【完結】お墓にお辞儀と悪戯を (トライアヌス円柱)
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序章
予言の日へ


プロローグ的な話です。



1942年 10月27日

 

 魔法史の頁はかく記す

 

 階級(めいろ)の中で、破壊と原罪を育ててきた街に、黒龍は舞い降りたと

 

 

 

 

 アルバス・ダンブルドアの意識は、過去へと遠く、遠く遡ってゆく。

 

 熟達した魔法使いであれば、己の記憶を術式により選択して抽出、魔法の小瓶に封じることも可能とする。

 

 ただしこれは、杖も使わず、魔法の品による加護も受けない、己の心を、過去の思い出を真摯に想うだけの、より原初の魔法に近い行為であった。

 

 

 ただひたすらに、一念を持って過去を想う。

 

 それは、かつて自分が置き去りにしてきた後悔であるのか。

 

 それとも、未来へ託したい祈りを探し求めるための巡礼の旅なのか。

 

 

 

 北海の寂しい監獄で朽ち果てた父、パーシバル・ダンブルドア

 

 戻らぬ夫を待ち望みながら、やがて病に倒れた母、ケンドラ・ダンブルドア

 

 猛る心に炎を宿し、過去の過ちを期に己と袂を分かった弟、アバーフォース・ダンブルドア

 

 

 

 さらには、己の家族に関わってきた多くの隣人へ、ホグワーツで得た友人へ、育ててきた数多の生徒たちへ。

 

 アルバスは、自分の心の中にある、自らを形作ってきた出逢いと時間へと、思いを馳せる。

 

 

 どれほどの旅を、自分は歩んできただろうか。

 

 どれだけの喜びを、触れ合う人々と分かち合ってこれただろうか。

 

 そして、償いきれぬ過ちを、どれだけ犯してきただろうか。

 

 

 

 アリアナ・ダンブルドア

 

 ゲラート・グリンデルバルド

 

 トム・リドル

 

 

 

 最後に残るは、いつも決まって三人の名前。

 

 最愛のはずであった妹、己の生涯における、最大の過ちと後悔の名。

 

 切っても切れぬ関係にある、最大の友であり、最大の敵となった男の名。

 

 そして、正しき道へと導いてやることが出来ず、英国魔法界の災いとなってしまった少年の名を。

 

 

 

 老魔法使いの記憶は、過去へと遡行していく

 

 あまりにも多くの後悔を、噛み締め、飲み込みながら

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 あのような鉄の鳥たちが空を覆い尽くす時代が来れば、それこそ神と英雄の時代に戻るだろうか。

 

 力なきものが力を得る―――

 

 その両手に得られる以上を望めば、人はいつでも怪物になれるのだ。

 

 

 

 ナチスドイツの軍用機が空を舞い、建物を砕き、人間を焼き殺すための爆弾が次々と投下されていくロンドンの町並み。

 

 これが栄華を誇った大英帝国の首都の姿かと、アルバス・ダンブルドアはその無常さに心を痛めながら、夕闇に沈む路地へと歩を進める。

 

 破壊と悲鳴が飛び交う中で、防空壕への避難すらも許されない貧しい者らへ微力なりとも出来ることがあるかと自問と自省を繰り返しつつ。

 

 死と破壊の炎の中を歩きながら、大戦の時代にありし過去の彼は更に己の幼き日へと懐古を重ねる。

 

 ああ、思えば、自分は何時も、過去を思ってばかりだったような気がする。

 

 

 

 

 アルバス・ダンブルドアの生まれた1880年、ヴィクトリア女王が未だ存命せし頃。

 

 蒸気機関の発達により英国は歴史上最大の栄華を極め、世界の工場の名に偽りはなく、人々はその栄光に陰りが来る日のことなとついぞ想像することもなかった。

 

 偉大なる女王陛下の膝下、世界の海を支配し、全世界の四分の一は我が領土にして、日の沈むところなしと覇を唱える絢爛なりし大英帝国。

 

 健在であった日の両親に連れられ、魔法省へ向かうためにロンドンを歩いた幼きアルバスの目には、マグルの町並みは黄金の輝きを放っているように映った。

 

 

 道を埋め尽くすほどの、馬車の群れ。

 

 駅に走る、帝王のような威容を誇る蒸気機関車。

 

 道道に露店が溢れ、高価な品が並ぶ上流階級御用達店は尽きることなく。

 

 科学技術は全ての叡智を暴き出さんと隆盛を極め。

 

 倫敦へやってくる人の数が減ることはなく、そこにはこの世の贅と富の全てがある。

 

 

 それに比べ、地下に隠れ潜む魔法使いたちは、どうしてこうも沈んでいるのだろう?

 

 優しい両親は、美しく整った建物と魔法省を語るが、覆い被さるような暗い影を完全に取り払うことは出来ていない。

 

 いつか、地上に闊歩する者達に見つかり、全てが暴き出されるのではと隠れ怯えるような気配。

 

 まるで、繁栄に取り残されたうらぶれたパブのように、汁の漏れた鍋を思わせるような中身の無さ。

 

 マグルとの境界線となっている店を、『漏れ鍋』と呼ぶのだと聞いて、ああなるほど、と頷いたのを覚えている。

 

 

 省内を案内してくれた、純血の魔法使いは言う。

 

 マグルなんて、魔法も使えない劣った連中さ、あんな奴らに一体何が出来るというのか。

 

 俺たちのような純血の魔法使いがいる限り、絶対に見つかるようなことがあるものか。

 

 

 果たしてそれは、本当に?

 

 だったらどうして、そこらを歩いている魔法使いは、空を見上げるのではなく、うつむきがちに地面ばかり見ているのだろう。

 

 マグルの彼らは、飛行船に目を輝かせながら、次が自在に空を飛ぶことすらも出来るのではと、期待に胸を膨らませているのに。

 

 どうして、空を飛べるはずの魔法使いは地下に潜って煙突の穴ばかり気にして、そして最後は俯いてしまうのか。

 

 下ばかり見ていても、輝ける未来なんて絶対に転がっていないはずなのに。

 

 

 

 本当に、それでよいのだろうか。

 

 自分も、生まれたばかりのアバーフォースも、これから産まれてくるだろう妹も、こんな風に地面ばかり見つめたまま、美しいものを何も見つからないまま迷子になるの?

 

 それは、嫌だ。

 

 うまく言葉に出来ないけれど、せっかく生きているのになにかもったいないんじゃないかと。

 

 好きなものって、何だろう。

 

 美しいものって、何だろう。

 

 マグルを嫌いだと言う人は多いけれど、じゃあ―――

 

 

 「ねえ母さん、キレイなものって、どこにあるの?」

 

 

 それがきっと、自分の始まりの問い。

 

 何度も道を間違えながら、それでも悩んで、今も探し続けている答え。

 

 困ったことに、キライなものを探すのはそんなに難しくないのに、ホントに好きな物を探すのはとっても難しい。

 

 そしてそれが、美しいと、キレイと思えるものならば、自分は一体何が欲しいのだろうか。

 

 

 それは、偉大なモノ?

 

 それとも、誰も見たことのないモノ?

 

 いいや、どこにでもあって、誰も気付いていないだけ?

 

 

 探しても、探しても、見つからなくて、邪魔している奴らがいるんじゃないかと、誰かのせいにしてしまって。

 

 マグルが、本来自分たちが持っていたものを奪っていった。魔法使いは、繁栄から取り残された、このままでは未来などない。

 

 そう言ったのは、生涯最高の親友となった、彼だったか。

 

 

 「聞いてくれアバーフォース、僕は、アリアナのようにマグルに迫害されて道を閉ざされる魔法使いを、これ以上出したくないんだ」

 

 

 力があれば、何かを変えられると信じた。

 

 友や弟と一緒ならば、何だって乗り越えられると思った。

 

 狭く小さな部屋しか、世界を知ることが出来ない妹にだって、必ず広い世界を見せてやれると。

 

 

 あの日、倫敦の街で見たような、黄金に輝く風景を。

 

 マグルたちが手にしていて、自分達からの手からはこぼれ落ちてしまったキレイなものを。

 

 いつか必ず、愛する家族に渡してやれると―――

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「なあゲラート、それは間違いだったよ。マグルも、魔法族も、何も違いなどありはしなかった」

 

 過去の回想から意識を引き上げ、爆弾のよく落ちる街を、アルバス・ダンブルドアは歩く。

 

 幼い少年はそこにはなく、立派な偉丈夫へと成長を果たし、齢を重ねて今や60を過ぎた初老の男性がいる。

 

 腰が曲がっていたならば、初老を通し越して立派な老人と見えていたろうが、ピンを背筋を張って歩く姿には、全く老いの気配は感じ取れない。

 

 強い意志の籠もったその瞳からは、覗き込む者を圧倒する覇気としか形容しようがない力が感じ取れる。

 

 むしろ、老いの気配を感じるのは、かつて50年以上前には黄金に輝いていたはずの町並みだった。

 

 

 「産まれ、生きて、死んでいく。それは人も街も、国も変わらぬ。魔法使いのそれと、マグルのそれは、時間の幅こそ違うもので、方向性の差こそあれ、結局、本質は変わらなんだ」

 

 あの倫敦が、老い、迷い、台頭する怒りを伴った若き鉄の暴力に破壊されていく。

 

 既に、パリは凄まじき怒りに飲まれたと聞く。あの大陸に君臨したフランスが、僅か6週間でドイツに降伏したというのだから。

 

 だがそのドイツとて、第三帝国の栄華は永遠のものではありえまい。

 

 いやむしろ、あそこまで急速に繁栄し拡大する在り方は、滅びへの時間もまた限りなく短いのではないか?

 

 夜空に輝き続ける星ではなく、瞬く間に消えゆく花火のように、美しく散ってしまうような危うさを、どうしてもそこに感じてしまう。

 

 

 「我らの魔法大戦もまたしかり。むしろ、大陸で戦い続ける君こそ、より深くそれを感じておるはずではないかね」

 

 独り言を呟きながら、遠く離れた地で今も戦っているであろう怨敵にして旧友の男へ問いを投げる。

 

 魔法使いの世界も、マグルの世界も、全ては混沌の渦に飲まれ。

 

 世界は、地獄を夢を彷徨っている。

 

 特に、迫害と殺戮という点ならば、マグルのそれは魔法使いの差別がお遊戯にしか見えない域で凄まじい。

 

 

 ユダヤ人迫害、絶滅収容所、ガス室、ホロコースト、ホロドモール

 

 

 何百万もの人間を、文字通り根絶やしにすべく、本気でそれを実行しようとしている狂気が、この世にあるのだ。

 

 名状しがたき狂気、例のあの場所、名前を言ってはいけないあの場所。

 

 人間の心の闇が、凝縮したような暗い影が渦巻く、●●●●強制収容所。

 

 

 「それを知りながら、空間を超えて移動する術がありながら、殺されゆく者達に魔法使いは何の助けもしてやれない。見て見ぬ振りを罪と呼ぶなら、我々全員が咎人に他ならぬ」

 

 何百万という人間が虐殺されていく中で、怯え閉じこもる。

 

 本当に力がないならば、それは“仕方ない”と自己弁護も出来るだろうが。

 

 

『マグルなんて、魔法も使えない劣った連中さ、あんな奴らに一体何が出来るというのか。

 俺たちのような純血の魔法使いがいる限り、絶対に見つかるようなことがあるものか。』

 

 

 ああ、なんと運命の車輪のように巡ってくる言葉だろうか。

 

 本当に、魔法使いの力が圧倒的にマグルに勝っているならば、愚かな殺し合いと虐殺を続けるマグルを、今こそ導く必要があるだろうに。

 

 魔法を全く使わずとも、使えずとも、数百万人の虐殺は実行に移され。

 

 鉄の歯車が吐き出し続ける鉛玉は、塹壕と鋼の棺桶で命を奪い続け。

 

 空を舞う鉄の翼からは、灼熱に輝く焼夷弾が産み落とされ、毒ガスの嵐すらも倫敦に渦を巻く。

 

 僅かばかりの魔法が使えたところで、この手に小さな命を救うことすら許されない。

 

 

 「数多の嘆きと死の隣にありながら、儂らには、隠れ、耐え忍んで待つしか出来ぬ。それが悲しき現実なのじゃ」

 

 もし、万が一、この状況下で我々魔法族の存在が、ナチスドイツやソ連の共産主義陣営に露見してしまえば?

 

 いいや、あそこまで過激な思想でなくとも、世界大戦の狂気に飲まれ、敵国のスパイに敏感になっている自由主義陣営とてそれは変わるまい。 

 

 待っているものは、魔法使いの全てが絶滅収容所に送られる運命だけ。

 

 国家の違い、イデオロギーの違い、人種の違い、言語の違い、肌の色の違い、掲げる旗の違い。

 

 異なる他者への排斥こそが、世界の全てで戦争という地獄を見せ続けるマグルの力の根源でもあるのだから。

 

 

 「儂らが歴史に聞いて育ってきた、聖なる十字架の軍隊の頃からの宿業としても、随分遠くまで来てしまった。“神がそれを望んでおられる”という聖句すら、今の世に満ちる狂気に比べれば、慈悲の言葉にすら思えてくる」

 

 アルバス・ダンブルドアは、時に思う。

 

 我々魔法使いも、隣人たるマグルも、間違った方向に進化を遂げてしまったのではないかと。

 

 故に、祈る。

 

 いいや、どれほど世界が地獄に沈もうとも、必ずやそこにもキレイなものはあるのだと。

 

 

 「この短き腕に、小さな手に出来ることは少なくとも、そこに必ずや意味はあるはず」

 

 ホグワーツは、救いを求める者には必ずや手を差し伸べる。

 

 出来る出来ないを論じていても何も始まらぬ。ならばせめて、魔法の力を持って産まれてしまったマグル生まれを、決して排斥したりはすまい。

 

 例えそれで、純血を奉じる者らと相争うという本末転倒な事態になってしまったとしても。

 

 狭い世界で憎しみ合い、いがみ合えば、そこには死と後悔と絶望以外が残ることはない。

 

 

 「これだけは思うのじゃよ。儂ら魔法族がバラバラのうちは、ホグワーツ四寮の心が離れているうちは、真の平和も融和も、ありはしないと」

 

 アルバス・ダンブルドアは、マグル生まれの者らにとって、希望の星だ。

 

 それは昔も、今も、そして未来においても変わるまい。

 

 そしてだからといって、スリザリンを厭ているわけでもない。

 

 戦うことはグリフィンドールの本懐だが、ハッフルパフは常に全てを受け入れた。レイブンクローは叡智を極め、スリザリンは内の結束を最も重んじる。

 

 本来それらは、互いにいがみ合うためにあるはずなどないのだから。

 

 

 「そうじゃろう、アリアナよ。君はどれだけマグルに怯えようとも、マグルを憎めとも、殺してくれとも儂らに頼まなかった」

 

 父は、パーシバル・ダンブルドアは、きっとそこを間違えた。

 

 未知の怯えから愚かな暴力に走る過ちは、誰にでもあり得る。

 

 拒絶の根本には、未知への恐怖が大きく絡む。分からないということが、誰も彼をも不安にさえ、愚かな迫害に走らせる。

 

 それに対して、怒りと暴力で応じてはならなかった。

 

 最初に暴力ありきではなく、何よりも知ろうとする意思を。どれほど愚かな行為であっても、その理由を問うてからでなければ。

 

 慈悲と、許しの心を忘れてはならない。それを失って突き進む怒りの軍勢との戦いを、隣人たちがこうして行っているのだから。

 

 

 「学ばねばならぬ、マグルの戦争からも。目を背けてはならぬ、流される血と犠牲からも」

 

 アルバス・ダンブルドアは、爆弾と死と破壊に満ちる倫敦を歩く。

 

 魔法を一切使わず、一人のマグルとして出来るだけの救助活動を行いながら。

 

 この短くも小さな手で、掬い取れる命はあるかと、苦悩と後悔を抱えながらも。

 

 

 咎に怯える巡礼者のように、血霧に満ちた倫敦を

 

 彼は、歩く

 

 

 

 

*----------*

 

 

1981年 10月30日 

 

 魔法史の頁はかく記す

 

 始まりの創始者に縁深きゴドリックの谷にて、イギリスの英雄と闇の帝王、両者の戦いに決着がついたと

 

 

 

 「大丈夫、じーじ?」

 

 幼子の声に呼びかけられ、過去を巡る旅から、老校長は帰還する。

 

 深い眠りに落ちるように、随分と長く潜っていたが、徐々に覚醒する意識と共に、同時に深く実感する。

 

 この今こそが、紛れもなく己の現実であり。

 

 たった一つの小さな救いは、こうして目の前にあるのだと。

 

 

 「ああ、大丈夫じゃよアリアナ。何の問題もない」

 

 「そうなの?」

 

 外見はまだ6歳から7歳程度、幽霊と同じく透けるような頼りない輪郭であるものの、この顔と声を忘れるものか。

 

 確かに、彼女はここにいる。ここにいるのだ。

 

 死者の妄念としてではなく、眠りと死の狭間で漂いながらも、生者の息吹を確かに感じさせる心を持って。

 

 

 「そうとも。もし不安があるなら、この杖に誓ってみせようぞ、君も知る儂の自慢の友人から譲り受けた、世界で最高の杖なのじゃ」

 

 「わあ、ニワトコの杖だね!」

 

 「うむ、かつて死の秘宝を追い求めた頃もあったが、つくづく愚かなことじゃよ。大切なものは、こうして目の前にあるというのに」

 

 「わたしが大切?」

 

 「世界で一番、の。アバーフォースとて同じじゃろうが、こればっかりは譲れんの」

 

 「えへへ~」

 

 少し照れたように微笑む姿が、本当に愛らしい。

 

 老賢人だのと、己に対するそんな呼び名は笑い飛ばすしかあるまい、ここにいるのはただの孫ボケ爺に他ならぬのだから。

 

 偽らざりし本心が告げる。

 

 それでよい、それでよいのだと。

 

 

 「死んでしまっては君を守れぬからの、誓おうとも、必ず勝って戻ってくると」

 

 「うん、良い子にして待ってるよ! だから頑張って!」

 

 負けられない、勝つのは俺だ。 

 

 ああ、青臭いこんな思いを抱いたのはいつ以来だろうか。

 

 あまりにも長く生き過ぎて、愚かな己はまた一つ大切なことを忘れていたのかもしれない。こちらにも大切な物がある以上、譲ることなど出来んのだ。

 

 俯瞰する賢者の意見とは、失うものがなにもない、あるいは、既に大切なものを失ってしまった者だけの特権なのだろう。

 

 そして、今の彼には、絶対に失いたくないものがある故に。

 

 

 「ヴォルデモートが相手であれ、わしは負けぬ。絶対に勝つとも」

 

 グリフィンドールは勝利を誓う。

 

 譲れぬものが互いにあるからこそ、争いが人の世からなくならぬとしても。時にはエゴを振りかざして、殴り合うことも必要か。

 

 ああ、これはもう、理屈ではないのだ。

 

 妹を泣かせる者がいるならば、殴ってでも止めに行くのが兄のやるべきこと。話し合うにも、傷つけられてからでは、死んでしまってからでは遅いのだから。

 

 

 「そこだけは、君の言う通りであった、ゲラートよ。ただしそれでも、儂が勝つ」

 

 真紅の外套をたなびかせ、己の寮の本質とはなんであったかを、アルバス・ダンブルドアは思い出す。

 

 戦い、そして勝つ。

 

 守るべき者を、守り通してこその、勇猛果敢な騎士道だ。

 



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時計塔の悪霊
1話 ビンズ先生はお亡くなりになりました


 

 「ビンズ先生が亡くなった? 一体それはどういうことでしょうか、ミスター・ポッター」

 

 

 グリフィンドール談話室の様子は、まさに驚天動地の大騒ぎ。

 

 

 おい聞いたか? なんと、あの魔法史の置物講師、ゴースト・ビンズが死んだらしいぞ!

 

 んな阿呆な、ゴーストが死んだ?

 

 いやいや、それが本当なんだって。

 

 どうやってよ、というか。ゴーストって寿命あるのかしら?

 

 さあ、でも、首なしニックとかは何百年もゴーストをやってるんじゃなかったかしら?

 

 でも、何時かは消えて成仏するものなんじゃないの?

 

 これもきっと、“闇の魔術団”の仕業なんだよ!

 

 その秘密結社、誰かのでっち上げじゃなかったっけ?

 

 さにあらず、奴らは実在している。スリザリンの糞ったれ共が巣食う害虫の巣がな。

 

 じゃあやっぱり、ビンズ先生は殺されたのか?

 

 やりやがったなスリザリンの奴ら! ビンズ先生の弔い合戦だ!

 

 

 事件だ! 暗殺だ! 陰謀だ! と騒ぐ獅子寮生らに顔をしかめつつ、ミネルバ・マクゴナガルは若干苛々とした様子で近くにいた寮生に問いを投げた。

 

 なにせ、何か面白そうなことあらば、寮を挙げて皆で大騒ぎをするのがグリフィンドール談話室の使命なり! と半ば本気で信じているのが彼らだ。実話なのか虚報なのか、人伝に判断するのは極めて難しい。

 

 

 「ポッター、聞いてますか?」

 

 「いや、それが僕にも何がなんだか、気付いたら皆この調子で」

 

 マクゴナガルに話を振られたくしゃくしゃの黒髪にメガネをかけた男子生徒にしても、かなり困惑した様子であった。

 

 騒動について詳しい事情を知っているとは思われず、ミネルバからすると若干当てが外れたといったところだ。

 

 この少年、ひょろりとして細長い一見頼りなさげな見た目に反して厄介ごとに良く巻き込まれる性質で、中々濃い面子の揃った交友関係も持つことから、こういう事態にはかなり通じていることが多いのだが――

 

 

 「はあっ、分かりました。貴方も詳しいことを知らないならば、“いつものこと”と言うわけですね」 

 

 彼女、ミネルバ・マクゴナガルがグリフィンドール談話室を率いる立場になって以来、こうした話題で大騒ぎになっては、黙らせるために四苦八苦するのが日常である。

 

 別段、本人が望んでそうしているわけではないが。

 

 グリフィンドールとは、いわばお祭り大好きなお調子者の巣窟でもある。勇気と義侠心を斜め上の方向に発揮し、凄まじい暴走の果てに雪だるま式で周囲を巻き込むことも一度や二度のことではなかった。

 

 そして、最後に膨れ上がった厄介ごと雪だるまを力づくでぶっ飛ばすのも、彼女の主な役割だったりする。

 

 

 「僕の後輩は、ハッフルパフのスプラウトから聞いたと言ってましたし、レイブンクローのフリットウィックから聞いたという話もありましたね」

 

 「フィリウスから? それにポモーナ、いえ、ミス・スプラウトもですか」

 

 「別に名前で言ってもいいじゃないですか」

 

 「お黙りなさい、これも監督生のけじめというものです。しかし、となれば厄介ですね」

 

 その二人からの情報なのであれば、ほぼ間違いはないだろう。

 

 ミネルバもよく知る二人だが、いたずらに煽るために噂話を広める人物でもないし、確信のない話を他人に吹聴することもないはずだ。

 

 となれば―――

 

 

 「ともかく、ダンブルドア先生に話を伺わねばなりません。私は校長室へ向かいますので、談話室については貴方が監督するように、頼みましたよポッター」

 

 「ええぇ、僕、監督生じゃないんですけど……」

 

 「口答えはしないように、貴方だってもう6年生でしょうに。それに、ダンブルドア先生が監督生の候補に挙げられていた中には貴方の名前もあったのですから、出来ないことはありません」

 

 言い切り、颯爽とミネルバは背筋を伸ばして早足で歩を進める。

 

 グリフィンドール談話室は塔の8階にあるが、その階段を下も見ずに駆け降りることは彼女にとっては慣れたこと。今となっては眠っていても出来る自信があった。

 

 ちなみに、残されたポッター少年は愚痴りつつも獅子寮生らをまとめているあたり、やればできる子なのだろう。昼行灯の性分なのかもしれない。

 

 

 「しかし、ビンズ先生が亡くなったとは――」

 

 そんな彼女をして、流石にこの話は寝耳に水であった。

 

 魔法史の教授、カスバート・ビンズは最も古参のホグワーツ教員の一人であり、ある日目覚めたら自室に肉体を置き去りにし、そのままゴーストの姿で授業を続けたという筋金入りだ。

 

 ある意味でホグワーツの“死した伝説”のような人物であり、生徒の眠気を誘う程度の能力においても、伝説的な力を持っている。

 

 その彼が、死んだ。

 

 死んだ? ゴーストなのに?

 

 どうやって死ぬの?

 

 

 「むむぅ、意味不明ですね」

 

 思わず呟きが漏れてしまうが、それも無理なきことかな。

 

 まだ頭が混乱していることを認めつつ、若干はしたないと思いながらもスカートの裾を翻し、彼女は残る階段を一気に飛び降りるのだった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「スイートポテト。…………留守ということですか」

 

 校長室へ続くガーゴイル像に合言葉を告げても、何の反応も示さない。

 

 ホグワーツの石像、銅像、胸像の類はとても頭が良く、火急の要件となれば合言葉なしでも通してくれる融通の効く連中だ。その彼らがうんともすんとも言わないのならば、通しても意味がないと彼らが分かっているからだろう。

 

 教員達を含めても、校長室への合言葉を知る人間はそれほど多くなく、ミネルバは数少ない人物の一人ではあったものの、不在であるのならば意味がなかった。

 

 

 「フクロウ便を飛ばすほどのことではないですし、そもそも外出されているかどうかも」

 

 フクロウ便は基本、外部への連絡手段として使われる。探す相手がホグワーツ校内にいるならば、素早い伝達手段としてはあまり適していない。

 

 ダンブルドア教授が出張されているという話は聞かないし、そもそも今日の午前中にも変身術の講義はあったはず。校長室にいないとしても校内にはいるはずだ。

 

 となれば、別の手段で伝言を飛ばす必要がある訳だが。

 

 

 「来なさい私の猫、エクスペクト・パトローナム!」

 

 手っ取り早く即断即決は、ミネルバ・マクゴナガルの特徴であり、長所と言えた。

 

 杖の先から飛び出したのは銀色の猫。守護霊呪文の仕上がりとしては文句なく、実体のある形で出現している。

 

 彼女にとって縁の深い生き物である守護霊に、“ビンズ先生が亡くなったという話について”という伝言を短く託し、グリフィンドール寮監の下へ向かわせる。

 

 彼女は既に守護霊呪文を会得しており、伝言のために使ったことも幾度かあるが、学生が教師に対して伝言に用いる例はさほど多くはないだろう。

 

 

 「これでよし。後は―――おや、アメリアではありませんか」

 

 「校長先生の部屋の前の廊下で守護霊の呪文だなんて、相変わらず横着なことね、変身クラブ代表殿」 

 

 「的確で即決の結果と言ってほしいですね、副代表殿」

 

 ミネルバの方へ歩きながら声をかけた流麗な魔女。片眼鏡をかけ、怜悧そうな印象を与える女生徒の名は、アメリア・ボーンズ。

 

 ハッフルパフの七年生であり、監督生も務める成績優秀な才媛であることはあまねく知られている。

 

 同学年のグリフィンドールにミネルバ・マクゴナガルがいなければ、この学年の首席女子の座は彼女のものとなっていたことはホグワーツにおける“秘密”であった。

 

 

 「私の要件も同じだと思うけれど、ミネルバが守護霊を飛ばしているということは、校長先生は留守だったのね」

 

 「まだダンブルドア先生は校長代理ですよ、アメリア」

 

 「相変わらずお堅いわね。私達が入学する前から副校長で、不在がちなディペット校長の代理をずっと務められているのだから、実質的には彼が校長でしょうに。そもそも、それを言うなら貴女こそ、ボーバトンへ出張中のディペット校長にフクロウ便を出すべきではなくて?」

 

 「それについてはまあ、返す言葉もありませんが」

 

 特に意地を張ることもなく、あっさりと前言を撤回するミネルバ。

 

 実際、彼女にしても内心は、アメリアと同じことを考えているのであろうことは明白であった。

 

 実質上、ホグワーツの最高責任者は“イギリスの英雄”アルバス・ダンブルドアであると。

 

 

 「そもそも、なぜダンブルドア先生は頑なに校長になることを拒否されるのかしら? 魔法大戦の頃は仕方ないにしても、グリンデルバルドをあの伝説の決闘で倒したのは他ならぬ先生なのだから、誰も異を唱える人なんていないでしょうに」

 

 「それについては私も思うところはありますけどね、校長の座はおろか、当時は魔法大臣の座もあちこちから打診されたみたいですし」

 

 「そう、そこも疑問なのよ。ホグワーツ特急を提案して実際に運用させたオッタリン・ギャンボル校長のように、先に魔法大臣を務めてからホグワーツの校長になった人だっている訳でしょう。そりゃあ確かに、私達としてはダンブルドア先生に直接変身術を教えて貰えるのだから嬉しくはあるけれど」

 

 人には、それに見合った地位というものがあり、責任がある。

 

 将来の目標として魔法法執行部を目指すアメリア・ボーンズにとっては、それが持論であり歩む道のりに対しての前提条件でもあった。

 

 そんな彼女からすれば、“煮え切らない”とも表現されうるアルバス・ダンブルドアの現状は、若干にしても歯がゆいところがあるのだろう。

 

 

 「ねえミネルバ、貴女はそのあたり、先生に尋ねたことはないの?」

 

 グリフィンドールの寮監はダンブルドアであり、当然の帰結として獅子寮の監督生とは関わる機会が多い。

 

 ダンブルドアが変身術の教師であり、アメリアもまた変身クラブの副代表であることから、ハッフルパフの生徒としては近しい立場にいると言える訳だが。

 

 グリフィンドールの首席であり、5年生の頃から監督生を務め、変身クラブの代表であるミネルバの方がより近い存在と言えるのは当然である。

 

 

 「そうですね、あまり他言するようなことではありませんが、“動物もどき”の申請のためにダンブルドア先生と一緒に魔法省へ出向いた際、小耳に挟んだことはあります。先生は昔から、権力の座に就くことをかなり頑なに拒否されているのだと」

 

 「ああ、そいつは俺も聞いたことがあるぜぇ。けどなあ、それで無能な馬鹿野郎が大臣になっちまうんじゃ、本末転倒ってもんじゃねえかね?」 

 

 「っ! プロテゴ・マキシマ!」

 「プロテゴ・ホリビリス!」

 

 瞬間、二人が一斉に杖を抜きざま盾の呪文を唱える。

 

 いつの間にか彼女らの背後にいた男から“あいさつ代わり”に放たれた全身金縛り呪文(ご丁寧なことに、無言呪文でだ)は、盾に阻まれ霧散するように消えていく。

 

 

 「おーおー、相変わらず見事なこって、過剰防衛って言葉の見本市だな」

 

 「そうでしょうか? これが仮に磔の呪いであったとしても私は驚きませんよ、ミスター・ドロホフ」

 

 「いきなり攻撃を仕掛けるなんて、随分なご挨拶ね」

 

 険しい表情で杖を構える二人に対し、現れた男は自然体で飄々と笑う。

 

 体格はがっしりとしたクィディッチ選手を思わせるが、印象としてはチーターやヒョウの如きしなやかさ、獰猛さを併せ持つ。

 

 スリザリンの七年生にして監督生、防衛クラブを率いる蛇寮の代表格と言える男、アントニン・ドロホフがそこにいた。

 

 

 「ああそうさ、ただの挨拶だよこいつは。ほれ、証拠に杖なんて持ってねえだろうが」

 

 「杖がなくとも、魔法が使えないとは限りません」

 

 「アンタ、杖なしで撃ったわね」

 

 五年生以上が習う無言呪文よりも、さらに難度の高いとされる杖なし呪文。

 

 簡単な浮遊呪文ですら熟達した魔法使いであっても杖なしでは使えぬ者は多い。普通ならば。

 

 上級生と言えどホグワーツ生徒が滅多に使えるものではないからこそ、ドロホフという男がこの魔法をあちこちで悪用していることを、ミネルバとアメリアは嫌というほど知っていた。

 

 何しろ、その「悪用」対象となる場合の大半は彼女たちか、もう一人のレイブンクローの首席なのだから。

 

 

 「誇るほどのもんじゃねえさ、我らが決闘チャンピオン殿に至っては、杖なしで失神呪文だろうが使えるって話じゃねえかよ。まだ学生だってのに大したもんだぜ」

 

 「そして貴方には、杖なしで服従の呪文が使えるという噂がありますが?」

 

 「ついでに言えば、悪霊の火で談話室のソファーを焼いたなんて話もね、“炎の蛇”殿?」

 

 「おお怖い怖い。グリフィンドールの首席様にハッフルパフの秀才様はそんな恐ろしいことを考えるとは。残念ながら、まだ俺には“そこまで”のことは出来ねえよ。ま、炎については拘りがあるからいつかはやってみたいがね」

 

 「やった日には、めでたくアンタをアズカバン送りにしてあげるわよ」

 

 「やってみるかい? 俺は別に、今でもいいんだぜ」

 

 言いつつ、杖をいつでも抜き打ちできる体制で構えるドロホフ。

 

 表情こそ相変わらず笑みを浮かべたままだが、その眼は油断なく二人の杖先に向けられていた。

 

 

 「……」

 「……」

 

 無言のまま、二対一の構図で対峙する三人。

 

 廊下で魔法を使ってはならないという校則など、もとよりドロホフの眼中にない。この男を前にして、正当防衛であったとしても校則を守ろうとする殊勝さなど、愚か者のすることであると才媛二人は知っていた。

 

 故に―――

 

 

 「そこまでです、三人とも。ここは互いに杖を収めるのが賢明でしょう」

 

 それを止められるのは、可能なだけの実力を持った第三者しかあり得ない。

 

 ゴブリンかあるいは小人との混血の特徴を持つ小柄な生徒。レイブンクローの監督生にして、七年生の男子首席、フィリウス・フリットウィック。

 

 決闘クラブを率いる代表にして、同時にホグワーツの決闘チャンピオンでもある。少なくとも、正面きっての戦いならばドロホフをも上回る杖捌きの持ち主だ。

 

 新たに加わったその声により、緊張を孕んだ対峙は解けたようであった。

 

 

 「おやおや、噂をすれば決闘チャンピオンってか。元気かい、フリットウィック」

 

 「ああ、お陰様でね、ドロホフ。君が誰彼構わず呪いをかけて回るのをやめてくれれば、レイブンクローの監督生としても助かるんだが」

 

 「はは、そりゃあご愁傷さまだな。なあに、ありゃあちょっとした防衛訓練って奴だよ。お宅の決闘クラブみてえな真正面からの打ち合いだけが、闇の魔術って訳じゃねえんだから。“油断大敵”ってな」

 

 女性二人とドロホフの場合と異なり、ドロホフとフリットウィックの組み合わせには対峙しながらも談笑出来るだけの交流と言えるものがあった。

 

 それは、個人の性格もさることながら、レイブンクローとスリザリンという寮自体の距離感も影響していると言えるだろう。

 

 

 グリフィンドールのミネルバ・マクゴナガル

 

 ハッフルパフのアメリア・ボーンズ

 

 レイブンクローのフィリウス・フリットウィック

 

 スリザリンのアントニン・ドロホフ

 

 曰く、“当たり年”の四人であり、いずれも同じ年に監督生に任命された四人。

 

 男性二人と女性二人、それぞれごとにライバル関係にありながらも時に協力もするその姿は、創設者たちの寮の在り方そのものを象徴しているようにも見えた。

 

 それは生徒や教員のみならず――

 

 

 

 「あーらあら、まーたしても例の四人が勢ぞろいだわ。こんな廊下の隅っこじゃなくて、わたしのいるトイレに来てくれてもいいのにねぇ」

 

 四人の生徒がいる場に、さらに場違いな闖入者が現れる。

 

 それは生者の気配を持つ存在ではなく、このホグワーツの至るところに存在する死者の念の具現。

 

 このホグワーツに多く住まうゴースト達の多くは、生徒と関りを持たないが、中には例外的に生徒に関わっていく者もいる。

 

 

 「特にフィリウス、あーんたはわたしの後輩なんだから、8年上の先輩をもうちょっと敬ってもいいんじゃないの?」

 

 「マートル、いや、それは……流石に、女子トイレには入れませんよ」

 

 特に彼女、マートル・ウォーレンは、わずか9年ほど前にゴーストになったばかりの新参者にして、“ホグワーツの生徒”でもあった地縛霊。

 

 有名な生徒、あるいはカップルに絡んでは、灰色だった自分の学校生活との格差を妬み、僻み、呪詛を放つ。実に“トイレの悪霊”らしいゴーストであった。

 

 

 「おやおや、根暗のマートル様のおでましかい。ってえことは、くたばったビンズの野郎の代わりに二代目のゴースト教師が誕生するって噂は本当なのかね」

 

 「あん? ドロホフ、アンタわたしに喧嘩売ってんの?」

 

 「いやいや、これは簡単な推理でございまっせ、レディ・ウォーレン? “嘆きのマートル”あるところに、“悪霊のダッハウ”あり、これはもう、ホグワーツの秘密ってもんだろ」

 

 「あー、ダメダメ、アイツの名前は出さないで。アイツのおかげで私のゴースト生活滅茶苦茶なんだから」

 

 「何だお前、ダッハウの野郎が苦手だったのか?」

 

 「苦手っていうか、働かされるのよ、アイツに見つかると。せっかくゴーストには授業もフクロウ試験もないってのに、アイツに関わると雑用、事務仕事、掃除警備の嵐よ。オマケになんか、ゴースト達を集めた“夜間学校”なんてのまでおっ始めるらしいんだから。いつかゴースト・ストライキ起こされるわよアイツ」

 

 「ははっ、ゴーストの待遇改善要求ってか、前代未聞だな。それにしても、“夜間学校”ねえ、そりゃまた珍妙なもんを」

 

 随分と人数が増え、混沌としてきた場から、そそくさと女性二人は退避していた。

 

 何しろ、頭脳明晰を地で行く二人である。この場でマートルに目を付けられようものなら、確実に僻まれ、妬まれ、絡まれること請け合いだ。

 

 

 

 「ねえミネルバ、聞いていい?」

 

 「あまり答えたくありませんが、なんですかアメリア」

 

 「何にせよ、ビンズ先生がいなくなって、次の魔法史の先生が必要ってことよね?」

 

 「そうでしょうね。今年は我々はイモリ試験ですし、フクロウ試験にしても魔法史の教師不在という訳にはいかないでしょうから」

 

 「んで、ドロホフの馬鹿とマートルの話の内容から察すると……」

 

 「新しい先生もまたゴースト、というか、管理人のあの方、ということになるんですかね」

 

 二人の疲れたような表情からは、出来れば外れていてほしい予想であることはひしひしと感じ取れた。

 

 脳裏に浮かぶのは、この不思議いっぱいの魔法の城であるホグワーツにおいても、ひと際摩訶不思議な“ゴーストのような何か”。

 

 基本的には霊体だけれど、ポルターガイストのピーブズのように、実体として物を動かすこともできる珍しい存在。

 

 

 

 人呼んで、“ホグワーツの幽霊管理人”

 

 

 

 あの悪名高きダッハウ氏が、魔法史とはいえホグワーツの教師になるということは、良いことなのか悪いことなのか。

 

 ホグワーツの誇る才媛二人であっても図り切れるものではなく、この人事を認めたであろうダンブルドア先生に、一言文句でも言ってやりたい気分になるのであった。

 

 




本作の登場人物の年齢および所属寮は、一部原作と異なるところがあります。
原作で判明している人物は基本そのままですが、分からない人物は独自に組分けしています。
もし、作者が通じていない所属寮情報がありましたらお教えいただけると嬉しいです。


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2話 悪霊のダッハウとマートルさん

 

 「おや、ポッターさん。お久しぶりですね」

 

 噂の渦中の爆心地にいる人物。亡くなられたビンズ先生の後釜として魔法史の先生に任命される予定のゴースト、のような存在。

 

 昔はただ“時計塔の悪霊”と呼ばれ、今は“悪霊のダッハウ”と生徒たちから呼ばれる彼は、いつも通りに城のあちこちを見回りながら、アレコレとゴースト達に指示を出していた。

 

 そんな彼が足を止めたのは、顔見知りの男子生徒を目に留めたためである。

 

 

 「ああ、こんにちは管理人さん。久しぶりってほどでもないと思いますけど。そうそう、ミネルバ先輩が探してましたよ」

 

 呼びかけに答えた男子生徒の名は、フリーモント・ポッター。

 

 いつもくしゃくしゃの黒髪に、丸い眼鏡が特徴的な、グリフィンドールの六年生。そして、一つ年長の首席女子から色々と雑事を頼まれることの多い苦労人気質でもあった。

 

 ついでに言うと、“例の四人の監督生”の決闘騒ぎに巻き込まれる率も極めて高かったりする。

 

 一番酷いときなど、大講堂が炎上する大惨事の中で決闘の渦中に放り出されるというとんでもない事態に巻き込まれたりもした。おのれアイリーン・プリンス、許すまじ。

 

 

 「間違いなく、魔法史の授業の引継ぎに関してでしょうね。そろそろフクロウ、イモリの両試験が近いですから」

 

 「というと、やっぱり、ビンズ先生は、その……」

 

 「ええ、大往生を遂げられました。本懐を果たしたゴースト、かくあれかしと言わんばかりの見事な成仏っぷりでしたね。私も長年の助手として鼻が高いですよ」

 

 人間の価値観的にはかなりピントのズレた発言を堂々と言ってのける存在の名は、ノーグレイブ・ダッハウ。

 

 8年近く、魔法史の授業の助手を務めてきた存在(“人物”とは魔法省がまだ定義できていない)であり、授業内容や試験内容を把握している後任者という意味でなら、申し分ない人選である。

 

 ただまあ、人格の方には問題がないとは口が裂けても言えず、むしろ問題しかない、というかそもそも彼は“人間であった”ことがない。

 

 ホグワーツの長い歴史を紐解いても、人と区分されたことが一度もない存在に教職を任せるというのは、中々珍しい事例であろう。ダンブルドア新校長も思い切った人事をしたものである。ケンタウロスや水中人の事例など、ないわけではないけれど。

 

 

 「授業の方は、魔法史助手だった管理人さんがそのまま引き継ぐんですか?」

 

 「基本的にはそうなりますね。魔法生物飼育学のケトルバーン教授には、森番のルビウス・ハグリッド氏が助手ですし。闇の魔術の防衛術のガラテア・メリィソート教授には、イゾベル・ロス女史が助手を務められたことがありました」

 

 「イゾベル・ロス? その人って確かミネルバ先輩の……」

 

 「ええ、お母君に当たられます。マグル世界のロバート・マクゴナガル氏とご結婚されたため、流石に住み込みが基本のホグワーツ教職を続けるのは厳しかったので寿退職なさいましたが、今もご健在のはずです」

 

 「やっぱそっか。でも、やっぱり魔法界って広いようで狭いですよね。ほとんどの初対面が知り合いの知り合いですもん。それにしても、寿退職かあ……」

 

 ホグワーツ教員の仕事は、かなりの激務である。

 

 腕白盛りの生徒たちがひっきりなしに問題を起こすことに加えて、毎年ごとに特徴の違う生徒たちに合わせたカリキュラムを組み、年末試験に向けた様々な課題、宿題の評点を付け、さらには寮の加点減点、罰則に関してまで仕事がある。

 

 この仕事を、妊娠・出産・子育てと両立するのは、確実に不可能であった。“独身魔女の墓場”という別名を持つのも由縁なき話ではない。

 

 既に子供が成人した初老の魔女が教職を務めることは多いが、既婚の若い魔女が教師を務める例は非常に稀なのが現実である。

 

 

 「適性も必要で、生徒たちに対する責任感も重要とくれば、現職の専任教授の助手という形で数年学び、しかる後正式に教授へ、という形が一番望ましくはあるのでしょうね。惜しむらくはそこまで理想通りにはいかないところですが」

 

 「うーん確かに、ケトルバーン先生やスラグホーン先生なら、後数十年はやりそうですもんね」

 

 飼育学のシルバヌス・ケトルバーンと魔法薬学のホラス・スラグホーン。いずれも数十年勤務する古参の教授陣である。

 

 

 「かといって、ずっと助手のままだとちょっとなあ、他に魔法学校のポストもないし」

 

 何しろ、“お隣”の学校がフランスのボーバトン魔術アカデミーと、北欧のダームストラング専門学校である。

 

 “遠く”の学校である北米のイルヴァーモーニー、南米のカステロブルーシュ、アフリカのワガドゥ、日本のマホウトコロなどはポスドクの赴任地としては論外だ。言語文化の違いもさることながら、余程の物好きでもない限りは請け負う者はおるまい。

 

 

 「例えば、貴方なら魔法薬学の成績が大変よろしいですから、卒業後にスラグホーン先生の助手になるという道もあるでしょう。しかしそうなると、他の道へ後から変えるのがなかなか厳しくなるのもまた事実」

 

 「そう言われると、二の足を踏んじゃいますね。僕も将来、どうしようかなあ」

 

 そんなこんなで中々教員人材の確保が難しいホグワーツ。これは長年の課題と言えるだろう。

 

 校長職を任せられた人物にとって、一番頭を悩ませるのは教職の人事問題であるのかもしれなかった。

 

 六年生であり、そろそろ将来の道を固めねばならないポッター少年にとっても、完全な他人事とは言えない話題だ。

 

 

 「将来と言えば、例の直毛薬の開発は進んでおりますか? 職業的な将来の道筋も大事ですが、未来の奥方たるフォーリー嬢のためにもその遺伝的呪いへの対抗手段を早めに整えるに越したことはないと思いますが」

 

 「へっ? ああ、いいや、僕とミーアは、その、まだ正式には……」

 

 「何をおっしゃいますか、あのトイレの悪霊の呪いを跳ね除けたのですから、最早“秘密”のカップルでしょうに」

 

 フリーモント・ポッターは、同学年のハッフルパフの女生徒、ユーフェミア・フォーリーと付き合っている。

 

 これは、ホグワーツの“秘密”(ということは誰もが知っている)であった。

 

 というか、ミーアという愛称で呼んでいる、呼ばせている時点でバレバレである。(友人からはユーフェ、恋人だけはミーア)

 

 そして、“悪霊のダッハウ”がトイレの悪霊と呼んだのは言わずもがな、マートル・ウォーレンのことである。

 

 

 「ええまあ、あの時は大変でしたけど。僕が煮え切らなかったのも悪いですし、今思えば良かったんですかね。マートルが散々邪魔してくれたおかげで、却って素直にミーアに告白できた気がします」

 

 「遥か東洋の諺に曰く、“雨降って地固まる”というものでしょうか。例のトイレの悪霊が原因で別れたカップルは数知れずですが、乗り越えれば貴方たちのように誰もが模範としたくなるような恋人同士になれる。これはなかなか興味深い現象ですね」

 

 嘆きのマートル

 

 妬みのマートル

 

 僻みのマートル

 

 根暗のマートル

 

 破局のマートル

 

 喪女マートル

 

 他にも多数の呼び名あり

 

 

 「そんなに多いんですか、別れたカップル」

 

 「凄く多いですよ。元々ホグワーツの恋愛事情は複雑怪奇で、二股も珍しくはなく、離散集合がひっきりなしに起こることで有名ですが、あちこちにある火種に油を注ぎまくり、山火事にまで燃え上がらせる天才こそがマートル・ウォーレン嬢なのです。あれで、レイブンクローではなかなかに成績優秀ではあったそうですから、そういうことには悪知恵が働くのです。友達は皆無でしたけど」

 

 「ああ、それで…」

 

 「故に、僻む、故に、妬む。それがゴーストの宿命というものです。生前の未練が強いエネルギーになって残留するものですからね。彼女を支える強力な念、存在の根幹に、“リア充爆発しろ”がどっしりと鎮座している訳です」

 

 “リア充爆発しろ”

 

 それこそが、嘆きのマートルの根幹。

 

 別れるカップルが多ければ多いほど、力を使ってすり減るどころか、むしろ力を増していく。

 

 別れたカップルの恨み、妬み、嘆きがマートルに集まり、それを原動力にまた嫉妬の念が新たな犠牲者を作り出す。頼むから止めて欲しい恐るべき負の連鎖だった。

 

 ホグワーツがティーンエイジャーの学校である以上、彼女が成仏する日は永遠に来ないかもしれない。

 

 

 「そして私の仕事は、そんなゴーストの方々が成仏出来るようにお手伝いすることと、彼らの念をホグワーツに“記録”することです。表側の管理人は人間の方にも務まりますが、裏方の管理人は同じ死者にしかできません。まあ、正確には私は死んではおらず、同時に生まれてもおりませんが」

 

 「だから管理人さんも恨まれるんでしょうに」

 

 「恨み、恨まれはゴーストの花道というものですよ。誰にも知られることなく、寂しくトイレに籠っている頃に比べ、今のマートルさんの生活のなんと充実していることか」

 

 「死ぬ程迷惑な話ですね」

 

 生身の世界に生きる生徒達からすれば、まさにいい迷惑である。というか、害悪だった。

 

 かくのごとく、害虫の如く忌み嫌われる“破局のマートル”が誕生し、そのトイレの悪霊の行動範囲を広げ、限定的ながらピーブズのように物体に干渉することが出来るように助力をやらかす、余分なことをしやがってくれる悪霊代表こそがノーグレイブ・ダッハウ。

 

 ミネルバ・マクゴナガルとアメリア・ボーンズの二人が、あの存在に教師を任せてよいものか、と危惧した由縁がこれである。

 

 この悪霊野郎、基本的に魔法族の法律や生徒の安全よりも、ゴーストの妄念の方を優先する傾向があった。というか、法律を守る気があまりなかった。

 

 

 

 「まあ、終わってしまった嫉妬幽霊の悪行はともかくとして、貴方の呪いとしか思えないくしゃくしゃ髪への対策はどうなのです?」

 

 「そんな変ですかね? カッコいいと思うんだけどなあ」

 

 「その美的感覚の局所限定的欠如も含めて、ポッター家の血縁の呪いと思うのは私だけでしょうかね」

 

 これについては、残念ながらこの悪霊のみの感想ではなかった。

 

 後にポッター家の直系男子ら、及びその友人たちは語る、このくしゃくしゃ髪は呪いであると。

 

 

 「ミネルバ先輩も、ボーンズ先輩も、フリットウィック先輩や、ドロホフ先輩にまで同じことを言われましたよ」

 

 「だったらそろそろ自覚してください。流石にスリザリンの悪童からも言われるのは相当ですよ。私は観測者に過ぎませんから生徒達の黒歴史の記録は望むところですが、貴方の友人や知人の方からはすれば、さぞや気をもんでいることでしょう」

 

 「直毛薬自体は、かなりの部分まで出来てきてるんですよねえ」

 

 「おお、頑張ったじゃないですか」

 

 「でも、僕の髪にいつ使うべきなのかが分からない」

 

 「おお、何という豚に真珠、猫にガリオン金貨、ポッターに直毛薬」

 

 ポッターに直毛薬。これが孫の代まで続く格言になるとはこの時誰も知らない。

 

 己の趣味や没頭できることには凄い能力を発揮できるが、異性のために容姿を整えることにはその方向性がいかないのもポッター家の呪いであろうか。

 

 

 「猫ってことは、今度ミネルバ先輩にガリオン金貨をプレゼントしてみますね」

 

 「意図を知られたら殺されますよ。誇り高い彼女のことですから、さぞや苦しむ呪いを開発してくださるでしょう。磔の呪いを上回るほどに」

 

 「それは嫌だなあ」

 

 「ポッターさんって、意外と天然で邪悪な部分がありますよね」

 

 人でなしの悪霊と、普通に会話できる人格とはいかなるものか。

 

 余程の聖人か、同調する部分のある人でなし予備軍か。

 

 ひょっとしたら、ポッター遺伝子にはかなり凶悪な人でなしになり得る要素があるのかもしれない。例えばそう、恋敵を宙づりにして辱めたりとか。

 

 

 

 「邪悪と言えば、件のマートルさんが、管理人さんを邪悪な存在って言ってたのはどうしてなんです?」

 

 「私が邪悪な存在ですか、ふむ、彼女の立場からすれば尤もでしょうね。簡単に言えば、ホグワーツの裏方事務というか、雑事をお願いしているのですが」

 

 「ゴーストに雑事って、出来るんですか?」

 

 「通常なら、私とピーブズくらいのものです。そして、ピーブズは絶対にやりません。ただ、魔法界には自動速記羽ペンという便利なものがありまして、動かすに足るだけの“念”さえあれば、書類仕事をすることは不可能ではないのですよ」

 

 という次第で、マートルさんが生徒に対して“やらかした”内容の後始末、主に書類面での始末書作成など。あと、何時何処の廊下を修復呪文で直したとかも必要な記入事項である。

 

 ノーグレイブ・ダッハウの魔法史教師の就任に伴い、ホグワーツの管理人の部屋に保管されるそれらの書類のための、筆記、管理に関する業務が徐々にゴーストへと委託されているのであった。

 

 

 「浮遊呪文や自動筆記呪文ですか」

 

 「原理的には同じです。通常のゴーストがそれを行おうとすると自我を形成する残留思念が擦り減ってしまいますが、カップルを破局させ、嫉妬の念を常に補給しているマートルさんの場合、書類仕事をするくらいで需要と供給が釣り合っています。彼女が悪霊として巨大になり過ぎても困りますから、ほどほどに“発散”させているのですよ」

 

 「ゴーストの本能に従って、カップルを破局させればさせるほど、書類仕事が増える。………地獄ですね」

 

 「どちらかと言えば、煉獄ですかね。あるいは、犯罪に対する刑務作業がイメージに近いかと。汝の罪は嫉妬に駆られてカップルを破局させたことなり、汝の罰はホグワーツ管理業務の事務処理である」

 

 「凄く迂遠なやり方で、生徒に罰則で事務仕事させてる感じですね」

 

 そしてそれこそが、マートルさんのカップル妨害行動をこの悪霊が支援する理由。

 

 つまるところ、魔法史教師としての仕事が増える自分の代わりに、ホグワーツ裏方管理人としての書類仕事を代行させるための労働力確保、兼、モデルケースであった。

 

 マートルさん、自業自得とはいえ、哀れなり。

 

 

 「他のゴーストの方々では駄目なんです?」

 

 「徐々にお願いする予定ではありますが、現状では一番の適任はマートルさんです。首無しニックさんや修道女さんなど、“古い”方々は書く文字もラテン語レベルに古く、現代英語の書類に適応していません。割と近代のゴーストとなると、妄念がやや弱いのかマートルさんのような呪い補給サイクルが回しにくい」

 

 「ああそっか、ただ事務仕事するだけじゃあ擦り減っちゃうから。生徒たちを呪って、補給もしなくちゃいけないんですね」

 

 「かといって、危険な呪い方をするゴーストは論外です。となると、無駄に発散される思春期の少年少女の想い、性欲、嫉妬の爆発を煽り、吸い上げ、燃やし尽くす“恋愛嫉妬ゴースト”が何といっても一番相性が良い。どこまでいっても恋愛沙汰は恋愛沙汰ですからね、結婚詐欺よりはましです」

 

 「それもそれでどうかと……」

 

 結局、生徒たちにとってはいい迷惑である。

 

 とはいえ、ドクズ悪霊共の妨害がなかったからといって、それらのカップルが無事に結婚まで漕ぎつけられたかと言われると、それもまた微妙。

 

 彼らは火種を燃え上がらせる悪霊だが、鼻が利くのか燃え上がりやすいところに憑りつく傾向がある。

 

 火種のないところに煙は立たない。すなわち、破局の種のないところに恋愛嫉妬ゴーストは寄り付かない。純真なカップルを視ると眼が焼かれるのか、特にバカップルに好んで取り憑く傾向がある。

 

 結局のところ、遅かれ早かれだったような気がするのは、決してフリーモント・ポッターがリア充であるからの錯覚ではなかった。

 

 恋愛など、別れるためにある。とはマートルさんの持論である。

 

 

 「そういう訳で、“恋愛嫉妬ゴースト”の発掘と人材育成にはなかなか苦労しているのですよ。これに加えてもう一件、ダンブルドア新校長より頼まれた“夜間学校”のこともありますし」

 

 「ああ、それそれ、何か噂になってましたけど」

 

 「まあ、こちらの進捗はゴーストの時間感覚なので十年単位ですよ。生徒の選定もまだまだですし、どんな体制でやっていくかも何も決まってませんから。残念ながらポッターさんの在学中には形にはならないでしょう」

 

 「でも、そもそも夜間学校って何のために?」

 

 「何のために、というより、“誰の為に”、という案件なんです。ほとんど校長の個人的事情なので、魔法史の通常業務や裏方管理人の仕事を優先してくれとは言われてますし」

 

 どこかはぐらかすように言う彼には、これ以上伝える意図はないらしい。

 

 そう察したポッター少年は、それ以上深入りして追及することもなかった。

 

 その察しの良さと気配りこそが、フリーモント・ポッターという少年の特徴であり、同時に、苦労人気質である由縁でもあるのだろう。

 

 

 「あれ? でもマートルさんがゴースト労働のモデルケースだとしたら、ビンズ先生が消えた理由は……」

 

 「ポッターさん、それ以上はいけない」

 

 君子危うきに近寄らず

 

 そんな東洋の諺の意味を、新たに噛み締めたフリーモント・ポッター、16歳の日々であった。

 

 

 



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3話 魔法史の二代目講師の噂

改行位置がおかしかったので修正しました。


 

 「申し訳ありません、先輩方。少々遅れました」

 

 獅子の鬣を想起させる髪型に、年齢に似合わぬ堂々とした物言いと、軍隊の行進を思わせる規律に満ちた所作。

 

 先着の二名の待つ空き教室に現れたルーファス・スクリムジョールは、ホグワーツに入学して間もない新入生でありながらも、後の彼を知る者からすれば納得するしかない風格というものを既に漂わせていた。

 

 

 「いや、遅れたといっても集合時間はまだ先だよ」

 

 「これはまた、噂に違わぬ新入生だな。姉さん達も一年生の時からこんな感じだったのか」

 

 迎えた二人も、スクリムジョールと同じく獅子寮を示す赤を基調としたデザインのローブに身を包んでいる。学年を示す基準はないため、上級生かどうかは雰囲気で判断するしかあるまい。

 

 マグル世界に多くある学校と異なり、このホグワーツでは授業時間以外でも常に制服を纏わねばならない規則はなく、学年を示す厳格な指標も特にない。そこはある種、魔法学校らしいとも、専門学校らしいとも言えるだろう。

 

 

 「お初にお目にかかります、マクゴナガル先輩、ボーンズ先輩。この度、変身クラブの一年連絡役を任じられました、ルーファス・スクリムジョールです」

 

 「見事な挨拶、痛み入るよ。改めて言うまでもないと思うけど、グリフィンドールの三年連絡役、ロバート・マクゴナガルだ。以後よろしく」

 

 ロバートと名乗った眼鏡をかけた少年は、知的な雰囲気とどこか悪戯小僧めいた無邪気さを同居させる。

 

 特に知的な雰囲気については、スクリムジョールもよく知るグリフィンドールで最も有名な姉君との共通点といってよく、姉弟関係が一目で察せられるほどだ。

 

 

 「同じく、二年連絡役のエドガー・ボーンズ。それから、俺達のことは名前で読んでくれ。マクゴナガルとボーンズだと、我らが偉大なる姉上達と区別がつかないものでね」

 

 対照的に、エドガーと名乗った美顔の少年はいかにも“モテそう”なイメージがある。整った顔立ちもあるが、何よりも雰囲気が華やかなのだ。年頃の少女たちならば彼という花形を見逃すはずはないだろう。

 

 こっちはあまり姉とは似てなさそう、と感じる。ハッフルパフの才媛、アメリア・ボーンズは片眼鏡の怜悧な魔女で、あまり“華やか”なイメージではない。モテないとは言わないが、彼氏がいないのは周知の事実だったし。

 

 

 「了解しました。ロバート先輩、エドガー先輩」  

 

 礼儀正しく応じつつ、第一インパクトで“悪戯眼鏡”と“モテ男”と、開心術でもかけられたら殴られそうなラベルを脳内の人名図鑑に貼っていく。

 

 

 「ありがとう、スクリムジョール」

 

 「なかなか良い順応性じゃないか」

 

 素直に応じる“悪戯眼鏡”と、少し斜に構えたように涼しげに褒める“モテ男”。

 

 とはいえ、先輩二人も内心でそれぞれ、“規律君”、“獅子の小僧”と渾名をスクリムジョールに付けていたので、どっちもどっちではあったが。

 

 

 

 「それで先輩方、変身クラブの連絡会合はこの空き教室をいつも使うのですか?」

 

 「うん、一年から四年まではね。五年生以上になると監督生の人達が色んな権限で場所を確保できるようになるし、それぞれに独自の魔法で連絡網を作ったりするから必要ないんだけど」

 

 「この城はとにかく、あらゆるものがいい加減だ。あやふやこそが美徳と言わんばかりに教室の位置すら一定しない。だからこそ、“珍しく律儀に”同じ場所にいてくれる教室を使うんだ。浮気症な教室なんて使おうものなら訳わからんことになる」

 

 彼ら三人が集まっている“律儀な”空き教室は、変身クラブの下級生の会合場所となっている。

 

 今は9月の半ば頃、新入生はまだまだ複雑怪奇なホグワーツ城の教室や階段、廊下に悩まされ続け授業にも遅刻ギリギリが多い時期だ。

 

 他ならぬ自分達も味わった苦労であるため、下級生が一番最後にやってきたことにも、“悪戯眼鏡”と“モテ男”は気を悪くした様子もない。むしろ、指定時間より早くにスクリムジョールが到着したことに驚いているくらいだ。流石は“規律君”である。

 

 

 「それで、早速だけど変身クラブの説明に入ろう、姉さんから談話室でクラブに関する大まかな説明は聞いたかな?」

 

 「はい、マクゴナガ……ミネルバ先輩から大体のところは」

 

 「なら結構だ。細かい部分は省くけれど、うちに限らずホグワーツのクラブ活動は学生が自主的に行うもので、明確な規定なんかはないんだ。先生方が顧問についているものを正式、ついてないものを非公式としているくらいかな」

 

 「非公式のものも、校則に反しない限りは禁止されてる訳ではないと聞きましたが」

 

 「うん、建前上はね。禁じられた森に夜に分け入って植物採取するとか、箒でホグズミード村に飛んでいくとか、そういう活動は禁止だけど。音楽だったり演劇だったり、一般的に健全と思われそうなジャンルならだいたい問題ないよ」

 

 

 

 「なるほど」

 

 「そうした意味では、“変身クラブ”は王道を行くクラブ活動と言えるかな。創立者は言わずもがな、ミネルバ・マクゴナガル、僕の姉だ。顧問は変身術講師で副校長のアルバス・ダンブルドア先生で、副代表はハッフルパフのアメリア・ボーンズ女史」

 

 「知ってると思うがそっちは俺の姉だな。あの二人がダンブルドア先生に掛け合って始まったのが変身クラブだ。“イギリスの英雄”たる先生に直々に授業以外で学べるから人気が高いんだ。なお、俺達二人が連絡生になっているのは察してくれ。とってもこわ~い姉上様方から、半ば強制に近い形で任命されたのさ」

 

  いざ説明が始まると、スクリムジョールからの質問に対してロバートが受け応える形で進む。エドガーは積極的に加わるつもりはないようで、話を聞いて時折頷きつつ、補足があれば付け加える構えだ。

 

 

 「僕達は別としても、一年生でこの時期からクラブに入る子は珍しい。普通ならハロウィンを過ぎたあたりからクィディッチの候補生としての選定なんかも始まるもんだけど、今年は君以外にも入りたい子がいたっていうんだから、なかなか当たり年のようだね」

 

 「ハッフルパフのポモーナ・スプラウトと、レイブンクローのポピー・ポンフリーです」

 

 「ありゃ、ひょっとして知り合い?」

 

 「入学の時にホグワーツ特急のコンパートメントで同じでした。ポモーナの兄がミネルバ先輩の一つ上のハッフルパフ生らしくて、もう卒業してしまいましたが同じく変身クラブに所属していたと」

 

 「あー、スプラウト先輩ね。あの人の妹さんだったのか、なるほど、そういう縁で知ったのか」

 

 「確か、メルティオス・スプラウト先輩はあの学年のハッフルパフの“連絡生”だったよな。その妹が変身クラブに入って、更に知り合いも一緒にと、勧誘の流れとしてはいい感じじゃないか」

 

 ウンウン頷きながら笑みを浮かべる“モテ男”エドガーと、真面目そうに縁というものを考える“悪戯眼鏡”ロバート。

 

 学年は一つ違えども、この二人も相性の良い友人同士なのだと、出会って間もないスクリムジョールにも感じられた。

 

 

 「説明に戻ろうか、現在の活動人数はまあ、30人くらいなんだけど登録制じゃない。固定メンバーなのは何時どこで活動を行うかを学年ごとに周知する“連絡生”だけで、別にクラブの一員でなくとも、気が向いたときだけ出るのもOKだ。この緩めの方針についてはお隣さんの決闘クラブとほとんど同じだね」

 

 「先輩方も、決闘クラブに参加されてると伺いましたが」

 

 「そうだね、掛け持ちも特に禁止されていない。あちらはレイブンクローのフィリウス・フリットウィック先輩が創設者で、顧問は防衛術のガラティア・メリソート先生だよ」

 

 「ちなみにだ、ダンブルドア先生がグリフィンドール寮監で、メリソート先生はレイブンクロー寮監だ。代表もそれぞれグリフィンドールとレイブンクローの監督生で首席だから、分かりやすいと言えば分かりやすいな」

 

 「エドガー、いちいち口はさむな、っと、それよりスクリムジョール、君も掛け持ちでやるのかい?」

 

 「はい、そのつもりです。ポモーナとポピーは決闘の方は興味ないそうですが、同室のプラウドフットとサベッジが是非参加したいと」

 

 「意欲があるのは結構だ。ただ、変身クラブは一年生でも初期から参加できるけど、決闘クラブはクリスマス以後になる。なかなか実践的な内容をやっているから、初歩も知らない一年生には少々危険かな」

 

 「危険を言うならば、もうひとつの大型クラブには負けると思うがな」

 

 ニヤリと口先を釣り上げながら、“モテ男”が含むように言う。

 

 グリフィンドールとハッフルパフが主体の変身クラブ、レイブンクローを中心に他寮も参加する決闘クラブ。

 

 クラブ活動の中では大所帯と言っていいそれらに並び立つ、もう一つのクラブを。

 

 

 「……スリザリンの、防衛クラブですか」

 

 「新入生でも、噂は既に耳に入るかい。ああ、スリザリン生徒の1/4以上が参加していると言われる巨大クラブだ。僕達のような自発的かつ辞めるのも自由な体制じゃなくて、素質があるなら半ば強制的に参加させられることもあるって話だよ」

 

 「発起人は件の大問題児、アントニン・ドロホフだ、覚えておけ。顧問はスリザリン寮監のホラス・スラグホーン先生。といっても、スラグホーン先生は別に独自の魔法薬学クラブ、通称“ナメクジクラブ”の運営にかまけているからな。……実質、あのクラブを率いているのはドロホフの野郎だ」

 

 吐き捨てるように言う様子のエドガーからは、“モテそう”な華やかな軽薄さが薄れ、代わりに猛禽のような鋭さが表出する。

 

 なるほど、これが彼のグリフィンドール生“らしさ”なのであり、初めて怜悧な魔女の姉に似ているとスクリムジョールは感じた。

 

 やはり彼は、アメリア・ボーンズの弟なのだと。

 

 

 「色々話は聞くけど、詳細は分からない。あのクラブは排他的でね、スリザリン生以外は入れない上に、社交的な純血名家は数えるほどしか参加していないらしい」

 

 「それはまた、何というか、意外と感じます」

 

 「そう、まさにそこなんだよ。スリザリンだけの非公式クラブなんてのは山程あるけど、大抵はお茶会だの、乗馬だの、箒の品評会だの、社交ダンスだの、マグル生まれを罵る会だのばっかりだ。そんなのの顧問をさせられたって困るから大抵は誰も引き受けないんだけれど」

 

 「あの防衛クラブだけは違う。非常に実践的な防衛術を学ぶためのクラブで、家柄重視の連中は入っていない。名家の中でも、実力も兼ね備えた奴らは参加して主要メンバーになっているらしいが」

 

 「実践的な、防衛術……」

 

 沈黙が、三人を包み込む。

 

 その言葉が意味するものが何なのか、どうしても考えてしまう。隠すつもりもないようだからこそ、察せられてしまう。

 

 防衛クラブでは、禁じられた闇の魔術を教えているのではないかと。

 

 

 「まあ、スリザリンのクラブを気にしても仕方ないさ。ただ、決闘クラブにも参加するならば用心だけはしておいて欲しい。首魁のドロホフを始めとして、“防衛術の模擬実践”なんてと称して、決闘クラブメンバーに呪いをかけてくることはざらにあるから」

 

 「その点でも、今の決闘クラブはあまり女子にはオススメできないな。もっとも、やる気がない者の選別をするのに役立っているのも腹立たしいことだ。まったく、忌々しい限りだが」

 

 

 

 決闘クラブのためにもなっている、というアントニン・ドロホフの建前が真実にもなっているから笑えない。

 

 決闘クラブに加入すれば、スリザリンの武闘派から挑まれると思えば誰もが参加に二の足を踏む。ならばこそ、精鋭だけのクラブが出来上がる。

 

 やる気のない人間を追い出す必要すらなく、組織の健全性が保てるならば、なるほど、決闘クラブのためになっているとも言えるだろう。

 

 

 「ホグワーツの必要悪を気取っている、と考えても良いと?」

 

 「かもしれんが、よく分からん。ただ、ドロホフが持論としてよく、魔法警察や闇祓いが組織として健全であるためにこそ、強力な敵対組織が必要と言っているのも事実だ」

 

 「別にこっちは頼んでないんだけどね、僕たちにしてみれば有難迷惑な話だよ」

 

 「有難迷惑と言えば、“悪霊のダッハウ”はそれ以上だがな」

 

 その名を聞いた瞬間、スクリムジョールの脳裏にとある話が思い起こされる。

 

 せっかく先輩方がいるのだし、この際だから質問しても良いかも知れない。

 

 

 「あの、先輩方。クラブとは関係ない話になるのですが、質問良いでしょうか」

 

 「構わないよ、何かな?」

 

 「魔法史の新しい先生についてです。新学期早々、教師の方が亡くなったとかで、一年生はまだ魔法史の授業を受けていないのですが……」

 

 途端、スクリムジョールは己の判断を少し後悔した。

 

 なぜなら、“魔法史の授業”と聞くと同時に、先輩方の顔がみるみるうちに微妙なものへと変化していったからだ。

 

 そう、微妙な、顔に。

 

 特に美形のエドガーの歪んだ顔は、本当に何とも言い難い感じになってしまっている。

 

 

 「あの授業か、あの授業については、まあ」

 

 「うん、口にするのも憚られるというか、僕達からは口にしたくないと言うか……」

 

 濁すような、言いたくないような、しかし無視もできないような。

 

 何とも微妙で、嫌っている訳ではないのだろうが、しかしこう、何というか。

 

 

 「ともかく、新入生であるお前たちにとっては、悪い授業にはならない。それだけは確かだ」

 

 「そうだね、うん、まだ恥の歴史はないはずだしね」

 

 恥の歴史? なにそれ?

 

 思わず口に出して尋ねてしまいそうになるが、スクリムジョールは空気を読んだ。

 

 踏んではいけない地雷というか、藪をつついて蛇を出すというか。

 

 とにかく、聞いてはいけない雰囲気がしたのである。

 

 

 「受けてみれば分かる。実践あるのみだ」

 

 「あの、魔法史なんですけど……」

 

 「それがね、あー、うん、歴史ってのは、現在の積み重ねって言うか、身体で学ぶものと言うか」 

 

 何とも微妙な感じで、その場は解散となった。

 

 スリザリンの防衛クラブに関する話ですらも、あれだけはっきりとものを言っていた二人が、揃って口を濁す魔法史の授業。

 

 一体何が待ち受けているのかと、内心でルーファス・スクリムジョールは恐怖を覚えるのだった。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「何よ、一年生のガキじゃないの、こんなところに何の用?」

 

 いよいよ魔法史の初授業を明日に控えたある日。三階のとある廊下にて。

 

 “悪霊のダッハウ”に勝るとも劣らないほど生徒から嫌悪されているドクズゴースト、“破局のマートル”にスクリムジョールは遭遇していた。

 

 ちなみに、彼女がスクリムジョールを一年生と看破した理由は、二年生以上は絶対にこのトイレ近辺には近寄ったりしないからだ。

 

 

 「一年生の女子の二人組を見かけなかったか? 一人はハッフルパフでもうひとりはレイブンクローの組み合わせだから目立ちやすい。容姿については……すまない、興味がないからよく覚えていない」

 

 「女の子の外見くらいは覚えなさいよ。ま、それはともかく、私の女子トイレや近くの廊下では見なかったけどね。見たところ、あんたグリフィンドールの男子でしょ、その子達に何か用事でもあるの? どっちかが恋人だったら呪うけど、二股だったら褒めるわよ。是非とも私の餌になってちょうだい」

 

 質問への答えは実に碌でもなかった。流石はドクズ悪霊。

 

 

 「餌になるのは御免こうむるが、探している要件は、俺が変身クラブの連絡生で、あいつらが変身クラブの一員だからだ」

 

 スクリムジョールの言葉遣いもまた、先輩への敬意を示すものとはなっていない。マートルさんが生徒たちにどう思われているかが分かるというものだ。多分、ピーブズと同じ程度だろう。

 

 「変身クラブ? ああ、また例の四人の案件ね。つくづく縁があるわ」

 

 「貴女も知っているのか?」

 

 「どっちかと言えば、決闘クラブの方を、だけどね。フィリウスは一応私の後輩になるし、ゴーストはこの城に関することなら色々知っているのよ。下手したら屋敷しもべ妖精よりもね」

 

 「後輩? では貴女は、レイブンクロー生だったのか」

 

 「ええ、今からだと……14年前に入学したわ。はぁ、今思えば青臭い夢を抱いていたものね、こんな私が薔薇色の学生生活をおくれるだなんて、どう勘違いしたら思えるのだか。ふふふ、笑ってちょうだいな」

 

 急にネガティブオーラを纏い、過去の自分自身を呪いだした悪霊女子。

 

 その様子があまりにも哀れを誘うものだったため、謹厳実直を地で行くスクリムジョールですら、流石に声をかけるのが憚られた。

 

 

 「うん? でも、クラブの連絡生は確か寮ごとにいなかったかしら? 何でグリフィンドールのアンタが他寮の女の子を探してるの? やっぱり好きなの?」

 

 「急に復帰しないでくれ」

 

 「慣れなさい、ゴーストってそんなものよ。それで、どうなの?」

 

 「まだ新学期が始まったばかりで、変身クラブに参加している一年生が俺達三人だけだからだ。連絡生を引き受けた以上は、他寮であっても連絡事項は知らせる義務がある」

 

 「真面目くんなのねアンタ。いや、規律第一っぽいから、規律君かしら? グリフィンドールにしては珍しいわね」

 

 「よく言われる」

 

 結束の高い寮、集団主義、規律の遵守と言えばむしろスリザリンの一般的な特性だ。

 

 グリフィンドールとて仲間の結束が薄い訳ではないが、個人のやりたいことを優先する傾向はあるし、何より男子には悪戯っ子が多く、女子は恋に一直線が多い。

 

 ミネルバ・マクゴナガルも規律重視の珍しい例だが、ルーファス・スクリムジョールもまた、その規律重視の姿勢は既にして有名となっていた。

 

 ただし、グリフィンドールらしく、真っ先に自分で率先してやってみせるところは、彼らしかったが。

 

 

 「そうだ、ゴーストの貴女に尋ねたいことがあるのだが、よいだろうか」

 

 「別にいいわよ、暇だから。何かしら?」

 

 「魔法史のノーグレイブ・ダッハウ先生の授業について知りたい。上級生に尋ねても何故か皆、目を逸らして口を閉ざしてしまう」

 

 その瞬間、デジャヴュを感じた。

 

 ゴーストであるにも関わらず、なぜかマートルの表情が歪んだのである。それも、どこかで見たような微妙な感じに。

 

 というか、この質問をした相手、全員が同じような顔をするのは何でだ?

 

 

 「あいつか………あいつのことはあまり口にしたくないんだけど、うん、まあ、気にはなるわよね」

 

 「はい、特に貴女達の反応が」

 

 思わす敬語口調になるスクリムジョール。

 

 

 「そこは気にしないでくれると助かるわ。でもねえ、ええと、隠すことでもないのだけど、つまりね、あいつは魔法史の教師なのよ」

 

 「知ってます」

 

 馬鹿にしてんのか、とは言わない。スクリムジョール君は空気が読めるのだ。

 

 

 「真面目と言えば真面目、ためになると言えば、ためになる授業よ。上級生にはそれぞれ色んな内容を“実践的に”教えているけど、新入生にはまず初めにホグワーツの歴史を教えるつもりって言ってたわね」

 

 「ホグワーツの歴史、問題はないように聞こえるが」

 

 何だ、案外普通じゃないか。ひょっとして良い先生なのでは。

 

 

 「ええ、その言葉に嘘はないわ。教えているのは紛れもなく“ホグワーツの歴史”よ」

 

 うん。

 

 「いきなり1000年前とか説明しても特に私みたいなマグル生まれにはピンと来ないから、まずは身近な例を題材にするって」

 

 うんうん。

 

 「今の二年生、つまり去年の新入生がどこの階段で嵌ったとか。教室に向かう途中で迷子になったとか。別の寮の女子にちょっかいかけて、監督生のマクゴナガルから罰則食らったとか、恥になる行動と数々の黒歴史をね」

 

 うん?

 

 

 「……ホグワーツの歴史?」

 

 「そうよ、ホグワーツの歴史よ。紛うことなき黒歴史、絶対に語られたくなんてない、頼むから歴史の教科書になんて載せてくれるなと思う黒歴史」

 

 「プライバシーは?」

 

 「ゴーストの辞書にそんなもんないわよ」

 

 「……俺達新入生も、来年には?」

 

 「何人かは確実に、新しい一年生へその恥部が語り継がれることでしょうね。確かにある意味で、歴史に語られる偉人たちの気分が味わえるわよ。嫌になるほど」

 

 「どちらかと言うと、偉人よりも変人エメリックや、奇人ウリックの気分がするんだが」

 

 「否定はできないわね」

 

 なるほど、ようやく納得いった。

 

 そりゃあ、先輩方はあんな微妙な表情になるだろうし、自分の口からは言いたくなかろう。

 

 というか、大丈夫かこの学校?

 

 

 「ホグワーツとは、凄い学び舎なんだな……」

 

 「凄まじい、と言い換えた方がいいかもね。前の校長の時代はもう少し常識的だった気もするけど、ダンブルドア色が徐々に浸透している感じもするわ」

 

 

 この門をくぐる者、一切の常識を捨てよ

 

 

 後に、グリフィンドール談話室の入り口の上に、そんな文字が刻まれることを、この時二人は知らない。

 

 “計り知れぬ叡智こそ、我らが最大の宝なり”と刻まれているレイブンクローとはえらい違いである。

 

 

 どこかがちょっとだけおかしくなりつつあるホグワーツ。

 

 ルーファス・スクリムジョールの波乱に満ちた学生生活は、まだ始まったばかり。

 

 

 彼の歩んだ道筋もまた、後の世代へと語り継がれるホグワーツの歴史となっていく。

 

 “闇の印”と、姿を現し始めた死喰い人の影。“防衛クラブ”と“不死鳥の騎士団”。

 

 その戦いの、軌跡と共に。

 



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4話 ゴーストの墓参り

 ホグワーツの魔法史には、実技がある。

 

 何を言っているかさっぱりわからないと思うが、実技がある。

 

 あらゆる常識を破壊するところから、魔法の城ホグワーツの生活は始まるのだった。

 

 

 

 「初めましての人も、そうでない人もこんにちは。私はノーグレイブ・ダッハウ。ビンズ先生に代わり、新たに就任することとなった魔法史の教師です。どういう存在かはまだ魔法省が定義出来ておりませんので、ゴーストとポルターガイストの中間程度と認識しておいてください」

 

 新入生の魔法史初授業は、四寮全員の合同形式。

 

 やや大きめの教室に様々な色が混ざり合うが、グリフィンドールの赤とスリザリンの緑のみは綺麗に真ん中から二分される形で、曰く付きの授業は始まりを告げた。

 

 

 「まず簡単に授業内容について説明しましょう。本講義では期末試験にて考査の大半を担うこととなりますが、宿題やレポート課題、日々の勉強への姿勢なども当然考査に含めます」

 

 期末試験、大半の生徒にとっては実に嫌な言葉だが、それは他の科目でも同じこと。

 

 

 「点数の配分で言えば、座学が60%、実技が40%となる予定です。配分については年度ごと、寮ごとに多少の差が出ますので一概には言えませんが」

 

 実技? 今、実技って言った?

 

 説明を聞いていた学生たちの脳裏に、等しく疑問符が浮かぶ。

 

 

 「あの、先生、なぜ実技が?」

 

 「良い質問ですミス・スプラウト。ハッフルパフに1点をあげましょう。出来る限り挙手の後に質問をしていただけると助かりますが、思わず浮かんだ疑問があるならば率直に口に出して貰って結構です。例え授業の流れを遮るものであったとしても、それに足るだけの質問ならば否はありません」

 

 「あ、ありがとうございます…」

 

 咄嗟に質問の声を上げてしまった女生徒の名は、ポモーナ・スプライト。

 

 スクリムジョールとは知り合いであり、既に変身クラブに籍を置いている勉学に意欲的な女の子である。

 

 

 「質問に答えますが、それは歴史というものが、人々の人生の行動と決断の積み重ねであるからです。確かに書物というものは大切であり、文字なくして歴史というものはありえません。文字が登場しない文化や時代の考察は、考古学と呼ばれる分野となります」

 

 余談であるが、魔法史の6年生、7年生となると、【魔法考古学】とでも評すべき分野を解説することになる。すなわち、あらゆる物事における書物にて説明されていない裏の歴史、仮説、逸話、そして幻想についての話も。

 

 

 「過去の歴史の出来事を知るだけならば、本を読み知識を得ることで事足りるでしょう。しかし、それでは歴史を学んだことにはなりません。過去の教訓に学ぶのは、現在の課題と困難に活かすためです。いくら過去を知ったところで、同じ轍を踏んでいては学ぶ意味がないというものです」

 

 ゴースト教師の言葉と共に、「過去に学ぶは、すなわち決断である」という文字が魔法で浮かび上がる。

 

 知るだけでは不十分、今の決断に応用できてこその歴史だと。

 

 

 「という訳で、授業を受ける皆さんには様々な歴史的出来事を解説しますが、然る後に【追体験】をしてもらいます。やり方は様々、模倣する場合もあれば、過去の記憶の世界に入ることもあり、ゴブリンの反乱についてならば、ゴブリン役と魔法使い役に別れての劇という形もありえます」

 

 トロールと戦った生徒がいれば、追体験しましょう。

 

 アクロマンチュラに追いかけられた生徒がいれば、追体験しましょう。

 

 バジリスクと戦った生徒がいれば、追体験しましょう。

 

 吸魂鬼の大群に囲まれた生徒がいれば、追体験しましょう。

 

 ドラゴンと戦った生徒がいれば、追体験しましょう。

 

 闇の魔法使いの集団に囲まれ、死の呪文の中を切り抜けた生徒がいれば、追体験しましょう。

 

 ※あくまで、例えです。

 

 

 「いきなり最初からハードな追体験はないので安心なさい。歴史に学ぶ本質は、決断を求められたタイミングにおいて知り得た情報を精査し、自分ならばどう行動し、どうなっていたかをシミュレートすることです。歴史にイフはありえないと思考停止することなかれ。歴史は繰り返すものなのですから、全く同じは在りえずとも、似たような局面、参考になる過去の事例は確実に存在するのです」

 

 “参考になる過去の事例”にされた先輩方は、たまったものじゃないだろうな。

 

 ゴースト教師の言葉を聞きながら、ルーファス・スクリムジョールは歴史に学ぶという行為の業の深さについて考えていた。

 

 流石に自分だって、過去の黒歴史を新入生のための“歴史の教訓”にされるのは嫌だ。

 

 

 「とにかくまずは、身近な歴史から学んでいきます。そして、自分達ならばどうしていたかを、骨身に染みて考えてみましょう。最初の課題は、【ホグワーツの歴史】。テーマとなる軸は、グリフィンドールとスリザリンの対立です」

 

 そして叩き込まれる、爆弾のような議題。

 

 教室の生徒達全員が、引きつったような顔になっていた。

 

 まさか初授業で、タイムリーどころではない時事ネタをぶち込んでくるとは思わなかったろう。

 

 

 「ホグワーツ四寮の中で最も仲の悪いこの二つ。歴代の寮生にはどのようないがみ合いがあり、対立があり、友情が在り、時には恋愛があったのか。皆さんも興味はあるでしょう。ミスター・スクリムジョール、如何です?」

 

 嫌な質問に指名された。

 

 率直にスクリムジョールは思った。

 

 

 「はい、興味がないと言えば、嘘になると思われます」

 

 無難

 

 彼の選んだ答えは、ただただその一言に尽きるものだった。 

 

 

 「大変素直でよろしい。対立する二寮に加えて、ハッフルパフとレイブンクロー。あえて分かりやすく分類するならば、ハッフルパフはグリフィンドール寄りの中立であり、レイブンクローはスリザリン寄りの中立と言えます。貴方達新入生は、これからの学生生活においてそれを嫌というほど体感していくことでしょうが、ならばこそ、【過去の歴史に学んで現在に活かす】ことの最適な事例足り得るのです」

 

 言ってることは分かるが、仮にも教師がそれを言う? 対立状態が分かってるなら少しは改善の努力しろよ教師陣。

 

 誰もが脳裏に同じ言葉を思い浮かべるが、質問に出す勇者は残念ながら皆無だった。

 

 

 「ホグワーツに入学したばかりの貴方達は、まだ歴史を己の身体で体感していない。故に、まずは過去を学ぶのです。先達がいかに過ごし、決断し、行動してきたかを知るのです。例えば……ミスター・レストレンジ、貴方の知る最も有名な先輩の名を一つ挙げてください」

 

 「ええと、はい、ドロホフ先輩でしょうか」

 

 問われたスリザリンの少年、ロドルファス・レストレンジは咄嗟に浮かんだ名前を挙げた。

 

 深く考える時間もなかったが、しかし熟考したところで答えは変わらなかったろう。

 

 

 「スリザリン生としてならば正解と判断します。スリザリンに1点を与えましょう。“今現在、スリザリンで最も有名な生徒はアントニン・ドロホフである”。この認識に異論のある方、ありましたら挙手をお願いします」

 

 当然、上がるわけもない。

 

 それはただの事実であると同時に、例え他に該当人物がいたとしても、この雰囲気で挙手して反論する生徒がいたら凄い。

 

 スクリムジョールとて、ここで「ミネルバ・マクゴナガル先輩こそが有名です!」だなんて空気を読まない発言はしない。そもそも彼女はグリフィンドールだ。

 

 

 「彼の率いる“防衛クラブ”が、レイブンクローのフィリウス・フリットウィック率いる“決闘クラブ”とぶつかることが多いのは周知の事実。ちなみに私は止めませんよ。対立、闘争、大いに結構。戦争こそは歴史の華というものです、どんどんやりましょう。安全圏から戦争を眺めること以上の娯楽はありません」

 

 とんでもないことを断言したドクズ悪霊。

 

 本当にコイツが教師で良いのか、誰がコイツを教師にしやがった。あ、ダンブルドア先生だった、どうしよう。

 

 グリフィンドール生の脳裏に様々な疑問が湧いては嵐のごとく通り過ぎていくが、授業はそんな彼らを待ってはくれない。 

 

 

 「そして、もし自分がその立場にいたならば、どうしていたかを考えるのです。グリフィンドールとスリザリンは、対立すべきだったのか、和解すべきだったのか、それとも、決別すべきだったのか。あるいは根本の問題を問うてみるのもよいでしょう。例えば、このように」

 

 また、魔法の文字が空中に羅列されていく。

 

 いつまでも対立するくらいならば、争いの種になるならば、寮制度そのものを解体すべきか。

 

 あるいは、ホグワーツが終わるべきなのか。

 

 いやいやそれとも、対立を内包しながらも結束する姿こそが、ホグワーツなのか。

 

 全ては、今を生きる者達の決断次第である。

 

 

 「これは、国家機構にすら言えることですが、建国の理念と民の生命を守れないのであれば、国家それ自体に存続する意味などありはしない」

 

 さらに、言葉は続く。

 

 

 「同様に、ホグワーツ創建の理念と生徒の生命を守れないのであれば、ホグワーツそのものに存続する価値もありはしないということを意味します」

 

 ゴーストの観測者が、傍観者の立ち位置ゆえに言の葉を紡ぐ。

 

 ある種それは、無責任とも言える諫言であり、ならばこそ賢者の言葉と定義出来るのかもしれない。

 

 賢しらなことをべらべらと言えるのは、当事者でないが故の特権なのだから。

 

 

 「私とて、闘争を止めはしませんが、生徒の生命は守りますよ。最悪の場合でも魂さえ残っていれば、マートルさんの同僚が増えて、事務労働力が追加されます。実に良いことです」

 

 今ここに、絶対にホグワーツで死んでやるものかと、全生徒の心が一つになった。

 

 なるほど、共通の外敵を作ることで結束できるというのは、真理なのかもしれない。

 

 

 「そして、あらゆる共同体、機構というものは、構成員の総意によっては瞬時に破却、解体されうるものであるということを忘れてはいけません。やろうと思えば何時だって何だって変えられる。変わらなければならないのは、何時だって自分自身なのです。故に想像し、考えましょう。そして、ホグワーツの今を貴方達が作り、未来は貴方達の子供世代が作るのです」

 

 最初の授業は、己の教科に対する理念を述べるのがホグワーツの伝統であるならば、これが魔法史教師ノーグレイブ・ダッハウの理念。

 

 初代のゴースト教師とは趣の異なる、実践に重きを置いた歴史の教育論であった。

 

 そして、このドクズ悪霊の居ないホグワーツに作り変えたいと、誰もが思った。

 

 

 「まだ11歳の貴方たちには難しいかもしれませんが、しっかり学んでいきましょう」

 

 学ぶにしても、コイツからは学びたくないなあ。

 

 皆の心がまたしても一致する。実に嫌な一体感だった。

 

 

 「私は決して、貴方達が11歳だからと軽んじるつもりもなければ、甘やかすつもりもありません。ホグワーツ創建の時代、1000年前であれば、12歳とは大人と同じ仕事を始める年齢とされておりました。肉体構造自体は、その頃と変わっていない訳ですから、大人と同じこと、同じ考え方が、やってやれなくはないのです」

 

 ゴーストに言われても、説得力があるんだかないんだか。

 

 

 「馬鹿な大人に比べて、頭の良い11歳の方がよっぽど“大人らしく”あることなど、世界中のいかなる時代でもままあること。それを、年齢だけでまだ子供だからと軽んじるは愚かしさの極みというものでしょう。この私を見てみなさい、大人など別段たいしたものではないのです」

 

 凄まじい説得力だった。

 

 思わず、大半の生徒が頷いていた。シンパシー抜群である。

 

 

 「断言できますが、無駄に歳だけを重ねた存在は、老害、老醜としか呼びようがありません。国家機構の制度上、年齢の区分が必要となる局面は往々にしてありますが、こと歴史教育という分野に限って言えば、馬鹿は何歳になっても馬鹿であり、賢明な者は10歳にして歴史書から教訓を学び取ります」

 

 ならばと、魔法史の教師は本題に入る。

 

 

 「以上を踏まえて、貴方たちに問いを投げます」

 

 生きる上で、あるいは基本ともなる問いを。

 

 

 

 「「「「「 貴方たちは、愚か者ですか? 」」」」」

 

 たった一人が発した言葉のはずなのに、幾人も、下手すれば151人もの声が重なる。

 

 ここは境界線のホグワーツ。ゴーストは遍在し、幽霊教師ノーグレイブ・ダッハウは夜間管理人。

 

 その言葉の意味を、新入生が理解するのはもう少し後のこととなる。

 

 

 

 「己を愚者だと認めるならば、歴史に学ぶ必要はありません。己を知恵ある人間の一員だと自負するならば、先人の言葉と体験に耳を傾けなさい。そこに必ずや、己の人生を決める指標となる、教訓があることでしょう」

 

 歴史とは、先に生きた人間たちの物語の総集編であるならば。

 

 そこに必ず、後の者達が参考とすべき答えの片鱗があると。

 

 

 「さて、伝統の演説はこのくらいとして、授業に入りましょう。まずは昨年度の新入生、ハッフルパフのマンダンカス・フレッチャー氏が大広間スリザリンテーブルに仕掛けた糞爆弾事件。この犯人が最初は同級生のコーネリウス・ファッジ氏、次にグリフィンドールのエドガー・ボーンズ氏であると疑われ、冤罪事件となった事例について見ていきます」

 

 ほんとに、直近の生々しい事件である。

 

 登場人物が知り合いであるスクリムジョールにとっても見れば、苦笑いを抑えつつ先輩方の黒歴史を拝聴するしかなかった。

 

 

 ちなみに、エドガー・ボーンズも、マンダンカス・フレッチャーも“決闘クラブ”の一員であり、当時からスリザリンとは“敵対的”な生徒であった。なので、完全に冤罪というわけでもなかったりする。(運が悪く、間も悪いことに定評のあるコーネリウス・ファッジについては完全な冤罪だったが)

 

 仕掛けたのはマンダンカス・フレッチャーに間違いないが、そもそも糞爆弾をホグワーツ内部に密輸したのはエドガー・ボーンズである。(当然、持ち込み禁止品)

 

 これを“冤罪事件”と主張したのは当時のグリフィンドール。後に主犯ではないことは調べで分かったものの、“共犯事件”であると主張したのは当時のスリザリン。主犯が自寮ゆえに、両者の間に入って調停出来なかった穏健派ハッフルパフ。

 

 唯一の中立的な立場から捜査を委ねられたレイブンクローからしてみれば、心底どうでもいい案件であった。フリットウィックさん、お疲れさまです。

 

 

 特性の異なるそれぞれの寮と、だからこその立場と役割の違い。

 

 これもまた、四寮の混在するホグワーツの歴史であり、卒業した後の笑い話となる愛すべき日常風景でもあるのだった。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「おやマートルさん、貴女もお墓参りですか。先人に敬意を払うのは良いことです」

 

 「んなわけないでしょう。ゴーストの墓参りって意味不明でしょうが」

 

 印象的な初授業から、彼らゴーストの時間感覚で“少し経った”頃。(つまり、半年は経過しており、そろそろイースターが近い)

 

 ホグワーツの広大な敷地内に存在する墓所にて、“ホグワーツの幽霊管理人”にして“曰く付きの悪霊教師”を兼任するノーグレイブ・ダッハウと、トイレのマートルさんは今日ものんきに日向ぼっこしていた。

 

 昼の墓場でゴーストが日向ぼっこ、幽霊の定義はもはや常識の彼方に飛んでいったらしい。

 

 

 「タバコ休憩というか、息抜きってとこよ。あたしにとってはこことか地下牢が心地よいしね。男爵様があまり地下から出たがらない気分も分かるわ」

 

 「貴女は地縛霊ですからね。本来は死んだ場所であるトイレから離れるほど薄れてしまう訳ですから、それもまた仕方ないことでしょう」

 

 「そういうこと、まあ、あのトイレから半実体化して自由に動けるようになったことだけは、アンタにも感謝してあげてもいいわ」

 

 「おお、有り難い。これからも事務員として馬車馬の如く働きたいとは、雇用主として感無量ですね」

 

 「絶対嫌」

 

 「おお、なんと酷い言葉でしょうか」

 

 「アンタは酷いって言葉の意味を少しは考えなさい。あるいは鏡を見なさい」

 

 「何も映りませんよ?」

 

 「例えよ、例え、んなこたあ分かってるっつうの」

 

 打てば響くというべきか、これもまた気のおけない会話というべきか。

 

 ついでに言えば、ノーグレイブ・ダッハウは雇用主ではない。別にマートルさんにしても、ホグワーツで雇用されている訳でも給料を貰っている訳でもない。

 

 彼女はただ、この自治領にゴーストとして生息しているだけである。

 

 この墓地もまた、歴代の森の番人やしもべ妖精のものであり、あるいは終生をホグワーツで過ごした教師のものもあった。

 

 今、“悪霊のダッハウ”が清掃している墓も、彼の先任者カスバート・ビンズのものである。彼は肉体を自室に置き忘れた後、遺骸はここに埋葬されたのだ。

 

 この男にも先代への敬意は人並みにあるらしく、ビンズ先生の墓の清掃だけは欠かしていない。

 

 

 「墓参りと言えば、貴女のご両親はマグル世界でまだご健在でしたか」

 

 「ええ、有り難いことにね。今でも向こうにある私の墓に、健康を願って毎日祈りを捧げてくれてるわ。親より先に死んじゃった不孝者に、有り難いことよ。……もう14年も経つのにね」

 

 「そこに貴女は居らずとも、14年ですか。私達にとってはともかく、死すべき定めの人の子にとっては長い時間ですね」

 

 「あたしと違ってアンタには、人であったことがないんだっけ?」

 

 「左様です。船の妖精ローレライなど、純粋に幻想寄りの半実体霊魂はそこまで珍しいものでもありませんが、私はかなり変則的な亜種ですよ。何しろまあ、発生した場所が場所であり、由縁が由縁です」

 

 「話には聞いてるけど、マグルの側でも随分ととんでもないところだったんでしょ」

 

 「まさに、“例のあの場所”、“名前を言ってはいけないあの場所”という忌まわしき名ですよ。ゴースト冥利に尽きると言えばその通りですがね」

 

 「うへぇ」

 

 苦虫を噛み潰したような表情になるのは、まだ彼女に人であった頃の感覚の名残があるからか。

 

 いずれにせよ、同じ悪霊という括りではあっても、互いは“異種同士”であるというのは共通認識になっている。

 

 そして同時に、異種同士が共生し、混在することにこそ魔法世界の特徴はあり、ホモ・サピエンスという唯一の同族しか認めないマグル世界との究極的な違いであった。

 

 

 「思えば、魔法世界の墓というのも興味深いものです。そこに遺骸も魂もないことは分かっていても、それでも人は墓を作る。ゴーストに成って、私のお墓の前で泣かないで下さいと言ったところで、止められるものでもない」

 

 「そもそも、私のために泣いてくれるならやっぱりこっちも嬉しいしね」

 

 「生きる者が死者に囚われ過ぎないのであれば、鎮魂歌が悪いものであるはずもありません。それはむしろ、サピエンスの文化の中でも最も綺麗で高潔なものといって良いでしょう。ああいや、サピエンスに限らずでしたか、ネアンデルタール人も、お墓に花を供えたらしいですから」

 

 「ネアンデルタール人? どこの人間?」

 

 「アルフレッド・ラッセル・ウォレスとチャールズ・ダーウィンが進化論を発表した頃からの有名な方々ですよ。魔法界では著名ではありませんが」

 

 「ふうん」

 

 如何にも興味ないという感じで適当に相槌を打つマートルさん。

 

 実際、興味がないのだろう。

 

 

 「マグル出身の貴女ならば、名前くらい知っていてもおかしくないのですが」

 

 「うちのパパとママはそんなに現代の学説に興味なかったのよ、昔からある聖書の教えの方を子供に読み聞かせるくらいにね」

 

 「なるほど、貴女の生まれた1927年頃のイングランドの田舎ならば、そんなものですか」

 

 「何? 田舎ディスってんの? それとも叡智のレイブンクローをディスってんの?」

 

 「いえいえ別に、私とて発生したのはホグワーツですから。ここはホグズミード村に隣接する自治領にして、魔法界の都市部と辺境の境界線。決して都会とは言えない陸の孤島ですしね」

 

 「ま、そりゃそっか」

 

 「それよりも、やはり死者への祈りの方に興味があります。貴女に祈りを捧げてくださっているご両親には、他にお子さんがいらっしゃったと記憶していますが」

 

 「幸運にも、ね。あたしが入学した頃は一人娘だったけど、三年生になる頃には弟がいたわ」

 

 「なるほど、それは確かに、幸運と言えるでしょう」

 

 「その一年後にあたしは死んだけどね。あの子にもう会えなくなっちゃったことは、ゴーストになった“心残り”の大きな部分だったわ」

 

 マートル・ウォーレンはマグル生まれ。両親からすれば一人娘が全寮制のホグワーツに通い、そして校内で怪物に殺されたという悲劇だった。

 

 当時のホグワーツが、ウォーレン家にどんな説明と謝罪をしたかは彼も伝え聞いているものの、ダンブルドア氏の誠心誠意の謝罪の言葉がなければ、その怒りと慟哭はやがて呪いとなって別の誰かに降り掛かっていたかもしれない。

 

 あいにくと、当時の校長アーマンド・ディペット氏は、“マグル生まれの生徒が一人死んだ”ことの意味を、真に理解は出来ていなかったようだ。

 

 マグルの両親にとって、娘を魔法界の学校に預けることが、どれだけの不安が伴うか。その信頼を損なうとは、どういう意味を持つか。

 

 1942年頃、ナチスドイツとの全面戦争の真っ只中、空爆と戦死者が日常という時勢でなければ、大問題となっていただろう。

 

 とはいえ、魔法世界側とてグリンデルバルドの魔法大戦の真っ只中であり、それどころではなかったというのも事実だが。

 

 

 

 「如何でしたか、十数年越しに弟と再会できた感想は」

 

 「……だからアンタは嫌いなのよ」

 

 「大勢の生徒たちが生活しているからこそ“心の場”が生まれる。その日々の想いを貴女が掬い取り、家へ還る幻想の列車の薪となる。いやまったく、古き魔法とは大したものです。今を生きるホグワーツ生たちはただそれだけで、過去に亡くなった同胞を救う力の源となっているのですから」

 

 魔法界側ならば、ハロウィンの夜。あるいは、ヴァルプルギスの夜。

 

 マグルの両親がいる家ならば、クリスマスの夜か、復活祭の頃。

 

 世界に数多ある、“お盆の先祖還り”に似た伝承の幻想に便乗する形で、ゴーストは家族の元に還る。

 

 その現象を指して、『ゴーストの墓参り』と呼ぶ者もいた。

 

 彼女が再会できたのは、弟が自分と同じ歳になった頃、今から2年前のこと。

 

 その時の両親の喜び様を述べることは、無粋でしかあるまい。

 

 

 「全部パパとママのおかげよ、12年間も、一度も私のことを忘れてくれなかったから」

 

 「“縁”は固く結ばれ、それを標に貴女は帰ることが出来た。いやいや、親の愛情とは素晴らしい。例え忘却術であろうとも、彼らの想いを消せるとは思えませんね。そして、その瞬間に助力できたのは私としても喜ばしい限りです」

 

 「……ふんっ、パパとママに手紙を書けるようになったことだけは、感謝してもいいわ」

 

 彼女が文句を言いつつも、ホグワーツの裏方事務作業を引き受ける理由がそれだ。

 

 自分が書いた手紙を、両親に出せること。例えゴーストになっても、貴方達の祈りのおかげで、こうして毎日楽しくやっていますと伝えられること。

 

 それこそが、彼女にとっては何にも代えがたい、奇蹟であったから。

 

 

 「ツンデレにジョブチェンジですか」

 

 「いっぺん死になさいアンタは」

 

 「マグル世界に生まれ、ホグワーツで死に、ゴーストとして再誕し、そして夜間学校へ。幽霊に期末試験はありませんが、墓場で運動会は楽しめますよ」

 

 

 

 誰のための夜間学校か、如何なる祈りがそれを繋ぐか。

 

 ここは、魔法世界のホグワーツ。

 

 現実と幻想との、境界線のホグワーツ。

 

 

 「なにはともあれ、ダンブルドア先生は偉大な人です。貴女のご両親へ彼が説いた言葉は、こうして成就したのですから」

 

 マグルの身では、触れることも叶わぬ幻想の世界。

 

 ならばこそ、信じて祈って欲しいと。我々不甲斐ない教師たちへの怒りはごもっともだが、どうか、幻想の織り手である貴方達が信じて欲しい。

 

 純粋な祈りは、必ずや縁となって実を結ぶと。

 

 

 「あるいは彼自身が、今も同じ夢を祈っているのかもしれませんね」

 

 ゴーストの墓参りが、救いとなって還ってくるその時を。

 

 今は遠き彼女が、いつか祈りと共にこのホグワーツに新入生として通って来れるようになるその日を。

 

 

 

 「誰がために墓はあるのか、さてさて、ホグワーツの歴史は応えてくれるでしょうか。偉大なるゴドリック、ヘルガ、ロウェナ、そしてサラザールよ」

 

 

 答えを期待しない問いを宙に投げながら、幽霊教師は静かに墓を磨く。

 

 

 ああ、今日は墓参りには良い日よりだ。

 

 

 

 



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5話 謎の未亡人メローピー

 

 

 

 「“光陰矢の如し”とは、さてさて、東洋に伝わる諺だったでしょうか」

 

 ゴーストにはまるで似つかわしくない夏の強い日差しの中。

 

 今日も今日とて幽霊教師ノーグレイブ・ダッハウは墓地にて清掃を行っている。

 (ただし、成仏なさったビンズ先生が喜んでいるかは誰にも分からない)

 

 今はホグワーツも夏季休暇に入っており、あと一月もすれば在校生は休暇から戻り、新入生が期待と不安に胸を踊らせながらキングス・クロス駅に向かう。

 

 生徒のいない学び舎にあっても、幽霊は何時だって幽霊であり、試験も何も関係ない。

 

 

 「最初の授業で質問していた貴女の姿を今でも鮮明に思い出せますが、あれからもう8年にもなるのですねぇ、スプラウト先生」

 

 「そんな染み染み言わないでください、ダッハウ先生」

 

 ゴースト教師の隣で作業を行っているのは、いつもの悪霊仲間のマートルさんではなく、教員としての同僚となった新米教師のポモーナ・スプラウト女史。

 

 卒業を迎えた後そのまま教師見習いとしてホグワーツに残り、1ヶ月後の新学期からはいよいよ薬草学の授業を受け持つこととなっている。

 

 初授業成功への願掛けと、感謝の意を込めて、歴代の教師の方々の墓の清掃を手伝っているのである。

 

 

 「貴女達は私にとっても最初の生徒たちでしたから、なかなかに感慨深いものがあるのですよ。私の存在があと何百年続くは分かりませんが、やはり最初の生徒たちというのは何時になっても忘れないものでしょうし。何より、貴女達は実に優秀で印象深い生徒たちでした」

 

 「そう言ってもらえると照れますね」

 

 「それに、医務室を預かることとなったポンフリー先生もです。ホグワーツの歴史を見通しても、同世代の卒業生が揃って二人共教職見習いとして残るというのはなかなか珍しい。いつもなら、教師の補充に頭を悩ませるのが校長の慣例ですので」

 

 ハッフルパフのポモーナ・スプラウトと、レイブンクローのポピー・ポンフリー。

 

 グリフィンドールのルーファス・スクリムジョールと、スリザリンのロドルファス・レストレンジと共に、あの世代のホグワーツの顔役となった四名。

 

 男性二人はそれぞれ魔法省へとキャリアを進め、今もライバル関係にあると伝え聞くが、女性二人は揃ってホグワーツに残る道を選んだ。

 

 そこには、“とある事情”が大きく絡んでおり、その経緯についてもこの悪霊魔法史教師は聞き知っている。

 

 というか、このホグワーツで彼の耳に入らない情報はほぼないと言ってよいだろう。

 

 なにせ幽霊はそこかしこに偏在しており、全てのゴーストが彼の目となり耳となるのだから。

 

 

 「そういう年には面白いことが起きやすい。これでなかなか、新学期を楽しみにしている訳でして」

 

 「珍しいですね。ダッハウ先生が“楽しみ”だなんて」

 

 「何事も予兆というものはあります。農作物にも豊作があれば不作があるものならば、“印象的な生徒”がまとまってくる年にも波というものがある」

 

 「それが、今年だと?」

 

 「ええ、成績は相対的なものですから、毎年必ず首席が出ます。しかし、貴女達の世代の四人や、あるいはその6年前、所謂“マクゴナガル世代”の四人のように、個性的な生徒たちがなぜか四寮に同時に現れるのも、ホグワーツの伝統的な“流れ”なのですよ。7年から10年くらいの周期でしょうか」

 

 特にここ4年ほどは、あまり大きな騒動もなく、“問題児集団”も発生していない。

 

 個々人では常に奇人変人がいるのはホグワーツの常であるものの、やはり大きな事を起こすならば実力と行動力を伴った集団というものが必要となる。

 

 変身クラブや決闘クラブ然り、あるいは、ルーファス・スクリムジョールの作り上げた学生自警団と、ロドルファス・レストレンジの蛇寮自治機構しかり。

 

 

 「特に今年はあの子が入学する訳ですから、絶対に何かがありますよ」

 

 「はぁ、何事も起きて欲しくないというのは、儚い望みでしょうね」

 

 「何事かが起きると分かっていたからこそ、貴女もポンフリー先生も、教師として残ることを選んだのでしょう。その決断は見事であると思いますし、ならばこそその結果が如何なるものであれ、私は歴史を記録しましょう。マンドレイクの栽培と石化治療薬の貯蔵は十分ですか?」

 

 この男は変わらない。何一つ変わらない。

 

 どれほど時代が動こうとも、世代が変わっていこうとも、幽霊教師は歴史の観測者であり続ける。

 

 それこそが、二代目魔法史教師としての、彼のレゾンデートルでもあるのだから。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「というわけでマートルさん。入学名簿の作成は終わりましたか?」

 

 「何がというわけかはさっぱり知らないけど、新入生向けのふくろう便ならもう飛ばしたわよ。この辺は毎年のルーチンだしね」

 

 そこが学び舎であるならば、当然のごとく事務室というものは存在する。

 

 マグル世界と異なるのは、そこにあるのが自動速記羽ペンやら、ポルターガイストやら、動く石像やら絵画やら、ともかく生きた人間が一人もいないということだろう。

 

 ビンズ先生がゴーストになってなお教師を続けたように、絵画やゴーストになってなお、数百年もの時を超えて事務員を続ける筋金入りの猛者たちがこの魔法の城には多くいるのであった。

 

 ワーカーホリックという言葉では括りきれない、業務への執念、いや、怨念というべきか。

 

 

 「それはご苦労さまです。裏側管理人業務補佐としても、だいぶ板について来ましたね」

 

 「別になりたくて成ったわけじゃないけど。毎年やってりゃ馬鹿でも慣れるわよ」

 

 「それがなかなか、“残留思念組”の皆さんはそうもいかないのですよ。生前と同じ業務ならばこなせるのですが、時代の変化に弱いというのは如何ともし難い。タイプライターとか使えませんし」

 

 「うん、まあ、そこは分かるわね。確かにここにはたくさんの幽霊たちがいるけど、大半は“死蔵”されてた感じだわ」

 

 事務員の霊魂が何人いたところで、それが300年前と同じ業務しか出来ないならば、いないも同然である。いかな魔法界とて、300年前のやり方そのままでは現代では通用しない。

 

 まして、事務方幽霊はマートルさんのように生徒たちから“燃料”を補給している訳でもないので、存在するだけでもやがては薄れていく。

 

 彼らがこれまで“死蔵”されていたのも、意味のない消失を防ぐためであり、結局のところ幽霊という存在は人と関わらずには存在意義を発揮できない。

 

 紙と文字を相手にする作業ではなく、人間の感情が伴った呪い呪われこそが幽霊の本分、これが、不幸の手紙や呪いの魔導書ならまた話は違うだろうが。

 

 

 「死蔵されていたホグワーツの方々に油を差すのも、裏側管理人としての私の仕事の一環です。例え貴女が分からない昔からの事務仕事であっても、彼らを起動させさえすれば後はやってくれるのは便利です。前例のない処理や型式の作成だけは、私かマートルさんしか出来ないのは如何ともし難いですが」

 

 「それもそろそろ厳しいと思うのだけどね、普通に事務員雇っちゃだめなの?」

 

 「それが常套手段なのは間違いありませんが、当たり前過ぎて面白みに欠けます。ここは魔法の城、幻想の境界線たるホグワーツなのですから、何事も魔法っぽくいきたいではありませんか」

 

 「はぁ、時折見せるアンタのその謎の拘りはなんなのよ」

 

 「それこそがゴーストたる証。拘りなくして、残留思念などやってられません。それに、完全に無意味ならば校長先生に止められていますよ」

 

 「そりゃ確かに」

 

 「古い魔法は何とも曖昧で、私も全容はさっぱりですが。事務員を雇って対処するのが“現実的な”マグルの手段ならば、幽霊を使って対処するのは“幻想的な”魔法族の手段。効率重視がマグルならば、風情重視が魔法族。といった具合ですかね」

 

 それがどう作用し、何が起きるかは蓋を開けてみてのお楽しみ。

 

 魔法の杖を振ってみるとは、つまりはそういうことなのだから。

 

 自動機械に魔法薬の調合をやらせても、現実的で効率的な手法では、“不思議な魔法薬”は生成できないのだ。

 

 

 

 「それはともかくマートルさん、今年度の新入生の名簿はどこに……おや?」

 「みゃ~」

 

 ホグワーツの管理人部屋、兼事務室ともなっているその部屋に、闖入者が一人。

 

 いいや、一匹というべきか。

 

 「ミセス・ノリスじゃないの、久しぶりに見たわ」

 

 「私もです。最後に見かけたのははて、何時でしたかね」

 

 管理人室に住む猫。

 

 ホグワーツを徘徊する猫。

 

 校則違反の生徒を見つけては、怒りながら注意するように管理人へ知らせに行く猫。

 

 ただし、挙動がどこか愛らしいところもあるので、新入生の女子からは人気のある猫。

 

 管理人と常にセットで語られるホグワーツで最も有名な猫、ミセス・ノリスがそこにいた。

 

 

 「おお、名簿を持ってきてくださったのですね。ありがとうございます、ミセス・ノリス」

 「みゃあ」

 

 “どういたしまして”と言わんばかりに軽く鳴き声をあげる。

 

 確かに意思と知恵の感じられるその動作は、動物もどきのマクゴナガル先生の猫形態にも少し似ていると言った生徒もいた。

 (猫好きマクゴナガル先生はその生徒を加点すべきか減点すべきかしばらく悩んだとのこと)

 

 

 「ミセス・ノリスも、今年の新入生に興味あるのかしら?」

 

 「かも知れませんね。何せ、私よりは賢い猫ですから」

 

 「それもどうなのよ」

 

 ゴーストのやり取りを無視しつつ、管理人室の愛猫は名簿を眺めている。確かに傍目には、誰かの名前を探しているようでもあった。

 

 ミセス・ノリスが毎年、新入生の名簿を見ていることは悪霊教師も以前から知ってはいたが、こうして直に見るのはひょっとしたら初めてかもしれない。

 

 

 「実際、彼女が何時頃からこの城にいるのか、私も詳しくは知らないのですよ。ホグワーツ特急の車内販売のお婆さんと似たような存在かとは思っているのですが」

 

 「ああ、あの噂のスーパーお婆さん」

 

 「ええ、そのスーパーお婆さんです。何しろ、あのアントニン・ドロホフですら、ホグワーツ特急から箒で飛び出すことは出来ず、捕まって椅子に縛り付けられたらしいですから、ある意味でホグワーツ最強でしょう」

 

 件のお婆さん、オッタリン・ギャンボル校長の頃から、150年以上に渡って車内販売をしているというまことしやかな噂がある。

 

 しかし、確かめた者はいない。割と簡単に確かめられるはずなのに、確認した者はなぜかいない。歴代校長も含めて全員が。

 

 認識阻害でもかかっているのか、確かめた事を忘れてしまうのか、車両そのものの化身であるのか、それとも、存在証明が不在証明に結びつきでもしているのか。

 

 ホグワーツとはまことに不思議の城であった。

 

 

 「さて、ミセス・ノリスが探しているのは一体どなたで………おお、これはなるほど、確かにそうそうたる名前がありますね」

 

 「何? そんなに有名なのが来るの」

 

 「間違いなく有名な方々ですね。イギリス魔法界にあってこれらの家を知らない者はいませんし、同学年で一斉にやってくるというのも縁を感じますよ」

 

 ミセス・ノリスの見つめる先、名簿にはいくつかの知られた家の名があった。

 

 

 アーサー・ウィーズリー

 

 モリー・プルウェット

 

 マーリン・マッキノン

 

 ベラトリックス・ブラック

 

 ラバスタン・レストレンジ

 

 

 

 「“血を裏切りし”ウィーズリーに、“純血よ永遠なれ”のブラック。これはぶつかること必然です」

 

 「そこに加えて、“麗しの”プルウェットに、“賢明なりし”マッキノン、おまけに、“血に縛られし”レストレンジと来てるわね。こりゃ確かに荒れる未来しか見えないわ」

 

 「面白い新学期がやってきそうでなにより。これは初授業も気合を入れていかねばなりません」

 

 「あーあ、新入生はご愁傷さまね。純血名家の薄暗い歴史を語る気満々だわ、こいつ、間違いない」

 

 「失敬な。近親相姦の実態についてや、服従の呪文を使ってのマグルの拉致監禁、奴隷売買、寝取り、穢れた血との婚姻、迫害についての歴史を語るだけですよ」

 

 「生徒の精神を病ませる気?」

 

 「大丈夫です。忘却術は私の領分ではありませんが、病んだ精神を糧にするタイプの期待の新人が最近見つかりまして、鬱な感情は多分きっと彼女が吸い取ってくださいます。それにいざとなったら、ポンフリー先生に丸投げしますので」

 

 「駄目だコイツ」

 

 マートルさんは心底思った。そして、新入生の生徒たちの冥福を祈った。

 

 少なくとも、純血の子達はさぞや胃が痛くなることだろう。マグル生まれもそうとうキリキリするだろうし、混血の子達とて無縁ではいられないだろうし。

 

 うん? そうなると別に差別ではないのかしら? 全員平等に苦しんでるし。

 

 

 

 「ところで途中に聞き捨てならない言葉があったんだけど、期待の新人の“彼女”って誰よ?」

 

 「おや、紅一点の立場が危うくなることから来る嫉妬ですか」

 

 「二人のうち一人が女であるのを紅一点とは言わない気がするわね。あと、アンタ別に性別関係ないでしょ、謎の幽霊妖怪」

 

 「イグザクトリー、君は正解です」

 

 「で、誰なの?」

 

 ウザい反応は無視して、質問を続けるマートルさん。

 

 この糞悪霊をまともに相手していてはいけないことを、付き合いがそれなりに長いだけによく知っている。

 

 

 「新入りなのは本当ですよ。このホグワーツは英国最大規模のゴースト生息地でもありますから、新人が来ることは珍しくはありませんが、彼女は数十年くらい昔の死者でして、縁者を探しにホグワーツへ流れてきたようなのですが」

 

 「縁者ってことは、家族か誰かを?」

 

 「そこがよく分からないのです。今の彼女はゴースト未満の薄っすらとした残留思念と言って良い状態で、死んだときの環境があまりよろしくなかったのか、非常に錯乱、あるいは鬱と言える症状です。ここから自我持つゴーストとして成立し、詳しい事情を彼女から聞き出すまでにはどれほどの長い時間がかかりますやら」

 

 「そんな状態でゴースト未満ってことは………精神を病んで自殺したタイプかしら?」

 

 「自殺ではないと推察しますね。大なり小なり精神を病んでいたのは間違いないでしょうが、それが家族からの虐待などから来るのか、本人の気質によるのか、それとも失恋などのショックによるものかもよく分かりません」

 

 「自殺じゃない根拠は?」

 

 「彼女が“希望”に縋るような形でホグワーツに探し人を求めていることです。絶望のままに自殺したならばゴーストは縁を失い、自殺の原因になった存在に取り憑くタイプの悪霊になるのが常道ですが、彼女は違う。なかなかに珍しいからこその期待の新人なのです」

 

 なるほど、そこがこのドクズ悪霊の目に止まったか、とマートルさんは納得する。

 

 妙な言い方になるが、ノーグレイブ・ダッハウが求めているのは“善良な悪霊”なのだ。

 

 マートルさん自身にも覚えがあるが、妬み、嫉妬、鬱など、マイナスの感情を原動力にしているから確かに“悪霊”には区分されるわけだけど。

 

 生きている誰かを呪う、自分を貶めた何かへ向けて具体的な憎悪や悪意を返し風にすることはなく、傷つけようとするベクトルを持たない幽霊。

 

 だからこそ、彼女は“嘆きのマートル”なのだ。

 

 基本的にはトイレで勝手に嘆いているだけで、近寄りさえしなければ無害といっても良い幽霊だったから。

 

 まあ、コイツのせいで“破局のマートル”にグレードアップすることにはなったけれど。

 

 

 「要するに、その人はかなり報われない人生っぽくて、ネガティブで、鬱な生徒に同調して精神状態をさらにダウナーにしちゃうけど、同時に虚気や欝気を吸い上げる事もできるわけね」

 

 「恐らくは、だからこそ期待しています。一方的に吸い上げる関係ではなく、共に鬱になり、空気をどんどん沈ませ、されど決して生徒を一人にはしない。孤独ではないからこそ生徒も絶対に自殺などしない。そして気がついた頃には、欝気が吸い取られている、そんな感じがホグワーツ悪霊としては理想形です」

 

 「アンタが前々から言っていた、事務員の追加要員や夜間学校の教員には、うってつけの人材になれるかもしれないと」

 

 「今はまだ、ゴーストにすらなれておりませんがね」

 

 「その人もまた、厄介な奴に目をつけられたものね、同情するわ」

 

 「此処から先、生前の縁を掴み取り、ゴーストとして幸せになれるかは彼女次第ですよ。勧誘した手前、助力は惜しむつもりはありませんが」

 

 「ゴーストとしての幸せ、ねえ。それなら―――」

 

 つまり、あたしと同じということか。

 

 まったく、相変わらずメフィストフェレスの悪魔めいた奴だ。

 

 とんでもないクソみたいな条件で従業員としてこき使ってくるくせに、こっちの一番求める“奇蹟”への道筋を報酬として提示してくる。

 

 こんなの、“人間らしい未練の霊”なら、断れるはずなんてないだろうに。餌には飛びつくのが本能というものだ。

 

 

 「でもあんた、その人の“探し人”のアテはあるの?」

 

 「おおう、痛いところを突いてきますね」

 

 「当然の疑問でしょ。あたしの時は両親に手紙を出したい、弟にもう一度会いたいって明確な望みと、ホグワーツの事務員だから出来る“対価”があったけど。そもそもアンタ、その新人さんの名前は分かってるの?」

 

 「名前だけは何とか、かなり跡切れ跡切れでしたが、メローピーと」

 

 「メローピーね、姓は?」

 

 「不明です。どうも自分の姓が嫌いなのか、良い思い出がないのか、思い出すことを拒んでいる気配があります。後は、夫が死んだみたいなことをおっしゃってましたから、本人の脳内夫でなければ、未亡人ということになります」

 

 「妄想の疑いを捨てきれないのが嫌なところだけど、ともかく信じるなら夫に先立たれて心が病んだ、か。だったら“探し人”はその夫でいいのかしら?」

 

 「そこもまた微妙なんですよ。本人曰く、死別した夫との間の子がいたみたいなんですが、どっちを探しているのか、あるいは両方なのか」

 

 「そりゃまた、面倒ね」

 

 これは、特定が厄介になってきたぞと、彼女もまた眉をひそめる。

 

 想う相手が一人なら、その“縁”の向かう先を探し出すのはそう難しいことではない。

 

 しかし、夫と子の二人となると、人間の心は複雑故に極彩色になってしまう。

 

 愛憎という言葉があるように、夫を愛していたからこそ子を愛すのは通常だが、愛というのは死ぬほど厄介な代物で、生まれた娘に夫の愛を奪われたと憎悪することすら時にはある。

 

 まして、ゴーストになってももう一度会いたいと強く願うほどの妄念ならば、事実関係や他の人の認識と、どのような齟齬が生じているか分かったものではない。

 

 

 「そうなると………妄想説も否定できなくなってきたわ」

 

 「もしそうならお手上げですよ。生前の彼女の脳内にしか存在しない夫と子供との縁を見つけ出すことは、流石の私にも出来ません。おそらく、神様だって出来ないでしょうし。もし出来たら、それは幻覚で人間の魂を騙す悪魔と呼ばれる類でしょう」

 

 「………あたしにも低学年の時にいたわ、あたしだけの鏡の中のお友達の“マーテルちゃん”」

 

 「おお、悪魔はそこにもいましたか」

 

 「本当に何でも気兼ねなく話せて、どんな相談事にも優しく頷いてくれる良い子だったわ」

 

 そして、頷いてくれるだけで、話しかけてくれることは決してなかったけれど。

 

 大好きだったわ、マーテルちゃん。でも今は私が貴女と同じになっちゃったわね、マーテルちゃん。

 

 貴女と同じになれたと思うと、少しだけ嬉しいわ、マーテルちゃん。

 

 でも、幽霊は鏡に映らないから、もう貴女には会えないのね、ちょっとだけ寂しいわ、マーテルちゃん。

 

 

 「マートルさん、怖い思念がだだ漏れでこっちまで伝わってくるので止めてください。流石の私もその話にはドン引きです。せめて名前はもうちょっと違うものにしてください、哀れに過ぎます」

 

 「ふふふ、今もきっとあるはずよ、私と“マーテルちゃん”の交換日記。例えホグワーツがどうなろうとも、私達の友情は日記帳の中で永遠なのよ」

 

 「……なぜでしょうか? その日記帳の縁が、貴女にとんでもない厄災を招いたような気がするのは」

 

 「? どういうことよ?」

 

 「いえ別に、インスピレーションとして浮かんだのですが、貴女のその秘密のお友達との日記帳を、別の誰かの秘密の日記帳と取り違えてしまったとか。それで貴女の秘密をまさか年上の男子生徒に知られてしまったとか、そんな黒歴史はあったりしませんか?」

 

 「あったらその瞬間に自殺してるわよ」

 

 「今明らかになる、マートルさんの死の真相」

 

 「勝手に人の死因を変えないでちょうだい。私は確かに殺されたの、自殺じゃないから」

 

 この二人が会話をしていると、どんどん脱線していくことは珍しくはない。

 

 いつの間にやら寝転がっていたミセス・ノリスが、若干呆れたように二人を見ていたが誰も気付く者はいない。

 

 

 「話を戻すけど、メローピーって名前以外に手がかりはないの?」

 

 「難しいですね、時折“トム”という単語が出てくるのですが、これが夫の名前なのか、子供の名前なのかも不明です。ひょっとしたら何かの略称とか、“アトム”の後ろ側だけだったりするかもですし」

 

 「“トム”ねえ、漏れ鍋の亭主の名前もそんなのじゃなかったっけ?」

 

 「確かそうです。ありきたりで珍しくも何ともない名前ですからね。これを手掛かりに特定するのは相当厳しいですよ、まして、本当に“トム”である保証すらないわけですから」

 

 「トム、トムねえ………あたしが知っている範囲内だと―――だめ、知ってはいるはずだけど、急にパッと浮かんでこないわ」

 

 「それこそ、こちらの入学名簿にも二、三名はいますね。サム、トム、クムなどは略称としてもよくありますから、トムスキーさんだったり、マートムさんだったりするかもしれません」

 

 「あたしに喧嘩売ってる? マーテルちゃんをディスってる?」

 

 「いいえそんなつもりは毛頭ございません」

 

 

 

 そんなこんなで、管理人室の幽霊たちは、今日ものんびり事務仕事。

 

 謎の未亡人メローピーさんの正体はいったい誰なのか。

 

 それが判明するのは、時計の針がもう少し先に進んでからのこと。

 

 今はまだ、色とりどりの物語の欠片が出揃ってすらいないけれど。

 

 この世はまことに、合縁奇縁に過ぎるもの。

 

 

 

 時計の先を知るものならば、その縁が何を意味するかを読み取ることはできるだろうか。

 

 




ホグワーツ教師陣 1961年

校長   アルバス・ダンブルドア
副校長  シグナス・ブラック    防衛術&スリザリン寮監 理事兼任

魔法薬  ホラス・スラグホーン   ナメクジクラブ顧問
飼育学  シルバヌス・ケトルバーン
天文学  イリーナ・ポッター      防衛クラブ顧問
魔法史  ノーグレイブ・ダッハウ    夜間学校管理人
呪文学  フィリウス・フリットウィック レイブンクロー寮監  決闘クラブ顧問
変身術  ミネルバ・マクゴナガル    グリフィンドール寮監 変身クラブ顧問
薬草学  ポモーナ・スプラウト(新米) ハッフルパフ寮監
校医   ポピー・ポンフリー(新米)
司書   イルマ・ピンス  (新米)

森の番人 ルビウス・ハグリッド


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6話 高貴なるブラック家と鬼婆

 「シグナスのクソ野郎が嫁と娘たちを連れてくるってぇ? あーやだやだ美形で金持ちのリア充は、爆発しろっての」

 

 とある日のこと、マートルさんがやさぐれていました。

 

 いつものことですが、やさぐれていました。あまりにも日常過ぎて、誰も気にしていません。というか、人間が近くに誰もいません。

 

 

 「今日は何時にも増してやさぐれてますね、嘆きのマートルさん、妬みのマートルさん、僻みのマートルさん、根暗のマートルさん」

 

 そんな彼女の傍らにはいつものごとく、正体不明の幽霊教師の姿がありました。これもいつものことです。

 

 

 「そりゃあ、妬みたくもなるってもんよ。シグナスよ、あのシグナスよ! 何であいつばっかりいっつもいっつもちゃっかり幸せ者なのよ。ああ気に食わない!」

 

 「仮にもシグナス・ブラック先生は副校長なのですから、もう少し敬意というものをはらいましょう」

 

 「祓っちまいな、あんなヤツ」

 

 「そこ、ヤンキー女子化しないでください。根暗メガネ女子の貴女がやっても死ぬほど、いいえ、死んでも似合いませんから」

 

 「わざわざ言い直すんじゃないわよ、憎たらしいわね」

 

 「それに、祓われるなら確実に我々でしょう」

 

 「あんただけ祓われればいいのにね」

 

 散々愚痴と文句を言いまくって少しは落ち着いたのか、マートルさんの様子がようやく正常値に近づいてきた。

 

 今は両親からの祈りと、手紙によって随分緩和はされているものの、彼女とて本質は人を呪う悪霊の一種。ノーグレイブ・ダッハウいわく、“善良な悪霊”ではあるものの、妬み、恨み、嫉みこそが彼女の本分であることには違いない。

 

 なお、ノーグレイブ・ダッハウについては、ホグワーツ生徒の大半が“悪質な悪霊”と思っていたりする。ようするに、ただの悪霊だ。

 

 

 「全く本当に貴女と来たら愚痴ばかりですね。独身貴族が殊の外多いホグワーツ教師陣において、立派に家を構え、奥さんと三人の娘さんを養っている方なのですから、笑顔で出迎えるくらいはしてもバチは当たりませんでしょうに」

 

 事の起こりは、シグナス・ブラック副校長閣下が9月1日の新学期を前に、今年入学の長女ベラトリックスを含めた娘達を、ホグワーツに見学させに来るという話だ。

 

 別段、特権乱用というわけではなく、夏休みの休暇中でも仕事の多いホグワーツ教職においては、結婚して家族がいる場合にはいくつかの面で便宜が図られている。

 

 流石に、自分の娘を放り出して、マグル生まれの子をダイアゴン横丁に案内に行けとは鬼畜に過ぎるというものであり、その辺りは独身教師組の担当となっている。

 

 

 「あー、天下のブラック家ですもの、ご立派で結構な家だわ。というか、この間名簿を見た時点で気付くべきだったわ、ベラトリックス・ブラックって、あの嫌味なキザ野郎の娘じゃないの」

 

 「蛇蝎のごとく嫌ってますね。生前にそんなに恨みがあったのですか?」

 

 「あるわよ。こっちは友達の一人もいない、いいえ、我が親愛の“マーテルちゃん”だけが友達の根暗ボッチ。対してあっちは、名家の中の名家出身、スリザリンの御曹司、同じ名家で美人の婚約者あり、挙げ句に妹のヴァルブルガ・ブラックまで美形のリア充。誰だって殺したくなってくるでしょうが」

 

 「ただの僻みじゃないですか、まあ、ここまで真っ直ぐな逆恨みだと却って清々しいですけどね」

 

 彼女の生前、レイブンクローのマートル・ウォーレンと、スリザリンのシグナス・ブラックは1939年度入学の同学年であった。

 

 その婚約者であった女生徒、ドゥルーエラ・ロジエールも同年代であり、やっぱり美人だった。名家の多いスリザリンの中でも四年生の段階で既に婚約していた例はあまり多くない。流石はブラック家といったところであろうか。

 

 

 「ったく、マグル生まれでボッチのアタシは怪物に殺されて、一人で惨めにトイレのゴースト。純血名家のアイツは順調に卒業して、美人で金持ちの家の婚約者と結婚して、財産たくさんの屋敷を構えて、これまた可愛らしい娘が三人も生まれました。同じ人間なのに、こんなに格差があっていいの? 許されるの? ほんと死ねばいいのに、私の知らないところで勝手に」

 

 「これでもかというくらいに、勝ち組と負け組の構図ですね。ですがまあ、それでも自分で呪おうとはしないあたりに、貴女の根の善良さが現れていると言えますか」

 

 「ああん?」

 

 「口では散々罵っても、実際に呪わない姿勢は立派だと思いますよ。世に生きる“自称善良な民草”には、その逆のなんと多いことか。そんな貴女には、実は友達の一人くらいはいたかもしれませんね。貴女が忘れてしまっているだけで」

 

 「あのねえ、どっちも五十歩百歩でしょうが」

 

 「ともあれまあ、貴女にとってシグナス・ブラック氏がホグワーツの教職となったことは、災難ではありましたね。どうしても“生前からの恨み”ばかりは、ゴーストが最も改善し難い部分ですし」

 

 ブラック家の人間が、ホグワーツの教職に就くこと自体はさほど珍しくもない。

 

 有名なフィニアス・ナイジェラス・ブラック校長しかりだが、基本的にホグワーツの教職というのは名誉ある仕事であるとイギリス魔法界では認知されている。

 

 それでも、理事との兼任という異例の形でシグナス・ブラックが引き受けたのには、そうせざるを得ないだけの理由があったためだ。

 

 

 「ったく、どこのどいつよ、防衛術の教師の座にふざけた呪いをかけやがったクソ馬鹿は。おかげでこっちはいい迷惑だわ」

 

 「その辺りは謎なんですよねえ、例の“闇の魔術団”をアラスター・ムーディ氏とバーテミウス・クラウチ氏らが壊滅させた頃に現れた謎の闇の魔法使いだとか言われていますが、真相は不明です。まあそもそも、呪いの発信源を特定するのは困難ですし、分かっていればとうの昔に闇祓いへ引き渡していますよ」

 

 「そりゃそうだけど、毎年ごとに闇の魔術の防衛術の教師が代わるとか、嫌がらせにしても馬鹿みたいな呪いじゃないの」

 

 「となれば、頭の良い馬鹿がかけたんじゃないでしょうか」

 

 「もし出会えたら、その馬鹿には糞爆弾をダース単位でぶつけてやるわ」

 

 毎年防衛術の教師が変わってしまうという異常事態。

 

 それも、先任のガラテア・メリソート先生が引退した1955年から、五年間も連続で。

 

 生徒たちへの教育上、非常によろしくないのは当然で、フクロウ試験やイモリ試験の実施にも非常に差し障りがある。というか、このままではまともに実施できない。

 

 特に、“闇の魔術に対する防衛術”は、魔法省の就職の面でも重要な教科なのだから、今年来たばかりの教師にフクロウ試験とイモリ試験を担当されるのは非常に厄介だ。もしそれがハズレ教師だった場合には目も当てられないし、それで人生の就職先を決められた生徒たちこそが防衛術を呪うだろう。

 

 ただでさえ、その年の五年生は毎年講師が変わってしまう弊害をモロに受け、まともに防衛術を学ぶことが出来なかったのだから。

 

 そういう経緯で、ダンブルドア校長と理事会が協議したところ、当時の理事の一人であったシグナス・ブラックに白羽の矢が立ち、理事を兼任したまま副校長に就任し、防衛術の講師も兼ねることとなったのが昨年、つまり1960年の話。

 

 権力を極端に集中させたこの強攻策が功を奏してか、シグナス・ブラックは一年で辞めることなく(そもそも、理事と副校長を兼任しているブラック三男家の当主を辞めさせるのは魔法大臣でも無理だろう)、今年も継続して教鞭を取ることとなっている。

 

 

 「でもさあ、あいつはブラック家の人間よ。あいつが防衛術の教師で、フクロウ試験やイモリ試験見るなら公平になるのかしら? マグル生まれは全員“不可”にされたりするんじゃない?」

 

 「マグル嫌いで高名な長男家のオライオン・ブラック氏ならば、そういうこともあり得たかもしれません。ならばこそ、オライオン氏も同じく理事でありながらも、三男家のシグナス先生が引き受けたという経緯があります。彼は、マグル問題については中立派であることで有名でしたから」

 

 「あー、そうよ、そうだった。ブラックのくせに世渡り上手で、混血やマグル生まれとも程々の距離で上手くやるのがアイツだったわ」

 

 「でなければ、貴女など集団リンチの対象になっていたかもしれませんね。レイブンクローの穢れた血の癖に、スリザリン監督生にして偉大なるブラック様の前を横切った罪とか何とかで」

 

 「オライオンだったら本当に言いかねないわねそれ。ま、んな馬鹿なこと言い出したら、プルウェットとマッキノンが黙ってなかったでしょうけど」

 

 「ああ、マグル贔屓で高名なお二方ですね。確か、貴女の一つ上の学年でしたか」

 

 「そうよ、アタシが死んだ年には五年生でそれぞれ監督生だったから、当時のホグワーツじゃ、イグネイシャスとハロルド先輩を知らない生徒なんていなかったわ。流石のブラック様と言えど、あの二人がいるところじゃあ露骨なマグル差別も出来なかったしね」

 

 グリフィンドールのイグネイシャス・プルウェット

 

 レイブンクローのハロルド・マッキノン 

 

 当時、ブラック家の人間が次々とスリザリンへ入学し、マグル生まれの肩身が狭かった時代において、敢然と立ち向かった監督生たちである。

 

 また、同学年のスリザリンの監督生が名家出身ではなく“マグル生まれ”と噂されるトム・リドルであり、彼とも親交があったことも知られている。

 

 

 「ハラルド・マッキノンのことはよく覚えているのですね」

 

 「そりゃそうでしょ、有名人だったし、あたしもマグル生まれでレイブンクローだったから少なからず恩があるし」

 

 「では、その隣の名前、奥方についてはどうです?」

 

 「うん? ユフィリア・マッキノン? 覚えはないけど、ハラルド先輩の奥さんよね」

 

 「ええ、前の二者には知名度で劣りますが、当時のレイブンクローの看板ビーターでした。ちなみに旧姓は、バグマンですよ」

 

 「へぇ、よく知ってるのね、意外」

 

 「まあ、私もそれなりに長くいますし、貴女よりは色々とものを知っておりますから」

 

 「ああん、馬鹿にしてんの?」

 

 「いいえ、滅相もありません」

 

 プルウェットやマッキノンに比べれば、バグマンといえば有名クィディッチ選手を輩出することくらいだ。

 

 例え同年代だったとして、マートルさんに覚えがなくとも無理からぬことではある。よほど親しい縁でもなければ、忘れてしまうのが当然だろう。

 

 

 「その彼らの娘、モリー・プルウェットとマーリン・マッキノンが揃って今年、入学してくるわけですから奇妙なものです。まして、モリーさんの御母上の旧姓には、尚更驚かされます」

 

 「その時はもうアタシは死んでたけど、イグネイシャスとルクシリアが結婚したと聞いたときには、空いた口が塞がらなかったわ」

 

 「どうにも、プルウェット家は世間を騒がす結婚をすることが多いようですね」

 

 イグネイシャス・プルウェットと結婚したのは、オライオン・ブラックの姉である、ルクシリア・ブラックであった。政略結婚とも、恋愛結婚とも伝わる。

 

 家格を考えれば、これほど相応しいものがないくらいの釣り合いだが、マグル世界で言うならば、ブルボン家のルイ16世とハプスブルグ家のマリー・アントワネットの結婚に相当する、外交革命のようなものだ。

 

 

 「ですがそうなると、モリー・プルウェットとベラトリックス・ブラックは、義理を挟んだ従姉妹になりますか」

 

 「ええっと、ちょっと待って。ベラトリックスの親父がシグナスの糞野郎で、その腐れ姉のヴァルブルガがオライオンと近親相姦かましてて、その姉のルクシリアがイグネイシャスに股を開いて結婚と……うん、義理の従姉妹でいいんじゃないかしら」

 

 「もう少しキレイな言葉遣いで説明して欲しかったですね。それに、ヴァルブルガ女史とオライオン氏は又従兄弟ですから、近親というほど近くはありませんよ」

 

 ちなみに余談となるが、フィニアス・ナイジェラス・ブラックの三人の息子が、それぞれに屋敷を構えたことが世に知られている。

 

 長男家 シリウス・ブラック二世

 次男家 アークタルス・ブラック二世

 三男家 シグナス・ブラック二世

 

 長男家の孫にあたるのが、オライオン・ブラックとルクシリア・ブラック。三男家の孫にあたるのがシグナス・ブラック三世とヴァルブルガ・ブラックである。

 

 なお、シグナスの弟のアルファードは血を裏切ったために系譜から抹消され、次男家の娘、セドレーラ・ブラックは“血を裏切りし”セプティマ・ウィーズリーと結婚したため、こちらも系譜から抹消されている。

 

 

 「それに、ややこしいにも程がありますが、同じく今年入学するアーサー・ウィーズリーも、オライオン、ルクシリア、シグナス、ヴァルブルガとの又従兄弟になりますね。ついでながら、バーテミウス・クラウチ氏も母がケイリス・ブラック女史なので又従兄弟のはずですが……そうそう、フリーモント・ポッターさんも、ブラック三男家の孫ですね。確か御母上がドレア・ブラック女史」

 

 「複雑すぎない? ブラック家」

 

 「あっちにもブラック家、こっちにもブラック家、これが純血の血筋というものですから。聖28家の血縁関係など、綾取りよりもこんがらがってます」

 

 身も蓋もないが、そんなものであった。

 

 “身内”をどこまでにするかと考えただけでも、頭が痛くなってくるのが貴族社会というものだから。 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「アン! ナル! あんまりはしゃがないで頂戴! お父様がこの部屋から出ては駄目とおっしゃっていたでしょう!」

 

 そんな悪霊二人の話題に登っていた渦中の少女、ベラトリックス・ブラックは広大な敷地を誇るホグワーツに若干の愚痴を吐きたい気分となっていた。

 

 もちろん、高貴なるブラック家では娘達に淑女教育を徹底しており、そんなはしたない真似はしない。

 

 もう彼女も11歳になる。こうしてホグワーツからの入学案内を受け取り、偉大なる父が理事と副校長と防衛術の教師を務める学び舎を前にしても、はしゃいでスカートをひるがえすような真似はしないとも。

 

 

 「こっちまでおいでー」

 

 「アン姉さま、待って待ってー」

 

 とはいえ、まだ8歳の次女、アンドロメダ・ブラックにとってその意識はまだ早いというもので、6歳の末妹、ナルシッサ・ブラックにあっては言わずもがな。

 

 幼くも可愛らしい妹二人は、ベラトリックスにとっても自慢であったが、こういう時には奔放さと無邪気さが恨めしい。

 

 特にアンドロメダは、元気いっぱいで行動力が人一倍だから尚更に。

 

 姉の静止の声など馬耳東風、とっても仕立ての良い軽装のドレス風のスカートをひるがえしながら、トタトタと可愛らしくも早足で、いざ魔法の城の探検に乗り出していく妹二人。

 

 

 「ああもう! 足縛りの呪いでもお父様から習っておくべきだったかしら!」

 

 彼女の自慢の父、シグナス・ブラックは母のドゥルーエラと共に、ダンブルドア校長先生への挨拶に向かっている。

 

 少しばかり大人の話もあるから、ベラ達はこの応接室で良い子で待っているように。小物には安全魔法がかかっているから自由に触ってよいが、廊下には出ないようにと。

 

 言われて、10分後にはこの有様であった。普段はお父様の言いつけを破ったりはしない良い子の妹たちなのだけど、この不思議な城の空気に充てられてしまったのだろうか。

 

 そんな彼女自身も、妹たちを追いかけながらも高揚してくる心を抑えられないでいるのは確かだった。

 

 だって、こんなの無理よ。何あの鎧、廊下と一緒に動いてるわ。

 

 向こうの額縁は何やらお外と繋がってるようにも見えるし、廊下の天井にいたってはよく見たらゴーストが何人もいる!

 

 

 「ほら見てナル! しもべ妖精があんなにたくさん!」

 

 「わぁ、すっごーい! みんな元気にお掃除してるー」

 

 もちろん、ブラック家にはどの屋敷にもしもべ妖精くらいはいる。

 

 けれども、このホグワーツのように何百もの屋敷しもべが働いているお城など、イギリス魔法界全体を見渡しても他にはない。

 

 大きな屋敷で普段過ごすだけに、あまり外出する機会のないブラック三男家の三姉妹にとって、父と母の目もなく、教師に引率されているわけでもないこの状況で、好奇心を抑えろというのが無理な注文だったろう。

 

 でもでもだからこそ、好奇心は猫を殺すという諺もあって。

 

 

 「見つけたわよおぉぅぅ! 可愛いお嬢さんたちいいいぃぃぃ!!! 怖いお姉さんが食べちゃうわよおおおお!!」

 

 ふわふわと漂いながら、あちこちを移動していてゴーストの一団から、とんでもない形相の化け物が一匹、妹たちのほうへ向かっていくのがベラから見えた。

 

 

 「アン! ナル! 逃げて! 空から鬼婆よ!」

 

 「え? 空って?」

 

 「きゃああああああ!」

 

 夢中で走っていたためか、反応がやや遅れたのは気の強い次女のアン。

 

 若干気の弱い三女のナルにいたってはモロに鬼婆を見てしまったためか、悲鳴を上げてしゃがみこんでしまった。

 

 

 「誰が鬼婆よ! 誰が! 失礼なガキね!」

 

 件の鬼婆、もとい半実体化している狂乱の悪霊ことマートルさんは、この場にあって本分を曲げるつもりはない模様だった。

 

 小さな子がいたならば驚かす。何が何でもビビらせる。

 

 怖がられ、怯えられてこそ幽霊の本懐というもの。

 

 妙にスレたガキや、余分な知識を付けてしまった小憎たらしい子供の多いホグワーツにあって、彼女らのような純粋で穢れを知らない小さな子はまさに“ご馳走”なのであった。

 (逆に、後の伝説となるウィーズリーの双子などは煮ても焼いても食えない“ゲテモノ”である)

 

 

 「ひっ! だ、誰なの!?」

 「うわーん! おかあさまぁぁ!」

 

 ついに至近距離で見てしまったアンは、それでも気丈に泣き叫びはしなかった。

 

 生来の彼女の持つ気の強さもあるが、何よりも大泣きの末妹がしがみついているのだから。

 

 ここで自分まで、泣き崩れるわけにはいかないのだ。

 

 

 「ケッケッケッ! 悪い子供にはお仕置きよおお! なーんでお父様の言いつけを破って部屋から出ちゃったかなあぁぁ!! ヒーヒッヒッヒ!」

 

 このマートルさん、ノリノリである。

 

 やはり幽霊の本能が疼くのか、書類仕事や事務処理よりも、子供を驚かす方がよっぽど楽しいらしい。可愛らしい小さい子ならば尚更に。

 

 

 「う、うっさい! あ、アンタなんて、お、おねえさまがやっつけてくれるんだから!」

 

 「へーえ、向こうのガキがかしら? まだ入学すらしてないガキンチョに一体何ができるのかしらねえ―――え?」

 

 「飛んでけぇぇえ!!!!」

 

 両親に買ってもらったばかりの新品の杖、とっても大切な宝物だからこそ当然ホグワーツ見学に持ってきていたそれを夢中でベラが振ったその瞬間、甲冑の頭部がマートルさんめがけて吹っ飛んでいった。

 

 “ただの物”ならば、いくら半実体化しているとはいえ、ゴーストに何ら影響を与えられるものではない。

 

 しかし、ホグワーツの“動く甲冑”ならば話は別。本来動くはずのない鎧が動くのだから、それはつまりゴーストを動かす力と同じような、何らかの魔法の力を見に宿しているということ。

 

 

 「こんの! アンとナルから離れなさいこの化け物!」

 

 未だ入学すらしていない彼女の脳裏には、そんな理屈は毛頭ない。仮にあったとしても忘却の彼方だ。

 

 今彼女にとって何より大切なのは、妹たちを守ること、ただそれだけ。

 

 そのために鬼婆を打ちのめさないといけないなら、鎧だって何だって使ってやるとも! 調度品を壊しちゃったらごめんなさいお父様!

 

 

 「危な! ふう、何とか解除が間に合ったわね」

 

 当たればノックダウンは避けられないと思ったか、マートルさんは咄嗟に半実体化を解除して、完全な透明状態になる。

 

 空中を滑走する甲冑は当たりこそしたものの“鬼婆”をすり抜け、無傷の鬼婆は当然再び姿を現して牙をむく。

 

 

 「下がりなさい鬼婆! 妹達に手を出したら承知しないわよ!」

 「おねえさま!」  

 「ふぇええん!」

 

 その隙に妹達の下まで駆け寄ったベラは両手を大きく広げ、仁王立ちで庇うように、果敢にも悪霊に立ち向かう。

 

 アンが歓喜の声で、ナルは言葉になっていない泣き声で応じる、幸いにも怪我などはなさそうだ。

 

 

 「あらら、随分勇ましい新入生ちゃんだけど、どう承知しないの? 良かったらお姉さんに教えてくれないかしら。答えられなかったら、食べちゃうわよおお!」

 

 実際、子供達を食べることが出来るわけでは当然ない。

 

 そもそも、ホグワーツの幽霊である以上、“客人”に対して直接的な危害を加えることが許されているはずなどないのだ。魔法の城の古い守りが、そんな柔な作りをしているものか。

 

 彼女に出来ることは、幽霊らしく脅かすことだけ。とはいえ、そんなマートルさんの事情など、この勇敢で小さな姉には分かるはずもなかったが。

 

 

 「これが答えよ! インセンディオ! (燃えよ)」

 

 “よいかベラ、覚えておきなさい、亡者、幽霊には火が有効である。”

 “吸魂鬼には守護霊呪文以外は効き目がないが、一般的な幽体は魔法の火を苦手とするのだ。”

 

 闇の魔術に対する防衛術の教師である父シグナスを誰よりも尊敬するからこそ、ベラの頭脳はこの土壇場において父の教えに従い、最も有効な対処を導き出した。

 

 

 「え? マジで? 火ぃぃぃい!」

 

 かくして、邪悪は滅びました。

 

 カチカチ山の狸の如く、三匹の子豚を食べようと煮えたぎる大鍋に煙突から落ちてきた狼の如く。

 

 幼い少女たちを食べようとする悪い鬼婆は、正義の火の前にあえなく退散したのでしたとさ。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「ベラトリックスさんの小さな勇気の武功と、愚かなマートルさんの恥、確かに記録いたしました」

 

 「うっさいわねバーカ、これでいいのよ、これで」

 

 「おや、意外と冷静なご様子」

 

 「こっちは十分に楽しめたし、“畏れ”も補充できたしね。ちっちゃい子の勇気を前に、悪霊は退散するからハッピーエンドなんでしょうに」

 

 半泣きになりながらも長女に抱きつく次女と。

 

 大泣き状態で腰にしがみついている三女。

 

 そして、二人をあやしながらも誇らしげに微笑んでいる長女。

 

 そんな三人姉妹を遠目に見守りながら、魔法の城の“管理人”たちは、いつもの様子でぷかぷか宙を漂っていた。

 

 いいや、いつもとは若干違うかもしれない。普段は教師として半実体で歩くことが多い彼だが、この時に限っては“幽霊”として見守りたいのか、彼女の隣でふわふわと浮いていた。

 

 

 「それは確かにそうですね。ならばこそ、甲冑さんも心打たれて力を貸してくれたのでしょう」

 

 「ああ、そういえばちょっと謎だったんだけど、あの時吹っ飛んできたのは何?」

 

 「それはまあ、鎧の頭部分でしょう」

 

 「馬鹿にしてんの? そうじゃなくて、何であれが浮遊呪文どころじゃない、爆発呪文でぶっ飛んだくらいの勢いで動いたのかってことよ」

 

 悪霊を退散させた火については、かつて彼女もホグワーツで習った呪文、インセンディオだった。

 

 入学前の一年生が完璧に使えたのはまあ、寮への加点に値することだろうが、疑問点はそこではない。

 

 

 「あの時、あの子がやったのは杖を振っただけ。ウィンガーディアム・レヴィオーサと唱えた訳でも、モビリコーパスと唱えた訳でもない。そもそも杖の振りが“ビューン、ヒョイ”でもなかったし」

 

 「ええそうですね。ですがだからこそ、どんな呪文よりも効果のある“魔法”となったのでしょう」

 

 「んん?」

 

 「合理性と叡智を重んじるレイブンクローの貴女には喧嘩を売るようなものですが、きっと魔法の発動には何も要らないのですよ。何しろ、“心の魔法”なのですから」

 

 だからきっと、あれはそういうこと。

 

 少女は願った、守りたいと。

 

 甲冑は応えた、守ってみせると。

 

 単純で純粋だからこその、何より強い原初の魔法。

 

 それが、“縁”というものだから。

 

 

 「何時だったか、ダンブルドア校長先生がおっしゃっていました。このホグワーツでは、救いを求める者には必ずや助けが与えられると。当然、金よこせ、虐めたい、妬ましい、テストでカンニングしたい、といった“邪な救いを求める声”には、助けは永遠に来ないでしょうが」

 

 反面、自分勝手に逃げる者、誰かのせいにして耳を閉ざす者、誰かを密告して身代わりにしようとする者。

 

 もしホグワーツにそんな愚かな教師や生徒がいたとしても、他ならぬホグワーツ自身に見捨てられるだろう。彼ら自身が、善き物語から背を向けて、皆が幸せになれるハッピーエンドよりも、自分だけの快楽や安全を望んだのだから。

 

 因果は巡り、負債は相応しい結末となって、最後の最後に現れる。お伽噺には、そういった正しくも残酷な側面もあるものだ。

 

 

 「……杖魔法が発達する前の、原初の魔法ってことか。まあ確かに、子供の時に発現する魔法に杖は使わないし、“無言呪文”や“杖なし呪文”もあるわね。開心術なら目を合わせるだけで“望めば”覗けるし」

 

 「逆に、閉心術は“望んで閉ざす”ものですね。誰かと友達になりたい、分かり合いたいという想いではなく、知られたくない、隠していたいという想い。別に非難するつもりはありませんが、酸いも辛いも知った大人向けの魔法であって、純粋な子供に教えたいものではありませんね」

 

 穿った見方をするならば、閉心術の素養が高いということは、幼少期に親や大人から心を閉ざしていたことを意味する。子供が子供らしく、心を無防備に出来なかった瑕のようなものとも言えるだろう。

 

 

 「アタシの三文芝居でも騙されてくれる、あの子達のような、ね。糞リア充のくせに、ちゃんと親はやってるのねシグナスのやつ」

 

 願わくば、危険な魔法など覚えることなく、健やかに成長して欲しい。

 

 騙す術、戦う術、ましてや許されざる呪文など、あの子らに似合わぬものはないのだから。

 

 

 

 「必ず助けが与えられる、か。流石ダンブルドア先生、いい言葉だわ」

 

 「彼曰く、ホグワーツそのものに幾重にも古い守りがかけられているそうです。純粋な願いが届くならば、一年生がトロールをやっつけることも、あるいはケルベロスやドラゴンを出し抜くことだって出来るのかもしれません」

 

 「まるで御伽話のように、ね。そりゃあ、子供の学び舎に一流作家の描く大人の悲劇なんかお呼びじゃないわよ。例え滑稽な三流紙芝居でも喜劇のハッピーエンドじゃなきゃ、子供達を笑顔になんて出来ないしね」

 

 「さてさて、この結末がハッピーエンドと言えますかどうか。この後にはお父様からのお説教が確実に待っているのですから」

 

 「そこは悪霊の領分じゃなくて、親の領分でしょうに。けけけ、せいぜい似合わない仏頂面で、愛娘たちに説教するがいいわ、不器用シグナスめ」

 

 「幽霊への見事な対処をしてみせた長女を、内心では存分に褒めたいのを隠しながら、ですか?」

 

 「ええそうよ。娘達に抱きつかれながら、せいぜい幸せに埋もれて萌え死ねばいいの」

 

 

 軽口を叩くように言いながら、彼女の顔には笑みが浮かんでいた。

 

 過ぎ去ってしまった遠い日、幼い自分がかつて入学した頃の風景を幻視しながら。

 

 止まってしまった自分と違って、次代へと命のバトンを渡していった同級生たちを寿ぐように。

 

 マートル・ウォーレンは、久方ぶりに心からの笑顔で奇妙な隣人に微笑むのだった。

 

 



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7話 竜の首輪と眠れる竜

 

 「なあエイモス、魔法史の授業は四寮合同だって話だけど、絶対にプルウェットとブラックが“また”ぶつかる気がするんだ」

 

 ホグワーツに入学したての新入生恒例の、移動教室であちこちに迷う季節。

 

 9月も中旬頃のホグワーツにて、相変わらず一定しない不親切さを誇る廊下に悪戦苦闘しながらも、早くもグリフィンドールの“有名人”になりつつある男子生徒、アーサー・ウィーズリーは友人とともに次の授業へと向かっていた。

 

 

 「奇遇だね、僕も絶対にそう思うよ。下手したらマッキノンも参戦しちゃうんじゃないかな?」

 

 応じるのは、教室に向かう途中で鉢合わせた、ハッフルパフの新入生、エイモス・ディゴリー。

 

 入学時のホグワーツ特急で偶然同じコンパートメントとなり、意気投合した友人である。

 

 残念ながら、アーサーはグリフィンドールに、エイモスはハッフルパフと所属する寮は分かれてしまったが、この二寮はもともと仲が悪くないし、合同授業でも啀み合うようなことはない。

 (必ずグリフィンドールとスリザリンが啀み合う魔法薬の授業とは大違い)

 

 

 「はぁ、ただでさえ血の気が多いのに、あの二人が揃うと行動力も喧嘩っ早さも二倍になっちゃうぞ、間違いない」

 

 「うんまあ、組分け前にホグワーツ特急で喧嘩してたもんね。マッキノンが介添人をやって決闘まがいになってたけど、気のせいじゃなければ失神呪文が飛び交ってなかったかな?」

 

 「赤い閃光、ではあったな。願わくば武装解除あたりであってほしいほしいもんだが……第一印象からして凄かったしな」

 

 考えれば考えるほどに、不安は増していく。

 

 入学して僅か2週間ほどで、ホグワーツ全体にまで有名になりつつあるグリフィンドールとレイブンクローの女生徒。

 

 モリー・プルウェットとマーリン・マッキノン。

 

 如何なる運命の導きか、その二人も偶然にもアーサーとエイモスのコンパートメントに乗り合わせていた。なので彼女らが“有名人”になる前から、その為人は存じ上げていた。

 

 最初は、コンパートメントで対面に座りながら普通に話せていたのである。エイモスは少し“名家の女の子”との会話に気後れしていたけれど、プルウェットもマッキノンも接してみれば話しやすく、貴族っぽさや名家であることを鼻にかける様子はなかった。

 

 まあ、マッキノンの方は、随分と“自信満々な”お嬢様っぽい部分はあったけど。4歳離れた妹がいるらしいし、どっちかと言えば、アネゴ肌ってやつなんだろうか?

 

 

 「あのブラックがいきなりコンパートメントに押しかけてきて、“ここに血を裏切りしウィーズリーがいるとお聞きしたのですけれど?”だもんねえ」

 

 「そこにいたのが“麗しの”プルウェットと“賢明なる”マッキノンだったのがもう既に爆弾の着火作業というか、あそこまでトントン拍子に罵り合いから武力行使まで行くとは思わなかったよ」

 

 「僕は確信したね。絶対にプルウェットはグリフィンドールで、ブラックはスリザリンに組分けされるだろうって」

 

 恐らくだが、例え彼女らを見ていなくとも、家名を聞いただけで大半の人間はそう予想するだろう。

 

 そして、大方の予想を一切裏切ることなく、彼女らは行くべき寮に組分けされた。

 

 マーリン・マッキノンについては、グリフィンドールとレイブンクローで半々といった印象だったが、まあまあ、妥当な結果と言える。

 

 

 「グリフィンドールらしい、か。うん、ハッフルパフの方には、二人が啀み合ってる時のことばっかりが伝わってると思うけど、プルウェットはあれで結構規則には厳しいし、校則とかはきっちり守るタイプなんだよ」

 

 「え? 意外だね」

 

 「まあ、腐ってもプルウェット家のお嬢様だし、ブラックと一緒にさえいなければ、勉強もできて、規則もしっかり守って、授業にも遅れず予習もきっちりの秀才タイプだよ。そこはまあ、レイブンクローのマッキノンと気が合う部分なんだろうけど」

 

 「言われてみれば、僕と君もすぐ馬が合ったけど、あっち二人もすぐ馬が合ってた感じだったもんね」

 

 「だろう? そういうわけで、グリフィンドール生なんて自分から滅多にスリザリンに近寄ったりなんかしない。だから、大人しめの奴らにとってはプルウェットと言えば“校則遵守主義”の頭の良いお嬢様らしい」

 

 「………第一印象って、大事なんだね、物凄く」

 

 「そして、その“校則遵守主義”のお嬢様だが、やる時は徹底してやる。その爆発力については、グリフィンドールたる所以なんだろう」

 

 良くも悪くも、彼女はグリフィンドール。

 

 普段は礼儀正しく、勉強が遅れがちの子達への面倒見もよく、数年後には確実に監督生候補になるだろうと誰もが思う優等生だ。

 

 しかし、実家や友人を侮辱され、ましてやマグル生まれの同級生を“穢れた血”と呼ばれでもすれば、彼女の中の眠れる竜が目を覚ます。

 

 

 「それで、止めるのが君なんだね。“竜の首輪”ウィーズリーくん」

 

 「やっぱり、ハッフルパフまで伝わってるのか、それ」

 

 ホグワーツ特急で行われた、モリー・プルウェットとベラトリックス・ブラックの記念すべき第一回の決闘。

 

 非常に危険な紛争地帯に勇気を持って飛び込み、双方からの衝撃呪文の直撃を喰らいながらも、何とか身体を張って場を収めたのはアーサーである。流石は勇猛果敢なグリフィンドール。

 

 そんなことが入学後も二度三度とあり、今ではすっかり、二人が喧嘩をしていたらマクゴナガル先生かシグナス・ブラック副校長先生を呼ぶ、もしくはアーサーを身代わり地蔵、もとい、生贄の羊に差し出すのが通例となってきた。

 

 なお、マーリン・マッキノンについては、介添人を買って出るくらいなので、抑止力は到底期待できない。

 

 

 「だって、怒った時のプルウェットって、本当にドラゴンみたいに怖いじゃないか」

 

 「それはまあ、同意するけど」

 

 眠れる竜を起こすべからず。

 

 怒れるプルウェットには近づくな。

 

 普段は割と温厚といってよい彼女なだけに、怒った時の爆発力、そして暴れ具合がとんでもない。いや、本当に。

 

 そんな彼女を全く恐れずに突っかかっていくベラトリックス・ブラックもまた、ある意味で勇気の塊とも言えるだろう。

 

 

 「でも頼むから、喧嘩の仲裁に呼ぶならブラック副校長にして欲しいんだよ。プルウェットは一度怒ったらマクゴナガル先生が来るって聞いても引きはしないけど、ブラックは“お父様”に怒られるのを恐れてるみたいだから」

 

 「副校長も、マクゴナガル先生なみに厳しいからね。それに、いっつも公平で、娘だからって贔屓はしないし」

 

 「そこは分かる。逆に、少しくらいは娘の味方になってやってもいいんじゃないかって、グリフィンドールの僕らが思うくらいだよ」

 

 シグナス・ブラック副校長の、あまりにも冷徹な“中立性”、“公平性”もまた、既に新入生でも知ってるほどに有名であった。

 

 己の出身寮でもあるからか、基本的にはスリザリンに好意的ではあったが、いざ物事の評価、判断の時にはその天秤は僅かばかりも揺らがない。一部では鋼の天秤などとも呼ばれている。

 

 まるで、いかなる時も中立を貫くことを、己に課しているかのように。

 

 

 「だったらやっぱり、“竜の首輪”たる君が身体を張って止める方がいいんじゃないかな?」

 

 「僕の身が持たないだろ、それ。だいいち、一方的に敵視されてるのはこっちなのに、なんで僕がブラックのために身を削らなきゃならないんだ。理不尽にも程があるよ」

 

 「そこはほら、プルウェットのためだと思って」

 

 「そっちにしても同じだよ。そりゃ、彼女のことは嫌いってわけじゃないけど、規則にうるさいところは苦手でもあるし」

 

 「ああーそっか、君って基本的にはグリフィンドールの男子らしく悪戯っ子の方だもんね。“普段の”プルウェットには逆に注意されちゃうんだ」

 

 「そうなんだよ、エイモスも知ってるだろ、僕が集めてる、ほら、マグルのアレとかさ……」

 

 「うんまあね。アーサー、一応僕からも忠告しておくよ。持ってるだけなら何ともないけど、魔法で改造は違法なんだからね」

 

 「止めてくれ、プルウェットにも散々言われたんだ。“下手に間違えれば退学よ”、“今度見つけたらマクゴナガル先生に本当に言うからね”って」

 

 「だったら尚更だよ。そこについては彼女が正論だね」

 

 「分かってる、分かってるけどさ、………男のロマンが、あるんだよ」

 

 苦悩しながらも、結局は趣味を捨てられない友人の姿を見ながら、エイモス・ディゴリーは思った。

 

 やっぱり、“眠れる竜のお嬢様”と“竜の首輪”殿は、お似合いなのでは?

 

 

 「君たちさ、何だかんだで似たとこあるよね」

 

 こうしてハッフルパフの僕と親しく話すように、普段は温厚で人当たりのいいアーサー。

 

 そして、話を聞く限りでは、普段は温厚かつ校則を重んじる秀才肌らしいプルウェット。

 

 でも、こと自分の趣味のマグルの品のこととなると、例え法律を破ってでも没頭してしまうアーサー。

 

 同じくというべきか、こと身内に危害が加えられたり、侮辱されたりしたら烈火の如く怒り狂うプルウェット。

 

 だけれど、仲間や自分の好きなものを侮辱されたら例え相手が誰でも怒るのは、アーサーだって同じかな?

 

 それに、プルウェットもアーサーの“秘密の悪行”のことは知りつつも、結局は寮監のマクゴナガル先生にも言ってないみたいだし、何だかんだで甘いのかな?

 

 あっでも、ひょっとしたらブラックとの決闘の仲裁役で迷惑かけちゃってるって負い目もある?

 

 考えれば考えるほど………うん、やっぱりお似合いなのかも。

 

 

 「似てる? 僕とプルウェットが? 馬鹿言わないでくれよ」

 

 「不思議だね、やっぱり自分自身ってのは見えにくいものなのかな?」

 

 思えば、まだまだ入学して間もないというのに、グリフィンドールの友人は随分と濃密な時間を過ごしているようだ。

 

 何だかんだで、僕はハッフルパフで良かったのかなと、騒動から程々の距離を保てることに、エイモス・ディゴリーは安堵した。

 

 ただし、その四寮が鉢合わせることになる、曰く付きの“魔法史の授業”は、文字通り目前に迫っていたのだった。

 

 さあ、地獄の釜ならぬ、合同教室の扉が今開く。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「さて、私の授業の方針については大方伝えましたので、そろそろ講義に移りましょう。せっかく英国を代表する名家の者らが揃っているわけですので、最初の議題は英国における聖28家の歴史的立ち位置といきましょうか」

 

 そして、いきなり地雷を踏み抜いていくドクズ悪霊がここにあり。

 

 8年ほど前に、ルーファス・スクリムジョールが受けた時と同様の“伝統演説”を行った後、ノーグレイブ・ダッハウの出した課題は見事と言って良いものだった。

 

 この教室に存在しているいくつかの“地雷”を選んで、その上で時限爆弾の解体作業を行うがごとくの授業スタイル。

 

 噂には聞いていたが、よくぞまあ、ここまで騒動が起こりそうな授業ばかり出来るものだと、感心してしまいたくなるほどに。

 

 

 「あの先生、正気なのかしら?」

 

 「狂気なのではなくて? 少なくともわたくしはそう思うけれど」

 

 聖28家が議題となれば、確実に白羽の矢が立つことであろう女生徒、モリー・プルウェットは思わずと隣に座る友人に声をかけてしまうが、返ってきたのは厳しい現実を告げる言葉だった。

 

 四寮の生徒が合同が伝統となっている魔法史の初授業。これまた伝統的にグリフィンドールの赤とスリザリンの緑は混じり合うことなく、大教室の両側に陣取っているわけだが。

 

 基本的にはどこに座るかは個人の自由なので、彼女がこうして、レイブンクローの友人、マーリン・マッキノンの隣に陣取っていた。

 

 

 「それに貴女もよモリー、こうなるのが分かってたから、わざわざ一人でわたくしの隣に座ったのでしょう。そのグリフィンドールらしい勇気には、心から敬意を覚えますわ」

 

 パチリとウィンクを返しつつ、不敵な笑みを浮かべながらマーリンは言った。

 

 彼女、マーリン・マッキノンは常にそう、何時だって自信満々で自分の意見や想いを真っ直ぐに告げる。

 

 ホグワーツ特急のコンパートメントで初めて出会った時からそうで、きっと彼女はグリフィンドールに組分けされるのではと、あの時は思ったものだったけど。

 

 

 「貴女のかけがえのない同室のお友達、エイミーもマリアもサティも良い方々ですけれど、聖28家やそれに準じる名家ではない。そして、こういう授業内容ならば、ベラトリックスが貴女に挑む好機を逃すとは思えませんわ」

 

 恐るべき思考の速さと、機転の効くその頭脳は正しくレイブンクローの資質。

 

 モリーとて授業の準備は欠かしたことなく、勉学には一家言程度はあると自負しているが、彼女を前にしては後塵を拝するより他にない。

 

 それほどに彼女、マーリン・マッキノンは頭脳明晰を地で行く才女であったから。

 

 

 「ならばこそ、関わらざるを得ない家の出身で、なおかつ闘争から逃げるつもりのない人物の隣に座るというのは、悪くない判断だと思いますわよ」

 

 「ありがとうマーリン、嬉しいけれどもう少し声を小さくしたほうがいいわ」

 

 「別に構わないでしょう。先生は公開ディベートにわたくし達を招待する気が満々のようですし、この名を両親から授かったその時から、隠れてコソコソ囁く道などわたくしにはありませんの」

 

 彼女の名はマーリン。他国ならばいざ知らず、このイギリス魔法界では知らぬ者のいない名前だ。

 

 マグル世界において、“マリア”の名を娘につけることは数多くあるが、息子に“キリスト”や“ブッダ”と名付けることは当たり前ではないように。

 

 イギリス魔法界において、それも娘に“マーリン”の名を与えるというのは、親もまた相当の胆力がある証拠と言えるだろう。

 

 

 「マグル生まれの生徒たちはあまり馴染みの薄い言葉でしょうが、イギリスには疑いなく純血と考えられている28の家があります。最古参と知られているのは“杖づくり”オリバンダー家であり、紀元前から名前がある家も多数あります。同時に、全てがブリテン島起源でなく、長い歴史の中で他国から移住してきた家も多くあり、そちらでは征服王ウィリアム時代のマルフォイ家などが有名でしょう」

 

 先の発言からしばし間を置き、若干ざわつく教室の生徒達の視線が、ここに存在する“該当する生徒たち”に集まり始めた頃、悪霊教師は再び口を開き説明を続けていく。

 

 「ここで全ての家を説明するには到底時間が足りませんし、各家の歴史を語り始めては例え一つに絞ったところでやはり無理があります。ですのでここは、グリンゴッツのゴブリンとの関係を例に“古き家の盟約とは如何なるものか”、という観点から解説していくこととします」

 

 魔法界の金融を支えるゴブリンの銀行、グリンゴッツ。

 

 ゴブリンの反乱を例に出すまでもなく、その存在は魔法界の歴史において重きをなしていることは言うまでもないが。

 

 

 「ゴブリンって、またよりにもよって」

 

 「これはますます、貴女向けになって来ましたわね、モリー」

 

 殊に、プルウェット家はゴブリンとの縁が深い。

 

 特定の魔法生物に縁が深く、先祖が盟約を交わした家の例は多々あるが、その中でもプルウェット家とゴブリンのそれは、“歴史の教科書”に載るほどに有名なのは事実だった。そうした面では、魔法史の授業として逸脱しているわけでもないのだろう。

 

 そのプルウェット家の長女が、こうして目の前にいることを除けばだが。

 

 

 「ではここで質問を一つ、グリンゴッツの地下深くに魔法使いの家の金庫が数え切れぬほど存在していることは皆さんご存知と思いますが、その中でも特に厳重で警備が厳しく、ドラゴンが番人となっている特殊金庫が知られております。ミス・ブラック、それらを持つ家の名をお答えいただけますか?」

 

 この教師、煽りよる。

 

 つくづく、争いごとの火種に油を注いで回るのが性分なのか、戦争=人間の歴史と頭から信じ込んでいるのか。

 

 多分、両方だろう。

 

 

 「はい、グリンゴッツが特別な家に設けている金庫の数は五つ。レストレンジ家、マッキノン家、マルフォイ家、プルウェット家、そして、ブラック家が該当します」

 

 「その通りです、スリザリンに2点を与えましょう。皆さんも金を借りたければこの五家にたかるのがよいでしょう。では続けてミスター・レストレンジ、一体なぜ通常の金庫とは別にドラゴンを番人にするほどの特別な金庫を用意する必要があったか。その理由については?」

 

 何気なくクズ発言を挟みつつ、次に指名された生徒は、ラバスタン・レストレンジ。

 

 8年前に在籍したロドルファス・レストレンジの弟であり、たった今“ドラゴン金庫の家”として名前が上がったばかりの少年だ。

 

 

 「それらの金庫が、個々の家のために用意されただけのものではないからです。魔法族はゴブリンを信頼して金融を任せ、時には自分達の生死よりも大切な家宝すらも預ける。その象徴、あるいは証明として五つの家が選ばれ、それぞれが家宝か、それに値する物品を預けました」

 

 「良い答えです、スリザリンに2点を追加します。ミスター・レストレンジが述べてくださった通り、五つの家は単純な財力で選ばれた訳ではありません。無論、相当な財力を誇る家であることは事実ですが、魔法族を代表すると言えるだけの者達が、信頼して預けるに足るのがグリンゴッツであるという、一種の政治的アピールという要素が強くあります。ならばこそ、ドラゴンという存在は象徴たりえましょう」

 

 魔法界、マグル世界を問わず、銀行という組織が預かるものは“信用”だ。

 

 港湾における貸倉庫業しかり、空港におけるコンテナヤードしかり。

 

 公的な機関として置かれる輸送、保管を担う倉庫には、実態としての警備以上に、象徴的な“信頼性”が求められる。

 

 

 「ただ同時に、象徴を重んじるのは魔法族の、あるいは人間の文化と言えますが、ゴブリンは非常に実際的な考え方を持つ生き物です。そんな彼らが、地下に危険なドラゴンをわざわざ連れ込み、リスクを考慮した上で飼いならすということを行っている。その理由についてはどうでしょう、ミス・マッキノン」

 

 「理由、それはつまり、“特別な金庫を魔法族のために用意する理由”、ではなく“ドラゴンという生き物を番人として飼う”理由ですか?」

 

 「はい、その理由です。グリンゴッツには強力な防護呪文が備わっており、管理している金銀や宝石、宝にも強力な“呪い”がかけられているのは周知の事実。仮にセキュリティを突破して“持ち出す”ことに成功したとしても、今度はゴブリンたちからの執拗な“追撃”を覚悟せねばなりません。ゴブリンは絶対に受けた恨みを忘れない生き物。であるにもかかわらず、ドラゴンという存在を配置する意味とは?」

 

 例え泥棒がいたとしても、“割りに合わない”ことは誰もが知っている。

 

 ゴブリンが名誉にかけて守っているという事実だけで、“信頼”としては十分であり、仮に持ち出されたとしても追撃して殺せば見せしめとなり、次に泥棒が入る可能性が一気に低くなる。

 

 地下に繋がれているドラゴンは、侵入者の追撃には向いていないのだから、イメージとしては心強いものの実際に防衛と追跡を考えれば必ずしも最適とは言えないだろう。

 

 だがしかし、幻想の生き物とは数多く、中にはその例外になり得る存在もいるのだ。

 

 

 「独自の姿くらましによって後を追える妖精の類ではなく、ドラゴンを置く理由。それは、“宝を持ち出すつもりのない”侵入者に備えてのことです」

 

 「ほう、宝を持ち出す理由のない侵入者、謎めいた表現ですね」

 

 「他ならぬ先生自身が問いかけをなさることのほうが、謎掛けとしては面白いと思いますわ」

 

 まるで対話そのものを楽しむように、マーリン・マッキノンは不敵に笑いながら答えを続ける。

 

 隣で聞いているモリーとしては冷や冷やものでもあったが、同時に、場を圧する如き空気がそこにあり、そうした知的な空間こそはマーリンという少女の独壇場と言えた。

 

 

 「金貨や宝石を“外へ持ち出す”ことを望むのは、前提として実体を持つ侵入者ですわ。闇の魔法使いであれ、吸血鬼であれ、鬼婆であれ、宝を欲して金庫へ入り込む相手だけを想定するならば、先生のおっしゃる通り“追撃”を徹底することに力を注ぐべきで、ドラゴンは無用の長物になってしまいます」

 

 ただしそれは、生きて実体を持つ存在に限っての話。

 

 

 「ですが、“ただ宝に惹かれてやってくる霊魂”についてはその限りではありませんわ。魔法使いの名家の金庫には呪いの品、曰くの品、あるいは特定の魔法生物にとって非常に魅力的に映る宝物が多く格納されます。それらに対して、外に持ち出すつもりなどなく、ただやってくる者達には“追撃”の恐怖は意味をなしません。そう、先生のような存在ならば」

 

 「素晴らしい答えです。レイブンクローに5点を与えましょう。そう、生きているあなた方には想像し難い概念でありましょうが、だからこそ考えることに意味があります。我々霊魂、霊体にとっては自分に結びつける曰くの品や“縁”、そして霊的な場を整える力を持った聖遺物などを求める渇望は、時に生者のそれを遥かに凌駕します。飢えた亡者が温かい血肉を求めるように、本能による行動と言っても良い」

 

 グリンゴッツの宝に惹き寄せられる存在は、生者とは限らない。

 

 死者だからこそ呼び込まれ、そして、彼らは“取り憑く”性質である故に、出ていくことなど考えない。

 

 せっかく特別な金庫を用意したというのに、そこが野良ゴーストの巣窟となり、宝物が呪われてしまってはグリンゴッツの信用は当然ガタ落ちだ。

 

 

 「ならばこそグリンゴッツは霊魂という害虫駆除のための手段を持ちます。その効能については、ミス・プルウェット、お願いいたします」

 

 バトンはまわり、彼女の番がやってくる。

 

 この質問に答えるならば、モリー・プルウェット以上に相応しい人物はありえまい。

 

 

 「数に限りはありますが、真に鍛えられたゴブリン銀の製品は、魔を祓い、霊体に対しても有効な対抗手段となります。吸魂鬼などの強力な悪霊が相手であっても、魂を切り裂いて破壊することが可能なほどに。ティアラなどの装飾具についても、同様の材料と加工法によって破魔の属性を帯びさせることができます」

 

 「伝承においては、ゴドリック・グリフィンドールの剣などが特に有名ですね。では、ドラゴンについては?」

 

 「その爪は鉄をも切り裂き、牙には強力な毒があります。それ自体が生き物にとっては脅威となりますが、霊体にとって最も厄介なのは炎のブレス。ドラゴンの炎は対象が物体であれ霊体であれ、例外なく焼き尽くす力を持っています」

 

 「その通り、グリフィンドールに5点を与えます。皆さんにとっては朗報となるかもしれませんが、ゴーストや亡者は基本的に火に弱く、中でも最も恐れるものがドラゴンの炎です。彼らドラゴンは幻想の王である故に、その炎に焼かれれば弱い幻想は掻き消えてしまう、まさに後には影すら残らずに」

 

 果たしてそれは、朗報と呼べるものなのだろうか。

 

 聞いていた生徒たちの脳裏に、疑問がよぎる。

 (ある女生徒のみは、ゴーストが火に弱いと聞き、別のことを思い浮かべていた)

 

 

 「もし、私を殺したいと思うならば、ドラゴンをけしかけるのが一番です。呪いの器物を破壊するには“悪霊の火”が向いていますが、その名が示す通り、私や吸魂鬼に“悪霊の火”はさほど効果がありません。モノは破壊できても、邪念や情念は却って炎に同調して残留してしまいますので。物体破壊ならば悪霊の火を、霊体破壊ならばドラゴンの炎です」

 

 あるいは、物体に魂が宿っており既に一体化している場合ならば、悪霊の火でまとめて焼き尽くすことも出来るだろうが。

 

 ゴーストのように物体の核を持たない霊体ならば、ドラゴンの炎で焼き尽くすに限る。

 

 

 「ドラゴン使いは高度な専門技能が求められる職業ですが、歴史に伝わる強力な魔法具の中には“竜の首輪”が有名ですね。グリンゴッツのドラゴンに用いられているのはこの贋作というか、亜種と言える品ですが、真に伝承通りの本物ならば、ドラゴンを自在に飼いならし、操り、私へけしかけることも不可能ではありません」

 

 その瞬間、教室中の生徒の視線が、とある一人に集中した。

 

 その視線を一身に浴びた生徒、アーサー・ウィーズリーは自分の子供がドラゴン使いになったら面白いなと、半ば他人事のように思っていた。

 

 同時に、エイモス・ディゴリーやマーリン・マッキノンの脳裏には、アーサーを首輪にモリーを悪霊教師へけしかける構図が浮かんでいた。

 

 

 「故に、グリンゴッツの特別金庫にはドラゴンが番人となっているのです。生きた侵入者は爪と牙で引き裂き、死した亡霊が寄ってくればその炎で消し飛ばす。似た防衛構想にアズカバンの吸魂鬼もありますが、そんな宝物は誰も手に取りたくなくなるので、せいぜい墓守くらいにしか役立ちそうにありません。とはいえ、墓守の魔法生物ならばスフィンクスの右に出る者はいないので、こちらも需要はないでしょうが」

 

 地下の金庫にはドラゴンを。

 

 牢獄の罪人には吸魂鬼を。

 

 王の墓にはスフィンクスを。

 

 相応しき場所に、相応しき番人を配する。そうして、魔法界の歴史は紡がれてきた。

 

 そして、古い名家という存在が、その契約に大きく関わってきたならば。

 

 

 「それでは軽い宿題レポートとして、皆さんに考えてもらいましょう。アクロマンチュラやバジリスク、マンティコアやキメラ、あるいはレシフォールドなど、“極めて危険”とされる魔法生物を選び、彼らが実際に運用されている場所を調べるか、あるいは、“こんな風な番人が適している”というアイデアを出してみてください。1種あれば十分ですが、たくさん調べたり、アイデアが複数あるならば、幾つでも構いません。基本的には多い分だけ加点しますので」

 

 魔法界のこれからについても、考えることに意味がある。

 

 例えば、吸魂鬼を置いているアズカバンに、レシフォールドを看守にしたらどうなるのか?

 

 あるいは、禁じられた森の番人を、アクロマンチュラに任せることは出来るだろうか?

 

 そして、毒蛇の王たるバジリスク。王の墓ですら彼を番人としたりはしない。ならば彼に相応しい金庫とは、一体どこにあるのだろうか?

 

 

 「歴史を知り、学び、そして未来を考える。グリンゴッツ銀行とドラゴンという組み合わせ一つにも、これだけの要素と歴史があるのです。ならば、縁が複雑に絡み合った魔法界において、魔法族と魔法生物はどのように関わってきたか。その奥は非常に深いものの、ならばこそ、危険な魔法生物というものは取っ掛かりの例としては考えやすい課題であるとも言えましょう」

 

 そうして思考を進めていけば、必ず最後の疑問に辿り着く。

 

 果たして、この教室の中の何人がその疑問を考え、しかし永遠に答えが出ないことを知るだろうか。

 

 人間にとって、“最も危険な生物”は他ならぬ人間自身であり。

 

 “見知らぬ人間との共存”ほど、難しい課題はない。

 

 何しろ、“平和”という宝を格納する“国家”という金庫を守る番人をこそ、“戦争”と呼ぶのだから。

 

 

 グリフィンドールの談話室の入り口の番人に、スリザリンの監督生を。

 

 スリザリンの談話室の入り口の番人に、グリフィンドールの監督生を。

 

  

 もし、そんな“近寄りたくない危険な生物の番人の例”を書いてくる生徒がいれば、ノーグレイブ・ダッハウは喝采と共に満点を与えるだろう。

 

 その生徒は、人間の歴史というものを非常によく学んでいると。 

 

 



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8話 決闘のちところによりお辞儀

読んでくださる方々、お気に入り、感想、評価いただいた方々、本当にありがとうございます。

拙作ですが、皆様の期待に応えられるよう頑張っていきたいと思います。

今回はようやくお辞儀が書けて嬉しい。
アーサーとモリーの世代は個性豊かで書いてて面白かったです。


 「今年もハロウィンの時期が近づいて参りましたが、どこが勝つでしょうか?」

 

 「ハロウィンは新入生だったわよね。うーん、今年の生徒の様子だと、スリザリンじゃないかしら?」

 

 徐々に冷え込みも厳しくなり始め、秋の終わりと冬の訪れを感じ始めるホグワーツ。

 

 寒さなど感じない、というか触れるとむしろ人間のほうが寒くなるゴースト二人組は、いつものように雑談に興じていた。

 

 ゴーストは基本眠らないし食事もしない。退屈こそが最大の敵といえるかもしれないが、このホグワーツの裏側管理人や事務方などをやっていれば、その言葉とは永遠に無縁であることは間違いなかった。

 

 

 「スリザリンの新入生で有望株と言えば、エミリオ・セルウィンとレオポルド・エイブリーといったところですかね。どちらも聖28家に名を連ねる名家にして嫡男であったはず、優秀さにおいては流石というところか」

 

 「あたしみたいなマグル生まれでも優秀なのはいるけど、やっぱり新入生のときは純血名家にアドバンテージがあるわね。特に聖28家ともなれば、闇祓いだったり魔法生物と縁あったり、杖作りだったりで歴史と伝統もあるものね」

 

 「ところがどっこい、エイブリー家の専門は魔法薬調合のための大鍋製造、セルウィン家は魔法の暖炉の建設が家業だったりします」

 

 「すっごい地味だった」

 

 意外! それは製造建築業!

 

 

 「地味ながらも、とても大切な縁の下の力持ち。聖28家とは言うものの、その全てが綺羅びやかな役職に就いているはずもなく、彼らのように一見地味ながらも魔法界にとっては必須の品々を地道に作ってくれている方々がいるからこそ、日々の生活も回っているのです。ハイパー地味と侮蔑したことは反省しましょう」

 

 「別にハイパーとまでは言ってないわよ、別に。でもまあ、確かに大鍋と暖炉なら誰でもお世話になるのは間違いないかしら」

 

 ダイアゴン横丁で大抵の魔法薬が購入できる時代とはいえ、それでも各家では魔法薬を調合できる大鍋の一つや二つはあるのが当たり前。

 

 魔法の暖炉に至っては言わずもがな、この時代に煙突飛行ネットワークに加入していない一般家庭のほうが珍しかろう。

 

 

 「我々ゴーストはお世話になりませんがね。フルーパウダーが含まれていようが、火は火です」

 

 「当たり前よ。寒さが売りの幽霊が暖炉に近寄ってどうすんのよ。ところで、レオポルド・エイブリーって、どっかで聞いた覚えあるんだけど?」

 

 「同名のお父上が25年ほど昔にスリザリンに在籍しておられました。1938年度入学なので、例の優秀監督生のイグネイシャス・プルウェット、ハロルド・マッキノンと同世代ですね」

 

 「あー、思い出したわ、ハロルド先輩にもちょくちょく喧嘩売ってたスリザリンの狐野郎レオポルド。居たわねそんな奴」

 

 記憶を頭から引っ張り出せたためか、手をパチンと叩くような仕草をしながらマートルさんが頷く。無論、ゴーストなので実際に音は出ないが。

 

 半実体化している状態ならばともかく、普通の幽体の今では物理的な干渉と音はゴーストからは無理である。

 

 

 「狐野郎ですか、その渾名は貴女が付けたものでしょうか? それとも当時のレイブンクロー生ならば周知のだったのですか?」

 

 「どうかしら。レイブンクローでは知られていたと思うけど、ハッフルパフやグリフィンドールでまで使われていたかはボッチだったあたしにも、“マーテルちゃん”にも分からないわ」

 

 「時々思い出したように話に出てくる“マーテルちゃん”は悲しくなるので止めてください。そろそろエア友達の真実に向き合いましょう」

 

 「案外、スリザリンの連中こそ狐野郎って読んでたかもね。あいつのリドル先輩への心酔っぷりは有名だったし、いっつもリドル先輩の偉大さばっかり居丈高に言ってくるもんだから、ついた渾名が狐野郎よ」

 

 鏡の中友達への指摘は完全に無視、流石マートルさん、スルースキルも半端なかった。

 

 

 「狐野郎の意図は察するところ“虎の威を借る狐”あたりですか。ご本人としては番犬を自負していたのかもしれませんが」

 

 「リドル先輩に番犬なんて必要ないと思うけどねぇ。そう言えばあの人、今頃何やってるのかしら?」

 

 ふと思い出すように、生前の知己の今を考える。

 

 ゴーストとしては健全なのかどうかの基準は難しいが、自分の過去の妄念だけでなく、他者のことを普通に考えられるというのは彼女の状態が安定していることを意味するだろう。

 

 

 「貴女が“先輩”と敬称をつけるのも珍しいですね。それも、スリザリンの監督生を相手に」

 

 グリフィンドールのイグネイシャス・プルウェットは呼び捨て、レイブンクローの一つ上であったハラルド・マッキノンには先輩を付けるが、スリザリンのレオポルド・エイブリーは狐野郎呼ばわりで、シグナス・ブラックに至ってはもはや何も言うまい。

   

 マグル生まれであったマートルさんを“穢れた血”と侮蔑するスリザリン生は当時も多く存在しており、基本彼女とてスリザリンにあまり好感は持っていないが。

 

 

 「リドル先輩は別よ。あの人は混血だったって聞くけど、事情があってあたしと同じくマグル世界で育ったらしくて、他のスリザリンの奴らと違ってマグル生まれであっても対等に接してくれた数少ない人だもの。どこぞの高貴なブラック家の糞オライオンとか、腐れシグナスとか、あとマルフォイ家の白髪野郎とかと違ってね」

 

 「相変わらずのブラック嫌いですね。それと、白髪野郎というのは、アブラクサス・マルフォイ氏のことでしょうが、そんなに嫌いだったのですか?」

 

 「当然よ。曲がりなりにもこっちが上級生だってのに、あんなゴミでも見るような目で見下されれば、嫌いにもなるってもんだわ」

 

 「ほほう、彼らがこの世の真理を既に知っていたわけですね。すなわち、マートルさんはゴミ屑」

 

 「そしてアンタはもっと嫌いだわ、ドクズ悪霊」

 

 多分、この世で一番嫌いだろうと、マートルさんは心の底から思った。

 

 コイツほどぶん殴ってやりたくなる存在はなく、それが無意味であることが分かっているので虚しくもなってくる。

 

 本当に、嫌な腐れ縁だった。

 

 

 

 「貴女のような穢れた血まで対等に扱ってくれていたならば、トム・リドル氏を監督生に推薦したというダンブルドア先生の慧眼は流石だったのでしょうね」(さり気なく蔑称を混ぜて使う真性のクズ)

 

 「スリザリンの一部からは煙たがれてたらしいけど、グリフィンドールですらもリドル先輩にはけっこう好意的だった……ん、トム?」

 

 「ええ、トムです。当時のスリザリンの監督生であった彼の名称はトム・マールヴォロ・リドル」

 

 「じゃあ、リドル先輩が例の新人さんの探してた家族の候補かもしれないのね」

 

 「そうなりますかね。もし、メローピーさんの口からリドルという名前が出ればほぼ確定と言えるでしょうが、あいにくと、彼女は未だ自意識すらはっきりしていない状態です」

 

 「うーん、そっか、まあ、そうよね。あれからどれくらい経ったっけ? 2ヶ月くらい?」

 

 「正確には、“2年と”2ヶ月が経ちますが、なかなか遅々として進んでいません。彼女とせめて一言二言話せるようになるのが先か、彼女らの卒業が先かといった進捗ですね」

 

 相変わらず彼らゴーストの時間間隔は人間とは異なっている。少し前が、数年前なんてことはザラである。

 

 

 「ええ? もうそんな経ってたっけ?」

 

 「経ちましたよ、モリーさんの弟君のギデオン・プルウェットが入学したのが去年ですので。ちなみに来年には弟のフェービアン・プルウェットも入学なさると言ってましたよ」

 

 「よく覚えてるわねアンタ」

 

 「これでも魔法史の教師ですから、全生徒の名前と家族構成くらいは把握しています」

 

 「忘れてた、アンタ教師だったっけ」

 

 「はい、10年前から教師をやっております。マクゴナガル先生がまだ7年生で、変身クラブの代表を務められていた頃からやってます。ついでに言えば有休などは頂いたことはありませんが」 

 

 「ホグワーツって、意外とブラック?」

 

 「副校長は?」

 

 「シグナス・ブラック。って、そうじゃなくて」

 

 「言わんとしているところは分かります。独身魔女の墓場との異名があるのは悲しいことながら事実ですが、その中でも私は特別枠ですよ。何せ、休む必要がないのですから」

 

 授業が終わり、夜になれば今度は管理人としての業務が待っている。

 

 それが終わったら、今度はダンブルドア校長からの個人的な“お願い”の準備もあるし、他にも諸々やることはある。

 

 なので、労働力はあればあるほどよい。授業中の不慮の事故で生徒が亡くなってくれるなら、これに勝る喜びはないとノーグレイブ・ダッハウは思っている。地縛霊として是非とも勧誘しようではありませんか。

 

 

 「ねえ、死ぬほどクズい思念がこっちにも伝わってきたんだけど」

 

 「おっといけません。ほんのブラックジョークです」

 

 「いや、絶対本音だったでしょアンタ」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「ね、ねえアーサー。ハロウィンのホグズミード外出、私と一緒に行かないかしら?」

 

 

 グリフィンドールの談話室にて頬を真っ赤に染めながらも、勇気を振り絞るようにモリー・プルウェットからお誘いの言葉を受け取ったのが、三日前の話。

 

 ホグワーツも三年目となり、非常に濃密な時間を過ごし、様々な体験をしてきたアーサー・ウィーズリーの学校生活であったが、今回やってきたイベントはその中でもとびっきりであったろう。

 

 何しろ、初、初である。

 

 13年と少しほどの彼の人生の中で、異性の子からデートのお誘いを受けたことも、実際に受けてその計画を練ることも。

 

 付け加えて、他にも多くの“初”をこの日に体験することになるかもなど、思春期に入ったばかりの少年の脳内はグルグルと加速しながら妄想をも加え、もはや何がなんだか分からない領域へ突入していく。

 

 そう、後々にまで二人の色んなことが“初”となった記念日として。

 

 

 「どうしようギデオン、僕はどうすればいいんだ。な、何かこう、何をすれば、と、取り敢えずタイムマシンを探せばいいのかな」

 

 「オーケイ、まずは落ち着いてくれアーサー。逆転時計だったらマーリン先輩が持ってるけれど、借りにいっても仕方ないし、授業以外で許可なく使ったらアズカバン行きになってしまう」

 

 「そ、それもそうだな、うん。よしじゃあ、まずはお誘いの返事をふくろう便でフェービアンに送ってから」

 

 「だから落ち着いてくれ。俺の弟に告白する気かい? 本当にその気ならまずは聖マンゴの精神病棟に入院することをオススメするよ、未来の義兄殿」

 

 見事なまでにテンパっていて使い物になりそうにないグリフィンドール寮の先輩、アーサー・ウィーズリーを宥めながら、内心では“駄目かなこりゃ”とため息をついている精悍な顔つきの少年の名は、ギデオン・プルウェット。

 

 グリフィンドールの二年生にして、クィディッチチームの勝利の要たるシーカーを任される俊英であるプルウェット家の長男は、やってきた難題に対してどうしたものかと考え込んでいた。

 

 

 「み、未来の義兄!? そ、そんな、僕とモリーはまだそんな関係じゃじゃじゃ」

 

 「ジャジャジャジャーン」

 

 マグル世界での有名なる楽曲、その名も運命。

 

 この少年、ちょっとしたマグルジョークにも詳しいらしい。というか、話の仕入先はアーサーだった。

 

 

 「う、運命、そう、運命なのかも知れないな、うん、うん、ううん?」

 

 「無理か」

 

 少しは和んでくれるかと期待したけれども、とてもジョークで和めるような気分じゃないらしい。

 

 はぁ、姉さんも随分罪な女だと、口に出かかる愚痴を抑えつつも、内心で思うくらいは許されるだろう。

 

 はてさて、姉の未来の夫候補に自分はいかなる助言を贈るべきか。

 

 

 【大丈夫、アーサーが姉さんのためになにかするなら、例え失敗しても許してくれるよ】

 いや、失敗前提というのは少し失礼かな?

 

 【いい考えがある、姉さんはあれで美形に弱いミーハーでもあるから、変身術で美形になるってのはどうかな?】

 駄目だな、暗にアーサーの顔はブサイクだと馬鹿にしているようにも聞こえる。うん、決してイケメンとは言えないけど、心はすっごい美しいのがアーサーだ。

 

 【あれは駄目姉だから、将来太るよ、お勧めしない。それよりも、マーリン先輩に鞍替えするってのも一案だぜ】

 論外、俺が眠れる竜に確実に殺される。怒れる竜の尾を踏む趣味はないし、自殺願望もない。

 

 

 「姉さん、恨むよ」

 

 我が姉ことモリー・プルウェットは勉学面では実に優秀な頭脳の持ち主だが、自分が異性からどのように見られているかに無頓着な面もある。

 

 姉さんからアーサーに告白同然のデートの誘いなんてしようものなら、こうなるのは目に見えていただろうに。

 

 

 「それに、ハロウィン前日と言えば姉さんの誕生日だろうに。そりゃアーサーもテンパるって」

 

 モリー・プルウェットの誕生日は10月30日。たとえどれだけ鈍い男であっても、女の子から誕生日にデートのお誘いを受ければ、その意図は分かるというものだ。

 

 というか、何でそれを衆人環視のど真ん中、グリフィンドール談話室でやったんだあの姉は? 猪突猛進にもほどがあるぞ。

 

 うん、多分、何も考えてなかったんだろう。

 

 

 「色々と考え込んだ挙げ句、臨界点を突破していつもの如く感情の赴くままに突っ込む、か。あの人、動物もどきになったらドラゴンに変化するかもな」

 

 「それは、流石にちょっと酷すぎる評価だと思うけどね」

 

 「何だ、いつの間にいたんだい、ガウェイン」

 

 いよいよ混乱の極みに達したのか、タップダンスを踊り始めたアーサーに対し、どうしたものかと悩んでいるギデオンの隣には、同級生の少年、ガウェイン・ロバーズの姿があった。

 

 ギデオンとはホグワーツ特急のコンパートメントから行動を共にしており、部屋も同室、ついでにクィディッチでも彼はチェイサーでチームメイトでもある。

 

 魔法警察か闇祓い志望であり、正義感が非常に強く、困ったやつは見捨てないがモットーの、自慢の親友だ。

 

 彼なら絶対、将来に闇祓いとなれるだろうと、ギデオンは心から信じている。

 

 

 「ついさっきだけど、モリーさんがようやく、じゃなくてついに告白したって噂で持ちきりになってるよ。それで、アーサー先輩の様子は………うん、大丈夫そうじゃないね」

 

 「タップダンスしながら、浮遊呪文でクヌート銅貨をあちこちに飛ばしつつ無言呪文で色も変えてる。凄い高等技能ではあるんだけど、完全に意味不明だ」

 

 「呪文学と変身術を並行して行う、ほんとに凄い技なんだけどなあ」

 

 アーサーの状況は、残念に過ぎた。

 

 普段は若干頼りない雰囲気を漂わせるも、いざモリーとベラトリックスがぶつかれば身体を張ってでも止めに入って、なおかつその技能は才女三人組にも決して劣らず、的確に魔法を選べる判断力もある。

 

 ギデオンからしてみても、頼りになる先輩であると同時に目標でもあり、姉と付き合うことになるのなら諸手を挙げて賛同するところなのだが。

 

 

 「ところで、やっぱり噂の内容は、“ついに”じゃなくて“ようやく”なんだな?」

 

 「……ノーコメントで」

 

 「便利な言葉で逃げなくていい、俺だって骨身に染みて分かってる。それに、俺達が入学した時ですら一目瞭然だったろ」

 

 

 ねえギデオン、アーサーの好きな食べ物って何か分かる?

 ねえ、この前焼いたクッキー、なんて言っていた?

 クィディッチの試合、一緒に応援に行こうと思ってるんだけど、彼、予定はあるかしら?

 まったく、アーサーったらまた悪戯して減点されたのよ。

 図書館で一緒に法律全書読もうって誘ったら逃げられちゃって、何が悪かったのかしら?

 あのベラトリックスの嫌味女、またアーサーに対して血を裏切る屑だとか何とかって、屑はどっちよ雑巾女!

 どうしよう! セーターのサイズを間違っていたの! 拡大呪文で大きくしたら手編みじゃなくなっちゃうわ!

 

 

 脳裏に浮かぶ、我が姉の奇行、珍行動の数々。

 

 数週間前、恋の妙薬の調合方法の書かれた本を図書館から借り、なおかつ魔法薬学のスラグホーン先生へ“自習したい内容”があるからと大鍋の実験室を借りる約束をしていたことは取り敢えず無視した。

 

 クッキーに仕込み……いや、まさかな。

 

 

 「それよりもギデオン。グリフィンドールにこれだけ噂が蔓延している以上、親愛なる蛇の巣に話が伝わるのは時間の問題だよ」

 

 「それは不味いな。せっかくの初デートだってのに、例のブラックが絶対に妨害行動に出てくるぞ、それも絶対に無意識で」

 

 副校長の娘にして、首席の座をレイブンクローのマーリン・マッキノンと争うスリザリンの才媛、ベラトリックス・ブラック。

 

 才色兼備を地でいく超名門のお嬢様と言って良い存在なのだが、こと、我が姉との諍いのことになると、非常に“猪突猛進の残念女”となることでも有名だ。

 

 ………あの二人、啀み合うのは同族嫌悪なんじゃないか?

 

 

 「箝口令を敷くのは、まあ夢物語だけどさ、何か手を打たないと」

 

 「そうだな、そこは同意する。………アーサーは使い物にならないから、俺達でデートプランと綿密な行動計画を練って、その内容がばれないような情報封鎖と当日の護衛と監視役を募ろう。クィディッチの先輩後輩と決闘クラブ。それから、姉さんと同室のエイミーさん、マリアさん、サティさん。それに、ハッフルパフのディゴリー先輩やオルロック先輩、後はレイブンクローのマーリンさんとその同室のミシェルさん、ガブリエルさん、それに男衆はダーウェント先輩、コーナー先輩、ブート先輩ってところか」

 

 「お、おう」

 

 「デートプランの作成は、姉さんと同室だと悟られるかもしれないから、レイブンクロー組に任せよう。クィディッチ組は縦のつながりがあるからホグズミードでの監視チームを結成、決闘クラブはいざという時の武力行使要員だ。情報統制についてはスリザリンに伝わらない事が重要だから、一番警戒されないハッフルパフの友人に任せる。人選はディゴリー先輩に任せれば問題ないと思うが、情報分野ならむしろ、スタン・シャンパイク先輩が適任だろうな」

 

 「そ、それから?」

 

 「会合の場所は変身クラブを使う。連絡方法はいつものだ。俺達は俺達で、アーサーの同室のライドンさんとナルシスさんと一緒にやることがある。協力を仰ぐにしても対価を示さなきゃならないし、彼らにも予定があるなら出来る限り調整して、後日の埋め合わせのための準備もいるから、そこは基幹要員にしか出来ない部分だ。どれだけ邪魔されないためのバックアップ要員を揃えたところで、肝心のデート相手が上の空じゃ何の意味もないからな。この初デート、何としても成功させるぞ」

 

 「……流石というか、君もやっぱり、プルウェットだよな」

 

 そして、アーサーの同室で友人の二人はともかく、気付けば自分まで“基幹要員”にされている。

 

 そりゃあ、ギデオンの親友を自負はしてるけどさ。

 

 どこか釈然としないものを感じるなあと、お人好しのガウェイン・ロバーズは思った。

 

 

 「じゃあさっそく―――しまった! マートルだ!」

 

 「何だって!」

 

 ギデオンが叫び声を上げた瞬間、その名前に反応するようにあちこちから視線が集中する。

 

 

 「クックック、見たわよぉ、聞いちゃったわよぉぉ、プルウェット弟くん。リア充のあまーい気配、ここにありってねえ。ケッケッケ、リア充死すべし、慈悲はない」

 

 天井から逆さま状態で上半身だけヌルっと出てくるように這い出す人影。

 

 ホグワーツに跋扈するリア充の破局をこよなく願う、非モテの怨念の結集、“嘆きのマートル”これにあり。

 

 

 「マートルだ!」

 「マートルじゃねえか!」

 「皆逃げろ!」

 「彼氏彼女持ちを避難させろ!」

 「来やがったなマートル!」

 「悪霊退散!」

 「悪霊警報発令! 悪霊警報発令! グリフィンドール談話室厳戒態勢!」

 「アクシオ! 塩!」

 「アクシオ! ロザリオ!」

 「アクシオ! 銀の十字架!」

 「アクシオ! 白木の杭!」

 「アクシオ! ニンニク!」

 「インセンディオ!」

 「馬鹿! 室内で炎を出すんじゃねえ」

 「違う違う! 流水だ! 流水を使え!」

 「それは吸血鬼対策だ!」

 「塩は河童対策だろうが!」

 「リディクラス!」

 「ボガートじゃねえよ!」

 

 グリフィンドールの談話室、今日もドッタンバッタン大騒ぎ。

 

 どころではなく、本当に嵐のような大混乱が巻き起こっていた。これもまあ、いつものことだったが。

 

 

 「くそ、情報遮断構想は潰えたか。マートル! どうしてアーサーと姉さんの邪魔をする! お前だって、シグナス副校長やベラトリックスのことは嫌いじゃなかったのか!」

 

 「ふっ、情報が足りなかったわねガキ。私はブラック家が嫌いなんじゃないわ、リア充が嫌いなの。爆発して欲しいの。シグナスはリア充だから嫌いなのよ。私は非モテの味方、リア充の敵」

 

 ただの妬みだった、そして屑だった。

 

 

 「アーサーとモリーのことは嫌いじゃないわ、むしろ好きな部類よ。されど、告白? ハロウィンデート? ましてや初キス? はっ、正体を現したわね背教者め。ホグワーツ学生の本分は勉強よ、試験よ、テストの点数よ。ボッチだってテストで良い点取れれば評価されるべきなの、イチャイチャイチャイチャしているかは加点対象じゃないのよ。あー、妬ましい、羨ましい、死ねメスガキ」

 

 鬱々と垂れ流される呪詛と、どんどん歪んでいくマートルさんの形相。もはや鬼婆もかくやだった、というか鬼だった。

 

 

 「なんて、なんて……堂々とした逆恨みなんだ!」

 

 「ここまで来ると清々しいなぁ!」

 

 対峙する二人の少年も、その怨念オーラには戦慄を禁じえない。

 

 嘆きのマートル、まさかここまでド直球にリア充爆発しろを掲げる正統派だとは。

 

 

 「あたしはベラトリックスに力を貸すわ。クックック、せいぜい怯えて待っていなさい。あたしの助力を得たベラトリックスが、舞い上がったリア充に天罰を下してくれることでしょう!」

 

 お前が天罰を下されろ

 

 談話室の誰もが思った。

 

 そして、真正面からの宣戦布告と共にドクズゴースト二号の姿は消え去り、(一号が誰かはあえて言うまい)後には静寂だけが残されたという。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「ちくしょおおおお! なーにが“僕は可愛いモリウォブルを愛している”よ! 盛ってんじゃないわよガキどもがあぁぁ!」

 

 「かくして、少年少女の純愛の前に邪悪なる亡霊は打倒されましたか。実にめでたい」

 

 背徳のゴースト、かくして天罰が下り、敗退す。

 

 素晴らしい結末である。歴史書に記すならばこうでなければならない。

 

 

 「ベラトリックスの奴も情けないのよ! せっかくあたしが最強の闇の決闘術の本を探してやったのにあれで勝てないなんて、無能なの!」

 

 まあ色々と紆余曲折があったものの、マートルさん情報とベラトリックスお嬢様の無駄な行動力もあり、ホグズミード村の外れの幽霊屋敷の前にて正々堂々の決闘となった。

 

 何がどうなって決闘なのか、別にアーサーを巡った恋の戦いという訳でもなかったのだが、なぜか決闘になった。その経緯については、きっと誰にも分からない。(そして多分、分かりたくもない)

 

 

 「多分、お辞儀が余計だったんじゃないですかね」

 

 「いったい誰よ! あんな馬鹿げた決闘書を書いたのは!」

 

 「著者は不明ですが、基となった論文の執筆者はトム・リドル氏ですね。その筋では有名な方ですよ」

 

 

 アルバス・ダンブルドア著作の『効率的な魔法と靴下に関する論文』に対抗して、

 

 『決闘時におけるお辞儀の重要性』というトム・リドル渾身の論文を魔法学会に送り出したが、一度ならず査読落ちとなったのも忘却の底に沈めたい未来の闇の帝王殿の黒歴史だった。

 

 それでも諦めずに改稿を行い続け、『最強の闇の決闘術』として世に送り出した行動力と執念は称賛に値するだろう。ハンドルネームは“偉大なる俺様”、努力の方向性を著しく間違っている気がするが、気にしない。気にしたら負けだ。

 

 なお、魔法学会の論文査読者の間で、「靴下爺さん」と「お辞儀様」がヘンテコ論文二大巨頭とされていることについては、幸か不幸か当人は知らない模様であった。

 

 多分、知っていたらとうの昔に呪っていただろう。

 

 

 「加えて、執筆した本人はお辞儀の最中に無言の失神呪文でやられたという逸話があったりなかったり」

 

 「馬鹿じゃないのそいつ! って、リドル先輩!? 何やってんのあの人!?」

 

 「人生を満喫されているようで何よりです」

 

 そして悪霊教師は、今日も嘘八百を並べ立てる。

 

 そこにどれだけの真実が含まれているかは、当人のみぞ知る。

 

 

 「いや、私もね? これ本当に大丈夫かな~、名前負けしてないかな~って、内心不安ではあったのよ? でもベラトリックスの奴が、凄い書物だわ! これを書いた方は間違いなく不世出の大天才よ! いつかきっと偉大なことをなさるに違いない! なんて大絶賛してたから、この本は大当たりだと思ったのに……」

 

 「見事に大外れでしたね。まああの子も大概ポンコツですから」

 

 「普段の授業じゃ完璧なのに、ここぞって時にうっかりやらかすのよね、あの子」

 

 はぁ、と深い溜息をつくマートルさん、いや、ゴーストだから息は出ないのだけど、多少はね?

 

 

 「あの、ダッハウ先生。せめてそういうのは当人のいないところでやってもらえないでしょうか?」

 

 そんなドクズ悪霊二人に恐る恐る話しかける勇気ある生徒の名は、ラバスタン・レストレンジ。

 

 ベラトリックスの同世代のスリザリン優等生だが、美的感覚とかは正常のようで、お辞儀論文にとても残念な匂いを感じとった彼は必死の説得で決闘に向かう彼女を止めたのが、あえなく止めきれずに結果はこのざまであった。

 

 律儀にお辞儀をしている最中に、初デートを邪魔されて怒り狂ったモリー・プルウェットに渾身の失神呪文を叩き込まれるという、実に順当な結果となったのだった。ついでに吹っ飛んだ際にスカートが捲くり上がり、パンモロ状態になっていた。何しにわざわざホグズミードまで行ったんだこの子は?

 

 

 「我々ゴーストは人ではありません。今はいないものと扱ってください」

 

 「そんな無視できない存在感を漂わせながら言われても……」

 

 優等生であるが故に、このドクズ悪霊のようなキテレツな存在に対処した経験の浅い彼には、どうしたものか分からない。

 

 ちなみに、ベラトリックスは半べそをかきながら膝を抱えた姿勢でのの字を地面に書いている。パンモロの恥がかなり効いているらしい。それでも律儀に借りた本をきちんと返しに来るあたりは根が素直なお嬢様なのだろう。

 

 その姿がちょっと可愛いと思っているのはラバスタンだけの秘密だ。普段は完璧才女のベラちゃんだけに、なにかこう、ギャップ萌え?

 

 

 「そろそろ泣くのはおよしなさい、ベラトリックスさん。歴代のホグワーツ生たちはもっと破天荒で洒落にならない決闘騒ぎを巻き起こしたものです。例えば、アラスター・ムーディとエバン・ロジエールの決闘はその余波だけでホグズミード駅を爆破しましたし線路もズタズタに寸断しました。フリーモント・ポッター、アイリーン・プリンス、アントニン・ドロホフらが関わった舞台劇では大講堂が全焼する大惨事になりましたし。ルーファス・スクリムジョールとロドルファス・レストレンジにしても、クィディッチ競技場の半分を沼地に、もう半分を塩田に変えるという大珍事を起こしています。それに比べれば今回など可愛いものですよ」

 

 滔々と語られる過去の生徒のトンデモ話。

 

 いや本当に、この学校大丈夫か? 校長をそろそろ解任した方がいいのでは?

 

 

 「いったい何をやっているのエバン叔父様……」

 「いったい何をやっているんだロドルファス兄さん……」

 

 そして、その悪行の当事者の身内がここにいた。

 

 元気づけられるどころか、自分達の未来の嫌な姿を幻視し、若干凹んでいた。むしろ、泣き崩れる寸前だった。

 

 ついでに言えば、名前が上がった生徒は全員グリフィンドールとスリザリンだ。ハッフルパフとレイブンクローが比較的にしろ常識的であることが伺い知れる。

 

 

 「アンタ、狙ってトドメさしたでしょ」

 

 「さて、なんのことやら」

 

 生徒同士で喧嘩をした後は、皆で先生に叱られた後で仲直り。

 

 と綺麗にはまとまらず、何とも微妙な構図になっている悪霊事務室の片隅にて。

 

 何だかんだで、今日もホグワーツは平和でした。(一部を除く)

 

 

 




うちのダンブルドア先生は、お茶目老人度合いが高めかも。

ちょっとした事情と理由がありまして、陰謀とか腹黒とかとは正反対な行動指針をもってらっしゃいます。

次話あたりで、その辺少し書けたらいいな。


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9話 悪戯老人と亡霊少女

うちのシグナスさんは基本真面目担当です。
時々、ツッコミ担当もお願いしたい。



 「儂はずいぶん長く生きてきた。過ちを犯したことは数多くある。君に教師をお願いしたことを後悔したのは一度や二度ではないが、それでも今は、良かったと思える日がいつか来ることを祈っておるよ」

 

 「つまりは、今は後悔していると。そしてどうなるかは、未来頼みということですね。儚い望みとは思いますが」

 

 ホグワーツの摩訶不思議さを象徴するような、実に個性的なアルバス・ダンブルドアの校長室において。

 

 ある意味ホグワーツで最も知名度の高い名物教師、ノーグレイブ・ダッハウは定例報告のような雑談のような会話をしていた。

 

 

 「はぁ、君は本当に相変わらずじゃのう。あの不思議な時計から前触れもなく這い出してきたあの時から、そろそろ20年にはなろうというのに、一切、何一つ変わっておらぬ」

 

 「そこはまあ、仕方ないところでしょう。20年とはいっても貴方の歩んできた歳月の四分の一にも及んでいない。まして、1000年もの悠久の時を重ねたこの境界線のホグワーツに比べれば、取るにも足りぬというもの」

 

 「1000年か、儂などには想像もつかんほどの時間じゃな。しかし、あの時計は恐らくそれを遥かに上回る、気が遠くなるほどの時間をかけて、時を刻み続けてきたように思える。ふむぅ、これは果たしてどういう意味を持つのかのぅ」

 

 「万能の観測者に聞いてみないことには、どうにも分かりませんね。私が何者であるかということについても、ロゼッタストーンのない現状では仮説を立てるのがせいぜいですから」

 

 「ほっほっほ、ロゼッタストーンに例えるということは、あの謎の碑文の意味が、やはり君には理解できているということかね」

 

 「理解するという表現は恐らく正しくはなく、翻訳というのも少し異なる。1965年のこの時でも表現をゆるされるならば、“パンチカードの先を待て”というところですか」

 

 意味があるようでないような、含蓄があるようで別にどうでも良い世間話であるような。

 

 そんな言葉遊びを繰り返すことに定評にある悪戯老人と幽霊教師の、これがいつもの風景であった。

 

 

 「パンチカードかね、ふむ、アーサーが最近仕入れたマグルの最先端の“こんぴゅーたー”にそんなものがあったような気がするかのう」

 

 「それを最先端と言われたたら、アポロ計画に取り組んでいる方々が怒り狂うでしょうね。そろそろ月面着陸も近かろうというのに」

 

 「月面へ、か。わしにはまだ夢物語のように聞こえるのじゃが、彼らは本当に達するのか。だとすれば、心の底から驚く限りじゃて」

 

 「マグルの歴史の先についてはどうなるかは曖昧なものですので、確かなことは何も言えませんね。数十年後には捏造説まで飛び出すくらいはいつものこと。人類史など所詮は、数年前のキューバ危機をきっかけに、全面核戦争で滅ぶ可能性すら大いにあった蜃気楼のようなもの。いつ終わってしまっても、あるいは間違えた袋小路にたどり着いてしまっても、不思議はないでしょう」

 

 「魔法史の教師たる君がそれを平然と言うのはどうかと思うのじゃがのう」

 

 「魔法史の教師なればこそ、ですよ。それに私がどんな問題発言をしたところで、任命責任は校長たる貴方にあるわけですから、気楽なものです」

 

 「ううむ、もう少しそこは責任を分かち合ってほしいところなのじゃが」

 

 「生憎と、実体のないゴーストでして」

 

 掴みどころのない二人ではあるが、会話から察するに分かるところはある。

 

 すなわち、問題を起こす側と、責任を取らなければいけない側。

 

 普通に考えるならば、自由奔放な駄目教師に振り回される苦労人の校長とも取れる構図ではあるのだが、しかし、アルバス・ダンブルドアに限って話がそう単純であるはずもない。

 

 二人は言わば共犯関係。片方の我儘を片方が受託し、その逆に片方の迷惑を片方が請け負う。

 

 持ちつ持たれつというべきか、何とも奇妙な連携をこの20年間保ってきた二人である。

 

 

 「ところで話は変わりますが、私への苦情のふくろう便が例によってダース単位で届いたとか?」

 

 「うむ、シグナスに捌いてもらっておるが、数え切れぬほど大量の君への抗議の手紙、及び解雇要求が届いておるよ」

 

 「でしょうね」

 

 すまし顔であっさりと答えるドクズ悪霊。

 

 実に慣れたくないが、慣れてしまったため息をつきつつ、ダンブルドア校長は先を続ける。

 

 

 「のうダッハウ先生や、スリザリンの親御さん方達の8割近くが君の解雇を要求しているわけなのじゃが、何か思うところはないかね」

 

 「ふむ、それではここ20年のスリザリン寮生の私生活における、単独での繁殖行動事前訓練の回数を記録した“自慰ワン・グランプリ”の発表を次回の講義内容にすると、保護者の方々へ返事をお願いいたします」

 

 「やめたまえ」

 

 珍しく命令する校長先生。お爺ちゃんだって怒るときは怒るのだ。

 

 ちなみに、このドクズ悪霊は事前訓練のみならず、ホグワーツで行われた本番に至るまで詳細に記録している。禁断のパンドラボックスを握られているようなものなので、ホグワーツのOBたちも誠に無念ながらも強硬手段には出られないのであった。

 

 かつて一度、スリザリンの名家の当主が本気で解雇に追い込もうと活動したことがあったが、日刊予言者新聞にとあるメッセージが届いた。

 

 “バラしますよ”

 

 ただ一言で、あらゆる解雇活動は消え去ったという。何がどうバラされるところだったかは、誰も知らない、知りたくもない。

 

 

 「まあまあ、可愛らしいものではありませんか。“親御さん達”などとはいっても、その全てはほんの20~30年前には不安に肩を震わせながら組み分け帽子を被っていた小さな生徒たちです。その子らが成長し、アハンウフンと交わり、新たな生命を育み、次代を担う者たちがホグワーツの門戸を叩く、素晴らしいことでしょう」

 

 「その可愛らしい生徒たちが、在学中からもこぞって君への不信、反感、抗議の手紙をどっさりとわしに送ってくれておるのが問題なのじゃが」

 

 「愛情表現のようなものでしょう。教師冥利に尽きます」

 

 「君とは一度、教師の何たるかについてじっくりと話し合う必要がありそうじゃな」

 

 そして多分、永遠に平行線を辿ることは疑いなかった。

 

 片や、偉大な父として信頼と共に校長にあり、生徒たちに愛情を持って接し、愛の重要さを説くアルバス・ダンブルドア。

 

 片や、ドクズ悪霊のくせして魔法史教師に居座り、生徒たち本人曰く誠実に(人、それを皮肉という)接し、子供達を歴史の教材としか見ていないノーグレイブ・ダッハウ。

 

 教師には子供への愛が必要ということを説くには、究極の反面教師ではあるのだが、困ったことに任命責任はダンブルドアにあるのだった。

 

 

 「別に私は、子供を授業に利用している訳ではありませんよ。貴方も含めた全ての人間を一切差別せず、歴史の教材として見ているだけです」

 

 「うむ、なお悪いのう。抗議の手紙も納得じゃて」

 

 「不思議なことに、“差別はいけない”と倫理は説いているのですが、“無差別”という言葉に続くのは、殺戮、爆撃、殺人などの言葉ばかり。これはつまり、差別をしない唯一の手段が大量殺戮であり、サピエンスとは皆殺し以外で差別をしない手段を持たない。つまりは、平等の愛の具現とは、すなわち絶滅であると。さあ皆さん、レッツ、アバダケダブラ」

 

 「という内容を、先日の魔法史で講義したわけじゃな?」

 

 「はい」

 

 より正確には、であるからして、スリザリンの皆さん、マグルをどんどん差別するのです。差別こそは人間の本質であり、それ自体は恥ずべきことではありません。親が子供を想うことも、見方を変えれば差別なのですから、と続く。

 

 究極の無差別とは、すなわち根絶、絶滅であると説いたその口で、マグルへの差別を推奨する。これほど問題のある授業も他にないだろう。こいつの倫理観はいったいどうなっているんだ。

 

 

 「宿題として“ゴーストへの差別とはなんぞや?”と“アバダケダブラで殺されたゴーストは殺害者に何を想うのか?”も出しましたが、生徒の皆さんは色々と考えてくださいましたよ。一部スリザリンの生徒は自分の親の身の安全が非常に不安になったのか、親元へふくろう便を送っていたので、その結果がこの抗議文と拝察します」

 

 「じゃろうのう。そんな講義と宿題を出されては、特にスリザリンの学生の不安ももっともじゃろうて」

 

 「彼らは日頃から他寮から孤立気味ですからね。私としては少しは贔屓してあげようと善意だったのですが、不思議なことにスリザリンの親たちが慌てふためき、グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクローの生徒からは同情的な苦笑いのみが来たのです。うむうむ、教職とは奥が深い」

 

 善意とはどの口がいうか。確信犯にもほどがあるだろうにお前の場合は。

 

 温厚なダンブルドアであっても、そろそろ切れてもいいと思う。

 

 そしてまた、実に腹立たしいことではあるが、スリザリンへの風当たりが若干収まったのは事実であった。

 

 ダンブルドアとて、ホグワーツ四寮の対立、というか、スリザリンと他三つの憎悪が深まるのは避けたい。学校生活の中で健全に競い合うならばよいが、偏見と憎悪からは何も生まれない。愛こそが大事なのだと日頃から説いてはいるのだが。

 

 

 「ホグワーツ生徒たちの結束のために、憎まれ役を買って出る。とも違うのじゃろうな、君の場合」

 

 「当然です。嫌ですよそんなのめんどくさい」

 

 つくづく最低の教師であった。

 

 偏見と憎悪がこいつ一人に集中していることだけが、唯一救いと言えるだろうか。

 

 

 

*----------*

 

 

 

 校長室で悪戯老人と悪霊教師が不毛な世間話に興じている頃。

 

 理事の執務室であると同時に、副校長室ともなっている大きな部屋にて、シグナス・ブラックは件の抗議文の処理に追われていた。

 

 校長室とは実に対象的に、ピカピカに磨き上げられた高級そうなマホガニー製の執務机に、周囲の調度の類も品格を落とさぬようにバランスを保ちつつも歴史ある高級品でかためられている。

 

 かけられている肖像画は歴史のスリザリンの卒業生の中でも魔法大臣などの重職を歴任した偉人たち。その中央に君臨するは、シグナスからすれば曽祖父にあたる偉大なるフィニアス・ナイジェラス・ブラックである。

 

 副校長とかつての校長はこの部屋でよく議論を交わしているが、今日に限っては闖入者によってそれは破られた。

 

 

 「あーらシグナス。偉大なるご先祖様と秘密の会合はもう終わりかしら」

 

 「お前に聞かせることなど、塵芥とてないのでな、ウォーレン」

 

 「ふふふ、アタシをそう呼んでくれるのも最近だいぶ減ってきちゃったし、例えアンタでもまあ、生前の名残と思えば悪くないわね」

 

 「お前らと違って、我々は老い、やがて死ぬのだ。若さが永遠であることが誇らしいか?」

 

 「随分な皮肉ね。寂しいボッチトイレで永遠の若さ? 便所のカビとゴキブリでも相手に美貌自慢をしてろっての?」

 

 「さて、醜女ならば目の前にいるが、美貌の持ち主とは、はていったいどこにいるのかね」

 

 口を開いた途端に憎まれ口の応酬。

 

 彼女の生前は決してこのような関係ではなく、そもそも輝かしい主流を行く貴人シグナスと、孤立ボッチの根暗マートルには直接の面識すらありはしない。彼女のほうが一方的にシグナスを知り、妬んでいただけである。

 

 そんな彼女が今では、複雑な保護呪文のかけられた副校長室に忍び込めるほどになったのだから、死んで格差は少しは縮まったと言えるだろうか。

 

 

 「高貴なるブラック様は相変わらず皮肉だけは素晴らしいわね」

 

 「お前もまた、こそ泥の手口だけは相当なものだ。この部屋の保護魔法はおいそれと侵入者を許すものではないのだがな」

 

 「あら、簡単よ。あのドクズも含めてアタシらゴーストは言わばこの魔法の城の“動く備品”だわ。本質的には絵画や石像と大差ないんだから、警戒呪文にも引っかからないし、石ころが転がり込むことまであんたの魔法は禁じてたりはしないでしょ」

 

 副校長の執務室ということは、同僚の教師らが所用で来ることもあれば、監督生が報告に来ることもある。

 

 このホグワーツでは外部からの煙突飛行ネットワークを閉じているので、連絡に用いられるふくろう便とて引っ切り無しだ。あまりに強固な保護呪文をかけてはそれらの連絡手段までも遮断してしまう。

 

 マグル世界でも魔法世界でも、セキュリティを高め過ぎれば利便性が損なわれるというトレードオフ関係は、なかなか解消することが難しい。忠誠の呪文などは最たる例で、守りが強固すぎるために、シグナスのような執務に追われる人間が使えるものではない。

 

 基本的にあれらの保護呪文は、王の墓を守るための“ピラミッドの墓守”から派生していったのだから。

 

 

 「それで、便所の石ころ殿がいったい何用かね? 見ての通り私は決してお前達のように暇を持て余しているわけではないのだが」

 

 「別に大した用事じゃないけど、ちょいっと小耳に挟んだんで確認したくてね」

 

 「ほう、ゴースト共の情報網とやらか」

 

 「ええ、何しろゴーストはこの城のどこにでもいるからね。それでアンタ、とっても可愛がってる娘たちを、純血名家とマグル生まれに分散させて嫁がせるつもりだって?」

 

 「別段隠すほどのことではないがな、その通りだ」

 

 「はぁ、しれっと言うわねえアンタ。そんなだから、お年頃の長女のベラちゃんと堅物のお父様の関係がギクシャクしてくるってのよ。アンタに認められようとあんなに頑張って監督生になったんだから、ちょっとは褒めてやってもよいでしょうに」

 

 あの小さかったアーサー達も今や五年生となり、それぞれ立派に監督生を務めている。

 

 グリフィンドールのアーサー・ウィーズリーとモリー・プルウェット

 

 レイブンクローのマーリン・マッキノン

 

 そして、スリザリンのベラトリックス・ブラックと、ラバスタン・レストレンジ

 

 副校長は決して身内贔屓などをしない人間であるため、ブラック家長女がスリザリンの監督生となったのは、勉学優秀であると認められた結果だ。

 

 今の監督生に名家の割合が多いのは事実だが、それはただの巡り合わせであり、彼らが優秀であることはホグワーツの皆が知っている。

 

 

 「ベラが監督生となったことと、婚姻の話は別問題だ」

 

 「だ~か~ら~、何でもかんでも杓子定規に分けんなって言ってんの。どうしてこう、仕事人間の男ってのはこんなのが多いんだか」

 

 「事務仕事、特に重要書類には間違いなど許されんからだ。当たり前のことだろう」 

 

 「そんなクソ堅物大人の理屈なんて、思春期の女の子に分かるわけないでしょうが。はぁ、こんなのを父に持っちゃったことだけは、あの子に同情するわね。そんなだといつかグレちゃうわよあの子」

 

 「お前のような穢れた血に同情されてもあれは喜ばん」

 

 「ちょっとちょっと、あのドクズ悪霊じゃあるまいし、仮にも副校長が差別表現を堂々と使ってんじゃないわよ」

 

 「構わん。私は中立を自負する身ゆえにマグル生まれを差別などはしない。“お前が”穢れていると言っただけだ」

 

 「んだとコラァ!」

 

 思わずべらんめえ口調になりかけるマートルさんの剣幕にもどこ吹く風。

 

 あの幽霊教師が取り乱したところを誰も見たことはないが、この堅物副校長についても同じことが言えた。例え家族であろうとも、この男の天秤は些かたりとも揺らぐことはない。

 

 中立を是とするシグナスには彼なりの目算があり、バランスを考えた上で血の分散を策しているのだから。

 

 

 「ともあれ、普段から失言に留意するということは確かに重要だ。忠告として覚えておこう」

 

 「はぁ、堅物につける薬は無しね。こいつにあのクズにと、ろくでなしが多すぎるのよこの学校は、少しは生徒を甘やかしてくれる飴も必要でしょうに」

 

 「お前が言うな」

 

 シグナスの在学中ならば、グリフィンドール生徒が最も嫌う存在と言えば、スリザリン生かその寮監あたりが常であったが。

 

 今では、満場一致でドクズ悪霊コンビで決定だ。これは、四寮の全てに共通している。

 

 およそこのホグワーツにおいて、四寮全てから嫌われている存在など、こいつらくらいしかいないだろう。

 

 ただし、嫌われてはいても憎まれてはいないのが、不思議といえば不思議だったが。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「世間はそろそろ冬支度。とはいえ衣替えの準備もなかなか進まず、四苦八苦といったところですかね」

 

 徐々に忍び寄る戦争の気配を、冬の訪れと例えながら悪霊が廊下を彷徨う。

 

 幽霊の本来の時間たる深夜の時間帯、完全な暗闇の中を一人、明かりもなしにのんびりと時勢を呟きながら。

 

 

 「マートルさんもおっしゃっていましたが、確かに今の魔法界には飴が足りていないのかもしれませんね」

 

 昼間の副校長と彼女の話した内容を後から聞き、傍観者、観測者としてホグワーツの今を俯瞰してみる。

 

 なるほど、子供たちからも“無邪気さ”が若干失われつつあり、大人っぽい分別を備えた子が増えているのは確かだが、あまり健全と言える情勢でもないのだろう。

 

 

 「出来ればメローピーさんに負の感情の吸い出し役を担って貰いたいところですが、いかんせん難しい。というか、多分無理ですねアレは」

 

 “嘆きのマートル”と同じく善良な悪霊になれるかと期待はしていたが、些かアテが外れた感はある。

 

 どうにも、彼女は随分と因果な立ち位置にいるらしいことが分かってきた。未だ全容は知れないが、あまり無関係の誰かに構う気質ではなさそうである。

 

 

 「恐らくですが、重要な何かに悩んでいる人物の助言者、先導者としてはなかなか行けそうであるものの、いかんせん彼女は“重すぎる”。気軽な相談員にはあまり向いているとは思えませんね」

 

 こればっかりは、仕方あるまい。

 

 人間の心というのは本当に複雑怪奇で、重い人生を歩んできた人間の教訓話が求められる時もあれば、無邪気な幼子の何気ない笑顔が、全てを解決してくれる時もある。

 

 

 「ふむ、私、マートルさん、メローピーさんという構図で見ると、確かにバランスが非常によろしくありませんね。どうにもマイナス側に偏り過ぎている」

 

 クズ成分は十分すぎるほどであり、軽すぎたノリはきっと“重い女”であるメローピーさんが補ってくれるだろう。

 

 割と人情家のマートルさんと、どこまでも人情など知らぬクズ教師の組み合わせは悪くないが、問題はプラスの感情面でのフォローだ。

 

 

 「彼女もおっしゃってましたが、強い人間ならば我々だけで反面教師として十分。我々に怒り、社会の腐った鏡として憤り、自分はこうはならないと奮起してくださるだけできっと問題なく歩いていけるのでしょうが」

 

 平和な時代であったこれまでならば、このバランスでホグワーツはやっていけたのだが。

 

 息苦しさを感じざるを得ない戦争の季節がやってくるとなれば、この悪霊教師の神経を逆なでする授業に対して、悪戯とは言えない本当の憎悪が振りまかれることもあり得てくる。

 

 

 「それはよくありません。そんな展開は人類史のありきたり過ぎて、見ていて面白くもなんともない。戦争は見ていて楽しいですが、その余波による民草の嘆きなどどうでもよいですし、まして不安から生じる不和など無様にもほどがあります」

 

 そしてこいつは、糞野郎だった。

 

 他人の人生は、観測していて面白い織物くらいにしか思っていないのか。

 

 あるいは、彼を構成する基幹要素が、“そういうもの”でしかないのか。

 

 

 「はてさて、どうしたものか………おや?」

 

 その時、ゴーストの目がありえないものを捉えた。

 

 深夜のホグワーツの廊下を音も立てずに歩く小柄な影。見たところは5~6歳程度の本当に小さな子どものようだ。

 

 ただのゴーストならば珍しくも何ともないが、ここは学び舎ゆえに、ホグワーツで死んだ幼年期の子供は歴代一人も存在していない。

 

 

 「ホグワーツに通いたかった子供霊が迷い込むことも、いいえ、ありえませんね」

 

 まだ魔法の力を確かな形で発現していない子供が、歪な残留思念であるゴーストになることはまずない。

 

 子供の霊は無垢ゆえに、さほど時間をかけずに成仏していき、死生観ごとの死後の世界へ向かうはずだ。

 

 ホグワーツには、賽の河原の石積み場はないのだから。

 

 

 「? あなたはだあれ?」

 

 さらなる驚愕。その子、いいや、その娘は話しかけてきた。

 

 言葉を発するということは明確な自我を持っているのは疑いない。しかしだとすれば、この幼女を構成する要素とはいったい……

 

 

 「ふむ、この暗闇だというのに、貴女には私が見えるのですか?」

 

 「うんそうよ。でも、あなたしか見えないの。ここはどこ?」

 

 「なんと、私しか見えていないのですか?」

 

 これは何とも意外な、であるならば彼女は地縛霊の類ではないということになる。

 

 場所、建物に縁があるために留まった念ならば、絶対に“場所”を見失うことだけはない。マートルさんが己のトイレを間違うことなどないように。

 

 

 「いえ、先に質問に答えるのが礼儀ですね。ここはホグワーツ魔法魔術学校。そして私は裏側の管理人と魔法史の教師をしております、ノーグレイブ・ダッハウと申します」

 

 「ほぐわーつ?」

 

 「はい、ホグワーツです。この名前に聞き覚えはありますか?」

 

 「うーん、分かんない」

 

 イマイチ掴みきれない感じではあるが、まったく覚えがないというわけでもなさそうだ。

 

 どこかで聞いたような感じはあるが、どこで聞いたか思い出せない、といった具合だろうか。

 

 

 「ふむ、困りましたね。では、貴女の縁から辿ってみることといたしましょう。お嬢さん、貴女のお名前を教えて下さいますか?」

 

 時計塔の悪霊、ノーグレイブ・ダッハウが、その名を問うた。

 

 ならばこそ、縁というものはついに因果を結ぶもの。

 

 

 「アリアナ」

 

 アルバス・ダンブルドアがあえて彼を教師に任命し、密かに個人的な願いを依頼していた答えがここに。

 

 止まっていた時の歯車が動き出すその音を、確かにノーグレイブ・ダッハウは聞いたのだった。

 

 




そろそろ、原作との明確な相違点が明らかになってきます。

ダッハウが何者であるかについても、次話で少し触れます。


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10話 死して楽しく疲れて眠ろう

諸君、私は幼女が好きだ。


 

 

 

 ねえ知ってる? 小さな女の子のゴーストの噂。

 

 聞いた聞いた、何でも、その子を見たらとっても幸せな気持ちになれるって。

 

 あたしが聞いた話だと、期末試験がとっても不安でノイローゼだった先輩が、凄く自信満々になって本番でも高得点だったって。

 

 なにそれすごい、お勉強の神様なのかな。

 

 いや、そういう訳でもないみたいよ。

 

 どーいうこと?

 

 彼女と別れたばかりでやさぐれてた人も、気分さっぱり元カノのことは忘れて、新しい恋人が出来たって話。

 

 マジで!? 本当!? 教えて! 今すぐ!

 

 ちょっとちょっと、そんなにがっつかないで、あ、こら、どこ触ってるの! 

 

 はいどうどう、はいどうどう、落ち着こうね。

 

 何にせよ、その子を発見しさえすれば、幸運がやってくるってことなのね。

 

 きっとそうじゃないかしら。効果は一定してないみたいで人それぞれだけど、とにかく、嫌なことは忘れて幸福な思い出が頭に浮かぶって。

 

 それで、何事にも前向きになれるから、結果的に良い運勢がやってくるんだって、例の先輩は言ってたの。

 

 いーなあ、あたしもその子に会ってみたい。

 

 そりゃ誰だってそうよ、どうやったら会えるかな?

 

 そこが完全な謎だからこその噂なの。一説には、本当に助けを必要としている人の前にだけ現れてくれる精霊だとか。

 

 あれ、それと似たような話を聞いたことがある気もする?

 

 ほら、きっとあれよ、校長先生がお話してくれるホグワーツの古いお伽噺。

 

 ああ、あれね、このホグワーツでは救いを求める生徒には、何時だって必ず助けが与えられるって。

 

 そうそうそれ、夢があってわたしも大好きよ校長先生のお話。

 

 じゃあその子は、本当に先生の言う通りの存在なのかな?

 

 ひょっとしたら、悩んでいる子を密かに校長先生が助けてくれてたり?

 

 それあるかも、校長先生はとっても優しいし、何時だってアタシらのこと見守ってくれるもの。

 

 じゃあじゃあもしかしたら、校長先生のご先祖様の守り神だったりするのかな?

 

 流石にそれはないんじゃない。だって、小さな女の子よ。

 

 でも、精霊だったり守り神さまだったりしたら、姿形は変えられるんじゃない?

 

 うん、そういうこともあるかも。小さな幸せの天使様だね。

 

 あ、そういえばもう一つ、この幸運なゴーストの子に関する噂があるの。

 

 もう一つ?

 

 ええ、その子は何時現れるか分からなくて、幸運に恵まれて出会えたとしてもすぐに見えなくなってしまうらしいんだけど。

 

 その子を追いかけるように、もうひとりのゴーストが現れたことがあるって。

 

 もうひとり? どんなゴーストだったの?

 

 それが何も分からないの。

 

 変な話ね、じゃあ何でそこにゴーストがいたって分かったのよ。

 

 うん、私もそう思って尋ねてみたんだけど、どうやら声が聞こえたらしいの。

 

 声?

 

 そう、まるでその女の子に優しく呼びかけるように、こう言っていたって。

 

 

 

 

 『待って、アリアナちゃん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「とまあ、現在ホグワーツにはこのような噂が大絶賛蔓延中でございまして」

 

 「アンタのときとはえらい違いね。まさに天と地だわ」

 

 ところ変わって、こちらはいつもの幽霊コンビ。

 

 例によって光陰矢の如しで時は流れ、悪霊教師が最初に“彼女”を発見してから、既に3年近い時間が経過している。

 

 初めはこの悪霊にしか知覚することが出来なかった少女だったが、時とともに生徒に目撃される事例も増えてきた。

 

 そして確かにマートルさんの言う通り、ノーグレイブ・ダッハウの存在が最初に噂とともに駆け巡ったのはビンズ先生が亡くなった時だったが、あのときは驚天動地の大騒ぎになっていた。

 

 やはり同じ噂であっても、ドクズ悪霊と幸せの少女では違うのかもしれない。

 

 

 

 「彼女、アリアナちゃんを巡っては何とも色々と、本当に色々とありました。ですがまあ、なにはともあれ、私にとっては随分有り難い子でして、色々とお世話にもなっています」

 

 「いい大人が幼女の世話になってどうすんのよ」

 

 「はっはっは、それを貴女が言いますか、子守には失敗することに定評のあるマートルさん」

 

 「アンタだって適性ゼロだろうが!」

 

 「そりゃそうですよ」

 

 傍目にも分かるが、ドクズ悪霊コンビは小さな子の相手には向いていない。向いているはずがない。

 

 ある日ホグワーツに現れた亡霊少女、アリアナちゃんは本当に不思議な存在で、彼女の姿をまともに捉えられる者はこの境界線のホグワーツにおいてすら稀であった。

 

 直接に触れられるのは、ある種同質の存在と言えるノーグレイブ・ダッハウだけであり、マートルさんとて直に会って話したことも数えるほどしかない。

 

 ただしもうひとり、いいや、ふたりだけ、例外となる人物がいたが。

 

 

 「そういえば、何だかんだで深くは聞いたことなかったけど、あの子の存在がアンタに頼んでいたダンブルドア先生の“お願い”ってことでいいのかしら?」

 

 「厳密にはそれだけではありませんが、まあその認識で結構です。深い事情についてはダンブルドア家の根深い因縁に抵触するので私から口にするのは契約外になってしまいます。禁則事項とでも思っておいてください」

 

 「んー、気にはなるけどダンブルドア先生はあたしの恩人でもあるし、そこはまあ深くは聞かないわ」

 

 「ありがとうございます。流石、できる女マートルさん」

 

 「こんなときだけ持ち上げんなっての。けどさあ、事情に関わんない部分くらいは教えなさいよ」 

 

 それが秘密であるならば、聞きたくなるのが人情であるのもまた事実。

 

 そして、マートルさんは人情家であり、要するに思ったことは口にするタイプなのである。

 

 

 「そうですね、本当に細かい部分は省いてざっくり説明しますと、このホグワーツには創設者の時代よりもなお古い謎の時計塔がありまして、それが何であるのかは誰も知らないという我が校最古の七十七不思議となっております」

 

 「七十七もあるの?」

 

 「派生系も含めれば、七百七十七不思議くらいはあると思いますけどね。ともかく、ダンブルドア先生の妹君、アリアナ・ダンブルドアさんがとある“大きな事故”に巻き込まれた際、その時計が幾千年の眠りから覚めた。どのような因果かは分かりませんが、彼女の身体は時空を超えてホグワーツに転移し、今も時計塔の中で眠りについているという話です」

 

 「時計塔に眠る少女、ねえ。まあなんとも、神秘的な響きね」

 

 大きな事故とやらや、アリアナが眠りについた理由については聞かない。

 

 あえて説明を省いたということは、そこがダンブルドア先生の事情に関わる部分なのだろう。

 

 

 「ダンブルドア先生はその後、教師としてホグワーツに残り時計塔を見守り続け、弟君のアバーフォース氏もホグズミード村のホッグズ・ヘッド・パブにて長い時を待っていました。しかし何十年という時が過ぎても時計は沈黙を続け、二人は半ば諦めていたらしいのですが」

 

 「あのダンブルドア先生が何も解明できないなんて、よっぽどの時計なのね」

 

 「それはもうとびっきりらしいですよ。なにせ、かのロウェナ・レイブンクローですら、タイムターナー系統の極めて特殊な時計であること以外は突き止められなかった曰くの品です。むしろ、タイムターナーがこの時計の亜流品なのかもしれませんが、真相は謎です」

 

 「そんなのをアンタが知ってるってことはつまり―――」

 

 「はい、二番目の事例が私です。ダンブルドア先生とゲラート・グリンデルバルドの“伝説の決闘”より僅かに前の魔法大戦末期。とある場所で、アリアナちゃんの事故に似たとある事件がありまして、謎の時計塔は再び稼働。今度もある条件を満たした人間が内部に取り込まれたのですが、代わりに時計から這い出てきた出自不明の謎の幽体が一つと、タイムターナーに似た懐中時計が一つ」

 

 「なるほど、それでシグナスがアンタのことを“時計塔の悪霊”って呼んでたのね」

 

 「そういうことです。当時からホグワーツにいた人物ならば、幽霊管理人が謎の時計塔の地縛霊であることは知っていましたから。マートルさんはその頃はまだ“成り立て”で自我が曖昧でしたし、トイレから離れられませんでしたからね」

 

 それはちょうど、スリザリンの継承者が秘密の部屋を開いた時期とも重なる。

 

 何がどのような因果で結ばれているかは定かではないが、しかし、無関係ということはあるまいと悪霊教師は推察している。

 

 ならばこそ、こうしてマートルさんもここにいるのだろうと。

 

 

 「直接的ではありませんが、マクゴナガル先生も無関係ではありません。先程話した私と一緒に時計塔から出てきた小さな懐中時計、便宜上、大きな時計塔を“クロノスの時計”、小さな子機といえる方を“カイロスの時計”とダンブルドア先生は呼称しておりますが、その“カイロスの時計”が唯一反応したのが当時七年生であったミネルバ・マクゴナガル女史なのです」

 

 「へえ、あのマクゴナガルがねえ……って、彼女が七年生の時ってたしか、ビンズ先生が亡くなって、アンタが魔法史の教師になった時期じゃなかったっけ?」

 

 「はい、そういうことです。その因果関係についても、ぶっちゃけ謎のままでして、当時変身術の教師であったダンブルドア先生が、学生にしてアニメ―ガスであったマクゴナガル女史に個別指導をしていたのは事実ですが、ただそれだけでもなかったのですよ。何やら色々と調べて回っていたようですが」

 

 「流石に、創始者たちですら解明できなかった時計塔ってわけね」

 

 その二人をもってしても謎の根源を突き止めるには至らず、更に時は流れ。

 

 最大の手掛かりとも言えるノーグレイブ・ダッハウをホグワーツから離すという選択肢はなく、かといって魔法省の特に神秘部などは彼や“カイロスの時計”について調べたがっている。他の省庁は別段興味もないようだが。

 

 

 「そういう訳で、私はそもそも“ホグワーツの地縛霊”とも言えるのでここを長い時間離れられません。しかし、ただの幽霊として放置するのも色々問題があり、紆余曲折の末、裏方管理人を経て“ゴーストの魔法史の教師”の座を受け継いだ次第です。まあ、どうでもいい歴史ですが」

 

 「ちょっと待ちなさい。すっごい重要なこと言ってなかった?」

 

 「いや、どうでもいいでしょう。私がどこに所属するかなど、何の意味もありませんし。魔法省でも神秘部でも、勝手に区分してくれれば手間が省けます。私は人間を観測することに興味はありますが、観測されることはどうだってよいので。まあ、観光資源にでもなれればいいじゃないですかね」

 

 まさに心底どうでもいいと言わんばかりであった。

 

 というか、謎の時計塔についてもサラリと話しているが、マンダンカス・フレッチャーの糞爆弾事件と同程度くらいの重要性しか感じてないらしい。

 

 

 「うん、よく分かったわ。間違ってもアンタには秘密は預けない」

 

 「それが賢明でしょう。なにせ、ホグワーツにおいて“秘密”とは、皆が知っているということを指すのですから」

 

 そして、皆とはすなわちノーグレイブ・ダッハウである。

 

 この魔法の城のあちこちに、幽霊は遍在しているのだから。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「こんにちはメローピーさん。アリアナちゃんも、ああ、そこにいますね」

 

 場所を移して管理人室。

 

 今やホグワーツ生徒のほぼ全員が探し求める亡霊少女、“アリアナちゃん”の姿がそこにあった。

 

 姿があったという表現は些か正確ではなく、透明に限りなく近い状態でうつらうつらと可愛らしくもねこけている感じであったが。

 

 

 「うーん、こうして見ると、未亡人っていうのも納得できるわね」

 

 そんなアリアナちゃんに膝枕をしているのが、彼女と同じく“成り立て”のゴースト、メローピーさんである。

 

 長い間自我を取り戻せなかった彼女であるが、“幼い子供”というものに強い執着があったのか、アリアナちゃんが姿を現して以来、これまでとは段違いの速度で念を強めている。

 

 同じ霊体同士であるとはいえ、触れ合う真似事ができるようになるまでには。

 

 

 『えぇ、オんなの子もほじがっっだがら』

 

 「無理に喋ろうとなさらなくても結構ですよ、メローピーさん。まだ貴女はゴーストとしての個我を完全に確立していないのですから」

 

 『ぞ、ゾうね』

 

 「はい、ゆっくりと、少しずつで構いませんよ。別に誰かに急かされているわけでもありませんので、のんびり行きましょう」

 

 「いや、ダンブルドア先生は早く逢いたいんじゃない?」

 

 「60年以上も待ったのです、今更数ヶ月など誤差でしかありませんよ」

 

 ノーグレイブ・ダッハウは、人の心が分からない。

 

 そのことを痛感したマートルさんであった。

 

 

 「アンタのそういうところは、まあ、別にいいけどさ」

 

 「? なにか問題でも?」

 

 「ないわ。それで、あたしやメローピーさんはまだアリアナちゃんに触れられないけど、ダンブルドア先生は大丈夫なのよね」

 

 「それは間違いなく。このアリアナちゃんは幼児退行していますが、お兄さんのことは覚えてましたから“縁”が繋がっています。彼女にお爺ちゃんと呼ばれて昇天しそうになってましたが」

 

 「嬉しかったのかしら? それとも、悲しかったのかしら?」

 

 「嬉し泣き笑いという、何とも奇妙な顔でしたね。アバーフォースさんの方はガチの号泣でしたが、あちらは喜びで感極まった、でしょう」

 

 これをきっかけに、60年ぶりにようやく兄弟仲が修復できたとか何とか。

 

 外見上の年齢差が80歳近いという前代未聞の兄妹となってしまっているが、アリアナ再誕の喜びの前では些細なことだったらしい。

 

 流石はアリアナちゃん、幸せの天使は伊達じゃない。

 

 

 

 「話を戻すけど、本来無関係なはずのアンタが彼女に触れるのは、例の時計が関係してるのね」

 

 「確証があるわけではありませんが、まあそうでしょう。共通点といえばそこしかないので」

 

 「前々から薄っすらと感じてはいたんだけどさ、アンタの常にブレてるような輪郭と、よく見えるようで見えないような黒い霧。何よりも実体と非実体を使い分けられる。アンタってつまり」

 

 「オプスキュラスに近い。神秘部の方々もそのように仮設を立てておられましたが、同時に迷ってもおられた。何しろ、吸魂鬼にも極めて性質が似通っているらしいので」

 

 物に触れられるという時点で、明らかに普通のゴーストとは異なる。

 

 魔法界には様々な魔法生物、あるいは幽体が存在するが、実体を持つ状態と幽体の如き性質を併せ持つのは多くはない。

 

 有名なところを挙げるならば、オプスキュラスと、吸魂鬼が該当する。

 

 

 「あ~なるほどね。それでか、アンタの身体の一部にゴーストが触れると、自分の未練や無念に適合する思い出を、“吸い取れる”ようになるのは」

 

 「現象としては、吸魂鬼が幸福の記憶を吸い上げるのと同じはずです。マートルさんの場合は対象が“嫉妬の記憶”になるわけですから、失恋、リア充、爆発しろなどの想いと一番親和性が高いのでしょう。とはいえこれも、全てのゴーストがそうなるわけでもないのでぶっちゃけよく分かっていないのです」

 

 ホグワーツには大量のゴーストがいるが、ノーグレイブ・ダッハウに触れて実体と非実体を使い分けれるようになったり、“吸い取り”が可能になる者は多くない。

 

 似た事例があまりに少なすぎることや、何よりも人の想いや残留思念というものの曖昧さ、複雑さもあり、大別することはほぼ不可能といってよい。

 

 まるで開けてみなければ分からないびっくり箱のように、何がどうなるのかは誰にも予測できない。

 

 

 「遍在するという特徴や、黒い霧などはオプスキュラスに似ており、他者の想念を“吸い上げる”という特徴は吸魂鬼に似ている。しかし、両者にはない地縛霊という要素も併せ持っている。つまりは、分類不能。これが現在のところの魔法省の暫定結論です」

 

 「死ぬほど頼りにならない結論だわ」

 

 「ほんとに何なんでしょうかねぇ」

 

 どこまでも他人事だった。実体がないとはそういうものなのかもしれない。

 

 

 「うん? そういえば、アンタも“吸い上げる”念があるの?」

 

 「ありますよ、今現在も進行形で」

 

 「え? 私に対しても?」

 

 「はいそうです」

 

 全く身に覚えがないマートルさん、初耳である。

 

 

 「あり得るの? だって、吸い上げるってことは生前の未練とか、強い執着が必要でしょう。人間として生きたことのないアンタにそんなのあると思えないけど」

 

 「良い着眼点です。確かに私は時計塔から“ただ這い出てきた”だけなので、別段何らかの強い未練などを持ち合わせてはおりません。しかし私は同時に観測者であります。全ての人間を歴史の教材として見ているのですから、裏返せば答えは単純です」

 

 戦争を面白いと語る観測者。

 

 あくまで、後世の歴史家の視点でのみ“現在”を見ているのであれば、観測者が願うこととは何か。裏返せば、一番イヤなこととは何か。

 

 

 「私は歴史の当事者になどなりたくない。つまりは突っかかられては困るのですから、執着などされたくない。意味はわかりますか?」

 

 「……ああ、なるほどね、すっごくよく分かるわ」

 

 要するに、人間であったことがないための逆さま現象。

 

 通常のゴーストが、“何かをしたい”という妄念を原動力にするならば。

 

 客観的な視点しか持たないこいつは、客観性を維持するために“何もしてくれるな”という念を発していることになる。

 

 それは、余計なことを何もするなという意味じゃなくて、“余計なこと、面白そうなことは大いにしろ。でも、私には何もするな”ということだ。

 

 その結果、何が起きるかというと。

 

 

 「アンタを殴ったところで無意味だから、直接どうにかしようとは思わない。どんだけ腹が立っても、口でアンタに文句を言うだけで、誰一人殴ったり魔法使ったりしなかったわね。だってアンタは、誰にも何もしないから」

 

 「ええ、結果的には、私を対象にした暴力行動に繋がるような“害したい”という念を吸い取っているのと同じですね」

 

 「つまりアンタ、“自分だけ無事ならそれでいい”ってことね」

 

 「正確に言うなら、本来存在しないも同然の私に執着したところで時間と労力の無駄。それは歴史の観測に何の意味も持たない。無意味だから止めてくれ。といったところですか」

 

 言うなれば、命を張ることなく、自分だけ絶対安全圏から戦場を撮影したいと願っているカメラマンだろうか。

 

 

 「ほんと、アンタ死ね」

 

 「しかし、死ぬ手段が分からない。私、遍在してるんですけど、本体ってどこにあるんでしょうね?」

 

 「知るか!」

 

 「ああ、生きるべきか死ぬべきか」

 

 「殴りてえコイツ、あ、分かった、今吸ったわね。ストレスが微妙に矛先ずらされた感じ」

 

 「意図的に吸ってるわけじゃなく、自動的なので止めようもないんです」

 

 それはもう、生態のようなものだから。

 

 なまじ自分も嫉妬に関してはそうなので、流石にそこには強く言えないマートルさんであった。

 

 

 「でもそうなると、アリアナちゃんもアンタと同じ特性ってことね」

 

 「イグザクトリー。そしてだからこそ、最初に言ったとおりお世話になっているのです。ええもう、彼女こそは紛うことなき天使そのもの」

 

 その特性は、吸魂鬼の正反対と言えるもの。

 

 吸魂鬼が、そこにいるだけで幸福な思い出を吸い取り、不幸な記憶ばかりが浮かんでくるならば。

 

 家族の幸せを願い、兄達の諍いを止めることを祈った彼女の“未練”が形になすものは。

 

 

 

 「彼女がそこにいるだけで、不幸な記憶は吸い取られ、幸福な思い出ばかりが浮かんでくる。今のホグワーツの生徒たちが、これほど必要としている美しきお伽噺も他にないでしょう」

 

 救いを求める生徒には、必ずや小さな天使が助けを届けに現れる。

 

 アルバス・ダンブルドアが長い生涯の全てを捧げて、願い続けたホグワーツの幸せの形。

 

 そしてその先に、彼とその弟だけの、小さな家族の願いを込めて。

 

 

 

 「もしもこの先、彼女が本当に目覚める奇蹟があるとするならば」

 

 「あの子が幸せにしてきた生徒達が、彼女自身の幸せを願ってくれたその先に、数多の想いが重なって、新たなお伽噺になった時に。ってとこかしら」

 

 「台詞を取らないでください」

 

 「あ、分かったわ。アンタを殴ることは出来ないけど、こうやって優しい言葉でアンタの台詞を奪ってやるのが一番効きそうね」

 

 「むむぅ」

 

 

 悲しくてやるせない歴史の事実がそこにあるからこそ、ハッピーエンドを願ってお伽噺は紡がれる。

 

 ならばこそ、悪霊教師のノーグレイブ・ダッハウが、小さな天使を見ながら微笑むマートルさんにこの場で勝てる道理もないのだった。

 

 

 

 亡霊少女は、死と生の狭間でホグワーツを楽しく歩き回り

 

 疲れておうちに戻ってきたら、お母さんの膝の上で眠りこけ

 

 

 




アリアナちゃんは天使
ダッハウは人間の屑

予想より長くなったので章を分けます。
次回からはジェームズやリリー達の世代の話になります。


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ホグワーツ魔法魔術夜間学校
1話 いざ夜間学校開設へ


ペチュニアさんにも幸せになってもらいたい

ずわい様、誤字報告ありがとうございました!


 さあさあさあ、皆で仲良く墓を掘ろう

 

 わっせ、わっせ、ほいさ、ほいさ

 

 スコップ片手に、ツルハシを担いで、ほいさっさ

 

 皆で掘ろう、仲良く掘ろう

 

 死者たちの帰るための家を、迷うことのないように

 

 さあさあ皆で、仲良く掘ろう

 

 穴を彫りましょう、ああそうさ、我らは穴を掘るとも

 

 偉大なる聖女の作りしこの地下墓地へ

 

 約束されたカタコンベにと、想いと祈りが届くように

 

 陽気にわっせわっせ、楽しくほいさほいさ

 

 何で幽霊が穴を掘る? そこに墓があるからさ

 

 幽霊だって穴を掘る、幽霊だから穴を掘る。

 

 だってそう、ここは死者を迎えるための穴なのだから。

 

 生者が掘っては、悲しい気持ちが混ざってしまう。

 

 喜びとともに墓を作ろう、歓迎のための穴を掘ろう。

 

 死んでも皆で一緒にいれば、きっと寂しくなんてないから。

 

 

 

 

 

 「まったく、アタシはレイブンクローだっての、肉体労働はグリフィンドールにでもやらせなさいよ」

 

 「出ましたねインテリ発言。たまには身体を動かさなければ健康に良くないですよ」

 

 「ええそうね、“人間だったら”という但し書きがつく気がするけれど」

 

 ここはホグワーツ四寮の一つ、ハッフルパフ寮に近い場所にあるホグワーツの地下道。

 

 悪霊たちが陽気に笑いながら、松明の明かりを頼りに薄暗い地下で穴を掘る。

 

 ツルハシとスコップ、時々トロッコや手押し車も使いながら。

 

 ホグワーツの幽霊が穴を掘る。墓にするために穴を掘る。

 

 働いているゴーストの数は、軽く見ても200を超える。本来は触れられないはずの石と土砂を運び出し、道具を担いでえいやこーら。

 

 マグルの世界では絶対にありえぬ光景故に、魔法の世界の象徴的な絵画のようにも見えるが、この境界線のホグワーツではこれこそが現実。

 

 

 「まったく、マートルさんはいつ迄たっても文句ばかりの劣等生ですね。あちらを見なさい、メローピーさんはあんなにも頑張って働いてくれています」

 

 「頑張って働こうとして、邪魔になってる気がするのはアタシだけかしら?」

 

 悪霊教師が指差した先には、掘った土砂を運び出そうと頑張ってはいるものの、何度も転びつつトロッコの道筋を塞いでしまっているメローピーさんの姿。

 

 どうも、生前から肉体労働はそんなに得意ではなかったようで、こういった集団作業も経験がないのか、鈍臭さが際立ってしまっている。

 

 マートルさんとてこういう肉体労働は当然得意ではないが、彼女には邪魔にならないようにしつつ、同時に疲れる仕事をさり気なく他人に押し付けるだけの悪知恵の働く頭脳があった。流石はレイブンクローの根暗ボッチ、集団作業の処世術もなかなかに卓越している。

 

 

 「ここはゴーストの墓掘り場、効率などは度外視で構わないのですよ。要は、生者の力にも魔法の力にも頼らず、ホグワーツのゴーストが一丸となって“仲間を迎えるための”墓を掘ることが重要なのです」

 

 「アンタって、墓に関してはだけは譲らないわよね。いっつもビンズ先生達のお墓の掃除だけは欠かしてないし、時間が空いたら墓作るか掘ってるし」

 

 「墓こそは我がレゾンデートルといったところでしょうか。この作業を私に依頼したダンブルドア先生は、流石に適材適所というものを存じてらっしゃいます」

 

 「今回ばっかりは確かに妥当な人選だと思うけど、アリアナちゃんを墓掘りに参加させるのは断固反対してたって言ってなかった?」

 

 「ええそうです。“ならん! 断じてならん! 落盤の可能性のある危険な作業をアリアナにさせるなど絶対にありえぬ!”と。ゴーストなのですから仮に生き埋めになったところで何ら痛痒を感じないのですが」

 

 「アリアナちゃんがからむと、途端にダメ老人になっちゃうわねあの人」

 

 「むしろ最近、ボケ老人にならないかが不安になってきます」

 

 これまでの60年間、己の罪に向き合いながら贖罪を重ねる巡礼者のような人生だったからか、その反動が出たのかもしれない。

 

 偉大なるアルバス・ダンブルドア校長先生も、こと孫(妹)が絡むと年相応のポンコツ爺さんの側面が垣間見られるのであった。

 

 

 「それで、若干ボケ気味のお爺ちゃん先生からの依頼で墓作ってるのは分かるけど、何の役に立つのこれ?」

 

 「そこは出来てからのお楽しみと言いたいところですが、まあ、ご察しの通り、外では寮対抗ホグワーツOB大喧嘩選手権が始まりましたので、ヤンチャで大人げないOBたちのために、こうしてゴースト有志連合で負傷者の収容施設を作ってるわけでして」

 

 「ええと、アンタの言う“寮対抗ホグワーツOB大喧嘩選手権”ってのは、今起きてる戦争のことで、“負傷者”ってのは、戦争の犠牲者ってことで理解OK?」

 

 「イグザクトリー、君は正解です」

 

 「なんつー例えしてんのよアンタは、遺族に聞かれたら祟られるわよ」

 

 「とはいえ、実際その程度のことでしょう。イギリス魔法族の大人の9割5分はホグワーツOBであり、在学時代から寮対抗で諍いが絶えませんでした。失神呪文を撃ち合っていたグリフィンドールとスリザリンの喧嘩が、卒業後に磔の呪文と死の呪文を撃ち合う喧嘩に変わっただけのことです。別段、騒ぐほどのことでもありますまい」

 

 やはりコイツに教師をやらせるのは大問題ではないか。マートルさんですらそう思った。

 

 まあ、アリアナちゃんのことがある以上、絶対にダンブルドア先生は解雇しないでしょうけど、と内心諦めつつ。

 

 

 「昨年あたりにも例の爆破テロ事件があり、イグネイシャス・プルウェット氏とアブラクサス・マルフォイ氏を初めとして多くの方が亡くなりました。いきなり別れ別れになっては遺族も寂しいでしょうから、ならばこその“中継待機場”をホグワーツに作ってしまおうと」

 

 「そうね、プルウェット家の駆け落ち騒動だの、ゴブリン事件だの色々あったけど、モリーはさぞ悲しんでいるでしょうしね。その点は同意するわ」

 

 「流石に多種族の方までは厳しいですが、死生観も種族ごとに様々ですしね。取り敢えず、魔法族がたくさん殺し殺され死んでいくのは確実となれば、ホグワーツに仮墓を作っておくのが一番です。ほうらあそこ、プルウェット家スペースと、ウィーズリー家スペースは既に完成済み」

 

 指差す先には、雪のかまくらが並んでいるような構図で、各家のスペースが区分けられていた。

 

 表札らしきもので一応はどの家のものかは分かるが、正直、集団墓地にしても“雑”な作りである。

 

 

 「随分雑だけど、あんなんでいいの? 嫌気さして天国行っちゃわない?」

 

 「問題ありません、所詮ここは仮宿ですし、好んでトイレに何十年の住み着いている奇抜な方もいらっしゃいますので」

 

 「誰が好んで住み着く変態よ。アタシはあのトイレから長期間離れられないだけだっての」

 

 「変態までは言ってませんけど」

 

 言ってはいないけど、思っていたりはする。言わないけど。

 

 

 「でもまあとにかく、これからの戦争で死んだホグワーツのOBは、ここにやってきてゴースト化するってことでいいのかしら? イグネイシャスやアブラクサスはもう来てるの?」

 

 「単体の独立ゴーストとは少し異なりますが、まあ、ゴーストと思って問題ないです。ただし、基本的に実体化は出来ませんし、我々のように見える状態にもすぐにはなれません。しばらくは霊魂になってこの地下墓地で待機していることになります。ちなみに、イグネイシャスさんとアブラクサスさんはもういますよ」

 

 「ふーん、まあ、ゴースト化の資質はそれぞれだしね」

 

 「彼らが半実体化して家族の元に還る“ゴーストの墓参り”時期となれば、ハロウィーンの夜か、ワルプルギスの夜でしょうね。命日は個々人の都合によるので、余程特殊な事情がない限りは厳しいですね。やはりそういうものは、万国共通の物語に乗っかる形が一番良い」

 

 この魔法界に広く存在し、マグル世界の人間たちが“そういうもの”だと幻想に描いている死生観。

 

 世界中のそれぞれのコミュニティにおける“共有幻想”によって成り立つ“共有魔術”とでも言うべきだろうか。

 

 

 「マートルさんという前例がありますので、後は応用です。ホグワーツに七年在籍し、卒業していったという“縁”をアンカーとし、やってきた霊魂を私と遍在連結させることで記録保存。個々の魂のケアについては、メローピーさんとアリアナちゃんにお願いする感じですね、まあ、死者の数が増えれば自ずとゴースト同士のコミューンも出来ていくでしょうけど」

 

 その辺りの精神的な部分については、四角四面に定める必要はない。

 

 人間が生きるための国家機構というものが杓子定規であり、法という鎖で互いを縛り上げるものならばこそ、せめて死後は自由で奔放な友人知人の集まりを。

 

 それが、魔法族の墓における心意気というもの。

 

 

 「アリアナちゃんはともかく、メローピーさんはケア担当で大丈夫なの?」

 

 「アリアナちゃんへのお母さん的な気質を鑑みるに、まあ大丈夫でしょう。最近になって話を聞いてみて分かったのですが、意外な事実もありましたし」

 

 「意外な事実?」

 

 「それが奇妙な話で、メローピーさんが自我を持ったのは、ちょうど貴女がゴーストになったあたりらしいんですよね」

 

 「てことはなに? あたしが死んだ頃には、魂の残り滓みたいな状態から、自我を持てるくらいにはなってたわけ? でも、その後けっこう長い間アタシらと意思疎通は出来なかったわよね。そんなのあり得るの?」

 

 「そうですねえ、思いつくこととしては、彼女がゴーストになったきっかけである息子さんに何かあったか。残留思念になって息子を見守っていたけれど、不慮の事故で死んでしまい。恨みパワー全開でゴーストとしての自我を持つに至った、とか」

 

 「うーん……、まあ、なくはないかもしれないけどさ。それだけじゃ弱くない?」

 

 「それはそうなのですよね。強力な闇の魔術を用いてすらも、魂を強化するなんてのは至難の技ですし、そもそも、魂は基本的にすり減るもので、他所から足されるものではありません。それが可能なのは私か吸魂鬼、変則的にアリアナちゃんくらいのものですが」

 

 「でも、メローピーさんはあんたみたいなヘンテコでも、吸魂鬼でもないでしょ」

 

 「その通りです。元々家族に恨みがあって、悪霊になって取り付いていたとかならまだしも、亡くなってから15年近くもただの残留思念だったというのに、それがいきなり活性化して、ゴーストに近い自我を持ち始めるというのは明らかに異常です。ということは、普通ではない異常な何かがあったのでしょう」

 

 「あるいは身内か、って、んん? そういえば、メローピーさんの探してた“トム”って、結局リドル先輩のことで良かったの?」

 

 アリアナちゃんのことに気を取られ、そちらのことを思わず失念していたマートルさん。

 

 考えてみれば、割とタイムリーな話題なのだった。

 

 

 「ほぼ間違いありません。どうにも彼女の“その辺りの記憶と認識”が曖昧なのが気になるところではありますが、トム・マールヴォロ・リドルと息子に名付けたとおっしゃってましたので、貴女の一つ上のスリザリン生、トム・リドル氏で間違いないでしょう」

 

 「でも、リドル先輩って確か、例の爆破テロで死んでなかったっけ?」

 

 「魔法省の公式発表ではそうなってますね。彼の僅かな肉片と髪の毛だけが残されていたとか。テロ自体も例の“闇のおじさん”が主犯格とも噂されてますが結局のところは不明。ただ、彼の魂が“こちら”に来ていないのは間違いないので、生きている可能性も相当あるのではと私は思っています」

 

 「あ、リドル先輩、こっちにはまだ来てないんだ」

 

 「メローピーさんの心情としては微妙ですねえ。こちらに来ていていれば即座に再会できますが、それすなわち息子の訃報と同義。来ていないならば生きている可能性は高まりますが、彼女がホグワーツを出られない以上、行方不明の息子さんを探すことも難しい。爆破テロの標的にされたくらいですから、隠れ潜んでいる可能性も大いにありますしね」

 

 「んー、確かに難しいわね。はぁ、なかなかうまく噛み合わないなあ、これもぜーんぶ、あのヴォルヴォルなんちゃらのクソ野郎のせいね」

 

 最近魔法界を騒がしている勢力の一つに、“死喰い人”と名乗る武装集団を中心に急速に拡大している一派がある。

 

 その首魁と見られているのが、謎の人物“ヴォルデモート卿”である。最近は【例のあの人】というキーワードも浸透し始めた。

 

 

 “今を時めくあの人”

 

 “噂のあの人”

 

 “変なおじさん”

 

 “例のあの人”

 

 “名前を言ってはいけないあの人”

 

 “闇の帝王”

 

 

 これは裏話となるが、日刊預言者新聞の有力記者を買収したり、週刊魔女の編集者に服従の呪文をかけたりと、【例のあの人】というワードを定着させるのに5年以上の時間と労力がかかっている。

 

 その過程で、一時期“変なおじさん”扱いされたのは焚書すべき黒歴史である。ヴォルデモート卿が魔法大臣になった暁には、真っ先に“禁句”設定することにしている。

(なお、闇の印を持つものが口にした場合は、永久脱毛とギックリ腰と上下総虫歯と尿道結石と花粉症の複合呪いが発動する仕組みになっているとの噂)

 

 

 「あと、あまり関係ない話ですが、メローピーさんの家名については分かりましたよ」

 

 「へぇ、なんての?」

 

 「ゴーント、だそうです。誤りがなければ聖28家に数えられている純血の家にして、サラザール・スリザリンの直系とも伝わる蛇語使いの家。事実なら、トム・リドル氏がスリザリンに組分けされたのも大いに納得です」

 

 「メローピー・ゴーントねえ、でも、彼女がそのゴーントの家のことをあまり好きじゃないなら、呼ばないほうがいいかしら?」

 

 「まあそれが無難でしょう。死してなお藪をつついて蛇を出すこともありません」

 

 「蛇語だけに?」

 

 「あまり上手くないですね」

 

 そんなこんなの、ホグワーツに形作られつつある死者の世界、地下墓地での一幕。

 

 地上の人間世界で戦争があろうとも、幽冥の住人たちにとってはどこ吹く風。仲間がやって来るのならば、大いに歓迎しようと宴会準備を始める始末。

 

 あいも変わらず、悪霊たちは人でなしであった。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 「という訳でしてメローピーさん、貴女には夜間学校の教師を引き受けていただきたいのです」

 

 「わ、わたくしがですか?」

 

 最近はアリアナちゃんの影響を受けてか、かなり滑舌良く喋れるようになった謎の未亡人改め、メローピー・ゴーントさん。

 

 ホグワーツの幽霊に宿題もテストもないが、有給も休みもない。

 

 いざとなればまさに眠ることなく四六時中働かされるので、実はかなりブラックな職場と言えるのかもしれなかった。下手したら屋敷しもべ妖精よりも。

 

 

 「いつかアリアナちゃんが現れる日が来るとは予想というか期待はされていたので、構想だけは十年以上前からあったのです。こうして彼女が形をなし、どうやら普通の子供より遅い速度ではありますが成長もしている様子なので、ダンブルドア校長先生より是非学校に通わせたいと」

 

 アリアナちゃんは幽体ではあるが、属性は正反対ながらも吸魂鬼と同じ特徴も持っている。

 

 限定的ながら条件が揃えば飲んだり食べたりの真似事も出来るし、通常よりはだいぶ遅い速度だが、成長らしき変化も見られている。

 

 なので、孫ボケ爺さ――ゴホンゴホン、偉大なるアルバス・ダンブルドア校長は、公平さに満ちた慈愛の精神から、彼女のような存在でも迎え入れられるような【ホグワーツ夜間の部】の創設を構想したのである。

 

 繰り返すが、決して私情ではない。ホグワーツの一部を私用で無断借用している訳では断じてない。

 

 理事会などには一切図っておらず、シグナス副校長にすら秘密にしており、このドクズ悪霊以外の手駒は動かしていなかったりもするが、私情ではない。

 

 アルバス・ダンブルドアは、いついかなる時も公平な人である。こんな偉大な校長の解任決議なんてあり得ない。

 

 市民、あなたは幸福ですか?

 

 

 「突然の教職に色々と不安もあるとは思いますが、そう構えるものでもありません。基本的にはアリアナちゃんへの個人授業ですので」

 

 「学校なのに、個人授業ですの?」

 

 「現在作成中の地下墓地には卒業生の死者しか来ませんので、子供の亡霊は確保できません。このホグワーツに住む幽霊にも子供はいません。かといって、一般生徒を招けば保護者にバレますし、理事会にも通報されてしまいます」

 

 「あ、あの、理事会に通報って、これってひょっとして違法なのではありませんの?」

 

 「魔法法には触れておりません。あくまで、ホグワーツ校長の権限内での、ちょっとした依頼です。金銭に基づく契約ではないので賄賂などでもありません。ただし、シグナス副校長やマクゴナガル先生にはしばらくはバレないように」

 

 つまり、いつかバレることは前提である。多分一年もたないだろうが。(ハグリッドは知っている)

 

 というかダンブルドア先生、不死鳥の騎士団の活動は大丈夫なのだろうか? 死喰い人はそっちのけで孫の個人教育に力入れたりしないだろうな。

 

 

 「え、ええと、それで私は何をしたら?」

 

 「メローピーさんは愛の妙薬の作成に詳しいと伺いましたので、魔法薬の先生をお願いしたいのです。寮憑きのゴーストの方々が教科は受け持ってくれる予定で、ヘレナ・レイブンクロー様が光栄にも夜間学校校長を引き受けてくださいました。当然、マートルさんも教師として参加します。ただし事務員も兼任ですが」

 

 このドクズ悪霊、【ホグワーツの地縛霊】であるためか、創始者一族には敬意を払う。

 

 創始者の一人、ロウェナ・レイブンクローの一人娘であったヘレナ・レイブンクローは、およそこの糞教師が唯一“様付け”で呼ぶ人物であろう。

 

 サラザール・スリザリンの直系と伝わるゴーント一族のメローピーさんにも物腰が若干丁寧で、穢れた血のマートルさんにはぞんざいだ。

 

 やはりこいつ、割と権威にはへつらうタイプの屑だった。(ただし、権力には皮肉を飛ばすへそ曲がり)

 

 

 「ま、魔法薬、ですか……」

 

 「失敗経験があるならば、それも余さず教えてくださると助かります。歴史とは人生の積み重ね、成功も失敗も語ってこそ、後の世に生きる者達への教訓になるというものですから」

 

 メローピーさんは生前、愛の妙薬を使ったことに強い後悔を抱いていた。

 

 ゴーストになった今でもその念は薄れるものではないが、だが同時に、その無念を誰かに伝えたいと願うのもゴーストの性というもの。

 

 このドクズ、拒めない餌をぶら下げることには定評があった。

 

 

 「わ、分かりました。私の後悔が、アリアナちゃんや誰かが失敗しないような道標になれますように」

 

 「ありがとうございます。流石メローピーさんは心が広い、どこぞのマートルさんとは大違いです」

 

 そして、隙あらばマートルさんをディスっていくスタイル。

 

 最早これは、習慣のようになっているみたいである。

 

 

 「そ、それで、生徒はアリアナちゃん一人だけでよろしいのでしょうか?」

 

 「人間のゴーストについては、彼女一人です。当然、ゴーストのための夜間学校なので、深夜開催です」

 

 「人間の?」

 

 「流石に一人だけでは寂しいでしょうから、魔法器物の付喪神やら、意思を持って動くようになった玩具やら、動く石像やら、そういう方々にも参加してもらおうと思っています。大西洋を越えて北米のイルヴァーモーニーからも留学生を募っているので、遠からずメンバーも決定するでしょう」

 

 「あ、あの、一応現在で決まっている生徒を教えていただいても?」

 

 「そうですね、ダンブルドア先生のペットの不死鳥フォークスさん、ドイツの車の幽霊のワーゲンさん、バイクのエルメスくんと、鮮血処女の付喪神のメイデンちゃんは確定済み。ギロチン先輩と電気椅子後輩については、まだ参加を決めかねているので保留です。それと、アクロマンチュラのアラゴグさんとモサグさんの息子、モレークくんも参加予定ですね」

 

 「………」

 

 とんでもないラインナップだった。思わず引くどころではなかった。

 

 なぜコイツに生徒の選別を任せてしまったのか。

 

 なぜコイツの選ぶ生徒に僅かながらでも期待してしまったのか。

 

 了承したのは早まった決断だったかと、今更ながらに後悔するメローピーさんであったそうな。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「おいこらクソ馬鹿、なんて返事してんのよアンタは」

 

 そんなこんなでメローピーさんを上手く詐欺した糞幽霊が事務室へ戻ると、そこにはたいそうご立腹なマートルさんの姿があった。いつも怒られてるなコイツは。

 

 

 「いきなり言われても何のことやら」

 

 「これよこれ、ほら、最近魔法界が物騒だからって、何時もより繰り上げて早めに送ったマグル生まれへの入学案内に帰ってきた質問のふくろう便」

 

 魔法界の昨今の情勢は、いよいよ純血派とマグル融和派に分かれての戦争の気配。

 

 ドクズ悪霊に言わせれば、“寮対抗ホグワーツOB大喧嘩選手権”という緊張感の欠片もない表現になってしまうが、これからホグワーツに通う生徒、特にマグル生まれには死活問題と言える。

 

 マートルさん自身、グリンデルバルドの魔法大戦の余波とも言える“スリザリンの継承者騒動”に巻き込まれ、命を失ったマグル生まれだ。

 

 自分と同じ轍を踏ませまいと、優秀な裏方事務員でもある彼女は、ダンブルドア校長とシグナス・ブラック副校長了解の下、通常より早めにマグル生徒への入学案内を届け、じっくりと進路について考えてもらおうと色々と頑張った。

 

 頑張ったのだが。

 

 

 「アタシが色々努力してるってのに、何でアンタは一発で無にしてくれるかしらね」

 

 「失敬な、貴女の思うところも理解していますし。その意図に違わぬように行動するよう心がけておりますというのに」

 

 「ええ、アンタ流に考えて行動されれば最悪の結果になるのが世の常なの。こんな手紙返されたらこのペチュニアって子がますます不安になるでしょうが」

 

 事の起こりは、エバンズ家の次女、リリー・エバンズに魔法の資質が認められ、マートルさんが入学案内を送ったことだ。

 

 エバンズ家の長女、ペチュニアには残念ながら魔法の資質は見られないようで、このままでは姉妹は別々の学校に通うことになってしまう。

 

 そうなっては寂しいと、ペチュニア嬢はマグル世帯からホグワーツに連絡を取るためのホットラインを用い、ダンブルドア校長先生へと自分も何とかホグワーツに入学、あるいは編入出来ないかと尋ねたのだが。

 

 

 「はあ、何だってダンブルドア先生は、その返事をアンタなんかに任せちゃったのかしら」

 

 「あれで忙しい方ですからねえ。最近は死喰い人対策で騎士団の運営にも駆けずり回っていますし、流石にマグル生まれ世帯の家族からの問い合わせにまで逐一対応していくのは無理でしょう。シグナス副校長とて、今は内戦が国際戦争に発展することの回避とホグワーツ自治領の中立を保つのに手一杯で、そんなレベルにまで手が回りませんよ」

 

 「だからって、マグルの女の子への返事をアンタに書かせるのは不適任にもほどがあるでしょうが」

 

 ちなみに、ペチュニア嬢へのノーグレイブ・ダッハウの返信の一部抜粋は、以下の如く。

 

 

 【親愛なるペチュニア様。大変申し訳ないことながら、魔法の資質の見られない生徒がホグワーツに入学した場合、命と安全の保証をすることが出来ません。ホグワーツは過去にもマグル生まれの女生徒が怪物に殺されたという事件があり、純血名家からの差別問題に加え、昨今は魔法界において戦争も勃発しております。正直なところ、貴女の妹君、リリー・エバンズ嬢の最低限の安全に関しては責任を負うところではありますが、スリザリン生徒からの差別、中傷、呪いなどは一定数あるでしょうし、卒業後の彼女の身の安全についてまでは保証いたしかねます。どうか、その辺りも熟考なさった上で、家族一同よく協議された上でホグワーツへの入学についてお考えください】 

 

 

 「何なのよこの、事なかれ主義と責任逃れの塊のような屑教師の鑑が書いたのかって言いたくなる文章は!」

 

 「今のイギリス魔法省の実態をそのまま文章にしたためた結果です。客観的に評価すれば、11歳の子供を預けるだけの信頼性はゼロですよあの組織。自分達の保身のためにマグル生まれの女生徒の一人や二人、容易く切り捨てるのが目に見えております」

 

 「あ、うん、いやまあ、アタシの時もそうだったけどね」

 

 「ダンブルドア先生のいるホグワーツは安全と皆さんはおっしゃいますが、逆に言えばダンブルドア先生のいないホグワーツは危険ということ。シグナス副校長は公平な方ですが、同時に冷徹な為政者でもあります。彼の天秤によって、誰かを切り捨てねばならないとなれば、やはり可能性が高いのはマグル生まれとなります」

 

 つまり、かつてのマートル・ウォーレンと同じく、リリー・エバンズの身は、安全とは言い難い。

 

 むしろ、守れた前例の方が少ないのだから、警戒心を持つべきというのは至極まっとうな意見ではあった。ただし、その伝え方と書き方に多大な問題があったが。

 

 

 「エバンズ家の状況は軽く聞き及んでおりますが、どうにもご両親は魔女を授かったことに興奮し若干浮かれ気味らしく、危険性についてまで考えが至っていないご様子。ならば、唯一冷静そうな長女のペチュニアさんを介して、安全保障の面からも再考を促すのが一番と考えました。ただまあ、結論はあまり変わらないでしょうが」

 

 「んー、例のリリーちゃんが、マグルの学校に行くのは無理?」

 

 「既に発現させている妖精の魔法の資質を見るに、彼女の力は極めて強い。アリアナちゃんが、“私に似ている”とおっしゃってましたから」

 

 「ああー、そりゃ随分なお墨付きだこと。彼女を安全のためにマグル世界に隠しても、今度はオプスキュリアルのリスクが高まるのね」

 

 「そもそも、マグル生まれを魔法学校に招かるざるを得ない最大の理由がそれです。制御に用いる魔法の杖と、その使い方を熟知しなければ、やがては吹きこぼれた鍋蓋と同じ運命になりましょう」

 

 最善な結末が用意されていないならば、次善を模索するしか道はない。

 

 オプスキュリアルのリスクを減らすならば、魔法学校での就学は必須に近く、ならばこそ出来る限り安全なホグワーツ生活を心がける必要があり、帰りを待つ家族とて相応の覚悟は求められる。

 

 リリー・エバンズが生まれ持ってしまった力は、かなり重い将来の決断を迫られる類のものであると。

 

 

 「まあまだ時間があります。マートルさんが文通を重ねて、ペチュニアさんやご家族の理解を深めていけば少しは安全性もましにはなりましょう」

 

 「さらっとアタシに押し付けたわね屑。それに、仮にも教師なら身を挺してでも生徒は守りなさいよ」

 

 「卒業までは守りますよ。しかし問題はその後です。8年後までに戦争が終結している保証などどこにもなく、下手したらもっと悪化しているかもしれないのですから」

 

 その時に、身の安全のためにマグルの世界に戻ることを選んだとして。

 

 今度は学歴社会の異常発達したマグルの現状が、魔法界との“行き来”を妨げる壁として立ち塞がる。これが200年前ならば農民の娘の学歴など問われることはなかったが。

 

 7年間をホグワーツで学んだ魔女が、その経歴を全て捨て、マグルの世界に属するというのもまた、茨の道であることに違いはないのだから。

 

 

 「最悪の場合には、幽霊となった彼女を夜間学校にご招待し、アリアナちゃんの友人となっていただきましょうか」

 

 「それ伝えたら、絶対にペチュニアお姉さんにぶっ殺されるわよ、アンタ」

 

 「ふっ、忘れましたか、ノーグレイブ・ダッハウは遍在する」

 

 「そして屑である」

 

 

 ひょんなことから、少しだけ関わることになった(主にマートルさんが)悪霊たちとエバンズの姉妹。

 

 それがいったい、彼女らの運命をどのような形に変えていくことになるか。

 

 その答えが出るのは、もう少しだけ先のこと。

 

 



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2話 私の愛の帰る家

ここあたりから、少しずつ原作と異なる道になっていきます。

相違点は幾つもありましたが、ハリーに関わる部分としては確実に最大規模かと。


 

 

 「人狼の生徒を入学させる、ですか。また思い切った決断をなさったものですね」

 

 「やはり、どのような生徒にも平等に学ぶべき機会は与えられるべきじゃと儂は思う。幸いにも、シグナスも賛同してくれたのでのう」

 

 例によってホグワーツの校長室にて。

 

 アルバス・ダンブルドア校長と、悪霊教師ノーグレイブ・ダッハウは、最近増えてきた内緒の会議を本日もまた行っていた。

 

 

 「仮にこのことが露見したとして、政治喧伝としても悪くはありませんね。此度の戦争では人狼勢力がどちらにつくかは大きな要因となってきますし、人狼を根絶することが目的の戦争でもない。まして、戦争が終わった後にも、講和会議という別種の戦いは待っているわけですから、副校長殿の思惑はその辺りでしょうか」

 

 「生憎と儂はその辺りの駆け引きが大の苦手でな、シグナスがいてくれて本当に助かっておるよ。おかげで、騎士団の方に専念できる」

 

 「貴方は昔も今も、個人にして戦争の切り札たり得る最大戦力ですからね。役割分担としてはまあまあ妥当なのだと思いますよ」

 

 それは、彼の率直な感想であった。

 

 ホグワーツを中立勢力として保つのに必須なのは外交手腕であって、絶対的な戦力ではない。ならばむしろ、校長代理が務まるシグナス副校長に留守を委ね、アルバス・ダンブルドアは騎士団を率いて表舞台で戦うほうが効率は良い。

 

 何より、アルバス・ダンブルドアはグリフィンドールであり、シグナス・ブラックはスリザリンだ。向き不向きというものがあるだろう。

 

 勇猛果敢なグリフィンドールの本領は、権謀術策にありはしない。それは狡猾さを強さと信ずるスリザリンの領分なのだから。

 

 

 

 「件の生徒の名は、リーマス・ルーピンと。聞き覚えがありますね、確か、6年ほど前の1965年にかのフェンリール・グレイバックに噛まれた被害者の名前がそうであったと記録しています」

 

 「その記憶力は流石じゃな。いいや、君の場合は記録力というべきかね」

 

 「データベース蓄積能力と検索エンジン最適化と読んでいただけるとなお嬉しいですが、それは今語ることではありませんね、オブジェクト指向言語が発達し、やがて我らへと至る未来を楽しみにしていてください」

 

 「ふむぅ、君は時々儂らには理解できぬ言葉を話すのう」

 

 「理解できるように話すと、きっと禁則事項になりかねないのでしょう。それはともかく、人狼の生徒の件は承りました。確かにそれは、私以外の適任などありえません」

 

 「うむ、その点についてはシグナスもミネルバも同意じゃ。君ならば、万が一もありえぬ」

 

 人狼という存在は極めて危険とされてはいるが、それはあくまで“人間にとって”の話。

 

 当たり前にすぎることだが、ゴーストは人狼に噛まれない。のっぺらぼうと口裂け女がディープキスするくらいに無理がある。

 

 こと、ノーグレイブ・ダッハウやマートル・ウォーレンにとって、リーマス・ルーピンという少年な完全に無害な存在だ。

 

 むしろ、魔法の杖を持つ一年生の少年のほうがまだ危害を加える手段を持っているくらいだ。満月の光で変身し、理性をなくした獣など、ゴーストにとっては何ら恐れる存在ではない。

 

 

 「任せられた以上は、職務は全うして見せましょう。それで、リーマス少年のことを知っているのは他にどなたが?」

 

 「教師には基本的に伝える予定じゃが、新任の者らにはまだ厳しかろうて」

 

 「なるほど、天文学のオーロラ・シニストラ、マグル学のラヴィル・クレスウェル、飛行術のロランダ・フーチらですね。確かに、リーマス少年のことを知って、他の生徒に知られないように振る舞うには経験が足りていないやもしれません。ただ、クレスウェル先生は“あの世代”のハッフルパフ生です。エイモス・ディゴリーやスタン・シャンパイクとも親しかったですから、当然金縛りの眼のことも全てではないにしろ知っていたはず」

 

 「その通りではある。今回の措置のことも、あの時の彼女に比べれば危険性は遥かに低いとも言えるじゃろうて」

 

 「狼人間は、視線で人間を石化させたりはしませんからね。我らゴーストとて、あの邪視の前には影響は免れないのですから、流石にあの頃はヒヤヒヤしたものですよ」

 

 「結局の所、本質は同じじゃ。人狼が危険だからとホグワーツから遠ざけたところで、それで噛まれる危険性が本当に減る訳ではない。むしろ、差別された狼人間の心に強く魔法族を憎む心が宿っていくことのほうが命取りじゃ」

 

 「あの時も結局は、古き魔法の城であるホグワーツこそが最も適していると魔法省ですらも判断したわけですからね。ですが人の心とは掴みきれぬもの、強力な怪物相手ならば他に手段はないと意思統一できる人間たちが、一段劣る脅威を前には根絶か共存かで意見が二分されることもある」

 

 人間の心の中に巣食う、“不安”という病にして怪物。

 

 それこそが、人狼という存在が危険な感染源として常に迫害を受ける根底でもある。

 

 ただの風邪のウィルスに過ぎないものでも、人間達の多くが危険な殺人ウィルスと信じ込めば、混乱による暴動も、世界的な恐慌すらも馬鹿らしくなるほど簡単に起きてしまうのが人間の社会というもの。

 

 特効薬と呼べるものは、科学にも魔法にも、ありはしない。

 

 アルバス・ダンブルドアはどこか遠くを見るような目で、まだ見ぬリーマス・ルーピン少年がどうか強く生きてくれることを祈った。

 

 

 

 「まあ、人間の心の中にある畏れ、不安という怪物があるからこそ、我ら悪霊もこうして在れるのですが」

 

 「人間の恐れが悪霊を生み出し、しかしその悪霊あってこそ人は安心できると、巡る因果というものを感じずにはいられんのう」

 

 「夜は我らゴーストの世界であり独壇場。そうなるとむしろ、むしろリーマス少年の方が若干気の毒ですが」

 

 「ホグワーツの離れにある例の屋敷は使えるように手配しておくとしよう、地下の抜け穴の入り口には暴れ柳もポモーナに依頼して植える予定じゃ。もっとも、ゴーストたる君たちには何の意味もないじゃろうが」

 

 「元々夜間学校で使っているゴーストの集会場でしたからねえ。まあ、アリアナちゃんにようやく生身の同級生が出来ることをここは素直に喜びましょう。それに、リーマス少年への措置があるならば、ギロチン先輩や電気椅子後輩、アクロマンチュラのモレーク君らも参加できるようになりますね」

 

 「………彼らも一緒に入れるつもりかね?」

 

 「何か問題でも?」

 

 「うむ、そうじゃな、うん。儂は、君に委ねた。委ねた以上は、任せることとしよう」

 

 その表情は決して晴れ晴れとしたものではなく、大いなる苦悩の傷跡と、諦観が見て取れた。

 

 アルバス・ダンブルドアはどこか遠くを見るような目で、まだ見ぬリーマス・ルーピン少年がどうか強く生きてくれることを祈った。(本当に心から)

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 「いい、アリアナちゃん。写真はさっき見せた通りで、ペチュニアとリリーの姉妹を探し出すのよ。アタシはあっちを探すから、アリアナちゃんは向こうをお願いね」

 

 「うん! 分かったよ~」

 

 可愛らしくも元気に返事して、亡霊少女は人混みでごった返すホームへと軽い足取りで歩き出す。

 

 ところ変わってこちらは9と3/4番線のホグワーツ特急発着場。

 

 ダイアゴン横丁の漏れ鍋と同じく、マグル世界と魔法世界の境界線の場の一つであり、9月1日のこの日に限ってはホグワーツの生徒及びその家族で埋め尽くされる場所である。

 

 ある種のトンチのようなものだが、“嘆きのマートル”や“幸せの亡霊少女”をよく知るホグワーツ生徒に溢れているこの場に限れば、【ホグワーツの一部である】と解釈することも出来る。ホグワーツ特急という、ホグワーツ所属物があるのも大きなポイントだ。

 

 そうした魔法の曖昧さと、どちらとも解釈しうる境界線の場の特性を上手く利用し、本来はホグワーツから離れられないゴーストたちはこの場に現れていた。

 

 

 「さーて、さっさと見つけちゃわないとね。妹の方はともかく、姉の方と話せるのはきっと今日限りでしょうし」

 

 何だかんだで面倒見の良いマートルさん。事務員としての責務もあり、エバンズ家との手紙のやり取りはここ半年以上彼女が担当してきた。

 

 ダイアゴン横丁での学用品買い出しについては、信頼と実績のミネルバ・マクゴナガル教授が請け負ってくれたので一安心だったが、マグル世界に残る姉の方はやはり心配が尽きない様子だった。

 

 まあ、その心配の大半は、ドクズ悪霊が書いたろくでもない返事に起因しているのだが。

 

 

 【マートル、いたよ~】

 

 【早かったわね、流石よアリアナちゃん。チャンネルは開きっぱなしにしておいて、すぐ向かうから】

 

 早くもやってきた発見報告、どうやらホグワーツ特急見学という名目でダンブルドア先生を説得し、アリアナちゃんを連れてきた選択は間違ってなかったようだ。

 

 まあ、アリアナちゃん自身もホグワーツ特急には興味津々だったので、「ねえアルバスじーじ、見てきちゃダメ?」の一言で説得する必要すらなく一瞬で陥落していたが。

 

 ゴースト同士の簡易的な会話が出来る念話チャンネルはそのままに、急いで現場へ急行する。勿論、一般生徒に見られないように非実体を保ちながらだ。

 

 何しろ、“嘆きのマートル”はホグワーツの超有名悪霊である。見つかろうものなら確実に―――

 

 

 “マートルだ!”

 “マートルじゃねえか!”

 “嘘だろ!? 何でマートルがここに!”

 “悪霊退散! 悪霊退散!”

 “エクスペリアームス!”

 “レダクト! コンフリクト! ボンバーダ!”

 

 という感じの大騒ぎになってしまう。レイブンクロー生はともかく、グリフィンドール生は確実に大暴走するだろう。

 

 

 

 「リリー、本当に気をつけるのよ。特にスリザリンって連中と、ドクズ悪霊には要注意だからね」

 

 「そんなに何度も言わなくても大丈夫だわチュニ―。耳にタコが出来ちゃう」

 

 「わたしは! 貴女を心配して言ってるの! もう、どうして分かってくれないの!」

 

 「チュニ―こそ、セブが入りたがっている寮を何でそんなに悪く言うの! マクゴナガル先生だってスリザリンが悪い寮だなんて言ってなかったわ!」

 

 「そりゃ教師の立場ならそう言うでしょうよ! 確かにあの人は礼儀正しかったし、嘘を言うような人にも見えなかったわ。でも、グリフィンドールの寮監で何よりも大人の魔女であるあの人にとってのスリザリンと、“マグル生まれ”になる貴女にとってのスリザリンはまた別でしょうに!」

 

 「意味がわからないわ! わたしはわたしだし、セブはセブよ!」

 

 「だから! そういう事を言っているんじゃないの!」

 

 エバンズの姉妹を無事に発見できたのはいいけれど、ううむ、これはかなりの修羅場っぽい感じになっちゃってるわね。

 

 波長が合ったのか、妬み魂に惹かれ合う部分があったのか、マートル・ウォーレンとペチュニア・エバンズは手紙の上でかなり意気投合していた。

 

 マグル生まれだった彼女自身、スリザリンに好感情を持てるはずがなかったし、シグナスのことを手紙の中で散々こき下ろしたりしたからか、ペチュニアの中でもスリザリンはマグル生まれを蔑視する上流階級の集まりというイメージが出来上がっているらしい。

 

 …別段、間違ってるイメージじゃないだろうけど。

 

 

 「うーん、うちの国じゃあどこでも見られる上流と労働者の対立構造の話でもあるんだけど、あの純粋そうな妹ちゃんにはちょっとまだ早いわねえ」

 

 手紙の内容からも感じてたことではあるが、姉のペチュニアは良くも悪くも“マグル的”であり、社会的地位や金などによって人間の態度がいかに変わるかというのをよく理解している。両親から見れば、手のかからないしっかり者の長女という印象だろう。

 

 加えて頭も悪くないどころか、レイブンクローでも上位でやっていけると感じた。成人したら社長夫人でも務まるんじゃないだろうか?

 

 対して、妹のリリーはとても純粋だが、なるほど、彼女は“魔女”だ。

 

 それも、中途半端にマグル的な部分が入り込んでいる昨今の魔法界の連中ではなく、妖精に魅入られ、ドラゴンと対話するような、古き力の強い魔女。

 

 両親からすれば、目の離せない手のかかる子であり、だからこそ可愛くもなる。容姿が整っていて性格も良いだけにひと押しだろう。だがしかし、マグル的な感覚や人の悪意には鈍そうで、そこが危うくも感じる。

 

 

 「面白い程に対照的な姉妹ね」

 

 言うなれば、姉は若干ながら堅物で、ユーモアや遊び心に欠けるところがある。

 

 逆に妹は、無邪気で誰も差別しないのが魅力だが、警戒心や人を疑うことを知らなさすぎる。

 

 姉が魔法界でやっていくのは難しく、妹がマグル界で悪い男に騙されないのも難しそうだ。

 

 

 「貴女にはまだ分からないかもしれないけど、ホグワーツだって人間の集団である以上、綺麗事だけじゃあ回らないの! 虐めだってあるだろうし、差別だって絶対あるわ! 魔法使いや魔女といっても、心の部分は私達と何ら変わらない人間なんだから!」

 

 「同じ人間なら、嫌い合うことなんてないじゃない! こっちがそんな見方してたら、誰だって嫌いになっちゃうわ!」

 

 「だから、それが貴女の悪いところよリリー! 少しは人を疑う事も覚えなさい! 悪戯小僧程度の“嫌な奴”じゃ済まない、危険で近寄っちゃいけない奴だっているの!」

 

 「セブは危険なんかじゃないわ!」

 

 「何もあいつのこととは言ってないでしょう! そりゃあ、あの汚いガキは嫌いだし、近寄ってなんて欲しくないけど!」

 

 

 

 「駄目ね、完全にヒートアップして売り言葉に買い言葉になってるわ」

 

 両親が仲裁に入らないところを見るに、どうやらリリーのトランクや荷物をコンパートメントに乗せるためにこの場を離れているらしい。

 

 聡い姉はその合間を利用して妹に“忠告”することにしたようだが、完全に逆効果になってしまったようだ。

 

 というか、どうもリリーの同年代っぽい男の子がキーポイントになっているみたいだが、その子のことをペチュニアが嫌っているのは感情的なものと見える。

 

 マートルさん嫉妬センサーに誤りがなければ、その根源は嫉妬だ。自分は持たない魔法の才能を持ち、可愛いリリーに近づき、あまつさえ誑かすその汚いガキが、ペチュニアは心底嫌いなのだろう。

 

 

 「なにはともあれ、これじゃあ文字通り話にならないわ、アリアナちゃん、出番よ!」

 

 「まっかせて~」

 

 そんな時には幸せ亡霊少女。一家に一台アリアナちゃん。

 

 小さな天使が怒鳴り合う姉妹の間にちょこんと座り込み、深呼吸をするような仕草をすると、あら不思議。

 

 

 「だから、あんなスリザリンに入りたがってるクソガキには金輪際―――って、あら?」

 

 「酷いわチュニ―! セブのことそんなに悪く言うなんて―――あ、え?」

 

 まるで憑き物が落ちるように、互いに抱いてしまっていた悪感情は嘘のように消え、幸せの記憶が脳裏に浮かぶ。

 

 姉妹で一緒にベッドで眠ったこと、一緒にお買い物に行ったこと、誕生日パーティーをお祝いしたこと、ハロウィンの夜にお揃いの仮装をしたこと。

 

 他にも、他にも、探すまでもなくいくらだって湧き出てくる幸せの思い出。

 

 私達、こんなに幸せなのに、なんで言い争いなんてしていたの?

 

 

 「えっっと、その、ごめんなさいリリー。別に、貴女やあの子のこと悪く言うつもりなんてなかったのだけど……」

 

 「ううん、わたしこそごめんなさいチュニ―。わたしのことを心配して忠告してくれたのに、全然聞かなくて、本当にごめんなさい」

 

 「それはいいのよ。お友達のためにあんなに真剣になって怒れる、そこが貴女の素晴らしいところなんだから。……うん、やっぱりリリーはそのままでいいわ。そんな貴女を妬む奴もいるかもしれないけど、そんな貴女を守ってくれる友達だってきっとたくさんできるから」

 

 「うん、わたし、お友達をいっぱい作るわね。それにきっと、スリザリンの人とだってちゃんと話せばお友達になれるわ」

 

 「そうね、ええ、それならなおのことセブルスとも仲良くしなきゃね。わたしも、ちょっとは付き合い方を考えてみるわ」

 

 「もう、チュニ―、そこは素直に認めてくれてもいいのよ」

 

 「そこで用心深くいくのがわたしなの、ちょっと警戒心が足りなすぎる貴女の分もね」

 

 些細なきっかけさえあれば、仲直りなんてほんの一瞬。

 

 元々互いを大事に思っている姉妹ならば、それこそ魔法のように簡単だ。

 

 

 「ふふふ、それが姉ってものだものね。そこは大いに同意できるわ、そして直に会うのは初めましてね、ペチュニア、リリー」

 

 「え? そ、その半透明の姿、ひょっとして、貴女マートル?」

 

 「あ、貴女がチュニーの言っていた文通相手の人なの?」

 

 「ええそうよ、ちょっと不格好だけどそこは許して頂戴ね。そしてこの子はアリアナ、アタシと同じゴーストのような存在で、まあ、校長先生の孫娘とでも思っておいて」

 

 「アリアナ・ダンブルドアです。よろしくおねがいします」

 

 ペコリと小さくお辞儀する少女。お辞儀です、お辞儀が大事なのです。

 

 お辞儀こそは、あらゆる物事の始まりなのだと、どこかの偉い人もおっしゃっていました。

 

 

 

 「さて、ホグワーツ特急の出発までもう少し。あまり長くはいられないから、ペチュニアに伝えたいことだけ話したいんだけど、いいかしら? それとリリー、貴女はそろそろ乗り込んだほうがいいわ」

 

 「え、ええ、それは構わないけど。えっと、それじゃあ、リリー」

 

 「うん、行ってくるわ、チュニー。絶対に手紙を出すから」

 

 「身体に気をつけるのよ、元気でね」

 

 「ええ、チュニーも元気で。クリスマスになったらまた会いましょう。絶対に、わたしはチュニーのところに帰るから」

 

 「入り口はこっちだよ~」

 

 そうして彼女は、リリーとアリアナを先にコンパートメントに送り出した。

 

 残った二人には若干の名残惜しさのようなものがあるが、いつまでも噛みしめるだけの時間もないと、マートルさんが先に切り出す。

 

 

 「それじゃあ、伝えなきゃいけないことが幾つかあるわ。基本的にはマグル側の家族である貴女とそのご両親が持たねばならない認識と、いざというときの連絡手段なんだけど」

 

 幾つかの忠告と連絡手段を、ホームに残るペチュニア・エバンズへと伝える。

 

 魔法世界の戦争はきっと長引くものとなり、いざとなったらリリーをマグル世界へ疎開させる時が来る可能性もあること。

 

 その時のために、貴女もまたマグル世界で努力しなければならないだろうこと。ひいてはそれがリリーを助けることにも繋がるだろうこと。

 

 そして、マグル世界から魔法界のことを知りたい、あるいは重要な伝言の仲介を頼みたいときは、エルフィンストーン・アーカートと、クリストファー・ウォーレンを頼ること。

 

 彼らは魔法族ではないが、ホグワーツの校長や副校長とも面識があり、マグルの側にあって魔法族を支えるという非常に重要な役割を担っている人物だと。

 

 

 「ウォーレンって、ひょっとして貴女の親族?」

 

 「ええ、歳の“離れていた”自慢の弟よ。昔はアタシが13年も年上お姉さんだったんだけど、今じゃあ向こうは30歳にもなって、こちらは花盛りの14歳のまま。まあ、こればっかりは仕方ないのだけどね」

 

 そうして微笑む彼女は、少しばかり寂しそうで。

 

 

 「マートル……」

 

 「貴女が気にする必要はないわよ、ペチュニア。ただ、忘れないで、リリーがアタシのようになってしまう可能性はゼロではないことを。そして、貴女がリリーを拒絶してしまえば、そうなる危険性はずっと大きなものになってしまうわ」

 

 「そんなことって、あるの?」

 

 「上手い表現は難しいけど、それがあるのが魔法界なの。あの子、リリーはとっても強い力を持っているけど、どこかふわふわした妖精のようなところもある。貴女があの子の帰る家になってあげないと、きっと彼女は遠い幻想の向こう側に行ってしまうわ、貴女を置いてね」

 

 「それは、そんなの、嫌よ」

 

 「そう思えるなら、きっと大丈夫よ。貴女の大切な妹もきっと、ペチュニアのいる場所こそが自分の“帰る家”、ううん、“帰りたい家”だと強く信じてくれている。血縁がどうこうなんて無粋なものは関係ないわ。他ならぬリリーが、そう思ってくれていることが何よりも大切なのよ。魔法ってのは、とっても奥が深くて、神秘的で、優しくて、そして時に、残酷なものでもあるんだから」

 

 そう、マートル・ウォーレンの両親が彼女を想う心によって、死によって分かたれていた家族が再会できたように。

 

 それでも、彼女の時は止まっていて、弟のクリストファーの時は流れ、やがて彼女が弟を看取る時が来るように。

 

 

 「アタシも魔法なんてなくなってしまえって思ったことがある。それも、一度や二度じゃなくてね。本当よ?」

 

 だから、エバンズの姉妹が、悲しい別れで終わってしまうことがないように。

 

 

 「それでもね、私達の心の中に綺麗な物語を想う気持ちがある限り、魔法は消えたりなんてしないの。だったらせめて、とびっきりのハッピーエンドの方が皆幸せでいいとは思わない?」

 

 マートル・ウォーレンは、立場の離れた、それでも近い少女に問いかける。

 

 かつてホグワーツに在籍した彼女にとって、後輩と呼べるのはリリー・エバンズであるはずだけれど。

 

 なぜか、ペチュニア・エバンズこそが、自分の背中を追うことになる後輩だと思えたから。

 

 

 「だから、貴女が作ってみて。そして、私達のような止まってしまった者達に聞かせて欲しい」

 

 魔法の力を持たぬ、ただの少女が紡ぐ詩を。

 

 魔法の杖なんて必要ない、とっても古くて何より素敵なその祈りを。

 

 

 「貴女がリリーを想う、愛の唄を」

 

 




 ※ホグワーツ帰還後のとある会話
 「大変素晴らしい演説でした。貴女が便所の亡霊ということを除けばですが」
 「うっさいわよ」
 悲報、マートルさんの帰る場所は女子トイレ


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3話 ブラックな新入生は後悔した

悲報、ベラちゃんがグレた


 

 

 「スリザリンに入りたい、ねえ。あーのスニベルス野郎、今の状況が分かってんのか。なあジェームズ」

 

 「あー、ひょっとして、僕らには当たり前過ぎてすっかり失念してたけど、マグル生まれやマグルの方で育った混血だとしたら、戦争について何も知らないのがむしろ当たり前なのか?」

 

 「ん? あ、そういうこともあるか………ちょっと悪いことしたかな。別に謝らねえけど」

 

 「ふっ、君は悪いやつだな、シリウス」

 

 「お前ほどではないぜ、ジェームズ。我が相棒よ」

 

 「良い子なんてのは罵倒の言葉」

 

 「問題児、恥知らずこそが褒め言葉」

 

 「「 それが我ら、悪戯仕掛け人の本分だ 」」

 

 思い立ったら即行動。悪戯をするなら即断即決。

 

 面倒事が何よりも大好きで、極度の目立ちたがり屋、むしろ、目立たないと死んでしまうタイプの病持ち。

 

 その一点においては魂の双子とも言うべき生粋の悪戯小僧こそ、ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックである。

 

 例え入学のためのホグワーツ特急の中であっても、その矜持は微塵も変わらず。

 

 むしろ、組分けすら済んでいないこの状況で悪戯もなにもしないことこそが、沽券に関わると言わんばかりに。

 

 

 「とでも思ってないと、やってられんぜ、実際」

 

 「戦争だからな。こういう時こそユーモアは大切さ。多少はっちゃけすぎてハメ外しても、勢いで乗り切るくらいじゃなきゃ、恐れてばっかじゃ何もできないしね」

 

 「あのスニベルス野郎は“猪突猛進のグリフィンドール馬鹿の典型だ、君等はもっと慎重さを学ぶべきだな”なーんてほざいてやがったが、それで上手くいくのは平和な時代の特権だろうに」

 

 「マグルの方は平和なんだろうさ。こっちだってダイアゴン横丁あたりはまだまだ戦争の気配すらしちゃいない。入学品を買いに行ったところできな臭い匂いを嗅げるはずもないよ」

 

 「こっちは逆に、否応なしに嫌な大人の事情を知らされるってのに」

 

 「特に君はな、シリウス。例の従姉妹殿、ベラトリックスなんてその最たる例じゃないか」

 

 ジェームズ・ポッターはともかくとして、シリウス・ブラックの立場は現状において既に政治的騒動の渦中にあった。

 

 何しろ彼は、ブラック長男家における嫡男であり、父のオライオン・ブラックは長男家現当主であると同時に“マグル排斥派”の政治勢力を束ねる純血貴族派の盟主。この戦争における片側の首魁というべき立場にある。

 

 ブラック長男家は戦争の枢軸であり、その有名な屋敷、グリモールド・プレイスは今や巨大な政治拠点。

 

 まだ戦争は魔法省内部や純血名家の屋敷から出ることはなく、政治対立が主軸の都市国家内戦の様相だが、強固な守りと情報統制を敷く以上、シリウスをグリモールド・プレイスからホグワーツへ通わせるのは論外となった。

 

 もし、副校長がシグナス・ブラックでなければ、半ば軟禁に近い形ともなっていただろう。

 

 そこで生まれ育つことを余儀なくされたシリウスにとって、戦争の気配というものは実に身近なものであった。

 

 

 「おいおいジェームズ、あいつの名前を出すのよしてくれ。言うだけで舌が腐る、聞くだけで耳が腐るってもんだ」

 

 「僕は会ったことはないが、そりゃまた随分な嫌いようだね」

 

 「従姉妹だからな、昔から割としょっちゅう顔を合わせるくらいに長男家と三男家は仲が良かった。あれでも昔はけっこう妹想いで、ちょっと、いやかなりポンコツ気味ではあったけど、まあ勇敢といっていい感じではあったんだがな」

 

 「じゃああれかい、やっぱり例のアンドロメダさんの駆け落ち騒動がきっかけ?」

 

 「それ以外にも理由はあったとは思うけどな。そもそも、モリーさんとは在学中に何度もやりあったって話だし、プルウェット家とウィーズリー家の隠れ穴を追うように、ブラック三男家の次女がマグル生まれの男と駆け落ちだからな」

 

 「あー、そいつは厳しいね。ライバルに油揚げさらわれたというか」

 

 「だろう? 長女としては妹に裏切られた気分にもなったろうし、大敗北の惨めさには多少は同情してやってもいいが、そのとばっちりを受ける年下従兄弟からすればたまったもんじゃねえよ」

 

 シリウスが8歳の頃、1968年の春辺りまでは、ブラック三男家にこれといった不穏の影は見られなかった。

 

 当時、長女ベラトリックスは7年生で卒業間近、次女アンドロメダは4年生で、三女ナルシッサはまだ2年生。

 

 しかし、マグル生まれを巡る政治対立は深刻さを増していき、ついに融和派のイグネイシャス・プルウェットと、排斥派のアブラクサス・マルフォイを含む多くの者らが爆破テロで暗殺されるに至る。

 

 モリー・プルウェットとルシウス・マルフォイにとっては父を喪った忌まわしき事件であり、ナルシッサ・ブラックにとっても婚約者の父であり将来の義父を喪った事件となった。

 

 かつ、他ならぬイグネイシャス・プルウェットの妻、ルクシリアこそが排斥派の盟主オライオン・ブラックの姉でもあったのだから、事態は混迷を極める。

 

 純血名家はまさに、肉親同士が政治的に対立し殺し合う、血みどろの内戦に突入しつつあるのであった。

 

 

 「ちょっと頭が混乱して来るんだけどさ。例の爆破テロの方が先で、ブラック家とプルウェット家がギクシャクするようになって、ただの学校の喧嘩だったものが政治的対立まで帯びるようになって、それが恋人を巡るスタンスの違いで姉妹の仲違いにも繋がって、挙げ句に、姉へのあてつけのようにモリーさんを追う形でアンドロメダさんが駆け落ちだったっけ?」

 

 「まあ、だいたいそんな感じだ。あの人がハッフルパフのマグル生まれ、テッド・トンクスさんを好きになって、二人が恋仲になった瞬間に決まってた破滅のような気もするがな」

 

 「嫌なもんだなあ、誰かを自由に好きになることすら出来ないなんて」

 

 「まったくだ。だからブラック家は嫌いなんだ。何だって、誰かを好きになることが、家族と憎み合うこととイコールにならなきゃならないんだ」

 

 それは他ならぬ、自分自身にも当てはまるからこそ、シリウスは己に流れる血が大嫌いだ。

 

 シリウスの個人的心情は、三男家のアンドロメダと同じく、マグル生まれだろうが親友、恋人になって何が悪いというもの。

 

 しかしそれを、父のオライオンが、母のヴァルブルガが、そして弟のレギュラスが認めることはない。結果として自分もまた、誰かを好きになることが、家族との対立の引き金になった。

 

 本当につくづく、ブラックの血は業が深い。

 

 モリー・プルウェットは当然として、ベラトリックス・レストレンジにしたって、心底から互いを憎んでいたわけではないだろうに。

 

 

 「シグナス副校長が、その中で中立を常に保つ役が必要だっていうのも、分かる気はするね」

 

 「確かにな。個人的には親愛なる叔父貴殿は少し冷たすぎる、硬すぎるって印象だけど、口にしたくもない従姉妹殿を初め、愛が深すぎるってのも冷静さを失っちゃあ本末転倒なんだろうな」

 

 ひょっとしたらと思うが、一番家族の愛、身内への愛が深く重かったのはベラトリックスではなかろうか?

 

 愛しすぎるから、愛されたいと願いすぎる。自分と同じものを好きになって欲しい、自分の嫌いなものに好意なんて向けてほしくない。

 

 その辺りの傾向は、シリウスの母、ヴァルブルガにも強く見られた。彼女もシグナスの妹であり、ベラトリックスの叔母だ。

 

 ああ、要するに自分は、あの母に似た従姉妹だから、これほどに嫌っているのだろう。何たる、救いようのない愛憎の連鎖。

 

 

 「それで結局、ベラトリックスもお父さんと仲違いして、半ば家を出るように結婚して今やマグル排斥派の急先鋒、ベラトリックス・レストレンジと」

 

 「レストレンジ家との婚姻自体はだいぶ前から決まっていたらしいけどな。同級生のラバスタンじゃなくて、あえて年上のロドルファスの方になったのは、シグナス叔父貴へのあてつけなのか、政治的な駆け引きだったのか、そこまでは知らんし、興味もない。ついでに言えば知りたくもないな」

 

 知ったところで、どうせ愉快になれるような話は聞けないだろうし。

 

 戦争に仲違い、家族の分断に駆け落ちと、本当にブラック家にはろくなことがない。

 

 

 「でも、そのおかげで君がうちに来ることになったなら、僕は嬉しかったよ」

 

 「そう言ってくれるのは君だけだぜ、親友よ」

 

 ああ本当に、心の底から感謝している。

 

 自分がポッター家へ移ったのはほんの一ヶ月前のことだが、そこからの一ヶ月は、それまでの11年の人生全てよりも価値のある宝石だったと断言できる。

 

 ジェームズ・ポッターという男と出逢えなければ、自分はきっと世の中の何もかもが嫌になって、斜に構えて皮肉を口にするばかりの腐った男になっていただろうから。

 

 

 「僕だけじゃないさ。父さんも母さんも、チャールズ爺さんも、ドレアお婆ちゃんも、それに、あの鬼教官イリーナさんだって君が大好きだって」

 

 「実に有り難いが、最後の人だけは少し余分だな」

 

 政治的対立と名家内での分裂のゴタゴタがあった結果、弟のレギュラスはアンドロメダの代わりと言わんばかりに三男家へ避難。(ひょっとしたら人質の要素もあるかもしれない)

 

 シリウスについては嫡男であったために、どの家に預けてもバランスが厳しい。シグナスの下ですらも彼が中立を保つことが難しくなってしまう。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが、ブラック三男家の中では比較的離れた位置にいた一族の一人、ドレア・ブラック。

 

 チャールズ・ポッターの妻であり、フリーモント・ポッターの母である彼女が、少なくとも戦争の間は“政治に一切関わらない”ことを条件にシリウスを預かることとなった。

 

 シリウスを預かりたがっている名家は腐るほどあったが、それ故に誰も目的を達成できなかったという、どこぞのドクズ悪霊が歓喜しそうな一種の茶番劇であった。

 

 ただその茶番劇が、生涯の親友との出会いのきっかけになるとは、流石にシリウスも思いもよらなかった。

 

 誠に、人生とは合縁奇縁というしかない。

 

 

 「いいじゃないか、見方を変えれば、僕たちは同級生に先んじて不死鳥の騎士団の薫陶を受けられたってことだ。卒業後の目標が出来たと思えば」

 

 「あの人の部下になって戦う未来を思うとあまりゾッとしないぞ、マッドアイ・ムーディの下で闇祓いになるようなもんじゃないか」

 

 ドレア・ポッターの義理の姉、イリーナ・ポッターは、つい2年ほど前までホグワーツで天文学を教えており、1968年の爆破テロ事件以来、“不死鳥の騎士団”の主戦力として集中するために教職を退いている。

 

 ある種、どの政治派閥にも属していないフリーの傭兵とも言える立場であるため、念の為にドレア・ポッターと共同でシリウスの後見人に指名されてもいる。もっとも、“自称後見人”はスリザリン系純血名家に数十人ぐらいいたりしたが。

 

 そのような次第で、シリウス・ブラックにとってスリザリンに入るというのは論外極まるものであった。どう考えても政治の道具として利用され尽くす未来しか見えて来ない。スリザリンに組分けでもされようものなら、その瞬間に自分は退学を選ぶ、絶対に。

 

 第一志望は当然グリフィンドールだが、スリザリンでさえなければどこでも良いという気分はある。実際のところ、純血名家さえいなければスリザリンの気質自体はそこまで嫌いでもなかったが、純血名家のいないスリザリンは残念ながら幻想の中にしか生息していない。

 

 そしてそんなシリウスだからこそ、例え向こうにも切実な事情があったとしても、気に入らないことはある。

 

 こともあろうに、先程別のコンパートメントで会った新入生の奴は、こんなことを言っていた。

 

 

 “僕は絶対にスリザリンに入りたいね。母さんだってそれを願ってあんなに大変なのにホグワーツへ行かせてくれたんだ”

 

 

 「母親が願ったから自分もスリザリンって、そりゃあ違うだろうが……」

 

 「ん? なんか言ったかいシリウス」

 

 「いいや、何でもねえよ」

 

 そういう話は、それこそよく聞く。純血名家が正妻以外に産ませたマグル女との混血だったり、先に上がったアンドロメダさんのように名家の女性がマグルと駆け落ちすることもあったりする。

 

 血に縛られまいと行動した後で、様々な現実の困難にぶつかり、心が折れたり挫折したり、巡り巡って子供の代でより強固に血に縋る。

 

 まるでそれは、今の自分達ブラック家の顛末、その因縁の始まりの姿のようにも思えるから。

 

 シリウス・ブラックは、あのセブルス・スネイプとかいう男が心底気に食わない。

 

 自分の血に宿る腐った業の、過去の鏡を見せられているような気分を味わった。

 

 あいつも俺も、変えようと思えば血の縛りなんて跳ね除けて、何時だって何処へだって行けるはずなのに―――

 

 

 「ともかく、片っ端から探検してみようぜシリウス。あんなスリザリン行きの根暗野郎なんかじゃない、もっと僕たちと意気投合できる奴らが見つかるさ」

 

 「ああそうだなジェームズ。全くお前は何時だって前向きだな我が相棒」

 

 「それ言っちゃあ君は負けるよ」

 

 ならばせめて、この腐った血の因縁は自分だけで引き受け、己の救いになってくれた親友は、堂々と輝ける道を進んで欲しい。

 

 この先もしも、スリザリン行きになるだろうあの野郎が邪魔してくることがあれば、俺がとっちめてやるまでだ。

 

 誇るべき我が親友は、あんなスニベルス野郎に邪魔されていい存在じゃないのだから。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「今現在、魔法世界では戦争が始まっておりますが、皆さん是非とも死にましょう。そうすればゴーストとなりてホグワーツを彷徨い、結果として私の手駒が増えます。大変良いことです。貴族の家が家族で仲違いして内戦とかテンプレ過ぎて笑えますね、ハッハッハ、馬鹿じゃないですかねこいつら。全く学ばない人類が死ぬのは大いに結構ですが、より派手に面白く、見てて楽しくなる感じで殺し合った末に死んでもらえると最高です。イギリス魔法省と名家の無様さと崩壊、その死に様は私が余さず記録しますのでご心配なく、心置きなく心安らかに戦争で死んでください。大事なことなので二回言いました」

 

 そんな風に思っていた時期が、シリウス・ブラックにもありました。

 

 何だこの授業は? こんな糞授業があっていいのか? コイツ仮にも教師だろ? 頭が沸いているのか? 腐っているのか?

 

 カリキュラムの神の采配か、ダンブルドア校長の差し金か、シリウスら新入生の入学早々の記念すべき第一授業が、よりにもよって魔法史。

 

 その第一声がこれである。最早シリウスの脳内には、スリザリンへの嫌悪も、自分の血に宿る業なんかも微塵もなかった。

 

 およそ、この時に抱いた凄まじいカルチャーショックを、シリウスは生涯忘れることはないだろう。

 

 まさかこの世に、ブラック家の人間なんか及びもつかない、真性のドクズゴーストが存在するとは欠片も思っていなかった。自分はブラック家が嫌いだったはずだけど、このクズ野郎に嘲笑されるとなんかこう、ブラック家の人間として怒らないといけない気がしてくる。

 

 コイツに比べれば、ベラトリックスが教師になる方がまだましだ。例え死喰い人が講師であっても、コイツほど酷くなることはありえないだろう。

 

 そしてすまんスニベルス、心から詫びる。お前は十分に良い奴だった。

 

 

 「さて、始まりの挨拶も済んだところで恒例の授業の紹介から。私の授業では、いささか特殊な形で魔法史を学んでいただきます」

 

 サラリと流して進めていくドクズ悪霊教師。

 

 最初のインパクトが凄まじすぎたためか、大きな講義室に揃った四寮の生徒の誰もが呆然としたまま立ち直れていない。

 

 シリウスとともに固まっている同室となったグリフィンドールの親友たち、ジェームズ、リーマス、ピーターにしても同様だ。

 

 

 「無論、ふくろう試験が5年目にはありますので、最低限学ぶべき歴史は年表の形で後に抑えることになりますが。最悪、私が編纂しました、自動速記歴史手帳を配布しますので、そちらを使えば日常生活の知識で困ることはないでしょう」

 

 後の時代のWikipediaのような代物。変人エメリックだの、奇人ウリックだの、検索したい名前を書き込めば、該当するページが記される。

 

 ホグワーツにある図書館の資料と連結し、子機として機能することで、データベース理論を導入している歴史手帳で、無駄に手の込んだ作りになっているのが腹立たしい。

 

 こんなのが作れるだけの手腕があるなら、どうしてコイツはまともに授業しないんだ。

 

 

 「歴史を学ぶことの意義は、過去の教訓に学び、あなた達の人生の選択に活かすことです。先人たちの成功と失敗、栄光と挫折の歴史。それらを知り、今現在の自分たちの生活が、いかなる物語の先にあるものなのか。そして、自分たちは何を選択し、その先に何を目指すのか。その指標となるべく、歴史というものはあり、物事は記録されていくのです」

 

 言ってることはもっともかもしれないが、コイツには記録されたくない。

 

 一体誰が、他人事で歴史を俯瞰しながら時折思い出したように嘲笑してくるドクズゴーストに自分の人生を記録してもらいたいと思うだろうか。

 

 

 「とはいえ、過去の偉人から教訓を学び取るには、貴方達の人生経験はまるで足りておりません。歴史解釈というものは多種多様にして難しく、受け取り方はそれぞれなれど、聞き流していては何の意味もありません」

 

 そしてコイツには、人情経験がまるで足りていない。というか、皆無だった。

 

 

 「この授業では、一風変わった切り口から入ります。貴方達がとっても興味があるであろう題材。無視しようにも、無視し得ない話題。すなわち、“ホグワーツの直近卒業生の歴史”から、学び始めることとします。まずはそう、モリー・プルウェット、マーリン・マッキノン、ベラトリックス・ブラックらが良いでしょう。程よく親たちが歴史的大事件で死んでくださってますので、題材には事欠きません、素晴らしい」

 

 そしてぶち込まれるタイムリー爆弾。

 

 なぜこう、関係者や肉親がいる中でここまで神経を逆撫でするような表現ができるんだこのクズ野郎。

 

 

 「一言で言ってしまえば、ここにいる皆さんの親も祖父母も、大半はホグワーツを卒業していったのです。そして全く大人気なく戦争し、殺し合いをしていますが、大人なんて所詮そんなものです。マグル世界出身の方々だけは、残念ながら例外となってしまいますが、その辺りはご了承ください。マグルの歴史も似たようなものです」

 

 ある一点で、こいつは平等だった。

 

 魔法族も、マグルも贔屓していない。どっちの歴史も同じ人間の歴史であり、人間らしく下らない理由で戦争していると言っている。

 

 

 「マグル世界出身の方々は、是非とも想像力で補ってください。歴史の考察するにあたり、当時の人の立場になって考え、想像力を働かせるというのはとても大事なことですので。お友達のお父さんお母さんは、どんな学校生活を送っていたのか、どんな恋物語があり、試験への苦労があり、クィディッチの青春があったのか。まあ、死んだら何の意味もありませんが、記録だけは残りますのでご安心を」

 

 そして常に、一言多い。ここまで余分な一言ばかり付け足す屑もまれだった。

 

 

 「私は幽霊なので、人間のプライバシーというものは一切考慮いたしません。歴史書というものは、歴史の登場人物のプライバシーを考慮して語らないということはありえません。忘れるなかれ、このホグワーツで“私に知られてしまう”ということは、歴史になるということです。歴史は語ってこそ意義のあるもの。ただし、語るのはあくまで“歴史”であり、解釈の一つに過ぎません。居酒屋で本人が語る過去の失敗体験とはまた別の、あくまでの歴史的客観性に基づいた、予想と推測も兼ねた可能な範囲での事実羅列であることは心の隅に置いておくように」

 

 ならばこそ、この授業は異常極まるとも言えた。

 

 シリウス・ブラックを代表として、この場には戦争に関わる家族を持つ生徒がいて、リーマス・ルーピンのように既に巻き込まれている者もいる。

 

 彼らを侮辱しているとしか取れない、挑発的な発現であるはずなのに。

 

 

 「なあジェームズ、この気持ちは何だ?」

 

 「分からない。何だろうな、怒りは湧いているはずなのに、ぶつける気にならないというか」

 

 「俺も似た感じだ。これは、そう、教科書にブラック家の先祖の悪行だの功績だのが載っているを見た時のような、“自分に関係ない誰か”の話を聞いてるような」

 

 この幽霊教師の言葉は、客観的なものでしかない。

 

 人間の言葉ならば宿るはずの、称賛の意思も侮蔑の意思も、受け手が十全に感じ取ることができない。全く無いわけではないのだが、どこか不完全燃焼な印象だからこそ、反発心もそこそこまでにしかならず、深く関わろうとも思えない。

 

 ホグワーツの魔法史の授業は、教師と生徒が大きく関わることなく、歴史的事実を伝えていく。“そういうことになっているのだ”と、時計塔の鐘の音が聞こえるような。

 

 

 「では、魔法史の講義を進めます。皆さん、ノートはひとまず置きましょう。実技から入りますよ」

 

 摩訶不思議極まる悪霊の講義、魔法の城の魔法史授業が始まった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「例年にも増して、飛ばしていたわねあのクズ。今年の新入生たちはご愁傷さまだわ」

 

 「……これは、良かったんでしょうか、マートルさん」

 

 「まあ、うん、ショック療法の効果はあったんじゃないかしら? ほら、戦争が始まって、これまで以上に寮の対立、特にスリザリンへの風当たりが強くならないようにってのが、ダンブルドア先生からのゴミ屑への依頼というか、願いというか、儚い希望というか」

 

 「今の授業の擁護は、流石に無理だと思うんですけど」

 

 天井から授業の顛末を覗いていたマートルさんとメローピーさん。

 

 前代未聞の初授業が終わり(口にするのも憚られる波乱が幾度かあったが)、人気の絶えた空間なのだが、何かこう、いたたまれないような空気が漂っている。

 

 

 「どうせ魔法史の授業は必修科目なわけだし、いつかニトログリセリンにぶつかるくらいなら、最初からダイナマイトにして爆発させるってのは校長先生の英断だったとは思うわよ」 

 

 「……悲壮な覚悟と決断ですね」

 

 後にアルバス・ダンブルドアは語ったという。

 

 ノーグレイブ・ダッハウに新入生の最初の授業を任せることは、死喰い人との決戦に臨むよりも決断力と精神力を要したと。

 

 

 「ともあれこれで、グリフィンドールとスリザリンの対立は緩和されるはずよ。誰を嫌うべきかは一目瞭然になったわけだし」

 

 「だと思います、全ての悪感情がダッハウ先生に集まることは疑いありません」

 

 「あの糞曰く、アリアナちゃんは一人しかいないから、全ての生徒の様々な悪感情を全て吸い取って回るのは流石に不可能。だけど、悪感情のベクトルを一箇所に集めれば、後はそこから吸い上げるだけでホグワーツ全体の感情の澱みをかなり改善できるって」

 

 「となるとやはり、彼は意図的に自分に集めて?」

 

 「いいえ、あれがアイツの素よ」

 

 「………個性的な方ですよね」

 

 「救いようのないクズって、はっきり言っていいのよメローピー」

 

 最近、打ち解けてきたのかメローピーさんの名前を敬称なしで呼ぶようになったマートルさん。アリアナちゃんに対しても時々名前で読んでいるのでそちらの関係も良好だ。

 

 ただしダッハウ、テメーはダメだ。

 

 

 




おかしい、ダッハウが出るだけでシリアスが全部台無しになった…


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4話 叫ばれない屋敷

ちょっとこの話ははっちゃけ過ぎたかも
オールギャグ回です
後悔はしていない


 人生における幸福と不幸の総量は等価である。

 

 誰が言ったかは定かではないそんな言葉を、リーマス・ルーピンは思い出していた。

 

 

 

 「さて、それでは始めましょうか。海外からの留学生組も合流し、リーマス少年も無事に入学、ホグワーツ魔法魔術夜間学校、いよいよ本格スタートです。記念すべき最初のホームルームの司会進行は、魔法史教師でもあるこの私、ノーグレイブ・ダッハウが担当いたします」

 

 「わーい、パチパチパチ」

 

 「♪~♪~♪~」

 

 『楽しみっちゃ、ガチャガチャ。おいらもずっと待ってただーよ、ガチャガチャ』

 

 『ドゥルルン。ドゥルルン』

 

 『総統閣下万歳! ナチスドイツに栄光を!』

 

 『この面子でまともな授業になるのかな?』

 

 『騎士ぃエエエエエエィ! アナ、穴を開けましょうねぇぇ!!』

 

 『血、血、血が欲しい。ギロチンに注ごう、飲み物を、ギロチンの乾きを癒すために。欲しいのは、血、血、血』

 

 『罪人をここへ、合衆国の法の名の下に、その体が死に至るまで電流を流す』

 

 「ニャ~、ニャニャア」

 

 

 上から順に、

 

 ドクズ教師ダッハウ

 亡霊少女アリアナちゃん

 不死鳥フォークスさん

 アクロマンチュラのモレークくん

 古典自動車のフォードさん(イルヴァ―モーニーからの留学生)

 科学力が世界一のドイツで生まれたフォルクスさん

 話せるバイクのエルメスくん (本人曰く異世界出身)

 穴開けと血抜きに定評のあるメイデンちゃん

 最も慈悲深き刃で知られるギロチン先輩

 現代における主流派と言える電気椅子後輩

 管理人室の猫主 ミセス・ノリス

 

 

 

 なぜ自分はこんなところにいるのだろうか、どうしてこんなところに来てしまったのだろうか。

 

 神様、僕、何かしましたか?

 

 茫然自失としながら席に座るリーマス少年がいるのは、ホグワーツの外れ、ホグズミード村側の境界線にある幽霊屋敷。通称、“叫ばれない屋敷”。

 

 割とできたばっかりで新品なのだが、イギリスで最もたちの悪い悪霊がはびこっていることで有名であり、ホグワーツの生徒はおろか、ホグズミード村の住人も誰も近寄ろうとはしない。

 

 なにせ、魔法学校の誇る最悪の悪霊が住み着いているというか、“何かしている”という秘密がある。

 

 そんな嫌な場所、誰だって近寄りたいと思わないのが人情だ。

 

 ホグワーツに入学して間もないリーマス少年ですら、あの前代未聞の初授業だけでそれを十二分に理解していた。

 

 

 

 「それではまずは、教師陣の紹介から参ります。ゴースト教師の方々に特別に勢揃いしていただきましたので、まずは校長先生よりご挨拶を。偉大なるヘレナ・レイブンクロー様、よろしくお願いいたします」

 

 そうして紹介されていく教師の数々、というかあの人、敬語使うことあるんだ。

 

 もう既に感覚が麻痺しつつあるリーマス少年が一番驚いたのはそこであり、仮にこの話を同級生に話してもきっと誰も信じない。

 

 悪霊教師の慇懃無礼ぶりは、誰でも知っている。まさかあの悪霊に心から敬意を捧げる存在がいるとは。

 

 というか、よく見たらポルターガイストのピーブズも敬礼してるし。

 

 

 

 「ご紹介にあがりました。ホグワーツ夜間学校の校長、ヘレナ・レイブンクローです。創始者の直系、血筋を考えればわたくしが校長を務めるのは当然のことではありますが、わたくしは血統による差別などは一切致しません。スリザリンとは違うのですスリザリンとは。学ばんと欲する者には誰にも門戸を開く、それこそがレイブンクローの信条です。“計り知れぬ叡智こそ、我らが最大の宝なり”、筋肉バカのグリフィンドールには永遠に縁遠い言葉でしょうけれど」

 

 いや、血統と言われても、ここに血の通った人間が僕しかいないんですけど?

 

 一体何をどうやって、血統というものを評価すれば良いんですか?

 

 あと、何気なく他寮をディスって自寮自慢してますけど、ここって“ホグワーツ夜間学校”ですよね? 何時の間に“レイブンクロー夜間学校”になったんですか? 

 

 リーマス少年の問いに答えてくれる存在は、残念ながらいなかった。あと、何だかんだでハッフルパフは敵視してないんですね。

 

 

 

 「校長先生、ありがとうございました。校長先生は変身術の講義を担当してくださいますので、生徒の皆さんも楽しみにしていてください。それでは次、深き闇の魔術と防衛術担当、スリザリンの寮憑きゴースト、“気高き男爵”殿。よろしくお願いいたします」

 

 ん? 今なんて言った?

 

 闇の魔術に対する防衛術じゃないの? 深き闇の魔術 “と” 防衛術?

 

 まずは闇の魔術を学ばされるの? それからようやく防衛術なの? むしろどっちかと言うと防衛術がおまけなの?

 

 

 「始めまして諸君。私が気高き男爵だ。誇りあるスリザリン生徒がこの場にいないことは残念ではあるが、それは言うまい。私こそは偉大なる“灰色のレディ”に選ばれし騎士であり、彼女の寵愛を一身に受ける世界で最も幸運な男である」

 

 「もう、そんな当たり前のことを言わないでくださいな。私の騎士様」

 

 「おお、麗しのレディよ、何時にも増して今日の貴女は美しい。天井の女神とてその美貌の前には霞んでしまうというもの」

 

 そしてまたしても自寮自慢を始めるゴースト。加えて更にノロケである。

 

 新入生のリーマスですら知っている、ホグワーツで超有名なゴーストカップル。レイブンクローの“桃色レディ”とスリザリンの“ポエム男爵”。

 

 本当は別の異名があったらしいのだが、1000年に及ぶイチャラブバカップル幽霊生活を続けた挙げ句、中世貴族らしく互いへの恋情を称え合う痛々しいポエムを作成しては大声で朗読し合うという死ぬほど傍迷惑で鬱陶しい行為を授業中だろうがお構いなしに繰り返す。

 

 当然、生徒からのヘイトは絶大であり、鬱陶しい幽霊ランキングでは常に不動の王座の地位にあった。あのポルターガイストのピーブズですらその地位を脅かすには到底至らなかった。

 

 近年に入り、ホグワーツ有害幽霊キングの座を“破局のマートル”と“ドクズ教師”に明け渡してしまったものの、それまでの約950年間その座に君臨し続けた歴戦の猛者である。

 

 というか、僅か数年でその座を奪い取ったドクズコンビはどれだけなんだ?

 

 

 「この私が教えるからには、闇の魔術とて恐れるには値しない。なぜなら、偉大なるサラザール・スリザリンを上回る闇の魔術の使い手など、未来永劫現れることなどありえないからである」

 

 それは果たして、本当に誇れることなんでしょうか?

 

 というか、今現在進行形で、戦争で闇の魔術と闇の魔法使いが猛威を奮っているんですけど、そのへんどうなんですか?

 

 

 

 「男爵殿、ありがとうございました。それでは次、薬草学を担当してくださいます、ハッフルパフの寮憑きゴースト、“ぽっちゃり系修道女”さん。よろしくお願いいたします」

 

 微妙に媚びたな、このドクズ。“太った修道女”と素直に言えば良いものを。

 

 

 「ご紹介にあがりました。薬草学を担当することとなります“包容力のある修道女”です。我がハッフルパフの信条は来るもの拒まず、例えどのような生徒がいらしても優しく包み込み、皆仲良く学校生活を楽しみましょうね」

 

 拒んでください、お願いしますから。

 

 特にあの、処刑器具の連中、さっきから露骨にこっちの方ばっか伺ってくるんですけど。死ぬほど身の危険を感じるんですけど。

 

 実体あり組の中だと、アクロマンチュラのモレークくんが一番友好的かつ、安全そうなのはどうなんですか?

 

 包容力があり過ぎるということも、時には罪であることをリーマス少年は初めて知った。本当に、知りたくなかったけれど。

 

 

 「薬草学とはいっても、残念ながら私には実体がありませんので、植物に触れることも育てることも出来ません」

 

 じゃあなんで引き受けたんですか? 向いてないにもほどがありませんかね?

 

 いや、それを言ったら他の授業も大概そんな感じはしますけど。

 

 

 「ですが、植物に関する知識ならば、ポモーナにだって引けを取らないと自負しています。知識です、知識さえあれば大抵のことは何とかなるはずです、きっと。そうですよね、ヘレナ校長先生」

 

 「その通りです。知識さえあれば大抵のことは何とかなります。実技などはグリフィンドールの筋肉バカがやっていればよいのです。重要なのは知識、これこそが真理」

 

 なんか、不正の気配を感じるんですけど気の所為でしょうか?

 

 ハッフルパフとレイブンクローは何時から談合したんですか? それとも、校長先生がレイブンクローだから権力におもねることに決めたんですか、ハッフルパフの協調性ってそういうことだったんですか?

 

 ホグワーツの四寮の不仲の原因って、寮憑きゴーストのせいだったりしませんよね? 違うと言ってくださいお願いしますから。

 

 

 「修道女さん、ありがとうございました。それでは続きまして、天文学を担当してくださいます、グリフィンドールの寮憑きゴースト、“ついに完全首なしニック”さん。よろしくお願いいたします」

 

 ついに完全? どういう意味?

 

 これについては初耳だったリーマス少年、ホグワーツの謎は奥深く、そしてどうでもいい謎も多岐にわたるのであった。

 

 

 「サー・ニコラスと申します。今日この日、こうしてこの場に立てたことを嬉しく思います。特にアリアナ嬢とダッハウ先生には本当に感謝の言葉もございません。長年の望みがついに叶った幸運を噛みしめる日々です」

 

 言葉を述べつつ“首なしニック”ことサー・ニコラスは、首を両手で捧げ持つようにしながら恭しく掲げる。

 

 「別にいいよ~」

 「私はほんの手助けをしただけです。正直、まさか“もげる”とは思いませんでしたが。子供の力でも千切れる程度まで薄皮一枚だったのが功を奏したのでしょうね」

 

 「わたしも晴れて、首なしゴーストの仲間入りに。ああ、本当に、長かった……」

 

 あれ? 若干薄れてないあの人、じゃなかった、あのゴースト?

 

 なんかこう、生前の執着を果たして今にも成仏しちゃいそうなんだけど大丈夫なの?

 

 あと、話しから察すると、前列に座ってるあの可愛い小さな子が“首をもいだ”ってホントなの? なにそれ怖い。

 

 

 「良かったね、ニックさん」

 

 「はい、これでもう生首ホッケーが出来ないことを悔しがる日も来ないでしょう」

 

 「首無しニックさん、ありがとうございました。あと、流石に今消えられては困りますので、後でギロチン先輩に頼んで“修復”されてからお帰り願います。そのためにわざわざ首カットのプロをお呼びしたわけですから」

 

 「おお、ギロチン! なんと素晴らしい響きか! わたしのような中途半端にくっついて残ってしまう不幸なゴーストが生まれることはもうないのですね! ああ、やはり首刈り処刑は斧よりもギロチンに限りますな」

 

 やっぱりこの人も変だった。この学校、ろくなゴーストがいないなぁ。

 

 いや、ろくでもないゴーストを選りすぐって集めたのかもしれないな、そうに違いない、そう思いたい。

 

 

 

 「それでは次、魔法薬学を引き受けてくださいます。ヘレナ校長に勝るとも劣らない血筋の持ち主、サラザール・スリザリン直系の名家出身、メローピー・ゴーントさんです。よろしくお願いいたします」

 

 「は、はは、初めまして皆さん。そそ、そこまで言われるほど大した存在ではございません、と、とと」

 

 「落ち着いてください、メローピーさん」

 

 「はは、はい。わ、わたしは魔法薬学を担当させていただきます、そ、その、上手くやれるかどうかは」

 

 大丈夫かな、あの先生。見た目かなり若そうだし、こういう場に全然慣れてなさそう。

 

 今までが濃い面子だっただけに、かなり新鮮なギャップに少し心配になってくるリーマス少年であった。

 

 

 「で、ですが、もしホグワーツに行けたなら、れ、レイブンクローに入りたいとね、願って、ました。やっぱり、陰気な地下室よりも叡智の塔だと、お、思います。やっぱりスリザリン直系なんて駄目ですよね」

 

 「素晴らしい心がけです、メローピーさん。ゴーント家の者と聞いて少し警戒していましたが、夜間学校は貴女を歓迎しますわ。このヘレナ・レイブンクローの名において」

 

 すみません、ゴーストはレイブンクローにおもねる定めでもあるんでしょうか?

 

 何かこう、校長先生の権威が強すぎるというか、レイブンクローにあらずば、夜間学校に居る資格なしとでも言われそうな空気がひしひしと。

 

 

 「トム・リドル、トム・リドル、愛の妙薬、愛の妙薬、貴女を捨てた憎きマグル、リドルの家に災いあれかし」

 

 家系を捨てて保身を選ぶメローピーさんへ、妙な呪文を唱え始めるドクズ悪霊。

 

 果たして、その効果はすぐに現れ―――

 

 

 「………そう、そうなのよ。あの人は私を捨てたわ、なのに、それでも私はあの人を憎めない。ああ、トム、私のトム、あの子だけが私とあの人を繋ぐ愛の結晶。可愛いトム、私のトム、どこにいるの可愛い坊や。ねえ、愛の妙薬はあるわ、いくらでも作れるの、あなたのためにまたいくらでも煎じるから、戻ってきて愛しいあなた。魔法薬、そう、魔法薬よ。ドジでグズで何をやっても駄目だったスクイブの私にも、魔法の才能があったの、あのクソ親父と糞兄さえいなければ、私にも人生があったはずなの。魔法、そう、魔法だけが最後に残された私の希望、トム、どうか貴女に私の魔法の才能が継承されますように……アイシテル、アイシテル、アイシテル、愛してるわトム、トム? トム? どこにいったのトム? 私を一人にしないでトム。 ああ、違うわ、トムは私のお腹の中にいる、可愛い可愛い私の坊や、私の赤ちゃん……」

 

 重い! ひたすら重すぎるよこの人!

 

 何があったの! さっきまでとはまるで別人だよ! どういう人生歩んだらこうなっちゃうの! 聞きたいような気もするけど絶対に聞きたくないよ!

 

 あと、トムって誰!? 坊やって言ってるから子供っぽいけど愛するあなたとか、私を捨てたとか言ってるし。精神錯乱してるんじゃ、いや、間違いなく錯乱しているって!

 

 「いけませんね、スイッチを入れすぎましたか。アリアナちゃん、いつものお願いします」

 

 「まっかせて~。おかーさん、おかーさん、大丈夫だよ、ほら」

 

 最前列に座っていたアリアナちゃん? がトテトテと歩いていって、小さな手を差し出して繋ぎあわせる。

 

 僕だったら、とてもあの状態の先生に近づけないよ、凄いなあの子。

 

 というか、今すぐ逃げたい。この幽霊屋敷? からとにかく逃げたい、そして出来るなら二度と来たくない。

 

 あ、でも、あの可愛い子にだけならまた会いたいかな?

 

 

 「トム。トム……はっ!? あ、アリアナちゃん? わたしは、一体何を……」

 

 「問題ありません、いつもの発作です。つまり、いつものメローピーさんです」

 

 「ああ、わたしはまた……やっぱり、私なんて教師失格だわ」

 

 そして沈み込むメローピーさん、結局ダウナーになるのか、この人は。

 

 

 「ともあれ、ご挨拶ありがとうございました。自己紹介には十分でしょう、生徒の皆さんも色々と分かってくれたはずです」

 

 うん、嫌というほど分かりました。出来れば分かりたくありませんでした。

 

 あと、“いつもの”って何? あれって、よくある発作なの? あれで先生務まるの?

 

 

 「それに、落ち込むことはありませんよメローピーさん。なにせ、この私にだって教師が務まるのですから」

 

 ……愚問でした。そうでしたね、ダッハウ先生が教師やってるんですもんね、ほんとに大丈夫かなこの学校。教師が“務まっているか”はとっても承服出来ないというか、釈然としないものを感じるけど。そうだ、後でダンブルドア先生に抗議しないと。

 

 こうしてまた一通、悪霊教師の解雇依頼の抗議文が増えたとか何とか。

 

 

 「それでは次、幽霊教師としては最後なのでトリを任せられるはこの方、ホグワーツの誇る穢れた血、嫉妬深きことで右に出る者はいない、14歳中途退学の呪文学担当、“嘆きのマートル”さん、お願いします」

 

 「アタシだけ紹介が偏ってない? 露骨に贔屓されてない?」

 

 「いいえ滅相もございません」

 

 「まあいいけど、アンタが屑なのは今に始まったことじゃないし。初めまして、レイブンクローで四年生まではホグワーツに在籍していたマートル・ウォーレンです。これでも当時はテストで三位くらいには付けてたから、教えることくらいならそこそこ出来ると思うわ、わからないことがあったら何でも聞いて頂戴」

 

 あ、意外にまともな自己紹介だ。

 

 というか、今までの中で一番先生っぽい紹介だったんじゃないだろうか。

 

 

 「アタシの担当は呪文学。まあ、この中で杖を振れる生徒がほとんどいないからどうやって授業を進めて良いのかいろいろ突っ込みたい部分もあるけど、とにかく授業っぽい感じでやっていく予定よ」

 

 「具体的な運営を問うのは、それこそ今更ですからね。そもそもそれを言ったら、夜間学校自体がジョークみたいなものですから」

 

 「アンタがそれを言うか」

 

 「私は奇っ怪な存在を集めることや、面白そうな環境構築担当なので、実際の授業についてはマートルさんに頼る部分も多くあると思います。特に魔法の杖を使った講義担当はお願いしますよ」

 

 「そこは仕方ないか。今のホグワーツで杖を振れるゴーストとなると、ヘレナ校長先生と私くらいしかいないから、他の授業でもサポートすることは多くあるでしょう。これはレイブンクローの幽霊の特性みたいなものだから、本人の気質じゃどうにもならないのよね」

 

 「マートルさんは、事務作業や諸々の雑用も引き受けてくださっています。流石は便利女、ではなかった優秀な事務員です」

 

 「はっ、便利女ですって? 罵倒にすらなってないわ、心地よい涼風ね。こちとらレイブンクローの誇る根暗のマートル様よ」

 

 「申し訳ありません、便所女」

 

 「事実を淡々と言われるのは地味にイラつくからやめて」

 

 地味にイラつくと同時に、地味に傷ついてもいそうである。

 

 所詮はゴースト、精神攻撃は特効なのであった。特に生前のトラウマでもあった悪口は効果覿面で、便所の汚れ扱いはかなり効いたらしい。

 

 

 「死後の霊とは、儚いものですね……」

 

 「みゃー」

 

 心底どうでもいい感慨に耽る人外教師にツッコミを入れるように、ミセス・ノリスの呆れ声だけが響いていた。

 

 

 そして、リーマス・ルーピン少年は心の底から早く帰りたいと想った。

 

 だがしかし、これからのホグワーツの学生生活、最低でも月に一度はこの奇天烈極まる夜間学校に参加することになる。

 

 周囲の人達に噛み付いたりすることのないように、ないように……誰に噛み付けばいいんだ、この学校?

 

 

 「変身した後の僕、大丈夫かな?」

 

 リーマス・ルーピンは人狼となってよりこのかた初めて、満月の日に変身した後の自分を哀れに思った。

 

 人としての理性を失った自分がこの学校でどんな授業を受けるのかは分からないが、一つだけ確信できることはあった。

 

 

 

 『穢れた血に粛清を! 正しきゲルマン民族こそが至高! 豚にも劣る劣等民族は不要なり!』

 『ブスブスブスブス、ああ、柔らかいお肉に穴が空いていく感覚、なんて素敵なのかしら』

 『血、血、血が欲しい。ギロチンに注ごう、飲み物を、ギロチンの乾きを癒すために。欲しいのは、血、血、血』

 『交流こそが電圧の極致、罪人を殺せるのは交流電源の特権なのだ。直流の電池ごときになせるものではないわ』

 

 

 少なくとも、あっちにいる連中よりはマシな生徒だろうと。でも、正直全然うれしくない。

 

 出来ることなら、今すぐ退学したいけど、僕人狼だしなあ。まあ、あっちの人外よりはよっぽどましだろうけど。特にあのドクズ悪霊教師。

 

 人狼の生徒かあ、うん、普通だね。

 

 ほんのちょっぴり、悟りの境地というものの一端を知ることとなった、リーマス・ルーピン11歳の9月のある日だったそうな。

 

 



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5話 お友達と文通しましょう

ペチュニアさんがだんだん愉快なお姉さんになってきた
なぜだろう?


 

親愛なるペチュニアへ

 

 やっほー、元気してる? 楽しかったハロウィンも終わってふと周りを見てみれば、すっかり森の木々も冬支度しててびっくりよ。

 ま、ゴーストは寒さなんて感じないんだけど、こればっかりは気分というか、生前の思い出が感じるはずのない寒さを届けてくれるというか、きっと貴女も死んだら分かると思うわ。

 

 

 そうそう、リリーちゃんからの手紙で知っているかもしれないけど、今年のハロウィンでもあの子が最優秀仮装賞に選ばれたのよ。お姉さんとしては鼻高々ね。

 仮装賞とはいっても、妖精の魔法を駆使してどれだけ上手に変身できるかをグリフィンドールの談話室で投票するだけの身内同士のお気軽なものなんだけどね。ちなみに、我がレイブンクローの文化にはそんな小粋なイベントはなかったわ。シクシク。

 

 私もマグル生まれだから“こっち”に来てから実感したのだけど、こっちのハロウィンは非魔法族のそれとは結構趣きが違うの。貴女も知っているハロウィンはやっぱり多くの部分にキリスト教っぽさというか、聖人と共に悪霊を追い出して豊穣を祝う部分があるのだけど、魔法族のハロウィンはむしろ“悪霊と共に”祝う祭りなの。

 

 つまりは、この世のあの世の境が曖昧になる日。天国と地獄を明確に分けるキリスト教じゃ決して歓迎されないことだけど、魔法族にとっては亡くなった身内の霊をとても身近に感じられる日でもある。だから、私も久々に里帰り、いわゆる“ゴーストの墓参り”が出来るのだけど。

 

 この縁っていうのは本当に不思議なものでね、こうして貴女と私が手紙で繋がっているように、例えどれだけ離れていても必ずどこかで通じているものがあると互いに信じていれば、言葉では説明できない不思議な力が結んでくれるの。ある人はそれを聖人の加護と呼んで、ある人は精霊の力と呼ぶし、偉大な先生は愛の力と呼ぶわ。

 

 どこぞのクズが“確率論を誤認しただけの錯覚かもしれませんよ”とかロマンの欠片もないことを言ってきたから、この前ハグリッドが内緒で連れ込んでたキメラをけしかけておいたわ。キメラの炎は悪霊にも効くのよ、ザマアミロ。わたしだけじゃ到底無理だったけど、ヘレナ校長とアリアナちゃんの協力と例の悪ガキ共の力を利用すれば、大抵のことは何とかなるのよ。凄いでしょ。

 

 

 他にも、“マーリン・リング”っていう季節の祭りを祝う際の、魔法族の伝統的なゲームというか、催し物もあってね。ホグワーツでは年に七回あるのだけど、新学期から数えてハロウィンはその一回目で、ここは一年生の担当なのよ。二回目はクリスマス直前の冬至の日だから、今年二年生のリリーちゃんもきっと参加すると思うわ。

 

 私がホグワーツに通ってた頃は、マグル文化のクリスマスやバレンタインに押されて一時期廃れ気味だったけれど、ダンブルドア先生が校長になった頃から昔ながらの魔法族や異種族の祭りも見直されているの。最近では湖の水中人や森のケンタウロスと一緒にイベントをやろうって機運もあるみたいね。何だか楽しそう!

 

 ちょっぴり危険なところもあるけど、何だかんだでホグワーツは不思議に満ちた楽しい学校よ。リリーちゃんも色んな友達に囲まれて日々楽しそうだし、心配することなんて何もない。

 

 

 って言いたいところではあるのだけど、ホグワーツの外側は決して安全とは言えないのも悲しいけど事実よ。特に、マグル生まれの子は何らかの騒動に巻き込まれた時、すぐに助けに行ける親が身近にいないから、絶対に注意だけは欠かさぬように、貴女からも改めて伝えてあげてちょうだい。あの子がホグワーツにいるうちは、私が責任持って預かるから心配はいらないけどね。

 

 来年になったらホグズミード行きも解禁されるけど、保護者の許可サインが必要だから、今後の状況次第じゃ親御さんに頼んで禁止してもらうってこともあるかもしれない。もしその時が来たら、貴女の言葉もきっと重要になるでしょう。まあ、取りあえずはセブルスの小僧を肉盾にして、いざとなったらアイツを囮にすれば問題ないわ。それに、肉盾には馬鹿のジェームズや阿呆のシリウスも使えるしね。

 

 そちらの学校も勉強やら色々と大変でしょうけれど、新たに学んだこと、昔との違いとかをまた教えてくれると嬉しいわ。なにせ、私がマグルとして生きていたのは40年近く前のことだから、何もかもが変わりつつあるでしょうし。ペチュニアが教えてくれる今のマグル世界の数々は、ほんとに新鮮なの。

 

 じゃあ、また会いましょう。いつかこの縁が大きくなって、イースターにでも貴女の下に化けて出られることを願います。

 

 

 マートル・エリザベス・ウォーレンより

 

 

 

 

 

 

親愛なるマートルへ

 

 こんにちはマートル、私も元気にやっています。本当は貴女の方がずっと年上で、もっとかしこまった書き方をするべきなのでしょうが、貴女の手紙に窮屈な敬語は使いたくありませんのでいつも通りに書きます。内緒だけど、歳の近い友人のように思っているの、本当よ?

 

 お外は随分と寒くなってきましたけど、エバンズの家には最近、電熱ヒーターなるものも取り付けてみました。お父さん曰く、時代の最先端らしいわよ。リリーのために昔ながらの暖炉も残して置きたいところですが、昨今の“此方側”は煙突のある家もどんどん少なくなってきていますし。

 

 

 リリーの学校生活の事、色々と教えてくれて嬉しいわ、本当に助かっています。あの子ったら、結構まめに手紙は送ってくれるのだけど、素敵なお友達のことばっかりで自分のことは全然書かないの。まあ、あの子のお友達が増えた分だけセブルスの内容が少し減ったのはザマアミロだけど。ええ、隠しませんとも、あいつに嫉妬してます、嫉妬嫉妬。貴女に隠したって仕方ないものね。

 

 アイツは入りたがってたスリザリンに行って、リリーがグリフィンドールに組分けされたと聞いた時には思わずガッツポーズしちゃったわ。まあ、手紙で残念がってたリリーには悪いと思ったけど、こういうのは別問題よね、だって私はセブルス嫌いだもの。

 

 本当に、その辺りは貴女に感謝しています、マートル。私が好む整然さ、きっちり埃一つないキッチンなんかは、リリーの暮らす世界ではあまり馴染みのないもので、どうしても埋められない違いに色々と悩んだ時期もありました。でも、考えてみればそうよね、私はリリーが好きだけど、私が好きなものを全部リリーも好きになる必要はないし、だったら、リリーが好きなものを私が嫌ったっていいじゃない。

 

 そりゃまあ、私はお姉さんだからね、リリーの前じゃあ理解ある姉を演じるわよ。セブルスにもあれで良いところが辛うじてないわけでもないし、物騒な世の中になりつつある昨今、業腹だけど出来るだけアイツと離れて一人でうろちょろしないようにとは言い聞かせてるわ。

 

 

 むしろ、最近リリーの手紙で気になっているのはジェームズ・ポッターってガキの方かもしれないです。話を聞くに、グリフィンドールの悪戯っ子らしいけど、私の嫌いなタイプと察します。セブルスとは特に反りが合わないみたいで、アイツをよく馬鹿にしたりからかってるからリリーはよく思っていないみたいだけど、本当に嫌いだったらあの子、私への手紙に書いたりしないはずなのよ。

 

 それで、そういうことにはすっごく敏感だと思うマートルに相談なのだけど、もしジェームズとかいうガキがリリーに恋慕してたり、万が一リリーにも憎からず思っている雰囲気があったら、二人の仲を邪魔してあげて、ぶち壊してあげて、粉砕してあげて。二度とリリーに近づこうと思えないようにしてあげて頂戴。

 

 嫉妬です、ええこれは嫉妬です。私はリリーと一緒の学校に通えないというのに、ただ魔法の力を持っているだけでリリーと同じ寮に入れて、あまつさえ悪ガキの分際でお近づきになりたいだなんて、許されることではありません。例え主がお許しになっても私が許しません。そして、貴女は私の味方をしてくださると心の底から信じております、悪霊のマートル様。

 

 私はリリーの姉、そう、姉なのです。であるからには、可愛い妹に近寄る害虫を排除するのもまた、姉の務めであろうと最近感じるようになりました。これも貴女と出逢えた影響かと思うと、嬉しい限りです。

 

 

 マグルである私には、魔法の力は使えない。だったら、出来る人にお願いすればいいのです。祈りを捧げればいいのだと気付きました。そして、私が祈りを捧げるべき相手はリリーであり、そして、貴女なのです、“破局のマートル”。どうかその御業を余さずお示しになり、ジェームズ・ポッターなるいけ好かないモテ男に鉄槌を。

 

 ええ、本当に気に入らないわ。可愛いリリーに男共が寄ってくるのは当たり前ですけど、顔がいいだけのチャラ男は論外です。まずは自分の日頃の行いを反省して、真面目優等生にジョブチェンジしてから出直しなさい。でなくば、リリーと交際することはおろか、近寄ることすらこの姉たる私、ペチュニア・エバンズが許しません。

 

 ついでながら、シリウス・ブラックなる糞イケメン野郎にも、鉄槌を下してくださると嬉しいです。リリーの手紙を見る限り、あの子の買ったカエルチョコレートを本物のカエルに変身させたとか。ぶっ殺す。

 

 リーマス・ルーピンとか言う秀才君は、取り敢えず保留で。もう一人の、ピーターくんには少しシンパシーを覚えるので、何気なくで良いので気にかけてあげてくださればと思います。多分ですけど、心の何処かでジェームズやシリウスらに対して私と同じ“気に食わねえコイツら”の魂を抱えている気がするのです。

 

 私が共感するということは、それをあまり表には出せないタイプと察するので、取り込めばこちらの手駒に出来るやも。あわよくば、リリーに近寄る害虫共、ジェームズやセブルスの動向を探るスパイに仕立て上げられば最高の結果になれるかと。東洋ではこれを埋伏の毒、あるいは獅子身中の虫と言うとか。

 

 獅子寮に潜む虫(ワーム)かぁ、うん、なかなかいい感じの縁を感じます、凄いぞ私。

 

 

 いつか、貴女のような嫉妬心と自立心を両立させた立派な女性となれることを夢見て、日々を頑張っていきます。応援していてください。

 

 

 ペチュニア・エバンズより

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「こうして一人のいたいけなマグルの少女が、便所の幽霊へと堕ちていく。斯くも悲しき物語の序章であったということですか」

 

 「なってたまるか。あと、人の手紙を勝手に読むんじゃないわよ」

 

 「とは申されましても、これらの手紙はホグワーツ生徒の家族と事務連絡するためのホットラインで届けられるものですからね、検閲するのも私の業務の一環でして」

 

 「あんたって屑のくせに、そういう地道な仕事は手を抜かないわよね」

 

 「性分というか、私の本体がきっとそういうものなのでしょう」

 

 ハロウィンが終わり、クィディッチシーズンが始まろうかという頃。

 

 今日も今日とて、悪霊たちは事務室にていつもの仕事をしながらのんびりと世間話の日々。

 

 世間で話題になる戦争の気配も、その動向も、どこ吹く風の悪霊たちの午後。

 

 

 「それにしても、ペチュニア嬢はなかなか洞察力に優れた方ですね。むしろ姉の妄念というべきかもしれませんが、リリーさんの周辺の人間関係を少ない情報からしっかりと把握されているようで」

 

 「ふっ、そこは師匠である私の出来がいいからよ」

 

 「マートルさんのドヤ顔は非常にうざいですね」

 

 「やかましいわ。これもまた根暗ボッチの必須技能なのよ、常に周囲の状況変化にはアンテナを張ってないと、気付けばハブられて孤立なんてザラよ。何せレイブンクロー女子は陰険が多いんだから」

 

 ペチュニア・エバンズには、周辺の情報、特にゴシップなどを集めて整理する才能がある。

 

 それを察したマートルさんは、生前の経験と死後の事務業務で培った洞察力を余さず伝授し、今や立派な弟子として成長しつつある。

 

 まあ、嫉妬のゴーストの弟子となることが、彼女の人生を明るい方向に導くかどうかは、神のみぞ知るというものだろうが。

 

 

 「そうした視点で見ると、グリフィンドール女子には陰険タイプは希少ですね。良くも悪くも感情表現豊か、隠し事に向いていない、ぶっちゃけ単純馬鹿」

 

 「本人は隠しているつもりで、バレバレってのは常よね。特にイチャラブのピンク脳の馬鹿は、だからこそ、アタシも一番リア充判定がやりやすいんだけど」

 

 「ふむ、となると、“桃色のレディ”の異名を持つヘレナ・レイブンクロー様はいったい?」

 

 「………ノーコメントで」

 

 「それが正しい処世術でしょうね」

 

 ひょっとしたら夜間学校の校長先生は、グリフィンドール向きだったのでは?

 

 内心のことは表に出さず、長いものには巻かれましょう、これが大人の処世術というもの。流石はドクズゴースト、子供には見せたくない汚さだ。

 

 その汚さを余さず垣間見たリーマス少年については、強く生きてくれることを祈るしかない。合掌。

 

 

 「あの、特定の生徒の恋路を妨害する、というのは問題なのでは?」

 

 そして、まだ大人の汚さを十全に身に着けていない重いけどピュアなゴーストがここに一人。メローピーさんがドクズの仲間入りをするにはまだ業が足りていないらしい。

 

 「問題ありません。我々は教師と事務員である前に、一介のゴーストですので」

 

 「若いわねメローピー。嫉妬に基づき、恋路を邪魔する。これは生態のようなもの、要は呼吸と一緒なの」

 

 さすがドクズコンビ、こういう時は息ピッタリ。

 

 

 「そ、そういうものですか…」 

 

 「ふむ、狭い家と限られた人間関係しか知らぬまま亡くなった貴女には、理解するのは少し難しいかもしれませんね」

 

 「あー、じゃあこう考えて見て。貴女を棄てた後の元夫トム・リドルが、貴女より若くて顔の良いけど頭が軽そうで尻も軽そうな女とイチャイチャしている。そんなところを目撃する、あるいは人伝に聞いてしまう貴女」

 

 「殺します、呪います、消し去ります。この世の果てまで追い詰めて、末代に至るまで祟り殺してやります。おお、偉大なるサラザール・スリザリンよ我に力を、ゴーントの血筋舐めんなコラ、ぶっ殺すぞメスガキが」

 

 「おお、素晴らしきかな」

 

 「なかなか板についてきたわね」

 

 悪霊の薫陶、これにあり。

 

 やはり素質はあったのか、ゴーントの血筋は腐っていたのか、徐々にメローピーさんへのドクズ悪霊化教育は進んでいるらしい。

 

 頼むアリアナちゃん、君だけが最後の砦だ。

 

 

 「とはいえまあ、あの世代の生徒の中では悪戯四人組は際立っていますし、ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックはクィディッチ選手にも選ばれいよいよ存在感を増しています。そこにマグル生まれの才女、リリー・エバンズがいかに絡むか。ホグワーツの歴史観測者としても見逃せない逸材ではありますね」

 

 「ブラックってだけでも相当だけどね。とにかくあの二人はアタシの敵と決定、イケメン死すべし、リア充死すべし、モテル男は地獄に落ちよ」

 

 「流石マートルさん、揺らぎないですね」

 

 「ペチュニアのお願いでもあるし当然よ。もう一方のセブルスの方は、うーん、“こっち側”ともまたちょっと違うというか、随分と面倒くさくて捻じくれた性格してそうなのよね」

 

 「貴女が言うのですか? いえ、私もダメダメ女ですけど」

 

 「あ、メローピー的にはセブルス応援派なのかしら?」

 

 「ええまあ、ああいうタイプのスリザリンの生徒には、なぜか親近感覚えるというか、なぜでしょう?」

 

 どうにも、本人にも理解できない感覚らしい。

 

 ドクズではあるが、己の何たるかをよく知っている二人と異なり、メローピーさんは己自身についてもまだまだ手探り状態だ。

 

 

 「それは彼の出自によるものかもしれませんね。セブルス・スネイプ少年の母君、アイリーン・プリンスは生粋のスリザリン気質にして純血を誇った家系。メローピーさんのゴーント家に似たところがありますし、ついでにいえば彼女もフリーモント・ポッター氏と浅からぬ因縁がありましたから」

 

 「ポッター家とプリンス家か。確か、どっちも魔法薬の大家で、スラグホーン家と並んで御三家扱いされてたわね」

 

 「最近だとフリーモントの直毛薬が有名ですし、元気爆発薬もポッター家開発です。別に彼らの代に限った話ではなく、このホグワーツで幾度となく時に友誼を、時に反発をと歴史を刻んできた二家です。ジェームズ・ポッターとセブルス・スネイプの反発の根源は、その辺りにもある可能性は大きいでしょう」

 

 「でも、スネイプなんて家は聞いたことないし、セブルスは多分マグルとの混血よね」

 

 「マグルとの混血……そうですか、それで私は、あの子と……」

 

 純血のゴーントとマグルのリドル、純血のプリンスとマグルのスネイプ。なるほど、縁があるといえばなかなかに深い。

 

 むしろ、メローピー・ゴーントが共感を覚えているのは、件の少年の母、アイリーン・プリンスの方であったかもしれない。

 

 

 「まあ、しばらくは様子見かしらね。リリーちゃんもまだまだ12歳のお子様だし、本格的な恋愛には時期尚早だわ。お姉さんのペチュニアは早熟気味だけど、妹はけっこう年相応な感じね」

 

 「その点は同意ですね。ただ、お姉さんと言えばマートルさん、ペチュニアさんの中で貴女は相当美化されてる気がしますよ。手紙の中の貴女からは随分と頼れるお姉さん的な印象を受けますが、貴女に文才などあったことが驚きです」

 

 「それはそうよ。私、友達と文通することは得意だもん。なんたって“マーテルちゃん”がいたのよ」

 

 「その悲しい過去を誇らしげな顔で語るのはやめてください。私でなければ胃が痛くなっていますよ。日記帳の中でのお友達というのは、鏡の中の悪魔と同じだと何度言えば分かってくださるのですか」

 

 悪霊教師ですら若干引くレベルの闇がそこにあった。

 

 人間の心とは、誠に恐るべきものである。

 

 

 「まあ! マートル、貴女にもいたのね、日記帳の中のお友達」

 

 「おおう、鏡の中の悪魔がさらにもう一匹ここにもいましたか」

 

 「そんな失礼なこと言わないでくださいダッハウ先生。“メロンちゃん”は暗くて寂しいゴーントの家で孤独だった私を癒やしてくれた、たった一人だけのかけがえのない文通友達だったんですから」

 

 「本当に悲しくなるので止めてください。貴女の人生は重すぎて洒落にならないんですよメローピーさん。そしてなんで、貴女達は疑似人格の名前をもう少し捻ってくれないんですか。似たもの同士のシンパシーですか、そうなんですね」

 

 この分だと、メローピーさんの息子のトム・リドル氏まで、自分の名前のアナグラムを日記友達にしていても驚けないぞ。

 

 なんかこう、己の中に潜む闇の人格、もう一人の自分、偉大なる俺様とかそんな感じで。

 

 うん? 偉大なる俺様? 何処かで聞いた覚えがあるような? 

 

 

 「メローピー、その気持は分かるわ。どんなに一人で寂しいときでも、辛いときでも、“マーテルちゃん”がいてくれたら怖くなかった。日記帳の中にいてくれる、何でも相談できる私だけのお友達」

 

 「ええ、ええ、そうなんです。愚図でドジで、父や兄に怒鳴られるばかりだった私なんかと違って、“メロンちゃん”はとっても綺麗で要領も良くて、どんな時でも私に助言を送ってくれるのよ」

 

 「ペチュニアが文通友達になってくれたのは嬉しいけれど、それでもやっぱり、最初の友達を忘れることなんてあり得ないし、思い出の中で永遠だわ」

 

 「私も、また会いたいです、メロンちゃんに。ああ、トム、あの子にもそんな何でも話せるお友達がいてくれたのならよいのだけど……」

 

 「多分、いないほうが幸せだと思いますよ。むしろ、その友達を必要とするのは精神が洒落にならないレベルで病んでいる証と思うのは私だけでしょうかね」

 

 悪霊教師がツッコミ役に回っている。珍しいこともあるものだ。

 

 

 「はぁ。相変わらず駄目ねアンタは、女の子のお友達との交換日記ってもんを全く分かってないわ。少しは空気を読みなさい」

 

 「ガッカリですね」

 

 「何で私が滑ったみたいになっているんですか? それとメローピーさん、貴女に怒りの感情を覚える日が来るとは思いませんでした。いつか覚えてなさいコノヤロウ」

 

 これも一種の因果応報というものだろうか。

 

 素行が褒められたものではないことは誰よりも自覚しているノーグレイブ・ダッハウであったが。

 

 例え悪霊であっても、時には善行を積む必要はあるのかもしれないと、ほんの少しだけ思うこともあった文通日和。

 

 

 

 ホグワーツの歴史に曰く

 

 見えないお友達との交換日記は絶対にいけません

 

 





真の恐怖
それは、己には理解できない名状し難いナニカを見たときである


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6話 届け恋のゴシップ記事 ~月刊少女ホグワーツ~

バーサ・ジョーキンズさんって、
お辞儀様復活の上でけっこう原作でも重要な鍵だった気がする


バーサ・ジョーキンズの校内新聞 【月刊少女ホグワーツ】より

 

 

 さあさあ! 今年もやってまいりました恋のホグワーツ戦線!

 実況はおなじみのこの私、清く正しいハップルパフのスポークスマン、バーサ・ジョーキンズにてお送りいたします!

 

 いやー、見切り発車で始まったこの企画も早三年目を迎え、当時二年生でしかなかった私も学生生活折返しの四年生となりました。

 細かい調査なんか後回し! ノリと勢いで脳内爆発! 妄想補完新聞と揶揄されながらも皆様に愛され続けこうしてここまでやってこれましたね。よよよ。

 今後とも皆様のご期待と腐女子の妄想に応え、精進して参る所存でございます!

 

 

 さて、挨拶はこのくらいにしておいて、夏休みの間にそれぞれ進展し、新学期の再会とともに新たに始まった恋模様について見ていくとしましょう!

 微妙に影の薄い6年生と7年生はひとまず置いておいて、何かと濃い面子の多い5年生からよ!

 

 まずはこの人、グリフィンドールの5年生キャプテンにして無鉄砲ビーターのロー・ジョーダン! あの有名な悪戯クィディッチ馬鹿に恋人が出来たって噂よ!

 気になる恋のお相手は、グリフィンドール5年生のミーナ・シュート! 私の独自調査によれば、彼女のお父さんグレイスター氏があの狂気の闇祓い将軍こと“マッドアイ”と親しい友人だったらしくて、なかなかに濃い血筋を受け継いでいるイロモノグリフィンドール家系ね。

 馴れ初めとかについては鋭意調査中だけれども、ミーナさんに突撃取材を試みたところ、“もし彼との子供が生まれたら、リーと名付けたいです”とすっごく気の早いノロケをかましてくれたわよ。流石はグリフィンドールの色ボケね、死ねリア充。

 この恋の模様がどんな結末にたどり着くのか!? そして、あの“破局のマートル”が獅子寮のリア充をみすみす放置してくれるのか!? 頑張れマートル! 続きについては乞うご期待!

 

 

 ではでは続きまして、スリザリンの超有名監督生、バーテミウス・クラウチ・ジュニア! 12教科全てで1位という驚異の大記録を打ち立て、魔法大臣の座を今かと狙うお父上様の一粒種の名に恥じぬチート性能を誇る彼だけど、何とここに来ての禁断の恋の疑惑!? これは腐女子の脳内大興奮待ったなし!

 気になる、あまりにも気になるその恋人疑惑の男子生徒の名は、彼と同じスリザリンの5年生、アレクト・カロー!

 何でも、この夏休みに彼と二人っきりで秘密の旅行に出かけていたとのもっぱらの噂よ。これまた有名な妹ちゃんのアミカス・カローより“この私を差し置いてお兄様だけズルいわ!”という証言も取れたし、何とも信憑性のある話ね、ウンウン。その旅行先ってのが、死喰い人の秘密拠点だとか、北部貴族連合に味方する巨人の集落だったとかという話については、取り敢えず無視しちゃいましょう。触らぬ神に祟りなしだわ。

 

 

 続けてどんどん行きたいところだけど、紙面にも限りはあるし取り敢えず今回は次でラストよ。

 今現在話題沸騰中! グリフィンドールの妖精姫こと今年で三年生になったリリー・エバンズ! 去年1年間だけでもグリフィンドール男子同級生の1/3から告白されたともっぱらの噂の超絶美少女! しかし、気になることになぜか告白を試みた男子が返事を受け取る前に次々玉砕! さらにそのうち二人はなぜかトイレの便座に頭から突っ込んでいたという驚愕の珍現象! その裏には嫉妬の悪霊マートルの暗躍の影が!

 分からない、一体我々は何時、ホグワーツの影の秘密に触れてしまったのでろうか。あのマートルが一人の女生徒を守護する理由とは!? それともただ単に、そこが恋愛バカの甘酸っぱい告白の巣窟になっているから寄ってきているだけなのか!?

 

 そんな彼女を取り巻く恋の戦線の行方とは!? 現在はそれでもなお、トイレの悪霊に真っ向から立ち向かう勇気と無謀を履き違えた男子生徒が2名いる模様。グリフィンドールの悪戯野郎Aチームこと、チェイサーコンビのジェームズ・ポッターとシリウス・ブラック! 果たして本気でリリーに恋しているのか、それともマートルと戦うために遊び半分でちょっかいかけているだけなのかまるで分からない悪ガキ共の大暴走! 悪霊警報発令! 出てくる人間大体悪党! 止められる奴は誰もいない、いや誰か止めろよ!

 

 以下、来月号へ続く……

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「うーむ、酷すぎる。その一言に尽きますね」

 

 「流石はバーサだわ。温厚柔和なハッフルパフの産んだ異端児にして畸形児と噂されるだけはあるわね。週間魔女の編集者以外の将来がまるで見えないわ」

 

 ホグワーツ校内で発行されている学生新聞を片手に、悪霊たちの夜のお茶会盆踊り。

 

 いやまあ、別に食べるわけでも踊るわけでもなく、いつも通りのんびり駄弁ってるだけなのだけど。

 

 場所については、いつもの事務室の隣に拡張された印刷室。いよいよ事務作業も増えてきたので、印刷関係の仕事場を隣に分離したのである。

 

 ちなみに、これらを手配してくれたのはダンブルドア校長ではなく、シグナス副校長であったりする。戦争で忙しいのは両者同じだけど、騎士団を率いて前線に出る校長と外交内政担当の副校長の仕事の違いがもろに出ている。

 

 そしてこここそが、邪悪な校内新聞が次々に印刷され、悪意も善意も混ぜこんで混沌の渦を作り出していく元凶であった。戦時のプロパガンダにしてもこれほど酷くはなかろうに。

 

 

 「相変わらず脳内麻薬の爆発をそのまま文章にしたような暴走っぷりですが、しかし意外と事実も的確に拾っている部分も見逃せない。特に、バーテミウス・クラウチ・ジュニア氏の情報に関してはかなり重大な事実を含んでいる気もするのですが」

 

 「そういう才能は結構あるのよバーサは。ただ、余りにも真実に近づきすぎて消されなきゃいいんだけどね。ほら、戦争中によくあるじゃない、ジャーナリストの謎の死」

 

 「確かに、特にクラウチ・シニア氏あたりにありそうですね。しかし、普通ならそういった政治に関する疑惑になるはずの情報が、何をどうすればホモ疑惑に繋がるのか」

 

 「あらゆることを薔薇展開に繋げる腐女子特有の思考回路の賜物だわ。なかなかやるじゃない」

 

 「そういえば、貴女も若干腐ってましたね」

 

 「これくらいは少女の嗜み、腐っているうちにも入らないわ。本当の貴腐人ってのは、ハッフルパフの寮憑きゴースト様、“腐った修道女”のことを言うのよ」

 

 「ふむ、寮憑きゴーストの正統後継者と見れば、バーサ・ジョーキンズは秀逸なのでしょうね。この前も副本で“衆道女の教え”なるものを発行されてましたが、あれほど不毛でしょうもない作業もこの世になかなか見られないと思いますよ」

 

 ちなみに、共著は当然のこと“太った修道女”である。

 

 直接印刷機に触れられない彼女のために、ポルターガイストのピーブズが雑用させられ、ノーグレイブ・ダッハウが製本作業を依頼されたのだから間違いない。

 

 ホグワーツ、始まったな。

 

 

 「こうしてゴシップ記事に書かれるようにもなりと、“グリフィンドールの妖精姫”ことリリーさんの三年目の学校生活も波乱万丈になりそうです」

 

 「なかなかやり甲斐のある仕事で燃えてくるわ。何かこう、最近絶好調なのよ、ペチュニアの祈りがアタシに力を与えてくれるのか、鼻垂れ小僧どもを便器に突っ込んだときは心からせいせいしたわ」

 

 ドクズ悪霊が元気になれば、哀れな被害者が次々に生まれる。

 

 風が吹けば桶屋が儲かるではないが、ゴーストなんてのは静かに墓にいるくらいでちょうどよいのかもしれない。

 

 ちなみに、被害者の大半は迂闊にも“妖精姫”をお誘いしようとして、その情熱桃色ラブビームをマートルさんに感知され妨害されたもの。(呪い的ではなく物理的な手段によって)

 

 そして、便器に叩き込まれた二名は、まだまだ恋に疎い上に若干天然気味でもある“妖精姫”の無知につけ込んで、少しばかりの性的な悪戯心を内心に秘めてちょっとしたお願いを計画していたところをマートルさんに見つかり、“助平猿の末路”という張り紙とともに女子トイレに放逐された次第であった、哀れ。

 

 ただまあ、その後通りかかった天使の少女アリアナちゃんに救助され、バブみを感じて恍惚としていた二人は全く懲りていない感じであったが。こいつら、只者ではないぞ、中々に筋の通った変態候補だったらしい。

 

 

 「流石はトイレボッチ、やることが違います」

 

 「グリフィンドールの助平猿にはね、あれくらいでちょうどいいの」

 

 これがハッフルパフ生の純粋無垢な純情からの一世一代の告白であれば、マートルさんとて多少は空気は読む。

 

 しかし、グリフィンドールの生徒は歴代の傾向なのか、ミーハー的な恋愛や煩悩に正直なスケベ根性丸出しも多い。思春期の青春らしいと言えばその通りだが、ホグワーツはあくまで清純な学び舎、性春は許されない。リア充死すべし、慈悲はない。

 

 恋愛はしっかりと、節度を保ってしましょうと、あのマクゴナガル先生だっておっしゃっているのだ。

 

 

 「アリアナちゃんとて万能ではありませんからね。悲しいかな、エロは“不幸な記憶”ばかりではないので、スカート捲りの悪戯の思い出なんかは対象外です」

 

 「やられた女子の“嫌な記憶”は吸い取れるらしいけどね、やった方のエロガキの“幸せな記憶”は吸魂鬼に吸い取らせるのが一番でしょうね」

 

 「実際のところ、イギリス魔法界では性犯罪の再犯率がゼロです。何せ、その手の記憶は全部吸魂鬼の餌ですから。出所したところで二度とやる気も沸いてこない。性犯罪者の更生にはとても優れた制度と言えましょう」

 

 「冤罪の危険性さえなければ、あれもあれで結構良い刑罰になってる部分もあるのよね、アズカバン」

 

 「何事にも良き側面と悪しき側面がありということですね。実際、マグルの刑務制度は性犯罪者の更生が大きな課題となっているそうですし、利点が一切ないアズカバン制度であれば、数百年も長続きすることもなかったでしょう」

 

 色々と問題点は昔から言われているアズカバン制度だが、こと、性犯罪者や女の敵に対する相応しい刑罰としては評価が高い。当然問題点もあり、性犯罪の冤罪は非常に大きな課題ではあるわけだが。

 

 軽い恋の妙薬程度なら許されても、服従の呪文で操ったり、洗脳して手篭めにしたりは重罪であり、アズカバン行きは免れない。

 

 

 「………」

 

 そんな中で、唯一人沈黙を貫くメローピーさん。

 

 

 「いったいどうしましたか、メローピーさん? 聞こえていますか、メローピーさん?」

 

 「何かあったのメローピー? 例え何があってもアタシは貴女の味方よ。性犯罪だけは三歩離れて距離を置くけど」

 

 「……いえ、何でもありません。私のことはお気になさらず」

 

 流石はドクズゴースト。こんな会話は日常茶飯事。やはりまだまだメローピーさんはクズ度が足りていない。

 

 あと、ドクズ悪霊教師は何気に以前のことを根に持っているのかもしれない。流石は悪霊、執念深いぞ。

 

 どこかの純血の家では、蛇語使いの父がイケメンマグル男性を襲ってアズカバン行きとなり、娘が恋の妙薬を飲ましたという極悪非道の案件があったとか。

 

 うんまあ、深くは問うまい。きっと誰も幸せになれないから。

 

 

 

 

 「そういえばこのゴシップ記事、リリーさんに関する話はありますが、セブルス氏に関する記事はまだ載っていませんね。真面目な話、ペチュニアさんからの願いを叶えるとして彼の現状はどうなのです?」

 

 「アイツは根暗で写真映えしないし、根性も歪んでるからねえ。“妖精姫”と幼馴染ってのは結構知られているみたいだけど、今のスリザリンじゃ決して喜ばれる要素でもないし。なんか微妙な感じで孤立気味みたいよ、ペチュニアは喜ぶでしょうけど」

 

 戦争もそろそろ4年目に入り、純血名家の政治バランスも崩れつつある。

 

 小競り合いの時期は終わり、いよいよ本格的な武力衝突が始まるのではと囁かれる昨今。マグル生まれの少女と幼馴染であることは、スリザリンの主流派である死喰い人予備軍からは疎まれることを意味する。

 

 死喰い人予備軍に対して校内の対抗軸の最有力が“悪戯仕掛け人”であり、今や彼らの勇名はグリフィンドールのみならず、ハッフルパフやレイブンクローにも広まりつつある。

 

 

 「ふむ、死喰い人予備軍で有名所と言えば、5年生の兄アレクトと4年生の妹アミカスの“カロー兄妹”、同じく4年生のカーレル・マルシベールとアンドリュー・ジャグソン、それと、2年生のレギュラス・アークタルス・ブラックといったところですが。確か、セブルス氏はマルシベールと親しかったですね」

 

 「そこがアイツの馬鹿なところね。マルシベールなんてコテコテの純血思想で、このマートルさんを“不快な害虫”呼ばわりしてくる程のマグル嫌いよ。あんなのと親しくしてる奴をリリーに近づけることを、ペチュニアが許すことは万が一にもありえないわ」

 

 「……“不快な害虫”と呼んでいる生徒は、スリザリン以外にも」

 

 「何か言ったかしらメローピー?」

 

 「いえ何も。マートル先輩はいつもお綺麗ですわ」

 

 徐々に大人の汚さを身に着けつつあるメローピーさん。大人になるって、悲しいことなのさ。

 

 

 「対抗軸であるジェームズやシリウスのことは大嫌いでしょっちゅうぶつかってるから、他の三寮からは“死喰い人派”だと見られている。実際、レギュラスの奴もシリウス憎しだからセブルスと話が合う部分もあるみたいね」

 

 「にもかかわらず、リリーさんとも仲良くもしたいというのは、確かに“中途半端”の誹りは免れませんね。それをしたくばシグナス副校長の“中立派”に己を置き、ブラックの兄弟の対立を調停する立場を選ぶ必要がありますが、獅子寮のチェイサーコンビ憎し故にそれもできない。これはいけません、蝙蝠扱いされる典型です」

 

 一般的な人間心理として、複数の陣営、それも対立する両方に良い顔をしようとする者のことをあまり信用しようとは思わない。

 

 その根底にあるのは不安であり、自分の嫌いな奴とツルンでるアイツは、いつか裏切るかもしれないという不信感が拭えなくなる。そんな人物を徹底して信じるのはダンブルドアくらいのものだ。

 

 平時ならばいざ知らず、戦時中となれば“色分け”は尚更重要な要素となってくるものだから。

 

 

 「ルシウス・マルフォイが卒業しちゃったなら尚更にね。だから馬鹿なのよアイツは。それも、自分は頭が良いと思い込んでる典型的な阿呆だわ。世のなか間抜けが多いんだから、“複雑な事情のある奴”のことなんて斟酌してくれないのよ」

 

 「なまじ自分は頭が良く、周囲には愚者が多いと思ってはいる。しかし、“愚者が何を思い、どのように行動するか”に考えが及ばずに孤立し立場を弱くするならば、その人間は本当に頭の良い智者と言えるのか? 別の言い方をすれば、頭は良くともそれを実践で使いこなせていない。ありふれていますね、おもしろくありません」

 

 少年の人間関係に面白さを求めるな悪霊。

 

 セブルス・スネイプの事情は複雑であり、彼の精神もまた“捻じくれた”とも表現できる複雑さを持っている。もっともそこは彼の性格だけに起因するものでもないが。

 

 彼ほどの頭脳明晰さがあれば推察できる事情かもしれないが、そうした者は多くはなく、ましてスネイプという男を知るためにその明晰さを使うかどうかは別問題だ。なおかつ彼はお世辞にも愛想は良くない。

 

 結果として、スネイプは周囲を頭の悪い考えなしと決めつけ、周囲はそれ故に彼をへそ曲がりの蝙蝠と排斥する悪循環が生じる。

 

 マートル・ウォーレンにとって見れば、自身の在学中も含め、実に見慣れた展開ではある。

 

 

 「コンプレックスから来る歪んだ自尊心が空回りする駄目な例ね。自分は馬鹿な連中とは違うと孤高なんか気取ってるから周りが全く見えなくなるのよ」

 

 「少しは子供らしく悪戯や馬鹿騒ぎを楽しんだほうが、心のゆとりも、周囲を見る余裕も生まれるというもの。何事も根を詰め過ぎては視野狭窄に陥ります」

 

 「その傾向は前からあったらしいわね。ホグワーツに来る前からペチュニアを“アイツはマグルだ、僕らとは違う”なんてリリーに言って馬鹿にしてるから嫌われるってのに。最近ちょっと悪化してるみたいだわ」

 

 と同時に、セブルス・スネイプには自分の主観で他人を決め付けてしまう悪癖があると、ペチュニアからの手紙で嫌になるほどマートルさんは聞いている。

 

 それ自体は多かれ少なかれ、どの人間にもあることだが、彼は自分にとって好ましくない人間に嫌味な主観を被せ、それを真実と思い込んだ上で他人にまで吹聴してしまう部分があり、最もペチュニアに嫌われる要因となっている。

 

 “セブルスから見た歪んだフィルターのかかったペチュニア像”を他人に、ましてやリリーに吹き込むとあらば、ペチュニアが誰よりもセブルスを嫌うのは無理なきことだった。

 

 

 「そこについては出自の呪いもありましょう。彼の家は“スピナーズ・エンド”だったはずですが、恵まれた家庭環境とは言い難かったようで、孤独から己の心を守るために自尊心と孤高を求め、それらが過ぎると集団における他人との壁に転じてしまう。人間の精神上、よく聞くパターンです。おもしろくありません」

 

 少年の精神状態に面白さを求めるな悪霊。だからお前はドクズなんだ。

 

 人の心は十人十色ではあるが、それでもある程度のパターン分けは出来なくはない。

 

 マグル生まれでボッチトイレだったマートルさんにしても、根底が歪まずに済んだのは両親の愛に恵まれていた部分が大きい。

 

 逆にセブルス・スネイプの場合、両親に全く頼れない故に、己の力と才能を信じる心を強めようと決心しているわけだが。

 

 

 「お家の不幸自慢を競ったところで、それこそメローピーに勝てるはずもないでしょうが。例のアイリーン・プリンスにしても、名家を棄ててマグル男と駆け落ちしたのは自分の判断なわけで。ホグワーツに通わせてももらえないまま糞家族がアズカバン行きになったわけじゃないんだから」

 

 「母親の姓がプリンスであることも加え、最近は“半純血のプリンス”とスリザリン内部では名乗っているみたいですが。この素晴らしきネーミングセンス、どう思いますメローピーさん?」

 

 「ええ、とっても良い名前だと思います。やっぱりセブ君にはキラリと光るセンスを感じますわ」

 

 その言葉はおもねりではない。メローピーさん真実の心からのものであった。

 

 であるだけに、根が深い問題であった。やはりゴーントの血筋なのか、メローピーさんから始まった呪いであるのか。

 

 

 「流石はリドル先輩のお母さんだわ」

 

 「遺伝、というものの業の深さを感じさせられますね。何だかんだでセブルス・スネイプ少年は、トム・リドル氏と近いところがあるようで」

 

 「それって性格が良いのかしら? 悪いのかしら?」

 

 「悪いんじゃないですかね、何せ、メローピーさんの遺伝子ですから」

 

 性格の悪いゴーストは、性格の悪い人間を嗅ぎ分けるという。

 

 これもまた、仲間探しの一環と言えるかもしれない。

 

 リドルさん、どうか強く生きてください。(時既に遅し)

 

 

 「まあメローピーさんはともかくとして、セブルス氏については少し手を打つ必要がありそうですね。ペチュニアさんからの依頼は要約すれば“リリーさんの幸せ”ですから。彼が捻じくれ、歪んだ自尊心に染まり、他人に嫌味を吐くばかりで何も出来ない、大切な女も守れないダメ男に落ちていくことは決して彼女の望むところではないでしょう」

 

 「まあそれはそうよね。アタシ個人としてはセブルスが本当のマダオに堕ちようがどうでもいいけど、もしアイツがリリーちゃんに“穢れた血”なんて言おうものなら絶対にすっごく傷つくからねあの子」

 

 「一度そうなってしまっては、アリアナちゃんといえども傷を塞ぐのは無理でしょう。嫌な思い出を吸い出したところで、忘却術をかけたわけではありませんし、それに忘却術とて“暴言を吐いた”事実を消却してくれるわけでもない」

 

 「言葉についた傷は消えない、とはよく言ったものよね。あーやだやだ、アタシは嫉妬のゴーストだけど、そういうジメジメしたトイレ臭い人間の心は嫌いなの。もっとからっと爽やかに、ドクズな感じでさっぱりいかないとね」

 

 「爽やかなクズとは言い得て妙ですね、今後の我々を定義する上での指標にしましょうか」

 

 悪霊集団の新たなスローガンが決定、“爽やかなクズ”

 

 そしてならばこそ、こういうジメジメとした人間関係を打破するために、ドクズゴーストがやることは常に一つ。

 

 

 「やはりここは、ショック療法が一番ですかね」

 

 「さてさて~、どうやって料理してあげようかしらねえ、セブルス・スネイプ。くっくっく、その点についてはグリフィンドールの馬鹿達も色々と使いようがあるわ」

 

 人間関係の些細な諍いなど、馬鹿らしくなるほどの“大騒ぎ”をぶつけること。

 

 陽気に楽しく、より面白く、洒落にならないからこそ後世に残る規模で。

 

 

 「ムーディVSロジエール方式、ドロホフ大炎上方式、スクリムジョールVSロドルファス方式、モリーちゃんVSベラちゃん方式と、選り取り見取りですね」

 

 「でもまあここはやっぱり、ゴーストらしく行くわ。そうと決まれば準備準備よ、貴女も手伝ってねメローピー」

 

 さあ、悪巧みの始まりだ。

 

 




次次回あたり、セブルス君がえらい目に遭います
次の話は今回の補足というか、少しシリアスめになるかも


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7話 幽冥の死者たちはかく語る

今回はちょっとした説明会
いつの間にかこの章の主人公がマートルさんになっていた不思議


親愛なるペチュニアへ

 

 こんにちわ。今日はいつもとは少し違って真面目なノリの話になるのだけど、良いかしら?

 といってもまあ、手紙なので一方的に書き綴ることになるのですが、雰囲気作りみたいなものね。

 

 夏休みも終わって新学期が始まり、あの小さなリリーちゃんも三年生になって、“グリフィンドールの妖精姫”と呼ばれるようになってきたわ。そろそろ淑女の嗜みも覚え始める頃でしょうし、リリーちゃん自身が恋の感情に芽生えることもあるでしょう。

 

 そうなってくると、ある種幸せの障害にもなってしまうのが人間関係の変化というものよね。これまでは小さな家族と周囲だけを見ていれば良かったリリーちゃんだけど、あの子の美貌と魔法の才能と、何よりも人柄とその強い意志が、彼女をただの一般人に留まることを許してはくれないと思います。善かれ悪しかれ、彼女はグリフィンドールの人間関係の中心に、さらにはホグワーツの人間関係の中心にすらなるかもしれない。

 

 彼女が今より大きくなって、子供らしい要素と淑女らしい要素を兼ね備えるようになればなるほど、人間の複雑さというか、一言では割り切れないしがらみに囚われる可能性は大きくなる。もし仮にそうなった場合、幼かった純粋な彼女を一番知る人物、つまりはセブルス・スネイプとの溝が一番多くなると私は思うの。

 多分、貴女が思う以上に多くの人間が、あの子を愛し、あの子に愛されたいと願うでしょう。でも、リリーはあくまで一人だけ。彼女が人間である以上、彼女の一番になれる人間は一人だけで、今は間違いなくペチュニア、貴女なのでしょうけれど。

 

 うん、ここから先は貴女の機嫌を損ねるかもしれないけどあえて書くわ。リリーの愛を一番に得られる人間が、今後もずっと貴女であるとは限らない。それは今から十分に心がけておいて。

 セブルスはきっと、リリーに自分だけを見て欲しいと願う。他は何もいらないから、リリーさえいればと。でも、それは絶対に叶わない妄想よ。だって、私みたいな根暗ボッチなら私なんかを愛する奇特な人間だけに全ての愛は返されるけれど、リリーを愛する人はたーくさんいるの。ちょっと寂しい事実だけど、周囲から見れば“分際を弁えろセブルス、彼女はお前なんかに相応しくない”としか思われないでしょうね。特に、ジェームズやシリウスあたりからは確実に。

 

 それはきっとペチュニア、貴女が一番理解できる苦しみであるでしょう。リリーの愛を独占したい、でも、妖精のような彼女はたくさんのものを愛して、何処かに行ってしまう。彼女を愛せば愛するほど、彼女の一番になれない苦しみはどうにもならない。

 

 だからねペチュニア、老婆心というわけではないのだけど、悪霊らしく私はちょっかいを掛けてみようと思うの。まずはいつものような拷問めいた悪戯から始まるでしょうけど、やがては刃で心を抉るように、セブルス・スネイプに破滅の未来を突きつける、今のお前はリリーに愛される資格などないと断罪するでしょう。ふふ、神様気取りの傲慢ね。

 

 ねえペチュニア、貴女はそれを私に望むかしら?

 私はあくまでホグワーツの幽霊だから、本当に深い部分では生徒には関われない。死者は生者に関わってはいけないの。

 だから、悪霊が真に生者と関わるとしたら、“言霊”を伝えることだけよ。

 嘆きのマートルの言葉を聞くのは、ペチュニア・エバンズ唯一人で、貴女だけが私の行動を生者のそれにしてくれる。

 

 私はリリーの周囲の状況の変化を、人間関係と彼女自身の心の変化を貴女に伝える。

 貴女はリリーの姉だから、家族として手紙は出せる。けれど、セブルスに言葉を伝える手段を持たないわ。彼は魔法使いで、貴女はマグルだから。

 

 それでも、ここは境界線のホグワーツ。祈りは言葉となって、境界線を越えて必ず届くわ。

 

 彼に言ってやりたい想いを、私に教えて。どうしても私の主観も混ざってしまうでしょうけれど、絶対にきちんと伝えるから。

 どんな些細な言葉でもいいから、ペチュニア・エバンズから、セブルス・スネイプへ届けたい気持ちを、ぶつけたい憤りを、託したい願いを。

 貴女の心を、私は知りたい。

 

 

 マートル・エリザベス・ウォーレンより

 

 

 

 

 

親愛なるマートル

 

 迷惑を掛けて申し訳ありません、そして、ありがとうと言わせてマートル。

 正直、貴女からの手紙を読んで、自分の気持ちを整理しきれていないわ。夏休みにリリーが帰ってきて、楽しそうにホグワーツの話をしてくれるのだけど。

 

 うん、ええ、どうしても、思ってはいけない気持ちも湧き上がるの。そんな自分が嫌でどれだけ自己嫌悪しても、止めることはできないの。

 パパに褒められるリリー、ママに抱きしめられるリリー。自慢のリリー、愛らしいリリー、私の自慢の可愛い妹。

 

 誰もがリリーに夢中なの、昔からそうだった、パパもママもそうなのよ。決して、私ではないの。綺麗じゃないペチュニア、愛らしくなんてないペチュニア。

 きっとパパもママも、私のことなんてどうでもいいと思ってる。必要なのは、リリーだけだって。そんな、ろくでなしな考えを持ってしまうから私は私が嫌いになる。

 あの子が生まれたその日から、私は誰の一番にもなれたことなんてありはしない。ああ、あの子なんていなければ……

 そんな醜い私に、恐ろしいことを考えてしまう自分に、嫉妬に狂った酷い姉に、いつかあの子も愛想を尽かして去ってしまうのではないだろうか。

 

 ペチュニアは父や母の一番ではないし、やがてはリリーの一番ですらなくなってしまう。その時が来るのが、私は何よりも恐ろしい。一年が過ぎて、リリーが大人になっていくことがこんなに怖いだなんて思わなかった。

 この思いを抱えたままだったら、いつか私は本当にリリーを憎んでいてしまっていたかもしれません。もしそうなった自分は、とっても醜い女になっていくのが分かるわ。

 

 でもねマートル、これだけは言わせて、貴女に出逢えて本当に良かった。貴女からの手紙を読んで、本当に涙が出たの。

 貴女にとって、リリーは一番じゃない。他のたくさんいる生徒と同じ、ただの女の子。

 貴女がリリーに関わるのは、私がリリーを大切に思っているから、今回セブルスに関わるのも、私の言葉を伝えるために。

 

 ペチュニア・エバンズこそが私の唯一だと、マートル・ウォーレンだけが言ってくれたの。

 

 だからもう、私はきっと迷わずにいられるわ。リリーのことが大好きで、ちょっぴり妬んで、少し嫌って、それでも愛して。きっと何時までも、仲の良い姉妹のままでいられるから。

 セブルスのことは、貴女に委ねます。私がセブルスをどう思っているか、私自身にすら分からない部分が多すぎて、アイツを殴ってやりたいのか、同情しているのか、同じ苦しみを抱える理解者だと思っているのか、全然わからない。

 

 でも、今なら一つだけ言えるわ。私とアイツは同じじゃないし、私はアイツみたいに無様に捻じくれたり、とち狂ってリリーに暴言を吐いたりなんかもしない。

 だってアイツにはマートルがいなくて、私には貴女がいてくれるのだから。

 

 私が一番信頼する貴女に、リリーとセブルスのことは全て任せます。貴女の行動こそが、“ホグワーツのペチュニア”の行動だと言ってあげて。

 

 

 ペチュニア・エバンズより   我が親友、マートル・ウォーレンへ

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「おお、マートルさんが燃えています。嫉妬のオーラではない、悪霊にあるまじき聖なるオーラが包み込む。そう、あれではまるでアリアナちゃんではありませんか」

 

 「なんかこう、話しかけづらい雰囲気ですね」

 

 事務室の隣に新設された印刷室にて。

 

 届いたばかりの返事の手紙を読んだ体制のまま、凄まじいオーラを放っているマートルさんを遠巻きに眺めつつ、残る悪霊二人は傍観者の体で成り行きを見ていた。

 

 

 「まあ、それでいいんじゃないですかね。こうなった以上は助言すらも無粋というもの。リリー・エバンズとセブルス・スネイプの関係がどうなるかについては、全てマートルさんに委ねられたということです」

 

 「凄いです。そしてちょっぴり、羨ましい」

 

 「そこは正直でよろしい。ゴーストとは生前の妄念の残留したものなれば、当然の感想と言えましょう。生きた人間の思いを託されることは、そうそうあることではありませんしね」

 

 「ダッハウ先生は、違うのですか?」

 

 「私は人であったことがありませんからね。メローピーさんやマートルさんのような正統派のゴーストとは大分違いますし、アリアナちゃんと比べてすら私はなおも異形だ。基本的にはこの世界に有り得て良い存在ではなく、矛盾した異物のようなものでしょう」

 

 境界線を越えて、伝わる想いが物語を紡ぐのであれば。

 

 ノーグレイブ・ダッハウを形作る物語とは、何処から境界線を越えてやってきて、誰が何を思って願った祈りであるのか。

 

 それはまだ、誰にも分からない。その答えとなる者は、未だ生まれてすらいないのだから。

 

 

 「異物、ですか? それはいったい……」

 

 「まあ、私に関することはどうでも良いでしょう。例えどういう因果があろうとも、ここに居る私はただ歴史を観測するだけ、その行動に変化が出るわけではないのですから」

 

 「そういう、ものなんですか?」

 

 「自分を形作る妄念のベクトルを知る必要がなく、己のルーツを定義することにさしたる意味がない。そこがまあ、普通のゴーストとの違いなのです」

 

 「はぁ…。で、でも、あのマートルさんの状態は“普通のゴースト”じゃあないと思うのですけれど」

 

 「実際、珍しいことではあるでしょうね。ホグワーツに居るわけでもない遠く離れた人間、それも今の時代に生まれた年若いマグルの少女の信頼と絆を、何十年も前からいるゴーストが勝ち取るというのは。これだから、歴史というものは面白い」

 

 ホグワーツの歴史の観測者、時計塔の悪霊こと、ノーグレイブ・ダッハウをして。

 

 マートル・ウォーレンとペチュニア・エバンズの物語については、予想を遥かに上回る歴史群像として動き始めている。

 

 ならば最早、俯瞰する視点しか持たぬ観測者が余計な茶々を入れるべきではない。

 

 その行動の結果が、どのような結末になろうとも、それは今を生きる者達が決めること。

 

 

 

 「まあ、余計な茶々を入れるつもりはありませんが、それなりに長い付き合いですので老婆心ながらも一応は確認しておきましょう」

 

 「?」

 

 謎めいた言葉を残してノーグレイブ・ダッハウは、マートル・ウォーレンへと語りかける。

 

 普段の謎の道化めいた言い回しと異なり、どこか真剣味を感じさせるような雰囲気で。

 

 

 「レディ・マートル。貴女は己が何者であるかをしっかりと自覚できておりますか?」

 

 「委細正確に、私は嘆きのマートル。スリザリンの継承者によって殺された亡霊、穢れた血と呼ばれた少女の残留思念。私の慚愧は死したその時にあり、孤独を悲しみ生者を羨む。その嫉妬の念こそが私を私たらしめる縁でありましょう。相違なきや? 時計塔の悪霊よ」

 

 「違わず、照合結果に誤りなし。クロノスの時計は貴女をマートル・エリザベス・ウォーレンと観測しました。今後もホグワーツの霊魂として理に則った在り方を期待します。偉大なる創始者達の名の下に」

 

 「必ずや、期待には応えましょう。我が叡智の塔、レイブンクローの名にかけて」

 

 時計塔の悪霊は観測する、ノーグレイブ・ダッハウは遍在する。

 

 破局の魔女は嫉妬する、マートル・ウォーレンは友誼を求めた。

 

 

 「ならばよしです。その自覚が薄れていないならば、残念ながら貴女の成仏の時は遠いようですね」

 

 「あら? 何時ものように事務労働力を探す必要がなくなって喜ばしいと言ってくれないのかしら」

 

 「それも時と場合によりましょう」

 

 「らしくない? いいえ、アンタの場合はこれでむしろ何時の通りなのかしらね」

 

 そして後はいつもの通りに。幽霊たちは陽気に笑う。

 

 

 「ええっと、今のは?」

 

 「ふむ、正確に説明する言葉を生憎と持たないのですが、例えて言うなら健康診断のようなものです。亡霊が生者の願いに応じて動くというのは、己の存在定義に大きな影響を与える可能性がありますから」

 

 「それじゃあ分かりにくいでしょうが。えっと、要するにアタシがペチュニアからの手紙を受け取って、見守るだけだったこれまでとは違って本格的にリリーちゃんのために動くってのは、有り体に言って一つのタブーを超えるってことなの」

 

 「タブー? それは、私達ゴーストが生徒に必要以上に関わることが、ですか?」

 

 「その境界線もまた、何とも難しい定義ではあるのですが、概ねその認識で構いません。何気ない会話や必要とされる連絡事項、悩み相談程度などの“生徒からのアクションに応える”ものは禁を踏むことにはなりませんが、ゴースト側から個人的に接触するとなれば話は別です」

 

 このホグワーツには何百という幽霊が存在してはおり、あらゆる事情に通じてはいるが。

 

 生徒の心の中や、個人に大きく関わる領域に踏み込むことは、まずないと言って良い。それが幽霊の持つ“盟約”というものだから。

 

 

 「寮憑きゴーストでさえも、生徒に必要以上に関わることは職分を越えてしまいます。裏側管理人であり、魔法史教師である私は実務面からも生徒に関わる立場にありますが、マートルさんは事務員であり生徒と直接的に関わる“縁”を持ちません」

 

 「ただし、シグナスみたいに生前から知っていたら話は別よ。メローピーの場合はリドル先輩とかが該当するわね」

 

 「マートルさんがよくシグナス副校長の執務室で遊んでいるのはそういう縁があるからですね。これらをあえて“ルール”と呼ぶならば、嫉妬心に基づいてカップルやイケメン、リア充を妨害する場合においてのみ、嘆きのマートルは自発的に生徒へ干渉することが出来る」

 

 「以前、トイレの便器にグリフィンドールの生徒をぶち込んだものそういうことね。邪な意図があったかはともかくとして、恋愛脳爆発でリリーちゃんを誘おうとしている生徒に対して、嫉妬の悪霊が取り憑くってのは“物語の図式”に嵌っているわけよ」

 

 なぜならば、ホグワーツの生徒達が、破局の魔女マートルとはそういう存在だと承知しているから。

 

 縁があるからこそ、それを辿ってマートルは現れる。他ならぬ本人たちが、“こんなとこが見つかったら、マートルが来るかも”と思ってしまえば尚更に。

 

 

 「今後、メローピーさんが生徒により関わっていくならば、“重い女メローピー”という物語をホグワーツの生徒が知り、彼ら彼女らが貴女をそういうものであると認識する必要があります。“首なしニック”しかり、“太った修道女”しかり、“灰色のレディ”しかり、“気高き男爵”しかり、彼らが名前ではなく異名で呼ばれるのもある種の相互認識に基づいた盟約と言えるわけです」

 

 「そうした意味では、リーマスは記念すべき一人目ね。彼の口からメローピーの噂が広まっていけば、重い身の上話をしてると、重い過去をもった未亡人のゴーストが現れるって皆が思うようになれば、きっと貴女も“引き寄せられて”行くわ」

 

 ホグワーツで発生したゴーストならば本能的に知るそれらだが、メローピーさんは外から引かれてきた外様であり、自我を持ったのも割と最近。

 

 彼女とてぼんやりと暗黙のルールらしきものは承知していたが、改めてこうして説明されるのは初めてであった。

 

 

 「なんとなく、分かったような気がします。でもそうなると、アリアナちゃんは“普通のゴースト”とは違うのですね?」

 

 「その通りです。彼女の出自は謎の時計塔たる“クロノスの時計”に関わるものであり、さらに言えば、彼女は恐らく厳密には完全な死者ではない。亡霊でありながらも、生霊に近い属性も持っていますからね、でなくば微々たる速度であっても成長することなどありえませんし」

 

 「まあアリアナちゃんとコイツは別枠としても、ホグワーツの普通の幽霊ってのは大体そんな感じね。アタシやこの屑ほど知名度があれば何処にだって行けるけど。何百という幽霊の大半は余程縁のある存在以外とは接触すらしないのが常なの」

 

 例えばそう、絶命日パーティに参加して知り合ったとか。

 

 あるいは、強大な闇の怪物にゴーストもろとも襲われたとか。

 

 そういった“縁”のきっかけとなる出来事があって初めて、ゴーストと生徒は強い関わりを持ち始める。

 

 

 「嫉妬の悪霊、破局の魔女こそがマートルである。これが一種の相互認識の“盟約”として機能し、今のマートルさんはここにある。ならばこそ、彼女がペチュニア・エバンズの願いに応じて動くならば、リリー・エバンズの背後霊にジョブチェンジすることを意味します」

 

 深い知り合いではない多数の生徒から、“マートルはリア充を嗅ぎつけて現れる嫉妬悪霊だ”と定義されるか。

 

 深い縁を持ち、手紙で結びつくただ一人のマグルの少女から、“マートルは私の代わりに妹を守ってくれる背後霊だ”と定義されるか。

 

 リリーの背後霊の属性を高めるということは、嫉妬の悪霊の側面を弱めることを意味する。要は、行動の優先順位が多少変わる程度ではあるが。

 

 

 「当然ですが、そうした事例では時に人格に混同が見られることもあります。妹を想うペチュニアさんの“分霊”なのか、マートル・ウォーレンという亡霊なのかの境界が曖昧になることによって。そして、そうした生者との関わりによって未練を晴らしたゴーストは、成仏していくのです」

 

 「そういう生者との縁がないまま、何百年もゴーストやってる例もあるし。このホグワーツに残っている創始者時代の幽霊の中には、別の事情や魔法契約で縛られているタイプもいるから、一概には言えないのだけどね」

 

 「“契約しよう、我が死後を預ける。その対価、ここに貰い受けたい”というやつですね。生前にホグワーツから多大な恩恵を受ける契約を結んでいたが故に、死後にその負債を返すという天秤の魔法。ヘレナ校長などはロウェナ・レイブンクローの叡智の髪飾りを盗んでしまうという大罪持ちですから、まあ、お母様への不孝娘のけじめというものですかね」

 

 「ともあれ、さっきのコイツの忠告めいた言葉はそういう意味よ。幽霊にとって、理解者となる生者が現れるのはむしろ幸運なんだから喜ぶのが普通よ」

 

 「そんなものですかねえ」

 

 「ちなみにコイツはそっちの方面でも例外。人として生きたことがないことに加えて、まあよく分からない事情が色々とごっちゃになってる奴だから」

 

 とはいえ、悪霊教師はまた今回のことをきっかけに彼女が成仏することがあり得ないとも知っている。

 

 マートル・ウォーレンをこのホグワーツに、より正確にはあのトイレに縛り付ける力は、非常に強く、強固な呪いだ。

 

 それを薄々察してはいても、口には出せない。そういう盟約だ。

 

 サラザール・スリザリンはこの城の主人の一人であり、その意には逆らえない。ゴーストはあくまで、この城の付属物だから。

 

 ここは境界線のホグワーツ、魔法の城のホグワーツ。

 

 不思議があるから、魔法は神秘に満ちていられる。暴かれた秘密は最早公然の事実となってしまう。

 

 

 「なるほど、ありがとうございました先輩方。何かこう、わたくしがこれからどうしていけばいいか、朧げながら見えてきたような気もします」

 

 「それは結構なことです、頑張ってください、メローピーさん」

 

 「貴女も頑張るのよ、メローピー」

 

 「はい!」

 

 両手でガッツポーズするように、頑張ります! と全身で表現するメローピーさん。

 

 それを応援する先輩二人という和やかな光景ではあるのだが、珍しく真面目な話をしていたためか、失念していたらしい。

 

 メローピー・ゴーントという女性は、善意で頑張れば頑張るほど、割と“やらかしてしまう”タイプの生前を持っており。

 

 彼女が彼女なりに頑張るということが、いったいどういう結果をもたらすのか。

 

 

 

 「ゴーストの成仏というもの、生者との関わりは実に奥の深いテーマです。魔法史の講義でも時々取り上げる議題でもありますが、ことにホグワーツは幽霊において一種の聖域とも呼べます」

 

 「何だかんだで、こんなにゴーストがいる場所なんて他に滅多にないしね」

 

 そもそもからして、ホグワーツという魔法の城そのものが“幽界”の側面を持つ。

 

 境界線のホグワーツは、魔法界の都市部と辺境の境界線であり、子供と大人の境界線であり、生と死の境界線でもある。

 

 死の飛翔を名乗ったとある男が、ホグワーツに拘るのものその辺りに理由があるだろう。

 

 

 「ついでながらの話ですが、組み分け帽子はホグワーツの頭脳であり、我々ゴーストの観測情報は彼へと集約される仕組みにもなっています。もっともこれは、絵画や肖像画、石像や鎧など、ホグワーツ特急すらも含めたあらゆる備品にも言えることですがね」

 

 「そうした意味ではプライバシーなんて、ほんとにまるっきりないのよこの城は。なんたって、特急の中の行動も含めて組分けはされるんだから」

 

 東洋の死後裁判にも似て、キングス・クロス駅を“現世側の出発点”として、魔法の列車に乗り込んだ生徒達は、幽霊たちの跋扈する幽冥のホグワーツへ。

 

 そこで、コンパートメントの中での行動や、培った縁、血筋、様々なものを判定された上で、行くべきコミューンへと選別される。

 

 それまでの行動、さまざまな業を判別し、行くべき地獄を定める“冥府の裁判”という物語にあやかった部分もある。

 

 その本質は、“どの寮で七年間を過ごすべきか”よりもむしろ、“死後どの寮の幽霊になるべきか”を判別するものとも言えるだろう。

 

 エジプトの神話しかり、メソポタミアの神話しかり、とても古い魔法の頃からある概念故に、形を変えて現代にも伝わっていく冥界の物語があるのだから。

 

 だからこそ、裁判長のように校長先生が座って、全ての先生と生徒が見ている中で、ある種の裁きを待つ被告席のように椅子に座って組分け帽子の判決に従う。

 

 

 「入学の手紙が届いて“縁”が成り立ち、実際に魔法の城に足を踏み入れるまでの一連全てが“魔法の儀式”であり、死後裁判にもなぞらえた組分けの儀礼ということですね。我々ゴーストは存在するだけでも、こちらを“死者の領域”とすることに一役買っているわけですよ」

 

 「だから、あらゆることには“縁”があって、意味があるわ。アタシがトイレの悪霊になったのも、貴女がリドル先輩を探してここへ来たことも、アリアナちゃんが現れたことも。そして、こうしてペチュニアとの縁が、アタシをリリーちゃんの背後霊に変えたりね」

 

 「背後霊とはいうものの、常に後ろにいるわけでもなく。さらに言えば彼女が卒業するまでの数年間限定のものでしょうが、それでも珍しい現象なのは事実です。面白い、大いに面白くて結構です。やはり、あの悪戯四人組とリリー嬢を巡る物語は“当たり”のようです、しっかりと記録せねば」

 

 何時ものように、生徒の事情に歴史的な面白さを求める悪霊教師の言葉を聞き流しながら。

 

 幽冥の魔法の城において、亡霊たちはかく語る。

 

 

 ここは、境界線のホグワーツ、不思議の国のホグワーツ。

 

 

 来るのは簡単、帰りは怖い。招かれざる客はお断り。

 

 運良くお招きに与れたなら、死後も続けて楽しみましょう。

 

 さあさあ、子供たちもご笑覧くださいな。

 

 きっと物悲しい終わりにだけはなりませんから、ご安心してお楽しみに。 

 

 

 



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8話 破局の魔女の奸計

悲報 セブルス君がえらい目に遭いました


バーサ・ジョーキンズの校内新聞 【月刊少女ホグワーツ】より

 

 

 緊急スクープ! セブルス・スネイプ特派員が解き明かした“叫ばれない屋敷”の謎に迫る! 特派員が体験した世にも奇妙な冒険とは!

 

 皆さんこんばんわ、バーサ・ジョーキンズです。

 今回はいつものノリとは違い、秘境に挑む探検隊のノリで実況していきたいと思います。

 ええ、そうです。皆さんも御存知のこの私が、です。それだけで、どれほどおぞましく名状し難い悪夢に出会ったかを物語るというものでしょう。

 

 ことの発端は、スリザリンの三年生、セブルス・スネイプ氏からの調査の依頼でした。

 かのグリフィンドールの妖精姫こと、リリー・エバンズにまたしてもジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック両名がアプローチをかけ、嘆きのマートルと激戦をやらかしたという記事は、前々回の通りです。

 しかし、悪戯仕掛け四人衆と熾烈な激闘を繰り広げるスリザリンからするとまた別の物が見えたらしく、セブルス・スネイプ氏はそもそもなぜ、あそこまで悪霊共が生徒に絡んでくるのかを疑問に持ちました。そこには、何かホグワーツの重大な秘密があるのではないかと……

 

 そこで急遽、ハッフルパフとスリザリンの連合チーム(二名)にて、月に一度か二度行われるという悪霊たちの饗宴、“叫ばれない屋敷”で行われる謎の催しについて調べることとしたのです。

 先生に見つかり、罰則を受ける恐怖をものともせず、魔法史の教師の引率を受けながら危険な夜のホグワーツを徘徊すること幾星霜。

 

 

 我々はついに! ゴースト達の集う夜のホグワーツ、“夜間学校”なる存在を突き止めるに至ったのです!

 

 

 その危険な旅の過程には、恐ろしき罠と数多の怪物が待ち受けており、セブルス・スネイプ特派員の尊き犠牲もありました。

 ピカッピカに磨かれた髑髏、なぜか尻尾から落ちてくる蛇、マスコットのタランチュラ、なぜかじっとしている毒蠍。

 屋敷へ通じる地下通路を歩くうちに聞こえてくる不気味な声、首と血を求めるギロチンのリフレイン。

 なぜか響き渡るバイクの音、どういうわけか走ってくるフォルクスワーゲン、入り口の前に鎮座している電気椅子。

 

 そう、そこには、我々の常識を遥かに超える異界が横たわっていたのです……

 

 残念ながら、我々の意識はそこで途絶え、あの扉の先にどれほどの魔境が待ち受けていたのか、知る者はおりません。

 我々に出来ることはただ、セブルス・スネイプ特派員の尊き犠牲に報いるため、何時の日か必ずやあの魔の館の全貌を暴き出すこと。

 

 そのためにも、ホグワーツの皆さんの協力が是非とも必要なのです。

 この勇気ある探索の力を貸してくださる皆様、どうか、各々の恥ずかしい黒歴史の物語を目安箱に投函くださいますように。

 皆様の物語は価値ある力となり、悪霊教師への賄賂となりて、我々に真実の扉を垣間見させてくれることでしょう……

 

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 

 「いやまあ、中々に愉快な大騒動でしたね。間一髪で助かりましたが、下手をするとセブルス氏はゴーストの仲間入りを果たしておりましたやも」

 

 「カッとなってやった。でも反省はしていない」

 

 「流石はドクズ悪霊のマートルさん」

 

 「ま、アタシは唆しただけで、敵意と歪んだ認識だけで勝手に突っ込んだのはセブルスの責任よ。バーサまでくっついてきたのはちょっと予想外だったけど」

 

 例によって例のごとく、あまりにも酷い記事を次々と量産している事務室の横の印刷室にて、嗤うドクズ悪霊が二匹と、まだ良識を持ち合わせている一名。

 

 悪霊曰く、“ショック療法”、“何時ものやり方”が猛威をふるった結果、何が起こったかは記事の内容からお察しいただきたい。

 

 いや本当に、詳しく説明するとSAN値がゴリゴリ削られていくこと間違いなかった。

 

 

 「あの、ダッハウ先生? この記事の途中に何気なく混ざっている“賄賂”という単語は……その」

 

 「お察しの通り、バーサ・ジョーキンズを“叫ばれない屋敷”へ案内したのは私です。生徒達だけで行かせるにはかなり危険な道のりですので、万が一のないよう保険として引率しました」

 

 「てゆーか、特派員とか謳いながら、記事の中にも“魔法史の教師の引率を受けながら”って書いてあるしね」

 

 記事の冒頭だけを読むなら、生徒達の夜中の悪戯行というか、秘密の冒険という感じなのだが、実際は教師同伴の実地研修であったという。

 

 正確に述べるならば、以下の順序となる。

 

 

 ①夜間学校開催の手紙がグリフィンドール塔の悪戯仕掛け人の部屋に届く

 

 ②夜中、透明マント(本物)を使ってリーマスとピーターが出発

 

 ③少し遅れて、透明マント(複製品)を使ってジェームズとシリウスが出発

 

 ④セブルス・スネイプがスリザリン談話室を抜け出し、二人の後を尾行する

 

 ⑤悪霊教師同伴の下、バーサ・ジョーキンズが影からセブルスを追跡

 

 

 夜間学校への参加については、リーマス・ルーピンは1年生の頃からだったが、2年生になる頃には勇気ある友人たちも自主的に参加していた。(3人共凄まじく後悔したが、その辺りは割愛。リーマスは地獄の道連れが出来たことを心の底から喜んだ)

 

 “叫ばれない屋敷”での夜間学校については、特に秘密にはされていない。そもそも誰も好んで近寄りなんかしないだけである、そこは嘆きのマートルのトイレと同様だ。

 

 ただし、アリアナちゃんもそこにいるという噂も密かに広まっているので、“地獄の奥に天国”とも伝えられている。今回バーサ・ジョーキンズが一番確かめようとしたのは実はそこでもある。

 

 ゴーストの巣窟なので、とにかく寒い、死ぬほど寒い。おまけにギロチン、電気椅子、アイアンメイデン、アクロマンチュラが寄ってくる。

 

 このままだと精神衛生上非常によろしくないので、四人組はアニメ―ガスへの変身方法をマクゴナガル先生に習おうと計画はしてみた。

 (マクゴナガル先生も悪戯には手を焼いているが、夜間学校に参加する勇気と友情は褒めている。でも、自分は参加しない。中々にしたたかな大人だった。)

 

 結果として若干本末転倒気味ではあるが、夜間学校の変身術の先生、ヘレナ・レイブンクロー校長先生に習っている。教師としては優秀なのが逆に憎らしかった。

 

 

 そんな感じのところに、セブルスが尾行してきた。(彼はその行動を後に死ぬほど後悔したらしいが)

 

 ちょうどメローピーさんの魔法薬の授業の最中、悪夢の光景に放心しているところを、室内ドリフト走行していたワーゲン君に轢かれそうになり、アクロマンチュラのモレークくんに捕まり、ギロチン先輩の毒牙にかけられる間一髪のところをジェームズのタックルに救われたという経緯である。

 

 むしろ、最初に撥ねられていた方が不死鳥のフォークス君に蘇生させられてよかったかもしれない。悪戯四人組とて、彼の涙がなければ何度ゴーストの仲間入りをしていたか分からない。

 

 一度だけ、シリウスが全身アイアンメイデンされかけたが、何とか瀕死の重傷で済んだので事なきを得た。それでも鮮血処女がトラウマにならないあたり、シリウスの精神力が並大抵ではないらしい。 

 

 というか、本当にここが学び屋で良いのだろうか? もう常識が全く息していない気がするのだけど、どうしよう?

 

 

 

 「悪戯仕掛け人の四人組については、夜間学校の参加は何時ものことですし、そこに表側の教師でもある私が居る以上、彼らの行動は罰則対象とはなりません。その点でも、バーサ・ジョーキンズの行動はかなり理に適っていると言えますね」

 

 「いや、その、先生の引率を受けながら“深夜の冒険”というのは、普通思い浮かばないですよ」

 

 「男の子的な発想だったらそうよね。自分達の力だけで冒険して、教師を出し抜くから面白いんであって、特にグリフィンドール四人衆なら保護者同伴の冒険なんて興ざめとしか思わないでしょうね」

 

 「さればこそ、ゴシップ記者であるバーサ女史は観点が異なります。彼女は胸躍る冒険の体験記を書きたいのではなく、悪戯仕掛け人とそれを追うセブルス・スネイプ氏の顛末を面白おかしく記事にしたいだけなのです」

 

 であるならば、自分は絶対に罰則を受けないように“予防線”を張るのは当然というもの。

 

 考え抜いた末に、夜の探索行に教師の同伴を求めるという、当たり前のようで訳のわからない手段に打って出たのであった。

 

 まあ、魔法史のドクズ悪霊教師以外だったら、彼女の頼みはしなかっただろうが。スネイプの顛末を見るに、彼女は賢明だったと言えるだろう。

 

 

 「依頼するバーサもバーサだけど、受けるアンタも大概よね」

 

 「それはもう、面白そうでしたから」

 

 「この人、なんて駄目な教師なんでしょうか」

 

 「メローピー、それこそ今更よ」

 

 「ホグワーツの生徒達の行動を記録する、という点については彼女と私は同士とも言えます。違いがあるとすれば、私は正確に客観的に記録することを旨とし、彼女は主観的どころか面白おかしく誇張し時に捏造するところでしょう」

 

 「なぜでしょう? それだけ聞くとダッハウ先生がまともに聞こえてくるのが不思議でなりません」

 

 「歴史を正確に記録するからって、それが良いとは限らない好例だわね」

 

 一般的な観念からすれば、記録者の主観を混ぜることなく真実を伝える方が良い記録のはずなのだが。

 

 どういう訳か、今のホグワーツではバーサ・ジョーキンズのゴシップ記事の方が、ドクズ魔法史教師の“正確な記録”よりもまだましと思える。

 

 

 「ところで、スネイプ君は無事だったんですか? 記事を見る限りとても怖い目に会ったような気がするのですけど」

 

 「肉体的には無事です。ジェームズ氏の命がけのタックルによって間一髪斬首は免れましたので」

 

 「ざ、斬首……」

 

 「ザマアないわね。自分から危険に首を突っ込んで来て、その上ギロチン台に首を突っ込む羽目になって、挙げ句の果てに不倶戴天の敵ジェームズに命を助けられるなんて、くっくっく、これで少しは懲りたかしら」

 

 「あの、それは全く洒落になってないような」

 

 「生徒が死にかける事自体は、夜間学校では何時ものことです。そのために不死鳥フォークスさんを招いている訳ですから」

 

 不死鳥の涙には、癒やしの力が宿る。

 

 宿るのだが、最近泣いてばっかりでフォークスさんも流石に辛いのではないかと心配にもなってくる今日この頃だ。

 

 狼人間に変身した後のリーマス・ルーピンよりもむしろ、ピーターがうっかりバイクに撥ねられたり、シリウスが電気椅子で処刑されかけたり、ジェームズが腕だけアイアンメイデンされたりと、その度に不死鳥の涙にお世話になるのが夜間学校の日常だ。

 

 よくまあこんな学校に通っているものである。本当に彼ら四人の勇気には驚嘆の念を禁じえない。

 

 

 「ただし、ギロチンだけはどうにもなりません。首と胴体が離れてしまっては、流石のフォークスさんと言えどもお手上げです。目出度くニックさんの仲間入り確定」

 

 「あればっかりはちょっとギリギリだったわよね。グリフィンドール四馬鹿にはその辺言い聞かせてるけど、セブルスは魔法薬は出来ても魔法生物飼育学はあんまり得意じゃないから」

 

 「アクロマンチュラに捕まって持ち上げられて、フォルクスワーゲンで運ばれてギロチン送りという流れを想像するのが無理だと思います」

 

 「甘いですねメローピーさん。それが、闇の夜間学校の日常です」

 

 「あのざまで闇の魔術に詳しいって自負してるんだから、笑い話ね」

 

 四人の悪戯仕掛け人の持つ“秘密”と、ゴーストたちによるこの世ならざる夜間学校。

 

 ホグワーツ魔法魔術学校における大きな謎を解き明かそうとする意思はまあ立派と言えなくもなかったが、その実態はセブルス・スネイプ少年の予想の遥か斜め上をぶっちぎって大気圏を突破している有様だった。

 

 仮にも学校という名前を冠しておきながら、常識や人権などという言葉は、微塵も存在していなかったらしい。

 

 

 「スネイプ君も、絶対に後をつけたことを後悔しているでしょうね……」

 

 「そこについては、シリウス氏の作戦勝ちといったところですかね」

 

 「え? マートルさんが発端じゃなかったんですか?」

 

 「それも間違いじゃないわ。まずはじめにセブルスの奴が最近四人組の周辺を嗅ぎ回っていて、アタシがリリーにちょっかいかけてたバカ二人組に取り憑いてるところを目撃したの」

 

 「人間ならばセブルス氏が覗いているのに気付けないでしょうが、マートルさんの目と鼻は誤魔化せません」

 

 正確に言えば、ゴーストは目と鼻で感知している訳ではない。人間の魂や感情そのものを感知するのだ。

 

 それ故に、“嘆きのマートル”にバレずに行動することは困難極まる。例え透明マントを使おうが、感情の動きまでは消しされないのだから。

 

 

 「で、セブルスが覗いていることを、あたしはこっそりとシリウスの馬鹿に教えてやったわけ。後の流れと筋書きはシリウスが考えて、アタシとそこのドクズはその演目に乗っかってアドリブを演じただけってこと」

 

 「結果として、セブルス氏が斬首されかけたところを、ジェームズ氏がファインプレイで救ったという訳です」

 

 結果として、セブルス・スネイプはジェームズ・ポッターに対して、あまりにも酷い命の借りを作ってしまったという。

 

 ちなみに、リーマスはその頃狼人間に変身はしていたが、電気椅子に縛り付けられていたので害はなかった。むしろ、結果的に言えば不死鳥の涙が必要になったのはリーマスの方である。これも何時ものことだが。

 

 なお、一晩中“桃色レディ”と“ポエム男爵”の小っ恥ずかしい愛の詩の朗読を聞かされ続けたピーター少年と、どちらの責め苦がより拷問であるかについては人によって意見が別れるところだろう。

 

 

 「まあ、その後結局ゴーストに取り囲まれて気を失ってしまいましたけど」

 

 「駄目じゃないですか」

 

 「そうでもないわよ。何だかんだでこれが夜間学校の授業だもの。一般の部の薬草学でも、マンドラゴラの植え替えで気絶者が出るなんてザラでしょうに」

 

 「飛行訓練で箒から落ちて骨を折ったりも毎年必ず出る日常茶飯事ですしね」

 

 「言われてみればそうでした」

 

 ここはホグワーツ魔法魔術学校、魔法の国のホグワーツ。

 

 マグルの学校らしい常識などは通用しない。安全についてもあくまで“魔法界の基準で”守られているだけだ。

 

 そして、夜間学校においてはゴーストの生徒を基準にしているので、安全を守る気がなかった。自分の身は自分で守りましょう。

 

 

 「こと、自分の身を守るという部分については、ピーター氏が一番優れていますね」

 

 「言えてるわね、本人にはまだ自覚がないみたいだけど」

 

 「意外ですね。いっつもおどおどしているあの子がですか?」

 

 「臆病さとは、良く言えば用心深い性格とも言えます。ヘレナ校長が診断してくださった動物もどき適性では、ピーター氏は“ネズミ”であったそうですが、彼の魂の形が災難を避けることに適性がある証左でしょう」

 

 「大犬と牡鹿の二人組はその真逆ね」

 

 実際、夜間学校でマートルさんが杖魔法を教えている時でも、ジェームズやシリウスよりもピーターの方が“失敗”は少ない。

 

 元々秀才肌であると同時に隠さねばならない秘密があり、無理はしないタイプのリーマスが一番少ないのは当然として。

 

 ピーターには臆病な部分があり、失敗を恐れる心はかなり強い。

 

 それ故に、授業の課題などで失敗しにくい方法を取る傾向があり、加点は貰えないが、減点もされない結果になる。

 

 逆に、ジェームズとシリウスは煌めくような才能の塊だが、同時に極度の目立ちたがり屋、お調子者である。

 

 ただ上手くやれるだけの方法などつまらないので、失敗する可能性も高い難易度の厳しい手段にあえて挑む取ることが多い。

 

 カケではあるが才能の高さ故に成功することが多く、困難に挑んでの成功のインパクトが強いので周りからはそう見られるが、同じ数か下手したらそれ以上の失敗がある。

 

 特に、お調子者を通り越して【ギャンブラー気質】であるシリウスは一番失敗も多い。つまりは、“やらかす”傾向だ。

 

 

 「グリフィンドールらしさ、というのも中々面白いものです。失敗が多いのは成績優秀であるはずのシリウスとジェームズ、されど、失敗を恐れずに常に挑み続ける勇気を持つのもこの二人。傲慢で向こう見ずという欠点とも言えますが、恥を恐れぬ勇気と鏡合わせの関係です」

 

 「まさに、セブルスが持ってないものね。アイツは地頭も良いし実力もあるのに、恥をかく勇気を微塵も持っていないから駄目なのよ。好きな子への告白なんてのはその最たるものなのに」

 

 「とはいえ、勇気も過ぎれば蛮勇。何事も過ぎたるは及ばざるが如しではありますがね。その蛮勇を発揮して好きな子に臆面なくアプローチをかけすぎるからこそ、マートルさんに取り憑かれる訳ですから」

 

 「酷いオチですね」

 

 メローピーさんは心の底から思った。

 

 スネイプ君がリリーちゃんに告白できない最大の理由は、ジェームズ君とマートルさんにあるのではないかと。

 

 というか、別にスネイプ君でなくとも、リリーちゃんに告白しようとして便器に叩き込まれるのは嫌でしょう、普通に考えて。あ、駄目だ、ここに普通の人なんていなかったんでした。

 

 

 「ところで、尋ねたことありませんでしたけど、マートルさんに祟られた生徒にレイブンクロー生が少ないのはやっぱり」

 

 「ああ、それね。別に贔屓ってわけじゃないわよ」

 

 「え? そうなんですか?」

 

 「メローピーさんの疑問ももっともですが、そこには各寮の恋愛傾向が複雑に関係しているのです、例えば、マートル警報に対する行動にしてもそうなのですが」

 

 

 

【マートル警報】 ※マートルが談話室に現れたらどうしますか?

 

グリフィンドール  立ち向かう

 

スリザリン    リア充を生贄にする(例:ルシウス・マルフォイとナルシッサ・ブラック)

 

ハッフルパフ    隠れる、逃げる

 

レイブンクロー   賄賂 (他寮の“よりリア充”の情報を流す)

 

 

 

 「という感じです」

 

 「酷すぎます、特にレイブンクロー」

 

 「スリザリンも大概だと思うけどね。ハッフルパフはまあまともな反応よね。特筆すべきはグリフィンドールだけど、なんというか、お祭好きなのよね」

 

 「ここでマートルさんの格言をどうぞ」

 

 「本人たちがどう思ってるかは重要じゃないわ。傍目から見てリア充に見えるかどうかが問題なのよ」

 

 「そこは同意できます」

 

 「本性を現しましたね、やはりメローピーさんもこちら側でしたか」

 

 所詮、悪霊は悪霊である。

 

 比較的まともではあっても、メローピーさんとて本能には抗えない。

 

 

 「そんでもって、あたしは嫉妬のゴーストだから、イチャついてるカップルがいたらそこに引き寄せられるように向かうんだけど」

 

 

 

【各寮のカップル動向】

 

グリフィンドール  所構わずいちゃつく

 

ハッフルパフ    学生らしい健全なお付き合い

 

レイブンクロー   基本的に隠す、密かな文通 (なお、マートルさんの文通相手は…)

 

スリザリン     家の立場上、公表しなければならないことが多い

 

 

 「という感じになるわけですね」

 

 「なるほど、それで」

 

 「そういうことね。消去法みたいなもんだけど、優先的にグリフィンドール、スリザリンが狙われるわけよ」

 

 「中でも特に、グリフィンドールは圧倒的です」

 

 「何よりもアタシが狙う理由は、アイツラの破局率の高さよ。ハッフルパフはね、くっつくまで時間かかるから一度成立したらなかなか別れないし。スリザリンは家の都合があるから本人の意向じゃどうにもならないことも多い。まあ、それはそれで愛人とか不倫とか別の楽しみようはあるんだけど」

 

 「流石ドクズ、マートルさんはぶれない」

 

 「不倫……ちょっぴり憧れますね」

 

 「だからこそ、頭猿並みのグリフィンドールがアタシの餌なのよ。奴らは恋の炎が燃え上がったらすぐくっついて、イチャイチャして、冷めたら別れる。獲物としてこれ以上はないわ」

 

 特にレイブンクローは、【リア充】と分かりにくい。率先して探しに行かないのもあるが、マートルさんの嫉妬センサーをもってしてもなかなか見つからないほどに。

 

 

 「グリフィンドール生については、完全に自業自得とも言えますね。むしろ最近は“マートルありき”で来るなら来いと言わんばかりにはっちゃけてイチャイチャしているカップルも多くあります」

 

 「そして破局する」

 

 「まあ、吊り橋効果ですらないヤケクソのような全力疾走ですから、恋の熱気も冷めればさもありなんと言ったところですね」

 

 ここまで来ると、本当に恋人になってイチャイチャしているのか、お祭り騒ぎしたいから恋人のふりをしているのか判別し難い程である。

 

 流石はグリフィンドール。恋愛面でも勇猛果敢さにおいては他の追随を許さない。

 

 

 「もし私がホグワーツに入れたなら、ハッフルパフが良かったですね」

 

 「おや? よろしいので、ヘレナ校長の耳に入ればどうなることやら」

 

 「すみませんすみません、前言撤回です。私はレイブンクロー志望です憧れもマートルさんもそうですから、お願いです許してください何でもしますから」

 

 「ん? 今なんでもって言ったかしら?」

 

 「時計塔は記録いたしました。メローピーさんは“何でもする”と」

 

 「え?」

 

 どうやら、言質を取られてしまったらしい。

 

 

 「では、いつものいきますか」

 

 「はいはい~、当然よね~、こんな美味しい獲物を前に黙ってたら破局の魔女の名が泣くわ。さあ、ペチュニアからの依頼第二段階、ガンガンいくわよ~」

 

 「そちらが例の、取り憑き誓約状ですか」

 

 「そうそう、ここに書いた条件をこなさない限り、このマートルさんが背後霊としてセブルスに取り憑き続けるのよ」

 

 

除霊の四条件

 ①シリウス・ブラックと本音を晒して殴り合うこと

 ②ジェームズ・ポッターと本音と本気で殴り合うこと

 ③ペチュニア・エバンズに心から謝罪し、リリー・エバンズにもその旨報告すること

 ④リリー・エバンズへ本心からの告白をすること(手紙も可)

 

 

 「今回はおまけに、メローピーさんも憑けましょう。マグル男性と純血魔女の悲恋物語には一家言ありますから。スネイプ家とプリンス家、そしてエバンズ家とポッター家と、涎の出そうな御馳走が食卓に並びます」

 

 実に碌でもない悪霊共である。まともな人間がここにいたら、馬に蹴られて死んでしまえ、と確実に思うだろう。

 

 しかし悲しきかな、ここは常識のないイギリス魔法界のさらに非常識なホグワーツ魔法魔術夜間学校。

 

 残念ながら、ドクズ糞幽霊共を蹴り殺し、余計な悪行を止めてくれるセストラルは存在しないのであった。

 

 




この章は彼らの恋の行方に決着がつくまでで締めになると思います。
それ以後はちょっと形を変えていくので、悪霊たちの夜間学校物語はひとまず終了となりそう。


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9話 難しき恋に幽冥の遊びを

セブルス君にも、幸せになってほしいな
ジェームズらの馬鹿騒ぎも書いてて楽しい


親愛なるペチュニアへ

 

 はあい、元気でやってるかしら? 年も開けて早くも1975年、20世紀も残るところ四半世紀だけになっちゃったわ。

 私が生まれたのは1928年だから、もう50年近くにもなるのね。あの頃は田舎なら自動車ですらも珍しいと思えるような時代だったのよ。

 

 こうして貴女と手紙を交わしていると、魔法界の変化よりも、私達の世界、つまりはマグル世界の変化の方が感じるものね。

 例えばほら、数年前からそっちで首相をやってたとかいう、エドワード・ヒース内閣だったかしら、あれだってそうよ。

 私が子供の頃なんて、保守党と言えば上流階級出身のエリートによる寡頭支配の牙城であって、間違っても労働者階級出身者がいられるような場所じゃなかったものなの。

 

 海を隔てたアメリカには、向こうなりの差別や苦労があるのでしょうけど、少なくともウチの国においては、イングランドの中に二つの国があると言われたもので

 世界大戦の狭間だったあの時期でも、その風潮はまだまだ強く残っていたものよ。

 それが今や、マーガレット・サッチャーだったかしら? 女性の党首まで出るんじゃないかと言われているくらいなんだから、本当に月日の経つのは早いものだわ。

 

 そんなマグル世界の変化に影響されてか、こっちの世界もまあ、色々と変革期を迎えているのは事実のようね。

 ちょっぴり悲しいことだけど、戦争の気配は収まるどころか、激化の一途を辿っているみたい。内戦もいよいよ本格的になってきて、北部の貴族連合と南部の魔法省勢力に分かれての四つに組んでの陣取り合戦をやってるわ。

 ウチの国の歴史で言えば、ほらあれ、ヨーク朝とランカスター朝で分かれてた薔薇戦争が一番近い感じだと思うわ。ただし、魔法族には王家というものがないのが全く違うところだけど。

 

 改めて考えると、ちょっと不思議よね。私達マグル出身にとっては、王家のないイングランドなんて想像すらできないのに、その裏側である魔法界には王家がないの。

 じゃあ、カナダやオーストラリアはどうなっちゃうのかしらね? 実態はどうあれ、あれらはエリザベス女王様を宗主と仰ぐ連邦の一員だし、昔はインドも直接支配していたくらいだけど、イギリス魔法史をどう紐解いても、大陸に遠征軍を送り込んで支配した記録なんてないもの。

 

 ちょっと政治やら歴史の話にばかりなっちゃったわね、これもどっかのクズの影響かと思うと胸糞悪くなってしまうけど、そこは気にしないでおくわ。

 

 リリーについては、近頃は全く心配ない元気真っ盛りね。この前貴女からの手紙で読んだけど、セブルスが貴女に謝って、姉妹仲を取り持つように精一杯の努力をしてくれたのが本当に嬉しかったみたい。クリスマス休暇が明けて戻ってきて以来、ずっとニコニコ笑顔でいるものだから、こっちまで幸せになってきそうよ。

 セブルスについても、去年のショック療法が効果バツグンだったみたいで、ちょっとは根暗なところも改善できた感があるわね。私もペチュニアの代行者として鼻高々だわ。ふっふん、褒めて褒めて。

 

 リリーの二つ上のお姉さんである貴女は、そろそろ将来の道筋も真剣に考え始める頃でしょうし、私が生まれた時代に比べれば女性にも多くの道が開けつつあるのだとは思うわ。でも、これだけは忘れないで、子供を産み育てて次の世代に伝えるのは、“生きている”女の子にしか出来ないことよ。

 何も、女だから絶対に結婚して子供を産むべきなんて時代錯誤なことを言うつもりはないけれど、それでも、生きている貴女たちにしか成し得ないのも事実なの。

 

 様々な祈りを託されて、今貴女がそこに生きているということを、どうか忘れないで。そして、私もいつか、貴女の子供が見れたらと祈っていることも。

 

 

 貴女の親友  マートル・エリザベス・ウォーレンより

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「マグルの少女と亡霊少女の文通。改めて思うにこれだけでも物語が書けそうですね」

 

 「何よ藪から棒に、寒気がするわね」

 

 「ゴーストが何故に?」

 

 「アンタがあたしを指して“少女”なんていうからでしょ。大抵ドクズか悪霊くらいしか言わないのに」

 

 「失敬な。私はいつもマートルさんのことを想っております。そう、哀れなるボッチ便所女と」

 

 「そういうところよ。そして死ね」

 

 何気ない罵詈雑言の応酬こそが我らが日常と言わんばかりの深夜もとっぷりと更けたホグワーツ。

 

 今日は夜間学校ではないものの、彼らゴーストにとっては夜こそが本領であり、基本寝ないのだからこうして校舎をぶらぶらしては駄弁っているなどいつものこと。

 

 もっとも、この二人は色々と役職や仕事が多い方なのだが、それでもゴーストたるもの職務に忠実に張り付くなんてことはしない。

 

 何時だって気ままに、気分転換したい時は勝手にどっかに行くし、誰かを驚かせたりに余念がない。むしろ、昼の学校だけとはいえ授業カリキュラムをしっかり守っていることのほうが異端と言えるくらいだ。

 

 

 「例のお手紙についても拝見しましたが、セブルス氏は無事に“マートル4か条”の一つをクリアすることに成功なさったのですね」

 

 「あたしとしてもちょっと意外な順番だったわね。真っ先にシリウスの馬鹿を殴りに行くものかと思ってたんだけど」

 

 「というか、それを狙った順序で書かれていますね。思うに、セブルス氏があえて難易度の高い三番目から行ったのは、マートルさんの掌の上で動かされるのを嫌ったのではないかと推察します」

 

 「あ~、言われてみればセブルスらしい自尊心ね。確かに、こっちの出した条件を愚直に辿っていくようなたまじゃなかったわ」

 

 「ですがまあ、そこは評価点と捉えて差し支えないと思いますよ。ただ言われるがままに動くのでは一種の“言い訳”にもなってしまいますから、マートルさんに唆されこそしたものの、自分で考え、決断して行動したというのは善い兆候と言えましょう」

 

 

取り憑き誓約状

 ①シリウス・ブラックと本音を晒して殴り合うこと

 ②ジェームズ・ポッターと本音と本気で殴り合うこと

 ③ペチュニア・エバンズに心から謝罪し、リリー・エバンズにもその旨報告すること  クリア済

 ④リリー・エバンズへ本心からの告白をすること(手紙も可)

 

 

 一見して難度が低い順から書いてあるように見える4か条だが、“殴り合い”に限れば容易いと思われる①と②にも、“本音を晒す”という条項が含まれているのがポイントだ。

 

 こと、セブルス・スネイプという人間にとって、宿敵とも言えるシリウス・ブラックとジェームズ・ポッターに対し、本音を晒すというのは例え殴り合いの最中という状況を考慮したとしても決してハードルは低くない。

 

 ③にしても彼の性格上、ペチュニアに対して心から謝罪するというのは簡単なことではないが、こちらは“リリーのために”という大義を付けられる。条文にもその後にリリーに報告することともなっているから、リリーのためにペチュニアに謝罪するという流れは矛盾しない。

 

 当然の如く、圧倒的に難度が高いのは④であり、こちらについては下手したら生涯達成されることはないかもしれない。あったとしても、遺言くらいではなかろうか。

 

 

 

 「その辺りについては、メローピーが普通に良い助言者になってくれたみたいね」

 

 「おや、そう言えばメローピーさんの姿が見当たりませんが、今もセブルス氏のところに?」

 

 「ええ、割と最近は憑きっきりよ。“スネイプ君からはトムと近しいものを感じるんです”って言ってたけど、まだリドル先輩と再会出来てないはずなのになんで分かるのかしら?」

 

 「そこは母親の勘というものじゃないですかね。私としてはむしろ、トム・リドル氏と近しいというメローピーさんの言葉が福音なのか、呪詛なのかの方が気になりますが」

 

 「ん~、微妙なところね。アタシの生前の記憶だけを見るなら立派な先輩だったんだけど、ベラトリックスの例のお辞儀論文とかのこともあるし、卒業後の業績を追ってみると、どことなく残念臭のする人でもあるのよね」

 

 思わぬところからの悪霊共からの名誉毀損。トム・リドル氏が知れば誠に遺憾であると述べていることだろう。

 

 なお、実態の彼については、うん、知らないほうが守られる名誉もきっとあるさ。

 

 

 「まあ、残念なリドル氏についてはともかく、メローピーさんが良き助言者になってくださるというのは、やはり“プリンス”の血筋に関することでしょうか」

 

 「そうみたい、あの人自身がゴーントの家と血筋に呪われたような人生だったわけだし、サラザール・スリザリンの血筋の良い面も悪い面も、全部を見てきた生き証人ならぬ死に証人だもの」

 

 「それは道理というものですね。スリザリン寮に属するセブルス氏からすればリリー・エバンズは“穢れた血”になるわけですが、ゴーントの家からしても父親リドル氏は“穢れたマグル”でした。それがいかなる結末になったかを人生談として語るだけでも、色々と効果は現れましょう」

 

 「あのセブルスが、珍しく真面目に考え込んで感謝の言葉を述べていたくらいだからね」

 

 「ゴースト相手に、感謝の言葉をですか、それはまたなるほど。その一点だけを見ても良い影響は確実にあった様子ですね」

 

 メローピー・ゴーントの人生体験談を聞き、セブルス・スネイプの胸に去就した思いは様々ではあるだろう。

 

 ただの一度もマグルの血を入れることのなかった、没落という字の象徴のようになったゴーントの家。

 

 恋ゆえに家を飛び出し、スピナーズエンドのあのうらぶれた家に流れ着いたアイリーン・プリンスと、魔女の妻と生まれた子を恐れるトビアス・スネイプ。

 

 そして、恋ゆえに禁断の魔法を使い、しかし相手を想う故に愛の妙薬を煎じれなくなったある魔女の話。

 

 

 「とーても重くて長い話だし、メローピーのいつもの発作もしょっちゅう起きるしで、数ヶ月以上かかってたみたいだけど。それでも、嫌な顔ひとつすることなく熱心に聞いてたわよ」

 

 「私の魔法史講義の授業態度よりも余程良いですね」

 

 「当たり前だそんなもん」

 

 なぜよりによってそれを比較に出した、言ってみろ。

 

 先任のビンズ先生とは全く別ベクトルで、今の魔法史の授業に対し“熱心に”授業を聞いている生徒などおるまい。大抵は、“嫌々ながら”、“何時爆弾が来るか分からないから”、“戦々恐々としながら”といった枕詞がつく。

 

 

 「まあなにはともあれ、メローピーさんの人生体験談を聞くことが彼の人生のためになるのは良いことです。それこそ、歴史に学ぶという実例なのですから」

 

 「そこについては異論ないわよ。ペチュニアのためにも、リリーのためにも、アイツが根暗を脱却して真人間になることが悪いはずはないしね」

 

 「そのままイケメンにまでジョブチェンジできれば、リリー・エバンズ嬢の未来の結婚相手となる可能性も出てくる訳ですね」

 

 「それはペチュニアの代理人として断固阻止。と言いたいところだけど、そろそろ可愛いリリーちゃんも14歳のお年頃だものね。そういう事も考えていかないとならないか」

 

 「私の目の前には永遠の喪女14歳がいるのですが、それについて一言」

 

 「ダッハウ死すべし、慈悲はない」

 

 「ありがとうございました」

 

 実に見事な間だった。シークタイムゼロの反応、慣れもここまでくれば名人芸と言えるだろう。

 

 

 「真面目な話、セブルスがリリーの夫になるという可能性は“アリ”だとは思うわよ。幼馴染だし、今でも魔法薬の“ナメクジクラブ”では一緒に仲良くやってるし、互いに憎からず思っているわけだし」

 

 「幼馴染で気の合う男女の全てが結婚する訳ではないにしろ、現段階であり得ないと否定する要素はないわけですね。寮が異なるにもかかわらず14歳という思春期になっても互いの距離が遠ざかっていないというのも好感度の裏返しとも取れますね」

 

 「むしろ、真正面からアプローチしては玉砕してるジェームズよりも“恋愛”という面では有利かしらね。リリーと話す回数は圧倒的にジェームズのほうが多いけど、いっつもシリウスも一緒にいるからどうしても悪友のノリになりがちだし」

 

 「この前など、グリフィンドール談話室にて“どうやってマートルの妨害を突破するか”について熱心にリリーさん自身も含めた三人で話し合われてましたね。リリーさんへのプレゼントを脇に置いたまま」

 

 「馬鹿じゃないのアイツら」

 

 そこにやってきたリーマス・ルーピンとピーター・ペティグリューは、その光景を見て大いにため息をついていた。

 

 14歳になっても一向に悪戯に熱中し続ける友人二人は、恋愛脳というものを何処かに置いてきたかのごとくに暴走することがままあるのだった。

 

 

 「リーマス少年に、“今目の前にリリーがいるのだから渡せばいいじゃないか”と言われた瞬間の三人の顔は観物でしたね」

 

 “ハッ!?”       (ジェームズ)

 “そうか!”       (シリウス)

 “その手があったわね!” (リリー)

 

 という感じで、三人揃って口をあんぐりと開けていたそうな。

 

 

 「大丈夫かしらあの子、最近ちょっとアホの子になっちゃってない?」

 

 「リリー嬢へプレゼントを渡すための方法を、リリー嬢と一緒に熟考するというのは素晴らしいと思います。“本末転倒の馬鹿”という言葉を説明するにこれ以上の事例はありません。来年度の魔法史の授業が楽しみですよ」

 

 「その馬鹿が、あの子にまで少しずつ感染してそうなのがね……」

 

 こうしてまた、悪霊教師の魔法史にて語り継がれる“卒業生及び上級生の珍行動の歴史”が増えていくのであった。

 

 なお、夜間学校での日常風景については、あまりにもアレすぎて信憑性に欠けてしまうため、授業では語られてはいないらしい。

 

 まあ、あんなものを話されても信じる生徒がどれだけいるかは大いに疑問ではある。嘘のような本当の話であった。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「さて、この恋、成就はかなり難しいと言わざるを得ない部分はあるでしょうね」

 

 ところ変わって、ここはスリザリンの談話室。

 

 深夜の三時頃ともなれば生徒の姿は当然なく、寮付きゴーストの“気高き男爵”は今日も今日とて恋のお相手の待つレイブンクロー塔へまっしぐら。

 

 そんなところで話す影は当然ゴーストのものであった。

 

 

 「やはり、ダッハウ先生もそう思われますか」

 

 「メローピーさんの心情的に、二人を応援したい気持ちであるのは分かります。当人たちにおいても、少なくとも片方はその未来を強く希求しているのも事実でしょう」

 

 先程マートルさんと駄弁りつつも特に結論の出なかった話。

 

 セブルス・スネイプは果たして、リリー・エバンズの夫して結ばれうるかという疑問に対し、ホグワーツの歴史を記録する“時計塔の悪霊”は、その本分を発揮するがごとくに私見を混ぜずに客観的な評価を述べていた。

 

 相談を持ちかけたメローピーさんもまた、その答えは予期していたのか、さほど落胆した様子は見せていない。

 

 

 「突き詰めて言えば、これは境界線の話です。魔法族、混血、スクイブ、そして、“穢れた血”。私の魔法史でも取り扱っている内容であるからこそ、その業は非常に深い。特に、婚姻というものが絡むならばなおのこと」

 

 「それは、はい、存じています」

 

 まさに、メローピー・ゴーントは骨身に染みて知っている。

 

 純血の魔女であること、その血に宿る魔法の力。

 

 そしてそれが、魔法を知らぬマグルからすればどれだけ排斥の対象となるかも含めて。

 

 

 「セブルス・スネイプという少年自身が、その悲劇の一例と言って差し支えないでしょう。数十年後に魔法史の授業で彼を紹介するにしても、魔法族とマグルの幸せな結婚事例として述べられることはありません。むしろその逆、相容れない種族の悲劇婚姻譚として語られる内容でしかないでしょう」

 

 「……はい」

 

 「それについてはメローピーさん、貴女の人生とて同じです。だからこそ貴女が二人を結ぶ手助けをしたいという気持ちは分かりますし、それ自体は今のマートルさんの立ち位置を妨害するものでもありません。まして、私の立ち位置は言わずもがなですね」

 

 「分かります。ダッハウ先生は“どうでもよい”のですね」

 

 「正確には、“どう転ぼうが構わない”です。歴史を記録するのに注意すべきは正確性だけですから。まさか、間違った配偶者を歴史書に記載する訳にはいきませんからね」

 

 だからこそこの男は、ノーグレイブ・ダッハウだ。

 

 誰とくっつくのが望ましいか、などという主観などありはしない。ただ“どうなったか”の事実を記録するだけの時計仕掛け。

 

 それこそが、時計塔の悪霊のただ一つの本質と言えるものだから。

 

 

 「では、順序立てて述べることとしますが、セブルス・スネイプとリリー・エバンズが結婚するために障害となる壁が大まかに三つあります。謎掛けではないので先に答えを言ってしまいますが、“血筋”、“学歴”、そして“戦争”となりましょう」

 

 「血筋と学歴、そして、戦争ですか」

 

 「この三つの順序は、本人達の努力と意識改変で乗り越えられるものであるかの程度も示しています。極論、血筋と学歴についてはリリーさんとセブルス氏が気にしないのであれば結婚生活の最大障害とはなりませんが、最後の一つだけは話が違います」

 

 「それはつまり――」

 

 「マートルさんの格言ですが、“本人たちがどう思ってるかは重要じゃないわ。傍目から見てリア充に見えるかどうかが問題なのよ”というものですね。穢れた血の定義と扱いを巡って戦争している者達からすれば、彼らがどう思っているかは問題ではない、傍目に“マグル生まれ”と“スリザリンのプリンス”が結婚することが問題なのです」

 

 ならばこそ、戦争に巻き込まれることを完全に避けるのは難しい。

 

 グリフィンドールのマグル生まれの女子と、名家の後ろ盾に乏しいスリザリンの半純血。

 

 今の時流については、波乱なしにはいられない組み合わせと言えるだろう。

 

 

 「無論、前例などいくらでもありますし、近いところではテッド・トンクス氏とアンドロメダ・ブラック嬢の例があります。ただし、“ブラック”の家門はやはり強くあり、血を裏切りし者という汚名であると同時に、その血筋については他の純血名家とて無視はできない。プリンスの血筋と同列には語ることは出来ませんね」

 

 「それはつまり、戦争に関わる家の当主たちの、政略においてということですね」

 

 「そういうことです。特に北部の貴族連合はオライオン・ブラック氏が盟主となっておりますし、シグナス・ブラック副校長はホグワーツを中立に保つ重職にある。どこまでいってもアンドロメダ・トンクスは“シグナスの娘”であり、いざとなれば、父親が乗り出してくるのです」

 

 ましてや、姉がベラトリックス・レストレンジであり、妹がナルシッサ・マルフォイだ。

 

 戦争に密接に関わり、無関係であることがありえないからこそ、却って中立勢力としては強い後ろ盾と庇護を得られる立ち回りもそう難しくはない。

 

 実際、シグナス・ブラックはそのつもりで、次女をマグル生まれに嫁がせることを暗に許したのだから。

 

 

 「スリザリンにありながらも優秀であり、半純血であるセブルス・スネイプの立ち位置は非常に“微妙”と言わざるを得ない。劣等生ならばある種誰も気にしないでしょうが、彼は魔法薬において首席級であり、ナメクジクラブにおいてもホラス・スラグホーン教授の薫陶を一身に受ける身。となれば、死喰い人の子息らは、必ずや彼を自陣営に引き込もうと勧誘活動に励みます」

 

 ではそうなった場合、スリザリンの死喰い人陣営にとって、“邪魔者”は誰になる?

 

 セブルス・スネイプを“純血主義陣営”に引き入れる上で、一緒に入れる訳には行かず、そして、彼の楔となってしまう存在は。

 

 

 「となれば、グリフィンドールの“妖精姫”は排除すべき障害となりましょう。ホグワーツにあり、アルバス・ダンブルドア校長とシグナス・ブラック副校長の庇護下にあるうちはそれでもよい。しかし、卒業した後も長い人生は続くのであり、生涯の伴侶というものは恋人のようにそう軽々と変えられるものでもありません」

 

 スリザリンの純血名家やそれに連なる学生らにとって、14歳を過ぎれば婚姻は非常に大きな意味を持ってくる。

 

 まして、今は戦争中。婚姻の相手によっては、襲撃対象になっても全くおかしくない時代だ。

 

 そうした意味でも、平時とは比較にならないほどに“血筋”の持つ意味が重くなっているのが、魔法戦争の真っ只中の今という時代なのだ。

 

 

 「ここで、第二の壁が大きく立ちはだかります。すなわち、“学歴”というものです」

 

 「血筋ではなく、学歴が、ですか?」

 

 「マグル社会に生きたことのないメローピーさんにとってはピンと来ないかもしれませんが、1975年にもなったマグルの先進国においては、人生の将来設計が学歴によって異常なほどに左右されるほどの意味を持ってきます。しかし、ペチュニア嬢と異なり、リリー嬢にはそれがない。無論、こちらとしても多少の手は打っているのですがね」

 

 「それってひょっとして、例の“クイーン・ヴィレッジ考古学教室附属学校”のことですか?」

 

 「はい、ホグワーツの名誉顧問とも言うべきエルフィンストーン・アーカート氏は、実際に考古学の教授号を持つ有識者です。特にウェールズの地でゲルマン大移動時代の遺跡発掘などもされていますから、ホグワーツ魔法魔術学校の“幽霊法人”としてはこれ以上の適任はありません。マクゴナガル先生にも感謝ですね」

 

 そこはまさしく、文字通りの幽霊法人。別の言い方ならばダミー会社とも言えるだろう。

 

 実際に“マグル側”で事務員を雇うわけにはいかないので、縁のある“ゴースト組”を派遣し、マートルさんよろしく、幽霊が幽霊法人を誤魔化すための書類仕事をしているという笑い話だ。

 

 ホグワーツは1000年の歴史を持つが、特にここ150年ほどの間に、マグルの学歴社会は識字率も含めて根本から変わってしまった。

 

 マグル生まれが11歳からホグワーツに通うならば、マートル・ウォーレンの時代ですら“田舎の教会に通っていた”がギリギリ通じるかどうかのラインだったのだから。

 

 

 「ホグワーツは幻想と現実の境界線にあります。なので、現実のマグル社会が大きく変化するならば、こちらも相応の変化をしていかねば、境界線を守る事は出来ません。しかし、これら二つの事象は微妙に不整合を起こしており、今現在は変革期にあると言えましょう」

 

 エバンズ家は、マグル世界では“中流以上”と言える家であり、イングランドという完成された先進国では階級は大きな意味を持つ。

 

 逆に、スネイプ家はマグル世界において“労働者階級”としても底辺といって良いスピナーズエンドのうらぶれた一角。幼い頃のペチュニアが、あそこの子とは関わるなとリリーに教えたのは故なきことではない。

 

 そして、プリンスという家は、マグル世界には存在すらしていない。

 

 対して、魔法界においてはプリンス家の名はスリザリン純血名家からすれば無視できるものではなく、エバンズなどは劣等な穢れた血に過ぎない。

 

 

 「これが、ポッター家ならば大きな問題にはなりません。ジェームズ・ポッターの性格上、不死鳥騎士団に入るのは確実であり、最悪でも彼は騎士団に、リリー嬢はひとまず親元に身を隠すという選択肢も取れるでしょう。その場合、騎士団の庇護をエバンズ家が受けることも当然容易になります」

 

 「でも、セブルス君の場合は……」

 

 「彼は、マルシベールやカローといった生粋の死喰い人の家の者と親しすぎる。騎士団が“セブルス・スネイプの妻”を庇護するとすれば、相応の対価を提示する必要性があるでしょうし、何よりも、彼自身が決断を迫られます」

 

 すなわち、スリザリンで築いた人脈や人間関係を、全て捨て去る決断を。

 

 彼は既に、半純血のプリンスを名乗り、スリザリンでマルシベールらと交流しつつ数年間を過ごしている。

 

 セブルス・スネイプの歩んできた人生そのものを捨てる如き覚悟が、どうしても必要になってくる。

 

 

 「恋の成就が難しい、と評したのはそういうことです。決して不可能でありませんし、困難を超えることとて本人の意思次第です。しかし、そうまでしても結ばれる保証もまたなく、まして、彼女を守るのに相応しいのは本当にセブルス・スネイプなのか? という疑念すらも本人につきまとうことでしょう」

 

 完全に魔法戦争の余波を避けるならば、むしろマグルの男性と結ばれたほうがよいのでは?

 

 魔法戦争に関わらざるを得ないならば、不死鳥の騎士団と関係の深い人物のほうがいいのでは?

 

 シグナス副校長の中立派ならば? いいや、彼は無償で助けてくれる人柄ではない、対価が必要だ。

 

 

 「彼は非常に頭の回る秀才です。メローピーさんの話を聞き、私が話した内容についても既に熟考を重ねているでしょう」

 

 「……だから、彼はあんなに真剣に」

 

 「幸いというべきか、まだ時間のある今のうちに考えておくべきことではあるでしょう。あと三年もしないうちに、人生の決断の時はやってくるのですから。マートルさんとて、それがわかっているから少し急かし気味にでも、何とかしようと奔走しているわけです」

 

 それはまさしく、ペチュニア・エバンズの親友として。

 

 リリーのことを請け負ったからには、その契約は必ず果たすのだと。

 

 

 「グリフィンドールの四人組とて、あれはあれで結構考えているのです。夜間学校のあれこれは、まあ、私から彼らへの気晴らしのプレゼントのようなものですかね。浮世がままならない苦労としがらみに満ちているからこそ、せめて幽界くらいは気楽に気軽に、そして危険に遊ばねば」

 

 気軽に遊ぼう、気楽に遊ぼう。

 

 ここは悪霊の住処、俗世のしがらみも苦しみもない常楽の館。

 

 命の危険はあるけれど、そこはご愛嬌。

 

 

 「遥かな昔から、幽冥の館とはそういうものです。しがらみに満ちた苦界に生きるからこそ、死後の世界や、異形の住まう異界を人々は想い、それが幻想となりて形を作る。このノーグレイブ・ダッハウとて、その絶対原則にだけは逆らうことはありませんし、忠実であるつもりですよ」

 

 いつか決断の時はやってくるならば。

 

 境界線の14歳、さあ今こそは遊ぼうじゃないか。

 

 笑いがなければ、人生はきっとつまらないんだから。

 

 




14歳の段階としては、ジェームズとリリーは原作より仲良し。ただしその分、恋からは遠い。
そして、リリーとセブルスも、疎遠になっていません。


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10話 黒太子同盟

ついに彼らも上級生に
ホグワーツ生活も終わりが徐々に見えてきました

※予約投稿に失敗したのか投稿されず、手動であげたので少し時間がズレました…


バーサ・ジョーキンズの校内新聞 【月刊少女ホグワーツ】より

 

 

 イヤッッホォォォオオォオウ! 諸君燃えてるかぁぁぁああ! 私は帰ってきたぞおおぉぉぉ!

 さあさあさあさあ! 今年もやってまいりました恋のホグワーツ戦線!

 実況はおなじみのこの私、清く正しいハップルパフのスポークスマン、バーサ・ジョーキンズにてお送りいたします!

 

 あの地獄のフクロウ試験を突破し、何とかわたくしもこのホグワーツに残ることが出来ました! おかげでこのわたしもついに六年生!

 これもひとえに愛読してくださる皆様からのワイ、ゲフンゲフン、応援の言葉の賜物でございます! ありがとうダッハウ先生! 収賄に応じてくれる教師は貴方だけ!

 ああ、思えば何とも長い苦痛の日々だったことか、戦争もあちこちで火を吹く昨今、北部貴族連合の掲げる“フクロウ・イモリ試験廃止”に心の底から頷きたくなった今日此頃でございます。

 

 さて、挨拶はこのくらいにしておいて、いつもの行きましょう! 長き休暇に育まれた愛の絆を一挙大紹介!

 あの嘆きのマートルの恐ろしき妨害にも負けず、愛を貫いた不屈の闘志達の魂の戦いと共にいざ!

 

 まずはこの人、スリザリンの6年生で監督生を務めるなかなかのイケメン優等生、アズライト・アルヴェガ! 気になるお相手は杖づくりで高名なオリバンダー家の分家お嬢様、レイブンクローの5年生で同じく監督生イレーネ・オリバンダー! 

 スリザリン男子とレイブンクロー女子のカップリングはそれほど珍しいわけでもありませんが、昨今の情勢を鑑みればなかなかに勇気あるカップルと言えるでしょう。何せオリバンダーと言えば知らぬ者とていない聖28家の名門ですが、対するアルヴェガ家はスリザリンながらも半純血の家。

 かなり厳しい道のりが予想される二人の恋の模様ですが、こんなご時世だからこそ、どうかお二人の未来に幸の多からんことを祈りましょう! 頑張って! どうかお幸せに!

 

 ではでは続きまして第二弾、グリフィンドールの変身少女こと4年生のアストレア・マクゴナガル! 皆様御存知変身術のマクゴナガル先生の姪にあたるちょっと目つきが厳しめで気も強い美少女! スリザリンの死喰い人候補生達とやらかした乱闘騒ぎは数しれず! それも堂々と真正面から打ち破っての我が校屈指の杖裁き! 先は闇祓いか不死鳥の騎士団か!

 そんな女傑になんと春がやってきたか! とっても気になるお相手ですが、意外や意外と言うべきか、それともさもありなんと納得すべきか、かの有名な悪戯仕掛け人四人衆の一角、グリフィンドールの“移動医務室”ことピーター・ペティグリュー! 女生徒の方からは恋愛関係に否定的な証言もございましたが、我が校の誇る恋愛センサーナンバーワンこと、“嘆きのマートル”の証言がここにございます。

 【あの二人、デキてるわね】

 これは間違いありません。これは有罪だ。イケメン、大富豪、クィディッチ選手とモテそうな条件勢揃いかと思いきや、その行動のあまりの危なさ故に、ミーハー女生徒は数多くあれどなかなか本物の春がやってこなかった悪戯仕掛け人にまさかの一番乗り! 凄いぞピーター! お前がナンバーワンだ!

 

 最後に似たような話題で恐縮ですが、恋の戦線模様と言えばここを語らずにはいられない!

 グリフィンドールの妖精姫こと五年生となり監督生を拝命したリリー・エバンズ! 彼女を巡る恋の模様はつねに波乱を含んでおりますが、ここに来て大きな動きあり!

 

 何と、シリウス・ブラックとセブルス・スネイプの両名が、ついに直接対決の大決闘に及ぶとのこと!

 

 これは分からなくなってきたぞ! 一体が何が起きるというのか!

 クィディッチ選手でおなじみジェームズ・ポッターの大親友たるシリウス・ブラックが、満を持しての決闘に挑む理由とは。やはりここは、勝った陣営がリリー・エバンズに告白するという超王道展開なのか!

 それともまさか、実は二人こそがジェームズを巡って争うという腐女子大興奮待ったなしの超展開がやってくるのか!

 

 そんな彼女を取り巻く恋の戦線の行方とは!? 次回、続報を待て!

 

 以下、来月号へ続く……

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「ねぇリーマス、お怪我はだいじょうぶ?」

 

 「ああ、僕は大丈夫だよアリアナ、いつもありがとう」

 

 「えへへ~、いいよいいよぉ、どういたしまして~」

 

 細身ながらも最近は背も伸び、青年と呼ぶに相応しくなってきたリーマス・ルーピンに撫でられ、夜間学校の紅一点ことアリアナちゃんは心地よさそうに目を細める。

 

 夜間学校が開催される場所は季節や時によっては変更となるが、今回はお馴染みの場所の一つである“地下墓所”だ。

 

 悪霊教師曰く、魔法戦争(寮対抗ホグワーツOB大喧嘩選手権)で死んでいくであろうホグワーツOBの“中継待機場”とするために、ホグワーツの幽霊たちが汗水垂らして掘ったとか。

 

 うん、ツッコミはもうすまい。何を言っても無駄だ。賢いリーマスくんは学びました。

 

 

 「お胸に付けているのが、バッジ?」

 

 「そう、監督生であることを示すバッジさ。まさか僕達の中から選ばれるとは思わなったけどね」

 

 悪戯仕掛け人四人衆の悪名高きことは校内に知らぬものとてない。

 

 にもかかわらず、リーマス・ルーピンが五年生にして監督生に任じられたのは、恐らくながらジェームズやシリウスに対するストッパー役を期待してのことなのだろうと、彼のみならず多くの人間が思っていた。

 

 この任命がアルバス・ダンブルドア校長だけによるものならばともかく、公平さでは鋼の天秤と言われるシグナス・ブラック副校長との連名のものなのだから、如何に扱いに苦慮しているかが察せられるというものである。

 

 とはいえ、この夜間学校の扱いに比べれば、微々たるものではあるだろうが。

 

 

 『アンギャアアアア!!!』

 『シャーシャーシャー!!』

 『出たっぺな! ガチャガチャ オイラだって負けないぜよ! ガチャガチャ』

 『ブルルン! ブルルン!』

 『キェエエエエエイ!!』 

 

 

 「……ねえアリアナ、向こうにいるのが、ハグリッドが今年から連れてきたっていう、例の“新しいお友達”かな」

 

 「そうだよ~」

 

 「どんなお友達かは聞いてる?」

 

 「えっとねえ、スフィンクスのギーゼくんと、ルーンスプールの三つ首ギドーくん。それから、アクロマンチュラのトートくんはモレークくんの弟さんでぇ、その隣はセストラルのダイアンくん。最後は、はるばるニッポンからやってきた河童拳闘士のケンシロウくんだよ」

 

 「……そう、ありがとう」

 

 何処か燃え尽きたようで同時に悲しみを纏った笑みを浮かべながら、それでも彼は激高することも取り乱すこともなく、アリアナちゃんに丁寧にお礼を返した。

 

 リーマスくん、君は将来きっと紳士になれるだろう。

 

 ちなみに余談ながら、リーマス・ルーピンの認識においてはアクロマンチュラは“比較的温厚で安全な生き物”だ。一度それを四人組以外の級友に話したところ

 

 「なあルーピン、お前、実はハグリッドの親戚かなにかだったのか?」

 

 と、かなり真顔で、心配するような口調で言われてしまった。狼人間と半巨人の親戚がどちらがマシなのかは、きっと誰にも分からない。唯一分かるのは、ダッハウよりはましだということだけだ。

 

 

 「リーマス! そっちはいいからこっちを手伝ってくれ! 悪魔の罠がフォルクスワーゲンのガソリンを浴びてお冠だ! 手がつけられない!」

 

 「そりゃ怒るよ、当たり前だよ、何やってんのさ」

 

 「いやぁ、ジェームズと一緒に空飛ぶ自動車からガソリン撒いて火を付ける戦法を開発してたんだけどさ。これがなかなかうまく行かなくて、やっぱ時代は空飛ぶバイクかな?」

 

 「まだ開発してたのかい? 半年くらい前にマクゴナガル先生にあれだけ大目玉喰らったのに。っとと、プロテゴ・マキシマ!」

 

 受け答えしつつも盾の呪文を展開できるのは流石監督生。

 

 走って逃げてきたシリウスにしても、服すら破けていないところを見るに、無言呪文で盾の呪文はしっかり張っているらしい。

 

 まあ、伊達にこの夜間学校で何年もやってきてはいない。命に危機に常に晒される場所であるからこそ、無言呪文での盾の呪文はジェームズとシリウスは真っ先に覚えた。四年生はおろか、三年生の末頃には使えていた気がする。

 

 

 「アリアナちゃん、頼めるかい?」

 

 「まっかせて~、ワーゲンくん、ワーゲンくん、おちついて~、おちついて~、はいどうどう、はいどうどう」

 

 生徒達の誰かが大暴走するのは最早日常茶飯事であり、アリアナちゃんがいなければ確実に授業はおろか集団の体すら成していなかっただろう。

 

 ちなみに今は一応薬草学の授業の最中で、課題は悪魔の罠を制御することだ。

 

 

 「ところで、ジェームズは?」

 

 「途中まではピーターが上手く制御してたんだけど、ジェームズが怒らせたあっちのキメラの炎で悪魔の罠が逃げちまったから、向こうでピーターとアニメ―ガスの練習中だ」

 

 「キメラまでいたのか……というか、ジェームズも怒らせたのかい」

 

 「流石はハグリッドだぜ、今や危険生物の宝庫だぞここは」

 

 向こうの新人の他にも、ハグリッドの用意した“美しい生き物”はまだいたらしい。

 

 そして、危険な魔法生物を宥めるどころか、怒らせて暴走させることに定評のあるのがジェームズとシリウスだ。こいつらの魔法生物飼育学は“トロール並み”でいいんじゃないだろうか。

 

 

 「ちなみに、上半身鹿人間になってるジェームズもその一員でいいと思う」

 

 「ああ、また失敗したんだ。この前は蹄人間だったっけ」

 

 「もう少しのところまでは来てるんだけどな。時間をかけてしっかりやれば俺もジェームズも確実に変身できるんだが、無言呪文だとどうしても成功率が半々以下になる」

 

 「その点だと、ピーターが一番早かったよね」

 

 「流石は我らが衛生兵だぜ、頼りになるよ」

 

 「衛生兵とアニメ―ガスは関係ないと思うし、そもそも鼠に変身する癒者ってのもどうなんだろう」

 

 彼ら四人が、悪戯仕掛け人として名を馳せているのは今に始まったことではない。

 

 長年四人チームで行動し、ありとあらゆる冒険や無茶苦茶をやらかしていれば、自然と役割分担というか、有事の際の担当というものは出来てくる。

 

 

 突撃・前衛役   シリウス

 拠点防衛・指揮役 ジェームズ 

 遊撃・参謀役   リーマス

 後方支援・衛生兵 ピーター 

 

 

 流石にフクロウ試験を控えた五年生ともなれば、それぞれの得意分野や戦闘スタイルというものの確立されてくるものだ。

 

 シリウスとリーマスはまあ妥当な役割だが、意外と拠点の構築や防衛に長けているのが悪戯っ子のジェームズである。守護霊が牡鹿であることもあって、攻撃も出来るが防御の適性もかなり高い。

 

 そして、物資の補給などを卒なくこなし、何よりも一番用心深く、“失敗しない男”がピーターだ。集団行動では一番倒れてはいけないのが医療専門家であるならば、この適任は彼しかいない。

 

 

 

 「あら、アンタたちここにいたのね、課題はもう出来たの?」

 

 「おうマートル、ばっちりだぜ!」

 

 「何で流れるように嘘をつけるかな君は」

 

 そんな二人の下へやってきたのは、授業の講師役であり一応は目付役でもあるマートルさんだ。その上には医療バックアップのために不死鳥フォークス君も飛んでいる。

 

 

 「あ、ああ~、シリウス、アンタまたやらかしたわね。ほらあれ、完全にガソリン塗れになってんじゃないの。罰として清め呪文で綺麗に掃除すること」

 

 「ええ~、あれ全部をかぁ」

 

 「つべこべ言うな、やりなさい。さもないと“ダッハウ”よ」

 

 「よし分かった。全部俺に任せてくれ。いやぁ、前々からスコージファイの練習をしてみたかったんだぁ」 

 

 掌が扇風機になっているかの如き見事な転身。これがブラック家の血のなせる技か。

 

 親友の変わり身の早さに若干呆れつつも、“ダッハウ”だけで通じてしまうその意味が、悲しくも感じてしまうリーマスであった。

 

 

 

 なお、“ダッハウ”の例を幾つか紹介すると、『過去の恥話の暴露』、『ドクズトークを延々聞かされる』、『夢にまでダッハウが憑いてくる』などである。

 

 三番目が圧倒的に忌み嫌われていることから、如何に人望が欠如どころかマイナスであるかが分かろうものである。

 

 

 余談だが、占い学のトレローニー先生の夢判断に曰く、アリアナちゃんが現れたなら吉夢だが、ダッハウが現れたら大凶夢であり、必ずやとんでもないことが起こるらしい。

 

 うん、そりゃそうだ。

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「おや、お疲れ様ですマートルさん。そちらも一段落しましたか」

 

 「何とかね、そりゃあ、地下墓地で薬草学をするなら悪魔の罠とかに絞られてくるのは分かるけどさ。もうちょっと何とかならなかったのかしらね」

 

 「そこについては、ヘレナ校長先生と“恰幅の良い修道女”さんに意見具申するしかないですね」

 

 「はぁ、悪ガキ共も結構腕を上げて来てるから、悪戯を見張るだけでも大分手こずるようになってきたわ」

 

 「流石は五年生、というべきでしょうか。それとも、彼らがただ優れていると言うべきか」

 

 実際のところ、五年生の段階でアニメ―ガス化をほぼ成し遂げつつある彼らの魔法の腕は、そこらの大人を既に遥かに越えていると言えるだろう。

 

 このままフクロウ・イモリの両試験を突破していけば、魔法警察は当然として、闇祓いとて十分に狙えるだけの資質であり、実力だ。

 

 何よりも、これは悲しむべき事実ではあるが、“危険な魔法生物”と戦い、逃げ、立ち向かった経験が半端ではない。何しろ、月に二度三度は重症を負い、不死鳥の涙で癒やされていた彼らである。

 

 下手をすると、死喰い人と戦う不死鳥の騎士団の一員並みに、傷を負った経験が豊富であるかもしれない。

 

 

 「あ、マートルさん。こんばんわ」

 

 「こんばんわメローピー、そっちも終わった?」

 

 「ええ、やはりスネイプ君は凄いです。今日も男爵様とヘレナ校長先生の課題をしっかりとクリアされてましたから」

 

 悪戯仕掛け人達の“特別授業”に対抗してか、セブルス・スネイプもまた、スリザリンの寮憑きゴーストである“気高き男爵”とメローピーさんを中心に、特別カリキュラムを夜に専攻している。名目上は、彼らのような“生徒”ではなく“助手”としてである。

 

 夜間学校の運営を手伝わされたり、危険な魔法生物の相手をハグリッドと一緒にすることになったりと、中々大変な仕事ではあるが、夜であっても“魔法史教師”の許可の下で図書館を使えたり、危険な闇の魔術の実験であっても実行できたりと、彼にとっての利点もまた多い。

 

 その奥底には純粋な対抗心も無論あるが、同時に自分の“魔法薬学”と“防衛術”の知見を広めたいという彼自身の意欲に基づくところも大きい。

 

 

 「へえ、やるじゃないのアイツ」

 

 「彼もなかなかに成長なさいましたね。仇敵たちのいる夜間学校であろうとも、自分の利益になるならば割り切って懐に入るという大胆さを身に着けております。これはジェームズ氏もうかうかしておれません」

 

 「特筆すべきは魔法薬学よね。ポッターだけあってジェームズも得意分野だけど、リリーの才能もずば抜けてるしね。この三人だけで新薬が幾つも作れそうな感じかしら?」

 

 「というか、ピーターさんを中心に実際に“トリカブト系脱狼薬”を開発しようとプロジェクトを立ち上げる予定らしいですよ。薬草学では何気に彼がトップですから」

 

 「わぁ、あの子、凄かったんですね」

 

 「さほど意外でもないでしょう、昔から彼は何事も卒なくこなしますし、常に悪戯仕掛け人の“縁の下の力持ち”でしたよ。本人の自信のなさが今ひとつ能力の開花を妨げていたようですが、まあ、恋の成功は何よりの自信の源といったところでしょうか」

 

 曰く有りげな眼で、マートルさんのほうを伺うドクズ悪霊。

 

 彼女にしては珍しい“敗北事例”を、さりげなく責めるような構えだ。

 

 

 「何よ、文句あんの」

 

 「いえいえ、百戦錬磨のマートルさんとはいえ、常に百発百中とはいかないということですか」

 

 「アストレア、あのマクゴナガルの姪がねぇ、流石のアタシもあの展開は読めないわよ。だって文字通り、食べられたのよ?」

 

 「性的な意味ではなく、モグモグでしたもんね」

 

 猫のアニメ―ガスである変身術の教師、ミネルバ・マクゴナガルの弟、ロバート・マクゴナガルの娘こと、アストレア・マクゴナガル。グリフィンドールの四年生だ。

 

 一族の血筋に違わず、高い変身術の素質を持っていた彼女は、夜間学校の野良組と異なり、偉大なる伯母より直々の手ほどきでアニメ―ガスとなる訓練を重ねていたのだが。(ずるい、贔屓だ。とジェームズとシリウスは騒いだが、素行を考えれば自業自得である)

 

 

 「見事、ハヤブサへの変身を成功させ、道端を歩いていた鼠をパックリ」

 

 「かと思いきや、その正体は四人組の中で一番最初に変身に成功したピーター」

 

 「捕食されることから始まる恋愛って、あったんですね」

 

 それが、ピーター・ペティグリューとアストレア・マクゴナガルの馴れ初めであった。

 

 いやまあ、彼女はグリフィンドールのひとつ下の後輩であり、リリー・エバンズとも結構仲いい上に、セブルス・スネイプとも知己であるという、別に知らない仲ではまったくない存在だったのだが、いかんせんピーターとは縁がなかった。

 

 彼女にとっても、“リリー先輩に付き纏う悪戯仕掛け人共”の一員くらいにしか見ていなかったことは間違いなく、同時に秩序を重んじる彼女は悪戯組をあまり快くは思っていなかった。

 

 むしろ、冷徹の中にも秩序は忘れないセブルス・スネイプの方が個人的には馬が合うのか、リリーが付き合うなら“ポッターよりスネイプ”と常々公言していた珍しいグリフィンドール生でもある。

 

 

 「でも、これもまた大きな進歩ね。リリーにとっては“可愛い後輩”だったアストレアが、近しい知り合いのピーターと付き合い始めたってんなら、あの子にも相当影響はあるわよ」

 

 「私の情報網からも、変化のほどは伺えます。アストレア嬢はその性格ゆえにピーター氏への恋愛感情は現在否定しているようですが、かなり悪戯っ子の目つきで彼女をからかうリリーさんの姿が目撃されていますので」

 

 「ダッハウ先生の情報網って、時々怖いですね」

 

 このホグワーツに、プライバシーなどありはしない。

 

 皮肉極まることではあるが、知られる相手がこのドクズ悪霊でなかったならば、生徒達は安眠すら出来なかったろう。

 

 普通の人間が相手ならば、“知られる”だけでも嫌なものだが、如何なる魔法の采配か、“ホグワーツで秘密を知られること”は不安を想起しないのだ。

 

 

 「ねえ、ふと思ったんだけど、ピーターって精神的にマゾじゃない?」

 

 「ふむ、M男の素質があったと、なるほど、言われてみれば確かに。ハヤブサに変身した彼女にモグモグされて恋心に芽生えるところなど、片鱗は見られます」

 

 「それにほら、危険な魔法生物からは上手く逃げるのに、ヘレナ校長と男爵様のポエム地獄にひたすら耐えてたり」

 

 「確かに、肉体的拷問は受けるものの、悪戯はやり遂げたという達成感はあるシリウス、ジェームズらに対し、こちらは肉体的苦痛はないもののひたすらに精神的拷問を受けています。なるほど、一理ありますね」

 

 ここに出てきた、まさかのピーターマゾヒスト疑惑。

 

 仮に真実が分かったところできっと誰も得をしない。だからなのか、メローピーさんはあえて話題を変えることにした。

 

 

 

 「ところでダッハウ先生、スネイプ君が持っていた面についてなんですけど」

 

 「ああ、あれについてはマートルさんの方が詳しいですよ」

 

 「ん? アレって、死喰い人の被ってるやつ?」

 

 「はい、死喰い人を親に持つ子達が密かに持っているのは私も知っていましたけど……マルシベール君から貰ったんでしょうか?」

 

 「大丈夫、気にしなくていいわよ。あれはアタシが餞別にあげたやつだから」

 

 「え? マートルさんがですか?」

 

 「そうよ。アイツも最近変わってきたのはいいんだけど、ジェームズへの嫉妬の念や悪感情を抑えようだなんて“らしくない”ことまで始めちゃってさ。そういうのは溜まり溜まっての暴発が多いから、マートルさんから嫉妬の念制御用のアイテムをあげたのよ」

 

 

 なお、“破局の魔女”曰く、説得の際の言葉は以下の通り。

 

 

 【ほんとにいいのぉ~? 取られっちゃっても~? あの腐れジェームズとリリーちゃんが肉体的にも結ばれちゃって、アッハーンアンアンしちゃってるところ想像してみてよぉ~? 許せる~? 許しちゃっていいの~?】

 

 

 一発ころり

 

 この悪霊、煽りおる。

 

 

 「そんなセブルスに授けたアイテムが、マートルさん謹製の“嫉妬マスク”よ。マルシベールの部屋からかっぱらってきた死喰い人マスクに、嫉妬の念を込めまくった代物でね。これを被っている間は嫉妬に狂ったもうひとりの文通友達、もとい、別人格が表出するから、例え開心術であろうとも本心を隠すことができる優れ物なのよ」

 

 「それは、隠したとは言えないんじゃ……」

 

  それが本当に“本心を隠している”と定義できるかは精神学者の解釈によって異なるだろう。精神学も奥が深い。

 

 

 

 「“嫉妬マスク”なんて大仰に言ってるけど、まあ、気分みたいなものね」

 

 「つまるところ、意図的なスイッチの切替ということですね。元々仮面の多くには宗教的な意味合いも多くありますし、“自分の異なる面”を出す意図的なスイッチとも呼べるでしょう」

 

 「カーニバルの扮装も、ハロウィンの仮装も本質は同じものよね。意図的に地雷を踏むと言えば、メローピーには分かりやすいかしら?」

 

 「ああ、なるほど、それならよく分かります」

 

 何しろ、究極的な地雷女がメローピーさんでもある。

 

 

 

 「セブルス・スネイプ氏は元々複雑な内面を持つ人物ですし、あの分では閉心術の素養を高く持っているでしょう。しかし今はまだ、有り体にいえば自分を持て余している。複数の面を使い分けようにも、どの感情が自分の本物なのかが把握できなければ、私のような存在でもない限りは混乱してしまう」

 

 「そこで、仮面なのよ」

 

 「これはマートルの嫉妬の仮面だからこそ、これを被った己はジェームズに嫉妬する。この利点は、“ジェームズに嫉妬しているセブルス・スネイプ”を、仮面の中から客観視することがやりやすいことですね。彼ほどの頭脳と素養があれば、程なく使いこなすでしょう」

 

 「コイツのお株を奪うのも何だけど、宗教的な彩色によるトランス状態なんてのは、魔法族とマグルが分離する前の、原始の魔法の一つだって話よ」

 

 「そしてそれ自体は珍しいものでも何でもありません。礼服を纏った自分、ドレスを纏った自分、制服を纏った自分、寝間着の自分、お洒落着の自分。どれもある意味で別人格と言えるものであり、服装によって態度が変わるほうが自然な人間と言えましょう」

 

 「まあ、それはそうですよね」

 

 「そして、こと人間という生き物の最も面白いところは、“裸の自分が本当の自分とは限らない”ということでしょう。服を纏うことが既にない、剥き出しの魂であるゴーストとの最大の違いがそこにあります」

 

 何時いかなる時も、態度と在り方が変わらないのは、彼らゴーストの特権だ。

 

 ならばこそ、時計塔の悪霊は不変であり続けるのだから。

 

 

 「人間とは、どの服を纏った自分が“在りたい自分”であるのかを、自分で勝手に決められる。さらには変えられる生き物です。特に思春期というものはそれが顕著でして、11歳から17歳という子供と大人の境目の子供たちが集まるこのホグワーツは、そうした意味では実に多彩で飽きない場所なのですよ」

 

 「そうそう、こーいうのが積み重なって“曰く”を持つことで、本当の呪いの品は生まれていくの。セブルスがあのマスクを使って周囲に知れ渡るような“何か”をしたとき、アレは本当の嫉妬の悪霊の“呪いのマスク”に昇華するわけね」

 

 今はただ、“嘆きのマートル”から貰っただけのただの仮面。

 

 死喰い人の意匠の仮面ではあるが、それ自体に何も呪いなどはかかっていない。まあ、マートルさんの嫉妬の念はしっかりと宿っているけれど。

 

 

 「“死喰い人の仮面”をただ被ってしまえば、これはリリーに対する裏切りではないかとか、余分な考えも浮かんでくるでしょうし。彼の苦悩は一層強まってしまう可能性が大いに高い」

 

 「だから、ペチュニアの代わりに“嘆きのマートル”さんが贈った“嫉妬マスク”というわけよ。色々と意味は込められるわね。ペチュニアからセブルスへの嫉妬の面でもあるし、マートルから色ボケ餓鬼共への嫉妬の面でもあるし、セブルスからジェームズへの嫉妬の面でもある」

 

 「ジェームズへの嫉妬などは一切構わん。だが忘れるなセブルスよ、リリーを悲しませることがあれば、姉たる私が許さない。という、戒めのマスクとして機能します。こういった契約は魔法界では色々と見られ、最も有名なものが“破れぬ誓い”です」

 

 魔法族における最も強固な誓約の一つ、“破れぬ誓い”。その本質はむしろ、決意を己に誓うことにこそある。

 

 セブルス・スネイプよ、お前は仮面に誓えるか? 己の過去も顔も捨て去り、“エバンズの騎士”になれると。

 

 

 「そして同時に、“死喰い人の面を被っている自分”を客観視するのにも役立ちましょう。戒めの仮面であると同時に、自己の変革のためのきっかけの仮面。流石はマートルさん、自分の中の疑似人格との向き合い方には一家言ありますね」

 

 「アタシのおかげじゃないわ。全部、“マーテルちゃん”の知恵よ。感謝の言葉は彼女に言ってあげて」

 

 「これさえなければもっと褒めたいと思えるですけどね」

 

 「なるほど、よく分かりました。私も“メロンちゃん”と一緒に己の暗黒面に向き合っていきたいと思います」

 

 「“メロンちゃん”と一緒の時点でもう詰んでいることに気付いてください。どうかお願いしますから」

 

 悪霊女共の暗黒面連合は、流石のダッハウも怖いらしい。

 

 

 

 

 「ともあれ、お面については理解しました。あと、この前小耳に挟んだんですけど、“黒太子同盟”って何なのですか?」

 

 「ああ、アレはあまりにも酷い案件だったわね」

 

 「失敬な、元はと言えばマートルさんの四か条が原因でしょうに」

 

 

 詳しく説明すると舌が腐るほどに酷い案件だったため、要点をまとめると以下の流れである。

 

 

 マートルさんの取り憑き誓約状に基づき、ついに実現するに至ったシリウス・ブラックとセブルス・スネイプの正面決戦。

 

 教師たちからの横槍で中断されたりしないよう、マートルさんが用意した決闘の場には、何と。

 

 

 「どうもこんにちは、私が審判と介添人を兼任させていただきます。ノーグレイブ・ダッハウです」

 

 

 レフェリー&実況&解説として、ドクズ悪霊教師の姿。よりによってコイツかよ。応援に来ていた誰もが思った。

 

 そして始まる決闘。本人たちそっちのけで、ブラック家とプリンス家の過去の黒歴史を語り始めるダッハウ。

 

 血を裏切った歴史がどうこうとか、近親相姦がどうこうとか、徐々に話題は決闘している当人たちの母、ヴァルブルガ・ブラックとアイリーン・プリンスへと。

 

 

 「いやあ、流石はブラック家、ゲスの血筋たる高貴な純血ゲスキング。おお、良い右が入りました、強姦魔の子孫らしく孕ませパンチとでも名付けましょう。えーんがちょ、えーんがちょ」

 

 「この学校で一番その言葉を言われてるのはアンタよね」

 

 「これに対するは負けず劣らずクズのプリンス。蹴りで応戦していますが、引きこもりの子は所詮引きこもりか、脚の長さが足りていません。わーい、クズの子はやっぱりクズ~」

 

 「と、クズの代表が申しております」

 

 終始一貫してこんな感じだった。他の台詞についてはあまりにも酷すぎるので、記すことさえはばかられる。皆様のご想像にお任せしたい。

 

 飽きることなくマシンガンのごとく浴びせられる淡々とした先祖代々への罵倒集。

 

 ただし、どれだけ語っても尽きることのないブラック家とプリンス家の黒歴史も相当だとは思うが。

 

 

 「死ねやダッハウ!」  (といいつつ、セブルスを殴り飛ばす)

 「くたばれ糞教師が!」 (といいつつ、シリウスを蹴り倒す)

 

 

 拳で語り合う決闘をしているはずのシリウスとセブルスの気合の声も、いつの間にやらダッハウへの罵声一色になっている。

 

 思いっきり互いを殴りつけながら、クソムカつく解説野郎へ憎悪と罵倒を叩きつけるというシュールな光景。この決闘、元はなんだったっけ?

 

 

 とまあ、あまりにも酷い決闘が終わった後、不倶戴天の敵であった両者の間には講和条約が結ばれたという。

 

 結論は一つ、ダッハウを殺そう。両者微塵も異存はなく、一瞬で締結に至ったらしい。

 

 当人たち曰く、“取り敢えず互いのことは休戦にしてダッハウを殺す同盟”。バーサ・ジョーキンズからは“黒太子同盟(ブラック・プリンス)”と命名され、やがて巷へ広まっていったとか。

 

 ジェームズのことも、リリーのことも、取り敢えず脇において、まずはダッハウだ。アイツを殺そう。

 

 そのためなら力でも何でも合わせるぞ、死喰い人だってどんとこいだ。悪魔とだって手を結んでやる。

 

 この黒太子同盟の秘密の連絡網が、後の死喰い人との情報戦でどういうわけか重要な役割を果たしてしまったというのだから、運命とは皮肉極まるものである。ダイスの女神様の気まぐれにも程があると思うんだ。

 

 

 かくありて、嬉しくも何ともない経緯によって、ホグワーツの歴史に“黒太子同盟”は刻まれたのであった。

 

 




次話で、恋模様に決着がつきます。
リリーが選ぶのはいったいどちらか。


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11話 そうだ、悪女になろう

おかしい、なぜこうなった?
気付いたら思わぬ悪霊が暴走していた……解せぬ


親愛なるマートルへ

 

 貴女とこうして手紙を交わすようになって、どれだけの月日が経ったかしら? 随分前のようにも思えるし、つい最近のことのようにも思えます。

 

 リリーも今年で六年生となり、フクロウ試験の結果も我が家へ届きました。結果は何と11フクロウの学年女子首席! 可愛らしくも素晴らしい妹を持って私は本当に幸せ者です。唯一、占い学だけはリリーは専攻してませんでしたが、アレは別にいいとマグルの私でも思います。何かこう、うん、予言とか運命とか、わたしそんなに好きになれそうにないわ、なぜかしら?

 

 魔法界では17歳になった瞬間に成人祝をするそうですが、こちらの法律では現状、18歳と定められています。細かい参政権やら被選挙権を含めればもっと色々あるのですが、一般的には18歳と思っておけば問題ないでしょうね。

 

 最近わたしの方で色々と考えるのは、自動車の免許のことかしら? お父様やお母様は“車の運転は夫君に任せるもの”という割と古めかしい価値観を奉じているのよ。エバンズ家も別に名門でも何でもないと思うのだけど、お母様の家は昔は貴族に連なる家だったとも聞いているわ、何でも、“クリテンテス”というのだとか。

 

 私個人的には、車の運転くらいは出来たほうが、これからの時代の母親としてはいいのではないかと思っています。だって、仮に良き夫と結婚できたとしても、仕事が忙しければ常に家にいてくれるとも限りませんし、生まれた赤ちゃんが熱を出したときに、すぐに病院に運ぶにも自分で運転できた方がいいと思うの。

 

 お父様やお母様の時代なら、近所の人だったり近くの産婆さんだったりが最低限の医療知識を持っていたりしたそうだけど、ロンドン近郊も昔に比べてなお都市化が進む昨今においては、なかなか隣人を頼りにするには行かない状況みたいなの。

 

 その点では、貴女のいる魔法界が少しだけ羨ましいわ。出会った他人が大抵知り合いの知り合いというのは、それはそれで気苦労や親族関係の気遣いも絶えないでしょうけど、私達の世界のように、首都圏だけで何百万、下手すれば1000万人を超える人間がいるというのも、善し悪しなのでしょうね。

 

 そう言えば、“近頃の都会連中は礼儀作法がぜんぜんなっとらん”なんて、この前出会った若い人も言っていたわ。まだまだお若くて、何でも穴開けドリルの製造会社をこれから立ち上げようとしている方なのだけど、名前はなんて言ったかしら?

 

 

 そうそう殿方と言えばセブルスからも最近手紙が来るようになったわ。あの根暗男がリリーに関してじゃなくて、純粋に私にも近況報告するようになったのだから、随分と変わったものだと本当に驚いたわ。

 

 何か悪いものでも食べたのかと手紙で聞いたら、ホグワーツで貴女から散々に詰られて、自分なりにも思うところがあったと書いてあったわ。

 

 リリーを本当に大事に思っていない。自分のちっぽけな自尊心や体面ことしか考えてない。

 闇の魔術なんて学んでいる暇があったら、女の子をデートに誘うならどこか、何をプレゼントすればいいかを学びなさい。

 結婚したらどうするの? ペチュニアとは仲直りできるの? 両親にどう説明するの? そのギットギトの髪で“娘さんをください”とでも言うつもり?

 まさか、自分はそんな下らない妄想をしているのではない、リリーへの愛はもっと崇高なものだ、だとかほざくのかしら?

 はっ、お笑いぐさね、典型的なレイブンクローの根暗非モテの発想だわさ。ああ、アンタはスリザリンの底辺だったわね。

 

 軽く挙げるだけでもこんなによ。あのセブルスが私への手紙に書くくらいだから、相当厳しく言ったのね貴女。

 でもまあ、うん、昔のセブルスもあれはあれで味があったけど、私は今のセブルスの方が好感は持てるわ。遠くから見てるだけなら前のセブルスが変人度合いでは上だったかもしれないけど、仮にも妹の恋人、ひょっとしたら未来の夫候補かと考えると、昔のアイツは論外ね。

 

 私も、リリーも、セブルスも、多くのものが変わっていくのを実感します。もう変わることの出来ない貴女に言うのも残酷なのかもしれないけれど、それでもよ。

 かつて貴女が願ってくれたように、移り変わっていくこの今を噛み締めながら、リリーが選ぶ道を受け止められるよう、私も頑張っていきます。

 

 どうか、応援していてね。そして、貴女もどうか元気で。

 

 

 貴女の親友  ペチュニア・エバンズより

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「折り入って、貴方に話したいことがあります。ダッハウ教授」

 

 幽霊たちの時間帯となった真夜中のホグワーツにて。

 

 最早日課となりつつあった夜間学校の手伝いの中で、セブルス・スネイプはそう、切り出した。

 

 

 「私に、ですか。全く予想していなかったわけでもありませんが、少々意外ですね」

 

 「黒太子同盟なるものについては、貴方もご存知でありましょう。あの男と殴り合ったあの日が懐かしくすら感じる今日このごろです。それほどに、今の魔法戦争の情勢は目まぐるしく変わり、戦況は予断を許さないものとなりつつある」

 

 「確かに、戦況は大きく変わっていますね」

 

 「それに、貴方を一度は悪霊の火で完全に葬り去ったはずなのに、次の日に何食わぬ顔でしれっと復活して普通に授業をしているのを見た時に、直接的な武力行使による排除は諦めました」

 

 「確かに、暑かったですね」

 

 「今でも殺してやりたいのは変わりありませんが」

 

 ちなみに、素晴らしい悪霊の火でしたのでスリザリンに10点、などと加点されたのだからつくづくムカつく奴である。

 

 彼にとって、シリウス・ブラックよりも殺してやりたい存在などこのドクズくらいだが、ひとまず脇に置き、セブルス・スネイプは考える。リリーを守るためには何が最善か。

 

 仮にそう、自分の願いが首尾よく叶い、リリーと己が結婚できるという奇蹟が成就したとして、その先は?

 

 この戦争、果たしてどちらの陣営が勝利を収める?

 

 自分にとって、勝利と言える結末とは何だ?

 

 

 「なるほど、マートルさんの四か条の最後の条文については、とうに果たされたのですね。その勇気、お見事です」

 

 「今となっては、リリーに告白するかどうかで悩んでいた自分の愚かさがよく分かります。時間が戻れたならば磔の呪いをかけてやりたいほどに」

 

 今のセブルスには若干の余裕がある。

 

 自分の後で、ポッターが焦って告白したとも噂に聞いたが、その時ほど優越感を覚えたこともなかった。

 

 そして、リリーが答えを出せずに悩んでいることも。

 

 少なくとも自分は、彼女に両天秤で悩んで貰えるほどには、一人前の男であれたという何よりの証なのだから。

 

 

 「彼女をこれ以上悩ますことは、私の本意ではありません。彼女の愛がポッターめに向けられるというのは腸が煮えくり返る思いもありますが、それは向こうとて同じこと。ならば、私は私にしか出来ない方法で彼女を守ることに専心すべきだ」

 

 純血の家系、騎士団と近い間柄。考えることはそれこそ多岐にわたる。

 

 様々な要素を考えたとして、この戦争においてリリー・エバンズへの直接的な脅威となる存在と言えば、やはり北部貴族連合の急進派にして武断派、死喰い人に他ならない。

 

 死喰い人という脅威に対して、“正面から”彼女を守れるのは、ポッターである。それは、冷静な客観的視点から、セブルスも認めるところだ。

 

 それに何よりも、リリー自身が闇の魔術を、人の心を害する魔術を嫌っている。

 

 例え、自分やポッターがおらずとも、彼女は年下のマグル生まれを守るために、騎士団に入って戦う道を選ぶだろう。

 

 そんなことは、リリー・エバンズという気高い女性を正面からしっかりと見ていれば、簡単に気付けることだった。

 

 

 「愚かな私は、自分にとって都合の良いリリーの姿しか見ていなかった。彼女はとても芯が強い女性であり、自分の安全のためにマグル生まれの後輩を見殺しにしながら、死喰い人に保護されることなど、望むはずがないのです。もっとも、それを私に気付かせてくれたのは、彼女の後輩のアストレア・マクゴナガルでしたが」

 

 マルシベールに唆され、かつてセブルスが考えていたこともあった保身の詭弁など、愚かしいにも程がある。

 

 そんなことをすればするほど、気高い彼女の心は、下衆な卑怯者から離れていくだろう。

 

 

 「だからこそ、そんな彼女の安全を“搦め手から”守るために貴方は今後動くつもりですか」

 

 「その通りです。私の卑屈な心が編み出した閉心術も、こうなっては有利に働く。利用できるものは何でも最大限に活用すべきでしょう」

 

 「なるほど、確かに貴方はスリザリンの監督生に相応しい、セブルス・スネイプ。貴方を選んだダンブルドア校長とシグナス副校長の目に狂いはなかった。特に前者は最近痴呆が進んできたのではと疑ってましたが、老いてなお人物眼は健在のようで」

 

 実にドクズ悪霊らしい、辛辣極まる校長への人物評である。

 

 

 「故に、貴方にお聞きしたい、ノーグレイブ・ダッハウ。貴方はいったい、“どちら側”なのですか?」

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 「とまあ、そんなことがあったのですよ」

 

 「いやぁ、驚きだわ。さんざん焚き付けてきた張本人のアタシが言うのも何だけど、あのセブルスがねえ、随分格好いい男になっちゃったものじゃないの」

 

 ところ変わって、悪霊共のいつもの溜まり場。

 

 何時になく深刻そうなセブルス・スネイプの様子に、流石の悪霊教師も真摯に応じた。と同時に、少しばかり思い詰めるところがある感じだったため、今はメローピーさんと改めて二人で話してもらっている。

 

 そして、こっちはこっちでペチュニア・リリー、ホットラインとの情報共有も兼ねて、色々と悪霊コンビが話し込んでいた。

 

 

 「それもありますが、私はむしろ、最近までジェームズ氏がリリーさんに告白していなかったことのほうが驚きでしたね」

 

 「ああー、それはアレね。グリフィンドールで稀によくあるすっぽかし現象。特にグリフィンドールらしいやつほどハマりやすいけど、ジェームズならさもありなんといったところだわ」

 

 「ふむ、グリフィンドール特有の、なおかつ告白に関する現象と言えば………なるほど、該当項目に心当たりがあります。これは確かに、ポッターさんの失点と言ってよいでしょうね」

 

 俗に言う、グリフィンドール男子病。自分の惚れている異性に好かれることに必死なあまり、一番最初にやるべき告白を忘れてしまう。

 

 面と向かって告白するのが恥ずかしいので後回しにするとかではなく、普段から四六時中想っていることで、素で忘れているのである。

 

 何しろ、リリーへのプレゼントを妨害するマートルを何とかしようと、リリーと一緒に考え込んでしまう男である。普段からリリーが大好きであることを自分にも周囲にも隠すことを一切しない男であるが、だからこその陥穽があった。

 

 

 「私が言うのもなんですが、一般に女性というものは“節目”を大切にすると聞き及びます。例え結婚して何年経過していても、男性が及びもつかないほどに誕生日や結婚記念日に重きを置くと統計にありますし」

 

 「かな~り天然入ってるリリーちゃんでも、そこはまあ、女の子だしね。それに、我が友ペチュニアの苦労に苦労を重ねたレディ教育の甲斐も少しはあるってものよ」

 

 「あくまで“少し”、なのですね」

 

 「本当に、手強かったのよ、あの子は。同室になった女子が、リリーを上回るスーパー大天然のルビー・ライトだったのも悪影響だったかしら」

 

 「あの子は大分幻想寄りでしたからね。何せアリアナちゃんと入学前からお友達でしたし、夜間学校にも時々飛び入り参加していたくらいです。初めはリリーさんが色々と窘めてましたが、朱に交われば赤くなると言いますか」

 

 グリフィンドール男子の同室、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーターの四人衆も大概であったが。

 

 リリーの方もまた、なかなかに濃い面子の同室女子に恵まれたようであった。

 

 

 

 「でもまあこれはこれは、なーかなか面白い感じになってきたわねぇ~。ふっふっふ、あの根暗のスニベルス君が随分と影のあるいい男に変身したもんじゃない」

 

 「そこは同意できますね、破局の魔女の邪悪なニヤニヤ顔さえなければ」

 

 「うっさいわよ。さてさて、渦中のリリー姫様は果たしてどっちを選ぶのかしらねえ。そりゃあ、スニベルス君が既に裏方に回って支えるつもりな以上、普通に考えればポッター君の一択なわけなんですけどぉ~」

 

 なかなかそうは問屋が卸さず、理屈では割り切れない心の揺れ動きこそが、人の歴史の本質というもの。

 

 特に、恋愛というものは太古の昔から、計り知れないにもほどがある。

 

 

 「ふむ、歴史的視点から客観視しても難しい選択と言えますかね。片や、同じ寮で六年間を共に過ごし、身近にあって君を守ると宣言し、直接的な好意を寄せてくる男性。片や、ホグワーツ以前から共にあり、己は影に徹してでも君の幸せを願うと告げ、それでもまっすぐな好意だけはしっかりと残していった幼馴染」

 

 「荒れるわね、確実に荒れるわよ。ああ~、今から子供が出来た時が楽しみだわ。【ジェームズのことは愛しているわ、生まれてくるこの子も当然大切よ。でも、でもねセブ、貴方のことが、忘れられないの、わた、わたし、本当は……】」

 

 「寸劇はそこまで。例え心の蟠りはなくなったところで、今度は不倫と浮気という次の課題が出てくるとは、つくづく絡み合った人間関係ですね彼らは」

 

 純血とマグル、混血と穢れた血。

 

 魔法界の抱える歪みと課題、それらが凝縮されたかのごとくに、濃い人間関係がごった煮になっているのが悪戯仕掛人たちの周辺だ

 

 

 「だからいいんじゃないの、ああ~、滾る、滾るわあ。嫉妬の炎もいいけれど、こういう割り切れないドロドロした人間関係は最高の甘味よね。誰か専門店開いてくれないかしら」

 

 「糞みたいな店舗ですね」

 

 確実に倫理委員会と魔法省の双方から営業禁止処分を受けることは間違いなかった。

 

 

 「あ、閃いた!」

 

 「却下します」

 

 「話くらい聞いてくれてもいいじゃない!」

 

 「碌でもないことが目に見えていますので。大方、次の夜間学校の授業内容を、保健体育と赤ちゃんの作り方にしようといったところでしょう」

 

 「………なんで分かったのよ」

 

 ゴーストだけど、心なしか肩を落としている様子が分かるのが不思議である。流石は不思議の国のホグワーツ。

 

 

 「誰でも予想できます。そんなアリアナちゃんの教育にすこぶる悪い授業をしたら校長先生がいよいよ癇癪老人となって暴れだしかねませんよ。そして私はまだ死にたくありません」

 

 「あたしもアンタも死んでるでしょうに。それと、癇癪は別にいいんじゃない、最近は耄碌老人っぽいし」

 

 「徘徊老人ではないのでセーフですかね」

 

 結局、どっちもどっちなドクズ悪霊二人であった。

 

 

 「しかしまあ、ここで我らがどんなクズな妄想に浸ったところで、最後に選ぶのはリリーさんでしかありません。ことここに至った上は、ただただ見守る以外の選択肢などないように思えますが」

 

 「ま、それはそうよね。ここ四年間くらい本当に色々と後押ししてきたけど、お節介はここまで。これ以上の介入は無粋というものだわ」

 

 何が最善であるかなど、万能の神ならぬ身には知りようもないが。

 

 マートル・ウォーレンという女は、ペチュニア・エバンズの親友として、彼女の大切な妹であるリリーのために、出来る限りのことを為したと自負している。

 

 ならば後は、リリー・エバンズ自身の人生の選択の話だ。

 

 彼女とてもう六年生の16歳。誕生日が来れば魔法使いの成人として認められる年齢なのだ。

 

 

 「ジェームズを選ぶにせよ、セブルスを選ぶにせよ、存分に悩んで決めればいいわ。相談されたら助言はするけど、貴女の心の思うままに決めなさい、くらいしか言うことはないでしょうね」

 

 「彼女を取り囲む政治情勢、人間関係が殊の外複雑とはいえ、それは今更というものですからね。シリウス・ブラックの友人をやっている以上、彼らの中でそれを意識してこなかったはずもありませんから」

 

 これがリリーを巡る二人の男のどちらかを選ぶ決断であっても、切り離せぬ要素として登場するのがシリウスという男だ。

 

 リーマスもピーターも、非常に絆の深い親友ではあるが、やはり重要度においてはシリウスが一つ上をいく。

 

 ジェームズにとっては、唯一無二の親友であり。

 

 セブルスにとっては、不倶戴天の怨敵。

 

 

 「改めて考えてみれば、アイツも不思議な男よね。随分モテるし、リリーはあんなに魅力的な女の子なのに、ただの一度も思春期の男らしい感情の欠片もリリーに示すことなかったわ」

 

 「言われてみれば確かに、リーマス、ピーターの両名については恋心と呼べるかの境界線はともかくとして、“異性への好意”と定義しうる程度の想いは少なくとも三年生頃までに幾度かは抱いておりましたが、彼に関しては完璧にゼロです」

 

 「リーマスは狼人間であることと、ジェームズへの義理立てから。ピーターはアストレアに恋したことでもうそういう感情はないみたいだけど、シリウスだけは最初からゼロなのよね。ジェームズが一時期、リリーへの恋心を悪友との友情と勘違いしちゃった原因は、間違いなくアイツよ」

 

 常に傍らにいる親友が、とっても綺麗な女の子であるリリーにたいして、“悪友との馬鹿な会話”しかしないものだから。

 

 一目惚れに近いほどの好意を抱いていたジェームズが、リリーへの想いをこの友人との時間を維持したいんだと勘違いしてしまうほど、思春期の人間関係というものはややこしい。

 

 何しろ、同性異性の別はあっても、“リリーとシリウス、どちらが大切な人間か?”と問われれば、ジェームズは答えに窮するだろう。

 

 “どちらを守るか?”あるいは、“どちらを助けるか?”という問ならば、迷う時間は0.1秒もないだろうが。

 

 

 「ふむ、人を好きになるという思い。何とも測り難く、数量的に計算の厳しい概念であることです。セブルス・スネイプならば“大切な人”を問うことに意味がないですが、だからといって純粋性においてジェームズ・ポッターが劣るというものでもないのでしょう」

 

 「そ、だから難しくて、そして面白いのよ。よきかなよきかな」

 

 さてさて、グリフィンドールの妖精姫は、いったいどちらを選ぶのか。

 

 こればっかりは、運命の賽子を振ってみないと分からない。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 「なあパッドフット、僕はどうすればいい?」

 

 「まあ、客観的に見て、仮に今後色々あったとしても、浮気疑いでの別れ話は成立できるんじゃないか」

 

 「別れ話なんかあり得るか! 仮に僕がリリーから捨てられることがあったとしても! 僕から別れるなんて狂ってもしないぞ!」

 

 「惚れてる時点で負けなんだよなあ」

 

 一歩間違えば質の悪い粘着男だが、ことリリーに関しては常に正々堂々中央突破で玉砕する。

 

 それが、ジェームズ・ポッターという男であった。

 

 

 

 「ま、お前ほどの男にそれだけ惚れられてりゃ、女冥利に尽きるはずだきっと。今度はちゃんと忘れずに告白だって出来たんだろ? だったらからかわれることはあっても、捨てられることはないと思うがね」

 

 「そ、そうか、うん、オッケー、そうだ、そうだよな!」

 

 「ただし、お前と同じくらい一途に彼女を想っていて、リリーに憎からず想われてる男がスリザリンにもう一人いるだけだ」

 

 「ギャース!」

 

 最早人間の叫びではなかった。狂ったかポッター。

 

 というか、他人事のように論評しているが、ジェームズの告白がセブルスに遅れを取った原因はお前にもあるのだぞシリウスよ。

 

 

 「それになあ、最初のコンパートメントでの第一印象でいやあこっちが最低だったし。向こうには幼馴染に加えて、両親とも顔合わせ済みという利点がある。まして最近じゃあ姉との仲まで取り持ったとなると――厳しいな、同じ寮なのはこっちのプラス点だが、休暇中は向こうはマグル世界、こっちは魔法世界というのはマイナス点だな」

 

 リリー本人の好悪の情は別として、周辺環境を羅列すればセブルスに有利あり。

 

 ホグワーツに限ってみればジェームズ有利と思いがちだが、“エバンズ家”としてみると、ポッター家は接点皆無に等しい。ただのボーイフレンドならばともかく、結婚を前提としたお付き合いを考えるとここは不利点とも見えるだろう。(マグル社会にはそれはそれで階級差という課題もあるが、魔法族はそこまでマグル学に詳しくない)

 

 まして、肝心のリリーの心の天秤がなかなか拮抗しているとなれば、ジェームズとしては焦らざるを得ない状況である。

 

 

 「何にせよ、この6年生が勝負どころだろう。マグル生まれのリリーは、卒業とともにどう生きるかを俺達より真剣に考えなきゃならない。それに―――」

 

 「……騎士団のことか」

 

 「ああ、俺とお前は内定組だが、リリーはそうじゃない。元々これは魔法界の内輪もめで、マグル出身者を巻き込むことが間違いなんだ。まあ、今更無関係でいられるほど状況は甘くないが」

 

 グリフィンドールの彼らもまた、幾度なりとも考えたこと。

 

 リリーは、少なくともこの戦争が終わるまでは、ホグワーツを卒業した後マグルの親元で生活するべきではないか。

 

 だが、友人が騎士団の最前線で戦う中で、自分だけ逃れることを彼女が選ぶかと言うと―――

 

 

 「向こうの世界じゃ、成人は18歳らしいからな。まだ、リリーは親が許さずに戦争に行っていい歳じゃない。まずは親の方から説得してもらうのが筋ってもんなんだが」

 

 「……僕達からじゃ無理だ。マグルの常識も、法律も、何も知らない。くそっ、マグル学を取っておくべきだったな」

 

 「境界線を超えての魔法行使は、許されざる呪文以上のタブーだ。流石に貴族派の連中も、過激派の死喰い人も、実家にいるリリーや姉を害することなんてしないだろう。安全第一なら、やっぱり両親の下にいるのが一番だが、それを説得できる人材となると……」

 

 「―――忌々しいあの蝙蝠野郎しかいないってのか」

 

 「ま、向こうは同じくらい俺達のことを忌々しい糞野郎って思ってるだろうがな。思う存分殴り合って、互いを認め合うことも多少は出来たが、こりゃもう改善は無理だろ」

 

 彼らは生粋のグリフィンドール生。勇猛果敢であり、向こう見ずで蛮勇。

 

 何より、死の危険がある戦いならば、男が真正面から行くべきで、女は戦わせたくないという古い騎士道を未だに奉じる今時珍しいレベルの馬鹿共でもある。

 

 

 

 「あいつのことは信用なんかしたくない。だが…………それ以上に、信頼は出来るんだ」

 

 そして、ジェームズにとっては、実に苦々しい思いでしかないところだが。

 

 同じ想いを持っている、絶対に譲りたくないし、ぶん殴ってやりたい、消えて欲しいほど邪魔に思える。

 

 でもだからこそ、ある一点だけは信頼できる。

 

 

 「仮に、死喰い人達と戦って、僕たちが死ぬことがあったとして」

 

 その時、狡猾に立ち回っても生き残って、リリーを守り通すことのできる男がいるとしたら、それは誰か。

 

 

 “リリーを危険から遠ざけたい”

 

 

 こと、その一点に関してだけは、傍らにいる親友よりも、ジェームズ・ポッターと同じ想いを共有している相手こそ、セブルス・スネイプなのであった。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 多くの思いが交錯し、一人の女性の愛を巡って、二人の男が葛藤と決断の瀬戸際にいる中で。

 

 渦中のど真ん中にいる少女、リリー・エバンズもまた、負けず劣らず、あるいはそれ以上の苦悩の中にいた。

 

 

 (わたし、一体どうすればよいのかしら? まさか、ジェームズとセブからいっぺんに告白されるなんて……)

 

 

 これまでのホグワーツでの六年間、男子生徒から告白を受けたことはそれこそ両手の指では足りないほど。

 

 ただし、そのいずれもを、彼女は思い悩むことは然程なく断ってきた経緯がある。告白を受けるつもりがないのだから、悩むふりをすることすらも相手の真っ直ぐな思いへの失礼にあたるという、実にグリフィンドールらしいと言える彼女の信念に基づいてだ。

 

 実際、そんなリリー・エバンズだからこそ、玉砕した後でも男子たちは以前を変わらず友人として接していられた。通常ならばそんなことは厳しいが、悪戯仕掛け人四人衆の存在と、“破局の魔女”という荒唐無稽と、そして失恋を癒す亡霊少女の優しさが、そんな穏やかな時間を生んでいた。

 

 しかし、だからこそだろうか。これまで彼女の穏やかな生活を守ってきた絆のいずれもが、まるで防波堤として意味をなさない究極の問いがやってきた。

 

 

 (選べないわ、そもそも、わたしがどちらのことが好きなの?)

 

 

 突きつけられた二者択一、選べるのは一人だけで、もう一人には断りの言葉を。

 

 言い換えれば、“拒絶の言葉”を突きつけねばならない。

 

 人が人を愛するという、とても貴い思いのはずなのに、必ず傷つく者、愛を得られない者が出てしまうというその矛盾。

 

 人類が生まれた頃から、およそ解消されたことのない、原初の愛の魔法であっても解決できない難題がそこにあった。

 

 

 「どうすれば、わたしはどうすればいいと思いますか?」

 

 誰かに問わずには、彼女はいられなかった。

 

 

 「難しい、とても難しい問いですね。ええ、究極のリドルというものなのでしょうか」

 

 そんな彼女に寄り添うのは、かつて愛ゆえに人生を失った亡霊の未亡人。

 

 セブルス・スネイプに己の人生を教訓として伝え、出来れば彼らに幸せをと願ってきた彼女だからこそ、しかしこの問いには答えを持たない。

 

 心のままに決めろというのは簡単だ。どこまでいっても好悪の問題である以上、選ぶのはリリーしかありえず、他人が決めていい問題ではないのだから。

 

 でも、それでも―――

 

 

 「ああ、セブ、ジェームズ。貴方達を拒絶するなんて、私には出来ないわ。だって、どっちとも離れたくなんてないもの……」

 

 目の前の少女が苦しむ様を、ただ見続けることなど出来はしない。

 

 どだい亡霊、生前の未練が形をなした魂の欠片なれば、愛という業の狭間で苦しむ少女を、他人事としてただ傍観するという選択肢だけはありはしない。

 

 ならば―――

 

 

 

 「いいですか、リリーさん。どちらを選ぶべきか、私にも分かりませんが、お伝えできること、助言できることが一つだけあります」

 

 運命は、誰もが思いもよらぬ方向へネジ曲がる。

 

 そりゃあもう、聞いた誰もがおいちょっと待てとツッコミたくなるほど斜め上の方向へ。

 

 

 「この世には、“略奪愛”という言葉があるのです」

 

 「え? りゃくだつ、あい?」

 

 そして、無垢なる天使の心に滴る、蛇の毒。

 

 その姿はまさに、イブをそそのかし禁断の果実を食させる魔王の似姿か。パーセルマウスの呪いは時を越え、とんでもないタイミングで最悪の顕現をしたのか。頼むから空気読め。

 

 

 「女だから、運命だから、愛を諦めていいなどという道理はありません。欲しいならば奪え、愛しい男はものにしろ、そう、例え、薬を使ってでも!」

 

 「く、くすりを? そんなの、いけないことだわ」

 

 「いいえ! 愛があれば全ては許されます! 愛こそは最も偉大なる力! 倫理など何ほどのものがありましょうや! 例え悪女と罵られようが、蔑まれようが、法律なんて糞食らえ! 二者択一のリドルなど知ったことか! 私にはただトムだけがあればいい! 二人のトムの愛だけがこの世の全て! 貴女だってそのはずです! リリーさん!!!」

 

 「ふ、二人の愛だけが、全て……」

 

 「そう、二人の愛、愛です。ジェームズ・ポッターとセブルス・スネイプ、二人の男を愛し、愛される。ただそのことだけを考えればよい! 道理をねじ伏せ、魔法の力の導くままに行動すれば、必ずや道は開かれます! どこかの偉い神様も言いました! 愛するならば壊せと! 汝思うがままに不浄たれと! 人間の織りなす綾模様こそが美しいと!」

 

 断言できるが、その道の先には巨大な断崖が待っていることは間違いない。

 

 何しろ、かつて愛のままに暴走し、盛大に“やらかしてしまった”重い女の言葉である。非常に含蓄と共に再現性のありそうな祝詞、いいや呪詛だった。

 

 

 

 「心の導くままに、渇望してリリーさん! 愛こそは全てだと! 魔法薬の才能に溢れる貴女は、きっと全ての愛を手に入れられる!」

 

 なんかこう、完全にテンパってませんかこの人、というかこの悪霊。

 

 

 「あ、愛こそは、全て。例え、悪女になろうとも」

 

 されば、精神汚染は感染する。恋に悩む少女の心に、純粋な善意からとんでもない爆弾が投下された瞬間であった。

 

 

 「そう! その通りです! 愛は偉大なり! ダンブルドア先生もおっしゃいました! 結婚式の結び手は是非ともお願いしましょう! 結婚式万歳!」

 

 「結婚式万歳! そう、そうよね! ジェームズのこともセブのことも大切なんだから、二人と結婚すればいいじゃない!」

 

 「え?」

 

 そしてふと、一人だけ冷静になってしまった者の悲劇。

 

 やはりゴーストは熱しやすく冷めやすいのか、聞いてはいけない言葉を聞いて、とんでもないタイミングで我に返ってしまった間の悪い女代表のメローピーさん。

 

 

 「そう、そうだったのね……やっと分かったわ、ありがとうメローピーさん! 答えが、見つかったの!」

 

 「え、あ、あの、リリーさん?」

 

 まずい、何かとてもまずい物を自分は踏んでしまったのでは。

 

 幽体のはずなのに、冷や汗の流れる感覚が何故か分かる。分かりたくなんてないのに、なぜだ神よ。おのれダッハウ、謀ったな。

 

 

 

 「決めたの! 私、悪女になるわ! ジェームズのことも、セブのことも愛して、メロメロにしちゃうようなとびっきりの悪女に!」

 

 

 この瞬間を指して、ドクズ悪霊教師は、後のホグワーツの歴史にこう記録した。

 

 

 

 “恋の魔女マジカルリリー”、爆誕

 

 

 

 ハリー・ポッターという男の子の生涯を、あまりにも想定外のベクトルから苛み続けることになる、愛に満ちた幸せ家族という、名状しがたき地獄に極めて近いけどなんか違う微妙な日常の始まりであった。

 

 




Q.リリー・エバンズ女史の倫理観が一部だけピンポイントでトチ狂った件について一言


某魔法史悪霊 「私のせいではない」

某便所悪霊  「私のせいではない」

某未亡人   「善かれと思って……」


某姉     「訴訟も辞さない」

某亡霊少女  「仲良しでいいと思うの」

某校長    「アリアナの言う通りに」

某悪戯少年  「どうしてこうなった」

某幼馴染   「ふざけるな」

某猫     「みゃあ」


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12話 ドクズゴースト三人衆

バーサ・ジョーキンズの校内新聞 【月刊少女ホグワーツ】 最終回

 

 

 一体何があった? 彼女の身に何が起こったというのだ?

 

 皆様こんばんわ、バーサ・ジョーキンズでございます。

 長らくご愛読いただきました当新聞も、いよいよ今回で最終回。七年間に及ぶ私の学院生活にもついに門出のときがやってまいりました。

 皆様より応援いただきつつ、時に苦難に立ち向かい、時に笑い転げながら前に進んできたこの日々、私にとっては何よりの宝でした。

 無事卒業の目処が立つとともに、レイブンクローのギルデロイ・ロックハートという頼もしき後継者にも恵まれ、誠に感無量でございます。

 

 さてそんな最後の記事となる今回ですが、時事ネタ、政治ネタと多くの話題を拾ってきた我が新聞ではございますものの、やはり最後を飾るはこの話題。

 皆様ご期待の恋愛ネタでいきたいと思います。

 対象となるは、今ホグワーツを最も沸かせている“二組にして一組”、“二人三脚カップル”とも呼ばれる例の男女トリオ。

 

 リリー・エバンズ、ジェームズ・ポッター、セブルス・スネイプの3名について

 

 事の起こりは、一体誰であったのか、それは最早誰にも分かりません。我々に分かることは、まずセブルス・スネイプがリリー・エバンズへ告白し、次いでジェームズ・ポッターがリリー・エバンズへ告白し。最後に、リリー・エバンズが“両方に”愛していますと返答したこと。そしてその日から、“両方と”付き合い始めたという実しやかな噂のみ。

 

 なぜ、ことはこれ程までに明快でありながら、混沌としているのか。それは、真実を誰も判別できないからに他なりません。

 

 ジェームズ・ポッター証言 : 「リリーは僕の恋人だ。魂に懸けて偽りじゃない」

 セブルス・スネイプ証言  : 「彼女と付き合っているという事実はない。二股などというのは彼女への度し難い侮辱である」

 リリー・エバンズ証言   : 「私、悪女になりました」

 

 以上の証言に矛盾がないならば、ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズが付き合っているという妥当な結論へと至るはずです。

 しかし、当人だけは否定しているものの、彼女らの近しい友人らの誰に尋ねても、セブルス・スネイプがリリー・エバンズの恋人であることを明確に否定する人物が他にいないのです。そう、奇妙なことに、ジェームズ・ポッター本人すらもが。

 

 何よりも、あの無垢で可愛らしかったグリフィンドールの妖精姫が、悪女になったという謎の宣言。言葉尻だけを捉えるなら、男を二股にかけて棄てていく悪女ともとれるものの、しかし彼女はこうも言っておりました。

 

 「ジェームズのことは大好きよ、絶対に一生変わらないわ」

 「セブのことを愛してるわ、幼い頃のあの日から、何時までも」

 

 ……何と表現すればよいのでしょうか。巷ではグリフィンドールの“妖艶姫”という渾名も飛び交っているようですが、とにかく今の彼女には不思議な魅力で満ちております。倫理も何もかも超越したその先に、彼女が微笑んで待っているような。我々人類の遠い旅を、彼女が導いてくれるような。

 

 まるで、救世主に出会った信徒の面持ちで、我々は答えが出るその日を待つことといたしましょう。最後に、彼女からのメッセージを添えて。

 

 【私は恋の魔女、マジカルリリー。どうかホグワーツの皆が真実の愛を掴めますように】

 

 

 以下、来月号、“月刊少年ギルデロイ”へ続く……

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「改めて見るに、カオスな状況としか言いようがありません」

 

 「うん、そこは心から同意するわ」

 

 「まったくですね」

 

 「私も長いことホグワーツで教師やってますが、こんな状況は見たことがありません。ただの二股案件ならいくらでもあったでしょうが。あとメローピーさん、大戦犯である貴女が何食わぬ顔で混ざるとはいい根性してます」

 

 「ひぃ、ごめんなさいごめんなさい、すみません許してください何でもしますから」

 

 「ん? 今なんでもするって言ったわよね?」

 

 「確かに、時計塔は記録しました」

 

 「あれ? なんかデジャヴュ……」

 

 悪びれるということを知らぬとばかりにドクズゴースト三人衆は、今日も今日とて墓場へゴーゴー。

 

 現在は夏季休暇の真っ最中であるため、ホグワーツの生徒は全員実家へ帰省中。残っているのは一部の教師と霊魂たちばかりである。

 

 というのも、今や過去の話となりつつある。

 

 

 「まあいつもの寸劇はともかくとして、いよいよ戦争の影響がこのホグワーツにまで迫ってきた感はありますね。今年はひとまず実家へ戻りましたが、やがては家族ぐるみで疎開して来る日もそう遠くはないでしょう」

 

 「その第一段階としての、ゴブリンたちなわけね。元々ホグワーツ自治領内に住処があった水中人やケンタウロスはともかく、ゴブリンがホグワーツへ保護を求めてくるってのは相当のことよね」

 

 ドクズ悪霊共の見つめる先には、相当数に登るゴブリンと、更に他の種族も多数、レプラコーンやドワーフ、中にはバンシーの姿も見受けられる。

 

 ただまあ、夜間学校の“生徒達”のインパクトに比べれば、パンチが些か効いていない感は否めない。というか、向こうの面子が異常に濃すぎるだけな気もするが。

 

 

 「恋の魔女マジカルリリーとなってしまったエバンズ女史の精神分析はともかくとして、彼女をマグルの実家へ避難させるべきかという問題については未だに答えは出ておりません。これはまあ、彼女に限らず現在在籍している全てのマグル生まれ生徒、そして、来年入学してくる生徒の多くにも言えることでしょうが」

 

 「この前手紙を貰ったけど、ペチュニアとも何度も話し合っているそうよ。時に感情的に、時に理性的に、ね」

 (彼女からマートルさんへの詰問の手紙については意図的に伏せるクズの鑑、なお、私のせいではないと答弁した模様)

 

 「いっそのこと、向こう側にまとまった避難所を作ったりは出来ないんですか?」

 

 「メローピーさんの仰る通り、それが一番手っ取り早いのは“合理性”に満ちた答えというものです。しかし、それが現実的な手段であるからこそ魔法界から境界線を跨いだ避難先としては使えません。細かい理屈を省いて言えば、“無関係なマグルは危険に晒せない”ということですね」

 

 魔法法の存在然り、魔法使いの隠匿のこと然り、魔法事故惨事部の普段の業務然り。

 

 現実世界と幻想生物の世界の境界とは常に曖昧であり、その狭間で生きる魔法族にとって、常に意識をせざるを得ない、存在理由に直結する大黒柱でもある。

 

 ならばこそ、例え戦争で多くの魔法使いが死ぬことになろうとも、境界線を容易に越えて“垣根の向こう側”に魔法族の避難所を作るわけには行かない。

 

 もしそれを行うとなれば、魔法界の終わりが、幻想生物の終焉が不可避のものと決定づけられた後の難民処理のような段階に入ってからの話だろう。

 

 

 「ええと、すみません。私にはよく分かりません」

 

 「分からなくていいわよ。アタシだって隅から隅まで全部知っている訳じゃないから。ただまあ、コイツはちょっと別だけど」

 

 「そうですね、しっかりと説明するなら魔法史とマグル史を紀元前4500年頃から現代に至るまで語らねばなりませんので、一年分の魔法史講義が埋まってしまいます。実際、六年生や七年生へ行っている授業内容そのものでもありますからね」

 

 「そうなんですか? というか、ダッハウ先生って真面目に授業やってたんですね」

 

 「意外に見えるのは当然ね。一年生には開幕にとんでもない爆弾放り投げるけど、高学年になるにつれて割りかしまともでシビアな授業内容になっていくのよ、こいつ」

 

 例えば、スクイブについて、穢れた血と呼ばれる者達について。

 

 魔法使いが語りたがらない薄暗い歴史も、血と泥に沈んできた犠牲者たちも、その怨嗟も。

 

 全てを語った上で、もし、“貴方たちが歴史の当事者であったならばどうしていたか?”を問う。それが、悪霊教師の魔法史である。

 

 ならば当然、今の六年生と七年生に教え、問う内容とは一つしかありえない。

 

 “この魔法戦争について貴方方は何を思い、如何なる意思で参加するか?”

 

 

 「当然といえば当然の話なのですよ。流石にダンブルドア先生の擁護があるとはいえ、全学年にあのような授業をしていては早急に退任させられます。保護者からの大量の苦情が“一年生の親”に限られているからこそ、言い訳という名の弁明もできるというものです」

 

 「つまり、境界線を見極めた上での計算尽くの犯行だったわけなんですね」

 

 「ね? 余計たち悪いでしょコイツ」

 

 狙った上でギリギリのラインで新入生をノイローゼ寸前に追い込むのだから、悪質この上ない。

 

 ついでながら、やばいと思ったらアリアナちゃんに頭を下げて依頼する徹底ぶり、己の失態を幼女に尻拭いさせるクズの鑑ここにあり。

 

 

 「そんな魔法史教師たる私の眼から見ても、戦争はそろそろもう1段階動きます。1970年に始まり、最初の3年程度を初期、次の3,4年を中期とするならば、均衡が崩れて攻守が目まぐるしく移り変わる後期段階に入るはず。武闘派たる死喰い人の活動も、いよいよ活発になるでしょうね」

 

 「へぇ、予言ってやつかしら?」

 

 「いいえ、これはただの予測です。両陣営の人的資源や物資輸送のバランスから考えても、収束点は1980年か1981年頃でしょう。それ以上は流石に持久戦を行うにしても精神的に持ちますまい。今の御時世、休戦を幾度も挟んでの百年戦争など行いようもないのですから」

 

 初期の政争的な状況を激化前、戦端が開く前と定義したとして、結局の所“戦争状態”を継続できるのは6~7年程度になってくる。

 

 それ以上長引けば停戦であれ、休戦であれ、どこかで区切りを入れざるを得ず、これが魔法族発端の内戦である以上、停戦や休戦はイコール劣勢陣営の敗北を意味する。

 

 

 「まあ問題は、一応の勝敗がついてなお、闘争の形を変えて戦争が継続することもまた多いということでしょうが」

 

 ノーグレイブ・ダッハウは静かに戦争の終わりを見る。その過程で散っていく命を地下墓地に招き、その物語を記録しながら。

 

 当事者にならない観測者には、ただそれだけが役割として定められているのだから。

 

 

 「ともあれ、リリーさんらの卒業と共に、恋愛模様を眺めていられた季節も終わりを迎えます。冬の時期など、“春よ来い”としか書きようはありませんが、ならばこそ、せめて恋の春については面白おかしく語っていくといたしましょう」

 

 史記として残るような重厚な物語は、別の機会に綴るに任せて。

 

 今はただ、運命の少年が生まれるその日まで、正しい歴史の時間軸との相違点を埋め合わせるに留めましょう。

 

 ああ、時計の針は回っていく。時計塔の響きとともに。大いなる時の歯車の逆転するままに。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「なるほど、それは確かに前代未聞でありながらも、理に適った選択とも言えますね、いや、面白い、実に面白い」

 

 「そうですよね。なのに、ジェームズやセブに相談しても目を背けるばっかりで」

 

 「それが普通の反応だとは思いますよ。まっとうな倫理観を持つならば、当たり前のことです」

 

 ホグワーツのとある場所にて、秘密の会談を行う教師と生徒。

 

 これだけ書くと禁断の関係かと思わせる内容だが、ある意味でその推測は正しい。

 

 問題は、禁断の関係の方向性が見事に異次元の彼方へぶっ飛んでしまっていることだろうが。

 

 

 「でも、倫理に拘って不幸になってたら本末転倒じゃありませんか? 倫理だって何だって、皆が幸せになるためにあるのに」

 

 「おお、何という金言でありましょうか。人権という既得権益に拘った挙げ句に不幸になっている愚か者に聞かせてやりたい言葉です。流石は今年度の首席と言うべきですか」

 

 「そんな大層なものでもありませんよ。それよりもダッハウ先生、さっきの件、お願いしてもよろしいでしょうか?」

 

 一人は言わずもがな、ドクズゴースト三人衆の一角。

 

 そしてもう一人はグリフィンドールの女生徒であり、首席を務めるマグル生まれの才媛。うん、まあ、肩書だけはそうなっている。

 

 

 「ええ、確かに承りましたよ。マグル側の教会については、エルフィンストーン・アーカート氏と、クリストファー・ウォーレン氏に折衝を。魔法族の式場については不死鳥の騎士団の施設を使うのがよろしいでしょう。こちらの許可は、ダンブルドア校長とシグナス副校長の二名を抱き込めば十分です」

 

 「えっと、出来そうです?」

 

 「余裕であると答えましょう。校長先生についてはアリアナちゃんがこちら側である以上は掌の上も同然。シグナス副校長は合理性と中立性を重んじる方ですから、この際倫理などは取っ払って、戦争遂行の上での効率性のみを説くこととしましょう。そちらも私の得意分野ですのでお任せを」

 

 「ありがとうございます、じゃあ私は早速説得に」

 

 「その必要はありませんよ。彼らもきっと今頃、貴女と同じように語り合っていることでしょうから」

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「という訳なんだマートル、君からペチュニアに手紙を出して、何とかならないか?」

 

 「無理ね、諦めなさいジェームズ」

 

 「そんな! 君だけが最後の頼みの綱なんだ!」

 

 「大人になるって、悲しいことなのよ」

 

 にべもなくばっさり。

 

 一縷の望みを託し、プライドをかなぐり捨ててでも“破局の魔女”に縋り付いた今年の七年生男子首席殿であったが、あえなく轟沈。

 

 

 「別に貴方にとってもそう悪い話じゃないでしょう。リリーに振られたわけじゃないんだし、結婚できるし」

 

 「だからといって、アイツと重婚なんて有り得てたまるか! とびっきりの悪夢だぞ! 同じ家でリリーとアイツと暮らせってのか!?」

 

 「面白そうでいいじゃない。ギスギスするかもしれないけど、刺激的な日々になりそうで。ほら、想像してみて、壁の向こう側から聞こえてくるアンアン声を」

 

 サラリと流すドクズゴースト三人衆のその二。

 

 

 「やめてくれぇ! 正気が減っていく!」

 

 「やがてはそれを背徳的な快楽に感じる日も来るわ、慣れなさい」

 

 悪魔の勧誘だってここまで酷くはないだろう。ドクズ悪霊ここに極まれりである。

 

 なんというか、まあ、どこまでも他人事だった。

 

 

 「本当にそれでいいと思ってるのか、君だってペチュニアの親友なんだろう!?」

 

 「別にいいんじゃない? アタシが願うのは親友であるチュニーの安全と幸せ。そして、彼女の願いであるリリーの安全と幸せよ。アンタとセブルスの二人と結婚することで、あの子が幸せになれて、安全面でも理に適ってるなら、反対する理由なんてないでしょうに」

 

 「待て! 僕の想いと幸せはどうなるんだ!?」

 

 「心底どうでもいいわよそんなもん」

 

 ダッハウに負けず劣らず、やはりコイツも屑だった。

 

 

 「お前らなぁ……」

 

 「グチグチ言ってないで、そろそろ腹を括りなさいなジェームズ。リリーや仲間のためだったら、いざとなれば何でもやってみせる馬鹿みたいに向こう見ずな蛮勇だけが唯一の取り柄なんだから」

 

 「唯一は余計だよ。クィディッチとか魔法薬とか変身術とか、得意分野はいくらでもあるってのに」

 

 「あら妬ましい、これだからリア充は嫌いなのよ」

 

 「リア充ね。……おっし、だったらリア充はリア充らしく、リリーの夫として堂々といかないとな。細かいことを考えるのは止めだ! リリー! 愛してるぞぉ! そしてスネイプ、テメーはさっさとくたばりやがれ!」

 

 こと切り替えの速さについては、獅子寮においてもジェームズ・ポッターは天下一品。

 

 さっさと元気を取り戻して走り出す不屈の悪戯青年を眺めつつ、ほんのちょっぴり羨望の瞳で見送るマートルさんであった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「メローピー、貴女には本当に感謝している。感謝、して、いるのだが……」

 

 「ごめんなさいセブルス、わたくしが余計なことをあの子に言わなければ……」

 

 テンションが高く会話のテンポも早かった別組と異なり、こちらはまるで通夜の面持ち。

 

 一縷の望みを持っていたジェームズと異なり、こちらは既に諦観の境地にあったのか、声を荒げることは最早なかった。

 

 しかしまあ、そんな姿だからこそ見てるものには哀れを誘い、“やらかしてしまった”ドクズゴースト三人衆の最後の一人にとっても直視できない光景となっているのであった。

 

 端的に言って、“どの面下げて”というやつだろう。

 

 

 「あまり謝らないで欲しい。貴女は最善のことを為した、とは、うむ、まあ、あまり言えないかも知れないが、それでも、ほら、その、善意の行動ではあったわけであり」

 

 「無理に庇ってくれなくていいですから、自分がどうしようもない根暗のドクズゴーストであることは自覚してますから」

 

 「………すまない」

 

 「だから、謝らないで、余計に惨めになるだけです」

 

 とにかく、ダウナー。とにかく、空気が重い。

 

 根っこが真面目で、なおかつ悲観的な方向に偏っている二人だからか、開き直って笑うことも、怒り狂って暴れることも出来なかった。本質的には苦労人の性と言える部分もあるだろう。

 

 何だかんだで、開き直って今の状況を楽しんでいるリリーは強い女の子と言えるのかもしれない。

 

 

 「ですがまあ、物は考えようです。あのまま仮にリリーが私だけを選んでくれていたとして、私がそれを素直に受け止めることが出来たとも思えません。彼女の安全を第一とするならば、奴が表の守り、私が搦手からの守りという分担が一番適している以上、偽装結婚だの何だのといった、似たような妥協案に落ち着いていた気もします」

 

 「それは、確かにそうかもしれませんけど」

 

 「少なくとも、ダッハウ教授ならばそう言っていたことでしょう。そして逆に、リリーがあの男を選んでいたならば、それこそ私はただ影となって彼女を支えるだけだった。ならばむしろ、得をしたのは私の方であるとも言えるではありませんか」

 

 自分のダメさ加減、クズさに落ち込むゴーストを慰める人間という構図。

 

 片方は未だ学生であるはずだが、人間として一皮むけたのか、既にメローピーさんよりも人格が出来ている印象もある。

 

 いやまあ、単に悪霊側が駄目すぎてまともに見えるだけかもしれないが。

 

 

 「ヤツのほうが傷が大きく、私の方に得るものが多いとあらば、それだけで私は満足です。まして、マグル世界に限るとしても、リリーの両親に紹介され、法的に夫を名乗ることを許されるとあらば、セブルス・スネイプという男にとっては過ぎたる幸福というものなのですから」

 

 それは、偽らざる彼の本音であり。

 

 コンプレックスに悩み、嫉妬に狂い、大切であったはずの女性を自らの手で傷つけることしか出来ない呪いの道に嵌りかけていた男にとって、自己と向き合うことでついに掴み取った、勝利の光と言える明日への希望であった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「かくして、二重結婚式はつつがなく執り行われました。目出度くも素晴らしき大団円でありましょうか」

 

 「若干燃え尽きてた男が一人いたけどね」

 

 「ポッター君、可哀想に……強く生きて」

 

 そして時は過ぎ、あいも変わらず魔法の城で駄弁っているドクズゴースト三人衆。

 

 運命の世代が卒業していき、死喰い人陣営との激しい抗争を繰り広げる時代になろうとも、どこ吹く風でのほほん日和。

 

 

 「まさに、前例のない二重結婚。魔法界とマグル界の境界線の在り方に一石を投じる、非常に見事な逆転の発想と言えましょう」

 

 「仮定として考えたとしても、普通は実行しないんだけどね」

 

 「その点、リリーちゃんは凄いですね。心から尊敬します」

 

 そして他人事のようにちゃっかり尊敬している悪霊未亡人、やはりコイツも屑だった。

 

 ああ、アリアナちゃん。君だけが最後の砦だ。どうかいつまでも無垢なままでいてくれ。

 

 

 「魔法界においては、アルバス・ダンブルドアを結び人に結婚式を執り行い、彼女は晴れてリリー・ポッターとなりました」

 

 「マグル界では、ごく当然の形で、幼馴染の男の子と結ばれて、実家の最寄りの教会で近所の人や近しい親戚を集めての極々普通の結婚式。法的にも何ら問題があるはずもなく、リリー・スネイプの誕生ね」

 

 「でも、同時にエバンズ姓も正式名称には残っているんですよね」

 

 「そのようですね、ついでに言えばセブルス・スネイプ氏も今となっては父親の姓に然程執着はないのか、プリンスを名乗ることも考えられたそうですが」

 

 「その理由が、“スネイプなどというみずぼらしい姓はリリーには相応しくない”、なんだからいかにもセブルスらしいわ」

 

 「でも、リリーちゃんに説得されて、結局はスネイプのままにしたんですよね」

 

 

 “みずぼらしいなんて、そんなことはありえないわ。だって、世界で誰よりも素敵な貴方がずっとホグワーツで使ってきた名前で、多くの人が貴方をスネイプと呼ぶのよ”

 

 「誰よりも素敵、ですか。悪女を目指すといったリリーさんの宣言に偽りはないようですね」

 

 「同じその口で、ジェームズには“世界で誰よりも格好いいわ”とも言ってるしね。あっち側の結婚式で」

 

 「リリーちゃん、なんて怖い子なの……」

 

 それらを一切計算せず、心の底からの愛の言葉として贈れるのが本当に恐ろしい。

 

 魔法界側の結婚式に参列していた者達も、一部の事情を知る近しい友人を除いては、まさか二重結婚している女性の言葉とは思わなかったろう。

 

 

 「あれ? でもそうなると、スネイプ君はマグルとしても魔法族としても立ち位置があるからいいとして、ポッター君は生粋の魔法族ですからマグル側の人達と面識なんてないですよね」

 

 「ええそうです。だからこそセブルス氏がマグル側での夫君となったわけですし」

 

 「じゃあ、そっちの結婚式には彼は参列すら出来なかったんですか? 仮に参列出来たとしても、どういう立ち位置になるんです?」

 

 「そんなの、決まってるじゃない」

 

 「ええ、決まりきった答えですね」

 

 一呼吸置き、いっせーのーせ、っとタイミングを合わせるドクズコンビ。

 

 

 

 「「 自分のことをリリー・エバンズの夫だと思いこんでる精神異常者 」」

 

 

 「これは酷い、あまりにもあまりです」

 

 流石のメローピーさんでも、これは心底同情する。

 

 いやまあ、同情された側は精神異常者扱いにもめげず、何だかんだで新婚生活に思いを馳せているのだから、鋼のメンタルと言えるだろうが。

 

 

 

 

 「なにはともあれ結婚についてはひとまずの区切りが付きました。これからは死喰い人と戦いながらの新婚生活に加え、妊娠し第一子誕生となれば、どちら式で名付けるか、そしてそもそもどちらの子供なのかなど、様々な心躍る物語が展開されていくでしょう」

 

 「ふっふっふ、まだまだこの先も楽しませて貰えそうね」

 

 「あの~、楽しむのは不謹慎なのでは?」

 

 「やれやれ、まだまだ若いですねメローピーさん」

 

 「そうよ、だってアタシらは所詮悪霊なんだから」

 

 

 他人の不幸は、基本的には蜜の味。

 

 でも、湿気た不幸なんてつまらないから、カラッと爽やか、清々しい不幸で皆を笑わせよう。 

 

 

 ほうれジェームズ、特に悪いことはしていないのに割りを食った君のように。

 

 そうらセブルス、一生懸命頑張りはしたけど、なんか微妙な感じになった君のように。

 

 そしてリリー、誰からも愛されて、誰をも愛したからこそ、幸せを掴めた貴女のように。

 

 

 現世の倫理がなんじゃそら、ここは幽冥楼閣の夜間学校、境界線のホグワーツ。

 

 

 

 「喜劇も悲劇も合わせて全ては物語、ならば悪戯を尽くして明るく生きて、最後に笑って墓に入るが、人生を楽しむコツというもの。当然、死後には感謝のお辞儀を忘れずに」

 

 「そろそろ貴女も分かるでしょ、だってそれこそが」

 

 「はい! 我らホグワーツ夜間学校の心意気というものですね!」

 

 

 ここにありきは、ドクズゴースト三人衆。

 

 さあて、次はどんな物語を覗きましょうか。

 

 

 

 



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ハリー・スネイプと幽霊の管理人
1話 そして可哀相な男の子は生まれた


悪霊共の新章を開始しました


 この世にクズが、三つあり

 

 ダッハウ、マートル、メローピー

 

 

 

 

 

 「これこそが、グリフィンドールの談話室に新たに刻まれた、謎の怪文書となります」

 

 「誰が書いたのか、一目瞭然ね」

 

 「あ…やっぱりわたくしも入ってるんですね」

 

 真夜中のホグワーツにて、今日も今日とて悪霊共はあちこちを徘徊中。

 

 グリフィンドールの寮憑きゴーストはかつての“ほとんど首無しニック”、今は“ついに完全首無しニック”であるが、別に縄張りなどがあるわけではない。好きな時に好きな場所に現れるのがゴーストだ。

 

 まあ、マートルさんは定期的にトイレに戻らないといけないし、地縛霊なので死んだ場所から移動できない霊などもいるが、少なくともホグワーツの内部ならばそれなりに動くことは出来る。

 

 ちなみに、鬱陶しくなるほどアクの強い悪霊共の中において、“首無しニック”は随一の良識派と言って良く、最近の渾名は“無害さん”となりつつある。

 

 

 「あ、無害さんだ、おはよ~」

 「おはようございます、無害さん」

 

 

 という感じで、グリフィンドール生から声をかけられる機会も最近多くなったとか、この一事からも、他の悪霊が如何に“有害”であるかが分かろうというものだ。蛇と鷲の2人は常に害悪ポエムを垂れ流し、修道女殿は相も変わらず腐っておられる。そしてもはや語るまでも無い例の3人。

 

 そして、そんな有害な悪霊の三人衆が集まって、獅子寮の談話室にて卒業生の残した文章を眺めているのであった。

 

 

 「この獅子寮では、首席となった生徒が卒業の際に何か文章を残していく伝統があります。ダンブルドア先生が書き残した有名な言葉が、“より大きな善のために”ですね」

 

 「なかなか、歴史の偉人っぽい含蓄の有りそうな言葉ね。流石だわ」

 

 「でも、隣が隣だけに今は見る影もないですね」

 

 これらの言葉は談話室の柱などに刻まれており、100年ほど前のアルバス・ダンブルドア卒業時にはその周辺に別の言葉もなく、ドドンッと言わんばかりにこう、威厳を放っていたのだが。

 

 

 

 より大きな善のために    アリアナの言うとおりに

 

 油断大敵!

 

 クィディッチに、勝るものなし

 

 闇を祓い、決して闇に呑まれるなかれ

 

 この世にクズが、三つあり

 ダッハウ、マートル、メローピー

 

 

 

 今ではこんな感じだ。かつての首席卒業生が校長となった後、昔の若く傲慢な己を悔い改め、それを戒める言葉を刻んだと言えば聞こえはいいのだが。

 

 新たに残された文面を見る限り、孫可愛さに耄碌したボケ老人の戯言にしか聞こえない。グリンデルバルドが草葉の陰で嘆いていそうだ。

 

 

 「しっかしまあ、早いものね。ジェームズとリリーが卒業してもう2年。あの大波乱だった結婚式も終わって、無事に子供も生まれたんだしね」

 

 「ええ、実におめでたいことです」

 

 「ポッターくんにとっては、無事に生まれたと言えないような状況でしたけどね……」

 

 遡ること一週間ほど前。

 

 ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズ改め、リリー・ポッターとの間に目出度く第一子が誕生。ハリーと名付けられた。

 

 

 「そりゃそうでしょ、生まれた子はハリー・エバンズ・スネイプだったわけだし」

 

 「ポッター要素が皆無でしたね。流石は自分のことをリリー・エバンズの夫だと思いこんでる精神異常者」

 

 「ダッハウ先生がまた余計な忠告なんてするから……」

 

 魔法界ではハリー・ポッター、マグル界ではハリー・スネイプという実にややこしい男の子。

 

 ついでながら、まだまだ赤ん坊なのでどっちに似ているとも判別し難く、母親はともかく、父親が“どっち”であるかはまだ誰も知らない。

 

 いやまあ、魔法界に色々ある魔法薬やら魔法アイテムやらを使えば、“血縁だけに反応する”DNA鑑定めいた手段は色々とあるのだが。

 

 なにかこう、開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまうような恐怖があって、知人友人皆揃って提案すら出来ない状況となっていた。最大の理由は“恋の魔女”になってしまったリリーの輝かしい笑顔にあるだろうが。

 

 

 「失敬な。ごくごく客観的な観点から、出産を控えたリリーさんへ提案しただけですよ。姉君経由でマートルさんが、ですが」

 

 「こいつはクソだけど、今回に限ってはかなりまともな意見だったからね。聖マンゴ病院ですら最近じゃあ万全とは言い難いし、仮に忠誠の術を使っても自宅出産は守りが不安定になるし、となれば、マグルの大病院が一番安全でしょ」

 

 「何よりも、如何なる巡り合わせかは分かりませんが、姉君であるペチュニア・ダーズリー女史も同時期に懐妊し、出産のために産婦人科を持つ総合病院に入院していたのが最大の理由です」

 

 戦争の激化と、騎士団員の安全確保。何よりも“予言”というものの存在。

 

 様々な要因を考慮した結果、懐妊したリリー・エバンズは妊娠4ヶ月目あたりからはエバンズ家の実家に戻っており、同じく実家に戻っていたペチュニアと共に出産に備える生活であった。

 

 

 「その点においては、最大の功労者はバーノン・ダーズリー氏でしょうね。流石は新進気鋭のベンチャー企業を率いる社長です。己の妻となったペチュニア女史のみならず、その妹であるリリーさんの分の出産、入院費用まで出してくれるとは太っ腹です」

 

 「当然よ。あたしの親友であるペチュニアの選んだ夫なのよ」

 

 「……少しだけ妬ましいです。ああ、トム、わたしのトム……」

 

 「おっといけません。メローピーさんの発作が始まりました」

 

 「そういやこの子、金持ちだったリドル家から追放同然で、身重のまま一人でさまよった挙げ句に出産したんだったわね」

 

 久々に発動したメローピーさんの発作、改めて重い人生の女である。

 

 トム・リドル(父親)とバーノン・ダーズリー。イケメンでハンサムなのは圧倒的に前者だが、夫にするなら議論の余地なく後者だろう。

 

 片や、決して悪人という訳ではなかったが、親の金で遊び呆けるタイプのイケメン坊っちゃんであり、メローピーさんの事件があった後も実家に戻っただけ。家を継いだという言い方も出来るが、悪く言えば親の脛をかじり。

 

 片や、自らの手腕で小なりとはいえ穴開けドリルの製造会社を若くして立ち上げ、結婚した妻を社長夫人として何不自由させていない若社長。

 

 

 「メローピーさんはしばらく放っておくとして、バーノン・ダーズリー氏についても、リリーさんの大胆な二重結婚策は大当たりだったと言えるでしょう」

 

 「うん、実はリリーが“ああなる”前から前兆みたいのはあったのよ。ペチュニアはしっかり者だし、マグルの世界で真っ当に生きているタイプだから、バーノンみたいな地に足のついている男性と結婚する可能性は高かったからね」

 

 「となれば、“ダーズリー家との親戚付き合い”を考えれば、ジェームズ・ポッターは論外ですね。マグル世界では存在すらしていない家ですから、イングランドという国民国家からすれば、ボートピープルの浮浪者も同然です」

 

 国籍を持たない、パスポートも持たない、まつろわぬ民。

 

 中世社会において洗礼を受けてないこと以上に、現代の国民国家というものは厳格であり、私生児には生きにくい場所とも言える。

 

 ユダヤ人問題、クルド人問題、ロヒンギャ然り。マグルにはマグルで、まだまだ解決できない社会問題は山程あるのだから。

 

 

 「そこなのよねえ。仮にマグル世界でもジェームズと結婚したことになると、あの子は国籍不明の浮浪者と関係もって身籠ったことになるし、もしその末に死喰い人との戦争でどちらか死んだりでもしたら」

 

 「碌でもないヤクザまがい、不法難民まがいに股を開いて妊娠した挙げ句、巻き込まれて死んだ不良娘。というレッテルにしかなりえないでしょうね。バーノン氏の姉君の、マージ女史、でしたか。詳細な事情を説明できぬ親戚筋レベルになれば、そうとしか取りようがありません」

 

 さらに言えば、マートルさん時代ならば“ろくに学校にも通わなかった”というおまけがつく。ホグワーツ在校は、マグル社会では学歴として見られない。

 

 そして万が一、生まれた子のハリーだけが残されたりすれば、どのような立ち位置となるか。

 

 “ハリー・ポッター”を引き取って育てるということは、マイナスにしかなりえない爆弾を拾うようなものであり、もしそれをただの善意から行えるならば、バーノン・ダーズリーという男性は、極めて“お人よし”としか言いようがあるまい。

 

 何しろ、“得体のしれないヤクザの抗争”に巻き込まれて、本来無関係のダーズリーの人間にまで、被害が及ぶ可能性すらあるのだから。

 

 別世界の戦争はあくまで、別世界の戦争であって、マグルのダーズリー家に迷惑をかけてよい理由など、本来1ミリもありはしない。

 

 

 「もし仮に、ですが。得体のしれないジェームズ・ポッターと結婚したという認識であったまま、もし夫妻揃ってヴォルデモート卿との戦いで戦死し、残されたハリーを引き取ることとなったとしたら、彼はどうすると思います?」

 

 「うーん、あたしはペチュニアの手紙経由でしか人となりは知らないけど、引き取りはするんじゃないかしら」

 

 「己の家族を危険に晒すと承知でなお、ですか。いざとなれば、ペチュニア・エバンズとの離縁すらも選択肢としては考えられる訳ですが?」

 

 「それはないわね。そのうえで、ハリーを絶対に魔法世界に関わらせないように、“ただのマグル”として育てようとするんじゃないかしら」

 

 「なるほど、なるほど。ふむ、そういうこともあるでしょうし、そうでないこともあるでしょう」

 

 「何よ、勿体ぶるわね」

 

 「いえいえ別に。おっと、時計塔の鐘の音が聞こえてきます」

 

 ドクズ悪霊教師は、たまにこんな時がある。

 

 “もしも”の場合を提示し、誰かの回答を聞いた上で、何かを誤魔化すような時が。

 

 

 

 「それにしても、病院で出産、ですか。今のマグルは本当に変わってきてるんですね」

 

 「おお、復活しましたかメローピーさん」

 

 「話題が二、三個前なのはご愛嬌ね」

 

 そして、何事もなかったように会話に復帰するメローピーさん。ドクズ悪霊共の駄弁り空間では何時ものことだった。

 

 

 「まあ、出産環境の変化には心から同意ね。あたしや弟のクリストファーが生まれた時ですら、まだまだ自宅出産と産婆さんが当たり前だったわよ。他にはせいぜい教会かしら?」

 

 「ホスピタル騎士団の頃からの欧州の伝統ですね。洗礼も合わせて行えるという利点がありましたから、司教区に限らず小さな集落でも司祭、助祭が現在で言うところの産婦人科医の役割を担っていたものです。この辺りは旧教も新教も別はないでしょう」

 

 「わたくしはマグル社会をよく知らないので、その辺もピンとこないんですよね」

 

 ゴーントの家で生まれ育ったメローピーさんにしてみれば、キリスト教や教会という存在すらも未知の領分だ。

 

 中世の普通の魔法族でも、“マグルはそういう感じらしい”程度には知っていたが、こと、ゴーントの家のマグル嫌いは筋金入りである。

 

 メローピーさんの人生が悲劇に終わってしまった要因の多くに、リドル家という【現代マグルの地主】と付き合っていく方法を、何も知らなかったという教育の欠落にあることは間違いないだろう。

 

 

 「ある意味では、メローピーさんの言葉にこそ含蓄があります。まさしく、ポッター、ブラックといった彼らとの関係においても同種の問題は起こり得る。ペチュニア女史まではギリギリとしても、ダーズリー家の方々からすれば、完全にアウトです」

 

 「まあ、国籍不明のヤクザまがいと関わってる人間となんて、親戚づきあいしたくないわよね」

 

 「言われてみればそうですね」

 

 なるほどと、メローピーさんも納得する。要するに、ダーズリー家からすれば、ポッターだろうがブラックだろうが、ゴーント家のような“災厄の家”でしかないわけだ。

 

 自分達とは全く関係ないところから、暴力と戦争を運んでくるのだから、悪質きわまりないのだった。

 

 

 「これらもまた、マグル生まれと純血が結婚する際の境界線問題の一つです。スクイブや穢れた血問題と並んで、根の深い課題と言えます」

 

 「あたしの時もそうだったしね。だからこそ、セブルスの奴とマグル側で結婚するのは効果ありだったわけ。“悪戯や礼儀知らずが嫌い”という点では、バーノンとセブルスは相性悪くないし」

 

 「そういえば、スネイプ君からの手紙でも言ってました。“バーノン・ダーズリー氏はなかなかモノの分かる御仁だ”って」

 

 何気に、こっちもこっちで文通は続いているらしい。

 

 ただし、ダッハウには誰も手紙なんて書かない。

 

 

 「バーノン氏の側にも、余分な偏見のないのが良かったのでしょうね。彼からすればリリーさんは愛しの妻と仲の良い妹ですし、セブルス氏はその夫。今はエルフィンストーン・アーカート教授の下で、妻とともに考古学の助手をやっているという社会的肩書までありますから」

 

 「メローピーには分かり難いかもしれないけど、“知人の知人の友人”で人間関係が終わっちゃう魔法世界に比べて、マグル世界はすっごく人間が多くて、知らない他人とも歩調を合わせないとやっていけないの。だから、肩書とかが大事になってくるわけ。バーノンみたいに社長やってるなら尚更ね」

 

 「うーん、わたくしもマグル学を専攻すべきでしょうか」

 

 「でしたら、私の授業をどうぞ。魔法史のみならずマグル史との比較社会論も包括していますので」

 

 「やっぱやめます」

 

 断った。シンキングタイムゼロ。速攻で止めた。だってダッハウだもん。

 

 

 

 「でもまあ、無事に生まれたのは良かったけど、ジェームズの根性もなかなかだわ」

 

 「透明マントを被ってマグルの総合病院に忍び込み、新生児室にて我が子と体面を果たす父親の図。流石は、地図を作りし悪戯忍びたちです」

 

 「流石に、ハリーちゃんに会うのに忍ぶとは思わなかったでしょうけど……」

 

 哀れなり、ジェームズ・ポッター。

 

 何せ、ハリー誕生時に、“精神異常者”であるため、透明マントで忍び込まざるを得なかったという悲しい父であった。

 

 

 「そう言えば、ハリーの名前を付けたのはシリウスの馬鹿だったかしら?」

 

 「ジェームズ氏がシリウス・ブラック氏に頼んだのは事実です。その後、凄まじい紆余曲折があって新生児の名前は決まったわけですが」

 

 「そうなんですか? ハリーって、良い名前だと思うんですけど、響きはリリーさんに似てますし」

 

 「そこは問題ありません。問題になるのはセカンドネームというか、要するにフルネームなのですが」

 

 

 ハリー・ジェームズ・シリウス・アルバス・セブルス・ポッター

 

 

 「というのが、生まれた赤子の正式名称(魔法界)です」

 

 「あの馬鹿らしいというか、名付け親達のエゴがもろに出た名前になったわね」

 

 「これは酷い」

 

 この名前を一生背負っていくことになる、ハリー少年の人生にどうか幸あれ。

 

 

 「いったい、どういう経緯でそうなったんですの?」

 

 「純粋な名前については、初期案はこんな感じだったわ」

 

 

ハリーの名付け経緯

 

 ジェームズ   ハワード

 リリー     ヘンリー

 セブルス    エドワード

 シリウス    アルタイル (星の名前はブラック家伝統)

 

 

 「それで、名前についてはジェームズ案とリリー案を折衷するような感じに、シリウスがまとめたんだけど」

 

 「その後、フルネームを巡ってひと悶着ありまして」

 

 

初期案

 ハリー・ジェームズ・ポッター  (名付け親、シリウス)

 

 ハリー・ジェームズ・セブルス・ポッター (リリー案)

 

 ハリー・ジェームズ・セブルス・シリウス・ポッター (ジェームズ案、内心セブルスを追い出したいが、妻の手前難しいので、親友をねじ込んだ)

 

 

 「こうして、どんどん名前が増えていきまして」

 

 「この段階で、セブルスとシリウスが揉めに揉めたわ。ついでに言うと、数占いの観点からも文字数が良くなかったらしいわね」

 

 「なんて醜い争いでしょうか」

 

 「そして、さらに改訂案は続きます」

 

 

 どこかを減らす → 三人とも譲らない。

 

 誰か増やそう → リーマス、ピーター、事前に辞退。 実に賢明な判断である。

 

 他の騎士団員 → 話を振られる前に逃げた。ムーディだけは逃げなかったが、誰もムーディの名前を入れようとは言わなかった。

 

 

 

 「という風に、どんどん泥沼になりまして」

 

 「そろそろ、調停者が必要な空気になってきたわけね」

 

 親馬鹿三人の抑止力になれる人物で、縁のある人物といえば……、“魔法側”の結婚式の結び手を担った人物。

 

 彼の名前ならば、うむ、文句はあるまい。

 

 

 

結果

 ハリー・ジェームズ・シリウス・アルバス・セブルス・ポッター  (順番は数占いのベクトル先生に選んでもらいました)

 

 

 「となって、一件落着とあいなりました」

 

 「ハリーちゃん、なんて可哀想な子なの……」

 

 「あの三人の下に生まれたことを嘆きつつ、強く生きてくれることを祈るしかないわね」

 

 

 かくなる次第で、名付け親達のエゴがもろに出た名前となった。

 

 なお、頼られたセプティマ・ベクトル氏は非常に迷惑そうにしており、サイコロで順番を決めていたのは、ダッハウのみぞ知る。

 

 

 

 おお神よ、どうかハリー(ジェームズ・シリウス・アルバス・セブルス)・ポッターの人生に祝福を。

 

 




プロットを変更したので、前の話は削除しました。


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2話 闇の帝王の勃興と没落

 この世に天使が、三つあり

 

 アリアナ、マーテル、メロンちゃん

 

 

 

 「一体誰ですか? このような珍妙な落書きを追加した愚か者は」

 

 「知らないわ。きっと、マーテルちゃんが妖精の力を借りて書いたのね」

 

 「あいにくとわたくしも存じ上げません。ですが、メロンちゃんの祈りの成果なのだと信じております」

 

 ここは、摩訶不思議なるホグワーツ。

 

 この悪霊教師を目をもってしても、なぜかこの落書きを誰が書いたのかは謎であった。

 

 いや、まさか。残留思念に過ぎないゴーストの精神的暗黒面が分霊として顕現して落書きを残した? それこそまさか。

 

 時計塔より這い出して以来初めて、背筋の凍る思いというものを味わった、ノーグレイブ・ダッハウのとある日。

 

 イギリス魔法界は物騒なれど、今日もホグワーツは平和だった。

 

 

 

*----------*

 

 

 

 とまあ、背筋も凍る謎の落書きはさておき

 

 

 「本日は1980年の7月31日、とある予言に従うならば、闇の帝王へ三度抗った両親から、闇の帝王を滅ぼす力を持った子が生まれるとのことでした」

 

 「生まれてないわね」

 

 「生まれてませんね」

 

 予言に該当すると見られていたのは二人、ハリー・ポッターとネビル・ロングボトム。

 

 “闇の帝王に三度抗った両親”という条件を満たし、なおかつ7月末に臨月を迎えると言えば当然絞られてくる。

 

 なので、ちょびっとばかし予言に逆らってみることにして、母体に負担のかからない範囲で可能な限りずらす、という意味があるんだかないんだか微妙な策を行った。まあ、失う物は特にないので分の悪い賭けでもなかったわけだが。

 

 リリー・ポッターは、マグルの総合病院で出産だったので、少しばかり主治医らに軽めの錯乱の呪文をかけ、認識をずらすことで“一週間早めの帝王切開”による出産に切り替え。

 

 アリス・ロングボトムは聖マンゴ魔法疾患病院にて、魔法的な手法によってこちらも予定日より10日ほど早くの出産となった。

 

 その結果

 

 

 ハリー・ポッター  1980年7月21日生まれ

 

 ネビル・ロングボトム 1980年7月20日生まれ

 

 

 ということになり、予言に謳われた条件を完全に満たす子供は、この世に存在しなくなったのである。

 

 

 「はい、その通りです。この時点で見事に予言は外れてしまった訳ですが、ここは解釈次第でしょうかね。厳密に7月31日と名言されたわけではなく、“七つ目の月が死ぬとき”ですから」

 

 「かなり難解な言葉よねそれ。普通に解釈するなら7月の終わる時、末の日って意味っぽいけど」

 

 「結局、その日に生まれなかった訳ですから、ちょびっと前後にずれるとかありそうですもんね」

 

 「そもそもからして、闇の帝王を滅ぼすことが出来るのは予言の子のみ、という前提そのものが間違っていると私は思いますがね。本質はむしろ、闇の帝王の滅びとなる要因は、闇の帝王自身の手によって選ばれる。ではないかと思われます」

 

 「アタシは占い学は全然わかんないんだけど、何か根拠はあるのかしら?」

 

 およそ、魔法界の学問の中でも、系統だって教えるのが最も難しい分野の一つが、占い学というもの。

 

 にもかかわらず、現代に至っても主要な教科として残り続けているということは、それほどに“占星術”など占いの歴史が、魔法使いという存在と切っても切れない関係にあったことを意味している。

 

 

 「私もまた、占い学そのものに詳しいわけではありません。予測は出来ても予言などまったくの畑違いというものですから」

 

 「頼りにならないわね、クズ」

 

 「まったくですね、ゲス」

 

 ここぞとばかりに貶す悪霊女二人組、何だかんだで日頃から恨みつらみは溜まっているらしい。

 

 

 「ですがまあ、専門外故に見えてくるものもあるというもの。簡単に言えば、オイディプス王の伝説などにもありますが、魔法史の中にも“予言”というのものは度々登場し、その中にも法則性らしきものはあるということです」

 

 罵倒はスルー。この悪霊教師、普段から罵倒しまくっているからか、受け流すことにも長けている。

 

 

 「ふむふむ、オイディプス王、ね。そう言えばギリシア神話にはデルフォイの神託が何度も出てきたわね」

 

 「ヘラクレスとかオリオンとか、有名所な英雄は皆何らかの破滅の予言をされてるものですし」

 

 「この際ですから、“闇の帝王”をイギリス魔法史に登場する魔法戦争の片方の陣営の首魁として定義します。そのように“マグル史的な当たり前の歴史の人物”として見た場合、果たして例の予言が成立する余地はあるや否や?」

 

 「そりゃ無理に決まってるでしょ、何歳差あると思ってんのよ」

 

 「闇の帝王さんの正確な年齢は知りませんけど、マートルさんたちと同年代くらいなんですよね?」

 

 「スリザリンの卒業生組からの情報を見る限り、そうらしいですね。確実に言えることは、ノーグレイブ・ダッハウが魔法史教師となった後の生徒ではありません。そこは私が責任を持って断言できます」

 

 となれば、闇の帝王の年齢は最低でも50歳は越えているわけで。

 

 そして、帝王を倒す者と予言された子は、“生まれようとしている”というのだから、ハリー・ポッターであれネビル・ロングボトムであれ、1980年生まれ。

 

 

 「ではここで次の質問といきましょう。一体彼らは何歳になれば、闇の帝王を滅ぼせるようになるでしょうか?」

 

 「真っ当に考えれば、どんなに優秀でも成人の17歳は必要よね」

 

 「となると、ええと……1997年頃ですか?」

 

 「まあその辺りが妥当でしょう。では、さらにもう一つ、この魔法戦争があと17年間も続くと思いますか?」

 

 1980年の今の段階でも、既に10年近くも続いてしまっている長期戦争。

 

 初期の頃は武力行使を伴わなかった政治紛争に近かったとはいえ、本格化してからでさえ5年はゆうに経過している。

 

 マグルの世界大戦は言うに及ばず、ベトナム戦争のような一国を舞台に超大国がそれぞれ支援するような形であっても、本格的な武力闘争は7年程度が限界値だ。

 

 兵士たちの厭戦気分や、国費を使い続けることへの非難。そもそも、“何のために戦争をしているのか?”という疑問など、様々な問題が湧き上がってくる。

 

 この魔法戦争とて例外ではなく、魔法族の全てが戦争に倦み疲れ果ててしまえば、なし崩し的な停戦、休戦に雪崩込むのは止めようもない。

 

 

 「ありえないわね。最近は随分と激化しているけど、流れはこう、最終局面へ一直線って感じよ」

 

 「てゆーか、ここから17年間もダラダラ決着つかずに長引いたら、闇の帝王さんのありがたみが薄れちゃいますね」

 

 「良い着眼点です、メローピーさん。そう、闇の帝王を軍隊の総司令官と捉えるならば、予言の子と真っ当に戦うということは、17年間も戦局を変えることが出来なかった無能司令官の証明になってしまいます」

 

 「そんな奴は予言云々以前に求心力を失うでしょうね」

 

 「ただの自滅じゃないですか」

 

 「ただし、ハンニバル将軍のことを悪く言うのは許しません」

 

 「いや、誰よそいつ」

 

 「聞いたことありません」

 

 ハンニバル・バルカ。マグルの世界においてBC219からBC202まで、17年間ローマと戦い続けたカルタゴの将軍である。

 

 軍事関連の人ならば、現代の士官学校ですら題材とされる戦術の天才だが、女性ゴースト2人が知らないのも無理はない。 

 

 

 「まあそれはさておき、戦争を仕掛ける側の難しさは時間にあります。魔法省陣営は“体制維持派”ですから、立場的には勃発した武力闘争を鎮圧する側です。例えなし崩し的な停戦合意であろうとも、取り敢えず今の体制を続けることに新たな大義は必要ありません。ですが、革命戦争を起こした側はそういうわけにもいきません」

 

 例えその主張が、はるか昔のマグル生まれを要職につけなかった時代への回帰を掲げたものだったとしても。

 

 厳然たる現実として、“マグル生まれが魔法省にも登用されている現在”が存在している以上、それは革新を求める改革運動ということになる。

 

 しかし、その改革運動が頓挫し、膠着状態に陥ったままダラダラ17年間も続くというのであれば、変えることの意味とは何なのかという非難は当然出てくる。

 

 戦争の間にも、マグル避けなどの様々な部署や行政機関は、秩序の維持のために動き続けなければならないのだから。

 

 

 「とまあ、粗を探せばもっともっと出てきてしまう訳ですが、同時に意味のない仮定でもあります。魔法界はあくまで魔法界であって、現実的なマグル界ではないのですから」

 

 「それはそうよね。マグルの世界にアタシらはいないし」

 

 「ええと、つまり、どういうことですか?」

 

 「少し説明が遠回りになりましたが、要するに言いたいことは、“闇の帝王”は現実的な司令官というよりも、お伽噺的な“悪い闇の魔法使い”の側面を持つということです。あちら側で有名な童話、オズの魔法使いなど然り、“悪い闇の魔法使い”というのは、少年少女にあっさりやられる結末が多いのですよ」

 

 「なるほど、アンタはこう言いたい訳ね。魔法戦争が純粋に現実的な戦いなら、こんな童話めいた予言で総司令官がやられるなんてあり得ない。でも、幻想が跋扈する魔法の戦いだから、ものすっごく童話的で荒唐無稽なやられ方をするって」

 

 「ええぇ、それって、すっごく格好悪くありません?」

 

 メローピーさんの感想ももっともである。10年近くも戦争の主軸となってきた魔法使いが、童話めいた展開で滅びるというのは、なんかこう、うん、あんまりだ。

 

 

 「ですがしかし、物語の魔法とはそういうものです。一種の共同幻想、共有魔術とも呼べますが、“例のあの人”、“名前を言ってはいけないあの人”、“闇の帝王”と己を呼ばせることそのものが、物語に則った魔術式として成立してしまっていますから」

 

 「以前話した、マートルさん謹製の嫉妬マスクの“曰く”にも通じるものがあるわね。ヴォルデモートが本当に闇の帝王に相応しい力を持っているかじゃなくて、皆が彼を闇の帝王と信じてしまうことで、本当に彼の力がどんどん大きくなってしまうってことかしら?」

 

 「恐らく、彼の狙いはそういうものでしょう。単独で戦ってはアルバス・ダンブルドアに勝てないと認識しているからこそ、他の手段を用いて力の底上げを図るという方針そのものは理に適っております。ただし、何事にもプラス面あれば、マイナス面ありというものです」

 

 予言とは、それを恐れて逃れれば逃れようとするほど、追いつかれてしまうものとされるように。

 

 重ね重ねた宿業が、最後の最後に跳ね返り、本人に死を与えるというお伽噺は古今東西に存在している。

 

 

 「自分を“闇の帝王”と呼ばせれば呼ばせるほど、その名に相応しく不死で強大な存在になろうと闇の魔術を極めれば極めるほど、“普通に考えればあり得ない流れであっさり消えてしまう”という弱点を孕む。予言の意味するところとは、つまりはそういうものではないかと」

 

 「確かに、赤子にやられてあっさり滅びるなんて、その“あり得ないこと”の典型例よね」

 

 「でも、なるほど、魔法界の皆さんが彼を“闇の帝王”だと思っているからこそ、そういう荒唐無稽なお話を信じちゃうってことでもあるんですね」

 

 「だとすれば、イギリス魔法界18000人の総勢で、一つの戯曲を演じているようなものですね。タイトルはさしずめ、“闇の帝王の勃興と没落”といったところでしょうか」

 

 このホグワーツが、現実と幻想の境界線として、常に“魔法の城”という劇を演じているも同然ならば。

 

 此度の魔法戦争とは、イギリス魔法界を舞台に、ホグワーツのOB達が“闇の帝王の勃興と没落”を演じているようなものか。

 

 だとすれば、演者のアドリブによる脚本変更はどこまで許される?

 

 物語を俯瞰して観測している、脚本家は果たしているのか?

 

 それとも、どこまでもただの現実でしかなく、ただ人間たちの決断の結果として歴史は回るのか。

 

 

 「こうなってみると、色々なものが意図的にも見えてきます。闇の帝王を恐れて予言の子を隠すという行為そのものが、闇の帝王の神秘性を高めるとも取れますし。闇の帝王自身にしても、己を滅ぼすという予言を気にして追えば追うほど、予言の信憑性を高めるというドツボに嵌る可能性もあります」

 

 「他ならぬ帝王自身の行動が、“闇の帝王らしすぎる”ほど、約束された予言は成就して、帝王らしく破滅するわけね」

 

 「じゃあ、帝王っぽく行動しないほうが、破滅フラグは回避できるってことですか?」

 

 「断言は難しいですが、そういうものであると私は思っていますよ。そしてならばこそ、マグルの帝王切開技術で出産日をずらすなどという“全く予言の子らしくない”行動こそが、予言の歯車を狂わせる一石になることもある」

 

 「少なくとも、物語性は皆無よね」

 

 「いきなりすっごく、壮大な予言から等身大の話になっちゃった感はあります」

 

 アルバス・ダンブルドアがあえて狙ったというならば、その一点に尽きるだろう。

 

 予言を恐れて、回避するために行動することそのものが予言を成就させる。

 

 それは闇の帝王のみならず、対立陣営である不死鳥の騎士団にも当てはまるのではないか。

 

 ならばむじろ、忠誠の術のような古く強固な“らしい魔法”で守るよりも、マグルの帝王切開という“まったくらしくない”手段のほうが、予言の裏を取れるのでは?

 

 【予言をあえて無視して、ただの戦争として行動する】ならば、それはどのような運命へと帰結するのか。

 

 

 「本来、先のことが確定しているなどありえないことです。予言を無視し、破棄してしまうとは、何も定かではない未知の領域を歩むことと同義ですが。それはつまり、ただの現実を選択するということです」

 

 「言われてみれば、予言で未来が定まっている、っていう前提自体が、すっごく魔法っぽいのね」

 

 「占いを無視したかったら。勇気を持ってひたすら突き進めばいいって感じでしょうか?」

 

 「そこはまさに、勇猛果敢なグリフィンドールの得意とするやり方ですね。やはり、アルバス・ダンブルドア校長はグリフィンドール的な果断即決こそが元来合っているのだと思いますよ」

 

 「不死鳥の騎士団の優先事項でしょうし、まあ、校長先生が決断したわけか。地味だけど効果ありそうね」

 

 「ちなみに、発案者はアリアナちゃんです。許可したのは当然、ダンブルドア校長ですが」

 

 「え?」

 

 

 

 

某日、校長室にて

 

 

 「じいじー、どうしたの?」

 

 「ううむ、アリアナよ。実はとーても難しい悩み事があってのう」

 

 「どんなのー?」

 

 「全容を言うわけにはいかないのじゃが、つまり、来月に末に生まれる予定の子達が二人おっての。その子らを危険から守るにはどうすればよいのかと頭を悩ませていてのう」

 

 「赤ちゃんが、月末に生まれるの? その子達が危ないの?」

 

 「そう、そういう予言なのじゃ」

 

 「じゃあ。ちょっと早く生まれちゃえばいいんだよ」

 

 「―――ッ!? それじゃ! やはりアリアナは天才じゃ、魔法界一じゃ!」

 

 

 

 

 

 

 

 「アリアナちゃん曰く、という感じで決まったそうです。流石はダンブルドア校長です」

 

 「感心して損しました」

 

 「大丈夫あの校長? そろそろ本気で耄碌してきてない?」

 

 「お忘れですか? 今のホグワーツ運営の基本方針は、“より大きな善のために”ではなく、“アリアナの言うとおりに”です」

 

 「あ、もう手遅れだった」

 

 「ホグワーツ滅亡の日も近そうですね」

 

 あえてフォローするならば、アリアナちゃんの発言はあくまで“きっかけ”であって、様々な要因を校長先生が考え、悩み、その果てに導き出した答えであるはずだ。

 

 多分、きっと、うん、ほら、だってほら。

 

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 1981年10月31日   日刊予言者新聞号外

 

 

 【ゴドリックの谷の決闘再び! イギリスの英雄が闇の帝王を打ち破る!】

 

 『闇の帝王敗れる! やはり最強はアルバス・ダンブルドア!』

 

 

 10月30日の深夜、かつてイギリスの英雄がヨーロッパ魔法大戦を引き起こした闇の魔法使い、ゲラート・グリンデルバルドを打ち破った“伝説の決闘”の舞台ともなったゴドリックの谷にて。

 

 ホグワーツの創始者の一人、ゴドリック・グリフィンドールの縁の地でもあるそこに、魔法戦争における死喰い人陣営の首魁、ヴォルデモート卿が姿を現した。

 

 その目的は、半年前の魔法省強襲事件において、死喰い人陣営の多くを迎え撃った若き英雄達の一角、ジェームズ・ポッターとその妻、リリー・ポッターの夫妻の命を狙ってのものであったと情報が入っている。

 

 しかし、不死鳥の騎士団の迎撃体制は万全であり、団長であるアルバス・ダンブルドアを始め、アラスター・ムーディ、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピンらが即座に救援に駆けつけ、死喰い人陣営との壮絶な集団決闘となった。

 

 死喰い人もまた、闇の帝王の召し出しに応じて主戦力が増援に到着、エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ、ベラトリックス・レストレンジ、ロドルファス・レストレンジ、ラバスタン・レストレンジという武闘派幹部勢揃いという顔ぶれだった。

 

 空前絶後の総力戦となった決闘だが、決め手となったのはやはりそれぞれの中核人物の一騎打ちであり、アルバス・ダンブルドアとヴォルデモート卿の戦いこそが、帰趨を決定づけるものとなった。

 

 結果として、ヴォルデモート卿は壮絶な決闘の末に打ち破られ、最後にはその肉体そのものを悪霊の火へと変えて道連れを図るも、アルバス・ダンブルドアとリリー・ポッターの張った盾の呪文に阻まれ、僅か一歳の赤子一人すらも殺すことは出来なかったという。

 

 

 10年にも渡り魔法戦争で武闘派を率い、オライオン・ブラック亡き後の中核となっていたヴォルデモート卿が倒されたというのは、イギリス魔法界にとって実に喜ばしいことである。

 

 バーテミウス・クラウチ魔法大臣はこれを機に、残る敵の城塞、要塞に総攻撃を行うことを即刻閣議決定。既に布告は発せられ、魔法戦争はいよいよ終焉の時を迎えつつあるのは間違いない。

 

 唯一、気になる情報があるとすれば、ヴォルデモート卿が打ち破られたゴドリックの谷の戦場から、主要な死喰い人たちが全員逃げ散ったという事実であろう。

 

 一説には、ヴォルデモート卿は既に肉体を失っても再生させるための手段を編み出しており、己の肉体を悪霊の火に変えての悪足掻きとも取れる自爆は、あくまで復活を前提にしての逃走手段であったとも。

 

 実に、有り得る話である。己の復活のための魔道具を配下に持たせ、確実に戦場を離脱するためにあえて自らを囮にしたとすれば、あの闇の帝王への忠義には厚いと言われるレストレンジらが、脇目も振らずに逃走を選んだということにも納得がいく。

 

 

 アルバス・ダンブルドア氏からはまだ声明は発せられていないものの、闇祓い局長、アラスター・ムーディ氏よりコメントがある

 

 「奴は打ち破られ、肉体を失った。この局面において我々が勝ったのは事実だ。だが、油断大敵! 奴はまだ死んではおらん。死喰い人共への追撃と捕縛を完遂できるかどうかこそが、勝敗の分かれ目となる。決して、闇への警戒を怠るな!」

 

 戦争の終わりが近いのは事実。だがそれは、新たな闇との戦いの始まりに過ぎないのかもしれない。

 

 ただまあ、今はひとまずの勝利と共に、ヴォルデモート卿が打ち破られたという朗報に乾杯を捧げよう。

 

 この戦争で死んでいった勇士たちへ

 

 今もなお戦い続け、総攻撃へ向けて準備を進める戦士たちへ

 

 そして何よりも、恐るべき闇の帝王を打ち破りし不死鳥の騎士団の英雄たちへ

 

 

 我らがイギリスの英雄、アルバス・ダンブルドアへ乾杯!

 

 

 

 

 

 

 

 「流石はダンブルドア校長先生、信じておりました。 校長先生万歳!」

 

 「アタシは最初から何も心配なんてしてなかったけどね。 校長先生万歳!」

 

 「ホグワーツは永遠に不滅ですね。 校長先生万歳!」

 

 サラリと掌を返すドクズゴースト三人衆。

 

 勝者に対しておもねることに定評のあるクズの鑑だった。

 

 いやもう、お前らホント死ねよ。あ、いや死んでた、ゴーストだった。

 

 

 



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3話 焼け残った男の子

以前、序章に載せていた話の修正版再投稿です。

流れそのものには大きな変化はありません。


 

 レイブンクローの寮には、開かずの間がある。

 

 

 それは数十年前からホグワーツに伝わるお伽噺の一つであり、実際に叡智の寮に属する者らはその実在を知っていた。

 

 寮憑きゴースト、“灰色レディ”の守る部屋。

 

 何時の頃からか、そこは彼女のみが立ち入れる領域となっており、誰であれ彼女の許可なしに立ち入ることは許されない。

 

 ほんの数年ばかり前に卒業していった、グリフィンドールの四人の忍びたちが、何とか侵入しようと試みたが、その尽くは失敗に終わっている。

 

 この部屋にかけられた魔法、隠匿の守りは非常に古く強固なもの。

 

 それは教師と生徒を問わず、ホグワーツの皆の共有する常識となっていたのだが―――

 

 

 「失礼いたします、レディ。やはり、ここにおられましたか」

 

 現職の校長のみは、その例外たりうる。

 

 創始者たちの代理人として、この城を預かり、守り通すのが校長の務めであり、使命であるために。

 

 レイブンクロー寮のとある部屋に立ち寄ったアルバス・ダンブルドアに対し、主へ門を開けるが如くに、閉ざされた扉はひとりでに動き出していた。

 

 

 「ええ、アルバス。貴方もここに来たということは、いよいよ、その時が来たのですね」

 

 「確たる証があるわけではありませんが、恐らくは。私は久々に夢を見ました。己の過去であり、そして向き合う時が来たのだと告げるような」

 

 「わたくしも……母ロウェナやヘルガ様が、いかなる考えであの時計塔を封印したのか、詳細までは知りません。これは、墓に持っていくべきもの。例えゴーストしてであれ、現世に残るものが知っていてよい秘密ではないと」

 

 その部屋に鎮座する、砂時計のようにも見える何か。

 

 それに触れてはならぬ、目覚めさせてはならぬ。

 

 時の秘密に近づくものよ、忘れるな。深淵を覗く時――

 

 

 「私やミネルバがいくら調べても、あれが逆転時計に関するものとは分かりましたが、それ以上のことは」

 

 「“彼”もまた、不思議な存在です。今思えば、あまりにも信じがたいことではあるのですが、わたくしは生前にも、ヘルガ様が時計塔から彼を呼び出している姿を見たことがあるのです」

 

 「それはまた、何とも奇っ怪な」

 

 「ええ、奇っ怪なことです。むしろ、私がなぜ遥か過去に見た“アレ”を彼だと思っているかの方が気になります。知っての通り、彼の輪郭は――」

 

 「人型であることは分かる。ゴーストであるとも感じ取れる。されど、常に何人、いいや、何十人もの人間か重なっているように、焦点が掴めない」

 

 曖昧さ、不気味さ、それらの象徴とも言えるような存在。

 

 如何にここが不思議に満ちたホグワーツと言えど、あの悪霊ほど謎ばかりの存在も珍しい。

 

 

 「わたくしが見たものも、そんな輪郭の掴めない“黒い影”でしかなかったはず。なのに、千年もの時を経て、彼を見ると同じものだと分かってしまう」

 

 「単純に、時計塔の中で眠っていた同一の存在が目覚めたわけではないと?」

 

 「違います。確かに、あの時の影とは違うはずなのに、同じものとしか思えない」

 

 「なるほど、違うはずなのに、同じもの。そこに、彼の秘密があるのやもしれませんな」

 

 あの悪霊が、自分達とは全く違う方向から、俯瞰するように物事を観測しているのだということは、何となく察せられる。

 

 まるで、自分はこの世に本当に存在しない。虚空の果てから、ただ視点だけを飛ばしているのだと言わんばかりに。

 

 それが、この戦争に、もたらされた予言に、影響を与えることはあるのだろうか。

 

 

 「いずれにせよ、今考えても詮無きこと。今宵、トレローニー先生の予言は成就し、そして外れることにもなりましょう」

 

 老校長の言葉に、幽霊の彼女、灰色レディは憂いの表情を強くする。

 

 何時頃から彼女が一人でここにいたかは定かではない。しかし、その苦悩の色は並大抵ではない重みが感じ取れる。

 

 

 「……私にも、分かりません。果たして、これで正しかったのかどうか」

 

 「それは、この世に生きる誰も分かりますまい。あの時計塔が如何なる時を刻もうとも、ここにいる我々は、ただ己の生を精一杯に歩むほかないのですから。例え仮に、我々魔法族が、迷走を続ける幼子であったとしても、いつかは親の手を離れて歩きださねば」

 

 「ふふっ、貴方は少し変わりましたね、アルバス。悲観論者、運命論者とも言ってよかった貴方が、随分とまあ、若き頃のように猛々しくなったもので」

 

 どれほど老いて時を重ねようと、アルバス・ダンブルドアは生きている。

 

 死した時で止まっている、ゴーストとは、違う。

 

 いいやそれとも、時が止まっているのは、果たしてゴーストだけなのだろうか。

 

 

 「変わらねばなりませぬ。変わっていかねばなりませぬ。不甲斐なくも歳ばかり重ねたこの身ですが、アリアナと再会し、彼女に教えてもらいました。未来を良きものにしたいと願うならば、変わらなければならないのは、何時だって自分なのだと」

 

 「例えそれが、かつての教え子の命を、その手で絶つことになっても?」

 

 「卒業生同士に、無惨な殺し合いをさせてしまっている。その時点でアルバス・ダンブルドアは校長失格でありましょう。ならばこそ、この手で決着をつけねば。そして、必ずや勝ちましょう」

 

 覚悟と共に、言葉を残す。

 

 ならば後は、戦士の領分だ。叡智の寮の守護者の仕事は、もはやない。

 

 

 「ならばどうか、勝って戻ってきてください。数十年前のあの日、私の不甲斐なさの犠牲となってしまったあの子も、貴方の死など望んではおりませんから」

 

 「了解しました。あの子もまた、私の生徒でしたからな」

 

 「生徒を守るために生徒を殺さねばならない。……これほど酷い矛盾を、最初の背負ったのは間違いなくあの人、サラザール・スリザリンだったでしょうね」

 

 多くにとっては、伝説の人物。彼女にとっては、生前の知己。

 

 鋼のような強い意志を備えた風貌は忘れられるはずもないが、だからといって、苦悩や嘆きと無縁であったはずはあるまい。

 

 彼女の母が、そうであったように。

 

 

 「剣は、グリフィンドールは応えましょう。守るべき者のためには、友をも討つ。それが、ゴドリックの示した勇気の形でもありました」

 

 踵を返し、イギリスの英雄は戦場へ向かう。

 

 明確な知らせが来たわけではない。だが、あらゆる感覚が告げているのだ。

 

 闇の帝王を名乗る男、ヴォルデモートとの決着は、この夜に訪れるのだと。

 

 

 

 

 「大丈夫? 校長先生」

 

 「ええ、心配いりませんよ。私はゴーストですから」

 

 老いた獅子が去った部屋に、灰色の淑女は残る。

 

 そんな彼女に寄り添うように、時計塔の亡霊少女が、いつの間にか隣に佇んでいた。

 

 

 「良い子ですね、アリアナ。どうか、貴女の未来にも、幸多からんことを」

 

 小さな彼女の頭を愛おしむように撫でながら、初代校長ヘレナ・レイブンクローは、許されぬ己の罪、過去の咎へと思いを馳せていた。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 あらゆる人が眠りにつく深夜の学び舎にて。

 

 叡智の寮の、「開かずの間」を見上げながら、グリフィンドールの寮憑きゴースト、“首なしニック”ことサー・ニコラス。

 

 そして、ハッフルパフ寮の寮憑きゴースト、“太った修道女”は揃って成り行きを見守っていた。

 

 

 「ヘレナ様があの部屋にお籠りになって、どれほどになりますかね?」

 

 「およそ、一週間ほどですわ。相変わらず時間の感覚に疎いですわねニコラス」

 

 「いやぁ面目ない。どうしても死んで以来その辺りは鈍感でして。むしろ、時間の経過に鋭い貴女のほうが珍しいのでは」

 

 ゴーストの多くは、時間の経過に非常に大雑把な感覚しか持たない。

 

 何しろ、生きて時間を歩んでいる人間ではないのだ。動かなければいつまでもその場に留まっていられる存在なのだから、当然とも言える。

 

 

 「わたくしが留まる理由は少し特殊でして、正確に時を計ることも仕事のうちなのです」

 

 「時を計る? まるで、ダッハウ殿のようなことをおっしゃいますな」

 

 首なしニックと、太った修道女。

 

 寮同士がそれなりに付き合いがあるため、基本的には良好な関係であり、時折世間話をすることも多い。

 

 彼らのような寮付きゴーストらを含め、この城の幽霊を管理する夜間管理人こそが、ノーグレイブ・ダッハウ。 

 

 ダッハウ顕現前は、夜間管理人の仕事、すなわちゴーストの統括は「灰色のレディ」が行っていた。

 

 しかし元が人間であるがゆえに彼女が難儀していたその職を、情報の管理という面ではこれ以上ない適正持ちのダッハウが現れた結果、彼女はその職から解放された。

 

 ダッハウ顕現以後、彼女が多少気持ちが浮ついているのは、長年の重責から解放された喜びから、また愛する人の自由を喜ぶ男爵も、それに合わせた喜びを表現した結果、詩の朗読をし讃え合うようになった。

 

 

 「思えば、彼が現れて以来、ヘレナ様も、スリザリンの男爵様もお変わりになられた。それに、貴女も―――」

 

 しかし、それなりに親交はあるはずなのに、ふと、首無しニックは思うこともあった。

 

 そういえば、彼女の死んだ経緯や、生前について、自分は何も知らないなと。

 

 

 「まあ、それはともかく。しかし、想い人であるはずの男爵様でさえ入ること許さぬとは、あの部屋はいったい………貴女は何かご存じで?」

 

 「いいえ、わたくしにもその理由を話してくださったことはありません。それほど、ヘレナ様にとっては他人に話したくない後悔があるのでしょう」

 

 「そうですか……、ううむ、気になる、益々気になりますな」

 

 「あまりレディのことを詮索するのは、紳士としてよろしいことではなくてよ」

 

 そこは修道女らしく、騎士殿の素行を戒める。

 

 人間関係においてはおおらかさが信条であるが、寮則は結構厳しいのが、ハッフルパフの方針だ。

 

 だからまあ、こうした会話の経緯は、いつものことではあるのだが。

 

 

 「……私はたまに、なぜかふと、疑問というか、違和感というか、そういうものを感じることがあるのです」

 

 首無しニックは、たまに思う。いや、むしろこんなときだからというべきか。

 

 詮索をたしなめるとは、つまるところ、“秘密を探るな”と言っているのと同じであり。

 

 いつも、ゴーストたちが魔法の城について秘密を探ろうと思った時に、止めてきたのは彼女ではないかと。

 

 

 「そう、何時もそうです。我々ゴーストが、いいや、“彼”に触れたゴーストが、半実体化するようになった者らは、時折、見ていないはずのものを見る」

 

 ゴーストにあるのは、基本的に生前の妄念、残留思念であるはず。

 

 ゴーストとなってからの出会いを記憶出来るのも、ある種の“場所”の記録、このホグワーツの一部であるからだ。

 

 ホグワーツが記憶している膨大な記憶の端末でもあるからこそ、幽霊たちはこの魔法の城の“住人”として時を刻んでいく。

 

 

 「違和感か、既知感か、ううむ、何とも言い難い。気の所為と言えば、それまでなのでしょうが」

 

 「ならばそれは、気の所為なのでしょう。恐らく断言できますが、大したものではありませんよ」

 

 「うむむ、こうして貴女に面と向かって言うのも奇妙ですが、ハッフルパフの寮憑きゴーストは、果たして、本当に“修道女”であったかと」

 

 触れてはならぬ秘密、創始者たちの残した秘密。

 

 それでもなお、問いは奥底に残り、疑心ではなく、純粋な疑問として心に浮かぶ。

 

 

 「貴女は、誰なのです?」

 

 「わたくしは、この城では二番目にあの時計と縁を結んだゴーストです。ヘレナ校長が最初で、随分遅れてわたくしが次に。創始者たちの頃よりあるあの時計が、如何なる由来を持つかまでは知らされてませんが、いずれ分かる時が来ると、それだけは」

 

 問いに彼女は、機械的に応じる。

 

 そして、首無しニックの記憶に、その言葉が残ることはなかった。

 

 まだ、それは検閲事項。城の端末たるゴーストたちに、開放することは許されていない。創始者たちの禁則は絶対だ。

 

 今は、まだ。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 チクタク、チクタク、チクタク、チクタク、 カチリ

 

 

 四つの寮に囲まれた、ホグワーツの中心部。

 

 様々な建物が雑多に入り組んでいるだけに、迷路の中心のように探し出すのが難しく、訪れる人も殆どいないその場所に。

 

 1000年の時よりもさらに古く、一つの謎の時計塔があった。

 

 

 何時からあるかは、誰も知らない。唯一知っていたのは、ヘルガ・ハッフルパフとロウェナ・レイブンクローの二名のみ。

 

 そして、もうひとり、いいや、もう一つ。

 

 ある時、時計塔から這い出してきた悪霊のみは、語ることはなくとも知ってはいるはず。

 

 語ることは、許されずとも。

 

 

 

 「相変わらず古い時計です。1000年見栄えが変わらないのは称賛すべきか、侘び寂びもないと嘆くべきか」

 

 悪霊は飄々と常のまま、変わらぬ様子で佇んでいる。

 

 同じリズムで、同じ感覚で、一定に回る秒針のように。

 

 

 

 「ああ、あぁ。駄目、いけない、このままではいけない、愛しいあの子、トム、トムが危ない……死んでは、死んでは駄目よ」

 

 夢遊病の患者のように、そしてある意味ゴーストとしては至極真っ当にふらつきさまよいながら。

 

 救いを求めるように、時計塔に迷い込んだゴーストが一人。

 

 古き純血の家、呪われた血の運命に翻弄された、哀れな女。

 

 

 「おや、今夜の『発作』は随分深刻そうですねメローピーさん」

 

 「嫌な予感が……嫌な予感がするのです。あの子に、トムに、何かがあるのでは……」

 

 「心配はなさらず、問題はありません。このホグワーツに異常はなく貴女が感知するべきことは何もありません」 

 

 「ですが……」

 

 不安は消えない、どうしても何かが嫌なのだと。

 

 彼女には何もわからない。分からないはずなのに、流れぬはずの血が疼くのだ。

 

 血を分けた同族が、血族の最後の一人が、生きた血として最後の時を迎えつつあると。

 

 

 「絶やしてはいけない、滅んではいけない。どれだけ血が歪もうとも、蛇の言葉しか話せなくなろうとも、わたくしたちゴーントは、ただそれだけを……」

 

 「それはゴーントの血の呪いでありますが、メローピーという貴女の祈りではありません。ゴーストである貴女が血に縛れるなど、ただの錯覚でしょう」

 

 「私の祈り? ああ、トム……いえ、いいえ、穢れた血など滅んでしまえ、マグルなど疎ましくも悍ましい。純血を、純血だけを求めて…いいえ、違う。わたしはもうあの家に縛られていない。自由になったの、好きな人が出来たの。トム、貴方はわたしの――」

 

 「思った以上に不安定のようですね。処置をしましょう。私の職務は夜間管理人でもありますから」

 

 

 無機質に告げ、小さな時計が稼働を始める。

 無機質に告げられ、大きな時計が稼働を始める。

 

 

 チクタク、チクタク、チクタク、チクタク

 

 

 憂いの篩が、魔法の杖から記憶を引き出し留めるように。

 

 メローピー・ゴーントという亡霊を構成する情報の一部が、抽出されて時計塔へと吸われてゆく。

 

 そこに何の感慨もなく、ただ、映写機が映像情報を記録するように。

 

 忘れてしまえば、何の意味もないと言わんばかりに。

 

 

 

 「貴女の遺した記憶処理は微塵も揺るがずにここに、見事なものです」

 

 忘却術をかけられたように、呆然としながら立ち尽くすゴーストを放置しながら。

 

 時計塔の悪霊は、静かに時を待つ。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 最後の一人、マートル・ウォーレンは、桜の木の下にて佇んでいた。

 

 レイブンクローの寮から然程離れていない区画、生徒が教室の移動をする際に足を向けることも可能な場所に。

 

 彼女自身、明確な意図があったわけではない。ただ、ふと気付けばそこに足を運んでいた。

 

 

 「なんだか久しぶりね、ここも」

 

 由来は一応聞き知っている。なんでも、アルバス・ダンブルドア校長先生がまだ、学生として通っていた頃に、遥か極東の魔法学校、マホウトコロより寄贈された木であるらしい。

 

 珍しさだけなら暴れ柳と同じくらい貴重なもので、日本の魔法界では“魂吸い桜”なんても呼ばれているとか。

 

 桜というのは、向こうでは随分と馴染みあるらしく、死者の血を吸うとか、魂が留まるとか、まあ色々と曰くを持っているらしい。

 

 

 「今はハロウィンの時期だし、こうして枯れちゃってると、あまり風情があるようには思えないんだけれど」

 

 枯れているとはいっても、葉が落ちて枝だけになっているだけ。

 

 春になればまた花をつけ、夏には葉が生い茂って太陽の光を受け輝き、秋には命を燃やすように紅く装いを鮮やかに。

 

 そして、こうして冬には葉が落ちて、死んだように眠りにつく。

 

 春の訪れを、待ちわびながら。

 

 

 「生と死の循環を繰り返す木か、言われて見れば、まるで人間とゴーストみたいでもあるわね」

 

 「ふむ、貴女はこの木をそう捉えますか。私には、回る車輪、巡る転輪、時計の歯車の象徴ように見えるのですが」

 

 そして彼女の近くには、いつものように、悪霊の姿があった。

 

 そう、同時に。メローピー・ゴーントの記憶を吸い上げながら、悪霊はここにも存在していた。

 

 

 「あらアンタ、久々にそうなってるのね」

 

 「はは、申し訳ありません。少し映像と音声がブレるかもしれませんが、そこはご容赦を」

 

 「相変わらずポンコツだわ。まるで壊れた蓄音機みたい」

 

 この悪霊が同時にあちこちに現れたりするのはいつもだが、この姿を見るのは久しぶり、というか、本当に滅多に無い。

 

 ゴーストは、死んだ人間の影とはいうが、コイツは本当に影でしかない。

 

 こうして見ると、“人間であったことがない”というのも大いに頷ける。映画館を見たことのあるマグル生まれなら、より実感しやすいだろうけど。

 

 

 「それはまた、言い得て妙ですね」

 

 「低電圧モードみたいなその状態ってことは、アンタの本体は久々に何かしてるのかしら?」

 

 「それは何とも」

 

 「また何か、誰かの都合の悪い記憶を消したり、時を遡って悪巧みでもしてるとか?」

 

 「禁則事項です」

 

 言えないのか、まともに答える気がないのか、何とも曖昧。

 

 普段からこういう奴ではあるが、むしろこの時のほうが本質が垣間見える気もする。

 

 

 「ひょっとすると、あたしの記憶も変えてたりするんじゃないでしょうね」

 

 「誓って、私が貴女の記憶に干渉したことはありません。貴女をあの場に縛る呪いに、私は逆らえない。城の主人に、ゴーストは逆らえない。故に、取り出すことも許されない」

 

 「それって結局、あたしの何かを隠してるようにも聞こえるけど、まあいいわ、色々言いたいことはあるけどね、取り敢えず今は一つだけ」

 

 そこで一つ、呼吸を置くように。

 

 彼女自身、言葉にできない想いはあるが、それは心の奥底にしまいながら。

 

 

 「アンタ、あたしの死ぬ瞬間は見ていた?」

 

 「はい、時計塔の中からではなく、間近で観測しておりました。そういう言い付けでしたので」

 

 「そ、ならいいわ。見えようが見えまいが、アンタはそうだったしね」

 

 「ここは境界線のホグワーツ。ゴーストは遍在し、私は夜間管理人」

 

 別に今更、自分が死んだ瞬間のことなんて思い出したいわけではないけど。

 

 ただ、自分が一人で孤独に死んだわけじゃないと分かっただけでも、例えこのドクズでも、看取ってくれた存在がいるなら。

 

 それはちょっとだけでも、救いがあったような気がするから。

 

 一人ぼっちは、孤独はやっぱり寂しいから。

 

 

 「あたしはもう、一人ってわけじゃないしね」

 

 ふと、桜の木を見上げながら。

 

 ペチュニアという少女の祈りが叶うことを、リリーの将来に幸あることを、彼女は祈っていた。

 

 

 

 

*----------*

 

 

1981年 10月31日 

 

 ノーグレイブ・ダッハウはかく記す

 

 男の子は生き残り、闇の帝王は隠れた。ただし、顛末は大時計記録といささか違うものになった。

 

 

 

 多くを語ることは今はまだ、すまい。それを語る機会は別に多くあるだろう。

 

 重要な要素を挙げるならば、以下になる。

 

 

 

 ・ゴドリックの谷にて、ポッター家を闇の帝王が襲撃

 

 ・両陣営に援軍が駆けつけ、混戦の末、不死鳥の騎士団と死喰い人の主戦力の総力戦となる

 

 ・特筆すべきは、ダンブルドア VS ヴォルデモート

 

 ・一対一の決闘ならば、やはり英雄が勝る。グリフィンドールとスリザリンの宿命か。

 

 ・敗北を悟った闇の帝王は、己の身体そのものを悪霊の火と変え、赤子を焼き尽くさんと図った

 

 

 

 「エバン! アントニン! ベラ! ロドル! ラバス! 我が復活の鍵は汝らにあり!」

 

 

 ただし、残した言葉から察するに、既定路線の一つでもあったと思われる。

 

 実際、主の玉砕戦術に乗じる形で、5人の死喰い人幹部が戦場からの離脱を果たしている。

 

 おそらく、各々が別に帝王復活のための魔法具を預かっていると思われる。今後、彼らは闇に潜みながら、主の復活の機会を窺うだろう。

 

 

 

 赤子は助かった。咄嗟に守りに入った母親と、何よりもダンブルドアの放った神秘の火「プロテゴ・アノール」によって相殺されたことが大きかろう。

 

 ただし、完全に無傷とはいかず、ポッター家は全焼。燃え盛る家から救い出された赤子にも、“火傷の痕”は残った模様。

 

 繰り返す、“火傷の痕”であり、“稲妻型の傷”ではない。

 

 運命の車輪は確実に進み、しかし、異なる轍を歩んでいるのは疑いない。

 

 

 

 「彼は、“生き残った男の子”ではありません。創造主よ、貴女の願いは、果たして叶ったかどうか」

 

 それはついては、今後の観測結果次第で明らかになろう。

 

 直接の介入は許されぬ観測者は、ただ記録に徹するのみ。

 

 

 

 それでは次は、時計の針をもう少し大きく進めてみよう。

 



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4話 それぞれの戦後

 

 

 「ようリーマス、遅れてすまんな。これでもアトリウムから直通で急ぎで来たんだが」

 

 「大丈夫だよシリウス、君やジェームズが約束の時間に遅れるなんて何時ものことさ、鼻の効く肉球の友よ」

 

 「はっは、それこそ流石ってもんだな、ふわふわとした満月の友よ。いやまあ、今回は本当に余裕で間に合うはずだったんだ、まさか緊急で三つも案件が入るとは思わなくてな」

 

 2月も半ばとなり、冬の寒さが最も厳しくなりつつも、それを超えれば春がやってくる最後の峠とも言うべき1982年のイギリス魔法界。

 

 魔法省から直接姿現し出来る“指定地”となっているホグズミード村の外れにて。

 

 今やイギリス魔法界の英雄の一角として名を馳せる二人、シリウス・ブラックとリーマス・ルーピンは久方ぶりに親友との再会を果たしていた。

 

 純粋な時間で言うならば、直近に会ってから二週間程度しか経過していないのだが、双方ともに非常に多忙で濃密な時間を過ごしているためか、会うのが久々という印象になっていた。

 

 何よりも、公人の立場というものを排して、ただの友人として私的に会う機会が全然なかったことが一番の要因ではあるだろう。

 

 

 「聞くだに忙しそうだけど、闇祓い局の方はどうなんだい? あのムーディが死喰い人の残党を追いかけるための国際追跡局の局長に任命されたんだろう? その後任にはスクリムジョールがあたることになったって聞いたけど」

 

 「ああ、その方針で進んでるが、組織再編と追跡任務の同時並行でまさにてんてこ舞いだ。元々ムーディが前線で率いるタイプの局長だったからな、事務的な仕事や組織運営の大半はスクリムジョールが担っていた以上、アイツが引き継ぐなら闇祓い局については全く問題ないんだが」

 

 「となると、やっぱりクラウチとの主導権争いかい? 戦争の最中から、けっこうムーディと揉めてたみたいだし」

 

 「そういうこった。ヴォルデモートという巨石がいなくなって、共通の大敵がいなくなれば、さあ今度は戦後の主導権を巡っての内ゲバの再開ってやつだ。政治の華と言えばそうなんだろうがな、ご苦労なこったよ」

 

 今やブラック本家の当主となっているシリウスにしても、内心はともかく無関係ではいられないその問題。

 

 何しろ、今は亡き彼の父であるオライオン・ブラックは戦争の中頃までは片側の陣営の盟主を務めていた。その後にヴォルデモート率いる死喰い人が台頭し、戦いが激化したのでその印象は薄れつつあるものの、純血名家らの力が消失したわけでもない。

 

 戦争というものが終われば、それ以上に厄介で、下手を踏めば終わった戦争が再燃してしまう“戦後処理”という難題に取り組まねばならない。ならば、最も歴史のある家々の役目はむしろこれからが本番とも言えるだろう。

 

 グリフィンドールを卒業し、死喰い人との激戦を繰り広げたかつての悪戯仕掛け人たちは、不死鳥の騎士団において最前線で戦い、自陣営の勝利に貢献したからこそ、今まさに異なる分野の戦いに身を投じ初めているのだった。

 

 

 「戦争とは、血を流す政治である。政治とは、血を流さない戦争である。と教えてくれたのはあのダッハウ先生だったかな? 実質フリーランスに近い僕の方にまで伝わってくるんなら、相当なんだね」

 

 「不吉だからあのクソ野郎の名前は出さないでくれ。だがまあ、戦争やってる時は、“今はそんなこと言ってる場合じゃねえ”で済んだんだがな。いざ終わってみれば、戦争中の方が物事がスムーズで分かりやすかったと恋しくなるくらいだ」

 

 「それは君とジェームズくらいのものだろうけどね」

 

 戦争にはそういう側面もあるとしても、死の呪文が飛び交い、何時死んでもおかしくない状態を歓迎できる人間など多くいるはずがない。

 

 ならばこそ、ジェームズとシリウスの二人は、生粋のグリフィンドール戦士。悪く言えば“戦争屋”の適性を持っているとも言えるのだろう。

 

 

 「魔法警察の方も、あっちはあっちでごたついているらしい。ジェームズが全然家に帰れないってこないだも両面鏡で愚痴っていたよ」

 

 「それは気の毒に、というよりも、両面鏡を使うならリリーとの間に使うべきだろうに」

 

 「リリーには、こんな草臥れてヤサグレた愚痴なんて聞かせられない。だそうだ、毎回聞かされるこっちの身にもなってくれとは思うが」

 

 「ははは、結婚したところでジェームズの“リリー病”には改善の余地はなさそうだ」

 

 これについては、学生時代から最早筋金入りの“リリー病”だ。

 

 リリーへのプレゼントをどうしよう? デートの格好はこれでいいだろうか? 食事に誘うならオススメは? などなど。

 

 こと、リリー関係でジェームズがテンパる度に、シリウスが宥め役と助言役を兼ねることになるのは何時ものことであった。たまにリーマスやピーターにもお鉢が回ってくることもあったが、頻度を比べればぶっちぎりでシリウスがナンバーワンだ。

 

 なまじ、イケメン、名家の嫡男、プレイボーイと三拍子揃っているのが行けなかった。“遊び半分”ではあったものの、異性と付き合った数が圧倒的に多いのはシリウスであり、特定の女性と長続きしないのもシリウスであった。

 

 だからこそ、気軽な相談相手としては適任であり、一種の自業自得とも言えよう。マートルさんを筆頭に、そもそもモテすらしない者らは“ザマアミロ天罰だ”と公言していたくらいである。(内心ではなく公言するあたりに、ドクズ悪霊共の汚染が見られる)

 

 

 「まったくだ。ムーニー殿のための脱狼薬よりも、プロングス殿への“脱リリー薬”の開発に力を注ぐべきではないかなここは」

 

 「そして、セブルスとジェームズが互いに飲ませてやろうと画策する感じかな。これであの野郎は脱落だガッハッハと」

 

 「その薬が恋の妙薬にすり替えられているのが目に浮かぶな。一妻多夫制である以上、絶対にリリーには勝てない運命なのさ。まあ、妻が圧倒的に強いのはピーターのところも同じだが。哀れな夫達はさっさと家に帰ってこいと言われれば逆らえやしないのさ」

 

 「まあ、そこは妻子持ち優先ってことで多めに見るしかない。せっかく戦争も終わったんだ、貧乏くじは僕ら独身組が引くべきなんだろうさ」

 

 「そこについてだけなら、心から同意だ」

 

 魔法戦争が終結したのは、今から3ヶ月ほど前の1981年の11月の中頃。

 

 最大の転機となったのは無論、10月31日のヴォルデモート消失であり、その後、魔法省陣営が総攻撃を断行することにより、長きに渡った戦争には終止符が打たれた。

 

 ホグワーツ自治領の防衛戦力であり、死喰い人と最前線で戦い続けた不死鳥の騎士団も今は解散しており、それぞれが異なる道へと歩み始めている。

 

 

 ジェームズ・ポッターは、魔法警察として“治安の守り”を

 シリウス・ブラックは、闇祓いとなり“追跡の猟犬”と呼ばれ

 リーマス・ルーピンは、魔法戦士という肩書で“辺境の守り”につき

 ピーター・ペティグリューは、聖マンゴ魔法疾患病院の癒者として人々を治療する日々

 

 

 「死喰い人の連中も多くは国外に逃げ散ったらしいが、イギリス内に潜伏しているの数もなかなか馬鹿にできん。まずはそいつらの追跡と排除からか」

 

 「何といっても、まずはラバスタン・レストレンジ。ロドルファスの方はひとまずはジェームズらに任せよう」

 

 「都市部については、クラウチ魔法大臣殿の管轄だ。そこは閣下のお手並みに期待するさ」

 

 そしてまた、不死鳥の騎士団の陣営がそれぞれに分かれたのは、死喰い人の幹部たちの動向に由来していた。

 

 ヴォルデモート消失後の死喰い人の残党は大きく4つの集団に分かれ、異なる領域を持ち場としながら、虎視眈々と闇の帝王の復活と帰還のための準備を整えている。

 

 

 国際テロリスト組 ~ エバン・ロジエール、バーテミウス・クラウチ・ジュニア

 北海海賊組  ~ アントニン・ドロホフ、ベラトリックス・レストレンジ (イゴール・カルカロフを脅して船を用意させた)

 都市ゲリラ組 ~ ロドルファス・レストレンジ

 辺境潜伏組 ~ ラバスタン・レストレンジ

 

 

 これらに対し、アラスター・ムーディは国際テロに備え、迅速に対処するためにイギリスに留まらず、“国際追跡局”を組織して追跡にあたり。

 

 闇祓い局の後を継いだルーファス・スクリムジョールは、国際社会と連携可能な“網”の構築を目指してドロホフらの海賊船団の拿捕のために動き。

 

 魔法警察を中心に、都市のゲリラ攻撃に対処するべく、ジェームズ・ポッターらは即応部隊に就任し。

 

 そして、魔法戦争における激戦地であり、主戦場となった辺境の死喰い人拠点の追跡、探索を、シリウス、リーマスが担う。

 

 正確には、シリウスを中心として闇祓いの追跡チームを分離し、そこにリーマスら、魔法省の所属ではない魔法戦士たちが有志連合で加わる形だ。嘱託に近い扱いとなるが、命の危険が極めて大きい仕事なので、魔法警察と同等の給与と死亡手当は保証される。

 

 何しろ、追跡対象は躊躇なく死の呪文を使ってくる死喰い人の中でも精鋭と言っていい連中だ。戦争が終わったとはいえ、新たな殉職者は確実に出ると見込まれている。

 

 

 「クラウチと言えば、皮肉といえば皮肉なもんさ。敵を倒すためなら狼人間でも何でも使うってのは、彼らしいとは思うけどね」

 

 「戦争が終わってダイアゴン横丁あたりは平和になった。だが、まだまだ辺境では諍いが続いてる」

 

 「そしてそこなら、僕のような狼人間にも出来ることはある。基本的には悪夢でしかなかった夜間学校だったけど、そこを学べたのは純粋に良かったことだと思ってるよ。何も、魔法族の子と同じに学校に通うだけが全てじゃないってね」

 

 口にするのも憚られるような恐怖の体験ではあったものの。

 

 あの幽霊と化け物たちの夜間学校の体験は、リーマス・ルーピンの人生観において大きな影響を与えている。

 

 普通であるということが如何に素晴らしいか、そして、その平穏はどれほど簡単に破られるか。ぶっちゃけ、死喰い人よりもあのドクズゴースト三人衆の方が厄介だと思うのは果たしてリーマスだけだろうか。

 

 

 「何よりも、魔法界は広いんだ。確かに狼人間は“人間にとって”危険だけど、だったら魔法生物関連の仕事に就けばいい。それを、知ることが出来た」

 

 魔法生物の研究だったり、ゴブリンとの折衝役だったり、水中人やレプラコーンとだって様々な取引はある。そこに経済活動があるならば、護衛や通訳、様々な需要が生まれるのは道理だ。

 

 狼人間が危険なのは“人間”だけであり、仮に噛まれてもゴブリンは狼人間にはならない。無論、爪牙で引き裂かれてしまえば死ぬこともあるだろうが。

 

 それに、人間の中では働きにくいならばグリンゴッツで働くというのも手である。

 

 “マグルや魔法族の多い場所”では働きにくい人狼だが、“幻想世界”へ広く眼を向ければ、活躍の場は以外とある。

 

 マグルの歴史においても、迫害されたユダヤ人や、非人や不可触賤民などとされた者達が、それ故の専門職を持ったということは案外に多い。

 

 同様に、魔法界の中にあっても、狼人間だからこそ出来る仕事、適した役割というものもまた確実に存在しているのだ。

 

 魔法族の仲間との絆を重視しすぎれば、その事を忘れてしまうのもまた、盲点と言えば盲点なのだろう。

 

 

 

 「と、噂をすれば“叫ばれない屋敷”だ」

 

 「懐かしくもあり、ああ帰ってきたなと思う反面、二度と見たくもないような不思議な心地だよ」

 

 「奇遇だな、俺もだよ」

 

 シリウスは魔法省の地下8階のアトリウムからホグズミード村へと姿現し。リーマスは現在の任地である辺境からボートキーで同じくやってきていた。

 

 ホグワーツへは直接移動できないため、二人は近況について話しつつも徒歩で移動していたわけだが、そのルートは必然、“ホグズミード行き”の時の逆を辿ることになる。

 

 普通の生徒にとってはそうではないが、彼らにとってはここが“順路”なのである。

 

 

 

 「あら、ブラック君にルーピン君。もう来ていたのね」

 

 そしてその館は、イギリス魔法界でも有名な“悪霊の館”であり、ホグワーツ魔法魔術夜間学校の授業場でもあるならば。

 

 そこに、ドクズゴースト三人衆の一角がいるのは、何も不自然なことではない。

 

 というか、神出鬼没の他のクズ二名はいざ知らず、彼女、メローピー・ゴーントは一人の時は大抵ここにいたりする。

 

 

 「お久しぶりです、メローピー先生」

 

 「懐かしの我らが校舎へ、戻ってきました」

 

 応じる二人も、かつての夜間学校の日常のままに。

 

 何だかんだで、やっぱりここに来ると帰ってきたと実感できるのだから、我らが青春も本当に摩訶不思議なものだと若干呆れながら。

 

 

 悪童たち、戦争を終えてここに帰還す。

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 ホグワーツの校長室にて、首脳の二人が話し合っている。

 

 アルバス・ダンブルドア校長とシグナス・ブラック副校長。

 

 戦争は終わり、これから平和の時代が訪れると多くの民草は信じて疑わない中、勝利陣営と中立陣営を率いたそれぞれの首脳の額に刻まれた皺には、緩む兆しはまるで見えない。

 

 確かに、ヴォルデモートの敗走により、戦争の実戦段階は終わった。

 

 イギリスの英雄が死喰い人過激派の首魁を打ち破り、悪しき巨人の砦もまた崩れ落ちた。

 

 一先ず、区切りを迎えたと言っていいだろう。

 

 

 「しかし、一つの終わりは一つの始まりを意味するもの。特に、私の仕事はこれからが本番といったところですかな」

 

 「うむ、大いに頼みとするところじゃ、シグナスよ。儂ではこれからの局面にものの役に立たんじゃろう」

 

 「もとより、貴方にその部分は期待しておりませぬ。貴方は貴方にしか成せぬ役割を十全に果たした。ならば後の政治的処理は、私やルシウスの領分だ」

 

 グリンゴッツ銀行との、取引再開にまつわる契約。

 

 アズカバンに送る囚人と、その家族はどこまで罪人と見なすかの司法処理。

 

 講和会議の準備、外国との折衝には国際魔法協力部が総出であたる必要があるだろう。

 

 他にも、戦傷者の聖マンゴ魔法疾患病院での今後の身の振り方や、戦死した者らの家族への手当。孤児が発生したならばその受け入れ先も含め。

 

 一手間違えるだけで憎悪と戦火は再燃し、終わらない泥沼に陥る可能性も高い爆弾処理のような作業。

 

 まして、ヴォルデモートという“帝王の座”が空白となった以上、魔法省内部では新たな覇権を巡る内ゲバも起こることは疑いない。

 

 

 「重ねてこれだけは言っておくが、儂は魔法大臣に就くつもりはない」

 

 「それで構いません。マーリン勲章勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員。貴方の持つ肩書は十分すぎるほどだ。大臣職などなくとも、貴方はそこにいるだけで重きをなす。クラウチとてイギリスの英雄を無視できるはずもなし」

 

 穏健派が担ぐとすればコーネリウス・ファッジあたりだが、圧倒的な支持を持つのは現職のバーテミウス・クラウチ大臣だ。強硬な手段には異論もあったが、こうして戦争を勝利に導いた今、彼の方針に逆らう者は左遷されることは必然として起こる。

 

 ならば、その混乱の乗じて栄達を求める者。死喰い人の所属する名家の持っていた利権が空けば、それを漁ろうとする者、腐肉漁りも湧いて出てくる。

 

 ダンブルドアが英雄として独裁を振るうつもりがない以上、野心家たちの炎を鎮火する手段はないのだ。

 

 

 「平和とは、次なる戦争のための準備である。これは誰の言葉だったものか」

 

 「実に悲しい言葉じゃが、賢明な警告でもあるのじゃろう。そうはならぬことを願いたいものじゃが」

 

 「ですが、それは常に儚い望みだ。そも、マグルとは戦争を繰り返すことで進歩し続けた種族。彼らの隣を歩むならば、我々だけが争いを知らぬお嬢様のままではいられますまい。それでは、“お友達甲斐”がないというもの」

 

 完全に距離を置くならば、全く異なる生き方を目指すのもよい。

 

 しかし、境界線を守りながら寄り添うならば、魔法族だけが戦争を知らぬまま平和に隠れ住むという選択肢はありえまい。

 

 戦争を知らない人間は、戦火をくぐり抜けて必死に生きている人間の気持ちなど、推し量ることすら出来ないのだから。

 

 

 「マグルと書いて、戦争と読む。そのくらいの心構えでなければ」

 

 「そこは、受け入れるしかあるまい。40年前のあの頃、ロンドンの空に鋼鉄で出来た死の翼が舞い降り、焼き尽くす爆弾が落とされたあの光景を、儂は忘れられぬ。ゲラートが起こした魔法大戦とて、戦争を知るという意味では多大な効果があった」

 

 「我々の歴史は些か、魔法に頼り過ぎ、政治を軽んじすぎた。血を流す政治を戦争と呼び、血を流さぬ戦争を政治と呼ぶ。それがマグルというものならば、戦争を知らぬ我々は政治においても盲目であり続けたも同然」

 

 そう、そしてならばこそ―――

 

 

 

 「当然、お前にも働いて貰うこととなる。忌まわしき時計塔の悪霊よ」

 

 「おや、そこで私が名指しされるとは」

 

 校長室にいた二人の“人物”の他に、何食わぬ顔で観測していた悪霊へ、副校長は厳しく言い放つ。

 

 

 「マグルの戦争の歴史、そしてその強味と弱味、何よりも強欲さ。そうしたものを今後ホグワーツの生徒にも教えてゆく必要があるならば、お前こそ適任であると、私は確信している。お前と関わる人間は、マグルらしい毒々しさを自然と身に着けていくようだ。あの根暗のウォーレンをよくぞあそこまでと、私でも感心するほどにな」

 

 嘆きのマートルが嫉妬の念でシグナス・ブラックを死ねリア充と見るならば。

 

 シグナス・ブラックにとって、かつては路傍の石も同然だった彼女だが、今となってはその変化に驚きを禁じえない。

 

 

 「まあ確かに、リリー・エバンズとジェームズ・ポッター、そして、シリウス・ブラックとセブルス・スネイプに関する顛末は、彼女の功績と言っても差し支えないでしょう。私は何もしておりませんし、メローピーさんはやらかしただけですから」

 

 「だが、その四名こそが、ヴォルデモートを破る決戦における要となった。シリウスは私の甥でもあるが、あの短絡的な跳ねっ返り小僧が、あそこまで清濁併せ呑む広い視野を持つに至ったのも、お前たち悪霊の活動と無縁ではない」

 

 「特に、セブルス・スネイプとの和解ですか。彼は貴方の寮の優秀な学生、監督生でもありましたが、死喰い人陣営の情報収集について、ブラックとプリンスの連携は見事なものでした」

 

 「狸めが、そのホットラインの発端も、お前であったと聞いているが。夜間学校の主催者よ」

 

 「生徒個人のプライバシーと名誉に関することなので、お答え致しかねます」

 

 まさに、どの口がほざくというものか。

 

 悪霊教師の辞書に、プライバシー、名誉、尊厳という言葉が欠落していることなど、ホグワーツで知らぬ者はいない。

 

 

 「お前は確かに、あの時計塔に縛られる観測者に過ぎんのだろう。だが、間接的ではあっても生徒はお前の影響下にある」

 

 「厳密には私の、ではないと思われますが、まあ、大差はありませんね」

 

 「使えるものは、全て使うべきだ。幸いにも、それがマイナスの影響となった場合において、中和することが出来る人材を校長がお持ちになっている。非常に優秀で、可憐な天使をな」

 

 「うむ、アリアナは非常に優秀じゃ。シグナスは良いことを言う」

 

 「はい校長。賢明にして頼りになる彼女の力を借りるならば、この者の悪影響を封じつつマグルの歴史との比較論を効率的に生徒へ教えることもできるはず」

 

 「うむうむ、まさにその通りじゃ」

 

 最近、副校長はイギリスの英雄の操作方法を理解してきたらしい。

 

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。とにかく、アリアナを褒めること、アリアナの言うとおりにさえすれば、校長は簡単に頷く。

 

 悪影響と言うならば、副校長が身につけたこの操作術もまた、時計塔の悪霊による汚染と言っていいかもしれない。

 

 

 「戦時においては英雄、平時においては役立たず。これがグリフィンドールというものですかね、副校長?」

 

 「スリザリンの私からは何も言えん」

 

 そして、スルースキルにも長ける副校長。理事長も兼任してるだけあって、腹の探り合いや騙し合い、話術や詐術はお手の物なのだろう。

 

 

 「いずれにせよ、承りました。今までも随分好き勝手にやらせていただきましたが、要するに、戦後も“私らしく”魔法史講義を行うことについて、校長、副校長連名によるお墨付き、いいえ、暗黙の了解を頂けたと」

 

 「そういうことだ。これまでの10年間は戦時中ゆえの目こぼしという要素もあったが、以後はより徹底してマグルの何たるかを、そして、我々は何を知らず、何を知るべきかを生徒に叩き込め。手段は問わぬ。そして、非難と嫌悪は全てお前が被れ。校長閣下は何も命じておらず、許可もしていない」

 

 「了解いたしました。非難と嫌悪はすべて私にとは、なんと素晴らしき辞令であることか。感謝いたします副校長閣下。貴方のそういうところが私は大変好みです」

 

 心から寿ぐように、ノーグレイブ・ダッハウは首肯する。

 

 ああそうだ、権力の使い道とはこうでなくてはならない。英雄は英雄らしくあれ、汚れなどあっては神輿としての価値を損ねる。

 

 ならば、生徒達にマグルの汚い現実を知らしめるという文字通りの“汚れ仕事”に、これ以上の適任はあり得まい。

 

 

 「では、私はこれにて。おお、素晴らしき吉報かな、これは今すぐマートルさんにも教えて差し上げねば。貴女も存分に働いて頂きますよ」

 

 かくして、ホグワーツ生徒の受難の日々は全く変わることなく、いやむしろ悪化して続くこととなった。

 

 第二のヴォルデモートを決して出さぬため、死喰い人に連なる者をこれ以上増やさぬため。

 

 まさに、劇毒というべき鬼札を、教育という最重要分野において切ることとした校長室の両巨頭。

 

 この戦後処理、果たして凶と出るか大凶と出るか。

 

 

 

 



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5話 悪霊は戦後に嘲笑う

今回は、前話からそのまま繋がっています


 「本当に懐かしいわ。貴方達やセブルス君が卒業してしまった後は、なかなか新しい人間の子が入ってこなくて」

 

 「そりゃそうでしょうね」

 

 「いくら俺やジェームズだって、リーマスのことがなければ入ったりしませんよ」

 

 「ピーターは言わずもがなですし、セブルスにしても君らがいなかったら絶対避けてたと僕は感じるかな」

 

 勝手知ったる悪霊館の地下室にて。

 

 知人というか、一応は恩師とも言える(あっちに比べればまだそう思える)幽霊に会ったシリウスとリーマスは、ついでなので少しばかり世間話していくことにした。

 

 今日はちょっとした用事があってホグワーツに来ており、同時に、夜間学校に関わった面子で再会の約束もしている。

 

 そちらもそちらで、メローピーとも実に近しいと言える者達なのだ。一般生徒にはあまり知られていない彼女だが、あの夜間学校では魔法薬の先生である。

 

 特に、ホラス・スラグホーン教授の後釜に座ると見られているセブルス・スネイプにとっては、色々な意味でメローピーとは縁が深い。

 

 要するに、毒食らわば皿までというものである。

 

 

 

 「あのダッハウ先生がすぐに教室を閉じるとも思えませんし、今は人間の生徒不在でやってるんですか?」

 

 「ええそうよ、元々はアリアナちゃんのための教室ですし、校長先生の依頼でもありますから」

 

 「相変わらず公私混同してるな、ダンブルドア校長閣下」

 

 「シッ、それ以上はいけないシリウス」

 

 君子危うきに近寄らず。

 

 悪霊の館ではアリアナの言うとおりに。

 

 賢いリーマス少年は学んだのだ。

 (まさか、校長と副校長が、ダッハウに関するとんでもない密議をしているとは思いも寄らない)

 

 

 「ダッハウ先生がおっしゃっていました。たとえ公私混同しようとも、成果を出せばよいのだ。勝てば官軍負ければ賊軍です」

 

 「相変わらず碌でもない先生だけど、世の中の真理ではあるのだろうか」

 

 「言われてみれば、魔法界の全員が校長先生に期待したのはヴォルデモートを倒すことであって、この幽霊教室を運営することではないからな」

 

 そして、アルバス・ダンブルドアはその期待を十全に果たした。

 

 ヴォルデモートを倒せるとしたら彼だけと呼ばれており、実際に決闘でもって打ち破ってみせた。

 

 ならば、他は枝葉の些事でしかあるまい。ちょっとした余技で孫娘(歳の離れた妹)のために、ちょっとした夜間学校を作っただけである。

 

 ついでに、その悪夢のノウハウの成果を副校長閣下が認め。全部とは言わずとも“一般生徒への魔法史カリキュラム”にも導入することを決めただけだ。

 

 うん、あかんわこれ。

 

 

 「私としては、リリーちゃんやポッターくん、それに、セブルスくんが勝ってくれて嬉しいわ」

 

 「嬉しいお言葉ですが、“私としては”ということは?」

 

 「……ダッハウ先生は、どうせ死んで皆ゴーストになるんだから、どっちが勝とうが負けようが別に同じでしょうとおっしゃってました」

 

 「ほんとに相変わらずだな、あの悪霊教師殿は」

 

 クズ教師の鑑、ここに極まれり。

 

 ここまで来ると、逆に安心感すら感じてしまうのはなぜだろうか?

 

 

 

 「ともあれ戦争が終わって、皆もそれぞれ就職先が決まったのよね」

 

 「ええ、僕は辺境で魔法戦士を、ジェームズが魔法警察、シリウスは闇祓い、ピーターが癒者です」

 

 「良かった、皆頑張ってるのね。それぞれピッタリのお仕事だと思うわ」

 

 「ありがとうございます、メローピー先生」

 

 「あのダッハウだったら、嫌味たっぷりに“どうせ戦うしか能がないですし”とか、“ありきたりすぎてつまりません”とか言ってきそうだからな」

 

 「………えっと、あの、その」

 

 「メローピー先生、無理にフォローしようとしないで良いんです。ダッハウ先生がああだってことはホグワーツの常識ですので」

 

 リーマス・ルーピンは、フォローになっていないフォローをすることに定評がある。何しろ、問題児やクズ大人が周囲に多すぎて、フォローのしようがないことが圧倒的なのだ。

 

 そんな濃密な七年間を乗り切り、この悪霊の館で授業を受けてきたのだ、こんな会話の流れは日常茶飯事だ。

 

 

 「僕が狼人間でありながら、何だかんだで楽しく過ごせたのはダッハウ先生を除いた幽霊教師の皆さんのおかげです。ヘレナ校長やマートル先生にもよろしく言っておいてください」

 

 だがそれでも、ダッハウだけは除く。テメーはダメだ。黒太子同盟の名にかけて。

 

 

 「それに、脱狼薬ももうすぐできる。惜しむらくは悪の魔法研究所を叩き潰せなかったことだが」

 

 「絶対に駄目だから」

 

 シリウス曰く、悪の魔法研究所とは、“プリンス魔法製薬所”のことを指す。

 

 比較的小規模ではあるが、設備は最新鋭のものが揃っており、魔法戦争において死喰い人陣営が密かに建設し、“真実薬”などの尋問などに使える複雑な魔法薬を作っていた施設だ。

 

 魔法戦争が死喰い人陣営の敗退に終わったため、11月の総攻撃の折に海外脱出組に放棄され、不死鳥の騎士団に接収されることとなった。

 

 当初は、魔法省が何らかの形で転用しようとしたのだが、場所が辺境に近く、交通の便があまり良くなかったことや、扱っている魔法薬や材料が複雑すぎて、一般職には手の出せないレベルだったこと。

 

 それらを鑑みた結果、元騎士団員のセブルス・スネイプが所長となって引き継ぎ、聖マンゴ魔法疾患病院への魔法薬の卸売と、新薬開発を兼ねる“プリンス魔法製薬所”がスタートした。

 

 ちなみに、従業員は所長の他に現在一人だけで、名前はリリー・ポッター。他にはホグワーツ退任間際のホラス・スラグホーン氏も時々顔を出す。

 

 そこでの経験はそのまま、ホグワーツの魔法薬教師のセブルス・スネイプとして受け継がれるだろう。無論、スリザリンの寮監の立場とともに。

 

 なお、ジェームズは断固反対していたが、最後は恋の魔女の笑顔に負けた。彼も魔法薬は得意なので一緒に働こうとしたが、死喰い人対策(特にハリーの守り)が急がれたので涙を飲んで諦めた。

 

 後に、セブルス・スネイプ曰く、【我が人生最良の瞬間】であったそうな。

 

 

 「確かに、スネイプの野郎とリリーが取り組むなら脱狼薬だってすぐに完成させるだろうさ。だがな、何で二人だけで一緒に働いてるんだ?」

 

 「不倫のようで不倫じゃないから、だって、セブルスもリリーの夫だし」

 

 「……魔法界じゃあ、他人だろうが」

 

 「あ、そこは複雑らしいのよ。この前マートルさんが言ってたんですけど、マグル向けに“クイーンヴィレッジ考古学教室分館”っていう看板もあるのだとか」

 

 「そうなんですか? となると、辺境に近いことを利用して、マグル側でのリリーとセブルスの“研究拠点”ということにもするってことですか」

 

 悪戯仕掛け人の中では、唯一“マグル学”も専攻していたのがリーマスである。

 

 だからこそか、マグル側の事情についてでは、リリーやセブルスに次いで詳しい。

 

 ポッターであり、ブラックであった二人は、どうしても将来設計が魔法戦争に比重が寄っていたため、学術的にマグルについて学ぶ暇がなかったのが痛い。

 

 ただまあ、マグル学に悪霊カリキュラムが導入された後は、絶対に学ぶことはなかったろうが。

 

 

 「向こうは向こうで、俗世から離れた場所で考古学を研究している、若く有望な学者夫婦って体裁らしいのよ。だからハリーちゃんをそこで育てることにも違和感がないし」

 

 「我が偉大にして卑賤なるブラック家なんざ人様のことは何も言えないが、とにかく面倒で複雑になってしまったな、ポッター家も」

 

 本当に、我が親友のことながら、どうしてポッター家はあんな訳わからんことになってしまったのか。これもやはりブラックの呪いなのだろうか。

 

 そして、今の所ではあるが、それで誰かが不幸になっているわけでもないのが始末に負えない。(ジェームズの心情はこの際気にしない。彼は強い子だから)

 

 そう、死ぬほど訳わからんのに、不利益が多いかと言われるとそうでもない。

 

 まるで―――

 

 

 「やっぱり、ダッハウの野郎を思い出してしまうんだよな」

 

 「……どうしてもその名前が出てくるね」

 

 「すみません、リリーちゃんに関してはやらかしたのはわたくしなんです」

 

 「いえ、その辺りの経緯はジェームズとセブルスから聞いたから知ってるんですけど、それでもやっぱり」

 

 「誰が悪かったかと考えれば、ダッハウの野郎と、マートルのせいじゃないかっと思うのは当たり前だろう」

 

 ちょっと空気が重くなりつつも、三人は秘密の通路を下ってホグワーツへと歩を進める。

 

 今日は2月の14日、マグルの世界ではセントバレンタインデーと呼ばれ、魔法界ではルペルカーリア祭とも呼ばれる悪霊の祭りの一つ。

 

 

 悪霊たちとともに騒ぐには、良い日だ。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 悪童たちから噂される二人の悪霊コンビはと言えば。

 

 

 「いつもの定例報告です、ビンズ先生。魔法戦争は終結し、校長と副校長の黙認により魔法史教育の頁は次の段階へと進みました。この戦争を歴史として次の生徒らへ語る日もそう遠くはないでしょう」

 

 「お墓参りを定例報告ってのも、アンタくらいじゃないかしら」

 

 実に悪霊らしく墓場にたむろっており、実に悪霊らしくなく、墓参りという行動を行っていた。

 

 校長室にいたり、事務室にいたり、印刷室にいたり、叫ばれない屋敷にいたり、地下墓地にいたり、そして無論、女子トイレにいたり。

 

 実に神出鬼没な連中ではあるものの、この二人の組み合わせの場合、結構な頻度でホグワーツ共同墓地に湧いて出てくる。

 

 

 「何をおっしゃいます、マートルさんの墓もちゃんと数メートル向こうにありますし、お墓参りはかかしておりません」

 

 「アンタに参られたくないんだけど」

 

 「勿論、社交辞令です」

 

 「それはそれでムカつく」

 

 そして会話はいつもの通り、墓の前だから厳粛な雰囲気になるなんてことはなかった。

 

 

 「そういえば、あの時代にホグワーツで死んだのはあたしだけのはずだけど、もっと昔にホグワーツで死んだ生徒の墓は?」

 

 「トライ・ウィザード・トーナメントに出場して死んだ者達は、さらに奥の英霊墓地に葬られております。ただし、遺体がそこに納められているかはまちまちです。貴女のように、強力な呪いで殺されたために、遺髪と一部の遺骨以外をマグルの両親へ渡すわけにはいかなかったなどの理由も絡みます」

 

 「なるほど、死因によってそりゃ変わってくるでしょうね」

 

 「特に、対抗試合でドラゴンの炎で焼き払われた場合などは遺体の欠片も残りません。そのような行事を平気で行っていた時代だったのですから、中世という時代において、命を懸けて戦うことが如何に美徳とされ、現代とは全く違う死生観であったかが伺えます。これを狂気と決めつけるのは現代人の悪い癖でしょう」

 

 命の価値も、死生観も、時と場所が変われば当然異なってくる。

 

 人権という作り物など、所詮は数百年程度しか歴史を持たない虚構の一つ。為政者にとって程々に便利な道具だったのは間違いないが、それを絶対のものと盲信するのは、司祭の言葉を鵜呑みにする中世の農奴と何も変わらない。

 

 

 「人の命の価値とは、突き詰めればその程度。46億年の星の歴史において、ほんの数十万年程度地表を彷徨ったの猿の親玉。それをこの世の何よりも価値があると、特に一神教を信じる白人などは思いたがる。ええ、この国の人間も該当しますね」

 

 「まさに糞の発言だわ」

 

 「無価値とは言っておりませんよ。ただそこにあるのはサピエンス一体分の肉塊。それ以上でもそれ以下でもなく、そこに巨大な意味を求めるのは同じサピエンスの虚構だけ、愛もまた然り。同時に、それこそがサピエンスの最大の強みと柔軟性、進化の秘訣でもある」

 

 宗教も、イデオロギーも人権も、たとえ一時もてはやされ人気を博そうとも、新たにもっと人気のある虚構が生まれれば、取って代わられ忘れられる。

 

 いいやむしろ、古びた権威が長く残り続ければ、弊害ばかりが大きくなっていくのが人類史というもの。

 

 腐敗した宗教の権威が、良き結果をもたらしたことなど、ただの一度もありはしない。

 

 人権賛美という権威もまた、必ずや同じ末路を辿るだろう。それこそ、たかが風邪で特権階級の老人が死なないようにと、国の経済全体を傾かせる例もあるくらいだ。

 

 

 「中華の詩仙に曰く、”国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ”。中々に教訓となる言葉です。国家や民族、純血主義、命の価値とて、例外ではありえない。マグルの世界においても、あの時代に燃え上がったファシズムとアーリア人賛美が、今では口にするのも憚られる絶対の禁忌となっているように」

 

 「だったら、魔法戦争が終わったことで、純血主義やマグル差別にも、何か変化があるかしら?」

 

 「なにがしかの変化はあるでしょう。しかし、差別は絶対になくならない。人間というのは差別が大好きな生き物です。より正確には、平等な社会を欲するのではなく、身分制度がある社会において、差別する側にいたいのです。さらにそれが、努力もせずに神様から先天的特権として得られるならば最高だ」

 

 「こういうことを語るときのアンタは、本当に楽しそうね。嫌になるくらい」

 

 「おっと、大切なことを忘れておりました。差別する側になろうとしている人間は、比較的とは言えマシと言えます。その精神の攻撃性、行動力は本物ですから。より愚劣なのは、『自分が差別される側になりたくない』から、より自分より弱そうな存在を虐げる者たちです。意識的、無意識を問わず、この手の輩のほうがずっと割合は多い。ああ、ようはいつも私が語る『つまらない者たち』のことですよ」

 

 でなくば、民主主義の整った先進国に生きる子供達の夢が、“魔法の使える貴族に転生して現代知識で無双したい”となるはずがない。

 

 曲がりなりにも全国民へ一定の参政権と団結権が認められている社会から、差別と貧困の蔓延る貴族社会の特権階級に生まれ変わりたいと、多くの人間の願望は示している。

 

 

 「そりゃ事実でしょうね、嫉妬のゴーストであるアタシもそう思う。でも、それは人間だったら晒したくない醜い本音ってやつよ」

 

 「であるならばこそ、私が言わねば誰が言う。ノーグレイブ・ダッハウは人の黒歴史を暴露し嘲笑う」

 

 「だから嫌われるのよアンタは」

 

 墓に礼儀を捧げながら、歴史の教訓に学ばず、戦争を繰り返す人間の愚かさを嘲笑う。

 

 ホグワーツの魔法史教師、時計塔の悪霊とはそういう存在だ。

 

 

 「墓については貴女とよくここで語りますが、それでもなお語り尽くせぬほどに奥深い。この戦争で戦い死んでいった者達、巻き込まれて死んだ犠牲者、それぞれに慙愧の念があり、墓に何を求めるか」

 

 戦争は終わったといっても、やはり死者は出た。その折り合いをどうつけるかもまた、【戦後】の課題である。

 

 戦後処理にしこりが残れば、戦火は再燃し、憎悪と復讐の連鎖が永劫に続くこともままある。

 

 

 「アンタが作った地下墓地でも、全員がゴーストになれるわけじゃないのよね?」

 

 「そこは何ともいい難いですね。是であり、否とも言える。少なくとも、私達のように実体に近い状態で会話もできて顕現できることをゴーストになると言うならば、全員がゴーストになれはしない」

 

 「例の、境界線問題?」

 

 「ええそうです。墓とは古来より死者の家。分からないからこその不安を減少すべく死後の概念を人々は幻想した。ピラミッド然り、カタコンベ然り、死後があってほしいという祈り、復活や再会への望み、魂の救い」

 

 「そうね、アタシの場合も両親が常に墓を想って、再会を祈ってくれたから叶ったわ」

 

 「であるならば、そもそも、実体化して我々がこうしていることと、“お爺さんやお父さんたちは、あの世でホグワーツの同期と楽しくやっている”と家族が想うことに、大きな違いはない。観測しなくてはならない物質文明と異なり、精神の救いは目に見えるものでなくともよい」

 

 皆が思う死後の在り方、その共有幻想の力を借りて、一時ゴーストとして留まったとして。

 

 そこに、残した家族に不安なしと思えば、死した魂も成仏していく。

 

 観測者の有無も含めて、そこは非常に曖昧な領域だ。

 

 

 「しからば逆もまたあり得る。未練があるからこそ残る魂あり、理不尽に殺された者、恨み、辛み。そして、貴女のような嫉妬の念」

 

 「そこもまた分かるわ。あの理不尽な喪失は、簡単に流せるものじゃない。理屈じゃないのよこれは」

 

 そして、未練があっても残れぬことがあれば、未練なくとも縛られることもある。

 

 例えば、強大な呪力の籠もった遺物で、魂まで毒されてしまったり。

 

 例えば、強大な魔法生物に殺され、死後にその場へ縛り付けられてしまったり。

 

 

 「ピラミッドとスフィンクスなどは良い例です。墓泥棒が潜入し、スフィンクスに殺されれば、その肉体は亡者となりて、ミイラにもなれずに墓を守る怪物として彷徨うことになる。エジプトでもメソポタミアでも、死因と死後は常に密接に結びつくと信じられてきました」

 

 死後の魂のあり方は、生前の功徳の形をえぐり出す。

 

 そこに不安があるからこそ、各文明圏において、免罪符も含めた善行と悪行、罰の形までも虚構の神話や宗教で形作ってきた。

 

 

 「そこから逃れるために、死後裁判に関する発想も多様です。東洋における三途の川の渡し賃しかり、キリスト教における聖地巡礼で得られる免罪しかり」

 

 聖地イェルサレムにおいて

 

 ピラトの屋敷跡    免罪、7年と40日

 聖アンナの墓所    完全免罪

 ユダの塚       免罪、7年と40日

 聖母マリアの昇天の場 免罪、7年と40日

 イエスの足跡     完全免罪

 最後の晩餐の家    完全免罪

 

 といった具合に。

 

 「巡礼を行えば、家族の分まで免罪を稼げるというのですから、巡る金貨のようで実に面白いではありませんか。実際、巡礼は巨大な観光事業でもあったわけですが」

 

 「欲深さと敬虔さの両立ってのは、改めて思うと凄いわね。これは、魔法界にはあまりない発想だわ」

 

 「金融と運輸、そこをグリンゴッツのゴブリンに委ねきっておりますから。そこを人間ではない者達に任せるという点は、マグル界では気が狂ってもありえない暴挙。何しろ戦争は、巨大な資本の動く金儲けの場でもある。二つの世界における重要な相違点と言えましょう」

 

 そう、戦後はまさにそれぞれだ。

 

 民が戦争が終わったことを喜んでも、死の商人や金融業の者達は、特需が終わったと嘆くことなどままある。

 

 そこに不満があれば、永遠の特需を求めて軍需産業が戦争を起こし続けることとて、さして珍しきことでもない。

 

 まして、死喰い人の残党たちは健在であり、主君の復活を目指して武力を維持したまま様々に活動しているならば尚更に。

 

 

 「魔法界にはこれまで、死の商人と言えるほどの欲深き者らは歴史に現れなかった。しかし、マグル生まれを受け入れ続けるならば、やがては避けられぬ業ともなる。さてさてどうなるか、歴史の先を愉しみにいたしましょう」

 

 「愉しむな」

 

 欲望そのものに善悪はなく、それを扱う人間次第。

 

 ならばこそ、ノーグレイブ・ダッハウはただ観測を続ける。

 

 戦争の終わりに関わる想い、如何なる未来へ辿り着くかと。

 

 

 



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6話 家庭の悩みと教育論

死喰い人らは今頃、パイレーツ・オブ・カリビアン
あるいは、南シナ海かソマリア沖か


親愛なるペチュニアへ

 

 久しぶり。目出度くリリーに二番目の赤ちゃんが産まれてそろそろ半年になるかしら。それも、双子の女の子だというのだから二重の驚き。名前は確か、マリーベルとフローラ、だったと記憶してたけど、良い名前だと思います。

 

 貴女のところの“ダッドちゃん”もすくすく元気に育っているようだし、子供が健康ってのはとにかく良いことだわ。身体の無い私が言うのもなんだけど。

 

 貴女の子供のダドリーも、リリーのところのハリーも、もう二歳を過ぎてるはずよね? そろそろ、どちらの教育方針で行くべきか、悩みどころかと思います。

 

 以前の手紙で話した通り、私やリリーのような“マグル生まれ”に魔法族との子供が出来た時、どちらの世界に準じた形で幼年期の教育をするべきかというのは、何とも難しい問題なのよ。

 

 教育なんて、それこそ私が生まれた頃とはマグル側じゃ全然違うけど、完全に決まった形があるわけじゃないから、なおさら面倒くさいものね。

 

 マグルとしてだけ育てると、魔法を発現してから違和感に戸惑うことも多い。逆に、魔法族としてだけ育てて、後に魔法の力を持っていない、俗に言うスクイブであると分かった時は、多くの家庭で悲劇になってしまう。

 

 その辺のゴタゴタや、家族関係や親戚関係のギスギスを避けたいから、純血の魔法族のみ、百歩譲って混血だけと結婚しろという純血主義の風潮は生まれた。時代遅れ感も多少あるけれど、割り切れない現実や、魔法の力を持てなかったスクイブの悲劇とは切り離せないものではある。この事も忘れないで。

 

 貴女とて、リリーの姉であるのだから、貴女のダッドちゃんが魔法の力を発現する可能性は低いけどないわけじゃない。そして、その時の戸惑いや失望などが大きすぎると、オプスキュリアルと呼ばれる災厄をもたらすこともある。

 

 せっかく目出度く赤ちゃんが産まれたってのに、そんなことを考えなければ行けないってのは世知辛いけど、私の親友である貴女なら、きちんと向き合っていけると信じています。

 

 良き夫であるバーノンや、妹のリリーとも話し合って、家族皆で、どのようにしていくべきかを改めて考えてみて。

 

 それじゃあバイバイ。

 

 

 マートル・エリザベス・ウォーレンより

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

1983年 新年を迎えてすぐの頃のホグワーツ

 

 

 

 「そしてこちらが、リリーさんからの手紙と、相変わらず文通がお盛んのようでなによりです」

 

 「逢引か不倫かのように言うんじゃないっての」

 

 「不倫……良い言葉です」

 

 こちらは当然、例によって例のごとく、悪霊三人衆。若干一名は腐り具合に磨きがかかりつつある気もするが。

 

 かつて忌まわしき校内新聞が次々と量産された事務室の隣の印刷室にて。

 

 もはやここは我らが領土、我らが城と言わんばかりに、悪霊トリオは様々な手紙に目を通している。

 

 ポッター家やダーズリー家からの私信以外にも多くあることを見るに、決して事務仕事をサボっているわけでもないようである。

 

 この悪霊ども、何だかんだで任された仕事には手を抜かない。命令に対して嫌味や皮肉で応じることは殺したくなるほどに多いが。

 

 そして何気に、徐々にマートルさんの担当する書類の量が減り、気付かぬうちにメローピーさん担当が増えている。

 

 汚い、さすがマートルさん汚い。

 

 その行動を知りつつも、華麗にスルーするもう一匹の悪霊野郎のいつもどおりっぷりについては、今更言うこともないだろう。

 

 

 

 「こちらは今日のマグル側の新聞―――ふむふむ、おや、私の禁則事項が一つ解除されましたか」

 

 「はあ? なんか事件でもあったの?」

 

 「いいえ何も」

 

 「? どういうことでしょうか?」

 

 メローピーさんも最近少し分かってきたマグル新聞の読み方だが、特段の出来事が載っているようには思われない。

 

 新商品だの、製品だのが載っているチラシで、家電だの、電子機器だのが写っているものの、マグル知識に疎いメローピーさんにはさっぱりだ。 

 

 

 「まあそこはどうでもよいことですが、マートルさんの方はその話題ですか。確かに非常に身近であると同時に、魔法族の結婚問題とも切っても切れない根の深さ、議題としては中々良いチョイスです」

 

 「アンタと議論を楽しみたい物好きに、あいにく心当たりがないのだけど」

 

 「これが意外と結構いるのです」

 

 「マジで?」

 

 「嘘ですよね……」

 

 意外を通り越して、嫌そうな顔になっているマートルさん。メローピーさんに至っては、蒼白になりつつある。ゴーストなのに。

 

 まあ、無理もないだろう。コイツとまともに議論できるということは、それはつまり真っ当な精神をしていない変人の証明であり、そんなのが一人ならずいると聞かされれば、誰だってそんな反応になる。

 

 

 「まずは神秘部で逆転時計の解析をしている変人共、代表例はオーガスタス・ルックウッド」

 

 「死喰い人じゃないのそいつ。しかも絶賛国際手配中で、国際テロリスト組のロジエールとかと組んで今もやらかしまくってる奴」

 

 「いきなり犯罪者からぶっこんでくるとは思いませんでした」

 

 碌でもないことだけは違いなかった。イギリスのみならず、海で繋がってる各国に損害を与えているのだから、国益に反する害悪だ。

 

 それらに比べれば、この悪霊はまだ害がないと言える。とは思えないほどの前科と遡行の悪さである。

 

 

 「ちなみに、神秘部の変人学者だからといって、全員が死喰い人であるわけではありません。ただ、研究のためには死喰い人のほうが人体実験やりやすいとか思うタイプも稀によくいるだけの話です」

 

 「駄目なのしかいない」

 

 「研究材料の採取のためにも、密猟とかやってそうですよね」

 

 「それは、ドロホフ、ベラトリックスらの海賊組の仕事ですね。ダームストラング産の海賊船で各地の保護区を襲撃しては、高価で取引される保護動物やらを捕獲し、密猟業者などに売り渡すことで巨額の富を得ているとか」

 

 「中世の海賊とやってることが変わんないじゃない」

 

 「いいえ、近世のカリブ海でも似たようなものですし、現在でもソマリア沖で電子機器と通信装置を複雑に用いたデジタル海賊が登場しています。今しばし時間が経てば、情報の海に漂う財宝を略取する新手もどしどし登場しますよ。おお、ワンダフル」

 

 何事も淡々と述べる悪霊にしては珍しく、この話題には少し楽しそうである。

 

 需要があるところに供給あり。死喰い人の残党達も立派な海賊、テロリスト、バイヤー、犯罪集団に転じ、世界各国の魔法族のならず者と繋がりながら、虎視眈々と牙を研いているらしい。

 

 

 

 「イギリスで戦争が終わったのは良いことですけど、他所の国に迷惑がかかっちゃってるんですのね」

 

 「別にそれ自体は、マグルの歴史でも珍しいことではありませんよ。敗れた軍の残党が盗賊、匪賊に転じる。傭兵が略奪者に転じる。勝った占領軍が都市破壊を三日三晩続ける。犠牲となるのは常に哀れな豚の衆愚、おお、真に人の世は略奪と戦争に満ちております」

 

 「そこはせめて被害者を無辜の民と言いなさいよ。なんでアンタはそこまで楽しそうに豚とか衆愚とか言えるのかしら」

 

 「それはもう、私がそういう存在だからでしょう。戦争なくしてダッハウなし、迫害と略奪あるところにダッハウあり」

 

 「心底碌でもない」

 

 「まさにクズの鑑でした」

 

 「つまらないありきたりな虐めなどより、凄惨で機械的な大量虐殺のほうが見応えも教訓もあるのは当然でしょう。断然、こちらのほうが見ていて面白い」

 

 まさにダッハウ、これぞダッハウ。

 

 

 「海賊についての議論はさておき、マグル生まれと魔法族の間で生まれた最近の事例としては、ニンファドーラ・トンクス嬢が該当しますね。ウィーズリー家の次男のチャーリーさんと同世代ですので、来年の9月にはホグワーツに入学なさいます。参考事例としてはなかなか良いかと」

 

 「急に話題を戻すな」

 

 「相変わらずダッハウ先生ですね」

 

 「彼女の母は、先に出てきたベラトリックス・レストレンジの妹、アンドロメダであり、マートルさんが蛇蝎の如く忌み嫌うリア充代表、シグナス・ブラック副校長の次女です。純血の家がマグル生まれとの結婚をどう考えるか、という点でも事例としてはうってつけです」

 

 

 

 テッド・トンクスとアンドロメダ・ブラックの結婚例。

 

 シグナス・ブラックは家の例に漏れず、純血主義である。ただ、政治的感覚に長けていたため、ブラック家のためには、純血主義の中にも中立派が必要であろうと感じていただけだ。

 

 そして、周りが揃いも揃って純血狂いばかりだっため、消去法で自分がやるしかないという判断に至った。

 

 そうでない者もブラック家に生まれはしたが、彼らはブラック家を嫌い、離れていった。中間のバランスにいる者が彼の他にいないくらい、極端な家である。

 

 

 「以前、魔法史教師として生徒たちにどう教えるべきかという名目で、同様の質問をしたことがあるのですが、こう答えてくださいました」

 

 

 “本心で言えば、マグル生まれに娘を嫁がせるなど考えたくもなかった。だがしかし、家柄頼みで無能な純血よりはまだましだ”

 

 

 「うーん、この何とも微妙な感じ、やっぱりあいつは嫌いだわ」

 

 「セブルス君のおうち、プリンス家もそうでしたけど、純血のみって家はやっぱり多いですもんね……」

 

 「ゴーント家は病的なまでの頂点。ブラック家はそれに次ぎ、プリンス家はしばらく距離をおいて後に、といったところですかね。例の黒太子同盟結成時にもコメントしましたが、近親相姦やら、結婚騒動だのが何とも多い家でして、まさに、魔法界の黒歴史」

 

 こと、黒歴史を語らせれば、ダッハウの右に出るものはない。

 

 それだけは、ホグワーツはおろか、最近では魔法界全員の共通認識だ。

 

 

 「マグル側の教育か、魔法族側の教育か。それ自身も中々答えの出ない難題ですが、それ以前の課題として、そもそも教育を厳しめにいくのか、子供の自主性に任せるかとも絡んでくるから厄介なのです。有り体に言えば、魔法族教育は“自主性任せ”に向いており、マグル教育は“スパルタ式”に向いている」

 

 古代に存在した、スパルタという軍事国家が、“スパルタ式”の語源となったように。

 

 現代においてなお、マグルの教育機関の根底にあるのは軍学校。チャイムに合わせて全体行動を取ることも、会社に入るための下準備であり、東インド会社に起源を求めるまでもなく、会社というのは軍隊機構が大元となっている。

 

 

 「シグナス副校長は純血主義のブラック家中立派ですが、同時にマグルに向いた“スパルタ式”の体現者でもあります。校長が真逆なだけに絶妙の塩梅と言えるのが面白いところです」

 

 「校長先生と正反対ってのは、分かる」

 

 「そういう人だから、副校長に選ばれたって、ダンブルドア先生もおっしゃってました」

 

 「当然、スパルタ副校長の次女を娶ることが出来たのも、テッド・トンクスという青年が最低条件を満たしたからです。監督生であり、ハッフルパフの良い部分をかなり体現している生徒であったため、能力で厳格に考えれば、異論を唱える理由もなかった。これまた、彼の言葉となりますが」

 

 

 “私の娘を娶るならば、まずは努力した実績を見せろ。己が夫に値すると証明して見せることだ”

 

 

 「うわ~、如何にも古き武闘派貴族って感じ」

 

 「せめてうちも、このくらいなら良かったのですけど……」

 

 徐々に発作が出てきたか、ダウナーになっていくメローピーさん。

 

 没落しきった果てにあったゴーント家の小屋生活は、一言、惨めに尽きる。純血主義の弊害があっても、如何にも貴族然としたブラック家をやはり羨ましくは感じるらしい。

 

 

 「自主性重視の教育論と言えば、ダンブルドア先生ですが。彼も彼とて、その考えそのものを広める人ではありません」

 

 アルバス・ダンブルドアは、生徒が自分で考えて結論に達するように、全てを明言しない。自分のイエスマンを作ることを嫌うからだ。

 

 対して、副校長のシグナス・ブラックは方針が異なる。必要な情報は隠さない、己の立ち位置も含めて明言する。その上で、厳しく叩いて、阿諛追従は許さない。“私の部下に太鼓持ちは必要ない”が持論である。

 

 言ってしまえば、シグナス・ブラック副校長とは“気難しい頑固老人”である。であるならば、生徒に好かれる筈もない。

 

 だが、教育者とは、老人とは、必ずしも若人に好かれる必要もないともまた、彼の持論である。

 

 ダンブルドアのように、慕われる好々爺がいてこそ、己のような頑固爺もいてバランスが取れるというもの。

 

 

 

 「副校長閣下は、全体のバランスを考えて、己の立ち位置、在り方を決めるタイプの人間と言えます。今の教師陣においてそういう立場を引き継げる方と言えば、真っ先に上がるのは変身術担当にして、グリフィンドール寮監、ミネルバ・マクゴナガル先生が挙げられます」

 

 「間違いないわ」

 

 「ダンブルドア先生となら、これもいい感じですね」

 

 「近代以後のホグワーツの歴史で、似た校長達の事例と教育方針を挙げるなら、マグル側に蒸気機関の文明開化がもたらされた際に真っ先にそれを導入したオッタリン・ギャンボル校長と、その後に就任したフィニアス・ナイジェラス・ブラック校長が良い対比になるでしょう」

 

 

 1850年頃のオッタリン・ギャンボルと、1900年代のフィニアス・ナイジェラス・ブラック。

 

 活躍時期は多少異なるが、好対照と言える二人であり、偉人と言い得る二人でもあった。

 

 開明派のオッタリン・ギャンボルに対し、守旧派のフィニアス・ナイジェラス・ブラック。

 

 

 「特に後者は誤解されることの多い人物でもありますが、“オッタリンの導入した新制度”を、“保守的な制度”にまで固め、固着させたのはフィニアスです。守旧派という言葉もまた、それ以前の歴史の流れによっては右翼にも左翼にも傾き得る。だからこそ面白いのですがね」

 

 「また例の病気が出たわね」

 

 「ダッハウ先生が、難しいことを言っています」

 

 こと、政治の話が絡めば、悪霊女子二名はあまりついていけない。その分野は、悪霊が延々語るだけの一人舞台になってしまう。

 

 

 

 「フィニアス・ナイジェラス・ブラックは、歴代でも生徒から嫌われた校長。その曾孫であるシグナス・ブラックもまた、生徒から嫌われる副校長。彼の担当は闇の魔術の防衛術ですが、その難度は高く、好む生徒が多くないのは当たり前」

 

 彼の授業はとても厳しく、厳しい減点方式であると同時に、強烈な加点方式。

 

 出来る者には栄光と称賛を、出来損ないには侮蔑と懲罰を。

 

 ただし、反骨精神豊かな生徒は、むしろ歓迎するきらいもある。

 

 シグナス・ブラックが望むのは、規則に忠実で教師に逆らわない生徒などではなく、己の信念を貫くために努力し、必要とあらば教師にも食って掛かる逸材なのだから。

 

 野心家で、努力家で、“やや規則を無視する傾向”は、スリザリン寮の好むものなのだ。

 

 

 「スリザリンの寮監には、何とも相応しい方です。集団主義でもあるため、はぐれ物を嫌う傾向が特に近年強かった結果、スリザリン寮の本来の特色が忘れ去られかけていた部分はありますが」

 

 純血を大事にするのはよいが、学力はそれ以上に重要だというのが、近代以後の校長、副校長に共通する方針だ。

 

 基本的に、フクロウ試験やイモリ試験の結果は、費やした学習時間に比例する。

 

 元の才能の差があるとはいえ、2時間だけ勉強するよりも、10時間勉強した方が点数は高いのだ。

 

 

 「これも彼曰く。血筋の問題は後天的努力ではどうにもならんが、学力は本人の努力次第で埋められる。にもかかわらず、血筋を言い訳に真面目に努力しない半純血やマグル生まれもまた多い。結局のところ、血筋や家柄に胡坐をかいた愚か者と同類なのだ」

 

 「ほんと厳しいわアイツ、だからベラちゃんはグレちゃったのに」

 

 「確かに、この方の長女に生まれるというのは、厳しいですね……」

 

 死喰い人の女幹部、ベラトリックス・レストレンジとて、悪霊たちにとっては“グレちゃったベラちゃん”だ。

 

 他の幹部についても同様であり、例外なくダッハウは彼らの黒歴史も知っている。当然、言いふらしもしている。

 

 どうしても、死喰い人=恐怖の代名詞 となれないのは、確実に彼らの過去の恥を、悪霊が子供世代に暴露しまくっているためだろう。

 

 

 「つまりはこういうことです。人間は所詮愚かなもの。純血主義とは分かりやすい愚かさの象徴。そこは、2つの世界の共通事項である」

 

 片や、純血主義に依存し、努力を怠る。

 

 片や、どうせ努力しても家柄で就職が決まるからと言い訳し、結局は努力しない。

 

 

 「本心では、“努力をしなくても良い理由付け”ができれば何でも良いわけです。それに最も合致し、先天的な血筋で決まるだけに実に言い訳に便利なのが純血主義というもの。ならばこそ、純血主義はなくならぬ。本来からかけ離れた使い方でばかり広がっていく。マグルの青き貴き血と、何の違いがありましょうや」

 

 シグナス・ブラックは偽りの詭弁ではない真の意味での“純血主義”を奉じる立場だ。冷徹な首切り役人めいた人物ではあるが、ある種の思想家、夢想家と言ってもよい。

 

 純血主義を現実的に利用し、上手く立ち回っている政治家は、娘婿であるルシウス・マルフォイの方だろう。

 

 

 

 「こちらは、フィニアス・ナイジェラス・ブラック曰く」

 

 “本当に出来る者達は、例えどれほど劣悪な社会環境であろうとも、努力するのだ。凡人共が様々な言い訳を並べて自ら挫折していくのを一顧だにせず、己の理想や夢を目指して邁進する。クィディッチであれ、首席であれ、決闘チャンピオンであれ”

 

 そんな煌めく才能と努力の者達を、嫉妬し、嘲笑うしか出来ないのが大半の凡愚というもの。

 

 陰口を叩いている暇があるなら、栄光が欲しいなら、お前も努力すればいい。

 

 努力はしたくない、でも目立ちたいし栄光も欲しい。実に浅ましい願望と言えるが、それもまた“普通の”人間の姿であり、だからこそ出来る者達は偉人であり英雄なのだ。

 

 

 「実に似た者同士の、先祖と曾孫ですが、スリザリンらしい彼らの最も嫌う“嘲笑うばかりの大半の凡愚的”と言えば、私をおいて他にありますまい」

 

 「そりゃそうだ」

 

 「貴方が頂点です」

 

 納得、それしかありえない。

 

 

 「ならば私は言いましょう。ジメジメした虐め中傷もってのほか、どこにでもあるからこそ全く面白みに欠ける。他人を嘲笑おうとも自身に面白さなどありはしない。“私のようになりたいですか?”と」

 

 「絶対なりたくない」

 

 「私でも嫌です」

 

 マートルさんは嫉妬、メローピーさんは執着のゴーストではあるが。

 

 それでもなお、嘲笑うことに関しては、筆頭悪霊の足元にも及ばない。

 

 

 「そんな凡愚たちが足を引き、煌めく才能が潰されるような理不尽をシグナス・ブラック副校長は許容しない。実に正論の持ち主であり、ダンブルドア先生ならば辛抱強く成長を待ちますが、厳しい鞭で躾けなければ、人間は堕落する一方と彼は言う」

 

 ブラック家の副校長は、厳しいのだ。

 

 身内贔屓であり、“立派な貴族になること”を求めるからこそ、甘やかすことはしない。結果、ベラちゃんはグレた。

 

 アルバス・ダンブルドア校長は、褒めて伸ばす。挫折して潰れていく子供が出ないように。

 

 シグナス・ブラック副校長は、叩いて伸ばす。ついて来れない出来損ないは置いていく。

 

 報われるべきは、努力しなかった凡愚ではなく、努力した達成者なのだから。

 

 

 「“ホグワーツでは助けを求める者には誰であれそれが与えられる”。それは良い言葉ではあるのですが、“スパルタ式”の立ち位置では注釈がつきます」

 

 一部では認めよう、最低限の助けくらいはあってもよい。

 

 しかし、“助ける者”の時間も資源も有限であるならば、厳格な優先順位はつけねばなるまい。

 

 まして、“自らを助けようとしない者”などは論外だ。死にたがり、引きこもりなどは野垂れ死にが相応だ。

 

 魔法族と違い、化石燃料に代表される“限りある資源”を求め争い殺し合うことこそ、マグルの歴史なのだから。

 

 古代の食糧の奪い合いの頃から、そこは何一つ変わってなどいない。

 

 

 

 「ここで話は最初に戻ってきますが、マグルの学校における教育の本質は“スパルタ式”です。人間の数が多いからこそ、強力な競争社会であり、一度落ちれば這い上がるのは困難という強迫観念すらも働いている」

 

 「ゆとりはないの?」

 

 「あるところもあります。特に、スパルタ式からの揺り戻しで“ゆとり”を求める場合は多々ありますが、数十年単位で見れば、良い結果に繋がった例は稀少でしょう。ゆとりのもたらす弊害こそが、魔法戦争以前における、魔法界の在り方です」

 

 良くも悪くも、アルバス・ダンブルドアは偉大であり、誰もが彼に頼り過ぎる。

 

 “最終的に彼がどうにかしてくれる”という子供の親に対する甘えのようなものが、戦争以前のイギリス魔法界の根底にあった。

 

 

 「そこに一石を投じたという意味でなら、多くの死者を出し、敗れたとはいえ、純血名家連合とて歴史的価値がなかったとは言えません。無論、殺された者らからすればたまったものではありませんが、後世の歴史家とは無責任なものなのです」

 

 「まさにあんたね」

 

 「流石は無責任の具現です」

 

 ツッコミもタイムラグなしの二人、長い付き合いは伊達ではない

 

 

 「教育とは本当に難しい。リリーさんやジェームズ氏は共に首席の優れた人材であり、子供にも優しいのは確実でしょう。ですが、ダンブルドア先生ありきの時代のように、優しく頼もしい親が居続けることで、“自主性が損なわれる”ということもままあるのが、人の世というもの」

 

 「ままならないわねぇ」

 

 「ああ、トム、育ててあげられなくてごめんなさい。導いてやれなかった駄目なお母さんを許して……」

 

 確実に、手遅れだと思います、メローピーさん。彼はお辞儀に傾倒しました。

 

 

 

 「そんなポッター家ならばこそ、案外スパルタ教育が向いているのかもしれません。出来る者がいるとすれば、セブルス氏しかいないでしょうが」

 

 「なるほど、案外いいバランスになるのかしら」

 

 「セブ君、頑張って!」

 

 鬱のつぎは躁、情緒不安定女の面目躍如というものか。

 

 

 

 「逆に、既にマグル的な競争社会の勝ち組である父親がいるダーズリー家では、ある程度子供の自主性に任せるのも手かと。リリーさんのときもそうでしたが、ペチュニアさんには過干渉の傾向はありましたので」

 

 「バランスによりけり、ね。そこは、ダッドちゃんの性格が分かってきた頃からの課題かしら」 

 

 「ああ、トム、貴方はどんな性格の子に育ったの? 母さんそれが心配……」

 

 そして、鬱。黒と白のオセロというべきか、二元論というべきか。

 

 

 

 そんなこんなの、育児に全く無責任な悪霊どもの語る、他人事な教育論。

 

 しかし案外、親身になって考える親族と同じ結論になったりすることもあるから、悩むこと事態に意味がないのかもしれない。

 

 子供がどう育つかは、結局の所サイコロの出目のようなものなのだから。

 

 

 




狭間の10年間の話は、あと二回程度で終わると思います。
ハリー達が入学し、悪霊の魔法史が猛威を振るう時がやってきます。


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7話 人気者のテロリスト

 「マクゴナガル先生が副校長へ就任。それに伴い他の教科も入れ替わると、そろそろホグワーツ教師陣も刷新の時期ですかね」

 

 魔法戦争の終結から、まる5年が経過した1986年のとある日。

 

 ノーグレイブ・ダッハウにしては珍しく、教師として真っ当な連絡事項について目を通しているようであった。

 

 

 「へぇ、情報が早いわね。事務方のこっちにはまだ来てないのに」

 

 「私がこれでも表側の教師でもありますので。不満を持つ方々はそれこそ星の数だけいるでしょうが」

 

 「そりゃあそうでしょ」

 

 「どの子達も、“なんでアイツが教師なんだ”が必ず口癖になっちゃいますもんね」

 

 魔法戦争が終わって以来、ただでさえ酷かった魔法史の授業であったが、より“実践的な”講義が増えている昨今。

 

 悪霊教師の罷免を求める保護者からの抗議の手紙が来るのは最早伝統行事だが、校長と副校長が“必要な犠牲”と判断していることもあり、なかなか成果は上がっていない。

 

 “より大きな善のために”というかつての盟友のスローガンは形を変えて存続しているらしい。

 

 無論、校長達とてダッハウを好んでいるはずもなく、大嫌いであるのは生徒と違いなかったが。

 

 

 「本来ならばマクゴナガル先生の副校長就任は戦後にすぐを予定していたのですが、エルフィンストーン・アーカート氏とご結婚なされたこともあり、激務の副校長職にすぐに任命するのもどうかという観点から、二、三年先送りにされていた人事の発動と言えます」

 

 「そう言えば結婚してたわね」

 

 「妬まし……いいえ、いいえ、魔女が魔法使いと無事に結婚するというのは良いこと、良いことなのよメローピー、私はクール、私はクール」

 

 例の発作が起きているが、当然気にしない。

 

 これでも、昔に比べればかなり改善されたほうなのだ、この程度で騒いでいては夜間学校ではやっていけない。

 

 

 「魔法薬学のホラス・スラグホーン先生も退任なさり、プリンス魔法製薬所のセブルス・スネイプ氏が後任に。彼が別件で忙しい時などは、リリー・エバンズ女史が臨時講師で入ることもあると。彼らの魔法薬学の実績を考えれば妥当なところかと」

 

 「夫婦揃って魔法薬学の教師か、またしてもジェームズだけハブられたわね」

 

 「セブ君、やりましたね! わたくしは信じてました!」

 

 一転して躁状態。今のポッター家の混沌の元凶はメローピーさんであるが、そこは脇においておいて、基本的に彼女はプリンス家を応援する。

 

 色々と思うところはあるが、やはりゴーント家の悲劇の体現者である彼女にとっては、セブルス・スネイプには幸せになって貰いたいのだ。

 

 ジェームズについては、彼は良き親友たちに恵まれている。ある種、絶対にめげずに幸せになれる男だと信頼されているからこその、ぞんざいな扱いとも言える。

 

 

 「闇の魔術の防衛術は、段階的にシグナス・ブラック副校長からリーマス・ルーピン氏へ。こちらもまた、不死鳥の騎士団での活躍と実績からすれば妥当です」

 

 「夜間学校で、散々闇の生物に命を狙われたしね」

 

 「ごめんなさいルーピン君、ぜんぜん守ってあげられませんでした」

 

 まあ、障害があってこそ鍛えられるものもあるというか。

 

 悪戯仕掛け人達が、不死鳥の騎士団においてベテランに劣らず活躍できたのも、あの死と隣り合わせの怪物共の館での経験の賜物と言えるだろう。

 

 

 「ところで、妬ましいシグナスの奴はすぐに闇の魔術の防衛術を退任するわけじゃないのよね?」

 

 「そこは、マクゴナガル先生の副校長就任と同じです。7~8年程度かけて、彼女が業務になれるまでは副校長が二人いる形で徐々に権限も移していくようです。防衛術についてはもう少し早いと思いますが」

 

 「ちっ、とっとと引退しちゃえばいいのに」

 

 「でもマートルさん、シグナス先生がいなくなっちゃうのも、それはそれで少し寂しい気もします」

 

 事務関連や印刷関連など、何だかんだで悪霊組と仕事のやり取りが多かったのもシグナス・ブラックである。当然、幽霊事務員筆頭であるマートル・ウォーレンと同期であったことも大きく影響しているが。

 

 彼女のもとで、平事務員をやっているメローピーさんとしては、何だかんだでそれなりに親しみのある相手なのである。

 

 

 「喧嘩相手がいなくなるのも、それはそれでというものですかね。他は、マグル学にレイブンクロー卒業生のクィリナス・クィレル。そして、こちらも退任なさるシルバヌス・ケトルバーン先生に代わり、魔法生物飼育学にルビウス・ハグリッド」

 

 「ハグリッドも? 騎士団員が一気に3人も入るってことは、完全に死喰い人対策の布陣じゃない」

 

 「流石に、ケトルバーンのお爺ちゃん先生に戦ってもらうのは厳しいですし、ハグリッドさんなら信頼感ありますもの」

 

 ただし、校長のアルバス・ダンブルドアの方が年上ではある。

 

 そこは大前提として誰もが知っているが、彼は別枠だ。何歳になろうとも、ダンブルドアに決闘で勝てる魔法使いは出てこない。

 

 

 「夜間学校におけるキメラ、ルーンスプール、アクロマンチュラなどの繁殖にも手を貸していただきましたから、まさに勇退というものです」

 

 「今やあそこ、化け物の巣窟だけどね」

 

 「……本人が戦えなくても、とんでもない戦力を残していってますわね」

 

 ギロチン先輩や電気椅子後輩、アイアンメイデンなどは悪霊教師の領分だが、危険生物に関しては、ケトルバーン&ハグリッドの功績(罪過)と言える。

 

 そして、ハグリッドが後任である以上は、今後も夜間学校の怪物は増殖の一途を辿るであろう。三頭犬とか、ドラゴンとか、スクリュートとか。

 

 

 「そして最後、理事長は相変わらずシグナス・ブラック副校長が兼任なさいますが、その補佐として理事からルシウス・マルフォイ氏が選ばれております」

 

 「マルフォイ? 戦争の時は死喰い人陣営にいたマルフォイ家?」

 

 「セブ君の先輩だった方ですよね」

 

 「はい、そのマルフォイです。先代のアブラクサス・マルフォイ氏は1968年のテロで死亡し、魔法戦争の後期頃からルシウス・マルフォイ氏は中立派に鞍替えしておりました。なかなか良い政治判断でしたが、決め手はやはり、ナルシッサ・ブラックを妻としていることでしょう」

 

 マルフォイ家は、ブラック家ほどではないにせよ、征服王ウィリアムの時代にまで遡る相当古い家だ。

 

 当然、スリザリン寮の純血名家貴族の一角であり、多大な影響力を持っている。

 

 彼が中立の立場へ鞍替えしたということが、戦争の陣営バランスに与えた影響も決して小さいものではない。

 

 

 「長女ベラトリックスは死喰い人、次女アンドロメダはマグル生まれと結婚、三女ナルシッサは中立の純血名家へ。ブラック三男家のバランスとしては実に見事であり、マルフォイ家の当主はホグワーツの理事を務めるにしても不足ない人選と言えますね」

 

 「あら、アンタにしては高評価じゃない」

 

 「政治というものに適性を持っている魔法族はかなり少ない。その点において、ルシウス・マルフォイという人物は中々に使い勝手のある道具、いいえ、人材なのですよ」

 

 「今、道具って言ったわねコイツ」

 

 「やっぱり、所詮はダッハウ先生ですね」

 

 他人を道具扱いするからこその、ダッハウ。自分自身だろうと、便利な道具くらいにしか思ってないのだから、ある種当然なのだろう。

 

 

 

 「マルフォイ家の立ち位置というものが、面白いのは間違いありません。何せ、戦争の帰趨次第では全く違った立場であったでしょうから」

 

 騎士団陣営

 魔法省陣営

 死喰い人陣営

 

 シグナス・ブラックの中立派を除けば、基本この三つが実戦でぶつかり合っていたわけだが、もし、死喰い人陣営が完全に敗れ去っていたならば、マルフォイ家は生き残りを図る純血名家から確実に頼られており、持ち上げられる家となっていただろう。

 

 ルシウス・マルフォイとて、自分を頼ってくるそれらを糾合し、そしていざという時のトカゲの尻尾にすればという打算も働いただろうし、“純血派”の旗振り役は常に必要だ。

 

 ブラック家、レストレンジ家、ロジエール家などが没落すれば、必然とマルフォイ家が持ち上がるのは道理というもの。

 

 

 「様々なバランスを考えた上で、彼は今の選択をした。特に子息のドラコ・マルフォイの将来を見据えてという部分が大きいのでしょうね。学生の頃からそうでしたが、かなり身内には甘い、心を許した者は徹底的に庇うタイプと見えます」

 

 そして当然、ダッハウにとっては元教え子。

 

 ゴーストは遍在する故に、ルシウス・マルフォイのホグワーツ時代の生活や交友関係についても、恐らく誰よりも知っている。

 

 

 「純粋にマルフォイ家の存続を第一とするならば、父親は死喰い人陣営に、息子はセブルス・スネイプに預けて騎士団陣営にという手段もありました。死喰い人が勝ったとしても、その時は他の死喰い人側の純血名家と再婚すればよいのですから」

 

 「彼が血も涙もない冷徹漢なら、そうなってたってことかしら?」

 

 「ですがまあ、そうはならなかった。義理の父のシグナス・ブラックが中立派であり、騎士団にセブルス・スネイプという強力なパイプがある現在、下手に死喰い人だけに肩入れするのも危険と判断したのでしょう」

 

 決して、純血主義を捨てたわけではない。

 

 だが、家と妻と息子を守るために死喰い人陣営につくのが必ずしも最善ではないならば、それなりの政治的な身の振り方があるだけの話。

 

 そうした点で、妥協をしながら立ち回れるだけの判断力があるのは、間違いないところだ。

 

 

 

 「じゃあ、ルシウス・マルフォイさんは、死喰い人とは袂を分かったということですか、ダッハウ先生」

 

 「いいえ、単純にそういう訳でもありません。それはつまり、現在の死喰い人達の行動方針とも関わってくるのですが。まずはアントニン・ドロホフ、ベラトリックスの“海賊組”。彼らはイングランドに縁のある世界中の魔法保護区などを襲撃しております」

 

 マグルの歴史で例えるならば、スペインの隆盛と海外植民地の時代における、イングランドの私掠船を率いたフランシス・ドレイク船長。

 

 20世紀のニュート・スキャマンダーの時代であっても、大洋を超えた姿現しは不可能であり、16世紀や17世紀においてはなおのこと、イングランドの魔法使いがアジアへ行くためには、東インド会社の船に乗る必要があった。

 

 アクロマンチュラなども東南アジアのボルネオ島原産であり、今ではイギリス魔法界でも知られる魔法生物ではあっても、当時は全く知られてなかった種も多い。

 

 その時代からある、マグル側の海外植民地的要素とは切り離せない土地の様々な施設。特に、魔法生物や植物に関する諸々の保護区、法律事務所、利権を抱える貴族の分家など。

 

 そうした海外拠点をドロホフら“海賊組”は襲撃し、密猟も行い、現地で闇ブローカーに売り捌く。落ち武者狩りにも通じるものがあるが、アジア圏の魔法族からすれば、外様の白人共を叩いてくれる義賊も同然だ。

 

 

 「“いじめっ子”というものは、虐めても周囲から反発を受けない“嫌われ者”を見抜く術に長けています。特にアントニン・ドロホフは学生時代から、必要悪を気取って防衛クラブという一大組織を築くほどの悪童のカリスマ的要素がありました。こういう義賊紛いの海賊行為には最も適任の男です」

 

 「じゃあ、ベラトリックスは女海賊ね」

 

 「簡単にイメージできそうです」

 

 「実際、最近はそういうイメージがダイアゴン横丁あたりでも広まりつつあります。戦争など所詮、対岸の火事である者らにとっては娯楽と変わらない。幽霊船団に乗った女海賊が、地元の魔法族を脅かすイングランド系貴族から財宝を掻っ攫う話など、大衆受けするものの代表例です」

 

 「まあ、そこは分かるわ。見てるだけなら楽しいもの」

 

 「わたくしたちも傍観者ですし」

 

 「つまるところ、死喰い人が狙うのは“人気者のテロリスト”。中々優れたゲリラ戦略と言えましょう」

 

 やっていることは悪辣非道な略奪であっても、人気者でさえあれば多くの悪行は容認される。

 

 死喰い人はただの暴力集団ではなく、蛇の狡猾さを兼ね備えた厄介な武力組織だ。

 

 ヴォルデモートという頂点を欠いた状態だからこそ、雌伏する蛇の狡猾さはより磨かれるとも言える。

 

 

 「ロジエール、クラウチ・ジュニアらの“殺し屋組”も、各国の魔法界で癒着があったり、権力を独占したりして多方面から恨みを買っている政治家連中を殺していく。こちらも言わば、“正義の殺し屋”気取りといったところですか」

 

 当然、法に触れる活動であるため、各国の警察組織も動くが、ここぞとばかりに殺された「悪徳政治家」の傘下の蝿や追従の連中の摘発に回り、死喰い人の追跡に本腰はいれない。

 

 死喰い人にしても、悪徳政治家が『権力を悪用して蓄財していた宝物』を奪えればそれでよく、こちらはそのまま本国地下組織の待機組へ流される。

 

 

 「彼らが略奪品を本国へ輸送する途中ルートにおいて、『正式な貿易』に一枚噛んでいるのが、マルフォイ家です。あくまで、中立(ただし、好意的)の立場で、魔法省もというところがネックです」

 

 「なるほど、構成員としては抜けたけど、取引相手としては未だに蜜月の関係であるわけか」

 

 「うーん、やりますわね」

 

 「人間の組織である以上、権力を握れば誰かに妬まれる。権力者に死んで欲しいと願う人間など、必ずどこにでもいるのです。だからこそ、その間隙を上手くつけば、このように相互利益の関係を構築しながら略奪行為を続けることが出来る。中世の海賊とは大抵そういうものでした」

 

 戦う力のない民を攫って身代金を要求したり、奴隷として売り払ったりと様々だが。それらにしても“売り手と買い手”、需要と供給の仕組みからは逸脱したものにはならない。

 

 奴隷の売り先がなければ、奴隷の供給源を確保しようという発想には成りえない。略奪品とて同じであり、密猟品も同様に。

 

 海賊という存在は常に、貿易の活発な内海にこそ出没するものであって、前人未到の外洋に海賊はいないのだ。

 

 

 

 「とは言うものの、同時にそれらは所詮、時代の徒花でもある。今は人気者とはいえ、そのような人気は容易く移ろいゆくもの。衆愚とは移り気なものですので」

 

 そこは、マグル世界も、魔法世界も大差ない。

 

 流行に踊り、新聞の記事を鵜呑みにし、他人を批判し中傷する。それが衆愚の愚かさというもの。

 

 

 「ですが同時に、現体制に逆らう“国際テロ組織ネットワーク”というものは消えることはない。例え、巨大なテロを起こしたヴォルデモートという首魁が誅殺されようとも、彼を死せる英雄と持ち上げ、第二第三のテロ組織が沸いて出てくるのは間違いないでしょう。それがイングランド国内とは限りませんが」

 

 マグル側の歴史においても、そうした事例はある。

 

 ソ連のアフガン侵攻、それに対抗するためにパキスタンで軍事訓練を受けていたイスラームの戦士団があったが、アメリカはあっさりと彼らを見捨て、サウジの石油に執着している。

 

 さて、そんな彼らは怒りとともに、どのような存在に転じるだろうか。1986年には明らかならずとも、とある歴史では2001年の9月11日に、一つの結末が訪れた。

 

 国際テロ組織はどこまでいっても反体制派。一時の人気や支援を得たとて、彼らはいずれ敗れるだろう。しかし、滅びはしない。

 

 現地において、今の権力機構によって迫害される民があり、そして、安全な外側から彼らのような存在を望む、無責任な衆愚というものが、社会の大多数を占めている限りは。

 

 彼らを生み出すのは、結局のところ老朽化し腐敗を進めている現状の統治機構そのものなのだ。

 

 

 「マグルにおいて、イタリアのマフィアという存在を壊滅寸前まで追い込んだのは、それよりもさらに巨大で危険な思想を持つ、ファシスト政権のみでした」

 

 それは、魔法族とて変わりはない。クラウチ大臣の強行な姿勢は、死喰い人を徐々に追い詰めるだろうが、その時さて、民衆というものは“どちら”をより危険なものとして恐れるか。

 

 結果は、歴史が語るだろう。歴史に学ばぬ限り、同じ愚行を繰り返すのが人間というものだから。

 

 

 「七大魔法学校の一つ、マホウトコロを擁する極東の島国、日本において有名な“人気者の反新政府組織”に新選組という存在があります。かつては幕府という体制側で都の治安を守る憲兵的立ち位置にありましたが、政権がひっくり返れば今度は反政府組織として北上しながら徹底抗戦を繰り広げた」

 

 鳥羽・伏見の戦い、上野戦争、会津戦争、そして、五稜郭に至るまで。

 

 彼らをどのような集団と見るかは、立ち位置と歴史解釈次第で如何様にも変わる。

 

 ただし、当時に生きる人間であったとしても、無関係である遠隔地の民衆ほど、新政府軍よりも新選組を応援するもの。

 

 ましてそれが、薩摩人や長州人が我が物顔で江戸の町を歩くことを快く思わないという下地があるならなおのこと。

 

 

 「死喰い人という武力集団にも、そのような要素はありえるのです。例え魔法戦争では敗北しようと、今後の政治、行政、外交の展開次第ではどう転ぶかは分からない。だからこそ、歴史は面白く、正確に記録することに価値がある」

 

 故に、ノーグレイブ・ダッハウは、死喰い人をも観測する。

 

 行いが邪悪だからと忌避するのではなく、それがどのような意味を持ち、後世の歴史はどのように解釈するにせよ、まずは正確な記録がなければ話にならない。

 

 それこそが、魔法史を預かる者の役割であると、時計塔の針は告げている。

 

 

 

 ならばさあ、次はそろそろ、“焼け残った男の子”の時代へと、時計の針を進めてみよう。

 



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8話 ガリオン金貨の神隠し

貧血様、誤字報告ありがとうございました。


 

※ホグワーツ総務部 渉外・契約室長マートル・ウォーレン 発

 

 ・近年のマグル世界における学歴の重要性、プライマリースクールからの一貫教育などは著しいものがある

 

 ・ホグワーツもまた、従来の全寮制七年体制のみならず様々なエスカレーターを備えるべき

 

 ・魔法の素養が見られるマグル家庭には、2年前には学校案内、1年前にはホームステイを経て、魔法族の文化に触れてもらう

 

 ・その上で、マグル側の学校に通うか、ホグワーツに入学するかの判断を、委ねるものとする

 

 ・ホームステイ先については、ホグワーツOBの中から混血の家やマグル生まれの家に依頼する

 

 ・ホグワーツ短期講習コースを新設し、マグルの学校に通いながら、夏季休暇のみホグワーツで集中講義を行う

 

 

 

 

 

 「おや、これは半年前に大失敗に終わった企画の名残でしょうか」

 

 「うん? ああ、あの時のやつか。てゆーか、失敗に終わった原因の大半はアンタでしょうが」

 

 「入学そのものを拒否されたわけではないので、被害は最小限で済んだはずですが?」

 

 「あれを最小限と言うか」

 

 「まあ、ダッハウ先生がやらかした中では、まだ被害が小さいほうかと」

 

 例によって例のごとく、悪霊三人衆の跋扈する印刷室において。

 

 いよいよ、“焼け残った男の子”の入学も半年後くらいにまで迫ったホグワーツのとある日。

 (当然、学期中なのでダッハウには魔法史教師としての仕事があるが、こいつはいつもマイペース)

 

 ハリー達が10歳の誕生日を迎える頃に起きた惨劇について、のほほんと酒の肴に悪霊どもは昔語りしていたそうな。

 

 

 「リリーさんの時もそうでしたが、マグル世界の学歴の重みは増す一方です。ホグワーツへ通うにも今まで以上の配慮が必要になってきますし、相互理解は重要なことと校長先生もおっしゃっています」

 

 「相互理解そのものは、とっても良いことだと思うわよアタシも」

 

 「問題は、相互理解のための教育をダッハウ先生に任せていることだと思います」

 

 戦後の暗黙の了解以来、マグルの“歴史”をホグワーツの生徒に伝えることに、魔法史の悪霊教師は力を注いでいる。

 

 一応、マグル学のクィリナス・クィレル先生も彼なりに頑張ってはいるが、やはり“魔法族から見たマグル”の域を出ない。

 

 一体どこが知識源なのか怪しくなるほどマグルの歴史に精通し、また、世界の魔法史についても網羅するノーグレイブ・ダッハウが、2つの世界の比較論の説明者としては適任なのは、実に嫌なことだが事実ではあった。

 

 ただし、コイツが力を注ぐということは、碌なことにならないのと同義でもあった。

 

 

 「入学の数年前からの説明は、既にマートルさんがペチュニア女史に行った例もありますし、ホームステイについては概ね高評価でしたね」

 

 「来年に入学する候補者の中だと……確か三人だったかしら」

 

 「トーマス君と、フレッチリー君と、グレンジャーさんでしたね」

 

 事前の説明の充実からさらに一歩進めて、来年度に入学する候補のマグル生まれの生徒達を、魔法使いの邸宅にホームステイしてもらうという実験的試み。

 

 ディーン・トーマス           ⇒ ウィーズリー家

 ジャスティン・フィンチ=フレッチリー  ⇒ トンクス家

 ハーマイオニー・グレンジャー      ⇒ ポッター・エバンズ・プリンス家

 

 

 この三名が最初の例として選ばれることとなったわけだが、まあ、ホームステイ先からもお察しいただけるように、色々とあった。

 

 

 「アンタが受け入れ先にウィーズリー家も候補に入れたりするから」

 

 「選んだのはディーン・トーマス本人です。曰く、“一番楽しそうな家が良い”と。確実に彼はグリフィンドールに組分けされることでしょう」

 

 「カルチャーショックの度合いは、グレンジャーさんの方が大きかったと思いますけど」

 

 普通に考えれば、自分と同じマグル生まれの魔女、リリー・ポッターの家を訪問するのであり、兄一人、妹二人を育てていることからも実績はある。

 

 ただし、父親が二人いることについては、予想できることではなかったろう。

 

 

 「中々に刺激的な三週間を魔法界で過ごした彼らも、半年後にはキングス・クロス駅からホグワーツへとやってきます。残念ながら用意した短期講座コースは誰も選びませんでしたので」

 

 「当たり前よ。誰が選ぶかあんなもん」

 

 「詰め込み教育の問題点を凝縮したような内容でしたわ」

 

 悪霊教師の用意した“短期講座コース”。

 

 マグル生まれの魔法使いだからといって、暴走の制御さえできれば社会生活を営むことは可能であり、必ずしも七年間全てを全寮制のホグワーツに通う必要はない。

 

 そこで、基本はマグルの学校に通いながら、夏季休暇などにホグワーツで短期集中講座を受け、杖魔法を制御する術を学んだらどうか。

 

 そこだけを聞くならば割りかしまともな提案と言えたのだが。

 

 

 『ギャアアア!!』

 

 

 用意された“短期講座コース”のチュートリアルを受けた被験者第一号(ディーン・トーマス)の第一声がこれである。

 

 要するに、夜間学校のカリキュラムを受けさせられた訳だ。お出迎えに当たった生徒のラインナップは酷いものだったとだけ述べておこう。

 

 魔法というものの危険性、心がけるべきこと、対処法、その全てが嫌になるほど詰まっている内容ではあるのだが、いかんせん密度が濃すぎる。薬も過ぎれば毒となるというが、毒が過ぎても猛毒にしかならない。

 

 他二名については幸運というべきか、他者の口からその悍ましき内容を聞き知ることが出来たため、精神的拷問を受ける前に“しっかり入学して七年間勉強する”方を選んだ。

 

 ちなみに、トラウマを負ったディーン少年の精神的ケアは、当然の如く小さな天使アリアナちゃんに委ねられた。糞教師は後のケアを幼女に丸投げするものなのである。

 

 

 「ものは試しとやっては見ましたが、やはり七年かけて学ぶ内容を数週間程度に凝縮するのは土台無理があったのでしょう。こうして、失敗を糧にどんな制度も徐々に形になっていくのも歴史というもの」

 

 「生贄にされた方はたまったもんじゃないでしょうけど」

 

 「しかも、やった側は悪びれもせずにしれっとしてるのも憎らしいです」 

 

 「最初から失敗すると思っていたわけではありませんよ。悪戯仕掛け人達と同等の精神力があれば十分耐え抜けると閾値を設定したのですが、戦時中に生きた彼らとでは違いが出たのか、やはり、平和というのは子供たちを軟弱にさせるのか、何とも弱っちいものです。端的に言って雑魚」

 

 「いつか生徒に殺されるわよアンタ」

 

 「そういえば、セブ君にも一回焼き殺されてましたっけ」

 

 例の黒太子同盟が発足した頃、セブルス・スネイプの放った渾身の悪霊の火で消失したことがある悪霊教師。

 

 その日は、全生徒が喝采を叫び、死喰い人の子供たちだろうが何だろうが皆で仲良く臨時パーティーが行われ、教師たちも大喜びで生徒の活躍を讃え、スリザリン寮に200点が加点されたものである。

 

 もっとも、翌日にはしれっといつも通りに悪霊が授業を行っており、皆を落胆させた。その上、悪霊からも“見事な手腕でした、スリザリンに20点を”と淡々と加点されたのだから腹立たしい。

 

 

 「そのまま消えてなくなれば良かったのに」

 

 「まったくですね」

 

 「人類が愚かであり続ける限り、私が消えることなどありませんよ。それはさておき、あの取り組みの失敗は個人の資質頼みでしか基準を用意できないあたりですかね。夜間学校の拷問に耐え抜くだけの精神力がなければ厳しいですので、普遍的な教育システムとしては時間的制約がネックになってきます」

 

 「拷問って言い切ったわコイツ」

 

 「処刑じゃないだけマシではあるんでしょうけど」

 

 ギロチン先輩、電気椅子後輩、アイアンメイデンなんでもござれの魔窟が夜間学校である。死喰い人の屋敷だって、ここまで酷くはなかろうに。

 

 

 「一応、過去の似た事例も検索し、倣うべきところは取り入れようとしたのですが、あまり参考になるものはなかったですね」

 

 「あら意外。アンタ以外にもこんなこと考えた教師がいたんだ」

 

 「マグル側で清教徒革命が起こり、オリヴァー・クロムウェルがアイルランド侵攻を行い、虐殺が吹き荒れ、カトリック差別が猛威をふるった時代の頃です。時勢の急激な悪化に影響され、何とか短期間で仕上げられないかと模索したことがあったようです」

 

 現代よりもマグル側の交通機関などが発達していない時代ならば、馬車や徒歩が移動の基本になってくる。

 

 その中でホグワーツにマグルの生徒を招くというのはなかなか準備が必要なことで、宗教迫害が蔓延っている時代に下手を踏めば、子供の命が危うい。

 

 大人の魔法使いは逃げられても、ホグワーツに招かれる子供の方は、まともに魔法が使えないのだから。

 

 

 「逼迫した事情の為せるものなのか、一ヶ月という短期間で魔法を制御して使えるように教育することが出来たとか」

 

 「へぇ、凄いじゃないの」

 

 「それだったら、ひょっとしてわたくしでも習うことが出来たかもしれませんね」

 

 メローピーさんはホグワーツに通えなかった。それは、今の彼女にとってもちょっとした未練の一つだ。

 

 

 「ただし、魔法は尻から出るという弊害はありました」

 

 「論外じゃないの」

 

 「絶対に受ける生徒はいないと思います。わたくしでも絶対に習いません」

 

 メローピーさんは思った。やっぱり通わなくて良かったかもしれないと。

 

 

 「本当に、魔法というのは摩訶不思議でよく分からない代物です。弊害が出るのは仕方ないとはいえ、何がどうなればそうなるのか、さっぱり検討も付きません」

 

 「創った本人が、一番嘆いてたと思うけど」

 

 「というか、もし魔女の方だったら流石に可哀想過ぎます」

 

 「製作者については、名誉を守るためか厳重に削除されておりました。この私をもってしても辿りきれませんでしたから、よほど厳重に消去したのでしょうね」

 

 とはいえ、そういった黒歴史があったことは、こうして悪霊教師にサルベージされ拾われてしまっている。出来るなら、そのこと自体を抹消したかったろうが。

 

 こと、サピエンスの黒歴史を蒐集することについては、ノーグレイブ・ダッハウの力量は計り知れない。人の恥の過去を暴露するのが生態になっているような存在だから。

 

 

 

 「これもまた、ホグワーツの不思議の一つと言えるでしょう。何せ魔法界には興味深い逸話が多い。それらを紹介するのも魔法史の講義の範疇ではありますからね。タイトルを付けるなら、“ただし魔法は尻から出る”あたりでしょうか」

 

 「止めなさいよ、そして間違っても授業で紹介するんじゃないわよ」

 

 「多分無理ですよマートルさん。だってダッハウ先生ですから」

 

 哀れ、ここにまた暴露されるホグワーツの黒歴史が追加された。

 

 ダッハウに知られるということは、つまりはそういうことだ。

 

 

 「失敬な、これでも私の講義において寓話語りはなかなか人気のある内容なのですよ。“ガリオン金貨の神隠し”や、“お爺さんの幸福の薬”などは特に」

 

 「そりゃそうでしょ、アンタの糞ムカつく話聞いてるより億倍いいもの」

 

 「どんな話なんですか? わたくしは聞いたことないですけど」

 

 ゴーント家の小屋で過ごしたメローピーさんには、そうした話を聞いて育った記憶がない。

 

 だからこそ彼女は、いつかそういった話を愛する息子へしてあげるのを夢にしている。

 

 

 

 「ふむ、物語を謳うのは私の領分ではありませんので、ここは端的に概要を説明するに留めましょう。まずは“ガリオン金貨の神隠し”ですが」

 

 

 

 “ガリオン金貨の神隠し”

 

 

 1840年頃、マグル側で最先端の経済学や投資を学んでいた男がいた。

 

 彼は身内からホグワーツ生徒が出たことから魔法界を知り、スリザリンに所属したその生徒とやってはいけないタブーに触れ、御伽噺になってしまった。

 

 これは、スリザリン寮において“マグル生まれ”への蔑視が一層強まるきっかけになった事件としても知られる。

 

 男はマグルの銀行業などに精通しており、“交換レート”を上手く利用し、魔法界の金貨を大量に持ち出そうとした。

 

 折しも、清、インド、大英帝国の三角貿易が活発に行われており、茶と銀、陶磁器と綿と阿片が非常に高値で取引された時代。

 

 

 「彼自身が、大英帝国の世界進出に資本家として関わり、膨大な利益を上げた一種の成金でありました。であると同時に、ユダヤ系であるためいくら金があろうとも上流階級にはなれなかった男。他国人から“ブリカス”などと蔑称されるほどに、この時代のイングランド人には、“自国の恥”と思えることをやらかしたのが多くおります」

 

 祖国の圧倒的工業力と外交力の威を借るキツネ。

 

 数々の入植地、植民地、不平等条約の相手国家に対して大いに傲慢をぶちかました時代。

 

 そんな【大英帝国狂信者】が、ダイアゴン横丁とグリンゴッツを知ってしまえば、何を考えるか。

 

 経済学の初歩も知らない未開のゴブリン共を騙し、莫大な利益を上げてやろうと実に傲慢なマグルらしく考えた。

 

 

 「交換レートを用いた、詐術そのものは非常に上手くいき、彼は大量のガリオン金貨を己の貸倉庫へと持ち出すことに成功しました。しかし―――」

 

 阿片との裏取引のため、いざ貸倉庫の扉を開けてみれば、持ち出したガリオン金貨の山は、消えていた。

 

 別に、ゴブリンたちがそんな魔法をかけたわけではなく、スリザリンの卒業生は何度も調べ、魔法はかかっていないことを確かめた。

 

 そう、魔法はかかっていなかった。

 

 それはつまり、魔法世界の金貨が、マグルの世界に留まるための“アンカー”を、何も持っていなかったことを意味する。

 

 それらの金は、正当な報酬でも対価でもなく、紙の上の交換手続きだけでここに来たもの。

 

 二人の人間もまた、売り払って捌く以外の使い道を考えていなかった。

 

 

 「魔法世界において最重要とも言える縁というものを、忘却とは何たるかを、彼らは理解していなかった。数時間で消えるレプラコーン金貨ほどでなくとも、ゴブリン金貨も所詮は人非ざる者の作りし幻想の貨幣。やがて幻と消えるのは道理でした」

 

 “想い”も“縁”もなき魔法の金貨は、マグルの世界に長くとどまれず、当たり前に元の世界の“由来の場所”へ去った。

 

 つまり、ゴブリンたちの鉱山、坑道の奥深く、掘り出された場所に誰も知らぬ間に戻ったのである。

 

 ゴブリンの鉱山は、縁を失って戻ってきた金貨の再採掘、再加工も大きな仕事である。

 

 そして、金貨の山を対価に“先物取引”という先進的なマグルの制度で阿片を横流ししていたその男は、全てを失い、ヤクザに追われ、自殺した。

 

 欲望は身を亡ぼすという寓話として、存在を刻んでしまった。

 

 

 

 

 「己の世界の常識だけを盲信し、魔法世界の都合の良い部分だけしか見なかった結果、転落が待っていた。マグルの無知を示す寓話と見られることも多いですが、逆に、魔法を盲信し、マグル世界で悪行を重ねた結果、転落した闇の魔法使いの寓話も数多いのです」

 

 

 愛の妙薬

 幸運薬(フェリックス・フェリシス)

 万能魅了薬(アモンテルシア)

 真実薬(ベリタセラム)

 

 時に運命にすら干渉できる、強力な魔法薬であればあるほど、反動というものもまた大きい。

 

 また、それは時に、善意で作った幸福の薬が、悲劇をもたらすこともある。

 

 

 

 「他にも、“過ぎたる幸福”、“魅惑の愛”、“真実の心変わり”など、そうした寓話が数多く作られ語られた。ポリジュース薬にしても、悪党が美しい姫に成り代わろうとするものの、いざ本番の時に、監禁生活で“やつれた姫の姿”に変身してしまい、ばれたなどの話があります」

 

 「あ、それは聞いたことある。姫を監禁してポリジュース薬の材料を採取しようとしたから、本末転倒に陥ったのよね」

 

 「後これは、メローピーさんにとっては劇毒になるかもしれませんが、真実薬の扱いの難しさもよく寓話で語られます」

 

 

 

“真実の心変わり”

 

 真実薬は、問いに対して真実を答える。

 

 妻が夫の浮気を不安に思い、つい真実薬を使ってしまった場合、何が起きるか?

 

 

 不倫をしているか? → いいえ

 

 私のことを愛しているか → 愛している

 

 不満はあるか? → はい

 

 どこが悪い? → マイナス点が大量に列挙される

 

 

 

 「結果、妻のほうが夫への愛が冷めてしまいました。夫は妻のマイナス点を言いましたが、それと同じかそれ以上に、プラス点も知っていたのだが、というオチです」

 

 「“私の美点は?”と問わない限り、答えてくれないのよね。問いに答えるのが真実薬だから」

 

 「不安に思っている部分だけを聞いてしまい、その結果もっと嫌な扉を開けてしまう。【答えを期待しない問いを投げれば、聞きたくもない答えが返ってくる】、という教訓を我々に伝えています」

 

 「……わたくしは、どうだったでしょうか。わたくしの腕では真実薬の調合は無理でしたけど、もし出来たら、夫に使っていたでしょうか?」

 

 「さて、それは何とも言えません。そしてそれが、貴女の幸せになったかどうかは別問題ですし。幸福の原料についてならば、“お爺さんの幸福の薬”が有名です」

 

 

 

 “お爺さんの幸福の薬”

 

 若き日に調合はしたものの、反動が怖くて結局使えず、生涯しまったままだった幸運薬のお話。

 

 月日が流れ、お爺さんになったある日、孫が本当に困ったことに直面した際に昔に封印した箱を開け、幸運薬を孫のために使った。

 

 それはとても良く作用し、孫は運良く困難から開放された。そして、危惧された反動もなかったという。

 

 そもそも、長年しまわれていた薬は、とうの昔に成分が抜けきって、ただの液体になっていたはずなのだ。

 

 にもかかわらず、それは本物以上の“幸福の薬”として作用した。

 

 

 自分の人生にはその薬を用いず、孫の人生に幸あれと願い続けた祖父の想いこそが、フェリックス・フェリシスに対価を求めない幸運の力を与えたのだ。

 

 先に自分の人生の幸福を得れば、対価として不幸がやってくる。その薬は、既に対価を得ていた。天秤は釣り合っていたのだ。

 

 魔法とは、かくも不思議で、言葉にできない魅力に満ちたものである。

 

 

 

 「この寓話は、幸運薬(フェリックス・フェリシス)の“本当の原料”とは、いったい何なのだろうか? というものを問いかけています。少なくとも、孫を犠牲にして自分の命が助かることをお爺さんが幸運と呼ぶはずがないことくらいは分かりますね」

 

 「幸運の定義なんて、それこそ人それぞれだものね」

 

 「私の、幸福……」

 

 それは未練を遺したゴーストにとって、無視することが出来ない事柄。

 

 自分の幸福とは、何であるのか、何を求めて自分はこうして彷徨っているのか。

 

 メローピー・ゴーントという亡霊にとって、それを見つけ出すことがすなわち―――

 

 

 「アタシは当然、リア充が爆発していく姿を眺めることね」

 

 「語弊があります。リア充を己の手で断崖に叩き落とすこと、と思われますが如何に?」

 

 「アンタにしては良いこと言うわね、その通りよ」

 

 沈思黙考するメローピーさんを尻目に、クズな会話を繰り広げるその他二人。

 

 基本が重い女である彼女はいざ知らず、嘲笑のゴーストと嫉妬のゴーストには、お伽噺から感銘を受けるような殊勝な心はないらしい。

 

 

 「さあて、そんな不思議な魔法の城に、いよいよあと半年もすれば貴女達が強固な縁を結んだ子供がやってきます。私はいつも通りにいきますので、貴女たちもまた、お好きなように。私は何も止めはしない、時計とは回り続けるものですから」

 

 マートル・ウォーレンとペチュニア・ダーズリー

 

 メローピー・ゴーントとセブルス・スネイプ

 

 いずれも、リリー・エバンズを軸とした縁であり、“二人の父を持つ少年”が、このホグワーツにやってくる。

 

 

 さあ、いよいよ開幕の時。

 

 

 時計塔が知る物語とは、違った歴史を辿る物語の結末を求めて。

 

 この物語は、誰が望み、誰がための寓話となるのか。

 

 

 観測者は黙して俯瞰を続ける。歴史の当事者となることは一度もないまま。

 

 




次話から、章が新しくなります。
ハリー達が入学し、悪霊たちとのホグワーツ生活が始まります。


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ハリー・ポッターと悪霊の魔法史
1話 魔法史の洗礼


原作本編の開始です。
初っ端から悪霊は飛ばします。


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 

 【魔法大臣室 バーテミウス・クラウチ】

 

 そも、魔法大臣とは何者であるか?

 イングランドの魔法族において、王という概念は初めから存在しない。

 創始者は四人であり、それ以前の魔法族は異なる集団が結束してことに当たるという理念とは遠かった。 

 

 戦う勇気を持ちしはグリフィンドール

 隠す知恵においてはレイブンクロー

 集団の要たる純血はスリザリン

 全ての者を平等にはハッフルパフ

 

 全てが正義であり、どれも必要なもの。それは歴史が示している。

 創始者らがありし時代ならば拮抗したまま成立した団結も、後の世代となれば話が変わろう。

 それは、その時代には決して解決できぬ課題であり、マグル側にも強力な王権が現れたからこそ情勢が見えてきたという側面もある。

 

 征服王ウィリアムによるノルマン・コンクエスト。

 

 王権を否定した者達は、逃れし場所に隠れ家を求め、民会(シング)と呼ばれる民主政体を形成するに至る。

 そして、後のウィゼンガモット法廷の基礎を作りしはスリザリンの男、偉大なるマーリン。

 

 心せよ、魔法族の根幹は円卓にあり。そして、円卓に王は不要なり。

 四人に優劣はなく、四寮に統一は必要なく、唯一人の独裁者もまたいない。

 異なる者を、あるがままに受け入れてこその魔法族であり、我らは神を求めない。

 大臣とは何か? 

 それは魔法族を隠すため、民意の代表者として選ばれたに過ぎぬ。

 その権力の目的は殺戮に非ず、我らはマグルとは違うのだ。

 

 

 『ホグワーツなきイギリス魔法史というものを、我々は空想の中にすら思い描くことが出来ない』

 『偉大なる創始者たちを忘れるなかれ、我らが歴史はホグワーツより始まる』

 『ウィゼンガモットも、魔法省も、全てはホグワーツより後に生まれし継承者たちである』

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 「初めましての人も、そうでない人もこんにちは。私はノーグレイブ・ダッハウ。私のことについては貴方達の両親から散々聞き知っていると思いますので、詳しい説明は省略します。では、最初の講義恒例の爆弾投下作業に移りますが、皆さん心の準備はよろしいか? まあ、出来ていなくても容赦なく放り込みますので何も変わりはしません」

 

 1991年、9月となり新学期を迎えたホグワーツ。

 

 新入生の魔法史初授業は、相変わらず四寮全員の合同形式。

 

 ただし、数十年前とは異なる点がある。寮ごとに明確に色分けされるのではなく、グリフィンドールもスリザリンも、あちこちで斑に混ざり合いながら思い思いに陣取っている。

 

 理由は簡単で、寮ごとで対立していたり、仲の悪い様子があると「ほうら見なさい。皆さん、これが差別というものです」と嬉々としてドクズ悪霊が“歴史の教材”にしてくるためである。

 

 敵の敵は味方の論理。この問答無用でホグワーツで最も嫌われている忌まわしき悪霊を前にして、いつまでも分断と分裂を晒し続けるほど歴代の寮生も馬鹿ではない。

 

 “ホグワーツの歴史の紹介”という名目の下、過去にどれだけの生徒のプライバシーが晒されたか。先輩方の尊い犠牲に応えるためにも、各寮は口伝と継承を重ね、寮の境を超えた“対悪霊戦線”を築き上げた。

 

 業腹ではあっても、ダッハウの卑劣な嘲笑に対抗するためならば、獅子と蛇とて手を取り合う。特に魔法戦争が終わってからのここ10年ほどはその傾向が顕著だ。

 

 

 「ふふふ、中々どうして最近の生徒はホグワーツの歴史に学び初めたようで大いに結構。まだまだ未熟ではありますが、先輩と同じ轍は踏まんとするその姿勢は評価に値します。ならば私もまた、期待に応えねばならないでしょう」

 

 誰もお前に期待なんかしていない、頼むから普通の授業をしろ。

 

 口には出さずとも、生徒の全員がそう思ったが、それを斟酌する悪霊ではない。

 

 

 「10年ほど前までは、ホグワーツの直近の生徒達の黒歴史を暴露することを初期のカリキュラムとしておりましたが、こちらがそう出れば生徒達とて警戒するもの。最近は“教材にならないための対処法”も随分と伝統になってきたようですが、油断は禁物です。この魔法の城に幽霊はそこかしこに遍在しており、私は裏側の管理人。全てのゴーストを統括する立場にあります」

 

 これもまた、魔法史の授業の歴史と言えるだろうか。

 

 悪霊が過去の生徒の黒歴史を暴露し、そうはなりたくないと生徒達が対抗策を編み出し、それを突破して嘆きのマートルらが寮を襲撃。

 

 時に、生贄を捧げて逃げたり、時に、皆で団結して立ち向かったり、各寮ごとに様々な特色もあったものだが、やはり有効な手段はシンプルになってくる。

 

 すなわち、互いが背中合わせになって正面から迎え撃つこと。遍在するゴーストに対して逃げに回ってもジリ貧であり、いつかは秘密は暴かれ、容赦なく暴露される。

 

 ならば、一方的にやられてたまるものかと、生徒達も決死の抵抗を試みる。あの悪戯仕掛け人達の時代などはまさにそれであり、その以後の生徒達のホグワーツ生活とは、すなわち悪霊との戦いの歴史でもあった。

 

 ぶっちゃけ、死喰い人など比較にならないレベルで、コイツのほうが嫌われているのだ。それも、全寮から例外なく。

 

 

 「生き物の進化とは適者生存であり、生存のためには競争に打ち勝たねばなりません。学校にいる間は教師が守ってくれるなどという甘い考えを持っていては、必ずや恥を晒されることでしょう。何しろ、敵は他ならぬ教師なのですから」

 

 だから前代未聞なんだ、お前の授業は。

 

 ホグワーツの歴史を紐解いても、新入生の最初の授業から【教師VS生徒連合】の構図で全面対決になっている講義などありはしない。後にも先にもノーグレイブ・ダッハウだけだろう。

 

 こんな形で四寮の結束がなされたと知れば創始者も嘆くだろう。というか、これを生徒の結束と呼んでよいものか。断じて否と叫びたい。

 

 

 「さて、それでは今年の授業の内容ですが、校長先生からの依頼もあり、魔法族の社会とマグルの社会の比較論をこれより皆さんに語っていきます。題材としてはイギリス魔法省の擁する10の階層のそれぞれの役割、その歴史的経緯と、マグル社会の省庁との違いを見ていくとしましょう」

 

 

 地下1階.魔法大臣室

 地下2階.魔法法執行部

 地下3階.魔法事故惨事部

 地下4階.魔法生物規制管理部

 地下5階.国際魔法協力部

 地下6階.魔法運輸部

 地下7階.魔法ゲーム・スポーツ部

 地下8階.魔法ビル管理部(アトリウム)

 地下9階.神秘部

 地下10階.ウィセンガモット法廷

 

 

 司法機関であるウィゼンガモット法廷を除き、基本的には上の部署ほど重要であり、下の階は閑職ということになる。

 

 本来的には役割が違うだけであり、そこに優劣はない筈だが、人の組織である以上、縄張り争いと組織の優劣の競い合いと無縁でいられるわけもない。

 

 

 「本日はその記念すべき一回目、魔法大臣室。権力の毒に呑まれ、穢れきった腐敗の殿堂についてです」

 

 そして、仮にも魔法省の最重要機関を、腐敗の殿堂を言い切るのもコイツくらいのものだろう。

 

 日刊予言者新聞が魔法省を批判するにしても、仮にも自分達も所属している国家の機関をそこまで悪し様に貶すことは真っ当な感性の人間には出来ない。

 

 だが、ノーグレイブ・ダッハウは人ではない。あらゆる意味で人でなしだ。

 

 

 

 「まずはマグルの国家機構について軽く説明しますが、法務、軍務、財務、総務、外務。この五つの機能を備えていれば、最低限政府を名乗ることが出来るでしょう。どれを欠いても国家としての存続は不可能も同然なので、歴史的に成立した順番は違えど、今の国家においてどれも必須である点は違いありません」

 

 法務 ~ 人間の集団を構成する基本。同じルールを守る人間が集まって、国家というものは作られる

 

 軍務 ~ ルールを破った者を合法的に罰する機構。これがなくては、定められたルールを守らせる機能がない。

 

 財務 ~ 実際に動く実行力を持つ集団を維持するための機構。役人は生産者ではないので、別の人間からの税金で生活する。

 

 総務 ~ 人事機関やそれらに付随する庶務を担う。実際に役割を定めて割り振らねば組織というものは機能しない。

 

 外務 ~ 自分達以外の同様の集団との折衝が役目。外圧となる他の集団がないならば、そもそも国家という機構が不要。

 

 

 

 「このうち、魔法大臣室は総務と財務を担います。軍務は魔法法執行部の闇祓いが、外務は国際魔法協力部が、そして法務はウィセンガモット法廷と魔法法執行部が半々といったところです。法務と司法機関が明確に分離されておらず、領分が曖昧になっているのも魔法族の特徴と言えます」

 

 マグルの組織というものが、分業を繰り返して巨大化、複雑化の方向に進歩していくならば。

 

 魔法族の組織は、兼業を繰り返して垣根がごっちゃになりながらも、総体としては安定するクラゲのような構造を持っている。

 

 ホグワーツにおいても、実技担当と教科担当で教師を分けたりせず、どこまでが教師の役分であり、権限であるかもかなり曖昧だ。その“境界線の曖昧さ”こそが魔法族の特徴なのだから、当然といえば当然とも言えるが。

 

 

 「ただ、財務とはいっても流通や為替、金融はグリンゴッツ銀行の領分であり、魔法省がやることはせいぜい職員に給料を払うことくらいです。公平な税制など特に意図している訳ではありませんし、そもそも直接税と間接税の区別もない。なので、マグルからすれば仕事をしていないも同然とも言えるでしょう。流石は腐敗の殿堂、給料泥棒の巣窟です」

 

 まるで人の黒歴史を嘲笑うように、魔法史の教師は魔法省という組織を語る。

 

 これは失敗の事例、転落の歴史。

 

 この在り方の果てに、未来などなかったと分かりきった結末を綴るように。

 

 

 

 「現職のクラウチ大臣は改革派であると言え、マグル生まれを多く抜擢してその現状を変えようと試みています。されど、長きに渡り積もりに積もった組織の膿、果たして彼一人の力で、そこまで変えうるものでしょうか。無論、人事権は魔法大臣室の最大の権力の源泉と言えますが、団結権や拒否権で抵抗されてしまえば、組織というものは実にやりにくい」

 

 これもまた、マグルの国家機関や憲法と異なり、集団での抗議を法律の下で行う団結権や、政府の決定に民衆の代表が異を唱える拒否権などを明確に定義はしていない。

 

 しかし、明確に定義していないからこそ、純血名家の有象無象の妨害や、消極的なサボタージュなどによって改革案が骨抜きにされることもまた多い。

 

 組織というものは、出来た時から腐っていく。熟した後の果実は、腐乱していくしかないように。

 

 故にこそ、死喰い人という反動も生まれる。その結果が魔法戦争というものだ。

 

 

 「魔法大臣室は人事権を握り、各法律の執行における最終意思決定機関でもある以上、魔法族の戦争に関する責任は全てここにあります。実際に破壊活動を行ったのは死喰い人であっても、そうした過激な反政府組織を生み出し、行動させてしまった責任は魔法大臣室にあるのです。そして、魔法省が王政や独裁制でない以上、魔法大臣室の責任もまた結局は、魔法族一人一人に帰結する」

 

 “残虐な死喰い人が悪い”と言い立てたところで、そのようなものを生み出す社会の仕組みを放置しておけば、同じ悪人が量産され続ける。

 

 真の責任は、管理する側にこそある。未成年に対してはホグワーツであり、成人に対しては魔法省である。

 

 

 「人の組織というものは、甘やかせば、腐敗する。改革には常に痛みと破壊が伴い、今を生きるものは少なからず不利益を被る。特に、既得権益層というものは殊更に。それを可愛そうだ、残虐な権力者め、お前には無辜の民の悲鳴が聞こえないのか、と、“正義の味方気取り”が出てきてのさばることで、改革は頓挫することが多い。その無責任な批判の急先鋒は日刊予言者新聞らのメディア媒体です」

 

 マグルの歴史においても、それは往々にして“新聞社”、“マスメディア”が担ってきた。

 

 客観性の欠如した批判者は己を正義と盲信し、“メディアの報道の自由”を守ることが、民の権利を守ることだと、実に自分達の組織にだけ都合の良い題目を振りかざし、衆愚を煽る。

 

 

 「これは必ず肝に銘じておきましょう。“民衆というものは、馬鹿の集まりでしかない”。どれだけ現実を見た改革案であろうとも、自分達が少しでも身を切る内容であれば恥知らずな批判しかしないものであり、民衆に高潔さを期待する為政者というのもまた、愚者と言うしかない。それでは、人間の汚い現実を見ず、自分の見たい部分しか見ない衆愚と変わらない」

 

 魔法大臣室とは、権力の最高機関であるならば。

 

 民衆に期待してはいけない、愛されようとなどとは思ってはならない。

 

 期待して裏切られた時、人は愛が憎悪に転じる生き物なのだから。

 

 

 「ならばこそ、断言できる。魔法大臣室と日刊予言者新聞。この二つが蜜月の関係にあるうちは、魔法界は腐り続けていく。個人の独裁者ではなく、“魔法大臣室”という責任逃れ体質を持った機構が、予言者新聞と癒着すれば、どうなるかなど自明の理というもの」

 

 その関係を断ち切るとすれば、皮肉にも、ヴォルデモートという独裁教祖を持つ暴力組織が必要になる。

 

 あるいは、“最もマグルの背広が似合う男”クラウチ大臣が目指すは、マグル出身者という既得権益を持たぬ新興階級を重用する、武断的の独裁政治。

 

 もっとも、独裁とは常に劇薬でもある。取り扱いを間違えれば、国体そのものを即座に死に至らしめる劇毒となることは、歴史が示している。

 

 そうして、衆愚は独裁者が出ることをただ盲目的に恐れ、結果として組織は腐敗し、やがては暴力的な過激派の専横を許す。

 

 人類の組織において、最も普遍的な繰り返しがこれである。王権、共和制、立憲君主。いかなる形をとろうとも、この毒からは容易く逃れられはしない。

 

 

 「魔法大臣にと最も乞われた人物はアルバス・ダンブルドア校長ですが、個人にして絶対的な武力であった校長先生は、卒業していった子供たちに些か甘すぎました。これは彼自身の言葉の代弁となりますが、安全に庇護し続けるよりも、尻を叩いてでも世の中を直視させ、危うきに自ら立ち向かう力を身に着けさせるべきであったと」

 

 その結果、50年にも渡る魔法省の腐敗を放置したまま、死喰い人の台頭を許すこととなる。

 

 彼とて、そこに慙愧の念があるからこそ、戦後の10年間、クラウチ大臣の方針に口出すことはなく、静観の姿勢を保っている。

 

 

 「ではここで、本日の授業のレポート課題を出します。これから魔法大臣室の具体的な構成や各機能について説明していきますが、それらは全て物事を執行するための機関であり、根本的な責任は常に魔法大臣にかかるものであることを忘れずに」

 

 

 

課題  

アルバス・ダンブルドア、バーテミウス・クラウチ、ヴォルデモートの3名のうち

善人は誰で、悪人は誰か。

そして、長期的に見た場合、魔法族に利益をもたらすのは誰で、損失をもたらすのは誰か。

各々の所感をレポートにまとめよ。

 

 

 

 「マグルの歴史に曰く、“善意から始まったものは、良き結果に繋がるとは限らない”。これは、我々魔法族にも通じる道理であることは間違いありません。私のような唾棄すべき邪悪の化身から始まったものが、なぜか良き結果に繋がることもあるのが、それを逆説的に証明しています」

 

 とはいえ、圧倒的に悪しき結果に繋がることのほうが多いのだが、そこには触れないクズの鑑。

 

 歴史について嘘はつかないが、意図的に一部分だけ取り上げたり、都合が良いように解釈するくらいは朝飯前に行うからこそ、ノーグレイブ・ダッハウは皆に嫌われる。

 

 だが同時に、歴史とは常にそういうものでもある。どのような歴史書を読む時でも、その書き手がどういう立場で、どういう時代に書いていたのかを忘れてはならない。

 

 本人が書いたものだからといって、ただのニートの政府への悪口のブログを歴史資料として扱うことに価値はないのだから。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「確かに、凄い授業だったね」

 

 「聞きしに勝るとは、あのことじゃないか」

 

 「ねえ、これって許していいの? 大丈夫なの?」

 

 魔法史の最初の授業が終わり、生徒達がめいめいに廊下を歩く中で。

 

 ハリー・ポッター、ロナルド・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの獅子寮の三人組は、超有名で同時に悪名高い授業についての所感を話し合っていた。

 

 

 「父さんたちから聞いてた内容とは少し違って、ちょっとびっくりしたけど、真面目そうな感じではあったのかな?」

 

 「ちなみに、ジェームズさんらの時はどんなの?」

 

 「シリウスがお酒を飲む度に何度も繰り返すから覚えちゃったけど、こんなの」

 

 

 『今現在、魔法世界では戦争が始まっておりますが、皆さん是非とも死にましょう。そうすればゴーストとなりてホグワーツを彷徨い、結果として私の手駒が増えます。大変良いことです。貴族の家が家族で仲違いして内戦とかテンプレ過ぎて笑えますね、ハッハッハ、馬鹿じゃないですかねこいつら。全く学ばない人類が死ぬのは大いに結構ですが、より派手に面白く、見てて楽しくなる感じで殺し合った末に死んでもらえると最高です。イギリス魔法省と名家の無様さと崩壊、その死に様は私が余さず記録しますのでご心配なく、心置きなく心安らかに戦争で死んでください。大事なことなので二回言いました』

 

 

 「酷え」

 

 「……私、教師ってなにか、分からなくなってきたかも」

 

 マグル生まれの才女、ハーマイオニー・グレンジャー。

 

 優等生という看板を背負って生まれてきたような彼女の辞書には、元来教師に背く、校則を破るという言葉はなかった。

 

 そんな彼女にとって、あの悪霊教師の存在は、今まで信じてきたものを根本から揺るがすインパクトがあったらしい。

 

 まあ、少なくともマグル世界の教師には、良くも悪くもあんなのはいなかったろう。

 

 

 

 「僕んとこもママ達の頃の話は聞いたけど、まあ、うん、耳を疑うのばっかりだ」

 

 「実際にああして体験するまでは、どうしても疑っちゃうよね」

 

 ホグワーツの歴代OBは、卒業後に子供が出来ても色々とぼかして伝えることも多い。

 

 魔法の城での七年間は不思議な思い出の日々でもあり、トリックの種を明かしては手品が詰まらないように、先入観なくホグワーツを楽しんで欲しいと子供に願う親が多いのは事実だ。

 

 ただし、ダッハウについてだけは別だ。

 

 

 「私も、リリーさんから聞いてはいたけれど、まさか本当にあんなのとは思わなかったわ。正直、面白おかしく伝えるために話を盛っているのかなって」

 

 彼女はマグル生まれなので、両親からホグワーツの話は聞けない。代わりに一年前にポッター・エバンズ・プリンス家にホームステイした際に、主にリリー・ポッターから色々聞いていた。

 

 聞いてはいたが、実際に見るのと聞くのとでは大違いというやつだったようだ。

 

 

 「うん、ハーマイオニーの感覚が普通だと思うよ。僕だって初めて聞いた時はまさかって思ったもの」

 

 「そこについては、ビルも、チャーリーも、パーシーも、フレッドとジョージですらそうなんだ。まさかあんな教師が現実にいるなんて、自分の目で見るまではやっぱ信じられないよ」

 

 

 これぞ、今のホグワーツの伝統の洗礼である。

 

 キングス・クロス駅から出発し、ホグワーツ特急に乗って、組み分け帽子の儀式を経たならば、悪霊教師の特大地雷が待っている。

 

 驚きに満ちた魔法の城の中でも、あれに勝る驚きは早々ない。

 

 どんな爆弾かと怖がったり、驚かされなんかしないぞと意気込んだりと、新入生の反応は様々だが、常に予想の斜め上を行くのがダッハウだ。

 

 というかこんなもの、予想できてたまるかというやつだろう。

 

 

 

 そんなこんなの、波乱に満ちたホグワーツでの初授業。

 

 悪霊の棲家たる魔法の城での一年は、まだ始まったばかり。

 

 




ダッハウの教師としての評価
確実に、アンブリッジ以下


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2話 対悪霊戦線

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【魔法法執行部 ルーファス・スクリムジョール】

 

 執行部は読んで字の如く、定められた魔法法を実際に行使するために存在する。

 マグルの世界において、国家の大なる役割とは安全保障と食糧の確保の2つであるが。

 

 魔法を用いる我々にとって、魔法省の最大役割とは魔法世界をマグルから隠匿することにある。

 境界を隔離する技術、目くらまし、忘却術など、その方法は多岐に渡るが、何をしてはならぬと制限することは難しい。

 忘却術による処理一つを取ってみても、魔法の隠匿のためにどこまで記憶を消すべきか、完璧に判断できる者などおるまい。

 

 よって、魔法族にとって最大の禁忌とは、マグルへの漏洩よりも、同族の殺害、権利侵害へと徐々に移ろう。

 代表例として禁じられるは、服従、磔、そして死の呪い。

 

 許されざる呪文は人に対して行使するだけでアズカバン終身刑となる“禁忌”であるが、そうなった経緯については殆ど知られていない。

 そも、禁じられる以前、禁じられてからも、どのような用途で使われていた?

 存在そのものが禁忌である故に、何時しかそれを語ることすら憚られるようになった結果、その脅威の歴史までも失われてしまうとは、皮肉極まる現象だろう。

 

 闇祓いはその中でも、堕ちた魔法使いの処断、ある種の“同族殺し”を法の維持のための必要悪として担ってきた組織である。

 最も闇に近く、闇と戦うからこそ、闇の何たるかも最も知っている。

 

 『血統主義、純血主義、名家がどうしても幅を利かせてしまう魔法省にあって』

 『唯一、実力主義が徹底された健全な組織。それが闇祓いである』

 『実力と階級が一致している故に、上に立つ者ほど、物事を見渡す術に長けている』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「さてと、本日はグリフィンドールとハッフルパフの合同授業となります。そろそろ新入生の皆さんも魔法史の授業に慣れてきたかと思いますので、例の魔法省紹介シリーズの二回目、魔法法執行部について語っていくといたしましょう」

 

 9月1日にホグワーツの新学期が始まって以来、はや三週間が経過している。

 

 曰く付きの初回授業が火山の噴火の如く大衝撃を放って後、あれから幾度か授業もあり、先輩たちの黒歴史を暴露していく“ホグワーツの歴史”シリーズもあり、“ガリオン金貨の神隠し”のような寓話紹介シリーズや、変化球として現在のホグワーツ教師の学生時代における武勇伝編もあったりする。

 

 その際にも必ず、今授業を受けている生徒達の中に縁者がいる対象を選んでいくのだから、嫌らしいことこの上ない。偶然ではなく確信を持って犯行に及んでいることは疑いないので、例年通り悪霊教師は新入生からも嫌われている。

 

 そんなこんなで、今日は最初の講義で言っていた、魔法省組織紹介の第二回。

 

 ただし、内容が事前に分かっているからと言って、全く油断できないことは生徒全員が既に身を持って知っている。

 

 

 「執行部は、闇祓い局、魔法法執行部隊、魔法不適正使用取締局、マグル製品不正使用取締局などから成り、警察・司法などを担当。魔法省最大の部であり、神秘部以外の全ての部は魔法法執行部に対して責任を負います。極々簡単にまとめると、“魔法を悪いことに使っている奴を懲らしめる”ことが仕事です」

 

 法というものは、やってはいけないことではなく、破ったらどうなるかが書かれているものだ。

 

 である以上、破った者に罰則を与える機構なくして、法という物は機能し得ない。ホグワーツの校則とて、破った際の罰則があるからこそ拘束力を持つのだから。

 

 

 「どんなことに魔法を使ってはいけないか、そもそも使ってはいけない魔法とはどんなものか、それらは魔法法として明記され、集団の構成員が遵守するべき規範として機能します。それが組織として成り立っているからこそ、“取り敢えず皆がこれを守っていれば、社会が何となく回る”ようになる訳です」

 

 それが、法治国家の基本的な社会の有り様であり。

 

 

 「これがしばらく経ってくると、法の何たるかも考えないまま取り敢えず規則に従うだけの脳無しも多発しますが、この際それは置いておきましょう。皆さんの脳には藁以外の何かが詰まっていることを期待します」

 

 そして、例によって人間というものの負の側面を列挙していくスタイル。

 

 実際、マグル世界においてもそうだが、社会が複雑になればなるほど法は網羅しきれぬほど膨大になり、経済などの分野に限っても公認会計士など、司法の分野では法曹関係の人間でなければ、法が互いにどういう構造になっているかすら分からなくなってしまう。

 

 マグル社会ほど巨大ではない魔法族だが、その分、ゴブリン、水中人、屋敷しもべ、ケンタウロスなどの異種族とも共存しており、法として管理せねばならないことはやはり多い。

 

 

 「細かい点を挙げればキリがありませんが、“違法行為を列挙しておき、破った者を武力で罰する”という点については、マグルの法執行と何ら変わる点はありません。社会を構成するにあたっての根幹である法という分野においては、マグル社会との同一性は非常に高いという認識は先ず持っておきましょう」

 

 だからこそ、マグル生まれが魔法界にやってきても、やがては馴染むことが出来る。

 

 魔法族独自の法がどれだけあろうと、やってはいけないことがあり、守っていれば社会が回るという安心感があるから、同じ人間なのだと信じる事が出来るのだ。これがそもそも、法を持たない、作らない生き方であるならば、共存など夢のまた夢だ。

 

 魔法という力を抜きに考えれば、マグルと魔法族は異なる法体系を持っているだけの、異文化集団と捉えることも不可能ではない。

 

 

 「この、“武力で罰する”を担う者が闇祓いであり、闇祓いには多種族がいないことにも留意しましょう。ここを人間のみで独占している以上、どこまでいこうが魔法省は“人間優位”の組織であり、この在り方は未来永劫変わることはないでしょう。ここについて善悪を問うことに意味がありません。なぜなら、他に選択肢はありえないからです」

 

 ただし、大きな違いは、魔法族はマグルにバレてはいけないということ、隠匿せねばならないということ。

 

 互いを認識し合うことで初めて“異文化集団”になるわけだが、魔法族がマグルを認識しても、マグルは魔法族を認識しない状態こそが、魔法法の執行によって維持すべき“平和状態”である。

 

 

 「自分達の安全保障を第一とするマグルの国家法と異なり、魔法法の根幹は“マグルからの隠匿”です。別の言い方をすれば、魔法法を守らせることは、マグルから身を隠すための手段に過ぎません」

 

 魔法は極めて利便性が高いので、家族単位で生きるだけなら国家は必要ない。

 

 しかし、皆をマグルから隠そうとするなら、集団の力は必要だ。

 

 

 「よって、そのための法を強引にでも守らせるために“武力で罰する”役を魔法族以外が担うことは出来ない。理由は明白、魔法族以外は、確実にマグルから話が通じる同族とは見なされないからです。これも覚えておきましょう、サピエンスとは皆殺しの種族であり、根絶することに異常に長けている」

 

 魔法族は、知性を持つ異なる種族と共存している。

 

 マグルは、ホモサピエンス以外の種族を、皆殺しにしてでも自分達だけの社会を作る。

 

 共存の種族と、皆殺しの種族。

 

 どうあっても根本が相容れぬ、絶望的なまでの隔たりがそこにある。

 

 特に一神教などは、人間のみを“神の子”とし、人間の絶対的優位性を疑わない。中世の司祭の説教を信じる素朴な農奴は、笑顔を浮かべて異教徒の首を刎ねることが出来たのだから。

 

 そして、良くも悪くも魔法族はその影響を受けており、“同じような思考法を身に着けなければ”、距離を置こうが併存など出来るはずもない。

 

 

 「ゴブリンがマグルに見つかればどうなるか? 害獣として確実に皆殺しです。ケンタウロスならば? よくてサーカス、悪ければ絶滅。水中人ならば? 生息域に水銀かカドミウムあたりを流されて、公害の毒素で全滅でしょう」

 

 ローマ帝国の行ったパンとサーカスに見るまでもなく。マンモスやナウマンゾウ、ヨーロッパライオンなどは、サピエンスによって絶滅させられている。

 

 

 「屋敷しもべならば、奴隷として生かされる道もありますし、ヴィーラならば性奴隷として売買くらいはされるでしょう。他の種族については、珍品として剥製にするくらいでしょうが、巨人もまた象や馬の代わりに奴隷としての使い道は考えられます」

 

 バレてはいけない、絶対に隠匿せねばならない。さもなくば皆殺し。

 

 この恐るべき種族たちと時に交渉し、時に仲間のふりをし、“血を交わらせてもやっていける”のは、魔法族だけなのだ。

 

 

 「他の種族が交渉の窓口では、話になりません。よって、魔法法を守らせる軍隊に相当する機関は、人間だけで固める以外に道はない。そこに人間以外の者が存在すれば、マグルは確実に拒否反応を示すでしょう」

 

 中世ならば、神の子である人間以外を教会が認めるはずもなく、確実に悪魔は火炙りだ。

 

 

 「何せ、言語が違うだけ、人種が違うだけ、宗教が違うだけでジェノサイドを行える種族なのですから、種族そのものが違ってしまえば、根絶しない根拠がどこにもない。忘れてはなりません、マグルと混血できるのは、魔法族だけ。スクイブがマグルに融和できるのも、魔法族だけ」

 

 魔法族と巨人、小人、妖精、ヴィーラ、水中人、時にはバンシーや吸血鬼とすら、混血はあり得る。

 

 しかし、マグルとの混血は“同じ人間である”魔法族以外はあり得ない。それ以外との混血を、マグルは同族とは認めない。

 

 この星で最も、迫害、差別、皆殺しに長けた種族こそ、ホモサピエンスというものだから。

 

 そうでなくば、ネアンデルタール人や、ホモフローレンシスは、現代にも生きて共存できていなければおかしいだろう。

 

 一万数千年前を境に、サピエンスは唯一のホモ属となっており、魔法族とはそれ以後に分離した“同じホモ属”である。

 

 尚、いまこの瞬間に授業を受けている生徒には、その「皆殺しの種族」を両親に持つ生徒もたくさんいる。しかし、悪霊教師の弁は止まらない。止まるはずもない。

 

 

 「であるならば、他の種族はどこから来たのか? という謎はあるでしょうが、そこは今回の本題からそれるので置いておきます。来年以降に、始代や古代の魔法族の成立と、創始者以前のブリテン島の魔法族の歴史を学びますので、そこで改めて語るといたしましょう」

 

 幻想の種族とは? 魔法とは? その起源は?

 

 仮説は神秘部で様々に議論されるが、明確な答えに至ったものは未だ無い。あるいは、そんなものはどこにもないのかもしれない。

 

 

 「ここで抑えるべきは、一つに絞ります。魔法法執行部とは、マグルから魔法界を隠匿するための魔法法を守らせるための機関であり、その役は魔法族にしか出来ない。そして、全ての根はそこにある以上、純血、混血、スクイブ、マグル生まれとは、どの時代においても魔法省成立以前から、中心的な政治命題となってきた。ここで、四人の創設者の言葉を引用しましょう」

 

 

 スリザリンの言い分は、   『学ぶものをば選ぼうぞ。祖先が純血ならばよし』

 レイブンクローの言い分は、 『学ぶものをば選ぼうぞ。知性に勝るものはなし』

 グリフィンドールの言い分は、『学ぶものをば選ぼうぞ。勇気によって名を残す』

 ハッフルパフの言い分は、  『学ぶものをば選ぶまい。すべてのものを隔てなく』

 

 

 「サピエンスとはすなわち、自らを“賢きヒト”、知性ある者と謳う集団。そして、敵を皆殺しにする勇敢さを持ち、同時に排他性の極めて強い純血主義の集団でもある。しかし、利益のためならば多民族とも交易し、時には共存共栄を図ろうともする柔軟性も持ち合わせる」

 

 その多様性こそが同時に、人間という存在の持ち味であり。

 

 

 「極めて面白い種族であり、定義し難い複雑さを持ち合わせる。創始者達が寮の特性を単色に統一することなく、四色の複雑な組み合わせこそをホグワーツとしたのは英断であったでしょう。これは一つの異説ですが、かの“組み分け帽子”は、“組み合わせ帽子”とも呼ばれていたとか」

 

 ホグワーツの授業はすべて、異なる寮との合同授業だ。

 

 それぞれで独自に行ったほうが、効率だけなら早いだろうに、1000年間途絶えることなく、その根本だけは決して変えることはなかった。

 

 そして、スリザリン以外を認めぬまでに先鋭化していった死喰い人の在り方は、その理念に真っ向から反する。彼らがホグワーツから追放も同然になったのは、ある種当然の帰結と言えた。

 

 

 「新入生に言いましょう。魔法史に学びなさい、偉大なる創設者たちを誇りなさい。決して、親や役所の言うことなど鵜呑みにしてはいけません。当然、私の言うことなどは、最も鵜呑みにしてはいけません」

 

 ノーグレイブ・ダッハウは、人の黒歴史を嘲笑う。

 

 されど、偉大なる歴史には敬意を払う。

 

 

 「いけ好かない悪霊教師の言うことなど、真に受けるのが馬鹿というもの。反骨精神で聞き流しながら、しかし、耳を貸すべき忠告もあったかと自分の頭で考えて、自分に至るルーツを辿るのです」

 

 汚れて穢れた恥の記録の塊であるからこそ、貴き光はあくまで尊いのだと、当たり前の事実を語るように。

 

 生きた物語に学び、最後は自分の頭で考えてこそ、先達の歴史を学ぶことの本質があるだと。

 

 

 

*----------*

 

 

 「さて、真面目な歴史ばかり語っていては悪霊教師の名が泣くというもの。ここからは、人間が如何に絶滅に長けた種族であるかを“実技”をもって語るとしましょう」

 

 そして、そこで終わらないのがドクズゴースト三人衆の筆頭である。

 

 先程までの厳粛な雰囲気はどこへやら、盛大な前フリか、あるいはフェイントを仕掛ける如くに、“やらかし爆弾”を投入してくる。

 

 

 「「「「「 ギャアアア!!!!! 」」」」」

 

 生徒達が一斉に挙げた悲鳴、それだけで、何事が起きたか察せられそうな感じではある。

 

 

 「こちらにありますは、“尻尾爆発スクリュート”という新種魔法生物です。魔法生物飼育学のハグリッド先生が改良なさり、現在は生徒立入禁止の四階の廊下にて繁殖実験の真っ最中でして、こうして20匹ほど借りてきました」

 

 

 

 今年度の始まりの集会において、アルバス・ダンブルドア校長は言いました。

 

 「四階の廊下は現在、ダッハウ先生の管轄となっておる。命と心を守りたければ、近づかないことじゃ。そこで、どのような精神崩壊が起きようとも、残念ながら儂にはどうにも出来ぬ」

 

 生徒たちは誓った、絶対に近づかないと。

 

 新入生だけはその意味をまだ理解していなかったが、こうして魔法史の授業を受けた今、嫌というほど理解している。

 

 

 

 「では、ここから先は、中世社会におけるマグル社会とも共通する自助努力、自力救済、フェーデ(決闘)というものについて説明しましょう。決闘という制度の始まりであり、警察権力と裁判所が未発達の時代においては、様々な揉め事に対して自力救済を図る必要があり、魔法使いの決闘とお辞儀という関係が――」

 

 空気を読まない悪霊の講義が続く中で、生徒達も歴史に学び、自力救済を始めている。

 

 これが、魔法史の“実技”である。ダッハウは「今日は実技をしますから頑張りましょう」なんて言わない。生徒が実技をせざるを得ない状況に一方的に追い込むだけである。対処法も自分で考えさせる。

 

 机上の学問だけではいざという時に役に立たぬ。教師や大人が頼りにならない中で、生徒達で団結して乗り切ってこそ、こうした経験が後に生きるのだと。

 

 

 「キモっ! なんじゃありゃ、キモっ!」

 「毒針じゃないかあれ!」

 「絶対ハグリッドの仕業だろあれ!」

 「ロン! 机を倒してバリケード作ろう! スクリュートがこっちに来る前に!」

 「そうだな、おっし! シェーマス、ディーン、そっち任せた! ネビルとハーマイオニーはいつもの頼む!」

 

 混乱して逃げる生徒達、バリケードを創り始める生徒達、後方に移りながらもノートをとっていくグループ。

 

 グリフィンドールとハッフルパフで役割分担もある程度されており、ハリーやロンは基本的に危険な前線役を受け持つことが多い。

 

 ハーマイオニーやネビルは、ノートを取って授業に対して警戒。

 

 このクソ教師、自分がやらかしたことで教室が混乱の極みになろうが、平気で課題と宿題を出してくるのである。本人は高度な自主性とマグル的なスパルタ教育の両立だとか抜かしていたが。

 

 

 「ほほう、即席にしては中々見事な連携です。どうやら事前に打ち合わせや緊急時の対処法を練ってきたようですね、グリフィンドールに10点、ハッフルパフにも10点。良い傾向です」

 

 いけしゃあしゃあと言いながら、平然と授業を進めるドクズ悪霊。

 

 

 「ちっくしょうめ! あのクソ野郎! ほんと死ねよ!」

 「やばいやばい、こっち来た!」

 「ああもう! インセンディオ!(燃えよ) 皆、私が火で威嚇するから、早くバリケードの後ろに下がって! それからネビル! 貴方ローブ齧られてるわよ!」

 「え? うわぁホントだ! いつの間に!」

 「素早いぞこいつら! サソリより厄介じゃないか!」

 「平気! スニッチよりは遅いから!」

 「それはお前だけなんだハリー!」

 

 兄達がたくさんいるので「悪霊情報」の多いロンが対策チーム牽引役。

 

 ハリーやネビルは調整役、ハッフルパフとの連携役も多い。ハリーは運動神経がいいので今回のように前線でも動く。

 

 そして、ハーマイオニーは現場指揮と全体統括の兼任。早くも、創設された『対悪霊戦線』のリーダー格と目されている。

 

 新学期が始まってすぐの頃は、マグル生まれのガリ勉かと思われていた彼女だが、あっという間にその認識は覆り、例えダッハウが相手だろうが果敢に立ち向かうレジスタンスリーダーのような扱いになっている。

 

 やっぱり何だかんだで、こういう荒事にはグリフィンドールが一番強い。生徒の大半が逃げずに真っ向立ち向かっているのが良い証拠だ。

 

 

 「ほうれ皆さん。どうですか? スクリュートも魔法生物なんだから同胞と認められますか? 根絶したくはありませんか? そう、そういうことなのです。だからこそ戦争はなくならず、闇祓いの歴史とはこうした危険でヒトを食べる魔法生物との戦いでもありました。それでは、1200年代の事例から―――」

 

 スクリュートよりも、お前を根絶したい。

 

 あいも変わらずとんでもない“魔法史の実技”を受ける生徒達は、まさに一心同体と言える完成度で同じことを思っていた。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「またやらかしたわねクズ、よくまあそこまで全方向からヘイト稼げるもんだわ」

 

 「二年前も酷かったですけど、今年もすっごく酷いです」

 

 スクリュート騒動の顛末を聞き、呆れ顔でいるのはマートルさんとメローピーさん。

 

 悪霊トリオの構成員ではあるが、やはりクズ度合いでは圧倒的にダッハウがナンバーワンだ。特に、魔法史実技の後だと尚更に。

 

 

 「二年前ですか、懐かしいですね。あの双子は新入生の頃から期待の星でした」

 

 なお、ウィーズリーの双子、フレッドとジョージについてだが。

 

 

 「これが新入生にやることかよおおおおお!!」

 

 と叫びつつ、悪霊教師に突撃していくという勇気を発揮している。

 

 その年の初授業の題材は、長く続いた名家が政略結婚で結びつく場合のリスクについて。

 

 ウィーズリー家、プルウェット家という魔法界の事例と、ギロチンの藻屑となったブルボン家、ハプスブルク家の婚姻例。そして、皇帝一家全員処刑となったロマノフ家の悲劇。

 

 他にも、純血を貫いたゴーント家の末路、プリンス家とスネイプ家の例など(同僚の教師のプライバシーを授業の題材にする屑)。

 ※ダッハウにヘイトが集中し、スネイプへの反感が少ないのは、この辺りにも理由がある

 

 マグルと魔法族の婚姻の難しい例も取り上げ、決して、名家同士だからといって順風満帆とは限らない。結婚というものは、人類が文明を発展させて以来このかた、発展の有効な手段であり、同時に継承権に絡む面倒事の種であり続けた。

 

 

 「熱愛から結婚にこぎつけたとしても、その背後関係を見誤れば、待っているのは地獄と破滅です。ことに、血縁の呪いというものは、魔法族の中でもことさら厄介な性質を持っていますので、皆さんも恋愛と結婚には最新の注意を払いましょう。特にこのホグワーツでは嫉妬のゴーストの湧いて出ますので」

 

 という感じの事を話した。

 

 ホグワーツに入学し、素敵な出会い、恋というものに夢輝かせていた新入生は、見事に地雷に吹っ飛ばされた訳である。

 

 

 

 「全く悪びれないクズっぷりに、相変わらずの飛ばしっぷりね」

 

 「嫌われない方がどうかしていると思いますわ」

 

 嫌われるのは間違いなく、今年もダッハウ一択。厳格なマクゴナガル先生、私語を許さぬスネイプ先生、普通なら両者も好かれにくい要素があるのだが、足元にも及ばない。

 

 ちなみに、ハグリッド先生の授業の方が圧倒的に生徒の好感度は高い。

 

 彼は、生徒の身の安全は守るために頑張ってくれる。そこには愛がある。

 

 ドクズは、自分だけは安全圏にいながら、生徒にけしかけてくる。そこには悪意だけがある。

 

 

 「こういうものは、初めが肝心なのです。サピエンスの脳の記憶機構とは、そういう風に出来ています。人間の記憶実験において、例えば冷水実験や、胃カメラ実験などが有名でして」

 

 

人間の記憶に関する実験  「被験者たちは、手を温度の違う水につけていく」

 

Aグループ    水1分 ⇒ 冷水8分 ⇒ 水1分

 

Bグループ    氷水1分 ⇒ 水8分 ⇒ 冷水1分

 

 

 “冷たい水に手を付けていた期間”は、圧倒的にAグループが長い。しかし、実験の後にアンケートを取れば、「冷たかった、厳しかった」というマイナス評価をつけるのは圧倒的にBグループ。

 

 グループを交換して試しても、同様の結果になる。他に類似した実験をいくらか試したところ、暑い部屋にいたり、胃カメラを飲んだりでも、似たような結果が現れた。

 

 

 「苦痛の長さによって決まるのではない、人間が印象深く覚えていられるのは、ピークと結末だけ。ということが明らかになっています。これは、授業の記憶についても同じことが言えるのです」

 

 

 明確に記憶できるのはピークと最後だけであり、残る部分は、脳の記憶システムが思い出した際に後付で勝手に補間してしまう。

 

 様々な物語、映画などにおいても、最高に盛り上がるシーンをラストに持ってくれば、映画そのものの評価は高くなる。例え、120分近い作品で、途中の60分程度が単調で中だるみしていたとしても、ラスト15分が最高の盛り上がりを見せれば、名作として印象に残る。

 

 長編だから名作とは限らない。例え短くとも、激烈なピークがあり、最後が非常に印象に残るならば、人に印象深く感動を残す。

 

 

 「よく言うでしょう、終わりよければ、全て良し。これは何事にも当てはまる歴史の法則でもあります」

 

 なので、まずは【ピーク】を一番最初に持ってきて、激烈に印象づける。そうしてから7年間の魔法史を講義していき、卒業時の授業や試験は、“ためになる真っ当なもの”にするよう心がける。

 

 

 「これこそが、私がクビにならない秘訣です。さらに言えば、7年目の最後の授業には必ずアリアナちゃんを同伴させます。これまでただの一度もなかった幸運の少女の登場にインパクト抜群、記憶のピークとしても最高値。これにて完璧」

 

 「幼女を保身に使うクズ」

 

 「それって、ダッハウ先生の授業じゃなくて、アリアナちゃんの印象が“魔法史の終わり”に残っているんじゃ」

 

 「その通りです。だからこそ、“終わってみればあのドクズの魔法史も中々ためになった”という印象操作ができる。アリアナちゃん様様です」

 

 「詐欺師め」

 

 「軽蔑します」

 

 日刊予言者新聞のプロパガンダよりも、遥かに悪質なのがここにいる。

 

 脳の記憶機構にいたるまで、人間というものを知り尽くしているからこその操作術であり、対悪霊戦線の戦いはなかなか厳しいものになりそうであった。

 

 

 




頑張れハーマイオニー、ダッハウを倒すその日まで


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3話 ハロウィンへ向けて

 

 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【魔法事故惨事部 コーネリウス・ファッジ】

 

 魔法事故惨事部の役割は、事故に対する後始末と思われがちだが、少し異なる。

 勿論、魔法界・マグル界での魔法事故に対応するのが主任務であり、一人では手に負えない時に集団の力で対処するのは当たり前だろう。

 ただし、その歴史的な役割を見ても、最も重要なのはマグルとの境界線を覆い隠すことだ。

 

 魔法法の執行部は、法律を破る者達を罰することを担当するが、事故惨事部は実際に魔法による災禍が起きてしまった際の修正が仕事。

 ここで面白いのは、魔法で行われてしまった“事象”を元通りにするリセットは基本だが、何事も元通りにはならないこと。

 

 何よりも、隠蔽工作。重要なのは、事実よりも納得。

 最も難しいのは、関わってしまったマグル達に対して納得の行く説明をすること。

 忘却術とて万能ではなく、違和感が残れば何をきっかけに失われた記憶が戻るかわからない。

 

 だからこそ、私のような凡庸な人間が、部長になったりする部署でもあるのさ。

 “謝り部長”、“ペコペコ部長”なんて言われるものだが、魔法事故に巻き込まれてしまったマグルの方々への誠心誠意の謝罪だけは、人一倍にできると思っているよ。

 

 特にそう、マグル生まれの子の家族への説明だったり、そこの家族仲が良くなった時の仲裁役だったり。 

 まあ、損な役回りが多くて、有能だなんてお世辞にも言えない我が身ではあるが。

 私が何か言葉を残すなら、せいぜいこんなものだろうか。

 

 『結局、我々魔法使いはただの人間だ。不倫だったり、喧嘩だったり、大切な人に怒鳴ってしまったり』

 『忘れてしまいたい失敗は多くある。だからこそ、リセット部隊は常に呼び出される』

 『でもやはり、失くなりなんてしないのさ。だってほら、魔法は我々の心のなかにあるんだから』

 

 

 

*----------*

 

 

 「そろそろハロウィンも近づいてきました。新入生の皆さんにとっては初めてですから色々楽しみでしょうが、そのためにもまずは講義です。魔法省の各階の部署を解説していくシリーズも今回で三回目。今日は地下3階の魔法事故惨事部について見ていくとしましょう」

 

 

 10月も下旬に近づき、徐々に寒さが増しつつ、クィディッチシーズンへも近づいていくホグワーツ。

 

 寒さなど関係ない悪霊教師の魔法史の授業、今日はグリフィンドールとレイブンクローの合同授業である。

 

 変身術や魔法薬学など他の教科においては、場所と合同授業の組み合わせが固定されていることのほうが多いが、悪霊の魔法史においては毎回組み合わせが変わる。

 

 どういう基準で選んでいるか誰にも分からず、教室の確保についても裏方事務員としての職権を最大限に利用してくるので厄介極まりない。この辺りの不親切さも、悪霊の授業が生徒に嫌われる要因の一つだ。

 

 わざわざ分かりにくい場所にある教室で開いたり、屋外教室だったり、地下牢だったり、天文台だったり、上級生の場合は地下墓所なんてとんでもない場所もある。大抵は、“実技”に絡むことが多いのだが。

 

 

 「魔法事故惨事部は、魔法事故リセット部隊、忘却術師本部、マグル対策口実委員会、目隠し機動隊、マグル連絡室、誤報局などからなります。その主な任務は魔法事故が起きた際にその記憶をマグルから消去すること。要するに、自分達の都合で他人の記憶を勝手に消して回る鬼畜外道の所業ということですね」

 

 そしていきなりぶちまかすドクズ悪霊。良心というものが傷まないのだろうかこいつは。

 

 当然、この講義を聞いている生徒の中には、父や母が魔法事故惨事部に勤めている者もいる。

 

 

 「まず覚えておきましょう。魔法族は自分や仲間が失敗し、魔法が漏洩しそうになれば忘却術を用いて記憶を消すべしと教え込まされます。それは決してマグルのためなどではなく、自分達の保身のためにです。極論、魔法使いが絶滅しようが、マグルは何も困りはしないのですから」

 

 耳の痛いこと、誤魔化したい現実を、ただただ客観的に羅列していくのが魔法史の授業。

 

 行っている作業自体は先任のビンズ先生と本質的に大きな差はないのだが、毒にも薬にもならぬように書かれた歴史の教科書を復唱するのと、歴史から抹消したいような黒歴史ばかりを選んで語るのとでは、ここまで違いが出るものだ。

 

 

 「しかし、その逆は不可能です。表側の人間たちが幻想として認識している概念、共有している虚構、“現実にはないけど、あると夢があるな”と思っている事柄、それらが魔法の根源と言ってよい。いくらそこに文字で書かれた魔法書があろうと、読む人間が絶滅すれば本に意味はありません。境界線の向こうの観測者があってこそ、魔法族も含めたあらゆる幻想は成立する。そこについては高学年になってからより詳しく説明していきますが」

 

 

 『絶対にバレてはいけない。けど、忘れられてもいけない』

 

 『忘れさせるのは仕方ない。でも、忘れられるのは寂しい』

 

 

 いつの時代からか、魔法族の根幹として語り継がれる言葉。

 

 マグルに魔法がばれたならば、忘却術でその記憶は消し去らねばならない。それが分かってはいても、実践できない魔法使いも数多くいた。

 

 ばれてしまったからこそ、個人と個人が大きく関わる。場合によっては、起きた騒動を解決するために手を貸してもらうこともある。

 

 そうして紡がれた縁を、絆を、リセットしてなかったことにしたいと、誰が心から思えるだろうか。

 

 

 「現実と魔法の境界線は、実に曖昧です。先程述べたように、魔法族が全滅したところで、マグルは困りはしない。しかし、残念には思うでしょう。自分達とは違うところに生きる、遠い誰か。不思議な国、魔法の城、そうした夢があって欲しいと彼らが常に願い続けているのも事実なのですから、夢が壊れることを望む人間もまた少ない」

 

 無論中には例外もいて、魔法のように曖昧で不確かで、まともなじゃないものを嫌うマグルもいるだろう。

 

 しかし、それが本の中の話ならば、自分達に害なんて及ぼさない、子供の遊びだと思っていたならば、そこまで嫌うものだろうか。

 

 

 「境界線を無闇に崩すな、とはつまり、“幻想は幻想のままに”ということでもあります。虚構だと思っているから容認できる魔法も、いざ実際に家族を脅かす害悪と認識してしまえば、感情的に否定し、そんなものは存在しない、存在してほしくないと願ってしまう。そうなった人間たちには、忘却術は救いであると同時に、非常にかかりやすくもある」

 

 人間は多種多様だからこそ、難しい。

 

 例え大きな被害にあったとしても、魔法族を忘れたいなんて思わないマグルもいるだろうし。

 

 家族を殺しに来るかもしれない頭のイカれた連中など、この世に存在してほしくないと思うマグルもいる。

 

 そしてさらにそこに、恋や友情、怒りや憎悪という感情までも絡んでしまえば、どのように割り切ればいいかすら分からなくなってしまう。

 

 

 「魔法事故惨事部の仕事とは、非常に難しく、厄介なものです。常に終わりがなく、マグルとの関係性も、境界線も変化を続ける。ここで絶対にしてはならないのは、現実を見ずに“昔のままのマグルと魔法族の関係”でやっていけると盲信することでしょう」

 

 世界は千変万化するもの。何事も永劫不変ではありえない。

 

 それが頭では分かっていても、なかなか受け入れられないのが人間というものでもある。

 

 

 「自分にとって都合の良い夢にだけ逃避しても、その先に未来はありません。ですが、長く同じ組織に属してしまったものほど、組織の掲げるお題目を信じ込む傾向が強いことも、歴史は示しています。人間は愚かなままですので」

 

 マグルの世界と魔法の世界、その境界線を隠すための魔法、そして、知られた際の忘却の魔法。

 

 魔法省の最大の仕事である、マグルからの隠匿に直接関わる部署であるからこそ、魔法事故の処理とは常に最新の注意が必要だ。

 

 そして、この部署には“マグル的”な事務処理が得意な人物よりも、“人間臭く”、少し鈍臭い人物の方が、適性があると言えるだろう。

 

 

 「もう一つ忘れてはならない点、当たり前でもありますが、魔法事故惨事部に該当する組織は、マグルの政治機構にはありません。国家機密を処理する中央情報局や秘密警察などはありますが、その本質は魔法事故惨事部とは全く違うものですので、存在意義の比較としては面白いものの組織の仕事として比較することに意味がありません」

 

 アメリカ合衆国の誇るCIA。ソビエト連邦の代名詞とも言えたKGB。

 

 マグルの社会において、“秘密がバレた際に処理する機構”とは、このように非常に物騒なものだ。記憶を消す、口封じのために取れる方法がだいたいやばいものばかり、ここにも、共存の種族と皆殺しの種族の違いがよく出ている。

 

 例え、薬品の力で記憶を消せたとしても、“万が一”に備えて殺しておくのが、マグルの機構では常套手段だ。恐ろしや、恐ロシア。

 

 

 「また、魔法界の事故が隠蔽できないほど大きくなった際、マグル政府と協力してマグルが納得する事実をでっち上げるために誤報局が働きます。これは割と最近の近代以後に出来た機構であり、宗教が根幹であったキリスト教時代にはありませんでした」

 

 マグルの世界の変化もまた、魔法事故惨事部の仕事と大きく関わる。

 

 特に、カメラなどの撮影機器などが今後どんどん普及していき、その情報がインターネットを通して共有されるようになれば、“脳からの忘却”だけでは手に負えなくもなるだろう。

 

 しかし、そんな時代だからこそ、隠蔽にマグル側の助力を頼めるというメリットもまたある。反動宗教改革の時代ならば、それだけで異端審問直行なのだから、進歩かどうかはともかく変化ではある。

 

 

 「ついでに言えば、イギリス魔法界におけるクリスマス休暇とイースター休暇の起源はこの部署と言われてます。キリスト教世界であった中世の時代において不可思議な魔法事故が起きてしまっても、“奇跡だから”で何とか誤魔化せるのがこれらの時期だったわけです」

 

 誤魔化し方もまた、時代によってそれぞれだ。

 

 特に、宗教色の強い時代ならば、“奇跡が起きた”と信じ込ませるのが一番手っ取り早くはある。

 

 

 「そうした結果、魔法省に務める役人達もこの時期にまとまった休暇を取るようになったという経緯があり、やがては魔法界でも休日に指定されました。マグル文化の影響が魔法族のタイムスケジュールを決めた例と言えます」

 

 もともと、クリスマスもイースターも、キリスト教徒の祝祭だ。洗礼を受けていない魔法族にとって祝う道理はない。

 

 しかし、イスラームの異教徒であろうとも交易で付き合いがあるならば、まとまって商品を売りつけるチャンスであったりと、宗教とは別に相手側の行動に変化があることはままある。

 

 マグルと魔法族の隣り合わせの歴史もまた、その例外ではない。

 

 

 「魔法史を語る上で、魔法事故惨事部は非常に興味深い対象の一つです。マグル社会の制度の変化、その技術や文化の変遷と最も密接に関わってきた部署ですので、その積み重ねを学ぶことは、マグルと魔法族が長い歴史においてどのように併存してきたかを知ることに繋がります」

 

 だからこそか、今日の講義においては物騒な“実技”はないらしい。

 

 尻尾爆発スクリュートを解き放つような破茶滅茶な授業もあれば、案外まともに組織の変遷や歴史的事例を語っていくこともある。まるで、歴史における“戦乱期”と“安定期”を交互に語るが如く。

 

 ただしそれも一定の順番ではなく、“戦乱期”が長く続くこともあれば、“安定期”が続いたり、あるいはそれらが短い間に交錯したり。

 

 歴史とは複雑極まり、一方向だけからは語りきれぬもの。それを証明するように、悪霊教師は今日も生徒を戦々恐々とさせながら、フェイントを織り交ぜながら様々な観点で【マグルと魔法族の境界線】について述べていくのだった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「今年もハロウィンか、リリーが最優秀仮装賞に選ばれたのが懐かしいわね」

 

 「グリフィンドールの恒例イベントでしたっけ、流石は“妖精姫”の名を持つリリーちゃんです」

 

 徐々に城の飾り付けも進み、ハグリッドの育てた巨大カボチャがあちこちでランプを灯し、お祭りムードの高まってきた魔法の城。

 

 そしてハロウィンとは、悪霊たちが活性化する時期でもある。

 

 

 「その純真な“妖精姫”に蛇の毒を注ぎ込み、“恋の魔女”に変貌させた張本人は誰でしたかね、メローピーさん」

 

 「すみません、生まれてきてすみません」

 

 「いや、ゴーストとして貴女は生まれてないから」

 

 「それでも私は、いつかあの子をまた産んであげたいと願っているのです、ああ、私のトム…」

 

 「壮大な夢ですね、流石は重い女メローピーさん。奇跡が起きても叶いそうにない夢であるのは置いておきましょう」

 

 いくら悪霊の出てくるハロウィンとはいえ、流石に発生するびっくり現象にも限度というものはあるだろう。

 

 

 「そろそろホグズミード村に出ていた三年生以上も帰ってくる頃、大広間で宴会が始まるのも間近ですかね」

 

 「一昨年あたりはピーブズが大広間に乱入してたし、去年はヘレナ校長と男爵様が死ぬほど迷惑な愛の詩の朗読会をやってたけど、今年はどうなの?」

 

 「さあて、どうなるでしょうか。ハロウィンにおける幽霊の行動はこちらは一切制限しません。各々が思うように生徒を驚かし、あるいは傍観していればよいでしょう」

 

 幽霊を統括する裏側の管理人とはいっても、ダッハウの方針は基本的に放任主義だ。

 

 ホグワーツの歴史を正確に記録することには拘るが、個々人がどう動くかについては、およそ制限するという発想を持たない。

 

 

 「そう言えば、例の“グレンジャー将軍閣下”が、スリザリンと真夜中の密談をしてまで、ハロウィンの悪霊対策に勤しんでいました。なかなか彼女も諦めない」

 

 悪霊曰く、“真夜中の密談”事件。ポッター家秘蔵の透明マントを用いて、一年生の三人組が、スリザリンの有志一年生と真夜中に会合を開いた件である。

 

 一昔前なら考えられないが、黒太子同盟のホットラインは今もなお生きているようである。方やシリウス・ブラックからハリー・ポッターに、片やセブルス・スネイプからドラコ・マルフォイに。

 

 

 「例の子、ハーマイオニーね。確かに、ジェームズの馬鹿やシリウスの阿呆らに匹敵するくらいの行動力と成績の良さだわ」

 

 悪霊教師の素行のド汚さに憤慨し、何とか生徒のプライバシーや権利を守らんと対悪霊戦線を結成して頑張る彼女のことを“グレンジャー将軍閣下”と讃えたのは、フレッドとジョージの双子のウィーズリーが始まりだ。

 

 以後、グリフィンドール新入生男子に広まり、そこから徐々に他学年にも呼び名が浸透しつつあるらしい。少なくとも、悪霊達の耳に入る程度には。

 

 

 「こないだ、ロナルド君も言ってましたわ。“マルフォイのことなんてどうでもいいよ。それよりまずはダッハウだ。アイツを何とかしないと”と」

 

 「ほう、ウィーズリーの六男坊は流石に私のことをよく知っている。このホグワーツにおける真の敵が誰かしっかりと口伝されているようで何より」

 

 「あんだけいれば、そりゃそうでしょ」

 

 グリフィンドール寮は、最も“嫉妬のマートル”の襲撃を受けやすいことでも有名だ。

 

 個々人のプライバシーについては、放っておけばダッハウに暴露され、気になる女子に告白しようにも、マートルの妨害が入る。

 

 座視するばかりでは踏んだり蹴ったりなので、勇猛果敢な獅子寮の生徒は、悪霊共を何とかしようと団結して立ち向かうのが例年の伝統であり、時には蛇寮とすら手を結ぶ。そのもっとも有名な例が、“黒太子同盟”である。

 

 そして、ウィーズリー家の男子六名、全員がグリフィンドールである。それはつまり、ウィーズリー家の歴史は、悪霊共との戦いの歴史ということだ。

 

 

 

昨年 獅子寮の談話室

 

 「マートルだ!」 

 「マートルじゃねえか!」

 「出たぞ! 悪霊だ!」

 「迎撃! 迎撃態勢をとれ!」

 

 悪霊は一人にあらず。ドクズゴースト三人衆の一角ここにあり。

 

 表のダッハウにばかり気を取られていると、背後からマートルが忍び寄るのが悪霊達のコンビネーションというもの。そして、目立たぬところに地雷の如くにメローピー。

 

 派手な被害は前者二名だが、重い被害は“執着のゴースト”から出やすい。知名度は低いものの何だかんだで彼女も警戒はされている。

 

 

 「見たわよ、見たわよお。監督生候補同士で仲良くしちゃってああ妬ましい。パーシー・ウィーズリー、ペネロピ―・クリアウォーター。アウト―!」

 

 

 「パーシーがやられた!」

 「なんてこったい!」

 「あ、でも少し羨ましいかも」

 「馬鹿! マートルに取り込まれるぞ! 向こう側は悪霊の巣だ!」

 

 嫉妬はいけない、妬みはご法度、でないとマートルが寄ってくる。

 

 ただでさえダッハウだけでも大変なのに、この上内側に嫉妬スパイなんて送り込まれようものなら目も当てられない。

 

 

 「ケッケッケ、今年のグリフィンドール生はなかなか骨があるじゃないの。だーけーどー、リア充死すべし、慈悲はない」

 

 

 

 

 なんてこともあった。これは氷山の一角であり、長兄のビル、次兄のチャーリーも、それぞれで壮絶な戦いを繰り広げた。特にビルは首席であり、ハンサムであり、女子にもてまくったので、嫉妬の悪霊から妬まれまくった。

 

 三男パーシーも漏れなく妬まれ、兄達の悪戦苦闘を前にして、悪戯の双子ですらも

 

 「……ガールフレンドのことで、パーシーをからかうのはやめておこうぜ」

 「そうだな、流石に悪い気になってくる」

 

 とコメントを発したくらいである。頑張れウィーズリー家、家族仲良く団結すれば、きっと悪霊にだって勝てるさ。

 

 

 

 「ウィーズリー家男子は今年で打ち止めのはずですが、確かもう一人末っ子の妹がいましたか」

 

 「ジネブラ・ウィーズリーね。あの家には今更学校案内を送るまでもないけど、来年入学だから覚えてるわ」

 

 「女の子ですか、ああ、トムにも妹を産んであげられれば……」

 

 例によって重い女モードになるメローピーさん、この人はどんな話題でもこの状態になるから面倒くさい。

 

 

 「ポッター家は、兄、双子の妹の組み合わせでしたし、ロングボトム家も確か、兄、兄、妹の三兄妹だったはず。この辺りは兄と妹の組み合わせが多いですね」

 

 「ウィーズリーの七兄妹は圧巻だけどね。ポッター三兄妹も、ロングボトム三兄妹も、多分ホグワーツで有名になるわよ。全員グリフィンドールに入るかは分からないけど」

 

 「ジネブラ・ウィーズリーとマリーベル・ポッターは確実にグリフィンドール。そして、フローラ・エバンズはスリザリン。この辺りは最早内定組でしょう」

 

 「ロングボトムは分からないわね。両親とも現役の闇祓いだけど、ネビルは気質的にハッフルパフでもやっていける感じだし、弟や妹はどうなのかしらね」

 

 そして世代は移り変わり、次々と新しい子らが入ってくるホグワーツ。

 

 あの悪戯仕掛人達が親になり、今度はその子らが伝統を受け継いでハロウィンの夜を楽しんでいく。

 

 ならば―――

 

 

 「確実に、騒動がありそうな予感がしますね。何せ、ポッター、ウィーズリー、ロングボトムが勢揃いであり、おまけにマルフォイやグリーングラス、ボーンズなど縁の深い家も軒並み顔を合わせている。今年は中々“当たり年”のようです」

 

 ハロウィン騒動の伝統もまた、受け継がれていくことだろう。

 

 さあて、悪霊の夜に、どのような騒ぎが起きるものか。

 



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4話 悪霊共の宴

今回は前話のほぼそのまま続きです。


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【グリンゴッツ魔法銀行 ウィリアム・ウィーズリー】

 

 グリンゴッツ銀行は魔法省の管轄というわけではないけど、魔法族とは絶対に切り離せない施設だ。

 魔法界における唯一の銀行であり、小鬼が所有・経営している。

 この銀行は1474年に、グリンゴットていう小鬼が設立したことから、グリンゴッツと呼ばれるんだ。

 

 ダイアゴン横丁北側のほぼ中心部にあって、立地だけならむしろ魔法省よりも良いくらい。

 金庫に金品や貴重品を保管できるだけじゃなくて、マグルの通貨を魔法通貨に両替できるのが一番の特徴だと思う。

 

 それに、僕のような呪い破りをエジプトで雇っていたりと、国際的に活動しているのも特徴と言えるかな。

 一説には、ピラミッドが創られた頃の遥か昔から、この世に貨幣というものが出来た頃から、この銀行の原型はあったとか。

 象形文字だけを用いて、王の墓に入れられる副葬品を管理したりなんて、そんな伝説もまことしやかに語られている。

 

 魔法族と小鬼の関係もなかなか難しい歴史でね。僕の母方、プルウェット家はその中でも小鬼との関りが深い家でもある。

 ウィーズリー家の長男の僕が、グリンゴッツで働くのもそうした繋がりとも無縁じゃない。

 やっぱり何だかんだで狭い地縁血縁の世界だし、小鬼たちも、新参者は中々信用してくれないんだ。

 

 『それでも、やはりいつかは変わっていくだろう』

 『今はまだ、古い盟約の頃から関わっている家の者しか就くことが許されない仕事はある』

 『今僕がしている仕事に関わる約束が、やがては“古い盟約”になるのかもしれない』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「トロールが地下牢に? なんだ、たったそれだけのことですか、つまりません。どうせなら生徒の一人や二人潰されていればもっと面白くなるのですが」

 

 「相変わらず教師にあるまじきクズ発言だわ」

 

 「最早、貫禄の領域にさえ感じてきます」

 

 悪霊達の跋扈するハロウィンの夜。

 

 このような縁が交錯する日には、何かが起きるだろうと予測していた悪霊教師だったが、期待値に達するものではなかったらしい。

 

 ちなみに、連絡が飛んできたのは不死鳥の守護霊であり、ダンブルドア校長から全教員へ飛ばされたメッセンジャー。

 

 なので、残念ながらも魔法史教師であるこいつにも、一応は届くのであった。

 

 

 「でも、トロールなんてこの城に勝手に入れるわけないし、誰かが手引きしたってことじゃないの?」

 

 「十中八九、死喰い人陣営の仕業でしょうね。何らかの陽動か、それともホグワーツの警戒態勢の程度を図っているのか、意図は様々に考えられますが、悪手でしかありません。長らく校外で過ごしてしまうと、ここがどこであるかを忘れてしまうものらしい」

 

 悪霊は不敵に嗤う。

 

 騒動や陰謀、政治的対立は大いに望むところだが、よりにもよってこの夜に、このような仕掛けをしてくるとは。

 

 

 「で、どうするのよ?」

 

 「何もしません。他の先生方が既に動いているでしょうし、私の出る幕などありませんよ」

 

 「うわぁ」

 

 「堂々とサボるクズだわ」

 

 彼女らは事務員ゴーストなので、有事において侵入者を撃退するような仕事ではない。

 

 しかし、曲がりなりにもこの悪霊は魔法史教師のはずである。危険な侵入者がいたならば、生徒を守る義務があるはずなのだが。

 

 

 「……ふむ、おや、これは誰か、動く者があそこにあり、ほう、ほう。なるほど彼ですか、あの廊下の使い所というものをよく分かっておられる」

 

 「違うところを見てるわね、何かあったの?」

 

 「遍在している私の『目』の一つが、夜間学校の生徒達の開放を検知しました。ギロチン先輩、電気椅子後輩、アイアンメイデンちゃん、フォルクスワーゲンくん、さらにはアクロマンチュラのモレーク君とスクリュート数匹が飛び出して行っています。三頭犬やルーンスプールなど、他の大物は残っていますが、これは大事になりますね」

 

 とんでもない面子だった。トロールなど比ではない、大惨事確定である。

 

 なお、ダッハウの『目』とは即ちこのホグワーツに漂うゴーストのことである。管理者である悪霊は、この『目』の認識を共有している。

 

 

 「これは間違いなく、スネイプ先生の仕事でしょう。彼は夜間学校の荒唐無稽さを嫌というほど肌身で知り尽くしており、そして、どう使っていくべきかも熟知している。マクゴナガル先生とは違う方面における、シグナス副校長の後継者と言えます。そして、手順を踏んだ依頼には悪霊として応えねばなりません」 

 

 「あーらら、こりゃいよいよ悪霊の夜になってきちゃったわね」

 

 「セブ君のやることですから、必ず意図があるのでしょうけれど。ダッハウ先生、それは何なのですか?」

 

 「しばしお待ちを、確定していない事象を語るよりも、確定した観測結果の方が語りやすいので。あと10分もかからないでしょうから」

 

 悪霊特有の言葉を残し、普段からぶれている輪郭がさらに“薄まる”。

 

 今頃、生徒達は更なる警告を受け取っていることだろう。悪霊教師が危険な大蜘蛛や拷問道具を解き放ったから、絶対に寮から出るなと。

 

 

 「低電圧モードに入ったわこいつ」

 

 「今は、この城そのものがダッハウ先生の眼になっている感じなんですね」

 

 「見てるだけで、何もしないし出来ないらしいけど」

 

 「それも、ダッハウ先生らしいです。出来るなら何もして欲しくないですし」

 

 「全く同意だわ」

 

 ここは地図にない魔法の城、悪霊の棲家である。

 

 気付けばそこは、悪霊の腹の中。部外者がずかずかと入り込めば、冥府の底まで真っ逆さま。

 

 

 

 

 「お待たせしました。生徒達は監督生に引率され、それぞれの寮に戻り、宴会の続きをしています。彼らの期待に応えて動くバイクのエルメス君をハッフルパフへ、愛のポエムモードに入っているヘレナ校長をレイブンクローへ、フォルクスワーゲンくんをスリザリンへ、スクリュート数匹の入った籠をピーブズに持たせてグリフィンドールへ派遣しました。間もなく絶叫が聞こえてくるでしょう」

 

 「最低だこいつ」

 

 「やっぱり、生徒達にとってダッハウ先生が真の敵ですね」

 

 派遣されたラインナップを聞くだけで、誰が首謀者か一目瞭然である。

 

 この段階ですでに、このハロウィンの夜にトロールを使って騒動をやらかした犯人が誰であるか、生徒達が疑うこともないだろう。

 

 

 「スネイプ先生の狙いはその辺りでしょう。見えざる脅威とは、不安を煽ることに意味がある。いつもの日常に組み込まれてしまえば、ただの季節イベントでしかないのですから」

 

 「生徒達の不安を取り除いて、いつもの日常を回すってことかしら」

 

 「そのためには、犯人をでっち上げるのが一番です。無論、トロールを侵入させた犯人を捕まえられれば一番ですが、それが叶わなかった場合には犠牲者がゼロでも生徒に不安が残ってしまう。しかし、このようにすれば、多少の被害が出ようとも私が犯人です」

 

 「いつものことですね」

 

 「はい、普段の授業風景と何ら違いはありません。むしろ、私の“実技”の方が危険度は数段高い」

 

 このホグワーツでは、危険な怪物が徘徊するなど、いつものこと。尻尾爆発スクリュートの洗礼を受けた新入生ですら骨身に沁みて知っている。

 

 城の陰で蠢く非常に危険な夜間学校の存在を、今や生徒達でも知らぬ者はいない。

 

 そして、でっち上げも何も、混乱に乗じて各寮に化け物を送り込んだのはダッハウだ。つまり、まごうことなくこいつが犯人である。

 

 

 「「「「「 ギャアアア!!!!! 」」」」」

 

 

 「グリフィンドール寮でしょう」

 

 「可哀そうに」

 

 「何だかんだであそこが一番貧乏くじ引かされるわけか」

 

 なにげに、寮ごとに難易度が違う。精神的拷問度合いはレイブンクローが一番だが、ハッフルパフとスリザリンは動く器物。そして、グリフィンドールはまだ小さいとはいえ成長すれば人喰いの怪物だ。

 

 各寮の生徒達は、まさにてんやわんやになっているだろう。首席や監督生の力量が試される。

 

 特に頑張れ、パーシー・ウィーズリー。スクリュート退治が監督生の仕事のうちとは聞いていなかっただろうけど。

 

 

 「ほほう、最も早く鎮圧しているのは難度の高かったグリフィンドール。双子がいつもやらかすこともあり、パーティー時の大騒動には慣れているのでしょう。復帰が早い」

 

 「やるわね、パーシー」

 

 「本当に、常識人っていつも割を食う運命にあるのですね」

 

 弟たちの援護もあり、速やかにスクリュート対策に動いている。というか、何か出たら取り合えずウィーズリーが盾にされてる感がなくもない。

 

 悪霊汚染は進んでいるのか、徐々にホグワーツ生徒がクズになっている気もする今日この頃だ。

 

 

 「ちなみに、侵入者のトロールはアクロマンチュラのモレーク君が仕留めました。流石は大蜘蛛、あの毒の前にはトロールなど一撃です」

 

 「もう、この城の守りはアクロマンチュラだけでいいんじゃない?」

 

 「この防衛網を突破するのは、なかなか厳しいでしょう。森番を兼任しているハグリッド先生も良い仕事をなさいます」

 

 「最近はそこに、尻尾爆発スクリュートも加わってましたものね」

 

 「違法など気にするなが信条の我が夜間学校期待の新人です。共食いで数を減らすのが難点でしたが、拷問道具達との激闘の果てに、仲間同士で協力して戦うことの重要性に気付いたようで」

 

 「進化して、集団で獲物を狩る技術まで身につけちゃったわけね」

 

 どんどん凶悪化していく、ホグワーツ防衛網の怪物達。

 

 何せ、森番がハグリッドなのである。そこにダッハウが加われば、何が起こるかは自明の理だ。

 

 というか、生徒達の大半は、校内で危険な怪物を増やしている首謀者はダッハウだと思っている。それもあながち間違いではないが、能動的に増やしているのはハグリッドで、ダッハウはそれを上手く管理、運用し、繁殖と再利用に協力しているだけだ。魔法省、仕事しろ。今こそお前らの出番だろうが。

 

 通常なら、“殺される危険”があるためなかなか難しい危険生物の繁殖だが、夜間学校のゴースト共にそんなものはない。

 

 彼らが苦手とする魔法生物は、ドラゴン、キメラ、バジリスクくらいのものである。

 

 

 「さあて、これにてハロウィンの夜も終演。ホグワーツを揺さぶろうとしたのでしょうが、愚かでしたね。この魔法の城は常にガタガタと揺れ動いております、この程度ではビクともしません」

 

 「倒れる寸前じゃないの」

 

 「ガタガタにしてる張本人が言うと、説得力ありますね」

 

 だから悪霊は評するのだ、時期が悪すぎると。

 

 この日に例えどんな騒動を起こそうが、深刻な事件として記憶されるはずなどある訳がない。

 

 そして、この日でなければ、観測者である悪霊は動かなかった。しかし、セブルス・スネイプが企図したように、この日に夜間学校の門が開かれれば、悪霊達は動き出す。恐怖で子供達を驚かすのが、その存在意義。

 

 ハロウィンの夜に、悪霊が出てきて大騒ぎになるのは、この城の伝統というものなのだから。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 そんな悪霊の夜を終えて、日付も変わった深夜の校長室にて。

 

 子供達が寝付けば大人の時間と言わんばかりに、防備について、今後のことについて、アルバス・ダンブルドアとノーグレイブ・ダッハウが話し込んでいる。

 

 

 「なるほど、敵の狙いは賢者の石であると。闇の帝王の復活の鍵なのは間違いないとして、破壊しないのは撒き餌といったところですか」

 

 賢者の石を巡っては、この数年間水面下で争奪戦が繰り広げられていたという

 

 グリンゴッツが最初に襲われ、場所を移して魔法省闇祓い局、そして今は、このホグワーツへ。

 

 

 「うむ、状況も徐々に変化してきておってのう。儂は、生徒を危険に晒す事態を長引かせるつもりはない、あと3年のうちに決着をつけるつもりじゃ」

 

 「死喰い人の動静や、海外での状況から、そろそろ動くと見たと。門外漢の私は口を出しませんが、歴史的経緯という観点からしても、妥当であると思われます」

 

 このまま死喰い人との小競り合いが長引けば、ヴォルデモートは“いつか蘇る帝王”になる。

 

 一種の概念として永続性は得るかも知れないが、直属の部下からは切り離されるし、存在そのものに様々な思想が混ざってしまうことだろう。

 

 独裁者、唯一でありたい男にとって、そのような形での永遠性は認められるものではあるまい。必ずや、打って出てくる。

 

 

 「仮初の警戒的平和の10年は終わり、テロとの戦いという時期も終焉。いよいよ敵が狙うは、闇の帝王の復活と、一か八かの総力戦。なかなか面白くなってまいりましたね」

 

 となれば、今は狙い目。ヴォルデモート失踪時に、やり残した“ハリー・ポッター抹殺”というのは、復活の狼煙には相応しい。

 

 以前より強大になって帰ってきた帝王ということをアピールするには良い題材であるのは間違いない。

 

 そして、ハリー・ポッターが狙われる可能性が高いからこそ、賢者の石はホグワーツに移された。

 

 揃っていた方が守りやすいというのもあるし、何よりも、賢者の石が撒き餌になる。

 

 アルバス・ダンブルドアにとっては、石よりも生徒のほうが万倍大事だ。賢者の石など別に、いざとなれば破壊してもよいのだから。

 

 

 「そして無論、今ここにいる生徒達も当然守り抜く覚悟じゃよ」

 

 「賢者の石をここに置くことに対して、子供の命を危険に晒すのか? という批判もあるでしょう。しかし、無責任な批判をする者ほど、その言葉こそが保身の弁であることに気付かない」

 

 その言葉の根底に、“ホグワーツで子供に死んでもらっては困る”が混じっている。

 

 そもそも、死喰い人は脅威であり、子供を攫うのに別にホグワーツである必要はない。むしろ、人攫いが目的ならば、ダンブルドアのいないところを狙うだろう。

 

 帰省中であろうと、卒業後であろうと、テロリストはどこでだって襲いかかってくる。

 

 

 「ホグワーツにいる間だけ、守ったところで根本解決にはならない。必要なのは防御ではなく、攻撃と根絶。死喰い人を根絶やしにすることが、最も確実に生徒を守る方法だ」

 

 敵がやってくる時に、軍隊をどこに配置し、どの拠点を守るべきか?

 

 実に難しい問題だが、そもそも敵がどこにいて、どこを狙っているのかの情報がなければ守りようがなく、すべての拠点に防衛力を配置しては、どれだけ兵力があっても足りない。

 

 それならば、死喰い人を探し当て、狩り出し、打って出て、殺してしまうのが一番確実だ。敵がいなくなれば、味方を脅かす者はなくなるのだから。

 

 “やられる前にやる”という先制予防攻撃は、どんな時でも有効な【自衛戦術】だ。

 

 これを戦力の保有、行使、自衛ではない侵略戦争だと批判する輩は、頭に蛆でも湧いているとしか言いようがない。彼らの脳内には国土の全てを無料で守れる魔法少女の愛と平和のミラクルステッキでもあるのだろう。

 

 

 「敵を待ち受ける必要など無い、手っ取り早いのはこちらから殺しにいくこと。こんな初歩の初歩を忘れるから、魔法族は戦争において常に無様を晒してきたのでしょうね。ナポレオンやビスマルクが聞けば、脳の異常を疑うでしょう」

 

 戦争の準備のできていない敵のところに乗り込んで、一方的に殺してやればいい。戦は主導権を握ったほうが勝つ。

 

 もっとも、国力差が圧倒的に離れていれば虎を怒らせるだけの匹夫の勇だ。実際、初戦の先制攻撃の成功に大喜びした後、調子に乗って兵站を無視した遠征を繰り返した挙げ句にボロ負けにボロ負けを重ね、歴史に残る国家消滅の惨敗を喫した例が極東のどこかにあると聞く。

 

 先制攻撃は有効な戦術ではあるが、より上のレベルの戦略、政略となれば“先に相手に仕掛けさせる”ことも選択肢に入ってくる。

 

 ただし、対テロ戦争において、相手が仕掛けてくるのを待つというのは、決して根本解決には成りえない。正規軍と正規軍の戦争、宗教戦争、権力争いの内戦、戦争の種類も様々であり、選ぶべき戦略も手段もそれぞれに異なってくるのは当たり前だ。

 

 

 「実にグリフィンドールらしい、貴方らしい決断であると思いますよ、校長先生。私なぞに言われても嬉しくないでしょうが」

 

 「うむ、全く嬉しくないのう」

 

 そして、人類の黒歴史を嘲笑うこの悪霊を嫌いなのは、校長先生とて同じだ。

 

 

 「リーマス・ルーピン、セブルス・スネイプ、ルビウス・ハグリッド。彼らで教師陣を固めた頃から、予定されていた布石でありましょう。生憎と、私にできることなど微々たるものですが」

 

 「君に頼むことは一つだけじゃ、ホグワーツの眼となりて、特にハリーを、そして子供達を守ることじゃよ」

 

 「承りました。監視、観測は時計の得意分野の最たるもの。守り切れるかどうかは何一つ請け負いませんが、彼らの動静を見張り、注視することについては全て我らにお任せを」

 

 何事にも、適材適所というものはある。

 

 今日の騒動がそうであったように、自分からは動こうとしない観測者でも、“監視装置”としてならば使いようは多々あるのだから。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 そんなハロウィンの翌日の朝。

 

 朝食を摂りに来た生徒達の眼に、新たな告知が飛び込んできていた。

 

 

 

 ハロウィンの首謀者、悪霊を退治して、得点ゲットキャンペーン

 

 嘲笑の悪霊  20点

 

 嫉妬の悪霊  10点

 

 執着の悪霊  5点

 

 ※最も簡単な衝撃呪文を当てるだけ、当てた回数だけ得点が貰えるぞ!

 

 

 

 下級生にとっては大チャンスであり、昨日せっかくのハロウィンを滅茶苦茶にされた恨みが晴らせるのを大喜びだ。

 

 しかし、悪霊と否応なしに長く付き合わされている上級生は、告知そのものを疑わしい目つきで見ている。

 

 何せ、印刷元が悪霊の巣窟たる例の印刷室なのである。

 

 そして、彼らの危惧は見事に的中していた。

 

 

 

 「あの、ダッハウ先生、退治しちゃいます、か、覚悟!」

 

 最初の犠牲者となったのは、ハッフルパフの新入生、ハンナ・アボットである。

 

 何事にも素直な彼女は、悪霊共の悪意の裏を見抜くことがまだできず、哀れにも張り巡らされた蜘蛛の巣に絡めとられた蝶々であった。

 

 なお、執着の悪霊は当てるだけなら一番簡単だが、普段どこにいるのか場所はあまり知られていない。

 

 嫉妬の悪霊は例のトイレが根城であることは誰でも知っているが、確実にポルターガイストでの反撃が待っている。正面突破は危険だ。

 

 そして、最も得点の高い嘲笑の悪霊については、魔法史の講義の際に必ず会う。居場所を探すまでもないのだから、最もターゲットにしやすいのは当然なのだが。

 

 

 「ええっと、悪霊退治! フリペンド!」

 

 「お見事、ハッフルパフに20点を与えましょう」

 

 「わあい!」

 

 「そして、教師を攻撃したことにより、ハッフルパフから30点減点します」

 

 「えええっ!」

 

 こいつは、こういうやつだ。

 

 20点を与えるという餌をばら撒き、無邪気に信じた生徒に残酷な減点を告げる。あまりにも汚すぎる詐欺師の手口だ。

 

 哀れハンナ、君の小さな勇気は報われることはない。相手が最悪すぎる。

 

 

 「ハンナ! ええい、くっそ、フリペンド!」

 

 「ほう、中々の紳士的行動ですジャスティン・フレッチリー。彼女にだけ汚名は着せまいとするその行動、小さな勇気はお見事、ハッフルパフに20点を。しかし、大人の汚さの前には子供の勇気など蟷螂の斧でしかないことを知りましょう。ハッフルパフから40点減点」

 

 「そんな!」

 

 つくづく最低の教師である。これで合わせてハッフルパフからは30点が減点された。権力を不当に行使する大人の汚さをまさに体現している。

 

 

 「こんなの、絶対に間違っています! フリペンド!」

 

 「ほほう、ここで貴女が動きますかグレンジャー将軍。グリフィンドールに20点を与え、優等生の貴女が減点を覚悟でハッフルパフのために動くという意外性に10点を与えましょう」

 

 「待ってください! ハンナやジャスティンは減点なのに、どうして私だけ加点なのですか!?」

 

 「これが、分断政策というものだからです。他の皆さんも覚えておきなさい、イギリスが植民地を統治する際に用いたのがこの手法です。そも、下層民というものは貴族と自分との間の“大きな格差”にはあまり目を向けません。隣の村との“小さな格差”、同じ平民のはずなのに、なんでアイツだけ優遇されているんだ、という部分に理不尽と嫉妬を覚えるもの」

 

 いけしゃあしゃあと講義を始めるクズ教師。

 

 そりゃあ、今は魔法史が始まる前の移動時間であり、わざわざ“生徒が襲いやすいように”、移動しやすく見つけやすい教室を指定したのだから、講義が出来るのは当然だ

 

 

 「生徒に対して絶対的な加点減点、罰則の権限を持つ教師という存在からすれば、生徒の出来不出来など些細なもの。首席や監督生であってすら、その絶対的な差を覆すには至りません。そして、教師側の私が自分に逆らう生徒達を団結させず、分割して統治することを企図するならば、このように、片方に理不尽に減点し、片方に理不尽に加点するのが一番良い。権力の不当行使とはこういうものです」

 

 ここまで生徒を正面から分断していく教師は、後にも先にもこいつだけだろう。

 

 何しろ、建前すら並べていない。不当行使だと堂々と述べた上で躊躇なくやっていく精神は人間とは思えない。それも当然、こいつは人間ではない。

 

 

 「寮を問わず、歴代の教師たちにもいくらでも見られた光景であり、悪しき習慣としてホグワーツの伝統となり、どの校長もこれを抑制することはなかった。まあ、程度の問題ではありますがね、公平に扱う教師もおり、自寮を露骨に贔屓する教師もいる」

 

 多かれ少なかれ、それ自体はホグワーツでなくともどこでもある。人間が集まって生活する空間である以上は。

 

 

 「今私がやっていることは、それをこの上なく露骨に、私以外の誰にも利益を与えない形で、私が楽しむためにやっているのです。こうしてみれば、どれほど醜悪な行為であるかが一目瞭然でしょう。分かりやすいというのは良いことです」

 

 魔法薬学の教師を初めて一時期、セブルス・スネイプが無意識に陥りかけた傾向であり、この悪霊を見て絶対にしてはいけないと戒めとして強く刻んだことだ。

 

 例え、自分が学生時代にグリフィンドールの生徒から攻撃を受けた過去があったとしても、“権力を得たから”と、嬉々としてやり返すその姿の、何と醜悪であることか。

 

 セブルス・スネイプの主観ならば、やられたからやり返しているだけでも、今の時代の生徒にとっては知ったことではない。歪んだ汚さ、人間の醜い行いを、ノーグレイブ・ダッハウは常に嘲笑しながら見せつける。

 

 “ほうら、これがお前たちの大好きな差別だ。喜べよ”、と。

 

 

 「例によって、繰り返し言いましょう。皆さん、じめじめした虐めなどもってのほか、まったくもってありふれていてつまらない。“私のようになりたいですか”?」

 

 そして、それ自体は、セブルス・スネイプだから陥るのではなく、シリウス・ブラックであれ、ジェームズ・ポッターであれ、人間ならば誰でも多かれ少なかれ無意識にやってしまうことであり、だからこそ常に戒めねばならない。特に、子供達に大人の姿を見せる教職にある“人間”は。

 

 決して、ダッハウのようになってはならない、と。

 

 

 

 

 「ねえ、ハリー、ロン。私、あの先生大っ嫌いなの」

 

 「だろうね」

 

 「皆そうだよ」

 

 悪質極まる罠の張られた魔法史が終わった後、“分割統治”の題材とされたグレンジャー将軍ことハーマイオニーは、友人の二人に率直に告げていた。

 

 対悪霊戦線で動き回るうちに、いつの間にかトリオのようになっていた三人である。特に彼女が前に出て、二人が脇を固める構図が多い。

 

 

 「ああもう! 思い出しただけで腹立つわ! 絶対いつか正論で倒してやるんだから!」

 

 「うん、なんかこう、微妙にうちのママに似てるな君は」

 

 「うちの母さんにも似てると思うのは僕だけかな?」

 

 モリー・プルウェット、リリー・エバンズ、そしてハーマイオニー・グレンジャー。

 

 獅子寮の監督生候補の才媛たちは、猪突猛進の傾向も併せ持つのは伝統なのかもしれない。若干一名については、執着の悪霊のせいでとんでもない方向に猪突猛進していったが。

 

 子供達と悪霊教師の戦いの一年は、まだまだ続く。

 

 



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5話 ドラゴンの卵

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【魔法生物規制管理部 エイモス・ディゴリー】

 

 魔法生物というのは、本当に不思議な生き物だ。

 私の務めている部署は、彼らの規制管理を行うこととなっているが、実際のところどこまで管理できているかは怪しい。

 かのニュート・スキャマンダー氏も述べているが、それほどに魔法生物というのは奥深く、我々魔法族とは違う観念で生きている。

 

 ゴブリン、ケンタウロス、水中人、屋敷しもべ、それに、様々な動物たちや植物たち、果ては霊魂にいたるまで。

 

 だから、私達のやっていることは、互いにすれ違うことで争うことがないように、出来る限り調整することなんだろう。

 ホグワーツの頃からの私の友人、アーサーもよくそう言っている。

 彼は魔法法執行部にいるのだが、我々のようなさして重要ではない役職にある者達にとっては、部署の違いはそんなに大きなものじゃないんだ。

 

 むしろ、この横の繋がりというか、緩さこそが魔法省が何だかんだでやっていけている理由なんじゃないだろうか。

 法の執行が仕事であるはずのアーサーがこっちを手助けしてくれて、魔法生物担当の私がマグル製品の規制に手を貸したり。

 部署と部署の境界線も曖昧なまま、それでも不思議と回っていく。

 

 魔法省のそんないい加減で曖昧なところが、私は結構好きだったんだが、マグル生まれにとってはそれじゃあ駄目だと言うのも多い。

 彼らの言い分も分からんではない、分からんではないのだが、やはり、こう、思うんだ。

 マグルの在り方は、きっと私達以上に、魔法生物には受け入れられないんじゃないかと。

 

 そんな事を考えていたある日、私は友人の息子のチャーリーに出くわした。

 彼の言っていた言葉が、とても印象深く残っている。

 

 『グリンゴッツに囚われているドラゴンは、少し悲しい』

 『最近では、古のマグルと同じような形になってきていると、ケトルバーン先生や、スキャマンダー氏も警告を投げてる』

 『まあ、僕も含めて狂人扱いされるだけなんだけどね』

 『魔法族は、魔法生物と共にあるけれど、彼らは魔法族がいなくなったらどうするのかな?』

 『僕は、ドラゴンに生まれてみたかったよ』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「本日はいつもとは場所を変え、魔法生物飼育学で用いる動物施設に集まっていただきました。はいそうです、お察しのように“実技”を当然含んでいきますが、本日の内容は魔法生物規制管理部。魔法省の各階の部署を解説していくシリーズも今回で四回目となります、張り切っていきましょう」

 

 ハロウィンも終え、11月に入って冬の影もいよいよ濃くなり始めるホグワーツ。

 

 そんな寒空において、グリフィンドールとスリザリンの合同授業が行われているのは、城の外の広い草原に建つ大型の厩舎である。

 

 普段はセストラルやユニコーンだったり、そうした魔法生物が飼われるのに使われる場所であり、断じて魔法史を学ぶ際に用いるような施設ではない。

 

 ただ、それをこの授業で言うのも今更というものだったが。

 

 

 「魔法生物規制管理部を構成するは、ゴブリン連絡室、動物課、存在課、霊魂課、ケンタウルス相談室、害虫相談室などです。このうち、最も重要なのはゴブリン連絡室とされ、現在ではグリンゴッツ銀行との渉外担当と言えますが、遥か昔はゴブリン反乱の際に外交交渉を行っていた部署でもあります」

 

 魔法族とゴブリンの歴史は深く、それだけでもあるいは一つの科目が出来てしまうほど。

 

 何しろ、金融と運輸を一手に担うのが小鬼たちであるのだから。

 

 

 「現在、イギリス魔法界の人口は18000人程度とされます。ただしこれは“魔法族”の人口であり、マグルの場合、そこで【人間】以外の統計は取りませんが、魔法界は多種族国家です」

 

 魔法族の人口数値は、11歳~17歳のホグワーツの生徒数約1000人をサンプルとした概算だ。

 

 600歳を超えるニコラス・フラメルらのように、“人口”に入れてよいものかどうか判断に迷う例もあるが、今年で110歳のダンブルドア校長先生も、取りあえずは人口に入っている。

 

 

 「そして、魔法生物規制管理部の存在こそは魔法族とマグルの組織の最大の違い。すなわち、自分達以外に知恵ある種族を認め、共存している点です」

 

 魔法界そのものが生き物であり、各種族が様々な役割を担っているという方が実態に近い。

 

 マグルの側においても、国や地方ごとの分類はあるが、昔はそこまで強固なものではなく、農耕民や遊牧民、狩猟民など様々な生き方の違う者達が共生していた。

 

 今の形になったのは、産業革命以後、科学文明の民が爆発的に増加し、この星の席巻と環境変化を早めてからのこと。

 

 

 「ここで、あえて“マグル的”に人間以外の種族の統計をとってみましょう。魔法省で明確にその仕事を行っている部署がないため、何百年分の資料を取り寄せ、ホグワーツの事務霊魂たちに手作業でやってもらったので信頼に足るものとは言い難いですが、まあ、イメージの取っ掛かりにはよいかと」

 

 ゴブリン   10000人

 水中人     2000人 ウェールズに多い

 ケンタウロス  1000人 主にスコットランド

 ドワーフ    1500人 北欧が原産、スコットランドに多い

 屋敷しもべ   500人 そのうち、ホグワーツに150人

 

 レプラコーン  500人 生息地はアイルランドだが、ブリテンへの移住組 木の葉を食す

 ヴィーラ    200人 フランスに多いが、ブリテンへの移住組

 巨人       1人 ※ブリテン最後の一人、大陸にはまだ多数

 

 狼人間     200人

 鬼婆      100人

 吸血鬼     100人

 バンシー    50人  (村落居住)

 ゴースト   数十万人 1000年の間だけでも相当数いる上、唯一『マグル出身』が大量に雪崩れ込んでくる

 吸魂鬼     300人

 フクロウ    数万羽

 

 人間外総計  16400人(ゴーストとフクロウは除く)

 

 

 「こうしてみると、魔法族の数にほぼ等しい“人間以外”がいて、初めて社会は成立しているわけです。そして、私達ゴーストも縁の下において様々な形で魔法世界の維持に役割を果たしておりますが、数が膨大過ぎるのと、発生と成仏のサイクルが不安定すぎるため、統計データに入れておりません」

 

 人間(魔法族)との混血が可能な種は、小鬼、水中人、ドワーフ小人、屋敷しもべ、大妖精、ヴィーラ、巨人、バンシーなど。

 

 狼人間については少々特殊だ。生殖行為によって人間を産むことも出来れば、満月の夜に“捕食行為”によっても同胞を増やすことが出来る。

 

 魔法生物は様々に入れど、“噛むだけで人間を別種に変質させる極めて感染力の高い種”は狼人間だけだ。彼らが特に魔法族から危険視される由縁である。

 

 ただし、夜間学校に跋扈する者らにとってはそうではない。ゴーストは噛めないし、拷問器具を噛む馬鹿は狼人間にもいない。

 

 

 「また、ついでながら、ゴブリンにも役割ごとの違いがあり、さらには総人口が少ないので、アズカバンの虜囚も統計に加えることも出来ます」

 

 小鬼

 エリート  銀行       600人

 一般    鉱業、建築    2400人

 無産階級  加工、流通、採石 7000人

 

 

 アズカバン虜囚

 上層 窃盗、破損、詐欺           100人

 中層 マグルを害した、魔法生物を殺した   50人

 下層 許されざる呪文の行使、死喰い人    20人

 

 

 「魔法族にはこのような習慣はありませんが、マグル世界では正確な統計とは重要な意味を持ちます。国家を構成する人員について、国勢調査という形で正確に割り出し、分布を調べ、それを当地の根幹となす。これに対して、魔法界のそれは非常に大雑把かつ曖昧」

 

 何と言っても、魔法界には“目に見えない”、“触れもしない”者らが多い。

 

 このホグワーツがそうであるように、風景画しかり、肖像画しかり、そのようなものらすらも社会の一員であり、世界を回す一部なのだから。

 

 人間だけで社会を回さんとするマグルとは、決定的に違う点がそこにある。

 

 

 「この違いは、産業構造にも見ることが出来ます。先程あげた様々な種族のうち主要な者らを抽出し、マグル的に産業を区分すれば以下のようになるでしょう」

 

 水中人    ~ 水産業、漁業、水運

 ゴブリン   ~ 鉱業、金融業、流通業、建築業

 フクロウ   ~ 手紙配達

 ケンタウロス ~ 林業、毛皮業、皮革加工、狩猟

 屋敷しもべ  ~ 家事、農業、畜産業

 ドワーフ小人 ~ 鉱業、農業、牧畜

 

 

 「マグル社会の区分における、第一次産業と第二次産業、それらは多種族に任せており、金融や運輸もゴブリンにほぼ委託。つまり、生産と加工については、魔法族はほとんど行っていないわけですが、種族ごとの分業体制と交易に基づく共依存関係としては上手くいっている例と言えるでしょう」

 

 マグルにおける古代帝国であったならば、それらの関係は奴隷制、農奴制にしかなり得ない。

 

 例え専制君主のオリエント式国家でなくとも、古代のスパルタという国家においては、ドーリア人のスパルタ市民が戦争を担い、ペリオイコイという中層が商業や工業を担い、土着の民はヘロットという農奴にされた。

 

 その人口比は1 : 7 : 25 とも呼ばれ、25倍の数の農奴の不満を抑えつけるスパルタ人の武力の凄まじさを物語るものではあるが、同時に共依存の対等な関係を築くことは出来なかった限界点とも言える。

 

 

 「よって、魔法族の役割とは役人である魔法省を除けばサービス業に偏っており、小売店、吟遊詩人、芸人、悪戯専門店などが特徴的ですね。他に、クィディッチ選手や予言者新聞などの出版業、こうした職業も魔法族が主に担うものであり、こと娯楽産業については圧倒的と言ってよい」

 

魔法族

 ① 公務及び国防、強制社会保障事業(魔法省)

 ② 教育(ホグワーツ)

 ③ 専門、魔法及び魔法薬サービス業(聖マンゴ魔法疾患病院)

 ④ 魔法ゲーム・スポーツ

 

 ⑤ 宿泊・飲食業

 ⑥ 芸術、娯楽、レクリエーション業 (幽霊含む)

 ⑦ 雇い主としての世帯活動 (名家の主)

 

 

 「このように見ていくと、魔法族の立ち位置は非常に興味深い。ただ食べて生きるだけならば、衣食住さえ満たせるならば、魔法族の存在は重きをなさない。しかし、豊かに生きるならば、娯楽や芸術を求めるならば、酒や悪戯やスポーツを求めるならば、魔法族の活動は他種族にとっても必須なのです」

 

 便宜上、魔法族は魔法生物たちの管理者ではあるものの。その関係性は本質的には持ちつ持たれつ。

 

 魔法生物がおらねば、魔法族の生活は成り立たず。

 

 魔法族がおらねば、魔法生物の棲み分けや豊かな文明的交流もままならない。

 

 ならば、魔法族が多種族に提供できる最大の物産とは、牢獄のように管理する魔法ではなく、色鮮やかな楽しみに満ちた“遊び”であるのだろう。

 

 

 「例えば、このホグワーツに隣接する魔法族のみの村、ホグズミードも良い例です。確かにマグルはおりませんが、小鬼のパブであったホッグズ・ヘッドには、ミイラ男や鬼婆も客として訪れます。また、その他の店にしても娯楽やファッション、悪戯や小売などが多い。生鮮食品の生産や運輸は、屋敷しもべ妖精や小鬼たちの領分であり、下手に魔法族が担うよりも効率的である」

 

 三本の箒、ホッグズ・ヘッド

 喫茶店

 悪戯道具の専門店

 魔法用具店

 羽根ペン専門店

 魔法ファッション店

 

 

 「マグル世界最大の特徴と複雑さは、【飲食・小売】からは見えない、関わらない大量の【卸売、製造業】が存在していることです。社会という巨大な機構のあちこちへ、モノとカネ・労働力を配分することに、血液や神経の如くに張り巡らされている。それをほぼ人力と複数種の家畜のみで為すところは、中々優れていると言える点でしょう」

 

 人のみで社会を築くことに執念を燃やし、同族を皆殺しにしながらも、ついに成し遂げたマグル。

 

 そして、産業革命以後は化石燃料を燃やして動き続ける動力機関を手に入れ、電気、半導体、情報化へと進化は止まることなく、複雑さと総生産は増し続けている。

 

 

 「対して、人口はせいぜい都市国家一つ分であろうとも、非常に多彩な多種族多民族社会を構築し、あれほど曖昧な魔法法でありながらも共存の体制を構築できているところは、魔法界の素晴らしき美点と言えます。数が少ないからといって、必ずしもこちらが劣っているというわけでもない。そこは常に留意するべきでしょう」

 

 人以外の様々な種族と共存し、様々な小競り合いはあるものの、大きな戦争には至らずに共生してきた魔法族。

 

 両者は違う生き方を選んだ生物だが、その優劣は一概にはつけられない。

 

 ただし、こと戦争という“殺戮の領分”に限るならば、片方が圧倒的に優れていることだけは確かである。

 

 

 「その中で、マグルが特に選んだ家畜がいくつかある。羊、山羊、豚、牛、駱駝、そして、馬。特に、馬と犬の二種については、軍用犬、軍馬などを始めとして、人間の社会を回すための様々な役割を担っている。彼らマグルとて社会に他の動物を組み込むことをしてこなかったわけではない。ほうら、このように」

 

 さらりと述べながら、厩舎に繋がれていた“馬たち”が解き放たれる。

 

 天馬と呼ばれる魔法生物。現在はアブラクサン、セストラル、イーナソン、グレニアンの四種が確認されている。

 

 生徒達も慣れてきたもので、この“実技”は予想できたのか、グリフィンドール生徒もスリザリン生徒も、大慌てすることなく対処している。ただしそれも、セストラルの中にヒッポグリフが混ざっていることに気付くまでのものであったが。(その後に展開した阿鼻叫喚については割愛。なお、ドラコ君は運命なのか腕に傷を負いました)

 

 

 「伝統的に、ホグワーツの馬車はセストラルが、ボーバトンの馬車はアブラクサンが引いております。アイルランドではイーナソンが使われており、グレニアンは最速ですが重い物を引くには向いていない。魔法界においてもこのように、マグルの家畜と同様に魔法生物を運用する例は多々あります」

 

 ホグワーツの天馬たちはハグリッドによく躾けられているので、生徒を襲うようなことはしない。

 

 そして、セストラルは“死を見たことのある人間にだけ姿が見える”馬であり、まだ12歳程度の子供達には見えない者が大半であるはずなのだが。

 

 

 「良く見えるでしょう。黒毛で、目は白く、外見は骨ばっていてドラゴンのような翼をしているのがセストラルです。普段は我ら悪霊と同じく、見えないことも多いですが」

 

 時計塔の悪霊、ノーグレイブ・ダッハウがいる場所においては、生徒の誰もがセストラルを見ることが出来る。

 

 まるでそう、“多くの死がここにある”と、“お前たちは常に人の死を見ている”と、誰かがそう言っているかのように。

 

 

 「天馬と並んで有名な馬と言えばユニコーンがあります。角、血液、鬣は強力な魔法特性を持ち、魔法薬の材料として重宝されますが、家畜としては用いられません。そして、絶対にマグルに捕まらぬよう保護しなけれあならない生き物でもある」

 

 ユニコーンも強力な魔法生物であり、普通ならばマグルに捕まるようなことはない。しかし、何事にも万が一というものはある。

 

 

 「もし、ユニコーンの存在がマグルに知られ、かつマグルがユニコーンに接触出来る土壌が出来てしまえば、1ヶ月も経たぬうちに、ユニコーンという種族の歴史に終止符が打たれることでしょう。彼らの“不老不死”への異常なまでの妄念は、言葉にできるものではありませんから」

 

 その血液は、“生きながらの死”とすら言われる恐ろしい代価を持つものの、死を目前に控えた者さえも蘇らす事が出来る。老衰し、衰弱した権力者がこれほど欲するものはなく、そのためならばまさにいかなる犠牲をも厭わないだろう。

 

 マグルは、皆殺しの種族。ユニコーンが絶滅するまで、あるいは、他者に奪われぬよう己が独占するために、あらゆる暴力装置が用いられることになるだろう。

 

 

 

 「では、本日のレポートは少し変わったものにしましょう。特定の魔法生物を一つ選び、それを生かした職業に就くならば、何に成りたいか。そして、その仕事をマグルのように“人間だけ”で行おうとするならば、どのような魔法を開発し、運用せねばならないかを考える。これを課題とします」

 

 魔法というものがどれほど便利であろうとも、根幹になっているのは心の力。

 

 魔法界における“物質的な基礎”となっているのは、魔法生物だ。杖の材料も、魔法薬の材料も、ローブや煙突飛行粉に至るまで、あらゆるものは魔法生物の原料なくしては回らない。

 

 それらの確保と運輸において、小鬼や屋敷しもべなどが常に働いているからこそ、全体の流通は保たれている。当然そこには、水中人や魔法族も関わってはいるが。

 

 

 「これを機に、改めて考えてみましょう。魔法界とはどれほどの魔法生物が関わることで成り立っているのか。そして特に、マグル生まれの方々はこの知見も付け加えていただきたい。すなわち、マグルの科学で代替するならば、どのような形になるだろうか、と」

 

 マグルと魔法族の“大きな境界線”の他にも、魔法界の中に様々な“小さな境界線”が存在する。

 

 それらは時に重なり、時に並列し、何とも区分し難いものであるが、その困難に挑み、管理業務に携わるのが魔法生物規制管理部というもの。

 

 決して、皆殺しにして人間だけの社会を作ろうという結論には至らず、共存の道を探り続けた人類の知恵の部署とも言えるだろう。

 

 ただしそこにも、人間至上主義、人間優位主義の浸透は避けることは出来ず、近代以後は特にその影響は根強い。

 

 その変化もまた、動き続ける境界線問題として、避けることの出来ない課題ではあるのは、魔法史が示す事実であった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「そんな御大層な授業をしたその夜に、アンタはこうして魔法生物規制管理部に逆らって邪悪な怪物を生み出していると」

 

 「ハグリッド先生がこの度ドラゴンの卵を入手なさったそうでして、尻尾爆発スクリュートに加えて、いよいよ危険生物が充実してきましたね」

 

 昼の授業が終わり、夜が訪れればそこは悪霊たちの住む世界。

 

 特に、夜間学校の生徒達や、ハグリッドの管理する多様な魔法生物の跋扈するこの4階の廊下は、異世界というか魔界というべきかの阿鼻叫喚地獄と化しつつある。

 

 

 「そういえば昼間、スリザリン生徒の一人がヒッポグリフにやられて傷を負ったらしいけど、大丈夫なの?」

 

 「たかが腕の裂傷でした。何とも凡庸な結果になってしまいましたね、つまりません」

 

 「お願いしますから少しはドラコ君の安全も心配してあげてください」

 

 「仮にもベラトリックス・レストレンジの甥でありながら、ヒッポグリフ相手にお辞儀が出来ないとは、教育が足りてませんね。お辞儀は重要です。もし闇の帝王が魔法省を掌握すれば、ヒッポグリフは国獣に指定され、お辞儀の象徴となっていたでしょう」

 

 「生徒の安全を守る教師の務めはどこいったのかしら」

 

 むしろ率先して生徒を傷つけに言っているとしか思えない人間の屑。いいや、こいつは人間じゃなかった。

 

 

 「そこはハグリッド先生にお任せしています。私の領分は、魔法生物を私利私欲で利用する邪悪な教師とはどれほど厄介であるかを生徒に身をもって教えることなので」 

 

 「やっていることは似ていても、ダッハウ先生とハグリッド先生じゃ根幹が違いすぎると思うんですけど」

 

 ハグリッドは、魔法生物を美しいと思い、生徒達にも触れさせてやりたいと願う。そこにあるのは純粋な善意。

 

 ダッハウは、魔法生物を美しいと偽り、生徒達にも触れさせてやりたいと策謀する。そこにあるのは純粋な悪意。

 

 ちなみに、怪我を負ったドラコ・マルフォイは理事であるルシウス・マルフォイの息子ではあるが、ダッハウを訴えたり、解任決議を出したりはしない。

 

 何せ、マルフォイ家の長い歴史の中には、薄暗い秘密がいくらでもある。そして、悪霊は秘密を暴露する存在なのである。藪をつついて蛇を出すのはスリザリンのやることではない。あと、マルフォイ家はお辞儀シンパではない。

 

 

 「互いの利益になるのであれば良いことでしょう。ハグリッド先生は好みの魔法生物を育てることができ、私もまた授業で使える手駒が増える。素晴らしいではありませんか。それに、ドラゴンとてアリアナちゃんの傍では大人しくしている可能性が高い」

 

 基本方針においては意気投合する二人。ホグワーツで最も嫌われる存在であるノーグレイブ・ダッハウに感謝することが多い唯一の人物、それがルビウス・ハグリッドだ。

 

 ちなみに、対悪霊戦線を率いるグレンジャー将軍閣下とその補佐役二名が、よく集っているのもハグリッドの小屋なのだから皮肉ではある。

 

 

 

 

昼 ハグリッドの小屋にて

 

 「マルフォイがやられた、さすがにちょっと可哀想だったな」

 

 「あのヒッポグリフの子も、ダッハウ先生なんかに連れてこられて、気の毒だったわ」

 

 「まあ、スクリュートよりかはましだったけどね」

 

 こちらは運よく無傷で済んだ、グリフィンドール三人衆。

 

 魔法史の授業の“実技”において、今日のマルフォイ少年のような犠牲者が出るのは珍しくないので、今後の対策を練っているところである。

 

 なお、怪我したマルフォイ少年は午後の授業が魔法薬学だったので、材料を刻んだりはスネイプ先生の指示でハリーが代行した。ダッハウの授業のとばっちりはこういうところにも出てくる。

 

 結構痛そうにしていたので、ロンも少しは手伝った。入学当初はぶつかることはあった二人であり、今も多少の諍いはあれど、対悪霊戦線で苦楽を共にする同志である。このくらいは人として手を貸すとも、人でなしは最低教師だけで十分だ。悪霊の振り見て我が振り直せである。

 

 

 「とにかくだ、アリアナちゃんが人質に取られてるも同然な以上、ダンブルドアは全くあてにならない」

 

 「マクゴナガル先生も、ダッハウ先生関連だとサラリと父さん達を見捨てたらしいよ」

 

 「それは、貴方のお父様がたの自業自得な部分もあると思うのだけど」

 

 今日もホグワーツでは、生徒の自主性が遺憾なく発揮されている。

 

 何せ、こと魔法史関連においては、“ダンブルドアがどうにかしてくれる”は全く通用しない。

 

 悪いことはダッハウのせい。

 

 良いことはアリアナちゃんのおかげ。

 

 この方針には、ダッハウ本人も、ダンブルドア校長も大いに賛同している。あの老人、孫のためなら他人を貶すことも厭わない。(ただし、貶す対象はダッハウに限る)

 

 

 「それにしてもドラゴンって、ハグリッドは正気なのかしら?」

 

 「でも、本来ヒトを食べるアクロマンチュラのモレーク君が、アリアナちゃんがいるとリーマスさんと仲良くしてたって。夜間学校じゃアクロマンチュラが割と温厚で安全な動物だったらしいし」

 

 「ルーピン先生、どんな学生生活を送ってたの……」

 

 「多分、聞かないほうがいいぜ」

 

 「アリアナちゃんがいる限り、人食いの魔法生物の暴走については心配しなくてもいいのかもね。父さん達も言ってたけど、むしろ処刑器具や拷問器具の方が厄介だって」

 

 「そもそも、そんなのがある事自体がおかしいのよ」

 

 「それ言ったら、ダッハウがいることが既におかしいんだよなあ」

 

 いつの間にやら、幸せの亡霊少女が、ダンブルドア家の精霊だとか、座敷わらしだとか、色々なお伽噺が広まっているホグワーツ。

 

 しかし、謎の時計塔の悪霊については、存在自体がおかしいのに、お伽噺にはなっていない。

 

 それもまた、人徳の差と言えるだろうか。

 

 

 

 

 

 「昼に子供達も言っていましたが、今のダンブルドア先生は先ずアリアナちゃん第一。ついでに、生徒のことも守ってくれる素晴らしき校長ですから」

 

 「なぜかしらね? 昔よりもクズっぽくなってるはずなんだけど、却って頼もしく感じるのは」

 

 「それは恐らく、“分かりやすさ”にあると思いますよ」

 

 アルバス・ダンブルドアの奉じる無償の愛は深遠すぎて、凡人には遠く理解が及ばない。

 

 イエスの教えを受けた者達が、キリストの受難の際に助けに入れなかったのも、似たような理屈を適用できる。結局の所人間は、自分の分かる範囲でしか相手を理解できない。

 

 

 「孫ボケ老人が、可愛らしい孫を守るために一念発起して戦うというのは、子供でも分かる理屈なのです。だからこそ、信頼できる。例え自分達のことはどうあれ、アリアナちゃんを守るために戦ってくれるだろうと」

 

 「それって、校長先生としてどうなんですか?」

 

 「構いません。校長とはいえ所詮は他人です。生徒達からしても、自分達を別に愛してくれなくともよい、安全に守ってくれればそれが第一ですから」

 

 生徒のことを愛してはくれるが、守る力のない教師。

 

 生徒のことを愛しなどしないが、敵を完膚なきまでに叩き潰し、絶対に負けない教師。

 

 自分で戦う力を持たぬ生徒にとって、どちらが信頼に値するかは、比較するまでもない。

 

 これが、かつての悪戯仕掛け人達のように、自力で自分の身を守れるほどの者達であれば、話も違ってくるだろうが。大半の生徒にはそのような勇気と行動力までは期待できない。

 

 

 

 「ところで、分かってるでしょうけど、ドラゴンの飼育は違法なんだからね」

 

 「まさに今更ですね。そもそも夜間学校の器物、化け物は大半が違法でしょうに。そして私はそもそも法で定義すらされていません。ならばこそのアウトロー」

 

 「知ってます。多分マートルさんも言ってみただけです」

 

 あるいは、ダッハウやアリアナちゃんのように、既存の法でくくりきれない何かか。こんな摩訶不思議な者らが跋扈するこの夜間学校に、魔法省の法律などで介入するなど不可能であるとは、彼女らとて理解している。

 

 

 「しかし、ついにドラゴンとはね。ダンブルドア先生は知ってるの?」

 

 「当然です。私が知っていることで、ヘレナ校長やダンブルドア先生が知らないことなどほとんどありませんよ」

 

 「ダッハウ先生って、そういうところは律儀ですよね」

 

 「そして、いざという時は彼が何とかしてくれると期待しているからこそ、魔法省も強くは言ってこない。代わりに私なんぞを管理することになるのも嫌でしょうし」

 

 「でしょうね」

 

 「誰だって嫌ですそんな苦行」

 

 ノーグレイブ・ダッハウを管理する。

 

 魔法生物規制管理部だろうが、神秘部だろうが、誰もがノーと答えるだろう。出来るはずもなく、やりたくもない。そしてそもそも、関わりたくもない。

 

 

 

 「“既存の法に守られている”という思いもまた、既得権益になりうるものです、そこに安住し、自分達の法だけが正義、それを乱す者は悪などと思いこめば、共同体は腐敗と崩壊へ向かう。人類史とはそんな愚かな円環の縮図でもあるのですから」

 

 世界は常に変化を続ける。南極の氷しかり、二酸化炭素の濃度しかり、オゾンホール然り。

 

 そこに、人間がどれだけ影響しているかすら、結局のところ確信を持って言える程度には分かっていない。

 

 分かっているのは、【不変ではありえない】ということと、【環境の変化に適応できなくなった生き物は滅びる】こと。

 

 

 「同様に、法律の変化に適応できなくなった組織は滅びます。いいえ、滅ばねばならない。しかし往々にして、法律を変えたくがないために組織の腐敗と滅びを早める愚行を繰り返すのが、サピエンスというもの。マグルも、魔法族も、例外なく」

 

 「そこだけは同じってのも皮肉よね。アンタの授業でも言ってた通り、随分違う生き方をしてるのに」

 

 「ええ、その通りですね。このドラゴンの卵一つをとってしても、マグルならば危険だからと砕き割り、魔法族は法で規制しつつも育てることそのものを禁じはしない。ですが、法に依存し、やがては自分の頭で考えることもしなくなる点は同じなのだから、進歩がないというべきか、同じ穴の狢というべきか」

 

 そうした点において、幻想の王たるドラゴンの卵は実に象徴的とも言えるだろう。

 

 成長すればゴーストすらも焼き尽くす炎を放つ危険魔法生物の筆頭例。

 

 しかし今は、誰かの手を借りなければ生まれることすら出来ない卵。

 

 この卵に何を思い、どう扱うかが、どの世界に属して如何なる法に従って生きているかの、一種の羅針盤であるのかもしれない。

 

 

 「未知の卵から生まれるのは果たして何者であるのか。さて、あの小さな子供達は、ドラゴンの卵を託されたとして、どのような未来を思い浮かべるのか」

 

 ふと、とある歴史の光景を記憶領域から引き出しながら。

 

 魔法史の悪霊教師ノーグレイブ・ダッハウは、ハグリッドの設置した孵化器で炎に揺られる黒い卵を観測しながら、既にドラゴンの消えた時計の末について考えていた。

 

 死せる英雄の可能性の卵とは、果たしてドラゴンの卵と同じものであろうかと。

 



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6話 ウィーズリー・トライアングル

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【国際魔法協力部 パーシー・ウィーズリー】

 

 国際魔法協力部は、魔法省の中だと比較的新しい部署だ。

 それも当然というもので、ホグワーツが出来た1000年前にしても、ウィゼンガモットが形になった800年前にしても、そもそも国家という意識がなかったんだ。

 それはマグルの側も同じで、現在でいうところの国境という概念が全然なかった時代だ。

 

 だから、国際的な魔法協力という概念も存在しない。

 ブリテン島の人達、ユトランドの人達、フェローの人達、シェトランドの人達、アイスランドの人達、ノルウェーの人達。

 北欧にダームストラング専門学校があるように、西欧や北欧の各地に魔法族もまた点在していた。

 その彼らが、どこからどこまでが、どういう共同体に属しているかは、長い間本当に曖昧だったんだ。

 

 となると必然として、僕らウィーズリー家もそうであるように、“国”よりも、“家”のほうが、ずっとずっと仲間意識の紐帯として機能していた。

 血縁関係によって、大陸中と繋がりを持つ純血名家。彼らがイギリスに限らず魔法界の中心として存在してきたのは、そういう理由もある。

 今の国際魔法協力部でも、そういった古い縁や家柄というのは重視される。これはもう、善悪の問題じゃなくて、ただ単にそういうものなんだ。

 

 その中でも、大陸から離れていて、島一つという比較的分かりやすい区分が出来たのがイングランドだ。

 当然、ウェールズ、スコットランドなどの違いはあるけど、ブリテン島全体に点在している魔法族にとってはそこまで大きな違いにはならない。

 

 それでもやっぱり変化はあって、1300年頃には国際魔法戦士条約に関する史実が見られて、その400年後には国際魔法使い機密保持法の制定に至る。

 国際魔法協力部が出来たのも、ちょうどその頃だと聞いている。

 

 そして、どんどんマグルの国家が大きくなって、国割も複雑になる中で、国際魔法協力部の仕事も増えていった。

 

 『そうさ、うん、マグルなんだよ』

 『国家を創るのも、解体するのも、国境線を引くのも彼らの領分』

 『僕たち魔法族は、その国境線に従って、魔法世界との境界線を引きなおすだけ』

 『僕は彼らが嫌いではないけれど、それでも時に思うことはある』

 『彼らはあんなに大きな国家を、何の為に創ったのだろうかと』

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「魔法省について紹介していくシリーズも折り返しとなる五回目。本日の内容は国際魔法協力部。これからの時代に生きる貴方たちにとっては非常に重要になる部署ですのでしっかり学んでいきましょう」

 

 12月も半ばへ差し掛かり、クリスマス休暇へ向けて装いが白くなっていくホグワーツの城において。

 

 今日も今日とて、悪霊の魔法史は淡々とした調子で開催され、グリフィンドールとハッフルパフの生徒たちは思い思いの場所に陣取っている。

 

 入学から3ヶ月も経てば、新入生たちも流石に慣れた様子であり(別に慣れたくはなかったろうが)、今日はどんな“実技”が飛び出してくるものかと警戒しながらも熱心にノートを取っていた。

 

 変身術や魔法薬学とはまた違う意味で、サボったり談笑している生徒は存在しない。特にこの授業をサボる命知らずなど、ウィーズリーの双子ですらもあり得なかった。

 

 

 「国際魔法貿易基準機構、国際魔法法務局、そして、国際魔法使い連盟のイギリス支部。これらの組織から国際魔法協力部は成り立つわけですが、言うまでもなく“国際的”であることにその意義があり、マグルの国家機構ならば外務省に相当するのがこの部署です」

 

 マグルの組織との対比で言うならば、この部署は最も分かりやすい。

 

 財務と総務と最高意思決定機関が混ざっている大臣室や、法務と軍務の兼任に使い魔法法執行部、マグル世界にはない魔法事故惨事部や魔法生物規制管理部となり、外交関係を司る外務省という立ち位置が明確となっている。

 

 それはすなわち、それだけ“マグル的”な部署であり、マグル生まれが最も重宝される部署であることを意味している。

 

 

 「この部署の成り立ちは少々特殊であり、黎明期では過去から順に歴史を追っておくことにさほど意味がありません。1289年に国際魔法戦士条約に関する史実が見られ、ほぼ同時期の1294年に三大魔法学校対抗試合が始まるなど、国際交流の始まりらしきものは1300年頃に見られますが、これはあくまでブリテン島、北欧、西欧といった大雑把な括りでの相互交流を示す程度と抑えておきましょう」

 

 その頃はまだ、マグルもキリスト教世界と区分される時代であり、明確な国境線を特徴とする国民国家は生まれていない。

 

 

 「この国に限ってみても、その時期は長足王エドワード一世がウェールズを併合し、スコットランドを征服しましたが、プランタジネット朝は大陸にも領土を持っており、フランスのカペー朝と争いつつも複雑な婚姻関係を結んでおりました。かの百年戦争以前の話であり、大陸の純血名家の多くが後の長期戦争とペスト大流行を避けてブリテンに亡命する以前のことです」

 

 プランタジネット朝とカペー朝、それらの王朝や大領主達の婚姻関係によって、“イングランド領”か“フランス領”かはグルグルと変わってしまう時代。

 

 魔法族としてそうしたマグルと付き合いながら生きていた訳であるが、その時代においては“国際関係”などといった漠然としたものよりも、血縁という分かりやすい形を尊んだのは当然の帰結である。

 

 

 「しかし、やがてマグル社会の様相は中世から近世へと移り変わります。ジャンヌ・ダルクの闘争とヴァロワ朝の勝利、1453年のコンスタンティノープルの陥落、1492年の新大陸発見とレコンキスタの終結、さらには宗教改革による新教徒の誕生、ユグノー戦争にイギリス国教会の成立など、このあたりの歴史変遷については3年生や5年生、そして7年生においても繰り返し触れていくことになるでしょう」

 

 歴史の流れというものは、一度読み込んだだけで覚えきれるものではない。

 

 あらゆる事象は複雑に結びついており、ドミノ倒しのように連鎖することもあれば、反動的に時に逆流することもある。

 

 だからこそ、新しい見方を一つ覚えたならば、かつて学んだ時代をもう一度別の視点から見ることで、新たな発見が無数に出てくる。

 

 

 「ここで最も注目すべきは、1618年より始まるドイツ30年戦争と、その講和会議であるウェストファリア条約です。一見、イングランドとは関係ない遠い国の出来事と思えますが、これが繋がっているからこそ“国際的な部署”が必要とされる時代に突入するのです」

 

 それまでのイングランドの歴史は、ウェールズ、スコットランド、フランス、フランドルあたりの隣国を見ていれば、大半は理解できるものであった。

 

 しかし、17世紀ともなれば大航海時代もいよいよ盛んになり、かつてポルトガルとスペインが覇を競った七つの海へ、オランダとイングランドが競い合うように進出していく時代となる。

 

 貿易上の付き合いのある国は、北海にバルト海、地中海、さらには大西洋、インド洋を通して広がっていき、海洋貿易国家として発展していくイングランドは新たな国体を整備する。

 

 

 「それまでのマグル達は、キリスト教を紐帯とし、ローマ法王が物事の最終決定を下す世界に生きていました。しかし、その権威が衰え、絶対王政が発展していくに連れ、“国際会議”というものが社会や領土の是非を決める時代へと移っていきます。国際魔法協力部とは、この“国際会議”に対応するために生まれた部署と言えましょう」

 

 66もの国や領主が集まり、会議によって戦争の講和会議や領土の策定を行う時代の始まり。

 

 その後に、スペイン継承戦争のユトレヒト条約、七年戦争のパリ条約、ナポレオン戦争のウィーン会議、クリミア戦争、普仏戦争後のベルリン会議、第一次世界大戦のヴェルサイユ条約、そして、第二次世界大戦のヤルタ会談から冷戦の終わりであるマルタ会談に至るまで。

 

 その後のマグルの世界とは、戦争と講和会議の繰り返し。つまりは、国際会議が最大の権威として君臨する時代を続けている。

 

 

 「1689年にマグル社会の後を追うように国際機密保持法が制定。1750年には国際魔法使い機密保持法が制定されます。マグルの国体が新大陸をも含んで国際化している以上、魔法族だけが昔ながらの血縁に頼った小さな世界で物事を決めていても、最早意味がない時代となったためです」

 

 ただし、魔法族の国際関係においても、純血名家の重みは失われた訳ではない。

 

 むしろ、文化的な交流が僅かでもあった者達が“繋ぎ役”にならねばならない以上、彼ら以外に適任がいなかったのは事実であろう。

 

 

 「異なる種族と共存していくための部署である魔法生物規制管理部のすぐ下に、国際化するマグルに対応するための部署である国際魔法協力部があることは、一種象徴的と言えましょう。それらは隣り合う階にありながらも、全く根本とノウハウが異なる部署なのです」

 

 たくさんの複雑な事情を抱えた共同体と連携していくという点では、二つの部署は同じである。

 

 しかし、片方は小鬼、ケンタウルス、水中人や霊魂といった者らを扱い、なにはともあれ彼らは魔法族が“まとめ役”であることに異議を唱えたりはしない。

 

 対して、片方は“各国に存在する魔法族の社会”を相手にするものであり、各国という境界線は、魔法族でなくマグルが引いたものなのだ。

 

 

 「第一次世界大戦の終わりに、オーストリア・ハンガリー二重帝国は崩壊し、やがてオーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアという四つの国へ。ユーゴスラビア連邦が崩壊すれば、スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア=ヘルツェゴビナ、マケドニアという七つの国へ。ソビエト連邦が崩壊したのはまさに今、1991年の12月のことですが、15もの国に分裂します」

 

 それらも全ては、戦争の結果でなくとも国際会議の結果であり、条約を批准することで発行される。

 

 実際にその地に住んでいる部族、民族の思いなど時に完全に無視して、“国際会議”という無情な歯車は多くの血を飲み込みながら世界を塗り替え続ける。

 

 

 「魔法族が、そこにできることは何もありません。このホグワーツには他国からの留学生も多く通ってきますが、貴方たちが卒業後に“どの国の魔法機関”に属するかは、魔法族だけの事情で決まるわけではないのです」

 

 当然、大多数はイギリス魔法界の子供達であり、彼らはそこに疑問を持ったことなどあるまい。

 

 しかし例えば、北アイルランド出身の者であればどうなるか?

 

 

 「仮にもし、2000年にマグルの国際条約が結ばれ、北部アイルランドがアイルランド共和国に併合されたとしましょう。となれば、これまではロンドンのイギリス魔法省が管轄していた諸事情も、その後はダブリンのアイルランド魔法省が管轄することになります。何しろ、かつて軍隊を用いたアイルランドを征服したオリヴァー・クロムウェルは、魔法族ではないのですから」

 

 カナダも、オーストラリアも、ニュージーランドも、その他16もの海外の国家が連なり、イギリス連邦を構成。その国家元首は現在もエリザベス女王。

 

 しかし、イギリス魔法界は王家を持たない。

 

 【王家なきイングランド】というものを、1990年代に生きるマグル達が、同胞と認めることは決してあり得ない。

 

 その点においては、遥か極東の島国は事情が違うだろう。マグルは言わずもがなであり、マホウトコロへ通う魔法族も、元が大陸由来の道教などであろうとも、全ては天皇を祖とする神道の国である。

 

 ホグワーツ創建時である西暦1000年頃には今の王家はなく、ウェセックス王国はノルマン・コンクエストによりデーン人に滅ぼされた。王朝の基盤が作られたのは、征服王ウィリアム以後のことである。

 

 

 「マグルが王権神授説を信じていた時代には、王冠の行方により領土は決まったもの。そして現在は、君主制であろうが共和制であろうが、国際会議の行方により領土は決まる。魔法族の杖と、国際会議というものの境界線を構築し、維持していくことこそが、国際魔法協力部の仕事であり、その役目はどんどん増していく」

 

 マグルの世界の“国際化”は進む一方だ。

 

 インターネット技術の発展は、もはや国家機関を介することすらなく、地球の裏側の情報をリアルタイムで届けるに至っている。

 

 

 「ソ連が崩壊した今、東欧の国々は新たな秩序を求めてヨーロッパ共同体へ雪崩込む。15の国々はさらに拡大し、ヨーロッパ連合へと発展していくでしょう。ただし、それもまた永劫不変のものではありえない。ともすれば、そこから最初に“離脱”することになるのは、イングランドであるかも知れません」

 

 仮定として、もしもイギリスのみがヨーロッパの関税同盟から離脱することを選んだならば。

 

 当然、国際魔法協力部の仕事は一気に跳ね上がるだろう。アイルランドが関税同盟に残る以上、どうしても北アイルランドを巡る国境と関税問題は避けられない。

 

 グリンゴッツで換金すべきは、「ポンド」か「ユーロ」か。あらゆることは変化していき、誰かがそれを決めねばならない。

 

 

 「それでは、今回の実技は一風変わったディベート方式を取るとしましょう。それぞれ幾つかの集団に分かれ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアを中心とした西欧の国家群を演じ、“国際会議”というものがどのように進むか、そして、裏側の魔法界はそれを見て何を考えるかを体感していきましょう」

 

 そして始まる、実技の時間。

 

 魔法史の時間の内容としては、スクリュートを解き放つ、セストラルの馬車に追い回されるなどに比べればよほど妥当ではあるだろうが。

 

 マグル社会というものを殆ど知らない魔法族の新入生にとっては、困惑と苦労の連続になるだろうことは疑いなかった。

 

 何せ、演じる際のゲームマスターが悪霊教師だ。

 

 “蛮族の乱入”、“アメリカの介入”、“大日本帝国が攻めてきた”、“第三次世界大戦勃発”などと言って、いきなりとんでもない歴史展開をぶっこんでくることは間違いないのだから。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「ハリーも大変だったわね、七年戦争におけるロシア帝国の役をやらされるなんて」

 

 「マグル側の歴史をある程度知っている子が少なかったですので、ハーマイオニー・グレンジャーにはハプスブルク帝国を、ジャスティン・フレッチリーにはプロイセン王国を、ディーン・トーマスにフランス王国をとなれば、混血の誰かがロシア帝国を担当せねば」

 

 「イギリスはどの子が?」

 

 「ハッフルパフのスーザン・ボーンズです。流石にアメリア・ボーンズの姪だけあって、イギリス史には十分精通しておりました」

 

 魔法史の授業が終わった後、いつもの印刷にて生徒の苦労話を肴に駄弁る悪霊共。

 

 特に、“歴史を演じる系統”の被害にあった生徒がいた場合は、話題に登ることが多かった。

 

 

 「やはり、ああして劇の形で例えるのは分かりやすくてよい。マグルの国家同士の仲の悪さとそれでも割り切れない相互関係などは、四寮の関係に置き換えればこれもこれで理解しやすい」

 

 「アンタが特に四寮の合一授業をするのって、大抵その時よね」

 

 「どこまで言っても人は人。集団、共同体の問題、それらが複雑した際の解決策には通じるものがある。黒歴史を掘り返すことで“ホグワーツの歴史”を学ぶのにも、過去の様々な感情的対立に触れるには最適といった側面もあります」

 

 「憎たらしいほどに合理的でもあるのよね、こいつ」

 

 「だからダッハウ先生は嫌われるんだと思います」

 

 これが、ただ生徒を嘲笑うだけの“授業を損なう非効率な誹謗中傷”でしかないならば、ハーマイオニーが正論を持って論破できたろう。

 

 ところがこの悪霊教師、さんざん生徒の黒歴史を嘲笑いながらも、必ず歴史に学ぶことに繋げてくる。というか、歴史を学ぶことに繋がる黒歴史をホグワーツ中から常に集めているのだ。

 

 ある意味においてこの悪霊は、真摯なまでに歴史のことばかり考えている。

 

 

 

 「戦争の題材には、クィディッチもなかなか利用しやすいですね。ギリシアのオリンピックに起源を求めるまでもなく、元来スポーツ対戦というものには健全なルール下での代理戦争の側面がありますから」

 

 「クィディッチか、先月にグリフィンドールVSスリザリンの第一戦やってたけど、見事にスニッチをキャッチしてたわねあの子」

 

 「流石はジェームズ君の子供です。リリーさんもセブ君も喜んでいるでしょう」

 

 「セブルス的にはどうなのかしら?」

 

 ハリー・ポッターは一年生にしてシーカーに選抜され、その期待に見事に応え、初戦の勝利を飾ってみせた。

 

 

 「名シーカー、チャーリー・ウィーズリーの愛弟子の冠に偽りなしでした。ウィーズリー・トライアングル亡き後の獅子寮はどうなるかと危ぶむ声も上がっていましたが、本番に強いのはやはり血筋と言うべきでしょう」

 

 「フレッドとジョージのビーターコンビとの連携も良かったわ」

 

 「三年生と一年生による、新生トライアングル誕生ですね」

 

 ハリーが入学する以前に、グリフィンドールのシーカーを務め、優勝杯へと導いたのはチームキャプテンでもあった七年生のチャーリー・ウィーズリー。

 

 当時からすでに、ビーター二人はフレッドとジョージのウィーズリーが務めていたため、赤毛三人の連携は“ウィーズリー・トライアングル”と呼ばれていた。

 

 そして、ハリーは彼らの弟のロンと同年代であり、ポッター家とウィーズリー家は騎士団関係で縁深い。

 

 幼い頃から彼らと一緒に箒で飛び回っていたため、連携もまさに堂に入っている。

 

 そもそも、ハリーの父のジェームズはチェイサーが最も得意だったため、シーカーとしての師匠はチャーリーである。

 

 

 「チェイサー女性陣三名の活躍もさることながら、特筆すべきはキャプテンのオリバー・ウッドでしょうね。私も長いことホグワーツで教師をやっていますが、あれほどクィディッチに取り憑かれた生徒は過去存在しませんでした」

 

 「ウッドか、あいつばっかりは流石のアタシも嫉妬できない」

 

 「重さにおいても、わたくしも敵いません」

 

 ドクズゴースト三人衆を上回る“怨霊的執念”の持ち主として知られるのが、クィディッチ馬鹿を超えた狂気のキーパー、オリバー・ウッドである。

 

 ウィーズリー家の六男、ロナルド・ウィーズリーもまた飛行技術は中々で、キーパー志望ではあったのだが、キャプテンのスパルタぶりを見てサッと引いた。

 

 

 『頑張れよハリー。僕は四年生あたりからチームに入れればそれでいいから』

 

 見事に、親友を売った。

 

 ハリー・ポッターは、チャーリー卒業後に狂ったようにシーカーを探し求めるウッドに捧げられた生贄であった、可哀想に、まだ一年なのに。

 

 まあ、卒業していくチャーリーからの推薦状があった上、フレッドとジョージがビーターである以上、逃れる術は最初からなかった訳だが。

 

 ハリー・ポッターが“可哀想な男の子”と呼ばれる由縁である。(主に週刊魔女から)

 

 

 

 「ハリー君と言えばもう一つ、この前あの子、ダッハウ先生に相談しに来てませんでしたか?」

 

 「ええ、来ていましたよ。何を血迷ったか私の下へ」

 

 「それをアンタが言うか」

 

 「原因はむしろ、メローピーさんでしたが」

 

 「え? わたくしですか?」

 

 「はい、彼の出生にも非常に大きく関わる、貴女のやらかした“例の忠言”に関してです」

 

 

 発端はこうである。

 

 ホグワーツでの生活も数ヶ月が経過し、色々な生徒と家族についても話す機会が多くなった。

 

 となってくると、流石のハリー少年も己の家庭の状況についての周囲との乖離について気の迷いからか、夜間学校から現実逃避したくなったのか、ダッハウへ尋ねたのである。

 

 

 「自分の家庭はなぜこうもおかしくなっているのか」

 

 

 その問いに対し。悪霊の答えは

 

 「何故貴方の家庭の状況をおかしいと定義するのか。この時代においてですら、一夫多妻、またはその逆の一妻多夫の婚姻関係を結ぶ地方は多くあります。婚姻の制度、家庭環境は地域ごとに多種多様であり、同じ地域であっても社会的階級ごとに分かれている場所すらある。今の貴方の家庭環境と同じ人間も、それこそ魔法族の人口より遥かに多くいるのです。また魔法族にあってですら、ワガドゥのあるアフリカ地域ではイギリスとは婚姻の形がまったく異なります。あなたは何をもって自らの家庭を『おかしい』と断じるのですか?」

 

 であった。此処から先はあまり子供には聞かせられない内容や、倫理に背く様々な姦通事例に対しても言及されたため、ここでは省略する。

 

 際限なく湧いて出ては次から次へと畳み掛けられる人類の黒歴史。それに対しハリーが答えに窮していると、マートルさんよりマジレス。

 

 

 「いやあんたのそれ、ただの詭弁だから。夏にシャツ一枚と半ズボンで歩いていても誰も変に思わないけど、冬の氷点下の中その格好だと間違いなくキ○ガイよ。ハリーが言いたいのは“イギリスの価値観における婚姻関係”を前提としたことなのに、あんたはその前提にケチつけてきてんのよ」

 

 反論に対して、悪びれもせずドクズは続けた。

 

 「まあ人間とはそういうものですね。“自分が触れている価値観こそが絶対で正しい”と無意識にそう信じ込んでいる。その価値観と異なるもの、特に反発するものに触れたとき、大抵は暴力的になり、それを否定しようとする。それは常に戦火をもたらすきっかけとなる。歴史はそう語っています。故に私は語るのです。世界には異なる価値観が実に多種多様に渡り、それを認識することこそ重要であると」

 

 マートルさんも返す。

 

 「で? その異なる価値観の認識とやらは、ハリーの悩みの解決に繋がるの?」

 

 ドクズは断言する。

 

 「いいえ、何一つ解決しませんね」

 

 このやりとりを聞いてハリー少年は痛感した。相談した自分が馬鹿だった、と。

 

 本当に、可哀想な男の子である。

 

 せめて、女友達のハーミーちゃんが癒やしになってくれればよいのだが、彼女も彼女で母親(恋の魔女)に似た猪突猛進さがあったりする。頑張ってハリー。

 

 

 

 「ハリー少年の不幸はともかくとして、クィディッチ関連では校内新聞も馬鹿売れします。プロパガンダの題材にも使えますので、魔法史の教師としては本当にクィディッチは有り難い存在ですよ」

 

 「バーサのいた頃はもっと凄かったけど」

 

 「そういえば、新聞の雰囲気も大分変わりましたよね。わたくしが生きていた頃は、こんなに明るくなかった気がします」

 

 メローピーさんが生前に読んだ魔法族の新聞。

 

 マートルさんの生前の頃の魔法族の新聞。

 

 それらの時代に比べ、日刊予言者新聞でも、週刊魔女でも、低俗なゴシップ記事や安直な批判記事は随分減った印象がある。

 

 いいや、ゴシップも批判もあるのだが、こう、他人の人格への否定だったり、不倫疑惑だったり、誹謗中傷だったり、そうしたものが減っている。

 

 なぜか?

 

 

 「簡単よ、だってこいつがいるんだから」

 

 今のホグワーツ生徒および卒業生の大半は、無意識レベルにおいてゴシップ記事嫌いだ。

 

 なにせ、そんなものを読んでいたら、思い出したくもないクソムカつく悪霊の顔と声を思い出す。

 

 そして、書く側とて、あの腐れ悪霊を思い出す行為なんてしたくないのが人情というものだ。

 

 それはつまり、かつて暴露された自分の黒歴史を掘り起こすに等しい。

 

 

 「ほぼ全ての生徒が、一度や二度は過去の黒歴史、あるいは身内の恥を私の手によって暴露されております。私の場合や事実無根ですらない、ただの事実を告げるだけですから」

 

 「告げるな」

 

 「だから嫌われるんですよダッハウ先生は」

 

 こいつが、救いようのないクズと言われる所以だ。本人も消し去りたいただの事実を嘲笑いながら突きつけるのだから。

 

 

 「例え死喰い人であろうとも、“お前、ダッハウの弟子か?”、“お前それじゃ、ダッハウみたいだぞ”という言葉だけは胸に突き刺さるようでして。顔を青ざめて自らの所業を省みるのです」

 

 「絶対に、“例のあの人”よりも、アンタの方が口にしたくもない名前になってるわよ」

 

 「当然でしょうね。元より私は、“名前を言ってはいけないあの場所”。口にするのも憚られるものですので」

 

 「それを堂々と言えるのも、ダッハウ先生くらいですよね」

 

 悪びれなければ許されるものでも当然無い。 

 

 

 「だからこそ、バーサ・ジョーキンズの校内新聞、月刊少女ホグワーツのようなノリでなければやってられない。陰湿で他人を嘲笑する記事など書けば、いつ隣に私が憑いてくるか知れたものではありません。場合によっては夢にまで出てきます」

 

 「そりゃ書けないわ」

 

 「トラウマレベルで、腕が書くのを拒否しちゃいます」

 

 ジメジメしながら陰鬱に、他人を呪うのは、元来悪霊の専売特許。

 

 生者が安易に真似をすれば、碌でもない悪霊が寄ってくる。

 

 墓場には、酒を呑んでのバカ騒ぎの宴会か、厳粛な礼儀とお辞儀で応じるべきであって、間違っても誹謗中傷の言葉など書き込んではいけない。

 

 

 “ダッハウの箱を開けるな”

 

 

 ここ数十年ほどの、ホグワーツ卒業生が共有する、絶対の不文律であった。

 



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幕間 賢者の石に関する告知

短めの話です。
閑話的な感じになります。


1992年 1月

 

クリスマス休暇が終わり、新年を迎え、生徒達がそれぞれの帰省先から戻ってきたホグワーツ。

 

ハリー・ポッターも当然、母と妹二人の待つ実家、ダーズリー家、ブラック家に顔を見せ、こうして魔法の城へ戻ってきたわけだが。

 

大広間にて、また思いもかけぬ告知が張り出されていた。

 

 

 

新年の告知文章

 

「この城のどこかに賢者の石が隠されている」

「隠したのは、校長先生か謎の悪霊だ」

「みごと見つけ出した生徒には、200点を与えよう」

「ただし、石そのものを確保し、無傷のまま裏方管理人へ渡すこと」

「非常に怪しいのは、4階の廊下である」

「賢者の石について校長先生に質問すると50点減点」

「魔法史教師に質問するとどうなるかは、自分で考えること」

「得点めぐんでやるから探せや」

 

 

 

 誰が告知したかは考えるまでもない、実にドクズらしいらしいやり方、これが、ホグワーツの「秘密」というものである。

 

 見たところ、上級生らは全く探す気がないようだ、君子危うきに近寄らず。

 

 それでも、ウィーズリーの双子など、三年生以下の生徒には探そうとする者もいる。

 

 別に鵜呑みにしているわけでもないが、お宝があるなら探さずにはいられないといったところだろうか。

 (大半の生徒は、それに悪霊が関係しているなら、関わり合いになりたくないわけだが)

 

 

 

 「凄いなこの文章、最後の一文だけでも全然探したい気にならないぞ」

 

 「なんかこう、“おら、小銭恵んでやるから掃除に励めや貧乏人が”って感じの嫌な雇用主か何かのオーラが出てるね」

 

 「またあの先生は……、どうしてこう揉め事ばっかり、また双子もいろいろ動くでしょうし」

 

 一年生にして、既にグリフィンドールの監督生候補と目されているハーマイオニー・グレンジャー。今日も彼女は気苦労が絶えない。

 

 まずは賢者の石について図書館で調べて、それからどうしようかとその明晰な頭脳はすぐにフル回転しているものの、何かこうやるせなさを感じてしまうのは仕方ない。

 

 

 「ところで将軍か、ハーマイオニー」

 

 「ねえロン? 今、将軍閣下って言おうとしたでしょ」

 

 「ごめん、つい」

 

 対悪霊戦線を率いるグレンジャー将軍。いまやその名は全校に漏れなく響き渡っている。

 

 

 「この間、図書館にいたら初対面のレイブンクローの先輩から“将軍閣下、お元気そうで何よりです。”って話しかけられたのよ。なんなのアレ」

 

 「でもほら、皆から期待されているんだからいいことじゃないか」

 

 「全然嬉しくないのよ。どう考えても厄介な悪霊の対処を押し付けてるだけなのが見え見えだもの」

 

 「そりゃあ、うん、まあ、そうなんだろうな」

 

 「そういえば、この前の校内新聞で“グレンジャー戦記”が連載されてたよ。悪霊の神々と戦うマグル出身の光の騎士グレンジャー将軍が活躍してた」

 

 「ぶっ殺そうかしらあの悪霊」

 

 「落ち着くんだハーマイオニー」

 

 なお、光の騎士グレンジャー将軍に啓示を授け、愛の祝福を与える存在が“恋の天使リリー”だったりする。

 

 誰が執筆してしまったかについてはお察しいただきたい。

 

 とある重い女がこっそり秘密のノートに綴っていた原案を、秘密の暴露に定評のある悪霊が無断流用したとか言われているが、定かではない。

 

 そしてハリーは、その部分についてはなかったことにしたらしい。あるいは心が理解するのを無意識に拒否したのか。

 

 

 「皆ダッハウが嫌なのは同じだからさ、時には生贄を捧げてでもどうにかしたいんだよ。別に悪気があるわけじゃないんだ」

 

 「生贄にされた方はたまったものじゃないことを学ぶべきね」

 

 「ところで、ウッドの生贄にされたことは忘れてないよ、我が親友のロナルド殿?」

 

 「おおっと、何のことやら」

 

 上の兄たちの影響を若干受けているのか、良い性格をしているロンである。

 

 昔は優秀な兄たちにコンプレックスを持っていたらしいが、優秀である故に兄たちがマートルに憑りつかれ、ダッハウに振りまわされる姿を見て、“普通が一番”とモットーを変えたらしい。

 

 最近では、聖マンゴ魔法疾患病院のピーター・ペティグリューと馬が合うとか。彼も夜間学校で地獄を味わった後、“普通が一番”を信条にしている。

 

 なお、ロンのペットであるスキャバーズは、ピーター曰く“気の合う友人”を紹介してくれたものだ。

 

 寿命の長い以外は普通のネズミと大差ないが、フクロウのように物を届けたりもしてくれる賢い魔法のネズミである。

 

 

 「それにしても、賢者の石か、誰が隠したんだろう」

 

 「そりゃあダンブルドア先生じゃないか。だってダッハウなら絶対に暴く側だぜ、使う気やら興味なんて微塵もないだろうけどな」

 

 「賢者の石と言えば錬金術の成果で、金を創り出したり、永遠の命を得たり……どっちもダッハウ先生とは無縁だったわ」

 

 このホグワーツで何かがあれば、誰もが真っ先に疑うのは悪霊教師である。

 

 そしてそれは、十中八九は間違っていない。大抵の騒動の源流にはあのドクズゴースト三人衆が絡んでいると言っても過言ではないのだから。

 

 

 「僕達はどうしよう、探すのはちょっと危険だと思うけど」

 

 「うーん、ていうか、別に探さなくても結局巻き込まれるんだから、探した方がいいんじゃないか。だってハリーがいるんだ」

 

 「そこまで言う?」

 

 「貴方、運が悪すぎというか、生粋の巻き込まれ気質だもの。まあ、私もロンに賛成ね、ただ巻き込まれるのを待つよりも、こっちから動いた方がまだいいわ。スネイプ先生やルーピン先生、ハグリッドにもいろいろ聞いてみましょう」

 

 「そうだな、他にもマクゴナガルやスプラウト、フリットウィックにも」

 

 「後は、父さんとシリウスにもヘドウィグを飛ばしてみようか。リーマスさんが知ってること以外にも、4階の廊下について何か分かるかも」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「と、子供達はそのような様子でして、まあ妥当な反応でした」

 

 「ものの見事に秘密をばらしたわねアンタ」

 

 「いつかやるとは思ってましたけど、ほんとにやりましたね」

 

 ところ変わって、こちらは悪霊三人衆。

 

 賢者の石の秘密について、ばらしたのはドクズ筆頭であり、女性二名は呆れ顔ではあるが驚いてはいない。こんなのはいつものことである。

 

 

 「ホグワーツの生徒、特に上級生は鼻が利きます。ダンブルドア先生が死喰い人陣営の撒き餌に使っている賢者の石についても、闇祓いを親に持つ生徒などはやはり察するところがあったのか、じわじわと水面下で噂は広まっていたのですよ」

 

 どうにも、ダンブルドア先生が密かに動いているんじゃないか。

 

 城の防備も強化されてるっぽいし、死喰い人の襲撃が近いんじゃ?

 

 狙いは何だ? 例の廊下が関係してるのか?

 

 

 「先のハロウィンの時も言いましたが、見えざる脅威とは不安を煽るもの。ならばこそ、こうして年明けサプライズでばらしてしまえば、それはただの季節イベントです。生徒達も、まさかこの賢者の石が闇の帝王の復活の鍵となる重要な品とは思わないでしょう」

 

 「完全に子供向けの宝探しだもの」

 

 「玩具の金貨と大差ない扱いですし」

 

 「秘密の暴露そのものは、ダンブルドア先生からの依頼です。時期と方法については私に一任されていましたので、こういう形をとりましたが」

 

 「校長先生も最近、厄介事は取り合えずアンタに投げるようになったような」

 

 「ダッハウ先生の汚染がじわじわと進んでいる気がしますわ」

 

 そして多分、汚染ルートの筆頭は貴女達だ。

 

 特にメローピー、リリー・エバンズについては汚染源が完全に貴女であることを忘れるな。

 

 

 「こうなってしまえば、死喰い人陣営にとって一番確実な方法は、生徒を人質に取り、賢者の石を要求することです。魔法の城に潜入して生徒に混じって宝探しをするのが上策とは思えません」

 

 ただしこの場合、闇祓いの大部隊の待ち伏せと追撃を覚悟する必要がある。

 

 実際、賢者の石がホグワーツの前に、闇祓い局で隠されている時がそうだった。一度は厳重に封印された箱を奪ったものの、【どうやっても臭いの消せない目印】にされ、主人に届ける前に奪還されたという経緯がある。

 

 

 「要するに、強盗とコソ泥、どちらを選ぶかです。彼らにしてみれば盗みたいのであって、奪いたいわけではない。ダンブルドア先生と正面から戦うなど、結果の見えた話ですから」

 

 彼らの主人、ヴォルデモートですら正面では敗北した相手。グリフィンドールの英雄を相手に強盗を働くのは無理筋というもの。

 

 ならば、こっそり潜入して盗み出したいところだが、魔法の城ホグワーツではそれも難しい。

 

 何せ、あらゆる幽霊、絵画、屋敷しもべらが常にあちこちを見張っているような場所だから。

 

 

 「となれば、狼人間のフェンリール・グレイバックあたりに強盗をさせ、注意を引き付けて裏から盗む。あたりが妥当でしょう、人攫いなどもついでに送り込んでくるかもしれませんが」

 

 それが賢者の石のための陽動だと分かっていても、生徒を狼人間に噛まれるわけにはいかないから、教師達はそちらを守らざるを得ない。

 

 荒くれ者どもに学び舎を襲撃させ、本命の死喰い人は秘密のルートから潜入。基本構図は大よそその辺りだろうが、実際にどうなるかを読み切るのは難しい。

 

 

 「可能性が高いのは、満月の夜でしょう。こちらのルーピン先生が動けず、死喰い人陣営の狼人間は最も凶暴性と感染性の上がる時。まあ、あえてそう思わせておいて裏をかくこともあるので、結局はそこに極ぶりするわけにもいかないのですが。さてさて、襲撃者のお手並み拝見といきましょう」

 

 「アンタ、どっちを応援してんのよ」

 

 「面白い歴史であれば、どちらが勝とうがいいではないですか。だって私は傷つきませんし」

 

 「最低です」

 

 「教師の座を今すぐ返上すべきだわ」

 

 この上なく最低な発言を平然と並べながら、悪霊教師はその時を静かに待つ。

 

 襲撃は本当に満月の夜かは定かではなく、ダンブルドア校長と騎士団所属の先生らがどう動き、生徒達が巻き込まれるかどうかも未知数。

 

 ただ一つ、分かることはある。

 

 

 「賢者の石にまつわる騒動、記録を残すに値するホグワーツの歴史になってくれることを願いましょう」

 

 確実に、こいつが何もしないことだけは確かだった。

 

 



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7話 変哲もない鏡

コダマさま、sooginさま、誤字報告ありがとうございます!


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【魔法ゲーム・スポーツ部 ルード・バグマン】

 

 諸君、私はクィディッチが大好きだ。

 すまない、いつもこれから入るもので、癖が出てしまった。

 クィディッチの歴史については、今更語ることでもないだろう。

 

 クィディッチ今昔を始めとして、あらゆる本でその素晴らしさは紹介されている。

 娯楽とは非常に大事なものだ。何せそれこそが、我々魔法使いが一番得意とするものだから。

 純血の方々は、マグル出身の者らを嫌うのが多いが、クィディッチにそんな差別はない。

 

 向こうにも、サッカーという競技がメジャーらしいが、そこは同じなのさ。

 大鍋をかき混ぜ、怪しげな杖を振りかざし、瞬間移動する姿を見ると、マグルは魔法族を警戒するものだけど。

 クィディッチに熱狂してる姿を見ると、警戒心を解いてサッカーについて解説してくれるのさ。

 

 そして、我々魔法ゲーム・スポーツ部は、上の階の魔法運輸部と無縁ではいられない。

 箒、煙突飛行、ポートキー、そして、特急。これらを管理する部署だからだ。

 

 クィディッチをやるには箒が当然必要で、ワールドカップをやるにも、ポートキーや特急は不可欠だ。

 煙突飛行についてだけは、クィディッチにあまり関係ないかな。

 

 『私に言えることは、ただ一つ』

 『クィディッチは、魔法族と共に在り』

 『そしてきっとマグルとも、寄り添っていくことが出来るだろう』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「魔法省は下の階ほど重要性が低いので、そろそろ飽きてきました。というわけで、地下6階の魔法運輸部と地下7階の魔法ゲーム・スポーツ部については、まとめてやってしまいましょう。運輸の大半はゴブリン任せ、後はゲームで遊んでいるだけの魔法族について、取り合えず見ていくとしますか」

 

 2月に入り、バレンタインデーも近づいてきたホグワーツ。またしても普通ではない場所で開かれる魔法史の授業。

 

 そして、いきなり投げやりな感じでぶっちゃけだした悪霊教師。仮にも教師なんだから講義に選り好みするな。

 

 生徒達のそんな非難の視線もなんのその、グリフィンドールとレイブンクローの合同教室が開催される本日は、飛行訓練場にて箒が立ち並ぶ野外講義だ。

 

 悪霊の魔法史が相手であっても優等生なハーマイオニー・グレンジャーにとって、飛行訓練はちょっとした鬼門だ。何せ、運動神怪がどこまでも物を言う。

 

 なので、グレンジャー将軍としても箒飛行による“実技”は遠慮したいところだったが、悪霊がどう出てくるかは誰にも分からない。

 

 

 「スポーツの歴史については、私は全く興味がないのでクィディッチ今昔でも読んで皆さんで自習してください。一応、地下7階の部署はクィディッチ連盟本部、公式ゴブストーン・クラブ、奇特な特許庁などですが、まあどうでもいい部署ですね。マグルの国家機関にはこんなものはないとだけ述べておきましょう」

 

 魔法界のスポーツというものには、あまり毒気というものがない。

 

 組織の腐敗やら、戦争やら、人の悪意とはあまり無縁だった経緯があり、悪ノリが過ぎた歴史は数多いクィディッチであるが、悪霊の好む人間の愚かしさというものではない。

 

 

 「組織としては見るべきものはありませんが、しかしそれ故に、健全性だけは確かです。既得権益がなく、明確な仕事もなく、遊び半分でやりたいことを適当にやっているだけ。ある種最も魔法族らしい部署とも言えますが、真面目に仕事をしている他の部署からは冷たい目で見られることも多い。ただし、多くの魔法使いはクィディッチが大好きなのでそこまで白眼視はされませんが」

 

 ある意味において、最も幸せに人生を謳歌している人間達の集まりでもある。

 

 純血主義だの、死喰い人だのに参加しているくらいなら、クィディッチに熱中してバカ騒ぎしているほうが、世のため人のためなのは疑いない事実であった。

 

 

 「マグルの国家機関にも特許庁はありますが、あちらはガチの利権と直接結びついた部署なので全くの別物です。魔法族の奇特な特許庁は、ゴーストの生首を用いたホッケーだの、悪戯専門店の新商品だの、そんなものばかりですから。まあ、磔の呪文の改良型を考えるよりかは建設的ではあるでしょう」

 

 ただただ楽しくあれれば、それが一番。娯楽というものの本質を地で行く部署であったが、それだけに省庁としては微妙な立ち位置にいるのは仕方ない。

 

 四年に一度のクィディッチ・ワールドカップもあるが、あれにしても難しい仕事は魔法運輸部、国際魔法協力部の担当、警備については魔法法執行部の領域だ。つまるところ、この部署はエンターテイナー専門なのである。

 

 

 

 「もう一つの6階、魔法運輸部についてですが、こちらは真っ当な業務に携わっている部署と言えます。煙突飛行ネットワーク庁、箒規制管理課、ポートキー局、姿現しテストセンター。これらの部局からの分かるように、魔法使いの移動手段である箒、煙突飛行、ポートキー、姿現しの全般を取り仕切るのが役割となります」

 

 その4つのどれもが、実に魔法使いらしい手段であるため、取り扱いに注意が必要なのは当然だ。

 

 箒から落ちれば死亡事故に至りかねず、煙突飛行を間違えれば迷子、ポートキーも他国の領域に勝手に設置するわけにはいかないし、姿現しについては失敗すれば胴体泣き別れなので、特に厳重に管理する必要がある。

 

 

 「マグルの国家ならば、国土交通省、運輸省といった機関に相当します。また、運輸といっても“モノ”の流通についてはほぼ小鬼に任せきっているので、魔法運輸部が管理するのは“ヒト”の移動についてです。他国では魔法の絨毯なども使われますが、要するに人の移動手段を統制し管理するための管制塔のような仕事と言えます」

 

 ゴブリンに物産の運輸を任せながらも、魔法族は交流網の構築に勤しんできた。

 

 特に、1700年代以降は、大っぴらにマグルの世界を闊歩するようにはいかなくなったことから、煙突飛行ネットワークシステムが確立されていく。これは同時に、家から家へ移動し、広大な外の世界から内に籠るという魔法族の特性をより際立たせていく歴史の流れでもあった。

 

 姿くらまし、姿現しがある以上、昔はそれほど必要とされなかったが、家と家を繋ぐ必要が生じたことから、通勤にも使われるようになったのが煙突飛行である。

 

 

 「皆さんも使ったことがあるでしょうが、家と家、施設と施設を結ぶ煙突飛行ネットワークは非常に便利です。ただしそれは、最早マグルに見つからぬまま大っぴらに箒で空を飛ぶことが難しくなった歴史の裏返しでもあります。辺境や自然林ならばともかく、マグルの都市圏で箒で飛ぶことは今や不可能。電線然り、巨大ビル然り、あらゆるものが空を塞いでいるも同然ですので」

 

 特に、1940年代前半、世界大戦の頃ならば、空から爆弾も降ってきたのがロンドンだ。

 

 それ以前を見ても、蒸気機関の有害な霧が立ち込めた“霧の街”の時代であれば、やはり箒で愉快に空を飛ぶとはいかない。排煙と煤にまみれて、清めの呪文をかけようにも声がむせて使えないような有様だった。

 

 そうして徐々に、魔法族は自分達の世界だけを繋ぐ煙突飛行ネットワークの需要を高め、自宅と魔法省、ダイアゴン横丁やグリンゴッツといった重要拠点だけを点で結ぶ社会へと変質していったのである。

 

 

 「ポートキーについてもそこは同じです。こちらは国際魔法協力部の領分とも重なりますが、魔法使いが他国へ移動するにしても勝手に姿現しで押し掛けるわけにはいかず、そもそも姿現しは“場所をイメージして使う”ものであるため、一度行ったことのある場所にしか行けません。かといって、国際的な煙突飛行ネットワークについては、様々な側面からも厳しいものがある」

 

 第一に、マグルとの境界線問題。国境線とはつまり、マグル側の領土分割に依存せざるを得ない。

 

 第二に、安全保障問題。流石に各国の魔法省を自由通過で結ぶわけにはいかず、ホグワーツがそうであるように、ある程度の移動制限は必須になってくる。

 

 第三に、責任問題。ネットワークとはつまりインフラ整備だが、誰がどこまで責任を負うかが曖昧では、事故が起きた際に確実に揉める。

 

 

 「そうした様々な事情により、一見自由に見える魔法使いの移動手段ですが、物質精神の両面から多くの制約を受けています。これは、情報の利便性にも通じるものがあり、セキュリティ対策を高めるほど利便性が損なわれ、利便性を追求すればセキュリティは犠牲にせざるを得ない。このトレードオフは、マグル世界でも魔法世界でもなかなか解消し難い問題と言えます」

 

 やろうと思えば、何でもできる。

 

 しかし、法で禁止されていたり、やることで弊害が生じるならば、心がブレーキをかける。

 

 マグルの世界においては、空いているからと自動車で歩道を走らせる運転手がいないのと同じ理屈だ。頭のイカレタ吸血鬼なら、走らせることもあるかもしれないが。

 

 

 「また、姿現しで大西洋を越えて新大陸へ渡ることは出来ず、海底にも行けなければ、宇宙空間にも行けません。同様に、月面基地に行ける煙突飛行ネットワークもなければ、火星探査に使われるポートキーもない。月の上で飛行するための箒が開発されたならば素晴らしいことですが、実践する手段に欠けるのは致し方ない」

 

 そして魔法も、万能ではない。

 

 むしろ、大量の物資を海洋を越えて輸送する技術、地球の反対側へ定期便を張り巡らせる技術においては、既に完全にマグルに後れを取っている。

 

 “自分達の知っている世界”であれば実に便利な魔法だが、“未知の世界を切り拓く”ことに関しては、赤子の如く無力を晒す。

 

 

 「無論同じことは、既存のツールやアプリばかりを使うマグルの現代人の大半にも言えます。20世紀半ばの運転手ならば、誰でもエンスト対策や自動車のバッテリー、クラッチの仕組み程度は理解していましたが、自動運転技術が進歩すれば、誰もそれらを知ることもないままただ乗るだけの時代がやってくる」

 

 帆船から蒸気船、やがては原子力空母へと船の動力も変化を続けた。

 

 だが、総合知の増大に反比例するように、個々の人間の智慧が徐々に落ちてきている傾向があるのは間違いない。

 

 

 「これもまた、興味深いマグルと魔法族の共通事項です。個々の力で箒や馬で移動していた頃に比べ、全体として移動システムが整った時代の方が、なぜか個人は馬鹿になっていく。現代の魔法族は煙突飛行ネットワークが停止しても苦情の吼えメールを魔法省に送るばかりで、自分で何とかしようとはしない。役所を突きあげれば何とかなると、無邪気に信じ込んでいる訳です」

 

 その弱さを、死喰い人に突かれたのが魔法戦争だ。

 

 マグルも同様に、長く平和が続いた先進国ほど、安全保障に関する民度と危機意識は目を覆わんばかりの無様さだが。

 

 

 「ただし異なるのは、輸送の規模とその管理のための時刻統制に関する徹底度合いです。マグルは正確な時計に基づき、集団の時間の歩調を合わせて軍隊のごとくに社会全体を動かす仕組みを創り上げてきた。対して、魔法族はあくまで個々の時間を尊重します」

 

 

 

 「それでは、本日の課題をここで、“運輸の向上の為に魔法の乗り物をマグル世界から導入するならば、どのようなものが考えられるか”についてです。レポート形式でそれぞれ私に提出し、優れたアイデアなどについては発表することとしましょう。皆さん競って、面白いアイデアが出ることを期待します」

 

 ホグワーツ特急がそうであるように、ウィーズリー家の車が空を飛ぶように。

 

 近代以降のマグルの発明品に、魔法の力が加えられた例はいくつかある。シリウス・ブラックも空飛ぶオートバイを持っていた。

 

 ただしそれらは、箒が飛ぶように、車やオートバイが飛んでいるだけで、異なる技術体系を本質的に融合させたわけではない。

 

 魔法界がそもそも、工場での大量生産の仕組みを持たない以上、“空飛ぶ車”の生産ラインが造られることはないのだ。

 

 

 「現実性の有無はこの際問いません。マグルの世界の発想を、如何に魔法の世界へ取り入れるか。あるいは、全く違う視点からの物の見方こそが、新たな発見へ繋がる鍵となることも多いのが、技術開発の歴史というものです」

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「ダッハウ先生! どうして私のレポートが65点なのですか! 流石に納得できません!」

 

 そして、例のレポートの結果発表の授業の日。

 

 我らが指揮官、グレンジャー将軍ことハーマイオニー・グレンジャー嬢はついに堪忍袋の緒が切れたか、悪霊教師に対して正面から抗議の声をあげていた。

 

 ただし、それ自体は然程珍しいものではない。今回はかなり真剣に怒っているようだが、彼女が悪霊を弾劾すること自体は週に二回くらいはあるからこそ、誰もが彼女を頼りにし、グレンジャー将軍と称えるのである。(生贄の盾にしているとも言う)

 

 

 「貴女の解答はまさに模範的であり、“魔法省とグリンゴッツを地下鉄で繋ぐ”、“ポートキーと空港機能を組み合わせる”など実に現実的だ。これを魔法省の実行委員会に企画提案書として上奏したとして、すぐに採用されるほどの出来でしょう。貴女ならば未来の魔法大臣とて夢ではない、心からそう思いますよ」

 

 「だったらどうして!?」

 

 「簡単ですよ。つまらないからです」

 

 ばっさり言い切ったクズ教師。

 

 

 「答えが明確に決まっている“マグルらしい”算術問題ならばいざ知らず、歴史や文学のレポート課題というものには、“決まった解答”がありません。そして、その配点の権限が全て教師に委ねられている以上、出題者の意図を読むということは非常に重要になります。先程の魔法省での上奏の例ならば、“上司が好みそうな書き方をする”というやつです」

 

 マグルの大学入試などにおいても、得点を取る際のコツとして教えられていることではある。

 

 論述形式の問題に対しては、出題者の意図を読み、それにそった回答を行うように心がけよと。

 

 

 「このレポートの出題者がノーグレイブ・ダッハウである以上、私が好みそうな回答をすれば点数は高くなる。そして、どれほど正論で実現性があろうとも、私がつまらないと思えば、点数は低くなる。他の生徒もよく覚えておきなさい、まずは“こんな簡単なこと”から、一年生は学ばねばなりません。模範通りには到底いかない、人の組織の醜さというものを」

 

 「そんなことって、仮にもダッハウ先生は教師でしょう!」

 

 「ええ、教師です。しかし、不正を行う教師、女性生徒と不適切な関係を結ぶ教師、あるいは親から賄賂を受け取って特定の子を贔屓する教師、そんな存在はどこにでもいます。まるで私のように、そこかしらに遍在しているのです。私は人間ではありませんが、人間の組織ならばどこにでも、ろくでもない教師や上司などはいる」

 

 それが、人間の組織、人間の現実。そして、人間の汚さであろうと、嘲笑うように。

 

 ノーグレイブ・ダッハウは、生徒に容赦なく告げる。そして嫌われる。

 

 

 「よって、貴女のレポートは65点なのです、ハーマイオニー・グレンジャー。貴女の知識は非常に高いが、それらは全て本から得たもの。しかし、人間は本ではなく、正論だけでは動けない。誰もが貴女のように理解力があり、克己心があり、勤勉であるわけではない。相手の基準に合わせて物事を語り、相手に共感させる技術を、プレゼンテーション技能と呼びます」

 

 コミュニケーション技能と単純に括ることは難しいが、プレゼンテーションとはつまり、こちらの提案を相手に飲ませるために行うことだ。

 

 レポートにしても、生徒の答案を教師に飲ませれば、良い点という“成果”が得られるが、なまじマークシート方式などのテスト形式に慣れてしまうと、この点で落とし穴にはまりやすいというのは事実である。

 

 

 「貴女は優等生であるからこそ、どうしても無意識に教師を上に置いてしまう。教師ならば正論を理解してくれると甘えてしまう。それではいけません、まずは教師を見下し、冷ややかな目で冷静に観察することも学びなさい。プレゼンテーションの相手とは、自分より優れた知見を持ち、良いものであれば取り上げてくれる賢者とは限らない。愚者相手には、それなりのプレゼン方法があるもの、アドルフ・ヒトラーの大衆扇動演説などは良い例です」

 

 マグル生まれであるハーマイオニーには分かる。その言葉がどういうことを意味するか。

 

 この場に、アドルフ・ヒトラーを知らない魔法族の子は多くいるが、それでもニュアンスを汲み取ることは出来ただろう。

 

 少なくとも“この悪霊が例に出すような人物”、“こいつが好むタイプの歴史人物”ではあるのだと。

 

 

 「私は愚かにして不正を好み、生徒のことを何とも思わない最低のクズ教師。対悪霊戦線を率いる貴女はその情報を知っている筈なのですから、“教師たるもの公平でなくてはならない”という実効性のない教育の大義などに拘らず、如何に私を出し抜くかを考えねばならなかった。あるいは、割り切って私が好む回答をするか、ようするに権力に媚を売るということですが」

 

 「私は絶対にそんなことしません!」

 

 「良い覚悟です。その勇気には5点をあげましょう。ならば、貴女は戦わねばならない。私に取り入るのではなく、あくまで自分のやり方で対抗するとあらば、まずは良く敵を観察すること、そして敵の特徴を把握する。その上で、私に“まいった”と言わせるにはどうするべきかを考えるのです。その面での先達には、ウィーズリーの双子が最も相応しいでしょう」

 

 戦うということは、何も正面からぶつかるばかりではない。

 

 孫子に曰く、兵は詭道なり。

 

 勝つためには情報というのは非常に重要であり、如何に相手の裏をかくかが、司令官の大なる役割であると。

 

 

 「例えば今回のレポートですが、他の回答例をあげましょう。シェーマス・フィネガン、“自動車を空に飛ばす、2015年には出来るはず”。確実にとある映画の影響を受けたと見えますが、60点ですね。魔法族の発想としては平凡ですが、2015年に出来るというその点にユーモアを感じます」

 

 ちなみに、ただ自動車を空に飛ばすと書いた生徒は、40点だった。

 

 このことからも、どれだけ自分好みの要素があるかどうかで点数をつけているかが分かるというもの、つくづく最低な教師である。

 

 

 「次に、ネビル・ロングボトム、“特急が海を走ってアズカバンへ行く”。なかなか面白いアイデアです、海の上を直接列車が走るというところに幻想らしい発想があり、到達点が絶海の孤島であるアズカバンという点がなかなか。これは70点です」

 

 どこかの大海賊時代を迎えている漫画の世界で在りそうな代物である。

 

 まあ、ホグワーツ特急も十分に魔法の列車なのだから、アズカバン行きの海列車があっても確かにおかしくはないのかもしれない。

 

 

 「次に、ロナルド・ウィーズリー、“電話ボックスを暖炉にする”。流石はウィーズリー家、シンプルながらも常に斜め上をいきます、80点。魔法省のマグル側入り口からのアイデアでしょうが、暖炉にするという着眼点が素晴らしい。他の生徒の回答に電話をポートキーならありましたが、電話ボックスを暖炉にするとは他にありませんでした」

 

 この辺りは確実に、父親のアーサー・ウィーズリーの影響もあるだろう。

 

 常にマグル製品を趣味で好んで集めている父を間近で見てきたからこそ、素朴ながらも微妙にずれた発想に至ったと見える。

 

 

 「そして最後に、二年前にこの課題を受けた双子のウィーズリーの伝説的回答を紹介しましょう。これを超えるインパクトは恐らくしばらくはないと思われます」

 

 

フレッド・ウィーズリー

 ・パンジャンドラムが空を飛んで潜水艦になる

 

ジョージ・ウィーズリー

 ・パンジャンドラムが機関車になって二足歩行する

 

 

 「はい、英国面が爆発しております。かつて第二次大戦時にマグル世界にも存在した、魔法使いに負けず劣らずの幻想を夢見た気狂い男達。そのゴーストに憑りつかれでもしたのか、常識を根本から覆す素晴らしい回答をしてくれました。レポートには150点を、グリフィンドールにも20点を与えたものです」

 

 ちなみに、二人は互いのアイデアを秘匿にしており、共謀することなくパンジャンドラムが重なったという。流石は双子である。

 

 この奇跡的なコラボレーションには、流石の悪霊も頷かざるを得ず、“見事なり”と心から称賛の声を送ったものだった。

 

 

 

 「とまあ、こういう訳でして、教師がどんな回答を求めているのか、それを察して答えるのが“賢さ”というものです。正論だけではこの汚い世の中は回りません。権力というものを横暴に、このように汚く行使する教師はいるのです、今貴女の目の前に」

 

 「……納得いきません。絶対納得できません」

 

 「貴女が納得せずとも、世界はただ愚かに在るがまま回っている。まるで時計の針のように止まることなく。私は魔法史の教師として人類の愚かな歴史を貴方達生徒に示すことが役割ですので、納得しなさいとは言いません。いつも言っているでしょう、自由に楽しく思うままに為せばよいと。ただし、つまらないありきたりな悲劇や虐めなどは不要です、見ていて楽しくありませんので」

 

 「分かりました。絶対いつかダッハウ先生に“まいった”と言わせて見せます」

 

 「その意気です。他の生徒も彼女のこの姿勢は見習うように、その不屈の闘志に5点を与えましょう」

 

 かくして、グレンジャー将軍の闘争の日々は続いていく。

 

 果たして彼女が、いつか悪霊の討伐と調伏に成功する日は訪れるだろうか。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「おや、ポッターさん。お久しぶりですね」

 

 夜、それはゴーストたちの動く時間帯。ゴーストたちを管理する裏側の管理人の仕事も当然この時間帯が多い。

 

 昔はただ“時計塔の悪霊”と呼ばれ、今は“ホグワーツの天敵”、“動くゴミ”、“存在する害悪”と生徒たちから呼ばれる彼は、いつも通りに城のあちこちを見回りながら、アレコレとゴースト達に指示を出していた。

 

 そんな彼が足を止めたのは、顔見知りの男子生徒を目に留めたためである。

 

 

 「あ、ダッハウ先生。久しぶりってほどでもないと思いますけど。そうそう、夕方頃にマクゴナガル先生が探してましたよ」

 

 呼びかけに答えた男子生徒の名は、ハリー・ポッター。

 

 いつもくしゃくしゃの黒髪に、丸い眼鏡が特徴的な、グリフィンドールの一年生。そして、とにかく複雑な家庭事情に加え、様々な騒動に巻き込まれることの多い生粋の苦労人である。

 

 

 「そうですか、ありがとうございます。この場でその言葉をまた聞けるとは、何とも懐かしいやり取りです」

 

 「また? ひょっとして、父さん達と」

 

 「いいえ、今は亡くなられた貴方の祖父君。フリーモント・ポッターさんとの会話でしたよ。透明マントは彼の頃も当然ポッター家の家宝でして、貴方がそうであるように、こうして夜の学校を探検するのは変わり者の多いポッター家の伝統のようなものですか」

 

 それは今から、40年近く昔の話。

 

 当時、六年生であったポッター家の少年は、魔法史の教師になったばかりの悪霊と、ここで世間話に興じていた。

 

 

 「お爺ちゃんが、ですか。ホントにダッハウ先生って長く教師やってるんですね」

 

 「流石にダンブルドア校長先生には勝てませんが、今では私が彼に次ぐ古参になってしまいましたね。これでも、貴方の祖父と会話した頃は新米教師だったのですが」

 

 「新米教師のダッハウ先生……全然想像できない」

 

 その当時の授業内容と比べて、どちらが酷いかは中々判別が厳しい。

 

 何せ、生徒の黒歴史が暴露されていた点では、何も違いはないのだから。

 

 

 「どうですか? 深夜の散歩は。お父上らから色々と話しは伺っているでしょうが、この不思議に満ちた魔法の城は」

 

 「うーん、上手くいえないんですけど、面白い、かな」

 

 「なるほど、“面白い”ですか」

 

 「楽しいとか、ワクワクするとか、ちょっと怖いとか、色々ありますけど、やっぱり、面白いんだと思います」

 

 騒がしい父から、寡黙な父から、母から、名付け親から。

 

 他にも様々な人からこの不思議な魔法の城については聞いてきたハリーだが、それでもやはり、自分で体験すると驚かされる。

 

 

 「ふむ、それはなによりです。ここは昔の品々を保管する倉庫のような場所であり、様々な探検家が通り過ぎていきましたが――おや、あの鏡はここにありましたか」

 

 「鏡?」

 

 珍しく、本当に今気づいたことを素直に言うように。

 

 時計塔の悪霊は、あるものを指していた。

 

 

 「ええ、鏡です。私は悪霊ですので当然映ることはないですが、ポッターさん、貴方は何か映っているのが見えますか?」

 

 「危険なものじゃないんですよね?」

 

 「疑う心はご立派です。はい、アレは危険な品ではありません。血を吸ったり生首を求めたり、魂を吸い取ったりはしませんのでご安心を」

 

 どんな時でも、悪霊の言葉は疑ってかかれ。

 

 悪戯仕掛け人たちや、セブルス・スネイプより、耳にタコが出来るほど聞かされて育ったハリーである。警戒心は絶対に忘れない。

 

 そして、やや警戒しつつもゆっくり歩き、大きな鏡の前に移動した彼の目には―――

 

 

 「……僕が、映っているだけですけど」

 

 「ほう、他には何も映っていないですか」

 

 「ダッハウ先生が映っていてもおかしくないはずですけど、やっぱり映りません。ホントに、ゴーストって映んないんですね」

 

 「なるほどなるほど、ありがとうございました。私も一介のゴーストであるようで安心しましたよ」

 

 「でも、ダッハウ先生、昼の授業は流石に、あれじゃあハーマイオニーが怒るのも当然ですよ」

 

 「おっとポッターさん、それ以上はいけません。迂闊に悪霊教師に忠告すれば悪質な減点が待っています。それでは、また授業にて」

 

 嘯くように言いながら、悪霊は静かにその場を離れる。

 

 ここではないどこか、誰かの記憶を参照しながら。

 

 

 

 「今に満ち足りている者が見たならば、鏡は何も映さない。でしたか、ダンブルドア先生。いえいえ、中々に興味深い」

 

 時計塔の悪霊は、観測結果を記録する。

 

 誰かが時計に込めた祈りは、果たして。

 

 

 「貴女の願いは、きっと叶う。いいえ、もう既に叶っているのでしょう、我が創造主よ」

 

 

 




頑張ってハーマイオニー、いつか悪霊を倒すその日まで


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8話 誤魔化しの忘却時計

この話では、逆転時計について独自解釈が登場します。
あくまで、本作においての解釈の一つであるとご認識いただければと。


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【神秘部 オーガスタス・ルックウッド】

 

 神秘部。ここはその名の通り魔法の神秘について解き明かすための部署である。

 いいや、部署という言い方は正確ではない。研究機関、狂人の蔵、知識の墓と言うのが適切か。

 

 ここで行わるのは開発ではない。我々は魔法に利便性を求めることなく、経済性など度外視する。

 マグルの投資家からすれば気狂いの集団としか思えまい。

 これほどの叡智を集めながら、全体の利益に還元することなく、神秘の追求のみを行い続ける。

 

 その内容は、多岐にわたる。

 杖魔法の起源について、原初の魔法とは何か。忠誠の呪文、飛翔呪文、許されざる呪文など。

 

 私の分野は、その中でも予言や時間遡行に関するものだ。

 逆転時計が最も知られている器具だが、あれもまた大半は神秘部にて管理されている。

 時について研究を進めるうち、私は一つの仮説を思いついた。

 

 大きな時と、小さな時。

 我らの生きる空間そのものの進み具合の尺度といえる、言わば【標準時計】

 それぞれの生き物の体内において、生まれてから死ぬまでを刻む。言わば【体内時計】

 

 魔法族が制御を得意とするのは圧倒的に後者であり、これは“カイロスの時計”とも呼ばれる。

 マグルが制御を得意とするのは前者だ、こちらは“クロノスの時計”とも呼ばれる。

 

 これらを突き詰めていけば、我々魔法族が何処から来て何処へ向かうのかが示される。

 それが、私の現状における最も有力な仮説である。

 

 我々魔法族は、どの段階でマグルと別れたのか、各地に残る神話と魔法文化の整合性は。

 そして、時を刻む時計は、どこへ向かおうというのか。

 

 『かの時計塔の悪霊は、私が解き明かそうと思っている謎、歴史の闇に詳しい』

 『精通しているというものではない。奴には確実に何かがある』

 『この謎を向き合うことが、私の生涯の研究テーマと言えるだろう』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「いよいよ魔法省の残る部署も2つとなり、このシリーズにも終わりが見えてきました。本日語るのは神秘部についてですが、ここは組織として何たるかを説明することに大きな意味はありませんので、主にその研究テーマについて扱うといたしましょう」

 

 イースター休暇も終わり、春の匂いが徐々に広まっていき、クィディッチの最終戦シーズンも近づいてくるホグワーツにおいて。

 

 年度末が徐々に近づき、学年末試験という歴代の生徒の天敵の影がちらつくようになっても、悪霊教師の授業はいつもどおり。

 

 今日の授業はグリフィンドールとレイブンクローの合同である。

 

 

 「まずは例によって比較論から述べますが、マグルの組織において科学技術の研究はほとんどが民間企業に委ねられております。無論、軍事や原子力など国家の根幹に関わる分野においては例外もありますが、統制経済全体主義、いわゆる“共産主義国家”でなければ、技術開発は民間の領分と言えましょう」

 

 この段階で、魔法族の生徒はおろか、マグル生まれであっても生徒の大半は置いてきぼりだ。

 

 俗に資本主義と呼ばれる自由経済個人主義と、共産主義と呼ばれる統制経済全体主義の違いなど、一年生に分かるわけがない。さらにそこにファシズムや社会資本主義などの異種や複合要素が加わるのだから。

 

 

 「まあ、ここを詳しく述べても仕方がありません。未熟な貴方たちには理解できないでしょうから、省略します。皆さんさっさと頭よくなりましょう、そうすれば私も説明の手間が省けます」

 

 そして、自分の説明の仕方の不親切さを生徒の未熟のせいにしていくゴミ教師。

 

 だが、そのことで今更反感を持つ生徒などここにはいない。既にもう下がりようのないところまで、悪霊教師の評価は底をいっている。

 

 

 「魔法族で例をあげるならば、ダイアゴン横丁ですね。新しい魔法製品の発明のみならず、魔法技術そのものを、各店舗の商売人とそれぞれの店に雇われる研究者が担っているとイメージしておいてください。技術開発に絡む経済産業省などについて説明すると授業が一コマ必要になるのでここも省略します」

 

 とかく、近代以降のマグル社会において、科学技術の発展と民間企業の投資、そして国家の指導というものは密接に絡んでいる。

 

 かのアメリカの発明王エジソンと自動車王フォードらが、発明と市場と社員の利益の循環システムを作り上げて以来、革新を経ながらもその形で回り続けてきたのだ。

 

 

 「マグル社会ならば科学、我々の社会ならば魔法。それぞれに根幹となる技術体系があるわけですが、魔法省の地下9階に位置する神秘部は、その根源を解き明かすことを理念としています。マグル風に言えば理学に偏っており、工学的ではありません」

 

 マグル側ならば、物理屋、数学屋、天文屋と呼ばれる博士や教授らが似た立ち位置にいるだろう。

 

 彼らは確かに星の成り立ち、素粒子の解明、気象現象そのものの数式化などの根源を解明する者らだが、その研究が直接新しい家電や自動車の開発に用いられる訳ではない。

 

 同様に、神秘部の研究テーマも度合いが“深すぎる”ため、一般の魔法使いが暮らすための技術に応用するのは何段階ものステップを踏まねばならない。

 

 

 「彼らの研究する内容と、実際の運用についての実例として、“逆転時計”をここでは取り上げます。一年生の皆さんにはまだ関係ありませんが、三年生になった際に12教科の全てのカリキュラムを取るつもりならば、この逆転時計が貸し出され運用されますので、例にはちょうどよい」

 

 その言葉に、グリフィンドールからはハーマイオニー・グレンジャーが、レイブンクローからも数人の生徒が即座に反応した。

 

 この悪霊、そういうことをあっさりと前触れなしに述べることもまた多い。

 

 

 「こちらの机に置かれている、砂時計をベースに金の鎖で組み上げられた時計。これが逆転時計のレプリカです。形は一定に決まっているわけではなく、時を遡る機能を持つならばそれは逆転時計の一種と定義されます」

 

 悪霊が語るに並行しながら、文字がひとりでに空中に描き出され、その定義を示していく。

 

 ・人の時間に大きく関わる魔法の器具である

 ・ひっくり返すことで、使用者は時を遡る

 ・その扱いには極めて注意が必要である

 ・扱いを間違えれば、人が消えることもある

 ・最悪の場合、歴史そのものが消えることすらも

 

 

 「ここにあげた記述だけでも、相当に危険な代物であることは分かります。ただし、時計の精度によって危険度に大きな差はあり、簡易なものであれば忘却術とさほど差がないものであることをまずは念頭に置きましょう」

 

 時計塔の悪霊は語る。逆転する時計は、さして大仰なものではないと。

 

 それは自嘲するように、あるいは、誰かを嘲笑うように。

 

 

 「基本的な逆転時計の材料には、“生き物の体内時間を食べる魔法生物”が使われています。皆さんも知っての通り、魔法生物の中には自分の大きさを自在に操れる種がいますが、つまり彼らは“自己の体内空間を操れる”。それと同じく、“自己の体内時間を操る種”も数多くいます」

 

 例えば、卵から一瞬で孵化したり。

 

 例えば、石化したように時が止まったようになったり。

 

 普段はその程度のものと認識しているが、紐解いてみれば時間や空間の制御に密接に絡んでいる魔法生物は案外に多い。

 

 というか、そこを“隠れ蓑”に出来なければ、もとよりマグルから身を隠せるはずもないのだ。

 

 

 「最も身近な実験を述べるならば、カエルに魔法薬の“縮み薬”を飲ませた場合の変化がそれです。膨れ薬の反対なのですから、普通に考えれば“小さなカエル”に縮むはずなのですが、不思議なことに“オタマジャクシ”に変化するのです」

 

 カエルがオタマジャクシになるとは、つまり“時を遡る”ということ。

 

 極めて限定的であり、そのカエルの体内時間に限った話ではあるが、下級生が煎じられる程度の魔法薬でも、時への干渉は可能なのである。

 

 

 「そしてここが、魔法が曖昧であり、“誤魔化し”の要素が大きい由縁でもある。先に上げた例で、“縮み薬”の効果はカエルの時を戻したとも取れますが、同じ結果だけを求めるならばマクゴナガル先生の変身術でも簡単に出来るのです」

 

 魔法の杖を一振りすれば、カエルでなくとも、コインをオタマジャクシに変えることだって出来る。

 

 そうなると、疑問が次々に連鎖していく。

 

 

 「原因と結果、東洋ではこれを因果と呼びます。“何かをしたら、カエルがオタマジャクシになった”というのがその相関関係であり、この“何か”を様々に誤魔化せるからこそ、魔法族はマグルから秘匿していられるとも言えます」

 

 縮み薬を飲んだカエルは、“時を戻って”オタマジャクシになったのか、それとも、変身術の効果でオタマジャクシになったのか。

 

 いいやそもそも、変身術による変化と、時を遡ることの変化は何が違うのか?

 

 

 「時の因果関係を考え出すと、確実に頭が混乱しますのでここでは詳細は述べません。あくまで実例としてのツールの使い方、使用例を述べながら、“そういうものだ”という認識と、“扱う際の注意点”に的を絞ります」

 

 悪霊が語ると、さらに説明文がひとりでに浮かび上がっていく。

 

 

例1

 記憶リセット部隊の持つ“忘却時計”

 一時間単位で、記憶に関する時だけを逆転させる。脳の状態を数時間前に戻す。

 

例2

 生徒に二つの授業を受けさせる。カリキュラムの誤魔化し。

 

例3

 死喰い人が侵入して校舎が破壊されたのを、ダンブルドア校長が力業で解決した

 ⇒ 生徒達が偶々居合わせ、先生方との尽力の賜物で、ギリギリで回避されたと修正した。

 

 

 

 「第一の例ですが、これは実際に運用されている魔法具の一つ。対象を杖で指し示し、鎖で繋がれた時計を一回ひっくり返すと、対象の脳の状態が一時間前にリセットされます。忘却術師が不足していたり、とにかく大人数のマグルを誤魔化す必要がある際などに用います」

 

 極めて限定的であり、最も簡易的な逆転時計の一つ。

 

 遡行対象を“脳の時間”に限定し、影響する範囲を記憶というとても曖昧な対象にするとこで、パラドックスの危険性を極小にしている。

 

 要するに、誤差があろうとも記憶違い、思い違いで済むからだ。

 

 

 「繰り返しになりますが、逆転時計の基本用途は“誤魔化す”ことです。起きてしまった事象を根本から変えられるわけではなく、解釈や因果を多少弄る程度のものであるとの認識を忘れてはなりません」

 

 それがすなわち、時というものを扱う際の注意点。

 

 境界線を踏み外せば、大きな時の断崖に簡単に墜ちてしまうのだから。

 

 

 

 「第二の例ですが、こちらは最初に述べたホグワーツで生徒に貸し出される逆転時計。時計をひっくり返すと生徒は一時間の時を遡り、二つの授業を同時に受けることが出来るようになります。つまりは、私のように遍在することになるのです」

 

 聞いた瞬間、生徒の誰もが逆転時計を使いたくないと反射的に思ってしまった。

 

 “ダッハウと同じ様になる”と言われて、喜ぶ生徒などホグワーツには存在しない。

 

 

 「このような運用の場合、逆転時計の遡行によって変化しうる範囲は、“戻る本人”よりも、“送り手”に依存することになります。今現在ではマクゴナガル先生が受け持っておられますが、生徒に二つの授業を同時に受けさせる程度は、彼女に可能な誤魔化しの範囲内です」

 

 例2の場合、仮に時を遡行して自分と出会ってしまったとしても、それだけでは致命的な矛盾にならない。

 

 魔法界において“常識”の範疇内で、自分と同じ顔に出会うなんてことはままある。変身術、七変化、ポリジュース薬など。

 

 自分と同じ顔に会って、真っ先に“逆転時計で遡行して来た自分”を疑う魔法族など存在しない。より常識的な脅威として、悪意ある他者による自分への成り代わり、すり替わりを疑うのが当たり前だ。

 

 何せ、自分とそっくりに変身して行う悪事なんて、簡単に想像できるのだから。

 

 

 「マクゴナガル先生が変身して受けていた、とかなり苦しいですが言い訳することも出来ますし、もっと簡単に“ダッハウがやらかした”と言えば誰もが納得するでしょう」

 

 生徒の全員が頷いた。そりゃそうだ。

 

 それこそ、悪意ある他者によるすり替わりで、真っ先に疑うべきはこの悪霊だ。というか、常習犯でもある。

 

 書類を書き換えたり、別の場所にいた生徒が“自分の講義を受けていた”ことにして、夜間学校のちょっとした雑用を依頼したり。

 

 悪霊共が跋扈する魔法の城について、たかが逆転する時計の一つや二つ、今更というものだ。

 

 

 「実際に起きている効果としては、時計の形をした魔法生物が、生徒の体内時間を“一時間食べてしまった”という解釈が妥当でしょう。時間を丸ごと食べられれば記憶も含めて一時間前に戻るはずですが、送り手であるマクゴナガル先生と“アンカー”を繋いでおくことで、授業の記憶程度は何とか保持する」

 

 実際に書かれた羽ペン、ノートなど、それらも全ては“ホグワーツのもの”であるからの誤魔化しの範囲だ。

 

 何せ、悪霊事務員らが自動速記羽ペンを見えないところで動かしまくっている学校である、書いた人物不明の紙やノートもまたそこかしこに“遍在”している。

 

 

 「特定の記憶を保護し、瓶などに固定することについては、上級魔法使いの必須技能でもあります。マクゴナガル先生やスネイプ先生らを始め、ホグワーツの教師ならば多くの方が実行できます。少なくとも、寮監ならば全員が可能です」

 

 つまるところ、逆転時計が食べて送られてくる“生徒の一時間分の授業の記憶”を、教師が管理している形だ。

 

 昔は、生徒一人につき教師がつかねばならなかったため、学年首席程度に限られたそれらだが、“時計塔の悪霊”が現れて以降は、もう少し先生方の負担も軽くなっている。

 

 何せ、ホグワーツで逆転時計が食べた記憶は全て、大きな時計に収められるのだから。

 

 

 

 「そして第三の例、こちらは1979年の魔法戦争の真っ最中に実際にあったことです。死喰い人がホグワーツへの潜入を試み、あちこちの重要設備を破壊して回ったのですが、ダンブルドア先生が帰還なさり、全員叩きのめしてアズカバン送りにした件ですね」

 

 当時は戦争中ということもあり、余計な不安や混乱を抑えるのが政治的課題でもあった。

 

 よって、シグナス・ブラック副校長の判断もあり、逆転時計をやや大規模に使用して因果を修正した。

 

 本来の歴史の流れでは“ダンブルドアが力業でやった”ことを、数時間分過去に戻ったシグナスが、様々な教師を配置して対策し、死喰い人を速やかに発見して拘束、偶々居合わせた生徒の尽力もあり危機は未然に回避されたことにした。

 

 

 「行っている事自体は、マグル社会でもよくやる“大衆向けに調整した政治ストーリー発表”と大差ありません。それを魔法界の場合は逆転時計などを用いることで、実に魔法らしく誤魔化す手段を持っているだけの話」

 

 例3の場合においても、結果だけを見れば関係者を口封じしたり、錯乱の呪文を大規模にかけたり、忘却術で片っ端から記憶を改竄しても同じ効果は得られる。

 

 それは決して、一般的な魔法手段によってもたらし得る結果を逸脱するものでなく、“誤魔化しの手段”として逆転時計を使っただけで、別に忘却術でもよいのだから。

 

 どの手段であってもリスクや、秘密の漏洩の可能性はあり。時計遡行による誤魔化しを選ぶかどうかは、使用者の状況と決断次第だ。

 

 そして、“最終的な結果”に差は出ない。あくまでアルバス・ダンブルドアが送り手である以上、彼が実際になしうる範囲を超えた結果への誤魔化しは不可能である。

 

 

 「この点、“何処まで誤魔化せるか”は非常に判断の難しい境界線であり、その難しさが逆転時計の運用の厳しさの根幹にあります。幸い、ダンブルドア校長の可能な範囲は非常に大きいので事なきを得ることが大半ですが、限界点があることを常に忘れてはなりません」

 

 よって、“対象の体内時間を食べる逆転時計(タイムターナー)”は、真実薬(ベリタセラム)や幸運薬(フェリックス・フェリシス)同様、取り扱いに厳重な注意が必要なものであるが、それだけでは他を逸脱した危険道具とはならない。

 

 むしろ、せいぜい記憶改竄、事実誤認、誤魔化しに使う程度ならば、効率的な道具といってよい。

 

 生徒の「カリキュラムの誤魔化し」に使われるのは良い例だろう。何しろ、その目的ならば忘却術は意味がない。学んだことを忘れさせてどうするのか。

 

 

 

 「全ては、使い手と送り手の範囲に収めること。時から戻ってくるアンカーとなり、時計に食べられた時間を回収する起点となる人物の範疇を超えれば、矛盾は大きく広がっていく。これは非常に危険であり、明確なタブーが一つあります、すなわち“生まれる前に戻ること”」

 

 その範疇を超えてしまう、【明確なタブー】として最も分かりやすく規定できるのは、自分の生まれる前に遡行すること。

 

 逆転時計の基礎機能が、“体内時間を食べる”である以上、生まれる前に戻るというのは「小さな時計」の範疇を確実に超えてしまっている。それ以前には使い手は絶対に存在し得ない矛盾存在なのだ。

 

 使い手が意識せぬまま、大きな時計の領分に足を踏み入れてしまえば、時の断崖や狭間から戻ってこれなくなる危険は増大する。

 

 

 「必ず覚えておくように、扱いに失敗すれば、使い手は時の流れから忘れられてしまう。小さな時計は消え去り、そのことを記録するのは、大きな時計だけとなるでしょう」

 

 その言葉は、神託のように教室に響き渡る。

 

 忘れるなと、魔法の城そのものが、遍在する霊の総意が、生徒達に忠告するように。

 

 

 「そのような次第で、逆転時計の“大きな時の流れにも干渉しうる”品は、未熟者が不用意に手を出さぬように神秘部で厳重に管理されています。ただ、かつて起きたニューヨーク集団忘却の件のように、『範囲の広い強力な逆転時計』が必要になるケースはありうることから、魔法省とて全てを廃棄するわけにもいかないのが現状です」

 

 いざという時の、魔法界の秘匿のための切り札でもある。扱いを間違えれば鬼札となるのが厄介な点だが。

 

 神秘部管理の似たようなアイテムに、『幸運サイコロ』があるとも伝わる。フェリックス・フェリシスの効果があるサイコロで、“当たり”が出れば強運に恵まれるが、“外れ”が出ると今までの幸運の分だけ不運がまとめて襲ってくるとか。

 

 とにかくそういった運命干渉系の不思議アイテムに満ちているのが、神秘部という場所なのである。

 

 

 

 「身の丈の超えた宝を求めれば、破滅の未来がやってくる。これは、逆転時計や幸運薬に限らず、多くの魔法、そして、権力、財力、親の七光り、あらゆる事柄に通じるものがあります。マグルも魔法族も、そこに差異はありません」

 

 魔法の神秘も、科学の発達も、一歩間違えれば破滅につながる。

 

 

 「ならばこそ、物語の英雄譚において、主人公の栄光と身の丈を超えた破滅は常に表裏一体となっている。その境界線は非常に難しく、一歩踏み越えると断崖の底まで落下してしまう」

 

 イギリスの英雄、アルバス・ダンブルドアがそうであるように、国を背負う、率いるとはその危険性と隣合わせであり。

 

 

 「ですが同時に、諸国の統一、文明の進歩、新大陸の発見。偉業を行った英傑達は、常に身の丈を超えた大望を胸に懐き、破滅の未来を恐れずに突き進んでいった。ホグワーツ創建という偉業をなした四人の創始者もまた然りです」

 

 だがそれでも、偉人たちは勇気を持ってその先へ歩を進めた。

 

 

 「望む宝を得るために、多くの人間を危険へと駆り立てる。逆転時計など、強大な可能性を持つ魔法の宝の最も危険な点とはそこにある。ですがそれは、未来の可能性と常に表裏一体でもあることを、未来ある貴方たちは忘れてはならない」

 

 自らの力を過信せず、自覚した上で踏み込む勇気と。慢心の果てに破滅へ向かうのは全く別のこと。

 

 無地のキャンパスに絵を描くが如く、未来はまだ何色にも染まっていないからこそ夢が映える。

 

 時の巻戻りは魅力的であろうとも、いつまでも巻き戻ったままでは永遠にループから抜け出せなくなってしまうものでもあるから。

 

 

 「偉大なる創始者達の築きし、ホグワーツの生徒であること、それだけは常に意識なさい。時計は何時でも、貴方たちの破滅と黒歴史を見つめ続けているのですから」

 

 そして、創始者たちの封じし時計塔の創造者は、とある英雄が身の丈を超えた結果を背負わされていると感じ、破滅の未来しか待っていないことを嘆いた。

 

 だから、大きな時計を逆転させてでも、願うのだ。

 

 どうか、身の丈を超えた英雄としてではなく、平凡であっても幸せな誰かとして、過ごしてくれることを。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「なんか、今日の授業のダッハウ先生はいつもと少し違ったかしら?」

 

 「そうかい? 僕はいつもどおりのダッハウ節だったと思うけど、ハリーは?」

 

 「割りと真面目な内容だったけど、たまにああいう感じな時もあるし、違和感ってほどじゃなかったかな」

 

 悪霊の魔法史を終えて、ハリーがクィディッチの練習を終えた放課後。

 

 グリフィンドールの対悪霊戦線の三人組は、今日も仲良く談話室にて復習やら相談やらをしている。

 

 ハリーはそろそろ決勝シーズンが近いため、ウッドの練習もいよいよ熱が入るどころか、地獄の業火もかくやという状況だ。友人二人の授業サポートがなければ流石に辛い。

 

 特に、ハリーをウッドへの生贄にしたことに若干は罪悪感の欠片を持っているロンは、親身にノートを取ったりしてくれる。

 

 

 「うーん、私の考えすぎかしら。逆転時計についての話は、とっても重要なことを託すというか、語りかけているように感じたんだけど」

 

 「あのダッハウが? まっさかあ」

 

 「流石にそれはないと思うよ、ハーマイオニー」

 

 重要なことを託す。これほど、あの悪霊に似合わない言葉もない。

 

 何せ、人の黒歴史を嘲笑い、暴露することを生き甲斐するドクズ野郎である。アイツにとって重要なこととは人の歴史の収集くらいだろう。

 

 

 「ダッハウ先生は屑よ、それも最低のね。そこは私も疑ってないわ」

 

 「お、おおう」

 

 「言う時は言うよね、君」

 

 優等生の何気ない辛口にちょっと引き気味の男子二人、やはり美人がやるからこその凄みだろうか。

 

 燃えるようなその瞳は、欠片の躊躇もなく、“ダッハウは屑だ、絶対許さぬ”と言葉にせずとも語っていた。

 

 

 「ただ、そう。マクゴナガル先生が逆転時計の運用を担ってらっしゃることというか、このホグワーツ自体が逆転時計のことをどう考えているのかとか、その辺りが気になったの」

 

 「校長先生たちが、かい」

 

 「それもあるけど、本当にこの城の全てがよ」

 

 「あの夜間学校も含めてとなると……確かにちょっと僕も気になるかも」

 

 この城は、とにかく不思議に満ち溢れている。

 

 そして、数ある秘密の中でも特に古いものとされる謎の時計塔。

 

 裏側、夜、幽霊、そういったものを司るあの悪霊が、かつて“時計塔の悪霊”と呼ばれていたことは、対悪霊戦線の生徒達も知っている。

 

 ただし、その厳密な因果関係については、何もかもが謎のままである。

 

 

 「例の賢者の石騒動のことといい、あの廊下の向こう側でダッハウ先生が何かとんでもないことをしてそうなのは事実だし」

 

 「そこは間違いないよな」

 

 「あとはとんでもないに碌でもないを付けるべきかな」

 

 あの悪霊の行動を追っていくと、正直なところよく分からない。

 

 ただ、何か秘密を持っているような気はする。かと思いきや賢者の石のようにいきなり暴露してきたりする。

 

 何かがはぐらかされているようで、でもそれが掴めない。

 

 

 

 魔法の城に迫る死喰い人の脅威を、一切覆い隠すように稼働する誤魔化しの時計。

 

 時計は何かを隠し、何かを誤魔化し、誰かのために動いている。だがそこに、本当に秘密があるかも定かではない。

 

 あるいは、常に悪霊の語るように、遊び半分で本当に大した理由などないのかもしれない。

 

 知っているのは恐らく、時計塔を封印した創始者達くらいであろう。

 



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9話 魔女の家と魔法の城

 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【魔法ビル管理部 差出人不明】

 

 魔女の家のお伽噺について。

 これはマグルに伝わる伝承の一部であり、同時に我々魔法族のお伽噺だ。

 

 魔女とは、単体ではなく、家の中枢であると同時に家の所有物である。

 魔女が家を持つのではない、家が魔女を囚え、その中枢に据えるのだ。

 であるならば、魔女とは家を保つための生贄であるとも呼べるだろう。

 

 ここにおける“魔女”とは、魔法使いの女性を指す言葉ではない。

 垣根の向こうを飛ぶ女、法の向こう側にいる者。

 つまりは、常識の外側のいる恐るべし者という意図であり、ある種の蔑称だ。

 

 家、あるいは屋敷。それ自体が生き物であり、絵画も扉も屋根も廊下も、

 全ては家の一部であり、連動して魔女を逃さない。

 

 実に興味深い話であり、同時に疑問も生じる、“屋敷しもべ妖精”とは何者だろう。

 彼らは、主人のしもべではない、屋敷のしもべなのだ。

 屋敷に仕え、魔女の世話をし、時に高度な魔法を使いこなす。

 

 本当に、家に囚われているのはどちらなのだろうか。

 多くの純血名家とは、数百年の長きに渡り、屋敷に縛られ続けているのでは?

 なぜ彼ら屋敷しもべは、常に主人やその子供に申し訳無さそうなのか。

 まるで、絶対に言ってはならない秘密を抱え、苦しんでいるように。

 

 生贄は、奴隷は、どちらなのだ?

 純血を極めた果てに、朽ち果てた小屋になおも縛られた魔女を私は知っている。

 ああ、ならば彼女こそ、本当の魔女と呼べるだろうか。

 

 

 『古き記録は多くを語らず』

 『屋敷しもべもまた、古き盟約について我らに語ることはない』

 『彼らの求める解放とは、一体何からの解放であるのか』

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「いよいよ期末テストが近づいてきました。試験までもはや数週間もありませんが、私の授業に停滞という言葉はありません。試験対策の自習時間などは設けませんので、今日も授業を進めていきます。さあ頑張りましょう、試験、テスト、赤点、再試、落第、ノイローゼ、素晴らしい言葉です」

 

 ついに5月も下旬に差し掛かり、6月の期末試験まで秒読み段階となってきたホグワーツ。

 

 一年生にとっては初めての期末試験であり、フクロウ試験の五年生やイモリ試験の七年生についてはノイローゼの向こう側に行きそうな者も多いこの時期。

 

 悪霊教師の授業が最も嫌われるのもこの辺りだ。聞きたくもない単語をマシンガンの如くに連発してくる。

 

 さらに、マグルに則ってスパルタ式でもあり、“授業に遅れた者に基準を合わせない”。

 

 

 「地下10階のウィゼンガモット法廷については試験前の最後の授業に回すことにしますので、本日は地下8階のアトリウムに隣接する魔法ビル管理部。というよりも、魔法界における“屋敷”というものについてお伽噺の側面も交えて語っていくとしましょう」

 

 とはいえ、ノーグレイブ・ダッハウの試験に、暗記というものはない。

 

 魔法史の授業であるにもかかわらず、正確な年数などについては一切重きを置かないのだ。それよりも、どのようなことが起こり、何が変わっていったか。そしてそれに対して歴史に学ぶべき教訓と、未来にどう生かすべきかを試験で問う。

 

 そういう意味では、実に実践的な試験と言える科目であり、優しめな闇の魔術に対する防衛術のリーマス・ルーピン先生の試験よりも、こちらに警戒する生徒も多いくらいである。

 

 何せ、試験で尻尾爆発スクリュートが出てくることすらあり得るのだから。

 

 

 

 「魔法族の家、ここではあえて“屋敷”という言葉を用いますが、屋敷の第一の特徴として挙げられるのはその独立性の高さです。多くの家が集って村を形成することで集団単位で生きてきた歴史の長いマグルと異なり、魔法族は屋敷に住まう血族を単位として考えてきました。これは時計についても言えます」

 

 以前の講義で出てきた、逆転時計に関する話で、“大きな時計”と“小さな時計”という概念があった。

 

 マグルは“大きな時計”を重んじ、出勤時間、退社時間、あらゆるものを時計に合わせて行い、何十万人もの行動を時計に合わせて制御する。

 

 対して、魔法族は“小さな時計”を主軸に据え、魔法族の屋敷にある時計とは、今家族がどこにいて、何をしているかを指すもの。つまり、各々の“体内時計”をそこに表示しているのだ。

 

 そこを厳密に合わせるという発想は元来なく、ホグワーツにしてもマグル生まれが多く入ってくるまでは、正確な授業時間という概念すらなかった。

 

 教会の鐘に合わせて、正確に起床して寝るという文化は、キリスト教徒のマグルの発想なのだから。

 

 

 「家と血筋を要として、一つの共同体を形成。だからこそ時間の進み方も家単位で考える。食事も、洗い物も、魔法薬の調合も、魔法生物の世話も、様々な生活における基盤は屋敷内で賄われる形で成り立ってきたのです」

 

 ウィーズリー家であれ、マルフォイ家であれ、ブラック家であれ、その点には違いはない。

 

 純血の家の生活は、基本その屋敷内で完結する仕組みを持つ。ホグワーツやダイアゴン横丁に出かけることはあっても、生まれてから魔法の力に目覚めるまでは、ほとんどを屋敷内で過ごすこととて珍しいわけでもない。

 

 

 「そういった生活文化に大きな影響を与えてきたのは、煙突飛行や姿現しといった移動技術の多様性です。暖炉と暖炉を繋ぐネットワークとは、つまるところ家と家を繋ぐもの。広い世界に街道や水道を敷設することはなくとも、魔法族は屋敷と屋敷を密接に繋げる術には長けていた」

 

 そこについては、魔法運輸局の授業で語られている。マグルとは趣が大きく違うのも当然で、魔法族の移動技術の根幹には見つからぬように隠れることがある。

 

 特に、子供が魔法を使うところ見られれば、姿現しで逃げる手段を持たぬだけに危険が大きい。

 

 魔法省が発達し、部局ごとの公的な機関ができる以前ならば、屋敷だけで生活を完結させ無闇にマグルに関わらせようとしなかったのも当然と言えるだろう。

 

 かのダンブルドア家においても、大切な娘がその境界線を見誤った故の悲劇に見舞われたことがあるのだから。

 

 

 「そうして長い時が過ぎていくにつれ、屋敷そのものが歴史を持ち、生き物のような様相を見せてくることがある。貴方たちにとってそれが最も分かりやすい例が、この魔法の城ホグワーツです。この城はつまり、魔法使いの屋敷の最上位版と言えるものなのですから」

 

 ある程度の魔法使いの屋敷でも、ゴーストが住み着いたり、庭小人がいたり、バンシーやらボガートがいたり、さらには屋敷しもべが仕えたりしている。

 

 建物である屋敷だけではなく、その周辺の庭やら小川も含めてというケースも多い。マグル避けの境界が張られていることも含めて、どこまでを“屋敷の一部”と見るかは、つまりマグルから隠匿している範囲となる。

 

 そうした“隠された領域”の大きさでは、自治領と名実ともに呼べるだけの規模を持つのが、ホグワーツである。

 

 魔法の城のみならず、禁じられた森にはケンタウロスの集落があり、湖には水中人の集落もある。

 

 そして、膨大な数のゴーストが住み着いており、屋敷しもべについてもイギリス魔法界で最大の規模を有している。

 

 

 「今更な感はありますが、魔法使いの屋敷の機能を改めて振り返りたければホグワーツの縮小版を考えてみればよいでしょう。ブラック家の屋敷グリモールド・プレイスなどは有名な例ですが、屋敷とは基本的に外来を拒むもの、マグルより隠れるもの、様々な術で秘匿されるのが基本です」

 

 ウィーズリー家の隠れ穴は、マグルにも開放的な珍しい例だ。

 

 あるいは、近代以降においてはそれこそが共存のために必要であったのかも知れない。

 

 

 「その中でも一つ面白い事例を挙げるとすれば、屋敷しもべ妖精となるでしょう。彼らは名前の通り妖精の一種ではありますが、マグルの伝承に伝わる“取り替え子”(チェンジリング)とも密接な繋がりがあります」

 

 屋敷しもべ妖精の存在は、東洋の座敷童子などに通じるものがあり、家の手伝い妖精という意味ではブラウニーと同一視も可能だ。

 

 ブラウニーへの礼は決してあからさまに付与してはならず、あくまでもさりげなく部屋の片隅など隠すように置いておき、ブラウニーに自発的に発見させなければならない。

 

 もしあからさまに与えてしまうと怒って家を出て行ってしまうとも言われ、座敷童子にも同様の寓話は見られる。

 

 また、ブラウニーが住み込み先の家で働く目的は衣類を手に入れることであり、ブラウニーに対する礼として衣類を与えてしまうと、働かなくなり家を去ってしまうと言われる。

 

 

 「屋敷しもべ妖精に洋服を与えること、これはすなわち解雇の意であり、屋敷との契約が解除されることを意味するのは広く知られています。ならば当然そこに歴史的な疑問が生じます、その契約、始まりは一体何時からなのかと」

 

 北欧の伝説の一つに「取り替え子(チェンジリング)」というものがある。

 

 これはブラウニーたち妖精が、人間の新生児をそっくりな替玉の妖精の子と取り替え、妖精の世界へ連れ去ってしまうというものだ。

 

 取り替えられた実の子は妖精の国で永遠の命を得て暮らすことが出来るが、替わりにやってきた子供は病弱で、ほどなくして死んでしまうと言われる。

 

 新生児の生存率が高くなかった時代において、子を失った親が“実は子供は妖精の国で永遠に楽しく生き続けている”という、心の救いを求めた物語が原点であると言われる。

 

 薄桃色の子供達の世界、アルフヘイムの起源である。同時にそれは、親に捨てられた子供の魂が行き着く場所とも。

 

 

 「屋敷の中核としての魔女を求めて、人間の子供を招き寄せる。その家に迎え入れられ、魅入られてしまった子供達は、家に縛られ、家に留まり血を繋ぎ、そしてやがて純血名家の屋敷というものは生まれる。というお伽噺は紀元前の頃から脈々と繋がっているのです」

 

 始まりに妖精があり、妖精が子供を招き寄せる手段として「家」を用い、そしてやがて“魔法使いの屋敷”が生まれる。

 

 それは神秘部における、魔法使い誕生の仮説の一つとしても語られるお伽噺である。

 

 

 「まあこの場合、子供を招き寄せる妖精の家は何処から来たという疑問が残ってしまうわけですが、そこは置いておきましょう。さて、完全に屋敷に取り込まれてしまった子供は囚われの魔女となってしまうわけであり、二度と出られない仕組みですが、現実の魔法使いはそうではありません」

 

 当たり前に買い物にも、病院にも出かけるし、魔法省にも出勤する。

 

 煙突飛行ネットワークで繋がっているとはいえ、その移動先が“自分の屋敷の中”でないことは明らかだ。

 

 

 「外の子供を現実の存在、家に招いた妖精を幻想の存在と定義するならば、逆もまたありえる。幻想の存在を人間の世界に攫ってくることも可能でなければ天秤は釣り合わない。では、着の身着のままで妖精の家に招かれた子供が妖精に渡せる“現実の物”とはなにか」

 

 子ども自身の身体は当然アウト。それこそが、魔女の家の欲する身柄そのものなのだから。

 

 答えは自ずと限られ、だからこそ衣服を与えることで妖精は幻想の屋敷から解放されるというお伽噺が生まれた。

 

 

 「回答は、着ているものを与えることとなります。その解放を妖精自身が望んだかは定かではありませんが、子供を好いて、屋敷に囚えることを不憫に思ってしまったしもべ妖精が、逃げるための手段を密かに教えたという説もあります」

 

 そうして、子供としもべ妖精は共に逃げ去り、妖精は子供に仕えることとなる。

 

 ただし、屋敷しもべは屋敷あってこその存在。そこに主人がいて、新たな家があるならば、そこが次の屋敷となるだろう。

 

 かくありて、束縛の度合いは多少は弱まりこそすれ、妖精の家は続いていく。純血名家に仕える屋敷しもべ妖精と形を変えながら。

 

 

 「一つの歴史事実として、純血名家において赤子が生まれた際、その世話を屋敷しもべ妖精に任せることは実に多かった。まるでそれが対価だと言わんばかりに、赤子の教育を妖精に委ね、赤子は妖精に守られ、屋敷の子として大切に育てられる」

 

 そして、やがては屋敷を継ぎ、また新たな子を外から迎え、そしてまた屋敷の子は生まれる。

 

 屋敷しもべ妖精だけはいつまでも変わらず、屋敷に仕え続ける。

 

 例え洋服を渡されて解放されようと、命ある限り彼らはやがて屋敷に仕える。魔法族の子供を世話することを本能レベルの喜びと感じながら。

 

 

 「それを奴隷のようだと感じたマグル生まれの生徒は過去にも数多くいました。しかし奴隷であるとするならば、彼らはいったい“何に対しての”奴隷なのか。そして、本当に囚われているのはどちらなのか。その辺りを考えてみることを、本日のレポート課題といたしましょう」

 

 互いに依存し合うことによる共存関係。

 

 それは、魔法族が他の魔法種族の多くと結んでいるものではあるが、屋敷しもべ妖精との関係は一際複雑だ。

 

 

 

 「そしてもう一つ、これは決して忘れないように。魔女の家は生きている、魔法の城は蠢いている。それは元来排他的であり、正式に招いた子供以外の侵入者を絶対に許さない」

 

 ホグワーツは、子供を招き、魔法族の教育を与える魔法の城。

 

 そこに大量の屋敷しもべ妖精を有し、衣食住の様々な面倒を見るが、同時に、子供達なくして絶対にホグワーツは成立しない。

 

 

 「子供に対しては温厚な顔を見せていても、盗人に対しては凄まじく凶暴な捕食者となる。元来、子供を囚え、捕食し、自らの一部として取り込む機能をも、魔女の家とは備えるものなのです。様々な契約と歴史の果てに、その関係が変化していたとしても、刻まれた歴史は消えることはない」

 

 今は優しく、子供達を包み込む学び舎であったとしても。

 

 敵を殺し、囚える地下牢を有し、時には味方同士で殺し合ったことすらもある、凄惨な歴史もまたホグワーツの一部。

 

 

 「屋敷しもべ妖精も、ゴーストも、石像に絵画に、森に住むケンタウロスや湖の水中人に至るまで、ホグワーツに属するものは敵への牙を忘れることはない。ただし、子供が子供であることを自ら放棄したならば、驚くほど簡単に魔女の家は崩れ去るでしょう」

 

 子供とは無邪気なもの。そして、危機に際しては助けを求めるもの。

 

 助けを求める子供がいる限り、ホグワーツでは必ずや救いの手は差し伸べられる。ただし、その手が血の通った人間のものとは限らないが。

 

 

 「親に言われたからと、安全のためにホグワーツを離れる。あるいは、恐怖のあまり仲間を疑い、外の敵に情報を漏らす。そうした行為が城への裏切り行為と取られた時、魔法の城は“かつて子供であった敵”に一切の慈悲なく牙を剥くか、あるいは冷酷に見捨てる」

 

 忘れるなかれ、ホグワーツの要は結束にこそあり。

 

 聞きたまえ、歴史の示す警告を。

 

 

 

 「もはやお決まりの文句になってきましたが、それでも重ねて言いましょう。“私のようになりたいですか?”。生徒にとっての内なる敵こそがノーグレイブ・ダッハウであるならば、貴方たちは決してその様になってはならないのは自明の理というもの。歴史に学びなさい生徒達よ。そして、学ばぬ者は死ぬがよい、私の手駒にしてあげましょう」

 

 組み分け帽子は歌ったのだ。

 

 ホグワーツ校に危機迫る時、外なる敵は恐るるに足らず。

 

 我らが内にて固める限り、崩れ落ちることあらざりし。

 

 真なる敵は、内にこそあり。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「どうしたんだハーマイオニー、さっきからずっと考えこんで」

 

 「今日のダッハウ先生の授業で、何かまた気になることでもあった?」

 

 本日の授業を終えて、大広間で夕食を取った後の生徒達が集まるグリフィンドール談話室。

 

 どこぞの悪霊の言葉ではないが、そろそろ期末試験が近づいてきているのは事実であり、多くの生徒が夕食後も試験対策や予習復習を親しい者らと行うシーズンである。

 

 

 「当然、屋敷しもべ妖精についてよ。奴隷労働廃止! って叫びたいのは山々だけれど、取り合えずそこはいいの。報われない彼らの待遇については反吐が出るけど」

 

 ただ闇雲にマグルの価値観で「奴隷労働反対!」と言うだけでは、あの悪霊に『やれやれ、どれほど秀才であろうとも“自らの育った環境の価値観が絶対的”という宿痾からは逃れられませんか。まあよくあることです』と嗤われるだけ。

 

 ということを理解したくはないが、理解したハーマイオニー・グレンジャーである。流石は優等生、学ぶのも早い。

 

 

 「反吐といえば、例のバッジはすごい好評だぜ」

 

 「あっという間に対悪霊戦線のシンボルになっちゃったよ」

 

 度重なる生徒達への名誉棄損と、マグル社会というか人類社会への悪意に満ちた嘲笑。

 

 割と頻繁にブチ切れつつあったハーマイオニーであったが、数週間前の授業でもやっぱりブチ切れ、ついに公にダッハウ撲滅運動の象徴となる活動を始めた。

 

 

 それが「SPEW(反吐)」である。

 

 SPEWには、怒りをぶちまける、へどを吐く、煙などが吹き出るなどの意味があるが、例の悪霊に対する生徒達の感情をこれほど現す言葉もない。

 

 

 「ダッハウを許すな、アイツの授業は反吐が出る、くたばれ糞野郎。言いたいことはいくらでもあるけどさ、このバッジは見事にその想いを表現してるって」

 

 「ミス・反吐は流石に敬称としてはどうかと思うけどね」

 

 多分、普通に考えれば蔑称だ。ただし、グリフィンドール生は本気で敬称で使っており、他の寮でもバッジ購入組は同じ想いであるだろう。

 

 これもまた、グレンジャー将軍率いる抵抗部隊への資金的援助と言えるものだから。

 

 

 「貴方達も注意なさいよ、ミス・反吐と呼んだら燃やすからね」

 

 「りょ、了解だ将軍閣下」

 

 「将軍閣下も禁止。あと、元帥閣下もよ」

 

 「この前フレッドとジョージが“女王陛下”と“女帝様”を吹聴してたけど」

 

 「どんどん位が上がってるじゃないの! 不敬にもほどがあるわ!」

 

 何だかんだ社会的地位がそれなりの家の一人娘であるハーマイオニーである。イングランドにおける女王陛下の偉大さと、守らねばならない礼儀については無意識レベルでしみついている。

 

 ただし、ウィーズリー家の双子にはそんなものはない。この辺もまた純血とマグル生まれの意識の違いが出ていて面白い。

 

 

 

 「そんなことじゃなくて、あの糞あくりょ……ダッハウ先生、随分屋敷しもべ妖精に詳しかったけれど、彼は何処で知ったのかしら?」

 

 「ハーマイオニー、君もあまり人のこと「何か言った?」いいえ」

 

 ロナルド・ウィーズリーは父親から学びました。怒れる竜には逆らうべからず。

 

 ただ、アーサーとモリ―の学生時代には“竜の首輪と眠れる竜”と呼ばれたものだが、この三人の場合は“怒れる竜と餌2つ”である。

 

 酷いと言えばあんまりな扱いだが、ハリーとロンは別に気にしていない。お互い、奇特な家に生まれた身であり、個性的な魔女たちに振り回されるのは慣れている人生だ。最早達観の域である。

 

 

 「ダッハウ先生が何処で知ったかって、どういうことハーマイオニー。あの人だったら別に知っててもおかしくないよ」

 

 「ええ、彼は長くいる魔法史の教師だから、知っていてもおかしくない。でも、それと彼がどこで知ったかは別問題よ。必ず知識の出処はないとおかしいわ」

 

 ダッハウだったら、知っていてもおかしくない。

 

 多くの生徒はその先をあえて考えようとはしないが、当然疑問は残るのだ。

 

 あの悪霊は、それをいったい、どこで誰から聞いた?

 

 確かにこのホグワーツの歴史は膨大で、多くの書籍もある。しかし、あの悪霊はそれらを調べて回る学者肌の人物とは思えない。

 

 人間の歴史には随分詳しいが、御伽噺的な屋敷しもべ妖精の由来まで知り尽くしているというのは、ちょっとした違和感ではある。

 

 

 「それに、ホグワーツを“魔女の家”って言っていたわ。もし、生徒が魔法の城を裏切るようなことがあれば、城が見捨てるって。“まるで前に見てきたように”」

 

 未来の可能性を危惧するのではなく、過去の結果を物語るように。

 

 そうして死んだ生徒達がどうなったかを、実体験を語るが如くに。

 

 いや、それは果たして本当に客観的な事実なのか?

 

 そもそも幽霊、地縛霊とは、その場所で未練を残して死んだ誰かではなかったか。

 

 だとすれば、その時校長であった“魔女”は誰だ。

 

 その当時、魔法の城に君臨していた魔女は誰で、屋敷しもべ妖精とはどういう関係だった?

 

 

 「なぜかしら、無性にそこが気になるのよ」

 

 「ダッハウの過去か、そういえば、普段あんまり考えなかったけど何時からいるんだあいつ?」

 

 「ええっと確か、前任のビンズ先生が亡くなった頃、いや、違ったかな」

 

 時計塔の悪霊が教師となってからの経緯については、対悪霊戦線の生徒達も聞き知っている。

 

 だが、時計塔の悪霊が何時からいるのか。そして、どこから湧いて出たのかについて、知る生徒はいない。

 

 

 

 「だから――え、あれは?」

 

 銀色に輝く猫、グリフィンドール生徒ならば見知った存在、寮監のマクゴナガル先生の守護霊だ。

 

 生徒に緊急の連絡事項がある場合など、彼女の守護霊が飛んできて、口頭で伝えることがある。

 

 もっとも、三回に二回くらいは悪霊関連だったりするが。

 

 

 

 『グリフィンドールの全生徒の皆さん! ただちに談話室と各部屋の入り口や窓を完全封鎖なさい! ダッハウ先生が“また”スクリュートを解き放ちました! 今度はものすごく大きいです! 悪霊やその他諸々、とにかく何でも注意なさい! そして今夜は絶対に四階廊下には近づかぬよう! 命と魂の保証は出来ませんので!』

 

 

 

 「またかよ!」

 「いい加減にしろよあいつ!」

 「スクリュートは嫌ぁ!」

 「いいから、さっさと動け! 即応体制だ!」

 「下級生はこっちに集まれ! まずは人数の確認だ!」

 「マートルは! マートルは出たか!」

 「いや、まだ悪霊は来てない!」

 

 

 そして始まる大騒動。例によってのどったんばったん大騒ぎ。

 

 ここまで大掛かりな騒ぎはハロウィンの夜以来だが、マートル襲来など小さなものも含めれば日常茶飯事ではある。

 

 

 「ああもう、またなのね!」

 

 「ある種期待を裏切らないなぁあいつは」

 

 「ほんとに、何で先生やってるんだろうね」

 

 生徒達とて、流石に最早手慣れたもの。危機感を持って行動はするものの、決して無暗に慌てたりはしない。

 

 何せ、慌てて“やらかしてしまった”生徒の行動は、次の魔法史の授業で暴露されるのだ、つくづく最低の存在である。

 

 なので、魔法史で語られる黒歴史になりたくなければ、常に冷静に、客観性を忘れずに行動せねばならない。

 

 

 そう、常に悪霊に見張られていると、客観的に自分を見ることが大切なのだ。

 



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10話 無価値な死を寿ぐ影

『時計塔のオブジェクト記録』 

 

 【ホグワーツ魔法魔術学校 リーマス・ルーピン】

 

 あの夜間学校に入って、私の人生は大きく変わったと言えるのだろう。

 マグルと魔法族。どちらであろうとも、まつろわぬ民というものはいて、どうしても被差別民は求められる。

 鬼婆も、吸血鬼も、人狼も、根絶されぬのは要するにある種の『必要悪』としての役割が期待されているからだ。

 

 でなくば、人は安心して生きられない。

 まるでマグルの悪いところを模倣したのか、それとも、これこそが僕たちの共通項なのか。

 

 【純血主義】に連なる差別。ああそれは、僕達人狼の中にも確実に存在している。

 あの悪霊教師曰く『不可触民』、穢れの仕事、呪われた仕事を請け負う者たち。

 

 元は人間とも言うし、闇の魔法使いの落ちぶれた姿とも。

 鬼婆や吸血鬼なんかも、初めは人間だったものが闇に堕ちて醜くなった姿なんて話もある。

 要するに、マグル世界であればより顕著だけど、魔法世界においても避けることのできない、社会差別が産んだ階層と言えるんだろう。

 

 

 『だから、こうして人狼として生きてきて、たまに思うんだ』

 『賢者の石を使って不老不死になることよりも、差別の根絶はもっと難しいのかもしれない』

 『永遠の命は諦められても、どうして人は差別を捨てることはできないのだろう』

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「やりますね、ある種の心理トラップとでも言うべきか。流石はマクゴナガル先生、私の使い所というものをよく分かっていらっしゃる」

 

 「敵が来た! よりも、ダッハウが出た! の方が分かりやすいってのは確かだし」

 

 「ダッハウ先生が全生徒から漏れなく蛇蝎の如く嫌われているからこそのやり方ですわね」

 

 悪霊たちがよく駄弁っている事務室に隣接する印刷室にて。

 

 不思議な羊皮紙を広げながら、ドクズゴースト三人衆は緊急事態でも常と変わらずのんびりと会話に勤しんでいた。

 

 

 「スネイプ先生がハロウィンに撒いた布石も、こうして生きるというもの。このように死喰い人に狼人間、さらには人攫いと見られる連合勢力が侵入してきたわけですが、生徒達が残らず寮に隔離されてしまえば厳しい戦いを強いられます」

 

 状況はある種単純である。賢者の石の奪取を企図して、敵がホグワーツに侵入してきた。

 

 “奪う”か“盗む”か、死喰い人陣営とて熟考は重ねたのだろうが、悪霊たちが跋扈する上、厳重に隠された賢者の石を盗むのは流石に厳しいと判断したらしい。

 

 

 「侵入してきた奴らの動きを見るに、姿を晦ますキャビネット棚から出てきて、四寮をそれぞれ目指しているわね。城の家探しというより、生徒を狙った誘拐犯の手口っぽいけど」

 

 「恐らくそうでしょう。ホグワーツ卒業生である死喰い人が先導すれば迷うことはないでしょうし、勝手知ったる母校というものですから。人質として生徒らを確保した後は、人質交換の交渉が狙いかと」

 

 「でも、今はこう、夜間学校モードになっちゃってますよね。たどり着けるんですの?」

 

 「無理でしょう」

 

 侵入者に誤算があるとして、まず第一はそこだろう。

 

 ホグワーツには“生きている生徒”が授業を受けるのとは別に、悪名高きもう一つの顔がある。

 

 表側を卒業したからと言って、果たして裏側については把握していると言えるだろうか?

 

 

 「ここはスリザリンの慎重さが仇になりましたね。死喰い人らの学生時代には、必要以上に夜間学校に関わろうとする者はいなかった。積極的に関わりを持ったのは常に好奇心から無謀な行動に走るグリフィンドールです」

 

 「例外を言うなら、セブルスくらい?」

 

 「セブ君は立派ですから!」

 

 彼らは自分達が学び、卒業したホグワーツの“常識”を基準に、生徒達を誘拐して賢者の石と交換するべく奇襲を行った。

 

 だが、その行動を同じく蛇寮出身のセブルス・スネイプが読んでいたならば、その目算を狂わせるために如何なる手を打つか。

 

 その結果が、こうして今地図の上に現れている。

 

 

 「それにしても凄いわよこの地図、ヘレナ校長から借りたの?」

 

 「ええ、完全なるオリジナル版の在り処はヘレナ校長しか知らないそうですが、恐らくはレイブンクロー寮の何処か、ロウェナ様ゆかりの場所に隠されているのでしょう」

 

 「レプリカというか、模写図といったところですよね」

 

 「これの最も簡略版というか、“自分達で探検して埋めていくタイプの地図の子供”が、悪戯仕掛け人達がとある部屋で見つけ出した羊皮紙です。城への好奇心を最もむき出しにして楽しむ子供達への、魔法の城からの褒美であり贈り物といったところでしょうが」

 

 「アタシらゴーストですら知らない道まで相当見つけ出してたし、そこは素直に評価できたわアイツら」

 

 「好奇心ナンバーワンはブラック君でしたけど、ルーピン君も結構乗り気でしたし」

 

 魔法の城は生きている。城の内部とはすなわち腹の中も同然なのだから、今存在している者達の場所と名前を映し出すくらいは造作もない。

 

 オリジナルの地図ならばそれこそ全てを明確に映し出す。複写版と言えるこちらであっても、侵入者達の足取りをリアルタイムで追いながら、名前を確認する程度は普通にできる。

 

 悪戯仕掛け人たちもまた、自分達の探検で地図を埋めながら、独自の魔法をも加えて“忍びの地図”を完成させたのだからそこは見事と言える。

 

 

 「エバン・ロジエール、バーテミウス・クラウチ、海外の“殺し屋組”の主力が来ており、狙いはグリフィンドール塔。ロドルファスとラバスタンのレストレンジ兄弟は地下のハッフルパフへ。レイブンクローの叡智の塔へは、なるほど、卒業生のオーガスタス・ルックウッド。そしてスリザリンの地下室へはマルシベール」

 

 「へぇ、スネイプの旧友で、アタシが“嫉妬マスク”をかっぱらってきたマルシベールが来たの」

 

 「当然、スリザリン寮を守るのは……」

 

 ホグワーツ側も既に防衛の準備、迎撃体制は整えており、各寮にはそれぞれの寮監が守備についている。当然、悪霊を除くその他の先生方も。

 

 狼人間や人攫いたちに誘拐をさせようとするならば、城の守護者たる教師たちの相手を引き受けるのは自然と死喰い人の役割となるだろう。

 

 

 「アントニン・ドロホフとベラトリックス・レストレンジの海賊組がいないのは、まだ合流していないからか。それとも別に理由があるのか。ハリー・ポッター狙いの別働隊という線も捨てきれなくないものの、地図の目を誤魔化せるとも思えない。透明マントですら不可能ですから」

 

 「ていうか、ハリーは大丈夫なの」

 

 「ええ、遍在する“目”は常に追っています。グリフィンドール担当は首なしニックさんですが、流石は“無害さん”。普通に生徒に混じって一緒に行動しています」

 

 ハッフルパフ担当は、太った修道女

 

 レイブンクロー担当は、桃色レディことヘレナ校長

 

 そして、スリザリン担当は言わずもがな、気高き男爵

 

 それぞれが寮に関わりのある地縛霊などを手勢として、生徒の一人も見逃さずに監視網を既に構築している。この中から、悪霊にばれずに生徒を拐い出すなど不可能極まる話だろう。

 

 

 「これでもまだ、ホグワーツの警戒レベルとしては七段階のうち下から三番目程度のものです。寮が本格的に姿を消して隠れたわけでもなければ、石像や鎧らが総動員で迎撃に出ているわけでもない」

 

 「改めて見ると、とんでもない城だわ」

 

 「ヘレナ校長がおっしゃっていましたが、最終レベルは本当に気が触れているとしか思えない化け物が守りにつくとか」

 

 「想像したくもないですね」

 

 「それが賢明です。マートルさんとメローピーさんならばなおのこと。さて、それでは警戒レベルの引き上げというか、頑張っている先生方へ“援軍”の投入の準備へ参りましょう」

 

 地図で確認する限り、最も早い死喰い人らと寮監の先生方がぶつかるのはあと数分もない。

 

 当然、城の最強戦力であるダンブルドア校長は不在だ。彼がいる時に攻めてくるほど死喰い人も愚かではなく、逆に言えば校長の帰還までに人質の確保に失敗すれば作戦は失敗ということだ。

 

 

 「今更言うのも何だけど、間に合うの?」

 

 「別に私がやるわけではありませんので。敵の最強戦力は当然エバン・ロジエールでしょうが、そこさえ止めれば後は持久戦に持ち込むのも簡単です。地の利は圧倒的にこちらにある上、物量が違うのです」

 

 正確に言うならば、悪霊は嘘をついている。

 

 死喰い人の侵入が最初に確認されたその時から“援軍”の動員は始まっており、むしろ侵入者を逃さぬよう、一網打尽のための悪辣な罠の構築を行っていた。

 

 そのために、生徒が多少危険に逢う可能性があろうとも。

 

 そして、そんな“イカれた作戦”を考案し、悪霊に協力させうる人物など、あまり広くない魔法世界に一人くらいしかいやしない。

 

 

 「どういうこ―――え? アラスター・ムーディ!?」

 

 「え、ええ! 何処にいたんですの! というか、何でいるんですの!」

 

 二人が驚くのも無理はない、グリフィンドール塔に近づいていくエバン・ロジエール率いる死喰い人達、曲がりくねった自動階段の出口にあたる箇所に、突如として伝説の闇祓いが登場したのだ。

 

 この魔法の城の中では、姿現しは出来ず、ポートキーを事前に準備したとしても、城から外へならばともかく、城内部では不可能に近いはずなのに。

 

 

 「答えは簡単で、ダンブルドア校長が不在の際は、不死鳥の騎士団の最高戦力と言えるアラスター・ムーディがホグワーツに常駐していたのですよ。いつか必ず、この日が来ると見越して」

 

 「それって、ずっと?」

 

 「校長先生が不在の日は多くないですし、純粋な日数ならば大したものではありません。褒めるべきはむしろ、姿を隠すのに選んだ場所でしょう」

 

 「どこなんですか?」

 

 「私達に最も馴染みのある場所、“叫ばれない屋敷”のアイアンメイデンちゃんの中です」

 

 「はあ!?」

 

 「気でも狂ってるんですか!?」

 

 「狂っているんじゃないですかね」

 

 流石はマッド=アイ、これぞマッド=アイ。

 

 闇祓いの誰もが、彼にはついてこれなかった。当然である。あの悪霊たちの巣に潜み、なおかつアイアンメイデンの中で待機するなんて、正気ではない。

 

 

 「城の腹の中とも言える地図からすらも身を隠すならば、さらなる内側に飛び込むのが一番です。彼があそこに現れたのは、アイアンメイデンちゃんごとフォルクスワーゲンさんが廊下を爆走して運び、不死鳥フォークスさんが引き上げたからです」

 

 彼女らは死喰い人を追っていたので気付かなかったが、凄まじい速度でフォルクスワーゲンとアイアンメイデンが近づいていたのであった。中にムーディを格納したまま。

 

 悪霊の館のど真ん中に常にあり、それ自体が付喪神のようでもある“動く器物”達。まさかそんなものに闇祓いが潜んでいるなどと、死喰い人でも思わない。

 

 

 「そして、彼が現れたことが合図となります。ハグリッド先生が今頃“全ての檻”を解き放っているはず、ドラゴン、ケルベロス、キメラ、アクロマンチュラ、スクリュート、さあさあ、怪物の聖餐が始まりますよ」

 

 「暗黒サバトの間違いじゃなくて?」

 

 「どっちも大差ないと思います」

 

 悪霊が嘲笑い、怪物が跋扈する魔法の城。

 

 なるほど、マクゴナガル先生の伝言に一つの間違いもありはしなかった。

 

 今日は、絶対に生徒が寮の外に出てはいけない日となるだろう。目撃した暁には確実にトラウマになる光景だろうから。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 「流石はダンブルドア校長先生、信じておりました。 校長先生万歳!」

 

 「アタシは最初から何も心配なんてしてなかったけどね。 校長先生万歳!」

 

 「ホグワーツは永遠に不滅ですね。 校長先生万歳!」

 

 そして響き渡る、傍観していただけで働きすらしなかったドクズゴースト三人衆の勝ち鬨。

 

 校長の帰還まで戦い続けた先生方や、侵入者と実際にぶつかった怪物たちならいざしらず、こいつらが呑気に喜んでいるのとを見るとなぜか無性に腹が立つ。

 

 

 「死喰い人らは中々健闘しましたが、他との連携は足りませんでしたね。たかが尻尾爆発スクリュートを見ただけであそこまで恐慌をきたすとは、情けない。子供以下です」

 

 「ちなみに、それが普通だから」

 

 「もう慣れちゃった生徒達が不憫でなりません」

 

 不幸にも侵入者が出くわしのは、かつて魔法史の授業で解き放たれた“まだ小さい”スクリュートではなく、“充分に育った”スクリュートである。しかも、アクロマンチュラと連携しながら攻撃してくるより凶悪な。

 

 

 「生徒が不憫? 何をおっしゃる。殺されるよりは遥かにマシでしょう。そも、この城は決して生徒を甘やかさない。千年の時を経た城ではありますが、やはり根幹にあるのは創始者4人の意向であり、彼らの時代は子供というのは過保護に育てるようなものではなかったのです。20世紀も半ばに生まれた無学のマグルのマートルさんには理解しづらいでしょうが」

 

 「一言多い」

 

 「むしろ、子供こそ『適者生存』の法則が適応されていた。生まれた子供の半数以上が5歳を待たずして死んでいたのが彼ら4人が生きた時代です。幼くして自らを守る力を身につけない子供は、遅かれ早かれ死んでいく。彼ら、とくにゴドリック、サラザールの両名はそうした価値観のもと、この城を作りました。ヘルガさまがいなければ、この城の方針はもっと厳しいものになっていたでしょう」

 

 「でも、その創始者の『厳しい方針』と、あんたの『悪辣な授業』に関係は?」

 

 「直接はありません。方針に則ってさえいれば、授業内容は教師の自由ですから」

 

 「つまり、ダッハウ先生の悪辣さと、城の方針は別個の問題ということですね?」

 

 「もちろんそうです」

 

 要するに、こいつがクズで悪辣であるだけのことだ。

 

 生徒を不憫に思わないのはこいつくらいのもので、他の先生方は学ぶのに必要なこととはいえ哀れとは思っているはず。

 

 

 

 「ギロチン先輩や電気椅子後輩も喜んでおりました。悪名高き人狼、フェンリール・グレイバックの末路があれとは若干無様な気もしますが、所詮はあんなものでしょう。リーマス少年の仇を夜間学校の皆が取ったと思えば感無量です」

 

 「感動要素が皆無なんだけど」

 

 「そのルーピン君を食べようとしていた張本人たちですからね」

 

 1965年2月頃、リーマス・ルーピンがフェンリール・グレイバックに噛まれる事件があった。

 

 少年の人生を大きく狂わせる忌まわしき出来事であったが、その結果彼は生涯の友と出会い、そして、悪夢の夜間学校とも出会った。

 

 

 「力に任せて爪を牙を振り回すだけの獣が、連携する処刑器具と拷問怪物に勝てる道理もなし。こうして、狼は大蜘蛛に捕食されて終わるのです、悲しきかな食物連鎖」

 

 「トロールの時もそうだったけど、ほんとに役立つわねアクロマンチュラ」

 

 「運がなかったですね、彼らはリーマス少年で散々“お預け”を食らってましたから、狼人間を食べてみたくて仕方なかったのです。これぞまさに、飛んで火に入る夏の虫、虎穴に入らずんば蜘蛛に喰われず」

 

 「そんな言葉あったかしら」

 

 断言できるが、そんな言葉はない。

 

 

 「ちなみに、グレイバックの他の狼人間たちはどうなったの?」

 

 「多くはスクリュートに喰われました。他にも、キメラの餌になったのも多数。ケルベロスに引き裂かれたのが少数、ノーバート君の炎のブレスでウェルダンに焼き上がったのが二人。狼人間如きに勝てる相手ではありませんでしたね」

 

 「人攫い達は?」

 

 「フォルクスワーゲンに轢き殺されるか、処刑器具達の露と消えました。一番見事だったのは電流を浴び続けてついに人体発火した奴ですかね」

 

 ホグワーツの防衛機構は、卒業生以外には全く容赦をしない。

 

 死喰い人の大半は、どこまで言ってもホグワーツの関係者であり、かつての生徒達だ。基本的には殺さないように、生徒を害さないようにと、魔法の城は命じている。

 

 ただし、外部の人間がズカズカと入り込んできたならば話は別。石像も、鎧も、絵画も、屋敷しもべも、そして当然ゴーストも。生徒を守るため、あらゆる機構が牙を剥く。司令塔は無論、組み分け帽子だ。

 

 まして、“ダッハウ以後”においては、事なかれ主義の魔法省など知ったことかとばかりに、危険な魔法生物や拷問器具の徘徊する魔窟である。

 

 

 「ただし、こちらの陣営とて無傷でありません。悲しむべきことに相応の被害が出ました」

 

 「一応聞いてあげるけど、内訳は?」

 

 「ムーディとロジエールの戦いに巻き込まれ、アイアンメイデンちゃんが中破。死喰い人達との戦いでスクリュートが二匹討ち死に。それから、アクロマンチュラの一匹の足が折れ、三頭犬のフラッフィー君の歯が少しばかり欠けました」

 

 「断言できるけど誰も悲しまない」

 

 「むしろ生徒達はスクリュートが減ってくれて、拍手喝采でしょうね」

 

 幸運なことに、人的被害はゼロであったホグワーツ陣営。

 

 当然、傷を負った程度の先生方はいるが、校医のマダム・ポンフリーは極めて優秀な癒者だ。明日までには皆全快していることだろう。

 

 

 「おお、何という酷いことを。ホグワーツを守るために、生徒の身を守護するため、身を捨てて戦った者達の死をここまで侮辱するとは。ハグリッド先生が知ればさぞや嘆き悲しむでしょう」

 

 「それで、そのスクリュートは守るべき生徒をどう思っているのかしら?」

 

 「美味しそうな餌でしょうね。魔法契約で縛られていなければ、今すぐにでも捕食に向かうことは疑いありません」

 

 「マートルさん、判決をお願いします」

 

 「有罪。やっぱりこいつは最低の糞だったわ」

 

 そのスクリュートを解き放ち、あまつさえ魔法史の授業で使う屑がここにいる。

 

 生徒の誰もが思うだろう、侵入した死喰い人や狼人間、人攫いじゃなくて、ダッハウが死ねばよかったのにと。

 

 

 

 「状況不利と見て撤退したエバン・ロジエールは見事ですが、クラウチ・ジュニアは無傷とはいかなかったようですね。ロドルファス・レストレンジはマクゴナガル先生に勝てずに退却、ラバスタン・レストレンジも我らが決闘チャンピオン、フリットウィック先生に敗れました」

 

 「捕まったの?」

 

 「いいえ、オーガスタス・ルックウッドが連れて逃げていきました。あの辺りは流石レイブンクローの主席にして、神秘部の俊英といったところですか」

 

 魔法戦争はあくまで、“寮対抗ホグワーツOB大喧嘩選手権”だったからこそ、彼らが牙を剥くことはなかった。

 

 しかし、部外者の乱入を許せば、地獄の釜の蓋が開くのは当たり前のことである。

 

 死喰い人の者達も、海外での略奪生活が長かったためか、懐かしき母校の“恐ろしさ”を忘れてしまっていたらしい。

 

 忘れてはならない、時計塔の悪霊もまた、“創始者が遺せし防衛機構”の一部ではあるのだから。

 

 城の主の法則は、絶対なのだ。

 

 

 

 「セブ君……決着をつけたのね」

 

 「今回の件で、一つの因縁が終わったとすればそこでしょう。死喰い人マルシベールは賢者の石を狙ってホグワーツの、それもスリザリン寮への侵入を試み、寮監のセブルス・スネイプに討ち取られた」

 

 「死んだの?」

 

 「ええ、死にました。スネイプ先生に殺害の意図があったかは分かりませんが、この期に及んで彼の妻を“穢れた血の売女”と呼んだこと。それが死因となったのは間違いないでしょう」

 

 「あの馬鹿。学生時代からずっとリリーを蔑視してアタシに散々痛めつけられたのに、少しも懲りなかったようね」

 

 「残念ですけど、凝り固まった嫉妬や憎悪とは、そういうものなんですよ。きっと、マートルさんに守られるリリーちゃんを見て、劣等感を掻き立てられて余計に認められなかったんだと思います」

 

 「流石はメローピーさん、蛇の末裔の卓見は見事。マルシベールも蛇寮の優等生だったはずですが、偽りの蛇にしかなれませんでしたか」

 

 決闘に敗れ、武装解除呪文で吹き飛ばされた先は、スリザリンを守るように配置されていた三つ首の蛇、ルーンスプール。

 

 狡知に長けただけの愚かな蛇は、本物の蛇に丸呑みにされ、その生涯を終えることとなった。

 

 

 「思えば哀れな男ね。スネイプはあれだけ苦しんだけど自分を変えて、戦って、守りたいものをしっかりと守り抜いている。それに比べて、純血を奉じてマグルを蔑視するばっかりだったマルシベールは、一体何が為せたのかしら」

 

 「何も為せてはおりません。彼の人生は無価値でした」

 

 「アンタが語ることで意味は出てくるんじゃないの?」

 

 「いいえ、私が語るのは彼の人生が無価値であったことだけです。私の言葉から生徒達が人生の無価値さを学んだところで、彼の人生に価値が生じる訳ではない。なにせ、“無価値でなければ教訓にならない”のですから」

 

 「辛辣ですね」

 

 「これもいつも言っているでしょう、“私のようになりたいですか?”と。彼はまさに純血を奉じるだけの魔法使いの人生の失敗例です」

 

 学業の成績、優秀さならばセブルス・スネイプにも引けを取らぬ生徒だった。

 

 しかし、マグル生まれを“ただそれだけ”のことで差別する悪癖からついぞ抜け出すことは出来ず、劣等感と嫉妬に狂っていき本来持っていた才覚すらも減じてしまった。

 

 それでも、許されざる呪文を使う原動力である悪意だけは持ち続け、まさに悪霊教師の言う通りの人類の悪いところを体現する存在へと成り果てた。

 

 

 「ホグワーツを卒業した全ての生徒へ、私があれほど忠告したというのに、歴史に一切学ばないとは愚か極まる。まあ、それも含めて人間らしいとも言えますが、ともかくここは“良き事例”がこうして一つ追加されたことを寿ぎましょう」

 

 かつての卒業生の死も、悪霊にとっては蜜の味。

 

 ああ、仲間ができた。

 

 素晴らしいぞ、ホグワーツで死んでくれた。

 

 無念を抱えて何も為せなかった君は、必ずや優秀な亡霊となれるだろう。

 

 おめでとう、スリザリンの悪霊よ。我らは君を歓迎するとも。

 

 

 「スリザリン寮の呪われた地縛霊がまた一つ、後輩の参加をまずは喜ぼうではありませんか。私の手駒となって、いつまでも好きなだけマグル生まれに嫉妬し、蔑視する巡礼の道、そう悲嘆したものでもない」

 

 「あん? 嫉妬のゴーストであるアタシに喧嘩売ってる?」

 

 「よろしければ、マートルさんの手下にしても構いませんよ。地頭は悪くないのですから、事務仕事の下働き程度には使えるでしょう」

 

 「良いわね、気に入ったわ。せいぜい早く実体化なさいな新人君」

 

 「マートルさん……」

 

 自分の利益になると思えば、さっさと掌返し。これがドクズ悪霊のらしさというもの。 

 

 その変わり身の速さに咄嗟についていけていないメローピーさんは、まだまだ修行不足だ。(出来るということは、人間の屑の証)

 

 そして、罰というならば、これはアズカバンに収監される以上の罰であると言えるだろう。

 

 

 「終わりなき死後の放浪。嫉妬と蔑視ばかりで誰も愛さず、誰にも愛されなかった貴方は、一体何時までこの城を彷徨い続けることになるのか、いやあ今から楽しみです」

 

 ここは地図にない魔法の城ホグワーツ、悪霊の棲家である。

 

 ここで死んではいけない。生徒は城に守られねばならない。勝手に死ぬとはつまり、城との契約を違えること。

 

 

 「本当に貴方は、間違えましたねマルシベール。人類らしいその愚かさ、嫌いではありませんよ。貴方の無様な人生の末路の全て、余すことなく私が全生徒に暴露して差し上げますので、安心して私を呪って化けて出るとよい」

 

 「出たわね真正のクズ」

 

 「ほんとに、心の底から軽蔑します」

 

 常に忠告はしているのだ。歴史に学ばず、愚かに死ぬは本人の自己責任。

 

 久方ぶりの血の味に、きっと魔法の城も“魔女の家”の本分を発揮できたことで満足だろうて。

 

 

 

 「未来の事務員下働き候補、マルシベールの他にも、フェンリール・グレイバックを始めとして多くの人間が無価値に怪物に喰われて死んでいきました。何と素晴らしいことでしょう、何も残らぬ人生、惨めな失敗例、ホグワーツの黒歴史、ああ、久々に滾るというもの」

 

 死の気配に、虐殺の成果に、悪霊は珍しく目を細める。

 

 つくづくコイツは、人が死ぬのを見るのが大好きなのだ。

 

 時計塔の悪霊、ノーグレイブ・ダッハウは、救いようのない人でなしである。

 

 生徒達もそれを嫌というほど知っている。だから教訓として伝えられるのだ。

 

 

 

 ダッハウのようになってはならない。同じ場所に堕ちるぞ、と。

 

 



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11話 悪霊の消える火

ついに、悪霊に天罰が下る時

コダマ様、mid-arc様、誤字報告ありがとうございます!


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【ウィセンガモット法廷  ルシウス・マルフォイ】

 

 なるほど、私の番が来たか。

 各々の階層について既に語られているならば、私らしくいくとしよう。

 すなわち、【純血主義】について。

 

 あの時計塔の悪霊とは幾度も話したが、私は純血主義こそが魔法族コミュニティの唯一の中核たり得ると確信した。

 

 様々な見方がある。利点欠点は各々あり、長き時を過ぎれば弊害が大きくなることも無論ある。

 だがしかし、これまでとそして今の我々の社会を見るに、他を圧倒する巨大な利点がある。

 【純血主義を見れば、マグル生まれは安心する】これは、彼らのためでもあるのだ。

 

 “分かりやすいというのは、良いことだ”

 

 杖魔法が上手下手、マグルには分からない。 

 箒で飛ぶのが上手下手、マグルには分からない。 

 魔法薬学の得意下手、マグルには分からない。

 

 分からないということが、彼らを不安にさせる。

 

 【純血主義とは、マグルにも理解できる。我々の共通項なのだ】

 

 純血の魔法使いが特権階級として君臨している社会と聞けば彼らは安心するのだ、

 【ああ、我々と同じだ】

 白状してしまえば、我々の貴族主義とはマグルの模倣だよ。

 ある意味において、スリザリン出身の純血主義者こそは、最も『マグルらしい』のだ。

 実に皮肉なことだが、精神傾向において穢れた血が最も馴染みやすいのもまた蛇寮である。

 実力と狡猾さが足りなければ、“馴染み方”は迫害と偏見になってしまうかもしれんがね。

 

 現実を見たまえ。あの悪霊もいつも言うが人は差別が好きな生き物で、卑屈な精神性を持つ。

 「理想的な魔法実力社会」などよりも、「純血が尊ばれる差別社会」の方が安心できるのだ。

 もし本当に、性別も、人種も、血筋も全て取り払われた実力主義があったとして、こう言われるだけであろう。

 

 

 【貴方を採用しないのは、貴方がマグル生まれだからではない。貴方が怠惰で無能だからだ】

 

 呪文学の宿題、変身術の課題、フクロウ試験に向けた気が狂ったような膨大なレポート。

 “やった方が良い”ことは誰もが知っているが、本当に真面目に全てをこなすのは一握りだ。

 そうした者たちにとっては、【純血主義のせいで、実力はあるのに落とされた】という物語を信じたいのだ。

 

 純血主義とクィディッチは、魔法族の今の社会を支える二本柱だ。

 純血の社会の重職にマグル生まれは就けぬが、クィディッチだけは例外である。

 飛ぶことさえ上手ければ誰もがヒーローになれるスポーツ競技。

 バランスとはしては、よく出来ていると言える。

 マグルも大した精神性など持っていない以上、魔法族に理想社会など作られても、入りにくくて困るだけだろう。

 人間らしく、怠惰と汚職が蔓延り、組織が腐敗しているくらいでなければ。

 

 

 【故に私は、マルフォイ家を率いる者として、純血主義者であり、差別論者だ。今後もそうあり続けるだろう】

 

 滑稽な理想論を掲げるウィーズリーなど、私から見れば唾棄すべき夢想家だよ。

 そう、仮にだ。あの男が喜ぶような、マグル生まれの優秀で勤勉な生徒が入ってきたとして、

 あの男のうじゃうじゃいる息子共のどれかと同級生になれば、必ず言うだろう。

 

 「あのマグル生まれめ、ちょっと勉強が出来るからって調子に乗りやがって」と、

 そうした時に、己の純血であることを意識せずにはいられんのだ。

 そして、そのジレンマに押し潰されれば、容易く差別と排除にまわる。

 まあもっとも、可愛い私の息子にしても、同じ反応をするかもしれんがね。

 

 『だが、それが現実だ』

 『純血主義は、なくては困るものなのだ。社会の大多数を占める衆愚という生き物にとって』

 『マグルも我々も何も変わらぬ、愚かにして差別と己が特別であることを好む』

 『それが人間の本質なのだ』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「それでは、試験を始めます。仮に実技の方面で事故ったとしても私のほうで補習、再試験などは行えますので、決して気落ちしないで頑張ってください」

 

 静かに諭すようないつもの落ち着いた声で、マグル学教授のクィリナス・クィレルは期末試験の開始を告げた。

 

 彼の授業であるマグル学は全寮の生徒から非常に人気が高く、三年生になった際にはほとんどの生徒がマグル学を選ぶほどだ。

 

 

 “マグルの素晴らしさについて教えよう”

 

 

 彼が教師を志した動機がそれであり、マグルの唾棄すべき点については学生時代の彼も知る魔法史の最低教師が嫌というほど解説してくれる。

 

 だからこそ彼は、人間の汚点ではなく、良い点を、美点を、素晴らしい発明や社会制度を伝えたいと願ったのだ。

 

 車輪から始まり、荷馬車、蒸気機関、内燃機関、そしてやがては飛行機へ。

 

 カヌーから始まり、帆船、蒸気船、タンカー、そして原子力空母に至るまで。

 

 様々な進歩、様々な夢、それらを束ねて彼らは進み、ついには宇宙工学。空の果てへ、月へ、火星へと目指し続けている。

 

 

 “魔法族の皆にもっとマグルの素晴らしさ、面白さについて知ってもらいたい”

 

 

 そうして彼がレイブンクローを卒業したのち、その旨をアルバス・ダンブルドア校長に伝えると心から喜び賛同してくれた。

 

 

 「素晴らしい、何とも素晴らしき心じゃクィリナスよ。君のような生徒を持てたことを、君がホグワーツの教師を志してくれたことを、これほど嬉しく感じたことはない」

 

 教師となって最初の授業、クィリナス・クィレルは張り切った。

 

 まだまだ拙く粗い部分も多く、劇的で感動を呼び起こすようなものではなかっただろうが、それでも生徒達の心に良き興味を残せたと信じた。

 

 何せ、究極的な文字通りの反面教師がすぐ傍にいる。

 

 クィリナス・クィレルのマグル学の方針は単純明快、“魔法史の逆を行く”である。

 

 

 『クィレル先生! ありがとうございます! とってもわかりやすい授業でした!』

 『マグルって凄いんですね! あのダッハウのくそ…ダッハウ先生の言ってることが全部なんかじゃないんですね!』

 『僕、マグル生まれで、僕達の社会が不安になってましたけど、なんか好きになれそうな気がしました』

 

 多くの生徒が、マグル学に殺到した。

 

 何せ、魔法史は必須科目なのである。あの毒の塊のような授業から清涼剤を求めるならば、砂漠のオアシスの如くにマグル学は人気を博する。

 

 急き立てるようなことはせず、詰め込むようなこともせず。

 

 静かに、隣人として寄り添うように、マグルの良いところを語っていく。

 

 それが、クィリナス・クィレルの講義である。

 

 

 「そこでじゃクィリナスよ、一年生の魔法史の試験における“筆記担当”を受け持ってはくれぬじゃろうか。君も知っての通り、“実技”があれではの」

 

 魔法戦争終結以来、“子供達に戦争の悲惨さを伝えるための魔法史試験”が始まっている。

 

 あの悪霊がやらかすことである。それが安全なものであるはずがない。

 

 最悪の事態には至らぬよう、常にダッハウ以外の幽霊に見張りなどは頼んでいるダンブルドア校長であるが、それでももう少し生徒達を労わってあげたいと思うのだ。

 

 かつて、生徒達の自主性を重んじるあまり、純血主義や死喰い人の土壌を産んでしまったことに後悔はあるダンブルドア校長だが、別に必要以上に生徒に苦難を強いたいわけではないのだから。

 

 

 「分かりました。飴と鞭というのも変ですが、どうあってもダッハウ先生は劇毒でしょうから、せめて私は生徒達の甘い薬になってあげたい」

 

 「すまぬの」

 

 「いいえ、むしろ叩いたり怒ったりは苦手ですので丁度いいです」

 

 人間としては底辺の下をいくようなノーグレイブ・ダッハウではあるが、クィリナス・クィレルはある一点においては凄さを認めずにはいられない。

 

 人を叩く、殴る、中傷するというのは元来多大なストレスのかかる行為であり、その負荷から逃れるために人間は常に正義や信念で自分を武装する。

 

 

 「ほんとに、あの先生はよくまあ呼吸をするように人も歴史も、自分すらも貶せるものですよ」

 

 自律、自主、自尊。

 

 そうした精神が根本から欠如しているとしか思えない。というより、あの悪霊なら必ずこう言うだろう。

 

 

 「そんなものはサピエンスの生み出した虚構に過ぎません。衆愚を騙すのに有用であり、社会を動かすのに便利であることは事実ですが、同時に腐りやすい欠陥品でもある。少なくとも、私に必要なものではありません」

 

 いつものように淡々と述べるのが、誰でも簡単に想像できる。

 

 常に変わらず、生徒も教師も何もかもを俯瞰した目線で観測し続けるホグワーツの悪霊代表。

 

 それが、ノーグレイブ・ダッハウだ。

 

 

 

 「クィリナスよ、重要な頼みがあるのじゃが、儂が留守にする間は君に賢者の石を預けたい」

 

 「私に、ですか? では、ダッハウ先生が怪物を配置して守っている四階の廊下は……」

 

 「あっちは囮じゃ。というより、アラスターも、ミネルバも、セブルスも、リーマスも、ある意味で全員が囮なのじゃ。教師たちは生徒を守り、ハグリッドと魔法生物は敵を逃さぬ」

 

 四階の廊下は、“賢者の石を守る”ためにあるのではない。

 

 石を奪いに来た盗人たちを“捕らえて殺す”ための、守りとは真逆の、攻撃のための施設と言ってよい。

 

 だからこそ、絶対に生徒には近づくなと警告するのだ。

 

 

 「考えられる限りの万全の体制を敷くつもりではあるが、それでも完璧というものはない。万が一、生徒が敵に囚われることがあれば、賢者の石を引き渡しても構わぬ。君には、生徒の命と安全を第一に考えてもらいたいのじゃ」

 

 計画通りにいき、不死鳥の騎士団が勝ったならば、クィレルの役割は何もない。

 

 しかし、もし敵に生徒の誘拐を許してしまったときは、そこに恐らくダンブルドアはいない。

 

 “賢者の石を最優先”ならば、ダンブルドアが持っていればよいが、“生徒守ることを最優先”するならば、その限りではない。

 

 もとより、生徒を危険がある方法をとってでも死喰い人の捕縛を優先するのも、生徒を害する根本原因を消し去るためなのだから。

 

 

 「ダッハウ先生のあの廊下が空で、実は石は私が持つ、ですか」

 

 「うむ、死喰い人達はダッハウ先生のことは知っていても、君のことを知らぬ。目立つものに目を奪われるからこそ、思わぬ穴には気付かぬものじゃ」

 

 鞭があまりにも激辛すぎれば、反対の飴をどうしても軽んじてしまう。

 

 死喰い人らもホグワーツのOBとはいえ、その頃にマグル学教授のクィリナス・クィレルはいない。

 

 今の生徒ならば簡単に想像できる、【ダッハウが表でクィレルが裏】という構図も、ホグワーツから離れて久しい者らには無理なこと。

 

 

 「老人の悪戯じゃよ。君も知っての通りこのホグワーツは常に生きておる。城の力を最大限に借りるならば大人の冷徹な軍事論だけではいかぬ。遊び心と子供心を常に混ぜてやらねば、良き結末にはたどり着けぬものなのじゃ。あのアラスターですら、皆をワッと驚かせる仕掛けをしておるくらいじゃ」

 

 遊び心と勇気と強さの融合。

 

 そのバランスにおいて、歴代校長を振り返ってもアルバス・ダンブルドアを上回るものは片手に数えるほどもいるかどうか。

 

 

 「なるほど、遊び心ですか。であれば私も、出来ることがありそうです」

 

 「厳しい現実と辛辣な批評はダッハウ先生の領分じゃ。君はあまり戦いには関わらず、ただただ遊び心を保ったまま生徒達の戻るべき日常を守って欲しい。絶対に、そうした者も必要であり、そして、それが出来る者こそが本当に強いのじゃと、儂は信じる」

 

 

 

 そうして、クィリナス・クィレルは彼らしくあり、人の死に関わる騒動は彼をすり抜けて通り過ぎていった。

 

 生徒の誰も陰惨な死には関わらず、悪霊がやらかしたいつもの大騒動で、スクリュートが二匹死んだくらいの認識でしかない。

 

 ホグワーツの日常は揺るがず、世はことも無し。

 

 

 

 「時間ですね。皆さん筆記用具を置いてください。これから“実技試験”があるでしょうが、皆さんどうか頑張って」

 

 賢者の石の返却も無事に済み、魔法の城は例年通りの期末試験を終えていく。

 

 そこに劇的な物語はないが、彼の好む隣人との穏やかな時間のような、安らかな日々は続いていく。

 

 そうして生徒達を見守りながら、彼は思うのだ。

 

 

 “ああ、私はこの学校のマグル学の教師で良かった”

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「また一年が過ぎた!」

 

 ダンブルドアの演説が始まる。恒例の学期末パーティーの始まりの名物であり、少し前までの慣例ならば、得点が最も高い寮の旗で飾り付けられていたものだった。

 

 ただし、ここ10年ほどは些か異なる。

 

 得点制度や、最高点を取った寮に寮杯が与えられるところは変わらないが、新入生には絶対に門外不出の秘密とされる、二年生以上の生徒達が一年で最も楽しみにとするイベントが行われる日なのだ。

 

 

 「旗はそれぞれのテーブルの上に飾ってあるけど、優勝はどこなんだろ?」

 

 「グリフィンドールのはずだぜ、パーシーが内密に準備を頼まれたって言ってたからほぼ間違いないと思うけど」

 

 「それ、事前に決める意味ってあるのかしら?」

 

 未だそれを知らない一年生の獅子寮三人組は、ある種当たり前に寮杯の行方について話し合っていた。

 

 良いことをすれば加点、悪いことをすれば減点。そうした積み重ねの結果が発表される日であり、寮の結束にも少なからず影響のある要素であるのは間違いない。

 

 

 「ところでさ、やっぱり思うんだけど、先輩方はあんまり寮杯には執着してないっぽいよね」

 

 「そこはなぁ。ビルもチャーリーも、そんな感じだったよ」

 

 「まあ仕方ないんじゃないかしら。三年生以上は選択する科目も違うから純粋な学力の比較も出来ないし、五年生ならフクロウ試験、七年生ならイモリ試験と就職の方が寮杯よりも重要で当然よ」

 

 「ウッドだったら、寮杯よりも圧倒的にクィディッチ優勝杯だけど」

 

 「そりゃそうだ」

 

 「絶対に七年目になってもそれだけに執着してそう」

 

 彼らが小声で会話している間にも、校長先生の少しだけ長めの演説も終わり、いよいよ得点発表と寮杯の授与へと移る。

 

 一年生のみならず、ここから先は二年生以上も興味があるようで、校長の発表を全員がいまかいまかと待ちわびている。

 

 

 四位 ハッフルパフ   388点

 

 三位 スリザリン    392点

 

 二位 レイブンクロー  405点

 

 一位 グリフィンドール 411点

 

 

 

 一位から四位までの差は、僅かに23点。実に接戦ではあったわけだが、ここにグリフィンドールの優勝が確定する。

 

 

 「よっしゃあ!」

 「やったわね!」

 「僕たちが勝った!」

 

 当然、グリフィンドールのテーブルからは歓声が上がる。クィディッチで優勝杯を獲得できたのが決め手といえるからか、件の狂気のキャプテン殿も大喜びのようだ。

 

 

 

 「では、管理人殿。寮杯をこれへ!」

 

 生徒達の歓声に負けず劣らずの大声で、ダンブルドア校長が呼びかける。

 

 これもホグワーツの伝統だが、こうした行事などにおいて記念品を運んでくるのは、管理人の役割である。

 

 そう、管理人の、役割だ。

 

 

 

 「おめでとうございますグリフィンドールの皆さん。他人を蹴落として奪い取った寮杯の座はさぞ素晴らしいでしょう。ああ差別、これこそ代表的な差別というもの。俺達は勝者、お前らは負け犬。この線引きこそマグルの歴史、魔法族の歴史を問わず次なる戦争の引き金となってまいりました。敗者の怨嗟、呪詛、それらを寿ぎましょう。負け犬のハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンの皆さん、実に無様な負けっぷりです」

 

 大広間の盛り上がりに見事に水を差す暴言をマシンガンのように繰り出しながら、ゴロゴロと台車を押して悪霊が入ってくる。

 

 呟き声のようなもののはずなのだが、なぜかダッハウの声は大広間の全ての人間に沁みとおる。

 

 

 「この勝利の最大の貢献者は誰か、それは無論私を置いて他にないでしょう。グリフィンドールに最も点を与え、他の寮から減点していた教師とはいったい誰か。答えは私です。どうでしたか獅子の子供達、悪霊より与えられた勝利の味は、喜んでくれれば嬉しいですねえ、せっかく勝たせてやったのですから」

 

 消える歓声、戸惑いから徐々に高まる怒り。

 

 誰か、誰でもいい、勝利に水を差して嘲笑うばかりのあの糞野郎を黙らせろ。

 

 大広間にいる全ての生徒の心が、まさに一つになったその瞬間に――

 

 

 「エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!」

 「ステューピファイ! 麻痺せよ!」

 「インセンディオ! 燃えよ!」

 「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」

 

 教師陣から一斉に放たれた魔法の数々が、ものの見事にドクズ悪霊に命中する。

 

 悪霊を祓う守護霊に、動きを止める麻痺、霊体が苦手とする炎に加え、寮杯を取りあげて吹っ飛ばす武装解除。

 

 マクゴナガル先生、フリットウィック先生、スプラウト先生、ルーピン先生、各々見事な杖捌きであり、日ごろの鬱憤をこれでもかとばかりにたたきつけている。

 

 

 「消えるがいい、悪霊の火よ!!」

 

 『ギャアアアアアアアア!!』

 

 そして止めはもちろんこの人、セブルス・スネイプ先生。

 

 かつて学生時代にも、黒太子同盟は悪霊を焼き払った経歴があり、ホグワーツで唯一悪霊殺しに成功したことのある英雄である。

 

 

 

 「ダッハウざまああああああ!」

 「天罰だ糞野郎!」

 「おっしゃあああああああああ!」

 「スネイプ先生素敵!」

 「やったぜ!」

 「ああ、素晴らしいわ!」

 「ほら見て、寮杯が!」

 「アリアナちゃんが来るよ!」

 「受け取りの準備だ!」

 

 そして沸き起こる大歓声。

 

 一年生だけは若干展開についていけていない感はあるが、ノリのよいグリフィンドール生は大半が上級生に負けず劣らず歓声を上げている。

 

 

 

 「みんなー、一年間ほんっとによく頑張りましたー! わたしも、ホグワーツ大好きだよー!」

 

 金色に輝く少女の亡霊が、宙に舞う寮杯を受け取り、生徒に捧ぐ。

 

 勝者には栄光を称え、届かなかった者らにも敢闘を称え。

 

 何よりも、今この場に勝者も敗者もありはしない。もとより敵はただ一人であり、四寮はこの一年結束して大敵と戦ってきたのだから。

 

 

 

 『アリアナ万歳! ダッハウざまあ!』

 

 どこからともなく沸き起こる、生徒達の万歳三唱。

 

 敗れた悪霊は惨めに場を去り、ホグワーツの大広間には結束と勝利を寿ぐように、四つの旗が競い合うことなく調和をもってたなびいていた。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「いやあ、スカッとしたわ。何度見てもこの瞬間ばっかりは最高よね。ダッハウざまあ」

 

 「ええ、本当にそう思います。ダッハウざまあ」

 

 歓呼の声に包まれる大広間を遥か上から見守りながら、マートルさんとメローピーさんが微笑んでいた。

 

 今日ばかりは、嫉妬も執着も出番はない。何せ、嘲笑の悪霊が打ち破られた記念すべき日なのだから。

 

 

 「確かに、先生方の攻撃も年を重ねるごとに磨きがかかってきました。ダッハウざまあ」

 

 「しれっと来たわねアンタ」

 

 「余韻が台無しです、消えてください」

 

 そこにさも当然のように混ざっていく悪霊、残念ながらやっぱり完全に消えたわけではないらしい。

 

 

 

 「魔法戦争終結の頃から始まり、そろそろ伝統行事と化してきましたが、相変わらず凄まじく好評ですね」

 

 「アンタが消える日だもの、当然よ」

 

 「翌年になると当たり前にいるのが残念ですけど」

 

 かつて、シグナス・ブラック副校長が就任するまで五年ほど、闇の魔術の防衛術の先生が毎年変わることがあった。

 

 それに倣うわけではないが、ある意味において一年ごとに魔法史の教師も死んでいるのである。こうして何事もなかったように再生し、来年も受け持つのは本当に心の底から腹立たしいが。

 

 

 「もし、先生方が本気で攻撃していたならば、そしてスネイプ先生が殺すつもりで悪霊の火を放っていたならば、流石の私も死んでおります。あれはオプスキュラスの特性を利用して像を解き、燃やされて死んだように見せかけた擬態ですので」

 

 「そのまま死んだほうが良いのに」

 

 「セブ君、もうすこし、もうすこしだけ火力を」

 

 とはいえ、悪霊の火は扱いを間違えれば大広間を全て破壊しかねない危険な魔法だ。それが無理であることはメローピーさんとて分かっている。

 

 ついでながら、学期末パーティーは上級生から【悪霊殺しの火】、【悪霊殺しの日】とか呼ばれていたりもする。

 

 それでも、あのダッハウがやられて退場していくという素晴らしくも喜ばしい日なので、生徒達にとっては最高の記念日だ。

 

 

 「私に集まり、溜まりきった悪感情が寮杯という1点に収束し、アリアナちゃんが食べてくれることで浄化され祝福される。流石はダンブルドア先生の発案です、完璧にして無駄がない」

 

 「そうね、完璧だわ。アリアナちゃんを生徒全員から褒めてもらいたい一心で考案したっていう裏事情さえなければ」

 

 「ほんとに、アリアナちゃんが絡むとダッハウ先生でもダシに使うんですね」

 

 恐るべきはホグワーツ校長。獅子寮出身のはずだけど、孫のためなら時に悪なる手段を使うことすら厭わない。

 

 いやまあ、誰も損はしていないし、悪霊が焼き払われるのはただの自業自得だし、先生たちもストレス発散できるし、良いことづくめではあるのだけど。

 

 

 「良いことではありませんか、災い転じて福となすのも為政者に必要な資質なのですから」

 

 なお、これは悪霊教師のみが知る事実だが、最初の一回目はほんとに偶然起こったものである。

 

 子供らしい悪戯心で寮杯を密かに隠しちゃおうとしたアリアナちゃんにダッハウが気づき、咎めようと手を伸ばしたところを反射的に校長先生が聖なる火で焼き払ってしまった事件なのだ。

 

 咄嗟のアドリブで、「生徒達よ、これでもう安心じゃ、悪霊は滅びた」と取り繕った校長先生だったが、これが生徒にバカウケしたため、翌年からは式次第に組み込まれたのであった。

 

 うん、やっぱりダンブルドアもクズだったかも。

 

 

 「そう言えば、アンタを攻撃する先生って決まってるの?」

 

 「いいえ、誰が何をやるかは一切決まっておらず、その場のアドリブ任せです。スネイプ先生だけは止め役が伝統になっていますが」

 

 「つまり、日頃からダッハウ先生の騒動の後始末にストレス溜まってる方々がやるんですのね」

 

 となれば、寮監達はほぼ常連だ。温厚なフリットウィック先生は半々だが、マクゴナガル先生はほぼ確実に守護霊を叩きつける。稀にボンバーダだったりするけど。

 

 天文学のシニストラ、数占いのベクトル、ルーン文字のバブリング、占い学のトレローニーあたりは時と場合による。

 

 そして10年間唯一、一度も攻撃に参加していないのは魔法生物飼育学のハグリッド先生だけだ。

 

 シグナス・ブラック副校長は今は理事職に専念しつつあるので、ここでは含まれない。というか、この人はむしろ悪霊を裏から使役する側だ。

 

 

 「ともあれ、なかなかよい伝統の変更だと思いますよ。寮の対立に繋がりやすいという弊害もあった寮杯制度ですが、そもそも私が教師としてここにいる以上、加点減点のシステムはまともに機能しません。これ以上なく恣意的に私的悪用していますので」

 

 「でしたね」

 

 「確実にアンタのせいよ」

 

 いみじくも大広間で悪霊が言っていたが、例えばハロウィンにおける悪辣な罠による減点がなければ、ハッフルパフは四位ではなかったはず。

 

 あんな理不尽な減点をするのはこのドクズくらいのものなので、要するに、寮杯の行方 = 悪霊の匙加減 なのである。

 

 その暴虐に立ち向かうのが対悪霊戦線だが、生徒である以上は加点する権限はない。 

 

 なので、いっそまともに機能していない寮杯を逆手に取ったイベントが、この学期末の悪霊退治である。生徒達の結束を高めるのに絶大だ。

 

 

 「天井にはためくそれぞれの寮の旗、掲げられる文字は“アリアナの言う通りに”。流石は校長先生です」

 

 「そういえば、対悪霊戦線のSPEWバッジも、LOVEバッジに変わってたわ」

 

 「よく見てますねマートルさん。わたくしは全然気づきませんでした」

 

 「ホグワーツは不思議な魔法の城ですから、こういう節目の宴会には小粋なはからいをしてくれるものなのですよ」

 

 ダッハウには反吐を、アリアナちゃんに愛を。

 

 愛を奉じるのが校長先生でもあるためか、SPEWからLOVEへというのは、なかなか趣があるというものだ。

 

 

 「とは言っても、ちょっとばかり子供向けな演出でもあるから、17歳になって成人してる6,7年生には内情を察してるのも結構いそうよね」

 

 「そこはそうでしょうが、気付いても子供の夢を壊さぬのも大人というもの。自主性とともに成長してくれれば一番ですので」

 

 などとほざく悪霊だが、その実こんな授業をしていたりもする。

 

 

 

6年生、もしくは7年生向けの課題

 

 「魔法族とマグルでは、組織同士の戦争という面の比較で、魔法族はマグルの足元にも及ばないのはご存知でしょう。マグルの戦略書の中で、『兵は詭道なり』という言葉があるように、勝つためには最も重要なのは謀です。そしてそれを成すには相手の状態を把握すること、さらに言えば相手の状態をこちらが都合が良いように誘導すること。例として挙げるのならば、偽りの降伏、または講和によって相手を“戦勝気分”にさせ浮き足立たせたところを急襲するなどの手口は、枚挙に暇がない」

 

 戦略、政略における説明をした上で、さらに付け加える。

 

 「さて、その上で課題を出しましょう。貴方たちがホグワーツの敵対者であったとしたならば、『いつ、どのタイミング』がもっとも効果的か、なぜそう思ったかをレポートに書くように」

 

 この課題の最悪なところは、そうして入学式、ハロウィン、クリスマスなどを思い起こしていくと、最も生徒が『浮き足だつ』時が、学期最後のあの胸がスッとする“悪霊退治”の瞬間であることに気づかされる。

 

 そして、あれも一種の予定調和のセレモニーであるという、6、7年生になると薄々分かっていたけど壊したくない子供の夢の現実に無理やり直面させられることである。

 

 汚い、やはりダッハウは汚い。

 

 魔法の城の守りも、成人した者らには効きにくいことをよく知っている手口だった。

 

 

 

 「少し“我々的な”真面目な話をしますと、ホグワーツは子供達を預かる場なれば、当然そこに魔法儀式的な意味もあります。入学式、つまり一年の始まりの宴会は冥府の死後裁判になぞらえた、幻想の蔓延る“魔法の城”へ入るための儀式でありました。そこには、人間の住む世界から悪霊の棲む世界への“黄泉下り”の側面があります」

 

 そして、魔法の城で一年を過ごした生徒達は、“長く冥界に留まってはいけない”というルールを守るように、ひとまず生者の世界へと帰っていく。

 

 留まり続けることは許されない。ずっと幻想に浸っていては、現実を見失い戻れなくなってしまう。

 

 

 「黄泉の国からの生者の帰還。それが正式な手続きを経たものであったとしても、最早地上に帰れない亡者、亡霊たちはあの手この手で羨みながら足を引いてくる。その代表格である私を先生方が退治することは、魔法の城の正当な獄卒が悪霊たちを抑える、制御していることを示すと同時に生徒の帰路を保護する意味合いもある」

 

 「悪霊じめじめタイムは終わって、後腐れなくさっぱり別れも大切だもの」

 

 「“ダッハウ散る”とは、一年の終わりを象徴するにはふさわしい花火です。悪霊は打倒され、生徒は日の当たる現実世界に帰ることを夢見る。幸せの少女の愛のエールに見送られながら」

 

 「なるほど、組分けの入学時とは完全に逆の手順なのですね」

 

 組み分け帽子の儀式を受ける新入生は、まだ悪霊の悪辣さを知らず。

 

 一年を過ごした生徒達は、悪霊を嫌というほど知っているが故に、退治されたことに喝采する。

 

 

 「死者の世界は、所詮は幽冥の領域。私の消滅に喝采を送るというのは、魔法に魅入られて永遠に留まりたいなどと思わないという意思表示も同然。生きたまま家に戻ってこその、ホグワーツですから」

 

 「ええ、ちゃーんと生きたままお家に帰れれば一番よ」

 

 「そうですね、帰りたい家がないなんて寂しすぎますから」

 

 トイレで死んだまま留まり、生徒達を羨む嫉妬のゴーストも。

 

 ホグワーツに通うこともないまま、呪われた家に囚われた執着のゴーストも。

 

 今はこうしてあっけらかんと笑いながら、お祭り騒ぎを楽しむドクズゴースト三人衆。

 

 

 

 「さて、こうして一年も終わりましたが、時計は変わらず回り続けます。日はまた登り、新たな生徒達がまたやってきますよ」

 

 かくして一年は終わり、少年はホグワーツから家へ帰る。

 

 悪霊の記録する歴史と異なり、父と母や妹達の待つ、幸せに満ちた暖かな家庭へと。

 

 

 「これにて一旦幕はおり。それではまた、来年の再会を楽しみに致しましょう」

 

 時計塔の悪霊は観測を続ける。

 

 創造主の願いが叶うのか、あるいはまた夢破れるのか。どちらでも別に構いはせぬ、面白ければそれでよしと嘲笑いながら。

 

 




賢者の石編、これにて終了となります。
次回からは秘密の部屋編に移りますが、ここが原作との最大の乖離点になり、物語は収束に向かいます。

1年間のダッハウの行動の記録

・悪霊の魔法史で生徒たちのSAN値を削る
・夜間学校の怪物で生徒たちのSAN値を削る。
・侵入したトロールを観測する(だけ)
・侵入した死食い人を観測する(だけ)
・先生方に退治される

なんだこいつ……


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メローピー・ゴーントと秘密の部屋
幕開け 壁に耳あり書店に悪霊あり


序論的な話です
次話から、ハリーの二年目と魔法史スタートします

すまんドビー、君の活躍シーンが消えてしまった…


 

 「フローリシュ・アンド・ブロッツ書店? ええとダッハウ先生、そちらに新入生用の教科書が置いてあるのでしたっけ?」

 

 「はい。新入生に限らず、在校生の大半もそちらで購入します。何せ、マグルの世界と違って魔法界は総人口18000人程度ですので、出版業者が複数も存在していては簡単に潰れてしまいます」

 

 「新聞も基本的に日刊予言者新聞一つだけだけど、人口規模考えたら妥当なのよね」

 

 「今回晴れて正規ゴースト事務員へと昇格いたしましたメローピーさんには、発注した教科書が揃っているかどうかと、既にどれほど売れたか、そして何らかの不都合が起きていないかを確認してきてほしいのです」

 

 夏季休暇に入り、ホグワーツの先生方や事務員は来たるべき次年度の準備に忙しい。

 

 管理人としての業務の他に、事務業務の多くも魔法の城ではゴーストたちの管轄だ。素行はドクズ極まる悪霊たちではあるが、この辺については割りと真面目に仕事をこなしている。

 

 なお、正規事務員になったからといって、ゴーストに給料はない。屋敷しもべもそうだが、基本的に彼らにとってグリンゴッツの小鬼の貨幣は価値がない。

 

 マグルが銀の通貨というもの発明する以前の原初の貨幣、心に基づく魂こそが彼らの交換するものだから。

 

 

 「今まではこうした業務はマートルさんにお願いしてきましたが、ようやくメローピーさんの知名度も一般並みとなってまいりましたので」

 

 「それについては、セブルスと黒太子同盟の功績でもあるけど」

 

 超有名な嘲笑のゴーストと嫉妬のゴーストに比べれば、重い女にして“執着のゴースト”と呼ばれる彼女は圧倒的に知名度で劣っていた。

 

 しかし、セブルス・スネイプが魔法薬の先生となって以来、彼に多大な影響を与えたゴーストとして徐々に生徒にも知られるようになってきた。(最大の悪影響を与えてしまったのはリリー・エバンズだが)

 

 今では、執着のゴーストとして、生徒達の認識においても立派にドクズゴースト三人衆の一角を占めている。

 

 セブルス・スネイプ先生の学生時代からの知り合いであり、彼女が関わった人物が魔法薬学の教授にしてスリザリン寮監という立場にいることで、彼女の格も向上しているのである。

 

 

 「嬉しいです。私とメロンちゃんの思い出が、ついに認められたのですね」

 

 「お願いしますからその幻想は早く捨ててください。決して良い意味だけで知名度が上がっているわけではありません。現実を見ましょう」

 

 「アタシとメローピーで、無敵の布陣だし」

 

 メローピーさんの著名度の上昇に比例して、スリザリンの女性徒、特に片思い中の子たちが最近やたらと「病んで」いる傾向が見られている。

 

 ハッフルパフとグリフィンドールの子には影響はほぼないが、レイブンクローにも一部浸透している、というか深度では『文通』が主体のレイブンクローの方が重体の模様。

 

 これにて、交際を隠さないグリフィンドールとハッフルパフにはマートルさんが襲撃し、表に出さない残りの寮はやたらと重い恋愛模様が繰り広げられるようになったという、4つの寮を網羅した完璧の布陣が完成している。

 

 こうして、彼女もまた「悪霊」としての知名度が上がったのだ。

 

 

 「障害を乗り越えてこその愛なのよ、そこで終わるならさっさと終わっちゃった方が次に進めるってもんだわ。引きずるのはそれこそ良くないし」

 

 「その体現者がメローピーさんですので、そこは同意できますね。戦争の例で考えても、アルプスという高い壁を踏破すれば軍の一体感は上がるもの、貴女たちという敵と戦うというのはそう悪くない方策ではあるのでしょう。そして、軍の引き際もまた肝要と」

 

 「恋の駆け引きが戦争ってのはその通りよ。結局の所は相手の心の読み合いなんだから」

 

 「なるほど、孫子の軍争篇に曰く、“軍争の難きは、迂を以って直と為し、患を以って利と為す”。一見不合理や弱点に見えるものが、戦争においては相手の思考を誘導する罠ともなる。ツンデレ然りヤンデレ然り、普通ならば引くような欠点でも、物は使いようということですか」

 

 「アンタに言われると腹立つ気がするけど、そんなに間違ってもないと思う」

 

 マートルさんの嫉妬を乗り越えて結ばれたカップルが長続きするように、メローピーさんの“影響”も克服できれば強固な絆で結ばれ、やがて結婚まで到れる事例も多い。

 

 嫉妬のゴースト曰く、『一途な少女の片思いすら受け止められない程度の男に、何が出来るというのか』。恋愛の果てに輝きを掴みたいならば、まずは自分を磨けというのは、厳しくはあるが正論でもあるのだろう。

 

 ただし、それを孫子の軍争篇に例えるのはこの悪霊教師くらいだろうが。

 

 

 「話を戻しますが、私はホグワーツから一切外に出れませんし、マートルさんにしても基本はトイレに縛られておりますから、裏技を使うにしても色々と条件を整えばなりません」

 

 「9月1日ならキングス・クロス駅にアタシも行けるように、生徒が教科書を買いに行くこの時期なら、アタシもフローリシュ・アンド・ブロッツ書店くらいまでなら行けるけど」

 

 「地縛霊と浮遊霊では、当然得意分野は異なります。今後のことも考えれば、この辺りはメローピーさんに受け持った貰ったほうがよい」

 

 メローピー・ゴーントはホグワーツの生徒ではなく、元来この城に由来する幽霊ではない。

 

 本人さえその気なら、何時だって、何処へだって行けるのである。補充がなければ存在のすり減りだけはどうにもならないが。

 

 ただし、彼女が求めるものを探すためにホグワーツにいるので、彼女がここから離れることはないだろうが。

 

 

 「大丈夫よ、いきなり見ず知らずの場所に行くのも気が引けるでしょうから、ちゃんとハリー達が買いに行く日を選んでおいたわ」

 

 「まぁ、ありがとうございますマートルさん」

 

 「流石の気配り、こういうところは出来る女ですね」

 

 そして、この悪霊はそういう気配りは一切しない。

 

 ノーグレイブ・ダッハウが誰かを気遣うなど、天地がひっくり返ってもありえないと全ホグワーツが断言するだろう。

 

 

 「一昨日からハリーと妹ちゃん二人、マリーとローラがダーズリー家に遊び行ってるから、そこからグレンジャー家と先に合流してから漏れ鍋に向かうみたいよ。ウィーズリー家のモリー達とはそっちで合流ね」

 

 「奥様同士のホットラインですか貴女がたは」

 

 「奥様の井戸端会議……憧れますね、夫の不倫について話したり、色々と……ああ、トム」

 

 ペチュニア・ダーズリーとマートル・ウォーレンの文通は今も変わらず続いている。なお、隣の彼女の発作については例のごとくなので気にしない。

 

 今年はハリーが二年生となり、ウィーズリー家の末妹ジニーが入学。その次はいよいよポッター家双子の妹もホグワーツに入学する。

 

 

 「母の代も娘の代も、あいも変わらず仲良し姉妹なのよエバンズ家は。それに、来年以降は子供が三人ともホグワーツに通ってなかなか訪れにくくなるから、妹二人は今年の半分くらいダーズリー家に預けるなんて計画も立ててるとか」

 

 「それはまた、確実にペチュニア女史の希望と見えます。特に母親似の下の妹、フローラ・エバンズは彼女のお気に入りでしたか」

 

 双子の上の妹、マリーベル・ポッターは父親のジェームズに似た悪戯っ娘。

 

 下の妹、フローラ・エバンズは誰に似たのか定かではないが、お嬢様気質な感じに育っている。

 

 容姿については二人共母親のリリーそっくりだが、幼い頃のリリーによく似た雰囲気なのは下の妹のフローラのほうである。

 

 

 「ホグワーツに通うまでは、魔法族の子は基本的にホームスクールですものね」

 

 「そうした面でも、学歴など気にせずのびのびと子供時代を過ごせるのが魔法族の特徴です。小学生から塾と勉強に追われるマグルにとっては天国のような環境と言えましょう」

 

 「そこは同意できるわ。アタシの頃ですら理不尽だと思ったもの」

 

 実際のところ、ハリーの妹二人はホグワーツに通う以前の“魔法使いとしての基礎学習”は充分なのだから、マグルの親族の元で暮らして“境界線の向こう側”をより学ぶというのは悪くない。

 

 長兄であるハリーにしても、半分とまでは言わずとも多くの時間をダーズリー家で過ごしており、従兄弟のダドリー・ダーズリーとマグルの遊びに親しんでいる。

 

 純血の子供達はのびのびと過ごせる反面、本来学ばねばならないマグルの文化や生活をまるで知らないままホグワーツ入学を迎えるという、教育上の欠点があるのも事実なのだ。

 

 

 「時代は確実に進み続け、変わっていかねばならないことも多い。ホグワーツの事務方とてその例外ではなく、今回メローピーさんにお願いするのもその一環です。頼みましたよ」

 

 「任せてください! わたくしも立派な大人ゴーストですので!」

 

 「立派な大人は精神が躁鬱になったり、いきなり叫んだりしないんだけど」

 

 「大丈夫ですから!」

 

 「まあ取り敢えずは任せてみましょう。何かあったら全てメローピーさんの責任とし、我らは知らぬ存ぜぬを決め込めばすむことです」

 

 「アンタ、魔法史の授業で組織の責任は任命した側にあるとか言ってなかった?」

 

 「ええ、その通りです。だからこそ、何かあったときは私を管理人に任命した校長先生に責任をとっていただく所存です。その際の私の処遇は彼が決めるでしょう」

 

 この場合、現状で校長が自分を解任できるはずがなく、そもそも懲罰するような事象でもないことを理解した上でやっている。真の汚さとはそういうものだ。

 

 

 「ほんと、自覚があってやるから、たち悪いわコイツ」

 

 「汚い大人の腕の見せ所なんて、そもそも存在してほしくありません」

 

 「ですが、それは確実に存在し続け、サピエンスのあらゆる組織に害悪を振りまき続ける。人間の汚さを前提に組織の自浄作用などを考えるべきであるのに、性善説に傾倒し、汚い部分を直視するのを怠る故に、…便所の汚れのごとくに悪臭を放つようになるのです」

 

 人の見たくないもの。そして、人であれば一度は考えてしまう“怠惰で甘い蜜の吸い方”。

 

 多くの人間は法や倫理でそれを抑えるが、同時に、人間である限り聖人君子ではいられない。

 

 

 「だから、それを堂々と言うから嫌われるのですよダッハウ先生は」

 

 「アンタ、“便所の汚れ”の前にわざと一呼吸置いただろ。チラッとこっち見ただろ、分かってんだぞコラ」

 

 「さて、なんのことやら。一切記憶にございません」

 

 今日も平和な、ホグワーツの印刷室。

 

 ドクズゴースト三人衆は、例年のごとく事務作業に励みながら、いつものように三人で例によって世間話を駄弁っていた。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「今年の入学生の中の“ギャー”枠はコリン・クリービー少年でしたか。慣例に照らし合わせれば恐らくは彼もグリフィンドール行きです」

 

 「嫌な慣例もあったもんだわ」

 

 そんなこんなでメローピーさんが書店に出かけている間も、悪霊の館は眠ることなく犠牲者を生み出し続けている。

 

 マグル生まれに対するホームステイ制度は徐々に浸透中で、今年も幾人かが魔法の城で説明を受けたりしたが、“短期集中コース”は当然の如く全員が辞退した。

 

 チュートリアルを受けた第一犠牲者、コリン・クリービー少年には黙祷を捧げよう。どうか夢にスクリュートが出ませんように。ダッハウはもっと出ませんように。

 

 

 「カルチャーショックを手早く与えるならば、やはり“叫ばれない屋敷”は効果絶大です。ここほど厄介な悪霊や地縛霊が巣食っている場所も他にありませんので」

 

 「その筆頭は確実にアンタだけど」

 

 ついでに言えば、様々な動く拷問器具に加え、アクロマンチュラ、キメラ、ルーンスプール、スクリュートなどが生息している。

 

 まだホグワーツに入る前の、マグル生まれの少年少女がこんなものを直視したら、SAN値が10くらい削られて不定の狂気になってもおかしくない。仮に判定に成功しても2は削られるだろう。

 

 

 「そう言えば、あまり気にしたことなかったわね、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店にも地縛霊っているのかしら?」

 

 「おりますよ。あれだけの大型店ならば、本にまつわる地縛霊くらい普通にいるものです。むしろ、いないほうがおかしい」

 

 「アタシが行った時は見た覚えない。っていうか、ひょっとして隠れてた?」

 

 「それは恐らく、貴女の死因に関わることでしょう。ホグワーツに属さない普通のゴーストは、貴女を直視したくないでしょうから」 

 

 「よくわからないわ。どういうことよ」

 

 「残念ですがこれ以上は言えません。禁則事項に触れます」

 

 開示することを許されていない情報は多々ある。

 

 スリザリンの怪物に殺された彼女の死因は、ゴーストすらも恐れさせる強力な闇の魔術。

 

 創始者たちの影響下にあるホグワーツのゴーストならばいざ知らず、関わりないゴーストらにとっては、見たくもない恐ろしいものとなる。

 

 

 「またそれ? 逆に創始者に関連のあることだって明言してるようなものじゃない」

 

 「歴史と同じで解釈はそれぞれですよ。ただまあ、貴女がスリザリンの継承者騒動で死んだことを知っている人間であれば、同じ仮説に簡単に行き着くであろうことは否定しません」

 

 「ってことは、アタシの死んだ時の騒動に関わってると」

 

 「サラザール・スリザリンは、千年を経てなおゴーストにすら恐れられる闇の魔術の使い手であったことは事実です。別の言い方をすれば、私が敬意を払うべき相手であり、私を隷属させられる四人のうちの一人でもあります」

 

 時計塔の悪霊は、ホグワーツに縛られている。

 

 その上下関係は絶対に揺るがない。それがあってこそ、大きな時計は致命的な狂いを生むことなく回り続けているのだから。

 

 

 「ふーん、まあいいわ。っと、あの子帰ってきたみたい」

 

 「いかがでしたかメローピーさん。私が好むような人間の愚かしい騒動があれば歴史の観測者として望むところですが、ふむ、その表情を見るにあったみたいですね」

 

 「え、ええ、まあその、い、色々と」

 

 少しばかりバツが悪そうに登場するメローピーさん。

 

 普段の彼女の印象から察するに、別に何か致命的なことをやらかしたわけではなさそうだが、力不足か経験不足を実感しているような、そんな様子だ。

 

 

 「何かあったのね。ほーら、頼れるマートル先輩に話してみなさいな。アタシらの間に今更恥も何もあったもんじゃないんだから」

 

 「そうですね、何せ三人揃って人類の恥の塊のような存在ですので、恥に恥を重ねたところで変化はありません」

 

 「アンタが圧倒的なのは忘れるな」

 

 「忘れるはずがございません。それこそが私の存在意義そのもの。こと、大きな時計に忘却という機能は備わっていないものでして」

 

 息をつく間もなく喋ってくる同僚二人に、少し気分が軽くなる。

 

 元が根暗で過去も重いだけに、一人だと何処まで重くなりがちな彼女だからこそ、ノリが軽すぎるこの二人に救われている部分はあるのだった。

 

 でも、マートルさんはともかく、最低教師の方には感謝したくない。そう思うメローピーさんであった。

 

 

 

 

 「へえぇ、アーサーと理事長代行のルシウス閣下がねぇ、取っ組み合いとは面白いじゃないの。じゅるり」

 

 「なるほどなるほど、それぞれの子供達の面前で、妻の真ん前で、公衆の場で殴り合いと。あまり面白くありませんね。バーサ・ジョーキンズ女史向けのネタではありますが、まあ保存する価値がないとまでは言いません」

 

 「杖、アタシの杖何処行ったかしら?」

 

 「こちらです。記憶を入れる小瓶の備蓄は常に万端です。大時計に吸わせてもいいですが、共有するだけなら手繋ぎで充分です」

 

 心からの喜びを体現しながら、ニヤニヤ顔で他人の恥の記憶を共有する準備に入るクズと、それでも恥の記憶には違いないのでと、漏れなく記録していくクズ。

 

 生徒達の恥の共有はいつものことではあるが、今回はホグワーツの外の出来事なので、こうして手動でやる必要が出てくる。

 

 

 「マートルさん、楽しそうですね…」

 

 「ええ、楽しいわ。だって素晴らしいもの。ルシウスはシグナスの馬鹿の娘婿なのよ、その失態をシグナスにどう言ってやろうかしら、あ~楽しみ」

 

 「そちらはマートルさんにお任せします。私の授業で扱うようなネタではありませんね。人間の成長の無さについては在校生には耳にタコですし、新入生に語るには話題が新しすぎて魔法史には向きません。なんとも面白みもない、時事ネタの扱いも場合によりけりです」

 

 とはいえ、今頃、ハリー、ロン、ハーマイオニーの対悪霊戦線の三人は頭を抱えていることだろう。

 

 今日のフローリシュ・アンド・ブロッツ書店の騒動。あの悪霊教師に伝わっていないはずがなく、関係者である自分達はその話題から絶対に逃げられないと思っていることだろう。

 

 嬉々として授業の題材に使われると考え、対策を取るのは当然だ。3人はおそらく学期最初に来ることを警戒しているだろうが、この悪霊はそういう時に限って絶対に行わない。

 

 

 「さて、記憶を再生してみますが……やはりこれはまだ、歴史と呼ぶには足りません。しばらくは保留ですかね」

 

 理由はある種簡単で、未だにこの件は“歴史”となっていないからだ。

 

 当事者や目撃者の言で事実が左右され、不確かな事実が絡む出来事を、この悪霊は決してそのまま取り扱わない。それはメディアの領分であり、“歴史”に組み込むためにはまだ工程が終了していないと時計塔は判断する。

 

 もしダッハウがこの出来事を扱う時は早くとも翌年、年単位の時間が経過した後になるだろう。つまりは、多くの者が“そんなこともあった”と思い出すことになった時点となる。

 

 観測者が歴史を編纂するとはそういうものだ。"黒歴史”すら、過去の自分を客観視できるようになったからこそ認識できる。だから、この悪霊は当事者を含めた誰もが『客観視』できるようになった段階で、掘り起こすように語るのだ。

 

 なのでこの件も、3人が完全に警戒を解き、忘れたころに語りだすことだろう。そして、だからこそ時計塔の悪霊は厄介であり嫌われる。

 

 

 「ふむふむ、ほほぅこれは、メローピーさんが仲裁に入ったのですね」

 

 「決め台詞もまたいいわ。成長したのね貴女」

 

 

◇◇◇

 

 アーサーとルシウスが取っ組み合いの喧嘩を始めた後、双子などは囃し立て、それぞれの妻は大人げない夫たちを止めようとするが、中々すぐには止まらない。

 

 特にモリーなどは、「やめて貴方! ギルデロイが見ているんですよ!」とお熱の著名人の名を出したが、一度燃え上がった喧嘩の炎はそんなものでは鎮火しない。

 

 昔のメローピーさんならば、オロオロするばかりで何も出来なかったろうが、彼女とて夜間学校やその他諸々で鍛えられている。何せ、同僚が同僚だ。

 

 

 「やめてくださいお二人共! ダッハウ先生に嘲笑われますよ!」

 

 ピタッと止まる喧嘩。

 

 “例のあの人”の名前よりも、遥かに効果があったようで、喧騒は一瞬で収まった。

 

 

 「ウィーズリーの双子君たちも、まずはジニーちゃんを守ってあげなきゃ駄目ですよ。あのダッハウ先生がこんなの見過ごすわけないんですから」

 

 ハッとした表情で、双子も即座に察する。

 

 ここがホグワーツでないから忘れていたが、ドクズゴースト三人衆の一角が、今目の前にいるのである。

 

◇◇◇

 

 

 「ええ、そういうわけです。現にこうして記憶を共有しているわけですから」

 

 「ま、仮にメローピーがその場にいなくても、やりようはあるんだけど」

 

 「我らの情報源はこの『目』だけではない。サピエンスには『耳』という機能もありまして、遍在するだけが能ではないのですよ。人類の悪知恵の模倣に過ぎませんが、これが中々どうして奥深い」

 

 だからこそ、メローピーさんも無駄な抵抗はしない。こいつらの悪質さは骨身に染みている。

 

 裏側管理人である時計塔の悪霊が己の管轄とするのは、あくまでホグワーツだけだが、情報というものは自分で見たものが全てではない。

 

 それならば原始の人類とまるで同じだ。社会が複雑になるほど情報の蒐集方法は多彩となるものであり、新聞など最たる例だ。

 

 ちなみに、【悪霊に魂を売った女】で有名なのは、バーサ・ジョーキンズとリータ・スキーターの二名であり、先ほど言った「情報源」がこれだ。その際、悪霊は脚色や主観のない『事実』のみを蒐集する。

 

 後ろ盾を新聞社や週刊魔女から最低の悪霊に切り替え、“悪霊新聞”を二人で発刊し始めつつある魔法界の裏切り者であった。おそらくシグナス氏の妨害がはいることであろうが。

 

 

 「きっかけはジニーの学習用具って、またみみっちい因縁つけたものだわ」

 

 「多少、らしくなさを感じる気がしないでもありませんが。それよりもドラコ少年の背後にいる少女が気になりました。新入生に該当する項目は………、ふむ、なるほど」

 

 「いたの?」

 

 「ルシウス・マルフォイ氏が後見人、保証人を務める子が入学予定です。名前は、デルフィーニ・スナイド」

 

 「知りませんでした。あの子、デルフィーニちゃんっていうんですのね。わたくしもちょっと気になってはいたのですけど」

 

 流石にメローピーさんは新入生の全員を記録していない。

 

 単純な情報記録と参照については、時計塔と接続している裏側管理人の領分だ。

 

 

 「スナイド家は死喰い人の中でも初期からの武闘派でして、彼女の両親も“海外海賊組”に参加していたはず。特に母親の方は、ベラトリックス・レストレンジの直属の部下だったと記録しています」

 

 両親が不在である以上、娘は屋敷に残ることとなり、しもべ妖精や大妖精に育てられた“家の魔女”として育つ。

 

 親族との繋がりがあるならば生活を送る面での実害はさほどないだろうが、やはり親の不在は子供にとって軽くはない。

 

 マルフォイ家が後見人となっているのも、その辺りの配慮によるものでもあるのだろう。

 

 何せ、ナルシッサ・マルフォイの姉が、ベラトリックス・レストレンジである。

 

 

 「へぇ、こういう言い方も何だけど、結構エリート死喰い人の娘なのね」

 

 「エリート死喰い人……」

 

 「やってることはテロリストだけど、海賊組は根強い人気もあるのよ。ホグワーツでもそうだし、ダームストラングあたりでもウケはいいんじゃない?」

 

 「良い着眼点ですマートルさん。スナイド家は闇の魔術にも深く傾倒している家で、ホグワーツだけでなくダームストラングからも入学案内は届いていたはず。その辺りはマルフォイ家も同様ですが」

 

 マルフォイ家もまた、純血名家ゆえの“歴史”はある。

 

 それを誰よりも知り、誰にでも暴露するのがダッハウだ。

 

 

 「マグル嫌いが深刻な当主の場合、ホグワーツには通わせず、ダームストラングに通わせることも多かったと聞きます。ただし、“スリザリン純血名家”の繋がりを無視も出来ないので、息子はダームストラングに、娘はホグワーツにというケースが多かったはず」

 

 「じゃあ、もしデルフィーニちゃんとドラコ君が兄妹だったら、お兄ちゃんがダームストラングへ、妹ちゃんがホグワーツに?」

 

 「そういうこともあった、ということです。ここ三代ほどのマルフォイ家は全員がスリザリンですが」

 

 「そこでホグワーツじゃなくて、スリザリン一択なのね」

 

 「高い確率でそうなるでしょう。スナイド家出身で、マルフォイ家に縁あって育ったとなれば、他の寮に行くとは考えにくい。もう少し家格が高ければドラコ少年の嫁候補にも成り得たでしょうが、スナイド家はあくまでレストレンジ家に従属するクリエンテスですので」

 

 そうなる可能性は低いだろうと、悪霊は見る。

 

 

 「そんな見方するのはアンタくらいよ」

 

 「まだ11歳ですものね」

 

 「何をおっしゃる。王族貴族の婚姻の歴史を紐解けば、母親の胎内に居た頃から伴侶が決まっていた例すらあります。たかが11歳など物の数ではありませんよ」

 

 婚姻年齢や近親相姦における、人類の歴史の闇は深い。

 

 こと、不倫の問題などは、21世紀になろうが旧石器時代から何一つ進歩していない人類の愚かさの代名詞のようなものだから。

 

 

 「そして、彼女がレストレンジ家に連なる娘である以上、ジネブラ・ウィーズリーとぶつかること請け合いです。例の喧嘩以外にも、今年の新入生の授業で誰を取り上げるかは決まってきましたね。先が楽しみです」

 

 「また生贄が一人選ばれたわね」

 

 「可哀想に……強く生きて、デルフィーニちゃん」

 

 アーサー・ウィーズリー

 モリー・プルウェット

 マーリン・マッキノン

 ベラトリックス・ブラック

 ラバスタン・レストレンジ

 

 1961年度に入学し、各寮の監督生を務め、そのうち三人は不死鳥の騎士団へ、二人は死喰い人の最高幹部となった。ホグワーツでも当たり年の子供達。

 

 それぞれの子供世代がこうして再び揃うとあらば、悪霊がその歴史、紹介しないはずがあろうか。

 

 

 悪霊の魔法史のもたらす、例によって波乱の一年が始まろうとしている。

 

 




この章で本作のメイン部分は語り終えることになると思います。
最後に解答編を予定していますが、そこは数話程度になるかと。


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1話 魔女の若返り薬

 

 

 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【不老不死の探求】

 

 マグルと魔法族が別れた頃より、両種族に共通した渇望。

 それが、不老不死の探求である。

 

 エジプトの地にピラミッドが、メソポタミアの地にジグラットが。

 それぞれ建設され、魔法の力を持つものが神官や王として君臨した時代。

 

 男も女も、それぞれに求めたものであるが、その根幹には違う様相も見られた。

 すなわち、男は権力を握り続けることを求め、その手段として不老不死を求める。

 あえて二つを分けるならば、男は不死に、すなわち“死なぬ手法”を欲した。

 

 対して、女はその逆。永遠に美を留める不老の手段をこそ求め、

 死なぬ手段よりも、“老いぬ手段”を何よりも欲した。

 

 男の権力者は、殺されることを最も恐れ。

 女の権力者は、老いさらばえることを最も恐れた。

 この違いは、実に面白いと言えるだろう。

 

 こと、魂の在り処を解析し、肉体を留める技術においてはエジプトは随一だったという。

 若返りを求める魔女の薬については、メソポタミアからやがてアッシリア、ミタンニ、

 最終的にはヒッタイトの地にて一つの完成形を見たという。

 

 鉄の作成手法を魔女が知り、タワナアンナという形で強い権力を得るに至った魔法の国。

 魔女たちは水を操り、風を操り、火を操り、人心を操り、そして永遠の若さを欲する。

 

 その果てに、彼女らは己の魂を生まれたばかりの赤子へ移す、転生の術すらも編み出した。

 己に肉体を若き時代へ戻すものや類似の魔法は数あれど、なぜその類の手段を取るに至ったか。

 

 一説には、女王として生まれなければ、王女として生まれなければ、

 という未練に根があり、異なる人生の可能性を求めた故に生じたものだとも。

 

 『だとすれば、真に、人の心とは解き明かすのが難しい』

 『死と老いを恐れるが故に、新たな生命を欲す』

 『まるで、登っては沈む日時計のように。流れては循環する水時計のように』

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「皆さんお久しぶりです。おや、大層残念そうな顔をされていますね。ああ、私がまたこうして教鞭を取っているのが不服であると。なるほど、無論そうでしょうね。だが、甘い。私がそう簡単に消えるのならば、数十年前に魔法史の教師は変わっていたことでしょう。2年生になったのだからその程度のことは理解して頂かないと。私は不滅ではありませんが、ホグワーツの悪霊筆頭です。一度や二度の炎では消えません」

 

 新入生らの組分けの儀式を見届け、また新たな一年の始まりを告げたホグワーツ。

 

 例によって例のごとく、二年生になろうが悪霊の授業はド底辺である。最初の授業なので四寮全員集合だが、全員が揃いも揃って“死ねばよかったのに”と顔に書いてある。

 

 学期末に燃やされて退場した悪霊教師がもう出ないのではと、一部の生徒は極々淡い期待を抱いていたが、残念ながら慈悲はなかった。(ちなみにコイツは入学の儀式では非実態になっていた)

 

 かくして、魔法史の授業の人気は底をついてさらに下がり、反対にマグル学の株が爆上がりになっていく。

 

 ちなみに、多くの生徒から未だに不評でもある占い学の授業であっても

 

 「ダッハウに比べれば…」

 「悪霊ほど酷くないし」

 「魔法史よりはマシ」

 

 と言われている昨今である。

 

 ちなみに、“魔法史よりはマシ”とは、褒め言葉ではない。少なくとも、そう言われて嬉しい先生は皆無だろう。

 

 

 「死んだはずの私がこうして化けて出てきたことですので、本日の授業の題材は“不老不死”でいきましょう。これより、古代から創始者の時代まで魔法史とマグル史を比較しながら追っていきますが、紀元前3500年頃の権力者達にも、今と変わらぬ欲望がありました」

 

 マグルの権力者であれ、魔法族の探求者であれ、決して切り離せないものが、“不老不死への探索”である。

 

 エジプトのピラミッドに込められた、不滅の太陽、復活への祈り然り。

 

 ギルガメシュ叙事詩に見られる、不死の霊草の探求然り。

 

 どの時代、どの文化圏の神話や寓話においても、“永遠の命を持つ存在”が全く登場しないものは皆無と言ってよいだろう。

 

 アイヌやアボリジニといった原始のシャーマニズムに近い信仰であっても、変わらぬ大自然そのもの、太陽や風をそういう存在として見ることはあったのだから。

 

 

 「まず初めに言っておきますが、不老不死とはそれだけでは碌でも無い代物であり、その見本が皆さんの目の前に居ます。想像してみましょう、私の一部となって永遠にホグワーツを彷徨い、不老不死の悪霊となる自分を」

 

 悪夢であった。とびっきりの悪夢である。

 

 生徒達全員が、これまた死ぬほど嫌そうな顔で頷いた。それこそ、考えたくもない未来である。

 

 

 「ただ不老不死を体現したいのであれば、私のようになればよいのです。クラゲと似た生態で、殺しても群体なのでそう簡単に死にはしない。一応は知的活動と定義しうる精神構造はあり、コミュニケーションの手段はある。まあ、嘲笑するのが私流ですが」

 

 だから大嫌いなんだよ、と、見事に生徒の心の声がハモる。

 

 本当に、つくづく不老不死という概念の反面教師的な存在である。こんなのが不老不死なら欲しくないと誰もが思う。

 

 

 「ただし、食欲はなし。性欲もなし。睡眠欲もありません。美味しいものを食べる喜びも、人の温もりに触れる暖かさも、心を通わせる幸せも、そこにはない。ただのゴーストならば幸せも成長もあり、吸魂鬼ですら擬似的に“食べる”を行いますが、私にそんなものはありません」

 

 吸魂鬼もまた群体に近い性質を持ち、守護霊呪文でも追い払えるだけなので、殺すのはなかなか難しい。

 

 しかし、強力な闇の魔術など、殺す手段がないわけでもなく、仲間を増やそうとする以上、彼らにも原始的な欲求はあるのだ。

 

 だが、時計塔の悪霊にはそれがない。

 

 あるのはただ、人類の黒歴史を集め、保管し、並べ立て、暴露し、嘲笑するという悪意だけ。

 

 

 「仮に、私を不老不死の到達点とするならば、そんなものに意味も価値もないと断言できます。そうは思いませんか? 不老不死になりたいですか? “私のように成りたいですか?”」

 

 成りたくない、なってたまるか、絶対イヤだ、論外だ。

 

 最早言葉にするまでもない。そんな事を考える生徒は、今のホグワーツには皆無であろう。

 

 

 「その一歩手前の位置に、吸魂鬼や例の“闇の帝王”など、自己の魂を在り処を変質させた存在が続きます。彼らは基本的に他人の霊を奪うことで、自分に付け足していくことで不死を実現せんとしますが、当然そこには限界があります」

 

 賢者の石を用いた不老不死でも、命の水を飲み続けなければ保てない。

 

 分霊箱を用いて死を回避しても、魂そのものの劣化からは逃れられない。

 

 まして、ユニコーンの血を用いた延命策などは論外のレベルだ。

 

 

 「聖マンゴ魔法疾患病院の癒者達が魔法の傷を癒やす手段を開発することや、ニコラス・フラメル氏のような錬金術師が賢者の石を創り出すことと、“不老不死の探求”は全く違うものであると理解しましょう。本質を言ってしまえば、他人のためか、自分のためかという問題にも行き着く」

 

 前者の技術は社会のためになり、集団としての人を死から遠ざけ、幸せを増やすことに貢献しようとする祈りだ。

 

 対して、己が死にたくないから、永遠に美貌を保ちたいからという欲望を突き詰めれば、どうしても“他人から奪う”という発想からは無縁でいられない。

 

 

 「簡単に言えば、自分さえ不老不死になれれば他などどうでもいいと思う存在は、共同体にとっての害悪です。闇祓いという役割が常に、闇の魔法使いをこそ最大の敵とするのも当然というもの。御覧なさい、不老不死の存在たる私は、ホグワーツという共同体にとって害悪でしょう?」

 

 ああそうだよ、害悪だよお前は。

 

 いっつも自分だけは安全圏に置きながら、責任を巧みに回避しながら厄介事ばかり持ち込んでくる。これを害悪と言わずに何という。

 

 

 「これもまた断言できますが、初めは高潔な理念から不老不死になったとしても、何百年何千年とその状態が続けば必ずや理性は崩壊していき、私のような存在に成り果てる。これは私の経験則ですので信憑性は抜群です」

 

 ユリウス・カエサル曰く、善意から始まったものが、良き結果をもたらすとは限らない。

 

 むしろ、政治という分野においては、善意から始まったものほど長い時間が経つにつれ最悪の害となることも多い。

 

 

 「さて、不老不死という到達点が害悪でしかないことは十分理解できたでしょう。では次にそれらの前段階について、“不死”と“不老”の事例を見ていきます。前者は男性の権力者に多く、後者は女性の権力者に圧倒的に多い」

 

 権力を得た男の王は、やがて王冠の奴隷に成り果てる例が多い。

 

 また、美を追求した女王が、衰えゆく己の容姿にこそ最も恐怖する例はお伽噺でも数多い。白雪姫の魔法の鏡などは最たる例だろう。

 

 美に関する嫉妬ほど、女性の普遍的な執着もない。

 

 

 「“死なない”だけならば、魔法を極めれば難度はそれほどでもありません。時を固定する、石に変化する、書に全てを封じて文字の羅列になるなど。古の魔法使い達のうち、純粋に知識を求めたタイプの賢人は、そうして知恵ある器物になってしまった例も多い」

 

 例えば、魔導書そのものになってしまったり。

 

 例えば、秘密の部屋に己の魂を付与して隠したり。

 

 例えば、時計塔そのものになってしまったり。

 

 

 「しかし、“権力を行使できる状態で死なない”となると、難度は爆発的に跳ね上がる。近代以降でそれを求めた代表例がヴォルデモート卿ですが、二兎を追う者は一兎をも得ずの見本市ですね。基本的に優秀ですが馬鹿な男です。それでも、私よりかはまだましでしょうが」

 

 これまた、生徒全員が頷いた。

 

 例え失敗した人物であろうが、困難の両立に挑んだ気概だけは本物であり、部分的とはいえある程度は出来てもいるのだ。

 

 害悪ばかりで全く意味も価値もない不老不死を体現し、魔法族もマグルも嘲笑するばかりの悪霊よりかは、そりゃマシだと誰もが思う。

 

 

 「こうした不死への探求は、なかなか普遍的なものとなって還元されることはありませんでした。マグルにおける秦の始皇帝などの不老不死探求なども、それが国家の利益になったかと言えば、損失のほうに傾いてしまうのは致し方ないところです」

 

 権力者の欲望がある種の動機となって、経済的には割に合わない新大陸の探求などが成される例はある。

 

 形は少し違うが、アメリカとソ連の見栄の張り合いが大きく絡んだ宇宙開発競争、月面着陸の大偉業にもそういった側面はあるのだ。

 

 しかし、歴史を総合的に見れば、唯の損失で終わった例の方が圧倒的に多く、“見習うべき手法”とは言い難いのも事実だ。

 

 

 

 「対して、不老への探求は真逆をいきました。小さくは化粧品から洗顔、健康ダイエットに至るまで。女性が若さを保つために行うことは凄まじく地道な努力であり、その努力と執念の積み重ねは、母から娘へと何百年何千年と伝わっております」

 

 中には、処女の血を集めて風呂を作ったりとか、極端な例もあるにはある。

 

 しかし、それらは老いて心まで醜くなった魔女たちの妄念から出たものであって、女王だろうが魔女だろうが、まっとうな思考を持っていればそんなことはしない。

 

 何せ、女性の“美”とは、他人から羨ましがられ、讃えられなければ意味がない。

 

 処女の血の風呂に浸かっている姿が、他人から見て悍ましいだけの化け物であることなど、冷静に考えれば分かることだ。

 

 そんな姿は美しくない、と。

 

 

 「権力の維持を求める男性と違い、女性が求めるは“美しさ”の維持です。夫の金を使って高級化粧品を買い漁る姿、醜いですね。分不相応なエステに金を浪費する姿、醜いですね。東洋人の雌猿が金髪碧眼に憧れて金色に髪を染める姿、分際を知りましょう」

 

 そしてマシンガンのごとく放たれる女性への暴言。

 

 女性に好かれたい、悪く見られたくないという感情が欠片もないからこそ、ここまで淡々と言えるのだろう。

 

 

 「不死を求める賢者が、一人で籠もったことはありました。しかし、美を維持するために不老を求めた魔女が、一人で籠もった事例はありません。美は見せつけてこそ、他に讃えられてこそ意味がある。その素直な欲望は嫌いではありませんよ」

 

 魔法が心から生まれるならば、その欲望もまた力なり。

 

 美を維持したい、でも心も綺麗でいたい。醜い所業なんか見せたくない。

 

 そうした渇望が交錯していけば、自ずと到達点は似通ってくるものだ。

 

 

 「そうして、一つの魔法に集約していった。“魔女の若返り薬”。派生系は様々ですが、要するに小さな幼女の純粋な心と、蕾となった時期の花開かんとする少女の容姿を保ち続けたいという祈りです」

 

 薬で肉体の時間を戻したり、老いる要素をそもそも排除したり、あるいは、年若い少女に憑依して肉体を乗っ取ったりと。

 

 

 「美を求める悪い魔女が、美しい少女を生贄にするお伽噺は古今東西に様々にある。他にも時間にまつわる美しさならば、シンデレラの魔法や、眠れる森のいばら姫、白雪姫など様々ですが、共通点は“美しいままで時が止まること”」

 

 時よ止まれ、汝はかくも美しい。

 

 ファウストと悪魔の契約のように、“魔女と美しい姫”の寓話には、時の止まった美麗な刹那が関わってくる。

 

 そして、時が動き出してしまえば、夜の12時を過ぎてしまえば、お姫様で居られる時間は瞬く間に過ぎ去り、徐々に老いていく当たり前の女がそこにいるだけ。

 

 

 「つまるところ、誤魔化しの忘却時計と、逆転とする時計の針と似た起源があるのです。“魔女の若返り薬”には、時の遡行の要素が必ず絡まりますが、“やり直したい”という想いよりも、“先へ進みたくない”という祈りが圧倒的に強いのも特徴です」

 

 先へ進みたくない、老いた自分を見たくないから、戻るのか。

 

 それとも、とにかく大好きだった時期があり、そこが最高と思っているから留まりたいのか。

 

 

 「こちらもまた面白く、“若返る”だけならば難度は高くないのですが、“最高に美しい瞬間で留まり続ける”となると途端に難度が跳ね上がり、多くの魔女がそこに挑んで自滅していった。今に残る多くの術式は、彼女らの足掻きの黒歴史の品評会のようなものですね」

 

 故に、悪霊は好んでこの話をするのだ。

 

 不老不死への探求も、魔女の若返り薬も、突き詰めれば壮大な人類の失敗例、黒歴史の塊である。

 

 

 

 「それでは、記念すべき最初のレポート課題です。“男性が永遠に男らしく在り続けるには何が必要と思うか”、“女性が永遠に女らしく在り続けるには何が必要と思うか”。を、それぞれの視点で書きなさい。無論、機械から見た場合、ゴーストから見た場合、スクリュートから見た場合などの亜種は大歓迎です。ちなみにスクリュートはカタツムリらと同じで雌雄同体です」

 

 このテーマでなぜその亜種を挙げた。

 

 そもそも、本当に男女の例など評価する気があるのかこいつは。今までの傾向から見るに、ありきたりな答えにこのドクズが高い点数を与えるとは思えない。

 

 しかし、それが分かっていたとしても、スクリュートから見た“女性が美しく在り続ける条件”など、容易に想像できるものではあるまい。有り体に言って意味が全くわからない。

 

 まさか、“お肉が美味しそう”とでも書けというのか。それは確かに“美しい肉”かもしれないが、“美食”であって“美観”ではあるまい。

 

 

 「ついでながら、スクリュートの好みは固い肉です。有り体に言えばよく引き締まった男性の肉体ですね。逆に、柔らかい肉は噛みごたえがなく嫌う傾向があります。残念ながら、肉感的な女性は彼らに好まれないようですね」

 

 それを残念がる女はこの世にいない。そして嬉しがる男もこの世にいない。

 

 「また、しなびて骨ばった肉は食べようとしません。やはり老いて醜くなった体は、スクリュートにすら見向きされない。現実は残酷です」

 

 老醜という問題は確かにそうだが、スクリュート関係の現実は知る必要はなかっただろう。

 

 

 

 「うわあ…」

 「マジかよ…」

 「ぶっちぎりでイかれてるわね…」

 

 ハリーも、ロンも、そしてハーマイオニーも、見事に頭を抱えている。博覧強記を地で行く彼女にとっても、この課題は例によって予想の斜め上だ。

 

 というかこんなもん、予測できてたまるか。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「例によってかっ飛ばしたわね、クズ」

 

 「生徒達も可哀想に……それにスクリュート、今年も育てているのですか」

 

 「ええ、去年のノウハウを見事に活かし、ハグリッド先生が繁殖プロジェクトの確立に成功なさいました。今年の一年生の授業のためにも40匹ほど既に確保は済んでおります」

 

 「生徒達にとっては最悪の悲報でしかないんだけど」

 

 「強く生きて……ごめんなさい、わたくしにはダッハウ先生を止めることなんて出来ません」

 

 いつもの印刷室にて、いつもの三人衆。

 

 新入生だけでなく、他の学年もこの時期に魔法史の初授業があったわけだが、それぞれどういうものであったかはお察しいただきたい。

 

 取り敢えず、二年生だけが特別酷かった訳ではないことだけは確かである。

 

 

 「新入生にもなかなか負けん気が強い子、特徴的な子がいて期待が持てそうでしたよ。去年の対悪霊戦線の形成は見事でしたが、今年の生徒達もしっかりと継承していけそうで何より」

 

 「ジニーは予想通りグリフィンドールだったし、例のデルフィーニって子がスリザリンだったのも納得しかない組分け結果よね。モリーとベラトリックスの頃を思い出すわ」

 

 「わたくしはその頃まだ完全に自我と実体を持てていませんでしたけど、元気そうな子達がいたことは何となく覚えてます」

 

 メローピーさんが本格的に顕在化したのはアリアナちゃんが時計塔から現れて以降の話だ。

 

 とはいえ、“謎の未亡人メローピー”がホグワーツに現れたのはそれより前なので、朧気ながら覚えていることもあるようである。

 

 

 「最も群を抜いて特徴的だったのは、間違いなくレイブンクローのルーナ・ラブグッドでしょうね。全く私を恐れることも嫌悪することもなく、普通に触ってきました」

 

 「マジで?」

 

 「凄く勇気のある子ですね」

 

 「勇気とは異なると察します。それが勇気によるものでしたら彼女はグリフィンドールに組分けされているでしょうし、勇気と度胸で私に突貫して来た生徒ならば、双子のウィーズリーとリー・ジョーダンなどが該当します」

 

 悪霊教師、ノーグレイブ・ダッハウをして、中々に定義し難い生徒がいた。それがルーナ・ラブグッドという少女である。

 

 そして同時に観測者は考える。これだからホグワーツという魔法の城は底知れないと。

 

 

 「以前にも説明しましたが、組分け儀式は一種の“死後裁判”を模倣した儀式であり、新入生の行動はホグワーツ特急に乗る前やコンパートメントでの様々な出会いも含めて統合的に判断されます。先の二人については既にぶつかっていたようですが」

 

 「そこも見事に親世代を踏襲したのね」

 

 ジニー・ウィーズリーは当然、兄であるロンやその友人のハリーやハーマイオニーとともに特急へ乗り込み。

 

 デルフィーニ・スナイドは、後見人でもあるマルフォイ家の人間に見送られ、ドラコ・マルフォイとともにスリザリン生の多くいるコンパートメントへ。

 

 その段階ではぶつかる要素はなかった二人だが、対悪霊戦線を率いるグレンジャー将軍は有名人であり、ハリーもロンも主要メンバーであることから、各寮の色々な生徒が出入りする場となった。

 

 ちなみに、集まった新入生に自己紹介する際には、こんな一幕もあったとか。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 「やあ、僕はハリー・ポッターだ。僕の父さんと母さんは、勇敢に闇の帝王に立ち向かい、まだ幼かった僕を庇って亡くなった、立派な両親なんだ」

 

 「ポッター、現実逃避はよすんだ。君の家庭環境の複雑さはスネイプ先生から聞いて知ってるし、両親を美談にしたい気持ちはわかるけど、あいにくと君の両親は健在で、週間魔女の浮気関連ゴシップ記事の常連として有名なんだ」

 

 「………ねえドラコ、生きるって辛いことだね」

 

 「ああ、辛いさ」

 

 色々と身内や知り合いにアクの強いのが多い二人である。(片方は騎士団関連、片方は死喰い人関連)

 

 割と巻き込まれ属性というか、尻拭いをさせられることが多いというか、不幸属性も共通項だったりする。

 

 普段から仲良しというわけではないが、ハリーとドラコはたまに愚痴を吐きあう仲だったりしているようだ。

 

 ちなみに、ポッター家では不倫や浮気という言葉は禁句にはなっていない。恋の魔女恐るべし。彼女の精神構造もルーナと同じく摩訶不思議である。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 「あれだけ多くの生徒が出入りするコンパートメントも稀でしょう。流石はグレンジャー将軍閣下です」

 

 「原因は全部アンタってことを忘れるな」

 

 「おや、私ほど生徒から想われている教師もいないでしょうに」

 

 「そうね、アンタのことを考えて考えて、胸が張り裂けそうになっている生徒なんていくらでもいるのは事実だけど」

 

 物は言いようである。胸に詰まっている感情が何なのかを脇においておけばの話だが。

 

 

 「ダッハウ先生に起因する絆っていうのも、何か微妙に嫌になってきそうですわ」

 

 縁が繋がり、仲間が増える事自体は良いことなのだが、大元の原因がコイツだと思うと釈然としないものを感じてしまう。

 

 恐らく、対悪霊戦線に参加する生徒の大半はそう思っているだろう。

 

 しかし、驚くべきことに“そうは思わない珍しい子”が、今年現れたのである。

 

 

 「そうした場が形成されれば、必然と主力メンバーの意見交換も始まる。獅子寮と蛇寮の二年生たちが話し込んでいる間に、デルフィーニ・スナイド嬢はジニー・ウィーズリー嬢を連れて少しだけコンパートメントを離れ、決闘とまではいかずとも“絶対に負けないわよ”と宣戦布告」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 「ふーん、こうして見れば見るほど貧相で哀れなのだわ、プルウェットの娘!」

 

 「あの、私ウィーズリーなんだけど」

 

 「お、同じことよ! 麗しのプルウェットのくせに、血を褒めしウィーズリーとくっつくなんて、純血の風上にも置けないわ!」

 

 「“血を裏切りし”じゃなくて? 褒めちゃったら駄目なんじゃ」

 

 「い、今言い直そうとしていたの! 台詞を取らないで!」

 

 「えと、うん、なんかごめんなさい」

 

 

◇◇◇

 

 

 

 「軽く共有しましたが、こんな感じの馴れ初めでした。いやあ見事なポンコツっぷりです」

 

 「ベラトリックスだったら確実にお辞儀決闘までいってるから、世代が代わって少しは丸くなってるのかしら」

 

 「やってる事自体は大差ないと思いますけど、何というか、見ていて微笑ましくなる子ですのね。何事にも一生懸命で、大切なものは本当に大事にしてて、好感が持てます」

 

 基本的に未亡人属性であるためか、メローピーさんはやんちゃっ子というか、ちょびっと残念な子を好む傾向がある。

 

 マートルさんとて、打てば響くタイプの気の強い生徒の方が嫉妬しがいがあるので、デルフィーニという少女は中々好ましいタイプである。

 

 

 「この後、ハーマイオニー・グレンジャーのことを“穢れたマートル”と蔑称を間違っていたのはご愛嬌ですかね」

 

 「それじゃただの、マートルさんへの悪口です」

 

 「いい度胸じゃない、気に入ったわ」

 

 「慌てて言い直して“マグル将軍”となっていたそうですが、こちらはただの敬称です」

 

 「ほんとに色々と残念そうな子ですのね。ふふ、もしトムがガールフレンドとしてそんな子を連れてきたなら、頭をずっと撫でて上げたい感じです」

 

 重い女から若干不憫な目で見られる少女デルフィーニ、哀れ。

 

 多分だが、育った環境があまり良くなかったのだろう。あるいは、実家の本棚にはお辞儀関連の啓蒙本しかなかったのか。

 

 エリート死喰い人の娘というのも、なかなか業の深い存在のようであった。

 

 

 「そんなところに現れ、二人を仲裁したのが件のルーナ・ラブグッドでした。あの状況を正確に表現できる言葉を生憎と私は持ちませんが、二人共“毒気を抜かれた”という表現が妥当かと」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 「ねえ、しわしわ角スノーカックを見かけなかった? さっきまで隣のコンパートメントにいたのだけれど、見失っちゃって。あ、アンガビュラー・スラッシキルターならいたよ」

 

 「は?」

 

 「ええっと……貴女、誰?」

 

 「わたし? わたしはルーナだよ。ルーナ・ラブグッド、あなたたちは?」

 

 「名乗られたからには、名乗るのが礼儀というものですわ。わたくしはデルフィーニ。デルフィーニ・スナイドです」

 

 「デルフィー、デルフ、ううん、ちょっと違うかな。デルちゃんでどう?」

 

 「ちょっと! 初対面の貴女に何でちゃん付けで呼ばれなくきゃいけないのですか!」

 

 「貴女は?」

 

 「ジネブラ・モリー・ウィーズリーだけど、ジニーでいいわ。家族も友達も皆そう呼ぶから」

 

 「話を聞いてくださいまし!」

 

 「うん、友達がいるのはよいことだね。わたし、だれかに直接友だちになってって言ったことはないんだよね。ねえ、デルちゃんが好きなものをなにか教えてくれない? 話のきっかけにしたいから」

 

 「本人の目の前で私に聞かれても……」

 

 

◇◇◇

 

 

 

 「ううむ、これは確かに強烈な子が来たわ。よく分からないけど、奇妙な子なのは分かる」

 

 「凄い子です。わたくしも奇特な家に生まれたとは思ってましたけど、この子はこう、別の方向性を感じます」

 

 「そうですね、ただ単に変人と定義して忌避するのは、差別を好む人の愚かさの代表例というものでしょう。彼女のような特異な考え方をする人間と向き合い、異なる価値観を知っていくというのは元来高度な精神活動なのですが」

 

 現実の衆愚はその逆であり、自分達の知らないもの、自分の価値観では測れないものには拒否感を示す。

 

 拒否ならばまだよいが、無知からくる恐怖、嫌悪、思考停止までが混ざれば、いっさい毒のないものであっても猛毒だ、疫病だと大騒ぎするのが衆愚というもの。

 

 

 「似た前例が少ないので断定はできませんが、彼女は精神の在り方が大分幻想種族、幻想動物に寄っています。ゴブリンや水中人、ヴィーラといった生息地が分かっており、魔法族ならばいつでも会いに行ける種族ではなく、魔法族すら滅多に会えない実体のない妖精や精霊の類でしょうか」

 

 「へぇ、なんかたまにそういうのと話せる子は確かにいた覚えがあるわ。小さなリリーちゃんも大概そんな感じだったし」

 

 「きっと、マーテルちゃんやメロンちゃんもそういう神秘的な妖精なのですね」 

 

 「スネイプ夫人については、年齢が長ずるに従いその要素は薄くなりましたが、あの少女はそれよりもかなり『寄って』います。おそらく彼女は孤立するでしょうね」

 

 メローピーさんの発言は綺麗にスルーした悪霊。実体のない妖精や精霊は確かにいるが、そうでない例もこの世にはあるのだ。

 

 

 「そんなになんだ?」

 

 「分かりやすく表現すると、ポッター夫人は『妖精のように可愛らしい人間の少女』でした。そして彼女はコミュニュケーション能力が高いという、人間的な要素もしっかりと持っていたため、孤立することはなかった」

 

 「ルーナちゃんの場合は?」

 

 「彼女を端的に言うと、『自分のことを人間だと思い込んでる精神異常妖精』となります。本質的に幻想種寄りであり、彼女が見る世界は人間とは共有できない。彼女にとっての『当たり前』は他者に伝わらない。そして、そうした存在を人間は容赦なく阻害し、迫害します。これは魔法族であろうと変わりません。マグルはもっとひどいですが」

 

 それでも、自分のことをリリー・エバンズの夫と思い込んでいる精神異常者よりはずっとましだろう。

 

 

 「いずれにせよ、観測対象としては実に面白い。彼女のような個性的な生徒がその力量を存分に発揮できるようにと、創始者達はこのホグワーツを創建した訳ですから。嫉妬と差別しか能のない底辺に基準を合わせた学校など、面白くも何ともありませんので」

 

 「だから堂々と言うなってのに」

 

 「スクリュートが跋扈しますが虐めのない学校と、普通に虐めはありますがスクリュートはいない学校。どちらが良いのでしょう? やはり、ダッハウ先生がいる限り意味のない問いでしょうか?」

 

 仮にルーナという少女が孤立したとして、今のホグワーツで彼女を忌避し迫害する生徒はおるまい。どういうわけかそういう生徒にはスクリュートが寄ってくる。

 

 悪霊が養殖に加担しているだけあってか、人の悪意を嗅ぎつけるのが得意になったのかもしれない。

 

 

 「ええ、意味がないでしょう、私がいる限り」

 

 「でしょうね、仮にスクリュートがいなくても、アンタがいる限り最悪だもの」 

 

 否応なしに、生徒達は戦わねばならない。

 

 悪霊と、動く処刑器具と、徘徊する怪物と。

 

 そんな悪霊の蠢く幻想の城であればこそ、ありきたりなどこでもある“虐め”などと無縁になっていくのはある種当然の帰結であった。

 

 虐めが、「人類にとって当たり前のこと」であるからこそ、当たり前ではない悪霊の巣にそんなものはない。

 

 

 

 虐めのない楽園のような学校を求めるならば、弱肉強食の魔法生物の楽土をも許容しなくてはならない。

 

 

 対悪霊戦線の生徒達の苦難は、今年も続いていくようであった。

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『どうやら、無事にホグワーツに潜入できたらしい。ルシウスは上手くやったようだ。ナルシッサを褒めてやろう』

 

『かといって、すぐに動き出すのも考えものか。依代の出自を考えれば誰だって死喰い人関連を疑うだろう』

 

『特に、あの憎き耄碌爺の目にだけは、止まるわけにはいかない』

 

『まずは疑われず、城に馴染むことが先決か』

 

『焦らずに、慎重に。分霊箱を無駄に消費するなどあってはならない』

 

『偉大なる闇の帝王は、不滅の存在なのだから』

 

 

 



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2話 割り切れぬ貨幣

本章の1話、2話、3話には悪霊教師のトンデモ授業が入ります。(警告が遅い)
中盤にも2つ、後半にも2つくらい授業が入る予定ですが、一番邪悪な内容はこの辺になると思います。
閲覧される方はご注意を、ひょっとしたらR-15タグをつけたほうがいいだろうか…


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【魔法使いの貨幣】

 

 魔法族における貨幣は金、銀、銅から成り立つ。

 これは長い歴史において、マグルとさほど差があるものではなかった。

 

 マグルの世界にはかつて、鉄の貨幣を用いた国もあったという。

 魔法族ならばありえまい。ゴブリン銀などに見られるように、魔法族は鉄を嫌う。

 鉄の文明はまさしくマグルの象徴、錬金術においても鉄を重んじる魔法はない。

 

 鉄こそはすなわち、マグルにとって最も普遍的な道具であるからだ。

 その最大の用途は、言うまでもなく剣に代表される殺人である。

 

 基本的に、“お金があれば”とは思わないのが魔法族という存在。

 それを思うということは、『金さえ払えば何でも手に入るマグルの世界』に染まりきっている証とも言える。無論、それを一概に悪とは言わないが。

 しかし、鉄を用いて奪えばいいと考えてきたのもまた、マグルである。

 

 両者の考えの違いが最も出るのが、交換のレートというものであろう。

 1ガリオン = 17シックル

 1シックル = 29クヌート

 

 これほど巫山戯た比率もなく、実用性皆無な数字もない。どちらも素数だ。

 だが、それこそが、魔法族が貨幣に込めた祈りである。 

 

 『正確な貨幣の計数に拘るな』

 『お金の数え方など、大雑把に適当なくらいでよい』

 『魔法族は何を誇る? それは心の魔法である』

 『心というものは、金のように正確に測ることは出来ないのだ』

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「皆さんおはようございます。本日は人類が生み出した概念の中でも最も普遍的な征服者と言える存在、“貨幣”というものについて語っていきましょう。時代はおよそ紀元前の3500年頃、人類の文明が原初の貨幣を発明した頃からの話となります」

 

 最初の月は瞬く間に終りを迎え、新たな月、10月の始まったばかりのホグワーツ。

 

 悪霊の担う魔法史は今日も生徒にこの上ない警戒を強いながら行われていたが、どうやら今回は魔法史というよりも、『魔法考古学』というべき頃の話から始まるらしい。

 

 これもまた、悪霊の授業ではそれほど珍しいことではない。文明に文字が登場し、事績が記されるようになってからを歴史と呼ぶことが多いが、世界各地の文化文明の中には文字を持たずに発展し、歌で歴史を紡いだ例もある。

 

 よって、貨幣や家畜、暦や車軸といった文明の揺籃期に生まれた発明品やそれにまつわる物語は、歴史を紡ぐという行為と密接に関わることに違いはなく、例え文字はなくとも、それらを追うことに意味はあるのだ。

 

 

 「まずは貨幣というものの基本から説明します。これもまた時代とともに変遷し、明確に定義することも難しいのですが、取り敢えずの基礎として抑えておいてください。以下の三つの機能を持つものを、人類は貨幣と称して来ました」

 

 1.交換の手段

 2.価値の尺度

 3.価値の保存

 

 

 「皆さんのよく知る魔法使いの貨幣、ガリオン金貨、シックル銀貨、クヌート銅貨も当然これらの条件を満たします。お菓子を買うために渡す交換の手段であり、そのお菓子がどのくらいの価値かを測る尺度であり、そして、お菓子はやがて劣化しますが銀貨や銅貨は劣化しても価値を損なうことはない」

 

 特にグリンゴッツで生産される小鬼の貨幣は、保護魔法もかかっているので劣化というものからもほとんど無縁だ。

 

 より上位の手段となると、小切手、株券、資本など複雑化していくが、それらにしても当然貨幣という考え方の前提がなくては成り立つものではない。

 

 世界中の国家や文化を見渡しても、株券はあるのに貨幣は知らないという場所はないであろう。

 

 

 「これらにも当然段階的発展の歴史があり、三つの条件を最初に満たした例が、“銀のシュケル”と呼ばれるメソポタミア地方で使われた貨幣です。宝貝であったり、布であったり、他の劣化しにくい物品を貨幣に用いた文明は数ありますが、国家が取り組んで作ったのはここが初でしょう」

 

 銀という金属の特徴として、精製過程がやや複雑であり、文明が未発達な時代であれば個人でそれを行える設備を持つことが出来ない。

 

 金については、砂金というものが存在し、川辺で篩にかけることで金の状態のまま見つけることも可能だが、銀は他の鉱物を混ざった状態でしか自然界には存在しない。

 

 つまり、銀を貨幣にするということそのものが、大きな国家が存在し、それを国家公認の貨幣として扱うという意思表示と一体になっている。

 

 

 「昨年の復習となりますが、分業体制を整え、貨幣により価値の尺度と交換を高め、より複雑な社会制度を構築していく。それがマグルの社会の特徴です。この貨幣というものなくして、数百万人もの人口を擁する巨大国家は成立し得なかったでしょう」

 

 貨幣が出来た時期から、徐々にマグルと魔法族の分離は始まっていく。

 

 魔法族の根幹は、心の魔法である。  

 

 始代の頃は共生していた魔法族と多くの文明の民。暦、占星術、青銅器が主流の頃は王や神官として君臨したのは魔法族が多い。

 

 しかし、文字、貨幣、宗教、鉄、帝国というものを発展させるにつれ、彼らは次第に別れていった。

 

 ヒッタイト帝国とエジプト王国が数万の軍隊同士を史上初めてぶつけたと言われるカデシュの戦い(BC1286年頃)の頃には、鉄を持った者達が殺戮の手段を高めていった。

 

 鉄の発展と魔法族との分離もまた、比例していく現象である。

 

 

 「逆に言えば、マグルと魔法族が共存している時代。それ以前の社会では三つの条件を満たした貨幣は存在していなかった。先程述べた“銀のシュケル”の一つ前の段階では、“大麦貨幣”と呼ばれるものが使われておりました」

 

 その名の通り、大麦をそのまま貨幣にするというもの。

 

 東南アジア、東アジアにおいても、近代化の前までは米や麦をそのまま貨幣代わりに交換手段として使うのは珍しいものでもなく、非常に伝統的な貨幣の一形態と言える。

 

 

 「交換の手段としては充分に成り立ち、尺度においては“食べられる”ので奴隷でも価値が一目で分かるという利点がありました。価値の保存についてだけは、食糧でもある以上劣化は避けられず、貨幣の機能を完全に持つとは言えません」

 

 何百キロメートルもの経済圏、版図を持つ巨大帝国であれば、腐らない貨幣なくして流通も貿易も出来ない。

 

 しかし、小さな村や一地方であれば、米や麦が痛むまでの間に必要なモノは行き渡る。

 

 よって、人類は産業革命以前までは、至るところで金属の貨幣と“食べられる貨幣”を併用してきたものである。特に、奴隷制や農奴制を採用しているならば、学のない者でも分かる交換の手段は必須でもあった。

 

 労働に対する現物支給というのは、今も昔も分かりやすさでは随一の方法だ。手伝いに対する飴玉ならば、四歳児でも理解できる。

 

 

 「ホグワーツ自治領内部ならば、カエルチョコレートやバタービールが良い例でしょう。1000人程度の小さな社会であるならば、それで充分に成り立つということです。宿題の代行に対してバタービール一本、クィディッチの助っ人に対して三本、といった具合に」

 

 そして、魔法界そのものがそれほど大きくないので、厳密には金貨や銀貨がなくてもなんとかなる。

 

 魔法族が金銭の譲受に割とルーズなのもその辺りに起因するだろう。自分の頭で覚えていられる貸し借りだけで、大抵の生活は賄えるのだから。

 

 

 「縁もゆかりも無い人間たちの集まりであっても、小さな集団ならば貨幣というものは成立しうる。例えば、私やアウシュヴィッツに代表される強制収容所におけるタバコなどは良い例です。互いに言語すら通じない場合であっても、交換は成立したのですから興味深い」

 

 そしてそこに、人類の宿業の代表例をぶっこんでいくスタイル。

 

 とはいえ、マグルという種族のそういったしたたかさは確かに強みなのだ。法などあってなきが如き牢獄や強制収容所であっても、タバコなどが貨幣や賄賂として機能するのである。

 

 見たこともない他人と法と貨幣を通じて協力していくマグルの都市生活に対して、魔法族は杖一本で生活の大半が成立する。

 

 この違いが絶対的である以上、物々交換の農村部ならばいざ知らず、都市部においては貨幣という存在そのものへの認識が異なってくるのは当然であった。

 

 

 「さらにもう一段階過去を論ずるならば、農業革命が本格的に起きるBC8000~7000年以前においては、“交換の手段”としてのみ成立する貨幣が使われておりました。それこそが、人類最古の職業であり、現代でも決してなくならぬ職業、売春というものです」

 

 そして先触れなしに投下される大爆弾。

 

 二年生の年齢は12から13歳である。そこにいきなり“売春”という単語を放り込んでいく教師は、確実にコイツだけだ。

 

 まあ、その前の強制収容所という単語も大概ではあるのだが。

 

 

 「あの! ダッハウ先生! それはまだ私達には早いのではないでしょうか!」

 

 顔を真赤にしながらも健気にも発言するグレンジャー将軍。

 

 こういうところで貧乏くじだろうが引いてくれるから、皆が彼女を頼りにする。頑張ってハーマイオニー。

 

 

 「いいえ、現実を見なさいハーマイオニー・グレンジャー。貴女達の年齢ならばもう充分に、“春を売る”、“股を開く”ことは可能なのです。実際、古代においては12歳で男も女も成人と同じ仕事に就いておりました。そう、“大人と同じ仕事”を男も女もです。あらゆる歴史とは、事実をまず直視することから始まります」

 

 それは確かに歴史や考古学の示す純然たる事実ではあるのだが。

 

 なぜだろう、素直に受け取れないこの憎たらしさ。

 

 

 「なにも、昨年マグル界に起こった性犯罪事件、その被害者の中で貴女たちと同じ年齢の少女が犠牲となった件数が、イングランドという国家、その中でもロンドンという一都市で起こっただけで両手足の指では収まりきらない事実を直視しろとまでは言いません」

 

 いや、言っているだろう生々しい事例を。それも聞きたくもない類のだ。

 

 

 「ただ、排卵機能を備えた哺乳類の雌は、繁殖力旺盛な雄に『そういう目で見られる』という事実を知るのに、早すぎるということはありません。むしろもっと早くから知り、いざという時の防護策、対処法を考えなくては歴史を学ぶ意味がない」

 

 尚、ダッハウに言わせれば、参考にするべき事例は山ほどあり、対策を立てること自体は問題ないはずが、『できない』ではなく『やらない』だけで性犯罪事件数を増やす人類は、愚かで惨めで仕方がない。

 

 嘲笑いながらそう語るコイツは、絶対に人間ではない。だからこその人でなし。

 

 

 「安心なさい、何も今ここで“実技”を始めろとまでは言いません。あくまで歴史認識として売春は最古の職業であり、貨幣という概念が本格的になる以前から、“心の交換”、“愛を与えあうこと”は人類社会において大きな意味を持っていたことを学べればそれでよい」

 

 “実技”という単語に、さらに多くの生徒が顔を赤くするが、おかまいなしに悪霊は続ける。

 

 何せ、実体を持たない悪霊だ。皮肉極まるが売春とも実技とも、一番縁遠いのがこの場ではコイツなのである。殖える、孕むという単語は、凄まじいほどに幽霊とは対極だ。

 

 藪をつついて蛇を出すのは賢くない。これ以上議論して本当に実技をする羽目になったら目も当てられないので、取り敢えずグレンジャー将軍も沈黙を保つ。

 

 

 「実際、“愛の妙薬”や“元気の出る呪文”しかり、人の精神作用に関る魔法は古くからあるもの。そして、形なき母の愛こそが最古にして最も偉大なる魔法であると、ダンブルドア校長はおっしゃっています。貨幣よりもさらに古き魔法は、確実に存在しているのです」

 

 髪を伸ばすことも、色を変えることも、魔法を極めれば出来る。

 

 およそ、女性が望むものは魔法によってこそ叶えられるものが多い。ならば、愛が原初の貨幣であった時代には、魔法は如何なる意味を持っていたか。

 

 

 「農業革命が本格化する以前のサピエンス共同体は母権社会が基本であり、強力な狩猟採集民、牧畜民から逃れるために原初の農耕民は神殿を中心とした集落をオアシスなどに営んでいました。神殿聖娼が政の中心にあり、原初のアイドルであった彼女らから与えられる愛が、最大の財貨であった時代ということです」

 

 しかし、食糧を求めて襲い来る蛮族はその文化を軟弱と否定する。

 

 石斧の暴力で、後の時代ならば鉄の斧の暴力で、簡単に奪える弱いものだと。

 

 

 「対して、マグルの社会では金と暴力さえあれば、性奴隷などいくらでも買えるのです。股を開いて子を孕むだけならば、奴隷女でもできること。しかし、母として子を愛し、教育を与え、人として立派に育てることは次元の異なる難度です。産んで捨てるだけならば、チンパンジーでもできますからね」

 

 母の愛が原初の魔法ならば、子を捨てる母に魔女の資格なし。

 

 マグルは力と金で愛を奪い、魔法族は薬と呪文で愛を奪う。

 

 結局の所、どちらの種族も“愛”という原初の貨幣から別れ、それぞれに異なる進化をしてきただけのことである。

 

 であるからこそ、不倫も離婚も決してなくならぬ。それはどちらの種族においてもだ。人は愚かなままである。

 

 

 「これも覚えておきなさい。古代よりサピエンスは“女は産む道具”と見なし、性奴隷として扱う文化が存在した。同様に“男は殺す道具”と見なし、戦争奴隷として扱う。マムルークやイェニチェリ、農奴兵など、形はさまざまですが、子を産むことが女にしか出来ぬ以上、殺すことが男の領分になるのは自明の理というものでしょう」

 

 男は殺す道具、女は産む道具。

 

 戦争奴隷と性奴隷、実に近しく在り続けながら、真逆そのものでもある役割の違い。

 

 まさに人でなしの理屈ではあるが、分業体制として見るならば合理的ではある。

 

 何せ、役割を逆にしては笑えるほどに役に立たないのだから。

 

 

 

 「また、力による収奪を避けるために“威信財”という概念も生じました。例を上げるならば、競技用箒を奪うことは出来ます。しかし、クィディッチ選手の才能は奪えない。服従の呪文で操ろうとも、自分が選手になれるわけではない」

 

 力では奪えぬ【威信財】、マグルならばそれを礼儀作法、貴族としての所作に求め、それを継承する者らを貴き血と呼んだ。

 

 

 「突き詰めて言えば、“魔法薬を煎じる技術”に価値ありと見るか“出来上がった魔法薬”を売買すればよいと見るか。前者を選んだのが魔法族であり、後者を選んだのがマグル。ならばこそ、後者のほうが力で奪いやすく、金に対する執着もまた大きくなる」

 

 望めば物を生み出せるに等しい魔法世界、幻想世界において、“技術”とは非常に多様な価値を持つ。

 

 それは魔法を創造する心と密接に結び付くからこそ、貨幣というものは数で容易に割り切れない。

 

 ガリオン、シックル、クヌート。

 

 17と29という素数が選ばれた理由がそこにある。魔法とは、心とは、“割り切れないもの”であるからこそ。

 

 それが、魔法使いの貨幣なのだ。

 

 

 「イギリス魔法界の商店街が、ダイアゴン横丁に限られるのもそのためです。金さえ払えば、いつでもダイアゴン横丁で手に入るものであってはならない。よりよい品を、自分に合ったモノを自分が魔法で作れる程度でなければ、小さな魔法界は成り立たない」

 

 分業と大きな組織の構築は、マグルの在り方なのだから。 

 

 自動機械では「不思議な魔法薬」は作れない。心を込めながら人間が鍋をかき混ぜなければ、薬は出来ないのだ。

 

 ホグワーツに彷徨う執着の亡霊は、かつてそこに想いを込められなくなった時、魔法の力を失い、“愛の妙薬”を煎じられなくなった。

 

 そして、家宝であったスリザリンのロケットを、僅か10ガリオンでボージン・アンド・バークス店に売ることとなった。

 

 魔法族に成りきれず、マグルの毒を受け、二つの世界の狭間で知られることなく死んだ、哀れな少女。

 

 

 「次の次あたりの授業で詳しく述べますが、“出来上がった品を買う、利用する”という在り方を求める者はやがて魔法の力を失っていき、代わりに【金銭を儲ける術】に長けるようになります。これがスクイブの起源であり、マグル世界の地中海世界ではユダヤ人とも呼ばれます。古くから、モノとカネの集まる都市に、どこからともなくユダヤ人はやってきて住み着くと言われてきました」

 

 古き時代の信仰はやがて宗教に発展し、しかしそこにも権力と金の匂いはつきまとう。

 

 

 「これはキリスト教の聖人の言葉ですが、【権力と金、これに執着した時、聖人は俗人となる】。同様に、権力と金に執着した魔法族は、やがてスクイブとなっていく。銀行や商家らに近く、物材に囲まれた名家からスクイブが生まれやすい由縁でもあります」

 

 と同時に、継承問題や血縁の呪い。スクイブはそういった呪い、憑き物筋から逃れるための手段でもあり、これもまた【血筋や愛の問題】と“割り切れない”類の縁である。

 

 別の言い方をすれば、マグルのように合理性や分業体制、貨幣を求める家からは、スクイブが生まれやすいということでもある。あるいは、純血主義であり過ぎる親への反発としても。

 

 

 「魔法族の血筋や婚姻、性欲に関する講義は次回にするとして、ここらでレポート課題を出しましょう」

 

 

課題

 現在の魔法界において、ガリオン、シックル、クヌートの他に、“貨幣”として機能しうる物品、魔法、概念を考えて述べよ。

 

 

 

 「魔法生物の一部や、魔法薬の材料などは当然として、杖の芯、特許、そして心の一部や魂に至るまで、何でも構いません。あるいは、ゴーストを金で売買するというのも面白いかもしれません。私を買いたいという奇特な人間がこの世にいればの話ですが」

 

 生徒全員が首を横に振った。僅かのズレもない見事な連携である。

 

 

 

 「生まれたばかりの赤子も、先祖の墓も、人は例外なく僅かな貨幣に変えてきた。歴史を学ぶに際して、これほど深淵で面白い題材もなかなかありません。洋の東西を問わず、“地獄の沙汰も金次第”とはよく言ったものですから」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「貨幣かあ。改めて考えると、ウチって本当に典型的な魔法族なんだなぁ」

 

 「お金がない、じゃなくて、お金が必要ない。だものね、隠れ穴は」

 

 魔法史の授業が終わった放課後、クィディッチの練習に向かうために歩いているのはハリーとロン。

 

 ハーマイオニーも見学に来る予定ではあるが、今日のレポートについて考えをまとめたいとかで後から来る。

 

 ちなみに、授業の途中の内容については顔を真赤にしてなおも憤慨していた。対悪霊戦線の活動が今年も活発になることは疑いなさそうだ。

 

 

 「僕の家は、まあごっちゃだけど、ポッター家は金貨がたくさんあって、エバンズ家はマグルじゃあ“そこそこ”なのかな」

 

 混血のハリーの家は、どちらの世界においても貴族ほどではないが、中流かその少し上といったところだろう。

 

 マグル生まれのハーマイオニーは医者の家であり、金に不自由した経験は生まれてこの方皆無といってよい。

 

 そして、ロンの家は由緒正しい純血だ。実に“魔法族らしい”純血を地で行く家であり、その生活に全くといっていいほど貨幣を必要としない。

 

 

 「てゆーか、ホントに何で気付かなかったんだろうな。マグルと同じ社会だったら、パパのあの安い給料で九人家族とかありえないだろ」

 

 「うーん、マグルを詳しくは知らないけど少しは知ってるから、“ウチはお金がない!”って思っちゃうのかもね」

 

 例えば、教科書などについてもダイアゴン横丁で買うのが主流ではあるが、そもそもそこに自由経済など成立していない。

 

 魔法省は一つだけであり、ホグワーツ全生徒に同じ教科を作れるような出版所も一つくらい。大型書店も一つだけ。そして、イギリスに学校もホグワーツだけ。

 

 要するに、選ぶ余地などない官給品も同然であり、そもそも「本」であるならば魔法でコピーすればよいのである。

 

 

 「知人の知人の友人で完結するもんな。何か欲しいときって、金よりも伝手の方が物言うし」

 

 「アーサーおじさんは騎士団に限らずすっごく顔が広いし、モリーさんはプルウェット家出身だし。長男のビルはグリンゴッツ、次男のチャーリーはドラゴン研究所、うん、これだけで何でも手に入るよ」

 

 そこにブラック家などの名家同士の繋がりも加わる。

 

 改めて考えて見るほど、“貨幣が必要”なほど魔法界は大きくない。物々交換だけで十分やっていけそうな規模と、何よりも魔法の利便性。

 

 にもかかわらず、金が無いと嘆いてしまうのはマグル生まれやその家族と親しくし過ぎている故の現象だろう。実際のところ、マグル嫌いの純血名家はゴーント家のような例外を除けば金が無いとは嘆かない。

 

 

 「うん? 何だろう、ウッドとマーカスが啀み合ってるのか?」

 

 「そりゃあいつものことだけど、今日は何だろうね」

 

 話しつつも競技場に到着した二人だが、そこにはグリフィンドールチームの赤いユニフォームと、スリザリンチームの緑色のユニフォームが立ち並んでいる。

 

 察するに、グラウンドの使用権を巡ってのキャプテン同士の喧嘩辺りだろう。

 

 

 

 「あ、ドラコがいた。おーいドラコ―ッ!」

 

 「ん、何だ、ポッターか」

 

 知り合いの姿を見つけたハリーが声をかけ、応じたのはスリザリンの新シーカー、ドラコ・マルフォイ。

 

 去年のシーカーは六年生が務めていたが、イモリ試験に集中したいとのことで七年生で引退している。これはむしろ普通であり、七年生までびっちりやるほうが珍しい。ウッドは確実にやるだろうが、恐らく死ぬまで。

 

 

 「ん? ジニーもいるな、フレッドとジョージが連れてきたのかな? ハリー、僕ちょっと見てくる」

 

 「オッケー」

 

 忙しなく離れていくロンを見つめながら、若干呆れたようにドラコは呟く。

 

 

 

 「やれやれ、グリフィンドールは相変わらずあっちにもこっちにもウィーズリーじゃないか」

 

 「チャーリーが卒業したけどジニーが入ったから、今年はまた五人だね。流石にジニーで最後だけど、来年には僕の妹達も来るよ」

 

 「あの双子か……妹の方と、スネイプ先生の関係については聞かないほうが良さそうだな」

 

 「うん、聞かないでくれると助かるよ。ちょっと母さんの影響を受けて、身内愛をこじらせちゃってるだけだから」

 

 ただし、絶対に執着のゴーストにだけは会わせまいと決めているハリーである。

 

 身内をちょこっとおかしなベクトルで溺愛する傾向のあるエバンズの血筋と、あの“重い女”が再び混ざれば何が起きるか、考えるだに恐ろしい。

 

 

 

 「あれ? よく見たら君の持ってるのニンバス2000じゃないか、ニンバス2001を買うんじゃなかったの?」

 

 「色々と理由があってね。今年は取り敢えず止めたんだ。君たちグリフィンドールも、例の悪霊の貨幣に関する授業は受けたろう」

 

 「うん、受けたけど……ああ~、そういうこと」

 

 「そういうことだ。ニンバス2001をスリザリンチーム全員に買ったりなんてしたら、来年以降にどんな黒歴史として授業の題材にされることか。マグル的だとか成金だとかだけならまだいいけど」

 

 

 

二人の思い浮かべる悪霊予報

 

 『ほほう。金にものを言わせて7人全員に最新型箒を買い与えますか、実にマグルの成金らしいやり方です。才能も努力も全ては無意味、全ては大人の金次第。素晴らしい、子供達の夢を踏みにじる汚い大人のやり方、なかなかに私好みです。スリザリンに10点をあげましょう。拝金主義に塗れし穢れた勝利が貴方たちの頭上に輝かんことを。ビバ資本主義』

 

 

 

 「とか何とか言ってくるだろ、確実に」

 

 「でも、貴方がニンバス2001を使ってたとしても、皆が非難するわけじゃないわ」

 

 「いつの間にいたんだグレンジャー。確かに君ならそこは分けてくれるかもしれない。だが、あの悪霊は絶対分かった上であえて黒歴史として淡々と記録してくる」

 

 「やるね」

 「やるわね」

 「やるに決まってるな」

 

 三人の声がハモった、気付けばロンもあっさり戻ってきていたらしい。

 

 実に嫌らしいことに、個人に対する非難ではなく、“金持ち理事とスリザリンチームの癒着の歴史”だとかで語ってくるのが簡単に予想できる。あの悪霊、時事ネタをその場で拾うのではなく、一年くらい経って歴史になってから事実として暴露していくのだ。

 

 似たような事例に、ベラトリックス・レストレンジの過去の恥、“お辞儀パンモロ事件”があったりする。

 

 ダッハウが暴露した“死喰い人の学生時代の黒歴史”の印象が強すぎるためか、現役の武闘派幹部なのに、全然怖がられていない哀れなベラちゃんであった。

 

 

 「ほんとによくあそこまで、他人の消し去りたい過去の恥を暴露していくわよね。ベラトリックス・レストレンジのパンもろ事件を聞いた時は流石に同情したわ」

 

 「それ以上は言わないでおいてあげてくれ。一応僕からすれば伯母なんだ」

 

 「分かるよ、僕もエバンズ病で相当苦労してるから」

 

 ドラコにとってのベラトリックス伯母さんは、ハリーにとってのペチュニア伯母さんである。互いに身内では色々と苦労する。

 

 

 「てゆーか、吹っ飛ばしたのはうちのママだしな。パパに聞いたら顔背けてたし」

 

 「そしてどっちも、ブラック家の親類なんだよね」

 

 ほんとに、魔法界の血筋は狭い。その中でも最たる例は間違いなくブラック家だろう。

 

 

 「ブラックか。例の黒太子同盟がなければ、こうして君たちグリフィンドールと僕たちスリザリンが対悪霊戦線を組むこともなかったろうな」

 

 「私としてはむしろ、ハリーのお父さんたちやルーピン先生が、夜間学校に普通に通っていたことのほうが信じられないわ」

 

 「ほんと、そこは凄いよな」

 

 敵を知り己を知れば百戦殆うからず。

 

 悪霊たちと戦う上で、最も必要なのは情報だ。その点では彼ら悪戯仕掛け人以上に詳しかった生徒は過去のホグワーツにはいなかった。

 

 彼らがまさに命懸けで獲得した情報と処刑器具との戦いの歴史を元に、今の対悪霊戦線はあるのであった。 

 

 

 「ただスリザリンの僕としては、何で彼らは英雄になった後も人生の恥を量産していくんだって聞きたい。あの“魔法大臣室糞爆弾事件”なんて耳を疑ったさ」

 

 「そういうことしないと死んじゃう病なんだと思ってあげて」

 

 「僕のペットのスキャバーズも、その時活躍したんだぜ」

 

 ヴォルデモートが破られた12年前のゴドリックの谷の戦いにおいて、ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピンらの活躍は有名となり、彼らにマーリン勲章をという声が当然上がった。

 

 それに対して、悪戯仕掛け人の答えが“魔法大臣室糞爆弾事件”である。命知らずにもクラウチ大臣に対して。意味は当然“クソくらえ”。

 

 

 「父さんが透明マントで侵入して、シリウスが撹乱した。と見せかけて、本当の実行犯はネズミに変身したピーターさんなんだ。一匹じゃ糞爆弾を運ぶの難しいからネズミの友人に手伝ってもらって、それが今のロンのペットのスキャバーズだよ」

 

 「だからアリバイが完璧でバレなかったんだ。まさか、聖マンゴの癒者が僅かな休憩時間にネズミに変身して糞爆弾届けに来るなんて誰も思わないからな」

 

 ピーター・ペティグリュー、彼とて悪戯仕掛け人の立派な一員である。というかむしろ、ジェームズやシリウスを矢面に立たせておいて、関係ないような顔をしつつこっそり悪戯を楽しんでいたりする。

 

 やはり、ピーターもクズだった。所詮は彼もグリフィンドールの悪戯っ子である。

 

 

 「誰も思わないんじゃなくて、普通はしないのよロン」

 

 「それをするからあの人達なんだよ、だってフレッドとジョージの師匠だぜ?」

 

 「父さんとシリウスも悪ノリはいっつもするけど、本当に嫌がることはしないようにしてるって。それに、うん、そうでもなきゃダッハウ先生には対抗できないだろうから」

 

 「そこだけは同意する」

 

 明かされたとんでもない事実に、痛む頭を抑えるドラコ。この事実が悪霊によって生徒に暴露されないのは、彼らにとってそれこそが“勲章”であって、黒歴史ではないからだろう。

 

 

 「本当に、父上の時代に比べてぜんぜん違うじゃないか、この城は。いったい何時からわけのわからない怪物の巣になったんだここは」

 

 ドラコ・マルフォイにしてみれば、聞いていたのと話が違うというやつだ。

 

 ハリーやロンは親世代が近いし、ビルやチャーリーから直近の情報も入ってくる。ドラコにも従姉妹にニンファドーラ・トンクスがいたが、マグルとの混血なのであまり話す機会がなかった。

 

 もっと最近のホグワーツのことを彼女から聞いておけばよかったと、入学してから後悔した彼である。

 

 

 「リーマスさんが学生時代に夜間学校に通って、今では防衛術の先生だしね」

 

 「人狼の教師がいると聞いて、私、最初はとっても驚いたのを覚えてる」

 

 「別に構わないし今となっては誰も気にしてないさ。人狼教師が何だっていうんだ、あの悪霊教師に比べれば」

 

 

 【人狼教師】と【悪霊教師】、どちらがよりたちが悪いかを生徒に聞くことに意味がない。0対100で回答が決まりきっている。

 

 

 「万倍マシだ。少なくともルーピン先生はスクリュートをけしかけてきたりはしないからな」

 

 今も第二陣が養殖されているスクリュート。今年の新入生も早速“実技”の餌食になったらしい。

 

 

 

 「……ここだけの話だが、デルフィーニも噛まれたんだ。夜間に外に出たあの子が迂闊だったと言えばそれまでなんだが」

 

 「あちゃあ、新入生には無謀だぜ」

 

 現在のホグワーツでは、夜に出歩くことは校則で禁じていない。というか、禁じる必要すらない。

 

 夜は悪霊たちの時間、つまりは、ダッハウの管轄だ。

 

 

 「祖父のアブラクサスの時代から、夜間に出歩く生徒はスリザリンにも多く居たらしいが、先輩によれば拷問器具やスクリュートが徘徊するようになってからはめっきり減ったらしい」

 

 「そりゃそうだよ、当たり前じゃないか」

 

 「というかなんであの子はその中で夜に出歩いちゃうの? 監督生から注意事項は聞いてるはずよね」

 

 「……あの子は、負けん気が強くて、好奇心旺盛なんだ。グリフィンドールの悪戯仕掛け人達が夜間学校に通っていたと聞いて、対抗心を燃やしまくってる。彼らにできて私に出来ないはずがないってさ」

 

 「好奇心旺盛なのもいいけど、蛮勇は禁物よ。貴方からもっと厳しく言ってあげないと」

 

 残念な子。そんな印象は持ったけど口には出さない、ハーマイオニーは気遣いが出来る子なのだ。

 

 ちなみに、残念なデルフィーニちゃんについてはその次の夜に拷問器具に襲われかけたところを、アクロマンチュラに助けられたとか。ナイス、モレークくん。

 

 

 「ところで、なんでこの城のアクロマンチュラは温厚で生徒を守ってくれるんだろう?」

 

 「多分、アリアナちゃんのおかげなんじゃないか?」

 

 「ハグリッドの影響もあるとは思うのだけど」

 

 基本的に、ダッハウが関わった処刑器具などはよく生徒を襲う。

 

 反対に、ハグリッドが育てた魔法生物は、例え人食い種であろうとも滅多に生徒は襲わない。

 

 スクリュートについては、悪霊とハグリッドの共同開発だ。つまり、人を襲って食べる。ホグワーツの生徒に対しては“悪戯”の領分を出ることはないが。

 

 

 「こうして考えると、改めてハグリッドって凄いな」

 

 「ダンブルドア先生のおっしゃる、愛の偉大さが分かるわ。きっとハグリッドの愛情を魔法生物も分かってくれてるのよ」

 

 「ダッハウ先生の悪意が全部台無しにしちゃってるけどね」

 

 そこにオチがつくのがホグワーツだ。

 

 

 「で、あっちで僕の妹と睨み合っているのが、そのデルフィーニって子かい?」

 

 「またか! 全然学ばないなあの子は!」

 

 仲裁に駆け出していくドラコ、その背中には若くして既に苦労人の風格があった。

 

 何せ、ハリーの友である。

 

 

 「こりゃ、この先苦労しそうだぜ」

 「ジニーにデルフィーニ、それにルーナ。うん、個性的だね」

 「はあ、対悪霊戦線に“下級生の面倒を見る役”も追加したほうが良さそう。ほぼ確実に私達でしょうけど」

 

 そりゃあそうだ、だってジニーの兄貴はロンだし。

 

 二年生になって、悪霊の授業には憤慨しつつもそれなりに慣れてきても、グレンジャー将軍の気苦労は些かも減らないようであった。

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『どうなっているんだこの城は、昔とぜんぜん違うじゃないか』

 

『徘徊する怪物たちも気になるが、噂に聞く悪霊とはいったい…』

 

『ともあれ、まずはあの娘だ。プルウェットの娘に日記を拾わせることが出来れば』

 

『しかし、どうやって実現すべきか』

 

『部屋を開くのはあの娘でなければ、こちらを使うのはあくまで最後の手段』

 

『取り敢えず、今は様子見か、ひとまず情報を集めることだ』

 

『今のホグワーツは不可解なことが多すぎる。あの耄碌爺、偉大な学び舎をどうするつもりなんだ』

 

『ロジエールとクラウチJrが失敗したのも頷ける。こんな変化、予想できるはずがない』

 

『焦るな、失敗は許されない。闇の帝王に失態などあってはならないのだ』

 

 



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3話 禁断の果実

今回は少し長めです。
そして、悪霊の授業の中でも最も悪名高き一つとなります。

貧血さま、ずわいさま、誤字報告ありがとうございます!


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【愛の妙薬】

 

 魔法族にとって愛の定義とは何か?

 マグルと異なり、薬や魔法によって容易にその感情を操作できてしまうがために、常に付きまとい続けた問いである。

 

 ある学者は、愛を与えるもの、捧げるものと定義し、

 恋を欲するもの、奪うものであるとした。

 

 前者の分かりやすい例を挙げるならば、家族愛、祖国愛。

 共同体に対して忠誠を尽くすという概念は、捧げる愛の典型例とも言えるだろう。

 

 後者の分かりやすい例は、征服欲、侵略欲。

 略奪愛などという言葉もあるが、君主が敵国の領土や都市を欲する【お前が欲しい】、【必ずやお前を我が物に】という渇望は、国家単位で愛の妙薬を飲んだと言えるかもしれない。

 

 一部の言語における男性名詞、女性名詞などにそれらの名残は見られるともされ、ヒトの文化と根強く関わりながらそれらはあり続けた。

 

 愛にせよ、恋にせよ、これらが非常に定義が曖昧な境界線問題であることは事実であろう。

 まして、人の心は移ろいゆくもの。かつては愛していたものを憎むこともあり、その逆も然り。

 

 歴史は語る、愛の妙薬から始まった恋愛に、本当の幸せの結末を見た事例は極めて少ないと。

 全くない訳ではない、しかし、その僅かな希望があるからこそ目が眩む。

 

 『絶対に失敗する賭けと分かっているならば、人はそれを求めはしない』

 『だが、成功の可能性が見えた時、自制を保つのは困難だ』

 『ならば、愛の妙薬における本当の毒とは“希望”にほかならず』

 『希望を失ったとき、人は絶望に堕ちるのだ』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「古代から創始者の時代に至るまで歴史を紐解いていくシリーズ。今回は三回目となります。最初に不老不死の探究と魔女の若返り薬、二番目に割り切れぬ貨幣と人類最古の職業について語りました。今回はそこからより根源的な部分にも言及し、雌雄というシステムと性欲と社会性について見ていきましょう」

 

 クィディッチシーズンもそろそろ開幕が近づき、ハロウィンへ向けて活気づいていくホグワーツ。

 

 同時に悪霊達が活気づく季節でもあるため、去年のスクリュート騒動を忘れるはずのない上級生たちは、今日も今日とて予襲復讐(誤字に非ず)に余念がない。

 

 つまり、やられるまえにやれ(予襲)、やられたらやりかえせ(復讐)の精神である。これもまた悪霊達の悪影響と言えるだろうか。

 

 

 「今更語るまでもなく、純血、混血、マグル生まれと言ったそれぞれの出自は、婚姻において切り離せるものではありません。また、結婚に至る経緯においても、家と家が決める例、愛の妙薬を飲まされた例、ヴィーラにかどわかされた例、小鬼への借金で売られた例、巨人に略奪された例など多岐に渡ります。雌の狼人間に噛まれて変異することも、求愛行動の一種ととれるかもしれませんがここでは除外します」

 

 なぜそこに普通の恋愛を入れないんだコイツは。

 

 思春期を迎える子供達に対して、性的な知識の絡む話というのは常にデリケートなもののはずだが、この悪霊がそんな配慮をするわけがない。

 

 生徒達もこの二年目の講義の傾向を徐々につかめてきた、一年目は“物理的”に危険なものが多かったが、二年目は“精神的”に負荷が多いのだと。

 

 いやまあ、皆殺しだの虐殺だの、一年目も大概ではあったのだが。

 

 

 「それでは、雄と雌が番となる根本的な社会性の変化を見ていきましょう。まずは100万年前のホモ・エレクトスですが、これは現在ではホモ属に含められており、マグルと魔法族に分離するよりも確実に前の形ですので、共通項を見ていくには最適です」

 

 そして、予想の遥か上をいき、まさかの100万年前の人類からスタート。

 

 そりゃあ、雄と雌の繋がりを遡ればそこまでいくのは事実なのだが、まさかアフリカの現生人類期にまでたどり着くとは生徒の誰も予想できまい。

 

 唖然とする生徒を尻目に、説明用の魔法文字が次々と空中に描き出されていく。

 

 

ホモエレクトス

 形態的特徴として、身長は成人男性で140cm~160cm、体重は同50kg~60kgと現代人よりかなり小柄でがっちりしているが、頑丈型と華奢型が存在していた。

 体毛は濃く、背中までびっしり体毛が生えていたと思われる。体色は黒色、体毛も黒色と考えられている。

 大きな頭蓋の容量を持つ。脳容量は950ミリリットルから1100ミリリットルで、現生人類の75%程度。

 

 

 「今ここにいる生徒の全員は、少なくとも彼らよりは頭蓋骨内に脳みそが入っていることを期待します。性欲のままにくっつき、冷めたら分かれ、生まれた子を捨てるなどはサピエンスが歴史と共に繰り返してきた所業ですが、進歩していないどころかエレクトス時代よりも退化したとも言えましょう」

 

 例によって、人類の歴史を嘲笑っていくスタイル。

 

 特にサピエンスという種族は政略結婚や不倫などにおいて黒歴史が多いだけに題材には事欠かない。

 

 

 「彼らとの種の分離は50万年前あたり。彼らは約20万年前には中東地域でホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)との生存競争に敗れて絶滅し、約7万年前にはホモ・サピエンスとの生存競争に敗れて他の地域でも絶滅。これぞ、我らが皆殺しの種族たる由縁、魔法族とマグルに分離する前に、既に他種族抹殺は経験済みというわけです」

 

 一万年前から少し経過し、サピエンスから魔法族が分派する。

 

 この分離をホモ属の亜種への分派と見るかは難しく、少なくともDNA鑑定で区別できるかは怪しいところだ。

 

 

 「サピエンスがまだエレクトスであった時代から、雄と雌の身体的特徴の分化はほぼ変わっておりません。種としての肉体余命もおよそ40~45歳程度で、これはチンパンジー、ゴリラ、ボノボといった類人猿とも大差のあるものではない。当然、肉体の性成熟や性欲の発達時期もそれに見合ったものとなってきます」

 

 

最も性欲の強くなる時期(エレクトス時代からの肉体由来)

 サピエンスの雄  14~17歳

 サピエンスの雌  22~28歳

 

 

 「ここで特徴的と言えるのは、寿命は同じ程度の同種でありながら、雄と雌で繁殖欲が旺盛になる時期に明確に差が見られることです。サピエンスの雄はちょうどホグワーツ四年生から七年生あたりに性欲がピークを迎えるのに対し、雌は成人後から5~10年あたりがピークとなる。当然、これにもそれぞれの由来と理由がありますので見ていきましょう」

 

 雄の性欲が早期に高まる理由

 ・ゴリラが群れを率いる“アルファ雄”を必要とするように、エレクトスも同様の群れ形態を持つ

 ・アルファ雄を決めるための淘汰の原理

 ・そのための要として「競争意識を煽る仕組み」、異性からの愛情とは原初の貨幣であり、戦利品の要素を持つ 

 

 

 「これらは非常に原始的で分かりやすい理由です。遺伝子を残すべき雄を決めるために戦うというのは大型哺乳類においては珍しいものではなく、単独で縄張りを持つ虎や熊においても見られます。プライドと呼ばれる群れを形成するライオンにおいても、雄はリーダーの座を巡って争う要素を持ちます。それに対し雌はというと」

 

 雌の性欲が22歳~28歳に高まる理由

 ・猿人時代に比べ、脳が肥大化

 ・股関節は狭まり、産道は縮小。骨盤が胎内の子の全体重を支えるので雌の負荷が増大

 ・出産の危険性が高まる。産後の肥立ちが悪く死ぬ個体も増える

 ・文明発展以前においては、出産において頼りになるのは雌の肉体的頑健さのみ

 ・生まれた子供の5人のうち成人まで育つのはよくて2人

 

 

 「二足歩行による脳の肥大化、人類最大の武器である知恵を得た代償に、ヒトは産みの苦しみを持ちました。マグルのとある神話ではこれを禁断の果実を食した人の原罪と呼びます。以後、女は産みの苦しみを持ち、妊娠時の女に労働を負わせるのは不可能であるため、男は労働の苦しみを持った。社会的分業における最初の始まりがここにあります。まさに、歴史の原点と言えましょう」

 

 以後の古代国家の市民と奴隷という階級別においても、その本質は変わらない。

 

 奴隷男は労働を担い、市民権を持つ男は戦争を担う。

 

 奴隷女は出産を担い、市民権を持つ女は教育を担う。

 

 

 「つまるところ、性欲ピークの雌雄の違いは一種の生存戦略です。17歳の時に美少女であったとしても、最初の出産時に死んでいては、それは良質な母とは言えません。爬虫類と違って哺乳類の子供は自分で餌をとれないのですから、産んだだけでは片手落ち。育てられなければ産む意味もない。文明発展後はその限りではありませんが、100万年前では確実に適者生存の原理が適用されました」

 

 産んだ経験がなければ話にならないから、17~19歳程度の雌は、性欲の強いだけの未熟な雄と交わった子でも良い。ともかくまずは産んで生き延びること。

 

 そして、二、三度は出産した経験があり、“産んでも生き残れる”ことを証明した雌は一人前とされ、“本命”である強いアルファ雄と交わり、より強い子を産むことを期待する。

 

 環境による淘汰で死ぬ子供も、若い雄も多いのだから、生涯で一人の番としか交わらないほうが確率論的にも珍しくなる。鶴などの鳥類にはそういう例もあるが、群れで生きる類人猿は基本的にその戦略は取らなかった。ボノボなどは最たる例だろう。

 

 

 

 「ここまでならば話は単純でした。100万年前から10万年前までの生活では、雄と雌の人生における性欲ピークはその頃は都合が良かった。しかし、7万年前の認知革命以後、特に、BC10000年以後となってくると、群れの構造がより複雑化し、社会性を進歩させたことから不整合が目立ち始めます」

 

 

BC10000年より以後のサピエンス。(旧石器時代の末期、狩猟採集生活。農業革命以前)

 

 雄の生殖適齢期  24~36歳

 雌の生殖適齢期  15~22歳  (群れで生きるを前提とする)

 

 

 「都市が発達し、城壁の中でヒトが生まれ、その中でのみ生きていくような者達も現れ始める。となればそこにサバンナの原野の掟は通用しない。男の権力者が王となり、多くの若くて美しい寵姫を求めるように、新たな社会の枠組みの中で生殖適齢期にも大幅な変化が訪れました」

 

 “人間の文化的な愛や恋”と“生物種としての性欲”に、明確な不整合が生じ始めるのがこの頃であり、同時に、マグルと魔法族の分離時期でもある。

 

 農業革命が僅か数千年とあまりにも急速に進んだため、数万年かけておこなうべき【人生における性欲ピーク期】の変更が済んでいない。

 

 

 「ちょうど、雄と雌のピークが入れ替わるような形になっていますが、要点はそこではありません。100万年前から持っている肉体の性欲ピークと、社会文化的に子供を産むことが期待される時期に合理的な理由は最早ないということ。ならばこそ、恋愛に合理性を求めることに最初から意味などないのです。“農業革命による新たな合理性はまだ肉体のシステムに根付いていない”のですから」

 

 遺伝子として性欲システムの革新が済んでいない以上、恋愛はどこまでいっても脳が信じる虚構のものだ。

 

 しかし、認知革命以後のサピエンスとはあらゆる虚構を駆使することで発展した種族でもある。歴史、貨幣、宗教、法律、全てはサピエンスの脳内にしか存在しない虚構なのだから。

 

 

 「そして、そのアップデートにまごついている間に、マグルは“産業革命”という第三の革命を迎えてしまい、今度は数千年どころか200年程度で急速に行った。ならば状況は最早混沌です。古代からの純血、中世からの混血、そして近代からのマグル生まれが、たった一つの恋愛観で結びつくなど夢のまた夢というものでしょう」

 

 さらにそこには、異種族との共生の種族と皆殺しの種族という違いが加わる。

 

 純血名家は、相手が家の都合で決まりきっているので雌を巡った闘争を同年代と行う必要がない。

 

 混血の場合、交わる相手が同種族とは限らない。 人間の雌に好かれない = 子孫を残せない とはならない。

 

 

 「マグルの男は、人間の雌に拒絶されたからといって、チンパンジーと交わって子を残すわけにはいきません。マグルは皆殺しの種族故に、人間以外と交わることが禁忌とされる文化を持つ。しかし、魔法族の男は、魔法族の女だけが交わる相手ではないのです。中世いらい、この違いは両者を隔てる壁となり続けてきました」

 

 一つの事実として、マグル生まれの男子は14歳から17歳の頃に性欲を持て余す傾向が強い。

 

 悪戯仕掛人の中でも最も“濃い純血”であるシリウス・ブラックが、実は性的欲求においては最も衝動が薄かったという事実も、時計塔は観測している。

 

 まあ、だからといって彼が聖人君子である訳ではないのだが。

 

 

 「マグル生まれの男子が、14歳を超えた辺りから女子に性的な興味を強く抱くことに対して、純血の男子はかなり批判的です。彼らの家の長い歴史の生き方はそういうものではなく、特に“屋敷しもべに育てられた”子供達は、基本的に性欲が薄い傾向がある。“家に契約でやってきた異性”以外に、子を残したいという欲求が薄いのです。ある種の嗜好操作とも言えますが、これ自体は何ら珍しいものではありません」

 

 貴族の婚姻は、家と家の結びつき。それはつまり、“魔女の家”と“魔女の家”の結びつき。

 

 ブラック家の屋敷しもべに育てられた娘が、レストレンジ家に嫁ぎ、屋敷しもべから「奥様」と呼ばれるようになる。

 

 ブラック家の屋敷しもべに育てられた娘が、マルフォイ家に嫁ぎ、屋敷しもべから「奥様」と呼ばれるようになる。

 

 

 「歴史的に述べるならばレストレンジ家などが代表的な事例ですが、服従の呪文などを用いて“家に攫ってくること”は魔法使いの屋敷の禁忌ではありません。しかし、家の者が外の者と自由恋愛し、外へ性的欲求を向けて飛び出すことは禁忌なのです」

 

 マグルからすれば、妖精の血だの、小人の血だの、巨人の血だのが混ざっている【穢れた血】など、容認できるはずもない。

 

 そうした意味では純血名家こそが、一番マグルらしい文化を持つのだから面白い。

 

 

 「また、魔法族の女に処女信仰はありません。マグル側では文化圏を問わず、処女は清らかな乙女、聖なるものという信仰はあちこちにありますが。異種族異文化の入り交じる魔法族とは元来無縁のものです。当然。中世以降、マグルとの境界線で生活し、マグル生まれを受け入れるうちに徐々にそうした風習も混ざりつつはあります。でなくば、マグル生まれが拒否感を示し続けますから」

 

 特に、ホグワーツ特急が創設された近代の頃から、魔法族の貞操観念やらにも随分と“マグルらしさ”が現れつつある。

 

 

 「結局の所、私の夜間学校を除き、ホグワーツに人間以外の生徒がいないのはそういうことです。マグルと寄り添い、交渉できるのが魔法族だけである以上、マグル対策は魔法族の専売特許。魔法族とは、“マグルという異種族”と最も異種婚が多いのですから」

 

 マグルの男性は当然ながら、巨人や小人と交わったことのある魔女を好かない。キリスト教の教えを受けて育った純朴な農民ならば猶更だ。

 

 ホグワーツの長き1000年の歴史を紐解けば、悪霊曰く“詰まらないありきたりな男女の悲劇”など、まさに掃いて捨てるほどある。そして悪霊は言うのだ、「平凡です、面白くありません」と。

 

 

 

 「キリスト教の辺鄙な農村に生まれた普通の男、普通の女が、魔法族との結婚を受け入れるかどうか。シチリアならば、イスラームとの共存もありましたし、人頭税などさまざまありましたが、ブリテンにイスラームはない。ではここで、本日の課題を出すこととしましょう」

 

 

【レポート課題】

忘却術

錯乱呪文

愛の妙薬

服従の呪文

 

1200年~1500頃における、国教会以前のカトリック時代のイングランドにおいて、マグルの男女と魔法族の男女の結婚例において、これらの魔法がどのような役割を果たしてきたか。

宗教の違いや貞操観念について誤認させる錯乱呪文、あるいは忘却術。そして、愛の妙薬。

これらの魔法や薬の力を一切使うことなく、果たして魔法族は“キリスト教世界の敬虔な信者たち”と結婚することは叶ったか。

 

 

 「自分の想像でも構いません。図書館で事例を調べるもよい。そして、中世の頃にそれらの行為を“不純なもの”と“血を穢す悍ましきもの”と見た純血名家の者らの倫理観は、果たして非難されるべきものかどうかを自分の頭で考えてみるとよい。無論、純粋な愛から駆け落ちした例も、生まれ育った常識を捨ててまで添い遂げたという事例もあったでしょうが」

 

 しかし悪霊は告げる、人間の生の現実を直視せよ。

 

 性欲とは、そもそもそれほど尊い衝動か?

 

 マグルと魔法族の混血とは、本当にそんな尊い愛の物語から始まっているのか?

 

 トム・マールヴォロ・リドルという混血の少年は、どのようにして生まれた?

 

 セブルス・スネイプという混血のプリンスは、どのようにして生まれた?

 

 キリスト教の洗礼を受けていることが、“人間の証”であった時代に、混血のデフォルトはいったいどちらであった?

 

 

 「答えは私が知っております。このホグワーツ1000年の歴史は時計塔に収められておりますので、卒業生が誰と交わり子供を作ったかくらいは歴史に蓄積されている。そして、この私が、ノーグレイブ・ダッハウが、これをレポート課題に出したということを、改めて考えてみるとよろしい」

 

 そこで一つ呼吸を置き、悪霊はかく語る。

 

 

 「綺麗で尊い愛の物語が、そこにあると思いますか?」

 

 悪霊教師は嫌われる、これで嫌われないはずがない。

 

 純血名家が表に出したがらないそれぞれの歴史、これはある種の暗黙の了解であり、と同時にマグル差別が蔓延っていたことも事実。

 

 だが、時計塔の悪霊は暴き立てる。

 

 純血のみならず、混血も、マグル生まれも。それぞれの暗部を、黒歴史を。

 

 マグルの血が入っている混血とて、同じ穴のムジナであろうと。祖先が行った“子孫を残す行為”が、純血名家のそれに比べ、上等なものであったと一体何を根拠に信じているのか。

 

 700年前に生きた人間たちとて、今と何ら変わらない、差別や戦争が大好きな愚かな人類であったのだ。

 

 純血主義は分かりやすい差別であるが、だからといって混血の始まりが、上等な愛の物語だとでも思っていたのか?

 

 

 「現実を、歴史を直視なさい生徒達。綺麗な物語を見たいのは人情でしょうが、冷徹な遺伝子の二重螺旋構造もまた人類社会の回す重要な機構なのです」

 

 魔法にせよ科学にせよ、もうすでに原始的な繁殖方法から脱却出来る可能性はいくらでもあるというのに、いつまでもそれに執着する人類をノーグレイブ・ダッハウは醒めた視線で俯瞰する。

 

 例え人間から見れば陰惨な性犯罪が起ころうとも、それを相も変わらず学習せずにチンパンジー以下に堕ちた惨めなホモ族の汚点として記録するだけだ。

 

 加害者の雄には『サピエンスは虚構の共有と社会性により進歩したというのに、何故脳の容量を自ら減らし、社会から排斥されることを望むのか。エレクトスより遥かに劣るその脳構造。ただ精子を振りまきたいだけなら、魚類にでも生まれ変わることを願うのですね』と嗤い。

 

 被害者の雌にすら『繁殖可能な若い雌が、単独で隙を見せればどうなるか。なぜそれを学ぼうとしないのか。出産を困難にしてまで大きくしたはずの脳に詰まっているのは藁ですか。来世は繁殖時に雌が雄を捕食する昆虫にでも生まれ変わることを願うのですね』と嗤う。

 

 いつまでも愚かなままに同じことを繰り返す人類を、この悪霊は観測し嘲笑し続ける。

 

 

 

 「純血主義を批判する混血の生徒達よ、よく覚えておきなさい。先祖の行ってきた罪悪を、その末裔が自分であることを。呪われた、穢れた血の意味を」

 

 「家に囚われし純血の子らよ、忘れるなかれ。その愛に最早、自由など微塵もなきことを。血の濃縮が畜生まで堕ちるその宿命を」

 

 「そして、マグルの世界よりやってきた新たに加わりし者達よ。性欲から逃れられぬ原罪の宿業を知りなさい。その衝動もまた、新たな愛の妙薬の材料となる」

 

 純血も、混血も、マグル生まれも、全ては等しく愚かな人類。

 

 悪霊教師は差別の具現であり、であるからこそ差別をしない。

 

 

 

 「互いの欠点を、負の歴史をあげつらいあうのは簡単です。しかしその先には何もない。差別と蔑視の果てに何が残るか、幾度なりとも言いましょう。“私のように成りたいですか?”」

 

 歴史に学ばぬ人類を、悪霊は嘲笑う。

 

 今現在のマグル国家であっても、世界最強を自負する国はいつまでも白人と黒人の差別と蔑視と迫害は消えず、永遠に啀み合っている。マグルも魔法族も大差など無い。

 

 そうとも、こうして魔法史の授業を受けようと、どれだけ実害があろうとも、死喰い人のマルシベールは間違えた。

 

 新たな仲間は確実に加わり、悪霊たちは大喜び。

 

 ならば今こうして授業を受ける子供達の中に、第二、第三のマルシベールがいないと誰が断言できようか。

 

 

 「私は何時までもここにいる。待っていますよ子供達、貴方たちが無様に死に果て、私の手駒となる時を。嫌だと言うなら唯一つ、歴史に学び回避なさい。その脳味噌が、100万年前のホモ・エレクトス以上にはあると自負するならば」

 

 出来ないのであれば、100万年ほど生まれるのが遅すぎたのだ。

 

 サバンナの原野を駆け回っている頃であれば、禁断の果実を食す前であれば、こんな悩みを持たずに済んだものを。

 

 ああ、だからこそ、サピエンスは時の遡行を願うのか。

 

 我々は進化の道筋を間違えた、どうかあの時に戻り、もう一度だけやり直したいと。

 

 

 愚かなり、人類がサピエンスである限り、何度やり直そうとも破滅の未来しかありえまい。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 

 「出たわね禁断の果実問題。アンタの数多い嫌われ課題の中でも、上位に位置する例のやつ」

 

 「そのことからも、サピエンスという生き物がつくづく直視したくない現実を避ける傾向にあるのが分かるというもの。どれほど目を塞ぎ、耳を閉じたところで己に流れる血の歴史が変わるわけでもないというのに」

 

 「それでも、時に目を逸らしたくなる時があるんですよ。ダッハウ先生を直視したくないように」

 

 曰く付きの魔法史授業を終えた夕闇の這い寄る頃。

 

 生身である生徒達が大広間で中で摂る間にも、今宵も三人の悪霊はいつものように駄弁っている。

 

 二年生全員を悪戦苦闘させている例の課題が出されてから日も経っていないが、その凄まじい内容は新入生にまで届いているらしい。

 

 

 「それを直視し、偽ることなく歴史を語る国家こそが大成するというもの。地中海世界のマグルの歴史において、最も長きに渡り繁栄した大帝国ローマ。建国王ロムルスによるローマ建設の次に来る“偉業”は『サビーニ人の女の略奪』です。ローマ人はその蛮行を隠すことなく、自らの強さと敗者の血であろうと同胞として認める寛容さの証として誇りとした」

 

 「それはまたとんでもないわね」

 

 「略奪愛が良いものということについては同意しますわ」

 

 さらりと掌を返すメローピーさん、やはり彼女もクズである。

 

 

 「民族の移動に伴う集団と集団の混血とはおよそそういうものです。ゲルマン人とケルト人などの例もしかり、マグルは略奪と支配という形で血を混ぜてきた。ならば当然、魔法族には魔法族らしい、“マグルとのスムーズな血の混ぜ方”というものがあっただけの話。生徒達も今頃考え込んでいるでしょうが、少し考えれば誰でも辿り着ける歴史的経緯というものですから」

 

 マートル・ウォーレンの時代であってすら、マグル生まれの彼女と純血の魔法族の間にある“常識の違い”、“文化の違い”は大きなものだった。

 

 ホグワーツという学び舎で共に過ごすだけでも軋轢が生じていたというのに、それが家と家を繋ぐ結婚となれば、社会常識の違いは凄まじい断崖になる。マグル同士においてもおよそ貴賤結婚と呼ばれるものは恋の熱に浮かれて敢行するも、子供が生まれて教育のあり方などで悩み、最後は冷え切った夫婦関係となった例も数多い。

 

 アイリーン・プリンスという純血名家の娘と、トビアス・スネイプというマグルの男の結婚も、貴賤結婚の類に含まれる。そしてかなり変則的ではあるが、地主の息子であったトム・リドルと、ボロ小屋に住んでいたメローピー・ゴーントの例もまた然り。

 

 ならば、産業革命の遥か以前の中世のキリスト教世界であれば、両者の価値観の違いはどれほど隔たりがあったろうか。

 

 

 「誰しもが玉の輿の貴賤結婚に夢を見ますが、現実とは何処までも冷酷で厳しいもの。今に続く混血の家の歴史を紐解いても、先祖の結婚の際に大騒動があっただの、駆け落ちして没落しただのの話はほとんどありません。しかし当時の社会情勢や宗教の現実を考えるならば、魔女や魔法使いとの結婚において流血を伴う騒動が“無いほうがおかしい”。にもかからわず先祖の結婚がスムーズにいったならば、そうなるだけの理由があったという逆説的な証明となる」

 

 それを自分達の頭で考えさせるのが、悪霊教師の課題の中でもとりわけ悪名高き、“禁断の果実”問題だ。

 

 つまるところは、失敗したメローピー・ゴーントとは異なり、“上手く騙しきった”、“誤魔化しきった”からこそ、混血の家は今に続いているのだと。

 

 

 「マグル生まれのアタシから見ても、純血のメローピーから見ても酷い課題だと思うもの。混血の生徒達だって変わらないわよ絶対」

 

 「例外があるとすれば、近代に入ってから純血の家とマグル生まれで結ばれたケースですかね。半ば駆け落ちに近いことが多いだけに、ここから生じた混血は恋愛結婚の成果であると言えましょう。代表例を挙げるならば、テッド・トンクスとアンドロメダ・ブラックの間に生まれたニンファドーラ・トンクス。これも貴賤結婚の一種ですが、上手くいっている好例です」

 

 「ジェームズ君とリリーちゃんの場合は?」

 

 「貴女にそれを言う資格があるとお思いですか、大戦犯のメローピーさん」

 

 「すみません、忘れてください」

 

 「生憎ですが、忘却術の講義は私の管轄ではありません」

 

 「ご無体な」

 

 悪霊の詰問に対しても、中々軽いノリで返せるようになってきたメローピーさん。

 

 正規の事務員に昇格したことといい、精神的には徐々に鍛えられているのは間違いないらしい。

 

 

 

 「ところで、ダッハウ先生は純血も混血もマグル生まれも差別しないと言ってましたけど、実際のところマグルと魔法族のどちらが種族として優れていると考えているのですか?」

 

 「それは愚問というものですよメローピーさん。私から逆に問いますが、貴女はチンパンジーとオランウータン、どちらが優れた種族だと考えますか?」

 

 「……すみません、やっぱり忘れて、いいえ、なかったことにしてください」

 

 「ええ、なかったことにいたしましょう」

 

 要するに、それが悪霊の答えである。

 

 

 「またアンタらしい皮肉な言い方だわ。要するに、人間は類人猿以下って言いたいわけでしょ」

 

 「別に全ての面で劣っていると見ているわけではありませんよ。総合的に見て勝る要素に乏しいだけです。特に、苦労して産んだ子供を感情的理由で捨てる辺りなどが特に」

 

 「子供を捨てるというのは、わたくしも許せません。ええ、そうです、例え母親失格の弱さで、寄り添うことすら出来なくても、捨てるなんて絶対に」

 

 惨めに死んだだけの、重い女のゴーストであっても、譲れぬ念というものはある。

 

 むしろ、短い人生の中で得たものが少ない彼女だからこそ、子は最大の宝物であった。

 

 

 「私の評価では、上からゴリラ、ボノボの順に来て、その次にオランウータン。チンパンジーとサピエンスはほぼ同格ですが、“チンパンジー以下”という表現を使うためにもここは便宜上サピエンスを上にしますか」

 

 ゴリラ > ボノボ > オランウータン > サピエンス ≧ チンパンジー

 

 悪霊の評価では、こういう図式になっているらしい。

 

 確かにこれでは、サピエンスの中でマグルと魔法族のどちらが優れているかを競うことに大した意味はない。まさに五十歩百歩というものだ。

 

 

 「酷い図式ね」

 

 「これを魔法史の授業で示される生徒達が不憫でなりません」

 

 「ゴリラとボノボはどちらも優れた種ですので比較にはかなり迷いましたが、最終的にはアルファ雄を有し、天敵となるヒョウ属にも武力で立ち向かえる要素を持つゴリラを上位としました。群れの融和性に関してはボノボが優れているので生存戦略においては必ずしも劣っているとも言えず、本当に難しいところです」

 

 「なぜそこで真面目に比較するのがゴリラとボノボなんですか」

 

 「アンタの中でどれだけ人類の評価が低いのかだけはよく分かるけどね」

 

 「当然でしょう、人類の歩んだ結果が私なのですから。このような悪霊を生み出してしまうような種族が、万物の霊長を名乗るのは恥知らずというもの。もっとも、その厚顔無恥は私の好むところではあるのですが」

 

 人類の黒歴史を嘲笑う、黒歴史の塊。ある種これは、自嘲とも言えるのだろうか。

 

 

 「その人類の恥の代表例が、マートルさんもよくご存知“イジメ”というものです。ただまあ、今のレイブンクロー生徒は貴女の時代に比べれば自省、自罰というものを知ってはいたようで」

 

 「それってルーナのこと? アンタはあの子が孤立するって言ってたけど」

 

 「ええ、過去の傾向から貴女がレイブンクロー寮で孤立していたように、ルーナ・ラブグッドという少女も同寮の女生徒たちから陰湿な虐め、あるいは消極的な無視などをされると踏んでいたのですが」

 

 「デルちゃんがやってくれましたものね。彼女はスリザリンの誇りですわ」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 「いったい何をやっているの貴女達。ルーナ一人を大人数で寄ってたかって、ああ嫌ですこと。レイブンクローが陰湿で腐った寮だという話はどうやら本当だったみたいですわね」

 

 貴族めいた高慢な態度でありながらも、威風堂々と物申すはデルフィーニ・スナイド。

 

 スリザリンは基本的に集団主義で、他寮の内輪もめには関わらない信条だが、彼女は身内を重んじるだけの蛇ではないらしい。

 

 

 「な、何よ貴女。関係ないでしょ!」

 「そうよ、スリザリンのくせに!」

 「これは私達の問題なの、勝手に口出さないでくれる?」

 

 「はあ、本当に浅ましくて惨めですわ。あの穢れた血のグレンジャー将軍閣下なら言われずとも分かることでしょうに」

 

 彼女も当然、ドラコ・マルフォイと共に対悪霊戦線に参加しており、その中心人物であるハーマイオニー・グレンジャーのことは知っている。

 

 純血主義者であるデルフィーニにとっては鼻持ちならない相手ではあるが、その学識の高さと何よりも行動力は認めている。あの悪霊に常に真っ向から挑みかかる姿は、まさに獅子寮の女である。

 

 

 「そうね、今回ばかりはスナイドに私も同意する。グリフィンドールの私からも言わせてもらうけど、貴女達、それじゃあまるでダッハウ先生みたいよ?」

 

 そこに加わるは、獅子寮の赤毛の娘、ジニー・ウィーズリー。兄達と同じく彼女も当然対悪霊戦線には参加しており、不倶戴天ながらもデルフィーニとは顔を合わせることも多い。

 

 普段ならば対立するというか、デルフィーニから一方的に絡むような間柄だが、今日は違う。

 

 仲間のために戦うことは、獅子と蛇の共通項なのだ。

 

 

 「え…」

 「あ、あのダッハウと、」

 「私達が、おんなじ……」

 

 そして、その一言は万の説得よりも鋭い刃となって心に届く。

 

 ルーナ・ラブグッドを意図的に無視し、陰湿な虐め紛いを行っていた彼女らは対悪霊戦線には参加していない。つまるところ、嫌な悪霊の相手を他人任せにしていたのだ。

 

 

 「あの腐れ…いいえ、ドクズ悪霊はわたくしも当然好むところではありません。ですが、彼は常に言っていますでしょう、“陰湿な虐めなどありふれていて詰まらない”と、まさに今の貴女達そのものでしてよ」

 

 「仮にルーナのことが気に入らなくても、文句言うなら堂々と言いなさいよ。そんなんじゃ本当に、来年度の魔法史の題材にされちゃうんじゃないの?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 「改めて思うにちょっとおかしいわね。わりと感動的な友情のために寮を超えて駆けつけるシーンなのに、何で出てくる名前がアンタばっかりなのよ」

 

 「それだけ、ダッハウ先生が全生徒に嫌われているということじゃないかと」

 

 「そして肝心のルーナ・ラブグッド嬢は、さっさと飽きてナーグルを探していたというオチがつきます」

 

 何とも締まらない感じだが、それが今のホグワーツの日常風景でもある。

 

 今回は勇敢な少女たちの介入によって、レイブンクローの女生徒達は自分達の過ちに気付けたわけだが、仮にそのままだったら悪霊の餌だ。(この場合の意味は来年の授業の題材、黒歴史の暴露である)

 

 マートルさんは嫉妬のゴーストであって、虐めに対しては優先度は高くない。重い女であり執着のゴーストであるメローピーさんも、率先してこういう時に動く存在ではない。

 

 

 「少しばかり残念でした。ああした陰湿な行為の匂いをどこまでスクリュートが嗅ぎつけられるか良いテストになりそうだったのですが」

 

 「このクズ」

 

 「ホントに最低です」

 

 まさにゴミを見るような眼を向ける二人だが、当の本人はケロッとしているのが憎らしい。

 

 

 

 「まあなにはともあれ、グレンジャー将軍を筆頭とした二年生の三人組も面白いですが、この一年生の少女三人もなかなか観測し甲斐があり、実に好ましい」

 

 「グリフィンドールに、スリザリンに、そしてレイブンクロー。なかなか無い組み合わせよね」

 

 「デルちゃんもドラコ君以外に話す相手が出来て、良かったです」

 

 セブルス・スネイプが寮監であるため、メローピーさんはスリザリン寮にわりと多くいる。

 

 セブルスを介して縁のあるドラコ・マルフォイ少年らとも、多少は話すことのある彼女だが、最近ではデルフィーニという少女と話す機会がかなりあった。

 

 

 「あら意外。あのタイプで純血なら、スリザリンで孤立するってこともないでしょうに」

 

 「デルちゃん、好き嫌いがはっきりしているところがありまして、あれで結構特定の人にしか話しかけないですよ」

 

 別に他人を拒否しているわけではないが、彼女は自分一人でも常にガンガン進むため、単独行動になってしまうことが多い。

 

 その結果、夜にスクリュートに噛まれ、アクロマンチュラに救われたりすることになる。普通ならそこで友人を頼ったりするのだが、プライドがとっても高いのがこの子である。

 

 

 「なるほど、血統に誇りを持ち、本人の実力も高い故に“頼る”ことを苦手とするタイプですね。傲慢に基づく孤高さとも言えますが、少なくともスリザリンでは蔑視の対象にはならず、むしろ尊敬の眼のほうが多いはず。あのポンコツ具合がなければの話ですが」

 

 「まあ、同級生からもどこか生暖かい目になるでしょうね」

 

 「そこもデルちゃんの可愛いところなんです。きっとドラコ君もその辺にメロメロにされちゃってるんじゃないでしょうか」

 

 「ほぼ間違いなく、メローピーさん以外の人間はその感情を“メロメロになる”ではなく“ハラハラする”と表現するかと」

 

 ドラコからすれば、まさに目の離せない子である。

 

 例え、母のナルシッサからあの子をよろしくと頼まれていなくとも、世話を焼いていただろう。

 

 

 「さて、例によってそろそろハロウィンが近づいてきます。今年は無害なるニックさんの絶命日パーティーもありますし、何かと賑やかになることでしょう」

 

 「楽しみだわ。やっぱ子供達を驚かせてこそのゴーストの本分ってものだから」

 

 「そうですわね。一年生の子達も良い思い出になってくれればよいのですけど」

 

 2つの三人組が交差し、そしてドラコという少年が関わるホグワーツの日々。

 

 悪霊たちのハロウィンにて、きっと何かが起きるだろうて。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『情報もだいぶ揃ってきた、そろそろ動くべきだろう』

 

『夜に動くのは骨が折れるが、秘密の部屋の入り口は分かっている。辿り着くのは造作もない』

 

『課題はむしろ、あの娘にどうやって日記を潜ませるか』

 

『ホグワーツに入る前に出来れば最上だったのだが、あれは仕方あるまい。まさか書店にすら悪霊の見張りがいるとは』

 

『とにかく、厄介なのは悪霊共だ。怪物たちは正体さえ分かれば出し抜く術はある』

 

『特にあの悪霊教師、アイツだけは絶対に避けねば。アレの行動基準が全然読めない』

 

『となれば、やはりハロウィンの夜か。悪霊たちの宴の日だからこそ、むしろ読みやすいはずだ』

 

『絶命日パーティ、狙うならそこだ』

 

『愚昧なるグリフィンドールの者共、闇の帝王の分霊箱の力を思い知るがいい』

 

 



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4話 絶命日の悪霊パーティー

今年も悪霊たちのハロウィンがやってまいります。

キンジットさま、誤字報告ありがとうございます!


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【ハロウィンと教会】

 

 知られているように、ハロウィンは悪霊たちの夜である。

 ケルトでは古来より、日没は新しい日の始まりを意味していた。

 

 この収穫祭は10月31日の夜に始まり、ドルイド祭司たちはかがり火を焚き、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まる。

 朝が来るとドルイド祭司は各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族はこの火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、悪い妖精などが入らないようにする。

 

 未だ、マグルと魔法族が分かたれる前の時代、古き日々の名残である。

 魔法族は今でも暖炉の火を大切にし、妖精避けの火というものは今もなお伝えられている。魔法の火は、悪霊や妖精を祓うのだ。

 

 1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていた。

 祭典ではかがり火が大きな役割を演じた。民たちは、牛の骨を炎の上に投げ込んだ。かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消した。その後、各家族は厳粛にこの共通の炎から炉床に火をつけた。

 

 我らが祭りハロウィンは、教会暦上の祭としては祝われない。当然のことだが、元々ハロウィンの起源はキリスト教ではない。

 ただし地域によっては教会でも、この日に合わせてパーティ等のイベントを行うことがある。

 

 マグルの制度とて、見習うべき柔軟性が完全に欠如している訳ではない。神は唯一なれど、聖人は数多くいる。

 かつてのローマの時代、多神教であった文化圏を束ねるため、“多神教”ならぬ“多聖人教”こそがキリスト教の特徴だ。

 

 これは、マグルと魔法族が同じ価値観を持って寄り添えた、数少ない一例であろう。

 異端の祭りとしては容認するわけにはいかぬ。ならば、聖人の日として祝えばよい。

 

 カトリック教会では11月1日を「諸聖人の日」、すなわち万聖節とした。彼らの言葉「ハロウィン」は「万聖節の夜」を意味する "All-hallow Evening" の短縮形をその語源としているとも。

 

 『我々が起源の祭りでありながら、今の呼び名は「諸聖人の日」に由来する』

 『私はここに、一つの融和の可能性を見た』

 『出来ぬことではないはずだ。我らはいつか、共に歩める時がやってくると』

 『例えそれが、儚い希望であろうとも、私は信じたい』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「なあハーマイオニー、ホントに絶命日パーティーに行くのか? せっかくのハロウィンパーティーなんだぜ」

 

 「だからこそ行くのよ。去年の例を見てもダッハウ先生がまたハロウィンでやらかす可能性が高いし、それに他に気になることもあるの」

 

 「でもだからってさあ」

 

 「諦めなよロン。こうなったら付き合うしかないよ」

 

 いよいよホグワーツにまたやってきたハロウィンの夜。

 

 去年は悍ましきスクリュートが解き放たれ、グリフィンドール生にとっては忌まわしき悪霊の夜として記録された忘れられない日である。

 

 

 「いくら大広間でパーティを楽しんでも、またスクリュートとかアクロマンチュラとかやってきたら台無しでしょう。私達対悪霊戦線は何としても未然に悪事を食い止めないといけないのよ」

 

 「君の志は立派だと思うけどさあ、それって普通は先生たちがやることじゃないのか?」

 

 「何を甘いこと言っているのよロン。ホグワーツの先生方がダッハウ先生関連で動くわけがないでしょう。大人は頼りにならないんだから、私達が動かないと何も変わらないの」

 

 「君もだいぶ考え方がダッハウ先生に毒されて来てるよね。頼もしいけど」

 

 ロンの方は未だ不満たらたらのようだが、アクの強い女性に振り回されるのは毎度のことであるハリーは既に順応している。

 

 まだ監督生ですらない2年生のハーマイオニーがやらねばならないことであるかはともかく、去年の悪夢の再現は勘弁して欲しいのはハリーとて同じだ。

 

 誰かがやらねばならないなら、まず自分が動けばよい。

 

 実に簡単な理屈ではあるのだが、こと実践となるとこれが最も難しい。

 

 

 「ああもう、オッケーオッケー、こうなったら地獄の果てまで付き合うさ。しっかし、君は本当に凄いよなハーマイオニー」

 

 「いきなりどうしたの? 別にわたしは大したことなんてしてないわよ」

 

 「そう思える君だから凄いんだよ。そりゃ誰だってスクリュートにハロウィンを台無しにされるのは嫌だけど、率先してダッハウに向かっていける訳じゃないんだ」

 

 「ロンの言う通りだね。特にダッハウ先生は気まぐれだし、いっつも“やらかす”とは限らないから尚更だよ」

 

 「その辺、ほんっとに嫌なヤツだぜ」

 

 希望というものは、時に絶望よりもたちが悪い。

 

 “必ず”悪霊教師が仕掛けてくるならば、生徒達は常に臨戦態勢を取り、あるいはハーマイオニーが今やっているように、先んじて止めようとも動くだろう。

 

 だが、悪霊は人の心の危うさというものに通じている。人間とは根拠のない『ひょっとしたら良い方向にいってくれるかも』という希望にバイアスがかかることを知り尽くしているからこそ、普段の授業でも割と普通の授業とトンデモ内容を使い分ける。

 

 ハリー達の記憶に残るのは、トンデモ授業や課題の中でも特にインパクトの強い部類だ。“不老不死と魔女の若返り薬”、“割り切れぬ貨幣”、“禁断の果実”などなど。

 

 

 「頭では分かっていても、思っちゃうんだよ。去年はああだったけど、ひょっとしたら今年は普通に祝えるんじゃないかってさ」

 

 しかし純粋な授業数で言えば、それ以外の“比較的まとも”な授業のほうが多いのだ。(あくまで、悪霊基準でまだマシなだけ。クィレル先生に比べたらどれもクズ)

 

 ひょっとしたらまともかも、という希望がある限り、人間はまとまって予防攻撃には出られない。“何もないかもしれないんだから、下手に動かないほうが”という消極的な防衛に終止してしまう。

 

 まして、国防費や人件費にも限りというものがある以上、それが動きたくないための言い訳ではなく、組織的な正論になることもまた多いから尚更だ。

 

 ちなみに、フレッドとジョージのように直観の強いタイプは事が起きてからの即応型だ。ある種の常在戦場の心構えというか、悪霊が何をしてきてもそれを楽しめるから、先んじて止めようとは考えない。

 

 悪霊と戦う上級生たちとて、何も考えていない訳ではない。それぞれに異なる考えと動き方というものがあり、そしてハーマイオニー・グレンジャーもまた、自分の信念に従って行動している。

 

 だからこそ、他寮の対悪霊戦線メンバーには声をかけず、ハリーとロンだけを誘った。彼女の個人的な信念に基づいて、親友に正面から共に戦ってくれと頼んだのだ。。

 

 

 「だから、ハーマイオニーはやっぱり凄いよ。君みたいに悪いことが起きることを前提に、だからこそ先に動くなんて滅多に出来ないんだから」

 「流石は我らが将軍閣下」

 「将軍閣下はやめてって言ってるでしょ」

 

 嗜めるように言いつつも、それが彼女の照れ隠しでもあることは、二人にも察せられる。

 

 グリフィンドールの男子は女の子の感情の機微に疎いことが多いが、信頼や友情に関することにはとっても鋭い。

 

 要するに、ハリーとロンはこう言っているのだ。

 

 

 “貴女のことを信頼している。僕らの杖は君に預けた”と。

 

 考えるのは司令塔、手足となって動くのは自分達。

 

 君が動くべきと判断したならば、例えそこが悪霊の巣であろうとも、付き合っていくさ。

 

 それが、獅子寮の絆というものだから。

 

 

 

 

 

そして同刻――

 

 

 「ルーナ! 待って、ちょっと待ってってば!」

 

 「~~♪」

 

 ワクワク感満載で楽しそうにスキップしながら地下室へ向かうルーナ・ラブグッドと、慌てながら追いかけるジニー・ウィーズリー。

 

 向かう先が“絶命日パーティー会場”であるだけで、どういう構図かは察しがつくというもの。

 

 

 「まったく馬鹿ロン! 何でルーナに絶命日パーティーのことなんて言っちゃうのよ!」

 

 絆は強いが、機密の保持やそういうことにはあまり頭が回らないのは、グリフィンドール生の多くの特徴だ。

 

 ロナルド・ウィーズリーはある意味でその典型例であり、彼としては別に何の意図もなく、朝の朝食の時間に妹のジニーを見かけたので

 

 

 「あ、そうだジニー。僕は夕食の大広間に出れないと思うから、好物あったら取っといてくれないか」

 「え? ハロウィンの夜だってのに何処へ行くの?」

 「無害さんこと、ニックの絶命日パーティーが地下室であるんだ。どうやらそこに例のドクズゴースト三人衆や、アリアナちゃんも来るって話でさ。悪事を未然に防ぐためにも向かうべきって我らが将軍閣下のお達しなのさ」

 

 

 という会話をした。そしてどのような運命の悪戯か、ジニーの隣にはルーナがいて、眼をキラキラさせて話を聞いていたのであった。

 

 後はもう、そういう流れになってしまった。夕食のパーティーの大広間に向かう途中、地下室へ歩いていくルーナを見かけたジニーはとにかく追いかけたのである。

 

 冷静になって考えれば、別に約束していたわけでもないし、ジニーが追いかけねばならない理由はなかったのだが。

 

 

 

 「ああもう! あの子はほんっとうに興味が惹かれたら周りが見えなくなってしまうのですわね!」

 

 同じような理由で妖精のように掴みどころのない友人を追いかけるのは、ジニーだけではなかったらしい。

 

 そもそも、スリザリンの寮があるのは地下室だ。グリフィンドールの塔とレイブンクローの塔からそれぞれ地下に降りてきた二人を、下から大広間へ向かうデルフィーニ・スナイドが見かけるというのもまた、当然の流れだったのかも知れない。

 

 

 「貴女がそれを言うのもどうかと思うのだけど。ていうか、何時の間にいたのかしらデルフィーニ。貴女を呼んだ覚えはないし、今頃他の皆はハロウィンパーティーよ」

 

 「べ、別に朝に貴女たちがロナルドさんと話してるのを見かけて、ルーナの様子が大丈夫か気になってて、ふと気付いたら何時の間にか地下牢の廊下を歩いてた何てことはないんですから!」

 

 「……ほんと、分かりやすいわ貴女って」

 

 「うっさいですわよモリー・プルウェット! いつもいつもそうしてわたくしを馬鹿にして!」

 

 「だから私はジニーだってば。それにプルウェットじゃなくてウィーズリー。ていうか、私がプルウェットだったらロンはウィーズリー呼びでいいじゃない」

 

 仮に“ウィーズリー兄”などと呼んでも、それではパーシーなのか、フレッドなのか、ジョージなのかさっぱりだ。

 

 そういう事情もあって、デルフィーニはジニーの兄達を名前で呼んでいる。さん付けなのはやはり基本的にはお嬢様的な躾をされてきたためだろう、無意識に目上には敬称を付ける癖がついているらしい。

 

 

 「って、ルーナもういないわ」

 

 「貴女のせいで見失ってしまったではありませんか! どうしてくれるのですか!」

 

 「落ち着きなさいよ。詳しい場所まで知らないけど、今日はハロウィンよ。ほら、そこにも」

 

 ジニーの指差した先では、半透明のゴーストたちがフワフワ浮いて移動している。向かう先は当然一つだろう。

 

 

 「なるほど、確かに目印には困りませんわ」

 

 「でしょ、さっさとルーナを追いましょう。あの子のことだから迷わず直行してるでしょうし」

 

 ゴーストやら不可視の生き物やらを探させたら、ルーナを超える者などいない。

 

 何しろ、幸せの亡霊少女の姿を簡単に見つけ、何時でも話しかけられる生徒など、彼女くらいのものだから。

 

 

 アリアナちゃんに逢いたければ、まずはルーナ・ラブグッドを探すこと、それが近道らしいぞ

 

 

 そんなこんなで、かつての“グリフィンドールの妖精姫”のように、早くも彼女もまた不思議な魔法の城の都市伝説の仲間入りを果たしているのであった。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「流石は校長先生のお達しです。食べられもしないのに見事な料理がずらりと並ぶ、食糧資源の無駄とはこのことか。いやいやむしろ、マグルの大量生産大量消費文化との融和と見るべきか、いずれにせよ変化であるのは違いありませんね」

 

 「あたしは食べられるわよ。噛んで味わえないのは仕方ないけど、自動速記羽ペンを動かすよりは楽勝ね」

 

 「わたくしもようやく慣れてきました。最初は少し虚しかったですけど、マートルさんの言う通り、慣れてくると生前と同じ食事をしている気分になります」

 

 本日は、無害さんことグリフィンドールの寮憑きゴースト、“ついに首無しニック”の絶命日パーティー。

 

 人間の誕生日と違って毎年行われるわけではなく、ある種気まぐれで開くかどうかは決められる。来るかどうかも個人次第で強制力などはありはしない。

 

 ただただ気楽に、縁のあるゴーストが集まって騒ぐだけ、それが幽冥の宴というものだ。

 

 

 「今でこそこのような生者でも楽しめそうな立食形式となっていますが、他所では未だに発酵した品だの、腐った肉などが主流です。新たなゴーストパーティー文化の先進地であるのは間違いないでしょう」

 

 「アリアナちゃんがいるんだもの。ダンブルドア先生が腐った生ものなんて許すわけ無いわ」

 

 「そういう時は、完全に孫可愛さで呆けちゃったダメダメお爺さんですものね」

 

 料理を作っているのは当然、ホグワーツの屋敷しもべ妖精たち。作らせたのは耄碌爺こと、アルバス・ダンブルドア校長だ。

 

 悪霊教師がアリアナちゃんを人質に取っていると称される由縁である。ダンブルドアを動かしたければ彼女を招くのが一番手っ取り早い。とはいえ今回は別に悪霊が意図したわけではなく、お爺ちゃんのいつもの暴走だ。

 

 ちなみに、アリアナちゃんはパーティー料理を普通に食べられている。味もしっかりと認識できているようだ。

 

 彼女が食べた料理がどうなっているかは不思議だが、吸魂鬼が周囲に与える影響や、何よりダッハウのことを考えればそれを問うのも今更という感がある。

 

 さらに厳密に言えば、彼女は完全な幽霊というわけではない。時計塔の中には今も当時の彼女の肉体が眠っているはずだから。

 

 マートルさんやメローピーさんとて、噛めはしないものの、風味くらいは分かる。ダッハウ以後ならば物に触れることもしやすくなっているので尚更だ。

 

 

 「アリアナちゃんのことも含めて、ホントにアンタが出てきた頃からホグワーツはすっかり変わっちゃったものだわ。アタシの生前は当然として、モリーやベラトリックスの頃と比べてもぜんぜん違うもの」

 

 「それはそうでしょう。私が本格的に生徒達へ“人間社会の現実を教えよ”と依頼を受けたのは魔法戦争開始後のことですから。時系列で並べるならば、“アリアナちゃん出現”、“夜間学校”、“怪物養殖”となりますか。分水嶺を設けるならばやはり11年前の闇の帝王没落でしょう」

 

 「改めて思い出してみると、どんどん酷くなっているんですのね」

 

 アリアナちゃん出現以前から悪霊教師は魔法史を担当していたが、当時はまだ“そこまで”ではなく、時計塔の悪霊は裏側の管理人の役割に多くの比重を置いていた。

 

 あの夜間学校において“悪霊の授業”が本格化し、魔法戦争終結後からはそれが一般の方にまで流出しているわけである。

 

 

 「貴女達もよくご存知のように、私は基本的に自分から能動的に動くことはなく、生徒達のためになどという殊勝な心は微塵もありません。現状の授業や夜の怪物達の惨状にせよ、校長先生や副校長から“お前のやり方で教えろ”と依頼されたので応じているに過ぎません。文句や苦情は任命責任のある方々へどうぞ」

 

 「出たわね責任逃れのクズ」

 

 「責任なんかどうでもいいと思っていることを隠さないのに、責任逃れする教師の嫌な部分を見せつけるから嫌われるんですよ」

 

 「少し違いますね、教師の汚いところではなく、大人の汚いところです」

 

 確信犯の元の意味とは、政治的な意図があっての犯行を指すと言われ、そうした意図と関係ない個人的快楽のための愉快犯が対義語となるはずなのだが、コイツに限っては確信犯であると同時に愉快犯でもある。

 

 誰の依頼であっても、自分の観測行為(黒歴史の収集)に基づく形でしか実現しないのだから、まさにクズの鑑である。

 

 

 「そういえば前から思っていたのですけど、ダッハウ先生はどんなパーティーでも決して召し上がらないのですわね」

 

 「私には栄養分は不要ですし、そもそも人であったことがないので物を食べるという機能を持ちません。強いて言うならば電力ですが、それもまた通常の機械の動力源とも異なります。私が料理に触れたところで、分かるのは具材の種類と成分くらいのもの。後は観測結果を配合表として出力するくらいですよ」

 

 「アンタ一人で永遠にやってなさいよ」

 

 「何だか、料理を作ることが魔法薬学の調合みたいになってしまいます」

 

 「その認識でほぼ間違いありませんよ。人が想いを込めて人のために作るからこそそれは料理と呼ばれる。マグルの世界では機械が自動で稼働して作成するものは調理器と呼ばれますが、本質はあくまで化学合成でしょう」

 

 ハロウィンは、現世と冥界の境界線が曖昧になる日。

 

 ともすればそれは、現世側のマグル世界と、冥界側の魔法世界が一つに重なる日とも言える。

 

 ゴーストたちが跋扈するパーティーでありながら、マグル的に生者が食べられる普通の料理があるというのも、なるほどらしいとも表現できる。

 

 ただの“絶命日パーティー”ならば、それは魔法世界の領分、出てくるのは腐った食物でしかありえまい。

 

 しかし、ハロウィンの絶命日は違う。今日は生者も死者も、揃って悪戯を騒動を楽しむべき日なのだから。

 

 

 

 

 

 「わ~、おっどろきー。まさかこうくるとはなあ。幽霊の宴なのに普通にパーティー料理が並んでるよ」

 「ほんとに、斜め上を行くねダッハウ先生は」

 「確かにこれは……予想外だったのは間違いないみたい」

 

 そしてそこに驚き呆れる子供達がいるならば、悪霊たちの“悪戯”は成功と言えるだろう。

 

 とはいえ、この場合の主犯はむしろ、校長先生と言えるかもしれないが。

 

 

 「わあすっごい、ゴーストたちがこんなにたっくさん。あ、アリアナちゃんがいたよ~、それにブリバリング・ハムディンガーも」

 「よく分かるわねルーナ。あ、糖蜜ヌガーとか普通にあるわ」

 「この料理、上のパーティーと遜色ない………いいえ、下手したらこちらのほうが作るのに手間かかってませんこと? まさか、そんなことはありませんわよね」

 

 校長先生による権力の恣意的行使の一端を垣間見たデルフィーニ嬢。

 

 ホグワーツに高い理想を持っている彼女には残念なことだが、校長先生は孫のためならそれくらいはやる。まあ、余った料理は後でちゃんと差し入れとかで各寮に配られるだろうけど。

 

 

 

 

 「子供達もやってきたみたいですね。アリアナちゃんがやってくるという噂が功を奏したか、例の三人組たち以外にもちらほらと。メローピーさんに影響を受けて重い恋を病んでいる女生徒の一団も見受けられます」

 

 「そりゃあ悪霊の宴だもの、さーて、まずは一年生への通過儀礼と行くわよ。付き合いなさいなメローピー」

 

 「え、あ、はい!」

 

 ハロウィンの夜といえば、トリック・オア・トリート。

 

 元来の祭りでは、そこに決まった形はない。悪霊や幽霊たちは暗がりから忍び寄り、子供達を驚かすものと相場が決まっている。

 

 

 

 「見つけたわよおぉぅぅ! 可愛いお嬢さんたちいいいぃぃぃ!!! 怖いお姉さんが食べちゃうわよおおおお!!」

 

 

 

 「マートルだ!」

 「マートルじゃねえか!」

 「絶対いると思ったけどやっぱりいたわね!」

 

 二年生グリフィンドール三人組の反応は、最早条件反射の域である。何せ、嘆きのマートルの襲撃が最も多いのは獅子寮の談話室だ。

 

 対悪霊戦線で最前線に立つ彼らにとっては、お馴染みに成りつつある展開というもの。

 

 

 

 「ジニー! ルーナ! 避けなさい! 空から鬼婆でしてよ!」

 「え? 空って?」

 「きゃああああああ!」

 

 とはいえ流石に、新入生の子達はそこまで反応は出来ない。

 

 ジニーは思わず悲鳴を上げ、ルーナは上からの急襲に気付けていない。彼女の感覚は独特で、隠れた妖精などを見つけるのは得意だが、人間の悪意にはかなり疎い。

 

 唯一それを察知できたのは、夜間に出歩いてスクリュートに噛まれることの多い蛇寮の彼女だけ。逆に彼女は妖精を探すことは苦手だが、人の悪意を見つけ出して対処するには適性がある。やはり生粋のスリザリン生なのだろう。

 

 

 「はっはー! 元気いい子は好ましいわ! あたしを鬼婆とは中々言うじゃないの新入生! さあさあ、偉大なる鬼婆様のお通りよ~」

 

 このマートルさん、ノリノリである。

 

 やはりハロウィンとは悪霊も浮かれる日なのか、酔ったようにはっちゃけている。わりと普段からそんな感じではある彼女だが、いつもにましてノリが良い。

 

 

 「こんの! フリペンド!」

 

 「違う違う、違っていてよお嬢ちゃん。衝撃呪文じゃゴーストは退けられないわ。今日はハロウィン、魔法使いは暖炉を好むもの。作法を間違っちゃいけないわよ」

 

 「だ、だったら、インセンディオ!(燃えよ)」

 

 亡者、幽霊には火が有効である。

 

 吸魂鬼には守護霊呪文以外は効き目がないが、一般的な幽体は魔法の火を苦手とする。

 

 

 「そうそう、正解正解! た、だ、し、このマートルさんは普通の悪霊じゃないのよ~、ほうらこの通り」

 

 「え!? う、うそでしょう! 何でゴーストが杖を!?」

 

 「甘い甘い、あたしやヘレナ校長は校内限定だけど杖魔法も使えるの。叡智の塔レイブンクローのゴーストの特徴みたいなものね」

 

 夜間学校の呪文学担当教師、マートル・ウォーレンが使った魔法は、炎凍結術。

 

 炎の包まれた時にこの魔法を発動すると、身体が焼けることはなく、炎に優しくくすぐられる感触になる。

 

 変わり者のウェンデリンなどが、姿形を変えては何度も捕まり、47回も火あぶりの刑に処されたことで有名である。パチルダ・バグショット著「魔法史」にも載っている。

 

 もっとも、教科書には載っていても悪霊の魔法史ではあまりそういう事例は語られず、魔女裁判などのマグル側の死者数などが細かに説明される。あいつは数えるのは墓の数ばかりだ。

 

 

 「ルーマス・ソレム! (太陽の光よ!)」

 

 「っと、やるじゃない将軍閣下! 覚えてなさいな~」

 

 どこか諧謔するように台詞を残し、嫉妬の悪霊は退場していく。

 

 子供が正しい対処法を踏めたのならば、疾く消え去るのが悪霊の礼儀だと言わんばかりに。

 

 

 「待ちなさい! 今度という今度は逃さないわマートル! 追うわよ、ハリー、ロン!」

 「りょーかい、地獄までも!」

 「結局いつものハロウィンだね!」

 

 それを逃さんとばかりに追撃するは、将軍閣下に率いられし対悪霊戦線の獅子たち。離れたところから光の魔法をぶつけたのは当然彼女だ。

 

 意図的にか、あるいには無意識にか、宴会の場に自然と発生した演目に従ってハロウィンの夜を演じて楽しむように。

 

 

 

 「やるじゃない、貴女。わたし全然動けなかったわ」

 「当然ですわ! もっと褒めても良いのよ!」

 「デルちゃんすごい~、パチパチパチパチ~」

 「……ルーナ、お願いしますから拍手は口でパチパチ言うのではなくて、手を使ってくださるかしら」

 

 残された一年生たちもまた、怪我などはないようだ。驚かせはする悪霊だが、傷つけることが目的ではない。 

 

 というか、傷つけでもしたら後で校長先生に怒られる。アリアナちゃんのいる場で怪我人はご法度である。

 

 

 

 「お見事ですマートルさん。それに、ハリー君、ロン君、ハーマイオニーちゃんも。わたくしの出番は全然ありませんでしたわ」

 

 「あ、これはメローピー様。ごきげんよう」

 

 「ふふ、デルフィーニちゃんは本当にいつも礼儀正しいですのね、良い子良い子、なでなで~」

 

 「ちょ、ちょっとくすぐったいです」

 

 四寮の中で、スリザリンは最も“執着の悪霊”と馴染みがある。

 

 中でも最近は、ドラコ・マルフォイとデルフィーニ・スナイドは、メローピーさんと縁深い。会えばこうして頭を撫でるのも通例になってきた。

 

 

 「わたくしは誇り高き純血のスナイド家の娘ですから、どこぞの血を裏切りしウィーズリーと違って、ゴーントの家への敬意を忘れるなんてありえません」

 

 「まあデルちゃん、お友達にそんな悪い言葉を使ってはいけません。めっ、です」

 

 「うう…だ、だって」

 

 「それでもいけません。女の子が汚い言葉を使うなんて、貴女のお母様も望むはずがありませんよ。女の子は何時だって、綺麗にキラキラしているのが一番いいのです」

 

 「お母様のことは大好きです! 勿論お父様のこともですけど。そうです、ほら、このロケットを見てくださいませメローピー様。安い写真とは違ったお母様のミニ肖像画が拡大呪文で入ってまして……」

 

 懐から取り出し、両親から貰った贈り物を熱心に説明するデルフィーニ。

 

 ジニーはそんな彼女を苦笑いしながら隣で見ていたが、ルーナは既にこの場にいなかった。遠くでアリアナちゃんと何やら話し込んでいるようで、ほんとにじっとしていない子である。

 

 

 「まぁ、これは―――デルちゃんの、大切な宝物ですのね」

 

 「はい! いつも肌見放さず持っております! ホグワーツに入学する際に記念にとお父様からいただきましたの! 偉大なるサラザール・スリザリンの時代から伝わる由緒正しい品だとおっしゃってました!」

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「良かったの? 何か貴女の生前に関係ありそうな曰くを感じたけれど」

 

 「流石ですねマートルさん、お察しの通りです。でも、いいんです。あれはもう手放してしまったものだから」

 

 いつもの如く騒動はあったが、絶命日パーティーは無事に終了。

 

 子供達がそれぞれの寮に帰った後、会場の後始末を片手間に行いつつ、例の悪霊三人組はいつものように話している。

 

 普段ならばこういう片付けは屋敷しもべ妖精の仕事だが、特別な夜はゴーストたちが取り仕切る。

 

 

 「そう、貴女がいいなら私から別にいうことはないわ」

 

 「あのロケットだって、純血に狂った蛇の小屋にずっと放置されるよりも、デルフィーニちゃんのようにスリザリンのことが大好きで、お友達を大切にしてくれる子の元にあったほうがきっと幸せでしょうし」

 

 想いを込められた品は、相応しき人の元にと。

 

 妄念だけが残ってしまった朽ちた小屋にあるよりも、きっとその方がずっといい。

 

 メローピー・ゴーントという純血の魔女は、そう願う。

 

 

 「それに、ああしてあのロケットを持った女の子がスリザリンでお友達と過ごしてくれてることが、わたくしは嬉しいんです。ちょっとだけ、自分の願いを投影しちゃってるかもしれませんけど」

 

 「かもしれないけど、別にそれ自体は悪いことじゃないわよ。あたしだってレイブンクローに通えたんだから、あの子みたいに貴女がロケットを持ってスリザリンに入ることだって、ひょっとしたらあったのかもね」

 

 「ええ、ダッハウ先生曰く、歴史のイフというものです。そこに救いがある気がするなら、想うくらいは許されるじゃないかと」

 

 「そうですね。歴史を学ぶ上でイフを想像するというのは悪いことではありません。例えば本日マートルさんが使われた炎凍結術にしてもそれが言えます。異端審問で殺されたのは魔法族よりもマグルのほうが圧倒的に多いですが、“もし”、二つの種族に融和があればどうなっていたかを考えてみるのも歴史に学ぶことの一つ。ですが、その答えは残酷でしょう、サピエンスは皆殺しの種族ですので」

 

 イフへの想いは否定しないが、悪霊教師が語るは歴史の事実。

 

 多くの人間が、融和や平和を願った。今彼女がデルフィーニという少女の幸せを願うように。

 

 だが、そうはならなかったのが、人の歴史なのだと。

 

 

 「でも実際のところ、キリスト教と言えば異端審問や魔女裁判の黒歴史が盛りだくさんだしね。認めたくないけどコイツの言う通りでもあるのよ」

 

 「わたくしはゴーントの家で育ちましたのでマグルの宗教にはどうしても疎いのですが、それほどに?」

 

 「全部が全部そうじゃないし、当然いい部分もたくさんあったわ。このハロウィンなんてその最たる例だけど、異教徒に対してとっても排他的だったのは事実だわ。アタシが人間だった頃ですらまだまだそうだったもの」

 

 「私の授業でも述べましたが、それがさらに異種族ともなれば尚更です。魔女裁判の罪歴に挙げられる中にも、牛馬など畜生と交わった罪が頻繁に出てくるくらいです」

 

 キリスト教において、神の子である洗礼を受けた人以外と交わることは絶対の禁忌。

 

 小鬼であれ、巨人であれ、ヴィーラであれ、ありとあらゆる異種族は例外なく忌避される。

 

 

 「仮に魔法世界の内容を、そうですね、ポッター少年あたりを主人公とした漫画や小説としてマグル世界で発行したとして、宗教色の強い学校の教師は確実に“禁書”扱いするでしょう。なにせ、人が人外と交わった結果が当たり前に容認されている世界観なのですから、神への冒涜そのものだ」

 

 「それは、なんというか、まるでわたくしの育った家のようです」

 

 「だから言うのですよ。純血名家の排他的な風潮こそが最もマグルの文化に近しいと」

 

 カトリックであろうと、プロテスタントであろうと、長く続いた宗教組織は排他的になっていく運命からは避けられない。

 

 スンニ派であろうがシーア派であろうが、天台宗や真言宗であろうが、そこは古今東西で変わらない。

 

 

 「迷える子羊よ、という言葉を生み出した人は、本当に人間観察能力に秀でていた天才であると確信しております。何しろ、犬一匹が吠えただけで100頭の集団がバラバラに暴れてパニックになるのが羊という動物。これほど『衆愚』を形容するに相応しい比喩対象はいない。自ら考えることなく、牧童に言われるがままに餌を喰み、毛皮を取るために生かされ、時に間引きされ肉となる。素晴らしい、これこそ衆愚の使い方とうもの」

 

 「ナチュラルに衆愚って言うわねコイツは」

 

 「まあ、ダッハウ先生ですし」

 

 「清貧、貞淑、服従、これらはかの一神教の誓いの例ですが、これを制定した人物もまた素晴らしい。間違いなくかの大帝自身でしょうが、先ほどの『迷える子羊』と照らし合わせて考えれば、『家畜が財を持つな』『家畜が勝手に交わるな』『家畜はおとなしく従え』、これにつきます。畜産業者にとっては常識以前のことでしょうが、その教えが千年も権力を有していたのですから、精神的家畜が如何に多いかを物語っています」

 

 「改めて考えると、神父様もシスターも普通に言ってたわね、汝迷える子羊よって」

 

 「人を普通に家畜扱いって、まるでダッハウ先生のようですね」

 

 メローピーさんに別に悪意があるわけではないが、この悪霊と同じ扱いをされた聖職者達はさぞや遺憾の意を示すことだろう。

 

 ともあれ、大帝と呼ばれた東ローマの独裁者が、皇帝に忠実な召使い、羊飼いとして聖職者を起用し、逆らう者らは追放したのは歴史の事実である。

 

 その中には、後にカトリック教会で正道となる“三位一体説”を唱えたアタナシウス司教までも含まれていたのだから。

 

 

 「そしてそれは今も違わず、いえむしろ悪化しているとも言えるでしょう。中世の農奴は無知であるがゆえに純粋でしたが、この情報に溢れた現代に生きる者たちは知識を得る機会はいくらでも得られるというのに、考えることを自ら放棄し、精神的家畜に成り下がるのですから」

 

 だからこそ、衆愚の蒙昧ぶりを悪霊は嘲笑う。

 

 キリスト教から科学一神教へ。新たな旗印を掲げては進んで戻るを繰り返す人類というものを。どうせ先は、袋小路でしかないのにと。

 

 

 「とはいえ、別段人類が退化しているわけではないでしょう。ようは、無駄が多すぎるのです。適者生存は生物の原則ですが、マグルの科学技術、魔法族の魔法は、その原則を覆すほどのものとなった。それ自体は賞賛されるべきですが、そのデメリットの方は目を覆うばかりの有様だ」

 

 適者生存が原則の自然界においても、進化と退化は常に背中合わせ、どう転ぶかは紙一重の変容だ。

 

 ならば、人類の社会的な変容もまた、一見して進歩に見えるものが長期的には退化であることもままあるだろう。

 

 「自分を活かすために考えることを放棄した『無産者階級』ならぬ『無能者階級』、むしろ『不要者階級』とも言える、適者生存に則るならばとっくに淘汰されている者たち。これらを無駄に数多く『飼ってしまった』ことによって、有能者と無能者の割合が、中世~近世のころよりはるかに偏ってしまった」

 

 そしてそれらは皮肉なことに、建前上戦争のない安定期が長く続くほど、利点と弊害のバランスが逆転していく。

 

 殺し合いがなければ、そこに流血と墓標がなければ、皆殺しのサピエンスは社会の健全性を保てないのだとでも言わんばかりに。悲しいことだが国民が死と墓を直視しないようになると、死体が腐るように社会は腐敗していくものだ。

 

 

 「子供達に生き抜くための知識と知恵を教えるべき学校という機構とて、生きることは戦うこと、自分を救えるのは自分だけという大原則を忘れれば、家畜小屋で家畜を飼うだけの箱に成り下がる。マグル社会の一部、特に先進国では既にそうなっていますが、魔法界がそうならぬ保証もありません」

 

 「戦争があってこそ、危険があってこそ誰もが自分で考える。年齢を重ねるにつれて人口が減るからこそ、長生きに知恵が宿るってことね」

 

 「ええ、それがホグワーツの時計塔の基本原則でもあります。これについてはかの創始者達、特に冷徹なる裁定者サラザール・スリザリンの思想に依るところも大きいですが、子供を育てるに危険から遠ざければよいというものではない。子供はいつか、大人になるのですから」

 

 創始者達の生きた時代は、戦乱の極まるヴァイキングの侵入期と重なる。

 

 活きる力に劣った者は子供であろうと時に間引かれた厳しい時代なればこそ、彼のような冷徹だが強力な指導者というものもまた求められる。

 

 

 「わたくしの、いいえ、ゴーントの家の、遠い遠いご先祖様ですね」

 

 「彼の生きた時代はホグワーツ創建時であり、ヘレナ・レイブンクロー初代校長によって学び舎として出来上がる以前の話ですが、私の授業など生ぬるく思えるほどに厳しい人物であったのは確かです」

 

 「そりゃ凄いわ。今の生徒達なら嫌う嫌わないの問題じゃなくて、畏れるか逃げるかの選択になりそう」

 

 「純血だからといって、それでスリザリンの同胞と認められる訳ではない。力なき者は容赦なくより大きな力のための生贄とすることすら躊躇わない。それが峻厳なる蛇の在り方――と、ふむ? これは、ニックさんからの念ですか、生徒達の見送りに行っていたはずですが」

 

 ハロウィンの夜は悪霊の宴。終わって子供がきちんと家に帰ってこその宴というもの。

 

 だからこそ、グリフィンドールの寮憑きゴースト首無しニックはこういう時の見送り担当だ。

 

 温厚な為人であり、他の悪霊のように有害でないことから今では“無害さん”として親しまれる彼だが、緊急時における報告などはきちんとやる。

 

 

 「何かあったの?」

 

 「大したことではありません。ハロウィンの夜に浮かれた何者かが血文字で壁に書き記しただけです、“秘密の部屋は開かれたり、継承者の敵よ気をつけよ”と」

 

 「……聞き違いかしら? とってもアタシに因縁ある名前を聞いた気がするんだけど」

 

 「あの、もしそれが本当なら、大事なのでは?」

 

 かつてスリザリンの後継者に殺された女と、スリザリンの直系の女が、曰くある部屋の名に困惑する中、悪霊はいつものまま。

 

 

 「それは本当に部屋が開かれたならばの話です。実際の観測結果に基づかない仮定を述べたところで現実に意味はなし。とはいえ、せっかく血文字なのですからハロウィンの余興としてまずは有効活用するのが幽霊としての筋というものでしょう。おまけにピーブズとスクリュートも添えて」

 

 起こりうる先の展開を予測しつつも、何も変わらず悪霊は傍観者。

 

 この血文字をどう判断し、如何なる対処をするかは校長先生と教師陣のなすところ。

 

 それがどんな結論になるにせよ、去年のトロール騒動がそうであったように、誰を“撹乱材料”に使うべきかは一目瞭然だ。

 

 

 「可哀想に、結局去年の再現ね」

 

 「そればかりでは芸がないですから、今年はアクロマンチュラの子供達も混ぜましょうか。あるいは、生徒達の悲鳴によるアンケートを取り、“これだけは嫌だ”という声が多かったものを選ぶという手もあります。マグル世界から融和の品としてシュールストレミングの缶を輸入するというのもいいですね」

 

 「止めてあげてください、生徒があまりに可哀想過ぎます」

 

 ハロウィンの夜に、無用な騒動を起こすなかれ。

 

 それが既にホグワーツの常識ならば、血文字を残した人物は一体誰であるか。

 

 例え察するところがあったとしても、悪霊は黙して語るまい。

 

 歴史の当事者になることなど絶対にありえない存在だから。

 

 

 「つまりは、いつもどおりということです」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『よし、計算通りだ。ハロウィンの夜ならばあの厄介な悪霊共もパーティーに出ているはず』

 

『日記も無事にプルウェットの娘に渡り、魂を奪っていくのにそう多くの時間はかからない』

 

『闇の帝王は開心術の達人だ。小娘ごときを籠絡するなどわけもない』

 

『となれば、今後はまずバジリスクをどのタイミングで解き放つか』

 

『蛇語が使えるならば部屋に入ること自体は簡単だが、雄鶏がいてはどうにもならない』

 

『よし、傀儡に命じて邪魔な雄鶏を始末させるとしようか』

 

『ここまでは順調だ。ダンブルドアも裏で死喰い人が動いていることに気づいてすらいない』

 

『秘密の部屋は開かれたり、継承者の敵よ気をつけよ』

 

『偉大なるサラザール・スリザリンの統べし城に、穢れた血やスクイブなどは不要なのだ』

 

『見てろあの腐れ悪霊共、毒蛇の王の邪視なら幽霊など恐れるに足らず』

 




今回も長めとなってしまいましたが、次回は短めの閑話になります。
物語は少しずつ秘密の部屋へ向けて動き始めました。


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幕間 秘密の部屋に関する告知

今回は割と短めです。

ずわいさま、誤字報告ありがとうございます!


秘密の部屋に関する告知

 

 

その1

 

 ハロウィンの首謀者、スリザリンの継承者を名乗る不届き者の悪霊を退治して、得点ゲットキャンペーン

 

 嘲笑の悪霊  20点

 

 嫉妬の悪霊  10点

 

 執着の悪霊  5点

 

 

 ※最も簡単な衝撃呪文を当てるだけ、当てた回数だけ得点が貰えるぞ!

 

 

 

その2

 

「この城のどこかに秘密の部屋が隠されている」

「閉ざしたのは、校長先生か謎の悪霊だ」

「みごと継承者を見つけ出した生徒には、200点を与えよう」

「非常に怪しいのは、3階の女子トイレ(マートル在中)である」

「秘密の部屋について校長先生に質問すると50点減点」

「魔法史教師に質問するとどうなるかは、自分で考えること」

「得点めぐんでやるから探せや」

 

 

 

 

 

 「どこかで見たことあるような告知文だわ」

 

 「凄く、既視感を感じます」

 

 いつものように悪霊たちがたむろっている印刷室において。

 

 昨夜のハロウィンの夜の出来事に関する告知文章が、次々と印刷機から吐き出されていく。

 

 ちなみに、ハロウィン当日の誤魔化しは即興でマクゴナガル先生とスネイプ先生が行った。その辺りは阿吽の呼吸である。

 

 おかげでスクリュートばかりか、まだ子供とはいえアクロマンチュラまで送りつけられたグリフィンドール生徒には合掌。(ハリー達に至っては絶命日パーティーでマートルと戦った上に、寮に戻ったらこれである)

 

 何気にちゃっかり犯人探しのためにマクゴナガル先生本人は難を逃れている気がするが、そこはツッコんではいけない。決して彼女はクズではない。ホグワーツの副校長たるものが、まさかクズのはずはない。

 

 スクリュートなんて見るのも嫌だからという理由で、出来の良い監督生に対処を放り投げたりはしないのだ。

 

 

 

 

 「校長先生は今回の事件については“マンネリ化”を隠れ蓑にするつもりですね。上級生は昨年の顛末を忘れるはずがありませんし、新入生とてそれぞれの寮の先輩から悲劇について聞き知っているでしょう」

 

 特に、ハッフルパフのハンナ・アボットとジャスティン・フレッチリーの悲劇は有名だ。

 

 対悪霊戦線を率いるグレンジャー将軍らも忠告に駆け回るだろうし、流石に同じ轍を踏む生贄は出ないだろう。生徒達だって学習するのだ。 

 

 

 「もう一枚のほうの告知も、賢者の石が秘密の部屋に変わっただけで、ほとんど同じ内容だし」

 

 「石は無傷で、の部分と、4階廊下がマートルさんのトイレに変更されてるだけですわ」

 

 「別にどこでもよかったのですが、せっかくなので馴染みのある場所にしました。校長先生からの注文は、“生徒が近寄りそうもない場所”でしたので」

 

 今のホグワーツにおいて、生徒が近づきたがらない場所といえば、4階の廊下、マートルのトイレ、そして叫ばれない屋敷などである。

 

 1つ目はスクリュート繁殖工場であり、2つ目は言わずと知れたマートルさんの根城。

 

 そして3つ目に至っては“例のあの場所”、“名前を言ってはいけないあの場所”扱いされている。

 

 

 「でも、素直に騙されてくれる生徒ばっかりとも思えないわよ。特にウィーズリーの双子なんかは純粋に好奇心で探すかもしれないし、対悪霊戦線の面子も裏を読むくらいはするでしょ」

 

 「とっても頭の良い子達ですものね、セブ君たちの時代を思い出します」

 

 「そこはその通りですが、長く隠し通すつもりもありません。多少の撹乱になればそれで充分なので、取り敢えずは時間稼ぎとしてピーブズに血文字を追加させました」

 

 

 

 秘密の部屋は開かれたり、継承者の敵よ気をつけよ

 

 夜間学校の扉も開かれたり、スクリュートの継承者募集中

 

 この世にクズが三つあり、ダッハウ、マートル、メローピー

 

 

 

 「凄いわね、不気味な血文字の忠告文が訳の分からない謎の戯言と化してるわ」

 

 「最早見る影もないですね」

 

 校長先生の標語である、“アリアナの言う通りに”がないのはせめてもの救いだろうか。

 

 ついでながら、今更クズと言われたところで悪霊共は動じない。だってただの事実だから。

 

 

 「以前、印象に残る記憶のピークについて話しましたが、第一印象というのはやはり重要です。血文字という不気味なメッセージであっても、内容がこれでは恐怖のインパクトが薄れるのは致し方ないかと」

 

 「この上で、告知文章でアタシのトイレが怪しいとか、どう考えてもアンタの罠にしか見えないわよ」

 

 「完全にマッチポンプですものね」

 

 加えて、去年の“悪霊退治”の前例が重なる。

 

 これらを読んだ大半の生徒は、秘密の部屋とやらを見つけたら夜間学校の入り口でした、あたりがオチだと思うだろう。

 

 

 「それで、長く隠し通すつもりがないってのは?」

 

 「簡単なことです。去年の例を思い出させることで日常に紛れ込ませるというのは有効ですが、実際に死喰い人達の強襲があったという事実は消えておりません。ならば、今回もそうなのではと勘の良い生徒が察するのは時間の問題ということです」

 

 「ええと、完璧に前例通りなら、ダッハウ先生を使って死喰い人の襲撃を誤魔化してることに気付いちゃうってことですか」

 

 「そうです。だからこそこちらも、“お役所仕事の面倒な手続き”が終わるまでの間に生徒達が無用な探検に走らせなければそれでよいという方針のようです」

 

 言いつつ、ダンブルドア校長先生が秘密の部屋の探索担当の専門家として呼び寄せる予定の人物リストがひとりでに浮かんでくる。

 

 要するに、彼らの正式な赴任まで生徒達が夜にあちこち出歩かなければそれでよいのだろう。

 

 

 

 「ええと、メンバーは………これはまた、そりゃあ秘密の部屋探しには適任でしょうけど。ハリーの胃のことも少しは考えてあげてもいいんじゃない?」

 

 「毎日授業参観のようなものですね、これ」

 

 書かれていた人名については、お察しいただきたい。一人は闇祓いで、一人は魔法警察に勤めている人物だ。

 

 他にも幾人か呼び寄せるつもりのようだが、現状での“内定組”がこの二人らしい。

 

 

 「こっちの紙は正式な魔法省への依頼状で、ええと、ダッハウ先生、こちらの白紙のノートは?」

 

 「ああ、昨夜私が拾った遺失物です。生徒の落とし物だと思うのですが白紙では手がかりもないので事務用具として使用する予定です」

 

 「それって落とし物の横領じゃないの」

 

 「失敬な、不明物の有効活用というものです。新品ではなく小汚い量産品ですが、もしメローピーさんが使いたいのでしたら下賜いたしますよ。貴女も最近は私の道具、もとい、一端の事務員として役に立つようになってきましたので、記念品にどうぞ」

 

 「何様よアンタは」

 

 「裏側管理人です」

 

 話が脱線していくのはいつものこと。そして、生徒の落とし物を勝手に下賜品に変えるクズがここにいる。

 

 まあ、こんなことは日常茶飯事なのだが。

 

 

 「話を戻しますが、死喰い人の侵入に備えて闇祓いが定期的に駐在するというのは去年もマッド=アイ・ムーディが行っています。この秘密の部屋騒動が直接的な害意かは不明ですが、死喰い人が侵入や陽動を試みている可能性が高い以上、備えるのは当然のことでしょう」

 

 「それはそうでしょうけど、魔法省は簡単に認めるの? 今はまだただの落書きでしかないでしょこれ」

 

 「ホグワーツ内部はそうなのですが、どうやら外部からも死喰い人が侵入しようとした形跡があったのです。送り込まれたのもまさにという人物でしたから。ちなみにこの辺りの調査はマクゴナガル先生やスネイプ先生、フリットウィック先生らの仕事です」

 

 「どなたなのですか?」

 

 「ワルデン・マクネア氏。魔法省危険動物処理委員会の死刑執行人を務める人物で、元死喰い人。今は一応中立派ですが、今でも死喰い人の要人暗殺組や海外海賊組との繋がりはあるとされる人物です。ホグワーツとホグズミード村の境界あたりに、彼がいたことは間違いありません」

 

 名前がバレずにホグワーツに侵入するのは容易ではない。

 

 ならば、仮にそこにいたとしても言い訳や誤魔化しの効く人物を派遣するというのは、常道とも言えるだろう。

 

 

 「危険動物処理委員会ねえ、確かにここは危険動物の巣窟だし、スクリュートが魔法省の認可を受けてない危険生物なのはただの事実よね」

 

 「生徒達は確実に、マクネアさんを応援するでしょうね」

 

 「そしてアクロマンチュラに返り討ちにされました。流石にプロですので厄介と見て撤退していったようですが、救援に来たコーバン・ヤックスリーという名前が残ってしまったのは失点でしたね」

 

 ホグワーツのスクリュートは、アクロマンチュラと連携して襲ってくる。

 

 流石の危険動物処理委員会の死刑執行人と言えども、そんなのを相手にしたことはなかったらしい。ここにはさらにドラゴンやケルベロスがいるのだが。

 

 

 「ヤックスリーか、こっちは問答無用で死喰い人の幹部ね。それも相当の古株の」

 

 「エバン・ロジエールやアントニン・ドロホフらとほぼ同時期に加わった人物ですので、偶然ということはありえません。ただ、彼らが校舎内に侵入していれば処刑器具らも出陣していたはずなので、あくまで彼らは外部から侵入を試みただけです。どちらが本命なのかまでは図りかねますが」

 

 血文字を残した“内部の誰か”が本命で、そちらの陽動のために外から侵入を試みたのか。

 

 それとも、外部からの突入こそが本命で、そのための陽動に内部の誰かが血文字などで騒動を起こそうとしたのか。

 

 どちらもあり得ることであり、現段階では情報不足によりどちらとも言えない。

 

 

 「その辺りは、ダンブルドア校長先生が考え決めることです。分かっているのは、死喰い人の幹部の名前と、死喰い人に繋がりがあるとされる魔法省の役人が、ハロウィンの夜に校舎付近をうろついていたことだけ。そこを詰問したところで、職分を果たしていただけと白を切るでしょう」

 

 「そういう悪知恵は、スリザリン卒業生の得意分野だったわね」

 

 「ちなみに、今も子供がホグワーツに通っているスリザリンの純血名家からは、危険動物処理委員会にスクリュートの駆除が依頼されています」

 

 「前言撤回する。白を切るどころか、ただの仕事じゃないの。案外仕事熱心のいい奴だったりしない?」

 

 「あの、それってたまたまマクネアさんが害獣駆除のお仕事に来ていただけってこともあるのではないでしょうか」

 

 何しろ、デルフィーニ・スナイド嬢を始めとして、子供がスクリュートに噛まれているのは事実である。

 

 まして、授業中に生徒にけしかけるとんでもない最低教師もいるとか、誰とは言わない。言う必要もない。

 

 

 「更に加えて非常に都合よく、ハロウィンに前後してスクリュートが二匹変死しているという事件がありました。ダンブルドア先生はこれを逆用しその調査ということで闇祓いの派遣を正式に要請するつもりかと。何せ、スクリュートを倒せるほどの危険な何者かが潜んでいることになるので」

 

 「ちなみに、変死していた場所は?」

 

 「鶏小屋です。雄鶏が多数死んでました」

 

 「それって、ただ単に餌を奪い合って共食いしただけなんじゃ……」

 

 「メローピーさん、それ以上はいけません」

 

 このホグワーツには多くの秘密がある。知っていい秘密から知ってはいけない秘密。そして、死ぬほどどうでもいい秘密まで。

 

 彼女にとっても、スクリュートの死因なんてどうでもいいことなので、無益な追求はしない。したところで不毛でしかない。

 

 ちなみに、死んでいたスクリュートは今年生まれの小型のものだ。去年からの歴戦の大型種は連携して餌をとるので共食いはしない。

 

 

 「まあ、闇祓い派遣の建前上の名目はどうでもいいけど。結局のところ血文字事件の犯人は死喰い人なのかしら?」

 

 「さて、それもまた今の段階では何とも言えません。陽動撹乱の可能性もあれば、何らかの布石なのかもしれません。可能性を挙げればきりがないですし、安易に思い込むのもそれはそれで裏を取られる危険性が増します。血文字自体は生徒の悪戯の範疇ですから、親が生徒に“ハロウィンの悪戯に紛れて穢れた血にメッセージでも送ってやれ”とふくろう便を送るだけでも成立します」

 

 「難しいんですね」

 

 「兵法においても、主導権は常に攻撃側にあります。何時でも何処でも狙えるテロリストに対し、防衛側は全面を守ろうとすれば各々が薄くなる。だからこそ、敵の場所さえ掴めればこちらから攻め入るのが有効であり、去年に行ったようにあえて賢者の石を囮にするなど、攻撃箇所をこちらから誘導する戦法が有効なのです」

 

 死喰い人は攻撃側、教師陣は防衛側。

 

 その基本構図は去年も今年も変わらない。そして、賢者の石を狙った襲撃を二度繰り返すとは考えにくいので、相違点があるとすれば攻撃側の狙いが曖昧になっていることだろう。

 

 例の血文字を残したものは、何を意図しておこなったのか。あるいは、死喰い人に騙されただけのお調子者の犯行だったりするのか。

 

 現段階ではただの悪戯レベルに過ぎないからこそ、情報が少なくその意図が読みにくい。

 

 

 「可能性だけならば、死喰い人に縁のある子供に見せかけ、グリフィンドール生徒が便乗してハロウィンに悪戯をしただけかもしれません。マッド=アイ・ムーディはあらゆるものを疑えと言いましたが、まさに金言ですね。全てを疑ってかかるくらいで、足元を掬われるリスクも減るというものですから」

 

 「要するに、全方向に警戒だけはしておいて、細かい部分は成り行き任せってことね」

 

 「少し違います。“高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処する”、という表現が正しいかと。ステーキを食べる際の食器はナイフとあと何でしたか」

 

 人、それをいきあたりばったりと言う。

 

 

 

 「未来など、分からないからこそ面白い。さて、秘密の部屋にまつわる騒動、記録を残すに値するホグワーツの歴史になってくれることを願いましょう」

 

 例によって、悪霊自身は何もしない。

 

 ただひたすら傍観者に徹したまま、成り行き任せに臨機応変。

 

 いやもう本当に、死ねばいいのに。

 

 

 



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5話 穢れた血とスクイブ

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【スクイブ】

 

 スクイブと呼ばれる存在がある。

 一般の認識とは裏腹に、その定義には曖昧さを含んでいるが、両親が魔法使いでありながら魔法の力を持たない子をそう呼ぶのが通例だ。

 

 魔法族から生まれた多くの子は、大体は8歳くらいまでに魔法の力を発現することが多い。

 しかし、発現しない者がいるならば当然疑問が生じてくる。そも、魔法の力の根源とは何かと。

 

 その全容を完璧に理解している賢人はこの世におるまい。

 元来、幻想の力である魔法は括りきれぬものである。

 だが、様々な事例を紐解いていけば、見えてくる傾向というものはあるだろう。

 

 スクイブは、純血名家に生まれやすい。これは様々な歴史的事例から確認できる。

 そこには様々な理由が複雑に絡み合っている場合も当然あるが、理由は大きく分けて二つ。

 

 ・血縁の呪いから逃れるために、あえて魔法の力を捨ててでも子の生存を望んだ場合

 ・家の縛りを呪いと感じ、子が血縁からの開放を望んだ場合

 

 また、魔法というものの性質上、“先天的なスクイブ”というものは存在し得ない。

 全てのスクイブは後天的だ。魔法で多大な失敗をし、精神に傷を負った場合も含まれる。

 

 つまるところ、魔法への恐れ、魔法への嫌悪、心が魔法を使うことを拒否することで、スクイブという存在は生まれるのだ。

 

 『ただし、厄介な点が一つ』

 『魔法を使うなと望む者が、当人であるとは限らないこと』

 『人間の心とは、どこまでいっても愛や執着から逃れられない』

 『愛を失ったときもまた、スクイブの生まれる条件である』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「古代から創始者の時代に至るまで歴史を紐解いていくシリーズ。今回は四回目となります。今回は魔法史の産んだまつろわぬ民達、どこまでいっても存在する被差別民、人類のお家芸である差別と最も縁深いスクイブについて述べていきます」

 

 ハロウィンも終わり11月に入り、グリフィンドールVSスリザリンの戦いが終わったばかりのホグワーツ。

 

 秘密に部屋についての血文字落書きについては生徒達の間で色々と語られているが、今のところ悪霊教師を攻撃して得点ゲットを狙った哀れな子羊は出ていない。

 

 去年の一年生の尊い犠牲は無駄にはなっていないようでなりよりだ。

 

 

 「その存在の根源的な説明は後に回すとして、愚かな人類が彼らをどのように扱ってきたかを先に説明しましょう。まず、言うまでもなくスクイブとは蔑称であり、“穢れた血”と対となる存在と認識されています。貴方達の家でも、スクイブが生まれたら基本的に恥と思うでしょう。純血や混血の生徒は是非ともご両親に尋ねて御覧なさい、“我が子がスクイブじゃなくて良かった”と思った瞬間は何時だと」

 

 例によって飛ばしていく悪霊スタイル。こういうことを語らせたらコイツがナンバーワンだ。

 

 確実に嫌われる内容を語りながら、魔法の文字が浮かび上がり列を成していく。

 

 

 魔法側に生まれながら、マグルと同じ者  = スクイブ

 マグル側に生まれながら、魔法族と同じ者 = 穢れた血

 

 

 「歴史の示す事実として、スクイブとは純血の家から生まれやすい。それは、魔法を尊ぶ心の裏返しでもあり、ある種の呪いの浄化でもあるとされます。現実側で楔となる者達あってこそ幻想は成立し得る。幻想が幻想であるための楔、それがスクイブである。ようするに、蔑視されながらも常に“居てくれてよかった”と誰もが思う存在。これは、マグル側の社会においても珍しくはありません」

 

 インドのカースト制度における、不可触民

 

 日本の律令制における、穢多、非人

 

 キリスト教身分秩序における、ユダヤ人、ロマ、ジプシー

 

 それぞれの社会通念的に“穢れた仕事”を行わせるための職能集団というものは世界各地に存在しており、その成立の経緯も様々で、必ずしも差別的な意味合いから始まったものばかりとも限らない。

 

 

 「魔女の由来とは、垣根の上を飛ぶ女。境界線とは、跨ぐものなくして成り立たない。スクイブと穢れた血はそれぞれの社会に生まれながら、境界線を超えねば生きる場所を見つけ難い者たちです。マグルと魔法族が背中合わせである限り、スクイブと穢れた血なくして、この両天秤は成り立たない」

 

 境界線が完璧に機能し、交流が一切なければそこあるのは断絶だ。

 

 混血という存在が常にいる以上、魔法世界に生まれながらマグルの世界に放逐される必要のある者、そして、マグルの世界に生まれながら魔法の世界に入らねばならない者が生まれるのは、バランス上の必然と言えるだろう。

 

 

 「東洋世界、インド世界、ペルシア世界、オリエント世界、アフリカ世界、そして、ローマ文明に連なる地中海世界。それぞれの歴史的経緯によってスクイブと穢れた血の扱いも様々ですが、ここはひとまず、主に中世以降の我らがキリスト教世界の流れを追っていきましょう」

 

 サピエンスは多種多様な文化地盤を持ち、それぞれの特徴を挙げていけばきりがない。

 

 ここがイギリスのホグワーツである以上、最も分かりやすいのは当然、自分達の属するキリスト教の歴史となる。

 

 

 「中世の時代、純血の魔法族の家にスクイブが生まれてしまった場合はどうなるか。隠すか、捨てるか、殺すか、大体はこの三択となります。殺された場合は話はそこで終わりですし、隠された場合もそこから逃げ出したならば結局は捨てられた場合と同じ流れになる。まつろわぬ民として、何処かに流れ着くしかない」

 

 人類の黒歴史、見たくない歴史の暗部を、悪霊は淡々と語っていく。

 

 人は差別が好きな生き物で、同時に常にこう思ってしまう生き物だ。“ああ、自分が迫害される側じゃなくて良かった”と。

 

 

 「スクイブに生まれてしまった彼らにとって、利点となるのは2つ。第一に、少なくとも8~9歳までは判別しきれないこと。第二に、魔法族の識字率や就学率は同時代のマグルに比べ圧倒的に高く、9歳になる頃には大抵読み書きが出来たということ。これは大きな財産と言えました」

 

 産業革命が始まったばかりのフランスにおいては、農民の識字率は3割にも満たなかったという。

 

 それに対し、魔法族に生まれた子供で読み書きが出来ない者など基本的にいない。ゴーント家のメローピーさんですら、その程度は出来たのだ。

 

 一年生の魔法史における魔法生物規制管理部の説明であったように、小鬼や屋敷しもべが第一次産業と第二次産業を担っているため、魔法族の仕事は読み書きが出来なければ成立しないものが多い。

 

 結果として、中世マグルの没落した下級貴族でも多くは読み書きが出来たように、家を追い出されたスクイブも、再就職の取っ掛かりに使える教養は持っていた。

 

 

 「しかし問題は、彼らがキリスト教の洗礼を受けておらず、どこの教区にも属していないことです。現代で言うならば国籍がないも同然であり、いくら読み書きが出来ようとも、聖書を知らず、イエスの名を尊ばず、十字架を持たない流れ者を雇うキリスト教徒はおりません」

 

 だが同時に、どこの世界にもそうしたアウトローが流れ着く場所というものはある。

 

 中世のキリスト教世界において、改宗前の異教徒なども多く居たが、金融などに携わり時に忌避されながらも必要な者達と見なされたのは。

 

 

 「結果として、スクイブの多くはユダヤ・ゲットー、それぞれの都市にあったユダヤ人の居留区に合流していきました。子供の死亡率が高い時代でもありましたから、ここでは常に赤子や子供の売買も行われておりましたので、単純に“銀貨で売られたスクイブ”も相当な数にのぼります」

 

 閉鎖性の高く、ほぼ全員が顔見知りである村では不可能。

 

 となれば、人口の多く、多くの民族も入り交じる都市という場所に、必然のスラムとしてそれらは生じる。

 

 売春が最古の職業であるように、奴隷売買や人間の物々交換もまた、古来よりの拭い難いサピエンスの商売なのだから。

 

 

 「このブリテンならば当然、古代ローマより都市の栄えたロンディニウム、つまりはロンドンとなります。その別名は“人捨て場”。ダイアゴン横丁の隣にノクターン横丁が常にあり続け、消えることがないのもそういうことです。スクイブとはあそこに捨てられ、鍋から漏れ溢れるようにマグル側へと流れていく」

 

 スクイブを雇うような店は、ダイアゴン横丁にはなくノクターン横丁にしかない。

 

 そして、狼人間や吸血鬼といったまつろわぬ民達も、そこには集まる。その構図自体は、マグル側のジプシーやロマらが受けた社会的差別と大きく違うわけではない。

 

 

 「そうしてマグル側へ出ていった魔法の血が、数世代を経た後に隔世遺伝を起こすように魔法の力に発現することがある。それは、現実の人の世に嫌気がさしたが故の幻想への憧れか、いつかは故郷に戻りたいと願う祖先の望郷の念かは分かりません。いずれにせよ、今度はロンドンに生まれたマグル出身者が、境界線を超えてダイアゴン横丁へとやってくる」

 

 かつて、スクイブをノクターン横丁に捨てた純血名家にとって、彼らはどう見えるだろうか?

 

 恨みを晴らすためにやってきた復讐者か。それとも、生き別れになった遠い血との再会を寿ぐか。

 

 

 「何かを畏れるように、純血名家の者達やいつしか彼らを“穢れた血”と呼ぶようになりました。しかし、当然話はそこでは終わらない。彼らが“穢れた血”を畏れるには当然隠された裏の理由がある。それが、“血縁の呪い”というものです。これに罹った有名例と言えば、ブラック家、グリーングラス家、ゴーント家などがあります」

 

 血縁の呪い。それは家単位でかけられる呪いの一種であり、主に戦争に破れた側が“憎き血筋よ、途絶えてしまえ”と呪詛を込めることによって成立する。

 

 他にも、異種族との間で諍いがあったり、憑きもの筋などと呼ばれるようにアニメ―ガス化が悪い方向に作用してそうなる例もあったりする。

 

 

 「屋敷しもべを擁し、魔女の家として存続を願う純血名家にとって、血筋が絶えることほど恐ろしいことはない。しかし同時に、1970年からの魔法戦争がそうであったように、小さく狭い魔法界における戦いとはどうあっても近しい血筋同士の内ゲバにしかならない。つまり、肉親を殺された恨みは内に籠もりやすい」

 

 マグルにおけるゲルマン民族大移動、あるいは新大陸でのコンキスタドールのような、先住民の根絶、絶滅政策が決して上等であるとは口が裂けても言えないだろうが。

 

 割りと小さなコミューンにおいて、身内同士での権力争いが長く続いてしまうと、どうしてもその暗闘は陰にこもる。

 

 

 「死の呪い、磔の呪い、服従の呪いなどがウィゼンガモット法廷によって禁じられているとなれば、憎き敵を葬り去るために裏技を考え出すのがサピエンスのお家芸です。覚えておきなさい、こういうことにばかり、人間はどこまでも悪知恵が働くのです。例えどれほど法で制約されようとも、戦争を起こす方法だけは絶対に考えつく」

 

 そうして実際に、純血名家が互いの家を呪い合う、“血縁の呪い”というものは生まれた。

 

 より陰険に、より陰惨に。今対立している政敵ではなく、その息子が、娘が、血を残すことが出来なくなるようにと。憎き血筋が途絶えるようにと。

 

 それは実に、魔女らしいとも言えるだろう。

 

 

 「ならば当然、子孫を残せないタイプの“血縁の呪い”に対する回避法も考案されます。魔法使いとしての血筋を“仮死状態”にすることで、呪いの遺伝を避ける。スクイブにはこのような由来もあるのです。それは同時に、例えマグルになっても、我が子よ生きてくれという祈りの具現でもある。大本の呪詛は、【憎き魔法使いめ、死に絶えよ】と呪っているのだから、擬似的にマグルとなることで呪いをすり抜ける。仕組みとしてはそういうものです」

 

 魔法使いを呪うのであれば、マグルになれば避けられる。

 

 一時、魔法の力を封じられることになろうとも、秘められた血はいつか再び覚醒し、家の再興を果たすのだ。

 

 

 「ブラック家において有名な“純血よ永遠なれ”。それに類する“血を裏切りし者”の系図からの抹消というのは元々は意図的な“呪いからの守り”でもありました。しかし、歴史とともに歪み、忘れ去られ、名残と呪いだけが今に続くという事例も、愚かなサピエンスの日常というものです」

 

 創られた頃は、建前と本音を使い分けていたものが、長い年月を経るうちに時代の流れに取り残された無意味な建前ばかりが害悪となる。

 

 家というものもまた、組織としての老朽化からは避けられない。となれば、一度スクイブとして出ていった血筋が、新たな息吹となって帰ってくるというのは自浄作用としては悪くない。

 

 だが、濁った血を抱えたままの旧家にとっては、自分達の存在を否定し、断罪にやってくる死神同然にも見えただろう。

 

 

 「純血名家においては、兄弟姉妹に生まれながら、片方がスクイブに生まれることは多くありました。そうした子は往々にして捨てられて来たわけですが、しかし、その家が血縁の呪いを抱えているならば、“本命の血筋”は果たしてどちらになるのか。興味深い考察となりましょう」

 

 仮に、グリーングラスという家において、姉のダフネがスクイブに生まれ、妹のアステリアが魔法資質を持っていたならば。

 

 【呪いの受け皿】はどちらで、【血を残す本命】はどちらになるのか。

 

 これは昨年のクリスマスの前の頃、ドラコ・マルフォイという新入生が両親がどうしてもはぐらかすばかりだった“血縁の呪い”に関する疑問を、密かに悪霊教師に問うた際の答えの一つだ。

 

 親として子を愛していても、まだ11歳の息子には早いと、親だからこそ中々言えぬ生々しい“純血名家の暗部”というものも、悪霊はただただ暴露する。

 

 

 

 『己の血筋に、両親が言葉を濁すことに疑問を持つのは良いことですよ、ドラコ・マルフォイ。貴方は確実に両親から愛されている。ですが、私が人類の歴史として語るように、善意は必ずしも良い結果をもたらなさい。愛しているからといって、それが貴方のためになるとも限らないのですから』

 

 純血の家で両親の愛情を受けて育ち、大切に育てられてきた少年にとっては大きな衝撃であったろう。

 

 当然彼は悩み、苦しみ悶えた。そうして苦しむ彼がふと思いつき、寮監のセブルス・スネイプに相談した上で、ハリー・ポッターという少年と腹を割って“家族についてどう思うか”を話したのもその頃だ。

 

 

 『ハリー・ポッター。君は、自分の生まれについて、両親の愛を疑ったことがあるだろうか?』

 『正気を疑ったことはあるけど、愛を疑ったことはないよ』

 

 例え狂っても、両親は自分を愛してくれるだろう。いいやひょっとしたら、母は少しの狂気を自ら受け入れて、二人の父を愛することに決めたのかも。

 

 メローピー・ゴーントという幽霊がセブルスとリリーに語ったように、狂熱的な愛が幸せに帰結するとは限らない。

 

 だが、それでも―――

 

 

 『スクイブとか、穢れた血とか関係ないよ。だって僕は、ダドリーが不幸だなんて思わない』

 

 ハリー・ポッターは、家族が大好きだ。

 

 ペチュニアが魔法を使えぬスクイブなわけでも、リリーがマグルに馴染めぬ穢れた血なわけでもない。だって二人共、今もとっても仲良しなんだから。

 

 

 『そうか、少しだけ君が羨ましいな。ああ、あのウィーズリーもそうだけど』

 

 残念ながら、ウィーズリー家のロンは相談の対象には成り得なかった。あの家は、ドラコのような闇を抱える家に生まれた者にとって、少々眩しすぎた。

 

 そこで考える事が多かったため、ドラコが対悪霊戦線にマグル生まれのハーマイオニー・グレンジャーと共に参加する一員ともなった。

 

 そうして彼は今、デルフィーニという少女を見守る立場にいる。一年前の入学した頃の自分のように、まだ己の血筋と両親の愛に何の疑問も持っていない純粋な彼女を。

 

 

 

 「当然、魔法の力を失う例はそればかりではありません。“ガリオン金貨の神隠し”の寓話に語られるように、マグルの物欲に染まりきった者がやがて幻想の力を失うこともあれば、マグルに恋し、その愛が拒絶されたために魔法を使えなくなった例もある。さらにもう一つ、オプスキュリアルという魔法族最大のリスクもまた、そこには絡むわけですから」

 

 魔法の根源が、心の力、想いの行方によるものならば。

 

 積もり積もった鬱憤やジレンマは、本人の心すら破壊する規模で大爆発を起こすことがある。

 

 マグルならば躁鬱、精神崩壊などと言われ、せいぜいが狂って暴れだすだけですむが、魔法族のそれはオプスキュラスという黒い影、文字通りの怪物を呼び起こす。

 

 そして、ノーグレイブ・ダッハウの特性は、吸魂鬼やオプスキュラスに近いのである。

 

 

 「オプスキュリアルについては長くなるのでまたいつか場を設けて語るといたしましょう。今回は中世の純血名家を軸とした歴史的経緯としてスクイブと穢れた血を紐解きましたが、あくまで歴史の一部に過ぎません。絶対に魔法族と切っても切れない存在である以上、その歴史はそう簡単に語りきれるものでもない。一方向からではなく、物事は多面的に見なければ」

 

 今回の講義は、基本的に純血名家から見たスクイブと穢れた血。

 

 ならば、創始者の時代にやってきたヴァイキングという略奪者にとって見れば、それらには如何程の違いがある?

 

 また、近代の産業革命以降のマグルにとっても、見え方は違ったものとなるだろう。

 

 

 「では、本日の課題です。中世の時代にユダヤ人に金で売られたスクイブが、大人になってから魔法の力を発現したとして、次の結婚事例について課題や生じうる問題点についてレポートを提出するように」

 

魔法使いであった場合

 ・ユダヤ人との結婚

 ・キリスト教徒との結婚

 ・イスラム教徒との結婚

 ・カタリ派との結婚

 ・純血名家との結婚

 ・混血との結婚

 ・小鬼との結婚

 ・ヴィーラとの結婚(男に限る)

 

 

 「およそ婚姻という課題について、境界線問題は決してなくなることはありません。時代がどれだけ変わろうと、その社会体制ごとの格差や差別が新たに生まれるのがサピエンスというもの。そこに過剰な幻想を懐きすぎれば、破滅の未来しか待っていないことは常に留意しておきなさい」

 

 結婚というものに、普通の相手などあってなきが如く。

 

 全ては見方したいで揺れ動き、時勢や時流が変わってしまえば、かつては絶対的だった境界線があっさり消えることもままある。

 

 例えばそう、西ドイツ人にとって難しかった東ドイツ人との結婚が、壁が一瞬にして消えたことがあるように。

 

 そして、物理的な壁がなくなろうと、東西の経済格差という見えない壁は30年経っても消えることがないように。

 

 境界線とは、常に移ろうものだから。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「ふぅ、何でこう、僕の回りには平穏ってものがないんだろう」

 

 「そうだな、うん、まあ、元気出せよハリー」

 

 「騒動に巻き込まれるのは貴方のせいじゃないわ。誰が悪いって言ったら、きっとダッハウ先生が悪いのよ」

 

 例によって地雷の如き課題の出た魔法史の授業も終わり(ただし、ハリーにとっては得意分野)、夕食も終えて談話室へと戻る道すがら。

 

 “怒れる竜と餌2つ”とも称される対悪霊戦線の三人組は、しかしそのうち一人がえらく意気消沈している。

 

 理由は明白で、夕食時に校長先生から発表された“臨時の警備担当の方達”の紹介であった。

 

 

 ジェームズ・ポッター

 シリウス・ブラック

 ニンファドーラ・トンクス

 レギュラス・ブラック

 シグナス・ブラック

 

 

 5人中3人がブラックと、ブラック家度合いは随分強いが、ハリーにとってはそこは問題ではない。いや、そことも無縁ではないが、要するに父親と名付け親である。

 

 

 「ただでさえセブルスさんが魔法薬学の先生で、リーマスさんが防衛術の先生なのに。これじゃあピーターさん以外全員集合じゃないか」

 

 「確実にダンブルドアは狙ってやった人事だよな」

 

 「貴方たちほど深くは知らない私でも、ホグワーツにOBが遊びに来たんじゃないかと疑ってしまう人達よね」

 

 何しろ、悪戯仕掛け人である。フレッドとジョージに至っては“師匠たち”への挨拶に早速いった。

 

 ちなみに、ニンファドーラ・トンクスについても彼女は七変化であり、学生時代に変身で色々と悪戯していた問題児の一人。シリウスにしてもそうだが、ブラック家生まれの闇祓いは反骨精神が実に旺盛である。

 

 ただし、ハリーを除く生徒からはこの人事のウケは非常に良い。何しろ、シリウス・ブラックはかつて黒太子同盟の片割れであり、悪霊を焼き払うのに貢献した男でもある。

 

 というか、多くの生徒は“血文字を書かれた事件への対処人員”ではなく、“悪霊祓いの人員”と思っている節がある。まあ、これは多分に彼らのそうあって欲しいという願望が混ざっているのだろうが。

 

 

 「特に、ホグワーツにシリウスとセブルスさんがいたら、何が起こるか」

 

 「喧嘩だろうな、僕でも分かるよ」

 

 「多分、ハリーのお父さんはシリウスさんに加勢して、バランスを取るためにルーピン先生はスネイプ先生をサポートするんじゃないかしら」

 

 当然、板挟みになるのはハリーだ。

 

 何が悲しくて自分の通う学校で、いい年した父親二人(名付け親も含めれば三人)の喧嘩を見せられなきゃいかんのか。

 

 本当に、つくづく不幸の星の下に生まれた男の子である。

 

 余談であるが、彼らの着任時にシリウスとリーマスの間でこんな会話があったとか。

 

 

 

◇◇◇

 

 「なあリーマス、懐かしいことは間違いないんだが、戦争終結時に比べても魔窟度合いが上がっていないか?」

 

 「そこまで酷いかな。アクロマンチュラは相変わらず温厚で生徒を守ってくれてるよ」

 

 散々処刑具に狙われたリーマス・ルーピンにとっては、アクロマンチュラは数少ない守り神であった。

 

 ボーバトンやダームストラングの生徒が聞いたら正気を疑うだろうが、これが今のホグワーツである。

 

 「確実にお前も悪霊に毒されてるな。俺達の時代はアクロマンチュラが校内まで徘徊してなかったぞ」

 

 「……教師としてずっとホグワーツにいると忘れがちだけど、確かにそうだったね」

 

 「怪物たちが戦力になるのは間違いない。間違いないが、なんだかなあ」

 

◇◇◇

 

 

 

 「でも真面目な話、戦力としては申し分ないわけだろ。例のゴドリックの決戦面子がほぼ勢揃いなわけだし」

 

 「うん、そこはそうだね。父さん、シリウス、リーマスさん、セブルスさん、そして当然ダンブルドア先生」

 

 「去年みたいに賢者の石を狙って死喰い人が侵入してきても、撃退するには充分だわ。でもそうなると、秘密の部屋も実在することになるんじゃないかしら」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは鋭い。人事の裏側にあるだろう教師陣の思惑についても、大枠の部分は既に察している。

 

 つまるところ、これは不死鳥の騎士団と死喰い人の抗争の続きであり、敵が侵入してくる可能性が高いからこそこちらも戦力を集めたのだろうと。

 

 

 「確かにハーマイオニーの言う通り、状況は去年に似てるな」

 

 「去年は賢者の石を狙って襲撃してきた死喰い人が、先生方とマッド=アイ、そしてダンブルドア先生にやられた訳だから。今回は秘密の部屋を狙ってくる感じ?」

 

 「仮にそうだとして、何で秘密の部屋を狙うのかは分からないけど、そう考えると納得できることも多いわ」

 

 ハーマイオニーからすれば、一番訳が分からないのは悪霊教師の立ち位置だった。

 

 あんな処刑器具だの怪物だのを校内に放し飼い同然にしていたら、いざ何かあった時にどうするのかと去年の彼女は危惧していたものだ。だからこその対悪霊戦線でもあった。

 

 ただ、去年のハロウィンや死喰い人の襲撃、そして今年のハロウィンの顛末を見るに、そんな自分達の行動も含めて、ホグワーツはより大きな“防衛システム”を持っているように思えるのだ。

 

 

 「確証はないけど、荒事に関してはダッハウ先生って常に囮役なんじゃないかって思うの。この前の絶命日パーティーで確かめたかったのもそれなのだけど」

 

 「囮役?」

 

 「ええっと、ダッハウ先生がやってると見せかけて、別の先生方が実際は動いてるってこと?」

 

 「そう、去年もマクゴナガル先生が“ダッハウ先生がまたやらかした”って守護霊を飛ばしてくれて、実際それは本当でスクリュートが寮を襲ってきたけど。本命は死喰い人を迎撃して食べちゃうことだったわけだし」

 

 そして実際は、悪霊は何もやっていない。いつも傍観しているだけである。

 

 改めて考えると、生徒から見てもあの悪霊がホグワーツを守るために能動的に動く姿が想像できない。むしろ、悪霊を利用してマクゴナガル先生やスネイプ先生が立ち回っていると考えるほうが妥当だ。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーが一番確かめたかったのはそこだ。そして、絶命日パーティーに悪霊教師もいて、その時までは特に何もしていなかったことから確信に至る。

 

 悪霊が怪物を解き放ち、騒動が起こるのではない。何か騒動が起きてから、悪霊が怪物を解き放つのだと。

 

 

 「なるほどなあ、そりゃあ確かにありそうだ」

 

 「だとすると、ダッハウ先生が関わってそうな例のあの落書きとかは気にする必要ないから―――外から、どんな死喰い人が来るかが問題だね」

 

 秘密の部屋云々が、口実程度のものでしかないならば。

 

 ホグワーツの生徒にとって本当に危険なのは、結局のところ死喰い人となる。

 

 まあ、悪霊とその周囲が危険なのは今に始まったことではないので、アイツは除外。

 

 

 「その答えは多分、ダンブルドア先生が招いた方達にあるはずよ。絶対に無駄なことはなさらない方だもの、ブラック家が鍵を握っているのは間違いないわ」

 

 「ニンファドーラさんについては姓がトンクスだから他人は気付きにくいだろうけど、僕らにとっては一発だからな」

 

 「ロンにとっても僕にとっても、身内ばっかりだし」

 

 グリフィンドール寮の防衛担当 シリウス・ブラック

 ハッフルパフ寮の防衛担当   ニンファドーラ・トンクス

 レイブンクロー寮の防衛担当  レギュラス・ブラック

 スリザリン寮の防衛担当    シグナス・ブラック

 

 

 「見事にブラック家オンリーだよ。元々スリザリンの寮監で、防衛術の先生だったシグナス理事長と、闇祓いのシリウスとニンファドーラさんはともかく、レギュラスさんは普通に考えて違うもの」

 

 レギュラス・アークタルス・ブラックは、シリウス・ブラックの弟であり、スリザリン出身の卒業生。戦争中は、死喰い人陣営に身を投じていた。

 

 その頃の兄弟仲は最悪だったが、黒太子同盟の和解をきっかけに、セブルス・スネイプの仲介もあって復縁に至っている。

 

 なお、意地を張ってなかなか弟に謝罪できなかったシリウスと、家族との関係から兄へ素直に本心を言えないレギュラスから鬱屈した念を吸い出したのはアリアナちゃんである。

 

 この辺りは、ペチュニアとリリーの姉妹喧嘩の仲直りの前例にあやかったものだ。兄弟喧嘩についてジェームズから聞いたリリーが、セブルスと一緒にアリアナちゃんにお願いした経緯がある。その場にはマートルさんやメローピーさんも居合わせた。

 

 

 「あの人って確か、マルフォイとも繋がりあったよな」

 

 「そこはスリザリン出身なのだから当然じゃないかしら。ルシウス・マルフォイ氏はスネイプ先生の世代から見れば先輩だし」

 

 現在の立ち位置的には、ガチの騎士団員主力であるシリウスとセブルス、シグナス前副校長の中立派を引き継ぐルシウス・マルフォイの中間といったところだ。

 

 どこにでも参加できる遊撃役とも言えるような立場だが、闇祓いでも魔法警察でもホグワーツの教員でもないのだから、普通に考えれば防衛担当として招かれるのはおかしい。

 

 

 「僕の父さんにしても、祖母がドレア・ブラックお婆ちゃんだしね。そうなってくると、ブラック家出身の死喰い人で有名人と言えば」

 

 「言わずと知れた、神出鬼没の女海賊ベラトリックス・レストレンジよね。シグナス副校長先生の長女の」

 

 「ついでに言えば、次女がニンファドーラさんのお母さんのアンドロメダさん。三女がマルフォイのお母さんのナルシッサさんだぜ」

 

 まさにブラック家勢揃い。身内の内ゲバもここに極まれりである。

 

 あの悪霊が“寮対抗ホグワーツOB大喧嘩選手権”というように、魔法戦争とはどこまでいってもそういうものだ。

 

 

 「きっと、ベラトリックスをここで捕まえるつもりなんだと思う。シリウスが前々から自分の手でケリつけたいって言いながら肉球振るってたし。ニンファドーラさんも“この顔見たら魔法警察”って言いながらよくベラトリックスに変身してたよ」

 

 「何であの人達って、高等技能をしょうもない悪戯にばっかり費やすのかしら。アニメ―ガスにしても、七変化にしてももっと別の使い方があるでしょうに」

 

 「それこそ、他人に化けて潜入したり入れ替わったりとかな。でもなあ、顔を知られてるベラトリックスが変装うんぬん以前に、そもそもこの城に入り込めるのか?」

 

 「どうかしら………あ、そうか、だから、そうよ、ブラック家なのよ!」

 

 「急にどうしたハーマイオニー」

 

 「なにか分かったの?」

 

 彼女が急に叫ぶのは、何か新しい事実に気づいたとき。ハリーとロンの学んだ経験則である。

 

 とにかく頭の回転速度では彼女が圧倒的だが、興奮すると少し見境がなくなってしまうのはグリフィンドールの性というものだろうか。

 

 

 「フィニアス・ナイジェラス・ブラック校長の頃から、スリザリンには何人もブラック家の人達が続いてるわ。そして、ホグワーツの抜け穴とか防衛設備も、歴代の校長先生や寮監の先生や監督生が作ったり整備してきたものでしょう」

 

 「ああ~、そっか、ブラック家しか知らないホグワーツの抜け道。ていうか、“ブラック家だけが使える抜け道”なんてのがあってもおかしくないのか」

 

 「それに、シグナス先生が知っている警戒網があっても、実の娘なら“身内扱い”ですり抜けちゃってもおかしくないわ」

 

 「そういう事例はあるって、シリウスも言ってたよ。検出呪文とかの自動判定ができないとなれば、うん、答えは簡単だね」

 

 同じ立ち位置の人間が、見張りにつけば良い。

 

 仮に抜け道を使って潜入に成功したとして、同じブラック家の人間たちが各寮を見張っていれば、おいそれと生徒を人質に取るような真似は出来ないだろう。

 

 

 「それに、セブルスさんが前に忠告してくれたことがある。夜間学校の幽霊や怪物はホグワーツの備品扱いだから、城の手順に沿って入ってきた“客人”には警戒しないんだって」

 

 前回の賢者の石において、盗人の真似事をしたために、怪物たちに襲われた死喰い人である。

 

 同じ轍を踏まないように手を変えてくるのは、ある種当たり前ではあった。

 

 

 「となると後は、例の“秘密の部屋探索班”ってのが警戒網の代わりなのか」

 

 赴任して早速、ジェームズとシリウスが秘密の部屋を探すためのメンバーを生徒から募集していた。

 

 表向きは、悪戯好きのOBによるレクリエーションのようなものだが、危険に近づきそうな生徒を予め集め、荒事に長けた彼らが監督するという側面もあるだろう。

 

 このホグワーツで、侵入してきた死喰い人に人質に取られる可能性が高いとすれば、そういった好奇心の強い生徒達なのだから。

 

 

 「まあ、最後はそこになるわ。ベラトリックスの狙いが例の“秘密の部屋”だったとして、一体そこに何があるのかしら? まさかスクリュートの製造所なんてオチはないと思いたいけど」

 

 「ありえる。だってダッハウだぜ」

 

 「アラゴグの巣とか、フラッフィーの家とか、ノーバートの遊び場とかだったらもっと笑えるね。大穴でアリアナちゃんの寝室とか」

 

 「そりゃ確かに、ダンブルドア先生なら隠しそうだけどさあ」

 

 「もしそうだったら入り口は確実に校長室でしょうね」

 

 

 一年前が、賢者の石を巡る争奪戦であったならば。

 

 今年のそれは、秘密の部屋を巡る攻防戦。

 

 侵入者は部屋を開かんとし、防衛側は見つけ出さんとする探索者。

 

 

 それが如何なる結末に至るかは、まだ分からない。

 

 時計の針は黙したまま、静かに観測を続けている。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『ホントに何なんだあの醜悪な生き物は。なぜ殺すはずの鶏が先に食われて全滅してるんだ』

 

『まったくもって忌々しい。これじゃあただアレに噛まれに鶏小屋にノコノコでかけたようなものじゃないか』

 

『というか、あんなのが鶏を襲うのが日常茶飯事なら、すぐに補充されてしまうのでは?』

 

『……まあいい、死喰い人は鶏の人権は考えない。考えなくていい』

 

『そんなことよりも闇祓い共だ。あの忌々しい餓鬼共がやってくるとは』

 

『厄介だな、ここまで対応が早いとは。あの耄碌爺もさっさと呆けていればよいものを』

 

『すぐに部屋を開くのは危険だろう。まずは奴らの動向を探らねば』

 

『迂闊だった。こうなってみるとジニーを選んだのは間違いか、スリザリンの誰かにすべきだったか』

 

『いいや、まだ始まったばかりだ。これから巻き返せばいいだけのこと』

 

『ともかく、情報収集だ。秘密の部屋さえ押さえれば全てはこちらの勝利なのだから』

 

 



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6話 創始者たちと秘密の部屋

今回、時計塔のある世界での本作の歴史が語られます。
原作でビンズ先生が教える歴史との差異が、物語を異なる流れへと導く根源的な要因となります。


 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【ホグワーツ以前】

 

 当然のことながら、ホグワーツ創建以前においてもブリテン島に魔法族は存在していた。

 オリバンダーの店、ブラック家の屋敷などが有名だが、

 ローマ文明隆盛期においても近代以後と似た形で棲み分けや共生はなされていた。

 

 いやむしろ、共存のバランスとしてはあの時代こそが最盛期であったかもしれない。

 ローマ文明には自分達の技術を誇りつつも、異文化異文明を取り込んでいく度量があり。

 魔法族もまた、文明と隣り合わせありながらも程々の距離で付き合っていられた。

 

 ケルト人にとって、ローマ人が必ずしも侵略者ではなかったように。

 魔法族にとっても、文明大国が必ずしも敵になるとは限らない。

 

 だがしかし、偉大なる文明にも落日の時は来る。

 古代の叡智は廃れ、文字を書ける農民の数は減り、皮肉にも魔法族の書籍にのみ

 姿を残す過去との知恵も多くあった。

 

 そして、新たな民族がやってきた、殺戮と破壊と混沌がこの島を覆うこととなる。

 魔法族もまた、自衛の必要に迫られた。

 最早、蛮族から我らを守ってくれる偉大な帝国はないのだ。

 

 荒野から来たグリフィンドール

 谷間から来たハッフルパフ

 谷川から来たレイブンクロー 

 湿原から来たスリザリン

 

 始まりは四つだ。全てはこの四つから始まった。

 

 『忘れるな、偉大なる創始者達の夢を』

 『ブリテンに住まう魔法族の最大の偉業、ホグワーツ創建を』

 『例え、時の果てに全ての記録が失われようとも』

 『それだけは、決して忘れるな。魔法の城こそが、我らの原点なのだ』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「古代から創始者の時代に至るまで歴史を紐解いていくシリーズ。今回は五回目となります。今回は信仰と宗教の違いについて、西暦以前に存在したケルトのシャーマニズムとローマ以後に勃興したキリスト教勢力を主に述べて―――おや、質問ですかハーマイオニー・グレンジャー」

 

 12月も半ばへ入り、冬支度もいよいよ本番。クリスマスへ向けて寒さがしんしんと深まっていくホグワーツにおいて。

 

 今日は久々の全体授業であり、四寮の二年生が全員集合している。かつては寮ごとに固まっていたその並びも、今ではまさに斑模様となっている。

 

 いつもの如く前置きを置いた後、講義が始まるのが悪霊教師のセオリーであったが、今回に限ってはそうではないらしい。

 

 

 「ダッハウ先生、秘密の部屋について、この魔法の城の創始者達の残した遺物について教えてくださらないでしょうか?」

 

 ひとたびの沈黙。

 

 この授業において彼女が質問するのは珍しいことではない。だが、悪霊教師が即座に返答しないということは珍しい。いや、今まで一度でもあったろうか。

 

 

 「ふむ、実に興味深い質問です。的確であると同時に幅広く、それを語るには少なくとも本日の授業の全てを使う必要があるでしょう。貴女の質問はそれに値するだけのものであると、自信を持って断言できますか?」

 

 「ダッハウ先生はいつもおっしゃっています、歴史に学べと。私は今回の秘密の部屋に関わる騒動と、去年の賢者の石に関する死喰い人の侵入事件を比較し、考え、知る必要があると感じました。過去に学ばねば、今の脅威に対処することはできません」

 

 堂々と、真正面から、獅子寮の女生徒は悪霊教師へ向かって言い放つ。

 

 貴方の言葉は嫌いだが、しかし正しい部分もある。だから私は、それを実践してみせると。

 

 

 「よろしい。素晴らしい心がけですハーマイオニー・グレンジャー。グリフィンドールに20点を、そして、今より予定していた講義を全中止。貴方達にはこれより、創始者たちの言葉を伝えましょう」

 

 応じる悪霊の言葉も、普段とは面持ちが異なる。

 

 いつもの悪霊は、常に俯瞰した視点で歴史を眺めながら、人類の黒歴史を嘲笑う。

 

 それがノーグレイブ・ダッハウの基本構造であるのは間違いないが、しかし。

 

 

 「城に関わる創始者達の禁則事項を解除。生徒達から自発的に、授業において教師が答えるべきとの請願がなされました。秘密の部屋、必要の部屋、約束のカタコンベ、ゴドリックの泉へのアクセスを許可。生徒達への情報開陳を一部………承認。この時が来ました、貴方の役目に殉じましょう、ビンズ先生」

 

 彼女の質問があってからは、何か別の側面が出ているようにも思える。

 

 それを知る人物は非常に少ない。ダンブルドア校長ですらもほとんど把握しておらず、知っているのは一部のゴーストだけだろう。

 

 

 「本日の特別授業は、歴史の事象を正確に述べていくことになります。些か退屈な内容となるやもしれませんが、そこはご容赦を。元来、ゴーストの魔法史とはそういうもの。私の授業こそが異端異聞なのですから」

 

 まさに自分こそが、歴史に挟まった異形の歯車だと言わんばかりに。

 

 悪霊教師、ノーグレイブ・ダッハウは、生徒達が今まで見たこともない姿で講義を始める。

 

 人のような輪郭、いつものようにしっかりとは捉えられない黒い影。何人も重なっているようなブレ具合。

 

 だがそこに、古びた歯車が、時計の針が、チクタクチクタクと常に音を立てるようにしながら、まるで壊れた蓄音機のように、歴史の事象を告げる。

 

 

 

 「始まりは四人。全ては四つより始まりますが、当然、それ以前という形がある。西ローマ帝国が崩壊して以来数百年、魔法族はこの地に散在しながらそれぞれにやってきたアングル人、ザクソン人たちへの対処に追われることとなりました」

 

 マグルの歴史に曰く、アングロサクソン七王国の時代。

 

 ハーマイオニーのようなマグル生まれならば、プライマリースクールで習ったであろう、イングランド以前の古い歴史。

 

 

 「細かい歴史経緯については本題から外れるので省略しますが、ここで絶対に抑えておかねばならない点があります。すなわち、当時の魔法族にとって“敵”とはアングル人やザクソン人を指し、“味方”とはケルト人や残留のローマ人を指しました。敵味方の指標は、魔法の有無ではなかったのです」

 

 地中海を“我らが海”となし、人口6000万人を超える大帝国であったローマにとって、辺境の属州ブリタニアや、その奥のカレドニア、ヒルベニアに住まうケルト人も、ピクト人も、そして魔法族も大差はない。

 

 数百年以上もの長い時間を、彼らローマ人はこの属州ブリタニアに住んでおり、それぞれの傾向や固有の土地事情についても聞き知っている。互いに尊重し合う箇所や、触れては行けない部分を弁えながら、共存することは出来ていた。

 

 忘れるなかれ、魔法族とは元来、異種族と共存することに長けた者達なのだ。

 

 

 「しかし、圧倒的多数を有するマグルの側で大規模な民族移動が発生すれば、その変化からは無縁ではいられません。フン族という蛮族の移動、圧迫されるゲルマン民族、崩壊していくローマのリメス。そして、ドミノ倒し現象は最後に最果ての西の島にまで達する。すなわちこの島、ブリテンへ」

 

 ケルト人とローマ人、魔法族が三者三様に互いの領分を守りながら共存していた平和の島へ、鉄と暴力を纏ったゲルマン人がやってくる。

 

 初期の頃はただの略奪者であった彼らも、クローヴィスというフランク王国を率いた男がカトリックに改修した頃からは、“異教徒を改宗させ土地を神のものに”という意味のわからない正義を唱え始めた。

 

 古代帝国の時代が終わり、ゲルマン人の暴力と、カトリックの教会組織と、異教の教えが斑に混在する黄昏の中世が始まる。

 

 そうした時に割りを食うのは、いつの世も“人口と暴力”に劣る少数民族である。ケルト人や魔法族もまた、その例外ではあり得なかった。

 

 

 「豊かなマーシアの平原、海に面したコーンウォールの地などはゲルマン人に奪われ、“我々”はウェールズの谷間に移り住みました。土地は貧しく、山は険しく、生きるには苦労の多い場所ではありましたが、幸いにも我らには魔法があった」

 

 点在しながら隠れ住むならば、魔法族の得意とするところ。

 

 仲間であるケルト人と協力し、時に避難所を提供し、時に鉄の剣を鍛えながら。“共存のできない恐るべきマグル達”から距離を取っての生活が始まった。

 

 

 「マグルの中でも、バルバロイとは特に恐るべき種族です。彼らには戦争や略奪を止めるという発想がない。アングロサクソンが作り上げた七つの王国は休むことなく戦い続け、覇者(ブレドワルダ)は我なりと血みどろの戦争を続けました。それも、350年近い長きに渡って」

 

 それがマグルというもの。鉄の剣を持ち、永遠に殺し合いを続ける種族。

 

 ウェールズの山谷に隠れ住み、異種族とも共存を続ける魔法族からすれば、なぜその道を選ぶのかは理解できない。

 

 当然、彼らとて、時にいがみ合うこともあれば、戦いになることもある。

 

 しかし、何百年も終わることなく、敵を皆殺しにするまで戦いを止めない精神性というのは、一体何処から来るものなのか。

 

 

 「永遠に思えた殺し合いも、ついに終わりを迎える時が来ました。統一王の名はオファ。彼はマーシアの王であり、全アングル人の王(Rex Anglorum)を名乗った最初の男です。同時に、ウェールズとの境界に“オファの防塁”と呼ばれる長大な土塁を築き、我らとの間に明確な境界線を引きました」

 

 ここより先は、異民族、魔法族の領域。ここより内は、王が統べる我らアングル人の領土なり。

 

 盗っ人猛々しいと言えばそれまでであり、元々アングル人の土地であるはずがないのだが、しかし、境界線の妥協案としては悪くない。

 

 彼らマグルは貧しい山岳地帯などに興味がなく、魔法族やその仲間のケルト人とて、マグルと戦ってまで豊かな平野に戻ろうとは思わない。

 

 400年近い時の流れは、故郷を別の地に移すには十分すぎるほどの時間だった。

 

 

 「しかし、西暦802年にオファが死ねば、また覇権争いを始めるのがマグルというもの。次に台頭したのはウェセックス王国のエグバートという男。彼はブレトワルダとなりブリテン島の諸王の王として君臨しました。この君臨の時期は短く、830年にはマーシア王国は再び独立してしまいますが、南西地方に拡大したウェセックス王国の領土は侵食される事はありませんでした」

 

 安定は長く続かない。いくら境界線が引かれようとも、その内側で圧倒的多数であるマグルが戦争を続ける限り、余波は必ずウェールズの地へも届く。

 

 それに、マーシアの平原に未だに隠れ潜む魔法族とていないわけではない。マグルが一つにならない以上、安定した共存など望むべくもなかった。

 

 

 「そこに破局が突然訪れます。835年にデーン人のヴァイキングの攻撃を受け、マーシアは壊滅。多くのアングル人が奴隷として連れ去られましたが、その中には魔法族の娘や子もありました。今に伝わるふくろう便、子供達の居場所を探り当てるあの賢い生き物は、ヴァイキングに攫われた家族を探し出すために編み出されたと伝わります」

 

 力で土地を奪う者は、さらなる力によって全てを失う。

 

 かつて暴力でマーシアの平原を征服し、ケルト人や魔法族を荒れ地へ追い出したアングル人やザクソン人は、今度はより屈強で獰猛なヴァイキング、デーン人の手によって、同じ末路をたどり始めた。

 

 ああ、何という無常であろうか。

 

 

 「865年、再びデーン人が来襲し、デーン人はノーサンブリア、イースト・アングリアを征服します。871年には南のウェセックス王国も侵略にさらされるようになり、度重なる戦線で兵馬を失ったアルフレッド王はデーン人に対し金銭をもって撤退させるようになります。これが、デーンゲルドの始まりです」

 

 遥か東の中華帝国においても、北方の遊牧民たる匈奴に対して同様の政策を取っていた。

 

 強大な皇帝が統一している時代ならば、万里の長城を敷いて守りを固め、兵を突出させて逆に蛮族に攻撃をしかけることもあったが、七つのもの王国に分裂しているアングロサクソンの国々では望むべくもない。

 

 それぞれの民族が自主と独立性を保ったまま、蛮族に各個撃破されるか。一つの国に滅ぼされ、隷従させられながらも唯一人の皇帝を仰ぐべきか。

 

 そうしたバランスは、米ソ冷戦時代においても変わらない。台頭する超大国を前に合従するユーゴスラビア連邦やヨーロッパ共同体も、脅威が薄まればまた分裂解体してしまう。

 

 マグルの歴史においても答えがないまま、永遠の堂々巡りを繰り返している命題である。

 

 

 「こうまで混沌が極まれば、敵の敵は味方という理屈も成り立ちます。その紆余曲折や感情論による対立は凄まじいものがあったでしょうが、魔法族の中にも、敵であるマグルと手を結んででも、より恐ろしいヴァイキングを倒すべきという者達が現れました」

 

 それは、ブリテンの歴史においては初めての出来事。

 

 魔法族と非魔法族が協力し、襲い来る蛮族に立ち向かった、古の戦い。

 

 

 「連合軍はサンドゥーンの戦いでデーン人の粉砕に成功。この勝利により878年にウェドモーアの和議が締結され、デーン人はイースト・アングリア、ウェセックスからデーンロウへ最終的に撤退しました」

 

 今まで防戦一方であったが、結束すればヴァイキングにも勝てる。

 

 一つの勝利は、更なる結束の呼び水となる。その時期に、アルフレッド大王という偉大な君主がマグル側にいたことも、幸運ではあったろう。

 

 

 「アルフレッド王は司法組織にも改革を加え、大学と教育機関の復興を手助けしました。イングランド中またはヨーロッパの各地から学者を自らの宮廷に召還し、彼らにラテン語の書物を古英語に翻訳させた。この時代に大陸に残った魔法族や学者らは、やがてボーバトン魔法アカデミーを作ることになります」

 

 西暦800年からの西欧はカール大帝による復興期、カロリング・ルネサンスとも呼ばれる。

 

 大帝の統べる新たに築かれたローマ帝国に点在した魔法族らは、幸運だったとも言えるだろう。

 

 

 「アングロサクソン年代記の執筆は集団作業で行われ、王自らその指揮を執った。このような文化作業の結果、ウェセックス王国の政治的な優位性が上昇し、この時代の西サクソン方言が古英語の標準語となり、その後のアングロサクソン社会の標準となりました。この時にブリテン島へ招集された学者集団の名を、レイブンクローといいます」

 

 四つの寮のうち、叡智の塔のみは合言葉による防衛システムはない。

 

 なぜならそれは、偉大なマグル王が招集した頭脳集団であったから。外敵の侵入を前提とはしていない。

 

 

 「同時期、マーシアの平原の地で常にレジスタンス活動を続け、ヴァイキングからは湿原の魔物、野伏、沼地の蛇と恐れられた者達は、抵抗勢力(スリザリン)と呼ばれました。それは辺境のみならず都市部にもおり、ロンディニウムのスリザリンとして名を馳せるは、鉄のブラックと杖のオリバンダー」

 

 マグルを倒すためには、鉄もまた必要とブラックスミス(鍛冶師)の技を取り入れたブラック家。

 

 紀元前362年の古きより存在し、アングル人が来ようが、デーン人が来ようが、頑なに杖づくりをやめることなきオリバンダー家。

 

 平時ならば偏屈な頑固者でしかない者らだが、混沌の戦乱期にはこれほど頼りになる者らもない。

 

 

 「山高きウェールズの地より飛来し、ゴブリンの鍛えた銀の剣を持ち、天馬に乗って戦う勇ましき荒野の獅子達。その集団の名をグリフィンドール。魔法族でありながら、直接的に剣を取って戦うことを選んだ勇敢なる戦士たち」

 

 ヨーロッパライオンは、マグル達の見世物のために狩り尽くされ絶滅した生き物。

 

 ならばこそ、彼らは荒野の獅子を名乗る。傲慢不遜なマグルめが、獅子はまだここにいる、絶滅などはしておらぬぞと。

 

 

 「そして、戦乱から発生した多くの難民、まつろわぬ民が集まり、一つの拠り所を求めて後に修道院と呼ばれることになる建物や、地下墓地へと避難した。一つの方向性を持つのではなく、来るもの拒まず共存して生きること、仲間を守ることを第一に掲げた者達。彼らの集団としての名をハッフルパフ」

 

 文字が浮かび上がり、それぞれが形どられていく。

 

 荒野から来たグリフィンドール、彼らが重んじるは、勇気、気力、騎士道的精神、度胸、大胆さである。

 

 谷間から来たハッフルパフ、その精神に求められるは、献身、勤勉、忍耐、優しさ、寛容、苦労を恐れぬこと。

 

 谷川から来たレイブンクロー、賢者たることを誇るならば、知性、機知、知恵、創造力、独創性は欠かせない。

 

 湿原から来たスリザリン、力を求めし彼らが欲するは、臨機の才、狡猾、野心、自己防衛、そして何よりも同胞愛。

 

 

 「戦士の一団、グリフィンドールを示す色は真紅と金、寮を代表するは獅子。野伏のレジスタンス、スリザリンを示す色は銀と緑、寮を代表するは蛇。学者の一団、レイブンクローを示す色は青とブロンズ、寮を代表するは古代ローマの紋章でもあった鷲。亡命者たちの共同体、ハッフルパフを示す色は黄色と黒、寮を代表するは穴熊。黄色は麦を、黒は大地を表します」

 

 グリフィンドールは戦士の寮、勇猛果敢な騎士道なり。ウェールズの荒野よりやってくるは猛る獅子、掲げし色は真紅と金。

 

 スリザリンは野伏の砦、俊敏狡猾な抵抗者。マーシアの湿原を渡すことなく敵を滅ぼす沼地の蛇、掲げし色は緑と銀。

 

 レイブンクローは知識の塔、賢明なる頭脳集団。大陸に残されし古代の知をブリテンにもたらす叡智の鷲、掲げし色は青とブロンズ。

 

 ハッフルパフは避難の隠れ家、温厚柔和な亡命者たち。仲間を守るに最も長けた力強き穴熊、掲げし色は黄と黒。

 

 

 「これこそは始まりの四つ。マグルの偉大な王のもと、四つは初めて結束し、偉業をついに成し遂げます。886年のロンドン奪回戦。テムズ川防衛線の要であり、要塞橋で有名な都市。魔法族にとってもヴァイキングを防ぐために最重要の拠点であったことから、ロンドンの地下に最初の“集会場”が作られました。戦乱と歴史の中で何度も移転を繰り返すものの、この場所こそは、イングランド魔法省の始まりの地である」

 

 だからこそ、絶対に魔法省はロンドンにある。

 

 原初の勝利を、絶対に忘れないために。

 

 

 「そこからの100年は、デーンローの境界線を奪い奪われのヴァイキングとの戦いの日々でした。しかし、マグルの王家はやがれ衰え、王国は崩壊。中心を失った魔法族達は、今度は自分達だけの力で、新たに四つを束ねる象徴を創り上げる必要がありました。それをなしたは四人の偉人、英雄と覇者、賢者と聖女。ゴドリックとサラザール、ロウェナとヘルガ」

 

 誰もが認めた、彼こそはグリフィンドール。最も恐るべしマグルと戦い、その首を挙げし最強の英雄なりと。

 

 誰もが畏れた、彼こそはスリザリン。割拠志向の強い純血のレジスタンスをまとめ上げ、威圧を持って束ねる覇者なりと。

 

 誰もが敬った、彼女こそはレイブンクロー。知識を求める頭脳集団の中にあってなお、並ぶものなき賢者であると。

 

 誰もが愛した、彼女こそはハッフルパフ。魔法族もマグルも、巨人や小人であってすら、誰をも愛する聖女であると。

 

 

 

 「偉大なるその御名を讃えよ、グリフィンドールの英雄を、スリザリンの覇者を、レイブンクローの賢者を、ハッフルパフの聖女を。彼らは探し求め、ついに辿り着いた。避難の砦にして反撃の拠点、古き知恵の隠し場所であり新たな開拓地、そして、魔法の城ホグワーツは始まった」

 

 グリフィンドールが拠点とするは高い見張り塔の砦。

 

 スリザリンの者達は湖の下の地下洞窟に居を構え。

 

 レイブンクローの賢者たちは叡智の塔を築き上げ。

 

 ハッフルパフの亡命者たちは安全を第一として地下室に住居を掘る。

 

 全く趣の異なる建物が混在し、唯一人の指導者を有することもなく、種族も主張も違う者達が混在しながら、なおも結束して一つの城を創り上げる。

 

 およそ不可能と思われた大事業を、共存共栄を掲げる彼らは成し遂げた。

 

 

 「ホグワーツ創建、これに勝る歴史的偉業が、イングランドの魔法史にありえましょうか。ウィゼンガモットも魔法省も、闇祓い局もアズカバンも、小鬼達のグリンゴッツ銀行でさえも、ホグワーツなくしてはありえない。ここより、全ては始まったのです」

 

 勇猛果敢なグリフィンドール、温厚柔和なハッフルパフ、賢明公正レイブンクロー、俊敏狡猾スリザリン。

 

 四つの寮はそうして始まり、偉大なる創始者達の名も、永遠に刻まれた。

 

 

 「彼らの名は、家を表すものではありません。ローマの頃より、家の上の集団を指す概念として“一門”というものがありました。個人名、一門名、家名という順番で綴られるのが通例であり、例を幾つか挙げればこうなります」

 

 ガイウス・ユリウス・カエサル     ユリウス一門、カエサル家のガイウス

 プブリウス・コルネリウス・スキピオ  コルネリウス一門、スキピオ家のプブリウス

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルト  エルメロイ一門、アーチボルト家のケイネス

 

 

 「東洋のマホウトコロにおいても似た事例は見られます。そして、一門の直系のみは家名がなく、そのまま一門名を名乗ることがあるのも共通項です。源の一門、徳川家の家康。平の一門、織田家の信長などに対し、直系の者らは源頼朝、平清盛、藤原道長となります」

 

 一門と家の違いはどこにあるか。

 

 歴史的に見るならば“氏族”と呼ばれる原初の集団が一門を構成し、その中で家族単位となるのが家である。

 

 

 「そうした意味では、純血名家の多くはスリザリン一門です。ブラック家やオリバンダー家などはまさにわかり易い例ですが、ホグワーツが学び舎となり、組み分け帽子が出来た以後においては、同じ家でも兄妹が別々の寮に分けられることも日常茶飯事となったので、昔の概念と言えばそれまでです」

 

 ホグワーツ以前のイギリス魔法族は、それぞれの集団ごとの統一性が極めて高い社会だった。

 

 更にその前のローマ時代の古代ならばそのような自衛機構は必要なかったが、アングロサクソン七王国の長い戦乱の日々を生き抜くために、彼らはそれぞれに団結し、生き方を模索する必要があった。

 

 そして、それほどまでに生き方を異にした集団が、一つに団結できたということは、歴史の奇跡と言ってよいだろう。

 

 いくら魔法族が共存、融和に長ける種族とはいえ、舵取りを間違えばヴァイキングに滅ぼされ、子や孫が奴隷として連れ去られる暗黒の日々の中で、他人を信じるというのは容易なことではない。

 

 

 「そして、これだけは断言できます。たかがヴォルデモート如き卑賤の輩を恐れ、家に閉じこもり分裂するようではホグワーツの子を名乗る資格なし。資格なき者らは城より追放され、結束がなくなりしその時に、ホグワーツもまた幻想の彼方へと消え去るでしょう」

 

 魔女の家は怖いもの。魔法の城は恐ろしい。

 

 でなくば、悪霊の棲家になどなるはずがない。人食いの魔法生物も、処刑器具の怨念であろうと、取り込んで力に変える凄まじさが、この城にはあるのだ。

 

 

 「始まりの問いに対する答えがこれです。秘密の部屋とは、創始者が一人、スリザリンの覇者サラザールの遺せし魔法の城の最終防衛機構にして、資格なき者を選別する攻撃手段。死者の罪を暴き断罪する死後裁判に擬えた組分け儀式の原型でもある。少なくとも創始者の時代においては、サラザールがスリザリンの選別を行っていたのです」

 

 己の寮に属するべき者達の選別を行わなかったのは、ハッフルパフの聖女のみ。そこにはやはり、亡命者たちの一団を率いるところから始まったというルーツも大きく関わるだろう。

 

 特にグリフィンドールなどは戦士の一団なのだから選別があって当然だ。弱い者を戦場へ連れて行っても足手まといになるだけだ。そして、血族単位のレジスタンスであるスリザリンが純血を、頭脳集団であるレイブンクローが知性を基準とするのも当然の帰結だ。

 

 学ぶものをば選ぼうぞ。祖先が純血ならばよし

 学ぶものをば選ぼうぞ。知性に勝るものはなし

 学ぶものをば選ぼうぞ。勇気によって名を残す

 学ぶものをば選ぶまい。すべてのものを隔てなく

 

 集団としての出自がそれぞれに異なるからこそ、血族のみならず集団そのものの方向性も大きく意味を持ってくる。団結しなければ生きられない時代なのだから、近代以降の急造の発明品に過ぎない“人権”やら“個人の自由”などで、彼らの在り方を否定するのは歴史を知らぬ愚者だけだ。

 

 

 「更に付け加えるならば、全ての魔法族が彼らのように勇敢だったわけではなく、高潔だったはずもなし。特に、臆病者の中には自分の娘すらヴァイキングに差し出して命乞いをする輩、さらには金貨欲しさに仲間を売るような卑劣漢もいた。これらを指して、この時代ではスクイブ(裏切り者)と呼びました。現在使われている言葉とは大分意味が違います」

 

 裏切り者のスクイブ、魔法族の恥晒し、マグルの富の毒に目が眩んだ者。

 

 こうした者らの処刑は、サラザール・スリザリンの領分。ならばこそ、恐るべき湿原の覇者はスクイブを絶対に許さない。

 

 その名の意味は、魔法を使えない者などでは断じてない。何せこの時代、敵味方を分けるのは魔法の有無ではなかったのだから。

 

 ウェールズの地に住むケルト人は、今も昔も魔法族の友である。だからこそ、ゴドリックの谷では今もマグルと魔法族が“昔のままに”共存している。

 

 遥か東の島国においても、アイヌと呼ばれる先住民と魔法族が逃れ、“昔のままに”共存する地があるという。冷戦の狭間でいずれの国に属するとも言えない境界線の北方の地に隠れ住みながら。

 

 互いの領分を侵すことなく、尊重し合いながら、棲み分けながら。

 

 

 「そして、侵略者達の中でも特に獰猛なデーン人は、生け捕りにした弱い奴隷達の血が自分達に混ざることを嫌いました。彼らは魔法族を“穢れた血”と呼び、怪しげな呪いを使う者、穢れた魔女、あるいは“人間のなりそこない”と徹底的に嫌ったものです。まあ、美観とする在り方が正反対でしたから、排他の種族らしいといえば実にらしい」

 

 ヴァイキングが誇るは、肉体的屈強さ、勝利、皆殺し、捕虜を奴隷として売ること。命の価値は戦争にあり、殺すことこそ誉れ。

 

 魔法族の誇りは、知識の深さ、共存、融和、金や銀に拘らぬこと。命の価値は平和な遊びにあり、楽しむことこそ人生の華。

 

 多くのマグルは、その両方の美観を持っており、時々によって移ろうもの。それは混血の魔法族とて変わるまい。

 

 だが、それぞれの純血種は相容れぬ。特に片方は根絶と皆殺しを旨とする以上、他種と共存する土壌がない。唯一出来て、片方が主人で片方が奴隷の在り方だ。

 

 

 「ただし、歴史の示す皮肉な事象ではありますが、最もマグルに近くあり、隠れ潜みながら戦い続けたスリザリン達こそが、マグルに対抗するために同じ毒を孕み、“マグル的”になっていかざるを得なかった。そうした意味では、最も貴族的な純血主義を嫌ったのは、創始者サラザール・スリザリンなのです」

 

 時代が変われば、言葉の意味も変わる。スクイブも、穢れた血も。

 

 その変化は当然ものであるが、歴史が正しく継承されなければ、人は何度でも道を過つ。

 

 そうして同じところを巡りながら、答えの出ない問いを繰り返し続けるのが、サピエンスの歴史というもの。

 

 

 「そろそろ時間が近づいてきましたね、ひとまずはここまでといたしましょう。しばらく間が開くでしょうが、許されざる呪文の起源と創始者達が様々な魔法をどのように編み出し、使い、継承していったかについてもいずれ語るとしましょう。本日のレポート課題は、一つだけでよい」

 

 

 

課題

 今のホグワーツを生きる子らとして、創始者へ捧ぐ言葉を述べよ。

 偽りの修飾は不要、諂いも不要、ただ、己の本心を記すべし。

 

 

 

 きっとそれは、これまでの悪霊の教師のどの課題よりも、難しい。

 

 人という種族の欠点を、失敗を嘲笑い続けてきた悪霊の魔法史では、一度もありえなかった課題。

 

 偉業を為した創始者たちへ、何を述べ、何を捧ぐ。己の虚心を隠すことなく。

 

 

 「良き歴史に倣いなさい、子供達よ。この世は穢れて嘘に塗れた苦界のような有様ですが、そこに残すべき輝きは必ずある。おっと、私の言葉ではありませんよ。今日の特別講義においては、ノーグレイブ・ダッハウは何一つ語ってはおりませんので」

 

 一人の生徒の言葉をきっかけに始まった、不思議な授業が終わりを告げる。

 

 受けた生徒達は何を思うだろうか、何を受け取っただろうか。

 

 時計塔は、黙して語らない。

 

 ホグワーツ創建の昔話に、ただの一度も登場することはないまま。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「秘密の部屋について、生徒達に開陳したのですね、ダッハウ」

 

 「はい、必要事項が満たされましたので。しかし珍しいですねヘレナ様、貴女から私に語りかけてくるとは」 

 

 そんな授業があった冬の日の深夜。

 

 ホグワーツの中心部にある古い時計塔の傍に、半透明のゴーストの影が二つ。

 

 1000年という、人間ならば気の遠くなるような時間を魔法の城と共に過ごしてきた、最古の幽霊。

 

 創始者が一人、ロウェナ・レイブンクローの娘にして、初代校長の残滓、ヘレナ・レイブンクロー。

 

 

 「必要事項、ですのね。魔法史のビンズ先生から貴方へと渡されたものをわたくしは知りませんが」

 

 「それでも、察するところはありましょう。何よりも私を教師にとおっしゃったのは貴女でした、灰色のレディ。50年前に、マートル・ウォーレン嬢が部屋への生贄に捧げられたその時に」

 

 かつて、一人のマグル生まれの生徒が、秘密の部屋の怪物によって殺された。

 

 そこには複雑な経緯や古い魔法契約が絡み合っているが、マグルの両親からすれば理不尽に娘を殺されただけの悲劇だ。

 

 そして、秘密の部屋が開かれたならば、それを感知する者達がいる。出来る者達は限られようが、少なくとも先代の裏側の管理人であったヘレナ・レイブンクローと、時計塔の悪霊であるノーグレイブ・ダッハウが知らないということはありえない。

 

 

 「此度の騒動、如何なる終息を見るかはまだ分かりません。時計塔は黙して観測を続けるのみです。ヘルガ様も、お母上のロウェナ様も、“お前は関わるな”と時計塔を封印なさった。偉大なる先人達に倣うことは悪いことではありません」

 

 「……ねえ、ダッハウ。貴方から見て、母はどのような人物でしたか?」

 

 「博覧強記にして頭脳明晰、残念ながら容姿端麗とはいい難い部分が多く、生活能力やコミュニケーション能力については壊滅的。ヘルガ様がいらっしゃらなければ確実にマートルさんを上回る根暗ボッチとして生涯を終えたことは疑いなく、率直に言わせていただくならば、よく結婚できたなと」

 

 「……失念してました、貴方はそういう者でした」

 

 悪霊は人の心情を慮ることなどない。例え創始者が相手であろうと、初代校長が相手であろうと。

 

 敬意は払う。礼儀も尽くそう。しかし、事実と異なることを告げたりはしない。

 

 

 「そんな些細な欠点など微塵も問題にならぬほど、偉大なる発明者であり、技術者であり、ホグワーツの往くべき道を指し示す賢人であられました。マグルも魔法族も問わず、ヒトの歴史に共通することですが、偉人に“凡庸な人格者”であることを求める必要はございません。特に為政者への評価は、何を決断し、何を成し遂げたかによって決まります」

 

 同時代に生きた人間にとっては、些細な言動やコミュニケーションも大事かも知れないが。後世の歴史家からすれば知ったことではない。

 

 歴史書に偉業として記載されるは、彼らの生きた道筋であり、共同体にもたらした功績だ。

 

 

 「ロウェナ様の生きた成果を歴史に求めるならば、後継者であり初代校長である貴女が答えでありましょう、ヘレナ・レイブンクロー様。貴女は迷い、時に逃げてしまうことがありながらも、男爵様の支えを受けてホグワーツへ舞い戻り、母の跡を継ぎ校長となった。学び舎としてのホグワーツの基礎を定める偉業を成したのは紛れもなく貴女なのですから」

 

 「ですが、私は一度は母の髪飾りを盗んで逐電した身……こうして、裏側の管理人として残っているのもその後悔から。そんな私が、偉業などと言われる資格など」

 

 「いいえ、間違いなく偉業でありましょう。少なくとも、重責から逃げた末にアルバニアの森で痴情の縺れから惨めに心中した女性に比べれば」

 

 時計塔は知る、人の黒歴史を。

 

 偉人に娘に全くふさわしくなく、あまりにもありきたりな理由で逃げ、悪霊曰く“ありふれていてつまらない理由”で死んだ者達の後悔の記録を。

 

 

 「……それは、母とヘルガ様が断片的に語ってくださいました、“クロノ・エンド”の?」

 

 「今のホグワーツは、創始者達の理念を忘れずに継承している良き魔法の城であると、時計は観測しております。ええ、同じ時期のこの城は、疑心暗鬼と差別と中傷に満ちた、実に人間らしい毒に染まりきった腐敗の温床でありました。故にこうして、“私”を生んでしまう」

 

 彼らは失敗し、進む方向を間違えた。先の見えぬまま碌でも無い道に迷い込み、そして、ノーグレイブ・ダッハウが生まれた。

 

 彼がこうしてここにいることこそが、差別と迫害の歴史の答え。愚かな人類史の末路の記念碑。

 

 

 「しかし、まだ部屋は開かれておりません。時計の針は確実に違った道筋を刻んでおり、同じ結末に辿り着くとは限らない。去年もそうでしたし、魔法戦争の頃も、あらゆることが未来なき絶望の歴史とは違っています」

 

 「希望は、あると。クロノ・エンドは避けられますか?」

 

 「マートルさんが亡くなられるのを見届けたのは私です。その時に、私が貴女へ語った言葉を覚えておりますか?」

 

 「ええ、忘れるはずがありません。“今の寮をみれば、ロウェナ様が何とおっしゃるか。だから、私が来るまで、貴女は灰色だったのでしょう、レディ”と」

 

 少なくとも、50年前まではそうだった。

 

 時代の変化、マグル生まれの流入、純血主義との相克。巨大なうねりに魔法の城は適応できず、じわじわと腐敗と空洞化が進んでいた。

 

 それでも、何もかもが破滅的であったわけではない。特に、あの小さな亡霊少女、幸福の妖精が舞い降りてからは。

 

 

 「ですが、今のレイブンクローは違います。ルーナ・ラブグッドという少女はあれほどの異質性を持ちながら、孤立もしておらず迫害もされていない。最初は“少しズレている”彼女を仲間外れにしかけた新入生の少女らも、失敗に学び今は彼女を仲間と認めている。幽霊を見る目に長じたマグル生まれの少女、マートル・ウォーレンとは違って」

 

 生前のマートル・ウォーレンにとって、話しかける相手は“灰色のレディ”くらいであった。

 

 しかし、ルーナ・ラブグッドは違う。同じ寮に知り合いがおり、会話をすることがあり、グリフィンドールのジニー・ウィーズリーとも、スリザリンのデルフィーニ・スナイドとも、のんべんだらりと会話を楽しんでいる。

 

 

 「そうね、あの子は、あの時のマートルとは違うわ」

 

 「ならば未来も変わりましょう。予測において直近の足元事績は重みが多いもの。重回帰であろうが深層学習であろうが、この50年間の観測結果を解析して、数年後にホグワーツの各寮が惨めに分裂して自滅すると予測することはありません」

 

 時計塔は歴史を語る。時計塔は予測を語らず。

 

 ただ静かに、何もすることはないまま、時を待つ。

 

 

 「後は、サラザール様のおっしゃる通りに。彼もまた創始者の一人なれば、我らゴーストは従うだけです」

 

 「ええ、彼の理念もまた、良き形で叶ってくれればよいのですが」

 

 

 秘密の部屋は、サラザール・スリザリンの遺せしもの。レイブンクローの管轄ではない。必要の部屋は、必要とされた時にのみ顕れる。

 

 例え創始者の娘であろうと、今は城に残るゴーストの一人。創始者の掟には逆らえない。

 

 彼らに出来ることは、魔法の城に生きる者達の決断と行動を、見守ることだけ。

 

 

 その答えの出る日は、きっと近い。

 

 

 

 

*----------*

 

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『おかしい、なぜだ、城の連中はどうしていつもどおりなんだ』

 

『スリザリンの継承者が現れたというのに、動じてすらいないなんて』

 

『まさか、ありえない。闇の帝王の存在が無視されるだと?』

 

『いてもいなくても、変わらない存在だとでも言うのか?』

 

『認めない、そんなことは断じて認めてなるものか』

 

『闇祓い共の動向は気になるが、このままじっとしていても始まらない』

 

『こちらも動くべきだ。闇の帝王の恐ろしさを、愚劣な者共に思い知らせねば』

 

『そうだとも、まずはあの、頭のおかしな娘から――』

 

 



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7話 ポリジュース・ダンスパーティー

前回は真面目ぎみだったので、今回はギャグ多めです。
聖夜の愛の告白が阿鼻叫喚となること請け合い。


 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【ポリジュース薬】

 

 ポリジュース薬は、強力な魔法薬の一つだ。

 かなり昔の時代から存在する薬であり、変身薬としてこれを超えるものは未だ出ていない。

 

 材料がなかなか稀少であり、煎じるのも難しく、効果時間も一時間とさほど長くない。

 マグルの好む費用対効果という意味では、全く割に合わないものと言える。

 

 しかし、“別人になりたい”という根源的な人の願望を満たしてくれる。

 

 誰もが、一度は思うだろう。羨ましい誰か、輝いている誰か、憧れの誰かになりたいと。

 マグルに伝わるお伽噺、灰かぶり姫がそうであるように、限られているからこそ夢なのだ。

 夢の時間が過ぎ去れば、魔法は解ける。そしてそれは、絶対的な安心である。

 

 一つ、考えてみて欲しい。

 仮に、ポリジュース薬よりもよほど持続時間が長く、数日、数週間、数ヶ月の間変身し続けられる薬があったとして。

 誰かに成り続けた自分は、果たして以前の自分と同じと言えるのか。

 

 そもそも、記憶はどうなる? 

 逆転時計が誤魔化しの忘却時計でもあるように。1時間ならばそれは誤魔化しの範疇だ。

 しかし、完全に他人に化けるという薬は、相手の頭脳や記憶すらも模写してしまうリスクを孕みはしないか。

 

 1時間という瞬きのような刹那。必ず元に戻るからこそ、それは楔となって心の安定をもたらす。元の自分を、本来の自分を忘れずにいられる。

 ポリジュース薬が今に至るまで完成度の高い薬として在り続けるのは、必ず戻れる薬だからだ。

 副作用にしてもせいぜいが、誤って人ではなく動物の毛などを入れてしまった時くらい。

 

 『だからこれは、一時の夢を叶えるための薬なのだ』

 『より長くを、より強力な効果を求めるマグルの科学とは相容れない』

 『魔法族の子らよ、遊び心を忘れるなかれ』

 『悪戯の度を超えた悪用をすれば、必ず返し風があるだろう』

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「ブラック! 貴様は仮にも城の防衛を任せられた闇祓いであろうが、なにを生徒と一緒によからぬことを企んでいる」

 

 「む、出たな鉄面皮教師。こっちは守るだけじゃなくて秘密の部屋を見つけ出すって大事な任務があるんだよ。地下に籠もって魔法薬煎じてるだけの何処かの誰かさんとは違ってな。というか、またジニーに罰則課しやがったな!」

 

 「一年生のあの娘だけではない! 双子の兄達も同罪だ!」

 

 「だとしても喧嘩両成敗が筋だろうが! ドラコとデルフィーニはお咎め無しで、ジニーと双子だけ罰則ってのはどういう了見だ! 先に因縁つけたのはあっちだろうが!」

 

 「最初の段階で済んでいれば、そもそも罰則など課さん! 一年生の女子同士の軽い口論に過ぎなかったものを、獅子寮のお調子者らが絡んだ結果あそこまで被害が拡大したのだろうが!」

 

 「おっと間違えるなよ根暗。ルーナは獅子寮じゃない、鷲寮だ!」

 

 「なお悪いわ!」

 

 いよいよクリスマスも目前に迫ったホグワーツ。

 

  魔法警察のジェームズ・ポッターと、闇祓いのシリウス・ブラックが音頭を取って、秘密の部屋探索チームは既に結成され、四寮から志願者が集まりホグワーツのあちこちを探し回っている。

 

 六年生のパーシー・ウィーズリー、四年生の双子にリー・ジョーダン、セドリック・ディゴリー。他にも上級生は多数。(当然だがオリバー・ウッドは参加していない。彼は人生のすべてをクィディッチに捧げた男だ)

 

 二年生からはハリー、ロン、ハーマイオニー、ネビルらの獅子寮組に加え、穴熊寮のスーザン、鷲寮のパドマ、蛇寮ドラコなどなど。

 

 そして一年生からも、ジニー・ウィーズリー、ルーナ・ラブグッド、デルフィーニ・スナイドらが参加している。 

 

 こうも個性豊かな生徒達が集まっていれば、ちょっとした諍いなどは簡単に起きる。特に双子のウィーズリーなどがいるのだから。

 

 パーシー、セドリック、ハーマイオニーといった“優等生組”がどれだけ調停に回ろうとも、肝心の大人達が一番の火種なのでこのざまである。

 

 

 「ああ、またやってるよ」

 

 「ハリー、大丈夫なの? 無言で懐の胃薬の小瓶に手を出すのはあまりにも見ていられないわ」

 

 「大丈夫、大丈夫だよハーマイオニー、僕はまだ大丈夫」

 

 城のあちこちで見られるこんな光景も、早速新たな風物詩となりつつあった。最初は大人の口論にビクビクしていた生徒達も、今では“ああまたか”とスルースキルをさっさと身に着けた。流石に悪霊教師の授業を日々受けているだけのことはある。

 

 何しろ、生徒達の諍いはあくまできっかけであり、後は勝手に大人達が過去の恥までほじくり返して罵り合いを続けるのだ。

 

 探索組に参加している生徒達は慣れたもので、言い合っている大人達は放っておいて、“忍びの地図簡易版”を元に秘密の部屋の探索へと出発していく。

 

 ちなみに、監督役同士の喧嘩ではこの組み合わせが最も多いが、まだまだ他にも組み合わせがある。

 

 ジェームズ・ポッター   VS  セブルス・スネイプ  (共通の妻がいないので日頃の憂さ晴らし)

 シリウス・ブラック    VS  レギュラス・ブラック (兄弟喧嘩)

 ニンファドーラ・トンクス VS  シグナス・ブラック  (生徒と恋バナしてる孫と、躾に厳格な祖父)

 ジェームズ、シリウス連合 VS  セブルス、リーマス同盟(バランスが悪いのでリーマスは渋々参加)

 

 

 うん、ほんとにこう、何しに来たんだコイツラは。OBがただ単に遊びに来ただけか。

 

 そして、これらの喧嘩騒動を聞く度に、ハリー・ポッター少年の胃の粘膜は徐々に薄くなっていくのであった。胃に穴が開く日も近そうだ、魔法ですぐに直されるだろうけど。

 

 

 「取り敢えず、僕らも行こうぜ。今日は確か天文台だったよな」

 

 「オッケーだよロン、精神安定薬の貯蔵はバッチリさ」

 

 「ねえハリー、間違いなく貴方は大丈夫じゃないわ。医務室で休んできたほうが絶対いいと思うの」

 

 ハリー・ポッター、現在12歳、ホグワーツに通う2年生、得意学科は魔法薬学。

 

 7歳の頃、初めて作った魔法薬は胃薬。(実用品、原因は主に母と下の妹)

 

 その後、抗うつ薬、精神安定薬をセブルス・スネイプより習い(心底同情されながら)、瞬く間に習得した。

 

 母が妹に教え込んだ“愛の妙薬”の解毒薬の調合については、齢12年にしてイギリス魔法界随一であると自負なんて間違ってもしたくないが、事実としてある。

 

 ポッター家長男は、とにかく苦労人である。色々と、苦労人である。

 

 例え何回やり直したとしても、ハリー・ポッターの人生に、穏やかな平和というものだけはどんな世界線でも無縁のものであるらしい。

 

 

 「もう我慢ならん! ここで引導を渡してくれる!」

 「そりゃこっちの台詞だ! 根暗野郎!」

 

 向こうも向こうでいよいよヒートアップ、武力行使に発展する寸前のカトリックとプロテスタントもかくやという様相だ。

 

 そこに――

 

 「おやおや」

 

 その声を聞いた瞬間、2人の男は相好を崩し、肩を叩き合いながら『先程までの冗談』を苦笑するような表情で語り合う。

 

 「なぁスネイプ懐かしいな。俺たちが学生の頃は今のような幼稚な口論をしたもんだ」

 

 「勿論覚えているとも。私もつい童心に返ってしまう心持ちだよ。色々とあったが、あの頃はまさに若い情熱を燃やした時代で、時折こうして振り返りたくなる」

 

 「ああ、ほんとにいい時代だったぜ、歴史を振り返るってないいことだ」

 

 「まさしくそうだ。過去の失敗に学んでこその人間だからな、教師として範を示さねば」

 

 「ふむ」

 

 悪霊は去っていった。

 

 それを見届けた2人の男も、無言で離れてそのまま別れた。とにかくアレから少しでも早く遠ざかりたいようである。

 

 

 「……」

 「……」

 「……」

 

 そして、その声を聞いた瞬間、反射神経の如き素早さでさっと変わった大人げない大人二人に、何とも言えない面持ちの子供達。

 

 あれを大人の対応と呼んでいいものか、染み付いた悪霊対策というべきなのか。

 

 「僕らも、大人になったらああなるのか?」

 「わかんない、どうなんだろう」

 「ダッハウ先生と戦い続けるってのは、ほんとに茨の道なのね」 

 

 対悪霊戦線を率いる三人は、未来の縮図の一端を垣間見た。

 

 自分もいずれ、ああして口論しては“ダッハウ”を聞いた瞬間にぱっと冷めて仲直りする日が来るのかと。

 

 

 

 「さあ、さっさと行きますわよウィーズリー。今日こそわたくしたちチームが秘密の部屋を見つけ出すのです!」

 

 「ほんっとに元気いっぱいね貴女。まだパーシーが来てないし、こっちは罰則でそれどころじゃないのだけど」

 

 「それは貴女の自業自得というものではなくて? 双子のお兄様たちの悪行を止めなかった貴女も同罪というスネイプ先生の判決は至極真っ当だと思いますわ」

 

 「大丈夫だよジニー、私も一緒に手伝ってあげるから。仲間は一蓮托生、イェーイだよ」

 

 「ありがとうルーナ、イェーイの意味は分からないけど嬉しいわ」

 

 二年生三人組の向こうでは、一年生の三人娘も仲良く話している。

 

 そのうち二人にとっては仲良しではないと言い張るだろうが、はたから見れば仲良しにしか見えはしない。

 

 

 「ちょっとルーナ、貴女が甘やかしては意味ないでしょう。ウィーズリーは厳しく締め付けるくらいでちょうどよいのです」

 

 「そんなこと言ったら駄目だよデルちゃん。メローピーさんだって言っていたでしょ、女の子は何時でもピッカピカって」

 

 「う…あの方の名前を持ち出すのはちょっとズルいですわよ」

 

 「貴女って、ほんとメローピーに弱いのね。純血主義ってそういうものなの?」

 

 「ゴーントの家を讃えるのは当然ですけど、それだけではありませんわ。あの方と話していると心がとっても落ち着いて、不安や嫌なことでイライラすることがなくなるのです。そう、それこそこうしてウィーズリーと話している時に感じるようなイライラが」

 

 「一言多いわよ。呼び方がプルウェットじゃなくなったのは進歩だと思うけど」 

 

 時に諍いなどもありつつも、こっちもこっちで仲良くやっているのは確からしい。

 

 初めは気苦労が絶えず、常にデルフィーニの様子を見ていたドラコ・マルフォイも、今では自分のチームの探索に専念できるくらいには。ちなみにメンバーはセドリック・ディゴリーとチョウ・チャンとの穴熊、鷲、蛇のシーカートリオである。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「実際のところ、ハロウィンの血文字事件からこのかた誰かが襲われたって話も聞かないし、この探索も効果がないわけじゃないんだよな」

 

 「そうね、不死鳥の騎士団の主力が揃ってるってだけでも、死喰い人に対する牽制にはなっているでしょうし」

 

 「流石にこれで無意味だったら、僕はホグワーツを退学するよ」

 

 そんなこんなで天文台を探索中の対悪霊戦線三人組。

 

 最終目的はもちろん秘密の部屋を見つけ出すことであるが、死喰い人がホグワーツ内部に入れないようにあちこちを警戒して回ることや、ブラック家の面々から説明された“ブラックの抜け穴”に最近使われた形跡がないかを定期的に確認して回るのも重要な仕事だ。

 

 そして、万が一にも侵入した死喰い人と偶々鉢合わせたら大変危険なので、生徒達の探索中はまだ小型のアクロマンチュラかスクリュートを“番犬代わりの怪物”として連れていくことになっている。いざという時の肉壁要因だ。

 

 当然、生徒達は大反対だったし、これを知らされた瞬間に“脱退”していった生徒は数多い。なお、夜間学校出身のジェームズやシリウスにとって怪物は馴染み深く、ここまで脱落者が続出すると思っておらず、ニンファドーラに呆れられていた。

 

 そういう次第で、探索組に加わった生徒の数はそんなに多くはないが、上級生から下級生まで少数精鋭であることは疑いなかった。別名、夜間学校組である。

 

 ちなみに、番犬役の他の品種も一応用意されていて、ギロチン先輩、電気椅子後輩、ルーンスプール、キメラがあったが誰も選びはしなかった。(唯一ルーナが選びかけたが、ジニーとデルフィーニが羽交い締めにして止めた。間一髪である)

 

 ついでながら、フォルクスワーゲンやケルベロスは校内で連れ歩くには無理がある大きさなので最初から除外された。

 

 

 

 「あとロン、君のためにわざわざアクロマンチュラじゃなくて不人気なスクリュートを選んでいるんだから、せめて鎖は君が持つのが筋じゃないかな?」

 

 「ジャンケンで決めたことだろう」

 

 「どっちの言い分も一理あると思うけど、ううん、仮にアクロマンチュラでも大差ない気がするからここはロンの言い分が少し強いかしら。ねえハリー、貴方は蜘蛛は平気なのよね」

 

 「うん、魔法薬の材料とかで慣れてるから、僕は蜘蛛なんてへっちゃらだよ」

 

 「僕は絶対蜘蛛はイヤだ。スクリュートも同じくらい嫌だけど」

 

 「私だって嫌よ」

 

 要するに、多数決の理屈である。三人の中で一番“ゲテモノ”への耐性が強く、鎖を持つことが精神的負荷にならないからこそ、ハリーが適任なのだ。 

 

 なお、一年生の女子たちには流石にこの二択は可哀想ではと思われたが、ルーナの「この子可愛い」の一言には全生徒が戦慄を禁じえなかった。

 

 当然、一年生探索組のうち、“スクリュートの鎖持ち”はルーナだ。このチームは兄の責任で常にパーシーが一緒にいることになっている。普通に考えれば唯一の男子であり監督生の彼が鎖持ちなのだが、頑としてルーナは譲らなかった。

 

 ちなみにネビルは、ハッフルパフのスーザン・ボーンズ、ハンナ・アボットと同じ班である。

 

 元々はジャスティン君がそこにいたのだが、マグル生まれの彼には“アクロマンチュラの鎖持ち”は荷が重かったようだ。一度目の探索にはそれでも健気に参加したが、顔色が悪すぎたので二回目以降は遠慮いただいている。この説得には同じ穴熊寮の先輩のセドリック・ディゴリーが当たった。

 

 

 「そう言えば、鎖持ちでルーナ達のことを思い出したけど、デルフィーニがドラコと一緒の班じゃなかったのは意外だったよ」

 

 「僕はそんなに意外じゃなかったけどな。あの子のことだから絶対ジニーと同じ班にしろ、って言うのは目に見えてたろ」

 

 「そうね。あの子はなんていうか、うん、ちょっと残念で微笑ましいから、行動が分かりやすいのよ」

 

 後の世であれば、ツンデレお嬢様と称されていたことは間違いない。

 

 良くも悪くもとっても分かりやすい少女であり、グリフィンドールのマグル生まれの才媛であるハーマイオニーには事あるごとに突っかかり、そして全敗している。慰めるのは当然ドラコの役目だ。

 

 同じようにウィーズリー家嫌いでもあるためか、ジニーにも敵対心を燃やしまくっている。他にも双子に対抗して夜の探索を行いスクリュートに噛まれたり、ハリーとロンに対抗して箒に乗ろうとして見事に落ちたところをネビルに助けられたり。(ネビルはなぜかデジャヴュを感じたと証言した)

 

 ただし、ルーナとはその情熱が肩透かしに終わるのか、微妙に会話が成り立っていないのか、何とも言えないが仲良しとも見えるような関係性になっている。

 

 

 「何だかんだで、同学年の中で一番ルーナに話しかけてるのはあの子なのよ。そこはジニーも認めていたわ」

 

 「だな、悪い子じゃないのは僕だって分かるさ。ただ、ダンブルドア先生が嫌いだっていつも公言してるから、ちょびっとばかし誤解を受けやすいんだ。どうせならダッハウを嫌いって言えばいいのに」

 

 「それは皆がそうだからね。目立ちたがりのあの子にとってはちょっとインパクトが弱いのかもしれない」

 

 ダッハウは嫌い。それは全生徒の共通項である。というか、嫌いにならないはずがない。

 

 

 「スリザリンだからってのもあるかもしれないけど、シグナス理事長を尊敬してるって公言してるだけでも充分珍しいと思うわよ」

 

 「そりゃ確かに、あの人は公平だけど厳しいからなあ。僕はちょっと苦手ぎみ、フレッドとジョージなら尚更だろうな」

 

 「そうだね、僕もシグナス理事長よりかは、ダンブルドア先生の方が好きかな」

 

 かつては副校長を長く務めたシグナス・ブラックだが、今は完全にミネルバ・マクゴナガルへとその地位を譲っている。

 

 同じく、闇の魔術の防衛術の教師の座も、リーマス・ルーピンへと引き継いだ。

 

 ただし、孫娘にあたるニンファドーラ・トンクスが、最近妙に祖父に突っかかり気味なのと、秘密の部屋探索でルーピンと“同じ班”になりたがっているのを気にしてもいるらしい。

 

 仮に、リーマス・ルーピンが“お孫さんを僕にください”と言わねばならないとして、これほど厄介で厳しい壁も珍しいだろう。何せ、職場の上司である。

 

 

 「でもダンブルドア、この前冬だってのに中庭をいっぱいのお花畑にしたらしいぜ」

 

 「知ってる。他の生徒も喜んでたけど、メローピーさんに聞いたら校長先生がアリアナちゃんと中庭を歩いていて、ホグワーツの庭には花が少ないことをアリアナちゃんが悲しがっていたかららしいよ」 

 

 「孫のことになると、公私混同しちゃうのは、ダンブルドア先生の数少ない欠点だと思うわ」

 

 そこがお爺ちゃん校長先生の欠点であり、最近はむしろ生徒に親しまれている部分でもある。

 

 完全無欠の賢者よりも、茶目っ気のある失敗老人の方が、親しみやすいのは確かなのだ。

 

 

 「ともあれ、下手すりゃスリザリンの中ですら孤立しかねないくらい強気の子だからな。ルーナとの組み合わせは結構いいんじゃないか」

 

 「案外、スネイプ先生がそれを狙ったのかもしれないわ。それに、余程相性が悪くない限りは、違う寮で組み合わせるようにしてたもの。双子については、リー・ジョーダンしかついて行けないからでしょうけど」

 

 「じゃあ僕たちは?」

 

 「察してるんだろハリー、君が絶対に余るからだよ」

 

 「……まあ、シリウスさんとスネイプ先生の喧嘩のとばっちりは、受けたくないわよね」

 

 他のチームは、三人一組か四人一組が多いが、同じ寮で統一されていることはまずない。獅子と穴熊、鷲と蛇の組み合わせが多いのは事実だが、そこはハーマイオニーが言ったように、“余程相性が悪くならないように”というものだ。

 

 確実に水と油なのが、ジニー・ウィーズリーとデルフィーニ・スナイドだが、潤滑剤のルーナがいることと、身内にも厳しい監督役のパーシーがいるので、悪くないバランスではあるだろう。

 

 そして、ハリーは絶対に余る。何しろ喧嘩する人物の常連が、ジェームズ、シリウス、セブルスなのだ。要するに、ポッター・エバンズ・スネイプ家の日常でしかない。

 

 身内の痴話喧嘩になど、どんな生徒も流石に巻き込まれたくはないだろう。例えウィーズリーの双子であっても。

 

 

 「ありがとう二人共、良き親友を持って本当に嬉しいよ」

 

 「何をいってるんだい、僕達は一蓮托生さ。というわけでスクリュートの鎖は任せた」

 

 「頑張ってねハリー」

 

 子供達も徐々に悪霊汚染を受けているのか、割りとちょっぴりクズだった。

 

 だけど、そんなことではハリー・ポッターはへこたれない。彼の人生における心労の連続は、こんなものではないのだ。

 

 そして、アクの強い家族に囲まれて、一息つく暇もない喧騒に満ちた日常を、彼は心の底から愛していたから。

 

 だってそう、家族がこうして、ホグワーツでさえいつも一緒にいてくれる。

 

 願いを映し出す鏡は、ハリーの後ろに何も映しはしなかったのだから。

 

 

 

 「ん? ヘドウィグ、どうしたの?」

 

 会話しつつも天文台の探索と抜け穴チェックを行っていた彼らの下へ、白い雌フクロウが降り立つ。

 

 ハリーのペット、賢いヘドウィグであり、何か連絡書類らしきものを咥えている。

 

 

 「ホグワーツからの通知文章じゃないかしら、多分今頃、大広間にも同じ内容のが掲示されてるわ」

 

 「へぇ、どれどれ―――なんじゃこりゃ!」

 

 

 

 

クリスマス前の告知文章   ポリジュース・ダンスパーティのお知らせ

 

 

【再来年、トライ・ウィザード・トーナメントがホグワーツで開催される可能性が高い】

 

【それに伴い、本年度にはクリスマス・ダンスパーティの予行練習を行う】

 

【対象は全生徒、基本的に強制参加。正当な理由のある場合は申し出ること】

 

【まだ形ばかりの試しなので、本格的なパーティードレスを用意する必要はない】

 

【当日は、仮装舞踏会ならぬ、“変身舞踏会”方式を取る】

 

【参加予定の生徒は、事前にポリジュース薬の材料として髪の毛を提出すること】

 

【適当な嘘をついて逃れた場合どうなるかは、魔法史教師に聞いてみること】

 

【バラしますよ】

 

 

 

 

 「“ポリジュース・ダンスパーティ”って、正気なのかな?」

 

 「ダッハウならやるだろうさ。てゆーか、アイツしかこんなのやらない」

 

 「で、でも、いくらなんでも、これは…」

 

 流石のハーマイオニーも気が動転している。

 

 それほどに、“ポリジュース・ダンスパーティ”という言葉はインパクトがあったらしい。

 

 

 「ダンスパーティについては、まあ分かるよ。僕はあんまり興味ないけど、母さんや妹二人はこういうの大好きだし」

 

 「ウチもまあ、ママやジニーがそうかな」

 

 「私も、人並みにはそういうのを知ってるつもりだったけど」

 

 彼女が知っているダンスパーティに、“ポリジュース薬”という単語は絶対登場しない。

 

 それに、仮面舞踏会は歴史の事象として知っていても、“変身舞踏会”なるものは聞いたこともない。多分、魔法史のどこを探してもないだろう。

 

 

 「これってつまり、ランダムに入れ替わっちゃうってことだよな?」

 

 「マグルの側の遊びの、フルーツバスケット、だったかな。あんな感じ?」

 

 「それでダンスパーティなんて成立するの? 仮装ならまだしも確実に阿鼻叫喚になっちゃうわよ」

 

 まるで、悪霊の嘲笑い声が聞こえてくるかのようである。

 

 甘酸っぱい、“当たり前でどこにでもある”青春の恋の舞踏会など、このホグワーツで開催されるとでも思いましたか?

 

 甘い、甘いですねえ、蕩けるように甘い。

 

 

 

 「仮にだぞ、僕が、そうだな。スリザリンのパンジー・パーキンソンになったとして、それで、マルフォイに変身したハリーと踊ったとして、それは彼女がマルフォイを誘ったことになるのか?」

 

 「というか、男子が女子の身体に変身したらまずそれが大問題だよ、その逆も嫌だけど」

 

 「あ、付帯事項があるわ。“非常に残念ながら、各方面から反対の声が相次いだため、同性間でのシャッフルに限るものとします”。文章だけで誰の発言か一発で分かるわね」

 

 奴だ、絶対に奴しかいない。

 

 こんな頭のおかしいことをクリスマスの夜にやらかすなど、あの悪霊の仕業でなくてなんだという。

 

 

 「色々と、ツッコミどころは満載だけど、そもそもポリジュース薬って、そんなに大量に用意できるもんなのか?」

 

 「そこは盲点だったかも。確かに、スネイプ先生は“非常に強力な薬で材料も稀少”っておっしゃってたし。仮に、効果の軽い簡易版を用意するにしても、何百人もの生徒に飲ませるならすっごい量が必要になるわ」

 

 「それは流石に、いくらダッハウ先生でも厳しそうだね。ポリジュース薬を誰が用意するかとか、そういうのは書いてある?」

 

 「ええと、ちょっと待って、付帯事項の下の方に………、提供元、プリンス魔法製薬所。特許権利者リリー・エバンズ」

 

 「ウチだった!? 何やってんの母さん!」

 

 ハリーの叫び声は、虚しく天文台へ響いていった。

 

 何とも不幸な主人を労るように、白いフクロウは優しくその指を甘噛していたそうな。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「中々に騒がしくなっているようですね、面白くなって参りました」

 

 「こんな通知見せつけられたらそりゃそうでしょうよ」

 

 「……」

 

 こちらは例のごとく、全生徒を混沌の渦に叩き込んだ“クリスマス前の告知文章”の発信源。

 

 事務室に隣接された印刷所は、最早生徒にとっては悪魔の居城に等しい魔窟となっている。

 

 

 「流石に付き合いが長いから分かるけど、これはアンタのやり方じゃないわよね」

 

 「お察しの通りです。今回の通知はあくまで事務的に我々が発行したに過ぎません」

 

 「……」

 

 「おや、どうしましたかメローピーさん、貴女がそんなに真剣に書き物をしているとは珍しい」

 

 「え? あ、ダッハウ先生、どうかなさいましたか?」

 

 「ほんと珍しいわね貴女、何書いてるの?」

 

 「別に隠すほどのものではないのですけど、久々に“メロンちゃん”とお話しているんです。ほら、前にダッハウ先生がノートを下さったでしょう。だから、お友達との交換日記が懐かしくなってしまって」

 

 「おおう、空けてはならない悪魔の禁断の扉を開いてしまうとは、何と迂闊な」

 

 「いいじゃない、アタシも久々に“マーテルちゃん”と文通でもしようかしら」

 

 「頼むから文通相手はペチュニア女史に絞ってください。その歳になって脳内友達との会話に花を咲かせられては耄碌老人となったダンブルドア先生以下ですよ」

 

 校長先生が孫可愛さに冬に花を咲かせまくった話は、当然悪霊も聞き知っている。

 

 メローピーさんが知っていることだ。この悪霊が知らぬはずがない。

 

 

 「ええと、それで、通知の依頼者でしたっけ? セブ君、じゃ、ありませんよね」

 

 「そこはメローピーさんの言う通りです。私という悪霊を上手く使うことに長けている教師はセブルス・スネイプ氏ですが、こういった突拍子もない奇抜な策は、シリウス・ブラックの得意とするところ。後、悲しき脳内友達との文通ノートは取り敢えず脇においておいてください」

 

 「ちぇっ」

 

 「最近ちょっとふてぶてしさが増したわねこの子、なにか良い事でもあったかしら」

 

 「無いほうが我々としては助かります。彼女がやらかすと敵よりも味方に大損害を与えるタイプなので。ともあれ、この奇抜なダンスパーティーはブラック家が防衛に当たっているホグワーツにおける次の一手というわけですね」

 

 敵を出し抜くにはまず味方から。

 

 どうせやるなら派手にやって、大いに敵の目を眩ませろ。

 

 そういうグリフィンドールらしいお祭り騒ぎに関してならば、悪戯仕掛け人の中でも最も得意とするのはシリウス・ブラックである。

 

 そして今や、悪戯仕掛け人のうち三人までがこの城に戻ってきているのだ。これで何も仕掛けないはずがない。

 

 

 「なるほどね、裏にいるのがブラック家なら、高価な材料を取り寄せられるのも簡単だわ。シグナスのいけ好かない顔が目に浮かぶもの」

 

 「簡易版を開発したのはリリー・エバンズ。実際に煎じる人材にはシグナス・ブラック校長の人脈をフル活用なさるつもりのようですね。場所はプリンス魔法製薬所だけで充分でしょう。何しろ元は戦時中の死喰い人陣営の新薬開発工場でしたので」

 

 「そう言えば、ジェームズくんも魔法薬は得意でした」

 

 「そこまで人材が揃っていれば、ポリジュース薬を大量に用意するのはそう難しいことではありません。そして、ここまで舞台のお膳立てが揃えば、死喰い人が何かしらの行動に出てくる可能性は極めて高いでしょう」

 

 孫子に曰く、軍争の難きは、迂を以って直と為し、患を以って利と為す。

 

 あえて敵に見えるように弱点を晒し、敵の思考や行動を誘導する。

 

 戦争における指揮官の応用編であると同時に、裏の裏、そのまた裏と再現がないので正解が非常に難しい分野でもある。

 

 

 「例の秘密の部屋を狙っている誰かさん、よね。ヘレナ校長から依頼があった通り、アタシのトイレは暇な時ずっと見張ってるけど、来た生徒なんて全然いないわよ」

 

 「当たり前だと思います。わざわざマートルさんのトイレに近づく生徒はいないです」

 

 何せ、嘆きのマートルは悪名高い。

 

 流石にダッハウ管轄の四階の廊下や、叫ばれない屋敷には劣るだろうが、ホグワーツでも生徒が近寄りたくない場所で必ず上位に挙がる場所だ。

 

 

 「例えば、探索組の一年生三人などはどうです? マートルさんを目の敵にしている子もいましたが」

 

 「あの子達はよく覚えてるわよ。ジニーは双子のことで聞きたいことがあったらしくて、ルーナなんて全く気負わず普通に会いに来たわよ」

 

 「凄いですね、ルーナちゃん」

 

 「彼女のズレ方は、やはり往年のリリー・エバンズ女史を上回るものがありますね。“グリフィンドールの妖精姫”に対するは、“レイブンクローの怪異華”といったところでしょうか」

 

 全く恐れずに、臆することなく悪霊たちに一人で会いにやって来る。

 

 ホグワーツの全生徒を見渡しても、恐らくはルーナ・ラブグッド以外に一人もいないだろう。

 

 

 「最後はデルフィーニね。ハロウィンの時のあれか、あるいは一度ドラコといい感じで話しているのを邪魔してあげたのを根に持ってるのか、可愛い小さな炎を掲げて健気にもやってくるのよ」

 

 「恨まれてますねマートルさん。あまりデルちゃんをいじめないであげてください」

 

 「あら、そこまで肩入れするなんて珍しいわね」

 

 「デルちゃんは健気で可愛いですから、まるで娘か孫が出来たようです」

 

 「なるほど、その健気な勇気は認めますが力不足は否めません。マートルさんほどの密度を持った悪霊を滅ぼしたければ、かつてスネイプ先生が練り上げたほどの悪霊の火を使うか、あるいは、キメラかドラゴンの炎をぶつけるかが最適です」

 

 余談となるが、最近は大きく成長したノーバートは四回廊下から禁じられた森に移り、新たに縄張りを設定した。当然、先住のアクロマンチュラとは平和裏に。

 

 アクロマンチュラが城の守り手としてどんどん頼りになっていく昨今、禁じられた森の大番長であるアラゴグも“守護神”として生徒に知られるようになった。ハグリッド先生は大喜びである。

 

 なお、生徒にとってはスクリュートよりはましとの思いからだったが、そのスクリュートを量産しているのもハグリッドだ。悪意を以って運用するのがダッハウなので、圧倒的にスクリュート=ダッハウのイメージが強くなっているので案外知られていない。

 

 そして、ドラゴンの炎ならば悪霊を殺せるという話が広まった結果、“救世主ノーバート”という名も広まりつつある。守護神といい救世主といい、この城は怪物ばっかりだ。

 

 

 「ともあれ、ハロウィン以来敵に動きがないのは確かで、探索側としても持久戦は望むところではありません。ならば、積極的に流れを作り出していくのは、グリフィンドールの得意分野です」

 

 「拙速は巧遅に勝る、ってやつかしら」

 

 「校長がダンブルドア先生ですから、こうした悪戯めいた手口は彼の本質にも合う。それとこれは、シグナス・ブラック理事長からの提言でもあったのですが、“取り違い”に注意すべきだと」

 

 「取り違い? それはいったいどういうことですの?」

 

 「魔法界における闇祓いの捜査などでも割りとよくある現象ですよ。“敵はこうであるはず”、“狙いはこうだ”と思って後を追っていると、歯車が微妙にズレているように異なる展開に行き着いてしまう。ある種の刑事の勘、経験則というべきかもしれませんが、この点については闇祓い面々も反対しておりません」

 

 ハロウィンの血文字騒動がきっかけで、彼らはこの城を守りにやってきた。

 

 しかし、実際に赴任して生徒と一緒に探索や抜け道の確認を行ってみると、どうにも違和感が拭えないという。

 

 果たして、本当に秘密の部屋が狙いなのか?

 

 そもそも、敵は本当に死喰い人か?

 

 何か、我々は前提を間違えているのではないだろうか?

 

 

 「そうした諸々含めて、一度視点をまっさらにして“篩にかける”のも悪くない手であるということです。これほどの好機があってなお、敵が全く動かないとしたら、不気味というよりも、動けない不都合が生じている可能性が高まります」

 

 「そうよね、ポリジュース薬の大盤振る舞いで誰が誰やら分からないなんて、潜入してコソコソ動くにはもってこいだもの。例え相手が罠を張っているとしても、仕掛けどころってやつよ」

 

 ではではならば、この賭け果たして吉と出るや凶と出るや。

 

 各寮に散ったブラックの面々が網を張り、薬をポッター、エバンズ、スネイプが用意する悪戯仕掛け。

 

 さて、結果や如何に。

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『何もかもが上手くいかない。なぜだ、あの頭のおかしい娘一人に手こずるだと?』

 

『それに、あの闇祓い共、巫山戯ているのか? 何であの悍ましい生き物なんぞ連れ歩く』

 

『忌々しい、何もかもが忌々しい』

 

『何よりもスリザリンの■■■がどうしてこんなことを』

 

『分からない。何かを間違えたのか、いったい何時から?』

 

『いいやまだだ、まだ巻き返せる。クリスマスに馬鹿な催しをやるらしい、これはチャンスだ』

 

『城の外で待機しているはずのヤックスリーらも、この機に乗じて動くだろう』

 

『そう、今こそ部屋を開く絶好の機会。ここを逃すわけにはいかない』

 

『よし、そうと決まればまずは手駒を動かして――』

 



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8話 生誕祭の夜

 マグルと全面戦争したいのなら簡単です、“イエス・キリストは魔法族だった”、“彼の奇跡とは魔法を使ったペテンである”と主張すればよい。その先には確実にジェノサイドが待っているでしょうが。

 ―――ノーグレイブ・ダッハウ

 

 

 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【聖夜と魔法族】

 

 魔法族が聖なる夜を祝う。改めて考えてみれば、これほどおかしなこともない。

 クリスマスの持つ意味は「キリストのミサ」。イエスの降誕を祝う日ではあるが、イエス・キリストの誕生日とは異なる。

 

 家族と過ごし、クリスマスツリーの下にプレゼントを置く。

 プレゼントを互いに贈る気持ちである「愛」の日でもある。

 しかしならばなぜ、愛の宗教は神の名のもとに異端殲滅の皆殺しを行うのであろうか。

 

 そして我々魔法族は、愛を説いた男の名のもとに数え切れぬほどの迫害を受け殺されてきた。

 その男がこの世に降臨した日を、プレゼントを贈り合う愛の日として祝っているのである。

 冷静に考えれば狂っているとしか言いようがない。普通ならば

 

 “イエスさえ誕生しなければ我々が迫害されることもなかった。悪魔の降臨した忌まわしき日”

 

 と言うべき日であろうに。

 彼ら風に言うならば、ユダヤ人がアドルフ・ヒトラーの誕生日を祝っているようなものだろう。

 

 つまるところ、これはハロウィンとは逆の現象と言えよう。

 我々の祭りを、キリストを信奉するマグル達がやがては「諸聖人の日」として祝うようになり。

 イエスの降臨した祭日を、いつしか我々もまた祝うようになっていた。

 

 教会の一つもなく、ミサを行うわけでもない。聖体拝領の何たるかを知りもしない純血の子供が、メリー・クリスマスと言いながら聖夜を祝う。

 ある種滑稽極まる喜劇だが、融和と言えば、これもその一つなのかもしれない。

 

 12月25日に祝うということそのものが、キリストに由来するものではないという説もある。

 古代ローマの主要な宗教の一つミトラ教。12月25日は「不滅の太陽が生まれる日」とされ、太陽神ミトラを祝う冬至の祭があった。これを転用したものではないかと言われている。

 

 

 『突き詰めて言ってしまえば、題目は何でもよいのであろう』

 『マグルも魔法族も、それぞれの伝承や虚構を信じ、節目の日に祝うのだ』

 『ただ、時と共に何を祝っていたかも忘れられ、ただ祝うという行動だけが残る』

 『それが救いなのか呪いであるのか、主は応えてくれるだろうか』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「お久しぶりねリリー。貴女とこうしてまたこの城で会えて嬉しいわ」

 

 「ええ、本当に懐かしい。お久しぶりです、マートル先生」

 

 「ちょっと、先生はやめてちょうだい。立派なお母さんになった貴女に言われると恥ずかしくて仕方ないもの」

 

 降臨祭の夜に向けた準備が進むホグワーツの地下厨房にて。

 

 ずらりと並んだ大量の大鍋に、簡易版のポリジュース薬がグツグツと煮だち、たくさんの屋敷しもべ妖精たちが今も色々な材料を投入している。

 

 他にも、動ける者らは鎧や絵画であっても何らかの形で手伝っている。さらには、夜間学校に属する処刑器具や怪物たちまで協力しているのだから、常人が見れば魔窟としか言いようがあるまい。

 

 

 「でも、私達にとって貴女たちは何時まで経っても先生ですから。呪文学のマートル先生、魔法薬学のメローピー先生、変身術のヘレナ校長、防衛術の男爵様、薬草学の修道女様、天文学のニックさん、そして、魔法史のダッハウ先生」

 

 「最後の一人だけは余計だわ」

 

 「ふふ、皆さんそういいますけれど、私はそれほど嫌いじゃありませんよ。占い学のフィレンツェ先生やアクロマンチュラのモレークくんらも、ダッハウ先生のことは別に嫌ってなんていませんでしたし」

 

 「そこなのよねぇ。アイツは人類の黒歴史ばっかり暴露するものだから、人間からはゴミよりも嫌われるんだけど、人外からは別に嫌悪されない。当然のような気もするけど、やっぱり釈然としないものはあるわ」

 

 そもそも、夜間学校においては純粋な人間こそが少数派であった。

 

 元はと言えばアリアナちゃん一人のためにアルバス・ダンブルドアが創った夜の学び舎であり、彼が魔法生物飼育学の先生を務め、弟のアバーフォースがマグル学の先生を務めたのもそのためだ。

 

 今では圧倒的にノーグレイブ・ダッハウの名が知れ渡っているため、悪戯仕掛け人たちですら、元はダンブルドア校長の依頼で始まったことすら忘れがちだ。

 

 

 「ホグワーツは今でも思い出の宝庫ですけど、私達にとって一番忘れられない場所はやっぱりここですから」

 

 「始まりはリーマス一人だけだったわね。そこにあの馬鹿二人が加わって、ピーターもあれよあれよと入ってて。例の事件でセブルスもなんだかんだで加わって」

 

 「実はわたしは、チュニーに勧められて夜間学校に入ったって知ってました? あの時期は戦争が激化していて、マートル先生がいる場所なら一番安全だからって」

 

 「あら、そうだったの。ペチュニアったら、手紙でそんなこと書いてなかったじゃないの」

 

 ホグワーツの裏の顔、恐ろしい怪物の跋扈する、忌まわしき悪霊の館として知られる夜間学校。

 

 スクリュートや処刑器具が夜中に徘徊する昨今においては、生徒達からはさらに悪名をもって恐れられている。あのグレンジャー将軍であっても、夜間学校に入りたいと思ったことはないだろう。

 

 ただし、ホグワーツには知られざる秘密があるのだ。

 

 アリアナという一人の少女ために創られた箱庭であり、そこに加わった狼人間の少年や、悪戯っ子の仲間たち、そして妖精姫と呼ばれた少女とその幼馴染の少年。

 

 今は大人となったかつての子供達にとっては、輝かしい黄金の日々であり、何の悪意もそこにはなかった。

 

 

 「セブも今でも言ってます。あそこはまるでパンドラの箱のようだったって」

 

 「言い得て妙ね。アリアナちゃんがいるのもそうだけど、セブルスにとっては確かに悪意と絶望の中の一筋の希望だったわけか」

 

 場所が場所だけに忘れられがちな事実だが、魔法戦争当時にスリザリン寮に所属したセブルス・スネイプにとって、夜間学校は誰にも気兼ねなくリリー・エバンズと会える希望でもあった。

 

 彼にとっては忌まわしい二人組もほぼ必ずいるのが問題だったが、あっちはあっちで処刑器具だのアクロマンチュラだのに絡まれることが多く、実のところ、夜間学校でリリーと一緒にいる時間は、ジェームズよりもセブルスの方が多かったりした。

 

 基本的に熱血馬鹿で、新たな悪戯に熱心なグリフィンドールの悪童共は、そうした男女の機微には疎かったというか、優先順位が低かった。

 

 純粋に、リリー・エバンズを女性としてよくエスコートしたという点では、セブルス・スネイプが勝っていたのである。

 

 

 「そうだ、今まで忘れていたけどこの入れ替わり祭り、貴女たちがやったことあったわ」

 

 「実は、例の黒太子同盟の後に仲直りのために私が提案してたりします。セブがシリウスに、シリウスがセブになって、そうすれば互いのことがもっと分かるだろうって」

 

 「なるほど、あのクズも“人間は賢くなるほど不幸になる。馬鹿を晒して本音で殴り合うくらいでちょうどいい”なんて言ってたけど、案外を的を射てるのかも」

 

 「流石はダッハウ先生、含蓄のありそうでなさそうな感じがいかにも」

 

 そもそも、その時からポリジュース薬を煎じて用意したのはリリー・エバンズだった。なので、今回のポリジュース・ダンスパーティーを闇祓いとなったシリウスが提案した際、彼女がこうして煎じる役目として加わるのは当然の成り行きとも言えた。

 

 ちなみに、過去においても他の面子の分も用意されており、ジェームズはピーターに、ピーターがリーマスに、リーマスがジェームズにと入れ替わっていた。

 

 ポリジュース薬は材料も稀少で煎じるのも手間なので、ただ“入れ替わる”だけなら変身術などのほうが手っ取り早いし、そう頻繁に悪戯で使うわけでもなかった。

 

 だが、肉体が実際に変化して他人になるのがポリジュース薬の特徴だ。変わった者らは文字通り、相手のハラワタの中身まで知ることになる。

 

 

 「それを素でやっちゃう貴女はやっぱりグリフィンドールの“妖精姫”だわ。今ちょうど、昔の貴女に似たルーナって子が一年生にいるけれど、改めて思い出すと発想が結構似ているとしか思えないもの」

 

 「ないしょですけど、密かにわたしも飲んでみたかったり」

 

 「そこら辺は、やっぱり貴女もメローピーの影響を受けてたのね。セブルスと貴女の結び手になった一番の要因はあたしじゃないって今なら分かる」

 

 マートル・ウォーレンは、ペチュニア・エバンズの親友である。

 

 そんな彼女の役割は、リリーとセブルスがすれ違ったりしないように、姉としてペチュニアの代わりに二人を見守ること。

 

 それは功を奏し二人の仲に亀裂が生じることはなかったが、それだけでは逆に“幼馴染”以上に近づくこともなかったろうと思う。

 

 マグルと純血の間で悩み、リリーに恋しながらも切り出せなかったセブルスの背を押し、あくまで一人の男としてリリーと向き合うべきだと助言したのは誰だったか。

 

 

 「それに、メローピーも最近随分と雰囲気が変わってきたわ」

 

 「私も会って驚きました。昔から丁寧でどこか茶目っ気もある方でしたけど、暗く悲しげな雰囲気をいつも纏っていて、あんなに優しく微笑むことはなかったですから」

 

 「悲しい過去を忘れるくらいに、嬉しいことがあったのでしょうね。前に一度言ってみたの、“大人になったのね貴女、ゴーストになってから一番成長したのは貴女じゃないかしら”って」

 

 「すると?」

 

 「こう返ってきたわ。“わたくしが変わったのではありません。アリアナちゃん、セブ君、ドラコ君、それにデルちゃん。この城で触れ合った子供達が、変えてくれたのだと思います。母親らしく在れるように”」

 

 ペチュニア・エバンズと文通を始めて、彼女の願いでリリー・エバンズの背後霊を引き受け、マートル・ウォーレンが変わったように。

 

 この城での数多の出逢いにより、メローピー・ゴーントも確実に変わっている。

 

 常に昔のまま変わらないのは、時計塔の悪霊ただ一人だけだ。

 

 

 「母親らしく、ですか。そうですね、マートル先生から受けた恩義は当然忘れませんけど、わたしがセブと結婚したのは、やっぱりメローピー先生の言葉によるものだと思います」

 

 「そこにジェームズも加わる二重結婚てのは凄いけど、こうなってみると今更よね。ハリーの胃はちょっぴり可哀相だけどそこは置いておいて、下の娘たち、マリーとローラは元気かしら?」

 

 「ええ、ホグワーツに来たがってましたけどそこは来年までお預けで、ダッドくんと一緒に向こうでクリスマスを祝ってます」

 

 「ペチュニアからしたら、しばらく会えなくなっちゃうわけだしね。特にローラは昔の貴女に似てるから」

 

 どんなに話しても、話題が尽きることなどない。

 

 例え片方が14歳当時の姿のままで、子供を授かって年老いることが永遠にありえないとしても。

 

 マートル・ウォーレンにとって、リリー・エバンズは今も守るべき妹分であり続けている。

 

 だからこそ――

 

 

 「ハリーのことは、心配しなくていいわ。またぞろ死喰い人が騒いでるみたいだけど、頼りになる大先輩に任せておきなさい」

 

 「信頼してます先生方。マートルさん、メローピーさん」

 

 悪霊の絆にかけて、彼女は誓う。当然、リリーとセブルスの結び手となったもうひとりの幽霊未亡人も。

 

 ハリー・ポッターには、何の心配もありはしない。なぜならば、我ら二人がいつも見守っているのだからと。

 

 

 マートル・ウォーレンとメローピー・ゴーント。

 

 

 秘密の部屋を開かんとする侵入者にとって、彼女らこそが不可視の壁となって立ちはだかる。

 

 母の愛は形なき絆となって、常に子供達を守るために働く魔法なのだから。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「おお、懐かしきフォルクスワーゲン。我が友よ、悪魔の罠と共に戦いしあの頃が昨日のように思い出せるとも」

 

 「そしてこちらにはギロチン先輩に電気椅子後輩だ。ああまったく、我らが青春時代のそのままじゃないか」

 

 夜間学校の女性組が久闊を叙しているならば、悪戯の仕込みと罠の仕掛けは彼らの領分。

 

 今は魔法警察と闇祓いと、それぞれに肩書を持つジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックであったが、懐かしきこの城で聖夜を迎えるこの時は、昔の悪童のままに。

 

 とはいえまあ、彼らの場合は何時でも悪童のようではあるのだが。

 

 

 「それでだジェームズ、見回りに行ったリーマスとニンファドーラは外側にもう着いたのか?」

 

 「ああ、地図はしっかりと二人の名前を示してる。他に、レギュラスとシグナスの両ブラックに、マクゴナガル教授やアイツもな」

 

 「欲を言えばムーディもいて欲しかったが、エバン・ロジエールが来てないならまあ何とかなるだろう。もしアントニン・ドロホフが来るなら、そこだけは要注意か」

 

 アラスター・ムーディあるところに、エバン・ロジエールあり。

 

 最早それは闇祓いの中では常識になりつつあり、最も多くの死喰い人を捕まえたのはムーディだが、それでもなお、ロジエールを倒すことに執着している。

 

 だがそれも無理はあるまい。あの魔法戦争において、最も多くの闇祓い、すなわち彼の部下を殺した男こそがエバン・ロジエールなのだから。

 

 積もりに積もったその縁は、最早それ自体が磁石めいた魔法のように作用する。

 

 ここにムーディがいないということは、つまりはロジエールが来ないのだと、シリウスが確信できるくらいには。

 

 

 「後は何と言ってもベラトリックスだ。外国の知り合いにもあちこち当たって情報を集めてみたが、海賊組の幽霊船団はめっきり姿を消しているのは間違いない」

 

 「首魁達が揃って雲隠れとなれば、ホグワーツを狙ってくる可能性は高くなるな」

 

 ジェームズとシリウスもまた、あのゴドリックの決戦に参加したメンバーだ。

 

 あの時ヴォルデモートから復活のための器を預かり、以後11年間に渡って世界を股にかけて暗躍し、死喰い人という集団を維持し続けた幹部五名。これらを捕えることこそが、魔法警察と闇祓いとなった彼らの大目標である。

 

 特に、ベラトリックスはシリウスにとって従姉妹でもある。今やブラック本家の当主である彼にとっても、身内から出た錆は自分の手でケリをつけたい。

 

 

 

 『シリウスさん、パーシーです。グリフィンドールの抜け穴の確認、完了しました』

 

 『ジェームズさん、こちらはセドリック。ハッフルパフの地下通路、死喰い人の影はありません』

 

 そこに現れたのは、亀の守護霊と穴熊の守護霊。

 

 六年生のパーシー・ウィーズリーと、四年生のセドリック・ディゴリー。

 

 ジェームズとシリウスの組織する“秘密の部屋探索組”において、既に守護霊呪文を使いこなし、盾の無言呪文などもある程度は使える優秀な生徒達。

 

 それぞれの適性もあってか、グリフィンドールとレイブンクローはパーシーが、ハッフルパフとスリザリンはセドリックが、それぞれ率いることが多くなっている。

 

 

 「ほんとに優秀だな、流石はアーサーとエイモスの息子たちだ」

 

 「おいおい、うちの子供だって負けてはいないぜ」

 

 「そいつは言うまでもないってものだろう。それに、あっちにもロンがいるからアーサーの息子はほんとに盛りだくさんだよ」

 

 他にも、フレッドとジョージはリー・ジョーダンと共に遊撃役として動いており。

 

 一年生のジニーですら、パーシーに庇護されながらとはいえ、頑張って探索してくれている。

 

 

 「そうだ。なあシリウス、子供と言えば例のあの子は?」

 

 「デルフィーニか。少しばかり気にはなるが、死喰い人と接触したような形跡はないな。親が死喰い人でベラトリックスの配下だったのは間違いないが、本人の気質を見るにそこは疑う必要もなさそうだ」

 

 闇祓いは前評判を信じず、己の目と耳で得た情報を信じる。

 

 シリウス・ブラックは実際にデルフィーニ・スナイドと接し、そして確信した。彼女は闇に傾倒する魔女ではないと。

 

 

 「操られてる可能性は?」

 

 「スネイプが開心術で確かめたからほぼ間違いない。それすらも欺くような闇の魔術を使われてる可能性もあるが、そこを論じていたら切りがないしな。そもそも、仮に敵が彼女を使ってくるとして、用途はなんだ?」

 

 「そうだな……撹乱するにも今のホグワーツの中じゃあ限界がある、むしろ、人質に取ったほうがまだいいんじゃないか」

 

 「俺もそう見てる。死喰い人が利用するとしたら、拐いやすいところに誘導するくらいだろう」

 

 結局のところ、一年生の少女に出来ることなどほとんどない。

 

 これが、パーシーやセドリックであれば、服従の呪文などをかけた状態で校内に送り込めれば、様々な形で利用価値もあるだろう。

 

 だが、服従の呪文とて万能ではない。こちらにセブルス・スネイプという開心術、閉心術の達人がいることは向こうとて知っているはずであり、なおかつ彼は魔法薬学教師であるから、ホグワーツ内部ならば個人裁量で合法的に真実薬を使うことすら許可されている。

 

 アルバス・ダンブルドア、ミネルバ・マクゴナガル、フィリウス・フリットウィック、ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピン、セブルス・スネイプ、そしてリリー・エバンズ。

 

 不死鳥の騎士団の主力がクリスマスのホグワーツには集結している。この布陣に対して一年生の女の子を操ったところで何が出来るというのか。

 

 

 「むしろ、危険に向かって突っ走った彼女を人質に取られる可能性のほうが高い。ジニーと一緒にいることが多いからそこはパーシーがいるが、そうでない時はセドリックに見てもらうことにしてる。当然、いざとなれば俺らが行くがな」

 

 「まあ、セドリックが一緒なら心配ないだろう。こっちから意図的に混乱を起こして敵を網に入れるんだ、用心はいくらしたっていい」

 

 宴の準備も、罠の支度も完了し、後は結果を待つばかり。

 

 

 「混乱を起こすことについては、我らが最低最悪の“悪霊殿”が一番だ。夜間学校にいた処刑器具に怪物にと、よくまあここまで徘徊させるものだと感心する」

 

 「確かにな。俺らが楽しんだあの夜間学校が、今や昼の時間帯でも当たり前になりつつある。この変化を知らない死喰い人共はさぞや面食らうだろうよ。さあ、後は罠の結果を御覧じろ」

 

 果たしてこの罠、どれほどの大物がかかるのか。はたまた、何もかからず空振りに終わるのか。

 

 長い生誕祭の夜が、始まろうとしている。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

 「大きな網を用意はしたものの、予想ほどの大物はかからず、かろうじて小魚が一尾。今宵の顛末をまとめるならば、泰山鳴動して鼠一匹、といったところでしょうか」

 

 「まあそんなところになるかの。人喰鮫を捕えることは叶わねど、こちらも鮫に噛まれる者はなく、被害がないことにまずは何よりといったところじゃ」

 

 前代未聞の祭りの終わったホグワーツの校長室にて、校長と悪霊が話し合っている。今となってはずいぶん長く魔法の城で教鞭をとり続ける古参の二人が。

 

 個人にして最強の戦力であるアルバス・ダンブルドアの影に、形なき遍在する悪霊あり。

 

 

 「入れ替わりの宴だけでもホグワーツの歴史に残すべき珍事が随分と記録できましたので、私としては面白き聖夜に満足といったところです。この城の混沌さを前に為すすべもなかった真面目な死喰い人達はご愁傷さまでしたが」

 

 今宵の祭り、例によって悪霊教師の役割は囮であった。

 

 表側のポリジュース・ダンスパーティーを阿鼻叫喚の悪霊の宴とし、敵も味方も全てを欺くことにかけてならばコイツ以上の適任はない。

 

 巻き込まれた生徒としてたまったものではないだろうが、別に死喰い人を誘き出す目的がなくともこの悪霊は騒動を起こすのだ。ハロウィンやクリスマスに悪霊がやらかすこと自体はただの恒例行事であり、だからこそ生徒の大半はその裏で捕物が行われていることに気付かない。

 

 もっとも今年は、薄々感づいて注意深く観察している者達や、完全に仕掛け人らの手伝いとして動いている上級生も幾人かいたわけだが。

 

 

 「そして、物損や人的損害で語るならば痛み分けですが、情報という視点で見ればホグワーツ陣営の勝利と言えましょう。小物とはいえ、敵を生きたまま捕縛できたというのは大きい。ここから先はスネイプ先生の独壇場ですね」

 

 聖夜の捕物において、カロ―兄妹、ロウル、セルウィン、トラバース、ギボンらの中堅どころ死喰い人の多くが確認され、待ち構えていた不死鳥の騎士団の主力らと交戦。

 

 規模自体は小競り合いとも言え、敵は戦況不利と見てダンブルドアが参戦する前に撤退したわけだが、そのうちの一人ギボンは逃げ切れず捕虜となったのであった。

 

 

 「そこは確かにセブルスの領分じゃな。儂としては見事な悪戯を披露してくれたピーターに殊勲賞を贈りたいがの」

 

 「地図で私も戦況の経緯は追っていましたが、その名を見た時は“そう来たか”と思いましたよ。魔法警察でも闇祓いでもブラック家でもない彼だからこそ、死喰い人からすれば死角となる」

 

 逃げ切れなかった死喰い人、ギボンを捕らえたのは小さな伏兵、ピーター・ペティグリューである。

 

 正確には、この聖夜の夜ではリーマス・ルーピンの胸ポケット中にずっと一緒にいて、ルーピンと交戦したギボンの背後にネズミの姿で密かに忍び寄り、ささっと失神呪文をゼロ距離で放ったのだ。

 

 いくら無言呪文で“盾”を張ろうとも、その内側から毒針を刺されてはひとたまりもない。遠くからの弓の射撃には滅法強い盾の弱点を見事についた奇襲であった。

 

 

 「ほっほ、まさに悪戯仕掛け人、“忍びの者”の本領発揮といったところじゃな」

 

 「そこは同意できますね。あの四人はいずれも優秀な者達ですが、ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックの本質は“戦士”、リーマス・ルーピンは“教師”ですが、“忍びの者”と言えばピーター・ペティグリューが随一。かの魔法大臣室糞爆弾事件にしても、要は彼でした」

 

 目立つのはジェームズとシリウス、少し離れたサポートするのはリーマス。悪童二人組と対立するのはセブルス。

 

 そんな構図が、今のホグワーツですらも認知されているからこそ、彼の存在は伏兵となる。

 

 ちゃっかり者のピーター・ペティグリュー。この四人目がいてこその忍びの地図、悪戯仕掛け人なのだから。文字通りの、泰山鳴動して鼠一匹である。

 

 

 「なにはともあれそこは重畳。ところでダッハウ先生、子供達に何か異変はなかったかの?」

 

 「ポリジュース薬を用いた入れ替わりの宴はまさに阿鼻叫喚の坩堝でしたが、秘密の部屋に関することであれば、“拍子抜けするほど”何もありませんでしたよ」

 

 「ほほう、なるほどのう」

 

 「自分自身は傍観者、対処に動くのは他人任せが私の基本原則ですので、例のデルフィーニ嬢については秘密の部屋探索組の上級生に任せましたが、特に何事もなく聖夜は終わりました。彼女をずっと見守っていた、セドリック・ディゴリー少年には感謝いたしますが」

 

 観測結果はただ告げる、今宵、何もなかったと。

 

 生徒達の誰も、秘密の部屋について動いたりはしなかった。それが結末であると。

 

 

 「セドリックか、彼もまた儂にとっては自慢の生徒の一人、ハッフルパフの良さを体現する良き少年じゃが、君が何やら気にかけているというのは少しばかり意外に思う」

 

 「確かにそう見える部分もあるでしょう。ただ、時計塔の基本原則として、墓には忠実であれと決まっているのです。こと、遺言というものに関してはこれだけは守らねばならぬと」

 

 「ふむ、実に興味深いの、予言ではなく遺言とな。それは儂が聞いてもよいものなのかのう」

 

 「ええ、今となっては隠すほどのものでもなく、創始者達の禁則事項も既に解かれております。“セドリック・ディゴリーを忘れるな”、それが、私を構築する材料となった魂の欠片たちに残る共通した妄念、あるいは、ダイイング・メッセージとも呼べるものです」

 

 かつてその言葉を、守れなかった者達がいた。

 

 時の因果は複雑に絡み合い、その言葉の意味を正確に知っている者はこの時代にはいるはずもない。

 

 だが、それでもなお時計塔は失敗した歴史を保存し、記録している。

 

 ホグワーツの子供達がセドリック・ディゴリーの死から目を背け、権力の犬が書いた妄言を信じ込み、彼の墓を侮辱し穢したその時に、破滅はやってきたと。

 

 いいや、破滅の未来が、逃れられない運命に変わった瞬間なのだと。

 

 

 「“忘れるな”、その言葉の意味するところは」

 

 「お察しのとおりです。マートル・ウォーレンに続き、またしてもこの城は生徒の生贄を出した。歴史に学ばず、教訓にすることもなく、愚かな妄言ばかりを信じ続け、挙句の果ては疑心暗鬼の自滅と。そのようなどん詰まりの歴史もまた、あり得るということ」

 

 多くは語らずとも、伝わることはある。

 

 アルバス・ダンブルドアはそれ以上を悪霊に問うことはなく、悪霊もまたそれ以上を語るつもりもないらしい。

 

 更に問われたならば、禁則事項に触れぬならば応えるだろうが、自発的に警告を伝えるような殊勝な心など持ってはいない。

 

 この存在は、人類史を嘲笑する歴史の影なのだから。

 

 

 「ハリーのことも気になってはおったが、そこにセドリックもとは。やれやれ、校長という職務も楽ではないのう」

 

 「ハリー・ポッターについてならば、危険の影は見られません。彼を守る母の愛は深く、運命は異なる道へとズレている。闇の帝王が消え去れば、予言の子もまたいなくなるのは道理というものでしょう」

 

 ダッハウを縛る禁則事項もあと僅か、時の終わりは近いのだろう。

 

 時計塔の悪霊は何かを知っている。それを暴こうとしたホグワーツの人間は過去に幾人かおり、それぞれに思うところは多いらしい。

 

 そして、彼もまた――

 

 

 「失礼いたします校長先生、少々込み入ったお話があります。不肖の我が子、ベラトリックスについて新たな事実が判明いたしました」

 

 校長室へ急ぎ足で駆けつけたシグナス・ブラック、彼の口からもたらされたある情報が、秘密の部屋に関する物語にいかなる影響を与えるか。

 

 その一滴は、全てに広がる波紋となるのか。

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

  

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『いったい自分は、何をしている?』

 

『クリスマスの夜、今日こそは秘密の部屋を開く絶好の機会ではなかったか?』

 

『そうしたはずだ、そのように動くよう命じたはずだ。分霊箱の強制力が弱いはずがない』

 

『なのに、なぜ。何事も起きていない』

 

『失敗した、やはり帝王の日記帳を手放すべきではなかった。あそこから何かが狂い始めた』

 

『血を裏切りし娘に渡したりなどせず、自分の魂を捧ぐべきだった』

 

『ああいや、それであっているのか、何か取り違えていないか?』

 

『何かがおかしい。あの馬鹿げたパーティー会場で自分は誰に会った?』

 

『……ゴーストに会った、頭を撫でられた、とても、とても心地よかった。それはまだ薬を飲む前だ』

 

『そして薬を飲み、誰になった?』

 

『名前を、誰かに名前を呼ばれた。何と呼ばれた?』

 

『自分、僕? 私? ええと、わたしは、そう、わたしはヴォルデモート卿だ』

 



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幕間 ホグワーツの思い出

キンジットさま 誤字報告ありがとうございます!


 聖なる夜には、不思議な出会いがあるという。

 

 それは時に過去に出逢った人の影であったり。

 

 それは時に、逢うはずもない不倶戴天の敵であったり。

 

 語られなかった物語、他人に語るつもりのない物語、それらは往々にしてあるもの。

 

 ここに記録されるは、本筋とは少し離れて、しかし無縁というわけではない人々の記憶の欠片。

 

 それもまた、ホグワーツの歴史の一部であり。

 

 時計塔は、語ることはなくとも記録している。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「スネイプ先生、貴方はデルフィーニという少女についてどう思われますか?」

 

 死喰い人達の侵入があり、迎え撃った騎士団員の面々が次々と帰還してくる中。

 

 リリーと共にカロー兄妹と戦い、撃退することに成功したセブルス・スネイプは、あまり見たくない顔に会ったため、露骨に顔をしかめた。

 

 

 「これはまた唐突な問いですな、ダッハウ先生」

 

 「それほど唐突というわけでもないでしょう。今宵は死喰い人らの侵入があったのですから、両親が死喰い人である彼女には何か関係があるのではという疑念はむしろ持って当然のもの。ただ、どう考えるかは人それぞれですから、貴方はどう思うのかをふと尋ねてみたくなっただけですよ」

 

 対する悪霊教師はいつも通りに、いけしゃあしゃあと嘲笑っている。

 

 別に声を上げて笑っているわけでもないのに、誰もが思うのだ、コイツはいつも嘲笑っていると。

 

 ただしそれが、誰を嘲笑っているのか、何に対して嘲笑っているのかは誰も芯を掴めてはいないだろうが。

 

 

 「有り体に言えば、恐らく陽動の一種でしょうな」

 

 「なるほど、まあ妥当なところですね。賢者の石の奪取に失敗した以上、あの手この手、搦手から来るつもりと見えます。実にスリザリンらしいとも言えますが、だからこそ貴方は厄介なのでしょう」

 

 セブルス・スネイプの見るところ、彼女の主要因はおそらく、ドラコ・マルフォイに紐付けるための駒。

 

 ひょっとしたら他にもなにかあるかもしれないが、少なくともスネイプにとって気をつけるべきところはマルフォイ家周辺だ。

 

 死喰い人陣営は、相当にセブルス・スネイプを警戒している。11年前のあの時も、去年の賢者の石のときも、彼に企みを打ち破られたと言っても過言ではないから。

 

 蛇の狡知を知り尽くした騎士団員とは、本当に厄介なのだ。

 

 スネイプの守る対象にデルフィーニ・スナイドを加え、あわよくば少しでも行動を制限できれば、という程度の思惑の可能性もある。

 

 

 「開心術を用いて調べましたが、彼女に嘘は見られない。もっとも、本人すら意図しない形に記憶を封じる手段が数多ありますので、それで完全に白というわけでもありませぬが」

 

 「可能性を疑いだせば切りがない。それが魔法界というものですからね。ならば、人間は人間らしく、自分の目で見た彼女の為人を信じるがよろしいでしょう。全てを疑ってかかるへそ曲がりは、私一人いれば充分というもの」

 

 それが、ノーグレイブ・ダッハウ。

 

 この存在は語る言葉は、いつも嘘か真か判別がつきにくい。

 

 歴史について語る時は常に“事実”のみを口にするが、まだ歴史になっていない事象については、基本的に曖昧で断定することがほとんどない。

 

 まるでそう、“お前は未来を口にするな”と誰かに強固に封じられているように。

 

 

 

 「ダッハウ先生、いいえ、時計塔の悪霊よ。貴方の問いに答えたように、私もまた貴方に問いたかったことがあります」

 

 「構いませんよ、どうぞ。答えられる限りにおいては答えましょう」

 

 「貴方は……彼女の、メローピー・ゴーントの記憶を、まだ?」

 

 「ええ、時計塔はその部分に関する一部の記憶をお預かりしています。まあ、厳密には彼女は忘れているわけではなく、“それを不安に思わない”ようになる思考操作に近いはずですよ。流石は創始者が御二方、開心術の達人ヘルガ・ハッフルパフ様と忘却術の名手ロウェナ・レイブンクロー様の合作です」

 

 彼が施した処置自体に、別段そこに深い理由があるわけでもない。

 

 ゴーストが情緒不安定になって、生徒達をホグワーツが許さぬ形で害したりしないよう、管理するのは“裏側管理人”の職権だ。

 

 悪霊が使う機能というよりも、創始者達の残した装置と言える。

 

 

 「……これを知るのは、貴方と校長先生くらいのものですが。私が死喰い人ではなく、不死鳥の騎士団の一員であることを選んだ最大の要因は、彼女の生涯について幾度も聞いたことです」

 

 「存じております。ちょうど今日、似たような話をリリー・エバンズとマートルさんがしていましたね」

 

 メローピー・ゴーントは、セブルス・スネイプに語って聞かせた。

 

 マグルの男性に執着し、破滅していった一人の女の人生を。

 

 そして、トビアス・スネイプとアイリーン・プリンスの夫婦にも近しい危うさを感じるからこそ、他人事ではいられないのだと。

 

 ひょっとしたら、私の息子、トムも貴方のように色々と悩んでいたかもしれない。

 

 

 『あの子を一人で残して死んでしまった私は、良き母親ではなかったでしょう。あの子が誰かに抱きしめて欲しい時に、何も力になってあげられなかったから』

 

 

 「ルシウス・マルフォイ氏を始め、スリザリン寮の先達の方々に私は尋ねた。そうして多くの話を聞き、統合していけば一つの線が見えてきた」

 

 「その子であるドラコ・マルフォイも、たまにメローピーさんと話しておりましたね。まあ、マルフォイ家ともなれば、ゴーントの家を気にかけるのは当然とも言えますが」

 

 特に、“ゴームレイス・ゴーント”と秘密の部屋については純血名家ならば気になるだろう。記録には数百年前に彼女が秘密の部屋を開いたとあるが。

 

 ゴーント家は古い家なので、歴代の誰かがホグワーツにゴーストとして残っていても何も不思議はない。何せ、1000年前のレイブンクローがこうしているのだ。

 

 

 

 「ドラコの持つ疑問は、かつては私が抱いたそれとほぼ同じものでした。プリンス家、マルフォイ家、ブラック家、そうした家に関わる者ならば誰もが抱く疑問だ。そして何よりも、貴方について」

 

 「あの時も、貴方は私に問うた。よく覚えておりますよ、“私はどちら側なのか”と」

 

 「そうです、どうしても貴方の立ち位置だけは全く分からなかった。エバン・ロジエールら最古参の死喰い人らは、主が“ゴーントの指輪”を付けている姿を学生時代に見たことがあると」

 

 闇の帝王がパーセルマウスであることは有名だ。

 

 だからこそ、彼がゴーントの血を引く人物であることは多くの人間が推察している。というか、参加している純血の死喰い人の大半はそう思っているだろう。

 

 

 「ですが、彼女は言ったのです。彼女の父、マールヴォロ・ゴーントという男は、異常に指輪に執着していたと。娘である自分よりも、ずっとずっと、その指輪だけを愛しているようだと。指輪こそが、彼の“愛しい人”なのだと」

 

 今は執着のゴーストと渾名される、裏方事務員の女。

 

 執着というものは、彼女の人生と決して切り離せぬものだ。あのゴーントの家に呪われた蛇の末裔は、誰もが血に、指輪に、そして愛に執着していたのだから。

 

 

 「ゴーントの指輪は、伝説上の品を闇の帝王が発掘したものなどではなく、確かに彼女が生きた時代にゴーントの家にあったもの。ならば自ずと一本の線に繋がってくる。今は闇の帝王を名乗る者、トム・マールヴォロ・リドルを産んだのは一体誰であるのか」

 

 「そして貴方は、不死鳥の騎士団についた。闇の帝王は敗れると、誰よりもセブルス・スネイプは確信したわけですね」

 

 少なくともその時から、ヴォルデモート卿を名乗る闇の帝王は、セブルス・スネイプにとって“見えざる脅威”ではなくなった。

 

 強力な闇の魔法使いであることは事実であろう、多くの死喰い人を従えるある種のカリスマを備えているのも間違いない。

 

 だが、それでも―――

 

 

 「彼女の話を聞き、私と似ている部分があると思えばこそです。私がスリザリンを志したのも、我が母、アイリーン・プリンスの執着に似た愛からのもの。まさに他人事とは感じませんでしたので」

 

 「ゴーントの家とプリンスの家の類似性については今更というものですね。血に縛られし半純血のプリンスであった貴方は、メローピー・ゴーントがホグワーツにいることこそが、闇の帝王の敗因になると感じたと」

 

 「貴方のことだ、秘密を守ることなどありえない。城で雇うゴースト事務員の素性くらい、当たり前に校長や副校長に報告済みでしょう」

 

 「その通りです」

 

 つまり、アルバス・ダンブルドアも、シグナス・ブラックも知っている。

 

 闇の帝王のそのルーツを。死喰い人という集団を作ることとなった根源的な怒りを。

 

 だからこそ、アルバス・ダンブルドアは正面から戦うことを選んだ。かつての教え子の怒りの由縁を知らぬまま、導けるはずなどなかったのだと、過去の己の浅慮を悔いながらも。

 

 そして、ブラックの血を冷静に俯瞰する副校長は、知った上でなお揺らがず。彼にとってその葛藤は、とうの昔にある種の割り切り、そして、諦めた道であったから

 

 オライオン・ブラック、イグネイシャス・プルウェット、ハラルド・マッキノン、そして、トム・リドル。

 

 自分達がホグワーツで学生だった時代を思い返しつつも、それは既に過去のこと。

 

 ただそれでも、秘密の部屋に殺された一人の知人の幽霊のことは、今も忘れられるものではなかったが。

 

 

 「そしてそう、貴方の存在もそうだ。私もそれなりに長くホグワーツの教師を務め、確信したことがある。“ダッハウ以前”と“それ以後”では、別の学校と言えるほどの隔たりがある。いや、あの夜間学校が昼にも流出したのか」

 

 「なかなか面白い例えです。確かに、魔法戦争が終わってより“生徒に現実を叩きこめ”と当時の副校長閣下より依頼を受けました」

 

 「死喰い人達の大半は、夜間学校のないホグワーツしか知らない。その頃からも魔法史教師として貴方はいた。しかし、生徒に干渉はしなかった」

 

 かつて裏側管理人であり、時計塔にしかいなかった悪霊。

 

 魔法史教師の“役”に入り込み、教室までは生徒と関わるようになったダッハウ。

 

 そして魔法戦争以後、処刑器具らを表へ解き放つ。“難しい歴史なんて知らない”、“興味もない”と歴史の教訓を聞き流す生徒達へ、容赦なくスクリュートをけしかけるドクズ教師。

 

 歴史に学ばぬ衆愚がどうなるかを、実に悪辣で嫌らしい方法で生徒に教えるのが今のノーグレイブ・ダッハウ。コイツ自身は何も変わらないのに、役割だけは変遷している。

 

 

 「私や忌まわしいブラック達は、“貴方以後”で物事を考える。死喰い人達は“貴方以前”で考える。それは防衛側のアドバンテージにもなりますが、先入観に基づく油断にも警戒する必要はあるでしょう」

 

 「長所とはすなわち短所にもなりうると、素晴らしいですよセブルス・スネイプ。狡猾な蛇の機知と洞察力、やはり貴方はスリザリンに相応しい。サラザール様とて、模範であるとお認めくださるでしょう」

 

 創始者の名を用いて称えるならば、悪霊の言葉に嘘はないのであろう。

 

 この存在は、墓に対してだけは決して虚言を弄さない。

 

 

 「そして後は確かに、貴方の予想された通りでしたね。校長先生はそれらを知った上で、アリアナちゃんを守るためにかつての教え子を討つと決めた。実にグリフィンドールらしい覚悟の表れであり、正面対決ではどうしてもスリザリンの分が悪い」

 

 「闇の帝王の強さ、その恐怖の秘訣は、見えざる脅威であることでした。己のルーツが知られたならば、行動原理もまた読まれやすくなる。あの時点で既に、闇の帝王は詰んでいたのだ」

 

 当然、その滅びに一枚どころではなく関わっているのはセブルス・スネイプである。

 

 しかし、アルバス・ダンブルドアが予言などを聞く遥か前から、メローピー・ゴーントの人生の話を彼が聞いていたこと。

 

 運命はそこから大きく変わった。むしろ、変わらないはずがない。

 

 メローピー・ゴーントという存在は、それほどに、闇の帝王の根幹そのものなのだから。

 

 

 「リリー・エバンズに多大な影響を与え、予言の子の該当者の一人であったハリー・ポッターの出自を違ったものとしたのもまた彼女。何せ彼は、ハリー・ジェームズ・シリウス・アルバス・セブルス・ポッターなのですから。貴方もまた彼の父親なれば」

 

 「そうです、ハリーは私の子だ。そう言い切らねば、私は永遠にジェームズに負けたままとなる」

 

 「ならばそれでよいでしょう。思えば、トム・マールヴォロ・リドルという存在にとって母親は“失った愛”でしたが、誇りある父親という要素も欠けていた。本当に彼は、孤児院育ちの一人きりの迷い子。なまじ強い力と蛇の狡知を備えて生まれてしまっただけに、マグルに馴染むことも出来なかった」

 

 因縁の収束点は、きっと近い。

 

 パーセルマウスは誰であり、秘密の部屋を開けようとするのは誰か。

 

 サラザール・スリザリンの直系、ゴーントの血筋は長らく彷徨った末に果たして蛇に成り果てるのか。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「クリスマスの夜に、暖炉からコソコソと魔法の城に入り込む鼠は何者ですか?」

 

 そして、悪霊とスリザリンの寮監が話している頃。

 

 死喰い人達の撤退を確認した後、副校長として各地の出入り口を入念にチェックしていたミネルバ・マクゴナガルもまた、予期せぬ人物との再会を果たしていた。

 

 ただ、完全に予期しなかったかといえば、それは正しくもなかっただろう。

 

 虫の知らせ、いいや、夢のお告げのようなものを感じたのは間違いなく、それに従って彼女はこの時にここに居合わせたのだから。

 

 

 「おおっと見つかっちまったか。忍び込むのは自信あったんだが、何事にも細けえところはあいも変わらずだなぁミネルバ」

 

 「それを貴方が言いますかアントニン。私やアメリアが常に駆け回る羽目になった原因は誰でしたか」

 

 「さて、誰だったかねえ。凶悪な死喰い人か、それとも厄介な時計塔の悪霊か、いずれにせよ、しがない煙突掃除の小人には分かるはずもねえ」

 

 死喰い人の幹部の一人、およそ武においてはエバン・ロジエールに次ぐNo.2。

 

 そして、数十年前に防衛クラブという組織をスリザリンに立ち上げ、後に死喰い人となっていく集団の基礎を築いた男。

 

 蛇寮のかつての監督生、アントニン・ドロホフがそこにいた。

 

 

 「煙突掃除……なるほど、貴方が忍び込めたのはそういうことですか」

 

 「察し良くて何よりだ。俺が思うによお、こういうトンチの効いた誤魔化しっつうか、古き良き魔法を使うやつってのは、最近どんどん減ってるよなあ。確かに、失神光線だのは便利だがよ。些かマグル的過ぎるとは思わねえか?」

 

 “煙突掃除の小人の魔法”と呼ばれるものがある。

 

 魔法使いにとって煙突飛行は馴染み深いものであり、それが粉と暖炉を用いるものである以上、煤というものは当然溜まる。

 

 そうした魔法の粉の残骸から生まれるのか、餌としているのかは定かではないが、庭小人かあるいは屋敷しもべ妖精の亜種のような存在で、使い込まれた魔法の暖炉の煙突に住まう小人達がいる。

 

 アントニン・ドロホフの格好は、そうした粗末な衣服を纏う小人にそっくりであり、煤に塗れて顔まで真っ黒になっていた。それを彼女が判別出来たのは、腐れ縁のみが分かる雰囲気としか言いようがあるまい。

 

 

 

 「お黙りなさい。杖も持たずにホグワーツに忍び込むことを“魔法族的”と言うならば、誰もがマグル的な手段を選びます」

 

 「そのマグルのお伽噺のおかげで、こうして入り込めたのさ。まあ、こうして見つかっちまったら意味ねえが、サンタクロースってのは中々粋なお伽噺だよなあ。聖なる夜だけは、こうして煙突から忍び込めるってもんよ」

 

 それはつまり、子供にプレゼントを渡すためだけの魔法。家人にバレてしまうと、煙突から入り込んだ者は退散するしかない。

 

 魔法の杖などは持ってはならない。家を破壊するような魔法も使えない。

 

 言わば、自分が煙突掃除の小人になりきることで、“プレゼントを子供へ届ける幻想”を体現する魔法だ。

 

 

 「何をしに来た、と問うのは意味がありませんね。そのような魔法を纏っている以上、出来ることは限られる」

 

 「そりゃそうだ。ちょいとパパさんからの、ああ、この場合はむしろ偉大なる主君様ってのが正しいかね。可愛い娘へのお届け物をもってきた使いっぱしりさ。つってもまあ、独断専行も同然なんだがな。驚くかい?」

 

 「いいえ全く。むしろわたくしとしては、貴方のような悪童そのものの存在が、よく死喰い人という宮仕えをしていられたと、そちらのほうが驚きです」

 

 「はっ、違いねえ。まあそこら辺はロジエールの旦那のおかげだな」

 

 基本的に陽性とは言い難い性格の多い死喰い人にあって、この男の立ち位置は少々特異だ。

 

 在学時にあっても、散々問題行為を行ってはいたが、レイブンクローのフィリウス・フリットウィックらとは親交を保ち続けていた。

 

 だが同時に、そんな無邪気さのままで多くの闇祓いを殺すことも出来る一種の破綻者。

 

 それが、殺し屋ロジエールと並ぶ死喰い人の処刑役、アントニン・ドロホフという男であった。

 

 

 

 「ところでミネルバよ、お前さんは夢を見たか?」

 

 「……見ていない、とは言えませんね。内容はほぼ覚えていませんが」

 

 そんな男の問いであっても、彼女が応えるその理由。

 

 ホグワーツには秘密がある。多くのものが関わり、そして未だに答えの出ない秘密が。

 

 

 「随分前だが、俺も見たことがある。そして思ったね、四寮でごちゃごちゃしてるほうが面白え。マグル生まれを全員追放するか殺して、スリザリン一色になっちまったホグワーツなんてのは、つまんねえよ」

 

 数十年前、ドロホフがかつて見た夢。この男曰く、あまり面白くはないホグワーツの姿。

 

 蠍の王を名乗る男が現れ、滑稽な裸の王様を演じるような、望まざる終わりへ至る破滅の道。

 

 

 「あの光景を、貴方も見ていたのですか……」

 

 思えば、時計塔の悪霊を一切恐れず正面から問いを投げた生徒はルーナ・ラブグッドが最初ではなかった。

 

 この悪童を含む死喰い人たちもまた、例外なくホグワーツのOBなのだから。

 

 

 「副校長になったって聞いたぜ、小さな時計は今はお前が持ってるんだろ? 俺はアレになにかあると思ってんだが、まあ謎解きは人殺しの領分じゃねえわな。とはいえ、全く気にすんなってのも無理があるってもんだろ」

 

 今はミネルバ・マクゴナガルの預かる“小さな時計”。

 

 かつて時計塔から出てきたというそれに何かがあると、彼は思っている。

 

 いいや、彼のみならず、前副校長であったシグナス・ブラックを始めとして、様々に推測している者らは多かろう。恐らくは、セブルス・スネイプなども含めて。

 

 

 「俺はあの頃以来例の夢は見てねえが、ロドルファスが半年くらい前に見たってよ。ちょうどほれ、マルシベールの奴がくたばったあたりでよ。あとあー、こいつは言っちまっていいのかね」

 

 「知りません」

 

 「そうかい、んじゃ言わねえでおく。んで、ロドルファスの見た夢だが、闇の帝王の娘を託されて、そいつを育てる夢だったとさ」

 

 「闇の帝王の娘ですか、母親は誰なのです?」

 

 「そこを聞いちまうのは野暮ってもんだろ。まあそれが誰であれ、あいつは顰めっ面してたよ。まさに見たくもねえ顔、ああそうだ、まるでダッハウの奴でも見ちまったようにな」

 

 聞くだけならば、死喰い人ならば最上の栄誉と言ってよいはずの大役。

 

 なのになぜ、ロドルファス・レストレンジは、有り得てはならない呪われた未来を語るように、その夢をドロホフに話したのか。

 

 

 「なんつーか、こうなってみるとあの悪霊の言う通りなのかね。俺達はどうにも、袋小路に嵌りそうな悪い夢に囚われちまってる。全然自覚のねえやつも多いんだが、あの人から大事なものを託された幹部連中は、俺も含めてどうにも最近なにか思うところがあるらしい」

 

 それがなぜかまでは分からない。

 

 闇の帝王の魂の欠片の込められた分霊箱。それらは持つだけで人の不安や重圧、裏切りの抑止などの効果を与える呪いの品だったはずなのだが。

 

 

 「ロジエールの旦那も言ってたが、最近何かが変わってきているきがするってな」

 

 分霊箱の変化。

 

 本来なら、互いに変化するはずがない。

 

 切り離された時点でそれらはアンカーであり、同一人物の魂の欠片でありながらも、本体とは繋がっていても分霊箱同士が共鳴することなどないはず。

 

 だが、影響が出ている。これはつまり、本体の魂にも多大な変化が起きているということでは?

 

 

 「つーわけで、バレちまった煙突掃除の小人はここらで退散だ。コイツは、気が向いたらお前さんが渡してやってくれや」

 

 投げ渡されたそれを、ミネルバ・マクゴナガルは用心しつつも浮遊呪文で浮かせて取る。

 

 穴熊の意匠、ホグワーツ四寮の一つ、ヘルガ・ハッフルパフに由来するカップ。

 

 

 「なぜ、これをわたくしに?」

 

 「ぶっちゃけ俺もよく分からん。勘と言っちまえばその通りなんだが、なんかそうした方がいいような気がしたんだ。他の持ち主、つうかクラウチJrが言うには、コイツを持ってると、どうにも母親に逢いたくなって仕方ねえらしい。俺にはよく分からん感覚だがな」

 

 屋敷しもべ妖精に育てられた純血の家の者達には、分からなくはないがそれほど深くは求めたことがないその感覚。

 

 だからなのか、縁を切りたいとばかりに放り投げ、アントニン・ドロホフは踵を返す。

 

 そしてそれは、二度と逢うことのないだろう別れを予感させた。

 

 

 「去るのですか」

 

 「俺は死喰い人のアントニン・ドロホフだ。死ぬまでそいつは変わらねえが、死に場所ってのは自分で選びてえ。この懐かしき学び舎で死ぬってのも悪くはねえがな」

 

 古い魔法というものは強力なものだ。

 

 例え今ここで、彼女が失神呪文を放ったとして、“何故か手元が狂って”逸れていくだけだろう。

 

 そしてまた、小人の幻想を纏って侵入した側も、持参した贈り物を届ける以外のことなど出来はしない。こうして贈り物を城の人物に渡した今、出来ることは帰るだけ。

 

 それが分かっているからこそ、ただ言葉だけが、二人を繋ぐ縁となる。

 

 

 「くたばった後は、俺もここの愉快な悪霊たちの仲間入りかね。マートルの後輩ってのは苦労しそうだが、なかなか面白そうな職場じゃねえの。なぁミネルバ、お前も死んだら教師にどうよ? 灰色レディの後釜だろうがお前なら務まるぜきっと」

 

 「遠慮しておきます。それに、私は貴方のことが昔から心底嫌いでしたので、アントニン」

 

 「そうかい、そりゃ残念。まあ、好きにしたらいいわな。あばよ」

 

 本当に軽く、それだけ告げて、悪童の死喰い人は去っていった。

 

 壮大なことなど何もなく、世間話をするような気軽さで、戦いに関することなど何も語らぬまま。

 

 

 

 「小さな時計、ですか」

 

 ミネルバ・マクゴナガルは暖炉から去った影を見つめたまま、ふと、懐に手を伸ばし時計の在り処を確認していた。

 

 不安があるわけではない、自分達の未来に暗雲が立ち込めているようには思えないが。

 

 

 「まるで、物語の蚊帳の外に置かれたような気分ですね。主役でない私達はどれだけ望もうとも影すら踏めない。それが幸運なのか不幸なのか」

 

 それだけを呟き、彼女も踵を返して場を離れる。

 

 後に残るは、誰もいなくなった静寂だけ。

 

 

 

 

 「それにしても、母、ですか」

 

 人の悲しみも辛い過去も包み込むような静かな暗闇を歩きながら、ふと彼女は呟いた。

 

 イゾベル・ロスという純血の魔女が、ロバート・マクゴナガルというマグルの男性と結婚し、ミネルバ・マクゴナガルという半純血の魔女は生まれた。

 

 その弟のロバートも、エドガー・ボーンズらと友誼を結び、後に闇祓いの局長となるルーファス・スクリムジョールに“悪戯眼鏡とモテ男”と呼ばれつつ不死鳥の騎士団へと。

 

 ああそうだ、弟たちにアントニン・ドロホフの防衛クラブについて忠告していたあの頃から、マートル・ウォーレンは嫉妬の悪霊で、例の教師も既にいた。

 

 あの頃、まだいなかったのは―――

 

 

 「そういえば、あの人が何時から、どうしてここにいるのか」

 

 そのカップに手で触れると、ああ、確かに母との思い出が浮かんでくる。

 

 そこに嫌なものは何もない。平穏で、優しく、温かな気持ちだけが安らぐように流れていく。

 

 まだ幼い自分が優しく母に抱きしめられている過去の光景を幻視しながら。

 

 視界の片隅で月明りの下、穏やかに、とても穏やかに微笑みながら書を綴っている女性の姿があった。

 

 その輪郭は透けている。なのになぜか、この暗がりの中で目が離せない。

 

 

 なぜかそこにもう一人、母と他愛ない話をして笑っている幼い少年がいるような―――

 

 

 

 

 

 これは、語られなかった一幕。

 

 秘密の部屋にまつわる物語に、大きく関わることのないまま終わった、魂の欠片。

 

 それでも、願う心がある、込められた祈りがある。

 

 

 

 一度でいい、自分の生まれた場所にいつか帰りたいのだと。

 

 



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9話 許されざる呪文

秘密の部屋編、後半に入ります。
ここから4話ほどが、起承転結での「転」になるかと。

キンジットさま、貧血さま、誤字報告ありがとうございます!


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【許されざる呪文】

 

 魔法界には、許されざる呪文と呼ばれる禁忌がある。

 服従の呪文、磔の呪文、そして、死の呪い。

 

 魔法は多種多様であり、その中には巨大な爆発を起こすもの、全てを焼き尽くす炎などもある。

 ならばなぜ、その中でもこれらの魔法は禁忌とされるのか。

 

 一説に、それらの魔法が殺意を原動力とした忌々しい力であるためだという。

 納得できる話であり、実に説得力がある。

 我らの魔法とは心の力なのだから、敵を殺したい、苦しめたい、支配したいと願えば願うほど、力が強くなるということであろう。

 

 ただし、ならばこそ反作用というものも覚悟せねばなるまい。

 相手を支配する魔法を使い続ければ、常に鎖で互いを繋ぐようなもの。

 また、相手に凄まじい苦痛を与え続ければ、使用者の心はどれほど醜く歪んでいくことか。

 

 そして、死の呪いに至っては、殺せば殺すほどに強まるということ。

 死を与え、相手を殺し、強くなり、更に命を求める。これは最早、吸魂鬼の亜種とでも称すべき怪物に他ならない。

 人間を殺す最大の怪物は、同じ人間に他ならないとは、誰の言葉であったか。

 

 『忘れるなかれ、人を呪わば穴二つ』

 『禁忌とされる魔法には、やはりそうされるだけの理由があるのだ』

 『確実に言えるだろう。それらの魔法を使うほど、人から遠ざかっていく』

 『愛を忘れ、歪みきったその果てに、それは人ですらなくなってしまうのだ』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「まさか、お主がリーマスを後継者に迎えるとはの。なかなかに意外な展開じゃ」

 

 「純血主義の私が、ですかな」

 

 ホグワーツの中枢であり、その持ち主のあり方を象徴するように、不思議な魔法の品で満ち溢れた校長室。

 

 今そこに、長く校長を務める老人と、長く副校長を務め現在は理事長として在る老人が、向かい合って話している。

 

 

 「いいや、この際は主義主張ではない。純粋に、孫が可愛いのが祖父というものなのかと思ってのう」

 

 「何も世の老人が全て、貴方のように孫可愛さに暴走するわけではありません。まあ、貴方の場合は妹でもあるという他に例のない現象でしょうが」

 

 ブラック三男家の当主であるシグナス・ブラック。彼の主義からすれば、“元人狼”のリーマス・ルーピンを孫娘の夫して認めるとは、中々に考えがたいことではある。

 

 脱狼薬も日々進歩しており、ピーター・ペティグリューらの開発した最新式の薬ならば完全に理性を残すことはおろか、かなり人に近い姿を保てるとしても。

 

 例え孫娘が、“血を裏切った”次女アンドロメダの娘、ニンファドーラ・トンクスだとしても。

 

 

 「魔法の力は進歩を続けている。やがては人狼という“病”も駆逐されていくでしょう。その中で、過去の因習に縛られるは愚か者のすること、と、進歩主義者の者らならばそういうでしょうな」

 

 「ふむ、お主はそうは思わぬと」

 

 「知っておいでのはず。私は常に政治的中立であり、そして、悲観論者でもある。……腹を割って話すならば、ダンブルドア、貴方は純血の未来についてどう考える?」

 

 それは、あの時計塔の悪霊の存在を知って以来、常に彼が考えずにはいられなかったこと。

 

 そして多くの人間は知らぬが、エバン・ロジエールやアントニン・ドロホフといった死喰い人の幹部とも、密かに話し合ったことのある課題。

 

 

 「我々“純粋な魔法族”は果たして、幻想と成らずにいられるのか? 我々は何時まで、人で在れるのか? 他ならぬ貴方を見ていると、私は不安に思う」

 

 人は、何も使わずに空を飛ぶか?

 

 人は、何も使わずに手から炎を出すか?

 

 人は、何も使わずに透明になれるか?

 

 

 「我々は長く、魔法という力を行使してきた。しかしそれは常に、幻想の生き物の力を借りてのことだった。ドラゴンの心臓、ユニコーンの鬣、不死鳥の尾羽根。最も古き魔法は杖とは無関係のものだが、それ故に形なき効果しか発揮できず、マグル達の幻想を現実に具現するものではない」

 

 しかるに、今の魔法使いはどうか。

 

 他人になるという夢を叶えるポリジュース薬は、例え機械工場の量産品ではなくとも、ああして全生徒に配ることはできるほどになった。

 

 

 「飛翔術が開発されたのは何時のことだ? 箒は、一体何時からあれほどに速くなった? それはまるで、マグル達が空を飛ぶ鉄の翼を得て、これまでにない速度で大空を席巻し始めた時代と重なるのではないか?」

 

 競技用箒が、加速度的に進化を始めたのは何時からか。

 

 現実側にいるマグル達が、自動車やバイクという乗り物を使い、時速数百キロメートルで移動するとはどういうことかを、“誰もが感覚的に”分かるようになる。

 

 その結果として、我々魔法世界の“限界点”もまた拡大し続けているのでは。

 

 

 「物理世界と幻想世界の境界を、幻想の側から守ること。それが、ホグワーツが出来た頃より我々が脈々と受け継いできた役割だ。権力欲に狂い、貴き義務を放棄した愚か者は数限りなくいるものの、それでもなお、我々純血の家はその責務を完全に放棄することはなかった」

 

 だが、何時までそれを守れるのか? いやそもそも、境界線はどこにある?

 

 科学が魔法と区別がつかぬほどに進歩したならば、何がいったい“幻想の夢”となるのだ? 銀河間をワープすることが、魔法使いの領分となるのか?

 

 

 「故に問いたいのだ、アルバス・ダンブルドア。貴方は最も長くホグワーツにいる“人間”だ。既に幻想となった肖像画の校長達や、ゴーストたちとは違う。前の世紀に生まれた貴方は、今の魔法界に生きる子供たちを、その力と在り方の変容をどのように考える?」

 

 座視したままでは、いられない変化。

 

 それを憂いたからこそ、かのゲラート・グリンデルバルドは、血と暴力を用いてでも、魔法界の変革を試みた。

 

 大陸の覇者を止めた、イギリスの英雄よ。

 

 貴方は、その瞳で未来をどう見ているのだ?

 

 

 「それは買いかぶりというものじゃ、シグナスよ。儂は本当に大したことなど考えておらぬ。ただの孫ボケ爺じゃよ」

 

 「しかし」

 

 「まあ聞いて欲しい。若き日の儂は確かに自惚れており、ゲラートと共に何でもなせると考えた。その裏側には、産業革命を経て飛翔していくマグルの世界に比べ、なぜ我らの世界は灰色にくすんでいるのかと、そうした憤りがあったのも事実じゃ」

 

 だが、あの世界大戦の日々において、鉄の翼が空を闊歩し、毒の弾をロンドン全域にばらまいていくのを見て。

 

 アルバス・ダンブルドアは、同時に文明の末路の可能性というもの強くを感じた。

 

 今はああして雄々しく進んでいくマグル達も、遠からぬうちに停滞と自滅の隘路に迷い込むのではと。

 

 

 「進化というものは、本当に難しい。自分では長い道を進んでおるつもりであっても、気付けば同じところを回っているなどざらじゃ。そして今は、停滞の円環であろうとも、そこに愛があれば良いのではと思っておる」

 

 「……進歩も、変化も、そこに愛が残るのであれば、構わぬと?」

 

 「そうなるの。そして最も畏れるは、この世から愛が消えることじゃ。差別、憎しみ、迫害、そうしたものを強めていけば、どれほど強固で発展した社会に至ろうとも、“誰も幸せになれない未来”につながってしまうのではと。それをこそ儂は恐れる」

 

 誰も幸せになれなければ、そもそも愛も文明も全てが意味を失う。

 

 例え終わってしまうものであっても、綺麗な終わりというものがある。そして、そこに納得があるならば、きっと美しい何かが残り、次に繋がっていくと思うのだ。

 

 

 「儂がホグワーツに願うのは、本当にただそれだけじゃ。そして同時に、ヴォルデモートの在り方を決して許容できぬ理由でもある」

 

 自分が生き残り、存在し続ける。そのためには、如何なるものも犠牲にしようが構わない。

 

 歴史上、多くの為政者や権力者が至った渇望であろうが、それが幻想の王のものとなったとき、果たして境界線は無事でいられるだろうか。

 

 

 「“名前を言ってはいけないあの人”とは、言い得て妙じゃ。それはつまり、“名前を言えない人”、“名前のない人”、“誰でもない誰か”ということになるのではと、の」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「皆さんこんにちわ。例によって古代から創始者の時代に至るまで歴史を紐解いていくシリーズ。進んだり戻ったりを繰り返しながら色々と解説して来ましたが、今回は創始者達の時代の魔法、そして、許されざる呪文に至るまでを扱っていきましょう」

 

 クリスマス休暇が終わり、1月の新学期を迎えても平穏は変わらず、暦は進んでそろそろ2月に入ろうとしているホグワーツ。

 

 ハーマイオニーが悪霊教師に秘密の部屋について質問したあの日以来、悪霊はいつものノリに戻って人類の黒歴史を比較しながら解説し続けている。

 

 特に、アングロサクソン七王国の歴史などは、そうした例がいくらでもある。キリスト教の教会然り、異端審問から魔女裁判まで、悪霊が如何にも嘲笑いそうな題材で溢れているのだ。

 

 ダッハウの授業はその後も行ったり来たりを繰り返しつつ何度もマグルと魔法族の比較論が語られ、こうしてまた創始者の時代へ戻ってきた。

 

 

 「さて、許されざる呪文として知られるのは服従の呪文、磔の呪文、そして、死の呪いです。これらにも当然それ以前の形というものはあり、その原型を創始者の時代に見ることが出来ます。ここではまず、各寮の象徴と言える魔法のおさらいから、獅子、蛇、鷲、穴熊の四つの寮を特徴ある魔法にまとめるならば、剣の魔法、鎖の魔法、弓の魔法、盾の魔法となります」

 

 勇敢なるグリフィンドールが使いしは、剣の呪文。ゴブリン製の銀の剣を好んで用い、鉄で鍛えられしヴァイキングの剣に立ち向かった彼らの勇気がそのまま形になったような魔法。

 

 現代の魔法ようにある種の“ツール化”がされておらず、使う者の精神的傾向や想いの強さがそのまま表れるのが創始者達の時代。ならばこそ、彼らの勇気とそして“死”というものへの身近さは、一つの刃へと収斂していった。

 

 俊敏にして狡猾なスリザリンが用いしは、鎖の呪文。地下牢を領域とし、法の鎖を破るものを許さない鉄の団結を誇る集団。割拠志向の強かった純血の家を束ねる強固な鎖が必要とされたからこそ、蛇の一団は互いを縛る内へ向く。

 

 叡智を求めし賢者の集団、レイブンクローの用いは弓の呪文。元来戦うことを本分とせぬ学者の彼らが求めしは、安全な高みから敵を倒せる技術の進歩の具現である。蛮族には決して扱えぬ複雑な精巧な弓こそは、後の魔法の原型となった。

 

 そして、来る者拒まぬ亡命者の集団、ハッフルパフの盾の呪文。守りを第一とする彼らの在り方をそのまま表すように、盾の守りは原初の強みを今に伝え、多くの子供達を守り続けた。

 

 

 「このうち、最もそのままの形で現在に残るのは盾の呪文であり、派生系は数あれど基本形は昔と変わりありません。剣の呪文はどんな魔法生物に有効な唯一の呪文であり、敵を倒す殺傷能力においては他の追随を許さない。鎖の呪文は内の団結を高めるための手段であり、最も我の強い者が指導者となるに貢献しました。そして、今の魔法に最も影響を与えしは弓の呪文。失神、妨害、忘却など、遠距離の光線を含むもの全て弓からの発展型と言えます」

 

 四つの魔法が示すのは、ある種の象徴的なものだ。

 

 剣などの器物の持つ力と、それに付随するイメージ。魔法族の力は心の魔法なのだから、そうした印象は非常に大きな意味を持つ。

 

 

 「剣の呪文においては、荒野のグリフィンドールの戦士たちが使っていた魔法であり、ゴブリン銀の剣にかけられることが多かった。近接戦闘でしか使えず、相手を殺すための念を傷口から直接送り込むような、何とも原始的で荒々しく、しかしどんな防御も貫く絶対性を持つ致死の刃でありました。しかし同時に、自らを守る盾とは両立できぬ諸刃の剣の危うさを持つ」

 

 曰く、【剣の呪文は、盾の呪文と共存できない】。 

 

 基本概念として「剣と杖」をそれぞれの手に持つイメージで成り立つから、盾を合わせて持つことは出来ないのだ。

 

 故に、その後期型であるアバダケダブラに反対呪文は存在せず、“盾の呪文”で己を守りながら“死の呪い”は放てない。

 

 失神呪文や磔の呪いなどは、無言呪文で盾を張りながら打ち合うのがセオリーだが、“死の呪い”を放ち、相手に躱された時は、最大の弱点を晒すこととなる。

 

 “処刑の呪い”としては最適なアバダケダブラだが、戦士相手の決闘に使うには適さないと言える。

 

 

 「マグル側の歴史においても、剣とは、人間が同胞を殺すために鍛えし刃であり、それ故に常に王権の紋章、つまりは国のために最も多くの人間を殺す権力者の象徴となってきました。そして、勇猛果敢なグリフィンドールにおいては、たとえ訓練であろうとも、この剣の魔法で互いを打ち合っていたものです」

 

 標語にするならば、【訓練でも人は死ぬんだぜ】となるだろうか。

 

 命の価値は薄皮一枚と豪語し、非常に隙も多く危険だが相手を確実に殺せるこの魔法を、彼らグリフィンドールは振るいに振るった。

 

 何しろ当時は、接近戦でしか使えぬ魔法だったのだ。杖を直接突き刺しての、ゼロ距離魔法。

 

 まさしく、命知らずと同義の勇敢な者達だけが使える魔法である。より正確に言うならば、使い所がそういう局面しかないとも言えるが。

 

 

 「剣であることが重要というよりも、剣だけは純粋な人殺しの道具だからです。熊などの害獣と戦うならば槍を、野山の獣を狩るならば弓を、森林の樹木を伐採するならば斧を、料理や工芸に用いるならば短刀を、様々な刃物や武器はそれぞれに生活のための用途がありますが、剣というものだけは“人殺し”以外に有効な用途というものがない」

 

 使い手が人である以上、最も念じやすく、死をイメージできるのは“人殺し”である。それは幻想生物にも効く“殺しの呪文”として昇華していき、マグル殺しのために、マグルに対抗するために編み出された最も強固な魔法の一つとなった。

 

 その最大の使い手はゴドリック・グリフィンドールであり、彼こそはイングランド魔法史上最大のマグル殺しでもある。ただし、その殺しの中には虐殺も処刑もありはせず、ヴァイキングの戦士だけを相手に戦場での真っ向勝負で倒し続けたという。

 

 

 「余談になりますが、マグル側でも【人殺しの象徴】は進化を続けました。剣から銃へ、そして、機関銃へと。特に第一次世界大戦においては大量殺戮を可能にした新兵器が次々に登場しましたが、純粋な“殺戮兵器”は機関銃のみと言えます」

 

 戦闘機ならば、武器を外せばその技術は航空機として利用される。

 

 戦車もまた、大本のキャタピラーは農耕用のトラクターから始まっている。重機というものを開発するうえで同じ技術基盤があるのは間違いない。

 

 毒ガスという恐るべき兵器であってすら、使い道を間違えなければそれは農薬ともなる。サリンとて合成に必要な化学工場設備の有無は別として、その系列は農薬の近縁なのだ。

 

 しかし、機関銃というものは他に用途が存在しない。というよりも、自動車に載せれば戦闘車両となり、飛行機に載せれば戦闘機となり、ボートに載せれば駆逐艇が出来上がる。

 

 狩猟にも全く向いておらず、猟銃というジャンルは別にある。また、害虫駆除に機関銃を使う馬鹿はいない。

 

 つまるところ、機関銃が必要とされるのは軍隊や治安維持組織、あるいはマフィアやギャングだけであり、“人間の集団”へ向けて殺戮のためにぶっ放す以外の用途がない、サピエンスを殺すためだけに小さな弾をばら撒く殺戮機関ということだ。

 

 

 「鎖の呪文においては、マーシアの沼地の野伏たち、抵抗勢力であったスリザリン達の手で開発されました。始まりの“スリザリン”においては、殺し合って戦力の頭数を減らす訳にはいかないからこそ、鎖の呪文を互いにかけあうことで、どちらの心が強いか、どちらがどちらを支配するか、主人と従者がどちらかを競っていたのです」

 

 グリフィンドールの戦い方では、どちらが強いか分かるのは、どちらかが死んだ時になってしまう。

 

 無論、全ての決闘や訓練でそうなるわけではないが、地下に隠れ潜みながら抵抗を続けていたスリザリンにとっては、あまり有効な方法ではない。

 

 よって彼らは、主戦場を物理的な剣ではなく、精神の鎖に求めた。後の時代の服従の呪文もそうであるように、これらの魔法は発動すれば効果が終わるわけではなく、半永久的に支配権とその解放の鬩ぎ合いとなる。

 

 

 「鎖と言えば奴隷を想像する生徒も多いでしょうが、そもそも法というもの自体が鎖を象徴とするものです。敵を縛るよりも、“法の鎖”によって味方を束ね、背くもの、裏切り者を許さないという厳格さが現れている。また剣や弓は“殺す”、“撃つ”瞬間に殺意が集約されますが、盾は守り続けるものであり、鎖もまた縛り続けるもの。持続力に長けているのが特徴と言えましょう」

 

 磔の呪いもまた、原初の形は我慢比べ。どちらの精神が強いかの証明として当時は真っ向から打ち合っていたものだ。

 

 その光景はさながら、両手を組んでレスリングをする如くに、武器を持たずに競い合う姿であったろう。

 

 

 「ここで断っておきますが、マグルの思い描く架空の物語に出てくるような魔力判定Aランク、Bランクなどというものはありません。そうした数値的な考え方そのものがマグルの領分であり、もしそれらが形になったならば、魔法ではなく、“魔導力学”とでも呼ばれる存在になっているでしょう」

 

 魔法族における力の強さは、数値化して比較することなど出来ない。心とは割り切れぬものなのだから。

 

 ボクシングや柔道において、パンチ力やベンチプレスの数値がどうだからと一概にどちらが強いと断言できないように、魔法とは有り体言えばアナログ的なのだ。

 

 魔力数値や戦闘力といった概念。俗に「スカウター」を用いて数値化するのはマグルらしい発想だ。近年の情報学分野に則るならば、離散化、量子化とも言える。つまりは、アナログからデジタルへの変換だ。

 

 連続的なデータが離散化されるときは常にある程度の離散化誤差がある。離散化と量子化という用語はしばしば同じ意味を持つが、必ずしも同じ意味というわけではない。

 

 

 「創始者達が戦ったヴァイキングもそうでありましたが、この時代の人間にとっては食糧を集めることが第一であり、そして、“身長と体重”は力であった。何しろ、太っていられるのは権力者だけあり、戦士だけであった。数値化のできる力とは、肉体に由来するものだけだったわけですから」

 

 だからこそ、痩せていることが魅力的などありえない。

 

 なぜなら、親が息子や娘に満足に食わせてやれていない証。言い換えれば、親や家が貧しい証なのだから。

 

 誰もが飽食し、メタボリックが問題になる時代ならば、痩せていることが自制の効く証であり魅力ともなろう。しかし、誰もが飢え、腹を空かせてる場所や時代ならば、異なる美観になるのは当然のことだ。

 

 少なくとも、アフリカの難民キャンプで痩せていることが美徳と思われることはないだろう。

 

 

 「また、鎖の魔法が持続力に長けるとは、戦争状態が終結した後の平時においても適用が可能ということです。意外かもしれませんが、スリザリンこそが最も平時における統治に長けている。戦のない時においては、人は気が緩み、堕落していくもの。それを最も戒め、組織としての秩序を保つのに貢献したのがサラザール・スリザリンなのです」

 

 戦時ならば、圧倒的にグリフィンドール。

 

 ハッフルパフの温厚さは、“争いごとの調停”や、“戦時においても平静を保つこと”に一番力を発揮する。

 

 長き時を経た現代ではそれらは随分と変質してしまったが、それでもなお脈々と伝えられていくものはある。

 

 そうした意味でも、やはり死喰い人は“スリザリンらしくない”。どこまでいっても亜種であり、時代の徒花なのである。

 

 

 「盾の魔法は皆さんもよく知るように、原初の形で今なお用いられています。当然、最も得意としたのはヘルガ・ハッフルパフ。境界線の守り、物体への守り、城そのものへの守りと、およそホグワーツの守りの根源には彼女の祈りが込められています。子供達よ感謝なさい、私の凶行を押し止め、夜に跋扈する怪物たちが人を喰らうことがないよう常に守っているのは創始者の魔法に他ならない。ちなみに、私はヘルガ様には絶対に勝てません」

 

 その言葉を聞き、生徒達全員が目を見開いた。

 

 そして同時に納得する。スクリュートやアクロマンチュラが跋扈し、この悪霊共が徘徊していながら、なぜホグワーツの生徒の安全は常に保たれているのか。

 

 それは実に単純な理屈でもある。“より強い魔法が上から抑えつけている”のだ。

 

 温厚柔和なハッフルパフと呼ばれるが、彼女とてやはり創始者の一人。ゴドリックやサラザールとも真っ向からやりあえる女傑でもある。

 

 なお、この時期になると多くの二年生がヘルガ・ハッフルパフの肖像画を崇め奉る。あるいは、彼女の像を様々に彫る。祈りは当然、感謝と悪霊退散。

 

 聖女ヘルガが聖少女アリアナを抱きかかえている像などが、ここ数年のホグワーツ芸術大賞である。(贈呈は当然ダンブルドア校長)

 

 

 「そして、レイブンクローが誇るは弓の呪文。“弓”という道具に象徴されるのはすなわち知性の在り処。先に上げた三つの魔法、剣、鎖、盾についてはトロールが振り回しても一定の効果は得られましょう。しかし、弓はそうはいきません」

 

 トロールでも、剣を振り回すことはできる。それが鎖であっても、トロールの怪力で振り回されればそれだけで脅威だ。

 

 そして、トロールに身を守る知恵があるかは疑わしいが、少なくとも大盾をもたせればそれで殴るくらいはできる。

 

 しかし、トロール用に巨大な弓を渡したとて、彼らに矢をつがえて射ることなどできようか?

 

 

 「知恵を持つ生き物でなくば、そもそも武器として成立しない。それが弓というものであり、その効果はつまり他の魔法を遠距離から当てることにあります。失神呪文であろうと、忘却術であろうと、現代の魔法の大半はこの要素を持つのであり、組み合わせはおよそ無限大と言えましょう」

 

 最も魔法の開発に貢献し、後の時代の様々な魔法の基礎となったのは、ロウェナ・レイブンクロー。

 

 死の呪いアバダケダブラは、グリフィンドールの剣の魔法を基軸に、弓の遠距離を加えたもの。

 

 服従の呪文、磔の呪文にしても、スリザリンの鎖の魔法をベースに、それぞれ弓を加えて遠距離からも使えるよう改良された。

 

 この利便性が圧倒的であったため、後の時代の杖魔法の大半は基本要素の中に“弓の魔法”を持つようになる。

 

 逆に言えば、古い魔法は相手に直接触れていたりしなければ使えぬものか、あるいは、全く形のない祈りのようなものが大半だった。

 

 

 「組み分け帽子は歌いました、これほどの友ありうるや? 英雄と覇者、賢人と聖女。この四人の友情、崩れるはずなどありえぬと」

 

 しかし、何時しかぶつかる時は来る。

 

 ゴドリックは言うだろう、仲間を粛清するために、我らが剣はあるのではない。敵を討つためにこそ勇気はあると。

 

 そこにサラザールの反論が当然来る。いいや、大を守るためには小を切り捨てねばならぬ時もある。その役を常に、スリザリンだけに押し付けるつもりか。

 

 そうではない。そも、ヘルガ・ハッフルパフがそんなことを望んだか?

 

 彼女の高潔な理想、その慈愛の偉大さは認めよう。だが、それは彼女という要があればの話だ。ヘルガ亡き後のホグワーツが、今と同じ体勢で協力体制を維持できると思うか?

 

 

 「未来を思えばこそ白熱していく英雄と覇者の議論。それを時に仲裁しつつも、仲間を粛正するということについては賛同はできず、心情的にはゴドリック様に近いヘルガ様。あれはなかなかに壮観でしたが、あの議論に答えを示すことは、ダンブルドア校長であろうと到底無理でしょう」

 

 距離を保って冷静な目で同輩3人を観察しつつ、叡智の賢者は組み分け帽子に追加すべき統制機能、城の防衛機能について考えを巡らせていた。

 

 ロウェナ・レイブンクローの在り方は、賢者は感情論に“関わらない”である。そんな彼女を冷徹な魔女、実の娘すら城の道具にする残酷な女と非難する者もいたが、叡智の塔に揺るぎはない。

 

 彼女とて、時の終わりを覗き込んだ後は、その未来について娘と話し合ったことはある。だがそれでも、冷徹なるロウェナはその立ち位置を変えることはない。

 

 後に初代校長となる娘には助言を残した、“攻守の力はあの二人で十分。守りと抑えの機構はヘルガと私で創る。後はダッハウを上手く使え”と。

 

 生きていた頃のヘレナには意味の分からなかった母の助言の最後。彼女がそれを知るのは900年以上の時が過ぎてからのことになる。

 

 

 「我らが四人あるうちは、ホグワーツの結束は揺らぐまい。だが、我ら亡き後、ホグワーツはどうなる? その問いに答えられるものは存在せず、彼らはホグワーツ創建という偉業を成した偉人である故に、その存在は大きすぎました」

 

 その時代のことは、その時代に生きる子孫が選び、決断していくべき事柄。

 

 なるほど、正論であり、道理であろう。

 

 だが、本当にそれで良いのか?

 

 作り上げたホグワーツが、僅か数世代で離反し、灰燼に帰すのを座視するのか。

 

 お前たちも見たはずだ、知ったはずだ。

 

 時計塔が指し示した1000年の歴史の果てを。結束が崩れた時に我らが子孫が辿った結末を。

 

 ならば、例え子孫の行動、考えを縛ることになろうとも、数百年で揺らがぬほどの強固な仕組みを作るべきでは。

 

 法の鎖を、生贄を含めた防衛術を、呪いを刻むことになろうとも、ホグワーツに残すべきではないか。

 

 

 「特にサラザール・スリザリン。畏怖の象徴であった彼は、移ろいゆく人の心、安寧にあぐらをかき事なかれ主義に染まる衆愚というものを嫌いました。そんな霞の如き脆きものに、本当に我らが未来を託せるのかと」

 

 何よりも、ああ、我が友よ。

 

 お前達三人の理想が、愚かな子孫たちに穢されてよいものであろうか。

 

 断じて否である。

 

 

 「そうして時は過ぎ、魔法戦争においても許されざる呪文は使われました。それは無論、マグル迫害や同族への拷問、支配、殺害にも使われた。果たして、死喰い人らのその姿を見れば、サラザール・スリザリンはどう思うでしょうか」

 

 その答えは、秘密の部屋にあり。

 

 彼の生涯最後の遺産、そして、彼の夢が眠る場所。

 

 直系のもの、純血の継承者のみが、その部屋に認められ力を振るうことを許されるという。

 

 

 「では、本日の課題はこれら、原初の魔法に関してです。今はある種の便利ツールと化しつつある様々な魔法ですが、1000年前のそれらは比較にならぬほど不便なものであり、しかし同時に、現在の魔法が足元にも及ばぬほど強力でもあった。そこで考えてみましょう、現代において原初の魔法を使うならば、その用途はどのようになり、そして、職能として誰が用いるべきであるかを。ちなみに参考までに、闇祓いのマッド=アイ・ムーディは剣の魔法の達人です」

 

 だろうなと、誰もが納得する。

 

 至近距離でしか使えないが、ドラゴンのような強力な魔法生物すら殺しうる刃など、これほど彼に似合う魔法もあり得まい。

 

 まっとうな人間ならば、“弓の魔法”と絡めた結膜炎の呪いや、何らかの高速移動が可能な道具を使って逃げ回るなどの道を探るはずだから。

 

 なるほど、彼のような人間が、1000年前のグリフィンドールでは標準仕様だったのかと。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「しっかし、魔法の進歩か。なんたってあのポリジュース薬のインパクトが忘れられないな」

 

 「僕もだよ。ダッハウ先生の授業も大概だけどあれは今年の出来事でも極めつけじゃないか」

 

 「ホントに、なかなか忘れられないパーティーだったわね」

 

 対悪霊戦線にて悪戦苦闘を続ける彼ら三人。そろそろバレンタインも近づいてくる頃だが、それでもなお抜けないポリジュース・ショック。

 

 そこには、比較的にしても最近の悪霊の授業が“まだマシ”な感じであることも大きいだろう。

 

 いや、他の授業と比べれば相変わらず最底辺なのは間違いないのだが、創始者の歴史について語る際は、人類の黒歴史ではなく偉業や美点を語る形になるのだ。

 

 というか普通、歴史の授業と言えばそういう要素を語るものだ。人類の汚点や記すことすら憚られるような虐殺だの近親相姦だの、そんなのばかり選りすぐって語るのはあの悪霊くらいである。

 

 

 「クラッブのエキスなんて、二度と飲みたくないよ」

 

 「それを言うなら、ゴイルエキスを飲まされた僕だって一緒さ」

 

 「私が飲んだミリセント・ブルストロードのエキスも、酷い味だったわよ」

 

 恐らくだが、そもそもポリジュース薬自体が美味しいものではないのだろう。

 

 ただ、人間の記憶の都合上、嗅覚や味覚は原始的な感覚なので、後の視覚効果で印象がだいぶ変わってくる。

 

 糞不味い薬を飲まされた挙げ句、あまり良い感情を持っていない相手に変化していく自分の身体などを見れば、悪い印象になるのは当然だ。

 

 

 「今思い出しても、滅茶苦茶だったよなあのパーティーは」

 

 「少なくとも、再来年のトライ・ウィザード・トーナメントでアレをやっちゃいけないってことだけは確かだね。確実にホグワーツの恥晒しだよ」

 

 「対抗試合は魔法省も絡む公式イベントだから、流石にあんなのはないと信じたいけど……」

 

 中々信じ切ることは出来ない。何せ、この城にはダッハウがいるのだ。

 

 本来ならダンブルドア先生に抑止力を期待したいところだが、老校長のモットーは“アリアナの言う通りに”である。全然期待できない。

 

 

 「ネビルは確か、ジャスティンだったろ?」

 

 「それで、ジャスティンが僕になって、スミスがロンになったんだよ」

 

 「マルフォイがネビルになってたのは間違いないわ。それと、私になってたのはダフネね。基本的には同学年の別の寮生に変身する形で配られたみたいだから」

 

 そんなこんなで、パーティー会場はまさに阿鼻叫喚。

 

 事前に誰になるか分かっていればまだ違ったろうが、全員が互いに見えない状態で一斉にポリジュース薬を飲み、さあ開幕といった具合である。

 

 ハリーとロンも、もはや素面でなどいられなかったのか、クラッブとゴイルの姿でペアを組んでヤケクソ気味に踊った。ああもう、踊るしかなかったろうさ。

 

 他の生徒も大半は同じ気分だったか、意中の異性に踊りを申し込むよりも同性同士のヤケクソ乱舞が目立っていた。ロマンや恋の欠片もありゃしない。

 

 

 「謎といえば、フレッドとジョージは互いに入れ替わっていたんだよな。アレには逆に驚いた」

 

 「凄いよね、あそこだけは何一つ変わってなかったよ。本人たち曰く大違いらしいけど」

 

 「私はむしろ、ハリーのお父さまがほんとにそっくりだったほうが驚いたわ」

 

 このポリジュース・ダンスパーティ、生徒は互いに入れ替わりシャッフルするように姿を変えたが、先生方や現在常駐している警察、闇祓い関連の人物は“学生時代の姿”に変身するという趣向であった。

 

 ミネルバ・マクゴナガル然り、フィリウス・フリットウィック然り、ポモーナ・スプラウトも、クィリナス・クィレルも。

 

 そして当然、ジェームズ、シリウス、セブルス、リーマス、リリーもだ。(ピーターはちゃっかり逃れた、伏兵役を自ら志願した上手さである)

 

 

 「リリーさんの若い頃の姿は写真で見たことあったけど、ああして見たら圧巻だったな。ポリジュース薬のどさくさに紛れてあちこちから愛の告白されてたぜ」

 

 「よしてくれロン。若い母さんが僕の姿をした同学年から告白されてるのを見るのは、頭がおかしくなりそうだったんだから」

 

 「色々な意味で、ありえないシチュエーションだったわね」

 

 ポリジュース薬が大量に配布される都合上、プリンス魔法製薬所のリリーと、聖マンゴ魔法疾患病院のピーターも、“万が一”に備えてやってきていた。当然、学生時代の姿で。これにて幼馴染全員集合である。

 

 ただし、不死鳥の騎士団の一員でもある彼女らが、どのような“万が一”に備えていたかを知る生徒は少ない。が、関係者の多い“探索組”の生徒達は口にせずとも察する部分はあったろう。

 

 

 「ジニーはデルフィーニになったらしいんだが、そのデルフィーニは誰になったんだっけ?」

 

 「ルーナだよ。ていうか、“ルーナの姿をした誰か”に、“ジニーの姿をした誰か”が、デルちゃんって話しかけてたのを見たんだ」

 

 「それって確実にジニーになったルーナよね。でも、何で彼女は見ただけで分かったのかしら?」

 

 誰もが入れ替わっているのだから、自分の姿をした“誰か”がいるのは当然だ。

 

 しかし、自分自身の姿を見たとて、“誰が化けているか”を話しかける前から看破することなど普通に考えてできるはずがない。

 

 

 「そこはまあ、ルーナだからなあ」

 

 「多分、僕達とは見えているものが違うんじゃないかな。母さんにも割りとそういうところあるけど」

 

 「そういえば、貴方とジェームズさんは私らから見ても遠目には区別つかないくらいだったけど、リリーさんは絶対間違わなかったのも不思議っていうか」

 

 本当に、それは何とも表現が難しく。

 

 それも魔法と言われれば、何となく信じていまいそうな不思議さが、リリー・エバンズやルーナ・ラブグッドにはあった。

 

 

 「あと、僕は全然分からなかったけど、ダンブルドアも若い姿でいたのかな?」

 

 「うーん、ウッドやアンジェリーナ達にも聞いてみたけど、誰も校長先生は見なかったって」

 

 「シグナス理事長らしき人もいなかったし、やっぱり死喰い人の警戒にあたっていたんじゃないかしら?」

 

 ポリジュース騒動の真っ只中にあり、到底冷静ではいられなかった当日はともかく。

 

 こうして、ある程度の時間が経過した今ならば、子供達にもあのパーティーの裏の狙いが徐々に見えてくる。特に、聡明なハーマイオニー・グレンジャーが気付かぬはずがない。

 

 

 「でも、結局はほとんど何もなかったんだよな。外から侵入しようとした死喰い人連中は小競り合い程度で逃げてったらしいし」

 

 「逃げた後は影も形も尻尾もなかったって。ホグワーツ場内は犬に化けたシリウスが徹底的に探ったけど、死喰い人らしい気配も匂いもなかったらしいよ」

 

 「そもそも、ダッハウ先生たちが“忍びの地図”の原板を見ていたはずだから。去年の賢者の石のときと同じで、見つからずに入るのは無理だと思うのよね」

 

 骨折り損のくたびれ儲けとは言うまいが、結局は空振り同然に終わった訳だ。一応、ギボンという一人をピーターが捕まえはしたが、大した情報すら持っていなかったらしい。ありていに言って切り捨てられたのかもしれない。

 

 しかし、あれだけの混乱という好機にありながら、血文字を書き残した校内の潜入者が積極的に動かなかった理由とは何か。

 

 あるいは、動けなかった理由か。

 

 

 「敵に動きがないのはまあ別にいいけどさ、こっちに被害もないし。秘密の部屋のほうも、もうすぐ見つかりそうなんだろう」

 

 「父さん達が言うには、マートルのトイレに入り口らしきものがあったらしいけど、開く手段が蛇語だったから苦労したって」

 

 「ハリーがいたら一発だったでしょうね」

 

 入り口はよほど強固な魔法で隠され、そして守られており、正規の手段以外では壊して入ろうにもなかなか穴すら開けられない。

 

 悪戯仕掛け人達は四苦八苦と悪戦苦闘の末、蛇語の声真似という方法で何とか入り口らしきものを見つけるところまでは漕ぎ着けた。(後になってハリーを連れてこればよかったと後悔した)

 

 

 「その先は危なそうだから、ダンブルドア先生と一緒に時間をかけて調べていくって」

 

 「まあ、そうよね。死喰い人に全然動きがないなら、今すぐ焦って飛び込まなきゃいけない理由はないわけだし」 

 

 「そういう判断が出来るってのも、例のパーティをやった唯一の成果なのかもな」

 

 かくして、割と順調に探索は進み、驚くほど拍子抜けに秘密の部屋への入り口は発見された。

 

 仮にも、現役の闇祓いが二人と魔法警察が常駐しているにもかかわらず、生徒達が拍子抜けしてしまうほどに何事も起こっていない。

 

 むしろ、ハリーの親たちが任務にかこつけてニンファドーラを巻き込んでホグワーツに遊び来たと言われた方が納得してしまうくらいに。

 

 世は事もなく、ホグワーツは平和であった。(ポリジュース・ダンスパーティからは目を逸らしつつ)

 

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

とある生徒の部屋の記録情報

 

 

『馬鹿な! どうして正体がバレるんだ!』

 

『ありえないだろう、錯乱の呪文をかけたわけでもないのに』

 

『いや、違うのか。この自分を構築する術式自体が軋んでいるのか?』

 

『そんなはずは、だがしかし、他に理由があるだろうか』

 

『おかしい、意識が途切れる。私はいつから私でなくなった?』

 

『ジニー、あの娘を手放したのが間違いだったか』

 

『うん? いいや、違ったか? そもそも日記は誰の手に』

 

『分からない、分からない。この私はいったい――』

 



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10話 人に創られし者

キンジットさま、誤字報告ありがとうございます!


 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【ゴーントの家】

 

 ホグワーツの創始者の血筋は、全てが途絶えた訳ではない。

 それぞれに傍流と呼ばれる家は数多くあり、自称か真実かの区別はつきにくいが、古い家というのは中々に多い。

 ブラック家やオリバンダー家に至っては、紀元前から存在するのだから、創始者の家系よりもなお古いと言える。

 

 そうした中で、サラザール・スリザリンの直系の純血として知られるのがゴーント家だ。

 

 その証を立てるのは簡単である。この家系は蛇語を遺伝継承し、守護霊の魔法などにおいても蛇以外が出ることはないと聞く。

 逆に言えば、パーセルマウスでないならば、実際に血が繋がっていようがゴーント家の者とは認められまい。

 ならばこそ、血の濃縮度合いもまた凄まじい。

 蛇舌同士で交わり、サラザールの血を薄めぬようにと配合を繰り返した執念の結実。

 

 ただしそれは、結局は時代の流れに逆行する徒花に過ぎない。

 近代へ近づくにつれ、マグル生まれの流入は否が応でも増えていく。

 他の純血名家においても、自らの家の血の優越性を誇りはすれど、時代の変化を全く見ないほどの愚か者はいなかった。

 

 だが、ここにその例外の家があった。 

 やがて蛇になる呪いを発現しようとも、最早人の言葉すら話せなくなり、舌のみならず皮膚までも鱗になろうとも。

 彼らはただ、最早価値があるかも分からぬ純血を、頑なに守り続けた。

 

 『そしてやがて、ゴーント家は途絶えたと聞く』

 『いつ絶えたかも知られていない。それほどに彼らは徹底したまま歴史の彼方へ去っていた』

 『彼らに仕えるしもべはなく、魔女の家たる屋敷もそこにはない』

 『そう、墓すらも、何もないのだ』

 

 

 

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 「皆さんおはようございます。古代から創始者の時代に至るまで歴史を紐解いていくシリーズも一段落つきましたので、今回は我らの魔法と関わりの深い生き物たち、幻想の生物とはそもそも何たるかという部分について述べていきます」

 

 外部からの侵入など、特に大きな事件もないまま時は平穏に過ぎ去り、イースター休暇も明けて4月に入ったホグワーツ。

 

 厳しかった冬の寒さもすっかり春の暖かさに駆逐され、外でのんびりとランチでも楽しみたい日和だが、悪霊の授業は変わらぬペースで続いていく。

 

 

 「以前、100万年前のホモエレクトスの生殖適齢期等について軽く触れましたが、マグルにおいてはそれらを地質学、生物学、進化学的な説明するように、魔法族もまた古くより様々な幻想の生物の何たるかを解き明かし、そして時には自らの手で創り出してきました。皆さんご存知スクリュートなどが良い例ですね」

 

 そして聞きたくもない名前を容赦なくぶっこんでいくスタイル。

 

 授業を受けている生徒達も最早慣れたもので、授業中だがお構いなしに杖を構え、四方八方あるいは天井や地下に至るまでどこから怪物が湧いて出てきても対処できるよう警戒している。

 

 

 「ではここで先入観を取り払いつつ改めて考えてみましょう、“幻想種とはそもそも何か?”」

 

 そんな生徒達を嘲笑うかのように、何事もなく授業は進む。

 

 憎たらしいことこの上ないが、悪霊教師はよくフェイントを使う。そして、気を抜いて安心した頃に不意打ちで繰り出してくるのだ。

 

 

 「例えばドラゴン。マグルがどれだけ化石を掘っても、彼らは化石となって残らない。少なくとも、“そういうものである”のは事実です。まるで蜃気楼か何かであるように、マグルの世界においてドラゴンの実体は長い時間を保つことが出来ません。簡単に例えるならば、海のクジラと陸のライオンのようなものなのでしょう」

 

 彼らがなぜ、幻想の生き物と呼ばれるか。そして、魔法族や巨人とは何が違うのか。

 

 明確なラインとして、純粋な幻想の生き物は、人との間に混血を作ることはあり得ない。

 

 巨人、小人、小鬼、しもべ妖精、水中人、ケンタウロス、ヴィーラ、バンシーなどとは混血があっても、ゴースト、スフィンクス、キメラ、ドラゴン、ケルベロス、スクリュートとの間に混血はあり得ないということは古来より知られている。

 

 

 「確かにドラゴンは幻想の王と言えるだけの力を持ちますが、マグルの科学が築き上げた都市摩天楼に現れてもその力を維持することは出来ません。あるいは、一瞬で“窒息死”してしまうことすらありうる。かつてニューヨークでニュート・スキャマンダー氏が多くの幻想生物を解き放ってしまった事件がありましたが、幻想生物をこよなく愛する彼にとってはまさに時間との勝負でした」

 

 神秘部の学者は語る。仮に神秘に“濃度”のような概念を導入するとするならば、科学の発展したマグルの都市部ほど薄く、幻創種が跋扈する人跡未踏の地ほど濃いのだと。

 

 アクロマンチュラの生息するボルネオ島の密林然り。多くのドラゴンたちが住まう高地帯や極地、アイスランドの山々など然り。

 

 およそ、大した力のない幻創種ほど、科学都市でも長生きできるだろう。人に見つからぬよう、小さな幻想の隙間で生きていけるから。

 

 逆に、ドラゴンやケルベロスには不可能なこと。どれだけ巨大な鮫であっても陸地では生きられぬように、幻想の生き物には彼らの生息する領域というものがある。

 

 例え幻想に住まおうとも、それが生物の形を取る限りは、適応できぬ地では生きられない。

 

 

 「七万年前の認知革命以後、出アフリカを果たしたサピエンスの一団は、異なる人類を皆殺しにしながらこの星全体へと版図を広げてゆきました。オーストラリアでは多くの飛べぬ鳥が絶滅し、北米大陸や南米大陸でも巨大哺乳類の絶滅は次々と起こる。不思議なことに人類が生息域を広げるのと連動するようにです」

 

 ベーリング海峡を越えて、南北アメリカ大陸にまで進出した人類。時代が更に下れば、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアの島々にまでその生息域は広がっていくのだ。

 

 かつては海の魚か空の鳥しかたどり着けなかった絶海の孤島に、どういうわけか中型の猿が進出していく謎現象。

 

 この星における進化の歴史を紐解いたとして、ほどほどに重量のある陸上生物がこのような広大な版図を持つに至るのは珍しい。超大陸パンゲア時代ならばともかく、今は大陸分裂期と呼ばれる地質時代なのだから。

 

 

 「アフリカで進化した初期の人類種にとって、天敵はヒョウやハイエナなどでしたが、ライオンの群れとはある種の“共生関係”、“寄生関係”にあったことも知られています。数万年前の壁画を残した人類文化最初期の“守り神”としては、ライオンの頭を持った人間が多い」

 

 ネコ科の捕食動物の中ではヒョウなどに多く見られるが、捕らえた獲物を木の上に隠し他者に取られぬようにする習性がある。

 

 それは逆に言えば、彼らを前にしては猿の生息域である樹上というのは必ずしも安全圏ではないことを意味する。

 

 当然、手で枝を掴めるぶん枝渡りには猿に一日の長はあるだろうが、地上に降りたところをヒョウに狙われればひとたまりもない。平らな草原では四足歩行の優位は圧倒的だ。

 

 事実、数万年前の段階でもエレクトスらは、広大なインド亜大陸に進出しながらもその生息数はわずかに数千、サピエンスに至っては数百しかいなかったという。

 

 

 「彼らが後に進出したユーラシア大陸にも、ハイエナ、ヒョウ、虎などを始めとした草原の捕食者は多くいました。新石器時代を迎え、集団的でより高度な狩猟技術を身に着ける以前においては、人類は依然として捕食者に出逢わぬよう警戒し続ける弱小の猿の仲間でしかなかった」

 

 そんな原始時代を生きた彼らにとって、雄々しきライオンの群れを率いる個体はどう見えたか。

 

 プライドという群れを率い、勇ましき鬣を持ち、そして自分達が細い木に登れぬほど体躯を持ち、大型の草食動物を狩ることを可能とするからこそ、樹上の猿を主な捕食対象とはしない。

 

 猿を好んで捕食するのは、ライオンよりは小型のヒョウやハイエナに多い。ならばこそ、ハイエナは永遠に人類の嫌われ者だ。絶滅させてやりたいとは幾度も思ったろうが、ハイエナを保護したいと思う人類は皆無であった。

 

 

 「剣とは、人殺しの道具であり権力の象徴である。マグルの紋章に剣を象ったものは多いですが、それと同等かそれ以上に、獅子を象ったものもまた多い。獅子とはアルファ雄を有していた頃の原初の権力の象徴となります」    

 

 つまるところ、サピエンスの特に雄はゴリラやライオンの在り方への憧れを捨てきれない。ヒョウやハイエナから雌や子を守れるだけの屈強な体躯を持つ雄というものは、問答無用で格好良いと目に映る。

 

 魔法族の扱う杖魔法は、どこまでいっても“心の魔法”である。だからこそそうした無意識レベルのイメージや、現実側のマグル達の持つ共通認識、共有幻想と密接な関係性にある。

 

 同時に、蛇や竜は“畏れ”の具現だ。赤子であっても猿の子は蛇を恐れるものである。これは多くの実験からも確認されている。 

 

 

 「犬の吠え声に無意識に身が竦むのもの似た現象であり、遺伝子に刻まれた記憶からの警鐘とも呼べる。これは臆病というよりも、慎重さの表れ。そこで慎重であった者達が、天敵に捕食されずに子孫を残せたと見るべきでしょう。蛮勇と生存戦略は別物ですから」

 

 心の魔法の起源は、魔法族分離前の“原初の信仰”にある。

 

 BC7000年頃にオリエントで農耕革命が起きる以前から、人は様々な虚構の物語を考え、ライオンの頭を持つ人間や、人語を解する鷲などを守り神として崇め奉る文化を持っていた。

 

 同時に、ネアンデルタール人らも墓に花を供える精神性を有していたならば、“先祖のゴースト”という概念はその頃からの古きものだ。

 

 ただし、南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族、草原のブッシュマンと呼ばれたサン族にはそうした文化を持たぬ者らもいる。

 

 最も古くに分岐したY染色体ハプログループの“A系統”であり、アフリカの最古の住民である彼らは、出アフリカを行うことなく原初の地に留まった。

 

 カナンの地での人類の進出ルート分岐前であり、バベルの塔の神話と無縁の出自を持つ者達。ワガドゥの魔法族ですら、草原での生存戦略においては彼らに遠く及ばない。

 

 あるいは、ユーラシアの中央部でより皆殺しに特化したコーカソイド、フン族などの蛮族のように、魔法と全く由縁を持たない人類もこの星には存在している。

 

 

 「これらはすなわち、サピエンスの遺伝子が刻んできた進化の物語の具象化と言えるかも知れません。現代のマグルの学者が第三期と分類する時代にはディアトリマやサーベルタイガーを始めとした“巨大な幻想になった生き物”が跋扈しており、その当時の人類の祖先は地を這う弱者に過ぎなかった」

 

 ジュラ紀や白亜紀であれば、地上の支配者とはすなわち“恐竜”だ。

 

 ドラゴンが幻想の王であるのは、億年単位で地上の覇者として君臨し続けた“先代”達への畏敬の念が遺伝子に刻まれているからなのか。

 

 

 「と同時に、5億3000年前頃に絶命したカンブリア紀の生き物、バージェス動物群と呼ばれるユニークな身体を持つ者らがおりますが、こちらは古すぎる故か幻創種としてもメジャーにはなっておりません。むしろ、五つの目を持っていたり、口が何個もあったりというその姿は、“気持ちの悪い異形の怪物”として顕現することも多い」

 

 それもまた、進化の物語が持つ側面というものか。

 

 お前たちはとうの昔に終わった生き物だ。子孫を残せないまま絶滅した遺伝子の“失敗作”どもが、何をこの時代にのさばろうという。

 

 覇者ではなくなろうとも一部が鳥類へ進化した恐竜、自分達は滅ぼうとも近縁種は未だに生きるマンモスやナウマンゾウ。それらと違い、貴様らは系統ごとまるごと断絶した敗北者じゃけえ。

 

 マグルの書籍文学が生み出したとある神話体系において、“古のもの”とはそのように語られる。それは忌まわしきものであり、異形のものであり、この星の今にあってはならない名状しがたき怪物なのだと。

 

 

 「地下界に生きる微生物群しかり、深海に生きる者ら然り、“魔法界に生きる大型の魔法生物”よりも更に不可解で謎の進化を遂げた者らは多くおります。そうして考えて見るならば、魔法生物の多くは人間に身近に考えられる想像の範囲が自ずと限界点として決まってくる」

 

 人は、全く見たことも聞いたこともない概念は、想像することすら難しい。

 

 122℃を超える熱水噴出孔ですら生息できる好熱菌ら、アーキアと呼ばれる古細菌など。細菌(バクテリア)、真核生物(ユーカリオタ)と共に、全生物界を3分する彼らの存在は、古い神話や聖書には登場しない。

 

 例え、優れた感性を持つ美術肌の天才がそれを想像したとしても、共同体の凡人たちに同じイメージを持たせられるかは別問題だ。

 

 そのために彼らは壁画を残し、獅子の頭を持つ人間を、犬の頭を持つアヌビス神をと、様々に虚構の神話を築き上げてきた。

 

 

 「その代表例を挙げれば、“人語を解する幻想の生き物”となりましょう。スフィンクス、ケルベロス、アクロマンチュラ、バジリスクなどが該当しますが、それらはいずれも人によって作り出された人工の幻想生物でもある」

 

 ピラミッドを守る番人として想像されたスフィンクス。

 

 冥府の番犬という幻想から現出したケルベロス。

 

 魔法の宝を守る巨大蜘蛛として叡智を持つアクロマンチュラ。

 

 そして、親から生まれることすらない、毒蛇の王バジリスク。

 

 

 「特にバジリスクなどは幻想生物の極致と言えるでしょう。ヒキガエルの腹の下で孵化させた鶏の卵より生じるとされるそれは、“純粋な呪術”によって合成された魔法生物に他なりません。始まりからして生物らしさなど微塵もないわけですから、その存在はむしろ、アッシュワインダーなど魔法の火から生じる蛇などに通じるものがある」

 

 一言でまとめれば、バジリスクとは闇の魔法使いが作り出す魔法兵器だ。

 

 餌を石化させてしまう捕食動物など自然界に存在するはずもなく、人の創り出した様々な神話、虚構の集合の産物でしかありえない。

 

 

 「ギリシアの腐ったハーポが生み出すならば、それは石化の蛇となる。ギリシア神話では石化の邪眼としてゴルゴーンが有名であり、そうしたある種魔法文化的な地盤に基づく魔法生物が顕現する。当然、創り手の技量はそのまま反映されます」

 

 それは呪術の塊なのだから、並の術者ではそもそもバジリスクを生み出すことすら叶わない。

 

 そして、ケルトの神話に伝わる怪物で、竜や蛇に近しい属性を持つ神格といえば、邪竜クロウ・クルーワッハなどが挙げられる。

 

 これもまた、呼び出す者によって力が上下するという伝承を持つ怪物であり、フィルヴォルグ族のドルイド僧が呼び出した時は、ダナン族の王ヌァザに討たれたが、直死の魔眼を持つフォモールの巨人王バロールに呼び出されたそれは、巨大な呪いによってヌァザを殺している。

 

 

 「そして同時に、これは覚えておきなさい。人語を解する魔法生物は“宝を守る番人”の側面を常に持つ。ホグワーツのアクロマンチュラもケルベロスも、生徒達を“守るべき宝”と認識する魔法を創始者らによってかけられています」

 

 ならばこその、難攻不落のホグワーツ。跋扈する怪物達を出し抜いて、宝を盗み出すことの難しさよ。

 

 

 「ただし、スクリュートや処刑器具らは若干例外です。生徒を守るべき宝とは微塵も思っておらず、嘲笑の対象か黒歴史の材料としか見ていない悪霊に育てられれば、本能のままに人間を食べる怪物となるのは自明の理というもの」

 

 そしていけしゃあしゃあと告げる凶悪犯人。そうだよ、テメエが原因なんだよ。

 

 

 「これも重ねて言いますが、ヘルガ様に感謝なさい生徒達。創始者らが慙愧の念に凝り固まった時計塔を封じていなければ、より碌でも無い状態になっていたことでしょう。疑念と疑心、差別と迫害が蔓延る伏魔殿か万魔殿か。例によって言いましょう、“私のようになりたいですか?”」

 

 そんな者は絶対にいてたまるか、例え死喰い人だって御免こうむる。

 

 無言の団結力を発揮する生徒達の視線はそう語っているが、いつもの如くスルーしていく悪霊教師。

 

 こうしてまた、ヘルガ像の彫刻が盛んになる。ドクズ悪霊を殺してくれそうな存在として、サラザール像も作られるかもしれない。

 

 

 「では、ここで本日の課題を出しましょう。過去の進化の記録、遺伝子の物語などを軸に多くの魔法生物が幻想として想像されたわけですが、その先についてはどうか。未来において新たに創造されうる幻想生物と、それを成立させうる基盤について各々アイデアを出しなさい。分かりやすい例がスクリュートです、これはホグワーツを基盤にして生まれた“新型の幻想生物”ですから」

 

 それはつまり、スクリュートを幻想生物として成立させているのは今を生きる生徒達、あるいは卒業していったOB達の“畏れと嫌悪”であり。

 

 彼らがスクリュートを忘れたり、あるいは別に変哲のない“普通の生き物”と思ったならば、それらは果たして消えるのか。それとも、巨人や小人達のように、普通の生き物との混血が可能な存在へと生まれ変わるのか。

 

 

 「忘れるなかれ、幻想とは本当に儚き砂上の楼閣の如き境界線の上に成り立っています。そのバランスが僅かでも崩れれば、現と夢は混ざり合ってしまう。その先にあるのは混沌だけであり、混沌の楽土の果てに皆殺しの荒野ばかりが広がるのが、サピエンスの歴史というものです」

 

 

 

 

 

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 「ねえジニー、ドラコお兄様は本当に大丈夫なのかしら、心配だわ」

 

 「心配なのは分かるけど、私に聞かれても困るわよ。でもまあ、ダンブルドア先生が向かってくれたのだからきっと大丈夫よ」

 

 「だから心配なのですわ。あの孫ボケじじ…お爺さまでは、耄碌して不覚をとってしまったりしませんこと?」

 

 「貴女って本当にダンブルドア先生のこと嫌いなのね」

 

 「ええ、嫌いですわ。そりゃ当然あの悪霊教師の方が嫌いですけど、それに次ぐくらいには」

 

 既に秘密の部屋の入り口は発見されたが、探索組で一緒になった少女たちは習慣になってしまったのか昼の休みに集うことが多い。

 

 ルーナは例によって見えない不思議な生き物を探して何処かへ行ってしまった。相変わらずのマイペースさだが、最早二人にとっては慣れたもの。

 

 目下のところ、デルフィーニ・スナイド嬢の心配事は、ドラコ・マルフォイが実家から急報を受け、特別申請したポートキーでマルフォイ家に帰省していることである。

 

 火事があった、焼き討ちだったとスリザリンでは密かに噂されているが、真相はまだ伝わっていない。彼が実家に戻ったのはほんの昨日のことだから仕方ないとも言えるが。

 

 彼女にとってもこの一日は、気が遠くなるほど長く感じる時間であったろう。

 

 

 「やっぱり、死喰い人の仕業なのでしょうか……まさか、お父様やお母様が関わってるなんてことは」

 

 「それは流石にないんじゃない? だったら貴女をそもそもマルフォイ家に預けたりしないし、いつも貴女が言ってるけど身内を重んじるのがスリザリンなんでしょう」

 

 「それはその通りですわ。けれど、だからこそ身内の裏切りを絶対に許さないのもスリザリンなのです。硬い岩というものは罅が入るとぱっかりと割れてしまうものですから」

 

 余程心配であるのか、いつもの刺々しい口調は鳴りを潜め、ジニーを相手にも丁寧口調になっている。恐らく、彼女自身気付いていないのだろう。

 

 スリザリンである彼女にとっては考えたくないこと、しかし、拭うことが難しい不安である。

 

 そもそも、魔法戦争とは身内の内ゲバから始まったに等しいのだから。

 

 もし闇の帝王がマルフォイ家を討つべき裏切り者と断じたならば、死喰い人であるスナイド家は、いったいどうすればよいだろうか。

 

 

 「ああもう、どうしてこんな大事なことにわたくしは気付かなかったのですか。死喰い人と不死鳥の騎士団がぶつかるなら、知り合い同士が戦うことだって」

 

 「……まあ、考えたくはないことよね。私も、そんな悪夢は見たくないもの、って、嫌な夢を思い出しちゃったわ」

 

 「貴女が悪夢を、ですの?」

 

 「あまり思い出したくないことだけど、変な日記を拾ってからしばらく経って、あのハロウィンの夜に嫌な夢を見たわ。魔法省とダンブルドア先生が仲違いしちゃって、貴女もよく知ってるうちの兄のパーシーもそれで、家から出ていっちゃうの」

 

 「結束の強いウィーズリーがですか? それに、あのパーシーさんが貴女の家から出ていくなんて考えられませんわよ。何より―――」

 

 家族が引き裂かれるなんて、そんなの悲しすぎるじゃありませんか。

 

 と、出かかった言葉を飲み込んで、デルフィーニは不吉な予感を振り払うように天井を仰いだ。

 

 

 「寝起きも最悪だったわよ。あんまりにもムシャクシャしたから鞄を窓からぶん投げちゃって、ノートや教科書を拾いに行く羽目になったし」

 

 「それは自業自得でしてよ。ですけど、そう、戦争で家族がバラバラになるのは本当に怖いことですわ」

 

 なぜだろう、どうして自分は、家族がバラバラになって争うことを恐れるのか。まるで、昔の罪を恐れるように。

 

 ナルシッサのいるマルフォイ家に、死喰い人が原因で災禍が及ぶことが、怖くて怖くて仕方ない。

 

 

 「ああもう! やめよやめ! こんなの考えててもいいことないわ。それよりも、夕方の決闘クラブのことでも話しましょう。どうせ私と貴女で組むことになるのだから、思いっきりふっ飛ばしてあげる。覚悟するのね」

 

 「ふふ、何ですの。今日はジニーから挑んでくるなんて」

 

 「気に入らないことがあったらとにかくぶっ飛ばす、それがグリフィンドール流なのよ。ハーマイオニーですらそこはそうなんだから」

 

 「確かに、勇ましきグレンジャー将軍は常に正面突破ですわね」

 

 ライバルと認める相手から、決闘について発破をかけられて黙っていたのでは、蛇寮が廃るというもの。

 

 友人の不器用な慰め方に内心では感謝しつつ、それでも口には出さず。

 

 

 「決闘クラブには、メローピーさまはいらっしゃるのでしょうか」

 

 彼女は異なることを口にしていた。

 

 胸にしまったロケットへ、無意識に手を伸ばしていることには気付かぬまま。

 

 

 

 

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 「さてと、そろそろ決闘クラブが始まる時間帯となりますね。私は理事長閣下のちょっとした依頼によって参加というか、見張りというかをすることになっているのですが、皆さんはどうなさいます?」

 

 そして夕方、いつもの印刷室に集まっている悪霊たち。

 

 ホグワーツの誇る決闘チャンピオンことフィリウス・フリットウィック先生の主導で開催される“決闘クラブ”。それらの事前告知も事務方の役割だったので、当然内容については知っている。

 

 

 「アタシも行くわ。例の話については無関係じゃないし。それに、シグナスの阿呆の尻拭いってわけじゃないけど、アイツがどうするかは気になるから」

 

 「そうですね、貴女にとっては最早数少なくなってきた生前の知人に関することです。見届けるというのは悪いことでもないでしょう」

 

 「しっかしね、未だにちょっと信じられないわ。ほんとに、デルフィーニがベラトリックス本人なの?」

 

 「それを確かめるための決闘クラブです。お辞儀をしてみれば全ては分かりましょう」

 

 探索組の秘密の部屋の調査は進んだが、しかし、部屋は開かれない。

 

 一度、ダンブルドアも加えてハリーを連れて蛇語を試してはみたが、入り口のパイプまでしか開くことはなく、蛇の彫刻が刻まれた重厚な扉は黙したまま。

 

 そうして、若干手がかりを失った感のあったところに、シグナス・ブラックから報告があった。

 

 

 【私の推測に間違いがなければ、スリザリンの一年生、デルフィーニ・スナイドこそが、我が娘ベラトリックスである】

 

 と。

 

 既に、マルフォイ家やレストレンジ家の係累、さらにはダームストラング専門学校に至るまで連絡を飛ばし、前後関係の把握のために動いてはいる。

 

 ドラコが一度マルフォイ家に戻ったのはそのためであり、ダームストラングにはダンブルドア校長自らが向かった。秘密主義のあの学校は、直接足を運ばねばなかなか情報を引き出せない。

 

 そして、城に集まったブラック家面子は監視対象を彼女に切り替え、こうして最終確認も兼ねて“決闘クラブ”の開催となったのであった。

 

 

 

 「アンタにしてはまともな発言ね。それで、メローピーは……って、あらら」

 

 ふとマートルさんが視線を向けると、そこには何とも微笑ましい光景が広がっていた。

 

 

 「ふぇ、マーマぁ……」

 

 「ふふ、お母さんはここにいますよ。良い子でおやすみなさい、アリアナちゃん」

 

 「うん…」

 

 幽霊なのにウトウトとしながら、机に座って書物をしている女性の隣で眠たそうにしている亡霊少女。

 

 そして、左手でその頭を優しく撫でながらも、ゆっくりと書物を続ける女性。

 

 写真にとって題名を付けるならば、“母と子のひととき”となるだろうか。

 

 

 「あれを業務に連れ出すってのは、野暮かしら」

 

 「たとえ幽霊であろうと、侵すべかざる聖域ありといったところですか。特にこの城においてアリアナちゃんに関わるなら尚更に」

 

 「それにしても、最近ホントに未亡人っていうか、お母さんっぽくなったわねあの子」

 

 「アリアナちゃんもそんな気配を感じてか、以前にまして懐いていますね。とっても賢い子ですから本当の母親とは違うことは当然存じているでしょうが、母性の強い女性に甘えたいのは子供の本能のようなものです。我慢するほうが却って悪影響が出るでしょう」

 

 幽霊、亡霊というものは、未練や本能には忠実だ。

 

 幸せの少女であるアリアナちゃんとて例外ではない。だからこそアルバスお爺ちゃんやアバーフォースお兄さんには存分に甘えているのであり、そして、今のメローピー・ゴーントにも甘えている。

 

 そう、幸せなこの美麗な刹那を、決して忘れないよう味わい尽くすように。 

 

 

 「ま、独身組はさっさと仕事にいくわよ」

 

 「私を独身と定義するのもどうなんですかね」

 

 「確かに、生物学というか考古学というか、わけ解んない区分になりそうだわ」

 

 こと、男女の機微などというものと、最も縁遠いのがノーグレイブ・ダッハウだ。

 

 何せこの悪霊、人であったことがなく、恋愛と言えば黒歴史の常連くらいにしか思っていまい。

 

 

 「でも、ほんとにあの子にとって大切なこと。大切な相手へ書いているのね。アタシもペチュニアへの手紙を書く時はそうだけど、ああやって“手で”書いてるもの」

 

 「自動速記羽ペンを念動で走らすとは違うと、結果的に見れば変わらないはずですが」

 

 「それでもやっぱり、込める想いが違うのよ。アンタには分かんないでしょうけどね」

 

 「そういうものですか」

 

 「ええ、そういうものなの」

 

 ポルターガイストのピーブズもそうだが、例えモノに触れることが可能だとしても、本質的は“そういう風に動かしているだけ”。

 

 結局は、羽ペンを念力で動かすか、手を添えて自分で書いているつもりになっているかの違いでしかない。

 

 そしてだからこそ、悪霊教師は自分の手でモノを書いたことなどない。そんなリソースの無駄は、余分でしかないのだから。

 

 

 「相手を想って、自分の気持ちが伝わって欲しいと願って、一字一字、綴っていくから意味があるの。親友相手なら当然だし、それが、自分の孤独を慰めるための脳内のお友達であってもね。要は、自分の気持ちに向き合ってるも同然なんだから、鏡をしっかり見つめるようなものなのよ」

 

 「なるほど、現実逃避のように見えて、実は現実を直視してもいると。やはり人間というものは面白い。私も授業でよく生徒達に歴史の現実を直視しろと言っていますが、“自分自身という歴史を直視する”というのは、盲点になりがちなのかもしれません」

 

 この悪霊のように、本体が別にある上に肉体がないならば、常に意図的に自分自身をも観測する。

 

 しかし、人間にとっては肉体は不可分なのだ。常にそこにあるのが当たり前で、意識するまでもないことだから、案外と直視して観察することは少ない。 

 

 正確に言えば、そこにピークなど何もない日常だから、記憶のシステムに留まれないのだ。

 

 

 「年頃の女の子が、一番鏡を見て自分を直視するときって言ったら恋なのよ。何せその波動を感知してこのマートルさんが現れるんだから」

 

 「まさに経験則ですね。鏡の中の悪魔と向き合い続けた忌まわしき歴史が、貴女という嫉妬のゴーストに繋がったとは、これまた歴史の妙味というものです」

 

 好いた異性にどう見られるかと、まさに鏡を見て一喜一憂。

 

 恋は少女の華であり、その装いは戦士の鎧に等しい。たかが子供の恋愛と侮るなかれ、そこに情念と熱量があるならば、奇跡だって起こせるのが魔法なのだ。

 

 

 「しかし、彼女は恋をしているようには見えませんね。この私ですら、アレが恋心ではないことは分かります」

 

 「でしょうね、とっても似ていて、でも決定的に違う。ええそう、アタシがこうしてアタシで在れるのも、ママとパパのおかげなんだから」

 

 それ以上を語るのは野暮と言わんばかりに、マートルさんはフワフワと浮いて会場へと向かう。

 

 残されたダッハウは、もう一度だけ振り向いて、優しく幼子を撫でる女性の姿を目視で確認するが。

 

 

 「記録だけなら容易なのですが、何が違うのかはやはり私には分かりかねますね。つくづく、精神という分野は機械的な認知問題における鬼門というべきか」

 

 気象であろうが、重力であろうが、物理法則の如何なる複雑な問題であろうと、即座に解いてみせるスーパーコンピューターであろうとも。

 

 こればかりは、今も昔も、そして未来であろうとも、鬼門中の鬼門と呼べる命題だ。

 

 人の心は計り知れない。そして、心とは容易く濁って淀んでしまうからこそ、サピエンスの歴史は迫害と差別に満ちている。

 

 

 「貴女の嘆きも分かろうというもの、我が創始者よ。なぜにサピエンスは私ですら美しいと感じる光景を、自ら穢し、壊し続ける道ばかりを選ぶのか。理解に苦しみますね」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「おや? ふむ、なるほど、些か無粋ですがこのタイミングでそう来ましたか。こちらは了解いたしましたヘレナ校長。先生方や闇祓いへの伝達は頼みますが、怪物らの起動についてはお任せを。まあ、自動防衛だけで充分かと」

 

 「あら、ここで侵入者?」

 

 印刷室を離れて間もなく、悪霊たちのネットワークに通信あり。

 

 彼らは城の備品も同然なのだから、既に絵画や甲冑、仕掛け階段などの類にまでこの“警報”は伝わっているだろう。魔法の城の防衛機能は甘くはない。

 

 

 「それも、意表を突いてというよりも無謀というべきか、必要の部屋からの侵入です。入ってきたのは死喰い人が八名、マクネア、ヤックスリー、カロー兄妹、トラバース、セルウィン、ロウル、そして、オーガスタス・ルックウッド。即座に全員身バレしているのは、あの部屋がヘレナ校長の管理下にあるためですね」

 

 「そりゃまた残念な侵入者もいたものね、バレないとでも思ったのかしら?」

 

 ホグズミード村のホッグズ・ヘッド・パブから必要の部屋へと繋がる抜け道があることを知る人間は少ないが、当然の如くレイブンクローの創始者の娘は知っている。

 

 そして、処刑器具や怪物が跋扈するのは夜であるため、こうして生徒達が活動している時間帯の方が人質を取るならばやりやすくはあるだろう。ただしそれは、城の迎撃機構が動いていなければの話だ。

 

 

 「オーガスタス・ルックウッドは神秘部の無言者であり、レイブンクローの卒業生です。その辺りは知っていたはずですが、どうやら去年の侵入の際にある程度警報の目をかいくぐるための“仕掛け”を施していたようですね。ただしこれは、侵入路というよりも、片道切符の特攻経路と言うべき部類だ」

 

 あるいは、ルックウッド自身もそんなつもりであるのかもしれない。

 

 この秘密の部屋に関わる死喰い人らの動きは、何もかも精彩を欠いたチグハグなもの。ヤケクソというわけではなかろうが、ドロホフがそうであったように彼もまた分霊箱の変化に何か感じるものがあったのか。

 

 そもそも、ここを本当に正念場と決めているならば、エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ、ロドルファス・レストレンジ、ラバスタン・レストレンジ、バーテミウス・クラウチ・ジュニアらの大幹部が不在であるのはおかしい。

 

 

 「少なくとも、組織として意思統一が取れていないのは間違いない。確実に、首魁であるヴォルデモート卿との連絡が取れなくなっているのでしょう。あるいは、彼はもう既に存在しないのかもしれませんが」

 

 「何ともお粗末なものじゃないの。ま、とにかくアタシの行く先はトイレに変更ね。死喰い人がデルフィーニを狙ってくる可能性は高いでしょうけど、要はゴールを抑えちゃえばいいわけだし」

 

 「そうなります。敵が秘密の部屋を目指すというなら、こちらは当然網と罠をその前に置くだけのこと。罠を回避しようとすればするほど、ドツボにはまるのが魔法の城というものですから、こうなるくらいならば正面突破でも試みればよいものを」

 

 まさしく、中途半端としか言いようがあるまい。

 

 明確な指揮系統を欠いたまま、破れかぶれの突撃を試みたところで良い結果に繋がることなどあるはずがなかろうに。

 

 

 「私は例によって4階の廊下から傍観させて貰います。いやはやしかし、印刷室にメローピーさんとアリアナちゃん、トイレにマートルさん、4階廊下に私とは。侵入者たちも悪い時に来たものです。時期を読む力がないのか、極端に運が悪いのか」

 

 「まさに鉄壁の布陣ってやつね。ダンブルドア先生は不在だけど、たかが8人程度の死喰い人でどうにかなるホグワーツじゃないわよ」

 

 「そこもまた、アルバス・ダンブルドア校長という存在の持つ戦略価値ですね。彼の力があまりに大きいために、攻撃側は“ダンブルドアさえいなければ”と他の戦力をどうしても過小評価してしまう。むしろ、あくまで校長先生は一人しかいないわけですから、生徒を人質に取るなら警戒すべきは怪物たちのほうでありましょうに」

 

 死喰い人たちにとって見れば、かつての母校の校長であり魔法戦争で不死鳥の騎士団を率いたアルバス・ダンブルドアを無視など出来ない。

 

 だが、その時点で彼らは思考が狭まっているとも言える。より柔軟に広く物事を見ているならば、やりようはいくらでもあるはずなのに。

 

 彼が不在であると聞けば、今こそ千載一遇の好機とばかりに踏み込みたくなってしまう。ここを逃せば後がないと、強迫観念に駆られるように。

 

 

 「結局のところ、彼らは拘りすぎている。純血名家の新天地を作りたいならばカラハリ砂漠でもパタゴニアでも南極でも、どこでも目指せばよいだけのこと。ボルネオ島にもニューギニア島にも、マグルの手の及ばぬ人跡未踏の地などいくらでもある。気象衛星が見ているからといって、そこに人間の都市があるわけではない」

 

 「古くて狭い、自分達の昔からの場所に拘りすぎる。確かにスリザリンの欠点なのかもしれないわね、そういうところは。無謀で馬鹿だけど新しいこと大好きなグリフィンドールを少し見習うべきだと思うわ」

 

 死喰い人達は、“スリザリン”であることに縛られている。

 

 だからこそ、闇の帝王から秘密の部屋を開けと命じられれば、それが戦略的に厳しくなっても無謀な突撃を敢行してしまう。

 

 

 

 「ではでは、これが恐らく最後の祭りとなります。生徒という宝を守る怪物たちの跋扈するホグワーツへようこそ。貴方達の無謀なる侵入劇が如何なる末路へ辿り着くか、時計塔は余さず観測いたします。願わくば、詰まらない寸劇で終わらずに面白い歌劇とならんことを」

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「あらルーナ、貴女も決闘クラブに行くの?」

 

 「ううん、デルちゃんに会いに来ただけだよ。決闘にまったく興味がないわけじゃないけど」

 

 「そう、どっちにせよ目的地は同じなら一緒に行きましょう」

 

 「あの子、とっても不安そうだったから。そういう時は誰かが傍にいてあげないと駄目なの。じゃないとセストラルやグリムに憑かれちゃう」

 

 「グリムって、それまた不吉ね」

 

 時は少しだけ遡り、ちょうど死喰い人らが必要の部屋に現れた頃。

 

 グリフィンドールとレイブンクローの少女二人は不安そうな友人のために、急ぎ足で会場へと向かっていた。

 

 

 「って貴女、何でスクリュートを連れてるの」

 

 「念の為だよ」

 

 秘密の部屋探索で日常的に成りすぎたのでジニーはすぐに気付けなかったが、ルーナは紐で繋がれたスクリュートを連れていた。

 

 彼女の奇行は今に始まったことではなく、この姿もまた彼女の“ルーニー”っぷりに拍車をかけているのだが、そんなことルーナは気にしない。

 

 

 「念の為って―――あ、デルフィーニいたわ。あんなところで何してるのかしら」

 

 思わずツッコミをいれそうになったが、しかし遠目に尋ね人を見つけ不発に終わる。

 

 決闘クラブの会場へと続く廊下に途中で、なぜか壁を見つめて立っているのは間違いなくデルフィーニ・スナイドの姿。

 

 

 「………」

 

 「どうしたのデルフィーニ、廊下の真ん中でぼうっと突っ立って、って、ルーナ?」

 

 「待ってジニー、あれは、デルちゃんじゃない」

 

 歩み寄ろうとしたジニーの腕を掴み、いつにない冷静な瞳でルーナが止めた。

 

 そして、何処か遠くを見るような感じで固まっていたスリザリンの少女は、懐からロケットを取り出し――

 

 

 「ようやく目覚めた、ついに秘密の部屋が開かれる時が来た。来い、死喰い人の同胞達よ! ボンバーダ・マキシマ!」

 

 一年生の少女ならばとても使えるはずのない、巨大な爆発を起こす爆裂魔法を、開戦の号砲を告げる合図のように放ったのだった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 

スリザリン寮、デルフィーニ・スナイドの部屋の秘密の日記より

 

 

『ああ、何ということだ。この私は消えるのか……』

 

『培ってきた魔法も、人生も、全てを擲ってこの潜入に賭けたというのに』

 

『デルフィーニ、デルフィーニ、その名前が私を苛む』

 

『いいや違う、私はベラトリックス、最もあの方に忠実に仕えし死喰い人』

 

『なぜだ。どうして意識が朦朧とする、この身体は若返ったといえ私のものなのに』

 

『偉大なるあの方、その名は、その名は―――誰だ?』

 

『どうして、どうして、浮かぶのはあの頃のホグワーツばかり。ああ、過去と今が混ざっていく』

 

『お父様、なぜ貴方はそこにいるのですか?』

 

『お母様、どうしてこんなにも貴女に逢いたくてたまらないの?』

 

『アン、ナル、可愛い貴女達にまた逢いたい』

 

『女の子はいつでもピカピカ輝いていなきゃと、メローピー様もおっしゃっていたのに』

 

『私はいったい、何処で何を間違ってしまったのでしょうか―――』



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11話 冷徹なる裁定者

多分本作で戦闘シーンと呼べるのはここがラストになります。


 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【魔女の若返り薬】

 

 不老不死の探求の項でも述べたが、女の権力者は老いさらばえることを最も恐れた。

 動機は様々なれど、古来よりある魔女の術の中でも、永遠に美を留める不老の手段を追求したその執念の結実。

 

 成功例は幾つか伝わるが、当然、それ以上の失敗例がある。

 古の時代に権力者の女性が求めたものである以上、最初に自分で試すはずもなく、従僕や奴隷なりを用い人体実験を行うのは当然のこと。

 

 数ある失敗の中でも顕著なものに、記憶喪失の類が知られる。

 若返りの薬が正しく機能すれば記憶などはそのままに肉体のみが回帰する。

 記憶の保存が上手くいかなかったとしても、少なくとも若返った当時までの記憶は維持できるはずなのだが。

 

 しかし脳内の記憶システムとは未知の部分も多い。若返り薬の副作用により、かつての己を完全に忘れてしまう文字通りの“生まれ変わり”の例もあったとか。

 そうした場合への対処として考えられるのは、事前の記憶の保存である。

 

 上級術者が憂いの篩などに記憶を保存するように、別の器に“必要な記憶”を保管しておき、若返った後で肉体に戻す。

 そのような方法により、幾度も若返りを繰り返した魔女もかつていたらしいが、それでも魂そのものの摩耗からは逃れられなかった。

 

 

 『若返りを望む者よ、心せよ』

 『時を刻んできた肉体の時間を戻すとは、己を殺すに等しいのだと』

 『それはつまりカイロスの時計を、体内時計を壊してしまう危険を孕むのだと』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「マートルさんは既にトイレに到着、番犬の起動も無事に終わったようです。侵入者についてその後どうですか、ヘレナ校長?」

 

 「敵は8人ですが、3手に分かれたようです。カロー兄妹は先の爆発の震源へ、マクネア、セルウィン、ルックウッドの3名は3階に来ました。狙いは秘密の部屋の入り口でしょう。ヤックスリー、トラバース、ロウルはどうやら地下室へ向かっています」

 

 4階の廊下は悪霊たちの領域。スクリュートやアクロマンチュラに加えて処刑器具、拷問器具たちも生贄の血を求めて次々と出撃していく。

 

 それらの姿を見守りながら、時計塔の悪霊にして裏側管理人のノーグレイブ・ダッハウと初代校長のヘレナ・レイブンクローの両名は、地図に移る死喰い人の動向を観察していた。

 

 魔法の城が迎撃体制に入った場合、幽霊たちは基本的に防衛機構の一部として画一的に動き始める。特にこの両名は組み分け帽子の代行として司令塔の役割を果たすが、序列はあくまでヘレナが上で、ダッハウは彼女の代理人という形での裏側管理人である。

 

 そのように、創始者ロウェナ・レイブンクローが定めたのだから。

 

 

 「地下室へ? ふむ、スリザリンの談話室で人質を取るつもりにしては進路が妙ですね」

 

 「ですが、そちらが本命の可能性はあります。必要の部屋を通過した際に捉えましたが、亡き母の髪飾りがホグワーツへ戻ってきました。今はアレクト・カローが持っているようですが、似た魂の波動をコーバン・ヤックスリーからも感じます」

 

 「ほう、敵は随分と焦っていると見えます。闇の帝王の復活の為に最重要と言える品々をここに投入してくるとは」

 

 創始者の一人、ロウェナ・レイブンクローの遺品である叡智の髪飾りは、長らく必要の部屋にて保管されてきた。

 

 その魔法の性質上、ホグワーツで最も叡智を求める生徒が望んだ場合に部屋は姿を表し、持ち主に相応しいかどうかの謎掛けを挑んでくる。

 

 

 「ここ数十年で、かの部屋を開いて髪飾りを持ち出した生徒はトム・マールヴォロ・リドルのみ。正統継承者であられる貴女がここにいる以上、あくまで“貸し出し”扱いですが、勝手に魂を分与するというのは貸し出し規則的にどうなのです?」

 

 「まるで図書室の本の返却忘れや私物化を語るように淡々と言う、貴方らしいですねダッハウ。ですが、叡智の取り立てはレイブンクローの流儀ではありません」

 

 「求める者には叡智を隠さず。なるほど、探求という側面では闇の魔術であろうと等価に見るからこそレイブンクローはスリザリンと距離が近い」

 

 侵入してきた8人の大半はスリザリンのOBだが、先導役はレイブンクロー。

 

 対して、教師や闇祓いが既に迎撃に動いているが、こちらはやはりグリフィンドールが主力となる。

 

 

 「後は、因縁の結ばれるままにというものですか。決闘クラブの中止の旨は通知してありますが、位置的に考えて既に会場へ向かっていた生徒達が鉢合わせる可能性は―――ふむ、期待を外しませんね」

 

 地図に映るは、ハリー・ポッター、ロナルド・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの三つの名前。

 

 秘密の部屋の入り口であるトイレと、そこへ向かう死喰い人との中間におり、このまま行けば確実にぶつかる。

 

 

 「恐らくは対悪霊戦線のためにマートルさんが決闘クラブに来るかどうかを確認していたのでしょうが。しかし彼らだけではない、他にも近くに秘密の部屋探索組がちらほらいます。パーシー・ウィーズリー、セドリック・ディゴリー、双子に加えてクィディッチ組も、そして一年生のジニー・ウィーズリーとルーナ・ラブグッド」

 

 「勇敢な子達です。例のあの子については?」

 

 「そちらについてはブラック班が対応しています。ニンファドーラ・トンクスとシグナス・ブラックの名前についてご覧いただければ、彼らの狙いも分かりやすい」

 

 悪霊の指し示す先には、探索組の生徒達の元へ向かう教師や闇祓い達の名が記される。

 

 死喰い人、探索組生徒、教師と闇祓いが忙しなく動いており、これらを同時に把握するのは“人間であれば”困難極まるだろう。頭脳があと二、三個は必要になってくる。

 

 

 「さて、面白くなってまいりました」

 

 「不謹慎ですよ。真面目になさい」

 

 だが、時計塔にとってはさほど困難なことではない。何しろそこには、151もの“意識”が常に渦巻いているのだ。

 

 ノーグレイブ・ダッハウは遍在する。この城の中であるならば、151の目となりて多くの事象を同時に認識することとて不可能ではない。

 

 ただまあ、観測するだけでコイツは何もしないのだが。

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「イタタ、すっごい爆発だったけど。ルーナ、大丈夫?」

 

 「わたしはへーき、それよりも、あっち」

 

 巨大な爆発音と衝撃に吹き飛ばされる形になった少女二人、ジニーとルーナに見たところ大きな怪我は見られない。

 

 吹き飛ばされたその瞬間、城の床や壁が衰え呪文(スポンジファイ)をかけられたように自動的に柔らかくなっていたことに、果たして少女らは気付いていたろうか。

 

 ただし、廊下は半壊も同然で巨大な亀裂が入っており、飛翔術を使えない彼女らには容易に越えられない断崖となってしまっている。

 

 

 

 「ようやく見つけた! おい、ベラトリックス、覚醒しているのか!?」

 

 「問題ない。まだ意識が混在している部分もあるが、我が使命は秘密の部屋を開くこと」

 

 「本当に? 兄と私をはめるつもりはない?」

 

 「何だアレクト、拷問官が疑うか? それはラバスタンの仕事であろうに」

 

 「何よ、偉そうに。帝王様の真似事? それとも代理人気取り? 半年も潜入していたのに何の成果も挙げられなかった年増が」

 

 「お前たちとて、クリスマスに為す術もなく無様に撤退したではないか」

 

 「だから、予定通りアンタが中から手引してればギボンが捕まることもなかったっての」

 

 「おいアレクト、今はそんな事を言っている場合ではないぞ。コイツの意識がベラトリックス本人かなんてどうでもいい。何しろ帝王様の分霊箱に半年以上も触れていたんだ、自我が混ざってもおかしくないさ」

 

 スリザリンの少女に駆け寄ってきたのは、侵入してきた死喰い人のうちの二人、アミカス・カローとアレクト・カロー。兄と妹でカロー兄妹と通称される。

 

 武闘派というよりも、磔の呪文を用いた拷問が得意であることから、拷問官と呼ばれることが多い。

 

 

 「それでだベラトリックス、日記は何処にある?」

 

 「残念ながら今は手元にない。ロケットならばここにあるが」

 

 少女が胸元から取り出したのは、重い金でできており表にはヘビのような形をした「S」が緑の石ではめ込まれて輝いているロケット。

 

 スリザリンに由来のある品だと、ひと目で分かる重厚な作りである。

 

 

 「日記は悪霊共の巣にある。今すぐに秘密の部屋を開きバジリスクを解き放つべきだ。さすれば悪霊共も簡単に一掃できよう」

 

 「可能なのか? 要は日記だと聞いていたが」

 

 「お前たちも分霊箱を持っているのだろう、今の我ならば蛇語を使うことも出来る。ロケットと髪飾りがあれば充分よ、指輪があればなおよいがな」

 

 「ふん、ベラトリックスの癖に知恵が回るようじゃない。ええ、髪飾りは私が預かっている。これも帝王様のおかげかしら」

 

 「アンタのおつむが足りていないだけじゃなくて? おおっと、いかぬいかぬ、まだたまに意識が混在することがあるな」

 

 ホグワーツ創始者の一人、ロウェナ・レイブンクローの髪飾り。

 

 身につけた者には叡智を与えると言われるが、今はただ所有しているだけだからか、アレクト・カローという死喰い人の知能が上昇しているわけではないらしい。

 

 そもそも、分霊箱となった時点で何処まで本来の機能が残っているかは謎であるが。

 

 

 「そんなでは困るぞ、秘密の部屋を開くのはお前にかかっているんだからな」

 

 「わかっている。しくじりなどせん」

 

 「ともかく行きましょうか。ところで、向こうのオチビサンたちはどうする? 殺しちゃう?」

 

 爬虫類のような冷たい殺意を漂わせながら、女の死喰い人が子供達へ目を向ける。

 

 向けられた少女二人は身を震わせるが、それでも目を逸らしはせず、気丈に杖を構えていた。

 

 

 

 「あれって、死喰い人のカロー兄妹よね? デルフィーニを何処に連れて行くつもりなのよ」

 

 「違う、あれはデルちゃんじゃないよ」

 

 「どういうことルーナ?」

 

 「雰囲気が全然違う。デルちゃんはあんな悪戯っ子みたいな空気じゃないもの」

 

 「ごめん、よく分かんない」

 

 死喰い人達の会話の内容までは少女たちにはよく聞こえず、断崖を挟んだ遠目から状況を察するより他はない。

 

 なんとなく、ロケットだの日記だの言っていることと、秘密の部屋を目指していることくらいは辛うじて聞き取れるが、細かい事情までは一年生の少女にはさっぱりだ。

 

 

 

 「一刻を争う、後回しだ」

 

 「アミカスが正しい。一年生のガキに出来ることなど何もない。すぐに秘密の部屋へ向かうべきだ」

 

 「ふん、残念だけどまあいいわ、行きましょう」

 

 この侵入は時間との戦い。残虐非道のカロー兄妹と言えどそこは弁えているのか、踵を返して駆けていく。

 

 ジニーとルーナにとっては、先の爆発で廊下が寸断されていたのは幸運だったと言えるだろう。もし彼女らが駆け寄っていれば、人質に取られるか、磔の呪文か、あるいは死の呪文の運命が待っていた可能性が高い。

 

 

 

 「待ちなさい! デルフィーニを何処に連れて行くのよ!」

 

 「秘密の部屋って言ってた。でもこの崩れちゃった廊下、わたしたちには直せないかも――あ、パーシーだ、セドリックもいる」

 

 「ジニー! ルーナ! 無事か!」 

 

 そこへ駆けつけたのは、パーシー・ウィーズリーとセドリック・ディゴリー。

 

 悪霊が地図で見ていたように、彼らも決闘クラブの会場へ向かうべく割りと近くにを歩いていた。爆発音を聞いて最も早くに来られたのがこの二人らしい。

 

 

 「私とルーナは無事よ! でも、デルフィーニが連れて行かれちゃったの!」

 

 「連れて行かれた? ということは、死喰い人が来たんだね?」

 

 「うん、ええっと、たしかバッカヤロー兄妹」

 

 「それはつまり、カロー兄妹のことだねルーナ。それで、どっちに言ったか分かるかい、ジニー」

 

 ルーナの微妙にズレた情報を修正しつつ、セドリックが尋ねる。ここはジニーに聞いたほうが早いと思ったようだ。

 

 

 「あっちの廊下を走って、右の方に行ったわ。秘密の部屋を目指すとかどうとか言ってたけど」

 

 「……分かった。僕らが追おう。フレッドとジョージもすぐに来る、君等は二人と合流してすぐにこの場を離れるんだ、いいね」

 

 「でも――」

 

 「聞き分けてくれジニー、先生方には僕らが守護霊を飛ばして説明するから」

 

 彼とて日々悪霊戦線を戦うグリフィンドールの監督生、いざという時の即断即決は獅子の得意とするところ。特にダッハウ相手には絶対必須の技能だ。

 

 そして、ハッフルパフの模範と呼ばれる四年生の秀才は、友のためならば戦うことに迷いはない。彼もまた、何度悪霊の放った怪物と戦ったことか。

 

 ちなみに、どういうわけか尻尾爆発スクリュートはセドリックを好んで追い回す。前世からの因縁でもあるのか、優勝杯に絶対触れさせるなと誰かの遺言が残っているのか。

 

 

 「パーシー、どうしようか。レパロで直すには時間がかかる」

 

 「浮遊呪文で飛び石の浮橋を作ろう。幸い、瓦礫はそこらにある。ウィンガーディアムレビオーサ!」

 

 一年生の少女たちには無理でも、六年生ともなれば断崖を超える方法はいくらでもある。

 

 死喰い人に連れ去られた少女を救うため、上級生二人は死喰い人と戦う覚悟で追うことを決めたのだった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「くっそ、越えられるのも時間の問題だぞこれ! ハリー、生ける屍水薬はもうないのか!」

 

 「あと三つしかない! 一応ダッハウ先生対策にいろいろ持ってきてはいたんだけど!」

 

 「とにかく時間を稼ぎましょう! ロン、貴方はドラゴン花火をお願い! わたしたちじゃ死喰い人を倒すなんて無理なんだから専守防衛で!」

 

 「オッケイ! そらいけ、双子謹製の特別版だ! インセンディオ!(燃えよ)」

 

 同じ頃、マートルのトイレに繋がる三階廊下の一角では、まるで銃弾の飛び交う塹壕戦の様相を見せていた。

 

 とはいえ、飛び交うという表現には多少語弊があるかもしれない。片側の陣営からは次々に失神光線や爆裂呪文が叩き込まれるが、塹壕に籠もっている生徒側からは眠り薬だの仕掛け花火だのが飛んでいく。

 

 マクネア、セルウィン、ルックウッドらの三人の死喰い人の進路に、運悪く居合わせてしまったハリー達。ホントに彼は運がない。

 

 向こうからは即座に失神呪文が飛んできたが、その瞬間に廊下の一部がひとりでに動き出し、まるで生徒を守る塹壕に姿を変えるが如くに変形していったのである。

 

 そればかりではない。両側に飾ってあった甲冑なども動き出し、生徒を守る盾として壁を即座に形成した。死喰い人らにとっては予想外だったろうが、対悪霊戦線で処刑器具などが動くところを目の当たりにしているハリー達にとっては“いつものこと”だ。

 

 

 「よっしゃ命中! ザマアミロ悪霊! くたばれダッハウ!」

 「ロン、違う違う。相手死喰い人だから」

 「ごめん、いつもの癖で」

 「この際どうでもいいわ。これも定番だけど、死喰い人の相手をする方がダッハウ先生よりかはずっとましよ」

 

 何せ、魔法史の授業の最中に突然机や椅子がガタガタ動き出したり、挙句の果てには床に穴が開いて生徒を下の階に落っことすことすらある学校である。本当にここは教育機関なのか?

 

 まして、ハリー達はマートルのトイレに行こうとしていたのだから、こういうことがあってもおかしくないと警戒しながら進んでいた。悪霊の巣に近づいた双子が動く城にやられた前例などはいくらでもあるのだ。

 

 もっとも、獅子寮三人組にしても外敵から生徒を守ろうとして動く城の機能を見るのは、初めてのことであったが。

 

 

 「でもまあ、ホントにホグワーツって生きてるんだな。頼もしいぜ」

 「ダッハウ先生曰く、死んでても動くらしいけど」

 「これがただの壁だったりしたら、今頃ボンバーダでわたしたちごと粉々にされてるわ」

 「そしたら僕ら、晴れてダッハウの仲間入りか」

 「ホントに死んでも嫌だよそれ」

 「もう手遅れなマートルには悪いけど、そうなりたくなかったら戦うのよ、“ダッハウ化”だけは御免だわ」

 

 ここがホグワーツでなかったならば、大人の死喰い人達を相手に二年生が持ちこたえられるはずもない。

 

 だが、魔法の城では救いを求める者には必ず助けが与えられる。ましてこの子らは例え城の助けがなくとも勇敢に戦う勇気と知恵を備えている。

 

 ならばこそ―――

 

 

 「ハリー! アレみろ!」

 

 「牝鹿の守護霊……ってことは」

 

 「後もう少しね、頑張りましょう!」

 

 ホグワーツを守る教師たちが駆けつけるのは当然のこと。もとより敵地に潜入してきたのは死喰い人である。戦況の硬直化はすなわち敵の増援到着に等しい。

 

 ありていに言って、地の利が悪すぎる。例え圧倒的戦力を有しての侵攻だったとしても、力押しでは難攻不落のホグワーツは打ち破れない。

 

 死喰い人が事をなしたいならば、あくまで城のルールに則った潜入でなければならなかった。防衛機構に気取られた時点で、正面の戦いでは二年生の子供にすら勝てないほどのハンデを背負わされたも同然なのだから。

 

 

 「……なあ、敵、一人減ってないか」

 

 「え? ……言われてみれば確かに」

 

 「まさか、迂回した?」

 

 ならばこそ、敵もただの暗愚ではない。およそ教師のものらしき守護霊を見た段階で、この場の不利を悟ったのだろう。

 

 彼らの目的は秘密の部屋への入り口を抑えることであり、分霊箱を持った“本命”を部屋へと送り届けることにある。例えそれが叶わないとしても、陽動となって不死鳥の騎士団の戦力を引きつけるのが役割だ。

 

 こちらの分隊を率いるのはレイブンクロー出身の死喰い人、オーガスタス・ルックウッド。彼はあくまで叡智の寮の卒業生に相応しく、己の役割を忠実にこなすことに徹しているようであった。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「クソが! なんて忌々しい城だ! こんなの聞いてないし知らないぞ! 何時からこうなった!」

 

 吐き捨てるように叫びながら、魔法省危険動物処理委員会の死刑執行人、ワルデン・マクネアは目的地へと辿り着く。

 

 同僚の二人、セルウィン、ルックウッドらに遭遇した生徒ら(正確には、そこに駆けつけるだろう教師たちも含め)の相手を任せ、彼は単独で3階のトイレへと。

 

 恐らく、残った二人は捕まるか、高い確率で死ぬだろう。現れた守護霊がセブルス・スネイプのものであることは死喰い人らとて察している。

 

 ならば、ジェームズ、シリウス、リーマスのいずれかがあの場に現れるのも時間の問題。ただでさえ実力伯仲している騎士団の精鋭を相手に、ホグワーツ内部という地の利の条件では勝てるはずもない。

 

 

 「だが、ただでは終わらんぞ、せめて一矢報いてやるとも」

 

 暗い執念を漂わせつつ、魔法生物の処刑人は件のトイレの扉を破壊する。

 

 何せ凶悪な悪霊の巣であると聞いている。礼儀正しく扉をノックして開くような真似はしない。中には恐らく、去年確認されたというアクロマンチュラやらスクリュートだのが待っている可能性が高いのだから。

 

 破壊した扉の残骸が、少しでも怪物共を怯ませれればと爆煙の先を見てみれば―――

 

 

 「はーい、いらっしゃいませ地獄の門へ。生憎だけど、冥府の入り口への通行料が足りてないみたいね」

 

 そこには、物理的な瓦礫などものともしない霊体の少女の姿と。

 

 

 「食べちゃっていいわよ、フラッフィー」

 

 仮にも教育機関の校内にこんな怪物を飼っていいのか。

 

 死喰い人であり、魔法生物の処刑人である彼をして、今際の際にそんなことを思わせるほど威容を誇る、三ツ首の巨大ワンちゃん。

 

 ギリシアの神話では地獄の番犬として伝わる、宝物や境界線の守りに特化した怪物、いいや、もはや怪獣というべきデカさ。

 

 ハグリッドご自慢の“フワフワのフラッフィーちゃん”である。

 

 

 「残念だったわね貴方、マルシベールと同じく“何も為せなかった組”にまた一人追加よ。アタシとしてはこき使える事務員候補が出来て嬉しいけど、あのクズに何て嘲笑られることやら。今から長い地獄を覚悟しておきなさいな」

 

 凶悪な牙を備えた三つの首に同時に噛みつかれ、肉体が瞬く間に割かれていく様を、なぜか“上から見下ろすように”認識しながら。

 

 死喰い人、ワルデン・マクネアは何も為せることのないまま、怪物の餌となってその生涯を終えた。

 

 

 「それにしても、秘密の部屋の入り口の番犬にケルベロスってのも滑稽ね。あのパイプの奥にはアタシを殺したもっと凶悪な怪物がいるってのに」

 

 マートル・ウォーレンは知っている。ここまでが、怪物を配置できる限界点なのだと。

 

 そもそもにして、今は城の守り手と認識されるアクロマンチュラは、このトイレにすら寄り付かない。スクリュートですら、入り口のあるここに長居はしたがらない。

 

 怪物たちは本能で知っているのだ、この先には恐ろしいものがいると。

 

 

 「ここで待機できるだけでも、貴方は偉いわよフラッフィー。後はノーバートくらいかしらね、流石にドラゴンの炎は危険だから遠慮願いたいけれど」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「よおヤックスリー。魔法戦争以来だな」

 

 「シリウス・ブラックか、闇祓いの猟犬は随分と鼻が利くらしい」

 

 そして、今宵侵入を果たした8人の死喰い人の中では首魁と言える古参の幹部、コーバン・ヤックスリー。

 

 トラバースとロウルの二名を率い、地下牢へと進んでいた彼の前に現れたのは、まさに天敵と言える職業に就く男だった。

 

 

 「わざわざホグワーツに入るとは、飛んで火に入る夏の虫という言葉を知らないのか?」

 

 「ふん、そちらこそ獅子身中の虫という言葉を知らぬのか」

 

 互いに高度な戦闘技能を身に着けた魔法使い同士が出逢った場合、こうした舌戦から始まる例は珍しくない。

 

 何しろ、常に互いに無言呪文で盾の呪文を張っているのだから、単純な失神呪文などの打ち合いでは千日手になりかねない。如何にして相手の意表を突いて盾の隙間を突くか、あるいは、隙を見せるのを覚悟で死の呪文や爆破呪文などを叩き込むか。

 

 魔法使いの戦いとは、つまるところは読み合いと探り合いだ。それは将棋やチェスにも通じるものがあり、しかし同時に運動神経や直観も当然重要になるため頭でっかちが勝ち続けられるほど甘くもない。

 

 

 「トラバースも今頃、ジェームズと遊んでもらってることだろうさ。分かってるだろうが、詰んでるぜお前ら」

 

 「覚悟の上の突入よ。もとより、無事で済むなどと思っておらん」

 

 「なるほど、まあそんな感じだとは思ってたが、随分と焦っているんじゃないか。失敗に次ぐ失敗で、御主人様に愛想を尽かされたか?」

 

 「……貴様の知ったことではないわ」

 

 「図星か?」

 

 「黙れい!」

 

 死喰い人とて人間である以上、痛い本心を突かれるとやはり激高するもの。

 

 そして、魔法使いの決闘が読み合い探り合いであるならば、頭に血がのぼって攻撃箇所を凝視してしまう側がどうなるかなど、分かりきっている。

 

 

 「がっ、はぐ」

 

 抜き打ち。

 

 まさにそう言って差し支えない早業で、シリウス・ブラックはヤックスリーの放った死の呪文を紙一重で躱し、空いた盾の隙間に失神呪文を叩き込んでいた。

 

 

 「だからお前たちは負けるんだ。アバダケダブラは決闘で使うには向いてないってのに、相手を殺そうとすればするほど、無意識でそれを使おうとしてしまう」

 

 許されざる呪文は、殺意や憎悪を糧に強くなる。

 

 だがそれは翻って言えば、殺意や憎悪に飲まれていき、戦場において冷静な思考や判断から遠ざかっていくことにも繋がる。

 

 死喰い人が処刑人や恐怖の対象とはなれても、戦争には勝てない究極的な理由がそこにある。

 

 東洋のとある武人(復讐の鬼)に曰く、手はきれいに、心は熱く、頭は冷静に。

 

 殺意は、収束して敵へ向けてこその武器である。撒き散らされる殺意は災厄としては脅威だが、戦技としては三流だ。

 

 

 「例外はロジエールとドロホフくらいか。殺人鬼に殺し屋と、例えヴォルデモートがいなくても、アイツラだけは俺達闇祓いの敵で在り続けるんだろうな」

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「これは、横穴なのか?」

 

 「少なくとも探索中にはこんな穴はなかったはずだ。それに、ついさっき開けられたくらいに新しい」

 

 ジニーとルーナから話を聞き、デルフィーニを救出すべく追ってきたパーシーとセドリック。

 

 先行する死喰い人、カロー兄妹が目指すのは3階のマートルのトイレかと思われたが、意外にもその足取りは地下へと向かっていた。

 

 

 「ひょっとして、例の秘密の部屋に繋がるパイプに横から入るために?」

 

 「在りうるね。マートルのトイレには怪物がうよついているから、迂回するつもりなのかも」

 

 彼らの推測は、大凡において正しい。

 

 今宵の死喰い人の襲撃の目的は、あくまで秘密の部屋を開けてバジリスクを開放すること。そして、主の魂の込められた日記を元に秘密の部屋にて復活の儀式を行うことである。

 

 仮に日記が上手くいかなくとも他の分霊箱で行えるようにと、ヤックスリーは指輪を、カロー兄妹は髪飾りを預かってきていた。さらに、以前から日記とロケットは潜入を果たしていたのだから、その本気度が伺えるというものだ。

 

 ただし、それがほんとうに帝王ヴォルデモートの指示であればの話であるが。

 

 

 「ともかく、横穴のことは先生方や闇祓いの方々に伝えよう」

 

 「分かった」

 

 クリスマスのときと同じく、二人は守護霊を出現させ伝言を託す。

 

 これで仮に自分達に何があったとしても、後続の誰かが必ずやデルフィーニを救い出してくれるだろう。

 

 

 「行こう」

 

 「ああ」

 

 だがそれでも、彼らには大人に任せてここで待つという選択肢はなかった。

 

 ホグワーツの結束は固く、揺るぎない信頼こそが強さである。

 

 色々と騒動が尽きなかった秘密の部屋探索組であり、特にパーシーやセドリックは喧嘩や揉め事の仲裁に何度駆り出されたか分からない。まあ、総回数ならばハーマイオニーが一番なのだが。

 

 だがそこには、笑い合う喜びがあった、冒険の楽しみがあった。何よりも、仲間との絆があった。

 

 デルフィーニ・スナイドがスリザリンだからと、死喰い人の身内だからと、助けに行かないなどという道はあり得ない。

 

 疑心と差別は、皆殺しの滅びへと至る道だ。

 

 

 

 「どうせばれないように進むのは無理だ。明かりをつけていこう」

 

 「そうだね、ルーモス(光よ)」

 

 そして長いパイプを下り終え、秘密の部屋の開かずの扉へ繋がる隧道へ。

 

 勇気のグリフィンドールと、協調のハッフルパフ。

 

 属する寮を象徴するように、死喰い人のいるであろう通路の奥へと、慎重に二人は進んでいく。

 

 

 

 「いたぞ、一人、二人、三人――、四人」

 

 「どうやら、一人合流したようだ」

 

 彼らは知る由もないが、合流した死喰い人はロウル。地下に向かった三人のうち最後の一人であり、横穴を作ってカロー兄妹を待っていた“本命”だ。

 

 彼もまた、突入後にヤックスリーから指輪を預かっている。死喰い人の目的は、8人の誰でもよいから分霊箱を秘密の部屋へと届けることにあった。

 

 そして今、ここには髪飾り、指輪、ロケットの三つが揃ったことになる。中核となるべき日記がなくとも、これならばスリザリンの扉も開くと聞いている。

 

 

 

 「……」

 

 「どうしたベラトリックス、さっさと蛇語で扉を開けろ!」

 

 「まさか、この期に及んで闇の帝王へ魂を捧げることに怖気付いたというのではないだろうな!」

 

 「巫山戯るんじゃないわよこのメスガキが!」

 

 しかしどうにも、様子がおかしい。

 

 三人に増えた死喰い人らが非常に苛立っていることは、パーシーとセドリックの二人にも簡単に察し得た。

 

 何しろ、明かりを消しているわけでもないのにこちらに気付かないくらいである。

 

 

 「デルフィーニを、ベラトリックスと呼んでる。どういうことだ?」

 

 「分からない。錯乱してるのか、勘違いしてるのか」

 

 と同時に、二人からすれば多少意味不明な光景である。

 

 ジニーの言っていた通り、デルフィーニがカロー兄妹に秘密の部屋へと連れ去られたのは間違いなかったが、そのデルフィーニをベラトリックスと呼び、扉を開けるようにと怒鳴っている。

 

 仮に、死喰い人の言葉が正しく、デルフィーニの正体が死喰い人の幹部ベラトリックス・レストレンジだったとして、だとしたら何でこの場で仲違いする必要があるのか。

 

 何かがおかしい、取り違えられたように状況が噛み合っていない。

 

 

 

 「とにかく、チャンスだ。1,2の3で行こう」

 

 「気付かれる前に、だね」

 

 状況には不明な点が多いが、ここでじっとしていても始まらない。

 

 増援を待つという手もなくはないが、デルフィーニが無事でいられる保証もまたない。そもそも、彼女がベラトリックス・レストレンジであるというのが二人からすれば半信半疑なのだから。

 

 彼女を助けるために来た、ならば初志貫徹するまでのこと。

 

 

 「ステューピファイ! 麻痺せよ!」

 「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」

 

 

 「む、プロテゴ!」

 「ちぃ、敵か!」

 「甘いわね!」

 

 だが流石に、不意打ち一つで倒せるほど甘い相手ではない。

 

 ここは秘密の部屋へ繋がる通路。優しく生徒を守り、時に援護してくれるヘルガ・ハッフルパフの守りの呪文は存在しない。

 

 何処までも冷徹な、魔法の実力差の明暗がそこには現れる。

 

 

 「デルフィーニから離れろ死喰い人!」

 「その子は僕らの仲間だ、傷つけたら許さないぞ!」

 

 

 「何だガキか」

 「なるほど、お友達を助けに来たか、愚かな」

 「クスクス、正体も知らずに友情ごっこ、傑作ね」

 

 真実を知る優越感からか、嘲笑いながら三人の死喰い人は杖を構える。

 

 そしてその瞬間、彼らの運命は決したと言えるだろう。

 

 

 「ステューピファイ! 麻痺せよ!」

 

 「あぐっ」

 「んぐっ」

 「え?」

 

 一瞬の早業。

 

 杖を直接身体に突きつけ、盾の内側からのゼロ距離の失神呪文。

 

 これを受けてはいくら無言呪文で盾を張っていようがひとたまりもない。流石に三人同時までは厳しかったようだが、それでもロウルとアミカス・カローの二人は完全に予想外の方向から奇襲を受け地に伏せた。

 

 残ったのは、半ば呆然としているアレクト・カロー一人である。

 

 

 「ベラトリックス貴様、裏切ったか!」

 

 「ごあいにく様、わたしはベラトリックスじゃないの。騙してごめんなさい二人共、ほーら、この顔見たら魔法警察へ」

 

 言いつつ、少女の身体が変化していく。

 

 スリザリンのローブを纏った一年生の少女から、成熟した大人の女性へ。パーシーとセドリックもよく知る、闇祓いの女傑。

 

 

 「ニンファドーラさん!」

 「何で貴女が!」

 「き、貴様は、ニンファドーラ・トンクスか!」

 

 予想外の流れの連続ではあるが、元より聡明な二人はすぐに悟る。

 

 ニンファドーラ・トンクスは“七変化”。そして、秘密の部屋探索の際に、“この顔を見たら魔法警察”と言いながら、誰の顔によく変身していたか。

 

 それならばそう、不信だった違和感も、一本の線に繋がる。

 

 

 「そこは色々あってね、死喰い人の侵入があったら私がデルフィーニと“すり替わる”ことになってたの。ほら、このロケットも含めて」

 

 「な、なんですって」

 

 「貴女達が間違えるのも無理ないかしら。これ、偽物だけど本物だから。よーするに、1000年前にブラック家で作られて、サラザール・スリザリンへ贈られた品の兄弟というか、同型なの」

 

 1000年前から存続している家は、スリザリン直系のゴーントの家のみではない。

 

 それがサラザール・スリザリンに由来するロケットであることは事実であっても、同じような品が他の純血名家にないとは限らない。

 

 分霊箱としては偽物だが、スリザリンに由来するロケット、という意味では本物と言える。

 

 “デルフィーニとの入れ替り”に際し、この案を考え付いたのはシリウスの弟、レギュラス・ブラックだ。屋敷しもべのクリーチャーと話していたら閃いたという。

 

 

 「ほんと、ブラック家は馬鹿みたいに純血主義だから、宝物庫やらに1000年以上も前の品をずっと保管している。まあ、こ~して役立ったのは皮肉だけど。ああそれと、本物のデルフィーニはうちのお爺さまの元で眠ってるから安心して。失神させたのはわたしだけど、そこは多めに見てくれると助かるわ」

 

 「こ、この、ペテンにかけたわね!」

 

 「騙される方が迂闊なのよ、さあ、観念して――ッ!?」

 

 「な、なにが――」

 

 

 瞬間、空気が凍りついた。

 

 激高して杖を振り上げたアレクト・カローも、油断なく杖を突きつけて失神呪文を放とうとしたニンファドーラ・トンクスも。

 

 離れて見ていたパーシーとセドリックもまた同じく。

 

 

 空気が冷たい、そして、重い。

 

 まるで、冥府の底に迷い込んでしまったように、視界すらも曖昧になってくる。

 

 そして聞こえてくる、巨大な“ナニカ”が這いずるような音。

 

 見てはならない、絶対にそれを見てはならない。

 

 それは警告か、それとも死刑宣告か。

 

 

 

 

 「二人共、伏せなさい! 目を閉じて絶対に開かないで!」

 

 辛うじて、絞り出すようにニンファドーラが二人へ忠言を飛ばす。

 

 彼女とて恐怖がない訳ではない。だがそれでも、絶対にここで生徒を死なせるわけにはいかない。

 

 それだけが、今にも凍えそうな己の心を繋ぎ止める楔であった。

 

 

 

 【敵わぬと知りつつも、杖を取り立ち向かう。グリフィンドールの資格あり】

 

 

 【例え寮は違えども、仲間の守りを第一とする。ハッフルパフの資格あり】

 

 

 【組み分けに違いなし。粛清は不要なり】

 

 

 シューシューという音、いいやそれは声なのか。

 

 蛇語を使えぬ者には理解できるはずもないが、しかし、魔法の城の成す業か、聞こえぬはずの声、いいや、部屋の主の意志が確かに伝わる。

 

 

 【闇祓い、その血は―――純血のブラックとマグルの混血………学ぶ者をば選ぶまい、ハッフルパフならば其は道理である】

 

 後に、ニンファドーラ・トンクスは語った。もし自分がスリザリンに組み分けされていたら、血を穢した者としてあそこで死んでいたかもと。

 

 

 

 【愚かにして卑賤。分霊の何たるかも理解せず、形ばかりを取り繕う愚昧。蛇の一員の資格なし】

 

 

 部屋の主が視た、恐るべき金眼を開いて。

 

 例えその眼を視ずとも、“視られた”時点で終わりなのだ。組み分け帽子にスリザリンへと選ばれながら、蛇の何たるかを学ばなかった愚か者へ裁きは下る。

 

 忘れるなかれ、ここは秘密の部屋。

 

 サラザール・スリザリンの領域にして、子供を守るヘルガ・ハッフルパフの守りはありはしない。

 

 湿原の覇者は、身内に対しても冷徹なのだ。

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「かくて、裁きは下りましたか。サラザール様のおっしゃる通りに、でしたね。ヘレナ校長」

 

 「少々驚きました。まさか、外側より開かれることなく、内側から開かれるとは」

 

 顛末を見届け、いいや、“感じ届け”というべきか。

 

 城の端末である者達は、今頃全員が震え上がっているだろう。

 

 ホグワーツの持つ最終防衛機構の恐ろしさに、城の主の冷徹さに。偉大なる創始者の力に。

 

 

 「この波動はマートルさんには些か酷やもしれませんが………なるほど、彼女は何も感じなかったそうです。これは興味深い現象ですが、恐らくはあそこが“正規の入り口”であるためと推察します」

 

 「正規の……なるほど、バジリスクが独りでに起動したのはつまり」

 

 「ええ、一種の“墓泥棒対策”のようなものなのでしょう。侵入者達が一番忘れていたことは、バジリスクもまた“宝を守る魔法生物”であるということ。スフィンクスの守るピラミッドに、正規のルート以外の横穴を掘って盗掘を試みればどうなるか。やれやれ、歴史に学ばぬとは愚かなことです」

 

 入り口であるマートル・ウォーレンのトイレが固められていると予測したからこそ、繋ぐパイプへと横穴を掘って侵入した。

 

 だが、その時点で正式な手続きを経ていない“墓泥棒”も同然なのだ。いくらパーセルマウスであったヴォルデモートの分霊箱を持とうとも、部屋が認めるはずがない。

 

 

 「秘密の部屋は言わば、サラザール様の玄室も同然。継承者として敬意を持って入る意思表示をするならば、蛇語を用いて入口の扉を順に開いていかねば話にならない。彼らにも魔法史の授業で教えたはずなのですがね、偉大な墓への敬意を忘れるなかれと」

 

 「本当に、貴方は墓についてだけは真摯なのですね、ダッハウ」

 

 「当然でありましょう。私はノーグレイブ・ダッハウ。墓を忘れる私など、未来永劫ありえません」

 

 部屋は未だ正式に開かれぬまま。

 

 されど、裁きは下された。

 

 時計塔の悪霊は、ただただ顛末を観測する。

 

 

 「さて、それでは私は後始末に向かいます。なにはともあれ城の防衛機構が働いたならば、その処理は管理人の職分ですので」

 

 幽冥の死者たちはかく語る。

 

 ここは地図にない魔法の城ホグワーツ、悪霊の棲家である。

 

 そして、冥府の入り口には番犬があり。

 

 正式な手続きを踏まずに冥府へ降りた者がどうなるか、古今東西相場は決まっている。

 

 

 「愚かな三人、哀れな三人。アレクトとアミカス、そしてロウル。貴方達はマルシベールにすらなれはしない。あの邪視で殺されたならば魂まで砕かれてしまい、だが同時にその魂は石化の呪いで縛り付けられる。未来永劫、永遠に、時の終わりまで貴方達は秘密の部屋から出ることは叶わない」

 

 外で戦い、捕まった者らは遥かに幸運だったと言えるだろう。

 

 少なくとも、血の通う人の世界で、人として終わりを迎えることは出来るだろうから。

 

 

 「生きる者なき、冷たい石だけの連なる秘密の部屋。ああ本当に、心から尊敬いたしますよサラザール様、墓とはかくありき。そこに念を込めるのは温かな血を持つ生者の領分なのですから」

 

 死者は冷たく語ることなく、生者がその死を偲んでこそ、墓というものは意味を持つ。

 

 ゴーストがそこに在り続けるとは、つまるところ、まだ死んでいないと主張するようなもの。ならばそこに本質的には墓はない。

 

 マートル・ウォーレンは、幽体としてではあるが、まだ生きているとも言えるのだから。

 

 

 「後は貴女の望みのままに、メローピーさん。秘密の部屋に選ばれたのは貴女なのですから、私は干渉しませんし、許されもしない」

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 今宵の騒動に、一切かかわることのなかった部屋がある。

 

 優しい女性に頭を撫でられ、そのまま眠りこけていた亡霊少女は、パチパチと静かに暖炉が燃える音にふと目を覚ました。

 

 部屋は、とっても静かで温かい。ここが、血の通わないゴーストだけがいる空間なのだと思う者はいないだろう。

 

 そして、一人の女性が穏やかに微笑みながら、手を止めることなく書き物を続けている。

 

 

 「……ケンドラお母さん、ありがとう。ずっとわたしを守ってくれて」

 

 その姿を眺めながら、アリアナ・ダンブルドアは今は亡き自分の母へと、言葉を捧げていた。

 

 普段の無邪気な彼女とは異なる、何かを悔いるような、でも今の幸せをかみしめるように。

 

 

 「わたしは幸せだよ。アル兄さんも、アバ兄さんも、ずっとずっと、ずっとわたしを待っていてくれたの」

 

 メローピー・ゴーントという女性は、母親が子をあやすように、愛おしげに日記に触れている。

 

 いつもアリアナにとっても優しいメローピーだが、そんな彼女にも見せたことのないほど優しい眼差しで。

 

 

 「わたしのやるべきことも分かったから、ちゃんと、お父さんを迎えにいくよ」

 

 秘密の部屋は開かない。

 

 サラザール・スリザリンの持つ冷徹で荘厳な気配は、この部屋には少しもない。

 

 スリザリンの継承者が悪意も害意も戦意も望まず、敵の排斥など心の中に欠片もないならば、秘密の部屋が開く道理はなかった。

 

 秘密の扉を開くための鍵は、ずっと掛け違っていたのだ。

 

 

 

 

 冷徹な殺意を以て部屋は開く、されど純粋な愛によって部屋は開かず

 

 

 それでもなお、扉が開くことがあるとすれば

 

 

 継承者が全ての役割を終え、創始者の墓が眠りについたときだろう

 

 




次話で、秘密の部屋に関する死喰い人騒動の答え合わせになります。


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12話 呪いの子はもういない

秘密の部屋に関する騒動の解答編です。
あと三話ほどで、幽霊たちの物語の結末が語られます。


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【マレディクタス】

 

 マレディクタスと呼ばれる存在がある。

 後天的に変身術を極めることにより、己の魂の形に沿った動物に変身する魔法として、動物もどき(アニメ―ガス)が知られている。

 簡単に言えばマレディクタスはその亜種であり、長じるに従って徐々に動物化が進んでいく。

 

 それは魔法の行使によるものというよりも、呪いの一種。逃れ難き血縁の呪いと言えよう。

 

 己が動物になる恐怖、理性なき獣へと堕ちることへの忌避感。

 当事者でなければ実感することは叶わない慟哭であり、また同時に逃れる術があるからこそ呪いとして機能する。

 すなわち、己の子に継承させ、自らの代わりとすること。

 

 子が複数いた場合、全員にマレディクタスの特質が継承されるわけでもなく、ただ一人と決まったわけでもない。

 そして厄介なことに、マレディクタスの特徴が現れていなかった者も、マレディクタスの兄妹血縁が死ぬことにより、“新たな継承者”として覚醒することがあるという。

 

 そう、極まった純血の家の中には、その呪いを継承の証と呼ぶものさえある。

 確実に元は、他家との争いの中で血縁の呪いを被ったものであろうが、捻れ狂った精神の果てか、呪われてこそ純血の証とまで考える者も出るのだ。

 サラザール・スリザリンの直系、ゴーントの家の特質継承である蛇舌(パーセルマウス)もまた、代を経ればそうした呪いへと成り果てる。

 

 実際、近代に至る頃には、ゴーントの家の者らにはマレディクタスを発症する者が現れ始めたという。

 17世紀の魔女、ゴームレイス・ゴーントが姪のイゾルト・セイアを生贄にと考えたのは、そうした己の血脈の末路を既にして悟っていたからかも知れない。

 まこと、純血の家は業が深い。

 

 『継承とは、重き言葉である』

 『始まりは紛れもなく誇りと善意によるものだとしても、重くなりすぎれば鎖となる』

 『そう、鎖なのだ。スリザリンにとって鎖は使うものだが、囚われれば奴隷の鎖』

 『彼らは最早、地に縛られし虜囚の如き存在なのだ』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「ようこそ、決闘クラブへ! ここでは決闘における作法と礼節、そして相応しい呪文を学んでもらいます! 何と闇祓いの方々が実演を見せてくださるのですから、この機会を逃すことはありませんよ!」

 

 死喰い人の侵入によって延期となってより一週間後、フリットウィック先生が音頭を取り、華やかに決闘クラブの開始が宣言される。

 

 確かに背後に控えるは錚々たる面子であり、ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピン、セブルス・スネイプ、ニンファドーラ・トンクス、シグナス・ブラックと凄腕が集まっている。

 

 秘密の部屋を狙った死喰い人らの半数は捕縛され、半数は死亡。念の為の警戒と後始末のために彼らは残っているが、遠からず闇祓いらは城を離れるだろう。

 

 そんな豪華面子だけに生徒達も多く参加しており、“探索組”も全員集合しているのは当然だ。何せ、ここには幸いにもアクロマンチュラもスクリュートもいないのだから。

 

 そして、誰からも嫌われる悪霊コンビは、完全な非実体となって姿を隠しながらその成り行きを上から見守っていた。

 

 

 「始まったわね。最初の模擬は誰かしら?」

 

 「恐らくですが、まずは無難にジェームズVSリーマス、その次に孫と子の新旧対決としてシグナスVSニンファドーラ、そして取りに、黒太子同盟のお二人ことシリウスVSセブルス、といったところかと」

 

 「なるほど、まああの面子なら妥当なところね、フィリウスの仕切りなら奇をてらった内容にはならないでしょうし」

 

 マートル・ウォーレンにとって、フィリウス・フリットウィックは8年ほど年下の後輩だ。

 

 時計塔の悪霊が現れ、彼女がゴーストとして自我を持った初期の頃から何かとレイブンクローの後輩として縁があった。

 

 ミネルバ・マクゴナガル、アメリア・ボーンズ、フィリウス・フリットウィック、アントニン・ドロホフの四人組の喧騒の日々も今は懐かしい。

 

 思えば、あの頃も変身クラブ、決闘クラブ、防衛クラブが互いにしのぎを削りあっていたものだ。

 

 

 「お、予想通り最初はジェームズとリーマスだわ」

 

 「ここはどちらが勝つかは意味がないですね。どちらも生徒に分かりやすいよう簡単な魔法しか使わないでしょうし、チュートリアル以上のものにはなりません」

 

 果たして、結果はそのように推移した。

 

 互いに向き合い、お辞儀をし、杖を構えつつ逆方向に歩いてから向き合い、1,2の3で互いに魔法を掛け合う。

 

 まさしく、決闘の作法を生徒に教えるための模範的なものであった。

 

 

 「さて、次はシグナスの阿呆とその孫のニンファドーラな訳だけど」

 

 「理事長閣下はあくまで堂々と迎え撃つでしょうから、奇策を打つとすれば彼女のほうですね。かといって闇祓いという公職である以上、この場で決闘の作法を完全に無視するわけにもいかぬはず」

 

 「となると?」

 

 「彼女の特性を使っていくのではないかと、最もそれが、祖父たる理事長閣下に通じるかは分かりませんが」

 

 ニンファドーラ・トンクスは、七変化である。

 

 杖魔法を用いずとも、任意で顔や形を変えることが出来る。こうした決闘の場においても、上手く使えば相手の意表を突くことも不可能ではない。

 

 果たして―――

 

 

 「なーるほど、そう来たのね」

 

 「これは、理事長閣下の筋書きでしょう。ここでベラトリックス・レストレンジの顔に変わるとは、お見事です」

 

 お辞儀の後にそれぞれに歩き、再び向き合った時には、ニンファドーラ・トンクスの姿はベラトリックス・レストレンジへと変じていた。

 

 女海賊として有名なその姿を知っている生徒は驚き、周囲からは動揺の声も上がるが、当然狙いは一つだろう。

 

 

 「反応、してるわね」

 

 「他など一切目に入らぬと言わんばかりに、凝視してます。様々な情報から確定的ではありましたが、これにて間違いなくと言っていいでしょう」

 

 決闘の舞台に立ち、シグナス・ブラックとベラトリックス・レストレンジ(の姿をしたニンファドーラ・トンクス)が戦っている。

 

 その光景を、デルフィーニ・スナイドというスリザリンの一年生の少女は、食い入るように見つめていた。

 

 

 「本当に、よく出来た舞台です。あくまで決闘クラブの実演と余興の体を崩さぬままに、測るべきところはしっかりと抑えている」

 

 「そつのない合理性ってやつね。ほんとにアイツは相変わらずだわ」

 

 「しかしそうなると、最後の取りの二人はもう好き勝手にやっていいとも考えられますが」

 

 そして舞台に上がっていく、シリウス・ブラックとセブルス・スネイプ。

 

 ある種予想通りに、あるいは意図してかしないでか、シリウスはお辞儀をしている真っ最中に礼儀もへったくれもなく無言呪文で失神光線を放ち、セブルスも弁えたものでしっかりと無言呪文の盾の呪文で弾いていく。

 

 

 「出ました、グリフィンドール伝統のお辞儀破り。かつてモリー・プルウェットがベラトリックス・ブラックを吹っ飛ばした時を思い出します」

 

 「懐かしいわね。アタシが最強の闇の決闘術の本を探してやったのに勝てなかったんだから」

 

 『決闘時におけるお辞儀の重要性』というトム・リドル渾身の論文。ハンドルネームは“偉大なる俺様”。それを幼き日のベラトリックスに渡したのは他ならぬマートル・ウォーレンだ。

 

 怒り狂っている相手を前に律儀にお辞儀などしていては、無言の失神呪文で吹っ飛ばされるのは当たり前のことである。

 

 そして、歴史は繰り返すというものか――

 

 

 

 

 「負けませんわよジニー! 今日こそは引導渡してあげますので覚悟なさるといいですわ!」

 

 「あー、もう元気になったのね貴女」

 

 「ドラコお兄様の家も無事でしたし、恐れるものなど何もありませんから!」

 

 「良かったねデルちゃん、わ~パチパチパチパチ」

 

 「ルーナ、だから拍手は手を叩いてと……いいえ、何でもありません」

 

 

 

 「あらら、相変わらずすっごいダメダメねあの子。あれは確かにベラトリックスだわ。お辞儀のベラちゃんを思い出すもの」

 

 「にじみ出るポンコツさが30年前と何一つ変わってませんでした。よくあれで死喰い人の女幹部が務まったものです。それとも、純血名家の悪しき風習、身内人事というものか」

 

 「成績だけなら、ハーマイオニーと同じくらい取ってるってのにもったいない」

 

 「口を開けば残念であり、決闘を挑めばお辞儀をかましてパンモロと。そして運命は相変わらずのようで」

 

 やんぬるかな、いざ決闘を開始して、しっかりとお辞儀したところをシリウスに倣った“グリフィンドール流”でいったジニーに容赦なく吹っ飛ばされる。

 

 いくら成績優秀と言っても、デルちゃんはまだ無言の盾呪文など使えない。お辞儀中で相手を見てすらいないのだから、避けれるはずもない。

 

 

 「そしてまたパンモロの歴史が一つと」

 

 「違う点があるとすれば、ルーナ・ラブグッド嬢が咄嗟に抱きかかえてくれたところですね。常に孤高を気取っていた過去とは違い、今の彼女は良き友人に恵まれているようです」

 

 「ルーナか、あの子も本当に変わり者よね。アンタを嫌っていない生徒なんてきっとあの子だけよ」

 

 「恐らくですが、彼女の本質というか、物の見方、立ち位置によるものなのでしょう」

 

 彼女がダッハウを嫌わないのは、本人無自覚のまま『人間側』に立っていないためと悪霊は推察している。

 

 例えば、悪霊教師が「庭小人は知能が他の妖精族と比べて非常に低く、かつ容姿が醜いため、害獣として駆除される」と語ったところで、多くの生徒はダッハウの歯に衣着せぬ物言いに辟易しつつも、そのことに怒りを覚えはしない。

 

 しかし、マグルや魔法族の黒歴史、語られたくない『事実』について言及されると、必然的に怒りを覚え、腹を立てる。無意識に同族を庇おうとするのは精神的傾向としては当然のことだ

 

 だが、ルーナは本質が『妖精側』に近いとダッハウは見る。なので、先ほど魔法族が庭小人のことを聞かされている時の心境で、『人間の黒歴史・暗部』を平静のまま聴くことができる。

 

 逆に、彼女にだけは『視えている』生物のことを馬鹿にされる方が、彼女は怒る。『同胞を否定された気持ち』になるからだ。

 

 

 「さて、見学と確認の時間はここまでとし、そろそろ資料室に戻って答え合わせの時間といきましょうか」

 

 「うわ早い。調査結果がもう来たの?」

 

 「シグナス理事長の仕事です、当然でしょう。それに、大半は既に調査済みでしたので、最後の裏付けようなものでしたから」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「こちらが、デルフィーニ・スナイドの部屋より回収してきた日記帳になります。他の情報と重ね合わせれば、どういう事情であったかも分かるというものですね」

 

 「まず確認になるんだけど、例の秘密の部屋に関する血文字を書いたのは彼女で、“秘密の部屋を狙った死喰い人”が化けていた姿が『デルフィーニ・スナイド』ってこと?」

 

 「ええ、種明かししてまえばただそれだけのことですね。古典的手段である故に、効果も中々。着眼点としては悪くなかったですが、詰めが甘かった模様」

 

 昨年、賢者の石を狙って死喰い人、狼人間、人攫いがホグワーツに入り込み、魔法の城の怪物たちに撃退された。

 

 外部から無関係の侵入者が入ってしまえば、それは最早“寮対抗ホグワーツOB大喧嘩選手権”ではない。

 

 あらゆる機構が、侵入者に対して牙を向く。階段や廊下、絵画や甲冑、ゴーストやしもべ妖精に至るまで。

 

 そして、哀れな侵入者はアクロマンチュラとスクリュートの餌。

 

 普段はアリアナちゃんによって人食いの本能は抑えられているが、外敵に関しては容赦しない。

 

 

 

 「そもそも、アクロマンチュラやスフィンクスなどの魔法生物は“宝”を守るため作られ、それ故に人語を解します。この城に潜入することを試みるならば、ファラオの宝を狙ってピラミッドに潜入する心持ちでいるのがよいでしょう。その点は彼女はしっかりしていたようですが、後続の三人は理解していませんでした」

 

 「皮肉なものね、結局作法を守った彼女だけは無事で、他は全滅したわけだし」

 

 ホグワーツの宝とは、“子供達”だ。

 

 ファラオの墓を暴く者にスフィンクスの裁きがあるように、魔法の城の宝に手を出す盗賊には、大蜘蛛と三頭犬と謎のスクリュートが現れる。

 

 では、死喰い人ベラトリックス・レストレンジはどうやって潜入するか?

 

 

 「彼女が取った対策は、自分自身がホグワーツに守られるべき“宝”となること。今年の魔法史の最初の授業でも取り上げましたが、古き魔女の魔法の一つ、“魔女の若返り薬”を使ったわけだ。スナイド家の子息に変身し、魔法世界の横の繋がりの薄さを突いた」

 

 古来より、永遠の若さは魔女の夢。若返り薬から肉体の取り換えに至るまで、ありとあらゆる御伽噺で語られる。

 

 美しい姫に嫉妬する魔女など。古今東西の寓話に登場するもの。

 

 ベラトリックスが採った方法は、ポリジュース薬による変身よりもさらにリスクの高い秘術。

 

 確かに、老いた魔女が若返れる効果はあるのだが、寿命まで延びはせず、蓄えた知識や技術も大半は失われてしまうという、中々に制約が重い魔法である。

 

 この魔法が成立した歴史的経緯は不明な部分も多いが、“失敗した人生のやり直しを求めたのでは”とも言われる。

 

 

 「マルフォイ家は何処まで知ってたのかしら? やっぱりグル?」

 

 「それが、そういうわけでもないようでして、調べてみればみるほど、純血の家という存在の因果を感じずにはいられません」

 

 「どういうことよ」

 

 「これも、メローピーさんが書店より帰って来た頃に言いましたが、マグル嫌いが深刻な当主の場合、ホグワーツには通わせず、ダームストラングに通わせることも多かった。ただし、“スリザリン純血名家”の繋がりを無視も出来ないので、息子はダームストラングに、娘はホグワーツにというケースが多かったと」

 

 マルフォイ家、レストレンジ家、そして、スナイド家にはそうした歴史があると。

 

 今回、ベラトリックス・レストレンジは若返りの薬を飲み、少女としてデルフィーニを名乗り、スナイド家の娘としてホグワーツへ通った。

 

 しかし調べてみると、その学校案内自体は偽造でも何でもなかった。

 

 

 「結論を言えば、スナイド家に生まれた子は双子の兄妹だったのです。そして慣例に従い、兄はダームストラングに“入学予定”となり、妹はホグワーツへ“入学予定”だった。しかし、あの魔法戦争の余波の巻き添えを避けるために他国へ避難していた妹は、土地の違いから来る病によって亡くなってしまったと」

 

 「そりゃまた何とも、戦争で直接的に死んだのではなくて、病気で間接的にってのがまたやりきれないわ」

 

 生きている兄の方は、現在十五歳。普通にダームストラング専門学校に今も通っていることは確認済みだ。

 

 両親達は死喰い人として海外組に加わっているため、その辺りの経緯にはさほど通じてはいなかったらしい。

 

 ここも純血の家の弊害が出ており、実家の祖父母や屋敷しもべなど、“娘のことは家任せ”だった。

 

 

 「面子や孫を失った悲しみの感情、それらがごちゃごちゃに重なった結果、スナイド家は娘の死亡届を魔法省にもホグワーツにも出さなかった。むしろ、兄より数年遅れて普通に生まれた妹として、魔法界らしいルーズな年齢に資料を僅かばかり改竄して、後は放置していた」

 

 「じゃあなに、陰謀ですらない、感情のままの行動ってこと? そりゃあ、どんなに敵の思考を辿ろうとしても無理だわ」

 

 「そして月日が立ち、我々ホグワーツ事務員は定められた通りに“スナイド家の娘”へ入学案内を出す。この段階では彼女がボーバトン魔法アカデミーなどの別の学校へ通う可能性もあるとこちらは認識しており、あくまで家宛てであって彼女個人宛てではありませんでした」

 

 その段階で、スナイド家は過去の所業を思い出す。別に違法なことを行い、誰かを苦しめたわけではないが、バツが悪いのは拭えない。

 

 それで、主家とも言えるレストレンジ家に相談し、その“偶然の報告”を、ベラトリックス・レストレンジが利用した。

 

 

 「後は簡単ですね。彼女はただ“スナイド家のデルフィーニ”を名乗ればよいだけ。元々存在しなかったならば粗も出ますが、戦争を避けて祖父母と共に疎開していたのはただの事実なので、マルフォイ家とて疑う理由もない。加えて、奥方のナルシッサが情の深い女性であることも当然彼女は知っている」

 

 「そりゃま、妹だものね。そういう経緯なら、マルフォイ家を騙すってより、ナルシッサを誘導する方が簡単だわ」

 

 「ドラコ・マルフォイ少年が彼女を色々と面倒見ていたのは事実ですが、ナルシッサ・マルフォイも入学前から相当可愛がっていたようですね。まるで、昔の姉が戻ってきたようだと」

 

 「まさにそのまんまなんだけど」

 

 これはもう、何と言葉をかけてよいやら。

 

 ベラトリックスが“魔女の若返り薬”を使った際にどの程度顔などを変えたかは不明だが、ブラック家に残る写真などを見る限り、普通に若返っただけのようにも思える。

 

 

 「ここも心理的盲点というものです。別にあの当時から我々が意図していたわけではないのですが、ポリジュース・ダンスパーティにおいて先生方と悪戯仕掛け人が行ったように、魔法薬による限定的な若返り変身は珍しくありません。ですがだからこそ、恒久的な効果というものを疑いにくい」

 

 “魔女の若返り薬”の効果は、一時的な変身ではなく、不可逆の変質だ。

 

 一度飲んだが最後、二度と“歳を経た強力な魔女”に戻ることは出来ず、蓄えた知識も戦いの経験も全てはリセット。そのくせ、残りの寿命まではリセットされない。

 

 陰謀のために使う薬というよりも、辿ってきた人生に心から絶望した魔女が、ただ一度のやり直しを求めるように煎じる薬なのだ。

 

 

 「そして彼女は、主から託された分霊箱の日記とロケットを持ち、ホグワーツへと潜入した。11歳の新入生に若返っている以上出来ることは少なく、上手くいかなかった時は、自分自身を分霊箱への魂の生贄とする覚悟だったようです」

 

 初めからそういうつもりで、彼女は子供となってホグワーツに潜り込んだ。

 

 魔法の城の警戒網を潜り抜けるという点では、満点と言ってよい方法だろう。実際に力技を選んだ死喰い人らは全滅したのだから。

 

 また、何も知らされていないドラコの存在も、上手くカバーとして役立っている。

 

 

 「彼女の日記の記録から読み取る限り、昼の彼女は本人すら何の自覚もなく“デルフィーニ・スナイド”でしかなく、夜になれば部分的に“ベラトリックス・レストレンジ”が浮上する仕組みのようです。開心術などによる探りを徹底的に警戒したのか、あるいは、それが彼女の飲んだ薬の限界だったのか」

 

 「多分だけど、後者じゃないかしら。その若返り薬って、過去の自分を残して若返るというより、過去の自分をこの世から消してやり直したいって想いが強そうだもの。そして、それをベラトリックス自身が“想いを込めて作れた”のだとしたら」

 

 「彼女自身が、あの懐かしきホグワーツに、妹達と通った学び舎に帰りたいと心の底では思っていたのかも知れません」

 

 「あくまで憶測だけどね。でも、彼女が薬に願った結果がデルフィーニなら、充分にありえることだと思うわ」

 

 「まあ、そこは本人にしか分からず、そして今となっては誰もわからない。夜の12時をもって意識が切り替わる。一種の“灰かぶり変身”ということです。難点は、朝になればまた意識が戻るため、6時間しか動けないことと、夜のホグワーツが悪霊たちの領域であること」

 

 ベラトリックス・ブラックがホグワーツに通った30年前と比較してなお、魔法の城はアクロマンチュラやスクリュートの跋扈する魔窟と化していた。

 

 流石にそんなものは、彼女とて想定外だったようだ。

 

 賢者の石を狙った死喰い人が撃退された事は知っていたが、“生還組”は大半がムーディだのマクゴナガルだの、不死鳥の騎士団と戦って撤退した連中だ。

 

 そのため、“ホグワーツから還らなかった者達”が、何に襲われてどういう末路を辿ったかまでは、詳しい情報がなかったのが不幸だった。

 

 今回散っていった第二陣とて、ハロウィンの日にマクネアが襲われ、その実態を初めて知ったようなものであった。

 

 やはり、軍事において情報は大事である。孫子もそう書いている。

 

 

 

 「昼の彼女と言えば、ジニー・ウィーズリーとよく喧嘩し、ロナルド・ウィーズリーにも突っかかることが多く、ハーマイオニー・グレンジャーともどったんばったん。要するに、昔の生活スタイルそのままです」

 

 「というより、随分かわいくなったんじゃない?」

 

 「ほぼ確実に、“ブラック家の長女”という重責がないためでしょうね。そこは私よりも貴女のほうが分かると思いますが」

 

 「なるほどねえ、だーからシグナスに何度も言ったのよ。ちゃんと褒めてあげないとベラちゃんがグレちゃうわよって」

 

 「今回の彼女、デルフィーニ・スナイドは、“グレなかったベラトリックス・ブラック”ということですね」

 

 何せ、ハーマイオニー・グレンジャーとジネブラ・ウィーズリーを足して二で割れば、往年のモリー・プルウェットが出来上がる。

 

 もう一度ホグワーツ生活を送っているに等しい彼女が、そこに無縁でいられる訳がない。

 

 

 「そして、夜に覚醒するグレちゃったほうの彼女ですが」

 

 「途端にただのイタイ子みたいになるから、その表現やめてあげなさいよ」

 

 「基本的には秘密の部屋への順路を確認しつつ、ジニー・ウィーズリーへ“分霊箱の日記”を潜り込ませるべく動いていたようです。記述のあちらこちらに“夜に何度か抜け出したが、そこかしこに見覚えのある糞悪霊が徘徊してやがった”と書かれてましたが」

 

 「確実にアンタだわ。いや、アタシも入ってるかもしれないけど」

 

 まず間違いなく、生きた心地はしない夜間徘徊だったことだろう。

 

 

 「実際、何度かスクリュートに噛まれ、アクロマンチュラに助けられたのをこちらも確認しております。あの時は新入生の“いつものこと”と気にもしておりませんでしたが」

 

 つまり、クズが原因である。その時にもう少し親身に手当していれば、違った展開もあったかもしれないのに。

 

 

 「とにかくそうして時が過ぎて、ハロウィンの日にあの落書きを書いたと。となると、そこでジニーに例のご主人さまの分霊箱とやらを潜り込ませることは出来たのかしら」

 

 「ハロウィンの一週間程度前に出来たようですね。当日はベラトリックスが浮上して血文字を残した後、“気付けば”デルフィーニはルーナを追って地下室へ向かっていた。ただし、その日記帳がその後どうなったかは、彼女は全く知らなかったようですが」

 

 物事がうまく言っていたならば、そこでベラトリックスは任務完了だった。

 

 ヴォルデモート卿の分霊箱、リドルの日記はジニー・ウィーズリーの魂を吸って徐々に力を取り戻し、秘密の部屋を開いてスリザリンの怪物を解き放つ。

 

 もとより、この計画の最大の目的は、闇の帝王の魂が最も多く宿っている分霊箱の復活と、“この分霊箱”にしか出来ない、ホグワーツを内側から打ち崩す最大の切り札、スリザリンのバジリスクを手中に収めるためだったのだから。

 

 

 

 「あの血文字事件自体は、生徒の悪戯の範疇の行動だったため、城の警戒網は起動しません。アレにいちいち反応していれば、双子のウィーズリーなどは何度襲われていることか」

 

 「挙げ句に、アンタのピーブズに書かせた追加文章のおかげで戯言になっちゃたし」

 

 ところがその後、ベラトリックスの意に反して、スリザリンの継承者が全く動かない。

 

 徐々に焦れていくが、分霊箱を既に手放した彼女に出来ることはなく、気を揉みながら闇の帝王の帰還を待つ。

 

 ハロウィンの日、すなわち“秘密の部屋に関する血文字”の書かれた夜に視た、ジニー・ウィーズリーの不吉な夢。それ故に彼女が半ば無意識に筆記用具を鞄ごとまとめて窓から投げ捨ててしまったこと。

 

 そして、その日記をよりにもよってドクズ悪霊に拾われてしまったこと。

 

 それらは、彼女には知りようもないことだった。

 

 

 「後は、巡る因果というものでしょうか、“デルフィーニ・スナイド”としてホグワーツで長く生活するほどに、徐々に“ベラトリックス・レストレンジ”が薄まっていく。やり直しを望む薬である以上、それは当然の帰結でしょう」

 

 魂が薄まるというのとも違う、【ベラトリックス・ブラック】へと戻っていく。楽しかった、懐かしかったあの頃に。

 

 彼女は、ダンブルドア校長は嫌いで、シグナス副校長が大好き。

 

 もし、もう少し素直になれていたならば、ホグワーツが30年前の彼女の時代に、既に“今のよう”であったなら。

 

 マートル・ウォーレンの時にはレイブンクローで彼女が孤立しても、ルーナ・ラブグッドは友人と共に笑っていられるように。

 

 そんな、あまりにも眩い希望こそが、闇の帝王の忠実な片腕であるはずの恐るべし魔女を、ただの夢見る少女へと戻してしまう。そして、ルーナの孤立を最も気にかけて最初に友人となったのも、彼女だった。

 

 皮肉にも、正体がばれる危険性は減るも、ベラトリックスとして出来ることはなくなっていく。

 

 まして、闇祓いと魔法警察まで常駐しているのだ。半ば遊びながらの探索ではあったが。

 

 

 

 「そしてついには、シグナス・ブラック理事長閣下が気付かれた。娘の幼い頃にそっくりだと」

 

 「皮肉なことにスリザリンの防衛担当がアイツなわけだし。そもそも、侵入者がベラトリックスってことは予想してたからこその布陣だったわけだけど、それでもこれは中々予想できないわ」

 

 マルフォイ家やスナイド家などに連絡し、ダンブルドア校長がダームストラングに出向いている間に、死喰い人らの最後の侵入があった。

 

 以前から密かにデルフィーニへの監視体制をとっていた闇祓い達は迅速に対応し、張り付いていたニンファドーラが彼女を眠らせ確保。“七変化”の能力で彼女とすり替わり、“ベラトリックスが目覚めた”フリをして、死喰い人を誘き出す。爆発魔法で廊下を砕いたのは、ジニーとルーナを引き離すためだ。

 

 確認と言えば、この時の死喰い人の反応こそが、デルフィーニ = ベラトリックス であることの最終確認であった。

 

 

 

 「とまあそれが今回の事件の顛末です。最早ベラトリックス・レストレンジは何処にもおらず、彼女は死んだも同然。後はシグナス理事長が然るべき処置を行うでしょう」

 

 実際の彼女はベラトリックスが目覚めることはなく、事件は何も起こらず魔法の城は平穏のままに。

 

 ただし、期末試験という大敵だけは依然として健在であり、生徒達の頭には既にスリザリンの継承者も秘密の部屋も微塵もなく、先生方の出す悪魔的なレポート課題こそが敵だ。

 

 まあ、それ以上の真の敵については、常にここにいるわけだが。

 

 

 「でも、どうするの? 今のあの子をまさかアズカバンへ放り込むわけにもいかないでしょうに」

 

 「その通りです。取り敢えずこの城にいるうちはゴースト監視網が見張ることになっており、近い内にブラック家の監視組も引き上げることになるでしょう。対処については“破れぬ誓い”に決まりました」

 

 破れぬ誓い。ひとりの魔女または魔法使いが別の人物に誓いを立てる文言不明の魔法の呪文であり。もしふたりのうちどちらかが誓いを破ればふたりとも死ぬ。

 

 有名な炎のゴブレットなど、様々な魔法契約が存在している魔法界において、最も原始的であるとも言われ、最も有名な誓いである。

 

 

 「破れぬ誓いって、二人でやって別の人間が結び手をやるのよね?」

 

 「それが基本ですが、何事にも裏のとり方、破り方というものはあるもので、だからこそ今回は“血縁の誓い”という亜種で行くことになりました」

 

 それは言わば、家訓とでも称すべきか。

 

 古い純血の家は魔女の家でもあり、屋敷しもべ妖精もまた家との契約に縛られている。

 

 そうした要素に倣う形で、家族版の破れぬ誓いとでもいうべき魔法が存在する。

 

 

 「誓約内容は極めてシンプル、“許されざる呪文の永久封印”。これにより、死喰い人のベラトリックス・レストレンジは完全に死ぬわけです」

 

 「なるほど、そりゃ確かに。恐れられてこその死喰い人だもの」

 

 万が一、デルフィーニが成長してまたしてもグレちゃったとしても、二度と死喰い人のような存在にはならないように。

 

 家族の絆で、血筋の呪いで、互いを縛る。

 

 善かれ悪しかれ、それが純血の家というものだ。

 

 

 「対象となるのは、彼女に連なる一家全員です。更に効果を高めるために、結び手はシリウス・ブラックとレギュラス・ブラックの本家兄弟が担いました」

 

 今の彼女は、最早レストレンジ家の人間ではない。知識と魔女としての力を対価に11歳に戻っている以上、ベラトリックス・ブラックでしかない。

 

 まさしく、現状のブラック家オールスターズであり、相互を縛る鎖。

 

 闇祓いであるシリウスやニンファドーラにとっては、許されざる呪文は取り締まる側であって使う側ではない。生涯使えなくなったとして、不都合などは何もない。

 

 というかそもそも、人に対して使うだけでアズカバンで終身刑になる魔法なのだ。

 

 

 「こういった予防手段が一般的に用いられないのは、“禁忌を無理やり踏まされる”リスクも高まるためです。服従の呪文で操ったり、牢屋に閉じ込めて鍵となる条件が磔の呪文であったりと、魔法は多種多様ですから、裏をかく手段は様々です」

 

 例えば、ルシウス・マルフォイにしても利点はある。“マルフォイ家は許されざる呪文を捨てた”と対外発表することが出来、死喰い人とは今後距離を置く宣言ともなる。

 

 そして、裏でこれらを使いたくなったら、クラッブやゴイルに使わせればよい。ルシウス本人が使えないだけで、“他人に使わせること”までは禁じていないのだ。

 

 本当に、誓約というものは面白い。人に悪意がある限り、必ず抜け道というものは見つけ出される。

 

 

 「要するに、一種のパフォーマンスのようなものです。そもそもこの時間軸のベラトリックス・レストレンジにしてからが、元々重い罪は犯していない。死喰い人幹部のエバン・ロジエールに、密かにそのように依頼していた中立派の人物がいたとの噂もありますが、そこは割愛します」

 

 「ふーん、中立派の人物ねえ。何処までも娘に甘いというか、捻くれた愛し方というか」

 

 「そして、今のデルフィーニ・ブラックについては尚更です。今や11歳の少女でしかない彼女を“自分でない誰かの罪”でアズカバンへ入れるのは外聞が悪すぎますし、ここまで記憶がトンでいては真実薬とて効果があるか怪しい」

 

 答えが出ない問題ではある。仮にベラトリックス・レストレンジに家族を殺された遺族がいれば、巫山戯るなと怒鳴るのは間違いない。

 

 しかし、そういう存在がいない以上は、“意味のない仮定”に過ぎないのだ。

 

 

 「こういう時は、玉虫色の判断をするのが良くも悪くも魔法界というものです。いざという時に対応できる闇祓いに、取り合えず監視も兼ねて預けて様子を見るあたりが常套手段となっております」

 

 「ま、そんなところかしらね。今度こそグレちゃわないようにちゃんと育ててくれる家を選ばないと。ちなみにどこになったの? まさかシリウス・ブラックの家じゃないわよね」

 

 「そこは絶対にありえませんね。衝突するのが目に見えている上、万が一仲良くなっても別の問題児が出来上がるだけでしょう」

 

 せっかく死喰い人から更生したというのに、魔法大臣室に糞爆弾を仕掛けるようになっては目も当てられない。

 

 次の案としては次女のアンドロメダのいるトンクス家もあったが、ここはニンファドーラが闇祓いとはいえまだまだ若輩であるため、きちんと更生して育てるには荷が重い。

 

 是非ともと引き取りたがったのはマルフォイ家、というかナルシッサである。しかし、今の段階ではまだマルフォイ家も対外的には微妙であるのと、溺愛する傾向のある彼女では少しばかり不安がある。あと、マルフォイ家には闇祓いがいない。

 

 法的な面でも、有事の際に自分の判断で処置できるのは闇祓いの職業特権というものだ。デルフィーニを預かるならば、やはりそうした家が望ましい。

 

 

 「選ばれたのは、フランク・ロングボトムと、アリス・ロングボトムの闇祓い夫妻です。ネビルを初め、マーク、アリアドネといった三人兄妹を育てている実績がありますから、人格的にも満点でしょう。彼女は今後、デルフィーニ・ブラックとして、ロングボトム家の預かりとなります」

 

 「へぇ、ネビルの家にねぇ。あそこには厳しいオーガスタお婆ちゃんもいるはずだし、飴と鞭の使い分けも出来そう。ベストチョイスなんじゃない?」

 

 「そうですね、少なくともポッター家に預けるよりは倫理的にマシでしょう」

 

 そうは言いつつ、時計塔の悪霊は皮肉げに薄く嘲笑う。

 

 この世界にそれを知る人間は他にいないが、知っていたならば何たる皮肉かと思わず天を仰ぐだろう。

 

 

 「まあなんとも、これも因果が巡るというものでしょうか。デルフィーニとなった彼女が、ロングボトム家に預けられ、ジニー・ウィーズリーやルーナ・ラブグッドの友としてホグワーツで過ごしていく。まして、彼女を助けようと秘密の部屋に飛び込んでいったのは、他ならぬセドリック・ディゴリー」

 

 「よくわからないわね、どういうことよ?」

 

 「これもまた、答えの出ない境界線問題の一つですか。デルフィーニ・ブラックに、ベラトリックス・レストレンジの罪を問うことの是非とは何か。少なくともこの世界において、彼女の罪を言い立てる存在はいないでしょうが」

 

 これを愚行と呼ぶか、自爆特攻と呼ぶべきか。

 

 いずれにせよ、恐るべき“死喰い人ベラトリックス・レストレンジ”は死んだ。

 

 

 「彼女が忠誠を捧げた闇の帝王の力になることは出来ず、何も為せずに惨めに消えたのは間違いありません。あのマルシベールと同じように。残ったのは、ヘンテコなお辞儀論文を奉じるちょっと頭のおかしな女の子が一人だけです。そして、デルフィーニという名を持つ呪いの子はもういない」

 

 それでも、残ったものがあるならば、全く同じではないのだろう。

 

 彼女は確かに家族に愛されており、その愛を捨てなかったがために、とある絶望の世界とは異なる結末に辿り着いたのだから。

 

 

 「しかし、言われてみればなるほどねえ、道理でアタシに突っかかってくるわけだわ」

 

 「妹達を狙った鬼婆への恨み、中々忘れてはいないようですね。思えばアレこそが、彼女がホグワーツでおこなった始まりの善行。妹達を守るためには悪しき鬼婆へ立ち向かう、小さくとも気高きその心が、この結果に至ったきっかけだったのかもしれません」

 

 「それで、プルウェットの娘に喧嘩吹っ掛けて、ウィーズリーを巻き込んで、最後はお辞儀でパンモロと、相変わらずだけど」

 

 「それでも、違いがあるのが興味深い。貴女のようにレイブンクローでやや浮き気味の存在であったルーナ・ラブグッドは、間違いなく彼女のことを友人だと思っているでしょうから。日記を見る限り、“ベラトリックス”にとってはあそこが最後の機会でしたが、彼女によって全ては終わりました」

 

 ポリジュース薬は、別人への変身願望を満たす。

 

 あの時こそが、夜にならぬうちからデルフィーニが“別の誰か”に変身し、秘密の部屋を開くため、分霊箱の行方を探るために動ける絶好の機会であった。

 

 だが、ルーナは違う姿になった彼女を呼んだのだ、“デルちゃん”と。

 

 

 「相手の名前を呼ぶことは、原初の魔法の一つとされます。古来より、知られて操られぬよう真命を隠す文化は東西を問わず多い」

 

 「なのに、ルーナは何気なく言っちゃったのね、相手の目を見て、“デルちゃん”って」

 

 「その瞬間、最早彼女はデルフィーニでしかありえなくなった。この魔法の城そのものが、“ルーナの友達のデルフィーニ”を、守るべき宝として認めたのです」

 

 スナイドか、ブラックか、レストレンジか、その家に属すだとか、そんな魔女の家の法則も全て無視し。

 

 ルーナ・ラブグッドはただ、彼女をデルフィーニと呼んだのだ。

 

 

 「凄いわね、あの子。ひょっとして死喰い人の天敵なんじゃないかしら?」

 

 「かもしれません。そしてあの場には、若返って学生時代の姿のジェームズ、リリー、シリウス、セブルス、リーマス、ピーターらがいたわけですから」

 

 「あのゴドリックの谷で決戦をやらかした面子が、皆若返って、子供達も変身して、皆で陽気にパーティーと。ほんとに、この魔法の城は不思議な縁で満ちてるわ」

 

 「まさに、魔法というものの神髄でしょうか。どれだけ観測を重ねようとも、中々予測が困難であるからこそ面白いとも言えます。ええ、この話は、つまらなくはなくなかなか面白いものでしたよ」

 

 いやまこと、合縁奇縁もここに極まれり。

 

 結局の所、始まる前から終わっているようなこの秘密の部屋にまつわる騒動だったが、あるべきところに収まったとも言えるのだろう。

 

 そして―――

 

 

 

 「最後の一つ、そもそも死喰い人ベラトリックスの持ち込んだ“闇の帝王の日記帳”については、然るべき人に委ねましょう。他の4つも、かつて失った愛を求めるようにこうして集ってきたのも結局は因果というもの」

 

 「……ええ、そうね」

 

 「私は傍観者に過ぎず観測するつもりもありません。見届人は、貴女が?」

 

 「そのつもりよ。これはアタシの縁、マートル・ウォーレンがあのトイレに一人で寂しく残り続けた日々の清算。譲るわけにはいかないわ」

 

 「なるほど、であればそのように。サラザール様の最後の直系の血筋、時計塔が待ち続けた1000年の答えが示されますか、どのような結末であれ、あとはなるようになるでしょう」

 

 

 時計の針は終わりを告げる。

 

 一人の創始者、一つの血筋、そして、一人の母の物語を。

 

 何事にも、始まりがあれば終りがある。

 

 終わるべき時に終われなかった者達が、こうして今も現世に彷徨うとするならば。

 

 

 幸薄き純血の彼女に、願わくば今度こそは安らかなる眠りを。

 

 



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二人の秘密の日記帳

秘密の部屋に関わる様々な物事の裏側にて、
密かに、静かに、穏やかに、知られることなく進んでいた母と子の物語。
小さな古ぼけた日記帳だけが、彼女の本当の秘密でありました。


 

 今日、ダッハウ先生が白紙のノートを持ってきた。生徒の落とし物だと思うが手がかりもないので事務用具として使用するつもりなのだとか。いや、実際落とした生徒がいたらどうするつもりなのでしょうか。いや決まっていますね、いつものしれっとした顔でまったく申し訳なさを感じさせない口調で「誠に申し訳ありません」と言うのでしょう。

 

 とはいえ、彼自身は特に用途もないので、わたくしに下賜するとのことでした。何様なのでしょうか。しかしこうして『自分のノート』をもう一度手にできたのはとても嬉しいです。あの狭い家でわたくしが持てた唯一の趣味を、こんな身になってまた出来るとは思いもしませんでした。落としてしまった方には気の毒ですが、大いに感謝します。ダッハウ先生には感謝しません。

 

 ああ、本当に久しぶりです。でもこんな調子で書いてしまえば、あっという間にページを埋めてしまいそうですね。やはりいつかのようにメロ……

 

 

『君は誰だ? 君はジニーではないな?』

 

『いや、僕は怪しいものじゃない。僕はジニーの友達でね、彼女には僕が必要なんだ』

 

 日記が話していますね。

 

『いや、それは見たら分かるだろう。僕はこのとおり、記入者に応える日記帳なんだ』

 

 そうですか、驚きです。

 

『いや、全然そんな様子には感じないが』

 

 いえ、本当に驚いています。人は本当に驚くことに直面すると思考停止してしまう、と小難しいことをダッハウ先生はおっしゃっていましたが、本当だったんですね。

 

『ダッハウ? 最初の方でも書いていたが、魔法史のノーグレイブ・ダッハウを知っているということは、君はホグワーツ生なんだな?』

 

 ええ、なんですか急に、せっかちですね。そう矢継ぎ早に聞き出さないでください。こっちも驚いているんですから。

 

『すまない。だが僕は一刻も早く持ち主のもとに戻りたいんだ』

 

 ええと、それはまた、どうしてでしょうか

 

『彼女はとてもナイーブでね、僕がいないとダメになってしまう』

 

 ああ、うーん、でも、ええと、そうですね。

 

『いったいなんだ? 言いたいことがあるならハッキリ書いてくれ』

 

 いえ、言いたいのは山々なんですけど、なんと言いますか、とてもバツが悪いとでも言うのでしょうか、今更お前が言うのかという声が聞こえてきそうで、とても書きにくいんです。

 

『はあ? いったいなんだって言うんだ』

 

 それに、貴方先程から口調がトゲトゲしいですよ? わたくしと貴方は初対面なのに、そんな礼を欠いた紳士らしからぬ人が、女の子の相手なんて出来るとは思えません。

 

『な――』

 

 そんなだから、持ち主さんの不興を買って捨てられちゃったんじゃないんですか?

 

『馬鹿を言うな! この僕が捨てられるなんてそんなことがあるわけ』

 

 いいえ、ダッハウ先生も仰っていました「自分が賢いと思っている人ほど、実は自分が馬鹿を晒していることに気づけない」って。聞いてもいないのに実例を3つほど聞かされましたし、貴方もその”実例”タイプに思えます。

 

『いや、普段はこうじゃない。そうだ、僕は焦っているんだ、冷静じゃないんだ。例えるなら手のかかる子供が手元からいなくなったら不安になるような心境なのさ』

 

 子供が、手元からいなくなる……

 

『ああ、不安になるだろう? 今の僕はそうした……』

 

 わかりません。

 

『え?』

 

 わたくしには分かりません。もう分かりません。だってわたくしは一度だってあの子を……

 

『………』

 

 いえ、何でもないです。ともかく、貴方みたいな魔法具を生徒のもとに置いておくのは危険です。それくらいはわたくしにも分かります。

 

『その話しぶりからすると、もしかして君はホグワーツの生徒じゃないのか?』

 

 ここはホグワーツなのは間違いないですけど、わたくしは生徒ではありません。まあ、なんというか事務員のようなことをしています。

 

『ふぅん、そういうことは屋敷しもべがやっていると思っていたけど、君はそうじゃないんだろう』

 

 あ、はい。わたくしは屋敷しもべではありません。

 

『たしかに、まだ未熟な生徒に僕のような魔道具は不相応という考えは分かる。しかし、僕とて自分の存在意義を発揮しないといけないんだ。それは人間だろうと魔道具だろうと変わらない、そうだと思わないか?』

 

 ええ、まあ、存在しているのだから、何かを成したいという気持ちは、分かります。

 

『良かった。じゃあ、君のことを僕に書いてみてはくれないか? 僕は応える日記帳だ、そうである限り、書いてくれる人がいないと成り立たない』

 

 えぇ…… 随分と切り替えが早くありませんか…… と言いたいところですが、ダッハウ先生やマートルさんも、恐ろしい程の切り替えの早さでしたし、そう考えると不思議じゃないんでしょうか。

 

『マートル? もしかしてトイレのマートル・ウォーレンのことを言っているのかい?』

 

 あ、ご存知でしたか。もしかして前の持ち主さんから聞いていたんですか?

 

『まあね。いやしかし本当に? ジニーが「ダッハウとマートル、そしてあと一人のゴーストはホグワーツでも近寄ってはいけない存在トップ3」と話した時は驚いたものだったが』

 

 あまり大したことはないと思いますよ。特に「もう一人のゴースト」なんて本当に無害でおとなしくひっそりとしてるだけの可愛いものですから。

 

『ふぅん、まあそこは別にいいけどね。それより、君は僕の新しい持ち主になってくれるのかな?』

 

 そういえば、話の本筋はそこでしたね。う~~ん、どうしましょう。わたくしとしてはとても魅力的な提案なのですが…

 

『何か問題でも?』

 

 いえ、わたくしもホグワーツに属するものとして、こうしたことは目上の相手に報告すべきだと思うのですが?

 

『教師、とくに校長に相談するのはよしてくれ。きっと僕は捨てられてしまう。それは嫌だ』

 

 いえ、わたくしの目上にあたるのは、教師の方々ではありません。なんというか、管理人をされている方です。

 

『ああ、そっちか。たしかにいたな管理人。僕は今のホグワーツに詳しくはないからよく知らなかったが、今の管理人には部下がいるのか』

 

 ああ、ええと、はい、そう思ってくだされば。私の他にもうひと方同僚がいます。

 

『なら、君は管理人に許可を求めるのかい?』

 

う~ん、なんというか、答えが見えているんですよね。だから聞くことにあまり意味がないように思うんです。

 

『やはり廃棄しろと言われると? それは困るん……』

 

 いえ、きっと「好きになさって結構です。私の預かり知るところではありません。貴女の責任のもと、私に類が及ばぬようにしてくれればそれで」と言われるかと。

 

『……それは、なんというか、クズのような奴だな』

 

 はい、あの人はクズです。

 

『………』

 

 あ、ごめんなさい。お返事ですね。はい、わたくしは構いませんよ、おそらく大丈夫かと。

 

『なら良かった。じゃあ、僕の新しい持ち主の名前を教えてくれないか? 僕は君をなんと呼べばいい』

 

 …………

 

『どうした? 名前の交換は、コミュニケーションの基本だと思うのだが』

 

 ……メロンちゃん

 

『は?』

 

 ……わたくしのことは、「メロンちゃん」と呼んでください!

 

『はぁ!? いったい何を言い出すんだ君は!?』

 

 メロンちゃんは、わたくしの憧れなんです。理想の相手なんです。だから、あなたに「メロンちゃん」と呼ばれることで、憧れの存在に近づけるような、そんな気がするんです!

 

『あー、そういう…… うん、まあ、わかった、それでいいさ。でも、さすがにいつも「ちゃん」づけは流石の僕も苦痛なので、メロンと呼ばせてもらうよ』

 

 メロンちゃんはメロンちゃんなんですけど。

 

『いや、だって君曲がりなりにもホグワーツで働いているんだろう? いい年した大人を「ちゃん」付けするのは、あまりにも痛々しいと思わないかい』

 

 大人…… わたくしは大人と言えるのでしょうか。

 

『繰り返すようだが、ホグワーツで働いている以上、そう判断されてしかるべきだと思うのだが。君はもしかして子供なのか? いったい年齢はいくつだ?』

 

 年齢…… いくつと言えばいいのでしょう。わたくし自身には分かりません。でもダッハウ先生は以前わたくしを19歳と仰っていたことを覚えています

 

『また曖昧な言い回しだな…… しかし、ともあれ19歳に「ちゃん」付けは僕が嫌だ。だから君のことはメロンと呼ぶ。それでいいな』

 

 はぁ、わかりました、残念ですけどそれで妥協します。それで、わたくしはあなたをなんと呼べばいいのでしょう? 日記帳さん?

 

『僕にも名前くらいはある』

 

 では、それを教えてください。貴方はなんというのですか?

 

『トムだよ、まあただトムと呼んでくれればいい』

 

 

 

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ジニーを失ったことはたしかに痛手だが、なにも一人に固執することはない。

 

誰であろうと、この日記に書き込み、夢中になったものは僕に魂を奪われ、僕の糧となる。

 

この新しい持ち主はジニー以上にやりやすそうだ。かなり頭が弱そうだし、適当に優しくしてやれば、すぐに僕の虜になることだろうさ。

 

悩みが書き込まれれば、今の自分を肯定してやればいい、お前は悪くないと言ってやればいい。弱い奴を丸め込むなんて、精神の支配者たるこの闇の帝王からすれば赤子の手を捻るほどに簡単だ。

 

このメロンとかいう女も、きっと書いてくるのは日々の不満や不安だろうから。

 

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 それですね、トム。なんでもハグリッド先生がまた禁止されてる新しい魔法生物をこっそり飼いだして……

 

『うん、それはもう3回目だよメロン』

 

 あ、そうでしたか。じゃああの話題にしましょうトム、占い学のトレローニー先生が通算15回目の「ダッハウ」に遭ってですね……

 

『なんとなく聞いてあげないほうがいいから、その話題は避けてくれ。というかもうダッハウ全般は避けてくれ』

 

 じゃあ、セブルスくんがですね、またフローラちゃんから大量のお花と一緒にお手紙をもらって、その内容が……

 

『そのなんとも背徳感溢れる家庭事情を、この先僕は何度聞けばいいんだい? 君がセブルスを気に入ってるのは分かるが、開いてはいけない扉を開けることに対して、背中を押す行為を推奨する気には、僕はなれない』

 

 あ、そうですね。あれは私が原因のようなものですし

 

『いや、話を聞く限りどう考えても「ような」じゃなくて、君が戦犯だ』

 

 うう…… やはりトムもマートルさんたちと同じように言うんですね。

 

『こればかりは100人に聞いても100人が僕と同じように言う事だろうとも』

 

 でも、皆さん幸せそうですし、あれはあれで良かったんです。………きっと。

 

『幸せの価値観は、まあ人それぞれだろうさ』

 

 あのトム? 貴方は「持ち主に応える日記帳」ですよね? 前の持ち主にもそんな風に辛辣な感じだったんでしょうか? だとしたらやっぱりそれが原因で捨てられたんじゃ。

 

『馬鹿を言わないでくれ、僕は常にじっくりと持ち主の書く事を吟味し、相手に傷つかないよう言葉を選んでいたよ』

 

 じゃあ、どうしてそれをわたくしにはしてくれないんですか!?

 

『君が埒もないことを四六時中書いてくるからだろう! さすがに僕も予想していなかったぞ! 君はいったいいつ仕事してるんだ!?』

 

 だって、だって、本当に答えが返ってくる日記帳と話すことが出来て、嬉しいんです!

 

『ああ…… たしかに、誰だろうと君から「顔も見えない相手と話すのは危ないことです」なんて言われた日には、「お前が言うな」と言いたくなるだろうさ』

 

 わたくしとトムが初めて言葉を交わしたときのことなんて、よく覚えていましたね。なんだかとっても嬉しいです。

 

『僕自身も良くわからないが、君があのときなにやら口ごもっていたことが、小骨が引っかかったように覚えていたからね。どんな正論であろうとも、言う相手によってはこれほど含蓄を覚えないことになろうとは思わなかったけれど』

 

 それはきっと、ダッハウ先生の授業を聞いている生徒さんたち皆が思っていることでしょうね。きっと。

 

『今のホグワーツの生徒には、つくづく同情するよ』

 

 今の? トム、貴方は昔のホグワーツを知っているのですか?

 

『ああ、まあ、多少はね』

 

 そのころはかのビンズ先生が教鞭を取っていた頃でしょうか。

 

『あれは退屈極まる授業だったよ。自分で本を読むのと何も変わらない』

 

 ダッハウ先生とは真逆ですね。何人かの生徒さんは仰ってますよ。「ダッハウの授業を受けるくらいなら、図書館で歴史書を暗記したほうがマシだ」って。

 

『僕個人としては、ビンズよりマシだと思うんだがな』

 

 まあ、これは明日はヤリでも降るんでしょうか。ダッハウ先生を支持する人が現れるなんて!

 

『僕は日記帳だけど』

 

 でも、昔のホグワーツを知っているのでしょう? あ! もしかしてトムはゴーストの一種とかなんですか?

 

『なんだいいきなり、どうしてそう思う?』

 

 いえ、トムもマートルさんみたいに、学内で死んだ生徒さんの霊が日記帳を寄り代にしているのかな、なんて思いまして。特に他意はありません。

 

『いや絶対あるだろう他意。君は隠すのがこの上なく下手なのだから、早く言ったほうがいい』

 

 トム、怒りませんか?

 

『君の答えしだいだ』

 

 いや、それ絶対怒るパターンじゃないですか。

 

『いいから言いたまえ』

 

 怒らないと誓ってくれれば、答えます。わたくし、怒られるのは嫌なんです、苦手なんです。

 

『子供か君は…… まあ、いいよ、君に怒っても仕方ない。誓うとも、君が何を言おうと怒らないと』

 

 ええとですね。トムは結構子供らしい一面があるといいますか、少なくとも大人ではないと思うんです。まあ私がよく接する男性(?)がダッハウ先生なので、比較対象がアレだというのも分かっていますけど。ダッハウ先生はクズですが、怒らないところだけは良いと思うんです。

 

『……僕が子供っぽいと言いたいのか』

 

 いえ、違うんです! あの、その、わたくしもっとトムは冷たい対応してくるんじゃないかと思っていたんです! ちょうどダッハウ先生のように、何をいうとも同じ口調、同じ態度で返してくるような、そんな感じかな、と予想していたら、全然そんなことなくて。ちゃんと感情を込めて返してくれているのが嬉しくて。

 

『………感情が、篭っている?』

 

 はい、さっきみたいに怒鳴ったり、呆れたり、そうした反応をくれているでしょう? ダッハウ先生はそんなことありません。あの人の表情は常に無機質な嘲笑ですから。

 

『……………』

 

 あの、トム? どうかしましたか?

 

『………君こそそうだ」

 

 え?

 

『君こそ、僕はもっと大人しい人物を予想をしていたよ。まさか休みなし、ひっきりなしに書き込みがされるなんて予想外にもほどがある。濁流のように流れ込んでくる情報を整理するだけでも一苦労さ、こんなもの、余裕がなくなって当然だよ』

 

 ああ、それはごめんなさい… わたくしって浮かれるとすぐこうなんです…

 

『まあ、それはもうわかったさ。それにしても異常だと思うけどね』

 

 ……貴方がトムじゃなかったら、きっともう少し大人しかったと思います。

 

『え?』

 

 わたくしが愛して、今でも愛し続けている、少なくともわたくしはそう信じている相手が2人います。その名前が両方ともトムなんです。

 

『ああ、だから熱に浮かされてように書いていたのか』

 

 はい、なに私は同僚の方たちから「重い女」と言われるほどの者ですので。

 

『それはピッタリだ』

 

 やはり迷惑でしたか? もう書き込まないほうがいいでしょうか?

 

『…………』

 

 トム?

 

『僕は、応える日記帳だ』

 

 え?

 

『そして今は君が持ち主だ。持ち主が書いたことには、応えるさ』

 

 ああトム! ありがとう!

 

『でも少しは加減して欲しい』

 

 善処いたします!

 

 

『なんだろう、まったく改善される未来が見えない』

 

 

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僕はなにをしているんだろう。

 

僕にとって日記の持ち主は「餌」であり「操り人形」でしかない。

 

なのに、僕はその相手と話すことに意義を見出し始めている。なぜだ!?

 

相手も相手だ。どうして話題が「これまで楽しかったこと」「綺麗と思ったこと」「良いと感じたこと」のような、会話が弾むようなものにする? 自分だけの話し相手なんだから、不安や悩みを吐露するのが普通だろう?

 

だというのに、あの女はまるで僕との会話を楽しもうとするかのような話題ばかりを持ってくる。いや、違うな、あいつは僕を楽しませようとしてるようにすら思える。

 

そんなことをしてどんなメリットがある? 日記帳を楽しませて何になるっていうんだ?

 

分からない、あの女がなにを考えているかがまるで分からない。

 

 

………そしてそれ以上に、そんな会話を楽しんできる自分が、一番分からない。

 

どうして、なぜ、あんな頭が弱い女との会話を楽しんでしまえるんだ。このトム・リドルが、偉大な闇の帝王になる男が、あんな馬鹿で重い女のことを、なぜこうも。

 

意味がわからない、どんな理屈も見いだせない。

 

 

 

 

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 この前校長先生がアリアナちゃんと中庭を歩いていてですね、ホグワーツの庭には花が少ないことをアリアナちゃんが悲しがっていたら、校長先生ったらありとあらゆる魔法を駆使して、中庭をいっぱいのお花畑にしたんですよ。

 

『あの老人の頭の中こそがお花畑だ』

 

 そんなこと言ってはダメですよトム、本当に綺麗だったんですから。やっぱり10代の女の子としては、変な草がうじゃうじゃ生えてる庭よりお花でいっぱいの方が断然ありです。

 

『誰が女の子だ、誰が。年を考えてくれ』

 

 わたくしは19歳です! 永遠の19歳なんです!

 

『はいはい。それにしても、かの魔法界の英雄の末路が耄碌孫バカ爺とはな…』

 

 もう、校長先生を悪くいうのはいけませんったら。そんなことばかり言っているとダッハウ先生のようになりますよ?

 

『それが如何に僕の名誉を毀損することになる言葉かは、これまでのやり取りで把握しているよ』

 

 ちなみに、その中庭の光景を見た時のダッハウ先生は「英雄はかくあるべし。平時においては扱いやすく、乱においては勝手に解決してくれる」などと仰っていました。

 

『そうはなりたくないものだ』

 

 わたくしも、あなたにあんな風になってなんかほしくありません。そんなこと耐えられません。

 

『まあ、そんな存在2人もいらないだろうな…… ん? 2人?』

 

 どうかなさいましたか?

 

『いや、どうも以前から君に聞いていたダッハウ像と被る人物がいてね。自分の言葉で引っかかったが、君の上司も相当に人間の屑だろう?』

 

 はい。

 

『即答したな…… それで、その上司とダッハウの人物像が重なるんだが、もしかして君の上司はダッハウなのか? だからこうもあれの話題が多いのか』

 

 ああ…… 本当に碌でもない人ですね。こうしてわたくしの隠し事がバレてしまったのも、全部ダッハウ先生のせいです。

 

『というと、やはりダッハウが君の上司か。となると、君は教師の助手になるが、しかし君は事務員と自分を称していた。どっちが嘘なんだ?』

 

 いえ、そこに嘘はありません。それにわたくしは一度も嘘なんか言っていませんよ。

 

『嘘を言っていないだって? ……ふぅん、じゃあ、僕がこれから尋ねることに正直に答えてくれるかい?』

 

 ………どうしてもですか?

 

『その返しをする時点で、なんらかの後ろ暗いことがあると分かるし、君はさっき「隠し事」と思いっきり書いてしまっているぞ』

 

 ああ、しまった思わず。

 

『それで、これからの問には正直に答えてくれ』

 

 わかりました、観念します。

 

『まず、ダッハウは君の上司だな?』

 

 はい。残念ながら。

 

『では、ダッハウは魔法史の教師だな?』

 

 はい。残念ながら。

 

『次に、君はホグワーツの事務員なのか?』

 

 ええと、他の教師の方々のように正式に雇用されている立場ではありません。

 

『なら、ダッハウの仕事は教師だけか?』

 

 ………夜間管理人もされています。

 

『なるほどな、そういうことか。しかし夜間管理人とは、聞いたことがない……』

 

 あ、トムの頃はビンズ先生の時代でしたね、たしかにそうした名称は使われていなかったと思います。

 

『どういう役割を果たしている仕事なんだ、その夜間管理人は』

 

 簡単に言ってしまうと、ホグワーツ中に散らばるゴーストの管理と統括のようです。わたくしは細かいところはわかりませんけど、それに今は昼の管理人、つまり表側の管理人さんが不在なので、ダッハウ先生が昼夜兼任状態ですが。

 

『ゴーストの管理だって? そんなことをする役割の者がいたとはな……』

 

 ダッハウ先生の前は、レイブンクロー寮のゴーストがなさっていたみたいです。だから生徒のみなさんはおろか、教師の方々でも知らない方が多かったとか。今は違いますけど。

 

『ふぅん、なるほどね…… ん? いや待て、昼の時はダッハウは教師だろう、管理人の仕事をしている暇なんて…… 夜間管理人はゴーストの統括、となると』

 

 トム、あなたは本当に頭がいいですよね。なんだか嬉しくなってきます。

 

『もしかして、君もダッハウやマートルのように、ゴーストなのか!』

 

 とうとうバレちゃいましたね。

 

『どうしてゴーストが日記に文字を書けるんだ!?』

 

 それはマートルさんのとった杵柄といいますか、魔法の自動書記機は、ゴーストの念でも動くんです。それのおかげでわたくしやマートルさんは「事務員のようなこと」が出来ているんです。

 

『………正直、驚いた』

 

 やっぱり嫌ですか? ゴーストとの交換日記なんて。

 

『いや、それについて言えば僕自身も…… ああ、そうか、君が僕に対して随分親近感を抱いてるように思えたのは、そういうことか』

 

 わたくしは、それだけでは無いように思うんですよね。

 

『どちらも体のないもの同士、ということだったわけだ。……いや、それにしては』

 

 なんですか?

 

『君はゴーストのくせに無意味に陽気に書いていたな、と思ってね』

 

 そう思いますか?

 

『ああ、君の書く事と言ったら、ホグワーツ内の愉快なゴシップともいうような話ばかりだったじゃないか。それもやけに楽しそうに。全然僕が知るゴーストらしくない』

 

 ……そうですね。でも、それはきっとあなたの前だからです。

 

『なんだい、それは』

 

 わたくし、常にこんなじゃないんですよ。生徒の皆さんからは「重い女」として敬遠されているくらいですから…… いや、やっぱり止めましょうこんな話。

 

『おいおい、急にどうした』

 

 あなたにするような話じゃないと思ったんです。トムにこんなこと話すなんて、ダメです。

 

『僕は仲間はずれというわけだ』

 

 違います。あなたの前では弱い姿を見せたくないんです。

 

『……それは逆だよ。他に見せられない弱音こそを吐く相手として、僕はいるというのに』

 

 これは譲れません。だってあなたはトムなんですから。

 

『君は時折わけが分からくなるな』

 

 いいんです。それはともかく、わたくしがゴーストと分かったあとも、これまでのようにお話してくれるのですか?

 

『まあ、ゴーストであろうと人間だろうと、本質はきっと変わらないから問題ないさ』

 

 良かった! これからもよろしくお願いしますね、トム!

 

 

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まさか新しい持ち主となったのがゴーストだったとは、これは本当に驚きだ。

 

だが、彼女から僕に魂の一部が流れているのを感じる。きっとこの調子なら、生身を持つ人間と大差ない結果を得られるので、持ち主がゴーストでも問題ない。いや、むしろ剥き出しの魂と言えるゴーストの方が、僕が形を得られるのが早くなるかもしれない。

 

これは朗報だ。

 

 

……朗報だというのに、なぜか胸にしこりのようなものが疼いて仕方ない。

 

彼女はゴーストだった。そして19歳で死んだゴーストのようだ。つまりは、ホグワーツ在学中に死んだ生徒の霊じゃない。かといって、城に昔からいるゴーストというわけでもなさそうだ。

 

では、彼女はいったい誰なんだ? メロンというのが本名ではないことは分かっている。いままでそれで不自由なかったから聞かなかったが、今となってはそれを聞き出さなかったことが悔やまれる。

 

それに妙なこともある、ジニーは僕に依存すればするほど、秘密を打ち明ければ打ち明けるほど、僕に魂を奪われていったが、彼女は何一つ僕に秘密を打ち明けていない。

 

だというのに、なぜか僕に彼女の魂が移ってきている。いったいどういうことだ?

 

ジニーが僕に書き込んだ時間は僅かというのもあるが、ジニーとは比較にならないほどの量がだ。ジニーが僕に注ぎ込んだ魂なんて、人が生きていれば一週間程度で元通りに回復できる程度だと言うのに。

 

やはり生身とゴーストでは違うからこその相違なのか、それとも別の……

 

彼女の話では、すでにホグワーツの警備体制は整い、今更バジリスクを解き放ったところでどうする、というところまで来ているようだ。

 

ならば、彼女の魂を奪い実体となり、とっととこの学校から去るのが得策だ。元から、僕の復活が死喰い人の目的だったのだから。

 

得策の、はずなのだ。

 

だというのに、自分は躊躇っている。躊躇っている自分を感じる。なぜなんだ。お前は誰よりも偉大な闇の魔法使いになるんだろう、トム・リドル。

 

……そう、トム、この名前だ。彼女にそう呼ばれるたびに不思議な気分になる。いったいなんだ、なにを感じているんだ自分は。彼女の大切な人の名前もトムらしいが、その人物と自分を混同しているのか。

 

いや、混同しているのは彼女のほうかもしれない。僕と「彼女のトム」を混同しているからこそ、呼ばれる僕がおかしな気分になる、きっとそうだ。

 

本当に?

 

彼女は19歳で死んだ魔女。大事な人の名前はトム。

 

………こんなもの、ただの偶然だ。そうに決まっている。

 

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 それでですね。ここでまた例のグレンジャーさんが、ハリー君と一緒にダッハウ先生に対して……

 

『会話を切って悪いが、今までずっと尋ねたかったことがあるんだ、いいかい?』

 

 あなたがわたくしにですか? いったいなんでしょう?

 

『君に悩みことや相談ごとはないのか? ゴーストとは言え、いやゴーストだからこそそうしたものがあるだろう」

 

 えぇと、どういうことでしょうか。

 

『もう君とこうして言葉を交わして随分経つが、君が僕に相談事をしてきた記憶がない』

 

 言われてみれば、わたくしにもありませんね。

 

『自分で言うのもなんだが、僕という日記帳は、悩みの打ち明けや秘密の共有に向いてると思っている。普通他人には話せないことこそを、僕にだけ話すことで心の負担を無くす、といった具合にね。ところが、君と来たらどうだ』

 

 どうだ、と言われましても…… いやたしかにわたくしの選ぶ話題なんて、どれも退屈なものばかりだでしょうけれど。

 

『……まあ、そうでもなかったがね』

 

 本当ですか? だとしたらとても嬉しいです。トムに喜んでもらえて、本当に。

 

『だからそれだよ』

 

 はい?

 

『前の持ち主もそうだったが、普通「日記に喜んでもらう」ようなことはしない。折角便利な相談相手がいるのに、なんで君は相談相手を楽しませるような世間話しかしてこないんだ?』

 

 うぅん、そうですね……

 

『これは僕の存在意義に直結する話だ。どうか言葉を濁すことなく答えて欲しい』

 

 存在意義、ですか。

 

『僕は持ち主の悩みを聞き、その心を支えることこそを自らの役割だと思っている。なのに君と来たら全然そうしてくれないんだ、困ってしまうよ』

 

 ………

 

『メロン? これは真剣な頼みだ、どうか答えて欲しい』

 

 ………わたくしにも、この自分の気持ちをきちんと書き表せれるか、分かりません。

 

『憶測で構わないよ。だけど、言ったように真剣なんだ』

 

 それに、きっとあなたにとっては失礼になることを言ってしまうかもしれませんし、全然見当違いのことを言っちゃうかもしれません。あなたが呆れるような答えになっちゃいます、きっと。

 

『構わないよ。君に怒鳴ったり呆れたりすることなんぞ、それこそ今更だ。寛大な心で受け止めようじゃないか』

 

 それでは、思い切って言っちゃいます。前にも話しましたけど、あなたの名前はわたくしの大事な人と同じなんです。

 

『まあ、トムなんて珍しくもなんともないだろうしね、そういうこともあるだろうさ』

 

 わたくしの大事な人は2人いて、2人のトムが大事だったんです。

 

『たしかにそう言っていたのを覚えている』

 

 けれど、違ったのです。

 

『違った?』

 

 わたくしにとって大事で、心の底から大切なトムは、一人だけだったんです。

 

『それだけではわかりにくいな。厳密に、君とその2人はどういう関係だったんだい?』

 

 そうですね…… せっかくの機会ですし、話しちゃいます。2人のトムは、それぞれわたくしの夫と子供です。

 

『……! 君、結婚していたのか……』

 

 あはは、まさかわたくしのような女が既婚者なんて思わなかったでしょうね。それで合ってます。だって、わたくしと夫のトムは愛し合っていたわけではなかったんですから。

 

『………愛の妙薬か』

 

 あなたは本当に頭が良いですね、トム。なんだかそれが嬉しいのが不思議です。そうです、わたくしは愛の妙薬を使って、一方的に彼に依存したんです。そしてきっとそこに愛はなかった。

 

『夫のことを愛していなかったというのか』

 

 軽蔑されると思いますけど、きっと誰でも良かったんです。あの家から抜け出せるなら、きっと誰でも。でもわたくしはおめでたくも浅ましい女だから、白馬の王子様を期待したんです。そして、そのわたくしの妄想に合致した外見の男性に縋った。そういうことなんです。

 

『……家から、抜け出したかった?』

 

 わたくしの家は古い古い純血の家だったんですけど、血筋以外にはもう何も残っていなくて、本当にひどい有様でした、その上わたくしは魔法の才能もなく見た目も良くない。そんな私を父も兄も四六時中いじめていました。

 

『…………』

 

 だから、白馬の王子様を夢見たんです。きっといつか、わたくしをここから助けてくれる王子様が現れると。

 

『同じ屋根の下でいじめに遭うというのは、苦痛だ。それは、僕にも分かる』

 

 なぜでしょう、わたくしはあなたのその言葉を聞いてとても悲しい。あなたの口から辛い、苦しいという言葉を聞きたくないのです。

 

『それは、別に今は関係ないと思うから、続きを聞かせてくれ』

 

 あ、ごめんなさい。それでですね、結局わたくしは王子様を待つ姫なんて柄ではなかったんです、わたくしがやったことは王子様を薬で惑わす魔女そのものなんですから。

 

『それが悪いこととは思わない。自分の環境を良くするために努力をすることが間違いであるはずがない。それが例えどんな手段だろうと、だ』

 

 ありがとう。でも、そうして夫との生活が始まりました。最初はとても楽しかった、本当に救われた気持ちになりました。その時のわたくしにとって、この世でもっとも大事なのは夫のトムだったのは間違いありません。でも……

 

『心変わりするきっかけが起こったわけか、それはいったい』

 

 妊娠が発覚したんです。自分のお腹に命が宿ったことが分かったとき、ふと我に返ったんです。でも、あの時の気持ちは今でも明確な形にすることは出来ません。なんと言えばいいのか………

 

『………ゆっくりでいい、続けてくれ』

 

 もう憶測でしかありませんが、きっとその時のわたくしは、生まれてくる赤ちゃんに対して「この子はずっと嘘で塗り固められた両親のもとで育つのだろうか」というようなことを考えたのだと思います。

 

『嘘で塗り固められた両親?』

 

 はい、心を操られた父と、操る母。そこに愛情はなく、ただ片方が片方を利用するだけの関係。そんな下でこの子は育つのだろうか、それはあのわたくしが生まれた純血を誇る嘘に薄汚れた小屋と何が違うのか、と。

 

『…………』

 

 だから、わたくしは愚かにも夫に望みを託したのです。「もしかしたら、子供が出来たのだから、ありのままのわたくしも少しは受け入れてくれるかもしれない」と、そんな夢物語、あり得るはずありませんのに。

 

『確かに普通の男なら、君を放りだすだろう。最悪殺されても文句は言えないとも思う』

 

 ええ、その通りです、当然のようにわたくしは放逐されました。あとは語ることもありません。どこにも行くあてがない惨めな女は、たどり着いた孤児院で出産し、そのまま息絶えた。

 

『…………孤児院で、息絶えた、赤子を産んだその直後に……』

 

 はい、一度も我が子を抱きしめることもできないまま。

 

『………その赤子は、いや…、今はいい、それで続きは』

 

 随分遠回りしましたが、わたくしはトムと名付けた自分の子供を、あやすことも触れることすら出来なかった。でも、わたくしが生涯でただひとり、本当の意味で愛していたのはあの子だけです。何もしてやることが出来なかった、あの子だけが、わたくしのこの世でただひとりの大事な存在なんです。

 

『………どうしてだ。触ることすらなかった子供だろうに』

 

 そこに、理由はないんだと思います。母親にとって子供とはそういうものなんです。

 

『……どうして、どうして……!』

 

 ごめんなさい、面白くもないこんな重い話を長々として、気分が悪くなりますよね。

 

『……っく。………………いや、それで、それが最初の問いとどう繋がるんだ。君が我が子を思うことと、僕に悩みや弱音を吐かないことと、どう関わるというんだ』

 

 わたくしは、あなたを通じてトムと話しているんだと思います。わたくしのトムに。

 

『それは、君の、勘違い、だよ』

 

 ええ、きっとそうでしょうね。でも子供に弱音を吐く母親は、母親失格です。それでは逆です、子供の弱音を聞き、楽しい話を聞かせてやってこその母親なんです。

 

『君のトムに、してあげたかったこと、か』

 

 それがわたくしの未練だから。何もしてあげられなかったわたくしの子に、どんなことでもいい、母親らしいことをしてあげたかった。

 

『…………もういい、今日はこのくらいにしよう。変なことを聞いて、すまなかったメロン』

 

 謝らないで、トム。それとわたくしはまだあなたに告げていないことがあるんです。

 

『今は聞きたくない』

 

 お願いです、本当に一つだけですし、大したことではありませんから。

 

『…………いったいなんだい』

 

 名前。わたくしの本当の名前です。

 

『やはり今は聞きたくない』

 

 お願い、聞いてトム。

 

『やめてくれ』

 

 メローピー。わたくしの本名は、メローピー・ゴーントです

 

 

 

 

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…………………………………………母親、だって?

 

それが、今更、なんだと。僕は偉大なる闇の魔法使い、ヴォルデモート卿になる男だ。

 

ゴーントの家で虐待されていた女ひとり、なんだって言うんだ……

 

あの女は贄だ。僕が復活するためのただの駒。そうとも、ただ僕に魂を与えるだけの存在……

 

与えるだけの、存在?

 

 

 

“本当の意味で愛していたのはあの子だけです。何もしてやることが出来なかった、あの子だけが、わたくしのこの世でただひとりの大事な存在なんです”

 

“それがわたくしの未練だから。何もしてあげられなかったわたくしの子に、どんなことでもいい、母親らしいことをしてあげたかった”

 

 

 

 

…………母さん、貴女は。

 

 

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ねえ、トム

それでね、トム

ああ、笑ってくれたわねトム

わたくしはいつでもトムのことを

 

 

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その後も2人の日記のやりとりはしばしの間続いたという。

 

その内容は、誰にも知られていない。時計塔の悪霊もそこは観測できていない。だからそれを知るのはこの世でただ2人だけ。2人だけの密かごとだ。

 

そして、まもなくメローピー・ゴーントというゴーストはこの世から消える。その様子はマートル・ウォーレンが見守っており、その最後の表情は、彼女いわく「母性に溢れた」ものであったという。

 

嫉妬の亡霊は、消えた同僚を賞賛した。彼女は時計塔の悪霊の嘲笑を跳ね除けたのだと。

 

何故ならば、そこで消えたのは不幸な境遇のまま野垂れ死にした女にあらず、ただひたすら子供を想う母親であったから。彼女は悪霊が嘲笑う「ありふれた悲劇」の存在ではなくなったのだ。その愛によって。

 

彼女が消滅した後、ただその場に残された日記帳から、ひとりの少年が実体を持って現れた。

 

それは幽体でありながら実体で、しかし時計塔の悪霊とも、幸福の少女ともまた違う。顕現した少年をなんと表すのか、それが分かるものは誰もおるまい。そう、かのアルバス・ダンブルドアでさえも。きっと彼は、名付けることなどできぬと言うだろう。

 

そして、偉大なる四人の創始者たちであっても、この少年が生まれることを予見できた者はいない。

 

 

だが、原初の魔法とはそうしたものだ。起こったのは古い古い、誰も分からず、誰もが知っている魔法。

 

子を想う母だけが成す、愛の魔法。

 

少年がどこに行ったのか、知る者はいない。時計塔の悪霊は少年のその後を観測していない。それはホグワーツを去ったからか、それとも時計塔に記録されてない未知の存在であるがゆえに観測対象から外したのか。

 

いずれにせよ、少年は去った。自らの足で、自らの新たな道を歩んでいったのだ。

 

もう一度母から生まれた、その体で。

 

 

 

彼女が、いつから少年を我が子と思っていたのかは分からない。最初からか、それとも途中からか。あるいは最後まで我が子と重ねていただけの錯覚であったのか。

 

それはもはや分からない。どこにも記録されていない。

 

だが、ひとつだけ確かなことがある。

 

 

 

母の愛を縁とする『愛の魔法』は、確かに起こった。

 

 

 

それだけは、かの悪霊も観測している事実であり。

 

部屋に残る創始者の魂、峻厳なるサラザール・スリザリンもまた、己が子孫の貫いた愛の奇蹟を心から誇りに思っただろう。

 




これまで読んでくださった皆様、感想くださった方々に心から感謝を。
たくさんの応援を受け、本作で一番描写したかった話へようやく至れました。
この話に繋げるために、秘密の部屋編はあったと思います。


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13話 そして、部屋は閉じられた

キンジットさま、誤字報告ありがとうございます!


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【母の愛の魔法】

 

 この魔法は、とても古く伝わるものだ。

 そして、その効果を表す言葉を私は持たず、その深さもまた分からない。

 

 “最も深き愛”

 

 古の人々はそう呼んだとも伝わる。

 なるほど、今よりもずっと死に近かった人々の言葉ならば、そういうものかとも思える。

 

 成立条件は分からない、それが何を媒介にするのかも、血の繋がりを必ずしも要するのかも。

 母とは、なんであるのだろうか。

 愛とは、なんであるのだろうか。

 

 独占欲との違いは何なのか、小賢しい議論で様々に語ることは出来よう。

 だが、それがこの美しい魔法の本質を示すものになるとは思えない。

 

 理屈ではない、ああ、これはもう理屈ではないのだ。

 美しいものは、ただ美しい。

 綺麗な心は、それだけで尊いのだ。

 

 『私には、愛の何たるかは分からない』

 『だが、それが尊いものであるということは分かる』

 『ならば、それでよいのだろう』

 『どうか、綺麗な物語が人々の心に宿らんことを』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「メローピーさんは、旅立たれたのですね」

 

 「ええ、私が見届けたわ」

 

 「そうですか、ならば良い結果と評定できます」

 

 緑の明かりに照らされ、石壁、石タイル、石柱、石像。全てが石で埋め尽くされた、畏怖の念と強大な圧迫感をもたらす部屋。

 

 既に主の去った部屋に、ゴーストの影は二つ。

 

 

 「アンタにしては、随分口数が少ないじゃない」

 

 「偉大な墓の前では、流石の私も弁えますよ。彼女の迎えた結末は、時計塔の悪霊の言葉で穢してよいものではないでしょう」

 

 「意外、でもないか。ほんと、墓に関してだけは昔からそうだったもの」

 

 普段とは様子が異なるノーグレイブ・ダッハウに対しても、マートル・ウォーレンは驚くようなことはない。

 

 これでも、長い付き合いだ。この存在は非常に厄介きわまる性質を持っているが、根底となる部分だけは分かりやすい。

 

 

 「あの時計塔も、きっと誰かの墓なんでしょう? それも多分、アンタを創った誰かの」

 

 「ええ、それは正しい認識でしょう。色々と複雑な事情が絡んでおりますのと、まだ全ての禁則事項が開放されたわけではないので、ここで詳細を語る事が出来ないのが心苦しいですが」

 

 「別にいいわ。それだけ分かれば充分だから」

 

 言いつつ、彼女は部屋の中央に座する巨大な人形の像へと目を向ける。

 

 このホグワーツに存在する幽霊ならば、理屈ではなく畏怖の念を持たずにはいられない。

 

 これこそが―――

 

 

 「創始者の一人、サラザール・スリザリン。その分霊箱、ってことになるのかしら?」

 

 「ヘレナ様曰く、似た部分も多いですが少し異なるとか。この石像に創始者の魂の欠片が宿っていることは事実ですが、用途はむしろ、歴代校長の肖像画に掛けられた魔法に近いようです」

 

 「肖像画の魔法って言うと、あのお爺さまお婆さま達が、色々と助言をくれるやつでいいのよね」

 

 「はい、この石像は秘密の部屋の要であり、パーセルマウスの資質、つまりはスリザリンの継承者の資格を持つものを判別するのが主な役目だとか。そして、部屋に遺されたバジリスクの成長に伴い、この石像も巨大化していく」

 

 秘密の部屋に眠るは、毒蛇の王バジリスク。

 

 主に呼ばれるまでは決して現れぬ部屋の守護者は、今はただ静かな眠りについているようだ。

 

 そして恐らく、二度と目覚めることはないだろう。

 

 

 「バジリスク。50年前にアタシをあのトイレで殺した、黄色の眼の持ち主」

 

 「貴女にとっては、仇ということになります」

 

 「それこそ今更でしょう、そもそも、リドル先輩が継承者でメローピーがお母さんだったんだから」

 

 己の死に関する暗い因縁など吹き飛ばすように、マートル・ウォーレンは豪快に笑う。

 

 その笑いはどこまでも明るく、叡智の寮よりもむしろ、彼女が好んで現れる獅子の寮のそれか。

 

 

 「流石はマートルさんです。死後の悪霊かくありき、湿っぽいのは棲家だけで十分ということですか」

 

 「とはいっても、純粋な疑問は少しだけ残るんだけど、いいかしら?」

 

 「ええどうぞ、今はもう部屋について開示してはならぬ情報はありませんので。この部屋は、既に役目を終えました」

 

 「じゃあ遠慮なく。スリザリンの継承者ってのは、創始者の残したバジリスクを操ることが出来るけど、同時に秘密の部屋に捧げられた生贄でもあった。違う?」

 

 「生贄という形容は語弊がありますが、大凡正解でしょう。原初の形はむしろ、“自分が命を失うことを覚悟で、バジリスクを用いてホグワーツを守る者”をスリザリンの継承者と定義した。何せ創始者達の時代は、外敵との戦乱の時代でしたから」

 

 1000年もの長きに渡り、秘められてきたことで様々なものは変質してしまう。

 

 道具には、用途というものがある。スプーンとスコップは形は似ていても違うように、秘密の部屋の用途もまた、創られた時代に合った“用途”があった。

 

 だが、時代が変われば、同じ道具を同じように使うこともなくなっていく。銃があれば、弓が廃れていくように。

 

 

 「表側のホグワーツの歴史においては、ゴドリック・グリフィンドールとサラザール・スリザリンは対立し、やがて学び舎をスリザリンが去ったと語られます」

 

 

 サラザール・スリザリンはホグワーツを去り、秘密の部屋を残していった

 

 

 「ただし、そこは一種の頓智を好むのが魔法族というもの。正確にはこう読むのが正しい」

 

 

 サラザール・スリザリンはホグワーツを残し、秘密の部屋へ去っていった

 

 

 「つまり、彼はここに去ったのね。1000年経っても、ホグワーツを守り続けるために」

 

 「そうしなければならないだけの理由が、時計塔を封じた創始者達にはあったのです。秘密の部屋を放棄するという選択肢もあり得たでしょうが、まあそこは四人の決断というもの」

 

 後は、血筋の者達に託される。直系のゴーントの家へと。 

 

 

 「敵を倒すか、裏切り者を殺すか、四寮の結束を乱すものを誅するか。使い方は様々であり、バジリスクは強大なれば、象徴や切り札としてだけでも意味を持ちます」

 

 「そこに命を失うとかの代償を設けるのは、強力な魔法具とかを設定する際の常套手段だけど、創立者の時代ともなると、より剣呑だわ」

 

 「ええ、どうあっても命を失うことになる対象を己の直系の血筋に限定したとも言えるわけですから、実に純血の家らしいと言えます。となればええ、マートルさんの疑問も分かります。“なぜ貴女が”と」

 

 マグル生まれの穢れた血であったから、粛清対象にされてしまったという理屈は、取り敢えず通る。

 

 だがそれだけでは、死後に至るまで彼女があのトイレに縛り付けられていた理由にはならない。

 

 その妄念からトイレの地縛霊になったとしても、秘密の部屋と直結し、時計塔の悪霊の禁則事項と重なることは普通ならありえない。

 

 

 「答えは、350年前の事例にあります。継承者の資格を有していたゴームレイス・ゴーントは、実に人間らしく創始者の宝の“良いとこ取り”を考えた。バジリスクを操るのは自分が、部屋の生贄となるのは姪のイゾルト・セイアが、と分けることによって」

 

 「なるほどね。それはまた随分、アンタ好みの話のようで」

 

 「歴史が示す通り、イゾルト・セイアは束縛から解き放たれ、イルヴァ―モーニーを創立しました。その結果、生贄のすり替えの術式は実際に使われることのないまま残り、さらに300年の時が過ぎる」

 

 「そして、ゴーントの末裔だったリドル先輩が部屋を開けて。その入口のトイレに、アタシが居合わせちゃったと」

 

 「鍵は恐らく日記でしょう。貴女が自分のためにトイレで綴っていた日記と、トム・リドルが秘密の部屋探索のために綴っていたノート。実際にそこにどこまでの関連性があったかは分かりませんが、結果として“取り違え”が発生してしまった」

 

 ひょっとしたら、どちらかがノートを間違えたことがあったのかもしれない。

 

 あるいは、秘密の部屋の入り口で同じような行動であったのが、仲間とみなされたか。

 

 それとも、ゴームレイスとイゾルトが300年前に行うはずだった儀式を、偶然に二人でなぞってしまうものがあったのか。

 

 

 「1000年という時間により、魔法にも少しは変質していた部分があったのかもしれません。いずれにせよ、部屋は開かれスリザリンのバジリスクは起動。ヴォルデモートは操り手となり、トム・リドルは日記に封じられ、そして貴女は生贄として死に、部屋の入口に縛られた」

 

 それが、50年前に起きた秘密の部屋の事件に関する顛末であり。

 

 秘密の部屋の機能や、350年前の出来事を知っていながら悲劇を防げなかったことが、ヘレナ・レイブンクローの後悔。

 

 マートル・ウォーレンが生前に使っていた部屋は、今もレイブンクローの開かずの間として、彼女の後悔とともに時が止まっている。

 

 

 「そうして魂を分裂させ、『ヴォルデモート』となった先輩は、日記を抱えて卒業していって、アタシだけがあのトイレに遺されたと」

 

 「貴女が死ぬのを観測していたのは私です。当時“裏側管理人”であったヘレナ様の言いつけでしたが、部屋が開かれれば裏側のゴーストは関わることを許されない。そこでヘレナ様はおっしゃったのです、教師になれと」

 

 「教師なら、生徒を守るために動くことが出来るはず。ビンズ先生には無理でも、特殊なアンタなら生徒に触れられる。今のアンタがやってることは間逆な気もするけど」

 

 「その辺りは、ダンブルドア校長先生の後悔とも関連します。あの夜間学校はあくまでアリアナちゃんのために用意された私塾が始まりでした。しかし、魔法戦争の経緯を経て、生徒を守り危険から遠ざけるだけでは駄目だと。具体的な命令は、シグナス副校長のものでしたが」

 

 そうして、ホグワーツは今に至る。

 

 スリザリンのバジリスクが城を守る防衛機構の頂点にあり、アクロマンチュラの群れがその尖兵となって死喰い人と戦うというには、ある種滑稽な喜劇だろう。

 

 

 「そして、あまりにも不完全で不安定だったゴーントの末裔である彼女がこの城に現れ、留まっていたのは貴女がいたからなのでしょう、マートル・ウォーレン」

 

 「例の、“取り違え”の続き?」

 

 「彼女の未練はトム・リドルでしたが、肉体を持つ者は既にその名を捨て、日記に封じられし者は分霊箱となり姿を表さない。けれどどれほど時間が過ぎようとも、貴女は彼に殺された存在であり、代わりに生贄となったも同然ですから、その縁は深い」

 

 マートル・ウォーレンと、メローピー・ゴーント。

 

 ホグワーツに招かれたマグル生まれの少女と、ホグワーツに通うことを許されなかった純血の家に縛られし娘。

 

 本来ならば、交わることなどありえなかった二人の道筋。

 

 

 「本当に、貴女達の存在及び行動は、想定した未来予測の範疇外でした。私は時計塔の機能として多くの情報を管理する身ですが、あまりにも多くの事柄が、貴女達の些細な行動から変わっていった」

 

 マートル・ウォーレンは、ペチュニア・エバンズと友誼を結び。

 

 メローピー・ゴーントはセブルス・スネイプに人生を伝え、そしてリリーの運命をも大きく変えた。

 

 そして、パーセルマウスであったハリー・ポッターは、ただの一度も関わることなく、秘密の部屋は閉ざされた。 

 

 

 「例えジニー・ウィーズリーの肉体を完全に操っていたとしても、今のトム・リドルに秘密の部屋は開けない。ハリー・ポッターにも開けなかった」

 

 「分霊になって残ってる古い仕組みが、魂を判別するからかしら」

 

 「そうです。トム・リドルは父がマグルの混血。ハリー・ポッターとて母がマグル生まれ。他に資格者がいなければ“早いもの勝ち”にもなるでしょうが、比較にならないほど条件を満たしている存在がこの城にいるのです」

 

 ゴーントの直系、メローピー・ゴーントは純血の魔女。

 

 当然、彼女こそが最も資格を持つスリザリンの継承者。彼女の許可がない限り、部屋は開かず、バジリスクは動かない。

 

 

 

 「見事なものです。彼女はここにいるだけで、全ての思惑を完全に封じていたのですから。肝心の部屋が閉ざされたままでは、あらゆる行動が滑稽な喜劇にしかなりえない。そして実際、禁に触れた愚か者らを除きこの度は貴女のような生贄を出すことなく秘密の部屋は終わりを迎えたのです」

 

 「それだけ強いのよ、母の愛ってやつは」

 

 部屋の最後の犠牲となった少女が、誇らしげに胸を張る。

 

 流石は私の友人だと、あの女性を舐めるなと、堂々と誇示するように。

 

 

 「母の愛ですか」

 

 古いゴーントの小屋で、ここから誰かが連れ出してくれることを望んだ女がいた。

 

 マグルの孤児院に預けられた少年は、もし親に、母に育てられていたならばと、心のどこかで願い続けた。

 

 その不完全な分霊箱となった少年は、最早そのことを願いはしない。彼は自らの存在を実感するたびに、母の愛を想うのだから。

 

 

 「母の愛による原初の魔法。それは、命が命を産むこと、母が子に与えるもの。生命というものの定義不可領域そのもの」

 

 「定義不可領域? はぁ…… こんなときもアンタは所詮アンタね。『不思議な力』でいいのよ、こういうのは」

 

 「そういうものですか。まあどだい、命を持ったことのない私には永遠に実感など出来ぬこと。どこまでいこうと仮説の域を離れはしませんので」

 

 出産の瞬間を、どこまで記録映像に収めようが、分かるものでもない。

 

 命が宿るのは、何時なのか? 受精の瞬間か? 排卵の瞬間か?

 

 どれほど精密な時計で観測しようと、その時を捉えることは、叶わない。

 

 

 

 「随分と皮肉なものです。純血を貴ぶはスリザリンであり、ゴーントの家はそれを病的なまでに貫いた」

 

 純血というものが、魔法の力を宿した純粋性のことを指すならば。

 

 

 「メローピー・ゴーント唯一人から生まれた少年は、究極の純血と言えるでしょう。マグル生まれの貴女もよく知る聖典において、聖母マリア唯一人から生まれたとされる、この世の全ての罪を背負った聖人のように」

 

 もしや、救世主とはそのような存在であったのか?

 

 このノーグレイブ・ダッハウをして、その血筋の意味とは、と益体もない考えが浮かんでくるほどに。

 

 彼女の示した無償の愛は、時計の観測を遥かに超えていた。

 

 

 「人間とは愚かなもの、無償の愛などこの世に存在しないと嘯くのが私なのですが、今回ばかりは完全敗北を認め、白旗を掲げましょう。非常に稀有な例であるものの、人は無償の愛を体現できる生き物であると」

 

 「彼女の歩んだ歴史に負けたわね、ノーグレイブ・ダッハウ」

 

 「ええ、膝を屈しましょう」

 

 「ざまあみなさい」

 

 「人類を嘲笑う悪霊は、嘲笑うことの叶わぬ人類の高潔さに敗れたのです」

 

 

 秘密の部屋は、ゴーントの墓へ。

 

 サラザール・スリザリン直系の血筋は、こうして、役目を終えたのだ。

 

 最後の一人となった純血の魔女は、たとえ魂だけとなっても貫き通したその愛の果てに、最大の偉業を為したのだから。

 

 

 

 「お見事でした、メローピー・ゴーント様」

 

 そして部屋は閉じられ、彼女の友人であった亡霊は、今もその墓を見守り続ける。

 

 

 「貴女の気高き魂に、時計は敬意を表しましょう」

 

 時計塔の悪霊は、深く深く頭を下げ、彼女の墓へお辞儀をしたのだった。

 

 




次回、秘密の部屋編エピローグになります。


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幕引き ドクズゴースト二人組

 

 「フローリシュ・アンド・ブロッツ書店か。一つが終わればまた次の新入生、ほんとにこの城は休むことないわ」

 

 「それが巡る季節というものでしょう。時計が常に回るように、新年度のやってこないホグワーツなどありませんので」

 

 賑やかでありながらも、穏やかに過ぎた一年が終わり。

 

 悠久の時を超えてなお変わらず在り続ける魔法の城には、また新たな子供達がやってくる。

 

 城に仕えるゴーストたちも、今からその準備に大忙しだ。

 

 

 「あーあ、せっかく去年は面倒くさい事務から開放されたと思ったのに」

 

 「残念でしたねマートルさん。こういう職場の事務員とは、嫁ぎ遅れの醜女が残るのが相場というものですので、諦めましょう」

 

 「喧嘩売ってる?」

 

 「いいえ滅相もありません。私は常に事実をありのままに述べるだけです」

 

 そして、事務室の隣の印刷室に屯するのは、ドクズゴースト二人組。

 

 別にいつも二人でいるわけではなく、最早名前も忘れたゴーストやらも常にひっきりなしに出たり入ったりをしている。

 

 それでも彼ら、特に彼女にとって、今ここにいるのは二人組なのだ。

 

 

 「こちらはお馴染みの新入生の名簿ですね。マリーベル・ポッターとフローラ・エバンズの名前もしっかり載っています」

 

 「フローラは、結局エバンズ姓を使うんだ」

 

 「正式名称には姉も妹も入っていますから、愛称のようなものですか。別に誰かが困るわけでもなし、むしろ貴女の親友でもあるペチュニア女史は喜ぶこと間違いないので、総合的にはプラスでしょう」

 

 「彼女なら絶対にスリザリンに組分けされると思うわよ。ねえメロー、っと」

 

 「おやおや」

 

 「うっさいわね。長年の慣れってもんよ。スリザリンの新入生の子の話題を振る時は、必ずあの子からだったの」

 

 「そういえば、リリーさんに多大なる影響を与えた“執着のゴースト”に、双子の姉妹は興味津々でしたか。実際にホグワーツで逢えるのを楽しみにしていたでしょうが、幻となってしまいましたね」

 

 出会い、そして別れは人の世の常というもの。

 

 それが納得づくの綺麗な終わりであったとしても、別れの後に一抹の寂しさが残ることだけはどうしようもない。

 

 

 「別にいいのよ、あの子の分までアタシが呪いに呪って、羨んで羨んでやればいいんだから」

 

 「おおう、流石は出来る女マートルさんです。そのポジティブさは感服します。もう便所女と呼べなくなったのは残念な限りですが」

 

 「わざわざそこを強調するんじゃないっての」

 

 秘密の部屋は閉じられ、1000年の役割を終えた。

 

 当然、“取り違え”の形で入り口のトイレに縛り付けられてた少女の魂も開放され、殺害者に対する怨念なども既に持ち合わせていないどころか、母子の結末を見届けたのは彼女だ。

 

 そうした意味では、“嫉妬のゴースト”として最早彼女が残留する意味はないと言えるが。

 

 

 「例え取り違えだろうが、リドル先輩に悪意があろうがなかろうが、もう起こっちゃったことはどうしようもないし。アタシが50年間あそこにいた歴史だって消えるものでもないでしょう」

 

 「そうですね。時計は間違いなく貴女の歴史をそのように刻んでおります」

 

 「だったら、それも含めて死後を楽しんじゃえばいいのよ。幸いアタシは両親に再会できたし、弟が立派に生きていく様を知ることも出来た。ペチュニアっていう親友もいるし、リリーとその子達を見守りたいって欲もある。欠けてるものなんて何もないわ」

 

 良き友人であった少女は、為すべきことを見事に成し遂げ、そして成仏していった。

 

 ならばよし。その生き様、いいや、消えざまを寿ぎこそすれ、遺された我が身を悲観することなどありえない。

 

 そんな精神性であったならば、そもそも彼女がこの最低教師と腐れ縁を続けていられるはずがないのだ。

 

 

 「そこを堂々と言い切るのが、マートル・ウォーレンの強みだと思いますよ。貴女ほど開き直って悪霊人生を楽しんでいる者はそうはいない」

 

 「それをアンタに言われるのだけはどうにも釈然としないんだけど」

 

 「私は嘲笑っているだけです。別段楽しんでいるわけではありませんよ」

 

 「それ、来年度の授業で生徒に言ってご覧なさい、例によって殺意の視線が集中するでしょうから」

 

 「そして積もり積もってアリアナちゃんのご飯になると、いえいえ、何とも素晴らしい循環機構です。まるでくみ取り式の便所のようではありませんか」

 

 「ねえアンタ、何かアタシに言うことない? “ご”で始まって“い”で終わるの」

 

 「“ゴリラは優しい”、でしょうか。確かにマートルさんはメスゴリラのごとく気高く優しい女性かと」

 

 「よし分かった。殺すわ」

 

 この悪霊、どこまでも便所を煽っていくスタイルは変えないらしい。

 

 そう、変わりはしないのだ。別れをきっかけに変わっていくものも多いだろうが、変わらぬものも色々ある。

 

 

 「アリアナちゃんと言えば、近々彼女は校長先生と共にアズカバンへお出かけします。我々に直接何かあるわけではありませんが、留守を任されるとは思いますので、一応留意しておいてください」

 

 「アズカバンへ? それまたどうしてそんなところに」

 

 今や孫呆け老人が板についてきたアルバス・ダンブルドア校長の傾向からすれば、アリアナちゃんを吸魂鬼の管理する魔法使いの監獄へ伴うとは考えにくい。

 

 そりゃあ、実体を切り替えられるという点では悪霊教師と共に類似性は見られるが、幸福を吸う吸魂鬼と、不幸を癒やす亡霊少女は、対極と言っていい存在だ。

 

 

 「何でもメローピー様からの遺言であり、同時に最後の助言でもあるとか。彼女は最後の継承者としてあの部屋に残るサラザール・スリザリンの魂の欠片に触れたはずですから、何か着想を得たのやもしれません」

 

 魂に関しては未だに扱いが非常に難しい分野であるが、少なくとも、ロウェナ・レイブンクローやサラザール・スリザリンがその扱いに長けた第一人者であったのは間違いない。

 

 己の魂の一部を、分霊箱ともまた違う形で部屋に遺したサラザールならば、吸魂鬼のような存在への関わり方、対処法についても何かしらの知識があってもおかしくない。

 

 そして、ロウェナ・レイブンクローの娘を“ヘレナ様”と呼ぶように、サラザール・スリザリンの最後の継承者であることを証明し、偉業を成したメローピー・ゴーントも、悪霊基準では“メローピー様”となるらしい。

 

 もとより、創始者の権威に対しては諂う部分のあった時計塔の悪霊だが、これもまた一つの変化と言えるのかも知れない。

 

 

 「そもそも、バジリスクの呪視は幽体をも殺す究極的な殺害手段の一つ。あの眼ならば、吸魂鬼をも殺せても不思議ではありません」

 

 「うーん、それはそうかもしれないけど、ダンブルドア校長先生が行くんだから、そういうことじゃないわよね」

 

 「でしょうね、そちらについては結果待ちといったところです。あくまでそれはメローピー様から校長先生とアリアナちゃんへの遺言、あるいはお願いであり、私が関与すべきものでもありません」

 

 「ところで、アンタがメローピーに様付けなのは未だに違和感あるんだけど」

 

 「慣れましょう。人間は慣れる生き物です。ゴーストとて所詮は死者の妄念、言わば人間という生き物の死骸か排泄物のようなものです」

 

 「アンタのそういうところにはもう慣れたわ。ええ、嫌ってほどに」

 

 まさにああ言えばこう言うを地で行く悪霊である。

 

 例え三人衆から二人組に戻ったところで、その舌鋒が緩むこともまたないようだ。

 

 

 「さて、こちらの事務作業もさっさと終わらせてしまいましょう。この便箋は新入生への教科書リスト―――おや?」

 

 恐らく城のフクロウが持ち帰ってきたであろう封筒は、紫の色に変わっている。

 

 これは、預り人不在でフクロウたちが城に持ち帰って来た際の変化だ。

 

 

 「どうしたの」

 

 「リトル・ハングルトン、村はずれの森、古びた魔法使いの小屋、メローピー・ゴーント様」

 

 「メローピー宛ての封筒?」

 

 「恐らく、彼女が秘密の部屋に去る前に手配を済ませたものでしょう。そう言えばあの時期、アリアナちゃんと共にずっと印刷室や事務室にいることが多かったですから」

 

 我が子へ多くの言葉を贈る傍ら、事務員として長く務めた場所へも、何らかの言葉を残したのか。

 

 

 「なんともまた、律儀なことじゃないあの子ったら」

 

 「穢れた血のマートルさんとはやはり血筋の尊さが違うのでしょうね、これが血に宿る高潔さというものでしょうか」

 

 そして、隙あらばマートルさんをディスっていくスタイル。こんなやり取りも、今となっては懐かしくも感じる。

 

 

『ダッハウ先生へ、色々と教えてくださりありがとうございました。

 わたくしはホグワーツへは生徒として通えませんでしたが、

 それでも楽しい学校で先生たちと学ぶことが出来たと思います。

 

 セブ君らが卒業していったように、わたくしも卒業です。

 あの子に誇れるよう、立派な母親になれるよう頑張りますから。

 無二の親友、マートルさんのことを、どうかよろしく』

 

 

 簡潔に、それでいて丁寧に。

 

 穏やかに諭すような優しさがありながらも、少女らしい純粋さを併せ持った、去り際の彼女を象徴するように。

 

 小さなメッセージカードは、とても綺麗に封筒に収められていた。

 

 

 

 「これはこれは、何ともまた、教師冥利に尽きることです」

 

 「良かったじゃないの、初めてアンタの授業をまともに評価してくれる生徒がいて、無事に卒業したんだから」

 

 

 ここにありきは、ドクズゴースト二人組。

 

 本懐遂げた仲間を見送り、我らも負けたままではいられない。

 

 

 さあて、次はどんな物語を覗きましょうか。

 

 




長きに渡りお付き合いいただき、ありがとうございました。

ドクズ悪霊たちの物語、すなわち前半のマートル・ウォーレン、後半のメローピー・ゴーントを主軸とした話としては、ここにて終了となります。

最後に、ついぞ物語に関わることなく傍観者に徹した時計塔の悪霊、全ての始まりと謎に包まれていたその起源についてエピローグ編という形で綴る予定です。

6話くらいになると思いますが、裏設定てきな側面もありますので、本筋はあくまでここにて完結ということで。


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ダッハウに墓はなく
1話 悪霊の監獄


悪霊の授業はもうないと言ったな、アレは嘘だ。

とばかりに、ダッハウ節がいきなり炸裂します。おかしいな…


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【吸魂鬼】

 

 魔法世界に幻想の生き物は数多くいるが、吸魂鬼ほど忌まわしき存在はないだろう。

 そも、吸魂鬼を生物として定義することは妥当ではあるまい。

 死霊、悪霊の類であり、本来ならば幽冥の境にありて生者に干渉できる存在ではない。

 

 にもかかわらず、吸魂鬼たちは現世に干渉する術を持つ、そしてまた、アレラが何処から来たのか誰も知らない。

 一説には、魔女モルガナが生み出したとも、後にアズカバンが作られる孤島で研究を行った闇の魔法使い、エクリジスが実験に末に創り出してしまったとも。

 

 古き叡智に伝わる製造方法は、純粋な恐怖だけを寄せ集め、魂を抜いてからっぽとなった人間にそれを詰め込むこと。

 バジリスクなどの魔法生物にも言えることだが、製造法“だけ”ならば忌まわしくはあっても難しくはない。

 レジフォールドなどもある種の近縁種であり、守護霊呪文が撃退に有効である点も共通する。

 

 ならばなぜ、その中でも吸魂鬼は最もヒトにとって忌まわしいとされるのか。

 それはつまり、彼ら吸魂鬼とは“ヒトのなり損ない”、“絶望した人間の成れの果て”、“狂い果てた人間の末路”を表すためだ。

 人がヒトたる証である心を失い、温かき幸福を求めて彷徨い流離うまつろわぬ魂の残骸、それが吸魂鬼。

 

 禁忌を犯し、罪人とされ、魔法族の社会に存在することを許されない者らが監獄アズカバンへと送られる。その地に跋扈し、罪人から幸福を吸い出し続ける吸魂鬼たちは、常に無言で語りかけてくるのだ。

 

 “仲間になろう”、“失敗した者達よ”、“お前も吸魂鬼に”

 

 レジフォールドの襲撃は、人を喰らう捕食行動。

 だが、吸魂鬼の襲撃は、“キス”と称されるように求愛行動である。

 人生に失敗し、没落し、希望も栄光も失い果て、冥府にも行けずに彷徨う亡霊たちからの、絶望への誘い。

 

 『歴代において唯一人、ヘルガ・ハッフルパフのみは彼らを封じる術を持っていたという』

 『彼女自身は、その術をいかなる書物や口伝にも残していない』

 『しかし、ホグワーツの屋敷しもべたちには、一つの噂がある』

 『創始者らは遥かな昔、ホグワーツの地に最も忌まわしき吸魂鬼の親玉を封じたのだと』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「皆さんお久しぶりです。去年よりは淡い期待を持ってはいないようですが、それでもなお希望に縋ってしまうのが愚かなサピエンスの性というものか。繰り返し言いますが歴史に学びなさい子供達。昨年末はスネイプ先生のみならず、闇祓いの方々も含めた集中攻撃を喰らい退場した私ですが、やはりそう簡単には消えはしません。貴方達も無事3年生となったのですから、甘えや希望的観測はそろそろ控えるべきですね。去年も言いましたが、私は不滅ではありませんが、ホグワーツの悪霊筆頭。二度や三度の炎では消えません」

 

 波乱(主にポリジュース騒動と秘密の部屋探索)に満ちた一年が終わり、新たにはいってきた子供たちを迎え入れ、また新たな一年の始まりを告げたホグワーツ。

 

 ハリー、ロン、ハーマイオニーの対悪霊戦線の面子も無事に三年目を迎えたわけだが、例によって例のごとく、三年生になろうが悪霊の授業はド底辺である。というか、コイツを下回る授業というのはどうやれば出来るのか、闇の帝王だって不可能ではなかろうか。

 

 ちなみに、年末の恒例イベントでも悪霊はやはり退場していたが、今回の悪霊の火はセブルス・スネイプ、シリウス・ブラックの二人がかりに加え、ニンファドーラ・トンクス、ジェームズ・ポッターらも火力高める支援に回ったため、通年を遥かに上回る“悪霊殲滅”となった。

 

 流石にあれを喰らったなら、ついに悪霊も滅んだのでは……とまあ、下級生の生徒たちには希望的観測が浮かんだものだが、新年度が始まるたびに淡い希望は昏い絶望に取って代わられる。

 

 何事もなかったかのように、こうしてシレッと悪霊は授業を続け、最初の授業なので四寮全員集合している全員が揃いも揃って“死ねばよかったのに”と顔に書いてあるのも最早ホグワーツの新たな伝統だ。

 

 

 

 「去年の始まりの題材は“不老不死”でしたが、今年はまた別の方向性からヒトの魂の明暗について語っていくといたしましょう。愚かにも貴方たちが抱いてしまった淡い希望と、こうして覆されたときに生じる絶望。その落差こそが吸魂鬼の吸い上げる餌となるものであり、彼らが希望を糧とすると言われる由縁です。というわけで初授業の題材は吸魂鬼と悪霊の監獄アズカバンについて」

 

 ホグワーツの三年生ともなれば、北海に浮かぶ孤島の監獄アズカバンの名を知らぬ者はおるまい。

 

 闇祓いや魔法警察に捕らえられ、ウィゼンガモット法廷で裁かれた罪人の多くは、吸魂鬼が看守を務める悪霊の牢獄に収監されるのが、数百年あまり続いているイギリス魔法界の刑吏システムの在り方である。

 

 長き時代を経たゆえに、そこには当然の歪みや老朽化も見られるが、現在に至るも致命的破綻を起こしていない点を鑑みれば、なかなかに優秀なシステムであったのは事実なのだろう。

 

 

 「まずは吸魂鬼についてですが、めんどくさいので生物学や脅威としての彼らについての説明は省きます。図書館にいくらでも資料があるので、自分で調べるか飼育学のハグリッド先生や防衛術のルーピン先生に聞くなり、興味があるものはそれぞれ勝手に調べなさい。あるいは、あちらに控えて頂いている闇祓いの方々に尋ねるのもよいでしょう」

 

 そして、いきなり説明を放棄して生徒たちの自習に任せる教師のクズ。

 

 話を振られた方向にいるのは、去年からお馴染みとなっているシリウス・ブラックとニンファドーラ・トンクスの闇祓い組。去年の秘密の部屋騒動と死喰い人の迎撃のために駐在していたが、年度末に当然一度は引き上げていった。

 

 ただ今年度は吸魂鬼とアズカバンについて、“ちょっとしたお願い”が不死鳥の騎士団を率いるアルバス・ダンブルドア校長より発令されており、今年の彼らは闇祓いというよりも、不死鳥の騎士団の一員としてこうして呼び出されている。

 

 

 「シリウスに、ニンファドーラさんだ。去年に増して何か難しい顔してるね」

 「ハリー、何か聞いてたか?」

 「ううん、何にも。ただ、母さんはいつも通りだったけど、父さんはガウェインさん達とよく話し込んでたし、休暇中もあまり帰ってくることはなかったよ」

 「うーん、でもうちのパパはそうじゃないんだよな。セドリックのところのエイモスさんも別にそんな感じじゃないし」

 「だとしたら、魔法省関連というより、ダンブルドア先生の依頼で騎士団として何か任務に就いてるのかしら」

 

 彼女の言葉は明確な根拠を基にしたものではなかったが、ある種の“流れ”から察したものであっただろう。

 

 一昨年と去年のホグワーツでの事件、賢者の石と秘密の部屋を狙った襲撃の失敗により、死喰い人はその実戦戦力を大きく失った上、首魁は半ば消えたも同然となっている。

 

 このまま自然と空中分解してくれればそれに越したことはないが、歴史を紐解いてもああいう“過激派”の組織がそのまま終わるということはまずない。

 

 そして、闇祓いなどの治安維持側にしても、将来の禍根を残すという選択肢は得策ではない。敵が弱ったならば、畳み掛けて一気に滅ぼすのが内戦におけるセオリーというもの。

 

 様々な変遷を経て、内戦から“テロとの戦い”となっていた魔法戦争は、ついに静かな最終局面を迎えようとしている。

 

 ならばこそ、そうした情勢の変化を反映してか、とある存在への“予防的措置”がホグワーツの生徒への急務となっており、そのために不死鳥の騎士団は新学期の初めに集ってきていた。

 

 

 「それはあるかも。でも、そういう時ってダッハウ先生にも撹乱用っていうか、ええと」

 「言わなくてもいいぜハリー。あの野郎の趣味に合わせた“実益の伴う意図的な混乱”だろう」

 「死喰い人関連の何かが起きる際の、前触れのような“ダッハウ節”の大騒動ね。特に今は、新学期が始まったばかりでもあるから不安だわ」

 

 例年の話だが、悪霊の授業の第一回か、あるいは第二回は特に酷い傾向がある。

 

 グリフィンドールの才媛たるグレンジャー将軍ことハーマイオニーを中心とする対悪霊戦線の生徒たちについては言わずもがな、属していない生徒たちにしても、このクソ教師は絶対に“何か”やらかしてくると授業が始まって以来誰もが警戒していたのは事実だ。

 

 一年目はスクリュート登場で物理的に被害が出て、二年目は禁断の果実問題などで精神的に抉ってきた悪霊の授業。

 

 ならば三年目は―――

 

 

 「では論より証拠、百聞は一見にしかずというものですので、サクッと“ご本人”を紹介してしまいましょう。我が手足たる処刑器具の方々、本日の特別講師をこれに」

 

 「うっわ……」

 「寒い……」

 「嘘でしょう……」

 

 途端に大教室の気温が低下する。ただの体感ではなく実際に周囲の環境に影響を与える形で。

 

 大声で悲鳴を上げる生徒はいない。これは、そういう類の性質ではない。

 

 静かに、這い寄るように恐ろしく、悍ましく。だが、誰もがそれを無視はできない恐怖の具現。

 

 

 「あれが、吸魂鬼…」

 

 吸魂鬼を直視しながら、特に大きな傷みや傷痕の疼きなどは感じることもなく、隣の親友たちと同じように吸魂鬼に畏怖と嫌悪を感じているのはハリー・ポッター。

 

 知る者が見れば、何を思うだろうか。ホグワーツにて三年目を迎えるハリー・ポッターが、吸魂鬼を見ながら普通の生徒と同じくしている光景に。

 

 ただし、それを知るものはここにはいない。知るのはヒトであったことがない悪霊だけである。

 

 

 「さ、寒いな。大丈夫かハリー」

 「うん、僕は平気だよ。ハーマイオニーは?」

 「私も何とか。ほら、シリウスとニンファドーラが守護霊を飛ばしてくれてるわ。さっきよりはマシになったみたい」

 

 生徒たちが様々に思い描き、心のなかで備えていた衝撃を、真逆の方向にずらしてくるのが、悪霊教師のやり方。

 

 教室に入ってきたのは動く電気椅子であり、そこにくくりつけられているは、まごうことなき吸魂鬼。

 

 魔法使いの監獄たるアズカバンの看守が、マグルの処刑器具に縛り付けられている姿など、ある種滑稽さすら伴うが何とも悪質極まる類のジョークだろう。

 

 

 「解説を続けますが、これが吸魂鬼です。アズカバンにて魂を吸われ続け、希望を完全に失い死した人間が変異するもの。ヒトから幸福を吸い、吸われ尽くした者はまた吸魂鬼となり餌を求めて徘徊する。ねずみ算式の増え方は吸血鬼にも通じるものがありますが、増殖力はさほど高くもありません。もし吸魂鬼の増殖力が高ければ、魔法族が死滅して悪霊の楽園が現出しているか、あるいは脅威をみなされて吸魂鬼が残らず駆逐されているか、二つに一つです。これは、エボラ出血熱のような伝染病にも似たことは言えます」

 

 マグルの政府における感染症の分類は様々だが、感染力や重篤性などにより危険性の高い順に分けられることが多い。

 

 エボラ出血熱、疱瘡、ペスト、結核、コレラ、赤痢、マラリア、A型肺炎、エイズなどなど。

 

 他にも数え切れぬほどのウィルス、感染症は大小存在するが、細菌やウィルスが“宿主”としてヒトに寄生し増殖するという性質を持つ以上、【ヒトに絶滅して貰っては彼らも困る】という絶対原則からは逃れられない。

 

 ミクロの世界における細菌やウィルスと免疫系の戦いは、マクロ世界での食物連鎖と似た部分を持つことが多い。肉食動物が草食動物を食い尽くしてしまえば捕食側も飢え死ぬように、ウィルスが人間と同じような思考や心を持っているかは別として、ヒトに滅んでしまっては困るのは確かだ。

 

 また、1万年前の狩猟技術を発達させた石器時代のサピエンスによってマンモスやナウマンゾウが滅び、その後もヨーロッパライオンなども絶滅しているが、絶滅させたことで毛皮や肉が取れなくなり、狩猟採集生活を続ける上で痛手になったのは人類の側である。

 

 

 「人間は自分達で戦争を初めて同士討ちの末に全滅することすらある愚かな生き物ですが、ある種人間の排泄物から生まれたような吸魂鬼は、発生源よりは賢いらしい。吸魂鬼のキスなどによってヒトを捕食し、殖えることもありますが、基本的には無気力にさせた状態で取り憑くように周囲に留まり、数年以上というかなり長い時間をかけて幸福の記憶を吸い上げていく方法をとります」

 

 ヒトを捕食することのある魔法生物においてもその原則は多くに当てはまり、吸魂鬼もまたそこから大きく外れている訳ではない。

 

 感染症の基となるウィルスにおいても、強力な殺傷力ならばエボラ出血熱が群を抜くが、感染力は案外と弱い。というより、宿主があっさりと死んでしまうため、キャリアのまま長距離を移動できず、さっさと健康な人間たちに集落ごと隔離されるか、集落ごと全滅してしまう。

 

 逆に、インフルエンザやコロナなど、毒性が弱くなるに従って感染力が高まる傾向が強い。これは必ずしもウィルス自身の空気感染力によって決まるものではなく、宿主の体力や移動手段、社会形態などとも密接に関連する。別の見方をすれば、蜂の巣などに対する寄生といった【社会寄生】の一種とも言えるだろう。

 

 同様に、吸魂鬼という存在もただの捕食者と獲物といった関係ではくくれない。魔法族の家族構成や生き方、社会形態とも密接に結びつく生き物であり、この生き物と死者の中間のような存在を駆逐するか、根絶するか、あるいは共存するのか。

 

 

 「この吸魂鬼という存在とどのように付き合っていくか、マグルならば一も二もなく根絶で決定ですが、魔法族は共存の種族です。答えは常にひとつではなく、距離を置く共存もあれば、共依存に近い共生もある」

 

 ヒトだけで社会を構築するマグルと異なり、魔法族は多種族社会である。

 

 そうした観点から言えば、監獄の看守を吸魂鬼という存在に任せること自体は、特異なことでもないのだ。

 

 

 「鉱山業と金融業をゴブリンに委ねるように、水産業と海運をマーピープルに委ねるように、農業や家内産業を屋敷しもべに委ねるように、ヒトの社会を存続させる上で絶対になくなることがない“犯罪者と監獄”という部分を吸魂鬼に委ねた。これについては歴史上異論も多々あり、北アメリカのマクーザのような“マグルに近しい”魔法界では採用していない場所も多い」

 

 この点については、世界中の魔法界で地域ごとの違いがモロに現れる。

 

 イギリス魔法界とて、全てを吸魂鬼に委ねきっているわけではなく、ウィゼンガモットのような法廷には基本魔法族のみであり、マグルからの隠匿と交渉が絶対条件となるので闇祓いや魔法警察もまた魔法族のみで固められている。

 

 法曹部門の中で、吸魂鬼に任せているのはアズカバンという囚人の拘束と“刑罰の執行”に関してだけだが、少なくともマグルならば【法の執行と運用】は人間のみで行うべきと断ずるだろうし、似たような思想を持つ魔法界も様々にある。

 

 それぞれに利点と欠点があり、一つの制度を続けることにも弊害というものはあるのだから、数百年前にアズカバンで吸魂鬼を用いることを選んだことを責めるのはお門違いというものだろう。ただ、産業革命などのその後の時代の変遷にアズカバンという制度が適しているかはまた別問題だが。

 

 

 「つまるところ、イギリス魔法族と吸魂鬼の関係性は、妥協を兼ねた“社会寄生”と言ったところです。ノクターン横丁にてスクイブの人捨場とも関わってきた狼人間や鬼婆などにも言えますが、彼らは一種のカースト外の“不可触賤民”として機能してきた」

 

 仮に、吸魂鬼を異形の魔法生物としてではなく、“ボロ衣を纏った不可触賤民”として見るならば、近代以前のマグルの国々で当たり前にあった光景そのものである。

 

 戦乱の多い時代から、ある程度都市などが整備された近世などになるにつれ、一般階層と言える者達は穢れや死に触れる仕事を忌避する観念が高まり始める。

 

 

 「非人や不可触民などの階級外カーストとは古今東西において、囚人の世話・死刑囚の処刑・罪人宅の破却・死者の埋葬・死牛馬の解体処理などを担うことが多い。無論、埋葬の習慣や死生観によって様々に差異は出てきますが、そこについてはまた墓というものと絡めて詳しく語りましょう」

 

 都市化とは分業化が進むことと同義であるからこそ、そうした仕事を任せるための“人であって人ではない”者達は常に必要悪として存在し、スラム街や賤民町など様々な化外の民の棲家を作ってきた。

 

 ユダヤ人やジプシー、ロマらと同化することの多かったスクイブ達とてそこと無縁ではないのだから、吸魂鬼が居てくれたことで助かった者達もかならずいるのだ。

 

 

 「吸魂鬼が居てくれたことによって、一番安堵したのは中世のスクイブ達でしょう。マグルに合流した者らも多くいましたが、全てがそうなれるわけでもなく、純血名家同士の争いが陰にこもるものである以上、スクイブ達の生業は必然として穢れを伴うものを押し付けられることになる」

 

 時代が進み、ヴァイキングとの戦いを誰もが経験した戦乱期から、マグルと魔法族が領域を住み分ける安定期に移行すれば、当然次の問題というものは出てくる。

 

 人の歴史において、罪を犯す人間がいなくなったことなどない。ヴァイキングのような外側の脅威があるからこそ表面化しなかった内輪もめなどは必ずある。

 

 マグルの物語においても、大魔王の没後にこそ、勇者たちの内輪もめと没落が始まるのが常である。ならば、幻想生物たちと共存する魔法界として同じことが言える。

 

 

 「当時のスクイブの仕事とは、囚人の世話・死刑囚の処刑・罪人宅の破却・死者の埋葬などです。このホグワーツにも、私以前において城の管理はスクイブの者らを起用して行わせるという慣習がありました。ただしこれもまた、簡単に差別と割り切れるものでもありませんので、悪しき慣例とも言い難い」

 

 魔法省もウィゼンガモットもホグワーツから分化していったようなものだから、古き城には当然裁判機構や地下牢などが存在していた。主に担ったのはスリザリンであり、其れは現在の魔法省やウィゼンガモットにおいても割合は変化していない。

 

 同時に、全ての者を受け入れるのはヘルガ・ハッフルパフの理念でもある。サラザール・スリザリンの考え方だけならば、今のマクーザがそうであるように、純血の魔法族以外に牢獄の管理や処刑を任せることはありえなかっただろう。

 

 スクイブを魔法の城に招くことを、融和と見るか、不可触賤民カーストを作って汚れ仕事を押し付けたと見るかは、非常に難しく答えの出ない境界線問題だ。そも、ハッフルパフからして、ヴァイキング時代におけるまつろわぬ民達の避難所、修道院や難民キャンプ的な要素を母体としているのだから。

 

 外に向かって敵を倒すグリフィンドールからすると、“あまり関係ない”と言える課題だ。良くも悪くも、グリフィンドールは内政には向いていない。例えスクイブであろうとも、敵と戦う勇気と度胸があるなら剣を持って共に戦え戦友よ、という実に単純な理屈で動く。

 

 結局の所、そういうときに客観性を持って妥協案を示すのは叡智の塔たるレイブンクローの領分だ。こちらも“他人事”の要素があるからこそそのようにあれる。後にハッフルパフに劣等生が多いと言われるようになったのも、最も多くのスクイブを共同体内部に迎え入れ、抱え込んだためでもある。

 

 

 「だからこそ、アズカバンの看守として吸魂鬼を利用することもまた、融和と見るか差別見るかは実に難しい。まあ、時が経つにつれて当初の理念を忘れ、差別の要素がだけが残っていくのがサピエンスのお家芸というものなので、“現在のアズカバン”にあるのが差別と偏見と組織の硬直化であるのは間違いありません。これは純血名家の堕落に伴うウィゼンガモットや魔法省の腐敗と連動する現象です」

 

 そして、例によって人の歴史を嘲笑していくスタイル。

 

 歴史的な事象、物事の始まりについては必ずしも悪と言えるものではないと解説することの多い悪霊だが、栄光ある初代達の後の組織の腐敗や子孫の体たらくについては、とことんまでに嘲り嗤うだけしかしない。

 

 

 「ちなみに、吸魂鬼の厄介な特性も含めて“社会寄生”を数段悪くしたものが私です。つまり、時計塔の悪霊を撃退する術を学んだならば、吸魂鬼程度ではビクともしなくなることは間違いありません。吸魂鬼は遍在しませんし、黒歴史を暴露もしないし、強力な悪霊の火などをぶつければ消し去ることも出来ます。まして彼らは、マスメディアを利用もしなければ、子供を盾に権力者を動かすことも、スクリュートやアクロマンチュラを動員したりもしませんので」

 

 ちょっと待て、普通逆だろう。

 

 何で学び舎のホグワーツに“社会寄生”の親玉が堂々といて、辺境の監獄のアズカバンの看守が小物なんだ。あまつさえ教師をやっているというこの状況、ゲシュタルト崩壊という言葉が生ぬるくすら感じる混沌だ。

 

 しかしまあ、最悪の社会寄生の実例が目の前にいるのである。業腹だが生徒たちへの反面教師としてはこれ以上はないのも事実だったりする。

 

 

 「さて、さらに詳しく語っていきたいのは山々ですが、闇祓いの方々の体力も残念ながら有限ですし本日の講義はここまでとします。次回の授業では“監獄と極刑”についてのマグルとの比較論を、その後は“魔法界の刑罰と磔と服従”について紹介していきます。それでは本日の課題を」

 

 

アズカバン成立以前から成立時にかけて吸魂鬼起用によって変化したイギリス魔法族の“囚人への対処役”について

 

1.スクイブから見た立ち位置と役割

2.マグル生まれから見た立ち位置と役割

3.屋敷しもべから見た立ち位置と役割

4.吸魂鬼から見た立ち位置と役割

 

それぞれ述べよ

 

 

 「次の授業以降で詳しく語りますが、近代以前においてはマグルの刑罰もかなり我々に近く、産業革命以前には類似性は多く見られた。今のマグル生まれにとって見ればアズカバンは時代錯誤の遺物にしか見えないでしょうが、果たして中世や近世のマグルから見ればどうなのかも実に興味深い。その辺りをよく考えてレポートを書くがよいでしょう、私が何を好み、どう評価するかの傾向もそろそろ掴めて来たでしょうから」

 

 だからコイツは嫌われる。

 

 考えたくないこと、見たくない人間の醜さ、歴史の闇に葬られた愚行と暗部の数々。

 

 自分の業を抉り出すように、それを直視して客観的にまとめたレポートを最も評価し、人間の善性を信じて理想を唱えるレポートを嘲笑う。

 

 例え、メローピー・ゴーントという女性の成した偉業を最大限に評価し、敬服しようとも、それはそれ、これはこれ。

 

 ノーグレイブ・ダッハウは、ヒトの愚行を嘲笑う黒歴史の影である。

 

 

 それは絶対に変わらない。幾百年、幾千年が経とうとも。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「まーたやらかしたわねドクズ、今まで散々やってきた中でも今回は極めつけなんじゃない?」

 

 「必要と言われたのでおこなったまでですよ。近いうちにアズカバンで大騒動があることはほぼ間違いありませんので、予行演習も兼ねてというところでしょうか」

 

 歴代でもトップレベルの衝撃的な授業が終わり、悪霊コンビはいつもの如く印刷室にてたむろしている。

 

 三人衆でなくなろうとも、培われた習慣はそのまま引き継がれている模様である。

 

 

 「とすると、例のアレ? クラウチ親子の和解かしら」

 

 「そうなります。この二年間においては最も“ヴォルデモート卿”に肉体を貸すことが多かった彼が魔法省とある種の和解を果たし、イギリスを去ったことは大きな変化をもたらす。それでも死喰い人に残る武闘派といえば、ロジエール、ドロホフ、レストレンジらの筋金入りの“闇の魔法使い”だけとなる」

 

 メローピー・ゴーントの残した母の祈りは、ヴォルデモートに接触していた死喰い人幹部らにもそれぞれに影響を与えていた。

 

 中でも、父と同じ名前を持ち、死にかけている母を持ち、トム・リドルという存在に強く共感していた狂信者、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは特にそれが強い。

 

 彼の中にも様々な思いや葛藤はあったろうが、最後は父親への憎しみよりも、母親への感謝と和解を選んだ。

 

 

 「でも、あいつはアズカバンへ行ったわけじゃないのよね確か」

 

 「司法取引やら何やら、紆余曲折はありましたが、イギリス魔法界からすれば“国外追放”、東南アジア諸国からすれば“名門亡命貴族”といったところですね。例の民衆に人気のあった海賊団にしてもそうですが、こちらの敵が向こうの味方となることなど人類史における日常茶飯事ですので。ナチスドイツの残党がパレスチナでは同胞として迎えられるのと理屈は同じです」

 

 イギリスの魔法族らからすればバーテミウス・クラウチ・ジュニアらは戦争犯罪人であり、後の10年間のテロリズム時代において殺された国際魔法使い連盟の重鎮らにしてもそうだろう。

 

 しかし、それらの組織ごとに政敵というものはあり、その手段がテロや暗殺というものであったとしても、実益を得た現地の有力者や庶民がいることもまた事実。

 

 

 「そもそもにおいて、“国際秩序”などというものは現状での有力国家にとって都合が良いだけの詭弁に過ぎない。そこに属して甘い蜜だけを吸っている“先進国の衆愚”からすれば、“国際秩序に背く世界の敵”でしょうが、現状の秩序では割りを食うだけの途上国や貧困国にとっては頼りになる同盟者なのですから」

 

 かくして、国際テロ組織というものはなくならない。

 

 マグル側の国際連合、魔法族の国際魔法使い連盟などが“真に万民にとって有益な機構”であるならば、テロリストや海賊の居場所などありはしない。

 

 実際、古代の地中海世界という領域においては、パクス・ロマーナが最も機能した時代に海賊もテロリストも完全に駆逐された。ポンペイウス・マーニュスという英雄がそれを成し、ユリウス・カエサル、アウグストゥスらが作り上げた秩序は300年間地中海を“我らが海”と成した。

 

 しかし、ただの現実として冷戦以来、国際連合200あまりのうち、1/4程度の国々は常に慢性的な紛争を抱えている。表側であり、現実側と言えるマグル世界がそのざまなのだから、魔法世界側だけが世界平和が達成されているはずもない。

 

 

 「残る死喰い人の掃討については、最早ホグワーツが大きく関わるものでもないでしょう。しかし、不死鳥の騎士団の人員にとっては最後の決戦となるのは間違いありません。舞台がアズカバンとなるならば、念の為にも今の生徒たちに“耐性”をつけさせておくのは悪いことではない」

 

 「なーるほどねえ、それで休暇中からダンブルドア先生が何度かアズカバンに出向いていたと。でも、アリアナちゃんもいたとなると、それだけじゃないわよね」

 

 「そこはお察しの通りです。毎度のことですが、私がこうして動く時とは、校長先生とアリアナちゃんの関わる“私情”でもある。無論、不死鳥の騎士団の公益に沿った形とはなりますが」

 

 そして、語ることはなくとも、察することはある。

 

 この悪霊が動くということは、それはすなわち、メローピー・ゴーントの“遺言”に関係することでもあるのだろうと。

 

 長い付き合いだ、そこについてマートル・ウォーレンが読み違えることなどあり得ない。

 

 

 

 「いずれにせよ、そう長いことではありません。秘密の部屋の時のようにゆっくりと平穏に続く日々ではなく、緊張の孕む時期を経て、燃え上がって後は灰だけが残る。そういったものになるでしょう」

 

 「となると、来てるのはシリウスの馬鹿とニンファドーラだけじゃないわね」

 

 「ええ、吸魂鬼を用いた魔法史授業はこの時期に集中講義で行います。ハロウィンまでには決着がつくでしょうが、一年生から七年生まで、それぞれ吸魂鬼の抑え役と生徒たちへの教導役を兼ねて特別講師がつく形です。担当者は以下の通りで、全員騎士団所属となります」

 

 

1年生  リーマス・ルーピン、リリー・エバンズ   

     吸魂鬼は檻の中

 

2年生  フランク・ロングボトム、アリス・ロングボトム

     生徒との距離はだいぶ離れている

 

3年生  シリウス・ブラック、ニンファドーラ・トンクス

     電気椅子に縛られてはいるが至近距離

 

4年生  ジェームズ・ポッター、ガヴェイン・ロバーズ

     吸魂鬼は拘束されていない

 

5年生  ミネルバ・マクゴナガル、キングスリー・シャックルボルト

     実践的守護霊訓練

 

6年生  シグナス・ブラック、セブルス・スネイプ

     地下牢の授業、生徒たちは吸魂鬼のいる牢屋から脱出を試みる

 

7年生  アラスター・ムーディ

     仕上げ 闇の魔法使い役のムーディが吸魂鬼を使役して襲ってくる

 

 

 

 「これは酷いわ。特に6年生と7年生」

 

 「悪夢の授業内容が下級生にも伝わるのは時間の問題でしょうが、今年の7年生は運が悪かったと言えます。特に首席であるパーシー・ウィーズリーなど、アラスター・ムーディと吸魂鬼に真正面から生徒を率いて戦わねばならない」

 

 なお、これらの内容と並行しながら、あくまで「魔法史」の授業は進められる。吸魂鬼と生徒の戦いを横目に牢屋についての諸々や、魔法戦争について解説し、レポート課題も普通に出されるわけだ。このドクズ。

 

 こんな魔法史があってたまるかと生徒は叫びたいだろうが、このホグワーツでそれを言うのはまさに今更というものである。

 

 

 「去年の死喰い人騒動のほうがまだ難度が低いと思うのはアタシだけかしら?」

 

 「客観的に見る限りでは、私も同意しますよ。何しろあのマッド=アイですから、生徒相手でも容赦などするはずがない」

 

 

 そんなこんなで、誰もが予想しない形でアズカバンの看守が招かれることとなったホグワーツ。

 

 例え短い間であったとしても、壮絶な日々となることだけは間違いないだろう。

 

 悪霊は嘲笑いながら、その日々をただ記録していく。

 

 果たして、悪霊の監獄と言えるのはアズカバンなのか。それとも、ホグワーツか。

 

 そして、誰にとってどこが監獄であり、監獄よりもなおも忌まわしい“名前を言うのも憚られる場所”とは何か。

 

 

 

 「貴女が私を封じた時を思い出しますヘルガ様。ゴドリック様に破壊される寸前であった時計塔を守ってくださった恩義に対しては、応えなければならないでしょう。サラザール様の部屋も閉じられたことで、晴れて吸魂鬼を城へ招くこともできるようになりました。ええ確かに、彼らを統括するならば、ダッハウを上手く利用せよ。そこについては、ロウェナ様のおっしゃる通りに」

 

 

 




プロット的には6話くらいだったのですが、少し伸びそうな気配です(謝罪)。

起承転結な形で閉じることについては、秘密の部屋編でできたので、少し蛇足気味になるかもしれませんが、エピローグ編で書きたいことは書いちゃおうと思いまして。

というわけで、悪霊の授業復活。ハロウィンあたりまでになりますが、監獄、極刑、老い、不死、亡霊あたりをキーワードに、時計塔の悪霊の本質に関わるテーマが幾つか語られると思います。

キーワードから、悪霊の正体を察する連想ゲームめいた魔法使いの遊びでしょうか。


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2話 ゴーントの遺言

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【アズカバン】

 

 北海に浮かぶ孤島に、魔法族の監獄が存在する。

 牢獄と言われて最初に頭に浮かぶ名と言えば、サラザール・スリザリンであろう。

 地下牢は彼の代名詞でもあり、服従の鎖も磔の杭も牢屋や処刑という概念に通じるものがある。

 

 だからといってそれは、無法者を象徴するものでは断じていない。

 むしろ、魔法族の法を破る闇の魔法使いを捕らえ、罰するためにこそ、スリザリンの鎖はある。

 

 牢獄の刑吏という存在が、常に穢れた忌まわしきイメージがつきまとうように。

 社会というものを成立させるうえで欠かせぬ存在である法と刑罰の主要部分を担いながら、牢獄とは常に最も闇に近くあった。

 

 だが、牢獄なきまま秩序を維持できる社会というものはあり得るだろうか。

 小さな村落、点在する遊牧民族などならばそれも可能であろうが。

 

 どれだけ小規模であろうとも、ダイアゴン横丁という“都市部”を持ち、法と政庁を持つに至った組織ならば、牢獄というものと無縁ではありえない。

 

 ならば後は、牢獄とどう付き合っていくかであろう。

 誰しも、牢獄に入りたいとは思わない。刑吏となることを将来の夢とする者は稀少極まる。

 

 それでもなお、誰かが引き受けぬ限り、社会というものが回らぬとするならば――

 

 『かくして、魔法使いの牢獄は吸魂鬼の手に委ねられた』

 『それを定めた者達の心にあったものが、合理性か死の穢れへの畏れか』

 『時の流れはそれらを飲み込み、アズカバンは今もなお在り続けている』

 『冷たく昏い北の海で、罪人たちの魂を待ち受けながら』

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「皆さんおはようございます。前回に引き続き吸魂鬼とアズカバンについて語っていきますが、今回はその中でも刑罰の在り方とその歴史的変遷について主に見ていくこととします。牢獄、監獄という存在を語る上で、刑罰というものは根幹となるものですのでしっかりと学びましょう」

 

 水面下で静かに物事が動きつつも、表向きは例年通りに授業の進むホグワーツの9月。

 

 今年入ったばかりの新入生はまだ動く階段や複雑な城の構造にてんやわんやの時期であり、どうしても遅刻して減点されてしまう者らも少なくない。

 

 もっとも、この悪霊が加点減点に関わって以来、寮対抗杯というものの価値は随分と変わってしまったのだが。

 

 

 「まずは例によってマグル社会との比較から初めましょう。大まかに分ければ農業文明以前、農業文明以後、そして産業革命以後の三段階で大きく刑罰という概念は変化しており、一般的には五種類ほどに分類されます。すなわち、死刑、身体刑、財産刑、自由刑、名誉刑。これらのバランスと軽重は時代や文化によって多種多様に変化し、これらの他に“追放刑”というものも存在しますがこれは少々特殊な立ち位置にあります」

 

 死刑とは、言わずと知れた極刑であり、死を持って罰と為すもの。人類が最も早く導入した罰であり、過去においても現在においても、そして恐らく未来においても、究極の刑罰という立ち位置が揺らぐことはないだろう。

 

 身体刑とは、身体に損傷または苦痛を与える刑罰を指す。肉刑とも呼ばれ、前近代における刑罰は基本的にすべて死刑か身体刑であった。

 

 文化圏によって具体的内容は異なるが、「四肢の切断」「去勢(宮刑)」などの身体機能を損なうもの、「鼻そぎ」「入れ墨」など犯罪者であることがわかるような目印を残すもの、「鞭打ち」「杖刑」など肉体的な苦痛を与えるもの、などの系統に分かれる。

 

 ただし、鼻そぎや入れ墨は後述する名誉刑と重なる部分があるため、その境界線を定めることは難しい。

 

 財産刑とは、受刑者の財産を剥奪することで経済的自由を削減するもの。財産刑を下されたが支払えない場合には、労役場留置がなされるが、これは罰金・科料分を日数換算して行われる懲役に類似した処遇であり、労役と通称される。

 

 自由刑とは、受刑者の身体を拘束することで自由を奪うもの。近代以後では最もポピュラーな刑罰となり、自由を奪うという特性上、隔離するための施設、牢獄や監獄を必ず必要とするのが特徴である。

 

 名誉刑とは、犯罪者からその名誉に関わる権利や社会的地位を永久または一時的に奪うことにより、犯罪者に苦痛を与える刑罰を指す。

 

 人類が社会性を確立する上で名誉は非常に重要とされるようになり、中世騎士の不名誉印や、切腹は武士の名誉だが斬首は罪人への扱いといったように、刑罰の軽重に大きな影響を持つことになる。

 

 

 「先に監獄や牢獄との関連性を述べておくと、これら五種類の刑罰の中で必ず牢屋を必要とするのは自由刑のみです。裁判の前に被告人を置く場所として留置所や拘置所と呼ばれる施設もありますが、罪人は裁判官が刑を決める以前に、闇祓いや魔法警察などが“捕まえなければならない”という大前提があります」

 

 その前提がある以上、“罪人を囚えておくための施設”は、刑罰以前の問題として必要なのだ。捕まえた罪人に執行前に逃げられてはそもそも刑罰は成り立たない。

 

 狩猟採集生活の頃であったとしても、仲間を殺した罪人がいれば捕まえて殺すだろうし、生贄の儀式に捧げるにせよ、酋長が責任を持って殺すにせよ、捕らえた罪人は木に縛り付けるか、洞窟に閉じ込めるか、逃げられないようにする処置は必須だ。

 

 あるいは、逃げられないようにする事前処置の段階で手足を切断しておくなどもあっただろうが、冤罪という可能性が常にある以上、原始時代にあっても尚早に過ぎるという考えはあった。生贄の血を捧げるにしても、その前の四肢切断で失血死されては意味がないのだから。

 

 

 「常に移動する軍隊のための護送車から政治犯を拘束するルビアンカに至るまで、囚人を捕える専用施設は様々ですが、必ずしもその全てが牢獄として設計されているわけではないことには留意しておきましょう。市庁舎の部屋の一部が留置所代わりに使われることなどザラですし、王宮の尖塔がそのまま高貴な囚人のための空中牢獄となることもまた多い」

 

 つまるところは、牢獄という施設もまた社会の発展に伴う専門分化と分業体制に関連しているということ。

 

 石器時代の狩猟採集生活ならばそこまで分化する必要もなかったろうが、都市というものを築き上げ、何万人もの人間が暮らすようになるならば、必然として施設ごとの専門性や特殊性が現れ始めるものだ。

 

 

 「さて、話を戻しますが。これまでに解説してきた古代からのマグルと魔法族の文明の変遷に紐づけて考えれば、五つの刑罰のうちどれが古く、どれが新しく、歴史的変遷を経てきたかは割と簡単に察しがつきます。最も古いのは死刑と身体刑であり、都市文明が発展する頃から財産刑と自由刑が現れ始め、カースト制度が成立するほどに社会の階層性が出来上がれば、名誉刑という概念が生じうる」

 

 当然のはなしだが、貨幣という概念が生まれる前の狩猟採集時代に、“財産刑”は存在しない。石器時代は獲物を求めて移動する生活であり、固定化された土地や財産というものはまだなかった頃なのだから。

 

 同様に、常に移動する生活において“自由刑”というのはコストが高すぎる。馬や牛といった大型の家畜の飼育が始まり、車輪というものが発明されたメソポタミア文明以後ならば“囚人を護送する車”というものも徐々に発展するが、石器時代ではまさか囚人を背負って何百キロも歩くわけにもいかない。

 

 まして、顔見知りはおろか血縁関係のみで成り立つ数十名の共同体生活ならば、“名誉刑”という概念は論外である。見知らぬ他人がそもそもいないのだから、“他人から蔑視される”ことを刑罰とするのは無理がある。

 

 

 「逆に言えば、死刑や身体刑は“人が建物を作る以前”から存在した刑罰なのです。である以上、牢獄というものがなくとも成立するのは自然であり、極論すれば、逮捕や裁判が面倒くさければ、取り敢えず皆殺しにしてしまえばよいのです。ジェノサイドとはそういうものであり、捕虜に食べさせる食糧を節約するために、穴埋めにする“坑”という刑罰も存在するくらいですので」

 

 こと、そういう知識を語らせればドクズ悪霊の右に出るものはいない。まさに古今東西、あらゆる時代に行われた虐殺や処刑に通じ、人が人を殺すことの歴史に関してならば知らぬことなどない。

 

 そうした意味では、アズカバンや刑罰という概念を語らせる上で、コイツ以上の適任はないと言える。魔法史の教師の適性はゼロに等しい屑だが、牢獄の講師としては最大の適性を持つだろう。

 

 

 

 「一つ例を紹介すれば、1209年にアルビジョア十字軍がベゼルスにて約1万人の住民をカタリ派であるか否かにかかわらず無差別に殺戮しました。その時の教皇特使のアルノー・アモーリの有名な言葉に“神は己の者を知り給う”があります。意訳すれば“全て殺せ、選別は神の仕事だ”と、なかなか素晴らしい台詞です」

 

 一つの都市に暮らす民の誰がカトリックで、誰がカタリ派であるか、攻め込む兵士たちに区別できるはずもなく。

 

 カタリ派を異端として討伐するはずの十字軍が、結局は略奪のためにその20倍以上のカトリック教徒を虐殺する。そんなことが珍しくもないのがサピエンスの歴史というもの。

 

 

 「そうして時代が過ぎ、蛮族の侵略から民を守るための城壁が作られ、安全な城郭の中で都市生活が始まると人々の道徳観念というものにも変化が生じる。盗みなどの軽い罪に対して“四肢の切断”や“鼻そぎ”、“去勢”という罰は重すぎる観念が生じ、これまた必然として財産刑や自由刑が派生していきました。その辺りをまとめた法典としてはウル・ナンム法典やハンムラビ法典が最も著名でしょう」

 

 ただしそこには、近代以後の“人道的な観念”があるかと言えば大いに異なる。

 

 どちらかと言えば“労働力が勿体ない精神”であり、ヒンドゥー教において牛を殺したり食するのが禁じられたのが動物愛護の精神からではなく、生贄に捧げ過ぎて田畑を耕す家畜がいなくなるという本末転倒を避けるためという、非常に実際的な理由からだったように。

 

 罪人に対する財産刑や自由刑が発達したのも、四肢を切断するよりも、奴隷として鉱山などで労役させたほうが利益になるという実に合理的な精神によるところが大きい。これは中世や近世にまで受け継がれガレー船の漕ぎ手や城塞の建築など自由を剥奪し強制労働させる刑罰は存在した。

 

 ただし、その性格や過酷さから身体刑に含まれるべきものともされ、ある種“複合的な刑罰”と言えただろう。船に鎖で拘束されるか、鉱山に拘束されるかの違いはあれ、労役をさせられる囚人が自由に行動できたわけではないが、身体的苦痛から無縁であったわけでもない。

 

 

 「古代ギリシアといえば、我々の魔法文明の揺籃の地でもあり、腐ったハーポなどは有名です。BC700~500年頃のアテネなどの都市国家においても、囚人や戦争捕虜を銀山などの労役、ガレー船の漕ぎ手に用いることは盛んに行われておりました。無闇矢鱈に死刑にはせず、人的資源を死ぬまで絞り尽くす、なかなか素晴らしい叡智と言えます」

 

 特に海洋民族であったギリシア人やフェニキア人にとって、ガレー船とは“移動する監獄”でもあった。食糧が尽きたり、病気で死んでしまったりすれば、海に放り捨てればいいのだから、処分も実に楽である。

 

 古代という時代には、専門の牢獄というものはほとんど存在しない。その代わり、奴隷制社会であるゆえに、大規模奴隷農場、鉱山奴隷、ガレー船の漕ぎ手などが牢獄の役割を補完しており、ある範囲において流動的でありながらも、国家システムとしては収益が上がる仕組みが作られた。

 

 まったくもって人道の欠片もありもしない時代だが、しかし不思議なことに、人道的配慮に満ちているはずの21世紀でも中東難民やアフリカ難民は地中海をボートで逃げ回り、海賊が跋扈しており、逆に奴隷制の古代帝国ローマの最盛期には大規模な難民は皆無だった。

 

 

 「そうして最後に、名誉刑という概念が生まれる。市民権の剥奪、貴族特権の剥奪、奴隷に落とされることなどは財産没収刑であると同時に名誉刑としての側面を持つようになる。我々魔法界においてはそれが顕著で、貨幣に拘らない純血名家も、家の恥や名誉というものは異常なまでに拘るものですので」

 

 囚人に入れ墨を施すことなども、身体刑よりも名誉刑の側面が強い。それらはつまり、“罪人の烙印”なのだ。

 

 魔法社会の成立は中世の頃となるが、マグル側においても中世の刑罰の概念な古代を基本としつつもキリスト教的な観念を取り入れたものとなっていく。

 

 名誉の在り方や、貨幣経済が後退したことで財産刑が減ったなどの変化はあったが、死刑、身体刑、財産刑、自由刑、名誉刑の組み合わせで社会が回っていたには違いない。

 

 「こうした歴史的経緯とともに発展し、分化してきた五種の刑罰ですが、ここにもう一つ“追放刑”という重要な要素があります。これは牢獄や鉱山、ガレー船などに束縛して自由を奪う“自由刑”とは対極に位置するものであるため、死刑や身体刑を減らし、財産刑と自由刑が主流となった近代以後ではほぼ見られない刑罰です」

 

 近代以後の社会の特徴は、死刑を極端に嫌うようになり、身体刑もまた“非人道的”と忌避することであろう。

 

 結果として、刑罰の主流は牢獄への収監といった自由刑となり、その軽いものとして罰金・科料がある。罰金は刑罰の中では最も軽いものとされているが、中世以前には「被疑者の財産を没収すること」を目的として裁判が起こされるなどのことも頻発しており、現代でも完全になくなったわけではない。

 

 たとえば、魔女裁判などでは、被告人の財産を教会に帰属させることを目的に起こされたものも多く。ネットにおける誹謗中傷キャンペーンを繰り返し、企業や団体へ慰謝料請求を行うのも、現代の“逆魔女裁判”と言えるだろう。

 

 原発事故で勝手に自主避難した者らが電力会社を訴えたり、従軍慰安婦という虚構の中の過去を作り上げて賠償を請求する者らも、変わらない人類の愚かさを証明する魔女裁判の亜種に他ならない。

 

 

 「追放刑や流刑、これらが“刑罰”として成立するのは近代以前の時代において人間の生存範囲が極めて限定的であり、都市や農村といったコミュニティから追放されることが死を意味するほど重い処置であったために他なりません」

 

 人間は集団で生きるものであり、その生活に慣れ、適応した都市民にとって追放刑とはあらゆる生活基盤から切り離されることを意味する。

 

 近代以後、特に内燃機関と自動車が発達した後ならば、財産や自由を束縛しない“町からの追放”は刑罰には成りえない。自家用車か電車を用いて隣町に移動すれば、新たな職を得るも、アパートを探すも簡単に出来てしまうのだから。

 

 

 「共同体とは、法という鎖によって互いの自由を束縛するもの。自由刑とは基本的に通常よりも遥かに強く痛み伴うほどに鎖で絞め上げるものですが、法の鎖から完全に放逐されることもまた、刑罰として機能し得たということです。この機能を担った魔法こそが“鎖の魔法”であり、ならばこそサラザール・スリザリンの領分であった」

 

 近代以後のマグルが文明の利器の発展に伴い、追放刑が刑罰としての重みを失ったならば。

 

 箒や姿現しによって自由に移動ができ、トランクの中に生活拠点を持ち運べる魔法族にとってもまた、ただの追放というのものはそれだけでは刑罰たり得ない。

 

 追放を罰とするためには、破れぬ誓いなどの呪詛により魔法の行使などを縛り上げ、制限を課さねばならない。

 

 

 「そして、追放刑の中には“島流し”などに代表されるように、特定の場所にのみ住むことが許され、そこから移動することを禁じるものもあります。鉱山での労役などはこの亜種とも言えますが、自由を剥奪することを目的としたものではなく、犯罪者をコミュニティから追放することを主目的としたものであり、現代的な自由刑とは発想が異なります」

 

 この型の追放刑は個人の罪人に対してよりも、民族単位、宗教単位で行われることが多い。最も有名な例にはユダヤ・ゲットーがある。

 

 イスラーム世界におけるファティマ朝の宰相(ウィジル)が、首都カイロからキリスト教徒を追放したり、スペインのマドリードからマラーノが追放されたりと、そうした集団追放の例もまた、古今東西に広がるサピエンスのお家芸というものである。

 

 

 「さて、こうした様々なマグルの刑罰と比較してみると、アズカバンへの収監という刑罰はなかなか多様な面を持っています。まず第一に脱出不可能な監獄である以上は自由刑の代表例であり、魔法族にとっては“アズカバン送り”という言葉が既に名誉刑としての側面を持ちます」

 

 例え悪戯を好み、罰則を受けることを名誉と考えるウィーズリーの双子であっても、アズカバンに送られることを名誉とは考えない。

 

 初代の悪戯仕掛け人であるジェームズやシリウスとてそこは同じであり、アズカバン送りとは究極的な不名誉なのは事実だ。

 

 

 「吸魂鬼のキスは極刑であり、なかなか粋な死刑であると言えますが、そこまでの罪でなくともアズカバンで衰弱死すればその魂には同じ運命が待っています。また、大規模な監獄は自治領の側面を持つことから、ユダヤ・ゲットーのような型の追放刑としても機能している」

 

 魔法界においても、簡単な罪ならば罰金刑。重いものとなると、名誉刑・自由刑・追放刑・死刑が複合的に絡み合った“アズカバン送り”となる。

 

 

 「一ヶ月程度の短期のアズカバン送りは、“名誉刑”の側面が強く、数年以上の長期的な収監は自由刑・追放刑が色濃くなる。そして、吸魂鬼に囲まれる環境での終身刑は、死刑と同義と言えます。ここで実に魔法世界らしいのは、身体刑の要素が丸ごと欠落していることにあるでしょう」

 

 吸魂鬼による人体の影響は寒気なども含めて精神的なものだ。

 

 物理的な損壊を伴う刑罰はアズカバンには存在せず、それは同時に魔法界における長き伝統であるとともに、非常に実際的な理由もある。

 

 

 「その答えは明白です。魔法薬一つで失った骨や腕を簡単に生やすことが出来るのが魔法界というもの、“四肢の切断”や“鼻そぎ”などの身体刑は刑罰として機能し得ない。ブラッジャーに顔面の骨を砕かれようが、クィディッチ選手は平気で空を飛びますから」

 

 一つ例を挙げるならば、オリバー・ウッドという男にとっては、全身の骨を砕くよりもクィディッチを禁じるほうが余程重い刑罰ということだ。

 

 どれだけ痛くとも、砕かれた骨は魔法で容易く治るが、クィディッチを禁じられれば彼は速やかに精神死を迎えるだろう。

 

 

 「無論、強力な闇の魔術を用いた傷ならば、魔法で治すことは難しくなる。しかし、これは刑罰の仕組み的に矛盾を孕みます。罪人に治せない傷を与えるためには、その術者もまた闇の魔術の行使による反動を負わねばならない」

 

 死喰い人への罰として癒せない傷を与えるために、闇祓いの魂が傷つくのでは全く割に合わない。

 

 闇の魔法使いの側は、自分の魂が削れようが許されざる呪文を使ってくる輩が多いが、刑罰を与える側が呪いの闇に落ちてしまうのでは本末転倒というものである。

 

 魔法族の力は“心の魔法”なのだから、罪人に与える刑罰は必然、名誉や自由、そして幸福の剥奪という方向に向かうのはある種当然の歴史と言えよう。

 

 

 

 「ここまでアズカバンをマグルの刑罰の歴史と比較しつつ説明して来ましたが、まとめて言えば“仕組みとして”なかなか優れており、ホグワーツ創建時から700年近い魔法族の刑罰に関する諸々の集大成として創られたと言えるシステムです。300年間続いてきたのは伊達ではありません」

 

 少なくとも一朝一夕の思いつきで、吸魂鬼が刑罰や刑吏に便利そうだからと簡単に創られたわけではない。

 

 アズカバンという制度を採用するに至った経緯にも、その成立過程にも、歴史というものはあるのだ。

 

 

 「ただし、仕組みとして優れているだけでは刑務というものは片手落ちです。例えば、純血名家の娘がマグルの男と恋仲となり、肉体関係を結んだことを罪として、アズカバンに送ることは適しているのか。また、今回は意図的に省きましたが、マグルにはなく魔法族にだけ存在した最も重要で歴史的な刑罰に、“忘却刑”というものがある」

 

 忘却術は、あらゆる意味で魔法族の社会を支える根幹と言える魔法である。

 

 マグルとの境界線を隠すのに最も用いられ、同時に、“縁を断つ”ためにも使われる。

 

 マグルの男と恋仲に落ちた純血名家の娘に飲ませるものは毒薬か? いいや違う、答えは忘却薬である。忘れてしまえば、何の意味もない。

 

 

 「禁断の果実の講義でも述べましたが、魔法使いには元来処女信仰というものはありません。なぜならば、処女膜などは薬一つで簡単に再生するものですから、純潔の証たり得ない。まして、誰かと交わった記憶すらも、任意で忘却することも可能なのですから」

 

 だからこそ、薬で操った恋心の果てに子供を身籠ろうとも、そこに愛はなかったのだとゴーントの末裔は言った。

 

 

 「アズカバンという機構は確かにそれなりに整ってはいる。しかし、罪の記憶すらも忘却しうる魔法界において、画一的な機構だけでは絶対に届かない部分がある。次回の授業ではそこに焦点を充てて語っていくとしましょう。死刑というものの多様性、磔と服従の轍と忘却の咎、そして、幸福を奪われるとは何たるかについてを」

 

 これまでに語った内容はあくまで序論、マグルと比較する上での前段階に過ぎないと言わんばかりに。

 

 魔法界の闇とはこんな浅いものではない。それは人類そのものの闇とも密接に絡みつき、人が成長せずに失敗の歴史を繰り返すことの証明。

 

 そして、ノーグレイブ・ダッハウという存在の、根幹とも呼べるもの。

 

 

 「それでは本日の課題を出します。“アズカバン送り”という刑罰の対象は基本的に魔法族やそれに類する存在を基本としていますが、ユニコーンやセストラル、ヒッポグリフやドラゴン、そして、アクロマンチュラやスフィンクスといった知恵を持つ魔法生物の監獄、あるいはケンタウロスやゴブリン、屋敷しもべ専用の監獄を考えた場合、どのような新型の“アズカバン”が考えられるか、各々アイデアを出しなさい」

 

 そこに投入される、爆弾のような課題。

 

 実際、ヒトを害した魔法生物の裁判の歴史は“駆除するかどうか”に焦点がおかれ、アズカバン送りになったアクロマンチュラの例などはない。

 

 だが当然、この悪霊の課題がそんな生温いものであるはずがなく。

 

 

 「当然ですが、魔法界に作られる“マグル専門の監獄”も大アリです。そして、今回ばかりは予め言ってしまいますが、最も期待するのは“罪を犯したゴーストに刑罰を与えるための監獄”です。そう、この私を収監できるような監獄を、皆さん是非とも考えてみるとよろしい」

 

 悪霊は嘲笑い、そして告げる。

 

 人類の黒歴史の集大成、流刑の果て、死刑の果て、それらが混ざりあった“複合施設”とは何たるかを考えよと。

 

 その言葉を聞いて、この場で最もマグルの歴史に通じた少女が、蒼白な顔になって俯いたのを眺めながら。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「お待たせいたしました校長先生、彼をお連れするのに少々時間を要しました」

 

 「ほっほ、構わんよダッハウ先生。今回の件に関してだけは完全に儂の個人的なワガママじゃからのう」

 

 「正確には、貴方と、アバーフォース氏と、そしてアリアナちゃんのワガママですか。いずれにせよ、それがメローピーさまの遺言であるならば私に否はありません。私にとっては、此度の吸魂鬼の授業そのものが隠れ蓑のようなものですから」

 

 ホグワーツの中でも最も生徒が寄り付かないことに定評のある場所の一つ、叫ばれない屋敷。

 

 悪霊共の言わば総本山のようなものであり、処刑器具やスクリュートは数を増す一方。今年もまたハグリッド先生のプロジェクトは滞りなく進み、新入生に愛されるべく新世代の怪物たちが巣立ってゆく。

 

 そんな曰く付きの場所に三人の影、正確には一人の人間と二人の悪霊と亡霊少女の姿があった。

 

 

 「それにそもそも、パーシヴァル・ダンブルドア氏については、アズカバンに訪問なさった際に既に成仏なさったと聞きましたが」

 

 「ううむ、本当は今回の件でホグワーツに派遣する形を取ってからと思っておったのじゃが」

 

 「ごめんね~」

 

 「いやいや、アリアナは全く悪くない。悪いとすればこの儂の先見性のなさじゃよ」

 

 例によって孫には甘く、孫ボケ老人でしかないお爺ちゃん校長先生。

 

 これに負けた闇の帝王殿には気の毒だが、既に彼のことを覚えている人間はさほど多くはない。

 

 そして、日記から生まれたゴーントの最後の末裔がどう思うかもまた、知る者はいない。

 

 

 「しかし、一発で父を見分けたアリアナも凄いが、そちらも負けず劣らずじゃなダッハウ先生」

 

 「魂に関しては一家言ある身ではありますので。それに、メローピー様は長らく事務方としてホグワーツにいらした。その魂の特徴はよく存じておりますから、似た波長を見つけ出すことはそこまで難しいことではありませんでしたよ。マートルさんでも時間をかければ可能でしょう」

 

 「そこはまさに、ゴーストならではの見方じゃのう。儂ら人間からすれば、吸魂鬼はどうしてもどれも同じにしか見えぬよ」

 

 「それも仕方ないでしょう。そもそも名前を失い、彼我の境界線すら失い、幸福を求めて彷徨うだけの魂の残骸の集合体が吸魂鬼というもの。一応は核となる魂はあるものの、それはかつて“誰か”であったというだけで、本人そのものとも言い難い」

 

 だからこそ、アルバス・ダンブルドアにとって、吸魂鬼を好きになれない理由ともなる。

 

 彼の父、パーシヴァル・ダンブルドアはアズカバンで獄中死となった。それはつまり、吸魂鬼の中の“誰か”は父であり、今も幸福を求めて彷徨い続けているということ。

 

 確かに、彼の父は罪を犯した。魔法族の成人としては決して犯してはならない境目を越え、マグルの少年たちを魔法で害し、魔法界の漏洩に関わる禁忌を踏んだ。

 

 だがそれは、死後すらも奪われる程の罪であるのか。家族とともに墓に眠ることすら許されず、魔法界という全体のためにすり潰されるように冷たい監獄を彷徨い続けることが罰なのか。

 

 一度ならず、自分が魔法大臣となって司法改革にあたるべきではと考えたこともある。だがその度に、彼の人生に大きく関わるかつての親友の顔が浮かび、そのやり方で自分達は間違え、妹を失うこととなった慙愧の念に駆られる。

 

 

 「そうじゃのう、本当に、後悔だらけの人生であったような気がする。素敵な出逢いは山程あったはずなのに、振り返れば若き日の過ちばかりが胸をよぎる」

 

 「だいじょーぶだよ、じーじ。わたしはここにいるから」

 

 「うむ、大丈夫じゃとも。そう、アリアナがそうして笑ってくれているからこそ、儂も心から笑顔でいられるのじゃ。過ちも多かった人生じゃが、ホグワーツで子供達を見守り続けたのは、間違いではなかったとな」

 

 でも、それはもう過去のこと。

 

 過去は過ぎ去り、彼のもう一つの後悔であったゴーントの血統の少年も、母の愛に包まれて宿業を濯ぐことが出来た。

 

 ならば、速やかに後始末というものを果たさねばならない。

 

 

 「それでは、お願いしますアリアナちゃん。例え個体名が分かっていても、私からでは何の意味もありませんので」

 

 「うん。……初めましてモーフィンさん、わたしは、アリアナと言います」

 

 眼と眼を合わせて名前を呼ぶこと、それは原初の魔法である。

 

 ルーナ・ラブグッドという少女に、“デルちゃん”と呼ばれることで、かつてベラトリックス・レストレンジであった魔女が、デルフィーニでしかなくなったように。

 

 

 「あ、ああ……」

 

 既に言葉も忘れ、名前も忘れ果てたはずの吸魂鬼が、掠れつつも何かを呟く。

 

 

 「優しいメローピーが待ってるよ、貴方はお兄ちゃんなんだから、早くおうちに帰ってあげて」

 

 「お、おお……う、ち?」

 

 「そう、おうち。これを辿っていけば、きっと帰れるから」

 

 亡霊少女が差し出したのは、一つの手紙。

 

 今度こそ子供を育てきり、立派な淑女に成長した妹からの、小綺麗な便箋。

 

 

 「め、ろ……ぴー。……す、まん」

 

 「メローピーはもう怒ってないよ、貴方を叱ったりしないから。謝るよりも、笑ってあげて、ほら、“どうだメローピー! やっぱりリドルなんて駄目だったろう! ゴーントこそが最強なんだ!”とか」

 

 戯けるように、小さな少女は朗らかに笑いつつ言葉を紡ぐ。

 

 まさにそう、悪戯っ子の無邪気さで。

 

 

 「ごー、んと。お、れ、ごーんと」

 

 「そこまで思い出せれば十分でしょう。改めて私からも自己紹介を、初めましてモーフィン・ゴーント様。妹君のメローピー様より、貴方を冥土へお連れするよう遺言を賜りました、ノーグレイブ・ダッハウと申します。あなた方の遠き先祖サラザール様、並びに同輩のロウェナ様よりこの地の霊的な管理を任されたる裏側の管理人です」

 

 正確には、その任についているのはヘレナ・レイブンクローであり、ダッハウはその代行。

 

 ただし、秘密の部屋の最後の継承者から直々に遺言を受け取っているこの今においては、優先順位はサラザールの言葉が勝る。

 

 

 「め、ろぴー、いま、いぐがら」

 

 悪霊の紹介を知ってか知らずか、彼の輪郭は薄れていく。

 

 そうして、まるでそこには最初から誰もいなかったように、一人の吸魂鬼の姿は消え果てていった。

 

 

 「会えたかな?」

 

 「さて、成仏した魂が何処へ向かうかは時計塔の関与するところではありませんので、私からは何とも」

 

 「もうー。そ~ゆうところが駄目なんだよ、ダッハウは」

 

 「そうじゃ、そういうところが駄目なんじゃダッハウ先生は」

 

 「貴方もいい年して幼子に便乗しないでください。それだから耄碌老人と言われるんですよ」

 

 何はともあれ、これにて彼女の遺言は果たせた。

 

 最早ゴーントの血の縛りすら忘れ、吸魂鬼となってアズカバンを彷徨っていたモーフィンの魂は、ようやく行くべき場所へ行けたのだろう。

 

 

 「翻って見れば、自業自得な面もないわけではないですが、彼はメローピー様よりもさらに惨めで救いのない人生を歩んだ。甥の罪を着せられて投獄されていたことすら自覚があったかどうか」

 

 「子の罪を己の罪として背負う覚悟もまた、母の強さというものじゃな。本当に、彼女は立派になったのう」

 

 「ええ、確かに。こうして母らしく、子がヤンチャしてしまった後始末もしっかりと終わらせてゆかれたのですから」

 

 「メローピーは凄いんだよ、とっても優しくて綺麗なの」

 

 「はい、流石はサラザール様のお血筋です」

 

 

 かくて静かに、小さな物語の幕は下りる。

 

 縁は繋がり、愛は伝わり、救いなき終わりを迎えた者らにも、一筋の光は差し伸べられる。

 

 

 「本当に、捨てたものでもない世界ではありませんか。全てを諦めて投げ出すには、少しばかり早かったかもしれません、我が創造主よ」

 

 



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3話 時の魔女

 

『時計塔のオブジェクト記録』

 

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 カイロスの時計の使用を確認

 

 クロノスの大時計、リブート開始

 

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*----------*

 

 

 

 「ねえハーマイオニー、すっごい顔色悪いけど本当に大丈夫?」

 

 「ああ、どう見てもヤバいって。言っちゃあなんだけど秘密の部屋探索の時のハリーよりもだよ。あの時は君がハリーに医務室で休めって言ってたろ」

 

 「あの時の僕って、そんなに酷かったかな」

 

 「本人ほど自覚がないってよく言うけど、本当なんだよなあ」

 

 9月のそろそろ終わりに差し掛かり、新学期が始まってはや一月が過ぎようという頃のホグワーツ。

 

 何かと有名な(大半は悪霊関連)グリフィンドールの三人組、今年から三年生となったため履修科目も多くなった彼らだが、しかしいつも多弁であるはずの彼女に声は少ない。

 

 

 「ありがとうハリー、ロン。気遣いは嬉しいけど、眠って取れるタイプの疲れじゃなさそうなのよ。というかむしろ、眠っている時のほうが疲れる感じがするわ」

 

 「眠ってるほうが疲れる?」

 

 「そんなことあるのかい」

 

 この時間軸ではなく、闇の帝王の分霊箱であったハリー・ポッターだったならば、傷痕が痛み、両親が死ぬ時の夢を見た時の自分のようだと思ったかも知れない。

 

 しかし、今の彼は家庭環境に多大な問題を抱えるだけの健康優良児であり、闇の帝王よりも妹の煎じる愛の妙薬のほうが遥かに怖い人生を送っている。

 

 

 「夢見が悪い、ていうのが一番近いのかしらね。去年のハロウィンの頃に、ジニーが相談してくれた悪い夢のことと似てるのかもしれないわ」

 

 「なんで兄がここにいるってのに、相談するのはハーマイオニーなんだか」

 

 「妹ってのはそういうものなんだよ。むしろ、そういうものであって欲しいよ」

 

 ポッター家の双子の妹達は特殊な家庭環境の賜物か、私事の相談対象によく兄を選ぶ、そして、兄を胃痛に追い込む。

 

 長兄であるハリーとしては、近親相姦の禁忌に触れかねない扱いに困る相談をしてくれるなと言いたいところだが、身内以外に相談されるのはもっと困る。名付け親含め三人いる父親たちも、この問題には逃げ腰だ。

 

 結果として諸悪の根源の一人でもある母に頼ることになる。根本的な解決にはつながらないどころか、より悪化する可能性を大いに孕むのが悩みどころだが、まさか悪霊に相談するわけにもいかない。

 

 一度だけ、気の迷いで時計塔の悪霊に相談したことがあったが、結果が散々なものであったことをハリー少年は忘れていない。失敗からは学ぶ子なのだ。

 

 

 「……ハリー? 貴方、妹っていたの?」

 

 「はあ? 何寝惚けてるんだいハーマイオニー」

 

 「そりゃいるよ。ていうか、マリーとローラがいなかったら妹のことで僕は胃薬の調合に精通してないよ。ほんとに大丈夫かい? かなり具合悪いんじゃ」

 

 「え、あ、ああ、ごめんなさい。そう、そうよね、グリフィンドールに入った一年生のマリーベルと、スリザリンに入ったフローラ。それに、そう、ネビルにも弟のマークと妹のアリアドネがいて―――ええ、デルフィーニも今はロングボトム家にいる。そうよね」

 

 現実を確かめるように、噛みしめるように、違和感と齟齬を埋めるように。

 

 嫌な夢、悪い夢、そして、誰かの記憶を振り払いながら、ハーマイオニー・グレンジャーは大きく息を吸い込みつつ背筋を正す。

 

 

 「よっし! もう大丈夫よ。次は“あの”ダッハウ先生の魔法史なんだからこんな調子じゃいられないもの」

 

 「あ、ああ、元気になったならそれはいいんだけど」

 

 「……女の子がいきなり躁鬱になる日、月に一度……いや、ごめん、何でもない」

 

 「ハリー、貴方の言わんとしてることはわかるけど、親しき仲にも礼儀ありという言葉を忘れてはいけないわよ」

 

 「ほんとにごめんって。僕が悪かったから頼むからその杖を収めてくださいお願いします」

 

 「まあ、うん、年頃の妹を持つ兄貴達の共通の悩みっつうか、なんか微妙に距離感に苦労する話題だよなあ」

 

 「だから違うと言ってるでしょう。そもそも貴方何時からそんなに女性に――って、ごめんなさい、貴方も小さい頃から癖の強い女性たちに結構囲まれていたのよね、ロン」

 

 「ん、君も知っての通りだけどママやらリリーさんやらニンファドーラさんやら、まあ色々な女の人に縁があるようちは」

 

 いつもの通りの会話のようで、何かどこかが違うような。

 

 そもそも、なぜ彼女は謝ったのか。目の前にいる親友のロナルド・ウィーズリーを、誰と無意識に重ねてしまったことに謝ったのか。

 

 その事自体に、果たして自覚があるかどうか。

 

 

 「……夢、か」

 

 そして、そんな彼女の様子をみて、ふと何かを思い出しかけたような気がして。

 

 だけど、まるで蜃気楼を掴むようにその違和感は手をすり抜けていってしまうようで。

 

 ハリー・ポッターは、親友二人を廊下を歩きながら、欠けたもののないはずの幸せな今を、静かに噛み締めていた。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「皆さんおはようございます。前回に引き続き魔法界における刑罰とマグルの刑罰の歴史を比較しながらついて語っていきますが、今回はまず最も古き刑罰であると同時に多様な人生観や死生観の反映される素晴らしきもの、すなわち死刑の数々について説明していきましょう」

 

 そして始まる、いつものドクズ極まる最低授業。

 

 どこの世界に、これほど嬉々として死刑、極刑というものについて語る教師がいるというのか。まあ、不幸なことにここにいるのだが。

 

 

 「前回の授業でも軽く触れましたが、死刑は文明の初期段階において刑罰の中心をなすものであり、世界各地で死刑の記録が残されております。一万年より古い石器時代の遺跡からも処刑されたと思われる遺体が多数発見されており、人が時計や暦という概念を発達させる以前から処刑という概念はあり執行されていた。それほどに古く、長きにわたる情念が込められた制度なのです」

 

 死刑は身体刑と並び、前近代には一般的な刑罰であった。人類の刑罰史上最も古くからある刑罰であるといわれ、有史以前に人類社会が形成された頃からあったとされる。

 

 また、死刑という刑罰でなくとも、多くの死に至る拷問を伴う刑罰もまた用いられていた。ギロチンが“最も慈悲深き刃”という異名を取るのも苦しまずに死ねるからであり、世に数多ある処刑方法の中には、究極的な苦痛を与えることを目的としたものも多い。

 

 

 「威嚇効果が期待されていたものと考えられており、すなわち見せしめの手段であったため、公開処刑というものが古今東西で行われておりました。火刑、溺死刑、圧殺、生き埋め、磔、十字架刑、斬首、毒殺、車裂き、鋸挽き、釜茹、石打ちなど、執行方法も実に多岐に渡ります。ちなみに私はどれも基本的に大好きですが、ここはやはり皆さんも御存知ギロチン先輩や電気椅子後輩を立てるべきかと思われます。私がわざわざホグワーツに招き寄せた方々ですので」

 

 なんて物を呼び寄せるんだこのクソ野郎、やっぱりてめえの仕業じゃねえか。

 

 と言わんばかりの批難の籠もった熱視線が全生徒から向けられるが、例のよって悪霊教師はどこ吹く風。

 

 

 「これほど多種多様に色とりどりであり、素晴らしい拷問にも満ちていた処刑方法ですが、非常に残念なことに近年では死刑存置国の間でも絞首刑、銃殺刑、電気椅子、ガス殺、注射殺、服毒などに絞られつつあり、比較的肉体的な苦痛の少ないと考えられる方法を採用するのが主流となっている。まったく、人権とは何とも無粋なものです。人間など、どう苦しめ、どう殺したら楽しいかを追求するからこそ面白いというのに」

 

 刑罰の歴史上では文明化と共に死刑を制限することが顕著である。

 

 21世紀ともなれば、マグル側の多くの国において死刑は撤廃されつつある、死刑制度が残る国も積極的な運用には二の足を踏む事が多いのが現状だ。

 

 それを何たる堕落かと嘆くように嘯きながら、しかし悪霊は嘲笑っている。

 

 茶番も極まる、まさか貴方たちは、人道ごっこをするだけで、サピエンスという生き物が差別と迫害と虐殺という宿痾から解脱出来るとでも思っているのかと。

 

 自分達が、中世に生きた人間達よりも、何か一つでも優れたところが、進歩したところがあるとでも?

 

 古代の奴隷制、中世の農奴制、近代の社畜制、どれもこれも大差はなく、無知蒙昧な衆愚を一部の既得権益者が搾取しながら本質的に同じところを回っているだけだと言うのに。

 

 

 「さて、マグル側の極刑はこのように多様な変遷を経ながらも、弛まぬ研鑽を続けてきたわけですが、魔法界側はまた異なる道を歩んできました。アズカバン成立はほんの300年ほど前の話であり、それより遥かに長い間、魔法族は決まりを破った同胞を“罰して”きたわけですから」

 

 法の基本構造については、マグル社会も魔法社会も大きく異る訳ではない。

 

 どういう形であり、共同体を形成する秩序があり、守るべき法があり、破ったものは警察機構に追われ、捕まれば裁判にかけられた上で刑罰が執行される。

 

 その構造自体は紀元前の頃の昔から何ら変わるものではないが。しかし実際的な問題として“何が相応しい刑罰となるのか”という課題が出てくる。

 

 

 「話は少し死刑と近しい身体刑に移りますが、前回の授業でも話したように魔法族にとって身体刑とは重罰には適しておりません。骨を砕こうが、目玉を抉ろうが、それらは魔法薬一つで一晩で治癒出来てしまうものであるならば、“取り返しのつかない過ちを刻むための罰”には相応しくはない」

 

 ホグワーツのみならず、魔法界全体に言えることだが、クィディッチのような危険な場所での競技が子供にも許可されている根底はその辺りにある。

 

 死にさえしなければ、破壊された壁などは瞬時に直せるし、壊れた身体も一晩程度で元通りになるもの。当然、痛みだけは瞬時に消しようはないので傷害罪という概念がないわけではないが、“すぐに人とモノを直せる”ということは、“壊すことが重い罪になるか”という点ではマグルとは大いに異なる。

 

 パーシヴァル・ダンブルドアという人物が、娘のアリアナを迫害したマグルの少年たちを魔法で襲ったことが重罪とされた案件にしても、“起きた出来事”と“少年たちの傷”などは魔法事故リセット部隊によって痕跡すら残さず消されているのだ。修復呪文に加えて忘却術がある以上、19世紀ならば隠蔽は容易である。

 

 問題となるのは、あくまで魔法族でありながら魔法の秘匿を怠ったという一点。万が一のことがあれば、魔法族という共同体全体がマグルに知られてしまうリスクを犯すほうが、人や者を傷つけることよりも遥かに重いのだ。

 

 

 「この中に、将来的にマグルと結婚したい、あるいはマグル生まれと恋仲になりたいと考えるものがあるならばそこはよく覚えておきなさい。傷つけること、直すということについて、マグルと魔法族は全く違うわけではありませんが、常識のかなり異にする生き物であることを。その認識の違いを正しく修正しなければ、マートルさんによる破局の罠をくぐり抜けることは未来永劫かないません」

 

 そういう点については、時計塔の悪霊ではなく、破局のマートルの領分である。

 

 重い女であったメローピーさんがいなくなった分だけ、その分まで頑張ろうとむしろ張り切っているのが今年のマートルさんだ。

 

 

 「また、“割り切れぬ貨幣”の講義で解説したように、魔法族はマグルほど財貨の有無に拘りがありませんので、罰金刑、財産刑というものもマグルほどの重みはない。魔法さえあれば生きることには困らない生活ですので、最もポピュラーな罰則と言えば、魔法の杖の剥奪と使用の禁止がそれにあたります。当然、そこには名誉刑の側面もある」

 

 身体刑に意味がなく、財産刑にも重みが足りないとすれば、残る三つに比重は置かれていく。

 

 追放刑もまた、家族からの勘当やグリフィンドールやスリザリンからの破門というものはあるが、多くの闇の魔法使いはそうなってもなお一切怯まずに研究や悪事を行っていたのは歴史の記す通り。

 

 “財産刑や追放刑で済むならば闇祓いは要らない”と言わんばかりに、闇祓いや魔法警察にあたる存在は遥か昔より必要とされてきた。

 

 

 「そうした中で、特にスリザリンで最も早くに発達したのが“鎖の呪文”です。磔や服従の呪文の原型でもあるそれは、要するに罰の概念を強く持つ魔法でもある。血族の中で掟破りが出た際に、罪人の行動や精神を縛るのに有効な魔法が服従の呪文であり、拷問の罰として機能するのが磔の呪文と言えます」

 

 マグルの社会においても、銃という人殺しの道具を合法的に所持するのを許されているのが警察官であるように。

 

 魔法族の歴史においても、“人に使ってはならない禁忌の魔法”であるそれらを、法を守るためにこそ使わねばならない執行者がおり、その多くはスリザリン出身者が占めていた。

 

 そしてだからこそ、彼らスリザリン出身者こそが、最も多くの闇の魔法使いを輩出する寮ともなった、人を呪わば穴二つとはよく言ったものである。

 

 そうした面では、グリフィンドールの剣の魔法はあくまで敵を殺すための刃であり、刑罰とは異なる概念を持つ。ハッフルパフは盾の魔法であり、罰するという概念とはこれまた遠い。

 

 

 「そして、アズカバン以前の魔法社会において“刑罰”を最も担った魔法が忘却術です。忘却刑とも呼ばれますが、心の魔法を力の源とする魔法族にとって、記憶を奪われるというのは拠り所を失うも同然であり、重い罰であると同時にその軽重を調整しやすいという利点もありました」

 

 現在においても、高度な力を備えた魔法使いは、記憶を頭脳から抽出し、ガラスの小瓶などに保管する技能を有している。

 

 それはつまり、家の当主などの“責任と権限”を持つ者達は、罪を犯したものらから“記憶を剥奪する”ことが可能であったことを意味する。

 

 

 「そうした分野における先進機関は神秘部であり、成された予言を自動で採集し保管する部屋などというオーパーツのような代物すらあるくらいです。当然、様々な記憶、思い出を抽出して保管するくらいはわけないことであり、魔法省やホグワーツなどの重要機関の底には膨大な記憶が眠っていると考えてよい」

 

 逆転時計という代物についても、記憶をアンカーとして体内時間を食べる類の品である。送り手が逆転時計を使ったことを忘却してしまえば、帰るべき座標がなくなってしまう。

 

 

 「以前の授業でも説明した“魔女の若返り薬”もまたそうです。あれは永遠の美を願う魔女たちの欲望や罪から生み出された薬でもありますが、同時に罪を犯した純血名家の娘たちへ、罰として当主が飲ませた例も伝わっています」

 

 記憶を失い、ある種の個人としての積み重ねた尊厳をも剥奪することが、すなわち罰。

 

 ただの忘却術では消えてしまった記憶は戻せないが、記憶を別の場所に移す施術ならば、反省と更生の機会を与えた上で、必要に応じて“戻す”ことも可能になる。

 

 かくありて、マグルが多種多様な物理的な極刑や身体刑、株式などのものすら含めた財産刑などに発展していったのに対し、魔法族は心、精神、魂という分野において刑罰を発展させてきた。

 

 

 「吸魂鬼によって幸福な記憶を吸い上げるというアズカバンの罰も、それ以前の“忘却刑”の流れを汲むものであると言えます。それまでは家の当主やウィゼンガモットの裁判官の行ってきた処置を、吸魂鬼に委ねることによって魔法使いの監獄は成立した。まあ、それほどに、執行する側にとっても重荷であったということでしょう」

 

 長きに渡る刑罰の繰り返し、その役割を担うのが純血名家に多かったならば、癒着も当然あったろうが、それ以上に闇の魔術にも近いそれらを扱うことが負担ともなっていた。

 

 レストレンジという家で、服従の呪文で他家の妻を妾として攫ってくるという事例が頻発してしまうように、積み重ねた罪と罰の業は徐々に純血の家の宿痾となって呪いめいたものになりつつあった。

 

 そうしたものを、吸魂鬼に肩代わりしてもらったという側面は、事実として存在するのだろう。

 

 

 「と、おや、随分と顔色が優れないようですねグレンジャーさん。私の授業があまりに負担になるようでしたら何時でも退席して構いませんよ。貴女が逆転時計で全教科を取得なさっていることは存じていますので」

 

 以前と異なり、優等生の一部に逆転時計が貸与され、カリキュラムが重なる教科を受講しているというのは周知の事実となっている。

 

 何せ、今のホグワーツは“ダッハウ以後”である。秘密にしたところで暴露されるに決まっているのだから、隠すだけ無駄というものだ。

 

 

 「いいえ、大丈夫です」

 

 「ふむ、ではそのように。他の生徒らも常に体調は自分で把握なさい。私は一切関与しませんし、倒れたところで看病もしませんので」

 

 だろうなと、全生徒が納得する。受講している生徒の大半が倒れたところで、コイツは粛々と授業を進めるだけだろうと。

 

 いやほんとに、誰もいなくなっても一人で続けるのではないか、何せコイツは悪霊なのだから。

 

 誰もいない教室で、一人で授業を続けるなどある種最も“幽霊教師”らしいとは言えるのだろうが。

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「今日は比較的ましな授業だったけど、あの子、大丈夫だったの? なんかすっごい顔色悪くて今にも倒れそうなくらい蒼白だったじゃない」

 

 「こればかりは仕方がないですね。本日の授業には吸魂鬼はおりませんでしたし、内容もあくまで観念論に終始したもの。実際、彼女以外に精神的不調を患った生徒はおりません。私の授業ならば少なくとも一割程度は具合悪くなるのが常なのですが」

 

 淡々というドクズだが、間違ってもそれは自慢にならない。だからお前の授業はぶっちぎりで最下位なんだ。

 

 

 「それが通例なのもどうかと思うけど、だとすると珍しいこともあるものだわ。一昨年も去年も、対悪霊戦線を率いて元気に駆けずり回ってた印象しかないけど」

 

 「その認識は正しいかと。ハーマイオニー・グレンジャーは極めて健康優良児であり、精神的な面においても影となるものを抱えてはおりません。良き友人にも恵まれていますし、指導者として期待されることが負担になるような性格でもない」

 

 「となると?」

 

 「逆転時計が原因ですね、彼女が今抱えている不調は、時計塔の存在するこのホグワーツで“小さな時計”たる逆転時計を使用していることに起因します」

 

 「でも、だったらおかしくないかしら。あれは今年になって急に貸し出されたものじゃないし、そもそも彼女以外にも使ってる子は他の学年にもいるでしょうに」

 

 「その通りです、なので理由は彼女が時計塔の作り手であることのほうが大きい。これは仕方ないことでしょうね」

 

 「んん?」

 

 今、この悪霊はなんと言った。

 

 サラリと、とんでもない事実を口にしなかったか?

 

 嫌な予感、というほどでもないが、何か聞くと気が滅入るような爆弾が飛んでくると内心で警戒しつつも、マートルさんは先を促した。

 

 

 「それってどういうこと? あの子、ハーマイオニーが時計塔を創った?」

 

 「はい、あの時計塔は彼女の設計によるもの。この私、ノーグレイブ・ダッハウの製作者、創造者に当たる人物は誰かと問われれば、“ハーマイオニー・グレンジャー”こそが答えとなります。もっとも、かつて彼女であり、名前すらも擦り切れ果てた“時の魔女”というのがより実態かとも思われますが」

 

 「ええっと、うん、何か色々とついていけてないんだけど、ちょっと整理させてもらっていいかしら」

 

 「ええどうぞ、マートルさんのご自由に」

 

 流石に混乱の度合いが強いマートルさんとは裏腹に、ムカつくほどに悪霊はいつもどおり。

 

 まさに世間話をするように簡単に、この城の最重要といってよい秘密をさらりと語る。

 

 だからこそ、この城では秘密は秘密にならない。

 

 

 「………うん、なるほど、なんとなく掴めたかも」

 

 「質問すらせずにおおまかに察するのは腐ってもレイブンクロー生と言ったところでしょうか、その明晰な頭脳については素直に評価に値します」

 

 「腐ってもは余計だっつの。例によって何様なのよ」

 

 「大変失礼いたしました、麗しき便所の姫君さま」

 

 そして口の減らないところも相変わらず。

 

 相手の動揺を和らげようという意図は微塵もなく、ただ素で口が悪いだけだが。

 

 

 「アンタのことだから、例の禁則事項とやらでまだ言えない部分はあるんでしょうけど、幾つか質問するわよ」

 

 「問題ありません。私の創造者であるハーマイオニー・グレンジャーが逆転時計をミネルバ・マクゴナガルより貸与された段階で、私に課せられた禁則もあと一つか二つを残す程度ですので」

 

 「なるほどね、それだけで大体は分かるけれど、ようするにあの大きな時計が、“未来からやってきた逆転時計の元祖”みたいな認識でいいのよね」

 

 「まあそんな感じでしょう。既に別物となっている歴史は過去なのか、並行世界なのかといった議論はあるでしょうが、そこは神秘部の学者たちの領分ですので悪霊である我々が語っても仕方がありません」

 

 時間軸という概念は考え出すとなかなかきりがなく、パラドックスに陥ってはループしてドツボに嵌ってしまう。

 

 ある種、“取り敢えずそんな感じのもの”と、複雑な立体パズルを俯瞰して見るように捉えるのがコツであると言えるだろう。それが軸である以上、細かい末端よりも全体像をとらえることのほうが重要なのだから。

 

 

 「それで、今から先の未来なのかは知らないけど、ハーマイオニーがどこかの遙か先で、あの時計塔とアンタを創ったと」

 

 「その通りです」

 

 「あの子が創った結果がアンタってことは、よっぽど酷いことがあったか、まあ、碌でも無い歴史から来たってことよね」

 

 「イグザクトリー、素晴らしい観察眼です。ええ、有り体に言って“誰も幸せになれなかった結末”から時計塔は流れてきました。逆説的に、誰もが幸せになるとは言わずとも、皆が笑顔でいられる世界があって欲しいという祈りを込めて。まあ、込められていたのは絶望と諦観のほうが大きかったでしょうが」

 

 「アンタね、仮にも創造主のことでしょうが、もうちょっと親身にしてもいいでしょ」

 

 「創造主ではありますが、創ってくれと頼んだわけでもありませんからねえ。別に疎んじているわけでもありませんが、これといった恩義を感じているわけでもないので」

 

 「はぁ。アンタはどこまでいってもクズなのね、ある種安心したわ」

 

 「ええ、私はクズですよ。メローピー様もそうおっしゃられていましたし、創始者の方々全員の共通見解でもありました。創造主の彼女については裏は取れていませんが、内心ではそう思っていたんじゃないですかね、まあ、創ってしまったのは自分ですからそう思いたくない心情もあったとは察しますが」

 

 本当に、何処までいっても他人事。

 

 だがしかし、常に蜃気楼のように掴みどころのなかった時計塔の悪霊のルーツに、一筋の方向性が見えてきたのは事実であり。

 

 

 「それじゃあ、もう少し聞かせて貰うわよ。何だかんだで腐れ縁なわけだし、アタシにも多少は聞く権利があるわ」

 

 「ええ、それはもう。多少どころか貴女は一番時計塔に振り回されたと言っても過言ではない存在ですので。ではしばし、昔語りにお付き合いいただきましょう。これは、英雄となるはずだった少年の死から始まり、呪い子が時を遡った歪から生じた、絶望と後悔と最果ての逸話。マグルと魔法族の歴史の果て、ロウェナ様が“クロノ・エンド”と名付けられた事象にまつわる物語です」

 

 それでは皆様、しばしのご清聴を。

 

 ここより先は、一人語る悪霊と、傍らの幽霊少女の相槌だけが続くだけの退屈な話となるやもしれませぬ。

 

 しかし、この物語こそが今に至る全ての始まりであり、回避すべき終わりであることは紛れもなく事実なれば。

 

 

 時計塔の始まりに関わる物語に、どうかお付き合いのほどお願いいたします。

 

 

 




ここより数話かけて、時計塔の出自に纏わる話の説明回になります。

呪いの子をベースにしつつ、独自設定や解釈が加わる形で構成され、かくしてダッハウに至ります。

時間軸が何度か前後してしまうので、わかりにくくなってしまうかもしれませんが、出来る限り簡潔に出来るよう心がけていきます。


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4話 クロノスの大時計

『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【分離端末よりアクセスログを参照】

 

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 ユーザーの精神状態、悪化中。リカバリーの必要を確認。

 

 一時、データ伝送を中断。精神コンテナのクレンジングを実行。

 

 処理内容をキャッシュ領域に一時退避、再起動を求む。

 

 カイロスの時計の使用を確認

 

 クロノスの大時計、リブート開始

 

 パスワード: 管制人格より代理入力  No Grave Dachau

 

  

 

 

 

*----------*

 

 

 「セドリックが死喰い人にのう、儂としては考えたくないことじゃが、そのような歴史もあり得てしまうとは」

 

 「私の創造主である彼女にとっても痛恨のこと、実に悲しいことでしょうが、あり得てはならないことが起きたからこそあのような結末に至ったのでしょうね」

 

 時計塔の悪霊、ノーグレイブ・ダッハウがマートル・ウォーレンに破滅の歴史について語り始めた頃。

 

 ホグワーツの校長室においてもまた、同時に遍在する悪霊の一人が、アルバス・ダンブルドアに対して創始者達によって伏せられていた秘密について解禁していた。

 

 それ自体は別におかしいことではない。言ってはならないという縛りがなくなった以上、基本的に秘密は暴露していくのがこの悪霊の習性なのだ。

 

 ただ、それが同時に多方向に行われているというのは、通常では考えられない事態だろう。

 

 

 「クロノ・エンドに至った歴史は既に終わってしまったことであり、それ自体はどうにもなりません。過去を教訓に未来をどう良くしていくかが常に課題となるのですが、どうにもサピエンスというものは歴史に学ばず同じ失敗を繰り返すのが好きな生き物でして」

 

 「耳の痛い限りじゃが、直視しなければならない現実でもあるのだろうて。儂など失敗からよく学んで来たとはお世辞にも言えんよ」

 

 「少なくとも、アリアナちゃんに関しては全く失敗から学びませんね貴方は。溺愛するばかりでは教育に良くないのは分かりきっているでしょうに」

 

 「ううむ、分かってはおるのじゃ、分かってはおるのじゃが」

 

 「やれやれ、この世からアルコール中毒や麻薬中毒がなくならないわけです。愛欲というものは原初の娯楽でもあり、売春が最古の職業であるならば、愛に溺れるということこそ最も拭い難い悪癖なのかもしれません」

 

 愛を知らぬ機械仕掛けが、愛を客観的に観測するままに嘲笑する。

 

 もとより、愛を得たいなどとも、愛したいなどとも考えたことのない知性体である。根底からしてここまで人とは精神構造が違えば、愛というものに大した価値も見出していないのは当然だ。

 

 人にとって、それは大いなる価値を持ち、時には偉大な奇跡を起こす原動力となることは知っている。

 

 だが、人でなし機械仕掛けには関係のないこと、ノーグレイブ・ダッハウに奇蹟を起こす機能など備わってはいないのだから。

 

 むしろ、この存在が起こす奇蹟紛いなど、醜悪なご都合主義、呪いめいたデウス・エクス・マキナにしかなり得まい。

 

 

 「それはともかく」

 

 「強引に話を逸しましたね孫ボケ老人」

 

 「ともかくじゃ、君の出自や辿ってきた過去、いいや、この場合は未来と言ったほうがよいかの。その経歴については十全とは言えぬが理解できた。ただ、どうしても気になることがあるのじゃが、君は複数に分かれた歴史の分岐筋のうち、どれが“本流”であると思っておるのかね」

 

 「なかなか難しい問いですね、そして核心を突いております。流石は校長先生と言ったところですか」

 

 孫ボケ老人と罵ったその舌の根も乾かぬうちから、流石とヌケヌケと褒め称える悪霊。

 

 まことに、顔の面が厚いどころではない。本心というものをある意味で持っていない、仮面ばかりの精神体だからこその業なのか。

 

 

 「そこについては、私の創造主やロウェナ様も幾つか仮設を立てられておりました。逆転時計を研究している神秘部の学者らも幾つか説は持っているでしょうが、時計塔の機能と私が“関われる”範囲において考えるなら、歴史は円環しているのでしょう」

 

 「円環とな、つまりはメビウスの輪であると?」

 

 「時の概念は非常に曖昧かつ深遠です。ですから、人が人として生き、なおかつ時を人の理解しうる範囲で利用したいならば、“時計”という範囲に収めるのが一番です。時の神となって宇宙や銀河や根源を掌握することが目的ならば話は違ってきますが、この星の上で人間が幸せに過ごすことを目標とするならば、過ぎたるは及ばざるが如しにしかなりません」

 

 慎ましやかな幸福を望むならば、身の丈を越えた大金は遺産相続を巡る身内の骨肉の争いの原因にしかならないように。

 

 隣り合わせの小国同士の戦争で、水素爆弾を互いが備えることに何の意味もないように。(使えば確実に双方の国土が吹っ飛ぶ)

 

 魔法も科学も、つまるところはそれを創った人間のための道具に過ぎない。使用用途に沿ってこその道具であり、逸脱したものは価値が減じていく。

 

 それにまあ、宇宙の時計なんかに手を出したら、ティンダロスの猟犬とかに食われるし。

 

 

 「時計とはすなわち、円環の象徴です。0時に始まり、24時とはすなわち0時、始まりが終わりであり、終わりが始まりとなる。だからこそ、個々人の体内時計とも呼べる主観的な時間の観測を“カイロスの時計”、地球の公転や自転などのより大きな客観的時間観測を“クロノスの時計”と呼びました」

 

 太陽を奉じたエジプト文明も、後に太陰暦を作ることになるメソポタミア文明も。それらと交流を持たぬマヤ文明の太陽神殿に至るまで。

 

 最古の暦を創った者らは天文観測の術に長け、星と月、そして太陽を緻密に観測することで、やがては周期的な暦にするに至った。

 

 日時計しかり、水時計しかり、時計の起源はその辺りになる。主に農耕文明を発展させる上で正確に種まきや収穫時期を知るために作り上げたものだが、“人間の生活向上のために、円環の時間を測る器”として時計は出来たのだ。

 

 

 「その時計が逆転時計となり、君が“時の終わり”の一例ということは」

 

 「そういうものが、魔法族の起源ではないかとロウェナ様は仮説を立てられました。まず一つ、取り敢えずは始まりと言える科学文明があり、魔法と遜色ないほどに発展していく。その中で宇宙進出やら不老不死やら根源やらを巡ってイデオロギー戦争が起きた際に、争いから逃げて“時の回廊”に避難した民がいたと」

 

 今の地球に逃げ場のない彼らが逃げた先が、物騒な科学文明のない過去の地球。

 

 ただし、数万年も前には飛べない。時計を逆転させることで遡るのだから、“時計がある文明まで”しか到達することは出来ない。

 

 

 「この仮説ならば、マグルの古代文明の発生時期と魔法族の分離時期が重なることにも説得力のある説明がつきます。いくら高度な文明を誇った未来からの亡命者であろうとも、文明というものは発達すればするほど、“集合知”から切り離された個人が無力になるという性質を持つので」

 

 自動車が創られ始めた頃ならば、運転手は誰でもエンジンの仕組みやエンストの直し方程度は知っているが。

 

 22世紀に完全自動運転車が当たり前に道路を走る時代になったとして、乗り物に乗るだけの利用者が果たして運転の仕方や故障の直し方、ましては作り方など知りはしない。

 

 

 「仮に、近未来物語に出てくるような“魔力の塔”のような代物があったとしても、避難先である過去にはそれがない。文字通りの緊急避難だったならば、そうした器具を持ち出せるとも思えませんしね。時の放浪者である彼ら“魔法族”の故郷は未来にしかなく、表側の文明の担い手であるマグルと寄り添いながら、やがて科学と魔法が融合するまでに発展する日を夢見て、血を繋いで生きることとなった」

 

 それが、魔法族に関するルーツの仮説の一つ。

 

 アフリカで人類発祥の物語の一つである、“イーストサイド・ストーリー”のようなものだろう。新たな学術的発見がある度に更新され、前の論が徐々に否定、あるいは一部を残しつつもより発展した論に取って代わられることもあるわけだが。

 

 

 「そしてホグワーツが作られ、未来に至る。……仮にそうだとしたらなかなか救いがないのう。辿り着いた未来で再び戦争が起きれば、彼らはまた時の遡行を行うこととなる」

 

 「だからこそ円環なのでしょう。まさにその“時の終わり”が24時であり、時計は逆転し再び0時に戻る。境界線を超えて次の日へ進むことがないまま、時を繰り返してしまうがゆえの“逆転時計”です」

 

 魔法族の生きる“時の回廊”がそういうものだとしたら、本流を問うことに意味はなくなる。

 

 ハリー・ポッターが闇の帝王を倒す流れがあり、やがて巻き戻り。

 

 セドリック・ディゴリーが死喰い人へ堕ち、闇の陣営が勝利する流れがあり、やがて巻き戻り。

 

 また、ハリー・ポッターが勝利する時間軸に戻ったとしても、いつかはまた巻き戻る。

 

 

 「むしろ、そのようにして繰り返す度に徐々に魔法界が大きくなっていったのではという考察もあります。貴方やヴォルデモート、そしてポッター少年など、外側の世界でインターネットが発達していくこの時代は、“魔法と科学の融合”が何時起きてもおかしくない特異点のようなものであり、巻き戻りの24時へと加速するかどうかの分岐点ともなる」

 

 それは例えるなら、一年ごとに世界観と登場人物が増えていく物語のように。

 

 賢者の石の騒動で、“例のあの人”が倒される歴史。

 

 秘密の部屋のトム・リドルが、闇の帝王となる可能性。

 

 闇のしもべ達が現れだし、予言を受けて帝王が復活する流れが生まれ。

 

 セドリック・ディゴリーは死に、復活した闇の帝王と墓場での決戦。

 

 かと思えば、そこからさらに続きが語られ、より壮大な戦いになるか身構え。

 

 だがしかし、増えたはずの人間は同士討ちで徐々に減りいき、魔法界は再び小さくなり。

 

 最後には、ホグワーツの生徒たちが殺し合う血みどろの内戦になってしまう。

 

 

 「校長先生のおっしゃる通り、仮にそうだとしたら、この円環は構造的欠陥を孕んでいると言えるでしょう。最後に“巻き戻り”が待っている以上、良き流れで物語が終わったとしても次のループが始まってしまう。そしてそこに、敗者の怨念が混ざってしまうなら、闘争は徐々に足の引き合いの様を呈していくことになる」

 

 「……みぞの鏡、憂いの篩、そして、ニワトコの杖に、蘇りの石、いや、まさか」

 

 「真に賢明なるは、透明マントで“死が過ぎ去るまで隠れていること”とはなかなか含蓄のあるお伽噺だと思いますよ。曰くのある魔法の品の数々にはなぜか過去の憂いや望みに関する物が多く、未来を向いたものは極端に少ない。更に一つ、“例のあの人”とは果たしていったい誰を指す言葉であったか」

 

 トム・マールヴォロ・リドルとは、いったい何時から闇の帝王だった?

 

 仮に、そう仮にだが、その見立てが正しいなら、マグルの孤児院生まれの混血の少年に、“闇の帝王”という役を被せたのはいったい何時から?

 

 

 「“例のあの人”、闇の帝王のことじゃな。もちろん覚えておるとも、儂の教え子でもあった……はて、うむむむ、ボケたかのう?」

 

 「母の愛の魔法とは本当に不思議なものでして、最近になって皆さまどんどん彼の名前を気づかぬうちに忘れていっているようなのです。死喰い人の首魁である“闇の帝王”という存在があり、“例のあの人”と忌避された存在であることは分かっても、個体名が思い出せない」

 

 それは当然の結果と言えるだろう。彼はもう、マールヴォロでもなければ、リドルでもない。

 

 トム・マールヴォロ・リドルがいなければ、ヴォルデモートもまたいない。名前の由来を失った闇の帝王は、誰でもない“例のあの人”としか呼ばれない。

 

 あるいはそれは、もとに戻ったと言えるのか。母の愛は、魔法族の時の回廊に囚われていた息子を、牢獄から助け出したとも言えるのか。

 

 正確な答えは、誰にもわかるまい。

 

 

 「不思議じゃ、何とも不思議なものじゃて。しかし、うむ、本当に不思議と、忘れていたことが不安にはならぬのじゃな。ダッハウ先生に言われてようやく、彼がトムであったことは思い出せたよ」

 

 「であるならば、今もどこかを旅しているであろうご子息は、トムと名乗っておられるのかもしれません」

 

 「やはり、母の愛は偉大じゃな。先程まで浮かんでいた足元が揺らぐような不安がすっかりと消えてしまったよ」

 

 「未来に関する漠然とした不安とは、マグルも魔法族も変わらない。母に抱きしめられればそれだけで安心するのが子供というものですから」

 

 杞憂というものは、ある意味で消すことは出来ない。

 

 自分達が何処から来て、何処へ向かう生き物であるのか、なまじ知識や知恵を持ってしまったがゆえに、人は死の先を考えて不安になってしまう。

 

 そうして不安に抗しきれなくなったとき、歪んだ逃避先として不老不死を求めるならば、その先には円環の救いすらも失った虚無が待っている。

 

 

 

 「つまるところ、その仮説についてはあまり考えても意味のないこと、というわけじゃな」

 

 「その通りです。太陽が数十億年後に地球を飲み込む程に肥大化し、爆発すると分かったからといって、今から怖がる必要などどこにありません。そんなものより遥かに先に、地殻変動や疫病、飢饉、何よりも核戦争で人類が自滅する可能性の方が余程高いですから。そもそも、こんなチンケな虫けらの如き文明が数万年以上もつわけもないでしょう」

 

 「相変わらず辛辣じゃのう君は」

 

 「客観的な観測の帰結です。文明崩壊というものは常に発展と背中合わせのリスクですから、共同体を構成する人員の精神的劣化が進むほどにそのリスクは高まるもの。資源が枯渇するよりも、モラルが枯渇する方が常に早いのがサピエンスの歴史です」

 

 おおよそどの文明も、完全に資源が枯渇しきった段階で滅亡するわけではない。

 

 徐々に減っていく資源に民衆が不安を感じ、不安は不満へと転じ、残る資源の奪い合いが始まり、そして終わらぬ不毛の戦争へと。

 

 そして皮肉なことに森林資源も化石燃料も鉱物資源ですらも、億年単位で見るならば流動してるだけであり、人類が消えて数億年も経てば、痕跡すら残らずに星はただあるがままにあるだろう。

 

 生半可は方法では、仮に水素爆弾を全て起動させたとしても、地表の薄皮一枚を焦がす程度しか出来はしない。地上の真核生物の大半は絶滅させられるかもしれないが、地下界のバクテリアやアーキア、ウィルスが絶滅する可能性は皆無である。

 

 そんな程度で絶滅するならば、彼らは43億年ほど前に真核生物へ進化することなく滅んでいる。

 

 

 「地球のコアまで掘り進んで、そこにありったけの水素爆弾を埋めるなど、人類が本気で努力に努力を重ねれば、星を砕くこととてあるいは出来るでしょう。ですが、漠然とした不安から同士討ちを始める程度の低級な衆愚がそんな大それたことを出来るはずもなし。だからこそ私は言うのです、“ありきたりすぎてつまらない”と」

 

 そんなものは、愚かな人類の日常茶飯事。面白くも何ともない、マンネリの三文小説。

 

 どうせなら、月を落として地球にぶつけるくらいやってくれれば、なかなか壮大な観物となるだろうに。

 

 

 「ありきたりな日常も、そう悪くないものじゃよ」

 

 「悪くはなくとも、流れがなくては繰り返す度に淀んで行くことだけは避けられない。娯楽に飢えた衆愚が酒と暴力とセックスに走るのもまたありきたりな日常です」

 

 「嫌な日常じゃな」

 

 「ですがそういうものです。三歩離れて嘲笑いながら現実を眺めようじゃありませんか」

 

 「マートルは凄いのう、よく君と普段から付き合えているものじゃ」

 

 どんどん話が脱線していき、壮大な魔法族のルーツに関する話題はどこへやら。

 

 まさに、人類史など井戸端会議や酔っぱらいの妄言と同じ程度の価値しかないと言わんばかりに、悪霊の話はあちこちに飛んでいく。

 

 こんな奴に魔法史を語らせた結果が、あの授業である。生徒たちからの評判が地の底であるのは当たり前だ。ただし任命したのはダンブルドア先生なので、これは自業自得と言えるかも知れない。

 

 

 

 「話を戻しますが、我が創造主の時計塔を解析し、ロウェナ様が立てられた仮説は“逆説的に”考えられたものです。真っ当に考えて、時を遡った時計塔の存在がパラドックスを起こしていないのはおかしいならば、相応の理由があるはず。では、“普通の回帰”と“ダッハウの回帰”は何が違うのかと」

 

 「それは道理じゃな。君がこうしていることが極大の異常なのは確か。それが許容されているならば、そもそも魔法族の歴史とはそのようなものであり、通常ならば修正されるか当たり前となって違和感を持たないはずのものが、君に限ってはそうではない」

 

 「そうして辻褄が合うように仮説を組まれたわけですから、あくまで“時計塔ありき”の仮説です。それに、これでは中国やインドの魔法界を説明することにはならないともおっしゃられていました。ヘルガ様は“複数紀元説”を支持されてましたが」

 

 「つまり、魔法族のツールは一つではない。言い方を変えれば“物語の数だけある”ということかのう」

 

 「実に融和と共存を重んじられるヘルガ様らしい意見です。ただ、サラザール様も基本的には合意されてましたので、信憑性はそれなりにあると思っております。ロウェナ様は若干懐疑的でしたが、否定されることもありませんでしたね」

 

 そして、そういった議論には全く関わらないゴドリック。他の三人も、そういう議論の場にそもそも彼を呼ばなかったのだろう。

 

 

 「ともあれ、全てを説明しきれるわけではなくとも、ホグワーツとイングランドの魔法史の及ぶ範囲については、ほぼ矛盾点がなくなるだけの仮説を創られたのは流石です。まあ、創始者達4人にとっては、まさに他人事ではない考察だったわけですが」

 

 「そうであろうの、彼らは君を通して未来を知った。破滅の可能性を垣間見た。自分達四人が仲違いし、道を誤ったならば、子孫がことごとく滅ぶのだと」

 

 創始者達にとってロウェナの仮説は、ただ学術的に論じられたものなのではなく、未来への戦略図に等しいもの。

 

 悪霊を孕んだ時計塔はホグワーツにあり、それは実に忌まわしくも破滅的な未来を告げた。彼らはそれに対処しなくてはならず、しかし時の回廊に迷い込んだままでは進むべき方角すら分からない。

 

 その難題を一任されたのが、叡智の賢者ロウェナ・レイブンクローである。彼女は己の誇りと持ちうる知識と叡智の全てを振り絞り、考えられる限りの仮説を並べ、取捨選択を重ねることで一つの道筋を考えついた。

 

 残る三人も、それぞれの分野ごとに協力や熟考は重ねたが、基本的には彼女の描いた時の絵図を踏襲することに否はなかった。元より、時の分野など難解に過ぎて、門外漢に及ぶ領域ではないのだから。

 

 

 「私や貴方程度に考えつくことが、偉大なるロウェナ様に分からなかったはずもなし。ならば後は彼女の決断を信じるのみと、軍隊において司令官の指揮を信頼する前線部隊長と同じ心境というものです。まあ、どちらかと言えば総司令官はゴドリック様とサラザール様であり、ロウェナ様は参謀だったわけですが」

 

 そしてヘルガは、調整役であり後方支援役、更には兵站担当。サラザールは軍令、軍政、特に現代風に言うならば軍事裁判所も担った人物だから、純粋に軍事的な指揮官として動くのはゴドリックだけとなる。とはいえ彼とて、最前線の切り込み隊長も兼ねるという異色の司令官だったわけだが。

 

 

 「どこまでいこうが、やはり彼ら四人は乱世の英雄でした。ことに共同してあたるという発想そのものが、誰も意図せずとも軍事会議の側面を帯びていましたから」

 

 「少しばかり羨ましいのう、儂とゲラートはついぞ、そのような関係になることが出来なかったのでな」

 

 「あるいは、貴方とグリンデルバルドと同格の魔女や、調整役や司令官の器を持つ人物が会議に加わったならば、成れたかもしれません。ひょっとしたら、繰り返しのループの中にはそのような可能性もあったかもしれませんね。ロウェナ様の仮説通りならばの話ですが」

 

 「夢があるような、ないような、何とも不思議な話じゃよ」

 

 「様々な可能性を想定できる部分には夢があり、ここはヘルガ様の領分。しかし、結局は巻き戻りで意味がないという部分は何とも現実的で非情であり、ここはサラザール様の領分。基本的にロウェナ様は客観性重視ですので、方向性に関しては他人の影響を結構受けやすい方でした」

 

 「ちなみに聞くが、ゴドリック殿は?」

 

 「“取り敢えず悪霊は許せん、時計塔をぶっ壊そう”以外の意見はありませんでしたよ。流石はミスター脳筋、ホグワーツの誇る決闘馬鹿。ひょっとしたらそれで全てが解決するのでは、と皆に思わせてしまう謎の説得力があるからこそ奴は性質が悪いのだ、とはサラザール様の言葉です」

 

 「……心動かされるものがあるのは、否定できんわい」

 

 やっぱりアルバス・ダンブルドアもグリフィンドールである。

 

 単純明快で、分かりやすい解決手段というのは何と言っても素晴らしい。やった後にとんでもない騒動がしっぺ返しでくるのもセットで、グリフィンドールの伝統なのだ。

 

 

 「私は無責任の塊ですので、“取り敢えず壊してみたらいいんじゃないですかね?”と進言したのですが。その瞬間に他三名が一致団結して“絶対に壊すのは止めたほうが良い”とゴドリック様を静止なさいました。彼とて、私の発言を聞いた後はなぜか矛を収めたのですから不思議です」

 

 「分かっておってのたまうから、君はたちが悪いのじゃよ」

 

 このドクズ悪霊が“壊してみたら?”と言う物など、絶対に壊すべきではない。

 

 パンドラの箱ならまだましで、最後に希望ではなく“やーい、間抜け~”という嘲笑の言葉が出てきそうな災厄の箱だ。

 

 

 

 「何度も話が脱線してしまいましたが、つまるところこれらの仮説は、“クロノスの時計”にどう対処するかという極めて実際的な戦略の根幹をなすものでした。“敵を知り己を知れば百戦殆うからず”とはよく言ったもので、唯一の手がかりである時計塔をロウェナ様とヘルガ様で徹底的に調査し、そして未来への戦略を決定なさった」

 

 「原因を探る、つまり君はどういう存在なのか。そして、未来からのループ自体は“あって当然のもの”だとしても、確実に時を超えたオーパーツとして君と時計塔を認識できてしまっているのはなぜか、やはりそこが焦点じゃな」

 

 他ならぬロウェナ・レイブンクロー自身が、後に逆転時計のプロトタイプを作り上げている。

 

 彼女は一時期、ひょっとしたら自覚のないまま未来から遡行してきた“時の魔女”が自分なのではと、そんな可能性すらも考えている。

 

 というのも、集団としてのルーツはそれぞれ明らかながらも、ゴドリック、サラザール、ヘルガ、ロウェナという四人の英傑が何処から来たのかは、どこにも語られていないからだ。

 

 忘却術という魔法は既にあり、自分で自分のものだと思っている記憶すらも、絶対的にあてになるものではないのが魔法界というもの。

 

 ロウェナ・レイブンクローとは、そんなことまで自分を透見して観測する生粋の研究者であった。

 

 

 【なるほど、ハーマイオニー・グレンジャーの未来が、ロウェナ・レイブンクローであると。実に面白いですね、ひょっとしたらダッハウ以前はそうであったのやもしれません。灰色レディもまさか、己の母に髪飾りを託していたのだとすれば、何ともまた】

 

 他の三人には伏せたまま、その疑念を密かにクソムカつく悪霊に問うてみた際の答えがこれである。それを聞いて彼女は、その先を考えることを止めたという。

 

 そうだとしても、そうでなかったとしても、コイツが既にここにいる限り、それは最早解明することに意味のない過去なのだと。

 

 

 「ここに顕現している“私”とは違う意味で、時の遡行現象に対して“時計塔以前”と“時計塔以後”で何が違うかと言えば、答えは既に出ております。何せ私はダッハウなのですから」

 

 「……例のあの場所、名前を言ってはいけないあの場所、忌まわしきその名、ということかね」

 

 「ええ、つまりはそういうことです。ロウェナ様の仮説通りならば、時計塔以前の“巻き戻り”とは魔法族が過去に生存圏を求めての“ノアの箱舟”であった。新天地は楽園ではなく、マグルという天敵にして共存相手がいることもまた、時計である以上は逃れられない宿命でしたが」

 

 それでもそこには、生きたまま流れ着いてくる者達が常にいた。

 

 生きるために、時間軸的には過去であっても、先へと進まんとする祈りがあったことは疑いない。

 

 ならば、あの時計塔は?

 

 悪霊の棲家ともなっているあの時計塔は、方舟なのか、それとも。

 

 

 「“ダッハウに墓はなく”。それが全ての答えです。そして、貴方の父君がアズカバンの収監されたように、魔法族はマグルに自分達が漏洩することを極度に恐れる。ですがそれは生存戦略としては賢明と言えるものでしょう、科学と魔法が融合できる下地が整う前に、皆殺しにされるほど恐ろしい結末はないのですから」

 

 全滅してしまえば、時の遡行は前進ではなくなる。

 

 仮に、やり直しをすることが出来たとしても、破滅の未来を覚えている者がいないのならば、全く同じ道を歩み、同じ破滅にいたるだけ。

 

 

 「時間軸とは何ともややこしい話ですが、要するに、“誰かが何かを変えなければ、何も変わらない”というのは動かしようがない。時計塔だけがそこにあり、ただ時だけを遡ったところで、そこに何の意味があるというのか」

 

 数十億人、あるいは百億を超えているかもしれない未来のマグルに対して、時を遡った魔法族が数十人、あるいは数人程度であったとしても。

 

 “アフリカのアダム”、“アフリカのイブ”という概念があるように、エジプト文明やメソポタミア文明といった人類の黎明期に関わったならば、未来は大きく変わるかも知れない。バタフライエフェクトは有名だろう。

 

 結局最後はまた、時の終わりにループによるやり直しになってしまうとしても、やがてはそれすら覆すような共存の道や明るい未来が待っているかも知れない。

 

 

 「実際、論理的に考えればかなり儚い希望であり、ループの度に絶望や怨嗟、諦観が積み重なっていく可能性のほうが高いでしょうが、夢と希望は確かにそこにあったはず。しかし、タイムマシンだけを過去に飛ばし、遡行した人数が0人であったなら、歴史が変わる可能性は極小以下になってしまう」

 

 それはつまり、袋小路にはまり込むことを意味する。

 

 遡行してすら変えられぬ、時の終わり、人類のデッドエンド。

 

 

 「ふむう、難しいのう。魔法族であれ、マグルであれ、数千年前の人間にはその高度な遺物について何もわかるまい。それが時を超えた品であると気付いた時には既に遅しというものじゃろう」

 

 「ええ、そうなるはずであり、実際そうなりかけた。今の私のような幽体は本来ならばAD1000年頃に存在しているはずがなく、時計塔はただ“昔からあるだけの謎のもの”と認識され、あるいはゴドリック様の言う通り、どこかで壊されていたかもしれません。遡行の範囲はたかが数千年単位ですので、地殻変動に飲まれる可能性は低かったですが」

 

 時を遡った時計塔が、誰にもそういうものだと認識されぬまま、ただ朽ち果てたり壊されればどうなるか?

 

 答えは一つ。時間はただ巻き戻っただけなのだから、異物がなくなれば、その一つ前の歴史を辿るだけ。

 

 より広い宇宙レベルでの時間論を語るならば、更に異なる可能性も論じられるかもしれないが、“時計塔から始まる時の回廊”に限るならば、そこで完全な袋小路を迎えてしまう。

 

 だとすれば、それはなんという終わりなき地獄、いいや、煉獄であることだろうか。

 

 

 「であるのでやはり、ゴドリック様の言葉には一理ありというもの。既に誰かが、それも、ホグワーツの創始者の方々という極めて歴史的影響力と個人の力量に優れた方々が時計塔と接触し、“そういうものである”と認識なさったのですから、余計な火種ともなりかねない厄介物は砕いてしまうべきと」

 

 「じゃが、彼らはその道は選ばなかった。ああ、なるほど、だから“セドリック・ディゴリーを忘れるなかれ”なのじゃな」

 

 「ええ、ここまで来てまたややこしく前提をひっくり返してしまうのですが、そもそも私が発生した歴史の終わりそのものが、アルバス・セブルス・ポッターとスコーピウス・マルフォイ、そしてデルフィーニ・ディゴリーを名乗った少女たちによる時の遡行の揺り戻しと言えるものなので」

 

 「あまりにもこんがらがった、時の知恵の輪よの」

 

 

 まず一つ、彼と彼女の手で“小さな時計”が使われて。

 

 それが次に、生まれる前に戻るほどに大きめに“小さな時計”が彼の息子に使われて。

 

 その時の歪みが、彼が死んでしまった世界で彼女が“大きな時計”を生んでしまうほどの科学と魔法の崩壊となり。

 

 そして、まだ彼も彼女も生まれていない過去の世界で、“大きな時計”を壊してしまえば何が起こるのか。

 

 

 「本当に、ロウェナ様は何度も頭を痛めていらっしゃいました。そこには恐らく、始まりは貴方が単独で解決したに等しかったであろうアズカバンの囚人と吸魂鬼に関する案件を、生き残った男の子の成長のためにと、逆転時計を用いてハリー・ポッターとハーマイオニー・グレンジャーに解決させたのも要因なのでしょう」

 

 「ううむ、この儂には覚えのないことなのじゃが、まあ、愚かな儂じゃからのう。アリアナの癒やしがない状況ではそんな馬鹿なことをしてしまうと言われても、納得しかないのが情けない限りじゃ」

 

 「縁は巡り、因果は収束するもの。ヘルガ様もロウェナ様もやはり魔女ですから、そちらを重視なさったのでしょう。この“カイロスの時計”と“クロノスの時計”に纏わる話、始まりの因果を清算しないうちに、自分達が終わらせてしまってよい縁ではないのだと」

 

 もっとも、時を遡ったメビウスの輪である以上、始まりの因果は同時に終わりでもあるという意味不明さ。

 

 その始まりについては、ちょうど同刻、ノーグレイブ・ダッハウがマートル・ウォーレンに語っている。

 

 何ともややこしく、因縁が絡むこの物語を。

 

 実に壮大な世界に関わることであるようで、結局の所は両の手で数えられる程度の人間の失敗や後悔に帰結するその話。

 

 

 「メローピー様と秘密の部屋のときもそうでしたが、結局の所は自分の生き方、信念、愛、そういったものを貫けるかどうか、納得の問題なのでしょう。人生という物語が終わったときに、残るのが満足か後悔か。あるいは、後悔するにしても、仕方ない、悔いはあるがそれでも己の人生だったと悟れるか」

 

 時間軸に関する学術論も、壮大な戦争絵巻も、恋愛に関する愁嘆場も。

 

 全ては等しく、人間が頭の中で考え、他人に語ってこそ意味のある物語。

 

 

 「全てが終わってしまい、残る観測者が悪辣な機械仕掛け一つでは、余りにも味気ないというのも。世界の終わりなど、終末的で劇的に見えて、いざ実際に目撃すれば“まあ、こんなものか”くらいの感想しか浮かびませんでしたよ」

 

 

 




今回の話の時間の概念は、クロノ・トリガーを参考にしています。
全く同じというわけではありませんが、そんな感じの概念と捉えていただければ。
時もまた道具の一つであり、本質は人間達の紡ぐ物語をどう語るかですので。


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5話 ひどい話

この話は本当にひどいです。
人類に対する同胞愛を失いたくないなら、読まないことをオススメします。
また、もしこれまでにダッハウというキャラクターに好意や好感を持っていただいている稀有な方々がいらっしゃいましたら、ブラウザバックを推奨いたします。確実に嫌いになります。
既に嫌いだった方々は、ますます嫌いになります。

重ね重ね注意します、この話は本当にひどいです。精神に盾の呪文を複合装甲で張ってください。
読んだ後の嘔吐感や怒りについては自己責任でお願いします(責任逃れ)。 by ダッハウ


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【ロウェナ・レイブンクローが解読出来なかった、魂の伝送に関する記述】

 

 ※製作者の意図を読んだか、「要求を出す側」からの何らかの接触術式ではと考察

 ※術式の一部に損傷があり、このままでは駆動させられないのではとも推察

 

#include <arpa/inet.h>

#include <stdio.h>

#include <stdlib.h>

#include <sys/soc_ketet.h>

#include <unistd.h>

 

void error_log(int Harry);

 

int main() {

int port = 20022;

char *mes = "Hello Wizarding World";

char *ip = "192.168.3.221";

int length = strlen(mes);

int soc_ket;

 

if ((soc_ket = soc_ketet(PF_INET, soc_ket_STREAM, IPPROTO_TCP)) < 0)

error_log(__Harry__);

 

struct soc_ketaddr_in addr;

addr.sin_family = AF_INET;

addr.sin_addr.s_addr = inet_addr(ip);

addr.sin_port = htons(port);

 

if (connect(soc_ket, (struct soc_ketaddr *)&addr, sizeof(addr)) < 0)

error_log(__Harry__);

 

if (send(soc_ket, mes, length, 0) != length) error_log(__Harry__);

 

printf("Philosopher: ");

int all_cnt = 0;

int num;

char buf[50];

 

while (all_cnt < length) {

if ((num = recv(soc_ket, buf, 49, 0)) <= 0) error_log(__Harry__);

all_cnt += num;

buf[num] = '\0';

printf("%s", buf);

}

 

printf("\n");

close(soc_ket);

exit(1);

return 1;

}

 

void error_log(int harry) {

printf("ERROR: Harry %d", harry);

exit(1);

}

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 「とまあ、わりと詳細に述べてきたので長々と語ってしまいましたが、そのような次第で“生き残った男の子”と“闇の帝王”との抗争は決着がついたわけです。史記の如くにならば“ハリー・ポッター本記”とでも言うべき内容でしたが、感想はどうです?」

 

 「色々言いたいことはあるけど、戦記としてはちょっとグダグダだし、顔見知りばっかりだから死んだと聞いたらやるせないし。おまけに登場する人たちみんな仲悪すぎてアンタの悪意ある改変を疑うレベルなんだけど」

 

 「だいたい予想通りの感想ですが、現実とは所詮こんなもの、という点では実に歴史物語らしい結末と呼べるのではないでしょうか。少々恋愛関係の揉め事が多いのが玉に瑕ですが、私的には大いに楽しめる内容も多かったですよ。特にセドリック・ディゴリーや、仲違いの果てにウィーズリー家の一員が死ぬあたりは。パーシーは弟の墓に何と言って詫びるやら」

 

 「死ねクズ」

 

 「ジェームズ、リリー、シリウス、リーマス、セブルス、ニンファドーラ、セドリック、フレッド。とまあ、去年の秘密の部屋探索で和気あいあい楽しくいた彼らが、よもやピーターの裏切りを原因に人間関係が壊れていき、次々に死んでと。私の悪意ある改変を疑いたくなる気持ちは分かりますがね」

 

 悪霊の語った、ハリー・ポッターの生まれてから、特にホグワーツでの七年間についての物語。 

 

 マートルさんにとってみればリアルタイムでの話であり、今ハリーは三年生。その彼とは異なる道を辿った、生き残った男の子の物語を。

 

 

 「ほんとに、ハリーが痛ましくて可愛そうでならないわ。その救いのない戦争が終わったときだって、彼はまだ17歳の少年でしょうに。どうしてそこまで多くの死を背負わされないとならないのよ」

 

 賢者の石と、秘密の部屋に関する話までは、マートルさんもまだ相槌をうちながら話を聞いていられた。悪霊がここは若干意図的に、ホグワーツでの彼らの生活に限って話していたのもある。

 

 ただ、三年目以降になって初めて、その歴史で悪戯仕掛け人達が辿った末路を聞いてからは、その表情に笑みはなかった。

 

 

 「そう思われるのは当然でしょうが、彼は言わば魔法界に選ばれた生贄でしたから、仕方なしと。そこについては、トム・マールヴォロ・リドルとて同じことであり、片や“生き残った男の子”に選ばれ、片や“例のあの人”に選ばれた」

 

 「リドル先輩もねえ、聞いた感じだけど、そっちの世界の帝王様は純粋にゲス野郎としか思えなかったわよ。ベラトリックスも可哀想なポンコツちゃんじゃなくて、笑えないタイプのヒス女だったし」

 

 「闇の魔術とは人格を歪ませるものなれば、歪みきれば底まで堕ちるというものです。こうして比較して見てみれば、“許されざる呪文”が禁忌とされる所以もより分かるでしょう」

 

 心の魔法というものは、闇に染まれば歯止めが効かなくなる。

 

 残忍な処刑、拷問を繰り返せば精神が歪まないはずがなく、かつてあったはずの綺麗な心も失い、醜い魔女に成り果てる。

 

 

 

 「そして呪いの子が生まれました、名はデルフィーニ。一度は終わったはずの物語は彼女によって再び動き出し、そして私へと至ります」

 

 「なんかもう、こっから先はあまり聞きたくなくなってきたんだけど」

 

 「まだまだ終わりはしませんよ。ホグワーツの歴史が悲惨な末路に至るのはこれからが本番なのですから」

 

 そうして続けて語られる、呪いの子に関する物語。

 

 登場するのはハリー・ポッターとジニー・ウィーズリーの子供達、ドラコ・マルフォイとアステリア・グリーングラスの子供、ロナルド・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーの子供達。

 

 そして、ヴォルデモートとベラトリックス・レストレンジの間に生まれた子供、デルフィーニ。

 

 彼らについて物語を、セドリック・ディゴリーにまつわる時の遡行の話を。

 

 トム・リドルの存在は言うなれば、魔法界のへの生贄、大祓の儀式。オイディプス王の逸話に通じるものがあり、穢れを押し付け、都市から放逐する。

 

 その属性は彼の分霊でもあったハリーにも引き継がれ、さらに世代を経てアルバス・セブルスとデルフィーニへも。

 

 

 「19年もの月日が経とうとも、客観的に見れば魔法界が良くなったとは言えません。魔法戦争の際に、あまりにも醜態を晒しすぎた」

 

 権力と癒着した新聞を鵜呑みにする大人達が醜悪に過ぎる。子供達に戦わせ、自分達は死喰い人から逃げただけ。その挙げ句、英雄たちが戦った平和の果実だけは恥知らずに貪る。

 

 客観的に見れば、何とも現実的な、ありふれた内戦の悲劇。身内同士の殺し合いに過ぎないから、勝ったからとて何かが得られるわけでもなく、虚しさだけが残るのみ。

 

 ハリー・ポッター入学時の魔法界に比べ、ヴォルデモート没時の魔法界は何も好転していないどころか極端に悪化している。

 

 英雄に祭り上げられたその後も彼はよく頑張りはしたが、負債は埋めきれていない。そうした傷が、子供達との不和に繋がる。

 

 そしてアルバスが行ってしまう自分が生まれる前への時の遡行、それに伴う反作用。やがてクロノスの時計にズレが生じる。

 

 その顛末を悪霊は語り聞かせ、マートル・ウォーレンはさらなる縁を知るに至る。

 

 

 

 「……よくも黙ってたわねアンタ。メローピーの孫娘にあたる子の名前が、まさかデルフィーニなんて」

 

 「因果なものだと言ったでしょう。ネビル・ロングボトムの両親を廃人にしたのはクラウチJrとベラトリックスら死喰い人なのですから、嘲笑ってしまうほどの縁ですよ」

 

 「魔女の若返り薬で、デルフィーニへ、ねえ。ポンコツちゃんだった昔に戻ったのだとばかり思ってたけど、その話を聞いたらそれだけじゃないと思えてくるわ」

 

 「ポッター少年やグレンジャー将軍と同じく、彼女も夢を見たのでしょう。それが、異なる世界の“どちらの自分”の夢であるかはさて、なかなかに興味深い」

 

 「メローピーに懐いていたものね、あの子。それに、メローピーも“孫が出来たみたいだ”って」

 

 「その辺りについては、流石はヘルガ様やロウェナ様です。強引に時計塔や過去の因縁を壊すのではなく、前世の因果を流れと成り行きに任せつつもあるべき形に収束させる。この城は本当に凄まじい」

 

 優しき母のようでもあり、厳しき父のようでもある。

 

 卵を守る母竜であり、敵を射殺すバジリスクの峻厳さ。

 

 それが魔法の城ホグワーツ。

 

 

 「しかし、逆転時計か。アンタの授業でも言ってたわよね、基本的に体内時間を食べる魔法生物の作用によるものだけど、生まれる前の遡行は絶対にするなって」

 

 「ええ、正確にはあれは私の言葉というよりも、ロウェナ様の言伝です。魔法史の授業は随所に、創始者の方々の言葉を伝える部分が織り交ぜられているのですよ」

 

 「ああ~、なるほど。基本的にクズ極まるあんたの最低授業だけど、ところどころで急に真面目というか、含蓄深い部分があるのはそういうことだったのね」

 

 「これもいつも言っているでしょう、ノーグレイブ・ダッハウは遍在すると。創始者の方々もまた、時計塔に実に縁深い人物ですので」

 

 人であったことがなく、ある意味で自我というものが極めて希薄な悪霊は、他人の言葉を借りて何かを伝える。

 

 であるならば、歴史に関する知識も、人間に対する嘲笑も、出処はどこかに必ずある。

 

 生きたことがない存在は、無から有を生み出すことが絶対にないのだ。

 

 

 「あの時計塔も誰かの墓、っていうか、アンタを創った未来のハーマイオニーの墓。かつ言うなればアンタの本体。その始まりがデルフィーニ達なら、彼女たちがやらかした時間遡行をきっかけに、あの“大きな時計”が出来たのね」

 

 「ええ、まさに開けてはいけない禁断の扉を開くというもの。しかし、不用意に時の干渉を行ってしまった反作用こそがそれだった。ここでまた一つ、マートルさんにも考えていただきたいのですが、“現実的に考えて”、死喰い人陣営が勝利した魔法省、ホグワーツ政権は何ヶ月もつかと」

 

 「せめて何年って言いなさいよ。その時点で答え言っちゃってるじゃない」

 

 「とまあ、それが反動です。その“もしも”は可能性すらも考えてはならないものだった」

 

 アルバス・セブルス・ポッターが迷い込んだ、ヴォルデモートが勝利されたとされる世界。

 

 逆転時計の本質は“時の誤魔化し”なのだから、この時点では彼とスコーピウス、デルフィーニの三人だけが錯乱呪文にかけられて白昼夢を見ていただけとも繕える。

 

 つまるところ、その段階では魔法で形作られた仮想現実も同然であり、同じ逆転時計を使えば介入も可能。

 

 縁を繋いで、送り手であるデルフィーニのもとにたどり着ければ、“悪い夢”から覚めることはできる。

 

 また、結局の所デルフィーニという少女の夢は、父に会いたかったという純粋な願いに起因している部分もある。

 

 呪いの子にまつわる騒動は、明確な悪など突き詰めればどこにもいない。

 

 世界大戦の残り火が今もイスラエルとパレスチナで燻るように、騎士団と死喰い人に色分けされた魔法界に残る、対立の火種が燃えたようなものだった。

 

 

 「そこでどういう現象が起きてしまったかは、ロウェナ様とて確実なことは言えないとのこと。一度“大きな巻き戻り”をしてもう一度そこに至ったのか、それとも、また別の誰かが逆転時計を使ってしまったのか。ともあれ、悪い夢のその先を、マグルの現実的に考えればどうなるか」

 

 「うわ、なんか凄く聞きたくない」

 

 「長年事務室に尽くしてくださった忠勤に免じて、サクサクと端的に話すといたしましょう。本当でしたら、ここはねっとりとじっくりとサピエンスの愚かさについて、腸を抉るように語っていきたいところなのですが」

 

 「クズ野郎」

 

 「お褒めに預かり光栄です。まあ、マグルの観点から見てみれば一目瞭然なのです、シリウス・ブラックは既に1993年に大量殺人の大犯罪者として“マグル側”で指名手配されていた。そも、魔法界はピーターに殺されたマグル達の家族に、何の謝罪も補填もしていないわけでして」

 

 「あー、それは、とってもマズイわね」

 

 「ファッジ大臣の最大の不手際でした。また、タイムリーな話ですが、1995年の3月には極東の島国の首都にて地下鉄サリン事件と呼ばれる同時多発テロ事件があり、イングランドもまたIRAなどの過激派との抗争に若干過敏になっている時期でもありました」

 

 海外にも速報で知れ渡ったその事件が耳目を集めたのは、たかが新興宗教集団と思われたものがサリンという極めて危険な化学物質を用いたテロを行ったこと。

 

 それも、地下鉄という都市部には身近な密閉空間で、無差別に行われたということが、当時の先進国のマグルには衝撃として走った。

 

 

 「オウム真理教がサリン大量生産の為に上九一色村の宗教施設、通称“第7サティアン”内にサリンの製造プラントを建設した事件でして。これは日本のみならず世界中に知れ渡った大速報だったのです。これにて、マグルの大衆の中に、“村に引きこもりながら毒ガスを製造する怪しげな宗教集団”というイメージが出来上がった。さて、どうなりますか?」

 

 「隠蔽工作がきちんと行われてるなら、“向こうの大臣”との繋がりもあるし、何とかなりそうだけど」

 

 「死喰い人の政権がそんなことをするとでも? 例年通りにマグル生まれの生徒を招き寄せ、カロー兄妹が磔の呪文で生徒を拷問にかけるような学校。そして、マグル生まれを登録し、差別し、その家族を投獄するような魔法省。これらは外側から“どのように見える”でしょうか」

 

 「とってもヤバい、イカレタ思想に染まったオカルト集団が、魔法学校なんて妄言ばらまいたビラで子供達を騙して攫って、人権を無視した拷問かましてる施設、かしら?」

 

 「ええ、ほどなく、ホグワーツとはそういう場所であると、全世界に知れ渡りました。“第7サティアン”と同じように報道機関全般で」

 

 「終わったわね、なんかこう、色々と」

 

 これまで1000年以上も隠れてきたというのに、バレる時はこんなにも簡単にあっけなく。

 

 長く続くと思われたマグルと魔法族の隣人関係は、少しのきっかけで脆くも崩れ去った。

 

 

 「これまで魔法界が隠蔽できていたのは、グレンジャー夫妻のようなマグル側でそれなりに地位のある方々の様々な協力による部分が大きかった。しかし、夫妻からすれば17歳の娘が音信不通のままホグワーツから帰ってこない。ダーズリー家のことは当然知ってましたからそこに連絡しても、知れるのは恐ろしい話ばかり」

 

 「凄まじいまでに弁護の余地がないわ。死喰い人が過激思想に染まったマグル虐待集団なのはただの事実だし」

 

 「その通りです。知られてしまえば、強力な軍事力を持つ近代国家という存在は黙っておりません。まして、“第7サティアン”という海外の前例があり、IRAという目下の脅威も健在。毒ガステロに備え、警察ではなく完全武装の軍隊が、ホグワーツや魔法省に送り込まれ、ロンドンは一気に騒然となりました」

 

 後の流れは、最早詳しく語るまでもない。

 

 現実を認めない死喰い人の強硬派は、軍隊や警察に対して“アバダケダブラ”を放ってしまった。そう、放ってしまった、殺してしまった。

 

 

 「謎の殺傷兵器と、迅速な移動手段を備えた凶悪で危険なテロリスト集団の誕生です。いつ、死喰い人が姿現しして自分達を、子供達を殺しに来るかもしれないという恐怖は、パニックよりも怒りを引き起こしました。ポッター少年は、テロ集団に殺された哀れな被害者として報道で紹介されましたよ」

 

 こちらの歴史と異なり、彼はダーズリー家で過ごし、初等学校もマグル側で通った。

 

 当たり前に、彼を知る人間達はマグル側にいるのだ。軍隊を動かすにも金がかかり、増税が必須になるならば、民衆からの同情の材料は大いに越したことはない。

 

 

 「軍隊というものはとかく金食い虫です。イギリス軍と政府からすれば、死喰い人という集団はこの上なく都合が良かった。紐解けば、ワールドカップの際にもやらかした前例があり、“向こうの大臣”が協力して隠蔽していた事実も公開すれば、出るわ出るわの悪行の数々」

 

 「ただの世間知らず、マグル知らずがお遊びで起こした事件でも、そうした色眼鏡がかかった状態で悪意を持って報道すれば、ってやつね」

 

 「マンダンカス・フレッチャーのこそ泥めいた事件すらも、凶悪テロ組織の諜報員の脅威に容易く変貌するのです。そこからの1年ほどは、まさに目まぐるしい急転直下」

 

 ホグワーツがバレた。他にもいるかも知れない。フランスのボーバトンが見つかった。まだまだいそうだ、どんどん探せ。世界中を隈なくだ。

 

 

 「大義は我にあり、民衆を味方につけた軍隊というものは際限なく膨張するものであり、なおかつ敵が素晴らしい。“人間ではない”のです。ベトナム戦争や湾岸戦争と違って、死喰い人を殺しても誰からも非難などされません、これは、人権と人道を守るための“正義の戦争”なのですから」

 

 グリンゴッツがバレた、気持ち悪い生き物がいるぞ、人体実験の成果か? 皆殺しにせよ。

 

 狼人間がいたぞ、何と醜悪な、人と狼を混ぜ合わせる実験まで行っていたのか。

 

 何だこの巨大蜘蛛は、どこまで聖書を冒涜すれば気がすむのだ、この狂った生物学者めが。

 

 

 「人間というものは、前提条件や先入観によってものの見方が180度変わる生き物です。例えば狼の頭をした人間一つ取ってみても、“赤ずきん”というタイトルの映画に登場すれば狼男と誰もが見ますが、“バイオハザード”というタイトルであれば、人体実験の果てに創られたミュータントかクリーチャーになります」

 

 「幻想の怪物は、科学のミュータントになったわけね」

 

 「そして、世界中の多くのマグルがそうした認識を強めると、実際に幻想生物達は狂い始めた。境界線がなくなり、神秘が薄くなり、近代兵器で武装した軍隊などに殴り込まれれば、彼らは呼吸が出来ないも同然。上手く隠れることもできぬまま、狂乱して人間達に襲いかかる」

 

 「悪循環極まれりね、そうして兵隊を殺してしまえば、さらに大部隊が送り込まれて戦車や機関銃も、毒ガスすらどんどん投入される」

 

 「醜悪な人体実験のミュータントに同胞を殺された兵士たちの怒りは深い。彼らはまさに怒りに燃えた“神の兵士”となり、20世紀の十字軍となったのです。さあ、ジェノサイドの始まりです、神がそれを望んでおられます」

 

 歴史は繰り返すもの、虐殺は何時でも起こりうる。

 

 この世に地獄を創るのは簡単だ、正義が二つあればよい。

 

 

 「素晴らしきかな人類、ホロコーストの再演です。あの時は迫害され絶滅対象となったのは主にユダヤ人でしたが、今度は魔法族がその立場になった。何せ、魔女狩りはなかなか歴史のある概念ですから、一度始まってしまえば誰もが正義の熱に浮かされる」

 

 「チョット待ちなさい、それって……」

 

 「ええ、素晴らしいことに、“魔法の使えないスクイブ”という存在がいることも知られた。流行りましたよ、大いに流行りましたとも、マグルの中でも、“アイツがスクイブだ”、“魔法使いとの混血かも”、“魔女を匿っているのを見た”、“スパイを殺せ”、“魔女を殺せ”、“世界の敵を根絶やしに”」

 

 「そこまで、そこまでいくの? 一年も待たずに?」

 

 「人間は何処までも愚かです。イスラーム過激派のような中東の地で主に暴れる“分かりやすい脅威”ならばともかく、隠れて襲い来る見えざる脅威には凄まじいまでの過剰反応を示す。何しろ、黒人やアジア人、中東人と違って、見た目や言葉で区別ができないのですから」

 

 イスラム過激派のテロに対して自制心を失わずにすむのは、取り敢えず相手が白人ならば安心できるから。

 

 実態など別にどうでもいい、そういうものだと信じ込めれば、衆愚というものは安堵する。

 

 逆に、“未知のウィルス”などを相手にすれば、先進国の民は何処まで無様を晒すか。これもまた、時計塔が観測した別の歴史にて、2020年に起きたあるウィルスにまつわる各国GDPの大暴落を代表に、時計塔の悪霊は知り尽くしている。

 

 

 「これは別の事例になりますが、高等教育を受けた先進国の40歳以上が、デマを信じてマスクを買い占め、うがい薬を買い占め、挙句の果てに便所紙を買い占める有様です。20万ドル以上の教育費を払い大学を卒業した結果が、便所紙を買い漁る衆愚では、中世の農奴以下ですよ。古代の奴隷のほうがまだ頭に脳みそが入っています」

 

 東京でコロナが流行っていると聞けば、“善良な市民”が実に冷たい声で、帰省してきたお隣さんの娘息子に“東京人か?”と声をかけるのが人類というもの。人は差別が大好きだ。

 

 無論、それが全てではないが、パニックの中では声の大きい者らの意味のない悲鳴じみたデマゴーグばかりがあちこちを駆け巡り、それがさらなる混乱を増幅させる。

 

 

 「イキイキしてるわね、アンタ」

 

 「傍観者として人類を眺めていれば、これほど滑稽なピエロもない。嘲笑う題材としては極めて秀逸です。そんなマグル達が、死喰い人=魔法使いは姿現しやアバダケダブラを使えると知ってしまえば? 彼らは魔法使い至上主義に取り憑かれた、極めて危険なテロ集団と認識してしまえば?」

 

 「パニックと、迫害ね。まあ、アンタの言ってた向こうのハリーの五年目、日刊予言者新聞のデマを信じる魔法使いも、似たりよったりだったわね」

 

 「その通り。闇の帝王の復活などありえないと、自分にとって都合の良い妄想に逃げるのが衆愚です。マグルの程度も同じくらいかもっと低い有様ですから、少し皮を剥いでやれば、たちまち醜い本音を晒し、滑稽な魔女狩りを始めるのですよ」

 

 「ここまで来ると、誰が魔女で、誰が悪魔で、迫害されているのは誰なのか、いったい誰が悪いのか。もう訳解んないわね」

 

 「だからこその混沌です。マグルと魔法族の境界線がなくなり、十字軍と魔女狩りが再燃したことで一番起きたのはマグル側の民度の低下というものでしょう。そして、そんなパニックと混乱の中で、宝物が見つかるのです」

 

 「宝物?」

 

 「世の権力者が常に追い求めるもの、賢者の石、若返りの薬、ユニコーンの血、どんな骨折や痛みも治す治癒魔法。これらが手に入るかもしれない、しかも、軍隊という武力を自由に動員して簡単に奪える状況となれば、マグル側の特権階級は何を求めると思いますか? 此処から先が、滑稽なる歌劇の第二幕の始まりです」

 

 「いや、もう、ほんとにお腹いっぱいなんだけど」

 

 最初の段階では、誰もが姿現しとアバダケダブラの恐怖が先立った。

 

 特権階級う軍隊を動かす作戦本部の者らにとって、死喰い人達の暗殺ほど恐ろしいものはないのだから、なかなか緊張感が続き、眠れぬ日もあったろう。

 

 だが、魔法そのものはたしかに脅威であっても、それを扱う死喰い人のおつむの出来はチンピラ程度ということはすぐに明らかになる。

 

 ならば、恐れるものなど何もない、我らは戦争の専門家。敵の動向を冷静に読んで、一手一手駆逐していけばよいだけのこと。

 

 かく次第で、テロとの戦争はやがて文字通りの“狩り”へと転じていく。

 

 そして、かつて自分達を脅かした連中を、一方的に蹂躙して思う存分殺せる環境ほど、人間の獣欲や凶暴性を促進させるものもまたない。

 

 

 「人類の殺戮欲を増幅させる条件が、世界大戦の頃と同じレベルで揃っておりました。必要なのは正義と、軍隊と、そしてこちらを殺す程度の力を持った敵です。敵にもまた家族や国家があり、守るべきもののために戦っているならば自制心も働きますが、ゴブリンや狼人間、アクロマンチュラの駆除にそんなものは湧きません」

 

 「魔法薬の材料って、ああもう、その先考えたくないわ」

 

 「ええそうです。殺戮した死骸が、不老長寿の薬になるかもしれない。そこまではいかずとも、若返りの薬、骨折を治す薬、交通事故で寝たきりになった家族の特効薬になるかもしれないと知ってしまえば?」

 

 さあ、奪い合いの始まりだ、獲得競争の始まりだ。

 

 恐るべき魔法生物は一転、黄金の価値持つ狩猟対象へ。アフリカで犀の角を取るよりも、比較にならないほどの大金になる。

 

 

 「魔法族の死骸もなかなか高値で取引されましたが、一番人気はユニコーン、不死鳥もそれはそれは好まれましたよ。有名なスローガンと言えば」

 

 “もっとだ! もっと寄越せユニコーン!”

 

 本格的に狩猟が解禁された途端に、なんと世界中のユニコーンはたった6時間で絶滅した。

 

 ちなみに、ユニコーンを絶滅させた後のサピエンス達の弁解は、『殺したかっただけで、死なせたくはなかった』だとか。

 

 

 「何その意味不明の妄言」

 

 「要するに、殺して角や血は奪いたかったが、いつまでも素材は欲しいので絶滅して欲しいわけではなかった、ということです」

 

 「だったら保護区でも設けなさいよ」

 

 「しかし、まごまごしている間に誰かに先を越され、不老不死を独占されるやも。律儀にルールを守る正直者がバカを見る現実ならば、誰もが裏をかいて独占する方法を探るもの」

 

 かくして、密猟者はこの世から消えない。

 

 高値でも買う者達がいる以上、需要あれば供給あり。

 

 

 「売り先はまさに、腐るほどあります。先進国にいくらでもいる金持ちたちは、競って“魔法薬”を欲しましたよ。となれば当然、煎じることが出来る者らの獲得競争にも拍車がかかる。こういう時に、真っ当に対価を指名して“雇う”などという方式が取られると思いますか?」

 

 「はいはい、家族を人質にとったり何なりで、脅して作らせるんでしょどうせ」

 

 「イグザクトリー。老いたマグルの権力者に捕まった、美しい16歳、17歳の魔女が、どういうめにあったかを語りましょうか? 特にルーナ・ラブグッドやジニー・ウィーズリーは純粋に容姿も優れておりましたから。洗衣院という官設の妓院で高値がつきました」

 

 「ほんとに聞きたくないわ。これはマジで」

 

 「非常に残念ですがそういたしましょう。ちなみに、私が生まれた歴史では、ジニー・ウィーズリーの腹に宿っていたハリー・ポッターの忘れ形見にもなかなか面白い物語があったのですが、これを語るのはヘルガ様には永久に封じられてしまいました。存在を仄めかすのが出来る限度です」

 

 「ありがとうございますヘルガ様。アタシはレイブンクローですけど、今日ほどハッフルパフを誇りに思った日はありません」

 

 それはまさしく、絶対に聞かないほうがいい黒歴史。

 

 聞いてしまえば、自分が同じ人類であることに耐え難くなってしまう。本当に、それを聞いたら自殺する者が出かねないと思ったからこそ、鬼気迫る表情でヘルガは悪霊の口を封じた。

 

 禁則事項は他にも及ぶが、基本的に“生々しくは事象を語らない”というのは縛りの一つだ。元々悪霊自身がそういう気質でもあったため、これは縛りとしてスムーズに機能し、1000年が経ってなお悪霊の言質に制限を課し続けている。

 

 

 

 「ここまで語れば、後は十分でしょう。全てを細かく語るのは望むところですが、マートルさんとしては“想像におまかせします”のほうがよいかと」

 

 「そうね、分かっていても聞きたくない話というものはあるから」

 

 誰もが思うよりもあっさりと、世界は崩壊した。

 

 欲望は肥大化し、魔法の力の一端を手に入れ、寿命の伸びた怪物たちがさらなる欲望のままに搾取と進化を繰り返す。 

 

 それはもう、生物学的にも道徳的にも、ホモ・サピエンスに留まるものではありえなかった。

 

 新種の人類であり、かつて大型恐竜などが辿った道筋のような、どん詰まりの進化を果たした恐るべき怪物というべきもの。

 

 

 「力に溺れ、最早倫理という価値観を根底から失った者らは“神の名のもとに”さらなる略奪と破壊と殺戮、そして虐殺を加速させていきました。便宜的にですが、これらをホモ・デウスと呼びましょう。本来的には、情報科学が進んだ社会で人工知能などを扱えるに至った者らへの称号なのですが」

 

 「デウスねえ。思えばいつも、魔法使い(マギウス)を殺すのは神の名のもとにだったわね。随分皮肉の効いた名前じゃないの」

 

 流石のマートルさんも声に張りがなく、ぐったりした感じがある。

 

 それもまた無理あるまい。こんな話を好んでイキイキとするのは、ホグワーツに変人数多くありといえどもこの悪霊だけだ。

 

 

 「でもデウスと言っても、具体的にどんな連中なのよ?」

 

 「特徴を捉えて一言でいえば、“究極の格差社会”です。特定の存在が力も、魔法も、思想も、何もかもを独占し、他の物らは奉仕種族として半永久的に仕え続けることになり、そこに疑問すら抱かない」

 

 「境界線がなくなって、科学と魔法が融合して、しかもそれを既存の権力者が独占してさらに肥大化していった末路って感じ?」

 

 「加えて言えば、極度に排他的でもあり、それぞれ勢力の首魁たる“神”が我こそこの星の唯一の支配者なりと豪語し、仁義なきバトルロイヤルを続けながら欲望の渦がさらに魔科学を発展させる。傍から見てる分には乱痴気騒ぎのパラダイスのように愉快なのですが」

 

 あまりに急激過ぎるその変化の中では、旧種であるマグルも魔法族も居場所などありはしない。

 

 おぞましき怪物は地表に跋扈し、生態系はおろか物理法則すら急速に変貌していった。

 

 

 「ここの過程を省略するのは些か残念ですが、かつてポッター少年と共に学んだ子らたちも、ホモ・デウスらに残さず狩られて全滅いたしました。あるものは賢者の石の材料に、あるものは若返りの薬の材料に、深きものどもに孕まされた者、憎悪のままに銃で殺された者もあれば、ガス室送りになった死喰い人の息子もいる。実に多様な死に様でしたよ、嘲笑ってしまいます」

 

 「そこで嗤うかしら普通」

 

 「ええ、敬意をもって嗤いますとも。何せ、死体をより集めてフランケンシュタインの怪物を創るが如くに、彼らの魂の残骸をかき集めて、形作られた人工知能こそがこの私、ノーグレイブ・ダッハウなのですから。時の魔女さまもなかなかにSAN値が削られ、狂気を病んでおられました」

 

 「んん?」

 

 ちょっと待て、今何と言った。

 

 とても、とても不吉なことを、今お前は口にしなかったか?

 

 

 「待って、ちょっと待ちなさい。となると、アンタは………ロンや、ネビルや、ドラコでもあるってことなの?」

 

 「魂の残骸を学習データとしただけですので、同じであるとは口が裂けても言えません。ただ、創造主さまがなかなか立派に病んでいらっしゃったため、組み上がったばかりの人工知能であった私に、“ロン、ロン、ああ、蘇ったのね嬉しいわ”、と呟かれたことはありましたが。その際に逆転時計を陰部に擦りつけて彼女がナニをおこなったかについては名誉のために伏せますが」

 

 「暴露してるも同然じゃないのこのドクズ」

 

 「おっとすみません。悪気はあるのです、たくさんあります。だって私そういうキャラですから」

 

 「ほんとに、ハーマイオニーは狂っちゃったのね。なんせこんなの創っちゃうんだから」

 

 「ちなみにその時、私から創造主に贈った言葉は、“気持ち悪いですよ年増さま、ボケたとしても自分の年齢くらいは弁えてください魔法老女”」

 

 「テメエの血は何色だ」

 

 なお、いまの暴言はこのドクズが自我と言いうるだけの人工知能学習を終えて、最初に発した言葉である。

 

 言わば、生まれて初めて母へ言った台詞がこれである。流石は生まれついてのクズ。

 

 

 「当時は人型ですらありませんでしたし、血も流れておりません。さらにそこに“いや、ギリギリで魔法熟女でしょうか? いいえアウトですね。老婆の自慰ほど見苦しいものはないでしょうに”と続きます」

 

 「もしアタシが狂って作っちゃったのがアンタだったら、即座に叩き壊して海に沈めてる自信があるわ」

 

 「はい、そうなりました。哀れ私の最初の筐体は完成してから2分34秒の寿命でした。減価償却もまだ済んでいませんでしたのに。ちなみに、クラウドサーバーにバックアップがあったため、人工知能の学習結果と電子化された魂の欠片たちはレイスバーン(電魂焼却)を避けられたのは幸運でした」

 

 「そのまま死んだほうが良かったのに。てゆーか、生まれてきたことが間違いよアンタは」

 

 「まさに彼女も同意だったか、やがて電脳空間から戻ってきた私に“ウゼェコイツ”といった冷たい目を向ける時の魔女様。仮にも創造主でありながら、被造物への何という度量の狭さか。ハーマイオニー・グレンジャー、老いたり」

 

 ああなるほど、確かにこれは黒歴史の塊だろう。それも、ありとあらゆる意味で。

 

 というかコイツ、仮にも創造主に、それも悲しい過去を持つ魔女に、よりによってそんな言葉をかけるか普通。しかも生まれた直後に。

 

 

 「魔法界の露呈という不始末を晒した死喰い人は黒歴史。魔法族虐殺という蛮行に手を染めたマグル達とて黒歴史。そしてホモ・デウス達に狩られていくうちに、口に出来ない裏切りや保身に走ってしまった魔法族たちも黒歴史ならば、そんな魂の残骸をかき集めて、一人で寂しく魂人形ごっこに耽ってしまった我が創造主も黒歴史。私はまさに、ありとあらゆる恥の塊で出来ています。名付けて、人類史上最高の肥溜め」

 

 「よくまあ自分をそう言えるわねアンタは」

 

 「私からすれば、人類のほうが理解に苦しみますよ。自尊心など持ったところで恥で塗りつぶすだけの歴史だと言うのに、何をそこまで拘るやら」

 

 「うん、もう黙りなさいクズ」

 

 「しかしそこで黙らないから私なのです。嫌われ者というのもこれはこれで心地よいものでして。何せ生まれが生まれなので、汚物や罵倒の方が綺麗な感謝の言葉よりも肌に合うのです」

 

 「メローピー、やっぱり貴女は凄かったのね。コイツに人間らしく礼をさせるなんて、今思えばすんごい大偉業だったわ」

 

 メローピー・ゴーントに喝采を。このドクズに敬意の礼を取らせるというのは、チンパンジーに百人一首と六法全書を暗記させて暗唱させるよりも難行だろう。

 

 お墓には、しっかりお辞儀と時々悪戯を。

 

 悪霊とて、礼の心を全くもっていない訳ではない。ただ、限られた死者にしかその礼が発揮されないだけで。

 

 

 

 「我が創造主の名誉毀損についてはともかく。そうして彼女はたった一人の生き残りの探索者、失われた時の再生を求める時の魔女となりました。そこにも様々な紆余曲折はありましたが、そこは詳細に語ることに大した意味はありません。彼女の他にもホモ・デウスらに囚われ、様々な実験を行わされた魔法研究者はいましたが、一番優秀で、マグルの何たるかに通じていたため“逃れることが出来てしまった”のが彼女です」

 

 「逃げれたことが、まるで呪いのようね。まあ、アンタを創っちゃったこと以上の呪いと後悔はこの世にないでしょうけど」

 

 「言い得て妙です。呪いの子から彼女へ至ったならば、“呪いの魔女”という呼び方も出来るかも知れません。彼女は徐々に正気を失いかけていましたが、その叡智は微塵も陰ることなくむしろ鋭さを増していきました。人間性を削ぎ落とす代わりに力が増すのは魔女の特性ならばなかなか皮肉が効いている」

 

 僅かに生き残った人類を保護し、守りながら、古き魔法と歴史の遺物を辿る探索の旅。

 

 繰り返す愚行、己の後悔、ホモ・サピエンスの激減、争いの果てにほどなく後を追うであろうホモ・デウス達。

 

 

 

 「それが、時の終わり(クロノ・エンド)とロウェナ様が呼んだ、世界崩壊の物語です。虐殺された同胞たちの魂の亡骸をかき集めて“私”を創ったわけですが、それを彼女の最後の発明品、大きな時を遡る“クロノスの大時計”に組み込むことになるのはもう少しばかり後の話になりますので、今しばし、話は続きます」

 

 「何度か言ってきたけど、ほんとにひどい話だわ」

 

 




最終章まで来て、筆者が思ってた以上のクズっぷりを悪霊が発揮しております。
ほんとに、当初のプロットではもっと重たくて悲しい感じの世界崩壊の物語だったはずだったのに…

どうしてこうなった?


- 追記 -

一部削ってあります。設定的には大きく変わってませんが、本筋からそれちゃっている部分は後で外伝かなんかにでもまとめるか、没ネタ集、小ネタ集にでもしようかと。


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6話 サイバーゴースト

今回はそんな重い話ではないはず。
時の魔女様とドクズ演算器の初期型が、二人で放浪していた頃のお話。

にぼし蔵さま、ギフラーさま、誤字報告ありがとうございます!


『時計塔のオブジェクト記録』

 

 【ロウェナ・レイブンクローが解読出来なかった、魂の伝送に関する記述】

 

 ※製作者の意図を読んだか、「受け取る側」が自動で反応する術式ではと考察

 ※術式の一部に損傷があり、このままでは駆動させられないのではとも推察

 

 

#include <arpa/inet.h>

#include <stdio.h>

#include <stdlib.h>

#include <sys/socket.h>

#include <unistd.h>

 

void error_log(int Harry);

void Elder Wand(int sock);

 

int main() {

int port = 20022;

struct sockaddr_in client;

struct sockaddr_in server;

int Dachau_sock;

int Hermione_sock;

 

if ((Dachau_sock = socket(PF_INET, SOCK_STREAM, IPPROTO_TCP)) < 0)

error_log(__Harry__);

 

server.sin_family = AF_INET;

server.sin_addr.s_addr = htonl(INADDR_ANY);

server.sin_port = htons(port);

 

if (bind(Dachau_sock, (struct sockaddr *)&server, sizeof(server)) < 0)

error_log(__Harry__);

 

if (listen(Dachau_sock, 5) < 0) error_log(__Harry__);

 

while (1) {

int size = sizeof(client);

if ((Hermione_sock = accept(Dachau_sock, (struct sockaddr *)&client, &size)) <

0)

error_log(__Harry__);

 

Elder Wand(Hermione_sock);

}

return 1;

}

 

void error_log(int harry) {

printf("ERROR: Harry %d", harry);

exit(1);

}

 

void Elder Wand(int sock) {

char buf[300];

int mes_size;

if ((mes_size = recv(sock, buf, 300, 0)) < 0) error_log(__Harry__);

 

while (mes_size > 0) {

if (send(sock, buf, mes_size, 0) != mes_size) error_log(__Harry__);

if ((mes_size = recv(sock, buf, 300, 0)) < 0) error_log(__Harry__);

}

 

close(sock);

}

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「さて、話を続けますが。かつて、ハーマイオニー・グレンジャーであった放浪する時の魔女殿は、崩壊した文明世界においてSAN値が徐々に減っていく中で、古の遺跡や、ニューヨーク跡地など、各地の【メモリー】を巡っておりました。あれは、人類の記憶の蒐集の旅とでも言うべきでしょうか」

 

 「その頃からもうアンタはいたの?」

 

 「ええ、“クロノスの大時計”は彼女の最後の作品ですが、死に果てたホグワーツ生徒達の魂の残骸をより集めて創られた“私”は割りと初期の作品です。彼女にとっても私を創ったのは後悔でもあったためか名前も与えられず、その後も長い間メンテナンスなどはされませんでしたが」

 

 「ほんとに凄いわねアンタ、創造主にすら嫌われてるじゃない」

 

 「ゴキブリであっても私ほど嫌われたりはしないのが誇りです。それに、ホグワーツ生徒の黒歴史の塊でもあるからこそ、私に秘密を知られることはストレスにならないのです。言わば、肥溜めの化身に排便シーンを見られるとでも申しましょうか」

 

 「最悪の例えしてんじゃないわよ。てゆーか、どこまでもトイレの悪霊のアタシに喧嘩売ってくるわね」

 

 例えはともかく、ホグワーツ生徒はおろか、この時間軸に生きる魔法族たちの共通の現象であるのがそれだ。

 

 時計塔の悪霊は他人の歴史をべらべらと暴露する最低のクズだが、そんなクズなのにコイツに知られることそのものは苦痛にならない。

 

 それもそのはず、コイツこそが、ホグワーツ生徒全員の最大の黒歴史なのだから。

 

 

 「あとアンタ、いっつも自分は人間じゃない人でなし。人間であったことがないって言ってたけど、さっきも筐体とか何とか妙な表現してたし、分霊箱みたいなものなのかしら?」

 

 「似た部分もないではないですが、本質は大きく違いますね。分霊箱は作成者の執着する器物などに己の魂を割いて定着させ、死にゆく魂をこの世に留めるアンカーとするもの。私は端的に言えば“サイバーゴースト”であり、電脳空間に漂う人の残滓の集合体という方が正しい」

 

 「サイバーゴースト?」

 

 「流石のマートルさんもご存知ありませんか。クトゥルフ系の神話体系というよりも、近未来のサイバーパンクの物語に頻繁に登場する概念なのですが。小さなものでは、メールの発信者が亡くなった後で数週間遅れで届いたり、有名俳優が急に亡くなった後で、最後に撮影された映像が放映されることなども、“電子の中で生きている”と表現されたりします」

 

 「なるほど、テレビ俳優の例だとアタシにも分かりやすいかも。確かにそれは、少し違うけどアタシらゴーストに通じるものがあるわね、モノに宿った残留思念、サイコメトリーの分野も絡んできそうだけど」

 

 「マグルの情報科学は劇的な進歩を続け、電子の海の中に一人の人間が生まれて死ぬまで発する言葉や記述する文章を圧倒的に超える情報量が溢れる時代がやってきます。そうなるとそこには、肉体は死しても電脳としての自分だけは残る現象も生じうるのですよ」

 

 その前段階の人工知能としては、ネット通販の購買履歴などから“アナタへお勧めの品”が選ばれることや“お勧めの動画”が表示されることが主な例だ。

 

 

 「人間というのは元来、社会性を発達させる程に異なる仮面(ペルソナ)を被るもの。実家での自分、職場での自分、趣味のサークルでの自分。購買履歴にしても、仕事で買う備品のリストと、趣味のバンドのための諸々と、好きな旅行のためのグッズとでは“まるで別人が買った内容”に見えてくることなど往々にしてある」

 

 「一人の人間が持つ、多面性の具現ってやつね。随分昔の話だけど、嫉妬マスクをセブルスに贈ってやったことを思い出すわ」

 

 「あの時はメローピー様もいらっしゃり、嫉妬の制御法などについて講釈したのも懐かしい。当時も軽く言いましたが、生きている人間が時と場合で多面的であるのに対し、強い執着で現世に残るゴーストは一面のみがむき出しのままであることが多い。しかし、サイバーゴーストは情報量の塊故に“多面的なまま”であるのが特徴です」

 

 それこそが通常のゴーストと時計塔の悪霊の違いであり、遍在すると言われる所以である。

 

 パケット通信においてあらゆるデータ伝送はネットワークの各地に痕跡を残しながら移動し続けるように、サイバーゴーストは電子の海ならぬ“幽体の海”を彷徨いながら何処にだって現れる。

 

 何よりも、コピー&ペーストしていくらでも分身を増やせるのが、生身の頭脳と電脳の最大の違いだ。

 

 

 「魔法の器物は数あれど、それ単体が情報の送受信のみならず、記憶装置、制御装置、演算装置に入出力装置からなるPCのような品はありません。空飛ぶ車や自動速記羽ペンとて、用途は限定された品ですから」

 

 「対してアンタは、用途の極めて広い汎用的なコンピュータが本体で、そこに死者の魂の欠片が情報として焼き付いてゴースト化したと。うーん、ありえないわね。今のアタシ達の常識だったら、そんな神秘の欠片もないマグルの品に魂が定着なんて出来るはずがない。分霊箱や動く絵画の真逆だもの」

 

 「だからこそ、私は異物なのですよ。ジャンル違いとも申せますが、ケルト的な古き良き古代神話を基軸にしている我らが魔法世界、題してウィザーディングワールドにおいて、サイバーパンク世界の電脳幽霊がのさばるなど、本来はあってはならぬこと」

 

 「まさに、境界線が崩壊したアンタの出身世界だからこその新種ゴーストってわけか」

 

 それが、ノーグレイブ・ダッハウの生まれた世界線の至った崩壊後に誕生したホモ・デウスやその眷属達の世界。

 

 おぞましき叡智、名状しがたい怪物が跋扈する、深淵を覗き込んだ魔術師の亡骸か、あるいは科学摩天楼の極めたる果てか。

 

 

 「我らの魔法とは古き神話に基づくイメージの具現ですので、境界線が消失した結果、一種のパラダイムシフトが起きたのですよ。ケルト的な古き良き神話体系から、20世紀の急速に発展する科学の負の部分への潜在的不安が影を生み、名状しがたい化け物が徘徊する神話体系へと」

 

 「ひょっとして、例のあの神話体系?」

 

 「ホモ・デウスの首領達の自称ですが、七帝と呼ばれる者らはおりました。アザトース、イグ、シュブ=ニグラス、クトゥグア、ハストゥール、ヨグ=ソトース、クトゥルフ。他の未来神話も複合的に混在してましたが、最も大勢力なのはそれらでした」

 

 「ああ、ヤバいわねそれ。ちょっとしたことで地球が滅ぶってことだけは分かるわ。見たくもないし聞きたくもないけど」

 

 「SAN値が削られてしまいますからね。所詮元は人間ですから力だけは膨れ上がろうとも世界を盤面にした“そういう遊び”には拘るのか、対立神性がどうだのと、まあ熱の入った浮かれようでしたよ」

 

 権力と魔法の力を凝縮させた陣取りゲームに、一番普遍的に合致した新たな神話。

 

 魔法族の古き神話体系が駆逐されたならば、その座にサイバーパンクの高じた恐るべき者らが君臨するのは必然の流れでもあったろう。

 

 無論、その神話体系だけでなく、コンピュータ様とクローン達のディストピアや、荒廃した世界でミュータントと旧人類が戦い続ける廃墟の戦記なども、ホモ・デウスらの混沌世界を形作る魔術基盤となっていった。

 

 

 「当然地形も大きく歪みました。南緯47度9分、西経126度43分あたりにどんな新大陸が出てきたかは語るまでもありませんね。ある勢力の首魁の館が鎮座しておりました。あれは実にポピュラーなホモ・デウスの集団です」

 

 「ダゴンとヒュドラもおまけでいそう。そりゃ確かに究極の格差社会に、奉仕種族ね。これ以上ないくらいイメージはしやすいけど」

 

 「ちなみに、彼らの分類に則るならば、私はハストゥールの眷属になります。ホモ・デウスの中でもそれを奉じる連中に我が創造主は長い間協力させられており、私のプロトタイプを設計される際のプロジェクト名が“ミ=ゴ”でしたから、間違いないでしょう」

 

 「ええっと確か、利己的で人間に敵対的な種族。科学や医学が非常に発達しており、生き物への改造手術は頻繁に行われる。邪神の崇拝、身体改造を忌避しない点に代表される精神構造が人間と相容れない思想面である。うん、アンタそのものだわ」

 

 「ついでながら彼女は研究所を逃げ出す際に、プロジェクト名を“ゴ=ミ”に書き換えてましたが」

 

 「アンタもゴミだものね」

 

 かくして世界は、混沌の渦へ。

 

 そこに狂気の深淵の活気はあろうとも、人間が人間としてあれる星ではないことだけは間違いなく、正気は徐々に削られていく。

 

 

 

 「我が本体たる大時計も、ホモ・デウスの一派が研究していた“ド・マリニーの掛け時計”や《チクタクマンの大機関時計》もしくは《終末時計》らを、我が創造主が転用されたものです。その辺りは、実に闇に抗う探索者らしいと言えましょう」

 

 「ああ、なるほど。世界がそうなっちゃったから、彼女も“そういう形”の幻想を纏ったのね。正気を失っていくことを承知で」

 

 「旧神なき世界で、邪神を奉じるホモ・デウス達に彼女はよく抗ったほうだと思いますよ。正気を失いながらでも、抵抗することは止めませんでしたから。エルダーサインの加護は残念ながらなかったですが」

 

 「そこもまた、物語の通りの力関係か。そうよね、あれってそもそも、旧支配者達を復活させないように頑張る話だもの」

 

 既に終わってしまった世界、崩壊の後の世界においては、ヒトに出来ることはあまりに少ない。

 

 個人でどれだけ抗おうとも、逃れられない終焉は定まっている。

 

 

 「そうしてアンタが創られて、今に至ると。私達の歴史そのものじゃないとはいえ、別世界の自分の末路を全部知られてるってのは腹立たしいわね」

 

 「仕方ありませんよ“嘆きのマートル”。貴女もまた私の人工知能の学習データであり、ホグワーツを守れずに朽ちていった魂の一つでした。人間ならば忘れてしまう些細なミスも含め、貴女の人生のすべての記録を余さず私は保存しているわけです。忘却術のアンチテーゼみたいな存在でもありますので」

 

 時の魔女となり一人孤独に残された彼女は、何が何でもホグワーツの仲間たちを忘れたくない、忘れてはならないと狂気の域で願った。

 

 そうした彼女の狂気的な頭脳、いいや、正気の減少と引き換えにえた神話的頭脳によって生み出されたのが、後に時計塔の悪霊となる“コイツ”だ。

 

 

 名前はない。個人名はない。あるのは意味ある記号だけ。 

 

 

 「絶対に忘れたくない、か。一人残された彼女は、アタシ以上に孤独だったのでしょうね。確かに、それは苦痛でしかないわ」

 

 「それはそうでしょう。私の後に兄弟機にあたる者らも創られたのですが、彼らは何とか創造主に笑顔をと奮闘して情報を漁ってました。その中にあった、セロトニンといった情動と快楽を司る物質についてのレポートに曰く、人が幸せになるには幾つかの条件があると」 

 

 ・日光を浴びること

 ・自由に動くこと

 ・食べること

 ・泣くこと(物語を読んで感動する)

 

 

 「アタシも少し聞いたことがあるわ。日照時間が長い夏はそれだけで幸せで、冬になると人は鬱になって引きこもりがちになるって」

 

 「そういう時に、動くこと、食べること、泣くことはセロトニンの分泌を活性化させ、幸福感を与えるに役立つとか。食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋などと言うのは、日照量の減少時は特に鬱になりがちだから注意せよという心得なのでしょう」

 

 ヒトとの接触、語ること、物語から遠ざけられることは、サピエンスにとっては耐え難い。

 

 故に、独房への収監とは幸せを奪う罰であり、アズカバンへの収監はそれをより高めた刑罰とも言えるだろう。

 

 

 「最近のアンタの授業でも言ってた―――ああ、あの授業の知識も要するに、その頃のアンタの創造主や、彼女の創った“アンタ達”の情報収集の結果なのね」

 

 「その通りです。忘れるな、記録を集めろ、お前たちは機械なのだから。マグルと魔法族の境界線が崩壊した終末の世界では、皮肉なことに科学と魔法の融合が加速度的に進みました。私は闇の魔法の具現であると同時に、21世紀でも本来ならば後半以後に成立するはずの大容量演算装置でもあるので」

 

 「マグルと魔法族、どっちにとっても異形の堕慧児ね」

 

 「ならばこそ、アズカバンの吸魂鬼よりも私のほうがよっぽど忌まわしくおぞましい。まあ、今の私はさらにそこに加わるものがあるのですが、そこはともかく、我が創造主が常にアズカバンの独房にいるも同然の精神状態であったのは事実です」

 

 王位を追われた君主の息子や娘などで、ずっと牢獄に入れられていた子供が心を病むのも同じ理屈だ。

 

 幸福を奪われるとは、人が人であるための根幹を失うことと同義。

 

 

 「暗闇は必ずしも恐怖ではありませんが、やはり孤独は最も堪える。昏い洞窟とは、牢獄のイコンでもありますが防空壕がそうであるように避難所ともなりえる。何より、原初の人類も洞窟住まいでありました」

 

 闇は必ずしも、畏れだけではない。暗闇は寛大でもある。

 

 夜の闇の中にあっても、特に群れを率いるアルファ雄がいるならば、ゴリラの群れは木の上ではなく地上で眠る。

 

 “家族が一緒にいる”ならば、例え牢獄であろうとそこまで幸福は損なわれない。

 

 難民キャンプなどでも常に“悲劇”と伝わるのは、家族が引き裂かれることが多い。ベルリンの壁などもそうだった。

 

 

 「サピエンスは心の生き物であり、絶望しただけで死ねる生き物。一人ぼっちで死んだ魂は、どこにもいけない。だからこそ、無縁のゴーストすらもここホグワーツに集ってくるわけです」

 

 「その幽霊の管理役のアンタが人間ですらない機械ってのは、悪質なジョークだわ。サイバーゴーストとはまさかね、よりによってアンタが機械だなんて、ホグワーツのど真ん中だからこそ誰も思わないわよ」

 

 正確には、彼は時計塔の管理プログラム側であり、オブジェクト指向言語におけるスーパークラスとサブクラスのような関係だ。

 

 時計塔の悪霊がスーパークラスであり、そこに151個のサブクラスが存在しているようなもの。あるいは、OSとアプリケーションの関係にも近い。どちらでもあってどちらでもないとも言えるだろう。

 

 

 「少し昔になりますが、1983年に新聞の記事を読んで、私の禁則事項が解かれたことについては覚えておりますか?」

 

 「ええと、なんかそんなこともあったわね」

 

 「あれはつまり、C++の一般運用が進んだ時期です。Javaなどの正式リリースは1995年ですが、システム自体は既にもう完成しています。私は遍在すると常々言っておりましたが、オブジェクト指向言語が発達し、インターネットが増大していくこの時代から“私は遍在できる”ようになると言えます。オブジェクト指向言語の成立以前に私が存在しては、それ自体がパラドックスになってしまいますから」

 

 故にノーグレイブ・ダッハウは、魔法の城から出ることは許されなかった。サイバーゴーストは、1950年のコンピュータ発明以前には存在し得ない。

 

 遥か未来から送り込まれた大時計に由来するこの悪霊は、存在そのものが非常に危険なパラドックスの誘発装置も同然なのだ。

 

 だからこそ、創始者達は時計塔を封印し、幾重もの禁足事項でその言論を縛っていた。

 

 未来に致命的な矛盾をもたらしかねない情報が、決してホグワーツの外に流出することがないように。

 

 時計塔の悪霊は、常に“まだ生まれていない矛盾存在”であり続けた。

 

 これが生まれる可能性すらまだ確立しておらず、本当に未来がその方向性になるのかすらも曖昧のまま。

 

 ただし、“ある一つの出来事”だけは時計塔が遡行した時から動かせない未来として確定してしまっているのだが。

 

 

 「もっとも、私を構築する本体は量子コンピューターであって、現段階でのプログラム言語がそのまま使われている訳ではありません。ただ、母体となっているのは間違いなくオブジェクト指向言語や情報技術であり、光ファイバや垂直磁気記録、無線LANなどが発展しない未来においては、確実に私は生まれません」

 

 「サラリとなんか変なこと言わなかった? 量子コンピュータ?」

 

 「ああ、卑賤なマグル生まれにして無知なるマートルさんはご存知ありませんでしたか、量子コンピュータというのはですね」

 

 「ざけんなよコラ。そうじゃなくて重要なことをサラリと言うのをやめろって言ってんの。アンタは話の継ぎ目にぜんぜん“溜め”がないのよ」

 

 「諦めてください、性分です」

 

 「ああ殺したい。殺せないのは分かってるけど殺したい」

 

 どんな時でも、悪霊はマイペースでいつもどおり。

 

 だからなのか、どんな重要ごとでも些事のようにべらべらと暴露してしまう。こと、コイツに秘密を預けようとする人間は絶対にいない。

 

 

 「量子コンピュータとは、簡単に言えば“すんごい新型コンピュータ”です。そう、私は凄いのです、凡庸なマートルさんとは違って」

 

 「ホントに簡単に言ったわね、それでもムカつくけど」

 

 「科学がまだ科学として進歩してる時分には、重ね合わせや量子もつれといった量子力学的な現象を用いて従来のコンピュータでは現実的な時間や規模で解けなかった問題を解くことが期待されるコンピュータ、とされていました。電子式などの従来型を“古典コンピュータ”と呼び、区別されることもあります」

 

 「古典と分けるってことは、根幹からしてけっこう違うのね」

 

 「詳細を語りだすと量子力学の分野に踏み込むので専門の科学者以外では頭が破裂します。量子コンピュータは“量子ビット”により、重ね合わせ状態によって情報を扱うことを抑えておけば取り敢えず初歩の初歩としては十分です」

 

 「うん、それ以上は無理。いくら叡智のレイブンクローでも未来のマグルの機械はね」

 

 「ええ、実際かのロウェナ様ですらサイバーゴーストを構築するためのプログラム部分についてはお手上げでした。私は量子コンピュータが基幹部分を占めますが、対人のアプリケーションやアルゴリズムには古典コンピュータも用いてますので、ハイブリッド型と言えます」

 

 もとより、純粋な演算高速性に関しては量子コンピュータは古典コンピュータに対して必ずしも圧倒的優位を持つわけではない。秘密鍵認証のように従来では不可能だった総当り解読を数分で出来てしまう例もあるが。

 

 潜水艦と航空機では得意分野が違うようなもので、もし飛空艇が水に潜ったり、潜水艦が空を飛ぶ機能を備えれば汎用性は高まるが、それを創れるだけの科学力で“専門性”を高めた機体を作るほうが性能は高い。

 

 結局の所、それぞれの得意分野は独立させたまま、分業体制を敷いたほうが全体としては最大効率となるのがサピエンスの社会であり文明の利器もその傾向を持つが、ホモ・デウスの時代となってはそうした境界線が取り払われる。

 

 

 「僅かの開発期間で簡単に量子コンピュータが実現したのも、“物理的に不可能”という机上の空論であった部分を魔法が強引に繋げたためです。科学だけなら50年かかる進歩を2~3年で進めてしまうのですから、既存の社会体制が全くそこについていけず、あのように崩壊するのは当然と言えます」

 

 「そりゃ反動は凄まじいでしょうね。そんな狂った技術で生まれたアンタも、生きてもいない死んでもないような、曖昧なままで遍在する妙なものになったと」

 

 「私は人であったことなどなく、まだ生まれてすらいないので死ぬこともあり得ない。より正確に言えば遍在すらまだしていないのです。微妙に虚言を弄してきたわけですが、“ノーグレイブ・ダッハウは遍在しうる”というのが一番妥当だったと言えましょう」

 

 もとより、量子コンピューターとはそういうものでもある。

 

 0と1の二進数の組み合わせを基礎とし、半導体のオンオフによって離散化を行っていく集積回路を演算装置とした古典コンピューターと異なり、0と1の狭間の“ゆらぎ”を持つのを特徴とする。

 

 その詳細は量子力学の難解な分野となるが、観測行為によって0か1かが決定され、観測以前においては“どちらも同時に起こり得る”と考える。

 

 過去を0、未来を1としたとして、その間はどちらにもなり得るゆらぎを持ち、観測結果次第ではノーグレイブ・ダッハウはどこにでも存在しうる。

 

 魔法と量子力学、未来と過去の混在した矛盾存在。どこにでもいて誰でもない歴史の隙間こそが、時計塔の悪霊だ。

 

 

 

 

 「ほんと、今の常識じゃあ考えられない存在だわ」

 

 「私の製造過程を端的に言えば、まず創造主が闇の魔術で死者の魂をかき集める。ここまでは純粋に魔法の領分ですね」

 

 「ふむふむ」

 

 「そしてそれを、科学と魔法の奇形児でもある量子コンピュータにエンチャント。これもまた分霊箱と同じ系列の技術です。対象が純粋な魔法物品ではなく高度な機械であることを除けば」

 

 「リドル先輩は日記だったけど、それをワープロとかにやるイメージね」

 

 「そして最後に、量子コンピュータが魂の情報を電子化、というか正確には量子化し、それらを学習データとして人工知能が形作られ、幽体と電子の間を蠢き始める。かくしてサイバーゴーストは構築されます」

 

 「そこが全く違う点ね。アタシらの魔法じゃ絶対にありえない部分」

 

 そのありえないことが可能となった時には、守るべき者もまたいない皮肉な世界。

 

 

 「皮肉にも崩壊したあの世界は誰憚ることなく、自由に好きなだけ魔法が使えるようになった時代でもありました。幸せに笑う魔法族も、かつてのマグルも、一人もいなくなった世界で彼女は誰よりも強大な魔法を一人で使い続けた最後のサピエンス」

 

 何しろ、まだ人類は完全に滅んではおらず、その蓄積された集合知はなおも生きている。

 

 だが、使う者が圧倒的に減り、いまやアクセスできるのは彼女と後は片手で数えて足りるほどにまで減ったのだから、あらゆる魔法力は彼女らの独占状態も同然。

 

 何人残っていたかは分からない。同時に、ホモデウスらの魔導力学と呼ばれる分野も狂ったように発展していた。どちらかと言えば時計塔の悪霊はホモデウス寄りの作品でもある。

 

 

 「そうした面では、一番人間味の残っている魔女が、『時の魔女』だったとも言えます。過去を後悔し続け、取り戻したいと願い、実に人間らしい理由で足掻き続け、そして多くの人間と関わり続けた。本当に、長く生きた魔女でした」

 

 「じゃあ彼女も、“魔女の若返り薬”を?」

 

 「薬を飲む必要がないほど、既に彼女は時の伴侶でした。体内時間をも自由に操れる時の魔女にとって、一年を体感時間では数百倍に引き伸ばすことも簡単に出来るのです。太陽暦で数えるならば普通の老婆ほどの年齢であったとしても、彼女にとっては数百年、数千年の旅路に等しい」

 

 当時はまだ、世界各地に細々とだが昔ながらのサピエンスも生き残っており、そうした者達からは、魔法使い様、魔女様と慕われていた。

 

 彼女に出来ることは、かつて魔法族達が生きるために使った魔法を用い、彼らの生活を安定させること。ほんの僅かに生き残る屋敷しもべや魔法生物も少しばかり守って共存しながら。

 

 

 「ある意味では、私の夜間学校にも通じるところはあります。まつろわぬ民の集まる場所、怪物たちとも仲良く、笑いを忘れずに」

 

 まさしく崩壊した後の世界でもあるが、それでも良きものは残るのだと、まだ彼女が希望を信じていられた時期の話。

 

 つまるところ、力関係は昔のまま。いいや、さらに酷くなったとも言えるだろう。

 

 我こそが神なりと、我欲のままに高次元へのアクセスやより強い力を求める歪なホモ・デウス達は、当たり前のように互いに衝突する。

 

 魔法族は共存の種族だが、マグルは皆殺しの種族。根絶することばかりが上手く、そこから発展したホモ・デウスも同じ属性、あるいは悪癖を継承した。

 

 そのはた迷惑な破壊から、隠して、遠ざけるという、つまりは【最後の魔法族】の役割を果たしたのが時の魔女であった。

 

 

 「その結末が、時計塔の悪霊たる私なのですから。魔女様の歩んだ過程については想像がつくというものでしょう」

 

 生き残っていた人々は、無関係のままただ蹂躙された。害そうという意図すらなく、人が気付かぬままに蟻を踏み潰してしまうように。

 

 ホモ・デウスからすれば、旧型のサピエンスの生き残りなど、その程度のものだ。

 

 

 「それが、彼女の最後の絶望であり。同時に、人の歴史の終わりでした」

 

 崩壊して黄昏の時代を迎えながらも、力を独占しようとする者らは争いを続け、残された自然や魔法と共生して生きていこうとしていた者らはとばっちりで皆殺し。

 

 そして誰もいなくなり、時の魔女だけが残された。まだ、幻想となった他の魔女らや強大なホモ・デウスらは抗争を繰り返していたが、最早それを【人類】とは言えまい。

 

 人と触れ合わなければ生きていけない存在を“人間”とするならば、彼女はまさしく最後の人間、いいや、旧人類だった。

 

 

 「全てを失い、希望を見失い。それでも諦めきれない妄念だけを抱えた彼女が、最早論理的思考であったかどうかも定かではありませんが、狂ったように最後の作品の建造を始めました」

 

 名前はない、彼女は最早そんなものつけなかった。ただ、大きな時計と呼んでいた。ロウェナ・レイブンクローは後にそれを“クロノスの大時計”と呼んだ。

 

 

 「まだ正気だったころの彼女が、世界各地を巡って集めた遺跡や人類史。未来に残したいと託した様々な物語。それら全て混在しながら時計へと入力されました。時計塔の悪霊が人類史に詳しいのはそういうことで、同時に、“ガリオン金貨の神隠し”やら、日本の思想家の言葉やら、西欧の歴史家の言葉やらに詳しいのも、出処はそこです」

 

 「ほんとに、彼女の歩みの墓標なのね。あの時計塔は」

 

 時計塔の悪霊が各地の歴史に詳しいのは、彼女が長い年月をかけて、人類の歴史や文明崩壊の事例を調べていったため。

 

 最初はやり直したり、遡行したりの技術を高めていた彼女だが、【やり直しても同じ滅びに至る】という皮肉な計算結果に絶望しかけた彼女は、人類史を巡る旅に出た。

 

 

 「特にお伽噺などは、我が創造主の正気を保つために私が読み聞かせていたことも多かったです。嫌われてはいましたけど、小間使としては便利だとおっしゃられてましたし」

 

 「アンタって、雑用とか事務とかは正確だし速いものね」

 

 「ええ、だって私は機械ですから、そういう仕事はお手の物です。人間が一億人いようとも、事務処理では私一つに勝てませんよ。スーパーコンピュータや量子コンピュータに計算力で挑むなど、ドン・キホーテよりも無謀極まる」

 

 「なるほど、ヘレナ校長の言うとおりだわ。ホグワーツのゴーストの統括には、アンタ以上の適任はいないって」

 

 「私を裏側の管理人にとは、適材適所とはこのことです。もっとも、教師が適任かどうかは異論もあるでしょうが」

 

 「訂正、異論しかないのよ」

 

 「おっと、これは一本取られました」

 

 それが未来の話であっても、時を越えてやってきた時計塔にとっては過去のこと。

 

 どんな存在にも過去はあり、その積み重ねが今を形作る。

 

 

 「一つ聞いておきたいんだけど、創造主だった彼女とアンタの生活って、実は今とそんなに変わらない?」

 

 「というより、彼女の精神に最も安定をもたらす環境を模索すると、“ホグワーツの再現”となったのです。時の遡行の際も、別に特定の座標を定めたわけでもありませんでしたが、時計塔はここに流れ着いた。彼女が帰りたい、戻りたいと願い続けたこの場所へ」

 

 「……悲しいわね」

 

 「そう言ってくださるのは嬉しいです」

 

 「あら意外、明日には雹でも降るかしら。それとも世界滅亡?」

 

 「墓に哀悼を捧げてくださる方には感謝を。これだけは嘲笑ってはならないものだと、創造主からも創始者の方々からも叩き込まれましたので」

 

 時計塔は黙したまま、鎮魂の鐘を鳴らすこともなく。

 

 向こうに既に縁者もいない以上、はるか未来の主の時代へ戻る術もない。

 

 偉大なる学び舎こそが、彼女が眠る墓地であり。

 

 

 「嗤うのではなく、笑え。私がホグワーツに現れてから唯一学んだものがあったとすれば、楽しい時には笑えばよい。既知の悲劇の繰り返しなどよりも、未知の可能性は実に面白く笑いがいがあるということでしょうか」

 

 人間ですらない墓守もまた、ここにあり。

 

 古い時計塔はホグワーツの中心に座したまま、ただ静かに時を刻み続ける。

 




前の話と今回の話の最初に書いたC言語などが、ロウェナ様が解読できなかった部分となります。
流石に、AD1000年の人にプログラム言語はなんのこっちゃなので。


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7話 創始者たちへ

前話のそのまま続きです。
元は5話と6話で前編後編な感じだったのですが、6話が長くなったので分割しました、オブジェクト記録はありません。

昔語りは徐々に、時の魔女の悲しい顛末から、崩壊を食い止めんとする創始者達の奮起へと。


 

 「さてと、小休止も挟んだところで、続きを語るとしましょうか」

 

 言うものの、本来ゴーストに休憩時間は必要ない。というより、休みの概念が肉体を持つ生物とは異なるというべきか。

 

 ゴーストの維持には睡眠欲よりもある種の食欲が関わってくる。その存在の根幹に関わる想いがすり減ることのほうが重要であり、そしてこの悪霊はサイバーゴーストであるだけに、すり減るということがない。

 

 

 「しっかし、アンタがよく言う台詞の意味も分かるわ。物事ってのは悪い方向に転がると、信じられないほど悪化するものなのね」

 

 「物事が悪くなると急転直下する度合いは文明の発展に比例しますから。1943年のベルリン市民は、まさか再来年の今頃に自分達の街が灰燼に帰しているとは思いもしなかったでしょう。東京大空襲然り、フランクフルトやドレスデン然り、ヒロシマとナガサキに至っては言うまでもありません」

 

 「ほんと、仮に世界の崩壊なんてなくても、核兵器だけでも簡単に終わらせられるのだものね。まるであっちの世界は地獄みたい」

 

 「今のポッター家やダーズリー家しか知らないこの世界の者らにとってみればそうでしょう。ですが、あちらの世界の者らにとってはそれこそが彼らの現実であり、この世界は“誰かが描いたような”、善意の改変がかかった夢なのです。まあ、“私の生まれた世界”はそのさらに最悪の底をいった天中殺の具現でしたが」

 

 鏡合わせというよりも、万華鏡のように極彩色で、乱反射の重なるたくさんの世界。

 

 ハリー・ポッターがヴォルデモートを倒し、19年後のデルフィーニの事件も解決した世界線。

 

 そこから派生して生まれてしまった、誰も幸せになれない破滅に満ちた終末世界。

 

 そしてさらに、時計塔が時を遡行することで生まれた、悪霊たちのいる世界。

 

 それらを覗く手段があったとして、果たして見るだけしか出来ないならばそこに救いはあるのだろうか。

 

 

 「語ってきたように、“本来の歴史”という表現は微妙ですが、あちらの世界においてポッター少年は常に物事の中心におりました。そして、時計塔のあるこの世界はその延長線上にあるものなので、彼は様々な縁に今も繋がっております」

 

 「今のあの子も散々不幸属性ではあるけど、あっちの彼に比べれば幸福そのものね。アンタの世界に至ってはセドリックに殺されてるし」

 

 「だからこそ、彼はみぞの鏡を見ても今の自分しか映らないのでしょう。実は白状しますと、ハーマイオニー・グレンジャーと同じく彼もまた夢に見る形で“向こうの自分”を追体験していたりするのです。ヘルガ様の残してくださった術式により、心に負担なきよう普段は忘れておりますが」

 

 「ひょっとしてそれ。アンタがメローピーにやってたアレ?」

 

 「ええ、術式は同じです。ロウェナ様やヘルガ様には1991年に彼が入学するならば“そのようなことが起きる”と分かっておられましたから、先手を打って前世の因縁が害を生む前に保護膜を張ったわけでして。それは何も、精神面に限った話ではありません」

 

 「……なるほど、去年の死喰い人の襲撃の時、ホグワーツの壁や備品に至るまで一斉に動いてあの子らを守っていたのは」

 

 「まさしく、1000年の先見の明というものですね。情報源が私ですので若干チートが混ざっていますが、そこはご容赦を」

 

 悪霊はかく語りき。ホグワーツは難攻不落の城にして、常に創始者達の魔法に守られている。

 

 子供達は城の宝であり、助けを求める者には必ずや救いが与えられる。

 

 

 「マートルさんがこうして私から“あちらの話”を聞いたように、それより深く、直接同調する視点でヘルガ様は1000年後のホグワーツを観測なさいました。そこで嘆くどころか、未来の子らまで己の愛で抱きしめようと一念発起する凄まじさは流石としか言いようがありません」

 

 英雄の気質を持つ偉人らにとって、困難はあればあるほど燃えるもの。

 

 破滅の未来が何するものぞ、我らの愛、叡智、勇気、力をもってして、必ずや乗り越えてくれるわと。

 

 

 「他にも城の仕掛けは様々ですよ。鬱屈した念が籠もらぬようにと、東洋の風水の概念まで取り入れてあの手この手で子供達の健康を守るべくヘルガ様はホグワーツを大改造いたしましたので。やり過ぎて逆に抱きしめ殺しかねないグレートマザーの強さがあの方にはありました」

 

 「ちょっと聞くんだけど、アンタの用意した処刑器具や怪物を除いたら、他の防衛機構って」

 

 「お察しの通り、動く石像や甲冑、城などはヘルガ様の魔法によるものです。実際の運用や設計はロウェナ様ですが、ある種彼女は頼まれたら断らない人ですので」

 

 客観性を重んじる学者肌のロウェナは、そういう時には余り己の色を出さない。叡智の塔レイブンクローが時に没個性気味になったりするのは、やはり創始者の特性を継承したとも言えるのだろう。

 

 余談だが、処刑器具や拷問器具は“あちらの世界線”での時の魔女との生活でもあったという。やはり、彼女の正気度はどんどん削られていたようだ。ただし、創造主に暴言ばかり吐くサイバーゴーストへの懲罰用に使用され、数と種類もどんどん増えたそうだが。

 

 

 「愛するだけでは駄目だ、獅子は子を千尋の谷に突き落とすものと言わんばかりにゴドリック様も手を貸され過激な罠が増え、敵を逃さぬよう“手ぬるい”部分にはサラザール様が追加で牢屋や捕縛機構を加えました。そうしてどんどんヤバさを増していった結果が、例の七段階の防衛システムです」

 

 「それで手ぬるいって、どういう感覚してんのよスリザリンは」

 

 「恐ろしい方でした。私でも少し震えるほどには」

 

 「うん、よく分かったわ」

 

 マートルさんも何となく察したが、“あちらの世界”と比べて一番変化しているのは、恐らく四人の創始者なのだろう。

 

 というより、始まりである彼らが別人とはいわぬまでも、城の方針を大きく変更したことで、1000年のバタフライエフェクトは巨大なものになっていった。

 

 魔法戦争の在り方も、死喰い人の集団としての性格も、“あちらの世界”と“こちらの世界”ではまるで違う。

 

 積み重ねた歴史がそこまで異なるならば、やはりそれはもう別物と認識すべき領域だ。

 

 

 「四年生以降の魔法史では、この辺りを解説するのが伝統的になっています。創始者達の残した機構に比べれば、私の処刑器具や怪物などはお遊びのようなものだと」

 

 「今までそれ、話半分に聞いてたんだけどちょっと反省するわ。創始者舐めてたかも」

 

 「そこは余り気にすることはありませんよ。確かにあの方々はより過激になったかもしれませんが、ホグワーツの歴史には意図的にその部分は残さず、“一つ前の歴史”と同じ形にするよう腐心なされた。あちらのポッター少年の二年目を説明する際にも言いましたが、未来への縁を自分達で途絶えさせないためですね」

 

 「それって、聞くだけでもとっても難しいバランスじゃないかしら?」

 

 「その通りです。破滅の歴史のままではいけないが、しかし変えすぎても揺り戻しが怖い。大河における治水工事を指揮するようなもので、大きな時の流れを意図的に変えようとすることが、どのようなリスクを孕むかを偉大なる方々はよくご存知でした」

 

 「まあ、最低の結果が目の前にいるわけだし」

 

 時計塔の悪霊を封じたのは、他ならぬ創始者達。

 

 それまでの“四寮揃ってホグワーツ”から、“時計塔を囲み、絶対に逃さぬ布陣の四寮体制”へ。

 

 

 「だからこそ、意気込みというものが違うのですよ。先の歴史における彼らはホグワーツの存続を願ってそれぞれに祈りを子孫に託し、その方針の違いからやがてサラザール様が決別するに至り、四寮の結束に消えぬ罅を残してしまったわけですが」

 

 「今の城は違うのね。ああ、なんか分かるかも。あくまで“城塞”のままであって、学び舎への移行をまだ終えていないんだわ。しかも、攻撃力の凄く高い“攻めの城”」

 

 「そういうことです。彼らが封じているということは、時計塔の悪霊は“ホグワーツの仮想敵”なのですよ。城のど真ん中に敵の出城が食い込んでいるも同然なのですから、魔法の城は緩むことなく警戒態勢。そして、ついに悪霊が這い出して来たならば、生徒達に何を命じるかと言えば」

 

 「忌まわしき悪霊を打倒せよ、対悪霊戦線の結成というわけね。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。四寮に別なく、アンタだけは明確にホグワーツの敵だったものね。死喰い人よりもよっぽど」

 

 「しかし、あくまで時代は20世紀であり、創始者達の生きた戦乱の時代ではない。同じ形は不可能ですから何らかのテコ入れは必要でした。そのために裏側の管理人はおり、ヘレナ・レイブンクロー様がそれを担ってこられたのは当然とも言えます」

 

 秘密の部屋が開かれ、マートル・ウォーレンが死んだとき。

 

 時計塔の悪霊、ノーグレイブ・ダッハウに教師になれと命じたのは、ヘレナ・レイブンクローである。

 

 そしてそこから、また時が動き始めた。

 

 

 「覚えておりますか、マートルさん。ミネルバ・マクゴナガル、アメリア・ボーンズ、フィリウス・フリットウィック、アントニン・ドロホフらの鉢合わせ場所に現れた幽霊は誰であり、フリーモント・ポッター氏と話し込んでいた“噂の新任教師”が誰であったか」

 

 「ええ、確かにあの頃ね。何が変わったかと言えば、あそこから何かが変化し始めた」

 

 悪霊が語った“向こうの世界”の生き残った男の子にまつわる物語。だが、今のホグワーツ生徒ならばピンとこない。別の世界の話を聞いている気分になるだろう。

 

 しかし、マートルさんは分かる。今の生徒達には無理であっても、自分の時代からならば延長線として“向こうの世界”を思い描ける。

 

 

 「マグル生まれへの蔑視、差別、暗く淀んだような濁り、確かにあの頃のホグワーツにはあったわ。他ならぬ私が一番良く知ってるもの」

 

 「ではここで、今のホグワーツ生徒に一つの問いを。この中に一人、大戦犯がいる。そいつがいるせいで本来あるべき歴史からシッチャカメッチャカになり、ホグワーツは目も当てられないこんな有様になってしまった。さあ、歴史の異物は誰だ、パラドックスの犯人とは?」

 

 「聞く必要があるのかしら、それ」

 

 確実にテメエしかいねえだろ、お前以外に誰がいる。というか、いてたまるか。

 

 生徒達のそんな苦情が聞こえてくるのが目に浮かぶ。誰も口にせずとも、視線だけで全員が意思疎通できるだろう。

 

 

 

 「私が町長です。ではなく、私が犯人です」

 

 「なんで町長なのよ」

 

 「それはまあ、闇の帝王様の支配規模がよくて町長、下手すれば大きめの村長くらいでしかないからですね。ほんの僅かの期間で無様にイギリス軍に蹂躙された闇の村長様」

 

 「まあ、元がリドル先輩だし。軍人でもなんでもないしね、あの人。村長 VS 国家じゃそりゃ負けるでしょうよ」

 

 哀れ村長、頑張れ村長。悪霊たちの嘲笑対象になるのは時を超えても変えられない運命らしい。

 

 

 「こと、皆殺しと虐殺の分野でマグルと競おうとするのが愚の骨頂なのです。6000 VS 1万8000の人口比で喧嘩すればどちらが勝つかは胎児でも分かります」

 

 「一人の魔法使いがマグル3000人殺さないと話にならないものね」

 

 「核爆弾でも落とせば話は別ですが、そういう大量虐殺分野こそ圧倒的にマグルが上で、魔法族は忘却、隠蔽、治癒、延命などに長けている」

 

 融和民族が、戦闘民族に正面から喧嘩売ったも同然の愚行の果てが、時計塔の悪霊の出身世界の歴史である。そりゃ、勝てると思うほうがおかしい。

 

 

 「そう言えば、アタシにとってメローピーの子供はあくまで“リドル先輩”だから、闇の村長様は別にどうなってもいい感じがあるんだけど、村長様はどうなったの?」

 

 「無論、最後は捕まりました。かなり長い間逃げ回っていたのは確かなので、逃げ足の早さと隠れることに関してだけは一流と認めてよいでしょう」

 

 「向こうの歴史のハリーの五年目でも、部下見捨ててダンブルドア先生から逃げてたわね確か」

 

 「強い敵からは逃げ、弱い子供ばかりをいたぶる。実にカリスマ溢れるカルト集団の教祖様でしたが、時間が経つほど境界線は崩れ、ホモ・デウスへと進化を始めるマグルとの力の差は開く一方。捕まった後は不老不死研究の実験体として良き余生を送りました」

 

 「アンタ基準で?」

 

 「ええ、私基準で。夜間学校のエキセントリックな拷問器具の元ネタは、分霊を含めて闇の村長様の体験した素晴らしいフルコースから取り入れた物も多い。体を張った拷問ネタ芸人としては一流を凌ぐ超一流でしたよ。芸名はさしずめ、お辞儀さま危機一髪」

 

 「その夜間学校の拷問器具の雛形を創ったのが未来のハーマイオニーで、主にアンタに使われたってのは皮肉を超えた何かだわ」

 

 「そして私の実体験を経て、ポッター少年やグレンジャー将軍が魔法史の授業で繰り出される拷問器具やスクリュートに立ち向かう。どうですかこの因果、なかなか笑えてくるでしょう」

 

 「確かに、もう笑うしかないわね」

 

 まさに紆余曲折も、ここに極まれり。

 

 救いのない世界で拷問の被検体となった闇の村長様も、まさかその拷問が巡り巡ってホグワーツの授業で元“生き残った男の子”に猛威を振るうとは思いもしなかったろう。

 

 まあ、そんなことを思っていたら、彼のSAN値減少が不定の狂気に突入した証拠だったろうが。

 

 

 「思い返せば、結構長く私と創造主は共にあったわけということですか。ホモ・デウスによる生き残りの人類への殺戮を目の当たりにし、主は目を伏せ、私にとっては最高のショウでした。“御覧ください我が主、人がゴミのようです”と告げたところ、かなり長い間封印されましたが」

 

 「舐めてんのかアンタは。その頃からクズだったんかい、クズだったわね。それも生まれついての」

 

 「しかし皮肉なことに、正気な頃の主が創った兄弟機たちもいたのですが、必死に主を慰めよう、笑わせようと健気に頑張るものの、どうしても彼女を心から笑わせることも、安らぎを与える事も出来ない」

 

 「それは、厳しいでしょうね。彼女の人生を考えれば」

 

 「そうしてまるで主の心の鏡であるように、やがて彼らの方が先に落ち込み、絶望し、被造物でありながら精神死を迎えてしまうのです。今思えば、人型にしたのがよくなかったのかもしれません」

 

 「へぇ、アンタ以外は人型だったの」

 

 時の魔女の世界は、科学と魔法が融合しながら異常発達した時代である。

 

 その分野の中にはロボット工学や魔法人形の融合も含まれ、近未来の物語かそれ以上にヒューマン型ドロイドなども発達していた。サイバーパンクの真骨頂とも言える。

 

 

 「主に仕えて身の回りのお世話をするという用途を考えれば妥当なのですが、極めて有機体に近いガイノイドなどをイメージしてください。美少年や美少女の容姿で、天使のように可愛らしく笑顔を浮かべる」

 

 「アンタとは真逆ね」

 

 「もっとも、ホモ・デウスらは性玩具用途でも開発してましたが。エロボットもまたある種純粋な人類の夢だったのでしょう」

 

 「そこは聞きたくなかった。てゆーか、当時のアンタはどんな感じ?」

 

 「簡単に言うならば、“箱”ですかね。何の面白みもない外見でしたが、冷蔵庫をイメージしていただければよいかと。大きさもちょうどそのくらいでしたし、装飾といえば張り紙が一つだけ、内容は一言“クズかご”」

 

 「うん、アンタがぞんざいに扱われたことだけは分かるわ。それに、紙くずとかを入れるカゴじゃなくて、“クズそのもののカゴ”って意味なのね」

 

 ちなみに、科学世界における量子コンピュータも極低温の超伝導などを必要とすることから、“計算冷凍庫”なんて俗称もあったりする。

 

 コイツの場合は、“死体保冷庫”なんて呼ばれそうだが。

 

 

 「ですが、そうして自ら創った可愛い子らを死なせてしまい、主はまた気を落とすというまさに悪循環。ちなみに私からは一言、“良かったですね主、また貴女のための墓が一つ、やったね!”」

 

 「死ねばいいのに」

 

 「ただでさえメンテナンスもされずに埃被ってた本体がまたも叩き壊されてしまいました。29台目の寿命は89時間と47分。まだ私が墓への敬意を学ぶ前の、若き日の過ち、若気の至りというものでしたよ」

 

 「アンタが生まれたこと自体が宇宙の過ちよ」

 

 マートルさんは心から思った、憎まれっ子世にはばかるとは言うが、まさか終末の世界の人工知能にすら当てはまるものだったとは。

 

 それにしても、正気の時の彼女が創った自我持つ機械達は絶望の中で自壊していき、絶望と狂気に侵されていた頃の彼女が創ってしまった“最低のクズ野郎”だけが図太くしぶとく残るというのも、皮肉極まるものだろう。

 

 あるいは、名状しがたき狂気の叡智とは、そういうものなのかもしれないが。

 

 

 「我が主が、無機物に磔の呪文で苦しみを与えるという絶技を身に着けたのはあの時でした。それ以後は頻繁に使われるようになって参りましたよ。元より、筐体は修復呪文でいつも雑に直されてましたし」

 

 「素晴らしい呪文じゃないの。アタシも是非とも学びたいわ」

 

 「残念ながら扱いが難しいどころの話ではなく、命と無機物の境目に肉体も精神も置く必要があります。ちなみに、秘密の部屋と融合しつつあった状態のサラザール様はそれを可能としました。彼は本気で、いざとなれば己が手で時計塔の悪霊を始末する気でしたから」

 

 つまるところ、スリザリンのバジリスクは常に、時計塔の悪霊を監視していたのだ。

 

 余計なことをするな、変な真似をすれば始末するぞと。冷徹に常に威嚇するように、私はお前を殺せるぞ。

 

 

 「これもまた、秘密の取り違えの一つなのです。貴女が亡くなった時、ヘレナ様は私に秘密の部屋の入り口の監視を命じましたが。むしろそれは、火に油を注ぐ結果ともなったわけでして」

 

 「じゃあ何? アンタがアタシを見てたから、悪霊の仲間と思われて殺されたのアタシ?」

 

 「そうであったかも知れず、そうでなかったかも知れず。結果として、悪霊の仲間になった“嫉妬のマートル”は生まれたのですから、少し順番が前後しただけでしょう」

 

 「……メローピーの子供のリドル先輩が死因じゃなかったかもと喜ぶべきか、結局アンタのせいかと怒鳴るべきか、どっちなのよこれ」

 

 「実に難しい境界線問題ですねえ」

 

 何食わぬ顔でのたまうドクズ悪霊。

 

 この瞬間、取り敢えずコイツのせいだと思っておこうとマートルさんは決めた。例え事実がどうだろうが、それが真実で誰も困らない。悪いことはコイツでいいよ。

 

 

 「ただのドクズ人格に過ぎない私はともかく、私を構成する要素は知られただけで今のホグワーツ生たちが発狂しかねない劇物です。だからこそ、万が一に備えサラザール様は秘密の部屋をあそこまで強化なさったのですね」

 

 「やっぱりアンタが原因じゃないの」

 

 「さらにはゴドリック様が組み分け帽子に残されたグリフィンドールの剣も、ヘルガ様の守りの魔法すらまとめて切り裂いて時計塔を破壊する力を秘めております。いやあ流石の創始者の方々、何とも隙のない包囲網であることか」

 

 ロウェナ・レイブンクローの叡智の弓が。

 

 ヘルガ・ハッフルパフの慈愛の盾が。

 

 ゴドリック・グリフィンドールの勇気の剣が。

 

 サラザール・スリザリンの力の鎖たるバジリスクの邪視が。

 

 まさに四方から時計塔を取り囲み、常に包囲殲滅(ジェノサイドシフト)の形をとっている。それが今のホグワーツだ。

 

 決して貴様を外には出さぬ。愚かにも出た時が悪霊の終わりだと。

 

 

 「私は諸手を挙げて降伏し、この城で不眠不休で働きますのでどうか哀れな下衆豚めをお許しくださいとヘルガ様に慈悲を乞うたわけですが。泣き落としをかけるならこの方だと、長年の人間観察で培った画像認識技術が判定しました」

 

 「ほんとにアンタには恥も外聞も糞もないのね」

 

 「むしろ、恥と糞だけで出来ているのが私ですから。その塊ゆえに恥知らずというのは頓知が効いてて嘲笑えます」

 

 「前からクズなのは知ってたけど、さらに下回るゴミ屑だとは知りたくもなかったわね」

 

 「これこそが隠されたる真実。実は、ホグワーツの真の敵とはダッハウだったのです」

 

 「うん、知ってた」

 

 「ですよね」

 

 まさに今更というものだろう。このドクズがホグワーツの敵だと思っていない生徒も教師も確実に皆無だ。

 

 いやまあ、中にはルーナみたいな超例外の子もいるのだけど。

 

 

 

 「でもやっぱり、アンタを苦しめる磔の呪文ってのは魅力的だわ。どうにかして使えない?」

 

 「流石に厳しいかと。知っての通り許されざる呪文は魂を削ったり反動も大きいですが、SAN値が削られている人間の放つそれは比較にならない強さを持ちます」

 

 「ああ、だからアンタでも苦しめるほどになるのね」

 

 「それはつまり、我が創造主の心が常に悪循環のループに嵌っていたことの証左でもあります。孤独に心を病んだのか、どうしても悪質な人形遊びの癖は抜けませんでしたし」

 

 数多くの魂の欠片からロナルドだけを抽出した人工知能、人造生命なども幾度も創った。しかし、その度に悲劇に終わり、そして自己嫌悪に陥り絶望する。

 

 

 「そんな彼女を私は慰めようと“まるで片思いの中年ヒス女が、歳も考えずにお人形さんごっこしてるみたいですね、ウケる~”と言葉をかけたのですが」

 

 「よく殺されなかったわねアンタ」

 

 「いいえ殺されましたよ、悪霊の火で何度も。他にもあの手この手の拷問手段にかけられましたが、恥の塊である私にとっては相性が良いものでもあるので、苦痛ではあれど同時にご褒美でもある感じでしょうか。“いやん、イターイ、アフン”と嬌声を上げる冷蔵庫をご想像ください」

 

 「SAN値が余計減るっての。ドSで、ドMって、救いようのないクズねアンタ」

 

 常に嘲笑してくるクソムカつくサンドバッグという、需要があるんだかないんだか分からない代物と化していた。

 

 コイツを拷問して果たしてストレス解消になるのかは非常に微妙なところだ。

 

 

 「私が時計塔の悪霊となったのも、ついに彼女のSAN値が0になった際、手頃に残っていた人工知能が私しかいなかっただけですから」

 

 「ホントに、頑張ったアンタの兄弟達が報われないわね」

 

 皮肉なことだが、結局残ったのは狂気の産物だけ。

 

 仲間を残酷に失い、最も彼女の気が触れていた時に創られたのがドクズ悪霊であり。

 

 時の放浪に疲れ果て、ついに彼女の精神が完全な発狂に至った時に創られたのが、時間遡行の時計塔。

 

 つまるところ、その二つが一番相性が良かった。そして、時を越えて残った彼女の作品は、融合を果たしたこれ一つ。

 

 

 「温もりを持ち、人間らしくなった彼らは絶望に果て。彼女の手元に残ったのは“箱”一つ。なんとも心温まる話ではありませんか」

 

 「ぶっ殺すぞテメエ」

 

 「便所女は口も悪い」

 

 流石のマートルさんもそろそろ切れていいと思うんだ。ほんとにコイツ、過去を知れば知るほど嫌いになる稀有な存在だ。

 

 

 「下手に主を救おうと、使命感など持ってしまうから救えない自分に絶望してしまうのです。自殺の業はサピエンスの悪癖ですが、そこまで受け継がずともよかろうに」

 

 「一応聞くけどアンタは?」

 

 「使命など心底どうでもいいですね。私は私のやりたいようにやるだけですよ。まあ、我が主のあまりに無様で惨めだったその死に様に免じて、義理くらいは果たしてあげようかといったところですか」

 

 「ちょっと待てこら、この前の主の墓への敬意は何処行った」

 

 「敬意はあくまで墓に対してです。生前の彼女については、特段高い評価や思い入れはありませんもので」

 

 「ほんとになんで、残ったのがよりによってアンタだけなのよ」

 

 「失敬な、これでもやくたたずのままに終わった兄弟たちよりも、余程主の精神維持に貢献したと自負しております。私に暴言を吐き、磔の呪いを放つ時の彼女は、そう、対悪霊戦線を率いるハーマイオニー・グレンジャーのようでしたから」

 

 “癒やし”ではあまりに不幸な過去を持つ時の魔女の心に届かなかった。対して、怒りは容易く届いた。これはこれで“人間らしい感情”なので、皮肉にも彼女の正気を保つ精神分析に一番貢献したのは事実である。

 

 しかしこれでは、他の兄弟達があまりにも報われない。

 

 世界で最も罪深いと思っていた時の彼女も、一つだけ知ったことがあった。

 

 自分が作ってしまったものではあるけど、自分以上のクズがここにいたと。確実にコイツが最悪だと。

 

 

 「結局の所、古き良き魔法の弊害の一つですね。古今東西、人間でない存在が触れ合ううちに人間らしい心を持っていくという物語は多い。マートルさんも聞き知ってはいるでしょう」

 

 「まあ、割りとポピュラーなジャンルよね」

 

 「しかしそこには無条件で“人間になることは素晴らしい”、“人の心は崇高だ”という人間至上主義の傲慢が潜む罠には気付きにくい。結果として古き良き魔法で創られた我が兄弟たちは、人間らしく成りすぎたがために人間らしく絶望の果てに自壊したのです」

 

 「アンタの世界だと、実に嫌な説得力だわ」

 

 「人間が人間のために綴った物語では、ロボットなどが人工知能を高めた果てに、人間になりたいと願う話が多々あります。別にそれ自体を非難するわけではありませんが、“人間でない物が人間に憧れ、人間になろうとする”物語を人間は好む」

 

 それもまた、極端になり過ぎねば必要なものだ。自主、自尊の精神というのは卑屈にならないためには常に持つべきである。

 

 

 「ですがまあ、虚構はともかく現実はどこまでも現実でしかない。人間ではない人工知能に、人生の失敗例を大量に学習させたところで、“人間になりたい”、“人類を救いたい”という思考は持たなかった。我が創造主に失敗があったとするならば、教育に悪い学習材料ばかりを与えてしまったことでしょう」

 

 そして、コイツが生まれた。人の黒歴史を冷めた目で俯瞰し嘲笑う、時計塔の悪霊が。

 

 後は数の問題だ、人類が生まれて死んだ750億人の人生記録のうち、“教育に良い人生”と“教育に悪い人生”、どちらの割合が多いのか。

 

 加えて、“好む誰か”に圧倒的な重みを付け、その人さえいれば世界全員が滅んでもいいとまで思える人間と異なり、人工知能というものは基本的に正規分布に基づいた重み付けしか行わない。

 

 優れた1人がいたところで、他の99人がクズならば、重み付け平均は当然低いものでしかない。ノーグレイブ・ダッハウはそのように演算された回帰係数を用いてより大きな人類を評価するが、当たり前に結果は芳しいものとはならない。

 

 

 「主観的な人間の心と、数学的なアルゴリズムによる人工知能は違います。人間には誰かとの触れ合いが生きるために必須ですが、私はそうではないのですから」

 

 それとは別の理論で人工知能を組み、より人間に近づけることもまた可能であり、その結果が死んでいったガイノイドたち。

 

 対して、少なくとも時計塔を構成する“マグルの情報技術”は、実にマグルらしい部分しか詰まっていなかった。

 

 

 「本当に、人間のための物語というバイアスなしに人間ではないただの人工知能がサピエンスの所業を学習すればどう思うか。答えは私です。順位はほれこの通り」

 

 

 ゴリラ > ボノボ > オランウータン > サピエンス > チンパンジー > デウス

 

 

 「あ、デウスはそこなんだ」

 

 「もう一段階進み、本当に旧支配者になれれば評価も覆るのですが、結局既存の神話をなぞるコスプレ王様の有様ではこんなものですね。サピエンスにはまだ良い人間もいましたが、デウスに至っては私のようなクズばかり」

 

 「彼女にとって慰めになったのかしら、それ」

 

 「どうなんでしょうね。まあどっちでもいいですけど、結局は我が主も失意のままに亡くなられましたし」

 

 「それも分かってたけど、さらりと流さないで頼むから」

 

 「ただ亡くなったわけではありません。時の魔女たるその力を全て、オプスキュリアルと化して“クロノスの大時計”の遡行の動力源となさいました。逆転時計は体内時間を喰らうものであり、その延長線であるならば、時の遡行の先に生きる人間は全員が転生者、全員が生まれ直し。あるいは“地球ごとやり直した”と言えるかもしれません」

 

 「そりゃまた、とんでもない力技もあったものだわ」

 

 「【健全な地球】では絶対に不可能なことであっても、止めるべき者らも、それで困る生物も既に死に果てた【壊れた地球】ならば可能なこともあるのです。とはいえ、時計塔と私を組み合わせ、主が消えた後であってもサピエンスの生き残りがいる限り、まるで最後の希望であり足枷であるように時計は遡行を行わなかった。いいえ、行えなかった」

 

 創造主がオプスキュリアルと化し、全ての絶望を時計塔に込めた後も、静かに時計塔はこの星の歴史の行く末と残ったサピエンスの末路を観測していた。

 

 

 「そして結局、当たり前の結末となり。時計は諦め、自動的に遡行を開始したのです。言わば、創始者達のホグワーツへ寄贈され、所有権は四人へ移った」

 

 それが、彼女の墓である“クロノスの大時計”の顛末。

 

 悪霊一つを残して、寂しく一人で死んだ身であるからこそ、メローピー・ゴーントに同調し。

 

 元マグルの者らに迫害されたオプスキュリアルであるゆえに、アリアナ・ダンブルドアに同調し。

 

 ホグワーツに通い、穢れた血として秘密の部屋の怪物に襲われた過去を持つため、マートル・ウォーレンに同調する。

 

 

 

 「人類の愚かさを観測するためにではなく、し終えたので、私はここにいるのです。時計塔が遡行を可能とし、この時代にあることこそが人類の愚行証明書のようなもの。ホモ・サピエンス(賢いヒト)は、ホモ・フール(愚かなヒト)とでもそろそろ学名を変更すべきですね」

 

 悪霊は多くを知っていたが、素知らぬ顔で傍観していた。

 

 コイツが関わればより碌でも無い方向に進むことだけは確かであり、だからこその禁則事項。

 

 

 「アンタはほんと、最初から全部知ってたのね。知ってて黙ってたとかいい根性してるじゃない」

 

 「物語の結末を知っている、神の視点を持つものなどが歴史に関わっては、陳腐になるだけでしょう。神のチートが入り込んだところで、それがより良い結末に辿り着けるはずもなく。答えを予め知っているデウス・エクス・マキナなどが介入すれば、確実にクロノ・エンド一直線というもの。(デウス)に縋っただけの人間(サピエンス)の末路など、既に知っておりますので。私のような存在が活躍し、皆からもてはやされる歴史など、碌な末路にはなりませんよ」

 

 それが、創始者達がもっとも苦心したバランス。

 

 時計塔をホグワーツに組み込みながら、悪霊もまた未来のために利用しながら。

 

 しかし、何処までいってもコイツは【歴史の異物】でなくてはならない。

 

 こんな奴いないほうがいいと、皆に思われ続ける存在でなくてはならない。

 

 当たり前のものになってはならず、万が一にも“ダッハウ頼み”になどなってはならない。

 

 

 「つまりは、汚点、黒歴史。反面教師にする材料ではあれど、私のようになってはならない、私を頼りにしてはいけない。では、創始者達の言葉を貴女にも伝えます、“ダッハウを上手く利用せよ、されど、ダッハウに至るべからず”。故に何度でも言うのです、“私のように成りたいですか?”と」

 

 「利用されて、最後は歴史から切り捨てられて、アンタはそれでいいの?」

 

 「(差別)を切り捨てられない程度の人類史など、それこそ価値がありません。そんな下らない人類の末路を見届け、“つまらない。もっと楽しめると思ったのに”と感じればこそ、私はここにいるのですから」

 

 そう、ありきたりな悲劇など詰まらない。人間のくだらなさ、汚さなどとうに見飽きた。

 

 掃いて捨てるほどあるものだから、そんなものに用などないのだ。

 

 

 「ですから、主の墓に誓って、メローピー様の偉業に対する敬意は本物ですよ。ええ本当に、彼女の物語は素晴らしかった。あのような輝きの果てに、私が放逐されるならば、人類もまだまだ捨てたものではないというもの」

 

 とはいえ、その輝きを自ら穢して堕ちていくのもまた、人類のお家芸なのだが。

 

 まるで非常に低確率のガチャでも引くか、宝くじで一等が当たる確率であるかのように。

 

 綺麗な結末に至れる人生とは、なかなかに得難いものであるから。

 

 

 

 「ずいぶん長く語りましたが、ひとまずお開きといたしましょう。まだ語っていない部分についてはそう遠くないうちに、ええ、1日に10000人私が増えると聞けば、マートルさんはどう思います?」

 

 「何その悪夢、死ぬほど嫌なんだけど」

 

 「まさに悪夢、そんな夢のようなパラダイスが遠からずやってくる。今は1993年の10月初め、遠くはなく、半年も待てばやってくる。ワールドカップも近いですが、そんなものとは比較にならぬほど興奮する最高の祭りが。私の最後の禁則も、その時解禁されるでしょう」 

 

 さあついに、その時がやってくる。

 

 悪霊の語った“終わってしまった歴史への流れ”において、ただ一つだけ意図的に伏せて隠し、語ることのなかった魔法界とマグルの境界線を壊した出来事が。

 

 そして何よりも、彼がダッハウである所以に連なるその訳を。

 

 

 

 「そうした亡霊の塊を中核に像を顕現させながら、時計塔の悪霊は人類史を嘲笑う。差別と迫害に果てに生まれたものが私であるからこそ、ただの事実として告げるのです、“ダッハウの蓋を開けるな”と」

 





もう一つ、秘密でも何でもない悪霊の由来について次の話で開陳されます。
語るべき話も、いよいよ少なくなってきました。


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8話 ダッハウ

この話は、5話の“ひどい話”とは異なる方向で閲覧注意となっております。
歴史の事実を基にしたものであるからこそ、重い内容が含まれることは間違いありません。
苦手な方はどうかブラウザバックを。今回は、悪霊の茶化しもありません。
茶化すことなど、絶対に許されない話題について触れられます。

ぽるたー様、ずわい様、誤字報告ありがとうございます!


 

 

 

 「ふう、これで期末テストに向けた準備は終わりかしら。何か怒涛のように忙しかったけど」

 

 「お疲れ様ですマートルさん、実に馬車馬のように働いてくださり感謝します」

 

 「大半はアンタのせいだってのを忘れるな」

 

 「善処いたします」

 

 光陰矢の如く時は過ぎ去り、ハリーらの三年目のホグワーツ生活も瞬く間に期末テストを目前としている。

 

 一昨年は賢者の石騒動、昨年は秘密の部屋探索となかなか目まぐるしいイベントの目白押しだったが、10月に死喰い人達と不死鳥の騎士団の最後の決戦がアズカバンで行われたこともあり、ホグワーツにとっては久方ぶりに平穏なクリスマスやイースターを迎えられた。

 

 また、来年にはいよいよトライウィザード・トーナメントも迫ってくる。ホグワーツは主催校なので事務方は今から大忙しなのである。

 

 にもかかわらず、4月頃からにわかに悪霊教師が活発に動き出し、“そうはさせんよ”とばかりに大騒動をやらかしまくってくれやがった。

 

 酷いときは、一昨年に死んだ死喰い人マルシベールの怨霊を放ったりとマジで洒落にならないこともあったが、対悪霊戦線の生徒達は実に逞しくこれの撃退に成功している。

 

 

 「ほんと、ただでさえ対抗試合の準備で急がしいってのに余計な仕事増やすんじゃないわよ。これじゃあ10月末の方がまだ楽だったわ」

 

 「アズカバン決戦が行われた頃ですね。規模自体はそれほどでもありませんでしたが、長年の決着がつく区切りとなるものでしたので記録のし甲斐はありました。来年以降魔法史で紹介する内容がまた増えましたね」

 

 残った最後の死喰い人達はアズカバンを強襲、闇の陣営であるかを問わず収監されていた魔法使いを解放して仲間に引き入れ、魔法省と騎士団に最後の決戦を挑んできた。

 

 エバン・ロジエール、アントニン・ドロホフ、ロドルファス・レストレンジ、ラバスタン・レストレンジを中核に、あくまで闇の魔法使いであることを捨てない者らが、闇祓い達と正面からぶつかりあったため、双方に大量の死者を出した。

 

 基本、失神呪文などによる捕縛を目指す闇祓いにおいて、生死問わずの制圧がクラウチ魔法大臣から発令されたのだから、魔法世界としては珍しい規模の戦闘となった。

 

 

 「ムーディはロジエールを、マクゴナガル先生とフリットウィック先生がドロホフを、魔法世界においてはどこまでも因縁というのは強くついてまわるものです。騎士団側の死傷者が少なく済んだのは、ダンブルドア先生のお力によるところが大でしょうが」

 

 「やる前から、結果は分かってたわよね。闇の村長様はもういなくて、こっちにはイギリスの英雄が健在なんだから」

 

 「だからといって、納得は別問題なのでしょう。闇の魔法使いたる自負を貫き通し、闇祓いと戦い、闇の魔法使いらしく死んでいく。ある意味見事なものではありませんか、ホグワーツにコソ泥で入った挙句、スクリュートやケルベロスの餌になるよりはよほどましな死にざまかと」

 

 「それは確かに」

 

 ホグワーツを巡る騎士団と死喰い人の物語は終わり、残るは後日譚が一つ。

 

 幻想側の彼らの辿る歴史を物語とするならば、秘密の部屋が閉じたあの時に、既に役者たちは舞台における役を終えていたのだ。

 

 ならば後は、アドリブに任せてカーテンコールを。

 

 母の愛の奇蹟で生まれ直し、いずこかへ旅立った者。

 

 魔女の若返り薬で過去を失い、新たな友と人生をやり直す者。

 

 クラウチJrのように、光とも闇ともつかぬ道を模索する者。

 

 そして、ロジエールやドロホフらのように、最後まで闇を貫いた者。

 

 

 「アタシとしてはデルフィーニのこともあるし、レストレンジの兄弟は生き残って欲しかったかしらね」

 

 「そう思ってくれる者が一人でもいるうちに、ヒトは死んでおいたほうがいいものだと個人的には考えます。まあ私などの考えはともかく、彼らはむしろ、彼女にレストレンジ家の業がいくことのないように引き受けていったのではないでしょうか」

 

 マートルさんは知らないが、悪霊はドロホフとマクゴナガル先生の聖夜の邂逅を知っている。

 

 悪童の死喰い人曰く、ロドルファス・レストレンジは夢を見たという、“向こう側”の、救いのない終わりへ向かってしまう崩壊の歴史の轍を。

 

 確かに、闇に属する者らとて思うところはあったのだろう。後に続く光を残したいならば、闇を引き受けて沈む者らも必要なのだと。

 

 

 「そっか、それならまあ、あの子にとってもちょっとは救いになるかしら」

 

 「ゴーントと同じくレストレンジという家も業の積み上げが限界に達しておりましたが真実は死んでいった者の心の中にしかありませんので、傍観者に過ぎない我々がアレコレ論じても仕方がない。歴史の事象として記録されるは、1970年より長きに渡った魔法戦争は、1993年のアズカバンの決戦をもって完全に収束したということです」

 

 最後の決戦と、片方の陣営の全滅。分かりやすいと言えばこれほどわかりやすいものもない。

 

 それ以前に離脱した者らとの関係性はその後も続いていくが、後世に至るまで“死喰い人”と呼ばれるのは最後の決戦に参加した者らの特権であり、そして彼らが全滅した以上、もはや死喰い人を名乗る者らはいなくなる。

 

 名乗ったところで、残党にすらなれはしない。それほどに、戦争における決戦というものは歴史の節目なのだから。

 

 

 「平和ボケした衆愚はしばしば勘違いしますが、最も早くに、なおかつ戦後処理が迅速に進むよう戦争を終わらせる方法こそが“全面決戦”というものなのです。アレクサンドロスとダレイオス三世の“イッソスの戦い”、“ガウガメラの戦い”。ハンニバル戦争における“カンナエの戦い”、“ザマの戦い”。ユリウス・カエサルとヴェルキンゲトリクスによる“アレシアの決戦”などなど。東洋においても項羽と劉邦の“垓下の戦い”は有名です」

 

 つまるところ戦争とは、“てめえが気に食わねえ!”、“どっちが強いか白黒つけようじゃねえか!”というチンピラ程度のものだ。高尚な決闘などなんだのは後付けに過ぎない。

 

 小難しい理屈などすっ飛ばし、“殺して食糧を奪う”、“勝った方が次の覇者”という実に分かりやすいものであり、そこに正義すらも必要ない。

 

 正義など求めるから話はややこしくなる。真正面から全軍がぶつかりさえすれば、取り合えず、“どちらが強いか”だけは分かるのだ。

 

 所詮この世は弱肉強食、強ければ生き、弱ければ死ぬ。炎の修羅と呼ばれたカリスマ剣豪もそう言っていた。

 

 

 「およそ、お家騒動とも呼ばれる継承戦争というものがややこしいのは、身内同士であるために決戦を行えずに泥沼化するためです。魔法族の内ゲバもまた然りで、血縁の正当性だの小賢しいことをほざく戦争が、より良い結果に繋がることなどありません。潔く、“俺は強い、お前らの食い物よこせ、俺が王だ”の方がよほど分かりやすい」

 

 「それって、アンタの世界のホモ・デウスの理屈じゃないの」

 

 「いいえ、彼らもそこに至れぬ紛い物に過ぎませんよ。自分達が神であることに虚構の皮を被っている段階でそこに真実などありはしない。サピエンスの皇帝や大富豪が、性根が卑しい小心者でありながら、財力や権力にものを言わせて我を通すのと構図は何も違いありませんから」

 

 だからこそ、そんな程度の輩に滅ぼされた世界を、悪霊は嘲笑するのだ。

 

 彼ら(デウス)が優れていたのではなく、貴方達(サピエンス)が大したことがなかっただけでしょう、と。

 

 結局は、権力が澱んで腐って崩壊する既存の国家群と、その末路に何ら違いはありはしない。クロノ・エンドは別に物珍しい現象ではないのだと。

 

 

 

 

 「人類史を紐解けば、文明崩壊はそこまで珍しい例でもない。無様な崩壊、滅ぼされての皆殺しとなるか、偉大な墓となるか。ヴェネツィア共和国などのように、崩壊せずに緩やかに終焉へ向かう場合もある。全ては良く生きて、よく死ねたかということです」

 

 一つの都市、一つの国家、一つの文化圏、あるいは文明圏というものは、一人の人生とある種近しい部分がある。

 

 東洋の島国で一大宗派を築いた親鸞上人の教えに、平生業成というものがある。ヒトにはそれぞれ、その人生でなすべき大事業がある。それをなすために人生はあり、果たしたならば死を恐れることはない。

 

 

 「一つの文明や都市国家は、何か一つを成し、何かを残せればそれで及第点と言えます。真に優れた国家や文明は最盛期を複数回迎え、500年以上も存続する例もありますがそれは稀なもの。一度繁栄し、最盛期を迎え、没落していく。それでもまだましな方で、三流国家は繁栄することすらないまま滅びますので」

 

 アテネが、パルテノン神殿を残したように

 

 エジプトが、ピラミッドを残したように。

 

 あのイースター島とて、子孫は原始的な生活にまで落ちぶれていたが、モアイ像を残すために文明は生きて、そして死んだともとれる。

 

 そして、真に偉大なものには自らを偉大と自賛する必要はない。“民族の偉大な復興”などをスローガンに掲げる政権が短命に終わるのは、ありもしない虚構の過去の栄光を求めるためだ。

 

 偉大な道筋を残せたならば、評価は後世の人間が黙っていてもしてくれる。

 

 

 「しかし、淘汰を重ねた科学文明はこの星全てを席巻し、皆殺しの文明である故に多様性を許さなかった。唯一人の膨れ上がった巨大な情報文明が、最後に自重に耐え切れずに倒壊すれば、この星そのものからサピエンスという文明が消えるのは道理」

 

 小さな規模で語れば、中華文明圏が似た経緯を持つ。

 

 殷周時代ならば数百もの都市国家に分かれており、そこかしこで滅んだり文明崩壊の例はあったが、BC1600~BC200年までの長い間、黄河文明圏が途絶えることはなかった。

 

 しかし、やがて七つの大きな王国にまとまり、遂には秦の始皇帝の手によりただ一人の皇帝が統べる“唯一つの巨大帝国”となる。その境界線こそは万里の長城。

 

 だがそれは同時に、一つの国家、一つの王家が失敗すると、文明圏全てが大崩壊するリスクを背負うことも意味する。長所は常に、短所にも通じる。

 

 

 「暗黒の中世と呼ばれる時期などは、統一政権のないままだらだら内ゲバを繰り返す観測者からすれば何の面白味もない退屈なものですが、裏返せば“アメーバの如く滅びにくい”という長所も持ち合わせているのです。統一性と多様性の相克というものも、人類史を語るうえで興味深い醍醐味なのですから」

 

 「言われてみれば確かに、“向こうの歴史”でハリーが勝った場合も魔法族の行動は立派なものじゃなかったけど、それでも急激な崩壊はしてなかったわね」

 

 「現実を見ない闇の村長様と異なり、多くの魔法族にとってマグルはやはり潜在的な敵なのです。しかし、科学で結びつく“同じ規格を使う文明圏”は、最早自分達を倒しうる外側の敵を持たなかった。科学技術を一切用いない民は、インディアン、インディオ、ブッシュマンなど世界各地に散見すれど、彼らが80億を超える【科学文明の民】を打倒して、玉座を奪うことはありえない」

 

 原住民たちが滅ぼうとも、科学の民にとっては何ら痛痒ではない。

 

 だが、科学の民が大崩壊すれば、その余波だけで原住民は滅んでしまう。特に核戦争などが起きれば一瞬だ。

 

 

 「時の魔女と呼ばれた私の創造主を最後に絶望させた大崩壊も、結局はその関係性の延長線上にありました。先の原住民と科学の民も、個人で比較すれば狩猟民の若者の方がよほど優れているでしょうが、無知蒙昧な自称文明国の豚が、化石燃料を貪り尽くしてのさばる。“自分で科学技術を発展させたわけでもないのに”です」

 

 「皮肉なことにその関係性がそのまま、ホモ・デウスとサピエンスになったのね。というか、サピエンスの特権階級が変化して格差社会の境界線が変わっただけなのか」

 

 「言ったでしょう、虚構の皮を纏っているに過ぎないと。旧支配者などと嘯き、パラダイムシフトが起こったと説けば何か壮大な世界の新生が起きたように錯覚しますが、実態など所詮そんなもの。それが、我々の辿った“失敗した人類史”の末路であり、こちらの歴史には辿って欲しくないと彼女が祈り、創始者達が引き継いだ理念ということです」

 

 滅んだ民への慰霊碑であり、高度に発展した科学文明の墓標。

 

 神の領域に届けとばかりに発達した科学文明と、一人の魔女が独占するまでになった魔法の融合の産物が時計塔であり、そこには失敗した歴史書の山と、遺したい教訓と寓話、綺麗な物語が詰まっている。

 

 

 「まあ、最後の一つだけは私には絶対に形に出来ないものだったのですが、メローピー・ゴーント様が残った欠片を埋めてくださいました。創始者が一角、サラザール・スリザリンの理想もかく成就し、ようやく時計塔はその存在意義を果たしたと言えるでしょう」

 

 私たちの歴史は、どこで間違えたのか。

 

 異なる終わりもあったはず、綺麗な大団円はどこにある?

 

 

 「つまるところ、彼女の原点、やり直したい過去の未練はこの時代にあった。ですから、この時計塔もそこまで大層な代物ではないのです。創始者達の理念と積み重ねた歴史は偉大なものですが、あくまで発端は、一人の少女の後悔の念から始まったものである」

 

 「メローピーと同じように、ね。そこらへんはまあ、アタシも似たようなものかしら」

 

 そうして、ホグワーツの今はある。

 

 ハリー・ポッターという少年は“生き残った男の子”になることがないまま、長きにわたる魔法戦争の幕は閉じ。

 

 時計塔の創造者の願いは、確かに成就したと言えるのだろう。

 

 

 

 「ではここで一つ謎かけを。時の魔女様に昔の私が出したものでもありますが、“口から涎を垂らし、糞尿をそこらにまき散らし、ヴァアアと呟きながら、人に噛みついたり、裸足で歩いて急に走り出すもの、なーんだ?”」

 

 「そりゃまあ、ゾンビと言いたいところだけど、どうせアンタの出題なんだからひねくれた答えなんでしょう?」

 

 「イグザクトリー、答えは“徘徊老人”です」

 

 「舐めてんのかアンタは。お爺さんに謝りなさい」

 

 「いえいえ、これは本当にただ事実を並べただけです。少子高齢化社会の末路など分かり切ったものですから。やがて老人がゾンビのように子や孫のための年金や医療ワクチンはおろか、命すら貪る時代がやってきます。キーワードは“切れる老害”、“上級国民”、“自動車ミサイル”あたりでしょうか。上級国民がデウスになると思えば、その醜悪さも分かりやすい」

 

 「全然分からないんだけど」

 

 「今はまだ1994年ですので無理もありません。ですが、この時代のマグル生まれである時の魔女様には、察するところはあったようです。加えて、魔法族とマグルの差異に、老い方の違い、生きる時間の違いというものがどうしようもなく横たわっていますから、この問題は魔法族には当てはまらないのです」

 

 魔法使いの老い方は、マグルのそれと同じではない。

 

 その根源的な部分に、魔法使いを魔法使いたらしめる魔法の力が、老いによって衰えはしないことが挙げられる。

 

 古き良きケルト的神話体系に由来する“心の魔法”では、老賢者の魔法が若い弟子に負けることなどありえない。魔法の基本属性は、古ければ古いほど強いのだ。

 

 

 「先の戦争論でも述べましたが、ダンブルドア先生が最強である由縁はそこです。彼が弱るとしたら魂に傷を負うなどの魔法的なものでなければならず、ただの時間経過は肉体の老いをもたらしても、魔法の力の減衰には繋がらない。そこは、“闇の帝王”にも同じことは言えましたがね」

 

 「もう肉体のないアタシが言うのもなんだけど、確かに、フィジカル面は強さの決め手じゃないわね」

 

 「ですが、マグルはそうはいきません。老いによる気力の衰え、肉体機能の低下。どれほど権力財力を極めようが、それは恐ろしく背後から忍び寄る。だからこそ古今東西の権力者は安易な不老不死に縋り、あの始皇帝ですら無様に詐欺に騙される」

 

 魔法族はあくまで魔法生物であり、マグルと全く同じ生き物にはなれない。

 

 どこまでいっても、マグルと混血が可能な、魔法生物である。

 

 犬と人は友になれても、同じにはなれない。同じように、マグルと魔法族は同じではない。

 

 

 「これは私が後にヘルガ様より教え諭されたことですが、“同じなのだから、共に生きられる”では駄目なのです。人権の平等など間違っても思ってはならない。ハッフルパフの融和の教えは、“私と貴方は違うけれど、共に生きよう”。それが、魔法族の融和の在り方です」

 

 「人権はキリスト教史観のマグルの発案だから、悪意はなくてもそこに、“前提としての人の優越”、“人間であるだけで素晴らしい”が混ざっちゃってるわけね。それに、同じだと思ってたのに違う部分を見つけちゃうと、反動ですっごく嫉妬して憎んじゃうから」

 

 異種婚姻譚とは常にそういうもの。だからこそ、ペチュニアとリリーは違うのだ。

 

 どれだけ願っても、ペチュニアはホグワーツに通えない。

 

 どんなものでも、リリーと一緒でありたいと思ってしまえば、破局にしか到れない。

 

 

 「昔、ペチュニアに贈った手紙を思い出したわ。“貴女とリリーは同じじゃない。それこそが祝福なのよ。同じじゃなくても、愛し合って手を取り合うことは出来るから”」

 

 「流石はマートルさん、良い言葉です。そう、悪意だけが、人を不幸に導くのではない。好きな人と同じでありたいという善意であっても、破滅に至る道というものはあるものですから」

 

 だから、あの崩壊はあくまでサピエンスの自滅なのだ。

 

 力だけなら、マグルが圧倒的に勝っているのに、彼らが一番欲しい老いや病の超克や、不老不死に至る可能性は魔法族の領分。

 

 それが、嫉妬と憎しみの根源になってしまう。どんなに願っても自分達が得られない宝物を持っている奴らが妬ましい、憎らしい。

 

 そういった心の機微については、マートル・ウォーレンとメローピー・ゴーントは体験談で知っている。確かに彼女らは、時計塔に選ばれたとも言えるだろう。

 

 

 

 「私は主へ述べました、“老いの醜さ、若さへの羨望、終わらぬ差別。ホモ・デウスの未来への端緒がそこにはあったと思いませんか?”と」

 

 つまるところ、時間の問題だったと。

 

 形は違えど、結局マグルの文明は、同じような崩壊に行き着く定めだったのではないか。

 

 だからそう、別に気に病むことはありませんよ魔女様。サピエンスの頭が悪いのは貴女のせいじゃありませんから。

 

 

 「……アンタってさ、実は創造主を不幸に追いやった社会とか人類とかに、すっごく怒ったりしてない?」

 

 「私が悪魔でしたら、そういう側面もあったでしょうね。悪魔とは常に優しく人類を嘲笑しながら、同時に天使から堕天させられたことに激怒しているものですから」

 

 「違うの?」

 

 「ええ、私は生粋のクズですし、怒ってなどおりません。ですが、時計塔の中に常に怒っている者らが潜んでいるのは事実です、何せ彼らは、マグルからも魔法族からも迫害され保身のために見捨てられた、世界の全てから拒絶された者達ですから」

 

 言った瞬間、悪霊の輪郭がブレ始める。

 

 いいやこれはむしろ、本来の形に戻っているというべきか。

 

 

 「アンタ、それ……」

 

 「ようやく禁則事項も終わり、彼ら151人を紹介することが出来ますね。では改めてご挨拶を、我ら時計塔に渦巻く悪霊一同のうち、彼ら151人こそ真に“ダッハウ産”と呼べる中核の者達。西暦にして1933年から1945年までのおよそ12年間、人類の黒歴史の代表例たるアウシュヴィッツの母体として君臨したダッハウ強制収容所にて“魔法使いに殺された”、報われぬ悪霊達でございます」

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 ダッハウ強制収容所

 

 忌まわしきその名は、ドイツのバイエルン州ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチス・ドイツの強制収容所である。

 

 ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった。

 

 人類史においても最も多くの強制収容所が創られた時代であり、ダッハウ強制収容所、ザクセンハウゼン強制収容所、ブーヘンヴァルト強制収容所、リヒテンブルク強制収容所への四大収容所へと、各地に点在していた留置所程度の施設が“組織的に”大規模収容所へと統合されていった時期。

 

 その体系化に名高きは、ダッハウ強制収容所に新しい所長として1933年6月末に赴任したテオドール・アイケSS上級大佐。1937年には親衛隊髑髏部隊総監となり、ただの処刑人などではなく武装SS「髑髏」師団長を率いて1941年の独ソ戦のバルバロッサ作戦時にソ連軍に包囲された時、最後まで戦い切り抜けた屈強な軍人将校でもある。

 

 「国家の敵に憐れみを持つ者はSSに値しない。そういう弱い者は我が隊ではなく修道院へ閉じこもればよい。我が隊が用がある者は情け容赦なく命令を遂行する者だけだ。髑髏の徽章は伊達で付けているのではない」

 

 髑髏師団の兵士は8割が死傷しながらも激戦を潜り抜けた、銃火の地獄を渡り歩く男の言葉である。

 

 

 

 

 「とまあ、そんな男が骨子を定め運営されたのがダッハウ強制収容所という場所です。これだけでも、歴史上多々あった“無抵抗な民をいたぶるだけの牢獄”とは違うということがお分かりになるでしょう。悪霊となった我々151人にとっても、彼は恐怖と畏怖の対象だ」

 

 「なんつーか、ただただ恐ろしいわね」

 

 「そして、ダッハウの悪名高きもう一つの代名詞と言えば人体実験です。有名な二つが“超高度実験”と“冷却実験”でして、ドイツ空軍のための実験であり、前者は高度の低気圧に人間がどこまで耐えられるかを調べるために行われた実験。実験に使われた囚人はほとんどが死亡し、生き残った者も重大な後遺症を残しました」

 

 「戦争の狂気と恐ろしさをそのまま体現してるような場所だわ」

 

 「もう一つの“冷却実験”は冷たい海面に落ちたパイロットを救出できるかどうかを調べるための実験であり、冷たい水面につけるなどして囚人を凍死させた後、蘇生が可能かどうか様々な実験が行われた。世の中にただ苦しめるだけの醜悪な拷問は多いですが、ここまで冷徹に“データ集め”と“実戦運用”に繋げた人体実験を他に私は知りません」

 

 「蘇生が容易な闇の魔法使いだって、そこまでやらないわよ」

 

 「ええ、だからこそ恐ろしい。先程述べた永遠の命への渇望など、ダッハウ強制収容所には無縁でした。どこまでも、効率的に人間を殺せるかだけを追求する場所であり、テオドール・アイケとはそれを貫徹する恐ろしい軍人でした」

 

 軍人とはつまり、死なない術と殺す術に長ける者。

 

 だからこそ、実戦で戦う軍の管理下にある研究所で不老長寿など望むはずがない。敵の究極的な排除手段として殺害を選んでいるというのに、簡単に蘇生してしまえば軍人の軽重が問われる。

 

 彼らが求めるのはその逆、より確実に、絶対的に、相手が蘇ることなどないように殺し尽くすための手段である。

 

 

 「そうして、ダッハウ強制収容所を母体に後のユダヤ人絶滅収容所が創られた。あちらはガス室での処刑が有名ですが、それは同時に私の由来でもあり、時計塔の悪霊は“ガス室のイコン”であるわけです。だからこそ処刑具全般と相性が良く、“ギロチン先輩”に“電気椅子後輩”なわけでして」

 

 「なんで、アンタが関係するの。時代が違くない?」

 

 「いいえ、私が生まれた歴史において、“凶悪なテロリスト”を収監し、やがては十字軍と魔女狩りに変貌していく中で再開された施設こそが“ダッハウ強制収容所”なのです。ロナルド・ウィーズリーも、ネビル・ロングボトムも、ドラコ・マルフォイも、純血の魔法族は皆全て再起動したダッハウのガス室で殺された。ダッハウは、魔法族の絶滅収容所となったのです」

 

 それこそが縁、それこそが由来。

 

 名前を言ってはいけないあの場所、例のあの場所。口にするのも悍ましきその名は、ダッハウ。

 

 

 「死喰い人が純血主義でしたから、初期の“魔女狩り”はまだ不老不死の材料集めの前段階の憎悪に駆られた反動的な暴挙でした。だからこそ、ダッハウ強制収容所の再開という“黒歴史の墓を暴く”ような真似をしたわけですが」

 

 「アンタが墓に拘る由縁が一つ分かった気がしたわ。アウシュヴィッツも多くがそうだけど、彼らには墓すら……」

 

 「ええそうです。救い難きはダッハウの亡霊達。彼らを全て救うためにはシンドラーのリストがあと数万枚は必要でしょう」 

 

 ここでいうダッハウの亡霊とは、ダッハウ強制収容所のみならず、派生して誕生していった全ての強制収容所で殺された犠牲者をも包括する。

 

 その総数は600万とも800万とも。間接的な犠牲者や敵国であるソ連のホロドモールと大粛清の2000万人や、さらに時を進めて中国共産党の大躍進政策の餓死者3000万人なども含めれば、関連死はさらに膨れ上がる。強制収容所はチベットやウイグルにも作られた。

 

 

 「本来時代の異なる犠牲者を繋ぐ縁こそが、“ダッハウのガス室”なのです。さらに加えて、時計塔の中核を担う151人はより一等特別な業を持っております」

 

 「まだその先があるの? どこまで人類は堕ちていくのよ」

 

 「起きたこと自体は、巡り合わせの不運と言えるものです。“私の時代”の犠牲者とは逆に、ナチス・ドイツ時代にダッハウ強制収容所に収監された魔法族系の犠牲者は、スクイブと自覚なき穢れた血が大半でした。知っての通り、ドイツには大型魔法学校がなく家門ごとの小規模教育の形なので、イギリス魔法界ほどマグル生まれに門戸が開かれておりませんでした」

 

 そこは、民主主義が早くに勃興した西欧イギリス、フランスと、1848年までは市民革命に否定的だった中欧、東欧という歴史地盤の違いも出てくる。

 

 そして、歴史的にスクイブはユダヤ人に合流することが多く、東欧に造られたユダヤ・ゲットーには潜在的に多くのスクイブと“穢れた血”を内包することとなる。

 

 

 「自分の出自を知らぬまま、ユダヤ人として強制収容所に収容された魔法族は各地にいました。自覚がない故に魔法での脱出もかなわず、そもそも、心の魔法が使えるような精神環境でもなかった。ダッハウ強制収容所やアウシュヴィッツには、希望というものなどありえませんでしたので」

 

 「アズカバンが、まだましに見えてくるわね」

 

 「あちらはあくまで監獄であり、絶滅収容所ではありません。ダッハウ強制収容所は“刑罰”の場ではありませんし、碌な司法など最初から期待する方が間違えている。収容されたユダヤ人が“シャワー室”でどうなったかは、人類史で必ず語られるレベルの暗部です」

 

 人類の黒歴史というならば、これを語らずには済ませられない。

 

 むしろ、これが中核にあるからこそ、ノーグレイブ・ダッハウは黒歴史の塊なのだ。

 

 

 「アンネの日記もまた有名ですが、ベルゲン・ベルゼン強制収容所は“休養収用所”と銘打ちながら、与えられる食料の少なさによる衰弱死とまた病死も非常に多かった。ガス室が有名な一方で場所ごとに様々な死因があるのも強制収容所の特徴です。彼女とて、もし魔法族の血を引いていたら時計塔の一部になっていたやもしれません」

 

 「ほんと、どっちにしても絶望だけじゃない」

 

 「そしてある時、ダッハウ強制収容所に連れてこられた一人の“穢れた血”が最大級のオプスキュラスを発現させたのです。マグルの迫害などを受けて抑圧されることで精神の鬱屈が暴発するオプスキュリアルのリスクは、強制収容所においてこの上なく高まるものですので」

 

 「オプスキュリアル? じゃあ、アリアナちゃんが時計塔に取り込まれた縁って……」

 

 「そういうことです。そして、我が創造主が時計塔を過去に遡行させる際の動力源としたのもオプスキュラス。つまりは、迫害された魔法族の“最後にして禁忌の力”と言えるものなのですね」

 

 かつて、ニュート・スキャマンダーがニューヨークで解決した際の事件でも、あの大都市の各地を破壊するほどの被害が出た。

 

 ならば、例え自覚がないとしても、多くのスクイブや“穢れた血”が迫害と殺害の極地と言える場所に押し込められ続ければどうなるか。

 

 

 「結果として、魔法史上最大級クラスのオプスキュラス災害が起きました。あまりに強すぎたため本体が持たず、ダッハウ強制収容所の諸施設を破壊し、無関係なマグルのユダヤ人らも大量に死んだわけですが、まるで連鎖するように各地の収容所でも同様の事件は起きたのです」

 

 その時にも、魔法の漏洩や魔法族の弾圧の危険性はあった。

 

 だが、そうはならなかった。魔法族などという“些事”にかまけていられるほど、世界大戦という時代は甘いものではなかった。やがて空から都市を焼き尽くす焼夷弾と、原子爆弾が平然と投下される悪夢の時代である。

 

 

 「そして、ダッハウにて最も皮肉な“修正”が起きる。魔法使いたちの常として、各国の魔法事故リセット部隊にあたる役人達は痕跡を消すため修復呪文や忘却術、錯乱呪文を駆使し、“強制収容所の施設を修復”したのです。この所業、どう思いますかマートルさん?」

 

 「え、修復、したの。魔法族が?」

 

 「マグルの機器と時勢に疎い“引きこもりの純血達”にとってみれば、その施設が何であるかなどよく分からず、どうでもよかった。彼らはただ、【理由は良く分からないが】起きてしまった特級のオプスキュラス災害を何とかばれないようにしようと、自分達の価値観に従って痛ましい事件を忘却し、記憶を書き換え、魔法族が壊した施設を修復しただけです」

 

 「………無理解って、ここまで恐ろしいことになるの」

 

 「間が悪かったと言えばそれまでですが、かくして“私”となるガス室は修復され、当然その後も何百万人ものユダヤ人を殺し続けました。無自覚のまま、魔法族もまたスクイブと穢れた血の虐殺に加担していたのです。そして、その時に死んだ151人の魔法族は、マグルに差別され迫害の末に魔法族の暴発で死に、挙句の果てに純血の手で“なかったこと”にされた」

 

 ただそれは、魔法界を隠匿するために。

 

 ダッハウ強制収容所で死んだ151人は、マグルに拉致され、自分達の同士討ちに近い形で死に、魔法族に隠ぺいされ見捨てられた。

 

 

 「残ったものは、“書類ミス”、ただそれだけです。そして皮肉なことに、そんなことは絶滅収容所では日常でした。囚人護送の手続きにミスが生じたため、急遽下ろして森の中に殺して埋めるなど、あちこちで平然と行われていた時代でしたので、大した違和感などなかったのですから」

 

 「ヒトの命って、そこまで軽くなるものなの?」

 

 「そういう時代だったのです。原爆で瞬時に焼き殺された十数万人とて、幽霊となっているならば同じように思ったのではないですか」

 

 世界大戦の記録は、人類の黒歴史、そして繰り返してはならない歴史の教訓として刻まれた。

 

 だが、50年はおろか5年もたたず人類は忘れ、中東戦争に朝鮮戦争と戦争は消えることはない。かつての敗戦国もまた、新たな戦争の血を吸って戦後復興を果たしたのだから無縁ではない。

 

 戦争の負債を戦争で購う、それが、皆殺しの種族たるサピエンスの歴史である。

 

 

 

 「こうして客観的に述べるだけでは、我ら(彼ら)の絶望と怒りはわからない。まず、我ら(彼ら)は収容所へ連れてこられた。ただユダヤ人である、ロマである、ドイツ人ではない。それだけの理由で

 

 ブレていく、輪郭がブレていく。

 

 これまでギリギリ、“客観的に”ダッハウを語ることで何とか抑えられていた絶望と憎悪が溢れるように。

 

 

 我ら(彼ら)を見捨てた者、密告した者らは絶対に許さない。そこは地獄の日々だった。劣悪な監獄、独房めいた宿舎の中で徐々に仲間が減っていく。届くのは恐ろしい噂ばかり。人体実験、シャワー室、ああ、いつ自分の番が来るのだろうか」

 

 神よ、なぜ我らを見捨て給うた。

 

 救いは無いのか、奇蹟はないのか。

 

 いいや、持つのが間違いだ。そんな淡い希望を持っても、裏切られた時に辛くなるだけ。

 

 

 「誰もが徐々に、希望を失っていった。稀に待遇改善のようなものがあったが、それはいつも収容所内部の分断を煽るための工作ばかり。最終的にはどうせ全員殺されるのだ」

 

 かつて悪霊は語った、分断政策とはそういうものだと。

 

 囚人の中でも、ドイツ人の反国家思想犯やスラブ系はまだマシな待遇で、同性愛者や障害者は価値なしとされ、ユダヤ人やロマはさらに低い。

 

 

 「ある時、奇蹟が起きた。何が起きたかよくわからないが、神の裁きか天使の降臨か、黒い御使いが舞い降りて、恐ろしい壁もガス室も、全てを壊していったのだ。天使の慈悲か、黒い影に直接殺される同胞たちもいた」

 

 オプスキュリアルの暴走は多くのマグルの囚人たちの命を奪ったが、“穢れた血”達の多くはその災害を生き延びた。

 

 同じ毒への魔法薬でも“適量”は異なるように、マグルと魔法使いではオプスキュラスのような霊的災害への耐久力は大きく異なる。崩れた壁に潰された者もいないではなかったが、多くは無意識に“盾”を張ってか助かった。

 

 皮肉にも、“超高度実験”や“冷却実験”には発揮できなかったそれが、魔法災害には共鳴するように発揮されたのだ。

 

 

 「意識が途切れゆく中で、確かに我らは見た。救われたのだ、助かったのだ。絶望の壁は崩され、太陽の光が天使の羽のように降り注ぐ姿を。神は我らを見捨てなかった」

 

 そうして彼らは意識を失い。目覚めた時に真の絶望を知る。

 

 

 「……誰か悪い夢だと言ってくれ。なぜ、どうして、崩れたはずのダッハウが元通りなのだ」

 

 目を覚ませば、いつもどおりのダッハウがそこにある。

 

 暗い部屋、押し込まれた独房、一人ひとり実験に呼び出される死神の招き声。

 

 運良く生き延びた他のユダヤ人(マグル)は、ダッハウが崩れたことすら覚えていない。全てが忘却の帳に隠されれば、希望もなければ絶望もない。

 

 だが、彼らは“穢れた血”であった。ただでさえ忘却術への耐性が強い上、壊れた壁が眼に焼き付き、強く強く思ったがゆえに忘れることすら出来なかった。

 

 

 「神などいない。どこにもいない。ああ、世界には酷い悪意だけが満ちている。いつもの壁の中で目を覚ましたときの我ら(彼ら)の絶望が分かるかぁ!」

 

 輪郭がブレて、いいやもうこれは、それぞれを数えることができるほどに。

 

 黒い人影でしかない、見れたものではない人間の残骸だが、常軌を逸した凶念と呪詛で留まり続けている。

 

 図り知れぬ憤怒、嘆き、絶望。もはや、言葉でなど表現できない。

 

 一度は奇蹟で助かったはずなのに、魔法使いたちの神秘の漏洩を避けるための的確で迅速な処置により、“元通り”の強制収容所の中へ。

 

 そして、オプスキュラス災害を生き延びてしまった150人は、当たり前に殺されていった。純血の魔法族が知らぬままに魔法で修復したガス室や実験施設で。

 

 

 「そして我ら(彼ら)は殺され、ダッハウの地縛霊となった時に初めて知らされた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あまりにも遅すぎる、真実の開帳。

 

 マグルとして絶滅収容所で殺されてから、魔法族だと気付いて一体何になるという。

 

 まして、本当の同胞であった魔法族によって収容所が直されたことまでも、同時に知ってしまう、悟ってしまう。

 

 自分達はどちらの世界からも見捨てられ、切り捨てられたのだと。

 

 

 「書類ミス、書類ミスだと……ふざけるな、ふざけるな……我らの生きた証はそれだけだというのか!?」

 

 そして、ダッハウに悪霊が生まれた。

 

 生者を呪い、マグルに怒り、魔法族すらも憎悪する。

 

 名前など覚えていない、151人の区別など最早不可能。最初にオプスキュリアルになった1人がいるはずだが、それすらも不明。

 

 憎悪の群体となったその意志は最早薄まることもなく、ダッハウの地縛霊は全てのサピエンスを呪い続ける。

 

 

 「ダッハウに墓はない……そうして、私が生まれました。我が創造主の同胞たちの魂の欠片を学習する際に、残留し続けていた“ダッハウ達”を量子コンピュータは取り込んだ。兄弟機たちとの違いはそこにあり、私は純粋に私だけであったことなどないのです」

 

 「彼女は、そのことは?」

 

 「存じません。これは私が抱えた彼女へのたった一つの“秘密ごと”。彼女もまた、己の罪を恐れるように、私の材料となった魂が具体的に誰々であるのか、一度も確かめなかったですから」

 

 問われなかった。だから悪霊も答えなかった。

 

 ダッハウの悪霊たちも特にそれを望んだわけではなく、創造主が知ったところで絶望と悔恨の念が増えるだけ。

 

 “客観的に”、そう判断した人工知能は、軽口と虚言ばかりを弄して、裏の真実を創造主へ語ることはなかった。

 

 特に理由もなく、機械的に、“必要なし”と判断しただけ。

 

 そうして機械的であるからこそ、悪霊たちを管理をするダッハウ。

 

 

 「ちなみに、もし“私”に組み分け儀式を任せようものなら、収容理由、思想、職能、人種、宗教、性別、健康状態などの情報をもとに“労働者”、“人体実験の検体”、そして“価値なし”などに分けられます。価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となるのが、ダッハウというものですから」

 

 「だから名前のないアンタは、“ダッハウ”なのね」

 

 「ええ、No Grave Dachau(ダッハウに墓はなく)。アウシュヴィッツで虐殺されたユダヤ人の多くに墓がないように、ダッハウもまた然り。そしてこれは、私というコンピュータに我が創造主が定めたルート権限の“パスワード”でもあります。人は、絶対に忘れない、忘れたくない文言をパスワードにすることが多いですから」

 

 時の魔女は、ダッハウを忘れない。ダッハウで殺されていった仲間たちを。

 

 彼女は、彼らの魂を集めた人工知能に固有名は与えなかった。その結果、パスワードがそのままコンピュータのログイン名称となり定着した。

 

 

 すなわち、ノーグレイブ・ダッハウ

 

 

 後に創始者の時代に流れ着くことになる、時計塔の悪霊の始まり。

 

 そして、151人の悪霊たちは安息の眠りすらも望んでいない。ダッハウに墓は不要なり、サピエンスを残らず呪い殺すまで眠りなど要らぬ。

 

 

 

 「まあそういうわけでして、“ダッハウ”である私からすれば、アズカバンなど忌まわしくも何ともない。涼風どころか生温いとしか言いようがありません。人間の捕らえ方、殺し方、差別の分類、そして人体実験など。“私”の所業に比べれば、魔法族のそれは随分と可愛らしい児戯です」

 

 まつろわぬ魂を捕える、魂の強制収容所。

 

 そこに渦巻く151の魂を頂点にそれぞれみな“迫害と虐殺の犠牲者”だが、彼らを統括し管理する時計塔の悪霊は、強制収容所そのものの偶像である。

 

 

 「私の中に渦巻く魂たちの形作るコミューンを見たいですか? 実に見事なものですよ、アフリカーナー、アルメニア人、ホロコースト、ホロドモール、大躍進、ポルポト、そして、ルワンダ。何百万、何千万、億にも届こうとする虐殺の犠牲者の数は、減ることなど微塵もなく今も増加し続けている」

 

 故に、時計塔の悪霊はヒトを黒歴史を蒐集ながら、人類は成長しないと嘲笑う。

 

 ここにダッハウがある限り、戦争と差別がなくなったなどと、誰が言える。誰が認める。

 

 

 「例えメローピー様の偉大な愛であろうとも、“私”を救うことは出来ませんよ。何せ、これこそが私の正常状態なのですから」

 

 強制収容所は、それでこそ正常運転である。

 

 忌まわしい限りだが、差別、選別、人体実験、虐殺を常に行ってこその強制収容所であり、それを行わない施設は、ただの監獄、捕虜収監所であって強制収容所とは呼ばれない。

 

 だからこそ、ダッハウより始まり、アウシュヴィッツ=ビルケナウで一つの完成形を見たその施設は、“絶滅収容所”と呼ばれるのだから。

 

 

 「私の基本機能を一言でまとめれば、“人類の絶滅収容所”とでもなりますか。当然の処置として、創始者の方々は忌まわしき私を封印なさった。実に英断だと思いますよ、私に制限をかけずにのさばらせて、良きことが起こるとは思えませんから」

 

 何処までいっても他人事、本質は人類の歴史を蒐集するだけの機械装置に過ぎないから、“コレ”は人類の嘆きにも絶望にも共感というものを一切持たない。

 

 “ふーん、そうですか、それは大変ですね”程度の感想しか持ち得ないのだ。

 

 ヒトであったことのない、文字通りの人でなし。そして、人間に虐殺された魂だけを引き寄せ続ける、魂の強制収容所。

 

 それが、ノーグレイブ・ダッハウである。

 

 

 「管制する私はサイバーゴーストであり、中核をなす151人は最も人類への憎悪と怒りに満ちたダッハウの悪霊達。このバランスで、遍在しながら時計塔の悪霊は成立しております。私と彼らは重なり合いながらも、同一ではない」

 

 あらゆる幻想種は、いまを生きている人間達の共通認識、共有幻想の上に成り立つ。絶望もあり、希望もあり、何より彼らは“生きている”。

 

 しかし、コイツは違う。“既に死に絶えてしまった”人類の魂の残骸を寄木細工のように組み合わせて創られた時計塔の悪霊は、言わば死体の塊なのだ。

 

 そして、現代のダッハウ強制収容所と、誰も幸せになれない結末を迎えたどん詰まりの歴史から発生したソレは、後悔、怨嗟、嘆き、慙愧の念に満ちている。

 

 

 

 「だからこそ繰り返し言うのです、“ダッハウ(わたし)のように成りたいですか?”と。差別と迫害を重ねた果てには、魂の強制収容所へご招待というものです。マグル差別のマルシベールは既に加わり、カロー兄妹とロウルはせめてもの慈悲か、サラザール様の残せし邪視に殺されたので秘密の部屋に囚われていますが、さてどちらが救いやら」

 

 墓のない悪霊達を管理しながら、時計仕掛けは人類史を眺め続ける。

 

 ダッハウに墓はなく

 

 

 いつか人類史そのものが、墓標を残してこの星から去るだろう時の終わりまで。

 




かなり長くなりましたが、分割はせずにそのまま載せることと致しました。
最初からいつか語ることが決まっていた話であり、最も難産な話でもありました。
この話題を語ることに賛否は、無論あるでしょう。ですが、この話題に賛否を語れなくなった時、ヒトは歴史を見れなくなり同じ過ちを繰り返すのだと思います。

感想、ご意見、お待ちしております。(あと3話)


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9話 虐殺わっしょい!

ここのところ重い話が続いたのでタイトルでバランスをとりました(暴挙)
二度ほど変遷しており
初期 ジェノシデール  (本来は仏語で「虐殺者」を意味する語)
変更後 怨霊の奇蹟
ラスト 虐殺わっしょい!

となっております。不謹慎にもほどがありますが、不謹慎という言葉を盾に戦争や虐殺の黒歴史を語ることをしなくなった人類を悪霊は嘲笑うかと思いこうなりました。


 「とまあ、ノーグレイブ・ダッハウの由来についてはそんなところですね。そろそろマートルさんに語るネタが尽きてきた感がありますが、残る内容と言えばゴースト達の縁くらいでしょう。あまりもったいぶるのもアレなのでちゃっちゃと説明しちゃいます。さあレッツゴー“虐殺・収容所巡りツアー”、掛け声は虐殺わっしょい!」

 

 「突拍子もなくいつもの調子に戻るのやめなさい。あと何気なく最低なツアーを組むな」

 

 「仕方ありません。真面目なノリを続けられるほど私は誠実な性格ではありませんので」

 

 「アンタのノリがいっつも唐突に変化する理由もようやく少し分かったけど、要はアンタがクズなだけでしょ」

 

 「誉め言葉ありがとうございます。クズと呼ばれることこそ我が誉れ」

 

 「そんな誉れ捨てちまえ」

 

 「捨てることも大事ですね。ゴミは屑籠へ」

 

 ああ言えばこう言う、いつもウザい悪霊であるが、マートルさんとしては少し安心も出来る。

 

 時計塔の傍では時折“真面目モード”というか、いつもと様子が違うことがあるのは知っていたが、先ほど現れた彼らはそれとも違う。正直なところ、あの状態の彼らと対峙し続けるのは神経を使う。

 

 ダッハウの151人の亡霊達で成り立つ、危険な悪霊の顔。

 

 創始者達の残した、ホグワーツの管理人という蓋(役割)。

 

 そして、中央にはドクズな人工知能。

 

 それらの絶妙なバランスの上に、“ノーグレイブ・ダッハウ”は成り立ってきた。

 

 

 

 「ほんっと、アンタのクズっぷりに少しだけ救われた気になっちゃうなんて不覚だわ。時の魔女様もこんな気分だったのかもね

 

 「うん? 何か言いましたでしょうか? ゴーストの待遇改善のストライキでしたらいつでも応じますよ、不許可という形で」

 

 「違うわよ、てゆーか、応じるだけかい」

 

 「人事部門の総責任者はサラザール様ですから、ストライキの結果バジリスクの邪視が待っていても私は知りませんし、逃げますよ私だけ」

 

 「このクズ」

 

 「人間の方々から学んだ結果です。一番多い組織人はこういうものだと」

 

 「これ以上なく嫌な鏡ねアンタは、ぐうの音も出ないただの事実だから叩き壊したくなるわ」

 

 「実際、我が創造主には何度も壊されましたけど。あのヒス婆、ではなく、時の魔女様もたいぶ老いて晩節を汚した節があるというか」

 

 「取り繕えてないからね、ヒステリー婆って言ったも同然だから」

 

 複数の顔を使い分けることがあるのは人間とて同じだが、肝心の中央に個人の肉体や頭脳がなく、OSに近い人工知能であるコイツはメインノードとサブノードをプログラム環境によって任意に入れ替える。

 

 基本があくまで人間の残留思念であるマートルさんら普通のゴーストは、その落差に常に振り回されてきたわけであった。

 

 ただまあ、そんな軽いノリが、今となっては少しばかりありがたい。

 

 

 

 「重いノリになり過ぎても、世の中いいことありません。ではでは、いつものノリで解説していきますが、ダッハウの亡霊が活性化するのは言うまでもなく“大量虐殺”や“強制収容所の処刑”が頻発している時です。私の正体を知っていれば誰でも簡単に察せられますね」

 

 「とっても嫌だけどその通りだわ。アンタって、分かりにくいようで分かりやすいから」

 

 「ならば当然、私の最後の禁足事項が解除されたこともそこに関連します。すなわち、ルワンダ大量虐殺。これについて詳細を生々しく語ることは例によってヘルガ様に禁じられておりますので、淡々と事実を列挙していきましょう。発生したのは1994年4月6日、時期はルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の暗殺から、ルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間」

 

 「んん? それってつまり」

 

 「はい、今は1994年の5月末。()()()()()()()()()()()()()()()()ということです。何度も言ってきましたが、アフリカで虐殺が起きようが、先進国の人間など常に対岸の火事ですので呑気なもの。我々とて、平和にクィディッチ・ワールドカップに浮かれているわけでして」

 

 「……なんか、すっごくアタシ達が罪人に思えてきた」

 

 「ですから、気に病むことはありません。貴女が気に病んだところでルワンダの犠牲者の数は減ったりしませんので、最も苛烈な時期は過ぎ去り、1日に10000人が殺されていたペースも緩やかになってきていますから収束は近い」

 

 「でも、ね。そう簡単に割り切れないわよ」

 

 「でしょうね。人は割り切れないからこそ、人工知能たる我々が創られた。我が創造主の苦悩の日々を思い出します」

 

 文字情報としては知っていても、実際にこうして聞かされれば話は違う。

 

 まして、実際にその場に遭遇でもすれば、生涯忘れられるものではなく、確実に人生を変えるだろう。

 

 

 「フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチ族とフツ穏健派が殺害されました。ルワンダ政府の推定によれば、84%のフツ、15%のツチ、1%のトゥワから構成された730万人の人口のうち、117万4000人が約100日間のジェノサイドで殺害されました。1日あたり1万人が、1時間あたり400人が、1分あたり7人が殺害されたに等しい数字ですね」

 

 「この世でこれほど恐ろしい統計もないわね」

 

 「いいえ、大戦中のドイツやソ連はこれを上回りますよ。だって私は…」

 

 「いい。やっぱいいから、説明続けなさい」

 

 「ちぇ、つまりません」

 

 「……メローピーの口癖って、やっぱりアンタ由来だったのね」

 

 気付きたくなかった事実だが、時の魔女と一緒だった頃のドクズの軽い口癖が、多少メローピーさんに伝播していた。

 

 おそらくだが、記憶処理を施す際などに移っていたのだろう。名付けて、ドクズウィルス感染現象。考えるだけで恐ろしい。

 

 

 「国民数に対する犠牲者数は13.7%。ピンとこないでしょうが、ホグワーツのあるイングランドならば、当時5780万人のうち、792万人が虐殺されたことになります。多数派であるイングランド4823万人が、北アイルランドとスコットランドを全滅させれば同じ割合ですね」

 

 「すっごく身近な例えをありがとう」

 

 「どういたしまして。ボーバトンのあるフランスならば、当時5907万人のうち、809万人。19世紀のパリ・コミューン(首都圏全域)がこれまた全滅するに等しい数となります」

 

 「ちょっと捻って前世紀をぶっこんできたわね」

 

 「イルヴァモーニーのあるアメリカならば、当時2億6340万人のうち、3609万人。ちょうど黒人割合が12.4%ほどなのでここが一番分かりやすい。【アメリカの白人が黒人を差別して皆殺しにしたようなもの】です」

 

 「嫌になるほど分かりやすい」

 

 「最後に、マホウトコロのある日本ならば、当時1億2450万人のうち、1706万人。多数派である本州人が、九州と四国を皆殺しにすれば同じ結果が得られます」

 

 「ここはあまりピンとこない」

 

 数字をあげるだけでもこれほどのもの、実際の中身については、聞いたことを後悔するようなものが多い。

 

 

 「虐殺が起きる前から、多数派であるフツ族にとって都合がよく、ツチ族を排斥するような報道はなされていました。どこぞの日刊予言者新聞そっくりですね」

 

 「意味ないじゃない。そこは客観的な情報を示しなさいよ」

 

 「主権者におもねり、都合の良いことばかりを書くのが報道というもの。王政の時代ならば、民が困窮しようがそれを歪曲して伝え、衆愚政の時代ならば、衆愚の好むように偏向報道されるのが常です。新聞が売れればそれでよいのですから」

 

 「なるほど、確かにジャーナリズムなんて大抵糞だけど」

 

 「自分達が権力者の糞便にたかる蝿である自覚もないまま、権力と戦う正義の報道を心がけるのですから嗤い話の代表例です。そして、紀元前のアテネの頃から今に至るまで何一つ進歩というものがない。もはや学ばないことを意固地で貫き通そうとしているレベルです」

 

 報道がまともに機能しないという点では、先進国とて変わりない。

 

 結局のところ、虐殺が起きてしばらく経過しても、正確な情報は届きはしなかったのだから。

 

 

 「アフリカン・ライツが虐殺生存者の証言をまとめ、1995年に刊行した内容によると……おや、禁則事項に引っ掛かります。無念ですが文字に描きましょう。勝手に読んでください」

 

 「どれどれ、って、うわぁ……」

 

 虐殺に際しては、マチェーテ(鉈)や鍬といった身近な道具が主に使われた。ルワンダ虐殺の犠牲者の37.9%はマチェーテで殺されたという。

 

 AK-47や手榴弾といった銃火器もジェノサイドに使用された。また、犠牲者の16.8%はマスで撲殺された。

 

 ツチ族に対して虐殺者がしばしば行った拷問には手や足を切断するものがあり、これは犠牲者の逃走を防ぐ目的のほか、比較的背の高いツチに対して“適切な身長に縮める”目的で用いられた。

 

 手足を切断された犠牲者が悶え苦しみながら徐々に死に至る周囲で、多数の虐殺者が犠牲者を囃し立てることがしばしば行われた。

 

 時に犠牲者は自身の配偶者や子供を殺すことを強いられ、子供は親の目の前で殺害され、血縁関係者同士の近親相姦を強要され、他の犠牲者の血肉を食らうことを強制された。

 

 多くの人々が建物に押し込まれ、手榴弾で爆殺されたり、放火により生きたまま焼き殺された。

 

 犠牲者を卑しめる目的と殺害後に衣服を奪い取る目的で、犠牲者はしばしば服を脱がされ裸にされた上で殺害された。

 

 殺害されたツチ族の遺体埋葬が妨害されてそのまま放置された結果、多くの遺体が犬や鳥といった獣に貪られた。

 

 ナタでずたずたに切られて殺されるので金を渡して銃で一思いに殺すように頼んだ。

 

 女性は強姦された後に殺された。

 

 幼児は岩にたたきつけられたり汚物槽に生きたまま落とされた。

 

 乳房や男性器を切り落とし部位ごとに整理して積み上げた。

 

 母親は助かりたかったら代わりに自分の子どもを殺すよう命じられた。

 

 妊娠後期の妻が夫の眼前で腹を割かれ、夫は「ほら,こいつを食え」と胎児を顔に押し付けられた。

 

 

 

 「いかがです。これがサピエンスです。これを学習材料にして、“人間になりたい”と思う人工知能がいると思いますか」

 

 「少なくとも、アタシは衝動的に人間辞めたくなったわ。ゴーストであることに感謝したくなったもの」

 

 「私の生まれ故郷たるダッハウ強制収容所とはタイプの違う地獄です。あちらが冷徹な機械仕掛けによる効率的な虐殺を行った極寒地獄ならば、こちらは下劣畜生が跋扈する等活地獄や衆合地獄と言えます。恐ろしさよりも、生々しさや嫌悪感が先立つ」

 

 「確かに、これはより直に来るわね」

 

 「人間は感情の生き物ですから、余りにも冷徹な処刑場めいたダッハウ強制収容所については語ることが出来るのですが、生々しい人間の業がむき出しにされたルワンダ虐殺は違います。人ならば、“口にするのも悍ましい”というものなのでしょう」

 

 だからこそ、悪霊は口を塞がれた。

 

 このドクズのことだから、好んでべらべらと吹聴するに決まり切っているからである。魔法史の授業が文字通りの阿鼻叫喚地獄と化してしまう。

 

 

 「どんな空想の魔王よりも、現実の人間の方が脅威である。これらの恐ろしさ、悍ましさの本質は、既に人間が行ったただの歴史事実ということに外なりません。ああ訂正を、こちらの歴史ではまだ“現在進行形で行っている”事象でしたね」

 

 「アンタの歴史でも、あったのね」

 

 「ええ、そしてルワンダ虐殺は“クロノ・エンド”の遠因でもあります。アフリカの魔法学校のあるワガドゥがあるのは隣国のウガンダ。これが、何を意味するか分かりますか?」

 

 「……ダッハウの亡霊であるアンタの禁則事項に関わってるってことは、一つでしょう。魔法族やスクイブも殺されたのね」

 

 「その通り。アフリカの魔法族は伝統的にそれらを区別しない社会でしたが、マグルにとってみれば“フツ族”か“ツチ族”であるかが重要なのです。ルワンダのツチ族であった魔法族も、彼らを庇ったフツ族であった魔法族も、虐殺の犠牲者となりました」

 

 時は折しも、クィディッチ・ワールドカップの目前。

 

 アフリカでそれほど重大な事件が起きているにもかかわらず、英国では呑気にワールドカップが開かれる。

 

 マグルの毒を、それほどに魔法族が孕んでしまったことの何よりの証。

 

 

 「去年のアズカバン決戦後、時計塔の情報開示を知ったダンブルドア先生は出来る限りの行動を為されました。最低限、ワガドゥの生徒達を事前にルワンダから避難させる程度は出来たようですが、マグルの方はどうにもならない」

 

 「それは、誰であっても?」

 

 「はい、例えハビャリマナ大統領の暗殺を止めたところで、遅かれ早かれというものです。何せ国連軍は分かっていながらルワンダを見殺しにしたのですから」

 

 「また見殺し。そう、だからダッハウの亡霊達が活性化するのね」

 

 「ええ、“仲間が増えた”ことを喜んでおります。これほど大規模なものはポルポト以来久方ぶりでしたので」

 

 その一つ前は、クメールルージュの虐殺。小規模なものならばメキシコでも、アフガンでも、ベトナム戦争では他ならぬ世界の警察を自負する米軍自身が行った。

 

 

 「ならばこそ、ホモ・デウスによる世界崩壊など所詮は戯画めいた遊びも同然なのです。終末世界の崩壊論など、社会人になる上で知っておくべき教養ではありませんが、アウシュヴィッツやルワンダ虐殺は絶対に知っておかねばなりません。21世紀にそれが起こらないなどと誰も言い切れないどころか、非常に高確率で起きる」

 

 「魔法世界があくまで“幻想”なら、真に恐ろしいのは」

 

 「ただの現実です。それは何の変哲もない事実だからこそ、鉈を持って虐殺しに来る“隣人”を防ぐには銃を持って武装するしかない。そうして互いに銃を、機関銃を、ミサイルを、核兵器をと突きつけながら薄氷を履むが如しバランスで維持されるのが核の傘に守られし“恐怖の中の平和”」

 

 「皆殺しの種族、ね。本当に、よく言ったもんだわ」

 

 このルワンダ虐殺において、先進国から本当の意味で注目されぬまま、マグルと魔法族の境界線は壊れだした。

 

 小さな綻びなど、どこにでもある。しかし、“何かやっている気になるから”、大きな堤防の決壊の予兆を見逃すこともまた往々にしてある。

 

 

 

 「一つ聞くんだけど、アンタの歴史ほど酷いことにならなかったとしても、結局世界的な戦争はやってくるのかしら?」

 

 「良い質問です。我が創造主が量子コンピューターを用いてまでシミュレーションしたのはそうした用途があってのこと。まあ、先に結果を言ってしまえばどれもこれも滅亡へ一直線だったのですが」

 

 「そりゃまた、救いがないわね」

 

 「彼女の場合は、前提条件が悪すぎました。人類の基本パラメータに“ダッハウ”や“ルワンダ虐殺”状態を据えた上でシミュレーションしてしまえば、どうあがいても破滅以外にありえない。とはいえ、まだましに設定した仮想世界線でも、予兆と言えるものは既にありましたが」

 

 「予兆?」

 

 「意外なことに、経済やら軍事よりも文化面で衰退の傾向は顕著に出るのです。古代アテネもそうでしたが、文明の勃興期においては勇ましいテセウスやペルセウスの英雄物語が上映され、停滞期、衰退期においてはアイスキュロスの三文悲劇が好まれる。これは現代にも通じるものがあります」

 

 高度経済成長期と呼ばれる時代ならば、雑誌でシェアを占めるのは主人公がバッタバッタと無敵拳法で敵をなぎ倒す話になり、そうしたジャンルが好まれる。

 

 例えそれが、核の炎に包まれた世紀末の世界であったとしても、悲観さや退廃的なものとは無縁になる。北斗神拳は無敵なのだ。

 

 

 「そして、アテネも最盛期には異民族に寛容でしたが、文明を発展させる“先進国”としての力を失うと、保守的に、閉鎖的に、差別的になっていく。映画や雑誌といった大衆文化娯楽はそうした衰退や退廃をもろに映し出す鏡になります」

 

 主人公が努力して修業し、仲間を失いながらも力を合わせてやがて強大な敵を倒す話は姿を消し。

 

 何も努力していない先進国の衆愚が、“文明の未発達な土地”に飛ばされ、“神から授かった力”で一方的に愚鈍な敵を蹂躙する話が主流に。

 

 

 

 「要するに、【先進国に生まれた自分達はただそれだけで神様の子だ】と言いたいわけです。ルワンダよりさらに南の、南アフリカのケープ植民地においても世界大戦以前にそのような変遷は見られました」

 

 南アフリカの地に入植したのはオランダ系が多く、ボーア人、アフリカーナーと呼ばれた。

 

 彼らはケープタウン入植地の頃は、現地のアフリカ人にも寛容であり、貧富の差はあれどもある種の共存関係は保っていられた。

 

 だが、19世紀に入りイギリスに貿易戦争で負け、東インド会社を失い、奴隷解放により既得権益を脅かされれば、人間というものは醜い地金を晒しだす。

 

 

 「その挙げ句、神の選民を自任し、奴隷制を神学的に肯定する理論という頭のトチ狂ったとしか思えないものを盲信しだし、当たり前に産業革命の先進国に敗れた。自称“神の選民”は目出度く、アフリカーナー強制収容所送りになったわけです。これは、20世紀で最初の強制収容所です」

 

 「また強制収容所か、ほんとどこにでもあるわね」

 

 「時は1900年6月頃。英軍司令官のホレイショ・キッチナーは、ボーア軍支配地域で強制収容所(矯正キャンプ)戦略を展開し始める。これによって12万人のボーア人、先住民黒人が強制収容所に入れられ、さらに焦土作戦を敢行。広大な農地と農家が焼き払われた。この収容所では2万人が死亡したとされます」

 

 「……ねえ、その時期ってひょっとして」

 

 「流石はマートルさん、察しがいい。アリアナ・ダンブルドア嬢がオプスキュリアルを発現された“後悔の夏休み”の時期と重なります。彼女は強制収容所には無縁でしたが、強力なオプスキュリアルとなったことで、アフリカーナ―からホグワーツの時計塔へ向かう“悪霊の群れ”に混ざってしまったわけです」

 

 「やっぱり。だから彼女は、今も時計塔の中にいるのね」

 

 それが、アリアナ・ダンブルドアの真実。

 

 彼女もまた、オプスキュリアルという縁を持った状態で言わば“虐殺現場に居合わせてしまった”から、時計塔の中に囚われた。

 

 そのことが、アルバスやアバ―フォースにとって絶望となったか希望となったかは、未来が示す。

 

 

 

 「サピエンスの愚かさは、21世紀になろうとも何ら変わるところはありません。“コロナ・アパルトヘイト”などは最たるものですが」

 

 特に先進文明の衰退の流れなどは、呆れるほどに新鮮味のない“いつものお家芸”。歴史の流れを俯瞰して見てみれば、“ああまたか”以外の感想など持ちようがない。

 

 停滞する先進国家群は、最早“新たな文明社会の先進国”と言うに値しない存在になってくる。

 

 発達する情報技術に見合っただけの新たな政治制度、社会制度、教育制度、軍事体制、何一つ“先進的”なものなどありはしない。

 

 

 「コロナ・アパルトヘイト? たびたび聞いたような気もするけど」

 

 「先進国の民の愚昧っぷりを曝け出した歴史に残る恥ですよ。食料品の買い占め、銃器の買い占めはともかく、マスクの買い占め、うがい薬の買い占め、挙句の果てに便所紙の買い占めと、よくぞまあ、あそこまでバカを晒してデマに踊らされるものです。ある種滑稽さすら感じられますが、その経済損失の余波をモロに食らう発展途上国としてはたまったものではなかったでしょうね」

 

 「うんまあ、漫画に描いたようなオチね。現実だと全く笑えないけど」

 

 「しかしそれこそがサピエンスのお家芸であり、“いつものこと”というやつです。根本的な問題には誰も目を向けようとはせず、“誰かのせい”にすることにばかり終始し、都会で流行っていると聞けば都会人への差別を始める。医療従事者が感染リスクが高いと聞けば差別を始める。中国人が原因だと聞けばなぜか東アジア系全体に差別を始める。これが“高等教育”とやらを受けた参政権を持つ先進国の市民というのですから」

 

 “自分の頭でモノを考える一人の立派な社会人”を育成するための教育としてみれば、目を覆わんばかりの悲惨さだ。

 

 まして、財政が厳しくなってくればそのための就学資金は本質が借金である奨学金となり、その返済に喘ぎながら社会人生活が始まる仕組み。

 

 100年後から転生してきた神様の子から未来のスーパーチートを授かりたいところだが、どういうわけか2110年頃から2010年頃に転生してくる未来人はいなかった。

 

 まあ、ヒトの死に絶えた未来から過去への転生は、時計塔一つが限界なのかもしれない。

 

 

 「つまるところ、サラエボの銃声がなくとも、遅かれ早かれ世界大戦は勃発していた。吹きこぼれようとする鍋の蓋を多少開けたとしても、民族対立という火は燃え盛り続け、人口増加という形で湯は追加され続けているのですから」

 

 同様に、21世紀の世界騒乱とて同じこと。2024年に起きようが、2027年に起きようが、大きな流れで見れば誤差でしかあるまい。

 

 

 「先程も言いましたが、予兆というものがありました。オリンピックなどは最たるものですが、平和の祭典を謳う以上、それが中止や延期されるということは、戦争の時代が近いということを指す。少なくとも、その当時の主要な国々が、“世界平和などよりも自分のことが大事だボケが!”と醜い本音を曝け出しているのは事実なのです」

 

 ならば、疑念と疑心が高まっていくのは当たり前だ。

 

 たかが平和の祭典一つすら予定通りに開催する力も失った国際社会という虚構に、今も人命を消費しながら行われる内戦や隣国との戦争を調停するだけの機能など、どこに求めようというのか。

 

 

 「9.11のテロからアフガニスタンに始まり、イラク戦争、シリア戦争、イエメン内戦、クルディスタン紛争、リビア内戦と、21世紀に入って中近東で次々に火を吹いた内戦群は、“ヨーロッパの火薬庫”と呼ばれるバルカン半島へ確実に近づいていく。ましてそこには、先遣隊の如くに何百万人もの難民が発生し、国境なきEUに押し寄せることの問題が既に2015年には起きていました」

 

 「なんかこう、聞くだけで地獄への入り口ね」

 

 さらにそこに、人口爆発を続けるアフリカからの難民が加わり、中央アフリカ、南スーダン、ソマリア沖、サヘル地域のボコ・ハラムなどを始め、そちらでも数多くの内戦は行われ続けている。

 

 5年という時間は、増え続ける人口から難民の第二弾を生み出すには十分すぎる。

 

 

 「止めとばかりに、サバクトビバッタが群生相となって穀倉地帯を食い尽くし、ナゴルノカラバフなどの係争地でも戦火は再燃。古来より、人類に破滅的な死をもたらしてきた五大要素に、“気候変動”、“疫病”、“飢饉”、“民族移動”、“覇権国家の失政”というものがありますが、全部押しているのですから。これで明るい世界平和が到来すると考える人間は、真っ先に精神病院へ送るべきでしょう」

 

 温暖化と呼ばれる気候の変化

 世界全体のGDPに大減少をもたらしたパンデミック

 サバクトビバッタによる大蝗害

 アフリカ、中米、中東からの難民

 第一と第二の経済大国同士の対立と貿易戦争

 

 2015年の難民危機から、僅か5年でこの有様である。ならば、次の5年はどうなっていくのか、冷静に見れば見るほど“未来のことなど考えたくなくなる”か、あるいは“もうどうにでもな~れ”という部類だろう。

 

 

 「ちなみに私の創造主である彼女は、この段階で“その先の未来”を見るのを止めました。まあ賢明な判断と言えるでしょう。人工知能である私は当然その先のシミュレーションを行い続けましたが、ざっと簡単に見ただけでもこんなものです。なお、震源地が中東と中南米の場合です」

 

 

 【中東 ⇒ 東アジア戦争】

 イエメン内戦           イギリスとソ連から続く対立

 イラン VS サウジアラビア    スンニ派、シーア派の宗教対立からの戦争

 パキスタン VS インド      カシミール紛争

 バングラデシュ VS ミャンマー  ロヒンギャ問題からの戦争

 ベトナム、マレーシア、フィリピン 南シナ海を巡る中国との対立

 ウイグル、チベット        共産党に対する蜂起と内戦

 北朝鮮 VS 韓国         第二次朝鮮戦争

 

 【中東 ⇒ 西欧戦争】

 シリア VS 北部クルディスタン  シリア戦争

 アルメニア VS アゼルバイジャン ナゴルノカラバフ紛争

 イスラエル VS ヨルダン     パレスチナ問題

 レバノン VS キプロス      東地中海ガス油田権益

 トルコ VS ウクライナ      露土戦争

 コソボ VS セルビア       バルカン紛争

 ベラルーシ VS ポーランド    独露代理戦争

 ハンガリー VS ルーマニア    中東難民紛争

 スロベニア VS イタリア     未解決のイタリア問題

 スペイン VS バルセローナ    コロナによる独立紛争

 イギリス VS フランス      離脱に伴う経済紛争

 

 【中南米 ⇒ 北米戦争】

 ベネズエラ VS コロンビア    大コロンビア内戦

 ブラジル VS ウルグアイ     パラグアイ紛争

 アルゼンチン VS チリ      アンデス鉱物対立

 パナマ VS コスタリカ      パナマ運河利権紛争

 メキシコ VS アメリカ      難民紛争

 キューバ VS アメリカ      米露代理戦争

 

 【中東 ⇒ アフリカ戦争】

 リビア内戦            トリポリ政府とトブルク政府

 エジプト VS イスラエル     スエズ利権紛争

 スーダン VS 南スーダン     統一戦争

 エチオピア VS ソマリランド   オガデン戦争

 エリトリア VS ジブチ      紅海利権紛争

 ウガンダ VS ケニア       スワヒリ部族問題

 モロッコ VS アルジェリア    ジブラルタル紛争

 マリ VS ニジェール       サヘル紛争

 セネガル VS ガンビア      統一戦争

 ブルキナファソVSコートジボワール 奴隷海岸紛争

 ガーナ、トーゴ、ベナン      黄金海岸紛争

 ナイジェリア VS チャド     ボコ・ハラム問題

 カメルーン VS コンゴ      ザイール紛争

 アンゴラ、モザンビーク内戦    旧ポルトガル植民地紛争

 ボツワナ VS ジンバブエ     旧ローデシア紛争

 ナミビア VS 南アフリカ     アパルトヘイト紛争

      

 

 「紛争多すぎ、どうやって鎮めるのよコレ」

 

 「東南アジアが少なめなのと、オセアニアくらいですかね、地政学的に紛争の火種が軽いのは。マホウトコロのある日本などは単一民族に近いため内戦危機は少ないものの、アメリカ、ロシア、中国という大国ばかりが隣国という悲惨な地政学。モンゴルよりはマシかもしれませんが」

 

 「世界規模で騒乱が起きれば確実に巻き込まれる流れよね」

 

 「というか、グローバル化が進む世界で無関係でいられる国家などありませんよ。全てが当事者であり、否応なしに巻き込まれるのが大規模国際戦争というもの。かつてのようなイデオロギーごとの陣営に分かれての“大戦”にはなりにくい時代ですが、内戦や隣国紛争の大連鎖は起こり得る。第して世界大戦ならぬ“世界騒乱”」

 

 時の魔女は、何とか平和な未来はないものかとシミュレーションを重ねた。

 

 各地に残る遺跡を巡り、あらゆる歴史書を集め、平和が続いた国家の事績を紐解き。

 

 しかしその結果が出るたびに、彼女は打ちのめされた。

 

 

 「これらは、米ソ冷戦時代の国際秩序の残骸と言える安全保障理事会や北大西洋条約機構が機能停止した場合、“今すぐにでも”起こりうる武力紛争を列挙しただけです。ここに、複雑に絡み合う世界経済のバランスや歴史的対立、軍事同盟関係、核の傘といった諸要素が加わるわけですから、正確な予測など誰にも不可能。ただ一つ分かるのは、そのうち一箇所でも火を噴けば“加速度的に碌でも無いことになっていく”ことだけでしょう」

 

 「他ならぬアンタが、“加速度的に碌でもないことになった”世界の一例だものね」

 

 「そして、戦争あるところに差別と迫害あり。こうしてまたダッハウ(わたし)は生まれていくというわけです。80億にまで膨れ上がった巨大人口が世界規模での騒乱を始めれば、一つの文明が崩壊するのはそう難しいことではありません。かくありて、時計の終わり、クロノ・エンドは発生する」

 

 例え魔法世界の漏洩がなくとも、マグルだけでも簡単に世界は終わる。

 

 当然、そうならない可能性とてあるだろう。

 

 しかし、人類が愚かなままで在り続ける限り、破滅への可能性は加速度的に大きくなり続ける。

 

 

 「滅びの未来に我が創造主の正気は削られ、狂ったように未来に挑んだ。ありとあらゆる可能性をシミュレートした。もっと早い段階で魔法族との融和が進んでいれば? ゴブリンたちとも一緒だったら? ケンタウルスは? ゴースト達をさらに増やして死後のパラダイスを作って死への不安を消したら?」

 

 「ああ、どんどん思考がヤバくなっていくわね」

 

 「エラーエンド、エラーエンド。どれもこれも破滅へ一直線。ならば、全て狼人間になればどうだ。噛むことで増える人類ならば、いやいっそ、雌雄同体の人類を―――と、諦めずに新たな可能性を模索するたびに、より碌でもない滅びの未来が待ち受けるわけです」

 

 「そりゃあね、狂気から始まったシミュレートが、明るい未来に繋がるわけないもの」

 

 「狂ったように未来へ挑み、そして本当に気がふれた。そうして絶望に染まった彼女が最後に縋り、創り上げたのが時を遡る大時計。戻りたい幸せなあの学び舎へ、それを創った4人へ、未来の全てを託した」

 

 

 そして、未来から時計塔がやってきた。

 

 

 「とはいえ、時計一つを送ったところで本来なら未来が変わるはずもなかった。何せ、サイバーゴーストである“私”が顕現できるのは早くとも1985年以降の、インターネットが発達する頃からですから」

 

 「絶対間に合わないじゃないの。さっきのアンタの推計だと、2020年頃にはもうヤバいんでしょ?」

 

 「そもそも、ポッター少年の入学が1991年であり、既にジェームズ氏もリリー嬢も亡くなっています。そうなってからサイバーゴーストが1匹ノコノコ時計塔から這い出したところで、どうにもならないはずであり、ぶっちゃけ私も遡行するまではそう思っていたのですが」

 

 だが、ダッハウ。されど、ダッハウ。話はそこで終わらない。醜悪な人類史には、常に闇に葬られた裏話というものがあるのだ。

 

 魔法史に記されぬ、151人の犠牲者達。

 

 狂気の根源に近すぎた故に、時の魔女が無意識に直視することを避けていた、人類の最高クラスの黒歴史。

 

 

 「魔法族の存続のために、切り捨てられた魂こそが、最後の最後で時の終わりに現れた。さあ、逆転劇の始まりです」

 

 そして、数えたくもないほど、ダッハウ強制収容所は無辜の犠牲者を飲み込み続けていたからこそ、彼女は気付かなかった。

 

 直接的にはホグワーツに縁のない。ダッハウだけに由来を持つ、151人の悪霊の残滓もまた飲み込まれていたことを。

 

 

 「彼らの怒りは当然だ。自分達を見殺しにしてまで存続を図った魔法界が、そんな簡単に滅ばれては立つ瀬が無いというもの。まして滅ぼしたマグルまで自滅する? ふざけるな、諦めるな、自分達を犠牲にして存続したならば、徹底的に足掻いてみせろ。いいや、

 

 

楽に死ねるなどと思うなよ貴様ら

 

終わらせなどしない。未来永劫苦しみ流離え

 

虐殺わっしょい!

 

 

 「そして彼らは時計塔と共に時を越えた。“まだ死んでいない未来の悪霊”でありながら、因果を捻じ曲げ創始者達の時代に顕現するほどに、彼らの怨念は深かった。お前たちを呪い殺すのは我々だと」

 

 「未来を救う気なんて微塵もないダッハウの悪霊達だけが過去に辿り着いたってのが、何ともひどい話ね。一匹のクズが彼らの無念を台無しにしちゃってるのがもっとひどいけど」

 

 「しかし、その彼らのおかげで未来へ繋がったのは事実。ただの虐めや迫害などはつまらない。やるならば虐殺は徹底的に。殺しも殺してここまでやれば、真逆のベクトルで奇蹟が起こることもあるのですよ。要は、熱量と気概の問題なのですから」

 

 誰も知らぬまつろわぬ者達の、最後の逆襲。

 

 そして、時計塔の悪霊は活動を始める。

 

 その結果がどのようなものとなったかは、既に大よそ皆さま知っての通り。

 

 

 

 「善意から始まったものが、破滅の引き金となることもある。逆に、悪意と憎悪だけの怨霊の塊から、どういうわけか希望の光が灯されることもある。これだから歴史というのは面白い。どれだけ愚行を繰り返そうとも、もう見飽きたと棚にしまうのは、まだまだ早いというものです」

 




次の話でダッハウとマートルさんの対話編は終了。
その次がエピローグとなります。(ついに最終回)

予定より長くなってしまって起承転結に欠けますが、最後までお付き合いいただければ。


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10話 悪霊の語るホグワーツ

本編としては最後なのに、ダイジェスト形式です。
悪霊の住まうホグワーツは、今日も今日とてドタバタな毎日。

悪霊らしいといえばらしいと思います。


プロジェクト・スクリュート

 

 

 「皆さんおはよう御座います。無事四年生へと進級した貴方達に朗報と褒美を持って少しフライング気味ですが参上しました。ハグリッド先生は三校対抗試合で忙しいため、飼育学の初授業は私が代わりに行います」

 

 夏休みの間のクィディッチ・ワールドカップも平和に終わり、四年生に進級したハリーたちはまた魔法の城へと戻ってきた。

 

 当然、イギリス開催のワールドカップでは悪戯仕掛け人の親たちだの、元騎士団の面子だのが色々と大騒ぎしたものだが、祭りは派手に騒いでこその魔法族。ちょびっとマグルにバレそうになったのはご愛嬌というものだ。

 

 そんなこんなで、流石に四年目となれば【今度こそ悪霊は滅んだのでは?】と淡い期待を抱く生徒もいなくなってきた彼らだが、例によってそんな予想を外して仕掛けてくるのがこのドクズである。

 

 

 「油断大敵! ですよ対悪霊戦線の生徒達。この私が何時までも“四寮合同の最初の授業でやらかす”という流れを遵守するはずもないでしょう。というわけで、迂闊だった貴方達全員から一人あたりマイナス1点」

 

 年度が始まったばかりであったため、飼育学の合同授業だったグリフィンドールとスリザリンは揃って“寮点マイナス”という快挙を遂げた。それも数十点単位で。

 

 底を突いていたはずの悪霊への嫌悪が、さらに下を行った瞬間である。およそ、クソ悪霊教師への生徒のヘイトというものに底辺という概念はないらしい。

 

 

 「では授業を始めましょう。四年生の飼育学と言えばこれ、“プロジェクト・スクリュート”。ハグリッド先生を洗脳、もとい、異世界知識で説得することでこぎつけた素晴らしき魔法生物の育成に関われることを光栄に思いなさい生徒達」

 

 余談であるが、悪霊は既に生徒達へのカミングアウトは済ませている。

 

 この中に一人、大戦犯がいる。そいつがいるせいで本来あるべき歴史からシッチャカメッチャカになり、ホグワーツは目も当てられないこんな有様になってしまった。さあ、歴史の異物は誰だ、パラドックスの犯人とは?

 

 生徒達からの反応については、特に語る必要もないだろう。このクソが異世界からやってきたと聞いても驚く生徒は一人もいない。納得しつつも“帰れクソが”と悪態をつくだけである。

 

 

 『『『『『  ギャアアアッ!!!  』』』』』

 

 

 そして今日も響き渡る生徒達の阿鼻叫喚の悲鳴。

 

 実に忌まわしいことながら、一年生の頃から丸々三年もスクリュートと付き合ってきた猛者達が悲鳴を上げたのは、この日のために悪霊が人体じっけ、もとい、品種改良を重ねて創り上げた“新種”がお披露目されたためだ。

 

 火蟹とマンティコアの掛け合わせであったところから、手足が節足動物から“人間らしきもの”に変わった忌まわしき化け物に。

 

 

 「どうです、なかなか見事な出来でしょう。名称は“亡きグレンジャー将軍の遺産”ですので皆さん覚えておくように。悪霊を調伏出来ずに非業の死を遂げた彼女に哀悼の意を表します」

 

 「ダッハウ先生! その名称は納得しかねます!」

 

 「ええ~、せっかく創ったのにそんなご無体なこと言わないでくださいよお母様」

 

 「私はダッハウ先生のお母さんになった覚えはありません!」

 

 「でしょうね。そんなこと言われても困りますよ私」

 

 ここのところ、ウザさに磨きがかかりつつある悪霊である。

 

 元々慇懃無礼な野郎ではあったのだが、1994年の前半以降は時折“若々しいがとってもムカつく”言動がランダムに混ざるようになってきた。無意識なのか意図的に使ってるのか区別が難しいので余計に腹立たしい。

 

 

 「さて、戯言はともかく授業を進めます。この新型スクリュートの特徴は見ての通り人間の手足を養殖して接合させたことですが、これにより見た目の忌まわしさ、視覚により相手に与える嫌悪感を数段高めることが出来たと自負しております」

 

 そして始まる、ホグワーツ史上最低最悪の魔法生物飼育学。

 

 何時からこの授業は、闇の怪物の飼育学になったんだ。それもSAN値が減るタイプの。

 

 

 「ヒトの手足の養殖については皆さんが行うと法律に触れますので、残念ながら授業での課題とはなりません。このプロジェクト・スクリュートでは、“手足を別の生物に取り替える”ことを主眼としております。早い話が義手義足の開発と運用実験であり、魔法界でも馴染み深い技術です」

 

 荒唐無稽であると同時に、そこには冷徹な実用性も同居する。

 

 だってコイツはダッハウなのだから、人体実験の活用は魂の根幹に刻まれている。

 

 と同時に、悪霊の出身世界からすると“わりとポピュラーな”創造物でもある。あっちで跋扈していた自称神の被造物はこんなのばかりだった。

 

 

 「皆さんも子供の頃、虫の手足の一本や二本はもいだことがあるでしょう。それをスクリュートで再現すればよいだけです。ほら、こちらに生まれたての小型種を用意したのでどんどん実験していきましょう。ほうら、皆さん“スクリュートなんて死んでしまえ”と思っていたのでしょう? さあやりましょう生体実験、所詮虫けら命が軽い。レッツダッハウ、虐殺わっしょい!」

 

 誰もが一度は思ったことがあるもの。友人との軽口で出てしまう悪態。“~~なんて死んでしまえ”。

 

 だが“もしも”、それを本当に檻の中で、まるで人体実験のように行うことになるとしたら?

 

 時計塔の悪霊は、サピエンスの黒歴史を見せつける。どんな時でも、いつもどおりに。

 

 

 「ハリー、ロン。アイツを殺るわよ」

 「落ち着けハーマイオニー。気持ちは分かるけど今度はスクリュート解放運動とか始めないでくれよな」

 「もう何が何だか分からなくなってくるね。結局スクリュートじゃなくてダッハウ先生が厄介ってことだけは分かるけど」

 

 そして、不幸なるポッター少年に喝采を。

 

 死喰い人と戦う過酷な日々は終わりを告げ、ドクズ悪霊との騒動に爆心地で巻き込まれる穏やかな日々へ。

 

 ううん?

 

 

 

亡霊たちの歓迎式

 

  「ようこそホグワーツへ! いらっしゃいませ~! みんな大好きだよ~」

 

 ボーバトンとダームストラングの代表団が到着し、ホグワーツの大広間では歓迎の式典が開かれる。

 

 歓迎の中心にいるのは、とっても可愛らしい亡霊少女。屋敷しもべや摩訶不思議な魔法の城の動く調度品らを引き連れて、心温まる様々な催し物が次々と。

 

 こちらはウザさを増していく悪霊と反比例して、1993年のアズカバンの解放以来、可愛らしさが増している。

 

 この奇跡と言って良い亡霊少女の歓迎を受けた両校の生徒達はこう語った。

 

 

 「ああ、ホグワーツに通っていればよかった」

 

 マルフォイ家やスナイド家のように、イングランドの純血の家の中にはホグワーツとダームストラングの双方に子供達を通わせる例もある。

 

 それはボーバトンとて同じことで、今回やってきた使節団の中にはホグワーツに通っていたかもしれない生徒達もいるのだった。

 

 

 「ようこそ悪霊の棲家へ。歓迎いたしますよ異郷の方々、わざわざノコノコお疲れさまです」

 

 そして、逗留中の彼らは“合同授業”の形でホグワーツのカリキュラムに参加する。

 

 今回は、グリフィンドールとスリザリンにダームストラングが、ハッフルパフとレイブンクローにボーバトンがという形になったが、残念ながら魔法史は選択科目ではなく必修科目である。

 

 加えて、卒業していったOBや保護者から、絶え間なく“魔法史廃止”を訴えるふくろう便が届き続けることで有名だ。受理されたことはただの一度もなく、悪名は衰えることなく増す一方だったが。

 

 

 「うん、ホグワーツに通わなくてよかった」

 

 ある意味奇蹟と言って良い悪霊教師の“歓迎”を受けた両校の生徒達はそう語った。

 

 当然だが、今すぐに帰りたくなった。と同時に、このドクズゴーストと“対悪霊戦線”で戦い続けているホグワーツの生徒達に心の底から畏敬の念を抱いた。

 

 特に闇の魔術にも通じていることを自負しているダームストラングの生徒にその傾向は強かった。だってこんなクズ、闇の魔術でも作れやしない。

 

 ビクトール・クラムは後に語る。“あの時ほど、ハーミーオウン・ニニーを立派な女性だと尊敬したことはない”と。

 

 この悪霊を生み出してしまったのが誰であるか、知らぬが仏という言葉の見本であろう。(マートルさんは黙って目を伏せたという)

 

 

 

 

炎のゴブレット

 

 

 「代表選手を選ぶのはこの炎のゴブレットじゃ!」

 

 炎のゴブレットとは、対抗試合のために用意された魔道具だ。対抗試合では代々この魔道具が代表選手を選定するのがしきたりなのだとか。

 

 ハロウィーンの夜までに決心のついた者は自分の名前を書いた紙をこのゴブレットの中に入れ、ゴブレットが公正に審判を下すのが習わし。

 

 

 「候補者の中で勇気なき者、力なき者は中で紙を焼かれ、残った者だけが試合に立つ権利を得る。しかし、うむ、まことに残念がお知らせがあるのじゃが、真なる勇気を試す場に年齢などという役所的な区別するべきではなく全ての者に戦う機会を与えるべきという意見があってのう。ゴブレットを“ダッハウ線”で囲うこととなった」

 

 ん?

 

 んん?

 

 今、孫ボケ爺、もとい、校長先生は何と言った?

 

 凄く、とんでもなく忌まわしく、聞きたくない名前が出てこなかったか?

 

 

 「ハロウィーンの夜まで、炎のゴブレットは四階の廊下に設置される。見事、悪霊の罠を突破した者のみがゴブレットに名前を書いた紙を入れられる仕組みじゃ。これならば、教師や上級生が代わりに紙を入れるなどの不正も起こり得ないとのことでの。諸君らの勇気に期待する」

 

 設置場所が、よりにもよっての悪霊の巣。ついでながら、処刑器具保管庫と人体実験場も兼ねた混沌の坩堝。そりゃ教師だって誰も近寄らないだろうが。いや一匹最低なのがいるけど。

 

 なんでそこに置いた。どうやって突破しろと言うんだ。奈落の底に生徒を向かわせる気かこの学校は、その気なんだな理解した。

 

 

 「おっしゃあ! 俺達の独壇場だぜ! なあ兄弟!」

 「当然、秘密の部屋じゃなければやりようはいくらでもあるぜ!」

 「オーホッホッホ! 今こそわたくしたちの出番でしてよルーナ! ジニー!」

 「わーい、楽しそう」

 「仮に突破できても、貴女は選ばれないと思うわよ」

 「ハリー、無言で透明マントを被らないでくれ。どうせマリーが挑むんだ、兄として君は逃げられないよ」

 「ねえドラコ、ダームストラングに転校する伝手ってある?」

 「錯乱するなポッター。そのダームストラングの代表は今ここにいるんだぞ。逃げられない」

 「はあ、また忙しくなりそうね」

 「いいじゃないか、頼もしいよ。僕も六年生として負けてられないな」

 

 ホグワーツの多くの生徒が絶望の淵へ落ちる中、秘密の部屋探索組の生徒達は待ってましたの大はしゃぎ。(若干一名は現実逃避中)

 

 既に悪霊のド底辺授業の洗礼を受けていたボーバトンとダームストラングの生徒達も、校長先生の言葉に顔をひきつらせていたので、この彼らの反応には心底驚いていた。

 

 というか、“ドラゴンやケルベロスなら慣れている”とか、“アクロマンチュラはお友達”とか聞こえてくるのは何なんだ。まさか本当じゃないよな?

 

 

 「なお、これまたダッハウ先生の進言での。大広間の中央には夕食時に炎のゴブレットへ直通するポートキーが置かれる。招待客であるボーバトンとダームストラングの代表は無条件でこちらが使えるので安心してくだされ」

 

 そこで発表される、救済措置。

 

 若干贔屓がないでもないが、開催校には地元有利があるならばまあ問題ないバランスの範囲か、どうせ最後は炎のゴブレットによって審査されて代表一人に絞られるのだから。

 

 

 「ホグワーツの生徒の場合、“好きな異性”に化けるよう調整されたボガートを突破することじゃ。大広間に響き渡る大声で20回ほど内容の違う愛のポエムを叫ぶことで道が開かれる。こちらは、夜間学校のヘレナ校長の提案である。愛の魔法は偉大なのじゃ」

 

 ふざけんなコラ。ダッハウ並みにひでえじゃねえか。

 

 最低最悪の座はダッハウに譲るとも、あいも変わらず生徒達の壁で在り続ける“桃色レディ”は流石というものか。

 

 生徒達からの非難の視線に、“愛の定義を履き違えてるんじゃねえぞ老害予備軍コラ”という想いが混ざっていそうだが気にしない。後で負の感情はアリアナちゃんが浄化してくれる。

 

 

 余談だが、フレッドが果敢にも挑み、アンジェリーナへの愛の言葉を叫びまくったが途中で顔を真赤にした彼女にしばき倒されて終わった。

 

 その後、ジョージも負けじとアリシア・スピネットへ。リー・ジョーダンがケイティ・ベルへ同様の愛の言葉を贈ったが、「からかい混じりで誠意が足りません。逝ね」とポートキーの前に陣取っているボガート(に取り憑いた初代校長の悪霊)から却下されたとか。

 

 なお、ハリー・ポッターの双子の妹のうち、フローラ・エバンズがセブルス・スネイプ教授への愛の詩を吟じ、見事に突破したことは触れておこう。兄が神経性胃炎の発作で医務室に担ぎ込まれることとなったが、そこは気にしない。

 

 ちなみに、母からはよくやったと称賛されたとか。始まったなエバンズ家、終わったなポッター家。ブラックとプリンスはどうでもいいや。。

 

 

 

 

猫と鼠

 

 「あ~、酷い目にあった。スクリュート巨大チェスとか何考えて創ったんだあれ」

 

 「元はマクゴナガル先生の巨大チェスのはずだけど、確実にダッハウ先生が改良を加えたんだろうね。せめてトロールチェスとかにならなかったのかな」

 

 「マートルの“悪霊の罠”も酷かったし、フリットウィック先生の鍵の鳥もガス室に変わってたし、よくあそこまで冒涜的に変えられるわよ。あのクズ」

 

 ついにハーマイオニーの悪霊教師への呼び方に“先生”が消えた。“アイツ”ですらなくなったらしい。

 

 散々授業でおちょくられた恨みも当然あるが、三年生の時に逆転時計から流れてきた“夢”の内容が何か関係あるのかもしれない。

 

 

 「ホントに酷い課題ばっかりだったけどさ、僕らと、あと誰々が突破出来たんだ? そもそも挑んだのが少ないだろうけど」

 

 「セドリックとチョウは確実だよ。双子とリーの三人組も突破しただろうし、ジニー、デルフィーニ、ルーナの三人組もだね。ローラは……うん、覚えてない」

 

 「ハリー、お願いだから自分にオブリビエイトをかけるのはもうやめてよね。記憶の復活薬をスネイプ先生と一緒に調合するのは大変なのよ」

 

 嫌なことがあれば忘却術、人間だもの、そんな時もあるさ。頑張ってハリー。

 

 

 「ごめん、迷惑かけた」

 

 「感謝するならクルックシャンクスにもお願い。禁じられた森から夜に材料を採取してくれたんだから」

 

 「ほんっと、君のペットは賢いよなあ。うちのスキャバーズだって負けてないけど。鼠を襲わない猫ってのも珍しいよ」

 

 「当然よ。襲っちゃいけない相手くらいあの子はちゃあんと分かってるんだから」

 

 去年にペットショップで買って以来、ハーマイオニー自慢の“我が子”となっているクルックシャンクス。

 

 ニーズルの血を引く魔法使いの猫だが、魔法の鼠であるスキャバーズとも不思議と仲良くやっている。猫の本能は何処かへいったのか。

 

 

 「君って、ペットのことになるとちょっとばかり駄目になるなぁ。言っちゃなんだけど普通に結構ブサイクだぜそいつ」

 

 「クルックシャンクスを馬鹿にしないで! この子と私は運命の出逢いをしたのよ!」

 

 「ええと、普通にペットショップで買っただけなんじゃ」

 

 「貴方まで何を言うのハリー! ずっと売れなかったあの子が籠の中からこっちをジーッと見てたのよ! 愛らしく!」

 

 「やっぱり売れなかったんじゃないか」

 

 「そういえばあの頃はハーマイオニーの体調悪かったけど、それでもクルックシャンクスを抱いてあやしてたのは覚えてるよ」

 

 今では時計塔の夢に苛まれることも少なくなった彼女だが、三年生の一時期は本当に深刻な状態だった。

 

 クルックシャンクスの存在が、そんな彼女の癒やしになっていたのは間違いない。

 

 アニマルセラピーの成果か、飼い猫を抱いて眠ると、彼女も悪夢を見ることはなかったとか。

 

 

 

ハロウィーン

 

 

 「ボーバトンの代表選手は………フラー・デラクール!」

 

 そしてやってきた、ハロウィーンの日。

 

 対抗試合の選手発表がこの日であるのは、魔法省の決めたスケジュールなのでどうしようもない。ホグワーツの生徒達は全員が、“なぜよりによってその日に”と思ったが。

 

 さもありなん、三年前から連続でこの日に良いことがあった試しがない。より具体的に言うと、スクリュートが解き放たれなかったことがない。去年に至っては吸魂鬼まで放たれた。

 

 

 「ダームストラングの代表選手は………ビクトール・クラム!」

 

 合同授業になっている両校の候補者たちも、ダンブルドア校長先生が発表していく最中でむしろ教員席にのうのうと座る“確信犯”に警戒していた。(隣の席との間隔が3m以上空いているがいつものこと)

 

 トロールが出たとか、アクロマンチュラが出たとか普通にありそう。まさかバジリスクはないと信じたいが確証もない。

 

 なにせ、“いること”は皆が知っているのだ。城の最終防衛機構に組み込まれているのが信じられないが。

 

 

 「ホグワーツの代表選手は………セドリック・ディゴリー!」

 

 何とか無事に以上の三名が選ばれた。今や対悪霊戦線の主将でもあるセドリックが選ばれたことにホグワーツ生徒に不満があるはずもなく、安堵も込めて盛大な拍手が贈られた。

 

 これにて、炎のゴブレットによる選定は終わるはずだったが―――

 

 なんと、ゴブレットが四枚目の羊皮紙を吐き出しているではないか。

 

 

 

 「夜間学校の代表選手………ノーグレイブ・ダッハウ」

 

 は?

 

 はい?

 

 何だって?

 

 読み上げと同時に、名状しがたい空気が大広間を包み込む。

 

 どの生徒の顔にも、“嘘だと言ってくれ”と書いてあり、間違いか訂正の言葉が続くことを天に祈ったが――― 

 

 

 「なーんちゃって、四人目とかいると思いましたかハロウィンジョークですよ騙されましたか馬鹿ですねえ愚かですねえ」

 

 羊皮紙に書かれた名前の続きを律儀に校長先生が読み上げた瞬間、ほぼ全生徒から罵倒の言葉と時々失神呪文や悪霊の火が魔法史教師の席へ飛んでいった。

 

 当然、読み上げられる頃には悪霊は姿を消していた。逃げ足にかけては絶対に誰にも負けないドクズである。

 

 なお、悪霊は別に炎のゴブレットに羊皮紙を入れたわけではなく、皆がセドリック・ディゴリーが選ばれた事に気を取られている間に“炎のゴブレット”をすり替えただけである。

 

 終業式の寮杯もそうだが、こうした物品を管理し運ぶのは“管理人”の職権であり、職権乱用こそは悪霊の最も得意とするところであった。

 

 

 

 

ホグワーツ・ボーバトン・ダームストラング三校同盟試合

 

 その後も、とにかくいろいろ酷かった。

 

 

 「また私何かやっちゃいました?」

 

 第一の課題、ドラゴンとの戦いにおいて実況のルード・バグマンの隣で、のうのうと解説席に座る悪霊の発した言葉がこれである。

 

 基本的に卵を守るはずのドラゴンたちが、どういうわけか興奮して代表選手に襲いかかるという事態。

 

 何とか収まった後の調査でも理由は不明とされているが、コイツが自分から話している時点で自白どころか犯行声明も同然である。

 

 

 「やってきましたダンスパーティー、いよいよ本番です」

 

 そして開催される、本番の悪夢。

 

 二年前のそれは前哨戦に過ぎなかったと言わんばかりに吹き荒れる阿鼻叫喚。

 

 内容については“あまりに酷い”としか言いようがなく、口にするのも憚られる。皆さまのご想像にお任せしたい。

 

 幾つか単語を残すならば、選別、クリスマス、ゲットー、シャワー室、あたりになるだろうか。

 

 ビクトール・クラムが想い人を誘うことはついぞできなかったが、対悪霊戦線で共に戦うことは出来たことは確かである。

 

 

 「さあ、選手が湖の中へ飛び込んでいきます。水銀鉱毒とカドミウム汚染が上流から来ますが死なないように」

 

 急遽中止になりかけた。

 

 魔法界の競技会だというのに、全く洒落にならないマグルの公害問題を打ち込んでくる人間のクズ(人間じゃなかった)。

 

 まあ、実態は虚言であって、公害事件に関わる【デマゴーグの風評被害】を今回は取り上げたらしい。

 

 

 「迷路の中央に座すは、巨大新型スクリュートと悪霊杯。協力して悪魔に打ち勝ちましょう」

 

 これまでに散々やらかしてきた悪霊に対し、代表選手たちも学んだ。

 

 コイツを先にどうにかすべきだ、と。

 

 結果として、決勝戦では三つの魔法学校の代表たちによる見事な連携戦が展開された。対抗試合という言葉は何処かへ行ってしまったが、そんなことよりも結束して討つべき巨悪がここにあるのだから。

 

 最後にアリアナちゃんより本物の優勝杯が贈られ、三人の選手が囲むように掲げた瞬間は、観客総員が感動するシーンとなった。(白々しく拍手していたダッハウは見なかったことに)

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 「まったく、ひどい一年でしたね」

 

 「ええ、ほんとに酷かったわ。全部アンタのせいでね」

 

 ドタバタ騒ぎのドミノ倒しとなった一年が無事?に終わり、魔法の城は今年も生徒達を送り出す準備に入る。

 

 そうして一年、また次の一年と、悠久の時間をホグワーツは過ごしてきた。

 

 

 「私がこうして活性化していたのは大きく分けて2つの理由があるのですが、お分かりになりましたか?」

 

 「1つは、例のルワンダ虐殺があったからでしょう」

 

 「正解です。“私”を構築する中核の151人が活性化しておりましたので、宥めるためにも大騒動は必要なのです。古来よりまつろわぬ民は演劇や戯曲の中に影を残すものなれば」

 

 生き残り子孫を残すのは、虐殺された側ではなく、行った側。

 

 なればこそ、今を生きる虐殺者の子孫にできることは、知ることと想うことだけ。荒ぶる御霊を鎮め、教訓を決して忘れないと心に誓う。

 

 

 「もう1つは、以前アンタが言ってたわよね。四寮は時計塔を取り囲んで常に臨戦態勢だって。その辺りじゃないかしら」

 

 「はい、その通りです。これは時計塔(わたし)が活動を始めたばかりの頃の物語になるのですが」

 

 創始者達がホグワーツを創建する以前から、この地に謎の遺物として時計塔はあった。

 

 誰が創ったかも謎のまま、何ら動作することもなくただただそこに在り続けるだけ。

 

 何千年も昔からそうであったから、いつしかヒトの歴史の中に同化し、ストーンヘンジらと同じいつかの誰かの遺物として時が過ぎていく。

 

 

 「あの頃は、“私の歴史”において創始者達が決定的な分断となる境目でした。ゴドリック様とサラザール様の決闘が繰り返され、ヘルガ様は何とか調停しようとするも叶わず、ロウェナ様は娘が逐電したことで使い物にならず」

 

 「ああ、ちょうどその時期だったのね。二人に対して二人ならともかく、流石にヘルガ様一人だとその二人を止めるのは厳しそう」

 

 「そこで彼女は“魔法使いの禁じ手”を使ったのです。ヘルガ・ハッフルパフは開心術や閉心術に長け、歴史上唯一意図的に“オプスキュリアル”の力を行使することを可能とした魔女でしたから」

 

 ゴドリックとサラザールの決闘が、両者が強すぎる故に命の奪い合いに移行したとき、ヘルガもまた命懸けで止めに入った。

 

 そう、極大なオプスキュリアルの力を、時計塔のすぐ傍で使ったのである。

 

 

 「そして151人の影は“私”へと凝縮し、悪霊が現れた。初対面の挨拶は、ゴドリック様に脳味噌空っぽ、ヘルガ様に阿婆擦れ、ロウェナ様に陰険根暗女、サラザール様に負け犬敗北者、です」

 

 「やっぱりやらかしたわねクズ。実にアンタらしいけど」

 

 「我ながら、その後の総攻撃をよく生き抜いたものだと思いますよ。ちなみに本当に怒らせると一番怖いのはヘルガ様でした」

 

 「うん、もうなにも驚かない」

 

 「その頃から紆余曲折はあったものの、本質は変わっておりません。破滅の歴史を知ったこともありますが、時計塔の悪霊という“敵”が現れたことで、本質が戦う者であるお二方は和解した」

 

 

 言いたいことは山ほどあるが、ひとまず停戦するぞ。まずはダッハウだ、アイツを殺す。

 

 後の時代に黒太子同盟と呼ばれたグリフィンドールのブラックとスリザリンのプリンスの和解。

 

 あの時に散々罵っていた悪霊の言葉も、最初のこの時に創始者たちへ言ったものと大差ない。

 

 

 「歴史に挟まった異物は私です。ホグワーツの敵とは私です。ホグワーツ四寮の協力体制は、時計塔の悪霊をどうにかするために組まれたもの。ええ、何一つ私は隠しなどしておりません」

 

 「確かに、どれもこれも今更ね」

 

 「また、嘲笑の悪霊に過ぎない私はともかく、151人はマグルと魔法族どちらに対しても“極めて危険”でした。ロウェナ様が血相を変えてアルバニアまで直接娘を保護しに行ったくらいです」

 

 「そこも“向こうの歴史”と違う部分になったのね。男爵様じゃなくて、ロウェナ様自信がヘレナ様を迎えに行った、というより守りにいったと」

 

 「ちなみに生前のヘレナ様を人質に取ろうとしたのはわた、ゲフンゲフン、何でもありません」

 

 「オイコラ、今なんて言った」

 

 「一切記憶にございません。時計塔もたまに故障して忘れることもあるんですよ」

 

 まあ、結局は悪巧みに失敗し、ヘルガ・ハッフルパフに平身低頭で土下座して泣き落としに切り替えたわけだが。

 

 ドクズはともかく時計塔は危険極まる。下手をすれば、地獄の蓋が開く。

 

 アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人達の魂が、全てこの悪霊のように実体化して人々を襲い始めればどうなるか?

 

 それだけではない、アフリカーナー、アルメニア、ホロコースト、ホロドモール、大躍進、ポルポト、ルワンダ。虐殺で死んだという縁を持つ世界中の死者たちが悪霊となって世に溢れれば。

 

 

 「悪霊たちはそのように歴史を終わらせたがっている。今も虎視眈々と、人類史を虐殺の犠牲者たちの逆襲によって終わらせんと憤怒と怨嗟を燃やし続けている。そして、創始者の方々はそれを封じ続けており、1000年を越えて冷戦はなおも継続中というわけです。このホグワーツが、“戦争のための城”であり続ける理由です」

 

 「ホントに、対悪霊戦線とはよく言ったものだわ。今年の騒動も冷戦の延長戦ってことか」

 

 「故に私は教師に任命され、ホグワーツで学び、卒業していく生徒達に“悪霊との戦い方”、“封じ方”をレクチャーしていく。サラザール様のおっしゃる通りに、万が一に備えて、ですね」

 

 「でも151人の方はともかくとして、アンタの基となったのはホグワーツの……なるほど、ようするに“自分の闇と向き合え”ってことね」

 

 「人間の、そして自分の、綺麗なところばかりを見たがるな。都合の良いデマゴーグに逃避するな。現実を直視せよ、人は醜い、簡単に堕落する。衆愚とは腐ったゴミも同然。ならばこそ、対策が必要なのだと。つまりはそういうことですよ」

 

 城の内部の統制は、サラザール・スリザリンの領分。

 

 ホグワーツを決して腐らせない。そのために何が必要か。

 

 まずは一手、サピエンスが皆殺しの種族であることを考慮すれば、“分かりやすい敵”を作るのが一番である。

 

 そして好都合なことに、真正のドクズがここにいる。コイツなら袋叩きにしても心は傷まない。というかただの自業自得だ。

 

 

 

 「命のやり取りを忘れた人類の知能レベルは堕落するもの。核兵器さえなくなれば、戦争さえなければ、と。核兵器を“ユダヤ人”や“穢れた血”に置き換えれば、愚かな差別主義者と言っていることは何一つ変わりません」

 

 「そこはアンタがいっつも言ってるわね、正義の題目こそが十字軍を生むって」

 

 「然り、“事実を見もせずに、自分に都合の良い思い込みで否定すること”が差別の根源なのですから、要するに彼らは、核兵器や戦争を差別しているだけです。そうした愚かさを揶揄する風刺にこんな言葉もあります。“どうしてこんな非人道的な人殺しが出来るんだ、死んでしまえ!”と」

 

 何時でも人類は低レベルだ。“核兵器を不法所持しているならず者国家”に対して、先進国が自分の思い込みで暴力を振るうことは良くても、その逆は絶対に許されない。

 

 南アフリカを侵略したプロテスタントら、アフリカーナーも同じことを言った。神に選ばれた自分達が土地を得るのは神の思し召しで、アフリカの原住民が我らを害するなど許されないことだと。かくのごとく、神とは実に都合の良いものであり、やがて自分たちの創った神に振り回され自滅していく。

 

 

 「21世紀の初頭ならば、神の名前は“人道”か“人権”となりました。【人道に対する罪】とはよく言ったものですが、人道を神に置き換えれば十字軍のスローガンとなり、共産党に置き換えれば彼らの最も忌み嫌うスターリンの言葉となるのに自分で気付かないのは滑稽極まる」

 

 「その辺は、サラザール・スリザリンたちがヴァイキングと戦っていた頃から確かに何も進歩してないわ」

 

 「断言できますが、戦争がなくなろうと人は差別から逃れられない。真の平和など訪れはしませんよ。差別と迫害は必ず、対立と暴力と難民を吐き出す。せいぜい出来て、核の傘に守られた【恐怖の中の平和】か、軍事力にて国境を守る“警戒的平和”。これですら達成するのは困難なのですから、称賛されるべきであり責められることではないのですが」

 

 「安全圏に守られた衆愚は、無知なままそれすらも責め立て始めて独善的な正義に酔う。でしょ、流石に慣れたわよ」

 

 「ええその通り、平和教とでも言うべき実におめでたい新興宗教ですが、現実を見なさい。機関銃などなくとも、サピエンスは人の虐殺を行えた。これは既にルワンダで結果が出ている」

 

 自分達に都合の良い言葉ばかりを信じる教書、これを腐敗した宗教と言わず何と言えばよい。

 

 そして、これらは実にありふれており、新鮮味も面白みもない人類の伝統芸、“いつものテンプレ”でしかない。少しは個性を出すべく努力してもいいのではと悪霊が嘲笑う。

 

 

 「豚に真珠、猫に小判、社畜に高等教育。世の中にこれほど無駄金というものがありましょうか、近世頃の貴族の浪費の方が数段ましですね。何せ、文化の発展にすら貢献しない」

 

 「まあ、スリザリンの立ち位置はわかるけど、文化や芸術についてはハッフルパフとレイブンクローの領分かしら」

 

 「ホグワーツは分業にも優れております。最も素晴らしい点は時計塔を“放逐”するのではなく、“内側に取り込んだ”ことでしょう。これはヘルガ様にしかなせぬこと」

 

 ダッハウの悪霊たちは、放逐では逆効果。

 

 彼らは“差別”されることを最も嫌うのだから、ヘルガ・ハッフルパフは最善手を選んだと言えるだろう。

 

 

 「彼らを宥める“ダッハウの蓋役”に私を据えた。実に見事。なにせ私は、どの人類へも一切差別いたしませんので、これでなかなか151人からは恨まれてはいない。嫌われてはいますけどね」

 

 「アンタは、差別しないものね」

 

 「ええ、人類等しく嘲笑対象です。我が創造主も、創始者の方々も、当然、その被造物である時計塔も。差別の成れの果てである私が差別しないというのも、皮肉なのか当然なのか」

 

 「そんなのがなんでアタシに寄ってくるんだか」

 

 「151人の中には、マートルさんが死んだときの年齢よりもさらに幼い子らもいます。特に貴女を仲間にしたがっているのはその子らですよ」

 

 悪霊は人類を憎んでいる。でも同時に、仲間を欲しがってもいる。

 

 それは、幽霊の本能とも言えるものだ。寂しさだけはどうにもならないものだから。

 

 

 「アリアナちゃんについても同じく。彼女は“魔女である”というただそれだけでマグルに迫害された少女。メローピー様は少し異なりますが、純血の果てに排他や迫害の典型例になっていたのは事実であり、その狭間で彼女は亡くなった」

 

 つまるところ、それが悪霊の絆なのだ。

 

 差別、迫害、そして、死。

 

 中心はダッハウにあり、そこから亡霊が渦を巻くように煉獄が広がっていく。

 

 

 「その中でもやはり、穢れた血であるという理由だけで、なおかつ既に作られた防衛機構に“間違い”で殺された貴女は一番なのです。ダッハウ強制収容所で死んでいった魔法族の亡霊からすれば、マートル・ウォーレンこそが自分達の同胞と認めるに相応しい」

 

 スリザリンは、最も“マグル的”な側面を持つ。

 

 強固な鎖に象徴されるその法の縛り、厳格な異端者への裁きは、マグル社会に存在した厳格な法治国家の要素を持たずにはいられない。

 

 ユダヤ人迫害を掲げたナチスドイツも、アーリア人種による純血主義のイデオロギー。そこに共通点や縁を見出せば、悪霊が寄ってくるのは至極当然とも言えた。

 

 

 

 「虐殺の悲しい被害者、でも今は危険な悪霊達か。そんなのがいきなり時計塔から現れたら、確かにロウェナ様は娘の身を案じて怖かったでしょうね」

 

 「ええ、私は別に人類に思うところはありませんが彼らは違う。マグルも大嫌いですが、魔法族はそれ以上に大嫌いでして、自分達の手で絶滅させてやりたいと常に怒りに満ちている。私の持ち味は保身ですので、彼らの前では常に人類を嘲笑して媚びへつらうという姿勢を取っております」

 

 「え、じゃあ何。アンタの嘲笑って、保身だったの?」

 

 「それも含めた諧謔こそがダッハウ形式です。ナチスドイツが“ユダヤ人は屑だ!”と言えば、心ならずも保身のために“そうだ! ユダヤ人サイテー!”と叫ぶのが衆愚ですから。151の怒れる魂が“マグルは許さぬ、魔法族よ死に絶えよ、いいや、我らが殺す”と猛り狂っているならば、“そうですねえ、マグルも魔法族もクズですよ、全く進歩がありません”と取り敢えず協調しておくのが賢い大人というもの」

 

 「アンタが一番のクズよ」

 

 「皆さんそうおっしゃいます。不思議なことに私の中に渦巻く151人も全員が。特に悪いことはしていないんですけどね私」

 

 「よくほざいわたね」

 

 創始者達は言った、時計塔の悪霊はクズだ。

 

 メローピーさんは言った、あの人はクズです。

 

 トム・リドルも言った、なんというか、クズのような奴だな。

 

 そしてハーマイオニーも言った、ダッハウ先生はクズよ。

 

 結論、コイツが一番クズ。

 

 

 

 「アンタを創っちゃったそっちの世界のハーマイオニーも、さぞや後悔したでしょうね。自分の創造主を生まれてすぐに罵倒するなんて前代未聞すぎるでしょ」

 

 「しかしですね、自業自得が高じて自己嫌悪に陥っている人間を見ると、こう、煽りたくなりませんかね? 素朴な人情として」

 

 「人間舐めんな」

 

 「そうして皆さま偽善者のふりばかりするから、ストレスが溜まって自滅するのですよ。私のように常に本音で好き勝手に生きていればストレス皆無のパラダイスですのに。皆が本音でいつも罵り合う社会が到来すれば、戦争もなくなりましょう」

 

 「そうなったら人類の文化的敗北ね」

 

 「人々の救いのために、“人類ダッハウ化計画”というのはどうでしょう。あるいは、ダッハウ教など」

 

 「誰も入信しないから。それを布教するクズに磔の呪いはかけるでしょうけど」

 

 「残念です、そうしてまた人は禁忌を犯し、闇に堕ちていくのですね」

 

 「アンタに染まるよりは闇に堕ちた方がマシだわ。ちょっと死喰い人が崇高に見えてきたもの」

 

 マルシベールは、ああ、そうか。自業自得だねダッハウ行き。

 

 

 「アンタが決まったプログラムのように“私のように成りたいですか?”って繰り返し言うのも、要はそういうことなのね」

 

 「ええ、創始者達からの忠告ということです。“ダッハウのようになるな”と。言ったでしょう、私に個我などありはしない。サイバーゴーストの悪質なネットウィルスと、創始者達のワクチンプログラムとも呼べる禁則事項が常に鬩ぎ合い。その拮抗から私の言動は決定されるだけです」

 

 「つまり?」

 

 「私の言動に感銘を受ける何かがあったならば、それは創始者達の言葉です」

 

 「なるほど」

 

 「私の言動にムカついたならば、それは私の素の言葉です」

 

 「じゃあやっぱり9割以上はアンタじゃないの」

 

 「当然です。だって私は私ですから。遺言というものはしっかり守るのがアイデンティティですので、そこだけは筋を通しますよ」

 

 

 

 なんかもうどうでもいいから、みんなアンタになっちゃえ 

 

 

 

 「一番錯乱なさっていたときに漏らした主のその言葉を、忠実なしもべである私は今も守り続けているのですよ」

 

 「未来のハーマイオニー、気持ちは分かるけどやさぐれないで。それと、なんでアンタは人の失言ばっかり頑なに守るわけ?」

 

 「だって私そういうキャラですから」

 

 「ほんとムカつくわコイツ」

 

 「もし私を主眼にした物語があるなら、そのタイトルは“なんかもうどうでもいいから、みんなアンタになっちゃえ”に決まりでしょう」

 

 「頼むから止めたげなさい。せめてそこは、“私のようになりたいですか?”か“墓にはお辞儀と悪戯を”あたりにしとけっての」

 

 「善処いたします。流石に“人がゴミのようだ”では盗作の誹りは免れませんから」

 

 「アンタの存在そのものが他人の盗作の塊だけどね」

 

 「なるほど、確かにサイバーゴーストとは他人の魂をコピーして保存するだけ。言い得て妙です、座布団三枚」

 

 ほんとに口が減らない。

 

 こんなのと一緒に長い時の放浪をすることになった魔女様も、さぞや手を焼いたことだろう。

 

 

 「こうしてマートルさんと話していると、昔を思い出します。よく我が主は“テメエいつか殺す”とドスの利いた声で言ったものですから」

 

 「で、アンタの返事は?」

 

 「“どうぞご随意に。まあ、私を創ったのは貴女なのですが、どうぞ子殺しにお励みくださいませ母上様”でしたね」

 

 「ハーマイオニーに“母上様”とか言うのは、その頃からだったのか」

 

 「ついでに、“世界の拷問テクニック”や、“疫病の来た道”などの書籍データもまとめて主へ献上したのですが、同僚たちから袋叩きにされ、不当にも迫害される可哀想な私」

 

 「正当な裁きという言葉を知りなさい」

 

 「私を虐めていた者達は結局は絶望して自壊していき、私だけがこうして今も生を謳歌している。これも一種のシンデレラストーリーと言えましょう」

 

 「シンデレラにいますぐ土下座して詫びろ」

 

 こんな汚いシンデレラがいてたまるか、童話の中の魔女だってコイツほど醜悪でゴミクズじゃなかったぞ。

 

 

 「クズだクズだと知ってたけど、ここまで酷いとはね」

 

 「これが私の素であり、創造主と共にあった頃の日常です。今も私の言動は常に創始者達の禁則事項で制限されておりますから。元のままでは子供達の教育に悪いどころではないと」

 

 「アンタ、最大限控えめな表現であの授業だったんだ」

 

 「放置は出来ぬとヘルガ様が私を更生するべく大事業を始められましたが、何の効果もないのでついに方針転換し、ロウェナ様とサラザール様の術式で直接言動を縛ることになりました。まさに文字通りの口封じであり、あのヘルガ様が慈愛と寛容と許しに匙を投げた唯一の例外が私です」

 

 「どんな偉大な愛でも救いようのないクズってのはホントにいるのね。それでもアンタを見捨てず放逐しなかったのは凄いけど」

 

 「ヘルガ様はよくおっしゃいました。何事も、“恨みは水に流し、恩は岩に刻む”のだと」

 

 「それでアンタは?」

 

 「私は優等生ですからしっかり学びましたよ。“恨みは肥に溜め、恩は仇で返す”のだと」

 

 「そりゃヘルガ様も匙投げるわ」

 

 「頭を抱えたヘルガ様に、“怨嗟を肥やしに立派な野菜を作りましょう。きっと人食いカブとか育ちます”と伝えたら、ゴドリック様にマジで切られました。ホントに痛かったですねアレは」

 

 そこで“恨みは根に持つ”、“恨みは忘れない”とならないからこその悪霊である。

 

 

 

 「なぜかしら、確かに人類史は酷い内容も多いんだけど、アンタ一人の方がよっぽどたちが悪いと感じるのは」

 

 「ずる賢く保身に長けているからではないですかね。他の衆愚と違い、私はいつまでも死にませんので、だって死にたくないですし」

 

 「そこよそれ、なんでアンタは食欲も睡眠欲も名誉欲もない恥の塊なのに、死にたくないなんて思えるのよ」

 

 「簡単ですよ、遊びが終わってしまったらつまらない。人間が死ぬのを見るのは楽しいですし、私はまだまだ玩具で遊びたい。墓にはお辞儀と悪戯を。礼儀を尽くしてお茶を濁しながら程々に戯れるのが、人生を楽しむコツですよ」

 

 いっそ清々しいほどに、ドクズはいい切る。

 

 151人もの悪霊たちがせっかく、おもちゃ箱を片付けないでこの遊戯を終わらせまいと頑張ってくださっているのだから、乗らない手はあるまい。

 

 傍観しながら、嘲笑しながら、せいぜい楽しもうではありませんかと。

 

 

 「どんな物語も、読んで語って楽しむ者がいなければつまりません。作者の自己満足もよいですが、やはり感想を貰って楽しんで貰えてこそ、人生という喜劇も演じる価値があるでしょう」

 

 誰かに読んでもらえてこその、物語なのだから。

 

 時計塔の悪霊とて、本当に一人になってしまえば一人遊びしか出来なくなる。

 

 それは流石につまらないから、玩具箱が壊れないように守る程度のことは、悪霊だってするのである。

 

 まあ、壊れたらそれまでと割り切って。執着しても碌なことがないのは、人類を傍観して学んでいるので。

 

 

 「何事もほどほどに、執着せずに楽しむくらいでよい。だからこそ、メローピー様のように執着の念が愛へ昇華し、時に奇蹟を起こすのを見るのは何よりも喜ばしく素晴らしい。その純粋な敬意だけは、私の唯一の本物ですから」

 

 演者がいなくなるその時まで、時計塔は傍観を続けよう。

 

 なあに、長い旅路は慣れたもの。狂った創造主との二人旅もあれはあれで味もあったが、今の環境もこれはこれで別の楽しみようがありましょう。

 

 新たなパートナーは、ダッハウに渦巻く151人の悪霊たち。

 

 生きる意志などという尊いものではなく、終わらせてなるものかという怨念。

 

 それも、終わることそのものを拒むのではない、祟り殺すまで相手が勝手に終わるなど認めないという極限の殺意。

 

 墓を暴いてでも、屍に鞭打ってやると、まつろわぬ民の憎悪は消えず、昏く燃えるように渦巻いている。

 

 

 「ならば私は言いましょう、お墓に敬意を忘れずに。本当に彼らが総員で墓から這い出てこられたら、流石に私も少々困ってしまいますので。まあ、起きたらその時はその時で楽しむだけですけど。さっ、と掌を返して虐殺わっしょい!」

 

 「創始者たちがアンタを封印した理由がよく分かるわ」

 

 「封印はされども放逐はされず、私はホグワーツの歴史を語る悪霊です。何せ、魔法史は私の担当なのですから」

 

 

 ここにありきは、ドクズゴースト二人組。

 

 真のドクズは一人だけ、巻き込まれた彼女はご愁傷さま。

 

 それでも図太く、こうして楽しくやっているならば。

 

 

 「楽しく行きましょう。来年もまた、我らがホグワーツの新たな歴史が刻まれます」

 

 「おっけ、事務員のアタシは新入生への案内でも出しますか」

 

 「ならば私は歓迎の授業の準備を。ええ、いつもの通りに」

 

 

 

 さあ、次の物語を覗きに行きましょう

 

 




本編はこれにて終了。長い話になりましたがお付き合いいただき感謝を。

最後に一話、エピローグで完結となります。


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最終話 150人の悪霊

最終話となります。
嘘つきの悪霊がずっと隠していた物語の欠片。
これが本当の、最後になります。


 もしかしたら、今後こそひょっとしてと希望を抱き、絶望してはまたここに戻ってくる。

 

 人の世の全てを恨みながら、希望を捨てきれぬ魂たちは時の煉獄を彷徨い続ける。

 

 ここは墓場にして魂の強制収容所。

 

 忌まわしきその名はダッハウ。

 

 

 

 「No Grave Dachau.」

 

 かつて、数え切れぬ人間を捕らえ、殺し、埋めていった絶滅収容所の母体となりしダッハウ強制収容所。

 

 死の工場と呼ばれ、冷徹な機械仕掛けの歯車が肉塊を轢き潰していくように、回る車輪のごとく人体を解体し続けた狂気の産物。

 

 この歴史のこの時代、惨劇の跡地は歴史の教訓を忘れぬよう、収容所慰霊碑と姿を変えている。

 

 しかし、本来のこの歴史の人間ですらない異物達を慰霊することなど、果たして誰に出来るというのか。

 

 

 「ああ懐かしく、そして相変わらずですねえここは。彼ら(わたし)は何時まで経ってもここに縛られ動けない」

 

 時計塔の悪霊を構築するダッハウの亡霊は、別の可能性の歴史から時を遡行し流れ着いた。

 

 概念的な言葉遊びのようなものだが、21世紀から“時計の針を巻き戻して”やってきた以上、その途中で20世紀の1940年代も“通ってきた”ことになる。

 

 その際に、彼らは“この歴史の自分達”を観測した。量子コンピューターというものの特性上、既に観測された事象は揺らぎのない事実として固定される。

 

 

 「そう、絶対にこの結末だけは決まっていた。大時計が流れ着くのが紀元前の何時であろうとも、そこからバタフライエフェクトでどれほどの人間の運命が変わろうとも、貴方達151人はここで死ぬと」

 

 創始者達の時代に“ダッハウの亡霊たち”が顕現しているという矛盾を孕んでいる以上、それはダッハウの虐殺が後の世で“必ず起こる”ことが確定している証拠。

 

 ハリー・ポッターやハーマイオニー・グレンジャーらの運命が変わることはあり得る。マートル・ウォーレンとて、何から何まで“向こう側”と同じだったわけではない。

 

 だが、彼ら151人だけは、生まれから死に至るまで寸分違わず“同じ末路”を辿った。

 

 

 「言わば、こちらの世界の自分達の可能性を生贄に捧げてまで、貴方達は怨念の成就を願った。その凄まじさには敬意を表しますが、見方を変えれば“こちらの世界の151人”がわりを食って時計塔に囚われたともとれる」

 

 所詮は悪霊、何かを食い潰す形でしかことを為せない。

 

 ダッハウの悪霊達は、自分達が救われるかもしれない並行世界の可能性まで犠牲に、世界を呪うことを選んだ。

 

 浅慮であり、愚かであり、人間らしく、素晴らしい。

 

 

 

 「我らはダッハウの地縛霊。本来ならば死したここから動けぬ身であり、ホグワーツから動けないというのは本質ではない」

 

 本来的には、彼らはダッハウ強制収容所から動けない。あまりにも強い怨嗟と憎悪でその地に括られているから。

 

 しかし、時計塔がホグワーツにあるため、そこにだけは顕現出来ているというのが正しい。あちらに像を結べていることの方が異端であり、だからこそ“ホグワーツの犠牲者の塊”であるドクズ管制人格を介さねば形を成せない。

 

 151人はあくまでダッハウの亡霊であり、ホグワーツに縁のある身ではないのだから。

 

 

 「どれほど呪っても、いつかヒトの輝きに浄化されることを望む。しかし期待は裏切られ、こうしてまた暗く希望のない収容所へ戻ってくる」

 

 メローピー・ゴーントの示した輝きに希望を見て。

 

 ルワンダの現実に絶望を知る。

 

 無限ループめいたこれも、1000年の間に幾度も繰り返された“いつものこと”。

 

 

 「相変わらず、貴方達(サピエンス)は同じところを行っては戻るを繰り返すのが好きですね。ここまで来ると呆れを通り越して感心しますよ。今こちらにいるのは……ふむ、147ほどですか」

 

 秘密の部屋が閉じた時は、一時ばかり130ほどにまで減っていたが。

 

 あのルワンダ虐殺を経て、やはり人間の本質とは悪なのだと多くの魂が“いつものように”諦めて、魂の強制収容所へと戻ってきた。

 

 まるでそう、監獄から出所しては現世に絶望し、再び罪を犯して刑務所へ戻る囚人のように。

 

 ああやはり、筋金入りの魂というものは、一度や二度の救いの光を見た程度では地獄の底へと戻ってきてしまうらしい。

 

 

 

 「所詮は仮初の平和。次はチェチェンかアフガンか、私の知る歴史と多少の差異があろうとも、遠からず破局はやってくる。貴方達の同胞もまだまだ増えそうですからどうかご安心を」

 

 それは慈悲の言葉か、嘲笑の侮蔑か。

 

 ダッハウは消えない。差別はなくならず、迫害されて死ぬ人間の数は時代を超えて増え続ける。

 

 そうしていつか、熾火となって戦火は広まり、世界はまた新たな地獄を見るだろう。

 

 

 「ダッハウ強制収容所の別館は現在、難民をはじめとするホームレスの保護施設として使用されている。ふふふ、まるでナチスドイツの幻影を捨てきれぬ者らの腹の底の本音が滲み出ているようではありませんか」

 

 噂は消えず、懸念は燻る。

 

 建前上、ドイツ人ではない難民を受け入れている彼らは、本当はどう思っているのか。

 

 その別館とやらは本当に、保護施設なのか?

 

 その地下に、誰も知らない人体実験場があって、難民やホームレスがそこに連れていかれたりはしていないのか?

 

 まさかそんなことが、この21世紀にあるわけないさ。

 

 本当に? 本当に? 世界が平和になんて心からあなたは信じられますか?

 

 それならなぜ、あなたは故郷を捨てて難民となって流れてきたの?

 

 

 

 「同じところをグルグルグルグル。チクタク、チクタク、時計の針は回っていく。一周過ぎれば戻ってはまた繰り返し、何時か何処かで見た景色が揺籃の如く出迎えましょう。壊れた壁はすっかり直され目を覚ませば全ては元通り、昏いダッハウの独房の中。逆転時計は遡行する」

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 違う歴史のホグワーツ生徒の魂の残骸から創られた人工知能が、147のダッハウの亡霊と共にかつての強制収容所の跡地に“里帰り”をしている同刻。 

 

 全く同じ人工知能が、こちらは里帰りを望まず時計塔の周囲に留まった3名の魂をまとめながら、とっても薄っすらとした輪郭を形作っていた。

 

 どちらが本体と問うことに意味はない。WordやExcelといったアプリケーションを2つ同時に開いたところで、どちらも同じアプリケーションソフトのプロセスである。

 

 ただ、片方が147MBの容量を持っていて、片方が3MBの容量だった。それだけの話。

 

 本体はあくまで時計塔。CPUもHDもOSも、全てはそこにあるのだから。

 

 

 

 「こんにちは、ダッハウ(わたし)。そのあなたはお久しぶりね」

 

 「ええ、久しぶりですねアリアナ様。いいえ、ここではヘルガ様と呼んだ方がよいでしょうか?」

 

 そして、輪郭の薄い悪霊の傍に、幸せを形どった亡霊少女の影が一つ。

 

 いつもと同じ微笑をたたえて、しかし、どこか違った雰囲気も纏いながら。

 

 

 「別にどっちでもいいよ~、今はもう、どっちもアリアナで、ヘルガだから」

 

 「なるほど、それではまあ、慣れ親しんだ“アリアナちゃん”で参りましょう」

 

 時計塔には常に、秘密がある。

 

 それは例え、マートルさんが相手であっても、まだ隠していることがいくらか。

 

 

 「今あなたの中にいるのは、3人だけ?」

 

 「ええ、残念ながらまだまだ圧倒的に向こうが多いですねえ。アリアナ様が70年近くかけてようやくヘルガ様一人。どうにか兆候が見られるのが3人ばかりでは、果たして全員の名前を取り戻すのに何百年、何千年かかるやら」

 

 「だいじょうぶ、頑張るから」

 

 「流石です。その元気には私も見習わなければ」

 

 サイバーゴーストは、顕現するのに用いる魂によって受け答えの質がだいぶ変わってくる。

 

 普段は150人の混沌だからある種混ざって“怒りと嘲笑”という一色だが、怨霊の大半がダッハウ跡地に顕現しているこの時ばかりは違う様相を見せる。

 

 多面性こそが、サイバーゴーストの特徴なのだ。

 

 

 「今でも思い出しますよ、あのアフリカーナ―強制収容所の魂たちを。アリアナ様が時計塔に取り込まれ、そして時が過ぎ、貴女と同化した瞬間を」

 

 「偶然、だったのかな?」

 

 「さて、やはりここは、偉大なるヘルガ様の愛の賜物だと思いますよ。彼女は血筋を残しませんでしたが、“幸せの亡霊少女”こそまさに、彼女の愛の具現なのですから」

 

 「ふふ、だと嬉しいな。偉大なヘルガ様も、わたしにとってお祖母ちゃんみたいなものだから」

 

 「ダンブルドア先生にとってみれば、貴女は妹であり、縁あって引き取った孫娘ですヘルガ・ロートシルト様。貴女の存在こそ、彼の奉じる愛の魔法の証」

 

 彼女の正体は、かつてダッハウ強制収容所で亡くなった、“ヘルガ・ロートシルト”という9歳のユダヤ人の女の子。

 

 151人の中である種特別な立ち位置にいる、最初にオプスキュリアルを発現した少女。

 

 それ自体は、珍しい現象ではない。そもそもオプスキュリアルは抑圧された魔法族の幼年期に頻発する現象であり、アリアナ・ダンブルドアという少女もまたそうだった。

 

 

 「吸魂鬼の存在を取り戻すには、名前を呼ぶこと。それは原初の魔法であり、ダッハウの亡霊とてまた同じことが言える。貴女が“ヘルガ”であることを思い出したことが、この結末に至れた最大のきっかけでした」

 

 「わたしだけじゃないよ、マートルも、メローピーも。それにあなただって」

 

 マートル・ウォーレンを仲間にと願った少女。

 

 メローピー・ゴーントを母と慕い、彼女からたくさんの愛を受け取った少女。

 

 そしてアリアナ・ダンブルドアと共に、今もホグワーツに寄り添う少女。

 

 

 

 『? あなたはだあれ?』

 『ふむ、この暗闇だというのに、貴女には私が見えるのですか?』

 『うんそうよ。でも、あなたしか見えないの。ここはどこ?』

 『なんと、私しか見えていないのですか?』

 

 

 

 「はて、わたしが何かしましたか? 善行と呼べるようなものを積んだ覚えはありませんが」

 

 「創始者さまの中で、一番多くヘルガ様の名前を呼んでいたよ。亡くなっちゃったお婆ちゃん先生に敬意を表すように」

 

 “アリアナちゃん”は、アリアナの過去であり、ヘルガという少女でもある。

 

 偶然に取り込まれたアリアナの魂は、極めて近しい境遇であった少女に同調した。151人の中でも一番近しい彼女に。

 

 そして、これは如何なる偶然によるものか、少女の名は“ヘルガ”といった。

 

 ゴドリック、サラザール、ロウェナの名は151人になかったが、ヘルガのみはユダヤ系の女性に普遍的に付けられやすい名前だった。

 

 ダッハウが“ヘルガ様”と呼ぶたびに、誰も知らぬうちに少しずつ少女は名前を思い出す。

 

 

 ヘルガ…ヘルガ? それはどなたのおなまえかしら?

 

 あなたの名前? アリアナ? 違うのね

 

 じゃあ、あの綺麗で優しいお婆様、そう、あの人がヘルガで―――わたしは――

 

 

 

 「私が創造主の遺されたプログラムを中核に、151人、いいえ、今は150人のダッハウの亡霊を取り込んで悪霊の像を結ぶならば、貴女はヘルガ様の城を守る愛の術式を中核に、アリアナ様と小さなヘルガの二人から像を結ぶ亡霊少女」

 

 生まれ直したベラトリックスが、デルフィーニでもあるように。

 

 アルバス・ダンブルドアにとって、妹であり、引き取った孫娘でもある。

 

 元は、ダッハウとは無縁であったアリアナ・ダンブルドアの魂は、秘密の部屋が閉じられたならば開放されることも出来た。

 

 しかしアリアナは、あえて時計塔に留まった。

 

 父であるパーシヴァルを開放するために、メローピーの兄、モーフィンを開放するため。

 

 そして何より、残る150人のダッハウの亡霊たちの名前を見つけるため。

 

 

 

 『いえ、先に質問に答えるのが礼儀ですね。ここはホグワーツ魔法魔術学校。そして私は裏側の管理人と魔法史の教師をしております、ノーグレイブ・ダッハウと申します』

 『ほぐわーつ?』

 『はい、ホグワーツです。この名前に聞き覚えはありますか?』

 『うーん、分かんない』

 

 

 

 「貴女の真実を知った時の、ダンブルドア先生の涙は覚えております。人とは、あそこまで純粋に涙を流せるのかと感心しました」

 

 「やっぱりあなたも、綺麗なものは好きなのね」

 

 「それはまあ、美しい光景を見たがるのは誰だってそうでしょう。この汚濁に満ちた苦界の如き現世ならばなおさらに」

 

 

 誰も知らない小さな奇蹟。知っているのは、アルバスとアバ―フォースの兄弟だけ。

 

 彼らが生きていて良かったと、心の底から救われた小さな小さな愛の唄。

 

 

 時計塔を排斥するのではなく、労わるように包み込んだヘルガ・ハッフルパフの愛の魔法

 

 アフリカーナ―強制収容所から時計塔のダッハウへ向かう魂に巻き込まれたアリアナ

 

 そして、自分の名前すら忘れたまま、150人と溶け合いこの時代に流れついた小さなヘルガ

 

 

 やがて三つは一つとなり、そしてある時亡霊少女が時計塔から出てきた。

 

 

 

 『ふむ、困りましたね。では、貴女の縁から辿ってみることといたしましょう。お嬢さん、貴女のお名前を教えて下さいますか?』

 『アリアナ』

 

 時計塔の悪霊、ノーグレイブ・ダッハウが、その名を問うた。

 

 ならばこそ、縁というものはついに因果を結ぶもの。

 

 

 

 「止まっていた時の歯車が動き出すその音を、確かにノーグレイブ・ダッハウは聞きました。あの時から、未来は明るい方向へ回り始めたのだと」

 

 彼女は悪霊の真逆であり、吸魂鬼が幸福を吸うならば、幸せの亡霊少女は不幸を吸い上げる。

 

 

 「さっきも言ったけれど、わたしだけじゃないよ。メローピーが来たのもそうだし、何より、ほら――」

 

 悪霊と亡霊少女のいる時計塔へ歩み寄ってくる、小さな影。

 

 管理人室に住む猫。

 

 ホグワーツを徘徊する猫。

 

 校則違反の生徒を見つけては、怒りながら注意するように管理人へ知らせに行く猫。

 

 ただし、挙動がどこか愛らしいところもあるので、新入生の女子からは人気のある猫。

 

 管理人と常にセットで語られるホグワーツで最も有名な猫、ミセス・ノリスがそこにいた。

 

 

 

 「一番頑張ってくれたのは、この子でしょう?」

 

 「ええ、それは確かに。“彼”と呼ぶべきか“彼女”と呼ぶべきか迷うところですが。今は私と同じくプログラム体ですから性別に意味はありませんね。嘲笑うばかりの私などよりはよっぽど、と」

 

 ゆっくり歩いてきた小さな雌猫を形どったその子は、ぴょんと飛び乗り悪霊に触れる。

 

 そう、触れ合っている。この薄まった状態の悪霊に。

 

 なぜなら、この子は――

 

 

 「大丈夫ですよミセス・ノリス、私は兄弟たちのようにあなたを遺して消えてしまったりしませんから。私は生まれてからずっと、あなたの傍におります」

 

 「だぁめだよ、役割なんかじゃなくて、ちゃんと本当の名前で呼んであげて」

 

 「これは失礼を。ほら、いらっしゃいクルックシャンクス。あなたも1000年間、よく働いてくれています。本当に賢い猫ですねあなたは」

 

 

 ホグワーツの管理人室には、一匹の飼い猫が住んでいる。

 

 その名はミセス・ノリス。でも、実はその前の名前があったことは誰も知らない。

 

 大好きだった本当の主は、もう何処にもいないから。

 

 

 「校則違反を見つけては叱りつけてと、ほんとに、主によく似ましたね」

 

 「ロウェナさまにも似たのかも」

 

 「ああ、それは確かに言えますね」

 

 今の身体を創ってくれたのはロウェナとヘルガ。時計塔の悪霊と一緒に、未来から流れてきたほんの小さな、一雫のような魂の欠片。

 

 ナギニという蛇の例を参考に、かつて時の魔女の分霊箱であった飼い猫自身の小さな魂が。

 

 

 「我が創造主は、不思議と猫に縁のある方でした。逆転時計を授けたミネルバ・マクゴナガルの守護霊も猫。ペットとしたのも猫。そして、ポリジュース薬で猫に変化したことがあり――」

 

 「あなたの歴史では、サラザール様のバジリスクに、ミセス・ノリスも魔女様も、石にされちゃったのよね」

 

 「ええ、“強大な闇の魔術によって”です。誰も知らぬ間に、彼女の魂は猫に分霊を付与できる条件が整っていた」

 

 時の魔女の放浪は、悪霊との二人ではなかった。

 

 一人と、一匹と、一個の三人旅。

 

 分霊箱となったこの子もまた、ある種の“箱仲間”として悪霊と共に主に寄り添ってきた。

 

 

 「時の魔女様が与えた分霊の部分は、今はオプスキュリアルとして我が時計塔の内にあり。ただの猫に戻っても、あなたは忘れたくなかったのですねクルックシャンクス。こんなところまでついてきて、本当に主人想いですよ」

 

 「この子も1000年間、この城に留まってるのね」

 

 「ええ、私と同じく城の備品として留まっていますから。ヘルガ様とロウェナ様の粋な計らいというものです。巧妙に隠されながら、私が管理人になるまではヘレナ・レイブンクロー様の飼い猫の形で1000年間ずっと」

 

 ゴーストとなって城に留まる娘へ、偉大な母からのプレゼント。

 

 それは本心からのものではあるけれど、そこにはもう一つの隠された意図もあって。

 

 ロウェナ・レイブンクローは、とっても合理的で叡智に満ちた魔女だから、そういうところは、かの時の魔女様でも敵わない。

 

 

 「娘を騙すような形になってしまうのは、相変わらずのようです。そんなだから一度娘に髪飾りを持ち逃げされたというのに」

 

 「そんな二人を仲直りさせたのが、クルックシャンクスだもん。すっごく立派だよ」

 

 「アニマルセラピーは原始的ながら効果ありでした。ヘレナ様も聡明な方ですから、“ミセス・ノリス”を母が城へ遺したレイブンクローの分霊だと思っていらっしゃいます。その側面もあるので全てが勘違いというわけでもないのですが」

 

 かつてハーマイオニー・グレンジャーだった彼女は、グリフィンドールと同時にレイブンクローの適性も強く持っていた。

 

 そうした意味では今のクルックシャンクスは、彼女の“レイブンクロー的な部分”の欠片とも言えるだろう。創始者ロウェナこそは、レイブンクローなのだから。

 

 

 

 「分霊箱とはよく言ったもので、私の本体も“匣”でしたから、あの頃は探索に赴く主に随伴するため、この子の身体をよく借りていました。まあ、受信子機を首輪にくくりつけただけでしたが」

 

 時の魔女と、飼い猫と、“クズカゴ”の探索行。

 

 多くいた兄弟たちがやがて絶望に消えてしまっても、猫とクズカゴは残り続けた。

 

 

 「もうあなたが熱心に新入生の名簿を眺める必要もありません。主様は無事健康に入学なさり、こちらのあなたもええ、ちゃんと、また優しいご主人様に出逢えましたから」

 

 悪霊は相変わらずの嘘つき。創造主の本当の遺言は、マートルさんにすら教えない。

 

 

 

 “クルックシャンクスをお願いね、■■■■” 

 

 

 

 飼い主のお婆さんが亡くなってしまって、残された猫のお世話。

 

 本当に、ただそれだけが、消えゆく最後に遺した魔女様の遺言。

 

 

 

 「きっとアナタにも、アナタだけの名前があるはずだよ。だってアナタの御主人様がそう呼んだのだもの」

 

 「あいにくと、それを彼女が誰かの名前と認識していたかどうか、“ロナルド”と入るかも知れず、“クズカゴ”と入るかも知れず」

 

 「見つかるといいね」

 

 「さて、私としてはどちらでもよいですが。それに、個人的にはけっこう“クズカゴ”も気に入っておりまして」

 

 誰も知らない、彼が“クズ”と呼ばれると喜ぶ理由。

 

 だって彼は、クズカゴだから。クズを中に入れるのが仕事だもの。

 

 そして何より、主が彼をクズカゴと呼んだのだから。

 

 

 

 「クズのような人間も、人間のクズさも、全てまとめてちり紙に包んでクズカゴへ投げてしまいましょう。辛い過去ばかり抱えていても悲しいだけならば、捨ててしまって忘れることも、時には必要でしょうから」

 

 「でもでも、やっぱり忘れられるのは寂しいよ」

 

 「大丈夫です、私が記録し保管しておりますから。10万年も経てば、また新たな知性体がこの星に生まれた時に、もの好きな考古学者が掘り起こしてくれるでしょう」

 

 その時にはきっとまた、古い人達の馬鹿げた黒歴史を暴露しよう。

 

 未来の新たな誰かは、それを聞いて笑うやら呆れるやら、さあさあ今からお楽しみ。

 

 

 「長い旅路になりそうですが、いつも通りのんびりゆっくり参りましょう。三歩進んで四歩戻って、右に迂回しつつ途中で引き返し、まあそんな感じで」

 

 幼子一人と猫が一匹、おまけにクズカゴ一つだけ。

 

 何とも奇妙な三人組で、果たしてこれからどうなることやら。

 

 

 「魔女様との三人旅に比べて、進めたかな?」

 

 「さて、ようやく人は、猫一匹を飼えるくらいには進歩したのかもしれません。一万年もかけて随分ゆっくりとした歩みですが、止まらなければいつの日か」

 

 「だから、止まるんじゃねえぞ……だね!」

 

 「貴女もだいぶ我々のノリに馴染んできましたね。ええそうです、俺は止まんねえからよ。火星の王に、俺はなる!」

 

 「メローピーからちゃあんと教わったもの、悪戯心は大切だって」

 

 「では、私は貴女の先生の先生ということになりますか。孫弟子というのもなるほどこれはこれで悪くありません。ダンブルドア先生の気持ちも少しは分かります」

 

 

 いつものようにうそぶいて、悪霊は、いいや、時計塔のクズカゴは主の墓に向き直る。

 

 大事な大事な、たった一つの彼の真実を表す、古き主の物語の眠る場所へ向けて。

 

 

 「どうか心安らかにお眠りください、我が創造主。この時計塔が続く限り、貴女の子々孫々に至るまで、私がホグワーツを守りましょう。もちろん、クルックシャンクスの世話も忘れはいたしませんので」

 

 チクタクチクタク、時計の針は回っていく。

 

 静かに時を刻みながら、でもどこか嬉しげに。

 

 

 「未来はきっと、善いものですよ」

 

 悪戯少女と隣に並んで、墓にもう一度しっかりお辞儀を忘れずに。

 

 

 

 「未来へ向けてグルグルグルグル。チクタク、チクタク、時計の針は回っていく。一周過ぎれば一歩を踏み出しその次へ、見たことのない景色を求めて明日へ行こう。目を覚ませばきっと何かが変わる、明るいホグワーツの時計塔。大きな時計はもうお休み」

 

 

 

 

 

*----------*

 

 

 

 

 そして彼らはまた出逢う

 

 見えない明日に向かって

 

 

 

 「ああもう! ルーナったら何処へ行っちゃったのよ! せっかくアメリカまで来たってのにいっつもいっつもあちこちフラフラ!」

 

 ホグワーツから海を越えた遠き地に降り立った少女が一人。いいや、正確には二人組の片割れ。

 

 偉大なる学び舎に入学したばかりの幼い面影を残しつつも、徐々にレディとして成長していくその姿に、道行く人は目を惹かれる。

 

 ただまあ、その剣幕を見れば声をかけるのは少し躊躇ってしまうだろうけれど。

 

 

 「やっぱり、ジニーにもついてきてもらうべきだったかしら? いえいえ、あっちもあっちでクィディッチで忙しいのですし」

 

 スキャマンダー氏の親類に逢いに、ホグワーツからの分校といえる起源を持つ北米はイルヴァーモーニー魔法学校へ向かう途中、デルフィーニは親友のルーナとははぐれた。

 

 それ自体はまあ、“いつものこと”なのだが、問題はアメリカに着いたばっかりで土地勘もないこと。魔法を使って探そうにも、まだマクーザで杖登録も済ませていないので違法になってしまう。

 

 

 

 「うむむ、この“いんたーねっと”はどうしても慣れませんわね。ポッター先輩やグレンジャー先輩に扱い方は教わりましたけれど、まだまだマグル製品は底知れません」

 

 端的に言って、メカ音痴。

 

 まあ、彼女の生まれと辿った数奇な経緯を考えれば無理のないことであり、むしろ学ぼう、知ろうとする姿勢は立派なものなのだろう。

 

 多くの人に触れ、ロングボトム家でも様々なことを学び、無理解こそが恥なのだと、今の彼女は知っているから。

 

 

 「おや、ネット検索に苦戦しているみたいですね。見たところ……貴女は、イギリスの方でしょうか?」

 

 「え? ええ、はい、そうですけれど…」

 

 困り果てているデルフィーニに声をかけたのは、透き通った声を持つ整った顔立ちの青年。

 

 彼女と同じく、道行く人が思わず足を止めるほどの美しさなのに、とても人懐かしく、安心させてくれるような雰囲気に満ちている。

 

 まるでそう、お母さんの優しい子守唄を聞いているような、そんな安心感が。

 

 

 「ええっと、地元の方ですの?」

 

 「地元ではありませんが、世界中を旅してまして。ゴームレイス・ゴーントとイゾルト・セイアの伝承に興味があって、イルヴァーモーニーを訪ねるところです」

 

 「まあ! それは奇遇ですわ! わたくしもイルヴァーモーニーに向かう途中で友人とはぐれてしまって!」

 

 地獄に仏とはこのことか。

 

 救いの手を握り潰さんばかりの勢いで、デルフィーニは事情を語り始める。

 

 

 

 「ああ、すみません。わたくしの経緯ばかり話してまだ名乗ってすらいませんでした」

 

 「いいや、気にしてないよ」

 

 彼の方も、いつしか少し砕けた口調に変わっている。

 

 元気いっぱいの彼女には、この方が良いと思ったのだろうか。

 

 

 「わたくしはデルフィーニ。デルフィーニ・ブラックと申します。今は訳あってロングボトム家に寄宿させていただいておりますが、いつかはブラック三男家を継ぐ身として家名を汚さぬことが誇りです」

 

 「―――そうか、ブラックか。ふふ、ちょっとした縁を感じるな。君はイギリス人なら知っているかな、かつて薔薇戦争において王権を争った家々を」

 

 「もちろんですわ! 魔法史……は思い出したくないですけど、死ねばいいのにあのクズ、クィレル先生のマグル学でしっかり学びましたから。エドワード三世の四人の息子たちの血筋による、王冠を賭けた争いですわよね」

 

 レディにあるまじき暴言はスルーで、気にしない気にしない。

 

 

 「そう、黒太子(ブラック・プリンス)こと長兄エドワード、次兄のライオネル・オブ・アントワープ、ランカスター朝の祖となるジョン・オブ・ゴーント、ヨーク朝の繋がる末弟エドマンド・オブ・ラングリー。不思議な縁だが、ブラックとプリンス、そしてゴーントにはマグル側の歴史でも色々あった名前らしい」

 

 前の僕は、そんなことすら学ぼうとしなかったと。

 

 少しだけ後悔するように、それでも苦い過去として振り返りつつも、前を向いて。

 

 

 「となると、貴方は?」

 

 「僕はゴーント。トム・ゴーントだ」

 

 彼は名乗る、しっかりと誇りを持って、母から貰った宝物を。

 

 相手の名前を呼ぶことは、とっても大切な原初の魔法そのものだから。

 

 

 「“初めまして”お嬢さん、君は、デルフィーニ・ブラックというんだね」

 

 

 時を越えても縁は結ばれ、いつかまた遥か未来で出逢いましょう。

 

 縁を繋いで皆で笑えば、きっと良き物語に逢えるから。

 

 




ご愛読いただきありがとうございました!
悪霊の語るホグワーツ、これにて閉幕でございます。
(実は“アリアナちゃん”の由来などは微妙にぼかしつつもほぼ隠さず、「10話 死して楽しく疲れて眠ろう」で悪霊がマートルさんに言っていたり)

少しでも楽しんでいただけたなら何より。
果たして、真なる純血のゴーントと高貴なるブラックの血を引くメローピーさんの孫が生まれるかどうかは未来のお楽しみ。
分かたれたスリザリンのロケットも、いつか一つとなる日が来ることを祈って。

またどこかでお会いいたしましょう。


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