回復術士の筋肉鍛え直し (三柱 努)
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少年は鍛え直す

勇者パーティにより薬漬けの奴隷にされていた【癒】の勇者・ケヤル。
最終決戦で手に入れた魔王の心臓『賢者の石』を触媒に【時間遡行】を実行。
復讐の為、奴隷にされる前に戻り人生をやり直すことに。
時代は遡り4年前へ。“記憶のみ”を引き継いだ彼は生まれ育った村で目を覚ました。
【術】の勇者・フレアと出会い、地獄の日々が始まるまでの5日間。
それまでに【翡翠眼】のスキルを身に着け、【薬物耐性】の熟練度を貯め、勇者パーティに復讐する・・・・

はずだった。


「これではダメだ!」

精霊の泉で【翡翠眼】を手に入れた後、彼は気付いてしまった。

【薬物耐性】を獲得するには、薬漬けレベルの薬物摂取によって到達するほどの熟練度が必須。

当初、彼の目論見では『“毒”キノコを食べて、回復してを繰り返す』ことで“薬物”の熟練度を上げるはずであった。

 

だが、ステータスを確認するスキル【翡翠眼】によって詳細に見た結果、毒と薬物は別項目にあることが分かった。

つまり毒耐性と薬物耐性は全くの別物。

計画は最初から破綻していたのだ。

 

『どうする? 残された時間は無い。それまでにレベルを上げるか? 駄目だ。この辺りのモンスターじゃ、とてもじゃないが経験値が足りない』

残る頼みの綱は彼のスキル。

【癒】の勇者が扱う【回復】の本質である、状態変化魔法の派生【回復】【模倣】【略奪】【改良】【改悪】。これらを駆使すれば、薬漬けとなる前に復讐に移行できるだろう。

だがそれはあくまで“前の人生”で獲得したスキル。

記憶だけを引き継いだ今、成人を迎えてクラスに目覚めたての回復術士では、使える魔法は【回復】だけだ。

『残り5日間、派生魔法獲得を目指して修行するか。それとも・・・』

 

 

派生魔法の獲得は、4年間の奴隷生活の中で到達した領域。今から懸命にレベル上げしたとして、復讐に確実に使えるものとはいえない。

であるならば、確実な道を行くしか他にあるまい。

そう決意したケヤルは、近くの岩に手を掛けた。彼の背丈ほどある大岩である。

「どうにか転がるか?」

渾身の力を込めて岩を押し、ゴロンと一回転させる。この1回だけで息が切れた。

だが彼の狙いは隣の岩までの移動。そして、岩肌を転がす力を利用し、辛うじて地面から浮かすことができた。

「この、ままっ」

どうにか持ち上がった岩の下に、ケヤルはあえて入り込んだ。すでに限界に達している状態で、これは明らかな自殺行為。このまま少しでも力を抜けば岩に押し潰され、待っているのは死。そうでなくても限界の今、岩から脱出することは叶わない。

「まだまだぁあああ!!」

全身が悲鳴を上げていた。腕も足も腰も、筋肉も骨も血管も。筋繊維はプルプルと痙攣し、骨にはミシミシと小さなヒビが入り、血液は全身を逆流して最後の出口である目や鼻から噴出している。

「ううう、がああああ!」

ケヤルの叫びが森にこだまし、同時にズズウンと地響きが鳴り響いた。

最後の最後。人体が自身の体を破壊せぬよう制限している筋力が、命に係わる非常事態にリミッターを外して発揮されるパワーで、ケヤルはどうにか岩を押し流して下敷きを免れたのだ。

だがそれは限界を超えた先の世界。全身が“使い物にならない”状態に至っていた。

“自然回復”だけでは完全回復に1か月はかかる状態であろう。

しかし、【回復】を使えばブチブチに破壊された筋肉を瞬時に修復することができる。

ケヤルは最後の力を振り絞って身を引きずり、近くの泉の水面に自らを映した。

それは魔法反射の特性を持つ【精霊の泉】の聖なる水。“自らに【回復】をかけるほどの熟練度を得ていない”今の状態でも、この方法であれば解決できる。

「回復(ヒール)!」

ケヤルの体が光に包まれ、筋繊維が修復されていく感覚が彼を包んだ。

だが同時に【回復】の副作用が発現した。

 

【回復】はその過程で、対象の状態変化の記憶を術者に体験させる。

大きなダメージであるほど、その反動は大きく、常人の神経では耐えることはできない苦痛。一度この苦痛を味わえば、二度と【回復】をしたくはないと思う代物だ。

それゆえ、彼は【回復】を拒否しないように薬漬けにされていたのだ。

そして今、彼は彼自身の限界を超えた身体苦痛に対して【回復】を施した。

「あ゛ぁああいいがががが!!」

肉が裂け、骨が砕け、神経が剥き出しになり、体の中から茨の棘で擦られるような痛みがケヤルを襲った。

回復の過程が10として、それを9まで回復するまでに9の分の苦痛を味わい、それを8まで回復するまでに更に8。

完全回復までに味わう苦痛は計り知れないほど。

かつて奴隷として味わってきたどの【回復】よりも遥かに壮絶な痛みに、ケヤルの意識は途絶えた。

 

 

「・・・朝か」

葉からこぼれた朝露が頬に垂れ落ち、ケヤルは目を覚ました。

ムクと起き上がると、何かに引っ張られるような抵抗が彼の体にまとわりついた。

「何だ? 布?」

彼の体は何かに拘束されていた。とはいえ拘束というにはあまりにも貧弱。少し腕を上げればブチブチと音を立てて拘束衣が千切れていく。

否、それは拘束衣ではない。ケヤルが元から着ていた服である。指でつまみ上げると頼りない布切れがハラリと垂れた。

「ぬ? どうなっている?」

寝ている間に獣にでも引き裂かれたのか? ケヤルは立ち上がり、自分の姿を確認するために近くの水面に体を映した。

そこにいたのは確かにケヤルの顔をした男だが、その体躯は元の14歳の彼をそのまま大人にしたような、村の大人たち並ぶ逞しさを有していた。

「これが・・・俺、なのか?」

身体は自然な成長の他に鍛錬、肉体への負荷からの回復を経て成長する。

昨日の夜、岩を持ち上げて身体の限界まで追い込んだ体の回復の他に、ケヤルは【回復】によって体に最大級の負荷を与えていた。

通常であれば傷ついた筋繊維にそのまま新たな負荷をかけてしまうと、成長するどころか委縮してしまう。

だがケヤルの場合は違った。回復と負荷の同時進行により、約1年分のトレーニングに匹敵する筋肥大、身体成長を遂げていたのだ。

「なるほどな。なら、MPの尽きるまで、鍛え放題ってことだな!」

自らの身体成長に笑みをこぼし、ケヤルは次なる岩へと手を掛けた。

 

4日間はケヤルにとって地獄と灼熱の日々であった。

鍛えれば鍛えるほど蓄積される苦痛。

10であったものが9+8+7+6+5+4+3+2+1=45であれば。

次に鍛える時には45から鍛え直し、990に。

MPで可能な【回復】は日に4回。4日で16回。

日を追うごとに、回復をするたびに、身体は“変貌”を遂げていった。

 

 

5日後

ズズゥーンと鳴り響く地響きに驚いた村人たちは、森の中から姿を現した者を見て驚愕していた。

「モンスターだ! きょ、巨人!? 巨人・・・・・・・なのか?」

それは、巨人と呼ぶにはあまりにも異形であった。

通常の巨人の肉体は人間をそのまま倍化したような外観。目の前のソレも大の大人の2倍ほどの背丈を有している。

手首の太さは、乳房に自信のある女性の胸回りほどに太くたくましく。胸板は牛2頭を乗せ、その主が寝そべられるほどに広く。丸太のような脚は、丸太は丸太でも樹齢100年と言われても不思議ではない。

だが頭部だけが人間サイズ。

そしてそれは明らかに村の仲間・ケヤルのものと酷似していた。

「ケヤル・・・なの?」

「如何にも。ケヤル只今、帰村しました」

ケヤルと名乗る巨人は村人たちの元に膝をつき頭を下げる。

この5日間、姿を消していたケヤルを村の皆が心配していた。

だが、今目の前にいるケヤルはケヤルでは絶対にありえない。

声が太い。

立ち振る舞いに自信が溢れている。

面影はある。

ケツアゴ。

「ケヤル、なの? その姿は一体」

「勿論、我は我でございます。肉との対話に夢中になるあまり、気付けば五日も。いやはやお恥ずかしい」

笑い方にケヤルの面影がある。ファッファッファってなっているが。

 

 

「そ、村長―!」

まだ、村人たちが困惑している最中のその時、村の入り口が急に慌ただしくなった。

それは地獄への片道切符。

ケヤルを薬漬けにした元凶。

新たな勇者を探しに現れたジオラル王国第一王女。

回復術士であるケヤルを用無しと切り捨て、エリクサー代わりの奴隷に陥れた犯人。

【術】の勇者、フレア・アールグランデ・ジオラルの来訪を告げる呼び声であった。

 

 

「王女様がいったいどうして? こんな村に来られるなんて・・・」

村人たちが困惑する中、王国の馬車から舞い降りたフレアは優雅に答えた。

「今日は、この村に誕生した新たな勇者を迎えに来ました」

 



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【術】の勇者は筋肉と出会う

第2の人生で【回復】のチート能力を早々に手放し、筋肉への信仰に賭けた元【癒】の勇者・ケヤル。
鍛錬により“超筋肉”を手に入れたケヤルは今日、因縁の勇者・フレアと初顔合わせとなる。



勇者を集めパーティを組み、魔王を討伐し、賢者の石を手に入れ、世界を統べる。

それがフレアの野望である。

その一歩のため、王女である彼女自らこの辺境の村へと足を運んでいた。

「この村に誕生した新たな勇者を迎えに来ました」

【術】の勇者・フレアには勇者の居場所を探知する能力があった。

4日前、それはケヤルの14歳の誕生日であり、彼が勇者の力に目覚めた日。(筋肉の回復鍛錬を始めた日でもある)。彼女は新たな勇者の誕生を探知していた。

『みすぼらしい。これだから田舎は嫌だわ』

貧しい村の村人たちを心では軽蔑しながら、表面上は穏やかで純粋無垢な眼で見つめるフレア。

この中に勇者がいる。何としても懐柔して王都へ連れて帰り、自分のパーティに組み込みたいと、彼女は考えていた。

そのためにも愛想を振りまきながら、出会いはドラマチックに演出し、『貧しい出の勇者が優しい王女の誘いを断るわけにはいかない』という流れを作りたい。

「あなたが私の仲間ですね?」

第一声はこれだ。『初めから分かっていたんだよ』と優しく手をさし伸ばしてやれば、少年だろうが少女だろうがコロッと口説き落とせる・・・

 

はずであった。

「・・・・・」

フレアは探知能力に導かれるままに向けた視線を一度逸らし、二度見した。

彼女を囲む村人たちの中に、異様な巨体が立っていたのだ。

『巨人族モンスターがいる。腰布だけを身に纏っている半裸の大男がいる』

と彼女も最初は思ったが、探知能力はビンビンに、その巨体の方向を指し示していた。

『いや、アレは違う』

そんな彼女の懐疑心の目の向く先で、村娘の1人に抱かれた赤ん坊がその巨人に怯え泣き始めてしまっていた。

すると巨人は手にした丸太を手の中に隠し、ギューと握りこむと、その中からブサイクな木の人形を取り出して赤ん坊をあやし始めた。

ありえない光景だ。

フレアは以前、王都の力自慢の戦士が鉄を曲げたり、素手で木を切り倒したりするパフォーマンスを見たことがある。

だが、木を素手で粘土細工のようにこねる男を見たことは無い。というより現実的に可能なのだろうか? 木が裂けないように潰したりするなんて・・・

木を操る魔法であれば説明はつくが、魔力は一切感じない。絶対に腕力オンリーである。化け物である。

『私は信じないわ。もし勇者の証である紋章が手の甲に刻まれていたら信じるしかないけど・・・』

しっかりと刻まれていた。諦めて認めるしかない。

そんな困惑と動揺を隠せないフレアの前に、その巨人はフワリと跪いた。

「ケヤルと申します。王女フレア殿、共にこの世界を魔の手から救いましょう」

巨人の勇者が前に出ると、フレアの探知能力はますます通知した。彼こそが探していた勇者であると。

「よ、よろしくお願いします、ケヤルさん。あ、貴方こそ私が探し求めていた勇者」

戸惑いのまま用意していた台詞をどうにか口から出すフレアに、ケヤルはうやうやしく頭を下げると、サッと手を差し出した。

『思ったより紳士でよかったけど・・・この手を握っていいものかしら? あの木みたいに肉の粘土にされたりしないかしら? でも、求められた握手に応じないのは流石に・・・』

ニコッと笑うケヤルの・・・手と同じサイズの指に、フレアは「お、お願いします」と震えながら手を重ねた。当然、無事である。

この状況に唖然とする村人たちは「凄い、オレたちの村から勇者が誕生するなんて」と歓喜するべき状況に口を動かすことができなかった。

ケヤルの幼馴染で隣人である少女も、「あなたがそんな運命を背負っているなんて」と感動する心も胸にあるのだが、それ以前に「あなたはそんな筋肉をどこで背負ってきたの?」の気持ちで胸いっぱいであった。

 

終始ケヤルのペースのまま、勇者としてすべきことを学ぶため、ケヤルは王都へと旅立つことになった。

フレアの想像では、村から旅立つ若者がいれば、村人が餞にアイテムを渡したり、幼馴染や想い人がお守り代わりにアクセサリーを託したりするものだが。この村の見送りは皆が遠目であった。

ケヤルが人から嫌われるような人柄でないことは誰の目から見ても明らか。だが、なんとなくその理由は誰にでも察することができた。

「では、参りましょうかケヤルさ・・・」

ふと大事なことに気付いたフレアは足を止めた。

予定ではケヤルを王都への馬車に案内する手筈。つまりこの巨人と同じ空間の中に入るという事。

『もし変な気を起こされたら・・・私、死ぬんじゃない?』

護衛の騎士も同乗するが、はっきり言って護衛できないだろう。

どうすれば・・・と、頭を抱えていた彼女の悩みはすぐに消し飛んだ。

そもそもケヤルの巨体は馬車に入らないのだ。

『「では僕は歩いていきます」と言ってくれるに違いない』

と、彼女は期待した。

「どうぞケヤルさん、こちらへ。あっ、なんという事でしょう。このような小さな馬車しか用意が無いなんて」

少しわざとらしさはあるが、フレアはうっかり間違えたフリをして嘆いて見せた。

「御心配いりません王女様」

そういうとケヤルは大きく息を吸い込むと「フンヌ!」と全身に力を込めた。

筋肉が凝縮され、巨体がみるみるうちに縮んでいく。あれよあれよと言う間に、ケヤルの体は常人サイズ(とはいえ背丈2m強)に変貌したのだ。

「・・・何が起きたのですか?」

「腹を小さく見せようと力を込めて引っ込める方がいらっしゃいますよね? あれと同じです」

同じではないことは確か。おそらくではあるが、『王女様に恥をかかせては申し訳ない』というケヤルの気遣いの行動なのだろう、とフレアは考え『余計な事をしなくていいのに!』という気持ちが溢れた。

だが一分の希望あり。そのような紳士的な行動理念があるならば、もしかすると無事に王都まで馬車に揺られることができるかもしれない。

 

そんな彼女の願いは裏切られなかった。

勇者ケヤルは至って紳士。

だが、馬車が窮屈にならないわけがない。

馬車の床にケヤルが体操座りし、ギリギリ空いたスペースにフレアが座る。残ったわずかなスペースに護衛の騎士が不安定な姿勢で立ち、それをケヤルが支えた。

この前人未踏の乗車スタイルで、王都への道に揺られる一行。

「そういえばケヤルさん。よければクラスを教えてもらってもよろしいですか?」

さん付けがデフォルトになってきたフレアに、ケヤルは静かに首を横に振った。

「申し訳ありません。先日成人したばかりですので、鑑定紙は未使用でして」

鑑定紙とはステータスを確認するアイテムである。手に取ればその者のクラス名やステータス、スキルが表示される。

「ではこの場で確認しましょう」

そう言うとフレアは護衛から巻物を受け取り、それをケヤルに手渡した。

ケヤルが巻物を開くと、白紙だった面がパァっと光を放ち文字が浮かぶ。

「出ました・・・が」

「クラスはどうでしたか?」

ニコッと笑うフレア。前衛クラスを欲していた彼女は、ケヤルのクラスを【戦士】や【武闘家】と算用していた。

だが・・・

「読めません」

ケヤルの答えに、フレアは『これだから田舎者は。識字もできないなんて』と笑いを堪えながら「お貸しください」と鑑定紙を受け取った。

が・・・

「読めませんね」

鑑定紙を前にフレアは目を丸くしていた。

「肘関節屈曲:瞬発筋力104N/㎟・秒 等尺運動維持筋力:95N/㎟・秒 等尺運動維持可能筋力・・・」

見たことの無い単語と見たことの無い数値の羅列に、フレアの頭にはクエスチョンマークが並ぶ。

せいぜい理解できるのは『筋力』に関するステータスであるということ。巻物一面が端から端まで筋肉の情報で埋め尽くされ、そのあまりの膨大な量にステータスの“後”に表示されるスキル面が押し出されてしまっていた。

『そんな・・・新品なら普通、10人分の鑑定をしても余るはずなのに』

そしてステータス面の“前”に表示されるはずのクラス名などの情報すらも押し出されてしまっていた。

『鑑定紙の書式が中央揃えならぬ“筋肉揃え”になっている!?』

信じられない鑑定紙のエラーに、フレアは何度も表示内容を眺める。

「こんなことって・・・見たことがありません。これではクラスも確認できませんね」

しかしそれでも何ら問題は無い。

ケヤルが前衛クラスでないわけがないからだ。先頭に不向きなクラスであるわけがない。

例えば、“回復術士”なんて一番役に立たないクラスなんてことは、絶対にありえないのだ。

「王国に到着しましたら、特注の鑑定紙をご用意いたしますわ」

「左様で。有難き幸せ」

拳をパシリと合わせ頭を下げるケヤル。その反動で馬車がガタンと小さく揺れた。

 

こうして、王女の無駄な心配と護衛騎士の無理な姿勢からの筋肉痛を生み出しながら、勇者ケヤルを乗せた馬車は、ジオラル王国へと足を踏み入れたのだった。

 

 



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少年は大人の階段をのぼるくらいなら筋トレをする

一週間ほど前、新たな勇者の誕生が探知され急遽、女性冒険者限定の募集が始まった職がある。

勇者専属の使用人。

一流の冒険者であれば、その報酬は【レベル上限上昇】なのだとすぐに察するであろう。

 

勇者には4つの専用スキルがある。

【クラス能力の強化】【レベル上限の解放】【経験値上昇】、そして【他者のレベル上限上昇】である。

『魔力を込めた体液を与えることで、低確率で他者のレベル上限+1』というこのスキル。

体液とは、男性勇者であれば命の源である精液を指している。

つまりこの募集は新勇者の夜伽の相手の募集であり、若き勇者の懐柔を兼ねたものなのだ。

 

そして集められたのは、レベルが上限かそれに匹敵する強さを持ち、かつ少年を懐柔するに適した美貌の持ち主である5名の女性冒険者。

これより勇者のメイドとして、交代で日々の世話と夜の性交を担うこととなる。

 

『それにしても、変な話ね』

女性使用人の1人は、かねてよりそう考えていた。

レベル上限の突破という、まるで精霊の泉にでも宿っていそうなこの加護が、何故か『勇者の陰嚢』にしか宿っていないという現実。

『この世界の“レベルを司る神様”は馬鹿なの? それとも世界を創造したときに居眠り運転でもしていたの? 随分と滑稽な場所に宿ったものね』

しかもこのジオラル王国に勇者は3人しかおらず、うち2名は女性。

では“祝福されし金玉”をお持ちの男勇者はというと・・・ガチムチの少年趣味のゲイという。

『この国は本気で魔族と戦う気があるのかしら?』

少なくとも、勇者以外のレベル上限突破のために金策でも何でもいいから他の国のマトモな男勇者をスカウトしておこうという発想は無いようだ。

そうでなければ、よっぽど国レベルで勇者に嫌われているとしか思えない。

 

という国の施策の話を一冒険者が悩んだところで意味は無い。

いよいよ件の勇者がジオラル王国に到着するのだ。

メイド服を身にまとい、勇者の到着を待つ。

『勇者に覚醒したばかりだから、成人したての14歳ね。どんな子かしら、お姉さんが美味しく手厚く導いてあげないと』

話が違う。彼女は一瞥してそう感じた。

勇者ケヤル、14歳と7日。と聞いている。

彼女が歴代のパーティで組んできた大男の戦士に匹敵するほどのゴリゴリが、そこには立っていた。

『・・・発育の暴力。だけどまぁ、あのくらいの“サイズ”なら、むしろ楽しめるかも』

玉座の間へと入っていくケヤルの背を見送り、彼女は舌なめずりした。

 

それから勇者ケヤルは国王への謁見、簡単な勇者としての心構えの勉学、礼儀作法の講習と実践と。忙しい1日を過ごしようやく、あてがわれた自室でリラックスしていた。

そんなケヤル室の前に、今宵の夜伽の相手である使用人の彼女は立った。

『あの巨体に抱かれるだけでレベル上限突破。たまらないわ』

はやる気持ちを抑えつつ、扉をノックして入室する。

口説き文句は決まっている。見た目・体格はどうであれ中身は14歳の少年。大人の女の一途で健気な押しには抗えまい。

「勇者様、私。勇者様を一目見た時から、恋に落ちてしまいましたの」

あっ、これ無理だ。

リラックスしたケヤルの姿を見た彼女は一目で察した。

彼女だけではない。フレアと彼女の護衛の騎士以外、“それ”を知る者は王都にはいない。

ケヤルはずっと全身に力を込めて、“普通サイズ”に身を縮こまらせていたのだ。

そして今、王都に入って初めてリラックスして力を緩め、本来のトゥルーフォームである巨人サイズに戻っているのだ。

そんなケヤルに“恋に落ちる”のなら、それは絶対に外観ではなく中身に惹かれたとしか言い訳できず、“一目見た時”は成立しない。

「ん? どうかされましたか?」

ムクッと体を起こしたケヤルに見下ろされ、『嘘をつけば殺される』と彼女の脳裏に警告がよぎる。

「え・・・いや・・その、勇者様が・・・えっと・・・」

勇者の童貞を奪いに来ました。なんて正直に言っても殺される。逃げ道は無い。

絶望する彼女に、巨人ケヤルは静かに口を開いた。

「分かっています。勇者の精液を摂取しレベル上限突破がご所望なのでしょう。切迫したご事情のところ申し訳ありませんが、我とて貞操は守りたいもの。ご理解頂きたい」

『恥ずかしい。いい大人が清純な少年(?)に何をしようとしているの』

彼女は顔を真っ赤にしてうつむいた。

一応ではあるが、ケヤルは前の人生で既に経験済みであり、童貞ではない。

「そもそもレベル上限解放の勇者スキルですが、体液なのでしょう? 汗では駄目なのですか?」

「えっ? それは・・・『魔力を込めた体液を与える』ですので、魔力が込められていないと・・・」

彼女も自分で口にして初めて不思議に思った。

そもそも精液に魔力を込めるとは? 込める意味が無い場所に?

もし仮に『勇者の体は無意識に精液に魔力を込めてしまう』のだとしても、それなら汗の方にも自然と魔力が込められていて不思議ではない。

むしろ手から魔法を放つのだから、手汗とかのほうがバンバンに魔力が込められていそうだ。

逆に何処の世界に尿道から放つ魔法があるだろうか? そんなもので倒される敵が可哀そうであろう。

「汗でよろしければ、明日の剣術指南の際にでも差し上げます。いかがでしょうか?」

夜這いの咎を逃れられるだけでなく、より可能性の高いレベル上限突破の機会を頂けるのであれば、彼女に反対する理由は無い。

ただ一つ、彼女が見落としているものがあるとすれば、明日のケヤルの訓練後に彼の手の平をペロペロと舐める羞恥プレイに至ることだけだろう。

 

翌日。

前日と同じようにケヤルは勉学と講習を、そしてこの日から王宮騎士から剣術指南を受けることになった。

『剣術を教えるべきなのか?』

今まで数々の兵士を育て、剣聖にすら指導したこともあるベテランの王宮剣士長は、ケヤルの訓練を前に悩んでいた。

ケヤルの体が昨日より大きくなっている気がするのもその1つ。剣士として、一度見た者の体格を失念するとは耄碌したものだと。

だがそれ以上に、ケヤルに試しに持たせてみた剣に問題であった。正確には、試しにケヤルに剣を持たせてみたことが問題であった。

いくら訓練用の小さめの木刀とはいえ、まるで爪楊枝。人の倍以上の体躯を持つケヤルは、剣を手で握っているのではなく、指で摘まんでいる。

剣術とは、非力な人間が編み出した“実戦闘力以上の力”を引き出す触媒である。1を3にも10にもするものだが、人体のあらゆる関節を駆動させることが前提で開発されている。

『棍棒でいいんじゃないか?』

そうも思いながらも、一応は王からの勅命。抗うべきではない。

剣士はそう思い直し、ケヤルに「適性を見たい。試しに振ってみてくれまいか?」と提案した。

パキッッ

ケヤルが剣を振ると、そもそも込めた握力・ピンチ力で木製の剣の柄が潰れて折れた。

『棍棒でいいんじゃないか?』

剣士は頭を抱えながら、一応は木製武器が選択ミスだと考え、鉄製の本番用の剣をケヤルに与えた。

ブンッ

ケヤルが腕を振ると、凄まじい遠心力によって、剣は柄から折れてしまった。

『棍棒でいいんじゃないか?』

剣の鉄では薄く細い。そんな風に考えたことは生まれて初めてである。

剣士は部下に命じて、製鉄前の分厚い鉄の塊を持ってこさせた。

3人がかりで運び出された丸太ほどの鉄の棒を、ケヤルはむんずと掴み上げるとブンと振り回して感触を確かめた。今度は大丈夫そうだ。

「どうですかケヤル殿?」

「この通りです」

そう言ってケヤルは鉄の棒を放し、持ち手部分を剣士たちに見せた。手の跡で凹んでいた。

『素手でいいんじゃないか?』

剣士は即座に武闘家師範の招集を決め、ケヤルは汗を一滴も流すことができず、約束をたがってしまったことを使用人に詫びた。

 

それから5日後、王宮に3名が足を踏み入れる。

1人は無用の武闘家師範。彼がケヤルに教えることは何もない。

もう1人は鑑定紙職人。ケヤル用の絨毯・・・ではなく鑑定紙を携えていた。

そして最後の1人

この世界でもっとも美しい剣技を持った少女【剣聖】クレハ・クライレットである。

 



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はじめての【回復】

【術】の勇者フレアは、この日を待ち侘びていた。

新たに誕生した勇者・ケヤルは、その高すぎるポテンシャル故に鑑定紙では彼のステータスを確認しきれず、勇者パーティとして旅に同行させることができなかった。

否、旅に出たとしても何ら問題は無いポテンシャルがあるのは誰が見ても明らかなのだが、先天的に決まっているクラスによって適した戦い方がある以上、それを調べてからの出発が定石なのだ。

そして今日、その膨大なステータスを鑑定できる鑑定紙が王宮に届いたのだ。

『どんなクラスかしら? 剣は2人いても無駄はないし、槍でも斧でもいい。兵士たちの噂だと徒手空拳が適しているんじゃないかっていうから、武闘家でもいいわね』

ワクワクしながら指遊びするフレアは、鑑定紙職人から絨毯ほどの大きさの鑑定紙を受け取り、それを護衛に持たせ、ケヤルを呼び寄せた。

 

「さて、いよいよですか」

鑑定紙到着の一報を受け、フレアの待つライナラの間へと足を進めた。

彼は知っていた。フレアは鑑定結果を見てすぐにケヤルに失望するのだと。

ケヤルのクラスは回復術士。

“回復は【エリクサー】でどうとでもなる”からと、フレアはケヤルに回復系ではなく、直接的な戦闘力を求めている。鑑定が終われば、彼女は回復術士の勇者なんぞ役立たずだと、早々にケヤルに見切りをつけるはずである。

『ですがそれは前の人生の話。今の我は肉弾戦士。よもやその価値を見出せないお馬鹿さんではあるまい』

ケヤルはフンと鼻を鳴らし通路を縮こまって闊歩すると、悲し気な表情を浮かべた少女、元【剣聖】クレハと出会った。

「・・・巨人!? 王宮内に!」

「いいえ巨人ではなく、勇者ケヤルでございます」

ケヤルが胸に右手を当て行儀よく名乗ると、クレハは「も、申し訳ありません」と右の上腕を動かし、そこで動きを止めた。

彼女の腕は肘から先が無い。高位魔族との戦闘で右腕を失っていたのだ。

戦う術を失った彼女には王国において存在価値が無く、その強い血統を継ぐ次世代を産むだけの存在と認識されていた。

当然、前の人生でその事情を知っていたケヤルであるが、改めて思った。

『幼い頃からの研鑽で積み上げた剣術。右手を失ったからといって、まだまだ前線で戦えると思うのですが。それに彼女はまだ19、隻腕というオリジナルを磨けば今以上の実力に至る可能性も十分にあるというのに』

可能性を期待せず、人の成長に無頓着。それが王国の性質であった。こんな雰囲気が市民の立ち上げた社会で社風としてまかり通ったら、たちまち崩壊するであろう。

そんな理不尽に悩み悲しむクレハの眼に涙が浮かぶ。

「悲しげな剣士さん。失われた腕が元通りに戻るとしたら、素敵な笑顔を見せていただけますか?」

ケヤルの言葉に目を丸くするクレハ。

「ご、ご冗談を。この腕はエリクサーですら治らな・・・」

「こんなところで油を売っていたんですか? ケヤルさん」

クレハの言葉を遮り、通路の奥からカツカツと現れたのは、痺れを切らしてケヤルを迎えに来たフレアであった。

フレアはクレハを一瞥すると、価値がない人間に用はないというように冷たい視線を送り、すぐさまケヤルに愛想よく笑いかけた。

「さぁケヤルさん、参りましょう。貴方のために用意した鑑定紙がようやく届きました」

笑顔で手を差し伸べるフレアであったが、ケヤルはその提案を一蹴する。

「申し訳ありませんが王女様。先約がございますので、鑑定はその後で」

「はい?」

フレアの目は笑っていなかった。彼女は彼女の都合や思い通りに事が運ばないことに激怒する性格。ケヤルがクレハとの約束を、自分との約束より優先させたことに怒りを覚えないはずがない。

これは当然、ケヤルの故意。彼女の性格を知った上で挑発していた。

「ゆ・・・勇者様、ケヤル様! 私のことはお気になさらず、どうか王女様の元へ」

クレハの気遣いに、ケヤルは静かに息を吐いた。

「では貴女も同席していただけますか? その腕の件を鑑定が終わり次第すぐに対応させていただきたい」

ケヤルとフレアの間でバチバチと火花が散った。

『どういうこと? ケヤル、この男。私に逆らう素振りなんて今まで見せてこなかったくせに。随分と調子に乗ってくれているわね』

そんなフレアの怒りを無視し、ケヤルはクレハを連れライナラの間に足を踏み入れた。

 

ライナラの間には鑑定紙が絨毯のように敷かれ、その傍らに王宮の魔術研究主任の老人の姿があった。クラス鑑定の専門知識をその場で参照するため、同席を許可されていたのだ。

「それでは鑑定を」

部屋に入るなり鑑定紙に手をかざすケヤル。紙に光が浮かび上がり、彼のステータスの詳細が扉1枚分に相当する量、表示されていった。

「クラスは!」

鑑定紙に駆け寄るフレアと老人。そんな2人に構うことなく、ケヤルはクレハの失われた腕に手をかけた。彼女の右腕の断端の包帯を外し、その治りつつある皮膚に優しく手を振れる。

「回復術士!?」

衝撃の記載に愕然とするフレアと老人はケヤルを睨んだ。その瞬間、ケヤルの腕に触れられたクレハの腕に光がまとわる。

「【回復】(ヒール)」

それはわずか一瞬。電光の一閃すら見切ると言われるクレハですら、その目に捕らえることができないほどの間に起きていた。

「そんな・・・私の腕が・・・治った!? エリクサーですら・・・私の腕!」

二度と戻らないと覚悟していたクレハは、再び剣を握ることができる現実に歓喜し、溢れる感動に泣き崩れた。

その光景に、フレアは冷淡な眼差しを向ける。

「これで、回復術士に間違いないことも証明“されてしまった”わ。全く、どうしてこうも私の思い通りにいかないのかしら。忌々しい」

ケヤルに聞こえないほどの小声でつぶやいたフレアに対して、傍に立つ老人は目を丸くしていた。

「いやいや! すごいですぞフレア様。これはただの【回復】ではございません!!」

興奮気味の老人に、フレアは冷めた声で「何が違うって言うの?」と問う。

「本来の【回復】は自己治癒能力を魔力によって活性化させるもの。人体が自分で治せる傷しか治せないのです。しかし彼の【回復】は違う。無からの創造、あるいは時間の回帰。いずれにしても神の領域!」

「でも所詮は回復術士でしょ?」

老人の分かりやすい解説にも、フレアは興味の無い反応を見せた。

 

その反応に老人は『えっ? 馬鹿なの?』と、不平不満の想いが溢れた。

『いやいや、ワシ言ったよ。神の領域って。聞こえなかった? それだけでスゴイ事じゃん。何でそんなに興味ないの? もし仮にケヤル殿が“あれほどの肉体を持っていなくても”、ワシはきっと同じような台詞で褒めていたよ!』

『そもそもさ、“エリクサーでも治せなかった”のを“治した”んだよ。魔族との戦いで治せない傷が治るんだよ。なら、これから魔族どころか魔王と戦いに行くアンタには必須のメンバーじゃん!』

『そんでもって、もしも、もしも回復術士だから戦闘能力が無かったとしても、それならそれで別の役割を与えてあげれば、立派に勇者パーティの一員として活躍させられるって。“ケガをしたらエリクサーを使えばいい”って、その手間はあるでしょ? なら回復専門がいればアンタは戦闘に集中できるじゃん。適切な回復・補助アイテムの采配を教えれば、下手なオートポーションスキルなんかより役に立つよ』

『馬鹿なの? だから他の勇者をパーティに誘っても断られてるの? だからこの国にはマトモな勇者がいないの?』

『もうさ、ケヤル殿を見習ってよ。彼が来て1週間で、ウチの剣士長や合同訓練に参加した兵士たちにも彼を慕う者が増えてきているって聞くし、この流れだとクレハだって彼に命すら捧げるんじゃね?』

年齢不相応な口調になるくらいの苛立ちと憤りが老人の心の中で炸裂する中、ケヤルもまた心の中で様々な想いに馳せていた。

 

二度目の人生で他人に行う、はじめての【回復】。

彼の【回復】は完璧な治癒の反面、他人の体験した苦痛を追体験する副作用を持つ。

今、ケヤルの体にはクレハが人生において体験してきた全ての苦痛が再現され、常人では耐えられない痛みが襲っていた。

『こんなものですか』

だがそのクレハの一生分の痛みは、ケヤルの山奥での修行中に感じた【回復】一回分の苦痛よりも遥かに劣っていた。

常人で例えるなら、蜂に刺された程度。10発くらい喰らえば悶絶するかもしれないが、何なら小指をタンスの角にぶつけたほうが痛い。

『我は、何を復讐しようとしていたのだ? 前世に受けた苦痛? 思い出せる限りを合計したところで、修行1日分の苦痛にも満たないではないか』

ケヤルの復讐心は、圧倒的筋力を前にして、取るに足らないものへと矮小していた。

そして同時に、彼はクレハの鍛錬の日々に感動していた。

彼の【回復】は発動時に対象の経験からスキルを略奪することも可能。

だが今のケヤルにとって、人が自らの力で積み上げてきたスキルを略奪(ではなく正確にはコピーだが)することは、その積み重ねに対する侮辱だと思えていた。

 

「剣士さん、回復は無事に成功しましたか?」

ケヤルが手を差し伸べると、クレハは「はい!」と声明るく、治った右手を使って掴み上がった。

「ありがとうございますケヤル様。剣を再び与えていただき・・・クレハ・クライレット、このご恩は一生忘れませぬ。この命に代えてでも、今すぐにでも、貴方のために何でも致します!」

「フォッフォッフォ。元気そうで何よりです。何でもしていただけると言うなら、我の望みとしては貴女が笑顔を見せていただければ」

そう言ってケヤルがニコッと笑うと、クレハは満面の笑みを浮かべて返した。

【笑顔】の勇者(は気持ち悪いため、今後は【癒】の勇者で統一させていただきます)ケヤルの誕生。

この祝福すべき瞬間を、【術】の勇者・フレアは歯噛みして睨みつけていた。

 



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回復術士は王都を脱する

【術】の勇者・フレアは怒りと憤りを覚えていた。

当初、彼女の目算では新たな勇者・ケヤルを迎え、勇者4人のパーティで魔王討伐へと向かうことを想定していた。

王国に所属するフレア以外の勇者は曲者揃い。

【剣】の勇者ブレイドは常軌を逸したサディストのレズビアン。

【砲】の勇者ブレットは少年趣味のゲイ。

「あれは駄目だな。気持ち悪すぎる」

ブレットの第一審査で、ケヤルは不合格であった。たしかにアレはフレアから見ても少年とは言い難い。

「あれは無理。気持ち悪すぎます」

ブレイドの第二審査で、ケヤルは不合格であった。たしかに、レズビアンから見れば男性ホルモンの爆弾は近くにいるだけで苦痛だろう。

 

フレアの構想していたフレア・ブレイド・ブレット・ケヤルの4人パーティは、戦力構図的に最高のパーティであったが、生理的な問題から結成不可であった。

だがフレアには、ケヤルと他2人の英雄がいれば魔王討伐に向かうことができる希望が残されていた。

ケヤルのクラスを鑑定したら、すぐにでもメンバーを厳選し、魔王討伐へ・・・

が、そんな彼女の計画は破綻した。

 

ケヤル:クラス【回復術士】。戦闘力を持たない役立たずのクラス。

『こんな屑が同じ勇者というだけで虫唾が走る』

だが、フレアの苦々しい思いとは裏腹に、新たな問題が生じ始めていた。

ケヤルには人望があったのだ。王宮の兵士たちが彼を慕っている。

下手をすればフレアとは別にパーティを組み、先に魔王を討伐してしまう恐れが出てくる。

それだけは何としても阻止せねばならない。

「なら、利用できるものを利用しなきゃね」

フレアはそう呟くと、ニタァと不敵な笑みをこぼし、近衛騎士隊長を呼びつけた。

 

「ケヤルさん? よかったらお飲み物はいかがですか?」

クラス鑑定を終えた夜、自室で休むケヤルの元にフレアが飲み物を手に訪れた。

「回復の力、凄まじいですね。【剣聖】の力は千人の兵士よりも上。今後の【剣聖】の功績はあなたの功績に等しいですわ」

フレアはケヤルを褒めながら、カチャカチャと紅茶の準備を始めた。

「私のお気に入りの紅茶ですの。良い香りでしょう?心が落ち着きますわ。どうぞお召しになって」

フレアに勧められ、ケヤルはティーカップを手に取った。

『この紅茶・・・何だったか? 覚えているような、覚えていないような・・・』

記憶の片隅に違和感を覚えつつ、ケヤルは紅茶を一気に飲み干す。その途端、目の前がボンヤリと揺らぎ始めた。

『なるほど、毒でしたか』

前の人生でも同じように、フレアから毒入りの紅茶を飲まされていたことを、ケヤルは失念していた。そしてその意識は闇の中へと溶けていった。

 

「・・・あとはコイツを手に握らせて」

ケヤルの手に誰かが触れている。その感触にケヤルの意識は徐々に晴れてきた。

薄目を開けると、そこには血まみれで横たわる亜人の姿があった。体中には拷問でも受けたような痛々しい傷。息も絶え絶えに、まもなく死が訪れるであろう。

目の前には近衛騎士隊長が座り、ケヤルの手にナイフを握らせている。

そして傍らにはフレアが、不敵な笑みを浮かべ状況を流し見ていた。

「何をしているのですか?」

突如飛び出したケヤルの言葉に、フレアも隊長も驚き飛び上がった。

「き、貴様! 毒で気を失っていたのではないのか!?」

隊長が飛び退くと、ケヤルは体を起こした。

「毒の量を甘く見積もりましたね。それにしてもこの状況・・・」

「起きてしまったなら、仕方ない。皆の者、勇者ケヤルが謀反を起こしたぞ!」

隊長の叫び声に、兵士たちが次々と部屋に飛び込んでくる。

「これは!?」

「勇者ケヤルに謀反の意あり。それを我々に知らせようとしてくれた亜人を殺害したのだ」

兵士たちに口早に語る隊長。ケヤルの手に握られたナイフ。そのナイフの大きさに合う亜人の傷。

「逆賊ケヤル、尋常にお縄につけ!」

「なるほど、嵌められましたか」

ケヤルはフルフルと顔を振り、フレアを睨みつけた。その殺気に一瞬怯むフレアであったが、取り巻きの兵士たちが囲む今、ケヤルに逃げ場はない。

フレアとしては、もし仮にケヤルをこの場から逃走されたとしても、反逆者の汚名を被せられればいいのだ。

「どうするケヤル? 大人しく捕まったほうが賢明よ?」

不敵に笑うフレアに、ケヤルは静かに両手を差し出した。

勝利を確信したフレアは、縛束呪文を唱えようと杖を取り出す。

「ここ最近、皆さんと鍛錬する中で、我も新たなユニークスキルを習得しました」

ケヤルはボソリとつぶやくと、その手をフレアに向けた。

「【聖筋肉領域】(ヒール)」

その瞬間、フレアの視界は暗闇に包まれた。

 

「な、何!? ここは、何処!」

困惑するフレアの視界に光が戻った時、その状況の全てが一変していた。

目の前に広がるのは見たことの無い部屋。

広々とした白い壁が続き、点々と何かの器具が置かれている。

『拷問器具!?』

フレアは戦慄したが、拷問器具にしては、どれもが見たこともない形状をしている。

「ここは聖筋肉領域です」

背後から突如聞こえてきたケヤルの声に飛び退くフレア。

「ケヤル! 貴方一体何を!」

フレアは攻撃呪文を唱えようと両手を構えた。だが、その意に反して体から魔力が込み上げて来ない。

「無駄ですよ。ここでは魔法の類は一切使用できません。そして、我への攻撃もまた無意味。我はケヤルが生み出した思念体に過ぎないのです」

ケヤルは腰に手を当て背中を見せつけて、天使が翼を広げたみたいな筋肉を作って言った。

事実、苦し紛れにフレアが殴りつけようとした拳は、ケヤルの体を通り抜けてしまった。

「何よここは、早く解放しなさい!」

「ここは固有結界の中の世界です。ある条件を達するまでは、我の意思でも解放はできません」

ケヤルは右手で左の手首を掴んで体の前に出し、体を斜め横に向けて胸の厚みを見せつけて言った。

「条件ですって?」

フレアの問いに、ケヤルは両腕を首の後ろに回し、腹筋と脚筋を見せつけるように言った。

「この空間からは、その者の体重の5%、筋肉量を増やさなければ出ることができません」

なんとなく、さっきからのケヤルの動きから、察することはできた。

筋肉量。フレアの体重を40kgと仮定して2kg。初心者が挑戦して約2~3か月かかる量である。

「そんな、鍛えなきゃ出られないなんて・・・」

「ですがご安心ください。ここには筋トレ用のアイテムが揃っています。我がパーソナルトレーナーとして付きますので問題ないでしょう」

両腕を曲げ、力こぶを強調しながらケヤルは、部屋に並ぶ各種筋トレマシンを指さした。

 

「もう、駄目。許してぇ、お願ぃい」

フレアの悲鳴がトレーニングジム(ではなく聖筋肉領域)に響き渡る。

「まだまだ。こんなもんじゃ何時まで経っても終わりませんよ」

ケヤルにダンベルを支えてもらいながらのリフトアップ。すでに両腕が乳酸でパンパンになっていた。

「そろそろ食事に致しましょう。筋肉作りにはゴールデンタイムにタンパク質摂取が欠かせませんからね」

「金たいむ・・・タンパク質?」

卑猥な想像に絶望を覚えるフレア。そんな彼女の目の前にケヤルが用意した太い肉の棒がそびえる。

「これを、咥えろっていうの!?」

「ゆっくりお召し上がりください。ドリンクもコチラに用意してあります」

そう言ってケヤルが出したのはジョッキ一杯分の白濁とした液体。

「嫌・・・そんな汚らわしいものを」

「プロテインですよ。グイッといってみてください。美味しいですよ」

口元にジョッキを押し付けられ、白濁液がフレアの喉に流れ込む。

「ゲホッケホッ。に、苦い」

「コーヒー味ですからね」

白濁しているのにコーヒー味。それはつまり、着色料無添加ということである。

「さぁ、頑張って理想のマッスルを手に入れましょう。安心してください。この世界の時間の流れは現実の流れよりも早くなっています。頑張り次第ですぐに出られますよ」

「すぐに?」

「ええ。トレーニングをしている間であれば、こちらでの1年が現実世界の1日となります。トレーニングを続けている間の話ですけどね」

フォフォフォと笑うケヤルに、フレアは絶望にも似た悪寒を感じずにはいられなかった。

 

一方その頃、現実世界では王宮の兵士が囲む中、王女・フレアの姿が忽然と消えてしまっていた。

突如として起きた不可解な出来事に混乱する兵士たち。

ただ1つ確かなのは、それがケヤルの手によって行われたという確信的な事実であった。

「き、貴様! 王女様を何処へやった!」

「ご安心ください。決して危害は加えてはいません」

フォフォフォと笑い傷ついた亜人を回復させるケヤルに、兵士たちは剣を構え警戒を強めた。

「亜人の傷が!? 貴様、何が目的だ! 何をしようとしている!?」

「今ですか? 回復術士ですから当然のことをしているだけです。それとも未来の話ですか? 我がどのような大人になりたいかというお話でしょうか」

何か話がズレている感覚に襲われながらも、兵士たちは次に発せられるであろうケヤルの目的に注目した。

「我は、この国のインナーマッスルになりたいと思っています」

意味が分からない。兵士の半分はそう思った。

だが『内部から支える筋肉になりたい』というものは、見方を変えれば『この国の中枢を牛耳るつもりだ』とも解釈できる。

「つまり謀反を起こすという事だな! 貴様!」

近衛騎士隊長は剣を振り回し、周囲に旋風刃を巻き起こした。

細かな真空鎌鼬がケヤルの服をザクザクと切り裂き、倒れた亜人にも同様に襲い掛かった。

「それは・・・いけませんね」

ケヤルは身を挺して亜人を守りながら、ギロッと兵士たちを睨みつけた。

殺気を放つ。その行為は戦いを経験した兵士であれば身に着けて当然のスキルである。

だがそれが究極ともいえるレベルで発せられた場合、殺気に当てられた者がどうなるのか、体験した者はこの国にはいなかった。

そして今、ソレは起こった。

始まりは1人の兵士。彼は突如として、彼に背を向けてケヤルを警戒していた隊長の、後頭部に拳を叩きこんだのだ。

「ガハッ」

衝撃で気絶する隊長。殴りかかった兵士は息を荒げ、次なる標的を探し始めた。

そして、その凶行を皮切りに他の兵士たちも奇行に走り始めた。

ある者は隣に立つ兵士を殺さんとばかりの勢いで殴り、殴り返され。

ある者は自らを容赦なく殴り始めた。

この惨状の中、兵士たちは“誰も錯乱してはいなかった”。

「止め!」

ケヤルの声がビリビリと部屋中に響き渡り、兵士たちはそこで手を止めた。

「安心なさい。“我は”貴方達を攻撃しません」

ケヤルの言葉に安堵の表情を浮かべる兵士たち。

事の真相は至極単純。

ケヤルから発せられた絶望的な殺気を前に、兵士たちは死を直感していた。

立ち向かったところで死。逃げたところで死。避けようのない死を前に、生還の唯一の可能性は『戦闘不能の状態になるまで自らを致傷させること』である。

『これ以上は戦闘不可能。私はもうケヤルと戦うことのできない怪我を負いました』とアピールするため。

「では我はこれにて失礼します。皆様、ご自愛ください」

ケヤルが亜人を抱きかかえると、彼の前にいた兵士たちは我先に道を開けていく。

こうして、ケヤルは一切の拳を振るうことなく王宮を後にした。

 



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筋肉は裏切らない

王都を脱したケヤルの姿は郊外の荒野にあった。

背負っているのは拷問を受けた亜人。その傷は全て回復させたものの、失った意識までは回復することはできない。

「ここは・・・」

荒野を疾走する背に揺られ、亜人はわずかに目を覚ましつつあった。

「目が覚めましたか?」

「ここは? !!?? 放せケダモ・・・ノ?」

亜人の記憶では、自身を捕らえた相手は王国の兵士であり、彼を拷問した相手。つまり敵であった。

だが、ケヤルの背を目にした瞬間に、その予想は脆くも崩れ、どう反応していいのかが分からなくなっていた。

「えっと、その・・・貴方は何?」

「我は勇者ケヤル。とはいえ、今は王国から追われる身ですけどね」

亜人はその言葉から悟った。おそらくは自分を助けたことで、このケヤルは国を追われているのだと。

「申し訳ない」

「かまいません。それより、これからどうしましょうか」

空を見上げるケヤルのつぶやきに、亜人は記憶の片隅から緊急事態を思い出した。

「あの・・・勇者殿に、俺なんかがお願いするのは申し訳ないんだが・・・」

口を濁らせる亜人に、ケヤルは優しく「遠慮なくどうぞ」と促す。

「仲間を・・・村を助けてくれ!」

 

亜人は氷狼族という種族であり、彼は村の見張り役であった。

それが先日、王国の斥候に捕らえられてしまい、無惨に殺された仲間を見て恐怖に震え、拷問の末に村を守る結界の秘密を教えてしまったのだ。

「俺は臆病者だ。仲間は奴隷にされて、村も奴隷狩りに遭ってしまう」

溢れる罪悪感を強引に抑えこみ、彼はケヤルに助けを懇願した。虫のいい話なのはわかっている。だが、それでも彼は助けを乞うことしか考えられなかったのだ。

「ええ、勿論ですよ」

ケヤルは返事よりも先に駆け出していた。

氷狼族の若者に道案内を頼みながら、巨大な肉の塊が荒野に土煙を巻き起こしていく。

 

それから数刻後、ラナリッタの町に続く道に馬車を引く一行があった。

荷台は牢になっていて、その中に何人もの亜人の姿がある。

奴隷商人の一行は、ジオラル王国から買い付けた氷狼族の奴隷を店へと運んでいたのだ。

「全く、いい買い物をさせてもらったぜ」

「今から新商品の仕入れに大部隊が動員されるんだとよ。忙しくなるぜ」

奴隷商人である荒くれ者たちが牢の中の亜人たちをニヤニヤと眺めながら笑っていると、何やらフォッフォッフォという笑い声が彼らの頭上から聞こえてきた。

「そのお話、詳しくお聞かせ願えますか?」

「ぁん?」

ふと空を見上げると、そこには青空の中に黒い点が1つ、徐々に大きくなっていくのが見えた。

そしてその巨大さが認識できた時、ズドンと大きな音と共に馬車に衝撃が走る。

「な、何だ!?」「魔物か!?」

「勇者ですよ」

自分たちの倍ほどの背丈の大男の出現に、奴隷商人たちは「いや魔物だろ!」と心の中で叫んだ。

「みんな! 助けに来たぞ!」

亜人の若者の言葉に、牢の中の氷狼族たちはバッと顔を上げた。

「お前! お前のせいで私たちは!」

「本当にすまない! 死んで詫びても詫びきれない。だが、勇者様をお連れした。俺たちは助かるんだ!」

若者の言葉に抗戦の構えを取る奴隷商人たち。だが、一番重要な勇者様ご本人の巨体を前に勝てる気、生き残れる可能性が微塵も感じられず、すぐに戦意喪失となった。

「勇者様、この者たちに裁きを!」

若者が叫ぶ中、ケヤルは奴隷商人たちに向かってニコッと笑い、懐の中から剣を取り出した。

「あの牢の方々を譲っていただけますか? 手持ちがありませんので、お代はコチラで」

ケヤルから剣を受け取る奴隷商人。その剣は剣聖クレハから回復の礼にと受け取っていたもの。町で売れば奴隷100人でも釣りがくるほどの高級品である。

「ケヤル様! こんな奴らから仲間を買うなんて!?」

「この方々も王国にお金を支払っているのですよ? それを一方的に略奪することは肉の道から外れる行為です」

ケヤルがフンと鼻を鳴らすと、若者は「貴方様がそうおっしゃるなら」と引き下がった。

その後、「こいつらは何を話しているんだ?」と頭に?を浮かべた奴隷商人から若者が鍵を受け取ると、ケヤルは牢をチョイと摘まみ飴細工のように牢をこじ開けて氷狼族たちを解放した。

「こいつら! よくもセツナたちに!」

氷狼族の少女が飛び出すと、牙爪を剥き出しに奴隷商人たちに襲い掛かった。

その強襲を「いけませんよ」とケヤルが手で掴み包んで止める。

「放せ! こいつらに、セツナたちが受けたのと同じように!」

「復讐ですか? であれば許可できませんよ。貴女が不幸になるだけです」

ケヤルはセツナと名乗る少女を静かに【回復】させた。その体に刻まれた痛ましい虐待の痕・復讐の炎が、光に包まれ癒されていく。

「復讐を果たしたところで、得られるのは一瞬の甘美な満足感だけです。それを幸せと勘違いしてしまえば尚更、虚しさだけが心と筋肉を支配してしまう。復讐なんてものは不幸になることはあっても、幸せになることは絶対に無いのです」

ケヤルの言葉に、セツナは抵抗を止め大人しく座り込んだ。

そして仲間の氷狼族たちと共に、絶望からの解放を泣いて喜び始めた。

その光景に微笑むケヤルであったが、緩んだ殺気によって一瞬、奴隷商人の殺意が再始動してしまった。

弓矢がケヤルと氷狼族に向けられる。感知技能の無いケヤルが、それを察知することは無い。

『死ね! 化け物・・・』

「筋の刃よ、肉の弾丸よ。弾け飛べ、肉弾戦車!」

その時、ケヤルの背後から突如姿を現した人影が手を振りかざし、奴隷商人たちに向けて攻撃魔法を放った。

赤褐色の塊がマシンガンのように、奴隷商人たちを弾き飛ばしていく。

「背中がお留守でしたので、出しゃばらせていただきました」

人影はマントを翻し、倒れた奴隷商人たちを背にケヤルの元に歩み寄った。

その姿に、亜人の若者はガクガクと震え、自らの拷問で受けた傷のあった場所を守るように身を縮こまらせた。「大丈夫ですよ」と、怯える若者の背に、ケヤルが優しく指を置く。

「お早いお帰りでしたね、フレアさん」

それはケヤルによって【聖筋肉領域】に閉じ込められていた【術】の勇者・フレアであった。

亜人の若者を拷問し、氷狼族の奴隷化と村の襲撃を命じた張本人。

ケヤルを陥れ、王国からの逃亡を策略した真犯人。

そんな彼女が、ケヤルの目の前まで足を進めると、ササッと膝をついて両手を握り合わせた。

「お待たせいたしました“コーチ”。フレア、只今帰還いたしました」

ニコッと自然で屈託のない笑顔を見せるフレア。その肉体はほんの数刻前と比べてムッチリと膨れているようにも見える。

「フレアさん、筋肉は?」「裏切らない!」

ケヤルが両腕を曲げてポージングを決めると、それに呼応するようにフレアもまた両腕を曲げてポーズを決めた。

その理解不能な光景に唖然とする氷狼族たち。

「筋肉は裏切らない。私たちの体を構成するものは筋肉、つまり私たちは筋肉そのもの。つまりこの言葉は、人間は真実を以て生きよということ」

「その通りですよフレアさん。見事に筋肉更生されましたね」

「コーチ!」

パァッと明るい表情を浮かべ、ケヤルの大腿に抱き着くフレア。その髪を指で優しく撫でるケヤル。

その異様な光景を初めて見るセツナであったが、これだけは理解できた。

 

これは更生じゃない。洗脳だ、と。

 



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筋肉の悲鳴に呼ばれて

【聖筋肉領域】をやり遂げた王女・フレアの合流後、ケヤルは残る氷狼族の【回復】に回った。

「さて、他にお怪我の残っている方はいらっしゃいませんか?」

氷狼族たちは両手を挙げて完全復活ぶりをアピールした。

「よろしいですね。それでは早速、あなた方の村を救いに参りましょう。フレアさん、お手伝い願えますか?」

「そのことですが、幾ばくか問題があります」

ケヤルの問いにフレアは両手を握り合わせ頭を下げ、返答の許可を求めた。

フレアは落ちていた木の枝で地面に周辺の地図を描いていき、ケヤル達の現在地、ジオラル王国、氷狼族の村、そしてケヤルの故郷の位置を示した。

「コーチが今、向かわれようとしている村がコチラ。そこにジオラル王国から亜人狩りの軍団が向かっています。無論、村が襲撃されれば蹂躙は免れないでしょう」

「そうおっしゃりながら、我の村を示している理由は。もしや?」

ケヤルは彼の故郷の位置を指さし歯噛みした。

「そうです。状況を考えると王女である私の誘拐ないし殺害の罪で今、コーチはジオラル王国から手配されているでしょう。そうなれば、その故郷の村もまた討伐の対象となり、即座に軍隊が差し向けられているはずです」

フレアが地図上に矢印で各軍の進行速度を示していくと、その事態の深刻さが浮き彫りになっていく。

その様子を見て、セツナは言い出しにくそうに口を開いた。

「あの、ケヤル様・・・セツナたちの仲間で、ここに居ない女戦士が何人かいる」

その何人かは、襲撃の際に人質として利用するため軍団に捕えられていると考えられた。

「我が全力を出せば、2つの村とも間に合うかもしれません」

「流石ケヤル様!」

「ですが・・・それだけでは済まないのでしょう?」

ケヤルが尋ねると、フレアは静かに頷いた。

「軍隊は1団だけではありません。戦略上、控えの後方部隊が第2波となるため、ケヤル様が村の手前で軍を1度退けたとしても、村の危機は排除されたとは言えないのです。村人たちを安全な場所に避難させれば解決できますが、そこに時間を割かれれば、もう1つの村は手遅れになってしまいます」

つまり、どうあがいても氷狼族とケヤルの故郷のどちらか1つを救うことしかできないというのだ。

「一応、2つの村を救えるかもしれない道もあります。それは私の無事を王国に知らせるために、ケヤル様と一緒に帰国することです。ですが、すでに出陣してしまった第1陣の軍に伝令が間に合うか・・・いえ、おそらくは間に合わないでしょう」

「逆に今すぐに国に戻らず、村を救うために軍と交戦すれば、我は国から追われる身となるわけですね」

道は3つ。

氷狼族を救い、故郷を見捨て、反逆者として歩む道。

故郷を救い、氷狼族を見捨て、反逆者として歩む道。

ケヤルの立場を守り、2つの村を半ば見捨てる道。

決断できるのはケヤルだけである。

その動向を氷狼族もフレアも息を飲んで見守る中、ケヤルは口を開いた。

「そんなもの、初めから道は1つです。我は傲慢で自分勝手な人間ですから」

フォフォフォと笑うケヤルの声は、静寂の荒野に不気味に響き渡っていた。

 

 

それから数日後。

「今頃、ケヤルは何をしているのかしら?」

「どうじゃろうな。そのうちに帰ってくるやもしれんな」

ケヤルの生まれ育った村では、いつもと変わらない平穏な時間が流れていた。

 

だが、理不尽は突然に。何の前触れもなく、蹂躙は始まった。

村の前に突如姿を現した騎兵隊の姿に、村人たちは何事かと家から顔を出しはじめていた。

「天誅である!」

ジオラル王国から派兵された討伐隊は、門を突破し次々と村へ雪崩こんでいった。

家々に火を放ち、村人たちを捕らえ縛り上げていく。

「な、何じゃ。お主ら、ジオラル王国の者たちか?」

「いかにも。この村に邪教信仰が蔓延っていると御触れがあった。反逆者ケヤルが王国を滅ぼすため、我らが王女に手をかけたことが何よりの証拠。よってここに粛清を果たす!」

王宮でケヤルに制圧された近衛騎士隊長が高らかに宣言すると、村の広場に村人たち全員が集められた。

1人1人と磔にされ、その間に他の兵士たちが薪の準備を進めていく。

「そんな、ワシらが邪教などと、何かの間違いではありませんか!?」

「それに、ケヤルが王女様を? そんなわけがありません!」

村人たちの弁明も兵士たちには届かない。村人たちの半数ほどが磔となったところで、隊長が松明に火を灯した。

「やめtッ!!!」

ケヤルの隣人、アンナの悲鳴が響き渡る中、宙に放たれた火が村人たちの足元へ・・・

バッ

その時、隊長と火刑の間に巨大な塊が割って入った。

「いけませんよ。このような非道は、我が許しません」

その巨体は松明の火を摘まみ潰し、隊長の足元に放り投げた。

「来たな・・・反逆者ケヤル」

「間に合って良かった。筋肉の泣き声に呼ばれ。勇者ケヤル、只今戻りました。」

隊長が苦々しく睨む中、勇者ケヤルの帰還に村人たちは歓喜した。

「ケヤル! 助けてくれ!」

「勿論ですよ」

ケヤルは1人とはいえ、討伐隊との戦闘力の差は歴然。巨象と虫の群れほどの差がある。

だが、兵士たちには村人を人質にするというアドバンテージがあった。

「大人しくしてもらおう。抵抗すればどうなるか分かるな?」

不敵に笑う隊長は、剣をケヤルの喉元へと突き立てた。

「王宮では不覚を取った。どうやったか分からんが、背後から襲うとは卑怯千万」

「卑怯ですか? 否定はしませんが、王宮の件は冤罪ですよ」

否定をしないケヤルの言葉にふと違和感を覚える村人たち。

すると突如、兵士たちの間にいくつもの白い影が走った。

そして瞬く間に兵士たちは白い影に剣を奪われ無力化していく。

「ケヤル! こっちはセツナたちに任せて!」

「何者だ!?」

「我の仲間ですよ」

それはセツナをはじめとした氷狼族であった。

隊長は目を丸くした。彼が得ていた情報では、氷狼族はジオラル王国の襲撃を受けているはず。距離を考えれば、氷狼族の村からこの村までたどり着くはずがない。

考えられるのは斥候が捕らえた見張りの戦士たちであるが、そんな者たちが村を見捨ててこんな場所に現れるはずがない。

この場で奴らがケヤルと共に現れるのは道理に合っていないのだ。

「ケヤル・・貴様、何をした!?」

「仲間を頼った。ただそれだけですよ」

ケヤルは氷狼族の村を見捨ててはいない。彼は奴隷商人から奴隷を助けた後、ジオラル王国の奴隷狩りの部隊を襲撃していた。

そして、そこからチームを2つに分けていた。故郷の村を助けるチームと、氷狼族の村人を避難させるチームである。

故郷へは動ける人員を。それはケヤルとセツナをはじめとしたスピードのある戦士たちに。

避難誘導へは疲れの残る負傷者と、その護衛にフレアを向かわせていた。

当然、信の置けないフレアの同行に戦士たちは不安を覚えていたが、そこはケヤルへの信頼があったからこそ実現した布陣であった。

「形勢は決しましたね、隊長さん」

「くっ・・・だが、貴様だけでも!」

隊長はそう叫ぶと、隠し持っていた短剣をケヤルの胸板へ突き刺した。

「ハハハ! 油断したな・・・・!? う、動かない」

それは、物理攻撃耐性を持つ鋼鉄の魔物に剣撃を加えた時の感触に似ていた。

「貴様、貴様ァ!」

「隊長さん、貴方の筋肉が泣いていますよ」

「くそぉがぁああああ」

ケヤルの手に捕らえられ、隊長の意識は【聖筋肉領域】へと消えていった。

その断末魔の中、兵士たちも、村人たちも、氷狼族たちも思った。

 

その言葉の通りだと、ケヤルを村に呼んだのは、隊長の筋肉の泣き声ということになるのでは? と。

 



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最後に勝利するのは勇気ある筋肉を持つ者

1か月前、故郷の村を救い、氷狼族の村人たちと合流したケヤルたち。

2つの村はともにジオラル王国に場所を把握されており、安住の地ではなくなった。

そのため両村人たちは、ケヤルが探し出した新天地に移り住んでいた。

子供や動きの不自由な老人もいる大所帯での旅には危険が伴ったが、ケヤルの【聖筋肉領域】に全村民が収容されることで問題は解決されていた。

 

「ケヤル! あとで野鳥狩りに行こう!」

「セツナさん、コーチを呼び捨てはいけませんよ」

鳥のさえずりに癒される小川の端。

両手一杯に水桶を担いだケヤル、フレア、セツナの姿がそこにあった。

溌剌と戯れるセツナとフレアの姿に微笑みを見せるケヤル。

「おはようございますケヤル様」

「ケヤル様、さっき皆で小屋を建てたよ。見に来てよ」

すれ違うのは村の老人と亜人の子供。2人して仲良く丸太を担いで運んでいる。

離れたとことでは、女性たちが笑顔で柱に釘を(一撃で)打ち、男たちがレンガの山を担いで運び、誰もが住みやすい家を建てている。

ここでは村の開拓のため、誰もが汗を流して働いていた。

亜人も子供も、老人も子供も、全ての筋肉が美しく躍動する世界。(それもそのはず、全村民が【聖筋肉領域】を経て、元の体重の5%分、筋肉量が増えているのだ)

「素晴らしい。これが筋肉の悦ぶ気分ですか! 最高です。我は今、この世界で一番幸せな男ですよ!」

フォフォフォと笑うケヤルの満足げな表情に、フレアとセツナは互いに微笑みあった。

「ケヤル様、もう村の方々だけで発展を進めることが出来そうですね」

「そのようで。そうすれば勇者は不要かもしれません」

「勇者は不要。であれば、ケヤル様は旅に・・・出られるのですか?」

「今後、何をするのか・・・ですが」

ケヤルは静かに目を閉じると、静かに語り始めた。

「我としては是非、フレアさんには王国の奴隷となった方々を救っていただきたい」

「私が、ですか!?」

ケヤルの言葉に衝撃を受けるフレア。

「奴隷として虐げられている亜人の方々を暴力から救い出すには、現王である御父上を排し、貴女には王位に就いていただくしかありません」

ピシャリと言い放つケヤルに、フレアは表情を曇らせた。

「ですがケヤル様。私には国をどのように統治すればよいのかが分かりません」

「心配ご無用。我は国を支えるインナーマッスルになる男。及ばずながら助力いたします」

「コーチがいれば千人力ですわ。でしたら早速、政治学の教本を手に入れなければ」

ケヤルがドンと胸を叩くと、フレアの顔に笑顔が戻る。

「ムー、2人して難しい話して! セツナを置いてけぼりにするなー!」

政治の話に頭がショート寸前になっていたセツナが両手を上げると、フレアとケヤルはケラケラと笑い始めた。

「大事なお話ですよセツナさん。フレアさんが皆が安心して暮らせる国を作るための」

「そうなのかフレア? だったらセツナも手伝う! セツナはフレアが大好きだ。フレアだったら良い国を作れると思うぞ!」

「まぁ、セツナさんったら」

 

翌日、フレアは隣国へと旅立った。護衛には【聖筋肉領域】で脚力を強化しまくった近衛騎士隊長が就くことに。彼の脚であれば日帰りで帰ってくるであろう。

「フレア。これをやる」

セツナは氷狼族に伝わるお守りをフレアに手渡した。厄除けの念が込められたこのお守りは、氷狼族にとって何よりの友好の証でもあった。

「ありがとうございます。ジオラル王国のため、フレア・アールグランデ・ジオラル、いってまいります」

彼女の姿が見えなくなるまで、ケヤルや村人たちは名残惜しそうに手を振り続けた。

 

 

それから数刻後、開拓の村に不穏な影が迫っていた。

発端は1人の村人が感じた違和感。森の奥へ丸太を取りに行った亜人の子供がいつまで経っても戻らない。

探しに出ようとした足が止まる。鼻につく鉄の臭いがしたからだ。それは以前、口の中を切って流れた血の風味に似ていた。

「ケヤ・・・」

ザンッ

「あ~あ、勿体ない。可愛い娘だったのにさ」

血の滴る剣を振り、その者は森の中から姿を現した。

「で、何処なのよ? 僕のフレア様を消したクソ巨人野郎ってのは?」

 

 

ケヤルは風のざわつきに作業の手を止めていた。

「いかがいたしましたか? ケヤル様?」

聖堂を建てるために支えられた巨岩の柱が揺らぐ心配はないが、村人たちはケヤルの不穏な雰囲気にざわつき始める。

「離れてください」

そうケヤルが呟いた瞬間、一筋の閃光が彼の胸元に突き刺さった。

「ほう、これを止めるか」

間一髪、ケヤルが剣先を掴み、その凶刃は胸の肉をわずかに抉っただけで済んだが、その主は素早く飛び退きケヤルから距離を取った。

「【剣】の勇者ブレイドさ。反逆者ケヤル、僕の【神剣ラグナロク】の錆になりなよ」

「ほぉ。こんな大鼠さんは、何処から紛れ込んだんでしょうね?」

ブレイドはニタァと笑みを浮かべ、ケヤルに再び斬りかかった。その斬撃が防戦一方のケヤルの皮膚を裂いていく。

ケヤルはただやられているわけではない。近くにいる作業中の村人の避難の時間を稼いでいるのだ。

そのことを察した村人たちが聖堂から飛び出していく。

が・・・、その足は突如として止まっていた。

「どうされたのですか、皆さん! ・・・・!?」

そこには既に大軍が布陣されていた。ジオラル王国の精鋭部隊1000名。

ケヤルは唖然とした。この新天地は山奥の秘境であり、易々と見つかるような場所でも、これほどの大部隊が気付かれることなく接近できるような立地ではない。

すると軍の中から1人の少女が姿を現した。

それは、この奇襲を可能にする軍略を持つ軍師。ジオラル王国第二王女、軍神ノルン・クラタリッサ・ジオラルであった。

「あ~ら、お姉様の仇がこんなところに。犬猿と仲良く暮らしてたのに、残念ねぇ。家畜の浅知恵なんて、人間様に簡単にバレちゃうのよ」

歪んだ笑みを浮かべるノルンが手を上げると、兵士たちが剣を構えて村人を包囲していった。

「ケヤル様!」

「皆さ・・・」「余所見する余裕があるのかい?」

ブレイドの剣がケヤルの頬を切る。

スピードとパワーは聖堂で戦っていた時以上。その理由は彼女の持つ【ラグナロク】の力。剣の輝きにより身体機能と自己治癒力を爆発的に強化されたブレイド。

そこに加え、村人の窮地という精神的なプレッシャー。

二重の攻めに、ケヤルは初めて、小さく汗をかいた。

「軍の包囲に【剣】の勇者。1匹の罪人には豪華すぎるお迎えだと思わない? だけどね、今日は特別よ。もう1人、来てもらっているの」

ケヤルの焦った表情に、ノルンは満足げな表情を見せた上で、指をパチンと鳴らした。

するとその瞬間、軍の間から数発の砲撃が放たれ、村人たちに向かって飛び交った。

「!!??」

ケヤルは咄嗟に村人を守るため、自らの身を挺して砲撃を防いだ。

ダメージは軽くはない。通常兵器の威力ではないことは明らか。

「ケヤル様!」

「僕のことも忘れないでよ」

村人が駆け寄るのを制したケヤルが、ブレイドの追撃を浴びていく。

そして間髪入れず次の砲撃が鳴り響き、ケヤルは再びそれを防いだ。

「ブレットさんまで来てくださったんですね」

「ぁあ? よく俺のことを知ってたな?」

ケヤルの睨んだ先、軍の間から【砲】の勇者ブレットが姿を現す。

これで、兵士たちが村人を包囲したまま人質に取らない理由が判明した。

村人を撃てばケヤルが守り砲が命中する。その合間を縫ってブレイドが削る。

それぞれ1対1であれば、苦戦こそすれどもケヤルが負けることはないであろう。

だが現状、ケヤルに勝機は無かった。

「フレアさんが戻ってきていただければ・・・あるいは」

ケヤルの窮地にセツナは歯噛みした。

レベルの差は歴然、助けに入ったところで足手まといになるのは明白である。包囲を強行突破してフレアに助けを走ったとしても、ケヤルの体力がもたないだろう。

『なら、セツナにできることは・・・』

セツナは決意し、震える足を叩いて走り出した。

降りしきる砲撃の雨を潜り抜け、目的の場所に突撃するタイミングを計る。

「ふん、雑魚犬が」

眼中にないセツナの行動に、ブレイドは構うことなくケヤルに斬りかかった。

その強襲を迎え撃たんと、ケヤルは消耗した拳を辛うじて振り上げる。

「今だ!」

剣と拳が交差する刹那の時。その間に割って入った一迅の白い影。

「そ・・・そんな!?」

ケヤルは拳が貫いた肉の感触に我が目を疑った。

滴る赤い血が、白い肌を紅に染めている。

両雄の激突に乱入したセツナの体は、ケヤルの拳とブレイドの剣に貫かれていた。

ケヤルは咄嗟に【回復】したが、セツナの目に既に生気は無く、失われた命は戻ってはこない。

「はっ、お前の女か? 馬鹿な奴だ、勇者の剣を止められるとでも思ったのか!」

セツナの遺体を鼻で笑い、ブレイドはケヤルの肩に目がけて剣を振り下ろした。

ガッ

「!!??」

ブレイドの剣は、まるで空間拒絶の呪文でもかけられたように、標的の皮膚の上で止まっていた。

「馬鹿ですよセツナさん、貴女という人は」

ケヤルは剣に手をかけ、ググと押し返していく。

「なっ、どういう・・・この力は・・・」

「怒りでパワーアップなんて、おセンチなものじゃありませんよ。実に簡単なお話です」

ケヤルが剣を掴んだ指に力を込めると、ミシミシと割れ目が入っていく。

「レベルアップですよ。”ここに来て”初めての、ね」

2度目の人生に入ってから、ケヤルは一切の経験値を得ていなかった。戦闘こそあったものの、逃亡や消失であり経験値はゼロ。

今、セツナの死によって生じた経験値はブレイドとケヤル、勇者2人の経験値ボーナスにより、氷狼族レベル7の通常経験値の4倍を得たこととなる。

よって現在、ケヤルのレベルは5。

「レベル5!? 馬鹿な、今のがその程度なわけが」

「おや、お気づきでないようで。高レベルになれば薄れてくる感覚でしょうが、レベル1とレベル5ではステータスが倍ほどに違うのですよ?」

そう言うと、ケヤルはブレイドの剣・ラグナロクを粉々に砕いた。

「なっ!」

その驚愕の光景に、その場にいた誰もが愕然とした。

「それに貴女は【勇者】を勘違いしている」

ケヤルは静かに言い放った。

「勇者とは、勇気ある筋肉を持つ者のこと。死の恐怖を前に、仲間を救うため己が身を奮い立たせたセツナさんこそ【真の勇者】なのです」

ケヤルの気迫を前に、ブレイドは死を覚悟し、背を見せ一目散に走り出そうとした。

が、既にケヤルは素早く身をひるがえし、丸太のような脚を回していた。

「さようなら。勇気無き者よ!」

黒い竜巻。見た者すべてがそう感じたものは、ケヤルの残像にすぎないものであった。

そして直後、宙高く蹴り上げられたブレイドの姿に誰もが目を奪われる。

「貴方もですよ」

その瞬間、【砲】の勇者ブレットの体は、彼の意識と共に【聖筋肉領域】の中に溶けていた。

そして村人を包囲していた兵士たちもまた、その姿を消していたのだ。

残されたのはノルンただ一人。

「ぁぁ・・・・許しt・・・」

「聞く耳は、何処かに置いてきてしまいました」

ケヤルの手がノルンを薙ぎ、その頭上に墜落してきたブレイドの体もまた【聖筋肉領域】に閉じ込められた。

 

 

 

全ては5秒ほどの間の出来事であった。

 

尊い犠牲者3名を出し、ケヤルの怒りに燃える瞳は、王都へと向けられたのだった。

 



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最後の筋肉の一筋

「こ、これは」

フレアの帰村は、ジオラル軍の襲撃から数刻後であった。

踏み散らかされた田畑に、崩壊した家や小屋。聖堂前の広場に集まる村人たちが温かく彼女を迎えたが、その中央でセツナの亡骸を抱くケヤルだけはフレアに覚悟と悲しみを燃やした目を向けた。

「コーチ、これは」

「フレアさん。いえ、王女様。我は王国を甘く見ていたようです。奴らは相手の嫌がる事を平然と行います」

フレアはセツナの亡骸に自らのマントをかけた。

「コーチが氷狼族に味方したことは既に王国に知られています。そうなれば、国内の亜人奴隷を人質にした非道戦術で・・・」

「先手を打つしかありません。王宮の見取り図を教えていただけますか?」

「お一人で向かうおつもりで? 申し訳ありませんが、私は・・・絵が酷く下手ですよ」

そう言うとフレアは靴の紐を縛り直した。ケヤルと共に王都へ向かうつもりなのだ。

「ケヤル様! 我々も共に、セツナの仇を取らせてください!」

氷狼族の戦士たちも名乗り出るが、これ以上の犠牲を増やしたくないケヤルは首を横に振った。

「コーチ、王族だけが知る隠し通路を使いたく思います。ですが、そこを押さえられている可能性もあるため、表から囮が向かっていただけると成功率が跳ね上がります」

フレアの提案にケヤルは「皆さんを囮に?」と語気を荒げた。

「ケヤル様、我らはゲリラ戦術を得意としています。時間を稼いだ後は大軍を引き付けたまま撤退いたしますので問題ありません」

この計画では彼らが王国と真正面から闘うことになるが、ケヤルの背中を押すために、戦士たちは虚勢を張った。

「ケヤル様、ワシらからもお願いします。セツナちゃんのためにも王都へ向かってください! ワシらのことは心配なさらず。追手から逃げつつ、また新天地を探し皆で村を復興できます」

村人たちにも背を押され、ケヤルは深々と頭を下げ、フレアと体調が用意したマントを羽織り、王都へと旅立った。

 

 

 

「ケヤル様、こちらでございます」

隊長の案内を受け、ケヤルとフレアは王宮の内部へと潜入していた。

「コーチ、想定より兵が多く残っています」

王宮内の通路は平常時と変わらない数の兵が闊歩していた。

「勿論です。囮の方々に合図していませんから」

フレアが目を丸くする中、ケヤルがフォフォと笑う。そこに同行していた近衛騎士隊長が口を挟んだ。

「フレア様、これは私の案でございます。氷狼族の皆の犠牲なく、王宮の兵を一掃する策は、私にはこれしか思い浮かびませぬ故」

そう言うと隊長は剣で自らの体を突き刺した。

「レナードさん・・・貴方、まさか」

「ケヤル様、筋肉のご加護があらんことを」

 

 

 

それから数分後、王座の間にフレアの声が響き渡った。

「父上! 国王様! 大変です!」

「姫様! フレア様、ご無事だったのですか!」

死んだと思われていたフレアが突然姿を現したことに、王座の間を守る近衛兵たちに動揺が走る。そしてその腕に抱かれた近衛騎士隊長の血まみれの姿に誰もが慌てふためいた。

「娘よ、よくぞ無事であった。しかしこれはどういうことだ?」

「レナードが護ってくれました。先ほど、秘密通路で・・・彼を、早く!」

フレアの懇願に兵士たちは急いでエリクサーを取りに走った。国王も身を乗り出して事態の行く末を見守る。

その刹那ほどの玉座の隙を、頭上から黒い影が狙っていた。

「ムッ!」

国王プロームは素早く立ち上がると、頭上からの強襲に両手を構えて迎え撃った。

ガンッ!

鈍く激しい衝突音が王座の間に響き渡り、王座が塵埃に覆われる。

「なっ、何が!? 王よ、ご無事ですか!」

「ほぉ、バレてしまいましたか」

その影の主はケヤルであった。隊長が決死の覚悟で作り出したわずかな時間に勝負を賭け、プロームを仕留めようとしていたのだ。

「ふっ、このような児戯がワシに通用するとでも思ったか? とはいえ・・・」

徐々に煙が晴れていき、その中からプロームのいたはずの場所に立つ“何者か”が姿を現す。

「よもやこの姿にならねば防げぬダメージとはな」

ブロームの声を口にする異形の生物がそこには立っていた。禍々しいオーラを放ち、闇の翼を背に、巨大な四躯を鎮座させる怪物。

それは、この世界の外側に属する邪悪な力のなせる業。

圧倒的なその能力は魔王をも凌ぐ。

「ま・・・魔王!? まさか、プローム王・・」

「予想外でしたが、魔王とは少し違うようですね」

その姿に恐れおののく兵士たち。だが、ケヤルだけは記憶にある魔王の姿との相違を冷静に見極めていた。

「ですが納得いきました。プローム王が魔の力を宿しているとすれば説明がつきます。ジオラル王国が世界の情勢と逆行し、魔族との対立を煽っていることも。勇者に兵士、国民までもが邪悪な心に染まっていることも。全ては貴方の謀略だったのですね?」

ケヤルの指摘にプロームは『いや、人民の性格の悪さは生粋のものだが・・・』と心の中で指摘した。

「全く、勇者というものは忌々しいな。この姿が明るみになってしまったら、ワシがこれまで丹精込めて作り上げてきた地盤が無駄になってしまうではないか」

そう呟くとプロームは腕を一振りし、その腕から幾つもの暗闇の塊を放った。

放たれた塊は一瞬にして形を作り、闇の眷属へと変貌した。

「仕方あるまい。全ては勇者ケヤルの所業。目撃者は皆殺しにせんとな」

プロームの号令で兵士たちに襲い掛かる闇の眷属たち。

「フレアさん、任せましたよ」

「はい、コーチ!」

主の裏切りに心をかき乱され、動けずにいる兵士たちの前に躍り出たフレア。その手に持った杖から放たれる魔法陣が眷属たちを迎撃していく。

その攻防を背に、ケヤルは単身プロームに特攻を仕掛けた。

「舐めるなよ、勇者風情が!」

プロームとケヤルの拳がバチバチと火花を上げぶつかり合う。

「やりますね」「お主こそな・・・だが!」

プロームはもう一方の手で魔法陣を描き上げ、拳の威力を高めていった。

「グッ、このままでは・・・致し方ありません!」

ケヤルもまた奥の手を惜しむことができないと判断した。

それは彼自身が卑怯と感じ封印してきた秘術。【回復】の解釈のチート拡大。

【改悪】。触れた対象を作り変え、崩壊にすら至らしめる、筋肉への愛も味気も無い、悲悦の魔法。

「【改悪】!」

ケヤルの拳と触れたプロームの腕が端から腐食していく。

「ぬぅっ! そんなものぉを!」

プロームは【改悪】の特性を一瞬で見抜き、魔法陣をすぐさま書き換えた。その途端、彼の崩壊した腕は肘から先が消滅した。

「空間転移魔法じゃよ」

その呟きがケヤルの耳に届いた瞬間にはもう遅く。

ケヤルの腕に転移された崩壊は、彼の腕を崩壊させていった。

「くっ!」

判断に迷いはなく、ケヤルは自らの右腕を左手で切り落とした。

崩壊は、その左手にまで及んでいたが、それもまた彼の筋収縮の瞬間過膨張により、手首から先で血管の破裂とともに爆発して防がれた。

わずか0.5秒の攻防で、両者ともに右腕を失い、ケヤルに至っては左手すらも。

だが、その絶望の中においても、ケヤルの意思は攻めのまま。

「ゥオラァ!」

ケヤルの左ストレートがプロームの顔面を捕らえた。その凄まじいパンチに吹き飛ばされるプローム。

「なっ! 切れた手で殴りやがった!」

兵士たちが自らの健康な左手を押さえゾッとする中、ケヤルは立ち上がろうとするプロームを静かに睨みつける。

「まだ余裕はあるようですね」

「ああ。ワシの見立てでは、その手では回復も改悪も使えぬようだ。となれば、戦力差と状況を見て、貴様に勝ち目は無い」

そう言うとプローム残った左手で命じ、眷属たちに兵士たちへの一斉攻撃を命じた。

「ちっ」

舌打ちをしてケヤルはフレアや兵士の元へ走る。

そして、その背に向かってプロームは闇のエネルギーを放っていた。眷属もろとも全てを消し去る衝撃波である。

「貴様が避けぬことは分かっていた。さらばだ。勇者よ」

反応が遅れたフレアの術では間に合わない。逃げる足もまた同様。

諦めに至ったフレアや兵士たちに、ケヤルは覆いかぶさり、自らの背にその衝撃波を浴びた。

 

 

 

巨大な爆発が王座の間を包み込んだ。

衝撃で天井は崩落し、天から差す光がプロームと、その目の先にある瓦礫の山を照らし出す。

「この城も気に入っていたのだがな・・・人間の力で“自然に”再建するには手間がかかr・・」

その時! 瓦礫が吹き飛び2つの人影が姿を現した。

「なっ!? 貴様らは!」

プロームの睨む先に立つ屈強な体つきの女性と大男。

その背には衝撃波の余波を受け気絶した兵士たちが。

そして、さらに巨躯の大男と姫の姿。ケヤルとフレアを庇っていた。

「大丈夫だったか? 兄貴」

「僕たちがついている」

その声に顔を上げるケヤルとフレア。

「貴方たちは!」

そこに立っていたのは紛れもなく性悪の権化。【砲】の勇者ブレットと、【剣】の勇者ブレイド・・・

の、なんとも煌めかしい、爽やかな筋肉の従者に進化した2人の姿であった。

「ブレットさん、ブレイドさん!」

「筋肉は!」「裏切らない!」

両腕を天高く掲げ、胸板の分厚さと美しさを魅せるポージングを取るブレットとブレイド。

それに呼応するように、ケヤルとフレアも腕を上げ、同じポーズで応えた。

「師匠。全ては【聖筋肉領域】(トレーニングジム)で聞かせていただきました」

「俺たちの王・・・いや、プロームの野郎こそ悪の根源なんだってな!」

「その通りですわ。父を討ち、国を救いましょう!」

「まさか、この4人で戦う日が来るとは。我の、我ら筋肉の喜びの唄が聞こえてきますよ!」

4人は互いにアイコンタクトを取り、横並び立ち布陣した。

「【砲】の勇者・ブレット」

「【剣】の勇者・ブレイド」

「【術】の勇者・フレア」

「【癒】の勇者・ケヤル」

名乗りを上げ、勇者たちは武器を手に取り、その切っ先をプロームに向ける。

かつては恨みと支配欲と肉欲、復讐で結ばれた4人が、筋肉によって結ばれた。

今、史上最強のブレイブチームが、ここに誕生したのだ。

 

「行きますよ! 皆さん!」

ケヤルの号令に「応!」と叫ぶ3人の勇者たち。

両手を失ったケヤルの右をブレットが、左をブレイドがサポートし、3人の背をフレアが護り、4人はプロームへと突き進んだ。

「!?」

瞬きすらしていない。まるで転移魔法のように、プロームは懐に4人の接近を許してしまっていた。

ガッブンッ!

意識が追い付かないうちに、砕けた天井を突き抜けて城のはるか上空に蹴り上げられるプローム。

「ガハッ、これほどとは・・・だが、ワシにも考えはあるぞ!」

そう言うとプロームは左手を薙ぎ振るい、無数の闇の眷属を城の周囲に向かって解き放った。

「どうする勇者たち! 早く向かわねば、国中が我が眷属によって蹂躙されるぞ」

プロームの勝ち誇った笑い声が轟く中、ケヤル達は上空へと飛び上がっていた。

「ブレイドさん!」

ケヤルの左腕にしがみついたブレイドが振り回した剣筋。

ブンッ

その瞬間、同心円状の眷属たちが真っ二つに切り裂かれた。

「なっ!?」

「ブレットさん!」

ケヤルの右腕にしがみついたブレットから放たれた砲撃が、眷属たちの群れの空間を次々と削り取っていく。

「フレアさん!」

フレアの唱えた魔術の雷が、残る眷属たちをこそぎ落とした。

「そんな・・・1秒足らずで・・・」

絶望を味わったプロームは、翼をひるがえして一目散に逃走を図った。

飛行速度であれば負けるはずがない、そう考えたのだ。

「たしかに1人では追いつきません。ですが我らは2人が繋がれば2倍、3人で繋がれば4倍速く飛べるのですよ」

ケヤルの言葉がプロームの耳に届くよりも早く、8倍の速度で飛行したケヤルたちがプロームの懐に再び迫る。

「くっ、来るなぁ!」

「さようなら、悪しき力よ!」

4人は身を転がし、ケヤルは靴を脱ぎ捨て、一直線にプロームを蹴り抜いた。

大きく穴の開いた怪物の胴体は、その端から【改悪】によって崩れ落ちていった。

「手が無くとも、我のヒールは残されています。ですから名乗ったでしょう? 【癒】の勇者だと」

 

 

 

 

こうして、黒い力に永く支配されていたジオラル王国は、その悪しき闇から解放されたのだった。

 




次回、フィナーレへ


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筋肉よ 永遠に

黒い力・プローム王の消滅により、闇の支配影響下から解放されたジオラル王国。

4人の勇者は崩壊した王宮に立っていた。

「終わりましたね、皆さん」

「さすがですコーチ」「やったな兄貴!」「師匠、ついに僕たちやったんですね」

ケヤルの腕や足に抱き着く3人の勇者たち。

するとケヤルは片膝を地面についた。3人の重みに耐えられないほどに消耗していたのだ。

「大丈夫ですかコーチ」

「ええ、なんとか。もし今、毒入りの紅茶でもいただいたら、流石に死んでしまうでしょうけどね」

ケヤルがフォフォフォと笑うと、前科のあるフレアは顔を真っ赤にして「いやですわコーチ、そんな悪い冗談!」とケヤルの肩を叩いた。

「姫様・・・いえ、女王フレア様」

するとブレイドとブレットはその場で跪いた。

「女王殿下におかれましては、此度の僕ら・・・我らの愚行への恩赦を頂きたく。どうか、我らの身を存分に使役願います」

「先王の遺した悪しき慣習、王宮、王国の復興が山積しております。我ら勇者、殿下の一助にすらならぬやもしれませぬが、全力でこの身を捧げる次第でございます」

地面に接するくらいに頭を下げる2人に、フレアは優しく微笑みかけた。

「お二人とも、面を上げてください。私とて愚行は同じこと。筋肉の導きが無ければ踏み外していた道。コーチの導きによって目を覚ますことができた仲間です」

そう言うとフレアは2人と共にケヤルに顔を向けた。

「コーチ、いえ勇者ケヤル殿。王国復興、奴隷解放のため、どうか私たちにお力添えをいただけませんか?」

フレアがマントをふわりとなびかせ跪く。

だが、ケヤルは静かに首を横に振った。

「いいえそれはできません。我は筋肉しか能がない男。かつてはインナーマッスルになるなどと大望をほざいておりましたが、今となっては身の丈に合わぬ妄言だったと反省しているくらいです」

「そんな、コーチの筋肉は皆を救う素晴らしいマッスルです! ご謙遜なさらず」

「それに、我がおらずともフレアさん。貴女にはこの国を導く力があります。素敵な仲間も、胸に残る失いながらも残り続ける仲間も」

ケヤルはそう言うと素足になった右足を大きく持ち上げた。

「不要の筋肉に安らぎを。我に隠居をお許しください。自分で作り上げた安息の地・【聖筋肉領域】へと、我はこの身を封じたいと思っております」

「そんな兄貴! そこに入ったら、筋肉量を5%も増やさなきゃ出て来られない」

「いえ、自分自身にかけると効きすぎてしまうので、ざっと50%です」

「師匠の筋肉量はもう限界を突破している。そこからさらに50%なんて・・・」

「ええ、おそらく一生出て来られないほどでしょう。ですがそのほうが綺麗さっぱり、あと腐れなく済むお話ですよ」

そう言うとケヤルは自らの肩に足を回した。

「さようならです。フレアさん」

「さようなら、コーチ」

そう言い残し、ケヤルは王宮から姿を消した。

 

巨大な肉の塊が抜け落ちた広間。心までポカンと穴が開いたような寂しさが漂っていた。

だが、彼女は笑っていた。

「あははははははははは! やっと消えてくれたわ。全て計画通り!」

フレアのニヤついた笑い声が廃墟に響き渡る。

「さすがですフレア様。まさかプローム王だけでなく、ケヤルまで排除するとは」

ブレットもまた邪悪な笑みを浮かべフレアを称賛する。

「ええ。【聖筋肉領域】なんて厄介で不便な魔法も、ようは術者次第よ」

「さすがは僕らの【術】の勇者だ。敵を強化するだけで、解除も自在にいかない不便すぎる魔法が、こうも全てを円満に収めるなんて」

腹を抱えて笑うブレイドに、フレアは「笑いすぎよブレイド。兵たちに見られたらどうするの?」と軽く揶揄した。

「さあ、ここからが忙しいわよ。新しいジオラル王国が、私たちが世界を支配するの」

そう宣言したフレアに従い、ブレットとブレイドは兵たちの元へ闊歩していった。

残されたフレアは王座にドカッと座り込む。

 

その懐の中に入れた手には、氷狼族のお守りがギュッと握られていた。

 

 

 

 

こうして新生ジオラル王国は始動した。

以後1万年以上も続く世界統一国家の始まりの物語・・・

その真実は誰の口からも語られることはない。

 

 




=後日譚=

・【砲】の勇者ブレット

 救国の勇者として人々から讃えられ、ジオラル王国の発展に大きく貢献する。
 後に孤児救済や児童福祉、大人からの虐待から子供たちを守る活動に尽力し、残る人生の全てを子供のために捧げ、【ジオラルの父】と後世まで語られる存在となった。


・【剣】の勇者ブレイド

 救国の勇者として人々から讃えられ、ジオラル王国の発展に大きく貢献する。
 特に女性への暴力を厳しく取り締まり、女性の権利と女性活躍の活動に尽力した。
 浮いた噂話は無かったが、その周りには男女問わず彼女を慕う人で溢れたという。


・【術】の勇者フレア

 新生ジオラル王国を世界統一国家に育て上げる。
 魔族との相互交流、亜人奴隷の解放運動、全世界の人権民主運動、少数種族の保護と活躍分野の開拓など、その功績は数えきれない。
 1万年経った後にも聖女として語り継がれ、その名に並ぶ者は現れていない。












・【癒】の勇者ケヤル

 【聖筋肉領域】発動から1日後、「聞こえていますよ」の一言と共に復活。
 ジオラル王国の中枢から、王国の要人に平均10回の洗脳(聖筋肉領域)を施行し、国の正常化に大きく、あまりにも大きく貢献する。
 その後、統一ジオラル王国初代国王となり、人間、エルフ、妖精、獣人、魔族に妖怪、天使に悪魔。あらゆる種族が混在する世界を作り上げ、その発展に人生の全てを捧げた。



~Fin~


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