ろしい怪物としてあらゆる霊能者からマークされるから、このホテルごと潰して存在の隠蔽を……?

とにかく仲間に報告するので一旦この場はおいとまさせて……」

 

 

 ふいに肩を叩かれ、くるりと振り向く。やたら怖い落ち窪んだ眼の女子が、アタシを舐めるように見つめて口を開く。

 

 

「あんたが蘇若? あんまりにも未練たらしいから男かと思った」

 

 

 あ、キレちゃったざんす。座ったまま腰から白い巻物の結び目を解き、床に転がし広げる。それで、終わり。

 

 

「オンベイシラマンダヤソワカ」

 

 

 巻物から白光が迸り、5メートルを超す巨大なホオジロザメが宙に泳ぎでる。

 背ビレが七支刀と化したそれは目を見開き驚愕する女めがけて一直線に突進し背の斬撃を振るう。

 

 

「ちぃッ」

 

 

 ……目にも留まらぬ速さで避けられた。どうやら高位の霊能者か気道家、或いは鬼。

 徐々に頭に上った血が引いていくのを感じながら、それでも許せなくて目の前の女をねめつける。

 アタシとは目を合わせず、今はまほちゃんのパパをじっと見つめる根暗そうな女。

 周りがかなりの騒ぎになって、皆鮫から逃れようと蜘蛛の子を散らすが気にしない。

 血の一滴、肉の一片も残さず消滅させれば、何も証拠は残らんざんす!

 

 

「喰らい啜れ!! クーベラ・バキューーームッ!!!」

 

 

 鮫の口内が異界への入り口と化した。アタシは向かってくる鮫にダイブし、体内に潜行する。これでヤツは反撃不能……! そのままUターンさせ、目の前の敵を鮫のエサにしようとして……。

 

 

「なっ、何で俺に……!!」

 

 

 まほちゃんのパパがその言葉を最後に、鮫に上半身を喰い千切られた。

 

 

「いやあああああぁぁぁあああ!!! お父さん!!」

 

「終わったわね……」

 

 

 やった。やってしまった。アタシは恐る恐る振り向き、倒れてはいるものの体がちゃんとくっついたパパさんを視界に収めた。……あれ? 今確かに……。

 

 

「その巻物、敵を探知、追尾することもできるのね……粘着質で悪趣味な武器だわ」

 

「あ、れ……今食べられて……え?」

 

 

 鮫から飛び出し、倒れたパパさんに急いで駆け寄る。外傷は一切ないざんすが、虚ろな目で全く反応を示さないざんすね……。

 

 

「魂を搾り取られていたのは……蘇若ではなくて隣にいたオヤジだったわね」

 

「え? じゃ、じゃあ……今鮫に喰われたのって成槻?」

 

「飲み込みが早いわね」

 

 

 アタシを置いて得心顔で頷く二人。なんだかこういう場面イヤざんす……。

 それとなく耳をそばだてて居ると、何やらのっぴきならない状況であることが分かってきた。

 

 

「……問題は倉田氏の意識ね 意識を取り戻すとしても限りなく自己肯定感が低く、薄弱になっている可能性が高いわ」

 

「え、なにそれ!? お父さん生きてるし……成槻の魂だけを攻撃して殺したってことじゃないの?」

 

「…………成槻は完全に死んだわ」

 

「蘇若ちゃんが、お父さんの魂まで傷つけたって事!?」

 

「違うわ……今の彼は、24時間クレーマー対応をする生活を何日も続けていたようなものよ

だから完全に心が死んでいる 意識を乗っ取られるという事は常に他人に命令され要求を飲まされるのと同じ」

 

「……そういう意味で心が傷ついているんざんすね?」

 

 

 まほちゃんと根暗がこちらを見る。アタシはもう一巻の巻物を広げ、呪文を唱えた。

 

 

「オンマカキャラワソワカ!」

 

 

 黒い巻物から小槌を持ったウサギが現れ、パパさんを小突く。

 

 

「……鮫とウサギ、因幡の白兎と七福神の融合ね」

 

「ご明察ざんす~ 我が家の宝物庫から持ち出した一等品ざんすよ! ふんっ!」

 

 

 無い胸を張って精一杯嫌味ったらしく自慢する。まったく無反応なので傷ついたのはこっちざんすけど。ちくしょおお……!!

 それはそうともうそろそろ目覚めるから鮫とウサギをしまわないと……。

 

 

「う、ぅ……私、は?」

 

「お、お父さん!?」

 

「…………今何月何日か、分かる?」

 

 

 根暗の落ち窪んだ眼の迫力に一瞬気圧されたパパさんは、しどろもどろに不正解をこぼした。もう一か月は前ざんすね……。

 

 

「そうか……成槻くんはもういないか」

 

「倉田さん、自分を乗っ取った相手が憎くないんざんすか?」

 

 

 そう聞くとまほちゃんパパは俯いてぽつぽつと話し始めた。

 

 

「私が……私が悪いのです すでにご存知でしょうが成槻くんは二年前、会社の為とはいえホテルを手に入れるために超常現象で悪事を働いていた

私はそれを知って……呪詛返しの法と呼ばれる簡単なお祓いをやってしまった」

 

「それって、蘇若ちゃんから聞いたやつだ……!」

 

「ああ、なるほど それで成槻が死んじゃったんざんすね」

 

「まさか死ぬとは……殺すつもりまではなかったのに!」

 

 

 これはしょうがない。呪いとはそういうものなんざんす。

 そうか、成槻は死後呪いを制御できていた訳じゃなく、呪詛返しで死んだから呪いが消えていたんざんすね。

 しかしそうなると……さっきの会話でなんとなくは分かったけど、幽霊による意識の乗っ取りがあるなんて。

 しかもそれによって呪詛返しで消えたはずの呪いまで復活するなんて。

 まだまだアタシも井の中の蛙かぁ。

 

 

「彼の復讐心も尤もです 意識を乗っ取られた一ヶ月あまり……少しでも贖罪になればよかったのですが

……いえ、今更意味のない事ですね」

 

 

 その後ショックで足元がおぼつかないパパさんはボーイたちに肩を貸してもらいベッドへ。すぐに救急車で搬送された。

 レストランにはアタシたち三人が残された。

 

 

「……アタシは帰るざんす」

 

「あ、蘇若ちゃん! こっちの子は隅田夜更さんだよ

えっと……蘇若ちゃんに男って言ったのは勘違いで……」

 

 

 勘違いなら、何を言っても許されるざんすか……? その言葉を飲み込み、ゆっくりと隅田に頭を下げた。

 

 

「……いきなり襲い掛かって悪かったざんす」

 

「……別に…………」

 

 

 キイイィィイイ!!! このアマ! この根暗!!

 もう知らんざんす!

 

 

「隅田さん! 蘇若ちゃん怒ってるし、男と間違えられるなんて乙女にとって死ねより傷つく侮辱だしぃ……謝った方が……」

 

「……そんな必要ないわよ だって半分以上自分に怒ってるもの」

 

 

 ……。なるほど。

 握りこぶしを解いて、アタシは項垂れた。

 

 

「こりゃ一本取られたざんすね 自分でも納得したから……満帆ちゃん、気を遣わなくていいざんす」

 

「そ、そう? じゃ、じゃあさ……この三人でたまに遊んだり」

 

「「は?」」

 

「……なんでもないっす」

 

 

 ややあってからホテルを後にして、ムカつきの正体を正確に捉える。

 アタシは女ざんす。でも……できるなら男でもありたかった。

 それにしてもアタシもガキんちょざんすね、キレて殺人未遂だなんて……。猛省しつつ自分の幸運に感謝し、無い胸をさする。

 ……乳首と周りだけがぽっこりと隆起し、その存在をささやかに主張する。アタシは歌舞伎に未練はあっても男に戻りたいとは思わない。

 アタシは女のアタシにしかできないことを、きっとやり遂げてみせるざんす!



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妖人類 1

「……終わったぁ」

 

 

 最後の荷物である掃除機をダンボールから取り出し、部屋の隅に置いて一息。

 引っ越したばかりの安アパートの一室は大仕事の甲斐あってそれなりに生活感を醸し出すことに成功していた。

 もっとも引っ越す以前も似たようなアパートであったから高揚感や新鮮味はない。

 港区内の一部において頻発する死亡事故を防ぐため、エルアさんと相談して俺は長期に渡りビルから離れたここに住むことにした。

 この事故、火災、交通、転落、落下物と共通点がない偶然が重なり続けている。調査、処置は困難を極めるだろう。

 とはいえ報連相は大事だ。あんまり佐橋ビルに顔を出さない訳にもいかないから時々帰らねえとな。

 

 

「緋色……めんどう、くさそう?」

 

「ハナちゃんは張り切ってるみたいだな まあマナ? を補充できるから当然なのか」

 

 

 俺の隣にちょこなんと座っている慈愛に満ちた表情の金髪幼女。エルアさんによって発見された妖人類の一人で桂花嫁(かつらはなよめ)と名付けられた。

 同時に発見されたリリアナは最初アメーバ状の非知的生命体だったが、このハナちゃんは人種以外はほぼ今と変わらない状態で、七万年前の記憶も少しだけ残存していたという。

 

 

「うん……それもある けど」

 

「けど?」

 

「皆……苦しんでるから……助けたい」

 

「ハナちゃんは優しいな それじゃ早速ここの地脈を枯渇させにいきますかねっと」

 

 

 取るものもとりあえず、俺たちはアパートを出て問題の地域に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 吸血されている最中にこういう事考えるのもどうかと思うけど。蕎麦を啜るような音立てられたら幻滅するよなぁ。もっとゴスロリファッションに見合った厳かな感じで吸ってくださいよ。

 

 

「情成、いくらお前……鬼だからって、そりゃどうかと思うぞ」

 

「じゅううぅ~~っ! ぢゅっぢゅっ♪」

 

 

 慶代さんにドン引きされつつ首筋にリリアナさんの牙がますます食い込む。頸動脈に直にかぶり付く彼女の表情を伺えば、酔いが回ったように艶やかな笑いを浮かべていた。対照的にこちらの背筋に悪寒が走る。

 

 

「り、リリアナさん? 一応死なない程度でお願いしますよ! 献血死なんて間抜けな最期を迎える気はないんで!!」

 

「んぅ~~~? ……にゅふふふっ♪」

 

 

 分かってなさそう! 俺のいう事理解して!!? や、やばい……事前にレバーを食べまくったけどどこまで効果があるか。

 

 

「だいたいリリアナ 前から聞こうと思ってたんだがどうしてわざわざ吸血鬼になったんだ? 他にも無害で太陽死する危険がないやつもあったろ」

 

「ぢゅっぱぁ! それはもちろん一番外見が都合がよかったからもえよ?

白く透き通った肌、見とれるほどの美貌、耳もそんなに尖ってないし角も生えてない!

現代において吸血鬼のイメージは他のどの幻想種より人気で洗練されてるもえ」

 

「……リリアナさんて後から吸血鬼になったんですか?」

 

「情成くん、ご馳走様もえよ ……リリアナは世間の抱く幻想種のイメージで補強しないと肉体を維持できないもえ だからリリアナはぁ、みーんなが抱く美少女吸血鬼への憧れそのものもえ!」

 

 

 可愛くポーズをとってこちらに快活な微笑みを浮かべるリリアナさん。

 吸血鬼ってもっと沈美で落ち着いてるイメージなんだけどなぁ。元気良すぎで素直すぎるよね。

 そこまで思考してふと気付く。リリアナさんは世間のイメージで補填すると言った。そして太陽が致命的だという事は外見だけじゃなく能力まで影響を受けるようだ。ならば……。

 

 

「吸血鬼に血を吸われたらしもべになるって話も聞いたことあるんですけど、もしかしてそれも」

 

 

 そう口に出した途端リリアナさんは悪戯っぽい笑みを浮かべ、手を差し出した。

 俺は極々自然に跪き、手の甲に軽く口づけをする。……謎の強制力により、である。

 

 

「げっ!?」

 

「おいリリアナ!」

 

 

 青い顔をする俺と慄く視線を投げる慶代さんを意に介さず、リリアナさんはアブない表情で恍惚に浸っている。やばばばば、暴君誕生の瞬間を見たかも。

 

 

「リリアナ、男の子を今弄んだもえね? な、なんかとっても……カ・イ・カふぎゅっ!!?」

 

「やめなさい 二度としちゃいけないぞ」

 

 

 エルアさんのゲンコツが容赦なくリリアナさんに鉄槌を下す。いくら人間じゃないからって体罰は良くないと思いますよ……。心の中で宥めるも当然伝わるはずもなく。

 相変わらず険しい仏頂面を更に厳めしくしながらリリアナさんに怒気をぶつけている。

 

 

「ご、ごめんもえなさいぃ……二度と! 二度としないもえよ……」

 

 

 そう言ってリリアナさんはすぐに棺桶に引っ込んでしまった。うーむ、父の威厳だな。

 吸血鬼か、そういえばリリアナさんと卿燐さん、花嫁さんは姉妹だと言ってたな。ということは他の二人も人間じゃ……ないのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハナちゃんの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。男子高校生と外国人の幼女が仲良くおてて繫いで歩いているところを見ると、誰もが一瞬怪訝そうな顔をするがすぐに目線を逸らし雑踏に消えていく。

 俺たちは普段不仲というわけではないが、できるだけお互い意識して笑顔で心底幸せそうに会話するよう努力していた。

 

 ここまで仲良さそうにしていれば誘拐や連れまわしではないと分かってくれるからだ。

 逆に言えばそこまでしないと俺に限らず他の男連中はハナちゃんと気軽に外出すらできないのだが。

 悪いが慶代とかにゃ一生無理だろうよ。

 

 

「ハナちゃあ~ん なにか食べたい物あるか~?」

 

「ううん、食べなくて……いいよ」

 

「なんでも欲しいもの買ってあげるよ~~」

 

「これといってない……かな」

 

 

 これ傍から見たらバカップルじゃねえか? もっと家族らしい会話した方がいいんじゃね?

 餌付けするっていかにも変態紳士の幼女の愛で方だよな。だが彼女は一万歳を超えているので名誉幼女とでも言うべきだろう。年上女性を餌付けして何が悪いってんだ。

 

 

「君たち、ちょっと待ってくれ」

 

「ん? なんす……か?」

 

 

 俺たちを呼び止めたのは人好きのする憎めない顔のお巡りさんだった。

 おいおいなんだってんだこっちはこれ以上ないくらい仲良くしてただろうが! 俺の内心の焦りも関係なしにお巡りさんは俺たちを見比べて生真面目そうに引き締めていた口を開いた。

 

 

「平日の午前中に……高校生と児童が一緒にどこへ行くんだ? 良ければ聞かせてくれないか」

 

「俺ら従兄妹同士なんですよ 今日はこのハナちゃんの小学校が創立記念日でですね

俺通信制なんで子守り役してるんです」

 

「うん 緋色は……お兄さんだよ?」

 

「そうか、済まなかったね 最近この辺りは事故が頻発していて物騒なんだ

予定を変えられるなら別の場所で遊んだほうがいいよ」

 

「事故が頻発って……事件じゃないなら単なる偶然でしょう?」

 

「……確かにそうかも知れないが、偶然が重なるのにはそれなりに理由があると思うんだ

交通事故ならドライバーが不注意を起こすような要因、落下事故、火災事故にしても同じだ

俺はそれが分かるまで事故を未然に防ぐために最善を尽くしたい ……聞き入れてはくれないかな」

 

 

 愛嬌のあるトボけた顔とは裏腹に真剣な表情で語るお巡りさんに、内心でかなり歯噛みする。

 俺たちがやろうとしてる事を見られたら、逆に俺たちが事故頻発の元凶と疑われかねない。表向きはよそで遊べと言われて不機嫌になったクソ餓鬼を演じつつ思考を巡らせる。

 俯き加減で視線を泳がせていると、胸の三つ並んだ同じ勲章に目がいった。

 

 

「……これ、警察協力章……?」

 

 

 警察協力章は警察庁長官から民間人に授与される勲章で、警察外の人間の高い功績を称えたもの……だ。

 

 

「ちょいちょいちょい待った!! え!? あんた警官のコスプレして何してるんですか!?」

 

「ああ、この格好かい? 俺の名前は唐橋走志郎、自主警察というのをやってるんだ」

 

「自主、警察……??」

 

「そうだな……緋色くん、君は警察という言葉の由来を知っているか?」

 

「い、いえ」

 

 

 警察の由来……? そりゃあ、警備する警察……警がかぶっちまった。

 

 

「警は事件、事故への警戒を意味し、察は事件、事故が起こり得る原因を査察し未然に防ぐことを意味している

俺は警察の不十分だと思う部分、"察"の役割を果たしたいんだ

そうしたらもっと皆が安心して暮らせるだろうし、事件になる前に気軽に相談してくれる人が増えると思うんだ」

 

 

 よく言われる罵倒だ。……警察は事件が起こってからしか動かない。

 対応が後手後手、救える命を救わなかった。色々言いようはあるが全部同じ意味だ。

 

 

「でもよく協力章のことを知っていたね?」

 

「知り合いが……ちらほら持ってるんですよ さすがに一人で三つ手にしたやつはいませんが」

 

「走志郎は……えらいね」

 

「どうもありがとう! ええと、ハナちゃん」

 

「でも……よそで遊ぶのは、だめ……かな」

 

 

 にこやかな笑みを浮かべつつもハナちゃんは強い意志を持った瞳で走志郎さんを射抜く。その瞳にある種剣呑なものを感じ取ったのか、膝を折りハナちゃんと目線を合わせていた走志郎さんは眉をひそめた。

 

 

「……どうして駄目なんだい?」

 

「わたし達じゃないと……解決、できないみたい?」

 

 

 ハナちゃんの疑問形は半分答えでありもう半分は要求だ。自分たちじゃないと解決できないはず……いや、自分たち以外でも可能かな? という意味ではなく、自分たちにしかこの件は解決できない。だから引き下がって欲しいんだけど返事は? という意味だ。

 一分も経っていないだろうが、長く長く感じられたにらみ合いは突如として終わりを迎えた。

 

 

「! すまないが怪しい車を見つけたからここで失礼するよ 変な無茶はしないようにね」

 

 

 その時の目つきの素早さ、眼球の細かな動きは目を見張るものがあった。恐らく目の端に一瞬通りかかったそれを目ざとく見逃さなかったのだ。

 走り去っていく走志郎さんを見つめながら俺は安堵した。あの洞察力だ、もしかしたらにらみ合っているうちにハナちゃんが人間ではない事に気付いてしまうかも知れなかった。

 

 

「……いこっか、緋色」

 

「そうだな! さっさと済ませてとっとととんずらだ」

 

 

 ハナちゃんに手を引かれ走る。この子は目立つもののレーダーの役割で同行した。俺一人で何週間かかけて処置をするのだが、さすがに最初からマナの吹き溜まり(佐橋ビルに接触する以前の俺の常識では地脈と呼ぶ)を特定するには手間暇がいる。

 それをこのハナちゃんは肌で感じ取り鼻で嗅ぎ取ることができる。毎度思うが反則級の人材と称賛していいだろう。

 後かわいいし、滅茶苦茶かわいいし! 金髪幼女最高!!

 

 

「緋色……どうか、した?」

 

「えっ!? いやなんでもねえよ、うん」

 

 

 慌てて後ろで纏めた髪をガシガシと掻いて誤魔化す。あっぶね、今かなりアレな顔してたんじゃないだろうか。ハナちゃんはくりくりとしたおめめを慈愛たっぷりに細め、それ以上の追及はしないようだ。

 そうこうしている内にハナちゃんが立ち止まる。身長差のあるハナちゃんに手を引かれていたので、若干前のめりになっていた俺は姿勢を正して前方に目線を戻した。

 そこには今にも崩れ落ちそうな廃ビルがひっそりと佇んでいた。東京府の中でもまだ栄えている方である港区にこんな建物があろうとはな。

 

 

「ここだな……えっと、やっぱ事故の原因てマナが願いを叶えているからか?」

 

「うん……この辺り、ごく小さな事でも……他人に殺意を抱く人、多すぎ?」

 

 

 最後が疑問形で終わったって事は、元々住人の層に問題があるんだから一度枯らせた後も定期検査を怠らないでね? って意味だろう。

 古代の育ちだからなのか、言葉そのものより言外の雰囲気で気持ちを伝えようとするのよな。不満なんてないけどやっぱり異文化の人なんだなって改めて思う。

 

 思考が逸れたな……。他人に簡単に死ねと念じる人が多いせいでマナが反応し死亡事故が頻発している、ここまではいい。だがそれだけの願いを叶えれば相応にマナは消費されるはずだ。

 

 

「この世界にそれだけのマナが溜まってるなんて、あり得るのか?」

 

「二つ……原因は考え得る、かな 一つは……憎んでいた人が思い通りに死んだと知ったら、その次を求めるから……」

 

「なるほど つまり恨み憎しみは"一回分"が長い訳だな」

 

「その通り、だね お腹いっぱい食べたい、なら……満腹になったら、終わりだよ

でも、際限がない……感性の、問題」

 

 

 ふとした事で殺意を抱くような人間だ、その殺意を向ける相手は下手すれば二桁に届くだろう。

 ましてそれが複数人なら……下手したら港区が滅ぶだろうな。

 

 

「二つ目は……可能性は低い、けど わたし達の仲間が……いる、かも?」

 

「そりゃあ……低いだろうな こんな日本の街中に」

 

 

 エルアさんは世界中の危険とされる地帯も探検してきた。だからこそかろうじて生きていたハナちゃん達を救出できたんだ、こんな場所にぽんぽん居られてたまるものか。

 だが、と目の前の廃ビルを見上げ思う。隠れ場所にはかなり適しているように思えるのも確かだ。

 基本的にここまで来たら後は管を接続するだけでいいんだが……低いとはいえ一応確認してみるべきだろう。

 

 

「中を調べてみるか」

 

「うん……崩れたときは……お願い、ね?」

 

 

 ハナちゃんの上目遣いに頷くと、俺たちは廃ビルの中へと足を踏み入れた。



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妖人類 2

 怪しい車両を見かけ呼び止めてみると、なんとドライバーの意識が半ば混濁していた……いや、茫然自失していたと言った方が適切な有り様だった。信号待ちの時大声で何度も呼びかけてハッと我に返ったほどだ。

 今はだいぶ落ち着いてきたようなので通行人の知り合いに運転代行をお願いし病院へと向かわせる。

 

 

「では、ご自愛ください これから安全第一でよろしくお願いします!」

 

「は、はい ありがとうございますお巡りさん……あのままだと大事故を起こしていました」

 

 

 それは決して大げさな言い様ではないだろう。呼気からアルコールも検出されず、またそういう症状を引き起こす持病の経験もない。

 心底恐れ慄いていたドライバーは終いには最近この辺りで起こっている死亡事故に触れて、人の意識を奪うウィルスが空気中に蔓延しているのでは? とまで疑っていた。

 

 

「一体何が起こっているんだ……」

 

 

 そういえば怪しい二人の子供に避難を勧めていたことを思い出す。

 俺の勘が告げている。あの子達、いや正確には白人の女子児童だ、彼女には何か不思議な気配を感じた。

 彼女……ハナちゃんの瞳の奥には言い知れぬ寂寥感(せきりょうかん)と諦観が入り混じっているようだった。

 まるで足腰立たなくなった老人の服役囚に、今更誤審だった事が告げられ刑務所から放り出されたような……。いや、何を考えてるんだ俺は……? 相手は子供じゃないか。

 

 二人の進行方向を見やり向かうかどうか逡巡する。

 向かった方がいいのは決まっている。だがその行動を躊躇わせているのは、生命の危機を感じているからだというのか?

 今まで本能的に二の足を踏む状況に介入してきた事は少なくない。その時振り絞った勇気も並大抵のものではなかったが、あの娘の瞳を見つめてから追いかけるのには何故か更なる勇気が必要らしい。

 

 

「ウ、ウ……ウオオオオオオ!!!」

 

 

 突如叫んだ俺に周りの通行人が驚く。だがそんな事は気にしていられない、気合を入れたことで金縛りのようなものが解けたのだ。

 走れ! そう考えると同時に体は思い通りに全力で動き出す。たとえ何が待っていようとも首を突っ込まなければ始まらない。察するためには近づかなければならない。

 己の中の警鐘を鳴らす部分を半ば押し切りつつ、確たる理由も無く、しかし全力であの二人を捜索に走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鉄サビの臭気が鼻をつく廃ビル内で、俺たちは他に誰かいないか慎重に探っていた。転がった鉄筋やドラム缶の陰も一応覗き込む。

 まずないとは思うがここに妖人類が潜んでいて、マナを蓄え力ある姿を取り戻そうとしているなら放ってはおけない。

 

 この日本の一般的な常識において、ドラゴンやらペガサスが暴れまわったら混乱どころの騒ぎじゃない。株価暴落企業倒産、治安崩壊政権転覆などもう考え得る限り最悪の未来が待っているだろう。

 それだけに僅かでも可能性があるなら見逃しは許されないのだ。俺が日本滅亡の戦犯とかほんと笑えない。

 もしそういうやつが居たのなら保護して、リリアナのように適切に教育を施して守るべき常識を刷り込まなきゃいけない。

 そういう意味でもハナちゃんの存在は本当に欠かせないな……。たとえ世界滅亡の時がやってきたとしても、この子を確保している限り佐橋ビルはその滅びを相当遅らせられるだろう。

 

 

「緋色……時間がない、かも?」

 

 

 跳ねるように振り向くと、ハナちゃんの顔半分からビッシリと棘状の木の枝がぞわぞわと生え出していた。瞳も爬虫類特有の形状に変わり、舌はとてつもなく長く胸の辺りにまで垂れさがっている。

 その(ブレス)は一目で高温と分かるように、荒い息遣いとともに辺りの鉄を焦がし、陽炎を生み出している。

 

 まずい、どうやらここはマナが濃すぎるらしい。俺は遠慮なく吸い尽くしてもいいと判断を下すと精神を集中する。

 早いとこ枯らさなければハナちゃんがこちとら見たくもない七万年前の雄姿を取り戻しちまう。

 俺は咄嗟に両手の十指をぴんと伸ばし、半透明に透けた朧げな毛細血管を指の外に伸ばした。間もなくして地脈のラインにぶつかった事が視覚ではなく触覚で分かった。そのまま強制的にマナの勢いよく流れる血管のような地脈に自分の血管を食い込ませる。

 

 

「うぐおおおっ……!!?」

 

 

 俺の体が藍色に発光し頭蓋骨がわずかに突起し始める。マナが俺の体に影響を与えているのだろう。

 だがその程度だ。ハナちゃん曰く人間という種族は体質的にマナとは無縁の人類だからこそ七万年前にマナが枯渇した際生き残ることができたんだそうな。

 元からひび割れるほど渇いた大地に水を流し込んでも、半端な量じゃ潤わない。

 だからこの程度の総量ならば、吸い尽くすのは造作もないぜ!

 

 

「ありがとう……緋色 治まってきた」

 

「よ、よかった……」

 

 

 地脈にもうマナが残っていない事を確認する。毛細血管を引き抜き意識を集中させ体内に収納して、額の汗をぬぐい俺は口を開いた。

 

 

「しかし……繋がって分かったが、ここにマナが自然に溜まるなんて不可解だな

もうマナって勝手に生み出されることはないんだろ?」

 

「断言は……できない、かな 分からない、けど……」

 

 

 分からない、か。まあしょうがないよな、当時の事を全部覚えてる訳じゃないし。

 それに収穫もあった。ハナちゃんが変化するレベルの濃度なら他の妖人類も同様のはず。その上で事故多発の時期から周辺で妖怪人間染みた目撃例が全く聞こえてこないというのは、ここに潜んでいる可能性を否定する。もし仮に、万が一驚異的な速度で現代に順応し、慎重すぎる性格だったなら一度も姿を晒していないのも考えられるが……その場合は南無三としか言えない。

 

 要は……原因らしい原因もなくただマナが溜まっていたという訳か。どうにも腑に落ちないが第一の処置は終わった。この後は第二の処置。

 つまり数週間かけてマナが溜まりにくいように地脈を変形させる処置を行うのだ。

 面倒くさいし時間もかかるがこれで報酬を貰っているので我慢するしかないだろう。

 

 

「ななななな……!!!」

 

 

 ……ん?

 

 

「何を発光しているんだ君はあぁぁああッ!!!?」

 

「なんっ……! 走志郎さん!!?」

 

 

 やべえ。見られた。硬直する俺を尻目にハナちゃんの行動は早かった。ヒュッという短く息を吸う音が聞こえるが早いか、口から轟と空気の砲弾を吐き出した。

 それはまるでエメラルドのように輝いていて、よく観察すれば透き通った蝶の群れが砲弾を形成していて。

 思わず俺も走志郎さんもただそれに一瞬忘我し見惚れていた。だが砲弾であるがゆえに、最後は走志郎さんに着弾しすさまじい爆音と衝撃波を辺りにまき散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……うん……?」

 

 

 ……俺は、寝ていたのか? 一体いつ……?

 駄目だ、思い出せない。まだ意識がぼやけているようだ……。

 手をグー、パーと開いて閉じてを繰り返し体の覚醒を促す。その内に体の自由を取り戻し、重い瞼をゆっくりと開いた。

 

 

「気が付きました? いやあ驚いたっすよー いきなりブッ倒れるんですもん」

 

「君は……そうだ、二人組の……」

 

 

 そう、緋色君だ。そして従妹のハナちゃん……。まだ記憶がぼやけているがとにかく前後の事で憶えているものはある。

 例の症状に見舞われるもなんとかこの二人に追いつくことは出来たようだ。

 

 

「そうだ……君たちが廃ビルの中で、階段を上がっているのが見えて……」

 

「廃ビルっすか? 俺たち知りませんけど」

 

「……え?」

 

 

 慌てて辺りを見回す。そうだ憶えている。景観的に他区ならともかくかなり奇異な廃ビルだった。場所もこの裏手の奥まったとこ……。

 

 

「なっ、ない!? ビルが……ビルが!」

 

「走志郎……ビルって、なんのこと?」

 

 

 可愛く小首を傾げて見せるハナちゃん。その顔に俺は先ほど感じていたはずの疑念と警戒が己の中からなくなっているのに気付いた。今はただ儚く、将来とても美人に育つであろう大輪の花の蕾だ。

 切り返す言葉が見つからない……。ビルが、跡形もない。

 

 

「しっかりして下さいよ ここにビルなんか元々ありませんでしたよ?

嘘だと思ったら近隣住民にも聞いてみてください」

 

「え、ぁ……」

 

「走志郎……大丈夫?」

 

 

 俺もか……? あのドライバーと同じように? 眉間を揉みながら思考の海に没頭するも、確かに廃ビルの中にいたこの二人を見たはずだ。ここまでじっくり考えて勘違いとも思えないということは俺は今異常な状態なのだろう。

 

 

「色々済まなかったね……俺はこれから病院に行ってくる 介抱してくれてありがとう!

おかしい事を口走らないうちに君たちも帰りなさい」

 

「ええ、その……なんです 俺らもすぐ帰るところだったんで どうかどこも異常なくご壮健で!」

 

 

 緋色君も帰り支度をすでに整え俺につられて敬礼する。ハナちゃんもにこにこと上機嫌でぐずる様子は見えない。受けた印象まで妙に素直に思えるあたり、自信があった記憶力もやられているのかも知れないな……。

 

 

「……ま、診察代無駄にするだけだがな」

 

「え?」

 

「あぁ何でもないっすよ! じゃあさいなら~っ!!」

 

 

 何か呟いたようだったがそそくさと走り去ってしまった。元気な子達だな……。俺もこの場を去ろうとした時、ふと視線を落とした事でそれを発見した。

 ……葉っぱだ。黄金色に煌めくとても美しい葉だった。

 

 

「なんの葉だろう……?」

 

 

 独語する疑問に、誰も答える者はない。ただ持ち上げたとき、その宝石のような輝きが一瞬増したように思えた。



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「終末」「可動」1

 ガチガチと打ち鳴らされる骨があった。ギチギチと軋む骨があった。おおよそ人間の奏で得る音の中でそれは特別に不協和音で冒涜的だった。

 誰かの血が舞い、脳漿が漏れ出て臓腑が引っ掻き回されていた。そうしたくてそうしているのではなく、その場から移動するのに彼女の体ではそうせざるを得ないだけなのだ。

 顔が熱い。口元が綻ぶ。心臓が歓喜に高鳴った。こちらをじっと見つめつつ、蜘蛛を思わせる多足的な動きで引きずる様に犠牲者から離れて―――。

 

 

「見たな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しく駅前にできたケーキ屋の包装箱を手に提げて事務所へと向かう。

 いつも社員の数にはムラがあって、とりあえず十五個も買っておけば皆に行き渡るだろう。余ったら成美さんや智余先生に持って行こうかな?

 

 代り映えしない街並みや興味を惹かれない通行人を横目に気持ちだけが逸る。早く佐橋ビルに着かないかなぁ。

 親兄妹には悪いが近いうちに佐橋ビルの近くに引っ越させてもらおう。念願の一人暮らしもそうだし高校だってもっと佐橋に近いとこがあるはずだ。

 そういえば鬼の一人がここらに住んでるって言ってたな……。まだ会ったことないけど会うのが楽しみっ。

 スキップでもしながら向かおうかなどと思った矢先、携帯の着信音が鳴った。

 

 

「! レイーノちゃん……? はーいもしもーし」

 

『情成しゃん、はよーね』

 

「はよーね ワープして欲しいの? 今ちょうどヤスギスーパーの前だけど」

 

『おねちまー』

 

 

 その言葉を聞いてから視線を若干落とし周りを見渡す。すると歩道の前方に僅かに発光を確認したので、人目を注意深く避けながら目標のマンホールに向かった。

 自動車も通行人も絶えた一瞬を見計らって蓋の閉まったままの円にダイブする。

 

 

「よっと」

 

「来たな」

 

「君が深口君ですか! ぼくは亀沼則夫といいます」

 

「えっ! 深口情成です……」

 

 

 まるで不意打ちのように挨拶されて面食らう。顔を上げると俺より少し背の高い少年が背筋をピンと伸ばして立っていた。

 髪は真ん中で分けていて、いかにも育ちのいい真面目な人という印象だ。

 

 

「ぼくも君と同じ鬼でしてね 盲目の盲で"盲鬼"です」

 

「盲鬼! へぇーっ、俺は鈍重の鈍で鈍鬼ですっ!」

 

「これからどうぞよろしくお願いしますね ……さて深口君、これからぼくと慶代君と君で特別チームを編成します」

 

「チーム……なんのチームでしょう?」

 

「最近連続で猟奇殺人事件が起きてるだろ そいつを調査するチームだ」

 

 

 亀沼くんも慶代さんの言葉に頷き、その言葉を飲み込んで事態を把握した。新聞で報道されている内容を鑑みるに正常な神経ではないだろう。

 被害者はいずれも原型を留めずミンチ肉にされていたというから相当だ。なるほどまだ見ぬ仲間の憐れむべき愚行である可能性も高いし、エルアさんが留意するのも分かる。でも少し引っかかりを覚えることも確かだ。いそいそとケーキの箱を久遠さんに渡すと、亀沼くんに部屋の隅のパイプ椅子に誘導された。

 

 

「質問してもいいですか?」

 

「ええどうぞ あぁそれと深口君、ぼくにはレイーノに対するように自然に話してくれて構いませんよ」

 

「そう? じゃあそうするね! それで質問なんだけど、これほど凶悪な事件の調査なら皆でやった方がいいんじゃないかな

この犯人ならこれからも事件は重なるだろうし、その方が早く解決すると思うんだ」

 

「……ふむ、慶代君の仰る通りの人ですね」

 

「だろ」

 

 

 なんか呆れられてるような気がする……。なんだよそんなにおかしい事言ってる?

 

 

「深口君はかの漢政優護(からまさゆうご)をも赦そうとしたと聞き及んでいますよ

犯人に対して敵意は無いのですか? もう八人目なのですよ?」

 

「あー、特別に編成ってそう言う…… 大抵の社員は義憤に駆られまくっている訳ですね」

 

 

 ちら、とケーキに群がるメンバーを見てため息をつく。どうも最近サイコパス扱いがデフォになってきていると思う今日この頃。

 

 

「たりめーだクソミソ 俺も怒ってない方に括るんじゃねえ」

 

「慶代さんはキレ散らかしてる方が異常的に都合がいいじゃないですか」

 

「だからってバーサーカーになるつもりはねえ 俺を何だと思ってんだてめえ」

 

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らすと、慶代さんは席を立ち一階への階段を昇って行った。やれやれ一息つく暇もないや。俺と亀沼くんもすぐ後に続いて事務所を去る。どうやら向かう場所はもう決まっているようで、俺はただついていくのみだ。

 

 

「今回突然チームが組まれたのは、有力な手掛かりが掴めた為です

事件現場でキャッシャー付きのベビーベッドが目撃されているんですよ」

 

「それはまた怪奇だね~ でも新聞にはそんな事書いてなかったよ?」

 

「そうでしょうね 警察は把握していない情報ですから」

 

「何でそれをウチが把握してるんですかねぇ……」

 

裏天街(りてんがい)の凄腕霊能者が発見したそうです 流視(るみ)さんとはもう会われてるんですよね?」

 

 

 裏天街ってことは敷島流視(しきしまるみ)さんの仲間か。あの地下に押し込められた街に正直いい印象はないけど。

 

 

「うん、漢政討伐の時に ……流視さんは違うけどさ、あそこに住んでる人たちって基本レイシストだから嫌だよね」

 

「レイシスト…………レイシストって言いますかアレ? 外国人はついでで住処を奪ったお上りさんを嫌ってるんでしょう

ぼくが聞いた話では終戦より後からやってきたお上りさんの家系は全員、古くからの江戸っ子の家来になるべきだとかなんとか、酒呑みながらのたまっているそうです

……さすがに本気で言ってたら人間じゃありませんよ」

 

「そんな事言ってるんだ……」

 

 

 三人で歩きながら色々な会話をしているとあっという間に時間が過ぎていった。そしてやってきたのは事件現場近辺で最も大きく人気なベビー用品店ベイビーランドだ。目撃されたというベビーベッドから連想される妥当な調査場所ではあるな。

 エレベータ付近のソファに座り缶ジュースを飲みつつ視線と小声を交わす。

 

 

「でも記録やら何やら調べるのに、まず気づかれずに潜入しなきゃならないよね」

 

「その点はご心配なく ぼくの肉体異常で欺いてみせますので」

 

 

 俺にだけ見える角度で亀沼くんが手を突き出すと、みるみるその手が透明になっていく。これは……透明人間か?

 

 

「我が力は光です 従業員スペースに潜入するのはこれで容易だとして……

問題は件のベビーベッドが記録に載ってすらいない場合ですね」

 

「この店で買ったものじゃないって事?」

 

「それだけならまだいい いつ製造されたかの方が重要だ」

 

 

 慶代さんは俺に一枚のラフスケッチを見せた。そこには事細かに、かつ克明にベビーベッドのデザインが描かれていた。見る限り一般的なイメージ通りだろう。

 赤ちゃんが寝がえりで転落しない様に柵がついていて、熊や兎などのかわいい動物がくるくる回転するおもちゃもついていて……。その動物たちの横に注意書きで、塗装が剥げていると記してあった。

 

 

「古い……?」

 

「これだけでかい店だ 相応に昔の商品の記録も残っているだろうが、ここから更に手掛かりを得るのは厳しいかも知れねえ」

 

「そうですね……まあ、実のある成果を期待するよ亀沼くん」

 

「では行って参ります ぼくが工作している間、従業員の注意を惹きつけておいてくださいね」

 

 

 え? 注意を惹くって……暴れろって事?

 チームの一員がお縄になっちゃうけどいいの?

 

 

「適当な棚を引き倒してください 体重も乗せれば事故を装うのは十分可能ですよ」

 

「さ、騒ぎを起こさないといけないの? ふっつーに潜入して帰ってくればいいじゃん」

 

「ぼくだけリスクを負うのは嫌です!」

 

 

 恨めしそうな視線で凄まれそれ以上の文句を封殺される。死なばもろともとかいい根性してるな君。

 渋々了承した俺は店の人たちに内心詫びつつ、人の少ない場所を慎重に選び始めた。万一にでも人に怪我させてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い路地裏に喉を潤す音が響く。一人の少年が力なく壁にもたれかかって座り込んでいる。

 恐らくとてつもなく上質な化粧水や乳液を日常的に使っているのだろう。雪の様に白い肌をしていた。髪の毛もまるで天然のハニーブロンドのように輝いている。規格外に高級な染髪料を使っているようだ。

 肌と対照的に目元はけばけばしい色のアイシャドーを塗りたくっており、どこぞの部族にすら見える。

 俺のような奴らが見ればそれらの化粧は自らの素顔、素性を隠蔽するための措置だと言う事に気付くはずだ。

 ペットボトルから口を離した少年はひと息つくと胡乱げな視線を真正面……俺に投げた。

 

 

「おいてめえガキ 浮浪者狩りとはお行儀わりぃ趣味だな?」

 

 

 少年は俺の右手に携えた鉈を見つめていた。血錆がこびり付いてめっきり切れ味は落ちたがまだ捨てるには早い。やはり一番手に馴染む得物でないと、この恐怖感のない余裕たっぷりの相手には厳しいと思う。

 俺は心の奥底からくる震えを抑えきれず、暫定的な九人目の犠牲者に斬りかかった。

 こいつには何かある。その何かが分からないのが、たまらなく俺を恐怖(かんき)させた。



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「終末」「可動」2

「じょ、冗談じゃねえ……!! 何だあの姿は!!?」

 

 

 斬られた左腕を庇いながら逃げ走る色白の浮浪少年。豊かな金髪が顔にかかるのも気にせずこちらをしきりに振り返って、恐ろしいものでも見たような視線を投げてくるのが心底残念で最悪だ。つまんねえ。残念ながら年もあっちが上だし本気で走られたらこの体じゃ追いかけようがない。

 こっちも不可解な技で出血を強いられたが引き分けという事でまず満足するか。

 死の淵に立って戦う高揚した気分は次に味わえばいい……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファミレスのテーブル席で頭を抱える俺にあきれ返った生温かい視線が投げかけられる。

 陳列棚を倒すのはさすがに気が引けたので、俺は着ぐるみショーに乱入し着ぐるみちゃんを抱えてジャイアントスイングを敢行。

 顔が取れそうになるのを必死にこらえる着ぐるみちゃんと熾烈な耐久戦を繰り広げた。

 結果は無論俺の土下座だ。あと心ばかりの賠償金を関係者に支払って何とか通報だけは免れた。大馬鹿高校生の奇行にかわいい幼児達は大喜びだったのが唯一の救いか。

 

 

「まったく、もっと鬼らしい強気な騒ぎは起こせなかったんですか?」

 

「黙ってろ則夫 こいつはてめえほど図太くねえんだ」

 

「なんですって慶代君! ぼくは繊細ですよ失礼な」

 

「情成は生来の鬼だったんだが、その力を誇示しねえで慎ましく生きてきた

その理由がてめえに見当つくか?」

 

「……いえまったく」

 

「いずれ能力者のコミュニティに入る時、自分が最弱だったのにイキりまくってたら恥ずかしいから謙虚に振舞ってきたんだと」

 

「あー……まあ、そういう事もあり得ますね なるほど生まれた時からだとそういう発想になるのですね」

 

 

 あー恥ずかしい。早いとこ次行こうぜ次。

 

 

「それで、亀沼くんはなんか成果あったの?」

 

「はい、絵のベッドは特定できませんでしたが、興味深い情報が見つかりましたよ

一週間前の事です ベビー用品を万引きしようとしていた小学校高学年の男の子を捕まえようとした、警備員と店員が鉈で切り付けられ怪我をしました 男子児童はそのまま商品を持って逃げおおせたそうです

この事はすぐに警察に通報され、店側でも監視カメラの写真を店舗共通誌に掲載して従業員が目下警戒中です」

 

 

 そんな小さな子が……。親に命令されたんだろうか、ひどい話だ……。

 ん? なんか変だぞ今の。警備員が切り付けられただって?

 

 

「鉈ァ!? ナタ持って店入ってきたの? マジ?」

 

「その事です、重要な部分は

切り付けられた二人が二人とも、最初児童は鉈など持っていなかった、と証言しているのですよ」

 

「……どういう事だ 一人なら見間違いってこともあるだろうが」

 

「その鉈と形容される刃物は、実は鉈状の何かです

二人ともが、突然骨のような見た目の長い刃物が児童の背中から飛び出してきたように見えた、と共通の証言を重ねている ……十中八九肉体異常者でしょう

ベビー用品と今回の連続猟奇事件……繋がりましたね この児童こそが極めて重要な容疑者であると考えます」

 

「マジか……さっさとそのガキを見つけるぞ そいつは何盗みやがったんだ?」

 

「離乳食と、後サプリメントですね」

 

 

 離乳食か……。次に狙う場所を予測できればと思ったんだけど、ここに再び来るわけはないから候補がぐんと増えたな。

 しかしその児童は何を考えてるんだろう? ちょうどそのくらいの弟妹がいて、その子を養うために? いやそれだと赤ちゃんを現場に連れて行って連続殺人する意味が分からない。

 参ったな、容疑者は絞れてもどうやって三人で探し出す?

 

 

「情成、佐橋から台車持って来てくれ あそこの離乳食をできるだけ買い込んで段ボールいっぱいに載せるぞ

ガキはきっと店の外から様子を伺ってるから、目立つよう歩き回るんだ」

 

「なるほど、営業時間外に盗みに入ろうとするかもしれないですね

うまくいけば向こうから接触しに来てくれるって訳ですね」

 

 

 他の店舗に現れる可能性もあるが、対案がない以上今は黙ってできることからやっていこう。

 俺は慶代さんの案に賛成し、一人佐橋ビルまで走って帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっくしょう……やってくれたな! あのクソガキ」

 

 

 一人悪態をつきながら、すっかり陽が落ちて闇の領域と化した公園の水飲み場で、ペットボトルにただの水道水を補充する。そして"中身を消毒液に変える"と、切り付けられた箇所にかけて消毒する。鋭い痛みに顔をしかめるが、傷口が膿んだりするよりは遥かにマシだ。

 それにしても、先ほどの子供の姿を思い出す。決して実戦経験豊富ではない自分でも分かる。あんな戦法を取る人間は多くはない。

 そして心理的に、あんな戦法を取れるほどの度胸がある人間も多くはない事も、強く理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「真っ暗だな……ベイビーランドも店じまいしたし」

 

 

 そろそろかな、と気を引き締めつつ台車を続けて転がす。慶代さんと亀沼くんも次善の方法を現在考えてくれているが、これが成功するに越したことはない。

 例の児童にとって離乳食はかなり窮乏している必要な物資。定期的にここに様子を探りに来ていてもおかしくはない。人けのない巨大駐車場を台車を押して徘徊するさまはまごうことなき不審者だが、もう着ぐるみの一件でやらかしているのでこの程度では恥ずかしさなど感じなくなってしまった。

 

 二時間以上もさまよう姿を家族が見たら泣くだろうが、連続殺人を止めるためだ。俺が今やってる行動は立派な事なのだきっと。

 

 

「お前、なにもんだ?」

 

 

 背後からの問いに動きを止める。……かかった!

 ゆっくりと振り向くと、茶髪の男子児童が不敵にこちらを睨みつけていた。よかった警備員とかじゃなくて……。

 

 

「……君を探していたよ 俺の名は深口情成」

 

「俺を探してた? ……強いのかお前?」

 

「ああ、強いんだよ~! 一つ証拠を見せてあげよう」

 

 

 どうやら児童は俺に興味を持ってくれたようだ。俺は彼の隣を悠々と通り過ぎ、駐車場と歩道の仕切りが取り付けてある大きな重石の前に佇む。そして。

 

 

「えいやあぁぁあッ!!」

 

 

 瓦割で重石をばらばらに破壊した。ふふん、どうだビビったかな? そう思って振り向くと、だぁれもいない。

 ……???

 我に返り視線を泳がせると、視界の端に悪戯に成功したかのようにご機嫌なクソガキが台車を強奪して今まさに遠ざからんと走り去っているところだった。

 

 

「まま、待てドロボーッ!!!」



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「終末」「可動」3

 私にしか聞こえない音がある。

 その音はまるで、機械が鉄を曲げる時に鳴るような、高く鈍い音。

 私の頭には、片時も離れずそれが響いてくる。

 友達と砂遊びをしているときだって。

 パンにバターを塗っているときだって。

 鳥の断末魔にも聞こえるそれは、心臓を突き刺すような重みをもつようになり、日に日に大きく響くようになり、

 私の身体にヒビを入れていった――。


 激しい破壊音が鳴り響き、その音源を認めた瞬間くらくらと頭痛に襲われた。

 あろうことか深口君が重石を破壊している隙に児童に離乳食を持ち逃げされてしまったのだ。

 

 

「慶代君どうします? 三人で追いましょうか」

 

「ったりめえだ 情成は強いが故に自身の限界をよくわかってねえ 相手はガキでも殺人鬼だ、いくら鬼だろうが今の様に油断していれば多分死ぬぞ」

 

 

 方針を確認したぼくらは双眼鏡を下ろしすぐさま深口君を追う。ぼくは慶代君をおぶると両脚にありったけの力をみなぎらせ夜の街を跳躍した。といっても人目につくわけにはいかないので細心の注意を払いながらだが。

 視界を目まぐるしく光が通り過ぎていく中、ややあってから問題児二人の姿を捉えた。

 ……妙だ。誰もいない公園に二人の姿はあった。だが……。

 

 

「深口君が倒されている!」

 

「情成ッ……!」

 

 

 公園に着地し、慶代君も自身の眼で倒れ伏す血まみれの深口君を確認した。相対していたであろう児童は両手に鋭い骨刃を携え大興奮している。

 

 

「ハッ!はははははたまらねえや……!! 殺しあおうぜ早くよ! お前らも強いんだろ!?」

 

「…………」

 

 

 なぜだ。活躍を聞く限り深口君はぼくよりパワーが上のはず……。この子供に鬼を超えるほどの実力があるというのか? そこまで考えたところで隣の慶代君の様子がおかしいことに気付いた。

 肩を小刻みに震わせ、唇を固く引き結び……怒っていた。彼の代名詞である怒りの感情が場を支配するのは何ぴとたりとも止めることはできない。

 

 

「覚悟しやがれ‼‼‼‼ 糞餓鬼ィッ!!!」

 

 

 吠える。その威嚇する獣の如き咆哮が空気を震わせた。ぼくの背筋も凍り付くほどの怒気と声量に、児童はへたり込みながらも心底嬉しそうに引き攣った口角を吊り上げていた。死の恐怖を快とする彼の価値観が分析できる仕草だ。

 

 

「さぁこい!来いよ……!」

 

 

 児童がそう言った時、異変は起こった。最初、何が起きたのか分からなかった。

 だが一拍置いて嫌でも視覚から得た情報を脳が処理する。

 児童の頭蓋骨が上から観音開きになって、脳が剥き出しになっていた。余りの光景にただ目をしばたたかせる事しかできない。

 

 

「ヒャハッ!! 隙ありだぜ死ねッ!!!」

 

 

 首から刃がすり抜け、握りこぶしに力を込める姿は映写機のヴィジョンのように朧げで、有るモノとして矛盾しているのが分かる。

 彼が忘我の時、モノとしての本質が欠損しているのが露わになり、彼そのものは外形だけの現象と化してしまう。

 エルアさん曰く、現象化とは鬼と同等かそれ以上に奇異な異常らしい。

 そして力をいいだけ込めた、アッパーカットの現象が児童を下あごごと吹き飛ばした。

 

 

「ブッごぇえ……!!?」

 

「ハッ!? いけない!」

 

 

 吹き飛んで地面に激突すれば直接脳挫傷を起こして絶対に助からない! ぼくはようやく様子見の体を動かし、地面を踏みこみ跳躍しようとした。

 だが彼の体を優しく抱き留めたのは……深口君だった。

 

 

「ぉ……ぉ前殺した……んじゃ……?」

 

「悪いけど、俺あの程度じゃ死なないんだよ」

 

「…………紛らわしい真似してんじゃねえ! ったくクソミソ野郎……」

 

「ひい!? い、いやだって……一方的に斬られまくって、体力を消耗したのは事実ですし」

 

「生きてるなら声ぐらいあげやがれ!!」

 

 

 一方的に斬り刻まれたのは、何も児童の頭蓋骨観音開きに怯んだ事だけが理由ではないだろう。深口君の優しさが、急所丸出しの児童への攻撃を躊躇わせたのだ。

 児童の瞼が閉じると共にどういう仕組みか頭蓋骨も閉じた。ともかく児童は確保したのだからミッションコンプリートだ。

 

 

「さあ帰りましょう 連続殺人の下手人は確保しました ……後はエルアさん次第でしょう」

 

「……俺だけじゃ、ねえよ?」

 

「「え?」」

 

 

 疑問の声を上げたのはぼくと深口君だ。慶代君は意味深な視線を台車に山盛りの離乳食に注いでいる。

 息を呑んだのはぼくか深口君のどちらだろう。児童はクックッとおかし気に笑っている。

 

 

「俺の名前は赤鞍馬(せきくらま) この骨の力は沙李緒(さりお)に貰ったんだぜ」

 

「誰なんです! そのサリオという方は今どこに!?」

 

「わりーけど、俺は自分の女を売ってまで生き延びようとは思わねえよ」

 

 

 女って……まだ小学生なのに交際しているなんて非常識な! しかもこんな危険嗜好の少年に能力を授けるだなんてまったく嘆かわしい女だ。ぼくはため息をつきながら眉間を揉んだ。

 

 

「黙れクソガキ この離乳食がねえと……ソイツが困るんだろ」

 

「うっ……」

 

「ねえ鞍馬くん、俺たちは別に殺そうと思って探してるんじゃないんだよ

……このご飯は俺たちが届けるから場所を教えてくれないかな?」

 

「でもよ……俺が居場所教えたって知られたら嫌われちまうかも」

 

「なぁーに! そんな失点、別のご機嫌取りでリカバリーすればいいのさ」

 

「うーん…………分かった、言う通りにするよ」

 

 

 若干拗ねながらも鞍馬君はこちらの要求を了承した。さて……サリオという女をどう考える?

 離乳食しか喉を通らないという事は……寝たきりで動けない? だから交際相手に食料の調達を依頼か。

 深口君に耳打ちした後、必ず届けろよな! という一言を残して鞍馬君はどこかへ消えてしまった。子供を騙すようで悪いが、相手の態度によっては素直に渡してハイ終わりなどという訳にはいかない。

 

 

「どうします ぼくは日を改めてからでも遅くはないと思いますが」

 

「賛成だ 情成、今日は佐橋に泊まってけ」

 

「ゑ?

…………でも、早めに行かないとまずくないですか?」

 

「そんな受け答えもズタボロで行ったって足手まといだ、血を失い過ぎてる

いいから言う通りにしろ」

 

「それではぼくはこの流れた血液を隠蔽工作させていただきますので……また明日」

 

「おう、じゃあな則夫 …………俺だおっさん、レイーノを出してくれ

……寝た子を起こすな?」

 

「もういいです歩いて帰るくらいならここで寝かしてくださいぃ……」

 

 

 はてさて鬼が出るか蛇が出るか、ですね。

 鞍馬君の戦闘方法では新聞に載っているような殺し方は出来ない。ミンチにするのなら、もっと面での制圧と万力のような力を必要とするはず。知らず背に冷や汗をかいている事に気づきつつも、血の見分けがつくよう光を放ち黙々と血の後始末を行いながら夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が落ちてから、どれくらい経っただろう。鞍馬は……どこ? 沙李緒を見捨てたの? 心がざわめく。

沙李緒の言う事なら何でもきいてくれたのに。どんなワガママも、達成できなきゃ殺すと脅せば嬉々として叶えてくれたあの鞍馬が。

 死にゆく沙李緒の事を、対等な未来を共にする恋人として扱ってくれた鞍馬。居なくなったら寂しいよ。

 

 

「う゛……ァ゛」

 

 

 かすかに呻くことしかできないほど進行している細胞組織の骨化。それに反して眼球だけは自由に動く。

ギョロギョロと周りを見回すも、人の気配が何も感じられないことに寂しさが募った。

 寂しさを振り払うため眠ろうと思った矢先に足音がする。鞍馬が帰ってきてくれた! そう思ってとてもうれしくなる。

 でも簡単にご褒美をあげちゃダメ、もっともっと焦らさないと。そんなことを考えてどこまでも不自由な口元が僅かに笑みを浮かべる。

 

 

「こんばんは えへ、驚いた?」

 

 

 冷水をかけられたように熱が引いていく。無有(むう)……!! 不気味過ぎるほどつややかな黒髪に無邪気な微笑みを湛える少女。

 哀れな彼女は、世界が苦痛にまみれている事を知らないんだ。……いいや、表面的には知っている。それにもがく人々を救おうとしている事も沙李緒は知っている。

 けれど無有は無知で幼稚で、能力を手に入れただけで人を取り巻く全てが恒久的に解決すると思い込んでいる。

 沙李緒も身体が動くようになった瞬間は、これまでの人生で一番の感動を覚えた けれどその感動は悲愴のものへと即座に堕ちたんだ……瞳が映し出した肉体は理解をどこまでも拒むものだった。

 脚の皮が破け、(アザミ)の花のような大腿骨が地に咲いていた。腕も関節などなかったかのように奇怪に駆動した。

 そして何より、沙李緒にヒビを入れる音はいまだ響き続けている。

 

 

「あのね…… 貴女の弟、頑磨(がんま)くんがこの前すっごく困ってたから解決してあげたの

近いうちに沙李緒を探しに来るみたいだよ」

 

 

 頑磨。沙李緒と違って治る見込みのあった子。同じ重病人でも未来があった子。忌々しい弟。

 あいつさえいなければ沙李緒はもしかしたら、深く傷つくことは無かったかも知れない。両親の残酷な態度の違いは今でもハッキリ思い出せる。

 未来がある子に接する態度と、もうただ死にゆくのみの子を憐れむ態度。二人の子供へ両親は均等に、かつ限りない愛を注いでくれた。

 

 それが癇に障った。許しがたかった。あの瞳を思い出すだけで胸がバリバリと掻きむしられる気持ちになる。

 沙李緒は……沙李緒はね、まだ死んでいないんだって、それだけを分かってくれたら他に何も望まなかったのに。頑磨が異能を得てここに来る? 両親に、そして頑磨に復讐するまたとない機会だ。殺してやる。沙李緒にあの瞳を向ける人間はみんなみんな殺してやる……。



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「終末」「可動」4

 声が聞こえた。心底無邪気そうに、苦しみから解放してあげると言った。

 苦しみとはどの苦しみを指すのかてんで分からなかった。二十まで生きられないと言われた姉と違って、俺は命に係わる病気でも治る可能性はあると言われていた。

だが病気はあくまで病気であり苦痛は紛れもない苦痛だ。闘病、そう正に闘いだ。

 

 無限にも思える長い長い苦しみ。未来がある、先があるのだと言われるたびに明日も明後日も一年後も苦しむのだと宣告されているようで苦しかった。

 闘病の中、自分を襲う病魔を調べてみた。やる事などなかったし幼いながらも将来医者になりたいと思っていた俺には必要な経験値だと強く感じた。

 骨粗鬆症、子供が罹る病気じゃねぇな。白血病、なんか血液のガンとか書かれてんだけど。んなもんどーやって治すっつーんだよ。多巣性運動ニューロパチー、オイふざけんな主治医、何当然の様に治癒する前提で話してやがる。そんな現実逃避するような死んだ目で言われても説得力皆無だってんよ。他にも自分の身体に巣食うイカレたメンバー紹介は山ほど続いた。

 

 理解を深めれば深めるほど自分の置かれた状況に反吐が出る。要はつまりこういう事だ。

 俺たちゃ実際どちらも二十まで生きられない。だが俺の方は天文学的な数値で生き残れる未来がある。不治の病に侵された姉よりも、不治の病一歩手前の俺の方が少しだけ、ほんのちょっぴりだけ希望があるというだけの話。

 クソッタレが。両親にはプレッシャーをかけられ姉からは八つ当たりを受け、主治医からは同情と憐みの眼を向けられる。俺はだんだん歪んでいった。目つきは鋭くなり、ガイコツのような顔はますます凄惨な陰を落としていった。

 いいぜ。やってやんよ無能共。俺が全員救ってやるから、全部終わった後は土下座して許しを請うてもらいましょうかねぇ?

 

 それからは両親にワガママを言って、最高の家庭教師と名高い葭切身鞘(よしきりみさや)に教えを請い、

 頭に挿すと天才になれると言われている天才帝国秀子(シュンツ)のブレンドライバーを手に入れた(スロットが一つしかない比較的安価なヤツ)。

 とはいってもこれは簡単に手に入る代物ではない。本当に偶然、親父が救った中華人の難民で元兵士の李泰(りたい)さんが死に際に譲ってくれたいわば形見だ。今でも憶えている。李泰さんのブレンドライバーが、俺の頭に挿さった瞬間の不思議な感覚を。

 

 その後俺は病気を克服しながらも新たな難病を発症するというもはや呪われた一進一退の攻防を続けながら、大人顔負けのスピードで医学、数学、薬学、生理学を修めていった。病室の天才児やドクロ博士などの異名を数多く手に入れた。

 そんな中……気づけばあの声は聞こえなくなっていた。

 だが、姉が病院から逃げ出したと聞いたとき、見計らったようにまた聞こえ始めた声。苦しみから解放してあげる、現状を解決する能力をあげる。俺は迷ったがそれに欲しいと返した。

 姉は……沙李緒は自力で病院を抜け出せるような容体じゃねぇ。だったら……姉が自由になるように取り計らったヤツがいる。俺は沙李緒を連れ戻すために姉と同じく苦しみから逃れ現状を解決する能力を授かった。そうしなけりゃきっと対抗できねぇ、そう感じた。

 それから準備を、能力の研究を重ね、万全を期すまでついに沙李緒は見つからずにいた。

 

 

「……あん?」

 

 

 俺は今日、手掛かりを探すため無断で病院を抜け出し実家に戻ってきていた。だがそこで奇妙な違和感に気付く。子供部屋にあったはずのベビーベッドがない。

 たまに日帰りでしか戻る事を許されない家の様子は瞼の裏にすら焼き付けて覚えている。少しでも忘れない様にとにかく穴が空くほど観察し、記憶に刻み付けていたから気づけた。

 

 他にも細かに無くなっているものがある。俺は心の中でブレンドライバーに命令を下す。ホログラムモニターを表示せよ、と。

 すると目の前に半透明の四角形がいくつも出てきた。俺の脳の潜在能力を引き出し、並列思考的に演算処理を行いあらゆる正しい判断を導く材料となる情報画面。これこそ長安を帝都とする中原を支配せし天才帝国の技術の結晶、ブレンドライバー。俺はホログラムにタッチし必要な情報を収集していく。

 

 

「ちぃ! あのバカ何やらかしてやがる!!?」

 

 

 推測移動ルート上には、最近起きている連続猟奇殺人事件の事件現場が赤い点となって表示されていた。

 認めたくない自分の意思とは無関係に、脳の思考能力の神髄を発揮し、勝手に分析処理を行っていくドライバーは止めようがない。やがて現在の大まかな潜伏場所も予測すると、俺はため息をついてガンの完治後伸ばしている豊かな白髪を掻き回した。

 早いとこ連れ戻さねぇと全部手遅れになっちまう。短く考えると、素早く家から出て方角を確認、調整。ゴルフのように風向き、風速や弾道も計算し終わるとフリックしてホログラムモニターを消去する。

 

 

「弾けろォ!」

 

 

 瞬間、アルマジロのように丸まった身体が弾け飛び宙を舞う。途轍もない空気抵抗を受けながら目的地まで一気に飛び込んでいく。誰かに見られていてもまさか人だとは思うまいし、今から着地するところは滅多に人が立ち入らないような場所だ。

 心の中で冷静に秒数を数える。視界は目まぐるしいトップスピンの中だと頼りにならねぇし、耳も特別優れている訳じゃねぇ。頼れるのはこのボロボロの身体なんかじゃなく、頭脳だ。

 そして地面に激突する瞬間、俺は自身の体に能力を纏わせて衝撃を完全に相殺した。

 むくり、と起き上がる。目の前にあるのは鬱蒼と蔦が生い茂った洋館。もう十年以上手入れされていないであろうその廃墟は、どことなく外観が実家に似ているように見えた。

 

 

「……姉さん?」

 

 

 玄関をくぐり一声かける。正面には二階に上がる大きな階段が、左右にはそれぞれ廊下が伸びている。割れた窓からは陽光が温かく差し込みホコリを幻想的に照らし出していた。

 視界を更に注意深く広げれば、血痕が足元にあった。染み付いている血は階段へと続いている。ぽたり、ぽたりと滴る音が聞こえてくるように。俺はゆっくりと階段に足をかけて上っていった。

 

 自分では指一本動かせない姉が階段の上にいる。それだけで彼女の苦悩が慮られて胸が詰まった。なぜ自力で動けるようになったのに逃げ出した? そんなのは決まってる。……人に見せられないような動きだからだ、病気が治ったわけじゃねぇ。

 やがて階段を上りきる。目の前の部屋にあるドアは半開きになっていた。

恐る恐るドアを開くため手を伸ばした、その時。俺の右手首が捩じ切られた。

 

 

「グッ……があぁ!!」

 

 

 切断面からおびただしい量の血が流れる。やはり骨だ。持ってきたタオルで縛って止血する。

 今の感覚を正しく反芻するに、皮膚の中で骨がまず捩じれ、次いで骨が変形しまるで回転刃のように手首を切断した。額に脂汗を滲ませ荒い息を吐きながら、俺は左手の手刀に衝撃波を纏い一気に撃ちはなった。

 

 

「吹っ飛びやがれぇッ!!」

 

 

 廊下と部屋を隔てていた壁が粉砕され、視界を塞ぐ仕切りがなくなった。そこで目にする。姉の沙李緒を。

 沙李緒は体から飛び出た骨の盾で衝撃波をガードしていた。そして操り人形の様に不安定な動きで盾をどかし俺に向き直った。

 

 

「ガ……マ」

 

 

 眼だけが憎しみを語っていた。顔全体が骨ばって以前は動いた口すらほぼ動かせなくなっていた。骨の棺が体の内側から生えてくる、それが沙李緒だ。今日までずっと見てきた姉の姿だ。

 だが不思議と今の蜘蛛のような動きの姉は美しく見えた。醜い人間と言うよりはそういう生き物だと物語っているように。その骨に覆われたような姿はカイコガの女王と形容できるほどの神々しさを確かに放っていた。

 沙李緒はガチャガチャと奇怪な音を立てて、人にはできない動きで新たに生えてきた骨の多脚を操っている。

 

 

「……帰るぞ おとなしくいう事きけねぇんなら手荒い方法になる」

 

 

 沙李緒の眼に浮かんだのは嘲り。そして直後、バリリと音を立てて頭部に違和感が走った。

 なんだこりゃ、頭が滅茶苦茶カッカしやがる。未知の感覚に体を硬直させる俺を見て、満足げに沙李緒は鏡台を持ち上げこちらへ向けた。

 

 ……脳が丸見えだった。頭蓋骨が開いて、妖怪人間の様に脳が露わになっている。端から血が滴っている。

 沙李緒が眼を細め、その瞳に邪悪な歓喜の感情を覗かせる。持っていた鏡台に徐々に力が込められていく。あのまま沙李緒は鏡台を砕き、散弾銃のようにこっちへぶっ放すつもりだろう。破片が一つでも頭を掠めると死ぬ。

 そして鏡台に込められた圧が最大級に達し、砕け散ってこちらにばらまかれた。

 だが今こそがチャンス。咄嗟に盾を構えられない沙李緒に、俺は左手から衝撃波を叩きつけた。

 

 

「ゴ……!」

 

 

 崩れ落ちる沙李緒。俺の頭部に飛来する破片。だが……衝撃がそれを許さない。俺の衝撃。衝撃を纏い、支配する。

 すんでのところで破片がすべてはじき返される。

 沙李緒は……どうやら気絶してくれたようだった。徐々に頭蓋骨が閉じていく。

 

 

「……運ぶにも、まずはこの馬鹿デケェ図体からだな」

 

 

 沙李緒から骨肢を切り離そうと歩いた途端、膝からすとんと座り込んだ。どうなってんだこりゃ、何で動かねぇ? 全力疾走だってしてねぇし手首だって止血したはずだ。

 驚いた。きつく縛り上げたはずだったがまだ血が流れている。おかしいなオイ、血ってすぐに固まるんじゃなかったのかよ。ふざけやがって……病室でのお勉強じゃ現実は学べませんってか? それともこの土壇場で血が止まりにくい病気でも発症したかクソッタレ。

 

 

「クソが……これじゃ、無駄……死に……だろーが……」

 

 

 ケッ、格好悪いったらねぇな。まぁでも……この能力のおかげでポッキーみてぇな俺の脚が歩けるぐらいにまで筋力回復したんだ。そこだけは、感謝し、て……。

 薄れゆく意識の中……玄関が開いた音が聞こえた気がした。



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「終末」「可動」5

 意識が覚醒していく。自力で体を動かすことはできないけど、心で憎しみを想い、眼で表し、そして……骨で他者に介入できる。

 だから……寝たきりと植物人間は違うのだと、自分に言い聞かせて勇気を出して意識を覚醒させる。夢から醒める。見たことのない人たちが一様に沙李緒を見下ろしていた。

 手術室かと一瞬思ったけど、皆格好が医者ではない。だったら警察……? それにしては若すぎる。沙李緒の試すような視線の動きに反応した男の子が柔らかく微笑んだ。他にこの場にいる男たちの誰よりも小さい、ボロ雑巾のような血まみれの学ランを着ていた。

 

 

「初めまして沙李緒さん 俺は深口情成っていいます

この佐橋ビルは貴女の様に異常な病気を患った人を治療する機関です」

 

 

 ……怪しい。なんだか人体実験の材料にされそうな感じがする。でも少しでもおかしな真似をしたら殺せばいいんだから、もうちょっと話を聞いてみようかな。

 すると不意に深口と名乗った少年が沙李緒の手に触れた。どきりとした。すでに凝り固まって石の様になっていた手指が……少年の手指と柔らかく絡んでいる。

 

 

「ぅ、そ……」

 

 

 蚊の鳴くような呟きが自分の口から洩れたものだと気づくのに十秒は要した。顎が固まってもう喋れないはずなのに。動揺した視線はパニックを起こし泳ぐ。

 

 

「あーっと、ぬか喜びさせて悪いんざんすが……アタシにゃこれが精いっぱいざんす

対処療法以上の根本的な治療は、本物の専門家にお願いするしかないざんす」

 

 

 この少女がやったの? 例え一時でも、医者に出来なかった事をこの女の子がやったっていうの?

 それに……根本的な、治療? 治るの?

 

 

「ぁ……ガ、と」

 

 

 自然と涙が流れて止まらない。今なら泣ける。人間らしく顔をくしゃくしゃに歪めて泣くことができる。その気持ちがより一層涙を溢れさせた。

 

 

「それで専門家っつーのは、どいつの事なんだ? エルアさんよぉ

一刻も早くそいつと協力して姉さんを治療しなくちゃならねぇ」

 

「頑磨、もう手はいいのか?」

 

 

 入室してきた頑磨の右手を見て瞠目する。涙でよく接着面は見えないが確かに手首から先が繋がっている……。何度もグーパーと感覚を確かめているようだった。

 気だるげな頑磨に具合を問いただしているこの場で最年長の男は、一度頷いた後こちらに視線をよこしてから頑磨に向き直った。

 

 

「エルメス・アンデルセン……人間をゼロから創造するあの科学者ならあるいは」

 

 

 エルメス・アンデルセン。それが沙李緒の希望の名前。その人に会えたら、沙李緒の病気は治るの?

 頭の中で様々な葛藤が、希望がない交ぜになって涙に変わって頬を伝っていく。

 

 

「すぐに彼女の所在を確認しよう 安心しろ、君たちは必ず治療する」

 

「そーしてくれ このまま手ぶらで帰るわけにはいかねぇんだ

……そうだろ? 姉さん」

 

 

 楽し気に笑って見せる頑磨。その表情がとても不思議だ。

 頑磨には未来があったし、勉強にも励んでいた。沙李緒に関心なんか持っていないはずなのに。少し記憶を探れば八つ当たりするたびに心底面倒臭そうな表情を浮かべていたのが思い出せる。でも……もし頑磨が沙李緒のこと、本当は大切に思ってくれていたとしたら?

 

 あ……。あれは沙李緒を面倒な死人として見ていたんじゃない。何かにつけて反論してきた弟は必死に沙李緒に改心を促していたんだ。

 皮肉じゃなかった。皮肉なんかじゃなかったんだ。あのお決まりのフレーズは。

 

 

――――――そんなんじゃ、ロクな大人になれねぇぞ

 

 

 頑磨、ごめん……。

 沙李緒今までの事いっぱい謝らなきゃいけないよ……だから、また一緒にいてくれる……?

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ結局、その置手紙を残して事件は未解決ってことですか」

 

「そうですね 沙李緒さんも頑磨さんも……一体何があったのか」

 

 

 沈痛そうな表情で項垂れる俺の主治医、レオナ・ダブルスコア先生。美しい金髪のロングヘアーが煌めいている。こんな素敵な女性を意気消沈させるなんて頑磨め……許しがたい事だ。

 

 あいつと俺は外見が似ている。主に鋭い目とヒョロガリな部分が。若干俺の方が毒々しい感じで頑磨の方が禍々しいという具合に別れてはいるが基本似ている。

 俺はベッドに深く長身を預けため息をついた。

 

 この俺、毒島治生(ぶすじまおさむ)の入院している東京府米砥田(こめとぎだ)総合病院では、今ちょっとした事件が話題になっていた。

 細胞組織が骨になってしまう急進行の難病に侵されていた滝澤沙李緒さんが病院から脱走し行方不明になった。自力では指一本動かせないはずの彼女の失踪に警察は事件性を見出し、綿密な捜査を行ったが誘拐犯の影も形も捉えることはできなかった。

 そして立て続けに今度は弟の頑磨が病院から消えた。ご両親の狼狽ぶりは察するに余りあるだろう。

 

 ……だが話題のタネは更に驚きだ。その後実家にも警察は押し掛けたが、そこで一枚の写真を見つけた。

 そこには……肩を組んでニッコリと微笑む滝澤姉弟の姿があった。沙李緒さんはもう笑う事すらできないほど病状が進行していたという。それが笑みを湛えているのだから病院中の医者がド肝を抜かれた。

 写真の裏には頑磨の字でこう書かれていた。病気を治すアテが見つかったので、必ず帰ってくるから探すんじゃねぇ。

 すでに頑磨の医学的見地の高さは誰もが認めるところだったので、この件はあっけないようだがこれで終わりとなった。

 何より捜索願を取り下げたご両親の言葉が印象的だ。

 頑磨なら、あの天才の頑磨ならば沙李緒ですら救ってくれるかも知れない。たとえどんな非合法なやり方を息子が取ろうと、私たちは娘の未来の為に応援する。

 

 

「どうも釈然としないんですけど、先生」

 

「どうしました治生さん?」

 

「頑磨はどうやって沙李緒さんを脱走させたんでしょう?」

 

「警察でも分からないのならば……私たちには容易に届かない、天才の高みの発想なのでしょうね」

 

 

 分からないこと。それを不可解に思ってもいつの間にか忘れているものだ。日常に忙殺されて分からないことは後回し。

 でも、日常生活に囚われず、分からないことをとことん情熱的に探求し解明できる者こそが……天才やマッドサイエンティストと呼ばれるのかも知れないな。

 診るべき患者は姉だけで、学校にも行かなくていいんだ。ちゃんと治してあげなよ? ドクロ博士。



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Bamboo Princess 1

 快晴の空の下、あたし達三人は普段遊びに行かない某所まで足を進めていた。その目的は他でもない、クラスの端で妖怪ポストよろしく噂になっていた末法思想軍団だ。

 ふふん、奇人変人の集まりだっていうなら、どれだけ特別なのかこのあたしが見極めてやろうじゃない。

 かぐや姫であるあたしより特別な存在なんて、なかなかいないわよ?

 

 

月歌(げっか)ちゃん 本当に見っけたらラーメンおごってくれるの?」

 

「当たり前でしょ! 子分との約束は必ず守るのがあたしのポリシーよ」

 

 

 そう答えた途端よだれを垂らしながら恍惚とするマヌケ子分の田町幽李(たまちゆうり)。あのね、見つけたらって言ったでしょ? そんな蕩けたヤク中みたいなまなこで何を探すってのよ。

 

 

「月歌さん、わたくし暑さにまいってしまいました……ここはひとつお先にラーメン屋さんに参りませんか?」

 

「何早くも撤退宣言してるのよ久瑠実!? さっき駅の構内で涼んでからまだ十分も経ってないから!」

 

「そうは言いましても、もう暑くて歩けませぇん」

 

 

 駄々をこねるだけこねてダメ子分の野々村久瑠実はその場にへたり込んでしまった。あんた砂漠でもそうやってうずくまるつもりなの?

 あぁ……時間が無駄に過ぎていく……。せっかくの日曜を台無しにしてなるものか!

 ビル街の日陰に退避する子分たちを無理やり引きずり出し、後ろから背中を押してやる事でなんとか二人は歩き出す。

 力を抜くな力をォ! ぐえぇ、重い……。 な、なんで……あたしがこんな苦しい目に?

 

 

「何してんの? お嬢ちゃん」

 

「ほへ?」

 

 

 汗だくになりながらデブとカモシカを押しやっていると、身長175cmほどの幸薄そうな男子が頭上から話しかけてきた。やだ、ナンパかしら……?

 袖で汗を拭うとあたしはできるだけふんぞり返って男子に応対する。

 

 

「べっつに! 子分共がだらしないからあたしが動かしてやってたのよっ」

 

「こ、子分か うーん、じゃあ俺も一緒に押していってやるよ」

 

「えっ、いいの?」

 

「ああ お嬢ちゃん一人じゃ重労働だろ」

 

 

 優しい微笑みを浮かべた男子に一瞬呆けるものの、照れ隠しに精いっぱい偉そうに礼を述べる事にする。

 笑い方も陰があってなかなか……素敵じゃない。

 

 

「ありがとうね! あたしは櫛灘月歌(くしなだげっか)よ あんたは?」

 

雨離瀬多苦磨(うりせたくま)だ それで月歌ちゃんたちはどこに行きたいんだ? 駅かい」

 

「駅からこっちまで歩いてきたのよっ えっとね、佐橋ビルって知らない?」

 

 

 探している場所を告げると、多苦磨が途端に難しい顔になった。はっはーん、この反応は知ってるわね?

 ラーメン世界に精神が旅立った幽李を多苦磨に任せ、先導する彼の隣についていく。この人も変わり者のうちの一人なのかしら。

 

 

「何かの依頼? 見たところ深刻に悩んではないようだけど」

 

「どれだけ変人集団か確かめにいってやるのよ! これで全然だったらただじゃおかないんだから!」

 

「はは……月歌ちゃんも中々だな……」

 

 

 苦笑する多苦磨の態度からあまり期待はできないことを察するも、ここまで来た手前どうせ無駄足でもいいから初志貫徹することを選ぶ。

 人間意味のある事だけを重ねて生きていくわけじゃないんだから、このぐらいの寄り道は別にいいわよね。

 それから十分ほど歩き、薄気味悪い路地裏の先にあったビルの前で多苦磨は立ち止まった。

 

 

「ここだよ、佐橋ビルは」

 

「送ってくれてありがとう! ほら二人も早く! あたしの躾がなってないと思われるじゃない」

 

「「ありがとうございます」わ」

 

 

 ゆったりと深く礼をする子分に満足したあたしは、入りたくないと駄々をこねる二人を外に待機させ意気揚々と扉を開け放つ。そこは……カフェだった。

 あたしにはよく分からないけど……天然の木材がふんだんに使われていて、確かなこだわりが感じられる内装だった。

 ライトも暗めでぼんやりとしていて催眠術にかかったような錯覚に襲われる。そんな中でカウンターの奥にいた店主は、妖気を感じるような見た目だった。

 全身至る所に包帯を巻いていて、更に真っ赤なドレスを着こなしている。洗練された毒気が漂う淑女だった。

 

 

「いらっしゃいませ ……初めてのお方ですね」

 

「そそっ、そうよ! まぁ見た目は及第点だけど!!? ここ、こしゅぷれレベルの変人ならいくらでもいるわよっ!」

 

「はぁ……? さあ、お掛けください」

 

 

 恐る恐る足の届かないカウンター席に座って女を見上げる。全然どんな人間かつかめない。十代とも……いっそ三十代にも思えるわね……。

 所作の一つ一つに美麗さを覗かせる女を睨みつけるように見つめると、不思議そうに手を止めた。

 

 

「あ、あんたどれくらい変わってるの? ちなみにあたしは櫛灘月歌、竹から生まれたかぐや姫なのよ」

 

「はい、私は卿燐というそうです 皆さん特徴的ですから、普通というのは分かりにくいですが……変わっている、という点は記憶喪失でしょうか」

 

「記憶喪失……!!? ふ、ふーん……鉄板ね で、でででもあたしは全然普通だと思うけど……」

 

「月歌サンはお優しい方ですね」

 

 

 不意打ちだった。卿燐はその見た目に不釣り合いなほど純粋に、きらめくような美しい笑みと共にあたしを褒めたたえた。

 包帯で顔は窺い知れないけれど、それでも断言できるほどに純粋さと誠実さがにじみ出ていた。

 

 

「べっ、別に! 別にあんたに配慮したとか、そういうんじゃないんだからねっ!?」

 

 

 顔から火が出るくらい恥ずかしい……!! コイツまじだ。本物の記憶喪失なんだわ。

 コスプレ中二病のキャラ付けだったら、普通だなんて言われたら怒る筈なのに。

 

 

「ふふ……それで、月歌サンのご用はなんでしょう?」

 

「あ、あぁえっと……噂を聞きつけてきたのよ アップルティーとフルーツケーキ一つ!

佐橋ビルには変わった連中がいるらしいから、あたしが品定めするの」

 

「品定め? ……あぁ、情成サンと同じ理由でいらしたのですね」

 

 

 嬉しそうに顔を綻ばせる卿燐は、優しい手つきで注文を作り始めた。

 どういうこと? 情成って人と親しそうだけど……見学者が、そのままこのコミュニティの仲間になっちゃったって事?

 訝しむあたしをよそに卿燐は興味深そうにあたしを見た。見えざる視線を確かに感じられる。

 

 

「先ほど竹から生まれたかぐや姫、と仰いましたが……かぐや姫とはどういう意味でしょう?」

 

「えっ…… し、知らないの? かぐや姫」

 

「存じ上げませんので、ぜひ教えてください 竹から生まれた方がいるというのはとても驚きです」

 

「しょうがないわねぇ……いい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔々、竹取の翁というお爺さんとお婆さんが夫婦仲良く暮らしていました。

 ある日翁が竹林で竹を切っていると、なんと一本だけ光る竹がありました。

 驚いた翁は早速竹を切ってみると、中にはそれはまあ可愛らしい女の赤ちゃんがいたのです。

 翁は家に女の子を連れ帰り、お婆さんと大切に育てました。

 

 かぐやと名付けられた女の子がすくすくと成長していく内に、お爺さんとお婆さんは何度も病に倒れ、これまでかと思われましたが……死ぬことはありませんでした。

 かぐやには不思議な力がありたちどころに病を治したため、お爺さんもお婆さんもかぐやが美女に成長するまで長生きし続けました。

 

 さて、無事大きくなったかぐやですが、その美貌のお話は公家の者たちにまで知れ渡っていました。

 求婚されたかぐやは、お爺さんとお婆さんを放ってはいけない、と並みいる諸侯の誘いを断り続けました。

 ですがついに、そのお話は帝の耳にも入りました。帝の勅命は何人も断る権利はありません。

 すすり泣くお爺さんとお婆さんにかぐやは約束します。

 

 

「安心して 私は元よりどこへも行きません」

 

 

 かくして輿入れの日がやってきました。陽も落ちて夜空に月がかかった頃、かぐやの家に帝と侍従がやってきました。

 かぐやはそれは美しい花嫁衣装に身を包み、まさしく目も眩むほどの美貌を誇っていました。

 かぐやに見惚れつつも牛車に誘導しようとした侍従たちが……ぱた、と糸が切れたように倒れ伏しました。

 

 驚く帝は花嫁に龍顔を向けると、はたとかぐやを睨みつけます。

 なぜならその額には青白い三日月の紋様が浮かび、侍従たちがそれから発せられる何か瘴気染みたものに囚われて倒れていくのです。

 かぐやは薄ら寒い笑いを帝に向けていました。そして額の紋様から一層強い念力が発せられ帝へ襲い掛かりましたが……。

 瞬間、世界が昼に立ち戻ったようでした。突き出された帝の玉拳から眼が潰れんばかりの眩い陽光が迸り、幾千の(やじり)のようにかぐやに殺到し吹き飛ばしました。

 光が(しぼ)み、夜に返ったとき……かぐやは大火傷を負って苦しそうに呻いていました。お爺さんもお婆さんもかぐやへ覆いかぶさり号泣しました。

 竹取の翁が病に伏せるたび、かぐやが治してあげていたことを帝も聞き及んでいました。帝はその姿を見て宸襟(しんきん)を痛め、ある聖慮を下しました。

 

 

(ちん)思うに、其の方人ならざるものの……育ての親たる竹取の翁たちへの情愛まことのもの

これまで何人の誘いも断ってきたのも二人を思ってのこと 朕が悪かった、許せ 命までは取らぬ」

 

 

 かぐやはその念力で、すでに表面上は傷を治しつつありました。心配するお爺さんとお婆さんに肩を貸されようやく起き上がると、安堵と嘲弄(ちょうろう)がない交ぜになった笑みを浮かべていました。

 

 

「それはようございました もし私の命を取っていれば……玉体(ぎょくたい)崩御(ほうぎょ)なされていらっしゃったでしょうから」

 

 

 かぐやはそう言って人差し指を天に向けました。帝もその指につられて視線を上へ、天を仰ぎました。

 そこで帝は、目玉が飛び出さんばかりに目を見開きました。月に、黒く大きな孔が、ぽっかりと空いていました。

 雷光が輪っかのように縁に沿って煌めき、中央に収束しつつありました。

 それが何であるか直感的に理解した帝は、畏れ多くも玉体を地に這いつくばらせてかぐやに訴えました。

 

 

「許せかぐや! 雷を落としたもうな!!」

 

「……宸襟を安んじられませ 向こうからも見えているでしょうから、もうすぐやみます」

 

 

 果たしてかぐやの言う通り、次第に雷光は失せ……孔も信じ難い事に塞がっていき、最後にはあのでこぼこした月の表面があるだけでした。

 かぐやは……哀しそうにお爺さんとお婆さんに向き直りました。傷はあらかた癒えたようでした。

 

 

「お爺さん、お婆さん 私は月に帰ります

本当は利用するつもりでしたが……情が、拭い難き情が芽生えてしまいました

もうこれ以上ご迷惑はかけられません」

 

「かぐやぁ……!!」

 

「おお、かぐやよ……」

 

 

 次の瞬間、かぐやは額の紋様を輝かせると消えていました。

 後には……風がそよぐ竹林と、美しい宵月があるだけでした。



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Bamboo Princess 2

「ふふん、どうよ?」

 

「大変興味深いお話ですね……こちらアップルティーになります」

 

「いい香りだわ ……ふうー」

 

 

 息を吹きかけてちびちびと啜ると、極上の甘さとさわやかさが口内に広がった。信じられないレベルの高さねこれは……。

 思わず深呼吸してがっくりと脱力すると卿燐は嬉しそうに破顔した……ように感じた。

 

 

「美味しいわ すっごい美味しい」

 

「ありがとうございます、月歌サン

それで……月歌サンも先ほどのお話のように竹からお生まれになったのですか?」

 

「ええ、お爺さんとお婆さんからそう聞いているわよ

戸籍上は年取ってからできた二人の子って事になってるけど」

 

「ではこれからますます美女に成長されるのですね」

 

「ブウゥフー!!!?」

 

「あら、まあ……」

 

 

 盛大に噴き出しちゃったけど、まだ熱いから少量しか口に含んでなかったのが幸いだったわね。

 卿燐は文句ひとつ言わずにタオルでテーブルを拭いていて、どうにもばつが悪い。

 そうして所在無げに辺りを見回していると、地下に降りる階段の奥から扉が開く音がした。あら、これってひょっとして変人共の姿を拝めるって事?

 期待半分、懐疑半分で階段を注視していると……。

 

 

「慶代さんも薄情だなー いいじゃないですか智余さんだって寂しいんですよ?」

 

「程度を下げるために下着一丁でケツをボリボリ掻きながら酒浸りになってる奴の見舞いなんざ絶対ごめんだ」

 

「俺だって一人じゃ行きたくありませんよぉ~……」

 

「あ、あんたらっ!!!」

 

 

 あたしの大声に野郎が二人とも顔を向けた。間違いないこの二人!!

 あの日福引を邪魔した男たちじゃないのよっ!

 

 

「思い出すだけでもムカつく! 弁償しなさいよ弁償!!」

 

「誰だ?」

 

「俺知りませんよ 慶代さんの知り合いでしょ?」

 

 

 なっ……憶えてないの? な、なおさらムカつくわ!

 ……あら? でもこの二人、あの時確か初対面だったわよね。

 

 

「ほらあんた達が出会った日よ! ほら、ね? 思い出したでしょ」

 

「俺たちが出会った……忘れもしないよ 成美さんの依頼に奔走したなぁ

いやーあの日から毎日濃い体験続きでさ、よほどの事じゃないと憶えてないの マジで誰だっけ君?」

 

「…………げ」

 

 

 180cmを超える金髪の大男は何かに思い至ったように視線を逸らし、片やヘラヘラと笑うまつ毛の濃いクソ失礼なガキンチョはまるで心当たりなし。

 この野郎ォ……!! 確かあの日もあたしを小学生呼ばわりしたわねコイツは!?

 

 

「福引の旅行券よ! あたしと慶代がモメてたとこにあんたが仲裁に来たのっ!」

 

「! あー! 君その子か うん、出来事は憶えてたよ」

 

「そりゃ偶然だったな鼻水娘 さぁ行くぞ情成」

 

「待ちなさい」

 

 

 呼び止められた慶代は心底面倒臭そうにあたしを見下ろした。ここで会ったが百年目よ逃がすもんですか。

 

 

「旅行券弁償しなさい! 今!! すぐに!!!」

 

「人違いだ」

 

「誤魔化し方雑っ!? あんた絶対思い出してるでしょ! さっきの反応は言い逃れ不可能よ!! それと鼻水はあんただからね!?」

 

「また当たったら弁償してやる」

 

 

 食い下がるあたしとまともに取り合わない慶代との溝は埋まらず、疲れ果て歯ぎしりをしていたあたしは、漂ってきた鼻腔をくすぐる芳醇な香りに注意を奪われた。

 

 

「こちらフルーツケーキです どうぞ召し上がりください」

 

「あっ……」

 

「じゃあな それ食っておとなしくしてろ」

 

 

 慶代が情成を連れて傲慢にのしのしと逃げ出す様と焼きたてのケーキを交互に見る。逡巡の後あたしはせせら笑って二兎を得る事にした。

 キッと情成へ視線を集中させると、額に青白い紋様が浮かび上がった。完全な円形、満月の紋様だ。視界に青白い光波がちらちらと映る。

 そのままあたしは念力で情成の腸内の粘膜をぐちゃぐちゃに掻き回した。

 

 

「オ゛ウッ!!!??」

 

「な、情成? おいどうした!」

 

 

 直後ぐぎゅるぎゅるという何やら不穏な音が情成の腹から木霊し、まつ毛野郎は内股で尻をキュッとすぼめて無言の早歩きで階段を下って行った。

 ククク……プッククククク!! あの顔! ざまあみろよバカ!! バァーッカ!! ブワァァァアーーーーーカ!!!

 

 相棒がいなくなって呆然とする慶代をよそにあたしはフルーツケーキを優雅に口に運ぶ。

 ……おいしいぃー……。熱をあえて通したフルーツの甘みと、後から乗せたフルーツの酸味が一体になって調和しているわ……!!

 これほんと美味しい、変人云々関係なしにまた来ようっと。

 

 

「ほー、ゲス笑いが漏れるほど絶品か……何しやがったクソミソバカ女」

 

「ハ? あたしが何かしたように見えるわけぇ? 勝手にあのまつ毛が下痢便特急に駆け込み乗車したんでしょ!」

 

「意味不明にキモい表現使ってんじゃねえこのアマ!!」

 

「キャア! 離しなさいよ暴力反対!!?」

 

 

 慶代に掴まれ取っ組み合いになったので、奇声を上げ白眼をひん剥き唾をまき散らし、爪で引っかいたりして抵抗する。

 面倒臭がりな性格は把握済みなのよ! これだけキチってやれば……ほぉーらあたしの勝ちねっ!!

 

 

「おま……お前恥じってもんがねえのか?」

 

「恥ずかしがって得する事でもあるの? 一円にもならないじゃないの」

 

 

 頭を掻き回して悔しがる慶代の姿に口角が釣りあがってしまう。

 ふふん、抵抗の意思はキッチリ削がれたわね。あたしが勝利の余韻に浸っていると、またもや階段から扉を開ける音が。

 情成がもう帰ってきたのかしら……?

 

 

「情成くん大丈夫でしょうか……」

 

 

 やってきたのは異様に肌が青白い少女だった。可愛い顔立ちも生気がなく、目の下には大きな隈を作っている。

 いや、情成よりこの子の方が大丈夫? 人相占いに関してド素人のあたしでも死相が出てるって分かるわよ?

 あたしは二度見の末フルーツケーキを頬張りながらも彼女に目を奪われていた。

 

 

「だんぴか ったくコイツのせいで最悪だ」

 

「あ、お客さんですか どうもこんにちは」

 

「ここ、こんにちは! あたし月歌よ あの、あんたってまだ生きてる?」

 

「あはは……遠慮のない人ですね 一応生きてますよ」

 

 

 そう言ってだんぴはにっこりと柔らかく微笑んだ。

血色は悪いけど、温かい血の通う人間であるのは確かね。

 だんぴを改めて正面から観察してみると、赤黒いイヤリングをつけていていいアクセントになっている。

 後は、リュックサックを背負っているところを見るとこれから外出かしら。

 

 

「ねえだんぴ クラスの連中や多苦磨が言ってたんだけど、これから依頼に行くの?」

 

「ええ……昨晩家出したホームレスのお嬢さんを探してほしいと」

 

「家出した瞬間からホームレス扱いはどうかと思うんだけど……」

 

「あ、いえ ホームレスの集まりから出ていった、という事らしいです」

 

「なんか話に聞いてたのと違ってつまらないわね

妖怪退治はしょせん噂か」

 

 

 ガッカリだわ。まぁでもカフェは大アタリだったしよしとするか。

 会計を済ませるとあたしはだんぴと共にドアを開けて外に出た。でも、誰もいなかった。

 多苦磨はいい。けど子分共までいないってどーゆーワケ!!?

 

 

「幽李も久瑠実もいないわ……まさか」

 

「ど、どうかしましたか? 外に誰か待たせてたんですか」

 

「ええ、きっとアイツら多苦磨にラーメンをごちそうになってるのね」

 

「ラーメンですか?」

 

「そう 佐橋ビルの見物が終わったら、あたしがおごってやることになってたの

それが我慢できなかったんだわ」

 

「た、多苦磨くんは押しに弱いですからね……はは」

 

 

 そぉーれにしても参ったわね……。あの二人携帯は常にマナーモードでバイブレーションも切ってるから。

 本当マイペースの権化のような携帯だわ、道具は持ち主に似るのね。いや自分で設定してるんだから当然だけども。

 

 

「あたしもホームレス探しを手伝うわよ いいでしょ?」

 

「えっ……で、でも」

 

「別にあんたの給料分けろなんて言わないわ 言ってみればそう……卿燐へのお礼よ

あんなに美味しいケーキは初めて食べたから!」

 

「そうですか 卿燐さんも聞いたら喜びますよ

それじゃあ行きましょうか、月歌くん」

 

「行くってどこへ? 行方知れずなんでしょ」

 

 

 あたしの発言にだんぴは困ったような表情になる。ふん、どうせ地道に聞き込みでもするつもりだったんでしょ。

 そんなまどろっこしい事あたしには必要ないのよ! よく見ておきなさい!

 困惑するだんぴを放ってあたしは懐から砂の入った瓶を取り出した。

 

 

「砂……? なんですそれ?」

 

「これはね、月の石をすり潰した砂よ」

 

「え……月の石?」

 

「今からそのホームレスの居所を、コイツで念写するわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 

 ありったけのお札を握りつぶし、定まらない帰路を彷徨い歩く。辺りは神の居城みたいに偉そうなビルが

乱立して、何者も畏怖するつもりはないように悪趣味などぎついライトが空間を支配している。

 私の視界に入るサラリーマンはうちの爺共となんら変わらないへべれけばかり、ホームレス自体に誇りを持つ気はないが、

 

 彼らを見ていると床下兄妹の孤高のプロホームレスっていうのも一応ありなのかもしんないなぁ。

 でも私は萩原のオッチャンに誓った夢があるのだ。マイホームを手に入れ、記憶にない両親を見つけること、

 それを叶えるまでは例えどんな差別や困難にぶち当たろうともソウリはめげないぜ!

 

 

「……アァ…」

 

 

 そうは言っても疲れた体は崩れ落ちて、気合と根性では叩き起こせない。

 フドウサンヤが駄目なら……かくなる上は眠れる街の美女作戦だ!

 要は動けないから誰か優しいおにいさんに助けてもらうのを待つのみという、極めて運任せな最終手段なのだ。

 あれ? でも待てよ お姫様とかお嬢様ってどんな風に喋るのかな

 流石にホームレス姫と7人の盗人だと知れたらどんなに優しい人でも助けてくんないだろうなぁ……。

 

 

「あんた、萩原草梨ね?」

 

 

 え?

 

 

「は、はぁーい わたくしめがソウリでございまするわ旅のお方よ」

 

 

 反射的に体を起こしつつ、ヤケクソなお嬢様言葉で取り繕う。

 そこに居たのはふんぞり返った赤おさげの少女と、おそらく憑き物かなんかのこれまた少女だった。

 ソウリの返答を聞くや否や、猛烈に嫌な予感のする笑みを浮かべ。

 

 

「感謝しなさい この櫛灘月歌サマがあんたを捕まえてあげる

あんたに 拒否権は ぬぁぁああい!!!」

 

「断固拒否するぅぅぅぅぅーーーー!!!」

 

 

 なんじゃいこの女の子!? 額が青白く発光し、得物を捕食する勢いで私に飛びかかってきて……。

 

 

「おゲらポッ!!!??」

 

 

 ……横合いから猛スピードで左折してきたチャリに轢かれて、謎の女の子はぶっ飛んでしまった。



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Bamboo Princess 3

「おっと、やっちまいやした」

 

 

 轢いた張本人の女の子がのんきな声を上げると同時に、跳ね起きるように私は月歌ちゃんを介抱した。隣にいた憑き物の子もただでさえ青い顔を更に青ざめさせて駆け寄る。

 やばいやばいってどうしよう! 脈! 人工呼吸? 解剖!? 応急処置ってなにすんだ!?

 ところがどっこい当の月歌ちゃんはすぐさま起き上がり砂を払うと、何事もなかったかのようにチャリの子の前に躍り出たのだ。

 

 

「あんたまた轢いたわね!? 今月二回目よ二回目!!」

 

「あれそうでしたっけ? 半年にいっぺんくらいだと思ってやしたが

ノルマ超過ですなぁ」

 

「誰よそのノルマ課したやつ!? ここに引き出しなさい殺してやるわッ!!」

 

「お、落ち着いてください月歌くん! 興奮しないで……」

 

「え、えーと……大丈夫? 月歌ちん」

 

「ふん、慣れっこよ 心配ならこのミルミラとかいう危険運転女にすれば?

脳みその心配とぶっ壊れた自転車の心配をね!」

 

 

 月歌ちゃんの視線を追うと、自転車の前面が確かにひしゃげて完全に壊れていた。

 慣れっこ……? あんたの肉体は大型トラックか何かなの?

 おまけに金髪少女ちゃんまで怪我一つなし、この人達人間じゃねえ……。

 

 

「まったく……あたしじゃなかったら大けがよ分かってんの!?」

 

「いやあ、どーもすいません あんまりにもウザかったのでつい……」

 

「あんたよりはウザくないわよ!! ふんだ! もう知らないからっ」

 

 

 そう言って月歌ちゃんとミルミラちゃんはお互いに別れて行ってしまった。えぇ……。

 人が轢かれたのに今のでいいの? あの二人半年にいっぺんこんなことしてんの?

 月歌ちゃんの頑丈さにあきれ果て肩を落とした私は、ふと困り眉でにこにここちらを見ている顔の青い亡霊ちゃんに気付いた。

 

 

「…………」

 

「えと、的場という方の依頼で、萩原くんを保護しに来ました」

 

「ソウリは絶対帰りましぇえーん!!!」

 

 

 狂乱暴力爺の差し金だったのか!? 保護とは正反対の人物に捕まってなるものか。

 下でに出ながらもじりじりと距離を詰めてくる可愛らしいゴーストちゃんにこちらも引き攣った苦笑で返す。

と、その時月歌ちゅんが真っ赤な顔をしてとてとてと帰ってきた。

 

 

「だんぴ! どうして止めないのよ!? あのまま帰ったらあたしがアホみたいじゃないの!!」

 

「えっ……あ、飽きたからお帰りになるのかなと」

 

「怒りで忘れてただけよ! あそこで止めてくれればギャグで済んだのにっ!!」

 

 

 お、なんか仲間割れ? しめた! 逃げるなら今しかない!

 この子たちの仕事を邪魔したい訳じゃないけど、あたしにも譲れない夢があるのですよ!

 

 

「!! 月歌くん、萩原くんが……」

 

「話を逸らすな!!」

 

 

 頼む、あと少しでいい……動いてくれアタシの身体! マイホームへダアァァアッシュ!!!

 誰かこの有り金で家売ってくれーーっ!!

 走って走って走り抜けるうちに、二人の言い争い……といっても月歌ちゅわんの喚く声だけど、それは完全に聞こえなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ……ふう」

 

 

 あたしが萩原草梨を取り逃がしたことに気付いたのは、相当後になってからだった。

 自分でも分かってる、怒り過ぎだと。喧嘩を売る相手を選ばないと失敗に気づかぬうちに殺されるだろうことも。

 

 何度も直そうとした。こんなんじゃ誰も好きになってくれないって思った。

 お爺さんとお婆さんが死んでから、そんなあたしを今まで受け入れてくれたのは幽李と久瑠実だけだった。

 久しぶりにあの二人と離れてみて……あたしに驚かない連中と過ごして、自分の悪癖を強く意識せざるを得なかった。

 自己嫌悪というにはあまりに後の祭り。本当に良いのは後悔する前に制御する事なのに。

 

 

「ご、めん だんぴ」

 

 

 蚊の鳴くようなか細い声。……謝って済むことじゃない。

 謝るだけで仲直りできるのは子供の頃だけだ。大人になってからは、今後の付き合い方を吟味する思考が生まれる。

 要は今謝ったのと同様の事を今後も繰り返すのかどうかという事。あたしは……見てれば分かったはずだ。

 

 とどのつまりあたしは人間じゃないんだろう。人間ならできて当たり前の気遣いができない。

 こんな思いをするなら、かぐや姫なんかに……生まれたくなかった。

 

 

「仕事に付きまとって、あまつさえ取り逃がして……ごめんなさい……」

 

「いえいえ、いいんですよ 月歌くんはすごい力をお持ちですし、僕ではそもそもああやってすぐに見つける事さえ出来なかったでしょう」

 

「……ほんと? 許してくれる?」

 

 

 だんぴは苦笑しつつ何度も首肯してくれた。視界が潤み、体の奥底から力が湧き上がってくる。

 みっともない泣きそうな姿。子分たちには見せられないけど……本当に久方ぶりに許しの感情を与えてくれた新しい友人には見せてもいいわよね。

 

 

「もう一度チャンスをちょうだい! 今度こそ絶対仕留めてみせるわっ!!」

 

「ええっ 仕留めちゃ駄目ですよ!」

 

「言葉のあやってやつよっ いいから見ていなさい! ESPとPKLTの高度な複合技をね!!」

 

 

 あたしはそう言って月の砂を辺りに振りまいた。すると一粒一粒が宙で静止しまるで星の残光のように眩い煌めきを見せ始める。

 その温かな光に包まれた輝きは、やがてミルキーウェイとなってあたしを導く。遠く軌跡を辿る様に萩原草梨の居場所を追っていき、ついにその姿を光の海に捉え幻惑した……!

 やったわ! 大成功っ。

 

 

「さ、行くわよだんぴ あんた方の事務所へね」

 

「えっ……佐橋ビル、ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅー、我ながら完璧な逃走経路 こんな辺鄙(へんぴ)な路地裏誰も気づきゃしないだろう」

 

 ぐぅ~~~~。し、しまった……お腹が極限まで減っていたのを忘れていた。

 ぺったりした髪を掻き、右手で腹の虫を圧殺し、ふと気づいたように振り返る。こんなとこに扉あったんだ……。知らなかった。

 空腹を紛らわすように扉に興味を惹かれていると、通りから慌ただしい足音が聴こえてきたので咄嗟に正面に向き直った。

 そこから現れた真っ赤な三つ編みの女の子は口に手のひらを当て、わざとらしく驚いてみせた。

 

 

「あっらぁ~? あらららら?」

 

「あっれぇえ!? あれれれれ!!」

 

 

 月歌ちゃんだった! どど、どういうこと!? あれからあたし全力で撒いたはずなのに!?

 満身創痍のソウリちゃんにもはや走れる余力は全くない。

 心底感心したような幽霊ちゃんと二言三言会話した後、月歌ちゃんは妙に凛々しくこちらにゆったりと歩いてきた。

 

 

「逃がさないわよ あんたの考えなんてぜぇーんぶお見通しなんだから!」

 

「そ、ソウリのアメリカンドリームがぁ……」

 

「……今度」

 

「はよん?」

 

 

 なにやら俯いてごにょごにょと口ごもる月歌ちゃん。何事かと顔を覗き込んだ私は、意を決したように顔を上げた月歌ちゃんに心を奪われた。

 いや正確にはその瞳。そこには流星のようにソウリの汗と涙と憤怒の苦労の連続が映っては消えていた。

 呆気にとられ、それでも眼だけはその瞳に釘付けになる。

 

 

「あたしの家に来なさい マイホームを手に入れるまでの間、置いといてあげるわ

……お金なんか取らないからさ」

 

 

 月歌ちゃんは、すべてを理解し許容したかのように慈愛の微笑みを浮かべていた。

 あの時理不尽に怒鳴り散らしていた姿は影も形もない。一瞬、会ったことも無いのに母親の朧気な輪郭が月歌ちゃんと重なった気がした。

 

 

「……げ、げげ、月歌ちゅわん! いや月歌王子様!

あた、あたしをどうか家来に! 家来にしてくだせえー!!」

 

「こ、子分や弟子なら取ってるけど家来は嫌よ! 給料払わなきゃいけないじゃないの!!」

 

「理由がセコいです月歌くん……」

 

 

 子分? つまり月歌ちゃんいや、ゲッチャンは当面あたしのママになるのか! うふん素敵ね。

 しばしゲッチャンの無償の愛情に浸っていると、驚くことに二人とも扉に入るようだ。

 

 

「え、ここ入るの? なんで?」

 

「ふふん、ここがあんたを捜索するように頼まれた、探偵事務所的な場所だからよ!

あんたは自分で知らないうちに追い込まれてたってワケ」

 

 

 撒こうと考えていたのに実は自分から罠に突っ込んでいたなんて……。

 あたしの頭じゃどうやったのか到底考えもつかないや。

そうと決まれば最初の大仕事!

 

 

「ゲッチャン! あたしが扉開けるね!」

 

 

 そして扉に手をかけ勢いよく開くと、やたらまつ毛の長い憑き物二号がふらふらと佇んでいた。

 

 

「ウ……ウウ゛……ウンコォ……」

 

「ホ、ホギャーッ!!! 化け物ーーーッ!!?」

 

 

 絶叫したゲッチャンは両手を上げて一目散に逃げだしてしまった。大丈夫かこの幽霊屋敷は。

 ていうか的場のオッチャンはあたしをウンコの憑き物に捕まえさせようとしてたのか、地獄に堕ちろ。

 

 

「しょ、紹介します 佐橋ビルの社員の一人、深口情成くんです

け、決して化け物ではありませんので……」

 

 

 やがて戻ってきたゲッチャンと一緒に一階の妖しいカフェでお茶をご馳走になり、あたしたちはホームレスの溜まり場に向かった。

 ゲッチャン家で暮らすため的場のオッチャンを説得するらしい。でもあたしがオッチャン共の保護者みたいなものなんだけどなぁ。

 手を繋いで歩いていると、不意にゲッチャンがこちらを見上げてきた。

 

 

「ご両親……見つかるといいわね ていうかあたしも見つけるの手伝うわよ」

 

「え? ソウリその事話してないと思うんだけど……」

 

「なんとなく直感で分かったのよ あたしは気遣いは下手だけど、気を探るのは得意みたいだから

……今日気づいたんだけどね あたしもまだまだ捨てたもんじゃないみたい」

 

 

 そう言って、ゲッチャンはお月様のような穏やかな表情で微笑むのだった。めでたしめでたし。



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戦国からの侵略者 1

「今だ! 敵を半包囲して中央突破を誘え!!」

 

 

 最強の不良と聞くと、多くの人は身長二メートル超えの強面サングラスなんかを思い浮かべるのだろう。

 あるいはモヒカンじみた手下を大勢従える大金持ちのバカ息子か。

 

 

「よおし!! 半包囲部隊反転し、正面の主力部隊と混乱する敵を挟撃する!!」

 

 

 二人とも個性的ではあるが、いかなる武勇や配下を以てしても所詮不良の域を越えはしない。

 最強の不良の話をしておいてなんだが、俺が身を懸けている最強の不良はもはや不良とは呼べないのだ。

 彼はヤンキーの学生集団を精強な軍隊に鍛え、敬服させる指導力と統率力の智を携えている。

 そして敵対チームはもちろんのこと、我らを捕えに挑む警察を掌の上で転がす鬼謀。

 最強という、あらゆる益荒男(ますらお)共の憧憬と尊敬を一挙に集めるその軍神は。

 

 

(しるべ)、最終的な彼我の損害は?」

 

「うむ 向こうさんがパトカー三十台大破、この数字はもう増えない 機動隊二百ないし二百五十人が戦闘不能になるだろう SWAT隊員二十名戦闘不能

こっちの逮捕者が初戦で八人、別動隊に二人だ もっとももう解放されたが」

 

「死亡者はいないか 記録更新、上出来だな

では終わり次第物資、特に拳銃とテーザーガンを接収するように各部隊に通達してくれ

結婚指輪など、財産の略奪は固く禁じる 破った者はわが軍を永久に追放するともな」

 

 

 葛城涙夏(かつらぎるいか)坤輿(こんよ)において彼以外に相応しい者はいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

『私共東京府警は、少年K等グループの確保に思いのほか時間を要している事を、重ねてお詫び申し上げます……

今後は他県警との協力も視野に入れ、一日も早い逮捕に尽力してまいります……!』

 

 

 TVに映った警察のお偉いさん方が一斉に頭を下げる。大量に焚かれたフラッシュは頭皮で反射され一層まぶしい。

 その哀れな姿にささやかに同情しながら、俺は湯飲みに口を当て、ずぞぞぞ、と緑茶をゆったりと(すす)った。

 

 

「他県警からの応援か……今度は一体何人増えるか」

 

「でも勝算がないわけじゃないんだろ、兄貴」

 

「まあ当分は暴れてみせるさ 向こうも警察である以上、勝てないから逮捕を諦めましたなんて言える立場ではない

一個人の私兵、それも少年達に警察権力が屈するなど、国家機構全体を崩壊させかねないからな それは俺も望んではいない

とにかく、警察だけでは手に余るとおかみが判断したとき、そこに勝機があると俺は踏んでいる」

 

 

 そう言ってニヒルに、かつクールに微笑む兄貴はおおよそ美男といわれる条件を全て揃えていた。

 整った鼻筋に桜色の唇。シュッとした端正な輪郭。ナチュラルに纏まった小洒落た銀色のくせ毛。聞くものを痺れさせる重厚な漢らしい声。なかでも目が異様に魅力を放っている。

 まるで名刀の切っ先かというほど鋭利な目。何者にもおもねらないと言いたげな黒い野良猫の眼光だ。

 だがそんな兄貴でも、俺と顔の良さはそう変わらないと評す辺り、あながち審美眼で自身を曇らせずに映すのは困難なのかもしれない。

 

 

「警察の手に余るっていうと……国防軍か?」

 

「ああそうだ だが軍が、例え巨大勢力とはいえ一犯罪者に矛を向けるなど前代未聞

俺たちが自らを、テロリストであり日本を転覆させる意志あり! と宣言しない限りは違憲だ

まだ警察が健在なのに子供相手に栄えある国防軍を出したとなれば、政府が批判されるのは避けられないだろう

そこに交渉の余地が生まれる」

 

「兄貴は、軍と一戦交えて世論を沸騰させる気かい? うぬぅ……正直神経を疑うぜ」

 

「安心しろ、勝つ自信はあるが勝つ気はない 死せる孔明が仲達を走らせるが如く上手く負けるさ

幸いな事に政府では俺の事を"楠木正成(くすのきまさしげ)の再来"とか"今劉秀(りゅうしゅう)"なんて呼んで過大に恐懼してくれてるそうだしな

なかなかどうして、勤皇家でもなく温厚ですらない俺にはもったいないお言葉とは思わんか?」

 

「前者については拠点をあっさり手放し、必要に応じてこれまたあっさり取り戻して見せるところが実に大楠公(だいなんこう)らしい

後者の方は中華史にさほど詳しくない故分からないが、俺が思うに兄貴は、必要な事とはいえ世間を引っ掻き回して悪目立ちしてるのが真田安房守(さなだあわのかみ)殿だなぁと」

 

「辛らつだな だがそれも謀略家としては高評価の内に入るって事に気付いてるか、ひねくれ者」

 

「ふっ、勿論承知の上だ」

 

 

 互いの笑い声と共に話を切り、紅一点の差し入れである菓子折りをいただく。

 政府の激発を誘うには常にこちらが戦局の主導権を握り、相手を後手に回らせ予測不能な展開に疲労困憊させるのが重要だ。

 焦りによって人は判断力を鈍らせるし、偉い身分であればこそ現体制の保護には人一倍執心する。

 

 

「兄貴はもう思い至ってるだろうが」

 

「構わん、どんな些細な事でも言ってみてくれ それが参謀としてのお前に望む部分だからな」

 

「じゃあ……今回も警察はわざわざ手の内を記者会見で明かしてくれた

他県警からの応援を迎えて合力し、俺たちを討つと おそらく政府も同様に考えているんだろう

だが……それは彼らの予定であって、俺たちまでそれに合わせてやる必要はない」

 

「敵の戦力が分散している内に、各個撃破を狙う……と

どの県警に動きがあるかは俺や加奈のスパイ網で簡単に割れるしな」

 

「ああ おそらく政府も度肝を抜かれるはずだ」

 

 

 そこまで話したところで、幹部の一人である森野兵部(もりのひょうぶ)が部屋に入ってきた。

 しきりに眼鏡の位置をいじり唸りながら恰幅のいい体を揺らしている。

 

 

「涙夏、よくないイレギュラーが発生したよ 鐵綾子(くろがねあやこ)率いるライフが東北から凱旋してくるみたいだ」

 

「あの女流チンギス・ハンか…… 暴走族は嫌いだ、安眠妨害だからな

奴らが自ら破滅への一本道を爆走したいのであれば、望み通り撃砕してやるまでだ」

 

 

 なるほど、ライフか……。騎馬民族の最大の長所は、戦力をまるごと大移動させる事ができるという点にある。

 これをうまく利用できないか?

 

 

「兄貴、政府を最大級に刺激できる方法を思いついた」

 

「教えてくれ」

 

「警察を各個撃破した後、大阪城に入る

大阪城は新国会議事堂のある京都の後背を(やく)す位置にあるし、ライフも俺たちとの決戦を意図しているだろう

ライフの行軍速度には目を見張るものがあるから、短期間で追いついてくるはずだ

首都である京洛(きょうらく)でいきなりドンパチやるとなれば政府の激発は十分あり得る」

 

「よし、その案でいこう 俺たちの新たな戦略目標は大阪城だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、慶代さん! こんにちは」

 

「慶代もえ! こんにもえよ」

 

「おうリリアナ 情成はこれから依頼か」

 

 

 いつものように事務所に入ると情成が一通の手紙を持っていた。

 多分これから出かけるんだろう。

 

 

「はい、まあ例によって一人じゃないんですが……」

 

 

 うさぎ以上に寂しがりやなコイツは今まで単独で依頼を受けた事はほとんどない。

 

 

「だろうな わざわざ申し訳なさそうにすんな、どうせ多苦磨だってんだろ」

 

「どうせとはなんだ 情成は純情だからお前みたいなアホのチンピラと組んだら地獄街道まっしぐらなんだよ」

 

 

 とりあえず教師紛いのバカをぶん殴ろうと思ったが、これ以上情成を困惑させるのもアホらしくなり睨みを外す。タコ野郎が。

 

 

「ったく、うっせえ野郎だ……レイーノ、そこまで頼む」

 

 

 壁に掛かった地図の印に指を指すと、何か気づいたのかリリアナが妙に目を輝かせて俺を見上げてきた。

 

 

「慶代……もしかしてデートもえ?」

 

「ちげぇよ」

 

「もえ……なんか歯切れが悪いからそうだと思ったのに~」

 

「女の勘て奴か? でも生憎色恋沙汰じゃねぇんだ ちょっくら慚鬼(ざんき)に会ってくる」

 

「な~んだ綾子だったもえ 綾子は初心だから恋愛は千年早いもえね」

 

「ザン鬼!? 慶代さん鬼に会いに行くんですか!

ザンキ・アヤコさんとかじゃないですよね! 俺も会ってみたいなぁ」

 

 

 鬼と聞いた途端に目の色を変えて迫って来やがった。少しは怖がったらどうなんだ……まるでどこぞの戦闘民族じゃねえか。

 

 

「機会があればな、悪いが今日は少し急いでんだ」

 

「ええ、楽しみに待ってますね! いってらっしゃい」

 

「慶代しゃん、もいもいよ」

 

 

 尻尾が生えていたら振ってそうな情成との別れを済ませ、レイーノの摩訶不思議な髪のリングへ飛び入る。

 景色は刹那に見慣れたガレージへと移り変わり、姉ちゃん……鐵綾子から貰った創痕まみれのドラッグスターが鎮座して待っていた。

 バイクにうっすら溜まった塵を払い、跨ってキーをいれる。

 メットを被り静かに一呼吸置き、俺は静黙を終えたボロバイクと共に少ない街灯の中を突っ走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 意図したものではないでしょうが、今こうして私たち白バイ警官隊と対峙するライフの面々の愛車は、黒っぽい配色が多くの割合を占めていました。

 ドルン、ドルンと調子に乗っている不愉快な重音は否が応にも彼らの獣性を高めている様子。

 数の上ではこちらが有利、国道を封鎖して小細工なしの正面決戦。私達も警官ですから腕に自信はありますが……それでも恐ろしい。

 

 鐵綾子……噂ではビルを素手で破壊するとか。そんなスーパーマンのような評価を受ける二メートル超えの彼女も、美女と言っていい顔には何の変哲もない。

 ただ観察するに同じ女性ライダーとして正気を疑います。腰まで伸ばした灰色の髪は、さらさらと風に吹かれ纏められていない。

 一歩間違えば車輪に巻き込まれ……どうなるかは想像したくもない。おまけにノーヘル。

 その狂気に侵されたスタイルは、例え荒唐無稽(こうとうむけい)な噂でも信憑性を確かに感じさせるものですね。

 

 

「お仕事の最中で悪ぃが、ここ通らせてもらうぜ」

 

 

 鐵が落ち着いたハスキーボイスで私たちに宣言する。その平静さは私たちにノーの選択肢はないと暗に示している様でした。

 威圧を押しのけ警戒態勢を維持すると、彼女はこちらの意思を受け止めたのか、ゆっくりと愛車から身を下ろす。

 

 鐵は、尾ひれのついた話でしょうが……人身事故を起こしそうになった時、自らの愛車を空中に放り投げて轢くのを防いだと言うから人情も(あつ)い筈。

 被害が甚大でも恐らく殉職者は出ないだろうと、そんな希望的観測を無視するように、鐵の眼が据わる。

 入り乱れて殴り合う混戦を予想し警棒やテーザーガンに手をかけていた我々は、一瞬何が起きたのか分からなかった。

 鐵が標識に手をかけたかと思うと、人の何倍速あろうか分からない程の敏捷で左翼の白バイ群は解体されていた。

 

 信じられない。標識を見えない速度で刀のように振るい、タイヤやフロント部分を切断するなんて!

 発砲する……? 見た目は人間なのに? それでもし死んだ場合、どう言い訳する? この大暴れ、膂力、訴えたところで誰も信じるはずがない。

 パニック映画の生贄に自分が選ばれて少なからぬ動揺を覚えていると、背後から声がかけられ控えめに肩が叩かれた。ハッと思考の海から意識が浮上しそちらに振り返る。

 

 

「大木警部補! し、指令をッ!! 指令……!」

 

「三木巡査部長……で、では機動力を失った左翼部隊を内側にして下がらせつつ、麻酔銃による狙撃に切り替えてください

人間用の麻酔が通じるか怪しいものですが、接近戦の愚を犯すよりはましなはずです」

 

「りょっ、りょーかいしましたっ!」

 

 

 小動物のように震える三木佳代子巡査部長はたどたどしい敬礼で私の指令を受け取った。噛み噛みになりながらも無線で私の指示を各部隊に伝えてくれている。

 ……いけない。私が平静でなくてどうして部下たちが冷静さを保っていられるというのでしょう?

 ここで持ちこたえなくては後続のライフのメンバーに防衛線を突破されてしまう。なんとか鐵の動きを止められないものか。

 そこまで考えて、先ほど感じた可能性を思い出す。鐵の髪の毛を車輪に……。

 

 

「三木巡査部長、貴女は鐵が人間に思えますか?」

 

「はい!? た、多分人間ではあると本官は思うのですが……」

 

「なるほど、では特殊ネットの扱いに長けた第十部隊に通達してください

鐵の顔をネットに絡め捕り後方にのけ反らせて欲しい、と」

 

「了解しましたっ! あの、ちなみに……本官が人間じゃないと言った場合はどうしていたのでしょうか?」

 

「眉間に発砲してのけ反らせようと思っていました」

 

 

 恐らくそれで脳天を貫通しても、この場にいる者は誰も責めないでしょう。

 むしろ脳天に銃弾が直撃したところでのけ反りすらしない可能性もありますが……。成功を、神に祈るだけです。



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戦国からの侵略者 2

「はぁー……」

 

 

 拳銃から放たれる弾を腕で払う。弾はどうやら針状だったようで、紫紺のライダースーツを貫通して刺さっていた。

 まさか小熊みてえにおねんねさせて、人里離れた野山に帰すつもりか。

 自分たちがいつ殺されてもおかしくない状況下で、バケモノの人命を尊重してくれるとは……それって、同僚の人命を一番軽視してるんじゃねえか。

 

 法と秩序のために犠牲になる気概は見上げたもんだが、勝てない相手と分かり切った上での特攻なんざ、上っ面だけ崇高な自己満足、どれだけ美化しても結局は自殺だ。俺を本気でブッ殺す気なら別だが……。

 でも発砲してこない辺りこいつらにその気はねえ。徹底して規則に縛られた人間達だ。ここはも一つ脅してお家に帰らせてやるか。

 

 

「……な、何してるんだ鐵のやつ……?」

 

「ガソリンタンクを解体してる!?」

 

 

 白バイから取り出したタンクを力任せに引き裂き、髪の毛を浸すとどよめきが沸き起こった。

 数秒の沈黙が場を支配して、全員の視線がこちらへと向くのを待ってから、俺はガソリンが染み込んだ髪をタンクから引っ張り出す。

 そして連獅子のように豪快な、かつ超速の動きで髪を振り回し、その摩擦熱で小さく火花が散った。

 瞬間、世界の終わりかと思うほどの業炎が爆ぜた。散らばっていたスクラップのタンクが次々爆風で破れ連鎖的に大爆発を引き起こし、道路上は火の海というのもまだ生ぬるい爆炎地獄に堕とされた。

 その様を見せつけてから、俺は全身火だるまになったまま警察の密集地帯に全速力で接近した。

 

 

「バイクを道路脇へ除けさせなさい!! 退避! 退避ーッ!!!」

 

 

 誘爆の危険に浮足立った警察が次々脇へ逃げていく。……だが、路上に一人だけバイクを乗り捨て拳銃を構えた親玉がいた。身長は中々大きく、少なくとも180は確実に越えている。

 そいつはヘルメットで顔を隠しているが、それでも仕草から女だと分かった。一瞬視線が交差する。

 全速力で飛んでくる火の玉に、ソイツはじっと狙いを定めて。

 

 

「鐵ええぇ!!」

 

 

 発砲せずに転がって俺を避けた。稀に見る度胸のある女だ。

 まぁともかくこれで俺を遮る奴は誰もいねえ。走りながら、真空が生まれるほどの轟速で回転し消火する。

 さて、ライフのがきんちょ共ともこれを機にお別れだ。葛城のクソガキは軍隊レベルの戦術を備えたチンピラを飼ってるそうだし、うちのボウズが太刀打ちできる相手じゃねえ。

 サツが乗り捨てた白バイで突っ切っちまえば誰も炎の壁を越えては来れないだろう。

 

 

「あばよてめえら! こっからは俺一人に任せな!」

 

 

 振り向いて最後に一言餞別をくれてやると、僅かに獄炎の後ろに覗くバイク群に変化があった。

 三人。全体数からすればたったの三人だが、この場合命知らずとして多すぎる数が単車を全速でブッ飛ばし、炎の壁を跳んで乗り越えてきた。

 呆れて言葉も出ずに立ち尽くしていると、俺の話を聞いていないとでもいうのか、ついてくる意思満々の瞳が目の前に並んでいた。

 

 

「ここでお別れなんて、俺嫌です! 最後まで綾子さんの爆速伝説見届けさせてください!!

走り専門なんで喧嘩に自信はないですけど、綾子さんのマシンは俺がキッチリメンテしますんで!」

 

 

 ポップなゴーグルを額に上げた、まだ思春期も知らないような無免中坊、高純達芽(たかずみたつめ)がにこにこと俺に微笑む。

 獄炎を切り抜けたからには帰らせるのは不可能だろう。昔の弟みてえに可愛げのあるガキを戦地に連れ出すのは気が乗らねえな。

 にしても、こいつは俺の事を特撮に出てくるスーパーマシンか何かだと思ってる節があるな……。

 

 

「綾子の姉御! 俺達を置いていきたいなら次はマグマを用意しておきな! それだって俺達を止められないだろうがよ」

 

 

 赤髪に黄色のメッシュ、見てるだけで目が乾きそうな熱い眼光。まるで炎を擬人化したような男、多岐生我(たきしょうが)がデカい声を張り上げる。

 おいおい、いつもの炎みてえな髪だと思ったら普通に頭燃えてるじゃねえか……。優しく頭を叩くようにさりげなく火頭を消火する。

 改めて後ろを振り返れば他のライフは素直にUターンして帰路についていた。炎の壁で分断されている内に逃げ切れるだろう。

 ……そして、まるで我関せずといった態度で難しそうな本を熟読している石黒楓(いしぐろかえで)。ザマス口調のオバハンがよくつけてる、鋭角に二等辺三角形を描く眼鏡を知的な仕草でクイ、と直している。

 

 

「楓、てめえはなんか言う事ねえのか?」

 

「……そうッスね、他に見たいモンもないのでご一緒させてもらいましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怖いくらいに楽勝だった。警官一人一人は優秀ではあるのだろうが、軍隊の真似事をさせられている内はツキがやってこないだろう。

 作戦参謀の標、そして後方支援参謀の森野と一緒に特設された処刑場に向かっていると、こちらに手を振る浅黒い肌の女が見えた。ろくに手入れされてない髪がそよいでいる。

 怜悧な印象を受ける強い瞳が特徴の川崎広(かわさきひろ)……男女観を拗らせた哀れな女だった。

 東京に住んでいるはずだが、わが軍を見物にでも来たのだろうか?

 

 

「やあ葛城 通算五回……六回? 作戦の成功おめでとう

しかしあれだな お前は敵にはそこそこのテンションでかかるくせに、味方を折檻する時だけ異様にやる気を出してるぞ

その内誰も新規参入しなくなるんじゃないか?」

 

「それならそれでいいさ 最低限……二十五人の家来がいれば俺は誰にでも勝てる」

 

「ふうん…… あ、そうそう この後暇なら空手の試合をしないか?」

 

「その提案だがな、俺自身が私刑を行うから今回は見合わせだ」

 

「兄貴、何もそんな」

 

「おっと、止めてくれるな標 たまには喧嘩の腕もあるところを示さないとな

知恵だけじゃ奴らは完全に納得してくれん」

 

 

 制止を促す力強い視線が俺の右腕である"ポン刀の偉頃"こと偉頃標(いころしるべ)から真っすぐに突き刺さる。

 今までこんな度し難い俺が生き残ってこれたのは標からの数々の助言のおかげだ。

 ……だから今回も素直に聞き入れる。

 

 

「分かった 諦める」

 

「ああ、だが兄貴の言う通りこの業界は喧嘩の腕がすべて いかに兄貴が"柏中の女王蟻"として場数を踏んでいてもだ

だから折衷案がある タイマンならやってもいい」

 

「物足りないな」

 

「どうしても物足りないと言うなら俺に前哨戦を任せてくれ 右腕が喧嘩をしても兄貴は威光を示せる

俺だってその為なら馬力も出るってもんだぜ」

 

 

 まったく、俺には危険だと言いながら自分がやると言いやがる。頼れる弟分のためにも、心配させず華麗に仕留めてやるぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉が開け放たれる。そこには磔にされた七名の罪人がいた。人数が増えるとどうしたってこういう品の無い連中は紛れ込む。

 全員軍律に背いて略奪及び婦女暴行に手を染めている。追放する前にキッチリと落とし前をつけるのが俺達の鉄則だ。例外など存在しない。

 

 

「その内のどれでもいい 自由にしろ」

 

「……了解」

 

 

 背信者を捕えた憲兵総長である灰爪尋人(はいづめひろと)が兄貴の命令を受けてロープを力任せに引きちぎると、目隠しされていても分かる、貪欲な餓鬼のような面が地面に転がった。

 尋人が今度は目隠しをとってやると、砂まみれになりながら眩しさに悶えている。

 

 

「名前は?」

 

「う……ぅ、滝原(だきばら)……龍平」

 

「喜べ滝原、お前にはチャンスをやろう 俺をタイマンで倒せば罪を不問にしてやる」

 

「……マジでか?」

 

「ああ 本当だとも」

 

「……葛城さん、確かにあんたのチームは連戦連勝かもしれねえ」

 

 

 滝原がゆらりと起き上がった。もう光に目が慣れたのだろう。

 

 

「けどよ……チームは勝ったのに、あんた自身はノックアウトされてた事もあるって聞いたぜ」

 

「事実だ 勝敗ってのは戦う前からすでに決まっててな 跡目争いなど盤外の問題に目を瞑れば、大将が健在かどうかはさして重要ではない」

 

「いいのかよタイマンで 泣き叫んだって兵隊は助けに来られないんだぜ」

 

「ああ お前程度ならな」

 

 

 兄貴がそう挑発した直後、滝原は兄貴にタックルをかましていた。

 マウントポジションを取るためだろう。悪くはない判断だが……それが誘導された思考だという事に気付いていない。

 

 

「ひぎゃぁぁあああああ!!」

 

 

 兄貴の見事なカウンターによって滝原は容赦なく両眼球を引き抜かれ、反射的に両手で顔を覆った。誰でもそうするので仕方がないといえばそうなんだが、この場合これから先の手を読むどころではない。

 一流の戦術指揮官は、こういう劣勢や混乱をいかに早く立て直すかの能力が大事だが、タイマンでもやはり冷静に対処できるものなんだろうか。

 

 この時点で、戦争で言えば滝原軍は恐慌状態の上潰走(かいそう)状態であり、すでに勝敗は決している。

だが兄貴は追撃戦が最も戦果を挙げることを知っているので手を緩めない。

 右腕でチョークスリーパーを極めると、左手をだぼだぼのワイドパンツの中に滑り込ませ金的を握った。

 今、滝原の錯乱(さくそう)しきった脳内では次の情報が駆け巡っている。

 1、息ができない。

 2、目が見えない。

 3、タマを握られている。この錯綜の均衡は長くは続かないだろう。

 まず目が見えないことはこの際おいておくしかない。次にチョークといっても片手だ、両手で全力で引っぺがせば解けるかも。

 だがここで問題が発生する。果たして首の極め技を解いている間にタマを潰されないだろうかと。

 そうしている内に酸素を失って滝原の顔は真っ赤になっていく。奴に残されたのは二択……降伏か後先考えずの発狂か。

 注意深く冷徹に滝原の様子を観察していた兄貴は、滝原が何か言おうとしたのに先んじて問いを発した。

 

 

「首かタマか、どっちを取る?」

 

 

 この言葉に、せっかく纏まり始めていた滝原の思考はまたも錯綜した。

 冷静に考えればこの問いに何の意味もない事が分かるはずだ。なぜなら絞め落としてからタマを潰せばいいだけだから。滝原の了解を得る必要はそもそもないのだ。

 だが追い詰められた滝原は、この交渉が成立すると思わざるを得ない。

 正常性バイアスといって、危険な巨大地震や火災事故でも、人はその場にとどまって様子をみてしまうという極限心理。

 

 無論今なぜそんな交渉を持ち掛けるのか? という疑問も思考の隅っこにはあるだろう。だが目の前にぶらさげられたより都合のいい未来の前には無意味だ。

 そして貴重な時間を浪費しながら、滝原はすでに敷かれたレールの上をお利口に、哀れに進み続ける。滝原が「タマは潰さないでくれ」と発言しようとした時。

 びくん、と滝原が跳ねた。想像したくもないが、タマを潰されたのだろう。

 数秒後放心状態から脱して暴れる滝原だったが、その時にはすでに完璧なチョークスリーパーが極まっており、またうつ伏せに捻じ伏せられていたため全く身動き一つ取れないまま絞め落とされた。

 その冷酷なほど鮮やかな涙夏流にギャラリーも大満足したようで、喝采が沸き起こった。

 

 

「じゃあ幹部会に行くか標、森野 次の戦術作戦案を立てないとな」

 

「あ、ちょ涙夏!? タマ触った手で動き回っちゃダメだよ!」

 

「ああ、確かに! 水道どこだ」

 

 

 裸ん坊の面倒を見る母親のように兵部があれこれ動き回る。さっきの緊張感はどこへやら、すっかりコントだ。

 ようやく二人を連れ出して扉が閉まると同時、振り返って僅かに同情する。彼らはただ勘違いしただけなのだ。

 葛城涙夏という人間を、自分たちと同類のチンピラだと思い込んでしまった。

 そして外からそう見えてしまうのは兄貴自身の責任でもある。

 世の中のあらゆる者から理解されない。そんな兄貴を側で助けたいと思うのは、俺も精神がイカレてる部類の人間なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ライフが撤退したァ?」

 

「確かか、それは」

 

 

 黒人ハーフ、ミゲル鈴野音(すずのね)の素っ頓狂な声に被せる様に兄貴が念を押す。報告してきた奴も困り顔で拍子抜けといった状態だった。

 俺も拍子抜けだと思ってしまった。ライフは勃興してから今まで基本的にイナゴのように休みなしで連戦し、東北も制覇した以上西へ侵略の一路を突き進むと思っていた。

 驚き考え込む幹部たち。唯一泰然とする尋人は腕組をして、眉一つ動かさず虚空を見つめていて反応する様子は見せないし……。

 

 

「兵部、どう思う?」

 

「僕は虚報だと思うけど……そこんとこどうなのさ情報参謀は?」

 

「うちに抜かりはない! そう報告が上がってきたんなら実際撤退したはずよ

映像もすぐ上がってくるからさ」

 

 

 幹部の紅一点、情報参謀の黒ギャル関内加奈(せきうちかな)がまくし立てた。身振り手振りするたびにくすんだ茶髪があっちこっちに揺れている。

 加奈は気に入らない女生徒をいじめるどころか、戸籍を剥奪した上偽造パスポートに交換し、両親健在のまま不法移民として海外に飛ばすという、黒ギャルとは思えぬ知識と才能を持った危ない女だ。

 情報攪乱(かくらん)、偽装能力を有する彼女は、恐ろしい事に自分の仕事に芸術性まで見出しているので半端なことはやらない。

 今回の事にも普段通り取り組んでいるとすれば、まず間違いはないだろう。

 

 

「ライフが撤退したとすれば、それは何のためだろう?

兄貴はどう思う?」

 

「ニュースや報告から予想される状況は、爆発事故で鐵が負傷したか……あるいは撤退したと見せて散会し、しかるべき地点で再集結して進軍する、といったところか

その方法なら連中はバイクだから容易だろう」

 

「うぬ……そうなると思わぬ奇襲を受けるかも知れないな」

 

 

 俺たちは警察を各個撃破することに成功したが、未だ大阪城に入城する作戦立案段階だ。

 散会しつつ警察の足止めを(かわ)して、一人一人が一ライダーとして怪しまれずに俺たちに迫るとすれば、予想よりも大幅に俺たちに追いつく時期は早くなる。

 そうなれば兄貴の戦略は不完全になり、警察相手にあてどもない戦いを強いられる事になるだろう。

 そのためにもライフの侵攻ルートは把握しておきたかったが……。

 

 

「何にせよ急ぎ大阪城に入ったほうがいいね そうすればライフがいつどこに集結しようと京洛に引き込む時間は十分ある

後方で補給を担当するものとしては、計画された闘い以外は避けてもらいたいよ」

 

「うちも後方支援参謀の意見にさんせーい 京都が主戦場になるって話のインパクトは大阪城に入って初めて示威的な効力を発揮すると思うし

何よりうちの力を以てしても、下っ端たちに広がる日本転覆葛城帝国論はそろそろ隠し通すことができないよ~」

 

「それが世間に流布されるのは、なんとしても大阪城に入ってからでなければならん

これまでは警察相手に暴れるチンピラ集団というイメージで通ってきたが、この先は権力者志向のテロリストとして認知されるんだ」

 

 

 兄貴が幹部たちに、イメージの転換を力強く宣言する。

 加奈のおかげで、下っ端たちが本気で日本を征服する気満々であることは、今は隠し通せている。

 それが覆るのは、大阪城に入城して古の戦国大名のように天下を睥睨(へいげい)した時だ。その時に噂を解放し、世間と政府を驚嘆させる。

 ただ兄貴本人はもちろん、俺達幹部も……キリのいいところで噂を否定しなければならない。白々しく無謀な半ぐれ集団に戻るのだ。

 

 具体的には国防軍が確たる物証も言質もない噂を信じて攻撃を仕掛けてきた時だ。シビリアン・コントロールの原則上軍は政治家の命令でのみ動ける。

 京都が危機に晒されていると知った閣僚の慌てぶり、錯乱ぶりには大いに期待するし、成算は充分だ。

 あ、衆議院議員の親父や侍責党(じせきとう)の皆さんには迷惑かけるな。後で説教が待ち構えていると思うと腹が痛い、まだ切腹はしてないが。まあ与党でないだけマシだろう多分。

 

 

「では取り急ぎ占拠するため、俺の作戦案を発表させてもらう

プランはAとBがある これを見てくれ」

 

 

 見えざるライフの動きに対応できるかは、ひとえに関内加奈の働きによる比重が大きいだろう。

 だが彼女が詳細に分析するのを待ってもいられず、俺達は、兵は拙速を尊ぶの兵法に基づいて、大阪城占拠作戦を練り始めた。

 敵を知り己を知れば百戦危うからずだが、逆説的にライフの情報が見えない今……勝算は五分五分までもつれ込んだという事か。



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戦国からの侵略者 3

 重苦しい沈黙が流れる大阪府警の臨時対策室。大阪府警と言っても、本部ではありません。

 命からがら逃げだした者たちが、ホテル内に臨時に設けた亡命政権の仮宿。

 鐵綾子に敗れ去った我々東京府警白バイ隊は、今度は休む間もなしに葛城涙夏逮捕の任を帯びて大阪に派遣されていました。

 これほど迅速に大阪への救援が進んだのは、私たちに誰一人も重傷者が出なかった事が理由でしょう。

 鐵はバイクだけを破壊し悠々と去っていきましたが、敵の負傷さえ(いと)うのは予想外でしたね。

 

 

「大木警部補、よく来てくれた……」

 

「はっ 東京府警交通一課、大木翔警部補ただいま着任いたしました」

 

 

 敬礼を済ませ、目の前の対策室室長と視線を合わせる。初老の谷元室長は心労が積もり切った表情をしていて、深い同情を禁じえなかった。

 葛城涙夏が突如大阪城を電撃的に占拠してから、もうすぐ48時間が経過する。

 今はただの観光名所でしかないが、本来は当時屈指の名将だった秀吉が築城した軍事要塞。それが想定されていた役割を取り戻す前に何としても打って出る必要があるでしょう。

 

 無理解な市民の中には、現代で何を言っているんだと思う者もいるかもしれません。ですが兵器が進歩したのは軍隊であって我々警察ではない。

 それどころか何十キロもある甲冑を平然と着こなしていた当時の侍と、現代の警察とを比べて、私達の戦力の方が優れている保証はどこにもありません。

 仮に我々の方が優れていたとしても、葛城が大阪城の防衛ドクトリンを理解しきっているのならばそんなもの誤差でしかない。

 準備期間を与えない、それに尽きます。

 

 

「ホシを、うちの部隊と協力して逮捕してくれ

作戦は現場に一任する……」

 

「は!」

 

 

 敬礼し対策室を後にする。あの場に揃っている人たち……やはり皆恐れている。

 失敗すれば己のキャリアが水泡に帰すのだから当然と言えば当然ですが、あの怯えはもっと根源的なものでした。

 すなわち葛城涙夏が日本を征服してしまう可能性。

 

 これまでは、どれほど武断的で強力な犯罪者が大暴れしても、時間さえかければ例外なく逮捕できていた。

 この国で生まれ育った者なら誰だって、逮捕されないのは現場的な理由で通報条件が整わない軽犯罪か、あるいは表には出てこない、裏で暗躍する陰謀論的な存在たちだとイメージしているはず。

 ですが……葛城涙夏は日本国民が初めて相対する、目立ったうえで正面から国家権力を打ち破る犯罪者なのです。それを世間ではテロリストと呼ぶのでしょう。

 ではテロが成功してしまった時、その国はどうなるのか? 歴史が証明する通り、テロという罪科そのものがなかった事になります。

 外国に介入されることにもなる。そうなればすべてが泥沼に沈むでしょう……。

 

 そして別ベクトルに鐵の暴力は恐ろしかった。

 あの時発砲せずに鐵を行かせたのは、鐵に臆したというよりかは……葛城への当て馬にしようという打算がありました。

 ゴジラに別の怪獣をけしかけるような気持ち……正直後で思い返せば真っ当な思考回路ではありませんでしたね。

 警察全体に漂う恐怖とプレッシャーをひしひしと全身で感じながら、私は自分の持ち場へと向かった。

 会議室にはすでに部下たちと、大阪府警の現地部隊の方々が詰めている。私の到着を待ってから作戦会議を始める予定ですが……妙案はない。

 王子様……私に、母校を……そしてあなたを守る力をください……!!

 

 

「大木警部補、コーヒーをどうぞ」

 

「あ……ありがとうございます 三木巡査部長」

 

 

 退室してからすぐ隣を歩いていた巡査部長が、おずおずと缶コーヒーを差し出してくれた。

 にっこりと微笑んで優しく頭を撫でると、頬を赤らめて喜んでいる。

 これも王子様系女子の義務というものでしょうか。

 

 

「あ! そうだ警部補っ 確か警部補って遠女(エンジョ)の出身なんですよね?

あの……洞爺(とうや)湖? 琵琶湖? 名前どっちだっけ」

 

 

 今しがた考えていた事がぴたりと話題に上り、変な気分になる。

 とはいえそれだけ私の根幹を成すファクターであり、大切なものなのだという事でしょう。

 

 

「洞爺湖は修学旅行で有名ですよね 北海道にある湖ですよ

遠女は琵琶湖の方です」

 

 

 琵琶湖の中心に浮かぶ男子禁制の園、遠城寺(えんじょうじ)女学院。別にお金持ちでなくとも入学できるものの、教育の質実剛健さにおいて最高レベルを誇る日本一のお嬢様学校。

 栄誉ある遠女のOGだと人に知られるたびに質問攻めにあったものです。

 私は体も大きくて、顔もあまり女の子らしいとは言えなかったから、随分多くの後輩を倒錯させてしまいましたね。

 そんな私をも、王子さまは倒錯させてしまった。思い出すだけで体が火照る。

 結局今でも名前は分からずじまいの、謎多き君……。

 

 

「あそこって京都にめちゃくちゃ近いじゃないですか やっぱり心配ですよね」

 

「ええ 無論何があろうと守りますが、葛城等が遠女に足を踏み入れるのは……想像するだけでおぞ気が走ります」

 

「私も頑張りますので! もし葛城たちを捕まえられたら、何人かOG仲間紹介してくださいっ

やっぱ男の食いつきが違うんですよ~、遠女は」

 

「ふふ、分かりました巡査部長

ただし……貴女を含め、他の女子が引き立て役になってしまっても恨まないでくださいね」

 

「うおおおおい!!? どんだけハイレベルな人紹介しようとしてんですかー!」

 

 

 なごやかなムードが漂い、張り詰めていた緊張の糸が徐々に緩んでいく。

 多少はリラックスできたので、この気分を維持しつつ会議を前向きに乗り切る事ができるでしょう。

 心機一転して今度こそ会議へ向かおうとしたその時、電話が鳴った。私が王子様に設定した可愛らしい着信音。

 

 

「ありゃりゃ、こんな時に 誰だか知らないですけど間が悪いですねー」

 

「三木巡査部長! ……すみませんが先に行って、大木はまだしばらく室長と話している、と伝えておいてください」

 

「は? え? ちょ、どこ行くんですか警部補!!?」

 

 

 私は大急ぎで近くの倉庫室に入ると、震える手で通話を開始した。

 心臓がヒートアップしてしまう。

 

 

「お、王子様……か、翔です……っ」

 

 

 思い切り甘えた声だった。誰にも吐露できないような弱さと共に、溜まっていたものを吐き出す感覚があった。

 砂糖漬けのような蕩ける甘ったるい声を出していることに、我ながら嫌悪感も湧いてくるがそれすら背徳感に変換された。

 

 

『翔、悪かったね ここのところ立て続けに行事の準備で、指示が纏まらなかった』

 

「い、いえっ こうしてお声を聴けるだけで翔は幸せです……!」

 

 

 遠女におられる王子様が、私に電話を……。それの意味するところは一つ、指示をくださるということ。

 元々私は王子様の手となり足となる為に警官になった。そして今日まで例外なく王子様の指示で動いてきた。全ては王子様の利益の為に。

 連絡は私からしてはいけないという約束があり、今度のような緊急事態でも私は約束を守った。

 無論葛藤もあった。なにせ事態が事態なので、新たな指示をすぐに仰ぐべきだという考えはよぎった。

 でも……信じてよかった。王子さまはただお忙しいだけだったのですから。

 

 

『状況は理解しているつもりだ 京都に、ひいては遠女に葛城等が迫っている

いいかい翔 俺のいう事をよく聞いてくれ』

 

「は、はい!」

 

『普通は奴らの準備が整う前に急ぎ攻め入るべきだと、そう考えるだろう』

 

「はい、まさしくそうです……

葛城ならば、大阪城を戦国大名レベルで運用してしまうのではないか、と……そう考えて

後は上の事情も付け加えるならば、大阪府警本部は大阪城の至近にあるために葛城に奪取されてしまいました

いつまでも追い出されたままでは面子が保てない、という理由も会議では出るでしょう」

 

『翔、それは罠だ 俺が思うに葛城は、まだ兵力の半分ほどしか大阪城にいれていない』

 

 

 半分……? そんな、まさか。大阪城を拠点として十全に機能させるには、全員で準備した方が早いし……。

 工兵として扱える者が揃っていないとか? いいえ、準備不足なはずがない。

 突発的な行動だったらこうまで鮮やかに大阪城を奪えはしない。必ず入念な準備をしたはず。

 

 

『奴は君たちが大阪城に乗り込んできたところを、伏兵を以て挟撃し一網打尽にするつもりだ』

 

「なるほど、もう半分は城外に伏せてあるのですね」

 

『ああ おそらくは森や梅林など、隠れやすく、また本丸へ急ぐ際に無視するであろう場所に伏せている

奴はこれまで常勝を誇ってきたが、それだけに相手の低いレベルに合わせた戦術を練る事に慣れてしまった』

 

「今回の敵が王子様だと知らない以上、確実に先手を取れるというわけですか

それで、私は何をすればよいのでしょうか?」

 

『じゃあ指示を伝える ヘリコプターを用意するんだ 君の権限で動かせる最大数をね

ククク……ハハハハッ! 俺が奴に真の軍略を教えてやる』

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ようやく見つけたぜ」

 

 

 メットを外し、サービスエリアの駐車場に佇む一台のバイクへ近づいた。この世で一台しか無いであろう、銀色の車体に不釣り合いな黒いホーンの装飾、高純達芽の物だ。

 コイツは確か自分で一から組み上げた違法オリジナルマシンだったか。

 懐かしいバイクを見て回顧していた時、聞きなれた厳つい声に呼ばれ振り返った。

 

 

「慶代……やっぱり来やがったか」

 

「おう 分かってたなら話が早いぜ これ以上らしくない真似やめやがれ」

 

「……慶代! 姉御に助けてもらっておいて何がらしくないだ 心配の必要なんてない! すっこんでな」

 

 

 多岐生我が赤いペンキをぶちまけたようにガンを飛ばす。まぁそりゃそうだ、いきなり横から茶々をいれられたら、誰だって腹が立つだろう。

 けどな、こっちにだって退けない気持ちがあんだよ。

 

 

「姉ちゃん、てめえはまだ人間だ 体が鬼になったから化け物になるとかそんな事はねえ」

 

「まだ間に合うってか? 確かに俺は根っこまで鬼になったつもりはねえよ でも例えいつかなるとしても、そんなもんにビビって止まってられるか

万が一葛城が天下を取ってみろ アイツが()く法は目には目を、歯には歯をですらねえ 目には首を、歯には首をだ……

俺が修羅になった時、どいつかが俺をブッ倒してくれりゃあその心配はいらねえんだが……」

 

 

 他人事のように心配しやがって。まるで自分が倒されるのを望んでいるような無責任さだ。

 でも鬼になるっていうのは……きっとそういう事なんだろうよ。コワレモノだからこそ大切にされる。

 何をしても傷つかないモノがあるとすりゃあ、ソレには何をしたっていいという事になっちまう。

 

 

 

「……その時は死んでも俺が倒す それに情成達だっているしな」

 

「情成? まぁ相手が知らない奴だろうと強えなら臨む所だ オラ行くぞ慶代、お前が見てる前なら文句ないだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「しるしるはさー、やっぱり黒髪姫カットの子が好きなん?」

 

「いや、偏見だそれは……」

 

 

 俺と森野との作戦会議を終えた標が加奈に絡まれている。

 こうしてみるとあの二人の取り合わせって意外と悪くないかも知れんな。

 標はただ単に加奈にドン引きして、なおかつその手腕に警戒心を抱いているだけなんだが……。

 

 加奈の方はどうも、標のぎこちなさは照れているだけだと思っているらしい。

 愛する心を失った兄貴分としては、ぜひとも代償行為として青い春の到来を手助けしてやりたいものだが。

 そんな風にのほほんと二人を観察していると、ふいに加奈の表情が強張った。左耳のイヤホンから何か情報を掴んだのだろう。

 

 

「ヘリが飛来した! 数およそ二十! ホテルから警察さんの出動も確認!」

 

「国防軍の戦闘ヘリか?」

 

「警察のだよっ それぐらいちゃんと確認させてますっての!!」

 

 

 多くの無線機を使いこなしながら情報収集に努める加奈は、すっかり仕事人の顔に戻っていた。

 城外に伏せた味方にも次々と情報を飛ばしている。

 ヘリの目標はなんだ? 直接天守閣に? 単なる防衛線の無視? パイロット含め一機に五人乗れると仮定しても、僅か百人程。

 脅威とは言えない数字だが、いずれにせよ奇策を弄するつもりなのは間違いない。

 

 

「兄貴、どう思う? 何が狙いだろうか」

 

「普通に考えれば、SWATなどの特殊な訓練を積んだ精鋭部隊だろうが……すでに俺たちは何度も撃滅している

今更勿体つけて出してくるとも思えんな」

 

「うぬ……」

 

 

 軽挙妄動は自滅行為だ。正しい情報を手に入れてこそ拙速の意味がある。

 俺は加奈の顔をじっと見つめ、そして。

 

 

「涙夏大変! 散開するヘリの内、一機の停止地点は梅林のミゲルの部隊!!」

 

「ちぃ! 伏兵を見破られたか」

 

「兄貴、急ぎ伏兵たちと合流しに向かおう

敵がこちらの戦力の分散に気付いているのなら今籠城する意味はない」

 

「よし、各隊潜伏中止! 西の丸庭園を目印に合流を図る」

 

「各隊潜伏中止! 西の丸庭園目指して集合せよ 繰り返すよー、西の丸庭園に集合」

 

 

 伏兵を見破ったという事はすなわち、俺達が城内に全兵力を収納せず、戦力分散の愚を犯す奇計を弄していたと敵が知ったのだ。

 ならばなぜ策にはまったふりをせずに、ご丁寧にヘリ部隊で俺たちにそのことを教える?

 

 俺の立てた作戦は懐深く敵を誘いこみ、城内の本隊が戦端を開いたと同時に挟撃する予定だった。

 もしヘリ部隊なんかじゃなく地上部隊で伏兵を攻撃されていたら、その部隊は時間的に見捨てるほかなかっただろう。

 この情報アドバンテージを捨てるだけの理由が必ずあるはずだ。それを早いとこ逆算せんとな。

 城外に躍り出て確認すると、確かに梅林の上空にヘリが蠢いている。

 だが……様子が変だ。一向にヘリから人が降下する気配がない。

 

 

『る、る、涙夏ーーーっ!!』

 

「ど、どしたんミゲル!? うちの伝えた通り早く西に移動して!」

 

『金だ! 奴ら札束降らせてきやがった!!?』

 

 

 確かに紙吹雪がヘリから降り注いでいるのが見える。

 これでミゲルたちは多少なりとも混乱するだろう。読めたぞ、敵の狙いが。

 奴らはわざとヘリを寄越して、伏兵を見破っているぞ、と伝えてきた。だから俺たちは城を出て戦力の再編を図っている。

 

 これは一見先制攻撃の権利を捨てた愚行に思えるが、金をばらまくのが目的なら納得だ。

 襲われているのではなく混乱しているのなら助ける余裕が生まれる。

 だが見捨てる。もし時間的余裕にかこつけて全部隊を梅林に集結させたらどうなるか?

 金の奪い合いになって、ミゲルの隊だけの混乱とは比べ物にならない狂乱を巻き起こすだろう。

 

 

「ミゲル、後で助けてやるから混乱を収拾させるまでそこを動くな」

 

「えっとね、涙夏はあんたを見捨てるってさ 自力で混乱を収拾しろだって」

 

『ンノオオオォオォウ!!!』

 

「うぬぅ、先手を取られちまったな……」

 

 

 敵の目論見を看破したと思った矢先、信じられないものを見た。

 正面の桜門が……そして西の丸へ向かう道がダイバースーツを着た謎の敵勢によって封鎖されていた。

 ここにきて己の不覚を悟る。今度の敵には、相応の指揮官がいる……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごくり、と喉が鳴った。すごい、王子さまはやっぱりすごい。

 あの葛城涙夏を完全に欺いて掌の上で転がしている!

 

 

「えらいこっちゃや 翔ちゃん、うちら張良(ちょうりょう)の生まれ変わりにメロメロんなってもうたんちゃう?」

 

 

 前髪をバッサリ斜めにカットした遠女のOG、赤凪純佳(あかなぎじゅんか)警部補が私に笑いかける。

 大阪府警における王子様のスパイで、今回の作戦の共同責任者だ。

 

 

「どなたでしょう? その方は……」

 

「ありゃ張良知らんの? 千里の外に勝ちを決するーやったっけな

とにかくその場におらんのに必勝法を授けてまうんや!!」

 

「なるほど、確かに王子様と同じですね」

 

 

 王子様もその人を参考に謀略を練っているのでしょうか?

 だとすればぜひとも私も学ばなければいけません。そうすれば、もっと深いところで王子様を理解できる……。

 

 

「よっしゃあ! そろそろ到着するで!!

突入の準備はええな翔ちゃんっ」

 

「はい!」

 

 

 私達パトカー部隊は大阪城に到着した。無論すでに葛城たちは孤立済み。

 更に我々は今なお加速度的に数を増しています。ヘリによってお堀から引き上げられるダイバー部隊がそうです。

 

 

「今です! ヘリ部隊次は内堀へ!!」

 

「伏兵ダイバー部隊をじゃんっじゃん引き上げるんやー!!」

 

 

 私達は葛城本隊を大阪城内に閉じ込めた上で、敵の合流を阻止し最後の王手を決めた。

 総勢二十ものヘリから垂らされたロープをよじ登り、次々とダイバーが戦線に投入されていく。

 葛城は伏兵を森林に潜ませていましたが、王子さまもお堀に伏兵を投入していたのです。

 

 王子様の仰ったとおり、葛城はお堀の警備を怠っていたようですね。いわく、脳みそが戦国時代で止まっているあの男に、現代の戦い方を教えてやるのさ。

 まったく以て王子様の方が格上です。ヘリコプターとダイバーという現代の装備を使って、お堀は防御壁、お堀は登れないという葛城の古い考え方を打ち破る。

 美しく、高貴ささえ感じさせる軍略に惚れ惚れしつつも、いつまでも見惚れていられずに私も分散している伏兵を各個撃破すべく突入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだこりゃ? もうほとんど終わってんじゃねえか」

 

 

 大阪城についてみりゃあ完全に警察の包囲下とは。随分前評判と違うじゃねえか葛城。

 あれか? 恰好つけて古城に陣取ったはいいが、実用性はダメだったのか。

 俺が予想外の事に呆けていると、どことなく安心した様子の慶代が肩にぽんぽんと手を置いてきた。

 

 

「無駄足になっちまったな、姉ちゃん」

 

「……話はする 奴自身何考えて戦争起こしたのか聞かねえと、けじめはつけられねえからな」

 

「くだらないッスね こんなの俺が見たかったものと違うんだが」

 

 

 吐き捨てる様に楓が俯いた。革命軍レベルまでチンピラを纏め上げるカリスマが最後にしたかったことを、コイツは見たかったんだろうな。

 こいつも一応頭脳派だ、葛城にはなんかシンパシー感じてたのかも知れねえ。

 さて、それでフィナーレにどうやって乱入して葛城に会うかだが。見た感じ包囲や封鎖が解かれてないってことは、あいつはまだ確保されてはいない。

 すると天守閣にいるのか……? ジャンプして直接乗り込んでやろうか。

 そんな風に思案を巡らせていると、人だかりの奥から大柄な婦警が現れた。

 

 

「鐵……今更ここに何の用です?」

 

「あぁっ! あの時の白バイの大将か」

 

 

 憶えのある背格好と声だ。あの時俺にただ一人銃を向け立ちはだかった勇敢な女。

 今度はエセ大名とバトってた訳かい。

 

 

「葛城に話がある と言っても、お前はどけといわれてどいてくれるタマじゃねえんだろ?」

 

「…………いいでしょう 我々も交渉役に困っていたところ」

 

 

 なんだ? 随分あっさり受け入れやがった……。

 俺達が訝し気にしているのは気にせず、女は下っ端に道を開けるよう指示している。

 

 

「私も立ち会わせていただきます 大木翔警部補です ……別に覚えてもらいたくもありませんが」

 

「意外と可愛いとこあるじゃねえか でもいいのか? 俺達を堂々と案内なんかして」

 

「以前の戦いで、貴女の規格外の力はいやというほど身に沁みましたからね

機嫌を損ねたらせっかくの包囲が崩れてしまいます そうなれば現場責任者である私は始末書じゃ済みませんよ」

 

「そうかい……」

 

 

 保身のためだと妙に軽薄な態度で大木は肩をすくめる。

 こいつ相当育ちがいい。嘘が下手過ぎる。

 コイツが何を企んでやがるのか知らねえが、正面から通してくれるってんなら暴れる理由はねえさ。



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戦国からの侵略者 4

 伏兵を見破られた兄貴が、迅速に城外の味方と合流する前に敵の包囲は完了していた。

 これはつまり、城内に全兵員をいれず伏兵に数を割いていることが最初からバレてしまっていて、その上で戦術を練られたとみるべきだろう。

 まったく見事だ。俺たちが敵に人材なしと油断した隙をついて、名も知らぬこの指揮官を投入してきたとみるべきか。

 俺達は今天守に籠城を余儀なくされ、絶体絶命の危機だ。何とかして兄貴だけでも逃がしてやりたいが……。

 黙考に耽っていると、背後から優しく肩に手を置かれた。

 

 

「兄貴?」

 

「標、こんな状況にして済まんな 俺は士族失格だよ」

 

 

 己を不甲斐ないと責める時ですら、不敵でニヒルな笑いを浮かべてみせる兄貴。

 頭の回転が速い為だろう、この人にはくよくよしている時間は存在しえないのだ。

 そんな暇があったら、現状を打開する逆転の策略を模索するのが葛城涙夏だ。

 

 

「だが、だからこそこの状況を覆す責任が俺にはある

現在桜門は敵の手中にあり閉ざされているが……敵が地上に登った後放棄した酸素ボンベがあったな

あれを使って門を爆破できないだろうか?」

 

「なるほど、いい案だと思う 敵は包囲が完了し多少油断しているはずだ

尋人やミゲルたちと今度こそ合流できるかもしれん」

 

「ああ、もっともそれまであいつらが持ちこたえていればの話だがな 急ごう」

 

 

 反撃準備を始めようとした矢先、加奈が仰天の声を上げた。

 その声色には驚きの他どこか喜色も混ざっている。

 

 

「涙夏! なんか向こうから交渉を持ち掛けるって言ってきてるよっ」

 

「交渉か……その間停戦するなら時間稼ぎにはなりそうだな 森野」

 

「酸素ボンベを用意すればいいんだよね? 時間内に出来る限り数は揃えてみるよ」

 

 

 このタイミングでの交渉……こちらとしても悪くはない。向こうは上の事情で余計な時間をかけず穏便に終わらせたいだろうが、今回は相手が普通じゃない。

 大きな謀略の布石だったりはしないだろうか。積極的に打って出る時こそ、表面上は消極的に見せかけるのが兵法の常道だ。

 何か動きがあれば加奈が気付くだろうが、それでもあらゆる可能性を考慮出来る様に慎重に行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大阪城に乗り込んだ俺達五人と警官一人。周りでひそひそと、俺に関する話が囁かれている中歩くのはいい気がしねえな。

 それに意外と美人とかほざいてる奴もいやがる……。褒めてくれてありがとうな次ふざけた台詞吐いたらぶっ殺す。

 

 

「姉ちゃん、もし葛城が助けを求めてきたらどうすんだ?」

 

「葛城がそんなタマだとは思わねえ」

 

 

 答えた途端先導する大木の動きが止まった。それにつられるように周りの葛城の手下たちも息を呑んでいる。

 まだ負けると決まったわけじゃねえのに、随分敏感なんだな。それとも逆転の一手を打つ隙を窺ってんのか?

 そんな事を思いながら上階へ上っていくと、やがてひと際大きな座敷にやってきた。

 待っていたのは二人の男。一人は銀色の髪の毛を遊ばせた腹の立つ目つきの無頼漢。

 もう一人は帯刀していて、胡乱げな目つきをこちらに向ける侍じみた所作のタフガイ。

 帯刀している方が腹心の"ポン刀の偉頃"で間違いないだろう。するとだ。

 

 

「いい面構えだな てめえが葛城か」

 

「ああそうだ ようこそ鐵綾子 なぜかお前たちライフの映像記録が上がってこなくて、部下たちの顔と名前が一致しないが悪しからず

つかぬことを聞かせてもらうが、今回の戦術はお前が立てたのか?」

 

「なるほど、俺が警察と組んだように見えるのも無理はねえ でもてめえが警察に追い詰められた事とは無関係だ

今どき籠城なんか選んだのが運の尽きだったな」

 

「フ、天運が尽きたのなら実力でひっくり返せばいいだけさ

それに案外籠城も馬鹿に出来んぞ? 屋外だとおちおち秘密工作もできないからな」

 

 

 どうやら葛城はまだ策を講じているらしい。でもどんな小細工だろうと俺にはどうでもいい。

 なまじ頭が切れるが故の狂酔野郎は、一度徹底的に潰さない限り酔いは醒めねえだろう。

 

 

「それじゃあ実力で覆してみるんだな」

 

 

 言い切ったと同時に葛城の目の前まで距離を詰め、その首元を掴み上げようとしたその時、隣にいた偉頃が頭めがけて勢いよく刀を突き出した。

 

 

「何!?」

 

 

 ――キシキシと初めて耳にする咀嚼(そしゃく)音。俺は噛み砕いた切っ先を、動揺する偉頃の顔に狙いを定め、吹き付ける様に顔面を刻みつけた。

 

 

「ヌグゥ……!」

 

「標っ!!」

 

 

 葛城が偉頃を庇うように前に出たかと思うと、まるで金銀の斧を差し出す女神の様に、右手に拳銃、左手にテーザーガンを持って同時に攻撃してきた。

 どちらを避けてもどちらかに当たる絶妙な軌道。だが……あくびが出るくらいノロい。

 俺はあえて銃弾も電撃も受けながら葛城の首根っこを両手でつかみ、首のスナップのみで頭突きをかました。

 

 

「ふンッ!!!?」

 

 

 首の力だけでも十分。脳をしたたかに揺さぶられた葛城は白眼を剥いて力なく膝から崩れ落ちた。

 葛城を解放し地面に倒れ伏したのを確認すると、念のため服を裂いて自分の身体を触診してみる。着弾した皮膚に擦り傷が付いてる所をみると銃弾は弾かれたみてえだな。撃たれた箇所が無傷なのを見た連中から悲鳴が上がった。

 ……終わった。感慨も驚きもあったもんじゃねえ。だが、俺達サイドにはなくても葛城の手下たちは大慌てだ。

 

 

「ポン刀を噛み砕いた……!!? あ、ありえねえ」

 

「スタンガンを喰らってピンピンしてやがるッ」

 

 

 無理もねえ。敵地のド真ん中で囲まれてる状況なのに、いきなり大暴れするなんて常人のメンタリティじゃねえしな。

 例えハリウッド映画でそういうシーンがあったとしても、閃光手榴弾の目くらましとか、逆に照明を消すなどのワンクッションがなけりゃ強烈な違和感に襲われるだろう。

 事実、俺が大立ち回りを始めても、あり得なさ過ぎて誰も咄嗟に動くことが出来なかった。

 ――折れた刀を正眼に構えなおし、無事な右目だけで俺を睨むこの男以外は。

 

 

「……お前、本当に人間か?」

 

「そう見えるなら眼科に行くのをおすすめするぜ」

 

 

 敵わねえと分かってなお立ち向かうとは、見上げた忠誠心じゃねえか。

 だがそれが手を緩める理由にはならねえ。葛城もろともおネンネさせてやる。

 

 

「ちょーっと待ったァ鐵とポリ公共!! 少しでも動いたらコイツをドカンよっ

出て行って!」

 

 

 ふすまが開く音と同時に若い女の声が響く。そっちへ首を向けてみると、さっき葛城の言っていた自由研究の成果があった。

 無数の酸素ボンベが連結された、なにやら危険な香りのするデカブツ。

 

 

「く……酸素ボンベを逆手に取られるとは ですがこちらには葛城の身柄があります

もし妙な真似をすれば葛城を射殺するので、その爆弾をしまっていただきましょうか」

 

 

 大木が妙な事を口にして俺の足元に倒れる葛城の頭に銃口を向けた。

 少しでも動いたら云々と言っていたはずの黒ギャルは起爆させずに唖然としている。

 驚くのも無理はない。この大木って刑事は想像以上にアグレッシブだ。

 だがそれにしたって、射殺すると脅したのは耳を疑うぜ。

 

 

「なあ、ここまでだろ 出て行こうぜ 交渉は終わりだ」

 

「何を言っているのですか少年 もう勝負はついています

のこのこ出ていく必要がどこにあります!」

 

「うるさいっ! 爆死が嫌ならさっさと出て行ってよ!!

うちは本気だからね!!?」

 

 

 取り乱す大木と脂汗で顔がテカる黒ギャルのにらみ合いの中、慶代は首を横に振る。話は平行線だと言いてえのか。

 それにしてもさっきからの大木の言動、明らかに不自然だ。俺達を城内に連れて行くと決めた時は何か隠してやがる風だったしな。

 これ以上妙な事態になる前に俺が収拾をつけるか。

 

 

「ッ! き、消えた!? どこに」

 

「寝てろ味玉」

 

 

 ギャルの背後に回り意識を刈り取る。あっ、顔面からいっちまったか。悪い、許せ。

 そして丹精込めて作ったであろうボンベ爆弾の機械部分や結合部分を引きちぎる。

 これで無力化は完了したってわけだ。これ以上さすがに策はねえだろう。

 

 

「これで正真正銘勝負はついたぞ ポン刀の偉頃、おとなしく刀を下ろしな

大木も銃をしまえよ」

 

「……鐵綾子 ここまでお膳立てをしてくださりありがとうございます

ですが指示に反するのでお断りします!」

 

 

 そう言ったと同時、大木が発砲した。

 葛城の頭部にしっかりと狙いをつけていた銃口は、いち早く動いた慶代が咄嗟に腕をひねりずらした事で、肩に命中した。

 何だ!? 何で撃ちやがった? あいつは自分を現場責任者だと言っていた。つまり指示ってぇと警察上部の命令って事か?

 今も大木は葛城を撃ち殺すのを諦めておらず、鬼気迫る表情で慶代と腕力比べをしている。異常な光景だ……。

 だがおちおち黙考もしてられない。偉頃が大木を斬ろうと突貫したため、俺は一息で距離を詰めると危険な侍を羽交い絞めにした。

 

 

「待てって、落ち着け!」

 

「悪いが信用できん」

 

 

 脚に深々と何かが突き刺さり、思わず羽交い絞めを解放してしまった。

 小太刀か、クソッタレ……。刺し傷は範囲が広いから比較的治りにくいってのによ……!

 

 

「待て偉頃! 俺の目の前で人斬りさせるわけにゃいかねえな」

 

「多岐生我だな? 今は手加減できん! どいてくれ」

 

 

 生我が偉頃の前に立ち塞がった。簡単にはやられねえだろうが相手の武器は真剣、少しも油断できねえ。

 おまけに今ヤツは人を殺すのに何の躊躇もないだろう。

 連鎖的にパニックが起きて本格的に殺し合いになったら大惨事だ……。まずはこんな混乱を招いた大木を、問い詰めねえと。

 早く治れよ、じれったい!

 

 

「慶代! 早いとこそのイカレ女から銃を奪えッ!」

 

「簡単に言うなッ! とんでもねえ底力だぞ!?」

 

「手を放しなさい! 指示は絶対!! 絶対なのです!」

 

 

 狂信的だ。上司の指示云々じゃねえ。魂に誓ってるレベルの何かがこいつにこんな指示を与えてる。

 葛城に敵が多いのは分かる。だが多すぎてどこからの差し金なのかまったく分からねえぞ。

 ……脚が治ってきたな。だったら、まずするべきは……。偉頃を止める!

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 生我に僅かでも時間を稼いでもらったおかげで、後ろがガラ空きだった偉頃を完全に沈黙させることができた。

 気絶した偉頃を脇に抱え、続いて葛城をもう一方に抱える。

 ずらかる準備はこれでいいとして、だ。

 

 

「鐵ええぇぇえ!! 葛城を渡しなさいッ!! あの御方は葛城の死をお望みなのです!!!」

 

「誰だ、そのお方って」

 

「私の……お、想い人です……!! この愛のためならば私は!」

 

「なんでソイツが葛城の命を狙うんだ?」

 

「貴女には関係ない!」

 

 

 男か……。これ以上は過度に聞き出すこともできないだろう。

 俺は聞くことを聞いた大木に頭突きをかまして意識を奪うと、慶代と生我に帰るよう促した。

 

 

「そういえば……楓と達芽はどこだよ!? 姉御が動けねえって時に!

あのままだったらこのデカや慶代も斬り殺されてたぜッ」

 

「バイクの準備してくれてんだろ 帰るタイミング見越してな

……ってかお前、達芽が偉頃の前に躍り出たって何の抵抗もできねえと思うぞ」

 

「まあそうだな 楓も俺よりはよえぇし、結果的にこれでよかったのか!」

 

 

 向こうは今の言葉に納得しねえだろうな。この場で面倒な話が始まらなくてよかった。

 すると小太りな少年が伸びたギャルを背負って俺たちの前にやってきた。

 

 

「まずは、完敗だと言っておこうか 涙夏の部下の森野兵部だよ」

 

「……おう、鐵綾子だ」

 

「どうやら涙夏は命を狙われているようだね まぁ、これだけ好き放題やったから当然なんだが

……僕はこの場にいる幹部で唯一意識がある よってだ、僕が暫定的に司令官という事になる 僕らは出来得る限り籠城するよ」

 

「大将不在でまだ続けんのか」

 

「僕は後方支援参謀っていう役職でね 涙夏がいない場合でも、前線で戦う皆を見捨てるわけにはいかないのさ

君たちは涙夏と標くんを連れ出すようだが、後この関内加奈ちゃんも連れて行ってくれないか?」

 

 

 チンピラ組織の幹部とは思えない柔らかな物腰の男は、仲間を想い戦場に残るらしい。

 

 

「分かった その女は任せとけ 大将ぶっ倒しておいてこういうのもなんだが……ま、その、死ぬまでやるなよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 大阪城占拠事件が起きてから数日。陽が落ちる頃、俺は佐橋に着いた。

 事務所から離れてどのくらい経った? たかだか一週間前後だろうが、そんな風に思っちまうくらいには佐橋の事を俺は気に入ってるのかも知れない。

 行きの時みたいにレイーノを使ってもよかったが、なぜだか今は感傷的になっていてわざわざ歩いてきちまった。

 扉を開けると卿燐が禍々しい彫像のようにそこにいた。細い指の動きが止まって包帯まみれの顔でこちらへ向き直る。

 

 

「お久しぶりです……慶代サン」

 

「おう…………ただいま」

 

 

 頭をがしがしと掻きながら、つい卿燐の無邪気さに当てられてそんな事を口走ってしまう。

 ばつが悪く、あちこち視線を泳がせていると……果てしなくニヤついた幼児体型と目が合った。ケーキ食ってる。

 

 

「く……くくくく……!! ただいまだって、ただいま! ちょっと草梨きいたぁ?」

 

「お、おげげ様あんまり刺激しない方が……」

 

 

 目の前の同席とのトークに夢中なクソガキ。無言でひょいと後頭部を掴むと、ケーキに顔を突っ込ませた。

 

 

「っぷ、ぷぁあ!!? ちょ……信じられないもおおおお!!!」

 

 

 クリームだらけの愕然とした表情で俺を見上げる月歌。信じられないのはお前が今まで誰にも殺されずに生きてきた事だ。

 湯気の立ってる茶の中に突っ込まれなかっただけありがたく思いやがれクソが。

 とりあえず顔見せだけするために階段へ向かう。

 

 

「謝りなさいよ慶代! ケーキも弁償よ!!? ……ちょっと無視するんじゃないわよっ!!

あ、あんたぁあ聞いた通り乱暴なチンピラだわ!」

 

 

 そうだ。でも何でだろうな。ここに来た……もとい巻き込まれた当初はこんなに馴染むなんて思ってなかったぜ。

 ほっとしたような……安心しきった笑いが、思わず漏れた。



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「悲壮」「歪曲」1

 事務所のパイプ椅子の上でリュックサックを隣に下ろし、軽く咳ばらいすると、エルアさんと慶代さん、リリアナさんやレイーノちゃんがこちらに視線を向けた。

 他の面々も遅れて俺に向き直る。今まで来るなり依頼に飛んでかじりついていたから、今日のようにのほほんと座って皆を眺めているのは相当珍しく映っただろう。

 

 

「実はですね わたくし深口はこの度家族から一人暮らしの許可をいただいた次第なんですよー!

……誰か泊めてくれません?」

 

 

 聞き終わるが早いか、ほぼ全員視線を切って何も見なかったかのようにそれまでの行動に戻る。

 うっわぁ、東京砂漠深夜の零度を見た。今昼前だけど。

 とはいえここで引き下がる訳にもいかない。最短でここに来るためなら如何なる恥もかき捨ててやるぜ。

 とりあえずまずはゼロ距離から!

 

 

「りーりあーなさんっ」

 

「ど、どうしたもえ? 情成……」

 

 

 若干ぎょっとした表情で俺の顔を見つめるツインテの吸血姫。この前血を吸われて従僕になった間柄だ。

 リリアナさんはさっき俺から目を逸らしてはいない。周りが冷たいと優しい子はひと際目立つなぁ。俺ちゃんと見てたからね。

 

 

「俺もリリアナさんの隣に棺桶並べて寝泊まりしたいんですけどいいですか?

なんなら執事服まで着ちゃいますよ!」

 

「情成も事務所で暮らすもえ……? エルア、エルア リリアナ情成を泊めてあげたいもえよ」

 

「情成、そういう風に御しやすそうな者から手を付けるのはいかがなものか……」

 

「女の敵ざんすね そのまま野宿でもしたらいいざんす」

 

 

 確かに卑怯臭い感じは否めないけど、別にやましい気持ちはないし!

 蘇若はさっき俺を無視した組なんだからとやかく言わないでよね。

 激しく視線の電流で火花を散らす俺たちに辟易していた慶代さんが、何か思いついたようにハッとした。

 

 

「おっさん、木陰荘に住まわせてやったらどうだ?」

 

「……あそこは軽度の異常者の経過観察の為に買い取ったんだが」

 

 

 木陰荘……? なんだそれ初めて聞くぞ。ていうかエルアさんアパートも経営してるのか、すごい。

 しかも治療中って事は……!!

 

 

「そのアパート借りたァ!!! 異常者の住処なんですよねっ!?」

 

「そんな身も蓋もない言い方はどうかと……」

 

 

 だんぴが苦笑しつつも肯定してくれた。

 それに続くように何人かが顔を見合わせ、まあ妥当だという雰囲気を醸し出している。

 俺は目いっぱいキラッキラに輝かせた瞳でエルアさんをじっと見つめた。お願いします入居させて! 風呂トイレ共同でもいいから!!

 すると観念しただろうエルアさんは俺から視線を切って慶代さんを見た。

 

 

「慶代、案内してやってくれ」

 

「ッチ、しゃあねえな」

 

「イェエーーーイ!!」

 

 

 木陰荘か、いい名前だね。引っ越しの挨拶はどんなのにしようかな。

 今から細かな計画を練っていると、慶代さんが俺の前にのっしと立ち塞がった。

 その表情はどこか呆れているように見える。

 

 

「いいか情成 おっさんが木陰荘を買ったのはつい最近だ

だから治療中の奴を入れる予定ではあったが、その第一号がお前になる」

 

「な、なぁーんだそういう事でしたか……んじゃ他に住んでる人いないんですか?」

 

 

 よその大家からアパートを買ったのだから付属品がそのまま住んでいることもありそうなものだけど。

 まさか立ち退きを迫ったりはしないだろうし。俺の質問にエルアさんは特に考え込むそぶりも見せずに首を横に振った。

 

 

「一人だけ以前から住んでいる人がいる」

 

 

 これから仲間が増えて部屋が埋まっていくのか。最初に思った事よりそっちの方が断然いいじゃないか。

 様々な入居者を迎え入れ、助け、時に見送る役目を背負った生活。考えただけで胸が躍る。

 俺はさっそく慶代さんの案内で木陰荘に赴いてみる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 じんわりと広がる陽気に晒されたそのアパートは、お世辞ではピカピカと言える清潔さを保っていた。

 相当昔からある物件なのだということが伺える外観に、しかしひび割れや色あせはない。古いと分かってもボロいとは思わない、そんなアパートだった。

 二階建てで五部屋ずつ、つまり俺ともう一人を除いてこれから八人まで増えていくって事だな。

 

 

「おっさんから鍵は預かってる どの部屋にするんだ?」

 

「うーん、別にどこでもいいんですが……じゃあ一階の真ん中で」

 

「一階の真ん中……Aの3号室だな 角部屋じゃなくていいのか?」

 

「ちょっとでも快適な方は後輩に譲りますよ」

 

 

 二階からドスンバタンと聞こえてきても、俺ならまあ我慢できるし。

 両脇の壁からそれぞれ異なる騒音が響いても問題なし。海よりも広い心で許そうではないか。

 二人でドアの前に並び、慶代さんが鍵を差し込むと……ばこ、とドアが外れてドミノ倒しのように玄関に倒れ込んだ。

 

 

「……」

 

「…………」

 

 

 …………。

 コントかな?

 

 

「なんか……いう事あるんじゃないですか」

 

「待て、違う誤解だ 俺が鍵回す前から壊れてたぞ」

 

「マジですか……直すの面倒だしもうこれでいいかなぁ」

 

 

 ドアじゃなくてただの衝立(ついたて)になってしまうが、まあ話のタネくらいにはなるだろう。

 だいたい誰が押し入ってこようと俺をどうにかできるわけでもないしね。

 Aの3号室に入って玄関にふたをする。気分は古井戸に住み着いた妖怪だ。

 内装を確認すると2LDKの奥がフローリングで手前が畳部屋だ。窓から差し込む夏の陽射しが埃ですらキラキラと美しく魅せている。

 とりあえず二人して腰を下ろし、道中買ったアイスを口に運んだ。

 

 

「この後はどうすんだ?」

 

「家電屋に行きます 炊飯器と冷蔵庫、掃除機にクーラーとか

揃えなきゃいけないものも多いので」

 

 

 そう言いながらリュックサックからフライパンや食器、衣類を無造作に取り出していく。

 タンスと食器棚も買わないとなぁ。

 すると何か疑問を抱いたのか、慶代さんが俺の顔に視線を投げてきた。

 

 

「一人暮らしでこんなに食器持って来てどうすんだ?」

 

「あんまり少ないとお客さん呼べないですから もうね、じゃんじゃんホームパーティーやっちゃうつもりなんで」

 

「アメリカ人かよ……」

 

 

 その時天井からズシンと音が響いた。今他に住んでいるのは一人だけなんだから、真上にいるんだな。

 後回しにするのもなんだし、すぐ挨拶しにいくか。

 

 

「じゃあ俺は事務所に戻るぜ」

 

「はい 鍵どうも! 要らなかったですけどね」

 

 

 出ていく慶代さんを見送りながら、ふと他の社員の家の事が気になった。

 蘇若とか家出少女って言ってたしやっぱ皆アパート?

 いやでも久遠さんはマンション住みなんだよね。

 いや、うん。例えマンション派が大多数だったとしても何を恥ずかしがる事があるものか。

 我が木陰荘にはいずれ異常者の同胞たちが大勢やって来る予定なのだから。

 アイスを食べ終わったので部屋の外に出てふたで覆う。それだけで我が家なのだという感慨が湧いてくるのだから人間って単純なものだね。

 二階へ上がり3号室のかな……かなぬえさんの呼び鈴を鳴らす。別にさっきの重音を咎めるつもりはないがちょっと気にはなるんだよな。さりげなく聞いてみようか。

 そんなことを考えつつ待つこと数十秒。当然のように壊れずに開いたドアから現れたのは、宝石の雫が散りばめられた様な儚げな美女だった。

 

 

「あ……ええと、何かご用ですか?」

 

「し、下の階に越してきた者です! 深口情成っていいます、これどうぞっ」

 

 

 ラッキィイ!! こんな美人さんと一緒のアパートなんてついてる!

 俺は内心ウキウキで食器用洗剤を手渡すとニッコニコで微笑んだ。

 顔赤くなってないといいけど。

 

 

「ありがとうございます……私は奏鵺厚子(かなやあつこ)です あの、さっき棚を倒してしまって

うるさかったですか?」

 

「いいえぇー! 今さっき来たばかりなので気にしないでくださいね

それより怪我はなかったですか? 重いでしょうから戻すの手伝いますよ」

 

 

 華奢な身体を縮こまらせて申し訳なさそうにしているのを見ると、ぜひとも手助けしたくなる欲求に駆られる。

 人間第一印象が肝心だから、ここで頼れる俺を見せておきたい!

 奏鵺さんは少し逡巡したようだったが、やはり自分一人では難しいと感じたのか首肯した。

 

 

「じゃあ……お願い、できますか? 深口さん」

 

「はい! これからなんでも頼ってくださいね」

 

 

 そんなわけで俺は奏鵺さんのお宅にお邪魔することにした。

 部屋の構造はアパートなので当然変わらないが、女子の部屋なのだから装飾、インテリアは随分違うだろうと思っていた。

 だが、今日越してきたばかりの俺とさして変わらなかった。

 全体的に全てが小さく、コンパクトで物が少ない。冷蔵庫も旅館にあるような極小サイズだ。

 

 

「あの……深口さん?」

 

「あ、ああごめんなさい この棚ですね」

 

 

 棚も小さい。大きすぎる棚だと人を超えた怪力がバレてしまうので都合がいいけど……。

 俺は細心の注意を払いつつ、倒れた棚を起こした。こんなのでも女性一人でやるとなっていれば大変だったろう。

 

 

「ありがとうございます これお礼に……お口に合うか分かりませんけど」

 

「ケーキだなんてそんな……でも、じゃあお言葉に甘えて」

 

 

 奏鵺さんが持って来てくれたのは、恐らくは手作りのケーキだった。一般的な店売りのサイズより結構大きい。

 白いクリームとチョコ色スポンジの普段見ないギャップがなんとも期待値と食欲をそそる。

 彼女の後に続いてテーブルに向かう俺は、ふと目についたお盆が傾き、カタカタと揺れている事に気付いた。

 きっとさっきまで自分一人で持ち上げようとしていたので、今片腕が軽い痙攣を引き起こしているんだ。

 そう思い至った時だった。盆に載っていたフォークがするりと落ちて奏鵺さんの足に落ちた。

 

 

「あぶ」

 

 

 だが俺は危ない、と最後まで発することができなかった。

 フォークがあり得ない軌道で曲がり、強風に煽られるような挙動で俺の足に落ちたからだ。

 ハッとした奏鵺さんが、慌ててフォークを拾い上げる。

 

 

「ごめんなさい! すぐ代わりを持ってきますから……」

 

「え? あ、ええどうも……

お盆俺が持ちますよ」

 

 

 何だったんだろう、今のは。

 見間違い……?

 いきなりの事だったので正確に思い出すことも難しい。俺はとりあえず忘れてケーキをいただいた。

 ……うまい。全国の女子大生の中で一番料理上手なんじゃないだろうか。

 卿燐さんのように相当な習熟があると思わせる、経験の籠った美味だった。

 

 

「美味しいです! プロの料理人レベル!!」

 

「そ、そんな……」

 

「いやほんと凄いですよ 少なくとも五年以上お料理してますよね」

 

「それは、まあ……ケーキぐらいしか作らせてもらえなかったもので 十年以上でしょうか」

 

「また今度何かお礼しに来ますねっ」

 

「い、いえそんな」

 

 

 こんな美味しいもの食べさせてもらったのに棚を動かしただけじゃ良心に響く。

 それにせっかくお近づきになったのだから、この縁を放したくないのも正直な下心だ。

 お礼をすると言ってきかない俺に屈した奏鵺さんが、その代わり、と前置いて。

 

 

「ではお礼のお礼に、これからおすそ分けをさせていただきますね

よろしくお願いします」

 

「はい! 隣人同士仲良くしましょうね」

 

 

 いい物件借りる事ができて、本当心から感謝だね。

 そんな最高に高揚した気分で奏鵺さんの部屋をおいとまする時、ふと靴紐が両方とも千切れているのに気付いた。

 一瞬不安を覚えたもののそれはすぐにどこかへ霧散し、やはり新生活への喜びと期待に胸躍らせてしばらく思い出すこともなかった。



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「悲壮」「歪曲」2

 木陰荘に住み始めてから一人暮らしにも慣れてきたある日の深夜。俺は奏鵺さんをランチにお誘いする口実を考えていた。

 あんな綺麗な大人のお姉さまとお食事……考えただけでニヤけてくる。とはいえがっつき過ぎはマナー違反である。健全な男子高校生として今は紳士的に距離を縮める時期なのだきっと。

 でも何か関係を進展させる(くさび)は打ちたいよね。帰り際にちょっとドキッてしてもらいたい。

 意識してもらういい殺し文句ないかなぁー……と布団に潜り込み考え込んでいると、睡魔と共に妙案が浮かんできた。

 こういう時は一人で悩まず分かる人に聞けばいいんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……話は分かった じゃあなる帰るね」

 

「待って! 帰らないで知恵貸してくださいよ~」

 

「うるさいバカ深口 てかさ、コイツ誰?」

 

 

 おしゃれなオープンカフェでも何のその、今日も今日とて人目を気にせず怒り爆発。キノコみたいなボブカットに桃感全開なメイクの成美さんは顎をしゃくって同席者を指した。

 昼間だというのにベロンベロンに出来上がっちゃってるダメ人間、藤原智余大先生だ。

 

 

「ウェヘヒヒヒヒ!! わらひともちゃんレェ~~~ス!!////」

 

「近寄んなよ酒臭っ!!?」

 

 

 成美さんとの待ち合わせ場所にともちゃんを連れてくるのは本当に苦労した。すぐに後悔して帰ってもらおうかと思ったが、地べたに寝転がって駄々をこねられちゃあね……。

 以前自分の程度を下げる宣言をしていた智余さんだが、こっちの予想を大きく超えた降下っぷりだ。思わず逃げたくなるほど隙あらば絶叫ものなイタズラをやり始めるのでもぉー片時も目が離せない。

 まあこんなんでも一応元女子大生のお姉さんなので、何かしらいい意見が聞ければいいな、アハハ。

 

 

「らいたぁいー、情成くんはわらひたちの事はどうおもってるノ~ン?」

 

「仲間ですよ 同胞です!」

 

「チッ……そういう意味で聞いたんじゃないからッ」

 

 

 何で聞いた本人でもない人が訂正するんですかね。まあでも、そういう意味……。うん、なるほど。

 

 

「じゃあ俺が付き合ってくださいって言ったら、二人ともOKします?」

 

「すっるわけナイじゃあぁ~~ん!!! ギャハハハハハハハ何その気になってんのー!!?」

 

 

 うっわすげえ傷ついた。ともちゃん自分で話振っといて大暴れだな。

 胡乱げなジト目の視線を智余さんに突き刺すのをやめて成美さんを見ると、意外にも顎に指を当ててじっくりと黙考してくれていた。

 

 

「……無理 だってあんた気が利かなすぎだよね 自分では気遣い上手いつもりかもしれないけど、やっぱサイコパスなとこあるからズレてるよ

でも……イケメンではあるよね まつ毛がちょい濃いけど許容範囲 身長は見たとこ165前後か、小柄だけどまだ高一だしそれは置いとくとして

後歳の割に金も持ってるし……もうちょい女心を理解する努力をしてくれたら、考えないでもないかな」

 

「えぇ……ひくわー 高一相手に真剣に批評するとかマジで引く」

 

「ッ……!! 殺されたい?」

 

「やるんかモモキノコ! わてはいつでも相手になりまっせでおくんなまし!!」

 

「落ち着いてください二人とも! てか智余さんどこ出身!?」

 

 

 あーもうお話が進まないよ……。まあでも収穫はあった。智余さんに、そしておそらくは多くの二十代女性にとって年下ってだけで減点対象なのだ。

 財力には自信があるけど、身長かー。やっぱ身長がネックなんだな。年下でも190とかあれば余裕で惹かれるだろうし。

 それぞれ異性から見て、男性の身長の高さ=女性の胸の大きさ、というのはよく聞く物差しだ。

 

 

「なんかないですか? 身長や年下の頼りなさをひっくり返すほどの評価ポイント」

 

「サプライズ感かしらにぇ~ 常に映画ヒロインみたいな感覚を味あわせてくれる刺激的な人ン」

 

「……もう誰も信用しないから知らない」

 

「じゃあそう思う前ならどうです?」

 

「なるはサプライズとかいらない 理解力があって、ずっと大切にしてくれるならつまらない男でもいい」

 

「割れるなぁ……奏鵺さんはどっちだろ?」

 

「アパートで独り暮らし、礼儀正しく物静か それだけの情報じゃあねえ」

 

 

 ハナクソを飛ばしながら智余さんが興味なさげに吐き捨てる。

 まあ……そこはリサーチ不足でごめんなさい、としか言いようがないけど。

 いや待てよ。倒れた棚を直すときに確か……。

 

 

「画材を見たような……気がします」

 

「見た気がする? はっきりしてよ」

 

「棚を直す為に上がり込んだときに ええ、確かに見ました」

 

「ふゥ~ん だったら奏鵺さんの絵でも描いてたらキュンとするかもにぇ」

 

「いや、俺絵の経験無いですからね」

 

 

 突貫工事で描いたら絶対幼児の落書きになるぞ。

 時間をかけるにしても、絵心なんてないしな……。

 

 

「とりあえず知識は蓄えておきな

自分を知的に見せれば、少なくともガキっぽいって評価は覆せるよ」

 

「そうですね! 歳の割に絵画に造詣(ぞうけい)が深いのはいいですよね~」

 

「ンフ、そういえば情成くん知ってる? 貴彦君結婚したにょよ

それも九歳年上、二十五歳の姐さん女房」

 

 

 そうか。鈴木はもう智余先生がいなくてもしっかりと自立して生きていけるのか。

 こういう話を笑って話せる辺り、智余さんもこれまでの生き方には功罪両方あるのだと再確認できているのだろう。

 いつか能力を制御できるようになって、程度の低い人間を殺すことなく、元の立派な人に戻ってもらいたいな。

 ……割と切実に。

 

 

「貴彦って誰?」

 

「俺の元クラスメイトで個展開くほど有名な画家ですよ」

 

「へえ、十六で…… 深口も頑張りなよ」

 

「別に今急ぐことないでしょ 十年後に言ってくださいよ」

 

 

 言った途端、成美さんが激高し俺の顔面に後ろ蹴りを深くめり込ませた。

 ヒールのかかとが右の網膜を傷つけたようだが、まぁいいや。普通の人間と違い俺はレンズが傷ついても、放っときゃ視力まで治る。

 

 

「めっちゃ痛ええぇぇえ!!!」

 

「何で死に物狂いで努力しようとしないわけ!? 全力で頑張らないわけ!?

マジで死ねサイコまつ毛ッ!!」

 

「なんでそんな怒ってるんですか!? おーい!

……行っちゃったよ」

 

「クックククヒヒヒ……情成くん、あのモモキノコの連絡先教えてくれない?

私あの人気に入っちゃった♪」

 

 

 ケタケタと上機嫌に肩を揺らす智余さんだが、今のどこに気に入る要素があったというのか。顔面に蹴りを喰らいたいわけでもあるまいに。

 ……分かった、オモチャにしたいんだな。

 

 

「ねえ君大丈夫!?」

 

「救急車呼ぼうか?」

 

「あー心配ないっす スポーツやってればこのぐらいよくあるんで!

オーバーリアクションもジョークとしてやっただけですから! お騒がせしてごめんなさい~」

 

 

 何が何やらという相談会だったが、とにかく知的に振舞って子供っぽさを払拭する事。

 それが当面の課題だということが分かっただけでも一歩前進、かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日深口と喧嘩別れ(というには一方的になるがキレただけ)してから一週間あまり経った。

 同席したあのクソ女に深口が連絡先をばらしたらしく、くだらない内容のメッセージが舞い込んでくるようになった。

 

 性根の腐った酔っ払いという表像はあるけど、今んとこなるを口撃する意図は見えないから調子が狂う。なるは隠した本心とか推察したくないのに。

 もちろん返信はせず無視している。けど暇を持て余している時は、ぼうっとしながらニュース感覚で目を通していた。

 そんな時だ。自宅のベッドでゴロゴロしていたらふと気になる内容の文面があった。

 『なんだか情成くん、最近奏鵺さんに避けられてるみたい 食事の誘いもやんわり断られてるんだって~』

 

 

「……へえ、そうなんだ」

 

 

 自分でも驚くほど弾んだ声だった。

 別になるはあいつを好きになったわけじゃない。けど深口はなるに同じ能力者として、民族主義的な意味で至上の全肯定と好意を寄せている。

 こいつを利用しない手はないと思うのは、自分の性根がどこまでも捻くれているからだろうか。

 でもこんな気持ちを抱くのは仕方がないはずだ。現代社会で人間同士は決して隙を見せてはならない。

 

 民主主義の社会では、人は皆平等だ。であるならば力関係はどうやって決めるのか?

 ……簡単だ。客観的な会話の質で決まる。いわばコミュニケーション能力主義。天然だとか、うっかりやという評価は「お前は奴隷だ」と言われているに等しい。

 そんな中で深口は自ら腹を見せて、ナイトシンドロームすれすれな尽くし方までしてくれる。

 もはやキャンディのようにナメ尽くしてくださいと言わんばかりだ。職場でひどい扱いを受けてないといいけど。

 

 まあ深口だって家族、クラスメイトに対してまでああではないだろう。だとしても他の面を知らないし、考えたくもないなるにとっちゃ胸を打つ可愛さはある。

 もう一歩へりくだれば創作に一人は登場する都合のいいキャラクターだ。こう、むずむずとした反復好意を抱くのも人として当然なんだ。

 だから奏鵺とかいう女よりなるを優先するのが当然で……深口のキャラ的に自然でしょ。

 なに中途半端になるをないがしろにしてんだよ。報いだバーカ。

 

 

「とはいえ……」

 

 

 一度、人の忠犬を取ろうとする泥棒猫を見に行ってもいいかもしれない。

 あくまでキープしてるだけの手駒でしかないけど。決して恋なんかしてあげないけど。

 なるの最後の友達だから、奪う奴は許さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大学の講義をサボって、なるは完全体を維持したまま昼前にはもう木陰荘に着いた。

 あのくだ巻き女……藤原に初めて返信し、住所を聞いてみたらすんなり答えが返ってきたので行かない理由も無い。

 何か誤解してるんだろう。藤原から色々激励の言葉を貰ったが、否定するのも面倒なので無視しておいた。なるはショタコンじゃねえっつうの。

 ええと……表札は。一階のここが深口か。他に表札は掛かっていないから、奏鵺がいるのは二階。

 階段を上り切り、深口の部屋の真上に奏鵺の表札を発見した。一瞬ためらったが無駄足にはしたくない。なるはインターホンをねっとりと鳴らした。

 

 

「はい、奏鵺です」

 

 

 出てきたのは美人だった。深口と一緒だったあの中華人のハーフよりも。もちろんなるや藤原よりも。

 胸の奥がむかむかと妬けてくる。所在なさげにこちらを見る奏鵺に唾でも吐きたくなった。我ながらなんて捻くれ者だろう。

 

 

「……深口の友達の、玉本成美っていうんだけど」

 

「ああ、深口さんの…………」

 

「なんかさ 最近あいつを避けてるらしいじゃん?」

 

 

 その事を指摘すると、表情はピタリと固まったまま視線を下に落とした。……何かワケあり?

 深口は奏鵺に対して情報は乏しかった。深口が高校に行っている間を狙って探りを入れようと思ってたけど、予想以上にうまくいきそう。

 

 

「避けてる、つもりはないんです……」

 

「あいつも真剣なんだからハッキリしてよね」

 

「ごめんなさい 私嬉しくって……怖くて」

 

 

 嬉しくて怖い? とても悲観的に、挙動不審に絞り出された端的な言葉を……なるはなんとなく理解できていた。

 人間関係のすべてを表現していると言っても過言ではない。

 ただ……表層を洞察するならば奏鵺の感じている恐怖はなるとは別のものに思えた。

 

 なるは裏切られて傷つくことが怖い。だから他人の腹の底を窺わせるような微妙な機微を無視していたし、社会生活上近しい人は裏切る事がそもそも出来ないように要素を奪っていた。

 その結果なるに生まれたのは拒絶からの驕り。他人をステレオタイプにはめ込み、心があるという事を忘れてとにかく相手の傷つくことを平気で言うし、支配的に振舞う。

 だけど奏鵺は深口に聞いた通りとても礼儀正しい。奏鵺の言う怖いとは、相手を同じ人間として慮った結果、傷つけるのが怖いって意味だろう。

 

 

「今度は私が誘ってみます 外じゃなくて、お部屋でお食事なら……きっと」

 

「……まああんたにも考えがあるようだし、伝えたかったのはそれだけ

じゃあね」

 

 

 奏鵺は何かを隠している。でも悪意的に嘘をついているわけでもないみたい。

 表層から読み取れるのはそれだけじゃない。外じゃなくて部屋ならいいってどういう事?

 気になる。でもヘタに真正面から攻めるより、なるの能力でどういう訳なのか真相を見極めてやる。

 もし猫被っていたその時は……覚悟しておけよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈む気配のない夏の陽を背に、俺は事務所へと近すぎる通勤路を歩いていた。

 最近気づいたことだが、奏鵺さんは早朝にしか買い物に出ない。少なくとも俺の感知出来得る土日はそれで徹底している。

 そして先日たまたま火曜日が祝日だった時にも同様だったので、平日か週末かに関わらずずっとそうだと考えられる。

 

 宅配サービスを利用しているわけでもなさそうだ。宅配車が敷地に入ったら震動でドア外れちゃうし。

 合理性を考えれば俺がいない間、買い出しに行っているとも思えない。そんな事をするなら早朝買いに出る理由がない。ほとんどの商店は早朝には営業していないのだから、昼まで待ってスーパーに行けばいい。

 つまり奏鵺さんは早朝にしか外出できない訳があるって事なんだろうけど、う~ん?

 

 

「朝市とかかねぇ……?」

 

 

 考えても明確な答えは出てこない。直感に訴える奇妙さだけどひとまずそれはいいや。重要なのは早朝に買い物なんてキツいだろうってこと。

 これを会話のきっかけにして、早朝だと大変でしょう? 俺でよければ手伝いますよって流れに持って行けないかな。

 先日お部屋にお邪魔してごちそうを振舞ってもらった仲だし、もうグイグイいきたい。

 脳内でプランを組み立てていると途中でバッタリ蘇若と会った。時間帯がかぶったんだろう。引っ越してからよくある。

 

 

「はよーね蘇若」

 

「はよーねざんす、情成おにーさん」

 

 

 挨拶を交わし、とてとてと俺に近づいてきた蘇若が、ニヤついた笑いを貼り付けて肘で小突いてきた。

 

 

「どうざんすか? その後の話は!」

 

「うん、今もちょうどその事考えててさ 聞いてほしい事あるんだ」

 

「よござんしょ よござんすよ勿論」

 

 

 普段こういう話題に飢えてます感丸出しのJCちゃんではあるが、果たしてどこまで親身に相談に乗ってくれるのやら。

 だいたい性格がまるっきり違うし、聞いてて面白いのかな。と思いつつも語る。

 俺達は佐橋ビルの入り口まで来るといったん足を止めた。話せる事はもう全部伝えたからだ。

 後は蘇若なりの答えを聞いたら仕事モードに切り替えよう。

 

 

「直接言わない方がいいざんす!」

 

「ありゃ、そうなの?」

 

「考えてみるざんすよ もしアタシがおにーさんの下階の住人で、早朝買い物するの大変ざんしょから手伝うざんす?

って聞かれたら嫌ざんしょ」

 

「遠回しな騒音の苦情だと思うだろうね」

 

「おにーさんが大切に思う奏鵺さんに早朝しか動けない理由があるなら、それを慮るべきざんす」

 

 

 慮る……具体的には、どうする?

 

 

「どうするのが正解なの?」

 

「ジョギングを装って、買い物帰りの荷物を持ってあげるざんす

それなら、早朝騒音で起こしてしまっていると思わせない配慮になるざんす」

 

「まあ、俺が勝手に起きてるだけですってなるからね」

 

(さと)い人なら嘘だと見抜くざんしょが……荷物を持つ事で、起こされたからって気にしてないよって意図も伝わるはずざんす」

 

 

 逆の立場だと……え、待ち伏せ? と戦慄するが。まあ女子が言うんならそうなんだろう。

 蘇若の言った通り受け取ってくれなきゃ俺ストーカーになっちゃうからね。……大丈夫だよね?

 

 

「分かったよ、それでいってみる ありがとね」

 

「面白い話ざんすから別に礼はいらんざんす

……それにしても変わったざんすね、夏休み明けから

以前は一般人を軽視してて、身内にだけ甘い器の小さい民族主義者って感じだったのに」

 

「……うん、ちょっとね

……自分たちが特別だって思わないと、能力者のコミュニティでうまくやってけないんじゃないかとか、色んな勘違いや思い上がりを正せた夏休みだったと思うよ」

 

 

 話を切り上げて佐橋ビルに入ると、月歌と草梨がカウンターで卿燐さんと談笑していた。

 そういえば以前卿燐さんが"常連になる人はほとんどいない"だとか言ってたけど……なんでだろ。

 

 

「あら、ウンコまつ毛じゃないの 最近よく会うわね」

 

「引っ越して出勤の時間帯が変わったからね 後それマジでやめてお願い」

 

「イケまつ先輩! 例の木陰荘って家賃いくらぐらいですかねっ?」

 

 

 草梨がテンション高めに俺の肩を揺さぶる。ホームレスの溜まり場を出てから月歌の家に居候してるんだっけ。

 家賃……あれ、いくらだ? ていうか説明受けてたか? 受けたような気もするし、受けてない気もする。

 

 

「ごめん、忘れた……エルアさんがいたら聞いて来るよ」

 

「情成おにーさんの賃料は、確か依頼の報酬から天引きされるざんす」

 

 

 蘇若が草梨にそう伝えると、草梨は頭を掻きながら目を逸らした。

 多分そもそもの話……治療用に買った事に思い至ったんだろう。

 

 

「うーん、あたしゃよくわかんないんだけど、先輩たちがやってるのは危ない仕事なんだよね?」

 

「そういう事もあるかな エルアさんたちがきな臭いと思った依頼を張り出してるからね」

 

「あたしもここで働かせてほしいなぁ……」

 

 

 隣では月歌が「そんなことしなくていいのよ」と言いたげに居候が悩む姿を見つめている。

 傍から見ててもこの二人はいいコンビだ。月歌は育ての祖父母が亡くなって一人暮らし、二人の子分がいるけど家では寂しい思いをしていただろう。

 だから草梨が一緒に暮らしてくれるだけで一宿一飯の恩義というやつは返せていると思うんだけど……。

 いや、余計なおせっかいはやめておこう。これは二人で話すべきだ。

 

 

「仮に木陰荘に住む事になったら、まあ色々サポートするよ」

 

 

 草梨に限らずともいつか住人は増えるだろう。奏鵺さんと二人きりなのは今だけだし後悔しないようにしっかりアピールしとこう。

 だが……この言い知れぬ奇妙さはなんだ? なんで早朝に買い物にいくんだ?

 何かの地雷かもしれない。その可能性はあるが、それ以上に奏鵺さんと親密になりたいという思いがある。

 失敗したって死にはしないという気持ちで頑張ろう。駄目で元々なんだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁぁ……ねっむ」

 

 

 時刻は午前五時。深口も早起きだけど、その深口を微かな物音で微睡(まどろみ)から覚醒させる奏鵺もすごい。

 なるは朝弱いから素直に尊敬できる一面だね。とはいえ今日はそんな泣き言は言ってられない。

 ベッドの脇に佇む深口の虚像。これを通してなるは深口の触覚を除いた四感を感じる事ができ、行動が手に取る様に分かる。

 

 深口が、早朝に出かける奏鵺の秘密を探ろうとしているのをキャッチしたため、こうやって便乗してなるにも見せてもらう。

 その結果如何によってはなるを騙した罪を償ってもらうし、傷心の深口の前でいびり倒して、深口のなるに対する信奉度を高める踏み台にしてしまってもいい。

 据わった目のままじっくりと虚像から現在進行形で情報を読み取っていく。

 どうやら深口が奏鵺を発見したようだ。けど、しばらくして様子がおかしくなった。

 ぴたり、と歩みを止めて動かない。別に信号待ちなどではないのに。奏鵺の華奢な体がかすかに強張っている。

 すると深口が横合いから顔を覗き込んで。

 

 

「―――奏鵺さん?」

 

 

 気味の悪い宗教画のように凄惨に、歪み、引きつった奏鵺の表情が視覚に飛び込んできた。

 我慢できず、思わず低い音域でうああと唸り声をあげた。

 すぐさまなるは虚像を解くかどうか迷った。詳細は不明だけど、自分がいやなものを見た事だけは分かったから。この後何が起こるのかも予測がつかない。

 一分にも満たない、けれど恐怖で震えた思考の末、虚像を解こうとした時。

 二人の前で人が轢かれた。ぐちゃぐちゃに飛び散った。



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「悲壮」「歪曲」3

 轢かれた人が破裂した血袋になり、轢殺した運転手も電柱に突っ込み、頭部が潰れ息絶えている。

 さすがに声を失った。人死に自体は見たことある。だが慣れる慣れないの問題ではないだろう。

 

 距離が離れているのでまだマシなものの、真っ赤なグロい光景は目を逸らすべきもの、視界に入れてはいけないものとして脳が認識を拒む。細部まで見えない事が脳へのダメージを軽減しているのが分かるな。

 ―――ああ、軍艦島で漢政優護(からまさゆうご)を殺したときは、そう気にはならなかったのに―――。

 

 

 辺りに公衆電話は……ないか。

 携帯電話は非常に便利だが、この先大きく普及することはないだろう。

 ミツバチが大量に消える奇公害、CCDの原因の一つだと最近疑われてるようだし。

 

 

「奏鵺さん! 俺会社から携帯借りてます、これでかけますから」

 

「……」

 

 

 奏鵺さんは放心状態のまま泣いていた。俺も胸がつかえるような息苦しさを感じる。

 こんな思いは一秒でも早く終わらせたいと、もう無駄だが一応119番、次いで110番にかけた。

 辺りに人の気配はまったくなくて、すぐそばに死体がある状況で静寂に包まれるのは気まずいし苦しい気分だった。

 早く日常の空気感に戻りたい。そんな風に俯き気味の姿勢で黙考していると、先ほど目にした奇怪な点に考えが及んだ……。

 

 交通事故が起こる前。全くそんな兆候がないにも関わらず、奏鵺さんは恐怖に満ちた表情をしていた。

 偶然……ではないよな? 多分……。

 その後来た警察は、奏鵺さんの風声鶴唳(ふうせいかくれい)に怯える様子を見て配慮したのか、俺にのみ聴取を行い俺達は帰途に就いた。

 帰り道、荷物を持つ云々なんて話は完全に抜け落ちていた。お互い無言。奏鵺さんは俺の前を2メートル程距離を開け歩いている。だが俺には言うべきこと、聞きたいことがあった。

 

 

「……奏鵺さん」

 

「…………はい」

 

 

 奏鵺さんは立ち止まり、そのまま振り向かずに、微かに震えた声で返事をした。

 

 

「あの時、事故が起きる前に……自動車が視界に入る前から

すでに恐怖を感じていましたよね?」

 

「………………」

 

「―――全部、見てたんですね ごめんなさい深口さん…………もう会えないです」

 

 

 そう呟いた途端、奏鵺さんは走り去ってしまった。追いかけようと思えばできたが……。

 とてもそんなタイミングではない気がして、見送るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだアレは。何でなるは死体を見せられたんだ。ただでさえ慣れない早起きで体調不良だというのに、ショッキングな光景に吐き気までこみ上げてくる。

 謎の現象、決して偶然じゃないだろう。

 つまり……奏鵺と接触したなるもいつ死んでもおかしくないってことだ。

 藤原と同じ因果律を操作する能力なのか……。いや、藤原のは広域の催眠だったっけ? 何にせよ条件が分からないでは話にならない。

 

 なるの虚像の能力をフル活用して、なんとかあいつの対処法を見つけなきゃ……!

 まず奏鵺の親族を探るとして、役所の職員に成り代わるか? う~……ん、難しいかも。

 四感から得られる情報を把握できるとしても、肝心の奏鵺の個人情報を見てくれなければ意味はない。

 その為には本人にはお休みいただいて、虚像を出勤させればいいんだけど……このやり方は足がつく。偶然無断欠勤するわけがないから、何らかの形でなる自身が関与しなきゃならないからだ。

 なら事故を起こして出勤できない、かつ職場に連絡もままならない容体にさせる? バカな、そんな大けが医者や警察が職場に連絡するに決まってる。

 

 

「うぅうううぅ……深口のバカ」

 

 

 何であいつはあんなに自分から事態に関与できるわけ? 藤原を屈服させたのも深口だっていうし。

 なるは自分の能力に絶対の自信を持ってるけど、自身の反社交性が能力の邪魔をしている。もしなるが性根が真っすぐな人格者でコミュ力があったなら、深口にあんな惨敗を喫する事はなかった。てかそもそも敵対してない。

 結局凄い能力を得たところで、人格が歪んでいれば能力まで反社会的感情によって弱体化する。なるより深口や藤原の方が使いこなせるのは明白だ。

 

 そうだ……深口は多分今それどころじゃないんだろうけど、藤原がいる。

 あれだけなるにメッセージ送りつけてくるんだから、少しは役に立ってもらおうじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私ったら何してるのかしら。クズよこれ。もう最低。堕ちるところまで堕ちてる。

 でも真っ当な行動をしたら、またあの緑色の奔流が発生してしまうものね。久遠さんしか見ていないんだし、そこまで深刻に考えることないわよね。

 

 

 作業を再開しようとした矢先、インターホンが無遠慮に鳴らされた。

 木目が麗しい椅子に座っていた久遠さんが不意にこちらを見つめてきた。

 訪問者は私に用があるって事? 誰かしら……情成くんでさえ私には会いたがらないのに。

 よろよろと立ち上がり、たどたどしい足取りで玄関までたどり着く。そしていまだ鳴りやまぬ音を止める為ドアを開けた。

 

 

「……え」

 

「な、成美さん……!?」

 

 

 驚き過ぎて、思わず割と上品な声色でしゃべってしまった。

 それにしても成美さんが自ら私に会いに来るだなんて。ハッと驚きから我に返った彼女はわなわなと震える唇を動かし。

 

 

「藤原……あんた全裸で何やっ……てんの?」

 

「なにってェ? 見て分かるでしょ電動ア〇ニー装置を作ってる!!」

 

 

 思い切りビンタされた。このぐらい、どうってことないわ!

 その後衣服を正した私は涅槃仏スタイルで成美さんの話に聞き入る。

 先ほどから、人が真面目に話してやってんのに……! と大変な怒り様だけれど、まだ殴りかからないのは立派な忍耐力だわ。

 それに……自分の身の安全が懸かっている、と力説しているけれど、言葉の端々からは別の意思を感じる。

 

 

「ぶっちゃけさー」

 

「まだなるが話してる途中だろうが 殺すよ?」

 

「情成くんが心配なんだよぬん? ってブッフェエエエエ!!?」

 

 

 グーはさすがに……い、痛いわ。でも成美さんは自分に芽生えた感情に気づかなくてはならない。

 ……いえ、取り戻した、あるいは思い出したと言うべきね。

 鼻っ柱を抑えつつ立ち上がると、成美さんは認めたくない一心で真っ赤な顔をしていた。

 そりゃ恥ずかしいでしょう。勇気も要るでしょうね。でもここで踏ん張らないと、貴女は最後の友達すらなくしてしまうわよ。

 次にどんな言葉をかけるべきか迷っていると、横合いから久遠さんが手を伸ばして制止してきた。久遠さん……何を?

 

 

「貴女はすでに、情成さんのことを大切な友人だと認めていますよ」

 

「ハァ!? 何あんたいきなり! なるのこと知らないくせに偉そうに説教垂れるな!!」

 

「知っていますよ 昨日もまた夢の中に情成さんが現れて、膝枕された事も……そろそろ彼の健気な友愛に報いてもいいと思っている事も」

 

 

 成美さんの怒気が徐々に収まっていく。これ以上抗弁しても無意味だと悟ったのね。

 少々卑怯だけれど成美さんの捻くれた部分を自壊させることが出来てよかったわ。

 今彼女は素直な欲求が心の中に反響して大きくなっているはず。心が読める人に指摘されてはもう誤魔化せはしない。

 

 

「私ならエルアに相談して、奏鵺さんの賃貸契約書を入手できます

少しここで待っていてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふむ……なるほど、分かった」

 

 

 エルアが受話器を元の位置に戻す。

 五分ほど話し込んでいた間、眉間にはしわがますます寄って目つきは鋭くなる一方だった。

 明らかに愉快ではない話だったことが分かる。

 

 

「リリアナ、花嫁、多苦磨 すまないが手分けして木陰荘の契約書を探してくれないか」

 

 

 収納ケースの一つから、纏まった分厚い書類が顔を出した。

 おいおいおかしいだろ。木陰荘って情成以外誰も新しく入っていないだろうに。

 

 

「エルア、他の書類と纏めてごっちゃにしてるのか?」

 

「毎日書類が増えるばかりでな……これを機にため込まず整理することにするよ」

 

「お手伝いもえ? やるやるぅ~~♪」

 

「整理、整頓は……大事?」

 

 

 分割された書類の束を受け取り、一枚ずつ仕分けながら内容を確認していく。

 俺自身が解決した依頼もあったし、逆に存在すら知らない事件の、発端から顛末までの全容が記された書類もあった。こりゃ面白い、綺麗にファイル分けしたら暇な時に読んでみるか。

 そうやって軽く目を通しながら作業を進めていると、ある一枚で思考と動きがとまった。

 

 漢政優護、死亡。

 調査員、深口情成及び敷島流視が殺害。

 …………。

 ………………マジかよ。情成には、人殺しなんか経験して欲しくなかったのに。

 短く嘆息するとすぐさま仕分け作業を再開した。感傷に浸ってもしょうがない、よな。あいつはまだ全然俺よりきれいなんだから、それでいいじゃないか。

 それから十五分ほどでお目当ての書類は発見され、事務所に来た久遠に渡された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 兵庫県芦屋市某町。ここに奏鵺の両親は住んでいる。場所は割れているので、ホテルで昼食をとって万全の状態で突撃だ。

 高級住宅が立ち並ぶ景観を目の当たりにして、最初に浮かんだ感想は……落ち目の東京府なんかより全然いい感じだな、というもの。

 こんな場所に居を構えていたということは相当なお嬢様だったんだろう。それがなぜ、東京のアパートに移り住んできたのか?

 

 まあ十中八九あの能力絡みだろう。なるだって制御不能な能力を持っていたら、あんな風に逃げ隠れるように生きようとしたはずだ。

 家族や一族の力では解決出来なかったから、逃げ出した。でも奏鵺には深口がいて、深口の会社にはノウハウがある。

 諦めるのは、まだ早い。

 なるも……あの久遠とかいう奴に突き付けられて気付かされた。深口への友情に。そして感謝に。

 だから……このまま奏鵺を不幸なまま終わらせたくないんだ……。

 足取りは軽く、心の波は久方ぶりに平穏に。生理と重なってなければもっとよかったんだけどね。

 

 

「……よし」

 

 

 奏鵺の実家はかなり立派な和風のお屋敷だった。門を押しのけ、庭を突き進み玄関の呼び鈴を鳴らす。

 しばらくすると無表情なおばさんがゆっくりとドアを開けた。無表情といっても多少困惑の色があるのは分かる。

 まずはこいつが奏鵺の母親なのか、単なるお手伝いなのか確認しとかないと。

 

 

「奏鵺厚子さんて知ってます?」

 

「ッ……厚子は私の、娘です……あなたは?」

 

「……友人の玉本成美です」

 

 

 母親は心底、とてつもなく驚いているようだった。無表情という感想は撤回しなくちゃいけない。

 こうすんなり会えるとも思っていなかったので、次にどう質問したものかと思考を巡らせていると、母親の方から口を開いた。

 

 

「貴女は……怪我をしていらっしゃらないのね」

 

 

 いきなり、近くにいると怪我をして当たり前……ときたか。

 なるは全身から冷や汗がどっと噴き出るのを自覚した。



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「悲壮」「歪曲」4

 息を飲みそうになりつつも、努めて平静を装う。

 母親にとってみれば、無傷のなるの訪問はかなり刺激的な話だろう。主導権は、こっちが握る。

 

 

「本来なら無事じゃ済まないでしょうけど、私も彼女のように特別なんですよ

知ってる事、洗いざらい吐いてもらえます?」

 

「吐いてもらうって……貴女本当に厚子の友人なんですか? そんな言い方をして、何のために娘を探っているの」

 

「友人として、少しでも彼女の負担を減らすためですよ

それにお行儀よく話しても、そちらとしては核心に触れることは話しづらいだろうという配慮です 例えば……声、とか」

 

 

 なるはその"声"で覚醒したけど、重要なのはそこじゃない。

 多分、推測なんだけども……あの声は元から精神を病んでる人間にしか聞こえない。

 なら能力が生まれる前から奏鵺は苦しんでいたという事になる。

 例に漏れず……この人も毒親ってことだ。強硬な態度にもなる。

 

 

「声……ですか? 声って、まさか……!」

 

「私は少女の声をきっかけに不思議な力を得たんですけどね

他にも同じ境遇の仲間がいるんです その人たちと協力すれば、少なくとも孤立は防げるかと」

 

「…………」

 

「……奏鵺夫人?」

 

 

 いきなり顔を青くした……。え、なに?

 まさか声の主に心当たりでもあんの!?

 

 

「娘が"反転"した後に……うわごとのように呟いていたんです

声が、声が、って」

 

 

 反転? なに反転って。

 ま、まさか。

 ひょっとして奏鵺は……深口と同じ……!!

 

 

「娘は、どんなに周りが注意しても、どれだけ危険なものを遠ざけても、いつも怪我が絶えず

その所為でずっと何もない部屋で幽閉同然に育ててきて……不憫という言葉さえ足りない子でした」

 

「幽閉……ですか」

 

 

 なんつーか……まずいぞ。なるたちが手に入れた"声由来の力"と、奏鵺に元からあった"不幸の力"。

 これは別の体系だ。二つの異なる力が融合しちゃってる。

 

 

「それが十七歳の誕生日を境に、他人に不幸の矛先が向くようになってしまったんです

夫はその日死にかけました」

 

 

 片方だけでも突き止められていないのに、もう一つ原因不明の能力を持ってたなんて。

 しかも、よりによって不幸、不運。なるの虚像のように自己制御できない、不幸に襲われる条件付けなどないランダムな能力。

 あの声は……確か、今起きている苦しみを取り除いてあげるとか言っていた。

 確かになるはそうなった。けど奏鵺は……それによってまた別の苦しみに襲われてる。

 

 

「手を尽くしてない訳ないから聞くのも野暮なんですけど、不幸の原因て分からないんですか?」

 

 

 問題が目の前に転がっていて、それが今日まで解決に至っていない理由は怠慢じゃない。

 現場ではすでに手を尽くした結果なんだ。それを覆すには環境か、あるいは慣習を外的要因で変えるしかない。

 

 

「実は……心当たりは、あるんです 玉本さんは鵺塚(ぬえづか)というものを知っていますか?」

 

「いえ、生憎と浅学なもので」

 

「この地域では有名な話です

大昔、川から流れついた化け物の遺体を埋葬した塚らしいのですが、それが当家の管理する土地にございます」

 

「それを知らずに土地を開発し、うっかり破壊してしまった、とかですか?」

 

「いいえ 夫の先祖は鵺塚を大変(おそ)れ、代々欠かさずにお参りをするくらい大切にはしていました

ですが厚子が生まれる際、忙しさのあまり(しばら)くの間お参りを(おろそ)かにしてしまっていたんです

厚子のソレに気付いてからすぐにお参りをしたのですが、帰りに大事故に巻き込まれたり、とまるで効果はありませんでした」

 

 

 ……だんだんなるの苦手な分野になってきたな。

 

 

「場所に案内してもらえますか? 仲間が多いと言っても、声に関する集まりでして

その鵺の呪いの方は詳しく対応できるかどうか」

 

「はあ、まさか専門家の方々がいるとは思いませんでした 厚子をどうかよろしくお願いします

車を出しますので、どうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 死体を見たショックはなんとなく回復したものの、奏鵺さんへの心配は拭えないまま俺は木陰荘に帰宅した。

 横目で奏鵺さんの部屋を見るが妙に悪寒を覚えた。訪ねようかとも思ったが……どう言葉をかけていいか、まだわからない。

 

 ともあれ近いうちにフォローしなきゃな、と思いつつ自宅に入り椅子に腰かけた時、ランプが点滅する携帯が目に入った。

 充電が心もとなかったので今日は持って行かなかったが悪い事したな。成美さんかな?

 慌てて確認すると、エルアさんからすぐに事務所に来るように、とのお達しがあったため飛ぶように走った。

 メッセージに気づいた直後、それに道中でも電話したが『いいからすぐ来い』の一点張りだった。

 

 

「情成、ちょっとこっちに来てくれ」

 

 

 大急ぎで事務所に降りてくると、なんだか普段と違って慌ただしい雰囲気に包まれていた。

 エルアさんがいつにも増して険しい顔つきで俺を呼んでいる。

 

 

「どうしたんですか? この騒ぎは」

 

「朝久遠から電話があってな

木陰荘の住人の、奏鵺厚子に関する書類を渡してほしいと」

 

「久遠さんから? ぐ、偶然なのか

俺も奏鵺さんに関して話したい事があったんですよ」

 

「今朝の事故の事だろう 実は事故現場にもう一人立ち会っていた者が居る 玉本成美だ」

 

 

 成美さんが……? 一体なぜ? 何が起きている!?

 

 

「玉本の推測だと、奏鵺厚子は自分の意思にかかわらず、周りの人間を死に至らしめる能力がある」

 

「ま、まだそうと決まったわけじゃないですよ だいぶ参ってましたけど」

 

「玉本が彼女の母親から話を聞いた結論だ」

 

 

 は? 母親に聞いたぁ!!? いつ!? 今朝の出来事だぞ?

 いや待て落ち着け。そもそもそのアグレッシブな人本当に成美さんなのか?

 

 

「えっと……流れを教えてもらえますか」

 

「奏鵺厚子の両親の所在を玉本に伝えた後、玉本が奏鵺の実家に行き情報を掴んできたんだ

それに依ると奏鵺厚子は……鵺という妖怪に祟られていた少女らしい」

 

 

 鵺……確か猿の頭に虎の四肢を持った怪物だよな。それの祟りってこと?

 

 

「俺自身都市伝説とか大好きですけど、それってマジモンの妖怪じゃないですか!

ここに来てから多少の驚きにはビクともしませんが、それはさすがに驚愕ですよ」

 

「妖怪なんてものは元来珍しいものじゃあない 自然現象、錯乱症状や難病、希少生物、奇人変人とあらゆるものを妖怪と呼んできたんだからな

中には本物の神通力を有するものもいるが、鵺が実在したならそれに当たるだろう」

 

「……まあ昔の時代なら妖怪は便利な言葉ですしね」

 

「情成もそれこそ時代が違えば、本当の意味で鬼と呼ばれて居ただろうな」

 

 

 で、適当な坊主やお侍に討伐されてローカルな伝承になりました、ってか?

 いやー力を隠し続けてきてよかった~……。こう考えると現代でもどんな扱い受けるか分からないし。

 

 

「だんぴ他、うちのヨウカイたちが現在除霊方法と安全対策を協議中だ 話がまとまり次第木陰荘に出向く

このゴタゴタはそういう訳だ」

 

「ん……?」

 

「どうした?」

 

「俺に先行かせてもらっていいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の長い陽が影も形も息を潜ませたころ、彼女が幼少期お世話になった思い出深い病院……今は廃病院の敷地に奏鵺厚子が現れた。

 手には包丁。狙いは自らの喉元。顔には……諦観。

 その想い全てが殺意となって、喉を食い破る。

 刹那――。得体の知れないモノが包丁を捻じ曲げる様に、放たれた殺意が包丁に乗り移るように。

 手元から飛びぬけた包丁が、奏鵺厚子の死の結果を玉本成美に上書きした。

 

 

「ウ……!!」

 

 

 自殺に失敗したことに奏鵺が気づき、悲痛な表情を浮かべる。

 またやってしまった、とでも言いたげだ。

 おっと。

 奏鵺の表情を眺めていたはずなのに視界がブラックアウトした。

 もうちょっと粘るかと思ったけど、脳に血がいかなくなるとすぐ死ぬんだね。

 

 

「え!? き、消え……」

 

「こっちだよ」

 

 

 さっきまで"なるの虚像"が倒れていた場所から奏鵺がこちらへ視線を移した。

 ほんと、ちっちゃい子供みたいに純粋な驚き方で面白い。

 

 

「今死んだのはなるの能力で生み出されたコピーだよ いやコピーと呼べるほど凄いもんじゃないか

とにかく自己意識を持たないラジコンだから気にする必要はないよ

今こうしてくっちゃべってるなるも同じ」

 

「えっ コピーって……」

 

 

 まだ結構錯乱してるな……。さすがに説明不足だったか。

 つってもどう説明したもんかな?

 

 

「奏鵺以外にも特別な選ばれし人間ってのはいるんだよ

あんたに目をかけてる深口もそう……! だから死ぬのはやめなさいよ!!」

 

「そ、そんなこと言われても……どっちみち、私はもう死ねないんです」

 

「そうかもね 自殺すら反転して周りの人間に襲い掛かるようだし

要はその不運の元凶を取り除けばいいんでしょ

なるに考えがあるんだ、例の鵺塚に一緒に来てよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 木陰荘にとんぼ返りした俺は焦燥の極みにあった。

 奏鵺さんの部屋の鍵は、開いていた。

 もう会えません―――あの言葉の意味を軽んじていた事に今更危機感を強くし歯噛みする。

 可能性としては、すぐに行方を晦ますのは十分に考えられた。

 もう遅いかも知れない。今日は学校を休み、会いたくないと言われようが強引にアフターケアに取り組むべきだったのだ。

 電気を点けて辺りを確認すると、やはり突然蒸発したように見えた。

 生活感が丸々置き去りにされている。

 

 

「……ッ」

 

 

 何か、何かないのか? 置手紙とか!

 部屋の奥に突き進むと、視線が自然とそっちに向いた。

 ご飯に招待された時も見ていない、部屋。もしかしてこの部屋にいたり?

 一瞬首を吊っている等の最悪を幻視したが、変な臭いは漂ってこない。きっと大丈夫だ。

 俺は意を決すると思い切ってその部屋に飛び込んだ。ゆっくりと深呼吸しながら、電気を点ける。

 

 目の前に飛び込んできたのは、死体、死体、死体。無数の奏鵺さんの死体。

 

 

「え」

 

 

 ……と見間違うほどの、リアルな絵画。

 圧死、焼死、溺死、銃殺、轢殺。

 そのどれもが悪魔の筆に踊らされたように、鮮烈で濃密で、覆いかぶさった理性を引きはがし、脚色などない、命に対する死の無謬性(むびゅうせい)を存分に吟味(ぎんみ)したような完成度だった。

 特に奏鵺さんの表情は直視に堪えない。生への執着と未練を煮詰め、雑念を濾過(ろか)したかのような濃度の醜悪さと焦燥は、息を深く吸い込む動作すら忘れてしまう。

 

 奏鵺さんの眩いばかりの極彩色の美貌が、こんな歪み方をするなんて嫌だ。

 ……待てよ。轢殺の絵の構図には既視感があったぞ。俺は恐る恐る薄眼でその絵を見た。

 そしてピンときた、今朝だ。あの轢き殺された人がそっくりそのまま奏鵺さんに差し替わっている。

 俺はわけも分からないまま、絵画の部屋からよろよろと這い出て、うずくまった。

 脂汗を袖で拭いながら、目を閉じ時間が過ぎるのを待つ。しばらくは……心的外傷でまともに動けそうもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 奏鵺家宅から少し離れた場所にある古びた塚がある敷地。人っ子一人いない静寂の夜。

 そこに再びなるは奏鵺を伴ってやってきた。一回しか来てないのに道を覚えていたのだから、これでまた地頭に自信がついたな。

 

 

「今更ここに来て何をしようというんですか

何度お参りしても効果はなかったのに……」

 

「それはさ、ただの不運だった時の話でしょ?

不運不幸が鵺塚の呪いなのだとしたら、それが他人に反転するようになったのは、なぜ?」

 

「それは……」

 

「声だよ 鵺とは別の体系によってもたらされた異種の力」

 

 

 奏鵺の表情が、なぜ声の事を知っているのかという疑問に満ちる。

 まあそう思うのも無理はないよね。なるって一見、男の事しか考えていないような見た目だし。

 

 

「なるもさ、こう見えて地獄のような苦しみを味わってきたんだよ

かといって自殺するほど逃げ場がなかったり責任感があった訳でもなくてね

……ずっと幽閉されてきて辛かったよね よしよし」

 

「玉本さんのその不思議な力は、あの子からいただいたものなんですね

心の底から切望して……夢を見た時、囁いてくれた声……」

 

 

 若干くすぐったそうにしながらも、なるにいいように撫でられる奏鵺の声色は、慈しみと同情に溢れていた。

 ああ、やっぱあれだな。学校に通うから人間って性根が腐っていくんだな。

 両親も真剣に奏鵺を愛していたようだったし、最期に廃病院を訪れたのも、そこの医者たちに随分よくしてもらったんだろう。

 だから他者を(おもんぱか)れる。なるが深口に敬愛され、少しだけ(ほだ)されたように。

 現実で周りから全肯定される事が、濁り切った人の心を唯一蘇らせる特効薬だ。

 

 

「あんたが自殺しようとしたのはさ、周りへの責任感なんだろうけど

忘れちゃいな 少しくらい無責任になって、責任転嫁してもいいよ」

 

「そ、そんな事言われても……」

 

「まあまあ、いいからここでさっきと同じこと、腹にやってみて

きっと素敵なことが起こるから」

 

 

 そう言ってなるは虚像を消去し、離れたマンションの屋上から望遠鏡で奏鵺を観察する。

 近づく人影もないし、車の通行もないね。本当に奏鵺一人きり。

 いきなりなるが消えておろおろする奏鵺が可愛い。

 けれどなるの言葉を信じてくれていたようで、前向きな決意の表情で包丁を両の逆手に持ち。

 

 

「んっ!」

 

 

 迷いなく一気に腹に突き込んだ。

 そして手の動きとは裏腹に、包丁は見事に奏鵺の手を離れ、狙い(あやま)たず小さな石の塚に深々と突き刺さった。

 

 間もなくして大地震かと思うほどの地響きが起こった。感嘆にも聴こえる轟音はおどろおどろしく、まるでなるのざわついた心臓を最期の最後まで引きちぎろうとしているような執念深さだ。

 地響きが止み、落ち着きを取り戻しもう一度塚を見ると、ヒビの入った節々からおびただしい血が溢れ出ていた。

 どう? 安全圏から高みの見物を決め込んでいた所に思いもよらぬ奇襲を受けた気分は。

 妖怪変化に人権はねえ。そのまませいぜい人間様に詫びを入れながら死ね。



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「悲壮」「歪曲」5

「のど~の~~ど~~~ 喉がか~わいたざんす~♪」

 

 

 デタラメなメロディに乗せて歌い、飲み物を作るために給湯室に入ると先客がいた。

 美術品を守る様にふわりと纏う髪。まるで絵画から出てきたかのような現実味のないエキゾチックな美貌。

 一人でそこに佇んでいるだけで世界観作り出しちゃってる……。

 こちらには気づいてないでボーっとしてるざんすね。

 

 

「こんにちは!」

 

「あっ、こんにちは」

 

 

 お姉さんがうふふと笑いかけてきたので若干照れながらこちらもにへらと笑う。

 なんか最近いいこと尽くしでサイコー、って言わんばかりの笑顔ざんすね。

 

 

「アタシは舞川蘇若ざんす おねーさんはお客さんざんす?」

 

「はい 私は奏鵺厚子と申します よろしくお願いしますね蘇若さん」

 

「情成おにーさんの言ってた……まさかここまできれいな人だとは思わなかったざんす」

 

「そんな……でもありがとうございます」

 

 

 どうも無防備な人ざんすけど、悪い男に引っかからないか心配ざんすね……。

 まあ情成おにーさんが側にいるし大丈夫か。

 厚子おねーさんは興味津々といったふうに、アタシがほうじ茶を淹れるところを眺めている。

 鵺の事件からはや一週間、おそらく未来を覆っていた霧が晴れて随分明るくなったって事ざんしょね。

 情成おにーさんの言っていた儚い印象はあまり感じられんざんす。

 

 

「厚子おねーさんは、これからやりたい事ってあるざんすか?」

 

 

 そう聞くと明るかった表情が物憂げに陰を纏う。

 いちいち美人な角度で様になるざんすねえ。素敵っ。

 

 

「…………絵を描いていこうと思っています

今まで描いてきたものとは違う、見た人まで幸せな気持ちになれるような、私が好きな絵を描けたら」

 

「それはよござんすね! 情成おにーさんもすごく褒めてたざんすよ

あの御仁元は、写実画って写真あれば要らなくね? とか言ってた芸術のげの字も理解できん人ざんすから

何でカメラは一眼で、人間の眼は二つあるのかすらわかんねえ無教養野郎! ざんす」

 

「そ、そうだったんですか……私の絵は写真程精工じゃないから褒めてもらえたのかも」

 

 

 厚子おねーさんはクスリと微笑み冗談をとばした。

 聖人並みの度量ざんすね。あずかり知らぬところで手のひら返ししてたのに。

 

 

「全く! 芸の道を理解しないセンスのダッセエ男はモテないと、百万回お説教してやりたいざんすが……

まあ? あの青二才も今回の件で1ミクロンくらいは成長したざんしょ」

 

 

 おっと、お客さん相手に愚痴はまずかったざんすね。

 芸術の事になるとアタシに眠るお嬢様属性が勝手に……。

 慌てて口をつぐんだアタシに、厚子おねーさんが膝を折って顔を近くする。距離感近い……。

 

 

「その、もしよかったら……蘇若さんの絵を描いてよろしいでしょうか?」

 

 

 まるで妖精さんと会話するように密やかな小声で提案された。

 なんざんしょこのこそばゆい雰囲気は。アタシはドキドキしつつ厚子おねーさんの耳元に顔を寄せた。

 

 

「も、もちろんよござんすよ」

 

「やった ありがとうございます蘇若さん」

 

 

 無邪気に可愛くはしゃぐ顔も、美が凝縮されたエッセンスのよう。

 いや~ロマンティックな人ざんす。こりゃあセンスあるざんすよ。

 出来上がりにぜひとも期待ざんすね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所のデスクの上でトントンと紙束が整えられ、均等にならされたものが俺の手に渡された。

 エルアさんに調査を依頼したのは5日前。今回の事件の奇怪な点に気付いたためだ。

 

 

「情成、調査の結果だが……」

 

「ええ」

 

「ここ最近、表沙汰になった銃殺事件は存在しなかった」

 

「……なるほど」

 

 

 奏鵺さんの画房になっていた部屋で見た、数々の死の絵。

 その中に三枚、銃殺―――狙撃と見られる絵が混じっていた。横合いから頭の中身が吹っ飛び、脳みそを盛大に放射していたのだ。

 奏鵺さんの症状は自分に訪れる不幸や死を歪曲(わいきょく)させ他者に移すというもの。ならば彼女は、三回も誰かに狙撃で殺されかかったという事になる。

 それで調査してもらったのだが……やっぱり簡単じゃない。

 犯人が逮捕されていない、そもそも表に出てない裏の事件。

 

 

「なんとか解決しないとスッキリしませんよ!

なんか妙案ないですかね?」

 

「うむ……裏社会に潜む犯人を捜すのは至難の業といえるだろう

だが狙撃銃から探れば、まだ特定できる可能性はある」

 

「どういうことですか?」

 

癒氣城(ゆーしーちょん)だ この東日本で流通している銃器類はあそこがNo.1シェアだからな

それに誰にでも売るわけではない 顧客となるには裏の信用度も関わってくる」

 

 

 やすやすと足のつかない闇に潜む用心深い奴だからこそ、癒氣城側も売ってくれるってわけか。

 訪ねる場所は決まった。あとは……。

 

 

「ええ、ついて行ってあげますよ」

 

「久遠さんについてきて欲しいんです」

 

 

 先に言われてしまった……。ちったぁコミュニケーションとりましょうよ。

 うんこちんちーん、びべろべろろーんとか思われるのヤじゃないですか?

 あっ、心なしか久遠さんの視線がキツく感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「※日本語字幕

アイヤー! こりゃ大変な事になったわ

聞いてよ(ファン)

 

 

 私の経営する店で携帯を確認した直後、ジャンク品を手元から落とした劉謖(リゥスー)が突然大声を上げた。

 ちょっと、部品ごとに分けてるんだからちゃんと元に戻してよね。

 ……中華人に期待しても無駄かあ。我ながら。

 

 

「※

なに? 劉謖ったら、また客に恨まれるような事したの

相当熱烈なメッセージみたいね」

 

「※

違うわよ 佐橋ビルの人たちがなんか嗅ぎつけたらしいの

私にも何の事だか分かんないけどね でも真剣なのは確かよ

心を読む能力者まで連れてくるんだもの」

 

 

 佐橋ビルって……! あの闇鍋核融合炉の事よね。

 どうするのかしら、こういう緊急事態は! とりあえず(いおり)サンに連絡を……!?

 

 

「※

待った! 待って黄、ここはこの劉謖に任せてよっ

こういう時の為に彼らとのパイプ役を買ってでたのよ」

 

「※

そ、そう そこまで言われちゃ貴女のメンツを潰すわけにはいかないわね」

 

 

 ヘタをこくんじゃないわよ外乱(がいらん)児。

 黙っていたことが庵サンに知れたら、この黄孔礼(ファンコンリィ)まで叱られてしまうんだから。

 

 

「※

私は二人を迎えに行ってくるわ じゃあね黄

……大丈夫よ 絶対戦いにはしない 絶対」

 

 

 まさかいきなり殺し合いにはならないわよね……?

 それに仮に劉謖がやらかしても、トップである庵サンは日本人。日本人同士きっとうまいこと話を纏めてくれるわ。

 ここが戦場になるなんてことはないはず……。そうに決まってる。

 カラフルなお気に入りのスポーツヘアバンドに額の汗が染みていくのを、私は気持ち悪さと不安感と共にじっとりと感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 漢字とネオンの迷路……いや迷宮。癒氣城に実際に来てみて思った感想だ。

 燻製だかラーメンだかのいい香りを含んだ煙が、蒸気機関のようにあちこちから巻き上がっているのがまた夢想的な様相を助長する。

 だが外見に反してここには新進(しんしん)気鋭(きえい)がある。人々の顔は昇り龍のように希望に満ち溢れている。

 世界中が落ち目の時に、これだけエネルギッシュな人たちがいらっしゃるとは……。

 

 誰もがここの実態を詳しく知るわけじゃないけど、裏社会の匂いは感じ取れるはず。それだけに、それと同等の健全さを見せつけられると反応に困る。

 一市民としては滅んで欲しいが、こういう場所が無くなるのも感性が寂しくなる。

 そんな当てどもない思考を破る様に、金紗の髪と白く清い服を着た美少女が手を振ってこちらへやってきた。劉謖(りゅうしょく)さんだ。

 

 

「深口、久遠! お待たせしたアル~」

 

「こんにちは ……いやなんとまぁ、凄いですね癒氣城は 予想以上に」

 

「気に入ったカ? ここで手に入らないものは麻薬ぐらいアル

もしよければムフフなお店に招待するヨ~?」

 

 

 劉謖さんが分かりやすいハニトラを仕掛けてきて、たっぷりとした二つの量感が腕に絡んだ。

 まさか久遠さんが居るこの場で本気じゃないだろう。牽制の軽いジャブといったところか。

 

 

「いえ、やめときます 今日は大まじめな話なんで

ガンショップに案内して貰えますか?」

 

「ちょ、ちょと待て欲しヨ ……もしかし近し人が銃で殺されて

その、敵討ちに来たアルカ……?」

 

 

 劉謖さんの流暢(りゅうちょう)だったイントネーションがブレて顔からサッと血の気が引く。

 ……もしそうだったら確かにこんな顔色にもなるだろうな。

 

 

「安心して、違います 俺の大切な人は誰も殺されていません

ただね……どうにもきな臭い謎があるんですよ 顧客の事でね

商売の邪魔や戦争しに来た訳じゃないので、それだけ知りたいんです」

 

「な、なるほど ヨロシアル、それは情報開示を約束するヨ」

 

「ただ、この件は特例中の特例 オフレコで頼む、と」

 

 

 そりゃそうだ。敷居を設置して客には信用度を求めるクセに、銃を購入してくれた顧客の情報を売ってりゃ世話はない。

 こちらとしても目的の話さえ聞ければいいから、後でなかった事になれば双方万々歳だ。

 

 

「じゃあ案内するアル こっちネ」

 

 

 建築基準法を完全に無視した、複雑に入り組んだ隘路。

 まるで家屋が細胞分裂したかのような、いびつで偏った住めるオブジェ。

 その奥にあったジャンク屋に足を踏み入れた時、店主っぽい女の子の顎がガクーンと落ちた。

 額にスポーツヘアバンドをつけたメカニック然とした風体だ。

 

 

「※

劉謖!!? なんでここに!」

 

「※

それは……成り行き上しょうがなかったの!! あなたに関係ある話だったからね!!」

 

 

 なんか言い争ってる……。久遠さんを前に欺けるはずはないから、証拠隠滅の時間稼ぎが~とかって話じゃないだろうが。

 しばらくするとどうやら何がしかの結論に行き着いたらしい。

 スポーツバンドの子がため息交じりに何やら手持ちの端末に入力すると、壁が自動変形して銃が無数に掛けられた隠し棚が出現した。

 

 

「うおすげっ! スパイ映画みたいだ!?」

 

「中華の科学は世界一あるからね

それで、深口サンは私が銃を販売した必殺集塵(しゅうじん)機たちの事を知りたいって?」

 

「囚人……?」

 

「この子は黄孔礼(こうこうれい) なんでも機械に例える癖があるのヨ」

 

「はあ……えっと、ここ最近で狙撃銃を買った人を知りたいんです

とても重要なことなんですよ」

 

 

 俺は奏鵺さんの異常と、その命を付け狙っていた狙撃手がいたことを黄さんに話した。

 黄さんは顎に手を当て考え込む。と同時、久遠さんが信じがたいものを見たように眉間をゆがませた。

 

 

「おそらくそれは、仙道光欺(せんどうみつぎ)の紹介した顧客あるね

顔は……印象がぼやけてよく憶えてないある 毛深い大男だった気もするし、色白の少年だった気も……」

 

 

 いやそれは間違えないでしょ……。ほら出番ですよウソ発見器。

 

 

「なっさなっりくーん 本当にはっきりと顔を見たのにぃー、印象が曖昧みたいです 不思議ですねーっ」

 

 

 怖い怖い怖い! いきなり手を繋がれたと思えばはちきれんばかりの笑顔だし! 声のトーンはいつもより低いし!

 一瞬で冷えた手先から汗が噴き出す。久遠さんは手汗の量で恐怖を指し測るように、汗まみれの手に指を這わせた。

 

 

「オレ オマエ カラカワナイ ダカラヤメル オケイ?」

 

「愛想良くしただけですが、まぁいいでしょう

その摩訶不思議な顧客は間違いなく超能力者で、厚子さんの力を知った上で狙っていたと思われます」

 

 

 でも……奏鵺さんは不幸の矛先を捻じ曲げてしまうのに、狙うなんておかしいぞ……?

 そこから考えられるのは、異種の能力が混ざりあって変異した事に対する実験か?

 

 

「エルア以外にも研究者が居たようですね  調査するにしても、このまま顧客を突き止めるのは不可能に近い

仙道光欺から辿るしかありません

仙道光欺という男は、頻繁に夜の繁華街に出没するそうです いかにもモテそうな若い男だとか

ただ本人かどうかを見分けられるポイントは、金銭の使い方が桁外れかどうか、それしかないと」

 

 

「そ、その人の言う通りある」

 

 

 ……仙道光欺か。特例中の特例だし、この名前だけで収穫としよう。

 軽く礼をすると、俺は一人足早にジャンク屋を去った。

 暗雲立ち込めり、か。いいや違う。元からあった闇だ。

 俺が無知だっただけで、闇は昔から広がっている。今後の為に知識を蓄えなくちゃいけない。

 

 新参者が調査をするのにえり好みなどしていられない。苦手意識のある裏天街(りてんがい)や、その他色んな場所に触れていかなければならないだろう。

 同胞を守り、交友の輪を増やしていく為に。……。

 あっ、やべえ迷ったかも。



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ウマレタ 1

「――だいじょうぶ……?」

 

 目の前に女の人が倒れていて、赤いのが広がっている。

 しゃがんで揺すってみるけど起きない。どうしよう?

 ボクの服も赤く濡れちゃってる。夜だし、なんかこわいな。

 

 

(安心して 私がいれば怖くないからね)

 

「きみは、だれ?」

 

(私が誰か、か……そうだなぁ 君のともだち 分かるよねともだち)

 

「うん、友だち……分かるよ」

 

(じゃあここから離れようか この女の人はもう気にしなくていいよ

―――コワレちゃったから)

 

「? うん、わかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 お気に入りの、白地に赤い水玉模様の服を着て、夜の秋葉原を練り歩く。

 吸血鬼にレィスシフトした時から、なぜか喋ると語尾にもえが付くようになったり、本能的に秋葉原に帰属意識とノスタルジーを感じるようになったもえ。

 永遠の若さ。凍える魔の美貌。強力なパワーや様々な妖術。そんな吸血姫と電気街に何の関係があるもえ? その事をエルアに話したら外出許可を貰えたので、時たまこうして自分で調べに来ている。

 

 その甲斐あって、今ではほぼ完全に"萌え"や"オタク"などのクリエイティブカルチャーを理解できていた。

 ここには創造性の全てがある。最先端の液晶、情報処理技術が紡ぎ出す、デジタル・ワールド。そこで行われる恋愛なら、相手がただの女の子じゃつまらないもえね。

 そういう経緯でリリアナというイメージは生まれた。

 

 

「うーん、やっぱり何度考えても都合のいい設定が思いつかないもえね」

 

 

 リリアナがもしいつかオタクくんのヒロインになったとして、アキバに居る尤もらしい理由を考えなきゃいけない。

 だんぴのような本物の吸血鬼の眷族を参考にするとしても、凄惨で陰鬱で、リリアナの趣味じゃないのが困りどころもえ。

 吸血鬼とアキバという遠い点同士を繫ぐ線。これは究極の命題もえよ……!

 

 

「ま、時間はたっぷりあるもえね……」

 

 

 時間といえば今がちょうど零時だから午前二時までには佐橋ビルに帰れるもえ。リリアナは臆病だから、日の出ギリギリまで活動するなんて恐ろしい挑戦はできない。

 午前四時が死のタイムリミットだと思って絶対に門限は午前二時と決めている。毎度、改めて意識するとちょっと急いじゃうもえ。

 

 そうしてアキバから離れるところで、奇妙な少年が向こうから歩いて来るのに気付いた。小豆色の髪の毛をしていて。

 ――――血に、染まっている。

 血の匂いに関してリリアナの右に出る者はいないけど、そのリリアナの嗅覚は、本人の血ではなく返り血だと告げているもえ。

 殺人犯? 事故現場からの生還者? 思考が回る。

 後れを取らないように身構えて、ついに目の前に彼はやってきた。見た目はすっごくかわいいもえ。

 

 

「こんばんは」

 

「もえばんは きみ……その血どうしたもえ?」

 

「えっとね うんとね よく分からないんだ

赤い女の人と関係あるのかな」

 

 

 見た感じ、意思の疎通に若干難があるようもえね。うーん、こんな服の人放ってもおけないし。

 そうだ、いい事思いついたもえ。

 

 

「きみ名前はなんていうもえ?」

 

「えっとねもえ 分かんないもえ」

 

「じゃあしもべクン! しもべクンって名付けるもえ それで、リリアナはぁ~~

ラっブリーィキューゥティ! リーリアーナはきゅんっ!!」

 

 

 目いっぱい可愛いポーズを決めて、ウィンクしながらターンしてみせた。

 完璧もえ!

 

 

「リリアナちゃん、よろしくね」

 

「無反応は困るもえ! こっちはこれで食べてるんだもえ!!」

 

「ご、ごめん」

 

「まあいいもえ しもべクン動かないでもえね、血まみれだとどこにも行けないから」

 

 

 しもべクンの服に口をつけてジュルジュルと繊維にこびり付いた血を吸っていく。

 血が関われば多少は物理法則を無視できるから吸血鬼は都合がいいもえ。血の剣とか。

 

 

「はいご馳走様 キレイになったもえよ」

 

「ありがとう」

 

「しもべクンは、いくところあるもえ?」

 

「……ケイダイ」

 

 

 え?

 

 

「ボク、ケイダイって人を探してるんだ」

 

「……けいだいって、坂口慶代もえ?」

 

「…………わかんない」

 

 

 微妙な顔で微妙な事を……。うーん、どうしようもえ。

 しょうがない、今日は佐橋に帰るのは諦めるもえ。アキバに引き返そう。

 

 

「こっちに来るもえ 話はリリアナの個室で聞くもえよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下アイドル用に整備された宿舎のB2階にある部屋。借主であるリリアナは備え付けられた固定電話で佐橋ビルに連絡を入れた。

 何度目かのコールで聞きなれた養父の声が受け答える。

 

 

『リリアナか? どうした』

 

「ちょっと今夜は帰れないからアキバに泊まるもえ 帰るのは明日の午後八時ってことでよろもえ」

 

『珍しいな 何かあったのか?』

 

「返り血まみれで記憶が錯乱状態の男の子を保護してるんだけど、ひょっとしたら慶代を探しているかもしれないもえ」

 

『なに?』

 

「詳しい事はこれから聞くもえ といってもあんまり期待はできないけど」

 

『……そうか、分かった いいかリリアナ、事情が分かっても油断はするな

例え人より遥かに超人的であっても、君はそれに余りある弱点があるんだ』

 

「はーいもえ じゃあね、お休みもえなさい」

 

 

 受話器を置いて一息つく。本当は佐橋に帰った方がよかったんだろうけど……。

 返り血がついた経緯とか、何であんなにふわふわしてるのか、とか。何にも見当がついてないのが不気味もえ。

 帰る途中で足止めを喰らう恐れがあったから危機管理もえ。灰にだけはなりたくない。

 

 

「それじゃあ色々聞くことはあるんだけど……血は倒れた女の人から受けたもえね?」

 

「うーん、たぶん……」

 

「その女の人はどうなったもえ?」

 

「えっと、こわれちゃったからもういいっていわれて

その後は分かんない」

 

 

 ……何が何だかサッパリもえ。

 

 

「その場にもう一人いて、その人に言われたもえね どんな人だった?」

 

「ボクの友だちで、えっとね」

 

 

 ドアが何度も強くノックされた。これ、相当怒ってるもえね……。

 しもべクンに謝りつつ恐る恐るドアを開けてみると、むしゃくしゃ肩を震わせボリューミーなツインテを揺らす、先輩アイドルの乙浦雛実(おとうらひなみ)さんだった。

 

 

「これリリアナちゃん!

そちはちゃんと日本のアイドルがどういうものか理解してるんでおじゃるか?」

 

 

 見せブラにおへそ丸出しのこれでもかと露出したギャルがおじゃる口調で説教してくるのは本当にシュールもえ。

 雛実さんは、カワイイから絶対おじゃる言葉は流行る! これが時代の最先端って言ってるけど、ちょっと同意できないもえ。

 

 

「ええと……ごめんもえなさい 何で怒られてるか分かんないもえよ」

 

「麻呂たちは地下とはいえアイドル、恋愛禁止だの!」

 

「もえ」

 

「だから、宿舎におのこを連れ込むなんて事はガチのマジでNGなんでおじゃる!!」

 

 

 あぁ……なるほど。で、でも参ったもえ。今から外に出てホテルを手配してあげる勇気はないし……。

 あ、いい事思いついたもえ。

 

 

「じゃあ話が終わったらリリアナが雛実さんのお部屋に泊まるもえ しもべクンは一人きりで寝る これでいいもえ?」

 

「だぁまりゃ! 駄目なものはダメ!! てか僕君(しもべくん)てアンタ」

 

「そんな……」

 

「えっと……ボク出てくよ 友だちもそうした方がいいって」

 

 

 とうとうしもべクンに気を遣わせてしまったもえ……。引き留める勇気は湧いてこなくて、そのまま見送ってしまった。

 今ここで別れたら明日の夜まで会えないのに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――秋葉原駅構内で発見された女性の遺体の身元は、練馬区在住の―――』

 

 

 朝のニュース番組で報道される殺人事件。それ自体は何ら珍しいものではない。

 だがこの事件には興味を惹かれるものがあった。

 

 

「エルアさん、これ普通じゃないっすよね

駅のホームで刀だなんて」

 

「気になるのか緋色」

 

 

 犯人は長い刃物を使用。わざわざ長い刃と表現するくらいだから刀で間違いない。

 人を殺すっていうのにそんな目立つ凶器を用いるとは奇妙だ。

 しかも深夜とはいえ駅に刀を持って行くのもおかしい。そんな事したら誰の眼にも留まって目撃証言が入れ食い状態だ。

 

 

「ちょっと俺行ってきますね

現場は警察に封鎖されてるだろうけど、俺の血管を張り巡らせればネズミ一匹見逃しませんし」

 

「そうだな 頼んだぞ」

 

 

 エルアさんに小さく手を振ると俺は階段を上がった。

 そのままバーを出ていく前に、観葉植物から半透明の顔を出したハナちゃんと卿燐にもいってきますと告げる。

 

 

「いってらっしゃいませ 緋色サン」

 

「いってらっしゃい」

 

 

 ふとハナちゃんのマナがだいぶ減っているのに気付く。普段は卿燐と同様コップ三杯分くらいあるんだが。

 やっぱり……走志郎さんを欺く時のアレが原因だよな。

 

 

「大丈夫かハナちゃん? 近いうちにまたマナ溜まりを探しにいこうか」

 

「大丈夫……だよ これでも、一年は……平気」

 

 

 俺を心配させない為か、いつもより更に満開の笑顔で諭された。

 もっと頼って欲しいけど、まだまだ俺なんかじゃだめか。胸中のないものねだりを押し込めつつ、俺は殺人現場へ向かった。

 途中新聞も買って読んでみたが、コーヒーでも飲まないと眠たくなるような内容だった。

 この件に関して大した情報はない、か。

 

 目立たないように目的地につくと、やたらパトカーが目につく。やっぱり警察が厳重に見張ってるな。

 ゆっくりと意識を尖らせて、透き通った毛細血管を両の五指から伸ばしていく。誰の視界にも入らないように慎重を期して、するりと駅の構内に侵入した。

 ――――そこで意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 焼き菓子を口に放り込みつつ愛読している月刊誌「芸道」に下線や注釈をいれていく。少しでも我が家にプラスになるように戦略を立てなければ。

 隣にいる中性的な顔立ちの(すばる)たちは両方同じように興味深そうな視線を雑誌面に落としている。

 向かいに座っていただんぴが顔を上げたのを追うと、久方ぶりに見る情成おにーさんの顔があった。

 

 

「あー疲れたー」

 

「あっ、情成おにーさん久しぶりざんす

探偵の真似事はどうざんすか?」

 

「蘇若くん、そんな言い方は……」

 

「厳しいね 思うように情報は集まらないし、悪く立ち回れば組織の抗争に巻き込まれるかも」

 

 

 お疲れ様ざんすね。まあ厚子おねーさんの為ならここまで身を削るのも納得ざんすが。

 パイプ椅子にどっかと腰を下ろした情成おにーさんがこちらを二度見したので、何かおかしな事でもあったのかと怪訝な視線で見返した。

 情成おにーさんは何度か目をこすると、頬を掻きながらこちらに頭を下げた。

 

 

「えっと……そちらの、方はどなた? 俺深口情成っていいます」

 

「ああ情成ね、話には聞いてたぜ 俺は宇治昴(うじすばる)

(あきら)よ 深口さんよろしくね」

 

 

 クラウンマスクのように表情が横半分で違う、男の(すばる)と女の(あきら)。二重人格の意識が半身にそれぞれ同時に顕現(けんげん)するという重度の肉体異常者、フリークスざんす。

 情成おにーさんが会った事ないのも当然ざんすね。

 

 

「昴たちは普段、二階の隔離棟にいるざんすから」

 

「ああ、俺は上階立ち入り禁止だからね……

よろしく! スバルさん、アキラさん」

 

「おう!

ええ 奏鵺さんの事、頑張ってね」

 

 

 和やかに自己紹介を終えてしばらく。昼頃出かけて行ったエルアが緋色おにーさんを伴って帰ってきた。

 ……緋色おにーさん、頭に包帯巻いてるざんす?

 

 

「緋色おにーさん、怪我ざんすか?」

 

「……ああ ちょっと直立したまま気絶して、後頭部からいっちまった

病院のベッドでずっと寝てたんだ」

 

「その事でなんだが、だんぴと蘇若 お前たちには秋葉原にリリアナを迎えに行って欲しい」 

「アタシたちざんすか?」

 

「リリアナくんを心配しているのでしょうか……」

 

 

 このコンビでいくって事は、小なりとも戦いに発展するかもしれん訳ざんすね。

 一体今度はなんざんすか?

 

 

「昨夜リリアナから、秋葉原の地下宿舎に泊まるから帰れないという連絡をもらった

その理由というのが 返り血を多量に浴びた、記憶の混濁した少年を匿っている、と

その少年は慶代を探しているらしいが、問題が無いと判断すれば事務所で引き合わせるとしよう」

 

 

 返り血……! 隣のだんぴも表情が引き締まる。

 

 

「それで、多分関係あるんだけどさ 俺事件のあった秋葉原駅で血管を展開したんだ

なんつーの、俺が普段扱っているのが……閉め切れなかった蛇口だとするぜ?

……まるでそこに、大海が広がっていたかのような……恐ろしかった 口では言い表せない規模の、マナの残滓(ざんし)を感じたんだ」

 

 

 とつとつと語る緋色おにーさんは、小刻みに指が震えていた。

 恐怖に駆られているのか、ずっと俯いたままざんすね……。

 

 

「妖人類であるリリアナおねーさんが狙われている可能性もあるざんすね……いくざんすよだんぴ」

 

「はい! 蘇若くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽が落ちてから、リリアナは神秘的な(とばり)の降りたアキバに繰り出した。暗夜に生きるしかないリリアナの疎外感を追い打ちするように夜は皆をベッドに誘い、外に出たリリアナから遠ざける。

 昨日しもべクンに匿うと言っておきながら……罪悪感半端ないもえ。振り払って帰ろうと道を横切り、そこで信じがたいものを目にした。

 柱にもたれかかってウトウトしているしもべクン。まさか昨日からずっと……?

 一瞬そう思ったものの、足元に纏められたファストフードの紙袋が、食事の調達を示していた。

 

 

「し、しもべクン 起きてもえ

こんなところで寝たら風邪ひくもえよ」

 

「うん、リリアナちゃん」

 

 

 たどたどしい足取りで立ち上がったしもべクンは、リリアナの存在をさして気にしていない。

 最初から来るのを待っていたもえ? 何の為に?

 

 

「しもべクン、このご飯どうしたもえ? お金持ってたの?」

 

「友だちがくれたんだよ ほら」

 

 

 そう言って掌を差し出したしもべクンの意図が読めず眉をひそめた。

 けれど次の瞬間、500円硬貨が現れたのを見て瞠目する。マナだ、トリックじゃない! これは魔法もえ!!?

 新人類であるしもべクンがいったいどうやって……。

 激しい足音によって思考が断ち切られた。やってきた二人は……。

 

 

「きみが返り血の少年ざんすね?」

 

「秋葉原駅の事件について、聞きたいことがあります」

 

「蘇若、だんぴ!? 事件って……何があったもえ!?」

 

 

 アキバ駅で事件? 殺し? しもべクンの言っていた倒れた女の人?

 最悪な想像がよぎって終わらない。いやでも、しもべクンは悪くないもえ。

 無知は罪とか言うけど、リリアナに言わせれば勝手にそういう社会にしておいて、新しいルールを押し付けてくる連中の方が罪なんだもえ。

 常識が違って馴染めない古代人を責めないで。老害といわれてもこれだけは言わせてもらうもえよ。

 

 

「秋葉原駅の構内で女性が刀傷を負って死んでいたざんす

緋色おにーさんが言うには、とてつもないマナの残滓を感じたとか

リリアナおねーさんが狙いかも知れんざんす!」

 

「……例えその事件の犯人だったとして、しもべクンにキツく当たるのは許さないもえよ蘇若

この子はピュアで優しい子もえ 常識が身につく前に殺してしまってもノーカンもえ!」

 

「り、リリアナくん……」

 

「もしリリアナが同じ立場だったら……ルールを学ぶ前に殺してしまった事について、責められたくないもえ

だから尋問じみたやり方は認めないもえよ!」

 

 

 リリアナの主張を聞き終えた蘇若が、ため息と共に前髪をくしゃりとかき上げた。

 指と指の隙間からギロチンのような鋭い眼が覗いて、リリアナは一瞬呼吸すら忘れた。

 

 

「リリアナおねーさん、それを本気で言っているなら殺すざんすよ?」

 

 

 おぞ気が走った。言葉が、言語が通じているはずなのに、何か決定的な齟齬(そご)が生じたような感覚。

 豚に言葉が通じるのなら、飼い主に屠殺してやると言われた時こんな感情が芽生えるはずもえ。

 

 

「えっと……けんかはやめよう? 悪い事したならボク謝るからさ……」

 

「そうです、まだ彼の仕業と決まったわけでもないですし……」

 

「分かったざんす 犯人と決めてかかるのはやめるざんすよ

凶器も所持していないようざんすからね それじゃ、佐橋へ来てもらうざんす」

 

 

 刀くらい、いつでも出せるんじゃ? 口をついて出そうになった言葉を飲み込む。

 二人はさっきの魔法を見てないもえね……。本当はさっき500円玉を出したこと、言った方がいいんだろうけど。

 しもべクンの潔白を信じて、洗いざらい話すべきなんだろうけど……。ああ、気が滅入るもえ。確かに人命を軽視した言葉だったかもしれない。

 けれど、諭されるより先に殺処分を告げられるのは流石にキツい。

 なんで怒らせるような事言ってしまったもえ。ちょっと考えれば、新人類が不快に思うだろうと容易に気が付くのに。

 夜に縫い付けられたお天道様に顔向けできない自分。吸血鬼として生きる以上、人より何倍も正しく生きるのだと意識しなければならないもえね……。



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ウマレタ 2

 リリアナちゃん、ずっと下向いちゃってる。

 かわいそうだな……。

 

 

「大丈夫? 元気出してリリアナちゃん」

 

「しもべクン……ありがもえ」

 

(哀れとしか言いようがないね

しかし吸血鬼を脅すとは、あの蘇若って小娘そんなに強いのかな)

 

「ねえ、やっぱりあの時女の人、起こしておいた方がよかったんじゃない?」

 

「え?」

 

(そうでさあねぇ……起こしたら今以上にまずいことになってたと思うよ)

 

「なんで?」

 

(赤いのだよ あれが髪についたり、靴についたりしたらめんどくさいんだ)

 

 

 ……よくわかんないや。でも、どこまで歩くんだろう?

 リリアナちゃんの家かな。

 

 

「しもべクン、誰かとお話してるもえ?」

 

「うん、ボクの友だちだよ」

 

「その友達のお名前って分かるもえ?」

 

(さて、どうしようかな

平和を楽しむなら可愛い名前にしたいけど……)

 

「今考えてるみたい」

 

「えっとね、今考えた名前じゃなくて、本当の名前もえ」

 

(チッ 死にぞこないの癖に本質は捉えてやがるな

……マホピだよ どうせ誰も知りやしない)

 

「マホピだって よろしくねマホピ」

 

(うふふ、よろしく)

 

「……しもべクン、そのマホピはひどいことをしてるかも知れないもえ

気を付けるもえよ」

 

 

 ……ひどい事? でもご飯を買う方法を教えてくれたり、マッサージの仕方を教えてくれたんだけどな。

 

 

「マホピはひどい事してるの?」

 

(してないよ 私とキミはね)

 

「してないって言ってるよ」

 

 

 リリアナちゃんが困ったように笑ってる。信じて、くれてないのかな。

 みんなが、突然立ち止まった。

 

 

「着いたもえ それじゃあ中にどうぞ、しもべクン」

 

「おじゃましまーす」

 

(ほー、慶代はちゃんと言う子だったんだね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 こいつがしもべクンか……。

 見るからに人畜無害な顔立ちだ。肩ほどの髪は女みたいにツヤツヤとよく手入れされている。

 身長は170前後……情成よりでかいが、この面はまだ中学くらいの年齢だろう。

 こんな純朴な子供が俺に縁があるようには思えねえが。

 

 

「俺が慶代だ ……俺に何か用があんのか?」

 

「う~ん、君はけいだいなんだ……ボクの事、君には分かるのかな」

 

「……わりいな 俺にはさっぱりだ」

 

「ボクはけいだいしか知らなかったんだ」

 

「この子は異様なほどに無知です 死さえも理解していない……

ですが幼稚園児くらいの常識はあるようです 挨拶や単語のほか、人命は尊重する事など……」

 

 

 久遠が珍しく人の頭を撫でてやがる。こそばゆそうに受け入れる様子は久遠の言う通り、幼稚園児そのものだな。

 この久遠の気の許し様……俺の直感としても、この子供が事件の犯人だとは思えねえ。

 

 

「久遠、しもべクンの中には……」

 

「彼は多重人格ではありません 宇治さんたちのように、そうなっているのならわかります」

 

「でも、だったら! ……どこか近くにマホピが潜んでいるはずもえ!!」

 

 

 リリアナが珍しく声を荒げて、俯いている。マホピってなんだ……?

 この子供に何かが憑いてるのか? まぁでもまずはリリアナを落ち着かせねえと。

 出来るだけ優しくリリアナに声をかけようとした時、久遠の表情がにわかに硬化した。

 

 

「……何ですって? 魔法でお金を?」

 

「ほんともえ! ウソじゃない事は久遠が一番よく分かってるもえね?」

 

「ちょっと待て! 俺らにも分かるように話してくれ」

 

 

 その言葉を受けて、リリアナと久遠は一瞬目配せした。久遠が目を伏せたってことはリリアナから説明するようだ。

 

 

「しもべクンはいわゆるイマジナリーフレンドと会話しているんだもえ

そしてしもべクンが言うには、そのマホピという友達からお金を貰ったそうもえ

実際リリアナの目の前でも500円玉を生み出してみせたもえよ」

 

「なるほど、奇妙な現象だ 精神異常から発現した能力だとしても、記憶の忘却との関連性が見出せない

それに久遠がその存在に気づけていないということは、少年から完全に独立したモノの力で間違いないようだ

ひょっとすると花嫁のようなマナの時代の存在かもしれん 俺は資料を当たってみる、情成と蘇若は手伝ってくれるか?」

 

「お任せをエルアさん!」

 

「分かったざんすよ」

 

 

 俺達ただの人間(新人類)(ホモサピエンス)には、マナとかいう太古の魔法紛いは使えない。硬貨を生み出したのがマナの力ならば、マホピって超存在はあの子供の側に実在するんだろう。

 だがそうぽんぽんと妖怪やらドラゴンみたいな連中に出てこられてたまるか。妖人類(トバ・カタストロファー)でないとすれば答えは難しくねえ。

 

 

「忘却がまた別の原因だとすれば、硬貨でも刀でも金属を生み出す精神異常者ってことはねえのか?」

 

「マナを確かに使ったもえ!」

 

 

 ……駄目だ、全く分からねえ。いや分からねえと言うよりは頭を捻りたくない。

 こういうのを考えようとすると脳が鉛みてえに鈍化しちまう。

 興味のねえ内容の活字を大量に読ませられたような気分だ。マナは専門外だからな。

 

 事態の進展を他の面子に丸投げしつつ、俺はパイプ椅子に腰を下ろした。

 すると唐突に腹の虫の唸りが聴こえ、ちょいと確認してみると飼い主は小豆髪のやつだった。

 

 

「しもべクン、お昼から何も食べてないもえ?」

 

「うん……」

 

「給湯室にカップ麺あるぞ」

 

「慶代が作ってくるもえよ! お茶もお願いもえ」

 

 

 しゃあねえ、問題が点で分からない以上雑用に徹してやるか。

 去り際に小豆髪の中坊が名残惜しそうな視線を向けてきた。会った事はねえはずだが、本当誰なんだアイツ。

 給湯室に着き、適当に戸棚を漁って手についたニンニク味噌ラーメンの封を開ける。そういや茶も頼まれてたな、急須なんざ使ったことねえし紅茶のティーバッグでも文句ねえだろう。

 何がなんでも持て成さなきゃいけない訳じゃああるまいし、腹に入れば一緒だ。

 

 

(本当にそうかな?)

 

「――ッ!? 誰だァ!」

 

(キミには、あの子に返さなきゃいけないものがあるはずだ

お~~おきな借りがね)

 

 

 ! 女の声……頭の中から響いてやがる。返さなきゃいけないものだと……? 一体なんの話……そうか、こいつがリリアナの言ってたマホピだな……。

 

 

「てめえがアキバで女を斬り殺したのか? マホピ」

 

(私じゃないよ もちろんあの子でもない

……それより私なんかと睨み合いをしていて本当にいいのかい?)

 

「? そりゃどういう意味――」

 

 

 その時、リリアナの絶叫がビル中に木霊した。

 無我夢中で給湯室のドアを蹴り開いて走る。

 事務所に戻ってみると……誰もいねえ!? 久遠、リリアナにアイツどこ行きやがった!

 

 焦燥しつつも辺りの様子を細かに窺うと、地上階への扉が開け放たれている事に気付いた。上に行ったのか!

 ガンガンと靴音を響かせ階段を駆け上がると、金属同士が激しくぶつかり合うような音が更に上から聞こえる。

 あのガキどうして久遠を欺くことができたんだ? それとも……いや考えても無駄だ!

 

 短い思考の末、音源の二階へ突入する。

 おおむね予想通りの光景だ。絶句し、悲哀に染まった表情のリリアナ。脳内に数えきれない疑問符を抱えた様子の久遠。そして―――。

 嘲りに蝕まれたツラで一本の刀を振るう小豆髪のガキと、能力で精製した鎌で応戦する昴たち。

 

 

「オカシイな……完全に寝ていたと思ったから斬ろうとしたのに」

 

「残念だったな! おれたしは寝たように見えても、寝付くのは同時じゃない!!」

 

「いやァ見られた見られた 見られたのなら誰も生かして逃がすわけにはいかない」

 

「しもべクンどうしちゃったもえ!? 正気に戻ってっ!!」

 

「女のクセに、男児に向かって下僕下僕と……タチの悪い婦人運動家かね?」

 

 

 違うぞ……あの無知で無邪気なガキじゃねえ、口調が似てるように思えたがマホピって奴でもない。頭の中に聴こえたのは女の声だ。

 それに、あの刀……刀身こそ日本刀だが、持ち手は洋風のサーベルだ。大昔の亡霊……乗り移ったのか?

 

 

「まぁいい 我輩のこの身体……確か(えにし)と呼ばれていたか

こやつは君たちにとってとても大切な存在のようだ おいそれと手出しできまい?」

 

「どうやら……君をやっつけないとしもべクンは助けられないもえね?」

 

 

 リリアナが一歩、二歩と兵隊らしき亡霊に歩み寄る。普段のリリアナとは違う、戦意に満ち溢れた眼光だ。

 誰も動こうとしない。このままいけば八割方リリアナが勝つだろう。だがマホピがどう動くか?

 マホピの存在を確信しているのは俺だけだ。もし何か想定外が起こったら、俺が真っ先に助けなきゃならねえ。

 そして間合いに入ったリリアナに、兵隊のサーベルが振るわれる。

 

 

「『妖人拡大解釈技(ブースタースキル)伸血爪(しんけつそう)』――!」

 

 

 リリアナの爪が長い血の刃となって、あっけなく兵隊の首を刎ね飛ばした。互いを切り裂いたのは、ほぼ同時か。

 そして生首が地に落ちる前に、久遠が昴たちへ一瞬目配せをし、昴たちが己の得物で虚空を掻っ捌いた。

 

 

「そぉこだあああぁぁっ!!」

 

 

 透明な大鎌の一撃で狩りを終えたのを見届けたリリアナは、鮮血と共に降ってきた首を傷の塞がった胸に抱き留めて、底冷えする程無邪気に、ニッコリと微笑んだ。

 ここで笑えるのは相変わらず恐ろしいというか吸血鬼らしいというか、まぁ助けられた以上一件落着めでたしめでたしだ。

 

 

「今生き返らせてあげるもえよ、しもべクン」

 

 

 そう言って断面を胴体にくっつけ、すぐにリリアナの血で癒着した。

 やがて小豆髪が、ゆっくりと眼を開いた。ここで起きた一切を知らねえって顔で。

 

 

「あっ、リリアナちゃん大変 ボクたち赤いのでいっぱいだよ」

 

「アハハ、派手にやっちゃったもえね」

 

「なあ、ところで何でテメェら二階にいるんだ?」

 

「そうよ! 危険人物ならちゃんと見張ってて欲しいわ

んなことよりスバル、まずは俺に感謝しろ! 俺のおかげで寝首をかかれずに済んだんだからな

ハァ!? いつもはあたしより先に寝ていびきでうるさいくせに! 都合のいい事言ってるんじゃないわよ」

 

 

 ああ、また一人ボクシングか。自分の身体への不毛な殴り合いが始まる。

 

 

「実は……私達にも分かりません

いきなり彼、縁さんの姿が消えて、扉が開いていたんですから」

 

「そうもえ きっとマホピが何かしたもえよ」

 

 

 ……そういやさっきから何も反応がねえな。

 あの口ぶりだとこの縁の事を(おもんぱか)っているようだったが、首を切断される時にも反応はなかった。

 気味の悪ィ化物だ。何を企んでるか想像もつかねえ。

 目をきつく閉じ眉間を揉んでいると、ふと袖を引っ張られた。

 

 

「……ごはんは?」

 

「あ」

 

 

 紅茶の火、つけっぱじゃねえか!?

 早いとこ戻らねえとまず……。

 

 

(ああ、火の事なら安心しなよ)

 

「あ? なんだいいトコあんじゃねえか!」

 

(強火にしといたから)

 

「クソミソ野郎がァああああッ!!!」

 

 

 見に行くと情成の奴が消しといてくれていた。

 ただしボケ老人を見るかのような戦慄の眼で見られたけどな。ふざけんな!



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クーロンズ・フィクサー 1

「……あ、ヤベ 死ぬ」

 

 

 冗談抜きで体に力が入らねえ。癒氣城(ゆーしーちょん)なら残飯くらい、そこら中に遺棄されてると思って来てみりゃ成果は皆無だった。

 そのまま座り込んで……立てない。佐田隼人(さだはやと)、十七歳にして一生の不覚をとる。早すぎんだろ大バカヤロー。

 今日まで原価ゼロの蜂蜜&アップルジュース生活を続けてきたが……とうとうガタが来ちまった。

 

 あー、マジ古代に生まれたかった。物々交換が基本な世界なら富に困る事なんか無かっただろうに。

 結局どんな能力持ってようが、本人のおつむが残念なら豚に真珠、猫に小判だ。さすがに野垂れ死にまでいく程、分不相応なやつもいねえだろうがな。

 走馬灯の中で新たな人生の気づきを得るなんて、全てが手遅れ過ぎんだろクソが。

 まあいいや。とにかく来世があるとして我が魂にアドバイスしておきたいことは、異能に見合った相応しい人であれってコト。

 "ハイドロドッペル"はただ一つの弱点さえ除けば、並ぶもののない無敵の能力だ。こいつを上手く使っていれば億万長者も決して夢じゃなかった。

 けど俺は失敗した。俺がアホだったからだ。

 一部始終を知っているなら誰もが俺を罵倒するだろう。俺には宝の持ち腐れだったんだと。能力は凄いのに使用者がイマイチだと。

 だからさ、来世では化学以外ダメダメな超美肌チャラ男になんてなるなよ?

 

 

「お客さん、こんなところで寝たら風邪ひくヨ」

 

 

 丸っこい顔をした猫目のロングヘアー美少女が俺の前にしゃがみ込んでいた。

 すげえかわいいじゃん。冥途の土産には十分すぎるぜぇ!

 

 

「わり、浮浪者なんかが店の裏で崩れ落ちてたら営業妨害だわな

今どくよ キミに相手してもらえるくらい金稼いだらまた来る バァーイ☆」

 

 

 男としての最期の意地だ。立って、癒氣城の外まで歩いて、そこで倒れろ。

 せめて最期を看取ってくれたこのエンジェルにだけは、これ以上醜態晒すんじゃねえ。

 

 

「お客さんふらふらヨ 無理しないで、こっち来てヨ」

 

「ちょ、ちょっとー? 今どくって言って……まあいいや」

 

 

 肩を貸され、店の中に連れ込まれてしまう。

 あーもうどうすんだよ、金持ってねえのに。それにアレだよ、確か何も食ってない人にいきなり固形物って駄目なんだぜ。

 最近は水みたいな大きい方だったから、最初はお(かゆ)でお願いねーってことで。後の事は知らね。身体は正直だ腹減った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぃー食った食った、ごっそさん!」

 

 

 中華粥を平らげ大きく息を吐きながら、深く椅子にもたれかかる。だけど、そんな食後の余韻も長くは続かなかった。

 全体的に真っ赤な中華風の店内は、一種異界めいた威圧感を放っている。

 その辺の個人経営の定食屋で無銭飲食しても、警察のご厄介になるだけで済むだろう。

 

 だがここは裏社会のお店だ。加えて中華人は実益よりも面子を優先すると聞いたことがある。

 どこからともなく指鳴らしで呼ばれた黒服に私刑(リンチ)されて、お料理の材料にされちまう事もあり得るんじゃね。

 やべえよ……滅茶苦茶こえぇんだけど。どうしよう、俺バカ過ぎんだろノコノコついてきちまって。

 いくら頭を捻ってもいい方法が思いつかない。そうこうしてる内に、さっきの大正義エンジェルにも負けず劣らずの美人さんが俺の前に来た。

 

 

「お客さん、そろそろお会計かしら?」

 

「そ、そっすね」

 

 

 髪を後ろで結いあげたチャイナドレスの御姉さま。歳は三十手前くらいだろうか。

 その視線は不躾(ぶしつけ)にジロジロとしているが……当然だ、俺浮浪者だもん。

 雨曝(あまざら)しのきったねえ衣服で、裏のお店で無銭飲食って……悪夢の役満だろもう。全裸登校の夢見てる時こんな気持ちだったよ。

 

 

「1340円ねー」

 

「……」

 

 

 俺は一度深呼吸をすると、腹を括って土下座した。

 

 

「俺、佐田隼人っていいます! 実は浮浪者で金持ってないんす!」

 

「……はあ? おにいちゃん面白い冗談ねー」

 

(らん)、この人は私が連れてきたのヨ

お金がないならここで働いて返せばいいヨ」

 

「あいやぁ、冗談じゃなかったのね……

困ってるなら最初からそうと言えばよかったのに ワケありなんでしょ?」

 

「……いいんすか?」

 

 

 黒服と戦わないで済んだ? マジ? 俺助かったんだ……。

 だけどいざホッと胸を撫で下ろしてみると、汚れた服がいよいよ恥ずかしくなってきた。

 

 

「とりあえずシャワー浴びて服着替えたいんすけど、先に命の恩人方のお名前聞いてもいい?」

 

「私は趙脩(ちょうしゅう)ヨ」

 

朱蘭(しゅらん)よー この姐龍(てぃえろん)の店長なの 隼人ちゃんしっかり働いてね」

 

「はい! どこの馬の骨とも知れない怪しいヤツっすけど、よろしくお願いしますっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(いおり)サン! お邪魔するアル」

 

「劉謖か 何かいい情報を掴んだのか?」

 

 

 金紗の髪をなびかせオーナー室に入ってきた劉謖に向き直る。

 ありとあらゆる異能力者の情報を調査させているので、それの話だろう。優れた容姿と持ち前の大胆さは大きな成果を上げている。

 

 

「ライフっていう暴走族を知ってるカ?」

 

「……知っている リーダーの事もな」

 

「調査通り、鐵綾子(くろがねあやこ)は庵サンの実の姉アルか」

 

 

 もう別れてからどれほど会っていないだろう? 俺が今十四歳だから、姉さんは十九歳か。

 見ないうちにかなり悪目立ちしているようで呆れるな。

 まあ、向こうは向こうで地位を確立しているのだから、この俺が気にする必要はない。

 綾子が癒氣城の敵にさえならなければな。

 

 

「それで? その事実がどうかしたのか」

 

「実は……お姉さんは鬼なのヨ」

 

「なんだと!」

 

 

 綾子が希少なカテゴリの能力者……!!? 一緒に暮らしていた頃はそんな素振りまったく見せなかったのに。もし初めから力を持っていたのなら、家のいざこざもどうにか出来たはずだが……。

 ……とにかく、それならば確かに暴走族の女総長なんてやれている事に説明がつく。

 ぜひとも最初の幹部に迎えたいところだが、人間変われば変わるものだ。果たして俺の誘いに応じるだろうか?

 

 

「調査はどの程度進んでいる?」

 

「実は佐橋ビルの坂口慶代はお姉さんの舎弟なのヨ だから結構以前から鬼だと分かっていたアル

そこに大阪城の事件が起こって、色々調べてる内に……庵サンとの血縁に気付いたのネ」

 

「なるほど 知人を二つ三つ挟むだけで関係が繋がるとは奇縁だな」

 

「……きょうだい揃って変な事やってるせいアルね」

 

「なんか言ったか?」

 

「ないアルないアル!」

 

 

 つまり、その坂口に渡りをつけられれば綾子と接触する事自体は容易なわけだ。

 実の姉……家族なのだから、一般的には信用できる間柄だろう。心情はそう言っている。

 だが冷静に考えた時、仲間に引き入れる方向で動いていいものか。

 あくまで俺の手下になってもらわなければ困るが、下手(したで)に出ればオーナーの座を狙ってくることもあり得る。

 俺の勘が、ここは様子見に徹するべきだろうと言っている。

 

 

「劉謖、伝言だけ坂口に頼んでくれるか?」

 

「伝言? 手紙じゃなくていいのカ?」

 

「ああ 一言だけ……会いたい、そう伝える様に言ってくれ」

 

「了解ネ!」

 

 

 まずは会ってからだ。そこで見極めて今後の対応を決めればいい。

 戦略的には最低でも相互不可侵条約さえ結べれば良しとしよう。

 

 

「それとネ、黄が不思議なお客サンについて話していたのヨ

もしかしたら能力者かも知れないアル」

 

「黄が? 早速聞きに行くか……もう話はないか?」

 

「もうこれで全部アル たまには休むのヨ」

 

「余計なお世話だ」

 

 

 黄のジャンク屋に向かうため、パンキッシュな柄のショッキングピンクのパーカーを羽織る。

 そういえばこれをプレゼントしてくれたのも姉さんだったな。当時は袖も裾もダボダボに余っていたが、今はピッタリだ。

 普段着でもあるこいつを着て行ったら多少は好印象に繋がるだろう、向こうが憶えていればだが。

 勝手知ったる街道を闊歩し、変わらぬ気炎に安堵する。夜の癒氣城は場所自体が人間の体内のようなものだ。

 ホストガールは胃液で、入り込んだ客を骨まで溶かし尽くす。尤も、朝になれば魔法は解けてしまうので、跡形も残らずしゃぶりつくされる客などほぼいないが。

 この癒氣城では、何事もほどほどにしておくのが大事だ。酒も、女も、殺しも。

 しばらく歩いていると、向こうからホストガールの永佑(えいゆう)郭反(かくたん)が若い男をサンドイッチにしてやってきた。

 うちの顧客にしちゃちょっと若すぎるな。しかも場慣れした様子で、長い黒髪を揺らし上気した顔で大笑している。

 その獰猛そうな印象を受ける眼帯の男は、腰のホルスターに一見しておもちゃと分かるピストルを()げていた。

 

 

「どうだった郭反!? 俺の圧勝だっただろ」

 

「はいそうですよね! 玉さんの飲みっぷりは凄かったですよね!!」

 

「ちょいちょーい郭反? お酒を嗜むにも品とムードがおありになりますんやで?

おこちゃまに飲みっぷりの豪快さだけで判断されてもうたらお敵いになりませんやーん」

 

「ほほーう? じゃあ次は品を競って飲んでみるか」

 

「ほんならもっとムードのあるお店、お行きになりましょー……♪」

 

 

 赤土色のボブカットをかき上げ、抜群のスリムボディをくねらせて妖艶に笑う永佑。

 だがそんな永佑の媚びた態度を受けても……男の眼の奥から残った理性のかけらは失われていなかった。俄然、興味が湧いてきた。

 

 

「どうもこんばんは」

 

「んん? どうしたんだい坊ちゃん こんなとこでよ」

 

「……ウチらの今のオーナーですねん

前のオーナーから座を乗っ取った、悪魔的麒麟児でおありになりますんやで」

 

 

 男の眼が、更に鋭い理性の色を増した。

 だがすぐに緊張を崩し、彼本来の気質であろう豪快な面が現れる。

 

 

「うっそでえ! …………とは言えねえなこりゃ

お兄さん、名前はなんつーんだい?」

 

鐵庵(くろがねいおり)です お客さん、私のような若輩者が言えた事ではないが、とてもお若いですね それにナイスガイだ」

 

「たっはっはァそうかい? 俺は鉄山玉九郎(てつやまたまくろう)だ!

ま、若いなりにも色々金の稼ぎ方はあるんだよ ……って、オーナーさんに言っても釈迦に説法だったな」

 

「ハッハハハ! 人を乗せるのがお上手だ うちの娘々(にゃんにゃん)たちを本気にさせないで下さいよ?」

 

「さァてどうかな 俺にその気はなくとも、相手の気持ちまではどうしようもねえなあ!

なーんつってな冗談だよ! まあこれからも頑張ってくれや、俺もしっかり金を落とさせてもらうからよ」

 

 

 そう言って鉄山玉九郎は去っていった。

 あの豪快さの中に眠る抜け目のなさは頼もしい。それに……あれは人を殺したことのある眼だ。

 ひょっとしたらあのオモチャのピストルで? そんな事ができるのは特別な力を持った者だけだ。何とかもう少し近づきたいが、どうするか。

 やはりホストガール達に聞いてみるのがベストだろう。そう結論付けて、俺は立ち止まった足を動かした。十分、十五分と夜が更けていく。

 黄のジャンク屋への道は癒氣城内でもかなりの隘路(あいろ)となっている。そのため、人とすれ違うのも一苦労だ。

 今も向こうからヘッドホンを着けた怜悧(れいり)な目の長身女性が二人は通れない道を歩いている。

 俺はいったん道から出ようと回れ右した後、何の気なしに振り向いた。

 女性が消えていた。



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クーロンズ・フィクサー 2

「黄! ヘッドホンを着けた女がさっきまでいただろう?」

 

「へ? 庵さん!? ヨ、ヨーコさんと何かあったあるか」

 

 

 そうか、先ほど消えた女をよく知っているようだな。

 口を堅く引き結んだ黄の緊張をほぐすように手を振る。

 

 

「いや別に何もない 変わった客というのは彼女か?」

 

「そうなのある ヨーコさん、お店の中でいきなりパージしちゃうのよ!」

 

「パージって脱ぐってことか?」

 

 

 ただの変態じゃないか……。

 いや、でも何かあるだろう。現に目の前で消えた瞬間を見ているんだからな。

 

 

「他に特徴的なところはないのか?」

 

「後は……私の眼から見て、ベストではない商品選びというか……」

 

「今説明できるか?」

 

 

 逡巡した様子の黄だったが、すぐに店の表示をクローズにして、部品の入った箱を取り出す。

 そして専門的な解説を交えつつ、電子回路の形に不可解なこだわりを持って選んでいる事を事細かに説明してくれた。

 

 

「わ、分かってくれたある? 要約できたかどうか……」

 

「大丈夫だ 以前習った時の知識は忘れてないからきちんと理解できたよ

これからも時間が空いたら、好きなだけ語って教えてくれ

お前のメカニック知識は癒氣城の宝だ」

 

「……過剰な高評価で照れるある 私レベルなんて中華じゃざらにいるからね」

 

「それはまぁ、天才帝国のお膝元だからな

だがここは日本だ 誇っていいぞ」

 

 

 問題は、適当に選んでいるのではなく……何かしらのこだわりが感じられるところだ。

 その価値基準がどこにあるのか? あの消失現象と関係があるのなら突き止めてみせる!

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁ……」

 

 

 ベッドから起き上がり、いつもは使い捨て同然の脱いだ衣類を纏める。あはーいい天気。

 やっぱ癒氣城での目覚めはさいこーだ。

 

 夜はあれだけネオンの光が瞬いているのに、明るい間はいっそ街が眠っていると言ってもいい。

 気だるい日光の波長を表現するように、広場では太極拳による体操が行われている。

 いいわねー、本来アタシみたいな無個性糸目キャラはあれくらい緩く生活するのが性に合ってるな~。

 さてと、そうは言っても竜宮城に長居はしてられない。

 

 

「んしょ、んしょ」

 

 

 自慢になるけどすげー長い脚が厄介なので、ストッキングを履くためにいちいち丸まる。

 悪戦苦闘していると、ふとドアの床から紙が滑らせてある事に気付いた。

 なんだろ、ルームサービスは頼んでないんだけど。

 着替えた後、その紙を拾い上げる。そこにはオーナーからのお誘いが書かれていた。

 あらら……アタシの正体バレちゃった?

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに玉さん、鉄山玉九郎は先生の上客さんよ」

 

 

 オーナー室で、巒頭(らんとう)派の風水師である鍾誘(しょうゆう)が口を開いた。だがその顔はお世辞にも乗り気とは言えない。

 

 

「先生は自分のお客さんの情報をほいほいと誰かに話したくはないの

……でも、オーナーさんのご命令とあれば……話しましょう」

 

 

 横で聞いていた朱蘭の眉が寄り、咄嗟に表情を隠す。

 ……まとめ役というのは心労が絶えなくて大変だな、お互いに。

 

 

「いや鍾誘、詳しくは話さなくていい 見上げたプライバシー意識だ お前の客は幸せ者だよ」

 

「……そうなの? でも必要な事では?」

 

 

 確かに鉄山玉九郎にはそうするだけの価値があるように思える。しかしそれが鍾誘の流儀だと言うのならば尊重しよう。

 

 

「確かに実益だけ考えれば無理にでも聞き出すべきだが、お前の面子も尊重しよう

それに俺は鍾誘の風水の腕を信頼している だからその上客ともなれば、光るものがある事は疑いようがない」

 

「そう、感謝するわ 思えば前のオーナーは先生のお願いや助言をほとんど聞き入れなかったわね

きっとオーナーの座を奪われたのはそのせいね フフッ」

 

 

 ニタリと嗤う鍾誘を尻目に、朱蘭へと目を向ける。

 あらかじめしゃべる事は纏まっていた、という風ににこやかに朱蘭は玉九郎について述べていく。

 

 

「玉さんが癒氣城に来はじめたのは、庵さんがオーナーになる前ねー

それも火遊び目当てというより、鍾誘の風水に期待してきたみたいよー」

 

「なるほど、二人とも感謝する」

 

 

 俺が礼を述べると、二人とも顔を見合わせ困ったように笑った。

 

 

「庵さん、たまにはお休みしないと駄目ねー そんな怖い顔でお礼されても困ってしまうわ」

 

「先生もそう思うわ このままでは孔明の(てつ)を踏むことになるわよ」

 

「優れたオーナーというのは、街全体を自分の心臓に取り込んでしまうんだ

人を満足させるのに金はいくらあっても足りないし、人を支配するのに付加価値はいくら足しても足りない

この俺に休むなんて選択肢は……ない!!」

 

 

 二人が怯える様に咄嗟に目を見張る。そうか、俺は今そこまで怖い顔で笑っているか。

 だが瞬時に持ち直した鍾誘はくすりと余裕ある笑みを浮かべてみせる。

 

 

「心臓は寝ている間も動いているのよ 庵さんが少し休んでも、先生達みんなで支える癒氣城は心配ないわ」

 

「そうねー それに庵さんが倒れたら、私達が(こう)さんに怒られてしまうわ」

 

 

 好義兄の名を出されるとはな。確かに中華から帰ってきた時俺が潰れていたら、失望の余り当たり散らすこともあり得る。

 天才ほど、沸点に達したとき感情の抑制は難しいものだ。

 

 

「分かったよ ちょうど幹部候補にもあたりがついたのでな それが上手くいったら少し休もう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 待ち望んでいた知らせがきた。ヨーコに面会の約束を取りつけられたのだ。

 すぐさま彼女のいる店に向かうと、イメージと違ってぐでっぐでにリラックスしていた。

 キツい眼をしていると思っていたが、今は柔和に細められている。

 

 

「お待たせしました 私が癒氣城のオーナー、鐵庵です」

 

「へー……丸いサングラスのおじ様とかカンフーの達人みたいな人が出てくるかと思ったけど

思った以上に素敵なオーナー様ね アタシは……そうね、発雷(はつらい)ヨーコって名乗っておこうかな」

 

「黄から聞いたのですが、貴女には黄には分からない回路への謎のこだわりがあるとか

その理由についてお尋ねしたい」

 

「ちょっと待って どうしてオーナーさんがそんなことを気にするの?」

 

「正直に、かつ単刀直入に申し上げると、その如何によって貴女を幹部にスカウトしたい」

 

 

 さすがに予想外だったのか面食らっている。

 一呼吸置いてから、発雷ヨーコはどこか不敵な様子で笑みを深めた。

 

 

「そっか、オーナーさんに合う歯車を探しているんだね

でもね、アタシじゃ大きすぎるんじゃないかな? アタシくらい大きいと噛み合う場所なんて中々ないわよ?」

 

「ブレンドライバーと宝貝(パオペエ)の開発者にしてネオ太平天国の預言者、張妹花(ちょうまいか)は言いました

……二十世紀には機械による産業革命が、二十一世紀は超能力者による産業革命が起こると」

 

「―――ああ、君あの時すれ違った子だね なるほど何故か全部バレてる?」

 

 

 昨日の事も憶えてなかったのが少し心配だがそれはいい。

 俺は軽く首肯すると、真剣に視線を合わせ話を続ける。

 

 

「俺と義兄弟の契りを交わした、元天才帝国の重鎮好礼君(ハオリィジン)は、占星術によって中華の内戦が終わりに近い事を予見しました

本腰を入れ切れていないNATOが勝つとは思えない、秀子(シュンツ)か太平天国が天下を統一するでしょう

しかし専制主義が勝とうが教条主義が勝とうが私どもとしてはどちらでもいい」

 

 

 ヨーコは姿勢を正し、続きを促す。

 

 

「大事なのは、ブレンドライバーによって天才となった超能力者が政権を握るという事です

その時、我々癒氣城が日本国内にあって、どこよりも成熟したサイキック組織になっていれば、支配下に置きたいにせよ、自治を尊重するにせよ必ずこれを支援しようとする」

 

「うん、中華からの難民で構成されてるし、お仲間は多い方がいいしね」

 

「そこで、私はこの癒氣城を満州の逆とする!」

 

「…………」

 

「…………おや、どうしました?」

 

「えっと、まんしゅーって何だっけ?」

 

 

 咄嗟に動揺を押し殺してとぼけてみせたのか、或いはガチか。

 ガチだとしたら多少心配が増してくるな……。

 

 

「簡単に言えば、昔中華の中に日本が作り上げた小さな日本です

つまりこの癒氣城を日本の中の独立国、小中華とするのですよ」

 

「ふうん、野望のスケールが一回り、いや四回り位大きくてびっくりしちゃった

さてと、そこまで計画をさらけ出したからには……アタシの方だけ教えない訳にはいかないわね」

 

 

 瞬間、視界にスパークが走ったかと思うと、ヨーコの身に着けていた衣服とヘッドフォンだけが残り、彼女は忽然と姿を消していた。

 立ち上がって周囲を見渡すと、公衆電話が鳴っている。しばらく待って他のアクションもないため、俺は神妙に受話器をとった。

 

 

『やっほー、オーナーさん』

 

「お、俺の声だ……!!?」

 

『これでどういう能力か、大まかには理解してくれたかな』

 

「素晴らしい……発雷ヨーコ、貴女は砂漠の中の一粒の金に等しい!!」

 

『え~、金一粒の価値しかないの? ふふっ』

 

「え゛ ああいやええと……貴女は砂漠の中のオアシスだ!!」

 

『オーナーさん……それって、口説いてる?』

 

「口説いとらんわ!」

 

「ごめんごめん、ついからかっちゃった

君があんまりかわいいからね」

 

 

 ノータイムで背後に現れやがった……。

 俺は軽く咳払いをすると、右手を開いて差し出した。

 

 

「ぜひ貴女を最初の幹部として迎えたい! この鐵庵の全霊を懸けて、絶対の安心を与えよう」

 

「癒氣城は気に入ってるし、お誘いは魅力的だね……でも、見ず知らずのアタシをそこまで信用していいの?

アタシを雇ったら内部情報の全てがバレちゃうってことなんだけど、それで貴方の安心は確保できるのかしら」

 

「確かにそのリスクは認めよう だが俺は現状維持が大嫌いだ!

貴女を雇わずに得られる消極的な安心など、この俺には不安の呼び水にしかならない」

 

「それじゃあ……大人なオーナーさんのラブコールに応えまして、不束者(ふつつかもの)ですがどうぞよろしくお願いします」

 

「言っとくが、別に愛人に求めるような役割は期待していないぞ……」

 

「分かってるって、癒氣城は選り取り見取りだもんね

それじゃあしっかりサポートさせてもらおうかな 庵さん、でいい?」

 

「呼び方なんぞどうでもいいさ」

 

「うん、庵さんにするよ

じゃあ内情の把握がてら、庵さんの携帯に入らせてもらうね」

 

 

 そういってスパークと共にヨーコは消えた。

 黄特製の携帯電話の中に入ったのだろう。

 

 

「クックック……ハハハ……ハーッハッハッハッハッハ!!」

 

 

 天下、我がものよ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございましたーッ!!」

 

 

 趙脩ちゃんと朱蘭ねえさんに拾われてから、はや一週間が過ぎた。

 黒服に身を包んだ俺は姐龍であくせく働いて……正直働き以上のまかないをおいしくいただいている。

 あれ? これ一生働いて返すことできないんじゃね……?

 っと、そんな難しい事よりお客さんね~~ライラ~イ。お、中坊くらいか? 珍しい。

 

 

「いらっしゃいませーッ! 一名様でよろしかったでしょーか?」

 

「店長を呼べ」

 

「いきなり最上級のクレーム!!?

しゅしゅ、朱蘭ねえさん! VIPの息子さんみたいな人が呼んでまーす!」

 

「あら、庵さん この子は隼人ちゃん 行き倒れてたのを拾ったのねー

隼人ちゃん、この方はオーナーの庵さんよ 失礼のないようにねー」

 

「佐田隼人ちゃんで~~す へえー若いっすねー」

 

 

 オー……ナー? このガキが?

 俺の動揺を察したのか、庵と呼ばれたガキが俺を見上げて……。

 

 

「フン……別に若いからといって、朱蘭達や貴様に大目に見てもらおうとは思わん

俺がオーナーに相応しいかどうかは、俺の働きでこれから証明してやる!」

 

 

 そう言って勢いよく突き出した手の平を、グッと握った。

 その瞬間、俺の心に激しく去来した感情は三つ。

 一つは「なにカッコつけてんだよ笑」という嘲笑。

 

 二つ目、それは彼に対する嫉妬なのだと理解する。嫉妬?

 そうだ、俺にも幼稚園の時なりたい自分があった。飛影とか、ベジータとか……後名前も憶えてないリアタイで見てたアニメのライバルキャラとか。

 でも小学校にあがると、周りと違う事はこわくてできなかった……中学校でぶり返して、それすらも押し殺した。

 この子は、自己肯定感と個性の翼を折られていないんだ。諸事情あって学校に行けていないのか知らんが。

 三つ目に湧き上がってきた感情は尊敬。会って一言二言交わしただけだが理解した。

 この人の方が、男としての格が俺より上だと。

 

 

「……佐田隼人っす! 庵さんに限りない忠誠を尽くさせていただきますので……どうぞよろしくお願いしまッす!!」

 

 

 思い切り頭を下げる。それはもう恥ずかしげもなく下げる。

 俺ぁ……こんなに気持ちのいい快男児に会ったのは初めてだ!!! 感謝するぜ!

 

 

「いちいち名乗らんでいい! それより席に案内しろ」

 

「りょーかいっす!」

 

 

 そして最後にむず痒さと共に湧き上がってきたものは父性。

 この人の翼を折らせてはならない。このまま大人になれば、庵さんは並ぶもののない大人物になれる。

 俺自身はもう羞恥心に穢れてしまった。ハイドロドッペルを持つこの俺が。

 何よりも社会的に恥ずかしいかどうかを気にするように成り下がってしまった。

 

 だから……俺を使うこの御方がこのままでいてくれれば……俺は、庵さんに託せる。この俺の無敵の能力を。

 あなたには知る由もないでしょうね。二回名乗った理由。でもそれでいい。こっちが勝手に忠誠心を抱いただけなんで。

 余計な事は気にせず、あなたは我が道を歩んでください。



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クーロンズ・フィクサー 3

 魑魅魍魎が夜に舞う。ビルの屋上から眺める夜景に、多頭の混合霊が発光しながらひしめいている。

 今宵はやけに狐狗狸(コックリ)が多いねえ。でけえ狐狗狸に追い立てられて逃げまどってるのか?

 自我が混濁して本能しか残ってないキメラでもやっぱり魂は惜しいか。

 

 

「わりぃな、成仏してくれ

……っと 消滅させちまうんだから、成仏はできねえな」

 

 

 決して多くはない霊力を空の弾倉に集中させ、誰にともなく呟いて、銃口から霊力を炸裂させた。

 激しいオーラが薄く繊細な(ハク)をぶち破る勢いで立ち昇るが……生身の人間が潜在霊力を全開にしたところで、魄が破けることは無い。

 

 そのパワーにあてられて、周囲の狐狗狸が一斉にこちらを向く。

 気づくのがちょっぴり遅かったな。逃げようとしても無駄だ。

 霊力弾が狐狗狸に命中し、電気信号が凄まじい勢いで魄外に散って消える。まるでフライト中に天井がぶっ飛んだ旅客機だ。

 ええと、確かあの筋肉住職から請け負ったノルマは五十体だったな。ちとキツいがこれで稼いでるんだ、頑張りやしょう。

 

 

魂弩榴(コンドル)……!」

 

「ごあっ!!?」

 

 

 霊力弾!? 背中から誰か撃ってきたのか!!

 しかも……霊気のオーラには障壁の役割もあるってのに、それを貫通してきやがった。

 榴弾みてえな特性にしてるってことかい。

 

 

「困るのよね 狐狗狸掃除なんてされたら、新参霊(しにたて)が恐怖に怯える様が見られなくなるじゃない」

 

「て、てめえ……」

 

 

 俺を撃った霊能者は、漆黒のマントを翻しごすろりドレスに身を包んだ三十代くらいの女だった。

 いや、艶やかな黒髪とケバい真っ赤な口紅が相まって老けて見えるのかもな。

 つかあのマントのマーク……裏天街(りてんがい)の自警団じゃねえか。

 

 

「しょうがねえな そっちから手出ししてきたんだし、ちょっとお灸を据えてやるぜ?」

 

「キヒヒッ、じゃあ私はあんたのアソコに比喩じゃないお灸を据えることにするわ」

 

「冗談でも笑えねえぞオバサン!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「隼人ちゃん本当に皿洗い早いわねー」

 

「でしょ~? こいつと風呂掃除だけは誰にも負けない特技なんすよ!」

 

 

 上機嫌で団体様の後片付けを終えると、何やらホールが騒がしい。

 おっとお? 黒服としての初仕事っすかぁ?

 

 

「ああ、鍾誘(しょうゆう)がきたのねー」

 

「鍾誘さんが?」

 

「ちょうどいいわ、隼人ちゃん手伝ってあげて」

 

「何だか知らんがウッス!」

 

 

 ホールに出ると、ホストガールの鍾誘さんが背の高い眼帯の男に肩を貸していた。

 外傷はないがその表情は瀕死同然で、意識も朦朧としているようだ。

 

 

「大丈夫っすか? ハイハイ代わりますよーっと」

 

「隼人ちゃんありがとう この人は玉さんと言うんだけど……

先生が車を出すからついてきてね」

 

「いいっすよ~~」

 

「俺もついていくぞ 構わんだろう?」

 

 

 その言葉と共に現れた庵さんは、玉さんに熱視線を送っているように見える。

 まるで、どんな相手でも逃がしはしないと言っているかのような独善的で狂暴な視線だ。

 

 

「そうね、別に見られて困るものではないし、庵さんも納得できるでしょう」

 

 

 庵さんが納得できるもの? 一体どこ連れてくんだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 深呼吸をすると、澄んだ空気が肺いっぱいに取り込まれた。鍾誘が玉九郎を連れてきたのは郊外の山奥。

 今どき珍しく、無造作に曲がりくねった大木があちらこちらに自生している。

 

 

「隼人ちゃん、この漢方薬を湧き水で飲ませてあげて」

 

「はいよ じゃあ失礼して……」

 

 

 隼人のやつが玉九郎の首を傾け、水と共に薬を飲ませていく。漢方薬を与えるだけなら、なぜここまで連れてきたのか?

 恐らくその答えはこの後明らかになるはずだ。この俺が納得し得るだけの答えが……!!

 待っている事数分、変化は急激だった。まるで身体が膨れたように錯覚するほど生気が満ち満ちて、瞳も強い意志を取り戻していた。

 

 

「ふうー、生き返ったぜ ありがとよお嬢……おわあ!! 誰でえおめえ!!?」

 

「ども! 新入りの隼人っす」

 

 

 余りにも肌が白いからホストガールだと勘違いしたんだろう。

 玉九郎は起き上がって目を白黒させている。

 

 

「いやあ、それにしても変わった体質っすねお客さん」

 

「……まあな 俺の身体は普通の人よりちょいと張り切り過ぎるんだ 昨晩無理を通しちまってな

だからたまには、こうしてエネルギーを充填しなきゃなんねえのさ」

 

「興味深いお話だ……あなたには、自分に作用するそのエネルギーの正体がよく分かっているとみえる」

 

 

 声に気付いてこちらを向いた玉九郎が、一瞬息を呑んだように見えた。

 

 

「オーナーさんも居たのか 興味、ねぇ……話してもいいけどオカルト話だぜ?」

 

「構いません 私は鍾誘の事を信頼している その上客であるあなたの言う事なら真摯に聞こう!」

 

「まるでこういう展開を虎視眈々と狙っていたような言い草だな 

……うんとな、人間の目には見えないもんて山ほどあるだろ 微生物や放射線、気圧、でも知っての通りこれらは見えないだけで存在はしている」

 

 

 玉九郎が両手を広げてアピールする。

 見た目は派手好きで豪快な印象だが、この神聖さを感じさせる森にとても似合っているように感じた。

 

 

「俺に力を与えてくれる源、その超生命エネルギーとも言えるものは確かに存在してやがるんだ

俺でも肉眼で把握する事は出来ないが、精神で感じ取り、そのエネルギーを吸収して放出することができる」

 

「なるほど そのオモチャのピストルも、エネルギーを十全に利用するための適材、というわけですね」

 

「おうよ、感覚的には目印になる滑走路ってとこだ」

 

「その力を見込んで、あなたを幹部にスカウトしたい!!」

 

 

 俺の言葉を受けて、玉九郎は考え込むように口を尖らせた。

 ややあってから、ゆっくりと、言葉を選ぶように口を開く。

 

 

「何が目的だ? 普通幹部なんてのは経営スキルとかを重視するもんだろう」

 

「どんなスキルがあろうと信用できない人格なら、そんな奴は路傍の小石ほどの価値もない

その点お前は違う! その強い意志と理性を宿した眼が、瞳が!! 信頼に足ると俺の勘が告げているんだ

……俺の目的は、中華の覇者の支援を受けて、癒氣城を一国に独立させることだ」

 

「癒氣城を独立……? はは、ハーッハッハッハッハっ!! 坊ちゃん、そんなたまげた野望の大役をこの俺様にやれってのかい

…………いいですぜやりましょう お前さんみたいな事成し顔は生まれて此の方みたこたねえ、それに俺を見抜くあたりお前さんは慧眼を持ってる」

 

「これから、よろしく頼む

この鐵庵が忠誠を捧げるに足る器であることをこれからの活躍で証明する!」

 

 

玉九郎とがっちりと握手する。

180前後の玉九郎はこちらを見下ろし、心底楽しそうに、からかうように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 癒氣城に帰ってきてから、玉九郎と共に夕食を摂る事にした。

 幹部同士の顔合わせは早いに越したことは無い。さきほどの流れはヨーコも俺の携帯で聞いている。

 だが大皿が出そろい話始めようとした時、料理を運び終えた隼人が椅子を持って来て席に加わった。は?

 唖然とする俺と目が合った隼人は、見たことのない真剣な眼差しをしていた。常に何かを茶化しているような普段の態度が全く感じられない。

 

 

「俺も幹部に加えていただきやしょーか」

 

「なんでえ、おめえさんも一芸持ってんのかい?」

 

「おう、そうだぜ」

 

 

 馬鹿な……。今は違うが、こいつの態度は軽薄そのもの。なんの経験も重みもない。

 それとも朝起きたら突然、能力に目覚めましたとでも言うつもりか?

 

 

「お前は趙脩(ちょうしゅう)が偶然拾った行き倒れなんだぞ? そんなバカな事が……」

 

「この場にすでに幹部を一人連れてきてますよね? ポッケの中に」

 

「なにっ!!?」

 

「そしてねぇ……女性でしょ、間違いない」

 

 

 閃光が迸り、ヨーコが頬を掻きながら着席していた。

 

 

「驚いた アタシに気付ける人間がいるなんてね」

 

「驚いたのはこっちでえ!」

 

「あーごめんね? 最初の幹部の発雷ヨーコだよ

よろしく玉九郎」

 

「お、おうよろしくなべっぴんさん!」

 

 

 じっと見つめ合う時間は恐らく十秒もなかっただろう。だがそれで十分だ。

 佐田隼人は信頼に足る眼をしている。どこに隠し持っていたのか、一本筋の通った情熱も宿している。

 

 

「いいだろう、お前が三人目だ隼人」

 

「じゃ、三幹部も揃ったところでお祝いとしましょーか!

……すでにウォーターサーバーの中身を変えてるんすよ ご存じロマネ・コンティにな」

 

「それが隼人くんの能力なんだ おもしろーい!」

 

「正確には違うよヨーコちゃん 後でまた全員に説明しますんでね」

 

「いよっ! 癒氣城に舞い降りた福の神!! 密造酒職人!」

 

「そーゆーコト言う人には飲ませてあげませーん ……なんて冗談冗談!

じゃーんじゃんお飲みなさい! ほら娘々たちもこっち来て!」

 

 

 隼人がホストガールたちにも上機嫌で酒を振舞っているが、朱蘭は引き攣った笑いを隠せていない。

 立場が一朝一夕の内に大逆転してしまった訳だから驚きも苦悩もあるだろうな。後でフォローしておくか。

 そういえば、幹部集めがひと段落したら休むとか言っていたかな……。

 休み方なんかあの人達から教わってないが、まあいいだろう。どうせまたすぐ忙しくなるのだからな。



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クーロンズ・フィクサー 4

 一度だけ綾子が弟の事を話した時、鬼の面が剥がれ心底慈しむような、ただの姉に戻っていた。

 俺はてっきり死んじまってるんだと思っていたが、まさかその弟から伝言が届くとは。

 劉謖の話はにわかには信じがたい内容だったが、綾子の家族なら何をしていても不思議じゃねえ。

 

 

「見えてきたよ慶代さん」

 

「うし達芽、しっかり掴まってろよ」

 

 

 高純達芽をバイクの後ろで道案内させ、俺は綾子の居所へ向かった。

 潰れたボウリング場に幾つかのバイクが停まっている。ところどころ血痕が見えるのは……まあご愛嬌か。

 ずかずかと廃墟に侵入すると見慣れた文学ヤクザが出迎える。

 

 

「慶代か 大阪城の一件以来っスね」

 

「おう楓 綾子に大事な話があるんだ」

 

「なら少し待ってな 綾子さんなら今奥で関内と話してる」

 

「関内……?」

 

 

 俺の知らねえ新入りか?

 わざわざこの時期にライフに加入するなんざ頭のねじが数十本は吹き飛んでるに違いねえ。

 

 

「葛城の幹部に女が居たのを覚えてるかい?」

 

「! あの自爆しようとしたやつか」

 

「そう、関内加奈といってね あの直後に自分から売り込んできたんだ

綾子さんについた方が名を売る上で旨味があるなんて言ったもんでまぁキッチリ絞られたが、今はすっかりお仲間よ」

 

 

 あの黒ギャルが売り込みだと? 確かな目的を持ってるようだが良い予感はしねえな。

 一見ノータリンでも葛城の幹部だったってことは、一癖ある奴なのか。

 

 

「分かった そんじゃ話が済むまで待つ」

 

「ああ、それがいいっスよ ところで慶代、お前佐橋の会社に雇われてるそうだけどよく続いてるな」

 

「ぶっ飛ばすぞ 別に会社の連中には殴りかかったりしてねえ」

 

「連中には、か 暴力沙汰が必要な会社なら、これから先命以外は安泰だな」

 

 

 言われてみるとその通りだ。エルアの野郎は一度雇ったやつを首にすることはまずないだろう。

 あんな会社に新入社員が来るのは毎度奇跡みたいなもんだしな。

 後一番問題なのは命がけってとこだろうが、俺はそういう仕事の方がなんだかんだ性に合ってるから無問題だ。

 

 

「少しは丸くなったみたいで安心したよ、俺は」

 

「うっせえな、俺よりてめえの心配でもしてろ だいたい葛城の事といいてめえら、警察に成り代わるつもりか?」

 

「ライフってのは根無し草さ 女王様の気の向くまま風の向くままに駆けつけて、害虫駆除をするだけだ」

 

 

 その駆除とやらは最近(タガ)が外れて来てるが……ライフ内から綾子の方針に待ったをかける奴が現れるのは期待できない。

 となるといつか俺がやるしかねえ。あるいは伝言をよこした鐵庵が説得するか? いや、会った事もねえ奴に期待しても無駄だ。

 特に楓と話すこともなくなりテキトーに過ごしていると、2メーター越えの巨女がいかついサングラスを掛けて現れた。

 隣には肩に手をかけられて黒ギャルが連れられている。思った以上に打ち解けてんな……女同士だからか?

 

 

「慶代じゃねえか! お互い見覚えぐらいあんだろ あー、でも加奈はあの時すぐに気絶しちまったのか」

 

「よお、自爆女」

 

「やめてよー! うちはそうぽんぽん自爆するような尻軽女じゃないっての うちの忠誠心は姉御だけのもんスから~!

それになんつーの? 負けちまった弱っちい葛城に殉死しようと、一瞬でも流された自分が憎いわ 命は大切にしなきゃね」

 

 

 尻軽を否定した後に尻軽を補強していくスタイル。ギャグでやってるなら面白いが、綾子の苦笑いを見るにこれが素なんだろう。

 まさか一癖持ってるってのはこういうところか……。

 

 

「そういや戦闘じゃないのにサングラス掛けてんの珍しいな、お洒落か?」

 

「バ、バカ言うんじゃねえっ これはだな、加奈の奴がやけに黒光りするからつけてんだよ」

 

「ちょっ、人をゴキちゃん呼ばわりしないでよ 心の中は純白サラサラ、油分0%乙女なのにぃ~」

 

「そこまでは言ってねえよ それで慶代、用事があるから来たんだろ 何の用だ?」

 

「弟の伝言が入ってる……会いたい、だとよ」

 

 

 弟と聞いた途端、別人のように柔和な表情が垣間見えた。だがそれはほんの僅かな間で、鬼の力に引き戻されるように気迫のある姿に戻っていた。

 

 

「どうしてた……庵は」

 

「俺は会ってない 劉謖から聞いたんだが、弟は癒氣城でオーナーにまで登り詰めたらしい」

 

「ほ、本当なのかそれ……」

 

 

 そりゃあ信じがたいか、年端も行かない実の弟が裏社会のオーナーになったなんて……その姉ちゃんも大概だが。

 なんにせよ姉ちゃんが弟を想ってるのはライフに居た連中なら誰でも気づいてるんだ。

 

 

「ふざけてる素振りはなかったし本気だと思うぜ 会ってみろよ姉ちゃん」

 

「…………わかった 癒氣城に行ってくる 留守は任せた」

 

「分かってるって 家族水入らずの時間をどうぞご堪能あれ」

 

 

 家族か。何があったのかそこまで踏み込んで聞いては無いが、身内だからといって全て元通りになる事はないんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大浴場に集まった庵さんと我ら三幹部。でも混浴しようって訳じゃない。

 俺の能力、ハイドロドッペルの説明のためだ。

 

 

「さて、俺が液体の成分を変えられるのは既に体験済みだけど……それは副次的なものであって能力の本質じゃない

俺の真の能力は……"ハイドロドッペル"!!」

 

 

 湯船から、お湯で構成された俺の似姿が出現した。

 庵さんにチラッと目を向ければ、興味津々で大悪党然とした怖い笑みを浮かべてくれている。

 

 

「今はこうやって皆に見せるから近くに出しているけど、射程距離に限りはない 遠くに出すと精密性が落ちるけどね

それに、こちらからは掴むことが出来るが……」

 

「わ、あったかーい」

 

 

 試しにヨーコちゃんの腕を優しく握る。こういう場面でわざわざ男を選ぶやつが居たらホモだよ。

 ヨーコちゃんが掴み返そうとするも、指が、手が沈んでいくだけ。

 

 

「相手からは掴めない だから首を絞められたらどうしようもないし……

最強の酸であるフルオロ酸で構成されていれば一発であの世行きって寸法よ」

 

「へえ、おめえさん自分でアホっていう割には、結構博識じゃねえか」

 

「そりゃあ自分の能力に関する勉強なら、嫌がってもられないっしょ

……匿名性 その弱点さえ除けば無敵の能力だと自負しているぜ」

 

「いやーこれ凄いよ そのぐらいなんでもないって」

 

「俺にとっちゃスゲー重要なのっ そのせいで浮浪者にまで落ちぶれたんだから」

 

 

 ったく、思い出したくもねえや。

 ハイドロドッペルをヨーコちゃんから離して解除すると、バシャリとお湯が水たまりを作った。

 

 

「隼人、お前のハイドロドッペルを正しく評価しよう 確かに無敵だ……!

頼りにしているぞ」

 

「……うっす!」

 

 

 うへへ。まあ当然の評価だけど嬉しいもんは嬉しいな。

 存分にあなたの覇道のお役に立たせてもらいましょうかね。

 ニヤけた口角を元に戻そうとしていると、劉謖さんが入ってきた。

 

 

「お姉さんのお越しアル」

 

「よし、オーナー室に通してくれ 俺もヨーコを連れてすぐ行く」

 

 

 ちょろっと小耳に挟んでいたけど、ライフの総長なんだってな。

 おーぉ、おっかねえ。この姉弟の両親が一体どんな人かえらい気になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――雑念が無い。精神統一ができそうなほど洗練されたオーナー室には、シンプルなオブジェと照明を照り返す机があるだけだ。

 部屋から察するに、仕事以外の事に思考を割く余裕は1秒たりとも無いのかもしれない。

 

 でもそんなのは当たり前だ。14才になったばかりのあの子が、裏社会にはびこっている組織のボスになんて普通なれない。要は今の庵は……俺と同様普通じゃないんだ。

 それでも会いたいと伝えてきたのは助けてほしいから? ……いや違う、家族が奴らに侵されてる時もあの子はずっと一人冷静で、いち早く家を抜け出してずっと一人で闘ってきたんだ。

 あの子はなんだかんだ私より達観してて意地っ張りで……

 

 

 ああクソ思考が(くる)ってきやがった。あの頃の生っちょろい自分に精神だけじゃなく肉体共々引きずり落されそうだ。

 

 

「やあ、久しぶりだな姉さん」

 

 

 ああ、そうか……。分かっていても堪えられるものじゃない。

 何としても助けたかった人が目の前に現れて……こうして抱きしめる事が出来る。俺も私も関係なかった、どっちも涙が溢れるのは一緒なんだから。

 

 

「……よかった………………元気なんだな……」

 

「何とかな いきなり抱きしめるのはよしてくれ……その、ギョッとするじゃないか」

 

「馬鹿言え……そんなこと言っちゃうと潰しちまうぞ まぁ、でも、図体ばかりでかくなって驚くのは無理ねえか……」

 

 

 温もりが名残惜(なごりお)しくもゆっくりと解放し、改めてその人の顔を見つめる。

 俺の眼にはかつての姿からは想像つかないほど弟が凛々しく映っている。弟の眼には、あの頃の姉からは想像できない化け物が映ってるんだろう、でもどう思われようが知ったこっちゃねえ。

 庵が苦しんでるのなら、裏組織の一つや二つぐらいすぐにブッ潰す……。例え復讐鬼として手に入れた力でも、これからの使い道は失いたくないものを守るためにつかってみせる。

 

 

「いや、格好良くて弟としては誇らしい限りだよ

ただライフの総長というのは直接会った今でも驚きだ 嫌じゃなければ理由を教えてくれ

……俺が助けになれるなら、精いっぱい力を貸す」

 

 

 てっきりこっちが助ける側かと思ったが、予想外の言葉が飛び出してきた。

 もしかして今の癒氣城はそれだけ体制が盤石なのか。

 

 

「ライフなんてのはな、目を輝かせたガキんちょ達が勝手についてきたからできあがっただけだよ、可愛い奴らだけどな

俺自身は………………あまり詳しく言いたかないが、復讐みたいなもんだよ 自分勝手に諦める奴は……歯が砕けるくらい頭にくんだ」

 

「そうか……まあ、お互いあの家にいて色々狂ってしまったんだろう

だが今は心を休めて欲しいな 満漢全席でもなんでもある ゆっくりしていってくれ」

 

「……はは、まるでオーナーだな、まるでも何もその通りなんだが それじゃ夢みたいだがおもてなししてもらうかね」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴席が設けられた広間にお姉さんと庵サンが連れ立って入っていく。万一邪魔が入らないように扉を見張るよう言われているけど、無駄な警戒ね。

 ……警戒と言えば庵サン、随分控えめというか、まだ逆鱗を知ろうと駆け引きしているみたいだった。

 

 ワタシのように天涯孤独の身からしてみれば、なんと贅沢で無粋な態度だろう。肉親すら慎重に品定めする抜け目のなさはリーダーとしては美徳かも知れないけど……。

 やることもないので黙考に耽っていると、玉サンと隼人サンが忍び足でこちらにやってきた。

 ……なんかもの凄く嫌な予感がするわね……。

 

 

「た、玉サンたち? ここは誰も入れるなと言われてるアル!」

 

「劉謖や、俺達にとって一番大事なものってなぁ、なんだ?」

 

「は、はぁ?」

 

 

 何講釈垂れようとしてんのかしらねこの酔っ払いは。

 もっともらしい事言ったところで後で叱られるのはワタシなのよ。

 

 

「ライフと我らが癒氣城の間に最低でも相互不可侵条約を結ぶ! そしてよりよい成果として姉弟の仲を取り持つ! これが俺ら共通の望みなわけだ

だったら幹部である俺らが顔を出さねえのは、相互信頼においてマイナスしかねえじゃあないの

そう思うだろ隼人!?」

 

「そらもう、一片も反論の余地なくその通りだぜ! つーわけで劉謖姐さん、そこのいて♪」

 

「いやアル」

 

「うーむ、上司にハッキリNOと言える部下の鑑」

 

 

 感心しとらんで早く帰れアホン人ども。

 

 

「つーかさ、ヨーコちゃんだけズルくね?」

 

「……ワタシから言わせれば、ヨーコサンを同席させられない以上、あなたたちも顔見せさせるわけにはいかないのヨ

今二人だけ紹介して、後からヨーコサンの存在が知れたら……疑いの目を持たれるアル」

 

「じゃあ最初からバラしときゃ誤解の火種にはならないんじゃね? そうだろ玉ちゃん!?」

 

「おおそりゃ名案だ! おめえさん賢いなあ」

 

 

 一体何回この流れ続ける気だコイツら!? ワタシが諦めるまで延々とやる気だとしたらパワハラもいいとこだぞ……。

 軽い頭痛を催して壁にもたれかかった、ちょうどその時。扉が勢いよく開け放たれ、2mを超す巨女がこちらを睨んでいた。

 

 

「おう、どうしたテメェら?」

 

 

 玉サンのホルスターを見つけるやおぞましい程の殺気が放出され、ワタシの本能が逆に麻痺する。こういう時いつも土壇場で取り乱した女から死んでいった。その教訓。

 指向性のない殺意……。綾子は癒氣城全体に対して漠然とした悪意と疑心を持っているようだ。

 庵サンを縛り付ける鎖か、または閉じ込めている檻か。そういうイメージ。

 ……なるほど確かに玉サンの言う通り、庵サン以外の人も綾子と話し合った方がいいかもしれない。

 

 

「何でもないヨ~ 騒がしくして悪かったネ」

 

「……へ、へへ、へへへ……」

 

 

 ああ可哀そうに。隼人サンが完全にあてられている。

 普通に生きてきた日本人なら絶対に向けられることのない本物の殺意。

 人間、例え道端で肩がぶつかっただけでも殺意は湧く。それは実現しない偽の殺意だ。本人もちゃんと理性で自覚している。でも鬼にはその区別がない。

 

 綾子なら、庵サンを傷つけようとする者はすべて、どんな場所、どんなタイミングであろうと容赦なく暴力で捻じ伏せるだろう。それが許されるのが鬼の身体だから。

 そんな殺意の牢獄の中にあって、ワタシのように自己防衛に走るでもなく隼人サンのように怯え俯くでもなく、隻眼に荒鷲のような鋭い眼光を湛えた玉サンが口を開いた。

 

 

「まあそう怒らねえでくれよ 俺達幹部も、庵さんと綾子さんが再会できたことは喜んでるんだぜ

話の一つや二つしたっていいだろ?」

 

「……幹部だァ?」

 

「俺の名は鉄山玉九郎! んでこっちのシャイボーイが佐田隼人だ

元居た幹部連中がどうなったのかは知らねえが、俺らは庵さん直々のスカウトで就任したニューフェイスよ!」

 

 

 綾子の眼から殺意が少しだけ消え失せる。ナイスだわ玉サン。

 庵サンよりも後にやってきた者だから、綾子のイメージする仮想敵とはズレている。

 ……あ、庵サンがお腹を押さえながら顔を出した。あちこち青筋がぴくぴくと蠢いている……これは五十代らへんで血管ぷっちんいくわね。

 そんな胃潰瘍(いかいよう)少年も玉サンの考えはすぐ察したようで、綾子の手をそっと握り宥めた。

 

 

「姉さん、玉九郎も隼人も俺の信頼する懐刀だ 落ち着いてくれ、な?」

 

「……ああ、悪かった庵 だが家族水入らずの空間を盗み聞きとはシュミが悪ィな あ゛ぁ?」

 

 

 未だ怒気を散らしているものの、綾子の鋭すぎる殺気は消えた。……あいや、ワタシこんなに、汗をかいていたのね。立ち眩みにも似た感覚だわ。

 隼人サンも彼女の圧から解放されてへたり込んでいる。

 

 

「俺らは盗み聞きなんかしてねえって! 堂々とお伺いを立てようとしたんだがよ、劉謖がきかねえもんだからな! ガッハッハ」

 

 

 よくもまあ大ボラを笑って言えるものね。他ならぬ庵サンがヨーコサンに盗聴させていたというのに。

 もしかして隼人サンが俯いているのって、その事を表情から読み取らせないためかしら。

 だとすれば自分で言うほどアホではないわ。

 

 

「とりあえず綾子さんと色々話したいんすよ! 庵さんを大切に思う者同士、仲良くしましょうぜっ!!」

 

 

 前言撤回、目が泳ぎまくってる……。玉サンが堂々としてる分、違和感が目立つこと目立つこと。

 

 

「あー、隼人っつったか もう誤解も解けたしそうビビんなよ

それともそんなハデな見てくれの割に人付き合い苦手なのか?」

 

「そりゃもう苦手っすね! 一人カラオケで一曲も歌わない程度には苦手っす!!」

 

「何しに来たんだそれ……つか人付き合い関係ねえだろ!」

 

「それもそっすねえ! あへ、あへへ……」

 

 

 その時、不意に庵サンの携帯が鳴った。庵サンは怪訝そうに耳に押し当て……瞠目した。

 綾子に見せるのが躊躇われるであろう、冷徹極まる峻厳(しゅんげん)な表情で、玉サンたちに向き直る。

 

 

「敵襲だ……! 市議の団体客が殺された 下手人は二人、すぐに現場の姐龍に向かい始末しろ」

 

 

 聞くが早いか、二人はすぐさま走り出した。けれどそれより速い弾丸の超速で……綾子が窓から飛び出した。

 

 

「ッ……姉さん!?」

 

「ここで待ってろ庵!」

 

 

 

 

 

 

 

 

迅助(じんすけ)様、どうぞ離脱してくださいです 仕込みの方は終わりましたので」

 

「いや、追手を侮ってはならん 第一陣を全滅させてから、動揺に乗じて退くのが上策だ」

 

「はいです!」

 

 

 迅助様との任務……む、胸が高鳴るあまり初歩的な失点をしてしまった。

 早く認めていただくためには、基本に忠実に、確実に仕置きをこなさなければ。

 さて……いかな追手がやってくるか。そう辺りへ警戒の目を向けた矢先、いつの間にかそこにソイツはいた。

 

 

「クソガキ……! 自分がやったこと分かってんのか?」

 

「ッ……!!!!」

 

 

 疾い。この私が視界の端にも捉えられなかった。

 驚愕に染まった思考の隙を突くように、巨女の腕が伸ばされ―――

 

 

籠利(こもり)!」

 

 

 割って入ってきた迅助様の腹に大穴を穿(うが)った。

不覚……!!

 

 

「すぐ殺しゃしねえよ……とはいえ」

 

 

 巨女が店内を見渡し、無事な女給たちを見て厳めしく溜飲を下げる。

 そして私と、その腕に抱かれる迅助様を交互に、不躾に見つめた。

 

 

「確実に聞いとかなきゃなんねえことがある

……ここのオーナーに恨みはあるか? 動機が怨恨じゃない、例えば金の場合、オーナーを狙う事もあり得るか?」

 

「……依頼者が居て、その陳情が倫理に照らして正しいものであったなら、私達は誰でも狙う」

 

「そうかよ なら死ね」

 

 

 てっきり襲ってくるかと思った女は来た道を焦った様子で跳びさっていった。遥か向こうからは戦闘員と思しき男二人。

 きっとオーナーとやらに報告しにいったんだ。私は小娘だから、二人いれば十分と判断した。

 ――――戯けが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 癒氣城務めになってから、初の戦闘。

 以前脳みそパカパカさせるガキと戦ったこともあるが……緊張感がやべえ。

 それに比べ隣を走る玉ちゃんは冷静そのもので、さすが二十歳こえた大人は違うと思い知らされる。

 

 

「趙脩ちゃんたち、ちゃんと逃げられたかな?」

 

「過度な期待はしなさんな 予想と違ってた時結構へこむからな」

 

 

 ……死んだ? あの趙脩ちゃんが?

 ざけんな。あの子が何したっていうんだよ。何で殺されなきゃならねえんだ。

 クソッ、これでもし皆死んでたら俺の走り損じゃねえか。敵しか残ってないなら大雑把な遠隔操作で皆殺しにしてやるのに。

 走りぬいて辿り着いた姐龍は凄惨だった。血が辺り一面に広がり、嫌な臭いが充満していたが……。

 

 

「あーよかったぁ……」

 

 

 目隠しと猿轡をされながらも趙脩ちゃんや朱蘭姐さんたちは皆生きていた。

 安心感が胸いっぱいに広がり、早く拘束を外してやらなきゃとしゃがみ込む。

 

 

「隼人、油断するなよ」

 

 

 こちらに冷や水を浴びせるような声色。

 その注意に振り向くと、物言わぬ死体がいくつも起き出してこちらへ襲い掛かってきていた。

 

 

「うっ、うわっ! うわああぁ!!!!」

 

 

 咄嗟に血だまりを収束させてハイドロドッペルを生み出す。

 焦りながらもなんとか立ち上がり、一番近かった肉塊に、ドロップキックをお見舞いさせた。

 

 

「どうだコラァ! ホストガールには指一本触れさせねえぞ!!」

 

 

 というアホな啖呵を切っていないと冷静に思考を纏められない。

 なんで死体が動いてんの!? ゾンビ? じゃあこの後どんどん増えるってこと?

 動きは決して遅くないが、ハイドロドッペルで殴り倒せないほど速くはない。

 

 俺の動きに心配はいらないと判断したのか、玉九郎は群がる死体を鮮やかに蹴り倒すと冷静に柱の陰に注目した。俺の眼には何も見えない。

 けれど俺も気づいた。なんかいやがる。

 

 

「そこだ!」

 

 

 玉九郎がオモチャの拳銃を構え、弾を撃ち出した。

 銃口より小さいものなら何でもブッ放す、ポルターガイスト・ショット。

 その見えざる極小の弾丸は柱の陰にいた奴に、あり得ない軌道を描いて命中した。多分女。

 

 

「うぎ……! 忍法! 死骸傀儡(しがいくぐつ)の術!!!」

 

 

 そう叫んだ女は無数の手が生えたように見える奇怪なスケートボードで素早く移動する。

 少女自体も時折人間を超えたような大跳躍を見せ、どこへ視線を向けていいのか分からない。

 玉九郎に狙いを絞らせねえためだな……!

 

 ゾンビどもは十分相手できてる。だったら隙を見てハイドロドッペルであの子を攻撃すればいい。

 あの子が死ぬか、怯むかすればゾンビも動かなくなるだろうしな……!

 あれだけ縦横無尽に動き回ってりゃ、いつか疲れが……。

 

 

「ゴプッ」

 

 

 いきなり口の中に水が溜まって、思い切り咳き込む。

 なんだ? 身体が痛い。特に下腹部が。

 

 

「先刻仲間から油断するなと言われていたハズだ 愚かな……」

 

 

 死体の内の一つが、悠然と俺を見下ろしている。

 白い長髪、痩せ気味で端正な顔立ち、腹に空いた大穴。間違いなく死んでるはずの重傷。

 

 

「迅助様! ご無理はなさらないでくださいです

もう一人は私が」

 

「隻眼の銃士殿 この少女に……一体何を撃った?

この仲間の少年への止めと、答えを交換せぬか?」

 

「等価じゃないねえその取引」

 

 

 は? 何で俺を撃つ?

 

 

「ぐぅッ!!!」

 

「迅助様!?」

 

 

 え? ……あれ? 俺死ん……死ん、で、ない?

 冷たい眼差しで裏切られた……いや、切り捨てられた? と思ったら、いつの間にか傷が縫われて敵の手から脱していた。

 発砲したのは二回。一発目が糸だったとして、二発目をジンスケに当てたのか!

 よっしゃこれで二対一っしょ!

 

 

「ぅ……」

 

 

 玉九郎の眼が、朦朧としていた。

 あ、これ力使い果たした時のやつだ。

 

 

「キャアアアっ!!!」

 

 

 一瞬早く呆けから脱した俺のハイドロドッペルが、少女の身体を捩じ切ろうと拘束する。水質変化はマルチタスクなんで操作中にはとてもできねえ。要改善だな。

 あの森で見た玉九郎の衰弱が電撃的に脳内を走り、直感で自分の取るべき行動が閃いた。

 玉九郎がジンスケを倒したのなら、俺が倒すべきは少女だ。

 

 

「こ、れしき、の……圧力でェ……ッ!」

 

 

 何? もう一息つかせてよ……。頼むからどんでん返しとかやめて死んで。

 あ、逃れやがった。

 

 

「忍法縄抜けッ……!!」

 

 

 関節外し。さっき忍法とか言ってたから考慮すべきだった。

 やべえ、痛い。どうしよ。頭が回らねえパニックだ。

 

 

「あれ……? そういえばヨーコちゃんいなくね……?」

 

 

 乱雑な思考の中でつい独り言を口走る。

 俺ら三幹部だったはずだよね? いつ加勢するの?

 頭がアホになった状態で口走った無意味な疑問は……なんか、少女には覿面(てきめん)だったようだ。

 猫のように全身を総毛だたせると、ジンスケを背負って操り人形のような奇怪な動きで逃げて行った。

 

 アレか。噂をすればなんとやらって言うし。背後から不意打ちでも喰らいそうだって思ったのかな?

 ……俺がすべきこと。よし、ホストガールたちの拘束を解こう。さすがにもう大丈夫だろ。

 痛みでまともに動けねえし、玉ちゃんも魂が抜けたみたいになってるし、後は任せるよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三日ぶりに帰ってこれた癒氣城。まさか二日も充電しないとは思わなかったなー。

 

 

「戻ったか、ヨーコ」

 

 

 伏し目がちにアタシにバスローブを羽織らせてくれる庵さん。いいね、紳士的でかっこいいよー。

 うーん、と伸びをしてからソファに座る玉九郎と隼人にも向き直る。

 

 

「えっと、まずはすぐに助けてあげられなくてごめんねー

庵さんの命令で敵の……籠利の携帯に潜んでたんだけど、二人を殺そうとする前に退却してくれてよかったよ」

 

「なに、もう全部敵の正体分かってるの? まぁ大体想像つくけどね」

 

「うん、封建(ほうけん)制度復活を目論む侍責(じせき)党お抱えのニセ宗教法人、両賀会 真の姿はまじもんの忍者軍団だった」

 

 

 反応は様々。庵さんは顎に手を当て思案顔。玉九郎は頭をぼりぼりと掻いて嫌そうな顔。

 隼人はこの世の終わりみたいなアヘ顔。

 

 

「ヨーコ お前の得た情報から推測するに、連中は俺達に矛先を向けるか?」

 

「えっとね 庵さんが、いわゆる"仕置き"の対象になったらそうなるんだけど、今のところはそういう兆しはなかったよ

ただ籠利……見習いの管持籠利(くだもちこもり)ちゃんと姉の一希(かずき)はこっちをカンペキ敵視してる」

 

「みな……らい?」

 

「うん 更に悪い情報としては、迅助って人はあれで戦闘力下位のヒーラー特化だってさ」

 

「あいつら以上の魑魅魍魎がうじゃうじゃいんのかい 想像したくもねえな」

 

「その一希たちが俺を暗殺対象にするよう頼むことは無いのか?」

 

「ないね、籠利ちゃんが死んだわけじゃないし、私怨で仕置きする事はないよ」

 

「あの迅助ってのは当然のように生きてるんだな 俺も忍術学ぼうかねぇ」

 

 

 庵さんの質問に答えていくのもいいんだけど……強烈にこっちからも聞きたい事がある。

 

 

「あのさ庵さん 何でお姉さんに抱きつかれてるの?」

 

「……これはだな」

 

「黙ってろ、またどこから奴らが仕掛けてくるか分かんなかったからな

……だがこれで連中の所在は分かった カルト忍者教は今日で解体してやる」

 

「やめてくれ姉さん、落ち着いて……!」

 

 

 うわぁ、庵さんの頼み方がすごく哀れで切ない。

 なんべん言っても聞いてくれませんでしたって伝わる。

 どうやら弟を想うあまり密着ボディーガードになったみたいだね。まさかアタシが潜入した時からずっとか。

 

 

「綾子さんや 俺なら何とか手打ちにできっかも知れねえよ

実は両賀会の筋肉住職と知り合いでな」

 

「テメェスパイか?」

 

「どこの世界にこのタイミングで白状するスパイがいるんでえ!?

ほんとに偶然だぜ ユーレイ関係の仕事で縁があったんだ」

 

 

 玉九郎が誤解を解こうとするも頭上二メートルのとこからギロリと見下され、しゅんと背を丸めて子猫玉ちゃんになってしまった。

 

 

「庵、案の定経営は危険な綱渡りだったが、お前やめる気ないんだろ」

 

「無論だ 例え癒氣城がすべて灰になっても、俺は綱渡りを諦めない

リスクを恐れて真の平穏は掴みとれないからだ……!」

 

「……庵がそう言うなら、平穏を掴み取るのに俺も協力する」

 

 

 そう言うや否やお姉さんは般若の目つきに豹変し、アタシ、玉九郎、隼人と凝視していく。この程度で気圧されてしまえば幹部として認められるのは絶望的になるだろう。

 鐵綾子の事は以前の情報収集で義賊や黄門様みたいなイメージがついていたけど、どうやらだいぶ違うみたい。

 大抵の襲撃は不殺で終えてたけれど、庵さんのためならいずれ修羅になりそう……。

 

 

「…………わかった いい眼だテメェら ……いや、"良い眼"ってのは語弊(ごへい)があるな

テメェら全員、俺ら姉弟と同じイカレた眼をしてるよ」



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Trick or Blood 1

 黒のモノトーンを基調にした前衛的な自室で、俺はグラスを取り落としていた。奇術師(マジシャン)でもありミュージシャンでもあるイアベル・デュランのライブ映像がTVから洩れるが、まったく耳に入ってこない。

 世界中の土産コレクションを保管しておくための宝箱から、一糸まとわぬ白人の美少女が光と共に飛び出してきたから。

 神々しさを感じさせるウェーブがかった金髪を揺らし、重力に逆らってゆっくりと着地している。

 え、なにこれ? どーなってんの?

 

 

「※日本語字幕

とりあえず~……英語分かる? これ羽織ってね」

 

「※

? ああっ、ありがとう!」

 

 

 目線の高さがほぼ同じって事は、俺と同じ170cmか、誤差の範囲で169。

 年の頃で言うとこれも同じく十五、六のミドルティーンかな。

 それにしても気になるのは男に裸を見られたのに、悲鳴を上げるどころか全く無警戒なところだ。

 ま、もちろん無警戒でもいいけどねー。俺はジャパニーズ紳士だからね! イエス役得ノータッチを守る良識あるHENTAIだもん。

 

 

「※

俺の名前は悪魔角(あまつの)牢居(ろぅいー)だよー! ベイビーのお名前は分かる? 君はどこから来たのかな?」

 

「え~っとね そう! 色んな場所から来た気がするの

名前はエリエールっ ……だったかな? よろしくね牢居」

 

「に、日本語……!?」

 

 

 どういうこと? 日本語の偽名に反応したの?

 まぁここは日本だから日本語が話せた方が都合がつくけど……謎だ。

 とりあえずタンスに俺のTシャツとかパンツとか、有り合わせの衣類があるけど……着てもらったらすぐに服屋さんに行かないとなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アキバにある大型コスプレショップに連れてきたベイビーは、目を輝かせて商品をつぶさに観察していた。

 ソウルカントリーの日本に着いて俺も日が浅いから、エスコートするのは慣れてないんだけど……ま、喜んでくれてよかったかな!

 

 

「牢居が持ってたものに似てるのがすっごい沢山あるよ! あっちにもこっちにも!」  

 

「でしょでしょー? やっぱファッションってのは派手じゃないとねー!

服っていうのは知ってる?」

 

「……う~ん、あんまり憶えてないけど、服は着た事ある気がする」

 

 

 どうやら英語や電車って概念は分からないけど、衣服は普通に知ってるみたいだ。

 ただし裸を隠すために、羞恥心の為に着るのだという概念は分かってない。そんなことあり得るのかな? だってそれって部族の戦闘装束とかになっちゃうだろ。

 

 

「ちなみに俺のは小悪魔コーデっていうんだけど、ベイビーはどんな服がいいかな?」

 

「え~と、それじゃこの黒いのと! これにするっ」

 

「オーケー! センスいいよベイビー」

 

 

 こりゃすごい、三十分前に突然現れたとは思えない適応力だ。

 それともあれは実はトリックだったり? いや……だったら奇術師である俺に見抜けないはずはないね。

 

 

「それじゃあ次は牢居に選んで欲しいなっ」

 

「そう? んじゃ目いっぱい、更に可愛くしちゃうよー!」

 

 

 さてベイビーのコーデを選んであげようと思った矢先、背後から憎悪の籠ったケッ! というリア充爆発しろな態度で吐き捨てる声が聞こえた。

 振り返ってみるとそこにいたのは……知り合いの底辺地下アイドル、リリアナ・フォスタンヌ。

 

 

「こんばんはっ 何してんの? こんなとこにお一人様で」

 

「お一人様じゃないもえ! ちゃんと男の子の連れがいるもえよ」

 

 

 なーんだ。じゃあ別にひがむことなかったじゃん?

 ホントおかしな女の子だな。

 

 

「私エリエール! あなたは牢居の友だち?」

 

「リリアナはリリアナもえ こんなやつと友達じゃないもえよ」

 

「うわひっどいなー! 俺はただ吸血鬼属性獲得のために耳を整形したり、犬歯を改造するなんてクレイジーだよねーって言っただけなのに!」

 

「うるさいもえよ! ていうか耳なら牢居も尖ってるもえ! そっちも整形もえね」

 

「いやいや俺のは天然だからさ より気になるっていうかー」

 

「気にしてるんだったら小悪魔コーデ好きはおかしいもえ! そんな嘘に騙されないもえよ」

 

 

 ありゃ、意外と鋭いね。……ま、耳どころか外見全部そうなんだけど。

 すると奥のトイレから小豆色の髪をした人畜無害そうな少年がやってきた。

 

 

「リリアナちゃん、友だちと話してるの?」

 

「違うもえ こいつはアメリカから来た牢居っていうファッションオタクもえよ」

 

「それってコスプレが好きって意味だよね? NIWAKAって方の意訳じゃないよねー?」

 

「それでねエリエール この子はしもべクンもえ! しもべ縁、リリアナの眷族もえよ」

 

 

 完璧に無視されちゃったよ……。

 下辺縁(しもべえにし)くんか。にこにこしてて優しそうだねー。ニカッと満面の笑みを浮かべると、にへら~っと笑い返してくれた。

 

 

「私エリエール! よろしくねエニシ!」

 

「うん、二人ともよろしくね」

 

 

 それにしても縁くんはまったくオタクっぽくないけど、どうやってリリアナと知り合ったんだろう?

 貝殻繋ぎをする手からは、いかにも仲睦まじそうな感じが伝わって来るけども。

 

 

「ここに来たって事は、リリアナたちも服を買いに来たんでしょ?

一緒にベイビーに似合う服を選んで欲しいんだ!」

 

「ベイビーって?」

 

「私のことっ」

 

「……でも、きみはエリエールちゃんなんだよね?」

 

「ベイビーっていうのはね、確かとっても大切なものを呼ぶ時の言葉なの てことは牢居も私のベイビーっ リリアナもエニシのベイビーだよっ!」

 

「そうなんだ なんだかいい言葉だねベイビー」

 

「ほぁぁあああもおおぉ~~! リリアナのエンジェルくんは褒め上手もえね ちゅっちゅっちゅ~~~」

 

 

 うん、ベイビーの不思議翻訳パワーの謎も深まったし……縁くんもちょっと特殊っぽいね。

 我に返って赤面するキス魔リリアナ。咳払いしながらも慌てて商品を見まわし、コーナーの一角を指さした。

 

 

「リリアナのおすすめは「暁のナックルフォース」もえ!

ジャンプの準看板の一つなだけあって良デザが多いもえよ」

 

「リリアナちゃん、あれってヨシトの着てる服だよね?」

 

「そうもえ、このお店は漫画のキャラクターが着てる服を売ってるんだもえ」

 

 

 うーん……確かにいいんだけど普段着にするには有名過ぎるんだよねー。

 ちょっとやそっと改造しただけじゃユニークに出来ないだろうし。

 

 

「牢居! かっこいい服だね! 私に似合うかな?」

 

「そうだねー! ベイビーはあえてワイルドなジャケットとかもいいね

てなわけでアカナクは一着購入決定だよ」

 

「ナクフォをアカナクって略す人とはやっぱり友達になれないもえ」

 

「あっはははは! 誰がいつなってくれって頼んだの?」

 

「……け、けんかはやめようよ」

 

 

 別に本気で嫌いだと思ってやってる訳じゃないよ。少なくともこっちはね。

 ほら、日本のことわざにもあるでしょ?

 

 

「ああ言えばこう言う、って関係はとってもいい事なんだよ?

逆にどっちかがだんまりになったり、思った事を言わなくなるとよくないね!」

 

「そうなの? リリアナちゃん」

 

「うーん……まあ確かに、ケンカするほど仲がいい、っていう言葉はあるもえね

リリアナと牢居の関係に当てはまるかはしらないけど」

 

「えっリリアナは俺のことキライなの!? オーマイガ!

日本に来てまだ間もない俺に対して、死体並みの冷たさだよお!」

 

「あーもううるさいもえ……ここはアメリカじゃないんだから、ゆっくり喋るもえ」

 

「あぁそっか! 吸血鬼だからそんなに冷血なんだね!」

 

「日本には手が冷たい人は心が温かいってことわざがあるもえ!」

 

 

 え、何それ初めて聞いた。ステイツじゃ逆が定説なんだけど俺も勉強不足なんだねー。

 

 

「うん、リリアナちゃんとお話してるとあったかい気持ちになるよ」

 

「しもべクぅン……!」

 

 

 あ、リリアナが尊すぎて尊死してる。やっぱり死体じゃん。

 ベイビーはそんな二人を見てにっこにこしている。かわいいね。

 

 

「そうだ、牢居はこの後すぐ帰るもえ?」

 

「ううん ベイビーの為にもどこかで食べて行こうと思ってたよ」

 

「実はリリアナ達は、心霊スポットに行こうと思ってるんだもえ 度胸があるならついてくる?」

 

 

 心霊スポット? それって山奥とかじゃないだろうな。もう外は真っ暗だっていうのに。

 

 

「どこに行こうっていうのさ」

 

「実は、リリアナ聞いてしまったもえ ……惨死したアイドルの霊が出る広場……!」

 

 

 あんまりベイビーの前で死とか殺って言葉使って欲しくないんだけどなー。

 存在する概念である以上しょうがないけど。

 

 

「そこに面白半分でデートしに行くって? やめときな

変な人たちに絡まれるよ?」

 

「その時は牢居をスケープゴートにして逃げればいいもえよ!」

 

「ワオ! 完璧な作戦だねー! それを本人の前で言っちゃう事以外は!」

 

 

 うーん、言っても諦めなさそうだなぁ。まあ最悪、銃も持たない日本の暴漢なら何とかなるかな。

 ベイビーに視線を向けると、悲しそうな中にも強い意思が宿った目をしていた。

 

 

「霊……それってずっと苦しいってことでしょ 牢居、私達が助けなくちゃ!」

 

「うん、分かったよ ベイビーのお願いなら俺はなんだってきいてあげるからねー!」

 

 

 その時一瞬、視界の端に映るリリアナの口がニタリと嗤った気がした。



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Trick or Blood 2

 リリアナの提案でやってきた心霊スポットは、意外にも整地された自然公園の中にあった。

 だだっ広い芝生の中にぽつんと金属の床扉が見える。

 アッオー! ひょっとしてあそこ降りて行くつもりじゃないよね……。

 

 

「さーてついたもえよ あの床扉の中もえ」

 

「俺埃っぽいのイヤだよー! ていうかあんなとこにアイドルのゴーストが本当にいるわけ!?」

 

「大丈夫……! 私に任せてよ牢居、どんなことがあっても牢居の事は私が守るからっ」

 

「ベイビーは何でそんなにやる気なんだか」

 

「リリアナちゃん、マホピがやめといた方がいいって言ってるよ」

 

 

 男二人が反対で女二人は乗り気。あっれえおかしいね……普通逆なんじゃないの?

 この場に普通の人が一人もいないから分かんないや!

 

 

「これは、先輩から聞いた話もえ……」

 

 

 縁くんの話も聞いちゃいないね。

 だいたい地下アイドルがどうしてこんな公園に出るっていうんだい?

 待てよ。誰も好きで地下にいるわけじゃないんだし……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ! 公園って事は特設ステージですか?」

 

「そうだ! 他にも四組のアーティストが来る

とうとう日の当たるライブフェスに出られるんだよ!」

 

 

 A子さんは今年十五歳になる地下アイドル。

 デビューから苦節三年、ついに一大転機が訪れた。

 野外に設営されたライブステージで、自慢の歌と踊りを見せられる機会が巡ってきた。

 A子さんにとって今年は、受験も控えた大事な節目。今年芽が出なければ、スッパリアイドルは諦めようと思っていたのだ。

 A子さんは舞い上がった。周りのあらゆる知人にその事を触れ回った。

 

 

(ああ……嬉しいなぁ このままいけばきっとTVにも)

 

 

 クッションを抱いて幸せそうに頬ずりする姿は、家族みんなが目撃していた。

 そしてライブの前日。

 リハーサルが終わった後……A子さんの姿がない。誰も彼女を見ていないという。

 

 しかしライブはもう明日に迫っている。運営はひとまずA子さんはドタキャン扱いにするしかないと決めて、ライブ自体は多少の滞りがあったものの概ね成功した。

 ライブ終了後の片付けの最中、スタッフが妙な事に気付く。床置きの大型ステージ照明がどう数えても一つ多いのだ。

 全ての照明をどかすと、その内の一つの真下に金属の床扉があった。大きな照明は扉をすっぽりと覆い隠すために設置されたようだ。

 

 その場に居た全員が嫌な予感に身を総毛立たせた。しかしいつまでもまごついている訳にはいかないので、ついにスタッフの一人が扉を開けて、懐中電灯片手に潜っていった。

 十分経ったか、経たないかという時だった。野太い悲鳴と共に顔面蒼白のスタッフが一気に梯子をかけ上がってきた。

 その後警察が駆けつけて、現場は封鎖され……何があったのかは、一部の人しか、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「正気?」

 

「こんなにラァブリィな吸血鬼アイドルが狂人に見えるもえ?」

 

 

 まるでお手本のような狂人だねー! 狂犬病が混入した血液でも摂取したのかな?

 っていうか超コワいよ。日本のゴースト怖すぎでしょ。まず何が一番怖いかって聖句が効かないところだよね。

 本当にゴーストが存在するかはさておき、地下に降りて行くなんて嫌すぎる。

 

 

「降りる前にさ、誰かに連絡とっておいた方がいいよね?」

 

「それなら父親に言ってきたもえよ」

 

「いや、ここの公園の床扉に降りるとまでは言ってないでしょ?

もし詳しく申告していたなら、まともな親は止めるはず」

 

「……け、携帯家に忘れてきちゃったもえ

牢居は持ってる?」

 

「あんなバカ高いもの、一介のティーンが持ってるわけないだろ!」

 

 

 この反応……意図は不明だけど、さてはわざと忘れてきたな。

 公衆電話も見当たらないし……ほんとにこのまま行くのぉ?

 

 

「それじゃあ、私行ってくる」

 

「いや、俺から行くよベイビー

俺が降りてきてもいいよって言うまで来ちゃ駄目だよ」

 

 

 逸るベイビーを押しとどめて深呼吸。

 暗闇に慄きつつも、口にペンライトを含みゆっくりと梯子を降りて行く。

 変な臭いはしないね……。水の流れる音もしないし、ここは一体何のための空間なんだろう。

 

 意識して下を見ないように、慎重に動く。だって下を向いたら見上げる顔があった、なんて展開ごめんだからね。

 ……いや、いっぺん見ておこうかな。降りきってから背後に気配を感じるよかマシでしょ多分。

 ペンライトの明かりが降下地点を照らす。……顔はない。動くものもない。

 ひとまずはいいとしても、ほぼ円形状の狭い場所しか照らされていないのも逆に怖い。

 

 

「牢居、だいじょうぶ? なんだかとっても具合が悪そう……」

 

「大丈夫大丈夫! 俺はぜーんぜん平気だよ!」

 

 

 覚悟を決めてテンポよく梯子を降りる。カンカンと靴を打ち付ける金属音が反響する。

 鼓動が異常に早くなってきた。じんわりと汗が滲む。そして、ついに。

 床まで降りきった。

 

 

「牢居くん、だいじょうぶー?」

 

「ああ、大丈夫 ちょっと、待ってて……! 今安全を確認するよ」

 

 

 荒い呼吸を必死で整え、ペンライトを手でしっかり持ち直し緩慢(かんまん)に振り向く。見渡していくと、電気の供給などを司る空間なのだという事が分かった。

 おぞましいアイドルのゴーストは……ここにはいないようだ。

 

 

「次、リリアナがおいでよー!」

 

「分かったもえ 見上げちゃダメもえよ」

 

 

 リリアナが、縁くんが、ベイビーが、怯える様子もなく次々に降りてきた。

 俺以外の皆が微塵も怖がっていないところをみると、俺だけ特別怖がりだったりするのかなぁ……?

 一塊になっておっかなびっくり進んでいると、リリアナが疑問の声を上げた。

 

 

「牢居、どうしてこんなにペンライト持ち歩いてるもえ?」

 

「俺、職業は奇術師(マジシャン)なんだ だから商売道具だよー!」

 

 

 俺は最適解の重心操作がポリシーであるミリオン派の奇術師だから、他の流派に比べて隠し持ってる道具は少ない。小さいものが好ましいね。

 それにニンジャに逆用される恐れのあるトランプシュリケンより、投擲暗器としては電池で見た目より重量のあるペンライトの方が優秀だ。

 

 

「へぇー……あ! 前から奇術師の人に会ったら聞きたかったんだけど、奇術師は日本嫌いってホントもえ?」

 

「Uh……ん、まぁそうだね そういう傾向にあるよ

でも俺だって日本人の血が流れているし、兄弟弟子もジャパニーズだから、あくまで傾向」

 

「ニホン? マジシャンってなあに?」 

 

「日本については追々説明するとして、見てごらんベイビー ここにみんなに持たせた銀色とは違う黒いペンライトがあるよね?

……いち、にの、さん!」

 

「えっ? 大変! 牢居の手のひらがライトを食べちゃった!」

 

「さて、ライトはどこにいったのかなー?

正解は、リリアナの右ポケットだよー!」

 

 

 ビクリと反応したリリアナが驚愕の表情でポケットをまさぐり、震える指で黒いペンライトを取り出した。

 どうだい、結構見直したかな?

 

 

「い、いつの間に……!!」

 

「その顔が見たかった! スゴイと思ったならまた遊んであげるよー!」

 

「マジシャンてすごい! でも、何でニホンは嫌われてるの?」

 

「日本で事故に遭ったり、マジックが失敗して死んじゃう頻度が他と比べて高くってさ

気にしなければいい話なんだけどね」

 

「そんな、どうしてなんだろう……なんとかならないかな」

 

「ボクも何とかしたいな 色んな人のマジック、見てみたいし」

 

 

 ……奇術師とニンジャは、初めて邂逅(かいこう)した時から、百年以上前からの宿敵同士だからね。

 要人警護と暗殺。代理戦争の様相を呈するこの仕事が無くならない限り、両陣営の和解はない。

 しんみりした気分を恐怖に塗りつぶされないように、話題を振る。

 

 

「リリアナはさ、縁くんとどうやって知り合ったの?

ライブに来てくれる感じではないけど」

 

「えっとぉ……」

 

「慶代を探してるって言ったら、ボクを事務所に連れて行ってくれたんだ」

 

「見直したよ! 君は素敵だ!」

 

 

 人探しを手伝ってくれたのか。けっこういいトコあるんだねー!

 褒められてなぜだか焦るリリアナが顎をしゃくって尊大に促す。

 

 

「牢居もどうやってエリエールと知り合ったのか教えるもえ

アメリカの外語学校?」

 

「今朝だねー!」

 

「今朝ァ!?」

 

「うそうそ、ホントは一時間前だよー! いきなり室内に裸で降臨したんだよね、これが」

 

「空から降ってくる系ヒロイン……? え、何が元ネタもえ?」

 

 

 うん、やっぱりジョーク扱いか。そりゃそうだよね、俺だって他人から言われたら信じない。

 でもリリアナなら、頑なに自分のキャラ設定を遵守しようとするこの生真面目な少女なら信じてくれるかもと思ったんだけど。

 

 

「私空からは降ってきてないよ? 気づいたら牢居の部屋の中にいたの 服は着てなかったよ!」

 

「あぁベイビー、その言い方はまずいよ……」

 

「牢居……きみ本当は国際的な人さらい、もえ?」

 

 

 ほーらこうなった。明らかに軽蔑の視線だ。縁くんをしっかり抱き寄せる姿は親鳥のようだね。

 しっかし事実そうなんだからしょうがないよなー。

 

 

「違うよ 本当にいきなり現れたんだ」

 

「私攫われたことなんて一度もないよっ」

 

「リリアナちゃん、ボクも牢居くんはいい人だと思うな」

 

「ふぅむ、まぁエリエール自身が、何よりしもべクンがそういうなら信用してやってもいいもえ」

 

「アッハハハハ、とても信用しているって顔じゃないよねー!

怪しまれるのも奇術師の仕事の内だからいいけどねー」

 

「ただ……ちょっとした、度胸試しを受けてもらうもえ」

 

 

 は? 今この状況を度胸試しと言わずになんて呼ぶんだ。

 リリアナが指さしたのは通路の奥。ペンライトの光すら届かない、かなり奥行きのある道だ。

 

 

「奥に何があるのか一人きりで見てくるもえ」

 

「別にいいけど 降りる時が怖さのピークって感じだったしねー」

 

 

 やっぱりゴーストなんかこの世にいないんだよ。いたとしても一週間も経てば未練ビザが失効して天使か悪魔が連れて行くでしょ。

 もう怖くなんかないと胸を張り、堂々と小気味よく進んでいくと

 ――――つま先に衝撃が走った。

 

 

「ッ……」

 

 

 おかしい。

 これは壁だ。行き止まりだ。

 震える左手で壁をなぞる。ペンライトで照らしても、前方の空間にはぽっかりと暗黒が広がっているだけ。

 何か恐ろしい事が起きている。皆に知らせようと振り向くと……三人の姿がない。真っすぐ進んできたはずなのに。

 動揺が恐怖に変わった。ペンライトが点滅している。

 そんなバカな、こんなタイミングで電池切れなんてご都合過ぎる。けれどいくら違和感を抱いても光が失われるという現実は変わらない。

 

 とにかく走れば……! 距離的にそんなに遠くには歩いていない。

 走り出そうとした。それなのに、足が前に進まない。

 ペンライトの光が赤い。その赤い光が照らす先。戻らなければいけないはずの場所に、見たことのない少女が俯いていた。

 迫ってくる。這いずる様に。背後は壁。思わず、断末魔のように叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「牢居? おーい ろういーっ」

 

 

 エリエールちゃんが、いきなり姿の消えた牢居くんに呼び掛けてる。

 マジック、なのかな?

 

 

(いや、彼は何もしていないよ)

 

「そうなの? ボクも探しに行った方がいいかな」

 

(……そうだね これは、見過ごせない

あんまりにも陰湿で可哀そうだ)

 

「じゃあエリエールちゃんについていくね」

 

「しもべクンはここにいるもえ もしオバケが出てもリリアナが守ってあげるもえよ!

っあ…………?」

 

「リリアナちゃん!? ごっ、ごめん! ごめん!!」

 

「いきなりどうしたのエニシ!」

 

 

 な、なんで? ボク、はたく気なんか無かったのに、どうして……。

 マホ、ピ……?

 

 

(うん、やはり頭の回転自体は鈍くないね そうだよ)

 

「なんで……ひどいよ、何でひっぱたいたの!?」

 

「…………い、いいもえしもべクン リリアナのために怒らないで」

 

 

 でも、ボクはほっぺを思い切りはたいてしまった……こんな、ひどい。

 ボクは今、怒りたいよ。

 

 

「どうやらマホピにはお見通しみたいもえね ……反省しなきゃ、もっとひどいお仕置きがあるかも

リリアナ、しもべクンの情操教育のために、ここに来たもえ

予想と違ってしもべクン、全くビビらなかったけどね」

 

 

じょうそう……教育の方の意味は分かるけど。

 

 

(心の動きの事だよ 君は今怒った、かつてないほどに

だからコイツの目論見は達成されたと言っていい ……君の為を想った純粋な目的の方はね)

 

「でも、ごめんもえなさい……エリエールに謝るもえ

二人に会った時、牢居を怖い目に遭わせる悪戯を思いついちゃったんだもえ」

 

「牢居を怖い目に……? 私牢居を助けに行ってくる!!」

 

「待つもえ い、今幻惑を解くもえ」

 

 

 言い終えると同時に、牢居くんが……べつに怖がってない様子で立っていた。

 リリアナちゃんが、ものすごく驚いてる。

 

 

「ハァーイ、ヴァンパイアファッキンガール

よ、く、も、騙してくれたねー! 騙すのは奇術師の専売特許だってのにさ」

 

「牢居! な、何ともない? 平気?」

 

「心配いらないよベイビー」

 

「な、何で平気もえ? 泣き叫んで発狂していてもおかしくないのに」

 

「まあね、すごく怖かったよ でも君の作り話だって気づいちゃったんだよねー!

あ、どうやって見抜いたのかは教えないよ? タネも仕掛けも企業秘密さ!」

 

 

 リリアナちゃん、怖がらせようとしたけど失敗したんだ。

 ……だったら、ほっぺをはたかなくても良かったのに。

 

 

(その顔、納得できないって感じだね

ほんとにさっきまではビビりまくってたんだよ? ただ、生き返れ! って叫んだあと急に落ち着いたんだ)

 

「怖がってて可哀そうだから叱ったっていうのは分かったけど

ボクが突然はたくこと無かったじゃない 暴力は駄目ってマホピも教わったでしょ」

 

(君に殴られるのがリリアナにとって一番堪えると思ってさ

……いや、ごめん、これじゃ私も同様に陰湿だね 君が正しいよ)

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんもえよ、牢居

なんていうか……一度、こてんぱんにのしてやりたかったというか

その余裕を消してやりたかったというかぁ……」

 

 

 芝生に正座させられて、天使二人に見守られる中(みそぎ)を行う。

 どうかお許しをもえ。

 

 

「うんうんなるほど~? 理由は良く分かったよ

ただほら、俺ってアメリカ人だからさぁ、一度コケにされたらしっぺ返ししないと、気持ちよく対等に付き合えないんだよねー!」

 

「に、日本だったりアメリカだったり、なんか都合よすぎないもえ!?」

 

「シャ~ラ~~ップ 洗いざらい吐いてもらうよー! 吸血鬼の秘密を

そうすれば許すよ」

 

 

 やばいもえ。何をどこまで話していいのか分からない。

 ましてや奇術師なんていう胡散臭い少年に。こ、ここは思考を纏めるために時間稼ぎに徹するもえ。

 

 

「吸血鬼の秘密なんか知ってどうするもえ?

まさか牢居も吸血鬼になりたいなんて言わないもえね」

 

 

 不意に。そう、本当に不意に。牢居の顔が憂いに染まった。

 真剣に、苦しそうに、口を開く。

 

 

 

 ――――それも、ありかもね―――。

 

 

 

 か細く、枯れそうな弱気な声色。

 呻き声のようなその呟きの中に……リリアナの錯覚じゃなければ、戦士としての葛藤が見えた気がした。

 ……うん、大体話す内容は固まったもえ。

 

 

「そうもえね……慶代に会ってみるもえ

そうしたら、抱えている悩みに何かしら化学反応が起きるかも」

 

「ケイダイ? 縁くんの言っていた人?」

 

「なんていうのかな……リリアナや、他の仲間達にとって恒星 渦の中心にいるような男もえ

オタ的に言うなら主人公って言い換えてもいいかも」

 

 

 主だった佐橋の事件には必ず関わっているし、綾子と情成、若大将や則夫のように、性格がばらばらなはずの鬼とも例外なく良好な関係を築いている。

 その上しもべクンやマホピとも因縁がある様子もえ。慶代には、何かある。

 

 

「ただ……首を突っ込むとすれば、だいぶ複雑怪奇に過ぎる情報群が待ち受けているもえ

リリアナの仲間だから、みんな吸血鬼の集団ですよー、みたいな単純な話じゃないもえよ」

 

「それでもいいよ 俺は大切な人たちを守れるもっと強い力が欲しいんだ

多少の雑学はちゃちゃっと覚えてみせるさ」

 

「情報量が多くてわずらわしい、大変って意味で言ったんじゃないもえ いや、確かにそっちもあるけど

リリアナたちに関わると、己の抱く世界観そのものがひっくり返るもえよ

……その覚悟はある? 銀の鍵の門を越えて、その先にあるものを見たい?」

 

「SAN値直葬レベルの内容……か

あんな怖い幻覚を見せるリリアナが言うんだから、相当なんだろうね

……じゃあやめとこっかなー! 俺が俺でなくなったら何の意味もないし!」

 

 

 えっ、やめちゃうの……? ごめん表現がオーバーだったもえ。そこまでじゃなかったもえ。

 格好いい言い回しだからオシャレにキメてみたかっただけなんだけど……ま、まあいいか。

 

 

「じゃあ秘密をちょろっとだけ教えてあげる リリアナは永遠の全盛期を誇る常若(とこわか)の者ではあるけど、本物の吸血鬼じゃないもえ

人々の抱く幻想種のイメージで肉体を補完する、レィスシフターと名付けられた人種もえよ」

 

「……なるほど、ならドラゴン娘になったりもできるの?」

 

「一度変身してしまったのなら、次に別種になる時には……以前の記憶を喪失するもえ

だから、出来得る限り再変身は御免被るもえね 自分が自分でなくなってしまうわけだし」

 

 

 牢居が長い息を吐く。多分、自分には御しえない力だって分かってくれたもえね。

 実際リリアナが血を吸った情成は、リリアナの意思一つで身体の自由を奪う奴隷にできたし、本来吸血鬼化するところをリリアナの望み通り無視している。

 よく言えば柔軟で、悪く言えば大味で曖昧もえ。レィスシフターの力により吸血鬼化したところで不確定要素が多すぎる。

 

 

「オーケー、ありがとうリリアナ とりあえずその慶代には会ってみるよ

それと……なんだか君に本当に嫌われていたみたいだから、言動には気を付ける 悪かった」

 

「リリアナも本当にごめんもえなさい つまらない事で牢居をいじめようとして……

もしよかったら、仲直りの印にエリエールとライブに来て欲しいもえ」

 

「えー! 地下アイドルのライブって何か汚そうでイヤだなー!

大丈夫? 変なバクテリアとか発生してない?」

 

「言動に気を付けるって言ったそばからそれかオラァ!!!?

リリアナの眷族たちはみーんな綺麗好きでマナーの守れるよい子ばっかりもえよ!!」

 

「じょ、ジョークじゃんか虐めないでよー……

そういう事なら俺もリリアナと縁をショーに招待するよー!」

 

 

 文無し留学生がショーって言えるほどのものを、果たして準備できるかどうか……。

 ちょっとやそっとでショーを名乗られたらエンターティナーの沽券に関わるもえ。

 

 

「どんなショーもえ? 言っておくけどリリアナ太陽は絶対NGもえ」

 

「イアベル・デュランて知ってる? 彼の日本コンサートの手伝いだよー!

時間は夜だから安心だね」

 

 

 ……は? イアベルって、あの、すっごいミュージシャンもえ?

 そ、そうか確か……奇術師でもあるって、ワイドショーか何かで。

 

 

「二人とも仲直りできたんだね! よかった~」

 

「えっ、ぇあ、うん……エリエールはリリアナの事、何とも思ってないもえ?

彼氏に、酷い事したのに」

 

「カレシ? 彼氏ってコイビトってことだっけ、牢居って私の恋人なのかな?」

 

「それは、自分で決められるようになったら決めるといいよ」

 

 

 訝し気に牢居とエリエールを交互に見る。

 まさか本当に今日知り合った……?

 

 

「リリアナちゃん、よかったね」

 

「よ、よかったもえ……ね」

 

 

 ヤバイ。世界レベルのミュージシャンと比べたら、リリアナなんて顔ダニ以下のパフォーマンスしかできないもえ……。

 かといって断れば素直に負けを認める事に……! ど、どうすればいいもえー!!?

 

 

「そ、それとは別に、牢居個人のマジックショーも見たいもえね」

 

「うーん、まだハコを借りられるほどのお金はないんだけど、分かったよ 期待しておいてねー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「たっだいまーもえー!」

 

「ただいまー」

 

 

 事務所につくなりパイプ椅子に座り込む。今日は予定が狂いに狂って疲れたもえぇー。

 いつもより疲労感がある事に気付いてくれたのか、エルアがリリアナの頭をポンポンしてくれる。パパだぁーいすきもえ。

 

 

「戻ったか お帰りリリアナ、縁」

 

「ただいまエルアさん」

 

「はぁ~~もうクッタクタもえー あ、エルアと久遠にお土産あるもえよ」

 

 

 コスプレショップの紙袋をずいと押し付ける。まあどうせエルアも久遠も自分じゃ着ようとしないだろうけど。

 こういうのは気持ちが大事なんだもえ。

 

 

「おおありがとう どれどれ…………こ、これは……」

 

「んふっ」

 

 

 え、な、何で久遠が笑いをこらえてるもえ?

 当惑するリリアナをよそに、犯罪を犯した我が子を見るような眼でこちらを見下ろす。

 お、おかしいもえ。普通にセンスがいいものを選んだはず。

 

 

「何だこれは、リリアナ」

 

 

 紙袋から取り出されたのは「変態☆革命」と印字された深夜アニメのきわどい制服だった。

 うそもえ。こんな下品な番組一度も見てないし、手に取った覚えもない。ましてや会計していない。

 ならなぜこんな服が混入しているのか。考えられる理由はただ一つ。

 

 

「あ、あのゴミクズ手品師めえぇぇえ……!!!」

 

「何だこれはリリアナ」

 

 

 無実の罪で叱られるのは嫌もええぇぇええ!!!



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「回帰」「回忌」1

「張りのあるごつごつとした手触り 規則的で細やかな意匠 セクシーでいかつい黒いボディ

嗚呼……タイヤ様万歳!!」

 

「愛理さん、食欲が減退するから……昼食時はタイヤゴムを、ロッカーなり鞄なりにしまって欲しいな」

 

 

 お昼休み。友達と机をつき合わせてのランチ。

どこの高校でも当たり前の日常風景だが……この子との食事に於いては、だいぶ日常とは様変わりした。

 

 

「ああごめんごめん、新作の亀甲トレッドが我慢できなくなっちゃって あ~でも流石の広さんでもこのサイピング見たら食欲増大しない?」

 

「申し訳ない、臭いがね」

 

「そっか…… ごめんね押し売りしちゃって どんな趣味でも人様に迷惑かけちゃタイヤー失格だよ」

 

 

 この調子である。

 私としても他人の趣味にうるさく言いたくないので、ひとこと言えば素直にしまってくれる辺りはよい子なのだが。

 

 

「広さんてさ、思うんだけどいっつも凛としてて格好いいよね、空手も黒帯持ってるし 例えるならNOBのスパイクタイヤって感じ!

もう身につけたら似合い過ぎて鼻血もんだろうな~」

 

「タイヤが似合うって……トランスフォーマーよろしく肩にでもくっつける気かい?」

 

「分かってるね広さん! 他にもスカートみたいに胴に通したり、三度笠みたいに頭に被ったりしても格好いいよね~

広さんならどれもこれ以上ないくらい似合うよ!」

 

「反応に困る褒め方だなぁ……」

 

 

 織笠愛理は世にも希少なタイヤフェチである。髪型も本人いわくタイヤをイメージしたマシュルームヘア。

 根はよい子なのに趣味で割を食うのは忍びない、と私に限らず多くのクラスメイトが積極的に交流を深めてきたが……もう完全に皆慣れっこ。

 冷静に考えるとこれほどおかしな人もそうそう居ないはずなのだが、慣れというのはいやはや恐ろしいものだ。

 

 

「今日も放課後はタイヤ巡りにいくのかい?」

 

「うん、その予定だよ! あっそうだ、広さんの自転車ってよくパンクするんだったっけ 一緒にカスタマイズしに行く?」

 

「はは、私は遠慮しておこうかな

ほら私などといたら君までウリをやっていると勘違いされるかも」

 

「えー! ま、まあそれは確かにちょっと恥ずかしい、かも

……あっ、違うよ! 広さんが恥ずかしいとかそういうんじゃなくて」

 

「ああ、気にしないでくれ 私を貶める意図がないのは分かっているよ」

 

 

 世間的にビッチと呼んで差し支えない私に、ここまで気を遣ってくれるのは嬉しい。

 天真爛漫な笑顔をスパイスに、おかずの味が引き立ち舌を喜ばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーわ最っ悪……! 情成おにーさん、それでよく今日まで生きてこれたざんすね

もうね、センスが安っぽい」

 

「いきなりなんだよ! マグロ買ってこいって言うから言う通りにしただけじゃん」

 

 

 なんだ? 何が不満なんだ蘇若は。

 だいたいさ、多苦磨に日ごろの感謝を伝えるって催しなのに、こうギスギスさせちゃダメだろ。

 

 

「情成おにーさん、これはなんざんす?」

 

「マグロでしょ? だから」

 

「これは! 赤身ざんしょが!!」

 

「そ、蘇若って、トロ以外はマグロじゃないざんす~的な事言うんだ……」

 

 

 すっげえセレブっぽいお嬢様発言だ。普段カップ麺食ってる女子の言葉とは思えないよ。

 それともあれかな。カップ麺!? 庶民の食べ物はなんて美味しいんざんしょ! とか言うのかな?

 

 

「いや、アタシもそんな暴論は言わないざんすよ

ただ、ただね? 普段自分で食べる時じゃなくて、今は人様に謝意を伝える場なわけざんす

そこで赤身はないざんしょ? って言ってるだけざんす!」

 

「おかしいよ蘇若! それ俺がさっき言った、トロ以外マグロじゃないって発言と同じじゃん!」

 

「同じじゃないざんしょ!

アタシはTPOについて話してるだけで、普通に赤身は好きだし鮪だとも思ってるざんすよ!!

多苦磨おにーさんも、アタシの意見に賛成ざんしょ?」

 

「いや、俺は鮪自体食べたことないから、安いやつでも凄く嬉しいよ

二人とも、本当にありがとう」

 

 

 ……どうすんだよこの微妙な空気。とりあえず手も洗ってエプロンつけたからマグロを包丁で切っていこう。

 確か繊維に沿って切らなきゃいけないんだから、この白いとこを……何だコレむっず!!?

 

 

「今の話で思ったんだけどさ……ステーキってまずくない?」

 

 

 爆弾発言が飛び出したのは、ハナちゃんを抱えて椅子に座っている緋色さんからだった。

 俺とは比べ物にならない困惑の形相で蘇若がそっちを見つめている。

 

 

「緋色おにーさん、冗談でなかったとしたら味覚障害だと思うざんす……」

 

「いや、なんつーかさ 蘇若は絶対そういう反応するだろうなって思った 多分すげー良い肉食ってるんだろうなって

でも俺、噛み切りにくいしタレの味もすぐなくなるしで、牛肉美味しいと感じた事ないんだよ 豚肉の方が好きなんだ」

 

 

 外食でもステーキ食べての感想なのか、レストランでは絶対頼まない上での意見なのかでもだいぶ変わって来るよな。

 普通牛が上だけども……。家でよっぽど駄目な肉使ってようが、外で食べれば意見変わるはずだし。

 今ケーキ焼いてるリリアナさんと縁くんにも、戻ってきたら聞いてみるかな? でも食べた事なさそうかな。

 

 

「鮪できたよ多苦磨! それで緋色さん、俺もまぁ蘇若と同意見ですよ

さすがに相手の味覚を侮辱したりはしませんけど」

 

「は?」

 

「そっか、やっぱ俺がおかしいんだな

……なぁ、情成と蘇若って最初凄く良い雰囲気っていうかさ このままゆくゆくは付き合うだろうってくらいじゃれ合ってなかったか?」

 

 

 ありましたね、そんな時期も。

 最初顔が可愛いから意識するんだけど、途中でこの子は違うって気づいたんだよなぁ。

 

 

「あー……確かに最初は、この人イケメンだから猫被ってかわいく振舞おうって思ってたざんす

情成おにーさんもほんとアタシにメロメロでアタックかけてきたって感じで」

 

「うん、そうだったよね でもなんかいきなり化けの皮剥がれたんだよ

……何で?」

 

「芸術分野にリスペクトのない発言をして、一気に醒めたざんす

んで、猫かぶりをやめたと」

 

 

 そういう事か。うん、初めから見込みなかったんだな。

 残念……でもないのか?

 

 

「多苦磨、ケーキが焼けたもえよ! 話が盛り上がってたみたいもえね」

 

「あぁ、食べ物の好き嫌いの話だよ」

 

「だったらリリアナ、面白い話を知ってるもえよ

多苦磨はシュネッケンって知ってるもえ?」

 

「いや知らないな なんなんだ?」

 

「ドイツのお菓子で、タイヤ味のタイヤ風グミもえ」

 

「それはもうタイヤなんじゃないかな……」

 

 

 何その食欲を破壊しそうな代物。

 いやでも、実際に食べてみるまで鵜呑みにはできないけどね。

 蛇蝎(だかつ)の如き評判なのに意外と食べられるじゃん! ってもの多いし。

 

 

「アメリカに住むとある肥満児の両親が、お菓子を食べ過ぎないようにシュネッケンだけを与えてて

当然食べる量は劇的に減ったんだけど……しばらく経ってなんとV字回復を果たしてしまったんだもえ!」

 

「味に慣れちゃったってとこか?」

 

「それもあるけど、味の良し悪しは行き過ぎた食欲には関係ないって事もえね

それしか食べられない状況なら、どんなものでも美味しく感じられるのかも」

 

「もし飢饉(ききん)が起こったら、タイヤ……喰ってみるか」

 

 

 シュネッケン気になるな……今度買ってみようっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 汗が止まらなくなる程の、昼下がりの炎天下。けれど私はそんなこと気にならない。

 運命の出会いを果たしてしまったからだ。サイクルショップに佇む漆黒の美男子……! どういう訳か溝が水玉模様にすり減り、

 あられもないつるつるのゴム体をチラリズム全開で披露しまくっている……。ここがこんな猥褻(わいせつ)なお店だったなんて、警察に取り締まられないか心配だ。

 

 ほんと来るたびに新しい発見があるし、自動車も自転車も毎日そこら中で走り回って十人十色、唯一無二のタイヤを生み出してくれる。

 あ~! こんな幸せな時間ってあるだろうか!

 よだれが垂れそうになるのを抑えつつ、浮かれた気分で半裸の美男子を身請けする。

 

 

「店長さん、この子買います! 欲しいです!」

 

「ああ愛理ちゃん ふうん、やっぱり君物好きだねぇ いいよ、それ売りものにならないからプレゼント」

 

「ええぇっ こんな美人さんをお譲りいただけるんですか! やったぁ!! もう絶対幸せにしますよ! ありがとう店長さん」

 

 

 うおーーーーっ! 嬉しさのあまりオフロードを駆けるトライアルタイヤみたく飛び跳ねちゃった!

 彼氏を肩にかけ、鼻歌交じりの上機嫌でお店を後にする。と、外はすっかり夕焼けに染まっていた。

 あちゃーと思わず声が漏れる。近頃ここらでは不審者が出没しているため、薄暗闇の中、女子高生一人で帰るには多少心もとない。

 焦った私は陽が落ち切る前に家に帰るため、普段は通らない細道の路地を、縫うようにして駆け抜ける事にした。

 

 

 

 一心不乱に自転車を漕いでいると、ふと

 ……私は立ち止まった――。

 それは見てはいけないもの。一番会いたくなかったもの。

 場違いな風鈴の音が遠くから微かに聞こえる。―――"あの時"には、なかったものだ。

 

 目の先には黒い服の男と、その手に口を塞がれたとても幼い少年。

 

 脳に灼熱のマグマがなだれ込んで来た。まるで現在の私が蒸発するかのように。

 機関銃で撃たれたのかと思うほど心臓が荒ぶり、正気を保とうと神経は冷却装置と化し、唯一溶け残ったかけらが維持される。

 反面、甘く深い眠りに落ちる寸前のように、現実感が喪失する。

 

 

 追わなきゃ――――。私は呼吸もできない身体を無視して、細道の、さらに細い禁足地(きんそくち)へと、感覚のないままカレの後を追う。

 だんだんと道が悪くなってきた。男が選んだ道はあと少しで行き止まり。カレに追いついたらいけないことは分かっていた。

 だが、男はカレの手を放し、塀を上ってどこかへ逃げ去る。そして、涙をこらえたカレは私の側に駆け寄り、そして

 

 

 

 私はソレを 頭カラ貪ッタ。



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「回帰」「回忌」2

 今日も、彼女は……愛理さんは登校してこない。

 あの日の放課後。いつものように別れ私は空手の稽古に、愛理さんはタイヤ巡りに向かったはずだ。

 翌日から彼女の様子は明らかにおかしくなった。

 正直呆れるくらいのタイヤ愛がきれいさっぱり消え失せていた。まるで別人だ。

 それに、今思えば無理をして笑っていたようにも感じるな。

 その後徐々に学校に来なくなり、もう連続で三日も休んでいる。迷惑を承知で訪ねるしかあるまい……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 大通りから外れた、ごく一般的な住宅街に愛理さんの家はあった。

 クリーム色の外壁、赤い屋根、普通の家だな。

 庭にタイヤが置いてあるとか、そういう事もない。だがもし潤沢な資金と一人暮らしできる環境があれば、タイヤ風御殿を建設するのだろうか。

 

 私としたことが、どうでもいいことを考えてしまったな。……正直、私のような未熟者の口八丁が愛理さんの胸を打つなどとは思えない。

 私とて真剣に愛理さんを心配しているつもりだ。そこに悩める彼女との温度差はないと信じる。

 だがしょせん人生経験の浅い同級生の言葉だ。親身になって解決してやりたいが、知ったふうな口を利けるほど私は偉くもなんともない。

 女々しい言動は嫌いなのだが……同じ気持ちだ、共感していると言って隣にいてやった方が愛理さんを励ませるか?

 

 

「ええい! インターホンも鳴らさず、臆病風に吹かれウジウジしているこのザマが既に女々しいではないかっ!!

案ずるより産むが易し!」

 

 

 気合を入れてインターホンを強く押し込む。

 するとお母さんと思しき人が出てきた。

 

 

「初めまして 突然の訪問、失礼します

私は愛理さんのクラスメイトの川崎です 愛理さんが心配で訪ねさせていただきました」

 

「愛理の? と、とにかく上がってください!

タイヤは全部捨てちゃうし、私らには何も話してくれないしで、もう(わら)にも縋る思いなの……」

 

 

 捨てた……? やはり違和感は合っていたようだ。

 何か尋常ではない事態になっている。

 愛理さんの部屋は二階と聞くなり、私は脇目も振らずに上がり込み階段をかけ上がった。

 

 

「愛理さん、私だ! 川崎だ……!

何かのっぴきならない状況という事は理解しているつもりだ

私に、相談してはもらえないだろうか……?」

 

「…………ごめん 本当に誰にも会いたくない…… 怖い……から……」

 

「怖い……? 私は君を傷つけたりしない、裏切りもしない

私は味方だ……!」

 

「そうじゃない、そうじゃないの………… 怖いって言うのは……私……自身」

 

 

 自分自身が恐怖の対象。それはつまり誰かを傷つけるから? それとも汚言症の類か?

 

 

「私は大丈夫だ 空手もやっているし、罵詈雑言(ばりぞうごん)にも慣れている

だから君は私を傷つけられない」

 

「……嫌われる…………」

 

「嫌わない!」

 

 

 それから何分経っただろうか。

 座り込んでじっと反応を待っていた甲斐あり、小さい声で入って、と聞こえた。

 慎重にドアを開けて部屋の中に入る。

 初めに感じたのは異臭だった。それはゴミ箱の中にあるはずのないものが原因だった。

 料理が丸々捨てられている。それも、ゴミ箱から溢れ出さんばかりに。

 

 

「まさか……! な、何も口にしていないというのか!!?」

 

「……私ね、人…………食べ、て………」

 

「…………続けてくれ、問題ない」

 

「………………」

 

 

 なるほど。確かに親には絶対話せないし、友人にも言えない。

 だが不幸中の幸いな事に、私は、見知らぬ誰かを殺したくらいで友を嫌いになるほど殊勝な人間ではない。

 またじっと返事を待つ時間が続く。正直今すぐにでも食べ物を口に捻じ込んでやりたいが……当人の心情的に無理だろう。

 

 愛理さんは私などと違って、優しく繊細な心の持ち主だ。人を殺すだけならまだしも、喰ってしまったなんてどれほどのショックだろうか。

 

 

「小さい男の子が、黒ずくめの人に攫われそうになってた

私、すぐに助けなきゃって思った……思ったつもりなのに……!

泣きついた男の子を……齧ったの…… 終わってる、私って化物だったんだよ…………退治して、もらわなくちゃ……」

 

「心配するな 愛理さんは何も終わってなどいないさ! きっと他に原因があるはずだ、一緒に考えよう」

 

「原因……私、人を食べたいって衝動、思い出したの……タイヤと比じゃないくらい興奮して……我慢、できなかった……」

 

「思い、出した? 以前からカニバリズム嗜好があったという事かな」

 

 

 私の指摘に愛理さんは一瞬驚き、焦燥しつつも静かに俯いて考え込んでくれた。

 

 

「そんなはずない……ない、はずなのに…… あの時、いきなり目覚めたとかじゃない気がしたんだ……

でも何で……? そんな事今までなかったのに……」

 

 

 攫われそうになっていた子供。きっとその光景がフラッシュバックを起こさせたのだ。

 待てよ、タイヤは? 愛理さんといえばタイヤだ。何か関係しているはず。

 

 

「タイヤはどうだ? 何か思い出せないかな」

 

「……分からない もう、全く興味が、なくなったから」

 

 

 なるほど。フラッシュバックとカニバリズムにタイヤが関係しているのは間違いない。

 ならば長居は無用だ。よそから見て冷たい態度だと思われるだろうが、側で無意味に時間を浪費するのは賢くない。

 特に食物を摂っていない以上、事態は一刻を争う。

 

 

「私が必ず何とかしよう ……無理にとは言わん、しかしご飯だけは食べて欲しい」

 

「……」

 

「じゃあな すぐ戻る」

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁ~~! 一希(かずき)ちゃんマジネイル天才じゃん

器用すぎでしょこんなん!」

 

「ははは、んな事ないよ またして欲しくなったら言ってね~」

 

 

 路地裏にネズミのように(たむろ)っている援交少女たち。

 その内の一人、管持一希(くだもちかずき)は他の娘にネイルアートを施しているようだった。

 

 

「管持、顔の特別広い貴様に用がある」

 

「川崎 何さいきなり アタシに用があるようなヤツだったっけ?

もしかして……金欠だからとうとう客取る事にしたの?」

 

 

 険のある態度で返される。その他囃子(はやし)からの視線もお世辞にも良いとは言えない。

 私は彼女たちに、女嫌いと思われているから。

 それは正確ではない。むしろ私ほど性差の否定を掲げる人間もこの年齢でそうそういないはずだ。

 

 男だから雄々しいのではない。そして女だから女々しいのでも決してない。

 一見社交性があっても感情的で自己中心的。甘やかすとすぐ増長して、自分は優しくされるのが当たり前、と感謝できない。争いでは真っ向勝負せずより上位者に媚びる。そんなクズ男もいるし

 逆に包容力があり公正で、自信に満ち溢れ且つ謙虚。まさに傑物と言っていい女も存在する。

 

 要は雄々しさとは真っ当な成功者の感性で、女々しさとは虐げられ歪み、失敗作に終わった感性なのだ。

 まだ入り口に立ったばかりだが、私は間違えたりしない。社会の支配者側、勝者側に求められる感性を正確に培ってやる。

 そのためにも……大きく構え、鷹揚(おうよう)に流せばいい。

 

 

「金欠でもないし、誰を抱いて金を稼ぐかは私が決める 選ぶんじゃないぞ、決めるんだ

……親友が普通ではない容体に陥っている

お祓いのできる者か、本人の眠っている記憶すら司る催眠術師を紹介して欲しい」

 

 

 周りから多少茶化すような声が上がる。確かに荒唐無稽な話だろう。真剣に語るには大人になり過ぎた。

 だが……私は"オカルトであって欲しい"。脳の病気、心の働きならば愛理さんがあまりにも可哀そうだ。

 憑き物の所為、前世の所為に……誰かのせいに出来ればいい。そういう救いのある世界であって欲しいのだ!

 真剣に瞳を射抜くと向こうも私の本気を悟ったのか、ギャルの風貌には似合わない、俯き加減の据わった目つきで腕を組んだ。

 

 

「あんまり期待されても困るんだけど……SBR、知ってる?」

 

「漫画だろう?」

 

「違うよ サハシ・ビルディング・リサーチ……で、SBR

尤もこれは他称で、本当は佐橋ビルとしか言わないらしいけど

知り合いで何人か悩みを解決してもらってるわ ただ半端な悩みは扱わない 模範的な市民にバレれば即お縄級な内容にしか興味を示さないとかなんとか

アタシ自身は、ものすごく怪しいと思ってるわ」

 

 

 なるほど、佐橋ビルか。ビルと言っても十階も二十階もあるような場所ではなかろう。

 だが権威がないからこそ、大衆に埋没化しているからこその信憑性もある。

 

 

「教えてくれ 依頼するにはどうすればいい?」

 

「手紙 直接頼むことはできないんだ いつ仕事に取り掛かるかは気まぐれなんだって

住所は今からメモ渡すから、郵便受けに投函してきなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝っぱらだと言うのに大きな音がしたので、びっくりして棺の蓋をどける。

 そこには床に突っ伏している蘇若、心配そうに顔を覗き込むしもべクンとだんぴがいた。

 

 

「い、イデエ……」

 

「何があったもえ?」

 

「あっリリアナちゃん

蘇若ちゃんが蛍光灯を取り換えようとしてたら椅子から落ちちゃったの」

 

 

 蛍光灯? 何で蘇若がやるもえ? しもべクンはもちろん、久遠の方が背が高いのに。

 だんぴと目を合わせると、苦笑しながら片手でお金マークを作った。

 なるほどチップ目当てで無茶したもえね。

 

 

「蘇若ったら おチビなのに無理しないもえよ」

 

「アタシは中二女子の平均より高いざんす!」

 

 

 平均より下と比べて誇る真似はセンスがブスのやる事もえ。

 お、しもべクンが取り換えちゃったもえね。

 

 

「あ、アタシのチップがあ!」

 

「えっ、ごめん……やらない方がよかった?」

 

「蘇若はお小遣いが欲しくてお手伝いしたんだもえ

この会社、今月は給料ナシって事がちょくちょくあるから」

 

「え? ミバライ……そうなんだ、ロウドウキジュンホー……

じゃあボクが貰ったお金を蘇若ちゃんにあげるよ」

 

 

 優しいなあ。しもべクンが世界征服して独裁者になればいいのに。

 

 

「流石にただ貰うんじゃ悪いざんすね

そうだ、依頼に挑戦してみたらいいざんすよ アタシが全力でサポートするから!」

 

「依頼って、いつも皆がやってるのだよね!

ボクも手伝いたいな」

 

 

 しもべクンが? ちゃんと危険のほぼ無いやつでないと許さないもえよ。

 すると久遠がやってきて、地味な便箋の手紙を掲示板から剥がした。

 

 

「でしたらこれは如何ですか

縁さんが初めて取り組むにはちょうどよいと思いますよ」

 

「リリアナが読むもえ ちょうだい

私は翔翼(しょうよく)高校に通う川崎広と申します 学年は二年で性別は女

 

今月△日、クラスメイトの様子が明らかにおかしくなり、次いで学校に来なくなりました

心配で彼女のお見舞いに行くと、おかしくなった前日に路地裏で事件に遭っていました

不審者と、それに襲われる子供を見て強烈な捕食衝動に駆られ、子供を食べてしまったとの事です

 

…………彼女は衝動について、感覚を思い出したのは確かだというものの、なぜ今まで忘れていたのか、なぜその衝動を得たのかは全く思い出せません

私は彼女が憑き物に魅入られたか、あるいは不審者が妖術を使ったのだと思います

彼女は食事も喉を通らず、事態は一刻を争う状況なのです

どうか彼女の無実を証明してください」

 

 

 ほうほう、路地裏で子供を喰い殺した……。

 久遠……? これのどこが安全なんだもえ?

 

 

「特に戦闘能力は見られず、依頼者と依頼対象も敵対していない様子

スムーズかつ安全にできる内容だと思いますよ」

 

「また人殺しざんすか…… まぁ故意でもなさそうだしアタシもそう思うざんす」

 

 

 確かにうちに舞い込んでくる依頼の平均値よりは安全なようだけど、それでも嫌もえ。

 どうやってこの形勢を逆転させようかと考えていると、情成が困り顔で降りてきた。なんか最近あの素敵な笑顔が見れてないもえね……。

 

 

「おや、もう来ましたか」

 

「久遠さんもいたんですね 確かに伝えましたよ」

 

 

 そう言って軽く手を振ると出ていってしまった。

 なんだかんだ言って鬼って使命感強い人ばっかりもえね。綾子は言わずもがなだし、則夫は初めヤンキー狩りをしてたから。

 

 

「それで?」

 

「先ほど読み上げた件の依頼者と依頼対象ですよ 待ちきれずにバーに来たようです」

 

 

 ……こうなったらもう、リリアナには否も応もないもえね。

 それに安全面から見れば、わざわざ事務所に出向いてくれたのは好都合もえ。

 

 

「待たせちゃ悪いよ すぐに会おう」

 

「そうざんすね じゃあアタシが呼んでくるから、縁おにーさんは面談室に待機してて」

 

「分かった」

 

「待つもえ 蘇若は声をかけるだけにした方がいいもえよ

襲われちゃうかも」

 

 

 強烈な捕食衝動とやらを蘇若に抱かないとも限らないし、そうなったら巻物から召喚して戦う蘇若は抵抗できないかもしれない。

 蘇若はちらりとリリアナを見ると、いかにも子供っぽくほっぺを膨らませて、地上へのドアを開けて出て行った。

 ……今のは何の意図もえ?

 

 

「身長の事をまた揶揄(やゆ)されたと思ったようですよ」

 

「り、リリアナはただ蘇若が心配で!」

 

「私に言っても仕方がないでしょう」

 

 

 ともかくこれでバーにいる卿燐にお客さんの入室許可が伝わったもえ。事務所には、ほんとは基本部外者は入れないけど。

 やがて一階へのドアが開き、入ってきたのは肌が浅黒いジャージ姿のゆるふわボブと、憔悴しきった様子のマシュルームヘア。キノコ頭の方が人食い妖怪もえね。

 さっきのは誤解だと蘇若に言おうとしたのに、しもべクンの待つ面談室にすたこらと去ってしまった。

 

 

「依頼者の川崎です そしてこちらが件の……そうですね、A子さんとしておきましょう」

 

「久遠は心が読めるから無駄もえよ……」

 

 

 川崎広が眉根を寄せてこちらを見る。この人目つき怖いもえね……。

 なんか喧嘩慣れしてそうもえ。

 

 

「織笠愛理さん、発症した時の事をできるだけ思い出そうとしてみてください」

 

「え… は、はい」

 

 

 怜悧な視線に射竦められながら、愛理が目を閉じ項垂れる。

 静かな時間が過ぎ時計の秒針だけが音を刻む中、変化はあった。次第に愛理に脂汗が滲み、呼吸も荒くなっていく。

 久遠の無表情からは何も読み取れないもえね。

 

 

「なるほど、記憶に蓋がされています これを辿るには……状況を再現するしかないでしょう」

 

「状況を再現? ッ……ふざけるな!! 愛理さんがどれだけ後悔していると思っている!?

子どもに襲い掛かるなんて蛮行、二度も体験させるものか!」

 

「待って、広さん……」

 

 

 それまで人形のように大人しくしていた愛理が、広の肩に手をかける。

 庇ってくれる相手をその上から庇う……優しい子もえ。

 クラスメイトの学友なんていう緩くてうっすい繋がりでも、これだけの絆が育めるのは驚きもえね。

 それとも、学校というものをリリアナが軽視し過ぎてるもえ? アニメの学校と比べてリアルの学校は妥協と惰性の友情しか生まないと思っていたけど……。

 

 

「私、やっぱり知りたい……

そうじゃなきゃ納得できない 償う事もできないし、死ねないよ」

 

「愛理さん……! だが待ってくれ、最後に……」

 

「話は纏まったようですね ではこちらの書類にサインを」

 

 

 

 

 

 

 

 

(なあ縁くん 私は君をずっとずっと守ってあげたいと思ってるんだけど、迷惑だったりする?)

 

「どうしたの急に」

 

(んー? いやね……向こうの会話でちょっと思うところがあってさ

私が君を守るためと思ってしている事が、君の知りたい気持ちを邪魔してるのかもって)

 

「マホピは、ボクが聞いたらすぐ答えてくれるよね」

 

(でも聞かれなかったから言わなかったこともいっぱいあるよ)

 

 

 いいんじゃないかな別に。聞かれてないんだし……。

 それにいっぺんに教えたら大変だから、常識はちょっとずつ教えるよって言ってたし。

 

 

「本人が言いたくない事を、知りたいからって無理やり聞き出すのはよくないんじゃない?

えっと……そう、検閲の禁止・通信の秘密で保護されてるんだから」

 

(おお偉いね、お勉強は順調みたいだ でも一個間違い

精神的自由権含む基本的人権は、国家に対する人間の権利だから縁くん相手には適用されません)

 

「えーと、じゃあただ単にボクは無理やり聞きたくない」

 

(大正解!)

 

「縁おにーさん、むっずかしい話してるざんすね」

 

「うん、すごい難しいんだよね」

 

 

 でもボクは蘇若ちゃんよりも年上だから、頑張って遅れを取り戻さなくちゃいけないんだ。

 

 

「蘇若ちゃんにも今度勉強教えて欲しいな 法律とか」

 

「いや、アタシは肌感覚っていうかぁ…… なんとなく空気で知ってるっていうか

理屈じゃない部分で培うもんざんしょ常識って!」

 

(あんなこと言う奴になったらだめだよ縁くん 基本的人権は、やっと新人類が掴んだ宝物なんだから)

 

「ボクと一緒にちゃんと勉強しよう?」

 

「あ! 依頼人が来るざんすよ!」

 

 

 一応、食べられそうになった時の為に中腰になる。

 真っ白な面談室とは全然違う肌も髪も黒い女の子と、まんまるな髪の毛の女の子が入ってきた。

 

 

「かけても?」

 

「よ、よござんすよ」

 

 

 二人の女の子はボクたちに向かい合うように座った。

 ボクの前には黒い女の子。なんだかムスッとしてる。

 

 

「蘇若さんはお前だな 早速だがお祓いして欲しい

霊の仕業だ、そうなんだろう?」

 

「待つざんす! 憑き物だったら久遠が気付かないわけがないし……

呪いだったら本人の人格や記憶野に影響を与えないざんす だからそりゃ勘違いかと」

 

「勘違いだと!? じゃあ愛理さんは自然にそうなったとでもいうのか貴様!!」

 

 

 黒い子……確か依頼人の広ちゃんが必死そうに叫んでる。

 でも、すぐに元気をなくして俯いちゃった。まんまる髪の子がゆっくりと撫でてあげてる。

 

 

(彼女に言ってあげて 気が済んだのなら状況再現しにいこう、って)

 

「うん……気が済んだのなら、状況再現しに行こうか」

 

「な、なんでそれを! ……いや、いい 栓ない事だ

姦しく騒いで悪かったな、頭が冷えたよ」

 

「別にあのくらいよござんす んで縁おにーさん、じゃなくてマホピにはもう話が見えてるざんすね」

 

(外に行こう 彼女が人をとって喰った場所にね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクたちがやってきたのは朝でも薄暗い路地裏だった。

 夕方にここを通るって考えたら、なんとなく身が引き締まる思いがした。

 

 

「状況の再現となると、この辺で攫われる演技をすればいいざんす?」

 

「私としては現場にのこのこ戻るなど危険極まりないと思うのだが……そこの所は大丈夫なのか?」

 

「周辺に聞き込みはしてるざんしょが、いつまでも現場には残ってないざんすね

殺人じゃなくて失踪だから」

 

「付近では不審者の噂も囁かれていたからな……」

 

 

 蘇若ちゃんと広ちゃんが着替えてるけど……プロレスラーと幼稚園の格好だ。変なの。

 ふと隣を見ると、愛理ちゃんが胸に手を当て苦しそうだった。泣きそうだった。自分が他人の未来を奪ってしまった苦しさ。

 誰かの大切な家族を奪ってしまった恐さ。

 

 

 ―――その気持ち、今なら痛い程よく分かる。

 ねえマホピ、あの真っ赤な血に染まった女の人って。ボクたちが出会った夜の、アレは―――。

 

 

(無理やり聞き出すのはポリシーに反するんじゃなかったのかい?

……今はそれよりも、愛理を慰めてあげなよ)

 

「……愛理ちゃん、大丈夫? えっとさ 罪を償うのにも、準備がいるんだよ」

 

「……どういう意味?」

 

 

 愛理ちゃんが真っすぐボクを見つめる。元気がない顔だけど、今の言葉で少しは上向いたみたいだ。

 ゆっくりと、言葉を順序良く組み立てて、落ち着いて喋る。

 

 

「例えば……山でお猿さんに育てられた人を、懲役二十年閉じ込めたとするよ

その人は刑務所を出る時に、ただ環境が変わったとしか思わないんだ」

 

「……うん」

 

「でも、その人にちゃんと常識を知ってもらって、その上で自分が何をしたのか知ってもらう

今からあなたの自由を拘束しますって伝えたら、二十年後、抱く想いは違うはずなんだ」

 

「……」

 

「だからね、自分の何がいけなかったのか知らないまま罰を受けるのは、よくない事……非文化的だってボクの先生は言うんだよ

えっと、つまり そんな風に自分を恨むのは、よくないよ」

 

「ありがとう ……縁くんは、私をまだ人間だって思ってくれるんだね」

 

「変なの 人間は何をしても人間だよね?」

 

 

 愛理さんは眼を真ん丸にきょとんとした顔になるも、すぐにすごくうれしそうな表情をしてくれた。

 って言っても全部マホピから教わった事の受け売りなんだけど。

 

 

「ボクって、まだまだ常識ないから

でもきっと常識があっても、愛理ちゃんの事軽蔑したり妖怪扱いしないよ すっごく良い人だもん」

 

「……ぅ、ゥウウ」

 

 

 あっ、な……泣いちゃった! やばいよ女の子泣かせたなんてリリアナちゃんに知れたらお尻百叩きの刑だ!?

 どどどうしようどうやったら泣き止むのヤバイヤバイヤバイ。

 

 

「貴様ァ、愛理さんに何をした?」

 

「あああの違うんだボクはただ励まそうと思って」

 

「……フン、冗談だ 聞いていたさ

嫉妬してしまうな 愛理さんとの付き合いは、今日初対面のお前よりずっと長いのに」

 

(蘇若たちの準備は終わったようだね じゃあ始めようか

ただ……今は午前でその日は夕方、子役も中二だ 上手くいかないかもね)

 

「うん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあさ次いくざんすよ次!」

 

「そ、蘇若 なんで君はこうも乗り気なんだ?

もう百回は試したし、事務所には児童もいるんだろう? その子達を連れてくるのがいいと思うんだが」

 

「アタシの芝居にケチをつけるざんすか!? もう一回ざんす! 次こそは成功ざんす!!」

 

 

 蘇若ちゃんは張り切ってるし幼稚園児のマネもどんどん上手くなってるけど、本当に成功するのかな?

 このまま続けても意味がないような……。

 

 

「ねえ愛理ちゃん 思い出したって事は、昔の話なんだよね?」

 

「うん、きっとそう 私が頑張って小さい頃を思い出してる時に、久遠さんは記憶に蓋がされてるって言ってたんだ」 

 

「じゃあ、昔から変わった常識とか持ってなかった?

例えばえーと、人型のグミだけ他より美味しそうに見えるとか」

 

「そう、か……タイヤ……」

 

(は? タイヤ?)

 

「タイヤがすごく好きだったの ……あの日から好きじゃなくなったけど」

 

 

 タイヤが好き……確かにそんな人は初めて聞いた。それに大好きなものが、一瞬で興味が無くなるなんてあるんだろうか。

 きっとそこに異変の原因がある気がする。

 

 

「タイヤがいっぱいある場所に行ってみよう そうすれば思い出すかもよ」

 

「うん 二人とも練習してて 私達ちょっと散歩したいの」

 

 

 広さんがこっちを睨みつけてくる。れ、練習頑張ってね。

 路地裏から出た後お喋りしながら進み、T字路で曲がる時に愛理ちゃんが反対方向に進もうとした。

 

 

「愛理ちゃん、こっちだよ」

 

「えっ? ショップ巡りはこっちからなんだけど……?」

 

「お店より、もっといっぱいあるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザワザワと風にそよぐ、背の高い稲穂。空気に溶け込んで聞こえる川のせせらぎ。

 連れられて来たのは郊外の川の土手。ここで一つ、何かがカチリと噛み合う。

 きっとひと際目立つ(うずたか)く積まれたタイヤ群、これを私は知っている。

 縁君に手を引かれ、迷路のようなタイヤの国に足を踏み入れる。

 彼の小さな頭に沿って丸みを帯びた髪が、さらさらと清廉に揺らぐ。すると、夢を見る様に自身が暗転した――――。

 

 

 

 

 

 もーいーかい? もーいーよ。

 

 言う準備はできていた。今日もあおいちゃんにずっと鬼をやらせるくらい、自信満々で。

 でも今回は待てども声が聞こえない。あんまり私が強いから意地悪してるんだと思った。

 そして覗きに行ったんだ、彼女が居るはずの場所へ。

 

 そしたらよく分からなかった。

 

 ……初めて見た人の中身。タイヤの海の中に、人を喰う人を見たんだ。

 親友の骨が砕ける音。おじさんは紅潮し、目玉を剥き出しにした悪鬼のよう。

 幼い私は何も分からずに、ただ気絶寸前の恐怖に侵され、逃げ出すことはおろか息を吸うのもできなかった。

 体に鞭を打ってでも走り去りたい。そんな想いで魂が消え去る直前、

 

 一雫の声が心に波紋をつくったんだ。助けてあげる、と。

 

 そうしたら体に回っていた恐怖(どく)がぴたりと消え、罠が外れた脱兎の如く疾走した。

 釣り上がり切った口角と、興奮しきった自分に気づかないまま。

 

 

 

 

「あぁ―― ふふふ」

 

 

 隠し持ってきたナイフをいたずらに泳がせる。私はあの時からずっと違っていたのだ。

 終止符を打とうではないか、この誰とも知らぬ、歪な者の物語に。

 

 

「全部、思い出しましたね」

 

「――痛っ!」

 

 

 背後からの一撃が手首に当たって、思わずナイフを落としてしまう。

 仕方なく振り向くと、さっきの事務所に居た冷たそうな女性が立っていた。

 

 

「久遠、さん……?」

 

「言ったでしょう、私は貴女が何を考えているのか分かると…… 全てを知った時、それを使う気なのは知っていました

ですからこうして制止しに来たんです」

 

「愛理さん! どうしたの?」 

 

「……ううん、何でもないの ここまでしてくれたのは感謝してるけど、もう誰も巻き込みたくないから……」

 

「貴女の聴こえた声 別に貴女の気が違っていたわけではありません

その人物は、おそらくこの国のどこかにいるでしょう 本当にこのまま殺してしまっていいんですか?」

 

 

 …………私はもう、誰にも会わせる顔がない…………広さん以外には。

 やっぱり彼女に一言もお礼を言えずには去りたくない……。

 

 

「決まりましたね、貴女の身は私達で保護します 少々不自由でしょうが、異常を暴発させないためにも、管轄の範囲内で暮らしてください」

 

 

 彼女は淡々とした冷たい物言いで、私の生存を許可した。

 この人達は本当に何者なんだろう……。怪しいビルの怪しい読心術使い。おかしな化物にはおかしな人が寄ってくるという事なのだろうか。

 ジリジリと焼け付く日光と、それに反して冷えていく自殺願望。

 白昼夢のような異界の扉の先で。罪悪感に包まれた怪奇(カイキ)の中へ。私は戒軌(カイキ)の道を一歩踏み出していった。



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Cinderella Survivor

「月ちゃん、ケーキ沢山食べた後なのにそんな一度に飲んだらお腹下しますぜー」

 

「何言ってんのよ草梨! あたしの身体は特別なのよ、まだまだ飲めるわ」

 

 

 あたしの心配は気にも留めず、「この店のジュースを全部飲み比べする!」と、言い放ちおってから次で七杯目。

 ある意味そのウルトラロリっ子ボディは特別だけれども、身体のサイズ的にすでにケツ穴から喉まで詰まってるんじゃないだろうか。

 そんな中、卿燐お姉さんは赤信号に気付かない子供の如く、無邪気に美味しそうなジュースを作っている。

 

 

「卿燐! 次はミントグレープちょうだい」

 

「かしこまりました 月歌サン」

 

「まだいくん……暴飲暴食は容姿と財布を滅ぼすよ」

 

「はあぁ? あたしを誰だと」

 

 

 ゲッチャンが喋りかけて硬直する。心なしか暴発の兆し……。ぐっぐっ具が出る五秒前か!?

 

 

「ちょ、ちょっと……今日はこのぐらいで勘弁してあげるわ」

 

「そうですか こんなに沢山飲んでいただけるなんて思いませんでした、私嬉しいです」

 

「月歌選手ここでギブアッポ! 記録はケーキ四つにジュース九杯 セコンドの胃袋を頼ることなく、見事貪欲に戦い切りました!」

 

 

 少しでも動いたら吐いてしまうのか、姿勢を正したまま昇天寸前の月歌ちゃん。

 勘弁ってなぁ多分、身体の方が勘付いて弁をしたんじゃないかと草梨は思うんだよ。

 あたしは頭で考えるのは苦手だから、体の働きにはいっつも感謝してる。

 食べられないものはちゃんと後で吐いてくれるからね!

 

 

「……じゃあ、これお会計 またね卿燐」

 

「月歌サン、お帰りになる前に、こちらご注文のミントグレープです」

 

「ほわっ!? あ、あたし今日は勘弁してあげるって言ったわよね!?」

 

「えっ? ですので注文はこれで最後、なのですよね?」

 

 

 更なる挑発に、紫色のジュースを凝視する満身創痍の月歌選手。

 なんか擬態能力を会得したレベルで顔色が葡萄色になってきた……。

 しょうがねえ……! 人の頼んだものを横から掠めとるなんて、ソウリの流儀に合わないけどグヘヘグフフ。

 

 

「最後はあたしがのんだるよ! ゲッチャン」

 

「んぇ? しょ、しょうがないわねー! ちゃんと残さず飲むのよ

あたしは、ちょっと外の空気吸って来るわ」

 

「やったっほーい! あ、なんなら先帰っててもよいよー」

 

 

 後は任せろゲッチャン。見送りながらジュースを飲み干すと、けりりんがあっ、と何かに気付いて声をあげよった。

 

 

「どったのけりりん?」

 

「いえ、色々在庫を切らしてしまいましたので、蘇若サンにおつかいを頼みに行かなければなりません」

 

「そんならソウリに任せてちょうだいな! そこの階段降りてけばいいんだよね?」

 

「はい、わざわざありがとうございます あっ、ちなみに蘇若サンは巻物を腰から提げた、月歌サンより少し大きいお嬢さんです」

 

 

 買い物メモを受け取り、一人興奮する。なにせソウリは地下の事務所に入るのは初めてなのだ。

 うまくいけばこのオシャレでヘンな会社に勤められるかもしれない。期待と下心をふくらませ、私は恐る恐る扉を開ける。

 と、そこは意外と普通の事務所っぽく、ちらほらと人が見えた。掲示板の前に立つあの二人は……ひいろんとたっくんだ。

 

 

「あの、蘇若ちゃんて美少女に用がありますのだけど」

 

「おう草梨ちゃん! その椅子で待っててよ

面談室で話してるから、そう時間はかからないはずだぜ」

 

「元気百倍わっかりまん!」

 

 

 うひょー! スーパーのバックヤードに売禁(ばいきん)マンと出禁(できん)ちゃんを連れ戻しに行った時みたいな場違い感だな~。

 もうなんかソウリにとっちゃ意味わからんものが盛りだくさんだ。特にあの黒いデカブツ。何あれ冷蔵庫?

 いやぁ、ほんとならメモ置いておくだけで済んだけど、せっかく見学できるんだから少しでも長くいさせてもらおっと。

 

 

「んで多苦磨、どこだって?」

 

「このホテルAMAZONてとこだ 一ヶ月の間に女子トイレで二回も絞殺事件が起きてる

犯人の手掛かりは皆無で、警察もお手上げ状態なんだとさ」

 

「なるほど、警察がもう現場を張ってるわけね

だったら俺達のコンビが一番適任だわな!」

 

「いや、今朝確認した人が言うにはキープアウトテープだけあって、警察官はトイレ付近にいなかったそうだよ

そんで俺達である必要もないらしい、エルアが言うには手鏡と適性さえあれば誰でもできる簡単なお仕事なんだってよ」

 

 

 誰でもできる、簡単なお仕事……ッ! これはもうやるっきゃない。殺人事件は割と恐いけど、数々の修羅場をくぐり抜けてきたソウリならきっとこなせる。

 でも手鏡で解決ってどういうこっちゃろ? 殺人事件と全然結びつかないけど、簡単て言ってるし、まあいっか。

 とにかくホテルAMAZONの現場周辺で犯人を捜して捕らえればいいのかな……。でも同じ場所で二回も事件を起こすなんて豪胆なやつだ。

 犯人はきっとホテルの中に居る人物に違いない。あたしの虹色の脳細胞がそう言っている。

 

 もし上手くいって入社できれば、ゲッチャンに何宿何飯の恩を返せるし、それに……夢のマイホームを買って、ハギワラのオッチャンとの約束を果たせるかもしれない。

 そうと決まれば二人に先を越される前に、あたしが速攻でにゅるんとぶりんと事件を解決してやるぜえぇい!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 せれぶりてぃでせきゅりてぃでろいやりてぃなとにかく立派なホテルにやってきた。

 入る前から感づいていたけど、ロビーに着くと四方八方からのゴージャス攻撃がソウリへ襲いかかる。ここまで場違いな人間が来客したことは(かつ)て一度もなかろうて。

 ホテルマンの目について追い出される訳にはいかないので、忍者気分で例の封鎖されたトイレへと直行する。

 無事入口まで辿り着くと、たっくんの発言通り黄色いテープだけが貼られていたので、中には容易に入れそうだ。

 

 まさか今は中にいないだろう、と、おっかなびっくりに入り口の角を曲がる。オシャレで縦長の通路には、人っ子一人いる気配はない。

 うーむ。いきなり出くわしても困るが、いざ居ないとどう探せばいいものだろう。女子トイレの入り口は見たところ一ヶ所だけで、窓はどこにもついていない。

 ……後出入りができそうな場所は一つ……通気口。

 突き当りの壁の高い所、華奢な人ならギリギリ通れるかもしれないくらいの穴だ。モデル体型のあたしの美ボディならいけるな!

 どこに通じているか調べる為に、早速暖房器具を踏み台にして、穴に上半身をグイっと突っ込んだ。

 ん~~みじか! トイレの通気口ってこういうものなのかな。これなら外から裏手に出て確認した方が簡単かも。

 

 等と考えていると、お尻の向こうから壁を擦るような物音が聴こえた……。誰か入ってきた!? まずい、お警に見つかったら捜査どころじゃなくなっちまう!

 急いで抜けようとするもあたしのグアテマラボディがつっかえて思うように抜け出せない。これは勢いに任せて脱出&警官を圧し潰して撤退するしかない……!

 さ、さぁどんどん近づけえぇ……ソウリのビッグヒップアタックの射程圏内まで……。

 

…………ん~~待てども待てども音がしない。それどころか声すら発しないし!

 

 あれ? これ犯人だ。

 これ絶対絞殺事件の犯人だ。考えてみれば警官ならすぐに声をかけてくるだろうし、一般人ならテープを越えて中に入ることはまずない。

 急に腹をめちゃくちゃ下した時みたいに冷や汗が湧き出てくる。相手が今何をしてるのか分からない。殺す準備……?

 とにかく抜けなきゃ! 力任せに手足をジタバタして試みると、突然何者かに片足を掴まれ、足を引きちぎられそうな怪力で引っぱられた。

 

 

「いッ……たあッ!?」

 

 

 腰から勢いよく落下し、思わず喚声を上げるが、トイレを見渡すとそこにいるはずの人が"誰もいなかった"。

 え、あたし狐にでも化かされた? ありえない。あたしはさっき間違いなく引っ張られたんだ。

 居もしない何かに哨戒しつつ、痛めた腰をふらりと持ち上げる。

 

 

「アァ……」

 

 

 化物がいる……。比喩なく蒼白の皮膚に、肥大した頭、睫毛はイソギンチャクのように太く、髪もなく服も着ていない。

 そんなモノが鏡の中にだけ存在しているのだ。

 得体の知れないモノと対峙する恐怖……あたしが慣れていた恐怖とは全く違う。

 全身が動かず、それ以前に動こうとすら思えない。あたしの指令室からソウリが追い出されてしまっているみたいだ。

 そんな中辛うじて足の痛みが気付け薬となり、やっとのことで体を動かせた。

 

 

「そ、そうだ手鏡!」

 

 

 盗み聞きした言葉を思い出し、ポケットから自前のボロ鏡をかざす。が……何が起きたというのだろう。鏡に映る化物には何の変化もない。

 もう一度力強く突き出してみるが変化なし。

 えぇ……。ああもう使えん道具じゃ! このまま壁際に追い詰められてちゃ、もう一度あの怪力に捕まって殺されるぞ……。

 あれが何の原理か分からないが、鏡に映らないようしゃがんだまま走り抜けるか? 相手は鈍重そうだし、一か八かやるっきゃない!

 

 

 

「うおおおおおおおおう!」

 

 

 どおん、と、見えない鉄壁にぶつかり勢いよく跳ね返った。鈍い痛みと共に通過できない可能性を考慮しなかったことに頭を痛める。

 うおっ! しまった! 隙を突かれ腕が宙に持ち上げられる。鏡には今止めを刺さんと首へ手を伸ばすヤツの姿が映りこむ。

 ぐっぐるじい゛……! か、考えろ考えろ! あたしは真にヤバイ時ほど冷静になれる女だ! アレがここでしか人を殺さない事と、鏡が関係すること、そんなの答えは最初から一つだ……!

 

 

 ソウリの空中回転蹴りが近くの姿見に向かって炸裂した。鏡はバラバラに割れ、高音を響かせ宙を舞い、案の定首の拘束は解かれ綺麗に着地する。

 

 

「おっとぉ……」

 

 

 眼前にぼとぼとと細かな肉片が零れ落ち、激臭を放ちつつ溶けて消えていく。遠くの鏡には、体に無数の穴が開いた悶えるヤツの姿が映って見える。

 予想とは少し違うけれど、勝機を得たのに変わりはない。

 野良犬並みに機敏な動きで化け物の背後を奪い、ヤツにとっての地獄の境界をこじ開けド頭をぶちぬいた。

 やはりこいつは合わせ鏡に映ったとこだけがこちらの世界に実体化するんだ。

 首を消し飛ばした化物は、倒れた後も潰れた虫のようにピクついている。流石にこれで無力化というか息の根は止められただろう……。

 

 

 改めて夢心地な出来事の余韻に惚けていると、また背後から不穏な物音が聴こえた。

 えっ、何? 死んだら仲間を呼ぶ系の生き物だったりしないよねアナタ……。

 

 

「ひひぃっ!? なんじゃこりゃああっ……!?」

 

 

 通気口から凄まじい速度で糸状の物が侵入してくる……。ビビッて硬直している間に糸だまりがあっという間に足となり体となり、細身のイケメンが生成された。

 

 

「やっぱり草梨ちゃん……?」

 

「たっくん……お前さんも人間じゃなかったんか……」

 

「あっ悪い、俺はれっきとした人間だよ ていうかまさかあのターゲットが見えちまったのか!?」

 

「そ、そうだよ このエリートトロピカル新入社員萩原ソウリが難解事件をズバっと解決致しました!」

 

 

 あんな化け物の相手をするなんて分かってたら、絶対こんな無防備で突入しなかったけどね!

 

 

「新入社員? それに解決って…… とりあえずここじゃあまずいから詳しい話は事務所で聞くよ え~と、草梨ちゃんはどうやって入って来たんだ?」

 

「表からするりと」

 

「それは無理があるだろ……! また表から脱出するしかないのか……しょうがない その格好だと余計に目立つな 悪い、上着脱いでくれるか?」

 

「えー、てことはたっくんの上着貸してくれんの?」

 

「ああ、さっきみたく大声出さないでくれよ とびきりの繕ってやるからさ」

 

 

 ぎゃあああああ! たっくんの顔がばらりと崩れ、体全部が一つの糸玉になってしまった。糸玉はぴょこんと飛び跳ねながら形を変え、なんとド群青ワンピースに早変わりした!

 

 

「こ、これを着ろと仰るのか…… たっくん喋れるの?」

 

 

 返答がない。理解が追い付かない、つくはずもないが草梨はこういう場面の思考停止スキルは持ち合わせているので、ワンピースに着替えて無の精神で事務所へと向うのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「君がポルタンを対処したのか」

 

「ぽるたん? 鏡の中に住んでるやつらのこと? まあソウリが朝飯前の歯磨き前にやっつけたけど」

 

「鏡だけではないさ 森に住むウェンディゴ、ネス湖に住むネッシー、雪山に住むイエティ

霊感とも違うたぐいまれな認知機能を会得した人間……平たく言えば純真な者だけが観測できる怪異的な生物

正式名はL'ombra(ルンブラ) della(デラ) porta(ポルタ) イタリア語で扉の影という意味だ」

 

 

 何言ってんだかわたくしには全然わかりませーん。分かってるのは今後絶対ネス湖とやらには旅行に行かないって事ぐらいだね。

 あんなのと積極的にプロレスで戯れるのはいくらあたしでもごめん被る。

 

 

「最後に何か手渡されていないか? 例えば鍵のような物」

 

「鍵? あたしが持ってるのはげげ様んちの合鍵だけだよ」

 

「捕獲には失敗したか、仕方ない……」

 

 

 本当は捕まえてなんちゃらする予定だったらしい。これは入社どころか説教地獄に突入か。

 

 

「草梨、ところで君は入社したいと言っていたな 戸籍が不明な社員は好都合だ 労災は降りないしどこかで死んでもそれっきりで通せる」

 

 

 たっくんがシャチョーサンの正気を疑うように顔を向ける。そりゃああんな仕事を任してるんだから、これくらいの脅し文句でビビってちゃあ務まらんよね。

 

 

「構いません! だって皆良い顔して働いてるからね お賃金さえもらえれば一生懸命働きますよっ」

 

「まったく、近頃の若い者はどうしてこうも命知らずが多いのか…… 言っておくが最初のうちは聞き込み程度だからな」

 

「本当!? やったアイラーヴューシャチョーサン! 雑用聞き込みなんでもござれ! 夢のマイホームへの第一歩じゃあ!」

 

 

 遂に恩返しができる目途が立った。あたしはもうそれはウッキウキで外に繰り出し、喜びいっぱいにジャンプした。

 するとチャキリ、と金属同士が擦れるような音がする。

 

 

「お? 小銭でも入ってたか!?」

 

 

 自分のポッケから思いがけない臨時収入を得ようと探ってみると……なんじゃこれ。

 月歌ちゃんちの鍵じゃない。なんかグロテスクでものものしいデザインの鍵だ。でも不思議と手放す気にはならんね……。

 まあいいや、早くゲッチャンに報告せねば! こうしてソウリ波乱のドキドキ社員ライフが幕を開けるのだった。

 



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Adventure to the Graveyard 1

    公共婚姻安定所登録申請書
_____________________

 カナ   アカバネ ツイナ    年齢  性別
 氏名  赤 羽 終 納   17   女


 生年月日 ■■■■年 ■■月 ■■日


 現住所 東京府■■区 ■■ ■■■■


 電話番号 03-■■■■ー■■■■

_____________________


 あなたが本制度を利用する理由をお答え
ください
 (複数回答可)


 1.自身に対してコンプレックスがある ☐

 2.異性に対してトラウマがある    ☐

 3.両親の恋愛結婚を幸せとは
  思わなかったから             ☑

 4.経済的な将来の不安        ☐

 5.宗教上の理由           ☐

 6.主義主張上の理由         ☑

 7.多忙で相手を探すのが難しい    ☐

 8.親も許嫁だったから        ☐

 9.わからない            ☐

 10.その他
  (    両親への当てつけ    )   ☑

_____________________


 あなたは民法に定められた本制度に
 登録しますか?


      氏名    赤 羽 終 納

                    印

厚生労働省■■■■ ■■■
_____________________





 今日は、いつもより胸が高鳴っていた。

 はっきり言って浮わついていた。

 ――だからこうも血まみれになる――。

 

 

「おい千覚器(ちさき)! なんだそのへっぴり腰は!!

薙原(なぎはら)の名を継ぐ者として恥ずかしくないのか!?」

 

「うるさいよ父さん」

 

 

 道場の中にむせ返るような血の臭いが舞う。

 グンニベ……だったか。あの三叉の先がチャクラムになったような謎武器は。

 謎武器全般を扱う我が道場でさえも聞いたことがない武器。

 そんなマイナー中のマイナーが父さんの情報網にかかるのはよくある事だ。

 現地で買った実物を量産してみせ、それを師範代である息子に教え込む。

 独りよがりの武道家は、もはや新種を探し求める動物学者も兼ねつつあった。……保護、繁殖させることに意味があるとは思えないが。

 

 

「見切ったよ」

 

 

 袖の下から携帯槍である打袖箭(だちゅうせん)を取り出し、刺突を受け止める。

 すかさずその悪趣味に変幻自在な間合いの外から……ボタンを押して槍を撃つ。

 

 

「がッ!」

 

「勝負あり、だね」

 

 

 発射された槍に肩をわずかに抉られ、もんどりうって倒れる父さん。

 それにしてもグンニベ……誰も知らないであろうドマイナーのくせに中々強かったな。

 確かに避けたと思ってもチャクラム部分が間合いを伸ばす。それも不規則に。

 久しぶりに掘り出し物と言えるだろう。

 

 

「千覚器ィ!! また打袖箭かキサマは!!

飛び道具に頼り過ぎだろうがもっと色々使わんか!?」

 

「色々使ったじゃないか ……それが通用せずここまで手傷を負ったんだよ」

 

「色々使ったところで、最後が飛び道具じゃうちの流儀に反するの!!

ウルトラマンはスペシウム光線だが、我が薙原流は毎回違うトドメなんだよ分かるか!?」

 

「ウルトラマンだって監督の命令が無ければ最初からバンバン撃ちたいだろうさ

ともかく勝ちは勝ちだ 父さんだって撃たれると意識していれば躱せただろ?

つまり相手の虚を突いたんだから、立派な薙原流だよ」

 

 

 そうだ。最初から拳銃を構えて撃たれるよりも、謎武器をさんざん駆使してきた相手が

 いきなり拳銃を使ってきた方が達人としても虚を突かれるはず。

 それに僕の袖箭の展開速度は早撃ちガンマンの域だ。

 

 

「ふん、そういう事にしておいてやろう

救仁郷(くにご)くんを呼ぶか その恰好じゃ花嫁が気絶するからな」

 

「……まだ結婚すると決まったわけじゃない」

 

 

 今日、僕はお見合いをする。正直よほどヤバイ見た目じゃない限り好きになってしまうだろう。

 男というやつは単純な生き物で、"自分のものだ"と認知するだけで、心から愛が溢れてしまうものなのだ。

 これまで薙原流の継承者として女っ気のまるでない人生を歩んできたこの僕でさえ、その感覚は朧気ながら理解できてしまう。

 

 なにせ昨夜は寝ていないし、グンニベも本来ここまで苦戦はしないはずだから。

 僕が……師範代として、ようやく認められた武道の達人であるはずのこの僕が。

 まだ顔も知らない女子に心惑わされているのだ。

 その事実に悶々としつつ時間を潰していると、インターホンが鳴った。仁助(じんすけ)さんが来てくれたのだろう。

 申し訳なさと有難さが混在する早足で迎えに上がると、銀の長髪をなびかせたスーツの痩躯が立っていた。

 

 

「おやおや 大丈夫か千覚器

念侍(ねんじ)殿、これはいささかやり過ぎでしょう」

 

「いやあすまんな救仁郷くん……

俺もこんな日に、こんな怪我を負わせる気はなかったんだが、千覚器が上の空でな」

 

「父さん! すいません仁助さん 治療をお願いできますか?」

 

「いいとも 少しでも相手の印象が良くなるように頑張るよ」

 

 

 仁助さんまで変な気を回してくる。これじゃあ流派存続協議会中に広まるのも時間の問題だ。

 小さなコミュニティだからどこかの弟子が一人増えるだけでも大騒ぎ。

 改めて、全く以てプライバシーのない社会だな。だがそれゆえに友達も多くできるけど。

 

 

「うん、これでよし 決まっているぞ、いい男だ」

 

「あ、ありがとうございます 仁助さん」

 

 

 特製の軟膏だか傷薬を塗ってもらうと、まるで寝不足を感じないほど頭がすっきりしたし、痛みも完全に引いた。

 幼少期はよく薬のお世話になったらしいが、最近はご無沙汰だったな。

 こうして久方ぶりに体験してみて、やはり仁助さんはその辺の医者より凄い。協議会のみんなが頼りにするのもよく分かる。

 

 だが…………今朝がた処理したはずの"アレ"まで元気いっぱいなのは困る。その事に気付いた瞬間から、正直とんでもなく焦っている。

 どうする!? もうあまり時間はないぞ。相手のご家族に一物をおっ勃ている所なんかもし見られたら……ああ考えたくもない。

 

 

「よければ帰りついでに送りましょう」

 

「おお済まないな救仁郷くん! 千覚器、お言葉に甘えるとしよう

もし渋滞に巻き込まれて遅刻でもしたら事だからな!」

 

「待った、トイレに……」

 

「トイレならさっきしとっただろう? さ、行くぞ」

 

 

も、もう駄目だ。このまま自分の精神力を信じるしかない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 渋谷の中にぽつんと建っている、縁頼(えんらい)寺というお寺。

 ぎくしゃくとした足取りで、とうとうお見合い場所の一室に案内された。

 意を決してふすまを開けると、弾かれるように顔を上げた少女がいた。

 

 黒――――。漆黒。ゴシックロリータのドレスに身を包んだ黒髪の少女は、緊張した面持ちで僕と目を合わせ続けている。

 顔は……可愛いかどうかは分からない。アイシャドウも付けまつ毛もバッチリしているようだし。

 胸は……む、胸はかなりデカい! たたた谷間が! くっきりと!!?

 

 

「いつまで入り口に突っ立っとるんだ千覚器ィ!」

 

「ぐえ!」

 

 

 父さんに蹴り飛ばされてフリーズから立ち直る。ナイスフォローだよ父さん。

 そのまま正座して三人に向き直る。

 

 

「薙原千覚器と申します! 本日はよろしくお願いしますっ」

 

「父の念侍ですどうも、ハイ……息子がお見苦しい所を見せましてなんともはや」

 

 

 一瞬呆けていたお相手家族だったが、中央のゴスロリの女の子がたどたどしくしゃべり始めた。

 

 

赤羽終納(あかばねついな)、です……」

 

 

 そう言ったきり、俯いて前髪で表情が見えなくなってしまった。

 どうやら終納さんは、とても人付き合いが苦手な子のようだ。

 趣味がゴシックロリータで、恐らく湯船にバラの花とか浮かべてるのかな。

 想像だにしなかったタイプの女子だったので逆に冷静になる。よし……このまま落ち着いて頼りがいをアピールするんだ。

 

 

「よろしくお願い、します…………ご亭主様」

 

 

 俯いたまま、ぽつりと呟かれた単語が脳内に反芻する。

 その爆弾にも似た意味を理解してしまった時、涙が滲みそうなほど胸の奥が締め付けられた。

 趣味が合わなそうとか、武道家への理解を示してくれるのかとか、そんな事どうでもいい。

 僕はただ、この子を抱きしめたい。愛し子の様に撫で回したい。そう思ってしまった。

 

 

「ついちゃん!? あ、ああすみませんこの子ったら

まだ決まったわけでもないのに……あの、母の友子です」

 

「父の卓です……」

 

 

 申し訳なさそうに少し老けて見えるご両親が謝ってくる。

 適当に会釈を返しながら、僕は終納に釘付けになっていた。

 見ているだけで眼の奥に火花が散るようだ。ここまで刺激的な感情が湧いて来るなんて思いもよらなかった。

 昨夜想像していたよりも、もっとずっと強力な点火材だったのだ、お見合いというヤツは。

 その後の事は、よく憶えていない。

 父さんと赤羽さん達がああだこうだと話していて……俯いている終納と、それを見つめる僕は一言も発さなかった。

 いくら見ていても、全く飽きなかった。

 

 

「では」

 

「ですな」

 

「ええもちろん! ついちゃん、いいのね?」

 

 

 終納が俯いたままぶんぶんとダイナミックに首肯する。

 しまった、話ほとんど聞いてなかったぞ!

 

 

「千覚器も、許嫁ということでいいんだな?」

 

「うん! 必ず……必ず幸せにするから!!」

 

「……ぁぃ」

 

 

 か細い声で、返事をしてくれた。

 終納。なんて、なんて可愛いんだろう。

 一昨日までは、自分がこんな気持ちになるなんて考えもしなかった。

 マイナーな謎武器の道場になんて来てくれる嫁さんはいるのか? と不安に思った時もあった。

 よしんば来たとして、母さんみたいに蒸発するだけではないのか? と絶望した日もあった。

 でも今僕の胸の中には……喜びと決意が満ち溢れている。彼女が、一生側にいて欲しいと思ってくれるような男になる。

 ハッキリと分かる。僕は人間として、そして武道家としても、この日一皮剥けた。



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Adventure to the Graveyard 2

 先日お見合いを終えてから次に会う約束をしたのが一週間後だった。

 正直一日千秋の思いで、勉強も修行も何も手につかない。幸せだけど最悪でもあるな……。

 

 

「どもっす、先輩 隣いいですか?」

 

「ああいいよ、深口」

 

 

 一年生の深口情成がベンチの隣に腰を下ろした。

 中庭の見晴らしがいい場所だけど、一体どうしたんだろう。いつもは友達と教室で食べているのに。

 菓子パンを一口齧ってカフェオレで流し込んだ後、彼は口を開いた。

 

 

「もうヤリました?」

 

「……まだだよ」

 

 

 剽軽(ひょうきん)な態度でまるで無邪気に下世話な事を……。

 呆れてため息をつくと、深口は苦笑しつつ頭を下げる。

 

 

「ごめんなさい 野次馬根性といいますか……ゲスの勘繰りっていうか」

 

「だいたい高校生ともなれば、いくらでも周りにいるだろう?

何で僕なんだ」

 

「普通の連中なんて、ナンパで知り合ってその場の雰囲気で簡単にするじゃないですか

そんな話聞いたってなにも面白くないですよ」

 

 

 まあ、分からなくもない。

 ありふれた遊びの話よりも、厳粛で運命的なお見合いの方が他人事として興味を惹かれるのはそうだ。

 もっとも、話のダシにされる側としては真面目にやっているのに茶化されているようで、とても気分がいいとは言えないが。

 

 

「興味を持つこと自体は別にいいが、関わって来るなよ」

 

「もっちろんですとも! こうやってたまーにお話を聞かせていただくだけでいいんですよ~

ちゃんと情報代も払いますから、ね!」

 

 

 そう言って深口はもみ手するように僕の手に何かを握らせてきた。

 ……この渡し方が手慣れているのはどうかと思う。こんなのが上手いのは悪い大人だけで十分だ。

 熱を感じ手のひらを開いてみると、意外にもただのカツサンドだった。

 まあ、ここで高級菓子なんかが入ってたら、それこそ贈賄の常習犯を疑うんだけど。

 

 

「聞いてますよ、勉強手についてないんですって?

相手はどんな子なんですか 意外にセクシー系?」

 

「セクシーか うん、そうだな 中世のドレスって卑猥だったんだな……」

 

「え? 中世?」

 

「ご、ゴシックロリータが趣味みたいでね そ、その……胸元が、大きく開いてて

かなぁり谷間が深くて……」

 

「あっはぁ、いいですねゴスロリ いいじゃないですかあ!」

 

「それも上品でかわいいけど、なんていっても極めつけは……僕の事、ご亭主様って呼んだんだ」

 

「なんと奥ゆかしい! 大和撫子の鑑ですね、最高!!」

 

『ご亭主さまあああああぁぁあっ!!!!!!』

 

「そうそう、ちょうどあんな風に…… ゑ?」

 

 

 メガホンから拡散されているであろう大声が校舎中に響き渡った。

 忘れもしない、あの声は……。

 

 

『おっ、おお、お弁当をお持ちいたしましたああぁぁぁあっ!!!』

 

「つ、終納(ついな)だ! ごめんちょっと行ってくる!!」

 

 

 呆然とする深口にカツサンドを押し付けグラウンドに向かう。

 なんだこれは、一体何が起こっているんだ。

 混乱する脳内とは裏腹に体は嬉しそうに飛び跳ねる。この際恥ずかしいとか、ダシにされるなどという事は無視しよう。

 ただ、ただ抱きしめよう!! 終納の真心に、僕の真心を返すために!

 見えてきた彼女は、すでに野次馬がサークル上に取り囲んでいた。俯いて、必死に好奇の視線に耐えているようだった。

 それがまたいじらしくて心臓の鼓動が加速していく。

 

 

「終納! ありがとう……!!」

 

「ご、ごて……ひゃっ!?」

 

 

 万感の想いを込めて抱きしめると、周りから冷やかしの口笛や黄色い歓声が上がった。

 恐らく終納は人付き合いが苦手でよく分からないために、このような悪目立ちする手段をとってしまったのだろう。

 これと同じことを父さんにやられたら、うっかり殺してしまうほど恥ずかしいが、終納なら許す。

 例え明日からどの面下げて登校すればいいのか分からなくても、許そう。

 だって僕のお嫁さんが、お弁当をわざわざ作ってきてくれたのだから……!!

 

 

「終納、おいで 一緒に食べよう」

 

「い、いいえ……生徒じゃないから敷地には、長居できませんし……

これ以上はフラグがまだ足りてない、ので……」

 

 

 そう言うと、終納はぶんぶんと頭を下げながら校門に後ずさりしてしまった。き、器用だな。

 しかし僕としては校門の外まで出て行って一緒に食べても良かったんだけど。

 ひょっとして大勢の野次馬に囲まれたのがよほど堪えたのかな……!?

 そう考えると、彼らに罪は無いのに沸々と腹の底に溶岩が湧き上がる。こんな理不尽な怒りを抱くほど恋の炎はすさまじいのか。

 結局……終納が望んでいない以上追いかけるのはよそう。深口のいた中庭に戻って愛妻弁当自慢だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カチカチとマウスをクリックする音、カタカタとキーボードを打つ音だけが真っ暗な部屋に響く。

 薙原(なぎはら)千覚器(ちさき)様。私のご亭主様……。正直彼のあの気遣いは想定外。イベントが強力過ぎたか。

 このまま帰らせるのは忍びないので一緒にランチを食べたい、それは分かる。

 しかしあれだけ注目を浴びている中でそれを口にできるのかと言われれば……普通恥ずかしさが勝るのではなかろうか。

 つまりご亭主様は私の思惑通り、着々と二次元トランス状態に陥っているのだろう。そうとも知らず可愛い奴め。フヒヒ。

 見てろよクソジジイ、クソババア。お前たちの馴れ初めがいかに空虚で無価値なものか、結婚式で突き付けてやる。

 量産型恋愛ドラマでは決して超えられない、至高のギャルゲ(orエロゲ ご亭主様次第で臨機応変にシフト)シナリオで度肝を抜いてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ一時間前 流石に早く来すぎたかな……」

 

 

 お見合いから一週間が過ぎた。今日は落ち着いた広い公園で約束のデートだ。まだ二回会っただけで過ごした時間も決して長くないのに……もはや終納は僕の人生に無くてはならない存在になっている。

 愛妻というのはそれだけ男の人生に占めるウェイトが高いのだろう。ただ、刺激的過ぎて経験するのはちょっと僕には早すぎるような気もするな。

 小高い石段を登り切り入り口に到達すると、ベンチに巨大なイモムシが寝そべっていた。……え、何アレ。

 近づいてみると、それはイモムシではなく迷彩柄の寝袋。参ったな……このベンチが待ち合わせ場所だったのに先客がいるなんて。

 ……いや待てよ、ひょっとして。寝袋が寝がえりをうちこちらへ向き直る。

 そこにあった顔は片時も忘れないでいた終納のものだった。ばっちりと目が合う。

 

 

「おはよう、ございます ご亭主様」

 

「お、おはよう じゃなくて! 何してるんだこんな……いつからいたの?」

 

「午前0時から……」

 

 

 思わず手のひらで自分の顔を思い切り叩く。健気すぎる。奥ゆかし過ぎる。まるで涙腺を繊毛(せんもう)でくすぐられたように胸の奥が荒ぶる。

 もぞもぞと寝袋という蛹から羽化する終納もそれまた美しい。

 だが感動してばかりもいられない。言うべきことはきちんと言わなくては。

 

 

「気持ちはすごく嬉しい でも駄目じゃないか!

最近は物騒なんだから深夜に女子一人で出歩くのはいけないよ」

 

「ぇ……0時って、し、深夜っすかね……?」

 

「えっ?」

 

「ああいぇなんでも…… わ、分かり、ました

約束……します」

 

「うん、次からは頼む ……本当に、無事でよかったよ」

 

 

 そう言ってゆっくりと抱き寄せる。僕は体格がいいから終納は嫌でも華奢に感じてしまうな。

 そ、それに……首筋から漂うシャンプーだか香水のいい香り。終納のイメージに相応しく、ブドウ系の匂いだ。

 更に、更に……お腹の上あたりに感じる柔らかさ。僕はなんて幸せ者なんだろう。

綺麗に()かされた髪を撫でようと手を後ろに回すと、ガサリという音がした。ん?

 

 

「なんだろう、これ」

 

「? 何です、か ギャッ!!?」

 

 

 終納の髪からねちょっと取れたのはガムの銀紙だった。噛んだ後のガムと、ブドウの描かれた包み紙も一緒にくるんである。

 ……香水だと思ったのはこれの匂いかぁ。

 終納の顔に目を向ければ赤面一色になっていて、激しく恥ずかしがっている事が見て取れた。

 こんな娘でも、家ではガムをクチャクチャ噛んでいる。そう考えるとクスリと笑いが漏れてしまった。

 

 

「うおわぁー……こ、こっぱずかしぃー……!」

 

「ごめんね笑って でも別にバカにしてるとかじゃないんだ」

 

「ほ、本当ですか……?」

 

「何だか、やっぱり終納は現実に存在するんだって、強く感じてさ

ほら、ゴシックロリータとか……学校までお弁当を届けてくれたりとか、なんか現実味がなくって」

 

「そ、そう思っていただけたのなら……幸いです

ご亭主様……ガム食べます?」

 

 

 そう言って終納はなんとも形容しがたい苦笑いで、寝袋のサブジッパーから先ほどのブドウガムを出してくれた。

 一枚受け取って口に含む。うん、一歩距離が縮まったような気がする!

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく歩きながらソフトクリームを食べたり、手を繋ごうと思い切れず甲を合わせるだけに終わってしまったり、そうこうしている間に昼前。

 今日こそは二人でランチをするんだ! 絶対に楽しいものにしてみせるぞ……!

でも女子が気に入るようなお店なんて知らないし……。

 

 

「終納はどんな料理が好きなの?」

 

「いえ、ご亭主様のお好きなものを食べましょう」

 

「気を遣ってくれるのは嬉しいけど、僕は終納の事をもっと知りたいんだ

僕の好物はまた今度お弁当を作る時に、ってことで」

 

「そ、そっですか……」

 

 

 そう呟くと、終納は顎に手を当ててじっくりと考え始めた。

 好きなものを考えるのにそう時間は要らないと思うんだけど……。あ、ひょっとしてまた色々気を遣って考えすぎてるのかな。

 

 

「えっと、本当に素直な意見でいいんだけど」

 

「ごご、ごめんなさいえーとっすね、あの、トムヤムクンやグリーンカレーなんかはよく食べます!」

 

 

 トム……なんだって?

 

 

「ごめん、よく聞き取れなかった」

 

「トム、ヤム、クンです タイの料理で変わった味です」

 

「それとグリーンカレーって言ったけど、普通のカレーとは違うの?」

 

「それもタイ料理で、これカレーなの? って感じです、ハイ」

 

「一貫して美味しいと言わないのが気になるけど……タイがマイブームなんだね

僕の勝手なイメージではフランスとかドイツ料理を食べてそうな気がしたよ」

 

「……フォアグラとかソーセージは、たまに両親も食べやがりますから

じゃあアレです、いきつけのインド料理屋にいきましょう タイ料理は食べ慣れるまでちょっと癖が強いんで」

 

 

 今、両親が食べやがるとかボソッと言わなかった? 夜中につまみ食いでもされるってこと?

 いや、それよりももっと気になるのは……。

 

 

「終納って、本当はそんなに口下手じゃない?」

 

「ぎくうぅっ!!!?」

 

 

 ぎくって口に出しちゃうの、凄く可愛いな……!

 それにしても図星だったか。どうもいきつけのお店が結構あるような口ぶりだったからね。

 

 

「ここ、これはその、ご亭主様を騙してたとかそういう訳では決してなく!

ちゃんと口下手な部類に入るのでありまして、こんなナリだし少しぐらいキャラ作ってもいいだろうと魔が差したゆえ!!

何よりまずこのゴスロリが初手不愛想やフリーズを大目に見てもらうための予防線や隠れ蓑といいますかあっ!!!」

 

「う、うん! 分かった!! よーくわかったから落ち着いて

別に怒ったりはしてないからね」

 

 

 ゆっくりと抱きしめて背中を撫でてやると、徐々に興奮が収まって来た。

 呼吸のたびに上下するテンポが緩やかになっていく。

 十分落ち着いた終納は僕の腕からするりと抜け出ると、なんと土下座せんばかりに膝をついて前にかがんだ。

 

 

「お許しください……深窓の令嬢じゃないかもしれないけどやる気はありますから……!」

 

「た、立って終納! 許すも何も僕はき、君をちゃんと愛してるから!!」

 

「ほ、本当ですか……?

たどたどしい口調も嘘で、日常生活ではガム噛んでて、部屋の内装も黒魔術っぽくなくて

タイやインド料理頻繁に食ってるゴスなんて幻滅したんじゃ……」

 

 

 確かに箇条書きにしてみたらお見合い詐欺と言えるような内容かもしれない。

 でも僕が終納を好きになったのは、もっと根源的な理由なんだ。

 

 

「僕は……ご亭主様って呼んでくれたり、お弁当を遠い学校まで届けてくれた君を好きになったんだ

今挙げた事なんか、一切気にならないよ」

 

「そ、そっかあ……それなら良かったです

これからも、もっともっと愛していただけるように、頑張ります フヒっ」

 

「ほら、膝についた土払って 綺麗なドレスなんだから」

 

 

 これでよし。でも考えてみれば当たり前だよな、多少嘘をついてでも印象良く魅せたいって気持ち。

 逆に僕は自然体のまま緊張しっぱなしで突っ込んでいったわけなんだけど。なんて無謀な。

 

 

「結果的によかったよ」

 

「? すぐ嘘がバレて、って事ですか」

 

「だって、ぐっと親近感が湧いたからね

終納が当初思ってたより普通の娘で、話しやすいよ」

 

「ふ、普通の……」

 

 

 不意に、呟きと共に終納が俯いた。

 次第にしゃっくりにも似た嗚咽交じりの呼吸が響く。

 一体、何が起こってるのか分からない。分からないなりに抱き寄せると、鼻水を啜る音に交じって声が発された。

 

 

「ふづうは……イヤ゛な゛のお……!!」



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Adventure to the Graveyard 3

 全体的に木材の暖色に彩られたオープンテラスで、深呼吸を繰り返す。

 

 

「ごめんなさい、取り乱して……もう大丈夫、です」

 

「そ、そっか いきなり泣き出したから心配したよ」

 

 

 湯気を立てるカレーとナンのセットを前に、向かいに座るご亭主様を見る。

 脳が感情を処理しきれず暴発し、ぐずりながらも何とか手を引いて連れてきたが、途中で何度も心配だと声をかけてくれた。

 恩に報いるためにもプランだ何だはもう気にしていられない。どのみちガムの件でもう、ご奉仕大好きゴスロリスーパーコミュ障無知令嬢路線は絶望的だ。

 洗いざらい語るべきだろう。姑息な打算も含めて……すべてを。

 

 

「私の話……聞いていただけますか

もしそれで幻滅、軽蔑されたのなら、婚約を破棄していただいても構いません」

 

「僕はそんな……! いや、真剣な話なんだよね うん分かった ちゃんと聞いてから判断するよ」

 

「……私は、両親が、憎くて憎くてたまらないんです――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっかけは幼稚園の帰りだった。

 迎えに来てくれた父親は当時若白髪で、まだ35歳なのにもう頭髪の半分が真っ白だった。

 子供は純粋で残酷だ。優しさというものの定義が、主観とは異なる価値観への配慮だとするならば……間違いなくこの時、私の友達は極悪人だった。

 その子は「ついちゃん、おじいちゃんがよんでるよ」と親切に教えてくれた。

 だが私は子供ながらに動揺した。おとうさんなのに、みんなはおじいちゃんだっていう。

 

 

 私が受けたトラウマは今となっても正確には計り知れない。

 喉に魚の小骨が引っかかったどころの違和感ではなかった。口内炎と扁桃腺炎のセットが襲来したような凶悪なデバフだった。

 小学校に上がって授業参観でも、明らかにおかしいと感じた。

 他の子のお母さんは皆若々しい。……綺麗だった。子持ちの母親なのに"私、まだ女です"と自信満々に宣言しているかのようだった。

 下世話な話、担任のイケメンと不倫していてもなんら違和感のない色気があった。

 うちの母は、なんていうか……おっさんに片足突っ込んでるように見えた。腹が風船かってぐらい出ていた。

 

 

 そんな苦しみに光明が差したのは、友達の親同士にある共通点を見出してからだ。

 「お父さんに全クリしてもらった」「お母さんにやってもらった」ちらほら聞かせてくれるゲームの話。

 「デュエルティーンがやりたいのに、自分の世代のTCGしか買ってくれない」

 「ガンプラを組み上げても、その後飾るだけで遊ばせてくれない」思いもよらないサブカルへの傾倒。

 私は心底驚いた。なぜなら私の家では、私が一番ゲームが上手かったから。

 自惚れではない。子供は大人の手加減には敏感だ。

 それに両親の趣味はもっぱら、TVドラマやアイドル、芸人など現実に根差したものだけで構成されていた。

 そういえば父親の観るバラエティ番組のCMには生命保険や介護施設が多い。母親の観る恋愛ドラマのCMは通販ばかり。

 

 

 私の中で、何かがギチギチと火花を立てて噛み合った気がした。

 より陰に潜るべし。

 大衆の話題に昇る流行こそ年功社会という激流への河口であり、自ら王道を踏み外し道なき道を征く事でこそ、常に新しい若い自分を見つけられる。

 両親の様に同調圧力に晒され感性が老いていくのは嫌だ。その一心で私は本格的にサブカルに手を付けた。

 

 

 この選択は間違いではなかった、と強く確信したのは中二のある時。

 急な出費で我が家が財政難に陥った時、両親はいろいろ売ってその場を凌ごうとした。

 だが昔流行ったアイドルのCDや、昔流行った芸人のネタグッズ、どれも二束三文にもならなかった。

 そこで私は満を持して……惜しい気持ちは当然あったが、両親に勝ちたいがために好きなアニメのグッズを売り払った。

 十二万五千円。その値を聞いた時の両親の顔と言ったら傑作だった。

 私が三千円かそこらで買ったのは両親も憶えていたようで、目を白黒させながら問いを投げた。

 「一体なんでこの値段になったの?」ニヤけ面で、私はこれ以上なく得意げに答えた。

 本当に良いコンテンツは、流行に関係なく価値を増していくんだよ。……そこまで、俯きながら、ご亭主様に話した。

 

 

 

 

「……でも、それならどうしてお見合いなんてしようと思ったんだ?」

 

「私の王道を外れた生き方を、両親はとても心配していました

だからどうにかして、現実の恋愛に興味を向けさせようとしたんですね ……何が本質かも気づかずに

……アイツらは、この期に及んでもなお、私をただの口数の少ない子だと思っているようですから」

 

「そんなの!! 家族だって口で伝えなきゃ分からないだろッ!!!!」

 

 

 とてつもない声量の怒声に、私は魂の限り震えあがった。

 さっきまで私を包み込んでくれていた優しい巨漢が、一瞬人食い鬼かと幻視した。

怒らせた。……怒られてしまった。

 語る前は、こんな性根の悪い娘は嫌われて当然と覚悟していたのに、いざ叱られると泣きたくなってくる。

 確かにそうだとも。最初に、恥ずかしいから若作りして……と頼めばそれでよかったのだ。

 たったそれだけの事が言えていれば、私はここまで拗らせることはなかった……!

 全部、私の自業自得。家族なんだから察してくれて当然だって、そう、幼心に思い込んでしまった。

 

 

「僕の母さんは、何も言ってくれなかった

父さんにも僕にも何も言わないで……いなくなった!!」

 

 

 ……そう、か。お見合いの日、ご亭主様のお義母さまは来なかったけど、そういう、話か。

 つまり私はご亭主様の忌むべき、蒸発した母親と一緒。

 

 

「確かに父さんは駄目な夫だったんだろう……

得てして一代で何かを築き上げる男はそういう側面が付きまとうのかもしれない」

 

 

 涙声になるのを、感情的になるのを必死に我慢しながらご亭主様は私を真っすぐに見据える。真っすぐに、何かに縋るように。

 嫌われたと思ったのに。逆鱗に触れて本性のクズっぷりを糾弾されていると思ったのに。

 その目にあったのは、正否どちらかと言えば希望と肯定を孕んだ愛の眼差しに見えた。

 

 

「でも、まだやり直せたかもしれないんだ 父さんが反省すれば

話したかったんだ……例え取るに足らない子供でも、僕だって……!」

 

「ごめんなさい……! ごめんなさい!!! っ……!!」

 

「まだ……やり直せるよ ご両親と一度ちゃんと話をしてみるんだ」

 

 

 罪には必ず罰が伴う。伴わねばならない。

 これは私の傲慢や虚飾を正すためだけの話ではない。私は今ご亭主様のお義母さまともリンクしているんだ。

 つまり……お義母さまの現身(うつしみ)として、ご亭主様にも(あがな)わなければならない……のだろう。

 

 

「はい……ちゃんと、一から話してみます

それが、家族ですから……!」

 

 

 薙原千覚器様。私のご亭主様。

 両親の意見を無視して、いきなり結婚さえ出来ればよかった。そのぐらい我ながら自暴自棄になっていた。

 それが、思ったよりも臆病で可愛い紳士で……ずっと抱えていたコンプレックスを、無理やりにでもこじ開けてくれた。

 本当は、ずっと向き合いたかったんだ。お父さんもお母さんも天然気質なんだから、こっちから言わなきゃ伝わる筈ないって。

 そんな簡単な事、心の奥底では分かっていたのに今更と言う想いが邪魔をした。

 ご亭主様は、そのきっかけ。今更を打ち破るきっかけをくれたお方。

 

 

「ご亭主様 両親とちゃんと話し合って、何もかも水に流せたら

…………またデートしていただけますか?」

 

「うん 僕の方こそ、お願いするよ」

 

 

 とってもいい笑顔で、ご亭主様は私の後ろ髪を梳いた。

 出会いは変化のきっかけ。ならばあんな嘘にまみれた出会いでも……結果的には良かったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一年生の教室を訪ねると深口はもちろん、その周りで昼食をとっていた友達も驚いていた。

 それは多分僕の持っている一枚の用紙のためだろう。

 

 

「薙原先輩? 何でお見合い制度用紙持ってるんです?」

 

「深口も登録しなよ! きっと幸せになれる!」

 

「あー……まあ、今はやめときます 来週書きますよ」

 

「来週も今も同じだろう?」

 

「いやだってなんか幸せのお裾分けをしたくてしょうがない人って感じで怖いですよ!

それに……」

 

 

 深口は不思議な表情をしていた。思い詰めたような焦燥感と―――。

 

 

「ようやく、尻尾の先に喰らい付いたんで」

 

 

 ―――獲物を屠る悦びに満ちた猛虎のような興奮がない交ぜになっていた。



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ケルベロスの流星 1

 二十三区の内、最も刺激的な伏魔殿の座を豊島区と争う……新宿。

 特に東京が府となってから、歌舞伎町は枷から解き放たれた獣の如くより一層奔放な虹彩を放つようになっていた。

 即ち癒氣城で分からない事はここで聞くべし、というのは探偵素人の俺でもすぐに思い至ったけれども。金は有限でコネもない。かといって下手に佐橋の方達を巻き込んだ結果、どうあがいてもケツを拭けない事態に発展するのだけは避けたい。

 迷いに迷ったあげく活用したのは高校生の覚束ないネットワーク。女子高生情報屋として密かに噂になっていた黒雨小夏さんに接触することだった。

 

 

 

 明かりのうるさい飲食店ビルの階段を下り、黒く塗られたオーク材のドアを開く。店内に足を踏み入れ見渡すと、壁全体がコンクリート打ちっ放しにも関わらず床はフローリング。どちらも極端に暗色の塗装がされている。奥にはバーカウンターがあり、そこだけが淡い蒼色のライトに照らされていた。

 その内側に彼女が居た。眉まで隠れたぱっつんの黒い長髪。俯き、淑やかにグラスを拭き上げると、雫が零れそうな瞳がこちらへ向いた。

 

 

「えーと、いらっしゃい?」

 

「深口情成って言います 貴女が情報屋の黒雨小夏さんですか?」

 

「……情報屋かぁ どうかな 私はその情報すら知らなかったから 困りごと?」

 

「ええ、多少物知りの黒雨小夏さん、知ってる範囲でいいので俺に仙道光欺の話してくれませんか?」

 

 

 一瞬言葉に詰まる仕草を見せるも、生糸の様な髪を掻き小さな音符が跳ねるようなウィスパーボイスで返事をした。

 

 

「誰かのためって顔してるね…… そんな顔されたら教えてあげたいけど、あのおにいさん、うちのお店には一度しか来たことないんだ」

 

 

 よし……。今まで尻尾の毛一本すら残さなかった仙道博士の足取りだ。

 でも容姿を知っているだけで深い交流はないらしい。いやでも人となりとか色々聞けることはある!

 

 

「えっと、なんでも! どんな些細な事でもいいので彼のこと教えてください!

小夏さんなら一度会っただけでも打ち解けられたんじゃ」

 

「そう見えるんだ 私はあんまり人の事って掘り下げて聞かないから、彼の生活事情は分からなかったな

……でも、分からないことは分かったかも」

 

 

 それは……やはり仙道博士の用心深さだろうか。一流の情報屋ならば後もう少し接すれば何か掴めそうだけど。

 

 

「カクテルは酔わないくらいの度数のを少し呑んだだけだし、おねえさんを良い気にして一人で帰っちゃったから」

 

 

 駄目だ、俺もよくわからない。いい気にさせておいて何か情報を引き出す気だったんだろうか?

 ありえない豪遊が特徴だしただお酒を呑みに来たというのはおかしい。

 

 

「私は駄目だったけど、まだ頼みの綱はあるかも知れない ……ねえ君、三人組の女の子は知ってる?」

 

 

 月歌と子分の女の子たち? 一瞬よぎったがまあそんな訳ないか……。

 特に思いつかなかったので首を横に振る。仙道博士については半端じゃない豪遊をしてる事しか本当に知らない。

 

 

「二か月くらい前だったかな その子達も君と同じ目的で来てたんだ ……会ってみる?」

 

 

 会ってみるって……その子達のツテを俺に紹介してくれるって意味かな? でも二ヶ月前だからって彼女たちが仙道博士を見つけている保証もないし、さりとて他に手がかりもないしなぁ。

 俺の困り顔を見た小夏さんは愉快そうにこちらを観察してきた。後五分も見つめられたら丸裸同然にされそうで思わず口を開く。

 

 

「会ってみたいです」

 

「そっか その子達はなんでも、新作のスーツが欲しいからもう一度会いたいって理由だったの」

 

「すでに知り合い!?」

 

 

 やったぞ、ついに掴んだ。異常者とはいえ歴とした人権のある者を実験体にするような科学者(マッドサイエンティスト)だ、もしかしたら俺の事も捕まえようとするかもしれない。

 向こうにも事情があるのでそれならそれでもいいが、最低限中止を促す気持ちは伝えたい。コミュニケーションの基本にして奥義はまず相手に自分は味方だと伝える事だ。

 小夏さんが走り書きながら達筆なメモをこちらに寄越す。電話番号だ。

 

 

「彼女たちにはこっちで連絡つけておくから…… 会ってくれるようだったら私から君に連絡するね それ私の番号、君のもちょうだい」

 

「分かりました あ、一応借り物っていうか会社の備品ですけど

それでお代は……」

 

 

 財布を取り出して尋ねると、なぜか小夏さんは押し黙って目を伏せた。顔を少し覗き込むと、やはり目が潤む体質なのか透明感があって幼い角度だった。

 二度何かを言いかけてやめ、三度目に口を開いた時にはこちらをしっかり見上げていた。

 

 

「……そうだね 情報屋になった私としては、無事に帰って来てくれたらお代をいただくことにするよ……噂のビルの新人君」

 

 

 どうも彼女たちにしても、穏やかではない存在のようだった。

 そして俺のことも把握済みとは……格好いいじゃんか。世間の裏に通じる美少女情報屋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何やら興奮した様子の薙原先輩に婚姻法の用紙を渡されるなんて珍事があったものの、放課後には小夏さんから電話で伝えられた住所に向かった。

 着いてみるとそこは廃工場ばかりの工業地帯で、以前枠中くんと戦った場所に似ていた。さ~て鬼が出るか蛇が出るか。

 

 

「ホホホホホ! よーうこそいらっしゃいましたわ! 貴方のような野猿がこのわたくしを待たせるなんて、相応の覚悟ができてなければ困りますわよ」

 

 

 無邪気な、それでいてヴァイオリンみたいに品のある声色。喉によほど気を遣っているのか声が耳の底まで響いてくる。

 その他にも工場を背にして三人ともいた。今声を発したのは真ん中の自信ありげな彼女だろう。明るいロングヘアーはよく手入れされておりサラサラで、顔も美人だ。

 三人とも胸が大きく脚もかなり長い。思わずこの中なら誰がいいかな、なんて選ぼうとしてしまうほどユニット効果を増幅させるグラマーボディだった。

 

 

「ちょっと待ってくれ! 俺は敵じゃない! ただ仙道博士と会って話したいだけなんだ」

 

「それはわたくし達も同じことですわ ですがあの浮薄(ふはく)にふらつく殿方は、嗅ぎまわる高校生を排除しなければわたくしに会わないと(のたま)いましたの

 ですから! あなたを倒さなければ新しいスーツを造っていただけないのですわ!

 さ、手袋を受け取ってくださいまし この神威が看取って差し上げるのですからぁ、感謝くらいして欲しいものですわね」

 

 

 絵に描いたような高飛車お嬢様がドレスグローブを投げつけてくる。取り巻きの表情を見るに、それぞれ戦闘に自信があるように見える。

 三対一は分が悪い、一旦逃げるか? そう腰を引いた時、宙を(つんざ)く轟音が辺りを包んだ。

 全く状況の整理がつかないまま、今度は正体不明の突風に体を突き飛ばされあっという間に少女達の方へ引きずられてしまった。

 

 

「ZGOOOOOOON!! GYURURURUUUUUU!!!」

 

 

 轟音の先には、神威と名乗った少女が大口を開けて構えていた。いや叫んでいた。この人間が出し得ない轟音は神威の叫声だったのか!?

 そして問題なのは、このコトドリ顔負けのハリケーンの声真似が実際のハリケーンに変容してしまっていることだ。

 この娘は……声真似を具現化させる力を持ってるっていうのか!!

 

 

「――PUUUAAAAAAANNNN!!」

 

「ッがあ!!!?」

 

 

 突如として殺気立った速度のF1カーが眼前に走り出し、間一髪で直撃は免れるも轢かれた片足があらぬ方向にひん曲がっていた。鋭い痛みに視界が点滅する。

 やばいぞ、最初から殺す気で行かないとこっちがやられる!! 咄嗟に足を隠すようにして姿勢を整え、深呼吸を二、三繰り返すと幾分か緊張が和らいできた。

 ともかく俺はまだ生きてる。反撃のチャンスで一人確実に仕留める!

 

 

「テン! テンちゃん! やってしまいなさい!」

 

 

 脇に控えていたポニテ少女、テンに命令する神威。

 気が強そうな見た目だけどオドオドしていて、一目で神威の支配下にあるのだと分かった。

 

 

「は、はいっ ご主人様

……流星変化! 望天吼(ボウテンコウ)っ!!!」

 

 

 一挙手一投足に気を張り詰めていなければ駄目なのに、一瞬頭が真っ白になった。

 テンは腕時計のようなアイテムを弄ると、光に包まれメカとラバースーツが混成されたような金色の姿に変身していた。まるで特撮ヒーローのような格好だが、悩ましい肢体が惜し気もなく強調されている。

 ……信じられない! 一体仙道はどれほどの科学力を有してるっていうんだ……!?

 

 

「……恨むなら、ご主人様じゃなく私を恨んでね

流星砲弾、泡沫(うたかた)……!」

 

 

 マスクの下から憐れむ声が聞こえ、手首に設えた穴から大きな泡の塊が飛んできた。

 口ぶりから間違いなくトドメを意識した必殺技。……だけど! もう足は治った!!

 

 

「オリャアア!!!」

 

 

 地面を滑るように回り込み、驚きに硬直したテンのマスクに左の拳を叩き込もうとして。

 

 

「残念だったわね」

 

 

 咄嗟にテンの全身を覆うように現れた泡のバリアーに触れてしまった左手が、手首の先から溶けて失くなっていた。

 今気にする事ではないのかもしれないけど……この色合いと臭うアンモニア臭、ションベンかよきったないなぁ。

 

 

「あなた方鬼がその類い希な再生能力と肉弾戦に頼りきりである事は、すでに調べがついていたの

だから……光滑壁(こうかつへき)がある私には、決して勝てないわ」

 

 

 確かに左手は全く再生する様子を見せない、というか痛みもないので傷とすら認識しがたい。けど負傷したのは返って好都合だね。完全に油断している今こそ反撃の好機だ。

 ――ああそうだ。こんな風に死んでいく事もかつて望んでいたけど、自分より強い能力者に倒されるのも是としてきたけど―――。

 新必殺技(ソレ)を見せずには死ねないのが人情だよな……!!

 ―――軍艦島の戦いで手に入れた……哀しくも、熱く求めて吶喊(とっかん)の嵐と共に顕現した命の刃を見せてやる―――!!

 

 

絆象(ばんしょう)剣!!!」

 

 

 右手に握られた漢政優護(からまさゆうご)との絆を紡いだ証しが、宝石のような乱射光を放つ光線剣が、スーツごとテンを袈裟懸けに斬り裂いた。



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ケルベロスの流星 2

「っ!テンちゃん!!」

 

 

 スーツが消えその場に崩れ落ちたボウテンコウに神威が呼びかける。やってやった。泡使いに血の一泡吹かせてやったけど、それでも二対一か……生きて帰りたいが、望み薄だな……。

 仲間をやられて逆上、同時に変身して襲ってくるか? それとも仲間に任せて自分はサポート?

 じっと神威の言動に気を配っていると、すぐに動きがあった。何かの武道に裏打ちされた構えで俺に向き直ると、眼力に溢れたパッチリ目をギョロリと強め、両の拳を握りしめる。

 

 

「流星変化! 天狗(テング)!!!」

 

 

 閃光が放たれ赤いバトルスーツを纏った神威と、それを静観するもう一人の色黒筋肉美少女。

 神威の命令無しには動かないのか? それとも……あ、テンを見てる! 戦うより傷ついたテンを助けたいのか? なら神威さえ倒せば。

 

 

神威(かむい)ちゃん、凛子ちゃんを助けるのが先だよ ここは一旦退こう……」

 

「お黙りなさいこのゴリラ女!! なぜ駄犬の為にわたくしが退かなければなりませんの!

わかったらさっさと貴女もこの男を倒しなさい!」

 

「……分かった そういう事だ 流星変化、禍斗(カト)……!」

 

 

 カトが変身し終わるのを待たずに神威に最大初速で斬り込む。しかし……最低限の動きで回避されてしまう。理由は明白だった。

 彼女たちはきちんとした武道の心得がある。いくらこちらのスピードが上回っていても、俺の無学な喧嘩殺法では一瞬目で捉えただけで太刀筋が分かってしまうんだ!

 どうする!? 遮二無二(しゃにむに)斬り込んでも無駄だし、さっきのボウテンコウみたいにはもう油断してくれないぞ!!?

 

 

「ドン!!! ゴンゴゥンゴルン!!」

 

「っ!」

 

 

 更に悪いことに視界までも稲光(いなびかり)で判然としなくなる。その上カトの攻撃方法もまだ分からない。もし初見殺し能力だとすれば俺は身構えることすら許されず死ぬ。

 死の実感が強く、強くのし掛かってくる。まだ死にたくない。

 一番耐えられないのは同胞と関われない、一般人しかいない世界で生きることだ。それに比べたらここで殺されるのも悪くはないが生き急いでるわけでも死にたいわけでもない! なんか閃け……閃け……!

 

 

「流 星 陽 弾!」

 

 

 ! カトの声!! 何をしてこようが一発は凌いでみせる!! 手首から先がなくなった左腕を振りかぶり重くする力を使いながら地面に叩き付ける。

 コンクリを畳返しのようにバックリとめくりあがらせて、受け止めたはずだった。コンクリの壁は悲鳴を上げて蒸発、陽炎の先に砲丸程の太陽が見えた。

 

 

 

「ッ!!?」

 

 

 ―――思考が遮られた。その隙を完全に突かれ、横合いから氷柱を纏った神威の跳び蹴りで無様に転がり飛ぶ。

 カトの尻から腕まで伸びたチューブに何かが吸い上げられていく。尿で出来た泡の次は燃えるウンコとか最低な死に方過ぎる。嫌だ、流星陽弾が直撃して死ぬのだけは嫌だ。

 カトの動きに注力するため転がる勢いのまま立ち上がり走る。視野の端っこに両方映しつつ円を描くように逃げて考える時間を稼ぎたいけど……。

 

 

「嘘だ嘘だ嘘だこっちくんな!!」

 

「逃げるな! 一刻も早く凛子ちゃんを助ける!」

 

 

 最初バトルスーツが黒かったカトが何故か体色を青く変化させていき、その変化に合わせて倍々に速度を増してきた。

 だが中距離まで近づいてきても流星陽弾を使う素振りは見せない。使われないに越した事はないけど不気味すぎる……!

 

 

「はッ!! でやぁ!!!」

 

「がふっ!!!」

 

 

 一気にインファイトに持ち込まれると顔面を殴られ蹴られ漢政(からまさ)戦以来の激痛が走り抜けた。

 的確に痛いところを攻撃してくる中で、流星陽弾は黒い状態でしか使えないと直感的に仮定する。今思い悩んでいる暇はない!

 鬼だと看破している上でこうやって格闘を仕掛けてきてるって事は、カト自体は俺を殺す気はない。あくまで痛みで足止めさせたいんだ。神威が追いついてから必殺声真似をぶち込むつもりだろう。

 狙いは神威である事は変わらない! カトを倒しても神威は撤退しない。なら斬る! どうやって……。

 ―――全四段階中、未熟な俺でも一段階目なら漢政を表に出せるかッ――――!?

 

 

「トドメですわッ!」

 

「狂剣カラマ! 解放!!」

 

 

 目いっぱい神威の声をかき消すように叫ぶ。自分でも賭けのハッタリだけど、スーツの上からじゃ表情は窺えないけど明らかに一瞬たじろいで隙が出来た!

 これで駄目なら死だ!! 斬れろ!!!

 

 

「ギャアッ!!!!」

 

「神威ちゃんっ!!?」

 

 

 え? 今こいつ避けたよな? 何で……。右手に視線を落として絆象剣(ばんしょうけん)がないのに気づき、次いで神威の腹部に突き刺さっているのを発見した。

 偶然すっぽ抜けて刺さった? いやバカな。

 

 

(……俺は、なんだ?)

 

 

 表層に漢政を解放した影響だろう。剣が……剣の中の漢政が喋ってる。……漢政が助けてくれたのか、ありがとう。

 それ、どういう意味?

 

 

(……肉体はない なら……死んでいるのか……?)

 

 

 ……俺としては生きているって思ってて欲しいかな。だってやっぱ自分が人殺しだなんて嫌だし。

 

 

(そうか 人殺しが嫌か……笑えるやつだ)

 

 

「くっ……ぬ、抜けない!! ど、どう……そうだ持ち主を!」

 

「待った! 抜くよ抜いてやるよ でも俺を殺したら二度と抜けないよ」

 

「なッ……」

 

「二人を連れて撤退するんだ 約束して」

 

 

 カトは混乱したように神威と凛子を交互に素早く見ると、これまたぶんぶんと頷いた。

 神威の腹から抜けてくれ。そんで俺の右手に……そう、すっぽり収まるんだ。

 二人を回収し両脇に抱えたカトがこちらに一瞬振り返る。あわよくば……と()ぎったんだろうが、絆象剣の新たな能力を見せられて底知れなさを感じたんだろう。すぐに跳び去って行った。

 …………顔痛ってぇ。ただでさえ目ヂカラ強いのに瞼焼け切れてるし。うーん、俺も格闘技習おうかな。剣術も必要だろうしガチで薙原先輩に弟子入りしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 情成おにーさん、一体なんざんしょ緊急の用って。

 最近頑張っているし頼ってくれたのは仲間として結構嬉しいざんすけど、事務所ではできない話……?

 

 

「蘇若しゃん、もいもいかーい?」

 

「ん、ああよござんす」

 

 

 レイーノの光る輪っかをくぐり、情成おにーさんが待つ場所に着地する。

 グエ゛!!? ……なんかあらゆる金属が炙られたような臭いがどっからか……!!?

 

 

「蘇若こっち 工場から離れた方がいいよ」

 

「ああそうざんすねえ ! ……え、ヤバ」

 

 

 何の覚悟も無しに振り向いたら心臓が跳ねた。な、情成おにーさんの顔がボッコボコの真っ黒に……なんて痛々しい。

 どうやら戦闘後みたいざんすけど……こんなんなる? 鬼が。

 

 

「そ、その傷を治すために呼んだんざんすか?」

 

「いや、本命はこっちだよ」

 

 

 そういって差し出した左手の……手首から先がない。

 ぶった切られたわけじゃ、ないざんすねぇ……。まるで何年も前の事故で失ったかのように皮膚が癒着してるざんす。

 

 

「今から切断面作るからさ 手が治るかどうかやってみて」

 

「切断って、アタシがやるんざんすか!?

い、いやーちょっとコントロールが大味すぎるっていうかキツイ……」

 

「!? 意外だな……蘇若にそんな技があるなんて ホラこれ自前で刃物あるからさ

絆象剣!」

 

 

 突き出された右手に手品のように現れたのは…………ビームソード。

 …………は?

 

 

「え、何コレ」

 

「あの……この前の台風の時にちょっとね」

 

「いやいやいやこれちょっとねで手に入るブツじゃないざんしょ!?

完全にオーバーテクノロジー……んん? 意匠や柄からして、マナ関係の産物ざんすか?」

 

「流石芸術的審美眼! まあその時の話は帰ってからゆっくりするよ」

 

 

 アタシも欲しいなその剣。

 ……さてさてなるほど、こりゃ確かにアタシを呼ぶのも頷けるざんすね。

 事務所の中で血をまき散らすわけにもいかないし。

 

 

「大船に乗った気でいるざんすよ! ここで治せなかったら佐橋ナンバーワンドクターの名が廃るざんす!」

 

「よし、じゃ準備できたらいつでも言って」

 

 

 ……よし、ここなら広げてもいいざんしょ。

 情成おにーさんも道に血を撒かないよう排水溝の真上でぶった切るみたいざんすね。

 

 

「よござんす! ……オンマカキャラワ、ソワカ!」

 

 

 いつものウサギちゃんが小槌で手首を小突き、柔らかな光で包み込む。

 ……治った! 指がついてる!!

 いやあ、この巻物高性能ざんすね~~。

 

 

「よかったざんすね、情成おにーさん!」

 

「ああ、助かったよホント

……アレだな もうこれ以上迷惑かけらんないや 仙道博士探るのやめにするよ」

 

 

 情成おにーさんが……(こた)えてる。いつになく弱々しく。

 ひょっとして仙道博士の刺客にやられたんざんす?

 だとしても、アタシは……。

 

 

「アタシは迷惑じゃないざんす」

 

「え?」

 

「実は厚子おねーさんとはアタシもお友達なんざんす

事務所の給湯室で会ってから絵のモデルになってるんざんすよ」

 

「……知らなかった」

 

 

 そりゃあ言ってなかったし。まあとにかく。

 情成おにーさんに任せきりだったけど、アタシにも他人事じゃないんざんす!!

 

 

「アタシにとっても、厚子おねーさんの不幸を使って実験していた仙道は許せんざんす 一度ハッキリ口論したいざんす!

だから……アタシの力も遠慮なく積極的に使うざんすよ 厚子おねーさんの為にね」

 

「分かった これから二人で頑張ろうね!」

 

「ざんす」



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軍艦島の追憶 1

 湯気の立つご飯と味噌汁を載せた盆を置いて、ノックを二回。

 義妹の深口優理愛(ゆりあ)は、俺の呼びかけでしかドアを開けない。

 

 

「朝ご飯だよ、優理愛ちゃん」

 

「お兄ちゃん!」

 

 もぞもぞと音がした後パジャマ姿の優理愛が出迎え、いつものようにしな垂れかかってくる。

 やれやれ、ずっと引きこもりで運動しないからむっちむちだなぁ。

 

 

「お兄ちゃん、今日はバイトお休み?」

 

「台風だからね」

 

「じゃあ優理愛と一緒にいて! 離れないで……」

 

 

 寝起きでぼさぼさの髪を擦りつけて懇願する優理愛。夏休みという事でずっとべったりだったが、ここ数日は依頼が立て込んでいて構ってやれなかった。今日は一段と甘えん坊だ。

 抱きしめて鼻を軽く額につけてやると、こそばゆそうな声色が眼下から届く。

 別に、特別良いことだとも思っていないし悪いことだとも思っていない。ただ自然と受け入れているだけ。

 人生は二度とないし、誰かの生き方を参考にするにも全く同じクローンのような道程も望めない。誰もが人生という暗闇に体当たりで挑んでいくしかないんだ。子育てなんてのはまさにその極地。

 誰の性格も急には変えられないし、環境も自分達だけじゃ変えられない。だからこれが自然。

 知ったような口ぶりで「義妹を更生させた方がいい」とか「突き放す厳しさも必要だ」とかほざくヤツには怒るし、かといって「心底羨ましい」「そんな贅沢言うなら代われ」とか言われても、いやいやそんなに良いものじゃないと溜息をつく。

 そんなものだ、そうして成り立っている。

 

 

「お兄ちゃんあ~んして?」

 

「はいはい、火傷しないようにふーふーしよーねーぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 国の調査隊がついに軍艦島を調べる。奴らが動き始めるまで……期限は残り僅か。

 この短期間であの漢政(からまさ)を他所へ移送する、できるのか? そんな事が。

 照明が点いていてもどこか薄暗い雰囲気の執務室で、腕を組んで盛大に溜息をついた。我ながら豊かな胸が圧し潰されたっぷりとせり上がる。

 流視がいれば移送自体は可能だ。だが押さえつけておく確かな武力も必要になる。

 悔しいが私では勝てない……。秀子も純粋な腕力とは相性が悪い。となれば援軍に頼るしかない、か……。

 佐橋ビルのエルアという男……信用できんが漢政が明るみになれば都合が悪いのはお互い様のはず。

 時間もないし掛け合ってみるか。

 

 

「もしもし……裏天街(りてんがい)の大泉好恋愛(ここあ)だ エルアを出してくれ

緊急の依頼があるんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……寝息だ。ようやく優理愛がお昼寝してくれた。

 まったく心底幸せそうな寝顔しおってからに。お兄ちゃんにだって体力ってものがあるんだよ。

 身体は疲れなんてないはずなのに、(かえり)みて幼稚な行動を取らされるとなんかこう、ぐったりするんだよな。

 子どもは二時間でも三時間でもおままごとに熱中出来るけど、付き合わされた大人は目が死んでるみたいな。

 前まではこんなに疲れなかったんだけど……それは他にやりたいことがなかったからだ。諦観が強く、生涯義妹にとって都合のいい存在でもまあ納得できた。

 

 今や自分で自分の精神構造がよく分からない。俺は優理愛を大切に想っている。命を捧げてもいいくらいだ。でも俺の帰属意識の比重は佐橋ビルに極端に傾いている。

 大切にしたいけど離れたい。普段は同じ水準の会話ができる仲間と話したい。

 難しいな、独立心を育てていなかった家庭環境は。

 まいいや、今お姫様は昼寝中。優理愛のことは忘れてリビングでテレビでも観るかな。そうだ、今日はずっと家に居るんだからご飯も食べた証拠を残さないと。

 

 

「なんか食」

 

 

 電話だ。リビングの電話が鳴っている。はーやれやれ、フリーダイヤルだったら放置でいいな。

 階段をゆっくり下りて番号を確認すると佐橋の事務所だった。

 一瞬優理愛が寝ている二階の方へ視線が向いてしまう。正直願ったり叶ったりだけど起きて俺が居ないことに気づいたらどうなる?

 ああも人に依存したことがないので予想がつきにくいが恐らく相当傷つくだろう。約束したしね……。

 ……とりあえず話を聞いてから判断しても遅くはないはずだ。

 

 

「お待たせしました 深口です」

 

『情成、君にしか頼めない事がある それも可及的速やかに』

 

「聞きましょう」

 

『長崎県のオランダ村に向かうんだ 知人が裏天街を経由して送ってくれる』

 

 

 ……何だって? マジ? レイーノちゃんでさえ東京内だけなのにそんなとこまで飛ばせるの……!?

 どうする実際。ひょっとして数日帰れないなんて事もあるんじゃないのか。いやでも東京は台風だ。休みの誤魔化しはきく。

 それに最初に日常を大切にしろと言ったのはエルアさんで、その彼が緊急で来てくれと言うほどの用事なら優理愛を構ってやれないのは仕方ないだろう。

 

 

「分かりました 自宅前のマンホールを光らせてください

……ん?」

 

『どうした』

 

「リテンガイ? りてんがいって……裏の天井の街って書く、あの?」

 

『詳しい話はそこで聞いてくれ』

 

 

 ウゲェーッ!! あの浅草の地下スラムかよ!? ろくな噂聞かないけど、まさかそこで大暴れしろとか言わないよな……。

 不安は残るものの、台風のさなか雨合羽を着て光っているマンホールに飛び込んだ。俺にしか頼めないのだから張り切らなくちゃ!

 

 

「情成しゃん、はよーね」

 

「レイーノちゃんはよーね! それで何でしたっけ、オランダ行くんでした?」

 

「……荷物がレインコートだけと言うのは心許ないな

そこにキャリーバッグがある、持っていくんだ それと最終的な目的地は長崎だ」

 

 

 いきなり白羽の矢が立った割にはキャリーバッグが用意してあるのはおかしいな。

 事前に荷造りしつつ手当たり次第あたって、誰も来てくれなかったから俺にお鉢が回ってきたのか?

 

 

「じゃあ行きますけど まさか裏天街にも異常者がいるんですか?」

 

「そうだ 情成ならきっとうまく協力出来るだろう うちの者より幾段か偏屈な者達だが」

 

 

 ……同じ仲間なら、まあ問題ないだろう。一抹の不安も消え去り俺はキャリーバッグを抱いておさげの輪っかに飛び込んだ。

 景色が一変した瞬間、視界に飛び込んできたのは壁の配管だった。縞鋼板の床にマンホールを(しつら)えた薄暗い錆色の部屋だった。

 節電中のUボート。そんな雰囲気の息苦しい場所。

 

 

「キヒッ」

 

 

 声のした方に勢いよく振り向く。真っ赤な口紅をつけたゴスロリ服の女がパイプ椅子に座っている。

 年齢はよく分からないけど、子どもではないな。

 

 

「ようこそ、哀れな生け贄の子羊……」

 

「生け贄?」

 

「だってそうでしょう 漢政優護(からまさゆうご)は最強の鬼 そんな奴を牽制するなんて捨て駒同然の役目だわ」

 

 

 最強の鬼を牽制? なんだそれ、すっごく面白そうじゃん。

 俺もまだ他の鬼とは戦ったことがない。最強の鬼なんて手合わせしてみたいに決まってる。

 楽しそうな俺の表情に違和感を覚えたのか、女がすっくと立ち上がった。

 

 

恩田秀子(おんだしゅうこ)よ……この裏天街で人形師をやってるわ」

 

「深口情成です 鬼としての名は鈍鬼」

 

「ふうん」

 

 

 秀子さんは俺を舐め回すように見ると、一応納得したように頷いた。

 鬼には鬼をぶつけるわけですよ。ご理解いただけたようで何より。

 

 

「最低限使い物にはなりそうね

こちらとしても流視(るみ)は……今回の主役は貴重だから、半端な奴に任せるわけにはいかないの」

 

「その流視さんを守ればいいんですね」

 

「ええ、今準備中だからもう少し待っていて」

 

「秀子さん、人形師って言ってましたけどどんなの作ってるんですか?」

 

 

 きっとただの人形というわけじゃないだろう。一体秀子さんはどんな能力者なんだ?

 彼女の真っ赤な口が三日月型に嗤った。

 

 

「死人の魂を封じた人形を作るのよ……

死んだばかりで困惑している霊をふん捕まえてね それを依頼人に売るの」

 

「はあ……顧客は死に別れた恋人とかですか」

 

「違うわよ ……その人形はね、たとえ破壊しても燃やしても……次の日には無傷で帰ってくるの

そういう日本人形の話、聞いたことない?」

 

「それはよく聞きますけど……」

 

「痛覚をね、搭載してるの だから私と同等の霊能者に解放してもらうまで、人形はずっと依頼者に拷問され続けるのよ

キヒヒヒヒ……もちろん夜中に喋る機能もついてるわよ 助けて、ここから出してと発狂する声はお客様から大好評なの」

 

 

 ……思ってたより。ここに来る前のイメージよりも、裏天街の人って性根が歪んでるな。

 この秀子さんだけかも知れないけど、あまりに酷い商売だ。

 

 

「いいんですかそんなヤバイ事しちゃって 逆に人形に恨み返されるんじゃないですか?」

 

「人形っていうのはね、人形自身の魂が生まれたら力を持つの 本能って言うのかしらね……人形の身体の使い方を知ってるわけ

でも中に人の魂を入れたら無力だわ 人形の身体の動かし方なんて分からないんだもの 単なる指一本動かせない牢獄なのよ」

 

 

 なんにせよこういうのに巻き込まれないためにも他人には優しくしよ。一つ賢くなったという事でこの不快感は水に流そうじゃないか。

 それから五分余り経った後、扉が開け放たれ二人の女性が入って来た。

 片方は肩で風を切って歩く褐色肌で巨乳の少女。メンズスーツに袖を通さず羽織っている。

 もう片方はぞっとするほど光を通さない黒髪の女性。瞳も深淵を映したような闇だ。ウェーブがかった長髪が深海で揺らめく巨大クラゲの触手にも思える。

 こちらも男性タイプのスーツだが変な着方はしていない。

 

 

「コイツがそうかい……私は裏天街の自警団、アシタグのリーダー大泉好恋愛だ

そしてこっちが団員の敷島流視(しきしまるみ)

 

「……」

 

「深口情成です 鬼としての名は鈍鬼」

 

 

 いかにも江戸っ子気質というような仕草の大泉さんは腕を組んで何やらうんうんと頷いている。

 敷島さんは……どこか虚空を見つめていて俺には何の関心も示さない。

 大丈夫かここ。コミュニケーション普段とれてるのか?

 

 

「そうだ、つかぬことを聞くが……君、何代前から東京府民だ?」

 

「え? あ、いや……分かんないです 祖父母まではそうだったかと

なんか、若い頃銀座でバイト中に出会ったみたいな話は聞きました」

 

「そうか、じゃあご両親は?」

 

「母が栃木出身です、けど」

 

 

 後悔した。テキトーにどっちも東京だって言ってれば良かった。

 

 

「とォちィぎいいぃぃい~~? ……ッチ!

やはりエルアは信用できねえ、何だってこんなもん送りつけてくるんだ!」

 

 

 態度が悪いとか、テストの点が悪いとかでなじられるのはいい。今後気をつけて改善していけばいいだけの話だ。

 だけど……絶対変えられない部分に因縁をつけられるのは、なんというかこう、会話するのが時間の無駄に感じるな。

 

 

「時間がないなら手短にお願いします」

 

「流視についていけ」

 

 

 雑に別れた後、無言の敷島さんに連れられ金属の道を歩いて行く。

 天窓がある。すなわち裏天街の人達は、人から足蹴にされている感覚を味わいながらでしか日光を浴びることができないんだ。

 まぁスカートの女性は絶対この上を歩かないだろうし、男性でも下から恨みの視線を浴びせかけられながら出勤したかないだろう。

 曲がりくねったパイプの道を進みきり、とうとう行き止まりへと達した。すると敷島さんは天窓を見つめ目を細めた。

 なんだ? この人は何考えてるんだ?

 

 

「あの、ここに何かあるんですか?」

 

「何もなくなる」

 

 

 は?

 そう思った瞬間、俺の身体は豪雨の中にいた。浮遊して、否落下している。

 眼下にはビルがひしめき、上空に転移させられたと言うことが痛いほどよく分かった。俺の隣には堂々と腕時計を見つめ落下する敷島さんの姿が。

 

 

「うっそ!? ッ冷た!!!?」

 

 

 次の瞬間には周りから雨は消えていた。黒く濁った雲海を視界に捉える。つまり今は台風の影響がない地域にまで転移しているということ。

 ふとあれが腕時計ではなく鏡である事に気づく。常に自分と俺が映る角度を調整しているようだ。

 数瞬ごとに空間を跳ぶ。地平線の彼方から彼方へ。雨に濡れた身体が極寒の落下に晒されること以外は実に気持ちのいい人生初のスカイダイビング体験だ。

 爽快だ……! 興奮する。さっきは嫌な思いもしたけどやはり俺と同じ異能を持つ同胞だ。

 敷島さん個人から何かされた訳ではないし、ちゃんとしっかりにこやかに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地についた。最悪パンチで墜落の衝撃を相殺するつもりだったが、敷島さんはちゃんとやさし~く着地させてくれた。

 慶代さんもだけど、一見ぶっきらぼうに見えて優しい態度で人間性を示す、これ大事。ほっこり。

 ターミネーターのように立ち膝からゆっくり立ち上がって周りを見渡す。近世ルネサンスを思わせる異国情緒溢れるオランダ……ではなく、なんかそういうテーマパーク? のようだ。

 看板にはオランダ少年の三人組が描かれている。真ん中のふとっちょ金髪の何とも言えないこの表情よ。

 

 

「ここで最強の鬼の護送をするんですか? 人がまばらとは言えわざわざ観光地で……」

 

「ここに来たのはその為の下準備だ ついてこい」

 

 

 敷島さんに連れられ感性溢れる赤い街並みを歩く。大きな風車やよく仕上げられた花壇が右脳を愛でるように刺激する。

 オランダの事はよく知らないけどここで屋台車を引いて焼き菓子でも売り歩きたい気分だ。中学の頃ロミオ役で着たチュニックでもあれば、顔がいいからなお映えるだろう。

 ……ん!? あの三人組の銅像さっき見たような……。あっやっぱりそうだ! ポーズも同じだし真ん中、太いもの。

 俺が謎の感動に襲われていると、何と敷島さんが太い子の足の裏に手を伸ばし……引っ込めると小さなカギを持っていた。

 す、すげえええ!! なんか格好いい事してる!!?

 

 

「回収完了だ 次にいこう」

 

「なぜあんなところにカギを?」

 

「好恋愛いわく、粋だから……だ、そうだ 江戸っ子ならばまず粋である事を考えなければいけない、と

時と場合によっては死闘の中ですらそれが勝敗を分けるとな」

 

「な、なるほど」

 

 

 粋……か。そう思うんだったらあんなダサイ差別はやめろよな。

 続いてやってきたのは天使の翼が描かれた壁。顔はめパネルより百倍粋だね……!! 大泉ココア、センスだけは認めてやるよ。

 周りから人が去るのを待ってから壁に近づく敷島さん。次はどうやって回収―――

 

 

「え……」

 

 

 目の前に広がっている光景が理解できなかった。本能が恐怖をかき鳴らす。

 オリーブの木だ。一面のオリーブの森。どれもまるで樹齢千年はあろうかというほどデカい。ヨーロッパにしか存在しないはずの原風景。それに他にもこの森はおかしい。何かが決定的におかしいんだ。

 肺一杯に広がるキシリトールのような爽快感が逆に呼吸を躊躇わせた。

 

 

「し、敷島さん……これは!?」

 

「騒ぐな、"ここの住人に気づかれる" これが本来の私の力の使い方だ……この左眼は、座標を同じとする数多の世界を繋げ見る」

 

 

 掘っている。敷島さんが辺りを警戒しながらもとにかく地面をスコップで掘っている。その間俺は、辺りに風なんて吹いていないのに街風(つむじ)がそこかしこで渦巻いているのを戦々恐々と眺めているしか出来なかった。

 やがて土から顔を出した包みを取り出すと敷島さんは慣れた手つきで丁寧に跡を隠す。次の瞬間には元のオランダ村に戻っていた。目の前には先ほどの視界と変わりない位置に翼の壁が。

 驚いたなもう……。てか座標が同じってどういうこと?

 

 

「……まずいな」

 

「まずいって何が……あ!?」

 

 

 俺の身体から、青いオーラのようなものが立ち昇っている。確かにこれはまずい。見ようによってはチェレンコフ光だ。人に見られるのはヤバイ。

 大慌てで建物の裏手に回り込むと、敷島さんが怪訝そうに眉根を寄せた。

 

 

「なぜ君は人間なのにマナを吸収できている? いくら鬼といえど回魔郷においては何の影響もないはずだ」

 

「……かいまきょう?」

 

「遥か昔、私達の世界にはマナが溢れていた だが、何者かがそのほとんどを奪い去りマナの力で創り上げた世界が回魔郷だ」

 

 

 意味が分からない。いや分かりたくない。恐怖が全身にこびりついていた。

 落着け。ならばまず何で俺がマナを吸収できたか考えよう。あの時怪奇に怯え咄嗟に能力を使って……んでやっぱ解除して。

 そうだ、あの時おかしい感覚に襲われたんだ。まるで森全体に背筋を撫でられているような。

 

 

「俺は鈍鬼の名の通り、身体を重くすることができるんです

正確な単位は分かりませんが体感余裕で1tはいけます」

 

「……なるほど、その力が要因なのか どうやら君は鬼以上に特別なようだ

肉体をそのままに質量を増大させるなど奇跡に等しい それこそマナに類似した力なのだろう その影響で君はマナを操る才能を持っているんだ」

 

「才能があるならとりあえずこのオーラ消せませんかね?」

 

「才能のない私に聞くな …………感覚を先鋭化させてみろ 落ち着いてエネルギーと調和できればあるいは消せるかもしれない」

 

 

 深呼吸。俺は才能があるやれば出来る子だ自分を信じろ大丈夫。…………。

 ……よし。波が引いていく。俺の身体からはもう視覚的に青が漏れ出ることはない。すごい、本当に制御できた。

 

 

「……これは、一日程度待ってみてもいいかもしれない」

 

「どういう事です?」

 

 

 急いでるんじゃなかったの? いや急がば回れというやつか。

 マナの力を使いこなせるようになる方が結果的に時間短縮に繋がるとか?

 

 

「現地に来て分かったが漢政の力は刻一刻と増大していっている 天をも揺るがすほどだ

この分だと彼等の軍艦島調査もすぐにという訳にはいかなくなるだろう」

 

「軍艦島ぁ?」

 

 

 最近謎の地震の震源地として注目されている廃墟の島、だよな。

 国交省だかが調査に乗り出すって言ってたような気がするけど、まさか……!?

 

 

「役人より先に軍艦島に行って、地震の原因である漢政をなんとかしようって話だったんですね

そっかそっか、軍艦島って長崎にあるんだ へぇー」

 

「そうだ 今のまま動くよりも君が漢政に抗しうる可能性を増加させた方がいい

修行に入るぞ」

 

 

 言っている事から推察される帰結はなんとなく分かるが、嫌だ。凄く嫌な結末なので引き延ばしてみよう。

 さながら浮気バレの如くとぼけ尽くしてやるぜ!

 

 

「修行? 修行って、一体何するんですか」

 

「回魔郷でマナを操作し、実戦で役に立つ特技を何か一つでも身に付けるんだ」

 

「よく分かんないです」

 

「そうか、大体は態度で分かっているぞ 無駄なあがきはよせ」

 

 

 終わった……。そう思った瞬間にはすでに回魔郷にいた。

 心苦しい。この世界は不快だ。断片的な情報から察せられる全貌は、朧気な想像でも十分に亡国の流浪民の気分を味わうことが出来た。

 人間の支配の領域外。異なる倫理観の異文明。そこに放り込まれたときの非日常感ったらない。

 普通の日本人なら生涯味わうことのないであろうマジョリティからの欠落感が強く俺を苛んだ。

 思わず嘔吐しそうになり両手を膝で支える。

 

 

「どうした情成 まさかマナの副作用か?」

 

「……俺、鬼じゃないですか 実は先天的なものでしてね

嫌なんですよ……アウェー感を味わうのが とんでもなく」

 

「心因的なものか…… わかった さっきの言葉は撤回しよう 無理はするな」

 

 

 そう言われて、スッと気分が楽になった。いくらか不快感も消えて普通のメンタル状態に戻りつつある。あんなに嫌だったのに、なんで……。

 ……ああ。

 そうか。

 孤独に悩んでいた昔とは違うからだ。流視さんは体調を気遣ってくれた。修行というくらいだから昭和のコーチのように無理強いもできたはずなのに。

 俺はこの回魔郷に一人ぼっちじゃない。人間味方が一人いるだけでこうも元気が湧いてくるものなのか。

 

 

「いえ、これからはもう大丈夫です

……ご指導よろしくお願いします!」



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軍艦島の追憶 2

 意識が覚醒する。指を動かして確かめる。重い目蓋を浮かせてみれば流視さんが畳の上に腕を組んで立っていた。

 そうだ、昨日は終日修行して旅館に泊まったんだっけ。……正直一日で身につくなんて無理だったけど。

 

 

「おはようございます ……朝早いですね……」

 

「ああ 情成、君も感じないか?」

 

 

 いきなりなんだぁ? こっちはまだ頭がボケーっとしてるんですけど。

 昨夜も、男女が同じ部屋に泊まったのなら云々とちょっかいをかけてみたが一切無視されたし。まあ……唐突に明後日の方向へぶっ飛ぶ論法は脳を覚醒させるのにちょうどいいや。

 

 

「感じる感じないって何がですか?」

 

「これだ」

 

 

 そう言って流視さんは肘を手に乗せてTVを指差す。そこでは普通のモーニングニュースが放送されていた。

 いや、何かスタジオの様子がおかしい。……前代未聞、台風が進路を西へ転換……?

 

 

「おかしいんですか? 台風が西向いたら」

 

「そうだな 日本を通過するときは東にカーブを描きながら北上する

それが突然真逆を向いたのだから天変地異と言っていい」

 

 

 そういえば昨日、漢政のパワーは天をも揺るがすとか言ってたよな。まさか……!!

 

 

「台風は漢政に引き寄せられ軍艦島に向かい、到達した後滞留する

頻発する地震の発生源であり、この上台風が留まったとなれば衆人の耳目は決して軍艦島から離れないだろう

異能者の存在を秘匿しなければならない我々に失敗は絶対に許されない」

 

「……ごめんなさい、特に感じることはないですね」

 

「そうか」

 

 

 言葉を切り、部屋から出ていく流視さんを見送って布団から起き上がる。

 地震を引き起こし台風を引き寄せる? 化け物め……どこまで俺をワクワクさせてくれるんだよ。

 高揚した気分のまま旅館の食堂で朝食を摂ってから沿岸に向かう。台風の大返しはかなりのスピードらしく早くも風が肌に感じられた。空模様もあまり良くない。

 

 

「情成 訓練の成果を見せてくれ」

 

「はい……!」

 

 

 昨日の授業内容を思い出しながら息を吸う。

 マナとは願いを叶えるエネルギーだ。そして魔法とは、願いを己の深層心理という瓶から言葉という盆に移し替える作業。

 自分の心に嘘をつくことは許されない。言心不一致は魔法の不発を意味する。一息に吐き出す内に正しく一致した言葉を言わなければならない。

 

 

「軍艦島までワープしたい」

 

 

 ……不発。深呼吸を繰り返し己の心と向き合って原因を考える。

 ………………簡単な事だった。俺の深層心理の本心は、漢政と全力で戦いたいとだけ言っている。この差を修正するのは困難を極めるぞ……。

 ええと、例えば女子が暴漢に襲われているのを見かけたとき、暴漢を倒すために「火球よ飛んで行け」と詠唱するとしよう。しかしこの時実際に考えているのは「あわよくばその子をモノにしたい」という欲望だ。助けた結果女の子のポイントを稼げるという自分の利益になるからこそ行う偽善だ。

 無論慶代さんやお釈迦様のような聖人君子ならば人助けをしたいという真善の一念で魔法を発動させられるんだろうが、こちとら欲望まみれの俗物だ。どうしても"その先の利益"を深いところで意識せずにはいられない。

 ならばどうする? 軍艦島へのワープと漢政との戦闘。この二つを矛盾させずに一語に纏めるには。自分の本心すら言いくるめるロジックはなんだ?

 

 

「漢政に不意打ちをお見舞いしたい」

 

 

 瞬間、目の前には石造りの廃墟が広がっていた。……成功だ。

 昨日は指先に火を灯すだけだったから実践は苦労しなかったし、ために理論の教えを理解しきれていなかった。流視さんの言う言心一致の難しさを今、真に理解した。

 才能は、努力によって磨かれるものだ。だけどこの原初の秘法は、道徳無き時代の遺物は……才能を寝かせておいた方がいいんじゃないかと思う。

 魔法をモノにするなら醜悪な本音を開き直って表面に出すような訓練を続けなけりゃならないわけだ。そんなの人格にいい影響があるはずがない。いつしかそれが醜悪である事すら忘れてしまうだろう。

 危険だ。下手人は誰だか知らないし、恐ろしすぎて聞く気もないが滅ぼしたのも頷ける。

 

 

「よし、着いたな もっとスムーズに欲望と実践のピントを合わせられるようにしておけ」

 

「すいません、こんな時になんですけど……これだけ聞いていいですか

流視さんは魔法について、どう思いますか?

俺はね、ちょっと恐いですよ 自分が恥知らずになるのが」

 

 

 流視さんと視線が交差する。せっかくマナが扱えるのだから魔法使いとして頑張ってみろ、というのは分かる。俺もせっかくだから頑張りたい。

 だがそれだけだ。"折角"だけで自尊心を切り売りする趣味はない。

 

 

「ふむ、そう捉えるか 私としては、力に選ばれた責任を放棄する方が恥知らずだ ……だが、自覚が無いのなら強いたりはしない それは君の力なのだから」

 

「……」

 

 

 ……俺小さい男だな。身長だけじゃなくて器も。

 俺は自分の事しか考えて無かった。自分の人格が穢れたらどうしよう、そんな自己中心的な不安感に支配されていた。

 でも流視さんは力に選ばれた責任とまっすぐ向き合ってる。認めたくないが、恐らくあのレイシストの大泉ココアだってそうだ。

 まず自分よりも皆の為に頑張ること。それが俺の責任。

 

 

「今自覚しました いきましょうか」

 

 

 俺の言葉を聞いた流視さんの眼が、緩やかに細められた。

 非常に縦長い島を慎重に歩いて行く。朽ちたアパートの瓦礫の山を横目に、無言の行進が続いた。

 聞こえる生きた音は何もない。ただ足下からガタガタと瓦礫の音が鳴るだけだった。

 

 

「そういえばここって無人島ですけど観光客はどうなってるんですか?」

 

「老朽化が進む以前は午後を回ったぐらいにクルーズ船でやってきていた だが今は一切の立ち入りが禁止されている」

 

 

 島の奥深くへ。朝日の届かない死んだ世界を、自分自身の命の息吹だけを感じながら踏破していく。

 まるで山登りのような清涼感ある孤独。静まり返った禅の間。

 忘れられない思い出になりそうだ。

 

 

「……誰だ?」

 

 

 重厚な男の声だった。首を向けると土だらけの衣服を着た大男が座り込んでいる。

 ―――――――その周りには黒くこびりついた大量の血痕があった。特殊部隊と思われる複数人分の衣類もある。

 ……間に合わなかったのか? いや、来るのは調査隊のはずだ。じゃああの戦闘服みたいなのは何だ?

 中には死後かなり経過した様子の死体もある。ひょっとしてこいつらが漢政暴走の引き金か?

 

 

「にぶい鬼で鈍鬼 ……そこにある服の持ち主って」

 

「喰った」

 

 

 漢政がのそりと立ち上がり、生温かい土埃が辺りを舞って地平線が霞む。空気が張り詰め、その圧に思わず口角が上がってしまう。

 どう見たって大人しく護送されますって態度じゃないよな。

 隣を見ると、流視さんは目玉が飛び出さんばかりに瞠目し後ずさりしている。やっぱりこの後襲ってくるのか。

 

 

「逃げたければ逃げるといい 俺の関知するところではない」

 

 

 まるで他人事のような視線と言葉。だが漢政の身体はこちらに飛びかかるために腰を低くしている。

 どんな異常を持っているか流視さんも分からないそうだが、ちょうどいい。この俺が暴いてやるとするか。

 初めて実戦で使う、この技でね。

 

 

「しゅっ……!!!」

 

 

 踏み込みのスピードは最速。拳を痛いほど握り込み、腕の引き、腰のひねりもタイミングばっちり。俺の出しうる最大威力の正拳突き。

 そのインパクトの瞬間に……およそ100t超えの超重量を乗せる!! 足に接地した地面がへこみ、右拳は漢政の胸板に吸い込まれた。

 まるでダイナマイトが爆発したような音が辺りに響き再び砂埃が舞う。……漢政はよろめいて数歩後ろに下がった。

 当たった……! 俺の必殺技、ゼライチキャノン! 衝撃波でこっちの服まで破けてるし何なら内臓もダメージ負ってるまであるが、手応えがあったのは滅茶苦茶嬉しい。お味はいかが?

 

 

「――――これで終わりか?」

 

 

 速い。目で追いきれない。殴ってくるんだから身体を重くして踏ん張れば―――。

 ッ!

 

 

「ぶばはあっ!?」

 

 

 水!? 痛…………浅い意識の中腹を(さす)ろうとしたが、その腹がない。がっつりと風穴が空いてしまっている。俺、今海に浮いてんのか?

 視線を動かすと軍艦島が目の前に見える。ここは、最初にワープした海岸……。

 身体を重くしたにも関わらず、俺は島の端から端までブッ飛ばされたって事?

 

 

 

 

 ヤバイ。

 

 

 

 

 ガチでヤバイ。マジじゃなくてガチに。

 は、早く流視さんのところに戻らないと! あの人だけは守りきらなきゃ漢政を止められる人がいなくなる!

 

 

「流視さんを守りたい!!」

 

 

 一瞬視界がぶれ、ワープに成功する。相変わらず表情筋が死んでいる漢政の顔面にローリングソバットを喰らわせつつ、ドリフトするように流視さんの側に着地した。

 ただ一度の目配せで見たくはないものが視界に入った。右の足がない……。

 

 

「流視さん足が!?」

 

「君が殴り飛ばされたとき……余波で持っていかれた だが、君が私の心配をしている余裕はないぞ…… こうなった以上逃げるのも容易ではない

無理を承知で頼むが、力尽くで奴の動きを抑えて欲しい 少なくとも1.5秒……定点に縫い付けてさえくれれば」

 

「分かりましたやってみます!!」

 

 

 さっきは受け止めようとしたから駄目だったんだ。最初から避ける気でいけば俺でも足止めぐらいは……。

 

 

 

 

 彼の足が掴まれた。今なら漢政は一つ所に、地に足がついている。

 眼力を集中させ、漢政を真っ直ぐ見つめる。私とあろう者が迷うな。自分の成すべき事を直観で感じろ。

 漢政が腕を振るい、情成の首が刎ねられた。私は――――。

 

 

 

 

 ……目まぐるしく切り替わる景色に、首が飛んだと理解した。

 島の端まで殴り飛ばされたときは全身の節々に痛いタイミングが結構あって、自分の状態を理解するのに時間を要したけど今は妨害するものはない。

 軽かった。自分が野球ボールになったような感覚。同時に、上には上が居るのだと心底痛感した。

 嬉しくて恋煩いの溜息でも出てしまいそうだ。中堅程度、普通の奴、当たり前にいる人。そんな風に言って貰えたような気がした。俺は皆からそう認識されて死ぬ。

 …………。……………………あれ。

 おかしいな。確か首が飛んだら、10秒ほどで貧血のため気絶するように死ぬんじゃなかったか。

 しかも幻肢痛? 身体がまだあるような感覚もある。しかもこの肺に入ってくる清涼な感覚は……。

 

 

「起きろ情成」

 

「流視さん……?」

 

 

 首が……あれれ? ちゃんとくっついてる!? 泣き別れになったはずなのに!!

 しかもこの欧風の森にキシリトール風味の空気、回魔郷(かいまきょう)じゃん。

 な、なんで?

 

 

「君の胴体をまず転移させ、そして首を"くっついて重なる"座標に転移させた

自分でやっておいて本当に助かるのか疑問だったが、君が生きているのはそのためだ」

 

 

 それで神経が元通りになるの気持ち悪いな。まあ鬼だからって事で納得しておくか。

 そんな事より今は漢政だ。

 

 

「ヘマこいてごめんなさい ……漢政を後一歩で転移させられるってところで」

 

「無理を言ったんだ、謝る必要はない 私も出来ればこの回魔郷から一方的に漢政を転移させられればよいのだが……残念ながらこの力は自分のいる世界のものしか転移させられない

だが大丈夫だ ……生きてさえいればいくらでも方策は立てられる

それに君を生かすと決めたとき閃いたんだ」

 

 

 流視さんは片方しかない膝をつき、俺の顔を両手で掴みじっと見つめてくる。言葉もなくただ見つめ返す。

 小鳥のさえずりのような雑音が流れている中で、その厳かで甘い間は一分ほど続いた。けれど時間の感覚を忘れさせるそれは一時間にも感じられた。

 やがて流視さんの目が閉じられ、手が離される。眉間を指で揉みほぐすところを見るに、何か相当な難行を終えたらしい。

 

 

「聞くの無粋ですけど今の時間何だったんですか?」

 

「ああ 私には無数の並行世界を観測し転移させる能力がある それは理解しているな?」

 

「ええ、そりゃ実際こうして回魔郷に連れてこられてますから」

 

「そして情成、君にはマナを操る才能がある 今行ったのは君の中に創られたマナの世界へのピント合わせだ 言うなれば情成世界か」

 

 

 いきなりついていけない話になってきたよ……。まだ、でもまだ理解できるぞ。

 頼むからこれ以上哲学的に深化しないでくれよ……!

 

 

「情成世界の理は全て君の心の根っこ、深層心理が決めている もしかすれば君に有利な力が働くかもしれない」

 

「準備オッケーですよ 自分の世界とやらがどんな場所か気になりますし」

 

 

 俺の返事を聞いた流視さんが首肯し、視界がブレた。

 着いた先は……ウユニ塩湖じゃん!! しっくり来すぎて逆に気持ち悪いぞ!

 

 

「あの、流視さんこれは……なんていうか、テキトーさを感じません?」

 

 

 思わず第四の壁の存在を頭に思い浮かべる。

 いやでも、もしそうだったらウユニ塩湖がありきたり過ぎるって意識を持つようにするだろうか?

 それとも最初にウユニ塩湖表現を使ったアニメ監督さんがこういう体験をした人だったとか?

 

 

「そうか? ここは君の世界だ 君にとって並行世界のイメージとはこういうものなのだろう」

 

「ああ、なんだそう言う事……でもやだなぁ デザイン変えたいです猛烈に

蘇若あたりにセンスねぇなって罵倒されそう」

 

「それはまたの機会にしておけ それよりこの世界の性質を理解せねばならない」

 

 

 とりあえず重力も普通だし呼吸もできる。この辺りは、マナが願いを叶える性質のエネルギーだから共通なんだろう。

 後は精神と時の部屋やベルベットルームみたいな特徴があるかってとこなんだろうけど……。

 …………どうしよう。三分ほど二人で頭をひねっていると、流視さんが何かを閃いたようにこちらを見た。

 

 

「……君の能力を使ってみたらどうだ?」

 

「やってみますか」

 

 

 俺の重くする肉体異常。この世界で使ったら何かしらの変化があるかも知れない。

 意を決して能力を発動させる。…………おお? 俺の身体には何も起きないな……。つまりここは能力を無効化させる世界?

 

 

「情成、これは……!」

 

 

 流視さんの手の中に何か暖かな光を放つ物があった。そっと触れてみるとそれは指輪だった。

 これ、俺が能力使ったのをトリガーに現れたってことだよな。指輪を右の人差し指に嵌めてみる。

 シンプルながらも波打つような曲線が美しい紫色の金属だった。自分が宝石類に関して素人なのは分かっているが、それでも見たことのない珍しい物だってのは分かる。

 そして何より特徴的だったのは、こんなに小さいのにだいぶ重いという事だった。サイズが小型なのに重たい……というのは、質量がどうたらという話になってくるのだろうか。

 なんか分かっちゃったかも。俺の世界の性質。

 

 

「あの……多分この指輪って、俺達の絆に質量を与えたものなんじゃないですかね?」

 

「何?」

 

「俺の能力は、一昨日まではただ重くすることだって思ってた でも流視さんに教えられて認識が変わった

体積を変えずに重量が増えるのは奇跡みたいな力って言ってましたよね それって無いものに質量を与えてるって事じゃないですか

願望の世界で生まれたその指輪は俺が一番欲しかった絆に、姿、質量を与えたものだと思ったんです」

 

「これが、私達の絆…… 少年 君は純粋過ぎるとよく言われるだろう」

 

「純粋……まあ、最大限好意的に解釈すればよく言われてますね」

 

 

 サイコパスって純粋なところあるしね。

 暫く顎に手を当てて考え込んでいた流視さんは、俺が身に付けている指輪に視線を落とし強く頷いた。

 

 

「この指輪が私の想いも汲んで生まれたのならば、私の能力とも関係していないか?」

 

「どうなんでしょうね……まず俺は眼が特別じゃないですから

並行世界に作用する力があったとしても分からないんですよね」

 

 

 眼が関係ないんだとしたらこの指輪一つで完結してるはずだ。いや都合が良すぎるか?

 でも流視さんは情成世界なら漢政に対抗しうる物があるって目算だったんだし。うーんああもう、仮にこの指輪がただ重たいだけの代物だとしてもまずは実験して真偽を確かめるのみだ!

 少なくとも今日中には終わらせなきゃいけない!

 実験するにもここじゃ環境が独特な上、モノが少なすぎる。回魔郷だ、まずは回魔郷に行こう。

 流視さんに連れられ、先ほどまでいた捻れた木々の森にワープした。未だ指輪に変化はなく眼も並行世界を映すことはない。

 

 

「とりあえず……じゃあこの手近な花で」

 

 

 そこらに生えていた花を撫でてみる。すると指輪に触れた瞬間花が消えた。……不安感が高揚に変わり、自分の仮説の正しさを確信する。

 ゆっくりと振り向き流視さんと視線を合わせ、力強くお互い頷いた。

 再び情成世界にワープしてみると、先ほど消えた花がちゃんとあった。

 

 

「この指輪は、触れたものを情成世界に転移させる能力を秘めています

つまり流視さんが関係しているのは間違いない! ほらねっ俺の言ったとおりでしょ!!」

 

「ああ この指輪で漢政を情成世界に転移させれば我々の勝利だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 元の世界に……軍艦島に帰ってきた。

 ガレキを踏みしめ、座り込んでいる漢政に向き直る。

 

 

「……驚いたな 首を刎ねられてなお生きているとは

鬼だとしても奇妙だ」

 

「なーに、ほんの裏技だよ」

 

 

 ゆっくりと漢政に近づいていく。いちかばちか。ここで勝つか負けるかの正念場。

 格上相手との手に汗握る戦いが身体をヒートアップさせる。

 

 

「……なぜだ なぜそんな顔をする」

 

 

 口は耳まで半月型に裂け、瞳は猫のように爛々と輝き、猛る鼓動は蹂躙する肉食獣のようだ。

 愉しい。全力を賭してなお勝負の結果が分からない。未知より楽しいものはないのだ。

 

 

「なぜお前は、俺に対して勝つ気でいるのだ」

 

「決まってるさ 気持ちの上では対等だからだ……!」

 

 

 本当に驚いた、と言わんばかりに漢政の死んだ表情筋が動いた。

 全力で右の拳を打ち込み、漢政を情成世界に転移させる。これで、勝ち。俺の勝利。

 

 

「やったぞ情成! 君は見事任務を達成した!」

 

「…………これが、勝ちだって言えるのか……?」

 

「……情成?」

 

 

 漢政の最後の表情、とても見覚えがある。

 久しく停止していた心の歯車が、高揚とアドレナリンの潤滑油によってようやく動き出した顔だった。

 俺を同族(てき)として認めてくれた表情だった。あんなカオを見ておきながら、蓋を開けてみれば不意打ちの転移能力で決着だと?

 そんなのは駄目だ、嘘だ、クズだ。男らしさの欠片もない。

 何より俺の中の熱が、興奮が、行き場を求めて暴れ狂ってる。

 

 

「流視さん」

 

「どうしたんだ君は……!?」

 

「先帰っててください」

 

 

 自分自身を、軽く指輪でなぞった。ブレる視界。目の前に映る俺の世界。

 そして人生最初で最後の、挑むべき高き壁。

 

 

「待たせたね ここなら誰も気にせず好きなだけ暴れられる」

 

 

 法律とかどうでもいい。一般市民への迷惑とかもない。異能の秘匿なんて完璧無視だ。

 俺はただ、同じ水準の人間と語り合う。ここには暴力に飢えた二匹の妖鬼が居るだけ。

 俺達は通じ合ってる。

 

 

「面白い…… 俺は、俺は本当に! 久しぶりに! 未知を感じている……!

正直まだ半信半疑だが、この場所といいお前の態度に興味が尽きない」

 

「とっておきの未知を見せてやるよ 俺が見せるのは……最強の鬼であるあんた自身さ、漢政優護!」

 

 

 漢政との間に熱い共鳴が生まれる。轟くような期待感が大波になって俺をさらおうとする圧を感じる。互いが互いを飲み込むために大口を開けて対峙する。

 その思いが、形となる。

 

 

「ムッ……!!?」

 

「きたきたきたぁ!!」

 

 

 漢政の胸から解き放たれた光を手中に収め、ほとんど本能的に漢政に振り下ろした。

 肉が焦げ、あれほど頑健だった漢政優護が切り裂かれる音がする。

 俺が手にしていたのは剣だった。それもプリズム質の微光を放つ光線の刀身。ビームソード。

 これが俺の切り札。あんた自身の力だ。

 すぐさま漢政を追撃するが、斬る瞬間眼前から消失する。

 

 

「俺が……ウワハハハハアァ! 俺に傷が付いた!!!!

お前の表情、俺を狩る意思を感じる!! 絶対に誰も俺には勝てない……その退屈を、お前は紛らわせてくれるのか!?」

 

 

 背後に衝撃。骨が折れて砕かれ臓腑が潰れる。

 

 凄まじいGを受けながら転がり飛びつつも、剣だけは手放さないように柄を握り込む。

 勢いがなくなった感覚を頼りにバック宙で着地し、目まぐるしく視線を彷徨わせた。五感全てが鋭敏になり右脳を焼き焦がす炎となる。

 どこだ。どこにいる。俺の斬るべき男はどこに居る?

 

 

「これで……終いかあぁ?!!!」

 

「そこか……!!」

 

 

 スピードは確実にあちらが上。初撃は不意打ちだったから斬れた。もう振りかぶった時点で避けられてしまうだろう。

 だから漢政の言うとおりこれで終いだ。一度互いに息を整え構える。後一撃でも貰えば今再生中の心臓が完全に止まる。泣いても笑っても最期の一撃。

 あんたは本当に強い。俺より強い。俺の本気を超えた人よ。

 感極まって泣きそうだ。鬼として……人から外れた妖怪としてずっと仲間が見つかるのを待っていた。見つかったのならできるだけ謙虚に献身的に振る舞おうと決めていた。

 慶代さんには、もし自分がコミュニティ内で弱かった時のためと言ったけど、本当は少し違う。俺は自分の奢り昂ぶりを矯正したかった。心の中で知らず育っていく嫌いな自分に説教したかった。

 今俺は格下。俺はチャレンジャー。俺は人間として勝つ。本気で努力した成功体験を、本気で頑張った経験を必ず明日に持っていく。

 だから好敵手であるあんたを……。

 

 

「後ろだぁああッ!!!!」

 

「グぶハァッ……! は……ァ」

 

 

 言の葉に乗せて、ワープした背後から袈裟懸けに切り裂いた。一瞬の静寂が全身を支配する。

 斜めに切断された漢政の上体がどさりと落ちた。……勝った。

 今俺は、正当なプロセスを経てようやく自分の強さを誇れる。格下を嬲り者にするのではなく好敵手に競り勝って。

 尻餅をついて痛みに眉間を歪ませながら、それでも笑った。

 

 

「俺は……強い 鬼のように強ぇんだ…………!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくのち、流視さんが俺を迎えに来てくれた。自力で帰る手段がないのを忘れてたよ。

 本当短い付き合いなのに弟子としてもう頭が上がらないな。

 それから東京へは新幹線で帰ることになった。流視さんの流儀として本当に必要な時にしかワープの力は使わないとのこと。

 足が吹き飛んだのに公共交通機関を利用しようと思う人はまずいまい。断面は止血したからというけど、そういう問題じゃないと思う。

 片足になってもブーツを履きこなし杖をついて苦しい顔一つ見せない。何だかんだ流視さんはやはり格好いい。もの凄い精神力だ。

 

 

「流視さん、佐橋ビルに怪我を再生できる仲間がいるので足治しましょう 蘇若っていうんですけどね」

 

「いやいい 返す目処のない借りは作らない主義だ ……後、会ったことがないし」

 

 

 人見知りなのかな? でも重ねて思うがそういう問題じゃないだろ。足だよ足。

 知らない人に会うだけで欠損が治るんだから駄々こねないで欲しい。恩田さんも貴重な人材って言ってたし最悪同行者の俺が殺される。

 

 

「ココアさんたち怒るだろうなぁ~ 守れなかった俺がどんな目に遭うやら……」

 

 

 ちらちらと視線を横目に送るが完全無視だ。弟子がどうなってもいいんですか貴女は。

 まあいいや、帰ってから地獄ならせめて帰りぐらい気楽にいこう。

 なるべく良い雰囲気にしたいけど、新幹線の中で向かいに座る流視さんは少し不機嫌そうだ。

 

 

「……一つ聞きたかったのだが 情成、君は死に急いでいるのか?」

 

「ん まあ若干そんなケもありましたけどね でも今は……まだ死にたくないって思えますよ

誰かに退治されなくたって証明できる 俺が強いのは身体じゃなくて心だ、って胸を張って言えますから」

 

 

 ゆっくりと。流視さんが窓の外に視線を移す。

 俺の事を怒っているような、心配しているような気配は全くなくなり、俺への興味ももうないようだ。

 

 

「それならいい ………………それと、足を治すのは情成の借りで頼む」

 

「お、治す気になったんですね そりゃよかった」

 

 

 そうだ、優理愛ちゃんのこと放ったらかしだけどどうしたものかな。せっかく地獄を回避できたと思ったのに。

 帰ったら、ようやく心の底からあの子と向き合える気がする。今はただ、静かに目を閉じていよう……。



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紡ぐレスヴォスの詩 1

「お姉さま これをどうぞ」

 

 

 麗らかな日差しと、ゴシック調の窓から入り込む心地よいそよかぜ。椅子から窓外の花園を見やり、リラックスしている私に我が従者は恭しくマグカップを差し出してきた。

 私程背の高い彼女が中腰になった事で、アリッサムの甘いシャンプーの残り香がふわりと揺蕩う。

 コップには月桂冠と個性豊かなヒヨコの模様が散りばめられていて、ティータイムをより落ち着いた空気で包んでくれる保証に満ち溢れている。

 

 

「これって、澄澪(すみお)が使い始めたものと似ているわ

貴女のはヒヨコでなくてペンギンだけれど」

 

「はい お姉さまがそれを物欲しそうに見ていたので自作いたしました」

 

「こら! この私のコルテージュでありながら不躾な物言いはおやめなさい

何度も厳しく言うようだけど、王女の白鳥さま(シーニュ・ド・プランセッス)としての自覚を持って女王の白鳥さま(シーニュ・ド・レーヌ)である私に失礼な言動は控えるの

私達は一点の穢れも許さない遠女(エンジョ)の風紀委員であり生徒の模範 いえ、模範にできない程高嶺で羽ばたく白鳥なのよ」

 

 

 澄澪は深くお辞儀をして、凛々しい所作で背筋をぴん、と張った。

 その美しい礼儀には少しの欺瞞もなかった。

 

 

「はいお姉さま では紅茶を淹れて参りますので、失礼いたします」

 

「……澄澪、私のプライドがこれを受け取らないとは考えないの?」

 

「わたくしは、お姉さまとお揃いのマグカップが使えたら大変嬉しいと思っていたのですが

お姉さまはそうお思いでないという事でしょうか?」

 

 

 真顔でそんなことを言う。私がムキになってもお構いなしに、素直で、純粋に酔いしれてしまえる空気を生み出す子。

 私のような厳格で秘密主義の女王に仕えるには適任な存在。時たまきつく叱りつけられても、決して私からの愛を疑わない姿に心の甘い部分が揺さぶられる。

 分かりやすい愛嬌はないのだけれど、澄澪には私しか知らない繋がりがある。私にしか分からない愛情表現がある。

 

 

「いいえ、私も同じ気持ちよ 同じものが使えて嬉しいわ」

 

 

 そう、貴女と同じ……心が溶け合えて嬉しいのよ私。

 マグカップ、ありがとう。大切にするわ、ずっとずっと――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 デスクに深く腰を掛けなおし缶コーヒーを啜る。眉間の皺はコーヒーが苦いからやない。

 忘れもせえへん大阪城の立てこもり事件。事の顛末は苦虫を嚙み潰したような酷い結果やった。

 主犯である少年K等は敵対する暴走族ライフによって壊滅。ほんで総長である鐵綾子に身柄の引き渡しを求めたところ乱戦に発展。

 包囲は完璧やった。抵抗するならまとめて逮捕やでワレ! ぐらいにはそらもう完璧や。

 俺らはまるで蟻んこみたいに蹂躙された。あの大女は人間やない、バケモンや。奴のおかげで少年K等はまんまと連れ去られた。

 今日現場責任者として……失敗の責任取って謹慎させられとった先輩が帰ってくる。鐵のバイクにしがみ付いて、哀れ蹴り落され鼻血ブーしてもうた赤凪純佳(あかなぎじゅんか)警部補が。

 

 

「あーホンマキッツイ……絶対大荒れや」

 

「ほな頼んだで小出(こいで)! 心配せんときアレでも遠女や」

 

 

 同僚が一人、また一人と仕事に去っていく。どういう反応やったか後でめっちゃ聞く癖に誰も第一波は自分で受け止めようとせえへん。

 俺は普段から恋多き男を自称しとるから、こういう役目を仰せつかるのもまあしゃあないわ。

 しっかりフォローしたらな美人が台無しや。待つ事十五分。何やら廊下がドタドタ騒がしい。

 

 

「署長はどこおんねん!!!」

 

「どわっ!? せ、先輩やないですか」

 

「おー小出! しばらくぶりやん元気してたか?」

 

 

 久しぶりに見た赤凪先輩は、普段よりやや豪快な印象を受けるものの特にヘコんだりしとるようには見えへん。

 変にハイテンションになっとるんやろか。

 

 

「ホンマです! いやもうホンマ心配してたんですよ先輩!

あんなバケモンと戦わされた挙句に謹慎処分やろ!? 並みのオンナならぽっきり折れてまうわ!」

 

「あぁ!? 誰にモノ言うとんねんしばくぞ!

それより葛城の居場所は分かっとんか?」

 

 

 ヘコむどころかやる気満々やと……!?

 アカン。涙腺ヤバイわ。ごっつええ人やホンマ。

 でも言うてええんか? 言うてどないなる? ……まさか万歳突撃なんてせえへんやろし、隠せるモンでもないし言わなアカン。

 

 

「ライフのアジトはすでに突き止めてます そこにK達も連れ込まれたっちゅうんが大方の見立てですね

望遠カメラで張り込んでますけど、今んとこ何にも動きはありません」

 

 

 デスクから書類と写真を手渡すと、先輩は食い入るように凝視している。執念や。執念に満ち満ちた眼をしとる。

 一しきり目を通した後、先輩は息をついて椅子に座った。その仕草はまるでリング上のボクサー。謹慎中の鬱憤が静かに燃え上がってるんやな。

 

 

「少しも目ェ離したらアカン うちが葛城をいてまうまではな」

 

「いてまうて先輩……」

 

 

 何や、なんか様子おかしいで。

 

 

「ああ いや、なんや

逮捕して絞首台に送ったるっちゅう意味や あのクズはそれだけの事をしたやろ」

 

 

 確かに。Kは捕虜にした警官を丁重に扱い犠牲者を一名も出さなかったものの、味方であるはずの半グレ共には少数の死者を出している。

 もしKが、葛城涙夏がその粛清さえ行わなかったら……あれだけ暴れて戦争しておいて、関係者を一人も死なさなかったいう事になるんか?

 いや、仮定の話や。結局殺人を禁忌としてへん時点で話し合う余地はない。奴はいつか必ず裁かれなアカン。

 

 

「鐵の身辺を徹底的に洗うで! 今まで不殺で鳴らしてきた奴の事や、恐らく葛城を殺してへん

参謀に引き込もうとしてるか、あるいは自分のオトコにする為に捕まえとるんかどちらにせよ鐵綾子から取引で葛城を奪い取るで

悔しいが正面からは歯が立たへん」

 

「ホンマですわ でもどうやって上を説得します?」

 

「そらもうChikubi drillで心の壁を粉砕するんや!」

 

「ドリルすな! てか発音なんやねん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 大広間へと続く襖が開き、胸元が大きく開いたラテン系ファッションの妖艶ダンディが姿を現す。

 議員バッジと腰の刀が異彩を放つその御方に、俺は深々と頭を畳につける。

 侍責党党首、雛泉(ひないずみ)赤甲信(あかのぶ)。今回とても迷惑をかけてしまった御館様。

 

 

「もう目は癒えたのかな? 標」

 

 

 籠城戦の後、鐵の下で応急処置を受けたが眼を膿んでしまった。お館様の計らいで先日公儀隠密の救仁郷殿にも治療してもらったが、左目はもはや光と色しか分からない。

 

 

「ははっ……失明致しました 戒めとして心身ともに深く刻みとう存じます」

 

「それはよかったね ……なぜ、自分達が敗けたのか 分かるかい?」

 

 

 うぬ……。本来であればあの魁偉小町の無双の武勇を侮っていた、で片づけられたが、事実あやつが居なくとも俺達は敗けていたに違いない。

 

 

「軍鑑の十二品、自家を滅亡に導く愚将の二に原因が帰するものと考えます

すなわち利口が過ぎたるによって身を亡ぼす将」

 

 

 俺達は鐵綾子率いるライフとの決戦にばかり気を取られ、大阪府警連合軍の事など全く考えていなかった。

 彼らは犯罪捜査のプロであり軍略のプロではない。だから俺達の障害には成りえないと無意識に見下していた。物事の一部だけを捉えて、分かったと分析を打ち切ってしまった。

 全ては俺の責任だ。俺がその事に気付き兄貴に諫言していれば……。

 

 

「うん、そうだね 警察だって"一応"公儀という事になっているし、みんな必死に頑張っているんだ 特におことたちの台頭に危機感を募らせ軍略を勉強しようと思った警官も居たかも知れない

舐めてかかれば時には知略の差をひっくり返されることもあるだろう」

 

「まことに、面目次第もございませぬ……! 甲軍の威信を失墜せしめた責任、この上は腹を切って詫びまする……」

 

「だが

おことは甲州流の肝心要の教えはしっかり守っているじゃないか

汝の敵を敬せよ ……敵に一人の死者も出さず捕虜の安全も守り抜いてみせた」

 

「しかし! それは俺の功績じゃありません 灰爪尋人、彼のおかげによるところで」

 

 

 あいつがきちんと目を光らせておいてくれたから、寸分の隙も見せず見張っていてくれたからできた事だ。

 尋人には感謝してもしきれない。それなのにあいつの戦績に泥を塗ってしまった。

 

 

「評判によれば彼は誰かれ構わずすぐ殴りつける問題児じゃなかったかな? そんな人材をうまく使ったのはおことと涙夏だ」

 

「あいつはさほど渋柿ではありません

初めて相対し部下をやられた時は手の付けられぬ猛獣でしたが、灰爪は虎ではなく象でした 澄んだ心眼で相手の心を捉えることができる故、相手によっては問答無用で殴りつけるのです

傍目から見ると思考回路が分かりづらいですが、話せば確かに分かる男

理解してやろうとする努力が周りに足りていなかったのです」

 

「なるほど、まあとにかく切腹はよしなさい 涙夏は母君を敬わないしミゲルは女色が過ぎるしで未熟な部分が多々あるが、おことらが腹を切るほどとは思わない

それにひょっとしたら期限が縮まるだけかもしれないし」

 

 

 期限? それは近い将来何か一死あるという事だろうか。

 訝しむ俺をよそに御館様は一枚のディスクを取り出し、再生機器にセットした。

 

 

『やっほー涙夏、シルシルー! 加奈ちゃんだよ~っ!

君たちがこれを聞いてるって事は、ちゃんと雛泉さんに届いたってわけだ』

 

「な、何で加奈がこんなものを?」

 

「黙って聞いていなさい 面白いから」

 

 

 面白いってそんな言い方。俺達の書類を偽造してホットドッグ早食いギネス記録でも取らされたのか?

 

 

『まずは先に謝っとくわ 裏切ってゴメンね! あんな化物に楯突いた人間が悪いんだよ

本当はうまく鐵の傘下にみんなして入れてもらおうって動くつもりだったんだけど……あんたもシルシルもさぁ、鐵が白バイを蹂躙した映像、うちが見せずに破棄した事速攻で勘付いちゃってるじゃん!

そう、なんとこの音声はあの詰問の直後に録っています

まあこれも兵家の常っていうか渋柿を用いた結果っつー事で 次敵として会ったとしても友達だよ!』

 

 

 ああ、あの時か……。結局その後すぐに警察と鐵が襲ってきて裏切りのタイミングは逸したようだが。

 その後御館様がもう一枚のディスクを再生機器に。なんだ? 今の後にもう一回送り付けてきたのか?

 

 

『よっす 無事? だよね

うちはさ、結構無事じゃないっつうか、こってり絞られたっていうか……姉御の格別の御慈悲でなんとかライフに入れてもらえる事になったよ』

 

 

 これは俺と兄貴が鐵のアジトから立ち退いた後に録ったんだな。

 あの時鐵は、外に出たらまた暴れるのか? と兄貴に問いかけ、どこまでやれるか分からんが最低限家来は助ける、と返した。鐵は呆れた様子で救えないなと呟いたが、俺達を認めたのか解放した。

 ……加奈だけは、ライフに入れてくれと懇願して俺達は別れたが。

 

 

『そんでさぁ、ちょい二人に調べて欲しい事があるの あの時の捜査の陣頭指揮を執ってた大木翔(おおきかける)警部補と赤凪純佳警部補、出身校が同じなんだよね 二人の事掘れば掘るほど興味が湧いてきてさ

単刀直入に言うよ 二人を陰で操っていた謀士の正体を探ってきて欲しいの』

 

 

 謀士の正体だと? うぬぅ……確かにあの大木の豹変は気になる。彼女に指示を与え兄貴を殺そうとしていた者。俺もできるなら自らの手で暴きたい。

 

 

『場所は遠城寺(えんじょうじ)女学院! 探すのは王子様と呼ばれる人! 二人とも顔がイイから、女装して探ってきてね~!!

ちゃんと偽の編入届も用意したし、うち特製のチョーカー型変声器も同封しといたから』

 

 

 ぬ?

 何を……言っとるんだ? このコゲ饅頭は。

 唖然としている俺の目の前に御館様がチョーカーを差し出してきた。喉仏を圧迫するような独特な形状のそれを凝視する時間分、眉間に皺が寄りめまいを覚える。

 えぇ~…………。それにしても加奈がさっきから呼びかけているのは俺と兄貴両方に対してだ。

 

 

「御館様 今朝兄貴の顔色が優れていなかったのはもしや……」

 

「涙夏は一足先にレーザー脱毛を受けているから、おこともこの後受けに行きなさい」

 

 

 れゐざあだつもふ……だと……? ほ、本格的だ。冗談でもなんでもなく本当に女子高に潜入しなければいかぬのか!

 もし正体がバレれば、少年K等グループは一気にただの変態集団へと評判が変わってしまうだろう。

 じゃあ今は評判いいのかと言われれば別にそんな変わるものでもないとは思うが、同じ悪評にしても変態は御免被る。

 切腹の期限が伸びるだけ、と御館様が仰られたのはこの事か。バレて女装姿のまま切腹する未来は避けたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はらり、と切り落とされた前髪がゴミ箱に吸い込まれていく。

 白を基調とした鏡台の前で首をあれこれ動かしておかしなってへんか確かめる。

 ……うん、ええわ。ぱっつんはセットが楽ちんやねんなぁ。

 

 

(キラ、他の髪形は試してみないのかい?)

 

「ぇ? うちはあんまり、自分に似合う髪型とか分かれへんから……

クシャキはんは何か見てみたい髪型あります?」

 

(私は短髪にしたキラも見てみたいな)

 

「ほ、ほんまなん? でもうち根暗やし似合わへんと思うねんなぁ……

せ、せやけどクシャキはんが見たい言わはるんやったら」

 

(無理はしなくていい 私はそなたの望む姿を一番見ていたいのだから)

 

 

 そない言われたら、て、照れるわぁ。えと、そや。図書室のお掃除せな。

 ドアノブを捻り廊下に出る。夏のお天道様の元気エナジーを体いっぱいに取り込んで、にこっとわろてみる。

 それだけで今日もみんなと仲良う過ごせる自信や勇気が湧いてくるねんなぁ。

 寮の階段を降りてまっすぐ中庭に向かう途中には誰もいいひん。ちょっぴり早起きし過ぎたやろか。

 ……ぁ? ちゃうわ。二人だけいてはった。けど何であないコソコソしてはるんやろ?

 ひょっとして逢引き……なんてことあれへんやろか。い、一応声かけてみた方がええかなぁ?

 

 

(ふふ、あれは間違っても逢引きではないよ)

 

 

 ? クシャキはん、あのお姉さま方知ってはるん?

 あっ、こっちに気付いたみたいやね。……あら? ほわわ? め、めっちゃでかい!

 180cmあるんちゃうか。高等部でもなかなかいいひんわぁ。

 

 

「ごきげんよう あー、その、職員室にはどう行ったらいいか分かる、分かりますの?」

 

「ぇ、あ、ごきげんよう えと、教会の中にありますえ」

 

「なるほど道理で見つからなかったわけだ 行くぞ標、さん」

 

「そうですわね る、涙夏さん」

 

 

 この二人編入生なんやろか。せやったらどうせ早起きし過ぎたんやし、案内せな。

 それにしても……二人ともべっぴんさんやけど、ちょっと怖いお顔やねんなぁ。

 ルイカはんの方は刃物みたいな眼が威圧的やし、標はんはどことなく不機嫌そうやわ。

 

 

「あの、もしよければうちが案内しますえ」

 

 

 シルベはんが僅かに目を見開いた。自然体な仕草やし、不機嫌や感じたんは勘違いやったんやなぁ。

 不機嫌やあれへんて分かったら、えらいかいらしぃお人や思えてきたわ。

 

 

「いいのかい? じゃあせっかくなんで頼み、ますわよ オホホホ……」

 

「うちは初等部六年エウロパの西大路妃楽(にしおおじきら)いいます

お妃さまに楽しいで妃楽ですえ」

 

「私は高等部二年ソレイユ、小色標(こいろしるべ)よ」

 

「同じく高等部二年ネメシス、桂涙夏(かつらるいか)、ですわ

なるほど初等部は衛星ですのね」

 

「ほなこっちですえ!」

 

 

 二人を連れ立って教会に向かう。二人とも歩幅が大きいから早足でいかなあかんわ。

 それにしてもこの時期に編入生なんて不思議やねんなぁ。聞いてみたいけど聞かへん方がええかなぁ。

 

 

「こんな朝早うやってきはるもんなんやね

編入て大変やねんなぁ」

 

「フェリーの手配とかも計算に入れていたのだが、予定より早く準備が終わってしまったのですわ」

 

 

 なるほどー……。

 も一つけったいな事に気付いて、後ろを振り返る。この人達……なんや初めから知り合いらしゅう見えるわ。

 ますます不思議や。何気なく二人のお顔を見つめていると、ルイカはんが口を開いた。

 

 

「妃楽 この学校、何か変わった噂ってありますの?」

 

「変わった事……?」

 

(変わった噂といえば、何ヶ月か前はドッペルゲンガーの話題で持ち切りだったね)

 

 

 高等部のドッペルゲンガー。あの後ろ姿しか見えへんいう怪談の噂やね。

 学院の方から招きはった霊媒師の方達いう事……あれへんかなぁ。

 

 

「高等部にドッペルゲンガーが出るいう噂がありますえ

なんでも後ろ姿しか見せてくれへんらしわぁ」

 

「……なるほど 他にはないか?

そう例えば、この島に男子生徒が紛れている、とか」

 

 

 男子生徒? そんなん、あり得るん? 男子禁制て決まりがあるのに。

 頭をえらい捻って、変な噂を聞いたことがあるか考える。……あ、一つだけあったわぁ。

 

 

「あんなぁ、関係あるか分かれへんし、うちまだ初等部やから詳しく教えてもろてないねんけど

お姉さんになったら三つのクラブから一つ選んでそこに入ってもええ聞きますえ」

 

「三つのクラブ?」

 

「うぬ……怪しいな、その噂は わざわざ詳細を伏せるのは理由があるんだろう」

 

 

 怪しい……。確かにそうかもしれへん。

 その話で盛り上がった時に、結局その場でだぁれも詳しい中身知らへんかった。

 お姉さんになったら先輩から詳しく教えてもらえるて事しか知らへん。

 なんやそう考えたら九年もおるのに怖なってきたわぁ。

 

 

(後一年で全て分かるよ キラのような女の子なら少し苦労かもしれないね)

 

「えっ クシャキはん知ってはるん? いけずやわぁ

どんな話かうちに教えて!」

 

(キラには少し早い内容だが、そなたが望むのなら教えてあげよう)

 

「……無線イヤホンでもつけてるのか?」

 

「お、お芝居の練習え」

 

 

 あ、やってもうたわ……。人前で会話したらあかんのやった。

 堪忍え、クシャキはん。

 

 

(いやいい 私はただキラの為に人前では控えた方が良いと言ったに過ぎない

私としてはむしろ隠すべきものだと捉えていないそなたの気持ちが嬉しい)

 

 

 おおきに。うちにとってはもう身体の一部やわ。ただの個性や。

 さてと、教会に着いたわ。階段上がって左手の扉の向こうが職員室。

 普段から呼ばれへんように心がけてんけど、たまに来ると新鮮やねんなぁ。

 

 

「左の階段上がって二階のドアの向こうですえ」

 

「案内してくれてありがとうな、妃楽ちゃん

またその内」

 

 

 標はんがそう言うて頭をぽんぽんとはたきはる。

 なんやおとんみたいやわ。

 

 

「はいなお姉さま ほなさいなら~」

 

 

 次は図書室や。気張りますえ!

 

 

 

 

 

 

 

 

「相部屋ですか?」

 

「ええ、甘蜜(あまみ)お嬢さんはその、一人部屋を希望していたからー、嫌だとは思うんだけど……」

 

 

 それはそうだ。この部屋に誰も入れたくないのもそうだし、相手からしたってこんなメカの部品が散乱した部屋に住みたくはないだろう。

 何で中途半端な時期に部屋の異動が行われるんだろう。相当の問題児なのだろうか。

 

 

(あきら)先生 私は構いませんが相手の意見も伺うべきだと思います

自分で言うのもなんですがこんなガラクタ置き場のような部屋は相手から願い下げなのでは?」

 

「え、ええ、そうね 彼女の意見も伺ってみましょう 小色お嬢さんどうぞいらっしゃい」

 

 

 章先生に促されて入って来た少女は……身長でっか……!?

 うわぁマジか。きっとばりばりの体育会系なんだろうな。

 私がジロジロと観察していると小色さんと呼ばれた子はまっすぐ私に頭を下げてきた。

 

 

「私は小色標と申します どうぞこれからよろしくお願いします」

 

「ぇ 甘蜜相生(あいお)です こちらこそよろしく」

 

 

 ん? これからよろしくお願いしますって言った?

 慌てて頭を上げるともう荷解きを始めている。こ、こいつなんて早業……!!

 

 

「よかった! 仲良くやっていけそうね 小色さんは編入生なの! それじゃあそういうことで~!」

 

 

 そう言い残して章先生は脱兎のごとく去っていった。

 ……無理もない。私はあまり人から好かれるようなタイプの美人じゃない。強く敬遠されるのはいつもの事だ。

 ため息をついて小色さんに向き直ると、床に散らばった部品をかき集め種類ごとに整頓していた。

 わ、私と違ってできた子だ。顔から火が出る程恥ずかしい。即刻やめさせねば。

 

 

「待って、私がやる 散らかしたのは私だから」

 

「いや、私にお任せあれ 無理に上がり込んで迷惑をかけたのだからこのくらい気にしないでくれ」

 

 

 確かに無理に上がり込んできたのは間違いない。けど私の言い方も悪かった。

 相手から願い下げにするだの何だのと言わずに、絶対に相部屋は嫌だと自分からハッキリ言えばよかった。

 体裁を気にした私が悪いのだ。

 

 

「それでも私がやるよ これ以上恥かかせないで」

 

「うぬ、分かった

それにしても……この大量の部品はなんだ?」

 

「別に 自分そっくりのロボットを作るのが夢なの」

 

 

 ある日いきなり周囲に作っていた壁を壊された。

 いい迷惑だとは思うけどきっかけとしてこういうのも悪くないかな。

 この子がいつまで居るのか分からないけど、自分から出て行くまではせいぜい仲良くしてやろう。



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紡ぐレスヴォスの詩 2

「んん……」

 

 

 ねむ。いつもはスッキリと目覚められるのに今朝はやたら意識が重い。

 小人がぶら下がっているかのような瞼を懸命に開くと、寝覚めが悪かった原因が視界に入った。

 あぁ……そういや昨日からルームメイトになったんだっけ。無意識に緊張してしまったんだろう。

 

 

「起きたか おはよう甘蜜」

 

「おはよう小色さん ……何してんの?」

 

「何って、朝食を作ってるんだが」

 

 

 それは匂いで分かる。ウィンナーと卵料理のいい香り。

 そうじゃなくて編入初日から自炊するのが驚きという意味だ。

 この遠女では一週間にいっぺんしか物資を積んだフェリーがやってこない。そのため完全自炊派になるなら緻密な計画性のある献立が求められる。

 だから大抵の生徒は自炊と購買を折衷させたスタイルになっており、バタバタしている時は購買に頼るものだ。それを……。

 

 

「小色さん、いつ起きたの」

 

「五時前だな」

 

 

 駄目だ絶対勝てない。ああ面倒くさい……散らかり放題の一人部屋でさぞやぐうたらな生活していたんだろうなって思われてる。

 顔にかかった碧黒い長髪を払いながら、備え付けキッチンの新たな王者に視線を送る。

 必死に弁解したら余計誤解を招きそうだし、もうこれはこのままにしておくしかない。

 なんで私がこう人目を気にしなくちゃならないんだ。人に注目されたり興味を持たれるのは苦手なのに……。

 

 

「んっ……く、ぅ……ふぁあ

料理上手いんだね」

 

「このぐらい普通だと思うぞ」

 

 

 トイレに行く為に目の前を横切ると、明らかに二人前作られていた。

 なぜだ。何でこういう事をする。居候気分か? 違うでしょそれは。

 私は今まで不正に近い形で一人部屋だったんだから。本来ルームメイトは対等なんだってば。

 嫌だ嫌すぎる。こんな風に気を遣われて精神衛生上まともに生活できるビジョンが見えない。

 何より小色さんに友達が出来た後アイツは大家気分だとか吹聴された日にはもう!

 

 

「あのさ」

 

「ん?」

 

「一日ごとに分担、て事で だから明日はやらなくていいから」

 

「いや、私から押し掛けたわけだし任せておいてくれ」

 

 

 ぐおおおおお……!! いや、ここでトイレを我慢して食い下がるのは逆効果だ。

 食後にもう一度話そう。まだ挽回できる。

 

 

 

 

 朝食も食べたし制服も着た。でもまだ一仕事残ってる。

 授業を受ける前に心のざわつきを除去しておかなくちゃいけない。

 二人で玄関に向かう途中で振り返る。

 

 

「小色さん さっきの事だけど……本当に、その、一人でやってもらったら困るの

私が先に住んでたから偉いとか、そういうのないから

後部屋の惨状を見て、生活無能力者だと思ったかも知れないけど寝坊もしないし自炊も普段からする」

 

「うぬ……まあそこまで言うなら」

 

「うん、ハイ じゃそういう事で 気持ちはすごく有難かったよ」

 

 

 玄関を出て高等部へと歩き出す。普段は一人きりだから変な気分だ。

 なんとか納得してもらえたか。普段人に話しかけないし、ましてや意見なんかしないから不安だ。

 言い方が刺々しくなかったか? 怒っていると勘違いされないだろうか?

 ああ嫌だ。人と関わる気が無いのに、いやだからこそ人付き合いを気にしてしまう。

 関わってしまった以上は不愉快な思いをさせたくない。別に特別いい人だと思われたくはないが、嫌われたくもない。

 良くも悪くもないどうでもいい人として興味から外れたいだけなのだ、私は。

 ……いやそれじゃ駄目だ。この子が自分から出て行くまでは良くしてやろうって決めたばかりじゃないか。

 自分を少なからず変えるチャンスだと捉えればいい。

 

 

「そういえば昨日言ってたロボットの話、聞いてもいいか?」

 

「ああ、うん

かれこれ三年くらい独学でやってるんだ」

 

 

 本当ならここで切る。聞かれた質問に対する最低限の受け答えだけして終わり。

 でも小色さんは特別だ。通学路は長いしもっとコミュニケーションをとってもいいだろう。

 

 

「私って単調な事しか喋らないから 複雑なAIとか必要なしにロボットに出来るかなって思って」

 

「……普通に自分の意見を述べてたと思うぞ」

 

「小色さんに対しては別なの ルームメイトだから」

 

「そうなのか それにしても最初に部屋を見た時は驚いたよ

機械の部品が散らばってるのもそうだが、あの自分に似せた石膏像だ まさに名人級の上手さよ」

 

 

 当たり前。私は暇さえあればずっと鏡で自分の顔だけを見つめて生きてきた。

 何なら目を瞑っていたって精巧に作ってみせる。

 

 

「欲が出たんだ もともとは石膏像だけ作ってたんだけど、物足りなくなって

私という美を永久に保存しておきたくなった」

 

 

 その為には他人の役に立つものでなければいけない。独りよがりでは後世まで残りえないから。古代ギリシャの彫刻が今なお丁重に扱われているのは歴史的な価値を加味した結果でしかないのだ。

 私そっくりのロボット、用途はなんでもいい。何ならセクサロイドだって構わない。

 とにかく私の望みと他人の需要を噛み合わせなきゃいけないんだ。

 

 

「私という美ときたか」

 

「……別に笑いたきゃ笑えばいいよ」

 

 

 自分でも分かってる。とんでもないナルシストだって事は。

 だけど私は自分の外見はもちろん、ハッキリ自身を美しいと言える性格も大好きだ。

 他人の笑い声などどうでもいい。

 

 

「いや、素晴らしいと思うぞ 美学のある無しで人間の価値は大きく変わるものだ

何も持っていない人間より、おれ、ェァ、私は甘蜜の方が魅力的だと思う」

 

 

 意外だ。少なくとも表面上は真剣に受け止めているように見える。

 途中なんかどもったけど、仏頂面にも思える表情は全く笑う気配がない。

 ……お世辞でも照れるな。

 

 

「ありがとう 気を遣わせちゃったね」

 

「別に気を遣っての発言ではないんだが……

それに甘蜜がとびぬけて美人であるのは意見が一致するところだしな」

 

「そっちは当然 でも性格の方は手放しで人様から褒められるようなもんじゃないし

本心から忌憚なく言ってるんだとしたら小色さんも相当変わり者って事になるけど」

 

「そうだな 私は変わり者だろう」

 

「そ、そう……分かった」

 

 

 まあ、それはそうかも。普通の人は多分私の部屋に即上がり込むなんて事しないだろうし。

 そういう意味では結構気になる存在かも、小色標さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 見渡す限りの女、女、女……。まだ初日だから何とも言えんが大丈夫かな。

 ……いや、俺は自分自身をよく知っている。早いとこ地盤を固めないときっと耐えられん。

 これが世を乱した罰なのか。正直標がいなけりゃ腹を切って死んでいた。

 

 

「涙夏さんっ! お昼、一緒に食べよう?」

 

「あぁリィンさん よろしくてよ」

 

「やったぁ あのね、ここはね、お弁当を食べる場所を決めるのだって毎日悩むくらい気持ちのいい所が沢山あるの 涙夏さんのお気に入りもすぐに見つかると思うわ」

 

「そうですわね 琵琶湖の雄大な絶景を望むもよし 建築の美に酔うもよしですわ」

 

 

 親の手を引く子供のように教室から出て行く白人少女のリィン羽愛都(はあと)。今朝俺が大勢から質問責めを受けてる時は端でもじもじしていたが、意を決して話しかけてくると予想以上に元気な娘だ。

 肩口までのブロンドヘアと薄く桜色に焼けた頬からも活発なのが伺える。

 しかしこの子の所属するグループもあったろうに、俺にかかりきりでいいのか?

 いや……クラスメイトと話していて思ったが、あまりグループごとに纏まっているという感じはしなかった。

 何らかの法則性があるのかも知れんが、三人集まっていたかと思えば一人抜けてペアになる様子があったな。

 クラスに溶け込むためにも早く解明せねばならないだろうな。

 ん? 車椅子か。どうやら購買に用があるみたいだが、場所をとるのを遠慮して中々列に近づけないようだな。

 

 

「ちょっとごめんあそばせ」

 

「えっ! 涙夏さんお弁当あるんじゃないの?」

 

 

 リィンには悪いが少しくらい寄り道しても文句はないだろう。

 今俺に最も必要なのは人脈だ。恩を売れるならいくらでも売っておいて損は無い。

 

 

「ごきげんよう」

 

「えっ……ご、ごきげんよう」

 

 

 車椅子の少女は目をぱちくりさせてこちらを見上げている。儚げな印象を受ける表情だな。

 

 

「何が欲しいんですの?」

 

「えっ? あ、えっと、クロワッサン三つと、ドーナツ四つです、けど」

 

 

 ……だいぶ細身で華奢に見えるのだが。

 人は見かけによらないのか、あるいは痩せてるのを自覚して太りたいのか。

 

 

「お待ちになっていて」

 

 

 代わりに列に並んで両手に抱えたパンを買うことが出来た。

 周りからの「コイツでかいな!」という視線が少し気になるが流石にこのぐらいで男だとはバレないだろう。

 

 

「さあどうぞ」

 

「あ、ありがとうございます! 今お金を」

 

「オ~~ッホホホホ! わたくしセレブですからこのぐらいどうという事はありませんわよ」

 

「そ、そんな、親切にしていただいたのにその上ご馳走になるなんて ……三年リゲルの白塚時若(しらつかときわ)です いずれ私からもお礼させてください」

 

「そこまで仰るのならお言葉に甘えて

二年ネメシスの桂です 時若さま、どうぞお見知りおきを」

 

 

 そう告げて悠々とその場を後にする。色々とやり過ぎな感も否めないが……性根の部分まで偽るのは俺の誇りが許さない。飽くまでもし自分が女に生まれていたらと考えるべきだ。

 それに遠女の生徒はおおらかな人間性を持っているようだしな。アイツは冗談好きなコメディリリーフだと受け入れてくれるだろう。

 リィンの元に戻ると今朝同様もじもじとまごついている。少し放置して気を悪くさせたか?

 

 

「あっそのっ 涙夏さん、王子様みたいなお姫様みたい…… な、何言ってるんだろ私! ごめんね女の子なのに王子様なんて言って 言うことが子供っぽいってよく言われるの」

 

「お気になさらないで わたくしとっても嬉しゅうございますわ

それに……子供らしさにも良し悪しがありましてよ リィンさんのは、良い方であるとわたくしは考えます」

 

「本当? そんな風に言ってくれるなんて嬉しい 涙夏さんは私よりコウノトリに運んでもらうのが遅かったのかな? 私よりすっごく大人」

 

「ええ、わたくしの担当はダチョウだったので母に届くまで二年はかかったのでしょうね」

 

 

 リィンが顔を綻ばせころころと笑う。コウノトリの例えを出してきたのは自分なんだが……。

 それとも単に笑いの沸点が低いのか。

 

 

「ダ、ダチョウも、フフっ! 赤ちゃん運ぶんだ 涙夏さんだったらジョッキーさながら乗りこなしてたのかも」

 

「それはご想像にお任せします では参りましょうか」

 

「ええ せっかくお気に入りの場所に行くんだから、時間が無くなったら勿体ないわ」

 

 

 逸るリィンに再び手を引かれてやってきたのは厳かな神社の裏手にある湖岸だった。

 その態度は校舎内を歩いていた時より(ひそ)やかで、ここが秘密基地的な意味を持っている事は明らかだった。

 なるほどいい場所だ。草むらにシートを敷いて座ると絶景を一望できて風も心地よい。

 

 

「えへへ 涙夏さんも気に入ってくれた? お気に入りの理由はもう一つあるんだけど」

 

 

 そうリィンが言った一拍後、岸から何かが這いあがってきた。これは……カワウソだ。

 リィンがおやつをカワウソに分けてやると、器用に座りながらリラックスして咀嚼している。

 

 

「それがお気に入りの理由ですのね」

 

「そうなの 涙夏さんも気に入ってくれたら嬉しいな それじゃあご飯にしましょう」

 

 

 二人でお上品ないただきますをしてから、それぞれ弁当箱を開き箸をつける。

 プチトマト、キャベツ、玉子など彩り豊かなリィンのと比べてこっちは地味だな。

 いや地味というかむさ苦しい。肉オンリーの脂ぎった茶色い弁当箱はさながらラグビー選手の更衣室か。

 変なこと考えるんじゃなかった……。

 

 

「涙夏さん、おかず交換しよっ」

 

「よくってよ わたくし渾身のメニュー、よく味わってお食べください」

 

 

 こういう可能性を考慮してできるだけ大勢に手料理が行き渡るように作った。抜かりはない。

 だが今改めて考えてみると、肉は太るから食べたくないとか言う奴もいるんだろうな。

 北条家のつゆだく事件ではないが、飯一つでなんと面倒くさい事だろう。

 などと杞憂している間にも、リィンはウィンナーの肉巻きを幸せそうに食べて友達のカワウソにもお裾分けしている。

 

 

「かわいいお友達ですわね お二人の仲は長いんですの?」

 

「うん 私、琵琶湖にこ~~~~んなにおっきなお友達がいるの!

私が寂しい時にそのお友達がこの子を紹介してくれたんだ もう十年くらい前かなぁ」

 

「なるほど、そのお友達を大切になさいまし」

 

 

 大方一笑に付されるとでも思っていたのだろう。リィンは一瞬きょとんとした顔をしたものの、すぐにとびきりの笑顔で頷いた。

 だいたいポルタン使いであるこの俺自体笑い話のようなものなんだ。

 信じるさ。お前のおっきなお友達の事。

 

 

「わたくし中学に上がるくらいまで、本当に数多くの生き物に会ってきましたの

ですから琵琶湖にカワウソが居ようがおっきなお友達が居ようが信じますとも」

 

「ふふ、涙夏さんは冒険家だったの?

だからそんなに凛としてて自信満々なのかな」

 

「そうですわねぇ……人間自信に溢れすぎるくらいが何事もうまくいくのですわ」

 

 

 そう、俺は自分の性格を正しく把握してザ・お嬢様を演じているのだ。……つまり俺は普段、周りからカン高い声で笑う高飛車野郎だと思われていた……?

 

 

「あ、でも気を付けて この学院涙夏さん以上に自信たっぷりな人もちらほらいるから」

 

「は?」

 

「中には完全に素で女帝様って人とかいるし、出会ったら即決闘かも……」

 

 

 素でやってるって頭おかし過ぎだろ。

 いや、幼いころから女帝としての振る舞いを教え込まれていれば無い話ではないのか……?

 何にせよそんな奴と出会ったら素直にこっちが退くのが得策だな。

 

 

「出会ったらその時はその時ですわ それよりもカワウソくんに名前はありますの?」

 

「えっと、私この子の言葉までは分からないから……もしもう名前があるなら、私が勝手につけるのもなぁって」

 

「ではわたくしもそれに倣うといたしましょう よろしくカワウソくん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、西洋風の針葉樹が生い茂る校舎裏の木陰に座っていると兄貴がやってきた。

 ……どうやらお互い初日は乗り切れたようで何よりだ。

 

 

「おう標、どうだ? 続けられそうか」

 

「何とか 早く抜け出したいことに変わりはないが、これも禊というやつだよ」

 

「だな やはり初日は収穫無しか」

 

 

 お互い着実にストレスを溜めているのが分かる。なるべくすぐに謎の男の情報を掴みたいところだな。

 当然と言えば当然だが今日のところは何も共有できるような新情報はない。帰るとするか。

 

 

「兄貴はこの後どうするんだ?」

 

「それがな…… あれを見ろ」

 

 

 そう言われて兄貴が指さした方へ視線を向けると、そこにはまだ幼い少女が木立の陰からじっとこちらを観察していた。

 おそらく中等部の子だろう。眉根を寄せて真剣そうな目をしながら何やらブツブツ呟いている。

 

 

「ここに来る途中、声をかけられたんだ どうしても華道部の見学に来てくれないかってな」

 

「そりゃ本当か? 一体なんで中等部の生徒がここに」

 

「妙だろ? 何か掴めたらまた明日報告する じゃあな」

 

 

 そう言って兄貴は小さな縦ロールを揺らす木陰の少女に向かって歩いて行った。

 さて、夕飯は何にするかな。甘蜜に好物を聞いてみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「涙夏さまったら本当に黒髪がサラサラですのねぇ~~!

身長も高いしクールで素敵ですわあっ 何センチありますの?」

 

「177cmだな レディにしては特別高い方だろう?

それにさっき一緒に居た小色標は179あるぞ」

 

「ふわぁーーー……そうなんですのねぇ」

 

 

 さっそくお嬢様言葉を使いこなす変なのに遭ってしまった。

 それにしても一体どこで俺の名前を知ったんだ? それとも華道部は編入生を手当たり次第に誘う方針なのか。

 

 

新村(しむら)さん」

 

凛音(りんおん)とお呼びくださいまし!」

 

「では凛音さん この学院で王子様として人気を集める生徒はどのくらいいるんだ?」

 

「えっと、すみません……数が多い為そらで言う事は出来ないのですが、でもでも! 自室に情報をまとめたノートがございましてよ

涙夏さまはその中に名乗りを上げるおつもりですの?」

 

「ああそうだ! だからぜひそのノートをわたくしに見せてもらいたいんだが……」

 

「華道部室でお話を聞いてくださればお安い御用ですわ! やる気十分で何よりです」

 

 

 やったぞ! 思わぬ収穫だ。これで大分犯人探しも楽になるな。

 しかしつまりノートを貸してもらう為には華道部に入部しなきゃいけない、という事なのか?

 華道のかの字も知らないが、ズブの素人だからってやってやれない事はないだろ。

 

 

「着きましてよ涙夏さま」

 

「お邪魔します ……ん」

 

 

 おや、部室には誰もいない。まさかこいつここで俺を暗殺する役目を?

 振り返って目を見つめると、あわあわと慌てだし扉を閉めて部屋の中央に一目散に駆けて行った。

 

 

「もっ、申し訳ありません! 実は見学というのは嘘で……本当は個人的な相談があるんですのっ!!」

 

「個人的な相談、というと?」

 

「非っっっっ常に畏れ多い難題なのですが!

あ、ある御方達の仲を引き裂いて欲しいんですのよ……!

いわゆる略奪愛! NTRというやつですわ!!」

 

 

 ほーう……マセガキめ。面白い、そういう話だったか。

 女一人女から寝取るなんぞ男にとっちゃ訳ない事だ。チョチョイと片付けて王子様リストを貸して貰うとしよう。

 

 

「分かった それを成し遂げたらノートを貸してくれよ 約束だ」

 

「えっ……そんな、まだ何も話しておりませんのに

それにその! 葛藤はないんですの? あの一緒に居た標さんに不貞を働くことになるのでは……」

 

「ああいや、彼女とはそういう関係じゃない 気にするな」

 

 

 なるほど。俺達が昨日今日頻繁に会っていたのを見聞きして、そっちのケがあると思った訳か。

 そう思われているならこの際好都合だ。謎の男を探すのに役立てさせてもらおう。

 

 

「では次に、涙夏さんはLですか、Yですか、Sですか?」

 

 

 …………なんだと?

 L、これは恐らくレズビアンの事だろう。だがYとSって何だ!?

 いや待て落ち着け。性自認全般で考えるから駄目なんだ。発想の転換が必要だ。

 ここは女子校なのだから女に関係あるものだけを考えればいい。

 

 

「……! Yとは、百合の事か?」

 

「ええ、そうですわ」

 

「……???」

 

 

 レズと百合に何の違いがあるというんだ……。

 となると残るSもそれに関係する語句という事になるな。

 

 

「すまん、Sだけはどうしても何の事か分からない わたくしに教えてくれるか?」

 

「あらそうですの? まぁカンタン過ぎて引っかけ問題にも思えますものね

よろしいですか、Sとはカタカナのエスを指すのです」

 

「エス………………そのままエス?」

 

「エスについては知っていますでしょう? sisterを隠喩して作られた造語ですわ」

 

 

 姉妹? 近親恋愛ってことなのか?

 それとも教会のシスターや尼僧との道ならぬ恋愛?

 

 

「……すまん、本当に申し訳ないんだが」

 

「はい?」

 

「レズと百合と、エス? とやらに一体どういう違いがあるか全くわからんのだ……」

 

 

 俺の返答を聞いた凛音が一拍の後完全に固まった。石化したんじゃないかというぐらい生気がない。

 やがてわなわなと小刻みに動き出し、信じられないという目でこちらを凝視している。

 

 

「涙夏さま無垢(ノンケ)過ぎましてよ!! その美貌で無垢(ノンケ)はもはや大罪ですわっ!!」

 

「あっ……そ、そうですか」

 

 

 もう嫌だこの学校。早く帰らせてくれよ……。

 俺が肩を落としていると、大声で意味不明な糾弾をしてきた凛音が急になれなれしく肩から寄りかかって来た。これは完全に舐められてるな……。

 

 

「もう、可愛いんですからぁ ではわたくしがそんな涙夏さまに解説して差し上げましょう わたくしオトナなので!」

 

「よろしくお願いします……」

 

「まずレズビアンですが、これはそのまま同性愛者の方を指します

次に百合ですが、これは当学院独自に定義するなら"必要に迫られて生まれた男女関係"ですの」

 

「男女関係?」

 

「はい、百合においてはレズ以上に疑似男女関係の構築が不可欠です

そういう意味では、いかにも普通の友達同士に見えるタイプもあるレズよりも、傍目にはずっと分かりやすい関係ですわね

ちなみに男役は"カバリエ"と呼称されます」

 

 

 なるほど、どっちも女っぽいのは含まれない、と。

 さっき俺は王子様に名乗りを上げる事にしたという話だから、男役の百合(カバリエ)という分類になるのか。

 

 

「最後にエスですが、当学院では独自の発展を遂げていて"アイテムを媒介した秘密の主従関係"となっていますの

ちなみにわたくしはエスに属しています」

 

 

 ……ん? アイテムによって主従関係?

 ポケットの中のこの"ポルタンキー"も、ひょっとしてそうなるのか?

 

 

「必ず、主となる方から従となる者に誓いの品を渡す どんなアイテムで契ったかは二人だけの秘密ですの

ネックレスを渡す事もあれば、はたまたパンツを渡す事だって ただし一点もの! 他に替えが利かない! まさに二人で一人ィ!!」

 

「いやパンツはどう考えてもおかしいだろ」

 

「エスは他の流派と比べても二人だけの世界を煮詰めて浮世離れした方々が多いのです

主たる御方が卒業なされた場合の従は、それはもうオルフェウスが如く……」

 

「じゃああれか よく漫画でお姉さまって呼ぶのはエスの影響か」

 

「そうですわね まあ大抵他とごっちゃにされた見るに堪えない恋愛関係になっていますけれど

あくまで互いの誇りを補完し合う女性同士の信愛なのです」

 

 

 それならなんとなく理解できるぞ。武士道に通ずるものがあるな。

 最高の主人というものが存在するならば、それは最高の従者あってこそ成り立つ。逆もまた然りだ。

 片方がどれほど剛勇で気高くても、その隣に卑小な人間がいれば台無しだ。

 

 

「さて涙夏さま 貴女はご自身がどれに属すると思いますの?」

 

「わたくしは……」

 

 

 ここは百合としておいた方が何かと動きやすくなるだろう。手がかりを掴むためにも、ここは。

 …………。

 

 

「わたくしはエスだ 主側のな」

 

「よろしくてよ! ターゲットは貴女の同室の姉川戸鶴(とづる)さま! わたくしの想い人のパートナーですの

学院有数の人気者であらせられる彼女をエスとして寝取ってくださいませ!!」



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紡ぐレスヴォスの詩 3

 明け六つ前の静寂に気を整え、寝室と居間が一緒のお部屋からこじんまりとした台所へと向かう。

 気に入っている桜柄の前掛けを着けて、昨日から相宿のお相手となった方を起こさないよう、静かに菜刀でまな板を鳴らす。

 そのまま慣れた流れで割烹を済ませ朝練の支度も終えると、丁度良いお時間。もうそろそろお起きになられていただきましょうか。それとも日曜日ですから、もう少し夢寐(むび)からお帰りになるのをお待ちしましょうか。

 

 横になる淑女の様子を窺うと、研ぎ澄まされた刃文のような艶のある御髪が目に留まる。ま、美麗な御髪は"鬘"でございましたのね。

 私が少し驚いていると、涙夏さまのお寝ぼけまなこに目が合った。

 

 

「ん んん……おはよう、ございますわ」

 

「ええ、涙夏さま おはようございますわ」

 

 

 涙夏さまは目が開くとすぐさま毛布の誘惑を押しのけて寝台から身体を降ろす。眠そうな声と瞼と、機敏な動きのちぐはく様に思わずほほと声が出て口元を手で隠す。

 洗面所に向かった涙夏さまを見送りながら誰かと迎えられる朝に、一人幸福感に包まれた。……ま、いけませんわ。出来上がった朝食を盛り付けなくては。

 

 暫し経ち涙夏さまも食卓にお着きになると、いただきますの二重奏と共に和やかな朝餉の時間が流れる。

 そのまま半分ほど食べ進めたところで、涙夏さまが少し身を乗り出してどこか悪戯っぽく微笑んだ。

 

 

「時に戸鶴(とづる)さんは、どなたか特別な相手はいらっしゃるのかしら?」

 

「ま、意想外ですわ 涙夏さまは色恋話がお好きでして?」

 

「特に好きということはございませんわ

戸鶴さんの考え様を知っておきたいと想起した次第です」

 

「そうでしたのね 恋愛とは違いますが、特別な学友なら一人おりますの 名は……許斐魁舟(このみかいしゅう)

 

 

 ――いつからでしょう。何方よりも大切になり、感情を互いに確かめ合った運命人。

 尊敬、憧れ、恋慕、そんな夢幻の繋がりではなく、臍の緒で結ばれたような魂を分ける繋がり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……無言の空間。私はロボットを弄り、小色さんは学院生徒が自筆した本を読んでいる。

 気まずいとは思わない、メリハリだ。朝は割と話したし、今は互いの趣味の時間。

 でもほんのちょっぴり……小色さんが私に遠慮してるんじゃないかと思ってしまう。勝手に私たちは似ていると思っているが、その実小色さんは結構おしゃべりが好きかもしれない。

 少しぐらいは他人に興味を持てと呆れているかもしれない。分からない。気が散って集中できない。

 

 

「あの、さ」

 

「どうした?」

 

「その本面白い?」

 

 

 彼女は面食らって、ちょっと考え込む仕草を見せた。その困ったような顔が悪感情とは無縁に思えて気分が楽になる。

 数回視線を彷徨わせた後、小色さんは小さく首を横に振った。

 

 

「ふつー、だな 秘密の倶楽部について書かれているかと思っていたんだが

まったく非公式なものらしいな」

 

「……非公式のクラブ それを知りたいの?」

 

「なに、知っているのか?」

 

 

 もしかしなくてもアレの事だよね。

 でも期待してるところ悪いけどそう面白いもんでもない気が。

 

 

「なんか、派閥に別れた同性愛者が主催する三つのクラブがあるんだって

神社や教会、映画館なんかを縄張りにして同じ派閥のデートスポットにするとか言ってた」

 

「……驚いたな」

 

「そう? 男子校や女子校ならありそうなものじゃない ましてやこんな絶海の孤島なんだし」

 

「いや、甘蜜がそういう秘密を教えてもらってることが驚きだ」

 

 

 ……煽るじゃんコイツ居候の分際で……!! あ、ニヤッて笑った。

 これで確信できた。小色さん遠慮してるとか無いね? 普通に気兼ねなく無言でいいって事だね? サンキューファック。

 

 

「それで、その同性愛の派閥っていうのはどういう風に分かれてるんだ?」

 

「一つ目はレズビアンの禁忌集会(サバト)

"女王の蜘蛛さま(アレニェ・ド・レーヌ)" であらせられる幸道花笑(ゆきみちはなえ)さまが仕切ってる

二つ目は百合の百合華社交界(ソシティエ)

率いるのは"女王の御馬さま(シュヴァル・ド・レーヌ)" 誰もが頑なに正体を喋らない謎の存在

三つめはエスの神聖教会(サンティグリーズ)

"女王の白鳥さま(シーニュ・ド・レーヌ)" 永澄叉夜子(ながすみさやこ)さまが指導者だよ」

 

「うぬぅ、全く分からん 王子様と呼ばれるような人間が属しているのはどこだ?」

 

百合華社交界(ソシティエ)だと思うよ 禁忌集会(サバト)神聖教会(サンティグリーズ)も男役……カバリエって言うんだけど、それは存在しないし、仮に居ても百合に気を遣って王子様とは呼ばない」

 

「そうか 百合華社交界(ソシティエ)の縄張りはどこなんだ?」

 

 

 小色さんの眼の色が変わった。

 よほど王子様呼びに憧れてるのかな。確かに男装させたらすごく似合いそうだけど……。

 でも小色さんが恋愛に貪欲な色ボケだとは思えない。

 あの眼は目先の恋に盲目になっている眼じゃない。冷静に盤上の駒を動かすように、何かを期する眼だ。

 

 

「一番人気なのはダンスホールだって言ってたよ

レズやエスにだって踊りたい人がいるでしょうに、縄張りなんて迷惑な話だよね」

 

「別に叩き出したりみかじめ料を取ったりはしてないんだろう?」

 

「公共の場所を私物化しようって魂胆が気に食わないの」

 

 

 てきぱき身支度を始める小色さんを見つめ考える。随分百合華社交界(ソシティエ)に興味があるようだけど、その理由って聞いたらまずいかな。

 あれだけ熱心なのだし協力してあげたい気もする。

 

 

「ねえ、私もついていってもいい?」

 

「うぬ……いいのか? ロボットの方は」

 

「焦りはある まだ若いうちに完成させなきゃって

でも今は貴女の方が気になるの 小色さんの目的を片付けなきゃ集中できない」

 

「そうか あまり詳しくは話せないが ……じゃあお言葉に甘えてついて来てもらおう」

 

 

 私も制服に着替え小色さんと共に外に出る。日曜日は決まって部屋に籠っていたから物珍しい気分だ。

 ……誰だ、あの二人組。でかい黒髪と金髪碧眼がこっちにまっすぐ向かってくる。

 

 

「あの大きいのは私の親友だ」

 

「親友? まだここに来て日が浅いのに」

 

「編入前からの仲でな」

 

 

 ……二人お揃いで遠女にやってきたんだ。幼馴染なのかな。

 どちらが主体なのか知らないけど、受験とかもあるのに環境を変えてくれるなんてちょっと憧れるな。

 今更友達に憧れたってしょうがない。もう私は走り出してしまった。私は自分の美貌に背を向けられない、止まれないんだ。

 

 

「「「「ごきげんよう」」」」

 

 

 間近で見るとかなりきつい印象を受けるな。口元は笑っているけど眼がオソロシイ感じがするので一種ふてぶてしく思える。かっこいい系美女の上位であることは認めるけどね。

 この人が目的に関係してるのかな。

 そして隣のショートヘアの白人。リィン・ハートと名乗った彼女。くすみがまったくない明るい金髪なので、いい笑顔と相まって好印象だ。

 

 

「お姉さま こちらは同室の甘蜜相生(あまみあいお)さんだ

そしてわたくしはそちらの桂涙夏(かつらるいか)さまの親友、小色標(こいろしるべ) よろしくな」

 

「うん! え、親友? 転校生なのに?」

 

「いわゆる切っても切れぬ縁ですのよ

仮に昨日が初対面でもわたくし達なら早々親友になれるでしょうね」

 

「まぁ完全に私の一目惚れみたいな形だったからな」

 

「…………」

 

「ん? 待て待てリィンさん勘違いしてるだろ 今のは言葉の綾だ、決して禁忌集会(サバト)のような関係じゃないぞ?」

 

「……へえ じゃ小色さんて涙夏さまのコルテージュなの?」

 

「「コルテージュ?」」

 

 

 この人達、遠女の事本当に何も知らないんだな。でもへんなの。いくら転校生でも高等部だし、こんな美人の野良を放っておく派閥なんてないはずだけど。

 さっきまで上の空だったリィンさんが説明に苦戦してるみたい、私が教えてあげるか。

 

 

「……コルテージュとはフランス語で従者

この学院の神聖教会(サンティグリーズ)における下の者を総称する際の呼び名ですよ

例えばお姉さまに対しての妹 あるいはご主人様に仕えるメイド または吸血鬼さまの生贄をそう呼ぶんです

本人たちが各々どう呼び合おうと、ルールとして崇拝化した友情関係であればカテゴライズされます」

 

「……相生さんすごい! ありがと、私も勉強になっちゃったよ」

 

「そんな、別に」

 

 

 孤高であればあるほど、マジョリティの敷いたルールには気を遣わなければならない。

 ルールに従わないのなら、その分尊重する姿勢を見せなければ排除の対象にされてしまう。だから関係ない事でも憶えていただけだ。

 

 

「そういう事だったのか なら確かに私はお姉さまのコルテージュだ

それでお姉さま、そっちはなぜ羽愛都を連れて来たんだ? 私達の方はこれからダンスホールに行く予定だ」

 

「わたくしとリィンさんで湖畔公園に行くのですわ で、どうせならダブルデートはどうかしら?」

 

「……あの、涙夏さま 私は別に構いませんけど羽愛都さんはいきなり初対面と組まされる事に同意したのですか?」

 

 

 自分だけコルテージュとイチャつく傍らで私達を絡ませるってのはなかなか無神経だと思うんだけど。

 ひょっとして目的ってデートスポット探し? んなわきゃないな。

 どんな言い分がとびだしてくるかと思ったら、涙夏さまはきょとんとして首を振った。

 

 

「いいえ、もちろん甘蜜さんには標とペアになっていただきますわ」

 

「「え゛っ」」

 

 

 それは、そりゃあ妥当だけど。いいの? 小色さんは。堂々の浮気宣言だよ?

 解せないと小色さんに視線を送るが当の彼女は何ら意に介していない。まるでそれが当然であるかのようだ。

 

 

「甘蜜は私とじゃ嫌か?」

 

「んなわけ、ないじゃん 涙夏さまや羽愛都さんとは初対面だし」

 

「そ、そうだよね! 私もちょっと驚いたから そっかぁ、涙夏さんが私とペア…………

それなら最初は湖畔に行って、ダンスホールは夕方に行かない? どうせなら人の多い時間の方が、えっと、賑やかだよ!」

 

「行きたいって言ったのは小色さんだから、小色さんがそれでいいなら私も」

 

「ああ、ダンスホールは夕方でいい では行こうか」

 

 

 二人とも似ている。厳粛とした眼、纏う空気が。何も言わずとも心で繋がっている、だから目的ついでのデートくらいどうでもいいという事なのだろうか。

 もしそう思っているのならあまりいい傾向とは言えない。エスとは同化願望だ。憧れがいつしか追いつき、似過ぎては逆に興味を失ってしまう。

 だから……小色さんの為に私が出来るのは、このデートで思い切り私を意識させること。

 マンネリ打破に付き合ってあげる。どうせ目的を果たしたら、私の前からいなくなるんだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわあぁぉ、おお……見られてるー! 涙夏さんとっても凛々しいからなぁ……。

 湖畔公園は百合華社交界(ソシティエ)のスポットだし、カップルのお邪魔にならないかな……。なんか……悪い事してる気分。でもオトナのお姉さまたちなら許してくれる、よね?

 だったら私も他のカップルみたく涙夏さんに甘えても、いいのかな……。

 も、もちろん涙夏さんの目的とやらを邪魔しない程度に。

 

 

「涙夏さんクレープ屋さんだよ 寄ってみましょ!」

 

「よくってよ でも食べ過ぎはいけませんわ ご飯が入らなくなりますもの」

 

「はは、そんなお母さんみたいな事言って ここは百合華社交界(ソシティエ)なんだから涙夏さんはカバリエにならないと

 それとも、僕がエスコートしようか? なんてね」

 

 

 涙夏さんは顎に手を当てて一瞬何か考えたようだったけど、すぐに微笑んで頷いてくれた。

 

 

「いいや、それには及ばん わたくしがしっかりエスコートさせてもらう」

 

「えっ……そ、それじゃあ~お言葉に甘えちゃおうかな! 私のカバリエさん」

 

 

 び、びっくり、そっか……本当に今は私のカバリエになってくれるんだ……。初めて見た時からずっと、何か胸の奥が苦しかったけど……今のはひと際強かった。

 どうしよう……それじゃあ今は私たちの初デートってことだよね。改めて意識すると心臓から溶岩が噴き出てくる。もう何も分からないまま私はトッピング全部乗せを頼んでしまった。涙夏さんは抹茶小豆味。

 

 れれれ冷静になるんだ私! これじゃ初デートが台無しになっちゃう! ……そそ、そういえば涙夏さん、あの車椅子の子には奢ってたっけ。危ない、私まで世話になっちゃうとこだった! 奢ってもいいけど奢られるなが遠女先輩の教えだし!

 

 

「すいませぇーん ワリカン 割り勘でお願いします!」

 

「いい わたくしが払う」

 

「いやだめ 涙夏さんちがどれだけセレブでも遠女生の面子ってものがあるんだから!」

 

「ここは百合華社交界(ソシティエ)のエリアなんだろ? なら郷に入っては郷に従え、カバリエが払うでいいじゃないか」

 

「う~ん、それでもダメ! 遠女の生徒は男勝りなんだから それに遠女にはお金に意地汚い子はいないの」

 

 

 涙夏さんは苦笑して引き下がってくれた。何で笑っていたのかは……そうだった! 多分オプション分の値段も含めて÷2したからだ。

 う~~。で、でもそんな細かい事を気にするのは恥ずかしいから今回だけは問題なしということで。オプション乗せなかった方が悪いんだっ。

 

 どうしよう……。食べさせ合いっことかしちゃってもいいのかな……。涙夏さんと間接キス、なんて。 ちょっと待って!? そういえば私はノンケだよ!? 私はノンケ、ノンケなはずだ……。

 なのになんでずっとそっちの方向ばかり考えちゃうのおおぉ~~!!

 

 

「あの二人……!」

 

「えっ? はい!」

 

 

 涙夏さんの視線の先、湖畔の波打ち際にいたのは学院有数の有名人二人組だった。

 なんと一人は多くの女の子を魅了している中等部三年のイケメンホープ、許斐魁舟さん。時代劇風なヘアスタイルと清廉な佇まい。それになんでもストイックに鍛錬する姿勢から"姫武蔵"とか武蔵様とかファンに呼ばれているらしい。

 

 そして彼女の見守る中何やら解説しながら竹刀を振っているのは、こちらも"桃花の仙客"の二つ名を持つ姉川戸鶴さん。高等部一年のたおやかなる大輪の華。

 年下の子でも恐れ多いスターオーラを放つ二人に涙夏さんは気にせず接近していた。涙夏さんあの二人に興味あるの? 

 

 

「ね、ねえ! 涙夏さん、あの二人が目的だったの?」

 

「そうだ 戸鶴さんはわたくしのルームメイトでな」

 

 

 えっ、まただ。胸が苦しい。面白くない。ただのデートじゃないとはわかってたけれど。

 でもまさか涙夏さんがあの人達を狙ってるなんて。もう頭も胸もこんがらがってわかんない……。

 

 

「あの百合の仲を引き裂くようにエスの子から依頼を受けているんだ」

 

「ぱぁ?」

 

 

 い、依頼ー? そんなちょっと待って、普通じゃないよね。それに涙夏さんが軽々しくそんなお願い聞き入れるなんて思えない。

 そうだよ、つまりやむにやまれぬ事情があるんだね! そうなんだね涙夏さん!

 でも依頼主もさすがというか、涙夏さん程の美人をけしかけるとは見る目があるなぁ。

 

 

「戸鶴、やってみるから休んでて ほら、座りなよ」

 

「ええ お心遣いありがとう」

 

 

 完璧なエスコートで座らせる魁舟さん。ポニーテールの揺れ方も凛々しいし、剣道の籠手も相まって美少年のお侍さんに見える。

 それに対してこれも完璧なお礼とおしとやかな笑顔の戸鶴さん。段々になった姫カットが艶美な十二単(じゅうにひとえ)の和装を想起させる。まさに理想の恋人同士だ!

 うーーん、あの二人のお邪魔をするなんて。あんなに華やかな空間に攻撃を仕掛けるのは決死の覚悟がいるよね……。ドンパチ映画の主人公になった気分だな。

 

 

「涙夏さん、どうしてもやらなきゃいけない事なんだよね」

 

「ああ リィンを信用しているからハッキリ言う

わたくしが決着をつけねば、遠女の生徒は食い物にされるばかりだ」

 

「へ……食い物ってどういう意味?」

 

「この学院には、卒業生に命令して人殺しをさせるようなカバリエがいる……そして

ヤツをそんな凶行に駆り立てたのはわたくしのせいなんだ

最初は好奇心だったが……今はお前たちの為にどうしてもそいつを探し出したい」

 

 

 涙夏さんは淡々と、でも感情を込めた口調でそう告げた。

 その陰の含んだ姿を見てると、心臓の奥にある一点が絞り上げられる。目じりが急に熱くなる。

 やっぱり何が何やら分からない。涙夏さんが何に後悔しているのかも知らない。

 だけどなんでか私だけはこの人の味方でいたいと、ハッキリと思えた。

 

 

「ごきげんよう戸鶴さん 自主練ですの?」

 

「まあ涙夏さま、ご機嫌麗しゅうございます

そうなのです 魁舟さんへの御指導も兼ねて」

 

「ごきげんよう! 此方(こなた)は許斐魁舟です 戸鶴に剣道を教えてもらっていて」

 

「わたくしはこの戸鶴さんのルームメイトになりました桂涙夏ですわ

どうぞよろしく」

 

 

 は、始まった。一体どういう切り口で攻めちゃうの!?

 固唾をのんで見守る中、涙夏さんは置いてあった竹刀を手に取り、なんということか、切っ先を魁舟さんに突きつけた。ええぇぇ!?

 

 

「わたくしと勝負してくださいませんこと?」

 

「なんと 麗しい御姉さまから決闘のお誘いを受けては、断る道理がございません」

 

「お受けしてくださいますのね それはよかった」

 

「でしたら涙夏さまに合う防具を探しに道場へ参りましょうか」

 

「必要ありません」

 

「何?」

 

「聴こえなかったかしら、わたくしに防具は必要ないと言ったのですわ」

 

「そのように申されましても………………ふむ、相分かりました 大変逞しいお嬢様だ しかし痛いですよ」

 

 

 ド直球! これで魁舟さんより強い所を見せて戸鶴さんを靡かせようってこと?

 そんなのでうまくいかない気がする……。桃花の仙客がにこにこ見物するさなか竹刀を構える二人。

 合図は誰がやるんだろうと思った矢先、戸鶴さんが懐から扇子を取り出した。そしてゆっくり開いていき……。

 鮮やかにジャッ!っと畳んだ紙音が響いた。

 それとほぼ同時に鳴った竹刀の音。速い、どっちだ!?

 

 

「胴あり一本 ですわ」

 

「!? ……!!?」

 

 

 涙夏さん勝ったの? 凄い! やっぱり体格差なのかな。

 負けた魁舟さんはおめめをくるりと丸めて驚ききっているご様子。そして首をかしげて顎を触り、負けたのが納得いかないみたいだ。

 

 

「失礼 もう一度お手合わせ願います」

 

「よくってよ そうでなければ面白くありませんわ」

 

 

 さっきは見逃したけど、今度は絶対見るぞぉ~~……!

 両者構えて、扇子が開かれて! ……どうだ!

 あっ!? い、今一瞬……涙夏さんの腕が伸びた? いや腕だけじゃない、肩幅もグワッ! と広がったように……見えたんだけどなぁ。

 見間違いだよね……今普通だし。

 

 

「小手ありですわ」

 

「こ、これは……何者なのです貴女様は その秘技、いえ妙技、否まるで忍術……!」

 

「魁舟さん」

 

 

 なんとなく凄みのある一声だった。ううん、別にドスが利いてるとかじゃない。

 抑揚も戸鶴さんとして普通だし顔もにこやか。だけど何だか通る声だった。

 

 

「どうした? 戸鶴」

 

「汗が流れておいでです」

 

 

 そう言って甲斐がいしくお世話をしてあげる戸鶴さん。

 ……いや何か耳打ちもしてる。あれは単なるタイムじゃない。実は我が校一の剣客の戸鶴さんには必殺技の正体がバレてたんだ!

 魁舟さんが驚愕の表情で涙夏さんを何度も見ている。そして意を決したように涙夏さんの前に進み出た。

 

 

「涙夏さま 次は此方からの申し出を一つよろしいですか……?」

 

「ええ、こちらの申し出を快く受けていただいたんですもの」

 

「では、此方をカバリエにしてみませぬか? ……その猛々しさに興味が湧いて参りました」

 

「だめっ!!」

 

 

 涙夏さん、魁舟さん、戸鶴さんの視線が一斉に集まる――。えっ やば、考える前に声が出ちゃった……!私は急いで首を横に振り回し、すごすごとベンチの陰に隠れてやり過ごす……うぅ。

 味方でいるって決めたんだ。ここは涙夏さんがどんなことをしたいのか分からなくても、私は最後までただ信じよう。

 

 

「わたくしは、貴女は戸鶴さんのカバリエであると考えていたのですが違うんですの?」

 

「嗚呼成程、そう思われるのも致し方ありません 我々は表向きは百合華社交界(ソシティエ)で通しておりますが本当は神聖教会(サンティグリーズ)に属しているのです」

 

「はい、魁舟さんは私のコルテージュです」

 

「ははは、これは異なことを 戸鶴が僕のコルテージュだ」

 

「ふふふふふ」

 

「ははははは」

 

 

 こわい。何なのだよこのプレッシャーは……。あの二人はエスでありながら、お互い上下関係を一歩も譲ってないの? そんなのありなんだ……。

 でもエスと百合の掛け持ちなんてしちゃっていいの……? 標さんや戸鶴さんはそんなの嫌なはず……!

 

 

「その話、お受けできませんわ」

 

「ほほう、何ゆえですか?」

 

「女役という条件が承服できないからだ このわたくしの誇りに懸けてな

それにその、わたくしがお付き合いしたいのは戸鶴さんの方……」

 

「え゛っ 戸鶴!? それはいけませぬ! いくら戸鶴が可憐だからといっても彼女が婚約も無しに恋人を作るなど作法に反しまする故!

いや失敬 ……んん゛、そこまで言うのなら、ここはお互いがカバリエということで手を打ちましょう」

 

 

!?? 今度はどっちもカバリエ!? あぁもう私の幼稚な頭じゃ追いつかない高次元恋愛バトル勃発だよぉぉ……。

 

 

「…………そういう事ならよくってよ

今から魁舟さんはわたくしのオトコですわ」

 

 

 あっという間にこんな事態になっちゃうなんて、カバリエ同士ならセーフ? というかカバリエ同士ってなに……?

 標さんに怒られたら私ちゃんと助けてあげられるのかな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「小色さん口開けて」

 

「あ、甘蜜これはなんだ……?」

 

「何って、あ~んだよ」

 

 

 パフェが乗ったスプーンをぐいぐいと口元に差し出す。

 だが小色さんは困惑混じりの赤面でそれを避けている。ウブなやつだな。

 私としてはここまで露骨な反応を示してくれるとは思っていなかったので、倦怠期のような二人のあの空気が信じ難いもののように思える。

 

 いや……それは私が理解の外にいる素人だからだろう。勝手に倦怠期だなどと思っていたがエスは恋愛関係ではない。けれどもこうして異性に対するようなどぎまぎを見せるからそこがごっちゃになる。

 

 

「は、はしたない真似はしないでくれ すいませんフルーツパフェ一つ」

 

「それ、私が今まさにあ~んしてるやつだけど」

 

「そうだな だがこれで一口食べさせてもらう必要は無くなった」

 

「ふーん、策士だね」

 

 

 そこまでして切り抜けるとはおもしれー女。どうせ目的のダンスホールが賑わうまでヒマなんだし、小色さんとのデートをとことん楽しもう。

 パフェを片付けた後、なぜかぽつんと置いてあるメリーゴーランドに小色さんを連れて行く。案の定小色さんは驚いていてちょっと嬉しい。

 

 

「私もさ、初めて見た時すごい驚いた 変だなぁって」

 

「そうだな 建設秘話が気になる」

 

「じゃあ乗ろうか」

 

 

 小色さんの背中から腕を回して抱きつくと、大柄な彼女がびくんと震えた。ゆっくりと景色が回転しだす。

 ……やっぱりヘテロじゃないんだろうな、小色さん。今やってる事迷惑かな。マンネリも何も、結局涙夏さまとの間に恋愛感情はないっぽいし。

 私がやっている所業は、その気が無いのに相手を弄んでいるだけ。

 

 本当に私にはその気がないのだろうか……? 私はナルシストだ。鏡や石膏像を凝視して達する事もある超級のド変態だ。

 自分を性愛出来るという事は、つまり同性愛者でもあるという理屈にならないか?

 

 

「小色さん、揺れが心地いいね」

 

「あ、甘蜜 何もそこまでくっつかなくても乗れるだろう……!」

 

「私の胸が気になるの?」

 

 

 なぜだろう。自分でも驚くほどスラスラと誘惑するような台詞が口をついて飛び出す。

 私は人に飢えていたのか? いやそんなはずはない。今までだって一方的に私に近づいてきた壁やぶりはいた。

 その娘たちに対してこんな気持ちが芽生えた事はないのに。

 これまでと今で何が違うというんだろう。

 …………そうか。

 小色さんは何かしら目的があって私の部屋に転がり込んだ。ビジネスライクな関係とでも言おうか、時が来れば去っていくだろう。

 それに彼女は確かに距離を無理やり詰めたが、それは初めだけだ。うるさいおしゃべりもしてこないし、無理やり私の時間を奪ったりもしない。

 

 

「私人間関係苦手なんだよね」

 

「どうした? いきなり」

 

「まあ聴いてよ 私は結構神経質なタイプでさ」

 

「……そうだな 起きぬけに色々まくし立てられた時は驚いた」

 

「人に興味を持たれたくないから、クラスや美術部では大変なんだ

あんまり優しくし過ぎると勘違いされるし、逆に冷たすぎると反感を買う」

 

「すでに"鏡界の牡丹"なんて異名がある辺り、無駄な努力だと思うぞ」

 

「かもね

そんな無駄な努力をしなくていい小色さんとの関係が好きだよ

貴女は自分の目的に一途だし、いつか何も言わず私の下から去ってしまう」

 

 

 そんな関係が、気楽なの。

 自分勝手な好意だって事は分かってる。ただ貴女のガツガツしない姿勢が好ましいの。

 

 

「……まあ喜んでくれるのなら何よりだ

それより私の目的を片付けなきゃ集中出来ないんだろう? それは素直に申し訳ないと思ってる」

 

「いいの 悪いと思うなら早く成し遂げて」

 

 

 回転が終わり微睡に誘うような揺れも消え失せた。

 もう一周しても良かったんだけど、まあいいか。

 身を翻して地面に降りると小色さんが腰に手を回して受け止めてくれた。別にこんなのでコケるほど運動音痴じゃないよ。

 

 

「な、なあ ダンスの練習でもしないか?

百合華社交界(ソシティエ)の恋人同士に見せないといけないだろ」

 

「うん……いいよ」

 

 

 女の子にしてはごつごつとした手が私の手を優しく握る。

 言い出すのにかなりの勇気を出したのだろう、耳まで真っ赤になりながら彼女はステップを先導してくれている。

 カワイイ……惹かれる。なんというか母性本能が刺激されてしまう。

 君は……不思議な人だね。



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