刑事ヨシヒコと犯人は○○ (ドラ麦茶)
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第一話 旅立ちの朝

 それは、ヨシヒコが十六歳プラスαになる誕生日のことであった。

 

 

 

「……ヨシヒコ……ヨシヒコ……起きなさい。私のかわいいヨシヒコ」

 

 

 

 優しく抱きしめるような母の声で、ヨシヒコは目を覚ました。

 

「おはよう、ヨシヒコ。もう朝ですよ」

 

 そばに立っていた女性が、さらに優しく微笑む。ヨシヒコも微笑み返した。

 

「今日はとても大切な日。ヨシヒコが、初めて事件現場に行く日でしょ?」女はさらに笑みを深めて続けた。「この日のために、母さんはあなたを立派な刑事に育てたつもりです。さあ、母さんについてらっしゃい」

 

 母に手を引かれ、ベッドから下りるヨシヒコ。そのまま部屋を出て、階段を下り、玄関から外へ出た。眩しい日の光に思わず目を閉じる。片手で光を遮りながらゆっくりと目を開けると、家の前の道を、多くの人たちが行き交っていた。黒や赤の四角いカバンを背負った子供たちが駆けて行き、お向かいのおばさんが玄関先をほうきで掃いている。お隣のご主人が両手に大きなゴミ袋を持って出てきて、その前をポニーテールの少女が通り過ぎる。年配の男性に連れられた犬が道端の石の柱におしっこをし、家の塀の上では猫が大あくびをして、屋根の上ではスズメがさえずっている。実に爽やかな朝だ。ヨシヒコは母に連れられて歩く。タバコ屋の角を曲がり、本屋の前を通り過ぎ、クリーニング店の前の交差点を渡ったところで、母は立ち止まった。

 

「ここからまっすぐ行くと事件現場の鼻熊(はなくま)町です」母は、ヨシヒコの両肩に手を置き、念を押すように言う。「署長さんに、ちゃんとあいさつするのですよ? さあ、行ってらっしゃい」

 

 ぽん、と背中を押されたヨシヒコは、雑居ビルが立ち並ぶ道路を歩いていった。道の先には海が見えている。しばらく歩くと、見覚えのある三人の姿。髭面の中年戦士と、モスグリーンのキャミソールワンピにマントを羽織った若い女と、金髪マッシュルームカットをしたインチキ臭い詐欺師のような風貌の魔術師だ。これまで幾度となく命がけの冒険を繰り広げてきたヨシヒコの仲間たちである。

 

 ヨシヒコは三人の前に立った。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……え、なにコレ?」詐欺師のような魔術師・メレブが戸惑った表情で言った。

 

「いや、私に訊かれても」首を傾けるヨシヒコ。

 

「ヨシヒコ、なんて格好してるの。口も臭いし」キャミソールワンピの女・ムラサキはあきれ果てた目を向け、鼻をつまんだ。

 

 自分の姿を見るヨシヒコ。青と白の縞柄パジャマに大きな毛玉がついたナイトキャップをかぶり、枕を抱えている。

 

「朝起こされて、着替えもハミガキもさせてもらえずいきなり外に連れ出されましたからね。ワケがわかりません」

 

「さっきの女の人?」と、ムラサキ。「あれ、ヨシヒコのお母さん?」

 

「いえ、全然知らない人です」

 

 メレブは大きくため息をつくと、空を見上げた。「ほとけー? どうせそこにいるんでしょー? これなにー?」

 

 メレブが空に向かって話しかけると、空の一角が横長の長方形の形に真っ暗になった。まるで、そこだけくり抜かれたかのようである。その中央に『now connecting』という文字と、くるくる回る輪っかが表示された。しばらく見ていると画面がパッと明るくなり、パンチパーマのヤクザ風な男もとい大仏のような姿をした男が現れた。これまで何度もヨシヒコ達を冒険へと導いてきた、その名もズバリ(ほとけ)である。

 

 仏はガラス窓をつつくように指でトントンした後、「……え? これ、もう繋がってるの?」と、誰ともなしに言った。「これであいつらと話せるの? ビデオチャット? これで飲み会とかもできるの? オンライン飲み会? へぇ。便利な世の中になったもんだねぇ」

 

「……仏がいるのですか?」ヨシヒコはきょろきょろしながら言った。

 

「あ、そうか。ヨシくん、仏が見えないんだったね」

 

 メレブは腰に付けていたウエストポーチをごそごそ探ると、厚紙のフレームに赤と青のセロファンを貼った立体眼鏡を取り出してヨシヒコに渡した。ヨシヒコはなぜか裸眼では仏の姿を見ることができず、こういった眼鏡をかける必要があるのだ。眼鏡をかけたヨシヒコにも、ようやく仏の姿が見える。もちろん立体眼鏡なので飛び出して見えるのだが。

 

 仏は画面外の誰かさんと何度かやり取りをした後、えへんと咳払いをし、声を改めて話し始めた。「よく来た、刑事ヨシヒコとその仲間たちよ。この鼻熊町で殺人事件が起きた。そなたたちはその事件を捜査し、犯人を突き止めるのだ」

 

「……え、なに? どういうこと? 魔王を倒すとかじゃないの? っていうかここどこ?」メレブは立て続けに質問をぶつけた。

 

「だから、殺人事件の捜査って言ってるじゃん。えーっと……」仏は分厚い書類の束を取り出すと、パラパラとめくった。「そこは、地球という世界の、日本という国、兵庫県神戸市という街で……日付は……一九八五年十一月となってるね、うん。んで、その町に住む『ローンやまきん』の社長・山川(やまかわ)耕造(こうぞう)って男が、自宅の書斎で、刃物のようなもので首を刺された状態で発見された、だって。まだ殺人か自殺か断定できてないみたいだけど、まあ自殺じゃ面白くないから殺人だよね、たぶん。君たちは、この事件を捜査するの。現場に行っていろいろ調べて、聞き込みをして、関係者を取り調べして、誰が犯人か突き止めるの。判った?」

 

「その、耕造って人を刺した人が誰かを調べるために、聞き込みや取り調べをするのですか?」ヨシヒコは首を傾けた。

 

「そう。そういうこと。早く捜査始めて」

 

「…………」

 

「…………」

 

「教会で生き返らせて、誰に刺されたか直接本人に訊けば良いのでは?」

 

 ヨシヒコの提案に、他の三人も大きく頷いた。

 

「あー。そうかそうか。うんうん。そうだね。君らがそう考えるのは当然だよね。うん」そう言った後、仏は顔の前でひらひらと手を振った。「でもね、それダメなの。できない」

 

「なぜです? それが一番手っ取り早いでしょう?」

 

「ダメダメ。君らの世界じゃそれが当たり前かもしれないけど、この世界は、死んだ人は生き返らないから」

 

「死んだ人が生き返らない!? それ、大変なことじゃないですか!!」思わず大声を上げるヨシヒコ。

 

 仏は細かく何度もうなずく。「あー、うんうん。判る判る。驚くのも無理ないね、うん。判るよ。でもね、ダメだよ? 死んだ人教会に連れて行って『この人を生き返らせてください』なんて頼んだら。教会そんなことしないから、っていうかできないから。変な人だと思われるよ? ゲームばっかりしてるとこんな痛い大人になっちゃうのかって、ワイドショーとかで叩かれるよ? ゲーマーの立場がますます悪くなるよ?」

 

「教会で人が生き返らない……それは困りましたね」

 

「あ、そうだ」と、ムラサキが手を挙げた。「あたし、ザオリク使えるよ?」

 

 仏が身を乗り出した。「残念でしたー。ゲームが始まったばかりだから君らは全員レベル1ですー。ザオリクは使えませんー」

 

「あ、俺たぶん世界樹の葉持ってるわ」ウエストポーチをごそごそ探るメレブ。

 

「あのさ。そういうのやめてくれる? 君らの世界のルールをこっちの世界に持ち込まないで」

 

「あったあった」メレブは世界樹の葉を取り出した。「さ、行こうか」

 

 仏を無視して現場とやらに向かおうとした四人だったが。

 

「――仏ビーム!!」

 

 仏が額のぽっち、正式名称を白毫(びゃくごう)という毛を丸めたものから、ビームを発射した。

 

 ビームを受けた四人は、身動きができなくなった。

 

 動けなくなった四人を満足そうに見つめる仏。「あのね、その『死んだ人を生き返らせて犯人を訊く』ってやつは、もう『ドラクエ探偵倶楽部』でやったの。若葉さんと美咲ちゃんがもうやってるの。同じネタ二回も使ったら、『あ、こいつ、ネタ不足で手抜きしてやんのー』って思われるでしょ? だから、もうこの話では使えないの。判った?」

 

 何を言っているのか判らないし納得もできないが、ビームの影響で四人は反論できない。従うしかなかった。

 

 仏はえへんと咳払いをすると、改めて言った。「では、刑事ヨシヒコとその仲間たちよ、旅立つがよい、じゃなかった、捜査を始めるがよい」

 

 ビームから解放され、四人は仕方なく捜査を始めることにした。

 

 事件現場へと向かっていると、途中、七三分けの髪型でスーツ姿の若い男が立っていた。いつもの習慣でヨシヒコが話しかけると。

 

「僕があなたの部下の真野(まの)康彦(やすひこ)です。ヤスと呼んでください」

 

 男は、爽やかに笑ってそう名乗った。

 

「……ヤスさん、ですか?」と、ヨシヒコ。

 

「はい。ヤスです」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 四人は少し後ろへ下がると、ヤスに背を向けてしゃがみこんだ。

 

「……犯人ですね」

 

「……犯人だね」

 

「……犯人だな」

 

 声を潜めて話す四人。犯人はヤス――それは、ヨシヒコたちの世界に古くから伝わる伝承だ。これは絶対の真理であり、抗うことはできない。

 

「でも――」と、ムラサキ。「あたしらの世界のルールを持ち込むな、って、仏が言ってたから、いきなり逮捕はできなんじゃない?」

 

「だな」と、メレブが同意する。「それに、そのネタも、すでに『ドラクエ探偵倶楽部』でやったらしいからな」

 

「では、やはり地道に捜査するしかないわけですね――」諦め口調で言うと、ヨシヒコは立ち上がってヤスに声をかけた。「ではヤスさん。事件現場に行きましょう」

 

 新たにヤスを加え、五人で事件現場へ向かおうとする。

 

 しかし、なぜかヤスがついてこなかった。

 

「ヤスさん? どうしたんですか? 早く来てください?」

 

 ヨシヒコが呼ぶが、ヤスは一歩も動かない。仕方がないので手を引いたり、あるいは担いで運ぼうとしてみたが、ヤスはまるで強力な接着剤で固定されているかのごとく動かなかった。何か特殊な力が働いているようだ。

 

 メレブが空を見上げた。「ほとけー? ヤスが動いてくれないんだけど、どういうことー?」

 

 再び空に文字と輪っかが浮かび上がり、仏の映像が映し出された。ヨシヒコは眼鏡をかける。

 

「なになに? うるさいなー」めんどくさそうな口調の仏。「ああ、お前らか。どう? ちゃんと捜査してる?」

 

「まだしてないよ。てか、捜査したいんだけど、ヤスが動いてくれないの」

 

「いや当たり前でしょ? 君らもう四人いるんだから新しく仲間にはできないでしょ? 五人以上で冒険するなら馬車がいるでしょ? そんなの常識でしょ?」仏は早口で言った。

 

「なんだよそれ。俺らの世界のルール持ち込むなって言ったの仏じゃん」

 

「いやいや、五人以上は馬車。これ、どこの世界でも共通のルールよ? 早く馬車を手に入れて捜査始めて? そこらにないの?」

 

 そうは言っても、ヨシヒコたちはこの世界に来たばかりで、地理に詳しくない。

 

「ヤスくーん?」ムラサキが呼んだ。「この世界、馬車ってどこで手に入るの?」

 

「馬車ですか? 馬車はちょっと手に入らないと思いますね。五人以上で行動するなら、車がいいと思います」

 

「それって、どうすれば手に入る?」

 

「僕は車を持ってないので、どうしても必要なら買うしかないでしょうね」

 

「買うといくらするの?」

 

「ピンキリですが、まあ、百万円くらいです」

 

「ひゃ……百万!?」メレブが声を上げる。「俺ら65535ゴールドまでしか持てないから、そんなの買えるわけないじゃん」

 

「でも」とムラサキ。「いま、百万”円”って言ったから、あたしたちの世界と通貨が違うんじゃない?」

 

「ああ、そうか」頷いた後空を見上げるメレブ。「ほとけー? 百万円って何ゴールド?」

 

「もー、そんなの自分らで調べなよ」と言いつつ、仏は書類をめくった。「えーっと……今ひのきのぼうが10ゴールドで、こんぼうが30ゴールドだから……1ゴールド百円くらいで……百万円は1万ゴールドかな、うん」

 

「1万ゴールドか……」メレブは視線を戻した。「買えなくはなさそうだな」

 

「ヨシヒコ、いま、何ゴールド持ってる?」ムラサキがヨシヒコを見る。

 

 ヨシヒコは財布の中のお金を取り出した。「50ゴールドです」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 呆れ顔でメレブはまた空を見た。「ほとけー? これじゃあ馬車買えないんだけど? もっとお金ちょーだい」

 

「いやダメでしょ。君らは冒険はじめたばかりなんだから。最初は50ゴールドにどうのつるぎとたびびとのふく。これも常識よ?」

 

「……何だよそれ。なんでそんな子供の小遣い程度のお金しか持たせてもらえないんだよ」

 

「考えてみたら、そんな資金と貧相な武器で魔王倒せとか言うんだから、ヒドイ話だよね、あたしらの世界って」ムラサキも呆れる。

 

「馬車が買えないとヤスさんを仲間にできないので、捜査ができません」ヨシヒコも仏に言った。

 

「判った判った。じゃあ、酒場に行って。えーっと……」さらに書類をめくる仏。「深海地(しんかいち)……ってところに、『スナックぱる』って酒場があるらしいから、そこで仲間を外せるようにしておくよ。一度そこへ行って、誰かいらない人を外して、それから新しい人仲間にして。そしたら、ちゃんと捜査するんだよ?」

 

 そう言った後、仏は、「……まったくもう、最近の勇者一行はあれこれうるさいんだから……」と、ぶつぶつ文句を言いながら消えた。

 

「仲間を外せ、だって」メレブがみんなを見る。「誰が外れる?」

 

 みんなの視線が、一斉にダンジョーに注がれた。

 

「お……俺か?」驚くダンジョー。

 

「だって、おっさんこの世界に来て一言も喋ってないし」と、ムラサキ。

 

「だな。まったく存在感が無いもんな」頷くメレブ

 

「いやいや、こういうのはちゃんと話し合って決めようぜ」ダンジョーは反対する。「俺がいないと、モンスターと戦う時に苦労するぞ?」

 

「いや、この世界、どう見てもモンスターとかいないでしょ」

 

 ムラサキの言うことに、メレブも「うむ」と頷き、「モンスターがいなければ、ダンジョーは役に立たないもんな」

 

「じゃあ、お前らはどう役に立つっていうんだ」

 

 ムラサキはAカップの胸を張った。「へへーん。実はあたし、推理小説とか二時間ドラマとか結構好きなの。推理マニアってヤツ? だから、こういう事件は、ちょっと詳しいんだよね」

 

 続いて、メレブが鼻の横のホクロを得意げにいじる。「うむ、じつは俺も、以前古い書物を読んで八十年台の日本の文化に詳しいのだ。この知識は、きっと大きく役立つであろう」

 

「私は勇者ですから、一度クリアするまでパーティーから外すことはできません」最後にヨシヒコが言った。

 

 と、いうことで、三対一でダンジョーが外れることが決まった。一行は一度新開地のスナックぱるへ行き、そこでパーティーからダンジョーを外すと、鼻熊町へ戻ってヤスを仲間にし、ようやく捜査を始めることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事件現場へ向かうヨシヒコの後姿を、電柱の陰からひょっこり顔を出して見つめる人影があった。白い着物を着て、肩まで伸びた髪をピンクのヘアターバンで包んだ若い女だ。

 

 女は心配げな表情でヨシヒコを見つめながら、

 

兄様(あにさま)、殺人事件の捜査なんてできるのかしら……ヒサは心配です」

 

 と、つぶやいた。

 

 

 

 

 

 



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第二話 現場検証

 部下のヤスを仲間にした刑事ヨシヒコ一行は、事件現場の耕造の家へやって来た。二階建ての立派な洋館だ。さっそく中へ入ろうとしたら。

 

「あれ? なんか落ちてるね」

 

 玄関の前で、ムラサキが何か拾った。指輪のようである。

 

「ラッキー、さっそく使っちゃおっと」

 

 ムラサキは指輪をはめて祈りを奉げた。途端に、MPが回復する。

 

「おいおい、証拠品かもしれないんだから、勝手に使って壊すなよ?」メレブが注意する。

 

「あ、そうだね。いつものクセで、つい」ムラサキはてへぺろと笑うと、指輪をはずした。「じゃあ、証拠品として取っとくね」

 

 指輪をしまい、改めて屋敷に入る一行。遺体発見現場の書斎へ向かう。書斎は十メートル四方の広い部屋で、壁際に本棚と多目的キャビネット、そして、部屋の中央にテーブルが置かれてあった。

 

「ここが、遺体が発見された書斎です」ヤスが説明する。「耕造は、ここで血を流した状態で発見されました」

 

 遺体はすでに運び出されており、耕造が倒れていたらしい場所にチョークで人型が書かれてあった。ムラサキは部屋を歩きまわりながら本棚やテーブルを確認していき、メレブは懐から手帳を取り出すと現場の状況をさらさらと書き込み始めた。

 

 ヤスの説明によると。

 

 被害者は山川耕造。消費者金融業、いわゆるサラ金の会社『ローンやまきん』の社長だ。妻・子供なし。俊之(としゆき)という甥がいる。

 

 耕造には前科こそないものの、かなりあくどいことをしており、多くの人から恨まれていたという。

 

 遺体が発見されたのは十八日の朝八時。秘書である沢木(さわき)文江(ふみえ)が耕造を迎えに来たが、部屋には鍵がかけられており返事が無い。不審に思い、屋敷の守衛をしている小宮(こみや)にドアをこじ開けてもらって中に入ると、首から血を流して倒れている耕造を発見した、ということだった。検死の結果、死亡推定時刻は十七日午後九時頃と見られている。首をナイフでひと突きされ、ほとんど即死の状態。凶器のナイフは遺体の右手に握られていたそうだ。

 

「ふむ、なるほどね」メレブは手帳に書き込みながら頷いた。

 

「そして、ここがこの事件の重要なポイントなんですが……」と、ヤスが口調を改めた。「遺体が発見されたとき、ドアには内側から鍵が挿し込まれていました」

 

 ヨシヒコ達はドアを見る。ドアの外側と内側、両方に鍵穴がある。

 

「なにコレ? 変なドアだね」と、ムラサキ。

 

「古いドアには、よくあるタイプだな」と、八十年代の日本文化に詳しいというメレブが説明する。「このタイプのドアは、外からはもちろん、内側から閉める時にも鍵穴に鍵を挿し込む必要がある。両側から同時には挿し込めないから、内側に鍵が挿さっていた場合、外側からは鍵を入れることはできない。つまり、たとえ合鍵があったとしても、この状態では外から鍵をかけることはできないわけだ」

 

「つまり、この部屋は密室だったってことね!」目をキラキラと輝かせるムラサキ。推理マニアが喜びそうなシチュエーションだ。

 

「ボス」と、ヤスがヨシヒコを見た。「部屋が密室で、凶器のナイフは耕造自身の手に握られていたワケですから、自殺とも考えられますね」

 

「いえ、それは無いでしょう」ヨシヒコは断言するように言った。

 

「ま、そうだね。仏も、自殺じゃ面白くないって言ってたし」ムラサキも同意する。

 

「いえ、そんないい加減な理由じゃありません」ヨシヒコは、いつになく真剣な表情で続ける。「耕造は、首をナイフでひと突きされて即死の状態でした。これは、頸椎を切断されたと考えられます。動脈を切っても、出血多量で死亡するには少し時間がかかりますからね。頸椎は首の後ろです。自分で刺すには、あまりにも不自然です」

 

 そう言って、ヨシヒコは右手でナイフを持つ仕草をして、首の後ろに持ってくる。ナイフの長さを考慮すると勢いをつけて刺すのはかなり難しそうだし、そんな自殺の仕方はあまりに不自然だ。

 

「自殺するなら、もっと自然な方法がいくらでもあるでしょう。ですから、これは間違いなく殺人です」

 

 ヨシヒコはそう締めくくった。

 

「…………」

 

「…………」

 

「どうしたヨシくん。まともな推理しちゃって」驚いた表情のメレブ。

 

「いけませんか?」

 

「いや、もちろんOKよ。ちょっと調子狂うけど」

 

「じゃあ」と、ムラサキ。「犯人は、どうやって密室状態を作ったの?」

 

 ヨシヒコはドアの前へ移動した。「この扉の鍵穴に鍵を挿し込んでおけば、外からは鍵が挿さらない。だから密室だ、と判断されたんですね?」

 

「そうです」と、ヤスが答えた。

 

「ならば、こういうのはどうでしょう? 犯人は耕造氏を殺害後、部屋の鍵を持って外に出て、外から鍵をかけます。翌朝、犯人は別の者に鍵がかかっていることを確認させた後、ドアをこじ開けて中に入ります。そして、一人が耕造氏の遺体を発見して驚いている隙に、ドアの内側の鍵穴に鍵を挿し込む……これで、一見すると密室状態の出来上がりです」

 

「どうしたどうしたヨシくん。今日メチャクチャ冴えてるじゃん」メレブはさらに驚いた顔で言った。

 

 ムラサキはあごに人差し指を当てた。「じゃあ、犯人は遺体第一発見者の沢木文江か、守衛の小宮、もしくはその両方ってことになるね」

 

「そうですね」と、ヨシヒコは頷く。「しかし、今の段階ではただの推理にすぎません。逮捕するためには、確たる証拠が必要です。捜査を続けましょう」

 

 ということで、一行は書斎をくまなく調べることにした。

 

「あれ?」と、本棚を調べていたムラサキが声を上げた。「この本、なんか変だよ?」

 

 ヨシヒコ達も見る。本を開くと、中が大きくくり抜かれていて、小さな鍵が一本入っていた。

 

「いかにも怪しいから、証拠品として持っておこう」

 

 メレブが提案すると、ムラサキは「そだね」と言って鍵をしまった。

 

「後は、テーブルの上にマッチがあったくらいだな」

 

 メレブがマッチを取り出した。『スナックぱる』と書かれてある。深海地にある、ダンジョーが待機している酒場だ。

 

「耕造行きつけのお店だったのかもね。一応、とっておくね」ムラサキはマッチもしまった。

 

 書斎での捜査はそれで切り上げ、一行は隣の応接室へ向かった。この屋敷にあるのは、この二部屋だけだ。

 

「……って、なんでこれだけ広い屋敷なのに、二部屋しかないの。さっき二階もあったでしょ」ムラサキが言った。

 

「八十五年のゲームだからな。容量の問題だろ」メレブが答える。「部屋数が多くても、無駄な手間が増えるだけだし」

 

「まあ、捜査を続けましょう」

 

 ヨシヒコの声で部屋を調べ始める一行。応接室も書斎と同じくらいの広さで、テーブルを挟んでソファーが置かれてあり、壁に額縁に入った絵がかけられてある。

 

「あ、テーブルの下に、何か落ちてるね」ムラサキがテーブルの下へもぐり、落ちていたものを拾った。「ライターだね。誰のだろ?」

 

「犯人のものかもしれませんから、一応とっておきましょう」

 

「ん、りょーかい」ムラサキはライターもしまった。

 

 応接室で見つかったものはそれだけだった。まあ、事件現場ではないからそんなものかもしれないと、部屋を出ようとしたのだが。

 

「――ふむ、なかなかいい絵だな」

 

 メレブが壁の絵を眺めて呟いた。花瓶に色とりどりの花が生けられた油絵だ。

 

「おーい、そろそろ行くぞー」ムラサキが呼ぶ。

 

「まあ待て、ひょっとしたらこの絵は、かの有名な『ひまわり』という作品かもしれん」

 

 そう言って絵を触ろうと手を伸ばすメレブ。と、がたん! という音と共に、絵が床に落ち、額縁が割れた。

 

「あーあ、しらねーぞ?」ムラサキが呆れ声で言う。

 

「違う! 俺はまだ触ってない! 絵が勝手に落ちたんだ!」言い訳をするメレブ。

 

「待ってください」ヨシヒコが駆け寄った。「絵がかけられていたところに、何かあります」

 

 壁には丸いボタンがあった。

 

「まんまるボタンはおひさまぼたん~、って感じ?」ムラサキも壁の前に立つ。「どうする? 押してみる? 扉が開くか落とし穴が開くかはわかんないけど」

 

「まあ、押してみるしかないだろうな。いくぞ?」

 

 メレブはボタンを押した。

 

 しかし、何も起こらない。

 

「ん? なんだこれは?」メレブは何度かボタンを押すが、やはり何も起こらなかった。

 

 ヨシヒコがはっとした表情になった。「まさか!?」と言って応接室へ飛び出し、書斎へ向かう。ムラサキたちも後を追った。書斎の床には、なんと地下へ続く階段が現れていた。

 

「やはり、あのボタンはこれだったんだ。やりましたねメレブさん、お手柄です」

 

「いやいや、いわゆるひとつの今泉君的なヤツ?」

 

 ヨシヒコの褒め言葉に、メレブは照れたように笑った。

 

 一行は、さっそく地下を調べるため階段を下りてみた。が、地下は真っ暗である。

 

「えー? このダンジョン明かりがいるのー? めんどくさーい」

 

 ムラサキが不満げに言った。ヨシヒコ達の世界では、どこのダンジョンも大体明るくできている。薄暗くて先が見えない所もあるが、近づけば見えるようになるので、基本的に明かりは必要ない。

 

「おっと、このタイミングで、どうやら俺は新しい呪文を覚えてしまったようだ」メレブが得意げな顔で言った。

 

 疑わしそうな視線を向けるムラサキ。「オメーのことだから、どうせまたくだらない呪文だろ?」

 

「フッ……甘いな。今回覚えた魔法は失われた古代魔法・レミーラだ」

 

「レミーラですか!?」声を上げるヨシヒコ。「あの、暗闇を照らす光の魔法の! 今の状況に最適じゃないですか!」

 

「そうなのだ。自分の才能が恐ろしい」

 

「使ってください。さっそくレミーラを使って、この暗闇を照らしてください!」

 

「うむ。では、使ってしんぜよう」

 

 仰々しく言うと、メレブは杖を振りかざし、呪文を唱えようとした。

 

 だがその前に、ぱちっ、と音がして、地下は明るくなった。ヤスが壁のスイッチを押して、電気を点けたのだ。

 

「さあ、行きましょう」爽やかに笑うヤス。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「相変わらずオメーの呪文は役に立たねーな」

 

 ムラサキとヨシヒコ達は、呆然と立ち尽くすメレブを置いて奥へと進んだ。

 

 地下は、かなり複雑な迷路となっていた。いくつも道が枝分かれし、多くが行き止まり、あるいは元の場所へ戻るようになっている。さらには、通ると後ろの通路が閉まるといった大がかりな仕掛けもあった。

 

「よくもまあ、お金と手間をかけてこんな地下迷宮を作ったもんだね。どんだけ金持ちなんだろ、この耕造って人」呆れと感心が入り混じった声のムラサキ。

 

 さらに進むと、『これ以上進むな』や『ここを曲がれ』など、あからさまに追い返そうとする落書きや、『もんすたあ さぷらいずど ゆう』という当時の子供たちには意味不明なメッセージもあったが、なんとか最深部まで到達できた。そこには、壁に金庫が取り付けられていた。鍵がかけられていたが、書斎の本棚で見つけた鍵で、あっけなく開いた。

 

「お金と手間をかけてこんな広い地下迷宮を造ったワリには、金庫が鍵一本で開くなんて、この屋敷の防犯意識はどうなってるんだよ」ムラサキが言う。「てかさ、耕造って、密室状態で殺されてたんだよね? 密室に隠し部屋や隠し通路があるのって、けっこうルール違反なんじゃない? この地下迷宮使えば、いくらでも密室トリック作れそうだけど」

 

「まあ、そこは所詮一九八五年の子供向けゲームだからな。深く考えるな。それより、中には何があるんだ?」

 

 金庫の中には書類の束とメモ用紙が入っていた。書類は借用書で、平田(ひらた)という人物が何度も金を借りていた。その額は、合計で三百万円になる。借用書には簡単なプロフィールも書かれてあった。近所で八百屋を経営しているらしく、由貴子(ゆきこ)という高校生の娘と二人で暮らしているそうだ。

 

「八百屋さんか……」メレブが腕を組んだ。「この時代は、スーパーマーケットが次々と建てられ、個人経営のお店はどんどん苦しくなっていった頃だからな。それで、やむなくお金を借りたのかもしれん」

 

 もうひとつのメモ用紙の方は、川村(かわむら)という人物に何度か金を渡した旨が手書きで書かれてあった。こちらは借用書というよりはホントにメモ書き程度のもので、プロフィール等は書かれていない。

 

「二人とも、耕造がお金を貸してた相手ってわけね」ムラサキが頷いた。「金銭トラブルは、殺人の動機としては定番だよ」

 

「じゃあ、この平田と川村ってヤツについて、調べる必要があるな」メレブが言った。

 

「ああ、ボス、そう言えば」と、ヤスが言って、懐から手帳を取り出してパラパラとめくった。「平田という男には、家族から捜索願が出されています。ええと……十七日から行方不明だそうです」

 

「十七日!? 事件当日じゃないですか!!」ヨシヒコが声を上げる。

 

「なんか、あからさまに怪しいな」と、メレブ。「そいつが犯人なのか?」

 

「でも、あまりにもあからさま過ぎるから、逆にミスリードなんじゃない?」ムラサキは首を傾ける。

 

「いえ……これはそんな単純な問題ではありません」

 

「お? 今日冴えまくってるヨシくんが、なんか思いついたらしいぞ」

 

「山川耕造が死に、平田という男が行方不明……これが、どういうことか判りますか?」

 

「だから、平田が犯人か、あるいはミスリードかの、どちらかでしょ?」ムラサキが答える。

 

「違うんです……耕造が死んで、平田が消えた……一人が死んで、一人が消える。これは……鬼隠しです!!」

 

 ヨシヒコは、震える声で叫んだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ヨシくんそれアレでしょ? 雛見沢(ひなみざわ)村で起こってるやつ。それ結構最近のやつだから。ここ一九八五年の鼻熊町だから。鬼隠し起こんないから」

 

 と、メレブが説明しても、ヨシヒコは耳をふさいで首をぐるぐる降り、「信じない信じない信じない!」と連呼し続けた。

 

「ま、ヨシヒコはほっといて、とりあえず、関係者の事情聴取をしよっか?」書斎へ戻り、ムラサキが言った。

 

「そうだな」メレブがここまでの捜査状況を書き込んだ手帳を取り出し、パラパラとめくる。「現時点で話が聞けそうな関係者は……遺体の第一発見者である秘書の文江、同じく第一発見者である守衛の小宮、耕造の甥である俊之、そして、耕造からお金を借りていた平田の娘由貴子、の、四人だな。よし、じゃあ、一人ずつ取調室に呼ぼう」

 

 メレブ達は「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」とつぶやき続けているヨシヒコを引きずり、屋敷を出て警察署へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一行が去り、誰もいなくなった書斎で、地下室の隠し階段が開いた。中から、たいまつを持ったヨシヒコの妹・ヒサが顔を出す。

 

「兄様、ちゃんと取り調べできるかしら……? ヒサは心配です」

 

 ヒサは不安げな声で言った。

 

 

 

 

 

 



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第三話 事情聴取

 関係者への事情聴取を行うため、警察署へとやって来た刑事ヨシヒコとその仲間たち。かなり大きなビルだ。ロビーはたくさんの人でにぎわっている。受付には相談に訪れた市民たちが並び、入口付近ではパトロールから帰った私服警官とこれから出かける警官が敬礼を交わす。明らかにヤクザ者と思われるガラの悪そうな男が両脇を抱えられ奥へと連れていかれ、ロビーの一角では子供向けのイベントをしているのか、小学校低学年くらいの子供たちが集まり、警察のお姉さんとネコの着ぐるみが交通マナーについて説明していた。

 

 それらを横目に見ながら、取調室へ向かうヨシヒコ達。

 

「さて、まずは文恵からだね」取調室でムラサキが言った。

 

 ヤスが説明する。「沢木(さわき)文江(ふみえ)、二十三歳。被害者山川耕造の会社の秘書です。守衛の小宮と一緒に遺体を発見しました。短大を卒業後耕造の会社に入り、現在三年目です」

 

「ヨシヒコの推理によると――」メレブは手帳を見る。「密室状態を作ることが可能だった人物の一人だからな。慎重に話を聞こう」

 

 文江を取調室に呼ぶ。入って来たのは、なかなかの美人の女性だった。その姿を見た途端、ヨシヒコの顔が真っ赤になり、だらしない笑顔を浮かべ、頭から湯気が出はじめた。

 

「……どうしたヨシヒコ?」メレブが訊くが、ヨシヒコは答えない。

 

「なんかイヤな予感がするけど、とりあえず事情聴取はじめるよ」

 

 と、ムラサキが話を始めようとしたら。

 

「服を脱いでください!!」

 

 ばん! と両手で机を叩いて、ヨシヒコが身を乗り出した。

 

「ボス! なんてことを! 職権乱用ですよ!」ヤスが止める。

 

「いや、そんな職権ねーから」と、ムラサキはあきれる。

 

「服を脱いでください! お願いです! 服を脱いでください!!」

 

 興奮して文江に詰め寄るヨシヒコを、メレブとヤスが二人がかりで取り押さえ、なんとか後ろに下げた。

 

「ゴメンね、あのバカはほっといていいから」コホン、と咳払いをし、ムラサキは口調を改めて行った。「では、文江さん。まずは、遺体発見時の様子を説明してください」

 

「はい。十八日の朝八時、いつものように社長宅へお迎えに伺ったのですが、書斎には鍵がかけられてあり、呼んでも返事はありませんでした。なので、守衛さんに言って、ドアをこじ開けてもらい、中に入りました。そうしたら、部屋の中で社長が血まみれで倒れていて……」

 

 その時の様子を思い出したのだろう。文江は青ざめる。

 

「文江さん。申し訳ないんですが、部屋に入った時のことを、もう少し詳しく話してください」同情した様子もなく、冷たい口調で続けるムラサキ。「先に部屋に入ったのは、あなたと守衛さん、どちらですか?」

 

「えっと……守衛さんです」

 

「そうすると、耕造氏が死んでいることを確認したのも、守衛さんですか?」

 

「そうです。守衛さんが、倒れている社長に近づいて、確認してくれました。あたしは怖かったので、ドアのそばにいました」

 

「なるほどなるほど。では、守衛さんが遺体に気を取られている隙に、何か別のことをすることも可能だったわけですね?」探るような目で文江の顔を覗き込むムラサキ。

 

「それは……どういう意味でしょう……?」

 

「遺体発見時、書斎のドアには内側から鍵が挿し込まれていました。この状態では外側から鍵をかけることはできませんから、いわゆる密室状態になります」

 

「じゃあ、社長は自殺した、ということでしょうか?」

 

「いいえ。遺書は見つかっていませんし、自殺には少々不自然な点が多いんです。我々は、他殺と見ています」

 

「では、犯人はどうやって部屋に鍵をかけたんですか?」

 

「それは現在調査中なんですが……いま文江さんに聞いた話なら、守衛さんが遺体に気を取られている隙に、文江さんがドアの内側に鍵を挿し込むことも可能だったことになりますね?」

 

「そ……そんな! あたしを疑ってるんですか!?」

 

「そういうわけではありませんが、我々としては、あらゆる可能性を視野に入れて捜査をしないといけませんので」

 

「バカなことを言うな!」と、ヨシヒコがメレブ達を振り払い、声を上げた。「文江さんはそんな人じゃない! この取調べは違法だ! これは冤罪事件だ!」

 

「いや、これオメーの推理じゃねーかよ」怖い目で睨むムラサキ。

 

 ヨシヒコはムラサキを無視して再び机の上に身を乗り出した。「文江さん。こんな不当な捜査に付き合う必要はありません。これは任意の事情聴取なので、拒否することもできます。安心してください。文江さんの無実は、私が必ず証明して見せます。だからお願いです! 服を脱いでください!!」

 

 いきり立つヨシヒコを、メレブ達が抑えつける。

 

「失礼しました。最後にひとつだけ」と、ムラサキ。「十七日の夜は、どこで何をしていましたか?」

 

「その日は会社が終わって、夜七時から英会話の学校へ行きました。終わったのが夜の十時で、その後は家に帰って、〇時には寝ました」記憶を探るような口調で、文江は話した。

 

 犯行時間は夜の九時だ。ウラを取る必要はあるが、文江にはアリバイがあることになる。

 

「……判りました。またお話を伺うことがあると思いますので、その時はよろしくお願いします」

 

 ムラサキがドアを開け、文江を帰す。

 

「待ってください! 服を! 服を脱いでください!!」ヨシヒコが後を追いかけようとするが。

 

「うるさい!」

 

 ムラサキは一度屈み見込み、一気に飛び上がって渾身のアッパーカットを決めた。吹っ飛んだヨシヒコは、ばたんきゅーと倒れ、おとなしくなった。

 

 すると。

 

 ぱらららっぱっぱっぱー。

 

 ファンファーレが鳴り響く。

 

「おや? レベルが上がったな?」首を傾けるメレブ。「味方を攻撃しても経験値は得られないから、レベルは上がらないはずだが」

 

「いや、コイツ敵だから」ムラサキは吐き捨てるように言った。「でも、おかげで、新しい呪文を覚えたわ。まあ、それはさておき……文江は、今のところシロだね」

 

「うむ。アリバイはあるし、動機らしきものも今のところ無し」メレブは手帳にさらさらと書き込んだ。「これは、ヨシヒコの密室の推理は、ハズレかな」

 

「そもそも地下にあんなおっきなダンジョンがあるって時点で、密室なんて破綻してるしね」

 

「じゃあ、次の取調べといこう」

 

「えーっと、次は……もう一人の遺体第一発見者、守衛の小宮だね」

 

 ヤスが説明する。「小宮(こみや)六助(ろくすけ)、六十歳。五年ほど前から耕造の屋敷の守衛をしています。身寄りはなく、屋敷に住み込みで働いていました」

 

 小宮を部屋に呼ぶ。すると、小宮は入って来たなり、「わしじゃない! わしはやってない!!」と、わめきはじめた。

 

 途端にヨシヒコがよみがえり、小宮の胸ぐらを掴んだ「お前が耕造を殺したんだろ!!」

 

「わしじゃない! わしはやってない!!」

 

「嘘をつけ! お前がやったに決まってる! そのうえ文江さんに罪を着せようとはとんでもないヤツだ! さあ言え! ボカ! ガス!」

 

「いきなり殴り始めたけど、いいのかな」ムラサキはメレブを見た。

 

「まあ、いいんじゃね? なんかまともに話しできる状態じゃなかったし。現代なら大問題だろうけど、ここは一九八五年だからな。ほら。横浜港署の皆さんも、そこらのチンピラ捕まえては、しょっちゅうボコってたし」

 

「ひー、やめてくれ! 言う! 言うから!」意外にもヨシヒコの行動は功を奏し、小宮は話し始めた。「事件のあった夜、実はこっそり抜け出して、深海地へ飲みに言ってたんじゃ。しかも玄関の鍵をかけ忘れて……それだけじゃ! わしはやっていねえ! ほんまじゃ! 信じてくれ!」

 

 腕にすがりつかれたメレブは、うっとうしそうに振り払った後、ムラサキを見た。「そうなると、小宮にもアリバイがあることになるな」

 

「なんだよ。ヨシヒコの推理も当てになんねーな」

 

「ま、所詮ヨシくんだからな」

 

 ヨシヒコは再び小宮の胸ぐらを掴む。「嘘をつくな!! お前が犯人だ! お前以外に誰がいる!! さあ言え! 言うんだ!!」

 

「ベギラマ!」

 

 呪文を唱えるムラサキ。掌から炎が吹き出し、ヨシヒコと小宮は真っ黒コゲになった。ぱららっぱっぱっぱー、と、ファンファーレが鳴り響いた。

 

「ヨシヒコはともかく、小宮さんを巻き込むな」メレブが注意する。「メラ系にしとけ、メラ系に」

 

 ムラサキたちは改めて小宮から話を聞いた。

 

「……確かに、社長はいろんな人に恨まれておった。けど、わしを雇ってくれた恩人なんじゃ」

 

 涙交じりに話す小宮。なんだかかわいそうになってきたので、今日のところは帰ってもらうことにした。

 

 ムラサキは腕を組んだ。「耕造が死ぬと小宮は職を失うことになる。そうなると、年齢的に再就職は難しい。住み込みの仕事だから家も出なければいけないし、独り身だから行くあてもない。小宮が耕造を殺したとは考えにくいね」

 

「アリバイもあるし、今のところシロだな。じゃ、次行くか」

 

「次は俊之です」ヤスが説明する。「山川(やまかわ)俊之(としゆき)、二十九歳。耕造の甥です。港の近くに一人で住んでいます。二十歳のとき、一度障害で逮捕され、執行猶予つきの有罪判決となっていますね。現在無職。耕造にお金をせびっては、ぶらぶらしていたそうです」

 

 俊之を部屋に呼ぶ。リーゼントにサングラスに革ジャンでタバコを咥えた、見るからにヤンキーという男が入って来た。

 

「――お前がやったんだろ!」

 

 いきなり胸ぐらを掴むヨシヒコに対し。

 

「メラミ!」

 

 ムラサキは呪文を唱えた。掌から炎の球が発生し、ヨシヒコに襲い掛かった。ヨシヒコは燃やされ、ぱららっぱっぱっぱーとファンファーレが鳴った。

 

「失礼しました。ではまず、耕造さんについて、何かあれば話してください」

 

「まあ、俺にとっちゃいい叔父貴だったな。いつも小遣いくれてよ」タバコをふかしながら答える俊之。

 

「十七日の夜は、どうしてましたか?」ムラサキはタバコの煙を手のひらではらいながら、さらに問う。

 

「その日の夜はずっと家にいたな」

 

「それを証明できる方は?」

 

「いや、ずっと一人だったから、いないよ」

 

 ヨシヒコがよみがえって俊之の胸ぐらを掴む。「そうなるとお前はアリバイが無い! やはりお前がやったんだな!!」

 

「ヒャダルコ!」

 

 ムラサキは呪文を唱えた。吹雪が吹き荒れ、室内は雪まみれになり、俊之のタバコの火も消えた。そして、ファンファーレが鳴る。

 

「……だから、集団呪文を使うな。単体呪文にしとけ」と、メレブ

 

「もう、ヨシヒコが余計な呪文使わせるから、MP無くなったじゃない。回復回復」

 

 ムラサキは屋敷の前で拾った証拠品の指輪をはめると、天に祈った。MPが回復する。

 

「証拠品を勝手に使うなって。壊れたら責任問題だぞ?」

 

 メレブがさらに注意するが、ムラサキは知らんぷりをした。

 

「お?」と、俊之が指輪に反応する。「それは、俺が由貴子にあげたものじゃねぇか」

 

「由貴子? 平田由貴子さんですか?」ムラサキは指輪を机に置いた。「彼女と、面識が?」

 

「ああ。いま口説いてるところよ」

 

 またまたよみがえるヨシヒコ。「いい歳して女子高生に手を出すとはなんと破廉恥な! やはり貴様が――」

 

「マホトーン!」

 

 ムラサキは呪文を唱えた。呪文は効果を表し、ヨシヒコは喋れなくなった。

 

「最初からこうしておけばよかった」改めて俊之に向き直るムラサキ。「さて、話の続きをお願いします」

 

 しかし、マホトーンは集団呪文だ。1グループの呪文を封じるため、ヨシヒコ同様俊之も喋れなくなっていた。これ以上事情聴取することはできず、仕方がないので今日のところは帰ってもらった。

 

 メレブはさらさらと手帳に書き込む。「殺された耕造には身内がいないから、遺産は甥である俊之に行くことになるな」

 

「動機はあるし、アリバイは無い。今のところ、かなり怪しいね」ムラサキは頷いた。「それと、次の取調べ相手の由貴子とも関係がありそうだね」

 

 ヤスが説明する。「平田由貴子。高校二年生。グレたこともあったそうですが、今は真面目に学校に通っているそうです。八百屋を経営している父が、耕造から三百万円の借金をしています」

 

 取調室に由貴子を呼ぶ。ポニーテールでセーラー服の、なかなかカワイイ女子高生だ。

 

 さっそくヨシヒコが身をのり出す。

 

「服を脱いでください! お願いです! 服を――」

 

「ラリホーマ!」

 

 ムラサキは呪文を唱えた。とたんに、ヨシヒコはいびきをかいて眠った。ラリホーマの効果範囲は使い手によってさまざまだが、ムラサキが使うものは対象が一人である。

 

「失礼しました。服を脱ぐ必要はないので、安心してください」

 

「あたしは別にいいんだけどなぁ」

 

 由貴子の言葉に、メレブが目を輝かせる。「お? では、お願いして――」

 

「黙れスケベボクロ。えーっと。まず、耕造氏のことをお聞かせください」

 

「親父がお金を借りてた人でしょ? それくらいしか知らないよ?」

 

「お父さんの捜索願いを出されているようですが、失踪する理由に心当たりは?」

 

「お店の経営がかなり苦しいって言ってたくらいしかわかんないかな」

 

「行先に心当たりは?」

 

「うーん、京都に行ったのかもしれないけど、それ以上はわかんない」

 

「京都に? どうしてそう思うのですか?」

 

「十六日の夕方だったかな? 学校から帰ると、京都に行くってメモが置いてあったの。でも、連絡が取れなくて。次の日の夕方になっても帰ってこなかったから、おまわりさんに相談したの」

 

「すると、最後にお父さんに会ったのは、十六日の朝?」

 

「そだね」

 

「そうですか。ちなみに、十七日の夜は、どうしてましたか?」

 

「なんでそんなこと訊くの? 家にいたけどさ」

 

「アリバイは無いわけですね……」そう言った後、ムラサキは例の指輪を取り出した。「では、この指輪に見覚えは?」

 

「な……なーに、それ? あたしのじゃないよ?」と、言いつつも、明らかに動揺した声の由貴子。

 

「でも、俊之があなたにあげたものだって言ってましたけど?」ムラサキは探るような視線を向ける。

 

「ウソだよ。あたしがあんな男から貰うわけないじゃん。もし貰っても、すぐに捨てちゃうよ」

 

 やや焦っているように見える。どうも疑わしいが、ムラサキはそれ以上追及しなかった。

 

「そうですか……ありがとうございました。もしお父さんから連絡があれば、すぐに知らせてください」

 

 ムラサキたちは由貴子に帰ってもらった。

 

「由貴子にアリバイは無し。本人は否定してたけど、あの様子だと、指輪は恐らく彼女のものだと思う。指輪が屋敷の前に落ちていたということは、由貴子が耕造の屋敷へ行った可能性は高い。由貴子の父親は耕造に借金をしてる。その取り立てが厳しかったら犯行に及ぶ可能性も無くは無い……」そう言った後で、ムラサキは腕を組んでうーんと唸った。「でも、女子高生があの屋敷に忍び込んで、ナイフで耕造の首を刺す、っていうのは、ちょっと現実的じゃないかな?」

 

「娘はともかく、父親はかなり怪しいな」メレブが手帳をめくる。「事件発生前から行方不明。借金苦という動機もある」

 

「ふーむ」とムラサキは小さく息を吐いた。「ちょっと複雑になってきたから、ここまでの情報をまとめてみよっか?」

 

 ということで、取調室に定番のホワイトボードを持ち込んだムラサキたちは、関係者の詳細を書きはじめた。

 

 

 

 

 

 

 山川耕造

 ・サラ金会社の社長。

 ・昔はかなりあくどいことをしており、恨んでいる人も多い。

 ・首を刺されて即死。凶器のナイフは右手に。遺書等は発見されておらず、後述の理由により自殺の可能性は低い。

 ・家族無し。甥が一人。

 ・遺体発見時、部屋のドアには内側から鍵が刺さっており、密室状態だった。

 ・頸椎を切られての死亡と見られる。自殺の方法としてはかなり不自然。

 

 

 

 沢木文江

 ・耕造の会社の秘書。

 ・小宮と共に遺体発見。

 ・アリバイあり。

 ・動機無し。

 

 

 

 小宮六助

 ・耕造の屋敷の守衛。住み込みで働いている

 ・文江と共に遺体発見。

 ・アリバイあり。

 ・動機無し。耕造は歳老いた小宮を雇ってくれた恩人であり、また、耕造が死ぬと職や住む場所を失うことになる。

 

 

 

 山川俊之

 ・耕造の甥。

 ・無職。耕造にたびたび金をせびる。

 ・アリバイ無し。

 ・動機あり。耕造は家族がいないため、死ぬと遺産は俊之のものに。

 

 

 

 平田

 ・八百屋経営。経営は苦しい。

 ・耕造から三百万円借りていた。

 ・アリバイ無し。事件発生時より行方不明。娘の由貴子に京都へ行くという書置きを残していたが、詳しい場所などは不明。

 ・動機あり。借金の返済を厳しく迫られていた可能性がある。

 

 

 

 平田由貴子

 ・平田の娘。高校生。

 ・昔はグレていたが今はマジメ。

 ・本人は否定しているが、屋敷前に落ちていた指輪の持ち主と思われる。

 ・アリバイ無し。

 ・動機あり。父親が借金の返済を厳しく迫られていた可能性がある。しかし、犯行は難しいと思われる。

 

 

 

 川村

 ・平田が何度も金を渡していた人物。借用書が無いため、客ではないと思われる。

 ・その他、詳細不明。

 

 

 

 真野康彦

 ・犯人ヨシヒコ一行の部下。

 ・アリバイ無し。

 ・動機不明。

 ・一緒に行動しているが、実はかなり謎が多い人物。

 

 

 

 

 

 

 

「――こんなもんかな?」ムラサキは詳細を書き終え、腕を組んだ。「今のところ怪しいのは、俊之と平田だね」

 

 メレブは頷いた。「平田は京都に行ったという情報しかないから、今の段階で足取りを負うのは難しいな。まずは俊之から調べるか?」

 

「そだね。俊之が住んでるって部屋に行ってみようか」

 

 次の捜査方針が決まり、ムラサキたちは出かけようとした。

 

 が、ヨシヒコが眠ったままだ。ラリホーマは対象が一人な分、効果が長き続きするという特徴もある。

 

 ムラサキがヨシヒコの肩を揺すった。「ほらヨシヒコ、起きて。俊之の部屋の捜索に行くよ」

 

 すると、寝ぼけたヨシヒコはムラサキに抱きつき、顔をおっぱいにうずめ、ぱふぱふした。いや、正確にはしようとしたができなかった。

 

「うーん、文江ちゃーん。意外とおっぱいちいさいね」

 

「イオラ!!」

 

 ムラサキは呪文を唱えた。取調室は大爆発。ぱらららっぱっぱっぱーと、ファンファーレが鳴り響いた。

 

「さ、行くよ!!」

 

 黒焦げアフロのヨシヒコを引きずり、ムラサキたちは相変わらず多くの人でにぎわうロビーを通って、俊之の住む部屋があるという港へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロビーの一角で子供相手のイベントをしていた猫のぬいぐるみが、ズボッ! と顔を取った。ぬいぐるみの中にはヒサが入っていた。

 

「兄様、容疑者の部屋になんて行って大丈夫かしら……ヒサは心配です」

 

 ヒサは不安そうに外を見つめた。

 

 

 

 

 

 



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第四話 第一の容疑者

 事件発生時刻のアリバイがなく、遺産目当てという動機もある耕造の甥・俊之の自宅を捜索するため、ヨシヒコ一行は彼のアパートがある港付近へやって来た。地区ウン十年と思われる古い木造アパートの一室が俊之の部屋だ。玄関には鍵がかけられていたが、前回大幅にレベルアップしたムラサキがどんな扉でも開けてしまうアバカムの呪文を覚えていたので、それを唱えて中に入った。

 

 俊之の部屋はシンプルなワンルームだった。六畳の部屋に机とタンスが置いてあるだけで、生活感はまるでない。一行はさっそく捜索を始めた。

 

「……っていうか、令状も無いのに勝手に家宅捜索して大丈夫なのかよ」

 

 メレブがもっともなことを言う。通常、警察が容疑者の家宅捜索をするにはもろもろの令状を取る必要がある。そのためにはそれなりの証拠を集め、裁判所に提出し、家宅捜索の必要性を認めてもらわなければならない。令状も無く家宅捜索を行うのは捜査ではなくただの空き巣だ。

 

「いいんじゃないですか? 我々がいつもやってることですし」悪びれた様子もなく言うヨシヒコ。

 

「ま、そうだな」

 

 メレブもあっさり納得した。ヨシヒコ達が他人の家に上がりこんで勝手にタンスやツボの中を調べ、そこにあるモノを持って行くのは日常茶飯事である。家人がいないときはもちろん、居るときでさえ構わずやるが、その行為を誰かにとがめられることはない。いわば、勇者の特権である。

 

 捜索といってもそもそも物があまりないため、タンスの中と机の周りを調べるだけだ。タンスの中にはめぼしい物は無く、机の上にはプッシュ式の固定電話があり、その横にメモ用紙が一枚置かれていた。収穫はそれだけだ。メモには『こめいちご』と書かれていた。

 

「買い物のメモでしょうかね?」ヨシヒコは首をひねった。「米とイチゴ、あるいは、米が一合……どちらにしても、事件には関係ないように思えますね」

 

「でも、推理小説とかじゃ、こういうのはだいたい重要な証拠になるよ? 何かの暗号とか」ムラサキが言った。

 

 すると、メレブが「フッフッフ」と、不気味に笑った。「判ったぞ。謎を解くカギは、電話だ」

 

「電話? これのこと?」ムラサキが机の上のプッシュホンを指さす。

 

「そう。今は一九八五年。この時代、まだまだ一般家庭にはダイヤル式の黒電話が主流だった。しかし、この部屋にあるのは最新式のプッシュホン。これを見て俺はピンときた。『こめいちご』とは短縮ダイヤル。『*15』なのだ」

 

「おお」と、ヨシヒコが感嘆の声を上げた。「よく判りませんが、さすがメレブさんです」

 

「褒めても何も出んぞ。ではヨシヒコくん、かけてみたまえ」

 

 ヨシヒコはメレブに電話の使い方を教えてもらい、言われた通り*15にかけてみた。何度のコール後に繋がると、

 

《もしもし、俊之か? すぐに港に来てくれ。例の物を渡すからな》

 

 それだけ言うと、がちゃん、と、電話は切れた。

 

「どうだった?」と、メレブ。

 

 ヨシヒコも受話器を置いた。「港へ来てくれとのことです。例の物を渡すからと。それだけ言って、切られました」

 

「何か新たな展開がありそうだな。よし、早速港へ向かおう」

 

 四人は港へ向かった。あとには、荒らされまくった部屋が残った。

 

 

 

 

 

 

 港は俊之の部屋のすぐ近くなので、五分とかからずに到着した。この街は古くから港町として栄えてきたので、港付近は大きなホテルや遊園地などがあり、かなりの賑わいだった。

 

 しかし、ヨシヒコたちが呼び出されたのは、そんな賑やかな地域からはかなりはずれた場所だった。シャッターが閉ざされた倉庫がいくつも並び、外には貨物用のコンテナがたくさん積み上げられた、ひと気の無い波止場だ。

 

「でもさ、あたしらが行ってもダメなんじゃない?」波止場へと向かう途中、ムラサキが言う。「俊之じゃないし、そもそも見た目から怪しいし」

 

 ヨシヒコらの格好は元いた世界のままだ。この世界の衣装とは明らかに異なるため、かなり浮いてしまっている。

 

「変装でもするか?」と、メレブ。

 

「変装かー。それでごまかせるかな?」

 

「お前、モシャスの呪文は覚えていないのか?」

 

「あー。さすがにまだ覚えてないね。あれはかなり高レベルの呪文だし」

 

「そうか。あれが使えれば簡単だったのにな」

 

 モシャスとは、他者に変身する呪文である。この呪文を使うと、見た目はもちろんHPとMPを除く身体能力、さらには記憶さえも含めて他者になりきることができるのだ。この呪文で変身すれば相手にバレることはほとんど無いが、非常に特殊な呪文ゆえに覚えるのは高いレベルが必要である。

 

 メレブが腕を組む。「そうなると、変化(へんげ)の杖があれば良かったな」

 

 変化の杖とは、その名のとおり変化ができる杖である。モシャス同様なんにでも変身することができるが、モシャスと違いなりきることができるのは外見だけで、強さや性格・記憶などは変身前のままである。しかし、比較的警備がゆるい場所に顔パスで侵入するなど、見た目だけで相手を騙せるような状況ではかなり有効なアイテムだ。もっとも、効果はパーティー全員に及んでしまうため、もし今の状況で使うと俊之が四人なんてことになってしまうのだが。

 

「変化の杖って、ヨシヒコの妹ちゃんが持ってるんじゃなかったけ?」と、ムラサキ

 

「ヒサですか? 確か、持ってたと思います」

 

「あの妹ちゃんのことだから、そこら辺にいるんじゃない?」

 

 ヨシヒコたちが辺りを見回すと、少し後ろのコンテナの陰からひょっこりと顔を出し、こちらの様子を窺っているヒサが見えた。

 

 しかし、ヨシヒコたちと目が合うと、すぐに顔をひっこめた。

 

「やっぱりいるね」ムラサキが言った。「どうする? 変化の杖、借りてくる?」

 

「いや、ちょっと遅かったな」

 

 メレブが波止場の方を指さした。赤いシャツを着て黒いボストンバッグを持った怪しげな男が近づいて来た。

 

 男は訝しげな目をヨシヒコたちに向けた。「なんだ、お前たちは?」

 

「俊之の仲間だ」ヨシヒコはとっさに答えた。「俊之は来られなくなったから、代わりに私たちが来た。例の物とやらを頂こう」

 

「いやー、さすがにそれは無理があるんじゃないかな、ヨシくん」と、メレブがツッコミを入れるも。

 

「判った」と言って、男はコロッと親しげな表情になり、ボストンバックから包みを取り出した。「じゃあ、これを受け取ってくれ。俊之によろしくな」

 

「あ、いいんだ。そこ信じちゃうんだ。見た目けっこう悪そうな人なのに、そこはもうちょっと疑った方がいいんじゃない?」

 

 メレブのツッコミをよそに、ヨシヒコは男から包みを受け取る。

 

「これは……?」

 

 包みの中は白い粉が入ったビニール袋だった。袋を開け、粉を指につけて舐めたヨシヒコは、大きく目を見開いた。「麻薬だ! この男を麻薬密売の容疑で逮捕しろ!」

 

「げげ! しまった!!」

 

 男は逃げようとしたが、メレブとヤスによって取り押さえられた。

 

 その後、駆けつけた麻薬取締官・通称マトリに、男とヨシヒコは麻薬取締法違反の現行犯で逮捕されたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……てか、なんであの男だけでなくヨシヒコまで逮捕されるんだよ?」警察署の取調室に戻ったメレブは、あきれた口調で言った。

 

 ムラサキは肩をすくめた。「仕方ないでしょ、麻薬舐めたんだから。あれだって、立派に麻薬使ったことになるもん」

 

 逮捕されたヨシヒコは、隣の部屋でマトリから取調べを受けている。麻薬の使用歴、男との関係、背後にある組織の全容など、徹底的に尋問されているだろう。

 

「ま、ヨシヒコのことはほっといて、こっちの捜査を続けましょ」

 

 ムラサキは取調室に俊之を呼んだ。

 

「話ならこの前しただろ。これ以上話すことなんてねぇよ」

 

 不機嫌な口調で言う俊之に、ムラサキは彼の部屋で見つけた『こめいちご』のメモを見せた。

 

「このメモ書きは、あなたの部屋で見つけたものです。これは、なんですか?」

 

「あん? てめぇら、俺の部屋を勝手に調べたのか? 訴えるぞ! こんなことが許されるわけがない!」

 

 額に血管を浮かべいきり立つ俊之。椅子から立ち上がり、ムラサキに掴み掛らんばかりの勢いだ。令状の無い違法な捜索だから、怒るのも無理はない。

 

 しかし。

 

「それが許されるんです。あたしたちは、勇者一行ですから」

 

 ムラサキがそう言うと。

 

「そうか。ならしょうがない」

 

 俊之はけろっと怒りを治め、椅子に座り直した。

 

「いやあっさり認めるな。もうちょっと怒ってもいいと思うぞ?」と、メレブが言うが、構わず取調べは進む。

 

「それで、この紙はなんなんですか?」

 

「ああ、それ、ただのイタズラ書きよ」

 

 ムラサキの問いに、とぼけた様子で答える俊之。

 

「イタズラ書き? そんな言い逃れが通じると思いますか? あなたの部屋の電話から、こめいちご、つまり、*15に電話したら、ある男が出て、すぐに港へ来い、と言われたんです。言われた通りに港へ向かったら、その男からコレを渡されたんですよ?」

 

 ムラサキは例の包みを見せた。俊之の表情がはっとなる。

 

「麻薬です」ムラサキは続けた。「これを持っていた男と、思わず舐めてしまったうちの勇者は、逮捕されて取調べを受けています」

 

「はん。なんだよそれ。俺には関係ないね」

 

「あなたの部屋の電話機に登録されていた男が、あなたに、と言ってこの麻薬を渡して来たんですよ? それを関係ないでは通らないでしょう?」

 

「しらねーよ。その男が勝手にやったことだろ。そんなんで、俺を逮捕できるのか?」

 

 あくまでも無関係と主張する俊之。彼の言う通り、現時点での逮捕は難しいと言わざるを得ない。状況は限りなくクロに近いが、今のところ俊之と麻薬の関連性を示す決定的な証拠はない。逮捕するためには、自供を引き出すしかない。

 

「いいんですか? そんなこと言って」ムラサキは不敵な笑みを浮かべた。「これは、あなたの潔白を証明するチャンスなんですよ?」

 

「あん? なに言ってんだ」

 

「あたしたちは刑事課の者で、麻薬捜査は管轄外です。あたしたちの目的は、あくまでも耕造を殺した犯人を逮捕すること。いま、犯人として最も疑わしいのがあなたなんです。耕造が死ねば莫大な遺産が転がり込むし、あなたには事件発生時のアリバイが無い」

 

「それが麻薬とどう関係するんだよ」

 

「この麻薬を持っていた男は、十七日の夜九時にもあなたと取引をしたと供述しています。耕造が殺された時間です。つまり、麻薬の取引を認めれば、あなたは耕造殺しの容疑からははずれることになります」

 

「――――」

 

 ムラサキの言葉に、俊之はまたはっとした表情になる。

 

 それに満足したように笑うと、ムラサキはさらに続けた。「でも、もし麻薬取引のことを認めないのであれば、あたしたちはこれからもあなたのことを徹底的に調べ続けます。あなたにとって、もっとヤバいことが出てくるかもしれませんね? 叩けばいっぱいホコリが出てきそうですから」

 

 じわじわと追い込むムラサキの言葉に、俊之は。

 

「――判ったよ。認めるよ」観念し、ガックリと肩を落とした。「あんたの言う通り、俺は十七日の夜、港でその男と麻薬の取引をしていた。これでいいだろ?」

 

「結構です。では、あなたの取調べは、このままマトリへ引き継ぎます」

 

「ふん、あばよ!」

 

 罪を認めた俊之は、ヤスに連れられ、取調室を出て行った。

 

「罪を認めないからぶん殴ってムリヤリ自供させるのかと思ったら、話だけで相手に自供させるとは、なかなかやるなムラサキちゃん。さすがは推理マニア」

 

 メレブのヨイショに、ムラサキは誇らしげに胸を張った。「フフン。暴力で自供を引き出すなんて邪道よ。いくら八十年代でも、そんなこと許されないわよ」

 

 がちゃりとドアが開き、顔中青あざだらけのヨシヒコが入って来た。目の上は大きく腫れあがって、鼻血を流し、服もボロボロだ。

 

「……どうした? ヨシくん」と、メレブ。

 

「マトリの取調べで、ボコボコにされました。私は麻薬取引とは関係ないと言っているのに、全然信じてもらえず、こんなことに」

 

「まあ、それに懲りて、これからは暴力を慎むことだな」メレブはポンポンとヨシヒコの肩を叩いた。「それより、これからどうする? 俊之は逮捕できたが、俺らの事件とは関係なかったし、捜査はふりだし戻ったぞ?」

 

「そんなことないよ」とムラサキ。「確かに俊之は耕造殺しの犯人ではなかったけど、容疑から完全に外れたのなら、それは一歩進んだことになるもん」

 

「随分と時間のかかった一歩だな」

 

「まあ、捜査なんてそんなもんでしょ。で、次の捜査なんだけど」

 

 部屋に戻ってきたヤスが、例の相関図をまとめたホワイトボードを持ってきた。メレブは俊之の項に大きく×をする。

 

「次に怪しいのは、耕造から金を借りていた平田だが……」メレブはヤスを見た。「娘の由貴子から、何か連絡は?」

 

「まだ何もありません。平田の行方は、不明なままです」

 

「そうなると他に怪しいヤツはいないし……手詰まりだな。どうする?」

 

「こういう時は、捜査の方針を変えるのよ」ムラサキはホワイトボードの耕造の項に星印を付けた。「容疑者を追うんじゃなく、今度は被害者の関係を洗うの。確か、事件現場にマッチが落ちてたよね」

 

「スナックぱるだな。確か、ダンジョーが待ってる酒場だ」

 

「耕造の行きつけの店かもしれませんね」ヨシヒコが頷いた。「行ってみましょう。何か判るかもしれません」

 

 と、いうことで、一行は深海地のスナックぱるへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいなくなった取調室に、突然パッとヒサが姿を現した。その手には、姿を消すことができるアイテム・消え去り草を持っている。

 

「兄様、お酒も飲めないのに酒場に行って大丈夫かしら……ヒサは心配です」

 

 ヒサは不安そうな表情でつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五話 浮かび上がる男

 耕造の人間関係を洗うため、深海地のスナックぱるへとやって来たヨシヒコ一行。犯行現場である耕造の書斎で見つけたマッチの店だ。ヨシヒコ一行にとっては仲間を入れ替えできる場所でもあり、ヤスを仲間にするためにダンジョーを外した店だ。

 

 店に入ると、奥の席でダンジョーが美人のホステスに囲まれ酒を飲んでいた。すでにかなりの量の酒が入っているらしく、真っ赤な顔で上機嫌に笑っている。

 

「ダンジョーのやつ、仲間から外れることを嫌がってたのに、すっかり楽しんでるな」呆れ声のメレブ。

 

「ま、おっさんはほっといて、聞き込みするよ」

 

 ムラサキはカウンターへ行くと、マスターにマッチを見せようとした。「すみません。このマッチのお店は、ここで間違いないですよね?」

 

 しかし、ムラサキが取り出したのはマッチではなくライターだった。耕造の屋敷の応接間で見つけたものである。

 

「あれー。間違えちゃったー。てへぺろー」ムラサキはライターをしまおうとしたが。

 

「あ、そのライター、川村さんのだ。見覚えがあります」と、マスターが言った。

 

「えー? そうなのー? ぐうぜんー?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ムラサキちゃんよー」と、メレブ。「事情聴取で由貴子に指輪を見せた時も思ったけど、そういうご都合主義的なことやめろよ」

 

「仕方ないでしょ。ホントなら関係者全員に見覚えがないか確認しないといけないけど、会う人全員に全部の証拠品を見せてたらキリないし」

 

「まあそうだけど、もっとうまいやり方は無かったのか」

 

「何でもいいでしょ。どうせ結果は同じなんだし」ムラサキはコホンと咳ばらいをした。「川村って、耕造がお金を渡してた人物だよね? このお店に来てたんだ」

 

 メレブもえへんと咳払いをする。「そのようだな。耕造との関係を訊いてみよう」

 

 ムラサキは耕造の写真を取り出し、マスターに見せた。「この人のことは、ご存知ないですか?」

 

「あ、この人! いつだったか、ここで川村さんと大ゲンカしてた人です」

 

「耕造と川村が、ケンカ? 原因は、なんですか?」

 

「さあ……そこまでは判りませんが、二人とも、すごい剣幕でしたよ」

 

「そうでうすか。耕造と川村さんは、どのような関係だったかご存知ですか?」

 

「うーん、この店で何度か飲んでたってだけで、それ以上のことは判りません。お二人とも、最近は来店されていませんし……すみませんねぇ。でも、隣のお店で働いているおこいさんが親しかったはずですよ?」

 

「おこいさん、ですね。判りました。ありがとうございます」

 

 礼を言い、ヨシヒコたちはダンジョーには一切声をかけず店を出た。

 

 スナックぱるの隣は、新劇シルバーという店だった。店の前に立てかけられた看板には「ヌードッコ」とあり、出演者と思われる名前が連ねられてある。そのトップに夕日おこいという名があった。

 

「おお! どうやら、ストリップ劇場のようだな! 懐かしい」と、メレブは嬉しそうに声を上げた。

 

 ムラサキは汚い物を見る目をメレブに向ける「……イヤな予感しかしないけど、なに? ストリップ劇場って?」

 

 メレブは咳払いをし、声を改めて説明する。「あー、ストリップ劇場とは、女性ダンサーが踊りながら服を脱いでいくショーを見せる場所だ。八十年代までは風俗店の中でも人気だったが、直接触れ合える系の風俗店が増えるにしたがって、どんどん廃れていった。今では絶滅危惧種に指定されているとかいないとか」

 

「ほー? ずいぶん詳しいみたいだな。こういう店、よく利用するのか?」

 

「いやいやいやいやいやいやいや、よく利用したりはしない。たまに週二度くらい来る程度だな。もちろん、古くから伝わる日本の文化を調査し守るためだ。決して、(よこし)まな思いを抱いているわけではないぞ」

 

「邪まなホクロでよく言うぜ」

 

「なんもいいです!!」と、ヨシヒコが声を荒らげた。「行きましょう! さっそくストリップ劇場へ行きましょう!! そして、隅から隅まで徹底的に捜査しまくりましょう!!」

 

 鼻血を噴き出してお店へ突撃しようとするヨシヒコだったが、店内の様子を描写すると年齢制限をつけないといけない恐れがあるとのことで、残念ながらおこいを取調室に呼び出しての事情聴取となった。もちろん、ヨシヒコには事前にラリホーマをかけている。

 

 ヤスが説明する。「夕日(ゆうひ)おこい。深海地では有名なストリッパーです。年齢不詳。昔はタカカヅラにいたと本人は言ってますが、本当かどうかは不明です」

 

 おこいを部屋に呼ぶ。ピンク地に白ドット柄の派手なカーディガンを羽織った三十前後の女だ。化粧と髪型も服同様派手だが、人気ダンサーとあってかなりの美人である。

 

 ムラサキは事件の詳細を一通り説明し、話を聞いた。「川村という人と、親しかったそうですね?」

 

「親しいという程でもないわ。耕造さんと三人で何度か飲んだって程度やな。まあ、口説かれたりはしたけどな」

 

「川村がいまどこにいるか、ご存知ですか?」

 

「そういうたら最近見てないなあ……どこにおるんやろ? 口説かれたとき名刺渡されたけど、もうどこにあるかわからへんな。興味ないから捨ててしもうたかも」

 

「そうですか……他に、川村や耕造のことでご存知のことはないですか?」

 

 と、ムラサキが問うと。

 

 おこいは、なぜかうっとりとした表情でメレブを見た。「お兄さん、ええほくろしてはるね?」

 

「おお。俺のホクロの良さが判るとは、なかなか見どころがある」嬉しそうに答えるメレブ。

 

「お兄さんのホクロ気に入ったから教えてあげるわ。耕造さんね、昔、川村と詐欺仲間やったんやって」

 

 ムラサキが大きく目を見開いた。「耕造と川村が、詐欺仲間!?」

 

「ええ。その辺が、事件と関係してるんちゃう? 知らんけど」

 

 ムラサキはメレブを見る。「確かに、耕造は昔、かなりあくどいことをしてたらしいからね」

 

「耕造の過去を徹底的に洗ってみる必要がありそうだな」

 

 と、いうことで、おこいに帰ってもらい、ムラサキたちは耕造と川村の過去を調べることにした。経歴によると、耕造は神戸から海を渡ってすぐにある淡路島の洲本市出身だそうだ。若い頃から定職に就かずぶらぶらしていたようだが、十五年ほど前に神戸市に引っ越してきた。耕造は現在の事業を始め、一応成功する。

 

 また、耕造と川村は詐欺仲間だったというおこいの話をもとに、詐欺事件を専門に取り扱う捜査二課に問い合わせると、すぐに回答が得られた。フルネームは川村まさじ。何度も逮捕歴があり、二課もマークしている人物らしい。川村は耕造と同じく十五年前に神戸へやってきて事業を始めるも失敗。その後は詐欺行為を行い、計六度逮捕されている。ただ、しばらく事件は起こしていないため、現在どこに住んでいるのかは判らないそうだ。

 

 ムラサキは、以上の情報をホワイトボードに書き込んだ。「耕造が神戸で事業を始める資金をどう集めたのかが気になるね。川村と詐欺仲間だったなら、事件にはなってないけど、何かしらの詐欺行為を働いていた可能性もあると思う」

 

「となると、洲本に行って耕造と川村の過去を調べるか?」

 

「もしくは、川村の足取りを追うっていう手もあるよ? 前科六犯ならその筋に名前が知られているだろうし、探せばすぐに見つかるかも」

 

 ドアがノックされ、事務服姿の女性が入って来た。「失礼します。ヨシヒコ様に、平田由貴子さんという方からご伝言です」

 

 その途端、まるでザメハの呪文を唱えたかのように目を覚ましてがばっと起き上がるヨシヒコ。

 

「由貴子ちゃんの名前聞いただけでこれだよ」呆れるムラサキ。

 

「伝言とはなんですか!? デートのお誘いですか!? 愛の告白ですか!? 伝説の樹の下で待ってるってことですか!?」

 

「いえ……お父さんの上着のポケットから、電話番号が書かれたメモが見つかったそうです。これが番号です」

 

 怯えたような呆れたような表情でメモを差し出す事務員ちゃん。ヨシヒコはメモをひったくるように取った。

 

「これはまさか、デートに誘ってほしいというサインでは!?」

 

「いや、父親の上着のポケットから出てきたっつってんじゃん」

 

 怖い声で言うムラサキを無視して、室内の電話に飛びついてダイヤルを回すヨシヒコ。しかし、どうやら通じなかったらしく。

 

《おかけになった電話番号は、現在使用されておりません》

 

 という声が受話器から漏れ聞こえてきた。

 

「ぬおおぁぁ!! なんという焦らしプレイだ!! 興奮してきたああぁぁ」ヨシヒコは身震いしながら声を上げた。

 

「いや、平田は京都に行くと言ってたらしいから、京都の番号じゃね?」メレブが言う。「市外にかける場合は、最初に市外局番をつけるんだ」

 

 メレブの説明に従い、電話をかけ直すヨシヒコ。何度かコールした後。

 

《はい、寺蛇屋(てらだや)旅館です》

 

 と聞こえた。

 

「寺蛇屋旅館だと!? そんな所に用は無い!! 出せ! 由貴子ちゃんを出せ!!」さらに声を上げるヨシヒコ。

 

「マヌーサ!!」

 

 ムラサキは呪文を唱えた。幻に包まれる呪文である。呪文が効いたヨシヒコは、「ああ、由貴子ちゃーん」と何も無い空間に抱きつき、「文恵ちゃーん」と壁に激突し、その後も空振り攻撃を続けた。

 

 ムラサキが受話器を取った。「失礼しました。そちら、旅人の宿ですか?」

 

《変な呼び方ですが、まあそうですね》

 

 ムラサキは名乗ると、平田という人がそちらに泊まっていないか訊いた。しかし、そういうことにはお答えできない、と言われ、教えてくれなかった。

 

「ま、そうだろうね」ムラサキは受話器を置いた。「電話じゃ、こっちがホントに警察かも判んないし」

 

「これは、直接行ってみるしかないな」

 

「そだね。じゃ、耕造と川村の捜査は、一旦保留ということで。事務員ちゃん、ありがと」

 

 ムラサキたちは事務員ちゃんに礼を言うと、空振り攻撃を続けるヨシヒコを引きずって、京都へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 取調室に残った事務員の身体がキラキラと光りはじめた。光はどんどん強さを増し、やがて全身を包み込む。その光が消えると、事務員ではなくヒサが立っていた。手には変化の杖を持っている。

 

「兄様、ちゃんと電車に乗れるかしら……? ヒサは心配です」

 

 ヒサは不安そうに言った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六話 京都の事件

 片道一一〇〇円、約一時間で神戸駅から京都駅へ下り立ったヨシヒコ一行。駅前から五重塔と『大』という大きな文字が書かれた山を見ながら寺蛇屋旅館まで移動する。女将に警察手帳見せてからきちんと事情を説明し、ようやく平田についての話を聞くことができた。

 

「十六日の夕方に来られて、一泊されていかはりました。チェックアウトのとき、亜美蛇ヶ峰(あみだがみね)への行き方をお訊ねでしたので、地図を広げて教えてさしあげました」

 

 亜美蛇ヶ峰とは、駅から東へ少し行ったところにある山である。標高二百メートルほどで、山頂には豊臣秀吉のお墓があるという。

 

 旅館ではそれ以上の情報は得られなかった為、一行は亜美蛇ヶ峰へと向かった。途中、念のため聞き込みをしながら向かうと、近くの神社で平田の目撃情報を得られた。十七日の昼前、おかしな男が三十分くらい必死な形相で拝んでいたらしいが、その男が平田に似ていたと言う。やはり、平田は亜美蛇ヶ峰へ向かったに違いない。

 

 本来ならば山頂までは五六五段の石段を登らなければいけないが、そこは八十年台のゲームということでカットされ、いきなり山頂に着く一行。山道の両脇には林が広がっている。

 

「おや? ボス、奥に何かありますね?」

 

 ヤスが何かを見つけ、林の中へ入って行った。ヨシヒコたちも続く。しばらく進むと、一本の木の枝からぶらんぶらんと何か大きなものがぶら下がっていた。

 

「大変ですボス! 平田が首を吊っています!!」

 

 ヤスが叫んだ。慌てて駆け寄るヨシヒコたち。それは、確かに平田の首吊り遺体だった。

 

「耕造を殺して、自らも自殺をしたんですね」ヤスがヨシヒコに向かって言った。

 

「おっと? ヤスのやつ、今まで俺らの捜査の補助しかしなかったのに、なんか急に捜査方針に口を出してきたぞ?」メレブは小声でムラサキに言った。

 

「まあ、あたしら気付いてないフリしてるけど犯人はヤスくんだからね。平田の犯行にして捜査を終わらせたいんじゃない?」ムラサキも小声で答えた。

 

「ボス――」と、ヤスは続ける。「あっけない幕切れですが、事件は解決しました。どうか捜査やめろと命令してください」

 

「いやー、ここで捜査やめる人はさすがにいないんじゃないかなー?」とメレブは言ったが。

 

「捜査やめろ!!」ヨシヒコは大声で叫んだ。

 

「いたよ。すぐそばにいたよ。いやヨシくんここで捜査やめるってことはないよ? 犯人の思うつぼだよ?」

 

「うるさい! 私は帰って由貴子さんとデートしなければならないのだ!」

 

「だめだ。完全にイカれてる」メレブはムラサキと顔を見合わせ、大きくため息をついた。

 

「仏! 捜査は終わりました!!」

 

 ヨシヒコが空に向かって言うと、またまた空に『now connecting』という文字とくるくる回る輪っかが表示され、仏が姿を現した。メレブが渡した眼鏡をかけるヨシヒコ。

 

「えーっと、バカなのかな? ヨシヒコくんはバカなのかな?」仏はゆっくりと教え聞かせるように言う。「行方不明だった参考人が首吊りしてて、そこで捜査をやめる刑事がどこにいる? そんな結末で納得する読者がどこにいる? せめて自殺の理由とか、死亡推定時刻とか調べて?」

 

「しかし、我々は神戸の人間です! 京都で起こった事件は京都の警察の管轄で、我々が勝手に捜査したら大問題になります!!」

 

「あー、キライだなー。このテのお話でそういう正論言う人キライだなー。いいの。これはそんなマジメなお話じゃないんだから。そんな細かいこと気にしないでいいの。ね?」

 

 それでもヨシヒコは正論をかざして捜査を打ち切ろうとするが、結局は仏ビームを喰らい捜査を続行することになった。

 

「足元に遺書があった」メレブが拾った遺書を広げた。「借金に耐えられなくなった、と書いてある。耕造を殺したというようなことは、どこにも書いてないな」

 

「遺体の方は、見た感じ争った形跡はないね」遺体を調べていたムラサキも言う。「詳しくは検死してみないと判らないけど、自殺で間違いないんじゃない?」

 

 すると、ヨシヒコははっとしたような顔になった。

 

「またバカなこと言い始めるのか? コイツ」ムラサキは肩をすくめる。

 

「いや、さっき仏からビーム喰らってマジメになってるからな。また冴えた推理するのかもしれんぞ? 一応聞いてみよう。ヨシくん、何か思いついたのかな?」

 

「はい。とんでもないことに気が付きました」

 

「おお、それはなに?」

 

「我々は、耕造が死に、行方不明となっていた平田を探していました」

 

「そうだな」

 

「なのに、その平田が死んだ」

 

「うむ」

 

「毎年一人が死に、一人が消える……これが、この村のルールです」

 

「そんなルールは無いしここは村でもないが、一応最後まで聞こう」

 

「でも、今年は二人死んだ」

 

「うむ」

 

「なら、行方不明になるのも、二人いるってことではないでしょうか!?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ヨシくんそれアレでしょ? 綿流しの後に起こるヤツ。前にも言ったけどさ、ここ雛見沢じゃないから。鬼隠しも綿流しも起こんないから。みんなそんな心配してないから」

 

「みんなって誰だよ!?」

 

「ダメだ。ほっとこう」

 

「現場での捜査はこれくらいかな」ヨシヒコに構わず捜査を続けていたムラサキは手についた埃をパンパンとはらった。「後は京都の警察に頼んで、検死してもらおっか?」

 

 遺体を京都の警察に預け、近くの料亭で京懐石を食べながら待つ一行。もちろん経費でおとすのである。しばらくすると電話がかかって来た。

 

「ボス、検死の結果が出たそうです」電話を受けたヤスが報告する。「平田の死亡時刻は、十七日の午後一時頃だそうです」

 

「十七日の午後一時か」メレブが手帳を取り出し書き込んだ。

 

「耕造が殺されたのは十七日の午後九時だから、そのときには、平田はもう死んでるってことになるね」ムラサキが言った。

 

「そんなバカな!?」と、ヨシヒコが声を上げた。「それじゃあ、死人が耕造を殺したとでも言うんですか!?」

 

「言わねーよ。いいかげん雛見沢から離れろ」

 

「まあ、普通に考えると、平田は犯人じゃないってことだな」メレブは手帳を懐にしまう。

 

「神戸に戻って、もう一度由貴子ちゃんに事情を訊く必要があるね」

 

「そうだ! 由貴子さんに話を聞く必要がある!!」拳を握って立ち上がるヨシヒコ。「さあ帰りましょういま帰りましょうすぐ帰りましょう!! ムラサキ! ルーラの呪文を!!」

 

「いや、あたしルーラまだ覚えてないし」

 

 メレブが呆れた目を向けた。「……なんでアバカムやイオラが使えてルーラが使えないんだよ。相変わらず呪文を覚える順番がおかしいなお前は」

 

「ほっとけ。ていうか、ルーラは勇者の方が先に覚えるもんでしょ。ヨシヒコこそ使えないの?」

 

「使えん!」

 

「偉そうに言うな。じゃあ、また電車で帰るしかないね」

 

 食事を終え、ヨシヒコたちは料亭を出た。

 

「おおっと。どうやら俺は、またこのタイミングで新たな呪文を覚えてしまったようだ」料亭の門をくぐったところで、メレブがひらめいたように言う。「しかも、まさにタイミングバッチリ、移動に使える呪文だ」

 

「どーせオメーのことだから、時速四キロでしか移動できないとか、使用には片道一一〇〇円かかるとか、そんなんだろ?」やはり疑わしそうな目を向けるムラサキ。

 

「フフッ、そう考えるのがむねたいらさんの乳のあさましいところだな。俺が覚えたのは失われし古代呪文・ルーラだ」

 

「いや、ルーラは現役バリバリ呪文でしょ」

 

「それが違うんだな。このルーラは、現代呪文のルーラとは違い、移動する街や城を選ぶことはできない。最後に復活の呪文を聞いた場所にしか移動できないのだ」

 

「じゃあ、不便じゃねぇかよ」

 

「確かにそうですが――」と、ヨシヒコが言う。「瞬間移動できるのなら、大幅に時間の節約になります。使ってくださいメレブさん。ぜひ古代呪文のルーラを使ってください!」

 

「うむ。では使って進ぜよう。ルーラ!」

 

 ぱらりろりろり、と、光り輝いて。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 しかし、何も起きなかった。

 

「どういうことでしょう?」ヨシヒコは首をひねった。「まさか、ここは呪文がかき消されるエリアなのでしょうか?」

 

「いや違うな」メレブは冷静な口調で言う。「説明しよう。古代呪文のルーラは、最後に復活の呪文を聞いた町や城に移動できる。しかし、この一九八五年の世界は、冒険の書はもちろん復活の呪文さえ存在しない場所なのだ。復活の呪文を聞いてないのだから、当然、呪文は効果を発揮しない」

 

「じゃあダメじゃねぇかよ」呆れ声のムラサキ。

 

「期待させるだけさせておいてこのザマか!」ヨシヒコは鬼のような形相で言った。「時間をムダにしやがってこのブサボクロが!」

 

「ヒドイ! 俺をブサイクと言うならまだしも、ホクロをブサイクと言うなんて!」メレブは泣き崩れた。

 

 結局、ヨシヒコたちは電車で帰るしかなく、京都駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 料亭の門の陰から、ヒサがひょっこりと顔を出した。手には、キメラのつばさを持っている。

 

「兄様、ちゃんと神戸に帰れるかしら……ヒサは心配です」

 

 そう言った後、キメラのつばさを空に向かって投げる。ヒサの身体は光に包まれ、神戸へ向かってばびゅん! と、飛んで行った。

 

 

 

 

 

 



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第七話 父と娘

 京都での捜査を終え、神戸へと戻ってきたヨシヒコたち。平田由貴子に父の死を知らせ、より詳しい事情を訊くため、署へと向かった。

 

 その途中。

 

「ボス、ちょっといいですか?」と、ヤスが手を挙げた。「由貴子のアリバイを洗うため、僕は自宅周辺の聞き込みをしてきます。ボスたちは、予定通り由貴子から事情聴取をしてください」

 

 そう言うと、ヤスはパーティーを抜けさっさと行ってしまった。

 

「なんだアイツ?」と、メレブは首をひねる。「急に別行動とか言い出して?」

 

「ヤスくん犯人だからね。誰か殺しに行くんじゃない? 一応これ、連続殺人事件だし」ムラサキは言った。

 

「のんきに言ってる場合か。誰か殺しに行くなら、止めないと」

 

「でも、正当な捜査では、まだヤスくんを犯人だと決められないし」ムラサキは肩をすくめた。

 

「だから、後を追って殺害現場を目撃すれば、現行犯逮捕できるじゃないか」

 

「あ、そだね。それはいいアイデアかも」

 

 ムラサキはぱんっと手を叩き、ヤスの後を追おうとしたが。

 

「ダメだ!」と、ヨシヒコが鬼のような形相で言った。「我々は由貴子さんとデートするいや事情聴取をしなければならない! 聞き込みはヤスに任せておけ!」

 

「出たよ。こりゃきかねーぞ?」ムラサキはメレブを見る。「どうする? あたしらも、別行動する?」

 

「いや、ムリじゃないかな。ヤスはNPCつまりノンプレイキャラだから自分の意思でパーティーから抜けられるけど、俺たち真実の仲間は酒場に行かないと抜けられない。そんなことをしている間に、ヤスは目的を達成するだろう」

 

「そっか。ホントめんどくさいね、あたしらの世界のシステムって」

 

 仕方がないので、ムラサキとメレブもヨシヒコと共に署へと戻った。取調室に戻ると、タイミングよく電話が鳴る。相手はヤスだった。

 

《ボス、由貴子の家の近所の人から証言が取れました。耕造が殺された十七日の夜、由貴子が出かけるのを目撃したそうです》

 

「おっと。聞き込みはホントにしたようだな」メレブはムラサキを見た。

 

 ムラサキは腕を組んだ。「由貴子ちゃんは、十七日の夜は家にいたと言っていた。でも、出かけたという証言があり、そして、耕造の屋敷の前には恐らく由貴子のものと思われる指輪が落ちていた。父親は耕造から多額の借金をしている」

 

「だったらなんだと言うんです!」顔を真っ赤にして声を上げるヨシヒコ。「由貴子さんが犯人だとでも言うんですか!? あんなカワイイ女子高生に人を殺せるはずがない!!」

 

「カワイイから殺せないってことはないでしょ」と、ムラサキはムッとした声で言うも、すぐに声を改めた。「……とはいえ、それも一理あるんだよね。女子高生があの屋敷に忍び込んで耕造をナイフで刺して殺すっていうのは、ちょっとムリがあるよ。それに、一応密室の謎もあるし。由貴子ちゃんじゃ、密室状態を作ることができないから」

 

「じゃあ、なんのために耕造の屋敷に行ったのかを聞く必要があるな」メレブが言った。

 

「そだね。じゃあ、由貴子ちゃん呼ぶよ? ……と、その前に」

 

 ムラサキはヨシヒコに手のひらを向けた。

 

「バシルーラ!!」

 

 ムラサキが呪文を唱えると、ヨシヒコは窓を突き破ってはるか彼方へと飛んで行った。バシルーラは対象一体を遠くへ飛ばす呪文である。

 

「アイツがいると、いろいろ脱線して話が進まないから」ムラサキは清々した顔で言った。

 

「勇者にバシルーラは効かないはずだが……あいつはもう勇者じゃないんだな」メレブはヨシヒコが飛び去った先を見つめながら呟いた。

 

 気を取り直し、事情聴取のため由貴子を部屋に呼ぶ。父親が京都で自殺した旨を伝えると、由貴子は目を大きく見開き、かなりのショックを受けている様子だった。が、それでも、涙は流さなかった。膝の上でぎゅっと拳を握り、我慢しているように見えた。

 

 ムラサキは、「こんな時に申し訳ないんですが……」と切り出した。「十七日のアリバイを、もう一度確認させてください」

 

「家にいたって言ったじゃん」由貴子はいつもの口調で答えた。

 

「でも、あなたがあの夜出かけるのを見たという人がいるんです。それに、俊之があなたに渡したという指輪も、屋敷の前に落ちていました」

 

「…………」

 

 黙り込む由貴子。以前のような無邪気な明るさは感じられない。父親の死を知らされたばかりだからそれも当然だろう。気丈に振る舞ってはいるが、やはり女子高生なのだから。

 

「由貴子さん。あたしたちは、あなたが耕造を殺したと考えているわけではありません。あなたがやったにしては、不自然な点が多いんです。ただ、何をしに耕造の屋敷に行ったのかは、ハッキリさせておかないといけません」

 

 ムラサキがそう促すと、由貴子は小さく息を吐き、「判ったよ。言うよ」と言って、話し始めた。

 

「……確かにあの日、屋敷に行った。夜の七時頃だったかな。親父に、もっとお金を貸してもらえないかな、と思って」

 

「耕造に、さらに借金を頼みに行ったということですか?」

 

「そう。親父、別のところからももっとお金を借りてて、その取り立てが酷かったんだよ。そのことを話したら、貸すって言ってくれたよ」

 

「耕造の借金の取り立ては、どんな感じだったのですか?」

 

「耕造さんは、返済はいつでも構わないって言ってくれた。利子も普通よりもうんと低くしてくれて、すごくイイ人だったよ。耕造さんを頼れば、なんとかなったかもしれないのに」

 

 そう言った後、由貴子は顔を伏せた。「……親父はバカだよ! なにも、自殺することないのにさ……」

 

 由貴子の言葉は嗚咽へと変わった。ムラサキは小さく息をつくと、礼を言い、事情聴取を終えることにした。

 

「耕造が平田を助けようとしていたというのは、意外な話だったな」

 

 由貴子を玄関まで見送り、帰ってきたムラサキに向かって、メレブが言った。「そうなると、平田も由貴子も動機が消え、完全にシロだな」

 

「なんかあたし、耕造って人が判らなくなってきたよ。昔は悪いことしてたけど、最近はそうでもなかったのかな?」

 

「案外、昔の悪事を悔いていたのかもな。まあそれはさておき、ここまでの状況を整理しよう」

 

 メレブは例のホワイトボードを持ってきた。

 

「遺体第一発見者の文江と小宮は両方アリバイがある。甥の俊之も、殺害時間に麻薬の取り引きをしていた。平田は耕造よりも前の時間に自殺。由貴子には殺害動機が無い。そうなると――」メレブは、川村の名前をマジックで大きく囲んだ。「やっぱり、この川村って男だな」

 

 ムラサキがあごに手を当てた。「川村まさじ……耕造の昔の詐欺仲間。十五年前に淡路島の洲本から神戸にやってきて、事業を始めるも失敗。その後神戸でも詐欺行為を働き、六度の逮捕歴がある。一方の耕造は、神戸で金融業を始めて成功。詐欺師からはすっかり足を洗った。昔の悪事を悔いていたような様子もある」

 

「地下迷宮の金庫にあったメモによると、耕造は川村に何度も金を渡している。ひょっとしたら、昔の悪事をネタに脅されていたのかもな」

 

「よし。じゃあ、次はこの川村を探そう。問題は、どうやって探すかだけど……」

 

 ドアがノックされ、この前の事務員ちゃんが入って来た。「失礼します。おこいさんという方から、金髪で素敵なホクロのにいさん様にご伝言です」

 

「そんな人ここにはいません」さらりと答えるムラサキ。

 

「何を言っているのかなムラサキ君。目の前にいるではないか」メレブは胸を張っていやホクロを張って前に出た。

 

「この世界の美的センスはどうなってるんだ」ムラサキは汚物を見る目をメレブのホクロに向けた後、気を取り直して事務員ちゃんを見た。「それで、伝言って?」

 

「えっと、以前川村さんからもらった名刺を見つけたそうです。住所が書いてあったので、伝えてほしいと」

 

「お? ナイスタイミング」

 

「ご都合主義とも言うけどな」

 

「何でもいいのよ、ありがと、事務員ちゃん」

 

 二人は礼を言ってメモを受け取った。それによると、川村はすみれ荘というアパートにいるらしい。住所も書かれてある。二人は署を出て一度深海地へ向かい、バシルーラで飛ばしたヨシヒコと合流した後、すみれ荘へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨシヒコたちが通り過ぎた後、電柱の陰からヒサが顔を出した。

 

「兄様、詐欺師の部屋になんて行って大丈夫かしら……ヒサはしんぱ――」

 

 後ろからもう一人ヒサが現れ、前のヒサの頭を変化の杖でぽかりと殴った。前のヒサはボン! と爆発し、黄色い炎のようなモンスターに姿を変えた。モシャスの呪文を使い自由に姿を変えることができるモンスター・マネマネだ。

 

「兄様、もうすぐクライマックスなのに、あんな雑な扱いで大丈夫かしら……ヒサは心配です」

 

「マネマネ~」

 

 ヒサとマネマネは不安そうにつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 



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第八話 第二の殺人

 川村が住むというすみれ荘は、中心街からかなり外れたいかにも交通の便が悪そうな町の見るからに家賃が安そうなボロアパートだった。ヨシヒコたちが川村の部屋の前まで行くと、玄関のドアが開けっ放しにされており、部屋の中で男が血まみれで倒れていた。

 

「なんと、川村が!?」ヨシヒコたちの後ろで叫んだのは、いつの間にか合流していたヤスだった。

 

「しれっと戻ってきたな」ヤスに聞こえないよう、メレブは声を潜めてムラサキと話す。

 

「川村を殺しに行ってたんだ。ということは、やっぱ自殺でカタを付けようとするのかな?」

 

 と言ってる側から、案の定ヤスは。

 

「もう逃げられないと観念し、自殺をしたのですね……」と言って、ヨシヒコを見た。「ボス、あっけない幕切れですが、これで事件は解決です。どうか捜査やめろと命令してください」

 

「ここで捜査をやめる刑事なんていない……とは言えないんだろうな」と、メレブが心配した通り

 

「捜査やめろ!!」

 

 ヨシヒコは大きく宣言した。

 

「やっぱりな」

 

 メレブとムラサキはため息をついた。

 

 その後、捜査をやめようとするヨシヒコと、アホかお前はという仏の前回と同じようなやり取りを放っておき、ムラサキたちは現場検証を始めた。

 

 川村をマークしていた二課から借りた写真と死体の顔を見比べるムラサキ。「死体は川村で間違いなさそうだね。まだ温かいから、殺されてそんなに時間は経ってないよ。首の後ろに鋭い刃物のようなもので刺したような傷がある。耕造と同じ殺され方だね」

 

「部屋に荒らされた形跡はないな」室内を調べていたメレブが言う。「物取りの犯行ではなさそうだ」

 

 ムラサキも室内を見回した。「凶器は室内には無い。ドアも開けっ放し。これが、耕造の殺され方と違う点かな。犯人は、ちょっと焦ってたのかもしれないね」

 

 現場で判ったことは以上だった。一行はひとまず署へ戻り、おこいを呼んで事情聴取をすることにした。

 

 取調室でおこいを呼ぼうとすると、がちゃりとドアが開き、事務員ちゃんが入って来た。「小宮様が、事情聴取のときずっと背中を向けて話していたお嬢さん様にお話したいことがあるとのことです」

 

「そんな人ここにはいません」さらりと答えるムラサキ。

 

「お前のことだろ、妖怪背中胸女」と、メレブ。

 

「誰が妖怪背中胸女だ。あのジジイ、ぶん殴ってやろうか」

 

「やめろ。訴えられるぞ。どうする? おこいはこの後仕事があるらしいから、早めにしてくれって言ってるらしいけど」

 

「なら、あのジジイは待たせとこう」

 

「判りました」と言って、事務員ちゃんは出て行った。

 

 入れ替わる形でおこいが入って来る。ムラサキたちは川村が何者かに殺されたことを告げ、何か心当たりがないかを訊いた。

 

「そういやあの人言うとったなあ」おこいは天井を見上げ、ゆっくりと思い出すような口調で言った。「洲本の沢木産業の詐欺が、耕造とやった一番大きな仕事や、て」

 

「沢木産業? 沢木……なんか聞いたことある名字だね」ムラサキはメレブを見た。

 

「そういやそうだな。誰だっけ?」

 

「えーっと、沢木沢木……」

 

 ホワイトボードに目をやるムラサキ。すぐにその名が見つかった。

 

「沢木文江!? 文江ちゃんの名字だ!」思わず大声を上げる。

 

 メレブは慌てた様子で手帳をめくった。「プロフィールによると、文江は洲本出身ってなってるぞ」

 

「あら、うち、いらんこと言いましたかいな」おこいは口元を押さえた。「そや。うち、舞台がありますよって。ほなさいなら」

 

 おこいは勝手に帰ってしまったが、もはやそれどころではない。

 

「文江の実家が耕造と川村の詐欺被害に遭ってたとしたら、文江には二人を殺す動機がバリバリあるね」ムラサキは素早く推理をし、早口で言う。

 

「バカな!!」と、ヨシヒコが声を上げた。「文江さんは、そのようなことをする人ではない!」

 

「この期に及んでそんな感情論言ってんじゃねーよ!」

 

 喧嘩になりそうな二人をメレブが止める。「まあ落ち着けムラサキ。ヨシヒコのいうことを支持する訳ではないが、今の段階では、名字が同じってだけだ。詐欺に遭った沢木産業というのが、文江の実家だという根拠は無いぞ? ちゃんと調べてみないと」

 

 ムラサキは気持ちを落ち着かせるため、大きく深呼吸をした。「……そうだね。じゃあ、文江ちゃんを呼ぼう」

 

「では――」と、ヤスが言った。「文江に連絡してきます」

 

 ヤスは部屋を出て行った。

 

「…………」

 

 ムラサキは、無言で取調室内の電話機を見つめていた。

 

 ヤスはすぐに戻ってきた。なにやら慌てている表情だ。「大変です! 文江が姿をくらませました!」

 

「なんだって!?」メレブが声を上げる「まさか、こちらの動きに感づいたのか?」

 

「でも、どうやって?」とムラサキ。

 

「いや、判らんが……」

 

 ヨシヒコは信じられないという表情で頭を抱えた。「まさか、文江さんが……まさか……」

 

「ヨシヒコ、もうおふざけモードやってる場合じゃないよ? そろそろクライマックスだから」

 

「……ああ、そうだな」そう言うと、これまでと一転、ヨシヒコはシリアスな顔に戻った。

 

「ここであれこれ言ってても始まらないな」メレブが言う。「文江が姿をくらませたとは言っても、行くあては判らない。とりあえず、洲本に行ってみるしかないな。何か判るかもしれないし、ひょっとしたら、文江もいるかもしれない」

 

「そうだね」

 

 すぐにヨシヒコたちは港へと向かった。

 

 港は相変わらず多くの人でにぎわっていた。どうやら近くの魚市場でイベントをやっているらしく、即売会やマグロの解体ショーなどを目当てに人が集まっているらしい。

 

 神戸港から洲本港へは高速艇が運航しているが、次の便まで少し時間があるようだった。念のため、ムラサキは乗船券売り場の係員に文江の写真を見せてみた。

 

「ああ、この人でしたら、一時間ぐらい前にチケットを買われましたね」売り場のおばちゃんは笑顔で教えてくれた。「ひとつ前の船に乗られたんじゃないですか?」

 

「やっぱり、文江ちゃんは洲本へ向かったんだ。どんな様子でしたか?」

 

「そうねぇ? ちょっと暗い感じだったってだけですかねぇ? お客さんは他にもいますし……すみませんね」

 

 ムラサキたちは礼を言った。一応魚市場の方まで足を運んで聞き込みをし、数件の目撃情報を得られた。文江が港へ来たのは間違いなさそうだ。やがて時間となったので、ヨシヒコたちは高速艇に乗り、洲本へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魚市場のイベント会場で、ヒサはまな板の上に置かれた丸々一尾のマグロを前にし、せいなるナイフを構えた。次の瞬間、しゅぱぱぱぱーん、と閃光が走る。すると、マグロは大皿いっぱいのお刺身盛りへと姿を変えた。見物人から大きな歓声と拍手が送られる。

 

「……兄様、泳げないのに海へ出て大丈夫かしら……ヒサは心配です」

 

 ヒサはふきんでナイフを拭いながらつぶやいた。

 

 

 

 

 

 



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第九話 兄妹の絆

 神戸から一時間ほどで洲本へ到着したヨシヒコたち。神戸と違い人は少なく、のどかな雰囲気の町だ。ヨシヒコたちは港で従業員たちに聞き込みをしてみたが、文江の目撃情報は得られなかった。もっとも、乗船時と違いチケットを買ったりするわけではないから、足早に通り過ぎれば従業員の記憶に残らなくても無理はない。目撃情報が無いからと言って、文江が洲本に来ていないとは言い切れなかった。

 

「さて、これからどうする?」と、メレブ。「港での文江の目撃情報は得られなかったが、神戸で乗船券を買っているから洲本に来ている可能性は高い。文江の実家があった場所へ行ってみるか?」

 

「耕造と川村がやったっていう沢木産業の詐欺事件についても調べる必要があるよ?」ムラサキが言う。「洲本の警察署に行ったら、詳しく判るんじゃないかな?」

 

「ボス、残念ですが、あまり時間はありません」と、ヤス。「神戸へ戻る船は八時が最終便だそうです。いま六時ですから、捜査時間は二時間ほど。文江の実家と洲本署、両方へ行くのはムリですよ?」

 

「そうか」と、ヨシヒコは腕を組み、しばらく考えた後言った。「なら、文江さんの実家へ行ってみよう。文江さんが洲本へ来ているなら立ち寄るだろうし、聞き込みをすれば、詐欺事件についても判るかもしれない」

 

 ということで、一行は文江の実家があった場所へ向かうことにした。

 

「……てかさ、あたしたちが事件の捜査を始めたのって、朝だったよね」途中、ムラサキが首を傾けながら言った。

 

「そうだが?」と、メレブが答える。

 

「いま夕方の六時で、ここまで夜になったような描写も無いから、日付は変わってないってこと?」

 

「そうなるな」

 

「あたしたち現場検証して事情聴取して俊之を逮捕して京都にまで行ったのに、あれ、全部今日一日の出来事なの?」

 

「そういうことになるな」

 

「随分濃密な一日だったね。てか、いくらなんでもムリじゃね?」

 

「そうとも限るまい。ジャック・バウワーなんか、もっと濃密な二十四時間を過ごしているぞ。しかも一度だけじゃなく何度も」

 

「ああ、そうか。そうだね」

 

「いや、今の説明で納得するな」

 

 などと話しながら移動すること三十分。ヨシヒコたちは文江の実家があったという場所までやってきた。今は空き地となっており、手入れが行き届いていないようで雑草が生えまくっている。さっそく手分けして聞き込みを始めると、すぐに重大な話を聞くことができた。向かいに住むいかにもおしゃべりが好きそうなおばちゃんが昔の話をしてくれたのだ。それによると、十五年前ここには沢木産業という小さな会社があり、そこに文江という小さな女の子が確かにいたそうだ。

 

「――文江ちゃんはほんま可哀相な子でした。お父さんの会社が、詐欺で倒産してしまいましてね」

 

 おばちゃんの証言を、メレブは手帳にさらさらと書き込む。「うむ。やはり、耕造と川村の詐欺被害に遭った沢木産業というのは、文江の実家で間違いなさそうだな」

 

「そだね」ムラサキは頷いた後、おばちゃんに質問する。「その詐欺事件について、詳しい話はご存知ですか?」

 

「さあ……? 手形詐欺というのは聞いてますが、あたしらその辺は素人ですから、よう判りませんわ。ただ、犯人は結局捕まらなかったっていうのは聞いてます」

 

「そうですか……」

 

「ほんで、その詐欺事件がきっかけで会社は大きく傾いてしまいまして、お父さんが家に灯油をまいて火を点けて、一家心中をしようとしたんです」

 

「一家心中……」向かいの空き地を見るムラサキ。実家があったという場所が荒れ放題になっているのを見てなんとなくイヤな予感はしていたが、やはりそうだったのか。

 

「幸い文江ちゃんは助かったんですが、その後は親戚の家へ引き取られて、お兄さんとも離れ離れ」

 

「え!?」と、ムラサキは声を上げた。「文江ちゃんに、お兄さんがいたんですか?」

 

「ええ。文江ちゃんの家は、お父さんお母さんと、もう一人、お兄さんとの四人暮らしでした」

 

「そのお兄さんは、どんな方でした!?」

 

「どんな方、と言われましてもねぇ……もう十五年前ですからよう思い出せません。名前は……なんていいましたかいな? すんまへん、忘れてしまいましたわ。あ、でも、確か、肩に蝶々みたいな形の痣がある子でした」

 

「蝶々の形をした痣……」

 

 名前も覚えてないのになぜそんな変なことを覚えているのかというツッコミは胸の奥にしまい、ムラサキたちはおばちゃんに礼を言った。

 

「これは、大きな情報だな」メレブが手帳を見ながらホクロを撫でる。「文江は、耕造と川村の詐欺被害で倒産した沢木産業の娘だった。そして、文江には兄がいる」

 

「耕造と川村を殺す動機としては充分すぎるね。あとは、文江に殺害が可能かどうかだけど……」

 

「ムラサキ、メレブさん――」他の場所で聞き込みをしていたヨシヒコとヤスが戻ってきた。「文江さんを目撃した人はいませんね。ここには来ていないのかもしれません」

 

「でも、神戸の乗船券売り場では、文江ちゃんがチケットを買ったって」と、ムラサキ

 

「乗船券を買っただけで、船に乗っていないとも考えられるぞ?」メレブが言う。「我々を洲本へ向かわせて、逃走の時間を稼ぐとか」

 

「うーん。考えられなくもないか」

 

「ボス――」ヤスが腕時計を見ながら言う。「もう港へ戻らないと、帰りの船に乗り遅れます。これ以上捜査を続ける場合は、ここで一泊する必要があります」

 

「いや、もう充分な情報を得られただろう。一旦、署へ戻ろう」

 

 ヨシヒコの意見にムラサキたちも同意し、一行は港へと向かった。

 

「あーあ。オメーがまともなルーラを使えれば、もっと時間をかけて捜査できたのに」ムラサキは非難するような目でメレブを見た。

 

「何を言う。ルーラを使えないのは、お前やヨシヒコも同じではないか」

 

「キメラのつばさを買ってくれば良かったですね」と、ヨシヒコ。「あれがあれば、移動がスムーズになって、徒歩よりずっと捜査が楽だったのに」

 

「え? あたしらって、今までずっと徒歩で移動してたの?」ムラサキが口元に手を当てた。

 

「電車と船以外はそうだな。車も馬車も無いんだから」メレブが答える。「ていうか、今さら何言ってんだ」

 

「いや、徒歩であちこち移動してたわりには、今日一日でずいぶんたくさんの場所で捜査したなって思って。てか、いくらなんでもムリじゃね?」

 

「……それはもう気にするな」

 

 などと話しながら、一行は船に乗って神戸へ戻った。

 

 

 

 

 

 

「――では、ここまでの捜査状況を整理してみましょう」

 

 署の取調室に戻ったヨシヒコたちは、ホワイトボードの前に集まった。

 

「まず、耕造の昔の詐欺仲間だった川村は、何者かに殺された」ムラサキは川村の項目に大きく×をした。「殺され方は耕造と同じ。耕造と川村は淡路島の洲本で詐欺行為を行っており、それに恨みを持つ者の犯行である可能性が高い」

 

「耕造と川村が詐欺を働いたのは洲本の沢木産業という小さな会社だ」メレブがホワイトボードに『沢木産業』と書き込み、そこから文江の項目まで線を引っ張った。「この沢木産業というのは、耕造の秘書である沢木文江の実家だった。文江の両親は詐欺事件をきっかけに自殺。文江は、耕造と川村を強く憎んでいた可能性がある」

 

「以上のことから推理すると――」ムラサキが説明を引き取る。「耕造と川村は洲本で沢木産業に詐欺行為を働いた。それが原因で沢木産業は倒産、文江の両親は自殺した。そのことで強い憎しみを抱いた文江は、耕造の会社へ就職し、復讐の機会を伺っていた。そして、今月十七日の夜、決行」

 

「しかし――」と、ヨシヒコが口を挟む。「文江さんには事件当時のアリバイがあります。耕造が殺害された時間、文江さんは英会話教室に行っていたと証言し、ウラも取れています。文江さんに、耕造は殺せません」

 

「そこで浮かび上がって来るのが、文江の兄の存在だ」メレブは文江の項目の横に『兄』と書いた。「文江の実家の近所に住むおばちゃんの話によると、肩に蝶々の形をした痣があるらしい。それ以外は、名前さえ不明だな」

 

「文江ちゃんが耕造たちに恨みを抱いているなら、当然、そのお兄さんも同じく耕造たちを恨んでいるはず……実行犯は、そのお兄さんなのかもしれないね」ムラサキは、『兄』の文字の上に『犯人?』と書いた。

 

「文江の兄を探しますか?」と、ヤスが言う。「しかし、なんの手がかりもありません」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 みんなの視線が、ヤスに集まった。

 

「……なんでしょうか?」困惑した表情のヤス。

 

「ううん、なんでもない」ムラサキがコホンと咳ばらいをした。「文江ちゃんも現在行方不明。実家に戻ってる様子はなく、どこにいるか手がかりは無い」

 

「……と、まあこんな所だな」メレブがヨシヒコを見た。「かなり事件の全容が見えてきたが、これからどうする?」

 

「とにかく、今は文江さんを探しましょう。時間はかかるでしょうが、文江さんが行きそうな場所をしらみつぶしに調べたり、地道に聞き込みするしかありません」

 

 ドアがノックされ、がちゃりとドアが開いた。いつもの事務員ちゃんだ。

 

「あのー、小宮様がずっと、胸無しのお嬢さん様をお待ちなんですが」

 

「そんな人ここにはいません」さらりと答えるムラサキ。

 

「お前のことだ色気がつかない無乳ださん。そういや、小宮のことすっかり忘れてたな」

 

「呼べ。耕造の元へ送ってやる」

 

 いきなりザラキの呪文を唱えそうなムラサキをなんとかなだめ、小宮から話を聞くこととなった。

 

 取調室の椅子に座った小宮は、机の上に丸めた紙を置いた。「以前、旦那さまからお預かりしていた地下室の地図のことを思い出しまして」

 

「今さらそんなモン持って来ても意味ねーんだよクソが。現場検証の前に持ってきやがれ」

 

 ムラサキは小宮を睨みつけた。怯えた表情になる小宮。

 

「失礼、胸のことを悪く言われると本性を表すもので。拝見します」メレブは詫びた後、地図を広げた。「ははぁ、こんな感じになってたんですね……おや、ここが何かおかしいですね」

 

 メレブは地図の中央付近を指さした。地下迷宮は一面びっしり通路が張り巡らされているのだが、そこだけ不自然な空間がある。

 

「そうなんです」小宮が頷いた。「それで思い出したのですが、旦那様が生きてらっしゃた頃、夜中に書斎から変な叫び声が聞こえることがあったんです。あれは、一体なんだったのか」

 

「だから、そういうことは最初から言えよ。おかげでもう一回あのめんどくせーダンジョンに行かなきゃいけねーだろ。てか、雇い主の叫び声を聞いたのに何もしねーとかありえんだろ。事件の日は鍵かけ忘れて飲みに行くし、今ごろ地図を持ってくるし、ホント、守衛としても参考人としても役に立たねージジイだな」

 

 ムラサキの言葉に、小宮は泣き出してしまった。

 

「老い先短い年寄りを泣かすな」メレブは呆れ声で言った。「で、どうする? 他に手がかりもないし、行ってみるか?」

 

「しゃーねーな。おいジジィ。今度から気を付けるんだぞ」

 

 ヨシヒコたちは泣きじゃくる小宮を残し、再び耕造の屋敷の地下迷宮へ向かった。一度目は散々迷ったものの、今度は地図がある為迷うことなく目的の場所までたどり着けた。

 

「地図によると、この辺だね」ムラサキは周辺の壁を叩いた。一か所だけ、他と音が違う場所がある。「やっぱり中は空洞のようだね。でも、どうやって入るんだろ?」

 

 メレブが「……フッフッフ」と意味ありげに笑った。「そうか。あの謎のメッセージは、そういうことだったのか」

 

「メッセージ?」

 

「ああ。『もんすたあ さぷらいずど ゆう』だ」

 

「あれはただのお遊びじゃない?」

 

「そう思わせておいて、実は深い謎が隠されていたのだ。あのメッセージは『MONSTER SURPRIZED YOU』つまり『モンスターはあなたを驚かせた』だ。これは、俺らの世界で言う『○○はいきなり襲いかかってきた』に相当する」

 

「それで?」

 

「この『MONSTER SURPRIZED YOU』が使われている世界では、ダンジョン内の任意の場所へ移動できる呪文、いやスペルがある。それを使えば、閉ざされた場所へも簡単に行くことができるのだ。そして、どうやらこの瞬間、俺はそのスペルを取得したようだ。いや、自分の才能が恐ろしい」

 

「さすがです、メレブさん!」ヨシヒコはいつものように目を輝かせる。「使ってください。ぜひそのスペルを使ってください!!」

 

「でも、あれは危険じゃない?」とムラサキ。「失敗したら、『*いしのなかにいる*』だよ? あのメッセージに、どれだけ多くの冒険者が絶望したことか」

 

「だが、危険を冒さねば先へ進めない。大丈夫だ。俺を信じろ」

 

 そう言うと、メレブは目を閉じ、精神を集中し始めた。

 

 そして。

 

「マロール!!」

 

 呪文を叫ぶ。ぱらりろりろり、と音がして。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 しかし、何も起きない。

 

 ――と思ったら、ゴゴゴ、と、重い音がして、目の前の壁が、ゆっくりとせり上がった。

 

「そうか!」と、ヨシヒコが手を叩いた。「守衛の小宮が聞いた叫び声とは、隠し扉を開けるためのものだったのですね!」

 

 イジワルそうな目でメレブを見るムラサキ。「オメーの呪文も、たまには役に立つな」

 

「ま、まあな。実は、これを狙っていたのだ」メレブはドヤ顔で言ったが、その声は震えていた。

 

 一行は隠し部屋を調べた。といっても、中はぽつんとひとつ金庫があるだけだった。借用書をしまっていた金庫と違い、複数のダイヤルを組み合わせる必要がある防盗専用の金庫だ。鍵も無ければ番号も判らないが、ムラサキがアバカムの呪文を唱えると簡単に開いた。中には、日記帳が一冊入っていた。

 

「……これだけのダンジョンに隠し部屋と防盗専用金庫とダミーの金庫まで用意して、隠していたのが日記帳って、どんだけ恥ずかしがり屋さんなんだよ耕造は」

 

 あきれ果てた口調で言いながら日記帳を開くムラサキ。パラパラとめくりつつ読んでいく。

 

「……この日記によると、耕造は文恵が沢木産業の娘であることを知ってたみたいだね」

 

「え? 知ってて雇ったってことか?」メレブが目を丸くした

 

「そうだね。ほら」と、ムラサキはみんなに日記帳を見せた。「取り返しのつかないことをしてしまった、沢木の娘に罪滅ぼしがしたい、と、そんなことが延々と書かれてるよ。そのため、心を鬼にしてお金を貯めて、文江に残したい、とも」

 

 ムラサキはヨシヒコに日記を渡した。ヨシヒコは日記を一通り見ると、次はメレブに渡す。メレブも一通り見て、ヤスに渡した。ヤスは、食い入るようにして日記を読み、やがてゆっくりと閉じた。

 

「ねえ、ヤスくん」ムラサキがヤスの顔を覗き込んだ。「もし、文江ちゃんのお兄さんが犯人だったとして、このことを知ったら、どう思うかな?」

 

「え……? さ……さあ? 僕に訊かれても判りませんが……」

 

「そう……。ま、いいや。とりあえず、署に戻ろうか」

 

 一行は地下迷宮を出て、署へと戻った。

 

「というか、ムラサキの言うまま思わず署へ戻ってしまったが、文江を探さなくて大丈夫なのか?」取調室に入ったところでメレブが言った。

 

「大丈夫よ」とムラサキが言う。「もう、謎はすべて解けたから」

 

「なに? ホントか?」

 

「ええ。すぐに関係者を集めて。由貴子ちゃんやクソジジイやおこいさんはもちろん、逮捕された俊之と売人、ついでに、寺蛇屋の女将さんや洲本のおばちゃんも」

 

「その中に、犯人がいるのか?」

 

「ううん、いないよ」

 

「……じゃあ、なんで呼ぶ必要がある」

 

「だって、みんなの前で謎解きを披露するのが名探偵の醍醐味じゃん。できるだけ大勢集めないと」

 

「いつから名探偵になったんだお前は」

 

「しょうがないでしょ。ヨシヒコがふざけてばかりで何もしないから、もう実質あたしが主人公でしょ、コレ」

 

「まあそうだが。もう遅い時間だからみんなを呼ぶのはムリだ。ここにいる人間だけでガマンしろ」

 

「判ったわよ。しょうがないな」ムラサキは咳払いをすると、ヤスを見た。「ヤスくん? あなた、京都から戻ってすぐ後、あたしたちと別行動したよね? あの時、なにしてたの?」

 

「え……? あれは、由貴子のアリバイについての聞き込みです。そうお伝えしましたよね?」

 

「確かにそう聞いた。でも、ホントに聞き込みをしたかどうかは、別行動していたあたしたちには判らない。ちなみに、ヤスくんが別行動をしていたちょうどその時間に川村が殺されてる。これは偶然かな?」

 

「そ……それはそうですよ。もしかして、僕を疑ってるんですか?」

 

「さあ? どうかな?」ムラサキはとぼけたように首を傾けた。「でも、もうひとつ不審なことがあるの。おこいさんから、耕造と川村がやった沢木産業への詐欺の話を聞いた後、文江ちゃんを呼ぶため、ヤスくんが文江ちゃんに電話したよね? あの時、ヤスくんはすぐに戻ってきて、『文江が姿をくらませた』と言ったの。おかしいよね? 一回電話が通じなかったくらいで、なんでいきなり、姿をくらませたと思ったの? ただ出掛けているだけかもしれないし、めんどくさいから電話に出なかっただけかもしれない。お風呂に入っていて電話に出られなかったのかもしれないし、寝ていて気が付かなかっただけかもしれない。なのに、ヤスくんは姿をくらましたと断言した。これはなぜ?」

 

「それは……ちょっと早とちりしたというか……」

 

「それに、ヤスくんは文江ちゃんを呼び出す際、わざわざ取調室から出て行ったの。電話なら、この部屋にもあるのに。何か、あたしたちに聞かれたくないことがあったんじゃないの?」

 

「聞かれたくないことって、なんですか……?」

 

「ヤスくんは、沢木産業の詐欺の件で文江ちゃんが取調べされるのを恐れ、呼び出すふりをして逃げるように伝えた、違う?」

 

「そんな!? なぜ僕がそんなことを!? 僕が文江を逃がす理由なんて無いでしょう!?」

 

「それが、あるのよ。なぜなら……」

 

 ムラサキは一度ヤスに背を向け、たっぷりと力を溜めた後、勢いよく振り返り、バシッ! と、ヤスを指さした。

 

「あなたが、文江ちゃんのお兄さんだからよ!!」

 

 ばしばしばし!! と、会心の一撃の音が鳴る。ムラサキは、この瞬間こそが名探偵最大の見せ場とばかりに、恍惚の表情を浮かべた。

 

「ぼ……僕が文江の兄……!? な……なにを証拠に……そんなことを……」

 

「それは簡単な理屈よ。ヤスくんの他に、文江ちゃんのお兄さんだと思われる人が登場していないから」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……は?」

 

 ヤスだけでなく、みんなが一斉に目を丸くした。

 

「だってそうでしょ? 最後に全然知らない人がひょっこり登場して『僕が文江の兄で犯人でーす』なんて、誰も納得しないでしょ?」

 

「おいおい」と、ツッコむメレブ。「途中までなかなかの推理だったのに、急に適当な感じになったぞ」

 

「いいじゃん別に。たぶん当たってるし」ムラサキはヤスに視線を戻した。「まあ、もしヤスくんが違うと言うなら、証明するのは簡単よ? 服を脱いで、肩を見せればいいの。文江ちゃんのお兄さんには、肩に蝶の痣があったらしいから」

 

「…………」

 

 沈黙するヤス。その顔は、明らかに動揺している。

 

「ヤス、服を脱ぐんだ」メレブが言った。

 

「そんな……」ヤスは助けを求めるようにヨシヒコを見たが。

 

「……ヤスさん、服を脱いでください」ヨシヒコも促した。

 

「ボ……ボスまで……わ、判りました」

 

 ヤスは観念したような表情で言うと、ゆっくりと、上着とシャツを脱いだ。その右肩には、くっきりと、蝶の形をした赤い痣があった。

 

 ヤスは大きく息を吐くと、小さく笑ってヨシヒコを見た。「さすがです、ボス。見事な推理でした」

 

「いや、推理したのあたしだっつーの」自分を指さすムラサキ。

 

 ヤスは構わず続ける。「そうです。僕が文江の兄です。耕造と川村を殺したのも、確かにこの僕です」

 

「動機は、自殺に追い込まれた両親の復讐ですか?」ヨシヒコは問う。

 

「そうです。両親を自殺に追い込んだあの二人が許せなかったんです。あの晩、書斎で耕造を殺した後、部屋にあった鍵で、外からドアに鍵をかけました」

 

「しかし、ドアは内側から鍵が刺し込まれていました。これでは、外から鍵をかけることはできません。これを、どう説明しますか?」

 

「それは……」と言い淀むヤス。この場にいるみんな、その答えは判っているのだが、それでも、ヤスから話し始めるのを待った。

 

 ヤスはためらいの表情を浮かべたまま沈黙を続ける。

 

 そのとき。

 

「――そこから先は、あたしがお話します」

 

 ドアが開き、入って来た人物を見て、ヨシヒコたちは息を飲んだ。姿をくらませていた文江だった。

 

「文江!! お前は逃げろって!!」ヤスが声を上げるが。

 

「お兄ちゃんは黙ってて!」

 

 文江はぴしゃりと言った。その目に、以前事情聴取した時のどこかおどおどしたような様子は無い。強い決意を感じる目をしていた。

 

 文江は、一度目を閉じてゆっくりと息を吐くと、落ち着いた様子で話し始めた。「お兄ちゃんが耕造を殺し、部屋に鍵をかけた後、あたしは鍵を受け取りました。翌朝、屋敷を訪ね、守衛の小宮さんにドアをこじ開けてもらい、二人で中に入りました。そして、小宮さんが遺体を見て驚いているスキに、内側から鍵を刺し込んだのです」

 

「……現場検証の時のヨシヒコの推理、大当たりだったな」メレブはムラサキに向かって小声で言った。

 

「だね」と、ムラサキは頷く。「そのあとの取り調べのとき、この点をもっと強く追及していたら、すぐに事件は解決したかもしれないね」

 

「ヨシヒコが美人に弱かったせいで、ムダに事件を長引かせちゃったわけか」

 

 やれやれ、と、二人は肩をすくめた。

 

「ボス、これが全てです」出会った時と同じく、爽やかに笑うヤス。それは、どこか吹っ切れたような笑顔だった。

 

 だが、その表情がふいに曇った。「でも、皮肉なものですね。殺してから、耕造が後悔していたことが判るなんて」

 

「もし、耕造を殺す前に彼の胸の内を知っていたら、殺すのをやめましたか?」

 

 ヨシヒコの問いに、ヤスは少しの間うつむいて考えていたが、やがて言った。「判りません。それでも殺したかもしれませんし、殺すのをやめたかもしれません。どちらにしても、今となってはどうしようもないことですね」

 

 そう言った後、ヤスは文江を見た。「すまなかったな、文江。こんなことにお前を巻き込んで。僕は兄失格だ」

 

「そんなことない! 元々耕造に復讐したいと言い出したのはあたしなんだし。お兄ちゃんは、あたしの代わりに手を汚してくれたんだもん」

 

「文江……」

 

 ヤスは、妹に向かって両手を広げた。

 

「お兄ちゃん!」

 

 文江がヤスの胸に飛び込んだ。

 

「文江!」

 

 ヤスが文江を抱きしめる。

 

「文江さん!」

 

 ヨシヒコが文江に抱きつく。

 

「いや、オメーは加わるな」

 

 ムラサキに襟首を掴まれ、ヨシヒコはズルズルと引きはがされた。

 

 抱き合う兄妹の姿を、ヨシヒコたちは、しばらく温かい目で見守っていた。

 

 

 

 

 

 

「さて、これで事件は解決ですね」ヨシヒコがぱんっと手を叩いた。「あとは、二人の身柄を警察に引き渡して、仏に報告すれば終了です。では、行きましょう」

 

 部屋を出ようと、ドアノブに手を伸ばすヨシヒコ。

 

 そこへ、文江が駆けてきた。

 

 それに気が付いたヨシヒコが振り返った。

 

 ヨシヒコと文江が、ぶつかった。

 

 その途端。

 

 ヨシヒコの腹に、鋭い痛みが走った。

 

 ――なんだ?

 

 腹を見ると、ナイフが刺さっていた。

 

「え……?」

 

 訳が判らなかった。答えを求めるように文江を見る。

 

「……あは?」

 

 ヨシヒコと目が合うと、文江は無邪気な子供のような声で笑った。だがその顔に浮かぶのは、どこか狂気を感じる笑顔だった。

 

 ヨシヒコの腹に刺さったナイフは、文江の手に握られている。

 

 だが、それの意味するところを、ヨシヒコは理解できない。一体何が起こっているのか、全く判らない。

 

 ムラサキも、メレブも、ヨシヒコ同様何が起こったのか理解できず、ただ立ち尽くしている。

 

 ヤスは――。

 

 ヤスの顔からは、全ての表情が消えていた。ただ目の前の様子を、なんの意志も持たない瞳で見つめている。

 

 文江がナイフを引き抜いた。再び鋭い痛みが走り、思わずヨシヒコの口から呻き声が洩れる。腹から血が溢れ、床を濡らした。

 

「あは……あはは……あはははははははははは!!」

 

 文江が、それまでの姿からは想像もできないような狂った笑い声を上げる。

 

 ――私は、文江さんに刺されたのか……。

 

 ようやくそれを理解したヨシヒコ。文江からナイフを奪い取ろうと手を伸ばす。

 

 だが、足の力が抜け、崩れ落ちるように倒れた。起き上がろうとしてもできなかった。腹から溢れ出す血は止まらない。じわじわと床へ広がっていく。流れた血の分だけ、ヨシヒコは力を失っていく。もう、顔を上げるのがやっとだ。

 

「ちょっとあんた! なにしてるの!?」

 

 ムラサキが動いた。文江を取り押さえようとする。ヨシヒコは、よせ、と叫ぼうとしたが、できなかった。もう、声すら出せない。

 

 ムラサキが文江の肩に手をかけようとした。その瞬間、文江は振り向きざまにナイフを横薙ぎに払った。ムラサキの喉が、ぱっくりと裂けた。少し遅れて、勢いよく血が噴き出す。その飛沫が、文江の顔にかかる。壁やドアにも飛沫が飛ぶ。ムラサキは両手で喉を押さえるが、そんなもので止まるはずもない。やがて、ムラサキも崩れるように倒れた。

 

 ――なんだこれは?

 

 文江がメレブを見た。怯え、情けない声を上げるメレブ。文江は音もなく近づくと、怯えて何もできないメレブの胸に、無言でナイフを突き立てた。メレブは、どさりとその場に倒れた。

 

「――あはははははははははははははは!!」

 

 取調室内に、文江の狂気じみた笑い声が響き渡る。

 

 ――なにが起こってるんだ?

 

 判らない。もう、ヨシヒコには考える力も残っていない。

 

 文江がヨシヒコを振り向いた。

 

 ヨシヒコの血が付いたナイフを持ち、ムラサキの血を浴びた顔で笑い、メレブの血を踏んで、こちらへ来る。

 

 ヤスは、心が無くなったような表情で、ただ文江を見つめている。

 

 ――なぜ、こうなった?

 

 文江がヨシヒコのそばに立った。見下ろしている。

 

 ――判らない。なぜこんなことになったのか、私には判らない。

 

 文江は、もう一度大声で笑うと。

 

 ――これを読んだ皆さん。どうか、この謎を解いてください。

 

 ヨシヒコの首に、ナイフを突き刺した。

 

 ――それだけが、私の願いです。

 

 

 

 

 

 



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第十話 兄妹の闇

 …………。

 

 

 

 ダンジョーはメレブのひつぎから世界樹の葉を取り出した。

 

 ダンジョーは世界樹の葉を使った! ムラサキは生き返った!

 

 ムラサキはザオリクを唱えた! メレブは生き返った!

 

 ムラサキはザオリクを唱えた! ヨシヒコは生き返った!

 

 

 

 

 

 

 ヨシヒコが意識を取り戻すと、鼻熊町の入口付近の雑居ビルが立ち並ぶ道だった。今回の捜査がスタートした場所である。目の前に、髭面の中年戦士ダンジョーと、モスグリーンのキャミソールワンピにマントを羽織ったムラサキ、金髪マッシュルームカットをしたインチキ臭い詐欺師のような風貌のメレブの姿があった。一瞬、今までの出来事は夢だったのではないかと思ったが、ムラサキとメレブの青ざめた表情に、すぐに夢ではないと思い直した。

 

 空に例の文字と輪っかが現れ、続いて仏が映し出された。ヨシヒコはメレブから眼鏡を借りる。

 

「おお、ヨシヒコ! 死んでしまうとは何事だ!」

 

 仏は尊大な表情で定番のセリフを言った後、コロッと表情を変えて続けた。「……てか、何やってんの? 君ら殺人事件を捜査する側だよ? 犯人を逮捕する側だよ? 君らが殺されてどうするのよ。勇者としても刑事としても、面目丸つぶれだよ?」

 

「申し訳ないです」ヨシヒコは恐縮しながら答えた。「まさか、文江さんがあんな行動に出るとは」

 

「ホント、完全に油断してたわ」ムラサキもバツが悪そうな表情をする。

 

「それで、あれから文恵とヤスはどうなったんだ?」メレブがダンジョーを見た。「もう捕まえたのか? まだだったら、早く捕まえないと」

 

「…………」

 

「…………」

 

 仏とダンジョーは、神妙な面持ちで黙り込んでいる。

 

「どうしたんです? なにかあったのですか?」ヨシヒコは訊いた。

 

「いや、捜査を再開する前に、いくつか確認しておきたいことがあるんだが」

 

 ダンジョーが真剣な表情で言った。元々ダンジョーは他の三人と比べてあまりおふざけをしないタイプだが、それでも、今ほど真剣な表情になることは、あまりない。

 

 ただならぬ雰囲気に、ヨシヒコはごくりと息を飲んだ。「な……なんでしょうか?」

 

「お前たちが襲われた時の状況を、できる限り詳しく教えてくれ」

 

 そう言われ、ヨシヒコたちは、まずこれまでの捜査の内容から話した。現場検証から関係者への事情聴取、俊之の逮捕から、京都での事件、耕造たちの過去と、洲本での捜査、などなど。それらの捜査の結果、ヤスと文江が兄妹であることが判明し、ヤスを問い詰めたところで文江が現れ、二人は協力して耕造を殺し密室状態を作ったことを認めた。

 

 そして。

 

「――二人を逮捕して警察に引き渡そうとしたら、突然文江さん……いえ、文江が豹変し、我々に襲い掛かってきたんです。あまりに突然の出来事で、反撃する暇もありませんでした」

 

 ヨシヒコはそう締めくくった。

 

「文江に襲われたんだな?」話を聞き終えたダンジョーは、表情を変えることなく言った。

 

「ええ、そうです」

 

 ヨシヒコがそう答えると、ダンジョーは仏と顔を見合わせた。仏が無言で頷く。ダンジョーも頷き返すと、ヨシヒコに視線を戻した。

 

「ヨシヒコ、もう一度訊く。お前たちを襲ったのは沢木文江、これで、間違いないんだな?」

 

「そうです。なんでそんなにしつこく訊くんですか? それより、早く文江の捜索を」

 

 ヨシヒコは署へ戻ろうとしたが。

 

「まあ、とりあえず俺の話を聞け」ダンジョーはヨシヒコを引きとめた。「お前たちが死んでいる間に、俺も少し捜査してみたんだ。まず、お前たちが取調室で殺されているのを発見したのは事務員の女性だ。部屋にはお前たち三人が血まみれで倒れていて、他の者の姿は無かったと証言している」

 

「それはそうでしょう。我々を殺して、そのまま部屋に留まっているとは思えません。すぐに立ち去ったはずです」

 

「そうだな。それで、事務員の女性は署内の担当部署に知らせ、捜査が行われた。すぐに署内にある監視カメラの映像の確認がされたが、残念ながら取調室にカメラは無く、犯行時の様子は映っていなかった」

 

「だろうな」とメレブが言った。「八十年台は、取調室の可視化なんて考えもしなかった時代だからな」

 

 ダンジョーはさらに話す。「幸い、署の入口と廊下に設置されたカメラのいくつかに、犯行時間前後に出入りする不審な人物が映っていた。確かに、沢木文江に似ているそうだ。しかしこの時代だ。いかんせん鮮明な映像ではないから、断定はできないらしい」

 

「何を言ってるんです」ヨシヒコは反論する。「被害者である我々が文江に襲われたと言っているんです。間違いないでしょう」

 

「それがな……あり得ないんだよ」

 

「あ……あり得ないって、どういうことですか?」

 

 ヨシヒコが問うと、ダンジョーは、ヨシヒコ、ムラサキ、メレブ、と、一人ずつ順に目を合わせ、そして言った。

 

「沢木文江は……遺体で発見された」

 

「……え?」

 

 一瞬なにを言っているのか判らず、きょとんとした表情になるヨシヒコたち。文江が遺体で発見された。つまり、文江は死んだということだ。たったそれだけのことを理解するのに、長い時間を要した。

 

 ダンジョーはヨシヒコたちの理解が追いつくのを待つように少し時間を置き、やがて言葉を継いだ。「遺体が発見されたのは、洲本の実家があった空き地だ。あそこで、文江は全身に灯油を浴び、自ら火を点けたらしい。焼身自殺だな」

 

「じゃ……じゃあ、私たちを殺した後、洲本へ渡り、自殺を……?」

 

 文江に襲われた時の様子を思い出すヨシヒコ。狂ったような笑い声をあげ、わずかなためらいさえも見せず次々とヨシヒコたちを殺害していった。普通の精神状態でできることではない。だからこそ、自らの命もためらうことなく断てたのだろうか。そんなことを思う。

 

「それが、違うんだ」

 

 首を振るダンジョー。何が違うのか、ヨシヒコには判らなかった。

 

 ダンジョーはさらに続ける。「文江が焼身自殺を図っているのを発見したのは、向かいに住む主婦だ。お前たちが文江に関する話を聞いた人だな。彼女が、夕飯の後片付けをしている最中、空き地で何かが燃えているのを窓越しに見つけ、すぐ消防に通報したんだ。それが、夜の八時三十三分だ。はっきりと、記録に残っている」

 

「八時三十三分……え……?」

 

 おかしい……何かがおかしいことに、ヨシヒコは気が付いた。それはあり得ない。だが、なにがあり得ないのかは判らない。判らないが、本能がそう警告している。

 

 ヨシヒコたちが高速艇に乗り洲本へ着いたのは、確か夕方の六時頃だ。帰りの便は八時が最終だったから、捜査は早々に切り上げ、最終便に乗って洲本を後にした。署に戻ったのは九時半ごろ。その後、耕造の屋敷の地下迷宮を再捜査し、また本部へ戻り、ヤスの正体を暴き、文江が現れ、逮捕しようとして襲われた。その時の正確な時間は今となっては判らないが、もう深夜と言ってよい時間だっただろう。

 

 しかし。

 

 文江は、夜八時三十三分に、洲本で自殺している。

 

「そうだ」と、ダンジョーが頷いた。「文江が自殺をしたのは、お前たちが署に戻るよりも前の時間だ。文江は――お前たちを襲う前に死んでいるんだ」

 

「――――」

 

 ヨシヒコはムラサキたちと顔を見合わせた。ダンジョーのいうことは理解したが、到底受け入れることはできない。

 

「そんな……何かの間違いじゃないですか?」ヨシヒコはダンジョーに視線を戻す。

 

「いや、間違いではない。文江には歯の治療歴があり照合済みだ。現場には遺書が残されており、その筆跡鑑定でも同様の結果が出ている。焼死体は、沢木文江のもので間違いない」

 

「でも……それじゃあ、おかしいじゃないですか……?」

 

「そうだ。おかしいんだ」

 

 判らない。顔を伏せ考えるヨシヒコ。文江が八時半過ぎに死んでいたというのなら、ヨシヒコたちの前に現れたのは誰だったのだろう? 死人がヨシヒコたちを殺したとでもいうのか? ありえない。

 

「……そうだ」と、ヨシヒコは顔を上げた。「ヤスさん……いえ、ヤスはどうなったんですか? 彼が、何か仕組んだのかもしれません。何か、トリックを仕掛けて……別人の死体を文江に見せかけたとか……具体的にどういうトリックなのかは判りませんが、とにかく、ヤスを探しましょう。それで何か判るはずです」

 

「それが、そっちの方もおかしなことになっていてな」ダンジョーはため息をついた。

 

「おかしいって、何がですか? ヤスが何かしたに決まってる、それ以外には考えられない」

 

 ダンジョーは両手を広げてヨシヒコの前に出した。「まあ落ち着け。お前、洲本に行ったとき、沢木一家の心中事件について、ちゃんと調べたか?」

 

「いえ……船の時間があったので、自宅跡周辺の捜索と聞き込みをしただけで、すぐに帰りました」

 

「そうか。そこで洲本署に立ち寄ってきちんと調べていれば、違った結果になったかもしれんのだがな」

 

「どういうことですか? もったいぶってないで、早く教えてください!」

 

 もはや掴みかからんばかりの勢いのヨシヒコを制し、ダンジョーはゆっくりとした口調で続けた。「沢木一家の心中事件があったのは十五年前の十一月十七日の夜九時。家に灯油をまいて火を点けたものと見られている。通報したのは、これも向かいの主婦だ。すぐに消防が駆けつけ、消火活動がされた。幸い文江は救出されたが、両親らは、焼け跡から遺体で発見された」

 

「……え……?」

 

 ダンジョーの話を聞き、すぐにその違和感に気が付いた。

 

 文江の両親は、家に灯油をまいて火を点け、一家心中を図ったが、幸い文江は救出された――ここまでは、ヨシヒコが聞き込みをした内容と一致する。

 

 だが、いまダンジョーは、()()()は焼け跡から遺体で発見された、と言った。

 

 両親ら――つまり、父と母の他に、もう一人、いる。

 

 沢木一家は四人家族だ。文江が救出されたのならば、もう一人の遺体は……。

 

「そうだ」と、ダンジョーがヨシヒコの考えを読んだように言った。「長男の康彦は、沢木家の両親と共に、その日、焼死体で発見されているんだ」

 

「――――!」

 

 言葉を失うヨシヒコ。康彦は両親と共に焼死体で発見された。つまり、ヨシヒコたちと一緒に捜査していたヤスは、十五年も前に死んでいる人物ということになる。

 

「……そんなバカな……」

 

 ヨシヒコは、ようやくそれだけ言うことができたが。

 

「いや、確かだそうだ」ダンジョーが否定する。「これも、歯の治療歴などから判断して間違いないらしい。文江の兄・康彦は、十五年前に死んでいる」

 

「そんなバカな!」我慢しきれず、ヨシヒコは声を上げた。「だって、我々はずっとヤスと捜査してたんですよ!? 署の人たちに訊いてください!!」

 

「もちろん訊いてみた。それによると、神戸の警察官に、真野康彦という人物はいないそうだ」

 

「な――っ!」

 

 また言葉を失うヨシヒコ。ムラサキも、メレブも、何も言わない。もはやだれも理解が追いついていない。

 

 ダンジョーは続ける。「署の人たちは、お前たちはずっと三人で捜査していたと言っている。防犯カメラにも、ヤスの姿は映っていない。お前らが殺された前後、部屋に出入りしているのは文江だけだ」

 

「……そ……そんなバカな……そんなバカな! 我々は、確かにヤスと捜査しました! ヤスが十五年前に死んでいたのなら、我々は、一体誰と捜査していたんですか!?」

 

「それはこっちが訊きたい」

 

 ダンジョーは一度大きく息を吐き出すと、改めて問う。「――お前たち、一体誰と捜査をしていたんだ? そして、誰に殺されたんだ?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 誰も答えなかった。その問いに対する答えは、誰も持っていない。誰にも判らない。ずっと一緒に捜査していたヤスは十五年も前に死んでおり、ヨシヒコたちを襲った文江はヨシヒコよりも前に死んでいる。この事件、死人が歩きすぎている。

 

「……え? ここ雛見沢?」

 

 メレブがぽつりとつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨシヒコたちから少し離れた場所の電柱の陰から、妹のヒサと、ペットのマネマネが、ひょっこりと顔を出した。

 

「兄様……兄様にしては良いところまで行きましたけど、最後の詰めが甘かったですわね――」

 

 そう言った後、ヒサは、「あはは」と、どこか狂気じみた笑い声をあげた。

 

 その手には、変化の杖と、血まみれのせいなるナイフが握られていた。

 

 

 

 

 

 

(刑事ヨシヒコと犯人は○○ 終わり)

 

 

 

 

 

 



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