ほむほむに転生したから魔法少女になるのかと思いきや勇者である (I-ZAKKU)
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外伝 焔環の章
「夢の中で助けられた、ような…」


 この作品を初見の方に注意。この話は本編ではなく、物語の外伝第一話となります。
 本編の第一話ご覧になられる方は目次より「ほむほむに転生していました。」をお選びください。

 この話は本編の「焔の章」第五十四話「名前」の後にご覧になることを推奨します。


大赦書史部・巫女様

  検 閲 済

 

これは

そして■■

あるいは■■

 

その正体は。私は■■■■■■■■■

 

誰にも理解されることはない。

 それは苦しくて、悲しくて、だからこそ■■■■

 

だけど私は■■■■■

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

■■■■■

勇者御記 神世紀元年一月

高嶋友奈記

 

 

◇◇◇◇◇

 

 一人の少女が息を切らせながらアスファルトの地面を走り抜ける。見慣れない街のどこを走っているのか、先日引っ越してきたばかりの彼女に分からない。いや、誰にも分かるはずがないのだ。

 

「どうなっているの……これって…!」

 

 自分以外の人達が時間が止まっているかのように動かなく、徐々に建物のコンクリートから樹木へ、地面のアスファルトから樹木に変化してしまう現象なんて、今まで普通に生きてきた少女に理解できるはずがなかった。

 

 彼女の目の前に広がるのは異質な世界。この街は……否、この世界は完全に樹海と化していた。

 

「……えっ…?」

 

 少女が上を見上げると、空は燃え盛るかのように紅く、そこにあったのは太陽のごとく浮かび上がる巨大な炎の球体。その炎は全く動かず、ただ空高くを浮かんでいるだけ。だが少女はその炎に対し、言葉にならないほどの不気味さと不穏を感じ取った。

 

(よく分からないけど……あれは駄目…! 胸騒ぎが止まらない…!)

 

 それを見てるだけで体が震える。そこにあるというだけで嫌な予感が止まらない。

 炎の中から無数の星が飛び散った。それは遙か彼方まで飛んでいくのもあれば、少女のいる街にも落ちてきたものもある。

 

「ひっ…!? な…何なのあれ…!?」

 

 その落ちた星からは白い異形の生命体が現れた。人間の倍以上の体にして、顔全体を占める巨大な口を持つ蛭のような化け物。それも一体や二体なんかではない。十体、二十体、百体……それ以上がわらわらと湧いて出てきたのだ。

 化け物は空にもいた。翼を持たぬのに縦横無尽に泳ぐように飛んでいる。それに白い蛭のような化け物だけではなかった。中には合体し、より忌々しさを増した個体も……。

 

 少女は理解した。自分達は……人間達これから、あの化け物の群れに蹂躙される…と。

 

 少女の身体は動かない。動いたところで何も為すことはできないが、目の前の恐怖に恐れ、足が石にでもなってしまった気分だ。

 やがて白い化け物はその殺戮を行うための口を大きく開き、少女目掛けて喰わんと飛来し……

 

「やあっ…!」

 

 白と紫の装束を纏った何者かが杖を振るう。巧みな杖捌きから放たれた打撃は化け物の肉体を大きく抉り、その巨体を地面に叩き伏せる。

 生命活動を停止した化け物は光となって消滅する。少女はその一瞬の出来事に戸惑い、目の前に現れたもう一人の人物から目が離せなかった。

 

 見えるのは後ろ姿。髪は黒くて長く、大きな三つ編みのおさげにしている……女の子。

 彼女は軽く息を吐くと振り返り、眼鏡の奥の瞳はハッキリと少女を見据え、微笑みかけた。

 

 

 

 まどか……

 

 

 その女の子は目の前にいなくて、気がつけば目覚まし時計の音が朝になった事を教えてくれて……。

 

「………ええ~、夢オチ~?」

 

 鹿目まどか、小学5年生の10歳。転校初日の朝、変わった夢を見ました。

 

 

 

乃木若葉は勇者である 外伝 焔環の章

 

 

◇◇◇◇◇

 

 西暦2015年7月6日、この日からわたし、鹿目まどかの新しい生活が始まります。わたしとパパとママ、そしてまだ赤ちゃんの弟はついこの前、ママの仕事の都合で遠い香川県の丸亀市に引っ越してきました。それもとっても立派なお城、丸亀城が部屋から見えちゃうくらい近い所にです。

 ただ、嬉しくないなんて事はないんですが……そう、いわゆる転校生というものになったんです。前々から決まっていた事なんだけど、仲が良かった友達とも離れ離れになって、知ってる人も誰もいない学校に通うことに……。

 ……正直、とても不安です。わたしってドジだし、得意なものとか人に自慢できる才能とか、何もなくて……。転校して右も左も分からないまま誰かに迷惑ばかりかけるんじゃないかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 

『なーに、まどかなら上手くやっていけるさ』

『そう不安に思ってしまうのは最初だけだよ。まどかならきっとすぐに仲が良い友達を見つけられるよ』

『ま、仮にヤバそうなヤツに目を付けられそうになったらすぐにアタシ達に教えな。そん時には大人がなんとかするからな』

 

 パパもママもそうは言ってくれたけど、先の事が全く分からないのって怖いんだよ……。もちろん新しい友達ができたらなぁ…って、昨日の夜寝る直前までずっと考えていました。まあいつの間にか眠っちゃってて、変な夢を見ちゃったんだけど。

 

「まどか、準備はもう大丈夫かい?」

「あ、うん!」

 

 パパが作ってくれた朝ご飯を食べ、持って行く物の確認も昨日の内に終わらせてある。転校初日はパパが新しい学校に送ってくれる。まだちゃんと学校までの道は覚えてはいないから、ちゃんと見ておかないと。

 

「よーし。転校生一日目、張り切ってこいよ! お姉ちゃん!」

「うん」

 

 笑顔で見送ってくれるママとハイタッチ。それとわたしの事をお姉ちゃんって言ってくれて少し嬉しい気持ちになる。

 ……そうだよね。わたしももうお姉ちゃんになったんだから、あの子のお手本になれるよう頑張らないといけない。

 

 それに来月、夏休みになれば転校前に仲の良かった友達に会いに行くって約束だってしている。その時にわたしはこっちで元気にやれてるんだって、愉快に笑って言いたい。新しい友達ができたって、みんなに紹介して喜ばせたい。

 ……なんだか来月起こりそうな事が自然にイメージできちゃう。笑いながらわたしを迎えてくれる親友がおちゃらけて変な事を言ったり、別の親友の子がそれをはしたないって注意しちゃうの。それはとっても楽しそうだって、どうしても笑みがこぼれてしまう。

 

「いってきまーす!」

 

 不安がほとんど、だけど期待も確かに感じちゃって。わたしの新しい学校生活の始まりはそんな気持ちで始まろうとして───

 

 

 ───この時は……あんな事が起こるなんて思わなかった。引っ越しする前の友達と二度と会えなくなっていたなんて、絶対に信じなかっただろうし。

 

 ただ、夢では思っていたんだよね。あの子と出会うこと、世界のほとんどが滅亡してしまうこと。巫女と勇者……それぞれの定めが、この時既に決まりつつあったんだって。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 誰か助けて……!

 

「は、はじめまして! かっ…鹿目まどか…です……。ママ……お、お母さんの仕事の都合で引っ越してきました……! えっと……!」

「鹿目さん、大丈夫だから落ち着いてゆっくり」

「は、はいっ…!! ええっと……!」

 

 新しい学校の教室で……わたし一人だけが前に立たされて自己紹介……うぅぅ……。

 転校生だから仕方ないと言われれば何も言い返せない。みんなわたしのことなんて知らないんだし。これから一緒に勉強したりするんだもん、これがとっても大切なんだって分かってはいるんだよ……。

 でもクラスの三十人くらいのまだ全然知らない人達が、一斉にわたしの言うことに注目して見つめられるなんて、緊張で声がどうしても震えちゃう。どこかでクスクス笑ってるような声も聞こえるし、失敗したらどうしよう……ってもう絶対手遅れだよね……!?

 

「わ、わたし…あんまり話したりするのは上手じゃないけど……仲良くしてくれると嬉しいです! これからよろしくお願いします!!」

 

 やっぱり無理! 視線に耐えきれなくなって、わたしも前を向いたままっていうのがもう限界!

 早口で自己紹介を終わらせてバッと勢い良く頭を下げてお辞儀をする。失敗したかも……そんな風に思っていると、パチパチパチパチ教室に拍手の音が響き渡った。それはわたしを迎え入れるってものなんだって、そんな気がすると下げっぱなしだったわたしの頭が自然に元に戻った。

 ママとパパの言う通り、不安になるのは最初だけだったのかも。新しいクラスメート達はみんながわたしを見つめてはいるけど、怖そうな人なんていないんじゃないかって……そう思った後、すぐだった。

 

「えっ…?」

 

 心にほんの少し余裕ができてクラスメートを見渡して、たった一人、わたしを見向きもしない子がいた。下を向いてて他の子達に紛れるみたいに弱々しく拍手していて、わたしを歓迎していない……そんな様子の子が一人。

 

 俯いているその子の顔はよく見えないけど、赤い眼鏡でもっと目元を隠しているようにも見えた。長い黒い髪で大きめな三つ編みが特徴的な女の子。不思議とその子から目が離せなかった。

 

「………」

「鹿目さんの席は……鹿目さん?」

 

 というか最近どこかで見たことがあるような……。妙に印象に残っている黒髪で三つ編みおさげの女の子。そういえばそんな子に夢の中で……って、夢の中って、そんなわけないよね……今初めて見た人が夢にでるなんて。偶然だよね、偶然……。

 

(でもどうしてこんなに気になって……)

「鹿目さん?」

「……えっ! あっ、はい!?」

「ぼーっとしていたけど大丈夫? 気分悪くなったりしてない?」

「だ、大丈夫です…! はい…!」

 

 するとわたしの慌てようがおかしかったのか、また教室の中でクスクスと笑う声。ううぅ……またやっちゃった……。

 顔が熱くなるのを感じながら、このクラスの担任の先生に言われた席に向かう。でもその途中、例の三つ編みの子の側を横切ろうとしてもう一度彼女を見た。

 

「っ!?」

 

 そしたら偶々その子もわたしを見ていたみたいで、目が合ってしまった。その事に焦っちゃったのか、ビクッと大きく肩を震わせてすぐに身体ごと前に向いちゃってたけど……───

 

 

 

 ───これがわたし達の一瞬で終わった初対面。あの子の胸元に付いてた名札も、当時は習っていない難しい漢字で何て読むのか解らなかった。

 自分に自信が持てない、失敗ばかりのわたし。気が弱くて、とても引っ込み思案だったあの子。お互い一歩や二歩以上退いてばかりで自分からは動けない。臆病なわたし達二人はとても弱かったんだ。

 

 

 

 

 どうしてわたし達が選ばれたんだろうね……。それでも、もし選ばれなかったとして、一体どっちの方が良かったんだろう……。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 どうすればいいんだろうとばかり思っていた新しい学校での一日目はなんとか乗り切れた……のかな…?

 休み時間、わたしの周りには何人かのクラスメートが集まって、いろんな事を聞いてきた。どこから転校してきたとか、家はどの辺とか、ちっちゃくてかわいいとか………ううぅ……嬉しいような、そうでないような……。

 

 でも嫌だと思う人はいなかった。わたしの前で自己紹介でたくさん噛んじゃった事や、ぼーってしてしまった事を面白おかしく言う人はいなかったから……多分大丈夫かな……。

 

 ……ううん、どうだろう。みんながわたしの所に集まったのだって、ただ単にわたしが転校生で珍しかっただけかもしれない。明日とか来週とか、その時にもわたしに話しかけてくれるのかなんて分からない。

 友達ってどうしたら作れるんだっけ……? 前の学校では入学式の日に初めて会って……いつの間にかずっと一緒にいるようになっていた。何をしていたか、きっかけなんてまったく分からないよ……。

 

「ううぅ……これからどうなっちゃうんだろう……」

 

 やっぱり転校なんてしたくなかった。いくらママがわたし達家族のために一生懸命頑張って、パパも家族みんなを支えてくれているんだって分かってはいる。だけど仲の良かった友達と別れてひとりぼっちになんてなりたくなかった。

 

 寂しいのはイヤだ。パパもママもタツヤもだけど、友達のみんなも大好きで、とっても大切だから。なのに今のわたしには友達がいなくて、よく知らない街で暮らしていかないといけない。

 誰も悪くないからどうしようもなくて、そう簡単に不安は無くならない。まさかわたしのワガママで戻らせるわけにもいかないし、自分一人で解決できるとも思えない。

 

 新しい友達なんて……どんくさくて何の取り柄も無いわたしに、あの子達以外にできるわけ……。

 

 

 

 

 

「……あれ……あの子……?」

 

 下校中、当然一緒に帰るようなクラスメートもいなくて一人で。今朝車で来た道のりを歩いて帰る途中、ふと前の方に気になる人が歩いていた。その子もわたしと同じ一人で下校しているみたい。ランドセル背負って俯きながら、おさげの髪の毛が風で揺れ動いていた。

 それにあの洋服も、同じクラスの……名前はまだ分からないけど、その子は今日一日中妙に気になっていた女の子だった。おかしな夢の中に出てきた人にとても似ているような……そんな変な事をずっと考えていた。

 

 でもあの子とはまだ一度も話してなくて……。クラスの女の子達は何人かわたしに話しかけてくれたけど、そこにあの子はいなかった。休み時間もずっと一人で、机に着いて誰とも話さないで本を読んでいた。

 誰もあの子に話しかけようとしなかった。みんな無視してるとかそんなのじゃなくて、ただあの子はずっと一人で過ごしてるんじゃないかって……そう思っていた。

 

 そんな彼女がわたしの前の方を歩いて帰っていて……もしかして、わたしの家と帰る方向が同じなのかな?

 

 無意識にわたしの歩くスピードは少しだけ速くなっていた。ただなんとなく、一緒に帰れないかなって考えがあって……。

 わたしは人見知りだから、自分でもとても意外だった。一度も話した事のない子に自分から話そうとするなんて。でも不思議と恐さはそこまでは……彼女を見ていると胸がほわほわしてくる。ママやパパ達と一緒にいる時みたいな、安心しちゃいそうな温かさが少しあって……。

 夢の中で、彼女と同じ黒髪で三つ編みおさげと赤い眼鏡の女の子が、何かからわたしを助けて微笑んでくれたからかな……? 

 

「ね、ねえ…!」

「っ!!? はぃっ!?」

「うぇひっ!?」

 

 いざ声をかけた瞬間、思いがけない声と勢いで反応されてビックリ、変な声出ちゃった……。そのせいで何かまた失敗しちゃったんじゃないかって、緊張で胸がドキドキして……。

 

「て、転校生の…鹿目…さん……? あ、あの……何か…?」

「あああ、えっと……あの~……」

 

 それでやっぱり自分から話しかけるのは難しくて……。いきなりこんな、声をかけられて迷惑だったりしたらどうしようって思うと考えていた通りにできなくて……。でも何か言わないとって、もっと焦ってしまって……そしたら……。

 

「その……わたし達って前にどこかで会った事…あるかな…? なんだかそんな気がしちゃって……!」

「……どこか……?」

「ええっと……! 夢の中で助けられた、ような…?」

 

 何言ってるのわたし!? どうしてどこで会ったのかで「夢の中で」なんて返すの!

 

「…………い、いえ……わかりません…」

「そ、そうだよね? ごめんね…!」

「……いえ………すみません……」

 

 うぅ…謝りたいのはこっちだよぉ……。いきなり変な質問して、夢の中の話をされたらどう考えても困っちゃうでしょ……。

 

「……すみません、失礼します…」

「ああ待って! ちがうの!」

 

 引き気味に立ち去ろうとするのを慌てて呼び止める。わたしが話しかけようと思ったのは、帰る方向が同じなら一緒に帰ろうと思ったからで……。

 

 その時、後ろの方から車が走ってくる音が聞こえてきた。

 

「うわっ、車…!? ここ狭いのに…!」

「こっちです……」

 

 今わたしがいる所の道幅は狭くて、歩道と車道って風に分けられていない一本道。それでも彼女が教えてくれたすぐ側には民家があって、そこの隅に寄って固まればいいだけで事故の心配はまったく無かった。

 

 車の音がより近付いて、わたし達は民家の玄関前まで離れる。わたし達の目の前を道幅にしては危なげないスピードで通り過ぎて、そのまま先の小さな橋を渡っていく。

 

「あれ…?」

「えっ?」

 

 車が橋の上を通った時、何か黒いのがガードレールの下の隙間から落ちていくのが見えた。車の勢いで狭い橋の上にあったものが飛ばされたのか……

 

「ミー…! ミー…!」

 

 とっさに車を避けようとして落ちてしまったのか。橋の前まで近付いたわたし達が見たものは信じたくない物だった。

 

「うそ!? そんな…!」

「子猫!?」

「ミー…! ミー…!」

 

 そこには産まれてまだ一ヶ月も経ってないと分かるほど小さな子猫が、橋の下の川に落ちていた。わたしの足首程度の浅い川だったから溺れているなんて最悪な事態ではなかったけど、その体のほとんどを水に浸からせて冷たさに震えながら必死になって鳴いていた。

 

「ど、どうしたら……!」

「降りられる所は……どこ!?」

 

 川の両側の堤防は傾きが大きくて、とても子猫がよじ登れるとは思えない。下に降りるための階段とかも見あたらなくて、わたし達以外に近くを通りかかる人の姿も見えない。

 わたし達二人だけに、自力ではどうにもならない事態に陥ってしまった子猫の悲痛な声が届けられていた。

 

「ミー…! ミー…!」

「っ!」

「か、鹿目さん!?」

 

 目の前で怯える子猫の姿に胸が痛くなって……子猫を助けなきゃって……。ランドセルをその場に置いて、靴と靴下を脱いで、急な堤防を手伝いにしながら慎重に川に降りていた。

 もし手か足を滑らせたら落ちて痛いんだろうなって。だけどそれよりも子猫の方が重要で、怖くてもわたしの身体は勝手に動いていた。

 

「今助けるからね!」

「ミー!」

 

 自分でも驚いていた。いくら周りに頼る人がいないからって、こうしてただの子猫のために行動しているなんて……。一歩間違えたら怪我するかもしれないし、理由があったとしても下校中にこんな所に入ったら大人の人に怒られるかもしれなかった。それは…イヤだなぁ……。

 

「っ…っと……よし…!」

 

 なんとか足が川に入って、そのひんやりとした冷たさがはっきり伝わってくる。今は7月だから心地良くはあるんだけど、浸かりっぱなしの子猫にとっては逆に危ないかもしれなくて、早く上に上げなきゃって思いが強くなる。

 

「……ほら、おいで」

「ミー…」

「だいじょうぶ、こわくないよ」

 

 優しく語りかけて助けに来たことをアピールする。言葉は伝わらないだろうけど、こういうのは気持ちの問題。猫にだって想いは伝わるだろうから。

 近寄っても子猫は逃げようとしない。両手でその小さな体を抱きかかえ、ようやく子猫を保護できた。

 

「ミィ」

「やった…! もう大丈夫だからね!」

 

 ホッと一安心……はできなかった。子猫は全身びしょ濡れでとても冷たくて元気がなかった。それにこうして抱きかかえてはいるけれど、今度はこのままさっきの堤防を登らなくちゃいけない。高さは二メートル近くありそうな急な斜面……両手が使えないからさっきよりも危険になってて、登り切らなきゃわたしもこの子もずっとこのまま……。

 

「鹿目さん!」

「!」

「その子、これの中に…!」

 

 堤防の上から赤いランドセルが落ちて……これ、あの子のランドセル…? 中に教科書とかは何も入ってなくて空っぽで、これならこの子猫なら入れるし、そのまま背負えば両手が空く。

 

「あ、ありがとう! 猫ちゃん、もうちょっとだからね!」

「ミー…」

 

 子猫をランドセルの中に優しく入れて、それを背負っう。すると今度もあの子が、うつ伏せで身を乗り出しながら上から精一杯手を伸ばしていて……──

 

「掴まってください!」

「うん!」

 

 

 ───……あの時は、本当に嬉しかったなぁ……。ここには友達がいないとしか思ってなかったのに、猫を助けるためにわたし達の心が一つになった気がしたんだから。わたしはひとりぼっちじゃなかったって……まだ名前が分かる前だったのに、とても信頼できる友達ができたような幸せに満ち溢れたんだ。

 

 

 

「「はぁ……はぁ……はぁ……」」

 

 彼女の手助けのおかげで、無事にわたしも子猫も堤防の上に戻ることができた。今度はわたしの方も助かったんだって安心して、もし彼女がこの場にいなかったらどうなっていたんだろうって考えて、少し怖くなった。

 でもこうして子猫を助けられて、わたしの服も子猫を抱きかかえていたからびしょ濡れになっちゃったけど本当に良かった。ランドセルを開けて中から子猫を出そうとして……子猫はランドセルの底で縮こまっていた。

 

「ど…どうしよう…! この子、元気が無いよ…!?」

「えっ!? ……あっ……川の水で、体温が下がったんだと思います…」

 

 二人で子猫を覗き込んで、危機がまだ無くなってないんだって突きつけられる。彼女が体が冷えたせいじゃないかって言ったけど、川の水は毛にしっかりと吸い付いてしまっている。ポケットからハンカチを取り出して拭っても、あまり良くなっている様には見えなかった。

 

「温めないと……! 子猫は体温の調整がまだ完全じゃないから……命に関わってしまいます……!」

「温めるたってどうやって……!」

「ええっと……! ええっと……! 外ではどうしようも……家が近ければドライヤーとかヒーター…湯たんぽとかだけど……!」

 

 もう二人とも慌ててしまって泣いちゃいそうになるくらい不安になって……。とくに彼女の方は、自分で言った解決策ができないと思ったのか、とても悲しくて辛そうにしていた。でも家なら……

 

「わたしの家、あんまり遠くないよ…!」

「本当ですか!?」

「うん! それにパパもいるだろうし……!」

「で、でしたら!」

 

 わたしは急いで靴下と靴を履いて、ランドセルの中にいた子猫を出して優しく抱きかかえた。少しでも温めないといけないからランドセルの中よりは良いと思ったから。子猫はずっと寒さに震えていて、一刻も早く家に連れて行くことしか考えられなくなった。

 彼女も彼女で、側に置いていた教科書やノートを抱えて、そしてわたしのランドセルを腕に引っ掛けて立ち上がった。二人分の荷物の重さに顔が少し苦しそうに見えたけど、それでもただひたすらに腕の中の子猫を心配そうに見つめ続けていた。

 

「こっちだよ!」

「はいっ!」

 

 わたし達は家に向けて走り出した。元々わたしは運動が得意でもないし、体力だって無い。それに夏に入ろうとする暑い日差しが合わさって、じっとりとした汗が流れてきた。

 それは彼女の方も一緒だった。むしろ二人分の荷物を持ちながら走っているからわたしよりも大変だろうし……──それに後から知ったけど、この時の彼女は()()身体が弱かったから、走ること自体苦手だったんだ。

 

 わたし達二人とも息を切らせながらひたすら走って、でも今一番苦しんでるのは腕の中の子猫だから、決して立ち止まれなかった。

 

「がんばって……がんばって…!」

「もうすぐだから……! はぁ…っ!」

 

 汗だくになりながらも子猫に何度も何度も声を掛けて、応援し続ける。それ以外のことは何も考えなかったけど、彼女の声はしっかりと聞こえていた。わたしと同じでこの子のために一生懸命頑張ってくれる女の子……その存在はとっても心強くて、一緒に助けようとしてくれているんだって勇気が湧いてくる。

 

 そして、遂にわたしの家が見えて……

 

 

 

 

 

 

「ミャー! ミャー!」

「やったあ! 飲んでる! 飲んでるよこの子!」

「よかったぁ……! すっかり元気になって……」

「ふう……まさか転校初日にお友達だけじゃなくて猫まで連れて帰るなんて、思ってもなかったよ」

 

 わたし達の前には、ふかふかのタオルに包まれた子猫が温められたミルクをペロペロ舐めていた。家に着いてからも体中を拭いたり、お湯を入れたペットボトルで温めたりと、パパから教えてもらった事を二人でやった。その間にパパも子猫用のミルクを買いに行ってくれて、それを今こうして美味しそうに飲んでくれていた。あんなに弱ってたこの子が無事だったのが嬉しくて、思わず涙がこぼれそうにもなっちゃった。

 

「でもまどか。いくらこの子を助けるためだからって、川の中に入ったら駄目じゃないか」

「それは……はい、ごめんなさい……」

「罰として、この子のミルク代はまどかのお小遣いから差し引くよ」

「ええっ!? は、はいぃ……」

 

 ば、罰が辛い……! でもこの子がこうして元気になったのは良かったし……うぅ、納得いくような、いかないような……。

 

「……だけど嬉しいよ僕は。娘が目の前にある命を見捨てない優しい子に育ってくれて」

「パパ……」

「それに君も、まどかを助けてくれたんだってね」

「…い、いえ…あの……大したことは……」

「ううん、まどかも転校が不安だったみたいだけど、君みたいな子がまどかの近くにいてくれたら安心だよ……ありがとうね」

「…えっと……どう…いたしまして……」

 

 ……う~ん、この子はもうちょっと自分に自信を持っていいんじゃないかって思えてきた。わたしもあまり自分を表に出すのは得意じゃないけど、子猫を助けられたのは間違いなく彼女がいたから。わたし一人じゃ、きっと川の中に入って上がれずに終わってただろうし。

 

「ううう~…! ぁああああ~!」

「えっ、なに!?」

「えへへ、わたしの弟。まだ赤ちゃんなの♪」

「起きてしまったみたいだね。僕が行くから二人はその猫を見ててくれるかい?」

「うん」

 

 パパがタツヤの方に行って、この部屋にはわたし達二人と子猫だけ。本当、一時はどうなることかと思ったよ。

 

「……とっても優しそうなお父さんですね」

「うん! わたしの自慢のパパなんだ♪」

 

 パパもママもとっても大事な人。タツヤもちっちゃくてかわいくて、いつもわたしに元気を与えてくれる。だからわたしは家族みんなが大好きで、わたしにとって唯一自慢できることだった。

 

「ミャー!」

「ふふっ、美味しい?」

「ミャー!」

「うん、良かったね」

 

 子猫がミルクを飲むのを、この子はとても穏やかで優しい様子で見守っている。学校では暗い感じで、目も合わせてくれなかったけど、あの出来事からこうして近付く事ができて、優しい姿が見られたんだ。夢の中に出てきた女の子みたいな……心の底から安心できる女の子だよ、この子は……。

 

 ただ一つ問題があって……わたし、まだ彼女の名前を知らない!

 

「あの」

「はい?」

「知ってると思うけど、わたしは鹿目まどか。あなたの名前は?」

 

 ───わたし達の物語はここから始まった。その名前は後にわたしにとって、半身と言ってもいいほど身近であり、全てでもある。

 

 

「ほむら………鷲尾(わしお)ほむら……です」

「わしお……」

 

 運命の日が刻一刻と迫る中、わたし達は出会った。それは偶然だったのか、必然だったのかはわたしには分からない。

 

「ほむら…ちゃん……」

「……変な名前……ですよね…」

「ううん、そんなことないよ! 燃え上がれ~って感じでかっこいいなって!」

「ミャー!」

 

 ただ、わたしはほむらちゃんに出会えた事は幸運でしかなくて……

 

 

 

 ほむらちゃんがわたしと関わった事は、きっとそうじゃないんだろうな……



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「上手くいかなくて」

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!! 遅くなって本当にごめんなさい!!!!

 投稿予定の話が非常に長くなりまして、これ以上待たせるのは駄目だと思い、二つに分けて投稿することにしました。いわば前半部分です。後半も出来る限りすぐに書き上げます!


 鷲尾ほむらは極々平凡な一般家庭の娘として生を受けた。その一家は特別裕福でなければとある事情で寧ろ貧乏寄り。それでも一家は両親と一人娘の三人家族で支え合いながら仲睦まじく生きていた。

 

 しかし、暮らしその物は平凡であっても、鷲尾ほむら自身はそうではなかった。生まれた頃から身体が弱く、とりわけ心臓病を患っていた。

 病院の世話になったことは数えれば切りがない。両親は彼女の治療費を稼ぐべく汗水流して働き、ほむらが元気に過ごせるようにとひたすら娘を想い、愛し続けてきた。

 

 だが、繰り返される入院や手術による治療費の捻出は徐々に苦しくなり、両親は親兄弟からお金を借りるようになる。最初の方はまだ良かったものの、端から見ればただの一時凌ぎにしか見えない治療に業を煮やされ、両親は親戚中から煙たがれ始める。

 会えばほむらに優しく接してくれた彼女の従姉妹も、他の親戚から接触を忌避され、会えるのも難しくなる。ほむらは自分のせいで両親達に大きすぎる迷惑を掛けているのだと何度も涙をこぼしていた。

 

 更にほむらはこれら自分のせいで周りの関係を悪化させるのではないかという恐れと、病気で家や病室に籠もりがちだったが故に、すっかり人付き合いが極端に苦手な内気な性格になってしまった。

 おまけに外で遊ぶことが無く、家でゲームぐらいしか彼女に暇を潰せるツールがなかったため、ほむらは早々に元々良いとも言えなかった視力を悪くしてしまった。おかげで眼鏡が必須となり、俯きがちな彼女の目元は余計に隠れ、より暗い少女に見えてしまうようになる。

 話しかけられても俯いてばかりで発する言葉も切れが悪い。同年代の子供達にはそれが面白くなく、一緒にいてつまらないと、彼女の元から早々に去って行く。

 つまり、彼女には友達と言える存在はどこにもいなかったのである。ほむらは本当は穏やかで心優しい女の子であるというのに。

 

 それでも病弱という枷は彼女を必要以上に苦しめる。勉学は頻繁に現れる身体の不調が足を引っ張り、学友と共に励むべき貴重な時間を奪い去る。運動も彼女にまともな体力が備わっているはずもなく、大抵は見学しているか、体調が良好な時に取り組んでもすぐに息切れを起こし結果は有って無いようなものだ。

 時には一見サボってすぐに休んでいる、この程度の運動でバテるなんて可笑しい……など、同級生達から悪意の無い誹謗中傷を言われてきた事だって珍しくはない。

 

 中にはそんなうじうじした性格が気に入らないと同級生にいじめられた事だってあるが、その結果いじめの恐怖が心を蝕み病気が悪化してしまい大事になってしまった事もある。

 運が良いのか悪いのか、いじめっ子は大人達からこっぴどく怒られ以降はその様な事は無くなるも……ほむらに話しかけてもつまらない、悪意が無いとしてももし目の前で発作に苦しまれ、それを自分のせいだと大人達に糾弾されるかもしれないと思われ、彼女に近付こうとする子はますますいなくなる。

 

 鷲尾ほむらは友達と呼べる存在がないまま、従姉妹もいなくなり両親しか支えてくれる存在がいないまま、小学五年生を迎える。

 その頃には完全に誰もほむらに関わろうとしない環境が出来上がってしまった。彼女の事が好きでも無く、厄介事に遭わないようにするのなら最初から放っておけばいい……それが周りの共通認識である。

 無口で愛想が悪いと気味悪がれ大人達ですら改善に着手する兆しは無かった。誰も、家族以外にほむらを愛する者は現れなかったのだ。

 

 ほむらもこの現状を受け入れかけていた。当然元気な身体やいつでも一緒に笑い合えるような友達に憧れを抱きはしたが、病弱で、人付き合いが下手で、当たり前の事すらできない、何の取り柄も無いどころか欠点だらけの自分なんかに……と。

 

 諦めていた。自分は今までも、これからも、ずっと両親だけに愛され助けられながら、病気なんかと共に生きていくしかない……と。

 

 

 

 そんな運命は覆された。7月のある日、ほむらには両親以外に自分に笑いかけてくれる存在が現れた。

 

「ほむらちゃん!!!」

「……ぁ…ぁあ…」

「お願い手を伸ばしてッ!!!! (それ)を拾って!!!! ほむらちゃん!!!!」

「ほむらっ…! 来るな……来るな化け物ーーッ!!!!」

「逃げて……! ほむ」

 

 7月の最後……

 

 

 ゴキン

 

 

「……あ……ああぁ…!! おじ…さん……おばさん………」

 

 グチッ

 

 バキゴキゴキンッ

 

 ビチャッ

 

 

 地獄が訪れた。

 

 

「いやあああぁあぁあぁあぁあああぁあああ!!!!!!」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 2015年9月……私、鹿目ほむらが四国を守る土地神である神樹様の勇者に選ばれ、世界を襲った異形の生物『バーテックス』を打ち倒すための訓練が始まってから、数日が経過していた。

 

「はっ……はっ……! も、もう無理~…!」

「足っ…! 走れな……げほっ…!」

「……っ!」

 

 毎日繰り返されるハードなトレーニング。この日のランニングも、指定された目標の半分にすら届かないまま私の体力は限界を迎える。

 僅かに後ろの方を走っていた、同じく勇者に選ばれた二人……伊予島杏さんと郡千景さん…だったかな…この人達も同じ様子。三人して両膝に手を着き、汗だくのまま肩で息をしていた。

 

「おい! 気合いを入れろお前達!」

「なんだもうバテたのか~? タマはまだまだ余裕だ! うぉおりゃぁあああああ!!」

「負けないよ~! よーいドン!で加速ー!」

 

 周回遅れになった私達を乃木若葉さん、高嶋友奈さん、土居球子さん…だよね……この人達が追い越して行く。彼女達は体力はかなりあるみたいで、ハードなトレーニングにとことん付いて行けている。対して私、伊予島さん、郡さんはお世辞にもそうは言えなかった。むしろ、この前から私達の体力の無さは大きな問題点として挙げられていたぐらい。

 

「早く立て! そんな様で勇者が務まるか!」

「す、少し……休ませ……!」

「スパルタ無理……ですぅ……!」

「この程度の走り込みで音を上げるとは……なんて体力の無さだ……」

 

 勇者の力を得てから身体の方は元の頃に比べたらだいぶ丈夫にはなっているらしいけど、元々の基礎体力自体は昔と同じでからっきし。そりゃあ、いずれあんな恐ろしい化け物と戦う勇者だから半端なトレーニングじゃ意味は無いんだろうけど、普通の人よりも心臓が弱くてインドア派の私には厳しすぎて早々に挫けそう……。

 

「いいか、私達しかあのバーテックスに立ち向かえる者はいないんだ。お前達の日々の訓練のだらしなさは目に余る。少しは私や土居や友奈に追い付こうとは思わないのか」

「ハァ…ハァ……うる…さいわね……! げほっ…! ……自慢ならその体力馬鹿の二人と勝手にしてなさいよ……!」

「じ、自慢!? そんなつもりで言ったんじゃない! これくらいのトレーニングをこなせなければ困ると言っているんだ!」

「…………」

「無視をするな郡さん! ぐぬぬ…!」

 

 珍しく口を開いた郡さん。しかしその言葉はもの凄く刺々しく、乃木さんの反論も鬱陶しそうに聞き流す。そんなのだから乃木さんもますます怒り、私と伊予島さんは嫌な予感しかしていなかった。

 

 

 ランニング終了後、休憩時間を挟んで次のプログラムは武器の訓練。私達勇者の武器はそれぞれが別のものを使う。丸亀城内の訓練所にて、一人一人に大社から派遣された教師が個別の武器の扱いを指導し、その技術を巧みに操れるよう身に付ける訓練が始まった。

 

 私の武器は杖の天魔反戈(あまのまがえしのほこ)。使い方としてはシンプルに敵を叩くもの。この杖に宿る霊力が敵を殴っただけで吹き飛ばす神様の武器だ。

 ただし我武者羅に振り回すだけなら余計な体力を使うし隙も生まれやすい。ちゃんとした型や体運びをマスターしなければ命懸けの戦いでは結果は明らか。武器だけが優れていても使用者が何もできないなら宝の持ち腐れであり、勇者として力を持っていても戦えるものも戦えやしない。

 一から習得していくのは大変だとしか言いようが無いけど、他の皆さんだって同じようなものだ。例えば高嶋さんは色々な格闘術を徹底的に指導されている。伊予島さんは弩なんて普通に生きていれば触れる機会なんて無い物を連日練習している。

 

 武器の訓練は今後の実戦で大きく影響する。この身を守るにも、敵を倒すにも……私の誓いを果たすためにも…!

 

「ああ鹿目さん、本日は訓練の前に一つやってもらいたい事が」

「……え?」

 

 外から訓練所の扉が開かれる。そこにいたのは私と同じ、大社から支給されたジャージを着ていた人…つまり勇者。そしてその人の手には鞘と木刀……

 

「の、乃木さん…?」

「少々時間を貰うぞ、鹿目。これから私と模擬戦をしてもらう」

「……え…ええっ!?」

 

 突然の乃木さんの想定外の宣言に驚き、担当の教師にどういう事なのか訴えるように視線を向けると理由を教えてくれた。どうやら乃木さんの方から今の私の実力を直接確認しておきたかったらしい。後日は他の人にも手合わせを考えているみたいで、何故かその一番手に選ばれてしまったのが私だって……。

 

「先程の走り込みの結果、お前達三人は特に尻を叩く必要があると考えた。本気で取り組め、鹿目」

「そ、そんな……私、これでも一生懸命……」

「だったらそれを私に証明してみせろ。勇者として相応しい姿を見せてみろ!」

 

 助けを求めるように教師を見つめるも、そっちはそれで異論は無いようで……。

 私……誰かを武器で攻撃するのはこれっぽっちも慣れてない。嫌いなのに……。それが模擬戦と言えども、知ってる人を私のこの手で傷つけるような真似は無理……。痛いのも嫌だ……。

 

 勝手に話が進んでいって、私には訓練用の杖が渡された。天魔反戈ほどではないけど十分丈夫な杖だ。鉄製だから重量もずっしりとしていて……鈍器としての威力は申し分無し……。

 ……今更中止を訴えることはできない。せめて怪我をしないよう、怪我をさせないよう気をつけよう……!

 

「両者、準備はよろしいですか?」

「…はい…!」

「……うむ」

 

 乃木さんは目を閉じている。とても静かで、精神が研ぎ澄まして集中しているんだって伝わってくる……。

 

「始めッ!」

「……っ」

 

 開始を宣言されるけど、乃木さんは木刀の柄に手をかけたまま微塵も動かない。それなのに、凄いプレッシャー……本当にこれが私と同い年の女の子のものなの……?

 私はプレッシャーに気圧されて一歩前に出ることもできなかった。

 

「……来なければ、こちらから行く」

「!」

 

 次の瞬間、踏み込みからかドンッと床から音が響くのと一緒に、一瞬で乃木さんがこちらに接近した。反応が少し遅れて、その位置は私からもう1メートルくらいしかない…!

 このままじゃ攻撃される…! 咄嗟に私は杖をもっと強く握り締め、迫り来る危機を対処するように振りかぶる。

 

「やあぁぁぁ!」

「甘い!」

「っ…!?」

 

 更に速く飛ばされた乃木さんの気迫に一瞬身体が怯んでしまう。そして目にも留まらぬスピードで乃木さんの木刀が鞘走る。激しく叩かれた杖から手元に強い衝撃が伝わり、握り締めていたはずの鉄製の杖は呆気なく弾き飛ばされた。

 

「はっ!」

「ひっ…!?」

 

 木刀の切っ先が私の喉元に突きつけられる。寸止めで当てられなかったけど、一瞬で無力化されていつでもトドメを刺せる状況に全身の力が一気に抜け落ちて、私はその場に立っていられずへたり込んだ。

 

「これが実戦なら今、少なくともお前は二回は死んだ」

「そこまで!」

「……案の定素人に毛の生えた程度の……いや、これで戦場に立つと言うのなら、もはや素人と何も変わらないな」

「……っ」

「こうして立ち合って、お前の武器から伝わってきたぞ……試合だというのに、雑念まみれのお前の心が」

 

 心臓がバクバクする……。木刀が突きつけられるだけではなく、本当に突き刺さるように上から見下ろす乃木さんの冷めきった視線……。明らかに私の体たらくに失望しているかのような、それでいてその事を責めるかのように、乃木さんは厳しくこう言い放つ。

 

「真剣にやっていたのか!? どこかで手を抜こうと思っていただろう!」

「っ、違っ…」

 

 手を抜くつもりなんて無かった。ただ、傷付けるのも傷付けられるのも嫌だった。だけど結局、それが理由で私の動きや判断が鈍ってしまったのは事実かもしれない……。

 

「もっと注意深く相手を見ろ! それから杖の持ち方がまるでなっていないから簡単に落とされる! 振りもだ! 腰の使い方が中途半端! 腕の力だけに頼ろうとするな!」

「……は、はい……」

「勇者としてその怠慢な考えは無責任だ。実戦ではこうはいかない、一瞬の油断が死に繋がってしまうんだ。腑抜けた甘い考えなんてものは捨てておけ」

「…………」

「それができないなら、早々にここから立ち去るがいい」

 

 ……間違った事は言ってないんだと思う。あんなに呆気なくやられてしまえば、私の腕前が未熟なのは疑いようがない事実なんだ。

 

 だけど……乃木さんの言葉の中にはかつての私が幾度となくぶつけられた嫌な感情と極めて似ているものがあるように思えてならなかった。多分、乃木さん本人は全く意識していない……。それが当然だと思っているのかもしれない……。

 

 ───鷲尾さんってこんな簡単な事もできないの?

 ───もう休んでる。なっさけないなー

 

『そんな様で勇者が務まるか!』

『この程度の走り込みで音を上げるとは……なんて体力の無さだ……』

『少しは私や土居や友奈に追い付こうとは思わないのか』

 

 ……やっぱり、同じだ……。

 乃木さんは凄い人だ。それは良い意味で……。勇者としての責任を果たそうと、いつだって真剣そのもの……そしてその想いには結果がくっ付いている。決して簡単なんかじゃないのに、乃木さんはそれを成し遂げられる人なんだ……。

 

 私には、そんなに上手くこなせない。頑張っても結果を残せない。それでも何とか頑張ろうとして、ひたすら前に向かって走っていても、他の人達は私の前を悠々と走り去っていく。そしてその人達は決まって私にこう言うんだ……「どうしてできないの?」って……。

 

 もちろん私自身にも非はある。だけど一つの非から、残りの努力全てもまとめて否定されるのは腑に落ちない。それらが最初から考慮されていなくて、当然のように無視されているのなら尚更……。

 頑張っているのに、その人達からしてみれば私は全然なってなくて、怠けてばっかで弱々しい存在……。頑張っているのにその努力は今まで何度も否定され続けてきた。特にそう、私なんかが手を伸ばしても届かない所にいる人には、私の努力は全く伝わりはしないんだ。

 

 

◇◇◇◇◇

 

乃木さんには私の全力は伝わらない。

 

その結果、お互いにいやなイメージを持ち続けることになる。

 

私……最初に出会った時から乃木さんが苦手だ…。

きっと、ずっと、この人には私の心を知ってもらえることはない。

それをどこかで分かっていたんだと思う……

 

(2015年9月29日、鹿目ほむら……っと)

 

 大社から定期的に書くように言われているこの“勇者御記”。愚痴をこぼしたみたいになってしまって、とてもバーテックスと戦う勇者が書いたものとは思えない。どことなく申し訳ない気持ちになりながら、私は勇者御記を閉じてため息を吐いた。

 ……格好悪い。日記ですらこんなマイナス思考なんて頼りなさすぎる。乃木さんの言う通り、こんな様で勇者としてやっていけるなんて……思えない……。

 

「ほむらちゃん、お風呂空い…」

「……私…こんなので本当にやっていけるのかな……あ……」

「たよ……って、どうかしたの?」

 

 ちょうどそのタイミングで先にお風呂に入っていたまどかが部屋に戻ってきた。バッチリ私の不安たっぷりの独り言も、聞かれてしまったみたいで……。

 

「……えっと……そのぉ……だ、大丈夫だから、気にしないで…?」

「う、うん…?」

「お、お風呂入ってくるね…!」

 

 まどかにはこんな情けない事で心配をかけたくない。あんな化け物と戦うための訓練をしているって事は、いつかはあれと本当に戦う時が来る。それなのにその訓練でさえまともにこなせていないと分かれば、まどかにだって不安にさせてしまいそうだから……。

 

 話題を逸らすように、急いで着替えを持って部屋から出る。後ろからまどかの呼び止めるような声が聞こえたけど、それから逃げるように……。

 

 ……何やってるんだろう、私。なんでまどかから逃げるんだろう。まどかに心配をかけたくないって、不安にさせたくないって……そんなのまどかを盾にした言い訳だよ……。

 私は勇者に選ばれたのに、守るべき人達を守れないなんて申し訳が立たない。私は……死ぬほど恐くても守りたいから、勇者として戦う道を選んだのに……。

 

 不甲斐ない自分自身を責めるように、私は溜め息を吐きながらお風呂場に向かった。すると家の玄関の方から扉が開く音、そして声が聞こえた。

 

「ただいまぁ……」

「お帰り。今日もお疲れ様」

「おぉー……ネチネチネチネチくだらねー事で絡みやがって、あんの経理のハゲオヤジ……残り全部毟ってやろうかってんだ」

 

 鹿目詢子さん……まどかとタッくんと、今の私のお母さんが仕事から帰ってきた。毎日夜遅くまで働く、鹿目家の大黒柱。まどかと違って気が強い人だけど、やっぱりまどかのお母さんなだけあって優しくて、そして格好いい大人の女の人だ。

 

「……ん? おおほむら、ただいま」

「うん、お帰りなさい」

「聞いてくれよほむらー。ウチの会社のジジイ、無責任ったらありゃしなくてよー」

「無責任……」

「ははっ。ほむらちゃんに仕事の話は難しいから、愚痴は僕が聞いてあげるよ」

「ん、そう? あ、でもパパ、ほむらちゃんじゃなくてほむらだろ。この子はまどかとタツヤと同じでアタシ達の子供なんだから」

「おっと。ごめんね、ほむら」

 

 全く関係ない話だろうけど、無責任という言葉が私に重くのし掛かった。

 今日乃木さんに言われたばかりの言葉……私があの人には怠慢で無責任にしか見えていなかった。そのショックは未だに抜けていなくて、私は曖昧に頷いてお風呂場に踵を返そうとした。

 

「ほむらは今から風呂か?」

「え…うん」

「まどかは?」

「今日は先に…」

「………ふむ、ちょっと待ってな。パパ、ご飯は後からでいい?」

「解った。今日は美味しいお肉が手に入って肉じゃがにしたんだ。お酒冷やしておくよ」

「やった♪」

 

 何だろう……彼女は靴を揃えて玄関を上がると早歩きで廊下の先の自室に入っていった。その部屋の中には今は離乳食を食べたばかりのタッくんがスヤスヤ眠っているはず……。あの子はかわいいもんね。顔を見に行きたい、ずっとあの子を見ていたくなる気持ちはよく分かる。

 ところが、彼女はすぐに部屋から出てきた。両腕にパジャマのような、着替えの一式を抱えながら。

 

「一緒に入らない、ほむら?」

「……え?」

 

 ……………え?

 

 

 

「痒いところはありませんか~」

「ううん、気持ちいい」

 

 そんなこんなで何故かお母さんも私と一緒にお風呂に入ってる。正直戸惑ったけど、まどかとならよく一緒にお風呂に入ってるし、別に変な事なんかじゃないって思ったから何となく受け入れた。

 今日は偶々私が勇者御記に書く内容にためらって時間を掛けてしまったから先に入ってもらったってだけで、むしろ普段の方がまどかと二人で一緒にってケース。……最初はものすごく恥ずかしくて、お風呂の熱気と合わさってよくのぼせていたけど……。

 

「ふ~む。やっぱりほむらの髪質は光るものがあるな」

「そ、そうかな……?」

「普段は三つ編みだろ? それも可愛いし似合ってるけど、もっと色んなヘアースタイルを試してみたくなるっていっつも考えちまうんだよなぁ……で、どうだい?」

 

 頭を優しくわしゃわしゃと洗ってもらいながら、いきなりそんな事を言ってくる。垂れてくる泡が目に入らないよう、しっかり目を閉じてるから見えないけど、その声は弾んでいてお母さんがどんな様子でいるのかすぐに想像できる。

 

「い、いいよ、やらなくて……私あんまりおしゃれするの慣れてないもん……」

「いやいや~、だったら尚更やってみた方が良いって。慣れないまま放っておけばずっと慣れないまま、やらないままだからさ」

「うっ……」

「それに女は外見でナメられたら終わりだよ。おしゃれを磨くのは全然悪い事じゃないんだし、ほむらは絶対輝くって。大丈夫、アタシが保証する」

「……じゃあ…ちょっとだけ、なら……」

 

 ……こんなに私の事を励ましてくれる大人の人なんて、今までに本当の両親以外にいただろうか。自分でも私自身は冴えない地味な眼鏡女……ぱっとしない、雰囲気も他より暗い人間なんだって自覚はあった。でもこの人達は一度たりとも私に対してそんな印象を抱いた事があるようには思えない。

 そんな人との何気ない会話。それが居心地が良くて、お母さんと話していく内に自然とさっきまでの嫌な事ではなく、別の楽しい事が頭の中を占めていく。

 

「……そういえば、どうして今日は一緒にお風呂に入ろうって思ったの?」

「そりゃああんた、一緒に入りたいって思ったから」

「………?」

「まあ、もっと言えば、ほむらの奴何か悩んでそうだなーって見えたから、話し相手になりたかったのさ」

「っ!」

 

 思わず目を見開いた。だって独り言を聞かれそうになったまどかが怪しむなら分かるけど、この人には普段通りの姿しか見せていないはず。

 玄関でそれっぽい事は何も言っていないのに、お母さんはその場で私の悩みに気付いて……お風呂場で聞き出そうとした…?

 

「……そんな事ないよ、大丈夫…」

 

 私は嘘を吐いた。まどかの時と同じで、あんな情けない事を打ち明けるのは申し訳なかったから……。

 

「おいおい、大人を舐めるなよ。いつもと雰囲気が少し違うし一目で分かったよ。パパも心配そうにほむらを見てたしバレバレ」

「うぅ…」

「まあそのくらい親子なら当然分かるもんさ」

「私、二人の本当の子供じゃないよ…?」

「むっ、こーら」

「うわっ!」

 

 窘めるような声と一緒にいきなり頭から桶いっぱいのお湯を掛けられる。一気に泡が落ちるけど、何の合図も無しでやられたから少し目に入ってしまって痛い……。

 

「そんな事言うもんじゃない。さっきも言ったろ? ほむらはまどかやタツヤと同じ、アタシとパパの(たから)なんだ。親ってのはいつだって愛する我が子を見ているもんなんだよ」

「……ごめんなさい」

 

 ……この人達は本心から、私の事を想って見てくれている。血の繋がりは無いのに、まどかやタッくんのように、私を本当の娘として愛してくれている。なのに今の私の言葉はひどかった。私はまだ認めていないみたいで……。

 反省の言葉が出ると、もう一度お湯を掛けられる。今度はさっきみたいに一気にじゃなく、泡を洗い流すように優しく。

 

「……血の繋がりは無くても本当の親子だって誰にでも胸を張れるよう、アタシ達も頑張るからさ。鷲尾さん達が安心できるぐらい、ほむらと一緒に幸せな家族になりたいんだよ」

「……うん。私も…」

 

 私も、この人達と幸せになりたい。あの時失ってしまった存在を、もう一度手放すなんて事は絶対に嫌だ。

 私とこの家のみんなは奇跡的に繋がれた。なのに私が自分からその繋がりを無意識に緩めていた。悩みが情けないからって、心配するみんなから逃げて一人で抱え込もうとするなんて……。

 

 悲しいのはもうたくさんなのに。それじゃあ自分だけじゃない……まどかも、お母さんも、お父さんも、タッくんも……パパもママも、みんなが悲しむだけだ。

 

「……上手くいかなくて」

「何がだ?」

「全部……訓練も、他の人とのやり取りも…」

 

 一人で闇雲に歩き続けるのは止めよう。手を伸ばしてくれる人がいるから、私はその手から身を引かずに掴み取らなくちゃいけない。情けない話、そうしないと私は間違いばかりでろくに歩けないんだって分かったから。

 だから全部話そうと思えた。一人で抱え込もうとしていた悩みを……失敗ばかりで、勇者失格と言われた私はどうするのが正解なのかって事を。

 

「───それで情けなくなって……私は全然、勇者にふさわしくないって」

「つーか、アタシは今でも勇者計画なんてものは認めてないけどな。ほむら達が危険を冒してあんな化け物と戦うなんて事、子供が命を張って胡座をかいてる大人が守られる事自体がふざけてやがるんだ」

 

 お母さんから真っ先に返ってきた言葉がそれだった。話の根幹の部分から否定されて思わず言葉が出なかったけど、かつてお母さんが退院を控えた私の所に御役目を伝えに来た大社の人の胸倉を掴んで、物凄い剣幕で怒鳴り散らして追い返した時の事を思い出してしまった。

 

 お母さんは勇者と大社に良い印象とは真逆の物しか抱いていない。お父さんも私達が戦うと聞かされた時は、全く納得のいかないような顔をしていた。

 理由はさっき言っていたように、子供をあんな恐ろしい化け物と戦わせようとし、それが当然の事であると信じて疑っていないから。二人の持っている倫理観や価値観とはあまりにもかけ離れていて、二人には大社のやろうとしている事が幼い子供達を犠牲にして自分達だけが助かろうとしている風にしか見なかった。

 

「……言われた通りに、はい分かりました…って辞めるか? 勇者なんて立場。悪いけどアタシとしてはそっちの方が嬉しいよ」

「………」

「けどな、あの時のお前の言葉は信じるって約束したんだ……約束、しちまったもんなぁ……」

 

 そんな勇者計画に私が加わるのを二人が猛反対する中、私は説得した。今後一生無いんじゃないかってぐらい、周りに流されないで自分の意見だけを貫き通した。

 

「その乃木って子は熱くなりすぎだな。責任感は強いみたいだが視野が狭い」

「そう…なの?」

「まだまだ青っちぃガキってこった。ほむらと何も変わらない小さなお子様だ」

「……5年生に小さなお子様って……。幼稚園児みたい…」

「ははっ、悪い悪い……そうだな、思い返してみな、ほむら。アンタがどうして勇者として戦おうと決心したのか」

 

 あの事件で私は心に深い傷を負い、ずっと私を守ってくれると信じていた居場所までも奪われたのに、気がつけば私の側には別の居場所ができていた。

 失ってしまった物は二度と元には戻らない。だからそれは私の大切だった存在とは違うもののはずなのに、傷つき壊れそうになっていた私の心を優しく包み込む。やがて私は涙を流すようになって……それは絶望しか残されていなかったはずの私に、希望という光を取り戻させてくれた。

 

「その命はテメェ一人だけのための命じゃない……だったよね?」

「……ああ、そうだ。正直言い返されるとは思わなかったなぁ」

「……分かってる。私にもよく分かってる」

 

 大社からの使者から、私が勇者という世界を救える存在になっていた事を知る。まどかも神様の声を聞く神聖な力が芽生えていたと教えてもらい、私達の使命を知った。

 恐ろしかった。あの時の光景がはっきり頭の中を過って身体の震えが止まらなくなって、その大社の人以外のみんなが行かなくていいと抱きしめてくれた。

 私の中で震える心をみんなが温める……それなのに恐怖は消えない。みんながいるのに……そう考える度に恐怖心は大きくなった。

 

 私達の前に現れたあの化け物、バーテックスは私が倒した……でも、バーテックスは一体だけじゃない。世界中に現れている。もう一度、みんなの前に現れてしまうだろう……もう一度、奪われてしまうだろう……。

 

 そんな思いを抱える日々が続き、悩みに悩み……答えを出した。怖くて、恐くて……だから嫌なんだ。あの化け物は恐いけど、それ以上に恐くて耐えきれない事がある。それを私が何とかできるかもしれないのなら……立ち上がれるには十分な理由だった。

 

「みんなと一緒に生きたいの。みんな大事で、絶対に守らなきゃいけないから」

 

 どんなに大切に想われてるか知ってるから自分を粗末にしちゃいけない。

 命がけになるのは分かってる。それでも私は守るんだって誓ったから。大切な人を……その命も、心も……。

 

『生きてこの家に帰るから』

 

「まぁこの話でアタシが言いたい事はアレだ。ほむらの覚悟はその程度の事で諦めるものだったのか?」

「ううん、そんな訳ない」

「だろ? 周りの評価なんてもんは気にするな。あの時のほむらの答えは本物だ。情けない奴の答えって事は絶対に有り得ない……な」

 

 ……私の決意を間違っているなんて思われたくない。そのハードルの大きさと、今の私の訓練成果にはとても大きな差があるのはまだ良い……とは楽観的に見れないけど、頑張ってその差を埋めることができれば……。それよりも、ここで諦めてしまう方が駄目なんだね……。

 

 大丈夫。この決意だけは、きっと変わったりなんかしない。

 

「……お願いほむら。ちゃんと帰ってくるんだぞ。アンタまでいなくなっちまったら、アタシもパパも、きっと生きていけない……まどかもまた苦しんでしまう」

「……うん」

「……アタシ達が前住んでいた所でのまどかの友達も連絡が取れないまま……。アタシの学生時代からのダチもそうだ。無事なのかそうじゃないのか……きっともう、心配するだけ無駄になっちまってるんだろうけどよ……」

「お母さん……」

「……まどかに残されたものは、こっちに引っ越してから得られたものしかもう残ってねぇんだわ。ほむら」

 

 悲しげなその言葉を聞いて、私の想いはより強くなる。悲しいなんて感情の辛さは私がよく知っている。大切な人を失った痛みも知っている……。

 

 絶対に繰り返してはいけない。

 

「こんな世の中になっちまったって言っても、まどかの誕生日ももうすぐだ……辛い事を忘れろなんて言えないけど、やっぱり誕生日ぐらい心から笑っててほしいよな……」

 

 そうだね、誕生日なんておめでたい日ぐらい心から…………

 

「………まどかの……誕生日……?」

 

 今でこそ私も鹿目家の一員だけど、みんなが丸亀市に引っ越してきたのはたった3ヶ月前。私と初めて出会ったのも、まどかが転校してきてからだからまだ3ヶ月も経っていない。

 まどかの誕生日って、いつ…? 戸籍の変更の時に、私よりも誕生日が早いから、私が鹿目家の次女でまどかの妹になっているって事しか聞かされてないような……。

 

「………もしかして言ってなかったか? 今度の土曜、10月3日」

「初耳だよ!!?」

 

 その肝心のまどかの誕生日がいつなのかは知らないまま時間が過ぎて……こんな大事な事、どうして今頃になって分かっちゃうの!? こんなギリギリのタイミングで!

 

「……マジか……わりぃ」

「お、お母さ~ん……!」

 

 不平不満の声がお風呂場に響く。まどかは私にとって初めての友達で、大切な家族なのに、誕生日なんて記念日をちゃんと祝えないなんて嫌だよ!

 でもまどかの誕生日はあと一週間も無くて、その間にできる事なんて……というか私、パパとママしか誕生日を祝った記憶がないからどうしたらいいのかも……わからないよぉ!!

 

 

◇◇◇◇◇

 

「あ、ほむらちゃん、ちょっと」

「ね、ねえまどか……誕生日なんだよね…? 今度…」

「……え? うん、そうだよ?」

「お、教えてよ…! 私知らなかったのに…!」

「えっ、そうだったの!? わたしてっきり…」

「もう!」

 

 悶々とした気持ちで部屋に戻ってすぐにまどかに確認を取る。そしてそんな大事な事を今まで教えてくれなかった事実に、お母さんと同じで不満の声が出てしまった。

 でも怒ったら駄目……。まどかをお祝いするんだもん。お互いに嫌な思いをするなんて嫌だから……まどかが喜ぶ事を考えないと!

 

「欲しいもの、何かない…?」

「誕生日プレゼント?」

「うん! 何!?」

「ほむらちゃんから?」

「そう!」

 

 身を乗り出して大事な内容を一字一句逃さないよう集中する。まどかはそんな私に呆気にとられてるかのように固まって……そしてゆっくり笑みを浮かべる。

 

「……嬉しい、ありがとう」

「それで何!?」

「……ほむらちゃんがプレゼントしてくれるなら何でも嬉しいよ」

「具体的には!?」

「何でもいいんだって」

「ええっ!?」

 

 そんな……何でもいいなんて、選んだ物が本当に良いのか分からなくなるじゃない! 自由じゃなくて不自由な選択をするんだよそれは!

 

「欲しい物だよ!? 何かあるんじゃ…」

「もー。だから欲しい物はほむらちゃんからのプレゼントなんだって!」

 

 軽くほっぺたを膨らませるまどか……これは本当に、何でもいいと思っている……!?

 私が自分で、まどかに合ったプレゼントを選ぶの……!? でもそれがまどかが一番望んでいることなら……。

 

「……か、考えてみる……」

「うん! 楽しみにしてるね!」

 

 うぅぅ……どうしよう、どうしよう……! 時間もあまりないのにプレゼントをただ買うんじゃなくて、私が自分で考えて用意しなくちゃいけないなんて……!

 

 

 

 翌日、私は眠たい両目を擦りながら丸亀城に向かっていた。あれからずっと考えているけど……はい、眠れませんでした……。

 

「……ほむらちゃん……あんまり無理はしない方が嬉しいかなって……」

「……ごめん」

 

 

 

 私、今まで友達なんていなかったから、誕生日に何をしたらいいのかなんてよく分からない。パパとママの誕生日にはお花とか手紙とかを贈ったりしたけど、まどかもそれで喜んでくれるのかな……?

 

「ではこの直方体の展開図の体積を……鹿目ほむら様」

(まどかってぬいぐるみが好きだよね。部屋にもいっぱいあるし。でもぬいぐるみって高かったりするよね……お母さん達がプレゼントするかも……)

「……ほむら様」

(まどかの欲しそうなもの……まどかの欲しそうなもの……ゲームはあまりやり込んではいないし、本も難しいのは苦手って言ってたからあまり好きじゃないかも……。音楽は……音楽! まどかって前に演歌が大好きで詳しいって言ってたから演歌のCD……私は全然演歌に詳しくないから選べない!)

「ホムちゃんホムちゃん、先生から呼ばれてるよ」

「……え…? …あ…すみません…! 何でしょうか…?」

 

 ふと気がつけば授業中にもまどかへのプレゼントを考えて込んでいた。自分が当てられたと分かった時には、教えてくれる先生の目が鋭くなった時で……。

 

 いや……それよりも恐ろしいのが……!

 

「……もう結構です。ほむら様、授業は集中して取り組むように」

「……ご、ごめんなさい……」

「乃木若葉様、答えを」

「ブツブツブツブツブツブツブツブツ」

「………若葉様?」

 

 ……昨日乃木さんに怒られたばかりなのに、ここでも気に障る事をしてしまったら今度こそ何も言い返せない……昨日も縮こまることしかできなかったけど……。

 

「……若葉様まで、いったいどうなされて……では次、土居球子様」

「んガッ!? 何で今日に限って答えないんだよ若葉ァ!!」

 

 ……まずいよね……訓練だけじゃなく授業も不真面目だと思われれば……。今度乃木さんに捕まりでもしたら、強制的にここから追い出されてしまうかも……! でも時間が惜しいし、正直授業に集中できるとも思えないし……うぅぅ…!

 

 そして授業が終わって先生が退出した後、すぐに私も教室から出て他の空き部屋に逃げ込んだ。ここならさっきの授業中の不注意で怒るであろう乃木さんの魔の手は来ないはず…! ここは耐えて、次の授業で真面目に取り組む姿勢を見せたらなんとか許してもらえるか……。

 

「鹿目! ここにいたのか!」

「ひゃいっ!!?」

「探したぞ……む、どうかしたか?」

「のののの乃木さん!?」

 

 ……呆気ない……早すぎる……。乃木さんに見つからないよう隠れたのに……終わった……。心臓がすごくばくばく動いて……昔の身体が弱いままだったらきっと倒れてます……。

 

「あ…あの……な、何でしょうか……?」

「その……少し相談というか、教えてもらいたい事があるのだが……」

「そ、相談…?」

 

 その時ふと気がついた。乃木さんの様子がおかしい。少なくとも昨日のような私にあからさまに失望しているようなものとは違う……。

 何度も何度も鏡に映る自分自身で見た、何かに迷っているような、不安そうな目……。乃木さんが……迷ってる…?

 

「……えっと……今忙しいと言うか……難しいと言うか……わ、私なんかじゃ力になれるとは……他の方は…」

「お前じゃなければ駄目なんだ! 頼む!」

「…え、えぇ…!?」

 

 お、おかしいです!! あの乃木さんが私に頭を下げるなんて!! 怒られるような事しか身に覚えがない私にとって、目の前のこれは恐怖以外の何物でもありません!!

 

「頼む!! 私と一緒に……ひなたへの誕生日プレゼント探しを手伝ってくれ!!!!」

「………!?!?!?」

 

 

 この時の私は、この数日間で彼女、乃木若葉へのイメージががらりと変わる事を……薄々感づいた…と思う……。



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「ここでしか得られないもの」

 前後編のつもりでしたが相も変わらず中身を詰め込みすぎた結果、想定外のボリュームで中編ができてしまいました。
 本編の執筆ももうしばらくだけお待ちを…!


 丸亀城には現在私も含めて八人の子供達がいる。あの事件の後大社が丸亀城を管理するようになり、そこを勇者の通う学校にしたとのことだ。

 ……正直何で丸亀城なんだろうって思う。勇者の存在を世間から隠す必要があるみたいだけど、だからって歴史的価値のある凄い建物をわざわざ学校にするなんて……。しかもちょうど今も建築家の人達が来ては、城内を改築工事して学校として過ごしやすくしてるし……私が生まれた時から地元の観光地として見慣れたお城がそんな風になって、なんだか変な違和感しか感じない……。

 

 ……違う違う、今は丸亀城の事じゃなくて、そこに通っている子供達についての話が大事だ。ここは神様に選ばれたバーテックスに対抗できる存在、勇者の通う学校で、四国中の勇者がここに集まっている。

 それが私、乃木さん、高嶋さん、土居さん、伊予島さん、郡さんの計六人……それじゃあ残りの二人は、それが勇者を支える巫女の二人だった。

 巫女とは勇者と同じで神様に選ばれたもう一つの存在。勇者が誕生した時、その近くにいる才能のある少女もまた巫女としての力が現れる。勇者と違っていることはバーテックスと戦える力は無いけれど、神様の声を聞くことができる。人々を導く神様と唯一繋がれる存在で、神様の力を宿す勇者達の導き手になれるのが巫女である。

 

 だからこそ、その巫女が二人、私達勇者のお目付役として一緒に過ごすことになった。一人はまどか。バーテックスと戦うことになった私をほんの少しでも助けたいからと、巫女として一緒に戦う道を選んだ。

 もう一人が、上里ひなたさん……。あの乃木さんの昔からの幼馴染みで、あの惨劇の日、乃木さんと大勢の人々を島根から四国まで導いた巫女だ。お淑やかで礼儀正しい印象が強いけど、上里さんは普段のほとんどが乃木さんの隣にいる。苦手意識を自覚したのは最近だけど、私が自分から乃木さんに近づくのは……はい。

 

「……上里さんの…誕生日……!?」

「来月4日はひなたの誕生日なんだ! あいつが望むことをしてやりたいのだが、私だけでは力不足なんだ!」

 

 来月4日って、10月4日……まどかの誕生日の次の日……あ、開いた口が塞がらない……。乃木さんからはさっきの授業態度を咎められると思ったのに、まさか頼み事をされるなんて……。しかもまどかの誕生日の事でものすごく悩んでいる私に対して別の人の誕生日についての頼み事だなんて……。

 

 ……というかどうして乃木さんは私なんかにこの事を…? 私がこの人に良く思われていないのは昨日の出来事で明らかなのに……。私もこの人が苦手なのに……。

 

「………す、すみません、無理です……! やっぱり他の人に…」

「そんな事を言わずに頼む! 世界がバーテックスに蹂躙されて間もない……ひなたは私達を気遣って表にこそ出さないが、精神的にも辛い思いはいくつもしてきたんだ。こんな世界だからこそ、私はひなたの一番の友として誕生日ぐらいひなたに心から笑っていてほしいんだ!」

「そ、それは…」

 

 それは私の考えと全く同じだった。まどかに心から笑っていてほしいから、そうなるのにふさわしい誕生日にしたい。でも、私一人じゃ全く分からないで、どうしようもない。

 

「……言いたい事は……お気持ちはよく分かります。ただ、どうしても分からない……どうして私なんかに頼むんですか…?」

「あ、ああ……お前とお前の姉なら、ひなたが望む物の心当たりがあると思ったんだ」

「私と…まどかが…?」

「最初はもう片方の鹿目に声を掛けようとしたんだが、タイミングが合わずちょうどひなたと何やら話し合っていてな……それならばひとまずはお前にと探していた。というか何故こんな所にいるんだ? こんな何もない空き部屋なんかに一人で」

「あっ、いえ…! その……まだここに来て間もないので…さ、散策というか何というか……」

 

 乃木さんの言葉をごまかしながらも、この人が何を言いたいのか解らなくて首を傾げてしまう。

 最初はまどかに声を掛けるつもりだったって……それは多分行動として正しいことだと思う。まどかなら巫女の力を高める訓練を上里さんと一緒にやるみたいだから、あの二人はそこそこ親しい間柄だって知っているから。ただ一方で、私と上里さんはまだ自己紹介や軽い挨拶くらいしかできていない。

 普段から全く話さないただの同級生よりはマシという関係……それが私の抱いている上里さんのイメージだ。

 

「……申し訳ないんですけど、心当たりなんて……あ、ありません……。私、上里さんとはほとんど話さないし……」

「いいから聞いてくれ。確かに今まで事情を説明しなかったせいで混乱させてしまったのは悪かった。反省する……」

 

 ちゃんとした理由があるの……? 接点も無ければ多分嫌っている相手であるはずの私に必死になってまで頼む理由が……。

 

「……知っての通り、私とひなたは幼馴染みだ。物心つく前、私達の母親曰わく赤子の頃からよく一緒だったらしい」

「は、はぁ…」

「それもあってひなたは私の一番の友だ。どんな時でも私の側にいてくれた。私が困っているといつもひなたが助けてくれたんだ。情けない事だが、ひなたがいなくては私一人で生きていけないと思ってしまっている程、あいつの存在は私にとって特別なものなんだ。それで──」

 

 そして乃木さんはいかに自分が上里さんの幸せを望んでいるのか要点を絞って話してくれた。聞いてて二人ともずっとお互いを大切に想い続けて、支え続けているんだって伝わってくる。

 

「……素敵な関係です。とても、心が温かくなるような……」

「鹿目……ああ、ありがとう。そう言われると少し照れるが、やはり嬉しいものだ」

「いえ、本当に、憧れのような関係です…」

「ふふっ、こちらの寄宿舎に越して来てからも毎朝起こしてもらったり着替えの用意をしてくれたり、耳掻きもゲフンゲフン!じゃなかった…今のは言い間違えだ忘れてくれ」

 

 ……特別な友達……もしもいなくなってしまえば生きていけないと思えるほど大切な人……。この乃木さんと上里さんの関係が、私とまどかの関係と似ているかのような感じがした。いや、むしろお手本かもしれない………あれ?

 

「………耳掻き?」

「忘れろ!」

「……えっ…? 上里さんが乃木さんに耳掻きをしてくださるんですか?」

「掘り返さないでくれ!! とにかく! ひなたには日頃から感謝の念を抱かずにはいられない程いつも助けられている!」

 

 意外すぎるワードに思わず反応してしまう。強引に話題を逸らしていたけど………ええぇ…? いや別に悪いことなんかじゃないけど……ええぇ……??

 乃木さん、いつもキビキビとして真面目すぎる印象しか感じないのに、朝は上里さんに起こしてもらっているの、イメージと全然違いすぎる……。着替えの用意をしてもらっているのって、つまり上里さんが乃木さんの服とかを管理していたり把握してるってことだよね…?

 

 ……耳掻きって、やってもらったら確かに気持ちいいよね。力が抜けて顔の表情が緩みそうになるくらい。でもそれをお母さんとかじゃなくて、同じ小学5年生の上里さんにやってもらってるのって……しかもこの感じだと、上里さんのそれは一度や二度なんかで収まらない、日々の日課のような感覚で何度も何度も耳掻きを……。

 耳の穴なんて普通じゃ絶対に見ようともしない所を完全なる無防備で晒して、そこをゆっくり、優しく、カキカキ…カキカキ…と弄られて、言葉にする事も難しい蕩けるような絶妙な快感が走る……。

 

 ふとこの時、私の頭には上里さんに膝枕をされながら、穏やかに横になって耳掻きをされている乃木さんの姿を想像してしまい……。

 

 瞬間、私の脳裏には宇宙を漂うエイミーの映像が流された。

 

「…………………………」

「な、何なんだその顔は!? その目は!?」

「………はっ! す、すみません! 乃木さんが上里さんにはもの凄く甘えているのかもって思うと普段と違って意外すぎて……じゃなかった! 何でもないです!」

「うおい!? 何も誤魔化せてないぞ!」

「ごめんなさい! だって…だって…!」

「う、うぅぅ…! し、仕方ないだろう!? ひなたの耳掻きの腕前は天下一品なんだ! 日々の楽しみにして何が悪い!?」

「甘えてないって否定をしないんですか!?」

「うわああああっ!!! 終わりだこの話は終わり!!」

 

 顔どころか耳まで真っ赤にして叫ぶ乃木さん……。おかしい、こんなの私の知ってる乃木さんじゃない……。昨日私の事を容赦なく糾弾した人が、実は幼馴染みに付きっきりでお世話をされるような人だったなんて……。

 

「……ぜ、絶対に誰にも言うんじゃないぞ…! いいな、絶対にだぞ…! そしてお前も早く忘れるんだ…!」

「ぜ、善処します……」

 

 絶対に忘れられるとは思えない。あの生真面目で鬼のように厳しい、鉄の女という言葉が誰よりもピッタリ当てはまっている乃木さんが必死に頭を下げて頼み込んだり、顔を真っ赤にして慌てふためいたり、実は上里さんには毎日甘えていたり……夢?

 

「……それで、結局どこまで話したか……そうだ、鹿目にしか頼れない理由だったな」

「は、はい…」

「ひなたからの要望なんだ。ここでしか得られない、とある物が見たいと言ったんだ」

「……もう少し詳しく……」

 

「昨日の夜のことだ。お前達姉妹は実家からここに通っているが、他の者達は違う。大社が用意してくれた寄宿舎に住んでいるだろう。

 元は別々の部屋なんだが、私の部屋には日頃からよくひなたがいるんだ。会話があろうと無かろうとも関係なく、一緒の部屋で二人共に時間を過ごす。私にとっても、恐らくひなたにとっても何事にも代えられない、一番幸せで心穏やかにいられる時間だ。

 

 うん? 何だって? 耳掻きはその時にやってもらうのか……って、いい加減その話題から離れろ! ただの失言をそんなにからかって楽しいか!?

 ……違うだと? 普段の私の様子と違って幸せそうだと思った?

 ……普段の私は不幸せのように見えているのか。いや、別に不幸を感じているわけではないが……だが、おちおち弛んでいる暇はどこにもない。昨日も言ったが私達が甘い考えを持って怠惰に時間を浪費する事は断じて許されん。

 私は常に己を律し、訓練に励んでいる。遊び心地の意識など見せるわけがないだろう……だが、言われてみるとそうだな。少なくともひなたと一緒にいる時間はそれから解放されているように思える。お前の言う普段の私とやらとは違う一面で過ごしているというのは強ち間違いではないだろう。

 

 とにかく、昨日の夜だ……ひなたが自分の誕生日の事に触れてきたのが。正直な所、意外ではあった。あいつが自分から祝うよう促すなど今までに無かったんだ。とは言え私も忘れていたわけではない。言われなくても用意はまだだったが、当然ひなたの誕生日は祝うつもりでいたんだ。

 寧ろひなたが自分からリクエストするというなら尚更嬉しかった。何せあいつが一番望む誕生日にしてやれるんだ。失敗なんて無い、ひなたの笑顔を手に入れる方法が目の前に転がっていたようなものだと思った。

 

 その転がっている場所が私の手の届かない対岸の向こう側だと気付く前まではな。

 

『……ここでしか得られないもの?』

『はい。是非とも若葉ちゃんにお願いしたいのです♪』

『分かった。他ならぬひなたの誕生日だ。必ず用意してみせよう』

『ふふふっ、ありがとうございます』

『して、一体何が望みなんだ? 遠慮なく言ってくれ』

『ここでしか得られないものです』

『いや、だからそれが何なのか』

『ですから、()()()()()()()()()()()()です』

『………は?』

 

 ……そんな顔をするな鹿目。嘘など吐いていない。私だって今なお訳が解からないままなんだ。

 ひなたが私に誕生日にねだった物が抽象的どころか少しも要領を得ていない。何故その様な形すら定まっていない物をねだっているのか本当に理解できなかった。真面目に答えて欲しいとひなたを急かしたぐらいだ。

 

『ひなた? ひょっとしてふざけているのか…?』

『まさか。正真正銘、私が今最も目にしたいものです。それがあれば今後は今まで以上に笑顔で幸せになれる……心躍る時間が増えると確信していますから』

『そんなものがあるのか…!? 本当に…!?』

『なければおねだりなんてしていませんよ。実際大勢の方にとってはそうそう珍しい物でもありませんし』

『珍しくない……!? 馬鹿な……世上に疎いとこうも重要そうな存在に気付けないものなのか……』

 

 ひなたの口調はどこか楽しげであり、説明だけを聞けば実に素晴らしい物だ。少しどころではなく胡散臭さも感じてしまうが、もしそれが本当に笑顔で幸せになれる物だとすれば……。

 悲しみや怒り、絶望に包まれている今のこの世界で、まさしく最も必要とされるべき物ではないか。それをひなたに贈れるのだとすれば……これ以上ない最高の誕生日にすることができる。それ以降もあいつが笑っていられる時を再び呼び戻す事だって……だが……。

 

『それで、どこに行けば手に入る? それにいい加減正式な名前も教えてくれないか』

『ここにあります』

『はあっ!?』

『以前からここにありますよ。若葉ちゃんは見ていないだけで……いいえ、見ようともしていないだけで』

『なっ…! それはどういう……?』

 

 まるで哲学なんだ。あいつが欲しい物は「ここでしか得られないもの」……ここでしかの「ここ」とは一体何を指している? 私はどこに行って何を手に入れればいいんだ…?

 それにひなたからは何やら責めるような、呆れているかのような……きっとあれは、悲しんでいるかのような声を感じたんだ……。

 

『若葉ちゃんなら必ず見つけられると信じています。誕生日、心から楽しみにしていますね♪』

『お、おいっ…!?』

 

 そう言ってひなたは私の部屋から出て行った。自分の誕生日の事なのに、肝心な内容のほとんどを教えないまま……。

 名前も解らない、存在すら最早完全に胡散臭く思っている。しかし、あのひなたが望んでいる……それは私にとって何をしてでも叶えてやりたい願いである。例え全く知らない、存在が疑わしい物であっても、私が否定して諦めていい理由には決してならない。

 

 それからというもの寝る間を惜しんで考えた。しかし必死になって考えても思い浮かばず、携帯でそれらしき物を調べようにもひなたからの意味深なヒントでは解らず終いだった。

 全くの無駄に終わり、このままでは駄目だと今朝もう一度ひなたに頼んだんだ。意地悪しないで答えを教えて欲しいと……それなのに……。

 

『教える事はできなくはないのですが、それでは意味がないんです。若葉ちゃんが自分で答えを見つけ出さないといけないものなんです』

 

 ひなたは教えてくれなかった……。何かやむを得ない理由があるみたいだったが、結局私の悩みは振り出しに戻ってしまった。

 だがそこで、ひなたはとんでもない発言を残したんだ。それはひなたにできる、唯一のヒントのつもりだったのだ。

 

『……一つ言い忘れていました。私は初めから、若葉ちゃんお一人の力だけで見つけられるとは全く思っていません』

『……えっ?』

『誰かに協力をお願いするのが良いかもしれません。例えば……現地の方とか』

『………それは……つまり……』

 

 

 ひなたが望む物、それは「ここでしか得られないもの」だ。現地という言葉で「ここ」とやらはこの街……つまり、丸亀市を指しているのではと思い付いた。

 

 丸亀市の人間……私が知っているのは二人だけ。鹿目まどかと鹿目ほむら、お前達だけだ。お前達姉妹の力を借りる事、それがひなたが示してくれた道標だったんだ。

 

 これは私とひなたの問題だった。私があいつとの友情に報いたい、あいつの誕生日を心からの笑顔で飾りたいという想いから始まった。他の者の力を借りるなど全く思いもしなかったし、それでは意味がないとすら無意識の内に考えていただろう。

 

 だが、そのヒントを受け取ってからも時間の感覚が曖昧になりかけるほど必死で考えた。無理だった。私一人では、あいつが望むものを得ることはできないと確信してしまった……だから!」

 

 真っ直ぐ、私と乃木さんの視線がぶつかる。どこか頼りない、分からない事に対する不安が滲んでいる瞳だけど、それでいて綺麗に澄んで光っている。その光には確かで……確かで……。

 

「頼む! この通りだ!」

 

 ……正直なところ、私にも解らないことは多すぎる。上里さんが何を望んでいるのか、上里さんがどうして私とまどかに協力を頼めばいいと考えたのか……だってそもそもの話、私にも全く心当たりが無いのだから。

 

 それにこの人が苦手だって考えは変わらないまま。できるだけ関わりたくないという気持ちも、全然そのまま……。

 

 だけど、それでも、こんなに必死になってお願いをする乃木さんの頼みを断るのは……違う。だって、とっても熱い想いが胸に響いたから。

 

「……わかりました。お手伝い、します…!」

「鹿目…!」

 

 私の口は自然にその言葉を紡いでいた。ほんの一瞬だけ、自分は何を言ってるんだろうって発言を疑問に思ったけど、不安げから一変安堵した表情になった乃木さんを見たら嫌な気持ちには全く……。

 

 ……あれ、ちょっと待って……? 丸亀市にあるもの…………一体何のことを言ってるんだろう……?

 確かに私は丸亀市の人間だ。生まれも育ちもこの街で……だけど私、昔は病弱……。今は勇者の力が宿った影響で長年の病気は無くなって、肉体も体力はこれからしっかり付けていかないといけないけど健康体になっているけど……。

 でも病弱だった頃の私は、この丸亀市で楽しかった思い出とか、この街の誇るものとか、そういったものとは全く関われてない。パパとママが一緒に居てくれる時間が私の全てで……。

 

 結局私も上里さんが言ってる物が解らないままだよ……? それはこれから乃木さんと一緒に考えるのは良いとして、ただ上里さんの誕生日の前にはまどかの誕生日がある。

 上里さんが欲しい物だけじゃなくて、まどかへの贈り物も見つけないといけないけど、私にはそれの当てが全く無いままで、それどころかこれからの時間は乃木さんへの協力で間違いなく少なくなる……ってことは……このままじゃ絶対まどかへの贈り物を用意できないままじゃない!?

 

「そ、その代わり! こっちからもお願いがあります! 乃木さんもまどかの誕生日プレゼントを一緒に考えてください!」

「………ん?」

 

 考え無しで了承してしまった事を早速後悔しかけながらも、どうしてもやっぱり無理ですなんて言えるわけもなくて、言いたくもなくて、咄嗟に思い付いたものがこれだった。

 私一人では答えが解らないけど、もう一人乃木さんが意見を出してくれたらなんとかなるかもしれないって……そんな事は解らないままの乃木さんは何やら固まっている。突然私が言ったことの意味が理解できていないみたいで。

 

「……もう片方の鹿目の誕生日プレゼント? 今話しているのはひなたの誕生日のことだが……」

「その……前日がまどかの誕生日なんです。10月3日……」

「ええっ!!?」

 

 目の前で飛び跳ねるんじゃないかってぐらいの驚きのリアクションをする彼女はさっきの私と完全に同じように見えた。誕生日の事で悩んでいる中、別の人の誕生日の悩み事を共有させられるなんて、普通無いもんね……。

 

「前日とは……な、何という偶然……。そうか、もう片方の鹿目も……ややこしいな。この際だ、二人とも名前で呼ばせてもらうぞ、ほむら」

「え……あ、はい……」

 

 そしてサラッと下の名前で呼んでくるなんて反応に困る。苦手な人にこれからは常に「ほむら」と呼ばれるのか……。

 ……まあ、高嶋さんの時程の戸惑いは無いかな…? 気が付けば「ホムちゃん」なんてあだ名で呼ばれていて、断る間もなく定着していたから……。

 

「うむ、まどかも今度誕生日なのか。めでたい事だが……うん? という事は……ほむらも誕生日ではないか!?」

「えっ? 違いますけど……」

「え?」

「え?」

 

 何故かいきなり見当違いの事を言い出す乃木さん。私の誕生日はここの人達には教えてないし、それも1月であってまだまだ先の話。どうしてそんな……まさかとは思うけど……。

 

「……えっと、乃木さんもしかして、私とまどかが双子だって勘違いして……」

「違うのか…?」

 

 思わず頭を押さえ込む。姉妹だからっていくらそんな短絡的に……。私とまどか、全然似てないのに……。

 

「養子です、私……。他の鹿目家の人達と血の繋がりはありません」

「なんと!?」

「あの……全く似てないと思うんですけど…? 私とまどか……」

「……いや……何と言うか、確かに姉妹にしては似てないと思ってはいたんだ。だが面と向かってその事を指摘するのは流石に失礼かと思ってな……」

「……土居さんには初日に言われましたけど……」

「一緒にしてくれるな。私は乃木家の者として常に礼儀を重んじ、絶やさず空気を読める人間だ」

「………………」

「どうしてそこで目を逸らす?」

 

 いや、だって……その自信は一体どこから……?

 

 ……なんとなく解ったかもしれない。この人は確かに超が付くほど真面目な人だけど、どこか物凄く天然で単純だ。いい意味でも悪い意味でも、とにかく頑固すぎる人なんだ。

 

「……ということはまさか……知らなかったのは私だけ……」

「多分……。土居さんに言われた時には確か伊予島さんも一緒でしたし、上里さんもまどかが言ってるかも……。高嶋さんと郡さんは……」

 

 ……何でだろう、郡さんはきっと大丈夫だと思うけど、高嶋さんも乃木さんと同じ勘違いをしてそう……。だってあの人、未だに郡さんの名前すら『(ぐん) 千景』さんって思ってるし……。私と乃木さんの言う『(こおり)さん』を逆に『氷さん』的なニックネームか何かと思ってそう……。

 

「……ひとまずこの話は置いておきませんか…? それよりも……」

「あ、ああ。ひなただけでなく、まどかの誕生日もだな……しかしそうなると、まどかにひなたの事を頼むのはいけない気がしてきたぞ……」

「主役ですからね……。まどかと上里さんは、誕生日の……」

「ああ。祝われる側の人間なのに、私が不出来なばかりに手を煩わせるのは……」

 

 元々乃木さんは私だけじゃなくてまどかにも上里さんの件の協力を頼むつもりだった。ところがそのまどかも誕生日を控えていたのは予想外だった。乃木さんの考えでは私達三人で上里さんの欲しがってる物を見つけるはずだったのに、現実は私と二人で上里さんだけじゃなくまどかの物も見つけなくちゃいけない。計画が狂ってしまうのはいい気はしないだろうし……。

 

「そもそも私の協力は必要なのか? 正直言ってお前が養子だった事すら知らなかったように、まどかの事も知らない事の方が多い。お前の望むような力になれるかなど解らん。別にほむらだけで十分だと思うのだが?」

「……だと良かったんですが……乃木さんと同じ理由です。何を贈れば良いのか解らなくなって……。それに私だって、上里さんの事はほとんど知らないですし……」

 

 私は上里さんのことはよく知らないけど、乃木さんならよく知っている。乃木さんはまどかのことをよく知らないけど、私なら……付き合いの長さは長いとは言いにくいけど、思いは誰にも負けていない。

 私と乃木さんは共通して大切な人の誕生日を成功させたいと願っている。それなのに自分一人ではうまくいきそうになくて、二人で協力し合えばなんとかなるのかもしれない。

 

「……解った。お前がひなたのために力を借してくれると言ってくれるのなら、その恩に報いるために私もお前の望む力になろう」

「……ありがとうございます」

「なに、礼を言うのはこちらの方だ」

 

 乃木さんは笑ってそう言った。心から感謝しているような、見たことなんて無かった乃木さんの笑顔……。

 ……今まで私が見てきた乃木さんはどれも怖いと思えるものだった。常に睨んでいるようにこっちを見てくるし、無愛想なのに口を開けば容赦なく厳しい言葉が飛んでくる。

 相手が幼馴染みだとしても、誕生日のために必死になって他人にも全力で頭を下げて頼んでくるような人だったなんて、全く思いもしなかった。この人はきっと、厳しくて冷たいだけの人なんかじゃない……何だか少しだけそう感じるようになっていた。

 

「それはそうと早速教えてくれないか? ひなたが一体何を求めているのか」

「………すみません、解りません」

「………」

 

 貴重な乃木さんの笑顔が固まってしまった。

 

「……ああすまない、寝不足気味なせいか聞き間違えたようだ。もう一度言ってくれないか」

「………す、すみません……私にも、上里さんが欲しがっているものが解りません……」

「………なにぃぃいいいいいい!!?」

「ひいっ…!?」

 

 途端に丸亀城中に響き渡った叫び声に思わず竦み上がる。乃木さんが求めていたものとは真逆の事を言ってしまったせいで、単純に次の乃木さんが取る行動が解らなくて恐ろしかったのもある。

 そして乃木さんはさっきまでの笑顔が完全にどこかに行っちゃって、眉間に皺を寄せた怖い形相で肩を掴んで……怖い怖い怖い怖い!!!

 

「解りませんってどういうことだ!? ひなたは暗にではあったがほむらなら力になれると言ったんだぞ!?」

「だ、だからって……! 本当に知らないんです……!」

「ここでしか得られない物で、ここはほむらが住んでいる地元なんだろう!?」

「そんなこと言われても……!」

 

 確かに私は丸亀市の普通の人よりこの街の思い入れは薄いけど、10年間生きていた故郷であることに違いない。地元だからこそ、そんな曖昧な存在なんて知らないってハッキリ言えるのに! 

 

「そもそも上里さんは誰かに協力してもらったらいいって言ったのであって、私が答えを知っているとは一言も言ってないんじゃないんですか…!?」

「…っ! それは…そうだが……!」

「現地の人って言ったのも、ここの土地勘がある人の方が協力してくれたら街中で探しやすいって意味だったのでは……!」

「………あ……。……すまない」

 

 上里さんが私達ならと言った理由としてならこっちの方が自然だと思う。現に私には全く心当たりが無いわけだし。

 言われてみればといった感じで、自分が事を急いていたと気づいた様子の乃木さんもゆっくり手を離す。ただ、てっきり私なら心当たりがあると思い込んでいた訳だから、そうでないと解ってしまった乃木さんは明らかに落胆していた。

 

「ふふ……もうだめかもしれん……。手がかり無しであんな訳のわからない物をどうやって見つけろと言うんだ……」

「そ、そんなに落ち込まないでください……! 私も一緒に考えますから……!」

「そ、そうだったな。ほむらは土地勘があるんだったな……」

「あまり外には出歩けなかったんですけど、この辺りの案内くらいならできますから…! 美味しいうどん屋さんとか知ってます…!」

「うどん屋だと!?」

「お嫌いでしたか…!?」

「そんなわけないだろう!? 私もひなたも一番の好物だ! 是非とも教えてくれないか!」

「……乃木さん……あなたは……」

 

 軽くうどん屋さんの話題を出した途端にもの凄い食い付きを……。あまりにも凄まじい剣幕に一瞬うどんが嫌いなのかと思ったけど、目をキラキラさせて好奇心を抑えられていないこの反応……うどん好きの人間のものだ…!

 忘れていた……乃木さんと上里さんの出身は私と同じ、香川県だった……!

 

「ほむら、まさかお前……!」

「はい…!」

 

 私はうどんが大好きだ。一番好きな食べ物がうどんだ。病気で身体がきつくて全く食欲が無い時でもうどんだけなら食べられた。優しい味と柔らかいのに歯ごたえが凄い麺がスルスルと喉を通って、お腹の中から溢れ出る幸福感がたまらない。さらには色々な具材が乗っかかることでその美味しさは千変万化に拡大する。

 香川県民の血と汗と努力の結晶、いわゆるソウルフードのうどんは最高の料理だ。その奥深い、一種の芸術品とまで言われるうどんを乃木さんと上里さんは一番の好物だと言った……。

 

 乃木さんと上里さんは……仲間だ。

 

「まさかこんな所で我々の同士に巡り会えるとは……!」

「これも香川県の導き……うどんの導きなんですね」

 

 どちらともなく、私達は互いに手を前に出して堅い握手を交わした。今まで乃木さんの事を怖いとか苦手とか思っていたけど、この人も私と同じうどん好きだと知るとどこかホッと安心できる。

 

「──手打ちうどんの店!? 今や香川ですらお目にかかるのが難しくなってしまったというのにか!?」

「はい! 本物の純手打ちにも関わらず、お値段も一杯350円という小学生でも手をつけやすいお値段なんです! もちろん味も歯ごたえも喉越しも食感も、何もかも一級品であることは保証します!」

「おお……おおお……!」

 

 うどんが好きな人に悪い人はいない。気がつけば私と乃木さんはうどんの話に夢中になっていた。私が小さい頃からよく連れて行ってもらったうどん屋さんについて乃木さんに話し、彼女にとって未知のうどんを知らしめると期待に胸を膨らませる。

 

「──私は王道のきつねうどんだな。つゆの染み込んだ油揚げと麺の織り成す調和には感嘆の声しか出ない。ほむらの一推しは何だ?」

「……私はしっぽくうどんが……母がよく作ってくれたんです」

「ほう、香川県の誇る郷土料理とはよく解っているじゃないか! しっぽくうどんをよく作ってくれた、か……大変立派な良い母親を持ったのだな」

「………っ」

「親孝行を大切にせねばな。私は今は両親と離れて暮らしているから母の作るしっぽくうどんは食べられないから羨ましいぞ。そうだ、今度ひなたに作ってくれるよう頼んでみよう」

「………!?」

「あっ、いた! ほむらちゃん、若葉ちゃん!」

 

 ……そんな時、私達がいるこの空き部屋に慌てた様子のまどかが飛び込んできた。それにまどかの隣には、上里さんも……。

 

「ひなた? それにまどかも……」

「あれ? 若葉ちゃん、今まどかって言わなかった?」

「二人とも名字で呼ぶとややこしいからな。まどかとほむら、名前で呼ぶことにしたのだが、構わないな?」

「……うん、わたしは全然いいよ。むしろそっちの方が嬉しいし」

「お二人とも、こんな所で何をなさっておられたのですか?」

「む? ああ、ほむらと色々話していたんだ。それよりもひなた聞いてくれ! ほむらもうどんが好物と言ったんだ。この街の美味しい手打ちうどんの店を教えてくれてな!」

「あらまあ、それはそれは、ありがとうございますほむらさん。ところでお二人は、今は何時何分かお答えできますか?」

「「え?」」

 

 ふと感じ取ってしまった謎の威圧感、そして背筋が冷えるような嫌な予感。私と乃木さんは揃ってぎこちなく、お互いに引き攣った顔を見合わせた。

 ……私がこの空き部屋に逃げて、そこに乃木さんも来て、二人で色々な事を話して……体感的にもそれなりの時間が経っているんじゃないのかな……?

 私は授業が終わって次の授業までの休み時間の間乃木さんから隠れようとしたわけで……休み時間は10分しか……。

 

「……休み時間が終わって…どれぐらい…経った…?」

「……20分」

「20分!? そんなにか!?」

「だからわたし達が探してこいって言われたんだよ…!? 授業が始まるのも遅らせてまで…!」

「いくら待てども戻られる気配がありませんでしたからね……先生が目に見えて不機嫌になられていました。さて、これを聞いてお二人は何を思いますか?

「「あわわわわ……!」」

「あわわじゃないよ二人ともぉ……もう……。でも……うぇひひ、良かった。順調なんだね

 

 私と乃木さんは本能的に上里さんから溢れ出ている威圧感に震えるしかなかった。顔は笑っているのに目は全然そんなんじゃくて、ただただ恐ろしい何かを味わった。

 

 その場は他の皆さんを待たせっぱなしだから説教は後からって言われて……急いでみんなで教室に戻ったら先生にもの凄く怒られて、土居さんが思わず「授業時間減らしてくれてサンキューな!」と言ってしまってついでに怒られていた。

 

 そしてペナルティーで追加の宿題が……私も乃木さんも言い訳ができないくらい悪かったんだけど、ただでさえ少ない自由に使える時間がもっと少なくなってしまった……ハァ……。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 夕方、丸亀城の教室にはわたしとまどかだけが残っていた。ほんのついさっきまでは乃木さんと上里さんもいたんだけど、要件は済んだから寄宿舎の方に帰っていった。まどかと上里さんへのプレゼント今の私達では街中に贈り物を探しに行くには肉体的にも精神的にも厳しいから、明日に改めることに。

 

「うぅぅ……まだ足が痺れたままだよぉ……」

「ごめんねほむらちゃん、こればっかりはわたしも庇えなくて……」

 

 特に、私は未だに立ち上がれないから……。足を崩して痺れが抜けるのを待つことしかできなくて……。

 

 この日の訓練の内容も普段と変わらない。強いて言えば乃木さんが上里さんの誕生日の事とか訓練後の事とか考えていたからかもしれないけど、あまりキツい事を言わなかったくらいかな……。

 訓練後、私と乃木さんは巫女の訓練を早めに切り上げた上里さんに宣言通りの説教をされるはめに……。ずっと正座をさせられて、乃木さんの時とは違う形で心に突き刺さるような言葉を……足が痺れて体勢がきつくなると怖い笑顔で「聞いていますか?」と訊ねてくるの……あぁダメ、思い返すだけでまた泣きそうになっちゃう……。

 

「でもわたしだって、授業時間を忘れてまで誕生日のことを考えられてもそれは嬉しくないよ……」

「……うん、ごめんね。次からは気をつける……って、まどか? 私達、誕生日のことを考えていたなんて言ったっけ?」

「えっ? 言ってはないけど、ひなたちゃんが絶対わたし達の誕生日のことだろうって……違った?」

「ううん、合ってる……じゃあまどかも上里さんの誕生日のことを知ってるの?」

「えへへ、わたしの誕生日の次の日なんだよね。同じ巫女で、誕生日も一日しか違わなくて、親近感感じてるんだ♪」

 

 はにかみながらそう言うまどかから、やっぱり二人は良い関係ができているんだって解る。まどかと上里さんは同じ立場、同じ役目を持っているし、まどかの優しくて真っ直ぐな性格と上里さんの誠実な性格は相性が良かったのかも。

 

 乃木さんも、最初はまどかに声を掛けるつもりだったけど上里さんと二人で話し合っていたから私を探してたって言っていた。私はそれを見てないけど、乃木さんが声を掛けるのを躊躇うぐらい仲良く話していたのかな?

 引っ越す前にいた友達を失ってしまったまどかにこうして新しい友達ができたんだって思うと、良かったねという想いしか出てこない。

 

「ねえほむらちゃん、若葉ちゃんのこと、正直どう思う?」

「えっ? どうしたの急に?」

「ちょっと気になって……時間忘れちゃうくらい話に熱中したってことは仲良くなれたのかなって」

 

 ……まどかと上里さんは仲良くなれて、私と乃木さんは……どうなんだろう?

 でも、昨日というか今朝までと比べてみれば、乃木さんのことを恐いって思う気持ちは薄くなってる気がする。むしろ上里さんのことを心から幸せそうに語ったり、うどんの話をしたり、二人っきりでいっぱい話した時は……なんだか楽しかったかも……ただ……。

 

「……乃木さんは良い人だって思うよ」

「ほんと!? やった」

「でも……正直なところ、乃木さんを友達としては見れないと思う」

「……え?」

 

 今ならハッキリ言える。乃木さんは真面目でとても厳しいけど、そこに悪意なんてものは少しも混じっていない。正々堂々の極みと言うべきか、曲がったことを決して許さない、何事においても正直すぎる善意の塊みたいな人だ。

 

 だからこそ、自分が他人を無意識に傷つけている事に一向に気づけない。善意で放った言葉が相手の地雷を思いっきり踏みつけても笑顔で笑っている。だって、それが悪い事だなんてあの人は全く思わないから。私が苦手な……気を配るという、相手の気持ちを考えようともしない人だから。

 

「良い人だよ、乃木さんは……だけど、あの人とずっと一緒にいるのは嫌だよ……」

「ほむらちゃん……」

「……私、何も言えないもん……。あんな事を言われても、我慢するしかないんだよ……」

 

 詳しく知らないんだとしても、少し考えれば解ることなのに……考えもしないであんな事を平気で言う人と仲良くなんて、なりたくない。

 

「……帰ろっか」

「……うん」

 

 私は乃木さんが苦手だ。それは今朝まではあの人が恐かったから。真面目だけど自分中心で他人を気遣わない人だから。

 

 今は恐いという気持ちこそ薄くなったけど、それのせいで今度はあの人に対してがっかりな気持ちが見え始めていた。




 この作品内では、若葉様及びひなた様は香川県出身であるものの、生まれ育った街は丸亀市ではないという設定です。原作では丸亀市の事に詳しかったですけど、3年間丸亀城暮らしですし、丸亀市出身とは言われてなかった……ですよね? どうだっけ?


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「それが乃木の生き様だ」

 はい2万文字オーバー!!!!(クソデカ溜め息)


「しっぽくうどんですか?」

「ああ。ほむらが一番好きなうどんと言ってな。久しぶりに食べたくなったんだ」

「……ふふっ、解りました。今度材料を集めておきますね♪」

「……上機嫌だな? 意外だ」

「意外とは失礼な。私がいつまでも怒った事を引きずる女だと思っているんですか?」

「そ、そんな訳ないだろう」

 

 良かった。説教をされた直後だったから断られるかもしれないという不安があったが無事に作ってくれるようだ。

 ……この私としたことが、授業開始のチャイムに気づかないほど話し込んで皆に大きな迷惑をかけてしまうとは……猛反省だ。これでは断じて、周りの模範たる乃木の人間の行いなどではない……。

 

 だが、まさか私がひなたではない同年代の者と会話で夢中になれる日が来るとはな……。

 ほむらは気が小さいようで姉のまどかとしかまともに話す姿を見たことがなかった。訓練も勇者としては明らかに体力が無くて、動きも褒められたものではなく今後のことを考えると困らずにはいられないのだが……話してみれば、案外良い奴ではないか。

 

 いきなりの私の頼みも引き受けてくれて、うどんに対する想いも立派……もっと早く知りたかったものだ。ひなたがしっぽくうどんを作ってくれるし、いつかほむらが教えてくれた手打ちうどんの店に訪れるのも楽しみだ。

 

「しかしひなた、何故敢えてほむらやまどかに協力してもらえばいいと言ったんだ?」

「あら、私は現地の方としか言っておりませんよ」

「私が声を掛けられるのはあの二人しか居ないと解りきっていただろう。煙に巻くような真似は止めてくれ。ほむらは全く心当たりがないと言っていたが、どういう意図があったんだ?」

 

 ほむらは土地勘があるからと言っていたが、ひなたが望んでいる物がそれだけで見つかるのかと言えば疑問が残る。といっても、どうせ答えてくれないのだろうが……

 だがひなたは何かが引っかかったようで、不思議そうに首を傾げた。

 

「……この際白状してしまいますが、私が若葉ちゃんの力になっていただきたかった人物はほむらさんだけです。まどかさんは誕生日が私の前日ですし、手を煩わせるのは良くないと思いましたので」

「なに?」

「まどかさんにも声をお掛けになるつもりだったんですか?」

 

 思いがけない問い掛けの意味が解らん。ひなたがそうすればいいと暗に私にヒントを与えたのではないか。

 

「まどかはほむらの姉だろう。血の繋がりは無いとは聞いたが……。あいつも丸亀市に住んでいる、現地の人間じゃないか」

「それはそうなのですが……まどかさんは元々本州の他県出身ですから」

「そうなのか…?」

「それもご存知無かったんですか? 今年の7月の始めにお母様の仕事の都合でこちらに家族で引っ越しをなされたそうですよ」

 

 驚いた、まどかは丸亀市どころか香川県の人間ではなかったのか? それも7月ということは、ここに引っ越してから3ヶ月も経っていない。それでは土地勘は私やひなたとさほど変わらないのではないだろうか。それを知っていれば確かに、敢えてまどかに頼もうとは思わないな……。

 ……今のひなたの発言からして、ほむらの方は丸亀市の人間で間違いないみたいだな。そもそもうどん好きだし…………

 

 ……待て、何か変だ。私は何か、とてつもなく大事な事を見落としていないか……!?

 ほむらは自分が養子であると言っていた。丸亀市の人間であるほむらが、つい2、3ヶ月前に引っ越してきたばかりのまどかの家の養子だと……? てっきり私はもう何年も昔からほむらは養子になっているものとばかり……。

 

『あの……全く似てないと思うんですけど…? 私とまどか……』

 

 血の繋がりは無い。元々が親戚という訳でもないだろう。恐らくあの二人は、まどか達鹿目家の者が丸亀市に引っ越してきてから初めて出会ったのではないか……?

 

『……私はしっぽくうどんが……母がよく作ってくれたんです』

 

 ……ほむらがここ数ヶ月でうどん好きになったとは考えられん。あれからは私と同じ、うどんが生まれた時から身近にあって数え切れない程食べてきた、真の讃岐国(さぬきのくに)のうどん好き特有の波長を感じた。あいつの母親が作ったであろう、一番の好物であるうどんを……。

 それならば、ほむらと血の繋がっている本当の両親はどうしたんだ……? 何故ほむらは養子に出され、鹿目の名を名乗っているんだ……?

 

 ここ数ヶ月間でほむらの家族に何が………そう考えた時、一つの考え得る最悪の可能性が思い浮かぶ。

 

「…………ひ、ひなた」

「ど、どうしました? 若葉ちゃん。顔が真っ青ですよ……?」

「……ひなたは……知っているか…? 何故ほむらが鹿目家の養子になっているのか……」

 

 違うはずだ…! そんな事がこんなすぐ身近な所である訳…!

 ……だが、それは世界中の至る所で起こってしまった悲劇だ。そうであってほしくないと他ならぬこの私が目を背けているだけだった。

 私はあの時何と言った……? 気を良くしたばかりに何も考えもせずに、ほむらにうどんを作ってくれる母親というのが、ほむらとまどか二人共の母親であると思い込んで……

 

「……知っています。私とまどかさんは勇者お目付役の巫女ですので、皆さんの個人情報や過去の経歴等は大社から予め伝えられてますから」

「教えてくれ…!!」

「それは……ほむらさんの了承も無しに、部外者の私が勝手に言い触らすのは……」

「くっ……!」

 

 その言葉は尤もだ。一体私に何の権利があって、本人の知らぬ所であいつの個人情報を勝手に暴く。

 

 その重さは他人には絶対に知られたくないと隠したり、逆に大っぴらに明かせたりと人それぞれかもしれないが、どちらにせよ無断で暴くのであれば、人としての礼儀の観点から見れば大いに問題がある。時には信用を失い、相手の心を深く傷付ける事態にもなりかねないのだから。

 

 明日本人に直接聞けば良いのかもしれないが、最早私にとってそれは一刻も早く明らかにせねばならない問題だった。それに、仮に一晩中待って明日ほむらに聞いたところで、その重さ次第では口を開かず判らず終いのままという結果だって有り得る。

 

 私は乃木家の人間だ。先祖代々受け継がれてきた栄えある良家の一族としての誇りがある。乃木家の者として、そのような無粋な真似など言語道断……だが!

 

「決して他の人達には漏らさない!! 頼むひなた……私はあいつに……とんでもない過ちを犯してしまったのかもしれないんだ……!」

 

 私はあの時、無意識の内にほむらを傷つけたのかもしれない……。

 

 不甲斐ないことに、私にはそれが本当にそうなのかという確証が無い。思い過ごしの杞憂かもしれないのだが、その確証を得られる証言をひなたが持っている。

 

 私の罪が真か偽か、仲間を傷つけたか否か……それを確かめるためなら無粋と云われようが構わん!! 乃木の誇りを汚す事になろうとも……否、仲間を哀しませた可能性を見て見ぬ振りし、過ちに気づこうともしない奴に乃木の名を名乗る資格など無い!! 誇りなんぞすぐに捨ててしまえ!!

 

「……私もほむらさんに謝らないといけませんね。謝って済む話ではないのですが……」

 

 伏せ目がちのまま、ひなたはそう呟いた。そこからはほむらに対する申し訳なさがありありと感じ取れる。

 大社が巫女に勇者の個人情報を伝えたのは、その者の背景を理解している事で勇者を精神面に於いてもサポートしやすくするためであろう。秘密厳守だったのだろうが、私が無理を言ったばかりに……。

 

「すまない、ひなた……」

「私が決めたことです。悪いのは私……断らないといけないのにそうしなかった私がいけないんです」

 

 

 ひなたの口から真相が語られる。私の思い過ごしであってほしい……想像したあんな最悪の出来事がほむらの家族の身に降りかかってなどいないのだと心の中で強く願いながら耳を傾けた。

 

 

 私はほむらに、決して言ってはいけない事を笑いながら言った……それが間違いであってほしかった。

 

 

『ほう、香川県の誇る郷土料理とはよく解っているじゃないか! しっぽくうどんをよく作ってくれた、か……大変立派な良い母親を持ったのだな』

 

 

「ほむらさんの本当のご両親は───」

 

 

「………そう…か……」

 

 

『親孝行を大切にせねばな。私は今は両親と離れて暮らしているから母の作るしっぽくうどんは食べられないから羨ましいぞ』

 

 

「この……大馬鹿者がぁぁああああ!!!!」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 わたしがそれを見ようと思ったのは、ほむらちゃんの様子が明らかにおかしかったから。

 

『……私…こんなので本当にやっていけるのかな……あ……』

 

 お風呂から上がって、わたし達の部屋の扉を開けるのと同時にそんな言葉が聞こえた。加えてそう呟いたほむらちゃんがわたしの顔を見た途端、気まずそうに目を逸らして口ごもったから、きっと人に聞かれたらまずかったものだったんだって感じた。

 

『……だ、大丈夫だから、気にしないで…?』

 

 無理やり笑みを作っていたけど、それは誰がどう見ても大丈夫だなんて安心できない偽物の笑顔でしかない。ほむらちゃんがそんな様子である事に違和感を感じながらも、その間にほむらちゃんはいそいそと着替えを手に取って部屋から出て行こうとする。

 

『えっ、ちょ…ほむらちゃ…!』

 

 慌てて呼び止めようとしたけど間に合わなくて、結局わたしの横を通り過ぎて行っちゃった……。どうしちゃったんだろう……不安気にそう思いながら部屋の中に入ったその時、わたしの目にはほむらちゃんの机の上に置かれたままの一冊の上質そうな表紙をした記帳が見えていた。

 

 勇者御記……簡単に言えば、勇者が書かなくちゃいけない日記のこと。そういえば、今日はほむらちゃんはこれを先に書くからお風呂を後回しにしていたんだって思い出した。

 それになのにこれを鞄に入れず、机に置きっぱなしってことはどうしてだろう? わたしがお風呂に入っている間に書ききれなかったなんて、それは変だもん。勇者御記なんて特別そうな名前ではあるけど、ただの日記との違いなんて全然無い。難しく書く必要も無い、ただその日にあった事を書くだけだから。

 

 ……さっきの元気が無かったほむらちゃんと関係があったり……そう思うと、わたしの手はごく自然に勇者御記のページを捲っていた。

 

 

 

 

『………これって……ほむらちゃん……!』

 

 今日の分が書かれた最後のページを読み終わって、ほむらちゃんがどうして元気が無かったのか分かってしまう。そして同時に、わたしの心はとても悲しい気持ちに包まれた。

 ほむらちゃんと同じ勇者の一人、乃木若葉ちゃんと上手くいってない事実……一緒に過ごしている仲間に良くない感情を持っていたなんて、辛かった。

 

 ……ほむらちゃんは、友達を作るのが苦手な大人しい性格の女の子だ。わたしも人の事は言えないけど、ほむらちゃんの場合、わたし以上に受け身なところがある。一度無理だと思ってしまえばそのままずるずると引きずって、ずっとそのまま、良くない事を思い続けてしまうかもしれない。

 

 そんなの……嫌だった。それに、若葉ちゃんがほむらちゃんの事を勇者なのに頑張ってないって誤解しているかもしれなくて、それも同じくらい嫌だ。

 それ以上に、ほむらちゃんのことを何も知らないくせにそう思った若葉ちゃんに、ものすごく……むかついた。

 

(ほむらちゃんがあんなに悩んで、泣いて、苦しんで……それなのに……! どんな想いで…あなた達と一緒にあそこにいると思ってるの……!?)

 

 悔しくて涙が滲む。あの時のほむらちゃんの姿を思い出して……。あのママと喧嘩をしてまで決めた決意を、やる気が無いなら立ち去れって簡単に言われたほむらちゃんがかわいそうで……!

 

(このままじゃ、ダメだよ……! 絶対……若葉ちゃんが間違えていたって、気づかせなくちゃ……! ほむらちゃんと仲直りさせないと……!)

 

 若葉ちゃんが、ほむらちゃんの大事な事を知らないのは仕方のない事ではある。わたし達がみんなと合流したのは色々あって、つい最近の事だから。若葉ちゃん達他の勇者の人達と初めて出会ってから、まだ二週間も経ってないから……。

 でも、だからって、この事はそれで終わらせたくない。それはわたしがほむらちゃんの友達として、家族として……わたしがほむらちゃんの、勇者達の、巫女だから。

 

 いつだってほむらちゃんを助けるって誓った。ほむらちゃんのためなら何だってやってみせると茨の道を一緒に歩き始めた。もうほむらちゃんに辛い思いをさせたくなくて、それがどうしようもなく残酷で避けられない現実が襲いかかって来ようとも、ほむらちゃんの手を離さない。最後の最後まで守りきる。

 

 これが襲いかかって来きた最初の現実なんだ。ほむらちゃんと若葉ちゃん、二人の勇者の不和問題……これを何とかして、本来の在るべき形にするんだ。奇しくもこれはほむらちゃんを想う友達や家族としてだけではなく、勇者を支える巫女としてのお役目でもある。

 

 

 若葉ちゃんに事情を説明して知ってもらう……のは、今はやらない。わたしの考えではそれは根本的な解決にはならないからだ。

 

 だからまずはこの問題を解決するための方法を考えるのが先なんだ。

 そうと決まれば、わたしの行動は早かった。鞄の中から大社から渡されている連絡用の携帯電話を取り出して、不慣れな操作ながらもアドレス帳を開く。

 

 この問題を同じ巫女の彼女にも伝えるべきだと思ったのが半分。訓練でドジして失敗しそうになるわたしをフォローしたり励ましてくれたり、とっても頼りになる彼女の意見を聞きたかったのが残りの半分。

 

『もしもし。どうされました、まどかさん?』

 

 わたしはひなたちゃんに電話をかけた。

 

『あっ、もしもし、ひなたちゃん。こんな時間にごめんね……今大丈夫だった?』

『ええ、構いませんよ。あ、ですが丁度今若葉ちゃんと一緒にいまして。まあお互いに不都合は無いと思いますが、念のためお伝えします』

『えっと……若葉ちゃんと一緒にいるんだ……』

『はい、それが何か?』

 

 今回ばかりはそれは都合が悪いよ……なんて思いながら、それでもひなたちゃんと話ができそうな点はホッとする。

 

『実はその若葉ちゃんとほむらちゃんの事で相談したいことがあって……』

『……詳しくお聞かせ願えますか?』

 

 ひなたちゃんの声色が変わる。わたしがほむらちゃんを支えた巫女だとすれば、ひなたちゃんは若葉ちゃんを導いた巫女だ。それに加えて二人は物心ついた頃からの幼馴染同士。

 危険なお役目を背負った若葉ちゃんを心配する気持ちはものすごく分かる。だからこれがただの相談事だとしても、ひなたちゃんにとっては無視できないんだと思う。

 

『あ、うん、それでなんだけど、できれば若葉ちゃんには聞こえないようにしてほしいの』

『……分かりました。……若葉ちゃん、大社から機密の連絡網が来ましたので、少しの間席を外しますね』

 

 

 

『…………それはそれは……うちの若葉ちゃんが大変申し訳ありませんでした』

 

 数分後、場所を変えたひなたちゃんにほむらちゃんの勇者御記に書かれていた内容を全部伝えた。ひなたちゃんの声も心苦しそうで、親友が良く思われていない事、その親友の横暴な言動に明らかなショック受けていた。

 

『若葉ちゃんは他人の努力を否定するような子ではないのですが……恐らくは、焦っているのでしょうね。強くなくてはバーテックスに勝てない……といったところでしょうか』

 

 ひなたちゃんには若葉ちゃんが必要以上にほむらちゃんに厳しかったのか、何となく理由が判るみたいだった。若葉ちゃんも本当はあんな真似をするような子じゃないって言うけれど……。

 

『そんな事言っても、ほむらちゃんや杏ちゃんは勇者になる前は身体が弱かったんだよ。それについこの間まで入院だって……』

『知らないのでしょうね……私達は皆さんの情報はある程度伝えられていますが、それは私達がお目付役だから。勇者の皆様の間では、彼女達もまだ顔見知りのクラスメイトのようなものでしかないのですね……』

 

 顔見知りのクラスメイト……確かにそうなのかもしれない。集められた理由だってとてものんびりできるものじゃない。ただの小学生だったのに、いつかの戦いに向けての緊迫した毎日を過ごすことになっているんだもん。

 間違いなく不安なのに、そんな状態で周りを見ろって言われても難しいよ。丸亀城の同じ教室で授業を受けているとはいっても、元々は顔も名前も知らなかった全くの他人の集まりなんだから。

 

『まどかさん、是非ともお二人の和解に協力させてください』

『あ、ありがとうひなたちゃん…』

『いえ……若葉ちゃんは昔からよく誤解される子ではあったのですが、今回のは明確にほむらさんの心を傷つけてしまったのですから……巫女として、若葉ちゃんの親友として、このまま見過ごすわけにはいきません』

 

 ひなたちゃんもわたしと同じ想いを抱き、頼れる協力者ができた事が嬉しくて一安心。わたしもまだ若葉ちゃんについては残念なことに親しいわけじゃないから、若葉ちゃんを良く知っているひなたちゃんの知恵は、問題解決の大きなヒントになるだろう。

 

 ただ、この問題の中でも一番厄介な人物は若葉ちゃんじゃない。ほむらちゃんの方が難しいんだ。

 

『若葉ちゃんはとても真面目で正直な子ですから、ほむらさんの勇者御記の内容をそのまま伝えたら反省するはずです。ですがそれだとほむらさんは……』

『うん……わたしもそうだと思う。それでこうしてひなたちゃんに電話をしたってのもあるから……』

 

 若葉ちゃんは反省はしてくれる……でも、きっとそれだけで終わってしまう。若葉ちゃんがただほむらちゃんに謝って、それで納得できるのは若葉ちゃん一人だけ。ほむらちゃんが若葉ちゃんに抱いている苦手意識は無くならないままだ。お互いに納得してほむらちゃんの苦手意識を無くさないと、良くも悪くもない、なあなあな関係がこれからも続いてしまうだろうから……。

 

『ただ仲直りするだけじゃ駄目だと思うの。若葉ちゃんを苦手だって思うことを無くさないといけないの』

『同感です。過去にも若葉ちゃんに苦手意識を持った子を見たことがありましたが、誤解が解けたらお互い楽しそうにお話しされていたことがあります。その時の形が理想ですが、ほむらさんはその方とは違って誤解による苦手意識ではないので……何か方法を練らねばなりません』

 

 ひなたちゃんの言葉に頷きながら、何かいい方法はないかと必死で考える。ほむらちゃんの苦手意識をどうにかする……内心焦って気負い過ぎになっているであろう若葉ちゃんを落ち着かせる……そして、こんな悲しい事が繰り返されないよう、お互いに気持ちを理解してもらうには……。

 

 

 

『『二人の仲が良かったら……………!』』

 

 何気なく呟いた言葉と全く同じものが電話口から聞こえ、一瞬遅れてその言葉の意味を理解した時、もやもやしていた頭の中でハッキリと閃いた!

 

『ひなたちゃん!』

『はい! ピッカーンと閃きました!』

『ほむらちゃんと!』『若葉ちゃんが!』

『『友達になればいいんだよ(いいんです)!』』

 

 

 

 

 

(……なんて言ったのに、どうしてこう、うまくいかないのかなぁ……)

 

 丸亀城を出た帰り道、昨日の夜あったことを思い出しながら、わたしは溜め息を吐く事しかできなかった。一時はうまくいったと思ったんだけど、それはただの早とちりでしかなくて、むしろ逆の方に失敗していたなんて……。

 

「まどか、どうかしたの?」

「………」

「まどか?」

 

 ほむらちゃんが心配そうに声を掛けてくれるけど、このがっかり感と余計な事をしたんじゃないかって罪悪感がわたしを下に俯かせる。

 

 

 わたしとひなたちゃんはほむらちゃんと若葉ちゃんを仲直りさせるために、その後も二人の関係が良いものになるように、二人を友達関係にして仲良くさせようと思いついた。

 

 今のみんなの関係は、まるでただの顔見知りでしかないクラスメイト。わたしとほむらちゃん、ひなたちゃんと若葉ちゃんと言った繋がりしかないように、その輪は狭くて冷え込んでいるかのような窮屈さも感じてしまう。

 二人の件だって、若葉ちゃんがほむらちゃんの事を何も知らなかったことが原因だ。もし若葉ちゃんがほむらちゃんのことをちゃんと理解できていたらあんな事にはならなかった。

 

 だったら……理解して、和解すればいいんだよ。お互いに。

 そうすることで輪を大きく広げるの。わたしとほむらちゃんだけだった繋がりも、ほむらちゃんと若葉ちゃんへと繋げていく。わたしとひなたちゃんで、二人が自然に手を取り合えるようにするの。

 

 そのための作戦だって考えた。

 

『若葉ちゃんは私のお願いなら何でも聞いてくれると思います。藁にも縋りたくなるくらい思いっきり悩んでしまうよう、意味深に教えますね』

『わたしは……なんて言えばいいのかな…? やっぱり、いきなり誕生日プレゼントの話題を振ったら迷惑じゃないかな…?』

『誕生日くらいワガママになっても良いではありませんか。むしろ嬉々としてまどかさんの欲しい物を訊ねられるのでは?』

『……そうだとしたら、てぃひひ。嬉しいな』

 

 何百分の一なんて素敵な偶然から、わたしとひなたちゃんの二人が一番望むものが贈られる。ひなたちゃんが言うには、これなら若葉ちゃんも一生懸命考えて行動するだろうって作戦を。

 

『この際ですし、ほむらさんからは本当に欲しい物をお願いしてみてはどうですか? まどかさんからしてみれば、初めて彼女にお祝いされる誕生日なのですから』

『えっ…でも』

『お任せください。こちらで上手いこと誘導しますので』

『……ありがとう。でもわたし、ほむらちゃんからのプレゼントならきっと何だって嬉しい。それにこれはひなたちゃんの……わたしの大切なお友達の誕生日でもあるんだから、ほむらちゃんにもいっぱい考えてもらう♪』

『まどかさん……はいっ! 私も、大切なお友達のまどかさんの幸せのために、若葉ちゃんに意地悪します♪』

『……あ、でもほむらちゃんが悩みすぎて逆に元気無くなっちゃうのは嫌かも……』

『ま、まどかさん…! ここでそれを言っては私だけが冷たい女みたいではありませんか…!』

 

 ほむらちゃんと若葉ちゃん、二人がお互いを理解できるようにするために、二人にはある課題を一緒に考えてもらう。力を合わせて……協力して、答えを見つける。その中できっと二人は知ることになる。同じ目標を達成するために一緒に協力した仲間が、友達が、いかに素敵な人なんだって!

 

『これが私とまどかさんの記念すべき幸せ誕生日♪ お二人の一緒の笑顔が待ち遠しいその日だけの特別企画! 略して~~~!』

『『ハッピーディアフレンズ♪』』

 

 

 

 

 ゴールはむしろ最初に比べて遠ざかった気がする。今のほむらちゃんは昨日のほむらちゃんよりも、若葉ちゃんと話し合って彼女について理解を深めている。その結果、若葉ちゃんが良い人だって思えるようになったのはとても素晴らしいことだ。それが霞んでしまうほど、若葉ちゃんに失望してしまう事さえ無ければ……。

 

 ほむらちゃんが怪訝そうに俯くわたしを見つめる。辺りはとっても静かで……どこからか誰かが走っているのかせわしい足音のみが聞こえる。そんな音に飲まれるように、わたしの口から愚痴がこぼれて溶け込んだ。

 

「……若葉ちゃんのばか…」

「ええっ? ほ、本当にどうしたの……?」

「ほむら!!」

 

 突然、聞こえていた足音を掻き消す大きな声が周囲に響き渡る。俯きっぱなしだったわたしの顔はその声に、その人が叫んだ名前にハッとして振り返った。昨日までは彼女が口にしなかった名前……今日の二人の心が近づいたか証とも取れるそれを携えた女の子がこっちに駆けつけて来る。

 

「乃木さん…!?」

「若葉ちゃん…!?」

「ほむらっ……私っ……私はお前にっ……! お前にぃ…!」

 

 わたしもほむらちゃんも予想外すぎる出来事に困惑する。こんな時間に寄宿舎に戻ったはずの若葉ちゃんが追いかけて来た……とてもひどく沈んでいる、嗚咽をこぼしながら今にも泣き出しそうな顔をしながら。

 

「若葉ちゃん…! 待ってくださ……あっ! まどかさん! ほむらさん!」

「ひなたちゃんも…!?」

 

 若葉ちゃんの後ろの方、そこには息を切らしながら同じ様に走ってくるひなたちゃんがいた。若葉ちゃんから少し遅れて隣で立ち止まったひなたちゃんの元に小走りで駆け寄って、かがんで両膝に手を当てて息を整えようとするひなたちゃんの背中をさする。

 

「ハァ…ハァ…ほむら…さん……」

「上里さんまで……あの、これっていったい……」

「ほむらさん……若葉ちゃんの……聞いてあげて、くれませんか…?」

 

 何とか振り絞って言われたその言葉を聞いたほむらちゃんは、理解が追い付かない様子のまま恐る恐る視線を若葉ちゃんの方へ。そしてここに来た時から明らかにおかしい若葉ちゃんの泣きそうな顔をもう一度見て、つい一歩後ずさる。

 

「すまなかった!!」

「えっ…」

 

 そんなほむらちゃんに、若葉ちゃんは深々と頭を下げた。ものすごく悲痛な声で……激しい後悔の念が宿った涙声で……。

 突然謝られたほむらちゃんは何が何だかわからないといった表情で固まってしまう。それはわたしも同じだったけど、でも何となくこの謝罪の意味がわかってしまう気がした。

 

「ひなたに教えてもらったんだ! お前の両親の事を……! あの日、お前の家族の身に降りかかった悲劇の事を!!」

「っ!?」

「自分で自分が許せない……! 親を失ったお前に、親孝行を大切にと偉そうに解釈を垂れ、うどんを作ってくれる親が身近にいるから羨ましいとほざいたなど……! 平気でお前の心を踏みにじっていた事に気づかず笑っていたなどと……!」

「……そんな事を…言ったの……? 若葉ちゃん……」

「言ったんだ!! ほむらの事を知らないのをいいことに好き放題……!」

 

 ほむらちゃんが若葉ちゃんに失望してしまった理由がそれなの……? もし本当にそうなのだとしたら……ひどい……。ひどい……けど……

 

「私は……軽率すぎた!! それがどんなに辛い事なのかも知らずに、考えもせずに……ただ自分の浅はかさを押し付けて……お前を……友達を深く傷つけて……!」

 

 若葉ちゃん、とても苦しんでる……。その両目は既に潤んでいて、そして大粒の涙が一つ、アスファルトの地面に落ちていく。一つ、また一つ……いつもの凛々しくてかっこいい若葉ちゃんからは想像できない。そこにいる女の子はあの化け物と戦う宿命を背負った勇者じゃない。か弱い、そして友達想いの、ただの、小学5年生の小さな子供だった。

 

「既に傷つけた……もう遅いかもしれないが言わせてくれ……すまなかった……本当にすまなかった……! だから頼む……許してくれとは言わない……だがせめて私の話を、懺悔を聞いてほしい……!」

「あぁ……うぅ……」

 

ほむらちゃんはその姿を見て、何か言いたいのだけど上手く声が出ないようだった。それもそうだよね……だって今の若葉ちゃんの姿は、ほむらちゃんは全く知らない。

 わたしが把握しているだけでも、ほむらちゃんの知っている若葉ちゃんは、厳しすぎて自分の基準で人の努力を判断する。悪い人じゃないけれど、自分に絶対な自信があるせいで付き合いにくい人だった。

 

 それが今、自分の過ちに気づいて心の底から反省して泣いている。こんな姿を見たら誰だって戸惑うだろうし、どうすればいいのかなんてわからないと思う。

 

「……~~~っ! 乃木さん…!!」

 

 そんな葛藤を断ち切るように、ほむらちゃんが絞り出すように叫んだ。若葉ちゃんはビクッとして顔を上げる。

 

「乃木さんの言う通りですよ……! 私、ものすごくショックだった……! 乃木さんの事がもう信用できなくなるくらい……!」

「そ、れは……」

「なんでそれくらい察せないんですか……。私が養子になったって話を聞いたばかりで……あの日からまだ2ヶ月しか経っていないのに……大切な人が犠牲になったかもしれない人が身近にはいないと思っていたんですか……」

「……返す言葉も…ない……」

 

 今まで抱えていた感情を吐き出すように若葉ちゃんにぶつける。改めて自分の過ちを突きつけられるようで、若葉ちゃんは俯きながら力無く答えるしかなかったみたい。

 一方でほむらちゃんの方も、どことなく苦しそうに見える。それは言葉をぶつける中で今日の事を思い出したからなのか、それとも……

 

「だから、考えもしなかった……乃木さんが自分から謝りに来るなんて……ずっとこの悔しさを我慢するしかないって思ってたのに……」

 

 そこで一旦言葉を切ったほむらちゃんは大きく息を吸って吐く。まるで自分を落ち着かせるかのように。そして今度は真っ直ぐに若葉ちゃんの目を見て口を開いた。

 

「……私も、同じだったんですね……乃木さんがどんな人なのか、勝手に知った気になっていました」

「えっ…?」

「私、乃木さんの事が苦手でした……乃木さんは自分のペースが当たり前だと思いこんで、他の人を気にしないで突き進むから」

「そ、そんなことは……」

「……乃木さんの事が、好きになれませんでした……相手を気遣わないし空気を読まないせいで、無意識に人を傷つけるから」

「う、うぅ……」

「私の中で、乃木若葉という人はそういうデリカシーのない人だって、勝手に自己完結していました」

 

 

「実際は、違った……乃木さんは、とても誠実な人でした。そうでなければ、わざわざ丸亀城から飛び出して来てまで謝りに来るはずがない。普通の人だったらきっと、謝るにしても明日謝ればいいと思うでしょうから。

 ……自分のペースで突き進む? どうしても気持ちが前のめりになるほど一生懸命なだけだよ。……相手を気遣わない? 本当にそんな人ならこんな行動をしてしまうくらい心を痛めるわけがないじゃない!」

 

 ほむらちゃんの言葉を受けて、若葉ちゃんは信じられないとばかりに目を丸くさせる。わたしも、ひなたちゃんも同じだった。あのほむらちゃんがここまではっきりと言うなんて思わなかったから……良い関係とは言えなかった若葉ちゃんを、心で理解しようとしていたから。

 

「乃木さんは……ただ不器用なだけだったんだ。私と同じ、ただそれだけなんだ……。なのに私、乃木さんを誤解していた。乃木さんの事何も知ろうとしていなかった……」

 

 ほむらちゃんの声が震えている。でも決して泣き出していない。むしろ表情にはどこか吹っ切れたものを感じる。

 ほむらちゃんは若葉ちゃんの前に歩み寄ると、その右手を取った。そして両手で優しく包み込むようにして握り締めると、ゆっくりと語りかける。

 

「乃木さん、ごめんなさい。私の方こそ……謝らせてください……」

「ほむ、ら……おまえ……」

 

 若葉ちゃんはまだ呆然としていて、うまく喋れないようだった。それでもほむらちゃんは構わず続ける。

 

「乃木さんの事、もう嫌だなんて思いたくありません……お互い、仲直りしませんか…?」

 

 そう告げた後、ほむらちゃんは若葉ちゃんの手を握ったまま頭を下げた。しばらく沈黙が流れる。さっきまでの重苦しい雰囲気はなく、どちらかと言えば和やかなものだった。多分、お互いにわだかまりがなくなったから……やがて若葉ちゃんがふっと笑みを浮かべ……

 

「……ああ……もちろんだとも……ありがとう……」

 

 ほむらちゃんの手の上に、一滴の水が落ちてくる。ほむらちゃんはそれを見るとクスリと微笑んだ。

 

「乃木さん、意外と泣き虫ですね」

「うるさい……お前だってさっき泣きそうだったじゃないか……」

 

 恥ずかしそうに文句を言う若葉ちゃん。だけどそれは照れ隠しにしか見えなくて、見ているみんなが思わず笑顔になってしまう。

 本当に良かった……二人が仲直りできて。今の二人は誰がどう見ても友達同士にしか見えない。わたしとひなたちゃんが心から望んでいた光景が目の前にあった。

 

「ひなたちゃん」

「はい。やりましたね」

 

 わたし達も二人の後ろで笑い合い、喜びのハイタッチを交わす。思ったより早く見れた、わたし達の誕生日プレゼントがここにある。

 

 

 

「ほむら、明日もよろしく頼む」

 

 ……ん?

 

「はい。乃木さんも……力を合わせて、一緒に見つけましょう」

 

 ……あれ? これって……

 

「上里さんと」「まどかの」

「「誕生日プレゼント!」」

「「……へ?」」

 

 …………………………………て…ないよ

 

 

 

 二人とももう見つけているのに答えにはまだ気づいてないよぉぉ!!!!

 

 なんてこと……ひなたちゃんのヒントが本当に意味深すぎたんだ……。

 これはもう答えを教えちゃっていいんじゃないかな。そう思ったけど、ひなたちゃんは面白いおかしいようでクスクス笑っていた。

 

「うふふ♪ まぁまぁ、良いじゃありませんか。むしろここからお二人が何を用意するのか、とても楽しみじゃないですか」

 

 ……それもそうだね。心配する事はもう何もない。あの二人ならきっと、もう大丈夫だから。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 ……ついに来た。10月3日、あの子の誕生日が…! この時のためにここ数日間、授業と訓練で疲れた身体を引き摺って、乃木さんと二人で色んな所を回った。あれでもない、これでもないと走り回って……私達はついに見つけた。悩みに悩んだ、まどかへのプレゼントと、上里さんが言っていた……答えが解るとそういうことだったんだって気づかされた存在を!

 

「ほむらちゃん、これってどこに行ってるのかそろそろ教えてよ」

「まだだめよ。でももうそろそろ待ち合わせの場所だから」

 

 時刻は昼前、まどかを連れて乃木さんと決めた場所に歩いていく。ちょうどこの日が土曜日で良かった。訓練も休みだから、思う存分今日という最高の一日を作ることができる。

 待ち遠しくて自然に足早になってしまう。待ち合わせの場所に着いた時、そこにはみんなはまだ到着していなかったけど、それでもすぐその姿は見えてきた。

 

「ほむら! まどか! 待たせたな!」

「いえ、私達もついさっき着いたところなので」

「まどかさん。お誕生日おめでとうございます♪」

「ありがとうひなたちゃん!」

 

 一緒に今日の計画を立てた乃木さんと、まどかと同じ主役の一人、上里さん。そしてその後ろから……

 

「まどちゃん誕生日なの!? すごーい! お誕生日おめでとう!」

「ええっ!? タマ何も用意してないぞ!? それ以前に悪いがお金も無いぞ!」

「タマっち! ここで言うことがおかしいよ! まったくもう……お誕生日おめでとうございます、まどかさん」

「………せっかくの休日に連れ出されたかと思えば、そういうこと?」

「えっ、みんなまでどうしてここに……?」

 

 乃木さんと上里さんと一緒に来たのは他の勇者の皆さんだ。乃木さんに頼んで、是非まどかと上里さんの誕生日を一緒にお祝いしてほしかったから、こうして皆さんにも来てもらった。

 

「では、全員揃ったことだし……向かうとするか!」

「はい!」

「どこにですか? そろそろ教えてくれても良いのでは?」

「ひなたちゃんも知らないの? 他のみんなも?」

「何も聞いてないよね?」

「はい……若葉さんも秘密だとしか言いませんし…」

「そんなことよりタマは腹が減ったんだが……まずはご飯にしないか?」

「……どうでもいい。早く帰りたいわ」

 

 ああ……若干二人フラストレーションが溜まっている……。でも到着したら間違いなく、全員一気に喜ぶであろうことは私には分かっている。

 

「安心しろ土居。そんな事を言っていられるのも今の内だぞ郡さん。今から行く所はとっておきの場所だからな」

「私、何だか楽しみだよ! こうやってみんなでお出かけするの、初めてじゃないかな?」

「そうですね。いつもは授業と訓練で忙しいですし、私も休みの日はだいたい寄宿舎で本を読んだり買いに行くかですし…」

「実はそれも皆さんを誘った理由の一つなの。休みの日だから、こうして揃ってリラックスするのも良いんじゃないかって」

 

 まるで友達同士であるかのように、休みの日に一緒に過ごすのも楽しいんじゃないかって。それに……本当に少しでもそうなれたら嬉しいなって……。

 

 次なる目的地へと全員で移動する中、私と乃木さんでそういった感じの質問に答えながら、和気あいあいと進む。そして、その目的地がもうそろそろだという頃になったその時、私達は答え合わせを始める。

 

「ひなたよ、私達は見つけたぞ。お前が求めていたものを」

「まあ」

「二人とも気づいたんだ!」

 

 上里さんとまどかが揃って嬉しそうに感嘆の声を上げる。まどかも上里さんと仲が良いから、きっと二人の間では話していたのかもしれない。

 

「正直、見つかるはずがないと思っていた。お前の説明は意地悪で、本当にそれを求めているのかと疑問に思うしかなかったよ」

「申し訳ありません。ですが…」

「いや、いい。今なら解る。お前の誕生日はまだ一日早いが、今ここで答えを見せよう」

 

 上里さんが望んだ、ここでしか得られないもの……。

 

「本当に、ここにしかなかった。もし私かほむら、どちらかでもここにいなかったらきっと、知らないままだった」

 

 それは手にした人が今まで以上に笑顔で幸せになれる。そして、その人に心躍る一時を与える奇跡のような存在だ。

 

「まさに心躍る最高の一時だったさ……身も心も温かくなって、自然に笑顔が浮き出てしまう」

 

 それなのに、多くの人にとっては珍しくもない。

 

「きっと、多くの人間がこの存在に救われるのだな」

 

 本当にそうだった。全部上里さんの言う通りだった。

 

 

 

 

「この本格手打ちうどん屋麺処 麻渓のことだったのだろう!」

「「………………」」

 

 本格手打ちうどん屋、麺処 麻渓(まけい)……そう、それが上里さんが行きたいと頼んだ本物の純手打ちうどんの名店である! 近年うどんの聖地香川県でも純手打ちうどんのお店は希少になっていた。そんな中でもこのお店は最高のうどんをお客さんに提供する鉄の意志を失わなかった! 創業からあの厄災を経た今なお、相手がどんなに貧しい人でもうどんを美味しく味わえるよう優しすぎるお値段! その味も本来その値段の何倍もの価格を取っても文句は無いほど素晴らしいもの! 麺味も歯ごたえも喉越しも食感も、何もかもが人々に本当の笑顔を与えるキング オブ うどん!! ここには香川県のみんなの想いが一つなるような奇跡も、うどんも、あるんだよ。

 私と乃木さんがこの答えにたどり着いた時、それを見越していた上里さんに並々ならない尊敬の念を覚えた。だから上里さんはあんなことを行ったんだと……乃木さんが、私が見ようともしていないのはこういう事か……と呟いた。乃木さんはこれまで勇者としての責任感に追われていた事を自覚し、丸亀市に来たというのに新しいうどんを追及することが疎かになっていたと……。そして現地の人間に協力……上里さんはやっぱり私を名指しで指定していたみたいだったけど、生粋のうどん愛好家の私なら乃木さんを最高峰のうどんへと導けると読んで……!

 

「忘れていた……私がうどんに馳せた熱い情熱を。ひなたはそれを私に思い出させようと、あのような試練を与えてくれたのだな」

「「…………………」」

 

 うぅぅ……上里さん、なんて良い人なんだろう。乃木さんのためにそこまで……ホロリ…。

 

「へぇ~! どこに行くのかと思ったらうどん屋かぁ! そういやまだ香川のうどんをちゃんと食べれてはなかったな」

「やった~!! 私前々から食べたいって思ってたんだ!」

「香川県と言えばうどん……私も、是非食べてみたいです!」

「……休日にわざわざ外に出てまで来た所がうどん屋? ……安すぎじゃないこれ……食べたら危ないもので作られてないでしょうね」

「「郡さん」」

「っ!? そ、そうね……一応、有名な讃岐うどん、一度くらい味わってみるのも…悪くはないんじゃない…かしら……?」

 

 皆さんからも歓喜と賛成の声が続々と。やっぱり、ここに全員で来ることができて良かった……。

 

「ひなた、まどか。誕生日おめでとう。私からお前達二人への誕生日プレゼントだ。遠慮なくいっぱい、ここのうどんを味わって食べてくれ」

「…………まぁ、本当の正しい答えはお二人とも(アリガトウゴザイマス若葉チャン。)既に見つかっていますし(私、トテモ嬉シイデスヨー)

二人が嬉しそうならそれでもいいかな(ホムラチャンモアリガトー)

 

 

 

 その後、県外出身の皆さんがうどんの魅力に取り憑かれたのは当然の結末であり、言うまでもない。うどん県で生きるって、そういうことだから。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「「「ハッピーバースデー! 誕生日おめでとう、まどか!」」」

「ありがとうパパ、ママ、ほむらちゃん」

「あー! うー!」

「てぃひひ♪ タツヤもありがとう」

 

 夜は家族みんなで煌びやかな誕生日パーティー。お父さんが作った豪華なご馳走が並べられ、まどかの心から嬉しそうな笑顔が印象的だった。

 ……こうして、家族みんな揃っての誕生日パーティー……

 

「ほむらちゃん?」

「まどか……これ、プレゼント…」

 

 少しだけ暗い事を思い出してしまったけど、そんなのじゃ今の家族のみんなにも、あの二人にも申し訳ない。すぐに気を取り直して、乃木さんに選ぶのを手伝ってもらったプレゼントをまどかに手渡した。

 

「ありがとう! 開けてみていい?」

「うん…」

 

 その眩しい笑顔にそれを本当に喜んでもらえるか、もらえないか、少しだけ不安な想いが芽生える。袋開け、中の物を取り出したまどかはそれを……

 

「これ……」

「前にお母さんが、女の子はおしゃれした方が良いって……これ、まどかに似合いそうだなって思ったの」

「へえ、良いセンスしてるじゃないほむら」

 

 まどかは、あまり目立ったりするのは好きじゃない。それは一見すると派手に見えて、まどかには絶対似合うと思いながらも本人が敬遠する可能性だって……

 

「……ほむらちゃん、わたしに付けてみてくれないかな?」

「えっ、う、うん…!」

 

 

 

「どう…かな……」

 

 まどかは私よりも髪が短いから、私のような髪型にはできなくて……だから、左右で二つのリボンを使ってツインテールの形を作った。

 

「すごいじゃないか。とっても似合ってるよ」

「流石はアタシの娘だねぇ♪ ほむらもよくやってくれた!」

「ほむらちゃん!」

「わっ…!」

 

 綺麗な赤色のリボンが、まどかをより魅力的に彩った。リボンで結ばれた髪を揺らしながら、まどかは私に抱きついてきた。今まで見てきた中でも特に嬉しそうな、眩しい笑顔で。

 

「ありがとう! 大切にするね!」

 

 

 

 

 

『そうか。喜んでもらえて何よりだ』

「乃木さんのおかげです。手伝ってくださって本当にありがとうございました」

 

 誕生日パーティーが終わった後、乃木さんにプレゼントを喜んでもらえたとお礼の報告をする。電話口でも分かるほど、こっちが上手くいったことを向こうも自分の事のように喜んでいるように思えた。

 

『礼を言うのはこっちの方だ。お前がいなければひなたを喜ばせられなかったのだからな。それに、本当に感謝しているんだ。ひなたへのプレゼントも用意してくれたことにも』

 

 上里さんにもまどかとは色違いのだけど同じプレゼントを用意していた。それを乃木さんに預けて、明日、彼女誕生日に渡してほしいと頼んでいた。

 

「いえ、上里さんにはまどかがお世話になっていますから……それに」

『それに?』

「多分きっと、上里さんがあの頼み事を乃木さんにしていなかったら、今こうやって乃木さんと仲良く話せてはなかったんじゃないかって……だから上里さんにはとても感謝しているんです」

『………本当に、ひなたの言った通りだったな……。見ていなかった。見ようともしていなかった』

 

 突然、電話口の乃木さんの声が低く、真剣味を帯びる。

 

『ほむらよ……聞いてくれないか?』

「……はい、何でしょうか?」

『今まですまなかった』

 

 聞こえたのは、謝罪の言葉だった。話の前後が繋がってなくて、理解がさっぱりできない。

 

「……えっと…すまなかったとは…?」

『……見えていなかった。いや、私は最初から見ようとしていなかったんだ……お前達のことを』

「乃木さん…?」

『覚えているか? 私がお前に真面目にやれ、勇者として無責任だと罵った事を……』

「……はい」

 

 忘れるわけがない。思えばあれが私と乃木さんの始まりとも言える。あの時は乃木さんが恐ろしくて、絶対に、分かり合えない存在だとしか思えなかった……。

 

『……あの時の私は、勇者という存在を過大評価しすぎていた。勇者なら私にできることは他の者にもできて当然だと思っていたんだ。今更、今日のこの日に向けて共に話す中で、そこで初めて鹿目ほむらという人間を見たことに気付いたよ……』

「………それで…」

『……気付かされたんだ……お前は鹿目ほむらであって、私が一人で勝手に思い描いた強い勇者ではない……と』

 

 達観しているかのように、淡々と思いを吐き出される。だけどその中には罪悪感も混じっている。人を一人の人間として思わなかった……そんな後悔の念が強く感じられる。

 

『他の者もそうだ。友奈も土居も伊予島も郡さんも、それぞれが勇者である以前に一人の人間だ。私の思い込んだ都合のいい存在とそう一致するわけがない』

「……どうしてそんなに思いつめて……私も他の皆さんも、乃木さんも、まだまだ小学生なんですよ…?」

 

 乃木さんは真面目すぎる。真面目すぎて頭が堅い……それでも、こればかりは度が過ぎている。

 勇者だからここまで責任感が強すぎるのか……それだけではない、答えを語り始めた。

 

『……あの日、私はバーテックスから逃げることしかできなかった……! 目の前で友を食い殺されたのにだ……!』

「っ!? 乃木さんも……失って……」

『認めたくなかったんだ……。未熟な自分から目を背けて、そのくせ他の勇者が私よりも劣っていたら奴らを倒すなど夢の話だろう? そんな事、あってはならない…! みんなが惨たらしく死んでしまった……その仇を、私がやらずして誰ができる……!』

 

 乃木さんがどうして命懸けで勇者として戦う道を選んだのか、今ようやく分かった。私とは真逆の戦う理由……復讐と……

 

何事にも報いを……奴らに、報いを ……それが乃木の生き様だ』

 

 世界を壊した天の神への叛逆……。

 

 だからか……乃木さんが人一倍厳しかったのは。この人は誰よりも本気で、あの化け物を憎んでいた。私も、バーテックスは憎い。それでもきっと、乃木さんの憎しみの比は私とは比べ物にならないほど大きいだろう。それはそういう理由で戦うことを決意した人間だから……。だから、あの時の私の失態は、そんな決意を馬鹿にされるのと一緒のようなものだったに違いない。

 

「乃木さん、先日の模擬戦は…その、ごめんなさい」

『………いや、あれは私も言い過ぎだったと反省を…』

「いいえ、あの時の私の心が甘かったのは、本当の事ですから……。ただ、えっと……言い訳に聞こえるかもしれませんけど、私が真剣にできなかったのには理由があって……」

 

 それでも、知ってほしい。私は決して軽い気持ちなんかであの場所に立っているつもりはなかった。

 私は乃木さんとは違う……。バーテックスに復讐したいから勇者になったんじゃない。私はただ、人が傷つくのが嫌……。この力は誰かを傷つけるために使うものじゃない。

 

『……そうか』

「………」

『優しいな、ほむらは』

「乃木さん……」

『確かに模擬戦と言っても我々が使っていた物は正真正銘の鈍器だ。身体に当たりでもすれば怪我は避けられないだろう……。お前はあの時ずっと、私の身を案じてくれていたのか……』

 

 私の想いは乃木さんにも伝わる。すると自分の行動が強引だったと思ったのか、溜め息を吐くと鬱屈そうな声を出した。

 

『……やはり、悪いのは私の方か。怪我の危険性を何一つ考えぬまま一方的に勝負をふっかけて、お前の心配を考慮しないまま強引に始めた。そこに公平性なんて物は欠片も無かったな……』

 

 鬱屈そうな声はやがて呆れ果てたようなものに。乃木さんが誰に呆れ果てたのかというと、それはこの場合一人しかいないわけで……。

 

『……というか、それ以前に最低ではないか…? 訓練を初めて数日しか経っていない初心者をいたぶって罵倒していただけというのは……』

「……それは……すみません、否定できない……」

 

 そもそもどうして模擬戦を申し込んだのかと聞くと、答えが返ってくる。どうやら勇者に選ばれた存在というからには、その素質だけではなく選ばれるのに相応しい理由があって当然と思っていたらしい。砕けて言えば、強い敵と戦える能力……武術の心得みたいな物も当然持っていると判断して………ええぇ……?

 

「何故そんな偏った考えが……」

『………その、友奈の奴と合流した日にあいつと組み手をしてな……。非の打ち所の無い見事な武術で私と渡り合って……』

「……私が皆さんと合流した時、小さい頃からずっと身体が弱かったって紹介しましたよね……」

『うっ……』

「………乃木さんのイメージ、ここ数日の間にコロコロ変わってしまうんですけど……」

『あぁ…! 勘弁してくれ…! 私が全面的に悪かった!』

 

 これまでの自分の早とちりや浅い考えや過ちを一遍に掘り起こされたようで悲鳴のような声が聞こえた。私としては別に追い詰めるようなつもりはないのに、乃木さんの今までが今までだから……

 

『だが、ほむらの方こそ私を見くびるな!』

「えっ…?」

『こちらの勘違いとは言え一度や二度は失望に似た物を感じはしたが、私は以前からお前達を心から尊敬している。勇者であるほむら、友奈、土居、伊予島、郡さん、そして巫女のまどかとひなた……お前達には最大限の敬意を抱いているんだ』

「どうして…ですか…?」

『決まっている。バーテックスと戦う覚悟を決めた強い人間だからだ。あの化け物の恐ろしさを目の当たりにしながら逃げずに立ち向かおうとする者を認めずしてどうする』

 

 …………この人は、本当に……

 

「……乃木さん、私に早々にここからいなくなれって言って…」

『そ、それは…本当にいなくなってほしくて言ったんじゃない! 逆なんだ! こんな所で挫けぬよう、敢えて厳しく伝えることでこのままではいけないと危機感を煽るためであって……!』

「……私、あの時とてもショックだったんですよ…?」

『うぐっ…! ……す、すまなかった……』

 

 本当に、誠実な人ね……。

 

 

 

 

 

 こっそりと陰からほむらちゃんを覗き見しながら、嬉しくて笑みがこぼれちゃう。電話の相手はあの若葉ちゃんで、ほむらちゃんは本当に楽しそうに話している。時には呆れたような声を発しているときもあったけど、それだけ、二人が対等な友達関係になれたんだって思うと幸せで……

 

「改めて……ありがとうひなたちゃん。若葉ちゃんにきっかけを作ってくれて」

『いえいえ、こちらこそ。お二人の蟠りが解けて何よりです』

 

 同じ様に若葉ちゃんを覗き見しながら電話をしているらしいひなたちゃんも、全く同じような光景を見ているらしい。ほむらちゃんには聞こえないようこそこそ小声で、わたし達は望んでいた二人の姿を喜び合った。

 

『若葉ちゃん、昔からこうだったのですよ。魅力とも言える真っ直ぐすぎる性格が裏目に出てしまい、結果人付き合いが苦手になってしまわれて……』

「ほむらちゃんもね、自分に自信が持てなくて落ち込みやすい子なの……でも本当は恐くても前を歩ける強さを持っている…わたしの憧れの女の子なんだ」

 

 お互いにすれ違っていた二人がこうして仲良くなれた。バーテックスに滅茶苦茶にされてしまった世界で、友達を作ることが苦手なあの子達は友達になれた。

 

 わたしにとって、こんなに嬉しい事は他にそうない。わたし一人じゃ見れなかった光景を一緒に作ってくれた、一緒に見てくれた友達のおかげでもある。

 

『お誕生日おめでとうございます、まどかさん』

「お誕生日おめでとう、ひなたちゃん」

『私の誕生日はあと数時間後ですけどね』

「あっ」

 

 最高の誕生日をありがとう。わたしにも、まだまだこんなに愛おしい友達がいるんだって思うと本当に心が温かかった。

 

『うふふ』

「てぃひひ」

『……まどかさん、以前から気になっていたのですが笑い方が少々独特なんですね……』

「えっ、そう…?」

『ふふっ、魅力的で良いと思いますよ♪』

 

 みんなとなら、きっとどこまでも一緒に歩いていける。わたしだけじゃなく、ほむらちゃんも……。

 

 

 

 

 後日……

 

「はっ……はっ……! や、やっぱり無理~…!」

「苦しっ…! 走れな……げほっ…!」

「っ…!」

 

 相変わらず1キロも走る頃には体力の限界を迎えそうになる私、伊予島さん、郡さん。これでも基礎体力は最初の頃よりかは増えている……と思いたい。

 明らかに失速し始めた頃、後ろからは体力のある三人が周回遅れの私達を追い越そうとしていた。

 

「……相変わらず、もうバテたのか」

「うぉぉおおおお!!! 今日も一着はタマのものだああああ!!!!」

「まだまだぁ! これからだよ!!」

 

 颯爽と追い越し全力疾走で去っていく土居さんと高嶋さんを見ながら、乃木さんはその場に立ち止まり……

 

「ほら、立てるか?」

「「えっ?」」

 

 走れなくなった人に、優しく手を伸ばすようになっていた。




 長かった……ほんと、ここまで長くする予定は全くなかった……。

 次回は大変長らくお待たせしました!! 本編の続きを書きます!!

 鬱展開よ!! 私は帰ってきた!!


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「一人じゃ何もできない人間だから」

 外伝を前回までを乃木若葉回とすると、今回は……


 わたしの夢っていったい何なんだろう? 小さい頃からずっと考えていた事だった。

 

 わたしには人に自慢できるような長所が無い。運動も勉強も、何をやっても人より上手にできるわけでもなくて失敗ばかり。せめて人並みになりたいって思っていたけど、こんなネガティブな考えを夢なんて綺麗な言葉で言っちゃいけないって思っていた。

 

 パパもママも、丸亀市に引っ越す前にいた明るくて元気なお友達も、上品でお淑やかなお友達も、わたしは優しくてとっても大切な子だって言ってくれる。それも本心で。

 

 そう言ってもらえること、思ってくれていることはとても嬉しい。だからわたしはみんなの事が大好きで、とても大切で……でもわたしの存在は、このみんながいてくれる事が前提になっている。みんながいないと本当に何もできない、とても弱い人間だから……。

 

 ママみたいにかっこいい大人になりたい……憧れだから、そう思っている。でもわたしにはきっとなれない。ダメダメだから。

 

 一人じゃ何もできない人間だから。

 

 

 

 

 

『あのねまどかさん……私ね、夢があるんだ』

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 うたのんが畑を作って、それが大勢の人達に認められて始めてからしばらくが経った。

 

 最初はみんな期待していなかった。どうせ助からないって、誰もがうたのんの行動を無意味だと思って真剣に向き合おうとしなかった。暗い顔をして、毎日を脅えて過ごすどころか、諦めていたんだ。

 

『今は苦しい状況ですが、きっと活路は見つかります!』

 

 そんな中、うたのんだけが前を見つめていた。明日に向かって歩くのを止めなかった。

 たった一人で行動するのを、私も不思議な感じで……正直な所、変だって思いながら見ていた。それはとても信じられない事だから……。

 

 勇者とはいえ、あの時はまだギリギリ11歳にもなっていない女の子が、こんな状況下でも笑顔でいられる事が……。

 

『結界の中で暮らしを保っていくために自活しましょう! 畑を耕して、湖の魚を穫って。生き抜きましょう!』

 

 目が離せなかった。私が土地神様から神託を受けて、四国と連絡がとれるようになったあの日から。私とうたのん、二人で諏訪の人々を導けと告げられたあの日から。

 

『今まで人間はどんな災害に遭っても生き抜いてきた……今回だってそう、まだみんな終わってなんかないんです!』

 

 諦めずに希望だけを抱いていたんだ。ただの一度としても弱音を吐かず明るさを失わない。恐怖の象徴の化け物が襲いかかってきても、必ず勝ってみんなを守る。

 

 その度に決まってうたのんがみんなに与えるのは……

 

『どんなつらい目にあっても、人は必ず立ち上がれます!』

 

 笑顔だった。絶望するのもおかしいと思えてくる、みんなに失われたはずの希望を芽生えさせる、奇跡をうたのんは生み出せるの。

 

 ずっと側で見せつけられた。私には無い、白鳥歌野っていう強い人間の力を。

 

 二人で人々を導く? 私にできることなんて何もないのに?

 

 そう、私は何もしていないんだよ……。そして、何ができるわけでもない。唯一できることは、人の顔色を窺うこと……そういう、とても弱い人間だから。

 

 一人じゃ何もできない人間だから。

 

 

 

 

 

『水都ちゃん、約束。わたし達は……』

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 その子との出会いは偶然から始まった。

 

 わたし達が丸亀城に集まるようになってから、もうすぐ二年。小学生だったわたし達はこの特別な学校で中学生に。ここでほむらちゃん達は勇者として戦う力を付けるための訓練を。わたしとひなたちゃんは義務教育を受けながら巫女の力を高める訓練をしながら、みんなのサポートをしている。

 

「───だからな、タマは思うんだよ。悔しいが……」

 

 それは普通の小学生中学生の女の子とはかけ離れてしまった日常生活かもしれない。当たり前の自由は削られて、少なくなって……

 

「タマ達でゴルフ勝負をすれば、多分ほむらが結構良い線行くって」

 

 でも、それに少しの不満はあるとしても、不幸だなんて思っている人はいない。

 

「そ、それはどうか……別に私ゴルフの経験があるわけじゃ……」

「ですけど、様になってますよね。ほむらさんの杖のスイング」

「てぃひひ、そうだよね~♪ ほむらちゃん、カッコいいよね♪」

「伊予島さん……まどかまで……! 私の杖、ゴルフクラブじゃないよ……!」

 

 さっきまでやっていた訓練の様子を楽しそうに話す姿があった。訓練用に改造されたバレーボールマシンから速いスピードで飛んでくるボールを避けたり、神器で防いだり弾いたりする……そんなトレーニングメニューをこなす中、ほむらちゃんが飛んでくるボールをゴルフクラ…杖で打ち返す姿がカッコ良くて、それが今の話題の種になっていた。

 

「ですが、ほむらさんの成長っぷりを誰もが認めるのは事実ではないですか? 若葉ちゃんだって、今では手合わせするとヒヤリとさせられる事も少なくはないと言っていましたよ」

「そう言われると……ありがとうございます…」

「それはそれとして、本日の訓練でもナイスショットです、ほむらさん♪」

「だからゴルフクラブじゃないんですってば!!」

 

 普通からかけ離れた生活になったとしても、その中にも何気ない平凡でありふれた時間はあるんだもん。みんなが一段落付いた休憩時間、タオルと水筒を渡してからはみんなで一ヶ所に集まって楽しげな会話が弾んでいる。

 

「ゴルフかぁ……私ゴルフなんてテレビでやってるのを見たことあるだけだから、いつかやってみたいなぁ」

「ゲームなら、私持ってるわ。ボタン操作だけじゃなくてこっちの動きに対応する体感型のも……」

 

 そんな時間を過ごしていく内に、初めの頃と比べてみんなすっかり仲良くなった。同じ目的のために一緒に頑張っているんだから、励まし合ったり競い合ったり。絆が芽生えても全然不思議じゃないよね。

 

「なにぃ!! それじゃあ今度の休みの日は全員で千景の部屋に集まってゴルフゲーム対決だ!!」

 

 授業や訓練がお休みの日だってちゃんとある。そんな時には普段得られない日常の分まで一生懸命楽しんじゃう。そんな時には球子ちゃんや杏ちゃん、若葉ちゃんにひなたちゃん、友奈ちゃんがわたし達の家に遊びに来てくれた事もあって。

 それだけみんな親密になれていて……千景さんも、いつかはわたし達のお家に遊びに来てくれると嬉しいな……。

 

「ちょっと! 誰が私の部屋に来ていいと……勝手に話を決…」

「わぁーい楽しみ♪ ぐんちゃんありがとう!」

「うっ……え、えぇ……どういたしまして……」

「……千景さん、困ってそうだね……」

「はい……タマっちが勝手に決めて怒りたいのと、友奈さんが喜んでいて無下にはできないのとで板挟みになってる顔ですね……」

「やっぱりスゴいなぁ、友奈ちゃん」

 

 まだ色々と壁を感じちゃう事はあるけど、そんな千景さんだって良い方向に変わってる。クリスマスを期に友奈ちゃんとよく話すようになって、仲良くなって……最初に大社から聞かされた千景さんの過去を思うと本当にホッとした。

 

 あの悲劇が起こった日から、四国にバーテックスは現れていなかった。神樹様の結界の効力と、他の場所でバーテックスの進路を引き付けてくれる勇者の子のおかげで……みんなはまだ危険な戦いをせずに済んでいる。

 

 その勇者の子、諏訪で一人戦っているその子の名前は、白鳥歌野さん……。他に戦ってくれる勇者はいない、たった一人でバーテックスと戦っているって若葉ちゃんが……。

 

 ……怖く…ないのかな……? あんなに恐ろしい存在に、もし負けちゃったらって……そうなってしまえば、失ってしまう物はとても大きいはずなのに。

 

 ……いずれは、みんなも戦う時が来てしまう。最初から、分かってはいる。分かっていて、わたしは巫女としてここにいることを決めた。

 でも、いざみんなの戦いが始まって、今のこの尊い日常が変わってしまうんじゃないかって思うと……

 

「よしっと! 休憩終わり! 訓練メニュー後半戦、頑張ろー!」

 

 元気よく立ち上がった友奈ちゃんの声に、わたしのネガティブな考えが遮られた。それに続くように、気合い十分とまではいかなくても、決してへこたれている様子を少しも見せることなく他のみんなも立ち上がって……

 

「……まどか?」

「……あ、何かな?」

「ううん、ちょっとボーっとしてるみたいだったから……」

「そんなこと無いよ、平気!」

「ならいいけど……じゃあ行ってくるね」

「うん。………」

 

 ……卑怯だ、わたし。いつの間にか、わたしは戦わないくせに、みんなの立派な覚悟を引き留めたいと感じるようになっていた。命を懸ける危険な役目を背負っているみんなが頑張ろうとするのを、複雑な思いで見てしまう。

 前まではこんなのじゃなかったのに、少しずつ……日が経つにつれて、どんどん不安が募る。一番辛い思いをしたほむらちゃんが立ち直れたのに、その意思を守るんだって誓ったわたしの方が既に折れかかってる……。

 

「……変ですね?」

「……えっ? ううん、大丈夫だってば」

 

 ひなたちゃんの呟きに慌てないよう、普段通りの感じで返事をする。こんな後ろ向きな事、みんなに相談できないから……悪いもん……。

 

「あ、いえ、今のまどかさんとほむらさんのやり取りの事ではなくて……若葉ちゃんが……」

「若葉ちゃん?」

「……遅いです。通信がまだ終わらないのでしょうか……」

 

 ……言われてみれば確かに。この場にはいない、少し遅れてから訓練に参加するって言っていた若葉ちゃんは今、勇者のリーダーとしてのお役目の一つ、勇者同士の通信。長野県の諏訪で一人戦う勇者、白鳥歌野さんと。

 

 1年以上前、わたしとひなたちゃんと、大社にいる大勢の巫女のみんな、それから諏訪の巫女に神樹様と諏訪の土地神様から神託が下った。それはお互いの存在……遠く離れた場所には生き残りが……勇者がいるって内容だった。

 

 報告すると大社はすぐに動いた。通信設備を用意して、電波を諏訪に向けて飛ばす。向こうが土地神様の神託を頼りにこっちの動きを把握して、お互いに声を届けられるように。

 

 そこから四国と長野県の協力が始まった。代表して若葉ちゃんが向こうの勇者と定期的に連絡を取り合って、いつか来る作戦の日に向けて備える。

 みんなと白鳥さん、四国と長野県でバーテックスを挟撃する。国土を取り戻し、世界を救うために。

 

「……こんなに通信が長引く事なんて、今までにあったでしょうか……」

 

 ひなたちゃんが訝しむ様子に、わたしも同じ様な疑問が浮かび上がる。これまで諏訪との通信は軽く何十回と行われたけど、それでも大体30分ぐらいで若葉ちゃんは戻っていた。でも今日のはいつにも増して遅い。既に2時間近い。

 人一倍真面目で熱心な若葉ちゃんが訓練に来ない……通信も近況報告が主みたいで、訓練メニューの前半と休憩が終わるくらい長引くなんてまずありえないもん……。

 

「わたし、様子を見てこよっか?」

「すみません、お願いします」

 

 今日は巫女の訓練はお休みで、マネージャー的なみんなのサポートって事で動いている。だったら若葉ちゃんの状況を確認する事だって大切なお仕事の一つと言える。他のみんなの事は一旦ひなたちゃんに任せるとして、通信機の置いてある丸亀城の方に向かった。

 

 電話やメールには通信が長引くって連絡は来ていない。一応移動しながらメールを送ってみたけど既読のマークも付かない。電話は……って、もうそろそろ着くから大丈夫。

 

「毎………エ……ギ…………んは……比べて……」

『……に…………おりは………りょ……あり……』

 

 通信室が近くなると中から話し声が聞こえる。若葉ちゃんと……初めて聞くけど、多分この声の人が白鳥さん。

 どんな内容なのかは全然分からないけど、話が続いてるってことはやっぱり長引いていたみたい。扉をノックして中にいる若葉ちゃんに声をかける。

 

「ごめんね若葉ちゃん、ちょっといいかな?」

「む? おお、まどかか。どうした、何か用か?」

「用っていうか、まあね……通信が長引いてるのかなってひなたちゃんと話してて」

 

 扉越しにそう伝えると、室内が少し静かになった気がした。数秒遅れて、中から焦っているような若葉ちゃんの声が返ってくる。

 

「しまったもうこんな時間か…! すまない白鳥さん。今日の所はこれにて終了させてくれ」

『……そう…ですね。私の方もこのままだと予定が狂ってしまいそうですし、続きはまた今度にしましょう』

 

 ようやく自分が訓練に大遅刻している事を知ったようなトーン。もしかして、時間をちゃんと見ていなかったのかな? それで通信が長引いていることにも気付かないなんて、一体どんな重要な話をしていたんだろう……やっぱり大変なお役目でも頑張っているんだ、若葉ちゃんは。

 

「命拾いしたな」

「……えっ?」

 

 ……き……気のせい……だよね……? 今何か、この状況で聞くはずのない言葉が、若干強めの語気で聞こえたのは……

 

『それはこっちのセリフです。次はこうはいきませんから』

「ええっ!?」

 

 つ……通信機越しの声からも、似たような雰囲気を感じたんだけどぉっ!?

 

「次までにその愚かな考えを改める事を期待している」

『馬鹿を言わないでください。今度決着が着く時に謝ってももう遅いですから』

「『では』」

「………」

 

 わたし……扉の前で固まっていた。通話を終えた若葉ちゃんが中から出て来て、その表情は遅刻していることに慌てている風に見えたけど。

 

「ふう、急がなくては……!」

 

 そんなことは重要じゃなくて! 若葉ちゃんの姿を見てハッとしたわたしは訳が分からないまま詰め寄った。

 

「ちょっ……ど……どういう事なの若葉ちゃん!! 一体何を話していたの!? 白鳥さんと喧嘩でもしちゃったの!?」

「あ………い、いや、大したことじゃない……! 気にするな」

 

 今日これまでの事、妙に通信時間が長かった事、その理由と結び付かない訳が無い。一気に不安な気持ちが溢れて、悲鳴のように叫んじゃう。

 

「無理だよぉ!!」

「うっ……うぅ…」

 

 明らかに後ろめたい何かがあると顔に書いてあるんだもん……! たじたじになる若葉ちゃん。だけれども目を泳がせるだけで言い渋る様子しか見せなかった。

 

「本当に何でもないんだ……! っと、いかん、急がなくてはマズい……! スマンまどか!」

「あぁちょっと…! 若葉ちゃーん!」

 

 結局そのまま訓練に遅れている事を理由に走って逃げて行っちゃった。残されたわたしはというと、当然追いかけられるような余裕は全然無くて、その場に呆然と立ち尽くすしかない。

 

「な……仲悪いの…かな……?」

 

 若葉ちゃんと白鳥さんの間にトラブル……その、ちょっとアレなんだけど……別に考えにくいってワケじゃ……。

 

 若葉ちゃんは何というか……真面目すぎてよく人と衝突し易かったり、誤解を招き易かったり……あるから。もう大分前の話になるけど、そのせいでほむらちゃんに強い苦手意識を持たれたりしたし。仲直りできて今では仲良しだけど、その時にはほむらちゃんに友達になれないなんてハッキリ言われたぐらいだもん……。

 

「……ぅあー…どうしよぉ……」

 

 一体トラブルの原因は何なのか、全く分からないけどこのままじゃまずいよ……。

 白鳥さんは重要な作戦に向けた、協力関係を結んでいる相手なんだもん……。もし若葉ちゃんの態度が原因でどうしようもない亀裂が入ったりしたら……。

 

「……よく分からないけど……謝った方がいいのかも……?」

 

 また前みたいにわたしがフォローしないと……。若葉ちゃんが本当はとっても優しく、仲間思いで、頑張り屋さんのいい子だって事はよく知っているもん。白鳥さんにそれを誤解されたままなんて嫌だよ……。

 

 気が重くなるのを感じながら、重い足取りで通信室の中に入る。放ってはおけなくて、だけど今まで一度も話したことが無い人だし、肝心の内容だって何も分かってはいないのに。

 

 人見知りのわたしには胃が痛くなりそうな話……それでもわたしがやらなくちゃいけない事だっていうなら……!

 ……通信機の付け方って、これで良いのかな……? あれちょっと違う? スイッチこれじゃない?

 

「……本当は絶対、若葉ちゃんが謝らなくちゃいけない事だよね………はぁ……」

 

 ……いいもん。後でひなたちゃんに言いつけちゃうんだから。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「……うたのん、今日は遅いな……」

 

 うたのんが今やっているのは、私には絶対にできそうになくて任せられそうにない、とても重要な仕事……その間お願いねって、収穫した野菜の仕分け作業を頼まれたはいいんだけど。いつ戻ってくるんだろう?

 

「水都ちゃん、こっちのキャベツはどこ行きのトラックに乗せるんだい?」

「ええっと、それは川上の方に住んでいる人達に届けてもらって……それからそっちのカブは沖田町に……」

「はいよ!」

「よろしくお願いします。……ふぅ」

 

 野菜がいっぱい詰まったダンボールを渡して、それから走っていくトラックを見送った。みんなで育てた野菜が今日も誰かの元へと運ばれて行く。

 丹誠込めて作った、きっと美味しいに違いない、うたのん自慢の野菜……いつもと違って今日はうたのんが見届けていなくて、なんだか変な感じがする……。

 

 汗を拭ってからもう一度時計を見てみる。やっぱり遅い……もう通信が始まって2時間経とうとしている。

 このまま他の野菜も運ばれるのを見逃したら、きっとうたのんの事だから

 

 ──オーマイガー! 野菜達に最後のラブリー注げてないのにー!

 

 ……なんて、変な英語混じりで叫んで、しょんぼりしちゃうかも……。それだけうたのんが野菜に懸ける情熱は凄いから。

 

「……様子を見に行ってみようかな……」

 

 私には無い、憧れるだけ無駄なうたのんの情熱。それが報われない事は何だか私も嫌だから。

 

「すみませーん。私、今からうたのんの所に行ってきます!」

「おぉそうかい、いってらっしゃい」

 

 その場にいる人に一言伝えて、うたのんがいるはずの上社本宮の参集殿に向かった。通信機があるのはここだから、四国との通信が続いているんだとしたらまだいるはず。

 

「……本当……うたのんはすごいよ……」

 

 改めて思う。毎週こうやって、勇者として四国にいる別の勇者と情報共有し合うだけじゃなく、後ろ向きだった人々の心をたった一人で変えられたうたのん。私なんかじゃ天地がひっくり返ってもあり得ないことをやってのける……同い年の女の子とは思えない。

 

 ……だから、憧れている。決して手が届きそうにないって分かりきっているから。

 

 私にうたのんみたいな強さなんて……あるわけないもん。

 

 なんてどうしようもない事を考えているうちに、上社本宮が見えた。途中でうたのんとはすれ違わなかったし、まだ続いているのかもしれない……そう思いきや、扉が中から開かれた。

 

「あら? みーちゃんどうしてここに?」

 

 ……これは……別に私が来なくても問題なかったっぽい。

 

「……今日はちょっと、遅かったから……」

「あー……アハハ、つい向こうとのトークで盛り上がっちゃって」

「ふーん?」

 

 そう言ううたのんは、どこか愉快そうだった。まあ、うたのんが愉快そうなのはいつもの事なんだけど、今日のは何かいつもと雰囲気が違うような……。

 それに盛り上がったって……四国への報告と言ったって近況報告みたいなものなのに、どこにそんな要素が?

 

「ねえねえみーちゃん!!」

「そんなに大きな声じゃなくてもちゃんと聞こえるよ。あと近いから!」

 

 興奮冷め止まぬと言った感じでぐいぐい近づいてくるうたのんを押し返しつつ、やっぱり今日のうたのんは普段とはちょっとだけ違うかもなんて思い始める。

 だけど今度は少しだけ、神妙な面持ちで確かめるよう真剣なトーンの言葉を発した。

 

「みーちゃんって、モチロンうどんより蕎麦の方が好きよね?」

「……まあ、どっちかって言うと……」

「そうよね!」

 

 それだけ言うと、すぐにまたパァっと咲くような笑顔を見せてくる。私にはうたのんが何を考えているのか何やら……。うたのんが大の蕎麦好きなのは知ってるけど、別に私もそうだって今確認する必要はないよね……。

 

「変なうたのん」

「あはは……もしかしたらみーちゃんもうどんの方が好きって言ったら、蕎麦のパワーバランスが一つ弱くなるんじゃないかと思って……でもドントウォーリーだったみたいね♪」

「……パワーバランス? みーちゃんも?」

 

 ……それって、誰かが蕎麦じゃなくてうどんが好きって事を言ってるよね? でもうたのんは蕎麦が大好きだから、うどんよりも蕎麦の方が良いって言いたいって事?

 ますます意味が分からないんだけど……さっきまで長い間四国の人と通信してたって言うのに、どうして蕎麦とうどんの優劣の話が出てきて……

 

 ……四国……うどん………確か……讃岐うどんって、香川県で有名って聞いた事が……信州蕎麦みたいに……。

 

「……ちょっと待ってうたのん。通信が長くなった理由ってまさか……」

「そうなの。困った事に四国の乃木さんってば、蕎麦よりうどんの方がグッドなんて言うのよ」

「…………」

「そんなわけないでしょ? 確かにデリシャス、ヤミーかもしれないけど蕎麦には勝てないって!」

 

 ……おかしいな。この通信って、向こうとこっちで協力し合うために行われるものじゃなかったっけ。なんでこんなしょうもない事に使われているんだろう?

 

「でも向こうも同じ事を言ってきて……蕎麦の魅力をいっぱいアピールしたのにこれまた向こうもうどんをアピール。お互いにヒートアップしちゃって……」

「………ハァ~」

「溜め息!? だ、大丈夫よみーちゃん! 決着はネクストに持ち越しになったけど、私は負けてないから! 次はちゃんと向こうを蕎麦派にクラスチェンジさせるから! ねっ?」

「そこじゃないよ、うたのん……」

 

 ……うたのんもそうなんだけどさ……四国のその乃木さんって人も何を考えているんだろう……。今まではちゃんと時間内に終わっているから今回が初めてなんだろうけど、普通そんな事に2時間も使わないよね。

 

 ……まぁ一応、通信機を私的に使っちゃいけないって決まりは無いけどさ。節度は持とうよ?

 

「うたのん仕事は? もうこっちはほとんど終わったよ」

「はっ! そうだったわ、遅れてるんだった!」

「トラックにも野菜詰め終わったし、もういくつか出荷も始まってるよ」

「オーマイガー! 野菜達に最後のラブリー注げてないのにー!」

 

 こうして大事なお仕事を放りっぱなしなんだし。

 

「ウェーイト!! 私の育てたベジタブル達ーーー!!」

 

 最後まで忙しなくて、慌てながらうたのんは急いで畑の方に走っていく。うたのんは確かに凄いんだけどさ、たまに……ううん、結構残念なところもあるなって思い返した。

 私? いいよ、走りたくないし。今度はゆっくり歩いていくから。

 

 その時だった。

 

『PPP♪ PPP♪ PPP♪』

「えっ?」

 

 何やら小さな音が聞こえてくる。それは目の前の建物から。音が壁に阻まれて聞こえにくいけど、確かにこの中から鳴り響いている。

 聞き覚えがある音だった。今日は違ったけど、四国との通信の時にはうたのんと一緒に通信室にいたことだってあるんだもん。一言も喋らないし、部屋の隅で本を読みながらお互いの報告を聞き流すだけだけど……。

 それでも、この通信機が通信をキャッチした時の音は知っている。

 

「えっ? えっ!? また通信……!?」

 

 な、なんでどうして……!? もしかして蕎麦とうどんの話で肝心の近況報告をしていなかったなんて言わないよね!?

 

「うたのーーん!! 通信が来たよーーー!!」

 

 うたのんが走っていった方角を向いて、焦りを感じながら大声で名前を叫んだ。ただ大声って言っても、恥ずかしさも相俟る私の声じゃ、そこまで遠くには届かなくて……。

 

「うたのーーーん!! ……だめだぁ……」

 

 返事も返ってこないし、誰かがこっちにくる気配もない……つまりここにいるのは私一人……。

 

『PPP♪ PPP♪ PPP♪』

「うぅ……」

 

 着信音はまだ続いている。でも走っていったうたのんを追いかけて、戻って来るまでの間待たせるのは時間的にもきっとまずい……。私しかいないから、聞かなかった事に……だめ! 申し訳なさは消えないし、向こうに失礼すぎる……!

 

「つ、通信に出るだけなら……」

 

 それだけなら、私にだってできる。本格的な情報交換の話は無理だけど、一旦通信に出て、うたのんの不在を伝えて時間を改めてくれるように言うだけなら……。

 

 緊張しながらも、急ぎ足で参集殿の中に入る。いつもの通信室に入って、一回深呼吸してから意を決して通信開始のボタンを押した。

 

「はい、あの、すみません。うたの……白鳥歌野は今外に出ていますので……」

『────────』

「……えっと……もしもし?」

『────』

 

 通信は繋がった。でも、向こうの方からは一言も声が返ってこなかった。

 

「あの……」

『──────』

「聞こえていますか…?」

『────』

「……マイク、ミュートになっていませんか?」

『──────とえーっと! マイクのボタンってどれぇ~!?』

「あっ、あの、聞こえています…! マイク入りました…!」

『えっ!? あっ、ご、ごめんなさい!』

 

 わたわた慌てふためいている様子が声からありありと伝わってきた。っていうかこの声、いつも聞こえてくる、乃木若葉さんって人の声とは全然違う。

 

「乃木若葉さん……では、ないんですか?」

『……わたし、鹿目まどかっていいます。若葉ちゃん達、四国にいる勇者達の巫女をやっています』

「……四国の巫女の……」

 

 鹿目さん……私以外の、勇者の巫女。存在は知っていたけど、こうして話すのは初めてだ。

 ……なんだか、優しそうな声。

 

『そうです。それでその……白鳥歌野さんはいないんですね…?』

「はい、えっと……少し時間がかかるかもしれないので、戻って来てからかけ直すよう言っておきましょうか?」

 

 ……うん、こんな所で良いよね。今から急いでうたのんを呼びに行けば。

 

『………』

「………あの、鹿目さん?」

『……その……白鳥さん、怒っていませんでしたか…?』

「……えっ?」

 

 その一言で唖然とした。鹿目さんの声はとても弱々しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいだったように感じたから。

 そんな様子で口にした言葉が、うたのんが怒っていなかったって……

 

「……い、いいえ…。寧ろ、いつもより機嫌が良さそうだったけど……」

『機嫌が良さそう……?』

「歌野は単純ですから、機嫌が良いとか悪いとか、怒っているとか、一目で分かります」

『本当ですか…?』

「あの、どうしてそんな事を……?」

 

 この鹿目さんの感じ、なんだか身に覚えがある。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだから、恐る恐るで内心にも不安がある感覚。

 そもそも何をもって、うたのんが怒っている話になるのかって話で………

 

『それがさっき、若葉ちゃんと白鳥さんが通信しているのが聞こえちゃって………』

「はい」

『……若葉ちゃんが命拾いしたなとか、それに白鳥さんがこっちのセリフだとか、物騒な言葉が聞こえてきて……』

「………………」

『通信が終わるまで二人とも言い争っていたみたいで……喧嘩しているんじゃないかと思って…』

「……うたのん」

 

 ばか!

 

 

 

 

『……えっ? うどんと……蕎麦?』

「ヒートアップしちゃったって言ってました」

『……確かに若葉ちゃんはうどんが大好きだけど………ええっ!?』

 

 ……なんでかな、言っててこっちが恥ずかしいっていうか、情けなくなってきた……。それよりも一番……しょうもなくて、脱力感っていうのか……。

 まぁ、何はともあれ、この通信も何とかなりそうで良かったかな。

 

『……はぁぁ……よかったぁ。喧嘩したんじゃなかったんだ……』

「あーっと……うちの歌野が紛らわしい事を言ってごめんなさい」

 

 とにかく、後でうたのんに文句は言っておこう。誤解を生むような事を言ったんだから、しっかりと!

 

『いえ、白鳥さんが悪いんじゃなくて、わたしが…!』

「えっ」

『大袈裟に慌てて……迷惑、かけてごめんなさい。若葉ちゃんが気にしないでいい話だって言ったのに……』

「………」

 

 少し、なんて言うんだろう。胸に来たっていうのかな。

 些細なことかもしれないけど今、この鹿目さんは、うたのんを庇った。それに私は気にしていないけど、乃木さんの事も、文句の一つとして言っていない。

 

 そりゃあ、立場だとか、失礼だからって理由かもしれないけど……私が教えるまで、この通信が繋がる前からきっとものすごく不安を感じていたはずなのに、それが誤解だった事に安心するだけで、一切の責める様子が無い。それどころか自分が悪いって言うなんて……

 

「……優しいんですね、鹿目さんって」

『へ?』

「迷惑だなんて思ってないですから。それよりも……」

 

 声だけじゃない。思い返してみれば、話していてもあんまり緊張を感じない。穏やかそうな人だ。

 

「ありがとうございます。うたのんの事を心配してくれて」

『……こちらこそ、ありがとうございます……えっと……』

 

 鹿目さんがお礼を言おうとして言い詰まる。そう言えばまだ……

 

「……あっ、すみません……私の自己紹介がまだでしたね。藤森水都です。諏訪の、白鳥歌野の巫女をやっています」

『あはっ、多分同じ巫女の人なんじゃないかって思ってました! 藤森水都さん……てぃひひ♪』

(てぃひひ?)

 

 なんだか変わった笑い声だなぁ……声が可愛らしいからいい味出してるけど。

 

 

 

 

 

 これが、私の二人目の親友、鹿目まどかさんとの出会い。そして……

 

 

 私とうたのんが願いを託す、きっかけの1ページ。




 その後

「諏訪との定期通信が長引く事自体は問題ではありませんよ~。長時間のお役目も、ご苦労様でした。労いの言葉でいっぱいです♪」
「は、はぁ」ガタガタ
「定期通信の目的以外で通信機を使ってはいけないという決まりも無いですので、うどんと蕎麦のどっちが優れているのか思う存分討論されても、何も問題はないというわけです」
「そ、それなら……」ガタガタ

「ただし、訓練時間中にそれをしていいわけではありませんから。訓練時間中は訓練を、定期通信の時にはそちらをという話です……訓練を1時間半もサボった若葉ちゃん?」
「」ガタガタガタガタ
「ましてやまどかさんに誤解を与えていらぬ心配をかけた事について……じ~っくりお話しなくてはなりませんねぇ♡」
「ま、まどかぁ…」ガタガタガタガタ
(……ごめんね若葉ちゃん……)

 まどかちゃんだけ通信室から戻らなかったため、根掘り葉掘り事情を吐かされました。


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「良い所をみんなが見つけてくれる」

 


 一般的とは言えないわたし達の日常。訓練だったり、四国を守ってくださる神樹様に祈りを捧げたり、日々頑張る勇者のみんなを支えたり。

 

 大変な日常の中にも存在する、みんなと一緒にいられる事への喜び。恐ろしい運命の中で巡り会った縁だけど、みんなと出会えた事はわたしの中では確かな幸せ。

 

 だからそう、この時間も幸せだった。朝から穏やかな気分に包まれている。

 最初は操作を間違えてしまったこの機械も、どこをどうすればいいのかやり方を若葉ちゃんに教えてもらったし、もう何回もやっているから覚えられた。

 間違えることなくスイッチを押してその前に座る。音が正常に起動したんだって伝え始めて……繋がる。

 

「こちら四国より、鹿目です」

『諏訪より、藤森です』

 

 遠く離れた長野県の諏訪市にいる、わたしと同じ巫女の声。

 

 事の始まりは今でも続いている若葉ちゃんと歌野ちゃんの、うどんと蕎麦のどっちが良いのかを決める論争が初めて行われた日から1週間後のことだった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 お昼ご飯はみんなと一緒に食べるのがここのルール。みんながセルフサービス形式で料理を取っていく中、わたしとほむらちゃんだけパパが作ってくれたお弁当を食べるんだとしても、そこは変わらない。

 

 みんなと一緒に過ごして、少しでも多くの幸せを共有し合う一時。そんな時なのに、目の前に座っている若葉ちゃんはというと……

 

「……うむ、やはりどう考えてもうどんだろう」

 

 異論は認めないと言わんばかりにうどんの入っているどんぶりを置いた。その横には別のどんぶりがあって、中に入っているのはうどんじゃなくて蕎麦。だけどうどんの方と比べると、あまり中身は減っていないように見える。

 

「味が悪いわけではない。確かに美味いのだろうが……うどんに比べて蕎麦は少々塩辛い……。麺もすぐに切れてしまっては、歯応えなど無いようなものではないか」

「……ええっと……それが蕎麦の良いところなんじゃないかな? のど越しが良いのって」

「……友奈。お前は蕎麦の味方か? それともうどんの敵か?」

「て、敵じゃないよ…!?」

 

 あー……前の白鳥さんとの話をまだ引き摺っているんだ……。思えば決着は次になんて言ってたし、それでその次っていうのがまさに……。

 

「な、なんだか今日の若葉さん、穏やかじゃないですね……?」

「戦に出る前の武士みたいな雰囲気だな」

「うどんと蕎麦でそうなる意味が不明だわ」

「えっ、だってうどんの方が美味しいじゃないですか」

「……もう一人うどん馬鹿がいたわ……」

「ほむらちゃん……」

 

 まさにほむらちゃん以外の三人の言う通りなんだよね……本当はただの定期通信のはずなのに……。

 だけど一応物騒な話題じゃないんだよね。藤森さんも白鳥さんは楽しそうだったって言ってたし、紛らわしいだけで。

 

 ……楽しそう……かぁ。今の言動はちょっとアレだけど、それはきっと若葉ちゃんだって同じ。人に誤解されやすい性格の若葉ちゃんが、ひなたちゃんが一緒じゃなくても自然とそうなれるなんて。良い人なんだろうね、白鳥さんって。

 

 ……よし。

 

「ねえ若葉ちゃん。今日の通信なんだけど、わたしも同席していいかな…?」

「………ひょっとして、前回の件で監視が必要になったのか…?」

「寧ろたった今の発言で監視を付けるべきか検討しようと思えましたが」

「本当かひなた……」

「あはは……」

 

 シャキッとした表情から一瞬でシュンと気まずそうになる若葉ちゃんに苦笑しつつ、ちゃんと理由も説明しておく。この前は時間があんまり無くて、簡単なお礼くらいしか言えなかったから。

 

「そうじゃなくて……。一回ちゃんと白鳥さんにも挨拶しておきたくなったんだ。巫女の藤森さんにも親切にしてもらったから、その事も伝えたくて」

「………」

 

 若葉ちゃんはちょっと意外そうな顔をしたけど、すぐに嬉しさを感じさせる笑みを浮かべてくれた。

 

「ああ。わかった」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 慣れた様子で通信機を操作する若葉ちゃん。ザザッとマイクが入る音が聞こえてから、通信開始のボタンを押す。こうやって見てみると、この前のわたしの操作は無駄がいっぱい……というか壊れたりしなくてよかったかもなんて……。

 

『はい、こちら諏訪より白鳥です』

「こちら四国より、乃木だ。それから……」

 

 促されて、若葉ちゃんの隣に座る。この前は怒っていたらどうしようなんて不安があったから通信が怖かったけど、今日は大丈夫。

 

「はじめまして。巫女の鹿目まどかと言います」

『ああ! 鹿目まどかさん。こちらこそはじめまして。諏訪の勇者の、白鳥歌野です』

 

 通信機からはこの前も聞こえた元気いっぱいの女の子の声が返ってきた。

 

『みーちゃんから聞きました。この間は私のせいでご迷惑をかけたみたいで、すみませんでした』

「そんな、気にしないでください……!」

 

 みーちゃんっていうのは藤森水都さんの事かな? はきはきとしているけど、申し訳なさもひしひしと伝わるトーンで来るからこっちもちょっとだけ負い目が……。だけどもう済んだ話なんだし、気にしないでほしいっていうのは本当の気持ち。

 

「通信が勇者のお役目と言っても、それで若葉ちゃんと白鳥さんが仲良くなれる時間になっているんだとしたら良い事ですから」

 

 喧嘩に発展することなく、二人が満足できる形であるんだったら何も言う事は無いよ。

 

『仲良く……はい。乃木さんとの通信の時間は、諏訪の外にも仲間がいるんだって思えてくるんです』

「白鳥さん……」

『でもこの間はちょっと違って、お互いに時間を忘れてしまうぐらい熱中しちゃって……仲間というより、友達同士のやり取りみたいになってしまいましたが……アハハ……』

「……フッ。違いない」

 

 通信機越しの白鳥さんの声も、隣に座る若葉ちゃんの声も、喜びに包まれている。友達同士みたいなやり取りって言ってたけど、みたいじゃなくて、既に友達と言ってもおかしくはない空気が二人の間にはあるんじゃないかな。

 だとすると、大切なこの言葉をもっと彼女に伝えたいと思えてくる。わたしも確かな嬉しさを感じながら、白鳥さんに送る。

 

「どうかこれからも、わたしのお友達の若葉ちゃんをよろしくお願いします」

『はい! こちらこそ!』

「おいおい……まったく、挨拶がしたいと言っておきながら保護者のような発言を白鳥さんに……まるで私が幼い子供みたいな扱いではないか」

「てぃひひ♪」

「……ははっ。白鳥さん、まどかはこういう奴なんだ。初めて出会った頃から人一倍澄んだ優しい心を持っていて、いつだって私達の事を想って考え、動いてくれる。自慢の友だよ」

『ええ。そういった大切な存在って、本当に有り難いですよね』

 

 嬉しさも、隣で若葉ちゃんが恥ずかしそうに呟く可笑しさも、白鳥さんという頼りになりそうな人との会話も。何もかもが心を和やかにさせる。

 そんな想いを抱いたまま、続けてもう一人の女の子への感謝を。

 

「それで藤森さんにも、ありがとうございましたって伝えてもらえたらなぁって」

『まあ!』

「喧嘩しているんだって勘違いしちゃってた時は不安しか感じていなかったから、正直通信して話を聞くことは怖かったんですけど……藤森さんと話していたらすぐにそんな気持ちが無くなったんです」

 

 雰囲気も穏やかそうで、とても話しやすかった。声も可愛らしくて親しみも感じやすい。

 それに同じ、勇者の巫女。ひなたちゃんに美佳ちゃん、安芸さん、他にも巫女に選ばれた人は知っているけど、藤森さんがいるのはわたし達から一歩先のステージ。今間違いなく、過酷な中でバーテックスと戦っている白鳥さんを隣で手助けしている。

 

「よかったら今度はゆっくりお話しできたら嬉しいです。そちらは忙しいし大変かもしれないから、わたしのワガママだけど……」

 

 ……わたしが今その立場にいたらと想像すると、情けないけど……怖い。だから心から応援したいんだ。

 

『ふふふっ♪ だって、みーちゃん♪』

「えっ?」

『……えっと、ど、どうも……』

「あっ、藤森さん!」

 

 ちょっとだけびっくりしちゃう。嬉しそうな白鳥さんの声の次に聞こえてきたものは、この前わたしが話した人の声と同じだった。本当はこの通信は若葉ちゃんと白鳥さんの二人でするものであって、たまたまわたしが若葉ちゃんにお願いして一緒にいたのであって。まさかここにもう一人いたなんて考えていなかったから……。

 

『こ、こんにちは。鹿目さん……その、ありがとうございます……。あんな風に言ってくれて、ちょと恥ずかしかったけど、なんだか嬉しいです』

「あ、はは……聞かれてたんですね。えへへ……」

 

 白鳥さんから伝えてもらえるとばかり思っていたから、直後に本人からこう言われると決して悪い気はしないけど、ちょっと気恥ずかしくてむず痒いかも……。

 

「件の諏訪の巫女か? もしかすると白鳥さんも彼女を紹介するつもりだったのか?」

『そうではなくて……喋ったりは無いんですけど、今までも通信の時には何度か一緒にいた事もあったんです』

『その……お二人の通信の邪魔になるといけないと思って……』

 

 藤森さん、前からいたんだ。まあ一応これって勇者同士で行われる通信だから、巫女だったら普通は喋らないって考えるのが自然かも。

 

「いや、気にする必要はない。藤森さん、だったな。あなたにもこの前の件では迷惑をかけた」

 

 でも若葉ちゃんはあんまり気にしない。白鳥さんだってわたしや藤森さんに話を振ったみたいに、そこまで堅い考えは持って無いんじゃないかな。

 

『あ、いえ、それはうたのん…歌野がムキになったからで』

『ちょっとちょっとみーちゃん! ムキになったのは乃木さんの方だって!』

「何を言う白鳥さん、どさくさに紛れて事実をねじ曲げようとしないでくれ」

『信州蕎麦の魅力をアピールしたらうどんのほうが良いなんて後から否定してきたのはそっちでしょう!?』

「そこでうどんの素晴らしさを説いた直後に諦め悪く蕎麦について語り出したのはそっちだろう!?」

「…あ…あれ……?」

『話がなんだか……』

 

 一瞬にして話題がおかしな事になってきていない!? さっきまで穏やかそうに佇んでいたはずの若葉ちゃんも、温和そうだった白鳥さんの声もヒートアップしている。前もこんな感じだったの!?

 

「そちらがあれほど推すから食べ比べてみたが、うどんほどの感動は無かった! 蕎麦にはうどんにあって然るべき物が欠けている!」

『欠けているのはうどんの方です! 蕎麦はルチンやビタミンBミネラルが豊富な健康食でもあるのですよ! うどんは人の体に優しい栄養素を与えはしませんから!』

「いいや、うどんは食した者に惜しみない満足感を与える! あっさりとし過ぎた蕎麦が敵う道理はない!」

『あの喉越しの良さが分からない!? ツルツルッと胃の中に入り込んでくるあの幸福に気付けないなんて人生の8割を損しているわ!』

「では今ここでこの前の決着を付けるとしよう!」

『望むところ!』

「うどんか!」

『蕎麦か!』

「『ストップ! ストーップ!!』」

 

 慌てて若葉ちゃんの口を塞ぐとの同時に、通信機の向こう側でも同じ用な音が聞こえた。間違いなく藤森さんもわたしと同じ事をしているんだろうなって……。

 

『……うたのんってば……そんなのだからこの前誤解されたんだよ!』 

「若葉ちゃん、ひなたちゃんに反省するって言ってたのに、あれは嘘だったの?」

「『うっ…』」

 

 ……ひとまずは…なんとか……。ハァっと安心と疲れが混じったようなため息が出る。そっと塞いでいた手を離してみると若葉ちゃんは気を取り直すようにコホンと咳払いをした。

 

「あー……まぁ、時間は有限だ。白鳥さん、そちらの状況報告を頼む」

『そっ、そうですね……』

 

 やっぱりひなたちゃんが言ってたみたいに、見張りやら監視やらを付けた方がいいのかな……? でもまあ、今までは問題なかったわけだし、話の流れさえおかしくならなければ真面目に通信は行われる様子ではある。

 

『一昨日ですね。バーテックスの襲撃がありました』

「……っ」

 

 真面目な…話題が……。

 

「……被害は出たのか?」

『いいえ。全部その場でキレイに返り討ちにしてやりましたよ!』

「そうか。流石は白鳥さんだ」

「………」

 

 あの日以来、わたしは大社が入手した映像や写真でしか、その恐ろしい姿を見ていない。本物じゃなくても気分が最悪になる記憶までも呼び起こす怪物が、つい先日彼女達の近くに現れていた。

 

『四国の状況はどうですか?』

 

 わたし達が平穏な時を過ごしている間に……。

 

「変わりない。バーテックスの侵攻もなく今まで通り……」

「………」

「……まどか?」

 

 無事に勝てたんだから今こうして通信できている。笑えている。

 神様から力を貰った勇者は強いんだって、ずっと側で見ていたから知っている。だけど、相手が相手なんだよ……? 世界中を地獄に変えた……。

 

「……怖く…ありませんか……?」

『えっ?』

 

 隠さなきゃって思っていた本音を口にしてしまう。

 ……情けないと思う。こんな発言を今一番大変な役目を背負っている白鳥さんに聞かせて、無神経だって分かっている。

 

「……怖いです…わたし……これからみんなが、あんなに恐ろしい化け物と戦うんだって思うと……」

「『『………』』」

「……ご、ごめんなさい……忘れてください……」

 

 戦いもしない人間が何を横から無責任な余計なことを言って……。これじゃあ煽ってるんだって、そう思われても仕方ない……。

 

「……怖くはない」

「若葉ちゃん……」

「奴らを倒すこと……それが私達の使命なんだ。恐れを抱いていては鈍ってしまう。奴らに付け入る隙を与えてしまうだけだ」

「……そう、だよね……」

 

 忘れてほしいって言ったんだけど……。でも何の迷いも無くはっきり告げられたこの言葉は、普段の彼女が見せる姿と全くブレていない。

 

「ほむらだってそれは心得ているはずだ。まどか……お前が誰よりも一番近い所であいつの決意を目の当たりにし、そのための努力だって支えているのだろう? なのにお前がこんな所で目を背くわけにはいかんだろう」

「……うん……」

 

 力強く言い切られてしまう。若葉ちゃんの意志はとても固くて、立派。やっぱりわたしのこの心の弱さは誤ったものでしかないんだって、胸が少し苦しくなる。

 

「やっぱり強いね、若葉ちゃんは……」

『ええ。そんな乃木さんが味方なんだって思うと私も心強いですよ!』

 

 その影響力は大きい。こうしてこれまでにも会話を交わしていた白鳥さんまでもが惹かれるほどに。勿論わたしだって若葉ちゃんのことは……みんなのことは信じている。だからこれは、わたしの心の弱さが問題なんだ。

 

『それに、私にはみーちゃんがいますから』

『えっ?』

「先程から幾度か聞こえていたが、みーちゃんというのは藤森さんの事で間違いないか?」

『はい。諏訪には直接バーテックスと戦える勇者なんて私しかいないけど、だからって私一人だけでバーテックスと戦っているんじゃないんです』

「……藤森さんも戦っているってこと?」

 

 白鳥さんのその言葉は、なんとなく予想していた。諏訪には白鳥さんの他に勇者はいないのに過酷な現実を前に挫けずに戦えているって事は、勇者を支えている巫女が余程ちゃんとしているんだろうから。

 

『正直に言うと、私一人だけだったら無理です。バーテックスとは戦えません……怖いから』

「こ、怖い……? 白鳥さんもそう思ってしまうのか?」

『当たり前ですよ! 相手は世界を滅茶苦茶にした化け物なんですから! 逆に乃木さんが怖くなくて当然みたいに言うからこっちはビックリですよ!』

「えっ…あ……それは、その……」

『もし私がやられちゃったら、諏訪のみんなの命も積み上げてきた何もかも、全部無くなるんだって思うと……プレッシャーはとても重いんです……』

「………す、すまない。どうやら無神経な発言をしてしまっていたようだ……。私達は白鳥さんとは違って、戦線に立ってすらいないのに……」

 

 一方的に自分の価値観を押し付けていたんだって、ショックを受けた様子で俯く若葉ちゃん。若葉ちゃんの覚悟は強いけど、視野が狭い。

 

『……乃木さん、鹿目さんも、これだけは覚えていてください……。戦いの現実というものは、想像よりも遥かに重いんです』

「「……」」

 

 周りも必ずしもそうじゃないってはっきりさせられた解答を白鳥さんは告げた。まさしく、今の残酷な現実を物語るかのように。

 

『……でも、私は一人じゃないんです』

 

 その次に発せられた言葉は、そんな重々しさを吹き飛ばすかのように溌剌としていて……。

 

『私だけじゃない……みーちゃんも諏訪のみんなの心を支えて、壊れないよう優しく包み込んでくれている。みーちゃんの頑張りが、みんなにも希望を伝染させてくれる』

 

 正しい巫女の姿を存分に語る。わたしには無くて、藤森さんにはある勇者を正しく支えられているのであろうその強さ。

 

『みーちゃんの応援が、私に無限大のパワーを与えてくれるの!』

 

 わたしが向き合わなくちゃいけない大きな姿。

 

『だから戦いは怖くても、それでも前を向いていられる……希望に向かって生きていられる。例え絶望的な戦いの中だとしても、みーちゃんがいてくれるから希望を失う理由なんて無いんです!』

 

 とても誇らしげな白鳥さんの声に、罪悪感と無力感がにじみ出ていた顔が自然と綻んだ。

 

(……すごい人だなぁ。白鳥さん、藤森さんも)

 

 絆の深さに感動すると同時に、わたしは自分が恥ずかしくなった。勇者という存在が背負うものは重くて大切なもの。そしてそれを支える人達の想いも、彼女達が前を向いていけるようにするためにも同じように大きくて大切なものだ。

 わたしのこの弱さは無くさなきゃいけないんだ。若葉ちゃんはああ言ってたけど、若葉ちゃんにだってはたして本当に恐怖という物が付きまとわないとは限らない。現に白鳥さんだって抱えているんだって言ってるんだから……そしてそれは若葉ちゃんだけじゃない、ほむらちゃん、他のみんなにだって言える事。

 

「ふふっ。では、そちらの巫女も随分と頼りに…」

 

 あの怖さを克服するのは心の持ちようだけじゃ難しいだろうけど、わたしも藤森さんみたいにみんなを助けるために……戦うんだって受け入れて乗り越えるためには……そう臆病な考えを改めないとって、考えさせられた時だった。

 

『……何それ。そんなわけないじゃん……』

 

『ワ、ワッツ…?』

「……え?」

「藤森さん……?」

 

 ……それは、今までのどんな声よりも冷めていた。溢れ出していた白鳥さんの嬉しそうな声とはまるで正反対。わたしも若葉ちゃんも、白鳥さんまでもが戸惑いの声を漏らしていた。

 

『そんな風に言われても困るよ……。うたのんってばいっつもそう。私の事を過大評価しすぎなんだよ……』

『な、なに言ってるの……そんな訳ないでしょー? みーちゃんがいっつも頑張っている所、私はちゃんと見てるんだから!』

 

 藤森さんの言ったことに理解が出来ていない様子の白鳥さん。だけど、藤森さんの言葉は止まらない。

 

『……でもそれって、何の役にも立ってないよね』

『は、はぁ!? 訳が分からないって!』

『だってそうでしょ? バーテックスからみんなを守ってるのも、畑を耕そうってみんなに希望を取り戻したのも……今みんなが笑えているのって全部うたのん一人のおかげだもん』

 

 白鳥さんは完全に困惑している様子だったし、わたしも若葉ちゃんも同じだった。

 

『巫女だから。うたのんのパートナーだからって理由だけで側にいるだけなんだよ、私は……。うたのんのすごい所をただ見てるだけで、何も……何もできない役立たずなんだよ……』

『何言ってるのよ……誰もそんな事思ってないわよ…? 長野にいる人は誰だってみーちゃんの事が好きだし、すごいって思ってるって!』

 

 ただ、白鳥さんはずっと側にいた藤森さんが抱えていた悩みが全く理解できず、わたし達は突然の藤森さんの否定の言葉に戸惑う形で。

 

『だから言ってるでしょ!? それは過大評価なんだって! たまたま巫女に選ばれただけの私なんかが居ても居なくても、うたのんは元気に前向きにやっていける! 変わらないって事だよ!!』

 

 自分の事を全く分かってくれない……そんな白鳥さんに苛立ちが募ったのか、藤森さんが今まで溜め込んでいた感情を言葉に乗せた。

 

『……結局うたのんだけで諏訪のみんなを引っ張ってるんだよ……』

 

 泣きそうな声で、震えたような声でそう告げた。

 

(……この感じ……)

 

 胸騒ぎがした。通信機越しに聞こえたその本音は、チクリとわたしの心を刺すような痛みが走った。

 

 似ていると思った。わたしが抱いていた気持ちに。一人じゃ何もできない、自分自身の弱さに対するコンプレックスに。

 

「お、おい…二人とも落ち着…」

「待って!」

 

 若葉ちゃんの声を遮って咄嗟に声が出た。

 わたしには何となく……判るから。

 

『鹿目さん……?』

「藤森さん……わたしね、自分の事で人に胸を張って言える事なんてないんだ」

『……え?』

 

 藤森さんは今、自分の心に負けそうになってきている。白鳥さんの凄さと比較して、自分の凄さが大したものじゃないって思い込んでいる。

 

『テストの点数だってあまり良くないし、運動も得意じゃないし、祝詞(のりと)だってなかなか暗記できない。いつもドジばかりで、もう一人の巫女の子にもいつも助けられてばかりで……』

『………』

「……みんながいないと何もできない、いつも人に迷惑ばかりかける、わたしはそんな情けない人間なの」

 

 ……とてもよく判る。わたしだって、若葉ちゃんやほむらちゃんやひなたちゃん、みんなと比べたら全然凄くないって、今でも考えちゃうもん……。

 

「まどか!? お前まで何を言うんだ!」

「うぇひひ……もしかして怒ってる…?」

「当たり前だ! 誰がいつ、お前の事を迷惑だなんて言った!!」

「……うん、ありがと若葉ちゃん」

「……えっ?」

 

 わたしの言ったお礼の言葉に、意味が飲み込めずにきょとんとする若葉ちゃん。わたしが自分を貶めたかと思いきや、そんな様子を感じさせない笑顔を浮かべたから……。

 ……だって、嬉しかったから。わたしが自分に自信を持てないのは本当の事。劣等感を抱いているのも、本当の事。

 ……でも、それを間違いだって怒って、否定してくれる人がいる。

 

「わたしは弱いし、ダメな子だけど……それでも、自分じゃ気付けない良い所をみんなが見つけてくれる」

 

 ───まどかはこういう奴なんだ。初めて出会った頃から人一倍澄んだ優しい心を持っていて、いつだって私達の事を想って考え、動いてくれる。

 

 ───自慢の友だよ

 

 それはとっても嬉しいなって思うんだ。

 

「藤森さんだって、きっと同じだよ。自分じゃ分からないかもしれないけど、白鳥さんは藤森さんの凄い所をいっぱい見つけている。だから……」

『……でも、私は……ずっと見てるだけで……』

『それが私に無限大のパワーをくれるのよ』

 

 白鳥さんは優しくて強い声色でそう言い切った。

 

『いつだって一生懸命で、誰よりも私の事を信じてくれて……私のために戦ってくれているのがあなたでしょ?』

『う、うたのん……』

『あなたのおかげで今の私が居る。それだけで充分過ぎるくらいに……みーちゃんに救われてるんだから!』

『………うたのん』

『みーちゃん……』

『……鹿目さん……乃木さん……』

 

 そしてわたし達の名前を呟いて、藤森さんはやっと気が付いてくれた。

 

『……ごめんなさい……それから…ありがとうございます……』

 

 通信機越しでも藤森さんの声が、涙混じりながらも明るくなったのが分かった。わたしも若葉ちゃんも、顔を見合わせて安心して笑っていた。

 

「……よかったね」

「ああ、そうだな………しかしだ」

「?」

 

 軽く目を瞑って、神妙な面立ちで黙る若葉ちゃんに首を傾げる。次の瞬間……

 

「……お前ぇ……何が自分は弱いだ! ダメな子だ!!」

「え……ええっ!?」

 

 いきなりわたしの両肩を掴んで、怒りながら詰め寄ってきた!

 

「お前は本当に自己評価が低い! こちらはお前に助けられているんだぞ! 少しは自分の価値を認めろ!」

「そ、そんな事言われてもぉ……!? 若葉ちゃんだって知ってるでしょ…!? いつも失敗ばかりでひなたちゃんに迷惑かけてばかりって……」

「確かにお前は時にドジをする。だがそれの欠点を覆すほど、誰よりも強く私達の事を想って動いていると言ったばかりじゃないか!」

「あぅ……」

「それにお前の優しさは、人の心の痛みを理解して寄り添う事ができる。今の話だって、お前が解決に導いたのではないか」

 

 文句の中で逆に褒められた事に思わず言葉が詰まってしまう。そんなわたしを見て若葉ちゃんは呆れたようにため息を吐いた。

 

「……白鳥さん、気弱な巫女に自信を付けさせるにはどうしたらいいのだろうな……」

『ア、アハハ……』

『ご、ごめんなさい…本当に……』

 

 身に覚えのある話を振られて苦笑いする白鳥さんに、その言葉と該当する藤森さんも申し訳なさそうに謝った。

 

「全く……もう少し自分の事を誇れ。そうすればもっと自信を持てるはずだ」

「そ…そうかもしれないけど、いきなりそんな……」

「いきなりだとかそういう話ではないだろう」

 

 うぅっ…! こ、これもわたしの自信の無さがゆえ……なのかな…。

 

『……ということは……何かきっかけがあれば自信が持てるとか』

「きっかけか……」

『…あ、あの…!』

 

 わたしがしょんぼりうなだれて、若葉ちゃんがうんうん唸る中、何かを思い付いたように藤森さんが声を上げる。

 

『えっと……さっき鹿目さん言ってましたよね。祝詞の暗記がどうのこうのって……その祝詞って、鹿目さんが巫女だからやってること……ですよね?』

「えっ…あ、はい。巫女の訓練の一つでやってるんですけど」

『それはどういった目的でやっているものなんですか?』

「えっとね……」

 

 大社から教えられる祝詞と作法。これらで神樹様からの神託の精度を上げられたり、こちらからの信仰で神樹様に力を与えたりと、巫女達にとってとても重要なお役目でもある。

 それを藤森さんが聞いてきたのはどうしてだろう? というか藤森さんは今までその存在すら知らないようで……

 

「という感じなんですけど……」

『………』

『へぇ……やっぱり大社ってすごいですね。神事のレクチャーだなんて、勇者だけじゃなくて巫女のバックアップも完璧なんですね』

「あ…」

 

 ……そっか。諏訪には大社みたいな勇者を後方支援する組織なんてものは無い。だから藤森さんは本当に、巫女一人の力だけで白鳥さんを支えている。

 神託は受け取れても、その能力をより高める事は事実上不可能……

 

「『あの!』」

 

 一つの考えが浮かんで、わたしと藤森さんの声が重なった。

 

『……鹿目さん、私に大社の神事を教えてくれませんか!?』

「っ! わたしも今そう言おうと思ってました!」

 

 これはいい機会だと思った。神事に触れることができない藤森さんに、今現在バーテックスと戦う白鳥さんをサポートする藤森さんに。彼女の能力の高め、二人の手助けができる唯一の機会だって。

 

「暗記があんまりって言っちゃったばかりですけど、頑張ります! 若葉ちゃん達だけじゃなくて、白鳥さんや藤森さんのためにも!」

『鹿目さん……ありがとうございます!』

 

 二人が命懸けで戦っているのに何もできなかった自分にもどかしさを感じていたから、こうすればわたしでも力になれる。そう思うと嬉しくなって、いっぱいいっぱい頑張らなきゃって意欲が強くなる。

 それ以上に、これは藤森さんの方が心の底から望んでいたものに違いない。白鳥さんの事を誰よりも近くで見ている彼女なら、彼女が無事でいられる可能性を高める方法があるのなら、手を伸ばさない訳にはいかない。

 

「なるほど……私も賛成だ!」

「若葉ちゃん!」

「任せたぞ、まどか!」

 

 若葉ちゃんも笑顔でそう言った。藤森さんの能力を高めるのには、同時に彼女により強い実感を与えるのに繋がるはずだから。自信の無い藤森さんに、白鳥さんと一緒にバーテックスと戦っている、白鳥さんを支えられているっていう実感を。

 わたしにも、さっき言われていた自信というものを育んでいくためにも。

 

『うふふ、そういえばさっき鹿目さんが言ってましたね。みーちゃんとゆっくり話したいって。だったらその時間を作るべきですね!』

「私と白鳥さんの勇者通信と同じ様に、まどかと藤森さんも神事の指導を主にした巫女通信の始まりか」

 

 

 巫女通信……これを期に、わたし達四人は顔も知らない友達と交流を深めていく……。

 

 その結末は、全ての始まりへと繋がっていく。

 

 

 

 

 

 

 ───歌野ちゃんと水都ちゃんを助けて!! 死なせないでよぉ!!!



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「いつか希望の蕾は花を咲かせる」

 これからは外伝の最新話を更新する際、本編の一番下になるように投稿し、次に本編外伝関わらず更新するタイミングで外伝パートの該当位置に変更していく形を取っていこうと思います。

 理由としては、作者的に外伝はあまり手を付けてもらえなくて悲しい……。まあ本編が気になって、外伝は外伝でしょという考え方も分かるのですが、私のワガママに付き合って頂けると幸いです。

 そんな外伝の興味がイマイチという方々へ、並びに外伝も楽しんで頂いてくださる方々へ。薄々感づかれている方もおられるとは思いますが、ここで外伝のコンセプトをお伝えします。





 外伝は、原作クラッシャーゆうほむが介入しないのわゆ編です。


 わたしが大社で教わった神事を向こうに伝えて、そこから捧げられる神聖な祈りはこれまでよりも諏訪の土地神様の力を高めることができる。結界はより強固になり、大地に芽吹く恵みは豊かになり。バーテックスを討つ勇者の力だってより強く、より堅くなる。

 

 わたしと、諏訪の巫女である()()()()()。二人の巫女による巫女通信は、力になりたいって想いと弱い心を持った自分を変えたいって想いから始まった。

 

「───すまはせたまへる……ちひろのたくなはを……」

『ももあまりやそむすび……いと……いと………あぁごめん! また間違えた……』

「難しいもんね……もう一回いこう!」

『……いたはひろくあつく……だったね……。うん、まどかさんお願い』

 

 心を落ち着かせて、ゆっくり丁寧に祝詞を唱える。水都ちゃんは一生懸命祝詞を覚えようって頑張っている。そんな頑張りを裏切るような真似は絶対に嫌で、何よりもわたしも二人の力になるんだって想いが日に日に強くなっていく。

 

「『とまをす……あやしきひかり……さちたまくしきみたまを……しづめたまえば……』」

 

 真剣に、例え神様の前では無いのだとしても、本当に祈りを捧げるように気持ちを込める。

 健全な祈りによって健全な力が宿る。不純な感情は一切混じらず、純粋な想いを乗せる事だけを心に染み込ませる。

 

「『いまひとたびのめぐみあたえませ』」

 

 これがわたしと水都ちゃんの巫女通信。諏訪への大社の神事内容の共有と復唱、それが終わると……

 

『───ねぇ聞いてよまどかさん! 信じられない! うたのんってばまた……』

「あはは……またやっちゃったんだね」

『みーちゃんの足みたいに大きくて綺麗ねって……収穫した大根を見てそう言ったんだよ!?』

「それはだいぶ酷くない!?」

 

 最近は他愛のない愉快なお喋りに、愚痴も増えてきたんだよね……。

 

『だよね!?  まどかさんもそう思うよね!? 本っ当にデリカシーが無いんだから!!』

 

 気付けば遠慮がなくなって。堅苦しいというか、お互いに敬語を使って話していたのは最初だけ。苗字じゃなくてお互いに名前で呼び合うようになったのもすぐだった。

 

『私もう頭にきちゃって……なのにうたのんってばずっとヘラヘラしちゃって、怒らないで…なんて宥めようとするの!』

「うわぁー……多分それ、歌野ちゃんはどうして水都ちゃんが怒ったのか理由も分かってないんじゃないかな……?」

『絶対そうだって!!』

 

 ……もちろん肝心の神事については真面目にやってるよ!? ただね、普通に話しても水都ちゃんとは同じ巫女だって事もあって会話が弾むから、つい……。

 なんて言うか……若葉ちゃんと歌野ちゃんがうどんと蕎麦でどっちがいいのか討論する時間がとても楽しいって言ってた理由が今なら良く分かるの。それに全部が全部愚痴ってわけじゃないし。真面目な話だったり嬉しくてクスクス笑えるような話だったりもたくさんあるんだから。

 

『怒ったみーちゃんの顔もキュートだけどやっぱり笑顔が一番! スマイルスマイル……とか自然に言っちゃうんだよ!?』

「それって素で言ってそう。だとするとごめん、ちょっと素敵かも。歌野ちゃん、本当に水都ちゃんにいつも喜んでいてほしいからそう言ったんじゃないかな?」

『そうなんだよぉ……!』

「……それでも流石に、大根が足みたいはどうかと思うけど……」

『そうなんだよぉ!!』

 

 わたし達二人はどこか似ていた。自分に自信を持てない人間で、その弱さの改善を諦めかけていて、受け入れようとしていた所が。巫女として、大切な人を側で支えたいと願う気持ちを抱いていた所とか。

 

「歌野ちゃんなりに褒め言葉のつもりだったんだろうね」

『いっつもズレてるんだよ、うたのんってば』

「てぃひひ♪ そこが歌野ちゃんらしいって言うか、歌野ちゃんの良いところだと思うな?」

『むぅ~』

 

 だから、今諏訪で戦っている水都ちゃんと歌野ちゃんの何気ない幸せな日常を聞くと胸が温かくなる。顔は見えないし声が不満気なものだとしても。心から応援している二人が生き生きとしているのがまるで自分の事のように嬉しいの。

 

『……はぁ~。もういいや。どうせいつまで経ってもうたのんには分からないし、ずっと怒ったままってのも無意味だね……』

「怒ったり喧嘩しても、ありのままの歌野ちゃんを受け入れてさ……。偉いし、優しいね、水都ちゃんは」

『仕方ないもん……でもまどかさんに話してだいぶスッキリはしたから。ありがとう。ただ、ごめんね、こんなつまらない話を聞かせちゃって』

「そんなことないよ。ちょっとでも水都ちゃんのためになれるんだったら、またいつでも話を聞くから」

『……ふふっ……本当にありがとう、まどかさん』

 

 この巫女通信の時間が訪れるのがいつも楽しみで待ち遠しい。水都ちゃんも同じ様に思っていてくれたら嬉しいな……。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 うたのんだけが、何もなかった私のたった一人だけの友達だった。ただそれも、誰よりも立派で大人よりも凄くて、うたのんの背中は私にはとても追いつけそうにない。うたのんの横に立つことすら私は不相応だって、自分が惨めになるだけだったのに……

 

『進化体って……状況は!? 怪我をした人や建物の被害とか……歌野ちゃんは!!?』

 

 先日、バーテックスによる襲撃があった。それもいつものような襲撃ではなく、進化体というごく稀に出現する強力な敵が含まれていたもの。

 

 かつて進化体が出現した時、うたのんはその進化体独自の特性に苦戦した。やたらと素早くてうたのんの攻撃を軽々避け続け、一瞬の隙を突いて放たれる攻撃もまともにくらったら一撃でやられかねないほどに強力……そんな恐ろしい存在がバーテックスの中にいる。

 

 その時の進化体は、ヘトヘトになりながら身体中も痛めて、なんとかギリギリで倒せた。

 そして今回現れた進化体は───

 

『怪我人無し……歌野ちゃんも!?』

「うん……!」

 

 なんと、圧勝とまでは流石にいかなくても、幾分かの余力を残して激戦を制した。

 戻ってきたうたのんは、笑顔で私を抱き締めて、その状態で忘れられない言葉を言ってくれた。

 

「前よりももっと、パワーが漲ってきたって……進化体を倒せたのも、みーちゃんが土地神様に祈りを捧げてくれたからって……」

『それって……』

「まどかさんが、私に神様へのお祈りを教えてくれたから……私、本当にうたのんの力に……!」

『~~~ッ!! やったああーーー!!』

 

 同じ巫女の彼女は、うたのんと同じ様に私と同じ目線に立って、綺麗に透き通った本心で向き合ってくれる。

 通信機越しに響く、喜びしか感じていない彼女の叫び声は私の努力を心から祝福していた。

 

『凄い!! 凄いよ!! 水都ちゃんが歌野ちゃんを想う気持ちが、強いバーテックスをやっつけたんだよ!!』

「……うんっ……うん!」

 

 声だけしか聞こえないのがとても残念だった。彼女は今、どんな満開な笑顔で卑屈だった私が成し遂げた成果を喜んでくれているんだろう……。

 

 まどかさんからの惜しみない賞賛と喜びの声は、初めてこの身に実感する成功体験で弛む涙腺をより刺激する。これまで、私は自分自信に対して存在価値を疑問に思いながら生きてきた。何もできない役立たず。人の顔色を窺うだけの臆病な子供。このまま変わることなんてできず、誰かの足を引っ張り続ける嫌な人生を送る…って。

 うたのんがそれは違うと否定して、まどかさんも他の人からすれば良い所は見つけてもらえるってフォローをされたけど、だからと言ってすぐに納得できたわけじゃなかったの。それなのに……

 

「私……初めて自分がやってきた事に誇りが持てたかも……!」

『そっか……良かったね、水都ちゃん』

 

 何かを成し遂げて、それがうたのんのあの笑顔を作り上げた。

 

 今回、ハッキリとした形で私がうたのんの力になれた様を目撃した。毎日欠かさず土地神様に祈りを捧げ続けていく内に、それ以前には感じられなかった神秘的で温かいものを感じ取った。するとどうだろう、うたのんは進化体の襲来という一見危機的な状況を突破したではないか。

 

 うたのんはその理由を、私が教わった祈りで土地神様の力が高まって、それがうたのんの力をより高めたからだって同意してくれて……。

 

『……うん! いっぱいたくさん、自分の事を褒めようよ! これからももっと頑張っていけるように!』

 

 全身を巡るような喜びが、優しさしかない溢れんばかりの歓喜の声でもっともっと加速する。うたのんだけじゃない、私達の事を心から想って力になってくれる彼女の存在は、何よりも温かくて胸に染み込んでいく。

 

「……私なんかでも……ぐすっ…! 本当に、うたのんの力になれるんだ……!」

『えっ? み、水都ちゃん泣いてるの…!?』

「あ、あれ……?」

 

 気が付けば目頭が熱くなっていて潤み、鼻の奥もツンとしてきた。私を包み込むこの感情は、口から出てくる声も震わせてしまうほどに嬉しいもので、我慢しようにもどうしても抑えられそうになくて……。

 

「……まどかさん……私、本当に良いのかなぁ……!」

 

 ずっと、叶わない夢を眺めていた。私にはできっこないって、不相応だって諦めが付きかけていた、明るい夢。

 

「うたのんの背中を見るだけじゃなくて、うたのんの隣に立って……!」

 

 せめて多少まともであればいい……最善から離れてしまった、妥協できるくらいならと願っていたのに。

 

「こんな私でも、うたのんと一緒に、歩いていってもいいのかなぁ……!」

 

 もう一度、今度こそ本当にうたのんの横に並ぶに相応しい存在になりたいと望んでいた。

 諦めたくないと、胸の中で叫ぶ想いがあった。

 

『……歌野ちゃんならなんて答えるのか、水都ちゃんは分かるんじゃないかな?』

「……」

『わたしだって分かるよ。きっと同じだもん♪』

 

 そうだよね……うたのんはきっと、ううん、絶対。私の夢を太陽みたいに眩しい笑顔で肯定してくれる。

 

『ずっと応援しているから。水都ちゃんも歌野ちゃんも、わたしの大切なお友達だから!』

「……ありがとう、まどかさん……」

 

 彼女の言葉は一つ一つに思い遣りがいっぱいにつまっている。それに、最初の頃からずっと、私ですら気付けなかったうたのんとの絆を私以上に、うたのんと同じくらい信じてくれていて……あるものを私に与えてくれた。

 

「ありがとう……私の友達でいてくれて」

『てぃひひ♪ 水都ちゃんこそ』

 

 今までの臆病な自分のままでは得られなかったこれの正体は、たぶんこんな風に呼ばれているもの……『希望』って。まだ小さい、蕾みたいな物だけど。

 

 それでも、いつか希望の蕾は花を咲かせるのかな……。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 諏訪の人達は明るく前向きに生きていくために、みんなで力を合わせて畑を耕して野菜を育てているんだって、水都ちゃんから聞いた時はものすごく感心してより一層彼女達の事を尊敬した。

 この巫女通信が始まる前は、戦いの最前線になっている諏訪で暮らしていて、過酷な現実で誰かの心がいつ限界を迎えてもおかしくはないって不安に感じていたから。

 

「ねえねえ! 今日はどんな野菜が収穫できたの?」

『たくさん穫れたよ。きゅうりにトマトにカボチャ。それにほうれん草に白菜に長ネギでしょ。というかたくさん種類がありすぎて、全部は答えられないや……』

 

 不安で怖れたりしない、まさに生きているって証を持っている人達。そんな風に導いてきた歌野ちゃんと水都ちゃんが立派すぎて、感心する以外の思いが出てこない。

 

『ちょっと食べさせてもらったんだけど、瑞々しくてとても美味しかったんだ~♪』

「いいなぁ~。歌野ちゃん達が育てた野菜……わたしも食べてみたいよ」

『そうだね……まどかさん達も是非食べてほしいよ。そっちに送れないのが本当に残念……』

 

 その言葉を聞いて少しだけ胸の奥がチクリとした。仲良くなれても、お互いに送れるものは通信機越しの言葉だけ。やっぱり会えないことが寂しく思えてしまう。

 

『まぁ、私は虫が苦手だから、あまり積極的には動けてないんだけど……』

「ああ…はは…そうだね……わたしも慣れる気は全然しないよ……。じゃあ歌野ちゃんは虫は平気なんだ?」

 

 それから入れ替わった話題から悲しい気持ちを切り替える。変わりに思い出したのは小さなトラウマだったけど……。

 前にパパが毎日やっている庭の家庭菜園を手伝おうとして、虫が出てきて思わず悲鳴を上げちゃった事もあったりするから……。わたしにはパパみたいに野菜を育てるのなんて無理だって分かった瞬間だもん。それだけでも、小さなことだけどパパだけじゃなくて歌野ちゃんや農家の人達も改めてすごいなぁって……。

 

『そうなんだよ。いっつも平然としてるの。どうして平気なのって聞いたら、いずれは農業王になる女ですから!だって』

「農業王?」

 

 聞き慣れない言葉に首を傾げる。なんだかすごそうだけど、それって将来の夢ってことかな?

 

『私も詳しくはないんだけど、うたのんってば結構本気なんだよね』

「……いいなぁ。夢に向かって一生懸命に一直線かぁ……」

『ふふっ。私、畑仕事をしているうたのんを見るのが好きなんだ♪』

 

 将来の夢なんて、わたしには全然分からない事だから。大切なみんながこれからもずっと幸せでいてほしい……そんな漠然とした願望しか、それっぽいものが無いものだから。

 

『まどかさんは将来なりたいものとか、あるの?』

「う~ん、分からないんだ……水都ちゃんは?」

『私は…………私もまだ、考え中』

 

 やっぱり難しい話題だったりするのかな? そもそも今の世の中は大変な状況で、だれもが未来の事を考えられる余裕なんて最初からほとんど無いかもしれない。こればかりは歌野ちゃんのような人の方が少数派だって、考えればすぐに分かることだった。

 力を合わせて前向きに頑張っているといっても、今諏訪にいる人達なんかは特に……。

 

『今までずっと夢なんて持ったことが無かったもん。何もできない、何にもなれない、つまらない人生を送るんだって思ってたから』

 

 ……ううん。別に世の中が変わってしまっても、例え変わらないままだったとしても、自分にとって一番叶えたい夢を見つけるのは難しいと思う。

 それは自分がそうなれる姿が見えないから。誰かの力を当てにするしかない自分を認めたくないってジレンマが、本当になりたい自分の姿を遮るから。

 

『でもね、最近は違うの』

 

 そんな中で彼女は。わたしと重なった弱さを抱いていた友達は。

 

『こんな私でも、今までとは変わってきているんじゃないかって感じてきているの。うたのんの力になれて……私でも誰かの役に立てるんだって気づけて……』

 

 それでも確かに、変わろうとしていた。変わり始めていた。

 

『うたのんに出会って、まどかさんと出会って……私、少しは前を向けるようになれたから』

「水都ちゃん……」

 

 その声色に嘘や気遣いは感じられない。確かな喜びを帯びた純粋な本音で話してくれていることが伝わってくる。

 わたしと同じ様な弱さを抱いていた女の子なんかじゃない。そこには強く生きる勇者と肩を並べられる姿があった。

 

 その成長をとても嬉しく思うと同時に、ほんのちょっぴり羨望と寂しさを感じてしまうのはワガママなのかな……。

 

 ……ううん。それでもやっぱり、嬉しいな♪

 

『だからね。私もいつかきっと見つけるよ。うたのんにもまどかさんにも誇れる、私の夢!』

「うん! 楽しみにしてるね」

『その時にはまどかさんも、きっと見つけていてね。一緒に夢を語りたいから……』

 

 そしてまた、水都ちゃんの言葉にはわたしへのエールが込められている気がして。信じてくれているんだって、わたしにも弱い存在だとしても変われるんだって。

 

「うん……きっと。約束だからね!」

 

 勇気を、希望をもらった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 これまでまどかさんと色々お話をして、彼女が友達や家族をものすごく大切にしている人なんだって、十分すぎるほど伝わってくる。

 それは彼女といつも一緒にいる四国の勇者だけじゃなく、私やうたのんもバッチリ含まれている。ありがたくて、心強い味方でいてくれて、人柄を好きになる理由は十分すぎた。

 

『それでね、自分や他の人が三つ編みを作るよりも、まどかに作ってもらう方が好きだって、ほむらちゃんが言ってくれたの♪』

「わあぁ……! すっごく素敵!」

『わたしもほむらちゃんの三つ編み大好きだから、喜んでそんな風に言ってくれてとっても嬉しくて!』

「それに比べてうたのんは、昨日と今日と来週も相変わらずデリカシーがない……。ハァ……いいなぁ……」

『あはは…来週もなんだ……。変わらないんだね…』

 

 特にこの「ほむらちゃん」という人について話す時のまどかさんはいつも嬉々としている様子で、ウキウキしてる。

 

 鹿目ほむらさん……私がうたのんを導くように言われたみたいに、まどかさんと関わりが強い勇者の人。それでいて、まどかさんの血の繋がらない妹。彼女にとっては家族とも友達とも言える存在だってことは、一番最初に向こうの勇者の人達についての話題が出た時に聞いてはいたんだけど……。

 

 ただそれにしたって、私が数少ない友達だと思っているまどかさんがここまでのめり込んでいる人はいったいどんな人なんだろうって、当然興味を抱くわけで。

 

『───えっ? ほむらちゃんの事?』

「うん。今は姉妹でも、そうなる前から仲が良かったんだよね? 二人がどんな風に知り合ったとか、どんな風に仲良くなれたのか、思い出話を聞いてみたいなって……ダメかな?」

『うぇひひ……ちょっと照れくさいけど……』

 

 小学5年生の頃、まどかさんの転校直後に、二人で川に落ちた子猫を助けたのがきっかけで出会った出来事から始まって。

 かつては身体が弱く、友達を作れずに孤立していた日々……。それがどれだけの虚無と自己嫌悪と共にあるのか、形は少し違えども私にはなんとなく想像できる。話を聞いた直後の私は心の中で、そんな時にまどかさんと出会えたのは間違いなく幸福だったんだよって、出会った順番を無視してほむらさんに対して自慢気にまどかさんを持ち上げた。

 

 その後に控えていたのは、7月30日の悪夢……流石にそればかりは話をさせる訳にはいかないから、少し飛んで丸亀城で他の勇者の人達との日々を送るようになる前の話に。

 

 ……ほむらさんの人生の中で、最も罪深い悲劇に襲われた直後だったはず。心が壊れてしまってもおかしくない、耐えきったところで、その恐怖の根幹と戦う覚悟を決めるのなんて……

 

 

 

 

「………!」

『──…って、言ったの』

 

 ………感動で、言葉が出てこなかった。まどかさんから語られたのは、尊い一つの家族の話。

 まどかさんとほむらさんの、決して揺るがない確かな絆の在り方。それを教えてもらった。彼女達が出会ったことは運命で定められていたんだって言われても、私にはその通りだと断言する他無い。

 

「まどかさんとほむらさんは、二人で一人……みたいな感じだね」

『そう、かもね……ほむらちゃんが戦うって決めたから、わたしはその近くで助けようって思ったから、勇者のみんなを助ける巫女になるんだって決めたから』

 

 まどかさんにとって、ほむらさんが心の支えになっているのなら、ほむらさんにとってもまどかさんの存在が支えになってる。お互いにお互いを支え合って、守り合っている。

 

『わたしに出来ることなら何でもやってきたつもり……ドジなりに一生懸命頑張ったよ』

「………」

『だから………』

 

 それは何気ない会話の一つだった。けれど私は、その中に隠れていた感情に気が付いた。

 私がまどかさんの心に気が付いたのを、まどかさんもきっと感じ取った。お互いに声を出せず、通信機のノイズの音だけになってしまって。

 まどかさんの、震えるような声で絞り出した一言で、ようやく……

 

『もしも助けられない事が……怖いんだ』

「そう…だよね……」

『ほむらちゃんだけじゃない……他のみんなも……』

 

 最初の頃に話した時からそうだった。まどかさんは力がある勇者でも、誰かが戦う事を恐れていた。大切な存在を失う可能性が、ずっと彼女の側から離れないから。

 

『歌野ちゃんも、水都ちゃんも……』

 

 私だって、怖くないわけがない。うたのんだってそう感じている事態なんだから。

 

『どうすればわたし、みんなを助けられるのかな……?』

「………」

 

 不安になって当然だよ。

 

 ……でも、これは……ちがう。

 

「らしくないよ、まどかさん」

『えっ……?』

 

 今まどかさんが口にしている事は、誰もが口にして当然の弱音。だけど彼女は、鹿目まどかっていう私の友達は、そんなものに負けちゃいけないの。

 

「……そりゃあ私だって、どうしたって不安なのは無くならないよ。でもさ、誰だって一人じゃないから……私にはうたのんも、諏訪のみんなも、まどかさんも乃木さんもいる」

『水都ちゃん……』

「まどかさんにもほむらさんがいる。乃木さんや他の仲間、家族のみんな……私もうたのんもいるんだよ?」

 

 彼女はいつだって優しくて、純潔で、友達思いで、家族思いで、みんなが大好きな笑顔を絶やさない人なんだ。

 

「それに、誰だっていなくなろうなんて思わないよ。誰にだって、まだまだやり残している事がいっぱい……」

 

 自分で言っている内に、頭の中にはたくさんのやりたい事が浮かび上がる。

 例えばそう、これからもうたのんが楽しそうに野菜を育てるのを見ていたい。諏訪のみんなが笑顔で過ごしている姿をずっと見ていたい。

 

 直接、まどかさん達と会いたい。

 

「怖いことだらけかもしれないけど、頑張って生きていれば良い事だって、まだまだいっぱい残ってるんだから……みんな、そのために頑張って生きていけるはずだよ」

 

 夢物語なんかじゃなくて、実現させる未来を作るために。そして、まどかさんが抱いているであろう気持ちを乗り越えてもらう為に、私はこの言葉をを口にする。

 

 私達にとっての、一番大切な言葉。

 

「信じようよ! うたのんやほむらさん、乃木さん、勇者のみんな、友達のみんなを! 私達の希望や夢を!」

 

 私の気持ちを全部乗せて。この想いが届いたかどうか……ただ、言い切ってまどかさんの返事を待つ僅かな間、気持ちが高ぶってしまったって少し恥ずかしさが込み上げてきた。

 

 まどかさんからの返事はすぐに返ってきた。

 

『……なんだか水都ちゃんって、最初にお話しした頃より強くなったよね……』

「うっ……そ、そう? 恥ずかしい……」

『ううん、恥ずかしくない。とても立派だった!』

 

 その声は、私の大好きな優しさに満ち溢れた声だった。さっきまでの不安をどこにも感じさせない、純粋な彼女のままだった。

 褒められて照れてしまう。けれど、やっぱり認められて嬉しいなって、心からそう思う。

 

『……そうだよね……みんななら、きっと大丈夫だよね』

「その意気だよ、まどかさん!」

 

 まどかさんは、みんなの事を心の底から信頼してる。その想いが報われない事なんて、あったら駄目だ。

 例え辛い現実が押し寄せてきても、まどかさんにはそんな支えてくれる大切な人がいっぱいいる。それを忘れちゃ駄目だから……。

 

「ねえまどかさん。これからまた不安になったり、悩み事ができたりしたら、いつでもいいから遠慮なく話して? まどかさんのためになれるんだったら、またいつでも話を聞くから」

 

 いつかの恩返し。ってわけじゃないけど、純粋に私がまどかさんの力になりたい。そう思って口にした言葉。

 

『……ふふ。やっぱり水都ちゃんは強いよ。歌野ちゃんに負けないぐらい!』

「流石にそこまではないよ……!?」

 

 本当にそうなれたらいいなとは思うけれど。

 

 でも、ありがとう。まどかさん。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『神託がきたの』

 

 

 

 

 水都ちゃんと巫女通信を始めて、そこそこ長い時間が過ぎた。たくさん話をして、一緒に神様に祈りを捧げて、いっぱい笑い合えた交流の時間。

 楽しい時間は、もう……諏訪の戦況が、最悪の形に仕上がりかけていた。バーテックスの襲撃で諏訪の結界はやむを得ず、強度を上げるために規模を縮小せざるをえなくて……

 

 これだけならまだ何とかなったらしい。でも、日に日にバーテックスの襲撃頻度は高くなり、そして9月……今月、大規模な襲撃が起こって、歌野ちゃんは少なくはない傷を負ったって……。その時に、若葉ちゃんと歌野ちゃんと一緒に四人で通信した時は問題ないって言ってたのに……今、水都ちゃんが本当の事を言ってきた……!

 

 今や毎日のようにバーテックスは襲って来て、激しい攻撃は水都ちゃんの祈りで強くなっているはずの歌野ちゃんに新しい傷を与え続けて……!

 

 

 

『明日、諏訪に今までよりも大規模の襲撃があるって』

「……う……ううぅぅう……ッッ!!」

 

 瞳いっぱいに涙を溜め込んだわたしに届いた無慈悲な言葉は、それを決壊させるには十分すぎた。

 どうしようもない、絶望感……。考えられる状況が最悪のそれでしかない……。

 

「……なん…で……! どうして……!!」

『………』

「歌野ちゃんとみんなで……挟撃するんだって……作戦はどうなったの……!!?」

 

 なんで大社が告げた作戦の実行に移れていないの……? なんで勇者は今も歌野ちゃん一人だけが戦っているの……!? 歌野ちゃん一人だけで戦わせて……そんなの、歌野ちゃん達を見殺しにするようなものじゃない!!!!

 

「今からでも遅くない!! みんなに言って歌野ちゃん達の助けに行けば……!!」

『……たぶん、無理じゃないかな』

「っ!? 何を言ってるの!? じゃないと……!!」

『ううん……四国と諏訪の間にもバーテックスはいっぱいいるはずだよ……。何の準備もできてないままでこっちの来るのは危険すぎる。それにそんな中で、一日だけで諏訪に到着は……』

「っ……!」

 

 手遅れだった……。わたし達にはもう、この状況を変える事なんてできなかった。

 

『……本当に、ありがとう……まどかさん。こんなにも私達の事を想っていてくれて。……ごめんね……』

 

 言葉が震えるのを必死に抑えて、詰まらせているわたしに対して、水都ちゃんは変わらなかった。

 これまで積み重ねてきた通信の時と同じ……様子で……。

 

「水都ちゃんは、どうしてそんないつも通りなの……? 怖くないの!?」

 

 感情がグチャグチャなわたしは、初めて水都ちゃんの事が理解できなくて叫ぶように言った。今、とても危険なのは水都ちゃんなのに、そんな時にまでわたしなんかの事を気遣ってほしくなかった。自分達の事だけを考えてほしかった。

 

 水都ちゃんはいつも通りの声で

 

『怖いよ。すごく怖い』

 

 恐怖に包まれた、震えた声でそう言った。

 

 そして水都ちゃんが、どれだけ優しくて、頑張り屋さんなのか、今になって思い出してしまった……。

 

 ……わたしは………なんて、馬鹿なんだろう……。怖くないわけがないのに……。ただわたしに、心配をして気丈に振る舞って、頑張っていただけだったのに……!

 

『でも、信じてるから。私にはうたのんがいる。まどかさんがいる。乃木さんがいる……だから』

「……っ!」

 

 ぶわっと涙が溢れそうになるのを、強引に両目を拭って誤魔化す。奥歯を強く噛み締めて、それ以上涙が流れてしまうのを必死に耐える。

 水都ちゃんは頑張っているじゃない……泣いていないじゃない……!! わたしが泣くわけにはいかない……そうでしょ……水都ちゃん……!

 

『あのねまどかさん……私ね、夢があるんだ』

「………えっ……?」

 

 脈絡のない言葉。でもその言葉は……覚えていた、わたし達二人の約束。

 

『私ね、宅配屋さんになりたいの』

 

 水都ちゃんが見つけた、水都ちゃんが誇れる夢。

 

『えへへ……実はこれ、まだうたのんにも言ってないの。まどかさんに言うのが初めてで』

「水都ちゃん……」

世界中の人にうたのんの作った野菜を届けたい。世界中の人に、うたのんの作った野菜を食べてほしい

「うん……」

『もちろん、最初はまどかさん!』

「うん……!」

『ねえ、まどかさんの夢を教えてよ! 約束だったでしょ♪』

 

 ……うん。わたしも、見つけているよ。

 

「わたしの夢は……」

『うん』

「みんなと一緒に、幸せになること!」

『うんうん!』

「水都ちゃんと、歌野ちゃんとも出会って! パパと、ママと、タツヤと、ほむらちゃんと、若葉ちゃんと、ひなたちゃんと、球子ちゃんと、杏ちゃんと、友奈ちゃんと、千景さんと、巫女のみんなと、世界中の人達が一緒に!」

『うん』

「バーテックスがいないせかいで……みんなの夢が叶う、ステキな世界で……一緒に……!」

『……』

「それが……わたしの夢」

 

 もう、涙を堪えるのなんて、できない……。それでもわたしは……約束を。

 

「水都ちゃん、約束。わたし達は……必ず出会うんだから……! 一緒に……幸せになるんだからぁ……!!」

『……うん。必ず……会おうね。うたのんにも、伝えるからね』

 

 そう言って微笑んだ気がして、その日の通信は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会うんだから。約束したんだから。絶対に、水都ちゃんと歌野ちゃんは約束を守ってくれるんだ。

 

 だから……

 

 

 

 

『ザー…ごめ…なさ…ザー…通信の……ザー……悪くて……ザー…』

 

 だから……

 

「何かあったのか?」

『ちょっとしつこい…ザー…バーテックスをザー退治した…だけ…ザー…でもその時…通ザー信機がザー…壊れて……ザーそちらも頑張ってザー……きっとなんとかなりますザー………ザー』

 

 

 だから……

 

「白鳥さん…?」

『私も…ザー…予定よりもザーザー二年も長く……御役目をザー続けられて……ザー』

 

 

 だから……

 

「聞こえているか!? 応えてくれ、白鳥さん!!」

『乃木さん……ザー…ザー……まどかさん』

 

 

 だから……

 

 

『後はよろしくお願いしますザーーーー』

 

 

 

 

「諏訪が……墜ちた……のか…?」

 

 

「いやぁあああああああああああああ!!!!」

 

「!?」

 

「歌野ちゃん!! お願い応えて!! 返事をして、歌野ちゃん!!!」

 

「お、おい落ち着け!」

 

「イヤだ! 歌野ちゃん!! 水都ちゃん!!」

 

「神樹様!! 神様!! 誰か助けて!!」

 

歌野ちゃんと水都ちゃんを助けて!! 死なせないでよぉ!!!

 

「うわぁあああああああああああ!!!!」

 

「わ、若葉ちゃん! これはいったい…!?」

 

「ひなた! いい所に来た…手を貸してくれ!」

 

「気をしっかり持て!! まどか!!」

 

 

 

 

 

 

 

 一時間後、三年間の空白を経て四国にバーテックスが襲撃を開始した。諏訪の崩壊を……わたしの友達の命が消えるのを、開戦の合図として。

 

 

 

 

 




セクションクリア
メモリア「希望の花」を手に入れました
メモリアは直接付与されています


 感謝から芽生えた親愛の情。純潔な気持ちで育まれる友情は尊く、いつかその姿を目にする時を期待する。花は決して散ることはない。希望を繋いだ絆が今、私たちの胸の中にあるから…


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外伝幕間 「大切な絆で結ばれた勇者」

神世紀5年 秋

 

 風光明媚な日本庭園風の屋敷。しかし今は月明かりの光だけが、深夜の闇に包まれるこの屋敷を薄く照らしている。屋敷の中はそのおこぼれは通らず、無人の建物と何ら変わりない暗さを醸し出す。

 

 否。無人ではない。この屋敷には紛れもなく、一人の若き家主が住んでいる。たった一人だけが住むには広大な建物ではあるが、その者は間違いなくこの屋敷の中にいた。

 

「………」

 

 主の部屋の中にある人物は若く、凛々しい面影に幼さはもう無い。神秘的な装束を身に纏い、腰辺りにまで達する朱く麗しい長髪を結わえた、この屋敷の主その人だ。

 そこにその人物は片膝を立てて屈み込むように座っている。時刻が夜更けにも関わらず、睡眠を取っていない。部屋の灯りも点いてはおらず、両の目は閉じられてはいるものの、それは今から休むためのものではない。

 

 ただずっと、何かに両手を伸ばして翳していた。何時間も前から食べ物も飲み物も口には入れず、不休で一心不乱に、彼女にしか判らぬ行為に没頭していた。

 やがて……

 

「……っ!!?」

 

 永らく己の意識をそこに潜行させていた女が、両の目を見開いた。瞬間、彼女の全身からは滝のように汗が流れる。体力に自信があろうが、精神を荒々しく削り取った疲弊感は凄まじく、とても無視し押し通す事など出来やしない。

 

「ハァッ…ハァッ…ハァッ…ハァッ…!! うっ…クッ……っげほっ!! ゲホ…ッ…!!」

 

 それだけではない。呼吸という生命にとって当たり前の行為すら、その手間を惜む程没頭していたのだ。片方の手は震えながらも床に付けて身体を支え、荒い息を繰り返しながらもう片方の手は胸元を強く押さえた。

 

 心臓が激しく脈打っている。床に絶え間なく落ち続ける汗を見つめるしかなかった彼女は、ふと以前に参加した100キロにも及ぶウルトラマラソンにてレコード記録で完走した後の疲労感を思い出していた。今のこの全身を襲う虚脱感はあの時と似ている……と。

 

「……みえ……た……!」

 

 その時と同じ、清々しい達成感までも。

 

「……見つ…けた、3つ目……!!」

 

 疲労困憊ながら、彼女の表情は喜色満面に染まった。流れ落ちる汗を拭う事もせず、まるで宝でも見つけたかのように声を上げる。

 しかし彼女はすぐに気を引き締め直した。遂に3つ……されど、まだ3つ。

 

「……次、早く……続けないと……!」

 

 彼女はそう口にすると、再び正面に向かって震える両手を伸ばす。

 硬いのか、柔いのか、熱いのか、冷たいのか……それらのどれにも属さない異質な感触が、その手に伝わる。

 

 目の前の闇に、瞳を合わせる。

 

 

 カッ

 

 刹那、静寂な空間に微かな音が。

 

 部屋の襖が開かれる。それと同時に部屋の中へ飛び込んでくる一つの影があった。疾風の如く駆け抜け、一気に彼女の背後にまで距離を詰めるのは、招かねざる客だった。

 

 だが、それに構わずに彼女は振り返る事もせず。

 乱入者は声を発する代わりに、鞘から刀を走らせた。

 

 乱入者の内側は穏やかなる静にして、外側では迸る激動。心は極めて冷静に、対象を屠る事に一切の躊躇が無い白刃が彼女の背後から振り下ろされる。

 

「時間が無いの」

 

 その瞬間、女は身を少し屈め、強烈な力と目にも留まらぬスピードを以て床を蹴る。その反動は屈み込んだ体制のままだった彼女を瞬時に反転する。

 

 こうして彼女の正面に映るは振り下ろされる過程の透き通る刃。瞬きをするよりも圧倒的に速い、ほんの極僅かな一瞬で襲撃者の正体に気づいた彼女の目には、はっきりとした一つの感情が浮かび上がる。

 

「邪魔しないでくれるかな?」

 

 数年前から変わることがない、たった一つの固定化された感情。

 故に彼女は少したりとも動揺することがなく、真っ直ぐ、岩をも砕かんとする鍛え抜かれた拳を正面から突き出した。

 

 ガキン!

 

 音を置き去りする鋭い拳は、彼女を無視して対象を滅するべく振り下ろされる真剣に迷い無く炸裂する。瞬時に刀身全体にヒビが入り、なお止まらない拳はそのまま打ち抜き、白き刃を正面から叩き折った。

 それだけには留まらない……間髪入れず、反対側の拳も迷いなく目の前の人物に放つ。武器を砕いた一撃と同じものを、無防備な襲撃者のその胴に……。

 

「ッ!」

 

 拳が胴に打ち込まれるよりも早く、その身体は軽やかに真後ろに跳び後退る。常人ならざる突出した反射神経と身体能力が織り成す反応は神速の拳を回避し、両者の距離を数メートル空ける。

 拳は空振り固まり、相手の両足が床に着いた時、パラパラと細かい破片が落ちる音と、折れたばかりの刀身が落ちて甲高い音のみが鳴り響いた。どちらとも口を開かないまま、たった一瞬の内の攻防で生じた音だけが流れる。

 

 その無言も、すぐに止む……最初に口を開くのは、彼女の方。

 

「こんな夜遅くにうちに遊びに来るなんて聞いてないよ?」

 

 傷ついた拳から赤い鮮血が滴り落ちるのを意識の外に流し、彼女は無断で屋敷に入り込んだ乱入者に語りかける。

 暗闇の中で月の光のみが空間を照らす。悲しみに彩られた彼女の眼差しが、深い哀れみに包まれた隻眼の襲撃者の眼差しと交差しながら……

 

「若葉ちゃん」

 

 かつての友に。

 

「友奈……」

 

 その人物もまた女性であった。左目は眼帯で覆い隠されている。その眼帯を以っても隠しきれていない、額から眼帯の真下、そして頬にかけての大きな傷跡がはっきりと主張している。それでもなお風格と気品のある、端正な顔立ちの美女だった。

 残された彼女の右の瞳はどうしようもない憂いを帯びている。目の前にいる人物に向けられる感情の正体はまさしくこれに他ならない……

 だが、憂いの中にはもう一つの異なる、憤怒の炎が揺らめいていた。それのみは間近にいるかつての友に向けられるものに非ず。

 

 暗闇と同化している漆黒の気配。若葉と呼ばれたその剣士は折られた日本刀を投げ捨てると、腰に下げたもう一太刀の刀を抜き、闇の中へとその切っ先を突きつけた。

 

「そいつから…離れるんだ……友奈!」

「…………」

 

 若葉と呼ばれた女性は悲痛に叫ぶが、女は……高嶋友奈は一切意に介さない。

 

「その感じ、それって……懐かしい物を持ってきたね。若葉ちゃんの生太刀、見るの久しぶりだよ」

「……妙な感覚を覚えてよもやと思って携帯してきた。勘が外れてほしかったが、当たりのようだ……!」

「私も護身用に天逆手を持ってくれば良かったかな? 流石に刀を殴るのはこっちだって痛いし…………およ?」

 

 そこまで言ったところで高嶋友奈の動きが止まった。何か大事な事を忘れているような……彼女の顔にはそのような言葉が描かれていた。

 どこか間の抜けた表情のまま、握り締めたままの拳をそっと、ゆっくり、慎重に、上に上げる。

 

 ポタポタ……ポタポタ……真っ赤に染まりきった彼女の手がある。縦に裂けた刀傷からは絶え間なく鮮血が流れ、床に落ち続けていた。

 

「って、手ぇええええ!! 痛たたたたた痛い痛い痛いっ!? 思ったよりざっくり切れてるかもコレぇ!?」

「お、おい大丈夫か……!?」

 

 剣技の達人が振り下ろした刀を、格闘技の分野の達人がとはいえ素手で殴ったのだ。その結果が刀と拳、お互いの武器が両方破損した。刀という道具と素手という己が肉体……後者は誰がどう見ても大怪我。重症である。

 

(くっ、私としたことが……! 骨まで断ってはいないはずだが、元々友奈を傷付けるはずではなかったのに……!)

 

 乃木若葉とて、理由あって冷静を保ったままこの場に現ることはできなかった。その上高嶋友奈ではない()()()()()()()()()()()へ、それ相応の(わざ)を以って刀を振るった。手加減など在りはしなかった。むしろそこにいるのが友奈でなければ、今頃その手は肉体から切り離されて床に落ちていた事だろう。

 とはいえこれは乃木若葉にとって、決してあってはならない事故。目的の対象も排除できていない今、目の前の友の傷との二つで焦りが芽生える……が、

 

「っ!!?」

 

 突如、傷付いた友奈の拳が淡い光に包まれた。そして光の内側で、傷口が再生を始めた。それも普通では考えられない速度で。

 少しずつ裂けた肉は塞がり始め、流れる血液は止まる。やがては一筋の傷跡と既に外に出てしまった血だけが残される。

 

「う~……怪我が治せなかったらしばらく仕事ができなかったよぉ、も~」

「………!」

 

 拳を軽く振りながら、友奈は涙目涙声で文句を口にした。それだけの反応だった。

 対する若葉は呆然としたままで、何も言えずにいた。数秒は。

 目の前で友奈の身に起こった傷の高速治癒、超常現象。それを認識してしまえば、若葉の身を焦がし突き動かす炎は再燃する。

 なぜなら若葉がここへ乗り込んで来た理由はただ一つ……かつて若葉から、唯一無二の友を奪い去ったとある物を抹消する事。

 

 そしてたった今、高嶋友奈はその存在が確かであることを証明する証となる力を、若葉の目の前で惜しげもなく使用した。

 

 高嶋友奈が所持している、全てが未知なる物質。彼女を……異質な存在へと変えた物……

 

変異システムの力か……!」

「その名前、あまり好きじゃないんだけど……」

 

 まあその通りなんだけどね……と、友奈は暗闇の中で苦笑した。

 

 その言葉を聞いた若葉の顔は険しさを増し、刀の柄を強く握り締めたまま懐からある物を取り出した。

 

「それは……」

「お前とは争いたくはない……だが!」

 

 一見すると、普通の携帯電話……だがそれが普通の携帯電話ではないことは若葉も友奈も、この世の誰よりも深く熟知している。

 勇者システム。かつて二人を神の使いの怪物に立ち向かえる程の超人的な力を与える兵装を纏わせる、人類の切り札。若葉は数年の時を経て再びその力を、怪物にではなく目の前の女に行使することを友奈に突き付けていた。

 

「これ以上失ってしまわないためなら何だってしよう……迷う理由など私には無い!」

「…………」

 

 頼むから退いてくれ……そのような想いで見せつけた若葉の勇者システムは、

 

「……変身できるの?」

「……っ」

「もうできないんじゃないかな? 若葉ちゃんは」

 

 使えないと。既に確信を持っていた友奈の感情を揺さぶることなど到底不可能だった。

 

「前に高嶋派(こっち)の巫女の子に言われたの。あと数ヶ月もしない内に、私の勇者としての力は全部きれいさっぱり無くなってしまうって。……私も、ようやく完全に少女から大人になる時がやって来たんだって」

「………ああ。勇者の力を我々が宿せたのは、この身が穢れの無い無垢な少女だったからだ……。大人へと変わってしまった身には神樹の力は……宿せない」

「……単純に産まれた日が半年以上私よりも先の若葉ちゃんなら、その分私よりも早く大人になってる……でしょ?」

 

 表情こそは、若葉もよく知る彼女が気の置ける友人と接する時と全く同じ、優しく温和な微笑みだ。しかし、その裏にはどうしようもない喪失感による諦めと無念、無力感を大きく孕んでいる……若葉もそれを悟り、また自身もまったく同じものを強く感じ、無意識のうちに視線がやや下がってしまう。

 

「そりゃあ成長には個人差があるけど、少なくとも私はそう考えたんだ。……それで、どうなの?」

「…………その通りだ。私の勇者としての力は……もう、一滴たりとも残されていない」

「……ほらね」

 

 直後若葉は手にしていた切り札……否、かつての切り札と同じ形をしているだけにすぎない携帯を手放した。床に落ちたのは、この場では役に立たないただの機械……。もうこのシステムに縋っても、彼女の身には何も起きないのだから。

 

「……仲直りもまだなのに、これ以上若葉ちゃんと喧嘩するのはもうたくさん……」

「…………」

「……帰ってくれないかな? 本当私、時間が無いんだから」

 

 若葉はかつての勇者としての力を失っている……一方で友奈は、この時点ではまだ失ってはいない。その証として彼女はこの時も纏っているのだ。6年前と同じ、超人的な力を与える勇者装束を。

 口調は穏やかなままだが、威圧感が存分に含まれている言葉を浴びせる。大人しく立ち去る気が無いなら力尽くでも構わないと、暗に言い放っている。

 

 彼女の神器の手甲こそは無くても、その身体能力は神の加護を受けている。若葉の望んだ結果ではなくとも、先ほど友奈の拳を斬れたのだって友奈が既に疲労困憊の身の上で先手を取れたからに他ならない。疲労のアドバンテージを踏まえても、若葉も知りえぬ謎の力を有した勇者で手加減する気も皆無の様子の友奈と普通に戦ったところで、神器の本来の力も発揮できない若葉に勝機は薄いと言えよう。

 

 ただ、空いた手は今度は刀の柄を握り締めた。元の手もそのまま、彼女は死線を潜り抜けた相棒の神器を両手で持ち、戦闘の構えをより強固に仕立て上げていた。

 

「例え勇者の力を失っていようとも退くつもりはない!」

「…………」

「言ったはずだ。私に迷う理由など無いと!!」

「……うん……若葉ちゃんなら、そう言うだろうなぁって思ってた」

 

 友奈は笑った。まっすぐな若葉の表情は、決意は、まぎれもなく彼女、乃木若葉の物だ。高嶋友奈が全幅の信頼を寄せた、彼女にとっても心強くて、いつだって勇気で胸を高鳴らせてくれた物だった……だから、このような場でもどうしても、嬉しいという感情は呼応してしまう。

 こんなことになってもお互いを信頼し合う絆は、深く無数に傷ついてしまっていても、砕けはしない。決して。

 

「…………悔しい…なぁ……」

 

 ……お互い一生、二度と分かり合えない想いを抱えていても、砕け散る事だけはない絆。

 

 嬉しいが、悔しい。辛い。悲しい。憎い。

 

「若葉ちゃんはさ、私が今何をしようとしているのか分かってて言ってるの?」

「なに……?」

 

 確信を持ちながらそう言うと、友奈は刀を構えたままの若葉に背中を向けた。

 代わりに向き直った先に見るのは……黒く蠢く、不気味な影。辛うじて人型を形どる、友奈によって呼び出された異形の存在……

 

「何も分かってないでしょ。ただこれが怪しいからって理由だけで私の邪魔をしないでよ」

「だが……それは…! 私達を……!」

「迷惑なんだよ」

「……っ!?」

 

 たった一言、そこに込められていた想いを若葉は何度浴びせられてきたことだろう……。

 深い深い、友奈から若葉に向けられる、失望と諦念を……。

 

 ……どうしてこんなことに……若葉はそう思わざるを得なかった。これまでに何千回、何万回と、同じことを思った。

 しかし、ただ強く思うだけでそう都合良く片付くことなどありはしない。行動に起こすことだって何十、何百と……それでもその溝が元に埋まることなど……なかった。

 

 若葉は……

 

「……だったら教えてくれ……お前は何をしようとしているんだ!! このままお前がよく分からないものによって破滅する様を眺めていろとでも言うつもりか!!?」

 

 友奈は……

 

「…………何度も……」

 

 

 

 

 

「何度も何度も何度も何度も!!!!何度も何度も何度も何度も!!!!若葉ちゃんには全部話した!!!! その度に全部否定したのは!!!!何も信じなかったのは!!!!若葉ちゃんじゃない!!!!!!」

「くっ……!?」

 

 絶交してしまった二人には……

 

 これまでにも幾度も浴びせられた友奈の叫び……何度目なのかは、もう二人にも分からない。

 だが、回数は関係ない。苦しい……初めてぶつけられた時と変わらない、身を引き裂かれるのに等しい痛みは幾度となく、二人を傷つける。

 

 堪える事が厳しい痛みに、若葉の右目に涙が滲む。決して慣れない苦しみに手が震える。

 

「私達は……あの戦いで生き残った僅かな仲間なんだぞ……! 何故あの日々のように私達は笑い合えていないんだ……!!」

 

 声が嗚咽に塗れ、上手く声を張り上げられずに膝が折れかける。それでも若葉は、今にも崩れそうな自分と必死に戦いながら友を……高嶋友奈を見ている。

 

「何故なんだ!! 何故我々は今いがみ合っている!? 散って逝ったあいつらの誰が……誰がこの現状を望んでいると言うんだ!!?」

「……誰も望んでなんかないよ」

 

 二人の心には、その目には焼き付いている。大切な絆で結ばれた勇者としての時間を……

 

「私も、若葉ちゃんも、ヒナちゃんも」

 

 苦しいを、嬉しいを共有できていた輝かしい日々の記憶と光景が今もこびりついているから……

 

「ぐんちゃんも、タマちゃんも、アンちゃんも」

 

 尚更……

 

「歌野ちゃんも、水都ちゃんも」

「っ!?」

 

 だから、分かり合えない。

 

「まどちゃんも──」

「やめろ!!」

 

 その名が友奈の口から出る前に、激しい怒りの形相で叫び遮られる。

 若葉の手が、無意識に彼女の失われた左目があった箇所を抑え……言った。

 

「その名を……出すな……!!」

「…………」

 

 複雑な感情は後ろを向く友奈の背中に掛けられた。友奈はそれに何も返さない。反応もしない。

 

「……そうだね」

 

 判り切っていた事だったから……今の若葉の、この反応全てが。故に今の彼女の表情は何も変わってなどいなかった。

 

「……なら、この話も終わりだよ」

「っ、待…」

 

 直後、この部屋全体に乾いた破裂音が響き渡った。若葉の意識は一瞬途切れ……

 

「ゆう………」

 

 気が付いた時、目の前には友奈の姿も、おどろおどろしい異形の姿も消え去っていた。

 

「な…………くそっ…」

 

 跡形もなく、まるで最初から彼女達がここにはいなかったのかのように……。

 もちろんそのような間違いだったわけがない。ここには友奈に折られた刀とその欠片、そして床には飛び散った友奈の血が残されている。

 逃がしてしまっただけだ。摩訶不思議な力を行使した友奈が容易く若葉から離れた……若葉が仕留めたかった異形を引き連れて。

 

 何もできなかった。またいつものように苦しんだだけで終わった。そう認識すると若葉はその場にへたり込み、深く項垂れた。

 強く顔を抑え、今の彼女にできることはただ一つ、嘆くことだけ……

 

「…………教えてくれ……私はどうすれば……どうすればお前を……」

 

 縋るように、自身が忌み嫌う者の名を呼ぶ。

 

「答えろ…………鹿目ほむら」

 

 

◆◆◆◆◆

 

 乃木若葉から逃げた高嶋友奈はその後、誰の手も届かない空にいた。闇夜に隠れ、そこに人がいることなど誰にも分からないだろうが……市内の空中を羽ばたく2羽の漆黒の怪鳥、その片方の背に座っているのがこの世の誰もが知る高嶋友奈その人である。

 

「……このままここで野宿になるのかな? ああいや、野宿じゃなくてこれじゃあ空宿か! ……なーんて♪」

 

 などと無邪気に冗談を口にしているあたり、平常を取り繕おうとしているのだろう。

 若葉との口論の後はいつもこうだ……お互い深く傷つくだけなのに、何度も何度も互いに期待してぶつかり合う。そしてやっぱり駄目だったと、深く落ち込んでしまう。

 

 こうも心の中がモヤモヤしていれば、彼女がやろうとしていたことも間違いなくうまくいかないまま、限界ギリギリの体力と精神力を削り切るだけだろう……そう思い隣を飛ぶ怪鳥の背に座る影を一目見て、残念そうに息を零した。

 

「……茉莉さんか亜紗さん、今の時間から泊めてくれるかな……」

 

 迷惑を掛けることは明らかだろうが、友奈は数少ない友達を頼ろうかと鳥達の進行方向を隣の県に変える。冷たい夜の風が、癒えない彼女の傷をなぞりながら……



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「気に入らなくてしょうがない!!」

大赦書史部・巫女様

  検 閲 済

 

 

 

 

 

 

 

 

勇者御記 二〇一八年十月

高嶋友奈記

 

神世紀四年 追記 

 高嶋友奈です。昔嫌な事があって取り乱してしまって、その時に中身を塗り潰して消してしまいました。今更ですが、大事な御記に勝手な事をして、多くの人を困らせてしまってごめんなさい。

 また、当時のことを知らずにこの勇者御記を手に取った人も、いきなりこんなページで驚かせてしまったと思います。本当にごめんなさい。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

「と い う わ け で わ た し が も ど る ま で の あ い だ お し ご と を お ね が い し ま す……うぅぅ……」

 

 私の家から離れた愛媛県にあるマンションの一室。そこで私はちょっとだけイヤ~な、冷や汗をダラダラ流しながらメールを打ち込んでいた。

 

 今大赦に戻っちゃうとまた若葉ちゃんと鉢合わせしてお互いにまた嫌な思いをするだけだから、しばらくの間はとてもじゃないけど行くことができない。行きたくないわけで。

 例の時間だって限られている。だから思いっきり急ではあるけどしばらく有給休暇のお願いを……直近に色々予定が入ってはいたからそれ全部お願いしますって……。

 

 ……問題なのはその予定の中身。これでも私、メチャクチャ大変な世の中をまとめて人々が安全に過ごせる社会を作り維持しないといけない一大組織の大赦、そこのトップ……。

 そう、このやってもらう仕事は仮にも偉い立場を任されちゃっている私がすっぽかしちゃ確実にダメな案件ばかりなんだけど……それをなんとかしてくれる凄い能力がある人が、私の直属の部下という立場の中に一人いる。

 

 ただし、その後の事が何というか……控えめに言って不安しかない……。任せてしまう仕事を全部ちゃんと片付けてもらえるとしても、ほんと急に何日も休むからいっぱいある大変で重要なお仕事お願いしますなんて言って、怒らない人の方が少ないよね……。

 あの人はそういった事で怒ることはない、むしろニコッと笑って引き受けてくれるだろうけど……その微笑みの中には必ず、悪意がある。ちょうどいい大義名分を与えてくれてありがとうって、悪魔が宴を始めるかのようにあの人の頭の中で悪意が騒ぎ始める……。

 一般的に迷惑や非常識に当てはまることを受けた時の報復は、誰もが顔を引き攣らせてドン引きしちゃうぐらい徹底するタイプ……。向こうに戻った時、確実に厄介なんて言葉じゃ片付けられないしわ寄せが押し寄せてくるのはもう分かり切っている……。

 

 その人は数少ない私の友達曰く悲鳴と暴力が大好きで、人の苦しむ顔が好物だって言うのを、私自身否定しきれない人だし……。

 

「く み こ さ ん……送…信……」

「…………」

「……あぁぁぁああぁぁあぁぁあああ……!」

「ゆうちゃん……」

「……送った……送っちゃったぁ…! どうしよぉ茉莉さぁん……!」

「ボクにはどうすることも………」

 

 床の上でプルプル震えながら頭を抱えて絶叫する私に、数少ない年上の友達の茉莉さんも心の底から同情しているのが分かる顔を向けてはくれる。だけど同時に、茉莉さん自身は私に何もしてやれないって心底申し訳無さそうな顔にもなってて……つまりなんてことだろう、もう助からない……。

 

「仕事ってどれくらい任せないといけないの…?」

「……えっと…社長さんたちとの会談とか……うちに協力してくれる人たちへの挨拶回りとか……大赦の予算の見直しとか、部署の視察とか、会議とか……」

「一般人としては充分凄いスケールなんだろうけど……。それくらいならまあ、偉い人にとっての普通のスケジュールって感じだね……」

 

 ……あぁうんまぁ……普通ならそうなんだろうけど……普通なら……。でも元々は予定にはなかったけど自分から首を突っ込んだりもした物も、私なら力になれるからって次々に引き受けたりしたわけで……。

 

「…………それ以外にも、期間中ぜんぶ合わせて50件ほど……」

「ご……っ!!?」

 

 あ、やば……これって茉莉さんには思いっきり地雷……。

 

「何それ!? いくら立場があるからって仕事詰め込みすぎでしょ!!?」

「だ、だって、なんだか困っている様子だったから……」

 

 だ、だって先日若葉ちゃんの妨害が来るなんて考えてなかったんだもん…! 確かに仕事はいっぱいあるなぁって分かってはいたけど、たくさんの人のために元から全部ちゃんとやるつもりだったんだもん…!

 

「……ッ」

「……茉莉さん……?」

 

 泣きそうな私の顔から、私の頭の中を過った言い訳を読み取ったのだろう。茉莉さんの怒ったような顔が、一瞬で悲しみを帯びてしまう。

 

「……ボクが昔からゆうちゃんのそういうところ……自分はどうなってもいいって思っているところ、本当に嫌い。大嫌いって知ってるよね?」

「…………」

 

 ……茉莉さんの頭の中ではたぶん、昔の事を思い出させちゃったのかもしれない……いいや、きっとそうだ。

 私と茉莉さんは9年前に1度、喧嘩別れみたいな形で離れ離れになっている。お互いに譲れない想いを抱えてしまって、結局お互い理解し合えないまま、それから数年間会う事はなかった。2人とも、もう会えないんじゃないかってそう思っていた……。

 

「……やめてよ……もう……」

「……ごめん…なさい」

 

 命以外のいろんな物を失ってしまった私は。大切なもの、友達も全部………また離れ離れになるのは……いやだ……。

 

 ピロン♪

「わぁっ! 久美子さんもう返信来た!?」

「……絶対あの人連絡来ることが分かってたんだろうね……ボクも一緒に見るよ……」

「うん、お願い……一緒に居て。怖い……」

 

 まだ心の準備ができていないのに、返信を知らせるスマホの着信音が鳴ってしまって私の身体が思いっきり跳ねる。肩が小刻みにガタガタ震え始め、顔がどんどん青ざめていくのを自覚する。

 だって、ここに書かれている物はきっと、ちょっと先の私の未来を運命付けるものに違いない……。そしてその未来を先導している人を私はよく知っている……知っているからこそ、その未来って言うのがとっても恐ろしい物、過酷な物、それ以外が全くと言っていいほど思い浮かばない。

 

 だから……震える指で画面をタップしてメールの内容を開くのが、怖い……。それでも開かないといけなくて……開いた。

 

「…………」

「…………ヒエッ、なに……50件のハードワークとの引き換えがこれって……やっぱりあの人、悪魔だ……」

「」

「ゆうちゃ………ゆッ!?」

 

 そこに書かれている簡素な了承コメント、それからビッシリ書き込まれた今後のスケジュール表を見た私の身体がスーッと軽くなった。何もないのにフワフワと体と視線が少し高い位置で揺れ動くし、少しずつそこから上に上がっているように見える。真下にあるのはぴょこっと跳び出ている短い髪の毛と驚いた顔の茉莉さんだ。

 

『ナンダカカラダガハネニナッタミタイダヨーマツリサーン!』

「……ゆうちゃんの魂が……! 戻って戻って!?」

 

 茉莉さんが体を揺さぶるたびに少しずつ視界の高さが下がって戻っていく。スッと体の重さも元に戻ると、そしたら一気に心の方がズシンと重くなって……どんよりとしたモヤモヤが押し寄せて……

 

「戻った…?」

「…………過労死……エナジードリンクの空き缶に埋もれた部屋で、私過労死しちゃうんだ……」

「ゆ、ゆうちゃんらしくないネガティブ発言……。エナドリ漬けのゆうちゃん……なんだろう、全然想像できない……」

 

 ……まあ、あまり体に良くなさそうだから基本的には飲まないし……でもそれだけヤバいから、これは……。鬱だ……死んだ方が楽になれるかもしれない……。

 

 でもそんな中で、項垂れる私の頭の上に手が乗せられる。優しくて、温かい……そんな手が私の頭を撫でてくれて……

 

「……明日は土曜日だし、亜紗さんも誘って3人で美味しい物でも食べに行こう?」

「…………うん……いく……」

 

 そう言って安心させてくれる微笑みを見せる茉莉さんの存在が、今の私にとっては本当に有り難くて。彼女に抱き着いちゃう。

 

「うぅ~……茉莉さん大好きぃ……」

「うんうん、ボクもゆうちゃん大好きだよ」

 

 頭を撫でられながら背中をポンポンと叩いてくれる茉莉さんの手つきも優しくて、とても心地いい。このままずっとこうしているのもいいなぁ……なんて。

 

 ……でも、このまま悠長にしてなんかいられない。何のために数日後からの私の未来を地獄に変えたんだって話だし、明日は茉莉さんが言ったみたいに大好きな人たちと一緒に美味しい物を食べに行くんだ。

 ……この気持ちを奮い立たせて茉莉さんから離れる。茉莉さんは何も言わずに離してくれて……。

 

 茉莉さんにはこれから私が何をするのかは、昨夜遅くにお邪魔した時に既に話している。納得も、してもらっている……それでもやっぱり、心配そうな視線はその時と変わらない。

 

「……無理はしないで、ゆうちゃん……」

「……ありがとう、茉莉さん」

 

 確約ができないのは私だって辛い。だからお礼だけを言って部屋を出た。

 隣の部屋に入った私は再度携帯を開く。そこに表示されるアイコンをタップし、私の姿は勇者へと変わる。

 

 そして呼び出す……あの子達の───

 

 

 

「…………おねがい……タマちゃん、アンちゃん」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バーテックス……それは世界中の人たちの生活を、命をメチャクチャにしやがった、史上最低最悪の大バカ野郎。気持ち悪い謎の化け物は3年前のあの日突然タマたちの世界に現れて、みんなの大切な日常を壊していった。

 

 そして今、奴らは3年ぶりにタマたち前に……四国に現れやがった。

 

 

 

 

 

 

「千回ぃぃ……!! 連続!!」

 

 ドガガガガガガガガ!ってデカい音を出しながら、まるで嵐みたいな勢いで繰り出される拳は、あの厄介なバーテックスの反射板にひびを入れる。たくさんのバーテックスが合体して生まれた化け物を絶対に倒してやるって覚悟で切り札の精霊を降ろした友奈の気迫は凄まじくて、強烈なラッシュは止まることを知らない。

 

 あんずが撃った矢も跳ね返したし、精霊を降ろす前の友奈の拳も弾いたバーテックスの反射板は硬かったが、今の友奈の拳はそいつを壊していく。ひびは全体に広がり、最後の一撃がそこに……

 

 

「勇者!! パーーンチ!!!」

 バキィ!!

 

 貫いて、反射板を砕ききった。

 バラバラになって消えていくバーテックスの一部。着地してこっちを振り返った友奈の後ろでは、本体の棒状の肉体も一緒に崩れていって、

 

「ブイっ!」

 

 やってやったと言いたいテンションで、笑ってみんなにVサインを見せる友奈にみんなの顔が綻んだ。

 

「友奈のやつ……まったく、抜け駆けて切り札を使われてしまったな」

 

 これでこの襲撃の一番の強敵は消滅する。いっぱいいた白いの、星屑だってみんなで倒したんだ。この戦い、初の戦闘はタマたちみんなの勝ちで終わって……

 

「っ!!」

 

 気づくのが遅れた!! 友奈の活躍でホッとしている若葉の後ろからまだ残っていた星屑が一体近づいていやがった! 既にそいつはデカい口を開いて、後ろから若葉に噛みつく寸前だ!!

 

「若葉!! 危──」

 

ギリ、ブチィ!

「……まずいな。食えたものではない」

 

 ……一瞬過った若葉が食われちまう光景じゃなくて、逆だった。星屑の噛みつきをヒラリと避けるのと同時にガブっと噛みついて、そのまま食い千切りながら刀で真っ二つ…………タマと同じ人間か、コレが…? なんでアレが食えるんだ……おっかなすぎるだろ……。

 

「……タマ、これからは若葉を怒らせないようにする」

「……うん、私も……」

「バーテックスを食うのは勧められそうにない。気持ちは痛いほど解るがやめておいた方が良いぞ、ほむら」

「やりませんよ最初から!」

 

 明らかに心外だって気持ちが伝わるほむらの叫びが響いた直後、このカラフルな樹海の世界全体に花弁が舞い上がる。それを見たタマたちは、これで今度こそ戦いが終わったんだって気づいて一息つく。

 

 いろいろあったが、3年間準備をしてきたタマたちにとっては楽勝! ハラハラしちまう場面もあるにはあったが、それでも今後もやっていけるはずだと確信できる成果を発揮できた。

 

 タマたちならバーテックスにも負けない。必ずみんなであいつらをぶっ倒して、世界を救えるんだ!

 

 

 

 

 戻った直後に大社に今回ついにバーテックスの襲撃が始まったんだって報告もして、大々的にその情報を世間に公表する流れに。

 明日からはなんと会見を開いたりテレビに出たり、これまでの日常が一変する事態になって、タマたち勇者の戦いはこれからだ!ってな雰囲気に……

 

 

 

 

 

 

「みとちゃん……! うた…の…ちゃん……! ぅぅ…ぁ……ああぁぁああ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 ……さ、さっきまでの意気揚々としていたタマの気持ちはどこに行った……?

 

 無事に元の世界に戻って凱旋ムードになるのかと思いきや、そうはならなかった。今はみんなして食堂でどんよりとした重苦しい空気に包まれていたから……。

 誰もバーテックスを倒せて良かったなんて、そんな風に喜んでなんかいない。ここに充満している嫌ぁーーな、物凄く重い空気にみんな耐えきれなくって……。

 

「……まどかさん、大丈夫でしょうか…?」

「大丈夫じゃないでしょ、あの様子だと……」

 

 満ち足りた気分で帰ってきたタマたちを待っていたのは、ボロボロに泣き崩れて悲しんで苦しんでいた一人の仲間の……まどかの姿。その側で慰めていたひなたの言葉も届かないほどの深い悲しみは、バーテックスをやっつけたっていうみんなの活躍を聞いても絶望の淵に沈んだまま、まどかはずっと泣き続けている……。

 

「諏訪の勇者と巫女とまどちゃんは友達だったんだよね……。そりゃあ、辛いよ……」

 

 バーテックスを倒した事よりもショックの方がはるかにデカいもの……諏訪地方との突然の連絡途絶。そこから若葉が導き出した、向こうが陥落してしまったという答え。

 

 無事なのかどうか分からなくなった、諏訪の人の命。まどかと若葉の大事な友達の命……。

 

「つっても、ただ通信が途切れただけで、まだ死んじまったって決まったわけじゃないんだろ…? ひょっとしたら……」

「ひょっとしたら生きているのかも……そう言いたいの?」

「お、おう。そりゃあ……」

 

 決まったわけじゃない。誰も諏訪の勇者達が死んだところを見たわけじゃない。

 それに諏訪の勇者はこれまで3年間ずっとバーテックスを倒し続けてきた、若葉が認めたすごいヤツだって聞いている。そんなヤツがまどか達が悲しむって分かっていながら居なくなるか? 悪いように考えなくたって、今もきっと生きているんだって可能性を信じ続ければ良い。

 けど千景は小さく息を吐くと、小さいけどみんなには聞こえる声で、呆れているような声で言った。

 

「……そう都合良い展開なんて、あるわけないでしょ…」

「うぐっ、千景ぇ…! お前人が希望を持ちたいって時に!」

「ぐ、ぐんちゃん……そんな簡単に悪いように決めつけるのは……」

 

 タマ、それから友奈を見る千景の目。いつもならタマを見るその目の中には千景の鬱陶しそうな意図を感じる事もあったが、今はそいつをまったく感じない。呆れているような声ではあったけど、この時の千景はタマと友奈を一緒の目で、憐んでいるような目をしながら諭すように口を開く。

 

「………気持ちは分からなくはないけど、じゃあどうしてバーテックスはこのタイミングで四国に攻めてきたの」

「タイミングって……」

「諏訪が墜ちたかもしれないタイミング……ですよね…?」

「………」

「もう向こうでバーテックスを足止めしていた人がいなくなった。……滅んだから……。だから今度は……今回からは、四国を攻めるようになったのかも……千景さんはそう言いたいんですよね…?」

「………あ…」

「……伊予島さんも私と同じ考えみたいよ」

「あ、あんずぅ……」

「………」

 

 生きているって思いたくて言ったけど、やっぱりそれはタマがそう思いたいだけ……。千景とあんずの言葉は、下手な期待はしない方が良いってタマの心をグラグラ揺さぶって、もう一度不安にさせる。

 

 今まで特に重く考えた事はなかった。諏訪の勇者の凄さは聞いてた話から知っていたつもりで、そんでいつか四国のタマ達みんなと合流するって思っていた。でもそうなるよりも前にいなくなるだなんて……それから、まどかがあんなに泣き崩れる様を目の当たりにしてしまって……。

 

「なんだよ、それ……!」

 

 なんというか、悔しい……。それになんだか、タマ自身に腹が立つ……。

 だってもしもまどかのあんな姿を見ていなかったら、タマはずっと四国に攻めてきたバーテックスを倒した事に脳天気に浮かれていただけで……。諏訪の事はそこまで重く考えずに、これからはタマ達が戦う番だって意気込むだけだったんじゃないかって思えてしまって……。

 

 諏訪の勇者や巫女と親しかったのはまどかと若葉だけだが、そうでなくてもその二人は、いる場所は違くても、会った事も話した事も無くてもタマ達の仲間……間違いなく。

 

 生存は絶望的。タマ達は仲間を失ってしまった……その事実を悲しみと絶望に打ちのめされたまどかを見た今になってようやく、タマの心をキツく締め付ける。

 

「……あっ」

「……皆もここに集まっていたか……」

 

 そんな中、食堂にはいなかったあいつらも入って来る。決して明るくない表情のまま、これからの事をどうしたものかと考えている2人の目に、タマ達みんなは気づいている。

 

「若葉さん、ひなたさん……あの、まどかさんは……?」

「ホムちゃんも、一緒じゃないの……?」

 

 若葉とひなたとほむらはまどかの側に残ってあいつを慰め続けていたはずだが、その結果が良いようになってないって2人の顔に書いてあった。

 

「……はい。今しがたほむらさんに、お父様に連絡を入れて迎えに来てもらいました……。ですが……」

「……すまない。私にはまどかの悲しみが分かる……だが、それを取り除くにはどうればいいのかが、分からなかった……」

 

 やっぱり駄目だったみたいだ……。迎えに来てもらったってんなら、もう二人は丸亀城には居ないってことか。

 とりあえずは今は、まどかには家でゆっくり休んで気持ちを整理してほしい。ほむらには側でまどかを支えてやってほしい……でも、それであいつの傷付いた心が元に戻るのか……? 友達が死んじまったかもしれなくて、誰よりも心優しいあのまどかが受け止めるにはかなりキツイ話だ……。

 戦いは終わったのに、まだまだこれからなのに……。なんで早々にこんな辛い思いをしなくちゃいけないんだ……。

 

「ねぇ、若葉ちゃんは……大丈夫?」

「………」

「若葉ちゃんだってまどちゃんと同じで、向こうの勇者と巫女の2人とは友達だったんだよね……。無理……していないかなって……」

 

 徐々に友奈の声は小さくなっていた。確かに……まどかの事ばかりに気を取られてはいたが、友奈の言う通りの疑問があるんじゃないか。

 

 諏訪の勇者と仲が良かったのは若葉だって同じだ。近くにいなくたって、これまでずっと支え合ってきた友達が突然いなくなった。タマたち以上、まどかと同じくらいの悲しみに暮れているはず。若葉はまどかと全く同じ傷を負っているはず……。

 今回の実戦を乗り越えられたからって、若葉が精神的に強いヤツだからって、全く傷付いていないって事はないだろう……。これ以上に辛い事なんて、そうあるはずがない。

 

「……大丈夫だ、私は」

「……若葉?」

 

 数秒間無言だった若葉が発した言葉……そいつは明らかに、直前までタマが思っていたのとは違っていた。声色からしてやっぱり傷付いていないってわけじゃない。でも逆だ。その目は。何かを覚悟したような強い意志が感じられたから……

 

「もし彼女たちが今も無事に生きてくれてさえいれば、他に幸福な事など在るはずがない……そう感じずにはいられない。だが変わらない……私がすべき事は何も変わらないんだ。白鳥さん達が生きていたとしても、死んでいるのだとしても……これから私達は戦わなければならない」

 

 言葉から伝わる決意は……。

 

「託されたんだ。白鳥さんから、後は頼む……と。ならばこの私が、こんな所で迷うわけにはいかないんだ。これまでの白鳥さん達の戦いを無為にしない為にも……」

「若葉ちゃん……」

 

 ……若葉は、やっぱり強い……。タマの心の中でもやもやしていた嫌な気持ちが、若葉の言葉で全部じゃないが消えていくのを感じた。

 諏訪の勇者から託された言葉……たぶんきっと、いいや間違いない。それは若葉だけに向けられた言葉じゃない。その諏訪の勇者からの願いはタマたち他の勇者にも向けられた言葉だ。

 

 これからの四国や世界の為に戦い抜く事……仲間からそれを背負ったからこそ若葉は前を向いている。だからこそ、タマたちも若葉と同じ諏訪の勇者達の仲間として、一緒に前を向いて立ち上がらなきゃいけない。そう考えてタマは若葉に強く頷いた。

 

「……だな! それにタマたちはバーテックスを倒したんだ! これからだって……なぁ、お前ら!」

「タマっち先輩……うん! 恐いけど…私も戦う。タマっち先輩や皆さんと一緒に!」

「タマちゃんの言う通りだよ! 白鳥さん達の想いに応える為にも……私も行くよ!」

「何にせよ、私達がやることなんて一つしかないわ。今更怖気づいてしまう場合じゃないでしょ」

「みんな……」

 

 全員の顔つきが自然と変わる。同じ思いを胸にしたみんなの顔つきは、項垂れかけてたさっきまでとは違う、バーテックスを倒した直後と同じもの。やってやるぞって気合が復活し、みんなの意思がまた一つになる。

 

「若葉ちゃんのおかげ……ですね。皆さんの決意が、改めて固まって」

「うん! 流石はみんなの………」

 

 元気いっぱいで返事をした友奈が、喋ってる途中にも関わらず固まる。すると次の瞬間には何かを思いついたのか、もっと嬉しそうな顔でみんなを見ながら続きを話す。

 

「ねえみんな、どうかな? 今までは大社から言われていた事だけど、これからは本当に若葉ちゃんがみんなのリーダーになるっていうのは?」

「……!!」

「なるほど……いいなぁそれ!!」

「確かに、これはとてもいい機会かもしれませんね」

 

 タマもあんずも友奈のアイデアに心から納得する。今までは暫定だったけど、これからは正真正銘若葉がリーダー……。

 実際今日の若葉は大活躍だ。たった今のみんなの決意を固めた事だけじゃない。先陣を切ってバーテックスに向かって行って鼓舞して、あれを見て勇気付けられてなかったらみんな不安を抱えたままで戦っていたんじゃないかって思える。誰よりもしっかりしているし、力だって強い。本当にリーダーに向いているって、今なら誰もがそう思う。

 

 と思ったが、一人そうじゃないのがいた。明らかに想定外だったとうろたえてみんなの顔を見渡す……若葉自身。コイツは……。

 

「なんて顔してるのよ……」

「し、しかし……というか郡さん、何故反対意見を言わない……?」

「どうして私に振るのよ……」

 

 そういや確かに、千景は若葉が暫定リーダーの頃から気に入らない様子を見せていた。今日だって樹海の中で若葉はリーダーらしくないって噛みついてたし……。

 だがまぁ…………はは~ん、タマにはわかるぞぉ? つれないを顔してるけど、結局はこいつだって同じなんだろ~?

 

「……高嶋さんがそう言うし、実際活躍していたし……反論はないわ」

「郡さん……」

「……何、土居さん、その顔は。切り刻んでそぎ落とすわよ」

「べっつにぃ~って何でだ恐いな!?」

 

 相変わらず気難しい奴め! ……まあ、つまりはそういう事だろ。若葉がリーダーとしてやっていく事を認めているからこそ反対意見が無いわけで。

 目をパチクリする若葉だったが、ようやく認識できたのか少しだけ顔を綻ばせる。

 

「……ほむらもきっと同じ事を言ってくれるのだろうな……まどかも……」

「……ええ。きっとお二人も……」

「……承知した。友奈、土居、伊予島、郡さん……この乃木若葉、謹んでその任を受けよう。勇者のリーダーとして、皆を纏めていけるように全力を尽くすと約束しよう」

 

 若葉の宣言に自然とみんなの顔も綻ぶ。これでこそ若葉らしくて、タマたちのリーダーにふさわしい……だが、

 

「固い固い! ってか、前々から思ってたが名字呼びなんてやめろよ親しみがない!」

「そうですそうです! それについては私もタマっち先輩に激しく同意です!」

「そ、そうだろうか……?」

「……私も……名前で呼んでいいわ……」

「「「!?」」」

 

 どうせだったらまどかとほむら、あいつらもこの場に居る時にこの話をしたかったな……。そう思ってしまえば、あんなに沈んでしまったまどかの姿も必然的に思い返してしまう……。

 

 早く立ち直ってくれよ、まどか……立ち直って、一緒にこれからのことを頑張っていこうぜ……。

 

 

 

 

 それから数日後……忙しくなったタマ達勇者のお披露目、マスメディアの取材が落ち着きだした頃……

 

「……土居さん、おはようございます」

「ほむら! まどかは……」

「…………」

 

 寄宿舎に暮らしていないまどかとほむらは普通、ふたり一緒に家から丸亀城に通ってくる。でもここずっと家から丸亀城にやってくるのは、ほむら一人だけ……

 まどかは、まだ、立ち直れていなかった。あの日からずっと、沈んだまま。

 

「昨日もまた、泣いていました……。諏訪の藤森さんと白鳥さんの名前を零しながら……」

「そう……か……」

 

 ……あの日以来、忙しいタマも若葉たちみんなも何度かまどかの事を気にかけて電話をかけたが繋がらないことがほとんどで、早く来いよってメールを送っても返ってこない。同じ巫女仲間のひなたも、来れなくなったまどかの分働いて忙しくなって、まどかの様子を見に行ってやることもできない日が続いている……。

 だから現状ほむらしかまどかを慰めてやれていなくて、それだけにほむらの心中は察せる……。

 

「ご飯も碌に食べてなくて……お父さんもお母さんもタッくんも……みんな心配していて……」

 

 本当に辛そうな想いがありありと伝わってくる……。家族が傷付いている……それなのに何もできない自分の無力感。

 ほむらにとって、一番守りたいと願う幸せが今、悲鳴を上げている……。守らなくちゃいけないのに、守れない……そんな大切な存在を目の当たりにして……

 

「……土居さん。私……いったいまどかに何をしてあげればいいんでしょうか……?」

 

 傷付いていくだけの姉妹なんて……

 

「いつまで続くんだあああああああああああ!!!!!!」

「っ!?」

 

 ああもううんざりだ!! なんだこれは!! 何だってんだこれは!!?

 タマたちは勇者だ。四国を、世界を救うことを託された勇者だ……なのに悲しんでいる友達一人を立ち直せられないままでどうする!!?

 それに……それに!!

 

「ど、土居さん……?」

「た、タマっち先輩…!? どうしたの? 教室の外までおっきな声が響いたけど……」

「あのバカ、いったい全体どういうつもりだってんだ!!?」

「お、落ち着いてください……! い、伊予島さん……土居さんが急に興奮しだして……!」

 

 もう我慢の限界だ!! あいつには絶対になくしちゃいけないとっても大事な自覚が抜けちまっている。そのせいで目の前のこいつがこんな顔をしていることが、タマは気に入らなくてしょうがない!!

 

 あいつは……まどかは……! タマと同じ、大事な役割を持っているんじゃないのか……!? 友達があんな風になって悲しむのは分かるが、いつまでもこのことを蔑ろにしちまってもいい理由にはならないはずだ!!

 

「ほむらぁ!!! 今からお前達の家に行くぞ!! まどかのヤツに文句を言ってやる!!」

「は、えちょ…文句って土居さん!? え、今からって授業は!?」

「っとちょうどいい、あんずも行くぞ! ついて来い!」

「わわわっ…!? だ、だから落ち着いてってばタマっち先輩! まどかさんに何を言うつもりなの!?」

 

 ほむらとあんずの手を引っ張りながら、タマたちは教室から駆け出した。そう、今やらなきゃいけないことをするために。

タマたちは勇者で、友達を立ち上がらなきゃいけなくて……それ以前に同じ想いを持った同志として、その事をあいつに思い出させないといけなくて、タマは感情のままに大声で叫んだ。

 

「お姉ちゃんが、いつまでも大事な妹を不安にさせるんじゃあない!!!!」



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本編
第一話 「ほむほむに転生していました。」


 ご指摘をいただいたので世界観について加筆修正を行いました。説明不足で皆様にご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。

 ほむほむのほむほむによるほむほむのためのほむほむをほむほむしてください!

 Let's HOMUHOMU!!


 皆様は『魔法少女まどか☆マギカ』というアニメをご存知だろうか?

 放送前に誰もが可愛らしい女の子達の夢と希望が詰まった魔法少女アニメだと思っていたあの『まどマギ』だ。その実態は夢も希望も存在しない、衝撃的でありながらも悲劇的なダークファンタジー。

 

 3話で主人公達を導く先輩ポジションのメインキャラクターが死亡した(マミる)衝撃は後世に永遠に語り継がれるだろう。だが本編の絶望においてこの先輩の死亡(マミさんマミる事件)は序の口だったのだ。

 

 5話で敵対する魔法少女の登場。6話で明かされる魔法少女になることが人間終了と同じ意味だという真実。7話に失恋から暴走しだした主人公の親友。そして8話に明らかとなる倒すべき魔女の正体。9話で親友と仲良くなった魔法少女の二人が死亡。

 これらのように毎週のように視聴者に絶望が送られるのだった。

 

 誰もがこのアニメのマスコットと思われていた淫獣(キュゥべえ)を呪っただろう。私もその一人である。

 

 私は誰よりもキュゥべえと弱い自分を憎みながら、たった一つの希望を追い求めて終わりの見えない戦いを繰り広げた魔法少女。

 

 私の名前は暁美ほむら、中学生である。

 

 

 

 ………『まどマギ』のほむほむに転生していました。どゆこと?

 

◆◆◆◆◆

 

 

 私が自分がほむほむだということに気が付いたのは赤子の頃。鏡に映った自分の顔を見た時である。

 幼いながらも一目見て自分がほむほむだと分かり、両親から呼ばれた自分の名前がほむらだと気付いたと同時に前世の記憶が一つ残らず入り込んできた。

 

『ほむっ!?』

 

 思わず出てしまったこの斎藤千和ボイスの『ほむっ!?』が私が生まれて初めて泣き声以外で発した言葉である。ほむ!

 

 当然私の中には『まどマギ』の記憶もあるわけで頭の中は大混乱である。なにせほむほむは作中一番の絶望を背負うキャラ。だけどそれ以上に私は歓喜で泣き叫んでいた。『ほむううううううう!!!』って。

 

 何故なら暁美ほむらは私の一番の推しキャラだからだ。まどマギおりマギかずマギすずマギたるマギマギレコ全てを合わせた上でほむらが一番好きなのだ。

 

 私はほむほむ派です。ほむっ。

 

 アニメを観ていた最初は謎めいたクールなキャラという見た目通りの印象しか持ち合わせていなかった。でもどこか冷たいながらも優しさを見せ、悪人ではないだろうとは思っていた。

 

 だが8話で主人公の契約を防いだ際に泣き崩れるあのシーン。あれで私の心は揺れ動いた。

 クールそうに見えても彼女だってまだ子供なんだと彼女の弱さを見せつけられてしまった。

 同時に私の中で確信に変わる。

 

『ほむほむマジ天使』

 

 あのシーンでほむほむは私のお気に入りキャラクター入りを果たす。この時はまだ推しではない。

 

 推しになったのはそう……彼女の過去が明らかとなる10話。

 

 この事を話すとなれば私は永遠に語ることができるだろう。時間が無いので初めて10話を観たときの感想だけを言っておこう。

 

『ほむらちゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!!』

 

 10話は何度観ても涙腺崩壊は避けられない。それどころか思い出すだけで涙がでる。ほむーん……

 

 ネット上では主人公をいつでも見張っていて劇場版での問題発言も合わさって人気は高いもののクレイジーサイコレズ扱い。

 そんなのがなんじゃい!! ほむほむはたった一人の友達を助けるために全てを犠牲にしてきた一人の悲しき女の子なんだぞ!! 貴様等全員あの時(8話と10話と11話と12話とゲームと劇場版とマギレコ)のほむほむの涙を忘れたとでも言うのか!!

 

 ですがほむらさん、使用済みの下着を盗むのは変だという疑問に対して「そこに価値があるのよ(ホムッ)」は擁護できません。

 

 とまあそんな訳でほむほむは私の推しキャラとなった。先程は外伝含めた全シリーズの中でと言ってしまったが、正しくは全てにおいて一番好きなキャラクター。

 

 私はほむほむ狂信者です。ホムー!

 

 ほむほむこそ全て! ジークほむほむ!! ほむほむの幸せの為なら何でもやります!!

 

 そんなほむほむマスターの私が名実共にほむほむになったのだ。ビバ転生! Thanksまど神様!

 

 レッツエンジョイほむほむライフ!! 私はキュゥべえの叶える願いよりも素晴らしい奇跡を得たのだ。

 この奇跡を私は充分に活用させてもらう。当然暁美ほむらとしてのグッドエンディングを迎えるために!!

 

 私の今世の目的は決まっている。それは原作のほむほむが辿り着けなかったPMHQ5人生存のハッピーエンド! まどか(ついでにさやか)を契約させずにワルプルギスの夜を乗り越える!

 

 え? キュゥべえと契約する気なのかって? 当たり前でしょ。私は暁美ほむらになれたのよ。暁美ほむらといえば時間停止を扱う、クールまたは眼鏡を掛けた魔法少女(リボンも可)。

 魔法少女じゃない暁美ほむらなんてドリルとおっぱいとイタリア語のない巴マミと同じ様なものよ。ケーキと紅茶しか残らないのよ。

 

 え? ワルプルギスの夜はどうするのかって? 私は転生者よ。故に本来のほむほむが知らない魔法少女の事を知っているのよ。神浜市の魔法少女とかね。

 

 傭兵フェリシアなんて千円で仲間になるし、美凪ささらみたいな正義感の強い魔法少女なら無償で手を貸してくれる筈よ。試してなくても私の行動次第で何人もの魔法少女が集まるわ。

 

 ふふふふふっ、この勝負もらったわ。中学生になるのが楽しみね。

 

 

『インキュベーター! 早く私を魔法少女にしてみなさーい!』

 

 

 

 

 皆様知っていますか? 私はほむほむに転生したのを奇跡と言いました。

 原作のキャラクター、佐倉杏子はこんなセリフを残しています。

『奇跡ってのはタダじゃないんだ。希望を祈ればそれと同じ分だけの絶望が撒き散らされる。そうやって差し引きを0にして世の中のバランスは成り立ってるんだよ』

 

 小学生の私、暁美ほむらはこの世界の真実に気付く。

 

『この世界……まどマギの世界じゃないじゃない!!』

 

 結論から言おう。この世界にはキュゥべえも魔法少女も魔女も存在していなかった。私はただの前世のアニメのキャラと瓜二つの一般市民でしかないのだった。

 

 そもそも原作のほむらは心臓病を患っていたのに私の体はずっと健康体。転校を繰り返していた筈なのにその経験も一度もない。

 これじゃあ見滝原の学校に行けないと思いながらも前世からの疑問を思い出す。

 

『見滝原って群馬でいいのかしら?』

 

 はい、ネットで検索しましたとも。結果は分からずじまいです。だって見滝原なんてこの世界に存在していないんだもん!!

 

 それだけじゃない……この世界がまどマギの世界じゃない決定的な違いがまだ二つもあった。

 私はこの世界で四国の香川県に生まれた。この事は原作ほむほむの明確な出身地は不明だったから、最初は全然気にはならなかった。だけどニュースで流れる報道はどのチャンネルも四国内のものばかり。日本の首都であるはずの東京や、大阪や福岡などの大きな街はおろか、外国のニュースすらも一度も流れなかった。

 

 この真相の答えは誰もが知っていた。この世界は四国以外に死のウイルスが蔓延し、人が住めない環境となっているらしい……ほむうぅ!!?

 ええ、勿論絶句しましたとも。ほむほむに転生したかと思いきや、日本なんて島国のたった四つの県しか機能していない世界で生きるようになっていたなんて……よく四国だけ無事だったものだ。

 

 しかもこの様に四国以外で生きられなくなったのはもう300年近く前の事らしい。そう、300年前である。西暦2015年かららしい。

 それじゃあまさか今は西暦2315年頃かと思ったけどそれは違った。神世紀299年である……何よ神世紀って!? 前世でもまどマギの世界でもそんな訳が分からない単語なんて聞いた事がないわ!!

 

 

 でもこれで確信してしまった。この世界は間違いなく私が望む世界じゃない。しかも四国以外が終わっている、とんでもなく大ハズレの世界だった。

 

 まどか…ごめんね……あなたを守れなかった……

 

 もし私にソウルジェムがあればごっそり濁っていたと思う。もはや私はただのほむほむ美人。つまりはケーキと紅茶しかないマミさん。

 

 結局私はただの暁美ほむらとしての人生を送るようになる。前世の記憶のおかげでテストはいつも100点。

 絶望したストレスを発散するためにスポーツにのめり込んだおかげで運動神経抜群。

 

 図らずも原作クーほむと同じ様になってしまった。

 さすがほむほむ。容姿端麗、文武両道、男女問わず学校中の注目の的である。

 

 だけど性格はクールで冷たく人付き合いはあまり良くない。小学生にして深窓の令嬢のようだと言われるようになる。

 

 こればかりは私の意地である。これ以上ほむほむ要素を失うわけにはいかない。せっかく見た目や成績でちやほやされるんだったらクーほむで行くしかないでしょう。

 

 でもクーほむにまどか以外に友達ができる訳ないじゃない。小学校の6年間はずっとボッチだった。ほむぅ……

 

 一人ぼっちは寂しいもんな……中学校では部活に入ろう。できればまどかみたいに私を引っ張ってくれる人がいる所がいいな。

 

 でもクーほむは貫いてみせる。魔法少女の道は断たれてしまったけど暁美ほむらとして生きていくことはできる。

 

「私の戦場は……ここしかない……」

 

 ……やり直したい。ちゃんとまどマギ世界でほむほむライフをやりたかった。けれど諦めるしかない。

 

 今の私の心境は原作一周目のメガほむ以上の超ネガティブ。

 

「あっ! あなたも新入生!?」

「……ええ」

「っはぁぁ! すごい美人さん! 芸能人!?」

「違うわ」

「違うの!? あ、私、結城友奈! あなたは?」

「……暁美ほむら」

「暁美さんかぁ…! 一緒のクラスになれるといいね!」

 

 そんなこんなで私は新たな一歩、讃州中学校へと入学した。



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第二話 「友達になろうよ!」

 息抜きで書いたつもりが皆様に高く評価させていただいて嬉しく思いながらもプレッシャーで胃が……
 ですがこれからもほむほむをよろしくお願いします!


 市立讃州中学校……当然暁美ほむらが見滝原中学校に転校してくる前の東京のミッション校なんかじゃない。至って余所と大差ない平凡な学校だ。

 それ以前にここは関東ですらなく四国の香川県だ。可能性なんて万に一つもありはしない。

 

 さらにこの讃州中学は見滝原中学校みたいに全面ガラス張りになっている訳でもない。アニレコの宝崎や神浜市立大附属学校みたいな大学を思わせるような広さもない。前世で私が通っていた学校と同レベルの規模である。

 ほむほむと同じ様な学校を望んでいた私にとってモチベーションだだ下がりである。

 

 いやまあ、比較対象がおかしいってのは承知の上よ。でも私は暁美ほむらことほむほむなのよ。まどマギキャラ(ほむほむ)が普通の学校に通っているなんて、なんだか少し違和感あるじゃない。

 コミカライズ版? 何のことかしら?

 

 でもいくら気が乗らないとはいえ、奇跡も魔法も存在しないこんな世界じゃどうしようもない。残酷な運命だけど受け入れるしかない。

 コミカライズ版ではほむほむだって普通の学校に馴染んでいたじゃない(手の平ほむスピナー)。大丈夫、きっと私も馴染める筈。

 

「新入生代表、暁美ほむら」

「はい」

 

 ほら、こうして新入生挨拶の代表にまでなっているのだから。成績最優良児として周りに期待され認められてる以上、ほむほむの顔に泥を塗る訳にはいかないわ。

 

 講演台に上がり、いざ始めようと思い式辞用紙から少し目を離して目の前の生徒たちを一瞥する。

 すると偶然一人の新入生の少女と目が合った。式が始まる前に少し会話を交わした……結城友奈…だったかしら。私の雰囲気に臆することなく話しかけてきたちょっと変わった子。

 

「(あ、暁美さーん!)」

「……君、私語は慎むように」

「あぅっ、ごめんなさい」

 

 ……何やってるのよあの子。小声とはいえ講演台に立っている生徒に声を掛けるなんて。案の定先生に注意されたじゃない。

 

 でも誰かに裏表のない笑顔を向けられたのなんていつぶりかしら? ……ふふっ、悪くないわね。

 

「やわらかな春の日差しの中、桜の花が咲くこの良い日に、私達新入生はこの学び舎の一員となることを大変嬉しく───」

 

 ただ書いている事を読み上げるだけだったがこの時の私の声は珍しいことに少しばかり弾んでいた。

 

◆◆◆◆◆

 

 体育館での入学式も問題なく終わり、教室に戻ってのほーむルーム。担任からこれからの中学生生活の注意事項を聞くだけの暇な一時である。

 

 だけどこれからの中学生生活大丈夫かしら? 勉強面の不安はないけど友人関係が……

 クラスメートの内の半分ぐらいが私とは違う小学校を出た子供達だった。その子達の私への印象は悪くはないと思うけどクーほむの雰囲気について来れるだろうか?

 

 ……ついて来れるんだったら今の私にも少なくとも友達はいる筈よ。どうしよう……小学校の6年間みたいに中学校の3年間もボッチは嫌だ。

 

 え、結城さん? 残念ながら彼女は隣のクラスよ!! せっかくあの子とは仲良くなれそうと思ったのに!! ほむううううう!!!

 

「最初のホームルームはここまで! えっと今日は……それじゃあ出席番号1番の暁美さん。号令をお願いします」

「……起立、礼。神樹様に、拝」

 

 神樹様とは何ぞや?と思われることだろう。

 神樹様とは文字通りこの世界の神様であり、神樹様がいなければ人々が生活できないと思われているぐらいである。

 

 初めてこの神樹様の存在を知った時は驚いた。なにせ出会う人全てがこの神樹様を信仰しているのだもの。ミッション校じゃないこの讃州中学どころか小学校でも号令の時に礼拝するぐらいだ。

 

 もちろん私はそんな胡散臭い神様なんて信じる気はなかった。宗教なんて関わらない方がいいと前世で母に耳にたこができるほど言われたのだ。

 そして何よりもほむほむが神様を信じてはいけない。ほむほむは神様に叛逆してなんぼの存在である。

 

 それにしても私は少し変わった世界に転生していたみたいだ。神樹様なんて神様、前世じゃ聞いた事がないのに。

 本当に神様がいるんだったらこんな世界じゃなくてまどマギの世界に転生させてよ。ホマンドーとかザ・ワールド(ほむの世界)とかやりたかったのに……

 

「ねえ暁美さん!」

「…ん?」

 

 ほーむルームが終わると同時に何人かのクラスメートが私の周りに集まってくる。みんな違う小学校を出た生徒だ。

 さすがほむほむ、見た目に惹かれた子達が簡単にやって来るわ。

 

「暁美さんって、小学校はどこの学校だったの?」

「部活は何に入るの? 運動系? それとも文化系?」

「すごい綺麗な髪だよねー。シャンプーは何使ってるの?」

 

 ほ、ほむわああああああああっっ!!! 原作再現キタアアアアアアアアア!!!

 

 転校してから真っ先にクラスメートに囲まれて質問責めにあうあのシーン! 若干違うけどまさに同じような質問じゃない! 淡々と答えたり答えなかったりする一連の流れをまさかこの世界で体験できるなんて!?

 

「暁美さん?」

「…っ! ごめんなさい。少し緊張したみたいで」

「へー……暁美さんみたいな人でも緊張とかするんだ?」

「ちょっと、失礼よ」

「おっと、ごめんね? 暁美さん」

「構わないわ」

 

 ええっと、私は何て返せばいいの!? そのまま質問に答えればいいの!? それとも保健室にエスケープ!? それなら保健係の人は誰よ!? そもそも係はまだ決まっていなかった!

 

 おおお落ち着きなさい暁美ほむら……ここは質問に答えるのがベスト。わざわざ保健室を選ぶ必要性はほとんどない。ただのほむほむプレイの再現ができるメリットしか……好感度がた落ち間違いなしよ。

 

「小学校は中央の方の学校よ。部活動は入るつもりだけど何に入るかはまだ決めていないわ。シャンプーは家にある物をそのまま使っているからよく分からないの。明日教えるわ」

 

 ざっとこんなところかしら? それにしても部活動は何に入ろうか。放課後から早速見学に行けるけど興味を持てそうな部活がはたして見つかるかしら?

 

 ほむほむだから弓道部が合いそうだけど、弓はクーほむじゃなくてリボほむだからよく考えないと。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 時間は跳んで翌日。結局昨日は見学どころじゃなかったわ。私が文武両道才色兼備だということは既に先輩達に知れ渡っていたみたい。つまり昨日は……

 

『暁美ほむらさん!! 是非私達とソフトボールを!!』

『県内記録を出したという話は聞いているわ!! ここは陸上部に入るのがいいわ!!』

『成績優秀な暁美さんが我が部に入れば敵無しです! どうか我が将棋部に!!』

『テニス部!!』

『サッカー部!!』

『水泳部!!』

『バスケ部!!』

『あれ? 暁美さんは?』

 

 面倒なことになったから見学せずにそのまま帰ったわ。ほむほむったらマジクーほむ。

 しかし本当に面倒よこれは。いくらなんでもいろんな部活から同時に勧誘されるなんて漫画じゃあるまいし……

 

 これは入部条件に落ち着ける場所というのも追加ね。……見つかるのかしら?

 

「あ! おーい、暁美さーん!」

 

 背後から元気のいい声が聞こえてくる。一瞬また勧誘かと身構えたけどすぐに警戒を解く。昨日出会ったばかりなのに何かと縁がある結城さんだった。

 その結城さんは車椅子を押しており、そこにはいかにも大和撫子という言葉が似合いそうな少女が座っていた。

 

「……こんにちは結城さん」

「こんにちは暁美さん! 一緒のクラスになれなくて残念だったね」

「そ……そちらの子は?」

 

 思わず「そうね」って答えてしまいそうになった。私はクーほむ私はクーほむ。そう簡単にデレてはいけないほむ。

 

 話題を逸らして車椅子の少女へと視線を移す。クーほむのクールな雰囲気に呑まれて少し怯えているように見えた。

 

「……東郷美森…です。あの、暁美さん…でしたか?」

「ええ。暁美ほむらよ」

 

 ここでほむほむアピール! 左手で髪の毛を上げてファサ…をするわ。特に意味はないけどほむほむと言えばこの髪の毛をファサ…って上げる癖よ。

 

「えっと…その…暁美さんは、結城さんのお友達……なんですか?」

「そーだよ!」

 

 待ちなさい結城友奈。いつの間に私はあなたの友達になったのよ。いえ、別に嫌な訳じゃないけど……

 

「……昨日入学式の前に出会ったばかりよ。友達と言えるほど親しくはないわ」

「ええー、それじゃあ今ちゃんとした友達になろうよ!」

 

 ポジティブすぎない、この子。というかなんでこうまでして私と友達になりたいのよ。東郷さんが不安そうにしてるじゃない。

 

「暁美さんってすっごく美人だもん! ほむらって名前も燃え上がれ~って感じでかっこいいなあって思うんだ!」

 

 マドカアアアアアアアアアアア!!! そのセリフはまどかのだああああああっ!!!

 

 ふふふっ、奇遇ね。私もあなたと友達になりたいと思っていたのよ! この世界にはほむほむと共に生きるまどかはいない。でもあなたなら私と友達になっても不足はないわ!!

 

「……ほむら」

「えっ?」

「友達に暁美さんなんて他人行儀に言われたくないの。ほむらでいいわ」

「いいの!?」

「あなたが嫌じゃないなら」

「嫌なわけないよ! よろしくね、ほむらちゃん!」

 

 よっしゃあ!! ほむらちゃん呼びもらったああああああああ!!!

 

「ええ、こちらこそよろしく。結城さん」

「私も結城さんじゃなくて名前で呼んでほしいな」

「分かったわ……友奈」

 

 名前を呼ぶと友奈は嬉しそうに笑顔を見せた。そして私もたぶん微笑んでいたと思う。

 ほむほむに転生して以来初めて友達になってくれた人が現れたんだ。嬉しくない訳がない。まさに確率でクリティカルと攻撃力アップ状態よ。

 

「そうだ! ほむらちゃんが私の友達になったんだから、東郷さんとほむらちゃんも友達になるんじゃないかな!」

「えっ、結城さん!?」

 

 友達の友達は友達とでも言うのか。まあでも、友奈らしい考え方ね。

 ええいいですとも! どんと来なさい!

 

「私が友達じゃ嫌かしら?」

「いえ、そういう訳じゃ……」

「東郷さん! ほむらちゃんも東郷さんと友達になりたいんだよ」

 

 ちょっ!? 何勝手にばらしてるのよ友奈! ほむほむのイメージがクールじゃなくなるじゃない!

 

「ええっと……私は見ての通り歩けないの。だから一緒にいたら迷惑を掛けるかもしれないけど、それでも友達になってくれますか?」

「何変なことを言っているのよ。友達が困っていたら助けるのは当たり前じゃない。そうでしょう友奈?」

「うんうん! それに私は迷惑だなんて思ったことないよ。むしろ友達を助けられて嬉しいぐらいだよ」

 

 ほむほむは友達相手なら何が何でも助けるのよ。例え自分が出口の見えない迷路に閉じ込められようともね。

 歩けない友達を支えるぐらい何とも思わないわ。

 

「ありがとう…友奈、ちゃん……えっと……ほむらちゃんも」

「ふぉおおっ!? 東郷さんが私の名前を呼んでくれた!」

「名前で呼んでくれたということはこれからは友達ね。よろしく美森」

「私も改めまして! よろしくね、美森ちゃん!」

「み、美森ちゃん!? ごめん二人とも! 私は名字の方で呼んでほしいの」

「あら、そうなの? それじゃあ東郷ね」

「う~ん、ちょっと残念な気もするけど東郷さんがそう言うなら」

 

 不安だと思っていた友達作りもたった二日で二人もできた。初めてこの世界に転生できて良かったと思えたのは意外だったけど心地良い気分ね。




 ほむほむによって本来のぼた餅による名前呼びイベントをスキップ。


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第三話 「クールだと言えるのかしら?」

 暁美ほむらはクールである


 ぼた餅。餅米を俵状に丸めた固まりにあんこ等をまぶして作る和菓子である。

 

 快晴の空の下、私と友奈は東郷が作ったぼた餅を箸で摘まんで口元に運ぶ。そんな私達二人を東郷は真剣な眼差し、というよりも緊張しているかのような表情で見つめていた。

 

 友奈と東郷と友達になって早一週間、クラスが違うとはいえ私は基本二人と一緒に行動するようになっていた。

 今日は三人で学校の周辺の散策をしていたのだった。最初は友奈から提案されて、「中学生にもなって何を…」と思ったのだが詳しい話を聞くとこれは東郷のためらしい。

 

 曰く、東郷は最近友奈の家の隣に引っ越して来たとのことでまだこの辺りの事をよく分かっていないみたいだった。加えて両足が不自由故になかなかそういう街中を回る機会に恵まれなかったようだ。

 

 そうと分かれば断る理由なんてある訳ない。ほむほむにとって友人を手助けするのは当たり前。

 それに新しい街で右も左も分からない状況、これもほむほむとしては見過ごすわけにはいかない。ほむほむを救った原作一周目のまどかのように導かねばならないのだ。

 暁美ほむらが憧れた存在のようにほむほむとして振る舞うのも私の役目である。

 

 話は最初に戻ってぼた餅。

 今は立ち寄った神社の前で休憩中である。そこで一緒に付いて来てくれたお礼として、東郷が手作りのぼた餅を私と友奈に用意してくれていたのだ。

 

 東郷は車椅子に乗りながら作ったからちゃんとうまくできているのか自信がないと言っていたが、友奈は関係ないと言わんばかりに全身で喜びを露わにして受け取っていた。

 せっかく友人が作ってくれたお菓子なんだ。私もお礼を言ってそのままぼた餅を箸で摘まむ。

 東郷……食べるまでずっと凝視してくるのはちょっと食べづらいわよ。友奈は本当に全然気にしていないようだけど。

 

「………んっ!?」

「…っ!」

「ふぉぉおおおおう!!! 美味っすぅぃいいいいいい!!!!」

「本当!?」

「ええ。柔らかくて甘さも絶妙ね。本当によくできているわ」

「良かったぁ。友奈ちゃんもほむらちゃんも気に入ってくれて」

 

 東郷のぼた餅は本当に美味しかった。これはお店に出したら飛ぶように売れるレベルだと思う。友奈なんて勢い余って立ち上がって両腕を激しく振り回していた。

 そして東郷に詰め寄りありったけの感情を口にした。

 

「東郷さん! もしできれば毎日食べたい!! 東郷さんのお菓子!!」

「えっ……うん! 分かったわ、友奈ちゃん!」

 

 どうやら友奈は完全に東郷に胃袋を掴まれたみたいね。気持ちはよく分かるわ。家が隣同士だし本当に毎日作ってもらいそうね。

 それに東郷の方も友奈があれ程までに喜んでくれたことが心から嬉しいみたい。私だって感情を表に出していないだけで、東郷のお菓子に有り付けた友奈が羨ましいわ。

 ……ここは一つ……

 

「東郷、ぼた餅二つ目も貰っていいかしら?」

「はいはーい! 私にももっとちょうだい!」

「あなたはこれから毎日食べられるんでしょう? ここは私に譲りなさい。全部」

「うええっ!? それはあんまりだよほむらちゃん!?」

「うふふ、それじゃあほむらちゃんにも作ってこようか?」

「是非お願いするわ」

 

 ふっ、便乗に成功したわ。こういった抜け目のないところもまさにほむほむよ。

 ……あれ? お菓子目当てでこういう手を使っちゃあ、はたしてこれはクールだと言えるのかしら?

 まあ細かいことは後から考えましょう。今はぼた餅よぼた餅。

 

「ほむらちゃん、あーん」

「自分で食べられるわよ」

「あーん」

「……くっ!」

 

 何て事を……ここであーんをしないとぼた餅が食べられない! でもそうしたら二人にほむほむがクールじゃないと思わせてしまう!

 なんという二律背反っ! ぼた餅かほむほむ、どちらか一つしか選べないなんて! おのれ東郷!

 

 いいえ、まだ何とかなる筈よ! 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花のクーほむなら後でいくらでも挽回できるわ!

 

「……あー」

「あーん」

「あむっ……美味しい」

 

 はぁ……本当に美味しいわ。毎日食べても飽きないでしょうね。

 それにしても恐ろしい。一時的にクーほむを犠牲にしてしまうけど、ギリギリ必要経費として許されかねないと思ってしまうなんて……

 

「……ねえ…友奈ちゃん」

「……うん……これは…!」

 

 何故か二人して顔を見合わせて固まってしまう。すると今度は友奈がぼた餅を摘まみ……

 

「ほむらちゃん! 次は私の番! あーん」

「ほむぅっ!?」

 

 追加攻撃!? 待ちなさい友奈!! これ以上はさすがに無理よ!! どうしてクーほむが二回もあーんなんてしなくちゃいけないのよ!?

 

「ほむらちゃんがあーんして食べる時の顔がとっってもかわいいの!!」

「これは何としてでも目に焼き付けないといけないわ。いいえ、それだけじゃ駄目。写真も撮って永久保存しないと!」

 

 さらっととんでもなく恐ろしいことを!? 写真なんて絶対駄目よ!! どんな顔をしていたかなんて自分じゃ分からないけど間違いなくクールじゃないに決まっている!!

 ひいっ!? そうこうしてる間に東郷がスマホを構えた!?

 

「さあほむらちゃん! あーん」

 

 駄目よ! 逃げなさいほむほむ!! でも逃げたらぼた餅が食べられないなんて、こんなの絶対おかしいわ!! 

 

「あーん」

「くっ…どうして…!」

「あーん」

「ぐぅぅ…!」

「あーん」

「……ぅぅううううう!!」

 

 

 

 

 パシャッ

 

 

 

 

「…………東郷さん」

「…………友奈ちゃん」

 

 

 

「「ほむらちゃん超かわいい!!!」ぶはっ!」

 

 ほむううううううううううううう!!!!

 

 

◆◆◆◆◆

 

「はぁ………良かったわ」

「何がよ!!」

 

 最悪だ……バッチリだらしない顔を撮られてしまった。どれくらいだらしないかというと東郷が鼻血を漫画みたいに噴き出すくらい。あんな風に鼻血を出す人初めて見たわ。

 

 だけど私も写真を見せられた時に思わずぶっ倒れそうになったわ。(ほむほむ)がかわいすぎて。

 

 本当は消させるべきだけどあんな奇跡の一枚を撮られてしまってはどうしても躊躇ってしまう。仕方ないから私達三人だけの秘密にすること、私のスマホに写真を送ることを条件として許すことにした。

 

「ほむらちゃん! ぼた餅まだ残ってるよ!」

「……もうお腹一杯よ」

 

 もうこれ以上クールさを失うわけにはいかない。ぼた餅は惜しいけどたぶんもう精神が持たない。

 

「……ほむらちゃん」

「何よ」

 

 ようやく落ち着いた東郷が遠慮がちに話しかけてきて、つい不機嫌だということを隠せずに聞き返してしまった。許すことにしたと言っても今日私が何をされたのか忘れることはないわ。

 

「私ね、ほむらちゃんと最初に出会った時……ちょっと怖そうな人だと思ったの」

「……知ってるわ」

 

 あの時の東郷は小学校の6年間の間に私を避け続けてきた人と全く同じ目をしていた。関わりたくない、怖い、何かされたらどうしよう、早くどこかに行って、そう自分勝手に決め込んで人を無意識に傷付ける目だった。

 

「ごめんなさい。よく知らなかったのに初対面の人に抱いていい感情じゃなかった」

「気にする必要はないわ。もう慣れているから」

 

 そう、気にする必要なんてない。だって東郷のその目はすぐに霧散していたのだったから。すぐに私を友達だって認めてくれるようになっていたのだから。

 

「慣れているなんて、そんな悲しいこと言わないで。私が言えたことじゃないけど友達が怖がられるのを認めたくないの」

 

 ほら、まだ友達になってたったの一週間しか経っていないのに、もうこうして私のことを案じてくれている。

 私にもこんなに想ってくれる友達ができただけでも本当に嬉しいのよ。

 

「だからね、ほむらちゃん。さっき私思ったの」

 

 ……うん?

 

「あんなにかわいい顔ができるのに怖がられるなんて勿体ないわ! ほむらちゃんとても美人なんだから、もっとかわいくなっちゃえばいいのよ!!」

 

 かっ、鹿目さああああああああああああん!!! そこは「かっこよくなればいい」でしょうがああああ!!!

 

「そうだよほむらちゃん!! ここは私達に任せて! ほむらちゃんを学校で一番、ううん、香川で一番かわいい女の子にしてみせるよ!!」

「その必要はないわ!!」

 

 私はクーほむなのよ! かわいいのは認める。けれどそれで周りに持て囃されたらクールという重要なイメージを失ってしまうのよ!!

 

「遠慮しなくていいんだよほむらちゃん? 私達頑張るからね!」

「頑張らなくていいから!!」

「友奈ちゃん! まずは1年生が抱いてる悪いイメージの払拭よ! この写真を見せればみんな考えを改めるわ!」

「秘密だと言ったでしょう!?」

「「暁美ほむらヒロイン化計画、開始!!」」

「いい加減にしなさああい!!」

 

 この日、結局私には二人の友達の暴走を止めることができなかった。そのまま二人は次の日から本格的に、私のイメージをクールからキュートに塗り替えようと奔走するのであった。

 

 こんなのってないよ…あんまりよ……




 暁美ほむらはクールである?


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第四話 「案外似合いそうじゃない。」

 ほむほむは激怒した。かの脳天気の友奈と諸悪の根元の東郷の二人に天誅を下さねばならぬと決意した。

 

 今日私が学校に来るとクラスの反応がいつもと全く違っていた。

 いつもはクラスメートの半数が露骨に目を逸らすのに、今日は逆に興味津々であるかのように眺めていた。まるで芸能人が近くを歩いているのを見つけた時のように……

 

 そして残りの半数が私に気付くとすぐに詰め寄り、スマホ片手に興奮しながら写真を見せてきた。

 

「ほむぁっ!?」

「これどこからどう見ても暁美さんだよね!? 超かわいいんだけど!!」

 

 その写真は私が友奈にぼた餅をあーんで食べさせられた写真……ではなく、その後日から毎日作ってもらうようになった東郷のお菓子を幸せそうに食べるほむほむの写真だった。

 自室のゆったりできる一時の中で食べる東郷のお菓子は最高だったわ。それで、まだ誰にもこの世界の私の家…もといほむホームの場所は教えていないわよね? どうやって撮ったのよ、この写真?

 

 そしてクラス中の雰囲気が浮いている理由はみんなこの事を知っているってことでいいのよね?

 

「……誰からもらったの、この写真…」

 

 犯人が誰かなんて分かりきっている。本人達から直接犯行声明を聞いたわけだし動機も十分だもの。

 

「隣のクラスの東郷さん。撮ったのは結城さんって言ってたけど。こんなステキな顔を見せるなんて、暁美さん二人とよっぽど仲がいいんだね!」

 

 ええそうね。これが隠し撮り写真だって知らなければそう思うわよね。

 約束通りあの写真は秘密にしてくれてありがとう、なんて言うとでも思ったの? 余計アウトに決まっているでしょう?

 

 この日は一日中写真の話題でいっぱいだった。今まで私を避けていた子も話したことのない子も、みんながほむほむかわいいと口にして質問責めが行われた。何度も、数えるのを諦めるほど。

 

「暁美さん、放課後予定ある? 一緒にイネスに遊びに行かない?」

「その前に暁美さん部活は決まったの? よければアタシが入った部活の見学に来てみない?」

「あ、あの、暁美! もしよければ今度「邪魔よ男子! 引っ込んでなさい!」ひどっ!?」

「ごめんなさい……今日はどうしても外せない用事があるの

「そっかぁ残念……また今度ね!」

「またね、暁美さん」

 

 ふふふふふふ……今なら見える気がするわぁ。愛おしいほむほむのドッペル、世界を包み込む新しきほむほむの力が!

 友奈ぁ…! 東郷ぉ…! これまでの怨みの全てをあなた達にお返しするわ。今まで私が築き上げてきたクーほむを無に帰すような真似をしてくれたお礼よ!

 

 まだこの時間は二人とも学校を出ていない筈。東郷が車椅子だから容易く移動ができないのと、友奈が馬鹿が付くほどお人好しな性格だから東郷の側から離れられないのが災いしたわね!

 

 ああ、友達の名誉に関わるから言っておくけど、友奈は東郷が歩けないから同情して一緒にいるわけではないわ、断じて。

 さっきのは言葉の綾。あの子は東郷のことが大好きだからいつでも一緒にいるのよ。

 

 ……さて、いざ行かん、隣のクラス!! 覚悟しなさい、友奈! 東郷! ほむほむは冷静な人の味方で無駄な争いをする馬鹿の敵。つまりあなた達は私の敵よ!

 

「ほむらちゃーん! 一緒に帰ろー!」

「………そっちから来るのね。好都合よ!」

「っ! 友奈ちゃん危ない!」

「ほえ?」

 

 聡明な東郷は私が何をしようとしていたのか気付いたみたいね。でも友奈は違う。間抜けな顔で東郷の必死の叫びの意味すら理解できていない。

 最初のターゲットはあなたよ友奈! 友奈の背後に素早く回り込み、両拳を友奈のこめかみに当てねじ込むように圧迫する。いわゆるグリグリ攻撃だ。

 

「ほっ、ほむらちゃん!? 何いたたたたたたたた痛い痛い!!」

「友奈ちゃあああん!!」

 

 無駄よ東郷! あなたに友奈を助けることはできないのよ! 愚か者が相手ならほむほむは手段を選ばない。そこで大人しく友奈が散る様を見てるがいいわ!

 

「うぅ…きゅぅ……」

「友奈ちゃん!?」

「……次はあなたの番よ……東郷」

 

 廊下に倒れ伏した友奈の前で東郷に威圧を放つ。頼れる友人はもはや助けに来れない。二人とも知り尽くしているもう一人の友人を敵に回した時点で、あなたの敗北は決まっているのよ。

 

「うおぉおおっ!! 東郷さんを殺らせるかぁー!!」

「っ!? この子、まだ息が!」

 

 バッと蘇った友奈に不意を突かれて後ろから羽交い締めされてしまう。だがしかしこの程度の拘束! ほむほむを止めるには全然程遠いのよ!

 

「そりゃああっ!!」

「ぃひゃぁっ!?」

 

 瞬間、ほむほむの体に電流走る。同時に全身にとてつもない快感がまとわりついて変な声が出てしまった。

 何よこれ……友奈に触られたと思ったら耐え難い快楽が…!?

 

「お父さん直伝のマッサージ! どうかこれで気を沈めたまえ~!」

「マッサージ!? こ、こんな犯罪的なマッサージがあっていいわけがなぁあああっ!!」

 

 どうして!? 制服越しなのに直接触れられるよりも気持ちいい!! それに全身の力が抜けて立ってられない…っ!?

 

※これはマッサージです。いかがわしいものではありません。

 

「ほむらちゃんだいぶ固くなってるね? これはマッサージのしがいがあるよ!」

「はぁっ…! ゆ、ゆう…な…やめ…んぁあっ!?」

 

 お願いもうやめて友奈!! これ以上気持ちよくされたら私……わたしっ…!!

 

※これはマッサージです。いかがわしいものではありません。

 

「んっ、んーっ! だっだめ!! もうこれ以上は!! だめええええっ!!!!」

 

「……ほむらちゃん……ゴクッ…」

「東郷さんもマッサージどう?」

 

※これはマッサージです。いかがわしいものではありません。

 

◆◆◆◆◆

 

 ………はっ!? 私は今までいったい何を!? どうして廊下で寝そべっているのよ! こんなの全然クールじゃないわ!

 

「あっ、ほむらちゃん起きた」

「……ほむらちゃん。調子はどう?」

「……何故か知らないけどとても体が軽いわ。こんな快適な気分初めて……」

 

 もう何も恐く……こればかりは言ってはいけないわ。でも本当にいったい何があったの? 気が付けば心も体も晴れやかになるなんて……

 

「まぁ何だっていいわ。二人とも帰りましょう」

「おーう! 帰ろ帰ろー!」

「そうね。早く帰ろう友奈ちゃん……早くマッサージを」

 

 マッサージ? 東郷、後から誰かにマッサージをしてもらえるのかしら……うっ、なにかしら? 体が疼く…?

 

 そこに私のクラスの子の一人が友奈に話しかける。その子は一度私の方へと顔を向けるもすぐに露骨に顔を逸らした。何故かその顔はひどく真っ赤だったけど、熱でもあるのかしら?

 

「ね、ねえ結城さん……この前の事なんだけど…」

「ああ、チアリーディング部のお誘い? ごめんね、私にはちょっと無理かも…」

 

 へぇ……友奈ってチアリーディング部に勧誘されていたのね。確かに友奈の元気いっぱいで満面の笑顔の応援だったら盛り上がりそうよね。断ってたけど案外似合いそうじゃない。

 

「ええっと……その、暁美さんはどうかな? チアリーディング部」

「はい?」

「おおっ!! ほむらちゃんのチア姿が見れるの!?」

「高性能カメラを予約しないと!」

 

 見れるわけないでしょう!? 東郷もスマホで検索しないで!!

 でもほむほむのチア姿ねぇ………ジュルリ……はっ!?

 

「ごめんなさい。チアリーディングなんて私の柄ではないわ」

「ええー、そんなことないよぉ」

「やってみなくちゃ分からないわ」

 

 いいえ分かるわ。ほむほむのチア姿、絶対に似合うわ。主にかわいらしい方向に。

 だからこそよ。くどいようだけど私はクーほむなの。期間限定イベントでない限り、チア姿とかそういうのとは無縁の存在なのよ。

 

「そ、そう? ごめんなさい、無理言って。……それじゃあまた明日ね、暁美さん」

「え、ええ、また明日」

 

 私が言い終わる前に彼女は少し駆け足でいなくなった。終始一貫して顔が赤かったけど大丈夫かしら?

 それ以前にどうして彼女が私をチアリーディング部に勧誘したのかしら? 今までずっと私を避けていた子よ、彼女。

 

「ぶー……絶対似合うのに」

「そういうあなたもどうして入らないのよ。性格的にも申し分ないじゃない」

「確かにそうね。どうしてなの、友奈ちゃん?」

「押し花部からのお誘いだったら入ってたんだけどなぁ……」

「「そんな部活存在しないでしょ」」

「そうだね~」

 

 そういえば友奈って押し花が趣味だと言っていたわね。それでも趣味と部活は別に一致していなくてもいいのに、なんだか勿体ないわね。

 

「それじゃあいったいどんな部活に入るつもりなのよ?」

「う~ん……結構悩んでいるんだけど……東郷さんは?」

「私も、車椅子だし何に入ればいいのか……ほむらちゃんは?」

「私も、これだという部活が見つからないのよ」

「「「はぁ…」」」

 

 三人揃って前途多難ね。別に入部届け自体に締め切りは無いからいつでも出してもいいのだけど、入部は早いに越したことはないわ。

 

「あなた達にお勧めの部活はここにあるわ!」

 

 突如、背後から威勢のいい声が掛かる。振り返る前にまた何か部活の勧誘だと気付きながらも、三人揃って声が聞こえた方を見る。

 

「あなた達にお勧めの部活はここにあるわ!」

「なぜ…二回も?」

「どちらの勧誘なんですか?」

 

 そこには仁王立ちする一人の女子生徒が。茶髪で長いツインテール、なんというかサバサバしていそうな雰囲気をした人だった。

 

「アタシは2年の犬吠埼風。()()()の部長よ」

 

 これが暁美ほむらと勇者部の出会い。

 このハズレだと思われた世界で見つけた、命以上だと思える掛け替えのない存在になることをこの時の私は全く知らない。




 ゴッドハンド友奈は書いててR-18になってないよね?って不安になりました。大丈夫ですよね…?


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第五話 「私の戦場(部活)はここじゃない。」

 投稿開始から一週間でお気に入り者数が250人越え、日間ランキングにも載っていたで感謝感激雨あられです!!
 ここまで応援してくださる方がいるのに毎日投稿できないおのれの筆力が憎い!!

 どうか今後もほむほむと勇者部をよろしくお願いします!


「「勇者部?」」

 

 全く想定外の言葉が飛んできたわね。勇者といえば文字通り勇気ある者、誰もが恐れる困難に立ち向かう者だとか良い意味がある言葉だけど逆に何か胡散臭く感じるわ。

 

 ……偽造サークルみたいに変な宗教に引きずり込むつもりじゃないでしょうね。神様なんて訳の分からない存在、神樹様だけでもう十分よ。

 

「何ですかそれ……とってもワクワクする響きです!」

「「えっ?」」

 

 いけない、勇者なんてかっこいい言葉は友奈に興味を持たせるのに十分な力があるわ。まさか「勇者部」って名前は友奈みたいに子供っぽい性格の子をおびき寄せるための罠?

 

「あっ、分かる!? フィーリング合うねぇ!」

「……彼女も友奈と同じ感性のようね」

「ふふっ、そうみたい」

 

 私の声は呆れを含んでいたものだったが、東郷のは愉快そうな声だった。やはり東郷は友奈みたいに明るくて前向きに突っ走るような人間が好みなのだろう。私は少々面倒だと思うが、東郷にとっては場の空気が和やかになる方が喜べるのね。

 

 それで結局勇者部って何なの……と言おうとしたところでチラシを手渡される。勇者部部員募集中と書かれたそのチラシに記載されていた活動内容はごみ拾い、迷い猫探し、公園掃除、フリーマーケット、古着の回収、そして子供会の手伝い……これって要はボランティアってこと?

 

「勇者部の活動目的は世のため人のためになることをやっていくこと。各種部活動の助っ人とか、ボランティア活動とか」

「はえ~! 世のため人のためになること……」

「うん。神樹様のステキな教えよね~」

 

 やはりその通りだった。名前の割には結構地味な部活なのね、勇者部って。

 それに友奈には好印象みたいだけど、これって思った以上に大変な部活じゃないの? いろんな活動を引き受けたらキリがないんじゃないかしら。

 

「と言ってもアタシ等の年頃は、何かそういうことしたいけど恥ずかしいって気持ちがあるじゃない? そこを恥ずかしがらずに勇んでやるから勇者部!」

「……なるほど。敢えて勇者という外連味のある言葉を使い、みんなの興味を引くことで存在感を確立しているのね」

「それだけじゃないわ東郷。勇者という言葉は基本的に前向きに捉えられるわ。その名を背負い、部活動と言えども地域活動で学外の人達にその功績を認められれば学校の評判もアップ。そして学校はその部員に内申書で大きなプラス点を与えざるを得なくなるという魂胆も」

「あいや、そこまで深くとかセコいこととか考えていないって……」

 

 さすがにそこまでの下心はないか。そもそも仮にあったとしたら、わざわざ勇者部なんて大変そうな部活に入らないで別の手段を取る方が効率的だし。

 一応、名前通り立派な志を持った部活ではあるのね。友奈が目をキラキラさせていて興味津々だわ。

 

「私憧れていたんです。勇者って言葉の響きに……かっこいいなぁって!」

「その気持ちがあれば、君も勇者だ!」

「おぉー! 勇者!」

「凄いところに食いつくのね」

「でもなんだか友奈らしいわ」

「そうね」

 

 犬吠埼先輩の後押しも相まって友奈が俄然勇者部に惹かれていた。どうやら友奈の入る部活は決まったみたい。

 

「決めました! 私は勇者部に入ります!」

「おおっ! 君みたいな立派な子が来てくれれば勇者部の未来は安泰だ!!」

「ありがとうございます! 私、讃州中学1年、結城友奈です!! 趣味は押し花で、好きな食べ物はうどんと東郷さんが作ったお菓子です!!」

 

 興奮冷め止まない友奈は廊下だというのに大声で入部を宣言する。他の人達が変なものを見るかのようにチラチラ横目で見ながら通り過ぎて行くから、私は溜め息がこぼれてしまう。無関係だと否定して逃げられないのが辛いわ。

 

「同じく讃州中学1年、東郷美森です。不束者ですがよろしくお願いします」

「えっ、東郷?」

「いらっしゃいいらっしゃい! 勇者部は来るもの拒まず! いつだってお姉さんを頼りにしてもいいのよ?」

「やったー!! 東郷さんも勇者部に入るんだ! 一緒に頑張ろうね、東郷さん!」

「うん! 頑張ろう友奈ちゃん!」

「アタシはスルーですかおーい……」

 

 え、待って、東郷も勇者部に入るの!? それっぽい素振りなんてどこにもなかったじゃない!

 友奈が入るから? あなたどれだけ友奈のことが好きなのよ?

 

 ……友奈と東郷、それから犬吠埼先輩が期待の眼差しで私を見つめているわ。これってつまりアレよね? 私も入部宣言しろって言いたいのよね……

 ええっと、こんな時にクーほむが取るべき行動は……ファサ…してから後ろを振り向いてシャフ度で……首が無理!

 

「………それじゃあ頑張って、二人とも」

「「「ええっ!!?」」」

 

 うわ、予想通りのリアクション……やはり彼女達の頭の中では私は勇者部に入っていたらしい。

 

 あれ? 私は後ろを振り向いたわけだけど、これからどうすればいいのかしら? 何事も無かったかのように前を向き直すのはなんだか情けないわ!

 「どうして後ろを向いたの?」とか言われてしまう! そもそもどうして後ろを振り向いたのよほむほむ!?

 ここはそのまま立ち去るしか…!

 

「ちょっと待ってよほむらちゃん! 一緒に勇者になろうよ!?」

「そうよほむらちゃん! クラスが違うんだったらせめて同じ部活で一緒になろう?」

「ほら、二人だってこう言ってることだし…! あなたって新入生代表挨拶をした暁美さんでしょ? アタシとしてもやっぱり優秀な子が入ってくるとなれば嬉しいし!」

 

 しかし回り囲まれてしまった! というかこの先輩、早速友奈達と息ぴったりじゃない!?

 

 いやまぁ、確かに友奈や東郷と同じ部活が良いとは思うわよ。先輩に期待されているのも初日の反応で分かり切っているし。だけど……

 

「……犬吠埼先輩、一つお聞きしたいのですが」

「うむ何かね? お姉さんが何でも答えてしんぜよう」

「勇者部の部員は何人なんですか? この二人以外に」

「………アタシだけ……あははっ…」

 

 決まったわね。私が勇者部に入るとなれば必然的に苦労人のポジションに着くのが目に浮かぶわ。友奈は言わずもがな、東郷もまともかと思いきや場合によっては友奈以上の爆弾になりかねない。犬吠埼先輩も友奈と同じフィーリングときた。

 ……勇者部はヤバいわ。楽しいだろうけどきっとほむほむが倒されてしまう。ストレスで。

 

「お願いします暁美さん!! 是非ともあなた様のお力を我が勇者部へ!!」

「ちょ、廊下で土下座しないで…! あなた先輩でしょう!?」

「ほむらちゃーん! 勇者部に入ろうよぉ! 二人よりも三人揃っての方が絶対楽しいよ!!」

「あ、こらっ! 足を離しなさい!」

 

 この二人には恥も外聞もないのかしら。今日日花の女子中学生が廊下で土下座して、その相手の足に必死になってしがみつくなんて……しかも二人も! 今までのどの部活動の勧誘よりもたちが悪い!

 

「……ほむらちゃんは私達と一緒の部活は嫌なの?」

「……そういうわけではないわ。ただ勇者部に入ってしまえば今まで以上に苦労しそうだと思ったからよ」

「苦労なんてどの部活も同じだって。だけどウチならそこいらの部活とは全然違ったエキサイトな毎日を送れるわ!」

 

 ……あなた達三人を同時に相手しなくちゃいけないってのが苦労の源なんだけど。

 

 でも友奈と東郷ともっと一緒にいられる時間が欲しいと思っているのも紛れもない事実ではある。毎日疲れるしイライラさせられることも少なくないけど、それ以上に二人と共に笑い合える日々は今のほむほむライフにおいて何よりも楽しく、幸せだと実感できる。この世界に転生できて良かったと、心からそう思えるぐらい。

 

「ほむらちゃん!」

「友奈?」

 

 ちゃんと起き上がった友奈が私の両手をしっかり包み込む。真っ直ぐ私の目を見ながら語りかける。私がこの子と友達になりたいと思うきっかけとなった、屈託のない笑顔で。

 

「やっぱり私はほむらちゃんと一緒に勇者部に入りたい! 大好きな友達と一緒に人のために戦うっていうのもまさしく勇者みたいじゃないかな?」

「いや、戦わないでしょう。勇者部の活動はボランティアみたいなものって犬吠埼先輩が言っていたじゃない」

「あはは…そこはなんとなく。でも私はほむらちゃんと東郷さん、それと犬吠埼先輩が一緒にいてくれたら何でもできるようになるって思ってるから!」

 

 そこに私達の手が更に上から優しく包まれる。そこには犬吠埼先輩に車椅子を押されていて近付いた東郷がいた。……何やら少し膨れっ面だったけど、妬いたのかしら?

 

「ほむらちゃん、私も友奈ちゃんと同じ気持ち。ほむらちゃんがいるのといないのとではやる気の持ちようが全然違うわ」

「東郷……」

「ほむらちゃんは私の大切な友達だから。友奈ちゃんとほむらちゃんしかいないの。いつまでもずっと一緒にいたいと思える人は……」

 

 そして今度は私の肩にポンと手が置かれる。犬吠埼先輩が愉快そうに微笑みつつ、友奈と東郷の援護射撃をする。

 

「アタシはまだ知り合ったばかりだから上手く言えないけど、勇者部は誰か一人に苦労を押し付けるなんて絶対に無いわ! 部員同時助け合い、支え合って楽しい思い出をたくさん作るのも勇者部の活動なのよ!」

「………ふふふっ!」

「え、ちょ!? なんでアタシの時だけ笑ってるの!」

 

 ふふふ、ごめんなさい先輩。なんだか馬鹿馬鹿しく思ってしまって……本当、どこまで私は愚かなの。

 

 そうよ、苦労人になるのが何だって言うのよ。友奈と東郷の友達になっている時点で既に苦労人じゃない。むしろそうじゃなければつまらないと感じるようになった癖に。

 断る理由なんて何も無かったわ。私の戦場(部活)はここじゃない。

 

「讃州中学1年、暁美ほむら。勇者部部員としてこれからよろしくお願いします」

「「「本当!!?」」」

「何驚いてるのよ。私もあなた達と一緒じゃないと何も意味がないのよ」

 

 言い終わるやすぐに三人は手を取り合ってはしゃぎだした。絶対ここが廊下だということを忘れているわね。先生が叱りに来るまでに静かになるのかしら。

 

 馬鹿みたいに騒がしい毎日でもそれが楽しい日々ならばとても素敵なこと。勇者部はそんな幸せな時間をみんなで生み出せるだろう。

 これからの私はただのほむほむではない。

 勇者部部員、暁美ほむらことほむほむ。それはとっても嬉しいなって……なんてね。




 当初ほむほむは仮入部で話を進めるつもりでしたが、勇者部との関わりはやはり強くしようと思い正式に勇者部部員にしました。


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第六話 「ゆうしゃのお姉ちゃん」

 ありがてぇ……皆様の応援がありがてぇよぉ…!


 勇者部に入れば私は苦労人の座に着くことになる。入部を決意する前に抱いたこの疑念の答えはそうとも言えるし、違うとも言えるものだった。

 

「あっ、ほむら! そっち行った!」

「っ捕まえ、あっ、こらっ、止まりなさい!」

 

 勇者部の活動は主に世のため人のためになることを行うこと。部員達が率先して地域活動に取り組むのは勿論、依頼を受けて実行するのも役目である。

 その受ける依頼というのも幅広い範囲で募集されている。学校の生徒、一般の人々、市内の幼稚園、さらには企業まで。

 

 とはいえ勇者部の名前はまだあまり知れ渡ってはいない。故にこつこつと小さいものから達成していき、徐々に信頼を得ていくことが当面の目標だ。

 

 この日の活動も厳密に言えば依頼ではない。逃げ出してしまった飼い猫の情報を求めていたチラシを犬吠埼先輩が手に入れて持ってきたものだった。

 

『私達この猫昨日見たよ!? ねえ東郷さん!』

『ええ! 昨日の帰り道に塀の上を歩いていました』

『なにぃ!? でかしたわ二人とも! 今日の勇者部の活動はこの猫の捜索よ!』

『『おおー!! ……』』

『……おー』

『『『おおー!!!』』』

 

 そんなこんなで私達四人は二人の目撃情報を基に、迷い猫の捜索に勤しんでいた。私と犬吠埼先輩、友奈と東郷の二手に別れて友奈達が猫を見た周辺を散策する。

 犬吠埼先輩が道行く人に聞き込みをしつつ、猫が好みそうな狭い場所もくまなく探していると、その猫を発見することができたのだった。

 

 ただし相手は猫である。警戒心が強くて簡単に逃げてしまう。今だって犬吠埼先輩の足の間をスルリと通り抜けて、なんとか掴んだと思ったが身を捩らして抜け出してしまった。かれこれ最初に猫を発見してから既に10分近く経過していた。

 

 これじゃあ埒があかない……そうだ!

 

「犬吠埼先輩! 友奈達に連絡を! 至急猫の餌を買ってくるよう伝えてください!」

「っ、了解! 冴えてるじゃない、ほむら!」

 

 すぐに先輩も私の意図に気づく。どうやっても逃げるというなら逆におびき寄せればいいのよ。

 あの猫は脱走した飼い猫。外の世界で満足に餌を食べれていない筈だから飢えているに違いないわ!

 

 犬吠埼先輩が電話口にそのことを伝えると、快く了承する声が私にまで聞こえた。それから今度は走って追いかけるのではなく、見失わないようこっそり猫の後をつける。

 

 少し経つと入部した後に犬吠埼先輩が薦めてくれたSNSアプリに通知が入る。

 

 

友奈:餌買ってきたよ! 今どこにいるの~?

 

ほむら:三架橋の近く。できるだけ静かに、急いで来て。

 

友奈:(`∀´)ゝ”

 

東郷:(`∀´)ゝ”

 

風:(`∀´)ゝ”

 

ほむら:犬吠埼先輩は返信する必要ないでしょう?

 

風:一人だけ仲間外れはヤダー!

 

 

 私の後ろで犬吠埼先輩がふてくされてるような顔をしているけど今は気にしない。この人はどこかおちゃらけている部分があるからまともに取り合ってはいけないのよ。

 

「……でも正直意外だったわ」

「犬吠埼先輩?」

 

 突然先輩が意味深なことを呟いた。振り返ると先輩のその表情は苦笑いだった。

 

「いや、ほらさぁ…ほむらって最初は勇者部に入るの全然乗り気じゃなかったでしょ? 実際入ってくれたのも、友奈と東郷の二人で外堀を埋めてしまったからとか少なからず思っていたし……」

「……確かに二人が勇者部に入らなければ私も入りませんでしたから」

「だからこうして積極的に動いてくれるとはあまり思ってなかったのよ。てっきりこういった活動に興味が無いんじゃないかって考えていて」

「私だって勇者部の理念は素晴らしいことだと思っていますから」

 

 興味以前に私は「ほむほむならばどうするか」ということを考えて実行に移っている。ほむほむは自分で決めたことは決して曲げない。

 私は勇者部に入ると自分の意志で決めたのよ。中途半端にやることのどこがほむほむだと言うのよ。

 

 勇者部は私が信じるに値するものだと思っているの。世のため人のため、誰かの幸せを願うことは原作のほむほむが愛した彼女の願いであり、私の友達が憧れたものでもある。

 そんな彼女達の想いを大切にしたい、守り抜きたい。これは私自身の確かな本心だから。

 

「私は犬吠埼先輩が一生懸命な人だと分かっていました」

「へ?」

「たった一人で勇者部なんて人助けの部活を造り上げようとしたのでしょう? 普通はそう思っても一人で行動できるものではありませんよ」

「あはは……照れるわね」

「そんな犬吠埼先輩の情熱を蔑ろにするわけにもいきませんから。勇者部の一員になった以上、私達の志も犬吠埼先輩と同じなんです」

「ほむら…」

 

 ……自分で言ってて少し恥ずかしくなったわ。照れ隠しで髪をファサ…したところで後ろから犬吠埼先輩に強く抱きしめられた。

 

「ほむっ!?」

「あはははは!! ほむら、あんたクールな奴かと思ってたけど結構かわいいところあるじゃない!!」

「かわっ!?」

 

 馬鹿な!? またしてもクーほむのイメージが塗り替えられてしまったですって!? どこでそう判断したのよ! かわいい事なんて何一つ言ってないじゃない!

 

「なんでそうなるんですか!?」

「いやぁ…だってほら、前にほむらがクールで無愛想って話を聞いていたのに、実際はこんなにも先輩思いの優しい娘だと分かったらかわいいとしか思えないわよ!」

「……ええぇ…」

「ギャップ萌えってやつ? クールで文武両道、才色兼備! だけどその実態は先輩思い友達思いの優しい女の子! このアタシが女子力で圧されている!?」

 

 しまったあああ!!! ギャップ萌えの存在を失念していたあああ!!! そうよ! ほむほむほどの美少女が少しでもデレを見せたらかわいいというイメージしか残らないわよ!!

 

「……それにしてもあんた、かわいいって言われるだけでそんなにも慌てちゃって」

「っ!」

 

 犬吠埼先輩はすごいニヤニヤしていた。私の致命的な弱点に気づかれてしまった。

 このままでは哀れほむほむは犬吠埼先輩に弄り倒されてしまう! 友奈、東郷! 早くこっちに来てこの流れを変えて!! お願いだから!!

 

「ほむらちゃーん! 風せんぱーい!」

「お待たせしました。猫ちゃんの餌を買ってきました」

 

 よっしゃあ!! ナイスタイミングよ二人とも!!

 

「猫ちゃんは……風先輩、なんで笑っているんですか?」

「うふふ、実はほむらが」

「くだらない話をしている暇はないわ! 今はあの猫を捕まえるのが優先よ」

「……ほむらちゃん、猫はどこにいるの?」

「何を言っているのよ。目の前で歩いているじゃない………あら?」

 

 そこにはさっきまでこっそり追いかけていた筈の猫がいなくなっていた。確かにそこにいた筈の猫が……犬吠埼先輩に話し掛けられる前までにはちゃんといた筈の猫が……

 

「………見失っちゃった……?」

 

 …………

 

「みんな!! 手分けして探すのよ!! まだ遠くへは行っていない筈!!」

「「「はい!!!」」」

 

 犬吠埼先輩の声に1年生三人は揃って返事した。東郷から見つけた時用の餌を受け取り、三手に別れて猫捜索が再開された。

 

 犬吠埼先輩との話を有耶無耶にはできて良かったと思ったけど、不注意で猫を見失ったからとても複雑な気分よ……

 私はクーほむ私はクーほむ。些細なことで動揺しちゃいけないのよ! 目指せほむほむ!!

 

「ミィ…」

「っ、いた!」

 

 曲がり角を曲がったところで偶然目的の猫を発見した。ただし猫も私の存在をはっきりと認識し、かなり警戒しているようにも見えた。

 

(このままじゃ確実に逃げ出すわね……)

 

 だけどこの時のために友奈達に餌を用意してもらったのよ。封を開け、しゃがんでその餌を見せびらかす。

 

「……ほら、おいで」

「ミー…」

「だいじょうぶ、こわくないわ」

 

 優しく語りかけて敵意がないことをアピールする。言葉は伝わらないだろうけどこういうのは気持ちの問題。猫にだって想いは伝わるものよ。

 そして猫は恐る恐る近づいてきた。思わずガッツポーズを取りそうになったけどまだ早すぎる。餌を食べて、心を許してくれるまでが勝負よ。

 

「おいでおいで、これを食べていいから」

 

 残り約二メートル……

 

「あなたの家族も心配しているわ。連れて行ってあげるから一緒に来て?」

 

 一メートル……

 

「あなたの居場所は外の世界なんかじゃないわ。あなたには大切な家族がいるじゃない」

 

 猫が餌を一度ぺロっと舐めて、がっつくように食べ始めた。

 

「……いい子ね」

 

 よほどお腹が空いていたのか、みるみるうちに無くなっていく。上から優しく撫でながら猫の様子を眺めていた。

 食べ終わると顔を上げて私を見ると元気よく鳴いた。

 

「ニャー!」

「ふふっ、お粗末様」

 

 そして猫はゴロゴロと喉を鳴らしながら私の足にすり寄ってきた。どうやらもう何も警戒していないみたい。

 抱き抱えると今度は私の顔にすり寄って顔を舐めだした。

 

「きゃっ、もうこの子ったら…」

「ニャア!」

「……ふふふっ、こら、やめなさいって」

 

 逃げ続けていた時は少し憎たらしいとか思っていたけど既にそんな感情は残っていない。実は人懐っこかったこの子が愛おしく思えてきた。思わず私も笑みがこぼれているのだろう、とても幸せな気分だっ

 

 パシャ

 

 

 

「……………東…郷…?」

 

 そこにいたのは目をキラキラさせていた友奈、スマホを構えて震えていた東郷、若干顔が赤く染まっていた犬吠埼先輩が揃っていた。

 東郷はスマホの画面を二人に見せる。何が映っているのかなんて考えたくもない。だけどそれが何なのか、私にははっきりと分かってしまった。

 

 

「「「ほむら(ちゃん)超かわいい!!!」」ブフッ!」

 

 ほむぁあああああああああああああああああ!!!

 

 

◆◆◆◆◆

 

「ムギ!」

「ニャァ」

 

 連絡を入れた家のインターホンを押すと、中から小学2年生ぐらいの女の子が飛び出してきた。私が抱き抱えていた猫に気づくと、涙声でこの子の名前を呼んだ。

 女の子に猫を渡すと力強くも優しく、ポロポロ涙をこぼし始めた。

 

「どこに行ってたの! みんなしんぱいしたんだよ!?」

「ニャァ……」

 

 猫も女の子が本気で心配してくれていたことが伝わったのだろう、私達には申し訳なさそうにしているように見えた。

 遅れて女の子の母親がやってくる。涙を流しながら喜ぶ娘と猫を交互に見ると、安心したかのように私達に声を掛けてきた。

 

「本当にありがとうございます! 娘はずっと落ち込んでいましたので……」

「いいえ! アタシ達は当然のことをしたまでです!」

「これは謝礼金です」

「あっ、別にお礼が欲しかったからその子を探したんじゃないんです。だからそのお金は受け取れません」

「ですが……」

「代わりと言っては何ですが、お知り合いの方にアタシ達の事を伝えていただけると嬉しいです!」

 

 犬吠埼先輩は屈託のない笑顔を二人の親子に向ける。友奈と東郷も似たような表情だった。そして私も……

 

「アタシ達は讃州中学勇者部です! 困り事なら何でも言ってください! アタシ達全員で力になりますから!」

 

 

 

 

 

 

「っはああ! みんなお疲れ様! よくぞやってくれた!」

「おいしいところは全部ほむらちゃんに持って行かれちゃったけどね!」

「でも私は満足だよ。またしてもこんなに素晴らしい写真が撮れたのだから…!」

「東郷!! それを他の人に見せてはダメよ!! そして私にはその写真を送りなさい!!」

「……なんかアタシにはほむらの性格がよく分からん……」

 

 勇者部に入って日はまだ浅いけど、とっくに充実した日々だというのは分かる。

 

『本当にありがとう! ゆうしゃのお姉ちゃん!!』

 

 あの子の笑顔が見れて本当に良かった。勇者部に入っていなかったら間違いなく見ることができなかったのだから。

 

 勇者部の活動は確かに大変よ。予想外の出来事に苦労も全然少なくない。

 だけどみんなと一緒ならそれらが全然苦だと思えない。あの女の子の笑顔みたいに、誰かが喜んでいるのだと分かると疲れすら吹っ飛びそうだもの。

 

「よーし! 今日はアタシの奢りよ! かめやで祝勝会だー!!」

「「「おおー!!!」」」

 

 果たしてこれからどうなることやら。だけど勇者部のみんなとなら何でも乗り越えられる。それは分かりきっているから。



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第七話 「皆目を覚ますべきなのよ!!」

 やべぇ……ジワジワ投稿頻度が落ちてきている。コロナが徐々に収束してきたのはいいんだけど、そのしわ寄せでリアルの方が忙しくなってきました。
 せめて週2、3話のペースで投稿していきたいけど……ただできる限り努めさせていただきます。


「起立、礼。神樹様に、拝」

「はい、皆さんさようなら」

 

 早いもので私が讃州中学に入学してから二ヶ月が過ぎていた。その日々は学業、部活動と共に充実しきっていたものであり、かつての私の憂いを消し去るのに十分な時間だった。

 

「あれ、暁美さん。これから部活なの?」

「ええ。放課後に部室に全員集合って部長から連絡が来たのよ」

「勇者部って言ったっけ? この時期に呼び出されるなんて大変だね」

「全くだわ。緊急連絡だかなんだか知らないけど、そんなのこんな時にわざわざ集まらないで通知を送ればいいだけの話よ」

 

 まあそんなところが犬吠埼先輩らしいけど、なんて続けて言うと、クラスメートの彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 

「? どうしたの?」

「ううん、何でも……ただ暁美さんが楽しそうにしてたから」

「……そう」

 

 実際楽しそうにしていたんだって自分でも分かってしまう。勇者部としてみんなと一緒に活動するあの時間は、既に私にとって大切なものに違いない。

 だからこそ私は絆されてしまった。かつて私を怖れ、避け続けていた級友すらも懐くほどに。

 

「あ~あ、勿体ないことしちゃったなぁホント。何で小学生の頃は暁美さんを不良だなんて思い込んでたんだろ」

「さあ? あなたが分からないあなた自身のことを私が分かるわけないじゃない」

「たぶん……いや、きっと……ううん、絶対。暁美さんが私に近寄るなオーラを飛ばしていたからのハズ……おそらく」

「よく本人の前でそんな曖昧すぎる啖呵を切れたわね」

「でも訂正するほど間違えてはいないと思う」

「……悪かったわね」

 

 クーほむを止める気は今も昔も全く無い。魔法少女という重要なアイデンティティが無いからこそ、残ったほむほむ要素をなんとしてでも守り抜くことが私の使命。

 だから誰かが私の事を避けても仕方がないことだと割り切っていたし、人付き合いも全然築かなかった。ただしそこに未練があったと言われれば、それを否定することはできなかった。

 

 そんな偽りの仮面が勇者部として活動していく中で自然と剥がれかけていた。今の私には前みたいに人を寄せ付けない雰囲気は消えかけていたらしい。

 別にそうなるよう意識していたわけじゃない。ただ普通に、暁美ほむらとしての新たな日常を送っていただけである。

 

「ねえねえ、暁美さんのとこの部活動って他の所の助っ人も受け持つんだよね?」

「ええ。運動系なら友奈が、文化系は東郷が活躍してくれるわ」

「へ? 暁美さんは?」

「私はどっちともできるわ。犬吠埼先輩もね」

「はーっ、さっすが暁美さん」

 

 気がつけば私を恐れるような視線は感じなくなっていた。逆に友好的な声を掛けられるようになり、小学生の頃とは違う、平凡で充実した学生生活となっていた。

 今話している彼女も、最初は目を背けたり何故か顔を真っ赤にしていたけどよく一緒に過ごすようになる。授業中に二人組を作ってと言われても困ることはない。

 

 ……そうなった最初のきっかけだけは腑に落ちないけど。おのれ友奈東郷。

 

「……それで、もしかしてあなたは助っ人の依頼をしたいの?」

「イエ~ス!! 再来週の土曜日にうちの遠征に来てください!!」

 

 興奮気味に言うものだから下心丸見えよ。彼女の部活動ってあれで、私にも一度勧誘してきたし。

 ただまあ、勇者部としてせっかくの依頼を断るわけにもいかないわ。

 

「分かったわ」

「いゃっほうぅ!! これでついに暁美さんのチア姿が「犬吠埼先輩を派遣するわ」ズコォ!? そこは暁美さんが来てよぉ!!」

「悪いけど私はチアリーディング未経験者なの。この時期じゃロクに練習もできないし諦めてちょうだい」

「いけずぅ!!」

 

 ふっ、あなたの魂胆なんてお見通しよ。クーほむのチア姿を拝める機会なんてそう易々訪れるだなんて思わないことね。

 

「うー! いつか絶対にチアガールやってもらうから! 結城さんと東郷さんにも協力してもらうもん!」

「はいはい……もう行くわ。また明日」

 

 何やら最後に不穏なことを言っていたけどそれは今の話じゃない。未来の出来事だというのならそんな運命なんて変えてみせる。だって私は暁美ほむらだから。

 

「また髪を掻き上げてかっこつけちゃって。暁美さんかわいい」

「黙りなさい」

 

 ほむほむがかわいいのは当然の摂理として、ファサ…が通用しなくなったのは解せない。乱発しすぎたかしら?

 

 

 

 家庭科準備室の一室の扉を開けて中に入る。ここが勇者部の部室であり、私達が集まる憩いの場でもある。

 

「失礼します。こんにちは、犬吠埼先輩」

「おーほむら、いらっしゃーい」

「ほむらちゃん、いらっしゃーい」

「いらっしゃい、ほむらちゃん」

「みんなもう来てたの。私が最後ね」

 

 1年上の犬吠埼先輩、友達の友奈と東郷、そして私の四人が讃州中学勇者部だ。てっきり犬吠埼先輩のことだからもっとたくさん部員を勧誘するんじゃないかと思ったけど、私達三人が入部するとそのまま活動に乗り出したのだった。

 

「それで、緊急連絡とありましたが一体何なんです?」

 

 今の時期に部活動を行うのは学校側から禁じられている。それなのにわざわざ部室に集合するなんて考えもつかない。

 

「……今日呼び出した訳を話そう。アタシからではなく、友奈が」

「友奈?」

「何かあったの? 友奈ちゃん」

「……東郷さん……ほむらちゃん……」

 

 東郷が心配げに友奈を見る。東郷がこの場にいる中で一番付き合いが長いのは友奈であり、なおかつクラスも同じ故に一緒にいる時間も一番長い。そんな大親友が緊急と称し、勇者部部員みんなを集めた事が不安のようだった。

 加えて先程まで笑顔を振り蒔いていた友奈が犬吠埼先輩に発言を促されると同時に一変。緊張や焦りが混じったものとなり、さらに東郷の不安を煽る。

 

「昨日アタシは友奈から相談を受けたの。だけどこの件はアタシ一人だけじゃなくて二人の力も借りたい」

「……っ! 友奈ちゃんどうしたの!?」

「落ち着きなさい東郷」

「でも!」

「……友奈、話して」

 

 足が動かないというのに身を乗り出して友奈に詰め寄る東郷を咎める。心配する気持ちはよく分かるけど、まずは話を聞かないことには始まらない。

 それに犬吠埼先輩は既に聞いているようで、私と東郷の力を必要としている。

 きっと大丈夫。私達三人の力があれば、友達の窮地ぐらい救える筈よ。私は讃州中学勇者部、暁美ほむら。今がテスト勉強期間でみんな時間があまり取れないとはいえ、その程度の障害なんて簡単に乗り越えて早く友奈の憂いを解決……し……て…

 

 ……………ねえ……もしかしてそういうこと?

 

「東郷さぁん!! ほむらちゃぁん!! テストの内容が全然頭に入らないんだよー!!!」

「………テスト…?」

 

 今は6月、中学校から始まる試験の第一回、中間テストが来週に控えていた。この時期生徒はテストに集中するために部活動が禁じられており、各自勉強に励まなければいけないのだ。

 そして友奈ははっきり言えば頭が悪い。一人でテスト勉強したところでどうにもならないくらい。

 ……心配して損したわ。犬吠埼先輩め、勿体ぶって話のスケールを大きくしよってからに。どう考えても普通に伝えればいいだけの話じゃない。

 

「と言うわけで! 今日から勇者部全員で勉強会を開きましょうってことで! ウチには成績優秀のほむらがいるし、アタシも勉強はできる方だから、分からないところは何でも聞いてよね」

「ありがとうございます風先輩!! ほむらちゃん!!」

「……やるなんて一言も言っていないのだけど」

「ええ!? 見捨てないでー!!」

 

 東郷も急な落差に脳の処理が追いついておらずポカーンとしてる。そして私自身溜め息しか出てこない。二人の行動パターンにもようやく慣れてきたと思っていたけど、それでも呆れないってことは難しすぎるわ。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「……そこはまずこっちの式を優先するの。他の問題も同様、これが付いている問題では必ず先に計算しなさい」

「おおっ! なんだか分かってきたかも!」

「言っておくけどそこは初歩中の初歩よ。そこができないと話にならないわ」

「ひえ~っ!」

 

 ひとまず今現在の友奈の学力を確かめてみたけど割と悲惨だったわ。引き受けた以上友奈の成績向上は努めるけど骨が折れそうね。

 とはいえせっかくの勉強会。青春時代にしか味わえない貴重な集まりでもあるわけで楽しくないこともない。私は完全に教える側の人間になったけど。

 

「えーと……ここの問題はどう解くんだコレ?」

「……ああ犬吠埼先輩、そこは前の問題の答えが間違えてます。そもそも別の方式を使ってしまっていますから。正しくは……」

「へ? ……なんで中二の内容が解るのよ…?」

 

 それはもちろん前世の記憶があるからに加えて、小学生の頃はひとりぼっちで何もやることが無かったから、クーほむ要素を高めようと先の勉強もしていたから。

 中三はおろか高校の内容も余裕でできるのよ。ゆくゆくは弾道計算も瞬時にできるようになりたいわ。

 

「東郷は解らないところはあるかしら?」

「ううん。私は大丈夫よ」

「なら友奈に国語を教えてあげて。私は犬吠埼先輩の勉強を見るから」

「えっ!? いやアタシは勉強できるって言ったでしょ?」

「勉強できるからと言っても解らないところが無いわけではないでしょう? 勉強会なんですから今の内に覚えた方がいいですよ」

「……後輩に勉強を教えられるって結構複雑なんだけど」

「まあほむらちゃんは優等生ですから」

 

 けれども実際に犬吠埼先輩に教えることも多くはない。本人が言う通り正解している問題の方がほとんどだし、別に私が教えなくても良い点数には届く筈。

 

 問題はやはり友奈ね。全教科ボロボロだし、これはテスト期間ギリギリまで使わざるを得ないかもしれないわ。

 私には余裕があるけどもう少し東郷にも手伝ってもらおうかしら。

 

「東郷、英語も教えてもらってもいいかしら?」

「んん゛!?」

「え」

 

 え、なに? 何でそんなにばっちりと目を見開いてるの? 何で冷や汗を流しながら小刻みに震えてるの? もしソウルジェムがあったら即行で魔女化するんじゃないかってぐらい絶望の表情なんだけど。

 

「と、東郷さん…?」

「もしかして東郷、英語は全然できないとか…?」

 

 いつもと全然違った様子の東郷の姿に二人が恐る恐る声を掛ける。

 

「………ど」

「「ど?」」

「どうして英語なんかを勉強しなくちゃいけないのよ!!?」

「「東郷(さん)!?」」

 

 机にバンと叩きつけながら東郷は理不尽な怒りを爆発させた。その目にはうっすらと涙が滲んでいて、この世界の不条理を激しく憎んでいた。

 

「我が国は偉大なる祖国の日本よ!? 敵国の言語を嬉々として習うなんて言語道断!! そもそも中学校の授業にそんな異物を取り込ませたのも向こうに我々を洗脳する意思があったからこそ!! そんな間違いが西暦の時代から何百年も続いているのよ!? いい加減皆目を覚ますべきなのよ!! 神樹様が私達日の国の人々を助けてくださったのも我が国の方が正しかったからという立派な証拠なの!! このまま外国の異文化を取り入れでもしたら誇り高き我らが大和魂も汚されるのよ!! 私達には祖国を護らなければならぬ義務がある!! 英語を学ぶということは百害あって一利無し!! より強き日本帝国を築き上げる為にも───────────────」

 

 

 

 

 

 

 

「諦めなさい東郷。これが義務教育なのよ」

「ほむらちゃあああああああん!!!?」

 

 

 後日談というか、今回のオチ。

 中間テスト自体はとくに何の問題もなく終了した。私の結果は言わずもがなだけど全教科トップ。いつもは不気味そうに感じてしまうクラスメートの視線も、今回は一変して尊敬を宿したものがほとんどで、違和感を覚えるものの気持ち良いものだった。

 

 友奈も全教科平均点以上を取れており、その喜びようは見ていて楽しくなれそうなものだった。私に感謝の言葉を叫びつつ勢い良く抱きついてきたのを見たクラスメートの彼女がまたしても顔を真っ赤にしていたけど、いったい何だったのかしら?

 

 犬吠埼先輩も学年順位が一桁台であり、過去最高点を取れたと言っていた。妹に話すのを楽しみだと言いながら、勇者部全員の健闘を祝してうどんを食べにいこうと先輩ながら一番はしゃいでいた。

 

 そして東郷……学年の順位は私に次いで二番目となっていた。つまり英語の点数も高得点だったということになる。東郷に英語を叩き込むのはかなり苦労したけどなんとかなって良かったわ。本人はしばらく死にそうな表情になっていたけど。

 

 

 

 そして後に、犬吠埼先輩がチア部に助っ人に行った際に男子に告白されてしまい、その事をしつこく武勇伝として語り続けるようになってしまう。

 まさか誰かにチアほむを見せた方がマシだったと思う日が来るなんて……



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第八話 「鉄の掟」

 この世界に転生できて良かった。数ヶ月前の私だったら絶対思わなかった事を平然と思いながらこの安寧の一時を過ごす。

 

 どうして私はこんなにも素晴らしい事に12年間も気付かなかったのだろう。今までにだって何度も経験する機会があった筈なのに。私って、ほんと愚か。

 その理由はきっと私がこの世界のあらゆる物において無関心だったからなんでしょうけど、それでも勿体ない事をしていたのだと本気で後悔した。だからこそこんな重要な事を分からせてくれた勇者部のみんなには感謝してもしきれない。

 

「「すいませーん!! うどんおかわり!!」」

 

 この世界……うどんが美味しすぎる!!

 

「はい、お待ち!」

「うはぁ…! 二人ともまた…?」

「これで3杯目……よく入りますね?」

「ふっふっふ、うどんは女子力を上げるのよ」

「健全な肉体に健全なほむほむ(女子力)が宿るのよ」

「へぇ…分かってるじゃない、ほむら!」

 

 同志の誕生に犬吠埼先輩はますます上機嫌になる。言葉は無くても、うどん先輩からの今後の激励が聞こえた気がした。

 

 さすがうどん県香川ね。どのお店も飲み物感覚でうどんが入ってくる。味は勿論のこと、麺のコシ、風味、つゆの絡みetc……何を取っても一級品よ! カロリー○イトよりも効率良く、容易くエネルギー補給ができるわ消化効率が良いわで至高の完全食よ。

 そしてこの店、かめやのうどんの値段はたったの二百円という驚異の安さにしてうどんのレベルもトップクラス! こんなにも褒めるべき点しかないお店が近くにあるんだったら、みんな食べるしかないじゃない!

 

「あはは……ほむらちゃんって最初に会った時よりも随分雰囲気変わったよね」

「そうそう! パッと見クールなのは変わらないけど中身は丸くなったんじゃない?」

「……まぁ、そうかもしれないわね」

 

 あの頃と違って、今は毎日が楽しいと思えるのが大きい。今冷静になって考えてみると、ほむほむを繕うためだと言っておきながら、周りに合わせなかった私の自業自得だった。

 原作ほむほむだって、友人達とともに生きる平凡な日常を望んでいたのかもしれなかったのに。

 

「ほむらちゃんヒロイン化計画達成まで後一歩ね」

「ほむらちゃんヒロイン化計画? そんなのがあったの?」

「無いので気にしないでください」

 

 犬吠埼先輩までその計画にノリで賛同されてしまえば、毎日弄られるのが目に見えてしまう。知らぬが仏、犬吠埼先輩が知る必要なんて全くないのよ。

 

「ふ~ん? まあいいわ。無事にテストも終わったことだし、また明日から活動も再開できるしね」

「……大和撫子たる私が……米国の言語の知識を高く評価されてしまうとは………何たる背信行為……」

「ああもう! それはもういいから!」

「仕方ないよ東郷さん。私達中学生なんだから」

「相手の国の言語や情報を詳しく把握する事は、国交において事を自国側に優位に動かせるのよ。そう悲観する必要はないわ」

 

 東郷は和風文化を信仰レベルで好む反面、アメリカやイギリスといった西洋文化を心底敵視しているのだと、今回のテストの件で明らかになってしまった。まさに戦時中の人間みたいな感じ。教えてる時に何度「非国民よ!!」って叫ばれたことか……

 

「えっと風先輩、これからの勇者部の活動は何をしていくんですか?」

「あーそうそう、ホラ、みんなの活躍のおかげで私達勇者部の名前が少しずつ知れ渡ってきたでしょ?」

「街中でのごみ拾いや部活動の助っ人、悩み事相談までやってきましたからね。無事にそういう部活なんだってアピールもうまくいったのね」

 

 勇者部の活動も順調にいっている。依頼の数自体はまだ別に多いわけじゃないけど、それでも私達を必要としてくれる人は着実に増えていた。

 

「実際アタシも先生に褒められちゃってさぁ。学校にもお礼の電話とかが来てたみたい」

「おおっ! それはすごいです!」

「それでねー、今は順調に波に乗れてるわけでしょ。そんなビッグウェーブをこれからも乗り継いでいくためにも、アタシ達勇者部の鉄の掟を作ろうと思うの」

「「「鉄の掟?」」」

 

「名付けて……勇者部五箇条!!」

 

 渾身のドヤ顔で犬吠埼先輩が宣言する。やはりと言うべきか、この言葉に一番反応したのは友奈だった。

 

「何ですかそれ!? 正義の味方って感じがしてかっこいいです!!」

「友奈ならそう言ってくれるって信じてたわ! 勇者部五箇条はアタシ達の行動の指針とも言える絶対のルール。それをみんなで考えない?」

「私は賛成です。勇者部をより良くするのも部員の務めですから」

「ありがと東郷。ほむらはどう?」

「……ちなみにどういった決まり事なんですか?」

 

 私としては今の勇者部の形を気に入っている。ルールを決めるということは良いことではある。だけど勇者部のメンバーそれぞれの個性を、規律によって制限するような真似をしてもいいのかしら?

 

「一つは考えてあるのよね。勇者部五箇条一つ、挨拶はきちんと!」

「……えっ?」

「え、何? アタシなんか変な事言った?」

「……いや、変な事じゃないのだけれど……挨拶?」

 

 予想以上にゆるゆるなルールに思わず目が点になる。そんな単純な物が鉄の掟でいいの? 小学生のスローガンみたいじゃない。

 

「単純なんかじゃないわよ。挨拶ってのはコミュニケーションの基本よ。それを大切にしていくの」

「……そうかもしれないけど、鉄の掟って言うぐらいだからもっと厳しめの物が来るのかと…」

「お堅い掟じゃアタシ達の個性を発揮できなくなるじゃない。勇者部はみんなで愉快に楽しく、みんなに幸せを送り届ける部活なんだから」

 

 ………うっわー……そうだったわ。あの犬吠埼先輩が部員を大切にしない筈がないのに、固苦しそうなイメージが先行して恥ずかしい勘違いをしてしまったわ……

 だけどそう言うルールだったら賛成ね。勇者部らしい、誰にもできそうだけど大切な事を全力で貫き通す。それが世のため人のためになるという行動理念に適っている、まさに鉄の掟と言ったところね。

 

「そういうことなら私も何も異論はありません」

「よーし! 全員がやる気になったところで、明日残りの五箇条を決めるわよ! 勇者部らしい最高の出来にしてやろうじゃない! あっ、すいませーん! おかわりー!」

「「4杯目!?」」

「ぐっ! さすがに4杯目は私には無理……これがうどん先輩とも言われる猛者の実力…!」

「これぞ女子力の成せる業ってね」

「女子力関係あるのかなぁ…?」

「「ないわ」」

「東郷ー、ほむらー、即答で否定しないでくれません?」

 

 

◆◆◆◆◆

 

 翌日友奈と東郷と合流して一緒に部室に向かう。これから決める五箇条の事について三人で話しながら慣れた通路を歩いていた。

 

「ほむらちゃんは五箇条どんなのがいいのか考えてみた?」

「いくつか考えてはみたけど、最終的にはみんなと話し合ってから決めたいわ。あなた達は?」

「私もそんな感じ。だけど、コレだ!って思えるのもあるんだぁ」

「さすが友奈ちゃん! 私はちょっと難しい感じになってしまって、なかなか良いものが思い浮かばなくて…」

 

 やがて部室に着いて中に入ると、そこには既に犬吠埼先輩が待ちかまえていた。仁王立ちで私達の方を見向きもせず、窓の外を見ながら背中で語っていた。

 

「……諸君、よくぞ集まって来てくれた」

「馬鹿やってないでこっちに来てください。五箇条決めますよ」

「辛辣!」

 

 無駄に大物感ありそうな低い声を出していたのに簡単に素に戻ってしまうのが犬吠埼先輩の残念なところ。

 

「ごほん……それではただいまより、讃州中学勇者部、勇者部五箇条を作るぞー!!!」

「「「おー!!」」」

「ほむら声が小さい!!」

「地味な仕返ししないでくれません?」

 

 

 

「まずは昨日アタシが言ったヤツね。挨拶はきちんと……これがいいと思う人ー!」

「はーい!!」

 

 高らかに返事をしたのは友奈だけだったけど、私も東郷もちゃんと手は上げていた。満場一致、一つ目はあっという間に確定した。

 

「昨日聞いた時からこれだと思ったんだよねぇ!」

「元気よく挨拶するのもされるのも気持ちいいもの」

「それなのに最近の人達の挨拶は適当になりがちだわ。ここは勇者部が率先して挨拶するのも悪くない」

 

 勇者部五箇条と書かれた紙に一つ目の項目が書かれる。そして次のを決めるべく話し合う。

 

「二つ目はどうする? なんか面白そうな感じで」

「ほむらちゃん何かある?」

「私が思いついたのは……家族や友達を大切に、嘘をつかない、できもしない約束をしない、人を悲しませない、自分を大切に想う人達のことも考える……こんなところかしら」

「なるほど……結構いい感じ。でも最後の自分を大切に想う人達のことも考えるってのはどういうこと?」

「簡単に言うと、無理をしないって意味よ。本人は一生懸命のつもりで誰かを助けようとしても、それは他の人から見れば自己犠牲にしか見えない、大勢の人が悲しむようなことをしてはいけない、みたいな感じ」

「……妙に具体的ね、それ」

「だけど結構重いかも。最初に言ったのとかがいいんじゃないかな? 家族や友達を大切に」

「そうね。アタシもいいと思う。東郷は?」

「異論無しです」

「よーし! 二つ目決定!」

 

 ふっ、さすが原作ほむほむの名ゼリフから借りただけのことはあるわね。8話の名シーンは重いわよね、確かに……

 

「さて、三つ目は……東郷!」

「そうですね……私が考えたのは少し規律に厳しそうなものだったのですが……我等、命を賭す覚悟で使命を全うするべし」

「「賭けるな!!」」

「東郷さん、さすがにそれはちょっと…」

「ですのでそれを噛み砕いて、絶対諦めない。それをさらに柔らかくして、なるべく諦めない……っていうのはどうでしょう?」

「……最初のと比べるとかなりふにゃふにゃになったわね」

「なるべくって何よ、なるべくって」

「でも二人とも! 私はとってもいいと思うな! 無理はしないようにできる限りの事でいいって、優しく言われてる感じがするよ!」

「友奈ちゃん!」

「あー、そう考えると割といいかも」

「……勇者部らしいと言えばらしいわね」

「じゃあ東郷さんのも決定! なるべく諦めない!」

 

 順調に三つ目も決まって友奈のテンションも上々になっていた。犬吠埼先輩、私、東郷と来たわけだし今度は……

 

「さて友奈。あなたがコレだ!と思ったものを教えてちょうだい」

「はい!! 私が考えたのは、よく寝て、よく食べるです!!」

「「子供か!!」」

「いいえ二人とも、友奈ちゃんの考えは間違いじゃないわ。勇者部として活動する中で自分達の体調を管理する事は十分大切なの。そのためにも食事や睡眠は完璧に「「分かった分かった!!」」じゃあ決定ですね♪」

 

 東郷は友奈の事となると手に負えなくなるのが厄介極まりないわ。あのまま話を続けさせればより恐ろしいことになっていたでしょうね……

 

「よく寝て、よく食べる……と。あと一つね」

「みんな一つずつ出したよね。誰か他にある?」

「じゃあアタシが。さっきのほむらのを聞いて思ったんだけど、無理をしないって言うよりも、みんなでそうならないよう分かち合おうってのがいいんじゃない?」

「一人よりも二人、二人よりも三人、三人よりもみんなで……ということですね」

「おおっ! みんなと一緒になって立ち向かうだなんて、まるで本物の勇者みたい!」

「良いわね。それじゃあ五箇条風にすると……悩んだら相談……でいいかしら?」

「「「おおー!!!」」」

 

 彼女達に尋ねると揃って歓声を上げる。かくして讃州中学勇者部の勇者部五箇条は産声を上げる。と思いきや……

 

「ん~」

「風先輩?」

「ねえみんな、せっかくだからもう一つ作ってみない?」

「へ? もう一つ?」

「作っていてなんだか楽しくなっていたし、五箇条じゃなくて六箇条の方がもっと良くなりそうじゃない?」

 

 

 

 

 

 

 勇者部六箇条

一、挨拶はきちんと

一、家族や友達を大切に

一、なるべく諦めない

一、よく寝て、よく食べる

一、悩んだら相談!

一、なせば大抵なんとかなる

 

「なせば大抵なんとかなる……本当、勇者部らしい曖昧で素敵な掟ね」

 

 勇者部六箇条、始動開始




 次回、話飛びます。原作1話開始前というか、10話の回想シーンの少し前ぐらい。あの歌姫が登場…!


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第九話 「初めての後輩」

 UA20000突破しました! 今回はそんなプチ記念を祝してなんと9000字近くあります! ただ書いてる途中で中身がえらく膨れ上がってしまっただけですけど(殴)

 あと今までにも登場していたモブ生徒さんに名前を付けました。由来は某青い子です。


 讃州中学勇者部の部室はいつでも和気藹々としている。主に明るく姉御肌の部長と、常に元気いっぱいの単純バカが毎度馬鹿をやらかすせいだけど、私にはもうこれ無しの日常なんて考えられない程馴染み深いものになっていた。

 

 私達が勇者部に入部、と言うよりも讃州中学に入学してから1年が経っていた。かつて憂鬱にしか感じられなかった生活は影も形もない。勇者部の一員として、友奈や東郷の友達として過ごす日々は、気が付けばあっという間に過ぎ去っていた。

 勇者部の活動を通していく中で、もう既に私を畏怖の対象として見る目も無くなった。それどころか連日様々な部活動からご指名で助っ人を頼まれていたほどである。さすがにそれは負担が大きいから各部活の顧問の先生達にも話を通して自重させてもらったけど、それほどまでに私の存在が認められているとも言える。

 

 クラスメートと他愛のない会話をしたり、友奈とショッピングに出掛けたり、東郷とお茶会を開いてみたり、風先輩に料理を教わってみたり……平凡でありながらも充実としか思えない幸せな毎日だった。

 

 そして今日、私達勇者部に大きな変化が訪れることとなる。先程言った通り、私達が入学してから1年。つまり私と友奈と東郷は2年生に、風先輩は3年生になっていた。

 そう……新入生が、新入部員が勇者部にやって来たのだった。名前は犬吠埼樹。風先輩の妹だ。

 

 風先輩からは今までに何度も妹についての話を聞かされていた。曰わく、良く出来た妹で世界一可愛いらしい。写真を見せてもらった事があったけど、風先輩とは真逆のおとなしそうなイメージが見て取れた。

 

 そんな勇者部の五人目のメンバーが揃うという記念すべき日。いつも以上に盛り上がるだろうと思われていた勇者部の部室内。

 

 辺り一面真っ赤な鮮血で染められていた。

 

「東郷さん!! しっかりして!! ああっ、どうしようほむらちゃん!? 東郷さん、血が止まらないよ!?」

「お姉ちゃん目を開けて!! ……うそ…息してない…! お姉ちゃん!! お姉ちゃああん!!!」

 

 必死になって親友の身に駆け寄った友奈と、親愛なる姉の無事を熱望する少女。

 目の前の惨状に、情けないことに私はただ立ち尽くす事しかできなかった。いくら何でもここまで酷いことになるなんて……無責任にも私は目を逸らし続けていた。

 この惨状は私が引き起こしてしまったものだった。事の詳細は数日前に遡る。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「今日から2年生か。1年なんてあっという間だったわね」

 

 桜が咲き誇る通学路を歩きながらこれまでの学校生活に思いを馳せる。途中で讃州中学の他の生徒達も見えてきはじめ、男女関係なしに私に尊敬の眼差しや、中学生男子特有のねちっこい視線が送られてくる。

 前者はともかく後者は反応に困るわ……ほむほむは美の象徴とも言える完璧な存在だから、チェリー共には刺激が強すぎるとはいえ気持ち悪い。

 

 良くも悪くも勇者部として活動する中で、暁美ほむらという天使は有名になってしまった。1年の文化祭で私の美貌が確かなものだと誰もが認めてしまったのが大きすぎる。おのれ東郷美森と犬吠埼風…! そして全ての元凶の……

 

「ヘイ! グッモーニンほむらちゃん!!」

「……来たわね、元凶が」

「ほへ? 何のこと?」

「何でもないわ。おはよう。相変わらずテンション高いわね」

「そりゃあ無事に進級できたんだから! 留年しちゃうんじゃないかってビクビクしてたんだもん」

「中学に留年なんてないわよ。私立ならまだしも、うちは公立よ」

「なん…だと…!? くっそぉ! 騙されたぁ!!」

「誰に騙されたのか知らないけど、そんな常識を知らないあなたの方に問題があるわよ」

 

 それ以前に留年を恐れる中学生って何なのよ。別に彼女、勉強ができないわけじゃないのに。彼女とはこうしたボケにツッコミを入れるのがお約束となっていた。

 

 彼女は北村紗彩(さあや)。かつて私の事を不良と思い込んで避けていたものの、ある日を境にその態度を一変。友奈や東郷と手を組んで、私のかわいい姿を見ることに命を燃やすクラスメート。どうしてこうなってしまったのかしら…?

 

「それはそうとほむっち!」

「嫌よ」

「チア部の新入部員勧誘手伝って! ……嫌って言った!?」

「どうせ私にコスチュームを着させるつもりでしょう? それ以外ならしてあげるわ」

「サンキューほっむー!! 畜生!! もう一回私達にあの姿を拝ませてよ!!」

「お礼か文句かどっちかにしなさいよ」

「チアコスしろほむちん!!」

「いい加減黙らないとぶん殴るわよ」

 

 姦しい級友をあしらいながらも学内へ入る。とはいえ今日から新学年。張り出されたクラス分けを確認してから新しい教室へと向かわなければいけない。

 

「えっとぉ……暁美ほむら暁美ほむら……あった、3組だよ」

「何であなたが私の名前を探すのよ」

「むむむ!? やったぁ私も3組!! また1年間よろしくね!」

「ええ。よろしく紗彩」

 

 騒がしい子だけど仲が良い事に変わりない。自然に笑顔が零れてしまうのも無理はないのよね。

 他にも私達のクラスには誰がいるのかしら? 今年こそは友奈と東郷と一緒のクラスが良いのだけれど。

 

「………あった…」

「おお!! 東郷ちゃんも友奈ちゃんもいるじゃん!!」

 

 そこには確かに二人の名前が載っていた。私にとっては問題児でありながらも、掛け替えのない友達である二人が……

 

「あ! おっはよーほむらちゃん! 紗彩ちゃん!」

「おはようほむらちゃん。紗彩ちゃん」

「友奈ちゃん!! 東郷ちゃん!! 私達全員同じクラスだよー!!」

「本当!? わーい!!」

「わーい!!」

 

 ちょうどそこに件の二人が登校して来た。紗彩は一目散に友奈に飛びかかり熱烈に抱きしめる。友奈もそんな友人をしっかりと受け止めお互い喜び合った。

 

「あなた達、こんな所ではしゃがない」

「紗彩ちゃん、友奈ちゃんが困ってるわ」

「へ? 別に私困ってないよ?」

「ん~! 友奈ちゃんは優しいなあ。しかも抱き心地も最高……」

「えへへ…」

 

 恍惚とした表情で友奈を堪能する紗彩と光を失った目でそれを眺める東郷。東郷の背後にどす黒い何かが見えてきたわ。何あれ…魔女…いいえ、羅漢像? なんて禍々しい……

 

 東郷の友奈に対する想いの大きさは、この一年でうんざりするほど理解している。

 交通事故に遭って両足が動かなくなり、二年間の記憶も失ってしまった。そんな状態で引っ越しをして、度重なる不安に押しつぶされそうになっていたのを真っ先に笑顔で助けてくれたのが友奈だった。もし友奈がいなかったら私とも友達にはなっていなかったし、勇者部にも入らなかっただろうと言っていた。

 

 世界を照らしてくれた希望の光。東郷は友奈の事が誰よりも大好きだった。それはまさしく愛とも言えるくらいに……

 

「…ほら紗彩、周りの人達に迷惑よ」

「もうちょっと……あと少し友奈ちゃんを摂取したい」

 

 今私の目の前で繰り広げられているこの光景は紗彩による友奈の略奪にしか見えていないのかもしれない。ヤバい……東郷から刺し殺すような殺気が溢れ出してきた…! いい加減離しなさい紗彩! 友奈は東郷のものなのよ!? 

 

「ねえ友奈ちゃん、いっそ私の嫁にならない?」

 

 紗彩ぁあああああああああ!!? どこまであなたは愚かなのよ!! どうして東郷の殺気に気付かないのよ!! 

 

「ええっと……さすがにお嫁さんはちょっと…」

「あっはっは! さすがに冗談だよ。友奈ちゃんを嫁にするのにふさわしいのは私じゃなくてほむらちゃんだからね!」

 

 そう言ってようやく友奈を離す紗彩。もうこれ以上東郷の怒りが燃え上がる事はないでしょう。

 全く、紗彩の言動には肝が冷えるわ。いくら冗談とはいえ東郷の目の前で友奈を嫁にするなんて言うのは、体中を引き裂いて切り刻んで矢で射抜いて鉄板の上で焼いて焦がして舌を引き抜く阿鼻叫喚の地獄を味遭わせてくれと言うようなものよ。

 

 

 

 ……………今何て言ったの?

 

「紗彩ちゃん、ほむらちゃんが何にふさわしいって?」

「友奈ちゃんはほむらちゃんの嫁になるのだー!」

「紗彩ああああああああああああ!!!!」

 

 胸倉を掴み激しく揺らす。この女っ! 全てのヘイトを私になすりつけやがった!! わけが分からないを通り越して理不尽極まりないわ!!

 

「あなた何て取り返しのつかないことを!! 自分が何をやったか分かってるの!!?」

「さささ紗彩ちゃん!? どういうこと!?」

「……ほむらちゃん、自分の本当の気持ちに向き合わないとだめだよ。あなたは私の大切な友達だから、そんなことで苦しんでほしくないの」

「あなたの行動が理解できないから苦しんでるんでしょうが!!!」

「えっ? いや、だって一年前にほむらちゃんと友奈ちゃん、まだ人がたくさん残っている教室の前であられもない行為をしてたじゃない?」

「「してない(わ)よ!?」」

「いいやしてたね!! あの時のほむらちゃんの喘ぎ声は今でも鮮明に思い出せて……はぁ♡」

「それってもしかしてあのマッサージの事!?」

 

 マッサージ? 教室の前で? 一年前にそんな事をした記憶なんて………っああああああああああ!!?

 思い出した!! 友奈と東郷に私の写真をばらまいた報復をしていたら何故か友奈に放送コードギリギリのマッサージをされたんだった!!

 違う違う! 今はそんなことはどうでもいい! 重要じゃない! このままじゃ私は東郷に抹殺されてしまう!

 

「とにかく、あんなプレイを人前でやるぐらいなら応援しちゃうしかないじゃない! ゆうほむ……ほむゆう……ぐへえっへっへ…!!」

「……っ! この子、既に腐りきっている!?」

「腐る!? 大丈夫なのそれって!?」

 

 思えばそんな予兆は今までに何度か見てきた。私と友奈が話していると紗彩は決まって顔を赤く染めていた! そして今も! 私達に直接溜まっていた秘め事を全部ぶつけて、真っ赤になりながらも清々しそうじゃない!!

 

「本当はいけないことなのに! 禁断の恋っていうのは分かっているのにこのドキドキが止まらない!」

「恋!?」

「騙されないで友奈! こいつの思う壺よ!」

「あら~…二人とも末永くお幸せに!! キマシタワー!!!」

「紗彩ああああああ!!!」

 

 西暦の時代の格言を叫びながらお邪魔虫は走り去っていった。後に残されたのは絶望の未来を変えることができなかった私、顔を真っ赤にさせて困惑しきった友奈、そして……

 

「ほむらちゃん、少しお話しましょう?」

 

 右腕一本と圧だけで私の動きを完全に封じた東郷であった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「……いや、何やってんのよあんたら」

「…あはは……」

 

 魂が抜き取られたかのように生気のない私を見かねた風先輩に友奈が朝の出来事を話すと心底呆れたような言葉が返ってくる。だけどそこには確かな私への同情が含まれていたのが何よりもありがたかった。

 

「取り敢えず東郷、人の話は最後までちゃんと聞きなさい」

「はい……」

「ほむらじゃなかったら死んでいたのかもしれないのよ。次やったら一週間うちでお宅の友奈を預かるから」

「!? 待ってください! それだけはご勘弁を!!」

「そうならないよう再発防止に努めればいいだけの話でしょ」

 

 東郷に下された判決は懲役一週間、執行猶予無しの厳罰。裁判官が優秀で良かったわ。被告人を惑わせた黒幕がまだお縄についていないのは残念でならないけれど。

 

「でも良かったわね。三人一緒のクラスになれたなんて」

「はい! これからはもーっと、ほむらちゃんと一緒にいられます!」

「……友奈、私も嬉しいけど今は離れて。東郷が見てる」

 

 判決を下された直後だから行動に移らないとは思うけど、どうしても悪寒を感じてしまうのは仕方ないのかもしれない。友達にそんな圧を飛ばさないで……

 

「話もまとまったことだし、今日の活動を開始するわよ」

「どんな依頼が来ているんですか?」

 

 何だって構わない。ただこの東郷から逃げ出せるのであれば何だってしてみせるから早く教えて…!

 

「今日は学校側から。新一年生の入学に向けて、校内の清掃活動やら準備やら」

「あ、そっか。新しい一年生もやって来るんだ」

「あんたらにとっても初めての後輩ができるんだから、ちゃんとしないとダメよ?」

 

 ……初めての後輩…か。勇者部の活動上いろんな人達と接してきたから、そこで各部の先輩がどういう存在なのかも何度だって見てきた。

 風先輩は明るく親しみやすい先輩だったけど、中には萎縮しながら対応する関係もあった。しかも前世の私は実は帰宅部だったりする。はたして風先輩みたいに立派な先輩になれるかしら……って、それよりも勇者部に後輩が入部したりするの?

 

「風先輩、勇者部に新入生の勧誘はするんですか?」

「よくぞ聞いてくれた! 実は既に一人入部が決定してる子がいるのよねぇ!」

「本当ですか!? どんな子なんです!?」

「アタシの妹よ。皆も優しくしてあげてね!」

「勿論です!! あぁ…楽しみだね東郷さん! ほむらちゃん!」

「ええ! 風先輩の妹……きっとかわいい子なんだろうね…」

 

 風先輩の妹……今までに何度か話は聞かされていた。それに会った事は無いけど写真なら見せてもらった事がある。たしか風先輩とは真逆でおとなしそうな子だった。あの子が私達の後輩になるというのね……

 

「ほむらちゃん?」

「……あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」

「ふ~ん? 何やら悩んでるようにも見えたけど…」

「……悩んでる……そうかもしれないわね」

 

 もともと友奈や勇者部と関わりがなければ、今なお小学生の頃みたいに一人ぼっちだったかもしれない。そんな私があんな気弱そうな子を導くなんてできるのかしら?

 

「「「勇者部六箇条ひとーつ! 悩んだら相談!」」」

「あっ…」

「一人で考え込まないの。そのためにアタシ達がいるんだから」

「勇者部は困ってる人を助ける部活。ほむらちゃんだって今までそうしてきたでしょ?」

「私達、ほむらちゃんのためなら何でもするよ!」

 

 みんなが優しく微笑みかけてくる。そうね…勇者部のみんなになら打ち明けるのも良いかもしれない。

 

「……ありがとう。……不安なのよ。私が風先輩の妹さんを下手に怖がらせるだけじゃないかって」

「「「……あー…」」」

「あー…って何よ、あーって」

 

 揃いも揃って否定することなく曖昧に頷くとイラッとするのだけれど。

 

「ごめんごめん。でも確かに一見だけだとあり得るかも。樹って臆病で人見知りなとこあるし」

「でしょう? 小学生の頃はこの雰囲気のせいでみんなから怖がられていたって紗彩も言っていたし。東郷も初対面の時は怖がっていたし…」

「うっ! でも私はすぐにほむらちゃんがとっても優しくてかわいい子だって分かったから、風先輩の妹さんも大丈夫よ…!」

「そうだよ。今は誰もそんなことを全然思ってないよ。みんながほむらちゃんが本当はどういう子なのか分かってるよ」

 

 ええ、昔からの人達は大丈夫なのよ。問題はお互いに面識が無い女の子を東郷の時みたいに傷つける事なく好印象を与えられるのか。

 

「私に良い考えがあります」

「お? 何々?」

「ほむらちゃんの第一印象をかわいいものとして刷り込ませるの。事実ほむらちゃんはかわいいわ。去年の文化祭のミスコンで優勝した実績もあるし」

「……おかげさまでね」

 

 あの時はまんまと嵌められてしまった。当日いきなり風先輩と紗彩に連行されたと思えば、東郷の巧みな手腕によって強制的に出場させられてしまって……

 まさか影で勇者部がミスコンを主催していたなんて……何が忙しいから勇者部は出し物が無いよ! くだらない嘘を吐いて私を騙して!! なんて罵倒した事があったわね。

 

「風先輩は妹さんにさり気なくほむらちゃんのかわいさを伝えてください。そして入部した直後にほむらちゃんは妹さんに最大級のかわいさを披露するの!!」

「おおっ! 良いよそれ!」

「待ちなさい」

 

 露骨に早口になった東郷。これはもうとっくに暴走しているわ。間違いない……これは妹さんのためじゃなくて、東郷自身が私のかわいい姿を見たがっているからした提案…!

 

「何かしらほむらちゃん?」

「私なら問題ないわ。みんなの言う通りよ。私は勇者部のおかげで変われたの。もう昔のように誰かを怖がらせるだけの私じゃない。きっと新しく入ってくる子とも上手くやっていけるわ。だからその必要」

「ほむらー! アタシ妹にしっかり伝えておくから!」

「風先輩!?」

 

 ニヤニヤしながら東郷の提案に全力で乗っかかる部長。この作戦は妹さんの印象を予め良いものにしておくのが重要なポイントだ。結果次第では私の行動のハードルが異常に高くなりかねない。

 それを嬉々として実行すると言い放った!? 部員が苦しんでいるのに!?

 

「良いんじゃないかな、ほむらちゃん。よし! 私もほむらちゃんに協力するよ!」

「ストップ友奈! 私はやらなくていいって言」

「あ、ほむら? もし当日妹を怖がらせたらどうなるか……分かっているでしょうね?」

「………」

 

 ……お、脅された。新入部員の私の第一印象が……!

 

「じゃ、そーゆーわけで! 友奈はほむらのプロデュースお願いね?」

「任されました!」

「楽しみにしてるわ、二人とも」

「…………フ、フフッ…!」

 

 もう完全に頭にきたわ……! そこまで言うのなら見せてあげるわ!! ほむほむの真の可愛さと言うものを!! 神すらも惑わす悪魔的ほむほむの美の真骨頂を!!

 

 

 

 

 

 

「い、犬吠埼樹です! よ、よよ、よよろしくお願いします!」

「よろしく! 樹ちゃん!」

「は、はい!」

 

 風先輩に連れられて部室に入ってきた少女は既に緊張しきっていた。新しい環境への変化にいっぱいいっぱいなんでしょうね。

 

「アタシの妹にしては女子力低いけど、それ以外はなかなかのモノよ! 占いとかできるし」

「おおっ、凄いや! あ、占い好きならこれあげる! 縁起物だよ」

「あっ、かわいい…!」

 

 コミュニケーションお化けの友奈が真っ先に樹ちゃんに声をかける。そして四つ葉のクローバーのキーホルダーをプレゼントし、つかみはバッチリだった。

 

 そこに東郷が神妙な面持ちで近づいてくる。何故かシルクハットを被って……

 

「えっ?」

 

 シルクハットを取ってその中を樹ちゃんに見せるも空っぽ。すると今度はその上に白い布を被せた。東郷の意図が分からないままその様子を眺める樹ちゃん。

 

「はいっ!」

 

 勢いよく東郷が布を引き剥がすと、そこには三羽の鳩がいた。そのまま鳩は部室を飛び回り、私は慌てて確保に移る。

 

「ええっ!? 凄い!! ど、どうやったんですか!?」

「知りたい?」

「はい!!」

 

 私が鳩を捕まえている間に東郷の歓迎は成功以上の成果を発揮していた。目を輝かせて手品の解説を聞いている。そこには先ほどまでガタガタに緊張していた姿はもう見えなかった。

 

「……後はほむらだけど、いい感じなの? 友奈」

「あ……あーははは……いい感じと言うか、やばい感じと言うか……ただ、風先輩も気をつけてください」

「……え?」

 

 練習に付き合ってもらった友奈にはあの破壊力は身に沁みてる。クーほむがアレをすることによってその力はエントロピーを凌駕する。前世の頃から知っていたけど、同時にキャラ崩壊もとてつもないから今まで決してやらなかった。

 

 バッグの中に手を突っ込み、()()を取り出す。東郷と風先輩、そして樹ちゃんまでもが驚きのあまり目を見開く。

 私は()()を慣れた手つきで身に付ける。そこで一旦正気を取り戻した二人が声を揃えて叫んだ。

 

「「ネコ耳ですって!!?」」

 

 そう、ネコ耳である。我が国が誇る萌え文化を代表する超重要アイテムが一つ、ネコ耳。ほむほむwithネコ耳。相手は悶え死ぬ。

 だけどこれだけじゃないわよ! このネコ耳はただの戦闘服! ほむほむ万歳!!

 

「……友奈、ミュージック」

「合点承知!」

 

 起動済みのパソコンを操作し、部室に音楽が流れ出す。そして私は己のほむほむを……一旦その辺に置いておく!

 

初めましてぇ~! 讃州中学2年、暁美ほむらで~っす♡

「「!?!?」」

「あ、はい…初めまして……」

樹ちゃん、ようこそ勇者部へ♪

「あ…ああ…ぁあ"あ"っ!?」

「ちょ、ちょちょちょっとほむらぁ!? あんた何やってんのよ!!?」

ぅん? とーごーちゃんどーしたのぉ? ふー先輩もお顔が真っ赤だよぉ?

「なあああああ!!? とーごーちゃ……ブフゥッ!!」

「東郷!? その鼻血の量はヤバいって!!」

勇者部はふー先輩が作った、世のため人のためになることを勇んで実施する部活なんだぁ♪ 私も勇者部に入ったおかげで大好きな友達がたくさんできたの! だからふー先輩にも改めてお礼を言いたいんだぁ♡

「待って!? 今はだめだって!! 今のあんたからじゃ心臓がヤバいから!!?」

ありがとー♡ ふー先輩、大好きだよぉ♡

「ゴフッ!!?」

「お姉ちゃん!?」

今日はみんなに日頃のお礼も兼ねて、樹ちゃんの入学と入部を祝して歌っちゃうよぉ♡ 暁美ほむらで『ネコミミモード』♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「東郷さん!! しっかりして!! ああっ、どうしようほむらちゃん!? 東郷さん、血が止まらないよ!?」

「お姉ちゃん目を開けて!! ……うそ…息してない…! お姉ちゃん!! お姉ちゃああん!!!」

「…………」

 

 ……東郷……風先輩も……逝ってしまったわ。ほむほむの理に導かれて…

 

 いや、うん……やりすぎたわ。流石に二人に少しお灸を据えようとは思っていたけど萌え死にさせる気はなかったの。本当よ。

 それにこの世界にネコミミモードが存在していた事実にも驚きよ。ネコミミモードも私と一緒に転生してきたとでも言うの?

 

 というかこの状況どうすればいいのよ。樹ちゃんを怖がらせないが達成できなかったはおろか、何なのよこの地獄絵図。主に東郷の鼻血だけど……

 

 そこに私のスマホに着信が入る。相手は……

 

『ほむぅ! お願いします!! やっぱりコスチューム着てください! 新入部員が集まらないんだよぉ!! 何でもするからぁ!!』

「分かったわ。今すぐ行く」

『………偽物だな!! 本物のほむらちゃんはどこだ!!』

 

 電話を切ってそそくさと勇者部の活動に赴く。私の戦場はここじゃない。今現在救いを求めている紗彩と共に戦うのが私の役目。だからその手を離しなさい友奈!!

 

「どこ行くのほむらちゃん!」

「紗彩に助っ人を頼まれたのよ! 後のことは任せるわ!」

「そんなぁ!? 私と樹ちゃんだけじゃ無理だよ!」

「なせば大抵なんとかなるでしょう!」

「六箇条をそんな風に使わないでよ!」

 

 この日から讃州中学勇者部のメンバーは五人になる。樹ちゃんには不穏な始まりになってしまって申し訳ないけど、これからいったいどうなることやら……



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第十話 「私達は讃州中学勇者部です!」

 大満開友奈もタルトFinalも引けなかった絶望……おとなしくミラランはほむほむで頑張ります。


 正座を命じられた私と友奈。その前で隠す気のない怒りを燃やしていたのはなんとか一命を取り留めた風先輩だ。

 

「で! 二人とも……何か言うことは?」

………ミャァー

「ドゥワァーッ!! だからそれをやめい!! ドガンとくるのよ心臓に!!」

 

 説教の最中絶叫が木霊する。隣では東郷が飲んでいた鉄分豊富な野菜ジュースを吹き出し咳き込んでいた。

 

「あの、何で私もなのかなぁ…って…?」

「練習の段階でほむらのやりすぎを指摘しなかった監督不行き届きよ」

「ネコ耳を身に付けるアイデアは友奈からです」

「有罪っ!!」

「どうして言っちゃうのほむらちゃん!」

 

 怒られるのが私一人だけじゃ嫌だもの。赤信号はみんなで渡れば怖くないって言うじゃない。一緒にいてちょうだい友奈。友達でしょう? 

 

「でも風先輩と東郷さんが最大級のかわいさを披露するようにって言ったじゃないですか!」

「最大級の次元をぶっ壊した先の境地じゃない! 見なさいこの部室の中! 東郷の鼻血でとんでもないことになっとるわ!」

「……東郷大丈夫なの…? 病院に行かないで」

「ごほっ…っう……な、何とか平気だから…」

 

 不意打ちの猫語の余波を食らい、大きすぎる胸を押さえながらも今度は耐えきっていた東郷。顔色は悪いものの東郷のことだからたぶん大丈夫なんでしょうね。

 

「そもそも私だって、有無を言わさずやることを強制されてムカついたから逆に本気を出してお灸を据えようと思ってやったのだけど」

「確信犯か!」

「風先輩、その使い方は誤用です。確信犯の正しい意味は道徳や宗教等の理念を確信しながら実行する犯罪という意味です」

「え、そうなの?」

 

 同じ犠牲者仲間の東郷に口を挟まれてしまった風先輩。一般的によくある間違いを指摘されてしまって思考が放棄された。

 しかし彼女は再び怒りの炎を燃やしだした。彼女には今回どうしても許せない理由があった。そしてその事に関しては私も心から申し訳ないと思っている。

 

「……でもアタシ達が調子に乗ってやらせたのも事実。その事は素直に認めるわ……だけどねぇ…!」

「……その…本当にごめんなさい。樹ちゃん」

「……っ、あ、あの…」

「うちの妹に謝れゴラァッ!!!」

「さっきからずっと謝ってましたよ?」

 

 風先輩が怒り狂っている理由、それは最愛の妹である樹ちゃんの記念すべき第一歩を見事に惨劇に仕上げてしまったからだ。それもトラウマになってもおかしくないレベル……姉馬鹿の風先輩が激怒するのも当たり前だ。

 

「樹ちゃんごめんね!! 私達ホントに怖がらせるつもりは無かったんだよ。ただ樹ちゃんを喜ばせたくてつい…!」

 

 樹ちゃんを出されるとさっきまで納得していなかった友奈も謝らざるを得ない。友奈も樹ちゃんに対しては罪悪感が大きかった。

 そんな樹ちゃんはずっと不安げな表情のままだった。東郷が手品を見せた時には確かな笑顔そこにはあったというのに、私のせいでその笑顔が失われたのだと思うと心が痛い。

 

「あの! えっと、その……あ、ありがとうございます!!」

「「「「……え?」」」」

 

 突如最大の被害者でありながらも今まで蚊帳の外だった樹ちゃんが声を上げると、次の瞬間90度にまで及ぶお辞儀をする姿を見て誰もが言葉を失った。しかもありがとうございますというこの状況で絶対に聞くとは思えなかった言葉と共に!?

 

「い、樹ちゃん…? どうしてお礼を」

 

 罵声や後ろめたい目を向けられる資格はあれど、感謝される謂われはないのにどうして……

 

「お姉ちゃんから聞きました。ほ、ほむら…さんが、私がここに早く馴染めるように皆さんに相談したって…」

「いやそれは…風先輩…」

 

 ちらりと風先輩を見るも、彼女はどういうわけか固まっていた。まばたき一つせずに樹ちゃんを凝視するだけだった。

 

「嬉しかったんです私。会ったことのない私のためを思ってくれたことが」

「……大したことじゃないわ。勇者部の部員だったら誰でもできることよ」

 

 なんだかむずがゆさを感じるわね……感謝の言葉をもらう資格がないと思った相手にまで感謝されるなんて。友奈は普通に受け入れているけど。

 

「そうだよ樹ちゃん! 私達樹ちゃんが来るのをずっと楽しみにしてたんだぁ! 早く会いたかったし一緒に楽しみたかったんだよ!」

「でもやっぱりごめんなさい。私と風先輩がほむらちゃんに余計な事を言ってしまったからこんな風になってしまって」

「あ……それは…確かにとてもビックリしましたし怖かったですけど……でも本当に凄かったです! ほむらさんがお姉ちゃんに聞いていた以上にかわいくて!」

「「ほんとだよね」」

「えっ、結局そこに帰結するの?」

 

 ほむほむのかわいさは全世界共通とはいえ私はクーほむなのに…! もっとかっこいい所とかも評価してよ! 昔の方がクールって言われていたわよ!?

 

「あのっ、ほむらさん! ほむらさんが勇者部に入ったから大好きな友達がたくさんできたって、それって本当ですか?」

 

 ほむむっ…! 確かにそう言ってしまったけど改めてそこの所を聞かれると恥ずかしいわ…! あまり答えたくないけど……後輩のためなら仕方ないわね。

 

「本当よ樹ちゃん。この二人はそれ以前から仲が良かったけど、あなたのお姉ちゃんとは勇者部に入ったからこそ親しくなれたの。勿論それだけじゃないわ。勇者部の活動でいろんな部活動の助っ人や地域活動で多くの人達と知り合っていくうちに友達だと思える子達もできたのよ」

 

 きっとこの子も少し不安に思っている所もあるんでしょうね。自分の事を大事に想っている姉がいる部活とはいえ、中学生というまったく新しい日常に変化したのだから。

 だったら私が先輩としてこの子を導かないと。かつてのひねくれていた私を変えてくれた、勇者部という素晴らしい世界の一員にね。

 

「だから樹ちゃんも勇者部に入った以上幸せになってもらうわ。私達は同じ部員であっても絶対に力になるから遠慮しないで頼りなさい」

「……っ、はいっ!! よろしくお願いします!!」

「こちらこそ、よろしくね」

 

 パアッとした華やかな笑顔で喜ぶ樹ちゃんと握手した。何というか…これは……風先輩が姉馬鹿になるのが分かるわね。子猫みたいで()いわ。

 

「はいはい私もー!! 改めまして、結城友奈だよ! これから一緒にがんばろー!」

「東郷美森です。分からない事ならなんでも教えるわ。国防とか!」

「ふぇ? 国防…?」

 

 こら東郷、樹ちゃんを護国思想に洗脳しないの。樹ちゃんは樹ちゃんのままであればいい。変わるななんて言わないけど、私達は彼女の歩む未来を支えていけばいいのよ。

 

 ……にしても何かしら? さっきから風先輩がやけに静かね。自分の妹が後輩と打ち解け出しているのに何も言ってこないなんて……風せんぱ……へ?

 

「い、いい樹がぁ…!! 樹がぁぁああ!!!」

「ふ…風…先輩…?」

 

 風先輩は両目から絶え間なく大粒の涙をボロボロ零していた。いや何事!? 樹ちゃんがどうしたって言うのよ!? こんな号泣してる風先輩なんて一度も見た事無いわよ!?

 

「樹が…!! あの樹が!! 今日出会ったばかりの人達と仲良く打ち解けてるぅううううう!!!!」

「どこまで姉馬鹿なのよあなたは!!?」

 

 何なの!? 樹ちゃんってそこまで大人しすぎる子だったの!? やっと部室内の雰囲気が良くなってきたと思ったのに今度はこっち!?

 

「ほーむりーん!! 大丈夫かーってうおぉぉ!? 何これ地獄絵図!?」

「うるさい!! 面倒事を増やすな!!」

 

 結局みんなで風先輩を落ち着かせて部室を掃除してチア部の勧誘を手伝って……こんな破天荒な日常が勇者部だからというわけなのよね。

 

 

◆◆◆◆◆

 

『むかーしむかし、あるところに勇者がいました』

『勇者は人々に嫌がらせをする魔王を説得するために旅を続けています』

『旅の最中勇者は一人の魔法使いと友達になり、一緒に旅をすることになりました』

『そしてついに! 勇者と魔法使いは魔王の城にたどり着いたのです!』

 

「やっとここまでたどり着いたぞ魔王! もう悪いことは止めるんだ!」

「私を怖がって悪者扱いを始めたのは村人達の方ではないか!」

「だからって嫌がらせは良くない! 話し合えば分かるよ」

「話し合えばまた悪者にされる!」

「そんな事、私達がさせない! 私だって村で一人だけ魔法が使えるからみんなから怖がられていたの! だけど勇者が助けてくれたおかげでみんなと分かり合えた! 友達になれたの!」

 

 ほむらちゃんが演じる魔法使いの説得に、風先輩が演じる魔王の心が揺れ動かされる。

 人形劇もクライマックス! 子供達もハラハラしながら劇の行く末を見守っている。後は私が演じる勇者の説得で魔王を改心させる流れ……よ~し! 気合い入れてやっちゃうよ!!

 

「私達が! 君を悪者になんかしない! ああっ!」

「はっ!?」

「…っ!」

 

 セリフの途中で右手が思いっきり舞台に当たっちゃった。慌てて立て直そうとしたけど全然間に合わないで舞台は倒れてしまう。

 

「おおー!」

「ゆうしゃがでてきたー!」

「……やっちゃったぁ…」

 

 子供達は無邪気にも突然見えるようになった舞台裏の私達にざわめいていたけど、こっちはそれどころじゃないよぉ。どうしよう、大変な失敗をしちゃったよ……

 

「あ、当たんなくてよかった……でもどうしよう」

「取り敢えず舞台を……友奈?」

 

 頭の中がぐるぐるしちゃってて、ほむらちゃんと風先輩が何か言っていたみたいだけど私にはその声が聞こえていなかった。

 この状況を何とかしないと! そう思って考えないうちに私が取った行動は……

 

「勇者キイィィック!!」

「「えええっ!?」」

 

 左手に着けている勇者の人形で風先輩の魔王の人形を力任せに蹴った。あれ? これって蹴ったって言わないんじゃないかな? これじゃあ勇者パンチだよ。

 

「ちょおまっ! それキックじゃないし! てゆーか話し合おうて言ってた所じゃないの! こうなったら食らえ! 魔王ドリルヘッドバット!!」

「痛っ!! 何で私なのよ!? って人形!」

「まっ、魔法使いー! おのれ魔王、よくも魔法使いを…!」

 

 魔王の怒りの頭突きが魔法使いに炸裂する。その威力は凄いもので、魔法使いの体はポーンとナレーション担当の東郷さんと音響担当の樹ちゃんがいる方に飛んでいった。

 

「お、お姉ちゃん……何がどうなって…」

「樹! ミュージック!」

「えっ!? じゃあ…コレで!」

 

 逆にやりたい放題になった風先輩に戸惑いながらも言われた通りに音楽を流す樹ちゃん。それはゲームのボス戦とかにありそうな臨場感を高めるような物で……

 

「って! これって魔王テーマ!?」

「ワッハッハッハッハ!! ここが貴様の墓場だあ!!」

「うおぉ!? 魔王がノリノリに……おのれー!」

 

 一方魔王にやられた魔法使いはというと、ほむらちゃんと東郷さんが小声で何かを話していた。魔法使いが杖を掲げると台本には無かったセリフを喋り出す。

 

「勇者! 魔王の攻撃に耐えて! その間に私は魔法でみんなの力を貸してもらうから!」

「ええっ!? 何それ聞いてない」

 

 そこにすかさず東郷さんから解説される。私にじゃなくて子供達にだけど。

 

「みんな! 勇者と魔法使いに頑張れーって応援して二人にパワーを送ろう! 頑張れ勇者ー! 頑張れ魔法使いー!」

 

 なるほどそう言うことか! さすが東郷さんとほむらちゃん! こんな状況でも子供達が楽しめるよう参加型にするなんて!

 

「「「「「がーんばれ!! がーんばれ!! がーんばれ!!」」」」」

「うぐぉ…!? 皆の声援が私を弱らせるぅ…!」

「皆さん良いアドリブです!」

 

 風先輩の熱演もあってからか、人形劇の盛り上がりはますます加速していった。私の失敗もいい感じにひっくり返せていたし、このまま勢いに乗っちゃおう!

 

「……よし! みんなの想いが詰まったこの魔法…! この力をそのまま勇者の力に宿すわ! 行きなさい勇者!」

「ありがとう魔法使い! みんな! 魔王、これが友達と一緒に戦う力だ! 勇者パアァァァァンチ!!!」

「いってえええええっっ!!!」

 

 この場にいる全ての人達の想いを乗せた勇者の一撃が魔王の邪悪な心を打ち消した。清らかな心を取り戻すも倒れそうになる魔王を支え、大切な言葉を送る。君はもう独りじゃない。私達みんながついている。だって……

 

「私達、もう友達だよ!」

「締めて締めて…!」

「というわけで! みんなの力で魔王は改心し祖国は護られました!」

「「「「「ばんざーい!! ばんざーい!!」」」」」

「……すっごく疲れたわ。友奈め…」

「あ、あはは……お疲れ様です」

 

 一事はどうなることかと思ったけど、無事に人形劇は大成功! こんな感じで校外活動に青春を燃やしている私達。

 

 3年生で部長の犬吠埼風先輩。この舞台のお話を考えたしっかり者。

 

 後輩で部長の妹の樹ちゃん。お姉ちゃんのことが大好きなんだ。

 

 私の大親友東郷さん。去年お隣に引っ越してきたんだ。大親友なのに苗字呼びなのは本人の希望。

 

 そしてもう一人、大好きな友達の暁美ほむらちゃん。美人で勉強もできてかっこいいけど実はものすごくかわいい所もあるんだ。

 

 私達はみんなのためになることを勇んで実施するクラブ……私達は讃州中学勇者部です!




 投稿開始から1ヶ月。この作品をご覧くださった方、お気に入り登録してくださった方、高評価してくださった方など、改めて感謝いたします!
 次回から本編突入。ようやくタイトル回収です。今後ともほむほむと勇者部をよろしくお願いします!


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暁美ほむらの章
第十一話 「犬……カレー…?」


 暁美ほむらは勇者である


「こんにちはー! 友奈、東郷、ほむら、入りまーす」

「こんにちは」

「お疲れ様です」

「樹ちゃんもお疲れ様」

「おっ、来たわね」

「昨日の人形劇、大成功でしたね!」

「何もかもギリギリだったわよ。あんな無茶ぶりもう懲り懲りだわ」

「そうね。風先輩まで乗っかかるし、私達が二人の尻拭いするのにどれだけ苦労したことやら」

「えっ、アタシも戦犯!?」

「お姉ちゃんがほむらさんの人形を殴り飛ばしたから余計ややこしくなったんだよ…」

「でも子供達には大盛り上がりでしたし、友奈ちゃんのアドリブ、私は良かったと思います」

「東郷さんの咄嗟のアイデアも凄かったよ! でもやっぱり一番なのはみんなで頑張ったからじゃないかな!」

 

 

 一緒に何かに熱中できる友達、先輩、後輩。彼女達の存在は、朧気ではない光り輝く確かな道標。

 

 私達はそんな家族(ともだち)を大切にしている。

 

 この先何があろうとも彼女達と共にだったら、きっと何だって乗り越えられるんじゃないだろうか。

 

 どんな困難であろうとも、私達はなるべく諦めない。

 

 

「今日からは強化月間! 学校を巻き込んだキャンペーンにしてこの子猫達の飼い主を探すわ。学校への対応はアタシがやるから、各自できることを今まで以上に頑張れ!」

「アバウトだよお姉ちゃん…」

「それでは私は勇者部のホームページを強化します。携帯からでもアクセスできるようにモバイル版も作ります」

「頼んだわ。私はビラでも作ろうかしら。風先輩、今から作るビラの掲示の許可も取ってきてくれませんか?」

「オッケー! 樹と友奈は?」

「う~ん……どうしましょう友奈さん」

「うう~ん……そうだ! 海岸の掃除に行くでしょ? そこにいる人達にも聞き込みしようよ!」

「わあっ! それいいです! 捜索範囲が広がりますね!」

「この子達のためにもがんばろー!」

「おー!」

「ホームページ強化任務完了です!」

「「「「早っ!?」」」」

 

 

 私達を信頼して助けを求める声に応えるのはいつだって大変。だけどやりがいはあるし、私達を頼ってくれる事が……信じてくれる事が何よりも嬉しい。

 

 彼等にも私達の幸せを与えられるよう、挨拶はきちんと。

 

 何をするのが正しいのか、自分の選択が間違っていないか、自分の力ではできないのではないかと迷ってしまう時もある。そんな時にも私達には仲間がいる。

 

 悩んだら相談。みんなと分かち合って、一緒に悔いのない道を選べばいい。

 

 

「「おかわり!!」」

「3杯目……相変わらず二人とも凄い…」

「うどんは飲み物よ。それでいてほむほむ()の成長を更に加速させる万能食なのよ」

「な~んて言う割に、ちっともこっちの方は成長していないのよねぇ!」

「お、お姉ちゃん!? ごめんなさいほむらさん! お姉ちゃんが失礼な事を!」

「先輩! いくらほむらちゃんがぺったんこだからと言えども直接口にするなんて酷いです!」

「いやあんたも今それを言っちゃってるじゃない!? あーごめんほむら! つい調子に乗っちゃって…!」

「だ、大丈夫だよ! いつか絶対に大きくなるから! 私も樹ちゃんもほむらちゃんも!! いつか東郷さんみたいに!!」

「その必要はないわ」

「「「「え」」」」

「私に胸なんて必要ない。薄っぺらで、固くて、救いようのないこんな胸だけど、この板切れこそが、私が私であるという誇りなのだから」

「………そ、そーなんだ……」

「………ヤバい……アタシ、ほむらの言ってる事が全然理解できない」

「そうよね。やっぱり大きいから良いって訳じゃないのよね。ほむらちゃんもそこの所を分かってくれているなんて、仲間が増えたみたいで嬉しいわ」

「………そんな……ほむらさんが一番私に近い境遇の人だと思ってたのに……同じ苦しみを味わってきた同志だと思ってたのに…」

 

 

 周りに頼られる存在だと言えども私達はまだ中学生。まだ子供だもの。伸び伸びと心も体も健康に、元気に育つ事だって大切なお仕事だ。

 

 よく寝てよく食べる。子供っぽくても私達の元気の秘訣はまさにこれ。うどんぼた餅なんでもござれ。

 

 

「それで風先輩、話って何ですか?」

「ああそうそう。文化祭の出し物の相談」

「まだ四月なのに?」

「夏休みに入っちゃう前にいろいろ決めときたいのよね。去年はほら……アレだったし…」

「………分かってるとは思うけど、もう二度とあんな事はしませんよね?」

「しませんしません!! そうでしょ東郷!!」

「本当はやりた…ゲフンゲフン! 今年は別のをやりましょう。だから睨まないでほむらちゃん」

「あの…去年に一体何があったんですか…」

「あはは……去年勇者部は忙しくて何も出し物が無かった筈なのに、東郷さんと風先輩が紗彩ちゃんとミスコンを開催しちゃって……」

「ミスコン?」

「そしたら三人とも何も知らなかったほむらちゃんを無理やり出場させちゃってね……優勝しちゃったんだ」

「ええっ!? それって凄い事じゃないですか! なのにどうしてほむらさんは怒ってるんですか?」

「……じゃあ樹ちゃんもやってみる? ファンシーなカワイイ系の服を無理やり着せられて、全校生徒や地域の人達の目の前でそれを晒されてみるの。きっと優勝できるわよ」

「あわわわわわ!!? 絶対に無理です!! 恥ずかしすぎて死んじゃいます…!」

「分かってくれたようで何よりだわ。あの日は本気で風先輩も東郷も紗彩も殺」

「と言うわけで!! 今年何をやるのか各自考えておくこと!! これ宿題!!」

 

 

 私達勇者部はどんな時も一生懸命。世のため人のためになること勇んで実施する。その先に見えるのはいつだって誰かの笑顔。

 

 どんなに大きな壁があっても、勇者部ならなせば大抵なんとかなるのだから。みんなで乗り越えた先に輝ける明日があるのを知っている。

 

 

「皆、今日もお疲れ様でした」

「それではほむらちゃん、風先輩、樹ちゃん、失礼しまーす!」

「またねー」

「お疲れ様でした」

「また明日」

 

 

 また明日、この言葉を何気なく使える日々が金銀財宝にも勝る宝物なんだって思えてくる。他のみんなだってそう思ってるに違いない。

 これが私、暁美ほむらの日常、そして勇者部の日常。

 

 

 そんな日常は一旦終わりを迎え、勇者の物語はこれより始まる。

 

 

結城友奈は勇者である 暁美ほむらの章

 

 

◇◇◇◇◇

 

「あはは、なんでもない」

「結城さん、なんでもなくないですよ」

 

 授業中に友奈のはっきりした呟きが聞こえて教室内の生徒達が笑い出す。友奈らしいおっちょこちょいな一面だから私も呆れて溜め息を吐く。

 

『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

「えっ?」

 

 そんな中いきなり私のスマホからアラームが鳴り響き、これにはさすがの私も少し焦ってしまう。だけど明らかにおかしい事象で同時に困惑した。

 

「暁美さん? 授業中は携帯の電源を切っておきなさい」

 

 私は間違いなく電源を切っていた。それにこんなアラームも設定した覚えはない。

 

『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

「ええっ、私のも!?」

「なに…これ…」

「結城さん……東郷さんもですか?」

 

 ……どういうことなの? アラームが鳴ったスマホは私だけじゃない。友奈と東郷のスマホからも全く同じアラームが…

 

『樹海化警報』

『バーテックスが壁を通過しました。人類保護のため出動してください』

「……バー…テックス…?」

 

 画面には意味不明な言葉が映されていてますます頭が混乱する。これはもはやスマホの故障とかそういうのとは思えない。……嫌な予感がするわ。

 

 やがて私達のスマホのアラームが鳴り止むと、さっきまでの和気藹々とした教室内が嘘みたいに静かになる。まるでこの空間に誰もいないような……

 

「……なによ…これ」

 

 止まっていた。先生も生徒達も、窓の外に舞う葉っぱも何もかもがその場に止まっていた。笑った表情のまま微動だにせず、世界から切り離されているみたいだった。

 まるで世界の時間が止まっているかのように……!?

 

「ほ…む」

「友奈ちゃん、ほむらちゃん!」

「東郷さん…ほむらちゃんも」

「…っ、友奈! 東郷!」

 

 よく見ると友奈と東郷はこの止まった時間の中を動けていた。わ…訳が分からない…!? アラームといい樹海化やバーテックスなんて単語といい私達三人だけが動けるのといい、一体何が起こっているのか…!

 

『インキュベーター! 早く私を魔法少女にしてみなさーい!』

「………まさか…!」

 

 ふと脳裏を過った昔の記憶。まだ幼い頃の私がその場にいる筈がない奴に向けて叫んだ言葉。

 奴が関わっているのならこの不思議現象にも納得できる。だけど奴はこの世界には存在しない筈よ…!

 

 ……本当に存在しないの? 思えばあの時はまだ幼すぎたから奴を認識できなかっただけじゃないの?

 それに2年前に突如瀬戸大橋が破壊された大事故があったけど、普通じゃそんな事故が起こる筈がない! それこそ奴がこの世界に介入していない限り…!

 

「……っ!? 二人とも、あれ!」

 

 東郷が窓の外を指し、その光景を見た私達は息をする事も忘れてしまった。

 空が裂けた。するとそこから幻想的な光が溢れ出し、街を、この世界を包んでいった。やがて光は学校を私達諸共飲み込み……私達は『樹海』に立っていた。

 

「…な、何これ……ここどこ? ………いててててて! ゆ…夢じゃないみたい…」

「…教室にいたはずなのに………」

 

 友奈はこの異常を夢だと思って自分の頬を引っ張るけど無情にも現実だと分かる。東郷も夢だと確認しなかったものの困惑しきっていた。私は……

 

「キュゥべえキタァァァァァ!!!!」

「「ほむらちゃん!?」」

「あぁ……イヌカレー空間よぉ…!!」

「犬……カレー…?」

 

 確信した。

 間違いない! 突然飛ばされたここは結界の中! そしてその中身もこんなにも多色でやけに大きい樹木ばかりの禍々しい空間! 絶対に奴の仕業よ! それしか思い浮かばないもの!

 

 やっぱり奴はこの世界にもいたんだ! 魔法少女はこの世界にもいる!! 諦めていた私の長年の夢が……魔法少女暁美ほむらになる夢が叶う!!

 

「ほ、ほむらちゃん……久兵衛って…?」

「犬とカレーって、何か知ってるの!?」

「ええ! 二人とも落ち着いてよく聞いて!!」

「な、なんだか嬉しそうね…?」

 

 そうだった、二人は何も知らないのよ。前世で『まどマギ』を何十周も見返した私だからこそこの世界について知っているの。

 ちゃんと全部教えないと…! この二人の命にも関わる事なんだから…!

 

「いい? ここは「友奈! 東郷! ほむら! 皆無事!?」」

「風先輩! 樹ちゃん!」

「よかったぁ、突然ほむらさんの叫び声が聞こえたから何かあったのかなって…!」

 

 出てきたのは紛れもなく風先輩と樹ちゃんだった。まさかこの二人も巻き込まれていたなんて…! それに偶然かしら…勇者部五人全員がこの場に揃うなんて。

 

「お姉ちゃん、ここはどこなの? 何か知っているんだよね?」

「えっ! 風先輩も知っているんですか!?」

「も? どういう事?」

「ほむらちゃんも知ってるみたいなんです。それを教えてもらう所で…」

「!? ほむら…まさかあんたも…!?」

 

 驚愕した表情で私を見る風先輩。そして私も似たような感じでしょうね。風先輩もこの事を知っているなんて。

 まさか彼女も私と同じ転生者……は違うわね。もしそうだとしたら私が暁美ほむらという事を知った時点で何かしらの行動を起こす筈。

 となると、風先輩は魔法少女……んん? ソウルジェムの指輪は無いわね。契約はしないで奴から説明を聞いただけなのかしら。

 

「風先輩も知っていたのは驚いたけど、私はここの事をよく知っている。実際に来たのは初めてだけど」

「アタシだって来たくはなかったわよ。それに他の三人も知らないままでいられた可能性の方が大きかったわけだし」

「あの……それでここは…」

 

 いつまでも何も分からないままじゃ恐怖心を煽るだけね。残酷な事を伝えることになるだろうけど、彼女達のためにも全て話さないと。

 

「ここは……魔女の結界の中よ」

「……魔女?」

「結界って…」

「ここが……確かに変な感じの所ですけど」

「え」

 

 全員揃って驚いている様だけど無理もない。私達の暮らすこの世界に魔女なんて異質な存在がいるのだと知ってしまったのだから。

 

「魔女は呪いから生まれる存在。魔女はそれぞれ結界を持っていてその中に一般人を引きずり込むの」

「それじゃあ私達がここにいるのって…!」

「そう。この結界の主によって連れてこられたの! 私達を食い殺す、もしくは嬲り殺すために!」

「「「殺す!?」」」

「は……はぁ!!?」

 

 これでみんな今まで以上に危機感は持ったことでしょう。それに今回の魔女は結構ヤバい相手に違いない。何せ魔女が一般人を結界に呼び寄せるための魔女の口づけを誰も受けていない。それでいて現実世界の時間を獲物である私達以外の全てを止めていた。

 あのスマホのアラームで仕掛けてきたのかしら? スマホを経由して獲物を判別し連れ去った……って所? 

 もしかしたらあの時に表示されていた『バーテックス』という物が魔女の名前なのかもしれない。人類保護のために出動って言葉もあったけど、元はSF好きの魔法少女で自分を圧倒的力を持つ異星人側として認識して、獲物を立ちはだかる防衛軍みたいな感じに扱っている?

 

「そんな…! それじゃあ私達、殺されちゃうの!?」

「何もしなければね。魔女を倒す方法は一つだけ……キュゥべえと契約して魔法少女になること!」

「待てええええええええ!!!!」

 

 結界内に風先輩の絶叫が木霊し私の両肩を殴りつけるような勢いで掴む。そして心底驚いたというか、どんな顔をすればいいのか分からないと言った具合の表情で私に質問してきた。

 

「……ほむら……あんたって大赦の人間…?」

「大赦……そんなわけないですよ」

 

 大赦ってあれでしょ、神樹様を祀っている組織。いわば宗教でしょ。興味ないし関わりたくもないわ。

 

 ……なに、何なの…? 風先輩が物凄く可哀想なものを見る目で見つめてきたんだけど。

 

「……ほむら、あんた……現実世界と何かのアニメの世界がごちゃ混ぜになってる」

 

 ………………

 

「「「「え?」」」」

「えーっと、皆スマホ出して」

 

 

 

 

 

 

 …………風先輩は大赦が派遣した人間であり、この世界は神樹様が作り上げた結界? ふ~ん、神樹様って本当に神様やっていたの。そんな実はモノホンの神様が私達を選んでここに連れてきたと……

 

 

 じゃあ何!!? 私はこの世界が魔法少女の世界だったって勘違いして挙げ句の果てに得意げにみんなに解説した痛すぎる女ってこと!!?

 しかも本当の事を知っている風先輩を差し置いてあたかも当然の事のように話したって典型的な中二病患者じゃない!!

 ……っ!? 明らかに四人の哀れむ視線を感じる! やめてっ!! そんな目で私を見ないで!!

 

「…………まさかほむらさんが魔法少女物のアニメが好きだったなんて……」

 

 ほむほむぁぁああああああああああああああああああああああああああ!!!!!

 

「わあっ!? 落ち着いてほむらちゃん!」

「こんな事に巻き込まれたのだもの! 勘違いしちゃうのも無理はないわ!!」

「あ、あの! 私も小さい頃よく『魔女っ子ミラクリン』を観ていましたから!」

「樹それフォローになってない!! むしろトドメ刺してるから!!」

 

 違うの!! 私が好きな魔法少女アニメはみんなが思っているような物とは全然違うから!! だからそんな! そんな哀れむような目はやめてええ!!!! もうみんな忘れてええええ!!!!




ヴァルゴ「もーいーかーい?」
勇者部「まーだだよー」
ヴァルゴ「もーいーかーい?」
勇者部「まーだだよー」
ヴァルゴ「もーいーかーい?」
ほむほむ「ほむほむぁぁあああああああああああああああああああああ!!!!」
ヴァルゴ「もーいーかーい?」
勇者部「まーだだよー」


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第十二話 「傷つく事が何よりも恐ろしい。」

 社交界デビューならず……マミさん素でウチのほむほむのリズコネクトピュエラブラストコンボを三連回避するなんて聞いてない。
 そんなこんなで、ミラランお疲れ様でした!


 暁美ほむらの心は一つ。

 

「………死にたい」

「「「「…………」」」」

 

 光を失い深淵になっただけでなく淀みきった目のまま結界内の太い樹木の壁に両手をついてうなだれる。一生ものの大失態を特に親しい人物四人全員の前で晒してしまった。これから先一体どうやって接していけばいいのか全く分からない。

 みんなと今まで通りに過ごせなくなるんだったらいっそのこと……

 

「……ほむら…その、気持ちは分かるけど今はそれどころじゃないの。アタシ達はこれからこの世界を壊す敵と戦わなければならない」

「敵…?」

「戦うって…」

 

 このまま身投げでもしようかと思いかけた所でハッとした。私が魔女だと思い込んだ『バーテックス』とは何なのか。何故私達がこんな所に呼び出されたのか。

 その答えが今風先輩が言った、敵と戦うという事と繋がったからだ。私達は魔女とかそういう勘違い以前に、本当に危機に瀕していたのかもしれない。

 

「そういえば、この点って何です?」

 

 友奈がスマホの画面を見ながら疑問を尋ねる。風先輩から見るように促されていたそれにはマップが表示されていた。かつて勇者部に入部した際に風先輩にダウンロードするように言われたSNSアプリ。このマップはそのアプリの中に内蔵されていた隠し機能とのことだ。

 そこには私達勇者部五人の位置と名前、そしてもう一つ『乙女型』と書かれた点も……まさか…!

 

「来たわね…!」

「……えっ」

 

 全員揃って『乙女型』がいる方向を見る。距離はまだ遠いものの、何か大きいモノが浮遊しながら少しずつ迫ってきている。

 全身白とカーネーションピンクの異形。ボロボロな布のようなものをマフラーのように身にまとい、不気味さを醸し出している。

 当然動物だとかロボットだとか、そういう分かりやすいものじゃない。異質な生命体が……正真正銘の化け物が出現していた。

 

「あれが…バーテックス…!」

「……そう、世界を殺すために攻めてくる人類の敵よ。バーテックスの目的はこの世界の恵みである神樹様に辿り着くこと。そうなった時、世界は…死ぬ…!」

「「「…っ!?」」」

 

 ……嘘でしょ……あんな化け物と戦えって言うの…! しかも世界の存亡を賭けるなんて、ただの中学生の私達がどうこうできるわけないじゃない!

 

「どうして私達が…」

「大赦の調査で最も適正があると判断されたの。戦う意思を示せばこのアプリの機能がアンロックされて

 

神樹様の勇者になる」

 

 

 スマホのマップ画面を別の物に切り替えると植物の芽のようなアイコンが表示されていた。私達が戦う意思を示した時、この芽は花を咲かせて神樹様の……勇者になる……魔法少女じゃなくて、勇者になる…………勇者ぁ!!?

 

 ちょっと待って!! 私はほむほむよ!? 『魔法少女まどか☆マギカ』の超重要メインキャラクターの暁美ほむら!! 時間遡行能力を持ち、ゴルフクラブに始まり銃火器に爆発物、果てはタンクローリーを(物理的に)乗りこなす魔法少女暁美ほむらに転生したのよ!!?

 それがこの世界では魔法少女が存在しないから変わりに勇者になるなんてどんな因果をしてるのよ!!? 勇者なんて肩書き、勇者部以外の物を背負うなんて思いもしなかったわ!!

 

 しかも話から察するに私は神樹様に勇者になれる人間だと太鼓判を押されてる! 神様に魔法少女じゃなくて勇者をやれって言われてるの!? どうなってるのよ私の運命は!?

 

「皆、あれ!」

「…っ、危ない!」

 

 遠くにいるバーテックスが一瞬光ったかと思うと、その光が恐るべき速さで私達の方へと飛んでくる。動けない東郷を私と友奈が、樹ちゃんを風先輩が咄嗟に庇うと、光は目の前の太い樹木に直撃し爆発した。爆風が巻き起こり辺りに悲鳴と煙が立ち上る。今の爆発のレベルが危険なものであったのだと理解できてしまう。

 これは……まさに魔女戦と同じく命懸けの戦いになる…!

 

「な、なに!?」

「私達のことを狙ってる…!?」

「……こっちに気が付いてる…!」

「あんな物をまともに食らったら死ねるわよ…!」

「……っ、東郷さん…!?」

「駄目……あんなのと戦うなんて……」

 

 東郷は完全にバーテックスに怯えてしまい震えていた。無理もないわよ…! 勇者になれば戦う力が得られるといっても、みんなただの女の子なのよ…! そう簡単に命なんて懸けられる筈ないじゃない…!

 

 そんな中、風先輩が前に出る。その表情は既に覚悟を決めている者だった。

 

「……友奈、ここはアタシに任せて東郷を連れて逃げて」

「えっ、でも先輩…」

「早く!!」

「は、はいっ!」

 

 風先輩の気迫に圧されて東郷の車椅子を押してこの場から逃げる友奈と東郷。これであの二人が狙われるリスクは減ったけど……

 

「お姉ちゃん!?」

「樹とほむらも逃げて!」

「……っ!」

 

 私も逃げるべきなの…? きっと風先輩は勇者になるつもりだ。勇者になって、あの化け物と戦って私達を助けるために。

 私も風先輩と一緒に戦う……そう言おうと思ったのに無情にも私のスマホの機能はロックされたままだった。何故か私にはまだ戦うための意思が不足していると取られていた。

 

「駄目だよ!! お姉ちゃんを残して行けないよ!!」

「樹ちゃん…!」

「樹……」

「ついていくよ…何があっても!」

 

 そう宣言した樹ちゃんの目には風先輩に負けず劣らない決意に溢れていた。最愛の姉を一人にしない……大切な人を側で支えたい……誰にも負けない確固たる意思を持ち合わせている。

 

「……ほむらは安全な所に隠れていて。アタシ達は神樹様に守られているから大丈夫」

「………はい」

 

 悔しかった。あんなにも魔法少女になりたいと、暁美ほむらとして魔女と戦って、原作では辿り着けなかったハッピーエンドを掴み取る事を夢見ていたくせに、肝心な時に動けない自分が。

 

 ……後輩も前に出るというのに私はなんて情けないの。望んでいた魔法少女ではないけど、勇者になって戦う事が正解じゃないの?

 それなのに、滑稽にも程があるわ…! 私が抱いていたのは戦う意思なんかじゃなくて幼稚くさい単なる願望なんだって突き付けられた気分よ。

 

「樹、続いて!」

「う、うん!」

 

 風先輩と樹ちゃんがスマホの咲き誇った花のアイコンをタップすると、二人を黄色と緑色の花吹雪が舞い、光が包み込む。

 

 風先輩の格好が制服からマジカルな黄色を中心としたデザインへと変化する。髪の毛も茶色から黄色に、ツインテールからおさげをツインテール状にしたものに。そして彼女の身の丈ほどある大剣が出現し、その柄を強く握り締めていた。

 

 樹ちゃんもマジカルな緑色のゆったりとしたデザインに。風先輩が戦士とするならばこっちは賢者のようだと思わせる。髪飾りが付き、右腕にも蔦が巻きついたようなわっか状の飾りが付いていた。

 

 ………これが勇者……魔法少女にも見えなくない?

 

 未練がましく魔法少女の姿と重ね合わせるも、状況がそれを許さない。再びバーテックスが攻撃を開始。二人目掛けて先程と同じ爆発する光を放つ。

 着弾し轟音と爆風が巻き起こるも、二人はそれを突き抜けて遙か高く、遠くに跳躍した。身体能力も大幅に強化されるらしい。これはまさしく魔法少女……って、そんな場合じゃないわ! 早く私も何とかしないと…!

 

 原作だってそうだった……いくら強力な魔法少女でも死ぬ時は簡単に、あっさりと死んでしまう。二人があの化け物に殺されないなんて保証はどこにもない! 早く私も参戦してみんなの生存率を上げなければいけないのに……!

 

「……どうして…! どうしてできないの!?」

 

 戦う意思はこれでもかというほど感じているのに、未だにアイコンは芽のままだ。私の何が足りないっていうの……

 

 私は自分の命の危機をさほど怖いものとは思っていない。既に一度転生した(死んだ)経験のある身だし、キュゥべえと遭遇しても魔女化のリスクをただの必要経費みたいなものだと捉えて即契約する気でいた。

 だからこそ、力があればすぐにでも敵を叩きに行けるのにそれができない。先輩と後輩の危機をただ眺める事しかできない。

 

 遠くではバーテックスが絶え間なく二人に白い卵状の爆弾を飛ばしていた。風先輩が大剣で斬ったり樹ちゃんが右腕からワイヤーを飛ばして切断していく度に二人の周りが爆風に包まれる。その攻撃の嵐のせいで二人は防戦一方だった。

 このままでは本当に命が危ないのに…! 絶対に風先輩も樹ちゃんも犠牲になんかなってほしくない!

 

『あなた達にお勧めの部活はここにあるわ!』

 

 ふと一年前の出来事を思い出す。いきなり声を掛けてきては勇者部なんて変な部活に勧誘してきた変な先輩……私に勇者部という素敵な居場所をくれた、誰よりも頼れる先輩。

 

『嬉しかったんです私。会ったことのない私のためを思ってくれたことが』

 

 数週間前に初めて出会った後輩。かつて私が貰った幸せを分けようとして空回ったけど、想いは全て伝えられた……樹ちゃんが幸せになるための成長を楽しみにしていた。

 

『慣れているなんて、そんな悲しいこと言わないで。私が言えたことじゃないけど友達が怖がられるのを認めたくないの』

 

 私の大切な友達。暴走しがちな所が玉に瑕だけど、誰よりも周りの人達を思いやっている優しい子。彼女の献身的なサポートや発想には誰もがいつだって助けられてきた。

 

『よろしくね、ほむらちゃん!』

 

 私自身を変えるきっかけを与えてくれた初めての友達。手が掛かるし困らされた事も両手では数えられないほどの問題児。だけどそれが友奈の魅力で不快に感じた事など一度もな……あるけど彼女がいてくれて本当に幸せだった。

 

 私がこの世界で出会えた大切な仲間達。私が死ぬことは別に恐くない。だけど彼女達が傷つく事が何よりも恐ろしい。私の世界が欠けてしまうのが怖くて仕方がない。

 

 私はただ、みんなが無事でいてほしかった。思えばほむほむに転生した時からそう思っていた。私が心から望むのは、暁美ほむらの大切な存在全ての幸福。

 

 我が最愛のほむほむを救う……それが私の願いであり、推しに捧げる全てである。だから……

 

 

 

 結論から言うと、私に必要なものは戦う意思なんかじゃなかった。関係ないとは言い切れないけど、あくまで私のその意思というものは魔法少女になりたいと、嬉々として命を棄てたがる歪んだ願望という淀みが混じった欠陥品にすぎなかった。純粋な決意……私が本心から貫き通したい事こそが勇者になるために必要なものだった。

 

 私は暁美ほむら、大切な人を守るために運命の迷宮に閉じ込められた少女。その力の源はどんな絶望に陥っても絶対に鹿目まどかを守ることにある。

 

 ならばほむほむではなく私は? 私には鹿目まどかという大切な人はいない……だけど他にはいる。絶対に失いたくない大切な仲間達が……

 

 結城友奈

 

 東郷美森

 

 犬吠埼風

 

 犬吠埼樹

 

 私は……暁美ほむらは彼女達を守りたい! 勇者部の幸せを壊させない! そのためならば…!

 

「神様でも悪魔でも何でもいい!! 私に何もかもを守り抜く力を寄越しなさい!!!」

 

 瞬間、白紫の花弁が咲き乱れる。白い光が私の体をを包み込むと、今までにない力が湧いてくる。

 讃州中学の制服から別のコスチュームへと変化する。鋭角的なデザインが施された白と紫の改造制服。脚も露出の無い黒のタイツとハイヒールが一体になったような物に。

 早い話が暁美ほむらの魔法少女服と極めて近い。左手に紫の籠手が着けられており、甲にはソウルジェムではなく白紫の花が刻印されている。

 そして左腕には円盤形の盾が。中心に時計のムーブメント、その両サイドに丸い砂時計が付いている。私の頭の中にこれの使い方や能力が一気に流れ込んでくる。

 

 おまけに宙に一匹の黒猫が浮いていた。ただしゆるキャラみたいなデフォルメ化がされていて、尻尾が二つに分かれていた猫又である。

 この子に邪気は感じられない。むしろ私の側に寄り添う形であり、味方側なのだろう。

 

 勇者、暁美ほむらが樹海に立つ。大切な存在全てを守るために……今現在戦っている二人の窮地を救うために。

 魔法少女になる夢を完全に切り捨て勇者となった私は決意を新たに高らかに声を上げる。

 

「ほむほむキタアアアアアアアアアアアア!!!!」

『!?』

 

 すぐ側の猫又がビクッと驚き飛び跳ねた。勇者の衣装も盾も本物のほむほむを彷彿させる。決意を新たにしたところで結局私は重度のほむほむ狂信者である事に変わりない。隠しきれていないにやけ顔のまま、ほむほむは戦場へと飛び立った。




暁美ほむら
年齢:13歳
所属:市立讃州中学校2年3組 勇者部
肩書き:勇者
身長:156cm
趣味:ほむほむ
出身地:香川県
好きな食べ物:うどん、東郷のお菓子、風の手料理
武器:盾
精霊:猫又
花:トケイソウ
花言葉:「聖なる愛」「信仰」「宗教的熱情」

 精霊はほむほむの始まりとも言える黒猫のエイミーから。
 ほむほむと言えば彼岸花だけど、あれはぐんちゃんの花だし……色的にもほむほむであり、花言葉もこのほむほむに適していたのでトケイソウになりました。


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第十三話 「チートすぎない?」

◇◇◇◇◇

 

 バーテックスの攻撃を避けながら、斬りながら後悔の念がグルグル回ってしまう。アタシはあの子達をこんな事に巻き込んでしまった。大赦に命じられたから、御役目を受ける可能性は低かったから……そんなもの何の言い訳にもなりはしない。

 アタシは何も知らずに慕ってくれる大切な後輩達と妹を騙していたんだ。勇者部なんて表向きの居場所を作っておいて、そこに皆を閉じ込めていた。

 

「このっ…! しつこいっての…!」

 

 敵の攻撃が激しすぎて近づくことができない。精霊による神樹様の御加護があるからダメージはまだ受けていないけど、さっきからずっと避けたり斬ったり飛び跳ねたりで疲労は蓄積される一方だ。

 

 あのバーテックスは動きは遅いけど、遠くから光弾を撃ってくるわ追尾する爆弾を一度に何個も飛ばしてくるわで苦戦してしまっている。アタシの武器はモロ近距離戦用の大剣……いきなり相性最悪の敵が来るなんてふざけんじゃないわよ…!

 

「わあっ!?」

「っ、樹っ!!」

「だ、大丈夫…!」

 

 見れば少し離れた所にいる樹にも容赦なく攻撃が降り注いでいた。なんとか樹も避け続けているけど、もし樹の身に何かがあればと思うと罪悪感はますます大きくなってしまう。

 

 本当はあの子もほむらと一緒に逃げてほしかった。バーテックスの存在を知っていたアタシには戦わなくちゃいけない理由も責任もある。それでいてあの子達にはそれらは何一つありはしない。戦うのはアタシ一人の役目だと思っていた。

 だけどあの子はアタシを一人にしないと……何があってもついて行くと言った。昨日にもその言葉は聞いていたけど、実際に命の危機に陥ろうとしてもその意思が変わらなかった樹の事を姉として誇りに思った。少しだけ救われた気がした。

 

 アタシは姉として、勇者部の部長として皆を救う。例え皆に嫌われたとしても…必ず……

 ……やらないといけない事が残っていたわね。無事に逃げられているのか確認して……謝らないと。今までずっと真実を隠し続け、純粋な気持ちを裏切ってしまったあの子達に。許されるなんて思ってないけどね……

 

 戦闘中だけどスマホを取り出して友奈に電話をかける。東郷を連れて行ったから間違いなく二人揃っている筈だし、ほむらも合流しているかもしれない。

 さすがのあの子達でもアタシに恨み言の一つや二つはあるのかもしれないけど、それらは皆を元の日常に帰した後にまとめて聞くから……

 

『風先輩!』

「よし、繋がった…!」

『風先輩、大丈夫ですか!? 今戦ってるんですか!?』

「こっちは樹と二人でなんとかする! そっちこそ大丈夫!? それと友奈達の所にほむらは、合流できてる!?」

『……私と東郷さんは大丈夫ですけどほむらちゃんはここにはいません。多分別の所に隠れているんじゃないかって……』

 

 ……合流できていない……か。でも友奈と東郷は無事みたいね。ほむらも、あの子は状況を冷静に判断できるだろうしきっと大丈夫よね……大丈夫……なのかしら…? ちょっと妄想が炸裂して思いっきり取り乱してたけど……

 

 そんな中でもバーテックスは空気を読まずに爆撃してくる。こっちは通話中だってのに、礼儀知らずの相手までやってられるかっての!

 

「……友奈…東郷、黙っててごめんね。三人ともアタシが助ける!」

『……風先輩はみんなのためを思って黙ってたんですよね。ずっと一人で打ち明ける事もできずに……それって勇者部の活動目的通りじゃないですかっ!』

 

 壁を蹴って崖を登る中、思いもしなかった友奈の励ましの言葉に驚いた。あの子の言葉にはアタシを非難する気なんて1ミリたりとも含まれていない。いつも通りのアタシを信じてくれている物だった。

 

『風先輩は悪くない!』

 

 その言葉を聞いた時、アタシの心を蝕んでいた黒い影がパアッと晴れた気がした。樹海に飛ばされてからのアタシは今の今までどうしようもない罪悪感や自己嫌悪で不安だった。

 敵と命懸けで戦う使命に勝手に巻き込んだんだ。本当に……無事で済む確証なんてありはしない。仮に無事に勝利して元の世界に戻った所で、勇者部の今まで通りの日常なんて送れなくなるんじゃないかって怖かった。

 勇者部は適正値が高い子を一カ所に集めるための単なる隠れ蓑。だけどアタシは友奈や東郷、ほむらに樹と一緒に活動する日々が楽しくて幸せで大好きだった。今のアタシから勇者部を失う事はまさしく心臓が裂けるぐらい苦痛な事に違いない。

 

 そんなアタシの心境を知ってか知らずか、友奈はアタシを許してくれた。いや、許す許さない以前にあの子はアタシが悪いと全く思っていなかった。

 

 本当に、素晴らしい後輩と巡り会えたのね、アタシってば……

 

「……っ! しまっ…」

 

 注意が戦いから外れてしまっていたからバーテックスの攻撃がすぐそこまで迫っている事に気づくのに遅れてしまった。敵を破壊しゴミのように蹴散らす光弾が眩い光と共に襲いかかる。

 

 避けるのは……っ、無理…! 間に合わない! せめて大剣でガードして衝撃に備えるしか!

 

 勇者になった以上、アタシの防御力は通常時よりも遙かに超えているけど間違いなくダメージは受けてしまう。

 だけど倒れるわけにはいかない…! アタシが皆を守るんだから! 絶対に五人全員揃って勇者部の日常に帰るんだ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………え…?」

 

 明らかな異常に戸惑いが隠せなかった。目の前まで轟音と共に近づいていた光弾……アタシに直撃するまで2メートルも無い所で、それは停止していた。

 ついさっきまでうるさくてイライラされっぱなしの爆音も全然聞こえない。完全に無音な世界と化していた。

 

 驚いた事はもう一つあった。アタシの腕を誰かが掴んでいた。今この場にはアタシ以外誰もいなかったというのにいつの間にか彼女はそこにいた。安全な所で隠れているとばかり思っていたアタシの後輩が。白い変わった制服に身を包んだ三人目の勇者が……

 

「……気を付けてください。この手が離れてしまえば、再びあなたの時間も止まってしまう」

「ほむ……ら?」

 

 ……暁美ほむらが気持ち悪いほどにやけて、とろけきった表情で立っていた。今までにない不気味な笑みでもあって、何がそんなに愉快なのか分からないから正直気味が悪いんだけど? 

 

「……え~っとほむら? その格好って…」

「私も戦います。あなた達二人だけに背負わせませんよ」

「……そ、そう? ありがとねなんか…」

「礼を言われるほどではありません。むしろ遅くなってしまってごめんなさい」

 

 言ってる事は大真面目なんだろうけど表情筋が崩壊しちゃってるせいで台無しだ。そういえばほむらは魔法少女物のアニメが好きってのが判明したんだったっけ。まさかそれで? 魔法少女じゃないけど自分が勇者に変身したから嬉しすぎてこうなっちゃった感じ?

 

 ……アタシの中のほむらのイメージが過去最大級に崩れてきてるんだけど。クールキャラって最初は思ってたんだけどなぁ……多分ほむらってド天然か自分から意識してクールぶってるだけだわコレ。

 

「……ってそうだ、コレ今どうなってんの? アタシとほむら以外何も動いてないみたいだけど」

 

 ほむらのキャラ崩壊スマイルのインパクトが強すぎて後回しになったけどこっちの方も異常だ。よく見ればあのバーテックスですら固まっているし、アタシ達がこっちに来る前の時みたいに何もかもが止まっている。

 

「ですから私が世界の時間を止めているんです。動けるのは能力を発動した私と、私が触れている風先輩だけなんです」

「時間を止める!? そんな事できんの!?」

「風先輩も何かしらの能力が使えるんじゃないですか? 私が勇者になった時に自然とこの力が使えるようになっていたんです」

 

 ……いや、確かにアタシもまだ使ってないけど能力っぽいのはあるわよ? でもそれはこの大剣をもっと巨大化させるっていうアタシの武器を強化するものであって、世界に干渉するようなぶっ飛んだ能力じゃないんだけど……

 

「とはいえ時間を止めてからここまで来たのでもうそろそろ厳しいです。後6秒ぐらいで動き出します」

「ああ、時間制限があるのね。って6秒!?」

「そうですね、時間が止まっているのに6秒って考えるのはおかしいですね」

「言ってる場合か!」

 

 思った以上に猶予が無さすぎて慌ててこの場から離脱する。ほむらは私の腕を掴んだまま一緒に離れたけど、ほむらの言う通りなら手を離されたらアタシが動けなくなるから当然の行動と言える。

 その後すぐにアタシ達がいた場所が爆発し、そこでほむらも手を離す。なんやかんやでほむらには助けられたわね。

 

「お姉ちゃん!」

「っ! 樹危ないっ!!」

 

 だけどバーテックスはアタシ達に甘くない。今度は樹目掛けて爆弾が三つ迫っていた。しかも運の悪いことに樹はアタシが助かった事に気づいてなく、意識もさっきの攻撃の着弾点に向いていて自分が狙われた事に気づいていない。

 樹がそれに気づいた時にはさっきのアタシと全く同じ状況ができあがっていた。違う点は樹は自分の身を守る術はなかった事……

 

「た、助かりました…ありがとうございます。ほむらさん」

「当然の事をしたまでよ。無事で良かったわ。樹ちゃん」

「……チートすぎない? 時間停止って」

 

 瞬きする間もなくまたまた世界が硬直していた。アタシの手を取った方とは逆の右手には危機が迫っていた筈の樹の左手が握られていた。時間を止めてアタシの時みたいに樹を助けたんだって簡単に想像できる。

 

「……さて、二人ともいいかしら」

 

 三人手を繋いだままの形だけど真剣(ガチ)なトーンでほむらが呼びかける。表情もいつも通りの凛とした物に戻っていた。本当に良かった。これでこそうちのほむらよ。

 

「二人が戦っている時から見ていたのだけど、攻撃の手数が多すぎて近づけずにいるのよね?」

「まあそんな所。近づけたらワンチャンあるのよねぇ」

「あの、それってほむらさんの時間を止める力があればいけるんじゃないかな?」

「正解。時間はもうしばらく止まったままよ。よってこのまま突き進むわ!」

 

 つまり止まって対処ができないうちに必殺の一撃を叩き込むってわけね。散々好き勝手やってくれたお返しをしてやろうじゃないの。満場一致でほむらの提案が受理されてバーテックスがいる方へと飛び立った。

 ほむらの能力が発動している間はボーナスタイムかって言いたくなるほど楽勝だった。光弾も追尾爆弾も何一つ襲ってくる事なくバーテックスに接近できた。

 

「樹ちゃん、そのワイヤーを一本風先輩に繋げて。私が直接触れてなくても間接的に繋がっていれさえすれば止まった時間の中を動けるわ」

「はい!」

 

 樹の武器のワイヤーがアタシの体に巻き付くとほむらはアタシの手を離す。けれども説明通りほむらが樹と手を繋いでいたから、ワイヤーで樹と繋がっているアタシも問題無く動けていた。

 

「風先輩、お願いします!」

「任された!!」

 

 地面を強く蹴ってバーテックスの全長よりも高くジャンプする。大剣を元の大きさの何倍にも巨大化させて力任せに大きく振り下ろす。

 

「うぉおおおりゃぁああああ!!! 唸れアタシの女子力一閃んん!!!」

 

 アタシ達三人以外の時間が止まってる以上バーテックスが回避行動を取れるわけがなく、バーテックスの頭部に大剣が深々と突き刺さる。ここにきてバーテックスもアタシの大剣を通して時間が動き出すものの完全に手遅れ。アタシの女子力は勢いが低下する事を知らぬままバーテックスの体を真っ二つに両断した。

 

「やったぁ!! お姉ちゃんすごい!!」

「これで終わり……っ!? 風先輩!」

「まだ終わりじゃないわ! バーテックスは普通の攻撃じゃ倒しきれない! 時間が経てば回復してしまうの!」

 

 ほむらの時間停止も時間切れみたいで世界が再び動き出す。それに含まれるのはアタシが叩っ斬ったバーテックスも例外じゃない。二つに分かれた体をくっつけて元通りにしようとしていた。

 だけどダメージはかなり大きい筈。アタシ達がすぐ近くにいるのに攻撃してくる気配がない。回復の方に力を入れている証拠だ。

 

 ならば今が絶好のチャンス。これから封印の儀に入る!

 

「バーテックスを倒すには封印の儀式っていう特別な手順を踏まないといけないの! 二人ともそいつを囲んで!」

「「はい!」」

 

 言われた通りに散ってアタシも囲めるよう移動する。邪魔もなかったからスムーズに位置につくことができた。

 

「二人ともついた!? 次はコイツを押さえ込むための祝詞を唱えるんだけど魂を込めさえすれば言葉は何でもいいわ! おとなしくしろコンニャロー!!」

「魂を込めるたって…ええっと……ティロ・フィナーレ!!」

「「何それ!?」」

「……忘れて」

 

 よく分からん言葉だったけど封印が開始されて御霊が出てきたから魂はしっかり込められていたみたい……ティロ・フィナーレ?って名前がこの場で出てくるなんてあの子やっぱり中二病…?

 

「それより風先輩! あれは何なんですか!」

「え…ああ、あれは御霊って言っていわゆるバーテックスの心臓! あれを壊せばこっちの勝ちよ!」

「壊す……私にはできそうにないわね…!」

「そういえばほむらさんの武器って……」

「……この盾よ。時間を止める事しかできないの」

 

 マジかい…! 能力が強力すぎるとは思ったけどその分攻撃手段が無かったのね。ならもう一発アタシがやるしかない! 封印にもカウントダウンが存在するし急がないと!

 

「ぐっ、堅い!」

 

 四角錐の御霊の上に飛び乗り大剣で叩きつけるも弾かれてしまう。この御霊、本体とは違ってかなり堅くて小さい痕しか残っていなかった。これじゃあおそらく樹のワイヤーでも難しいかもしれない…!

 ……尚更、アタシがなんとかしないと! バク宙をして後ろのバーテックスの頭に飛び移り、更に空高く飛ぶ。体を捻り、遠心力や重力、女子力を最大限にまで使った渾身の一撃で御霊を叩く。ただ食らわせる事だけを考えた一撃故にアタシは受け身を取れずに落下してしまうも御霊はまだ壊れていなかった。

 

「くっ…! 罅が入っただけ…!」

「お姉ちゃんの女子力が足りてないよ! それにこれ、樹海が枯れてる?」

「長い間封印していると樹海が枯れて現実世界に悪い影響が出るの!」

 

 こりゃあいきなり絶体絶命のピンチね……でも立ち止まってはいけないのよ!

 勇者部六箇条一つ、なるべく諦めない。アタシは勇者部部長、犬吠埼風! こんな所で負けていられるかってのよ!

 

 

「みんなあああああああああ!!!!」

「…っ! この声!」

「……あの子も覚悟を決めたのね」

「友奈さん!」

 

 ピンクの光がこっちに目掛けて飛んでくる。戦いの運命を受け入れ、大切な人達のために力を得た少女。アタシの自慢の後輩にして仲間が拳を握り締めて御霊に突撃する。

 

「勇者パァアアアアアンチ!!!」

 

 友奈の拳が御霊の罅を打ち抜き大きく亀裂が入る。全体的にボロボロになった御霊は砕け散り、砂と光になって消滅した。本人はまだ実感がないみたいだけど間違いない…!

 

「やった……のかな?」

「友奈ぁ! やったよ! ナイス友奈!」

「倒した…? やったぁ」

「そうよ! すごいよ友奈!」

 

 たまらずアタシは友奈に飛びついた。一事はどうなることかと思ったけど誰も怪我が無くバーテックスを倒しきれた。その事実が嬉しくて仕方なかった。

 

「おいしい所は全部友奈に持っていかれたわね」

「でもみんな無事で本当に良かったです!」

「ほむらちゃん! 樹ちゃん! 大丈夫だった!?」

「ええ、ありがとう。来てくれて助かったわ」

「あはは……私は疲れちゃいました……もう限界ですぅ」

 

 ……今回は後輩達に随分助けられたわね。これから先何が起こるか分からないけど、何が起ころうとも必ず皆アタシが守り通してみせる!

 

 

◇◇◇◆◆

 

 こうして私達の最初の戦いは勝利を収めた。勇者となった私達の戦いはまだ始まったばかりだけどなせば大抵なんとかなる。時間停止能力を得たほむほむに敵はないのだから。




【勇者ほむほむの時間停止】
 一回に停止できる時間は最長二分。原作ほむほむと違って二つの砂時計の砂を落とすことで、ほむほむによる時間が停止した世界を動かす。一分までは一つの砂時計で時間を止め、それ以上止める場合にはもう一つの砂時計の砂を落として一分間延長が可能。途中で強制解除も可能。
 時間停止中はほむほむが触れているもの、ほむほむと間接的に繋がっているものも止まった世界の中を動ける。離れてしまえばそこで時間は止まってしまう。
 時間遡行能力、収納能力はない。












 時間停止を一回使用する毎に左手の甲のトケイソウの刻印が一部色付く(最大五回)。刻印が全て色付いている状態では時間停止能力は使用できない。


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第十四話 「ずっと願っていた」

 辺り一帯に色鮮やかな花弁が舞い上がったと思うと私達は学校の屋上に立っていた。勇者の装束から制服に戻っていて、現実世界に戻れたんだって実感する。

 

「東郷さん!」

「友奈ちゃん…!」

 

 友奈が駆け寄った所には東郷もいた。バーテックスとの戦闘では一人だけ姿が見えなかったから心配していたけど、彼女も無事だったからひとまずホッとした。私も東郷の方へと近づき、もう大丈夫そうだと伝える。

 

「……ほむらちゃんも戦っていたのよね?」

「ええ。直接戦闘じゃなくて二人の支援だったけど」

「そういえばあの時一体何があったの? 風先輩と樹ちゃんが危ないと思った途端にあの大きな敵がズバーンって真っ二つになっててビックリしちゃったんだけど」

「それは私の力、時間停止能力を使った結果よ」

「時間停止!? それって漫画で強い敵とかが使ったりするあれのこと!?」

「敵が使うかどうかはともかく、多分友奈が思っている通りのものよ」

 

 キラキラ輝く目で私を見つめてくる友奈に内心私も得意気に答える。やはり時間停止能力というのは素晴らしい力ね。今回の敵は回復していたけど、相手によっては気づかれる事なく、時間を掛ける事なく倒せる必殺の能力。

 結論ほむほむマジ最高。ルックスもキャラも能力も、何もかもが至極の存在。異論は認めない。断じて!!

 

 ……東郷はあまり面白い反応をしていないわね。むしろ全然元気そうに見えない。普通はみんな無事に戻って来れた事に安堵しそうなのに、それよりも何かを思い悩んでいそうな感じに見えるのだけれど。

 

「はいはーい、盛り上がってるところ悪いけど全員注もーく!」

 

 風先輩が私達に微笑みかけると外を指差す。そこに広がっているのはいつも通りの何の変哲もない私達の街。だけどさっきまで戦っていたからこそ、風先輩が何を言いたいのかがすぐに分かる。

 

「守れたんですね。この世界を」

「ええ。アタシ達以外の皆は今の出来事に気付いていないけど間違いなく、この日常をね!」

 

 バーテックスの目的はこの世界の要である神樹様の破壊。そうなってしまえば私達の生きるこの世界も崩壊の一途を辿る。神樹様の御利益なんてずっと疑っていたけど、あんな化け物が攻めてくるぐらいだったら本物だって認めざるを得ない。あの戦いはまさしく人類が生き残るための防衛戦だった。その戦いに私達は勝利したんだ。

 

「あー、でもこっちの世界の時間は止まったままだったから今はモロ授業中だから」

「「ええっ!?」」

 

 突然のカミングアウトに友奈と樹ちゃんが揃って声を上げる。私としては止まっていようがいまいが、一回樹海に飛ばされて戦って今現在屋上にいる時点で授業を抜け出している事実に気付いていたから最初から諦めていた。

 

「まあ後で大赦にフォロー入れるよう言っておくから」

「ならよかったぁ…!」

 

 その一言で二人も安心したみたいで溜め息を吐いた。大赦はただの宗教じゃなくてこの世界の中心たる組織だった。その発言力は他の何よりも上回っているのだろう。授業をサボタージュしたと咎められる心配はないに違いない。

 

「ほむらが来てくれたおかげでアタシと樹は無傷で乗り越えられた。友奈が来てくれたおかげであのバーテックスを倒しきれた。本当にありがとう」

 

 改めて感謝の言葉が伝えられる。そういえば友奈も勇者になれていたのよね。勇者として戦う覚悟を決めるのは生半可な気持ちじゃ通らない。

 私達が戦っている間に彼女が一体何を思っていたのか、友奈はその想いを話し始めた。

 

「嫌だったんです……誰かが傷つく事、辛い思いをする事が」

「友奈…」

「だから、みんながそんな思いをするくらいなら私が頑張る! そう思ったらいても立ってもいられなくって勇者になってました」

「友奈らしい覚悟の決め方ね」

「えへへ~。だから私は自分がやりたいようにしただけなんです。大好きな勇者部の一員として」

 

 あんな状況になっても友奈は友奈ね。確かに私もお礼なんて必要ない。私自身が望んだ通りに動いただけなのだから。

 だから私は彼女の肩に手を置き、この場で誰よりも格好良かった彼女に微笑んで答える。

 

「お礼なら私よりも、一番勇気を出してみんなを…風先輩を助けた子に言ってあげてください。ね、樹ちゃん?」

「ほむらさん…!?」

「本当は怖くて仕方なかったでしょうに、真っ先に風先輩の側にいるって言った時のあなたは本当に格好良かったわ。頑張ったわね」

「………ぅぅ…うう…!」

 

 樹ちゃんを褒めると彼女は嗚咽をこぼし体を震わせた。私の言葉で緊張の糸が切れてしまって怖かった事を思い出してしまったり、みんなが助かった事に安心したりで心の中がごちゃごちゃになっているのだろう。

 その中でも自分の精一杯の行動が賞賛された、大好きな姉を誰よりも助けたのが自分だったと言われたのが嬉しくて、樹ちゃんはもう感情を抑えられなかった。

 

「おいで、樹」

「っ…! お姉ちゃん!!」

 

 風先輩に飛びついて色々な感情が混じり合った涙をこぼす。風先輩はそんな樹ちゃんを優しく抱きしめ、彼女の事を心から誇りに思うのであった。

 

「ありがとね樹。樹はアタシの最高の妹だから…!」

「怖かったよぉ、お姉ちゃぁん…! あんな事になるなんて聞いてないよぉ…! うえぇぇん!」

「よしよし……冷蔵庫のプリン、アタシの分も食べていいからね」

「あれ元々私のだよ~!」

 

 微笑ましい姉妹のやり取りに私達もクスリと笑みをこぼしてしまう。

 

「………」

 

 ただ一人、東郷を除いて。

 

 

◇◇◇◆◆

 

『うぉい勇者部の御三方!! 授業中にいきなり消えるなんて何があったのさ!!』

『怪物と戦っていたのよ』

『んなわけあるかい!!』

『えっとね? ちょっと樹海の中で迷子になってて…』

『友奈ちゃんも突拍子のない嘘吐かないでくれる!?』

 

 紗彩ちゃんの質問責めを受け流して普段通りの生活に戻る……なんて都合がいい展開にはならなかった。風先輩曰わく、戦いはまだ始まったばかり。バーテックスはまだまだ残っているという事実を突きつけられていた。

 

「名前が乙女型だったという事は……色々あるけどもしかすると星座…黄道十二星座なのかしら? となると残る敵の数は11体…?」

「11体かぁ……結構多いんだね」

「あくまで私の予想よ。どっちみち詳しい事は明日風先輩が教えてくれるわ」

 

 友奈ちゃんとほむらちゃんが今後の事について話し合う。本当の事はなるべく早く知りたかったけど、風先輩は大赦に報告しなければいけないらしい。そのため放課後にいなくなってしまうから今日の勇者部の活動は無し。色々あって疲れただろうし、明日知っている事を全部話すという流れになって解散した。

 

 よって学校が終わった今はいつもより早めの下校。友奈ちゃんとほむらちゃんの三人で買い食いをしながら時間を潰していたのだった。

 正しくは私達三人と二匹だけれど……

 

「それにしてもほむらちゃんのその猫ちゃん、すごく懐いてるねー」

「みたいね。甘えん坊なのかしら」

『♪』

 

 ほむらちゃんの膝の上にいる、撫でてやると喉をゴロゴロ鳴らし出したのは彼女が勇者になった時に現れたという黒猫。精霊と呼ばれる神樹様の使いだとかで私達以外の人には見えていなかった。

 この精霊が力を貸してくれるからこそ戦えるそうで、いろんな力を与えてくれるらしい。

 

「友奈の精霊はマイペースな感じね。牛鬼、だったかしら?」

「うん、そうだよ。それに食いしん坊っぽいかな」

 

 そう言って私達が目を向けた先にいるのはふわふわと宙を浮いている白い牛の精霊。これが友奈ちゃんの精霊であり、ほむらちゃんのとは違ってかなり好き勝手に動き回っていた。

 友奈ちゃんが買ったお菓子を差し出すと遠慮なく口の中に頬張ってしまい、さらに多くのお菓子の献上を促していた。

 

「あはは…私の分が無くなっちゃうよ」

「毎日これが続いたら大変ね。お小遣いまで無くならないよう気を付けなさい」

「はう! 食べすぎちゃダメだよ牛鬼!」

 

 慌ててお菓子を隠して自分の精霊を注意するも、肝心の牛鬼は眉一つ動かさない。ちゃんと言われた事が分かっているのかしら?

 

 すると牛鬼はお菓子を諦めたのか違う方を向く。ほむらちゃんの膝の上でスヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てる猫又に。

 そのままゆっくりと近づいて、表情は変わらないもののジーッと見つめ出す。口を大きくあけて、その頭をバックリ呑み込もうとした。

 

「ほむぅーーー!?!? 何てことしようとしてくれるのよこの白饅頭!?」

「牛鬼!? その子はお菓子じゃないよ!!」

 

 咄嗟に牛鬼の頭部を鷲掴みして自分の精霊を守った。逃れようと必死にバタバタ抵抗しているけれど、ほむらちゃんも大混乱で気にする余裕がないみたい。

 

「友奈! 今後こんな事がないようしっかり教育しなさい! 危うくエイミーがマミるところだったわ!!」

「わ、分か……マミるってなに…?」

「本当は猫又って言うのだけれどエイミーって名前を付けたの。ずっと前から黒い猫を飼うとしたらエイミーにするって決めていたの」

「そうなんだ~。それでマミるって?」

 

 確かに何だろうマミるって? 動詞なんだろうけど意味が全然分からない。

 だけどほむらちゃんはその疑問に答えることなく、逆に怪訝な表情で私に話しかけてきた。

 

「東郷、一体どうしたのよ?」

「……えっ、何…かな?」

「どうしてこの子の名前について何も言ってこないのよ。エイミーよ? あなたが嫌いな英語圏の名前」

 

 ……あ、言われてみればそうね。あまりそう言う名前はお勧めできないけど今の私にその事を指摘する精神的余裕は無かった。ずっと頭の中がモヤモヤしていて聞き流しそうになっていたのだもの。

 

「東郷さんこっちに戻って来てからずっと元気がないよ」

「……うん。自分でもよく分かってるの」

「勇者の事でしょう?」

 

 ……やっぱりほむらちゃんには気付かれちゃうか。

 私は力なく頷き、自身の胸の内を吐き出した。

 

「……私だけ変身しなかった。友奈ちゃんもほむらちゃんも樹ちゃんも変身して戦ったのに、私一人だけ遠くで怯えているだけだった。私は勇者部の足手まといなんだって思い知らされた感じがしてならないの」

「そんな事ないよ東郷さん…」

「……ほむらちゃんも言ってたでしょ? 怖かった筈なのに真っ先に風先輩のために勇者になった樹ちゃんが格好良かったって。それなのに私は、国や大切な人達の危機を前にずっと友奈ちゃんの背中に隠れて……敵前逃亡」

「と、東郷さーん…?」

 

 今日の私がいかに愚図だったのかを思い出して情けなくなる。風先輩は知っていたとはいえ皆を助けるために真っ先に戦いに。樹ちゃんはそんな風先輩を一人にしないために、ほむらちゃんも二人の窮地を救うために。そして友奈ちゃんは私達全員のために。

 

 私だけが逃げた。一人敵の攻撃に怯え、恐怖し、皆の力にならなかった役立たず…それが私だった。

 樹ちゃんはそんな恐怖を押し込めて頑張った、友奈ちゃんも勇気を振り絞った、ほむらちゃんも守り抜く覚悟を決めた。私はただ後ろから必死に願うだけだった。最後まで誰かに頼るだけ、そんなの無責任極まりない勇者部の足手まといじゃない…!

 

 自己嫌悪で自分自身が嫌になる一方。そんな中ほむらちゃんが諭すように問いかけてきた。

 

「ねえ東郷、本当にあなたはただ逃げるだけだったの?」

「えっ?」

「戦わなければって意思を完全に放棄して、世界や友達はどうなってもいいから自分の命だけは助かりたいって思っていた?」

「っ!? そんな酷い事思っていないわ!」

「ええ、あなたがそんな無責任な事を思うわけがない。私と友奈の友達の東郷美森ならきっと、私達全員の無事をずっと願っていた……違うかしら?」

 

 ……違わない。けれどそれに何の意味があるというの。皆が頑張っている間私は何もしていなかったのよ。正直ほむらちゃんが何を言いたいのか全然分からない。

 

「東郷さんはずっと皆を心配してたでしょ。私が勇者になる前にも危ないからって必死になって止めてくれたよね」

「やっぱりね。あなたも戦っていたじゃない」

「え?」

 

 ますますわけが分からない。あんな醜態を晒しておいて、どこをどう見れば私も戦っていたなんて答えになるのよ。

 ほむらちゃんの雰囲気は私を皮肉っているものではない。本心から来ているものであり、同時に私の苦悩に半ば呆れている様にも見えた。

 

「例えば…そうね、東郷はチア部…あの部活ってどういう役割があるのか知ってる?」

「……誰かを応援する…?」

「それだけなら気持ちが込もっていれば誰でもできるわ。チア部っていうのは自分達もその人達と一丸になって戦う部活なのよ」

 

 私は足が動かないからチア部の助っ人に出た事はないからよく分かっていない。ほむらちゃん達は何度も紗彩ちゃんに引っ張り出されていたからそういう物だって体験していたのだろう。

 

「彼女達は応援やパフォーマンス、何よりも仲間を信じる想いを武器として戦う、言わば彼女達は後方支援。けれどその存在が表立って戦う仲間達の強大な支えになるのよ」

 

 間近で見てきてその重要性を学んだ彼女の言葉に思わず息を呑む。直接手を貸さずとも、自分達を心から信じてくれる人達の想いがあれば百人力……何故だか知らないけどふとそう思えてきた。

 

「何も勇者になって戦う事が全てじゃない。あの場で東郷は私達全員の無事を祈っていた。それってつまり、あんな状況になってもあなたも私達を見捨てずに支えるって意味で立派に戦っていたのよ」

「ほむらちゃんの言う通りだよ! 私は東郷さんがいたから、悲しませたくなかったから勇者になれたんだ」

 

 友奈ちゃんが笑顔で私の手を取って肯定してくれる。私は断じていらない存在なんかじゃないと。

 

 人は時と場合によって臨機応変に自分ができることをすればいい。そして今回の私がやるべき事だったのは、最後まで四人全員を信じ抜く事だった…? 皆がまた無事に戻って来て笑い合える日々を迎えるために……

 

「第一あなたは自分を責めすぎているわ。あなたを批難できる者なんて誰もいない。いたら……私が許さない」

「私達は何があっても、どんな時でも東郷さんの味方だよ! だから東郷さんも、これからも私達と一緒にいてくれたら嬉しいな!」

 

 ……あぁ、何だか二人が眩しい……。ずっと私を蝕んでいた無力感が晴れてきそうだった。

 そうか……結局はただの劣等感だったんだ。身近な人達が動けたのに、自分だけ皆のように動けなかった事を情けなく思ってしまっただけ。

 

 怖がっていたのだって本当は恥ずべき事じゃないのかもしれない。むしろ私が何か恥ずべき行為をしただろうか? いいえ、そんなわけがない。

 私にはこんなにも掛け替えのない大好きな友達がいる。そんな彼女達にも泥を塗るような真似はできる筈がない。

 

「ありがとうほむらちゃん、友奈ちゃん」

 

 ……でもね、自分だけ安全なところから皆が傷付くであろう戦いを見てるだけなんてやっぱり嫌よ。

 思えば私はずっと助けられてばっかりだった。

 

 不安でどうしようもないままこの街に引っ越してきたけど、友奈ちゃんとの出会いがそんな不安を消してくれた。

 

 誰かに迷惑をかけ続ける毎日を送ることになると抱いていた鬱屈な気持ちを、ほむらちゃんが友達になってくれたことで思わなくなった。

 

 そんな二人に支えられて馴染めてきた学校生活も、風先輩に勇者部に誘われてもっと楽しくなった。

 

 樹ちゃんも勇者部に入ってきて、私をもう一人の姉のように慕ってくれる後輩ができたおかげでもっと幸せになれた。

 

「……私も覚悟を決めました」

「「えっ?」」

 

 私はいつも皆に守られていた。だから次は……

 

「私が勇者になって皆を守る!!」

 

 五つあった花の芽の最後の一つ。それが今、青いアサガオの花を咲かせた。




次回 
ヘイト爆稼ぎバーテックス×3「「「メガロポリスが戦う前から覚醒済みなんて聞いてねえ!!」」」


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第十五話 「二日連続でバーテックス!?」

 この話の完成間際でURぐんちゃんの実装が決まってテンションが最高にハイになってゆゆゆいばっかりしちゃってました。マジすいません。
 ですがあのぐんちゃんはヤバい! 神花解放前のイラストは尊すぎるし解放後は格好良くて美しすぎる!! しかもボイスが超感激!! あのぐんちゃんが他の人達も想えるようになるなんて……うぅぅ!

 ぐんちゃんはいいぞ。そうじゃろ、高嶋さんや?


「ええっ!? 東郷も勇者になったの!?」

 

 驚く風先輩を真っ直ぐな目で見据える東郷。その後ろでは友奈が笑みを浮かべ、親友が決断した自分達を守るという選択を嬉しく、誇らしく感じていた。

 

「遅くなりましたが覚悟はできました。私も勇者として頑張ります」

「……東郷もほむらもだけど、遅れたなんて思ってないし責めるわけないわよ。ありがとう東郷、一緒に国防に励もう」

「国防……はい!」

 

 ああ、その言葉は東郷のやる気をもっと増大させるわね。さすが風先輩、部員の志気を高めるのはお手の物。

 

 とまあ東郷の件の報告もこれで完了ね。昨日は本当に驚いたもの。私は落ち込んでいた東郷を励ましていたつもりだったのに、あのやり取りで勇者になる決心がついたなんて。

 でも安心した……あのまま一人考え込んでいたままだったら今なお悩み苦しんでいただろう。あの子のそんな姿なんて見たくはない。悩んだら相談するっていうのは本当に大切よね。

 

「風先輩、そろそろ昨日の事やら勇者の事やらについて教えてくれませんか?」

「ん、ちょい待っててー?」

 

 この場に勇者は五人いるのに詳しい事情を知っているのは風先輩だけだ。今後のためにもその辺りの事は把握しておく必要がある。

 風先輩はチョークを手に取ると黒板に何かを描き始める。ひとまず先輩の準備が終わるまで私達は他愛のない会話を始める。

 

「そういえば東郷さんは勇者に変身したらどんな格好になるのかな?」

「うん、アサガオがモチーフになっていたの。アプリに書いてあったけど勇者の装束はそれぞれの花がモチーフになっているみたい」

「私のは調べてみたら鳴子百合っていう花で、どんな花なのか知らなかったんですけど、なんだか愛らしい感じで気に入っちゃいました」

「へぇ、樹ちゃんらしい花ね? にしてもあの装束花が基になっていたのね。通りでデザインが似ているわけだわ」

「私のは桜だよ! 山桜! 綺麗だから前にお花見で見た桜を思い出しちゃうんだぁ」

「うふふ、あの時の友奈ちゃんお団子の方に夢中になっていたじゃない」

 

 他愛のない会話といっても私達全員の話題は勇者関係の物ばかりだった。危険な事である筈なのにこうして笑い合えるのはやっぱりみんなが一緒だからなのかもしれない。

 

 そんな中友奈のスマホが淡く光ると一匹の白饅頭…もとい牛鬼が現れて友奈の頭に乗っかった。

 

「あれ? もう牛鬼ったら、また勝手に出て来て…」

「その子牛鬼っていうんですか? 懐いてるんですね」

「ビーフジャーキーが好きなんだよね」

「牛なのに!?」

「むしろその子に食べられない物なんてあるのかしら? 昨日私の精霊まで食べられそうになったのよ」

「牛鬼がいたら皆精霊を出せないんじゃないかしら?」

「あうぅ、牛鬼、私の木霊も食べないでね?」

「ちょっとちょっとー! 皆楽しそうに話してるのにアタシだけハブらないでよ!」

 

 前を向けばわざとらしく頬を膨らませた風先輩と……黒板に描かれた謎の落書き。……何よあれ? もしかしてバーテックスのつもり?

 

「んじゃあ早速説明するわね。戦い方はアプリに説明テキストがあるし皆読んだだろうから置いといて、何故戦うのかって話をしていくね───」

 

 

 ────バーテックスの目的は神樹様の破壊、つまり人類の滅亡である。四国を取り囲む壁の外からやってくる天敵が12体攻めてくると判明していた。しかもバーテックスの攻撃で樹海に何かしらの形でダメージを受けると現実世界でも災いとして影響を及ぼしてしまう。

 この侵攻は以前にもあったものの、その時は追い返すのが精一杯。そこを踏まえて大赦は神樹様の力を借りて勇者と呼ばれる姿に変身するシステムを造った。目には目を、人類を越えた力に対抗するためにこちらも人類を越えた力を得る。

 

「……その絵私達だったんだ」

「げ、現代アートってやつだよ!」

「現代アートと私達に失礼よ」

「うっさい! 今アタシの絵は関係ないでしょ!」

「あの、話を元に戻してもらってもいいですか?」

 

 勇者は誰でもなれるというわけでなく、そのための適性が必要であったという。

 四国中の各学校に大赦から指令を受けて派遣された勇者候補生が、その学校にいる他の候補生達を一カ所に集めて万が一の戦いに備える。

 その結果選ばれたのが風先輩が派遣された讃州中学、そして風先輩がみんなを集めた勇者部だった。

 

「私達は先輩が意図的に集めた面子だったというわけですよね?」

「……そうだよ。適性値が高い人は大赦が調べ上げていて分かっていたから」

「私達には猛アプローチだったのに、他は誰も勧誘しなかったのはそういう事だったのね」

「……知らなかった。ずっと一緒にいたのに初めて聞いたよ…」

「ホント…長い間黙ってて…騙し続けていてごめんね、皆…」

 

 風先輩もずっと後ろめたい思いでいっぱいだったのだろう。仮に前もって本当の事を教えてしまって私達の関係が壊れる可能性だってあったかもしれない。

 確かに勇者に選ばれる可能性が低かった以上、こんな真相を誰かに教えるなんて無理よ。ましてや家族も含めた親しい人達全員にって……

 

「あれ? でもそれって私に勇者になれる適性があったおかげで風先輩や樹ちゃんに会えたって事ですよね?」

「えっ、友奈…?」

「だとしたら嬉しいです! そりゃ驚きはしましたけど、皆と一緒に大好きな勇者部にいる幸せの方が大きいですから!」

 

 いつも通りの眩しい笑顔で自分の素直な感情を伝える友奈。この子はいつだってそうなのよ。どんな時でも前向きで明るく、誰かを否定する事も責任を押し付けるような真似も決してしない。誰かの幸せを願わない時すらもない。

 それがみんなが結城友奈という少女に惹かれる理由なのだから。

 

「確かにそう考えると適性があった事に感謝ですね。勇者部に誘われてから学校生活がもっと楽しくなったんですから」

「東郷…」

「これからも楽しいよ! ちょっと大変なミッションが増えただけだから!」

 

 東郷だってそう。彼女の勇者部に対する思いは友奈に負けず劣らない。もちろん私だってそうに決まっている。ここにいるみんなが一致している。

 

「風先輩が今までどんな心境で一人耐えてきたのか、分かっているつもりです。あなたを責める気なんて全くありません」

「お姉ちゃんはずっと私達や勇者部を守ろうとしてたんだよね。その想いだけで充分すぎるよ。だからもう、あんまり自分を責めないで」

「ほむら…樹…皆、ありがとう…」

 

 勇者部みんなの心が全て明るみになった。それは仲間達との不和を恐れていた風先輩の何よりの支えになる。

 

 何であろうとも受け止めるわよ。勇者部の一員として、掛け替えのない仲間として……

 

 

 

「そうだ、次の敵はいつやって来るんですか?」

「明日かもしれないし一週間後かもしれない。そう遠くはない筈よ」

「大赦と言えども敵の行動パターンは読めていないのね」

 

 もし出現時期や特徴が分かっていれば予め作戦を立てられたのだから少し残念だ。こちら側から攻める事はできないし、深夜帯に襲ってくる可能性だってありうる。

 

「ねえ樹、いっちょこれからの戦いがどうなるか占ってみてよ」

「あっ、うん。ちょっと待ってて」

「大赦からの情報は無いけどアタシ達には愛しい敏腕占い師が付いてるからね~♪」

「樹ちゃんの占い、結構当たるんでしたよね」

 

 樹ちゃんのタロットカードを使った占いは何気に的中率が高い。良い結果が出ればその日はラッキーデイ、悪い結果が出ても教えられた注意点に気を付けていればむしろプラスに働く。

 某僕っ娘魔法少女みたいに占いの結果にビクビクしなくとも幸せになれる素晴らしい能力……樹ちゃんってばおどおどしてる割に凄すぎるのよね。

 

「結果出ました」

「おおっ、何だか強そうな絵だね」

「戦車……どんな意味があるの?」

「『勝利』…論争や競争などに巻き込まれても、きっと打ち勝つことができる。今のあなたは無敵の強さ、です!」

 

 樹ちゃんの占いの結果はまさに、この状況で最も私達の始まりを鮮やかに彩るものとなった。他の誰でもない、樹ちゃんが導き出した未来象だ。私達にはそれが真実味が高いものだって信じられる。

 

 大丈夫、私達にはみんながいる。固い絆で結ばれた勇者部のみんなが……

 バーテックスがいつ襲って来ようとも関係無いわ。私達五人で全て殲滅してあげる……覚悟しなさい!

 

『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

「……えっ?」

『樹海化警報』

「……まさか、二日連続でバーテックス!?」

「…………さ…」

 

 さすがに昨日の今日と攻めて来ていいとは言っていない!!

 

 

◇◇◇◆◆

 

「……一気に三体も…!」

 

 二回目の樹海に飛ばされ、スマホでマップを確認すると表示されたのは蟹型、蠍型、射手型の三体ものバーテックス。連日攻めてくるという最高にロックな嫌がらせも合わさり舌打ちしたくなる。あいつ等バーテックスに知性とかあったりするのかしら?

 

「バーテックスは三体だけど、私達は五人だから大丈夫だよ!」

「うん! 私ももう迷わない!」

「皆が受け止めてくれたんですもの……勇者部部長として、全力でぶっ飛ばしてやるわ!」

「皆と一緒なら…恐くない!」

「……もうこの際何だっていいわ。三体来ようとも最終的には全て殲滅する事に変わりないし……行くわよ!」

 

 私の呼び掛けにみんなが揃って力強く頷きアプリの変身アイコンをタップする。

 

 微笑みのヤマザクラ

 愛情の絆たるアサガオ

 輝く心のオキザリス

 心の痛みを判る鳴子百合

 聖なる愛を宿すトケイソウ

 

 樹海に五つの花が咲き乱れ、世界を守るべく五人の勇者が一同に集結した。

 

「はあぁ…! 勇者五人全員揃い踏みってね!」

「少しは緊張感を持ちなさい。油断は禁物よ」

「分かってるって……うわわわ!? 東郷さんすっごく綺麗!!」

「もう、友奈ちゃんったら…!」

「ハァ…」

 

 今回初変身の東郷の姿を見てはしゃぐ友奈に呆れて溜め息を吐く。

 窘めながらも友奈に褒められてデレデレしてしまうのはいかにも東郷らしいのだけれど時と場合を考えてほしい。

 

 新たな勇者となった東郷は、先程の雑談の中で言われていたように青いアサガオがモチーフ。少し驚いた事に、車椅子の代わりに四本のリボンが彼女を支えて足代わりになっていた。

 変身した彼女の側に卵みたいな精霊、手元に狙撃銃が現れる。どうやら東郷は遠距離型みたいね。近距離型の友奈と風先輩、中距離型の樹ちゃん、サポートの私、バランスが良いチームにまとまっているわね。

 

 味方の確認はこれぐらいとして、次は敵の確認。三体中二体、蟹型と蠍型は同じスピードと同じ距離感で近付いてくる。

 蠍型はその名の通り巨大な数珠状の尻尾とその先端に針が備わっているバーテックス。

 蟹型の方も腕部分が鋏のようになっているけど気になるのは周りに浮いている板状の物体。変な能力とか無ければいいのだけど。

 

 そして残りの一体の射手型。他の二体と比べると不明な点も多い。一体だけ離れている所にいるだけじゃなくその場から動いていない。見た目も大きな顔のような物であり、射手型と言う割に弓なんか見当たらない。

 けれども本当に名前通りの役割があるのだとすれば位置の疑問点は納得できる。いや、きっとそう。あのバーテックスは前回のバーテックスのように遠距離から攻撃するタイプに違いない。

 

「向こうの奴は放っておいて、近くの二体からまとめて封印するわよ!」

「駄目よ! ここは奥の敵を倒すのが先!」

 

 でも風先輩はまだ私と同じ結論には至っていない。遠距離攻撃の敵を残したままにするのは得策とは言えないのに近くの二体を狙うよう作戦を立てる。

 

 そして射手型のバーテックスに変化が現れる。口元に光が集約すると、一本の巨大な矢が生み出される。

 その矢はノーモーションで、勇者の動体視力でも追い付けない程の速度で放たれ……

 

 ドンッ!!

 

「なっ!?」

「皆、不意の攻撃には気を付けて!」

 

 東郷が放った弾丸によって破壊された。今回狙われていたのは不覚にも私であり、時間を止めるはおろか盾を構える事もできなかった。もし東郷の助けがなかったらと思うと、精霊がバリアを出すらしいとはいえぞっとするわね…。

 

「ありがとう、東郷」

「言ったでしょ? 皆私が守るって」

「ええ、頼りにしてるわ」

「あわわわ…! 皆いっぱい来てるよ~!」

 

 見れば今度は斜め上を見上げると、先程よりかなり小さいけれども数え切れない量の矢を雨のように乱れ撃ってきた。

 私達全員に満遍なく降り注ぐ雨を散開して避ける中、私はこの敵の突破口を思案する。

 

 予想通り射手型は遠距離攻撃が主体、奴からどうにかしないと苦戦はどうしても免れない。

 

「友奈さん危ない! 後ろです!!」

「えっ!? うわっととと!?」

 

 外した筈の矢が後ろから友奈に向かって襲いかかっていた。そこにいたのは蟹型のバーテックス、浮遊していた板状の物体が外した射手型の矢を反射させて死角から攻撃していた。

 その矢を慌てながらも拳で殴り飛ばしたから友奈は無事だったけど蟹型の危険性も把握した。射手型とのコンビネーションは厄介極まりないわね……っ!? マズい…!

 

 辛うじて射手型と蟹型の連携攻撃を避けた友奈に最後の一体、蠍型の尻尾が迫っていた。しかも友奈は反応に遅れてこのままじゃ今度こそ防げない…!

 

 でも今度は間に合う。尻尾が友奈に直撃する前に私は時間を止めた。そのまま止まっている友奈の腕を掴み、蠍型から距離を取る。

 

「あれ!? ほむらちゃん!? えっ何これ!?」

「時間停止よ。友奈は実際に体験するのは初めてだったわね」

「すっごーい!! 本当に皆止まっているんだ!?」

 

 戦闘の真っ最中だというのに時間停止を無邪気にはしゃぐなんて……判るわその気持ち!! 本っっ当に最高なのよ!! あぁぁ…ほむほむ is god…! 違う違う、ほむほむ is devil…! 私の心を惑わす麗しき悪魔様ぁ…!

 

 

 ゴホン、それにしてもどうやって突破するか…。やはりバーテックス三体というのは厳しいわね。特に射手型がかなり厄介、矢の雨に目視できない巨大な矢。東郷はよくあんな物を狙撃できたわね……狙撃?

 

 ……待って、東郷のあの狙撃銃の一撃、あれって射手型の巨大矢を破壊できる威力があったのよね。かなり凶悪そうな矢と同等の、つまりバーテックスに一発当てるだけでもダメージが期待できる一撃。

 

「……友奈、悪いけど手を離すわ」

「え?」

 

 友奈の疑問に答える余裕はない。問答無用で手を離して彼女の時間が再び止まる。

 私の時間停止には制限時間がある。前回の戦いみたいに解除後すぐに連続の使用もできないわけではないけど、あれって実は疲れるのよね。精神がすり減る感じで…。

 急いで彼女の元へと跳び渡り、奇行みたいになってしまうけど……後ろから東郷の両脚を掴み、頭を彼女の股下に突っ込み持ち上げた。

 

「…っ!? きゃぁあっ!!? ほむらちゃん

いつの間に!? ていうか一体何やってるの!?」

「肩車よ! 説明する余裕はないわ!」

「説明しなさい!! 全然意味が分からないわ!! ふざけてないで……あら?」

 

 気がついたら私に肩車されていて大混乱していた東郷も、止まった世界を見て僅かながら落ち着きを取り戻す。私が咄嗟に考えた作戦は彼女が要、残り時間は1分程度故に必要最低限の内容を伝える。

 

「時間停止中! 私達だけが動ける! 残り1分! 私が足になる! 撃ちまくって!」

「えっ……もう、分かったわ!」

 

 勇者になって身体能力も上昇しているからこそできる芸当、肩車しながらバーテックスの周りを飛び回る。聡明な東郷だからこそすぐに私の意図に気付き、銃を構えてバーテックスを撃ち始める。

 

「ほむらちゃんこれ…! 撃った弾も止まってしまうのだけど」

「問題ないわ。構わず撃ち尽くして!」

 

 撃たれた弾丸も私から離れていくためどれもこれも停止してしまう。けれども威力が失われたわけじゃない。時間が動き出せば全ての弾は一斉にバーテックスを穿つ。

 

 途中で東郷は狙撃銃を消すと少し小さくなった別の銃を二挺を手に取る。さらに青い炎の姿をした精霊も現れ、満遍なくバーテックス目掛けて乱射される。

 狙撃銃じゃなくなったから威力は下がった物だろうけど二挺故に発射間隔は速い。見る見るうちに東郷が放った弾丸はバーテックス共を取り囲んでいった。

 というか精霊って一人につき一体じゃなかったのね…。

 

「そろそろね……東郷!」

「了解!」

 

 止められる時間も残り僅か、この場から一時撤退しながらも、東郷は再び狙撃銃を手に取りレバーを引いてからのだめ押しの追加投入。

 安全圏へと退避したところで……

 

「時は…動き出す!」

 

 ドガガガドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドガガガガガッッ!!!

 ウギャーー何じゃこれはー!! またほむらのヤツの仕業かーー!!?

 

 樹海中にけたたましい轟音が響き渡る。蟹型、蠍型、射手型の三体のバーテックスのありとあらゆる方向から大中の弾丸が殺到する。

 一発一発がバーテックスの体を打ち抜き、貫通し、破壊する。亀裂が走り、風穴を開け、体の一部が千切れて落下し、ボロボロになって地べたに這い蹲る。

 

 時間停止中に取り囲んで一斉攻撃、原作ほむほむや某スタンド使いの吸血鬼、某赤いお城のメイド長などの時間停止能力者の十八番。直接攻撃したのは私じゃないけどやっぱりとんでもない戦法ね。

 

「さすがね東郷。想定以上の成果よ」

「あの~、ほむらちゃん? もうそろそろ下ろしてほしいのだけど」

「ああ、いきなりで悪かったわね。このままみんなと合流して封印に移りましょう」

「うん。あと少し、頑張ろうほむらちゃん!」




 蟹座と蠍座と射手座は未来永劫絶対に許してはいけない。そうじゃろ、高嶋さんや?


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第十六話 「憧れの人」

 前回誤字報告ありがとうございます。
 今回は前半が消化試合、後半が日常パート

 ……前回に詰め込んだ方がバランスよかったなぁ、1万字近くなってしまいました。配分調整ミスがなかなか改善できないorz

 大満開の章の制作スタッフに、拝。


 東郷との連携プレーで三体のバーテックスに決定的なダメージを与える事に成功した。とはいえ放置していたら奴等は回復してしまうから早急に封印をして完全に倒しきらねばならない。

 

 私と東郷が狙うのは一体だけ奥にいる射手型のバーテックス。蟹型と蠍型のバーテックスは友奈達三人に任せるとしましょう。

 

「「封印開始!」」

 

 ボロボロになった射手型の体から核となる御霊が出現する。私には攻撃手段が無いからここから先は東郷の仕事。銃口を御霊に向けて引き金を引く。

 

「…っ! 速い…!」

 

 しかしその一撃は一瞬で高速で動き出した御霊に避けられてしまう。バーテックスの周りを激しく飛び回り、攻撃を当てるのももはや至難の業。前回のバーテックスの御霊といい、連中は最後の最後まで面倒な性質を持っているのね……

 

「もう一度時間を止めるわ。その隙に…」

「大丈夫よ。私に任せて」

「……ええ。頑張って」

 

 私の提案をきっぱりと断る彼女の顔には絶対に当てるという確固たる意思があった。ならば私がする事は時間を止めて彼女をサポートする事じゃない。笑顔で友達を信じる事……大丈夫、東郷なら必ずやってくれる。

 

 ズドンッ!!

 

 風を切りながら無尽蔵に飛び回る御霊。封印の時間制限の時まで止まらないであろうその結晶の中心に、銃声と共に風穴が開く。

 御霊は鮮やかな光となって空に昇り、バーテックス諸共樹海から消滅した。有言実行、東郷は歴戦の銃士のようなセンスを以て人類に仇なす敵を屠ったのだった。

 

 戦場を征した私達は軽く息を吐いて向き合い、お互いの健闘を讃えた心地良いハイタッチの音が鳴る。

 

「あなたなら仕留めきれるって信じてたわ」

「ほむらちゃんのおかげよ。支援ありがとう」

 

 二人で一体のバーテックスは仕留められた。他のみんなは、残る二体の敵は……やっぱり大丈夫そうね。

 

「あの大きいの……風先輩の剣?」

 

 距離が離れていても見えた光景、風先輩が巨大な大剣で御霊を凪払いぶっ飛ばす。その先で友奈が飛んできた御霊を全力の拳で殴り抜いて粉々に砕いた。

 

 もう一方ではいくつにも増えた御霊が樹ちゃんのワイヤーでまとめて拘束されている。強く絞められて御霊は次々と寸断されて消滅し、残った本体も耐えきれずにバラバラになった。

 

「終わったのね…」

「ええ。私達の勝利よ」

 

 新たに二つの光が昇って敵の巨大な姿はどこにも見えなくなる。かくして二回目の勇者の戦いも快勝という結果で幕を下ろした。

 

 

 

「あ! ほむらちゃーん! 東郷さーん!」

「友奈ちゃん! 大丈夫? 怪我はない?」

「うんっ、平気だよ! それにしてもほむらちゃん、いきなりいなくなってビックリしたよ」

「えっ? まさかほむらちゃん、戦闘中だというのに友奈ちゃんを置き去りにして別行動してたというの?」

 

 学校の屋上に戻って早々に友奈を置き去りした事を暴露されて東郷の目から光が失せる。僅かながら殺気も溢れて…先程まで協力し合っていた友達に向ける目じゃないわよそれ!?

 

「違うわよ!? あの時は時間がなくて急いでいただけで、決して友奈を蔑ろにしたわけじゃないのよ!? むしろみんなを守るために別行動が最適だったわけで!」

「冗談よ。友達だもの、ほむらちゃんが友奈ちゃんを見捨てる事は無いって知ってるから」

「……友奈が絡んだ東郷の言葉が冗談に聞こえないのは何故なの、友達なのに…」

 

 東郷が友奈に向ける愛と私に向ける友愛、初めての出会いが数週間違うだけでこうも扱いの差が大きいのは解せないわよ。私だって東郷のことを大切に思っているのに……流石にそれは東郷も同じでしょうけど。

 

「おーい、そこの2年生トリオ、一旦集合」

 

 我らが部長様の召集を受けて全員の無事を確認する。今回も怪我人無しの文句無しの大勝利。三体同時と分かったときにはどうなることかと思ったけれども、やっぱり私達五人に勝てるわけないのよ。

 

「これで残るバーテックスも残り八体、このまま勢いに乗って世界を護りましょう!」

「「「「オーー!!!!」」」」

 

 

◇◇◆◆◆

 

「あの、皆さんに相談があるんですけど、いいですか?」

 

 二回目の戦いを終えて再び戻って来た日常。戦いで疲れてはいたけど勇者部の活動に励むと不思議とそんな物はどこかに吹っ飛んじゃう。

 多分それはお姉ちゃんと、とっても頼りになる三人の先輩のおかげ。この人達がいるから、こんな私にも寄り添って支えてくれる素晴らしいお姉ちゃん達だから私も頑張れるんだと思う。

 

「樹ちゃんが相談って……何かな?」

「皆さんって言っても、風先輩は? 職員室に行ってくるって出て行ったばかりよ?」

「お姉ちゃんには言えないんです…」

 

 何が良いのか一人でずっと考えて、気がつけば半年も経っていた。大事な事なのに半年も考えて結局何も思いつかなかったのは情けないけど、こればかりは何がなんでもやり通したかった。

 

 今日は4月27日、たった4日でとても大切な日を迎えるのだから。

 

「今度の日曜日、お姉ちゃんの誕生日なんです」

「あっ、そうよ、5月1日は風先輩の誕生日じゃない」

「「そうだった!」」

 

 ほむらさんがその事に気付くとすぐに友奈さんと東郷先輩も行き着いた。お姉ちゃんの誕生日がいつなのか知っていたんだ……。

 

「去年は誕生日を知った時には既に過ぎていたんだったわ……水臭いんだから…」

「風先輩ってそういう所があるのよね。周りの事となると一生懸命なのに、自分の事となると消極的になるというか…」

「今年こそは去年の分も合わせて盛大にお祝いしないとだね!」

「ええ。となれば何を用意するか…」

「プレゼントは何がいいかな? 風先輩の欲しい物って何だろ? 樹ちゃん知ってる?」

「えっ? あ、いいえ、それとなく聞いてみたんですけど何もいらないって…」

「ハァ……樹ちゃんに気を遣ってるのね。どこまで水臭いのよ」

「まあそれが風先輩のいい所でもあるわけだから。それじゃあ風先輩が欲しいと思ってそうな物は……」

「「……女子力?」」

「……イネスだったら置いてあるかしら?」

 

 先輩達の中でどんどん話が進んじゃってる…! ほんとはプレゼントは何がいいか相談するつもりだったのにいつの間にか皆でお祝いする事が決定している!?

 

 でもこれって皆さんもお姉ちゃんをお祝いしたいから真剣に話し合っているんだよね。

 ……嬉しいなぁ、お姉ちゃんを大事に想ってくれる人が私以外にもいるなんて。お父さんとお母さんがいなくなってからは私一人でお祝いしていたお姉ちゃんの誕生日。それがもう一人じゃないんだ……皆も一緒にいるんだ……。

 

「ほら樹ちゃんも、皆で一緒に考えようよ!」

「…っ、はいっ!」

 

 そっか……前にほむらさんが言っていた、勇者部に入れば幸せになれるってこういう事を言うんだね。

 

 

 

「さぁ、入って樹ちゃん」

「えっと、お邪魔します…」

 

 今日は4月30日の土曜日、私はほむらさんのお家に来ていた。初めて来たけど大丈夫かなぁ、ほむらさんのご両親には会った事がないから緊張しちゃう……。

 

「ふふっ、緊張しなくても大丈夫よ。両親は二人とも仕事に行ってるから」

「ふえっ!? 口に出てました?」

「顔を見れば判るわ。でもちょっとだけ残念ね……二人にも樹ちゃんを紹介したかったのに」

「紹介だなんてそんな…私なんて…」

「とっても可愛らしくて頼りになる後輩ってね。きっと二人も気に入るだろうし」

「そ、そうでしょうか…?」

 

 いくらほむらさんのご両親と言っても大人の人に気に入られるのはむず痒いかも。なんだか申し訳ないけど、私の人見知りな性格はあまり良くなっていないから。

 

 でもいつかはお姉ちゃん達みたいに誰とでも進んでお喋りができるようになりたいなぁ。そのためにも勇者としてこの世界を護らなきゃだし、勇者部の一員としてこれからもっと頑張らないと!

 

「こっちよ。必要な物は全部揃っているから」

「ありがとうございます。あまり経験がないので迷惑を掛けると思いますがよろしくお願いします」

「まぁ私もケーキを作った事は無いのだけど…勇者部六箇条一つ、なせば大抵なんとかなる。頑張りましょう樹ちゃん」

 

 ほむらさんに通された一室、キッチンには小麦粉、卵、牛乳、砂糖、バター、他にもたくさんの様々な材料や調理器具がズラリと並んでいた。私とほむらさんは今日ここで明日のお姉ちゃんの誕生日に出すお祝いの手作りケーキを作る班なのです。

 

 先日の話し合いの中で出された結論はお姉ちゃん以外の勇者部のメンバー全員で料理を振る舞おうという事になった。

 お姉ちゃんの欲しい物は分からないけど好きな食べ物だったら皆が知っている。そういう話が出た所で皆で真心を込めた料理という意見が出てきて満場一致で受理された。

 

『それじゃあ風先輩の好物のうどん班と、誕生日のお祝いケーキ班に別れなきゃだね』

『うどん班はハードル高いわね。あのうどん魔王の舌を唸らせないといけないのだから』

 

 そう、お姉ちゃんは自他共に認めるうどん狂。一年間365日毎日うどんを摂取し続ける生粋の中毒者(ジャンキー)。素人の作るうどんで満足させるのはバーテックスを全滅させる並みに困難。

 

『その大役…私が務めさせていただきます!』

『東郷さんがうどん班なら私も!』

『こうなる事は読めていたわ。樹ちゃん、私達はケーキ班よ』

『えっ、もう決まったんですか!?』

『東郷は横文字を選ばないし、友奈は東郷から離れない……よく覚えておいて』

 

 こうしてあっさりと役割が決まって、日程も決めて今に至るというわけです。

 でも大丈夫かなぁ…私って普段お姉ちゃんに料理をさせてもらえないし、いくらほむらさんも一緒だとしてもむしろ足を引っ張るんじゃないかな……

 

 ううん、弱気になってちゃ駄目! お姉ちゃんをお祝いするんだもの、美味しいケーキを作ってお姉ちゃんに喜んでもらうんだもん!

 

「早速作りましょうか」

「はい!」

「私が小麦粉を量っておくから樹ちゃんは卵を割ってハンドミキサーでかき混ぜて頂戴」

「分かりました!」

 

 バキッ ヌチャッ

 

「………は?」

「ああっ! ごめんなさい!!」

「え、ちょ……ええぇ…?」

 

 いきなりやっちゃったーー!! 力加減を間違えてテーブルに卵の中身が飛び散っちゃったーー!! ええっと拭く物! キッチンペーパーどこ!?

 

「……えっと……気を付けてね…?」

「ごめんなさい本当にごめんなさい!!」

 

 テーブルに飛び散った卵を拭き取りながら何度も頭を下げる。こんな序盤で失敗するなんていくらなんでも酷すぎるよ! ほむらさんにも失礼だしお姉ちゃんのお祝いケーキで失敗は許されないのに、私のバカー!!

 

 今度こそ! 力はあまり込めないでひびが入る程度に…! ……よし! 後はボウルに入れれば……

 

 バキャッ ビチビチ

 

 ……黄身が…黄身が潰れて中に……殻の破片も一緒に中に……まだ割らないといけない卵が残っているのに……

 

「……まあ破片を取り除けば済む事だし…」

「うわぁーーんほむらさーん!! 役割分担変わってくださーい!!」

「いや、樹ちゃんに小麦粉を任せるのは既に嫌な予感が……分かった分かったわよ。泣かないでよもう…」

 

 面目ないですぅ……。うぅぅ……ほむらさんの今の目、お姉ちゃん達が変な事をやらかした時に向ける目に似ている。思いっきり呆れてるんだ……わざとじゃないんですよぉ…

 

「そこにレシピがあるから見ながらやってみて。小麦粉……ブチ蒔けないでよ…?」

「はい! 任せてください!」

 

 これなら私にもできる筈! 必要な分の小麦粉を出してふるうだけだもん! 簡単だよきっと!

 えっと……小麦粉100グラム? これって少ないんじゃないのかな? お姉ちゃんが食べるケーキだしもっと多めの方がいいよね多分……

 

 ほむらさんの方はまだ飛び散った卵の殻を一つずつ取り除いているみたい。余計な仕事を増やしてしまって本当にごめんなさい……。

 でももう絶対に失敗はしませんから! こっちの作業は私に任せてください! なんたって私はあのお姉ちゃんの妹なんですから!

 

「………犬吠埼樹

「ひゃぅわぁぁっ!?」

 

 一瞬で背筋が凍りついた。ものすごくドスの利いたトーン、ごく稀にほむらさんがお姉ちゃんや北村先輩に向ける軽蔑に近い冷め切った目、バーテックスに対して出していたであろう殺気……

 

 ほむらさんと仲良くなれて早数週間、どうやら私は初めてこの方の怒りを買ってしまったみたいです。

 

「……何をやっているの?」

「な、何…とは…? 私…何か変な事をしてしまったんですか…?」

「質問を質問で返さないで」

「ひっ…!」

 

 怖い怖い怖い怖い!! 目を逸らしたいのにほむらさんの雰囲気が怖すぎて首も目線も微動だにしない!? 蛇に睨まれた蛙ってこういう事を言うんだ……ひえぇぇ!

 

「もう一度聞くわ…何をやっているの?」

「こ、ここ小麦粉の量を量っていました!!」

「レシピには100グラムって書いてた筈なのに見間違いかしら? 私の目には500グラムって表示されてるように見えるのだけど」

「そそれはそのっ、100グラムだとお姉ちゃんには少ないのかなと思って…!」

「お菓子作りにおいて材料の分量は正確に量らないとダメになるのよ。風先輩に最初からグチャグチャに崩れたケーキをプレゼントするつもり?」

「ええぇー!? それじゃあ私、さっきのよりももっと酷い失敗をしてたんですか!?」

 

 そんな……私はただ純粋に大きいケーキになるのかと思ってアレンジしたのに逆効果だったなんて……私、なんてバカな間違いを…!

 

「酷いなんてレベルじゃないわよ。それに…」

「ま…まだ何かあるんですか…」

 

 アレンジは小麦粉の量を勝手に変えた、ただ一つのみ。いくらなんでも他にも間違えがあるだなんて、そんな事あるわけ……

 

「これ、小麦粉じゃなくて片栗粉よ」

「ごめんなさーーーい!!!!」

 

 反論の余地は皆無です!! 致命的すぎる間違い、とろっとろなケーキができてしまうじゃないですか!! そんなものはもはやケーキじゃありません!! ゲルじゃないですかぁ!!

 

……そもそもどうして片栗粉がここに? ケーキ作りに必要ないから取り出していないのに

「ギクゥッ!?」

 

 ボソッと呟かれた言葉であるものの、罪悪感で敏感になっていた私にははっきりと聞き取れた。実はほとんどの材料をほむらさんに用意してもらうのは気が引けたから、いくつか必要そうな物は家から持ってきていた。

 ほむらさんの準備の手際が良かったから言い出せなくて、持ってきた物の中に小麦粉だと思い込んでいた片栗粉があってそれを使ってしまって……

 

「……ほむらさん、非常にお見苦しいのですがお願いしてもいいですか」

「何かしら」

 

 ……私、勝手な事しかしていない……

 所詮私は私であって、お姉ちゃんや皆さんみたいにいろんな事ができるわけじゃない。それどころか皆の足を引っ張るだけの存在でしかないんじゃ……

 

「……私が一緒だったらお姉ちゃんへのケーキを作るなんて無理です、絶対に失敗しちゃいます。私は別の贈り物を考えますので、誠に勝手ですがほむらさんがお姉ちゃんに美味しいケーキを作ってください!」

「……そう」

 

 そうだよ、こうするのが一番いいんだよ。だってあんなにてきぱきと手順を教えられるんだもん、間違いなくほむらさんは料理上手なんだよ、私と違って。

 

 私がほむらさんの邪魔さえしなければ何もかもうまくいくんだよ。ごめんなさいほむらさん、迷惑ばかりかけて……

 

「私は嘘を吐きたくないし、出来もしない約束もしたくない。嫌よ」

「…っ、どうしてですかっ! ほむらさんなら私にはできない事が簡単にできるのに!」

 

 まさか断るだなんて思っていなかった。というかおかしいよ、私がいない方が絶対にいいのにどうしてそんな意地悪をするの……

 

「……樹ちゃん、さっきの問い詰めた事は謝るわ。私も不安で気が立っていたの……ごめんなさい」

「……えっ?」

「始める前に言ったでしょ? 私もケーキを作った事は無いって。だから上手く作れるかどうか不安だった」

「……ほむらさんって料理上手なんじゃ…?」

「それはあなたの思い込みよ。実際の料理経験は片手で数えられる程度。それと勇者部の活動で風先輩と料理教室の手伝いに行ってその時に教えてもらっただけよ」

 

 ほむらさんの予想外の告白に驚いてしまう。あんなに気丈に振る舞っていたのに実は不安だったって…とてもじゃないけど信じられない。

 だって私の中のほむらさんのイメージは一見クールそうに見えるけどとっても優しくて何でもできる憧れの人。苦手な事があるなんて思った事すらなかった。

 

「そんな素人に先輩のお祝いケーキを作る大役全部を押し付けないで。プレッシャーで絶対上手くいくとは思えないもの」

「でも私なんかがいた所で……」

「それに、二人で風先輩のためを想って作ったケーキなら最高の出来になると思うの。なんたってお姉ちゃん思いの樹ちゃんが一緒ならね」

 

 気落ちしている私に掛けられる、私が抜け出す事を認めない優しい言葉。お姉ちゃんと話している時みたいにどうしても安心してしまう。ほむらさんの優しさに鬱屈な気持ちが薄れてくる。

 

「料理は愛情なんて精神論、ありきたりでよく聞くと思うけど本当にその通りなのよ。樹ちゃんが風先輩の作ったご飯を食べて味が美味しいと思ってそれで終わり、じゃなかったでしょう? 風先輩がどれだけ樹ちゃんを大切に想っているのかも伝わった筈よ。

 あなただってその気持ちを風先輩に届けたいとは思わない? 私は届けたいわ。二人で一緒にね」

「……届けたいです…! 私もほむらさんと一緒に…お姉ちゃんに喜んでもらえるケーキを作りたいです…!」

 

 私の答えに微笑んでから軽く頭を撫でられる。それが心地良すぎてさっきまでの鬱屈な気持ちはどこかにいってしまった。

 

 今あるのは私を慰めてくれたほむらさんへの感謝の気持ち。今度こそほむらさんの期待に応えたいという熱意。そして……

 

「再開しましょうか。私も樹ちゃんのフォローを頑張るから、樹ちゃんは私のフォローをお願いね?」

「はい!」

 

 

 

 

「ちょっとー、樹ー? 折角の日曜日だっていうのにどこに連れて行くつもり?」

「いいからいいから♪」

 

 翌日私は家の中で家計簿をつけていたお姉ちゃんを強引に連れ出して外へ。お姉ちゃんの様子を見ると今日は自分の誕生日だっていう事を忘れてるみたい。

 

「到着ー!」

「ここって…東郷の家じゃない」

「お邪魔しまーす!」

「えちょ、樹…?」

 

 お姉ちゃんに有無を言わせず東郷先輩のお家の中へ。お姉ちゃんの目には私がインターホンも押さずに勝手に中に入ったように見えて驚いていた。そんなお姉ちゃんも、ここは東郷先輩のお家だからと遠慮がちに侵入するみたいに入ってくる。

 

「ちょっと樹…いくら東郷の家でも勝手に入るのはマズいって」

「大丈夫だよ。今日来るってのは話し合ってるから」

「えっ? てゆーかそろそろ何なのか教えなさいよ…」

「うふふ…もう少し♪」

 

 もう少しで皆が待ち望んだ瞬間がやってくる。

 お姉ちゃんにまだ気付かれないよう、ポケットから細長い円柱状の小道具も取り出しワクワクが止まらない。

 

「あっ、お姉ちゃんここ開けて」

「あーもう、後でちゃんと説明してよね」

 

 パパパーーーン!!

 

「うおぁっ!!? 何」

 

 パーン!

 

「ひぁあっ!!? えっ樹!?」

「「「風先輩! お誕生日おめでとうございます!!」」」

「……えっ? 東郷……友奈とほむらも…? 誕生日って……今日はええっと、5月1日でしょ? アタシの誕生日は5月1日よ……んん? ……今日じゃん!?」

「やっぱり自分の誕生日を忘れてたんだ? お誕生日おめでとうお姉ちゃん!」

 

 私のクラッカーのタイミングが少しずれちゃったけど逆に面白いリアクションが見れたかな。大混乱中のお姉ちゃんからしてサプライズは成功したみたい。

 

「樹!? まさか今日連れ出したのってこれのため!?」

「うん! 皆と一緒にお姉ちゃんの誕生日をお祝いしたかったの!」

「まさか自分の誕生日を忘れていたなんて……」

「まあいいんじゃない? こうやって上手く驚かせれたわけだし」

「風せんぱーい! 主役はこっちですよー! 早く早くー!」

 

 去年のお姉ちゃんの誕生日には無かった愉快すぎる声が心に響く。一昨年に失ってしまった家族の形が別物になって蘇ったみたいな嬉しさに満ち溢れていた。

 

「ほら友奈、私達が持ってこないといけないんだからあなたはこっち」

「はーい、それじゃあ風先輩、ごゆっくり~」

 

 私達と入れ替わりで部屋から出て行くほむらさん達。二人は今から私達が頑張って作り上げた証を取りに行ってくれていた。

 

「えっとごめん、アタシまだ状況を整理しきれてないんだけど…」

「風先輩ったら…去年はお祝いさせてくれなかったではありませんか。なので皆で話し合って盛大にお祝いする計画を立てていたんです」

「あはは……そうだっけ?」

「そうですよ。ただまあ、風先輩の欲しい物は分からなかったので、皆で料理を作ったんです」

「お待たせしましたー!」

 

 早くも友奈さんが大きなお鍋と大量の揚げ物や具材が入った容器を運んできた。友奈さんと東郷先輩が昨日お姉ちゃんのために頑張って作った特製うどんである。

 

「風先輩の大好物のうどんです! 麺は東郷さんが素材を厳選して打った手打ちうどん! トッピングの揚げ物もかき揚げや海老天、イカ天、ちくわ天と充実したラインナップ! さらに私がじっくり時間をかけて煮込んだお肉たっぷりの肉うどん! 東郷さんイチオシのさっぱりとしてスルスルと喉を通るおろし醤油うどんも用意しています! 生卵も温玉だってありますよー!」

「ぬおぉーー!? なにこの量!? 嬉しいけど多すぎじゃない!?」

「去年お祝いできなかった分まではりきっちゃいました!」

「……ひょっとして根に持ってます?」

「持ってないとは言い切れないけど悪い意味ではありませんよ」

 

 友奈さんと東郷先輩の張り切った成果にお姉ちゃんが圧倒される。私もここまでやるとは正直思っていなかったかも。

 それだけお二人もお姉ちゃんの事が大好きなんだと思うとますます幸せな気分になっちゃう。

 

「樹ちゃん、はいこれ、持っていきましょう」

「ほむらさん……はい!」

 

 とっても不思議な感じ……私の誕生日じゃなくてお姉ちゃんの誕生日なのに、私の方がものすごく貴重なプレゼントをもらったみたい。

 もし昨日私が途中で諦めてしまったままだったらそうは思えなかったに違いない。私ならできると信じて、頼って、助けてくれたほむらさんのおかげで……勇者部の皆のおかげで私は今ここにいられるんだ!

 

「ん? 樹、ほむら…何これ?」

「私達二人で作った手作りケーキだよ」

「……ぱーどぅんみー?」

「手作りケーキ。昨日二人で頑張ったんですよ?」

「あぁ!? 手作り!!? あんたら二人がぁ!!?」

「お姉ちゃんの喜ぶ顔が見たくて……ジャーン!」

 

 驚きのあまりお姉ちゃん震えちゃってるよ…。

 

 でも本当に上手くできたと思う。酷い失敗の連続だった私がこんなにも立派なケーキを作れたんだって、感極まって泣いちゃったぐらい美味しそうなケーキ。

 それを早くお姉ちゃんにも見てもらいたかった。箱を開けると皆が私達の努力の証に注目する。

 ふんわりとしたスポンジを包み込んだ真っ白な生クリーム、それを鮮やかに彩るフルーツ、チョコレートのプレートにはお祝いと日頃の感謝を込めたメッセージを添えて。

 

「はわーっ! すっごく美味しそう!! これほんとに二人で作ったの!?」

「結構苦戦したけどね。樹ちゃんのおかげで無事完成したわ」

「やるじゃない樹ちゃん! さすが風先輩の妹ね」

「そんな! 私一人じゃ絶対に無理でした! ほむらさんのおかげです!」

 

 私なんてまだまだ、ケーキ作りも人としても未熟だもん。あの時ほむらさんが私が必要だって言ってくれたから頑張り続けられた、支えてくれる存在が側にいたからやり通せた。

 

 だからこそ、いつか私もほむらさんみたいに誰かを励ませる人に、心を支えられる立派な人になりたい。

 

「……樹が……ほむらが……!」

「お姉ちゃん?」

「……まさかこのパターン…」

「……あの樹とほむらがアタシのためにケーキを作るなんてぇ…!!! う”ぉぉぉぉぉん!!!」

「わあっ!? 風先輩大号泣!?」

「それだけ嬉しかったって事なのよ」

「というか私もセットなの?」

「もう…お姉ちゃんったら」

 

 まだ将来の夢すら決まっていない私がまず目指すこと。今は憧れの人を追いかけるだけだけど、いずれはその隣を一緒に進めるような心の強さを持ちたい。

 

「あ”り”がどーみ”ん”な”ぁ”!!! ざい”ごう”の”だん”じょ”う”びよ”-!!!」

「何て言ってるのか分からないよ……これからもよろしくね、お姉ちゃん♪」

 

 勇者部の皆と一緒にそんな未来を迎える時が待ち遠しいです!



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第十七話 「イレギュラーの勇者ってわけね」

 私達が勇者に選ばれてから早くも一ヶ月半、初日とその次の日の進行を最後にバーテックスは一体も出現していなかった。

 

「あーもう何なの。連日攻めて来たかと思えば今度は放置?」

「まさかあれから一ヶ月半も何も無いとは思いませんでしたね」

「あー……タイクツ、ふぁあ~」

 

 風先輩の不謹慎な呟きを受け流しながらも私だって内心少しは同意だ。勇者に選ばれたというのに毎日毎日やることといえば勇者部の活動。大事な一時を過ごしているのだけど、バーテックスはそんな勇者部の時間を奪う存在でもある。

 

 だからこそこのお役目を早々に達成して憂いのない日常を取り戻したいのにも関わらず、肝心の敵が来ない。一気に四体も倒されて様子見でもしてるのかしら?

 

 加えて今日の勇者部の依頼は特に無し……暇だ…。こんな時は脳内でまどマギのアニメを再生するに限る。一字一句、細かな描写の再現も慣れたものね。

 

「あまりにも暇すぎて、さっきからずっとほむらさんが放心状態です……」

 

 ……どうにかして彼女達にもまどマギを布教する手段はないかしら? ほむほむは別人に設定し直す必要ができてしまうけど。でもそれをしてしまえば最早まどマギではなくなってしまうし……

 

「任せて樹ちゃん、私に時間が過ぎ去るのがあっという間に感じる取って置きの提案があるわ」

「……アタシそれ嫌な予感がするんだけど…」

「時間のある今こそ、勇者部として国防の何たるかを書類化して全校生徒に向けて配って国を想う意思を育みましょう」

「やっぱりそれか!!」

「……ん、何話してるの?」

 

 ちょうどMagiaまで終わった所で何やら風先輩と東郷が会話してるのに気付く。キリもいいし、私もこの会話に混ざろうかしら。

 

「他にやる事が無い以上、必然な選択ではないですか。さぁほむらちゃん! 風先輩も! 日本国民として当然の責務を」

『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

 

 東郷の言葉を遮るように鳴り出すアラーム。私と友奈と樹ちゃんがはっとしてスマホを確認すると案の定樹海化警報の文字が…。

 

「っ…! バーテックス…!」

「ナイスバーテックス!」

「さっきよりも不謹慎な事を…」

「むっ……仕方ない、また今度ね」

「………何が?」

 

 何がナイスだったの? 結局何の話をしていたの? 気になる事が分からないままだけど、今はそれよりもこっちを優先させないと……。

 

 

 

 三度目の樹海にて全員が早々に勇者へと変身して身構える。前回は恥ずかしながら油断していて先制攻撃を許してしまった。

 ほむほむとしてはそこいらの敵相手に後れをとるわけにもいかない。クールに、可憐に、ミステリアスに敵を屠る。それこそがほむほむ……時間停止が強力とはいえ攻撃手段が欲しいものね……

 

「来た…!」

「あれが五体目…」

「今回は一体だけね」

「東郷は位置に着いて。絶対に仕留めるわよ!」

 

 五体目のバーテックスは四つの突起が目立つもののその詳細は不明。

 風先輩の号令を聞いて東郷が離れた地点に跳び銃を構える。私達四人は固まって奴を迎撃する態勢に。前回の戦いみたいに時間を止めて東郷に蜂の巣にしてもらうのも良いのだけど、そしたら他の三人、特に風先輩が「毎回二人だけに戦いを押し付けるのは反対」と却下済みだ。

 戦いに巻き込んだという負い目を抱いていた風先輩なりのケジメなのかもしれないけど、私としてはみんなが無事に生き残れれば問題ないというのに……

 

「久しぶりの戦いだけど大丈夫かな」

「え、えーっとですね……ここをこうして」

「ほうほう」

 

 友奈と樹ちゃんがアプリの説明を確認する。緊張する気持ちは分かるけど敵の前よ? 射手型のバーテックスだったらとっくに攻撃していたわよ。

 でもそうしないって事はあれは遠距離型ではないって事。というかあのバーテックスは何型なのかしら? 見た目で判断しにくい姿ね……私もスマホで確認しましょう。多分攻撃はされないでしょう。

 

「……山羊だったのね。分かりにくい……え?」

「えぇい! なせば大抵なんとかなる! 四の五の言わずビシッとやるわよ! 勇者部ファイトー!!」

「「オーー!!」」

「……誰? 三好夏凜って」

 

 バーテックスの名前を確認するために開いたアプリのマップ、それには私達勇者とバーテックスの名前と位置が表示されている。

 その中に私達の位置から少し離れている所に見知らずの名前が一つ、三好夏凜。

 

 その座標の所へと目を向ける。そこには一人の赤い装束を纏った少女が。バーテックス目掛けて三本の剣を投擲した少女、三好夏凜と目が合った。

 

 三好夏凜は一瞬驚いたように目を見開くも、自身が投げた剣がバーテックスに直撃し爆発が起こると不敵に笑う…というよりドヤ顔ね、アレ。

 

「フン、ちょろい!」

「えっ、何あの子!?」

 

 友奈達も彼女の存在に気付き、突然の乱入者の登場に動揺していた。敵なのか味方なのかもよく分からない存在ではあるものの、あの姿、武器、彼女の側を浮いている精霊、アプリに名前が表示される事からして間違いない。彼女、三好夏凜は勇者だ。

 

「封印開始! 思い知れ、私の力っ!」

「あの子、一人でやるつもり!?」

 

 三好夏凜はさらに追加で剣を投擲し、バーテックスにダメージを与えていく。その中の一本が地面に突き刺さると早くも封印の儀式が行われる。

 

 傷付いたバーテックスから御霊が吐き出され弱点が剥き出しになるも、御霊はどれも特異な性質を持つ。非常に堅いもの、高速で動くもの、今回は……

 

「うわぁっ!? ガス!?」

「前が見えない~!」

「!? エイミー!? みんなにも精霊が…!」

 

 この場にいない東郷を除く私達全員が御霊が撒き散らしたガスに覆われる。前方が見えなくなるほど濃く、勢いもそれなりに強い。

 でもこのガスが殺到すると同時にエイミー達精霊が現れてバリアを張っていた。このバリアは勇者が致命的な攻撃を受ける時に自動的に現れる物。つまりこのガスは私達にとって有害な物である可能性が高い。

 

「みんな退避! おそらくこれは毒ガスよ!」

「うえぇ!? マズイじゃんそれ!!」

 

 慌ててガスが届いていない場所へと跳躍して難を逃れる。けれども彼女は毒ガスなんてお構いなしに御霊へと接近していた。

 

「ハッ、毒ガスだろうが何だろうが、私を止められると思うな!」

「脳筋ね、彼女…」

「いや、そもそも本当に誰なのよ…」

 

 いくら精霊のバリアがあるからとはいえ、強引に突破する姿を見れば呆れざるを得ない。けれど目の前が見えないほど濃いガスなのに、的確に御霊の位置を把握するセンスは驚嘆に価するわね。

 

「殲…滅!」

『諸行無常』

 

 一瞬の内に御霊を切り裂き、御霊はおなじみの光となって昇り消える。まさか私達が何もする事無く戦いが終わるなんて……

 

 東郷もやや困惑気味に私達の所へ来ると彼女、三好夏凜も溜め息混じりに近づいてきた。そのまま無言でみんなの顔を一瞥すると今度はあからさまな溜め息を吐いた。

 

「ええっと……あなたは誰…?」

「……ふん、他の奴等は全然大したことなさそうね。こんな連中が神樹様に選ばれた勇者ですって…」

 

 開口一番罵倒するとは…礼儀知らずもいいところね。……他の奴等?

 

「突然現れて危険を省みずに敵に特攻するなんてどういうつもりかしら? 三好夏凜さん?」

「っ…! ……どこかで会ったかしら…?」

「………………さぁ、どうかしら?」

「なに今の間…?」

 

 まさかこんな所でほむほむプレイの再現ができるなんて!! 当然私達は会った事は無いのだけど、マップを見たから名前だけは知っていたというしょうもない答えなのだけれど!! でも嬉しさのあまり反応が遅れて樹ちゃんにツッコまれてしまったのは痛い。

 

「……あんた…名前は?」

「……暁美ほむらよ」

「そう……あんたが大赦が言ってたイレギュラーの勇者ってわけね」

「イレギュラー? ほむらが…?」

 

 ちょっとあなた、どこまで杏子みたいなやり取りしてくれるのよ!! 気持ちが高ぶって舞い上がっちゃうじゃない!!

 

 ……イレギュラーの勇者? え? 待って待ってどういう事? 確かに原作のほむほむもイレギュラーの魔法少女だとキュゥべえから警戒されていた。真相は別の時間軸からやってきた魔法少女だったからその存在を知られていなかったというもの。

 まさか私自身すらもイレギュラーだというの? 名前も外見も声も暁美ほむらだけれど立ち位置までもがほむほむとして再現されていたの?

 

 ……わけが分からないわ。私の何がイレギュラーなのよ。前世の記憶持ちという事も、暁美ほむらというアニメキャラクターだという事は誰にも知られていない筈よ。知られていない以上、その事で私をイレギュラーだと判断はしないでしょう?

 

「あ、えっと、私は結城友奈って言います!」

「あんたには聞いてないわよ、チンチクリン」

「チン…!? えっと…あなたは三好夏凜さん……でいいんだっけ…?」

 

 ……かなり気になる事だけど彼女は大赦から聞いたと言っていた。風先輩経由で聞いてもらえば答えが分かるかもしれない。

 

「イレギュラーは何で私の名前を知っていたのかしら……そうよ、私は三好夏凜。大赦から派遣された正真正銘正式な勇者よ」

「それじゃあ私達と一緒に戦ってくれるんですか?」

「フン、あんた達は足を引っ張るだろうから邪魔よ。今の戦いも、そこのイレギュラー以外は鈍すぎて話にならないわ」

 

 ……この子は一体何を言っているのかしら? 何やら勝手に私を警戒しつつも持ち上げてる感じがするのだけど。

 

「暁美ほむら!!」

「……何」

「あんたがイレギュラーだろうと私には関係ない! 勇者として最強の存在は私をおいて他にいないのよ!」

「…………」

「それを忘れないことね……それじゃあ!」

 

 好き勝手に言うだけ言って一人どこかに跳び去っていった。残った私達は呆然としながら樹海化が解けるのを待つだけだった。

 

 わけが分からないよ……私が一体何をしたって言うのよ。何なのよあの子一体……。

 

 

◇◇◆◆◆

 

「アーッヒャッヒャッヒャッヒャ!!!! それじゃああの三好夏凜って子、そんな事に気が付かないままどこか行っちゃったってこと!!? マップに名前が出てたのに気付いてないって……ヒーッヒヒヒ!!! 笑いが止まんない…苦しい…!!!」

「お、お姉ちゃん、そんなに笑ったらあの人に悪いって…」

「だってぇ!! そのままほむらを警戒してライバル宣言染みた真似までしちゃってたのよ!! こんなの絶対可笑しいわよ!!」

「そうよ樹ちゃん。あんなに強がっていたのにそんな単純な事を見落とすなんて笑ってしまっても不思議じゃないわ」

「東郷さん、それはちょっとどうかなって…」

「だってあの子、友奈ちゃんをチンチクリンなんて失礼なことを言ったのよ? 少しくらい笑っても罰は当たらないわ」

「ブレないわね東郷…」

 

 私が名前を知っていた訳を話すと風先輩が笑い転げて東郷までもがそんな先輩を肯定した。私がその場で言えばよかったことは置いといて彼女の勘違いに身悶えている。

 ほむほむプレイの被害者が誕生してしまったわね……まあいいか。

 

「それよりも気になるのは私がイレギュラーなんて呼ばれてる事ですよ。風先輩は何か知りませんか?」

「ハーッ…ハーッ………ごめん、アタシも初めて聞いたわ。大赦からは何も言われてないし…」

「何か変だったよね? 名前の事以外にもほむらちゃんに不信感を持っていた感じだったし」

「……大赦に聞いてみる。ちょっと待ってて」

 

 風先輩がスマホを取り出し大赦にメールを送る。バーテックスが現れた事、三好夏凜という勇者が乱入した事、その勇者が暁美ほむらをイレギュラーの勇者だと言った事を。

 

 しばらくすると大赦から通知が入る。みんなが息を呑み、風先輩がその通知を読み上げる。

 

「……勇者、暁美ほむらが使用するシステムは元は勇者システムの失敗作である。他の勇者と比べ類を見ない極めて特異な力を宿すものの、それ故に使いこなせる素質を持つ者はいない。適性値が他の誰よりも優れている勇者、結城友奈でさえ100%不可能だという結果が出ている。そのためこのシステムは失敗作として記録ごと抹消される筈だった。

 しかしただ一人、このシステムに適合する者が特定される。その者こそが暁美ほむらである。彼女は勇者としての素質は確かに備わっているものの、他の素質を持つ者と比べるとその値は著しく少ない。勇者、犬吠埼風の半分にも満たない。にも関わらず、失敗作の烙印を押された勇者システムの適合値が異常な数値を叩き出した。何故このような結果になるのかは不明の一言に尽きる。勇者として劣等と判断されていた者が、使える者はいないと判断されていた強大なシステムを使いこなせるというのは明らかな異常に他ならない。

 これらのことから大赦内では、暁美ほむらを異質な勇者、イレギュラーと捉える者も少なくない。

 ……ふざけんじゃないわよ。ほむらに得体の知れない勇者システムを使わせていたって言うの…!」

 

 読み上げた風先輩は怒りを露わにしていた。他のみんなも明らかな戸惑いを見せている。この通知の中で異質だの異常だの危険極まりない言葉が多様されていた。そして私の勇者としての素質についても他よりも劣るとも。

 みんなが抱いた感情は「不安」だ。もしこの異質なシステムとやらのせいで私の身に何かが起こってしまうのではないかという不安。

 

「……ほむら、やっぱりあんたは戦わないで」

「……私に何か異常な事が起こるかもしれないからですか?」

「そうよ!! 誰も使えないって曰く付きのシステムなんて…やっぱり時間停止なんて能力はおかしいものだったんじゃない!!」

 

 確かに時間停止は世界そのものに対する力、それを軽々しく使えるなんてひょっとしたら何か裏があるのかもしれない。

 でもそれはあくまでも、かもしれないという仮定にすぎない。

 

「私も嫌です! それに今までの戦いでほむらさんは充分活躍してくれたじゃないですか! 後は私達に任せてください!」

 

 攻撃する手段は無くても四体のバーテックスを難なく封印できるようにサポートした。

 でもたった四体だけだ。まだ三分の二近く残っている。

 

「護りたい人が後ろで支えてくれるだけでも力になると言ったのはほむらちゃんよ。お願いだから私達にあなたを護らせて…!」

 

 間違い無く言ったわね。でもあなたは私以外にも他に絶対に護りたい存在がいるでしょう? その人にも私と同じ事が言えるのではないの?

 言わないのは友奈を戦いの場でも護るつもりだからでしょう。だったら私だけ後ろで護るのは筋が合わないじゃない。戦いの場で私を護って護られなさいよ。

 

「これからのバーテックスは私達四人で何とかするよ。あの三好夏凜って子もいるし戦えない事は無いよ!」

 

 

「それには及ばないわ」

「「「「ほむら(ちゃん)(さん)!!」」」」

 

 みんな揃って勝手な事ばかり……もしもの事に怯えて悲観的になりすぎなのよ。

 私は暁美ほむらよ。大切な存在は何が何でも見捨てない。例え自身が出口の無い迷宮に閉じ込められようともね。

 

「みんなが戦いに行くのを黙って見ていろですって? 冗談じゃないわ。もしそれでみんなの身に何かがあれば私は何て後悔すればいいの? いたら助けられたかもしれないのに、自分の身に何かが起こる可能性があったから、我が身可愛さに戦いを放棄した自分を許せると思うの?」

「それは……」

「もちろんみんなが私を心配して言ってくれてるのは分かっている。だけど私だってみんなの事を心配しているんだって忘れないで」

 

 勇者部六箇条、家族や友達を大切に。勇者部に入ったからこそ繋がり合った絆なんだ。私はそれを決して失いたくない。

 

「そもそも異質な勇者システムといえども私には使いこなせると書いてあったんじゃない。怪しい事に変わりないけど大赦からは問題無いと判定されているのよ」

「……本当に大丈夫なの…? 今までにも何も異常は無い?」

「あれば真っ先に伝えてるわよ。悩んだら相談、でしょ?」

「……判ったわよ。でも絶対に無理はしないで。あんたの身に何かあればアタシ達は……」

「その言葉、そっくりそのまま返すわ」

「ほむらちゃん!」

「きゃっ! 友奈…?」

「絶対にいなくなったりしないで……いつまでも一緒だからね…!」

「……ええ。当たり前よ」

 

 思い掛けない私の勇者脱退の話も無事に収束する。少し焦ったけれども、やっぱり私は彼女達に大切に想われていたのだと実感した。

 

 ええ、だからこそ私は勇者として戦うのよ。大好きなみんなとこれからももっと一緒にいるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ~ん、暁美ほむらさんの勇者システムについて教えちゃったんだ~」

「特別秘密にする事ではないと判断した上での行動です。事実彼女に害を成す可能性はありません」

「………嘘つき。どうせ大事な内容は伝えていないんでしょ」

「……あの勇者システムは全く以て謎のままです。有り体に伝えるわけにもいきません」

「……一体何なんだろうね、私の御先祖様が家宝にしてまで隠し持っていた勇者システムだなんて…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? あれ? 追記ってある」

「えっ!? まさかまだほむらさんの勇者システムについて書かれてるんじゃ…」

「うんにゃ、違うっぽい……はあ!?」

「何が書いてあったんですか!?」

「もしやバーテックスの出現についての予測とか?」

「……明日あの三好夏凜って子がウチに転入してくるみたい…」

「「「「へ?」」」」



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第十八話 「取扱説明書も送れっていうのよ!」

「今日から皆さんのクラスメイトになる、三好夏凜さんです」

「三好夏凜です。よろしくお願いします」

 

 転入生のふりなんて面倒くさい。なんで国を護るべき勇者が、わざわざそのために編入試験なんて受けなきゃいけないのよ。結果はほぼ満点だったとはいえ一夜漬けなんて苦行をさせられたんだからたまったもんじゃないわ。

 

 私の名前は三好夏凜。人類の滅亡を目論むバーテックスに対抗するべく神樹様に選ばれた名誉ある完成型勇者。

 

 血の滲むような訓練と努力の積み重ねの日々は昨日のように思い出せる。他の候補生達と勇者の座を競い合いながらこの瞬間を待ち望み続けた。

 つまり私は実力を兼ね備えた正真正銘のエリートであり、単なる偶然で選ばれたこの学校の勇者達とはレベルが違うのよ。

 

 私以外の勇者は五人、配属されたクラスにはその中の三人がいる。

 一人は今担任に紹介されている私をアホ面で眺める結城友奈。昨日の戦闘の様子……といっても全部私が片付けたんだけど、その時の結城友奈は誰よりも注意散漫、危機感というものを絶望的に持ち合わせていなかった。なんでこんなのが勇者に選ばれたのかしら。神樹様の御乱心としか思えないわ。

 

 二人目は東郷美森。こいつは結城友奈と比べるとマシな部類ではある。戦闘中は一度たりとも突き刺さるような戦意が乱れていなかったし、戦場の心得というものを理解できているようにも見える。でも所詮はその程度、完成型勇者の私には遠く及ばない。

 

 そして三人目、こいつだけが他の連中よりも明らかにずば抜けていた。暁美ほむら……大赦にとってもイレギュラーの勇者だと言われる謎の女。

 私は昨日の樹海にて完璧に気配を消して戦闘の機会を窺っていた。事実勇者達もバーテックスも私の存在に攻撃が当たるまで気づいていなかった……暁美ほむら以外は。

 暁美ほむらは気配を消した私の方を見た。それも私という予測外の筈の存在がいるのだと確信して…だ。断じてたまたま私がいる方に視線を向けたのではない。これだけで暁美ほむらの知覚センスは突出していると誰もが解るだろう。

 

 だが奴の異常な言動はもう一つあった。会った事の無い私の名前を把握していた。大赦が連中に私の存在を知らせていなかったのは反応からして間違いない。では何故暁美ほむらのみ私の名前を知っていたのか。不気味すぎる…これをイレギュラーと言わずに何と言うか。

 

 大赦によると暁美ほむらの勇者としての力もかなり異質らしい。その反面奴は勇者としての武器を持ち合わせていないらしいけど、奴は今までの戦闘でも前線を駆けていたと報告されている。それが暁美ほむらの実力を物語っていた。

 

 ……ふざけんじゃないわよ…! あの訓練の日々を私がどんな思いで耐えてきたと思ってるの…!

 なのにアイツは今までぬくぬくと平穏な暮らしをしていただけ。そんな奴が私以上の力を持っているかもしれないなんて納得いくわけがない!!

 

 担任に私の席を教えられたから速やかにそこに着くために歩く。その途中で暁美ほむらの席を横切る際に睨み付けるように視線を送る。

 あんたなんかに絶対に負けない! 私のプライドがそれを許さない! そんな闘志を込めた視線を暁美ほむらは……

 

「…………」

「………チッ…!」

 

 ムカつくほどの無表情……私を舐めきった態度で応えやがった。上等よ…必ず私の方が上だと思い知らせてやる…!

 

 

 

「三好さん放課後予定ある? もしよければ一緒に帰らない?」

「いいえ、行くところあるから」

「もしかして部活動? 何部何部?」

「興味無い」

「それにしても編入試験満点なんてすごいね。羨ましいなぁ」

「別に、大した事じゃない」

 

 初日の授業を終えて放課後、やや面倒ではあるもののこの学校の勇者達に一通り話をしなければならない。のだが、数人の同じクラスの女子生徒達が寄ってたかって質問やコミュニティの勧誘に集まってきた。

 転入生が珍しいのは分かるけどあまり構わないでほしいものだ。ここにいるのもバーテックスを全滅させるまでの僅かな期間なのだから。仲良く取り繕った所で何の意味もない。

 

「ねえねえ! チア部なんてどうかな!? ウチは人気高いよ~」

「いい」

「キュートなチアガール、春夏秋冬いつでも募集中!! 一緒に中学生チアリーディングの天辺取ろうぜ!!」

「しつこい」

「今入部するなら讃州中学伝説のチアガール…女子力の最終兵器(ジオサイド)犬吠埼風先輩と、黎明の姫(アルバレジーナ)暁美ほむらちゃんの写真をプレゼント! データ版だけどピギィ!」

「何よその巴マミ(中二病)全開の通り名」

 

 姦しい女子生徒にうんざりする中、近付いてきた生徒がそいつを慣れた手付きでシバき倒した。ただし私はその声が聞こえた瞬間に己の警戒度を上げていた。

 

「なんておそろしく速い手刀……さすがほむらちゃん、私でなければ見逃しちゃうわね」

「東郷さん…私にも見えたよ。たぶん他の人にも」

「全く、この馬鹿は毎度毎度……みんな、一度に質問されすぎて三好さんが困っているわよ。少しは遠慮しないと」

「あ、うん、ごめんね三好さん…それじゃあまたね。暁美さん達も勇者部頑張ってね」

 

 そいつの一言のお陰で私を取り囲んでいた連中はいなくなった。代わりにもっと対処し難い奴が正面に立ちはだかる。

 

「暁美ほむら…!」

「私達もいるよ~!」

 

 まさか向こうから近付いて来るなんて。しかも邪魔になりそうな存在ならクラスメイトだろうと容赦なく排除する非情な一面を見せた。

 やっぱりこいつは他の勇者達とは決定的に違う…! そこのマヌケ面の結城友奈や穏やかそうな東郷美森ならきっと手を出すような真似はしないでしょうに……。

 

「早速だけど部室に案内するわ。ついて来て」

「……部室?」

「勇者部の部室よ、私達が所属している。あなた、私達と合流するために転入して来たんでしょう?」

「……そうよ。さっさと案内しなさい」

 

 話が早くて助かる。向こうから連中が集まる場所に案内してくれるっていうのならそれに乗るに越したことはない。

 教室から出て三人の後ろをついて歩く。結城友奈が話しかけてくるけど適当に相槌を打っていればいい。

 

 ……だけど一つだけ……何よ勇者部って? 名前からして酷く幼稚なイメージが感じられるのだけど。昨日の連中の第一印象は甘ったれたトーシロ共って感じだったけど、部活動まで緩みきってんじゃないの?

 

「どうしたの? 何か考え事?」

「別に、改めてお気楽な奴等だと思っただけよ。勇者部なんて変な名前の部活だし」

「えー? 変じゃないよ。すっごく楽しい所だよ」

「フン、どうだか……お気楽って所は否定しないのね…」

 

 どっちにしろ私には関係の無いこと。考えてみればこいつ等は元々はただの中学生にすぎない。厳しい訓練を乗り越えて、周りに期待されている私とは違うのよ。

 

「ええ、訂正する程間違えていないもの」

「……ハッ! 所詮はあんたもその程度ってわけ? イレギュラーなんて言われてるけど結局は大まぐれで選ばれただけの勇者だものね!」

「どうとでも思いなさい。私は私の望む未来のために戦うだけ……あなたに何を言われようが関係ないもの」

 

 天井を見上げてるように首だけで振り返り、冷め切った表情で言い放つ暁美ほむらを見て私の中で更にイライラが高まる。嘲るように挑発したのは私だけれども、明らかに私を見下すような発言と態度……気に入らない!

 

 

◇◇◆◆◆

 

 最初は杏子みたいな子かと思ったけど、蓋を開けてみるとさやかみたいな敵対心が出来上がっていた。

 朝に転入生として来て私の隣を横切った時、いきなり睨み付けられたけどほむほむらしくクールな面を見せ付けたら舌打ちされる。それからも今日一日授業中にも何かを探るような視線を感じたし、逆にこっちから彼女を見れば「何見てんのよ…!」と言わんばかりに睨まれる。おまけにシャフ度も不発と見た。

 

 同じ勇者なんだからもっとこう、ビジネスライクな付き合いの方が好ましいのに……。ほむほむでさやかの攻略なんてどうすればいいのよ? ハロウィンみたいな名前のくせに……。

 

「ここか……ホントに勇者部って言うのね」

「ささ、入って入ってー」

「こんにちはー。東郷、友奈、ほむら、転入生を連れて参りました」

「うわっ、マジで来たのね…」

「皆さん…あっ、えっと……こんにちは…」

 

 部室には既に二人の姿があり、風先輩はともかく樹ちゃんは三好さんにどう接すればいいのか迷っているみたいだった。私もだけど……。

 

 そんな彼女は樹ちゃんの挨拶を返さないまま黒板の前に堂々と立つ。昨日の私以外のみんなへの対応といい、性格的にも傲慢なのかしらね……気に入らない。

 

「やっぱりパッとしない奴らばっか……けど私が来たからにはもう勝ちは決まったようなものよ」

「大した自信ね後輩? その根拠は?」

「それに何故今この時になって? 最初から来てくれてもよかったんじゃないですか?」

 

 東郷の言う通りである。そこまで自信たっぷりに豪語するなら最初からバーテックスと戦ってろと言いたい。私達にとっての彼女は、後から来たくせに難癖をつける三周目の美樹さやかみたいなものなのだから。

 

「私だってすぐに出撃したかったわよ。でも大赦は二重三重に万全を期しているの。最強の勇者を完成させるためにね」

「最強の勇者…」

「そ、あんた達先遣隊の戦闘データを得て完全に調整された完成型勇者、それが私。それに伴い私の勇者システムには対バーテックス用に最新の改良が施されている」

 

 その最新のスマホを見せびらかすと今度は精霊を呼び出した。赤い甲冑を纏った人型の精霊。この人型って所が私達とは違うという表れなのかしら?

 

「その上あんた達トーシロとは違って、戦闘のための訓練を長年受けてきている! これが私があんた達よりも上だという根拠よ」

「……ふふん♪ しつけ甲斐のありそうな子ねー」

「なんですって!?」

 

 こういう所で不適に笑えるのも風先輩の凄い所なのよね。でも彼女が言った、戦闘の訓練を長年受けてきている……この部分には他よりも感情が込められていたように思えた。

 そもそも昨日私にどちらが上か強調していたし、彼女にはその部分に譲れない何かがあるのかしら?

 

「暁美ほむら!」

「……何よ名指しで」

「そういうわけだからあんただろうともこれ以上出しゃばる必要は無いのよ! 精霊も戦闘能力も優れているのは私の方なんだから!」

「ブフゥーーッ!!」

「ちょっとそこ! 何笑ってんのよ!」

 

 でも私に突っかかるのは多分彼女の勘違いなわけで、イレギュラーと言えども別にみんなよりも優れているというのも違うと思う。攻撃力皆無だし……。

 

「ねえ三好さん、昨日の事……樹ちゃん?」

駄目ですほむらさん! ここで言っちゃったら逆にあの人のプライドを傷付けるだけです!

「……そうかもね」

「何よ? 言いたい事があるんでしょ」

「何でもなかったわ。気にしないで」

「……あっそ」

 

 ここまでのやり取りで彼女がプライドの高い人間だというのは判りきっていた。あの真相を明かした所で今まで以上の敵対心どころか憎しみが返ってくるなんて想像は難しくなかった。

 

 ……大赦め、取り扱いが非常に面倒なタイプの勇者を派遣しやがって…! せめて三好夏凜の取扱説明書も送れっていうのよ!

 

「まあいいわ……とにかくあんた達全員大船に乗ったつもりでいなさい」

「うん! よろしくね夏凜ちゃん!」

「いっ、いきなり下の名前!?」

 

 そうだった、うちにはコミュ力お化けの友奈がいるんだった。しかも相手は同じく勇者のお勤めを受けた同い年の少女。これから共に戦う以上、友奈が気にしないわけがなかったわ。

 

「嫌だった?」

「……フン、どうでもいい。名前なんて好きに呼べばいいわ」

「ようこそ勇者部へ!」

「ちょ!? 部員になるなんて話一言もしてないわよ!? 私の役目はあんた達の監視なんだから!!」

「部員になっちゃった方が監視しやすいよ!」

「う…っ!」

 

 しかも勇者部に勧誘までするなんて……三好さんが少し哀れに思えてきた。友奈は対人関係においては一切妥協なんてないからガンガン話しかけてくる。

 三好さんの性格上そんな経験があるとは思えないし、友奈を拒絶してもあの子は諦めないだろうし……高確率ですぐにでも入部するわねアレ……ん?

 

『諸行…無常……(ガクッ』

 

 ………三好さんの精霊が牛鬼に喰われている。まるで友奈と三好さんの今の状況を精霊同士が別のシチュエーションで再現しているかのように。

 ……こっそり呼び出して……エイミー、牛鬼と一緒にあの甲冑の精霊と戯れてきなさい。好きにしていいから。

 

『外道…めぇ…』

「ったく、分かったわよ。入ればいいんでしょ入れば。確かにあんたの言う通りその方が監視しやすくなるわ」

「監視監視って、アタシ達がサボるみたいな言い方止めてくれる?」

 

 案の定三好さんの入部が決定……あっ、エイミー、そのままそいつの顔に体を押し付けて。私の代わりに鬱憤を晴らしなさい。あなたのツヤツヤでサラサラな毛でその精霊を猫アレルギーにしてやるのよ。

 

「偶然選ばれただけのトーシロが大きな顔するんじゃないわよ。大赦の御役目はおままごとじゃな」

『ブァーックションン!!』

「うわあっ!!? 何今の……ってギャアアアアアアアアアア!!? 義輝ぅぅぅ!!?」

 

 ほむううううううう!? エイミーが甲冑の精霊の唾と涙と鼻水で汚されてしまったああああ!!! なんて事を……なんて酷い真似を…! これが自称完成型勇者の精霊がやることなの!?

 あれ? エイミーならだいぶ平気そう? ただ少しベタベタするだけ? 毒は無い? ……ふぅ、ビックリしたわ。ほらおいで、私が綺麗に拭き取ってあげるから。

 

「ななな何してんのよこの腐れチキショウ共ーーーっ!!」

『外道め! 外道め!』

「外道じゃないよ、牛鬼とエイミーだよ。二匹ともとっても仲良しなんだよね」

「自分達の精霊ぐらいちゃんとしつけなさいっての!」

「心外ね。私のエイミーが言うことを聞かない問題児だとでも?」

「牛鬼はまだちょっとマイペースな所があるけどね。いつも勝手に出てきちゃうし」

「言動もシステムも何もかも含めてイレギュラー共め…!」

『外道め!』

 

 ふっ、生意気な新人の人型の特殊な精霊なんて私のエイミーに敵うわけがない。少し喋れる程度で強気になっていてはそれこそ程度が知れるというもの。私のエイミーにはそれを凌駕する愛嬌が備わっているのだから!

 

「そういえばこの子喋れるんだね」

「ええ。私にふさわしい強力な精霊よ」

「あ、でも東郷さんには三匹いるよ」

 

 話を振られた東郷もスマホで精霊を呼び出し公開する。卵のような精霊、青い炎の精霊、狸の精霊の三匹。いかにも特別感増し増しの光景であるため、三好さんもこれには一瞬言葉を失った。

 

「ああどうしよう…! 夏凜さん!」

「今度は何よ!」

「夏凜さんの運勢…死神のカード…!」

「勝手に占って不吉なレッテル貼るな!」

「……樹ちゃんの占いはよく当たるわ。注意しなさい」

「不吉な事まで言うな!」

 

 ……何かしらこの感じ? 不思議と今は三好さんに対してそこまで不快感がない。

 

 さっきからずっと彼女を結果的にだけど弄り倒していたから? それとも向こうはまだ心を開いていないけど、なんやかんやで今この時は対等に接しているから?

 

 私だってできるならもっと気兼ねなく話せるようにはなりたい。だって彼女はなし崩しにとはいえ勇者部に入ったのだから。

 かつてほむほむプレイでクールに振る舞う事だけを考えて孤立していた私の日常を変えるきっかけとなった居場所。そこに新しい住人がやってきたのだから。勇者部の良さは彼女にも分かってほしい。

 

 きっと友奈達もそう思っている筈だ。それに彼女は態度がアレでも熱意自体はハッキリしている。勇者部は頑張る人達を支え助ける部活でもあるのだから、自然とみんなも三好さんの力になろうと思っているのかもしれない。

 

 だからまずは……攻略法を見つけないと。

 

「全くホントここの連中は…! せいぜい私の足は引っ張らないでよ!」

「えへへ……一緒に頑張ろうね!」

「が、頑張るのは当然よ!」

「……ん?」

 

 今友奈に対して少し照れていたようなリアクション。うっすらと頬が赤くなっているし……勇者部にも監視のためとか言いつつも元々は馬鹿にしていた感じなのに入るのを決めたり……

 

 ……もしかして彼女、押しに弱い?




 次回、にぼし攻略編


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第十九話 「馬鹿みたいに笑い合える心地良い一時」

 一度完成したものをボツにしたり、リアルでもかなり忙しい時期に突入したりで遅れてしまい申し訳ありませんでした! ただこれからもまだ忙しい日が続くので8月中の更新は難しいです。楽しみにしていただいてる方々には申し訳ありませんが、お待ちしていただけると幸いです。

 あと、今までバーテックスを無意識に「~型」ではなく「~座」と書いていた事をお詫び申し上げます。


「夏凜ちゃんおはよう!」

「結城友奈………フンッ…」

 

 

 

「夏凜ちゃん昨日の宿題解った? 私ちょっと自信なくて~!」

「……当たり前よ」

 

 

 

「速ーい! 夏凜ちゃん! みんなビックリしてるよ、すっごいね~って!」

「……勇者はね、すっごくないと世界を救えないのよ」

 

 

 

「夏凜ちゃん! 一緒にお弁当食べよ♪」

「あんた今日一日一体何なのよ!」

「あ、やっと聞いた」

 

 今日一日友奈と三好さんの様子を観察していていたがようやく指摘が入ったようだ。朝から何かがある度どころか何もなくても話しかける友奈をここまで怒らなかったのは逆に凄い事なのでは…?

 けど彼女がここまで友奈をぞんざいに扱わなかったのも多少は想定内である。私の予想だと三好さんは押しに弱い。友奈に入部を迫られた時に呆気なく戸惑っていたり、入部を決めた後の友奈の頑張ろうという応援の言葉に顔を少し赤らめていたから多分そうじゃないかしら。

 

 詰まる所その原因は彼女のこれまでの対人関係によるものではないか……私はそう考えた。彼女、三好夏凜には心許せる友人がいない。それ故に同じ年頃の私達との距離感が掴みきれずにいるのでは……と。

 

 勿論これは私の勝手な想像、妄想と言ってもいい。私は三好夏凜ではないのだし、彼女の素性も考えも何も知らないに等しいのだから。

 

 だけど彼女が私の思った三好夏凜像に近いのであれば話は早い。押しに弱いという弱点を狙い撃ちにして距離感を狭めていけばいいのよ。

 そのために私は吹き込んだのだ。初めて私の友達になってくれた結城友奈(コミュ力お化け)三好夏凜(ぼっち)の本心(妄想)を。友奈も三好さんと仲良くなりたいと呟いていたため、積極的に話し掛けていけばいいとアドバイスをした結果がこれである。

 

「ふえ? 何が?」

「何がってこっちのセリフよ! 朝からずっとしつこく付きまとってどういうつもりなのよ!」

「あのね、私夏凜ちゃんとたくさんお話したかったんだ~!」

「はぁあ!? 意味が分からないわよ! 別にあんたと話すことなんか何もないでしょ!?」

「嫌…?」

「うっ…! ……別に嫌ってわけじゃ……」

 

 ふっ、チョロいわね。あんなに否定したのにちょっと引く姿勢を見せれば気まずそうにお茶を濁す。

 完成型を強調するあたり勇者になった誇りでもあるみたいだけど、自分自身の本当の気持ちと向き合えていないのよ、あの三好夏凜って子は。

 

「ねぇほむらちゃん、友奈ちゃん大丈夫かな? 三好さんに嫌われるようなことにならなければいいのだけど…」

「大丈夫よきっと。三好さんも悪い子ってわけでもないだろうし、それに…」

「それに?」

「あの子を好きになる人はいても、嫌う人なんていないわよ」

「……ふふっ、そうね。それが友奈ちゃんの凄いところだもの」

 

 友奈のひたすらに前向きな性格にはいつだって助けられている。お気楽で馬鹿な所も数えたらキリがないけどそれすらも彼女の魅力なのだから。

 東郷も私も友奈の温かさは充分身に沁みた。勇者部に入ってから大きくなった繋がりも始まりはこの三人だった。その三人が仲良くなったきっかけだって最初は友奈が生み出したものなのだ。

 

 友奈には安心して私達の命だろうと託せるかもしれない。あの子は人の心を繋ぎ合わせる存在だ。例えはぐれ者の三好夏凜でも私達の輪に入れられる……私はそう信じている。

 

「あーもう、分かったわよ。一緒に食べればいいんでしょ…」

「本当に!? イヤッホーーー!!! ありがとう夏凜ちゃん!!」

「ああもう、はしゃぐな!! こっちが恥ずかしくなるじゃない!」

「東郷さーん! ほむらちゃーん! 夏凜ちゃんも誘ったよー!」

「なっ…! ちょ、その二人も一緒なの!?」

「それと風先輩と樹ちゃんも誘うんだ~。勇者部六人みんなで!」

「聞いてないわよ! ってこら! 引っ張るな!」

 

 友奈らしいポジティブすぎる行動に東郷が微笑み、私もスマホを取り出してNARUKOで風先輩と樹ちゃんにメッセージを送る。返事はすぐに返ってきて二人とも快諾。彼女達も三好さんを受け入れる気でいるのだと思わず笑みがこぼれた。

 

 

◇◇◆◆◆

 

 風先輩が部室の鍵を借りてきたから部室で弁当を食べる流れになる。ちょうど依頼についての話がしたかったらしく、その件もついでに話すみたいだ。

 それよりもまずはご飯が先。弁当を取り出していただきますと声が揃うと風先輩が真っ先に私の弁当に気付いた。

 

「ん? ほむら、その弁当もしかして自分で作った?」

「ええ。よく分かりましたね」

「なんだか形がちょっとだけ崩れてるみたいだったからね。慣れてるお母さんが作るにしては珍しいミスだし」

「少し躊躇ってしまって失敗してしまいました。私も料理はまだまだです」

「へー、でもほむらちゃんのおかず美味しそう」

 

 前に樹ちゃんとケーキを作ってからというもの、以前よりも料理をするようになっていた。あの時はいろいろあったけど大成功で幕を下ろしたが、みんなが幸せそうに食べてくれた事が嬉しくて樹ちゃんと二人で喜び合った。

 その体験をしたからもっと料理が上達したいと思う事は別に不思議ではないはずだ。それに勇者部には風先輩と東郷という料理上手が二人もいる。彼女達を目標に頑張り続けるのも悪くはない。

 

「すごいなぁ、ほむらさんは。私ももっと料理を練習しようかな」

「……やるんだったら絶対に風先輩に見てもらいながらやってね? 絶対だからね? 一人じゃ駄目だからね? 風先輩も、いいですね?」

「どんだけ念を押すのよ……まぁ、それもそうか…」

 

 ……果たして樹ちゃんの料理が上達する日はくるのかしら? 先輩として応援するけどそうなる未来が見えない……。

 

「ねえねえ、ほむらちゃんの作ったお弁当ちょっと食べさせて?」

「ええいいわよ。好きなの持って行って」

「「「あっ、じゃあ私(アタシ)も」」」

「ちょ、あなた達ハイエナ!? 風先輩持っていきすぎです!」

 

 友奈が私の弁当から出汁巻き卵を取っていった瞬間に他の三人が同時に残りをかっ攫っていった。特に風先輩の暴虐で彼女一人におかずの五分の三が略奪された。

 食べるのはいいけど量は考えなさいよ! 私の食べる分がなくなるじゃない!

 

「まあまあ、アタシの弁当も食べていいから」

「私のもどうぞ。お姉ちゃんのと一緒ですけど」

「勿論私のもね。おかずの交換よ」

「……それじゃあ遠慮なく」

「ちょぉい!? アタシの弁当の白飯以外全部ぶんどった!?」

 

 取られた分は奪い返す。ただし風先輩のだけは気持ち多めにいただいた。風先輩が抗議の声を上げるものの口に入れてしまえばこっちのものだ。

 

 そりゃあ風先輩の料理はおいしいもの。普段は明るいけどサバサバしていてオヤジ臭い面が目立つが、伊達に女子力女子力と口癖になっているわけではない。家事全般や料理の事となれば本当に女子力が高いのよね……。

 

「ほ、ほむらさん、私には少し遠慮を……」

「分かっているわ。樹ちゃんは育ち盛りなんだからいっぱい食べないと。その分東郷から貰うから」

「こっちはたくさんあるから気にしないで食べていいわよ。はい、あーん♪」

「それはやらなくていいって…」

「それじゃあ私が、あーん♡」

「うふふ、友奈ちゃんったら」

「ほむらぁ! アタシのおかず返せー!」

「先に奪ったのは風先輩でしょう!」

 

 お互い満更でもない笑顔でいつも通りのやり取り。否、この二人だけじゃなくて私達五人のいつも通りの平穏な日常の一部分だ。この面子が揃った時こそ馬鹿みたいに笑い合える心地良い一時なのだ。

 

「……あんた達、食べる時ぐらいは静かにしなさいっての」

 

 和気あいあいとした空気に水をぶち撒いた自称完成型に私達の視線が集中する。彼女の手元にあるプラスチック製の使い捨ての容器に。

 

「……何よ全員して……交換しないわよ」

「いや、夏凜あんたそれコンビニ弁当じゃないの。栄養偏るわよ?」

 

 一人だけコンビニ弁当を無言で食べていた三好さんに勇者部のオカンこと風先輩が指摘する。たまに食べるのであれば大丈夫だが、もしコンビニ弁当が毎日続くようであれば体を作る中学生という大事な時期なのに栄養が偏るせいで悪影響を及ぼしかねない。

 

「余計なお世話。私にはこれがあるからいいのよ」

「……にぼし?」

「ビタミン、ミネラル、カルシウム、タウリン、EPA、DHA……にぼしは完全食よ」

 

 いつの間にやら手に取った袋からにぼしを取って食べていた。まぁ確かに栄養満点なのはその通りだろうけど、今日日にぼしを好んで食べる女子中学生なんて聞かないわよ……。

 

 でも見事に一人だけ浮いてるわね……よし、押そう。

 

 席を立って彼女のコンビニ弁当の上に少しだけ焦げ目の付いた出汁巻き卵を乗っける。「はぁ!?」と聞こえたけど無視すると、続けざまに友奈もちくわの磯辺揚げを置いていった。

 

「な、何なのよ! 交換しないって言ったでしょ!」

「いいから食べなさい。せっかくあなたにも喜んで貰いたくて作ったんだから」

「なあっ…!!? なんで私も数に入れてんのよ!!?」

 

 ……半分嘘だ。自分で作った理由は料理の練習を兼ねて……みんなにあげるつもりで作ったわけじゃない。けれどもおかずを交換する事になれば、その時には美味しいと喜んでもらいたいという願望はあったけど。

 

 取り敢えずは彼女のために作った事にしておけば拒絶はしにくいでしょう。友奈も便乗してくれたからますます。

 

「私は自分で作ったわけじゃないけどこの磯辺揚げとっても美味しかったから、夏凜ちゃんも食べて食べて!」

「私の煮物もどうぞ。たくさんあるので是非」

「むむむ! 後輩達がお弁当で新入部員を歓迎とな? ええい、持ってけアタシの白飯ー!」

「お姉ちゃん、ご飯だけはちょっと……私からも、ハンバーグどうぞ。これお姉ちゃんが作ったんですよ」

「ちょちょちょあ、あんた等!?」

 

 見る見るうちにコンビニ弁当の上に積み重なるおかず(ほぼ煮物、白飯含む)に慌てふためく様を露わにする。まさか三好さんも五人全員におかずを分け与えられるとは思わなかっただろう。

 

 こんなにもお人好しで真っ直ぐな意思を持っているからこその勇者部なのだ。変だとか珍しいだとかいろんな人にも言われるし私自身もそうだと思っているけど、誰もが気に入ってくれた大切な存在に違いない。

 

「勝手に人の弁当を増量するとか…! 分かったわよ! 食べりゃあいいんでしょ! ったく…!」

 

 勇者部への勧誘もお昼の誘いも、文句を言いながらもちゃんと受け取るのは彼女の良い所ね。絵に描いたような素晴らしいツンデレ反応なこと。

 

 ただこの様に親切にされたことが無いのか、表情はやや困惑気味だ。私の出汁巻き卵を箸で掴むとその表情のまま口にして咀嚼する。

 

「どうかしら、三好さん?」

「…………まあまあ…」

「まあまあ?」

「……まあまあ、その……美味しいんじゃないの…」

 

 その瞬間、全員の体が自然に動いて喜びを分かち合うハイタッチ。

 デレたのだ。三好さんが嫌っている筈の私の出汁巻き卵を食べて美味しいって少し顔を赤くしてデレたのだ。これは私の料理としても三好さんのこれからとしても記念すべき一歩だわ!

 

「な、なによ……大袈裟ね…」

「夏凜ちゃん、もっと食べていいからね! はい、あーん♪」

「ちょぉっ!!? 自分で食べられるっての!」

「次は煮物を食べてみてください。南瓜も大根も味がしっかり染み込んでますよ」

「あんたのその煮物推しは一体何なの!?」

「夏凜だってにぼし推してたじゃない。あっ、これ、食べてみると案外イケるかも?」

「人のにぼしを盗るんじゃないわよ!」

「……ん、確かに悪くはないわね…」

「人の話を聞きなさいっての! あんたまで勝手に食うな!」

「えっと、私もにぼしをいただいてもいいですか?」

「あーーもう、どいつもこいつも……! もう勝手にしろーーっ!!」

 

 部室に絶叫が木霊する。それは勇者なんていう過酷な御役目を課せられた者とは思えないほど愉快なもので、まだ彼女は納得はしないだろうけど確かに心の距離感は近付いたのだろう。

 

「友奈」

「うん、なに?」

「今度の日曜…楽しみね」

「うん!」

 

 三好夏凜と心を通わせるようになる時まであと少し。その時彼女は一体どう変わるんでしょうね。



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第二十話 「家族や友達を大切に」

 お待たせしました! やること全部片付いたので再開です! これから遅れた分もガンガン書いてイクゾー!

 ……で、なんですかねコレ? なんでいきなり1万5千字いっちゃってるんですかねぇ……


 私がこの学校に転入してからここの勇者達に抱いた印象はどいつもこいつもお気楽ムード。それはあの暁美ほむらにだって当てはまっていた。それに連中がお気楽なのは全員が自覚していると来たものだ。あいつ等は勇者としてではなく勇者部の人間として日々を謳歌していた。もはや腹立たしいとムカつく気力さえどこかに行ってしまいそうになってしまう。けど……暁美ほむらが私のために弁当を作ってくれた事、嬉しくなかったわけじゃない。

 

 ……仕方ない、ここは私がこいつ等を引っ張らないと戦えるものも戦えなくなってしまう。情報の交換と共有をさせないと……。

 

「ごちそうさま! こりゃぁほむらの腕が上達するのが楽しみだわ」

「ありがとうございます。目標が風先輩と東郷だから頑張りますよ」

「このこの~! 嬉しい事言ってくれるじゃない」

「ほむらちゃんがその気なら美味しい日本食の作り方を伝授しようかしら」

「東郷が教えるなんて絶対スパルタになりそうね」

「本気で教えるならその分厳しくなるのは当たり前よ」

「でもいいかもね。お願いするわ」

「スパルタって分かるのにお願いするんだ……すごいなぁ」

「樹はアタシが優しく教えるわよ。あんたも料理がうまくなりたいんでしょ」

「友奈ちゃんもどう? 手取り足取り優しく教えるわ」

「私と友奈の差に異議を唱えたい…」

「う~~ん………私は作るよりも、東郷さんとほむらちゃんが作ったお料理を食べる方がいいなぁ」

「あらあら、友奈ちゃんったら。ほむらちゃん、友奈ちゃんが美味しいって叫べる最高の日本食を作りましょう! 手は一切抜かないわよ!」

「余計にハードルが上がってるじゃない!」

「「「「あははははは!!」」」」

 

 ほらこいつ等! 勇者として今後を見据えるんじゃなくて料理を教わる話をしてるじゃない! そんな場合じゃないでしょうが!! バーテックス共と戦う御役目をなに放置してんのよ!!

 

 頭痛がしてきた……私が仕切らなければこいつ等は勇者として戦闘の作戦立ても訓練も何もしないに違いない。無駄に時間だけが変な活動に消えていくだけだ。

 

 気を落ち着かせるために袋の中からにぼしを摘まみ取って齧る。そして昼前よりも明らかに軽くなった袋を見て、こいつ等に貪られた事を思い出して溜め息を吐く。家にはまだまだにぼしのストックはあるものの、こいつ等にあげるために用意したわけじゃない。

 

「夏凜ちゃん? 難しい顔してるね?」

「誰のせいよ…」

「もしかして三好さんも日本食の指導を?」

「んなわけないでしょ!!」

 

 本当にどいつもこいつも馬鹿ばっか! そしてその輪の中に私を引きずり込もうとするんじゃないわよ!!

 

「あんた達、少しは勇者としての自覚を持ちなさいっての! こっちは遊びでここに来たんじゃないのよ!」

「生憎と、私達は勇者である以前に勇者部の一員なの。常日頃からピリピリするなんて性に合わないのよ」

「そーよ。あんたも勇者部に入ったんだからそうカッカしなさんなって」

 

 そう言ってしたり顔で昨日書かされた私の入部届を見せ付けられる。だが何度も言うようだけど私が入部したのは馴れ合うためじゃなくて監視のため。そもそもこいつだって大赦から派遣された人間だったような……。

 

「……もういい。あんた等に何言っても無駄だってよーーーーく分かったから」

「えへへ、私達の事が夏凜ちゃんにもうよく分かってもらえたなんてなんだか嬉しいね」

「……そんな反応が返ってくるのは予想外だったわ」

 

 嫌味も通じないとなればもうお手上げだ。早いとこ伝える事を伝えて、このゆるゆるした空気をなんとかしなければ。

 

「あんた達があまりにも脳天気だから、今がどれだけ危機的状況なのか説明してあげる」

「危機的?」

 

 やっぱり自覚してなかったのね。小さく溜め息を吐いてからチョークを手に取り黒板に分かりやすいよう図や説明文を書いていく。こんな気遣いができるのも完成型勇者として当然の事よ。

 

「バーテックスの出現は約二十日に一体と周期的なものと考えられていたけど相当に乱れてる。これは異常事態よ」

「一ヶ月前にも三体同時に出現しましたね」

「それにその時は連日襲って来たわね。かと思えば次が一ヶ月以上も間が空いたし…」

「帳尻を合わせるために今後は相当な混戦が予想されるわ。気をつけて挑まないと、命を落とすわよ」

「うぅ…」

 

 これまでバーテックスを五体(その中の一体は私が)倒している。現段階では誰も犠牲にはなっていないが今後も無事に終わる保証なんてどこにもない。トーンを落としてそれがいかに恐ろしいのか言い放つと、この中で一番大人しそうな犬吠埼樹が息を呑んでいた。

 改めて言葉にしたことで事の重要性を理解したのだろう。でも私達は勇者なのだ。命懸けの戦いが恐くたって逃げ出すことは許されない。

 

「大丈夫よ樹。アタシが誰も死なせない。必ずみんな守ってみせるから」

「お姉ちゃん……うん、私もみんなを守るよ」

「……ただ大人しくて脳天気なだけかと思ってたけどそんな顔もできるのね」

 

 守ると宣言した樹に私は素直に驚いていた。さっきの怯えていた表情は一瞬の気の迷いだったのではないかと思ってしまうほど、今のこいつの目は決意に満ちていた。自分の使命から目を背ける気のない、強者のような気迫があるとも言えるだろう。

 

「勇者部六箇条、家族や友達を大切に、です!」

「は? 何よそれ?」

「うちのスローガン、勇者部六箇条」

 

 風に指された方を見ると勇者部六箇条と書かれた貼り紙があった。挨拶はきちんと、家族や友達を大切に、なるべく諦めない、よく寝てよく食べる、悩んだら相談、なせば大抵なんとかなる……呆れた、なるべくとかなんとかとか見通しが甘すぎだしふわっとしすぎ。

 

「どうせくだらないとか思ってるんでしょうけど、樹ちゃんのさっきの言葉に嘘偽りはないわよ」

「はい! 大好きなお姉ちゃんと、支えてくれる大切な先輩の皆さんと一緒にいるんです。私達の日常を失わないためにも絶対に勝つんです!」

「そう…」

 

 勇者部六箇条だかなんだか知らないけど、意外にもこの子は強いのね……少し見直したわ。

 

「いちゅきぃ……いちゅきの口からそんな立派な言葉が出てくるなんてぇ…!! アタシ…! アタシ……!! うおぉぉぉん!!!」

「わっ!? お姉ちゃんどうして泣いてるの!?」

「出た! 風先輩の『樹ちゃんが立派に成長したで症』!」

「嬉しくなる気持ちは分かるけど、いい加減樹ちゃんの成長に慣れてくれないかしら?」

「多分無理だと思うわ。風先輩だもの」

 

 他の連中の印象は変わらないけど。むしろいきなり号泣し出して後輩と妹四人掛かりで慰められている風に至っては悪化した。

 

「ったく、話はまだ終わってないっての。他にも戦闘経験値を貯める事で勇者はレベルがあがりより強くなる。それを“満開”と呼んでいるわ」

「えっ! そんなのがあるの!?」

「満開の事ならアプリにも書いてあったわよ。友奈ちゃん」

「あ、あれ? そうだったっけ?」

「そうよ。バーテックスや御霊にダメージを与えたり、向こうの攻撃を精霊のバリアで防いだ際に勇者服にある満開ゲージが貯まると書いてあったわ」

「ええっと……あ、本当だ」

「あはは、ほむらちゃんも知ってたんだ…」

 

 反応からして満開の存在を知っていたのは暁美ほむらと東郷美森の二人。犬吠埼風は未だ泣いているままだから読み取りにくかったけど、仮にもこいつも大赦の人間だし知らなかったことはないでしょう。

 結城友奈と犬吠埼樹は知らなかったみたいだし、確認しておいて良かったわ。

 

「満開を繰り返すことでより強力な勇者へとパワーアップしていく……これが大赦が作り出し、バーテックス殲滅のために改良を重ねた勇者システムよ」

「へー、すごいね!」

「三好さんは満開経験済みなんですか?」

「………いや、まだ……」

「なによぅ…! あんたもアタシ達と同じレベル1なんじゃないのよぅ…!」

「き、基礎能力値が違うのよ! てか、いい加減泣き止めっての!」

 

 痛いところを突かれてしまった。私の戦闘能力がこいつ等よりも高いのは疑いようのない事実だけれども、戦いは一昨日のが初めてなのだ。満開経験済み以前にゲージはほとんど貯まってすらいない。

 

「ねえ! 夏凜ちゃんも私達と同じなんだったらこれから一緒に頑張っていこうよ!」

「必要ないわよ。私は今まで一人でやっていけたんだから」

「でも……」

 

 うっ、いちいちそんな悲しそうな顔を見せるなっての…! まるで私が向こうを傷つけているみたいじゃない。

 

「……一人って寂しくない?」

「はあ?」

「私は嫌だよ。自分の見えるところにいる友達が一人ぼっちだなんて…」

「な、なぁぁぁ!!?」

 

 突然の身に覚えのない発言に戸惑いを露わにしてしまった。だって今の言葉…! 私が思ってしまった通りならこいつは私の事を、ととととも、とも……!?

 

「だ、誰が友達ですって!?」

「誰って……夏凜ちゃん」

「いいいいつ私があんたの友達になったっていうのよ!!?」

「いつ友達になったのかなんてどうでもいいよ。時間なんて関係ないんだもん。ただ私は夏凜ちゃんと仲良くしたいの! そのためだったら私、なんでもできるから!」

 

 私には友達なんて存在は必要ないと思っていた。私は他よりも優れている存在……友達なんてものに頼ることしかできない普通の人であっては駄目なんだ。

 

 なのになんで目の前のこいつは真っ直ぐな目をしているの!? なんで会ったばかりの私にあんな言葉が言えるの!?

 こんなの普通じゃない……私が目指していた優秀な人間とは全然違う、けど心惹かれそうになるこの気持ちは一体何なの!?

 

「勇者部六箇条、家族や友達を大切に! 夏凜ちゃんもこれからみんなともっと仲良くなろうよ!」

「~~~~っ!!!」

「夏凜さん、顔がすごく真っ赤だ…」

「初々しい反応ね」

「あらあら、うふふ……」

「…ひぃっ!? 東郷からどす黒いナニカを感じる…!」

 

 ちょぉあんた等、見てないでこいつをなんとかしろーーー!!!

 

『キーンコーンカーンコーン…』

「んぁ、もうこんな時間? 活動の話ができなかったじゃない」

「それはまた後からですね。ひとまず教室に戻りましょう」

 

 よっしゃぁ、昼休みが終わった!! これでこの場は切り抜けられる!

 

「次の授業は……家庭科の調理実習だったね。夏凜ちゃん一緒にやろう!」

「切り抜けられてない!? ていうか勝手に決めるんじゃないわよ!!」

「大丈夫だよ! 勇者部六箇条、なせば大抵なんとかなる!」

「そういう意味じゃないわよ!」

 

 どんな言葉も都合よく解釈するのかこいつは!? 脳天気だ馬鹿だいろいろ思ってきたけど厄介極まりない存在じゃない!

 結局私の抵抗むなしく、がっしり掴まれた手を引っ張られながら教室へと連行されてしまう。こっちはそんな風にされるのなんて慣れてないっていうのに……!

 

 

 

「……あの、東郷…?」

「何かしらぁ、ほむらちゃん?」

「約束通り料理を教えてくれるのは嬉しいのだけど、さっきから悪寒が……笑っているのに顔が全く笑ってないのだけど……」

「うふふふ、嫌だわほむらちゃんったら♪」

 

 ちなみに結城友奈が引っ付いていて集中できなかったが故に気付かなかったのだが、次の授業の間ずっと家庭科室の空気が重くて謎の寒気が充満していたとか……

 

 

◇◇◆◆◆

 

「「つ、疲れたわ…!」」

「いや、なんでほむらも消耗しきってるのよ?」

「東郷が「あっ、お疲れ様です」」

「反応速っ…!」

 

 放課後部室に着くなりこぼれた言葉が偶然ハモった。向こうに何があったのかよく分からないけど、こっちだって大変だったのよ。元々料理なんてしたことなかったのに調理実習とか……。しかも結城友奈のスキンシップが激しくて手元が狂うわ調子狂うわでしっちゃかめっちゃかだった。

 

「でも見てください風先輩。ほむらちゃんと二人でぼた餅も作ったんですよ。みんなで食べましょう」

「おっ、でかした東郷、ほむら!」

「わーい! 東郷さんとほむらちゃんのおっ菓子♪ おっ菓子♪」

「ありがとうございます。取り皿とお箸持ってきますね」

 

 そして昼間のようなほのぼのとした時間が再び訪れる。私の所にもさも当然のように箸とぼた餅が置かれて他の奴等は揃ってぼた餅を食べ始めていた。

 

「あ”あ”ぁ……甘味が五臓六腑に染み渡るんじゃぁ」

「またそんな女子力の欠片もない事を…」

「でもやっぱり美味しいです! 私もいつかこんなに美味しいものが作れるようになりたいなぁ」

「樹ちゃんは将来立派な大和撫子になれる器があることだし、私の技術や思想全てを伝えるのも悪くないかも」

「思想は止めなさい」

「ごちそうさまでした! ありがとう東郷さん、ほむらちゃん! とっても美味しかったよ!」

「お粗末様でした。友奈ちゃん達に喜んでもらえて何よりだわ」

「そうね。また今度も食べてもらえる?」

「「「もちろん(です)!」」」

 

 ……楽しそうね、こいつ等。私や訓練生時代の同期達とは大違い。普通は人類の存亡が懸かった御役目を受けたらピリピリするのが当たり前なんじゃないの?

 

「さて、お腹も満たしたことだし、今日の活動を始めるとしますか!」

「「「「はーい!」」」」

 

 いや、多分これだからこそこいつ等はバーテックスと渡り合えてるのだろう。こんな風に笑い合えるからこそ、仲間達の存在が精神の大きな支えになっている。過酷な御役目を果たすための強大な武器になっているようなものなのかもしれないのだ。

 

「───というわけで、今週末は子供会のレクリエーションをお手伝いします。今回も勇者と魔法使いと魔王の人形劇をやりますので、前回の反省を活かして頑張りましょう」

「ですって、友奈?」

「あはは…気を付けまーす…」

「その他には?」

「子供達に折り紙の折り方を教えてあげたり、一緒に絵を描いたり、やることは沢山あります」

「なるほどねぇ……夏凜には暴れ足りない子達のドッジボールの相手になってもらおうかしら」

 

 ………は?

 

「ちょっと待って、私もなの!?」

「昨日入部したでしょ? ここにいる以上、部の方針に従ってもらいますからねぇ」

「だからそれは形式上って言ってるでしょ!」

 

 この際こいつ等の奔放さはどうでもいい。もう諦めかけている。けどその中に私を巻き込もうとするな! 私まで馬鹿になる!

 

「だいたい私のスケジュールを勝手に決めないで!」

「夏凜ちゃん日曜日用事あるの?」

「う…いや……」

「だったらやろうよ! 夏凜ちゃんの親睦会も兼ねて!」

「なんで私が子供の相手なんか…!」

「嫌…?」

 

 あーーーもおおおお!!! どうして毎度毎度そんな棄てられた子犬みたいな目で悲しむのよぉ!!! 罪悪感が半端ないじゃないの!!

 

「わ…わかったわよ、日曜日ね。…ちょうどその日だけ空いてるわ…」

「よかったぁ!」

「よし、みんな揃った!」

「じゃあこれ、三好さん」

「……何よこれ」

「折り紙の練習本、それと練習用の折り紙。家でやってみてちょうだい」

「……はいはい…」

 

 ほんと、緊張感のない連中……こんな非常時にレクリエーションだなんて…。

 

 

◇◇◆◆◆

 

 そして日曜日、いつもなら鍛練の時間だが今の私はいつもの浜辺ではなく勇者部の部室前に立っている。

 結局来てしまった……何考えてんのよ私は……。しかもちゃっかり暁美ほむらに言われた通り、昨日まで折り紙の練習までやって……。

 

 でもまだ誰も来ていないのか部室の中はやけに静かだ。集合時間が10時で今はそれよりも15分前だからまだ全員が来てなくても不思議ではないのだけど……

 

「来てあげたわよ………って、なによ、まだ誰も来てないの?」

 

 私が一番乗り? あんなに楽しみにしてたくせに全員私よりも後に来るなんてだらしない。

 

 

 5分経過、まだ来ない。

 

 10分経過、部室の外を覗き込んでも誰の姿も見えない。そして10時になっても私以外の奴が部室に来ることはなかった。

 

「……どうしたのよあいつ等…」

 

 さすがに変だ。一人だけならまだしも五人全員が遅刻だなんて。連絡してみるべきか……いやいい、もう少し待とう。

 

 それから何分も待っていても誰もやって来ない。これはおかしい……あいつ等がいかに間抜けな連中と言えども来ないなんて。ましてやその中には暁美ほむらもいる。あいつがクラスの誰もが認める優等生だという事はもう知らされていたし、授業中の様子もあってからか気に食わないけど、そう言われる事は納得していた。そんな奴まで一緒で来ないなんて事があり得るだろうか?

 

「……ひょっとしてこれ……」

 

 考えられる可能性として、あいつ等はここではないどこかに既に集まっている…? じゃあなんでそんな事になっているのか……

 もしかしたらの考えが過り、ポケットからレクリエーションの予定が書かれたプリントを取り出して確認すると、案の定だった。

 

「現地集合……しまった、私が間違えてた……」

 

 10時に部室ではなく児童館に集合。道理で誰もここに集まらないわけだ。それに気付くと背中に嫌な汗が滲んでしまったのを感じる。遅刻していたのはあいつ等じゃなくて私の方で、既に30分もオーバーしている。今から走って行ったところで11時からの折り紙教室に間に合うかどうか……というか児童館の場所をよく知らない。連絡していればよかったと後悔しそうになる。

 

『ピロピロピロ!!ピロピロピロ!!』

「ひゃあ!? でっ、電話!?」

 

 落ち込んでいた所に着信音が鳴り響いて思わずドキッとしてしまった。そしてスマホに表示された相手の名前を見てますます混乱してしまうことになる。

 

「こっこれ結城友奈!!? あっちからかかってきた!? えと……ええと…」

 

 どう考えても迷惑を与えているのは私の方だ。遅刻しているくせに連絡も入れていないのだから。気まずくてこの電話をどうすればいいか全く分からない。

 そして結局私は電話に出なかった。慌てていたせいで指が着信を拒否する方に当たってしまい切ってしまった。

 

「ど、どうしよう……かけ直した方が………………何をやっているのよ私は……」

 

 電話をかけ直さず、スマホの電源を落として部室を後にした。今更児童館に行く気は私にはなく、来た道をそのまま通って自分のマンションに戻る。着替えて慣れ親しんだ木刀を手に取りいつもの浜辺へ。このモヤモヤを消すために、ひたすら一心に鍛練を始めた。

 

「……関係ない」

 

 そうよ。部室なんて最初から行きたかったわけじゃないし。神樹様に選ばれた勇者がのん気に浮かれていいわけがない。

 

『よろしくね夏凜ちゃん!』

「…っ、私はあんな連中とは違う…」

 

 日が暮れるまで鍛練に没頭しても何故か心の中のモヤモヤはなくならない。それどころか逆にあいつ等の笑顔を思い出してしまう。

 

『せっかくあなたにも喜んで貰いたくて作ったんだから』

「……うるさい…!」

 

 素人に毛が生えた程度の出来なのに、妙に温かく感じた弁当を思い出してしまう。

 

『夏凜ちゃんもこれからみんなともっと仲良くなろうよ!』

「なんなのよもう!!」

 

 モヤモヤを消そうと思えば思うほどこの数日間のあいつ等とのやり取りが浮かび上がる。うるさくてばかばかしくて……楽しそうな思い出が。笑い合っていた優しさ溢れていた時間が。

 

 やがてマンションの自分の部屋に戻っても全然スッキリしない。結局、私とあいつ等は違う立場なんだと思うことにした。あいつ等にとってはあれが普通だ。けど私は普通じゃなくていいのだと。

 あいつ等は所詮試験部隊で私は周りに期待されている完成型……だから私は普通じゃなくていい……。

 

『………』

「っ…! 何者!」

 

 ふと部屋の中だというのに何者かの気配を感じ取った。謎の不審者を迎え撃つべく木刀を構え、臨戦態勢に入る。一体誰が何のための侵入したのか知らないけどいい度胸ね……今の私は虫の居所が悪いのよ。

 気配のある方へと意識を集中させる。するとそこに一つの小さな生き物が歩いてきた。一匹の黒猫が…。

 

『………』

「……って、えっ…? 猫…? 何で私の部屋に…」

 

 どこかから入ってきたのよこの猫……ん…?

 ……これ猫? 猫と言われればそう言えるのだろうけど、なんか普通じゃないというか……なんか猫をデフォルメ化したみたいな感じの生き物なんだけど。でもどこかで見た覚えがある。こんな感じの変な黒猫で、尻尾が二つに分かれている……

 

「ってあんた暁美ほむらの精霊じゃない!!?」

『ピンポーン』

 

 私が叫んだのとほぼ同時にインターホンが鳴る。その音を聞いた精霊はふわりと浮かび上がって玄関の方へと漂っていった。

 

『ピンポーンピンポンピンポンピンポーン』

「誰よさっきから何度も!!」

 

 インターホンを連打する誰かに怒鳴るも内心それどころじゃなかった。というか誰が鳴らしているのかなんて答えは既に提示されていたようなものだ。暁美ほむらの精霊が侵入していたということは、その当人がすぐ近くにいるのに他ならないのだから。

 

 そしてその精霊が向かった先は玄関だ。慌ててリビングから飛び出ると、そこには精霊が前脚を器用に動かして鍵を開けているところだった。

 

「ちょぉ!?」

 

 止めようとしたけどもう遅かった。鍵はすんなり開けられた上に、扉も何の躊躇いもなく開かれたのだから。

 そしてその先にはやはりと言うべきか、あの五人がいたのだった。

 

「あ…あんた達……」

「ありがとうエイミー、様子見に行ってくれて」

「よかったぁ、寝込んだりしてたんじゃなかったんだね」

「お姉ちゃんインターホン押しすぎ……エイミーが戻ってくるまで待とうよ?」

「だってこっちも心配だったのよ? 何度も電話してんのに電源オフにされてちゃ分かんないでしょ」

「えっ……心配?」

 

 五人の顔を見ると、どいつも安心したかのような表情だった。そこで私は連絡を入れなかったせいでこいつ等に心配をかけていたという事に思い至った。

 確かにみんなは来るとばかり思っていたのに、来ないどころか連絡すらなければ困るどころではないだろう。……気まずい…。

 

「んじゃ、上がらせてもらうわよー」

「え?」

「お邪魔します」

「お邪魔します」

「はぁ!? ちょっと!!?」

 

 気を病んでる所に勝手に部屋の中にズカズカ入ってくるなんて誰が想像できる!? ちょっと! 何で誰も止めようとしないのよ!? むしろ全員入ってくるなんて何考えてんのよ!? 意味わかんない!!

 

「はぁ……殺風景な部屋」

「どうだっていいでしょ!」

「これすごーい! プロのスポーツ選手みたい!」

「勝手に触らないで!」

「わーーーっ!! 水しかない…」

「……友奈、こっちにはにぼしとサプリとプロテインの山が…」

「勝手に開けないで!!」

「ほらみんな、部屋の散策は後にして今は座りましょう」

「散策をするなって言ってんの! そもそも勝手に居座るんじゃないわよ!!」

 

 こいつ等本当に何なの!? レクリエーションをドタキャンした私への嫌がらせ!?

 

「夏凜ちゃん」

「何!」

「「「「ハッピーバースデー!!」」」」

「お誕生日おめでとう!」

「……えっ?」

 

 思ってもいなかった誕生日という言葉に唖然とする。そういえば確かに今日は6月12日の私の誕生日だ。レクリエーションの方に気が向いてて忘れていた……。

 

「どうして……なっ、なんで私の誕生日を……」

「これよ。入部届」

「あ…」

 

 この前書いたばかりの勇者部への入部届、私の字で自分の誕生日も書いていた。その時もまったく気にすることなく、ただ書かなければならないから書いただけで何とも思わなかったのに……。

 

「友奈ちゃんが見つけたんだよね」

「えへへ♪ あっ!って思っちゃった。だったら誕生日会をしないとって」

「歓迎会もできるねーって」

「みんな今日が来るのを楽しみにしていたのよ。ねぇエイミー?」

『♪』

「牛鬼もだよ。さっきから待ちきれなくて出て来ちゃったからね」

 

 そんな風に語り出すみんなは本当に嬉しそうにしていた。まるで自分が祝われる側みたいに喜んでいて、無邪気に笑って……

 

「本当は児童館で子供達と一緒にやろうと思っていたの」

「当日にサプライズで驚かせようと思って黙ってたんだけど」

「でも当のあんたが来ないんだもの。焦るじゃない」

「家に迎えに行こうかと思ったんだけど、子供達も激しく盛り上がっちゃって…」

「結局この時間まで解放されなかったのよ、ごめんね」

 

 前々から企画していたっていうの…? 来たばっかりで大して仲が良いわけでもないってのに、私のためにここまでやってくれたっていうの…?

 

『私は夏凜ちゃんと仲良くしたいの! そのためだったら私、なんでもできるから!』

「……ぁ」

 

 違う、仲が良いわけでもないって思っているのは私だけだ。みんな……友奈も、ほむらも、東郷も、風も、樹も……みんな私と仲良く過ごしたかったんだ…。

 

「あれぇ? ひょっとして自分の誕生日も忘れていた?」

「「「……それを風先輩(お姉ちゃん)が言います?」」」

「あ……あはは」

 

「………アホ、馬鹿、ボケ、お短子那須…!」

「えぇっ、ちょ、そこまで言うかぁ!?」

「…た、誕生日会なんてやったことないから! なんて言えばいいか分からなくて…」

 

 本当に分からない。今までこんなに嬉しいと思えた事があっただろうか、こんなに心臓が高なった事があっただろうか。

 誰かに心から“ありがとう”と言いたくなった事があっただろうか。

 

 私の情けない言葉にみんなは笑わず、微笑みで応えてくれた。

 

「お誕生日おめでとう」

 

 

 

 私の誕生日会は滞りなく進行した。途中で私の折った折り鶴を見られたりスケジュールを勇者部の活動で埋められたりもしたが……。

 文化祭で劇をやるだなんて話も出て、部長の風がさらに上機嫌になったりしたものだ。みんなでわいわい騒いで馬鹿みたいに笑い合う。そんな時間が過ぎていった。

 

「……ふぅ……ん? ほむら?」

 

 一旦お手洗いで席を外していた間に玄関の所でほむらが電話で誰かと話していた。向こうも私が出てきたのに気付いたみたいだけどそのまま相手と話していた。

 

「……うん、こっちは大丈夫。今? 今は友達の家に……ううん、新しく入ってきた子。あはは、分かってるって、気を付けるよ。うん、そっちも気を付けてね。お父さんにも大丈夫って伝えて……うん、おやすみ………母親からの電話よ」

「………あんたって親相手だと猫被ってる?」

「被ってるつもりはないわよ」

 

 いやどうだか、明らかに私達と話している時とトーンが違ったわよ。

 

「てゆーかあんたも親と離れて暮らしてるわけ?」

「違うわ。偶々両親が二人とも今日から出張で家を空けてるのよ。そういうあなたはやっぱり一人暮らしなの?」

「まあね……」

 

 数日間一人でいる娘に連絡ねぇ……私の所には一人暮らしを始めてから一度もないわね。来るなんて思ったことはないけど。私の親は私に期待しているわけじゃない。だからこそ私を認めてほしいと思っていたのに……。

 

「……ほむら、悪いけど私の話を聞いてくれない?」

「話?」

「……私はね、勇者になるまで誰にも期待された事がなかったのよ」

「………」

「私には年の離れた兄貴がいてね……そいつは勉強もスポーツもなんでもこなせる完璧人間だったの。人望も厚くて、認められていた。あんたみたいに……ね」

「……そう…」

「それで私の親の期待は全部兄貴に向けられていて、私が何かを頑張っても褒めてもらえることはなかった。もっと頑張ろうとして兄貴に勉強を教わろうとした事もあったけど、そしたら逆に怒られたわ。兄貴の邪魔をするなってね」

「……辛かったのね」

「……兄貴がすごいってのは分かってる。分かってるけど、比較すらされないで誰からも認められないっていうのは……悔しかった」

「……そう…でしょうね」

「だからこそ私に勇者の適性があるって判ってからは必死になって訓練に励んだ。健康面にもかなり気を遣うようにもなったし努力しなかった時間なんて全くないぐらい。……そうやって勇者になれて、ここに来て……私がバーテックスを殲滅して手柄を立てる事ばかりを考えるようになっていたわけ。兄貴みたいに誰からも認められる存在になりたくてね…」

 

 ……今思えば私がほむらの事を気に入らないと感じていたのは無意識の内にこいつと兄貴と重ねていたからなのかもしれない。初対面で得体の知れない奴と思っただけでなく、大赦の人間からもイレギュラーとしてだが注目されていて、学校でも文武両道才色兼備の人気者。そんな存在がやっと掴み取れた勇者の座に並んでいて、兄貴の時みたいに認められなくなるのが怖かったからなのだろう。

 

「……完成型という言葉に拘っていたり、やたらと傲慢な態度はそれが理由だったのね」

「うっ、うるさい…!」

「それで、どうしてあなたは私にこの事を?」

「……ただ腹を割って話したかっただけよ。ほむら、あんた前にあんたが望む未来のために戦うとか言ってたわよね? あんたの望む未来って一体何なの?」

 

 兄貴みたいになんでもできるこいつが命懸けの戦いを受け入れられた理由……多分普通に聞いても教えてくれるだろうけど、自分の戦う理由を明かしたのは私なりのケジメだ。悪く言えば、私はこいつを敵視していたのだから。

 

「……まず最初に言っておくけど、私がみんなに認められたというか、受け入れられたのは一年前の事よ。それ以前はむしろ怖いものを見る目で見られていたわ」

「えっ…?」

「ついでに言うと友達だって一人もいなかったわ。その時から私は文武両道才色兼備だっていうのにね。原因は私の自業自得よ……何かまでは誰にも教える気はないけど」

「……普通自分で自分の事を才色兼備って言う?」

 

 でもこれは完全に予想外だった。普段の学校の様子からして全然想像できない。クラスの誰とも親しくしているように見えるし頼りにされている存在……それが私が見ていた暁美ほむらなのだから。

 

「信じられないって顔ね?」

「……そりゃあね」

「あなたが知っている暁美ほむらへと変える切っ掛けになったのが勇者部なのよ。まぁ、入部する前から友奈と東郷の二人とは友達だったのだけど。特に友奈には驚かされたわね……あの子だけよ、私を怖がらずに話しかけてくれたのは」

「あー…それは分かるかも」

 

 友奈の人懐っこい性格なんて他の人には絶対にないだろう。こっちは冷たくあしらったようなものだったのに目をキラキラさせて犬みたいにすり寄ってくるやつなんて……

 

「話が逸れたわね……とにかく、勇者部は私にとって掛け替えのない居場所なのよ。お気楽でのん気で、馬鹿ばっかりの救いようがないほどどうしようもない所だけど、私に全てを与えてくれた大切な居場所。今までも、これからもね」

「これからも……」

「そういう事。私が望む未来っていうのは、友奈と東郷と風先輩と樹ちゃん……そしてあなた達との勇者部としての日々を送ることなの」

「わっ、私も…!?」

「あなたも既に勇者部の部員なのよ。いい加減に部外者面は止めなさい」

 

 うぐっ…! 部外者面……確かに私はずっとこいつ等を馬鹿にしていて、活動の話にも仕方なくとか言ってばかりだ。

 

「長い事をつらつら喋ったけど、結局理由は樹ちゃんが言ってた事と同じよ。でも他のみんなだって同じ事を言うに違いないわ。勇者部の絆をバーテックスなんかに壊されるなんて誰も認めない」

 

 長い髪を片手で掬うように掻き上げて言い放つ。勇者部の絆が深いのは私ももう充分身に染みていた。どいつもこいつも個性が強いのに奇跡と思えるほど上手く絡み合っている。

 それは命を失うかもしれないという状況に陥っても揺らぐことのない意思。私が持っていないこいつ等の本当の強さなのだ。

 

「……そうなのね。よく判ったわ」

「期待に応えられたかしら?」

「……ったく、やっぱりあんた達は馬鹿よ。そんな所まで他のやつ等の事ばっかり考えて」

「そう言うわりには随分とニヤケてるじゃない。何か面白いことでもあった?」

「ニヤケてない。……あーあ、なんだか拍子抜けね。なんであんたみたいな変なやつを警戒していたんだか」

 

 ほんと、馬鹿みたい。こんなやつと張り合おうとせずに無駄に気を張ろうとしないで、私も自分の好きなようにすればよかっただけじゃない。

 

「……それなんだけど三好さん…」

「……夏凜でいいわよ」

 

 ……しょうがないからこっちから歩み寄ってやるわよ。私も……その……勇者部の一員…なんだし…。

 

「……ふぅん?」

「なっ、なによその顔!」

「私は友達相手しか下の名前で呼ばないのよ。東郷は本人の希望だけど。下の名前を呼ぶのを許すのであれば、私達は友達という事になるわよ?」

「とっ…!? ……ぅぅぅ、し仕方ないわね!! なってやろうじゃないのよ!! あんたの友達とやらに!! ………ていうかちょっと待ちなさい、あんたさっきの電話で友達の家にとか言ってなかった!?」

「ふふふっ、これからもよろしく、夏凜」

「からかったわねほむら!? あーーもう!! あまり調子に乗らないでよね!!」

 

 

 

「……それで、あんたさっき何を言いかけたの?」

「……その前に確認。聞いても怒らないで」

「は? な、なによ…?」

「この前のアレの事なんだけど……実は…」

 

 神妙な面持ちで、聞けば私が怒りかねない事を話そうとするほむら。その直後、リビングへと繋がるドアが勢い良く開かれて何者かが飛びついてきた。

 

「あーっははははははははは!!! ふたりともーーー!! 何やっているんですかーーー!!?」

「うええええええええええん!!! ほむらと夏凜が出て行ったままぜんぜんもどってこないいいいい!!!」

「風先輩!? 樹ちゃん!?」

「ちょぉっ!? 何よあんた達!?」

 

 乱入者は風と樹。だけど不意の攻撃で私達は二人に押し倒されてしまった。その顔は二人とも真っ赤で、様子も正気とは思えないほど荒々しい。ってかこれって酔っ払ってる!?

 

「ほ、ほむらちゃん! 夏凜ちゃん! 大丈夫!?」

「ゆ、友奈、東郷!? これは一体どうなってるの!?」

「その……二人とも友奈ちゃんが間違えて持って来ちゃったお酒入りの猪口令糖を食べてしまって……」

「は? 猪口令糖…?」

「お酒入りって……もしかしてボンボンのこと?」

 

 ほむらに飛びついた樹の手には確かにウイスキーボンボンの箱が。樹がそれを開けると、中身は型に一つずつ入っているタイプの物で、ちょうどチョコが二つだけなくなっていた。

 いやこの二人ウイスキーボンボン一つで酔っ払ってるの!? しかも姉が泣き上戸で妹が笑い上戸とかなんなのよこの姉妹!

 

「なんで二人共こんなので酔っ払うのよ…漫画じゃあるまいし」

「あっはっはっは!! ほむらさんもどーでーすかーー!?」

「ううううう!! ごめんなさいぃ! 誕生日会に酔っちゃってごめんなさいぃぃ!!」

「は? 樹ちゃんやめむぐぅっ!?」

「ほむらぁ!?」

 

 ほむらが酔っ払いの絡み酒の餌食に…! まぁウイスキーボンボンで酔っ払うなんて普通じゃあり得ないけど……。

 

「………ほむぅ…あみゃいぃ…♡」

「あんた今さっき何て言った!!?」

 

 そこにいたのはウイスキーボンボン一つを口に突っ込まれただけで泥酔し、目が蕩けきったほむらの姿だった。

 何で六人中三人がウイスキーボンボン一つで泥酔できるのよ!! ほむらの奴にいたっては残っていたクールで得体の知れないイメージが100%完璧に崩れ落ちたわ!!

 

「夏凜ちゃんこっち! 早く!」

「えっ、ええ…! こら風…邪魔!」

「ひっく……ほむらも食べちゃったぁぁ…!」

「うるさい酔っ払い! って重っ!? おいこらほむら! 樹まで乗っかかるな!!」

「あひゃひゃひゃひゃひゃ!!! 夏凜しゃんも食べましょーーよーー!!?」

「食べるかああ!!」

「ねぇかいん……かりん……まじかるかりん……えへへぇ…♡」

「マジカルどこから湧いて出た!!」

 

 友奈達の方に逃げようとしたのにほむらと風と樹に邪魔をされて身動きが取れない! この酔っ払い共ぉ…!

 

「………」

「……ほむら…?」

 

 突如立ち上がりふらふらおぼつかない足取りで私達から離れたほむら。よく分からないけどこれはチャンス……今の内に二人を振り解いて友奈達の下へ…!

 

「げはーーっ!」

「ぎゃあああああああああああああっっっ!!!?」

「ほむらちゃあああん!!?」

 

 廊下に盛大に吐瀉物をぶちまけたほむらを見てたまらず友奈が介抱に駆け出した。私は……もしほむらが動かなかったらと思うと……うん……。

 

 その後は友奈が片付けて、東郷が三人に冷水をぶっかけて御開きとなった。ひとまず三人は正気に戻ったものの、ほむらはかなりグロッキーだった。

 

「……あいつ等、人の家で好き勝手しやがって……まったくもう…!」

 

 そして寝る前にスマホを確認してみるとSNSグループの招待が来ていた。あいつ等勇者部のグループだ。

 

風:今日みたいに連絡の行き違いがないよう登録しておきなさいよね。今日はマジスイマセンでした……

 

樹:たくさんご迷惑をおかけして本当にごめんなさい!! でもこれから仲良くしていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

 

ほむら:ごめんなさいまだ気分が優れなくて言葉が浮かばない

 

東郷:次こそはぼた餅も煮物も美味しいと言ってもらいますからね。有無は言わせない。

 

「……何よこの威圧感…」

 

友奈:ハッピーバースデー夏凜ちゃん! 学校や部活のことでわからないことがあったら何でも聞いてね!

 

「了解……っと」

 

夏凜:了解

 

友奈:わー返事が返ってきた

 

「わっ!」

 

風:ふふふ、レスポンスいいじゃない

 

友奈:わーーーい

 

樹:わーーーい

 

東郷:ぼた餅

 

ほむら:げはーーっ!

 

友奈:わーーーーっ!!?

 

風:わーーーーっ!!?

 

樹:わーーーーっ!!?

 

東郷:煮物

 

「いや何よこの茶番!」

 

夏凜:馬鹿やってんじゃないわよ!

 

風:ふはははははは

 

東郷:ぼた煮物

 

ほむら:混ぜないで吐きそう

 

樹:もう吐いてるじゃないですか…

 

友奈:これから全部が楽しくなるよ!

 

  写真が送られてきました

 

 スマホに映し出される一枚の写真。変わらず笑顔なあいつ等と並んで私もいる勇者部の写真だ。スマホを切って目を閉じると浮かび上がるのは楽しそうに騒ぐあいつ等と私の六人。

 

「これから全部が楽しくなる……か。まったく……しょうがない連中」

 

 心の中のモヤモヤはもう感じない。だって私も笑えるようになったのだから……。



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第二十一話 「ありがとう」

 夏凜ちゃんの後だから次は樹ちゃん回
 ……の前にやりたかった日常回じゃあ!!


 一年前のあの日から私のすぐ側には彼女がいた。彼女の一番の親友の座はもう一人の友達のものだけど、それでも私と彼女がお互いにとって最高の友達である事実に変わりはない。

 

「え? ほむらちゃん明日あの映画観に行くの?」

「ええ。依頼も来てないみたいだし、前々から気になっていたからいいかなと思って」

 

 相手が誰であろうとも、彼女は自分らしさを失いはしない。その人懐っこい性格は来るもの拒まずで、多くの人達が彼女の優しさに惹かれるのだ。

 

「ただ近場に上映される劇場がなくて……大橋のイネスになるのだけど」

「イネスかぁ。最近全然行けてないかも」

「折角だし、あなたも一緒に来る? 映画の後にショッピングなんてどうかしら?」

「いいの!? 行く行く!!」

 

 いつも楽しそうに誰かと話している時の彼女はそれだけでも幸せそう。些細な事でもにへらとしまりなくだけど笑い、誰かが嬉しそうにしていると彼女も自分の事のように喜びを露わにする。

 

「おっ、なになに? イネス行くの?」

「映画とショッピングで。風先輩達も来ます?」

「映画って何を観るんですか?」

「迫り来るゾンビの群れをスタイリッシュなガンアクションで撃退するホラーアクション系の映画よ。プロモーションビデオを観たけど、ゾンビの見た目も動作もリアルで主演の銃の扱いも期待できそうなの」

「……アタシ無理、行かない」

「ホラー映画はちょっと……苦手で…」

「ごめんなさい、西洋発祥のお化けが目玉の映画は観る気になれないの」

「私もパス。剣道部の子に練習の指導を頼まれてるから」

 

 ゾンビと聞いて一瞬で顔が青ざめた風先輩。姉ほどではないにしろ僅かに怯えた様子の樹ちゃん。相変わらず日本主義思想を貫いている東郷。最初と比べて丸く柔軟になった夏凜。個性が強いメンバーばかりが揃ったこの場所で、時に彼女は眩しく輝いて見える存在だったりする。

 

「「へぇ?」」

「なによほむら……なによ風! その気色悪い顔!」

「べっつにぃ~? あんなに文句言ってた夏凜が休みの日にも活動するなんてねぇ」

「う、うるさい! 頼まれたんだから仕方なくよ!」

「またそんなこと言って……素直じゃないわね」

「夏凜ちゃん剣道部の子にも教えられるの? 格好いいなぁ!」

 

 風先輩と樹ちゃん、夏凜との出会いは偶然ではなかったらしいのだけど、それでも彼女と親しい関係でなければきっとここまで楽しい日々は送れなかったに違いない。それはみんなも同じに思っているはず……彼女がいなければ、事はここまで愉快に回っていなかった。この場所の中心にいるのはきっと彼女なのだろう。

 

「それじゃあ明日は私と友奈だけね」

「うふふ、二人とも楽しんできてね」

「うん! 明日が楽しみだよ~!」

 

 結城友奈は私達の唯一無二の友達である。

 

 

◇◇◆◆◆

 

 一年前の入学式の日に初めて出会った時から私は彼女に憧れていた。凛々しい顔立ちに真っ白な肌、綺麗に輝いて見えた紫色の瞳。そして艶やかな黒色のストレートのロングヘアー。

 思わず目を引かれて声をかけ、芸能人なのかと聞いてしまったほど、私は彼女を第一印象だけでかなり気に入ってしまった。その直後に名前を聞くと、名前までも格好良くて絶対に仲良くなりたいって思うようになっていた。

 

 だからそんな彼女が新入生代表者として前に出た時はビックリしちゃった。とっても美人さんで名前も格好良くて、そして頭も良いなんて本当にすごい!って思っちゃって……偶然だったけど彼女と目が合った時に名前を呼んで先生に怒られたんだった。だって嬉しかったんだもん。たくさんの新入生が並んでいる中、私を見つけてくれたみたいで。

 

 でも一緒のクラスにはなれなくて……残念だと思ったけど、その気持ちは次の日には綺麗さっぱりなくなっていた。まさか次の日にまたばったり会うなんて、しかも私と東郷さんと友達になってくれたんだもん!

 友奈って私の名前を呼んでくれて、しかも東郷さんの足の事にも友達として助けるのは当たり前って言ってくれた。なんて優しい子なんだろうってますます尊敬しちゃった!

 

 友達になってからも彼女のすごい所はたくさん見つかった。クールに見えるけど笑った顔はとってもかわいい所、勉強だけじゃなくて運動だって得意な所、喜怒哀楽がはっきりしていて子供っぽい所があるのかと思いきや、やっぱり格好良くて何でもビシッと決める所。もっともっとたくさんあるけど、色々な彼女の一面を知るたびに嬉しい気持ちになれた。

 

 そうして私達は勇者部に入った。

 

 初めは依頼もなかなか来なくて地道にやっていたけど、みんなで楽しく一生懸命頑張っていた勇者部の時間も、そうじゃない時の四人でお喋りしたり騒いだりした日常も、全部の思い出が私にとって大好きな宝物。

 やがて樹ちゃんが入学してきて……本物の勇者になって……夏凜ちゃんがやって来て……。

 

 彼女はよく風先輩が面白い事を言うとツッコミを入れる。東郷さんと真面目で難しい話をして勇者部をもっといい方向に盛り上げる。樹ちゃんが自信を持てるようあの子を優しくサポートしている。夏凜ちゃんとは最初はギスギスしてたみたいだけどいつの間にか打ち解けていた。

 

 私だけじゃなくて、勇者部やクラスのみんなの中心になっている存在。暁美ほむらちゃんは私達の最高の友達である。

 

 

◇◇◆◆◆

 

「ほむらちゃーん、お待たせー!」

「おはよう友奈。遅刻せずにちゃんと来れたわね」

「えへへ、しないよー。ちゃんと起きたもん」

「そう、偉いわね。……それで本当は?」

「えっと…東郷さんに起こしてもらいました…」

「だと思った。あまり東郷に頼りっきりは良くないわよ?」

「はーい…」

 

 駅で待ち合わせしていた時間の5分前に友奈が走ってやってきた。私もそこまで長い間待ってはいないから気にしてないけど、案の定東郷が起こしに行ってたみたいだ。

 友奈が朝に弱いのは親しい人なら誰でも知っている。それ故に家が隣の東郷が起こしに行くのがお約束である。まあ東郷の事だから向こうも全然気にしないで、むしろ嬉々として起こしてるだろうけど……。

 

「それより早く行こう! 久しぶりのイネスだから昨日からずっと楽しみだったもん!」

「はいはい」

 

 ネチネチ言ってても仕方がないわね。今日は来なかったみんなの分までいっぱい楽しまなくちゃ。

 

「はいこれ、あなたの分の切符よ」

「え? あ、ありがとう! 買ってくれたんだね」

 

 友奈が来る前に買っておいた大橋行きの切符を渡して改札口を通る。電車がくる時間を見通して待ち合わせ時間を決めていたからそのままスムーズに電車の中に入って空いていた席に座った。

 滞りなく電車は発進すると、そのタイミングで友奈は財布を取り出して聞いてきた。

 

「ほむらちゃん、切符っていくらだったの?」

「770円だったけど……ん、ああ、その必要はないわ」

「へ?」

 

 友奈の代わりに買いに行ったけど、彼女はお金を後から私に払う方だと捉えていたみたいだ。べつに私は友奈から切符代を徴収するつもりはなかった。

 

「もともと今日のイネス行きは私が提案したものよ。切符代どころか、今日の費用はある程度私が持つわよ」

「えぇぇ!? だっ、駄目だよさすがに!?」

「友奈声が大きい。他の人達もいるんだから」

「あっ、ごめんなさい!」

 

 慌てて他の乗客に頭を下げるけど友奈の顔は不服そのものだ。確かに友奈の気持ちは分からないことでもないけど……

 まず切符代だけでも行き帰りの往復で1540円、そして映画のチケットも1000円、ドリンクやフードも頼むのであればもっと掛かる。映画の後にもフードコートでお昼を食べるはずだし、それからもショッピングが控えている。

 

「というわけよ。中学生のお小遣い事情ではだいぶ厳しいでしょう?」

「いやいやいや!? そんなの分かってるよ! ほむらちゃんも中学生でしょ! 二人分もお金を出したら後が大変だよ!」

「だーかーら、そんな心配はする必要はないのよ。他ならぬ、あなたが来てくれたおかげでね」

「??? まったく意味が解らないよぉ…」

 

 まあそうよね。立場が逆なら私もまったく同じ事を思いそうだし。ひとまず友奈を安心させるために事の詳細を教えるとしましょう。

 

「実は昨日私の両親に友奈と二人でイネスに行くことを伝えたのよ。そしたら二人ともいきなりお小遣いを弾んできたのよ。ざっと1万円」

「い!! いいいいい、いちまん!!?」

「こら友奈っ…! ああ、ごめんなさい…! だから声が大きいって」

「な、なんでそんな大金を…!?」

「二人共友奈の事をかなり気に入ってるから。いつも明るくて元気で……小学生の間ずっと一人ぼっちだった娘の初めての友達だもの」

 

 小学生の頃の私はひたすら自分をクールな暁美ほむらであろうと振る舞い続けていた。その努力の結果は人を見る目はまるで見下しているように、話しかける言葉はまるで威圧しているかのように、そんな風に捉えられてもおかしくないものだった。普通なら憧れの的である成績の良さも、運動神経の高さも、完璧すぎる容姿も、逆に得体の知れない人物像を醸し出してしまった。

 両親はずっと心配していた。勉強もできる、運動もできる、神に愛されるほどの美貌を持つ娘が他の子供達から畏怖の対象として見られていたのだから。

 

 友奈はそんな私と初めて友達になってくれた子、そして私の周囲の印象を変える一番最初の切っ掛けとなった存在だ。おまけに他の人にはないあの性格だ……娘を大切に想っていた二人が気に入らないわけがない。

 

「友奈ちゃんと思う存分楽しんでこいって渡されたのよ。あなたが一緒に来てなかったら貰えなかったお金だもの。遠慮なく使わせてもらいましょう」

「い、いいのかな……?」

「当たり前よ。友奈はそうされて然るべきって思われたのだから。私の両親の顔を立てると思って……ね?」

「……うん! ほむらちゃんのお父さん、お母さん、ありがとうございます!」

 

 そう今度は天を仰いで大袈裟に感謝の言葉を呟いていた。もしここが他に人がいる電車の中でなければ大声で叫んでいたでしょうね。

 ……違うのよ友奈。感謝の言葉を送りたいのはあなただけじゃないのよ。私が変われたのは勇者部に入ったおかげで。そしてその勇者部の輪の中に入れたのはあなたという存在がいたからなのよ。

 あなたが私達を幸せにしてくれた。いくら感謝してもしきれない。ありがとう、友奈。

 

 

◇◇◆◆◆

 

「~~~っっ!! すっっっっごく面白かったぁ!!!」

「ええ!! 作品全体を彩ったハイクオリティなゾンビ!! 爽快感全開の派手な戦闘シーン!! 緻密に練られた伏線!! 意表を突かれた衝撃のクライマックス!! どれもこれも最高の出来だったわ!!」

 

 イネスの映画館から出ながら未だにドキドキワクワクが止まらない私と得意気に感想を言うほむらちゃん。ほむらちゃんが注目していた映画は最初から最後までハラハラドキドキの連続で、クライマックスでその盛り上がりは最高潮を見せて私達を心から感激させた。

 あはは! ほむらちゃんの目もいつもよりもピカピカ光って見える! こんなにワクワクしているほむらちゃんは初めてかも。またほむらちゃんの新しい一面を見つけられたかな!

 

「これは今後の情報も要チェックね! DVDが出たら買わなきゃ!」

「DVD! 買ったら私にも観せてー!」

 

 あんなにすごい映画だったらまた観たい。今度はほむらちゃんだけじゃなくて、東郷さんも風先輩も、夏凜ちゃんも樹ちゃんも! みんな揃って一緒に観たい!

 

「ところでほむらちゃん、お昼はどうするの?」

「そうね……友奈今お腹空いてる?」

「ううん、ポップコーンを買って食べてたからそこまではないよ」

「私もホットドッグを食べたし……それじゃあデザートにしない? たまにはそんな昼食も悪くないんじゃないかしら」

「いいね! 甘いものは乙女の活力って言うもんね!」

「風先輩ならそれにうどんも括り付けて言いそうね」

 

 ふと考えて本当に言いそうな気がして笑ってしまう。そんな風にしながら映画館からフードコートに来て、デザートはどんなものがいいのか話し合った。

 

「う~ん……どれにしよう、クレープとかパフェとかジェラートとか色々あるね」

「確かに迷うわね。どれも食べてみたいし…」

「あれ? ほむらちゃんあの貼り紙見て」

「貼り紙?」

 

 私が指差したジェラート屋さんの貼り紙。そこに書かれていたものを見て私はちょっと残念な気持ちになってしまった。

 

「来月閉店……なくなってしまうのね」

「そうみたい。ここのジェラートが好きな人にとっては残念だろうね……」

 

 私はここのジェラートを食べたことはないけど、イネスは街の人達がたくさんやってくる場所だもの。きっとここのジェラートが大好きな人達だって少なくはないはずだ。好きなものがなくなってしまうのは悲しいよね。

 

「「私ここにするよ(わ)」」

 

 まったく同じタイミングで同じ事を言って、そしてまた同時にお互い顔を向ける。

 

「「ぷっ、あははははは!!」」

 

 ここまで二人とも同じリアクションだとなんだかとってもおかしい。でもそれ以上にとっても嬉しくなって笑い合った。

 

「ほ、ほむらちゃんもここにしたんだね…! あはは…!」

「ええ、友奈こそ……くくっ…!」

 

 大好きな友達とこんなにも通じ合えているんだって思えて嬉しくてしょうがない。そしてこんな風に笑っているほむらちゃんの姿も見れて大満足だ。

 

「ふふふっ……来月には閉店してしまうんだったらもう食べられないもの。それになくなってしまうからこそ、今まで多くの人達をもてなしてきたここの味を今日の楽しい思い出の中に一緒に刻みたいのよ」

「うん、そうだね。私もそう思うよ」

 

 ここのお店を忘れないためにも思い出の中に。もう一度二人で笑い合ってジェラート屋さんの前にいた家族の後ろに並んだ。小学生の男の子が2、3才ぐらいの男の子を抱え上げてメニューを見せている……仲が良い兄弟かな?

 

「おれはバニラ! お前はなににするんだ?」

「しょーゆ!」

「なんでんなもん食えるんだよ……姉ちゃんもだったし…」

「……しょうゆ味なんてものがあるのね」

「どんなジェラートなんだろ?」

 

 なんだかちょっと変わった味のジェラートもあるみたい。その家族がジェラートを受け取って私達の番。メニューを見てたくさんの種類があったっけど、私もあの子みたいに王道の味で!

 

「バニラ味をください!」

「私はかぼちゃ味。それと……しょうゆ豆味のダブルで」

「ええっ!? しょうゆ味を頼むの!? それにかぼちゃ!?」

「なんだか少し気になって。かぼちゃは好きだけど、こういうのは食べたことはなかったから冒険してみようかと思って」

 

 ま、まさかの選択…! でも私も気になる。しょうゆ豆味、そしてかぼちゃ味……どっちともジェラートやアイスにするには考えにくい物。果たして本当に美味しいのだろうか…。

 ジェラートを受け取ってテーブル席に着いたけど、私の目はほむらちゃんの黄色と薄茶色のジェラートに釘付けだった。

 

「……そんなに見つめられてたら食べにくいのだけど」

「あはは、ごめんごめん」

 

 こっちだって早く食べないと溶けてしまう。スプーンでバニラのジェラートを掬って口に含むと、まろやかな甘さとひんやりとした冷たさが口の中いっぱいに走り渡った。

 

「うわぁ、このジェラートとっても美味しい! バニラで大正解だよ~!」

 

 さすがバニラ味、アイスクリーム界において王道と言える存在……これはジェラートだけど。優しい味でたった一口だけでも体全体に伝わる満足感……うんうん、これが一流のプロの業ってやつだね!

 

「な…なんて美味なの…! このかぼちゃ味のジェラート…!」

 

 ほむらちゃんも私と同じ感想みたい……瞳がキラキラ輝いてる。光り方のせいで目が若干椎茸みたいに見えるけど、逆に言えばそんな風になってしまうほどすごかったらしい。

 

「かぼちゃの甘味と風味が生きている! 全く青臭くもないしクリーミーで滑らかで! 待って、もしこれをかぼちゃが旬の季節の秋に食べたのだとすれば……嘘でしょ!? そんなの極上の味わいに決まっているわ! そんな食べ物の存在が許されていていいの!?」

「そんなにすごいの!?」

「ええ! ほらっ、友奈も食べてみて!」

 

 興奮しきった様子でかぼちゃ味のジェラートを掬ったスプーンを私の口元に運んできた。ほむらちゃんがここまで気に入ったジェラート……ゴクリ…!

 

「あーん♪ んん!!? なにこれこんなに美味しかったのかぼちゃ味って!?」

「でしょう!? こんなの自分がかぼちゃが好きって判ってから真っ先に食べるべきだったわ……私ってほんとバカ……」

 

 バニラとかメロンとかイチゴとか、いつも有名な味ばかり食べていたから全然気付けなかったんだ……完璧に見落としてたよ。これがダークホースってやつなんだね……。

 

「ところでしょうゆ豆味はどうだったの?」

「……こっちはその、人を選ぶ味だったわ……あとかぼちゃが私にマッチしすぎて、それで……」

 

 ……不評だったんだね。でもあの小さな男の子は好きだったみたいだし、人を選ぶっていうのは本当なのかも。

 

 でも本当に幸せそうなほむらちゃんが見れて嬉しい。普段ほむらちゃんが喜ぶ時って私みたいに大はしゃぎするわけじゃないからなんだか新鮮だなぁ。おかげで私ももっと嬉しくなった。

 ……ほむらちゃんと友達じゃなかったらこの幸せは存在しなかったんだろう。ほむらちゃんには出会った頃から色々助けてもらって、毎日私達を幸せにしてくれて……感謝してもしきれないなぁ。ありがとう、ほむらちゃん。

 

 

◇◇◆◆◆

 

 それからも私達は今日一日を遊び尽くした。気に入った物を買ったりゲームセンターで遊んだり。洋服もお互い何着も試着したりして、友達との最高の思い出が出来上がっていった。

 

「名残惜しいけどそろそろ帰らないとね」

 

 大橋市から讃州市までの距離は遠いから電車でも一時間近く掛かってしまう。両親から楽しんでこいと言われたものの、遅くに帰って心配させるのは悪い。

 

「ほむらちゃん! 最後にあれやろうよ!」

「プリクラね。もちろん構わないわ」

 

 友奈が指差したプリクラの機械。今日の思い出をシールという形に作ってくれるものだ。反対なんてするわけがない。

 

「イエーーイ!! ほらっ、ほむらちゃんも一緒に! ピースピース!」

「イ、イエーイ…! は、恥ずかしいわよ…!」

「それじゃあスマイルスマイル! 私ほむらちゃんの笑顔が大好きだから!」

 

 まったく友奈ったら……知ってるわよそんなこと。私だってあなたの笑顔が好きなのだから。

 

 パシャッ

 

 画面に写し出された笑顔の二人。あとはこの写真をデコレーションして、それも完成させれば私達だけの最高の思い出が出来上がる。

 そんな中、私達二人は迷うことなくペンを走らせて文字を描いた。お互いのすぐ側に写し出された文字を見て、私達はまたしても笑い合う。

 

 二つの『私の最高の友達』という文字を見て。

 

「友奈」「ほむらちゃん」

「友奈からでいいわ」

「ほむらちゃんからでいいよ」

「それじゃあ二人で一緒に言う?」

「うん! せ~ので一緒に言おうよ!」

「ええ」

「「せ~のっ!」」

 

 

 

「「ありがとう!!」」

 

 

 帰りの電車の中で私達は話さなかった。二人して遊び疲れて眠ってしまっていたのだもの。肩をくっつけて手を繋ぎながら楽しそうに。

 

 心が通じ合っている友達との大切な日常。それを脅かす存在の襲来まで残り僅か……




 イネスに映画館なんてあるのかと書いてる途中に思ったけど、イネスマニアの勇者様の功績のおかげで大赦がきっと増築してくれたのでしょう。(丸投げ)
 やったねミノさん! イネスファンが増えるよ!


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第二十二話 「私達が付いている」

 お気に入り者数1000人突破! 日間ランキングも過去最高の8位にランクイン達成! 第一話を投稿した時にはここまで見てもらえるだなんて思ってもみませんでしたので本当に嬉しい限りです!

 お気に入り登録してくださった方はもちろんのこと、感想をくださる方、評価を付けてくださる方、誤字報告をしてくださる方、ここすきを付けてくださる方をはじめとした、応援してくださる皆様に感無量であります。
 今後もどうかこの作品を楽しんでいただけると嬉しいです。


 春の勇者部活動と書かれた記事を神妙な目で見つめる友奈。特等席とも言えるべき頭の上に牛鬼が乗っている立ち姿も見慣れたものだ。

 

「うーーー…ん……この写真は…ここで!」

 

 そして勢いよく持っていた写真を記事の空いているスペースに叩きつける。勢いのあまり牛鬼が落ちてしまったけど精霊故にそのままふわりと浮き上がる。

 

「今日も閲覧者数はバッチリね。あとは子猫の写真と学校の連絡先を載せて…」

 

 東郷は勇者部のホームページの更新。今受けている子猫の飼い主探しの呼び掛けだが彼女の手際が良いおかげで順調にいきそうだ。向こうとは違って……

 

「あ~~も~~! ストーリーが思いつかーん! 夏凜何かいいアイデアある?」

 

 風先輩は秋の文化祭でやる劇のストーリーの考案中。この前の夏凜の誕生日に友奈の発言から劇をやるという事が決まったため早速製作に取りかかっていた。ただ何度もペンが止まったり、途中途中で唸り声を上げている事からかなり難航しているのは明らかである。

 

「急に話を振らないでよ。分からないわよそんなの」

「なによー、にぼしなんか食べてて、あんた今ヒマでしょー? 一緒に考えてよー。つか何で今にぼし貪ってんの?」

「健康に良いのよ」

「ふ~ん……こりゃ夏凜が“にぼっしー”て呼ばれるようになる日も遠くないわね」

「なによそのゆるキャラみたいなあだ名!?」

 

 それからにぼっしーはさっきまでポスターを作っていたけどもう完成させたみたいだ。にぼしを食べていたところを風先輩に捕まっている。

 

「お待たせーにぼっしーちゃん! ポスター作ってくれてありがとう! 見せて見せて!」

「誰がにぼっしーだ!! ったく、これくらいできて当然よ」

「おおっ! 良くできてる!」

 

 ぶつぶつ言いながらも渡したポスターは彼女らしくレイアウト全体が綺麗に整っており、友奈と東郷が感嘆の声を上げるほどで文句の付け所は無いと思える出来栄えだった。ある一点を除いて……。

 

「……えっと、妖怪?」

「猫よ!」

 

 ポスターに描かれていたのは所々はみ出るほど乱雑に色付けされた荒々しそうな獣。可愛さの欠片もなく、多分このポスターを見た人は困惑し苦笑いを浮かべるだろう。これでは東郷の言う通り化け猫の類の妖怪にしか見えない。ひとまず彼女も風先輩と同じで絵のセンスは無い…と。

 

「いいから夏凜手伝ってよー。この際猫の手じゃなくてにぼしの手でもいいから借りたいんだからさー」

「にぼしに手なんかあるか! というか人をにぼしに例えるな!! 私じゃなくてほむらに頼めばいいじゃない」

「……悪いけど今忙しいの。にぼっしーがやって頂戴」

「そのあだ名定着させる気!?」

 

 別に苦ではないのだが如何せん数が多い。この時期になると多くの生徒から期待されて、その上勇者部でこの作業をこなせられるのが私しかいないからこその問題なのだ。

 

「ほむらも毎度毎度大変よねぇ。期末テストの対策問題作るのって」

「作ること自体はもう慣れましたからそこまでは。ただ全教科全学年分ですので時間が掛かってしまうのが難点です」

 

 テスト勉強期間が近付く頃になると解説付き対策問題の作成及び配布が私の主な仕事になる。重要な部分のピックアップはもちろんのこと、教師の出題パターンの統計からテストで出てきそうな問題を予測して作る。この対策問題さえきちんとやっておけば、テスト当日に高得点を取ることができると多くの生徒達から喜びの声が上がっている。

 教師の仕事を奪っている気がしなくもないが、これだって人助けの範疇。それに成績向上で学校の評判も勇者部の評判も上がる、誰もが得をする解決策であるのだ。

 

「全教科全学年分ってあんた……どんな頭してんのよ…」

「1年生の頃から高校の内容もマスターしてるって言ってたよね、ほむらちゃん」

「前々から思ってたけどマジでやばたにえんよ。アタシにもその頭の良さ分けてほしいわ……」

「昔は勉強やストレス発散の運動しかやることがなかったのよ。あの頃はこんな形で役に立つなんて思わなかったわ……よし、はい東郷これ」

「うん? なにこ………」

「今作った英語の対策問題。そこにある問題は全部できるようにしておいて」

「お断りします」

 

 今回も前途多難ね。どうやって東郷に英語を学習させるか……前は友奈を一日間妹にしていいという条件付きで何とか勉強させたけど、今回もそれが通用するか……

 

「………はぁ」

「ん? どしたの樹」

 

 部室に樹ちゃんの溜め息が聞こえ、みんなが樹ちゃんの方を見る。樹ちゃんの前にはタロットカードが並べられており、私達にはよく分からないものの何らかの結果が出ていた。

 

「今度の音楽の歌のテスト、ちゃんとできるか占ってみたんです。そしたら……死神の正位置、意味は破滅、終局……」

「不吉な…」

「占いって当たるも八卦、当たらぬも八卦って言うしきっと大丈夫よ」

「こういうのってまた占えば全然違った結果がでるもんだよ」

「そうだといいけど…」

 

 風先輩と友奈が励まして再度占われる。全員が注目する中、めくられたカードに描かれていたものは無情にも死神の絵。もう一回、死神……さらにその次、死神……

 

「はあぁぁ~~……」

「お、同じ絵柄が四回連続で出るなんてラッキーじゃないかな!? フォーカードって確か強い役だったし!」

「死神のフォーカード……」

「え、え~っと……」

 

 樹ちゃんの占いはよく当たると評判だし、ここまで悲惨な結果だと悪い予感しかしない。落ち込む妹を見かねた風先輩が黒板の前に立つと、「今日の勇者部活動 樹を歌のテストで合格させる!」と書き込んだ。

 

「アタシ達勇者部は困っている人を助ける。もちろんそれは同じ勇者部員も一緒よ」

 

 そんなこんなで始まった、樹ちゃんの歌のテスト対策。私も机に広げていた筆記用具やプリント類を片付けてその話し合いに参加する。問題作りは家でもできるし、ここでかわいい後輩を放っておく方がどうかしてる。今優先すべき事は樹ちゃんの方だ。

 

「歌が上手くなるのに適した方法があります」

「はい東郷言ってみ!」

「歌声でα波を出せるようにするのです。良い歌や音楽というものは大抵がα波で説明がつきますから」

「んなわけないでしょ!」

 

 間髪入れずに東郷にツッコミをかます夏凜。東郷のシュールなボケにきちんと対応できている……夏凜の勇者部への加入はこんな形でも恩恵を与えているのね。これからは私達の心労が少し楽になりそうだ。

 

「期待してるわよ、夏凜」

「何の事かさっぱり分からないけど、さり気なく面倒事を押し付けなかった今? てか樹って歌うのが苦手なわけ?」

 

 樹ちゃんの声は綺麗で可愛らしいから歌が下手だというイメージは掴みにくい。夏凜の疑問に私だけでなく友奈と東郷も同じように首を傾げていた。

 

「そんなことないわよ。一人で歌うと上手なのよね」

「その、誰かに見られていると思うと緊張してしまって……」

「確かにそういうプレッシャーを感じやすい人はいるわね」

 

 樹ちゃんは引っ込み思案な性格だし、一人で人前に出るのに慣れていないから不安なのかも。

 

「だったら習うより慣れろ!だね。みんなでカラオケに行こうよ!」

「樹の特訓にもなるし気分転換にもなるしでいいじゃない。よーし、これより勇者部は作戦の第二段階へと移行する! カラオケ店に行くわよー!」

「あんたが行きたいだけじゃないでしょうね?」

「やーね、1から10まで全部樹のために決まってるじゃないの」

 

 などと言いつつも行く途中でお菓子類を買い込んだあたり、劇のストーリーの考案の息抜きもある程度含まれていたはず。

 

 

◇◇◆◆◆

 

「イエーー! 聞いてくれてありがとー!!」

 

 やはり息抜きがしたかったのか、真っ先に曲を入れた風先輩が歌い終える。まあ今更だし娯楽施設で楽しむなと言う方がおかしいわけで、今は樹ちゃんの克服が上手くいくよう楽しむ事が大事だろう。

 

「ねえねえ夏凜ちゃん、この歌知ってる?」

「……一応知ってるけど」

「じゃあ一緒に歌おう!」

「いやいいわよ。別に楽しむためにここに来たんじゃないんだから」

「そうよね~? アタシの後に歌ったんじゃ……ゴ・メ・ン・ネ~♪」

 

 ニヤニヤした顔で指差したモニターの画面には先程の風先輩の92点という好記録で評価コメントも良いことしか書かれていない。これをわざわざ夏凜に見せ付けたということは明らかに挑発の意味しか持ち合わせていないわけで……

 

「……友奈、マイクを寄越しなさい」

「へ?」

「早く!!」

「はっ、ハイィ!」

「チョロい…」

 

 こうして夏凜は友奈と二人デュエットでポップな歌を歌うことになったのだけど、挑発されて歌ったにしては楽しそうだ。夏凜も来た当初はピリピリしていたけど少しずつトゲが無くなっているのが分かる。カラオケなどの娯楽は積極的ではないものの、友奈と一緒に楽しげに歌える余裕ができたのは本当に良いことだ。

 

「夏凜ちゃん上手ー!」

「フッ、これぐらい当然よ」

 

 風先輩と同じ92点を叩き出して得意気に言い放つ。三人共すごいけど、これは逆に樹ちゃんにプレッシャーを与えていないわよね?

 

「次は樹ちゃんだけど大丈夫?」

「は、はいっ…!」

 

 端から見てもだいぶ緊張しているのが伝わってくる。マイクを手に取り緊張した様子のまま曲のイントロが流れ、歌詞の通りに歌い出した。

 けれどもその声はかなり上擦ったり噛んだり音程を大きく外したり、樹ちゃんの綺麗な声が全然活かしきれていなかった。やはり人前だとまともに歌えなくなってしまうみたいで、その歌の間は失敗ばかりで終わってしまった。

 

「………はぁ…」

「やっぱり堅いかな」

「誰かに見られてると思ったらそれだけで…」

 

 親しい人達の前ですら緊張してしまう以上、クラス全員が見てる状況で歌うのはもっと難しいはず。

 

 樹ちゃんは普段は大人しくてあまり自分を表に出そうとしないけど、ここ一番では誰よりも強い意思を発揮できる充分に立派な子なのだ。何か切っ掛けがあれば緊張を跳ね除けられるとは思うけど……

 ……仕方ない。ここは一つ、私も恥ずかしいけど樹ちゃんのためにアレを解禁しよう。人前でただ歌うよりも恥ずかしい事ができる人がいればそれが励みになるのかもしれない。

 

『♪♩♬~』

「あ、私の入れた曲」

「「「「っ…!」」」」

「えっ、なに…!?」

 

 荘厳なイントロから始まる音楽、そしてこれは東郷の選曲。新入部員の夏凜以外の私達四人が一糸乱れぬ流れるような起立からの敬礼、状況が呑み込めない夏凜はただ呆然とするだけだった。

 

「………ふぅ…」

「な、なに今のは…?」

「東郷さんが歌う時はいつもこんな感じだよ」

「次は是非夏凜ちゃんもやってね?」

 

 東郷の軍歌も終わったし、次は私が選んだ曲でしょうね。鞄から例のキーアイテムを取り出して装着。いつかこんな日が訪れる時が来るかもしれないと思って、常に忍ばせてきた甲斐があるってものね。

 

「あっ、ほむらちゃんそれ久しぶりだね!」

「あの時のネコ耳!?」

「「「ぶーーっ!?」」」

「あー、あー、あ~、よし!

「いやよし!じゃないわよ!!」

 

 東郷と風先輩が前の時のように吹き出し、さらに今回は夏凜も加わって仰天した。声のトーンとキャラも切り替えた所でイントロが流れ出す。この曲はこの世界のカワイイ系アイドルグループの物で、そちらの要素をかなり詰め込んだ、わりと痛くて聴くだけでも恥ずかしくなるような曲であるのだが……。

 

「ほ、ほむらァ!! あんたもうそれをやるなって樹の時に言ったでしょーが!!」

にゃあにゃあにゃあにゃあ♡

「ニャアァァァァァァ!!!?」

「こ、今度こそほむらちゃんのこの姿を写真に収めないと……!」

ゴロゴロにゃぁん♪ ぺろっぺろっみゃぁみゃぁ♪

「ぬはっ……」

「ちょぉっ、風! 東郷!? ……目を開けたまま気を失ってる……何よこれ……何よこれーーー!!!」

にゃあにゃあにゃあ♡

「ほむらちゃんかわいいーー!! にゃあにゃあにゃあ♪」

「にゃあにゃあにゃあ♪」

「合いの手を入れてる場合!? 風と東郷がこんな事になってるのに!?」

「えーっと…たぶん大丈夫です。前もこうなりましたけど普通に起きてきたので…」

いっぴきでにゃあ♪にひきでにゃあにゃあ♪さんひきでにゃあにゃあにゃ~ん♡

「「にゃ~ん♪」」

「どうなってんのよこの空間はーーー!!」

 

 

97点

 

「夏凜が騒ぐから100点取れなかったじゃない」

「うるさい!! あんたはもっと自分のキャラを守れ!!」

「……ぐうの音も出ないにゃん」

「やめろ!!」

「ほむらさん、どうしてまたネコ耳をやったんですか?」

「ほら、私が恥ずかしさに耐えながらネコ耳付けてカワイイ系の歌を歌う姿を見れば樹ちゃんの自信に繋がるかと思って」

「ほむらちゃん恥ずかしかったの? わりとノリノリだったような……」

「…………言われてみれば…」

「意味ないじゃない!!」

「たぶんだけど……」

 

 その後は風先輩と東郷をやんわりと起こしてカラオケ再開。目が覚めた風先輩が頭を押さえながら「……とりあえずほむら……明日吊す…」と言っていたが、みんなで楽しい時間を過ごしていった。

 

 

◇◇◆◆◆

 

「まったくほむらのヤツめ! 自分がどれだけ恐ろしい武器を持ってるのかよく考えろっての!」

「もういいでしょ? みんなたくさん楽しめたんだから」

 

 家に帰り着いてからもほむらさんへの文句を言うお姉ちゃんを窘めながらも笑みがこぼれる。なんやかんや言って、お姉ちゃんもカラオケが楽しかったみたいで内心では確かに笑っているのが見て取れるんだもん。

 私の歌の練習にはあまりならなかったけど、それでもみんなが歌うのを聴けて大満足。スマホで撮ったみんなとの写真を見ながら幸せな気持ちになれた。

 

「そうね……およ、メールが来てた。んんと……」

「……お姉ちゃん?」

「……ううん、何でもない。それよりもご飯にしましょ!」

「……うん」

 

 ……何でもないなんてきっと嘘。だって今メールを見た時のお姉ちゃん、何か思い詰めていたみたいだったもん。それを私に心配かけまいと隠そうとしている。

 

 勇者の事を隠してた時もそうだった。私やみんなを大赦からの指令で巻き込んだんだって苦しそうにしていた。お姉ちゃんは大変なことをずっと一人で抱え込んでいる。

 小学生の頃、お父さんとお母さんが死んじゃって……その日からお姉ちゃんは私のお姉ちゃんで、お母さんでもあった。お姉ちゃんの背中が一番安心できる場所で、お姉ちゃんがいれば私はなんだってできる気がして……。

 でも私はお姉ちゃんの後ろに隠れてばっかりで……もし私がお姉ちゃんに守られるだけの私じゃなくて、お姉ちゃんの隣を一緒に歩ける、守れる私だったら……

 

 

 

 

 

「喉にいい食べ物とサプリよ」

「………」

 

 次の日、夏凜さんが部室のテーブルの上にズラーッと沢山の食べ物やよく分からないサプリを並べていた。それらを一つ一つ詳しく説明してくるけど私には難しくてよく分からない。でも夏凜さんが私のためにここまでやってくれてるんだということは分かってとても嬉しかった。

 

「夏凜ちゃんは健康食品の女王だね!」

「「健康のためなら死んでもいい」って言いそうなタイプね」

「言わない。さぁ樹、これを全種類飲んでみて。グイッと」

「全種類!?」

 

 気持ちは有り難いけどさすがに無理です! ましてやこの量、絶対に気分が悪くなっちゃいそうで…!

 

「待ちなさい。樹ちゃんを薬物中毒者にするつもり? 一つか二つで充分よ」

「ほむらさん!」

 

 それに待ったを掛ける救世主のほむらさん。昨日の罰で部室の隅っこの方に吊されているけど私の危機を救おうとしてくれている。一つ二つなら問題もないし、このまま夏凜さんを説得できれば…!

 

「サプリ素人の上に吊されて手も足も出ないやつが口を挟むんじゃないわよ。樹を歌えるようにするにはこれくらい必要なのよ」

「いやいくらなんでも多すぎじゃ……夏凜でも無理でしょ? さすがの夏凜さんでもできないことを他の人にやらせちゃ……ねぇ?」

「はあ!? そんなことないわよ!」

「できないことをできるって強がらなくていいのよ?」

「くっ…! いいわよ! そこまで言うんだったらお手本を見せてあげるわ!」

「え?」

 

 お姉ちゃんの煽りとほむらさんの言葉に反発し、誰かが止める間もなく夏凜さんはサプリを次々に飲み込んでいった。挙げ句の果てにはそれらをオリーブオイルで流し込むという危険なことまで……。

 そんなことをやってしまえばどうなるか、想像は全然難しくない。顔を真っ青にした夏凜さんが口を抑えながら部室から飛び出して行くのをみんなが見ていた。

 

「やっぱり飲むのなら一つか二つにしましょう」

「はい」

 

 その後戻ってきた夏凜さんに勧められたサプリを飲んでも私の歌はよくならなかった。喉の調子よりも緊張の問題みたいで……どうすればいいんだろう。

 

「明日は緊張を和らげるサプリを持ってくるわ!」

「やっぱりサプリなんですか!?」

 

 

 

「あの家のお母さん、子猫の事考え直してくれてよかったね!」

「うん…」

 

 学校に戻る道をお姉ちゃんと二人で歩きながら先程の出来事を思い出す。今日の活動は最近の子猫の飼い主探しの依頼で二匹の貰い手がついたから二手に別れてから引き取るものだった。ほむらさんだけは部室に残って問題を作っていたから私とお姉ちゃん、友奈さんと夏凜さんと東郷先輩で別れた。

 

 けど私達が引き取りに行った先で、その家の子が子猫を連れて行くのが嫌で泣いて反対していた。私はどうすればいいのか全然分からなかった。このままじゃケンカにもなっちゃいそうだと思ったし、この家では飼えないって聞いていたからこの子が悲しむだけで何も良くならない気がして……。

 

 それをお姉ちゃんがその家のお母さんとお話しして考え直してくれることになった。あの子にも笑顔が戻って本当に良かった。誰も不幸にならずに済んだんだって心から安心したのだった。

 

「……ごめんね、樹」

 

 だからそんな風に落ち込んでいるお姉ちゃんが私には分からない。

 

「…なんで謝るの?」

「……樹を勇者部なんて大変なことに巻き込んでしまって……アタシが大赦に樹を勇者部に入れろって命令された時、やめてってさっきの子みたいに泣いてでも言うべきだったのに……そしたら樹は勇者にならずに済んで普通にいられたのに……」

「何言ってるのお姉ちゃん」

 

 違うよ。お姉ちゃんは私を勇者部に入れた事を後悔しているみたいだけど、私は勇者部に入れて本当に嬉しかったと思ってるんだよ。

 

「お姉ちゃんが勇者部に入れてくれたから私は幸せなんだよ。憧れの人が何人もできたし、勇者になったことも嬉しいんだよ。私が守られるだけじゃなくて、みんなと一緒に戦えるようになれたんだから」

「樹…」

「だからお姉ちゃんも無理しないで。一人で辛い事を背負い込まないで。私だってお姉ちゃんに幸せでいてほしいんだから!」

 

 お姉ちゃんには私達が付いているんだから。みんなだって後悔はしていないはずなんだ。勇者部に入ることが他の何よりも幸せなことなんだから。

 

「ありがとう、樹」

「えへへ、どういたしまして」

「さーてと、部室に戻ったら樹は歌の練習ね」

「あぅ…そうだった…」

 

 こっちはまだ不安だけど頑張らなきゃ…! みんなが応援してくれてるんだから!

 

 

 

 そして歌のテストの日がやってくる。

 

「次は犬吠埼さん」

「は、はい!」

 

 ここ毎日ずっと練習してきた。勇者部の活動で他にやることがあるにも関わらず、みんな私のために色々な手を尽くしてくれた。心臓がばくばくしてるけど…大丈夫……きっとできる…!

 

「始めますよ」

「………っ!」

 

 でも一度前を見てしまうだけで決意は揺らいでしまう。目の前の何人ものクラスメートが全員私を見ている。ここには私一人しかいない。いつも助けてくれるお姉ちゃんも、支えてくれる先輩達もいない。それだけで私はどうしようもない不安に押し潰されそうになっていた。

 

「……やっぱり……あっ…!」

 

 教科書に挟まれていた一枚の紙が落ちてしまう。緊張のせいで歌う前から上手くいかないせいでますます不安に感じてしまう……前に見えた。落とした紙に書かれていたメッセージを。

 

『テストが終わったら打ち上げでケーキ食べに行こう 友奈』

『周りの人はみんなカボチャ 東郷』

『大丈夫。樹ちゃんは今までも、これからも、とても強い子よ ほむら』

『気合いよ。頑張りなさい』

『周りの目なんて気にしない! お姉ちゃんは樹の歌が上手だって知ってるから 風』

 

「……っ」

「犬吠埼さん大丈夫ですか?」

「はい!」

 

 気が付くとさっきまでの不安は消えてなくなっていた。代わりに心がとても暖かい。溢れそうなほどの幸せな気持ちでいっぱいになっていた。

 

『ほむらちゃん恥ずかしかったの? わりとノリノリだったような……』

『…………言われてみれば…』

『意味ないじゃない!!』

『たぶんだけど、ここにいるのがみんなだからじゃないかしら』

『どういうことですか?』

『聴いてくれたのがみんなだから、恥ずかしいって感じるよりも嬉しいや楽しいって感じる気持ちの方が大きかったんだと思うの。私にはこんな風に気持ちを分かち合える人達がいるんだなって』

『……その気持ちを分かち合える人二人を倒したのは誰よ』

 

 ふとあの時のほむらさんの言葉を思い出す。そしてその意味も。

 私は一人なんかじゃない。私はみんなと一緒にいる。私には気持ちが通じ合っている大切な人達がいる。みんなと一緒なら、何も恐いことなんかない。勇者としてだって、この歌だって!

 

 

 

「樹ちゃん、歌のテストうまくいったかな…」

「大丈夫よ。あの子はアタシの自慢の妹なんだから」

「それに私達の後輩なんだもの。信じて待ちましょう」

「…………」

「夏凜ちゃん、さっきからずっとそわそわしてるけど大丈夫よ。樹ちゃんならきっと」

「だ、誰がそわそわなんか…!」

 

 部室の中の声が聞こえてくる。私の歌のテストをずっと支えてくれた人達の声。扉を開くとみんなの視線が同時に私へと向いた。

 

「樹ちゃん…」

「歌のテストは…」

「ど…どうだった…?」

 

「バッチリでした!」

「「「「「やったーー!!」」」」」

 

 みんなが一緒だと思えば声が乱れるなんて事はなかった。リズムに合わせて自分でも最高な歌声で歌いきれた。それが分かった途端にみんなは自分の事の様に大喜びしていた。

 

「やったやったー!」

「はい!」

「きっとみんなカボチャだと思ったのが良かったのね!」

「あはは、ありがとうございます!」

「お疲れ様、樹ちゃん!」

「ほむらさん! 私とっても幸せな気持ちで歌えました! 夏凜さんもありがとうございます! 頑張りました!」

「私は別に……よくやったわね」

 

 そしてお姉ちゃんの方を見る。お姉ちゃんもずっと私がちゃんと歌えるんだって信じ続けていた。本当、誰にも負けない自慢のお姉ちゃんだよ。

 

「皆さん、私のために本当にありがとうございました! 遅くなりましたが私の歌、ぜひ聴いてください!」

 

 

◇◇◆◆◆

 

「あのね、お姉ちゃん。私、やりたいことができたよ」

「なになに? 将来の夢でもできた? お姉ちゃんに教えてよ?」

「……秘密」

「なによー。誰にも言わないから……ね?」

「だーめ、恥ずかしいもん……でもいつか教えるね」

 

 樹に夢ねぇ……何かは分かんないけど教えてくれる時が楽しみだわ。

 ……その時までに何も起こらなければいいのだけど。

 

 樹が家に帰るなりどこかに出掛けて家にはアタシ一人。今アタシを苦しめているのはこの前の大赦からの連絡だ。

 

『最悪の事態を想定しろ』

 

 夏凜もバーテックスの出現が相当乱れていると言っていた。もしかすると次の戦いは過酷を極めるのかもしれない。

 ……大赦から派遣された夏凜以外のみんなはアタシが巻き込んだんだ。みんなはその事を許してくれたけど、もしあの子達の身に何かがあれば……

 

 ……そんな事には絶対にさせるわけにはいかない。何としてでもみんなを守らなくてはいけないんだ…!

 

『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

「……っ!? 樹海化警報…」

 

 来てしまったの…最悪の事態が…!

 

 四度目の世界の時間の停止と辺りを包み込む樹海の花吹雪。スマホを握り締め、大切な存在を守り抜くための戦いへと赴いた。




 来てしまった……ついに来てしまった……次回は気になられていた方も多いであろう総力戦です。咲いてしまう……咲いてしまうぅぅ…!!


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第二十三話 「勇者部ファイトォーー!!」

「多い…」

「残り七体全部きてるんじゃないのこれ」

 

 遠く壁のギリギリ辺りに見えるのは、二度目の襲撃の時よりも二倍はいるバーテックスの姿。スマホのマップを確認するとやはり敵を示すアイコンが奥に七つ。私、友奈、東郷、樹ちゃん、夏凜が同じ地点におり、風先輩はそこから少し離れた地点からこっちに近付いてきている。

 

「今回は夏凜ちゃんの時みたいに誰か来ているなんてことはないのね。マップに名前が見当たらないし」

「そりゃそうよ。完成型勇者は私一人だけなんだから………ん?」

「夏凜ちゃん?」

「……ほむら…ひょっとして、あんたが私の名前を知っていたのってこのマップに私のが表示されていたから……なんてオチじゃないでしょうね……?」

「え? その通りだけど……ああ、結局言ってなかったわね」

「………はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」

 

 あっ、やば……これは今はお茶を濁して後からそれとなく言うべきだった。……いや、そもそもこれは今更気付いた夏凜の方に非がありそうなものだけど……

 

「な、何でそれを最初に言わなかったのよ!!」

「言おうにもあの時のあなたって警戒心や敵意飛ばしすぎだったじゃない。もし言っていたら恥を晒したとか感じてますます拗れそうと思ったからやめておいたのよ」

「ぐぬぬぬ……!! 否定できない…!」

「大丈夫よ夏凜ちゃん、笑っていたの風先輩だけだから」

「何の慰めにもならないわよ!」

「……あれ? 東郷先輩も笑ってたような…」

「樹ちゃん、しーっ! 夏凜ちゃんがもっと怒っちゃう!」

 

 まあ東郷の場合は友奈を馬鹿にされた仕返しとしてだから別に言わなくていいわよね。ここは風先輩一人だけってことにしておきましょう。

 

「ううぅ…! この屈辱、あいつらに全部まとめてぶつけてやるんだから! サプリも増し増しよ!」

「ここでサプリ出てくるんだ…」

「樹もキメときなさい!」

「い、いえ…その表現はちょっと、遠慮しておきます…」

 

 思わぬ形で夏凜がとてつもなくやる気を出すようになってしまった。元々プライドが高くて責任感もある子だから腑抜けたりはしないだろうけど、理由はともあれこの重要な局面で闘志を燃やせるのは良いことね。

 

「敵さん壁ギリギリの位置から全部来ているわ」

「風先輩!」

「決戦ね。みんなも準備を……って、夏凜? なんだか随分気合い入ってるわね」

「風……この戦いが終わったら覚えておきなさい…!」

「はい? 何のこと?」

 

 既に変身済みの風先輩が飛んできて合流を果たす。夏凜の怒りの込もった理不尽な言葉に困惑するも、状況が状況なだけに深くは考えないみたいだ。私からも後でフォローを入れておこう。

 

「………」

「緊張しなくても大丈夫だよ樹ちゃん。みんないるんだから!」

「私達六人なら絶対負けないわ。バーテックスに勇者部の底力を見せつけてやりましょう」

「…はい!」

 

 私と友奈の言葉に全員の表情が明るくなる。相手がどんなに強大な存在であろうとも、深い絆で結ばれている私達の前には及ばない。だから私達は戦える……

 

「さあ、ひと花咲かせるわよ!」

 

 ツツジ、鳴子百合、アサガオ、ヤマザクラ、トケイソウの花弁が舞い、今ここに六人の勇者が現れる。世界を滅ばさんとする敵を打ち倒し、この世界を、大切なものを護るための戦いに馳せる。

 

 人類の敵、バーテックス……その数は過去最大である七体。だがこれは残る敵の数と同じ。要はこれが最後の戦いであり、奴らを殲滅すれば人類とバーテックスの戦いも勝利で幕を下ろす。

 

「よーし、それじゃあみんな! ここはアレ、いっときましょ!」

「アレって何よ? また何か変なことするのあんた達?」

 

 夏凜と同じく何をする気なのかと思いきや、風先輩が友奈と東郷の肩の上に手を乗せる。それを見て何がやりたいのか解り、私と樹ちゃんもお互いの肩に手を。そして東郷と樹ちゃんも同様に乗せ、一つの輪のように並ぶ。

 

「円陣? それ必要なの?」

「トーゼン! 気合いを高め合うにはコレっしょ!」

「夏凜ちゃんこっちこっち!」

「ったく、しょうがないわね」

 

 半ば呆れながらも夏凜は私と友奈の間にすんなり入ってくる。あの夏凜も丸くなったものだ。大赦から勇者として送られてきた人間だから、全部終われば彼女との別れが来るかもしれないが、願わくばこの戦いが終わっても彼女とまだ一緒にいたい。この六人で勇者部を続けていきたい。

 

「あんた達、勝ったら好きなの奢ってあげるから絶対死ぬんじゃないわよ!」

「美味しいものい~~っぱい食べよっと!」

「言われなくても殲滅してやるわ」

「決着を付けて、私達の未来を掴み取るのよ」

「私も...叶えたい夢があるから」

「頑張って皆を...国を! 護りましょう」

「よーし、勇者部ファイトォーー!!」

「「「「「オーーーッ!!!!」」」」」

 

 

◇◇◆◆◆

 

『シュツジン!』

「突っ込むわ! 殲滅!」

「アタシ達も!」

 

 先頭を行く夏凜とそれに続く友奈、風、樹、ほむら。東郷はその場で狙撃態勢に入り、遠方からの攻撃に出る。ほむらは東郷以外の四人の内誰かを時間停止でサポートできるよう、彼女達のちょうど中心の位置をキープして樹海を駆ける。

 

「バーテックスの移動速度にバラつきがある。あの巨大な奴は明らかに別格だけどまずは……」

 

 一番後ろの地点にいる東郷がマップを見ながら戦況を確認する。七体のバーテックスの内の一体、牡羊型(アリエス)だけが他のバーテックスよりも速いスピードで突出していた。

 敵が多ければ速やかに倒してその利を消すことが重要。東郷は照準を牡羊型(アリエス)バーテックスに合わせて狙撃の機を伺う。

 

「一番槍いぃーー!!」

(……今っ!)

 

 真っ先に敵に突っ込んだ夏凜が牡羊型(アリエス)バーテックスの頭部を切り裂く。ダメージを受け怯んだところをすかさず東郷が撃ち抜きバーテックスを地に伏せる。

 バーテックスは時間経過でどんなダメージであっても再生する。そんな初歩級の事を完成型勇者である夏凜が見逃すわけがない。流れるような動作で地面に刀を突き立て牡羊型(アリエス)バーテックスを仕留めに入る。

 

「まずは一体目! 封印開始!」

「すごいよ夏凜ちゃん!」

「他の敵がくる前に倒すわよ!」

 

 傷付いたバーテックスの中からその魂である御霊が吐き出される。この御霊を破壊すれば一体撃破……しかし敵もそう易々と魂を破壊させるはずがない。

 

「って、こいつ…!」

「御霊がすごい速さで回転を…!?」

「慌てないで! 落ち着いて対処するのよ!」

 

 バーテックスの御霊は個々に特徴を持っている。簡単に傷が付かないほど堅いもの、高速で動き回るものなど、今回の御霊はドリルのように高速回転し続ける特徴を持っていた。

 

「何回ってんのよ! ちっ…!」

 

 夏凜が刀を投擲しその動きを止めようとするものの、刀は突き刺さらず回転の勢いに負け弾き飛ばされる。夏凜の攻撃は友奈の拳や東郷の狙撃、風の大剣よりも一撃の破壊力が劣る。故に力任せに投げつけられた刀では無理があったのだ。

 

「ここは私が!」

 

 だが次に続いた友奈が拳に力を集中させて御霊に接近する。夏凜の鮮やかな剣撃にはない敵を打ち砕く力。これまでにも御霊を破壊した事がある必殺の一撃が回転する御霊を打ち抜いた。殴られた部分が大きく凹み、厄介な防御回転が止まる。

 

 ドンッ!!

 

 そして遠方から大親友の作った好機を逃さない狙撃。御霊に見事な風穴を開け、その魂は光となって消滅した。

 

「ヒュ~♪ ナイス連携」

「ありがとう東郷さーん!」

 

 友奈の笑顔に自身も顔を綻ばせる東郷だったがすぐに先程の敵の行動を思い返して訝しむ。防御態勢も全然なっていない、まるで叩いてくれと言わんばかりの無謀な突出。何故あえて突っ込んできたのか……その答えはすぐに判明した。

 

ゴオォン ゴオォン ゴオォン

「な…何よこの音、気持ち悪っ…!」

「あぐぅ…!」

「頭がっ……コイツは…!」

 

「はっ! みんなを一点に集める為の罠!?」

 

 五人の前に現れた敵、牡牛型(タウラス)バーテックス。巨大な図体を誇るその敵が持つ鐘からは、勇者達の脳を揺さぶり苦痛を生み出すけたたましい騒音が響き渡っていた。音による実体のない攻撃故に、彼女達の精霊バリアは起動しない。満足に腕を動かすことすら難しくなる危険な範囲攻撃が東郷以外の勇者達を襲っていた。

 

「あの鐘が!」

 

 ただ一人範囲外にいる東郷が仲間達の危機を救うべく銃口を向ける。あの鐘を止めさえすれば攻撃はなくなりみんなもまた動けるようになる。

 

 バーテックスがみすみす反撃の機会を与えるわけがないのだ。突如として東郷がいる地点の地面が激しく揺れ出す。謎の地震により銃口の狙いが狂うだけならまだ何とかなった……問題は地面から飛び出した巨大な敵の出現である。

 

「地面の中を移動するバーテックス!?」

 

 連携プレーができるのは勇者達だけではない。地面の中を泳ぐように移動する巨大な魚型(ピスケス)バーテックス。東郷の援護を遮るように現れた敵が地面を揺らし、その巨大を以て狙撃を阻む。もはや東郷の手によって仲間達の危機を救うのは極めて困難である。

 

「ぐっ……うるさい…わね…!」

 

 しかしこちらには牡牛型(タウラス)の騒音攻撃に対処できる勇者がまだ残っている。時間停止能力という大赦にとっても想定外の力を使いこなせる勇者、暁美ほむらが。

 騒音によって頭の中を駆け巡る苦痛に耐えながら、一度時間を止めることができればそれだけで攻略可能。時間の止まった世界ならば厄介な音の攻撃も停止する。その状態で他の仲間の手を取り、連携で鐘を壊して封印すればいいのだから。

 

 だが時間を止めるまでがなかなかうまくいかない。騒音は彼女達の脳や神経に直接攻撃をしているようなもの。そしてほむらが時間を止めるには、彼女の盾に備わっている砂時計の砂を落とす事が発動条件となっている。頭痛や目眩に襲われながらも盾に手を掛けなければこの状況は覆らない。

 

「あと少し…くぅぅ…!」

 

 あと少しで右手が盾を掴める。そうすればこの苦痛からみんな抜け出せる。

 

 ……はずだった。誰もその存在に気付いていなかった。牡牛型(タウラス)の鳴らす騒音で周囲に気を配れなかったのか、それとも他の敵よりも圧倒的に小型だったから目に付かなかったからなのか……状況を打開できる寸前のほむらに別の敵が襲い掛かる。

 

「っ!? きゃあぁぁっ!!」

「なっ!? ほむら!!」

「ほむらちゃん!!」

 

 新たな襲撃者、人のような形の双子型(ジェミニ)バーテックス。他のバーテックスが揃って巨大な体を持つ中、この個体のみは3メートルという人間サイズであれば巨大だが、バーテックスならばかなり小さい存在である。

 だがその小さな体故に他にはない突き抜けた俊敏性を持つ。たった今、時速250キロメートルの速度でほむらに跳び蹴りを放ったのだから。

 

「あうっ、ぐっ…! エイミー……痛っ…!」

 

 幸いにも精霊バリアが発動したおかげで致命傷にはならなかったものの、3メートルの巨体に時速250キロメートルの勢いが乗った跳び蹴りが直撃したのだ。女子中学生の軽い体は樹海の地面に叩きつけられ激しく転げ回ってしまう。もし勇者の耐久力がなければ全身の至る所が骨折していたであろうダメージ。そうはならなかったが全身が痛むせいでなかなか起き上がれない。

 

「ほむらちゃん!! くっ、バーテックスめ…! 邪魔をするな!!」

 

 遠くからこの事を見ていた東郷も大切な友達の窮地を救いたかったが、撃った砲撃が魚型(ピスケス)バーテックスに遮られ通らない。牡牛型(タウラス)バーテックスの鐘で他の仲間達も動けずにいた。

 その好機を敵は逃さなかった。双子型(ジェミニ)バーテックスが地に伏したほむら目掛けて走り出す。彼女に飛びかかり、腹を右足で踏みつけた。

 

「ぐっ……このっ…!」

 

 精霊バリアが発動するも、そんなものはお構い無しと言わんばかりにバーテックスは片足で立ち体重を乗せて潰しにかかる。おまけに殺意を剥き出しにしながら左足で何度も何度も下のほむらを連続で踏み続ける。

 

「がはっ…! ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 万能な精霊バリアといえども限界はある。出現した猫又が苦悶の表情を浮かべ、度重なるダメージはバリアをすり抜け、ほむらの体に鈍痛が現れる。

 

「このままじゃほむらが…ぐっ!」

「この音さえ止まれば……うぅぅ…!」

「……っ! また新しいヤツらが!」

 

 牡牛型(タウラス)バーテックスの足止めはかなり厄介な要因になっていた。友奈、風、樹、夏凜の四人の動きを封じ、他のバーテックスとの連携でほむらが一方的に攻撃されている。それに追い討ちを掛けるよう、四人に新たなバーテックス、天秤型(ライブラ)バーテックスと水瓶型(アクエリアス)バーテックスが迫っていた。東郷も魚型(ピスケス)バーテックスの妨害で対処できない今、六人は絶体絶命の危機に陥った。

 

「ダメ……こんなのじゃダメ…!」

 

 大切な人達を苦しめる騒音に一人の勇者が憤る。彼女が最愛の姉と尊敬する先輩達の支えによって見つけ出した夢を、その人達を苦しめる事に使われる事が我慢ならなかった。苦痛なんてもう彼女にとってはどうでもよかった。ただこの最悪な存在を無くせるのであれば、何でだろうと耐えられる。

 

「……音はみんなを幸せにするもの……なのに……こんな音はダメぇーー!!!」

 

 樹が伸ばしたワイヤーが牡牛型(タウラス)バーテックスの鐘に雁字搦めに巻き付いた。忌々しい鐘は動かなくなり、厄介な音を鳴らせなくなる。

 

「樹ナイス!! 夏凜!! ほむらをお願い!! うおぉぉぉりやぁぁぁ!!!」

「分かってる!! こんのクソ野郎!!! ほむらを離しやがれぇーーー!!!!」

 

 樹の活躍により自由を取り戻した彼女達の怒声が樹海に響き渡る。風は大剣を巨大化させ、近付く二体の敵を渾身の一振りでまとめて両断する。そして夏凜は仲間を傷付けた敵に向けて刀を全力で投げつけ、それは双子型(ジェミニ)バーテックスの頭部に深々と突き刺さった。目の前の敵を殺すことしか考えていなかったバーテックスにとって、この怒りが込められた一撃は完璧な不意打ちとなって一瞬動きを止めた。

 

『!!?』

「……いい加減に…どきなさい!!」

 

 右足で抑えつけながら左足での踏みつけという攻撃だったためか、双子型(ジェミニ)バーテックスの態勢は片足立ちである。ほむらは今までの恨みを込め、頭部に刀が突き刺さって不安定になりかけているバーテックスの右足を、左腕の盾で全力で凪払うように殴打した。

 ほむらに攻撃力は無いものの、それでも彼女は勇者の力を秘めている。ダメージは無いに等しいが3メートルしかないバーテックスのバランスを崩すには充分だ。ほむらの体から離れ、無様に地面に倒れたところで……ほむら以外の全ての時間が止まる。

 

「げほっ…げほっ……! ハァ……ハァ…………精霊バリアが無ければ死んでいたわ………さて…よくも散々人を踏みにじってくれたわね…」

 

 誰にも聞こえていないその凍えるような声には止めどない怒りと憎しみが宿っていた。ゆっくり双子型(ジェミニ)バーテックスの側に歩み寄ると、その頭部に突き刺さっている仲間の刀の柄を掴むと同時に頭部を力任せに切り裂いた。

 

『!!?   』

「時間が尽きるまで切り刻んであげるわ。痛みは一瞬で永遠よ」

 

 刃がバーテックスの体に当たるとバーテックスの時間も動き出す。だが動けるようになった時にはその部位には鋭い刃がめり込み、抵抗する間もなく体から切り離される。そうなってしまえばバーテックスの体はほむらと刀を通して間接的に触れていないという事になり、再びバーテックスの時間が停止する……これが繰り返される。

 

『!』『 !?』『!!』『~~~~!?!?』

 

 バーテックスは気付かない。何故自分の体が一瞬の内に次々と切断されていくのか。頭も腕も胴体も足も、予測無しに刃が通って切り離される。咄嗟に自分を攻撃しているのであろう勇者を迎え撃とうにも完全にペースを持って行かれた。防ぐ事もままならず、双子型(ジェミニ)バーテックスは何十ものパーツに切り刻まれバラバラになる。

 

 そして時は動き出す。

 

「……っ、ハァ…ハァ……ざまをみなさい……ん?」

 

 肩で息をしているとふと左手の甲にあるトケイソウの刻印が目に入る。一番最初はただ花の形をしているだけだったが、戦いの中で少しずつ色付いていた刻印。この戦いが始まる前は全体の五分の三が色付いていた刻印……

 

「……全部貯まったわね……満開ゲージ…」

「「ほむら(ちゃん)!」」

「友奈、夏凜……」

「ほむらちゃん大丈夫…? 怪我は……」

「……なんとか平気よ。ありがとう夏凜、おかげで助かったわ」

「……別に、当然の事をしたまでよ」

 

 こんな時でも照れ隠しでそっぽを向く夏凜に二人とも笑みがこぼれる。絶体絶命の状況は何とか切り抜けられた。風と樹の方を見れば両断した天秤型(ライブラ)バーテックスと水瓶型(アクエリアス)バーテックスと樹が捕らえた牡牛型(タウラス)バーテックスをまとめて封印しようとしており、東郷の方は邪魔をする魚型(ピスケス)バーテックスを的確に狙い撃ち、地面深くに退けた。

 

「のんびりしている場合じゃなかったわね。そこの細切れバーテックスを封印して次に行きましょう」

「うん! 頑張ろう!」

「……ちょっと待って、あのバーテックスってどこよ」

「…え?」

 

 夏凜の予想外の言葉に慌てて双子型(ジェミニ)バーテックスを切り捨てた場所を見る。バラバラになったはずのバーテックスが一つの欠片も無く消え失せていた。

 

「なっ、馬鹿な!? まさか再生して逃げたというの!?」

「ウソっ…! いくら何でも早すぎるわよ!?」

「二人とも、あれ!」

 

 友奈が指を差した先には少しだけ再生していた双子型(ジェミニ)バーテックスの姿が。だが依然として切り刻まれてくっついていない部分が殆どで、完治にはまだ程遠い。

 問題はそれが何かに吸い寄せられている事だ。欠片一つ残さずまとめて宙を漂っている。

 

「あわわわ、引っ張られる~!」

「樹、ワイヤー解いて!」

「ええっ、向こうも!?」

「何よアレ……バーテックスが後退……いや、集まってるの?」

 

 風と樹が封印しようとしていた三体のバーテックスも退いている。ダメージを受けて危なくなったからなのか、その考えはすぐに違うと気付かされる。

 

「あのデカいやつ何よ…? まるで太陽じゃない…」

 

 今まで動かなかった、どのバーテックスよりも大型の存在、獅子型(レオ)バーテックスの全身が灼熱の球体へと姿を変え、集まった他のバーテックスを呑み込んだ。あの場にいた全てのバーテックスが炎に包まれると、中から一体の超巨大バーテックスが姿を現した。

 

「合体!? そんなことできるなんて聞いてないわよ!!」

「なんて大きさ……これはかなりマズいわね…!」

 

 その獅子型(レオ)バーテックスには先程消えた四体のバーテックスの特徴が見えていた。倒したと思っていたやつらを取り込んで、ただでさえ一番危険そうだった敵がより強い力を得てしまったというのは考えるまでもない。

 

「でもアレを封印できれば五体まとめて倒せるよ!」

「……その通りね。まさにラスボス戦ってわけじゃない」

 

 勇者達に分かり易い目標ができる。あの一体だけ封印できれば残る敵は地面に逃げた魚型(ピスケス)バーテックスのみ。彼女達の勝利は目前となるのだ。

 だがそれは、その一体を倒せればの話。獅子型(レオ)バーテックスの周りに無数の火球が浮かび上がるとそれらは全て勇者達に降り注いだ。

 

「来る! みんな避けて! わあぁっ!!」

「お姉ちゃん!? きゃあ!!」

「速っ!? うわぁ!!」

「ちょっと! この炎追尾…きゃああ!!」

「避けられな…ぐうぅぅ!!」

 

 火球の一つ一つが取り込んだ双子型(ジェミニ)バーテックスを思わせるような脅威の速さ。避けようにもしつこい追尾性能とその速度が合わさり、もはや回避不可能な攻撃の嵐となって五人に容赦なく殺到していた。威力も数が多すぎて、それぞれ大剣と盾で直撃を防いだ風とほむらでも遮断しきれずにダウンしてしまう程。

 

「みんな!! おのれよくもっ!!」

 

 その惨状を遠くから見ていた東郷が強大な敵に狙撃する。東郷の狙撃銃による一撃は射手型バーテックスの巨大矢を破壊できる程の威力を持つ。狙撃は寸分の狂いもなく獅子型(レオ)バーテックスに当たり、嘲笑うかのようにその一撃を弾いた。

 

「効いてない! はっ!」

 

 そしてそのお返しとでも言うかのように東郷にも火球が降り注ぎ、その体は爆風で宙を舞って崩れ落ちる。

 

 獅子型(レオ)バーテックスが攻撃を始めて僅か数十秒、六人の勇者は手も足も出ず、一方的に蹂躙された。邪魔者を蹴散らした獅子型(レオ)は勇者達に目もくれず、滅ぼすべき神の下へと移動を開始しようとした。

 

「…冗談じゃ…ないわよ……」

「こんなところで……認めないわよ……」

 

 だがそこで性懲りもなく二人の勇者が立ち上がろうとしていた。先程の火球の嵐をそれぞれの大剣と盾、そして精霊のバリアでダメージを軽減した犬吠埼風と暁美ほむらの二人が……。

 バーテックスはこの二人が起き上がろうとしても何とも思わない。どうせすぐに処理できるのだから。

 

「っ!?」

 

 水の塊を作り出して黄色い勇者を一人捕らえる。これでもう身動きは取れず、放っておけばいずれ窒息死するだろう。もう一人の白紫の勇者は……獅子型(レオ)が手を出すまでもなかった。

 

「!? 地面が揺れ…! しまっ…」

 

 勇者達の敵は獅子型(レオ)だけではない。まだ魚型(ピスケス)バーテックスが残っていた。地面を激しく揺らしながら高く飛び出したその敵は、辛うじて立ち上がったほむらの真上から落ちてくる。

 

「時間を……そんな…止まらない!!?」

 

 彼女は自分の能力を過信していた。確かに時間停止の能力は強力で、今までもその力が役に立たない事は一度もなかった。

 だが既にその能力は使えない。時間停止能力を使える回数は最大五回、一度能力を使う毎に満開ゲージが貯まり、それが最大値の時には使えなくなる制限を彼女は理解していなかった。

 これまでほむらが時間停止能力を使用した回数は四回……それと双子型(ジェミニ)バーテックスの猛攻を精霊バリアによって防いだ分、それによって彼女の満開ゲージは全て満ちていた。

 

 魚型(ピスケス)バーテックスの巨体がほむらの小さな体を押し潰す。これでもう戦える勇者はいなくなった……獅子型(レオ)バーテックスは双子型(ジェミニ)バーテックスから引き継いだ移動速度で忌々しい神の下へと飛び去った。




ジェミニ「神樹なんてロリコンクソウッドのところに行ってられるか! 俺はほむほむを襲いに行く!」
ピスケス「東郷さんにちょっかい出せたから次はほむほむにダイブしてきます!」
レオ「えぇ…台本通りに動けよ…(時速250キロで移動しながら)」

 多くの勇者であるシリーズを見てきた人達からは群を抜いてスコーピオンとサジタリウスとキャンサーが嫌われているけど、実際作中の勇者達からはダントツでジェミニ君が嫌われている概念好き。


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第二十四話 「否定する、抗う、叛逆してみせる」

(ほむら…! っ…息が…!)

 

 バーテックスの無慈悲な攻撃をまともに受けてしまったほむら。今すぐ助けに向かおうとも風も絶体絶命の状況だ。水の塊に取り込まれ、必死にもがいたり大剣で斬ろうにも変わらない。体力自体立つのもやっとだという現状、息が長く持つはずもなく、まさに風も命の危機に陥っていた。

 

(こんなの……こんなことって……)

 

 バーテックスの放った水球の中で風は怒りに震えていた。自分がこのまま溺死してしまうのではないかという“死”に対して恐怖するよりも……神樹の下へと飛び去った敵が世界を滅ぼしてしまうという絶望に怯えるよりも……。敵に押し潰された後輩の姿を見て、彼女達を守れず、こんな所で死にかけている自分自身が許せなくて仕方がなかった。

 

(樹……友奈……東郷……ほむら…)

 

 風がバーテックスと戦う本当の理由は世界を救うために非ず、二年前のバーテックスが原因で引き起こされた大事故で死亡した両親の仇を取ること。それを成し遂げるために風は大赦の指令を反対せず命じられるがまま、掛け替えのない妹と後輩達を命懸けの戦いに巻き込んだ。何も知らない、平凡な日々を送っていた彼女達を……。

 自らの過ちを自覚してからは、何が何でも彼女達を無事に元の日常に返す事を望むようになった……否、誓ったのだ。例え自分がどれだけ傷付こうとも、命を落としてしまってでも……

 

(それなのに……何よこのザマは…! 自分勝手な理由でみんなを巻き込んでおいて、酷い目に合わせて! そのくせこんな所でくたばりそうになるなんて!)

 

 ここで死んでしまえば大切な存在を守ることができないまま終えてしまう。ここで立ち上がらなければ、それこそ大切な何かを永遠に失ってしまう。

 

(そんなこと…できるわけないでしょうが!!!!)

 

 失ってなるものか……終わってなんていられるか……だからこそ、犬吠埼風の魂の叫びに輝きの心を宿す花は美しく咲き誇る。

 

 

「風先輩……ほむらちゃん……っ…!」

 

 激痛で朦朧とする意識の中、東郷は見ていた。圧倒的な力を持つ敵を前にしても立ち上がろうとしていた二人を……その二人をうっとうしいと虫を潰すかのように処理した敵を……。

 

「友奈ちゃん……夏凜ちゃん……樹ちゃんも…」

 

 平穏な日々を切に願う自分達を塵芥のように思っているのか……あの素晴らしい友人達の命の輝きをくだらないと吐き捨てるのか。東郷の中で燃え滾るかのような感情が湧き上がる。

 

「よくも……よくもみんなをこんな目に…!」

 

 かつて絶望と不安の海の中を漂っていた東郷に希望を、友達との温もりを、心暖まる居場所を与えてくれた人達を傷付けられた。その事実と仲間達をそんな目に合わせた敵が、今度は世界を終わらせようとしている。みんなで笑い合える、この素晴らしい世界が滅ぼされてしまう。

 

「……もう…許せない…」

 

 もう誰も傷付けられてなるものか……これ以上奴等の好きにさせてなるものか……風と時を同じくして、東郷美森の決意に愛情の絆の花が煌めき咲き誇る。

 

 オキザリスとアサガオ……絶望に包まれていた樹海の中で咲き誇る二つの花。その輝きは風を苦しめていた水球を弾き飛ばし、東郷に再び戦場へと馳せ参じる力を宿す。

 その身に纏うのはこれまでとは比べ物にならないほど力が湧き出る神秘の装束。絢爛豪華な姿はまさしく神の如し。

 

 これこそが“満開”……溜め込んだ勇者の力を解放し、圧倒的な力を手に入れる勇者の切り札。

 

「……アタシの自慢の後輩に、何してくれてんのよ!!」

 

 瞬時に魚型(ピスケス)バーテックスに接近し、満開によって更に巨大になった大剣の面でその巨大な体を殴り打ち上げる。巨体はその一撃で大きくひしゃげ、まるでバットでボールを打ったような勢いで吹っ飛んでいく。

 

「よくもほむらちゃんを! 敵ヲ捕捉、此ヨリ総攻撃ヲ実施ス!」

 

 そのバーテックスを鉢巻を着けながら見つめる東郷。彼女の満開によって現れた戦艦の砲門が開き、蒼く輝く強烈な砲撃が飛ぶ。それも一撃だけではなく、次々と放たれる砲撃は宙の魚型(ピスケス)バーテックスを消し飛ばし、破壊し、御霊諸共消滅させる。

 

 満開の圧倒的な力により魚型(ピスケス)バーテックスは為す術もなく討伐される。これで残す敵は獅子型(レオ)一体のみとなった。

 

「ほむら!!」

 

 風は先程まで魚型(ピスケス)の巨体に潰されていたほむらに駆け寄る。気を失ってはいるものの息はしていた。普通なら間違いなく命は無かっただろう。だが彼女のすぐ側に寄り添うように浮かんでいる存在からある力が使われていた痕跡が残っていた。

 

「……良かった…生きてる。よくほむらを守ってくれたわね、エイミー…」

『………』

 

 心配そうにほむらを見つめていた彼女の精霊である猫又。どんなに激しい攻撃が襲って来ようとも、絶対に彼女を守り抜くという確固たる意思を持っていた精霊が潰されている間絶えずバリアを展開し続けていたのだった。

 

「風先輩、ほむらちゃんは!?」

「東郷その格好……ほむらなら大丈夫。気を失ってはいるけどこの子が守ってくれたから」

 

 風達の下へ飛んできた東郷もほむらが無事だと分かってホッと息を吐く。最悪の自体は回避できた。だがそんなものはこのまま動かなければすぐに訪れ、今度こそ何もかも終わってしまう事を忘れてはいけない。

 

「……ほむらちゃんはここで休んでて。後は私達で何とかするから」

「行こう東郷。アイツを止めないと…!」

「はい!」

 

 現在進行形で神樹の下へ猛スピードで飛んでいる獅子型(レオ)バーテックスを止めなければ彼女達に未来はない。満開で得た力によって自在に飛び回れる事が可能となった風と東郷はスピード全開で獅子型(レオ)を追いかける。

 

「くっ…! アイツめ、あんなデカいくせになんて早さ…!」

「ですが今の私達なら…追いつけます!!」

 

 双子型(ジェミニ)バーテックスの能力を引き継ぎ驚異的な移動速度を得た獅子型(レオ)だが、切り札である満開を使った勇者達もそれに負けない力を得ていた。ましてや二人は倒れてしまった仲間の思いを背負っている。血も涙もない化け物なんかに、その仲間の思いを決して壊させるわけにはいかないのだ。

 神樹の姿が見える程までに近付くが、風と東郷はバーテックスとの距離を詰める。あと少しでバーテックスを先回る事ができる……その事を理解したのか、獅子型(レオ)バーテックスは移動を止めて巨体を反転。再び邪魔をする勇者達の迎撃態勢に入る。獅子型(レオ)の周りに浮かび上がる無数の火球。先程勇者達を蹂躙した高威力、ハイスピード、追尾性能の三拍子を誇ったそれが、風と東郷を焼き尽くすべく降り注ぐ。

 

「その攻撃はもう覚えた! 一個たりとも通さない!」

 

 遠くから仲間達がやられるのを見た、東郷自身もその攻撃になす術もなくやられた。

 三度目の今回は敵の思うようにはさせない。戦艦の八つの砲門が開き、それらから蒼い閃光が迸る。360度全方位から恐ろしい速さで迫り来る何十もの火球だったが、満開した東郷の砲撃はその猛威を次々と消し飛ばしていく。

 

「っ…!」

「東郷!」

 

 だが東郷の体は既に限界に近い。満開する前のダメージが消えたわけでもなく、無数に襲いかかる火球全てを撃ち落とす砲撃も彼女に大きな負担を与え、いつ倒れてもおかしくない状態だった。今度獅子型(レオ)バーテックスに同じ攻撃を許してしまえばもう防ぎきれない。風もその事に気付き、大剣を握り締める力が自然と強くなる。

 

「風先輩……すみません…もう…」

「……ありがとう、後はアタシが!」

 

 頼もしく応える風に東郷も小さく微笑むと、彼女の体が淡い光に包まれる。持てる力全てを使い果たして道を切り開いた代償は大きく、東郷の満開はその力を失った。姿が元の勇者服に戻り、東郷に意識はもう無いのか、あるがまま樹海に落下していった。

 東郷が身を粉にして掴んでくれた好機……風の大剣が光に包まれ、目の前の敵を倒すため、瞬く間に巨大化する。その刃は超巨大な獅子型(レオ)バーテックスの大きさに負けず劣らず。風は渾身の力を込めて最強の大剣を振り下ろす。

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

『…!』

 

 獅子型(レオ)は食らえばひとたまりもないであろう風の大剣の威力を見抜き、自慢の俊敏性を用いて回避しようとするも、これは風の魂の一撃だ。

 ───大切な仲間達を苦しめた敵を絶対に許してなるものか…!!

 風の己の全てを賭けて振り下ろした大剣は、高速で動き出した獅子型(レオ)バーテックスを捉え、その巨体の左半身を丸ごと吹き飛ばした。それに加えて獅子型(レオ)は強烈なパワーで樹海に叩きつけられ、轟音と共に土煙が舞い地面が揺れ動く。

 

「どうだああぁぁぁぁぁ!!!」

 

 風の絶叫が木霊し勇者達の勝利が見えてくる。風にも限界が近付いてきているがまだやれる……そう思っていた。

 

「っ…!? 何よあの元気っぽい玉…アイツどんだけしつこいのよ…!」

 

 体半分を失ってもバーテックスは死なない。起き上がった獅子型(レオ)の頭上に灼熱の太陽の如き巨大な火球が形成される。明らかに今までの攻撃とは比べ物にならない威力を持っているであろう、獅子型(レオ)バーテックスの奥の手は勇者を葬り去るべく放たれる。

 

 もう戦えない、意識を失った東郷に目掛けて……

 

「なっ…!? ふざけるなあぁぁぁ!!!!」

 

 ただ風を狙って放っても、満開の力を得ている今の風なら避けられていただろう。バーテックスには知性がある。敵はその事を見通して、風の行動を予測して東郷を狙ったのだ。仲間思いの風なら絶対に東郷を庇うと……絶対に攻撃を受けざるを得なくなると。

 獅子型(レオ)の読みは的中し、風は巨大な火球の射線上に立ち回り、大剣で火球を受け止めた。それを見た獅子型(レオ)は内心で愚かすぎる行動をしたものだと風を嘲笑う。まだ戦えるのにも関わらず、既に倒れた者を守るためにその身を犠牲にする事のなんと愚かな事か…と。

 

 風が受け止めた火球はその勢いを増し、爆裂して風を呑み込む。そして黄色の花弁を散らしながらボロボロになった風が……満開の解けた姿で地に落ちる。

 

「う…ぐ………」

 

 風の全身に激痛が走る。もう彼女も動けない。倒れた仲間を守るために絶好のチャンスを逃したのだ。

 バーテックスは人間の心という物をほくそ笑んでこの様に思うだろう……訳が分からない……と。

 

 ともあれ今度こそ立ち上がる勇者がいなくなった。獅子型(レオ)は神樹に向けて進軍を再開する。

 

 バーテックスは人間の(たましい)が理解できない。だからこそ完全に油断しきっていた。咲き誇った花がまだ残っている事を想像だにしていなかった……

 

「そっちに行くなあぁぁぁ!!!」

 

 遠くから大量の緑に光るワイヤーが飛んでくる。ワイヤーは獅子型(レオ)の体に満遍なく絡み付いた。

 

「私達の日常は奪わせない! お姉ちゃん達の思いを無駄になんてしない!!」

 

 樹海中に響き渡る樹の声……風と東郷の勇敢な姿に突き動かされて起き上がった彼女も神秘の輝きを放っていた。

 

 満開した樹の背負う光輪から伸びるワイヤーは逃さない。最後の力を振り絞って、大切な者達と共に生きる世界を守る。体半分を失って本来の力を発揮できない今、これで獅子型(レオ)の厄介な動きは封じ込めたも同然……そして…

 

「満開!」

 

 遠くの空で咲き誇るヤマザクラ……勇者、結城友奈の輝き。新たな力と二つの巨大な腕を浮かべて飛び立った彼女の思いは一つ……大切なもの全てを救う!

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 ワイヤーに絡まれて思うように動けない獅子型(レオ)も辛うじて迎撃の火球を放つ。だがそんな物で友奈の想いを止められやしない。火球が友奈に直撃するも、彼女の勢いは決して止まらない。

 彼女の想いはみんなの想いと同じ。一人だけでは敵わなくても六人の想いが集った今、何者も彼女を止められない。

 

「勇者部六箇条、ひとーーつ!! 家族や友達を大切にーー!! 勇者ぁ……パアァァァァァァンチ!!!!」

 

 振りかぶった巨大な豪腕が獅子型(レオ)を打ち抜く。殴り、凹み、亀裂が全身を駆け巡る。最大の脅威……獅子型(レオ)バーテックスの器は勇者達の諦めない心の前に崩れ去った。

 ……獅子型(レオ)の“器”が。バーテックスには心臓とも言える御霊を持ち、これを破壊しない限り倒したとは言えない。体を失い、剥き出しになった御霊を見て、友奈とその位置から遠くにいる樹、そして夏凜が言葉を失った。

 

「……あれが御霊…? うそでしょ…」

「お…大きすぎる……それにあの場所って…宇宙!?」

 

 獅子型(レオ)バーテックスの御霊は今までのバーテックスよりも圧倒的な大きさを誇り、その出現場所も地球の外という、何から何まで規格外の存在だった。

 絶望を越えた先にあったのは更なる絶望……それでも友奈は諦めない。

 

「……大丈夫、御霊なんだから今までと同じ様にすればいいんだ。どんなに敵が大きくたって諦めるもんか!」

 

 どんなに苦しくても諦めない。それが勇者なのだから。

 

「東郷さん…ほむらちゃん…風先輩…樹ちゃん…夏凜ちゃん……行ってきます!」

 

 自分は決して一人じゃない。みんながいるから戦える。みんなのために、友奈は空高く舞い上がった。

 

 

 

 友奈は成層圏近くまで到達する。ここまでの全速力で彼女もすっかり疲弊しており、気を抜いた瞬間に満開は解除されてしまうことだろう。

 

「勇者部六箇条! なるべく…諦めない!」

 

 そんな彼女の意思を繋ぐのは、大切な仲間達がいるから。みんなと一緒に帰る居場所があるから。そのためならばどんなに大きな壁があっても越えられると信じて、友奈は戦える。

 そんな彼女の前に立ちふさがる壁はどこまでも巨大で、堅固な存在か。獅子型(レオ)の御霊から、あの火球と同じくらいの大きさの正方形の物体を大量に投下してきた。

 

「御霊が攻撃!?」

 

 友奈がその攻撃を避ければその攻撃はとてつもないスピードで地上に降り注ぐだろう。そしたら倒れている東郷達は、世界はどうなるか……

 

「させるもんかあぁぁぁぁ!!!!」

 

 降り注ぐ物体をひたすら殴り破壊していく。一個でも漏らせば守りたいものを壊されてしまう。それが分かっているからこそ友奈は魂を燃やす。

 

「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!! 勇者部六箇条ぉーー!!! なせば!! 大抵!! なんとかなあぁぁぁる!!!!」

 

 友奈の拳は止まらない。縦横無尽に飛び回りながら何十個もの物体を砕く。やがて最後の一個も貫き、御霊の攻撃は終了した。これで残すは御霊本体のみ。

 

「あ…」

 

 突如として友奈の体から一気に力が抜け落ちる。御霊の攻撃から全てを守り通すのに力を使い果たし、満開が解除されたのだ。まだ御霊本体が残されているというのに、無情にも指一本ろくに動かない。

 

「そんな……まだ……」

 

 視界が暗くなっていく。まだ終わっていないのに、もう少しで終わりなのに……

 

「みんな………ごめんね…」

 

 友奈の心の中に絶望が広がり、目から一粒の涙が零れる。力を失った友奈はそのまま深い闇へと落ちていった。

 

 その時、友奈の体が温かいものに包まれたように感じた。その温もりは彼女の絶望をみるみる内に消し去っていく。友奈が大好きな、彼女の優しい温もり。

 

「……たった一人でここまでやるなんて……違うわね、私が倒れている間ずっと、みんなが希望を繋いでくれたから今この時があるのよね」

「あぁ……あぁぁ…!」

「後は私に任せて、友奈」

 

 真っ暗闇に落ちる友奈を優しく受け止めた、暁美ほむらの穏やかな顔が目の前にあった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 時は僅かながら遡る。友奈が御霊を破壊するべく飛び立った、まさにその時。

 

「あの上に飛んでいる光って……まさか友奈!? 一人でやるつもり!?」

「そんな…! いくらなんでも友奈さん一人じゃムチャだよ!」

「クソッ! こんな時になんで私は満開できないのよ!」

「私も行きます! 友奈さんを助けないと……あぅ…!」

「樹! あんただってもう限界が近いのよ!? それこそムチャよ!」

「夏凜さん……でも!」

 

 果敢に敵に立ち向かう友奈の姿を見て樹と夏凜は己の力の無さを悔やむ。二人も友奈が無理をしていることはよく分かっている。そんな彼女を助けたいのに樹は途中で倒れかねない……夏凜はその場に行くための満開を使えない。

 

「その必要はないわ」

「「っ!? ほむら(さん)!?」」

「あの場所へ行くのは……私よ……ぐっ…!」

 

 二人の目が驚きで見開かれる。そこにいたのはバーテックスの度重なる攻撃の前に倒れたはずの勇者、暁美ほむら。右足を引き摺るように歩き、痛むのかその表情は苦痛が滲んでいる。

 

「馬鹿! あんたの方が誰よりもボロボロじゃない!」

「……大丈夫よ。これを見て」

「それは……ほむらさんの満開ゲージ…」

「私にはまだ満開がある。樹ちゃんも友奈達も、満開で再び立ち上がれた……だったら満開を使えば、私だってまだ戦える…」

「ほむら……」

「それに……何故だか分からないけど、魂が燃えたぎっている気がするの。夏凜の言う通りこんなボロボロだっていうのに、私が友奈もみんなも守れって……私自身が倒れるのを許さないみたい…」

 

 目が覚めてからずっと、ほむらの意識は鮮明だった。全身に耐え難い激痛が走っているというのに、ほむらの体が、魂が彼女を突き動かす。

 

「暁美ほむらは諦めないのよ。絶望だけしか残されていない未来だとしても、神様が定めたとしても……私はそんな未来を否定する、抗う、叛逆してみせる」

 

 それが暁美ほむらなのだから。

 

「……約束です…無事に、帰ってきてください…!」

「樹ちゃん…」

「……絶対に帰ってきなさい。生きて…友奈と一緒に…!」

「夏凜………えぇ、約束よ」

 

 最愛の仲間達に捧げる。

 

「───満開」

 

 地面から白く光る枝のようなものがほむらを包み込み、トケイソウが満開の花を咲かせる。新たに背中側にある複数の紫に煌めく大きなリボンが靡く。ガラスのような神秘的な装束が輝いて見える。神聖なる真っ白の翼が顕現し、彼女に強大な力が満ち溢れる。

 

「……ふふっ、まさかあの翼だなんて……神樹様も分かっててやってるのかしら?」

 

 自分の変化にクスッと笑うと翼をはためかせて飛翔する。残った二人もほむらを信じて見送った。勇敢なる彼女達に……勝利を…。

 

 

 

 

 

「ほむら…ちゃん…!」

「……エイミー、それと牛鬼、友奈をお願い」

 

 ほむらの側に猫又が、友奈の側に牛鬼が現れ、二匹掛かりでほむらから託された友奈を抱える。とはいえ精霊の地の力は非力故に、二匹は友奈を落とさないよう必死に力を込めて浮かぼうとしている。

 

「……お前達には散々苦しめられた。みんなが傷付いて倒れて、それでも誰も諦めなかったからこそ、私は今ここにいるのよ!」

 

 ほむらが左手をかざすと翼から白い光が手元に収束する。光はやがて一つの弓へと形を変え、同じく右手に握り締めた矢を光の弦に入れる。

 

「訳が分からない? ならば覚えておきなさい! これが人間達の力……私達、讃州中学勇者部の力よ!!」

 

 ほむらの翼から迸る光が御霊の真上に巨大な魔法陣を描き出す。ほむらが構え、力を蓄え膨大な威力を得た矢の輝きが魔法陣を射抜くと、その矢は魔法陣の中で無数に拡散して降り注ぐ。

 

「フィニトラ・フレティア!!」

 

 魔法陣から御霊目掛けて放たれる無限にも思える量の矢一つ一つの威力では破壊はできないが、小さいながらも御霊を削り、貫き、壊していく。その傷は徐々に大きくなり、穴を開けてより深い部分へと突き刺さって爆裂する。

 中心部へと近付けば近付くほど、御霊の強度は増して矢が弾かれ始める。だがほむらはそれを好機と捉える。強固な守りだからこそ、その先に御霊の弱点が隠されているのだと。

 

 ほむらは御霊の真上を取り、溜めに溜めて最大の威力を誇り出した矢を開けた穴目掛けて構える。これがほむらの最後の攻撃……未来を掴み取る希望の光。

 

「シューティング・スタァァァーー!!!!」

 

 巨大な紫の閃光が御霊の中心部を砕く。御霊の全体にヒビが広がり……やがて超巨大な御霊は粉々になって消滅した。

 

「あ…」

 

 結果、ほむらの満開は花弁となって散っていく。空を飛ぶ力も失い、重力に引っ張られて地上に猛スピードで落下を始める。

 

「ほむらちゃん!!」

 

 目の前で落ちる友達を追うように、自身を抱えている精霊を逆に抱え込んで友奈も落下する。片腕の中で二匹の精霊がもがくが、友奈はもう片方の腕を必死に伸ばす。

 

「友奈…」

「ほむらちゃん!」

 

 落下しながら伸ばした腕でほむらに抱き付いた。お互いもうまともに動けないが、それでも今この瞬間二人一緒にいられる事に安堵する。

 そこにほむらの満開の残滓なのか、一輪のトケイソウが顕現し、二人を包み込む。残された僅かな力で自分達の身を守るための緊急用防護壁を作り出したのだ。

 

「……なんとか、作り出せた…」

「ほむらちゃん……やったね…」

「ええ……美味しいところ、貰ってしまったわね…」

「ううん、ほむらちゃん物凄かったよ」

 

 ほむらも友奈も、お互い力無く笑い合う。二人共心身ともに限界で、意識を失う寸前でもある。大気圏に突入し始めたトケイソウが蕾となって二人を守る。もしこれが燃え尽きてしまったら二人の命は助からない。

 

「大丈夫……神樹様が守ってくださるよ」

「……そうかしら……そうだといいわね」

「もー……ほむらちゃんって前からあんまり神樹様を敬ってないでしょ?」

「さあ? どうかしら……ふふっ」

「えへへ…」

 

 もしかしたら命を失ってしまうかもしれないこの状況で、二人は何も恐れていなかった。何故ならお互い側にいるのが最高の友達なのだから。彼女と一緒なら何も恐くない。二人は手を取り合って、相手の顔を見合わせながら意識を手放した。

 

 

 

 樹海へと燃え上がりながら猛スピードで落下するトケイソウの蕾を見つけた樹がワイヤーを張り巡らせる。彼女はまだ満開の力が残っており、それで敬愛する二人の命を救うべく力を振り絞る。

 だが大きすぎる衝撃を宿した蕾はそのワイヤーを千切り、その後に張られるワイヤーをも引き千切る。

 

「なんて衝撃なの!? もしこのまま落ちたら…!」

「友奈さんもほむらさんも、絶対に助けてみせます!!」

 

 千切られて新しいワイヤーを張る。また千切られてその度に張り直す。樹もまともに立つ事が困難になってきても、それでも絶えずワイヤーを張り巡らせる。

 

「止まってえええええっ!!!!」

 

 樹の叫びに呼応するかのように伸びるワイヤー。何度目かは分からないが、遂にワイヤーが蕾の勢いを殺し、それを地面に激突する直前で受け止めた。

 

「やった! ナイス樹! 見て! あんたが止めたのよ! あんたがあの二人を救ったの!!」

「夏凜さん……私よりもお二人を……」

「わ、分かったわ!」

「お姉ちゃん、私、頑張ったよ……サプリ、キメとけばよかった……かな…?」

 

 蕾の中から出てきたほむらと友奈に駆け寄る夏凜を見て、樹は満足げに微笑み、彼女の満開が解けると、その場に崩れるように倒れ込んだ。

 

「っ…、樹!? 友奈! ほむら! しっかりしなさい…!」

 

 夏凜の悲痛な叫びが樹海に響くも、誰も反応しない。友奈も、ほむらも、東郷も、風も、樹も……夏凜以外の全員が応えなかった。

 

「起きなさいよぉ…! ねぇ…!」

 

「大丈夫だよ、夏凜ちゃん」

 

 その声に夏凜はハッとして顔を上げる。そこには笑顔で夏凜を見つめる友奈と呻きながらも目を開けたほむらの姿があった。

 

「約束したじゃない。生きて帰るって」

「ケホッ…ケホッ…」

「はぁい…なんとか生きてますよぅ…」

「風先輩、あまり無理をなさらないでください…」

 

 咳き込んで受け答える樹、風を背負って近寄ってくる東郷。全員生きている……その事が分かり、心から安心した夏凜の目から涙が零れる。

 

「な…なによみんなして……もう! 早く返事しなさいよぉ…!」

 

 

 

 樹海化が解除され、戻ってきた讃州中学の屋上で夏凜のスマホに大赦から着信が入る。そして夏凜は誇らしげに伝えるのであった。

 

「三好夏凜です。バーテックスと交戦、負傷者五名、至急霊的医療班の手配を願います。なお、今回の戦闘で12体のバーテックスは全て殲滅しました! 私達、讃州中学勇者部が!」




【満開ほむら】
 ガラスのように輝く装甲と、背中側に大きな紫色の大きなリボンが複数備え付けられている。まどか☆マギカの12話で登場した白い翼が常に具現化され、この翼が満開時の武器となる。翼は変幻自在で応用が利きやすく、その一部をオリジナルの武器へと変形できる。翼から生み出される光が矢となって敵を撃ち抜く他、魔法陣を作り出して矢の雨を降らせたり、威力を蓄えて強力な一撃を放つ事が可能。技名はまどかのものから……というよりも、まどかの技を再現していただけである。矢として攻撃しなくとも、翼自体が攻撃力を持っているのでそのまま叩いたり押し潰すこともできる。
 ざっくり言えば帽子とメガほむの姿のドッペルがなく、体もガラス化していない翼が生えた業因のドッペル。攻撃方法は魔獣編での戦闘スタイルに近い。

 ところで、「侵食する黒き翼」って一体どんな攻撃なんでしょう? 未だによく分からない……


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第二十五話 「大丈夫? 痛くない?」

 多くの方が気になっていたであろう散華タイムです。第一回目の今回、選ばれたのは何か……その答えはこちら!


 気が付くと私は不思議な場所に一人立っていた。不思議というのはここが樹海みたいな摩訶不思議な空間という意味ではなく、ここが私にとって何の縁も無い場所であるという事だ。誰もが知っているし雑誌やテレビで見たことがあるけど、私が今までに訪れた事は一度も無い場所なのに。

 

「……ここって■■■……えっ?」

 

 自分の口から出た名詞に酷いノイズが掛かって聞こえる。辺りには変な音を発する機材なんて見当たらないのに……

 

「何よ今のノイズは……そもそもどうして私はここに? 確かバーテックスとの戦いが終わって……駄目、全然分からない…」

 

 本当に気が付いたらここにいたって感じだ。直前までの出来事が全くって言っていいほど思い出せない。

 

「何がどうなっているの……」

『………』

「……エイミー?」

 

 いつの間にか私の目の前にはエイミーがいた。別に呼び出してもいないはずなのに、どうしてこの子までここに?

 更にもう一つ驚いてしまう。スマホを取り出そうとポケットを探ったのに何も出てこなかった。今の私は持ち物一つ無い、手ぶらの状態にも関わらず、讃州市から離れた別の街に来ているという事になる。

 

「エイミー、あなた何か知らない? ……って、聞いても喋れないわね」

 

 思わずエイミーに尋ねてみたけど猫が喋れるわけがないのだ。やはりこんな訳が分からない状況下だし、私もなんだか混乱しているみたい。せめて夏凜の精霊みたいに喋れるタイプだったら……いや、アレも「諸行無常」とか「外道」ばかりで碌に喋れなかったわ。

 

『………』

「エイミー…?」

 

 目は口ほどに物を言う……エイミーは間違いなく喋れない、だがエイミーの今の表情を見て私は言葉を失った。

 

 その表情は悲痛の一言で表せる。絶望に震えているみたいで、猫でありながらも必死に涙を堪えているようである。

 そして目の前の立派な建造物が世界ごとグニャリと形を変えて……『ごめんなさい……!』

 

 誰かが涙ながらに謝る声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 なんだか不思議な夢を見ていたと思うのだけど、今はさっぱり思い出せない。まあ所詮はただの夢だし気にする必要はない。

 運び込まれた病院のベッドの上で目覚めた私は体を起こすと、立て掛けている松葉杖を手に取ってベッドから降りた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「あ、ほむら」

「誰がアホむらですって?」

「言ってないわよ馬鹿」

「冗談よ。夏凜も診察終わったのね」

「ええ。そっちこそ早かったじゃない」

「私は昨日の内にある程度検査されていたのよ」

 

 あの激戦から一日、私達勇者達は検査のため市内の病院に入院することになった。あの戦いが終わってすぐにまた意識を失って病院で目覚めて、特に私の怪我は他のみんなよりも酷かったため真っ先に治療されたのだが……

 

「あんたその足……」

「ただの脱臼よ。しばらく運動はできないけど問題ないわ」

「そう…」

 

 夏凜の視線の先にあるのはギブスで固定された私の右足。魚のバーテックスに押し潰された時にやってしまったみたいだが、私の今の悩み事はそこじゃない。もっとも、この脱臼のせいで数日入院期間が延びているからどっちにしろ憂鬱ではあるのだが。

 

「夏凜は怪我は大丈夫なの?」

「私は平気よ。あんたが一番酷い怪我だって聞いたから心配してるんじゃない」

「だったら他のみんなもきっと大丈夫ね」

 

 脱臼程度で一番酷いと言うなら安いものだ。バーテックスとの戦いも終わったし、この怪我が足を引っ張ることも無い。本当はあと一つ問題があるけど、そっちも一時的なものと言われたし平気だろう。

 

「やぁ、そこの美人なお姉さん方、この俺とお茶でもどうだい?」

「ええ、もちろんいいですよ。風先輩」

「何ナンパ男風に誘ってんのよ」

「いやー、二人共元気にしてたー?」

 

 いつものようなふざけた口調で談話室に入ってきた風先輩の姿にホッとする。彼女も無事なようでなにより……

 

「風、その目は…?」

「フフフ……これは先の暗黒戦争で魔王と戦った際、倒れた仲間を庇い奴の魔力によって光を封印された名誉の負傷であるぞ!」

「なっ…! 大丈夫なんですか……頭!?」

「どこを心配してんのよコラーーッ!!!」

「風の頭がおかしいのは今に始まった事じゃないでしょうが」

「うぉい!! ……冗談はさておき、視力が落ちてるのよ。戦いの疲労によるものだろうってさ。しばらくすれば治るって」

「……それって」

 

 風先輩の左目には眼帯が着けられていた。あの戦いが過酷を極めたという事は私自身よく知っているが、その結果風先輩の左目の視力が低下しているなんて……。

 それに戦いの疲労って、私の時と説明が一緒じゃない。もし風先輩が本当に私と一緒で、全くと言っていいほど左目が見えていないのだとしたら……

 

「ていうかほむらこそ松葉杖なんて、どうしたのよその足?」

「……ああ、あの時に脱臼してしまったみたいで…」

「……そっか。まあエイミーがいなかったら死んでたかもしれないし、脱臼で済んで良かったと思うべきか…」

「ええ。私はこうして生きていますし、ギブスが取れるのもそんなに先ではありませんから」

 

 ……いいえ、悪い方向に考え過ぎね。いくら激戦だったとはいえ、眼精疲労で一日で失明するなんて有り得ないわ。私のも激痛で一時的に麻痺してしまっただけのはずよ……きっと。

 

『───昨日の工事中の高架道路が落下した事故の続報です。事故現場周辺で発生した大規模な火災は消し止められ、奇跡的に被害者はいませんでした。事故の原因については現在調査中で……』

 

 談話室のテレビから流れるニュースはおそらく昨日の戦いの影響によるものだろう。被害者がいないのならば紛れもなく私達の勝利である。最後の戦いを征した以上、一般の人達がこのような原因不明の事故に怯える事も無くなるわけだ。改めて私達がこの世界を護れたのだと実感する。

 そこに友奈が談話室にやってきた。採血されたばかりのようで左腕を抑えていたが、特に風先輩のような異常は見当たらない。

 

「おっ、友奈も診察終わったのね」

「はい! バッチリ血を抜かれちゃいました……って風先輩その目は!? ほむらちゃんもその足!?」

「フッフッフ……友奈も気になるか? これは先の暗黒戦争で魔王と戦った際「左目の視力が落ちてるんだって」ちょっと横から言わないでくれない!? せっかくの魔王の戦いで名誉の負傷を受けたニヒルな勇者って設定がー!」

 

 中二病っぽいポーズを再び決めて語り出したというのに、既に真実を知った夏凜に横槍を入れられて台無しである。まあさっきも私と夏凜に台無しにされていたが。

 

「視力が……落ちてる? もしかしてバーテックスから何か……」

「うん? 違う違う。戦いの疲労によるものだろうって。勇者になるとすごく体力を消耗するから。療養したら治るってさ」

「そうなんですか。安心しました~! もしかして、ほむらちゃんも?」

「私のは普通に怪我よ。バーテックスに押し潰された時に足の骨がずれてしまったみたい」

「えっ…」

「大丈夫よ。今は全然痛くないし、入院はみんなより長引くけどちゃんと治るから」

 

 脱臼は骨折よりも痛みが強いらしいからその分不安なのだろう。心配そうにこちらを見つめる友奈だが、こっちが平気そうな姿を見せれば安心させられるだろう。案の定友奈は私の平気そうな顔を見ると、明らかにホッとするのだった。

 

「私達も検査終わりました」

「東郷さん! 樹ちゃん!」

 

 そこに樹ちゃんが東郷の車椅子を押しながら一緒に談話室に入ってきた。よかった、二人も外傷は無いみたい……

 

「樹ぃ、注射されて泣かなかったぁ?」

「………」

「ん? どうしたの」

「樹ちゃん声が出ないみたいなんです。勇者システムの長時間使用による疲労が原因で……すぐに治るだろうとのことですが」

「っ!?」

「アタシの目と同じね……」

「ほむら? どうかしたの?」

「……ああ、その……まだ松葉杖に慣れてなくてバランスが…ね」

「……? 気を付けなさいよね」

 

 ……どういうことなの…? 私と風先輩だけじゃなくて樹ちゃんまでもが勇者システムの疲労で体に異変が起こっているというの? 今までそんな事は一度も無かったというのに?

 

 ……友奈と東郷、夏凜はどうなのかしら。それに本当に治るんでしょうね…?

 

「えっと……すぐ治るなら大丈夫だよ! お医者さんもそう言ってるんだし! そうだ! バーテックス全部倒したんだしお祝いしようよ!」

 

 なんだか重苦しくなってしまった空気を変えようと友奈が声を上げる。そして一人で談話室を飛び出し、少し経つと売店からたくさんのお菓子とジュースを買って戻ってきた。

 

「随分買ってきたわね」

「お祝いは豪勢にやらないと! みんな飲み物を選んでねー!」

 

 いまいち腑に落ちないけど私達の戦いはもう終わったのだ。ずっと待ち望んでいた平和な日常を取り戻せた。今はその喜びを噛み締めるとしよう。

 

「では勇者部部長から乾杯の一言!」

「えっ、あ、アタシ!? ええっと…! ほ、本日はお日柄も良く……」

「真面目か!」

「窓の外、どう見ても曇っているのだけど…」

「あ、あはは…ホントだ…」

 

 カチコチに緊張しながら的外れの事を言い出す風先輩によって場の雰囲気が和らいだ。やはり勇者部はこうでなくては。

 

「堅苦しいのは無しで。普通でいきましょう!」

「そうね、アタシらしくないし! それじゃ、みんなよくやった! 勇者部大勝利を祝して、かんぱーい!」

「「「「かんぱーい!!」」」」

 

 風先輩に続いて五人一斉にジュースを高く掲げる。そして全員が同じように栓を開けて一気に喉に流し込んだ。

 

「ぷはーっ、やっぱ目的を達成した後のジュースは格別よねぇ! それにこんなにたくさんのお菓子にありつければ大満足ってもんよ!」

「ええ。ようやく肩の荷が下りましたし、カロリーを気を付けながら楽しみましょう」

「……サラッと躊躇しそうになること言うのやめてくれない? ちょっと樹、何を今更とか思ってそうな目でこっち見ないで!」

「それ分かってるって、自分でも認めているようなものじゃないの」

「ええいうるさい! ……って、そうだ。みんなに渡すものがあるんだった」

 

 そう言うと風先輩は、お菓子の袋を開けるのを中断して、談話室に置かれていたダンボール箱の中から新品の携帯を取り出してみんなに配った。

 

「みんなしばらくその携帯を使って。前まで使ってたのは回収してメンテナンスとかで戻ってくるのに時間がかかるからってことで」

「そういう事でしたら」

 

 貰った携帯の電源を入れて中身を確認する。特に変わったものも不便そうなものも無く、性能もそれなりに良い物のようだ。今まで使っていたアプリを入れ直す手間がかかるが、その程度ならむしろ気にならない。

 

「……あれ? あのSNSアプリダウンロードできませんね」

「……本当ね。風先輩これは?」

「あー…あれはもう使えなくなってるの。勇者専用のアプリだからね。アタシ達の戦いは終わったんだし」

「そっか……勇者になる必要なくなりましたもんね」

 

 あのSNS機能は結構気に入ってた分惜しいのだけど、実際変身したりマップを表示したり精霊を呼び出したり、いろんな機能が備わっている勇者システムの一部なわけだし仕方ないわね。……ということはつまり……。

 

「あの…牛鬼は?」

「ごめんね。アプリが使えないから精霊はもう呼び出せないの」

「そうですか……ちゃんとお別れしたかったな…」

 

 ……エイミーとももう会えなくなったのよね。どんな時でも周りに気を使えていて、誰にでも心を許していた穏やかで優しい子だったのに……残念でならないわ。

 

「………!!? ほむら後ろ!!」

「ん? 突然どうしたのよ夏凜? 後ろ……ええっ!!?」

 

 思わず携帯を落としそうになったがなんとかキャッチする。残りのみんなも私の後ろを見ると揃って目を見開き、樹ちゃん以外驚きの声を上げた。そこにいたのは黒いサラサラな体毛を纏い、二又の尻尾をゆらゆら揺らしながら宙を浮かんでいる一匹の猫……精霊の姿が。

 

「「「「「エイミー!!?」」」」」

『………』

 

 いるはずのない精霊の姿に戸惑う中、渦中の精霊はいきなり私の顔に飛び付いてきて、ゴロゴロと喉を鳴らしながら頬摺りし始める。

 

「きゃっ、こらエイミー、ちょっと…!」

「エイミ~! また会えて嬉しいよ~!」

「ちょっ、友奈もくっつかないで…!」

「え!? え!? え!? なんでエイミーがここにいるのよ!? 大赦本庁にスマホごと持って行かれたわよね!?」

「………!!」

「まさかほむらちゃんに会い行くために飛び出して来たの…?」

「大赦本庁からここまでかなり離れてるわよ!? ていうかちょっと待って、こいつ勇者システムが入ってるスマホを持っていないじゃない! 普通精霊って自身を呼び出した勇者システムからそう遠く離れられないんじゃ…!?」

 

 突然の来訪者の登場にお祝いは一時はめちゃくちゃだ。みんなが混乱して、友奈は喜び私ごとエイミーに抱き付くから大変な目にあった。痛くはないとはいえ右足を怪我しているのよ私……。

 なんとかエイミーと友奈を引き剥がすと、一旦みんな気を落ち着かせる。そして大丈夫そうになった所で風先輩が携帯を取り出し口を開いた。

 

「取り敢えず大赦に連絡しておいた方がいいわね。ちょっと待ってて……」

 

 メールを打ち込み送信が完了すると、改めて全員の視線はエイミーに向けられる。

 

「……この子はこれからどうなるんでしょう? お役目が終わった以上大赦にいるべきなんでしょうけど。もし回収しても精霊は私達にしか姿が見えませんし、また戻ってくるのでは?」

「そうねぇ。大赦もまさか精霊が自力で脱走するなんて思わなかっただろうし…」

「忘れてたけどほむらって勇者システム含めてイレギュラーの勇者って言われてたわね。行動制限無視して戻ってくるなんてどうなってるのよ、あんたのシステムは」

「私に言われても知らないわよ。戻ってきてくれたことに悪い気はしないけど」

『……♪』

「エイミーもほむらちゃんに抱き抱えられて幸せそうだね。よしよし~」

 

 ここに戻ってきたのはエイミーだけで、それも身一つのみ。勇者システムが入ったスマホは大赦本庁にあるにも関わらずここまでやって来たのだった。私に会いに来てくれた事が嬉しくないわけが無いのだが、この子のこれからの事を考えると少し不安に思ってしまう。人に迷惑をかける子ではないのは分かっているのだが、東郷の言うように脱走を繰り返してしまうかもしれない。

 やがて風先輩の携帯に大赦からの連絡が送られる。

 

「えっと、なになに…………ええっ!!?」

「風先輩?」

「……大赦にいる巫女に神樹様から神託が降りて……引き取るのも、神樹様の下へ返すのも自由。エイミーを今後どうするのかは一切合切ほむらに任せるって……」

「神樹様から神託!?」

 

 思わぬ名前が飛び出して全員言葉を失った。精霊が神樹様の使いということは知っていたが、この神託は私にエイミーを委ねるもの。神の使いたる精霊を私に授けると言い出したのだ。

 

「……エイミー……まさか最初からこの事を知っててここに来たの?」

『……』

 

 言葉は無くてもきっとそうなのだと分かる。じゃなかったらあんなに嬉しそうに飛び付いてくるはずがないのだから。神樹様から許しを得て、私と一緒にいる道を選んでくれたに違いない。

 

「……私で良ければ、これからも側にいてくれる?」

『♪』

 

 私の問い掛けに気持ちよさそうに喉を鳴らして答えるエイミー。本当に可愛らしくていい子だ。神樹様の下に返す気なんか全然起きそうにないわね。

 

「よーし! 話もまとまってエイミーも戻ってきたことだし、祝勝会を再開するとしますか!」

「そうですね。おかえりなさい、エイミー」

『………♪』

「ただいま!って言ってるのかな? これからエイミーも私達と一緒に楽しんでいこうよ!」

 

 その後は六人と一匹で本当に楽しい祝勝会となった。この時は私達の体の事を忘れられて、みんなで笑い合える最高の時間だった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「……これが3年生の数学の分。全部コピーして配布しておいて頂戴」

「うん。お疲れ様、ほむらちゃん」

 

 祝勝会から二日が経ち、私と東郷以外の四人は今日で退院となる。期末テスト用の練習問題制作もなんとか終わらせ、配布は友奈達に任せる事にした。

 

「しっかり休んで、早く学校に来れるといいね。お見舞いにも絶対来るから。エイミーも待っててね」

「エイミーも友奈達と一緒に行ってきていいのよ? 病室では退屈でしょう?」

『………』

「ほむらちゃんと一緒がいいみたい。本当に仲が良いんだね」

 

 ひとしきり話した後、友奈は笑顔で手を振りながら病室を後にした。さっきまでとは打って変わって静かになった病室。大赦が用意した部屋は全部個室だったのだが、むしろみんなとだったら相部屋の方が良かったわね。

 

「……ほむらちゃん、ちょっといい?」

「東郷?」

 

 ベッドから体を起こすと車椅子に乗った東郷が一人で私の個室に入ってきた。

 

「どうしたの? 用事ならSNSで言ってくれれば私がそっちに行ってたのに」

「ほむらちゃんもまだ松葉杖でしょ。あまり無理をしては駄目よ?」

「そうね…気を付けるわ。それで何かあったの?」

 

 東郷の表情は中に入ってきてからずっと暗いものだった。あまり良くない話かもしれない。恐らくは……

 

「……風先輩の目と樹ちゃんの声……どう思う?」

「……やっぱりあなたも疑問に思うかしら」

 

 無言で頷き、部屋の空気が明らかに重くなるのを感じる。勇者システムの長時間使用による肉体の疲労が現れたもの。結局今日まで何の改善の兆候も見られず、そのまま退院していった二人だったがいつ治るのか。

 ……そもそも本当にアレが疲労によるものだったのかがまず疑問なのだ。疲労ならば友奈と東郷、夏凜にも何らかの症状が現れているはず。あの戦いはそこまで過酷を極めたものなのだから。

 

 だが私は……彼女達に異変が起きている事を知らなかった。

 

「ほむらちゃん、私ね……左耳が聞こえなくなっていたの」

「……えっ?」

「そして友奈ちゃんも……一昨日の祝勝会のジュースとお菓子の味がしなかったって……味覚を感じなくなっていたって…」

「…………そんな…」

 

 心臓の鼓動が速くなる。冷や汗が伝う。三人は大丈夫だと思っていた……いや、きっと大丈夫だと思い込んでいただけだったのだ。

 

「夏凜は!?」

「……夏凜ちゃんは分からない。でも私の予想なら、夏凜ちゃんは大丈夫だと思う」

「予想…?」

「体のどこかがおかしくなった私達にはある一つの共通点があるの。そして夏凜ちゃんはその共通点を満たしていなかった」

 

 ……私達にある共通点、そして夏凜だけがそれを満たしていない。それは何か、間違い無くあの戦いが関わっているはず。医者は勇者システムの長時間使用と言っていたが、私達五人に当てはまっているもの……

 

「……満開ね」

 

「……そう。私、風先輩、樹ちゃん、友奈ちゃん……そしてほむらちゃん……満開をした私達五人が体に何かしらの異常が出ているの。ほむらちゃん……あなたは右足を脱臼したって言ってたよね? 大丈夫? 痛くない?」

「……気付いていたのね」

「ほむらちゃんなら知ってると思うけど、脱臼って骨折よりも痛いし、しばらく強い痛みが残るものなのよ」

 

 ほむらちゃんにはその素振りが一度も無かった……その言葉を聞いて私は白状した。自分の体に起こっている異常を……。

 

「ええそうよ。全然痛くないの。これっぽっちも。採血で注射した時も何も感じなかった。あの戦いが終わってから、私は痛覚が無くなっていたわ」

 

 この時私の見えない所で話を聞いていた猫又の精霊がどんな目をしていたのか、私達には分からない。



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第二十六話 「回復の兆しは無し」

 ゆゆゆ6周年にギリギリ間に合ったァ! というのも少々体調を崩してしまって何日か書けなかったのが原因なんですけど……

 何はともあれ祝!ゆゆゆ6周年! この物語に出会えて本当に良かった…


 退院した翌朝、私はお母さんに起こされて一瞬あれ?って不思議に思う。いつもは東郷さんが起こしに来てくれるのに、どうしてお母さんが来るんだろうとぼんやりしている頭で考えて、そして今はまだ東郷さんとほむらちゃんは入院していた事を思い出す。

 

 学校でもあの二人がいなくてとても退屈に思えてしまう。夏凜ちゃんはいるけど夏凜ちゃんもいつもよりも何だか元気がなさそう……私と同じ気持ちなのかも。

 

「……考えてみれば私ってずっと東郷さんとほむらちゃんと一緒にいたんだよね」

 

 中学に入学する前に東郷さんがお隣に引っ越してきて、入学式の日にほむらちゃんと出会って、それからずっと私たちは一緒だった。そんな二人とこれからしばらくの間離れ離れだなんてとっても寂しい。これじゃあ授業にも集中できないかも……二人のことが気になって内容が全然頭に入ってこない。

 

「……って、こんなんじゃ二人に怒られちゃうよ…頑張らないと!」

 

 気合いを入れても結局今日の授業はいつもよりも面白くないと感じてしまう。お昼も夏凜ちゃんがすぐにどこかに行っちゃったから、これまた珍しいことに一人で。静かで物足りないし、なぜだかあの戦いの後からご飯の味が感じなくなっていて溜め息がこぼれてしまう。

 

「……はぁ…早く二人とも退院しないかなぁ…」

 

 二人がいないから今日の学校の楽しみは当社比五割減って感じだよ……残った五割は勇者部の活動の分。

 

「起立、礼。神樹様に、拝」

「さようなら」

 

 よーし! これから待ちに待った部活動の時間! 東郷さんとほむらちゃんの分まで四人で頑張ろう!

 

「夏凜ちゃん一緒に行……あれ? 夏凜ちゃん?」

 

 夏凜ちゃんを誘おうとした所で教室に彼女の姿が無いことに気付く。机の上に鞄も無いし、もしかしてもう行っちゃった?

 

「はにゃ? どったの友奈ちゃん?」

「紗彩ちゃん…夏凜ちゃん知らない?」

「にぼっしーちゃん? ホームルームが終わってすぐに出て行っちゃってたけど」

 

 う~ん……先に部室に行ったかのかなぁ? トホホ、また一人だよ…。

 勇者部の部室に一人で行くことなんて今まで日直のお仕事で遅れる時ぐらいだったのに。その時も部室に行けばみんなで待っててくれていたけど……

 

「……ううん、しっかりしないと! それに風先輩も樹ちゃんもいるんだし! ファイトー!」

 

 本当に辛い事は全部終わったんだし、後はみんなで二人が戻ってくるのを待つのみ! これからは間違い無く楽しくて幸せな毎日がやってくるに違いない。だったらみんなと楽しみながら待っていた方が絶対にいいのだ。

 そう自己完結して私は勇者部部室の扉を元気良く開けるのだった。

 

「こんにちはー! 結城友奈、来ましたー!」

「あ゛あ゛ーー…ああ、お疲れさん」

 

 部室には既に風先輩と樹ちゃんが来ていて、樹ちゃんは読書を、風先輩は扇風機の前で子供みたいに声を上げて遊んでいた。もう七月だし扇風機が用意されたのは嬉しい。部室にエアコンは無いから扇風機が無いと夏は本当に大変だ。

 そこで私は扇風機に当たっていた風先輩の眼帯が医療用の物から黒色の別の物になっていることに気付く。

 

「風先輩、その眼帯…!」

「フフン♪ どうよコレ?」

「ふぉぉぉ! 超カッコいいです~!!」

 

 独特なポーズも決まってて更にカッコいい! それに端っこの方に小さく花が刺繍されているけど、これももっと素敵な魅力を醸し出している。

 

「あれ? 夏凜は一緒じゃないの?」

「えっ? 先に来ていたんじゃないんですか? ホームルームが終わってすぐに教室から出て行ったみたいですけど…」

「来てないわよ? さてはサボりかぁ~? 今度罰で腕立て伏せ千回やらせないと♪」

「夏凜ちゃんならできちゃいそうですね」

「……そうね、サプリキメながら「朝飯前よ!」って言って……代わりに何がいいかしら…ブツブツ…」

 

 う~ん、夏凜ちゃん一体どうしたんだろう。いつもより元気がなさそうに見えたけど、東郷さんとほむらちゃんがいなかったからじゃないのかな?

 ふと樹ちゃんがスケッチブックを私と風先輩に見えるように向けていることに気付く。何が描いてあるのかと思いきや、そこにあったのは絵ではなくて文字だった。

 

『かりんさん何か用事があったんでしょうか?』

「樹ちゃんそのスケッチブック…」

「アタシ提案の声が戻るまでの応急処置よ。しばらくしたら治るみたいだし、少し間ガマンねー」

『これで皆さんと話せます!』

 

 ……樹ちゃんはまだ声が出ないんだ。スケッチブックでやり取りができるようになったのはいいんだけど、樹ちゃんの可愛らしい声がまだ聞けないのは残念。風先輩は左目、私は味覚が感じなくなっているし、みんな早く治るといいなぁ。

 

「でもほむらと東郷に加わって夏凜までいないときたかぁ……今日は衣装について話したかったんだけどねぇ」

「衣装?」

「文化祭の演劇の衣装よ」

「ハッ、そうでした!」

「勇者活動が一大事だからって忘れてたでしょ?」

 

 あはは…うっかり……。でもそうだよ、二学期には文化祭があってまた楽しい思い出が増えるんだ。その頃にはみんな全部治っていて、私達の演劇を見た人達も幸せになれる。そんな風になれるよう頑張らないと!

 

「まあでも三人だけじゃ話し合いもあんまり意味ないし、他のことを……」

『他の部活の手伝いは?』

「そうそう、剣道部から練習に付き合ってほしいって話が……ああこれ夏凜ってご指名だわ、パスね。子猫を引き取ってくれる人はまだ見つからないし、ホームページの更新はアタシ達はできないし……う~ん…」

「ほむらちゃんが作った問題のコピーと配布でしたら」

「それだ! ……あー、テストがあるのよねぇ…夏休入る前に…」

『わたしたちもほむらさんの問題解こうよ』

 

 でもこの仕事も樹ちゃんが問題をコピーをして、その間に風先輩と二人で使用許可を貰った空き教室に長机を並べて、終わり次第三人でコピーしたプリントを運んで机の上にずらーっと並べて……ってすぐに終わってしまう。

 

「案外すぐ終わったわね」

「これからどうします?」

「……しょーがない、退院したばかりだし残りは全力でダラダラしよー!」

 

 まあやることもないし仕方ないのかな? せっかくだし、私はほむらちゃんの問題を解こうかな………

 

「………あづいぃ…」

「扇風機一台じゃ全然涼しくなんないわね…」

『とけてドロドロになりそう。』

 

 暑すぎて全然勉強に集中できない。三人揃って頭から突っ伏して汗を流しているだけで全く捗らないよ…。

 

「……足りない……何か足りない……そうだ…東郷のお菓子が足りないッ!!」

『まず食べものなの!?』

 

 うぅぅ……私も東郷さんが作ってくれるお菓子を食べたい。でも今食べても味は判らないんだろうなぁ。いつ治るんだろう……

 

「……早いけどやることないし人数も少ないし、もう今日は解散した方がいいかしら? どう思う?」

「そうですね。東郷さん達のお見舞いにも行きたいですし」

『すずしくなる方で』

 

 そんなこんなで今日の勇者部の活動は呆気なく終了。でも風先輩と樹ちゃんと一緒にいられたのはやっぱり楽しくて、私はこの部活が大好きなんだなぁって改めて思う。

 部室の中を片付けて、扇風機の電源や照明を消してみんなで部室から退出する。風先輩が鍵を掛けてから職員室に返しに行って、この日は解散となった。

 

「それじゃあ友奈、二人によろしく言っておいて」

『私の分も!』

「はい! 結城友奈、承りました!」

 

 そのまま私は東郷さんとほむらちゃんがいる病院へと向かう。二人は今頃何してるのかなぁ? エイミーもほむらちゃんと一緒にいるし、あの子を可愛がっているのかも。

 道中何事もなく病院にたどり着き、受付で面会許可を貰って二人の病室へ。病室の位置的にほむらちゃんの方が近いからまずはそっちに。そして二人で東郷さんの病室に行って、三人でお話ししようと考えた。けどその必要はなかったみたい。

 

「ほむらちゃん、お見舞いに…って、東郷さん!」

「あっ、友奈ちゃん」

「いらっしゃい友奈、早かったわね」

「仕事があまり無かったんだ。エイミーもこんにちは」

『♪』

 

 ほむらちゃんと一緒に行こうと思っていたけど、既に東郷さんがほむらちゃんの病室の方に来てたみたい。ほむらちゃんのベッドに座って、備え付けられているテーブルにノートパソコンを置いて何やら作業中だった。

 

「東郷さんもほむらちゃんの病室に来てたんだ」

「ずっと一人だと退屈だもの……ほむらちゃんと一緒だとそんな事ないから…ね」

「ええ。一人っきりで入院だと思うと心細いわ。エイミーもいるけど、不謹慎だけど東郷がまだ入院してくれて良かったわ」

「むぅー…残った私が心細いよー。今日の学校は寂しかったんだよ?」

 

 でも二人も変わらず元気そうで良かった! これなら退院する日もそう遠くないだろうし。

 

「ところで二人共、今何やってたの?」

「ちょっと調べ物をね」

「ほむらちゃんも?」

「ええ」

 

 私が中に入るとほむらちゃんは携帯をしまって、東郷さんがパソコンを閉じていたから、それが何なのかは私には分からない。二人で何を調べていたんだろう……気になっちゃう。

 

「なになに? 何を調べていたの?」

「別に大したことじゃないから…」

「いいじゃん教えてよ~! もしかして二人っきりの秘密とか…」

「えっと……それは……」

 

 ううー……東郷さん苦笑いで誤魔化そうとしてる。まさか本当に東郷さんとほむらちゃんの間に二人だけの秘密が!? 今までずっと三人一緒だったのに私だけ仲間外れは嫌だよーー!!

 

「……調べていたのは旧世紀の時代に現存されていた軍事兵器の詳細とそれらの歴史についてよ」

「へ?」

「神世紀にはもう残っていない物ばかりで見られる機会すら無いけど書物には残っているし、探せばネット上でも見つかるかもしれないじゃない? 軍事兵器と聞けば戦争の道具ってイメージを抱くかもしれないけど、あれは人類の叡智の結晶とも言える技術を結集した物なの。無骨な鉄の塊だけど素晴らしいロマンがあって……そうよね東郷?」

「うん、その通りよ友奈ちゃん。かつて日本軍が戦争に用いた兵器にある一方ならぬ美と夢について語っていたの。軍事兵器は大日本帝国、国防の要……調べれば調べるほど胸が熱くなってそれで」

「ゴメンナサイ私が悪かったです。難しすぎて頭が…」

「でしょうね。友奈には言っても分からなそうだから言い渋っていたのよ」

 

 まさか兵器について調べていたなんて……そういえば前にほむらちゃんとゾンビ物の映画を観に行ったけど、ほむらちゃんが最初に興味を惹かれていた部分って派手なガンアクションシーンって言ってたっけ。銃火器とかに興味があるんだった。

 

「それより、来てくれてありがとう友奈」

「うん。友奈ちゃんに会えて嬉しいわ」

「えへへ、私もだよ。ていうか二人がいなかったから今日の学校の楽しさが当社比五割減だったんだよ」

「ふふふ、随分減っちゃってるのね」

「そうなんだよ。夏凜ちゃんも今日は部室に来なかったし、なんだか物足りなくて」

「……夏凜が来なかった?」

 

 やっぱりほむらちゃんも夏凜ちゃんの事が気になったみたい。取り敢えず今日一日の出来事を二人に話しておくと、まず最初に返ってきた言葉が…

 

「「授業はちゃんと受けないと駄目よ」」

「……はい」

 

 やっぱり怒られちゃった……そうだよね、二人がいないから授業に集中できないっていうんじゃ、二人にもいい迷惑だよ。

 

「けど夏凜ちゃんが心配ね。一日中元気が無いみたいだったんでしょ?」

「……他に夏凜におかしな所はなかった?」

「おかしな所? う~ん……特に無かったと思うけど……ねえ、何か心当たりはないかな?」

 

 夏凜ちゃんに何かあるのだとしたら放ってはおけない。夏凜ちゃんの元気が無い理由が分かれば、それを解決するために私が友達として何でも力になるんだ。

 

「……そうね………強いて言うなれば……御役目が終わった事、かしら?」

「御役目が終わった事?」

 

 ほむらちゃんの考えに私は首を傾げる。御役目が終わったって、それは喜ぶべき事であって悩んだり元気がなくなるのとは真逆だと思うんだけど。

 

「燃え尽き症候群ってあるでしょ? 目標を達成した後に生じてしまう虚脱感。夏凜はうちに転入して来るまでずっと勇者としての訓練ばかりの日々を送ってきたらしいから、御役目が終わった今何を目標にしていけばいいのか分からなくなった……とか」

「なるほど……それでどうすればいいの?」

「まだそうと決まった訳ではないけど、一回ちゃんと話し合ってみるべきじゃないかしら。あの夏凜に元気がないってことは何かしらあるわけだし」

「そうだね。勇者部六箇条、悩んだら相談、だもんね」

 

 ひとまず明日何をやるのかは決まった。夏凜ちゃんと話して大丈夫だって伝えるんだ。私達勇者部のみんながいるんだから、何も恐いことなんかないんだって。

 

「……ところで友奈ちゃん、お昼ご飯はどうだった?」

「それって…」

 

 多分東郷さんは私の味覚が感じなくなっている事について聞いてきている。みんなに心配を掛けるのが悪いと思って東郷さんにしか言わなかったけど、ほむらちゃんがいるのに聞いてくるってことは、ほむらちゃんには教えているのかな?

 

「えっと、ほむらちゃんは……」

「あなたの味覚の事は既に東郷から聞いているわ」

「ごめんね友奈ちゃん、勝手に言いふらしてしまって…」

「ううん、気にしないで。きっとすぐ治るから大丈夫だよ!」

「……そう言うってことはまだ味覚は戻ってないのね」

 

 早く戻ってほしいけど、今までこんなになるまで疲れた事がないからいつ治るかまでは分らない。でも私達には神樹様がついてくださるのだから間違いなく良くなって……その時にお腹いっぱいうどんや東郷さんが作るお菓子を食べるんだって思うととても楽しみだ。

 

「友奈ちゃん、あのね……私……左耳が聞こえなくなっているの」

「……えっ…?」

 

 東郷さんが言った言葉の意味が解らなかった。それって東郷さんも私や風先輩、樹ちゃんと同じで、勇者システムの長時間使用の疲労で出た症状があったってこと…? 聞こえないってどれくらい……小さく聞こえるのか、それとも全く聞こえないのか……考えてしまって恐ろしくなった。

 

「……ごめんね。不安にさせてしまったわね」

「う、ううん平気! むしろ東郷さんの方が不安なんじゃ…」

「心配しないで。あの戦いで疲れただけだもん」

「……そうだね。それに風先輩がお医者さんが治るって言ってたって……だから大丈夫だよね」

「……ええ。あんなに頑張ったのに、治らないままなんて残酷な事があっていいわけがないもの」

「うん! 早く良くなるといいね」

 

 大丈夫、恐いことなんか何もない……戦いが終わって、後はみんな全部回復したら楽しい毎日が待っている。私は東郷さんとほむらちゃんの手を取って指を絡ませ、「早く怪我や耳が良くなれますように」と祈りを込めた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「それじゃあ、またお見舞いに来るからね!」

 

 昨日と同じように笑顔で手を振りながら帰って行く友奈を見送り、その足音が遠くなってやがて聞こえなくなるとフッと息を吐く。やはり友奈や東郷と他愛のない話をする一時は良いものだ。心地良くて私達の体の事を忘れることができるのだから。

 でも友奈が帰った今、また考えなければいけない。東郷に目配せすると彼女は閉じていたパソコンを開いて書いていたデータを更新する。

 

「……友奈ちゃんも回復の兆しは無し」

「樹ちゃんは筆談するようになって、風先輩も新しい眼帯を着けるようになったらしいから二人もよ…」

 

 データには異常が現れた私達五人の回復状況の日にち毎の記録が書かれている。けれどもその記録は『全て回復の兆し無し』……満開の後遺症はいったいいつまで続くのか…。

 

「ほむらちゃんは友奈ちゃんに言わなかったのね。痛覚が無くなっている事…」

「……明るく振る舞ってはいたけど友奈だって東郷の耳の事を聞いて不安だったはずよ。今はまだ伝えるべきではなかった」

「……うん…」

 

 いくら辛い怪我が全く痛くないとはいえ、痛覚が無くなるなんて奇妙な症状が出たなんて言えば逆に不安を煽る。あの子は友達思いのとても優しい子……こんな事で苦しめたくない。

 

「やっぱり、風先輩に聞いてみない?」

「……たぶん風先輩も知らないはずよ。風先輩が後遺症の存在を知っているのなら私達に確かめにくるだろうから」

「でも満開による後遺症なら大赦が把握しているかもしれない。風先輩が知らなくても大赦に聞いてもらう事はできると思うの」

「一理あるわね…」

 

 大赦と連絡を取れるのは風先輩と夏凜だけ。そして風先輩は私達勇者のリーダーでもあった。話を通すのは難しくもないはず……その相手が余程捻くれていない限り。

 携帯を取り出し風先輩に電話を掛ける。東郷にも聞こえるようハンズフリー状態にしてテーブルの上に置く。

 

『わ た し だ』

「…もしもし、その滑り具合いは風先輩で間違いありませんね」

『滑ってないわよ! てかその言い方だとアタシがいつも滑ってるみたいじゃない!』

 

 ……いけない、こっちの気も知らないでおふざけに走った雰囲気の風先輩についイラッときてしまった。風先輩がふざけるのはいつものこと……平常心平常心。

 

「すみません、風先輩にお聞きしたいことがあって…」

『スルーされた…って東郷? あんたまでどうしたの?』

「…風先輩は満開後の後遺症について何かご存知でしょうか」

『満開の後遺症? 何それ』

「……実は」

『あ、ごめんちょっと待って…樹先に食べててー』

 

 樹ちゃんが近くにいたみたいで席を離れたようだ。確かに樹ちゃんにこの事を知らせるのは私としても避けたい所ではある。

 

『いいわよ。それで後遺症って…』

「あの戦いで満開をした私達五人全員の体に症状が出ているんです。風先輩は左目、樹ちゃんは声…と言うより声帯」

「そして私も左耳が全く聞こえなくなっているんです」

『うそ……五人全員って……ほむらと友奈も…なの…?』

「……ええ。私は怪我の痛みを全く感じていない……痛覚が無くなっています」

「友奈ちゃんは味覚を無くしています。お菓子もジュースも何も味がしないと言っていました」

 

 風先輩も知らないのは想定済み。彼女はかつて私達を勇者の御役目に巻き込んだ事を後悔していて、何が何でも私達を守ろうとしてくれた素晴らしい人なのだ。後遺症の存在を知っているのなら真っ先に症状が現れたかどうか確認し、心配していただろう。そんな風先輩に教えるのは酷だが今頼れるのは彼女しかいない。

 

『……後遺症って、それは満開をしたからって事で間違いないの…』

「恐らくは……昨日からずっと二人で話し合っていたんです」

「夏凜にも何か異常がないかそれとなく確認したけど何もないと返ってきました。症状が現れた私達五人に当てはまって、夏凜だけそうではないもの……加えて戦いの後に現れたという情報があれば、後遺症と満開を繋げることはごく自然でしょう?」

『……そう…かも………ごめん、こんな事になって……』

 

 力無く返事をする風先輩はやはりショックを受けているのだろう。体に異常が出たのが自分と樹ちゃんの二人だけじゃなかったのだからそれも当然か。

 

「あまり気負わないでください。確かに私は痛覚が無くなっているけど、おかげで脱臼した足が全く痛くないんですよ? 症状だっていずれみんな元に戻るんですから」

「その通りです風先輩。風先輩が悪いんじゃないですから」

『……ありがと。そうよね、病院の先生もすぐ治るって言ってたし…』

 

 まったくこの人は……いったい誰が風先輩が悪いと言えると勘違いしているのよ。風先輩に非は一切ないし、私達がそんな薄情な人間とでも思っているのかしら。

 

「それで風先輩には大赦の方に後遺症についての詳細を確認してもらいたいのですが…」

『そういうことね。大赦なら何か知っているかも…と』

「ええ。回復するまでの具体的な期間とか、何でもいいので情報を知りたいので」

『分かったわ。後で連絡しておくから、二人共あまり無理しないように。ちゃんと体を休めて早く帰って来なさいよ』

 

 風先輩の言葉に私と東郷は揃って顔を見合わせ苦笑する。昨日から東郷と話し合ったりネットで症状について調べたりで、ろくに休んでいなかったから耳が痛かった。痛覚が無いのに?

 

「了解です。大人しく大赦からの吉報をお待ちします」

「私も気をつけます。それでは…」

 

 通話を終えてベッドに倒れ込む。約束したし、現状できることは全部やっただろう。後は東郷の言ったように体を休めながら大赦からの返答を待つしかない。

 

「……ほむらちゃん…」

「……」

「……ほむらちゃんは……ううん、何でもない」

「……そう」

 

 東郷が何を言おうとしたのか、別に口にしなくても分かっている。たぶんそれは今東郷が何も言っていなければ逆に私が尋ねようとしたものと同じ内容だろう。

 

(東郷は……満開の後遺症がいずれ治るものだと、本当にそう思っている?)

 

 勇者は神樹様の力を得てバーテックスと戦う者、すなわち私達には偉大なる神様がついていた。そして満開はそんな勇者達の力を更に増大させた……まさしくあれは神の力と言っていいほど強力で凄まじいものだった。

 

人身御供(ひとみごくう)

 

 私達が症状について調べる中、一度神様についても調べていてこんな言葉を見つけていた。意味は……神に人間を生贄に捧げる事。それによって人々はより強力な神の加護を受けられる。

 

 満開とはもしやこの人身御供だったのではないか……その考えが私の頭から離れようとしていなかった。捧げる生贄とは勇者の体の機能。強力な神の加護とは満開。そして既に捧げられた生贄が元に戻るなんていうことは……

 

 私はただ願うしかない。ただの杞憂だと、考えすぎで本当に治るという可能性が残っている事を。じゃないと……

 

「………あら?」

「ほむらちゃん?」

 

 ふと何か違和感を感じて体を起こす。そして病室の中を見渡してその正体に気づく。

 

「……エイミーはどこ?」

「えっ…?」

 

 ずっと私の側から離れなかった私の精霊、エイミーの姿が消えていた。



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第二十七話 「みんなが知ってるよ」

 う~~ん……最近どうしても週一ペース……
 タカキも頑張ってたし、俺も頑張らないと!


 夕日に照らされている浜辺でいつものように木刀を振る。もう私達の戦いは終わったが、これから私はどうなってしまうのだろうか。今まで勇者として相応しくあるよう過ごしてきた……その後の事なんて何も考えていなかったから、今の私は迷子みたいなものかもしれない。

 

「やっ……せいっ!」

 

 私は何のためにここに来たのだろう……そんなの決まっている、勇者として戦うためだ。そのために毎日の過酷な訓練を勇者になるという一心で乗り越えて戦う資格を得て、あいつらと合流して共にバーテックスと戦った。

 

 だがその中身は私が望んでいたものとは微妙に…だが致命的に違っていた。最初は山羊型のバーテックスを私一人で殲滅した。だがその次の戦い、残り七体のバーテックスの一斉攻撃で、私はただ一人活躍をしないまま終わってしまった。御霊に刀を弾かれ、バカでかい騒音に動くことままならず、敵の攻撃に直撃してダウン。挙げ句の果てに私一人だけ勇者の奥の手である満開を使うことなく、最後は友奈とほむらが敵を倒して終わってしまった。

 

 全てのバーテックスはみんなが殲滅した。私は……何もできなかった。

 

「………はぁ…」

 

 木刀を浜辺に放り投げて私自身も仰向けに倒れ込む。そして思い出すのはあの戦いでの無力な自分自身。足を脱臼していて満身創痍だったほむらを見送ることしかできなかった……なんであの時の私は満開できなかったのか、それ以前にそのための力を溜められなかった自分が本当に悔しく仕方がない。そのため今日はあいつ等と一緒にいるのも苦しく思えて、友奈から話し掛けられる前に逃げて、勇者部の活動も無断で休んだ。もう行く理由だってなくなったのだから。

 それをほむらと東郷が未だに入院している事実が余計に苦しめる。あいつらは苦しんでまで戦い抜いて、完成型勇者である私はただ見てるだけで今もこうして鍛練……

 

「私……なんでこんな所にいるのよ……!」

 

 私の今まではいったい何だったっていうのよ……

 

「……帰ろ」

 

 いつもの鍛錬にすら身が入らない。せめて明日はやり通せるようにしないと……じゃないと本当に私は誰にも誇れない人間に成り下がりそうだ。

 コンビニで適当に弁当を買って家路につく。普段ならちゃんとカロリーを見て選ぶのだけどそんな気は起きなかった。マンションの私の部屋の前に立って鍵を開ける。だがそこで、部屋の中から一瞬ガサッと物音が聞こえた。

 

「……何よ…泥棒…?」

 

 いや、泥棒はないでしょ。鍵は今私が開けたばっかで、ここは一階じゃないから窓から侵入もできないわ。というか何かしら……先月にも似たような事があったわね…。

 

『……』

「いや何でここにいるのよ!?」

『♪』

「ひゃぁっ!!?」

 

 そこにいたのはもう間違えない、何故か神樹様がほむらに責任を任せたあいつの精霊、猫又のエイミーが私の顔色を伺っていた。そのままいきなり頬ずりまでしてきて……毛並みがすっごくサラサラで気持ちいい……

 って違うそうじゃない! 二度目の不法侵入を決めてまでどうして私の部屋にいるのよ! まさかまたほむらの差し金!? さては友奈か風から私が今日勇者部に行かなかった事を聞いたわね!?

 

『ピロロン』

「っ、メール…! いつまで頬ずりしてるのよ!」

 

 きっとほむらからだ。勇者部に行かなかった事を聞いてきたに違いない。私が行かなかったのはあいつらに顔を合わせづらかったから、それともう理由がなくなったから……私があの場所にいてもいい理由が。

 そう答えるのも嫌だっていうのに…! あーもう! 何て言えばいいのよ!

 

ほむら:エイミーが病室からいなくなったの!

 

「……へ?」

 

ほむら:いつの間にかどこにもいなくて、今まで急にいなくなった事なんてなかったからどういたらいいのか

 

友奈:私探してくるよ!

 

風:アタシ達も探してみるけどエイミーが行きそうな所ってどこ?

 

「……えっと…」

 

夏凜:エイミー私の家に来てるんだけど、ほむらの差し金じゃなかったの?

 

ほむら:本当!? 差し金って何?

 

友奈:良かったぁ!

 

樹:安心しました!

 

「……マジなのね」

 

夏凜:何でもない。前みたいに送り込んで驚かせようとしたのかと思っただけ

 

ほむら:しないわよ。でもエイミーはどうして夏凜の所に行ったのかしら

 

 それはこっちのセリフだっての。ほむらに言われたから来たんじゃなくて、精霊が自分の意思で来るなんて。

 

「……で、なんであんたがここにいるのよ…」

『………』

「いや別に怒ってる訳じゃ……ほむらの奴メチャクチャ心配してたわよ?」

『!? ~~!』

 

 エイミーにここに来た理由を尋ねるも、まるで責められて落ち込むかのように俯いた。チャット画面のほむらの文章を見せてあいつの様子を口にすると、今度は明らかに慌てた様子で忙しなくあたふたする。

 ……これってなに…まさかほむらを心配させてしまった罪悪感でもがいてるわけ? だったらますますここに来た理由が分からなくなったんだけど。

 

「……取り敢えずさっさとほむらの所に帰りなさい」

『…! ……!』

「はあ!? 何でよ!」

 

 帰れと言うと今度はハッとして私の目線の高さまで浮かび上がり、激しく首を横に振る。つまりこれは帰るつもりはないという明確な意思表示……。

 

夏凜:あんたエイミーと喧嘩でもしたの? 帰れと言っても聞かないわよ

 

ほむら:するわけないでしょう

 

風:ほむらが気にしていないだけでエイミーは根に持っている事とか(ノД`)

 

樹:ほむらさんとエイミーに限ってそれはないと思うけど…

 

友奈:私も樹ちゃんと同じだよ!

 

東郷:ひとまず今日の所は夏凜ちゃんが預かるのがいいんじゃない?

 

「……はい?」

 

ほむら:夏凜、お願いしてもいいかしら

 

 ……まあ確かにそうなるのが自然だろう。理由は一切不明のままだけどこの精霊は一向に立ち退く姿勢を見せない。それに私だって一日精霊を預かるぐらい問題もないわけだし……

 

夏凜:了解

 

「……ハァ……今日だけよ」

『♪』

 

 仕方なく折れるとエイミーは喉をゴロゴロ鳴らしながら私に擦り寄ってくる。改めて思うけどこいつは義輝とは違ってかなり素直で人懐っこい精霊ね。だからこそほむらの所に帰らないでここにいるのが謎なんだけど。

 

 で……今から夕飯なんだけどこいつは何食べるの? 猫だし……にぼし? でもにぼしって確か猫にとってミネラルが多すぎて悪影響って聞いたことが……いや、それ以前にこいつは精霊だった。まあ多分にぼしでいいでしょ。

 

「ほら、食べなさい」

『♪』

 

 にぼしをざっと皿に入れて床に置く。そしてエイミーは一度私の顔を見ると、微笑むかのような柔らかい表情を作ってにぼしを一つ一つ丁寧に食べていった。どうやらお気に召したようね。

 

「いただきます」

 

 私も弁当を食べながら今後の在り方について考える。御役目が終わって、私がこれまでやってきたことはもう何も意味を成さなくなった。もう私には価値がなくて……居場所もどこにもない。

 

『………』

「……ってコラ、テーブルの上に登るんじゃないわよ」

 

 もうにぼしを食べ終えたのか、いつの間にかエイミーはテーブルに登って私の顔をジッと見つめていた。というかこいつ、ここに来てからずっと私の顔ばっかり見てるわね。別に面白いものでもないでしょうに……変な奴。

 

 するとお次はテーブルから飛び降りるのかと思いきや、いきなり私の頭目掛けて飛びついてきた。

 

「うわっ!? ちょ、今度は何よもう!!」

『~♪』

「くっ…! これなら義輝みたいに喋れる精霊であってほしかったわ…!」

 

 こいつの行動が全く意味が分からない。勝手にほむらの下からいなくなって、私の部屋に侵入してからずっと私の顔色を伺って付きまとう。その間ずっと喉をゴロゴロ鳴らすだけで他のリアクションも特に見受けられない。こんなの本当にただ甘えてるだけの猫じゃない。

 

「……まったく、甘える相手を間違えてるんじゃないの?」

『?』

「私にそんな資格はないわよ。私がもっとしっかりしていればほむらはきっとあんな怪我だってしていなかった。完成型勇者だなんて息巻いていながら肝心な時に何もできなかった……情けないったらありゃしない」

 

 ……って、精霊相手に何言ってんだか。愚痴をこぼしたところで終わってしまった結果は変わらない。私が納得できる答えだって見つかりはしないのだから。

 

「悪いことは言わないからほむらのとこに帰った方がい…ごぅっ!?」

『~!』

 

 言ったそばから! 何回私の顔に突撃すれば気が済むのよ! サラサラな体毛とふかふかのお腹で痛くはないとはいえいい加減怒りがこみ上がるんだけど!

 そこに再び携帯からメールの着信を知らせる音が鳴る。もう話し終えたはずなんだけど誰が……

 

ほむら:そんな悲しいことを言わないで。情けないなんて誰も思ってない。夏凜ちゃんが一生懸命なのはみんなが知ってるよ

 

「……え…?」

 

 目を疑った。そして再度見直すも、書かれていた言葉は見間違いなんかじゃなかった。

 なんでほむらがさっきの私の愚痴に反論しているのか。あいつはまだ病院にいるのにどうやって私の愚痴を聞いていたのいうのか。

 それ以前にこれは本当にほむらなのか? ほむらが私の事を“ちゃん”付けで呼ぶなんて一度も無かったのに、このメールには夏凜ちゃんと書かれているし、言葉遣いだって柔らかい。たまらずほむらに電話を掛けて確かめようとした。

 

『もしもし夏凜、どうかしたの?』

「ほむら! さっきのメールどういうことよ!」

『……メールってエイミーの事? どうもこうも、夏凜も了承してくれたじゃない』

「そっちじゃなくて…! 悲しいことを言わないでってやつよ!」

『はあ? 何よそれ……私がいつそんなメールを送ったっていうのよ』

「……惚けてないでしょうね…?」

『さっきから何の話を……知らないったら知らないわよ』

 

 ……本当にほむらじゃなかった。でもいったい誰がほむらの名前を騙ってあのメールを……? 文章の言葉遣いは友奈に近いものだったけど、友奈が送るとしてもほむらの名前で送る意味は無い。それは他の奴らにも同じ事が言える。それに一番おかしい事は私の愚痴の内容を知っている事だ。部屋の中のどこかに不法侵入者が隠れているとは思いたくないが、ここにいるのは私とエイミーだけのはず。愚痴の内容を聞いたのもエイミーしかいない……

 

「………エイミー……?」

 

 ……いや、私は今何を考えてるの。そんなわけないじゃない……精霊がメールを送ってくるなんてそんな、有り得ない…!

 

 そう思いながらも私の目線はエイミーを捉えようとしていた。メールが届く直前の体当たりも、もしかしたら私の言葉を否定しようとしてやったものだと考えてしまった。その前も、エイミーはずっと私を心配し、擦り寄って慰めるような素振りばかり見せていた。無力感に落ち込み、何事にも億劫になっていた私を励まそうと……!

 

「エイミー、あんたなの…?」

『Zzz…』

「…って、いつの間にか眠ってる!?」

 

 どうしてこのタイミングで寝た!? こいつってここまで自由奔放な奴だっけ!? 本当にこいつが送ったのかますます判断しにくくなったんだけど!

 

『……ごほん、ねえ夏凜…』

「………あ、ごめんほむら、何かしら?」

『こちらとしては夏凜の言うメールとやらが何なのか全く把握しきれていないのだけど……それよりもあなたが言った「悲しいこと」というのは何?』

「あ」

『あなたが今日学校にいる間ずっと元気が無くて勇者部の活動にも来なかった事は知っているわ。その原因が例の「悲しいこと」と関係があるんじゃないかしら?』

「…それは、その……」

『話してもらうわよ。あなたの悩み事』

 

 マズい、墓穴を掘ってしまった…! あの連中に私の弱みを曝け出すのはまだ勇気が…。

 

「何でもない! 大丈夫だから」

『ダウト。そんなので誤魔化せると思ってるの?』

「うぐっ…!」

『ああ、通話を切るつもりなら覚悟しておきなさい。暫くは朝昼晩一睡もできない毎日が続くと思っていいわ』

「ちょっ、何をするつもりなのよ!?」

『手始めに勇者部の最重要最優先依頼として持てる能力を最大限に活用して夏凜を24時間毎日監視しながら』

「待った恐いっての! その時点で嫌な予感しかしない!」

『知ってる? 東郷って高度なハッキングもできるし、人感センサー付き隠しカメラもいくつか持っているらしいわ』

「もっと恐ろしい情報を提供して脅しの材料にするな!! 話せばいいんでしょ!!」

 

 完全に逃げ道を封じられてしまったんじゃ、もう白状するしかない。こういう時のほむら…というかあいつ等が間違いなく私にとって最悪の斜め上を突き抜けかねない行動を執るはずだ。

 そして東郷はなんでそんなモノを持っていたり、ハッキングなんて物騒な事ができるのよ!? 勇者以前に本当に一般の女子中学生か!?

 

 でも一度話すと口にしてしまった以上、私も覚悟を決めなければならない。なにせ相手は私が不甲斐ないばかりに怪我を負ってしまったほむらなのだから。

 だから私は大人しくほむらに話す。あの戦いで役に立たなかった、肝心な時に動けなかった自分の無力さ、今までの努力が報われなかった、そして戦いが終わった事で未来が全く見えなくなった。勇者部に行く理由も失った。

 

「……結局、私は駄目だったのよ。私は兄貴みたいになんでもできる人間にはなれなかった。今まで頑張ってきた事が無駄に終わって、後に残ったのは無価値になった私……そう思えてきて何もかも億劫になったの」

 

 話したくないとか思ってたくせに、私の口は自然に隠していた弱音を紡いでいく。それが別に嫌な事だとは思わない。

 ……もしかして本当は私もこの事を聞いてほしかったんだろうか。こんな自分を受け入れてくれた、どこか頭のネジが緩まっているけど頼れる友達に……。

 

『………ハアァァ~~アアァァ~……』

「なぁ!? 何よその馬鹿でかい溜め息…!」

『……まさか夏凜がここまで馬鹿……愚かだったなんて……ああもう、信じられない。三好夏凜改め三好愚夏凜じゃない』

「お、愚夏凜って…そこまで言う!!?」

 

 頼れる友達って……何だったかしら…? 人の名前の前に容赦なく蔑称を付ける奴だっけ…?

 

『戦いで役に立たなかったって何? あなたにとって役に立つ定義は何なの。御霊を破壊する事? 満開する事があなたにとって役に立つ事なの?』

「それは……だから私はあんた達が立ち上がろうとする中何もできなかったから…!」

『私が聞いているのは定義よ。くだらない思い込みを聞かされるこっちの身にもなりなさい。私は夏凜がいなければあの戦いは負けていたと思っているのよ』

「えっ…」

『あの戦いで恐れずに先陣を切ったのは誰? 気色悪い動きの人型バーテックスから私を助けてくれたのは誰? ボロボロになって説得力の無い私の言葉を信じて託してくれたのは誰? 三好夏凜、あなたでしょう』

「ほむら…」

『役立たないどころか夏凜がいなければ今この時はきっと無かった。あの戦いの勝利はあなたが思っていたものと形は違っていたかもしれない。でもね、それは間違いなく私達六人で掴み取ったものなのよ』

 

 私はほむらの言葉に相槌を打つことすら忘れていた。呆れと、自虐的だった私に対する怒りが込められていたほむらの言葉。だが紡がれていたその言葉に嘘偽りは無く、ほむらの優しい本心が明らかだった。

 嬉しかった……友達が私のために怒ってくれたことを、私の存在を認めてくれたことが…。

 

「……ありがとう……なんだか気が楽になったわ」

『まったく、友奈に話を聞いたときは燃え尽き症候群のせいかと思ったのに、こんなどうでもいい事でウジウジ悩んでいたなんて…』

「わ、悪かったわよ……またね」

 

 通話を切り、掛ける前よりもだいぶ心穏やかになっていることに気付く。戦いの結果についてはもう大丈夫、吹っ切れた。仮に私が納得しなくても、あいつ等はそれは違う、夏凜は頑張ったと否定してくれる。

 

「……あんたもありがとう。エイミー」

『Zzz…』

 

 確証は無いけどあのメールの送り主……取り敢えずあれはエイミーの仕業だと考えよう。エイミーがここに来たのもどこかで今日の私の様子を聞いて、心配になって飛び出して来たんだと思う。帰れと言われても帰らなかったのも、私を立ち直らせられていなかったからであって、ずっと私を気遣っていた。

 

「……昔の私ならこんな事絶対考えないわね。あの馬鹿共に絆されたか」

 

 なんて呟きながらも、自分でも笑みがこぼれているって分かっている。ウジウジ悩むなんて私らしくない。眠ってるエイミーを撫でて、私は私らしく、ルームランナーでトレーニングを始めるのであった。

 

 

 

 

『………』

 

【メッセージを取り消します。よろしいでしょうか?】

 

【取り消す】

 

『……』

 

◇◇◇◇◇

 

「夏凜ちゃんおはよう!」

「……おはよう友奈」

 

 翌日教室に入ってきた私の目の前に友奈が立ちふさがる。瞳は何やら決意に燃えており、昨日のように友奈から逃げられないだろう。とはいえこちらももう逃げる気はさらさらない。

 

「夏凜ちゃんにお話があって……お昼一緒に食べない?」

「……いいわよ。私も…話したいことがあるし」

「本当!? いやっっほぉぉおい!!!」

「ちょ、大袈裟…!」

「ひしっ♪」

「抱き付くなぁ!!」

 

 友奈のスキンシップは全然慣れる気がしない…! 顔が熱くなるし心臓もドキドキするしなんかいい匂いするしで……もおーーー!!!

 

 

 

 

「ん~~♪ 美味し~い!」

「あんたいつにも増して美味しそうに食べてるわね」

「夏凜ちゃんと一緒に食べてるからご飯が美味しいんだ♪」

「へ、変な事言わないの!」

「本当だよ? えへへ」

 

 調子狂うわ…もう。でもこんな日常を悪く感じない私もいるわけで……ううん、気に入ってるんだ、間違いなく。

 

「ところで夏凜ちゃん、エイミーはどうだった?」

「ああ、ずっといい子にしてたわよ。朝学校に行く時に病院の方に帰って行ったわ」

「そっかぁ。昨日はビックリしたよ。夏凜ちゃんが一緒って分かったら安心したけど」

 

 エイミーには感謝しておかないとね。気持ちの整理がついたのも下をたどればエイミーのおかげなのだから。

 ただいつの間にかあのメールが消えていたのはちょっと……別に残してくれててもいいじゃない。

 

「それで友奈の話ってエイミーの事なわけ?」

「それもあるけど一番は夏凜ちゃんのこと! 何か悩んでない?」

「無い」

「無いの!?」

 

 ああ……やっぱり友奈も、この分だと東郷と風、樹にも心配をかけていたのね。

 

「昨日までは悩んでたわよ。もう大丈夫だけど…でも友奈には聞いてほしい……それが私の話。いい?」

「もちろん!」

「……ありがと。私ね、勇者として戦うためにこの学校に来たでしょ。それなのに私は肝心な時に動けなかった、あんた達が満開して戦う姿を見ることしかできない役立たずだって……そう考えていた」

「そんな事…!」

「話は最後まで聞いて、友奈。それでほむら達はまだ入院している事実がもっと私を苦しめた。私は完成型勇者で、あいつ等は普通の勇者……それなのに見てただけの私が無事だっていうんじゃ情けないってね。それで昨日はあんた達と顔を合わせたくなかった。どの面下げていたらいいのか分からなかったのと、元々部に入った理由だって他の勇者と連携を取るため……戦いが終わった今、勇者部に行く理由がない。無価値な自分に居場所はどこにもないって思っていた」

「夏凜ちゃん…」

「でも昨日ほむらに怒られたの。散々愚か愚かって罵られて、私の悩みをくだらないって一蹴して……私が無価値なんかじゃないって言ってくれた…」

 

 だからもう大丈夫、私は受け入れられた。友達が私の事を大切に想っているのだと突きつけられた。

 

「……うん、ほむらちゃんの言う通りだよ。夏凜ちゃんは素敵な子だもん。居場所がなくなるなんて絶対にない。勇者部は風先輩、ほむらちゃん、東郷さん、樹ちゃん、夏凜ちゃん、私達六人みんながいるから勇者部なんだよ。夏凜ちゃんがいないとみんな寂しい、夏凜ちゃんがいるとみんなが楽しい! みんな、夏凜ちゃんのことが大好きだから!」

「……っ!! まったくあんたは…! いつもいーっつも恥ずかしくなるような事を言ってぇ!!」

「えへへ♪ ……本当によかった、夏凜ちゃんに元気が戻って」

「もう! ……ふふふ」

 

 そう言う友奈は満面の笑みで、私もつられて笑ってしまう。ここが私の居場所だって誰もが認めてくれる。私には信じられたり支えてくれる大切な友達がいる。

 これからもこの居場所に居続けられるなら、これほど嬉しい事なんて何もないわね。

 

 

『バーテックスは殲滅され任務は終了しました。今後の私の処遇なのですが、讃州中学に残ることを許可してもらえないでしょうか』

「送信…と」

 

 その日の夜、私は大赦に一件のメールを送る。友達とこれからも一緒にいられるよう期待して…。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 数日後、ほむらちゃんと東郷さんの退院日が決まる。その日は風先輩、樹ちゃん、夏凜ちゃん、勇者部のみんな全員でお迎えに行った。

 

「みんな」

「ほむらちゃん! 東郷さん!」

 

 ほむらちゃんの右足のギブスは無事に取れていて、東郷さんの車椅子を押しながら私達の方に歩いてきた。その頭の上にはエイミーが乗っかっていて、やっぱり嬉しそうに喉を鳴らしている。

 たまらず二人の下に駆け出すと、ほむらちゃんは車椅子から手を離して一歩横にずれた。

 

「ここはあなたの定位置でしょう?」

「そうだけどほむらちゃんの定位置でもあるんだよ? 一緒に押そうよ」

「友奈ちゃんの言う通りよ。私も二人で押してくれるならもっと嬉しいわ」

「二人が言うなら…」

 

 私とほむらちゃんで車椅子のハンドルを片方ずつ握り、完全に息の合ったペースで歩き出す。今までずっと私達三人は一緒だったんだもん。ほむらちゃんだけ仲間外れにはしないからね。

 

「東郷美森」

「及び暁美ほむら」

「「勇者部に帰還しました」」

「お勤めご苦労である! 東郷准尉、暁美特務曹長!」

「准尉と特務曹長は同じでしょうが。なんで別々の呼び方にした」

『退院おめでとうございます!』

 

 そしてこのみんなの楽しいやり取りも、ずっと私が待ち望んできたものだった。これで勇者部はメンバー含めて完全復帰だね!

 

 その後私達は学校の屋上に移動し、日が暮れだした街を見下ろしていた。平和な街……小さな子供達からお年寄りのおじいさんおばあさんまで幸せに過ごしている街だ。

 

「この街を私達が守ったんだね」

「ええ。過酷な戦いだったけど、あなた達と一緒だったから勝てた」

「普通の人達は私達の戦いのことなんて何も知らないんだけどね」

「そうね…でもみんながいなかったらこの世界はなくなってた。ここに住む人達は……死んでた」

 

 誰かに認められたり誉められたりすることはない。それでも私達は多くの命を守れたんだ。その事実があるのなら、みんなの笑顔が守れたのなら私は別に認められなくても誉められなくてもいい。

 

「私、初めての戦いのときすごく怖かった。怖くて逃げたくて…でも逃げなくてよかった。私、ちゃんと勇者できてたかな…?」

「できてたよ。東郷さんはすごくかっこいい勇者だった!」

「東郷にはいつだって助けられっぱなしよ。あなたは本当に強くて、立派だった。もちろんみんなも…ね」

『ほむらさんもです!』

 

 うん、みんな本当に最高だった。誰かが欠けていたらこんな幸せな世界を見れなかったに違いない。

 そこに誰かの携帯から着信音が聞こえた。見ると夏凜ちゃんが携帯の画面を見て、とても嬉しそうな顔をしていた。

 

「夏凜ちゃん嬉しそう」

「何のメールだったの?」

「よ、喜んでなんか…てちょおっ!! エイミー!?」

 

 エイミーが夏凜ちゃんの携帯をバッと横取りしてほむらちゃんに渡す。画面を覗き込むとそこに書かれていた文章は……

 

『申請は受理されました。三好夏凜、あなたは卒業まで讃州中学にて勉学に励みなさい』

「これって…」

「やったぁあああ!!! 夏凜ちゃぁーーん!!!」

「ばばばばっ、抱き付くなー!!」

 

 嬉しい知らせに思いっきり夏凜ちゃんに抱き付く。これってあれだよね!? これからも夏凜ちゃんは勇者部にずっといてくれるって事で間違いないよね!?

 ほむらちゃんも私達を見つめながら微笑み、同じく携帯の画面を見た東郷さんと樹ちゃんも喜んでいるみたいだった。

 夏凜ちゃんがこれからも一緒なら楽しい思い出もたくさん作れるんだ。しかも夏休みだって目前。これからのことが楽しみで仕方がない。

 

「ねえ! 夏休みは何をしよっか!」

「……う、海に行く……とか」

『山でキャンプ』

「旅行に行くのとか」

「夏祭りも楽しみね」

「……花火もやっとく? 打ち上げ花火百連発!」

「全部やろう、みんなで!」

『   』

 勇者の戦いは終わるけど、これからも勇者部の日常は続いていく。



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第二十八話 「贅沢も悪くないわね。」

 PCのデータが吹っ飛ぶトラブルが発生して遅れてしまいました……また一から書き直すのって本当に辛かった…


(……またか…)

 

 目の前のテーブルに並んだ料理を一目見て最初にそのように思った。ここ数日、家の食事の質が明らかに上がっている。

 それこそ最初は私の退院祝いで豪華な食事を振る舞っているのかと思っていたが、さすがに長続きしすぎだ。元々暁美家はどちらかと言えば裕福な家庭の方であるのだが、それにしたってここまでご馳走が連日食卓に並んだ事は初めてだ。

 

「……ねえお母さん、最近のこのご馳走はどうしたの?」

「え? …ああ、それね、なんだか毎日職場に届けられるのよ。高級な食材ばかりで気が引けるんだけど是非って」

「届けられるって……どこから?」

「大赦。職員の方が直々に持ってきてくれるのよ。ほむら、勇者部の活動で大赦のお仕事を手伝ったんでしょ? そのお礼にって」

「ふうん…」

 

 さすがに勇者として人類滅亡を目論む敵と戦った事は伏せられているだろうけど、何らかの活動をしたと伝えられているのね。大赦はかなり大規模な組織だし、世界を守った報酬に高級食材を提供できるのも理に適っている。

 いきなり始まった好待遇に戸惑ったけど、多分悪い意味はないのでしょうね。するとそこに勇者部のグループチャットにメッセージが届く。夏休みの活動についてのお知らせかしら…

 

風:諸君! 目ん玉かっぽじってよく見ろー! なんと大赦が敵を殲滅したご褒美に勇者部の夏合宿を用意してくれることになった! 夏休みに海水浴と温泉旅館じゃあ!!

 

「い、至れり尽くせりね……というか目ん玉かっぽじってって、また古いネタを…」

 

 取り敢えず風先輩のいつものボケはスルーでいいかしら。今の勇者部のツッコミ担当は夏凜と樹ちゃんなのだから。二人が処理しきれないときに手伝うOB感覚でいいでしょう。事実一年生の頃は私一人だけがツッコミ担当だったし。断じて職務放棄などではない。

 

夏凜:目玉かっぽじったら余計に見えんわ!

 

樹:耳の穴ですよね、普通は…

 

「ふっ、流石は勇者部のツッコミ組ね」

 

 断じて私は職務放棄などしていない。それにしても、まさか合宿の手配まで大赦がやってくれるなんて……でも私達がやった事を考えればきっとそれでも釣り合わないのよね。なんたって世界を救ったのだし。

 

友奈:やったー! みんなと海だー!o(^▽^)o

 

東郷:日程はいつですか?

 

風:それはまだ未定。みんなの大丈夫な日にしてもらうから空いてる日を教えてねー

 

夏凜:こっちはいつでもオーケーよ

 

「ふふっ」

 

ほむら:流石は夏凜。楽しみすぎでもう夏休みの予定を全部空けてきたのね

 

風:あらホントねぇ~楽しみだもんねぇ夏凜…ニヤニヤ

 

夏凜:子供か私は! そういうのじゃないわよ!

 

樹:私は楽しみですよ? 夏凜さんは違うんですか?

 

夏凜:違わないけど違う! あんたら分かってやってるんでしょ!?

 

 夏凜ももう完全に勇者部の一員になれたのだと思うと感慨深い。勇者なんて危険な事は関わらず、あの子ともこれからも友達として過ごせるのだ。その事は夏凜も望んでいたようで、あの子が自分から大赦へ讃州中学に残ると申請していたと知った時は本当に嬉しかった。

 

 それにしても勇者部六人での海水浴と温泉旅館……後遺症の懸念は残っているけど楽しい思い出を作れたらいいわね。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 八月、学校が夏休みに入りそして今日は夏合宿当日。大赦が用意した送迎車で目的地のビーチに到着した私達の目の前に広がるのは眩しく輝く綺麗な海。雲一つ無い快晴で、清涼感を感じさせる潮風が心地良い絶好の海水浴日和である。

 宿泊の荷物はそのまま送迎してくれた大赦の職員の人が旅館に運んでくれた。思う存分私達を手厚くもてなすようで、慣れない好待遇にむず痒く思えるが、当然有り難みも感じていた。

 

「うわーっ! これこそが海って感じの凄く綺麗な所だね!」

「うふふ、本当ね。みんなと一緒に来られて良かったわ」

『♪』

「なるほどこれは……どうしよう樹、この海と女子力の塊であるアタシの水着姿が合わさってしまったら、お姉ちゃんいろんな男からナンパされまくってしまう!」

「んなわけあるか」

「戯言ね。さっさと着替えましょう」

「ちょっ、即答って夏凜、ほむら、アンタら酷くない!? ねえ樹!」

『お姉ちゃんがナンパされるなんて、私許さない』

「樹ぃー!!?」

 

 友奈と東郷、エイミーが海に見惚れている間、ふざけた妄想に走る風先輩を三人掛かりで両断する。最愛の妹にすら否定されて呆けてしまったみたいだが、風先輩がナンパされるとか……有り得ないわ。

 

『お姉ちゃんはこれからも私と一緒にいるんだもん』

「おぉ…おお…! 我が愛しき妹よー!!」

「……ええ、許せる訳ないわ。そんじょそこらの男が風先輩の魅力と釣り合える訳ないじゃない。ねぇ夏凜?」

「へえっ!? 何で私に振るの!? ふ、風がナンパされるって……ば、馬鹿じゃないの!!?」

「可愛い後輩達よー!!」

「もがっ!」

「このっ、離せーっ!!」

 

 白目で呆けていた状態から一変、風先輩は涙目の歓喜の表情で私達三人をまとめてホールドする。いくら気心知れてる相手とはいえ、今は真夏の真っ昼間。四人で密着するのはものすごく狭いし何よりも暑苦しい…!

 

「あれれ、みんななんだか楽しそう!」

「楽しくないー! 暑くて溶けるー!」

 

 そこに友奈も飛び込んでくるわけでもっとぎゅうぎゅう詰めになる。私達五人を残された東郷とエイミーが眺めながら面白そうに笑い、この騒ぎは中心で挟まれていた樹ちゃんが暑さでバテそうになるまで続くのだった。

 

 全員しっかり水分補給した後、私達は更衣室にて水着に着替える。この日のために用意した新しい水着。紫色のワンピースタイプの水着で背中側を大きく開けている物で、一目見てコレだと思って購入していた。

 

「どうかしら、この水着?」

「ええ、とっても似合ってるわ」

「うん! ほむらちゃんらしい、かわいくてクールな感じがするよ」

 

 友奈と東郷もよく似合っている水着だった。それに東郷は砂場や海でも対応できる専用の車椅子に乗っていた。東郷は海で遊びにくいのではと懸念していた分、これなら彼女とも楽しめそうだ。

 

「友奈、背中の方日焼け止めを塗ってくれないかしら?」

「うん、いいよ。ほむらちゃんも私の背中に塗ってほしいな」

「………ほむらちゃん…」

「……分かってるわよ……友奈、東郷が塗ってくれるって」

「そう? ありがとう東郷さん」

 

 日差しが強いと思っていたのに東郷が放つ殺気で一気に涼しくなったわ……。友奈の背中に直に触るチャンスだからといって殺気は止めて、殺気は…。

 

「それじゃあ東郷さんは……そうだ! 私とほむらちゃんで塗ってあげるね」

「ええっ!!? 友奈ちゃんだけじゃなくてほむらちゃんも私の体を………………は、破廉恥なっ!! だけど是非っ!!」

「ちょっ、東郷鼻血が出てるわよ!? というか破廉恥って何よ!? 何変なことを考えてるの!?」

「な、何も考えてないわ!! 本当よ、友奈ちゃん!!」

「ええっと……と、取り敢えず今は鼻血を止めないと!」

 

 友奈は東郷の体の事を気遣って提案したのに、このムッツリ大和撫子…! 日焼け止めを塗る話をここまでややこしくするなんて。あの友奈ですら引き気味になるなんて余程の事よ……。

 

 そしてその後、私達はお互いの体に日焼け止めを塗ったのだが、東郷に背中を塗られた友奈は後に「東郷さんの手つき、なんだかちょっとだけいやらしかった…」と語る。

 

 

「あれ? 遅かったわね」

「東郷が鼻血を撒き散らしてしまって…」

「……何があったのよ…」

「かくかくしかじかという訳で」

「あー……お疲れさん」

 

 ビーチテントに戻ると風先輩と樹ちゃんがかき氷を食べていた。更衣室でのあれこれを伝えると風先輩から労いの言葉と、樹ちゃんからジュースの入ったペットボトルを手渡される。

 ちなみに友奈と東郷は、砂場で友奈が車椅子を押しながら走り回り、無邪気にはしゃいでいる。あんな事があったばかりなのに本当に元気ね……。

 

「夏凜は?」

「向こうでアップ中。おバカな事にあの子、瀬戸の人魚と言われたこのアタシに泳ぎで勝負を挑んできたのよ」

「言われてたの?」

『自称です』

 

 確かに少し離れた所で砂浜ダッシュをしている夏凜の姿が見える。前まではこういう娯楽にも消極的だった夏凜も、こうやって一生懸命楽しもうとしている。

 でも少し残念。私も夏凜と泳ぎで勝負したかったのに……。仕方ない事と受け入れ、持ってきた荷物袋の中から塩化ビニールを取り出しその中に息を入れる。

 

「あれ? ほむら、それ何膨らませてるの?」

「浮き輪です」

「浮き輪って、ほむらってあまり泳げないの? かなり意外…」

「泳げますよ。でもお医者さんからまだ激しい運動はするなって言われてるんです。まだ足の容態が悪化しやすい時期らしいので」

 

 あの脱臼がここまで引っ張るなんて忌々しい。しかも二学期の最初の頃まで様子見と言われているのだ。またちゃんと運動できるようになるのは秋頃らしい。

 

「そうなの…」

「なので今日の私は私なりに楽しませてもらいます」

「え?」

 

 荷物袋を手繰り寄せてその中から取り出して見せるのは漆黒に染まった大型銃と緑のパイナップルのような物体。ライフル銃とマシンガン、プラス手榴弾……水着と浮き輪同様、この日のためにネットで取り寄せ、さらにこれらを肩に掛けられるようロープを付けている。

 

 今日の私はホマンドー。別名火薬少女あけみ☆ほむら 水着ver.よ。

 

「デカッ!? スゴッ!? 何その水鉄砲……随分気合い入ってるわね…」

「チャンスでしたから。樹ちゃんも使ってみる? もちろん普通の水鉄砲も用意してあるわよ」

 

 本格的なデザインの大型水鉄砲と、少し変わった手榴弾型水鉄砲、その他スタンダードな拳銃型も。

 みんなで遊ぶためにたくさん用意していた。この時期にしか使えない物だけど、武器マニアならニッコリするであろう出来の良品だ。だいぶお小遣いは減ってしまったけど、後悔なんてあるわけない。

 でも樹ちゃんの反応は苦笑いで首を横に振られた……気合い入れすぎたかしら?

 

「待たせたわね風! こっちの体は出来上がったわ! ……って、ほむらのその格好何? 武装に浮き輪って…」

「フッ、凄いでしょう夏凜。今日の私は暁美ほむらではなくホマンドーよ」

「意味分からんわ」

 

 ファサ…で髪を掬い上げると余計変なものを見る目で見つめられる。

 

「いいのよ遠慮しなくて。この銃を使いたくなったらいつでも言いなさい……あれ?」

 

 シャフ度状態で華麗なポーズを決めたら、今度はもう風先輩と海の方に行ってって見向きもしていない……そんな馬鹿な……私はホマンドーなのにこの扱いはあんまりじゃない……。エイミー、慰めて……。

 

「……………ん、どうしたの樹ちゃん……」

『ほむらさん、やっぱり水鉄砲貸してくれませんか?』

「大好きよ樹ちゃん!! さあ、どれでも好きなのを持って行っていいわ!!」

 

 さっきの受け取り拒否を撤回して、こんな私を気遣える樹ちゃんは本当にいい子だ。樹ちゃん……あなたは私の最高の後輩よ!

 樹ちゃんが選んだのはシンプルに拳銃型の水鉄砲。選んでいる間に先に水鉄砲に海水を入れ、準備を万端にする。水鉄砲片手に樹ちゃんも水を入れに近付くが、テントから出た所で突如樹ちゃんが慌ててその場で足踏みをしだした。危機迫る表情にも見え、心配になって声をかけようとすると波打ち際まで一気に走り出した。足に波が当たると安堵したようにホッと息を吐き、その場で座って涼み始める。

 

「あはは、やっぱり砂浜は熱いよねー」

 

 友奈と東郷が樹ちゃんの様子を見ながら近付いてきた。そして友奈が言った、砂浜が熱いという言葉でさっきの樹ちゃんの行動に納得した。確かにここまで日差しが強ければ、小さい子供達の中には熱くて歩けない人もいるでしょうね。

 失念していた。私にはこの砂浜がジリジリと肌を焼くような熱さではなく、ポカポカとした暖かさがあると感じていたのだ。満開の後遺症で痛覚を失っているからかしら…?

 

「って、ほむらちゃん何その大きな水鉄砲!? 超カッコいい!」

「ふふふっ、流石は友奈……このホマンドーの素晴らしさにすぐ気付けるとはね。あなた達も使ってみる? テントに色々置いてあるわよ」

「えっ、いいの!? やるやるー!」

「友奈ちゃんもやるんだったら私も。それにしても、本当に見事な造形ね」

 

 こんなにも喜んでもらえるなんて、奮発して購入した甲斐があるわ。二人とも嬉々としてテントに戻って水鉄砲を選んでいる。やっぱりスルーした夏凜が薄情だっただけで、私のホマンドーは決して悪くなかったのよ。

 そして戻ってきた友奈が持ってきたのは私のと同じくライフル型、東郷は迫撃砲の水鉄砲だった。なんだか一人だけ拳銃型を選んだ樹ちゃんが不憫そう……というのは野暮ね。楽しめれば何を選ぼうが関係ないのだから。ちなみにエイミーも、しれっと手榴弾型の水鉄砲を前足で抱えるように持っているけど……それでどうやって撃つつもりなの?

 

「それも関係ないわね! みんな、思う存分水中戦を楽しむわよ!」

「「おーーっ!!」」

 

 こうして白熱した私達の水中戦。私のライフル銃とマシンガンの二丁の絶え間ない連発、友奈の猪突猛進な攻撃、東郷の強大な迫撃砲の一撃、樹ちゃんの音もなく放たれる不意打ちなどが飛び交って大盛り上がり。

 そして誰もが気を張っている絶妙なタイミングで空から目の前に落ちてくる手榴弾に驚いていた。撃つのではなく落として驚かせるなんてエイミー……水鉄砲にそんな使い方があったのね…。

 

「ふふふ、どうよ風、私の勝ちよ!」

「ぐぬぬ……瀬戸の人魚と言われたこのアタシが負けるなんて…!」

「前にも言ったでしょ。基礎能力値が違うのよ」

「なーによエラソーに……こっちは樹達が楽しくやってるのが見えて、気になって集中できなかっただけよ」

「敗者の遠吠えは聞くに堪えないわね」

「なにをーーっ!! こうなりゃアタシ達もアレで勝負よ!!」

「上等よ! もう一回吠え面かかせてやるわ!!」

 

 いつの間にか別の場所で始まっていた熱戦。お互い殺気剥き出しだったけど、戦っている二人も海に漂いながら見ていた私達全員が笑っていた。

 

「そこっ! 貰っ…うぉぉぉ!!? 手榴弾!!?」

「隙ありっ! 痛っ!? 頭に何か落ちてきたんだけど!?」

『♪』

「「エイミーー!!!」」

 

 あんな風に怒っていてもみんなが笑ってる。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「うわー…凄い御馳走…!」

「あのぉ…部屋間違えてませんか? アタシ達にはちょっと豪華過ぎるような……」

「いえいえ、とんでもございません。どうぞ、ごゆっくり」

 

 旅館に戻り、浴衣に着替えた私達の部屋に並べられた、魚の活け作りや全員分の大きな蟹などの御馳走に、みんなが戸惑いの様子を見せる。ここまで凄い御馳走……家にしている高級食材の提供や今回の合宿の全面バックアップといい、これも大赦の仕業なのかしら?

 

「私達、好待遇みたいね」

「ここ大赦絡みの旅館だし、お役目を果たしたご褒美ってことなんじゃない?」

「つまり、食べちゃってもいいと…!? こんな美味しそうな………あっ…友奈は…」

 

 飢えた獣のような目で御馳走を凝視していた風先輩だったが、ふと友奈に心配そうな目線を向ける。そうだった、友奈は今味覚が無いんだった……。

 友奈が味を感じないということは、あの子だけがこの御馳走を味わえないということになる。

 

「なに? 友奈がどうかしたの?」

 

 その事を樹ちゃんと夏凜は知らない。そもそも満開の後遺症の存在も知っているのは私と東郷と風先輩だけ。この温度差が今日一日の中で一番…嫌だ。……治ってよ…みんな。

 

「このイカのコリコリとした歯応え……たまりませんねぇ! お刺身のつるつるとした喉越しもいいよぉ! 美味しい~」

「……いつも通りじゃないの」

 

 そんな友奈は夏凜の言う通り、本当に美味しそうに御馳走を食べていた。「いただきます」がまだなのに、相変わらずせっかちね……。

 でも少し安心した。味を感じなくても友奈は食感だけでも十分満足そうだ。そこにはきっと、私達事情を知っている人達を心配させたくないのもあるのだろう。友奈らしい、優しくて立派な意志だ。

 

「もう、友奈ちゃんったら」

「えへへ、我慢できなくてつい…」

「それじゃあ気を取り直して」

「「『「「「いただきます!」」」』」」

 

 色々考え込んでしまうのだけど、私だって目の前の御馳走が楽しみでないわけじゃない。特に蟹なんていつぶりだろうか、滅多に食べられる物ではないし、食べるとしても丸々一匹だなんて初めてかもしれない。

 脚を割って、中の身を取り出して口に運ぶ。美味ね……一口噛むだけで風味がいっぱいに広がる。贅沢も悪くないわね。それに慣れきってしまえば毒になるだろうから程々が一番だけど。

 エイミーにも分けるとこれまた美味しそうに身を食べる。精霊に食べ物を与えて、それに意味があるのかどうかはよく分からないけど、美味しい物なら共有したい。実際エイミーだって喜んでいるのだから。

 

「場所的にお母さんを私がするから、ご飯のおかわりをする人は言ってね」

「東郷が母親か……厳しそうね…」

「門限を破る子は柱に磔りつけます」

「まあまあお前、そこまでしなくても…」

「あなたが甘やかすから」

「おいおい夫婦か」

「美森さんや、晩ご飯はまだかのう?」

「もう、お義母さんったら、今食べてるでしょう?」

「姑か」

「樹ちゃん鯛のお刺身美味しかったのね。もうほとんど無くなってるし。はい、私の分も食べていいわよ」

『ありがとうほむらお姉ちゃん!』

「姉妹か」

「なにおう!? 樹のお姉ちゃんはこのわしじゃ!!」

「大変! おばあちゃんの痴呆が……おじいちゃん! 夏凜おじいちゃん!」

「誰がおじいちゃんよ!!」

 

 何というか……もうみんな条件反射ね。誰かが役に入れば自然に寸劇が始まってしまう。夏凜があまりボケないからこっちから振る必要があるけど、毎回良い反応をしてくれるからやり甲斐もある。きっと他の人相手に同じようなやり取りをしても、こうはならないに違いない。

 うるさくて、でも笑いや幸せが絶えない時間が過ぎていく。御馳走をみんなで綺麗に片付けた後、次はこの旅館の名物の一つとも言える温泉に向かった。




 今回のほむほむの水着は、ファンキルの海上ほむらみたいなデザインということで。


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第二十九話 「かつて一番幸せだった頃」

 この回で今までの話の中で一番とんでもない爆弾を設置した自覚があります。「何でこんな余計な事をしやがった!!」と感じる方もいらっしゃるのではと思うので、なんだか恐ろしい反面、今後も通して気に入っていただけるといいなと、内心ビクビクしながらの投稿。

 それと誤字報告をしてくださった方々、ありがとうございました。


 全員でおっとりするように、のんびりと温泉を堪能する。ありふれた感想になるが、ここの温泉はとても気持ちが良かった。海で遊び疲れた体に沁みる……風先輩のように言うなれば、「あ゛ぁ~生き返るぅ~」というやつだ。

 

「良いお湯~」

「本当にね、友奈ちゃん」

「あ゛ぁ~生き返るぅ~」

「年寄りか。気持ちは分からんでもないけど」

 

 みんなもこの立派な温泉に大層満足している様子だ。それにこうやってみんなとお風呂に入るというのも珍しい。裸の付き合いというが、案外悪くないものだ。

 

「というわけで夏凜、女同士なのに何照れてるのよ」

「べっ、別に照れてなんか…!」

「じゃあ何で一人隅っこの方に離れてるの?」

「ぐ、偶然よ偶然!」

「友奈」

「アイアイマム! 夏凜ちゃんこっちにおいで~!」

「ばっ、ばばばばば!! 近付くなーーっ!!」

 

 何も言わないうちに私の意図を汲み取った友奈と夏凜の追っかけっこが始まる。友奈は無邪気に手を伸ばしながら、夏凜は顔を真っ赤にして必死に逃げる。温泉の中を二人してグルグル回り続ける愉快な光景が広がった。

 

「もう、友奈ちゃんと夏凜ちゃん! 温泉の中で暴れる悪い子にはお仕置きよ!」

「だったらコイツを止めなさいよ! ってしまっ…!」

「夏凜ちゃん捕まえたー!」

「ぎゃああぁぁぁ!! 友奈当たってる、当たってるってぇーー!!!」

 

 ついに友奈に捕らえられた夏凜。その背中には友奈の胸が思いっきり押し付けられているわけで……アレは…同性でも結構恥ずかしいわね……。

 

友奈ちゃんの美しく完璧な形をした胸が夏凜ちゃんの背中で圧迫されているあんな柔らかそうに形が変わるなんていったいあの胸の中にはいったい何が考えるまでもないあの胸の中には生きとし生ける者達全ての希望が詰め込まれているに違いないそうそれはまるで大和型戦艦のように雄大で儚い絶対的なものそれを私ではなく夏凜ちゃんが至福の感触を味わうだなんておかしい何かの間違いそうでしょう夏凜ちゃん行き過ぎたやらかしにはお仕置きが必要ね夏凜ちゃんほらこっちにいらっしゃい夏凜ちゃんわぷっ!」

「怖いわよ…」

「夏凜は何も悪くないでしょうが……」

 

 温かいはずの温泉を冷気と殺気が包み込み始めた所で、鎮めるべく東郷の顔にお湯をかける。今回のは今までの暴走の中でトップクラスの危険を感じた。

 

「うぅぅ、ほむらちゃぁん…! 友奈ちゃんが夏凜ちゃんに取られてしまう…!」

「友奈が誰かに抱きつくなんていつもの事じゃない。ただのスキンシップよ」

「でもお互い裸なのよ!!? 間違いが起こりでもしたら!!」

 

 間違いって何よ……。やっぱり今回の東郷は今までの中で一番ヤバいかもしれない。

 でもこうなってしまったのも、元を辿れば私のせいと言えなくもないような……

 

「……まったくもう…友奈の代わりに私の胸を貸してあげるから落ち着きなさい」

「ほむら~、その台詞はあんたみたいなスラム街が言っても意味ない台詞だぞ~」

「大事なのは大きさではなく心ですよ」

 

 取り敢えず、ここは責任をとって私が代わりになって彼女の心を温めよう。こんな暴走しっぱなしの東郷が側にいては誰も落ち着けないし。というかちょっと待って、今風先輩私の胸の事をスラム街って言った? ほむほむの完壁(かんぺき)なスレンダーボディが退廃地区ですって?

 不名誉極まりない。「退廃地区なんて運命に屈して終焉待つのみで救いようがないものじゃないの。私の胸を語るならせめて砂漠とかにしてほしい。彼方に広がる絶望的な砂山でも、オアシスという名の希望が僅かながら残っている分、私達は希望を失わずに前を向ける……そういうものを所望するわ。

 

「……何訳の分かんない事を言っているんだね、チミは……」

 えっ、やだ、口に出ていたかしら?」

「う、うん、私には違いはよく分からなかったけど…」

「だったら話は早いわ。風先輩、スラム街は撤回して砂漠にしてください」

「お、おう……どっちもどっちなんじゃ……さっぱり意味が分からんちん。ねえ樹……えっ、なにそのハンドサイン……ちょっとだけ? え、分かったの!?」

「どうでもいいこだわりなんていいから!! 誰かコイツを引き剥がしてーーーっ!!!」

 

 ……これは…最初から友奈を引き剥がした方が早かった気がする。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 温泉から上がって部屋に戻ると六人分、三対の布団が並べられていた。うち一つの布団の上では部屋で待っていたエイミーが寛いでおり、私が寄るとその分のスペースを作ってくれたから、その布団は私とエイミーで寝ることになった。他の布団も次々に決まって中に潜り込む。私の隣は東郷、正面は樹ちゃんである。

 

「女六人集まって旅の夜……どんな話をするか分かるわね?」

「ええっと……辛かった修行の体験談?」

「違う。修行してたのアンタだけでしょうが」

「日本という国の在り方について存分に語るのですね!」

「それも違う。女子力の欠片もない」

『コイバナ…?』

「イエスその通り! 恋の話よ!」

「もう一度お願いします」

「こ、恋の話よ。何度も言わせないで…」

「鯉の放しですか……随分変わった依頼を引き受けたんですね」

「ラブの話!!」

 

 まーた風先輩の悪ノリが出てきたわね、恋バナなんて。確かに定番といえばその通りなんだけど、このメンバーでそういう話題なんて無いと思うのだけど。

 

「では、誰かに恋をしている人?」

「「「「『………』」」」」

 

 ほら、やっぱりいないじゃない。隣の人の手が一瞬ぴくりと動いたけどやっぱりいないじゃない。

 

「フッフッフ、ここは女子力の帝王であるこのアタシのとっておきの体験談を「「「しなくていいです」」」友奈! 東郷! ほむら!」

「風先輩がチア部の助っ人に行って」

「チア姿に惚れた男子生徒からデートに誘われて」

「その生徒が休み時間中に男子達といやらしい写真を見せ合ってる上に子供っぽいから断った……もう耳にたこができる程聞いたわよ」

『私ももう10回は聞きました』

「うげぇ…」

「……ごめんなさいみんな、私があの依頼を風先輩に回してなければこんな事にはならなかったのに…!」

「ううん! ほむらちゃんは悪くないよ!」

『悪いのはお姉ちゃんに告白した人です!』

「そうよ! 風先輩が告白されるなんて誰も予測できないわ!」

「東郷言い方ァ!!」

 

 唯一の恋バナもこれじゃあ、期待できる話なんてもう無いでしょうね。でもみんな美少女なんだし、誰がいつそういうのに出会えるのかも分からないのよね……私達がいる間に絶対誰かは告白されるとは思う……。

 

「風の話は分かったけど、他に誰かいないの? 告白されたヤツ」

「ほむらちゃんが一年生の頃にたくさんラブレター貰ってるよ」

「「え!?」」

「……え?」

 

 突然飛んできた友奈からのキラーパス。風先輩と夏凜が声を上げ、樹ちゃんも驚きの目で私を見つめる……私自身も驚いている。

 

「確かに…一日で十通ぐらい貰ってたわね」

「「じじじじじ、十通!!?」」

「うん! 下駄箱を開けるとたくさんのラブレターがドサーッって落ちてた」

「どどどどど、どういうことよほむら!!」

「一年生の頃って、アタシ聞いてないわよ!?」

『1日で10通って、合計はもっとあるってこと!?』

 

 私がラブレターを貰った? そんなことって……

 

「……そういえばそんなことがあったような……完全に忘れていたわ」

「忘れてたってアンタ!?」

『ふつう忘れられませんよ!』

 

 文化祭のミスコンで優勝してしまった結果、一時期ラブレターが届く日々が続いていた。どうでもいいことだったから全く意識していなかった。

 

「そもそも全く知らない人から一方的に好意を伝えられてどうしろっていうのよ。思い出したけど、お互いまだ何も知らないならこれから一緒に理解していこうとか書いてあるのもあったけど、こっちは最初から知った事じゃないのに何様だって思ったわ」

「うおお……ばっさり斬るわね…」

「現に今まで忘れてるしね…」

 

 あの頃は勇者部で活動する日々が充実していたし、恋人を作るまでもなかった……というか私が恋人を作る事を考えたことなんて今まで一度もないのよね。勇者部のみんなが魅力的すぎて、男子にはそれらをほとんど感じないから尚更。

 

「何よりも…女子にラブレターなんか使って告白するなんて、直に目を見て告白する勇気のない根性無しはごめんよ」

「ラブレター全否定!? ……でもまあ、言われてみればそれもあるかも」

「確かに、頼りないヤツが恋人ってのは論外ね」

『ほむらさんビシッとしていてカッコいいです!』

「ふふっ、樹ちゃんのその誉め言葉の方が何万倍も嬉しいわ」

 

 しかし恋人ねぇ……はたして今後、勇者部のみんなの様な男の人が見つかるかしら? 我ながらかなり高望みね。

 

「ほむらの衝撃的過去はこんなもんね。よーし、それじゃあ次は友奈! 何かきわどいの!」

「ええっ!? いきなりそんな事言われても…!」

「きわどいのなら任せてください!」

「東郷は違う意味できわどいでしょ…」

「夏凜は……って、夏凜?」

 

 夏凜の話を聞こうと思って声を掛けようとすると、穏やかな様子で寝息を立てていた。昼間にたくさん遊んでいたし、体は疲れていたのね。かくいう私も、いつもならまだ起きていられる時間だけど、目を閉じれば自然に眠れるぐらいには疲れている。

 

『かわいい寝顔ですね』

「しゃーない、今日の所はもう寝ましょうか。夜更かしは乙女の敵だしね」

「そうですね。私も眠いですし」

「あれ? 東郷さんどうかしたの?」

「何でもないよ、友奈ちゃん」

 

 何やら一瞬東郷が不気味な笑みを浮かべていたけど気のせいかしら。

 それが気のせいではなかったことを、私達は部屋の電気が消灯されてすぐに気付くこととなる。

 

 

◇◇◇◇◇

 

朧気な視界……それだけではない、頭もぼんやりとしている。そのせいか私は、二年前から全く動かない足を普通に動かして歩いている事に何の疑問も持たなかった。

 

「ごめん遅れた!」

「もう……だから一緒に行こうって言ったのに」

 

 苦笑いで駆け寄ってくる、活発そうな知らない少女に向けて、自然に言葉が紡がれる。初対面の相手と気安く話すなんて、失礼だと思いつつも違和感が無い。なんだか不思議な気分だ。

 

「いやぁ、次から気をつけるって」

「次から気をつけるって、これで何度目よ? もう…」

 

 本当に反省しているのかどうか分からない、にへらと笑う彼女に溜め息を零す。でも彼女が毎度遅れてくる理由を知っている以上、非難なんてできるわけがない。

 

 ……理由を知っている? 知らないはずの彼女の?

 

「うん? 何やってんだ? 早く病院に行こうぜ?」

「ええ、そうね。今日は何の話をしようかしら」

 

 わくわくしながらこれからの事を考えると、いつの間にか私と彼女は病院のロビーを一緒に歩いていた。受け付けで面会の許可を貰い、行き慣れた通路を再び歩き出す。

 

「すんなり許可を貰えたわね。もう病院の人も私達が来るのが分かってるみたいだったわ」

「それは私が後から二人が来るって最初に言ってたからなんよ~」

「うおぉ!? お前いつの間に!」

 

 突然後ろから声が聞こえた。振り返るとそこにいたのは猫の枕を抱えた、上品な顔立ちでありながらも、ぽやーっとしている少女がいた。

 

「えへへ~、二人ともおはよ~。お~は~サンチョ~」

「おう! 相変わらずロックだな!」

「おはよう。本当、相変わらずなんだから」

 

 やっぱり知らない女の子……でもどうしてだろう、彼女達が側にいると、まるで勇者部のみんなと一緒にいる時のような、心から安心してしまう安らぎを感じてしまう。

 

 ……いや、足りない。この二人だけでは欠けている部分がまだ埋まっていない気がする。

 

「ってか、お前はどうしてここにいるんだ? 忘れ物か?」

「違うんよ~。みんなの分の飲み物でも買ってこようかと思ったんだ~」

「なんだ、だったらアタシも一緒に行って選んでやるよ」

「あっ、だったら私も…」

「さすがに三人はいらないって。先行って待っててくれよ」

「…そうね。それじゃあお言葉に甘えて…」

「んじゃ、また後でな」

「行ってきまーす!」

「ええ、いってらっしゃい」

 

 二人と別れると、辺りを静寂が包み込む。一緒にいて幸せに感じる二人はいなくなったが、私は先程までと変わらずにわくわくしながら目的の部屋へと向かう。

 

 ■■■■■も私と同じ気持ちで待っているのを知っているから。早く■■■■■に会いたいから。

 

 目的の部屋の扉を開けると、中にいたその人はいつものように優しく微笑みかけてくる。あの子は私の来訪に、心からの嬉しそうな笑顔を見せる。

 

 ───おはよう、須美ちゃん

 

 ───今日も来てくれてありがとう

 

 いつの日か、私の親友が言っていた……彼女は星のような人なんだと。笑顔と心の優しさを司る星……し…しぇ……せ? 駄目、英語は分からないし分かる気も起きない。

 だけど笑顔と心優しい星のような人と私もそう思っているのだろう。でなければ彼女達の姿を見てこんなに嬉しくなるわけないのだから。

 

 勇者部のみんなとは違う、大切な人達に囲まれた日常……。

 

 懐かしい、かつて一番幸せだった頃の……夢だ。

 

 

 

 

「………夢…?」

 

 目が覚めるとまだ日も昇っていなかった。当然みんなもまだ眠っている。風先輩が夏凜ちゃんに抱き付くように眠っているのを見て思わずクスリと笑みが零れる。普段は風先輩が夏凜ちゃんをからかう事が多いけど、こうやって見るとやっぱり二人とも仲良しなんだって実感するから。

 

 いつもより早く目が覚めてしまったけど、もう眠気も残っていない。二度寝する気も無く、みんなが起きるまで明け方の海を眺めることにした。

 

「さっきの夢……ふふっ」

 

 何故だか分からないけど物凄く胸が高鳴っている。夢を見てここまで幸せな気分に浸れるなんて初めてだ。あの夢で出てきた人達は誰だろう。もはや顔もぼんやりとしか思い出せないし、あと数時間もしないうちに完全に忘却されてしまうだろう。だけど今なお温もりが私を優しく包んでいるかのように感じる。彼女達は私の夢だけの存在なのか、もしかすると実在する人なのか……。

 

「………っ!?」

 

 そして気付く……私がいつも肌身離さず身に付けているリボン。夢に出てきた少女の後ろ姿……。

 

「このリボン……あの女の子が付けていたのと同じ…」

 

 私が記憶を失った時から持っていたリボン。とても大切なものだと思って一度も手放さなかった、だけど誰の物なのかわからないままだったリボンを…あの子が…。

 偶然か、夢の都合のいい解釈か、それとも……

 

 もしかしたら、失ってしまった記憶に関わる人達だったのか……

 私は……大切な人達との記憶を…失っている?

 

「あら? 東郷ももう起きていたのね」

「ほむらちゃん。おはよう」

「おはよう。良い景色ね、海が綺麗で」

 

 気が付くと私の下にほむらちゃんが近寄っていた。挨拶を交わすとほむらちゃんも、私の正面にある椅子に座って海を眺める。

 

「……どうしたの東郷?」

「えっ? 何が?」

「何やら浮かない顔してるわよ。悩みでもあるの?」

 

 ……相変わらずほむらちゃんは鋭い。こうも容易く私の心境を見抜くなんて。

 色々考えてしまう……私の過去の事だけじゃない、これからの事だって。

 

「……ねぇほむらちゃん、私にはね、友達がいたかもしれないの」

「……それって私達以外の人よね。 いたかもしれないって……ひょっとしてそれはあなたが事故で記憶を失う前にってこと?」

「うん……夢を見たの。知らない人だけど、とても幸せで懐かしかった。ただの夢とも考えたんだけど、もしかしたら私には本当にそんな人がいたのかもしれないって……」

 

 本当に私の友達がいるのだとしたら、その人は今どう感じているのだろう。友達に存在を忘れられているとなると、きっと悲しい事に違いない。もし私も友奈ちゃんやほむらちゃん、勇者部のみんなに存在を忘れられてしまったらと考えると、物凄く辛い事なんだと分かってしまう。

 本当に私がその人達を苦しめているとなると、申し訳ないという気持ちでいっぱいになりそうだ。

 

「だったら私が、東郷さんのお友達探しを手伝うよ!」

「っ! 友奈ちゃん!?」

「おはよう二人とも!」

「え、ええ、おはよう友奈……いつの間に…」

 

 ほむらちゃんの言う通り、友奈ちゃんいつからそこに? というか話の内容までちゃんと聞いていたみたいだ。

 

「二人の声が聞こえて目が覚めたんだ」

「そ、そうなの…ごめんなさい。起こしてしまったのね」

「ううん、気にしないで。それよりも、東郷さん悲しいんだね。友達の事を忘れてしまったんじゃないかって」

「…うん」

「……嫌だよね。大切な人を忘れるのも、忘れられちゃうのも」

 

 優しく語りかけてくる友奈ちゃん。私の心をこぼさないよう、温かく包み込んで受け入れてくれた彼女は心を痛めている。私と、見知らずの私の友達のことを想って……

 

「そのリボン、肌身離さずだね」

「……うん。私が事故で記憶を失った時に握り締めていた物なんだって。誰の物なのか分からないのに……とても……とても大切な物な気がして…。だからきっと……このリボンは…」

「そっか……やっぱり、その人は東郷さんにとって本当に大切な友達なのかもね」

「……ええ。記憶を失ってもそのリボンをそんなに大事にしてるなんて、並みの思い入れじゃないのでしょうね」

 

 二人の出した結論も私と同じく、私には大切な友達がいたというもの。ますます悲しみが大きくなりそうに感じるも、友奈ちゃんが手にブラシを持って私の後ろに回り込んで来る。そのまま私の髪を解かし始めると、みんなが大好きな元気いっぱいの口調で言い出した。

 

「だからね、一緒に東郷さんのお友達を探そう! 手掛かりもあまり無いかもだけど、きっと向こうも東郷さんに会いたいと思ってるに違いないよ!」

 

 友達思いの友奈ちゃんらしい、優しい意見が出される。でもそれは、手掛かりなんて実質無いようなもので、困難を極めるはず……なのに、ほむらちゃんもその意見に頷いていた。

 

「確かに難しそうだけど、勇者部六箇条、なせば大抵なんとかなる、なるべく諦めない、家族や友達を大切に……三つも当てはまる内容よ。私も手伝うわ。東郷とその友達を元通り幸せにしないとね」

「ほむらちゃん……友奈ちゃん……!」

「大好きな友達と離れ離れなんて辛いだけだよ。苦しいし寂しい、だけど一緒にいるならそんな事はない、幸せになれるんだよ。だから私は東郷さんとほむらちゃん、みんなとずっと一緒にいるんだ」

「私もよ。みんなと一緒にいるからいつも幸せなの。大切な存在が欠けたままなんて駄目……失ったのなら何が何でも取り戻して、本当の幸せを得るべきよ」

「……ありがとう、二人とも」

 

 かつて私は大切な友達との記憶を失ったのだろう。名前も顔も、どこにいるのかも何も分からない友達。私一人だけだったら二度と会えないと諦めて、記憶を失った罪悪感で悩み苦しむだけだったかもしれない。

 だけど彼女達と一緒なら、いつか本当に再会できる日が訪れるのかもしれない。

 

「えいっ! 東郷さんに、ぎゅーっ!」

「ふふっ、友奈ちゃんったら」

「ほむらちゃんもこっちにおいでよ」

「はいはい、友奈と東郷まとめてぎゅーっ!っと」

「あはは! 温かいね、東郷さん」

「うん。本当に…温かいね」

「せっかくだし、写真を撮りましょう。始まりの仲良し三人組で」

「それいいね!」

 

 朝焼けの綺麗な海を背景に写し出される写真。私達三人の溢れんばかりの笑顔が咲くその新しい宝物を、私達はずっと大切にするだろう。

 

 私の最高の友達。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 楽しかった夏合宿も終わり、家に帰りついた私達勇者部+エイミー。これからは文化祭の演劇に向けて活動していくのだろう。去年とは違って、今年は樹ちゃんと夏凜がいる。間違いなく私達なら最高の文化祭に盛り上げられると、そう思っていた。

 

風:大赦から連絡が入った。バーテックスに生き残りが判明。戦いは延長戦に突入するって…

 

 戦いはまだ……終わっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻

 

「申し訳ありません。貴女様方を現勇者様にお会いさせるわけにはまいりません」

「友達なんだよ? 会わせてくれてもいいんじゃないかな?」

「申し訳ありません」

「さっきからそればっか。もういいよ」

 

「……やっぱり駄目だったね」

「うん。最初から分かってたことだけど、あんな風にワンパターンの否定ばっかりされてちゃ、イライラするね」

「仕方ないよ。今や私達は半分神様みたいなものだから。どうしても崇められてしまうよ」

「……もうこっちから呼んじゃおっか」

「えっ? 呼んじゃうって……園子ちゃん、前にやって上手くいかなかったんじゃ…?」

「それは樹海化されていない時にやったからね~。今度のバーテックスが攻めて来た時にやればこっちに連れてこれるかもしれない。試してみる価値は十分だよ」

「……分かったよ。次のバーテックスの襲撃の時に賭けよう」

「……早く会いたいなぁ……わっしー…」

「そうだね。須美ちゃんは…大きくなったのかな…」

「わっしーの胸の大きさが最初に気になるなんて、先輩のエッチ~」

「ええっ!!? ちっ、違うよ身長だよ!!?」

「分かってるよ~。先輩はいつも初々しい反応をするから面白くて」

「も、もう園子ちゃん!」

 

 とある隔離された部屋にて、二人の少女が今後の方針を決めていた。そのやり取りは年相応のものでありながらも、他の者は誰も口出しすることは許されない……神の対話に等しいものだった。



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第三十話 「私がなんとかしなくては……!」

 風先輩から誰もが予期していなかったメールが届いた翌日、私達勇者は部室に集まっていた。昨日までの楽しかった日々から再び戦いの運命に引きずり込まれ、当然の事ながらみんなの表情は険しかった。

 

「昨日メールで伝えた通りよ……バーテックスに生き残りがいて、戦いは延長戦に突入した。もう一度私達が迎え撃つために、みんなの端末が返ってきたの」

 

 テーブルに置かれたアタッシュケースの中にある人数分の携帯は、かつて私達が勇者に変身する際に使われていた物。この使い慣れた携帯が、こんなにも重々しいと感じた事が今までにあっただろうか……。

 

「いつもいきなりでごめん……」

「風先輩が謝ることじゃありませんよ」

「仕方ないことじゃないですか。責任を感じる必要はないわ」

 

 まったく、風先輩が自分を責めるの、これで何度目よ…。戦いがうんざりしてる事に違いないけど、風先輩だって私達と同じなのだから誰も悪くないのよ。

 

「生き残りって言っても、私達はバーテックスの一斉攻撃を制したんだから、生き残りの一体や二体ぐらい余裕だっての」

『なせば大抵なんとかなる!!』

「その通りですよ風先輩! 風先輩は悪くないし、延長戦だってみんながいれば大丈夫なんですから!」

「そういうわけだから、今後は風先輩の「ごめん」は一切聞かないことにします。同意見の人は挙手を」

 

 全員が迷い無く手を上げるのを確認すると、ようやく風先輩の気まずそうな表情が解ける。

 

「……ありがとうみんな。……よーしバーテックス! いつでも来なさい! 勇者部六人がお相手だー!!」

「うんうん、それでこそ風先輩ですね!」

「一度制したと言っても油断は禁物よ。でもアタシ達ならきっと大丈夫!」

 

 風先輩の調子もこれでいつも通り。同時に勇者部もいつも通りの形になる。

 

 ……いや、違う、本当にいつも通りと言うのなら、それはみんなの後遺症が治ったその時だ。満開の後遺症が……次の戦いでは誰も満開を使わせてはいけない。これ以上悲惨な症状が出てしまえば…!

 

「それじゃあみんなに端末を返すわ。それと新しい精霊が付くようにもなって、戦力が強化されていたの」

「新しい精霊ですか?」

「そう。まずはアタシの新しい精霊……鎌鼬よ」

 

 風先輩が携帯を操作すると、初めて見る精霊が姿を現す。精霊は勇者に強力な力を与える存在だ。私が使える時間停止能力もエイミーが関与しているらしいし、東郷の三体だってそれぞれ別々の力が備わっているとのことだ。

 満開をしなくても戦力上昇するのは良いことだ。最悪の事態は避けられるかもしれない。

 

「私のは……わあっ!? 燃えてるよこの子!」

「四体目の精霊……この子にもしっかりと色々な事を学ばせないと」

『かわいい子が増えましたね』

 

 全員が携帯を受け取り確かめると、それぞれの精霊が姿を現す。友奈には赤い炎を纏った猫のような精霊、東郷には青い蛍の光のように発光する精霊、樹ちゃんには鏡に植物が生えているような精霊が。

 

「あれ? ちょっと、私の精霊義輝しかいないんだけど」

「えっ? それホントに?」

「何よ、私に精霊の追加は無し?」

「どうしたんだろう? ほむらちゃんは?」

 

 ……夏凜には精霊の追加が無い? それに……

 

「……精霊は……エイミーしかいないわ」

 

 ……私も…?

 

 

◇◇◇◇◇

 

 夏休みも終わり二学期が始まるも、生き残りのバーテックスは未だに現れない。そして満開の後遺症も、結局誰も改善の兆しは現れないままだった。

 

「全然来ないね、バーテックス」

「あの連中はいつも空気を読まないわね。早く倒されに来ればいいのに」

「気にしすぎるのも良くないわ、二人とも」

 

 気にしすぎている自覚はある。けれども後遺症に対する不安と、バーテックスがいつ攻めてくるのか分からないのが合わさって、おちおち日常生活を送れないのよ。

 勇者部の文化祭の出し物の準備だってある。せっかくメンバー六人揃い踏みの劇をベストコンディションで完遂させたいのに、生き残りがいる現実が癪に障る。

 

「東郷さんは落ち着いてるね? ズバリその秘訣とは」

「かつて国を守り戦った英霊達の活動記録よ。家で映像を観る?」

「で、できれば分かりやすくアニメになってるやつがいいな~」

「大丈夫、あるわ」

「あるんだ!?」

「それって教育テレビの子供向けのじゃないの?」

 

 確かに分かりやすいけど、進んで観る気は起きないのよね。というか観たところで私と友奈が落ち着けるとは思えないのだけど……。

 そう内心で苦笑いしていると、友奈の側にいきなり精霊が現れる。彼女の新しい精霊である“火車”だ。

 

「あわわ、火車…! 急に出てきたらダメだってば……この子も牛鬼みたいにいたずらっ子なんだよね」

「友奈ちゃんが優しいからわんぱくなのよ」

「苦労してるわね…」

 

 それにしても、どうして私と夏凜には精霊の追加が無かったのかしら。時間停止能力は強力……だけどこの前の戦いではそれしかなかったがために、自分一人では太刀打ちできない状況に陥ってしまった。延長戦でも新しく戦える力は欲しかったのに……

 だけど無い物ねだりは仕方がない、時間停止能力を使ってみんなをサポートする。それが私の最良の戦い方だ。

 

「こんにちはー。友奈、東郷、ほむら、入りまーす」

「ウィーッス!」

『ウィースです』

「すっかりそのキャラ定着しましたね」

「いや~こんなに眼帯が似合うとはね」

「樹ちゃんもすっかり口調が軽くなったわね」

『ついノリで…』

 

 姉妹そろってノリノリに挨拶する。左目と声帯の機能が治らないまま……この二人は私と友奈、東郷とは違って後遺症の影響は目に見えるからこそ、本当は辛いだろうに前向きに過ごしている二人の姿が私には痛々しく見える……が、ここでその二人が突然見えなくなる。ちょうど視界を遮るように現れた風先輩の精霊“鎌鼬”が原因だ。鎌鼬はどういうわけか、私の体を這いずるように動き回る。

 

「あーごめん、そいつ好奇心旺盛で……犬神と違ってあんま言うこと聞かなくてさ」

「風先輩も大変そうですね……こーら、あまり調子に乗っては駄目よ」

 

 いい加減くすぐったくなってきた。首根っこを捕まえ軽く注意してから風先輩に返却する。

 するとそこから皮切りに私達の携帯が淡く光ると、ぞろぞろと精霊が現れる。合計十二体のマスコットのような外見の精霊だが、これが部室中を好き勝手に飛び回る。しかも精霊のモチーフは妖怪なわけだから、ちょっとした百鬼夜行ね。

 

「整列! 全員気をつけ!」

「エイミー、こっちにおいで」

 

 見かねた東郷が自身の精霊に号令を掛けてその場に待機させ、私もエイミーを呼ぶと大人しく近くに戻ってくる。抱き抱えると嬉しそうに喉を鳴らすから、いつもの事ながらとても可愛らしいわ。

 

「おお……流石は東郷さんとほむらちゃん。しっかり言うことを聞いてる」

「ちょっと犬神、鎌鼬、あんた達も一旦止まれってーの……むぅ、アタシの精霊とは違ってなんて従順。あの子達きっと東郷の言うことを絶対聞くよう厳しく訓練されてるのよね……ほむらも年下の子と動物には優しいし…」

「「何か言いましたか?」」

「いえいえ何でもありません! ただの妬みによる虚言にごぜぇます!」

『そういうとこだよお姉ちゃん』

「ったく、精霊の管理くらいできて当然でしょうが」

 

 でも実際にちゃんと精霊を躾られているのは私と東郷と、あとは夏凜だけね。他の三人の精霊は好き勝手し放題、落ち着き無く遊んでいるだけだ。樹ちゃんの精霊は夏凜の頭の上で跳ねているし、友奈の精霊は夏凜の精霊をマミらせている。『諸行無常……』いつも通りね。気にするだけ無駄だったわ。

 

「キャーーー!!? なにすんのよーー!!?」

 

 最終的にこの百鬼夜行が落ち着いたのは日が傾き始めた頃だった。全員が落ち着きだすと、ふと夏凜に声を掛けられた。

 

「ねえほむら、今から一緒に特訓でもしておかない?」

「特訓? 藪から棒ね。どうして?」

「他の奴らは精霊の追加で戦力が上がったじゃない。でも何故か私達だけ精霊の追加は無し……その分を補おうってわけよ」

 

 特訓のお誘いだが、正直なところ、それで精霊の有無の差が埋められるのかしら? 一日だけでは時間が圧倒的に足りないのだと思うけど……。

 

「……言いたい事は分かるけど、敵がいつ攻めてくるのか分からない以上、あまり得策とは言えないわね」

「私の勘では来週辺りが危ないと見たわ」

「勘ってあなた……そもそも私まだ医者に激しい運動は控えるように言われてるんだけど…」

「そうね……でも何もしないままだったら体力は減る一方よ。なるべく足に負担の掛からないような特訓メニューを考えるから、私に任せなさい。それとカルシウムやビタミンKビタミンDを摂取できるサプリも持ってくるから」

 

 ……これは意地でも特訓に参加させる感じね。でもいざという時にみんなの足を引っ張る事は嫌だし、やるだけはやった方が良いのかしら…?

 

『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

「ええっ!?」

 

 突如部室中に同時に響き渡る六つのアラーム……樹海化警報…って、特訓する余裕も何もあったものじゃない!

 

「ちょっと、夏凜あんた勘外れてるじゃない!」

「バーテックスの考えてる事なんて分かるわけないでしょ」

「ハァ……来てしまったものは仕方ないわ」

 

 窓の外を覗くとやはりというべきか、あらゆるものがピタッと止まっている。そして四国を取り囲む壁の方から幻想的な光が溢れ出す。

 

「始まるね……延長戦…!」

「上等よ! 殲滅してやるわ!」

 

 光に包まれながらも聞こえた夏凜の勇敢な声に応えるよう私達も覚悟を決める。今度こそは誰も傷付けさせない。誰も不幸にしてはいけない…!

 

 

◇◇◇◇◇

 

 もう二度と無いと思っていた五度目の樹海化。まずはアプリのマップを開いて一番の重要事項とも言える敵の確認。バーテックスはこれまでに単体で来ることもあれば複数体で来たこともあった。延長戦の今回は……双子型、単体だ。

 

「敵は一体、あと数分で森を抜けます」

「よし、これで最後よ。みんな、いくわよ!」

 

 風先輩の掛け声と共に、全員同時に勇者へと変身する。勇者服が身を包み体が軽くなる。力が溢れ、異形の敵と戦う力を宿し、左腕にメインウェポンの盾が装備され……

 

「…っ! これは…!」

 

 頭の中を駆け巡る知識……かつて私が初めて勇者に変身し、時間停止能力を身に付けた時と全く同じ感覚。それが再び、今度は時間停止能力ではない別の力の使い方が私の一部となっていた。

 しかもこの力は……私が今一番望んでいた、私一人でも敵と戦える力だ…!

 

(……もしかしてこれが満開を行う度にパワーアップするというものなの?)

 

 アプリの説明にあった、満開を繰り返すことでより強力な勇者へとパワーアップするという記述の正体はこれか……。

 

「今回の敵で延長戦も終わり。またアレやろうか!」

 

 勇者に変身して前に出ていた風先輩が何やら呼びかける。この場でやる事なんて、この前と同じアレしかないだろう、風先輩と友奈の肩を組むと他のみんなも次々に肩を組んでいった。

 

「ホントに好きね、こういうの」

「風先輩が体育会系気質だからね」

「でもこれって確かにやる気が湧いてくるって思わない?」

「うん、それよーく分かるよ!」

「さあ! 敵さんきっちり昇天させてあげましょう! 勇者部ファイトォー!!」

「「「「オーーーッ!!!!」」」」

 

 

 

 森を抜け出したバーテックスが姿を現すのを樹海の太い蔦の上から待ち続ける。そういえば今回のバーテックスである双子型というのは、前回の戦いでも現れたバーテックスだ。どのバーテックスが何という名前かまでは、戦いが過酷だったせいで逐一確認できなかったから全て把握しきれていないが、見覚えがあるのは間違いないはず……

 

「バーテックス出てきました!」

「……は?」

 

 森を抜け出したバーテックスのその姿は小型の二足歩行で猛スピードで走るタイプ……その走り方とスピードが合わさって気色悪く、変態のように見えてしまう最低な……あの時私を散々踏みつけた憎きバーテックスが双子型ァ!!? よりによって唯一生き残ってたのがお前!!?

 

「あれってデカいバーテックスと合体してまとめて倒されたやつじゃなかった?」

「元々二体で一つのバーテックスかもしれません」

「双子ってこと?」

「くっ…! あんな忌々しいヤツが二体もいたなんて最悪よ!」

「ほむら落ち着け…」

 

 でもアイツはそこまで大したことのないヤツだ。時間停止中に一方的にバラバラにできるし、驚異的なのは速さだけでそれを封じ込められればどうにでもなる。

 

「いずれにせよやることは同じ! 止めるわよ!」

「っ…! 待って夏凜!」

「えっ?」

 

 そう、もうこの際ヤツはどうにでもなる……が、一番の問題は誰も満開をさせてはいけない。そうなればまた後遺症が出て、いつ治るのか分からない不安に押し潰されかねない……。最悪の場合、二度と元には戻れない可能性だって……。

 今そのリスクが一番高いのは夏凜……あの子だけ前回満開をしていない分、他の誰よりもゲージが溜まっている。勢いで満開を使われてしまったら私は彼女を守れなかったということになる……。

 

「な、何よほむら…! 早くしないと…」

「……私が速攻でヤツを叩く。みんなはいつでも封印できるよう準備をお願い。東郷は狙撃で援護を」

 

 私がなんとかしなくては……! 誰も苦しませないためにも!

 

「はぁ…? 攻撃手段の無いあんたがどうやって…」

「攻撃手段ならある」

 

 そう言うと私は盾を回して時間を止める。誰も私に触れていないため、この世界に私以外に動けるものは存在しない。

 地面を蹴って飛び、一人でバーテックスの所まで近付く。当然バーテックスの時間も止まっているため身動き一つ取れない。

 

「これをあげるわ。くたばりなさい、バーテックス」

 

 念じると私の手の中に筒状の物体が現れる。その先端にあるボタンを押し、動きの止まってるバーテックスにポイッと放り投げる。筒状の物体はバーテックスのすぐ側、空中でピタッと止まった。

 そしてもう一つ、再び同じ動作で投げてバーテックスの体にガンっとぶつかった。危うく弾ける寸前に時間が止まってくれたけど、下手したら今の私も危なかった気が……。三個目は反省を活かしてバーテックスの足元に置いておく。動き出したらその瞬間に踏みつけるだろう。

 

 準備は完了。急いでその場から安全な位置にまで戻り、時間停止を解除……すると…

 

 ドグオオォォン!!!!

 

 耳を(つんざ)くようなけたたましい爆音と、樹海を震わせる大きな衝撃が走る。前方のさっきまで私がいた場所は爆炎と煙に包まれており視認できない……が、少し離れた地点にボロ雑巾が一丁、体のほとんどが吹き飛んだバーテックスが倒れ伏している。

 

「……流石、魔女も倒せるパイプ爆弾ね…」

 

 新しく得た力、夏凜の刀のようにパイプ爆弾を無数に生成、爆破する強力な力だ。強力すぎて爆発に巻き込まれればかなり危険だが、この私がそのようなミスを犯すとでも?

 

 だがバーテックスは封印をしなくては倒せない。現にこいつは今再生を開始し、みるみるうちに体が元に戻り始めている。

 

 ドンッ!!

 

 そのチャンスを東郷が逃すわけがない。遠方からの狙撃で見事にバーテックスの頭部を粉々に吹き飛ばし、バーテックスは地面に崩れ落ちた。

 

「ほ、ほむら!! さっきの爆発はなによ!?」

「大丈夫!? 怪我してない!?」

「説明は後! 今は封印が先よ!」

「え、ええ! 封印の儀いくわよ!」

 

 先程伝えた通りに残りのみんなが集まってくる。あの爆発について気になっているみたいだけど今は余裕なんてものはない。バーテックスの身動きを完全に封じ込めた今、封印するには絶好の機会だ。風先輩と夏凜が武器を地面に突き立て、私と友奈、樹ちゃんで手をかざすと、バーテックスを中心に美しく光る模様が浮かび上がる。

 封印が開始された。あとはヤツから出てくる御霊を破壊すれば……

 

「なにこの数ーー!?」

「嘘でしょ!? いくらなんでも限度というものがあるわよ!!」

 

 出現した御霊は他のヤツと比べても圧倒的に小さい……が、そのとてつもない物量に誰もが驚愕した。絶え間なく滝のように溢れかえり、私達の足場が一瞬にして埋め尽くされる。しかも御霊の増加は止まることを知らず、状況を呑み込めた頃には辺り一面御霊だらけだった。

 こんな膨大な数じゃ、私の爆弾では対処しきれない…! 一部吹き飛ばすことはできても、それではみんなまで巻き込んでしまうリスクが高いからだ。

 それでいてこの局面を迅速に片付けなければいけない。樹海が御霊に埋め尽くされかけているのだ……このままでは現実に及ぶ被害が大きくなってしまう。どうにかしないと……でも……!

 

「アタシがやるわ!」

「風先輩! そんな事をしたらあなたが!」

「アタシは勇者部の部長なのよ!? 後輩だけに任せっぱなしにさせるわけにはいかないわ!」

 

 この量の御霊を破壊するのだ、溜まってしまう満開ゲージの量もそれはかなりのものだろう。下手をすれば一気に満タンになる可能性も……

 危険が大きすぎる……! 風先輩もそれが分かっているからこそ、自分がやると言った……それでいいのか、いや、いいわけがない!

 

「だったら私もやらせてもらうわよ」

「夏凜!」

「あんた達が何を心配しているのか知らないけど、私は完成型勇者よ! 不可能なんて無いってとこを見せてあげるわ!」

「っ、やめなさい夏凜! 部長命令よ!」

 

 マズい…! 夏凜が御霊を破壊してしまえば確実に彼女のゲージは全て溜まる!

 

「はああああああ!!」

「なっ!?」

 

 いきなり大きな掛け声が聞こえたかと思うと、そこには宙に飛び上がり、足に炎をまとった友奈の姿が。新しい力を得たのは私だけじゃない……友奈の精霊である火車の力が御霊に炸裂する。

 

「勇者……キーーーック!!!」

 

 炎が広範囲に燃え広がり、おびただしい数の御霊全てを焼き尽くす。消滅し、さっきまでの圧巻の光景はもうそこにはない。バーテックスの体も焼き尽くされ、崩壊し砂となって消え失せた。

 生き残りのバーテックスは、こうして勇者達に大敗した。

 

「やったねみんな! 新しい技でぶっつけ本番だったけどなんとかなったよ」

「友奈っ!」

「わわっ!?」

「友奈ちゃん!」

「東郷さんも!?」

 

 慌てて彼女の下へ駆け寄りその手を取る。東郷も同じく慌てながらやってきて友奈を心配する。いきなりの行動で彼女が驚いてしまうも、そんなことは気にも留めなかった。

 友奈の満開ゲージがあるのは右手の甲。不安を押し潰しながらその部分を確認する。

 

「………よかった…」

「…体は平気?」

「う、うん! 元気そのものだよ」

 

 友奈の満開ゲージは全体の五分の三は満たされていたが溜まってはいない。それでいて体の不調も無い……最悪の事態は回避されていた。

 

「……ほむらちゃん、東郷さん…」

「……あ、ごめんなさい、いきなり…」

「ううん、そうじゃなくて……どうしたの、二人とも……なんだか、その…変だよ…?」

「「っ…!」」

「……変なのは風もよ。あんなに鬼気迫って自分一人でやろうとするなんて…」

「それは…!」

 

 しまった…! 心配が露骨すぎたんだ…! 後遺症の存在を知っている私と東郷と風先輩、知らないままの友奈と夏凜と樹ちゃん……満開の事を意識するあまり、私達と彼女達の間には大きな温度差が生じていた。

 

「……風とほむら、それに東郷も……あんた達、何隠し事してるのよ」

 

 その時樹海に花弁が舞う。樹海化が解けて元の世界に戻るのだろう。

 戦いはこれで終わり……でも彼女達には気付かれてしまった。戻ったらきっと、覚悟を決めて話さなければならないのだろう。

 

 

◇◇◇◆◆

 

「えっ……?」

「どこ……ここ…?」

「他のみんなは…」

 

 樹海化が解除され、現実世界に戻った私達。だけど戻された場所はいつもの学校の屋上ではない、知らない場所だ。それにここにいるのも私と友奈と東郷。他の風先輩と夏凜と樹ちゃんの姿はどこにもない。

 

「二人とも、あれ…」

「あれは……大橋…」

「じゃあここって大橋市?」

 

 東郷の指差した先に見えるのは二年前の大事故で半壊した瀬戸大橋だ。なんで大橋市に戻されたのだろうか……讃州市と大橋市は結構距離が離れているのに。

 

 トン……トン……トン……

 

「……っ」

「足音…?」

 

 ゆったりとした足音。徐々に大きくなっくる足音の方に三人で注目する。

 物陰から姿を現したのは……

 

「ええっと……いきなりでごめんね、鷲……東郷美森さん、結城友奈さん、暁美ほむらさん。そこにいますか?」

「…………え…」

 

 ふらふらと不安定に歩く患者衣を着ている少女。その両目には包帯が巻き付けられていて、前は全く見えていないのだろう。

 でもそんな事が気にならなくなるくらい、今の私は内心激しく動揺していた。目元は全く見えないが、彼女の髪型には見覚えがある。それに声だって知っている……会ったことは無いが、幼い頃からハッキリと覚えている姿をしていた。

 

「は、はい。います……あの、あなたは……」

「……私は…」

 

 その桜色の髪に同じ長さに切り揃えられた前髪と編まれた長い後ろ髪。聞く人を心から安心させる、優しすぎる穏やかな声……

 

 

 

 

 

 

環いろは

 

 

 

 

 

「私は高嶋(たかしま)彩羽(いろは)っていいます。二年前にここ大橋で戦った勇者の一人です」

 

 ………高嶋??




 ジェミニは犠牲になったのだ。ほむほむの新武器の練習台…その犠牲にな。

【暁美ほむらの満開による精霊の追加】
 他の勇者とは異なり満開をしても精霊は増えない。しかし満開を行う度に一つ、精霊である猫又が新たな能力を解放、ほむらはその能力を発動できるようになる。

【パイプ爆弾】
 満開によって会得した新しい力。念じると出現し、先端のスイッチを押した数秒後に爆発する。また、パイプ爆弾が攻撃により破壊、大きな衝撃を受けた際にも爆発する。威力は強大で、数個の爆弾でバーテックスを封印まで追い込める。一度に出現できる爆弾の数は彼女が持てるだけ生成できる。時間停止能力とは異なり、使う度に満開ゲージが増えるものではないが、敵にダメージを与えた場合に他の勇者達と同様にゲージが増える。

【高嶋彩羽】
年齢:15才
誕生日:8月22日
肩書き:先代勇者
身長:156cm
出身:香川県
趣味:好きな人とのお話し
好きな食べ物:うどん
好きな人:妹、勇者の仲間達
外見、性格:環いろは


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第三十一話 「運命は残酷だ」

 『魔法少女まどか☆マギカ』の外伝作品である『マギアレコード』

 環いろははそのマギアレコードの主人公である。世界から存在その物が消えてしまった妹を探すために一人で強力な魔女とウワサと呼ばれる敵が跋扈する街、神浜市にやって来た魔法少女だ。

 性格は真面目でお人好し。だが社交性に難ありで、人との距離感を測れずに孤立し、一部の人間としか良好な関係を築けない。

 しかし彼女は物語の中で成長していく。妹の手掛かりを探す中で出会った友達や、家族と言えるほどの固い絆で結ばれた仲間達と共に。やがて環いろはは彼女達のリーダーとなり、絶望的な危機の中から見つけ出した妹を救出。そして暁美ほむらの因縁の相手である、最悪にして伝説の魔女『ワルプルギスの夜』を撃破するまでに至った。

 

 

 

 

 そんな環いろはと全く同じ外見の少女は、自らを高嶋(たかしま)彩羽(いろは)と名乗った。そして高嶋彩羽は、自分が二年前に戦っていた勇者であるとも……

 

「……た、高嶋…いろは…?」

「勇者……って……二年前に…?」

 

 動揺しないわけがない。外伝作品故に『マギレコード』は『まどか☆マギカ』と同じ世界観の物語。メインストーリーにもまどマギのキャラクターだって関わっている。それはこの私、暁美ほむらだって登場しているのだ。

 いわば彼女も私と同じくまどマギ世界のキャラだということ。私だけかと思ってた、この世界に生きるまどマギキャラが他にもいた事実。加えて彼女も勇者の御役目を担う身で……両目を覆う、痛々しい包帯の衝撃は言葉に言い表せないほど大きく、状況の理解が全く追いつかなかった。

 そんな環いろは……高嶋彩羽は困ったかのように薄く笑う。混乱させてしまって申し訳なく思っているのか、作中でよく見た苦笑いだった。

 

「そうです。一応あなた達の先輩……って事になるのかな」

「……その先輩がどうしてここに……いえ、どうして私達がここにいるのですか…?」

「っっ…!」

 

 ……? 彼女の雰囲気が少し…変わった…?

 

「……それは、私達がここにあなた達を呼び出したから…なの…!」

「呼び出した?」

「……いきなりの事で本当に悪かったと思ってる…思っていますっ…! でも…あなた達を呼び出せるチャンスがこのタイミングしかなくて……!」

 

 何かを必死に堪えるように、その結果肩が震え、涙声のようになっている。

 ……ますます分からない。彼女はいったい何なの…?

 

「せんぱ~い? ろっはーせんぱ~い?」

「っ、ゴメン! 今行くから!」

「今のは……」

 

 この場の誰の物でもない間延びした声が聞こえ、高嶋彩羽はハッと気を取り直す。そういえば先程彼女は、呼び出したのは()()と言っていた。つまり高嶋彩羽以外にも誰かがいる。それが今の声の主?

 

「皆さん、度々申し訳ありません。私に付いて来てくれませんか」

「………」

「お願いします」

 

 その場でゆっくりと後ろに回ると、彼女が来た時と同じ所を歩いて戻っていく。友奈と東郷と顔を見合わせ、困惑しながらも彼女の後ろを付いて行った。

 高嶋彩羽の歩く速さは一歩一歩慎重に、踏み締めるようにゆっくりだ。両目が本当に見えていないのだろう。それでどこにもぶつかったり躓いたりしないことも驚きだが、一点の疑問が心臓の鼓動を速くしていた。

 彼女のあの目はバーテックスとの戦いで失ってしまったのだろうか、それとも……

 

「あの、よければ肩を貸しましょうか…?」

「……ありがとう、優しいんだね……でも大丈夫です。もう慣れてしまって、気配とかで分かるから……今待たせている子には心眼だね~って言われているんです」

「……一つ、聞かせて」

「はい、何でしょうか?」

「あなたのその目は、バーテックスにやられたものではない……違うかしら?」

「っ!?」

「えっ……ほむらちゃん、それってどういう……」

 

 私の考えが間違いであってほしかった。同時にそれは東郷も行き着いた最悪の答えであり、外れる事を願っていた。歩みを止めた高嶋彩羽は、今度は私達を振り返る事無く、答え合わせを始める。

 

「……よく、分かりましたね。その通りです。この目はバーテックスとは別の……きっと今あなたが考えている通りのものが原因で失いました」

「そんな……」

 

 希望は完膚なきまでに砕かれた。東郷もそうなのだろう。彼女の表情は青ざめ、体も小刻みに震えていた。

 満開の後遺症……しかも彼女は二年前の勇者であり、きっと満開したのも後遺症が現れたのも二年前。

 

 後遺症は治っていない。二年経った今なお。

 

「ほむらちゃん!? 東郷さん!? ね、ねえ! どうしちゃったの二人とも!?」

「……友奈…ちゃん……私達…もう…!」

「……詳しい話は向こうで。身勝手な話ですが、早く皆さんをあの子に会わせたいんです」

 

 そう言った高嶋彩羽は再び歩きだす。私はショックで茫然としながら、彼女の後を付いて行くだけだった。

 そして見えたのは祠とこの場に相応しくないベッド。その上で横になる、左目と口元以外の全身に包帯を巻かれた、高嶋彩羽と同じ患者衣の少女の姿があった。

 

「…お待たせ。呼んできたよ、園子ちゃん」

「ありがとう、ごめんね~ろっはー先輩。そして……

 

 会いたかった~、わっしー……」

 

 園子と呼ばれた少女は東郷を見つめながらそう言った。わっしー…と、親しみと懐旧の込められた眼差しで。

 

「と、東郷さんの知り合いなの?」

「………いいえ、初対面だわ」

「園子ちゃん……」

「………あ~、はは…ごめん、ろっはー先輩。つい…」

「ううん、気持ちはよく…分かるから…」

「えっとね、わっしーっていうのはね、私達の大切なお友達の名前なんだ~。いつもその子の事を考えていてね……つい口にでちゃうんだよ~。ごめんね…」

 

 彼女達にわっしーという友達がいるというのは分かったけど、それじゃあどうして東郷をあんな目で見つめていたのか。それに思い返せば高嶋彩羽も東郷の質問に答えた時に嗚咽混じりの声になっていた。

 

 二年前……大切な友達……東郷………っ、まさかそんな事は……一応、心の中に留めておこう。

 

「自己紹介が遅れたね~。私は乃木園子って言うんだ~。高嶋彩羽先輩とは小さい頃からの幼馴染で、同じく二年前に戦った勇者なんよ~」

「わ、私は結城友奈です」

「……暁美ほむら」

「……あなた達が友奈ちゃんとほむらちゃん…」

「……東郷美森です」

 

「…………美森ちゃん…か…」

「…素敵な名前だね……」

 

 悲痛な心の声を隠しきれていない。やっぱり、彼女が東郷を見る目は私達とは違っている。あんな悲しそうな目を、私は今までに見たことがあっただろうか……

 

「改めまして、あなた達をここに呼んだのは私。ろっはー……彩羽先輩も一から十まで手伝ってくれて、歩けない私に代わって道案内もしてもらったんだ」

「あの…私達、樹海から戻ってきたと思ったらここにいたんですけど、どうやって呼んだんですか?」

「そこの祠、あなた達の学校の屋上にもあるでしょ? バーテックスとの戦いが終わった直後なら、それを使って呼べると思ってね~」

「そんな事ができるんですか!?」

「こう見えても勇者だからね。しかも私達、そこそこ強かったんだから」

 

 そんなそこそこ強かった勇者が、こうして失明だの全身包帯まみれで歩けないだの、私達が返す言葉なんて思い付かない。否、口にしたくないのだ。残酷すぎて…。

 

「……皆さんに先程の説明の続きをします。私のこの両目だけじゃない他の部分も、園子ちゃんのこの体も全て、バーテックスに負わされた負傷ではありません」

「そ、そうですよ…! バーテックスじゃないんだったらどうしてそんな酷い姿に…」

「……満開よ」

「正しくは…その後の後遺症……」

「……えっ? 満開ってほむらちゃん、東郷さん……どういうこと…?」

「……すごいね、二人はもう気付いたんだ。ってことは……三人とも満開したんだよね? わーって咲いて、わーって強くなるやつ」

「しました……夏凜ちゃん以外…私達五人…」

 

 運命は残酷だ……切に望んでいた希望はとうに失われ、残された絶望からは逃がしてもくれない。

 救いなんて何も無かった。私達が未来を目指して命を賭けた戦いは、最初から光の欠片もない暗闇に包み込まれていた。私達はあるはずのないその欠片を必死になって探していた、哀れな道化だった。

 

「それじゃあ結城友奈ちゃん、聞いてね。東郷美森ちゃんと暁美ほむらちゃんも、確認のために…ね」

「分かり…ました…」

「咲き誇った花はやがて散ってしまう……花一つ咲けば花一つ散る。花二つ咲けば二つ散る……それは満開も同じ。満開の後に“散華”という隠された機能が発動するんだよ」

「……花が散ると書いて……散華というわけね…」

「この場合の散華は()()()()()()()()()()()()

「!!?」

 

 突きつけられた真実に友奈は言葉を失った。既に察していた私と東郷も、ショックは大きく呼吸することさえ忘れていた。

 

「ま、待ってください! 確かに私は味覚を感じなくなって……東郷さんも左耳が聞こえなくなったって聞きました! でもほむらちゃんはどこも悪くなってなんか……ほむらちゃん!!?」

「えっ? ………あ…」

 

 驚愕した様子の友奈にいきなり右手を掴まれる。視線を右手に落とすと、私の手の平からは血がポタポタと流れ落ちていた。そして指先にも血が付着し、爪の間には破れ血濡れた皮が……いつの間にか悔しさのあまり、ずっと強い力で拳を握り締めていた。それで爪が手を刺していた事に今ようやく気付いた。

 慌てながら友奈はポケットからハンカチを取り出し傷口を止血する。その手は震えていて、友奈も重なる衝撃に戸惑い動揺していた。

 

「悪くならないはずないんだよ。知らないのはそれはあなたが彼女から教えてもらっていないだけ。ほむらちゃんが失ったのはその様子からして……うん、痛覚ってところかな?」

「……そうなの…ほむらちゃん…?」

「……ええ」

「そんな……どうして教えてくれなかったの!?」

「っ、あなたがそれを言うの!? 友奈だって東郷以外に教えていないじゃない!!」

「っ! ……ごめん…心配を掛けたくなかったんだよね…」

「……いえ、私の方こそ…責めるような言い方をしてごめんなさい…」

 

 私だって全然余裕がない。友奈に自分の後遺症の事を黙っていたのは事実だというのに、ああやって怒鳴って八つ当たりをしてしまった。あの子が今心を痛めているのを分かっていながら……最低だ…私…。

 

「満開は強力な力、神の力をふるえるようになる。でもそれには散華という代償を伴う。その代わり、勇者は決して死ぬことはなくなるんだけどね~」

「死ぬことはなくなるって……そ、そうだよ! もしあの戦いで満開がなかったらきっと、世界は終わって私達は死んでいた……。死んでしまう事と比べたらいい事なんじゃないのかな…」

「いいわけ無いよっ!!!」

 

 この場に木霊した一人の少女の絶叫。突然のその声に私達だけではなく親しい関係であるはずの乃木園子までもが驚き、四人の視線が同時に彼女、高嶋彩羽に集まる。

 

「確かに勇者が死ななくなったのはいい事かもしれない!! 満開の実装がもっと早かったら()()()()は死ななかったんだから!!」

「ろっはー先輩……」

「でもね、こんな体にされて、本当に生きていると言えるなんて思えないんだよ!! 何も見えない、好きな人の温もりも感じられなくて!! 勝手に祀られて、自由も奪われて、ずっと管理され続ける日々が……私達は生きてるんだよ…? 人間なんだよ…? なのにどうしてこんな事になってるの…? 私はただ……羽衣(うい)と園子ちゃん、須美ちゃんと銀ちゃん……みんなが幸せに生きて、立派に成長していくのを見ていたかっただけなのに…!」

「ろっはー……」

「それなのに…! また美森ちゃん達が満開で苦しむなんて! こんなのってないよ……あんまりだよ…!」

 

 彼女の両目の包帯が滲み出す。溜まりに溜まった悲しみは出会ったばかりの私達は受け止めきれず、ただ茫然としながら彼女が泣き崩れるの見ていることしかできなかった。

 

「……ろっはー先輩はね、とーーっても優しい私達のお姉ちゃんなんだ~」

 

 かける言葉が見つからない私達に、乃木園子が哀愁を漂わせながら呟いた。この中の誰よりも高嶋彩羽の事を理解している人なのだ。彼女の悲しみを誰よりも知っているのだろう。

 

「私とあと二人、勇者の子がいたんだけどね……みんな、ろっはー先輩の事が大好きだったんだ…」

「……それがさっき彼女が言っていた……幸せに生きてほしいって言ってた人達なの…?」

「うん。三ノ輪銀と鷲尾須美……そしてろっはー先輩の妹さん……その子は羽衣(うい)ちゃんっていうんだけどね、体が弱くてずっと入院しているんだけど、ろっはー先輩は毎日欠かさずお見舞いに行ってたの。どんなに忙しい時でもずっと羽衣ちゃんと一緒にいて、いつか必ず元気になれるって力強く励ましていて……ろっはー先輩は本当に立派なお姉ちゃんなんだよ……でも…」

 

 乃木園子はより凄惨な真相を紡ぎ出す。彼女が姉のような存在と語った人の身に降り注いだ悪夢の詳細を。

 

「二年間、ろっはー先輩は羽衣ちゃんに会えていないの。大赦の人間が満開した私達を神様みたいに奉ったせいでね……」

「家族にすら会わせてくれないの…!?」

「酷い話だよね……それにろっはー先輩と羽衣ちゃんのご両親は大赦でもトップクラスの立場で、娘の羽衣ちゃんのお見舞いにすら滅多に来れない人達で……今の羽衣ちゃんは狭い病室でひとりぼっち……それなのにだよ」

「そ、そんな……高嶋…さん…」

「みんなを守るために満開して戦い続けてこうなっちゃって……その結果が今の私達なんだよ」

 

 最愛の妹と離れ離れになり、自身も永遠の暗闇の中に閉じ込められた少女、それが高嶋彩羽だった。それは乃木園子だって同じ。彼女は満開して戦い続けたと言った。全身に包帯が必要になるほど、数えたくもないほど何度も……。

 

「満開の代償として体の一部を神樹様に供物として捧げていく。それが勇者システム」

「私達が……供物…?」

「大人達は神樹様の力を宿すことができないけど、選ばれた無垢な少女達にならできる。私達にしかできないこととはいえ……ね」

 

 体の震えが止まらない。友奈も、東郷も、彼女達の身に起こった最悪の事象のショックが大きく、何よりも一番辛いのが、私達勇者部にもその最悪が直面している事を理解したということだ。私達の大切な居場所が滅茶苦茶にされてしまうかもしれない恐怖に包まれている。その不安に押し潰されそうで……怖い。

 

「で、でも! もうバーテックスは全部倒したんです! 生き残りだってさっき! だから…!」

「……そうね。もう戦うことはない……これ以上悪い事にはならないのよ…」

「……倒したのはすごいです……私達の時は追い返すので精一杯だったから」

「ろっはー先輩……大丈夫…?」

「……うん、ごめんなさい皆さん。取り乱してしまって、情けない姿を見せてしまって」

 

 座り込んでいた高嶋彩羽が俯きながら謝るが、情けないなんて思うわけがない。ずっと悲しみを背負って生きてきた少女を誰が笑えるというの。

 

「失った部分はずっとこのままなんですか…? みんなは治らないんですか…?」

「……治りたいよね。私も治りたいよ……歩いて友達を抱きしめに行きたいよ……ねぇ、ろっはー先輩…」

「そうだね……羽衣に大丈夫だよって言って抱きしめて安心させてあげたい……中学生になった須美ちゃんの姿を見たいよ…」

 

 力無く答える二人はその望みが叶わない事を受け入れてしまっている。諦めている。ただのありふれた日々すら二度と手の届かない場所にあるのだと……

 

 これが勇者の成れの果て……必死になって世界を守り抜いた結果がこれだというの…?

 

 周囲から足音が聞こえる。それも複数人のもの……無言のままぬっと現れたのは仮面を付けた神官の装束を纏った人間。

 その仮面の特徴な紋章で気付く。この人達は大赦の人間だ。神官達は一言も言葉を発する事なく私達を取り囲む。不気味な光景だが嫌な予感もする。

 乃木園子は私達を呼び出したと言ったがおそらくは無断でだろう。私達が二人の存在と満開の真実を知ってしまった以上、彼らが私達に口封じとして危害を加える可能性も存在する。

 スマホを取り出し、いつでも勇者に変身できると威圧するには十分な状況だ。

 

「彼女達を傷付けたら許さないよ」

「下がってください。この方達は私、高嶋彩羽と乃木園子の大切なお客人です。無礼は許しません」

 

 今までのものとは思えない冷徹な言葉が発せられる。どこかのほほんと間延びしていた乃木園子の言葉、穏やかで優しい高嶋彩羽の言葉……それが嘘のように思えてしまうほどの圧が掛かった声に、神官達は私達から距離を取って跪いた。

 

「あれだけ言ったのに会わせてくれないんだもん。自力で呼んじゃったよ~」

「私達は彼らに崇められているんです。満開で神樹様にいくつもの体の機能を供物として捧げられていますから……この目だけじゃくて、実は両腕やら臓器やら……暁美さんと同じで痛覚だって…」

 

 ……なるほどね。大赦は神樹様を崇める組織……あの二人はまさにその神樹様の写し身というわけでもあるのね。……全然釣り合ってなんかないじゃない。神様として崇める事よりも、一人の少女として見てあげなさいよ…。

 

「悲しませてごめんね。大赦の人達曰く、このシステムを隠すのは彼らの思いやりでもあるんだよ。でも私達は……」

「ちゃんと言ってほしかった……分かってたら…怖いって分かっていても……それでもあの子達ともたくさん遊んで、たくさんお喋りできて……幸せだったはずだから……」

「だから……伝えておきたくて…!」

「ぅぅ……ぅぁああ…!」

 

 ぽろぽろと涙をこぼし、嗚咽混じりになりながらも必死になって伝えられた二人の心……

 彼女達は自分で涙を拭う事すらできない。勇者として戦い、神様のように崇められている存在が、どうしてそんな簡単な動作さえできなくなっているのよ。

 それが満開なのだ。勇者の切り札が聞いて呆れる。希望なんてどこにもないじゃない……

 

「っ…」

 

 東郷の目からも一筋の涙が落ちる。車椅子の車輪を動かして……彼女が何をしようとしているのか察した。

 私には何もできない。たった一つを除いて。

 

 不完全だけど今ここであなたとの約束を果たすわ。東郷、いいえ……

 確証があるわけではない。自分なりに持ち合わせの情報から推理して出した答えだし、根拠が不十分な所もあるって自覚はある。でも偶然にしては妙に納得する情報も多い。

 

「ほむらちゃん…?」

 

 私はずっと手に持っていたスマホを操作する。体を一瞬光が包み込み、光は白紫の花弁となって散っていく。勇者に変身した私は、乃木園子から少し離れた所で泣き崩れている高嶋彩羽の下へと歩いた。そして勇者の力を以て彼女を横向きに抱きかかえる。いわゆるお姫様だっこだがこの際なんでもいい。

 

「ひゃぁっ!? えっ…えっ!?」

「動かないで。暴れられると落としてしまわない保証はないから」

「……ありがとう、ほむらちゃん」

「あの…! どうなってるのこれ!?」

 

 高嶋彩羽を乃木園子のベッドの上に運ぶが、いきなりお姫様だっこしてしまったことで混乱させてしまったみたいだ。まあ、さっき出会ったばかりの人にお姫様だっこされれば無理もないか。

 

 そして東郷はそんな高嶋彩羽と乃木園子、車椅子から身を乗り出すと二人まとめて抱き付いた。その目からは二人と同じ様に涙がぽろぽろこぼれ落ちている。記憶はなくても、彼女の心が覚えている。東郷は彼女達の大切な仲間だったのだから……

 

「ごめんなさい、私……思い出せなくて……!」

「えへへ……仕方ないよ~」

「……嬉しいなぁ。思い出せていないのに泣いてくれているんだよね。私達のために……」

「そのリボン似合ってるね」

「……このリボンはとても大切なもの……それだけは覚えている…けど…!」

「……自分を責めないで。今の私達には十分すぎるもん。とても……あったかいよ」

 

 涙は流れているままだが、彼女達二人の表情に笑みが戻っていた。二年ぶりの再会……東郷の記憶が欠けていて完璧な形とまではいかないが、再び巡り会えたのだ。あの二人だってずっと再会を望んでいた。少しでも報われてほしかった。

 

「方法は……このシステムを変える方法はないんですか!?」

「……もしあるのならば、今ここに彼女達も私達もいないわ」

「……そろそろ遅くなっちゃうね。彼女達を町に返してあげて。それと暁美さんの手の治療もお願いするね」

 

 友奈の叫びも否定しまうことしかできない。今は彼女達の心を少しだけ救うことしかできなかった。そして話ももう終わり……

 

「待って暁美さん!」

「ろっはー先輩?」

「さっきはありがとう。おかげで願いが一つ叶ったから……本当はもっと話したい事もあるんだけど、また会えるかな?」

「……ほむらでいいわ。私もまだ、話したい事があるから」

「……ほむらちゃん……負けないでね」

 

 先代勇者、高嶋彩羽と乃木園子……二人の少女に見送られ、私達三人は大赦の神官に促されるようその場を後にした。

 

 帰りの車の中、私達は何も話さない。現実が重すぎて、不安で……

 

「勇者部六箇条、なるべく諦めない…!」

「友奈ちゃん…」

「友奈…」

「必ずなんとかする方法を見つけて見せるから」

 

 私も諦めてなるものか……勇者部のみんなをこのまま終わらせてなるものか…!




 余談
 園子は元々彩羽の事は『ろっはー』というニックネームで呼んでいたが、彩羽が中学生に上がる際に『先輩』と付けるようになった。


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第三十二話 「散華の被害者」

 真実を知り、私達は学校の屋上に風先輩を呼び出した。私達の姿を見るや否や、樹海化が解除された後いなくなっていた事を聞かれる。

 元々風先輩に話す内容だ。私達はあの戦いの後に何があったのか全てを話した。誤魔化さず、ありのまま起こった事全てを。私達の身に起こった散華という現象も。

 

「アタシ達の体は……もう元には戻らない…?」

 

 風先輩がか細い声で尋ねる。私と友奈、東郷はその問いに彼女が納得できる答えを教えられない。希望なんてどこにも見つからないのだから。

 

「高嶋彩羽と乃木園子の言葉が嘘ならば……だけど彼女達は決して嘘を吐いていませんでした」

「事実、あの二人の体も……」

 

 両目と、自己申告によると両腕に内臓と痛覚を失っていると語った高嶋彩羽。

 左目と口以外を包帯で巻かれ、ベッドから全く動けていなかった乃木園子。

 

 彼女達が心から流した後悔と絶望の涙を見せられて、彼女達が嘘を吐いていると現実逃避をするのは間違いだ。紛れもない真実……私達の身にふりかかっている絶望なのだ。

 

「……その話、樹と夏凜には?」

「いいえ…まずは風先輩に相談しようと思って」

「……じゃあ樹と夏凛にはこの事はまだ言わないで。確かな事が分かるまで変に心配させたくないから…」

 

 ちょうど雨が降り始め、この話は必然的に終わりを迎える。この日は一日通して勉強をする気が起きない。窓の外を見ても、そこに見えるのはまさに私達の今の心境を表しているかのような天気で嫌気がさす。戦いは終わったというのに、まさかその後にこんな最悪な結末が待ち受けていたなんて思いもしなかった。

 私が失ったのは痛覚だ。普通の人間とは違う、痛みを感じない体は便利と思えなくもないが気味が悪い。幸い日常生活に支障をきたすものではないが……。

 でも私以外のみんなは違う。風先輩は左目、樹ちゃんは声帯、友奈は味覚だ。失ってしまったものが致命的すぎる。視界も、声も、味も、永遠に欠けてしまった。

 東郷は左耳……だけだと思っていた。きっとそれだけではないはず……彼女が満開で失ってしまったものは。

 

「ほむら」

 

 ふと名前を呼ばれ、自然に目がそちらを見る。そこにいたのは夏凜で、怒っているような目でこちらを睨みつけていた。

 

「……何?」

「いいから面貸しなさい」

「………」

 

 無言で席を立った瞬間、夏凜に腕を掴まれる。そのまま彼女に引き摺られるように教室の外に連れ出され、早歩きのまま人気の少ない空き教室の前に連行される。夏凜は苛立ちを隠す気がないのか勢いよく扉を開け、バンッ!!っと荒々しい音が廊下に響く。

 

「ちょっと夏り」

「ふんっ!」

「きゃっ!?」

 

 そしてまさかの足で空き教室の中に叩き込んだ。

 

「い、いきなり何するのよ…人を足で突き飛ばすなんて酷いじゃない…」

「……この前風から聞いたけど、あんた痛覚無くなってるんだってね。正直半信半疑だったけど、思い切り蹴ったのに痛がってないってことは本当のようね」

「っ……!」

「なんで私に黙ってた」

 

 そういえば樹海化が解除される直前、夏凜は私達の危機迫る様子を訝しんでいた。私達が高嶋彩羽と乃木園子から話を聞いていた時に、夏凜もまた風先輩から黙っていた後遺症の存在を聞き出したのだろう。

 夏凜は怒っているのだ。仲間であるのにそんな重要な事を隠されていた事に。

 

「……ごめんなさい、みんなに心配を掛けたくなかったの」

「でしょうね。ほむらも友奈も東郷も、みんなお人好しの大馬鹿ばっかだからそんな事だろうとは思ってた……余計なお世話よ!」

 

 夏凜は感情を込めながら言い放つ。まるで七月のバーテックスの総攻撃の最後、自分以外が倒れ仲間達に必死になって起きろと声を掛けていた時と同じ様な……そんな悲しみが込められていた。

 

「なんで誰も教えてくれなかったのよ……。あんた達が悩んでいる間、私はそれに気付けなくて……とんだ大間抜けじゃないの…!」

「……ごめんなさい」

「あんた達は私の仲間で……友達なのよ…。勝手に悩みを抱え込まないで、私達に打ち明けなさいよ!」

 

 夏凜の言葉が胸に突き刺さる。自分の事だからと、心配を掛けるからと思って黙っていた私はなんておこがましかったのか。

 悩んだら相談、勇者部の鉄の掟だというのに……何が悲しませたくなかった…よ。ずっと大事な事を隠して、そのくせ自分を正当化していただけじゃない。夏凜が後遺症の事を知った時、間違いなく私達とは違った不安が押し寄せていたはずだ。

 友奈だってそうだ。散華という絶望を聞かされて私も痛覚を失っていたと知った時、あの子の顔は真っ青だった。自分の後遺症の事を黙っていたのは友奈も同じ……でも私は友奈が味覚を失っていた事は知っていて、あの時の友奈の気持ちを味わった訳ではない。だがそれがどれほどまでに辛いものなのか、考えてみれば当然で…想像以上に苦しいものだった。

 

「……本当にごめんなさい。勇者部の部員として恥ずべき行いだったわ…」

「……誓いなさい。もう二度とこんな真似はするんじゃないわよ…!」

「ええ…」

「樹にも謝っておきなさい。あの子もショックを受けていたから」

「分かってる。後で土下座してくるわ」

「いや、そこまでしろとは言ってない……逆に樹が困るでしょうが」

 

 でも私がやったことを考えると土下座でも生温いと思うのだけど。三人に対してやってしまった事を自覚してしまうと罪悪感が半端ないし……。

 

「それで実際どうなの?」

「やっぱり土下座はするわ。誠心誠意を持って樹ちゃんに謝罪する」

「土下座から離れろっての……そうじゃなくて、後遺症が治る目処は立ってるのかって聞いてるのよ」

 

 その質問に私の体は硬直する。

 後遺症が治る目処? そうだ、夏凜は知らないんだ。私達も先代の勇者達もこの散華によって今もこれからも苦しめられている事に。

 

 ……どうする……どうすればいい……?

 風先輩は樹ちゃんと夏凜にはまだ言わないでと言った。確かな事が分かるまでは、二人に心配してほしくないと……。

 でもそれは逃げだ。確かな事が分かるまでは?受け入れたくないけど、真相は疾うに明らかになっているのよ。私だってまだ諦めたわけじゃない。けれど、よほどの奇跡が起こらない限り望みすらない。

 本当に奇跡が起こって失った体を取り戻す前に、樹ちゃんと夏凜は不可能に近い回復をどれほど切望して苦しむというの? あれは風先輩が散華を受け入れたくないから……希望に縋って出した逃げの言葉にすぎない。

 

 ……それに、私ももう夏凜達を裏切りたくない。

 

 だから……ごめんなさい、風先輩……。

 

 

 

 

 数分後、讃州中学校の空き教室の一つから一人の少女の怒声が響く。その声と共に怒りをぶつけられた机が蹴り倒され、少女、三好夏凜の顔は青ざめ、体は震えていた。

 

「勇者が……供物ですって…!?」

「そして何度も満開を繰り返した先代勇者は現在大赦の人間に奉られている。家族や友達とも会うことはできない……」

「聞いてないわよ、そんな話…!!」

「少なくとも私達は見たわ。二年前に満開して、今なお体を散華で失ったままの二人の勇者を」

 

 分かっていたことだが、大赦が派遣した勇者である夏凜も散華の事については隠されていた。だが夏凜といい先代勇者の二人といい、これはもしかすると、大赦は私達勇者を都合のいい道具としてしか見ていない? 苦しむのはいつだって私達だ。

 乃木園子は散華の事を隠すのは思いやりと言っていたが私にはそう思えない。ただ支配しているだけだ。言ってしまえば戦いを恐れて使い物にならなくなると、だから言わない。私達は大赦にとって貴重な存在ではあるが、同時に消耗品でもあり、それを長く使おうと模索していただけだ。

 

「……それじゃあ、みんなの体はもう…元には戻らないの…?」

 

 夏凜にとってはどれだけ酷な話か……大赦に裏切られ、自身がその人生を賭して成り上がれた勇者の末路がこんなものだったのだから。それに自分以外の勇者が散華している……これも夏凜が苦しむ要因だ。

 

 冗談じゃない。

 

「勇者部六箇条、なるべく諦めない……友奈がそう言ったわ」

「友奈が…?」

「私だってまだ諦めていない。必ず元に戻る方法を見つけ出してみせる」

 

 私が…私達が消耗品ですって? 認めない。認めてなるものか…! 勇者部の絆をそんな言葉で切り捨てるなんて絶対に許さない!

 

「……そうね…確かにショックだったけど、あんた達が諦めないなら私も折れてる暇は無いわ。私にできることがあれば何でも言って。いつでも力になるわよ」

「…ありがとう、夏凜。いつも心から頼りにしてるわ」

「それはお互い様……必ず見つけるわよ」

 

 散華の事を知ってから初めて笑えた気がする。今までで一番最悪な状況だが、一緒に立ち向かってくれる友達がいるだけでこうも心強いとは……。

 しかも夏凜なら私が知りたい事も把握しているかもしれない。

 

「早速だけど聞きたい事があるわ。夏凜が知っている、先代勇者の事について教えてほしいの」

「先代勇者? それはどうして?」

「結局の所、詳細を知っているのは彼女達だからよ」

 

 今更大赦が詳細を説明してくれるとは思えない。とことん情報は隠されるはずだ。でも高嶋彩羽と乃木園子は私達と同じ、被害者だ。

 まずはもっと詳しい話を知ることから始まる。先日分かれる際にも高嶋彩羽はもっと話したい事があると友好的だった。きっと大赦の人間よりも信頼できる存在、それが先代勇者のあの二人。

 ただ私は二人が今どこにいるのか知らない。でも大赦から派遣された勇者である夏凜なら、何かを聞いているかもしれなかった。

 

「……ごめんほむら、私も先代の勇者について知っている事はほとんど無いわ」

「知っている事だけでも構わない。今はとにかく情報がほしいの」

 

 私が知っているのは彼女達の名前と、二年前に大橋市で戦い満開した事……少なすぎだ。

 

「まずは……先代の勇者は四人いたわ。名前は高嶋彩羽、乃木園子、鷲尾須美、三ノ輪銀……会った事は無いけど年は私達と同じだったはず。あ、でも高嶋彩羽は一つ上だったような……」

「乃木園子は高嶋彩羽の事を先輩って言ってたし、その通りだと思うわ」

「でも勇者の内の一人、三ノ輪銀は途中で御役目を退いたらしくて、大赦はその三ノ輪銀の後継者を探し始めた。それで選ばれたのが私よ」

「えっ? 夏凜が…?」

「そ。各地から勇者候補生を集めて彼女の残した勇者システムの後継者を競ってたのよ」

 

 それじゃあ夏凜が使っているのは三ノ輪銀の勇者システムだったのね。でも確か高嶋彩羽はあの時『満開の実装がもっと早かったら銀ちゃんは死ななかった』と言っていた。三ノ輪銀は既に命を落としていて、この世にいない……か。

 

「他には………名前から分かるだろうけど、高嶋彩羽と乃木園子はそれぞれ高嶋家と乃木家の娘よ」

「? それが何か関係あるの?」

「大アリよ。高嶋家と乃木家は大赦の礎を築いた御三家……スリートップの内の二つにして、神世紀の始まりに存在した、初代勇者の末裔なんだから」

「初代勇者…?」

「もっとも初代勇者についての記録は大赦が徹底的に管理しているから、私もその詳細は全く知らないけどね。初めて訓練施設に来たその日に大赦の人間から説明されただけだから」

 

 ……初代勇者については気になるけど、夏凜も知らないなら仕方がない。それよりも二人が大赦のスリートップ、名家の人間だという情報が分かったのは大きな手掛かりだ。大赦のスリートップだというのなら出身は大赦本庁がある大橋市だと思われる。

 

「私が知ってるのはこれくらい……鷲尾須美については不明で、今どこで何をしているのかも分からない」

「………」

 

 整理すると、やはり話を聞けるであろう先代勇者は高嶋彩羽か乃木園子しかいない。そしてその二人が今いるのは大橋市の大赦が関係しているどこか……これは彼女達が大赦の人達に崇めている事から間違いないはず。

 

 ……けど、あの子もきっと大橋市にいるのよね…? どうしても彼女とも会って話がしたいが……

 

「……ねえ夏凜、高嶋彩羽の妹の入院先の病院は知ってる?」

「妹? いや、さすがに知らないわよ。あくまで先代勇者として聞かされていただけだから」

「……そうよね」

「なんで先代勇者の妹を気にしてるのよ? 別に関係ないじゃない」

「そうとも言えないわ。その子だって散華の被害者だもの」

 

 高嶋羽衣……勇者ではないが、話を聞く限り彼女も散華の被害者とも言える存在。大切な人と離れ離れにされてしまった子だ。

 『いろは』の妹で名前は『うい』……絶対にあの子だ。個人的にも放ってはおけないし、何よりも悲しんでいるであろう彼女を少しでも救いたい。

 

「……あんたらしい理由ね」

「お姉さんが今もずっと大切に想っている……その事を伝えるだけでも希望にはなると思うの」

「でもどうやって伝えるつもり? その子が病院に入院している事しか知らないんでしょ」

 

 夏凜の言う通りだ。高嶋彩羽達は大橋市にいて、妹のお見舞いに頻繁に行ってた事からこれも大橋市の病院だというのは分かる。でもどこの病院なのかは分からない。ずっと入院しているのなら設備の整った大型の病院かもしれないが、プライバシーに関わる事だからそこにいるのか教えてもらえないかもしれない。そもそも部外者に面会を許してくれるとは思えない。

 

「………どうしましょう夏凜…」

「どうしましょうって言われても……」

 

 いきなり手詰まり……勇者なんて大層な肩書きを持っていても、所詮はただの中学生。常識という壁の前にできない事は数多くある。大赦はその権力でさんざんやりたい放題でしょうに、私にもその伝手があれば……でも大赦に知り合いなんていないし………あ!

 

「夏凜! 頼みがあるわ!」

「何か思いついたようね。いいわ、ドンと来なさい!」

「私にあなたのお兄さんを紹介して!」

「了解!! ……ん? …………はああああああああぁぁっっ!!!?

「ちょっ、うるさっ…!」

 

 学校全体に響き渡り、震えるほどの絶叫が木霊した。これは先生が飛んできて説教される流れじゃないの…?

 

「ななななななあああんたいきなり何言い出すのよ!!? どうしてそこで兄貴が出てくるわけ!!?」

「そ、そんなに驚くこと…? 夏凜のお兄さんって確かエリートで、若いながらも大赦の中で高い地位にまで上り詰めた凄い人なんでしょ? そんな人に話を通してもらって、高嶋彩羽の妹と会うことはできないかと思ったのだけど…」

「くぅぅっ…! よりによってアイツに頭下げて頼んなくちゃならないなんて嘘でしょ…!」

 

 ……兄妹仲があまり良くないというのは前に話を聞いて察していたけどそこまで酷いの…? 悪い人だと思いたくはないけど、なんだかこっちまで不安になりそうなんだけど……。

 

「でもあの兄貴が私なんかの話を聞くわけないわよ!」

「その辺の事は私には分からないけど、今頼れるのは夏凜と夏凜のお兄さんしかいないの。友達として…お願い夏凜」

「ううぅ……! がああーーもぉぉーーー!!! 聞いてやるわよ!! 言っとくけど期待はするんじゃないわよ!!」

「なんだかその……ごめんなさいね…」

 

 でも夏凜のこの様子……期待するのは本当に無駄みたいね。どうしたものやら……。

 

 

◇◇◇◆◆

 

 放課後、呆けて口が開きっぱなしの私の目の前には大赦の仮面を付けた、一人の男性が立っていた。

 

「初めまして。お迎えに参りました、三好春信と申します」

「は、はい、初めまして……暁美ほむらです…」

「事情は妹より把握しております。高嶋羽衣様が入院されている病院へとご案内致します」

 

 どういう事よ夏凜!!? どうしてお願いしたその日の放課後の内に校門前にリムジンが停められてるのよ!!? 話が違うじゃない!!

 

 手厚くリムジンの中へと乗せられ、目的地に向かっている間もずっと混乱中だ。運転中の夏凜のお兄さん……春信さんもミラー越しで気になったのか声を掛けてきた。というかこの人よく仮面を付けたまま運転できるわね……。

 

「暁美様? いかがなされましたか?」

「あ、いえ……まさかこんなにも早く聞き入れてもらえるとは思っていませんでしたから…」

「私共は大赦の者として、勇者様のご要望を聞き入れるのは当然の事にございます。ましてや貴女様方は私の妹のお仲間にして友人……それに報いるのも兄としての務めでございます」

「…は、はぁ…」

「妹が私に頼み事をするのは初めてでございました。私があの子に良く思われていないのは存じておりますが、ご友人である貴女様の助けとなるために私に連絡を入れたのです。妹の成長を誇りに思います……暁美様、この場をお借りして、三好夏凜の兄として御礼申し上げます。夏凜のご友人となっていただきまして、誠にありがとうございます」

 

 ………どういう事よ夏凜!!? この人妹思いのとても良い人じゃない!!

 

 ……何はともあれ結果オーライだ。夏凜と春信さんのおかげで光が見えた。これで高嶋彩羽の妹と接触できる……待った、さっき春信さんは勇者の要望は聞くと言ったわよね…?

 

「……春信さん、できれば後日、高嶋彩羽と乃木園子に会わせてもらえませんか?」

「承りました。高嶋様と乃木様にご確認の後、面会可能な日にお迎えに参ります」

「っ…! ありがとうございます!」

 

 解決した!? 策が全く見つからなかったのにこうもあっさりと!? どういう事よ夏凜!!? この人聞いてた以上に話が分かる人だし有能じゃない!!

 

「つきましては暁美様にお願いしたく存じたい事が…」

「はい、何でしょうか?」

「妹の……夏凜が日頃楽しく過ごせていたのか、あの子の写真を頂きたいのですが、お持ちでしたら是非私にも……」

「え……まぁ、ありますけど…」

「本当ですか!? どのような物が!?」

「えっと……部活動の中で子猫と戯れている物とか、うどんを食べている物とか……あとは先月海に行った時の物ですけど…」

「そんな素晴らしい物ばかり……!! 何卒お願いします!!」

 

 ……シスコンじゃない…。

 

 

 

「着きました。こちらになります」

「ありがとうございます、春信さん」

 

 大橋市の大型病院に到着し、私は春信さんの後ろをついて中に入る。やはり大赦の持つ力故か、面会の許可は簡単に下りる。

 エレベーターで上の階に上がり、一直線で目的の病室の前へ……ネームプレートには『高嶋羽衣』と書かれている。

 

 この中にいるのは最愛の姉と引き離された少女。きっと今もずっと孤独の悲しみに押し潰されているであろう、幼い散華の被害者だ。

 

 春信さんは中に入らないようだ。そもそも会いたいと言い出したのは私だし、邪魔にならないようにと配慮したのだろう。

 扉をノックするも、声は返ってこない。だがここまで来たのだ、返事が無いなら勝手に入る。病室の中に当の人物は……いた。

 

「………誰?」

 

 姉と同じ桜色の髪。まだ小学生であろう小さな体には点滴が施されていて……その目は生気が全く宿っていなかった。

 環うい……高嶋羽衣は懸念していた通り、生きながらにして心が死にかけていた。

 

「初めまして。私は…」

「帰って」

 

 いきなり投げつけられた拒絶の言葉に足が止まる。

 

「お姉さん、また大赦の人が連れてきたんだよね? 誰だか知らないけど帰って」

「……そうする訳にはいかないわ。私は…」

「帰ってよ!」

 

 今度は鬼のような形相で猫の枕を投げつけられる。彼女がこの二年間、どんな思いで生きていたのかが分かる……大赦の都合で先代勇者達とは違った地獄を味わっていた。目の当たりにするとこうも苦しみが伝わってくるなんて……。

 

「わたしが会いたいのはお姉ちゃん達なんだよ! それ以外の人には会いたくないって何度も言ってるよね!? がっ…! ごほっ…げほっ…!! ハァ…ハァ……!」

 

 気が高ぶって体に無理がかかってしまったのだろう。苦しそうに咳き込み、両目から大粒の涙が落ちる。急いで彼女の側に駆け込み背中をさする。やがて少しは良くなったのか、咳き込みは治まったが今度は嗚咽をこぼす。

 

「お願いだから……みんなに会わせてよぉ……お姉ちゃん…園子ちゃん…須美さん…銀さん……ぅぁあああ…!」

「……羽衣ちゃん…」

 

 もうこの子は限界じゃないか。それなのに望みを叶えてくれない、姉達に会わせるだけの簡単な事すらやらない大赦に改めて怒りがこみ上げてくる。

 ……それに私自身も嫌になる。この子が高嶋彩羽達に会いたがっているのは最初から分かりきっていた事ではないか。なんで彼女もここに連れてこなかった…!

 

 過ぎた事を悔やんでも仕方がない。今はこの子を落ち着かせる事が重要だ。話を聞いてもらうためにも、スマホを取り出し写真を表示する。

 

「羽衣ちゃん、これを見て?」

「………え…? これ……須美…さん…?」

 

 私が見せた写真は先月みんなと海に行った時に撮った物。私と友奈、そして東郷の三人の笑顔が写った写真。

 

 そして今確信できた。やはり東郷は……

 

「ど……どうして須美さんがお姉さんと一緒にいるの!? あなたは誰なの!?」

「私は暁美ほむら。鷲尾須美の友達よ」

 

 東郷美森は先代勇者の一人、鷲尾須美だ。



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第三十三話 「この世界に本当に希望は残っているの…?」

 UA100000達成しました! この作品を見てくださる方、応援してくださる方、誠にありがとうございます!
 投稿ペースが完全に週1ペースになってしまっていますが、できる限り早いペースで投稿できるよう努力します!


 東郷美森が私にとってどのような人物なのかと聞かれれば、胸を張って掛け替えのない友人だと主張する。

 

 出会ってから一年と半年。実際に過ごした時間はその程度だが、かれこれ数年以上のつき合いがあると錯覚しそうになるほど充実した時間だった。もっともそれは勇者部のみんなに当てはまる事だが。

 

 東郷は一番最初に出会った頃は少しおどおどしていた。その原因は両足が不自由だから、それと彼女が記憶喪失であったことだ。私と友奈はそんな彼女の不安を綺麗さっぱり無くそうとして、毎日一緒に行動していた。

 やがて東郷は事故に遭って大切なものを失ってしまった悲しみを克服するに至り、私達は互いの存在がなくてはならない、生涯の友になれていた。

 

 

 

 だからこそ……だろうか。私達が今まで東郷の過去を気にしなかったのは。一度も話題に出さなかった、普通ならあったはずの友達の小学生時代の話。本人も記憶喪失で語れない以上、辛い事故の記憶を思い返させるだけだと悟って自然に避けていた。

 

 

 そして今、知られざる東郷美森の過去の一部を掘り起こしている。それも決して交わることがないと思っていた出来事から……いや、そもそも交わってしまったのがあり得ない。

 

 東郷美森が二年前の勇者、鷲尾須美だなんて、誰が考え付くというの……

 

「……須美さんの……友達……?」

「……ええ。須美は私の最高の友達よ」

「……どこっ!? 須美さんはいまどこに…!」

「落ち着いて、羽衣ちゃん。大丈夫、ちゃんと話すから」

 

 身を乗り出して縋るように見つめられる。この反応…大赦は東郷の行方すらこの子に伏せていたのね。少しばかりとはいえ、大赦が教えることでこの子の心を癒せる話は多々あっただろうに……どこまで隠し事を徹底すれば気が済むのよ、大赦って組織は…!

 

「私達は讃州市にいるの。須美は去年の春にこっちに引っ越してきたのよ」

「讃州市…?」

 

 語るのは東郷と出会ったその日から今までの私達の日常。東郷が出会った素晴らしい人達の事を織り交ぜて、私達は勇者部という居場所で幸せな日々を過ごしていた事。

 ざっくりにだが簡潔に話すと、羽衣ちゃんの瞳は先程までとは違って光が宿っているように見えた。

 

「……よかっ…た……よかったよぉ…」

 

 その両目からは大粒の涙がぽたぽたとこぼれ落ち、嗚咽を抑えることなく震える声で呟いた。

 

「須美さん、大赦の人も何も教えてくれなかったから……もしかしたら銀さんみたいにって…! わたし、怖くて…心臓が張り裂けそうで…!」

「……うん、もう大丈夫。昔辛い事があったみたいだけど、今あの子は元気に前を向いて生きているわ」

「須美さんは…生きてる…! 幸せに…生きてるんだね…! う…ぅぅ…!」

「……よかったわね…羽衣ちゃん…」

 

 大切な人が生きているのか死んでいるのかも分からないまま、二年間孤独の中を生きていた少女は初めて歓喜で泣いた。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになり、それらは拭っても拭っても溢れかえる。

 私はそんな羽衣ちゃんを優しく抱き締め、溜まりに溜まってしまった不安を吐き出させるようにその頭を撫でる。

 

「……ごめんね。今日初めて出会ったばかりの人に抱きしめられるのは嫌だろうけど、放っておけなくて…」

「グスッ……嫌じゃないよ……ありがとう……ありがとう…! うゎぁぁ…あぁぁ…!」

 

 本当はぽっと出の私なんかじゃなくて、彼女達の内の誰かがやるべき事なんだろう。それを羽衣ちゃんだって切に願っているだろうに、私を受け入れてくれて……

 

 誓おう。私は羽衣ちゃんの味方だ……この子の姉や大切な人が戻ってくるまでの間、何があろうとも私が羽衣ちゃんの心を守り通してみせる。

 

 

◇◇◇◆◆

 

「……あの…えっと、ほむら…さん…?」

「うん、何かしら?」

「その……ごめんなさい、ほむらさんの制服が…」

 

 泣いてすっかり赤くなってしまった目を抜いながら、申し訳なさそうに謝られる。一瞬何について謝られたのか理解できなかったが、言われた通り制服に目を落とすと、涙やらでぐしゃぐしゃに濡れてしまっていた制服が目に入る。

 このくらいどうってことない。目の前で涙をこぼす少女を支えられたのだから、制服が濡れるなんて些細な事だ。

 

「ううん、気にしないで。困った人を助けるのが私達の仕事だから」

「……ありがとう。さっきは……ごめんなさい、帰れって怒鳴ってしまって……」

「それも気にしないで。あなたの気持ちは痛いぐらい分かってるつもりだから……だからこそ、私の方こそごめんなさい」

 

 私の謝罪の言葉に首を傾げ、不思議そうに見つめられる。この場に彼女を連れてきていたら、羽衣ちゃんはもっと救われていたに違いないのだ。

 

「この場に須美も連れてくるべきだった。確証を得たのがついさっきだったとはいえ、予想はしていたのだから」

「確証?」

 

 さっき羽衣ちゃんに教えた、東郷の今現在の話では、彼女が記憶喪失だということは伏せていた。あの段階で話せるわけがなかった。

 

「あの……須美さんはわたしの事を何か言っていたの?」

「………」

「お姉ちゃんと園子ちゃんが会えない事は聞いてるよ。でも須美さんは違うのに……須美さんはどうして一度も会いに来てくれないの…?」

「それは……」

「……須美さん、わたしの事…嫌いになっちゃったの…?」

 

 でもそれをいつまでも隠し続けていいものなのか……話すべきなのか、自信がない。話してしまえば羽衣ちゃんは間違いなくショックを受けるはずだ。それに羽衣ちゃんにだって知る権利はある……

 

「あの子の友達だからこそ、そんなわけないと断言できるわ。好きであなたを一人にするような薄情な人間じゃない事は、羽衣ちゃんだってよく分かるでしょう?」

「……うん。須美さんはとても真面目で優しくて、大好きなお姉ちゃんだもん。それじゃあどうして…?」

「……聞けば間違いなく羽衣ちゃんは悲しむと思う」

「悲しむって……須美さんに何があったの…?」

「本当に辛い事よ? それでも聞くの?」

 

 狡い言い方だ。羽衣ちゃんはきっと、姉譲りの優しい性格のはずだ。大切な人の不穏な知らせに反応しないわけがないのに、決定権をこの子に委ねようとしている。

 

「……うん、教えて…!」

「……話す前にお願い。決して絶望しないで、希望を掴むことを諦めないこと……約束して」

「……約束する…お願いします…!」

 

 ……その言葉を信じてる。だから、運命なんかに負けないで……。

 

「……鷲尾須美は今、東郷美森という名前で生きているの。彼女は二年前の事故……いいえ、御役目によって両足が動かなくなり、記憶喪失になった」

「……記憶…喪失…!!?」

「須美という名前、私は今日まで口にしたことがなかった。東郷美森は羽衣ちゃん達と一緒にいた時の記憶を失っていたの」

「そ…んな……」

 

 顔面蒼白になり、汗が吹き出て呼吸が乱れている。やはりこの子には重すぎた真実だった……でも!

 

「羽衣ちゃんっ!!」

「っ!」

 

 羽衣ちゃんの両手をとって握りしめる。再び涙を流しそうな両目を見つめながら、この子が絶望に呑まれてしまわないよう……今の私が為すべきことを…。

 

「お願いだから、負けないで…! こんなところで諦めないで…!」

「ほむらさん…?」

「ごめんね、苦しいよね? 悲しいよね? それでも…希望を捨てちゃ駄目なの。今は苦しくても、いずれ笑顔で笑い合える時が来る。最後まで笑顔でいられる時がやってくるの…!」

 

 辛いのは今の私だって同じ。みんなが散華で苦しんで、大好きな勇者部が大きな悲しみに包まれている。それは私達の守りたかった居場所を……絆を、粉々にしてしまいそうで、とても怖い。でも、本当に諦めてしまえばそれまでだけど、信じ続けなければ絶対に希望なんか見つかりはしない。

 

「私はそれを信じたいの…! いつの日かあの子の記憶も戻って、体も治って……みんなが幸せになれるんだって…!」

「みんなが幸せに……」

「……聞いて。私と須美、それともう一人の友達は先日羽衣ちゃんのお姉さん達に会ったの」

「っ!? お姉ちゃんと園子ちゃんに…?」

「ええ。彩羽さんと園子さん……羽衣ちゃんの事も二人から聞いたの。二人共、羽衣ちゃんの事をずっと大切に想っているって話を聞いてて分かったわ。二人共、羽衣ちゃんにずっと会いたがっていた」

「お姉ちゃん…! 園子ちゃん…!」

「それだけじゃないの。須美は確かに記憶を失っている……でも、全部は忘れていなかった。須美はね、名前も思い出せない友達が持っていたリボンをずっと大切にしていた。心に刻まれていた想いまでは失っていなかったのよ」

 

 先月の温泉旅館で聞いた、あのリボンはかつての友達が持っていたのであろうという話。東郷が全てを失っていなかったという証拠にして、彼女達の友情の証。

 

「彩羽さんも、園子さんも、きっとまだ希望を捨てていなかったからこそ私達に話をしてくれた。須美も、辛い事がたくさんあっても、友達と立ち上がろうとしている。だから一緒に信じよう? 立ち止まらないで、奇跡が起こることを願いましょう?」

 

 一人じゃない、みんなの力が合わさればどんな壁だって乗り越えられる……私は勇者部でその事を心で理解した。だからこそ、羽衣ちゃんの支えになるのを厭わない。彼女だって幸せにならなくちゃいけないんだ…!

 

 それに、そう願ってくれるのはきっと私だけじゃない。あの子たちだってこの事を知れば迷いなく首を縦に振ってくれるだろう。味方になってくれるに決まってる。

 

「そうだわ、電話だったら…! 羽衣ちゃん!」

 

 この場にはいなくても、声や想いなら届けられる。思いついた私は即座に携帯を取り出して実行に取り掛かる。

 

「東郷と……須美と話さない?」

「えっ……でも、須美さんはわたしたちの事……」

「大丈夫。記憶は失われていても、あの子は羽衣ちゃんの思いを蔑ろにするような子なんかじゃないわ」

 

 不安な気持ちはあって当然だろう。かつてが親しければ親しいほど、胸に渦巻く痛みはより強く締め付けてしまうだろう……でも、私にはわかっている。東郷は……私の掛け替えのない友達はそんな心の痛みを和らげてくれる。

 

「……忘れられるのは苦しいでしょうけど、あの子はちゃんと羽衣ちゃんの気持ちを受け止めてくれるはずよ。だから怖がる必要なんて全くないわ」

 

 痛みを消してくれる。

 

「いっぱい…いっぱい、伝えたいことがあるでしょう?」

「…………うん…!」

 

 不安げな表情の中に、僅かな光が灯った。この子の勇気になればいい……そう思って携帯をタップし、東郷に電話をかけた。

 

 

 

『♪♩♬♪ ♪♬♩♪』

『♪♬♪♩ ♩♪♬♪』

『♪♩♬♪ ♪♬♩♪』

『♪♬♪♩ ♩♪♬♪』

「……………………」

「…………ほむらさん?」

「…………早く……出なさいよ……」

 

 呼び出し音から一向に出る気配がない。待てども待てども東郷は出てない………。

 ……東郷が電話に出ない……そんなこと、今まで一度もなかった。真面目で律儀な性格の彼女はいつだって数コール以内に必ず出てくれたのに……。

 

『♪♬♪ツッ』

「繋がっ!」

『お掛けになった電話は現在電波の届かない場所におられるか、電源が入っていないため……』

「…………なんで……」

 

 聞こえたのは無慈悲な機械音声。私が求めていた温もりとはかけ離れている無機質なもの……。

 納得なんて、できるわけがなかった……。

 

「なんでよりによってこんな時に……! 羽衣ちゃんの不安を取り除いてあげたかったのに、今すぐにでも声を聞かせてやって欲しいのに……!」

「…………」

「東郷は今何をしているのよ……!?」

 

 思わず拳を握りしめてしまう。歯痒くて、苛立って、やりきれなくて……。けれど、私以上にショックを受けているはずの少女がいるのだ。だから……落ち着かなきゃ……深呼吸をして、どうにか冷静さを取り戻す。

 それでも……今は、羽衣ちゃんの期待には応えられない……今は東郷にはどうしてもこの事を伝えられない。何もできない……。

 

「……羽衣ちゃん……その……」

「うぅん……仕方ないよ……。須美さんにも用事があったのかも…。いきなりだったんだし、連絡がつかないなんてこともあるよね?」

 

 気丈に振る舞って見せる羽衣ちゃん……健気に笑おうとするその姿に胸が痛くなる。本当は会いたいに決まっているのに、今は我慢して受け入れようとしているだけだって……。

 

「それに……今日はもういっぱい元気をもらえたから! ほむらさんが会いに来てくれて本当に幸せな気持ちになれたんだから……昔みたいに!」

「羽衣ちゃん……」

 

 私の言葉は、想いは、羽衣ちゃんに届いていただろうか。

 

「………本当はね……もう何もかも諦めていたの」

「……もう大丈夫、これからは羽衣ちゃん一人じゃないの」

「……うん……でもね」

 

 羽衣ちゃんの言葉は

 

「この前、看護士さん達の話が聞こえちゃって……

 

 

 わたし、体が悪くなる一方なんだって……今の医療技術では治る見込みは一つもないだろうって」

「………え……?」

 

 自分の命が失われていくのを受け入れているものだった。

 

「……自分でもよく分かるの。今は落ち着いてるけど、ついこの前だって、本当に死んじゃうかもって思うくらい苦しかった」

 

 背筋が凍る。彼女の言葉を理解したくないのに、普段通りの聡明な思考回路が容易く教えてくれる。

 

「怖くて、痛くて、息苦しくて、気持ち悪くて、眠ってしまったらもう二度と起きられなくなるんじゃないかって……」

 

 私はどうして楽観視していたの? そもそもまだ小学生であるはずのこの子が、最低でも二年以上入院しているなんて余程の大病じゃないか…!

 

「多分だけど……今年の内にはもう……ううん、きっとあと二ヶ月も耐えられない…」

「二ヶ月って……たった…!?」

「自分の体の事だよ。分かっちゃうんだ。……それで……もう二度とお姉ちゃん達に会えないんだったら、いっそのこと……銀さんには会えるかもしれない……って、ほむらさんが今日来るまでずっと考えていた」

 

 私達勇者が散華で失ったものは一部の体の機能……でもこの子は…!

 現段階ではまだ失ってはいない……でも、そのカウントダウンは無慈悲にも動いていた。医者も匙を投げた……カウントダウンは止まらない。そしてそのカウントダウンが尽きてしまった場合……

 

「……わたし、もう少しだけ頑張ってみる。お姉ちゃん達に直接会うまでは死ねないもんね…」

「………っ!!」

 

 ああ……何がこの子の心を救いたい…よ。もっと生きる事が無理だと受け入れてしまっているこの子は、短い人生の最後の望み見つけてしまったじゃないか。そんな形で救われるなんて、周りの人達はきっと救われない……いくら八方塞がりとはいえ、あんまりじゃないか…!

 

「そんな事を言わないで…! 生きることそのものを諦めないでよ…!」

「……無理だよ。お医者さんですら諦めたんだもん……わたしにできるのは少しでも頑張って、お姉ちゃん達に会うまで生きている事しかないんだよ」

「でも…っ!!」

「本当にありがとう、ほむらさん。こんなにわたしの事を励ましてくれて、まるでお姉ちゃん達が戻ってきてくれたみたいで嬉しかった。もっと早くほむらさんと知り合いたかったなぁ…」

「っ! なんで……なんでよ……!!」

「……生きられるなら生きたいよ。病気が治るなら治りたいよ。だけど仕方がないことなの。……だから……ごめんね」

 

 視界が滲む。涙をこぼすのなんていつぶりだろう。

 どうして私達が…この子が…こんなにも悲惨な運命を背負わされているのよ…! 何も悪いことなんかしてないじゃない…!

 未来を幸せに、平穏に生きる権利は誰にでもあるはずよ。それなのにこんな小さな女の子が諦めなければいけないなんて。

 ……許せない…憎い…! 罪のない、心優しい人間に対してもこのような残虐な運命を強いた存在が……それは神と呼ばれているであろう存在が…!!

 

「ほむらさん、お願いしてもいいかな?」

「……なに?」

「わたし、いろんなお話を聞くのが大好きなの。昔は園子ちゃんから物語を聞いたり、須美さんから日本の昔の事とか教えてもらったんだ」

 

 なのにこの子は屈託無い笑顔を見せる。死期が迫っているというのに、何故彼女は受け入れられたというのか……そんなの決まりきっている。彼女を取り巻く状況が、彼女の大切な人達を奪い去った過去が羽衣ちゃんの心を深く傷つけた。生きる希望すらも奪われて……私のせいで見つけてしまった歪な願いさえ叶えられれば本望なのだろう。

 

「ほむらさんは勇者部って所で活動してるんだよね? どんな部活なんだろうって、そこでのお話を聞いてみたくて……」

「……ええ。勇者部っていうのはね……」

 

 羽衣ちゃんは勇者部の話を興味深そうに聞いていた。一通り話すと「わたしも入りたいなぁ」と呟かれ、部長に特例で部員として登録してもらうよう頼んでみようかと尋ねればとても喜ばれ……その目からは叶わない望みに対する悲しみの涙が光っていた。

 

 

 

 あれから結局、羽衣ちゃんの説得はできないまま面会時間は終わりを迎えた。……分かっている。悔しいし認めたくないけど、医学で解決できないと断言されているのだ。それも余命僅か……魔法でもない限り、羽衣ちゃんの最後の望みが叶うよう信じるしかできることがない。

 

『生きられるなら生きたいよ。病気が治るなら治りたいよ』

『わたしも入りたいなぁ』

 

 でも羽衣ちゃんは間違いなくもっと生きていたいはずなのに、妥協して命を諦めていた。私はどうしてもそれが納得いかない。……なのに、解決策は無い……。

 

 なんだか分からなくなってきた……この世界に本当に希望は残っているの…?

 

 

◇◇◇◆◆

 

 その日の夜、電話が掛かってきた……夕方には繋がらなかった、東郷から。

 

『もしもし、ほむらちゃん?』

「……東郷……」

 

 心の中はどんよりとした雲に覆われているような重い気分。東郷の声を聞いて、少しは晴れるかと思ったのに、そんなことはなかった。

むしろ逆だ。どうしてあの時電話に出てくれなかったの? 何かあったの? そう問いただしたくて堪らない衝動が込み上げてくる。

 

『ごめんなさい、電話出られなくて……それで、どんな要件だったの?』

「……今はもう、済んだ話だから……」

『そう? その、ごめんね……どうしてもやらないといけないことがあって……』

 

 でも、それは私の都合でしかない。別に東郷は悪くなくて、ただ運が悪かっただけ……。

 そう、済んだ話……ここには羽衣ちゃんがいないから目的は何も果たせない……。

 

 ……いや、まだ機会は……

 

「東郷、明日は大丈夫?」

『明日?』

「あなたに……」

 

 ……会わせる事が本当に正解なのだろうか……。最後の望みを叶えさせることが本当に救いになるのだろうか……。

 わからない……わからない……。でも……。

 

『……ほむらちゃん、ごめん。明日も今日の続きをしなくちゃいけないの』

「えっ?」

『それから多分明後日も、その次も……だから、付き合えそうにないわ……』

 

 こちらの要件を伝える前に、東郷はそう言った。その言葉に一瞬思考が追いつかなくなったけど。

 ただ、その言葉に迷いはなかった。彼女には何やらやるべきことがある……。それもこの私から内容を聞く前に断りを入れるような、何に措いても優先すべき事象のようだ。

 

「東郷あなた、一体何をやっていたの? それも携帯の電源を落としてまで……何をしようとしているの?」

『それは……今は、言えない……』

「こっちはとても大事な用があって電話したのよ!? 無視された理由が言えないなんて、納得できない!」

『言えないものは言えないの』

「東郷!」

『まだ確証を得たわけじゃないから! 中途半端なことを言ってほむらちゃんを困らせたくないの!!』

 

 電話越しでも分かるくらい強い口調で東郷は言い放った。声色からは確かな決意が感じられて、東郷にも事情があるのだと突き付けられる。

 

『電話に出れなかったのは本当に悪かったって思ってる……でもこれは、みんなのためにどうしてもやり通さないといけないことなの』

 

 その言葉で私は理解した。深くは分からない……それでも東郷は、私達のためを思ってなにやら行動しているのだと……。

 間違いなくそれは、今の私達が直面している問題を打破するため……。私が手を付ける前に羽衣ちゃんの心の傷を癒そうと試みていた間、東郷は先立って行動を起こしているのだと。

 

 それも既に、なにやら重要な糸口を掴もうとしているところにいる。完全に納得できたわけではないけど……受け入れなければいけないことだった。

 

「……わかったわ。ただ、あなたが大丈夫になったらすぐに教えて頂戴」

『ええ。私も確証が持てたらすぐに話すから』

 

 そう言って電話は切られた。今は羽衣ちゃんに会うよりも大事な事がある……どんな事かは知らないけど、きっと信じても良いはずだ……。

 

 

 

 

 

 

 数日後、私と友奈、風先輩は東郷の家に呼び出されていた。このメンバーが集まるということは、きっと先日の話題だろう。何か新しい情報が見つかったのか……。

 

「三人に見てもらいたいものがあって」

「見てもらいたいもの?」

 

 そう言って東郷が手にしたのは……短刀? 見せたいものってそれのこと…?

 東郷は短刀を抜き、キラリと輝いて見える刀身が露わになる。そして次の瞬間……

 

「なっ…!!?」

「東郷さん!?」

 

 その刃を自分の首に躊躇無く押し付けようとした。

 幸いにも精霊がその間に出現してバリアで東郷を守ってくれた。でも…もし精霊が現れなかったら東郷は……!!

 

「な……何やってんのよあんた!!! もし精霊が止めなかったら今頃…!!」

「止めますよ……精霊は、確実に…」

「東郷さん…?」

 

 ……ねえ、東郷……あなたは何を言おうとしているの…? なんで自分の命を危険に晒すような真似を…?

 

「私はこの数日で十回以上自害を試みました」

 

 ……今何て言った…? 自害を試みたですって…? なんでそんな馬鹿な……っ!

 

「割腹」「首吊り」「飛び降り」「一酸化炭素中毒」「溺死」「服毒」

 

「全て精霊に止められました」

 

 まさかあなた……そこまで精神が追い詰められていたの……? ……友達なのに…私は東郷が苦しんでいる事に気付けなかったというの……?

 

「……何が言いたいの…?」

 

 風先輩が東郷の行動の意図を問うと、彼女はすんなりと口を開く。

 

「今、私は勇者システムを起動させていませんでした。にも関わらず、精霊は私の身を守ったんです」

「だから、何が言いたいのよ…!」

「精霊は私達の意思とは関係なく動いているんです」

 

 ………まさか……東郷がしようとしていたものは自殺じゃなくて……真実かどうか、確かめるための実験…?

 

「私は最初、精霊は勇者の戦う意思に従っているんだと思っていました。ですがよくよく考えればそれは違うってすぐに分かりました。何故ならほむらちゃんのエイミーは自由すぎた……エイミーはほむらちゃんにかなり懐いてはいたけど、そこに勇者の意思は関係なかったんです」

 

 東郷が何やら説明しているけど、私にはそれらがどうでもよかった。それよりも東郷の行動を理解できなくて……理解したくなくて……

 

「精霊は勇者の御役目を助けるものではなく、勇者を御役目に縛り付けるもの。死なせずに戦わせ続けるための装置だったんです」

 

 だってそうでしょ……散華による後遺症が治らないなんて、あの二人が涙ながらに教えてくれたことじゃない。もし東郷がその気でこんな事をしていたのだとしたらそれは……あの二人を信じていなかったことになる…。

 他でもない、記憶が無いとはいえ東郷が……それは彼女達への冒涜じゃない……!

 

「で…でも、私達を守ってくれたって事に変わりないし、それは悪いことじゃないんじゃ…」

「そうね…それだけなら悪いものじゃないかもしれない。でも精霊が勇者の死を必ず阻止するなら……高嶋彩羽と乃木園子が言ってたことは真実だったことになる」

「勇者は決して死ねない……」

「……っ!? ……本当に…あなたは……!」

「ほ、ほむらちゃん…?」

「彼女達の言ってたことが真実なら、私達の後遺症も治らないことに」

 

 違ってほしかった、東郷に限ってそんな事はしないだろうと思い込んでいた。でも東郷は間違いなく言った……『真実だったことになる』と。

 

 東郷はこんなふざけた実験で確信するまで、あの二人の言葉を信じていなかった……! それだけじゃない! 信じていないのに実験の内容がこれなんて…東郷は…!

 

 

 

 羽衣ちゃんの想いを、願いを、蔑ろにしてまで……!!!!

 

 

 

 東郷さんが明らかにしてしまった、高嶋彩羽さんと乃木園子さんが言っていた事が事実だったこと。精霊についてはむしろ私達を守ってくれる、良い知らせだったけど……本当に、私達の体は治らないの……?

 

「……じゃあ樹の声は……もう二度と……」

「………」

「……知らなかった……知らなかったの……人を守るため、体を捧げて戦うのが勇者なんて……私が樹を勇者部に入れたせいで…!」

 

 ぽろぽろ、と風先輩が大粒の涙をこぼす。風先輩はとてつもないショックを受けている。風先輩は悪くないのに、責任を感じてものすごく苦しんでいた。

 違うって否定したい。だって私は勇者部にいたことは不幸でも何でもなかったって、胸を張ってそう言えるから。なのに……今何て言葉を風先輩に掛けていいのか全く分からない……

 

(ほむらちゃんは………え……?)

 

 ほむらちゃんのその表情は、今までに見たことがないほど怖くて……睨み殺すような目は東郷さんに向けられていた。

 

「ほむらちゃ」

 

 そしてほむらちゃんは私が止める間もなく、東郷さんの下に詰め寄ると、その頬を激しく引っぱたいた。乾いた音が部屋に響く。東郷さんの左頬がじんわりと赤くなって、東郷さん自身も何が起こったのか分からないような目でほむらちゃんを見た。

 ほむらちゃんは怒っていた。どうしてかは分からないけど、東郷さんに対して、初めて、隠しきれない怒りをぶつけていた。そしてほむらちゃんは東郷さんの胸ぐらを掴んで車椅子から引きずり上げた所で、ようやく私の体が動いた。

 

「や、やめてほむらちゃん!!!」

「離しなさい友奈!! 引っ込んでて!!」

「…ぅぐ……ほ…むら…ちゃ……!」

「許せない……東郷ォ!! 他の誰でもない、あなただけは彩羽さん達を信じていなければならなかったというのに……!」

「ほ…ほむら、やめなさい!!」

 

 目の前の異常に気づいた風先輩も慌ててほむらちゃんを止めに入る。風先輩と二人がかりで必死にほむらちゃんの手を離し、苦しそうに咳き込む東郷さんを介抱する。ほむらちゃんは風先輩に抑えられてるけど、東郷さんを睨みつける目は変わっていない。

 

「いったいどうしたっていうのよ…!? 落ち着きなさい…!」

「たとえ記憶を失っていたとしても、あなたがあの二人の仲間の想いを無下にした事が許せない!! あの時のあなたの涙の訳は何だったっていうのよ!! それを確かめる手段も自害ですって!? それも十回以上も……!! どうして彼女達の話を信じていなかったくせに、そんなにも命を粗末にする真似ができたのよ!! 死んでもいいとでも思っていたの!!?」

「っ…! ……それは……その事については確信していたから…」

「ふざけるのもいい加減にしなさい!!! あなたが自分の命を棄てるような行動をした事実は変わらないのよ!! 生きたいと願うのにそれを諦めざるを得ない羽衣ちゃんに対する最大級の侮辱だわ!!!」

 

 怖い……どうしてこんな事になっちゃってるの…? ほむらちゃんと東郷さんが喧嘩するなんて、今まで一度も無かったのに……!

 ほむらちゃんの怒りは収まる気配がない。風先輩もあまりの気迫に言葉を失っている。

 

 ……嫌だ……大好きな二人が喧嘩するなんて……そんなの嫌だよ……!

 

「お願いもうやめてっ!!」

「………友奈……」

「友奈ちゃん……」

「だめだよ……喧嘩しないでよぉ…! 私達、ずっと仲良しだったのに……!」

 

 このままだと取り返しがつかない事になりそうで、必死に言葉を出そうとするけど、恐怖で涙が溢れるせいで全然思いつかなかった。ものすごく辛いのに、こんなところで私達の絆が壊れてしまえば、絶対に立ち直れなそうで……だめだ、涙が溢れるだけで本当に言葉が出てこない。

 

「……帰るわ…風先輩、もう離してください」

「でも…」

「しばらく一人にしてほしいの…」

 

 そう言ったほむらちゃんは、さっきまでの激怒していた表情ではなく少し落ち着いていた。でも遺恨はまだ残っているのか、東郷さんを少しも見ようともしなかった。

 

 風先輩がほむらちゃんを離すと、本当にそのまま家を出て行って、残された私達も一言も言葉が出てこないまま解散した。私達全員の心に大きな傷を残して……



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第三十四話 「とても謎なんだ」

 前回早く投稿するよう努力すると言っておきながら遅くなってるじゃないか!!(殴)
 難産でしたごめんなさい。ボツで合計4000字近く書き直してました……

 また、先日活動報告の方に載せましたが、本作品の外伝も執筆中です! あくまで現段階では予告という形ですが、楽しみにしていただけると幸いです。


 私は大橋市の病院を訪れていた。この前羽衣ちゃんに会いに行った所とは別の大きな病院。昨日の夜に春信さんから連絡が届き、高嶋彩羽と乃木園子との対面許可が通ったのだ。

 にも関わらず、ロビーに人の気配がほとんど感じられない。普通なら患者が少なからず見えるものなのに、ここには病院の職員しかいなかった。

 

 気味が悪い。これも間違いなく大赦の異常なまでの秘密厳守の賜物だろう。

 

「この病院はあの二人専用の……勇者専用の受け入れ先というわけですか」

「神聖なる神樹様の勇者様方を一般人と同等の扱いをするわけには参りません。それ以前に勇者様の存在も世間に知れ渡って良いものでもありませんので」

「それを聞いて私達が納得するとでも? 夏凜もこんな所に閉じ込めていいと思っているの?」

「………」

 

 結局はこの人も大赦の一員か。妹思いは本物だろうが、肝心の行動が何もできずに今でもずっと誤解され続けている人だ。立場を捨ててまで夏凜を守る事はきっと無い。

 別に彼を非難したいわけじゃない。事は組織の一員がどう主張したところで変わりはしないレベルで根付いてしまっている。非難すべきは大赦という組織に対して。人を人とも思わないふざけた連中をどう認めろというの。

 

 エレベーターで上の階に上がると人の気配はますます薄くなる。そして通路や壁には至る所に大祓(おおはらえ)で用いられるような人形。飾られている注連縄(しめなわ)に鳥居まで……彼女達は前に神様扱いされていると口にしていたが、こんな異質な空間に二年間も祀られているの…!?

 

 やがて奥の大部屋の前まで来ると、春信さんは一礼し来た道をそのまま引き返す。この場にいるのは完全に私と彼女達だけなのだろう。今度は前のように大赦の神官が邪魔する事もなさそうだ。扉をノックすると、「は~い、どうぞ~」と、間延びした声が返ってくる。開けるとそこにいたのはベッドに横たわったままの乃木園子と、逆にベッドから降りて乃木園子に寄り添うように立っていた高嶋彩羽が。

 

「こんにちは~」

「こんにちは、乃木さん、彩羽さん」

「こんにちは、ほむらちゃん! また会えて嬉しいよ!」

 

 ……やけに彩羽さんは上機嫌ね? 相変わらず目元の包帯で顔が隠れているけど、それでも今満面の笑みだというのが分かるもの。

 

「ほむらちゃん、本当にありがとう」

「? 何の事かしら?」

「連絡を通してくれた大赦の人から教えてもらったの。私達に代わって羽衣に会いに行ってくれて、励ましてくれたんだよね。会った事の無い、たった一度話を聞いただけのあの子のために色々してくれて……何度お礼を言っても言い足りないよ」

「ろっはー先輩ってば、その事を聞いてからずっとあなたに会いたがっていたんだ~」

「羽衣に笑顔を取り戻してくれて、ありがとうございます!」

「私からも、本当にありがとう。私にとってもあの子は妹みたいな子だからね」

「彩羽さん、乃木さん……それくらい大した事じゃないわ。むしろ私なんかじゃ役者不足だと思っていたから……羽衣ちゃんの身内であるあなた達にそう言ってもらえるだけで、報われた気がする」

 

 本音を言うと、私は羽衣ちゃんに会いに行った事を少し後悔していた。羽衣ちゃんを苦しめている現状を前になす術無く、のこのこ帰った。それが私自身が抱いていた印象であり、あの子を救えたとは思わなかったからだ。

 でも、彩羽さん達はこんな私に感謝してくれて、決してそんなことはないと否定するような喜びを見せていた。それは羽衣ちゃんが私に見せてくれた笑みを思い出させる。そんな笑顔を見せられてしまったら、羽衣ちゃんに会いに行って良かったと思えてしまうじゃない……。

 

「ところで!」

「園子ちゃん?」

「乃木さん?」

 

 急に横たわった姿勢のまま、勢いよく声を上げる。私を捉える左目は妙にじと~っとしているが、何か変なことでも言ったかしら?

 

「……彩羽さん……羽衣ちゃんときて……乃木さん? 私だけ名字~?」

「……そこなの?」

「あはは…」

 

 神妙な表情で何かと思えば……別に知り合って間もないのだし、不思議でもなんでもないでしょうが。

 

「だってだってー! ろっはー先輩も高嶋さんって呼ばれるなら分かるよ。でも彩羽さんなんだもん」

「確かに、そういえばそうだね……ああ、下の名前で呼ばれるのが嫌ってわけじゃないよ?」

「あー、なんというか……その方がしっくり来るのよ」

「えぇー?」

「しっくり?」

 

 別人だということは分かっているけど、声も見た目も『環いろは』なのだから。「環さん」と言うならまだしも、名字が違うからそう言えるわけがないし、自然に下の名前で呼んでしまうのよね。

 

「私の事は園子でいいんだぜー?」

「……考えておくわ」

「そのっちとかそのこりんとか、ニックネームでもいいよ?」

「ふふっ、そのこりんって最初に須美ちゃんが言ってたニックネームだ」

「私はいいと思ったんだけどな~。そのっちって呼ばれるのも大好きだけどね」

「へぇ……東郷ってあなたの事をそう呼んでいたのね」

「そうなん……えっ!?」

「ほむらちゃん……今なんて…!?」

「東郷があなた達の仲間、鷲尾須美だという事は既に知っているわ」

 

 最初は二人の東郷に対する感情の違和感から。そして彼女から聞いていた話と重なり合っていた事象。彩羽さん達の話に含まれていた内容と照らし合わせると、今までの疑問に納得できてしまう真相。

 違和感はやがて確信へと変わり、羽衣ちゃんの反応でそれが間違いなんかではなかったと明らかになった。

 

「……いやぁ、ビックリした。本当にすごいよ。この前も話す前から散華を理解していたから頭良いなぁって思ってはいたけど……」

「まさか須美ちゃんの事まで目星が付いてたなんて……だからあの時も……」

「昔から地頭が良いのよ。誰よりも明晰な頭脳の持ち主だと自負してるわ」

「うわー、すごい自信……」

 

 おっと、こんな事を話してる場合じゃなかった。私は詳細を聞くために彼女達に会いに来たのだ。

 

「……あの子の足と記憶喪失は、散華によるもので間違いないかしら」

「うん。二年前の最後の戦い……その時に初めて勇者システムに満開が実装されたの。それで須美ちゃんは二回満開を使って……」

「二回? 右足と左足と記憶で三回ではなかったの?」

「最初の散華が両足だったみたい。あの時は体の異常に変だと思っても戦うしか道がなかったの」

 

 散華で失うものは、時として複数箇所選ばれてしまう事もあるのね……。となると、東郷の満開はトータルで三回。

 

「あれ? ちょっといいかな?」

「ん、ええ。何かしら?」

「ほむらちゃんはさっき、わっしーが満開をした回数が三回だって思ってたみたいだけど、それってどうして?」

「どうしてって……さっき言った通りよ。足を別々にカウントしていたから」

「ええ?」

 

 何故か乃木さんはおかしいと言いたげな様子で思案する。私の発言に何やら納得がいかないようだが、変な事を言ったつもりもないのだけど……。

 

「ん~……あんなに賢いほむらちゃんのことなら簡単に精霊と結び付けられると思うんだけど…」

「精霊…………っ!」

 

 ……もしかしてそういうこと…? 最初から疑問に思っていた事だけど、そこまで深く考えなかった事だが。でも、もしそれが正しければ辻褄が合う。

 

 東郷の精霊は、彼女だけ最初から三体もいた。他のみんなは一体だけだったのに……でもその後は精霊が増えた人が現れて、その共通点は満開だ。

 

「まさか精霊の数は、勇者が満開を繰り返す度に増える……」

「そうだよ。本当に今まで気付いていなかったの?」

「……だとすれば、どうしても腑に落ちない事実があるのよ」

 

 勇者システムを起動し、乃木さんにも画面が見えるようにしながら操作してエイミーを呼び出す。彼女も私がどうしてその考えに至らなかったのか、理由が分かったようだが、彼女達にとってあり得ないはずの事実に首を傾げた。

 勇者に最初に一体の精霊が与えられ、満開でその数が増える。東郷の今現在の精霊の数は四体。その内満開で増えた精霊が三体だ。他の精霊が増えた友奈、風先輩、樹ちゃんの三人も、初期精霊と合わせると二体。夏凜は満開しなかったから、初期精霊の一体のみ。

 

 では私は? 満開をしたにも関わらず、精霊は増えることなく初期精霊一体だけだ。

 

「気付かなかった訳はこれよ。私も満開したのに、精霊はこの子一体しかいないのよ」

「それは……変だね。私もろっはー先輩もたくさん満開はしたけど、その分精霊は増えてるのに」

「………それって…」

 

 もし私にも精霊が追加されていたら、残る夏凜との相違点を比べて精霊の数=満開回数+1という法則を見つけられていただろう。

 やはり私の勇者システムだけおかしい? でも確か以前に風先輩経由で大赦に確認した時、私の勇者システムは元は失敗作という話があった。もしかしてそのせいだったり……。

 

 そう思っていると、彩羽さんが神妙な様子で口を開いた。

 

「……ほむらちゃん、私はあなたにどうしても謝らなくちゃいけない事があるの」

「何を突然……謝るって…?」

「あなたは本来、勇者に選ばれる人じゃなかったの。適性値は合格ラインギリギリ、なまじ才能があるぐらいで、戦いに出すのは危険すぎるって判断されていたのに……」

「ろっはー先輩、それじゃあほむらちゃんがとても弱い勇者だって言ってるみたいだよー?」

「へ!? あ、いや、そうじゃなくて! 決してほむらちゃんの事を悪く言うつもりは無くて!」

「分かっているわよ、そのくらい……それで?」

 

 彩羽さんが悪意を持って人と接する事は絶対無いだろう。それほど心が澄んでいて立派な人だというのはこの僅かな時間の中で十分分かっている。乃木さんは彩羽さんのリアクションを楽しんでいるきらいがあるわね……。

 

「……さっき言いたかったのは、本当はほむらちゃんは勇者に選ばれなかったはずなんだ。でも、私の家から見つかった勇者システムのせいで……あなたにしか扱えない勇者システムを高嶋家がずっと保管していたせいで、勇者の戦いに巻き込んでしまったの」

 

 高嶋家が保管? それってどういう……この勇者システムにそんな経緯は……いえ、これはまたしても大赦の姑息な隠し事の一つというわけね。

 ……問題はそこじゃない。彼女が謝りたかった事とはつまり、私が勇者になるきっかけを与えてしまったと、そう責任を感じているのだ。

 

「……一つ確認だけど、まさかあなたが私を勇者に推薦したとは言ってないわよね?」

「そんなわけないよ! 私はもう誰も勇者になってほしくない! 家に保管されていた物の正体が勇者システムだって知ったのも、大赦に押収されたのも、ここに祀られた後なんだよ」

「なら、彩羽さんが責任を感じる必要は無いわ。あなたは何も知らなかった。私を勇者に選んだのは結局大赦だから、責任は全て向こうにあるわ」

「でも…!」

「ハァ……うちの先輩といい、先代勇者の先輩といい、気負いすぎよ」

 

 おそらく彩羽さんは、自分がもっと上手くできれば私を勇者にさせずに済んだと後悔しているのだろう。でも私は勇者になった事自体は後悔していない。勇者として戦ったからこそ守れた大切な存在があり、大切な仲間達にも出会えた。

 大赦に騙されていた事は業腹だが、仮に最初から全てを打ち明けられていたとして、きっと私は戦う道を選んでいたと思う。選択肢がそれしかなくても、守りたいものを守る。それが暁美ほむらの道標なのだから。

 

「ろっはー先輩、私も同じ意見だよ。高嶋家といってもろっはー先輩は当主じゃなくて、単なる長女だもん。当時あれを処分する権限なんて無かった……それに、ほむらちゃんに与えて勇者にする話を聞いた時は誰よりも猛反対してたじゃない」

「そうなの?」

「……結局は神樹様の神託が最優先事項だって言われて、全く取り合ってもらえなかったけどね…」

「それじゃあ尚更、あなたは私を危険から遠ざけようと最善を尽くしてくれた。結果がどうあれ、感謝こそすれど恨むなんて筋違いもいいところだわ」

「……ありがとう……ごめんね、また情けない所を見せちゃって…」

 

 後悔を払拭され、嬉しくも格好悪かったと思ったようで困ったように笑いを見せる。彩羽さんらしい、感情を表に出すのですら正直で、ますます彼女の事が気に入った。

 …っと、いけない。話が逸れたわね。

 

「結局私の勇者システムっていったい何なの?」

 

 元々これについて話していたんだった。イレギュラーの根本と言える謎の勇者システム。大赦が生み出した勇者システムの失敗作と聞いていたが、それは私に隠すためのフェイクであり、本当は高嶋家が保管していたもの。謎すぎて異常さが溢れてしまいそうだが……

 

「……さっきも言ったけど、私も昔から何かを家の家宝として大切に保管している事しか知らなかったの。だからそれが勇者システム……正しくは勇者システムが内蔵されていた、ものすごく古い壊れかけの携帯端末でね。それを聞いた時は驚いたよ」

「私も~。小さい頃から収めてる箱しか見せてもらった事がなかったからね~。触らせてももらえなかったんだ~」

「古い携帯端末…?」

「そうなんだよ~。箱自体も元はかなり上質な木箱っぽかったけど、もう何百年も経ってるみたいでかなりボロボロだったから、当たり前と言えばそうなんだけどね」

「厳重に保管しすぎちゃって一度も箱から取り出した事が無いって……

 

 『何十年後か、それとも何百年後かは分からない。でもこの中身が必要とする人が現れるまで、高嶋家の人間は全てを失ってしまってでも、この中身だけは絶対に守り抜け』

 

 ……偉大な御先祖様がそう言い遺したらしいの」

 

 偉大な御先祖様って……それに勇者システム。夏凜が言っていたが、その御先祖様というのはもしや……

 

「……その御先祖様というのは……初代勇者?」

「うん。今から約300年前の私と羽衣の御先祖様。初代勇者、高嶋友奈が遺したものだって…」

「友奈?」

 

 偶然かしら? あの子と同じ名前だけど……。

 

「ほむらちゃんのお友達の結城友奈ちゃんの名前と同じだけど、友奈って名前は御先祖様から端を発したものなんだって。産まれた時に両手で逆手を打つような所作をした子供にはその名前を付けるって、そんな縁起担ぎがあるの」

 

 なるほど……要はあの子の名前はかつて存在した勇者のものを受け継いだようなものと。偶然ではなく、むしろ起因となった存在だったのね。

 

 でも、今一番気になるのは名前の事ではなく、初代勇者、高嶋友奈が遺した勇者システムだ。彼女がいたとされる300年前にも勇者システムは使われていた? だったら私の勇者システムも、高嶋友奈がこれを遺した300年前のものなの?

 

「分かっている事って本当に少ないの。元の携帯端末は勇者システムが内蔵されていただけで普通の物。端末自体壊れかけで電源も入らなくて、大赦が勇者システムだけを抽出して量産化目的で研究もしたらしいけど、それで判明した事は一人を除いて勇者ですら扱えない勇者システム……とても謎なんだ」

「謎ね……」

「謎だよね~」

 

 三人揃って首を傾げる。どうして私はそんな勇者システムを使えてるのよ……。仮に300年前の勇者システムが特定の勇者にしか扱えない代物だとして、それを後世に遺した意味は何なのよ……。

 

「精霊さ~ん、あなたは何か知ってるんじゃないかな~?」

『………』

「精霊が喋れるわけないじゃない…」

「困ったときには猫の手にも縋る思いって言わない?」

「微妙に違うよ園子ちゃん……あれ?」

 

 話が難航してしまったその時、彩羽さんが何かに気付く。首を動かして、塞がれた両目の先にあるのはこの部屋と通路を行き来するための扉だ。

 

「二人とも、扉の向こう側に人の気配が…」

「おおー、ろっはー先輩の心眼だぁ」

「人? もしかしてまた大赦の神官が来たの?」

 

 前回と違って今回はちゃんと許可は取っている。話を邪魔される理由は無いはずだ。

 

「ううん、ちがうよ」

「………そうなの…」

「神官なら複数人で来るけど、感じる気配は一人分だから」

「あれれ? ほむらちゃん、どうして少し落ち込んでるの?」

「一瞬自分が白くて小さなマスコットみたいになった感覚が……何でもないわ」

「ふーん? まあいいや、入ってきていいよー」

 

 神官でないとすると誰なのか。乃木さんが外にいる人物に声をかける。しかしその人物は扉を開けようとはしなかった。

 

「あれぇ? 聞こえなかったかなぁ……入ってきていいよー!」

 

 入ってこない。

 

「あれれー? ろっはー先輩本当にいるの~?」

「うん、間違いないよ……どうしたんだろう?」

「……私が見てくるわ」

 

 乃木さんは歩けないし、彩羽さんは両目が見えていないし、両腕だって動かせないらしい。私は彼女達の客だができないことをやらせるわけにはいかない。

 扉の方へ歩き出したその時、外からキッ…と、音が漏れた。何度も何度も…何度も聞いたスキール音。車椅子の車輪から鳴ったそれに、自然と早歩きになり扉を勢い良く開ける。

 

「………東郷…」

「っ! ……ほむらちゃん…」

 

 そこにいたのは果たして、昨日怒りに任せて殴った友達の姿だった。




次回

???「潰してやる」


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第三十五話 「みんなアタシのせいで」

 クリスマスイブの夜は勇者の章を観ていました。


 暁美ほむらちゃん……私の大切な友達。讃州市に引っ越して、最初に私に優しくしてくれた友奈ちゃんと一緒に仲良くなれた子。

 当時友奈ちゃんが側にいるものの、まだまだ全く新しい環境に対する不安が払拭できていなかったからか……初めて彼女を見た時、私はほむらちゃんの冷淡そうな雰囲気に気圧された。早くその場から立ち去りたいと感じていた。

 もっともその雰囲気というものは完全に私の誤解であり、一緒にいると歩けないから迷惑をかけると言った私を迷うことなく助けてくれた。

 

 運動も勉強も何でも完璧以上にこなし、格好いい姿だけでなく時折見せる笑顔は友奈ちゃんに負けず劣らない。天然な一面もあり、私が作ったぼた餅を友奈ちゃんと取り合いになった事もあった。冷静、聡明、端麗、可憐、親切、非の打ち所が無いほど魅力的な彼女と友奈ちゃんの二人に出会わせてくれた神樹様に、あの頃は感謝の想いしかなかった。

 

 かつて引っ越す前はとてつもなく大きな不安に押し潰されかけていた。数ヶ月もいた病院を退院する前日の夜に一人泣きもした。暗闇の中から必死になって助けを請い願った。

 

 友奈ちゃんが光を照らし、ほむらちゃんが一緒にいようと手を差し伸べてくれた。あの出会いがあったから私は暗闇と決別できたのだ。

 

 そんな二人と一緒に勇者部に入り、風先輩と四人で勇者部の活動する日々が続いた。私は文化系の依頼と、みんなのサポートや裏方の仕事しかできなかったが、友奈ちゃんもほむらちゃんも風先輩も……それだけではなく同級生や先生方、果ては地域の方々までもが私の事を頼ってくれた。

 

 誰かの足枷にしかならないと思っていたのに、むしろ私の存在を必要としてくれる。彼女達は私に最高の居場所を与えてくれて、あんなに苦しい過去があった事なんてすぐにどこかに行ってしまう。毎日が心躍らせるのに十分な理由があり、幸せな時間は色褪せることなく一年が経つ。

 

 五人で勇者部の活動をする日々はとても楽しくて、思わず涙が出てしまいそうになるほど幸せに満ち溢れていて……そして私達は本当の勇者になった。

 

 みんなで力を合わせて使命を果たしたが、その後に待っていたのは体の機能の欠損。病院に入院している間にほむらちゃんと二人で後遺症を治す方法を調べ尽くしたにも関わらず、それで最終的に辿り着いた答えは『人身御供』という目を逸らしてしまった言葉であり、大赦からのいずれ治るという言葉を信じていた。

 

『一応あなた達の先輩……って事になるのかな』

『会いたかった~、わっしー……』

 

 彼女達に出会うまでは……

 

 あの二人、高嶋彩羽と乃木園子の姿を見ていると、心が締め付けられているかのように苦しかった。まるで彼女達の悲しみが私の心にも直接流れ込んできたかのような、耐え難い痛みが私の中にあった。

 

 私はかつて、彼女達を知っていたのだろう。それもきっと、今の私が勇者部のみんなに抱いてる想いを、その時の私は彼女達に向けていた。

 

 私に大切な過去があることは分かっていた。だからこそ友奈ちゃんとほむらちゃんが探してくれると言ってくれたのだから。でもそれは私が思っていた以上に大切な過去だったと分かってしまった。

 

 それからというもの、私は表に出さなくとも内心に今までに無いほどの焦りを抱え込む。あの二人の涙を忘れられた時なんて一度も無いほど、罪悪感に襲われていた。襲われながらも……私はそれをどうしても受け入れなければならいと感じ、毎日寝る間を惜しんであらゆる事を調べ、確かめる。

 

 受け入れなければ思い出せないと感じたから。何が何でも私の過去を思い出したくて、どんな無茶でもやり通そうと心に決めていた。たとえそれが、命を失いかねない危険な事だろうと……。

 

 どんな些細な事でもいい……既に分かりきった事でも、実際にこの目にするだけでもより大きな手掛かりが得られると思っての行動だった。

 

『死んでもいいとでも思っていたの!!? あなたが自分の命を棄てるような行動をした事実は変わらないのよ!!』

 

 ……分かりきっていた事じゃないか…! そんな事をしても記憶が戻らないなんて! 誰よりも友達思いの彼女が手を上げるほど激怒するなんて!

 過去を追いかけるために現在を蔑ろにする。冷静になった頭で思い返すと自分でもあの時の行動を許せない。結局私がしていた事は、ほむらちゃんとの友情に大きな傷を付けただけで、あまりにも愚かで取り返しのつかない所業だったのだ。

 

 しかし、それ以前に調べたものは無駄ではなかった。かつて私が鷲尾という家に養子として出されていた事実を始め、色々な隠されていたものを見つけられたのだから。

 中でも一番重要なものが、高嶋彩羽と乃木園子の二人がいる可能性が高い場所。もう選択を間違えないためにも、より詳しい話を得られる彼女達の下に向かう決意を固めた。

 その場所を訪れると、そこにいたのは案の定大赦の人間達。そしてより核心を突くように、病院に本来いるはずの存在である一般の患者の姿がどこにもない。

 

「東郷美森です。……高嶋彩羽さんと乃木園子さん……この二人に会わせてもらえないでしょうか…?」

「……こちらになります、勇者様」

 

 意外にも声をかけた大赦の人は簡単に通してくれた。もし駄目なら勇者に変身して脅す事も考えていたが、それはやらずに済んだようだ。

 案内された通路を通るとあからさまな飾りが施されている空間が目に入る。大部屋の前まで来ると、ここまで案内してくれた大赦の人は立ち去る。扉を叩こうとしたその時……

 

「精霊が喋れるわけないじゃない…」

「困ったときには猫の手にも縋る思いって言わない?」

「微妙に違うよ園子ちゃん……あれ?」

 

 手の動きが止まる。同時に心臓にズキッと痛みが走った。

 何で彼女もここにいるの…? 気のせいなんて思えない。私が彼女の声を聞き間違えるわけがない。

 この中にいるのはあの先代勇者の二人だけではない。あの子も一緒にいる……。

 

(ほむらちゃん…!?)

「入ってきていいよー」

 

 外にいる私に気付いたのか呼ぶ声が聞こえるも、私の手は動かなかった。ほむらちゃんがこの扉の向こう側にいる……どんな顔をして彼女に会わなければいけないのか私には全く分からない。それだけで私の決意は揺らぎ、ここに来た理由すら忘れかけていた。

 

「……入ってきていいよー!」

「っ…!」

 

 向こうも不審に思っているようだった。訪ねてきた人物が一向に入ってこようとしないのだから。でも私の体は金縛りに遭っているかのように動かない。顔を俯かせ、昨日初めて見てしまった彼女の行動と発言を鮮明に思い出してしまう。

 

「……私が見てくるわ」

 

 その一言が聞こえた瞬間、動かなかったはずの私の手は車椅子のハンドリムを掴んだ。逃げようとした。反転し、車椅子をこぎ出したその時、勢いよく扉は開かれる。

 

「………東郷…」

「っ! ……ほむらちゃん…」

 

 ほむらちゃんは信じられないものを見ているかのように、明らかに驚いていた様子だ。一方私は……怯えていた。

 昨日の今日だ。いくら友達と言えども、あれほどまでに怒りを買ってしまった相手。自分の方に非があるのは分かっている。

 

 謝りたい。私が彼女に殴られたのは当然のこと。要はほむらちゃんの友達を何度も殺しかけたのに等しい所業だったのだから。

 最初に切腹を行った際、私は明確な恐怖を感じていた。絶対に死なないなんて確信がありながら、もしそれが間違いだったら……と、この刃で腹を割いて苦しみもがき命を落とす想像をしながら自分自身に小刀を突き立てた。

 

 その後は自刃以外ではどうなのかと首を吊った。人通りの少ない建物から受け身を取らずに飛び降りた。密室に閉じこもって中にガスを充満させた。着衣のまま川に落ち、長い間潜り続けた。劇薬を飲んだ。最終的にはほむらちゃん達に見せるために何の躊躇もなく首を割こうとした。

 客観的に聞くと異常な行動極まりない。確かに私はこれらでも死ななかった。だが自刃と飛び降り以外で私は本当に死んでしまうと思うほど苦しい目に遭った。死なないだけで呼吸困難になる首吊りや入水、めまいや頭痛に吐き気が永遠に訪れると思えた一酸化炭素中毒、これらが全てと発熱に発汗が襲ってきた服毒。

 

 何で私はこんな当然な事を無視できていたの……。もし私も勇者部の誰かが私がしてしまった自殺行為の一つでも試してしまったと聞いてしまえば、気が気でなくなりそうだというのに…!

 

 ほむらちゃんはまだ私を許していない。許されるかどうかも分からない。それ以前に一言も話を聞いてくれないのではないか……そう思えてしまい、怖い。

 

「わっしー? 来てくれたんだ~」

「美森ちゃん…だったんだね。まさかあなたも来るなんて」

「………何故あなたがここにいるのかしら?」

「……えっ…? ほむらちゃん…?」

 

 声をかけてくれた。でもその声から感じる様子は普段と全然違う。敵意。怒りが十分に込められている、燃え盛るような感情が占めていた。

 

「その……彼女達に直接話を聞きたくて……」

「……思い出したの?」

「……ううん……ほむらちゃんは…どうしてここに?」

「今のあなたには関係無い」

「っ……!? ほ、ほむらちゃん……」

 

 自分の耳が信じられなかった。彼女が私にそんな事を言うなんて思いたくもなかった。これじゃあほむらちゃんは私の事を友達として見ていないようで……。

 

「ええっと、どうしたのほむらちゃん? なんだかピリピリしてるけど……美森ちゃんと何かあったの?」

「……ごめんなさい彩羽さん。別々の部屋で話を聞かせて頂戴。東郷には乃木さんがお願い」

「それってどうして……えっ、ちょっと…?」

 

 ほむらちゃんはまるで、私と一緒にいたくないみたいだった。高嶋さんの手を取ると、そのまま困惑している様子の彼女を引いて部屋を出て行こうとする。私を視界に入れないようにしながら。

 

「ま、待って!!」

 

 咄嗟に身を乗り出してほむらちゃんの腕を掴む。ここでいなくなってしまえば、この先もずっとこの調子かもしれない。そんなのは嫌だ。悪いのは全て私だ。だけど私はほむらちゃんとの友情を失いたくない!

 冷たい眼差しで私を見つめるほむらちゃん。その目は離せと言っているみたいで私の心を抉る。

 

「ごめんなさい! 私が間違っていた!」

「………」

「あんな事、そもそも考える事自体がおかしかったのに……私…!」

「言ったはずよ。あなたが自分の命を棄てるような行動をした事実は変わらないって」

 

 言い放たれたその一言に、私の目から涙がこぼれ落ちる。ほむらちゃんはもう私の顔を見ていない。掴んでいた手も振り払われ、彼女の怒りが……私の過ちそのものを突きつけられるようで苦しい。

 

「彩羽さんと乃木さんを信じきれず、無意味に私の友達を殺しかけた事を絶対に忘れないわ。羽衣ちゃんの思いを裏切った事も」

 

 ……違う…決して彼女達を信じていなかったわけじゃない。記憶は無くても二人は私の大切な人のはずなんだ。でも私はほむらちゃんの言葉を否定できなかった。あまりにも…辛くて……。

 

「ほ、ほむらちゃん! さっきからいったい……ねえっ!」

「あなた達が気にする必要はないわ。これは私と東郷の問題……巻き込んでしまってごめんなさい」

 

 高嶋さんの制止も聞かずにほむらちゃんは彼女の手を引いて部屋から出て行く。残されたのは私と、状況を呑み込めていない乃木さんだけだ。

 

「……ほむらちゃん……わっしー、あの子と喧嘩しているの?」

「……ぅぅうう…! っく……ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい…!」

 

 私の心はもう……限界だった。涙はボロボロこぼれ、嗚咽が止まらない。

 

 かつて私を救ってくれた彼女との友情……それが無くなってしまう苦しみはあの時の自害よりも辛く、気力すらも根こそぎ奪っていく。

 

 

◇◇◇◆◆

 

 勇者は決して死ねない…? 体を供物として捧げる…? アタシ達の体はもう元には戻らない…?

 

 先代の勇者に呼び出され、そんなあってはならない話を聞かされたという友奈と東郷とほむらに教えられた。信じたいわけがなかった。だってそれじゃあ、樹の声は……友奈の味覚は……東郷の耳は……ほむらの痛覚は……二度と戻らないなんて…。

 

 何かの間違いだ。その先代勇者だってアタシは見てない。本当は満開の後遺症なんかじゃないはずなんだ。

 

「はい、肉うどんどうぞ」

「…あ、ありがとうございます…」

「最近みんなと一緒に来ないのね?」

「……ちょっと今友達の調子が悪くて……でもすぐに治りますよ!」

 

 自分にひたすら言い聞かせる。みんな絶対に治るんだ……治らなければ…おかしいじゃない……。アタシ達は六人で頑張って頑張って、力を合わせて世界を守った。何も悪いことなんかしてないのに、そんな結末でいいわけがない。そうでしょう…?

 

『満開後の身体異常について何か分かった事は無いでしょうか?勇者五名、未だに治る兆候はありません』

(送信……)

 

 大赦からだってこちらが望む良い報せこそ来ないものの、散華とかいう情報だって教えてくれない。先代勇者が散華で身体機能を失ったという事例があれば既に伝えているはず。

 

「……あれ? 樹と……ほむら?」

 

 学校でたまたま二人を見かける。ただ状況がちょっと意味が分からない。

 

「ちょっとちょっと! 廊下で何で土下座してるのよ!」

「あ、風先輩…」

『おねえちゃんヘルプミー!!』

 

 ほむらがあの樹に対して土下座し、当の樹はそのほむらにオロオロと困惑し焦っていた。二人をよく知る者として、これが異常事態だとすぐに気付いて中に入る。

 

「ほむら……あんた樹に何したのよ?」

「その……樹ちゃんに私の後遺症の事を黙っていたことを謝っていました」

「……場所を選びなさいよ…。そもそも土下座ってねぇ…」

 

 ……思った以上に拍子抜けな騒動だった。まぁほむらが樹に何かやらかすなんてあるわけないか。

 

『ちゃんと話してくれてありがとうございます。もう気にしてませんから』

「うん……ごめんね。それじゃあまたね」

「ん? ねえ樹、それって……」

 

 樹の筆談用のスケッチブックに『ごめん 日曜は用事があって…』と書かれていたのが見えた。友達に遊びにでも誘われたのだろうか? でも日曜に樹に用事は無かったはずだが……。

 

『友達に遊ぼうって……カラオケで歌うのが好きな人たちだから』

「…っ」

『私がいると気を使ってカラオケ行けないから…』

「でも…」

 

 聞いて悲しくなった。歌う事が好きな樹が友達とカラオケを楽しめないなんて。樹だって本当は一緒に行きたかったはずなのに、気を遣って……気に病んでいる。

 

「すみません、犬吠埼さんのお姉さんですか? この後少し時間はとれますか?」

「…えっと、樹の担任の先生ですか? 大丈夫ですけど……」

 

 その後、樹の担任の先生に呼びかけられ、あの子の普段の授業中に支障が出ている事を伝えられる。誰かに迷惑をかけているわけではないが、言葉を話せないため授業内容を変更せざるを得ない…と。先生はその露骨な変更で樹が気を病む事を懸念していた。

 樹の声が治らない限り、この問題はずっと尾を引いてしまうだろう。樹はとても優しい子だ……故にそれがあの子を苦しめてしまうとアタシだってそう思ってしまう。

 

「……そろそろ文化祭の劇の練習も始めないとね。体育館のステージとか借りて!」

『私、セリフのある役はできないね』

「……っ! だ、大丈夫だって! 学園祭までには治るわよ!」

 

 樹が一番辛いはずなのに、アタシにはそんな様子を一切見せない。舞台裏の仕事を頑張ると、笑顔で答えた。

 医者は治ると言ったんだ……治らないわけがないんだ……。

 

 

 

 

「三人に見てもらいたいものがあって」

 

 東郷の証明は、そんなアタシの縋った希望を粉々に打ち砕いた。

 

 勇者は決して死ねない事の証明。東郷が試したものはこの一つだけだったが、これは同時に先代勇者の話が全て真実だということを裏付ける。一つの真実さえあれば他の伝えられた内容も連鎖的に全て真実。大赦が散華の存在をアタシに伝えなかったのは、その存在が偽りではなくアタシに知らせず騙し続けるためだった……。

 

「……知らなかった……知らなかったの……人を守るため、体を捧げて戦うのが勇者なんて……私が樹を勇者部に入れたせいで…!」

 

 今までにない絶望に涙が止まらなかった。これから先のみんなの事を考えると後悔が絶え間なく押し寄せてくる。アタシがバーテックスに殺された両親の敵討ちを望んだせいで、樹と友奈と東郷とほむら…大切な人達に取り返しのつかない事が起きてしまったのだから。

 

 絶望は……これだけでは終わらなかった。目の前で信じられない出来事が……ほむらが東郷を殴ったのだ。胸倉を掴んで無理やり車椅子から立たせ、戸惑う東郷に罵声を浴びせる。なんとか立ち上がってほむらを止めるも、アタシの頭の中はもう色々な事があってグチャグチャだった。

 

 ほむらと東郷の仲の良さは誰もが知っている。互いに全幅の信頼を寄せ、些細なすれ違いだって一度も無かったはずの二人の間に軋轢が生じていた。

 

 二人の大親友である友奈も当然ショックを受けて泣いていた。そしてアタシも、この出来事でますますみんなを勇者部に入れた事を後悔するのであった。

 友奈も東郷もほむらも、三人はアタシが勇者部に勧誘する前から仲が良かった。もしアタシが勇者部なんて作らなければ、三人は体の機能を失うことなく、これまで通り喧嘩だって一度もすること無く、平和な世界で笑い合いながら過ごしていたはずなんだ。

 

 アタシが余計な事をしたから……何もかも、みんなアタシのせいで苦しんでいる……。

 

 

 

『私達の体について調査の状況を教えてください』

 

 あんな事が分かってもアタシは大赦に連絡を送り続けていた。もしかしたら治る伝手を教えられるかもしれないと、無駄だと思わないようにしながら送信する。

 部活には行かなかった。もう二度と勇者部を誇れないだろう。アタシにとっての勇者部はもう、みんなの人生を滅茶苦茶にした、この世からなくしたい存在だ。

 

(……謝って済むことじゃないけど……ごめんなさい…みんな…)

『ピンポーン』

「……? 誰……」

 

 インターホンが鳴る。億劫な気持ちでいっぱいだったが来客を無下にはできない。玄関へと向かって扉を開けると、そこにいたのは見知った顔だった。

 

「夏凜…?」

「ん。なんて顔してるのよ」

 

 三好夏凜……大赦から派遣された勇者で大切な仲間。その夏凜がにぼし片手にやって来たのだけど……

 

「夏凜……部活は…?」

「その言葉、そっくりそのままあんたに返すわ。顔も出さないで何してるのよ」

「………」

「……入るわよ」

 

 いいと言う前に夏凜は勝手に中に入っていく。そのまま遠慮なしにリビングの椅子に座り、いつものようににぼしに齧りついた。

 

「ちょっ……あんた…!」

「何よ、あんた達だって私の誕生日の時に人の家に勝手にズカズカ入り込んだじゃない」

「それは……そうだけど…!」

「だったら私だって同じ様な事をさせてもらうわよ。私だって勇者部の部員なんだから」

「……分かったわよ…」

 

 正直今は誰とも顔を合わせたくなかったけど、中に入り込まれてしまえば仕方がない。でも夏凜はどうしてわざわざうちに来たのだろうか、夏凜の正面に座るとにぼしの袋を間に置かれる。アタシも食べてもいいってこと?

 

「……で、何しに来たのよ…?」

「あんたの様子を見に来たのよ。部活に来てなかったから」

 

 ……行けるわけないじゃない。どの面下げてみんなに会いに行けばいいのよ。散華をしていない、大赦から派遣された夏凜はともかく、他のみんなは全員アタシが巻き込んだせいで散華してしまったのよ…!

 

「……それで、もしかしたらと思って来てみたら案の定よ」

「案の定…?」

「一人で悩んで落ち込んでそうって思ってた。今の風の酷い顔を見ればその通りだって分かるわよ」

「っ…!」

 

 酷い顔になるに決まっているじゃないか…! 希望を断たれ、大切な人達と共に地獄に突き落とされたんだ。立ち直れる理由なんてどこにもない…!

 

「……何が分かるのよ…!」

 

 分かってたまるものか…! アタシの命よりも大切な妹を、後輩を、自らの手で地獄に突き落としたことなんて…!

 

「何も失ってもいないどころか、後から大赦に派遣されて来たあんたに! アタシの何が分かったっていうのよ!!」

「風……」

「………ごめん、あんたに当たっていい事じゃなかったわ…」

 

 ……夏凜は、アタシを心配して来てくれただけだ。いくら追い詰められてどうしようもないとはいっても、仲間割れなんてしている場合じゃない。

 ……いいや、誰がこんな最低のアタシの事を仲間なんて認めるものか。誰もアタシを許さない……

 

『プルルルル プルルルル』

 

 その時、家の電話から着信音が鳴る。

 

「……出てきていいわよ」

「……うん…」

 

 席を立って受話器を取りに行く。電話を掛けてきたのは女性のよう……だが全く聞き覚えのない、知らない人だ。

 

「はい、犬吠埼です」

『突然のお電話失礼致します。伊予乃ミュージックの藤原と申します』

「いよの…ミュージック…?」

『はい。犬吠埼樹さんの保護者の方ですか?』

「そうですが…」

『ボーカリストオーディションの件で一次審査を通過しましたのでご連絡差し上げました』

「え…」

 

 ボーカリストオーディション…? これって……樹が…?

 どういうこと……あの子がそんな事をしていたなんてアタシ……今まで聞いたことない……。

 

「な、何のこと…ですか?」

『あ、ご存じないですか。樹さんが弊社のオーディションに』

「い、いつ?」

『三ヶ月程前ですが。樹さんからオーディション用のデータが届いてます』

 

 三ヶ月程前って……まだあの子が声を失う前…? その時期に樹はオーディションを受けていたの…? それも歌の……どうして………っ!!

 

 思い出す、今から三ヶ月程前にあった出来事を。あれは樹が歌のテストに自信を持てず、勇者部のみんなで成功するようサポートした時……。

 そのテストは結果的に大成功だった。バッチリ歌えたと、アタシ達全員が喜び大盛り上がり。一人でも歌えるようになった樹が部室で見事な歌声を披露していた。

 その日の帰り道、樹は言っていた……

 

『あのね、お姉ちゃん。私、やりたいことができたよ』

『なになに? 将来の夢でもできた? お姉ちゃんに教えてよ?』

『……秘密』

『なによー。誰にも言わないから……ね?』

『だーめ、恥ずかしいもん……でもいつか教えるね』

 

 ───樹に夢ねぇ……何かは分かんないけど教えてくれる時が楽しみだわ。

 

「樹……樹!!」

「風!? ちょっ、急にどうしたのよ!」

 

 受話器を手放し夏凜が戸惑い声を上げるがアタシにはどうでもよかった。今は樹に確認する事が何よりも重要……だが樹の部屋の扉をノックし呼びかけるも反応は無い。開けるもそこに樹の姿は無かった。

 

「いないの?」

「風ってば! 樹は部室に来てたわよ…!」

「そう…なの…」

「……樹の部屋、割と散らかってるわね……本やらノートやら出しっぱなしじゃない…って、何これ…目標?」

 

 夏凜が見つけたノートには目標と目立つ文字、「声が出るようになったらやりたいことリスト」と書かれ、その中で一番大きく書かれていた文字は「歌う!!」だった。その隣のページには「体の調子を良くするには。」と、樹が何よりも歌いたい事を表していた。

 

「歌うって……樹……」

 

 本棚にある本が目に入る。そこにはいつの間にか買ったのか、たくさんの知らない本が並んでいた。それらは全て例に漏れず、“声”に関係するもの……発声のしくみやボイストレーニング……喉の不調を治す方法……。

 

「どれもこれも……樹、声を治そうとこんなにも頑張っていたのね…」

「樹は……本気でオーディションを……」

「……そこのノートパソコン、電源付きっぱなしじゃない」

 

 ノートパソコンの画面を見ると、デスクトップには気になるファイルがあった。樹のパソコンを勝手に操作する罪悪感は無かった。アタシの手は自然にマウスカーソルを動かし、“オーディション”という名前の音楽ファイルを開いた。

 

 久しぶりに聞く、最愛の妹の声が流れ出した。

 

『えっと…これで……あれ? もう録音されてる!? あ…ぼ、ボーカリストオーディションに応募しました、犬吠埼樹です。よろしくお願いします……』

「えっ……ボーカリストオーディションって…樹って歌手になりたいの…!?」

 

 夏凜の声は聞こえなかった。樹が本当にオーディションに応募していたからだ。あの子があの時語ったやりたいこととは間違いなく……歌手になること。

 

『私が今回オーディションに申し込んだ理由は…』

 

 パソコンから流れる樹の声が、あの子がアタシ達に内緒にしていた夢を語る。樹は歌う事が好きだから……それだけではなく歌手を目指すことで、自分なりの生き方を見つけたいのだという。

 

『私には大好きなお姉ちゃんがいます』

 

 姉は強くていつもみんなの前に立って歩いていけるが、逆に自分は臆病な人間だと語る。いつも姉の後ろを歩いてばかりで、そんな弱い自分は嫌だと…姉の隣を一緒に歩けるようになりたい……自分の力で歩くために自分自身の夢を、生き方を持つために歌手を目指している。

 

「樹……」

 

 元々歌を歌うのは得意ではなかった。あがり症で人前で声が出なくなる……それを“勇者部”のおかげで克服できた。歌を歌う事に希望を得られ、楽しみを見いだせるようになれた。自分の好きな歌を一人でも多くの人に聞いてほしいと思ったのだ。

 

 自分がこうも成長できたきっかけの勇者部についても語られる。人見知り故に最初は不安だったが、優しい先輩達に囲まれて毎日が楽しい最高の部活動であると、喜びを隠しきれないハキハキとした口調で……。

 

 そんな妹の声を聞きながら、アタシは自分のスマホの画面を見ていた。途中で大赦からの連絡が入り……アタシ達が騙されている決定的な文章を…。

 

『勇者の身体異常については調査中。しかし肉体に医学的な問題は無く、じきに治るものと思われます』

「風、これって……っ、治るなんてどの口が言うのよ…!」

 

 アタシはもう散華の事を知っているのに、大赦はその事を言わない。それどころか治ると嘘の答えを伝えて散華の存在を意図的に隠している。

 

 アタシ達を騙している。

 

『では、歌います』

 

「………ッ……うッ…!」

 

 樹の歌声が流れ始める。もう二度と歌えない……あの子の夢。

 泣き崩れるアタシの耳に入る、穏やかで、優しく、可愛らしい大好きな歌声。理不尽に奪われてしまった樹の祈りの歌。

 

「…ううッ……うう…ぅ…!」

 

 大赦は最初から後遺症のことを知っていた……アタシ達を犠牲にするつもりだった。都合の悪いことは全部伏せて、アタシ達を都合のいい道具にしていた……。

 

 樹の夢を壊した。

 

「うああああああああああああああああ!!!!」

 

「風!!」

 

 部屋の中に二つの光が輝く。

 燃え滾るような憎悪のままに勇者に変身し、アタシは家から飛び出した。樹の未来を奪ったあいつらを……!!

 

「待ちなさい!!」

「っ!」

「あんた何するつもり!?」

 

 背後から追うように夏凜が飛びかかる。宙で組み付かれ動きを封じられるがこの程度で…!

 何をするつもりかって…? 夏凜も聞いたでしょう!? 樹の夢を!!

 

 それを奪った下劣な連中が、アタシ達から未来を奪って甘い蜜を啜りながら生きている奴らがいる!!

 生きていいわけがないでしょうが…!! 許さない…!! アタシはどうなってもいい……あいつらがこの世から消え失せればそれで!!

 

「大赦を…潰してやる!!!」

「っ…!」

「どけェ!! 夏凜ッ!!」

「うっ!」

 

 しがみついていた夏凜を引き剥がし突き飛ばす。夏凜はそのまま落下していくがバリアがあるから無傷で済むだろう。勇者の力さえあれば奴らを壊滅させることなんて難しくない。反撃されてもアタシは止まらない!! 大赦を潰すまで、復讐を果たすまで!!

 

「行かせるかあああっ!!!」

「なっ…!?」

 

 体勢を取り直した夏凜が正面から……両手に刀を構えて接近する。咄嗟に大剣を出現させ、斬撃を受け止める。鍔迫り合いに火花が飛び散り、飛ぶ勢いも相殺されたアタシ達はそのまま地面へと落下する。

 

 着地し、再び飛び立とうと足に力を込める。だがまたしても、夏凜が刀を投擲し、大剣で防がざるを得ない。大剣で凪払い刀を落とすが、死角からの跳び蹴りを喰らい吹っ飛ばされる。

 

「ぐ……! 何でアタシの邪魔をするのよ!!!」

「……あんたに復讐なんて馬鹿な真似をさせないためよ」

「はあ!!? 何を言ってるのよ!! ……そういえばあんたは知らないんだったわね……いい!? 大赦はアタシ達を騙していたのよ!! 満開の後遺症は治らないの!!」

 

 夏凜だって全部分かれば邪魔はしないだろう。夏凜も絶対に許さないだろう。むしろ一緒に大赦を潰してくれるはずだ…!

 

「大赦は初めから後遺症のことを知っていた!! なのに何も知らせないでアタシ達を生贄にしたんだ!!」

「……知ってるわよ、全部」

 

 ……え…?

 

「後遺症……散華の事。先代の勇者、高嶋彩羽と乃木園子が二年経っても体が治っていない事……私も知っているわ」

「……知ってた…って……なんで…」

 

 友奈達には…樹と夏凜には話さないでって……なのにどうして知って……まさか…最初から…!?

 

「あんた……知ってて黙っていたの…!!? だからあの時……あんただけ満開しなかったの!!?」

「なっ…!? 違っ…」

「ふざけるなァッ!!! アタシはあんたの事を……仲間だと思っていたのに!!! お前も……お前もアタシ達を道具だと思っていたのか!!! この……裏切り者があああ!!!」

「くっ…!」

 

  夏凜に向かって走り、悲哀と憎悪が混じった大剣を振り下ろす。二本の刀を十字にして受け止められるが、そこに隙だらけの腹を蹴り飛ばす。

 

「痛っ……風…!」

「……殺す…! 殺してやる…! 夏凜ッ!!!」

 

 さっきからずっと涙が流れている。信頼していたのに……友達だと思っていたのに…。

 夏凜の表情は俯いていて見えない。今何を感じているのか……アタシにはもう…分からない。

 

 やがて夏凜は顔を上げる。その瞳は真っ直ぐにアタシを見据え……

 

「……いいわよ」

「あぁ!?」

「私が大赦に従順な手先で、あんた達の裏切り者だと思うのならそう思えばいい。遠慮なく私をその剣で斬ればいいわ」

 

 覚悟を決めていた。

 

「……でも、あんたに人を傷つけさせない。みんなが、風が人を傷つけた……なんて聞いたら悲しむでしょう?」

 

 刀の切っ先をアタシに向ける。その表情は共にバーテックスと戦った、共に勇者部として楽しい日々を送ってきた、頼りがいのある三好夏凜そのものだった。

 

「風、友奈、東郷、ほむら、樹……あんた達を守れるなら喜んで大赦の手先になってやろうじゃないの」

 

 怒りと悲しみに支配されたアタシは大剣を握る両手により力を込める。夏凜も構えを取り目の前の相手を迎え撃つ覇気が迸る。

 

「うおおおおおおおおおっっ!!!!」

「完成型勇者、三好夏凜!! 推して参る!!」

 

 辺りに派手な金属音が響き渡る。悲しき戦いの幕が切って落とされた。



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第三十六話 「心を守る」

 明けましておめでとうございます!
 さっそく私はマギレコのいろういガチャでみふゆさんがすり抜けたり、大天狗若葉ちゃんガチャで夏凜ちゃんURがすり抜けましたがどちらも初ゲットだったのでハッピーニューイヤーです! どちらも期間ギリギリまで粘ってやる……!

 今年もよろしくお願いします!
 


 夏凜さんが出かけてくると言ってから約10分。部室の中にいるのは私と友奈さんだけだった。今日は演劇の練習があるはずだったのに、これじゃああんまり意味がない。それよりも……

 

「………」

「………」

 

 ……みんなどうしちゃったんだろう…? 夏凜さん曰わく、ほむらさんは用事があるとかで早退して、東郷先輩はそもそも学校を休んでいたらしい。お姉ちゃんは昨日のお昼からなんだか様子がおかしくて、友奈さんもいつもの賑やかさが嘘のように静かだ。というよりも、明らかに元気がない。

 

『大丈夫ですか?』

「………んえっ!? あ…う、うん! 大丈夫だよ樹ちゃん…」

 

 そう笑顔を取り繕って答える友奈さんは見ていて悲しくなりそうだった。俯いてて私のスケッチブックにも全然気が付かないし、演劇の台本だってさっきからページを捲る手が止まったまま。大丈夫だなんて絶対嘘……きっと何か悩んでいる。

 

『うそ吐かないで、話してください』

「樹ちゃん……その…」

『悩んだら相談 ですよ!!』

「……うん……ごめんね」

 

 やっぱり何かあったんだ……私にも解決のために何かできるといいんだけど……。

 ううん、弱気になっていちゃダメ。私だって勇者部の部員なんだもん。お姉ちゃんが造った、私にとって最高の部活……困っている人達を勇んで助ける、とても素晴らしい先輩達の仲間なんだから!

 

「……昨日ね、東郷さんとほむらちゃんが……その…」

(東郷先輩とほむらさんが?)

「大喧嘩しちゃったの…」

(……えっ!?)

 

 意気揚々と話を聞いていた私はスケッチブックを落としてしまうほどの衝撃を受ける。あの二人が喧嘩、それも友奈さんが大喧嘩と言うほどの。お互い信頼し合っていて、とても出会って一年半と思えないほど固い絆で結ばれている二人が……それこそ嘘としか思えない…!

 

「こんなこと初めてで……ほむらちゃんがものすごく怒って……」

『どうしてですか! 原因は!?』

 

 あの二人が大喧嘩するなんて絶対に普通なんかじゃない。私が知らない所で何かあったんだ。それも今までにないほどの重大な何かが……。

 

 でも、友奈さんは口を噤んでいた。喧嘩の原因を聞いてもなかなかそれを言い出そうとはしない。私にも話せない……何か、理由でもあるの?

 

『お願いです 教えてください』

「っ…!」

『どんなに辛い事でも受け止めますから』

「樹ちゃん……うん、分かったよ」

 

 友奈さんは私の目を見て、不安げな表情のまま話してくれた。

 

 私達の体はもう治らない……と。

 

 散華と言われる、満開をすると体の一部を神樹様に供物として捧げられる機能の存在。かつて戦っていた勇者も、いくつもの体の機能を失い今なお治る目処が立っていない事。

 そして東郷先輩が、その昔の勇者の人達の話が真実がどうかを確かめるべく自殺紛いの事を繰り返し、自分の命を省みずに粗末にしたとほむらさんが激怒した……。

 

 ……友奈さんが……話そうとしないないわけだよ……。私がもう二度と喋れないって、そう簡単に言えるわけないよ……。

 

「い、樹ちゃん……ごめんなさい…」

 

 どんなに辛い事でも受け止めるって言ったけど……これは……かなり苦しい……。誰にも言わなかったけど歌手になりたいって夢ができたのに、その夢はもう叶わない。みんなが好きだって言ってくれた私の声はもうどこにも無くて、悲しみに押し潰されそうになる。

 

 でも、私だけじゃないんだ……友奈さんは味覚を、東郷先輩は左耳を、ほむらさんは痛覚を……お姉ちゃんは左目を失っている。

 

『教えてくれてありがとうございます。私は大丈夫です』

 

 みんなだって辛いんだ…! こんな所でへこたれていちゃ、お姉ちゃんの妹として、尊敬する先輩方の後輩として不甲斐ない!

 

「樹ちゃんは強いね…」

『みなさんのおかげです!!』

 

 友奈さん、東郷先輩、ほむらさん、夏凜さん、お姉ちゃん。みんながいたから私は強くなれた。これからも、みんながいるから私は堂々と前を向いて歩いていける。

 

 だからこそ、ほむらさんと東郷先輩をこのままにしてはおけない。二人とも私が尊敬する、大好きで、かっこよくて、誰にでも誇れる立派な先輩なんだから。これからも一緒に私を引っ張ってもらわないと困るんです!

 

 ……そういえば、その現場にはお姉ちゃんもいたんだよね? だとするとお姉ちゃんが昨日から様子が変だったのは、この件が絡んでいると見て間違いないよね……そう思ったまさにその時だった。

 

 私と友奈さんのスマホに同時に通知が入る。偶然のタイミングで一致したのかと思ったけど、スマホに表示されていた送り主は『大赦』となっていた。

 本来大赦からの連絡はお姉ちゃんか夏凜さんにしか行かないらしい。どうして私と友奈さんの方に……不穏に感じながらも、私達はその通知を確認する。

 

『現在、犬吠埼風が暴走し三好夏凜が抑止中。他の勇者も犬吠埼風の暴走を止めよ』

「……!?」

「えっ…!!? 風先輩っ!!」

 

 心臓を殴られるかのような衝撃が走る。お姉ちゃんが暴走しているって……どうして…っ!!

 

 どうもこうもない、きっとお姉ちゃんは感情が爆発してしまったんだ。お姉ちゃんも既に散華の事は知っている。だからこそ昨日からずっと様子がおかしかったんだ…!

 自惚れとも言えるけど、お姉ちゃんは妹である私の事をものすごく愛している。そして友奈さん達に対しても心から自慢できる最高の後輩達だと、私が入部する前から何度も語っていたほど大切に想っていた。

 

 私の声やみんなの体がもう二度と元に戻らないと知ってしまって、ヤケを起こしてしまった。散華の存在を隠して私達を戦わせた大赦への復讐……それ以外に大赦に襲撃する理由が考えられない。

 

 止めないと…! お姉ちゃんが今とても苦しんでいるのは判っている…! 許せないって気持ちも痛いほどに……

 

 でも私は見たくない! 聞きたくもない! どんな理由があろうとも、お姉ちゃんが人を傷つける姿なんて!

 

「行こう樹ちゃん! 風先輩を止めに!」

「………!!」

 

 友奈さんも私と全く同じ想いだろう。お願いお姉ちゃん…早まらないで…!

 

 

◇◇◇◆◆

 

「ああああああああああああああ!!!」

「はああああっ!!」

 

 刀と大剣がぶつかり合い火花を飛ばす。

 何度目かも分からない衝撃に刀を握る腕が痺れる。向こうは加減なんてするわけがなく、己の感情の導くままに問答無用でこちらを叩っ斬るつもりだ。

 

「よくも……よくもぉ!!」

「ぐっ…!」

 

 風の武器は身の丈ほどの巨大な大剣。そして私のはそれと比べると圧倒的に小さい刀だ。複数本同時に扱える利点があるとはいえ、単純に一撃の威力は向こうの方に軍配が上がる。ましてや今の風は感情が爆発していて、ただでさえ強力な威力が増している。

 自らの身を省みずに私の命を絶とうと振り下ろされる一撃を愚直に防いだところで、その強い衝撃はどうしても私の身体中に響き渡って悲鳴を上げてしまう。

 

 風の痛いほどの憎しみと悲しみが伝わってくる。

 

「っ、危なっ…!」

「チィッ!」

 

 紙一重で風の大剣を避け、地面を蹴って後ろに飛んで間合いを取る。ほんの少しでも気を緩めてしまうとコレだ。風を攻撃するつもりはないが、怒りに呑み込まれている風は私を殺す気でいる。その二つの現状によって生じる差は大きい。つまるところ、私はどうしても防御や回避に専念せざるを得ないのだから。

 

「よく考えなさい、風! こんな事をしてあの子達が報われるとでも思ってんの!?」

「どの口がそれを言うかぁああーーー!!!」

 

 風の指先にある何かが日の光を反射させる。次の瞬間、その手から三本の小刀が私目掛けて投擲された。

 

(二体目の精霊の能力…!?)

 

 初見の技に驚くも、咄嗟に小刀を斬り返す。だが風はそんなものお構いなしとでも言うかのように、次々と手元に再出現する小刀を放った。

 その小刀が向かう先にあるのは私の心臓やら脳天やら……ホントに容赦なく殺しにかかってくる。横に飛び退き降り注ぐ小刀を回避しながら、刀を握る右手に力を込めて……

 

「考えろ!! この大馬鹿犬部長!!」

「っ!」

 

 風の手元目掛けて全力で投げつけた。大きく横に高速回転する刀と直線上に飛来する小刀が交差する。私の刀は狙い通り新たな小刀を手に取った風の左手へ……既に放たれた小刀は私の喉元へと吸い込まれる様に飛び交い、互いに精霊のバリアが展開した。

 

「うっ……くっ…!」

「ゲホッ…ゲホッ…! ハァ…ハァ…」

 

 バリアのおかげで私達に怪我はない……が、衝撃は伝わる。風は小刀を取り落とし、私は咳き込んでしまう。それでもどうしてもコイツに言わないといけない。ずっと涙を流し続けながら怒りと憎しみと悲しみがごちゃ混ぜになった風の右目を見て、ここにいないみんなの想いを代弁した。

 

「あんたの言う通りよ……樹は大赦の連中に夢を奪われた。私だってその事は腸が煮えくり返るほどムカついてる……けどね、樹は言ってたでしょ!? あの子がその夢を見いだせたのは勇者部のおかげだって! あの子の前を歩いてくれた大好きな姉のおかげだって!!」

 

 私にも樹の想いがよく判る。ただ勇者としての御役目を果たすために……その事だけを考えて生きてきた私は勇者部のみんなに絆された。馬鹿ばっかで最初は頭が痛かった。連中の脳天気さに何度も溜め息をこぼした。みんなの優しさが暖かかった。気付けば私もそんな馬鹿共の一員になっていた……否、なりたかった。完成型勇者しか目標がなかった私が、本心から勇者部の一員になるのを望んでいた。

 

 そうなった理由は単純明快。勇者部のみんなのおかげだ。風が、友奈が、東郷が、ほむらが、樹がいてくれたから。最後まで一緒に笑顔でいたいと思える素晴らしい仲間達と出会えたからだ。

 

「そんなあんたが今何やってるのか分かってるの!? あんたは大赦だけじゃなくて樹が希望を見つけた居場所をぶっ壊そうとしているのよ!!」

 

 だからこそ、勇者部は誰か一人でも欠けてしまえば全てが崩壊してしまう。風は大赦への憎しみのあまり、そんな重要な事実を忘れている。

 

「ふざけた事を…! そう思っているならなんで何も言わなかった!? あの戦いの前に散華の事を教える時間はいくらでもあったはずだ!!」

「あの時の私は知らなかっただけよ! 知っていたら絶対に伝えていた!!」

 

 仮にみんなに心が開いていなかった昔の頃の私でも、誰かの犠牲を強いると知っていれば動いていた。大赦に厳重に沈黙を命じられていれば分からないが、みんなを誇りに思えている私ならそんな命令は一蹴し、断固として拒否する。

 

「私があんた達を騙していた裏切り者ですって!? ふざけんじゃないわよ!! 誰が仲間達をみすみす不幸にさせる道を選ぶか!! そんな選択が間違いだって誰にだって分かるでしょ!? 風!!」

 

 いくら風が冷静ではなかったとはいえ、あんな事を言われて何も思わないわけがない。私達の絆を疑われて、状況がこんなのでもそれだけはハッキリと否定しなければならなかった。

 でも、私はまたしても知らなかった。今の言葉が風のもう一つの地雷を踏み抜いていたことに……。

 

「~~~ッッ!!! 黙れ黙れ黙れ黙れぇええーーーッッ!!!!」

「風!?」

「うわあああああああああああああ!!!!」

 

 絶叫と共に接近し、繰り出される大剣の一閃。それに合わせるよう刀を構え……音を立ててへし折れる。

 

「ぐっ…うわあっ!?」

 

 そのまま大剣は私の体へ。そして精霊バリアが展開するも、大剣は大きく振り回され、私の体はバリアを纏いながらも凄い勢いで吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。壁はまるで車が突っ込んできたかのように大きく凹み、私の体に大きな怪我こそ無いものの、全身に痛みが走ってうまく立ち上がれない。

 

「ぅうう……あああ…! 違う……アタシはそんなの知らなかった……こんな事になるなんて…!」

「ふ…風…?」

 

 かろうじて見えた風の顔は先程までとは少し違って見えた。復讐の炎に燃えた鬼のような形相から一変、今の風はまるで全てに絶望してしまった幽鬼のようで……

 

「アタシのせいで……アタシのせいでみんなが…! あっ、ぁぁあああ…」

「あんたの……せい…? みんなって…何のことよ…」

 

 明らかに風の様子がおかしい。でもその様子が未だに危ういのは変わらないわけで、風の動向を警戒しつつ新しい刀を顕現させる。

 

「……やっぱり潰さないと……みんなの無念を晴らさないと…」

 

 来る…!

 

「アタシが……!! あああああああああっ!!!」

 

 大剣の切っ先を向けて壁にもたれ掛かっている私に突っ込んでくる。それに合わせ、先程折られた刀に力を宿して投げつける。折れた刀なんか投げた所でほとんど意味なんて無い……が、物が飛んでくれば反射的に避けるか、その大きな得物で弾き落として防ぐかのどちらかだ。とくに後者の場合は自らの勢いをそのまま保てる。

 故に風もそのようにしてあの刀を弾くものだと想定して投げた。結果は……予想通りだ。

 

 ドォン!!

「うっ…!? 爆発!?」

 

 初めてのバーテックス戦でも喰らわせた、投げた刀を爆発させる技だ。風の大剣に弾かれた衝撃で爆発し、辺りに土煙が舞う。

 

「……っ! 夏凜がいない!?」

「ここだああああ!!!」

 

 土煙は風の視界を奪い、それに乗じて風の頭上へと跳躍して二刀を振る。両方峰打ちだが意識外からの攻撃に風は対応しきれず、精霊バリアによって守られる。

 だがその攻撃で風が一瞬よろめいたのを見逃さない。刀を手放し風に組み付き地面に押し倒した。

 

「捕まえた…!」

「離せ!! 夏凜ッ!!」

「ぐっ……離すわけ…ないでしょうが…!」

 

 振り解こうと必死に抵抗する風を押さえる。こんな風の姿を見た私は胸を締め付けられるような苦しみを感じていた。

 風の暴走は恐らく樹の件だけではない。最初に別の……もう一つの何かに追い込まれていた所で樹の夢を知ってしまい、感情が爆発したのだろう。風達のマンションに行った時は散華の事を悩んでいるのかと思ったが、この様子から考えるとあまり釈然としない。

 

「……風、言いなさい。今あんたは何に苦しめられているの? 樹の事だけじゃないんでしょ!?」

「うるさいっ!! お前に何が分かる!!? 裏切り者のお前に、本当に大切なみんなを地獄に突き落とした人間の気持ちの何が分かるっていうのよ!!!」

「っ…!? 風…あんた、まさか……」

「アタシが……両親の敵討ちを望んでしまったせいで、全く関係ない平穏な日常を過ごしていたみんなを巻き込んだんだ!! 樹の未来を奪ってしまったんだ!! 不幸にしたんだ!! アタシが……勇者部なんて作らなければ良かったんだ!!」

 

 さっきの自分の発言を思い出す。『誰が仲間達をみすみす不幸にさせる道を選ぶか。そんな選択が間違いだって誰にだって分かるでしょ』

 

 風は選んでしまったと思ったんだ。誰にでも『間違い』だと断言できる答えを、その敵討ちとやらのために『間違いではない』と考え行動してしまった。その結果友奈、東郷、ほむら、樹の四人を命懸けの戦いに巻き込んで……散華で体の機能を失わせてしまった。

 

 風が許せないのは大赦だけじゃない。深く後悔し絶望するほど自分自身が許せなかったんだ……。

 

「アタシが何もしなければ樹は声を失わなかった!! 友奈も味覚を失わなかった!! ほむらと東郷だって、あんな大喧嘩をすることなくずっと仲良く過ごせていたんだ!!」

「なっ…!? ほむらと東郷が……それってどういう…」

 

 予想だにしなかった言葉に戸惑ってしまい、それがマズかった。風を押さえつけるという事に意識を割いていた分、驚きでその力が緩んでしまった。

 

「ああああああっ!!!」

「あっ…しまった…! あぐっ…」

 

 拘束を解かれてしまい、振り回された風の拳が私の頭を殴り抜ける。そのまま風は飛び退き、再び大剣を強く握り締め、その刀身が何十倍にも巨大化する。

 

「な…!? あ、あんた!! 樹海でもないのにそんなもの振りかぶったら…!!」

 

 辺りに人の姿はないが、縦に振り下ろすのも横に振り回すのも、現実の世界でやってしまえば大きな被害が出ること間違いなしだ。

 

「黙れぇ!!! 大赦の人間は全部潰す!! それがアタシに唯一できるあの子達への罪滅ぼしなんだ!!!」

 

 

 

 

「風先輩!! そんなのは違います!! 駄目です!!」

「………ゆう…な…?」

 

 一瞬幻聴かと思った。でもアタシの右目には夏凜の前で立ちふさがっている友奈の姿が映っていた。

 

「友奈…!」

「ごめん夏凜ちゃん、遅くなって……風先輩!! もうやめてください! これ以上、風先輩が傷つく姿なんて見たくありません!!」

「……っ! 退きなさい友奈!! そいつは裏切り者よ!!」

「そんなわけありません!! 夏凜ちゃんは私達の仲間です!! いつも一緒に笑い合ってきた勇者部の大切な友達じゃないですか!! 思い出してください!!」

「そんな事…!! そんな…!」

 

 夏凜が裏切り者だなんて思いたくなかった。でも現に夏凜はアタシ達を騙していて……

 

 夏凜は最初生意気な新人で、アタシ達を完全に下に見ていた。でも逆に弄り甲斐があって、よくからかって……口ではなんだかんだで文句を言いながらも結局はちゃんと勇者部の活動に参加していた。ただ単に人付き合いに慣れていなかっただけだったんだ。

 樹の歌の練習だって、夏凜はあの子のために色々な事をしてくれて……テストがバッチリだったって聞いた時には他のみんなと一緒に喜んでいた。

 あの戦いの時だって、危なかったほむらを助けたり、夏凜以外が倒れてしまった時には泣きそうになりながらも必死になって呼び掛けていて……無事だと分った時には本当に涙をこぼしていて……

 

 ……あれ? 夏凜って、いつから裏切っていたんだっけ? アタシが今まで見てきた夏凜はどれもこれも大赦の手先なんかじゃない。アタシが知っている夏凜は……勇者部の…

 

 勇者部……は…アタシが巻き込んだ……ぁ、ああ…!

 

「それでも!! アタシ達を騙していた大赦に復讐しなくちゃいけないのよ!! 満開の後遺症の存在を知らされていたらみんなを巻き込んだりしなかった!! 勇者部なんて作らなかった!! そしたらみんなは……樹は……!!」

 

 友奈の、東郷の、ほむらの、夏凜の、樹の……みんなの笑顔が脳裏を過り……剣を振り下ろす。

 

「無事だったんだぁぁあああああああ!!!!」

 

 

 

 

 

 上から迫り来る超巨大な刃を見ながら、私はさっきの友奈の言葉を思い出していた。私は裏切り者なんかじゃない、大切な仲間。いつも一緒に笑い合ってきた勇者部の友達。

 

 ……やっぱり、私に大赦の手先なんて肩書きは全く似合わないわね。そんな唾を吐きたくなるようなものよりも、みんなに誇れる最高の肩書きがあるんだって友奈が認めてくれたようで嬉しかった。

 

「じゃあ尚更! ここで風を止めなくちゃいけなくなったわね!! 友奈! 伏せていなさい!」

「えっ! 夏凜ちゃん!?」

 

 あの大剣を避けるのは論外。後々大変な事になる。

 防ぐ? 馬鹿言ってんじゃないわよ。あんなサイズの大剣、防ぐ前にこっちが潰れるっての。

 

 じゃあどうするか…そんなの一つしかないわ!

 

「やぁああああああああああああ!!!」

 

 地面を蹴って刀を握る。振り下ろされる大剣にこちらも渾身の力を込めて刃をぶつける。

 

「夏凜ちゃん!!?」

「さあ見なさい!! これが完成型勇者!! 讃州中学二年、勇者部部員、三好夏凜の…!!」

 

 私ならできる。この馬鹿でかい大剣を……ぶった斬る!!

 

「気合いと……根性と…!!」

 

 左肩が光り輝き、刀が赤く、大きく変化する。力が漲る。大きさからして圧倒的に負けていた私の刀は、風の大剣の刃を裂き始め……叫ぶ。

 

 

 

 

 

魂だぁぁあああああああああああああ!!!!

 

 

 

 

 

 アタシの目に広がっていたのは信じられない光景だった。アタシの全てが込められた剣は、その巨大な刀身の半分以上が消えて無くなっていた。

 遥か高く上空に巨大な鉄塊が見える。消えたと思った、アタシの大剣の刀身だった。鉄塊は細かく黄色の花弁となって全て消滅していた。

 着地した夏凜の手には見たことのない真っ赤で大きな刀。そしてアタシの大剣の消滅している部分には綺麗な断面図が。

 

(……斬っ…た…?)

 

 その真っ赤な刀全体が一瞬淡く光ると、ツツジの花弁が舞い散り元の刀が現れる。ふと夏凜は自分の右手を触り、次に左肩に目を向ける。

 

 そこにある満開ゲージには色がなかった。

 

「か…」

「夏凜ちゃん!!」

「……流石にタダってわけにはいかないわよね。右手の感覚がないわ」

「そんな……夏凜……」

 

 そう言って困ったように笑う夏凜を見て、アタシの顔は後悔一色に歪み、大剣の柄を掴む手の力が抜ける。音を立てて大剣は地面に落ちて、花弁となって消滅する。夏凜は……散華してしまった。アタシの暴走を止めるために……アタシの馬鹿な行動のせいで……。

 

「……馬鹿。なんて顔してんのよ、風」

「だって……夏凜…! アタシのせいで満開を…!」

「風を止められるなら……勇者部を守れるなら、これくらい」

 

 右手を失ったというのに夏凜は笑ってみせた。アタシを止められた事を何よりも安心したとでも言うかのように……

 

 ……ああ……なんで今まで最低な勘違いをしてたんだ…! 夏凜は裏切り者なんかじゃなかった…! ずっと前からアタシ達の仲間で友達で……心で通じ合っていた存在だったのに、問答無用で殺そうとして…!

 

「夏凜、ごめん……! アタシ…取り返しのつかない事を…!」

 

 本当に取り返しのつかない事だ。夏凜だけは無事だったのに、向こうの心配を無下にし、勝手に勘違いして襲いかかり散華の原因を作ってしまった。

 ……もう私が巻き込んだ四人だけじゃない、夏凜の未来さえ台無しにしてしまった罪悪感が沸き上がってしまう。

 

「……ん、許す」

「………え…?」

「あんたとやり合ってた私は大赦の手先で敵だったとでも思っておきなさい。勇者部の三好夏凜は仲間としてあんたを止めただけ……それでいいのよ」

「そんなの……納得できるわけないじゃない! アタシはあんたの手を…! みんなの幸せを壊し…」

 

 泣き叫ぶように夏凜に罪を吐き出していると、誰かに後ろから抱き締められる。夏凜ではない、友奈もアタシの目の前にいる。それじゃあいったい……

 

「……樹…?」

『お願い、もう苦しまないで』

 

 最愛の妹が悲しげな顔で抱きついていた。その手のスマホに表示されていた文字は樹の声。守りたかったはずの存在なのにアタシの暴走でどれだけ深く傷つけてしまっただろうか……後悔に押し潰され、アタシは膝をついて泣き崩れた。

 

「……うぁああ……ごめん……ごめん、みんな……!」

『私達の戦いは終わったの。夏凜さんのことは辛いだろうけど、許してくれている。もうこれ以上失うことは無いから』

「……でも! アタシが勇者部なんか最初から作らなければ!!」

 

 樹は微笑み、首を横に振る。そして友奈と夏凜に視線を向けると、友奈も同じ様な明るい表情で言った。

 

「風先輩! 私は勇者部に入った事を不幸だなんて思った事は一度もありません! 世のため人のためになることを勇んで行う……入部した頃から今までずっと誇らしくて、毎日が楽しくて仕方ないんです!」

「前にほむらも言ってたっけ。ほむらも勇者部に入ったから幸せになれたって。勇者部こそがあいつに全てを与えてくれた掛け替えのない居場所だってさ」

「夏凜ちゃんは?」

「同文。てか、言わなくても分かるでしょ」

 

「「樹(ちゃん)は?」」

 

 二人の質問に樹は満面の笑みで頷いた。そして一枚の見覚えのある紙を取り出してアタシに見せた。樹の歌のテストの際、他のメンバーの五人で書いた寄せ書きだ。

 散華なんて知らなかった幸せだった頃の記憶が蘇る。その時のみんなが樹を励ますために書いた、樹に夢を与えるきっかけとなった絆の証。樹はその宝物と言える寄せ書きに自らもメッセージを書き込んだ。

 

『勇者部のみんなと出会わなかったら、きっと歌いたいって夢も持てなかった。勇者部に入って本当によかったよ 樹』

 

「…い…つき…」

「みんな同じ想いなんです。だから勇者部を作らなければ…なんて言わないでください」

 

 ずっとみんなを不幸にしてきたと、勇者部を作らなければと後悔していたが、それが間違いだったとみんなが否定する。さっきまで殺されかけていた夏凜でさえ、勇者部に入って幸せだったと笑って言う。

 

 みんなが笑ってアタシを許してくれた。

 

「……ぅううあああ……ぁああああ!! ああああああああああ!! うわぁあああああああ!!」

 

 涙が止まらない。後悔、罪悪感、憎しみ、怒りに支配されていたアタシが今、それらだけじゃない別の感情に激しく揺さぶられる。愛しい仲間達に受け入れられた嬉しさを感じている。そんないろんな感情がごちゃ混ぜになっているせいか、アタシはただただ泣くことしかできなかった。

 

 樹はそんなアタシを再び強く、優しく抱き締める。姉のアタシが情けないほど涙を流しているのに、樹は一筋の涙も見せない。アタシに心配をかけまいと……アタシの心を守る。

 

 

 

 

 

「ほむらちゃん……東郷さん……今何を…」

 

 

 

 

 

 

「東郷!!」

「っ!? ほむらちゃん…!?」

 

 そこはまるで地獄そのもの。誰も知らないその世界で、二人の勇者が抗っていることを仲間達は知らない。




 今回の夏凜ちゃんの満開は、勇者の章最終話で風先輩が残ったゲージを全て使用して満開時の武器だけを顕現化したアレの独自解釈です。溜まっていたゲージを全て使用し満開時の刀だけを顕現させたので、見た目の変化はありませんでした。ただし強大な力を得るには神樹に供物を捧げるという決まりから散華は起こってしまいました。とはいえその力は武器のみで、使用時間もほんの僅かだったため、原作の代償である右腕から右手へと少々軽度で済みました。
 なお、上記の通りこれは完全な満開では無いため、精霊の追加はありません。諸行無常。
 


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第三十七話 「お姉ちゃんだから」

 いろうい尊い……
 若葉ちゃん……あなたのことが、好きだったわ……

 まどマギ10周年おめでとうございます!!


 私が高嶋彩羽と乃木園子に会いに来た理由は、私達勇者に関わる詳しい話を聞くため。些細な事でもいい、散華で失った体の機能を治す手がかりを得るためだった。

 

 東郷が来たのは予想外だった。一瞬記憶が戻ったのかと期待したがそんなわけない。あれだって散華で失われたもの。おそらく私と同じ理由で訪れたのだろう。断じて私が期待した理由ではない。

 理由が同じならわざわざ部屋を分ける必要はない……が、今は彼女の顔を見たくもない。口を利きたくもない。どうしてもあの時の憤りを思い出してしまいそうになるからだ。

 

 東郷は乃木さんから話を聞けばいい。彩羽さんの手を引いて強引に退出し、別の部屋で彼女から話を聞こうと思った……のだが……。

 

「話して」

「………」

「ほむらちゃんが話してくれないなら、私だって話さないよ」

 

 移動中、彩羽さんはずっと私に東郷との間に何があったのか聞き出そうとしていた。別室に入ってからもそれは変わらない。

 あの件は私と東郷の問題……部外者に口出しされたくないし、掘り返されるのもうっとおしい。無視を決め込んだが、ここで彼女から自分も話さないと脅迫……頭を抱えずにいられなかった。

 

「……あなたには関係ないって言ってるでしょ」

「関係なくなんかないよ」

 

 即答で否定。もう完全に嫌な予感しかしない。

 

「私と東郷の問題…」

「美森ちゃんの問題は私達の問題なんだよ」

「……頑固者」

「それでもいいもん」

「話して。そのために私はここに来たのよ」

「だめ、話さない。ほむらちゃんが話してくれるまで、絶対に」

「そもそも私達の事を話すヒマがないわ。もう時間は夕方なのよ?」

「それじゃあ仕方ないね」

「そうでしょう? なら…」

「ほむらちゃんが諦めてね? 私も教えるつもりだったけど話せないから」

 

 ………芯が強すぎる。この高嶋彩羽という少女、外見や穏やかな雰囲気だけじゃない、決めた事には怖くなるほど真っ直ぐ貫き通す頑固さまでもが“環いろは”そのものだ。

 言葉に詰まり何も言えない私に対し、彩羽さんはふぅっ…と息をつく。「あのね」と真剣な語調で、見えない両目でこちらを見つめてくる。

 

「ほむらちゃん……出会って間もないけど、私はあなたが好きだよ」

 

 ………………?

 

「…………は? えっ? なんでこのタイミングで告白…?」

「えっ? ………いやいやいやそういう意味じゃないよ!!? そうじゃなくて…ほら!! お友達って意味で!!」

「そ、そうよね……ビックリした……友達?」

 

 いやほんといきなり何言い出すのかと思った……。でも普通そこは友達というより人という意味では?

 

「うっ…! 勢いのあまり…つい……迷惑だよね…?」

「……いや、別に構わないのだけど……そういう意味では私も彩羽さんに好感を持っているし…」

「本当!? よかったぁ!」

 

 どうやら自分でも思っている以上に私は彩羽さんに気に入られているみたい。やった事と言えば……初めて出会った時に東郷の下に抱きかかえて連れて行った事、彼女達の代わりに羽衣ちゃんに会いに行った事ぐらいよね?

 でもそのぐらいの事でも私を信用してくれた。お人好しというか、真面目というか……こちらも彼女が良い人だって判っているから親しみが持てるとはいえ、ちょっとだけ心配になりそうね。

 

「それで、何が言いたかったの?」

「……私は美森ちゃんのことも好きなんだ。あの子が私達の記憶を無くしていても、それは決して変わらない」

 

 彩羽さんが語る、二年前から少しも色褪せない愛情。私はその時の彼女達の身に何があったのか詳しく知らない。辛い過去を背負っているのは間違いなく、涙だって枯れてしまいそうになるほど苦しんだのだと思う。

 それでも、そんな過酷な日々を共に笑顔で笑い合えた一時もあったのだろう。築き上げた絆は決して崩れない。彩羽さんが東郷を想わなかった日なんて一度もなかった。

 

「二人の間に何かあって、ギクシャクした雰囲気をしているって分かって、それをそのまま放置するなんて私にはできない。それを見て悲しむ人がいるって判るから」

「悲しむ人……ですって…」

「例えば結城友奈ちゃん……ほむらちゃんと美森ちゃんの大親友」

「……っ」

「ほむらちゃんの友人関係はほとんど知らないけど断言できるよ。あなた達と関わりがある人で、ほむらちゃんや美森ちゃんみたいな優しくて素敵な子を心配しない人なんていないはずだよ」

 

 私達と関わりがある人の中に心配しない人はいない……勇者部のみんなは悲しむ?

 あの時、風先輩は困惑していた。

 

 友奈は……泣いていた…。

 

「何度でも言うよ。これはほむらちゃんと美森ちゃんだけの問題じゃないの。二人を想う人全ての問題なんだよ。私に関係なくなんかない」

「…………」

 

 反論なんてできるわけがなかった。自分達の問題だと言い張って、私は友奈達の心配すらも気にしていなかった。

 今日の学校での事だって、いつもなら友奈は絶対私に話しかけて来るのに、今日はあの子と一度も会話を交わさなかった。あの子の心を傷つけてしまった証拠だ……。

 

「話してくれる? ほむらちゃん達が喧嘩してしまった理由」

 

 ……話さない事は、誰にも理解されない事はすれ違いを生むだけ。だったら……

 

「……話してしまえば彩羽さんにとって辛い事実を伝えてしまう。それでもいい?」

「……羽衣のこと…かな? 部屋から出る時にあの子の名前が出たけど…」

「……ええ」

「聞かせて。二人だけじゃなくて羽衣の名前も出た以上、私は逃げないよ」

 

 話そう。現実から目を背け続けてはただの愚か者だ。今更だがみんなを悲しませる事は私の望む所ではない。

 

 

 

 羽衣ちゃんに会いに行った時、あの子の心は既に限界だった。彩羽さんと乃木さん、あなた達に会えない事、東郷……鷲尾須美の生死すら分からない恐怖、羽衣ちゃんを蝕んでいる病。

 

 私が会いに来たあの日まで、羽衣ちゃんは生きることを諦めていた。どうしようもない孤独感と、病が命を削り続ける毎日。肉体的にも精神的にも追い詰められ、むしろ死ぬことでそれら全ての苦痛から逃れられると考えていた。

 

 私は言ったわ。須美は生きていて、友達と幸せな日々を送れていると。お姉さん達も羽衣ちゃんをずっと愛していて、会いたがっていると。あの子に希望を……生きる目的を与えて助けたかった。

 

 ……羽衣ちゃんはもう……駄目らしいの。現在の医療技術では助からない。余命も残り二ヶ月程度……そう言っていたわ。

 

 ……姉のあなたには重すぎる話よね……。でも、事実なのよ。あの子はもう……生きる事を諦めるしかなかったの。

 

 生きる事を諦めた羽衣ちゃんは妥協した夢を願った。死ぬ前に彩羽さん、乃木さん、東郷に会いたい。それがあの子の最期の願い。

 

 悔しかった…! あの子の助けになりたかったのに、あんなに悲しい願いを抱かせる結果にしてしまったことが…!

 

 涙を流した…! あの子はまだ小学生でしょう…!? もっと幸せな夢を願ってもいいのに、ありふれた日常すら望めないなんて酷すぎるわよ…!

 

 羽衣ちゃんは生きていたいのよ! 本当は彩羽さんに会って、乃木さんに会って、東郷に会って……今度こそみんなと一緒に幸せに生きたいのよ! 何故それを諦めないといけないの! どうしてあの子が死ななくちゃいけないのよ!

 

 ……ごめんなさい、取り乱してしまったわ。不吉な言葉も出したわね…。

 

 ……でも、どうすることもできなかった。彩羽さん、あなたは私に言ったわよね。羽衣ちゃんに笑顔を取り戻してくれてありがとうって……あんな笑顔で迎えられる希望なんて、私は望んでない。最期の望みを与えるつもりなんて無かったのよ。ただ約束したかっただけ……東郷の記憶が戻って、彩羽さん達の体も治って、再会できる時まで頑張ろうって。そこがゴールじゃない、再出発のポイントであってほしかった。

 

 ……結局羽衣ちゃんの望みは変わらなかった。生きたいという本当の望みを諦めて、死ぬ前にあなた達に会う……。

 

 

 羽衣ちゃんがその望みを願いながら苦痛を耐えている間、東郷は自害を繰り返していたのよ…!

 

 勇者は死なないというあなた達の言葉を検証するために十回以上…! あなた達の言った事が真実かどうか確かめるために…!

 

 私は東郷が記憶をなくしていても、心では忘れていないと信じていた。あなた達に初めて会ったあの時、東郷が流した涙を見てそう確信したのよ……なのに…!

 

 東郷はあなた達を信じていなかった! 疑っていた! 記憶はなくても東郷とあなた達の間には言葉で表せないほどの絆があったはず! それを蔑ろにした東郷が許せない!!

 

 加えて信じていなかったくせに東郷がしでかした事は自害! 自分が死ぬかもしれないという考えは絶対にあった! ありながら実行した! もし本当に死んでしまったら取り返しがつかないなんて誰にでも分かるでしょう!!

 

 死ななかっただけよ! 東郷は自分の命を粗末にした! 私達の大切な友達を十回以上も殺しかけた!! 

 

 羽衣ちゃんは東郷に会いたいと願ったのよ!! 生きる事すら諦めた羽衣ちゃんが最期に会いたいと!! 記憶がない!? そんな事聞いてないから知らない!? 関係ないのよそんなこと!!

 

 羽衣ちゃんが諦めざるを得なかった命という無二の存在を、あの子が再会を望んでいる人の命を東郷は実験台にした!! あの子の想いを踏みにじって……許せるわけないでしょう!!

 

 

「……そうだったんだね……」

 

 溜め込んでいた怒りや悲しみ全てを吐き出し、昨日の苛立ちをそのまま思い出した私にかけられた言葉。悲しんでいるのやら同情しているのやら……確かに言えることは、その感情の中には私とは違って怒りというものが感じられなかった。

 

「……ほむらちゃん、もう一度だけ言わせて。羽衣に笑顔を取り戻してくれて、ありがとう」

「……っ! 話を聞いていたの? いらないわよ! あんなに悲しい笑顔なんて!」

 

 最初に聞いた時とは違って、今は彼女も羽衣ちゃんの現状が分かっているはずだ。それなのに何故その言葉が出てくるのよ! 私を煽ってるの!?

 

「ううん、ちがうよ。悲しい笑顔なんかじゃない、ほむらちゃんは羽衣に希望を与えたんだよ」

「……そんなもの…所詮はまやかしの希望よ」

「まやかしでもなんでもない。本当にそうなら羽衣は今でも私達に再会する事じゃなくて、死んで楽になることを考えているはずだよ。幸せなのはどっちの方だと思う?」

 

 最初にあの子を見た時の、全てに絶望して今にも壊れてしまいそうだった羽衣ちゃんの姿。

 夢を見出してからの、私の話を嬉々として聞いていた羽衣ちゃんの姿。幸せそうなのは……あの子が幸せなのは後者だった。

 

「羽衣に須美ちゃんが生きてる事を教えてくれたんだよね。羽衣、きっとものすごく嬉しかったんだろうね」

 

 そうだ。その話をしてからだ。あの子の何もかも諦めて濁りきった眼に希望の光が戻ったのは。

 

「あ! それとほむらちゃん、羽衣にいろんなお話をしてくれたでしょ?」

「えっ? 確かに勇者部の話とか、時間ギリギリまでいろいろと……あなたには言ってないわよね?」

「言ってなくても分かるよ。ほむらちゃんはとても優しい、人を思いやれる子だから、あの子が喜ぶ話をしてくれたって!」

 

 そう屈託のない笑顔で語る彩羽さんの姿が私の記憶の中のあの子の笑顔と重なる。その曇り無き笑顔と、勇者部の話を聞いていた時の羽衣ちゃんの笑顔は全くの同じだった。

 

「ほむらちゃんは間違いなく、羽衣を救ってくれたんだよ。あの子も絶対に感謝してるから、否定しないであげて? ……それと」

 

 ここからが本題。彼女が次に何を言おうとしているのかは簡単に予想できる。

 

「ほむらちゃんが本当に羽衣の事を想うのなら、美森ちゃんを許してあげて」

 

 ……ほら、やっぱり。話す前からその言葉は絶対に来ると分かりきってた。私の気持ちを知った上でぬけぬけと……。

 

「……よくもそう簡単に言えるわね? あなたは東郷のしでかした事の重さに何も感じなかったの?」

「思うところが無いわけじゃないよ。まさか自殺で試すなんて、もし私もその場にいたらお説教してたよ……でも」

 

 彩羽さんはその場で立ち上がり、大きく上半身を前に倒した。

 

「元を辿れば私達が原因です。教えるかどうか、もっと深く考えるべきでした。あなた達には辛い真相を押し付けて、あまつさえ二人の仲を傷つけてしまって……本当に申し訳ありませんでした」

 

 最敬礼の姿勢、最大級の謝罪の意を込めて言葉を紡いだ。

 

「責めるなら私達を責めてください。一生許さなくても構いません。美森ちゃんはただ、私達のせいで気負い込んでしまっただけなんです」

「べ、別にあなた達を責めるつもりは…」

 

 彼女達は私達と同じ被害者だ。責めるなんて考えては初めから無かった。そう言うと彩羽さんはゆっくりと姿勢を戻し、冷めた口調で言い放つ。

 

「……私達を責めるのは間違いだと思うの? それで美森ちゃんが全部悪いって言うつもり?」

「それは…」

「それって犯罪の実行犯が有罪で、唆した黒幕が無罪だって言ってるようなものじゃないかな」

「……あなた達に東郷を唆す意図は無かったのでしょう?」

「例えだよ。確かにその気は全く無かったけど、話をしたせいで実際にトラブルは起こっちゃったんだよ」

 

 彩羽さんは正そうとしている。自分達に責任があるのだと、自身の信念通り真っ直ぐに貫き通す。

 

「ハッキリ言うよ、ほむらちゃん。あなたは美森ちゃんを過剰に責めているだけなの」

「過剰……それは当然でしょう!? 東郷がしでかした事を考えれば過剰にもなるわよ!!」

 

 東郷は私達の、彩羽さん達の、羽衣ちゃんの想いを…!!

 

「………あのね? ほむらちゃん……

 

 

 

 

 

いい加減怒るよ?」 

「……ひっ!!?」

 

 え………なに今の恐ろしいプレッシャー……? 足が震え…え……動かない…? 東郷の友奈絡みで滲み出る威圧感なんて霞んで霧散するレベルのおぞましさ……一瞬彩羽さんの背後に呼子鳥の化け物の幻影が見えた気が……!?

 

「言ったそばからどうして責めるの? 私はそれが良くないって言ったんだよ?」

「は、はいっ!」

 

 反射的に返事をしてしまった……でもアレは逆らえないでしょう…!? 普段怒らない人ほど、怒る時は怖いとはよく言うけど、怒る前から恐怖で膠着するって余程の…!

 

「……ハァ……ほむらちゃん、あなたは美森ちゃんの事をどう思っているの? 許せないとかそんなのじゃなくて、難しく考える必要はない……もっと根本的な意味で、一番中心的な意味で」

 

 東郷の事を根本的にはどう思っているのか? あの子と出会えた事は私のこの人生の中でも特に幸福なものの一つだった。だってあの子と話している時間は……共に過ごしてきた時間は奇跡といえるほど尊いもので……私は彼女を……

 

「…………友達だと思ってるわ」

「それは喧嘩している今も?」

「……ええ」

 

 ……あんな事があっても一度たりとも縁を絶ちたいなんて思わなかった。ずっと友達だと思っていた。友達だからこそ東郷の行動が許せなかった。

 

「このままでいいの? 美森ちゃんと仲直りしないまま、ずっと怒ったままでお友達を悲しませて」

「……分かってる…」

「時間は解決してくれないよ」

「分かってる!」

 

 私達がこのままだと誰も幸せになれないなんて、もう私達だけの問題じゃないなんて分かってるのよ!

 羽衣ちゃんを想うなら許してあげて…なんて……卑怯よ。あの子も私達の事を知ったとすれば悲しむ内の一人じゃない。羽衣ちゃんがこれ以上悲しむなんて嫌……だけど、この気持ちを中途半端に受け入れてはいけないのよ!

 

「……仲直りしたくないわけじゃないんだよね。あくまでほむらちゃんの気持ちの問題……そうなんでしょ?」

「……」

「だったらお互いしっかり話し合おうよ」

「話し合う?」

「そう。美森ちゃんだってさっき、自分が間違いだったって言ってたでしょ。ほむらちゃんはあの時聞き入れなかったけど、それも間違い。想いは否定しちゃだめ……ちゃんとお互い話し合って、受け入れるんだよ」

「……単純ね」

「単純でいいんだよ。友達と仲直りする方法なんて複雑じゃなくていいの。一緒にいたいって思う事が一番なんだから」

 

 話し合いか……それに勇者部六箇条、悩んだら相談。意固地になって目を背けて失敗だった。今更どんな顔をして話せばいいのやら……でも、こればかりはやり通さないと。

 

「ただその前に、ほむらちゃんも美森ちゃんに謝ること! さっきも言ったけど、美森ちゃんを責めすぎたってことを忘れないでね!」

「……年長者の忠告、感謝するわ。私も悪かった」

 

 謝らないと……東郷に、みんなに。

 

「さて、話はこれで纏まって……あ」

「……次はこっちが聞く番ね」

 

 本来の目的は終わっていない。彩羽さんの表情が目に見えて曇る。彼女が知っている、これから伝えられる話が決して良いものではないと解ってしまう。

 

「……本当は話したくない。これはあまりにも残酷すぎるの。絶望して、生きる気力を無くしてしまうかもしれないから」

「そんなに…」

「聞かなければそんなショックは受けずに済む。決定権はほむらちゃんに委ねるよ」

 

 そう前置きするなんて、本心では話したくないというのは嘘偽りないのだろう。でも委ねるということは、彼女は私を信じてくれている。私が絶望に負けてしまうと思っているなら彩羽さんは教えるはずがない。乗り越えられると信じているからこそ、話していいと考えてくれている。

 それにここで逃げたら私達を陥れた運命に屈してしまう。抗って、みんなと再び笑い合える日々を取り戻すと誓った。絶望なんてしてたまるものか!

 

「お願い、彩羽さん」

 

「……───は」

 

 

 

 

 

「……な……う…そ……」

「これが私達が二年前に直接目にした、勇者の……この世界の真相だよ…」

 

 足元がおぼつかない。彩羽さんが語った、この世界に救いなんて……ない。

 

「~~~っ!!」

 

 やり場のないグチャグチャな感情のまま、壁に無我夢中で拳を叩きつける。守るべきこの世界はとっくの昔に……終わっていた。

 

「ほむらちゃん」

「…っ!」

「負けないで……絶望しないで」

 

 彩羽さんの言葉が埋もれてしまいそうな私の心を繋ぎ留める。こんな絶望しかない世界で、彼女は二年間も耐え抜いていた。

 

「……あなたは…どうやってこの事実を受け止められたの?」

 

 私なんかよりも辛い過去を背負っているはずの彼女が、絶望しないで私に希望を託そうとする理由が分からない。仲間を失って、他の仲間と一緒に散華し、妹と引き離されてた……そんな彩羽さんは微笑み言った。

 

「あの子達がいてくれたから。羽衣、園子ちゃん、須美ちゃん、銀ちゃん……私はあの子達のお姉ちゃんだから」

「……一人っ子だから真似できないわね」

 

 でも……とても愛しいと思える仲間達なら……。

 

「大丈夫そうかな…?」

「かなりキツいけど……なんとか…」

 

 精神的にはもう倒れそうだけど……。

 

「もう今日は帰った方がいいんじゃない?」

「……ええ。そうかもね」

 

 いろいろ整理しないと……これからの事、この世界の事。

 

「あ、最後に一つだけ!」

「なに?」

「私を友達だって受け入れてくれてありがとう!」

 

 ……ふふっ、このタイミングでそれを言うのね。私も、出会えた先代の勇者が彩羽さんで本当に良かったわ。

 

「……彩羽さんはあの部屋に戻らないの? 一緒についていくわよ」

「あ、ううん、一人で大丈夫。落ち着いたら戻るよ」

 

 ……落ち着いたら? 少し気になったけど彩羽さんに変わった様子は見受けられない。まあ彼女も疲れたのでしょうね。大丈夫だというなら問題ないのだろうし。

 

 

 

 東郷は……もう帰ったのかしら? 早いところ東郷にあの時の態度と、昨日の事を謝って、話したい。

 

 エレベーターで一階のロビーに降りると何やら大赦の神官達が慌ただしい様子でこちらに近付いてきた。ただ、慌ただしかったのは彼らが私の存在に気付く直前まで。今は仮面越しに露骨に安堵した様子が伝わってくる。

 

「「「勇者様!!」」」

「……肩書きなんかで呼ばないでほしいわ。よくもぬけぬけと声をかけられたわね」

 

 散々騙してきた相手にこうも媚びへつらう様を見せつけられて怒りが湧かないわけがない。そのくせ睨み付けると怯える様も見せて……本当にどうしようもない連中だ。

 

「申し訳ありません暁美様!! ですが緊急の事態ゆえ……お力を貸して頂きたく…」

「お断りよ。図々しいことこの上ないわ」

「ですが…!」

「くどい。誰があなた達に力を貸すと…」

「現勇者の犬吠埼風が暴走しているのです!」

「………は?」

 

 今なんて……風先輩が暴走……?

 

「どういう事よそれは!!」

「ヒィ!? わ、私共にもその…経緯が不明で……何故犬吠埼風が暴走しているのか…!」

「ふざけるな!! 風先輩が何の理由もなくそんな事をするわけないのよ!!」

「お、お助けください!! 勇者様!!」

「黙りなさい!!」

 

 わめき散らす神官共を突き飛ばして病院から飛び出す。風先輩がどこにいるのか、勇者システムを起動しマップを表示する。私達勇者の位置を明確に表示するこの機能により、全員の現在地が映し出された。

 

 風先輩は……讃州市と大橋市の中間ぐらいの地点に。そしてそこには夏凜もいるみたいだった。二人その地点からほとんど移動していないが動いてはいる。おそらく暴走している風先輩を夏凜が足止めしている。その地点にさらに二人、友奈と樹ちゃんも向かっている。

 

(東郷は………え?)

 

 東郷だけは正反対の場所にいた。四国全土を覆う壁の上に。そこから外側へ出て行って……消えた。

 

「壁の外に!?」

 

 私が彩羽さんから聞いた話。壁の外はこの世界の人々に隠された、真実の世界が広がっている。東郷は乃木さんからあの話を聞いて確かめに行った…?

 

「っ! 夏凜、友奈、樹ちゃん! 風先輩をお願い!」

 

 勇者に変身し、東郷が消えていった場所へと駆け出す。

 その真実の世界とは地獄だと聞かされていた。東郷はそんな所に一人で……!

 

 

◇◇◇◆◆

 

「……もう行ったかな?」

 

 ほむらちゃんはいない。そして幸いなことに園子ちゃんもいない。この部屋にいるのが私一人だけで本当に良かった。

 ほむらちゃんの話の割と最初の方からずっと、この時が来るのを待っていた。もう自分に嘘をつかなくていい。誰もいないからごまかす必要もない。

 

 そう思ったその瞬間、私の体は膝から崩れ落ちる。一切の光を失った両目からは我慢していた涙が溢れ出す。

 

 

 

「わああぁぁーーーーーーっ!!!! ういぃぃーーっ!!!! 羽衣ぃいいいい!!!!」

 

 

 

 絶え間なさく流れる涙を拭おうにも両腕も散華していて動かない。仕方なく、床に顔をこすりつけるよう拭うしか……。

 

「ぅうう……うああああああああああああ!!!! やだぁ……いやだよぉ……死なな…いで……羽衣…ぁぁあああ…!!」

 

 最愛の妹の死が、永遠の別れが……。何故そんな時が迫って来ているのに私はここにいるのか。何故あの子の側にいてあげてないのか。

 それは私が勇者だったから……もしそのように責任を押し付けられたら、少なくともこれほどまで自分を責めなかったのかもしれない。でも違う。私がここにいるのは、あの子の側にいないのは何もかも私が望んだこと。選択肢はちゃんと存在したのに私が選んだ答えは妹を見捨てるものだった。

 

『ろっはー先輩……わっしーをお願い。後は全部私がなんとかするから』

『な、何言ってるの!? あんなにバーテックスがいるのに園子ちゃん一人なんて…園子ちゃんが死んじゃうよ!! 私も残って戦う!!』

『ろっはー先輩にはうーたんがいるでしょ。お姉ちゃんでしょ? あの子を一人ぼっちにしちゃダメだよ。側にいてあげないと』

 

 園子ちゃんにだって言われた。須美ちゃんを任されて、羽衣を一人ぼっちにしないでって。最初の散華で左腕を持っていかれて、武器が扱えなくなった私には当然の言葉だったけど。

 

『大丈夫……私は死なないから。だって絶対に死ねないんだもん』

 

 あの時の銀ちゃんと似たような雰囲気で笑って、園子ちゃんは私達を守ろうとたった一人で最低でも二十体以上もいるバーテックスへと立ち向かおうとした。私はそれが怖かった。

 

『いつかまた会えるから……だから、ちょっと行ってくるね』

 

 そう言って園子ちゃんは飛び立った。私はそれを見て迷わずに決めた。悩みすらしなかった。

 

『えっ…? な、なんで……どうして!!』

『須美ちゃんは大丈夫!! 攻撃の届かない安全な場所に避難させたから!!』

『そうじゃないよ!! なんで戻ってきたの!? うーたんの側に居てって言ったじゃない!?』

『分かってる!! 自分でも最低な事をしているって分かってるよ!! それでも!!』

 

『私が園子ちゃんを一人ぼっちになんてできるわけがないでしょ!!!!』

『っ……ろっはーの…馬鹿ぁぁぁぁっ!!!!』

 

『……お姉ちゃん失格だね、私……』

 

 二年前の全てが終わったあの日、桜が樹海に満開の花を咲き誇りながらそんな事を思っていた。目の前からいなくなりそうな幼馴染を追いかけて、最愛の妹を置き去りにして見捨てた。

 二人とも心から愛していた。どちらかが欠けても絶対に後悔したはずだ。私は園子ちゃんを選んで、羽衣を選ばなかった。ただ、それだけのこと。

 

「ごめん…羽衣……!! こんなお姉ちゃんで……ごめんね……ぅぁああああ…!! ああ…あああああああああ!!!」



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第三十八話 「この世界の秘密」

「……なるほどね~。そっちはそんな事があったんだね~」

「………」

 

 すっかり泣き腫らした私の話を聞き終えた乃木園子は黙ったままだった口を開く。私は俯いたまま、先日の自分の行動を後悔しているままで今度は私が口を閉じる番だった。

 

「つまりあなたはもう二度とほむらちゃんに許されないまま、嫌われ続けるって思うんだね」

「……っ!」

「ああっ、ごめん! 泣かないで~!」

 

 直接告げられたその言葉に再び涙がこぼれる。私の自業自得とはいえ、彼女に話しかけてもらえない、目も合わせてもらえない日々がずっと続くと思うと耐えられない。そんな世界が怖くて仕方がない。

 

「大丈夫だよ~」

 

 そんな中、乃木さんはにっこり笑って確信めいた表情で私を宥める。私のためを想って言ってくれるのだろうが、そんな言葉だけでは報われない。

 

「……大丈夫って…何を根拠に…」

「う~ん……根拠っていうか、ただの体験談だね」

 

 そう言った彼女の様子は、先ほどの笑みとは違った憂いを帯びたものに変わっていた。今乃木さんは体験談と言った。それがこの話の中で表すことはつまり……。

 

「私もね、前にろっはー先輩にものすごく怒った事があるんだ~。それこそ絶対に許さない、死んでも許さないって思った事が。何度も何度も……ろっはー先輩に酷いことを言った事がね」

 

 やはり……そして、意外な人物との不和だった。乃木さんが高嶋さんに対して?

 彼女達の間に何があったのかは分からない。でも、乃木さんと高嶋さんの間にある絆はおそらく、私とほむらちゃん達との絆と同等のものだったのだろう。

 それが昔無くなりかけて……今の彼女達にはそんな過去があったとは考えにくかった。乃木さんはまるで私を安心させるかのように、再びにへらと笑って言った。

 

「でも許したんだ~。お互いしっかり謝って、仲直りできたんよ~」

「……本当…?」

「ほんともほんと~。私でも仲直りできたんだから、わっしー達も大丈夫だよきっと~」

 

 私とほむらちゃんは彼女達とは違う。実際にまた今まで通り仲良く過ごせるようになるのかは分からない。それでも、乃木さんがここまで励ましてくれた事は嬉しくて、見えなくなっていた希望の残光が照らしたかのように感じられた。

 

「……それよりも、選りに選ってほむらちゃんが連れていったのがろっはー先輩の方だからね~。運の尽きってやつだよ~」

「え!? 運の尽き!?」

「今頃苦労してるだろうな~、ほむほむ~♪」

「ほむ…ほむ…?」

「ほむらちゃんだからほむほむ。ニックネーム考えてみたんよ~! どうかな~?」

「……どうって……ふふっ、可愛らしい渾名ね」

「でしょ~! わっしーやっと笑った~」

 

 乃木さんに言われて本当に自分が今笑っていた事に気づいた。最後に笑ったのなんていつだったか……ここ数日は全く記憶に無い。

 私達勇者達の今の状況は断じて笑えるものではない。それでも、またみんなで笑い合える日々が戻ってくるのなら……。

 

「って、ごめんごめん、またまた間違えた~。わっしーじゃなくて東郷さんだったね」

「……いいえ、わっしーでいいわ。記憶は無いけど、かつての私は鷲尾須美という名前だったのだから」

 

 この前初めて……いえ、二年ぶりに再会した乃木さんと高嶋さんは私の事を知っているみたいだと、あの時から既にそのように察しが付いていた。乃木さんは私を見ながら「わっしー」と呼び、高嶋さんはその名前で呼んでしまわないよう意識していた。

 

 二年前、適性検査で勇者の素質を持っていると判断された私は大赦の中でも力を持つ鷲尾家の養女になった時期が存在していた。当時の大赦は身内から勇者を排出する決まりがあり、鷲尾家は分家である東郷の家の娘である私を……。

 

 そこで私は彼女達と共に神聖なる御役目という名目で勇者になり……散華してその当時の記憶と足の機能を失った。

 私の両親はその事実を知ってて黙っていた……。

 

「よくわかったね~。ほむほむもそうだけど、やっぱわっしーもすごいな~」

「……ほむらちゃん? やっぱり彼女も?」

「うん。わっしーが鷲尾須美だって気づいていたよ。とても賢くてほんとにビックリだよ」

 

 ほむらちゃんの発言からして乃木さん達と私の関係に気づいているかもしれないと思っていたけど、まさにその通りだった。だからあの時高嶋さんを私の前に連れてきてくれたんだ。

 

 そして、私達の関係が分かっているからこそ、私の事が許せなかったんだ……。

 

「満開の力の代償が少なく、まだ使えると判断された私は次なる戦いに回されたのよね…」

「悪い言い方だとそうなっちゃうね……事実だけど」

 

 乃木さんは見た目通り。高嶋さんは動く事自体はできるようだが両目を失明していて、気配で分かるとは言っていたけど、だからといって完璧に把握はできていないのか歩く速さはかなりゆっくりだった。それ以外にも散華している所がある以上、彼女も私のような使い回しをする利点は無かったのだろう。

 

「引っ越しの場所が友奈ちゃんの家の隣だったのも仕込まれたもの…」

「彼女は四国全域で実施された検査で適正値が一番高かったんだって。大赦側は彼女が神樹様に選ばれるだろうって考えてたみたい」

「風先輩と樹ちゃんも、援助という名目で元は別の街にいたのを讃州市に引っ越させた」

「彼女達のご両親は大赦の人だったんだ~。向こうにとっても都合良かったって…」

 

 大赦はいろいろ計算づくで、私達みんなを勇者にしていた。でも一つだけ分からない事がある。

 

「……ほむらちゃんは? 彼女は適正値はむしろ低かったのでしょう?」

 

 ほむらちゃんは失敗作の勇者システムを使える異質な勇者としての烙印を大赦から押されている。けど、ほむらちゃんは生まれも育ちも讃州市。小学校は違うけど友奈ちゃんと同じ、転校なんて一度もしていないはず。

 ほむらちゃんにしか扱えない勇者システムの存在と、彼女がこの街で勇者に選ばれたのは、果たしてどちらもただの偶然? それともこれらも、大赦が何か仕組んだことなのか。

 

「……んー……多分それは……」

 

 しばらく考え込んでいた乃木さんは自信無い声で言った。

 

「偶然じゃないと思う」

「っ…!」

「わっしーにも教えるね。彼女の勇者システムについて」

 

 そして伝えられる、あの時大赦が黙っていた物の本当の姿。失敗作ではなく、高嶋家で保管され続けていた西暦時代の勇者システムだという事を。

 

「それと、ほむほむに伝えそこなった事があるの」

「え、ええ…」

「ほむほむは多分知らないんだよね……自分の名前のルーツ。誰がほむらって名前を付けたのか」

「ほむらちゃんの名前……身内の方ではないの?」

「私もたまたま知ったんだ~。今の勇者達がどんな人達なのか教えて~って、ここに来た神官さんに聞いて。その人が14年も前に彼女のご両親に伝えたみたい」

「!? まさか!」

 

 乃木さんはさっき、ほむらちゃんが勇者に選ばれたのは偶然ではないと言った。でも、今なら私もはっきりと頷ける。

 

「彼女の名付け親は神樹様だよ」

 

 偶然ではない。ほむらちゃんは初めから神樹様の息が掛かって存在。勇者に選ばれる事が生まれる前から決められていた存在だった。

 

「驚きだよね~。彼女はただの人間でも勇者でもない。正真正銘、神樹様に選ばれた存在なんだよ」

「……じゃあその勇者システムというのは始めから、ほむらちゃんを戦わせるためだけに用意された物……」

「それはどうだろうね~。西暦時代だから300年も前から狙っていたのかって言われたら反論に困るんよ~」

 

 そう締めくくられるも、そこは深く考える必要はなかった。これで確定したからだ。大赦も神樹様も始めから私達を狙って犠牲にするつもりだった…!

 思えば満開してからは大赦が家に援助をし始め食事の質が上がって、みんなと行った合宿での料理も豪華なものだった。あれは労っていたのではなく、形は違えども乃木さんや高嶋さんと同様祀っていただけ…!

 

「どうして私達がこんな…! 神樹様は人類の味方じゃなかったの!?」

「……味方ではあるけど神様だからね~、そういう面もあるよ。そもそもこの世界は……」

「この世界は……なに?」

「……わっしーにも知る権利はある………ねえ、この世界の秘密……この世界の成り立ち、知りたい?」

 

 質問の意味がよく分からない。でも、この場面で出てきたその質問はとても意味深なものに思えて他ならない。

 この世界の秘密…? 私達の……きっとほとんどの人が知らない何かが隠されているの?

 この世界の成り立ち…? いったい彼女は何を知っているの?

 

 ……大赦は私達を騙し続けている。私達に知られては、街の人達が知ってはいけないことがまだある?

 真実が今、私の目の前にあった。もう何も知らないまま、騙され続けるなんてまっぴらごめんだ。私は乃木さんを見つめながら頷いた。

 

「……わっしーがどういう結論を出しても、私もろっはー先輩も味方だから。いつどこでもどんな時でも味方だから……そこだけは、安心してね」

 

 その言葉が告げられ、その次には世界の真実が語られた。

 

 

 

 乃木さんと別れた後、私はいてもたってもいられなくて四国を取り囲む壁へと向かっていた。変身していれば海なんて関係なく跳び渡る事ができる。一刻も早く、彼女から語られた最悪の真実を確かめなければならなかった。

 

「壁の向こう側は綺麗な景色だけど……これは…」

 

 私の視界に映るのは、夕陽で輝いて見える海や山々だ。とてもウイルスが蔓延しているとは思えないほど美しい見事な風景。この壁が私達を守っているからこそ、今まで誰もが平穏に暮らせているのだと、小さい頃からそう教わっていた。

 

 この壁の向こう側は、ウイルスが蔓延している危険な地帯。乃木さんの語った真実からすると、今までの私達の常識は崩れ落ちる。

 

 意を決して前へ……瞬間、世界が地獄に姿を変えた。

 

『壁を越えれば神樹様が見せていた幻が消えて、真実が姿を表すよ』

「…………え…?」

 

 つい今し方までの美しい景色は消え失せた。宇宙のような空間を廻る灼熱。それは火の海としか言い表せられない非情な地獄。

 私が今立っているところは、見慣れた壁の樹木でできた地面なんかじゃない。超巨大な黄金の大樹……神樹の造り上げた結界の本来の姿。私達の世界は、それは宇宙規模の結界の中に……。

 

「これが本当の世界の姿……!? はっ…!」

 

 いたるところに泳ぐように飛び回っている、人よりもふた周りは大きい白い生命体。百体、千体、その程度では数え切れないほど夥しい数の化け物が跋扈している。

 

 その生命体、彼女が言っていた。西暦時代、人類を滅亡寸前に追いやった、ウイルスという偽の媒体で隠され続けていたものの本当の正体。

 

『天の神様が粛清のために遣わせた生物の頂点……バーテックス』

 

 うようよと漂うバーテックスが私の存在に気づく。そいつらの正面を見てしまった。人間の一人や二人、簡単に食い殺せるほどの大きな口。本能の赴くまま肉を喰い散らかそうとする悍ましさを漂わせながら、その大きな口を開いて私に襲いかかってきた。

 

「くっ…!」

 

 衝撃でおかしくなってしまいそうな頭をなんとか切り替えて手元に銃を呼び出す。そしてそのバーテックスに撃ち込むと、その体は弾けて消滅した。みんなで戦った、大型のバーテックスとは違ってこいつらは雑魚……そこまで大した存在じゃない。

 

「っ…! あっ!」

 

 一体だけなら……この小型のバーテックスは四方八方至る所から何体も襲いかかる。倒した所でその数は全く変わらない。

 自分でも見ていたはずだ。このバーテックスは百体、千体なんかでも全体の1%に遠く及ばないほどもっと多い……それこそ、星の数いるのだと。

 私一人なんかでは……勇者達のみんなが集まったところでは……乃木さんと高嶋さんが来てくれたところでは……この数は倒しきれない。

 

「うあっ…!」

 

 徐々に倒す量よりも攻められる量の方が上回り、噛みつきを避けるも体制が崩れて倒れてしまう。このままじっとしていたら奴らの餌食に……そう思って立とうとするも、地面の感覚がおかしくてうまく立ち上がれない。

 

 そして見てしまった……私が今倒れ込んでいるここは地面ではない。バーテックスの口の上……

 

「いやあああああ!!!!」

 

 散弾銃で撃ち抜く。何度も、何度も、何度も…!! 倒せてはいる…! それなのに目に見える数は少しも変わらない…! 無限に増え続ける敵を倒せない…!

 こんな数の敵と戦って、私達に終わりが訪れる時が来るというの!? 戦って、抗って、倒れて……それで私達は終わりじゃないの!!

 

「もういい加減に…!!」

ドン!!

 

 私を狙って襲いかかってきたバーテックスの内の一体が爆発した。私はまだ撃っていなかったのに、一体何が…!

 

「東郷!!」

「っ!? ほむらちゃん…!?」

 

 そこにいたのはあの病院で別れたはずのほむらちゃんだった。あの時にはちゃんと合わせてもらえなかった紫色の瞳が、動揺しながらも心配している目が、私をしっかりと捉えていた。

 

「伏せて!!」

 

 ほむらちゃんが手に持っている筒状の物体を、私を取り囲んでいるバーテックスに投げつける。その物体……爆弾はバーテックスに当たると爆発を起こし、周囲に爆煙が舞い上がるも、その煙の流れは突然停止した。いつの間にか、私の手はほむらちゃんに握られていた。

 

「ほむらちゃん…どうしてここに…!」

「一旦退くわよ! ここは危険すぎる!」

「う、うん!」

 

 ほむらちゃんの時間停止能力で全てのバーテックスが動かなくなる。呼吸を整えて視線を動かし、驚愕の光景を目にした。

 

 少し離れた地点で小型のバーテックスが蠢くようにひしめき合っていた。動きは完全に停止しているものの、有り得ないものの姿までもが一緒にあった。

 

「……あれは……乙女型バーテックス…!?」

「友奈ちゃんが倒したはずの……復活している…!?」

 

 ほむらちゃんも気づいた。今は動きが止まっているけど、小型バーテックスが何体も集まって、合体して、かつて私達が命がけで戦っていたバーテックスへと姿を変えていたのだった。

 

 あれは蠍型バーテックス…

 

 あれは射手型バーテックス…

 

 あれは獅子型バーテックス…

 

 どれもこれも、私達が倒したはずのバーテックスが全て復活しようとしていたのだ。あんなに苦しい思いをしてまで、満開をして体の機能を失ってまで倒した敵が、何事もなかったかのように存在していた。

 

「……バーテックスは……12体なんかじゃない…! 12()()だった!?」

 

 どうしようもない絶望感が私達を包み込む。私達の戦いは一体何だったのか……。

 倒しても倒しても復活し、いずれまた攻めてくる。そのたびに私達勇者は迎え撃って、満開して散華で体の機能を失いながら一時しのぎの防衛をし続ける…?

 

 何度も体の機能を失いながら……何回も絶望しながら…?

 

『体は二度と戻らないまま、最後はこうして祀られる』

 

 

 

「はあ…っ……はあっ…はっ…う…ゲホッ…ゲホッ…!」

「……っ…アレが……世界の真実……!」

 

 二人で地獄から脱出し、元いた壁の上へと戻ることができた。それでも私達が受けた衝撃はあまりにも大きすぎて、私は膝をついて激しく咳き込み、ほむらちゃんは顔面蒼白となっていた。

 もうあんな化け物はどこにもいない。身を焦がすような灼熱の海もない。あるのはとてものどかで綺麗な……偽物の風景。でも人々にとってこの偽物こそが本物で、私だってほんの数十分前まではそう思っていた。

 

 知ってしまったんだ。この世界というものは、私達勇者の犠牲で成り立っている……。

 

「う………ああ……ううううっ…!! ああああああああああああっ!!!!」

「東郷………くっ…!」

 

 脳裏に浮かぶ、みんなの姿……みんなの笑顔が…消える。

 

 友奈ちゃんが…! ほむらちゃんが…! 風先輩が…! 樹ちゃんが…! 夏凜ちゃんが…!

 これからもみんなが終わり無い戦いで体の機能を失い続ける苦しみを味わう…!! 味覚を、目を、声を、痛覚を失って、これ以上の代償を払わなければならないなんて…!!

 

 高嶋さんみたいに両目とも失ってしまえば……そうなったら二度と大好きなみんなの顔も見ることができない。両腕を失ってしまえば……もう二度とみんなの温もりを手に取ることができない。

 乃木さんみたいに全身隈無く散華してしまえば……大赦に幽閉され、祀られて、一生を犠牲に…! 大切な人達と引き離され、孤独な毎日を送る生き地獄じゃない…!

 

 そしてもう一度……記憶が失われてしまったら……

 

『園子ちゃん……』

『………あ~、はは…ごめん、ろっはー先輩。つい…』

『ううん、気持ちはよく…分かるから…』

 

 みんなが私の事を忘れてしまったら……

 

『と、東郷さんの知り合いなの?』

『………いいえ、初対面だわ』

 

 

 

 

タイセツナヒトヲウシナエバ

 

 

「駄目…!! 絶対に駄目よ、そんなの…!!」

 

 嫌だ…! もう嫌だ…! みんながあの二人の時のように大切な思い出を忘れて、悲しい思いをさせるなんて…!! 私が……みんなに忘れられてしまうことなんて絶対に耐えられない!!

 それなのにどうしてまた戦わなくちゃいけないの!? どうして幸せが訪れないと分かっていながら、無駄な抵抗をして一生苦しまなければならないの!?

 

 考えなきゃ……みんなを助けなきゃ…!!

 

「忘れたくない……忘れられたくない…!!」

「…っ……落ち着きなさい、東郷!」

「ほむら…ちゃん…?」

 

 泣きながら必死になって打開策を考えようとすると、ほむらちゃんが膝をついて私の両肩を掴む。あの地獄を体験したからかかなり疲弊していても、それでも何とかして私を気にかけるようであった。

 

「……落ち着いて……悪い方に考えないで…」

「でも! これから先、私達には絶望しか…!」

「きっとあるはずよ! 私達が助かる方法が……そうじゃないと…!」

 

 ほむらちゃんの言葉は私の心が壊れてしまわないようにかけられた物。だけどそこにあるのはいまいち説得力に欠ける、ただそうであってほしいという希望を口にしただけだった。

 けれどもそう言われても全く思い付かない。私達を取り囲む絶望は光を通さない漆黒で……その中からみんなを助ける方法なんて全然分からなかった。

 

 それでも考える。何が何でも、この救いようのない世界から、運命から、みんなを救わなければならない。

 

 

 

「あった」

「……え?」

「たった一つだけ……みんなが助かる方法が」

 

 見つけた……みんなを救うことができる方法、この地獄から解放される手段が。

 

「……見つけたって……本当に…?」

「ほむらちゃん、危ないから少し離れていて」

「え、ええ…」

 

 困惑しているほむらちゃんは言われた通り私から手を放し、後ろへと跳ぶ。私が何をするのか気づいていないけど、きっと分かったら……彼女の事だ、間違いなく止めるだろう。それこそが私の掛け替えのない大好きな親友、暁美ほむらという人間なのだから。

 

「……ほむらちゃん……私、あなたに会えて、友達になれて本当に幸せだったわ」

「……東郷…?」

「この前の事は本当にごめんなさい。でも、もう許してなんて言えない。むしろ許さないでほしい」

 

 これから私がする事は、彼女の想いを分かっていながら裏切る行為。もう二度と彼女の友達を名乗れない。

 

 それでいい。嫌われてもいい。この地獄からみんなを解放できるのであれば……みんなが二度と苦しむ必要がなくなるのであれば。

 嫌われて辛くないと言えば真っ赤な嘘。でもそれで苦しむのはほんの一瞬にすぎない。それだけでみんなを救えるのであれば私は喜んで実行できる!!

 

「何をするつもりなの!? 東郷!」

 

「この世界を…私が終わらせる!」

 

 狙撃銃を呼び出し、私の行動の意図に気づいたほむらちゃんは盾に手を伸ばす。私が壁の地面に向けて引き金を引くのと、時間停止のために伸ばした彼女の手を予め配置していた精霊の川蛍による遠隔銃で弾くのは同時だった。

 

「なっ…!?」

 

 時間は止まらない。狙撃銃から放たれた砲撃は地面を大きく抉り、壁の一部を破壊した。

 

 

◇◇◆◆◆

 

 その頃、他の現勇者達は全員同じ場所にいた。風の暴走を止め、彼女が大勢の人を傷つけるという最悪の事態を回避した。その直後だった。

 

 四人の携帯から異常なアラームが鳴り響く。

 

「特別警報……なに…これ…」

「戦いは終わったはずじゃ…何で敵が来るのよ!?」

 

 彼女達に今なにが起ころうとしているのか、分かるはずがない。慌てふためく中、彼女達にとってもう二度目にする事はないと思っていた樹海が世界を包み込んだ。

 

 

 そして……

 

 

「な、なにこのアラーム…? 樹海化警報ってこんな音だっけ…?」

「……ろっはー先輩が端末壊したからじゃない? 昔から酷い機械音痴だもんね~」

「ええっ!? うそっ、私のせいなの!?」

「あー、やっぱりだ……特別警報発令って書いてる」

「それじゃあ私関係ないよね!? ……って、特別警報ってまさか……」

「……どうするの? ろっはー先輩は」

 

 かつて世界を守った二人の勇者の下にも、それぞれの扱った勇者端末が届いていた。




 次回は少し遅れます。1月中に投稿できたらいいんですけど……。


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第三十九話 「生きて ただ、生きてくれ」

「……そんな……どうして……」

 

 間違えるわけがない。そしてこれが夢や幻なんかじゃない、ちゃんとした現実だって分かるからこそ、今のこの状況が訳が分からない。

 樹海化……バーテックスの襲撃に迎え撃つために神樹様が作り出した結界が、戦いが終わったはずの今再び起こっているなんて……!

 

「バーテックスは全部倒したはずじゃ…!?」

 

 それにさっきの警報……いつもと全然違っていた。今までは「樹海化警報」だったのに、さっきスマホに映し出されていた文字は「特別警報発令」で、アラームもその言葉通り異常に思える特別な音が響いていた。なにかとんでもないことが、起ころうとしていた……。

 

「落ち着きなさい友奈…! まずは現状確認が先よ……義輝!」

 

 夏凜ちゃんが精霊を呼び出して、自分のスマホをその子に持たせる。動かしかけた右手を一瞬悔しそうに見て、焦りを抑え込むような表情になりながらも左手でスマホを操作している。

 本当は夏凜ちゃんだって何が何やら分からない上に、右手を散華してしまってすぐにこんな事になって混乱しそうなはず。それでも私達を不安にさせまいと、強気になって引っ張ろうとしていた。

 

 でもそれは次の瞬間崩れ落ちる。考えもしなかった、とんでもない事態に、夏凜ちゃんと私は足元が覚束なくなりそうな衝撃を受けた。

 

「な……何よ、これ……」

 

 マップに映し出された異常事態の正体。四国全土を取り囲む壁の方から、小さいけど赤い、敵を示すアイコンが埋め尽くされるように溢れていた。しかもそれは、奥の方からどんどん増えていって、マップを真っ赤に染めていく。

 

「画面いっぱいに赤い点……うそ…? これ全部がバーテックスなの…?」

 

 ありえない…! だって私達の戦いはもう終わったんだよ!? この前の延長戦が正真正銘の最後だったはず! それなのになんでこんなにも……今までの敵の何百倍、何千倍の量の敵が一度に攻めてくるなんて……っ!?

 

「……壁の方に東郷さんとほむらちゃんがいる……」

 

 私と夏凜ちゃん、樹ちゃんは風先輩を止めるためにここにいて、東郷さんとほむらちゃんは今どこにいるのか分からなかった。そんな二人が今どうして壁の方に……っ!

 

 今はそんなことを考えるよりも、早く二人と合流する事の方が優先だ! あの場所にはバーテックスがたくさんいるのに、二人だけしかいないなんて危険すぎる!

 

「助けに行かないと…!」

「樹! 風のこと頼んだわよ!」

「………!」

 

 風先輩はさっきまでのことで、自分一人じゃ立ち上がれないほど大きな罪悪感を感じていた。夏凜ちゃんは許して、私も樹ちゃんも受け入れてはいるけど、それだけではすぐに立ち直ることはできないみたい……。

 ここは私も樹ちゃんに任せよう。夏凜ちゃんの言葉に力強く頷いた樹ちゃんを見て、私達は壁の方にいる二人へと向かっていく。

 

 やがて、今回の襲撃してきたバーテックスの姿が見えた。一体一体は小さいけど同じ形をしたものがたくさん。真っ白で、顔の部分には大きな口しかない虫の蛭のような化け物だった。

 

「な、何よあの気持ち悪いヤツら…! バーテックスは12体じゃなかったの…!?」

「分からない……っ! 夏凜ちゃん、あれ!!」

「んなっ!? 壁が…!?」

 

 四国全土を守る神樹様の壁……その一部が何かが爆発したみたいに大きく欠けていた。そして壁の外側から、あの白いバーテックスが流れ込むように侵入している。この襲撃は、壁が壊れてしまったからなのだろうか……。

 

ドグォン!!!

「っ、爆発!? 東郷さん!! ほむらちゃん!!」

「ちょっ、友奈っ!!」

 

 突如、壁の上の方で爆発が起こる。きっと東郷さんとほむらちゃんがバーテックスと戦っているんだ……そう思っていてもたってもいられず、夏凜ちゃんの声を聞かないまま急いで壁を登り上がった。

 

 

「………え?」

 

 自分の見たものが信じられなかった。さっき聞こえた爆発は、確かにここで起こったみたいだった。爆煙に包まれたそこには、肩で息を吐しながら片膝をついたほむらちゃんがいた。

 

「……東…郷…?」

 

 夏凜ちゃんも私と同じ反応を示した。ほむらちゃんを見て……じゃない。私達はほむらちゃんが睨みつけている東郷さんを見て、信じられない思いでいっぱいだった。

 

「はっ…はっ……っ! 友奈……夏凜…!」

 

 東郷さんが……いつもと同じ様な真剣な顔で、ほむらちゃんに銃を突きつけている…?

 

「……お願い、ほむらちゃん。もう動かないで。変身を解いて大人しくして」

「誰が……くっ…!」

「「なっ!?」」

 

 ほむらちゃんが東郷さんの言葉を否定しようとしたその時、ほむらちゃんの右手に青白い細いレーザーが直撃した。精霊のバリアが発動したけど、今の攻撃はほむらちゃんの周りを浮いている機械から飛んできたもの……東郷さんの武器から放たれたものだった。

 

「と、東郷さんっ!! 何をしてるの!!?」

「……ほむらちゃんの時間停止能力は敵に回すとこの上なく厄介。抵抗する間もなく無力化させられてしまう……でも、使わさせなければ意味はない」

「な……何…言ってるの…?」

「ほむらちゃんが時間を止めるには、左腕の盾を直接一度回さないといけない。多少荒っぽいけど、その素振りが見えた瞬間に私はあなたを撃って動きを止める。もう何度も説明してるし、何度も実行されたのにまだ続けるの?」

「当たり前でしょう…!」

「あなたを傷付けたくはないのに…!」

 

 何が起こっているのか全然分からない…! なんとなく分かる事は、今二人が争っていることぐらい……でもその原因が分からないよ!!

 

「あなたがやろうとしている事は私達との永遠の決別じゃない!! みんな傷付いて受け入れられないに決まってるでしょう!?」

「いいのよ。これから先、こんな地獄の中を生きていくのに比べたら。みんなが助かるにはもうこれしかないのよ」

「そんなわけない! まだ私達が助かる方法が「ならその助かる方法っていうのを教えてよ!! 適当な事を言わないで!!!」…っ!」

 

 東郷さんが叫びながら銃の引き金を引く。弾はほむらちゃんを横切り、その後ろから襲いかかろうとしていたバーテックスを吹き飛ばした。

 二人は決して敵対し合ってるわけじゃない。けど、お互いの想いが完全にすれ違っているように見えた。

 

「あ、あんた達! 今は仲間同士で争ってる場合!? 壁が壊されて敵が攻めて来ているのよ!?」

「……壁を壊したのは私よ、二人とも…」

「……え?」

「もうこれ以上、神樹にみんなを傷付けさせないから」

 

 ……東郷さんが…壁を壊したって……え…?

 

 その言葉の意味を理解して、心臓がバクバクと音を鳴らす。信じたくない気持ちでいっぱいだった。だけど今のほむらちゃんと東郷さんのやりとり……本当に壊れている壁……全てが嘘だなんて思えなかった。

 

「友奈!」

 

 いつの間にか白いバーテックスが私にも迫っていた。咄嗟のことで体は動かない。でも夏凜ちゃんが間に入り、正面からそのバーテックスを真っ二つに切り裂いた。ただ、夏凜ちゃんはそのまま剣先を東郷さんに向けて問いただす。東郷さんは大きな狙撃銃の銃口をほむらちゃんに向けているまま……。

 

「どういうことよ東郷……! 自分が何やったのか分かってんの!?」

「分かってる……分かってるから、やらなければいけないの!!」

 

 瞬間、宙を浮いている東郷さんの武器が再びビームを放つ。いきなりの攻撃に私達もほむらちゃんも対処できなかったけど、それはほむらちゃんの目の前に着弾し、土煙が舞うだけだった。

 

「くっ…いきなり……なっ!!?」

 

 それがただの目くらましだと気付くには遅かった。私達が気を取られてる内に、東郷さんは狙撃銃の引き金を引いていた。

 

 銃口がしっかり、ほむらちゃんに向けられているまま。

 

「うわあっ!?」

「「ほむら(ちゃん)!!」」

 

 精霊バリアがあるとはいえ、大きなバーテックスにも大ダメージを与えられる東郷さんの狙撃銃の砲撃が直撃だった。その強力な一撃でほむらちゃんは大きく吹き飛ばされ、壁の上から海へと真っ逆さまに落ちていく。

 

 その様子を東郷さんは悲しげな表情で見届け、壁の外側の方へと跳び去った。その境界で東郷さんの姿が消えたことは疑問に思う暇もなかった。

 

「東郷さん!!」

「っ! 待ちなさい東郷!!」

 

 いろんな事が起こりすぎて頭がどうかなりそう……混乱してしまうそうになる一歩手前で、私は流されるように東郷さんと夏凜ちゃんの後ろをついて行った。

 

 

 

「……何よ…これ…!?」

「……どう…いう…ことなの…!?」

 

 

 ついて行った先は、例えるならそう……地獄みたいな所だった。さっきまで私達がいた壁の上の面影は全然無い、炎の海と白いバーテックスがたくさんうようよと飛んでいる。

 それに私達が倒したはずのバーテックスまでもが見えるなんて……こんなのは何かの間違いだと思いたかった。

 

「これが世界の本当の姿」

「東郷さん…?」

「壁の外側の世界なんて、とっくの昔に全て滅んでいるの。そしてバーテックスは12体倒したら終わりなんかじゃない。無限に蘇って襲来し続けるのよ」

 

 東郷さんの語った衝撃の真実は、これが間違いなんかじゃない本当の事なのだと突きつける。

 そしてその言葉の意味が解ってしまった。つまり私達はこれからも……戦い続けるの…?

 

「……この世界にも私達にも未来なんて存在しないの。永遠に戦い続けて…満開を繰り返し……その数だけ散華する…!」

 

 東郷さんの声が震えている。瞳には今にも涙がこぼれ落ちそうで、東郷さんは何かに心から怯えている……そんな切羽詰まったかのように、震える声を荒げて叫ぶ。

 

「いずれまた…! 大切な友達や……楽しかった日々の記憶も失ってしまうの!!!」

 

 私も夏凜ちゃんも、息をするのを忘れて東郷さんを見てその言葉を聞いていた。こんなにも苦しそうな……こんなにも悲しんでいる東郷さんの姿なんて今まで見たことがない。

 

「みんながボロボロになりながら……何も分からなくなって、それでも戦い続けて…!! 友奈ちゃんも見たでしょ!? 乃木さんと高嶋さんの悲惨な姿を!! もう嫌なの!! 大切な友達が犠牲にされる世界なんて!! もうどこにも希望なんて残されていないのよ!!!!」

「と、東郷……!」

「これしかないの……私達が救われる方法なんて、もうこの命を棄てるしか…! これしかないのよ…! 偽りの希望で誤魔化された世界を解き放つには…! 私が断ち切るしか…!!」

 

 私達は言葉を失っていた。東郷さんが言ってる事も、やろうとしている事も……たぶんきっと……間違っていると思うのに、それを否定する言葉が何も出てこなかった。

 それはこの世界が終わってしまって、それこそ幸せに暮らしている人達も犠牲になってしまうんだって当然分かっている。でも、東郷さんが涙を流しながら叫ぶ姿を見て……目の前で苦しんでいる友達を救うにはどうすればいいのか、全く分からなかった。

 

「ま、待って…! そうしたらこの世界で生きている人達まで…!」

「分かってよ夏凜ちゃん!! もうこれ以上、大好きな勇者部のみんなが傷ついていく姿も犠牲になる姿も見たくない!!!! 私…もう耐えきれない……耐えきれないの!!!!」

 

 もう夏凜ちゃんも何も言葉を発せられなかった。風先輩が暴走してしまった時とは違う。

 

 あの時は勇者部に入って幸せだったと断言できた。でも東郷さんの嘆きは私達の心を激しく惑わせる。だって……これから私達を待ち受ける未来には絶望しかないんだって言われてしまえば……。

 

 その時、後ろの方から不気味な気配を感じた。慌てて振り返ると、そこにいたのは初めて私達を襲ってきたバーテックスが。

 

「っ!?」

「友奈っ!」

 

 バーテックスはその体の管のような部分から私達目掛けて爆弾を飛ばしてきた。咄嗟に動いた夏凜ちゃんは動く左手で私の体を抱き抱え、神樹様の結界の中に飛び込んだ。夏凜ちゃんのおかげで私に爆弾は当たらなかった……でも、壁の外の世界に東郷さん一人を置き去りにしてしまった。

 

「東郷さん…!」

「ダメ…! 一旦引いて……っ!?」

 

 結界の中にあのバーテックスまでもが入り込む。私達を追いかけ、再び管から爆弾が飛ばされる。夏凜ちゃんは左手が塞がっていて、右手も散華……。私は……体が動かなかった……。

 

「「きゃぁ!!」」

 

 無抵抗の私達に爆弾が直撃する。変身が解け、意識が遠退きながら私達は樹海へと落ちていった。

 

 

◆◆◆◆

 

「ぶはっ! かはっ…! げほっ…げほっ…! …くっ……やられた…!」

 

 私としたことが……一瞬の気の緩みで落とされてしまうとは…!

 

 何十メートルもの高さから海に落とされ、樹海化の影響で海にも出現した幹に這い上がるのに体力を消耗してしまった。

 それ以前にあの砲撃を精霊バリアがあったとはいえモロに食らってしまったのはマズすぎた。不幸中の幸いか、痛みは散華の影響で全く無いが、肉体にダメージは間違いなく通ってしまっているのか全身に力が入らない。幹に這い上がるのに残った力を使い果たしてしまうとは…!

 

(ゲージは……っ、残り一つ…!)

 

 悪いことは重なる。やはり強力な攻撃を防いだ代償か、満開ゲージも進んで残り僅かだ。以前満開ゲージが全て溜まっていた時、私の時間停止能力は発動しなかった。おそらくそのような制限があったのだろう。爆弾の方はどうなのだろうか……。

 

 私のゲージが増える条件は、時間停止能力を使う。爆弾で敵にダメージを与えた時に増える事がある。精霊バリアで大ダメージを防ぐ。これらの三パターンだ。

 次にこの三つの中のいずれかを満たしてしまえば、再び切り札とも言える能力が失われ……満開をしなければ戦えなくなる。そしてまた、何かを散華で……

 

「……東郷の言う通り、世界を終わらせる事が私達の救いになるというの…?」

 

 彩羽さんから聞いた通り、この世界はとっくの昔から終わっていた。四国以外の全ては火の海に包まれ、そこを無限の数のバーテックスが蔓延る絶望の世界。

 私達勇者の役目は、何度も何度も体の機能を失いながら、無駄な抵抗を続けて永遠に苦しんで、一時凌ぎの延命を繰り返す生贄になること……。

 

『ならその助かる方法っていうのを教えてよ!! 適当な事を言わないで!!!』

 

 私達が助かる方法なんて思いつかない。いつまでそんな夢を見ればいいんだろう?

 だったらいっそのこと、もう戦う必要なんてないじゃない。

 

 壊された壁の外側から大型のバーテックスが姿を現し始める。かつて私達が必死になって倒した存在が、簡単に復活して現れた。確かあれらは射手型と蟹型と蠍型……どっちにしろ、名前を覚えていたところで意味はないわね。

 

 三体のバーテックスは私に気付かなかったのか、それとも戦う意志のない私を敢えて無視したのか、悠々と神樹の下へと移動する。私自身、どうでもいいことだった。

 

 世界が終わってしまえば、生きている間の事なんてどうでもいい……

 

 

『………』

 

 

 生きて

 

「……え?」

 

 声が聞こえた。

 

 ただ、生きてくれ

 

 辺りに誰もいないのに、その声ははっきりと私の魂に響き渡るようだった。

 

 大切な人がいるなら、その人達のことを思い起こして

 

 ただ、無性に胸が熱く感じる。さっきまで冷め切っていた心が嘘みたいに燃え上がるような気分だった。沈んでいく負の感情が薄れ、暗闇の底から誰かに手を引き上げられるような安心感が包み込む。

 

 お前が生きることを諦めたら、その人達が悲しむことを思い出せ

 

 何が起こったの…? 気がつけば私の目からは一筋の涙がこぼれ落ちていた。でも、それはこの世界の惨状に絶望して流れたものではない。もしそうだとするならば、こんな世界でも私の目には輝いて見えるなんておかしいじゃない……。

 

 お前は決して一人ではない

 あなたの大切な人達に、私達の時には叶わなかった……その人達のところへ、必ず戻ってあげて

 

 魂に響く二つの声が、闇を切り払う。

 

「……大切な人……」

 

 私の大切な人……私にこの世界で生きる喜びを与えてくれた人達……。脳裏を駆け巡る、みんなとの思い出。

 

 ───よろしくね、ほむらちゃん!

 

 友奈……私の始まりはあなたからだったわね。ありがとう、あなたのおかげで私は変わることができた。

 

 ───慣れているなんて、そんな悲しいこと言わないで。友達が怖がられるのを認めたくないの。

 

 東郷……私と真剣に向き合おうとしてくれたこと、本当に嬉しかったわ。仲直りして、また一緒に笑い合いましょう?

 

 ───あなた達にお勧めの部活はここにあるわ!

 

 風先輩……最初は変な部活と変な先輩だと思ってごめんなさい。あなたは私の自慢の先輩だわ。

 

 ───嬉しかったんです私。会ったことのない私のためを思ってくれたことが。

 

 樹ちゃん……あなたは十分に立派な人間よ。でも、これからもまだまだ先輩としてあなたを引っ張っていきたいわ。

 

 ───あんた達は私の仲間で……友達なのよ…。勝手に悩みを抱え込まないで、私達に打ち明けなさいよ!

 

 夏凜……ええ、あなたはとても頼りになる友達よ。期待してるし尊敬もしている。だからこれからも、遠慮なく頼らせてもらうわよ。

 

 ───ほむらちゃん……負けないでね

 ───私の事は園子でいいんだぜー? ニックネームでもいいよ?

 

 彩羽さん……ごめんなさい、危うく約束を破ってしまうところだったわ。乃木さん……は、次会った時には名前で呼ぼうかしら?

 

 ───まるでお姉ちゃん達が戻ってきてくれたみたいで嬉しかった。もっと早くほむらさんと知り合いたかったなぁ…

 

 羽衣ちゃん……私も、もっと早くあなたと知り合いたかったわ。でも、私はいつだってあなたの味方になる。もう辛い思いなんてさせないからね。

 

 つい先ほどまではこの世界を諦めかけていた。それが今はどうか、この地獄のような世界の中でもまだまだやりたいことが残っているんだって気づいてしまった。

 

 ……そうよ。例えこの世界がどうしようもない絶望に包まれていようとも、みんなの存在がこの世界に存在する限り希望は残っている。

 

「みんながいれば、こんな世界なんて何も恐くない…」

『……!』

 

 ふと、いつの間に出ていたのか、エイミーも私の呟きに力強く頷いた。

 何も失わせない。東郷、そのために私は戦い続ける。どんなに大きな壁があっても越えてみせる。

 

「待っていなさい東郷。今からもう一度そっちに行ってやるわ。そして思い出させてあげる」

 

 ダメージを負って力が入らなくなっていたはずの体が動く。両足で幹の上に立ち、神樹の下へと移動しようとしている三体のバーテックスを見据える。

 私の手には出現したパイプ爆弾が握り締められ、それを力任せに思い切りブン投げた。

 

「勇者部六箇条!! なるべく……諦めなぁぁあああああああい!!!!」

 

 猛スピードで大きな放物線を描きながら飛んでいく爆弾。それは三体並んで飛んでいるバーテックスの内の一体、蠍型の尻尾の部分に激突し、爆裂する。

 爆発によってその大きな尻尾は千切れ飛ぶ。痛みを感じない化け物共はゆっくりと私の方へと反転し、己の邪魔者の姿を認識した。

 

(さて、これで……溜まったわね)

 

 私の満開ゲージが全て満ちる。そして目の前には三体の大型バーテックス……だが、絶体絶命というやつではない。

 

 射手型から無数の輝く矢が雨霰の如く降り注ぐ。もう時間停止能力は使えない……。

 

 この障害に立ち向かう覚悟は決まっている。その先に辿り着くためにも……私達の明日を掴み取るために、この体を捧げてやる。何度だって奇跡を起こしてみせる。

 

「満──!」

 

「待って!!!」

「えっ!?」

 

 突如、私の目の前に縦長い盾が出現する。人一人ぐらい簡単に守れるほど大きな大盾。それが何もしなければ私に当たるかと思われた全ての矢を防いだ。この盾って見覚えが……それにさっきの声は……。

 

「彩羽さん…!?」

 

 声が聞こえた上の方へ目を向ける。そこには空中であるにも関わらず、青いレールが浮かんでいた。

 そのレールはよく見ると、これまた見覚えのある三叉槍が数え切れないほど重なり合ってできたもの。槍で形成された足場を蹴り、射手型バーテックスに接近しているその勇者の左手にあるクロスボウが光る。

 

「そこっ!!」

 

 側を漂う白い狸のような精霊が彼女の腕を支え、クロスボウから桜色の光が迸る。光は一筋の矢となり、射線上にいた射手型バーテックスの体を一直線に貫いた。それも一度だけではなく、二発目、三発目、四発目と、次々と放たれ射手型バーテックスを撃ち抜いていく。

 宙に出現する大盾を蹴って方向転換し、私のすぐ近くに三叉槍が出現すると、彼女は器用にもその細い柄の上に着地する。

 

「彩羽さん…どうしてここに…?」

「その声、やっぱりほむらちゃんだね。間に合って良かった」

 

 ……そうだった、この人目が見えていないんだった。え? それなのに今の一連の動きをやってのけたの?

 

「事情はなんとなくだけど分かるよ。誰かが壁を壊したんだよね?」

「……ええ、東郷が。私はあの子を止めなくちゃいけないの」

「……そっか。うん、分かった」

 

 彼女はそう言って再び正面にいる三体のバーテックスに向き合うと、彩羽さんの周りには次々と武器が出現する。三叉槍、鉄扇、ハンマー、大盾がいくつも浮かんでいる。

 

「ほむらちゃん、美森ちゃんをお願い。バーテックスの相手は私が引き受けるよ」

 

 この瞬間、先代勇者、高嶋彩羽が樹海に返り咲いた。




【高嶋彩羽】
 戦闘スタイルがいろはちゃんではなく、もはやモキュの域に達している彩羽ちゃん。アニメのマギアレコードでやちよさんの槍って応用力高過ぎィ!!と思っていました。モキュのドッペル枠でも桃白白みたいなことやってるし……。
 メインの精霊は園子様に「モキュ」という名前を付けられています。さて、なんという精霊でしょう? 本編中で白い狸と語られていますが、実物は白いわけではありません。ただモキュ要素を入れたかったために白色になった子です。

 彩羽ちゃんのモチーフの花は「シダレザクラ」
 シダレザクラの花言葉は「優美」と「ごまかし」
 あの人の子孫だから桜、なおかつ彼女に相応しい花言葉だったので速決でした。


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第四十話 「私は私のワガママを貫くから」

 私は高嶋彩羽。香川県の大橋市出身。誕生日は8月22日。家族は両親と妹が一人。好きな事は妹やあの子達とお話しすることと……料理も、だったんだけど、これから先二度とできないことは趣味なんて言えないかもしれない。

 

 家は昔からお金持ちで、大赦の礎を築いた名誉ある一族らしい。さすがにそれは300年も前の話になるから詳しくは知らないけど、なんでも御先祖様である高嶋友奈様は、かつてこの世界を守った初代勇者の一人だって聞いた時は驚いた。

 

 ただ、私にはそう言われたところで荷が重すぎる。いくら御先祖様が偉大な方で、お父さんもお母さんも大赦内でトップの人で凄いだの羨ましいだの言われても、そこには私の功績なんて一つもない。私はそんな大層なことができる立派な人間なんかじゃない。

 

 高嶋家の娘だからって理由で、昔から羨望の的として見られていた。はっきり言って私は特別勉強が得意な訳でも、運動神経が良い訳でもない。精々人並み程度だったのに、誰もが私を特別視する。

 

 私の事を知らない人達はみんな、私を高嶋の娘としてしか見ない。そんな風に思われても、私は彼らの言葉を違うと否定する勇気すら無かった。理想と現実との差に失望されて、それが事実とはいえ周囲に取り残されるのが怖かったから……。

 相手の人が気まずくなったり、誰かと言い争ったりするのがつらいから。本当の自分を出さないで、乾いた笑みを浮かべてごまかし続ける毎日だった。

 

 心配かけたくなかったから「私は大丈夫だよ」って、お父さんとお母さんと羽衣、それと幼馴染の園子ちゃんにもごまかして……でも、園子ちゃんには割と早い内から気付かれていたけどね。

 

 つまり高嶋彩羽という人間は……臆病者だったんだ。

 

 あの子達を心から愛したその時までは。

 

 

◇◇◇◆◆

 

 わっしーが出て行ってから数分後、私とろっはー先輩の部屋に大勢の神官達が雪崩れ込んできた。その内の一人、代表の人かな? その人が今何が起こっているのか説明してくれた。

 なんでもわっしー達の先輩の犬吠埼風さんが暴走してしまったらしい。このままでは彼女が大赦を襲撃してしまいそうだから、私達の力を貸してほしいみたい。

 

 三方を両手で大事そうに抱えていて、その上にはかつて私達が使っていた勇者端末が二つ置かれていた。確か4月頃に頼まれたんだっけ~? 当代の勇者が何かの形で暴走したら止めてくれって。

 

「これで変身して、犬吠埼風さんの暴走を止めればいいんだよね~?」

 

 神官は全員跪いて頭を垂れる。自分達の危機を自力でなんとかするわけでもなく、私にお願いするだけで片付くなら楽な作業だよね~。

 

「なりゆきを見守ろうかな~」

 

 そう言うと神官達は慌てて顔を上げる。嘘じゃないよ~? 多分犬吠埼さんの暴走の原因はアレだろうから、彼女は大赦に文句を言ってもいいと思うんだよね~。最悪の事態が起こるかもしれないけど、行動してもいい資格は十分あるんだよ。

 

「園子様。ここで勇者が暴走すれば、大赦の危機ひいては神樹様の……世界の危機に!」

「そうだね~、大ピンチだね~」

「もし世界が滅亡したら三ノ輪様は何のために落命されたのですか!」

 

 ……何を言ってるのかな~、この人は。ミノさんの事を勝手に知った気になって、犠牲を美談で片付けている。まだろっはー先輩が戻ってきていなくて良かったよ、本当に。今のを聞かせてろっはー先輩を苦しませたら、それこそ私も()()を言っていただろうね。

 

「もし全員死んじゃったら、向こうでいっぱいミノさんに謝るよ~」

 

 何やってんだよって怒られちゃうかな~? それとも許してくれるかな~? でもミノさんなら、例えものすごく怒られたとしても私達のことは嫌いにはならないよね。

 

「今は生きているわっしーの気持ちを優先してあげたいんだ~。全部を知った勇者達が何を為そうとするか……勇者のみんなに、やりたいようにやらせてあげたくて。気持ちは分かるなんてもんじゃないからね~」

 

 みんなとても苦しんでいるんだもん。世界が終わるにしろ、私達勇者にとってはその方が楽だという捉え方だってある。その事とか大赦に復讐するとか、形はどうであれ、報われてほしいと思うことは別に変な事じゃないでしょ?

 

「そんな……それでは最悪、世界が…!」

「じゃあ……何。勇者になって、わっしーやほむほむやその友達と戦えって……?」

 

 いつ如何なる時でも自分達の保身しか考えていない。そのためなら私達が苦しもうが知った事じゃない……それこそ私とわっしーとミノさんとろっはー先輩、みんなが帰る世界を守るために戦い抜いて、ろっはー先輩を庇って死んでしまったミノさんを一番馬鹿にして貶してるよね。

 

 

「ふざけないでよ」

 

 

 自分でも驚くほど冷めきった言葉が出る。私の多分冷めていた目を見た神官達は固まっていた。

 もう何も言うことはないね。私も決めた事を変えるつもりは毛ほどもないし。でもそこで部屋の外から「すみません、開けてもらえませんか」って声が聞こえて、近かった神官が急いで扉を開けた。ほむほむに連れて行かれたろっはー先輩が戻ってきた。

 

「……えっと……これはどういう状況?」

「あ、ろっはー先輩お帰…んん?」

 

 ろっはー先輩の目元の包帯がぐっしょり濡れている。顔色もさっきより赤く見えて、ろっはー先輩が今まで泣いていたんだって分かった。

 ほむほむに何か言われた? でも彼女がろっはー先輩に対して暴言を吐くとは思えないし違うだろう。そもそもろっはー先輩は暴言なんかじゃ泣かないのは私が一番よく知っている。

 

「何かあった」

「「「彩羽様!!」」」

 

 尋ねようとすると今まで私に跪いていた神官達全員が一斉にろっはー先輩に跪く。私が駄目ならすぐにろっはー先輩に切り替えて、浅ましいな~。

 私と同じ説明をろっはー先輩にもしている。相変わらず彼らの姿が地を這う亡者のように見えて仕方がないが、必死に説明する彼らの中には顔こそ見えないけど安心しきっている人もいる。

 

 私が行かなくても、ろっはー先輩は大のお人好しで断れない性格だから、その人達はろっはー先輩なら行ってくれるって嘗めている。

 

「何卒、宜しくお願いします、彩羽様」

「……そうですね。勇者が暴走すれば世界の危機に繋がりかねない」

 

 私とは違って肯定的な様子で神官達の言葉に頷く。神官達は露骨に安堵し、部屋を包んでいた空気が明らかに一変した。それに応えるよう、私は触りもしなかった勇者端末が、ろっはー先輩の勇者端末がふわりと浮かび上がる。

 

「おおっ! これは!」

「素晴らしい! 流石は勇者様でございます!」

「ありがとうございます彩羽様!」

 

 神官達はいきなり目の前のスマホが浮かび上がる超常現象に感嘆の声を上げるけど、別になんてことはない。その勇者端末から出てきたろっはー先輩の精霊、キュウモウ狸のモキュ(命名乃木園子)が持ち運んでいるだけだ。

 

 モキュと勇者端末はろっはー先輩のすぐ側で止まる。

 あれで変身してそのまま犬吠埼風さんの暴走を止めに行く。神官達が一安心する中、ろっはー先輩と私はお互いに顔を向き合わせてニコリと笑った。疑ってなかったけど、やっぱりろっはー先輩もそう思うよね。

 

 

 

「お断りします」

「………え?」

 

 神官達の間抜けな呆けた声をこぼすとモキュがその姿を消す。持つ者がいなくなった勇者端末はそのまま自由落下。誰もが唖然として床にガタッと音を立てて落ちた勇者端末に目を向ける中、ろっはー先輩はそんな事を微塵も気にする素振りをせず、それを踏みつける。

 

 バキッ!と鈍い音が聞こえ、足を上げると、大小たくさんのひびが入った勇者端末が神官達の目に入る。

 ろっはー先輩は自分は止めないという明確な意思を見せつけた。

 

「わーお、画面バキバキだねぇ。ろっはー先輩ってば、だいた~ん♪」

「い……彩羽様……何を…!?」

「私も園子ちゃんと同じです。犬吠埼さんを止めることはありません」

 

 この人たち全く分かってないね~。ろっはー先輩も最初から聞き入れるつもりは無かったって。

 ろっはー先輩がお人好しだから行ってくれる? 確かにろっはー先輩は甘過ぎる所もあるし、どうしてもって頼まれた事は断れない人だけど、だからといって少しでも間違ってるって思った事は決してやらない人なんだよ。信念を曲げてしまうぐらい、余程の理由がない限り……。

 

「どうせ言い訳をなさるつもりでしょうけど、犬吠埼さんの暴走の原因はあなた方でしょう? それに向き合おうとしないで、非を一切認めないまま解決は他人任せ……なんて情けない人達なんですか。私はそんな身勝手なあなた方を助けたくはないです」

「し、しかし…!」

「あなた方はこの世界を守りたいんですよね? でしたら誠心誠意尽くして彼女に謝罪してください。そうして認められたら彼女に許してもらえて、考えを改めてもらえるかもしれないじゃないですか」

 

 神官達の顔は仮面の内側で真っ青だろうね~。ろっはー先輩が言ってることは正論なんだけど、その正論の中に彼ら大赦が犬吠埼さんに許してもらえるなんて生易しい考えは、ほんの少しも思ってないんだもん。

 ろっはー先輩が自分達を見捨てる気満々だって誰もが気付くよ。責任は自分達が何とかしろなんて言ってるようなもので、勇者端末を割るなんて真似もやっちゃうし、あれはろっはー先輩も内心とても怒ってるね~♪

 

「自分達の責任を私達に押し付けないでください。この件に関して、私達は一切関わるつもりはありませんので」

「彩羽様!! 園子様!!」

 

 もうろっはー先輩は口を開かなかった。穏やかな表情で私に微笑みかけ、私もそれに応えて同じ様に笑った。

 

 しばらくは神官達が土下座しながら必死に喚き散らかす声が聞こえた。私はそんなうるさい声は聞こえない事にしながら、窓から空を眺めて雲の形を観察していた。

 

 

 

 気がつくと、そんなうるさい声は本当に聞こえなくなっていた。神官達は相も変わらずそこで土下座しているけど、彼らはそこで完全に停止していた。この世界が神樹様の結界に包まれる前触れと同じ様に……。

 

 そして鳴り響く。この世界の今までにない危機を告げる警報が。

 

「な、なにこのアラーム…? 樹海化警報ってこんな音だっけ…?」

「……ろっはー先輩が端末壊したからじゃない? 昔から酷い機械音痴だもんね~」

「ええっ!? うそっ、私のせいなの!?」

 

 さっきの勇者端末を踏みつけた件で軽くボケると期待通りのリアクションを見せるろっはー先輩。でも私はさっき、わっしーにあの事を教えた。もしわっしーが直接自分の目で確かめて、その真実に耐えきれなかったらどういう行動を取るのかも考えていたから、この警報はきっと……。

 

「あー、やっぱりだ……特別警報発令って書いてる」

「それじゃあ私関係ないよね!? ……って、特別警報ってまさか……」

 

 ろっはー先輩も今何が起ころうとしているのか気付いたみたい。特別警報……この世界を守る神樹様の壁に異常が発生し、従来の何百、何千倍にも及ぶ規模の襲撃が起こり得る際に鳴り響く非常警報。

 

 これが鳴ったが最後、今言った絶望的な規模のバーテックスが攻めてきて、勇者が戦った所でそれを止められるのも限りなく不可能に近い。

 壁が壊されるなんて、もしそれが自然に起こる事なら事前に大赦の巫女達に神託が来そうなもの。それは私達にも伝えられ、神官達は集まって対策を練るはずだ。それがなかった今回のこれは明らかに人為的なもの。それが誰なのかはついさっきの事からして、候補は暴走した犬吠埼さんを含めると三人。そしてその中で行動に移しそうな人を考えたら……。

 

「……どうするの? ろっはー先輩は」

「………園子ちゃんは?」

「私は……やめておくよ~」

 

 これはわっしーが選んだ答え。あの子は耐えられなかったんだ。この世界の残酷な真実に。

 

 私だって……酷い言い方だけど、ろっはー先輩が一緒にたくさん散華していなくて、ここに幽閉されていたのが私一人だけだったら……。あの時、ろっはー先輩が私が言った通りうーたんを選んでいたら、孤独に耐えきれず、既に終わっている世界の真実に心が折れて、真っ先に自棄になっていただろうから。

 

 ……勝手な話だよ。あの戦いが終わって私達二人がここに運ばれた時、私は辛うじて動かせた右手で、両目と両腕を散華して立つのすらやっとだったろっはー先輩を突き飛ばして、罵声を浴びせた。いろんな所にぶつかったり転んだりするろっはー先輩を見ながら、不快感を露わにしながら自業自得だって馬鹿にした。

 私の最後のお願いを無視してうーたんを裏切ったんだって思い込んで……私の心が守られている事に気付かないで、ろっはー先輩がどれだけ苦しんだのか考えもしないで責めたくせに……。

 

 ……とまあ、私にはわっしーが壁を壊してしまった気持ちが痛いほど理解できる。ミノさんにうーたん、その他のいろんな人達には本当に申し訳なく思うけど、世界が滅びそうになっても少しでもいいからわっしーが納得のいく道を選んでほしい。私はわっしーを否定しない。

 

「……そっか」

「うん……ろっはー先輩は……行くつもりなのかな?」

「……うん」

 

 画面が割れた程度じゃ、端末が壊れたなんて言わない。もう一度モキュが現れて床に落ちたままの勇者端末を持ち電源を入れた。

 

(……そうだよね。ろっはー先輩は止めるよね……)

 

 この世界にはうーたんが……高嶋彩羽の妹の高嶋羽衣が、病気と戦いながら頑張って生きている世界なんだもん。うーたんのこれまでの頑張りを無駄になんかする人じゃないんよ。

 

「でも……私だって彼女達を否定する気はないよ」

「え?」

「かと言って肯定もできないけどね。あの子達がこれから一生苦しむのは嫌だけど、この世界の人達が大勢犠牲になるのも見過ごせないから」

 

 そして、命を軽んじる人でもない。さっきの神官達の頼みを一蹴したのはただ単に非は全部向こうにあったからこそで、本来なら誰よりも甘々で純粋な心を持っている。

 

「もし武器を向けられても抵抗はしないよ。彼女達とは絶対に戦わない。ただこの世界を守るのだけに徹するつもり」

「つまりバーテックスとだけ戦うってこと?」

「そうだね。今の勇者の子に邪魔だって消されるまで。園子ちゃん、羽衣、美森ちゃん、ほむらちゃん……私も銀ちゃんが守った、みんなが生きるこの世界を守り続けるよ」

 

 偏にこの決断を決めたのは、ろっはー先輩の優しさの賜物だ。どの立場の人の想いでも汲み取って、それら全てに手を貸そうとする。

 元々、ろっはー先輩は受け身な性格だった。みんながろっはー先輩が聞き上手だなんて勘違いして接して、本人もそれを否定できないままズルズルと引っ張ってしまう。

 だけど否定しなかったのは、相手の想いを無下にしたくなかったから。どんな人だろうとも失望させてしまう事が嫌だった。相手の事を気遣える素晴らしい人なんだ。

 

 臆病者なんかじゃない。ろっはー先輩は昔から天性の優しさを誰にでも分け与えられる凄い人。

 

「……ろっはー先輩ってば、本当に頑固でワガママだね~」

「えっ?」

「私は今の子達の気持ちを否定したくないから戦わないって決めたんだよ。なのにろっはー先輩も同じ事を思ってるのに、助ける選択と見捨てる選択両方を取るんだもん。正直ズルいな~って思ったりして♪」

 

 でもそれが、ろっはー先輩の良いところで、私達が大好きな「高嶋彩羽」ってお姉ちゃんなんだ。

 咲き誇っている桜のように、誰からも認められている存在。温もりは優しくみんなにそっと触れて、ふわっと包んで、どこにだって寄り添って行く。みんなの心に隔てなく寄り添って離さない。いつだって私達の事を守ってくれる。

 

「……もう後悔するのは嫌だからね。狡くても構わないけど、私は誰か一人や二人だけじゃなくて、みんなが最後まで笑顔でいてほしい」

「うん…」

「それがワガママなんて言うなら、最後まで逃げ出さずに私は私のワガママを貫くから」

 

 ……敵わないなぁ、ろっはー先輩には。隊長の面目が立たないよ。

 

 モキュが勇者端末を開いて、シダレザクラの変身アイコンにろっはー先輩の指を触れさせる。優美の花が咲き誇り、桜色の衣装に変化した。

 

 窓が開けられる。桟の上に飛び乗って準備万端になったろっはー先輩に再び声をかけた。

 

「……昔はあまり自分を表に出さなかった、あの弱くて可愛らしいろっはーだったのに、強くなったね~」

「そ、そうかな? でも、本当に強くなれたんだとしたら……それは私がみんなのお姉ちゃんだから。理由なんてそれで十分だよ」

「そうだね……いってらっしゃい。ろっはー先輩」

「行ってきます。園子ちゃん」

 

 窓から飛び立ち、その直後に空中に無数の槍が電車のレールのように並ぶ。その上を駆けて、ろっはー先輩は守りたいものを守るため、自分の信念を最後まで貫くために樹海へと舞い戻った。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「方向はこっちで大丈夫だよね?」

 

 先行を飛ぶ自身の三叉槍を発現させる精霊、偽汽車(にせきしゃ)の後ろを走りながら尋ねる。その気配を辿り、ひたすら真っ直ぐに突き進んでいくと彼女を包み込む空気が重々しくなるのを感じ取る。そしてあちこちには不気味な気配が立ち込みだし、自分が再び樹海に戻ってきたのだと実感していた。

 

(この小さくてたくさん飛んでいる気配……星屑ってタイプなんだっけ。壁の外にいるはずなのに樹海にいるってことは、本当に壁が壊されたんだね……)

 

 近くを飛び交う星屑が一斉に彼女に迫る。彩羽を誘導していた偽汽車の側に別の精霊、猪笹王(いのささおう)が炎を纏った鉄扇と共に姿を現す。

 

 鉄扇が扇がれ、巻き起こった炎が星屑を包み込む。星屑の体は次々と焼却され、何体もいた星屑全てが消え去っても、彩羽は顔色一つ変えずに槍の上をそのまま走り抜ける。

 

(今はまだ星屑だけしか来ていない? 大型のバーテックスは……)

「勇者部六箇条!! なるべく……諦めなぁぁあああああああい!!!!」

「っ! 今の声…!」

 

 知り合ったばかりだが、既に大切な仲間のように思っている人の叫びが樹海に木霊する。その直後に大気を震わせる爆音が響き、彩羽はその声と爆音が聞こえた方へと進路を変更した。

 

(……あった! 大型バーテックス三体分……そこに多分あの子も…!)

 

 忌々しい気配は徐々に大きくなる。その気配に呑まれかけているが、人一人の気配も確かに見つけていた。そして樹海も僅かに震えている。これは彩羽が二年前に感じ取った、勇者が神樹から強大な力を得る前触れと同じ感覚だった。

 

(満開!? あの子一人で戦うつもり…!)

 

 バーテックスの内の一体から何かが放たれる。無数の鋭い矢のようなものだろう、大気を貫きながらそこにいる勇者に殺到していた。

 その勇者も満開で迎え撃つつもりであるのは間違いない。彩羽は声を上げて呼び止め、精霊、朧車(おぼろぐるま)の力で彼女を守る盾を具現化する。

 

「待って!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「事情はなんとなくだけど分かるよ。誰かが壁を壊したんだよね?」

「……ええ、東郷が。私はあの子を止めなくちゃいけないの」

「……そっか。うん、分かった」

 

 ほむらが美森を止める……その言葉を聞いた彩羽は、二年前に離れ離れになった妹のように想っていた美森に、どんな絶望の中でも支えになってくれる友達ができていた事実に微笑みを浮かべる。

 かつて何度も美森の側に居てやれない自分を呪った。記憶を失った彼女が大丈夫なのか不安でいっぱいだったが、美森にはそんな心配を消し去った友達がいた。

 

「ほむらちゃん、美森ちゃんをお願い。バーテックスの相手は私が引き受けるよ」

 

 高嶋彩羽は勇者達と敵対するつもりはない。例え向こうが世界を滅ぼそうとも、彩羽に害を与えようとも、彼女は全ての勇者達の想いを汲み取るつもりであった。

 だから彼女は今回の事件を引き起こした勇者、東郷美森を止めはしない。世界を滅ぼそうとするバーテックスは倒すが、勇者達それぞれの想いは絶対に否定しないし傷付けない。

 

 ほむらが美森を止めると言うのなら、彩羽はその言葉を信じ、彼女にその役目を託すだけだ。

 

「引き受けるって……一人であいつらの相手をするつもり…!?」

「大丈夫。私は絶対に負けないから……それに、ほむらちゃんは美森ちゃんを止めるんでしょ? こんな所で立ち止まっている暇はないよ!」

 

 いくつもの鉄扇が同時に舞い、それらからバーテックスを覆い被さるほどの炎が走る。炎は三体のバーテックスの視覚を塞ぎ、判断を鈍らせる。

 次の瞬間、薄い炎を突き破って無数の三叉槍がバーテックスに殺到する。槍は三体のバーテックスの表面に針山のように突き刺さり、動きを怯ませた。

 

「行って!!」

「っ、ええ!!」

 

 ほむらも彩羽にこの場を託し、離れた幹の上へと跳び去る。そんなほむらを逃すまいと、炎に包まれている射手型バーテックスは再び彼女に狙いを定めて矢を飛ばす。

 

「させない!」

 

 先程のリプレイのように、ほむらの背を守るように出現する大盾。彼女に矢は一本も通ることなく、全てが盾に阻まれていた。

 ここでバーテックスも認識する。ここで最も邪魔になる存在は、この場にいる盲目の勇者であると。

 

 放たれ続ける射手型バーテックスの矢の射線上に赤い板状の物体が割って入る。矢はその板……蟹型バーテックスの反射板に跳ね返り、彩羽の背後から彼女へと襲う。ほむらを狙うと思わせた奇襲攻撃は、彩羽がそれを見ることも驚くこともなく、横に足場を作って跳んで簡単に回避した。

 

 目の代わりに気配を頼りに周囲を特定する彩羽にとって、不意打ちの攻撃は無意味に等しく、最初から分かりきっていたことだった。回避と共に、キュウモウ狸に支えられた左腕が一瞬光を放ち、桜色の閃光が蟹型バーテックスを貫いた。

 

「……さっきから続いてる矢みたいな攻撃……それを跳ね返すことができる物体……」

 

 彩羽は思い出していた。二年前に今自分が相手をしているバーテックスと戦ったことを……彼女の人生の中で一番の絶望に彩られた最悪の日の出来事を……。

 

『アタシ達に任せて、須美と園子は休んどいて!』

 

 中学生だった自分一人だけ、仲間達から離れた場所に呼び出され、駆けつけた時には既に酷い有り様だった。

 

『大丈夫だって! アタシ達がお前らを置いてどっか行くわけないだろ』

 

 あの子は本気でそう思っていた。私も当然そう思っていた。信じて疑わなかった。

 

 

『またね!』

 

 

『姉ちゃん!!!』

 

 突然自分を突き飛ばしたあの子の手……直前まで自分が立っていた場所に延びていた巨大な尾……その先端……。

 

『………え…なん……ぎん…ちゃん……?』

 

 大切な仲間達を傷付けられ、自分の情けなさに泣き叫び、妹達を深い悲しみの底に突き落とさせ、大好きだった妹分を殺された記憶を……。

 

 

 

「あの時のバーテックス!!!!」

 

 そう叫ぶとともに、ほむらの爆弾で負ったダメージを回復させた蠍型バーテックスの尻尾が猛スピードで延ばされる。大切な人の命を奪った針を輝かせ、彩羽を葬らんとする一撃が心臓目掛けて一直線に迫る。

 

「もう二度と!! 悲しませるものかぁああああああっっ!!!!」

 

 叫び、自らを奮い立たせて足場にしていた槍を蹴る。針を避け、猛スピードによる衝撃を体を捻って受け流し、数珠状の尻尾へと着地する。

 

「猪笹王!」

 

 その尻尾を先端の方から数珠状の繋ぎ目の部分を鉄扇で焼き切り落としながら蠍型バーテックスの本体部分へと駆け上がっていく。バーテックスはもがき、振り落とそうと尻尾を大きく揺らして抵抗するが彩羽は離れず。一つ、また一つと尻尾を切り落とす。

 残った二体のバーテックス、射手型と蟹型も、彩羽を排除するべく攻撃を仕掛ける。射手型は蠍型を巻き込んで幾千の矢を降らせ、蟹型は反射板で彩羽を叩きつけるべく振り下ろす。

 

「その攻撃は覚えてるよ!! 朧車!」

 

 朧車を呼び出し、頭上に大盾を具現化する。傘代わりとなった大盾が矢の雨を防ぎ、それを外した矢は蠍型バーテックスの体に次々と突き刺さった。

 そして彩羽に振り下ろされる反射板。彩羽は慌てるわけでもなく冷静に内なる炎を燃やしながら、精霊百々目鬼(とどめき)の力を発動させる。

 

「いっけえぇぇえええ!!!!」

 

 彼女の傍らに出現する巨大なハンマー……それが振り下ろされる反射板似に合わせて大きくスイングされる。側面から強大な衝撃を受けた反射板はガラスのように砕け散った。

 得物を砕かれ、怯む蟹型バーテックスを彩羽は逃さない。左手のクロスボウを構えつつ、辺りに三叉槍が飛翔する。

 

 無数の桜色の閃光と青い三叉槍が、蟹型バーテックスに降り注ぐ。巨体を次々に穿ち、蟹型バーテックスは見るも無惨な姿へと破壊されて海へと沈められた。

 

 彩羽はそれだけでは止まらない。既に尻尾を切り刻んで無力化していた蠍型バーテックスの体がいつの間にか燃え上がっていた。蟹型バーテックスを攻撃している間、精霊猪笹王の力を再度発現し、切り刻んだ蠍型バーテックスを炎上させていたのだ。

 バーテックスが回復するなら継続的にダメージを与えればいい……実際蠍型バーテックスの尻尾はまだほとんど回復しきれていなかった。

 

「百々目鬼!」

 

 再び現れる巨大ハンマー……それを足場にしている蠍型バーテックスの体へと振り下ろした。その体が砕ける音が響き、彩羽は宙へと躍り出る。これで暫くの間二体のバーテックスは回復に専念せざるをえないため動けない。

 それを理解した残った一体、射手型はがむしゃらに矢を放つ。だが今まで全ての攻撃を防いできた彩羽は空中であろうとも少しも動揺する事はなかった。

 

(このバーテックス達にはもう何も壊させない……これ以上奪われてたまるものか…!! あんな思いはもうたくさんだ!!)

 

「ここで絶対に倒してみせる! 偽汽車ぁ!」

 

 射手型の矢が迫り来る中、精霊偽汽車から三叉槍が彼女の足元目掛けて飛ばされる。その勢いを殺さないまま彩羽は三叉槍の上に乗り、射手型バーテックスの射線上から脱する。

 

「モキュ! お願い!!」

 

 クロスボウがこれまでのと比較して何倍も大きな光を輝かせる。この一射が未来への道となるように……希望に導く光となる事を祈って……。

 

「届け!!」

 

 濁流のような、だが、輝かしい桜色の光の氾濫が、射手型バーテックスを呑み込む。吹き飛ばしながら、その中で射手型バーテックスの体を浄化し消滅させていく。

 やがて光は霧散し、ボロボロになった射手型バーテックスが姿を現した。

 

 バーテックスは御霊を破壊しない限り倒せない。それは彩羽も分かっている。だがいくら何回も満開した勇者とはいえ、一人で三体のバーテックスを同時に封印しながら御霊を破壊するのは不可能だ。

 

 たった一つの方法を除いて。

 

 

 

「満開!!」

 

 樹海が震え、シダレザクラが満開の花を咲き誇る。

 

 薄く光る桜色の羽を羽ばたかせ、神々しい一本の巨大な槍がそびえ立つ。その槍を中心に虹色に輝いている球状の光は、まさしくこの世界を導こうとする希望。

 

 闇を打ち消す光が、バーテックスに落ちる。ボロボロにされたばかりの個体も、回復しかけていた個体も、断末魔さえ上げることなく御霊ごと全て消滅する。

 

 

 

「……銀ちゃん……ありがとう……大好きだよ」

 

 ふと、彩羽は彼女達の心の中で生きている少女にお礼を言いたくなった。見えないはずの瞳の奥に、その少女が満面の笑みで笑う姿が見えた。




【高嶋彩羽の精霊】

キュウモウ狸
 高嶋彩羽の初期精霊。左手のクロスボウに関与している。彩羽は散華で腕を動かせないため、わざわざ彼女の腕を支えてくれる。

偽汽車
 三叉槍に関与している。一度に無数の数でも具現化でき、触れていなくても自由自在に動かせる。

猪笹王
 鉄扇と炎に関与している。炎の巻き起こしに鉄扇で斬りつけたものを燃やすことができる。三叉槍までではないが、ある程度なら自在に動かせる。

百々目鬼
 ハンマーに関与している。大きさは自由に変更でき、その分威力が変化する。振り回す、振り下ろすの単調な動作しかできない。

朧車
 大盾に関与している。シンプルに強固な盾を指定した場所に具現化する。盾は横開し、そこから他の精霊の武器を放つこともできる。


【高嶋彩羽の満開】
LAST MAGIA


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第四十一話 「勇者部のみんながいれば」

 この章も残り4話ぐらいかな? 最近は次の章の設定の見直しに時間を掛けてしまいがち……ごめんなさいちゃんと本編進めます。


 アタシはなんて過ちを犯したのだろうか……。感情に支配されて、人々を守るための力をその大勢の人を傷つけるために使おうとする絶対にやってはいけない事を決行に移った。

 それを止めようとする夏凜を裏切り者だって決めつけて、問答無用で斬りつけた。アタシと勇者部を気にかける言葉を、煩わしいとしか思えなかった。

 

 夏凜はアタシのせいで散華した……。あの子だけは無事でいたのに、アタシの大馬鹿を止めるためにしなくてもいい犠牲を払わせて……。

 

 なのになんで……夏凜も友奈も樹も、アタシの事を許すなんて言うのよ……。こんなヒドい目に遭ってるのに、勇者部に入って良かった、毎日が楽しい、幸せになれたなんて……どうしてよ……。

 

「………! ……!」

 

 樹がアタシの体を揺さぶる。どこか切羽詰まった感じがしているけど、アタシには少しも響かない。どんよりとした罪悪感と後悔に押し潰される。最愛の妹の想いも届かないほど……。

 

 突然樹海化が始まったと思ったら、今までのとは違う、小さなバーテックスが壁の向こう側から大量に湧いて出てきた。

 

 ……ああ、なんとなくだけど分かったわ。これは世界の危機だ。今までのバーテックスの襲撃よりもヤバい、何かとんでもないことが起ころうとしている。それなのにアタシの体は動かない……気力なんて、どこにもなかった。

 

 瞬く間にバーテックスはアタシと樹を取り囲んで、迫り来るそいつに向けて樹はワイヤーを伸ばした。アタシを庇うように戦い始めた。

 次々に襲いかかるバーテックスを、ワイヤーでぐるぐる巻きにして引き裂く。一切逃げる素振りを見せないで、ワイヤーを駆使して倒していった。

 

「……っ!?」

 

 でもバーテックスの数が多すぎて、徐々に樹一人じゃ対処できなくなり始め、ワイヤーを当て損ねたバーテックスの体当たりをくらってしまう。

 吹き飛ばされて落下した樹……でも、樹は諦めていない。痛みに耐えながらもバーテックスを強い意志を宿した目で見据えて、ワイヤーを展開し続ける。

 

 ……どうしてよ、樹……。声を失って、歌手になりたいって夢も壊されて……なんで前を向いて戦えるの…? 生きていても良いことなんて無いって考えないの…? この世界に絶望なんてしないの…?

 

『駄目だよ!! お姉ちゃんを残して行けないよ!! ついていくよ…何があっても!』

 

 ……初めての樹海化の時もそうだった。命の危機に樹は一度も背を向けなかった。あの子がそう言ったのはどうして……アタシが前に出ていたから…?

 

『私には大好きなお姉ちゃんがいます。お姉ちゃんは強くてしっかり者で、いつもみんなの前に立って歩いていける人です。本当は私、お姉ちゃんの隣を歩いていけるようになりたかった』

 

 アタシの隣に並びたいから……だからなの、樹?

 

 樹……今のアタシには、あんたの立派な背中が見えている。声も、夢も、未来も奪われて、絶望が押し寄せているのに前を向いて戦っているあんたが眩しい…!

 涙で樹の姿が滲んで見える……でも、この涙はさっきまでのとは全然違う。大赦に抱いた怒りや憎しみでも、自身に抱いた後悔や罪悪感なんかじゃない。希望に満ち溢れ、胸が高鳴る大きな喜びによるものだ。

 

「隣どころか……いつの間にかアタシの前に立ってるじゃない…!」

 

 妹のあの子があんなにかっこいい姿を見せているのに……姉のアタシがこんな調子じゃ情けないわね。

 気力が漲る。一生負の感情に押し潰されるかのように感じていた体が軽い。こんな気分に浸れるなんて初めてじゃないだろうか。

 

 いつまでもあの子の背中ばかり見ている訳にはいかない。アタシは犬吠埼樹の姉で、みんなが認めてくれた勇者部の部長なんだから……。

 

 

 だからアタシは……隣に立って一緒に歩くんだ!

 

 

「はああああっ!!」

「っ!」

 

 樹に群がるバーテックスへと跳びかかり、大剣を強く握り締める。これは誰かを傷つけるための武器ではなく、アタシがみんなと共に歩むための刃。その一閃がバーテックスを切り裂く。

 樹が瞳を涙で潤ませた嬉しそうな顔をして近寄ったのを、アタシはこの子達が慣れ親しんだであろう快活な声をかける。

 

「勇者部部長として、姉として、妹に頼りきってるわけにはいかないわ」

「……!」

「もう大丈夫よ、樹。アタシには最高の仲間達がいるんだって分かったから」

 

 絶望しかない世界でも、共に歩けるなら堂々と前を向ける存在が……。樹の頭を撫で、アタシは最高の妹の事を心から誇りに思う。

 

「本当に、アタシの自慢の妹だ!」

「~っ!」

 

 アタシ達の眼前にバーテックスはまだまだ残っている。でもアタシ達犬吠埼姉妹の女子力(きずな)なら、この危機を乗り越えるなんて容易いわ。

 

ドォン!!!

「のわあっ!!?」

「……よし! 爆弾は満タンでも使えるのね」

 

 なんて思っていると心強い援軍が現れる。前方のバーテックスがまとめて吹き飛ばされ、爆煙の中からほむらが飛び出してきた。ただアタシと樹はいきなり目の前が爆発してめちゃくちゃビックリしたんだけど!!

 

「風先輩! 樹ちゃん! 大丈夫!?」

「大丈夫だと思うか!? 二人して心臓止まるかと思ったわ!!」

「……よかった」

「何がよ!」

「風先輩、暴走しているって聞いてたから……駆けつけたかったけど、それどころじゃなかったから……」

 

 切羽詰まった様子でアタシ達の安否を確認し、アタシがいつも通りのアタシだって分かると安堵しきったようにほむらの表情が和らいだ。

 

「……ごめん、心配かけたわね。ええ、もう大丈夫よ!」

 

 本当に、みんなに大きな迷惑をかけたものだ。こりゃあこの一件が片付いたら、みんなにうどんでも奢らなきゃねぇ。六人揃って一緒に。

 

「……風先輩、樹ちゃん、今この状況はどれぐらい把握している?」

「え? んにゃ、実のところほとんど何も…」

「時間が無いから手短に重要な事を伝えます。かくかくしかじか…」

「んなっ…!? 壁の外の世界がそんなことに!?」

 

 ほむらから伝えられた状況の悪さはアタシの想像の遥か高くを越えていた。この世界の真実と、東郷がみんなを生き地獄から解放するために壁を壊したなんて…!

 

「私はこれから東郷を止めに行きます。バーテックスに関しては頼りになる助っ人が来てくれたから問題ないと思う……風先輩、樹ちゃん、一緒に来てくれますか」

「……っ、当然!!」

「……!!」

 

 明かされた真実は残酷すぎるもの。だけど、このまま世界を終わらせるのは間違ってる! それにアタシはもう知ったんだ! 勇者部のみんながいれば、どこへだって立ち向かっていけるんだって!

 

「ちっ……また湧いて出てくるわね、こいつら」

「二人共、突破するわよ!」

「……っ!」

 

 白いバーテックスが再び群れなして襲いかかる。アタシ達は仲間達と共に、未来に突き進む!

 

「勇者部の女子力、見せつけてやるわ!!」

 

 東郷……アタシは部長として、先輩として、仲間として、あんたを正してみせる!

 

 

◆◆◆◆◆

 

「天に昇って! バーテックス!」

 

 空の一部を占める無数の星屑に目掛けて、巨大な桜色の光球を放つ。満開の圧倒的な力で、大型バーテックスであろうとも消し飛ばす閃光が、より格下の星屑を葬るのは当然。眩い光の爆発が樹海に巻き起こり、晴れればそこにいた星屑の気配は全て消滅していた。

 

「……この辺りのバーテックスは片付いた……けど、これで終わりじゃない」

 

 今の星屑の群れはあの三体の大型バーテックスについて現れたもの。他の大型バーテックスが樹海に入ってきた可能性だってかなり高いし、私が倒した星屑の数も、壁が破壊された規模に対して少ないと思う。

 

(……気配を……バーテックスがどこにいるか、辿らないと…)

 

 移動すれば見つかるかもしれない。美森ちゃんの事はほむらちゃんに任せたから、私はこの世界を守るんだ。

 

「……ちょっと遠いけど、これは大型バーテックス…かな?」

 

 今まで戦っていた地点の反対側。距離が離れていて最早勘のレベルだけど、二つの僅かにだけど感じ取れる気配に向かい始める。

 

ほむらちゃんならきっと、美森ちゃんや友達のみんなと一緒に全員が納得できる答えを見つけられるだろうから。あの子達みんなが幸せになれる未来……それが私が一番望むものだから……どうか……。

 

「……っ!?」

 

 突然、全身を脱力感が襲う。背中の羽が消失し、満開で変化したもの全てが元通りの形に……これは…!

 

(散華…!? こんな時に…!)

 

 二年ぶりの満開だからか、想定よりも定着が浅かった。力が抜け、満開の力で空を飛べていた身だ。光のない真っ暗闇の世界に包まれたまま、私の体は樹海に真っ逆さまに落ちていって、槍や盾でちょうどいい足場を作ることもままならない。

 

 結局、樹海にそのまま叩きつけられるように落ちる。精霊バリアで落下の衝撃からは守られるけど、両腕の不自由と脱力感もあってなかなか立ち上がれない。それに加えて今回の散華……。

 

「…かはっ…!? げほっ…ぁ……っ!! ぁぅ…!」

 

 全く呼吸ができない……今回の散華は“肺”だった。それも右肺と左肺、二つの肺を一度に……。

 精霊がいるから死ぬことはない。私の体は呼吸無しで普通に生きていられる。でもこれは体が慣れるまでの間、かなり苦しい。頭の中が真っ白になりそうで、何も考えられなくて、今にも意識が落ちそう…!

 

 ……でも、私はまだまだ守りきれていない。こんな所で終わっていいわけがない。歯を強く食いしばって、根性で、自分の意識を強引に繋ぎ留める。

 

「…行か…なきゃ…!」

 

 何度だって…何度だって立ち向かう…! それが私達、人間なんだから…!

 

 

 私は勇者、高嶋彩羽なんだから…!

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

「………うぅ……ん……ここは…?」

 

 目を覚ますと、私は樹海のどこかに倒れていた。気を失って……なんで私はこんな所に……いたんだっけ…?

 

「………っ! そうだ、東郷さんは…!」

 

 少しずつ記憶が思い起こされる。私がこんな所で倒れていた理由……それは壁の上にいた東郷さんとほむらちゃんに合流しようとして、でも二人は争っていたんだった……。ほむらちゃんは東郷さんに海に落とされて、東郷さんは壁の外へ……私と夏凜ちゃんが後を追って……

 

「……あれ? あそこに倒れているのって……夏凜ちゃん!?」

 

 慌てて夏凜ちゃんの下に近寄って抱き上げる。夏凜ちゃんも気を失っていて、名前を呼びかけるけど反応がない。

 確か私達は……バーテックスに後ろから狙われて、攻撃が直撃したんだった。それで樹海に落とされてこんな事になって……。

 

「………」

 

 ……その前は、東郷さんが……。私達にこの世界の本当の事を教えたんだった。この世界には未来が無いって言われて、東郷さんが救いなんて無い生き地獄から解放するために世界を滅ぼすって……。

 

 ……東郷さん、泣いてた……。友達を撃ってでも止まらないほど苦しんで、私達が苦しむ姿も嫌だから耐えられないって……。私、東郷さんのことをずっと見てきたのに……。散華の事を知らされて悩んで苦しんでいたって、ほむらちゃんと風先輩と話を聞いた時から分かっていたはずなのに、それがこんなにも思い悩んでいたなんてついさっきまで気付けなかった。

 

 ほむらちゃんと喧嘩しちゃった時も、私は泣くだけで話も聞かずに……きっと私にも何かできることがあったはずなのに……ずっと側にいた友達なのに……。ずっと守りたいって思っていたのに…!

 

「…っ!? バーテックス……こっち来てる…!」

 

 今いるここから遠くには、さっき私達を撃ち落とした乙女型バーテックスが。その隣にも、魚型バーテックスが新たに樹海に侵入している。その二体の周囲を無数に飛び交う、白いバーテックスも……。

 

「……今は戦わないと……あれを止めなくちゃ…!」

 

 あのバーテックスを放っておけば、この世界が終わってしまう。スマホを起動して勇者に変身するためにアイコンを表示させる。でも私の指は何故か動かなかった。勇者に変身することの代わりに、別のことを考えてしまったせいで……。

 

 

『もうこれ以上、大好きな勇者部のみんなが傷ついていく姿も犠牲になる姿も見たくない!!!! 私…もう耐えきれない……耐えきれないの!!!!』

 

 

 さっきの東郷さんの叫びが私の頭の中をぐるぐると回る。東郷さんが苦しんでいたのに、私はそんな東郷さんを助けられなくて……そんな私が今更何をしたところで意味なんて無いんじゃないか。大切な友達を守るなんて思いながら何もできなかった私は、もはや役立たずで……

 

 

 私は……勇者では無いんじゃないか……。

 

「………えっ…?」

『警告 勇者の精神状態が安定しないため、神樹との霊的経路を生成できません』

「……変身…できない…?」

 

 警告音が鳴り響く。画面に表示された文字を見て、私は血の気が引いて体が震えだした。もう一度勇者に変身できるアイコンをタップして……何も変わらない。もう一度……だめ……今度こそ……なんで……何度も…何度もタップして……変身できない…?

 

 どうして…どうして…どうして…どうして…どうして…どうして…どうして……

 

「どうして変身できないの!?」

 

 アラームが鳴るだけで私のスマホは何も反応してくれない。無慈悲な文章をそのまま、私に突きつけるだけ……。それに気づかないフリをして、指が痛くなるくらい何度もタップして、ついにはスマホを取り落としてしまう。

 

「………う…うう…っ!」

 

 苦しんでいたことに気づけなかっただけじゃなく、友達にも世界にも危機が迫っているこんな肝心な時に変身できないなんて…! 動かなくちゃと思っていても動けない……何もできない…! 誰も助けられない私はなんて情けなくて……愚か者なんだ…!

 

「わ、私……友達失格だ…!」

 

 涙が止まらない。嗚咽も。この感情が悔しさや悲しみによるものなのかも分からない。

 

 唯一分かっているのはそう……全ては私が東郷さんを助けられなかったせいで、こんなことになってしまった。私に友達を名乗る資格なんて……。

 

「友達に失格も合格もないっての」

 

 突然聞こえたその声に、俯いていた顔をハッと上げる。涙のせいで良くは見えない。でもその声が私に何なのかをハッキリと伝えさせてくれる。

 

「……夏凜…ちゃん…」

「痛っ……あんのバーテックスめ、やってくれたわね。どれくらいの高さから落とされたのよ」

 

 気を失っていたはずの夏凜ちゃんが目を覚ましていた。痛いと言いながらもちゃんと立ち上がってピンピンしている様子。そんな夏凜ちゃんが屈み込んで、うずくまって泣いている私と同じ目線になって語りかける。

 

「あんた、東郷のことで自分を責めてるんでしょ。まったく……友奈らしいったらありゃしない」

「………でも…」

「……友奈、あんたはどうしたい? 東郷のこと」

「………止めたいに決まってるよ…」

 

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、力無くその言葉がこぼれ落ちる。この気持ちは変わらない……それなのに、私には行動するための力も、友達を助けるための勇気も持っていない。私には何も力になんてなれないんだから……。

 

「……世界が終わってしまったら、みんなと一緒にいられなくなるんだよ……。東郷さん、ほむらちゃん、夏凜ちゃん、風先輩、樹ちゃん……みんなとの思い出が詰まった勇者部が壊されちゃう……。でも……止めたいのに、止めなくちゃいけないのに……私はできないんだよ…!」

「あんたが諦めてどうすんのよ」

 

 ポンって、夏凜ちゃんの左手が私の頭の上に乗せられると、そのまま優しく撫でられる。じんわりと温もりが伝わってきて、私は俯いていた顔が自然に上がった。

 

「東郷とほむらと約束したんでしょ? なるべく諦めないって……だから私も、あんた達が頑張るならへこたれてなんかいられないって思ったの」

「夏凜ちゃん……」

「……私って、大赦の勇者になれた事自体は誇りに思ってた。だから、実際の大赦の勇者に対する扱いが生贄で道具その物だって、ほむらに教えられた時はショックだった」

 

 涙で歪む視界が捉える。私の頭を撫でながら語る夏凜ちゃんは、顔を少し赤らめて照れ臭そうに……僅かな微笑みを浮かべていた。

 

「……でもね、体の機能を奪われた、私よりも辛い目に遭ってるヤツらが頑張ろうって前を向いてたのよ。ショックよりも、私にはこんなにも……その、かっこいい友達が何人もできたんだって嬉しくて……初めてなの……こんなにも…大切な存在ができたのも、絶対に壊させないって誓った事も……」

 

 夏凜ちゃんが立ち上がって背を向ける。いつもの夏凜ちゃんらしい、頼もしくて凛とした後ろ姿。

 その後ろ姿が私には遠く見えて、思わず手を伸ばそうとして……。

 

「もう私は大赦の勇者なんかじゃない。勇者部の一員として、勇者部を守る。友奈達の泣き顔なんて見たくない。馬鹿やって、笑ってる姿の方がお似合いの連中だもの」

 

 そう言って夏凜ちゃんは、私から離れて走り去っていく。こっちに進撃してくる、強大な敵に向かって。

 

 私を守るために……。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 かっこいい友達、大切な存在……どちらも数ヶ月前までの私なら絶対に考えもしなかった言葉だ。私にはそんな甘ったれたものなんて必要ないって否定して、その存在に依存する連中を見下してそれで終わり……なんというか、つまらないヤツよ。

 

 かつて世界の危機を救った先代の勇者のような、偉業を成し遂げる完成型の勇者だけを目指して、私の人生全てを擲ったつもりだった。それ以外はどうでもいいとか思っていたけど、その根底にあるものはきっと、誰かに私の存在を認めてもらいたかったという願望だった。

 小さい頃から出来のいい兄貴と比較され続けて、親でさえ私と真剣に向き合ってくれない。私は誰よりも優れている勇者になることで、自身の存在価値を知らしめようとしたんだ。

 

 ……結局のところ、ただ気負いすぎてただけだったのよ。そんな考えに固執して頭がガチガチに固くなって、強がっていただけ。

 

 勇者部のみんなはそんな私に最初からありのままの姿だった。みんなの私に対する第一印象が……あ、あれだったけど! 思い出したくないけど!

 それでもみんなを見下していた私を最初から受け入れてくれた。初対面で散々自分達を馬鹿にした相手に、みんな寄り添ってくれて、向き合ってくれて……ありのままの私を認めてくれた。

 

 私に幸せを教えてくれたんだ。私は勇者部が大好きだ。友奈が、東郷が、ほむらが、風が、樹が……みんなが大好きだ。

 

「……これは……いけるかしら?」

 

 崖の上に立つと、迫り来るバーテックスの群れが視界いっぱいに広がる。デカいのが二体、小さいのが数えきれないほど……それでいて私は左手一本で、満開ゲージは満タンまで程遠い。

 

「犠牲無しでは済まない……というより、覚悟を決めるべきね」

『諸行無常』

 

 ベストコンディションとは言えない体で、この数の敵を相手する。だからといって、ここで退散するなんて考えは過らない。

 スマホを手元に現し、中に保存されている写真に一通り目を通す。どれもこれも、必ず勇者部の誰かが写っている。私の側で笑っている。画面をスライドし続けて一番最初に保存された写真が写されて……それは私の誕生日に撮られた写真。六人全員が揃っていて、あの時の嬉しさが見ていて思い出させてくれる。

 

 私は逃げない。この幸せを壊させてたまるか。みんなとの思い出を、失ってたまるものか!!

 

 

「さあさあ! ここからが大見せ場!!」

 

 スマホを消すのと同時に、左手で刀を握り締める。神樹も見るがいい……私は、私達は、神様や大赦にとって都合のいい道具なんかじゃない!

 

 

「遠からん者は音に聞け! 近くば寄って目にも見よ!!」

 

 その目に焼き付けなさい! 人間様の力を! 勇者部の絆の力を!!

 

 

「これが讃州中学二年! 勇者部部員! 三好夏凜の実力だあああああああああっ!!!!」




 彩羽ちゃんの健闘により、夏凜ちゃんが戦うバーテックスの数は星屑含め原作の5分の2です。ただし擬似満開により、右手が散華かつ、満開ゲージが1(精霊バリア分)の状態でスタートとなります。


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第四十二話 「この力は、化け物には永遠に分からない」

 マギレコの静香の衣装ストーリーで、あのくそったれ外道陰獣白豚野郎に過去最大級の殺意が芽生えました。あのゴミが出てくる前までは「いいゾ~コレ」的な感じでニヤニヤしていましたが、出てきた瞬間全てを殺意に変えたヤツは改めて邪悪な存在だと思い知らされましたよ……。

 誤字報告ありがとうございました。


 私が飛び出すのと同時に、敵の姿を認識したバーテックスも動き出す。白くて小さいのが五体前に出て、私を食らいつこうと大きな口を開く。

 

「ハッ!!」

 

 その口が私を捉えるよりも早く、その身を刀で切り裂く。切り捨てたバーテックスの後方を飛んでいたやつも、流れるように刀を振り真っ二つにする。

 勢いを殺さず、次に襲いかかるやつも一刀両断。斬って斬って、私の大切なものを奪おうとする心無い化け物を駆逐する。

 

 小さいのは大したことないわね。動きは遅くて、何よりも脆い。一撃で倒せることから片手の私でも対処は余裕だった。

 

「バーテックス、覚悟!!」

 

 注意するべきはやはり大型のバーテックス。乙女型の管から卵型の爆弾が放たれて、それは歪な軌道で私目掛けて飛んでくる。

 近くの白いやつの噛みつきを避けて、そいつを斬るのではなく踏みつけて跳躍する。爆弾は私が足場にしたバーテックスに当たって爆発する……かと思いきや、その軌道は上に曲がり私を追尾した。それに合わせて、他の白いバーテックスが何体も私に殺到して……。

 

「ちっ…!」

 

 刀を投げて爆弾に突き刺す。白いの数体を爆発に巻き込み、すぐに新しい刀を出現させて邪魔なバーテックスを手当たり次第に斬る。一瞬でも判断が遅れれば、奴らの総攻撃を受けてしまう……。ここにきて、大したことがないと思っていた白いやつらの厄介さが身に染みる。

 

 多すぎる。一体一体は文句無しの雑魚だけど、その物量が邪魔で攻撃が大型まで全然届かない……!

 

「っ!?」

 

 全方位を白いのに囲まれ、対処に遅れが……。前言撤回、やはり片手だけでは間に合わなかったか……!

 

「あうっ…!」

 

 背中側のしとめ損ねたやつの体当たりをくらってしまう。精霊バリアが致命傷を防ぎ、ダメージ自体は問題無くても、その一撃で生まれる隙は致命的だ。その分私の攻撃の判断と実際に斬るスピードにズレが生まれ、パターンは崩れていく。

 

「くっ…! この…!」

 

 二撃目は早かった。再び体当たりをくらって、その直後に三度目……。無防備になってしまった私に食いつこうと、一気に白いのが押し寄せて取り囲み……

 

 

「勇者部六箇条!! ひとおおおおおつ!!! 挨拶はあああああきちんとおおおおおおお!!!!」

 

 一番近くにいたバーテックスの顔面に強引に刀を突き刺し、その突き刺した刀が眩い赤色の光を放ち、周囲を巻き込む爆発を起こす。自分の身を精霊バリアで守りながら、私を囲むウザいバーテックスをまとめて吹き飛ばした。

 

「勇者部六箇条!! ひとおおおおおつ!!!」

 

 爆発に怯まず、大きな肉片となったバーテックスの残骸を踏み台にして爆風を突き抜けて乙女型へ特攻。管から迎撃の卵型爆弾が放たれるも、速攻で刀を投擲して爆弾を破壊する。

 

「家族や友達を、大切にいいいいいいっ!!!!」

 

 そのまま爆弾任せで無防備だった本体に、弾丸のような勢いで斬りつける。体が二つに分かれ、管の付いていた下腹部が重力に従って落下していった。

 

 樹木の幹に着陸し、再び乙女型に向かって跳ぶ。残った体の半分を斬ろうとしたところで、下から巨大なバーテックスが飛び上がってくる。

 

「なっ…! あぁっ!!」

 

 魚型バーテックスの超重量による突き上げに、私の体は上空へと打ち上げられる。全身に強い衝撃と激痛が走り、一瞬だけ意識が飛びそうに……。

 

 でも、勇者は気合いと根性! 私は勇者部を守るために戦っているのよ! この程度の痛みなんかで倒れるものか!!

 

「勇者部六箇条!! ひとおおおおおつ!!!! なるべく……!」

 

 空中で身動きの取れない私に、乙女型が白い帯状の部位で貫かんと伸ばす。その帯による刺突を体を捻って回避し、逆にそれを蹴って乙女型へと接近できた。

 

「諦めなああああい!!!!」

 

 その頭部に刀を全力で突き刺す。先程と同様に刀を爆発させ、頭部を完全に吹き飛ばしてやった。

 

「御霊っ!!」

 

 むき出しになる乙女型バーテックスの御霊。これを破壊すれば、こいつの討伐は完了……。

 

「んな!? 固っ…!!」

 

 すぐさま新しい刀で御霊を斬りつけるが、ガキンと鈍い音が響くだけで傷一つ付かない。私が攻撃する御霊ってこんなのばっかじゃない!!

 パワー不足の私には多分この御霊は壊せない……。手を拱いていると、依然として減らない白いのが口を開きながら迫り来る。

 

「しつこいっての!! はぁぁあああああっ!!」

 

 一旦御霊から離れて地面の両足を付ける。そこで正面から来るバーテックスを見据え、その攻撃を冷静に対処しながら斬り裂く。

 

 斬って斬って、ひたすら無我夢中に斬りまくって……ついにこの時が来た!

 覚悟はとっくに決まっている。私の誇りを……勇者部を守れるなら何も悔いはない。恐くもない。守り抜いた先にみんなの笑顔があるのなら、喜んでこの身を捧げてやる!!

 

 

「さあ!! 持ってけええええええええええっっ!!!!」

 

 樹海が震え、神々しい光が私の体を包み込む。咲き誇るツツジの花の輝きが、私に人間を超越した力を宿す。

握り締めている刀は燃えるような赤に染まり、現れた四本の巨大な腕がそれぞれ大きな刀を持っている。風の暴走を止めた時よりも、圧倒的な力が漲る……これが“満開”……。

 

 新たな腕一本でなぎ払う。たったそれだけで、今私に襲いかかってきていた白いのがまとめて一瞬で消え去った。手応えすら感じられないほど呆気なく、桁違いのパワーに私自身驚かされる。

 

 そして確信する。この力があれば、みんなを守ることができる!

 

「勇者部六箇条!! ひとおおおおつ!!!!」

 

 今度は全力で刀を左から右へと振り回す。切っ先から光が迸り、それが遠くにいた白いバーテックスまでも斬り捨てられる。なぎ払ったその余波でもバーテックスの肉体は崩壊し、消滅していく。

 

「よく寝て…!! よく食べえええええる!!!!」

 

 散らばっているバーテックスにも刀を無尽蔵に投げつける。手元から離れた瞬間に新たな刀が出現し、四本の腕から飛んでいく刀はまるでガトリング銃のような勢いだった。あちこちで白いバーテックスは刀に貫かれて消滅し、嫌でも視界に入っていた奴らの姿はもうどこにもない。

 

「殲…滅!」

 

 残すは乙女型バーテックスの御霊と魚型バーテックスの二体。でも魚型の姿が見当たらない……いや、コイツは地中に潜る能力がある……!

 

「そこかっ!!」

 

 地面から忌々しい気配が漏れ出すのを感じ取り、その場所へと突っ切る。轟音と共にその身を飛び出した魚型に、五本全ての刀を深々と突き刺し巨体を持ち上げた。

 

「勇者部六箇条!! ひとおおおおつ!!!!」

 

 刀で支えて身動きを封じ込め、生殺与奪の権利は完全に私のもの。

 さっきの報復だ。腕をぶん回してその巨体を上空に放り投げ、飛び上がって宙を舞う魚型に追撃の斬撃を刻み込む。

 

「悩んだら…相談んんんんっ!!!!」

 

 刃が肉体を深く引き裂き、その奥で守られる御霊すらも断つ。核を失った巨大な化け物は全身を淡い光となって消滅し、この世界から消え去った。

 

 これで残すは乙女型の御霊ただ一つ……そう思った矢先、何かがこちらへ猛スピードで飛んできた。眩く光るそれに、思わず目をそらしてしまう……それが大きな失敗だった。

 

「しまっ…!」

 

 光るそれは敵からの攻撃。咄嗟に浮かぶ巨大な腕をクロスして身を守るも、光が腕に着弾し爆発する。その衝撃は私を庇った腕を木っ端微塵に吹き飛ばし、直撃こそ回避したものの強い衝撃が残っている。

 

(この満開、攻撃特化か…! 防御力がほとんど無い…! いやそれよりも、今の攻撃はいったい…!)

 

 その正体はすぐに判明した。爆煙を貫いて、白い帯が私の体に浮遊している残った腕ごと巻きつく。強い力で締め上げられ、全身が軋むような痛みが……。

 

「がっ…ああああああああああ!!! こいつ……もう回復を……!」

 

 爆煙が晴れ、目の前にいるのは半壊させたはずの乙女型バーテックス。切り落とした下腹部がくっ付いて、御霊を中心に頭部も再生しかけていた。

 

「離…せ……! この……あ…」

 

 力が抜ける。満開で変化していた勇者服と刀、腕が花弁となって散り、満開が解除される。そして、右足の感覚が無くなった。

 加えて、全身を締め上げられ続ける激痛で意識が薄れる。左手から刀が離れ、満開の反動からか力も入らなかった。

 

「くそ……こんな…ところで……負けて…たまるかああああっ………!!!」

 

 

 

 

 

「……うん……負け…させない………だから……その子…を…離して…!!」

 

 知らない声が聞こえたその瞬間、下から桜色の閃光が昇り、帯を突き破る。拘束の力は弛むどころか完全になくなって、私の体が解放された。

 

「ぐっ……はぁ……はぁ……! い、今のは……!?」

 

 地面に落下し、痛みが残る体をなんとか起こす。そこにいたのは苦しそうに膝をつきながらも、精霊らしき生き物に左腕を支えられている……見知らぬ勇者だった。

 

 ……でも、話には聞いている人物と同じ特徴が……。桜色の髪と、散華で失われた両目を覆っている包帯の……伝説の先代勇者……!?

 

「た……たか、高嶋彩羽!!?」

「決める…よ……!」

 

 なんで伝説の勇者がこんな所に……なんて思ったけど、私に向けての発破であろう言葉を聞いてハッとした。

 彼女の左手のクロスボウが再び輝き、治りかけの乙女型バーテックスの頭部に閃光が連続で飛ぶ。再び頭部は抉れ、御霊がはっきりと視認できるまで削られた。

 

「うぉぉおおおおおおおおお!!!!」

 

 左足だけで思いっきり地面を蹴って跳び上がる。奴の御霊は異常に固い……でも、ここまできて壊せませんでした……って、そんなので終われるわけないでしょうが!!!

 

「勇者部六箇条……!?」

「あぶない……!!」

 

 御霊に向かって刀を振りかぶりながら一直線に突撃……そして、乙女型の管が光る。速さと威力を兼ね備えた光弾が放たれ、その射線上に位置するのは……私……。空中で、この体で避けられるわけがなく……

 

「っ!?」

 

 射線上に誰かが割って入る。光弾は私に直撃する前に……私を庇った高嶋彩羽に直撃し、爆発した。爆煙の中からボロボロになって、変身が解除された彼女が落ちて……

 

「ぶじ…よかった……」

 

 蚊が鳴くような小さな声が、私の耳に届く。

 

「勇者部六箇条ォ!!!! ひとおおおおつ!!!!」

 

 魂の咆哮。私を突き動かすのは最早、勇者部を守るためだけじゃない。

 

 二度も守られた……! 彼女は自分の身を犠牲にして、私を庇ったんだ……! 乙女型バーテックスの攻撃はもうない……彼女が作った好機なんだ! ここで決めるんだ……守られて、託された未来を不意にするような奴は、勇者じゃない!!!!

 

「なせば大抵、なんとかなああああああるっ!!!!」

 

 全てを懸けた一閃は、鋼鉄のような硬度の御霊を両断した。乙女型バーテックスの体が崩れ始め、光となって消え失せる。

 きっと、奴には理解できていないだろう。ご自慢の特性である鋼のような硬度の御霊が、私のこんなちっぽけな刀に斬られたのだから。この力は、化け物には永遠に分からないでしょうね……。

 

 完全な消滅を見届けて、刀の切っ先をとある方に向ける。それは私達の力を見誤り、軽んじている神……神樹へと。世界を滅ぼそうとする化け物にも、残酷な運命にも負けない……それが私達の力。

 

「見たか! これが勇者部の力……人間の力だああああああっ!!!!」

 

 

◆◆◆◆◆

 

 私の体は勝手に動き出していた。樹海を走って、私を守るために戦った夏凜ちゃんの下へと。

 

「夏凜ちゃん!」

「友奈……痛っ…!」

 

 見つけた夏凜ちゃんは刀を杖代わりにし、右足を引きずりながら歩いていた。満開だって……していたんだ。体は決して無事なんかじゃない……!

 急いで駆け寄ってその体を支える。見た目に酷い怪我はないけど、それは精霊バリアで守られていたからであって、痛みは全身にあるはずだから……。

 

「夏凜ちゃん…! しっかりして…!」

「……これくらい平気よ……それよりもあの人、私を庇って……!」

 

 夏凜ちゃんを庇ってバーテックスの攻撃を受けた人がいたのを私はしっかりと見ていた。高嶋彩羽さん……一度しか会ったことがないし、その時もちゃんとお話しできたわけでもない。散華の事を教えてくれた一人で、昔勇者として戦っていた人。

 

 どうして高嶋さんが今ここにいるのかは分からないけど、もしもいなかったらと思うと夏凜ちゃんは……死ななくても、もっと酷い怪我や散華で体の機能を失っていたに違いない。

 そして、私が動いていたら夏凜ちゃんは初めから怪我しなかったかもしれないし、散華もなかったかもしれない。高嶋さんもあんな目に遭わずに済んだかもしれない……それが私の心を締め付ける。

 

「ごめん友奈、肩を貸して…」

「う、うん…」

「……東郷を止めたかったけど……この体じゃ無理…か」

 

 ……やっぱり、夏凜ちゃんの足は散華で……。既に右手も動かないのに、私が情けないせいで……!

 悔やんでも悔やんでも、心のモヤモヤは収まらない。夏凜ちゃんに肩を貸して、ズルズルとその右足が引きずられるのを間近で感じて、また涙が出てきた。

 

「ごめんっ……! 夏凜ちゃん……ごめんね……!」

「友奈……ったく、なに謝ってんのよ」

「……え…?」

「……っ、友奈あそこ!」

 

 その声を聞いて前を向くと、焼け焦げた包帯の切れ端が落ちていて……その先に病衣の女の人、高嶋さんが倒れ込んでいた。

 

「高嶋さん!!」

「あ、あのっ…! 高嶋さん!」

 

 夏凜ちゃんを座らせて、高嶋さんを抱き抱える。気を失っていて……息をしていない。夏凜ちゃんも不安げに顔を覗き込んで、二人で何度も名前を呼びかける。

 勇者は決して死ねないと教えてくれたのは高嶋さん達だ。でも、だからといって、こんな風に死んでいると言われたら納得してしまいそうな酷い状態で、不安にならないわけがない。

 

「高嶋さん!! 高嶋さん!!」

「………だ…れ……?」

 

 目元の包帯が外れたのもあって、高嶋さんの目がうっすらと開くのが見える。光のない濁ったような瞳だけど、目を覚まして声を発した事に気づいて最悪の状態ではないことに少しだけ安堵する。

 

「私です! 結城友奈です!!」

「み、三好夏凜です…!」

「……あ……ゆう…さ……みよ…し……さ」

「ちょっ…! 声ほとんど出てないじゃない!」

「…はいを……さん…げ……て……いき…が」

「無理しないでください…!」

 

 はい……さんげ…って、まさか肺を散華したの…? でも夏凜ちゃんを助けた時に満開はしてなかったんじゃ……?

 ……まさか、来る前にどこかで戦って、そこで満開を……? そんな危険な状態になってまで、夏凜ちゃんを助けにきて、庇って……そんな……。私は友達のピンチに動けなかったのに、高嶋さんはこんな体でも戦って……これが本物の勇者なんだって思えてくる。

 

 両目から大粒の涙がこぼれ落ちる。罪悪感、後悔、無力感……私は何もできない人間なんだって、改めて突きつけられた気がして……でも……

 

「……ゆ…き…さん……ないて…る…の?」

「だって…! 私、何もできなかったから…! 夏凜ちゃんが傷つけられるのも、高嶋さんが頑張っていたのも、ただ見てただけで……! 私も戦っていたら、二人共無事だったんじゃないかって……自分が情けなくて……!」

「うう…ん……ちが…よ…」

「……え…?」

「…あ…たは………な…に……も…わる…く……ない……わた…し……まもり…た…かた……なか…ない…で……」

 

 振り絞るよう明らかに無理をしながら言葉を紡いで、高嶋さんは私に微笑みかける。息ができなくて苦しいはずなのに、私を後悔で傷つかせないように……。

 ここまでのことをさせておきながら、ずっと泣き続けるのは高嶋さんにもっと申し訳なくて……。目元を強く拭って、これ以上涙をこぼさないように……。

 

「……ねぇ、友奈」

「ぐすっ……夏凜…ちゃん…?」

「……見てた? 私の大活躍……最終的には守られたけど、あいつら全部、叩っ斬ってやったわよ……」

「見てた……見てたよ…! 夏凜ちゃん凄かったよ…!」

 

 見ていた。ただ泣いて、恐がっていただけの私はずっと見ていたんだよ。あんなにたくさんいたバーテックスに立ち向かう姿を……。何度も痛い思いをしても決して挫けなくて、勇敢に戦う夏凜ちゃんを……全部……!

 

「凄い、か……私ね、あんた達に言いたかった事があるの。ありがとう……って」

「……え?」

「私、長い間ずっと勇者の訓練を受けてきた。戦うことだけが私の存在価値で……私はただの道具だった……。でも、みんなのおかげで私は……三好夏凜って一人の人間になれたのよ」

 

 それは夏凜ちゃんの紛れもない本音で、友達を想う夏凜ちゃんの優しさに満ち溢れていて。温かい感情が私の心に染み込んでくる。

 

「戦い抜いた力も、凄さも、どっちも友奈達から貰ったもの……お願い友奈、東郷を救って。友奈なら東郷の心だって、きっと変えられる」

「夏凜ちゃん……」

「友奈なら大丈夫よ。あんたは東郷の最高の友達……私の最高の友達……なんだから」

 

 ……そうだ。東郷さんは私の最高の友達なんだ。

 

 夏凜ちゃんも、ほむらちゃんも、樹ちゃんも、風先輩も。みんなが最高の友達で、仲間で、大好きな人達なんだ。

 友達が苦しんでいるんだったら、私も俯いていちゃいけない。誰かが傷つく事が嫌、辛い思いをする事が嫌。みんながそんな思いをするのなら、私が頑張るんだ。大切なみんなの日常を守って、いつものみんなとの日々を失わせない。

 世界にあるのは絶望かもしれない……だけど! 勇者部のみんながいれば、恐くなんかないんだから!!

 

「ゆうき…さん……」

「高嶋さん……」

「わたし…から…も…………みも…り…ちゃん……お…ねが…い」

「……はい!!」

 

 そして高嶋さん……ううん、彩羽さんも私を信じて託そうとしてくれる。誰かの思いに応えるのは、私にとってとても大事なことで、誇れるもの。

 スマホの画面にはもう警告文は無かった。表示されるアイコンをタップし、ヤマザクラの花弁が舞う。

 

 大好きなものを全部守るんだ。友達も世界も想いも全部……みんなが幸せであることを望むから。

 

 それが私、讃州中学二年勇者部部員、勇者、結城友奈だから。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「……っ! やっぱこうなるのね…」

「っ!」

「させるか!」

 

 壁の外に戻って来るなり東郷の銃からレーザーが放たれる。盾で防ぎ、問答無用で攻撃する友人に文句を言いたくなるけれども向こうはそうはいかない。続けざまに二発目を撃ち込み、徹底的に私を排除しようとするも、その攻撃は風先輩が大剣で叩いて弾いた。

 

「風先輩、樹ちゃんも…!」

「いきなりほむらを攻撃した件は後でじ~っくり話すとして……やめなさい、東郷」

「すみません。やめるわけにはいかないんです」

 

 東郷の決意は硬い。私だけでなく、風先輩と樹ちゃんまでもがここに来た事に戸惑ったのは一瞬だけで、すぐさま狙撃銃を呼び出して構えるのだから。

 

「東郷、風先輩と樹ちゃんには話してるわ。私達のこと、この世界のこと全てを理解した上で、あなたにやめろと言ってるのよ」

「ええ……確かに信じたくない話ではあったけど……これを見てしまえばね…」

 

 一面灼熱が走る地獄のような世界。そしてあたりにうじゃうじゃと跋扈している小型のバーテックス。私達が暮らす四国以外の全ての街や国、世界がこれだ……。心が挫けてしまってもおかしくはないのよ。

 

「こんなのを知ってまえば、アタシ達の今までは何だったんだって……これからどうなるんだって、そりゃ思うわよね……けど東郷! あんた諦めるのが早すぎるのよ! 勇者部六箇条言ってみなさいよ!」

「………」

「私達はみんなと一緒に、この現実と戦わなければならないのよ。一人では挫けて心が折られる現実に負けないために私達がいる」

「………」

「一人になったら駄目よ。戻って来なさい、東郷」

 

 東郷が今回の行動を引き起こした訳は、偏に私達勇者の存在がほとんどだ。私達をこれ以上苦しませたくないから、私達が苦しむ姿を見たくないから。私達を失うのが恐いから……。

 

 ……私だって同じよ。誰がみんなが苦しむ様を望むというの。こんな世界なんて糞食らえだというのは完全に同意するわ。

 けれどももう一つ、私達には共通して熱望しているものがあるはずよ。それは私達、勇者部の平穏な未来。彩羽さんや乃木さん、羽衣ちゃんもが幸せな日常を享受できる日々。

 

 結局、私はそんな未来を諦めたくない。こんなところで早々に挫けてしまったら、最善の未来に辿り着く可能性なんて本当に0のままだ。でもみんなと手を取り合って運命と戦えば、それはきっと0じゃない。

 

「東郷、私は奇跡の存在を信じる。私達が勇者部という掛け替えのない宝に出逢えた事が奇跡なの。みんなと共に戦うのなら、もう一度奇跡は起こせるって、私はそう思う」

「アタシもよ。今まで勇者部はどんな困難だって乗り越えてきたじゃない。勇者部は一人でも欠けたら終わりなの……あんただって、よく分かるでしょ」

「………! ………!」

 

 私達三人の言葉に東郷の表情が曇る。考えに変化が現れたのか……壁を壊した事を後ろめたく思うのか、私達の理想妄想に失望したのか……。

 東郷は銃口の向きを少し変える。そして顔を俯かせて、小さな声で尋ねだす。

 

「……ほむらちゃんは……知ってるよね? かつての私、鷲尾須美の事を」

「……ええ」

「知ってるよね……私と乃木さん、高嶋さんの関係を……!」

「……知ってるわ」

 

 声は少しずつ大きくなって……やがて感情が爆発した。

 

「……じゃあ……! みんながいても、結局最後は全部失って無駄になるじゃない!!!」

 

 銃口を私に向け直して引き金が引かれる。咄嗟に横に跳んで回避するも、その地点に上に浮かぶ遠隔銃からレーザーが飛ぶ。

 だけどこの攻撃はさっき何度も受けた……。東郷がどのタイミングで、どの角度からレーザーを放つのか、統計上予測できる…!

 

 しかしこれで、予め決めていた東郷と戦う事になった場合の作戦に移ってしまう。不本意だけど、仕方がなかった……。

 

「なっ!? 樹ちゃん…!」

 

 レーザーを盾で受け流し、浮かんでいる遠隔銃に樹ちゃんのワイヤーが雁字搦めに巻き付く。私を一番警戒していた東郷にとって、樹ちゃんの妨害は大打撃となる。空中を自在に動き回る武器を封じられ、東郷は戸惑いの声をこぼした。

 

 東郷は、私が今時間停止能力が使えなくなっていることを知らない。使われては自分の負けだと気付いている彼女だからこそ、私を真っ先に攻撃すると踏んだ作戦を二人には伝えていた。

 

「くっ…!」

 

 流石は東郷。すぐさま狙撃銃で私を狙って撃ってくる。でも、それも想定の範囲内よ!

 

「どぉりゃぁあああああ!!!!」

 

 私の前に立った風先輩が、大剣を大きくスイングする。大きな金属音が鳴り響き、東郷の砲撃とも言える攻撃を防ぎ弾き返す。そのまま風先輩は東郷に向かって走り一気に距離を詰めた。

 

 私が囮になって樹ちゃんが遠隔銃を無力化し、風先輩が前に出て強靭な矛と盾になる。

 そして東郷は私を狙うか迫り来る風先輩を狙い撃つかで悩んだのか、判断が鈍る。東郷の悪い癖よ……思い込みが激しく、予想外の事態には弱くなってしまうのは。

 

「ごめんだけど…! おとなしくしてろぉおお!!!!」

 

 大剣の側面による殴打で東郷の体が吹っ飛んだ。精霊バリアが発動していたけど、そのまま下へと落下していって……心が痛んだ。結局説得はできず、実力行使で止める形になったのだから……。

 

「……ほむら、気持ちは分かるけど今は……」

「……はい……ん、樹ちゃん?」

「……っ」

 

 何か伝えたげな様子で樹ちゃんが指を指す。私と風先輩はその方向に体を向けて、樹ちゃんが何を伝えようとしているのか確認する。

 そこにはあの小さいバーテックスが……結界内へと進行していたはずの奴らが、その行動を止めていた。それも百体以上の数が……意味不明で不可解な行動に、嫌な予感しか感じられなかった。

 

 そしてそれは、予想以上の最悪な形で現れる。

 

「うわっ…! な、なんの光よこれ…!?」

「東郷が落ちていった方向……! まさか…!?」

 

 その青い光はアサガオの花を形作り、その力の威圧感は私達を包み込む。そして下から浮かび上がる、八つの砲門を備えた戦艦。それを操る東郷の瞳には一遍の迷いが無い。

 

「満開……!」

「……っ!? その後ろ、何よアレ…!」

 

 東郷の背後、小さいバーテックスがぐちゃぐちゃに混ざり合いながらも、一体の巨大な化け物へと変化している。そのバーテックスとは、かつて私達全員を苦しめ、散華という犠牲を払う事で辛うじて倒した強敵、獅子型バーテックス……。

 

「三人共……どいてください」

「どくわけ…ないでしょ!!」

「……ごめんなさい」

 

 悲しげに俯く東郷……でも顔を上げると正面を…神樹を見据え、八つ全ての砲門が光る。光は一つの巨大なレーザーとなり、猛スピードで神樹へと放たれる。

 

「まずい…!!」

「させるかああああああああっ!!!!」

「っ!!」

 

 あれが神樹に当たれば世界が終わる……! 風先輩と樹ちゃんと跳んでレーザーの正面に。私は盾で、風先輩は大剣で、樹ちゃんは精霊の力で障壁を生み出しレーザーの威力を削ぎ落とす。

 

「く…っ…ぬぁああああああ……!!」

「だめ……もたない……!! なっ…!?」

 

 突如、私は何かに後ろから体を引っ張られる。それで体勢を崩された私だけレーザーから落ちることとなり……残った二人は満開による超強力な砲撃に耐えきれず、そのまま撃ち抜かれて樹海の樹木に叩きつけられた。

 レーザーは止められなかった。しかしレーザーは神樹の前で突然パッと消え失せる。神樹には勇者の力は効かないのか……?

 

「風先輩…!! 樹ちゃん…!!」

 

 私が先に落ちてしまったから二人が……いや、仮に落ちなくても結果は同じだった……。むしろ私は助かった結果に……どうして…何が起こった…?

 

『……!』

「…あ…エイミー…?」

 

 呼び出してもいないのに私の側にはエイミーがいた。どうやら間一髪のところでエイミーに助けられていたらしい……けど、風先輩と樹ちゃんは倒れていて、変身も解けていた。

 

 そして壁の外から満開した東郷と、完全な姿になった獅子型バーテックスが現れる。東郷は獅子型のに向き合い、自分を餌に行動を促していた。

 

「私を殺したいでしょう? さぁ、私を狙いなさい」

 

 獅子型の前に火球が生み出される。それは徐々に大きくなり、獅子型自身と引けを取らないほど……。

 

 動けるのは私一人……! この世界を守るために力を解放しようとした……その時……。

 

「うおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 ピンク色の光が見えた。遠くでよく見えなかったけど、私にはそれが何なのか一瞬で理解できた。

 

 火球が放たれる。東郷が目的を果たせると安堵したその時、私は絶望ではなく希望を感じていた。私一人だけではなく、あの子が来た。たった一人、この危機的状況の中、友達が来てくれた。たったそれだけの理由で……。

 

 

「勇者ぁ……パァアアアアアンチ!!!」

 

 

 その拳が火球を穿つ。神を殺す火球はその前に、勇者の力で砕かれ爆発した。その中から飛び出した、私達の最高の友達。

 

 やっぱり私達は一人じゃだめなんだ……。

 

「来てくれてありがとう……友奈!」

「遅れちゃってごめんね、ほむらちゃん」

 

 友達がいるから、毎日が楽しくて……仲間がいるから、どんな困難にも乗り越えられて……。

 

 彼女達がいるから、希望が持てるんだ。

 

「もう迷わない。私が勇者部を…」

「……待った、そこ…違うわよ」

「えっ? ああ、そうだね! 私達はこうでないと!」

 

 それを守れるなら、私達はどんな絶望にだって立ち向かっていける。

 

「「私達が勇者部を、東郷(さん)を守る!!!」」



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第四十三話 「光り輝くたった一つの道標」

 一人じゃない。私の隣には同じ想いを胸にした友達がいる。真っ直ぐ前に向かおうとする彼女の姿は、こんな絶望的な世界でも私達が希望を目指す事に間違いは無かったんだって……そう思えるから。

 

 友達や仲間の存在が、光り輝くたった一つの道標……だから救いに行こう。一人で孤独に絶望に立ち向かう友達を。

 

「ほむらちゃん……友奈ちゃんまで……!」

「行こう、ほむらちゃん!」

「ええ! 満開!!」

 

 満開の花咲き誇るトケイソウ。爆弾だけであの獅子型を倒し、東郷を止める事は無理だから出し惜しみする必要はない。守りたいものを守るために力を解き放つ。神聖なる光を蓄えた純白の翼がはためき、手には大きな漆黒の弓が顕現する。

 

 友奈は満開をしない。彼女のゲージはまだ満ちていないから……だけど友奈もその気だというのは顔を見れば分かっている。

 本音を言えば誰も満開してほしくはない気持ちは変わらないのだけど、向こうからしてみれば私にも同じ事を言いたかっただろうし、ここは納得しておこう。せめて散華は軽度になるよう祈って、万が一の時はみんなで支え合って生きよう。

 

「まずは獅子型!」

 

 弓を構えて翼から溢れ出る光を集約し矢を、前方に魔法陣を作り出す。放たれる一本の矢が魔法陣に突き当たると矢の力を増幅し、そこから無数の光がバーテックスへと飛来する。

 

「駄目!」

 

 青い閃光が迸り、バーテックスに殺到する矢が掻き消される。東郷の砲撃の方が、私の手数重視の矢の雨より威力もエネルギーの密度が上であり、簡単に押し負けていた。これを突破するには最低限もっと矢の威力を高めて放つ必要ができたわね……。

 

「……それよりも東郷、バーテックスを庇うのね」

「そいつがたどり着いたら私達の世界がなくなっちゃうんだよ!?」

「それでいいの……一緒に消えてしまいましょう?」

「よくない!!」

 

 一方の獅子型も、体の一部を変化させるとそこに不気味な空間が現れ、その中からは白い小型のバーテックスが炎を纏いながら次々と溢れかえる。距離を取って速射で倒すも、獅子型が小型を生み出すペースも早い。

 

「はぁああああああっ!! だりゃあ!! せいやぁ!!」

 

 友奈も前に飛び出した。相手が炎に包まれていようとも、友奈の拳は怯むことなくその肉体を打ち砕いていく。

 そして東郷も、自分に襲いかかる小さいバーテックスをレーザーで撃ち抜きながら、獅子型バーテックスを神樹の方に誘導している。勇者の力では神樹を倒せない以上、バーテックスを守り抜くことが彼女にとっての生命線。ましてやそれを実行している者がよりによって東郷だ……厄介極まりないわね。

 

「っ、二人共止まってよ!」

「あうっ…!」

「友奈! ちっ…!」

 

 私と友奈それぞれの周りに、新たに機械の銃が浮遊する。それは東郷の扱う遠隔銃であり、小型バーテックスを対処している私達へとレーザーを放つ。

 私は光の翼でレーザーを弾き消し防いだからまだいい。だけど友奈を守るものは精霊バリアだけで、今のレーザーはバーテックスと戦う友奈の体勢を崩した。

 

「まだまだあああああああああ!!!」

「っ!? くっ…!」

 

 そうよ、友奈はこのくらいじゃ決して止まらない。体勢を崩されながらも逆にその反動で強引な回し蹴りを放つ。それは友奈の周りを浮かぶ遠隔銃の一つに炸裂し、破壊した。

 続けざまに放たれるレーザーも、燃え滾る気迫と共に振り抜かれる拳に弾かれる。友奈の覚悟も、決意も、こんな簡単に消え失せてしまうものではない。それは東郷、いつも一緒だった私達なら考えるまでもなく分かることでしょう?

 

「忘れたとは言わせないわよ」

 

 東郷……あなたを止めて世界を守りたいのは友奈だけじゃないわ。翼により力を高めることをイメージし、その形が大きなものへと変化する。

 元々私の満開の力の源はこの翼であり、形だって不定形だ。故に応用は容易い。矢だって千変万化のこの翼の一部なのだから。

 大きく、歪に変化した翼は私の周囲に浮かぶ遠隔銃全てを呑み込むように包み込み、内側で光の奔流によって破壊する。

 

 宙を舞い、友奈の決意を受け入れられずに攻撃をする東郷へと特攻する。今度は矢ではなく、力その物の翼で。

 

「……はっ!? ほむらちゃん……もういい加減に諦めてよ!!」

 

 東郷の八つの砲門全てがこちらに向けられ、それらから放たれる光は集約し、一つの巨大なレーザーになる。それに対し翼を大きく広げ、私の身体を覆い隠しながら、レーザーの中に突っ込んだ。その衝突で強烈な負荷が翼全体を襲うも、身を守りながら弾丸のような勢いでレーザーの内部を貫き、突き抜ける。

 

「そんな…!?」

「勇者部六箇条、なるべく諦めない! 発案者はあなたでしょう東郷?」

 

 再び翼の形が変化する。蜘蛛の巣のようにあちこちに展開し、それは東郷の戦艦の砲門全てを絡み取る。私を吹き飛ばして友奈を妨害しようと砲撃を放とうとするも、翼の動きと共に砲門はずらされその照準は大きく外れ、明後日の方向に飛んでいく。武器の制御を奪われた東郷の表情には焦りが浮かび、今にも泣き出しそうで……。

 

「今の内よ!! 友奈ぁ!!」

「満開!!」

 

 友達の儚い輝きが樹海を照らす。彼女の傍らには巨大な腕が浮かび、それを大きく振りかぶりながら獅子型バーテックスへと突撃した。

 それを止め、勇者を葬ろうとする小型バーテックスも逆に返り討ちにしながら接近し、友奈の巨腕が獅子型を打ち砕く。半壊した獅子型の体からは核となる御霊が剥き出しとなり、それも砕こうと友奈はもう一度腕を振るう。

 

「もうやめてよほむらちゃん!!! 友奈ちゃん!!!!」

「っ…!」

 

 東郷の手には彼女の主要武器の狙撃銃が。砲門を無力化し、獅子型の本体に大きなダメージを与え油断していた私の身体が轟音と共に吹き飛ばされる。

 

「もうこれ以上、私を苦しませないでよ!!!!」

「うわっ…!?」

 

 砲門を捕らえていた翼も剥がれ、自由に動くようになったそれらから、獅子型を倒そうとする友奈へとレーザーが降り注ぐ。間一髪で友奈はそのレーザーを避けるものの、御霊の破壊には至らなかった。

 それどころか壁の外の世界からは大量の小型バーテックスが入り込んでくる。そいつらは獅子型バーテックスの御霊と同化し始めて……また再生するつもり……?

 

「東郷さん……何も知らずに暮らしてる人達もいるんだよ! 私達が諦めたらだめだよ!」

「学校の友達や幼稚園の子供達、地域の親切なおじいさんやおばあさん、この世界で一生懸命生きている人々……誰もかも死んでいいわけがないじゃない! みんな頑張って生きている……病気で死にそうになりながらも、生きていれば夢が叶うって戦っている幼い子もいるのよ!!」

「知らない知らない知らない!!! そうやってずっと他の人のために自分達を犠牲にし続けるの!? 他人やこんなどうしようもない世界なんかを守るために……私達の命はそんなに軽い物だったの!?」

 

 東郷の悲鳴にも似た叫びが樹海に響く。涙を流しながら、彼女が願う希望を必死に守ろうと、その整合性を感情のままに主張する。

 

「他の人なんてどうでもいいの!! 友奈ちゃんやほむらちゃん、大切なみんなが救われない残酷な世界なんて滅べばいい!!」

「東郷さん……」

「終わらない……私達の生き地獄は永遠に終わらない……だから! この世界を終わらせるの!! 間違ってるこの世界を終わらせて……私はみんなを救いたいだけなんだよ!!」

 

 砲撃が私と友奈に襲いかかる。私は翼で、友奈は巨腕で防ぐも、今までよりも重いレーザーに二人共押されてしまう。

 

 ……伝わってくる、東郷の痛みと悲しみ、苦しみが。みんなのことが心から大切だから、苦しみ続ける事実が耐えきれなくて。散華を繰り返す以上、私達にまともな平穏は訪れない。やがて一生日の光を浴びることのない場所に祀られ、幽閉されることだって……。

 確かに東郷の言う通り、私達の命はそんな軽くなんかないわ。みんなが生き地獄に突き落とされるのは誰だって嫌だ。

 

 だけど、私達に待っているのは地獄なんかじゃない!!

 

「「東郷(さん)!!」」

「!?」

「地獄じゃないよ…! 東郷さんが……みんなが一緒だもん!」

「地獄ですって…? みんなと一緒なら……そこは地獄でもなんでもないわ!」

「「東郷(さん)は一人じゃない! 私達が守る!」」

 

 私と友奈の想いは一つ。レーザーを弾き返し、再び宙に舞い上がる。

 

「大切な気持ちや想いもいずれなくしてしまうんだよ!? 忘れちゃいけないことも忘れてしまうんだよ!? 大丈夫なわけないよ!!」

 

 何度も何度も、レーザーは放たれる。その一つ一つに東郷の悲痛な思いがいっぱいに込められていて、まるで東郷の涙そのもののようで……。

 

「友奈ちゃんやほむらちゃん、みんなのことだって忘れてしまう……それを仕方がないなんて割り切れない!! みんなが私のことを忘れるなんて嫌だよ!! 大切な思い出を失いたくなんか」

「「忘れない!!」」

「……なんで……どうして二人共そう言えるの!?」

「私がそう思っているから! めっちゃくちゃ強く思っているから!!」

「東郷! あなたが私の友達だから! 絶対に忘れられない存在だから!!」

「……私達も……きっと、そう思ってた…! 今はただ、悲しかったということしか覚えてない……自分の涙の意味が分からないの!!!!」

 

 泣き叫び、滅茶苦茶にレーザーが放たれる。ぐちゃぐちゃになった東郷の感情そのままに、不規則に飛んでくるレーザーを避けたり弾きながらもひたすら前へ。私達の想いを伝えるために……。

 

「嫌だよ!! 怖いよ!! 友奈ちゃんもほむらちゃんも、私を忘れてしまう!! もう嫌だ!! 私を一人にしないでよぉ!!! うあああああああああ!!!!」

 

 一年と半年……時間だけで言えばたったそれだけの短い日々。その一年半だけで、私のこれまで全ての記憶よりも輝いていて、他の誰にも負けないほど素晴らしい世界が広がった。

 友奈と東郷、あなた達二人と巡り会えたからこそ、私の物語は始まった。奇跡や魔法がないと思ってた世界で、夢も希望も勇気も気合いも根性も……仲間も、何もかも私達は一緒に掴み取れたのよ。

 

 それを私は覚えてる。決して忘れたりしない……だから私達は戦える。

 

「「東郷(さん)!」」

「っ…!」

 

 私と友奈はほぼ同時に東郷の前へ。友奈の巨腕が戦艦の砲門を掴んで固定し、撃てなくする。そしてその二つの腕を切り離し、戦艦に乗って東郷へと駆ける。

 咄嗟に友奈に狙撃銃を構える東郷。その狙撃銃の引き金が引かれる前に私の翼ではたき落とし、友奈と共に彼女に飛びつく。

 

 

 怖がらないで東郷。もう……その必要はないわ。

 

 

 私と友奈は一緒に、東郷に抱きついていた。私達三人は出会った時からいつだって一緒だった。離れ離れになることなんてなかった。力強く、優しく、温もりと想いが伝わるように。

 私達は今までも、これからも離れない。ずっと一緒にいるんだって伝えるように、三人で一つになる。

 

「忘れない」

「うそ……」

「嘘じゃない!」

「……うそ」

「嘘なわけないじゃない」

「……本当…?」

 

 その言葉に答えるよう、もっと強くギュッと抱きしめる。ずっと側にいる。あなたがいてくれるから、こんな世界でも怖くなんかないんだって、私達の心で伝える。

 

「ずっと一緒だよ、私達は。そうすれば絶対に忘れないよ」

「…う…うぅ…! 友奈ちゃん、ほむらちゃん……! うぅぅ……ああああああああああっ……!」

 

 また涙をポロポロ流す東郷。でもその中にはさっきまでのどうしようもなかった孤独に怯える不安も絶望も無い。自分が一人じゃないと気づいて、希望が残っていることに気づいて……私達の想いが伝わった。

 

「怖いよ! 忘れたくないよ!」

「大丈夫」

「私を一人にしないで!!」

「えぇ……当たり前じゃない」

 

 漸く、私達は再び分かり合えた。壁の破壊という絶体絶命の危機の中、友達としての想いを全部分かち合った。

 

 でももう一つ、東郷にどうしても言わないと……。

 

「東郷……昨日の事、今日の病院の事……」

 

 私の過ち。東郷の心を深く傷つけてしまった償いを。

 

「ほむらちゃん……?」

 

 

 

 

 伝えるべき言葉……それが出る前に異変は起こる。

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

 

「!?」

「な…何?」

 

 私達のすぐ近く……そこに浮かんでいたのは巨大な灼熱の球体。猛烈な熱気を放ち、目に焼き付きそうな光を兼ね備えたそれはまさしく……

 

「太陽…?」

 

 その正体は獅子型バーテックスの御霊。本体を砕き、核となる御霊だけになりながらも、無数の小型バーテックスと融合を果たした姿だった。

 全体から迸る強大なエネルギー……御霊とは思えない圧倒的な大きさと絶望感……太陽のそれと何ら変わらないものだと理解するには十分すぎた。

 

 御霊は真っ直ぐ神樹に向かっていく。私達に目もくれず、この世界を壊すべく。

 

「そんな…!?」

「わ、私……なんて大変なことを……!」

「東郷さんのせいじゃないよ!」

「ええ! 止めるわよ!!」

 

 冗談じゃない…! やっとここまで来れたのに、こんな所で全てを奪われてたまるものか!

 

 満開の力はまだ続いている。私達三人は飛び出し、神樹へと向かう御霊の前に出る。それぞれ満開の力で止めるべく障壁を作り出し、灼熱の御霊を押さえ込む。

 

「う…ぐっ…!」

「止まれええええ!!!」

「く…っ! 止まら…ない…!」

 

 御霊の勢いは止まらない。それどころか私達の作り出した障壁はみるみるうちに削られ、逆に押される一方だ。それでも諦めるわけにはいかない。何としてでも止めるために、持てる力を流し込む。だが……

 

「絶対に……諦めな……!?」

「「友奈(ちゃん)!!」」

 

 友奈の満開が解けた。残っていたはずの力も全て失ったかのように、そのまま友奈は樹海へと落ちていく。

 三人でも押されていたのに、二人になれば致命的だった。障壁は完全に破壊され、精霊バリアが発動する。このままじゃ遅かれ早かれ私達もやられてしまう……だったら!

 

「東郷! お願い、もう少しだけ耐えて!!」

「ほむらちゃん!?」

 

 敢えて私は御霊から離脱する。御霊の行進を止めることができないのなら、もうそのまま御霊を破壊するしか方法がない!

 

 弓を作り出し、ありったけの力を一本の矢に変える。あの灼熱の層を貫き、中核となる御霊を撃ち砕くために、全てを懸けて……。

 

「いっけぇえええええええええ!!!!」

 

 一筋の光が太陽の如く灼熱を穿つ。手応えはあった。矢は中心の御霊へと一直線に飛び……内側の高密度のエネルギーに押し潰される。

 

「そん…な……っ、いいえ、まだよ…!」

 

 渾身の一撃だった。それは巨大な壁の前に敗れてしまったけど、無駄ではなかった。

 今の一撃で、御霊を包み込む太陽に深い穴ができていた。もう一撃……今度はより至近距離で放てれば、今度こそ!

 

 灼熱から身を守るため翼で全身を覆う。みんなと一緒に生きるために、今穿ったばかりの穴へと飛び込む。灼熱を防ぐ翼が消え始めながらもただ前へ。エイミーがバリアを発動しながら耐え抜いて、奥にある御霊が見えてきた。

 

 

 

 

 そして……私の心臓が止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらちゃんは耐えてと私にお願いした。きっとほむらちゃんならこの状況を何とかしてくれる……そう思ったけど…!

 

「ううっ…! もう……だめ…」

 

 もう限界だった。力もほとんど入らなくて、このまま御霊を抑えられる気がしない。私のせいで、世界が終わってしまう。みんなが死んでしまう。

 

 ごめんなさい……みんな……。

 

「うおおおおおおおおおおおお!!!!」

「え?」

 

 逞しい叫び声。頼りになる先輩の声。聞こえるはずがないのに、その声と共に少しだけ御霊の勢いが和らいでいく。

 目を疑った。そこには満開をしている樹ちゃんが、風先輩がいた。懸命に御霊を押さえ込んで、戦っている大好きな二人が…!

 

「………!」

「ごめん! 大事な時に」

「風先輩……樹ちゃん……!」

 

 視界が滲む。私は二人を傷つけた……満開の力で、二人が邪魔だと思って取り返しのつかないことをした。謝って済む問題じゃない。私は二人に合わせる顔が無いのに……!

 

「ごめんなさい……わたし…!」

「おかえり、東郷!」

「……っ…うぅ…!」

 

 風先輩は、いつものように私を迎えてくれた。こんな最低な私を受け入れてくれた。罪悪感でいっぱいだったのに、その事実がただひたすらに嬉しすぎて涙がこぼれ落ちる。

 

「さあいくわよ! 押し返す!!!」

 

 限界なんてとっくに迎えているのに今まで以上の力が湧き出る。風先輩と樹ちゃんが来たから……やっぱり、私もみんなと一緒じゃないとだめだったんだ。

 御霊の速度が少し落ちる。でもそれは本当に少しで、止めるには程遠い。

 

「くっ…この……! 三人でも……!」

「そりゃぁあああああああああああ!!!!」

「夏凜!?」

 

 夏凜ちゃんがもの凄い速さで飛んできた。彼女の左手には見たことのない槍が握り締められていて、それが意思を持って飛んできたかのように……。

 槍から手を離すと同時に夏凜ちゃんも満開する。勢いそのまま御霊にぶつかり、私達に加勢した。

 

「待たせたわね! 完成型勇者と伝説の勇者の見参よ!!」

「伝説の勇者って……」

 

 次の瞬間、御霊の真上から人と超巨大な槍が落ちる。穂の部分が御霊に激しく突き刺さると、その部分に纏われていた灼熱が一気に霧散する。御霊の勢いはますます落ちて、その人物の桜色の髪が靡く。

 

「高嶋さん…!?」

「流石、伝説の勇者!」

「ふ…ふ……みよ…し…さん………あの…こ……み…たい……」

 

 数時間前に会った時とは違って、今の彼女の目元には包帯がなかった。その見えていないはずの目は驚く私に向けられていて、もの凄く懐かしく感じる。

 私はかつて、あの人の仲間だった。乃木さん曰わく、私はあの人を姉のように慕っていて……。

 

「み…もり……ちゃ………よ…か……たね……」

「はい……はいっ…!」

 

 その言葉が無性に嬉しかった。まともに紡がれていない言葉で、何が言いたかったのかも分からないのに、私の心が喜んでいる。

 

「ほむらの言ってた助っ人ね……燃えてきた! アタシ達もいくわよ!! 勇者部ーー!!」

「「「ファイトォオオオオオオオ!!!!」」」

 

 私も、風先輩も、樹ちゃんも、夏凜ちゃんも、みんなが叫ぶ。五人の力が一つになって、大きな花が咲き誇る。私達の諦めない想いが実を結び、結晶である花は御霊を受け止めその勢いを完全に止めた。

 

「うおおおぉぉおおおぉおおおおおおお!!!!」

 

 向こうで眩い光が輝いた。先程倒れた友奈ちゃんも限界を迎えていても諦めない。友奈ちゃんの叫ぶに応えるかのように、樹海や精霊から光が集っていく。そうして再度現れる巨大な腕で地面を叩き付けるよう飛び上がり、拳を振り抜いた。

 

「私は…!!! 讃州中学勇者部!!!」

「友奈ぁ!!!」

「……!!」

「友奈ぁああ!!!」

「ゆ…うき…さん!!」

「友奈ちゃん!!!」

「勇者!!! 結城友奈!!!!」

 

 

 

 

「届けえええええ!!!!」

 

 

 

 

 

 友奈ちゃんの声が樹海に木霊し、辺り全てを真っ白な光が包み込む。

 

 気がつくと、私達は同じ場所で円を描くように倒れていた。それを覗き込むように精霊が浮かんでいて、そのまま消えていなくなる。

 そして私達を労るかのように、空から花弁がひらひらと舞い落ちて、私達の身体に降り注がれる。私に、夏凜ちゃんに、樹ちゃんに、風先輩に、高嶋さんに……?

 

「……ほむら…ちゃん…?」

 

 なんとか身体を起こして辺りを見渡す。他のみんなはちゃんといる……ほむらちゃんだけが、どこにも見当たらない。

 

「ほむらちゃん…? ほむらちゃん!?」

「…東郷…?」

「ほむらちゃんが…いないんです!」

「……え? なんですって…?」

 

 風先輩も起き上がって確認し、その顔にみるみるうちに焦りが生まれる。

 

「な…なんで、ほむらは……樹、夏凜…! 起きて!」

「友奈ちゃん! ……友奈ちゃん?」

 

 他のみんなの意識も覚醒する中、友奈ちゃんはなかなか目を覚まさない。返事も返ってこなくて、不安だけが募る。やがてそれは恐怖へと変わる。大切な者がいなくなる、耐え難い恐怖へと……。




 顔面パンチの名シーンは悩みに悩みましたが変更しました。流石に二日連続で友達に殴られる東郷さんはかわいそう……。

 次回、暁美ほむらの章最終話&新章導入


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第四十四話 「奇跡と魔法もないのだから」

 暁美ほむらの章最終話!
 文字数約18000!! ……ばっかじゃねえの、私って。過去最大級かつ平均+10000文字……時間がある時にでもどうぞ。


 あの後樹海化が解除されてすぐ、私達は大赦の霊的医療班によって病院に運ばれた。あの戦いで全員が満開を使用していて、身体を起こせた私も風先輩もその時には疲労で意識が朦朧としていたから詳しい事はよく分からない。

 

 高嶋さんだけは別の病院に運ばれた。後から夏凜ちゃんに聞いたところ、彼女は肺を散華して酸欠状態でかなり無理をしていたと言っていた。それでも私達のために最後まで力を貸してくれたと……どうか無事であってほしい。もう一度会って一言謝罪と、もっと話したい事がいっぱいあるから。

 

 病院で検査した所、私と樹ちゃんは内臓の一部を、風先輩は右耳を散華していて……夏凜ちゃんは右手と右足、そして聴力を失っていた。

 私は夏凜ちゃんに縋り付きながら声を上げて泣いた。私が今回の事件を引き起こしたせいで夏凜ちゃんの人生を台無しにしたと、何も聞こえなくなった夏凜ちゃんに泣きながら謝罪をするしかなくて、自責の念に駆られてしまうほど。

 

「……東郷のせいじゃないわよ。夏凜の散華はアタシが」

『その話もナシだよ。お姉ちゃんも東郷センパイも悪くない』

「……風も東郷も、私は責めようとは思わない。樹の言う通りよ。誰も悪くないんだから」

 

 色々話し合って、誰も悪くないという結論に至った。私が壁を壊した事も許されるとは思えなかったのに、受け入れてくれた。

 私は、愚か者だ。地獄なんかじゃないんだ。みんながいるこの世界は。待ち受ける運命に屈してしまって、その輝きを見失っていた。勇者部は私の大切な居場所……もう二度と間違ったりなんかしないから。

 

「だから……目を覚まして、友奈ちゃん……! どこにいるの、ほむらちゃん……!」

 

 友奈ちゃんだけが目を覚まさない。まるで魂が抜け落ちてしまったみたいに無反応で、焦点が全く合わない目だけが開いている。

 ほむらちゃんだけがここにはいない。ほむらちゃんがいなくなる理由があるわけない。原因は全く以て不明。大赦内で乃木さんと高嶋さんの家が中心になって、捜索隊が組まれたらしいけど、大赦に回収される前に勇者端末の地図を見たところ、彼女の現在置を知らせるアイコンはどこにも見つからなかった。

 

 私の大切な友達が二人共、私の側にいない。いつだって、どこでだって、私の心を支えてくれた存在が欠けてしまっていた。

 

 

 退院日になっても、友奈ちゃんは目を覚まさないまま、ほむらちゃんも私達の下に帰ってこない。誰も悪くないと決定されてもなお、「私が壁を壊さなければ」という後悔は大きくなり、不安は募る一方だった。

 

 夏凜ちゃんより先に学校に戻れるようになると、それはもっと大きくなる。私の車椅子を押してくれる友奈ちゃんとほむらちゃんがいない、今までに無かった日々が始まるのだから。

 同級生のみんなも、私に何を言えば分からないみたいに接して……。聞いたところ、先日担任の先生が私と夏凜ちゃんが怪我、友奈ちゃんが意識不明、ほむらちゃんが行方不明だと涙を浮かべながら悲しげに伝えたその日、誰も授業どころじゃなかったらしい。多くの友達が彼女達を心配して悲しんで、どうしてそうなってしまったのか訳が分からないまま、不安に陥れた私という存在が情けなくて仕方がなった。

 

 

 そんな日が数日続いたある朝、目が覚めると両足に不思議な感覚があった。

 あるはずのない、永遠に失われたはずの感覚。昨日までできなかったのに、それは少しだけ動いて、少しだけ力が入って。意を決して身体を起こして床に足を付けて。

 

 私は二本の足で、立った。すぐに後ろに倒れたけど何の支えも、誰の手助けも無しで、一瞬だけ間違い無く立って……。

 

「……治癒が……始まっている……?」

 

 完全じゃない。それでも絶対に治らないとされていた散華が少しだけだけど、回復していた。

 

 

「あ、おはよ」

 

 登校するとそこには今まで休んでいた夏凜ちゃんが同級生の子に支えられていた。松葉杖を使って苦労しながら歩き、何度か聞き返しながらも会話をしていて……。

 右手足と聴力を失った夏凜ちゃんがどうしてと思う反面、今朝私の身に起こった奇跡を思い出す。

 

「いや、なんか今朝起きたら……治ってきているっていうか……動くし聞こえるのよ…? ちょっとだけだけど、これって…」

「夏凜ちゃん!!」

「おわっ!? と、東郷!?」

 

 気がつくと私は涙を流しながら夏凜ちゃんに抱きついていた。先日泣きついたみたいに車椅子から身を乗り出して、ただひたすらに歓喜の涙を流す。だって確信したから……

 

 私達は、散華が治っているんだって。

 

 

「とうごう……せんぱい……かりん…さん…!」

「樹ちゃん…! 風先輩…!」

「うん…! アタシ達全員、治ってきてるのよ…!」

「よかったわね樹。夢、諦めなくて…!」

 

 部室で四人揃って喜び合って、涙を流して。手元にはもう勇者端末は無く、大赦からの要請も来ない。私達は神樹様から開放してもらったのだ。いずれ本当に私達の身体は完治して、平穏な日々を享受できるようになる。そんな奇跡を私達は心から願って、それが諦めなくてよくなって……。

 

 それじゃあどうして、二人は戻ってこないの?

 

 

「友奈ちゃん……」

 

 毎日欠かさず友奈ちゃんのお見舞いに訪れる。それでも友奈ちゃんは回復の兆しが無く、何度話しかけても返事を返すことはない。次こそはと、私達の身に起こった奇跡がもう一度と願いながら訪れて、すぐにその期待は打ち砕かれる。

 ほむらちゃんもだ。私達だけでなく、大赦が総力を挙げて捜索しているのに、彼女の手掛かりは一つも無くて。それよりも、ほむらちゃんが姿を眩ます理由がない。ほむらちゃんなら私達が心を痛めると判るはずなのに、帰ってこないなんてありえなくて。もしかしたらほむらちゃんも、どこかで友奈ちゃんみたいにずっと目を覚まさないでいるのかもしれない。

 

 もしかしたら、ほむらちゃんは死んで……

 

「っ!? そんなわけない!! そんなわけ……!」

 

 脳裏を過ってしまった最悪の事態を振り払う。それでもあまりの恐ろしさに身体が小刻みに震え、背中を嫌な汗が伝う。

 勇者は決して死ぬことはないんだ……。絶望して、生き地獄を恐れたものの、今はその事実こそがあの子が生きている証明であり、唯一の希望だった。

 

 

 私達の身体は快調に向かっていく。私の足も車椅子ではなく松葉杖であるけるようになり、左耳も少し聞こえるようになった。樹ちゃんも、声がより聞こえやすく話せるようになり、風先輩も耳は完全に聞こえるようになり、左目もぼやけてだけど見えるまでに。夏凜ちゃんも、松葉杖無しで歩けるようになっていた。

 

 奇跡は間違い無く起こっている。それなのに、友奈ちゃんとほむらちゃんは……。

 

「……私は……大切な友達を…!」

「言うな! 誰も悪くないって話し合ったでしょ」

 

 こんな奇跡は求めていない。風先輩と夏凜ちゃんと樹ちゃん、みんなの身体が治っていくのは本当に喜ばしい限りだ。だけど私の身体が良くなって、友奈ちゃんとほむらちゃんが戻らないんだったら……そんなものはいらない。一生歩けないままでも、耳が聞こえないままでもいい。二人が側にいない世界に、希望なんて感じられない。

 

 

「……文化祭、間もなくね」

「……配役、どうすんの?」

 

 二人がいない世界は残酷にも過ぎていく。友奈ちゃんが楽しみにし、ほむらちゃんがみんなと力を合わせてやり通そうと意気込んでいた文化祭。このまま二人がいない状態でその日を迎える……そんなのは嫌だ。

 

「あの……友奈ちゃんとほむらちゃんの役、そのままにしておきたいです。きっと二人だって、文化祭までには……」

「東郷の言う通りよ。二人のこと割り切るの、私も嫌だ……」

「アタシだって、割り切ってなんか……」

「お…お芝居……練習を…続けましょう……。友奈さんとほむらさんなら……きっと…」

 

 誰も望んでいない。二人がこのままいなくなるなんて。みんな、全員揃って文化祭を迎えることを望んでいる。私達は六人で勇者部……誰だって欠けてはならない存在なのだから。

 

 

「勇者は傷ついても傷ついても、決して諦めませんでした」

 

 こうした日々がずっと続く。ずっと二人を待ち続けて、本当の奇跡を願う。友奈ちゃんの側で、私達の劇を読み聞かせ、私達六人が明日へと迎えるよう……。

 

「全ての人が諦めてしまったら、それこそこの世が闇に閉ざされてしまうからです」

 

 風先輩は目が見えるようになった。樹ちゃんは大好きな歌が歌えるようになった。夏凜ちゃんは鍛錬に励めるようになった。でも、みんな前に進まない。ずっと待ち続けてるから、一緒に歩き進むことを信じている。

 

「勇者は自分が挫けないことがみんなを励ますのだと信じていました。そんな勇者を馬鹿にする者もいましたが、勇者は明るく笑っていました」

 

 お見舞いに訪れる度、友奈ちゃんに樹ちゃんが作った押し花を送る。その花は私達を司っていたそれぞれの花を。

 微笑みの山桜、愛情の絆である朝顔、輝く心のオキザリス、心の痛みを判る鳴子百合、情熱の躑躅、聖なる愛の時計草。

 

「意味がないことだと言う者もいましたが、それでも勇者はへこたれませんでした」

 

 私達はあなた達を呼び続ける。あなた達が大好きだから、ずっと一緒にいたいから。

 

「みんなが次々と魔王に屈し、気がつけば勇者はひとりぼっちでした。勇者がひとりぼっちであることを誰も知りませんでした。ひとりぼっちになっても、それでも勇者は……それでも勇者は……戦うことを諦めませんでした……」

 

 ずっと一緒にいたいから……なのに、どうして、あなた達はここにいないの? どうして何も応えてくれないの?

 

「勇者は……信じているから……ひとりぼっちになっても、自分には大切な友達がいるのだから……。諦めない限り……希望が終わることはないから……です……っ!」

 

『一人になったら駄目よ』

『ずっと一緒だよ、私達は』

 

 ほむらちゃん、友奈ちゃん……二人共、あの時の言葉は嘘だったの…? ずっと側にいてくれるんじゃなかったの…?

 

 私は……

 

「何を失っても……それでも………っ! ……それでもわ、私は……っ! 大切な友達を……!! 失いたくない…っ!! いやだ……いやだよ…!! 寂しくても…! 辛くても…! ずっと……! ずっと一緒にいてくれるって…言ったじゃない!!!!」

 

「友奈ちゃん……ほむらちゃん……うわあああああああああ!!!!」

 

 

 

「……とう…ごう…さん……」

 

 顔を埋ずめて泣いている私に声を掛けられる。顔を上げて、隣を振り向いて……友奈ちゃんが涙を流しながら、微笑んでいて。

 

「……一緒にいるよ……ずっと…」

 

 友奈ちゃんが、私にそう言った。

 

「ゆ…友奈ちゃん……友奈ちゃん……!」

 

 今まで何の反応もなかった友奈ちゃんが、いつだって私達に笑顔を振り蒔いていた友奈ちゃんが……目を覚ましていて……!

 

「聞こえてたよ、みんなの声……東郷さんの声…」

 

 

「おかえり、友奈ちゃん…!」

「ただいま…東郷さん」

 

 

 

 しばらくして、友奈ちゃんは無事に退院した。ただしまだ完治しているわけではなく車椅子。私と同じで両足を散華していたらしくて、治りかけだけどまだこれを使わないといけないそうだ。

 逆に私の足はすっかり回復した。松葉杖も必要なくなり、友奈ちゃんの車椅子を押している。立場が逆転してしまったけど、友奈ちゃんも笑顔で任せてくれたから責任を持ってやっている。

 

 部室では三人が出迎えてくれて、誰もが喜んだ。ただ一人、この場にいないほむらちゃんを除いて……。

 

「ほむらちゃん……どこにいるんだろう……」

「どうして戻ってこないのよ、あいつ…」

「無事……ですよね…?」

「……きっと大丈夫です!」

「東郷?」

 

 みんながほむらちゃんの安否を不安に思いながらも、私は信じている。ほむらちゃんは必ず戻ってくると。

 

「友奈ちゃんも戻ってきたんです! ほむらちゃんが戻ってこないなんてありえません。待ち続けましょう。ほむらちゃんを信じて!」

 

 あのほむらちゃんが私達を置いていなくなるわけがないんだ。みんなだって、それは分かっているはずなんだ。

 

 

 それから数日が経過し、友奈ちゃんも車椅子を使う必要がないほど回復した。みんなで文化祭の劇の準備と練習をしながら、ほむらちゃんが戻ってくるのを待ち続けて……そして文化祭の数日前、私は夢を見る。

 

 

 

 

 とある小さなお社。私の体は二年前の小学生時代の姿で、二人の親友と一匹の犬に囲まれていた。

 

『えっ、犬?』

「ミノさんが拾っちゃって~」

 

 目の前では親友が電話をかけている。彼女は一見ぼんやりとして何を考えているのか全く読めず、分からないことが多々あるけど、いざという時の判断は誰よりも光るものがある。

 そしてその電話相手は私達より一つ年上の中学生で、優しくて妹想いに満ち溢れてる人。私には兄や姉、弟や妹もいないけど、もし姉がいるのだとすれば彼女のような人が理想だった。

 

 直後に場面が切り替わる。場所は全く同じお社だけど、そこにはさっき電話をしていた相手がこの場にやって来て、もう一人の親友と楽しげに会話を交わしている。

 

「わっふ!」

「わぁ! かわいい!」

「でしょでしょー! でもアタシの家じゃ犬は飼えなくて……彩羽さんの所はどうです?」

「私の所……飼えないことはないんだけど、簡単には決められないよ。生き物を育てるにはちゃんと責任を持たないといけないから、その場の軽い気持ちで飼うのは良くないもん」

 

 まん丸とした白い犬を抱き抱えながら、彼女は屈託なく笑う。明るくてクラスの人気者でむうどめえかあ……彼女の真っ直ぐで眩しすぎる勇気と格好良さに、私は何度救われただろうか。

 

「わふっ! わっふ!」

「きゃっ! あはは! この子とても人懐っこいんだね」

「そうなんですよ。園子は言うまでもないですけど、須美にも向かっていくんですよ。なあ須美」

 

 その声に私はビクッと肩を震わせて、恐る恐る犬を見る。鳥居の陰に隠れながら不安げに顔を覗かせて、そんな挙動不審な私を親友は苦笑いしてた。

 

「……えっと、どうして須美ちゃんはそんな離れた所に?」

「に、苦手なんです、犬は……。あまり触れ合った事がなくて…」

 

 この頃の私は頭が固くて融通が利かなかったっけ。真面目と言えば聞こえは良いけど、なかなか自分から一歩前に踏み出すのはできずにいた。だけど彼女達と一緒にいる時は毎日が楽しい事の連続で、大変できつい御役目を背負う身でありながらも幸せで……。

 

「須美ちゃん。無理に慣れろなんて言うつもりはないけど、この子は須美ちゃんを怖がるとは思わないし、須美ちゃんだってこの子を怖がる必要はないから。自然のままの須美ちゃんでいいんだよ」

「は、はい……」

「そうだぞ~須美ぃ。そのためにもまずは一度触れ合ってみないと始まらないよなぁ?」

「ほら、この子もわっしー大好き~って♪」

「わふわふわふわふ!」

「ひっ!? いやぁーー!!」

「あっ! わ、わんちゃんストップ! ステイ!」

 

 その子犬に追いかけ回されて悲鳴を上げながら逃げる私。慌てて止めようとして子犬を追いかけ、私、犬、年上の彼女の順で祠の周りをぐるぐるぐるぐる……。親友二人はその様子を眺めながら呑気にお茶を飲んでいた。

 

 ……これは……私が失った記憶の一部。今までずっと無くしていた大切な思い出が、夢を通して抜け落ちてしまった場所に少しずつ戻って来ているような不思議な感覚……。

 

 再び場面が切り替わる。今度は先程までのお社ではなく、かつて私が夢で見た病室であった。先程の三人に加え、小学三年生ぐらいの幼い少女に私は楽しげに、誇りを抱きながら話しかけていた。

 

「こうして大和は二時間にも及ぶ激戦の末沈没したのよ! 卑劣な敵軍に決して屈せず、大和が撃破した敵機の数は二十三! 御国のために散ってしまった英雄は二千四百九十八名!!」

「うぅ……! 兵隊さん、最後まで頑張ったんだね…!」

「……あの~彩羽さん? 前々から羽衣が須美色に染められちゃってますけど、大丈夫なんですかね…?」

「あ、あはは……」

「うーたんは天使みたいに純粋だもんね~」

 

 無粋な声も聞こえるけど、これも実際にあった出来事だ。私の話は堅苦しくて難しいと誰もが遠慮してしまうのに、この子はどんな話でも嫌な顔一つ見せないで興味津々に聞いてくれる。私に真剣に向き合ってくれては心からの可愛い笑顔を返してくれる。まるで妹のような存在で、この子と一緒にいられる時間がいつも待ち遠しかった。

 

「須美さんはすごいなぁ。日本の昔のことをたくさん知ってるんだね」

「うん。夢は歴史学者だから」

「歴史学者さん……須美さんならきっとなれるね!」

「うん、ありがとう。羽衣ちゃんは将来の夢って何なの?」

「おい須美…!」

「え? あ……」

 

 失言に気づいた時にはもう遅い。この子は重い病気を患っていて、入退院を繰り返している。そんな子相手に無配慮に将来の夢を語り尋ねる自分を悔いた。

 

「そんな顔しないで、須美さん。私は気にしてないから」

「羽衣ちゃん……ごめんなさい…」

「将来の夢はまだ分からないよ。やりたいことがいっぱいあって、どれがいいのかなって迷っちゃうの。でもね……やっぱりまずは元気になりたいな」

 

 気にしてないと言われても、私の中にはこの子に対する申し訳なさが残っていている。それにこの子が今語った言葉には、叶えたいけど叶わないかもしれないという不安も抱えられていた。

 この子は一人でこの病室で過ごしている。私達がお見舞いに来ても、その時間は一日の中の半分にすら大きく満たない僅かなもの。この年の女の子にとって、一人で病気と戦いながら生きるというのはどれほど苦しいものだろうか。

 

 気がつけば私はこの子の両手を取っていた。いきなりの私の行動に少し驚きながらも、彼女は真っ直ぐ私を見る。

 

「応援する」

「え?」

「羽衣ちゃんの病気が治るまでずっと、ずーっと! 応援するから! それで羽衣ちゃんの夢が見つかっても、そのためのお手伝いもさせてほしい!」

「須美さん…」

「だから、絶対に元気になって! 羽衣ちゃんの力になるなら私は何だってやってみせるし、いつでも味方だから!!」

 

 私はこの子を助けたかった。これから何があろうともずっと一緒にいて、支え合いながら生きていく……そう思ったのは私一人だけじゃなかった。

 

「なんだか面白そうなことを言ってるなぁ? それ、この銀様も混ぜろよ!」

「銀さん…」

「私も私も~! うーたんの夢、私も楽しみなんよ~!」

「園子ちゃん…」

「ちなみに私の夢は小説家、ミノさんの夢がお嫁さんなんよ~」

「おまっ、園子!! 言うなよ恥ずかしいだろ!!」

 

 二人の親友が私達の手を取る。重なり合う四人の手の温もりが温かくて心地良い。改めて、私は彼女達のような素晴らしい存在と巡り会えたのだと実感し、運命に感謝していた。

 

「須美さん…銀さん…園子ちゃん……ありがとう!」

「いいってことよ! 羽衣はアタシ達の妹みたいなもんだからな!」

「そうよ羽衣ちゃん! 羽衣ちゃんみたいな可愛い子が妹なら何だってできるわ!」

「えへへ、みんながお姉ちゃんかぁ。嬉しい」

「そこで本物のお姉ちゃんが泣いてるよ~」

「「「え?」」」

 

 彼女の視線の先にいる人物が嗚咽をこぼしながら涙を拭う。戸惑う私達に気づくと声を震わせてながら、喜びの言葉が発せられる。

 

「ひっぐ…! ご、ごめんね…! みんながこんなにも羽衣に優しくしてくれることが嬉しくて、嬉しくて…! 良かったね、羽衣…!」

「もー、お姉ちゃんってば大げさだよ」

「ほらほら、彩羽さんもこっち! 羽衣がアタシ達の妹なら、彩羽さんはアタシ達の姉ちゃんなんですから!」

「え、ま…待って。今涙で手が濡れて…」

「待ちません」

 

 涙で濡れているくらいどうでもいい。その手を引っ張って彼女も一緒に……。

 

 

 

「えへへ…アタシ達五人、ずーっと一緒だよな。勝手にいなくなったら怒るからな」

 

 

 

 

 

「ぁ…あぁ…! そんな……私は…私はぁぁあああああっ!!!!」

 

 夢から覚めて私は……思い出した。大切な友達、二人の親友と可愛い妹、尊敬する姉と交わした約束と、魂に刻まれた思い出を……。

 忘れられない、忘れちゃいけない何もかも、全部が私の中にある。辛かった過去、楽しかった過去、幸せだって……全部……!

 

 家を飛び出して友奈ちゃん達に連絡を入れる。劇の練習には行けなくなったと、どうしても行かなければならない所ができたと。

 今更彼女達を忘れていたくせに虫が良すぎる。それでも、私はあの子と約束していたんだ。応援すると、どんな時でも力になるし、味方であると。

 

 それなのに、私はあの子を二年間もほったらかしにした。記憶を失っていたから……どうしてよりによって私はそんな大事なものを失ってしまったのか……!

 

 駅まで無我夢中になって走り、一人で電車に乗る。電車に揺られ、目的の街に着くまでの間、私の頭の中にはかつての思い出が絶え間なく流れる。

 

 養子に迎え入れられ、鷲尾須美になった日のことを。

 

 御役目を担い、訓練に勤しんだことを。

 

 彼女達と共に敵と戦い、絆を深めていった日々を。

 

 彼女達と過ごした日常を。

 

 別れを。

 

 

「すみません!!!」

「は、はい…!?」

 

 目的の場所に着くなり、私は肩で息を吐きながら受け付けを訪ねる。電車が着いてからここまで一度も止まらずに治りたての足で走ってきた。

 以前、彼女は言っていた。『今の羽衣ちゃんは狭い病室でひとりぼっち』と。一刻も早く、あの子に会わなければと私を駆り立てる。

 

「面会を……高嶋羽衣さんとの面会の許可を!!!」

「は、はぁ…少々お待ちください」

「早くしてください!!!」

 

 客観的に見れば異常で迷惑極まりないことだが、そんな事は気にしていられなかった。会わないといけないから、謝らないといけないから、話さないといけないから。

 伝えないといけないから。記憶をなくしてしまったけど、今でも私達は羽衣ちゃんのことを想っていると……。

 

「大変申し訳ありません。今は高嶋さんとご面会になることはできません」

「え……どうして…!?」

「先日容態が悪化して、現在面会謝絶中でして…」

「面会謝絶……そんな……」

 

 二年前は一度もそんなことはなかったのに、私が記憶を失っている間……私達が会いに行けなかった二年間で、羽衣ちゃんの容態はより酷くなっていた。病は気からと言うが、私達があの子をひとりぼっちにしてしまったのが大きな原因なのではないか…?

 もし私が散華で記憶を失っていなかったら、断じて羽衣ちゃんを一人にはしていなかった。でも実際はどうだ。私はあの子が孤独に生きていることを知らないまま、約束を忘れて毎日を楽しく過ごしていて……。

 

「お願いです!! 羽衣ちゃんに会わせてください!!!」

「なっ!? 困ります! これ以上容態が悪くなって、もしものことが起こればどう責任を取るつもりですか! 大体あなた、その人の何なのですか! 部外者をお通しすることはできません!」

「私は……」

 

 私は羽衣ちゃんの……何? 私はあの子を妹のように思っている。でも私はあの子に何もしてあげられなかった。威勢のいいことを言っておきながら、苦しんでいるあの子を助けられなくて何が妹のように思っているだ。会えなくても二年間ずっと羽衣ちゃんのことを心配し、悩み苦しんでいたあの二人とは違う。

 私にはあの子に会う資格なんて……

 

「………わっしー?」

 

 声が聞こえたその時、私の頭の中を包み込んでいた暗い感情が吹き飛んだ。というよりも、考える余裕が無くなったと言う方が正しいだろうか。

 病院のロビーに入ってきた二人の女の人と、知らない大人の人。大人の人はどこかあの子達の面影があったけど、それよりも私にとっては今声をかけた少女の方が重要だった。

 

「……そのっ…ち…?」

 

 私の口から自然に、彼女の渾名がこぼれ落ちる。だってそこにいたのは紛れもなく、二年前に一緒に戦って、楽しかった日々を共に笑い合った大切な親友の一人。そのっち……乃木園子だったのだから。

 

「あぁ……ぁああ……!!」

 

 その事に気づいた時には、涙が溢れて前が碌に見えなかった。そのっちは……散華して全身の至る所を失って悲惨な姿をしていた彼女は治っていた。まだ頭部や腕に包帯が巻かれていたけど、以前会った時よりも断然少なくなっている。そして何よりも、歩くことさえできなかったはずの彼女が、自分の足で立って歩いている。

 そしてもう一人……彼女もそのっちと似たようなものだった。歩くことはできたけど、一切の光を失ったはずのその目は今……光を取り戻した彼女の目は涙を潤ませながら私に向けられている。

 

「……やっと……会えた……須美ちゃん……!」

「……彩羽…姉さま……!」

 

 もう限界だった。足は二人に向かって駆けだして、飛び込むように二人に抱き付いた。そんな私を二人は……そのっちと彩羽姉さまは受け止めて、私は人目を気にせず大きな声で泣き出した。

 

「わぁぁああぁぁあああっっ!!!! そのっちぃ……!! 姉さまぁ……!! 私……今まで……!!」

「記憶が戻ったんだね……わっしー」

「うん、思い出したの!! そのっちのことも、彩羽姉さまのことも、羽衣ちゃんのことも、銀のことも!! 二年前のこと…思い出したの…!!」

「……顔、よく見せて?」

 

 彩羽姉さまにそう言われ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。姉さまが私を見る目は二年前と変わらない。優しくて、温もりに満ち溢れている私達のお姉さんのもの。

 

「……分かってたけど、とても美人に成長したんだね……。身長も追いつかれちゃった……あはは……」

 

 姉さまもそのっちも、二人共溢れ出る涙を拭わない。そんな事をすれば私が見えにくくなるから。涙で視界が歪むとしても、失われた二年を取り戻すように、私だけを見つめる。

 

「大きくなったね、須美ちゃん……!」

「おかえりなさい、わっしー……!」

「そのっち!! 彩羽姉さま!! うわぁああああああああああ!!!!」

 

 三人で抱き合って、いっぱい泣いて。私は彼女達の下に帰ってきた。今この瞬間は何よりも嬉しくて、ひたすら再会を喜び合う。

 

 

 

「彩羽ちゃん、話はつけてきたわ。羽衣ちゃんの面会許可下りたわよ」

「うん。ありがとうお母さん」

「……お礼なんて、言われる資格はないわよ。本当にごめんなさい…」

「……お母さんは悪くないよ」

 

 彩羽姉さま達とそのっちの家は大赦のトップだ。その権力と羽衣ちゃんの家族の二つから、羽衣ちゃんの面会の許可が通ったみたいだった。

 

「行こっか、園子ちゃん、須美ちゃん」

「うん……わっしー?」

「……私が羽衣ちゃんに会いに行っていいのでしょうか」

「須美ちゃん?」

 

 私はみんなのことを忘れていた。そんな人間が本当に会いに行っていいのだろうか……。

 

「何言ってるのわっしー。いいに決まってるでしょ」

「でも…」

「わっしーはうーたんに会うためにここに来たんでしょ? それよりもここでうーたんに会わないなんて言ったら許さないから」

「そのっち…」

「うーたんはわっしーに会いたがってるの。わっしーはうーたんのお姉さんの一人なんだよ」

「……分かったわ。ありがとうそのっち」

 

 そうだ、私はあの子の味方なんだ。今までできなかったのであれば、これから挽回していくんだ。今度こそ羽衣ちゃんを支えていくんだ。

 そのっちに言われてようやく受け止められる。立ち上がって三人で教えてもらった羽衣ちゃんの病室に向かう。二年前と同じだ……こうやって揃って羽衣ちゃんの病室に行くのは。

 

「そういえば……何て呼べばいいのかな…?」

「え?」

 

 彩羽姉さまの言葉に首を傾げる。そして姉さまが何を言いたいのか、思い返してみるとすぐに分かった。

 

「一応私は今のあなたの名前の美森ちゃんで通していたんだけど、昔みたいに須美ちゃんの方がいいんじゃないかって思わないこともなくて……」

「私も~。この前わっしーで良いって言われたけど、今のわっしーは東郷美森さんだから、本当にそれでいいのかちょっとだけ自信がないんよ~」

 

 そうだ、今の私は東郷美森。だけど姉さまやそのっち達と過ごした私は鷲尾須美なのだ。鷲尾須美と親しい彼女達にとってはきっと悩んでしまう事だろう。

 でも二人…いや、羽衣ちゃんも、そして銀も。私がみんなに呼んでほしい名前は……

 

「そのっちと彩羽姉さま、銀と羽衣ちゃんとの思い出が詰まっている鷲尾須美、勇者部のみんなとの思い出が詰まっている東郷美森……どちらも私にとっては誇るべき名前で、尊いものです」

「というと?」

「どちらでも構いません。わっしーでも美森でも須美でも……あなた達に呼んで貰えるならそれだけで嬉しいから」

 

 それが全てだ。名前を呼ぶという行為はその人を想うことから始まるものだ。私が誇る名前を通して、彼女達が私を想い呼ぶ。これが幸せでなければ何だというのか。

 

「……じゃあやっぱりわっしーがいいな。わっしーがわっしーであるのに変わりないんよ~」

 

 そう言ったそのっちは笑顔だった。やはりそのっちにとって、私達の渾名は特別なものなのだろう。わっしー、ミノさん、そのっち、ろっはー先輩、うーたん……どの渾名も私も大好きなものばかりだ。

 ほむらちゃんはほむほむ……勇者部のみんなに付けるならどんな渾名になるだろうか。

 

「……なら私は、改めて、これからは美森ちゃんって呼ぶね」

 

 彩羽姉さまが決めた答えは今の私。

 

「この二年間、ずっと過去を思いながら過ごしてた……それはもうおしまい。須美ちゃんの名前は私達五人の大切な思い出として心に残しておくよ。これからは今まで美森ちゃんを支えてくれた人達みたいに、今度こそ私もあなたと一緒に未来を歩んでいきたいから……」

 

 私の名前が失われることは決してないんだ。彩羽姉さまみたいに心が刻み込んで覚えてくれる。私も、もう絶対に失うことはない。私にはみんながいて、みんなが私を覚えてくれるから。思い出と一緒に歩んでくれるから。

 

「……この部屋だね」

 

 着いた病室のプレートにある名前は『高嶋羽衣』。かつての部屋とは別の所になっているけれど、二年前と同じで部屋の中にはあの子がいる。震える手で彩羽姉さまが扉を開いて……

 

「……羽衣…」

 

 羽衣ちゃんは眠っていた。腕には点滴が施されていて、口元には呼吸器を付けて……肌の色は恐ろしいほどに蒼白だった。

 

「うーたん……」

「羽衣ちゃん……」

 

 これが私達が二年間もの長い間孤独にさせてしまった妹の姿。いったいどれほど苦痛な日々を送らせてしまったのだろうか、どんな深い絶望を味わわせてしまったのだろうか。

 

「ごめんね……羽衣…! ずっとひとりぼっちにさせて……辛かったよね……! 寂しかったよね……!」

 

 眠っている羽衣ちゃんの手を取って、彩羽姉さまが涙をこぼす。私とそのっちも一緒に手を取って、ここまで苦しめてしまった事実を改めて知らしめられて涙が流れる。

 

「もう絶対にひとりぼっちにはさせないから……! これからはずっと一緒にいるから……!」

「………お…ねえ…ちゃん…?」

「「「っ!」」」

 

 か細く、それでも確かに聞こえた声。一斉に視線は羽衣ちゃんの顔に集まる。うっすらと開かれた目が彩羽姉さまを見る。そしてその目は移ってそのっちを、続けて私を見て、羽衣ちゃんの目には涙が滲む。

 

「そのこちゃん……すみさん……みんな………あいたかったよぉ……」

「「「羽衣(ちゃん)(うーたん)!!」」」

「て……あったかい……ほんとうにいるんだ……」

「うん……! いるよ……お姉ちゃん達はここにいるよ、羽衣……!」

 

 弱ってしまった羽衣ちゃんに、私達はみんな涙を流しながら話しかける。顔色は酷いけど、その表情は二年前と同じで幸せそうで、何も悔いがないかのように心から安心しきっている。

 

 

 

「さいごに……ゆめがかなって……よかった」

「……え?」

 

 ……今、羽衣ちゃんはなんと言った? 夢が叶った?

 

 羽衣ちゃんの夢は決まってなくて、私達がお手伝いするって……約束を……。

 

「しぬまえに……みんなにあえて…よかった…」

「……死ぬ前……え…?」

 

 恐ろしい考えが浮かび上がる。羽衣ちゃんの病気は元々重いもので、今は完全に悪化してしまっている。見た感じだけでもかなり苦しそうにしていて、下手すると命に関わっているのではないか……。

 ……むしろ、悟ってしまっている? 自分の命が長くはないと……。夢というのはまさか……まさか…!

 

「嘘でしょ…!? 羽衣ちゃん…!!」

「………」

「嫌よ!! みんなのことを思い出せたのに、また大切な人と別れるなんて!!」

「……お医者さんも諦めたんだって……」

「……もう……手遅れなんだよ……!」

 

 ハッとして二人を振り向く。二人は今の羽衣ちゃんの発言に悲しんではいるものの、驚いてはいなかった。二人は羽衣ちゃんの容態と夢を知っていた?

 

「ごめんなさい美森ちゃん……! 私……言えなかった……! 羽衣の事……最後に羽衣の夢が叶ってほしかった……!」

「うーたん、死ぬ前に私達三人に会いたいって……! ロビーで見つけてからうーたんの望みが叶うのならって黙ってた……ごめんなさいわっしー……!」

 

 ……なんで、二人共謝るの? 二人は何も悪くなんかない。むしろ今とても苦しんでいるんじゃないか……。羽衣ちゃんと一緒にいた時間は私や銀よりも、本当のお姉さんの彩羽姉さまと、昔からの幼馴染のそのっちの方が遥かに長い。加えてこの二年間、ずっと羽衣ちゃんを心配していたのも二人じゃない……だから……。

 

「そんな顔…しないでよ……そのっち、彩羽姉さま……!」

「わっしー……!」

「美森ちゃん……!」

「……羽衣ちゃん……助からないの…? 本当に…?」

 

 俯く二人がそれを物語る。私達は羽衣ちゃんから手を離さないまま、面会時間が過ぎるまで一緒にいた。

 

 友奈ちゃんの目が覚めたのはやっぱり奇跡だったんだ。そして奇跡は何度も起こるものじゃない。誰がどんなに望んでも、決して覆らない事象もある。それはもう一つ、未だに彼女が戻ってこないから……。

 

 

 

 

 

 数日後、乃木園子は思い返していた。傍観者となった自分が犯した罪、隠蔽した真実を。

 

『暁美ほむら様は亡くなられたと思われます』

 

 負傷した彩羽がいない自分達の部屋で、一人の神官が隠すことなく言い放った一言。その一言は園子の心を抉り、次は彼女に容赦なく言葉と言う名の凶器が降り注ぐ。

 

『神樹様の御加護をお受けになる勇者様は、本来命を落とすことはありません。怪我を負うことはあれども、その身はまさしく神の力を宿す肉体……滅びるなど有り得ないことです』

『……どうして』

『憶測ですが、予期せぬ異常事態が起こったのかと。暁美様の勇者端末は誰が作り出した物なのか解らない未知なる存在。イレギュラーが発生し、神樹様と暁美様を繋ぐ霊的回路が遮断され、満開が解けるのと同時に彼女は勇者の力を失った。普通の人間となった彼女は御霊に髪の毛一本残さず焼き尽くされた……上はそのように判断されることでしょう』

『……どうしてそんなことが簡単に言えるの…!』

 

 人が死んだと、それも知っている人物がいなくなったことを、自然に言い放つ神官が理解できなかった。

 

『彼女はわっしーの大切な友達なんだよ…! ろっはー先輩も彼女のことを気に入ってた……私だって…!』

『……暁美様はこの世界を守るという御役目を全うなされた。暁美様は紛れもなく勇者なのです。最大限の敬意を抱きこそすれども、その尊厳を不当に扱うつもりはありません』

 

 右手を強く握り締める。行き場のない怒りをどうにか押さえ込めながら、彼女はある決断をする。

 

『……この事は他の勇者には絶対に伝えないで。勿論ろっはー先輩にも。せめてみんなには、乃木家と高嶋家が全勢力を挙げて捜索しているって伝えてあげて』

『それは無意味では? 死んでしまった人間は戻ってこない。遅かれ早かれ、すぐに分かってしまうことです』

『なんで分からないのかなぁ!!?』

 

 神官の非情な言葉に、彼女の怒りは爆発した。

 

『何が尊厳を不当に扱うつもりはないだ!! 今はもうこれ以上みんなを傷つけないでって言ってるの!! この事を知ってしまったら誰も耐えられないってどうして分からないんだ!! お前には人の心が残っていないのかぁああーーーーー!!!!』

 

 非情な神官を勇者としての立場を最大限まで利用して動かし、乃木園子は仲間の勇者と当代の勇者達に偽りの情報を流した。それを信じた彼女達は、誰も探していない仲間を待ち続ける……。

 

 そして彼女は深く後悔していた。偽りの情報を流したことにではない、それ以前の自分の決断を呪った。

 

「……私も、ろっはー先輩と一緒に行っていたら……!」

 

 もしあの時、仲間と共に樹海へと赴いていれば、この結末は違ったものになっていたのではないか……誰も犠牲にならずに済んだのではないか……そう思えて仕方がなかった。

 ワガママを貫いた彩羽のように、自分もみんなの気持ちを汲み取れば良かったと後悔していた。

 

「……ごめんなさい……わっしー、ろっはー先輩、ほむほむ……!」

「園子ちゃん…」

「わっ!? えっ? ろっはー先輩…?」

「………羽衣が…」

 

 

 

 

 

 

 

 文化祭当日、ほむらちゃんは戻ってこない。

 

「……風先輩、ほむらちゃんの魔法使いの役、私がやります」

「……東郷……」

「大丈夫です。台本の中身は全部覚えていますから」

 

 ほむらちゃんは戻ってくる……そう信じてきたけどその期待は叶わない。この世界は都合のいい御伽噺の世界ではない残酷な世界。だからこそ本心から願う奇跡なんてものは何度も起こらない。そんな都合のいい()()は一生に一度が限界だろう。この世界に奇跡と魔法もないのだから。

 

「結局世界は嫌なことだらけだろう!? 辛いことだらけだろう!? お前も堕落してしまうがいい! 現実の冷たさに凍えろ!!」

「そんなの気の持ちようだ! 誰かを大切だと思えば友達になれる! 互いを思えば何倍でも強くなれる!」

「そんな出逢いがあるからこそ、私達は決して一人になんかならない。私には友達がいるから……大好きな人が……いる……から…」

「と、東郷……?」

 

 この世界はあなたがいない平穏な世界。幸せなんて、どうあがいても手に入らない世界なんだ。

 

 薄々感づいてはいた。ほむらちゃん……あなたはもう、この世界にはいないんだ。大赦ほどの組織がいつまで経っても見つけられない。間違いなくすぐに戻ってくるはずのあなたが戻ってこない。そうなると、答えはもう一つしかないじゃない。

 

「うぅぅ……うううう!!!」

 

 

 

 あなたはもう、死んでしまっているんだね。

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

暁美ほむらの章 完

 

 

                      

 

 

 

 

 

 

 我々が生きるこの世界は残酷な運命を背負わされている。罪無き者が大勢為す術もなく無惨に蹂躙され、失意のままにその命を喰われ、死んでいく。儚い命がたった一日で奪い尽くされたのだ……。

 

 敵の名は『バーテックス』

 数え切れない大罪を犯した、心無き忌むべき化け物。

 

 我々は神に選ばれた。三年前のあの日、目の前で友達が喰われるのを目撃しながらも、私は太刀を振り戦うことで生き延びた。

 ……いや、戦ったのではない。逃げ延びたのだ。あの頃の私は力不足で、悔しいがどう立ち回った所で勝ち目など無く、逃げる人々の殿を務めるのが精一杯だった。

 その蹂躙から逃れたのは私達が暮らす香川を始めとした四国、長野の一部など極僅か。少なくとも三年前までの全世界の人口の九割以上は……違うな、限りなく十割に近い人類は既にいない。

 

 今生き残っている人類は神に守られている。バーテックスの侵攻を妨げる結界を作り、霊力による恵みは人々の自給自足を可能にする。

 だがそれでも、いずれバーテックスは攻めてくる。現に諏訪にいる私の友は何度も戦い、そこを守っている。

 

 三年前は奴等を前に撤退せざるを得なかった。だがしかし、今の私はあの頃とは違う。訓練を積み、力を付けている。同じく神に選ばれた者達と共に……。

 

 私達は『勇者』

 奴等に奪われた世界を取り戻す。何事にも報いを……必ず奴等に報いを受けさせる。

 

 

 

 

 三年もの間、バーテックスの四国への進行は一度もなく、私達は万全の態勢を取ることができている。しかしそれは諏訪で戦う勇者、白鳥歌野は違った。彼女は三年間戦い続け、私達よりも数多くの修羅場を潜っている。

 それもたった一人で……もっとも白鳥さんが言うには、巫女の藤森水都も共に戦っているとのこと。彼女の存在が大きな支えとなり、絶望的な戦いの中でも希望を失う理由が無いと誇らしげに語っていた。

 

 確かにその通りだ。私自身巫女には、とりわけ幼馴染のひなたには何度も助けられっぱなしだ。彼女達に直接バーテックスと戦う力こそ無いものの、共に戦うための力は極めて大きい。

 巫女というものは神の声を聞くことができる存在。故に神の力を与えられた勇者のサポートに秀でているが、決してそれだけではないのだ。

 

 巫女達は本当によくやってくれている。私達のために尽力してくれて、感謝の念を抱かずにはいられないな。

 

 

 

 

 だがそのような心の底から頼りになる存在がいても、押し寄せる絶望を前にした時にどうなるか……最悪の事態が起こった時にどうなるか……。

 

 

 

 

ザー…ごめ…なさ…ザー…通信の……ザー……悪くて……ザー…』

 

「何かあったのか?」

 

『ちょっとしつこい…ザー…バーテックスをザー退治した…だけ…ザー…でもその時…通ザー信機がザー…壊れて……ザーそちらも頑張ってザー……きっとなんとかなりますザー………ザー

 

「白鳥さん…?」

 

『私も…ザー…予定よりもザーザー二年も長く……御役目をザー続けられて……ザー

 

「聞こえているか!? 応えてくれ、白鳥さん!!」

 

『乃木さん……ザーザー……さん』

 

『後はよろしくお願いしますザーーーー

 

 鳴り止まないノイズを前に、私はただ通信機の前に立ち尽くすだけだった。彼女は今まで強気で襲撃してくる敵を打ち倒してきた。

 だと言うのに、なんだ、この異様な胸騒ぎは……。よろしくお願いしますだと……? 何故彼女は私達にわざわざそんな事を伝えた。

 

「諏訪が……墜ちた……のか…?」

 

 

 

「いやぁあああああああああああああ!!!!」

「!?」

 

 突如、隣の少女が悲鳴を上げる。彼女は気づいてしまった。彼女の友の凶報に……彼女の身に何が起こったのかを。

 

「歌野ちゃん!! お願い応えて!! 返事をして、歌野ちゃん!!!」

「お、おい落ち着け!」

「イヤだ! 歌野ちゃん!! 水都ちゃん!!」

 

 錯乱する彼女に必死になって声を掛ける。このような事になるなど、白鳥さんと藤森さんは決して望まないだろう。

 

「神樹様!! 神様!! 誰か助けて!! 歌野ちゃんと水都ちゃんを助けて!! 死なせないでよぉ!!! うわぁあああああああああああ!!!!」

「わ、若葉ちゃん! これはいったい…!?」

「ひなた! いい所に来た…手を貸してくれ!」

 

 

 

 

 

 

「気をしっかり持て!! まどか!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うたのんは将来、農業王になるんだよね?」

 

 空いっぱいに浮かんでいるバーテックスを前にして、みーちゃんが突然そんなことを聞いてくる。将来ね……うん、ザッツライト。私の作った野菜をたくさんの人に食べてほしい……それが私の夢だった。

 今となっては、もう叶わない夢。だって私はエスケープしないんですもの。最後まで守るんだって決めてたから、諏訪の人々を犠牲にしてまで生き残るなんてノーよ絶対。

 

「私はね、夢なんて持ったことがなかった。きっと何にもなれないような、つまらない人生を送るんだって思ってた」

「みーちゃん……」

「でもね……うたのんに出会って変わったの。うたのんが側にいてくれれば、私でも何かできるんじゃないかって思って……。あのね、うたのん。私は将来、宅配屋さんになるよ!」

 

 それは初めて聞いた彼女の夢で……ソーハッピーな話。私とみーちゃんの二人だからこそ成し遂げられる、なんて素敵な夢だろうか。確かにいろんな苦労をするかもしれないし、みーちゃんと方向性の違いからケンカしちゃうかもしれない。でもそれはやがて多くの人のスマイルをクリエイトするであろうことは、みーちゃんと私なら間違いなくできるんだって……。

 

「みーちゃんと私の夢のために、この世界を壊させるわけにはいかないわよね!」

 

 また一つ、エスケープできない理由が増えたわね。私達の夢を守るために、私は鞭を振るって敵へと突っ込んでいく。そして……

 

 

 

 

 

ドグオオォン!!!!

「……え?」

 

 目の前のバーテックスが突然のエクスプロージョン……ワッツハプン!!?

 

 だけどそんな疑問は目の前に現れた人物を目にしてデリートされる。

 

「…………うそ……そんなわけ…ないよね……」

 

 みーちゃんも彼女が見えているってことは、ファントムなんかじゃない。間違いなく彼女はそこにいる。

 

 黒いロングヘアーを靡かせた、白と紫のコスチュームを身に纏った少女。左腕にあるシールドが、彼女が何かと戦うものである証拠……。

 

「……まさか……勇者なの……?」

 

 

乃木若葉は勇者である (ホムラ)の章




 これにて、ゆゆゆ編『暁美ほむらの章』は終了となります。物語導入含め全44話……私これちゃんと完結できるかな……? 彩羽ちゃん達がいるわすゆ編の構想も考えているのに……。

 そして次回からは↑の通り、のわゆ編『焔の章』のスタートです。私の執筆を知っている友人に次はわすゆ編ではなくのわゆ編書くって言ったらすごい顔されましたがマジです。
 ならびに12月に活動報告で述べました、外伝もこの焔の章の進捗に合わせて投稿予定です。

 今後もどうか、この作品をよろしくお願いします。


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焔の章
プロローグ「時間遡行」


 今回はタイトル通り、新章のプロローグですので短めです。
 前回のラストに至るまでのゆうほむ視点となります。


「……どこよ、ここは……?」

 

 気がついたら私一人だけがこの場所に突っ立っている。おかしいでしょこれって……私は樹海で戦っていて、あのバーテックスの御霊に突撃したわけだけど、それがどうして何事もなく見知らぬ町中で突っ立っているのよ。

 

「……っ、それどころじゃない…! 御霊は…!? みんなは…!?」

 

 東郷が一人で必死になって食い止めてくれていたのに、こんな所でのんびりしてる暇は……って、あれ…?

 ……矢で太陽のようになった灼熱の壁に穴を穿った所までは分かる。その中に突入して、奥の御霊本体が視認できて……それからどうなったの? 全く記憶にないわよ…?

 

「急いで戻らないと………嘘でしょ……? スマホがない…?」

 

 制服のポケットのどこを探っても、私のスマホがどこにもない。勇者システムが内蔵されたアレがないと、私は何もできないじゃない……。

 

「おかしい……おかしすぎるわよ、これは…!」

 

 直前の記憶が無いことも、こんな人の気配も何もない町中にいるのも、肌身離さず持っているスマホが紛失している事も、何もかもがおかしい! こんな変な事態なんて今までに………あった。

 

「………夢?」

 

 初めて満開を使って、運ばれた病院で見た変わった夢。それが確か、今の状況とかなり似ていた。直前の記憶が思い出せなかったのも、持ち物が何一つ無かったのも、知らない場所にいたのも……。

 ……って、そんな夢を見ていた事すらつい今し方まで忘れていたのに。やっぱりこれは夢? だとすればもう戦闘は終わっているのかしら?

 

「あの時は確かエイミーが…」

『………』

「……いた」

 

 やはりと言うべきか、辺りを見渡すとそこに浮かんでいた私の精霊。

 

 どうしてこの変な夢の中にエイミーが出てくるのだろうか。以前夏凜がエイミーにメールを貰ったかもしれないとか言ってたけど、案外他の精霊とは違っているのかしら?

 

「エイ…」

 

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

 

 

 

 

「…ッ!!? なに……今の……!?」

 

 耐え難い真っ暗な感情が一気に襲いかかり、私は今度こそ目を覚ましていた。あまりにもヤバそうな、こちらの精神をも汚染されかねない負の感情……意識が戻って良かったわ……。

 眼前に広がるのはどんよりとした灰色の空。私は冷たい土の上に仰向けで倒れていた。樹海ではない、ここは……畑?

 

「……夢じゃない。みんなは……」

 

 今までいた町中とは違って、どうやらこの畑は本物。紛れもない現実の世界。そこに私一人だけが倒れている。

 

「……スマホは……あった。……電波が届いてないって……ああもう…! どこよここは!」

 

 樹海化していないから襲撃は終わったのだろう。世界が無事だと言うのなら、あの御霊はきっと何とかなったに違いない。でもみんなの安否は……あの時友奈は倒れて、東郷も満開をしていた。二人の身が心配だ……って、私も満開をしていたじゃないか……。散華は……?

 

 ……手足は問題なく動かせる。目も見える、耳も聞こえる、声も出せる。土の匂いも感じ取れる……指先に少しだけ掬い取って口に含み吐き出す。不味い……よって味覚も無事だ……となればどこが……。

 ……さっきからずっと緊張しているのに、心拍音が全然響いてないような……まさか…!?

 

「……心臓……こんなことって……」

 

 胸に手を当てて、心臓が動いていなかった。それなのに私の身体は何事もなく動かせて、生きている……生かされてる。

 勇者は死なないとはこういうことか…! 精霊が外からの攻撃や害を防ぎ、命を守るだけじゃない。こんな身体にされてしまえば、いつだって勇者をバーテックスとの戦いに向かわせることができる。ふざけてる……これが神様のやることなのか…!

 

 ……でも、身体はどうであれ、私は生きている。心臓の散華で本当に死んでしまったらみんなが悲しむ。今は……これで良かったのかもしれない……。

 

「……戻らないと……みんなの下に…」

 

 畑から上がって公道を歩く。今まで見たことの無い知らない土地だけど、電波の届く所に出れば地図が開ける。案内標識が見つかれば場所が分かる。車が通れば尋ねる事も、親切な人なら乗せていってくれるかもしれない。

 

「あっ、あった…標識」

 

 少し開けた所に出て、電柱に付いてある青い案内標識が見えた。でもこんな所に出てもまだ電波が届かないなんて、何だかおかしな気が……え?

 

「そんな……なんで……なんで……ありえない!!」

 

 歩き続けていた足が止まって、自分の目がおかしくなったのかと疑った。だって……こんなの絶対おかしいもの。標識に書かれていた地名が、分からないものなら特に気にはならなかっただろう。事実知らない地名も書いてはあったが……一つ、有名な……この世界では既に失われているはずの名前が書かれていた。

 

「諏訪湖……諏訪ですって…!?」

 

 四国しか残されていないこの世界で……四国以外がバーテックスの巣窟である灼熱地獄の世界と化したこの世界で、今私が立っているこの地が……日本の中部地方、長野県だなんて……!

 私は香川にいたはずなのに、気がついたら長野にいる事実がありえないだけじゃない。三百年も昔に滅ぼされ、私が直接この目で見たあの地獄と化したはずの場所がこうして実在している。

 

「いったい何が起こっているの!? みんなは本当に無事なの!?」

 

 今までの常識を粉々にするような異常事態。考えても全く分からず、唖然としていると突然大きなサイレンが鳴り響く。そして私はますます混乱するのであった。

 

「……まさか人がいるの? 四国外に……」

 

 そして私は走り出した。こんなわけの分からない状況を少しでも明らかにするために。当てもなく彷徨い、ようやく……。

 

「お嬢ちゃん、こんな所でどうしたんだい? こっちにおいで、早く隠れないと……」

「本当にいた……隠れる?」

 

 とある民家から顔を覗かせるお婆さんが声を掛けてきた。人が四国の外で生きている……これは大赦も把握してはいないのでは……。でも私はお婆さんが口にした「隠れないと」という言葉が引っかかった。駆け寄ると彼女は何の疑いもなく扉を開け、私を中に入れる。

 

「あの……隠れるとはいったい何のことですか?」

「さっき警報が鳴ったじゃろう? お嬢ちゃん聞こえなかったのかい?」

「聞こえましたけど……あれは何の警報だったんですか?」

「何って……バーテックスに決まってるじゃないかい」

「!?」

 

 さも当然のように言うお婆さんの言葉に、今日何度目かも分からない驚きを現す。何故一般人であろう、このお婆さんがバーテックスを知って……。

 ……いいえ、ここは四国じゃないのよ。四国外はバーテックスが蔓延ってるのを私は知ってるじゃない。それに四国では大赦の情報管理が徹底しているから一般人は知らなかったけど、ここではきっとそのように秘匿する組織が無いのかも……。

 

「……大丈夫なんですか? その……話の流れからして、バーテックスが攻めてくるわけですよね? ただ隠れているだけで…」

「大丈夫さ。私達には歌野ちゃんがいるから……あの子がいてくれたら私達は何も怖くないさ」

「歌野ちゃん?」

「そうだよ。諏訪の勇者様の白鳥歌野ちゃん……お嬢ちゃん!? どこに行くんだい!? 危ないよ!!」

 

 勇者……この諏訪に! 私達以外にも勇者が!?

 

 お婆さんの家から飛び出して再び私は外を走る。会わないと……その勇者とやらに、何故滅んだとされているこの地が無事なのか確かめるために。

 おそらくその勇者はバーテックスと戦うはず。なら私もバーテックスを探せば自ずとそこで見つかるかもしれない。

 

『……!』

「っ、エイミー!?」

『……!』

 

 いきなり私のスマホからエイミーが現れる。さっきの夢のこともあって過剰に驚いてしまったけど、エイミーはまるで「ついて来て」と言っているかのように私の前を飛ぶ。バーテックスがいる所を教えてくれているのだろうか…?

 

 こんな所でもバーテックスと遭遇する目に遭うなんて……。内心愚痴をこぼしながらエイミーの後を走り、変身するためのアイコンを表示する。

 

 それをタップしいつもの勇者服を身に纏い……全てを理解した。

 

「………え? 何よこの力……うそでしょ……」

 

 私の頭の中にはとある情報が流れ込んでいる。今回で三度目となる、私の能力についての情報が……。

 

 一度目は初めて勇者になった時。その時私は時間停止能力を得た。

 

 二度目は延長戦。初めて満開を経験した次の戦い。その時変身した際に、時間停止能力の時と同じ感覚で頭の中に知識が流れ込み、爆弾を自在に生成できる新たな能力を取得した。

 

 最初は時間停止能力……満開をして、爆弾生成。

 

 満開することで、私は新たな力を獲得する。使い方を知るのは次に変身した時……。そして今、私は変身をした。先の激戦で満開をした私は、三つ目の能力を取得していた。

 

「そんな……それじゃあ私は……ここは…!!」

 

 私は知る由もなかったが、先の激戦の終盤で私は心臓を散華した。同時に満開も解除され、勇者としては他のみんなよりは非力な部類に当たる私はあの御霊の中に取り残される……太陽の如く灼熱を持つ御霊の中に。

 心臓の停止と、全身を襲う灼熱。精霊バリアのある勇者と言えど、それはあまりにも大きな苦痛を生み出すものであり、無意識の内に私はその対処を実行……早い話が、極限状態で力が暴発してしまったのだ。

 

 直前に得た第三の能力……それによって私は御霊の内部から脱し、飛ばされた。

 

 およそ三百年前の世界に……まだ滅びていなかった、この長野の諏訪の地に。その能力の名は……

 

 

 

時間遡行




【時間遡行】
 二度目の満開で会得した能力。暁美ほむらが望んだ過去と場所に彼女と精霊が瞬間跳躍する。この能力で移動した世界は直後に新たな世界線へと分離され、元の世界とは異なる平行世界として誕生する。








 現在から過去に跳ぶ能力であるため、元いた世界に戻ることはできない一方通行。


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第四十五話 「矜持」

 歌野イングリッシュって物語書いてると結構考えてしまいます。予想以上に難しい。


 辺り一面にうじゃうじゃと湧いて出てくるバーテックス。人間サイズなら簡単に飲み込めるほど大きな口と歯を持つ化け物であり、アレに殺されてしまった人々は数え切れない。

 一体だけの強さなら勇者一人でも簡単に倒せるし弱い。バット、これまでに私も何百体も倒しているのだけど、バーテックスの恐ろしさはその数にある。倒しても倒しても、バーテックスは大量に襲いかかる。私が鞭をスウィップして一体や二体倒しても、その間に三体、四体と同時にアタックを仕掛けてくるのだ。

 それだけではなく、コイツらは知性があるらしいのよね……。執拗に諏訪を守る結界をブレイクしようと仕掛けてくる。もし結界をクリエイトする御柱が無くなってしまえば、諏訪を取り囲む結界が消滅……唯一侵入できるここだけでなく、ありとあらゆる場所からバーテックスが雪崩れ込み、人々はあっという間にジェノサイド……。

 

 まさしくバイオレンス……パワーアップしている勇者だから仮に噛まれたとしても怪我で済むけど、死なないわけではない。バーテックスを前に倒れてしまったら残った奴らに一斉に襲われて、私を含む諏訪の人々はフィニッシュになってしまう。

 

「白いバーテックス……相変わらずえげつない数…」

 

 そんな雪崩れ込んできたバーテックスをまとめて吹き飛ばした、サドンリーな登場をした白紫の勇者は呟く。メラメラとファイヤーが地面を燃やし、真っ暗なスモークが立ち上る。私はそんな彼女からアイズが離せなかったし、夢にも思わなかったミラクルに心からサプライズし声も出なかった。

 オーマイガー、信じられない……そう思いながらも私は一歩ずつ彼女に近付いていった。

 

 諏訪の勇者は私一人だけのはず。そして諏訪の外にいる勇者は四国にいる私の友人、乃木若葉さん達()()。まさか彼女は乃木さんの仲間の勇者なのだろうか?

 とはいえ連絡が付いたのが彼女達だけであって、他の地域の生き残りがいるのかどうかは解らなかった。もしかしたら私達が知らない地域の生存者とも考えられる。

 

「あなたはいったい……」

 

 私の声が聞こえたのか、目の前の勇者らしき少女はこちらを振り向く。彼女の凛としたフェイスと紫のアイズは私を捉える。だけど彼女の顔色はなんだかバッド……青ざめている。

 

「……あなたがここの勇者でいいのかしら?」

「え…ええ……。あなたわあっ!?」

『~~~!』

「エイミー?」

 

 ブラックキャット? 謎の彼女の側からいきなり私にダイブしてきた。エイミーって名前を呼んだってことは彼女の飼い猫なのかしら? こんな所に連れてくるなんて危ないじゃない……。

 ただそのエイミーちゃん…だったわね、私にくっ付いて離れない。テールをブンブン振り回しちゃって……スゴいわね、まるで分身しているみたいにテールが二本見える。

 

「って、ホントに二本あるじゃない!?」

「……その子が見えているなら、間違いないわね」

「う、うたのーん!」

 

 アンビリーバボーなサプライズの最中、みーちゃんが私達の元へダッシュして近づいてくる。普段なら諏訪の人々と一緒にここから離れた所で私の無事を祈るみーちゃんだけど、今回は激戦続きでしかもおそらく人生のラスト。御柱のある上社本宮で、私のすぐ後ろで見守ってくれていた。

 そんな中現れた、バーテックスをエクスプロージョンした謎の彼女。いてもたってもいられなかったんだって私にはよく分かる。だって何もかも分からないことばっかりなんですもの。

 

「みーちゃん! このキャット、テールが二本あるわ!」

「気になる所そこなの!? 尻尾が二本って……ホントだ……って、そうじゃなくて、あのひゃあ!!?」

「あら、今度はみーちゃん?」

「え…?」

「ちょっ、なにこの子…! あははは! やめ…くすぐったい…!」

 

 みーちゃんが彼女に何やら言おうとすると、エイミーちゃんがみーちゃんのフェイスに飛びついた。みーちゃんの柔らかいほっぺに頭をスリスリ……みーちゃんがキャットと戯れているなんて、こんな可愛らしい光景がもう一度見られるなんて…!

 

 だけど飼い主さんである彼女がやや驚いた様子で、みーちゃんからエイミーちゃんを慣れた手付きで優しく引き剥がしてしまう。あ~ん、もっと見たかったのにー!

 

「……あなたも、この子が見えるの?」

「え? 見えるって……この猫ちゃんのことですよね…? それってどういう…」

「いえ、別に気にする必要はないわ。ただ、あなたも勇者なの?」

「い、いいえ…! 私は勇者じゃなくて巫女です……」

「巫女……そう……ごめんなさい、この子かなり人懐っこいのよ」

『~♪』

 

 ……悪い人じゃなさそうね。さり気ない気遣いができているし、キュートなキャットに懐かれているもの。

 ……って、大事な事を忘れてた。彼女は何者なのだろうか? みーちゃんも安心していいのか悪いのか、どっちか分からない不安げな表情をしている。

 

「あなたは…勇者なの…?」

「ええ……話をする暇はないけど」

「……そのようね…!」

 

 彼女は首を捻って少し変わった角度で見返る。私もその視線の先を見て、鞭を握る手に力が入る。

 彼女が吹き飛ばしたバーテックスだが、それだけでは仕留めきれない程たくさん残っている。なんたってこれは今までにないバーテックスの総攻撃。朝からずっと戦い続けているのに終わりが見えない。私の身体の至る所に傷ができてるし、今にもダウンしてしまいそうなほど疲れているのによ……。みーちゃんや諏訪のみんなの支えが無ければとっくに死んじゃってるわ。

 今にも私達目掛けて突っ込んで来そうなバーテックスが見えるし、それはあと十秒程度で結界に突入するだろう。信じれるかどうかはともかくだけど、今この場にはもう一人勇者がいる。一縷のホープを抱き、私は彼女を信じることにした。

 

「あなたを勇者と見込んでお願いがあります! 私と一緒に戦って、諏訪のみんなを助けてください!!」

「わ、私も…! お願いします!」

 

 深く頭を下げて、名前も知らない彼女にプリーズする。一瞬でバーテックスの一群を吹き飛ばした彼女のヘルプがあれば……もしかしたら、私もみーちゃんも諏訪のみんなも、無事にアライブできるかもしれない!

 

「……正直私には関係無いし、こんな来たばかりの所で犠牲を覚悟する筋合いも無い」

「え……」

「ただし、手を伸ばせば届くかもしれない人々の命を見捨てるなんて選択肢は最初から持ってない……。私の勇者部としての誇りと矜持を、手放したくないもの……」

「っ、それじゃあ…!」

「その依頼、この私が引き受けたわ」

「あぁぁ……! サンキューソーマッチ…!!」

 

 ヘルに仏は居た……! 一瞬断られるかと思ったけど、彼女の()()としてのプライドが私達を見捨てないと……。そう言ってくれて先の見えなくなった真っ暗なダークの中に、眩い光が照らして閉ざされた道を現した瞬間だった。

 

 そして彼女の両手が淡く光ると、そこに何やら細長いマテリアルが現れる。それを迫り来るバーテックスの群れ目掛けて砲丸投げのようなスタイルで二つともぶん投げた。二つの大きな放物線をドローイング……飛んでいったそれらは、それぞれバーテックスにぶつかり……

 

ドゴオオォン!!!!

「ワワワワッツ!!? 何今のボンバー!!?」

「……何よその緊張感の無い英語、アメリカ人なの?」

「す…すごい威力……近くにいた他のもまとめて倒した……!?」

 

 空中で大きなエクスプロージョンが二つ巻き起こる。みーちゃんが言うように、そのエクスプロージョンは他のバーテックスをも巻き込んで、奴らを一瞬で燃やし尽くして消滅させた。さっきバーテックスを倒したのもコレなのね……。私は鞭で一体一体をピンポイントに仕留めるけど、彼女は広範囲を一気にボム!ってわけね……。

 

「さて、あと何度放り投げれば終わるのかしら…………チッ、面倒な事を…」

 

 ただ、やはりバーテックスはラーニングする。三度もまとめて吹き飛ばされたバーテックスは、今度は密集しないでバラバラに散らばって襲いかかって来た。

 

「みーちゃん下がって!」

「う、うん! 死なないでね、うたのん…!!」

「見守っててね、みーちゃん!」

「あなたも下がってていいわよ。既に傷だらけじゃない」

「気持ちだけで十分! ここは今まで私達が過ごして守ってきた大切な居場所なの。何があっても諏訪の勇者として、ラストまで守りきるわ!」

「そう……勇者というものはどこも同じなのね」

 

 そう言って微笑を見せる彼女は、さっきまでほんの少しだけ抱いていた不安を吹き飛ばす優しさをフィールする。

 

「エイミーちゃんもみーちゃんと一緒にゴーしてどえええええええ!?!?!?」

「今度は何?」

「なななななななああああ!?!?」

「騒がしい人ね…」

 

 震える指で、私は彼女の周りを浮かんでいるエイミーちゃんを指してアピールする。彼女は全く気にする素振りを見せない所か、口がパクパク、心臓がバクバク動いてる私に溜め息を吐く始末……目の前でキャットが空を飛んでいたら誰でもノイジーにもなるわよ!! ウィングも無いのにふわふわ浮かんでいるエイミーちゃんを見て目玉が飛び出すのかと思ったわ!!

 

「どうしてキャットが空を飛んでるの!? ホワーイ!?」

「……猫じゃなくて猫又の精霊よ、この子は」

「せ、精霊……? よく分からないけどスゴいわね。ファンタジーだわ……!」

「本当に緊張感の欠片も無い人ね、あなたは」

「そんなことないわよ。ただ安心しちゃっただけ♪」

 

 自分でそう言って、「あれ?」と気づく。身体が軽い……物理的とかそういう意味じゃなくて、私のマインドが。

 

 ……ああ、そっか。本当に安心してるんだ。今までずっと一人で戦ってきた。みーちゃんのヘルプと、四国にいる乃木さん達の存在が支えだったから孤独なんかじゃなかった。

 でも私が倒れてしまったら、みーちゃんや諏訪のみんなの命が失われてしまう……そんな事態に絶対にさせないために全力を尽くしてきたけど、プレッシャーはとても大きくていつも恐かったのよ。私の大好きなみんなの命は私一人の肩に掛かっているんだから。

 

 でも今私の隣には、一緒に戦ってくれる人がいる。よく知らない人だけど、私と同じ諏訪のみんなを助けるためにデンジャーな戦いを引き受けてくれた。

 

「お喋りはここまで。続きは奴らを殲滅した後よ」

「オーケー! だけどあともう一つだけ!」

 

 彼女の手元には再びさっきのと同じ物が現れる。何もない所からどうやって出しているんだろうって不思議に思うけど、彼女の言うようにそれは後から聞くとしましょう。

 

 救いがないと思われたこの世界で、ホープはまだ失われてはいなかった。私達の夢はまだ、フィニッシュじゃない……。

 

「私は諏訪の勇者、白鳥歌野! よろしく!」

「……同じく勇者、暁美ほむら。準備はいいかしら、白鳥さん」

 

 バーテックスが間近に迫る中行われた自己紹介。暁美ほむらさん、か……最高のミラクルだけじゃなくて、面白い偶然もあるものね。

 

 暁美さんがボンバーを投げつけ、私達の命運を懸けたバトルのスタートとなるエクスプロージョンが巻き起こる。さっきとは違ってバーテックスは分散していたから、全部まとめて倒せてはいない。

 

「やあっ!」

 

 暁美さん一人に任せるつもりはない。ジャンプして彼女が仕留め損ねたバーテックスを叩く。今のスモークがちょうどいい目眩ましにもなり、向こうが避ける前に鞭が当たる。

 続けて私を狙って噛みつこうとするバーテックスも鞭で叩く。正面にいる奴らを集中して倒していき、死角から邪魔する奴らはほとんどいなかった。

 

ドォン!!ドォン!!ドォン!!! 

 

 私の後ろから間髪入れずに響く爆発音。歌野イヤーが働き尽くしのスゴい音で、私をバックアタックしようとするバーテックスが倒されてることが分かる。あんなにたくさんいたはずのバーテックスが、実際私が倒してくのはその内のハーフぐらい。しかも常に360度、オールレンジを警戒する必要がない。私は一人で戦っているのではなく、心を守ってくれるみーちゃんに加えて、背中を守ってくれるパートナーがいるのだから。

 

「ナイスよ暁美さん!」

「安心するのはまだ早いわ! 次が来る!」

「ああもぉーー!! せっかく倒したのにぃ!」

 

 総攻撃って言うだけのことはある。またまたさっきと同じぐらいの数のバーテックスが湧き出て来てしつこく私達と御柱を狙ってアタックする。

 

「白鳥さん! 上に跳んで!」

 

 言われるがまま真上にジャンプし、さっき私がいた所に彼女のボンバーが投げ込まれる。私を襲いかかろうとしていたバーテックスはそのエクスプロージョンで吹き飛び、私は上空から迫る奴らを鞭で討つ。

 

「暁美さん、後ろ!」

 

 無理に身体を動かして怪我が痛んだけど、仲間に迫る危機を目にして声を上げる。彼女の背後から大きな口を開くバーテックスに気づき、左腕のシールドで顔面を殴打して噛みつきを逸らしながら、反動を利用して距離を取る。その場にボンバーのプレゼントも忘れずに、彼女も危機を回避して返り討ちにした。

 

「サンキュー、暁美さん!」

「お互い様」

 

 彼女の後ろに着地して、二人で次々にバーテックスを倒していく。何度か危ない攻撃もあったけど、私達のチームプレイで打ち倒していった。

 

 ようやくバーテックスの数も減り始め、おそらく次がラストであろう一群が迫り来る。だけどそのバーテックスの中には、そいつらとは違う形をした個体がいくつか紛れ込んでいた。

 

「っ! アレはマズいわね……!」

 

 何体ものバーテックスがフュージョンしてできた『進化体』と呼ばれるバーテックス。当然これまで私達が倒してきた白いのより強さは桁違い。

 今まで戦ったことも倒したこともあるけど、倒すのに苦戦したし一体だけが相手だったからだ。それが目の前に……三体も……! 暁美さんがいるとはいえ、これはかなり厳しいわ……。

 

「……あれは天秤型と山羊型と……牡牛型…かしら?」

「暁美さん、あの進化体と戦ったことが?」

「……ええ、まあ。特にあの鐘が付いてる緑っぽいのは厄介だったわ」

「厄介……でも勇者が二人いれば! コンビネーションアタックよ、暁美さん!」

「その必要はないわ。あの三体は私一人でやる」

「え?」

 

 小型バーテックスを倒しながら、「ジョークでしょ?」という視線を彼女に向ける。暁美さんはこっちを見ないけど、私の言いたい事が伝わったみたいで私の懸念を否定する。

 

「戦ったことがあると言ったでしょ。あなたは雑魚バーテックスの相手をして頂戴。片付けたらすぐ戻ってくる」

「すぐ戻るって……随分イージーに言ってくれるわね……」

 

 でも小型だけなら優勢に戦えている中、進化体が混ざれば苦戦は間違いない。暁美さんのボンバーは明らかに私の鞭よりもパワーがあるし、進化体相手にも通じるだろう。

 ……大丈夫。暁美さんの言葉を信じましょう。諏訪を守るためにはそれがベスト。彼女を邪魔する小型バーテックスが現れないよう、私は私の務めを果たすのよ。

 

「頼んだわ、暁美さん!」

「………もう……倒したわ…」

 

ドドドゴゴオオオオオォォンンンンンン!!!!!

 

「え……ええええええええええ!!!?」

 

 進化体がでエアレイドでもあったのかと思えてしまうほどのエクスプロージョン……ものすごいスモークで全く前が見えなくなくて、開いた口がシャットしない。ようやく見えてきた頃には、恐怖の権化のはずの進化体バーテックスが三体ともボロボロで消滅しかけていた。あまりに大きな規模で、進化体の近くを漂っていた小型バーテックスもそれなりに巻き込まれて消えている……。

 

「ななななななななにをやったの!!? いつあの進化体にアタックしたのよーーー!!?」

「流石に……満開したその日の内に…あの数の爆弾は無理がある……っ!」

「え、ちょっ…暁美さん!?」

 

 ガクッと膝を突く暁美さん。その顔は明らかに疲労困憊……まさかよく分からないけど、今のとんでもない爆撃でかなり無理をしたとか…!?

 

「使ったばかりでもう満タンになるとか、笑えないわよ……!」

「暁美さん! 大丈夫なの!?」

「くっ、平気よ……! 人の命がかかってるのよ……もう一踏ん張りぐらいできる!!」

「……っ、あなたが作ってくれたチャンス、無駄にはしないわ!!」

 

 何はともあれ、残るは弱い小型バーテックス数十体! 乗り越えられたら私達がウィナー……みーちゃんも、諏訪のみんなも助かる。四国にいる私達の仲間に出会えるチャンスも……私達の夢が未来に繋がることも……。

 

「だから! 負けてたまるかぁああああああああ!!!!」

 

 ラストスパート。朝からの連戦による疲労と怪我の痛みでもうグロッキーだけど、私の身体に鞭打って咆える。暁美さんも私に応えるよう立ち上がってボンバーの投擲を再開した。

 

「やあああああああああああっ!!!!」

 

 右手が動かせなくなるほど鞭を振り回しても、それでも私達は止まらない。左手に持ち替えてがむしゃらに私達の敵を倒し続ける。

 リミットオーバー……ただ単純に明るい未来をこの手に掴み取るため。愛する人達の笑顔を、これからもずっと見たいから……。

 

「これで……フィニーーッシュ!!!!」

 

 グリップを握る手に最後の力を込めて振り下ろす。その鞭がバーテックスの肉体にめり込み、真っ二つに両断。それらが光になって消滅し、ここにいるのは肩で息を吐く私と地面に両手を突いて倒れ込んだ暁美さんのみ。諏訪を滅ぼさんとしていたバーテックスはどこにも見えなくて、暁美さんのボンバーで発生したスモークやらファイヤーしかない。

 

 私達は……

 

「うたのん! うたのーん!!」

 

 向こうからみーちゃんが両目に涙を浮かべながら駆けつけて来る。そのまま私をギュッと強く抱き締めて……温かい……。

 

「みーちゃん……私達…生きてる……?」

「生きてる!! 生きてるよ!! 私もうたのんも、諏訪の人達も!!」

「……リアリー…?」

「……こんな所で死ぬなんて、死んでもごめんだわ」

「……暁美さん、その言葉おかしくない?」

「……ここで終わるのが…嫌なだけよ。私の墓場はここじゃない」

「………ふ…フフフ……アハハハハ……!」

 

 ………生きている。そう実感すると私の目から大粒の涙が溢れ出てきた。同時に笑いも……勝手に出てきて一瞬自分がおかしくなったのかと思った。

 

 今回ばかりは絶対に死ぬんだって思ったのに。乃木さん達に「後はお願いします」という言葉と手紙やらの遺言、遺品も残したのに。

 農業王の夢なんてもう叶わないと思っていたのに。みーちゃんの宅配屋さんになって、私の野菜をたくさんの人に届けたいって夢を聞いて最高の気分だった。それが叶わないものだとしても……。

 

「諦めないで……いいんだ……! 私達の夢……!」

「うん……うん…!」

「……そう、良かったじゃない」

 

 みんな生きている。みーちゃんも、諏訪のみんなも……私達、守りきれたんだ……。

 

 

「…え?」

「みーちゃん…?」

『………!!』

「…エイミー…?」

 

 暁美さんの側にいきなりエイミーちゃんが現れる。もうツッコまないわよ?

 ただ、エイミーちゃんは何かを必死に暁美さんに伝えようとしているみたいに慌てていて、彼女の手を前足で挟んで引っ張ろうとしている。まるでこの場から避難させようとするみたいに……。

 

「うたのん! 神託が……バーテックスがあと一体残ってる!!」

 

 そして、私達のいる地面が大きく揺れ動く。

 

「きゃあっ!」

「んなっ!? ワッツ…! 地震…!?」

「……この地震……っ!? 白鳥さん!!」

 

 何かに気づいた暁美さん。彼女は疲労困憊でまともに動けない身体で私とみーちゃんに飛び付き、庇うように抱き締める。そのままゴロゴロと三人で地面をローリングし離れて、私も気づく。何か異常な事が起きている……それは轟音と共に、さっきまで私達がいた地点を突き破って現れた。その衝撃で私達は吹き飛び倒れる。暁美さんが庇っていなかったら、アレに巻き込まれて私とみーちゃんは……!

 

 今までのどのバーテックスよりも巨大な個体。どの進化体よりもヤバそうなプレッシャーを放つ、間違いなく今まで見てきたバーテックスの中で危険な奴が……。

 

 こいつはもはや『進化体』ではない。バーテックスとは頂点という意味がある言葉……目の前のそいつはまさしくその言葉にふさわしい『完成』した個体。

 

「魚型…!?」

「なっ…!? やめろぉおおおおおお!!!!」

 

 その巨大なバーテックスは地面を突き破って現れた勢いのまま空を舞う。重力に従って落下し、そこにあるのは御柱……諏訪を守護する結界を作り出す、私達の守りの要。それに巨大バーテックスがその巨体のまま落下し、御柱に直撃する。

 

 粉々に砕け散る御柱。その瞬間諏訪を守ってきた結界が完全に消滅した。落ちた巨大バーテックスの一部が上社本宮を潰し、結界の効力が本当に無くなってしまったことを私達に突きつけられる。

 

「そんな……結界が壊されるなんて……」

 

 結界があったからこそ、今までバーテックスの諏訪への侵入を阻止できていた。仮に結界が最初からなければバーテックスはあちこちから侵入し、人々は次々に蹂躙され死んでいく。

 総攻撃を止められたとして、バーテックスの諏訪への進行は終わったわけじゃない。次に襲撃があった時、規模の大小関係なく諏訪の人々の犠牲は確実だ……。

 

 ……いや、それ以前に次があれば……。あの巨大バーテックスは再び跳び上がろうとしている。それも諏訪の内部に向かって……。私も暁美さんも、力は全部使い果たした。もうまともには戦えない。仮に残っていたとしても、あんな化け物に敵うかどうか……。

 

「……使わなくて済んだと思ったのに……!」

「え?」

「暁美さん…?」

「最初で最後よ。余所で代償を払うのは……!」

 

 残念無念な形相で打ち震えるのは暁美さんも同じ……だけど根っこの部分は私とみーちゃんとは全然違う。私達が感じていたのは絶望……暁美さんはどうしてもやりたくなかった事をやらざるを得なくなった、未練しかないどうしようもない怒り。

 

「満開!!」

「!?」

 

 彼女が叫ぶと共に、どこからかミステリアスな光が暁美さんに集まってくる。まるで咲き誇る一輪の花のように儚くて美しい……荘厳な輝きと力を放つ。

 真っ白なウィングと漆黒のアロー。それらを携えた彼女は舞い上がり、巨大バーテックスに接近し武器を構える。紫の光が集い矢を形作る。それはみるみるうちに大きく、強大になる。

 

「消え失せなさい! シューティング・スタァァァーー!!!」

 

 辺りを包み込むほどの眩いフラッシュが巨大バーテックスのゼロ距離から放たれる。その大きな光の矢は、その巨体を浮かして呑み込み空高く舞い上がる。一筋の残光が曇りきった空を照らし、雲を突き抜け日の光が差し込んだ。

 

「……倒した…の…?」

「すごい……あの人…何者なの……」

 

 絶望のシンボルだった、完成体バーテックス。それはたった一人の勇者によって打ち倒された。そしてそれにより、この諏訪への総攻撃にピリオドが打たれる。

 

 怪我人二名、建物の被害数軒、そして犠牲者は0。私達の勝利で幕を下ろすけども、この戦いで諏訪の結界は破られた。もう二度と土地神様は力のない人々を守れない。その事実だけが、私達の心に大きなシャドウを落とす。



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第四十六話 「不安」

「これで……よしと」

「うん、オッケー。全然痛くないわ! ありがとう、みーちゃん!」

「……そっか。よかったよ、うたのん……」

 

 みーちゃんに傷の手当てをしてもらい、満面のスマイルでお礼を言うけど暗い顔で俯かれてしまう。やっぱり私が無理して明るくしようとしているのがバレてるんだわ。

 私達を包み込むヘビーエア。生命線そのものである結界を破られて、私達を待ち受けるデスティニーとはなんて酷いものなのだろうか。

 

「……これからどうするの?」

「……わからない……みーちゃん、今後の襲撃はどうなの?」

「総攻撃は終わったから、今は諏訪の近くにバーテックスはいないよ。でも……結界が存在しなくなったから、外を漂っているバーテックスが諏訪のどこかから侵入するのは時間の問題だよ……」

 

 みーちゃんの言うそれは限りなく最悪に近いケース。僅かな時間があるかないかの違いだから、本当に大差なんてないけど。

 今までは御柱をブレイクするために、その一ヶ所を狙って大量に雪崩れ込むのが当たり前だったけど今後はそうじゃなくなる。バーテックスは諏訪の至る所から中へフリーパス同然に侵入できるようになり、一点集中から諏訪全域へのアタックができるようになった。その結果生み出されるのはまさしく三年前の悲劇のリターンだ。

 

「……とりあえず、まずはここから離れて暮らしてる人達に集まってもらわないと。遠すぎてちゃ助けに間に合わないものね」

「そうだね……」

「……みんな……怖い思いをするわね……」

 

 諏訪の人口は数千人どころか数万人にも及ぶ。その一人一人を私は救いたい。誰も死なせたくはない。

 だけどこのまま、明日にもなれば、侵入してくるバーテックスに殺され始める。私の手の届く所ならまだなんとかなる……逆に言えば、そうでない人はそこで死んでしまう。そして近いところにいようとも、一ヶ所に数万人を密集させ続ける事も現実的ではない。人々をいくつかに分けてもそれらが同時に襲われてしまえば、戦える人間が私や暁美さんだけでは助かる命もそうでない命もある。

 

 つまりこれからは人々の犠牲は確実……。街だって破壊されて、私が守りたかったものは何もかも……。

 

「……みんな…助かったと思ったのに……!」

「うたのん……」

「聞いてない……! なんであんな…化け物サイズのバーテックスが出てくるのよ……うぅぅ……!」

 

 希望を見いだした途端にだった。諦めかけていた夢を手にしたその瞬間に、それを粉々に砕いたバーテックスが憎い。諏訪の勇者なのに、アップダウンの現実がショックで屈している自分が情けない。

 

 みんながこんな世界でも私を信じて頑張ってきたのになんてザマよ……。これから先もみんなを守りきる意思は無くしてはいない……無くしていいわけがない。

 だけどどうレジストした所で、犠牲者は必ず出てしまう状況が出来上がってしまった。戦いがスタートする前には、「誰が犠牲になるのか? 自分が犠牲になるのか?」なんて恐怖を抱き続ける。戦いがフィニッシュする度に生き残った人々は、「あの人が犠牲になってしまった。次は自分かもしれない」なんて絶望に包まれる。

 

 そして私は永遠に苦しめられるだろう。私の手からこぼれ落ちる命は日に日に増えていく。元々バーテックスと戦うのは怖かった。ただ怯えて何もできず、目の前で人の命が失われるのはもっと怖かったから戦った。その努力がこれから全部ムダになると分かりきっている。どうしようもない絶望感に涙が流れてくる。

 

 みんなまるで死刑囚よ……。迫り来る命の危機に元気いっぱいの子供達も、そんな彼らを優しく見守る大人達も、みんなが毎日を怖れながら過ごしていくなんて……。

 勇者として力ある私は一番近い所からそれらを見る。悲しみも、怒りも、恐怖も、絶望も、何もかもラストまで……大好きな人達がみんな死んでしまうまで。

 

「泣かないで、うたのん」

「っ、みーちゃ…」

「うたのんが悔しくて泣いちゃうのなんて、初めてだね……」

 

 みんなが苦しみながら死んでいく姿、目の前のそれを救うことができない自分の姿をイメージしてしまい、ディープに落ち込んでいる所をみーちゃんにハグされる。みーちゃんにハンカチで涙を拭われるエクスペリエンスなんて初めてだ。

 

「うたのん……どんなに辛い目に遭っても、人は必ず立ち上がれる……諏訪の人達みんなの合言葉、これはうたのんがみんなに教えたんだよ。希望を持たないまま、怯えながらバーテックスに殺される時を待つだけだったみんなをうたのんが変えてくれた。だから、これからもできる所までは私達みんなで一緒に頑張ろう? ねっ?」

「…みー……ちゃん……みーちゃん……みーちゃん…!!」

「あの時にも言ったけど、最後までずっと一緒だよ…うたのん。あなただけに辛い思いはさせないからね」

 

 子供みたいに泣いて、こんな結末になってしまった事を悲しむ私とは違って、みーちゃんは恐怖を私に見せようとはしなかった。

 私が泣くのはやっぱり珍しいからかしら……だからみーちゃんは余計に私が苦しまないよう、自分は泣かないで慰めてくれるのね……。

 

「……ごめんね、みーちゃん……もう少しだけ…このままでいさせて……! そしたら私…また頑張るから……! いつもの私に戻るから……!」

「仕方ないよ。うたのんだって女の子なんだから、不安な時には泣いたっていいんだよ……。信じてるよ、うたのん。私達の勇者様……」

 

 みーちゃんに縋り付いて、これから訪れるであろう絶望に涙する。これまで私が一番恐れていた、諏訪の人々を守りきれないまま死なせてしまう未来。全員アライブの希望から一気に落とされてジェノサイドの絶望……あのバーテックスは絶対に許さない。暁美さんが倒してくれたけど、私が死んでも怨み続けてやる……!

 それでも泣いて悲しんだり悔しがるのはこれがラスト。どん底にいたとしても、私達は立ち上がる。それが諏訪の勇者としてのプライドで、支えてくれるみーちゃんやみんなに応えたいから。

 

 もう一度奇跡を願う。今度こそみんなが本当に助かる道を見つけてやる!

 

「……ふぅ………勇者、白鳥歌野!! ここにリバイバル!!!!」

「うひゃあ!? う、うたのん…! 耳元で叫ばないでよ!」

「あ、ソーリーみーちゃん。それとサンキューみーちゃん。私まだまだ諦めないわ!」

「うたのん……うん、それでこそうたのんだよ」

 

 私は私らしく、白鳥歌野として戦う。それを忘れちゃいけない。

 暁美さんがいなかったら間違いなく一度や二度は失っていたはずのこの命。何が何でも私自身を貫いて、今度こそホントのホントにみんなをハッピーにする。じゃないと彼女にも失礼だものね。

 

「……そういえば、暁美さんは大丈夫なのかしら?」

「……あの勇者の人の事だよね?」

 

 ……ショックが大きすぎて大事な事が抜けていたわね。さっきの戦いで私達を助けてくれて、大盤振る舞いの大活躍をしていた暁美さん。どうやら彼女は相当な無理をしながら戦ってくれてたみたいだった。

 

 暁美さんは憎き巨大バーテックスをぶっ飛ばしたあの場所で倒れていた。不思議なことに、彼女の姿はそれまでの勇者のバトルスーツではない見知らぬ制服を着ていたけど。彼女に着替える時間も体力もあったとは思えない。実にミステリーな現象だったわ。

 疲労や傷の痛み、不安を感じながらみーちゃんに肩を賃りて彼女の元に近寄って……とてもビックリした。一瞬死んでるんじゃないかって勘違いしたもの……。

 

 彼女のフェイスはそれこそ死人みたいに真っ白だった。それ以外にそんな白い顔なんて見たことがない。慌てて彼女の手を取って、それで確信しかけたもの……「死んでる」って。

 

 私がタッチした彼女の手は恐ろしいほどにコールド……生きてる人間とは思えない、体温の無い死人レベルの冷たさに思えた。血の気が引いて彼女を揺さぶって、そしたら普通に返事が返ってきてまたビックリ。

 

 彼女はちゃんと生きていたのよ。呼吸していたし、具合はバッドだったけど意識はあった。私達は大袈裟だったわね……倒れていて体温が低いからって勘違いして、恩人を死人扱いは今思い返せばとても失礼だったわ。

 

 その後はみーちゃんが大人を呼んで、車で私達を診療所に運んでもらって今に至る。暁美さんはかなりきつそうだったから、診療所のベッドでぐっすりスリープしてるはず。

 ただ彼女、大人達が看病するって言ってたけどそれを断っていたのよね……。有無を言わさず部屋に入る人を追い出したらしい。

 

「うたのん、あの人って何者なの? 勇者みたいだけど、この辺りに他の勇者がいるなんて土地神様から聞いたことないよ」

「私もまだ名前しか聞いてないのよ。暁美ほむらって名前ですって。こんな面白いことがあるなんてね」

「えっ、それ本当? 勇者で、暁美ほむらさん……面白いっていうより、そんな珍しいことあるんだ……」

 

 ホント、彼女に関して分からない所がいっぱいあるわね。彼女は一体どこから来たのか? 彼女が連れていた精霊と呼ばれる生き物は何なのか? あの巨大バーテックスを倒した力は何なのか? その他にももっとたくさん、特に、彼女以外にも他の勇者がいるかどうかを知っていれば是非教えてほしいものだ。

 

「私、ちょっと様子見てくるよ。うたのんも怪我してるんだから、しばらく休んでて」

「……そうね。お願いしてもいいかしら」

 

 みーちゃんからの提案に、私もそうしてほしいと考えた。彼女が看病を拒んだとしても、やっぱりあんなに弱ってしまっていては心配だ。

 私も様子を見に行きたい所だけど、こっちもそろそろ限界……朝からずっと激戦を続けていたから休んでいいなら休みたい。といっても、今後の事もあるから一時間ぐらいの仮眠しかできないわね。

 

「向こうで問題がなければすぐに戻ってくるけど、うたのんはゆっくりしててね」

 

 何だかみーちゃんがいつにも増して頼もしいわね。これからが怖いのはみーちゃんだって同じはずなのに、泣いちゃったのは私の方なんてちょっと恥ずかしいかも。

 みーちゃんが部屋から出て、私一人になってサイレントに包まれる。ベッドに横たわって、みんなを助けるためにはどうすればいいのかシンキングする。

 

「暁美さんにも手伝ってもらって、トンネルやら地下やら作れば何とかなるかしら? でもみんなにそんな窮屈な場所にずっと閉じ込めて、それでいいとは思えない……」

 

 私が守りたかった日常も失われてしまう。農業で自給自足をしてきた私達だからこそ、地下暮らしなんてしようものならみんなのメンタルが保たないかもしれない。

 

 かつての希望だった、四国からの助けが来るとも限らない。最初は四国にいる勇者達と協力して土地を奪還すると伝えられていたけどそれはフェイクだった。私達は囮……四国が万全の態勢を整えるための、必要な犠牲として見なされていた。

 

 その事は別に恨んでなんかいない。それで世界が救われるのなら、私の命は十分役に立ったんだって思えたから。

 もしその準備とやらが早めにフィニッシュしていれば、土地の奪還作戦に移ってはいただろうけど、たらればの話に意味はない。きっと向こうには諏訪は壊滅したって思われてるだろうから。

 

 大体彼女達が私達を見捨てるつもりなんて無かったことは分かりきっている。なんたって彼女達と私達は友達なのだから。

 

「……きっと今頃悲しんでるわよね……ごめんなさい、乃木さん、まどかさん」

 

 思いを馳せて浮かび上がる、四国の勇者の一人、乃木若葉さん。そして乃木さん達勇者のお目付役となった二人の巫女の内の一人、鹿目まどかさん。

 

 通信でしかトークしたことがなく、お互いに相手の顔も知らない。それでも間違いなく彼女達は私達の仲間であり、掛け替えのない友達だ。

 みーちゃんもまどかさんとのトークは随分と弾んでいた。同じ巫女同士通ずるものもあったみたいで、ちょっとだけまどかさんにジェラシーしてしまったのはみーちゃんにはシークレット。

 

 楽しかったわね……あの頃は……

 

『うどんうどんうどんうどんうどん!!』

『蕎麦蕎麦蕎麦蕎麦蕎麦!!』

『さっきまで全く関係ない話してたのに今日も始まっちゃったよ……うたのんと乃木さんのうどん蕎麦論争……』

『どっちも美味しいじゃだめなのかな……?』

『『駄目に決まってるだろう(でしょう)!!!!』』

『ひゃいっ!?』

『大体まどか! お前は香川県民だろう! 一体何を迷う必要がある!? うどんの美味しさも素晴らしさも知り尽くしているだろう!?』

『で、でもわたし、生まれは香川県じゃないから昔からお蕎麦も食べてて……』

『フッ、決まりましたね。うどんなんて所詮は県民であるまどかさんのハートを射抜けない軟弱な食べ物なのですよ!!』

『うたのん、まどかさんはうどんのことが嫌いとは言ってないからね? 美味しいって言ってるからね?』

 

 四国との通信は勇者としての御役目の内の一つだった。真面目な仕事だから私の好きな英語も控えて丁寧語で通していたけど、その通信は私達の友達がいることを改めて知らしめる。いつしかみーちゃんとまどかさんも巫女同士の通信をやり始めて、やがて……それが私達勇者同士の通信と合わさって……四人で友人間の通信に……

 

 

農業王の夢 Dream

 

『あなたが何と言おうとも……乃木さん。この時点で蕎麦党二人、そしてうどん党はそう、あなた一人しかいないのですよッ!!』

『ぬあああああああああっっ!!!! まどかァ!! 宣言しろ!! お前がうどん党の一員であることを、この場で認めるんだぁあああああ!!!!』

『……若葉ちゃん……ごめんね』

『……まどか……?』

『……わたし、蕎麦党になる』

『ぬあにぃいいいいいいいいいい!?!?!?!?』

『フーハハハハハハハ!!! ようやく墜ちたわねうどん党!! 蕎麦党の進出をブロックする邪魔者はもういない!! 今日日、蕎麦党は世界へと羽ばたくのだ!!』

『『『蕎麦党万歳!! 農業王万歳!! ホワイトスワンは世界一ィィィ!!!』』』

『見よ! バーテックスが撤退していく。世界は蕎麦によって新しく生まれ変わるのだ。これ即ちそうッ! ラブ&ピース!』

『ははぁー! 素晴らしい御慧眼に脱帽です! 我々一同誠に感動致しました! 人類史上最大の偉業達成に立ち合えるなんて身に余る光栄です流石です農業王様チュンチュン!』

『蕎麦は味わい深い香りを堪能するまさしく令嬢の嗜み。農業王様、わたくしめの用意した新鮮な蕎麦粉を用いた超高級手打ち蕎麦、是非ご賞味くださいまし。これアルフレッド、アルフレッード! 農業王様に超超超高級蕎麦の準備を!』

『革命……蕎麦の侵略や……。世界が蕎麦に支配される……ラーメンどこ……ラーメン……まどろっこしいんだよぉ!! ラーメンだって中華蕎麦って言うだろうが!! 同じだ!! 蕎麦を食うって事はラーメン食うのと同じなんだよぉ!!!』

『あなた達どちら様?』

 

 

 

 

「………はっ!? いつの間にか寝落ちしてた! 過去の楽しかった思い出が、途中から私にとって都合のいい世界に改変されていたわ!」

 

 図らずもぐっすりスリープできたわ。時間も気がつけば一時間は過ぎている。疲れも少しはマシになったしもう起きよう。いよいよ本格的にプランを考えないと……って……

 

「……みーちゃん?」

 

 部屋を一周見渡すけどみーちゃんがいない。トイレかしら?と思ったけど、それから五分十分経っても戻る気配が無かった。

 暁美さんの様子を見に行って、問題がなければすぐに戻るって言ったわよね? それなのにここにいないってことは、まさか暁美さん、結構マズいんじゃ……!

 

「そんな……そんなの勘弁してよ……!」

 

 暁美さんは元々無関係の人だ。それを私達の戦いに巻き込んで、一方的に助けられて、結果彼女にだけ何かあったら謝ってもし足りない。

 急いで部屋を出て暁美さんが休んでる部屋に向かう。焦る気持ちをなんとか抑えながら、その部屋の前まで辿り着く。

 

「っ、暁美さん、みーちゃん、大丈夫…!?」

 

 ドアをノックしながら二人に向けて声をかける。

 返事は返ってこない……?

 

「入るわよ!」

 

 キーは掛かっていなかった。それどころか返事が返ってこないというありえない事態に更に困惑していた。まぁ暁美さんがまだ眠っていて、みーちゃんがたまたま席を外しているかもしれないし……そんな考えは部屋の中を見た瞬間消え失せた。

 

「なに…これ……!?」

 

 そこには誰もいなかった。そして、物も無かった。この部屋で休んでいるはずの暁美さんも、彼女がスリープしているはずのベッドも、デスクも棚もチェアーも何もかもが無い空き部屋と化していた。

 部屋を間違えた……なんてありきたりな考えは思わない。この診療所にはベッドすらない空き部屋なんて存在しないもの。あるはず物が無くて、いるはずの二人の人間がいなくなっている。

 

 あまりにも想定外の事態に背中にイヤな汗が流れる。私が休んでる間、みーちゃん達に何があったというの!?

 

「……これは……」

 

 戸惑いながら空き部屋と化したこの部屋に入り、ドアを閉めたときに視界に入る。さっきはちょうどドアのオープンで死角になっていた。そこにはこの部屋の中に唯一残されていた物が床に転がっていた。

 

「暁美さんのシールド……なんでこんな所に……」

 

 戦闘中、彼女の左腕に付けられていたサークル状のシールド。彼女のバトルスーツ同様、戦いが終わった後その場から無くなっていた物なのに……。

 私の手はごく自然にそのシールドを拾い、ミステリーそのもののに遭遇してしまった不安のまま、それをホールドする手に力が入ってしまう。その直後だった……全身がほんの一瞬、浮遊感に包まれたのは。

 

「う、うたのん!?」

「え?」

 

 目の前にはみーちゃんがいた……はい???

 

「み、みーちゃん…!? えっ!? 突然みーちゃんが目の前に!?」

「突然現れたのはあなたの方よ」

 

 後ろの方から声が聞こえ、振り返るとそこにいたのはもう一人の探し人である暁美さんその人。何故か戦闘時のバトルスーツに着替えている。

 しかも暁美さんは部屋から無くなったはずのベッドに腰をかけていて、ベッドの周りにはその他の部屋中のアイテムがずらり……。

 

「みーちゃん、暁美さん……どこにいたのよ! いなくなって本当にビックリしたじゃない!」

「どこにいたっていうのなら……部屋と今私達がいる()()()()しか行き来してないわ」

「この空間?」

 

 よくよく見てみると、ここは彼女が休んでいた部屋じゃない。診療所のクリーンな白い壁はなく、東西南北ものすごく広い、果てない世界が続いている。まるで家やビルや山すらも存在しない外のような、終わりの見えない広大なワールド…………うん!

 

「どこよここはーーーーーっ!?!?!?」

「一言で言えば、『盾の中の世界』ってところね」

 

 どこか別の場所にワープしたことに口から心臓が飛び出すんじゃないかってぐらい驚く私に対し、暁美さんはあっけらかんと答えた。あの紫のアイズ、「気づくのが遅いわよ」と言いたげだわ……。

 

「検証は十分よ、藤森さん。これなら間違いなくいける」

「っ、はい…!」

 

 でも盾の中の世界って……どういう事かしら? 確かにこの空間にワープしちゃう直前、私はあの落ちていたシールドを拾ったけど……。

 

 度重なるシンキングで頭の中がどうにかなりそう。そう思い始めた途端、みーちゃんが私に飛び込んできた。

 

「うたのん!」

「み、みーちゃん…?」

 

 みーちゃんは涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃに……。さっきは残酷な事実を前に涙を見せなかったみーちゃんが、堰を切ったように大号泣していた。

 

「私達……今度こそ助かるよ…! うたのんも諏訪のみんなも……誰も犠牲にならずに済むんだよ…!!」

「……え?」

「うわぁああああん!!! うたのん! うたのーーん!!」

「……私が寝ちゃってる間に何が……?」

 

 みーちゃんは今、誰も犠牲にならないと言った? 明日にもバーテックスが再び現れるかもしれないのに……そこで犠牲者が出るかもしれないのに?

 でも、みーちゃんが流している涙はさっきの私の絶望に恐怖したものなんかじゃない。むしろ総攻撃が終わったと思って、生を実感した時の歓喜の涙……それと同じ物にしか見えなかった。



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第四十七話 「故郷」

 誤字報告ありがとうございます!

 少し遅い気がしますが、ゆゆゆいのエイプリルフールイベント、若葉ちゃんがふゆぅ味溢れていて素晴らしかったです(´▽`) やっぱりゆゆゆいのエイプリルフールイベント最高ですわ~( ´艸`)
 それでこの作品もエイプリルフールで何かしら番外編を書こうとして失敗してこの話の執筆が遅れちゃいました(殴) 何故かものすごく重い展開になってしまったんですよね……何故だ…?
 来年のエイプリルフールこそは……!


 私達の望みは誰一人として犠牲になることなく生き延びること。諏訪の結界が破られてしまった今、不可能になってしまった望み。土地神様には既に結界を治す力は残されておらず、このまま諏訪に残っていても状況は何も良くならない。

 

(……他の結界で守られている地域に逃げられれば……でも……)

 

 人類がバーテックスの襲撃を受けてから三年。生き延びた人類がいるのは諏訪以外には四国しか明らかになっていなかった。

 諏訪から四国までの距離は600キロ以上も離れている。お年寄りの人だってたくさんいるのに、そんな長距離を諏訪の住民全員をバーテックスから守りながら移動するなんて絶対に不可能だ。

 

 ……本当に、悔しくて泣きたくなっちゃうよね、うたのん。無理だと思ってたバーテックスの総攻撃を乗り越えられたのに、私達の大事な存在が壊されようとしているなんて。

 

(……暁美ほむらさん、あの人はどこから来たんだろう?)

 

 突如現れて、うたのんといっしょに戦ってくれた謎の勇者。あの人が来なかったらあの時私もうたのんも、諏訪の人々全員が死んでいたかもしれない……ううん、きっとそう。私達はあの人に命を救われたんだ。

 

 暁美さんは諏訪の勇者でも、四国の勇者でもない。私達が知らない別の地域の勇者……そこは結界で守られているんじゃないかな? それで暁美さんは他に生き残っている人達が暮らしている地域を探して諏訪まで来たとか……。

 ただ、暁美さんがいたその場所がバーテックスに墜とされてしまったとも考えられるんだよね……。でももし本当に今もそこが結界で守られていて、四国よりも行き来がしやすい所だったら……。

 

 確証もない、願望がほとんどだけど、暁美さんがもう一度力を貸してくれて、トラックとかで一度に数十人ずつ避難してそれを暁美さんが守りながら誘導する。その間、うたのんが諏訪にいる他の人々を守る……これを繰り返していけば……。

 

(……それでも、全員は助けられない……! 時間もない…二人の体力が保たないよ……!)

 

 分からない……私達が救われる道なんてないんじゃないかって思ってしまう。今までうたのんが何度も何度も苦しんで、傷を負って、それでも明るくみんなの前を立って道を切り開いてくれた。眩しくて、誰よりも格好良くて、私達の希望だったうたのん……。

 そんなうたのんが、初めて悔し涙を流した。うたのんが絶対に救われない運命しか残されていないとしたら、そんなの酷すぎるよ……!

 

 目が潤みそうになって、すぐに目元を袖で拭う。もう私も泣いちゃだめなんだ……うたのんが悲しんじゃうから……。

 

「へ?」

「あ」

 

 涙を拭って、流れるままに目的の部屋のドアを開ける。彼女が眠っているとばかり思っていたからノックはしなかった。

 でも彼女……暁美ほむらさんは起きていて、何故か部屋のテレビを抱えている。しかもコンセントからプラグが抜き取られていて、まるでどこかに運び出すような様子。その様子のまま暁美さんの目は私の目と見事に交差し、その場でピタリと固まった。

 

「……………」

「……………」

(何この状況…!? なんでうたのんと同じくらい疲れてるはずの人が、体を休めないでテレビ持ち抱えて何やってるの!?)

 

 静かすぎて、シーンって音が聞こえそうな空気が私達を包んでいる。私も暁美さんも一言も発さず、ただお互い目から視線を外さない。

 だってなんて言えば良いのか分からないんだよ……!? 私が人見知りだから会ったばかりの人に言葉を掛けにくいのもあるけど、この人の雰囲気が冷たそうだから特に……。

 

「………誤解よ」

「……え?」

 

 そんな沈黙を破って暁美さんが口を開く。なんだか少し焦ってるような……?

 

「違うわ。えっと……その………巫女さん?」

「あ、えと……水都です。藤森水都といいます…」

「藤森さんね。私は別にテレビを盗もうとしたわけじゃないのよ。本当よ?」

「……いえ、私何も言ってないです……って、あれ?」

 

 命懸けで諏訪の危機を救ってくれるような勇者がこんな所でテレビ泥棒をするわけないよ……なんて思う中、ふとあることに気がつく。まぁそこそこ目立つ変化なんだけど。

 

「いえ、だから本当にテレビ泥棒とかそんなんじゃなくて……ただちょっと…」

「い、いえ…! 最初からそうは思ってませんから…! そうじゃなくて、その格好……」

「格好……この勇者服?」

 

 暁美さんの格好……ここに来た時にはどこかの学校の制服だったのに、今は総攻撃を迎え撃った装束を着ている。こっちもデザイン的には制服に見えなくもないけど、うたのんの勇者装束と似通ってる部分もある。

 でも気になる所は、いつの間にかその勇者装束が無くなっていた事、その無くなったはずの勇者装束を再び身に着けている事だ。いつ制服の方に着替えていたのかも謎だけど……。

 

「その服、どこにしまっていたんですか…? この診療所に来る時には持っていませんでしたよね…?」

「……しまってたも何も……」

 

 暁美さんは何故そんな事を聞くのか分からないといった様子で首を傾げる。私、別に変な事を言ったつもりなんてないけど……。

 でも暁美さんは持ち抱えていたテレビをベッドの上に下ろして、傍らのスマホを取って操作する。

 

(うぅ……質問に答えてほしいのに目の前で堂々とスマホいじるなんて……)

 

 内心落ち込んでいると、突然暁美さんの身体がパッと光って、その一瞬の間に暁美さんの服が制服へと変化した。

 

「えっ!? な、なんですか今の!?」

「ただこの勇者アプリで変身してるだけよ。白鳥さんも同じじゃないの?」

 

 な、なにそれ知らない……勇者アプリって……。つまりこの人はスマホで瞬時に勇者になれるってこと? あ、でも以前まどかさんと乃木さんが、向こうの神様を奉るバーテックス対策組織である“大社”が勇者専用アプリの開発に成功したって言ってたっけ……。

 

「い、いえ……うたのんにそんな近代的な物は無いです……。いつも普通に着替えてます」

「そうなの? いえ、よくよく考えれば無理はないかもしれないわね……」

 

 ……強力な爆弾に、今までに見たこともない超巨大なバーテックスを倒した力。この人がいた地域では既に大社が開発したアプリと同等以上の物が使われている? 諏訪の遥か上を行ってる四国よりもその先を行く……それは一体……。

 

「あの…! 暁美さんは一体どこから来た勇者なんですか…?」

「……讃…」

 

 どこかの地名を言う前に、暁美さんはその口を噤んだ。顔を俯かせてどこか悲しげで……もしかして辛い事を思い出させてしまったんじゃ……?

 

「……私も最初は困惑したわ。まさか長野県にも勇者がいて、諏訪には人間の生き残りがいたなんて知りもしなかったから……質問に答える前に一つ聞いていいかしら?」

「え…あ、はい」

「あなた達は他に人間が生き残っている、勇者がいる地域を知ってる? 私がいた所では他の地域は全部滅びたって聞いていたのよ」

 

 やっぱり私達や四国との間でお互いの情報は行き来していなかったんだ。だけど自分達以外が全部滅びたって認識していたなんて、それってかなり殺伐とした環境だったんじゃないのかな……? いくら強力な力を有していても、自分達以外に生き残りがいないって思っていれば、精神の方が保たないかもしれない……。

 

「私達が知っている所は四国の四県が現在も無事です。中でも香川県には六人も勇者がいまして、バーテックスとの戦闘の準備も整っているみたいです」

「六人……」

「それで……暁美さんがいた所というのは…?」

 

 

 

「………北海道」

「ほ、北海道ですか…!?」

 

 まさかの北海道……北海道からここまでの距離は四国以上に離れている。さっき私が考えた暁美さんの地域に避難する作戦はとても実行できそうにない。

 だけど北海道の人々が無事だったって判った。これは大社も把握できていなかった新事実だろうから、なんとかして向こうにこの情報を伝えることができれば……。

 

「期待はしないで頂戴。勇者である私がそこを守らないで、遠く離れたこの地にいる……それはどうしてか、察してほしいわ」

「っ!?」

 

 その言葉に私は大きな衝撃を受けた。冷静に考えてみれば、遠く離れたこの諏訪の地にわざわざ訪れてまで、自分達の土地を守りを放置するなんておかしい。暁美さん以外にも勇者がいるならばまだしも……

 

「……北海道には、暁美さん以外の勇者の方は…?」

「知らない。聞いたことも無いわ」

 

 北海道に他の勇者はいない……にも関わらず、暁美さんはここにいる。

 

 ……暁美さんは何故わざわざ期待をするなと言ったのか、理由を考え付くのは容易だった。彼女の発言と哀しげな表情が全てを物語っている。きっともう守る意味が無くなったから……だから彼女はこの地に現れたんだ……。

 

「北海道の話はしたくないの、分かってくれる?」

「……はい…」

 

 北海道は既に陥落してしまったんだ。それでも暁美さんは生き残って、完全に滅んでしまったと思っていたこの世界を当てもなく彷徨って、たまたまこの場所に辿り着いた……。

 その偶然が私達の危機を救ってくれた。暁美さんにとって、故郷が滅ぼされてしまったことは悲劇以外の何物でもないのに、それが無ければ私達が死んでいた。

 

「あの…暁美さん。諏訪の人々を……うたのんを助けてくださって、本当にありがとうございます」

 

 私にできることは、彼女に感謝の思いを伝えることだけ。多くの犠牲があったから、私達は一時的にだけど助かった……複雑な心境だけど、私達が暁美さんに助けられた事実は変わらない。

 

「……どういたしまして。といっても、勇者として当然の事をしたまでよ。ただ……」

「ただ……?」

「……ここの結界、壊されたのでしょう?」

「……はい」

 

 暁美さんも事の緊急性を理解していた。

 

「諏訪の結界がもたらす恩恵が私の所と同じならば、この地に残された道は滅亡しか無い」

「………」

「対抗策は?」

「……さっきからずっと考えてはいるんです……。四国や暁美さんのいた所に避難できればって思ったんですけど、現実的じゃなくて……」

「ああ、四国も結界で守られているんだったわ……ね……………」

「暁美さん?」

「………結界……あるのよね、四国には……」

「え? は、はい。四国は神樹様と言われる、数多くの土地神様が集合したとても大きな力を持った神様が守っています」

 

 暁美さんの言葉を肯定すると、彼女の目は大きく見開かれる。何か気になることでもあったのかな……? それにしたって、少し様子が変だ。そのまま暁美さんは俯くと、何やらブツブツと呟き出して考え込んだ。

 

「あのぅ…?」

「……そうよ……何故………思い付かなかったの……四国……いるじゃない……!」

 

 僅かに聞こえるその声は明るく、溌剌としている。少しだけ見えた表情も、隠しきれない歓喜の色が浮かび上がっていた。

 

「……辿ればこうなった……だって……の力……! ……なら…………逆の事だって! 戻る手段……! 行くしかないわね、四国に…!」

「えっ!?」

 

 途中は聞き取れなかったけど、最後の言葉はバッチリ聞き取ることができた。バッと顔を上げた暁美さんは見るからに清々しい雰囲気いっぱいで、その言葉は確定事項であることを意味していた。

 

「あ、暁美さん……四国に行くって……」

「え……ああ、言葉通りの意味よ。私には四国に行く理由があったのよ」

「ま、待ってください!」

 

 暁美さんは諏訪の勇者じゃない。うたのんと違ってこの地を守る責任も無ければ、理由だってない。

 彼女だって最初に、「私には関係無いし、こんな来たばかりの所で犠牲を覚悟する筋合いも無い」と口にしたから尚更……だから暁美さんが諏訪での先の見えない戦いに縛り付けることはできない。一人でこの地を去って四国に行っても文句を言えない。

 

 でも彼女がいなくなってしまったらうたのん一人で絶望的な戦いを背負うことになってしまう……! 暁美さんが諏訪で戦う義理は無いけど、もうこれ以上悪い状況に傾いてほしくない……!

 

「………そうね。ごめんなさい、藤森さん。興奮していて肝心な事を忘れていたわ」

「っ!」

「ここの人々を助ける方法……それを見つける前に自分勝手にここから去ったら、私は大切な人達に合わせる顔がない」

「手を貸してくれるんですか…!?」

「なせば大抵なんとかなるものよ。できる限りの事は協力するわ」

 

 暁美さんは私が懇願しようとする前に、自分から諏訪の問題に触れてきた。勇者とはいえ諏訪の事情とは無関係なのに、危険がいっぱいなのに、力を貸してくれることを快諾してくれた。それだけでも嬉しくて胸が感謝の想いで溢れそうになる。

 

「………………というか……どうなのかしら、これは……? ………検証を再開しないと」

「えっ、何か考えが……!?」

「……もしかしたら……藤森さん、これを見て」

 

 暁美さんには解決への心当たりがあるかのような反応を見せていた。再びスマホを操作して勇者の姿に変身する。戦うわけでもないのにどうしてわざわざ……今度は左腕の円盤型の盾を取り外すとそれをベッドの上に置く。

 その盾の上に、今度はさっき何故か持っていて置いていたテレビを乗せようとしたその時、テレビが盾に吸い込まれるように消えた。

 

「えっ!? な、何ですか今の…!?」

「簡単に説明すると、この盾は異空間に繋がっているのよ。ほら、長年続く某国民的アニメの主人公を助けるロボットのポケットみたいな物ね」

「例えが分かり易いけど、そんな未来の便利アイテムまで持ってるんですか!!?」

 

 つまりあのテレビは本当に盾の中に入ったってことなの!? 異空間って、さっきのあの例えからするとまさか四次元なんてことは……。

 

「といっても、この中身にどれぐらいまでの物の数や大きさが入るのか、まだ私にも分かっていないのよ。訳あって今まで使ったことが無かったもの」

「……もしかして、それでテレビで確かめようと?」

「ここにあったメモ帳やペンといった小物で最初試して、大きさを変えてテレビを入れようとした時に藤森さんが来たの。だけど私の予想なら多分、何でも入ると思う……車とか戦車とか戦艦とか、大きさも関係無く。生きている人間とかも」

「人間……それって…!」

 

 暁美さんの思いついた心当たりに私も考えつく。突拍子の無い、アニメや漫画でしかないようなありえない策なのに、唯一の可能性が感じられる。この地で人々はもう生きられない……でも結界で守られている場所にさえ逃げきれれば助かる。みんなの命が。

 

「この盾の中が本当に四次元空間になっていて、そして人も入れることができるなら、諏訪の人々全員を連れての避難が可能よ」

 

 失われたはずの希望が、再び目の前に現れていた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「とまあ、経緯はこんな所ね。それからは藤森さんに協力してもらっていろんな物をこの空間に入れて検証した。結果は見て分かると思うけど予想通りだったわ。小物やテレビだけじゃなく、明らかに大きさが違うベッドや車も難なく入れられた。勿論私達人間も入ることができた。そしてこの異空間は四次元空間で無限に広がっている。これは直接私達が歩いて確かめた結果、壁には辿り着けなかったから確信したわ。ああ、ちゃんとこの異空間に入れた物は取り出せるから心配いらないわ。ただ、中に入れるのは盾にさえ触れていれば誰でもできるけど、その逆、取り出すのは私にしかできない……検証結果は以上よ。何か質問はあるかしら?」

「……ぁ……え……?」

「無ければ諏訪の人々を集めて頂戴。私は一刻も早く四国に行きたいのよ」

 

 ……言いたいことなんて山ほどある。何でもストレージできる、異空間に繋がっているシールドですって……? これまで何度も暁美さんには驚かされたけど、今度のは群を抜いてアンビリーバボーだわ……。物理法則を無視した、ド○えもんみたいなワンダフルなプランの実行を考えるなんて……。

 でも私の目の前に広がっているこの空間が何よりの証拠。何千人、何万人集まろうとも全く窮屈にはならないであろう広さ、大きさにリミットは無いと言う暁美さん達の言葉。

 

「……す、諏訪のみんなを集めて……それからどうするの…? あ、いえ…! 解ってはいるんだけど、ごめんなさい…! あまりにも唐突で理解が追いつかないの…!」

 

 完全に頭が混乱しちゃってる。だっていきなりこんな事を言われて、みんなが助かるって……心から望んではいたけど、考えていたのと話は別だから……。

 

「もう諏訪では生き抜くことはできないから、みんなで四国に避難するんだよ。暁美さんの盾にみんなを入れてもらって、そのまま四国に連れて行ってもらうの。中は安全だから、みんながバーテックスの攻撃に晒される心配がなくなるの」

「ま、待って二人共…! 諏訪のみんなが助かるんだってならすっごく嬉しい! ソーハッピーよ!? これほどまでに望んだことなんてないわ! でも……」

 

 それでも私は未練がましい事を考えてしまう。これだけでも十分な、ありえないほどのミラクルだっていうのに、欲張ってしまう。

 

「諏訪は……この地はどうなってしまうの……?」

 

 諏訪は私達の故郷……みんなの思い出がたくさん詰まった、私にとって命と同じぐらい大事なものだ。世界の大半が滅ぼされても、今まで私達が力を合わせて守り抜いてきた平穏の証。みーちゃんと暁美さん達のプランは諏訪のみんなこそ助かるけれど、諏訪の大地は含まれていない。

 

「残念だけど、どっちにしろもう諏訪の崩壊は避けられないのよ。仮にこのまま停滞して四国に避難しないとしても、戦場がこの地であるのに変わりはない。それだと犠牲者も出てしまうし土地や街自体も荒らされる。キツい言い方になるけど、あなた達に残された道はもう住民だけが助かるか、助からないかの二択しかないわ」

「……あはは…そうよね……理屈では解ってるのよ……でも諦めたくなくて……」

 

 人がいなくなったとしても、バーテックスは問答無用でこの地を蹂躙するだろう。私達の畑も、街も、山も、何もかもメチャクチャにされてしまうのは解りきっている。だけどみんなが助かる道はこのミラクルしかなくて、諏訪はもう……諦めるしかない。

 

「うたのん、今はしょうがないよ……諏訪の人達を助けることだけ考えようよ……」

「みーちゃん……」

 

 みーちゃんもその点に関しては本当に悔しいのだろう。私と同じでこの故郷を棄てるのは苦しくないわけがないんだ……。

 それでもみーちゃんは四国への避難をディサイドした。それしか方法がないとしても、みーちゃんはみんな助かる方法を選んだんだ。

 

「私だって悔しいよ、悲しいよ……だけど私達が生きている限り、私達が今も生き残ってるように、これから何が起こるかなんて判らない……。だからきっといつか、私達の故郷を取り戻せる時が来るんじゃないかな…!?」

「……っ!」

「四国に行けばみんなが助かるだけじゃないよ、うたのん。やっと会えるんだよ……私達の友達に…仲間に!」

「みーちゃん……」

「もううたのんは一人で戦わなくてもいい……これからは仲間と力を合わせて、一緒に戦って……!」

 

 私達の故郷を取り戻せる時……そうよ、何も今全てを片付ける必要なんて無かったんだ。不可能としか思えなかった総攻撃も乗り越えられた……この先何が起こるかなんて解らないけど、私達は希望に繋げなくちゃいけないんだ。

 

「だからお願い……いつかこの世界を、私達の故郷を取り戻して、うたのん……!」

 

 今私がやるべきこととは、助けられる命を守り抜くこと。諏訪を救うのは残念だけど今じゃない。だけどいつかは必ず救うのよ。諏訪だけじゃない、この世界も……。

 

「……ええ。私も決めたわ!」

 

 今は奴らに壊されるしか道はない。でも未来は……私と乃木さん達が力を合わせる時が来れば、この残酷な世界を変えられるかもしれない。

 

「お待たせしました暁美さん! そしてどうか、私の愛する諏訪の人々の四国への避難に力を貸してください!」

 

 彼女は微笑むと、彼女は地面に手を当てる。その瞬間またしても浮遊感が私の身体を包み込むと、異空間に入る前の診療所の部屋に私達三人がワープしていた。

 

「ワオ…! 本当にシールドの中から出てこられた!」

「感心している場合? バーテックスが来る前に、急いでここの住民を集めなさい」

 

 おっと、そうだったわね。諏訪の住民全員を集めても、その人数をシールドの中に入れるのにかなりのタイムがかかるなんて誰でも分かる。その間にバーテックスが諏訪に入り込む可能性も0ではない。スピーディーに動いて、この地をリーブしないと……。

 

 本来ならば緊急放送でみんなに集まってもらうのがベストだけど、通信機は最後の四国との通信でブレイク……もう使えなくなっている。

 

 だったら……そうね、私の足と、大人にも何人か手伝ってもらいましょう。一軒一軒直接回って、事情を説明してこの場に来てもらう。そして来た人から順に入れてもらえば無駄も生まれない。

 

 

 

 

「──という訳で、皆さん、よろしくお願いします」

「歌野ちゃん……相分かった。儂等は歌野ちゃんを信じるておるからの」

 

 中には私のように、諏訪を出ることを渋る人もいるだろうけど……説得してみせる。いつか必ず私が、私達勇者が、諏訪も世界もバーテックスに奪われたものを取り戻すと約束する。

 

「必ずもう一度みんなと一緒に諏訪に帰ると約束します!」

「……そうだねぇ。このままここにいて、バーテックスに殺されるなんて、死んでしまった爺さんは喜ばないか…」

 

 私が回っている所とは違う場所でも、みーちゃんが駆け回って避難を促していく。

 

「私達はうたのんとは違って、バーテックスと戦う力はありません! だけどみんなの存在がうたのんの力になるんです! 誰かがいなくなるとうたのんは悲しむから……だから、みんなで生き延びてうたのんを応援して、私達がうたのんの心の支えとして戦う時なんです!」

「みとおねーちゃん! わたしもいっしょにいくー! うたのおねーちゃんをたすけるんだからー!」

「水都ちゃんの言う通りだ! 俺達が歌野ちゃんを応援しないでどうしろって言うんだ!」

 

 その甲斐あって、暁美さんの元には次々と人々が集まっていく。決して慌てず、私達を信じて彼女のシールドの中に避難していった。

 

「……凄いわね…白鳥さん、藤森さんも……少なからず混乱する人も出るかと思っていたけど、みんな前を向いて順調に集まって来るなんて……」

「あの子達は私達の希望だからね。諏訪の勇者様と巫女様……と言っても水都ちゃんも私達にとっては勇者様みたいなものさ。あの二人がいたからこそ、私達は今まで生きてこれたのさ」

「…………みんな……すぐ戻るから…」

 

 

 そうしてみんなが協力して避難をスタートしてから10時間、最後の一人がシールドの中に入った。この時点で諏訪の大地に立っているのは私、みーちゃん、暁美さんの三人だけ。飼われているペットも、非常食や避難グッズも漏れなく、ここまで来た人達の車までも入れてもらった。

 サイレントな私達の故郷……今からこの地に人間は一人もいなくなる。それはみんなの命を助けるためだけど、色々大切なメモリーがいっぱい詰まったこの場所をリーブしなければならない。そう思うだけでアイズの奥が熱くなった。

 

「なんとかバーテックスが来る前に終わったわね……白鳥さん、泣くのは早いわよ。四国に着いてから、彼らを無事に送り届けてからにしなさい」

「ワッツ!? な、泣いてなんか……! 私はもう泣かないんだから……!」

「うたのーん! これ、持ってきたよ!」

 

 みーちゃんの声が聞こえた方を見ると、巫女の装束を土で汚したみーちゃんが駆け寄っていた。彼女の両手に大事そうに抱えられていたのは見覚えしかない種が入った布袋と……私が総攻撃の前に埋めた鍬と、四国にいる友達に向けて書いた手紙だった。いつか彼女達が諏訪に来た時に見つけてもらって、未来に繋いでほしかった私の想い。こうしてまた私の目で見ることになるなんて、あの時には全く思っていなかった。

 

「これ……乃木さん達に受け継いでもらうつもりだったけど、もうその必要はないよね?」

「……ええ。彼女達に私達の想いを引き継がせるんじゃない。私達と彼女達で一緒に戦うのよ」

 

 みーちゃんから受け取った遺言の書かれた手紙を破り捨てる。私達は未来に向かって歩んでいくのだから……。

 

「……この鍬見てるとうずうずしてきたわ……! 四国に行っても農業できるかしら♪」

「できるよ。うたのんなら、きっと」

 

 みーちゃんと笑い合って、一緒に故郷に振り返る。必ず取り戻してみせる……私達の大切な宝を。

 

「土地神様が神託で四国まで案内してくださるの。極力バーテックスのいないルートを……それが土地神様が私達にできる、最後の手助けだって……」

「そっか……」

 

 土地神様は三年間もの間、私達人間を守ってくれた。この地を離れるとなっても、辿り着くまで私達を守り抜いてくださる。こちらが最後まで諏訪で戦えないのが申し訳ないのだけど、きっと土地神様も私達を信じてくださるのだ。

 

 私達の勝利を……。

 

「白鳥歌野、行って参ります!」

「今まで本当にありがとうございました! 行ってきます!」

 

 こうして私達は故郷、諏訪の地をリーブした。全ては人々を救うため、そして、未来に進むために。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 四国、香川県丸亀市の一軒家。そのとある部屋に目覚まし時計の電子音が鳴り響く。部屋に二つあるベッド、その一つから一人の少女がまだ少し眠そうに目元をこすりながら起き上がる。

 少女はベッドから降りるともう一つのベッドの方へ歩み寄る。そこにはもう一人の少女が丸まって眠っている。もっとも少女は彼女が既に目が覚めている事に感づいてはいるが……。

 

「おはよう、まどか」

「………」

 

 声を掛けるも無反応。それに少女は哀しげな表情を浮かべるも、同時にこうなっても無理はないと考えていた。

 つい昨日、彼女は二人も友達を失ったばかりだった。訳あってお互い顔は知らないが、そこには確かな絆が存在し、いつか会える時が来るのを心から楽しみ待ち望んでいた相手。

 

「……まだ、無理そう?」

「………」

「お母さんとお父さんには伝えておくね」

「………ごめん…」

 

 涙声で力無く謝る彼女の頭を優しく撫でると、少女は部屋を出る。自分は彼女を悲しませないと、改めて心に誓いながら……。

 

 少女は勇者である。遠く離れた諏訪の地は陥落してしまった。ならばこれからは自分達が世界を壊し尽くす化け物と戦う事を理解していた。

 

「私は絶対に死なないよ、まどか。約束だよ」




【異空間収納】
 三度目の満開で取得した、暁美ほむらの四つ目の能力。散華は彼女の体温。盾に異空間の入口を開き、そこに触れた物を中に収納できる。大きさ、種類、数を問わず、いくらでも異空間の中に入れる事ができ、中身は四次元空間となっているため無限に広がっている。入口を開いている間は誰でも異空間の中に収納することができるが、中身を取り出せるのは暁美ほむらだけ。彼女の好きなタイミングで好きな物を手元や周囲に取り出せる。人間も中に入れることもでき、暁美ほむら自身も中に入れるが、その場合彼女は異空間にいる限り盾を回せないため時間停止能力は使えない。


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第四十八話 「友達」

 ちゅるっと1話、もう余裕で100回以上繰り返して観ました。完全アウェーの中自分の好きな物を堂々と貫くうたのんのメンタル最高。


 諏訪を出て私とうたのん、暁美さんの三人で四国に避難を始めてから半日は経過した。最後に確認できた標識によると、ここはまだ滋賀県。土地神様の神託通り、バーテックスに見つからないように慎重に動いていたのもあり、勇者の脚力での移動としては時間の割にあまり進んでいなかった。道自体、身を隠すために舗装されていない山の中や、狭い所を経由していたし仕方がないけど……。

 

「みーちゃん、大丈夫?」

「う、うん……大丈夫」

 

 そう言ったものの、結構なんて言葉で片付けられないほど疲れてはいる。安全ルートの誘導とはいえ、長時間神託を受けながら同時に移動もしているのだから心身共に負担が掛かっていた。かと言って、私もみんなのように暁美さんの盾の中に入れてもらって休むことはできない。それだと二人にルートを伝えられないから、何としてでも四国に辿り着くまで頑張らないといけなかった。

 

「……休憩しましょう。藤森さん、というか私達全員昨日から休み無しじゃない」

「そうね、休むヒマなんて無かったし。みーちゃんもキツいならキツいって言ってくれても良かったのよ?」

 

 バレてた……だけど二人もだいぶ疲れている。無理もない、あのバーテックスの総攻撃があったのだってつい昨日の事だ。ほとんど身体が休まらないまま、人々の避難のためにたくさん動いて、そのまま諏訪を離れたんだから。

 うたのんはまだ怪我が癒えたわけでもないし、暁美さんは戦いの後からずっと顔色が悪いのに、全く休めていないから尚更……。

 

「みーちゃん、周囲にバーテックスは?」

「………少し離れた……4キロぐらい? その街中に小型のが7体……かな。私達の存在には気づいていないみたい」

「危険は無いようね。なら、全員盾の中に入りましょう」

 

 そう言うと暁美さんは左腕の盾を外し、私に手渡した。理屈はよく分からないけど異空間に繋がっているらしいこの盾、一応うたのんの鞭みたいに神様の力が宿っているらしい。

 受け取って、裏面に手を入れるように当てようとすると、私の手は盾をすり抜けて、身体が少し浮かび上がったと思うとさっきまでとは違う場所に立っていた。辺りには一緒に避難をしていた諏訪の人々がたくさんいて、落ち着き慌てずこの場所で待機している。それどころか運んできた食糧で炊き出しをしている人も居て、避難生活の中みんなも支え合って頑張っている。

 トラブルが無いようで何より……ほっと一息吐いていると、私のすぐ近くにうたのんが現れ、その後に暁美さんも入ってきた。

 

「すみません、少し休憩させてもらっても良いでしょうか? 皆さんも早いところ、四国に到着して安心したいとお思いでしょうが……」

「いいに決まってるじゃないか。俺達のためにずっと働き詰めで頑張って……みんな! 歌野ちゃん達にも蕎麦とお茶、それから毛布も!」

「ワオ! 蕎麦ですって!? 頂きましょうみーちゃん、暁美さん♪」

「うん! ありがとうございます。神託によればバーテックスの危険は無いとのことなので、しばらく休ませてもらいます」

 

 今外の世界にあるのは暁美さんの盾のみ。バーテックスが寄り付かない場所で、仮に近づいても人間ならともかく、持ち主のいない盾なんてバーテックスはまず気にしないだろう。土地神様も神託で断言してくださったし、万が一近くを通るバーテックスが暴れることがあったとしても、近づく前に私に新しい神託が送られる。心配する必要なんて何も無かった。

 

「しっかり食べて、しっかり休んでね」

「はいっ! うふふ♪ 蕎麦蕎麦蕎~麦~♪」

「白鳥さん、やけに上機嫌ね…」

「蕎麦はうたのんの大好物なんです」

「……そういえば、長野県は蕎麦が有名だったかしら」

「諏訪のソウルフード、信州蕎麦! あぁ…生きてこのテイストを再び味わえるなんて……!」

 

 暁美さんの言う通り上機嫌で蕎麦を受け取るうたのん。本当に幸せなんだろう。あの絶望の中全員が生き延びて、永遠に失われるかと思われた日常を救われた。蕎麦を味わえる何気ない一時でも、私達にとっては幸福以外の何物でもない。

 

「はい、水都ちゃんとお嬢ちゃんも」

「ありがとうございます」

「どうも」

 

 美味しそうな香りが疲れきっていた身体を潤していく。私もうたのんと同じで蕎麦が好物だ。お腹も空いてるし、ここしばらくは度重なる不安で満足に食べれていなかった。まだ終わったわけじゃないけれど、希望が持てて気持ちに大きな余裕ができたから内心うたのんと同じぐらい嬉しかった。

 

「いただきまーす!」

「いただきます」

「……いただきます」

「~~~っ!! ソーデリシャス!!! コレよコレ!! 生きてて良かったーーーーっ!!!!」

 

 ズズッと音を立てながら幸せそうに蕎麦を啜るうたのんを、みんなが嬉しそうに眺めている。うたのんは誰もが認める蕎麦愛好家だから、美味しそうに食べている姿は見ていて気持ちがいい。

 そして、そんな幸せそうなうたのんと一緒に食べる蕎麦は私もとても美味しく感じた。またこんな気持ちで蕎麦を食べられるなんて思わなかったから、思わず目が少し潤んでしまう。

 

「……これが信州蕎麦……凄い…! 今まで食べたどの蕎麦よりも美味しい……!」

「……っ! そうでしょうそうでしょう!? 蕎麦は世界で最も至高なフードだけど、その中でも信州蕎麦は蕎麦界のキングなの!!」

「至高なフードかどうかは知らないけど……食欲をそそる蕎麦の香り、喉越しの良さ、つゆと麺の絶妙の交わり。流石に県が誇るだけのことはあるわね」

「暁美さん、あなた見所があるわ! 最高よ!!」

「蕎麦の感想を言っただけで?」

 

 ……………むぅ。

 

「うたのん、暁美さんもまだ食べてる途中なんだから、詰め寄るのは良くないよ」

「あらやだ、ソーリー暁美さん。一人でテンションがハイになってたわ」

「……別に気にしてないわ。白鳥さんって余程蕎麦が好きなのね」

「いやー、あはは……なんか恥ずかしいわね」

「でもそうね。こんなに美味しい蕎麦をずっと食べて生きていたら好きになるのも納得だわ」

「暁美さんっ!!」

「うたのんってばぁ!」

 

 うたのんが喜んでいるとても幸せな光景のはずなのに、なんだか胸の中がモヤモヤしちゃう。暁美さんにばっかり笑いかけて、犬みたいに落ち着きなく引っ付いて……そりゃあ、暁美さんは美人だし、大好きな蕎麦を認められて嬉しいってのは判るけど、それにしたって近すぎるよ……!

 

「……くくっ、ふふふ…!」

「……暁美さん?」

「あははははは!」

 

 暁美さんにオープンすぎるうたのんに文句を言おうと思ったその時、暁美さんがいきなり笑い出した。何かおかしなことでも言っちゃった? 私とうたのんがちょっと不思議に思いながら彼女を見つめていると、暁美さんはとても穏やかな……どこか懐かしむような表情で口を開く。

 

「……白鳥さんと藤森さん、本当に仲が良いのね」

「え?」

「藤森さん、白鳥さんが私に近いからって嫉妬しすぎじゃない」

「はい!?」

「え…えええっ!? ジェラシー!? みーちゃんが!?」

「なななな何を言ってるんですか!?」

「そんなのあなたが一番解っているでしょう?」

「はうっ!?」

 

 バレてる!? 端から見たらうたのんを注意しただけだよね!? でも暁美さんは私が嫉妬していたって確信してるし、実際あのモヤモヤした感情は……なんで判ったの!?

 

「似ていたのよ。私の友達に」

「似ていた?」

「私の命よりも大切な……二人の友達。とても強い絆で結ばれた、私の誇り」

「………」

「その友達もお互いのことが大好きで、どっちかが誰かと仲良くしていたらもう一人が明らかに嫉妬するのよ。さっきの藤森さんの不満そうな目が、その時の友達ともの凄く似ていたの」

「……それって前に暁美さんが言っていた、諏訪の人々を見捨ててしまったら顔向けできない大切な人のこと……ですか……?」

「あなた達二人は見てて友達を思い出す。あの二人のように固い絆で結ばれているのも、諏訪の人達の話からよく分かったし、実際に今まで見ていて本当なんだって分かった。過酷な世界の中、二人三脚で積み上げてきたあなた達だけの絆……だから安心しなさい、藤森さん。嫉妬なんてしなくても、そこに私が割って入る隙間なんてどこにもないわよ」

 

 儚げに語るその姿からは、暁美さんがその友達のことを心から想っているのだと伝わってくる。私と重なって見えたから、その人達のことを思い出して笑ったのだろう。だけど、暁美さんは故郷を……深く聞くのは良くないよね……。

 

 何て言えばいいのか解らないでいると、うたのんが箸を置く。まだ蕎麦を食べ終えていないのに、珍しく真剣な様子だ。

 

「……暁美さんの言う通り、私とみーちゃんは誰にも負けない、ストロングでハードな最高の絆で結ばれているわ。ハッキリ言って……私がこの世で一番愛しているのはみーちゃんよ!」

「うたのん!!?」

「「「うぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!」」」

「「「あら~♪」」」

『~~~!!』

「キャァァァァァアアアーーーーッッ!!!?」

 

 突然とんでもなく大きな声で、とんでもないことを叫んだうたのん。それはこの異空間の中にいる人達にもバッチリ聞こえ、あちこちから色んな声が上がった。そして私の全身という全身から真っ赤な炎が吹き上がった。

 

「だ、大胆な告白ね……」

「ぴゃぁああああぁぁああああっっ!!!? ななななななななああああ!!!?」

「……落ち着きなさい藤森さん。心中お察しするけど……」

「だけどもし暁美さんが来ていなかったら、私達の絆はバーテックスに絶たれてフィニッシュしていたわ」

「え? この状態で話を進めるの? 冗談でしょう?」

 

 愛しているって言った!!? うたのんが!! 私のことをこの世で一番愛しているって!!!? それだけでもものすごく恥ずかしいのに、ここにいるたくさんの人達にも聞かれた!!? うたのんのプロポーズ!!!?

 

「……よくよく考えたらまだちゃんと言えてなかったなって。私もみーちゃんも諏訪のみんなも、暁美さんが救ってくれた。割って入る隙間なんてないって言ってたけど、暁美さんは逆に、ブレイクしかけてできていた隙間を綺麗に埋め直してくれたのよ。それがとってもインポータントだって、暁美さんイマイチよく解ってないわよ?」

「あなたがたった今仕出かした事がとってもimportantだって、白鳥さんイマイチよく解ってないわよ?」

「あら! ビューティフルな発音素晴らしいわ! でもそういうことなの。私達はみんなあなたに感謝している……本当にありがとう。この恩は決して忘れない。一生懸かっても返せないとは思うけど、必ず返してみせるわ」

 

 ぁぁああああ熱い……!! 全身が燃えてるみたいに熱い……!! それに恥ずかしすぎて顔を上げられない!! みんなの好奇な視線が私達にグサグサ突き刺さってる!! これから私はどんな顔をしてみんなの前に立たなくちゃならないの!!?

 

「別にいいわよ、忘れても」

「んもう、つれないわねー」

「私はあなた達に恩を売るために戦ったんじゃない。あくまで自分を貫くために戦って、その結果あなた達が助かった……それだけのことよ。恩を感じる必要、それを返す必要は無いわ」

 

 言うなら周りに誰もいないときに言ってほしかったのに……誰にも聞いてほしくなかった、私だけに言ってほしかったのにぃ~~!!!

 

「その方がお互い後腐れ無く別れられるでしょう?」

「えっ? それってどういう……って、あら!? みーちゃん!? どうしたの!? フェイスが真っ赤っか……! ぽっぽしているわよ!?」

「……うわぁ」

「うたのんの馬鹿ぁ~~!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「んん~っ! ふぅ、よく寝たぁ」

「……むぅ…!」

「疲れも大分吹き飛んだわね、みーちゃん、暁美さん!」

「むぅぅぅぅ!」

「……ソーリーってばぁ……機嫌直してよぉ……」

「知らないっ!」

「ガーン!?」

 

 あの出来事はあっという間に異空間中に広まり、結果諏訪の人々全員の耳に入ってしまった。顔見知りの人もどころか、私とうたのんの両親にもバッチリ知れ渡ってしまって……ほんと、これからどんな顔をしてみんなに会えばいいの……。

 

「……でも良かったじゃない」

「え…?」

「白鳥さんの曇り無い本音、伝わったでしょ。普通あんな大胆なことできないわよ」

 

 ……まぁ、とても恥ずかしかったけど……嬉しくないわけがない。あんなにはっきり言ってくれたんだから、あれがうたのんの紛れもない本心だったんだ。

 

「………私もうたのんのこと…大好きだよ…?」

「みーちゃん…!」

「うぅぅ…! あ、暁美さん…! 早く行きましょう…!」

「はいはい。御馳走様でした」

 

 分かってましたと言わんばかりに答え、私達三人は再び盾の外に出される。時間的には大分休めたから、異空間に入る前は日が傾き始めていたけど、今は丁度昇り始めていたところだった。

 

「この分だと到着は……途中でもう一度休息を挟んで明日になるかしら」

「明日……明日になればみんなが助かる……」

「私達の仲間にも会えるのね」

 

 頭の中に土地神様からのイメージが送られる。それで明らかになったルートを二人に伝え、四国に向けての歩みを再開した。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 いつもの目覚まし時計で起床し、まだ少し眠いけど両目をこすりながら1階への階段を下りる。降りた先の庭の方ではお父さんが家庭菜園の手入れ、水やりをしながら実った野菜を収穫していた。

 

「おはようお父さん」

「おはよう」

「お母さんは?」

「タツヤが行ってる。手伝ってあげて」

「はーい」

 

 お母さんは毎日夜遅くまで働いている。だから朝が弱くて、それを起こすのが子供達の朝のお仕事の一つである。

 

「まーま、まーま! あさ! おきてー!」

 

 扉の中から愛する弟の無邪気な声が聞こえる。弟はまだ4才だから、きっと笑いながらぽかぽかとお母さんの布団を叩いているのだろう。力が無いからあの子一人じゃなかなか起きないんだよね。

 

「タッくん」

「あ! ねーちゃ!」

 

 バンって大きな音が鳴るほどの勢いで扉を開ける。そのままカーテンをバッと開けて太陽の光を一気に部屋の中へ。そしてお母さんの布団をしっかり掴み、勢い良く引っ剥がす。

 

「起きろーー!!!」

「うわあああああっ!!? ……ぁ」

「ままおきたー」

「おはよう、お母さん」

「……おう、おはよ…ふぁあ~」

 

 これが私達一家、鹿目家の朝。だけどその在り方はいつもとは少し、だけど大きく異なっている。

 

「……まどかは?」

「まだ、立ち直れていないみたい」

「そうか……無理もねぇか。こんな世の中とはいえ、友達を失っちまってそう簡単に立ち直る方がおかしいよな」

 

 あの子はまだ立ち直れていなかった。諏訪が陥落してしまったあの日から、まどかは悲しみに暮れていた。

 

 白鳥歌野さんと藤森水都さん。諏訪の勇者と巫女で、私とまどかのような関係だった二人。私達とは違って今まで第一線で戦い続け、それが先日遂に……。

 私と彼女達に繋がりはない。お互い顔も知らないし声も知らない。だけどまどかと乃木さんは彼女達と何度も通信していて、たくさんお話ししていて、友達と言える関係だった。通信の日には私達家族にその時の話を楽しそうに語って……それがもう無いんだなって……。

 

「……頼むから、お前は死んだりしないでくれよ…」

「……死なないよ。絶対。みんなと約束したから」

 

 私は勇者だから、いずれ戦わなきゃいけない。世界をメチャクチャにした化け物……私達から大切な存在を数え切れないほど奪った相手と……。

 

 だけど私は絶対に逃げない。これ以上私の目の前で何も失いたくないから。大切な存在を守り抜くために……。

 

 

 

「……最近、向こうではどうよ?」

「この前伊予島さんに私のお気に入りの小説を貸したの。だけど伊予島さん、その小説をお昼食べながら読んでて……それで土居さんに注意されて没収されちゃって……よりによって土居さんがそれを無くしちゃって……」

「……そりゃあ踏んだり蹴ったり、残念だったな…」

 

 洗面所で身嗜みを整えながらお母さんと話す。戦いの宿命を背負っているのは私だけじゃない。他にも五人、そしてまどかともう一人、上里ひなたさんの計八人は学校ではなく丸亀城で日々生活している。みんなは寄宿舎に住んでいるけど、私達の家は市内だからこうして家通いができている。

 

「でも二人共本を探しているし、そのお詫びってことで伊予島さんがたくさん本を貸してくれて、土居さんも今度私とまどかに美味しい骨付き鶏を奢ってくれるって約束してくれたの」

「おっ、それは良かったな。あの子達もしっかり反省してるってことだ。世の中には謝っても行動に移さない連中だってうようよいるんだ。ちゃんと行動に移せるのは立派さ」

「うん。だから私ももう気にしてないんだ。もしこのまま本が見つからなくても怒らないよ……あ、でも」

「でも?」

「……土居さんが昨日、高嶋さんのきつねうどんの油揚げを美味しそうだからって勝手に食べちゃって、みんなに怒られてた……特に郡さんに……」

「あはは! そりゃああの子の個性だねぇ! 球子ちゃんにしかできないんじゃないかい?」

 

 髪をセットしてもらいつつ、お母さんとの会話は弾む。みんなで命懸けの戦いを背負おうとも、私達は全員中学生だ。普通の中学生みたいなことはできないだろうけど、年相応の日常風景にお母さんは喜んでいる。

 実際、お母さんは私達子供が戦うことに誰よりも猛反対していた。何とか説得して、絶対に生きて帰ると約束したから百歩も千歩も譲って折れてくれた。

 

「結局上里さんに吊されて、乃木さんもうどん絡みだったから弁護してくれなかったの」

「……子供達が楽しそうで何よりだよ。お前達が勇者で、世界がこんな状況でも、毎日悔いなく楽しくやれていりゃあそれでいい……よっし、完成! 今日も可愛いぞ!」

 

 鏡に写るいつもの自分。かつては地味としか思えなかったこの姿も、みんなが認めてくれたから気にならなくなった。

 もしかしたら今日にでも命懸けで戦うかもしれない。そうだとしても、私はこの大切な日常を失いたくない。悔いなく、そして大好きな人達とこれからも生き続ける。

 

 その時、階段の方から誰かが慌ただしく走ってくる。足音を響かせながら、その人は私の名前を叫ぶように呼んで洗面所へと飛び込んできた。

 

「まどか?」

「ど、どうしたの…? そんなに慌てて…」

 

 入ってきたのはまどか。ずっと落ち込んでいたはずの彼女が涙をこぼしながら、今にも泣き出しそうな様子だった。そして、まどかの口から予想もしなかった言葉が紡がれる。

 

「神託……来たの……!」

「神託? 神樹様から?」

「勇者……諏訪から二人の勇者が…たくさんの人と一緒に……瀬戸大橋に来てるって……!」

 

 

◇◇◇◇◇

 

「……着いた……これが……!」

 

 諏訪からここまでおよそ600キロ、途中二度の休息を挟んで48時間。運悪く遭遇してしまった小型バーテックスも切り抜けて、誰も傷つくことなく、ついに……。

 

「瀬戸大橋……この先に結界が……!」

 

 私達のアイズに広がる、岡山県と香川県を繋ぐとてもとてもロングなブリッジ。その先の大地を取り囲む巨大なウォールこそ、四国を守護する結界で、私達が望んだものだった。

 

「行きましょう」

「っ、ええ! みーちゃん掴まって!」

「うん!」

 

 ここまで来ると、もうコソコソ動く必要はない。みーちゃんを抱き抱えて暁美さんと一緒に大きくジャンプして瀬戸大橋の上を跳んでいく。みるみるうちに先へとジャンプしていくと結界はどんどん近くなる。

 

 そして

 

「入った……結界の中…」

 

 後ろを振り向くと、そこにあるのは四国中を覆い囲む巨大プラントのウォール。ついさっきまで遠目で見えていたそれの先に私達は立っていた。ここには人々を襲う、憎きバーテックスは入らない。ここに私達が辿り着いた時点で、戦う力のない大勢の人々の命が守られる……。

 

「……それじゃあ、盾の中にいる人全員出すわよ」

 

 暁美さんがシールドを翳す。次の瞬間、瀬戸大橋中に大勢の人々が突如として現れ出す。一瞬で大きなブリッジが埋め尽くされ、全員が辺りがどうなっているのか見渡した。みんなの驚きの声やウォールを見て様々な声を上げる。やがて、その声は一つの全く同じものとなってみんながシャウトする。

 

 歓喜でいっぱいになった、その声を。

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』

 

 蹂躙されるデスティニーだったみんなが助かった。諏訪の人々みんなが一つになって、このありえなかったミラクルを喜んでいる。笑っている人も、抱き合っている人も、号泣している人も……全員が生きて、この幸せを享受していた。

 

「うた…のん…!」

「みー…ちゃん…」

 

 そんな彼らの姿を見て、みーちゃんはぼろぼろ涙を流して泣いていることを隠そうともしなかった。私も前が全く見えていなくて、声もスゴく震えていたけど。

 

「……生きてる……みんなが生きてるよ……!」

「……うん……うん……!」

「誰も……死んでない…! うたのん……うたのん!」

「みーちゃん……みーちゃん……みーちゃん…みーちゃんみーちゃんみーちゃぁあん!!!! うわああああああああああ!!!! んああああああっ、ああああああ!!!!」

 

 みーちゃんと抱き合って二人で泣いた。一生分どころか来世分も含まれていた思えるほど泣き叫んだ。念願叶って生き延びて、私が守りたかった人はみんなここにいる。今日ほど瀬戸大橋がうるさかった日なんて一度も無かっただろう……数万人の幸せのシャウトが響くことも無かっただろう。

 

「……おめでとう、白鳥さん、藤森さん。これからのあなた達の未来に希望があらんことを」

 

 

 

「……っ、これは…!」

 

 みーちゃんと抱き合ったままでいると、上空から驚きの声が聞こえた。どこか聞き覚えのある、頼もしくて勇ましい……彼女の声…。

 

「……勇者…? うたのん…」

 

 前方に何かが着地するような音が聞こえ、みーちゃんから手を離して急いで涙や鼻水を拭う。見えるようになった私のアイズには青い……勇者のバトルスーツに身を包んだ凛々しいフェイスのガールが驚愕の表情で立っていた。

 

「……うたのん…だと……!? 今そこの君はうたのんと言ったのか……!?」

「っ!? その声……まさか…!」

「……白鳥さん……藤森さん……なのか…?」

 

 向こうは私達の名前を知っていた。そして私達の頭の中には、一人の友達の名前が浮かび上がっていた。

 

「……あなた……乃木さん…?」

 

 その名前、私達の友達、乃木若葉。その名前を呼ぶと、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。

 

「……ああ…! 乃木……乃木若葉だ! 白鳥さん! 藤森さん!」

 

 ……オーマイガー…! 四国に行けば必ず会えるんだって解っていた。だけど実際にこうして、ずっと会いたかった友達が目の前にいる。嬉しくて、嬉しすぎて、会えた時に言おうと思っていた言葉が全部吹き飛んでしまった。

 

「乃木……彼女が……?」

『……!』

「あっ、こらエイミー止めなさい! ……彼女達はやっと会うことができたのよ。邪魔はしない方がいいわ」

 

 暁美さんの側に現れたエイミーちゃんが乃木さんに飛び付こうとしたけど、暁美さんがブロックしてくれた。

 その間に乃木さんと私、みーちゃんはゆっくりと前に出る。そうしてお互いに手を前に出し、乃木さんは震える手で私の手を掴んだ。

 

「生きて…いたんだな…! よくぞ無事で…!」

「心配かけてソーリー、乃木さん…」

「まったくだ…! 最後の通信があのような形で終えるなど……生きているなら生きていると、すぐに連絡すべきだろう…!」

「アハハ……通信機が完全にブレイクしちゃって……」

「……白鳥さん、所々変な話し方になってないか?」

「これが素のうたのんなんです。意外でしたか?」

「……いいや。なんとなくだが、白鳥さんらしい」

 

 そう言うと乃木さんは屈託無く笑い出した。太陽の光で彼女の目元に浮かんでいた涙がキラリと反射する。きっと彼女ももう二度と私達に会えないかもしれないと思っていたのだろう。だけどこうして遂に直接会えて、何気ないトークを交わせる……この瞬間をどれだけ待ち望んできたことか……。

 

「おかしなものだ。何度も言葉を交わした仲だが、こうして直接話すのは初めてなんだな」

「そうですね。だけど嬉しいです。諦めなくて良かったって……生きてて良かったって……そう思えるから……!」

「……生きていてくれてありがとう、白鳥さん、藤森さん、そして諏訪の皆さん……! ようこそ四国へ。私は四国の勇者で暫定だがリーダーを任されている、乃木若葉と言う者だ! 私達勇者並びに大社はあなた達を心から歓迎するぞ!」

 

 再びみんなの中で歓声が巻き起こる。身柄を約束され、今後の憂いも晴れたに違いない。乃木さんは誠実で、人を一人でも見捨てることなんて無い人だって私達は知っている。そんな人が保証してくれたんだ……みんなはこれからも大丈夫なんだって……。

 

 

 

 

「ところで二人共。私はひなたが、二人の勇者が人々を連れて四国に逃れるとの神託を受けて、居ても立っても居られなくて飛び出してきたのだが……そのもう一人の勇者というのはどこにいるんだ?」

「ああ、ほら! そちらの彼女よ!」

 

 乃木さんのクエスチョンに、私はハイテンションに手を向けて暁美さんだとジェスチャーする。私達の大恩人で素晴らしい勇者だ。是非とも乃木さんにも紹介したかった。

 

「……? それらしい者は見当たらないが……」

 

 え? 乃木さん何を言ってるの? そこにいるじゃない……って、私としたことが、ジェスチャーした方には暁美さんだけじゃなくて諏訪の人が何人も彼女の周りにいるじゃない。これじゃあジェスチャーしたところで誰を指しているのか分かりにくかったわね。

 

「ほら、そこの黒髪でロングヘアーの、暁美さんよ」

 

 これなら乃木さんにも伝わるでしょ。暁美さんしか彼女の周りに黒髪ロングヘアーの少女はいないし。

 

「……アケミさん……? なあ、ほむら……誰だか分かるか?」

「「「……え?」」」

 

 言葉を失った。私だけじゃなくてみーちゃんも、当の暁美さんも。乃木さんはバッチリ暁美さんを見ている。間違いなく暁美さんに話しかけた。だけど彼女の下の名前を呼んで……誰も乃木さんの前でほむらさんなんて言ってないのに。

 

「……あなた、どうして私の名前を……?」

「何を言っているんだ? というかお前、イメチェンか? 眼鏡も掛けてないし、髪型もいつもと違うが……。だが、中々どうして似合っているぞ。目元がはっきりとして、郡さんもそうだが艶やかで長い黒髪というものは凛々しく見える」

「……眼鏡……髪型…?」

「ちょ、ちょっとウェイト! 乃木さん、あなた暁美さんと知り合いなの!?」

 

 ストレンジ!! 乃木さんは暁美さんのことをあたかも知っているように話しかける……! そして暁美さんも、明らかに乃木さんの事を知らないような反応をしている。

 

「はあ? ……いや、そっちこそ待ってくれ。私達、なんだか話が食い違ってないか?」

「そ、そうですよ…! 彼女は暁美ほむらさんって言って、北海道から来た勇者なんです!」

「………はあ!? そんなわけないだろう!? こいつは……「乃木さん!」「若葉ちゃん!」」

 

 乃木さんの言葉を遮るように、空から二人分の、これまた聞き覚えのある友達の声が聞こえる。乃木さんと同じく、私とみーちゃんが会いたかった巫女である彼女はバトルスーツの勇者に背負われ…て………ホワアアアアアッツ!?!?!?

 

「ええっ!?」

「ど、どういうことだ!? 私は幻でも見せられているのか!!?」

「きゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! エイミーエイミーエイミーエイミーエイミー!!!! 何よこれ一体何なのよこの世界はああああああ!!!! 二人って、混ざりすぎにもほどがあるでしょうがあああああああ!!!!!!」

『~~~!?』

「……なんで……えっ…!? 誰あの人…どうして…!?」

「……え?」

 

 この時私はどうして乃木さんと話が食い違っていたのかアンダスタンド……。そりゃあ、こんなものを見てしまって間違えない方がスゴいわよ……!

 

 乃木さんが勘違いしてだけど、暁美さんを下の名前で呼んでいたのも……もしかすると、私とみーちゃんは彼女の名前を知っている。知っていたからこそ、同じ名前だった暁美さんの名前を知って面白い偶然があるんだと思ったのだから。

 違いはある。私達の目の前にいる白紫の勇者は眼鏡を掛けていて、ヘアースタイルがストレートじゃなくて三つ編み……それ以外は完全に暁美さんと瓜二つ。声すらも同じにしか聞こえなかった。

 

「……わ、私…?」

 

 彼女の名前は鹿目ほむら。私達の友達、鹿目まどかさんの妹に当たり、彼女が見出した四国の勇者である。




 推しキャラとの遭遇

【鹿目まどか】
年齢:13才
誕生日:10月3日
肩書き:巫女
身長:152cm
出身:?
趣味:イラスト
好きな食べ物:クリームシチュー
好きな人:家族、友達
外見、性格:鹿目まどか

【鹿目ほむら】
年齢:13才
誕生日:1月8日
肩書き:勇者
身長:156cm
出身:香川県
趣味:特定の趣味は無し
好きな食べ物:うどん
好きな人:家族、まどか
外見、性格:叛逆世界 暁美ほむら(眼鏡)


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第四十九話 「挨拶」

 忙しくて執筆時間に余裕ができない! この内容じゃ私の筆力が追いつかん! など、難産でした。


 彼方此方からざわめきの声が止め処なく溢れかえる。私、白鳥さん、藤森さん、まどか、そして諏訪の民衆の多くが狐につままれたかのような表情で二人のほむらを交互に見ていた。

 そう、二人のほむらだ。私達の仲間である鹿目ほむらだけではない……ほむらと全く同じ顔、背格好、声をしている少女が私達の目の前にいる。ただその少女はほむらと違って眼鏡を掛けておらず、髪だって三つ編みではない。

 常に勇者が携帯している神器も両者異なる。ほむらは銀色に輝く杖の神器、白鳥さん達と共に来たという彼女の左腕には土居のような円盤……いや、盾か…?

 

 だがそれでも、少女の姿は紛れもなくほむらだった。三年間もの間共に過ごしてきたのだ。それでも「似ている」や「そっくり」なんて言葉は当てはまらない、「同じ」や「一緒」という言葉が使われるほど、二人の容姿は一致している。いつだったか伊予島が語った、ドッペルナントカとやらが頭に浮かんだ……。

 

「どどどどうして!? こここここれってドッペルゲンガー!? 死んじゃうやつ!!?」

「ほむほむめがほむほむらちゃほむほむ……」

「「あわわわわわわわわわわ!?!?!?」」

 

 ……当の本人達もガクガク震えながら明らかに混乱……というかパニックを引き起こしてないか……!?

 ほむらはまどかに縋り付きながら、もう一人のほむらも黒猫を強くホールドしながら……。いや、猫……なのか? 私が知ってる猫にしては何というか……デフォルメ化してないか?

 

『~~~!?』ジタバタジタバタ

 

 ……っておいっ!? 黒猫が力強くホールドされているせいでもがき苦しんでいるぞ!? 気づいていないのか!?

 

「全員落ち着け…! そこのほむ……暁美と言ったか!? まずはその手を離せ!」

「はっ……!? ご、ごめんなさいエイミー…!」

『……!』

「あっ…」

 

 彼女が慌てて力を緩めると、黒猫はその腕を蹴って宙に躍り出る。そのまま浮遊しながら藤森さんの頭の上にスポッと乗っかかり………なあぁ!!?

 

「「「猫が飛んだ!!?」」」

「「……あぁ…」」

 

 見間違いではないよな!? まどかとほむらも私と全く同じ反応だ! 白鳥さん藤森さんはこちらを見て複雑そうな表情をしているが、そうではないだろう! 羽もないのに猫が飛んだんだぞ!? 羽があってもおかしいが、もっと驚くはずだろう!

 それ以外、たくさんいる諏訪の人達は「猫…?」「いるか? 猫なんて……」などとあちこちで言っており……いるだろう藤森さんの頭の上に!! 何故揃いも揃って見えていないようなフリをするんだ!!

 

 一方、黒猫に逃げられたせいなのか茫然としているもう一人のほむら。黒猫、ほむら、そしてまどかを真っ青な顔のままぎこちなく見渡す。そしてそのまま白鳥さんを見つめ……

 

「………し、白鳥さん…?」

「うぇっ!? な、何…!?」

「……頭冷やしてくるから、盾お願い!」

 

 左側の盾のようなものを取ると、その瞬間彼女の姿が消え失せた。残った盾が地面に音を立てて落ち、そのまま白鳥さんの足元に転がっていく……。

 

「き…消えた…!?」

「ひいぃっ!?」

「ほ、ほむらちゃん落ち着いて……!? 大丈夫大丈夫……! きっと大丈夫だから……!」

 

 ……もう私達には訳が分からなかった。こんな……数分にも満たない僅かな時間で起こり得る出来事なんてあるわけない。

 一方白鳥さんと藤森さん……盾を拾い上げて何やら叫んでいる。

 

「逃げた!? と言うか閉じこもった!?」

「暁美さん!? 待ちなさい……ああっ! 入り口がクローズしてる!? 私だってイヤよこのアトモスフィア!?」

 

 ……ああ……そういうことか…。白鳥さんや藤森さんといった諏訪の人々の生存及び避難、もう一人のほむら、空飛ぶ猫、突然消えた彼女といい……あまりにも現実離れしすぎだ。

 

「夢か、これは」

「「え?」」

「ふっ……それもそうだ。白鳥さん達の生存を熱望していたとはいえ、こうも都合良く新たな勇者と共に現れる訳がない」

 

 つまり今この瞬間は嘘だったのだ。白鳥さん達が無事だったのも、新たな勇者の存在が明らかになったのも。これが夢なのは残念だが、もう少しこの幸福な一時を過ごしていたいものだ。

 

「……あのー、乃木さん…?」

「夢じゃないです…! 私達、ちゃんとここにいます…」

 

 夢の中でも気を遣ってくれるとは、有り難いぞ二人共。だがやはり非常に残念だ。結局彼女達が生きて四国に逃れてきたというのは眩い偽りで、目が覚めれば再び友を失った過酷な現実に戻らねばならぬのだから。

 

「わ…若葉ちゃん……? それならわたしも同じ夢を見てるってことになるんだけど……」

「当然だろう。誰よりも諏訪の陥落を嘆き苦しんだお前ならば、白鳥さんも藤森さんも励ましてくれるさ」

「……乃木さん……私は……?」

「話した事が無いだけで会いに来ないほど、二人は薄情ではないぞ。ほむらにも伝えたい事があったんじゃないか?」

「「………ええぇ……」」

「ちょっ…! 乃木さん! 私達ちゃんとアライブしてるから! ゴーストでもドリームでもないって!」

 

 だが、こうして元気そうな彼女達の姿を見ることができたのは最高の気分だ。何せ今まで会ったことなど無かったからな。あぁ、分かっている……こうして私達の夢に現れて、やるべきことは一つしかない。うどんこそが優れていると証明……ごほん。想いを私達に繋げるため……そうだろう?

 

「やっと……会えたな、白鳥さん、藤森さん。お前達の意志、確かに引き継いだ」

「「生きてるって言ってるじゃない(ですか)!!」」

「痛ぁ!?」

 

 近くに寄った白鳥さんに円盤で頭を叩かれる。なんて硬さだ……頭に強い衝撃が、瘤ができそうな痛みだぞ……!

 

「ぉぉぉ……! 頭がぁぁ……え…? 痛い……?」

「勝手に私達を殺さないで! 乃木さん達に継がせる意志なんてもう無いわよ! とっくに諏訪でビリビリに破いてきたのよ!」

「いくら信じられない出来事の連続と言っても失礼です! まどかさん達はそんな事言ってないのに乃木さんだけ!」

「……ベッドから落ちてしまったのか? 土居じゃあるまいし……」

「もう一度シールドバッシュ、プリーズ?」

「仕方ないね、うたのん」

「ま、待て…!? もしかしてこれは夢ではないのか…!?」

 

 私はベッドから落ちるほど寝相は悪くもない。それは断言できるし、仮に何かが眠っている私の頭の上に落ちてきたとしてもその時点で夢から覚めるはずだ。

 だがこうして白鳥さんに叩かれて、頭がはっきりズキズキと痛むのに目が覚めないどころか意識は明白だ。念のため頬を抓るとその部分にも痛みが……。

 

「……よ…良かったぁ……!」

 

 夢ではなかった。何度も度肝を抜かれたが、さっきの摩訶不思議な出来事も白鳥さん達がここにいるのも本当の事だったのだ。恥ずかしながらその事に気づいた私はその場でへたり込み、改めて友の無事に安堵し目頭が熱くなるのだった。

 

「もう、だから生きてるんだってば」

「わ、悪かった……。しかし彼女やその黒猫といい、一体何なんだ……? 説明を願いたいのだが……」

「暁美さんが……ほむらさん、でいいんですよね、そちらの方は? そっくりだったのは私達もびっくりしましたけど……でも私達は暁美さんに助けられたんです」

「詳しい話は彼女が出てきてから一緒にトークしましょう? 今はそれよりも……みーちゃん」

「うん」

 

 二人の視線の先には……あぁ、そうだな。こんな大事なことを後回しにするわけにはいかない。白鳥さんの言う通り、彼女達の話こそ後にみんなと共にするべきだ。

 藤森さんの頭の上の黒猫も察したのか、ふわりと浮かび上がり離れると今度は私の頭の上に乗っかかる……何故だ?

 

『~♪』

「………まあいいか」

 

 出会ったばかりに私にもせっつくなんて、随分と人懐っこいんだな。どういうわけか尻尾も二本生えていたり、見た目からしてかなり不思議な猫だが嬉しそうに喉を鳴らしている。そんな上機嫌そうな生き物を退かすような無粋な真似はしない。だがさっき叩かれた所を刺激するのはやめてくれ……。

 

 そうこう思っている間に、白鳥さんと藤森さんは彼女の前に立っている。……本当に……良かった……。この時が訪れるのをどれほど待ち望んできたことか。失われてなどいなかった。あいつの悲しみは今、この瞬間終わりを迎えるのだ。

 

「まどかさん……だよね?」

「ハロー♪ 乃木さんにはもう挨拶済ませちゃってるけど、あなたにはまだだったから……心配をかけてごめんなさい、まどかさん」

「……っ! ほん…とうに……水都ちゃん……歌野ちゃん…なの……? いきて……!」

「同じ巫女同士、どうすればうたのんやほむらさんの助けになれるかって、二人でたくさん話し合ったよね」

「まどかさんとほむらさんのお父様が家庭菜園してるって、農業トークで盛り上がったわね」

「~~~っ!! 水都ちゃん!! 歌野ちゃんっ!!」

 

 涙をボロボロこぼしながら、まどかは二人に抱きつき、白鳥さんも藤森さんもまどかを抱きしめた。私、そしてほむらも、彼女達のその姿をそれぞれ後ろから見守る。さっきまで訳の分からない事が色々あって不安だらけだったであろうほむらは今、心を深く傷つけられたまどかを一番案じていたほむらだからこそ、あいつがまどか達を見つめる目はとても優しいものになっていた。

 

「うわああああああん!!!! 水都ちゃん!! 歌野ちゃん!! 死んだんじゃなかった……生きてる……! 二人共生きてる……うぅぅ……!!」

「まどかさん……ごめんね……いっぱい怖い思いをさせてしまったんだね……」

「そうだよ……! 二人のばかぁ……! 後はよろしくお願いしますって……ほんとにもう二度と話せなくなるって……死んじゃうって……!! ぅぁああ……!!」

「そう…よね……私も正直もうダメだって思ってたから……後先考えていなかったのは歌野反省。でも今度こそ約束するから……もう死なない、もう絶対に生きることを諦めないって」

「まどかさん、私もうたのんも、諏訪のみんなも助かったの。誰も犠牲になんかなってない……みんなの笑顔が守られたんだよ。だから……まどかさんも私達と一緒に笑ってほしいな」

「………ぅん…! 嬉しくないわけないよ……! 水都ちゃん……歌野ちゃん……!」

「「これからもよろしくね、まどかさん」」

「うん!」

 

 戻った。まどかの笑顔が。白鳥さんと藤森さんと一緒になって笑い合う、かつての彼女達の姿がそこにあった。

 私と同じ思いなのだろう。ずっと彼女達を穏やかそうに見つめるほむらの隣まで歩き、再び私も一緒になって三人の喜びを見つめるのであった。

 

「……良かったな、ほむら」

「……はい。あんなに嬉しそうなまどか、なんだかもう長いこと見れていなかったような気がします」

「そうだな……夢ではなくて本当に安心した」

「本当……なんですよね、やっぱり……」

 

 ほむらの表情が少しだけ曇る。まぁ……目の前の光景が事実ならばもう片方も事実だ。私達全員が何度も目を疑ったのだから、ほむらにとって彼女の存在はまさしく驚天動地だろうな。

 

「……あの私そっくりな人……一体……」

「わからん……が、私が思うに良いやつだとは思うぞ? 白鳥さんも藤森さんも、彼女を信頼しているみたいだからな」

 

 もう一人のほむら……藤森さんは『暁美ほむら』という北海道の勇者だと言っていたが、北海道に勇者がいたなど初耳だからな……。

 だが、心強いではないか。白鳥さんと藤森さんがこうして生きていて、新たな勇者までもが私達に加わったのだ。これで勇者は八人になったわけだが、私達がバーテックスに反旗を翻すための力はこの加入だけでも大幅に上がったも同然だ。

 

「……消えましたよね…?」

「……むぅ」

「……乃木さんの頭の上の猫は? というかその子は本当に猫でいいんでしょうか…?」

「……わからん」

『……♪』

「あら、可愛いですね~♪」

 

 突然聞こえた第三者の声。ほむらと同時に振り返ると、そこにいたのは私の幼馴染で巫女の上里ひなた……。私に神託を伝えてくれたものの、慌てて飛び出してしまったがために部屋に置き去りにしまった彼女は、どこかほっこりとした満足気な笑みを浮かべていた。

 

「う、上里さん……来てたんですね……」

「おはようございます、ほむらさん。ちょうど今来たところです。他の皆さんや大社に連絡していて遅れました。まぁ、若葉ちゃんが最初から私も連れていってくれたら此方で連絡できたのですが……」

「うっ…! す、すまない……白鳥さん達かと思ったらつい気持ちが先走ってしまって……」

「とりあえず、猫ちゃんオン若葉ちゃんヘッドの珍しい写真ゲットです♪」

「おい」

 

 謝ってる途中にも関わらず、断りもなく嬉々として私をカメラに納めるも、言ったところでひなたは決して止める訳がない。諦めて溜め息を吐くと、写真を撮り終わると黒猫は私の頭の上から今度はひなたへと飛びついた。

 

『~♪』

「あらあらまあまあ♪」

「…………」

「……ほむら?」

「……えっ? どうかしましたか?」

「いや、何やら考え込んでいる風に見えたのでな……」

「……少し………いえ、何でもありません」

「しかしこれは驚きましたね。どこもかしこも大慌てでしたよ? 崩壊してしまったと思われた諏訪の方々が四国に逃れて来れたのは喜ばしい限りですが、大勢の大社関係者が至急居住区の手配や用意に走っていますから今日は授業も訓練も無いみたいです」

「そうだろうな……ざっと数万人はいるからな……」

「ですがまどかさん、とても幸せそうですね。一緒に居られる方々ですか、無事に白鳥さんと藤森さんに会えたんですね」

 

 予測していなかったからな。いずれは避難住民の住居の確保を視野には入れていたが、突然その重要度は増してしまった。だがそれが大変ではあるが、喜ばしい誤算であるのに変わりない。

 しばらく世間はこの奇跡のような出来事を大騒ぎだろうが、多くの人々の命を保護するために大社には何が何でも頑張ってもらいたいところだ。勿論私達も……。

 

 ……三年前に目の前で友達を喰われ、三日前に諏訪を墜とされたと奴らには耐え難い苦汁を飲まされた。絶望に打ちひしがれた友の悲痛な叫びに心が痛くて仕方なかった。

 

 目の前の光景はまさに奇跡としか言いようがない。この絶望に捕らわれてしまった世界で有り得ないとしか思われなかった生存を果たし、この安寧の地に辿り着くなど……。

 希望に導かれ、絶望に脅かされていたはずの人々が今、こうして歓喜に震えている。心臓が張り裂けそうになる苦しみを味わった者が、それから解放されて嗚咽をこぼしている。

 

「私達の反撃はこれからだな」

「はい。もう二度とまどかにあんな苦しい思いはさせません」

「私もずっとついていきますよ。皆さんの手の届かない所は任せてください」

 

 これが第一歩……ゆくゆくはこの希望を世界中に広げねばならぬ。奪われた世界を取り戻すため……勇者として、私は改めてこの事を固く誓うのだった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 上里さんは数人の大社の人達と一緒に来ていた。私はまどかをおぶって向かったのに、乃木さんは上里さんを置いて一人で向かったから……と、ねちねち乃木さんに笑顔(目は笑っていなかった)で文句を言っており、その乃木さんの助けを求める視線を気づかないフリをする。乃木さんには悪いけど、余計な口出しをして巻き添えになるのは少し嫌だから……。

 

「しばらくの間、皆様方は我々大社が用意したホテルで過ごしてもらうことになります。食事や生活必需品など、費用は全額大社が援助しますので心配なさらないでください。もし親族やご友人が四国にいらして、そちらで暮らしたいという方がいらしたらお申し付けください」

 

 その上里さんと一緒に来た人達はそれぞれが大型のバスを運転していて、諏訪からの避難住民を次々とホテルに送迎していった。ただやはり数が数だから、香川だけでなく愛媛や高知や徳島、あちこちのホテルを利用する。家族間で離れ離れになるなんてことはないものの、友人間で違う県になってしまった人達はいた。

 

 それと流石に現段階では学校に通わせる事も、仕事を用意する事も難しいらしい。でも全く新しい環境だって考えると、今は気持ちを休めることがかなり重要だとは思うし、ゆったりとこの四国での生活に慣れてもらうのが良いよね……。

 

 諏訪の人々はこんな風に、これからは大社が責任を持って守ってくれる。一方、これからは私達と一緒に丸亀城で過ごし、共にバーテックスと戦うと彼女達が名乗り出た。

 

「後はよろしくお願いします……なんて、責任を皆さんに丸投げしたからちょっと言いにくいんだけど、世界だけじゃなくて諏訪の土地も取り戻すんだって新しいパーパスができたの。諏訪のみんなにも必ず成し遂げるって約束したから、私もあなた達と一緒に戦わせてほしいの!」

「私も……私はうたのんとは違って戦うための力は無いけど、最後までうたのんを見守るんだって誓ったんです。ワガママかもしれないですけど、うたのんを手伝えるなら……助けられるなら何でもやりたい……! 一緒に私達の夢を叶えたいんです!」

 

 諏訪の勇者の白鳥歌野さん。巫女の藤森水都さん。

 

 私達は彼女達の真っ直ぐな想いをぶつけられて、同時に心強い人達の決意の大きさ、格好良さにとても頼もしくなる。

 彼女達の生き生きとした目の輝きは、かつて死を受け入れた人達のものとは思えない。失われた大切なものを取り戻そうとしてるだけじゃない。共に未来を切り拓こうとする、まさしく勇者としての想いに心を打たれた。

 

「……ああ…! 願ってもない申し出に感謝する。是非とも二人の力を貸してくれ! 共に世界を守り、取り戻そう!」

「よろしくお願いします。白鳥さん、藤森さん」

「……ふふ、こんな大きなハッピー、本当にドリームみたいね」

 

 私と乃木さんは白鳥さんと固い握手を交わす。今まで遠くにいる勇者で、まどかと乃木さんの友達だった彼女達はこれから私にとっても仲間と言われる存在になる。

 

「大歓迎ですよ。私も巫女として、若葉ちゃんの幼馴染として、何が何でも助けになりたいという想いは一緒です」

「一緒に頑張ろうね! 水都ちゃん、歌野ちゃん!」

「はいっ!」

 

 まどかと上里さんは藤森さんと。元々まどかと藤森さんは仲が良いから心配していなかったけど、上里さんだって判断力は誰よりも優れているし、性格も人として素晴らしい。間違いなく彼女達のことも本心から受け入れてくれると信じている。

 

「他の仲間達にも伝えねば。とても頼りになる仲間が増えたと」

「ああ、丸亀城でみんなと生活をトゥギャザーしてるって言ってたわね。是非とも紹介してプリーズ♪」

「もちろん! でもその前に……歌野ちゃん、その怪我は大丈夫なの?」

 

 諏訪での戦いが激しかったのか、白鳥さんの頬や腕や足の絆創膏や包帯が目立っていて痛々しい。ちゃんとした医療機関で看てもらいたかったのはこの場にいる全員が思っていた事だった。

 

「ああ、ノープロブレムよコレぐらい。一応ここに来る途中、諏訪でドクターしていた人にも看てもらってるから」

「しかし、一度ちゃんとした医療道具や設備が整った所で看てもらった方が良いのではないか?」

「あっ、その点も大丈夫だと思います。道具は充実していたので……傷の縫合とかもしてもらっていましたから」

「……それらしい物を持っていた人っていましたっけ…?」

 

 そもそもよく分からない事ばっかり。諏訪から四国までの長距離を数万人もの大人数での逃避行なのに、道中のバーテックスから一人の犠牲も出していないらしい。それも車を使わずに、高齢者もたくさんいたにも関わらず……。

 食糧とか、避けられない問題なんていくつもあるだろうに……それもたった二日間で辿り着くなんて……。

 

「すみません、私からも一つお尋ねしたいのですが……」

「上里ひなたさんね。何かしら?」

「もう一人の勇者についてです。ご一緒ではないのですか?」

「……そうだな。私も礼を言えず終いだ。結局彼女はどこに行ったんだ?」

「……遠い親戚だったりするのかなぁ…?」

「親戚? まどかさん、それはどういう意味です?」

 

 ……あぁ、上里さんは見てなかったから……。でも私もまどかも乃木さんもずっと気になっていたんだよね……。

 突然目の前からいなくなったけど、白鳥さんと藤森さんは特に気にした様子はしてないし、彼女の物と思わしき盾も持ってるからどっちにしろ取りに来るのかも。ただあの人、どこからどう見ても髪を解いて眼鏡を外した私だから……本当に何なんだろう、いったい……。まどかの言うように親戚なのかな……? それにしては似すぎてる気がするけど……。

 

 私達全員から疑問の眼差しを向けられた白鳥さんと藤森さん。二人は微妙そうな顔を見合わせると、同時に白鳥さんが持っていた円盤型の盾を指差す。

 

「「ここです」」

「「「「………え?」」」」

「実はこのシールドの中身が異空間になってて……」

「暁美さんがこの中に閉じこもってしまって……」

「「「「……………」」」」

 

 ……この人達はいったい何を言ってるんだろう。

 

「ちょっと! みんなその目はヒドくない!? 私達嘘は言ってないわよ!」

「うたのん、普通そうなるって……まぁ、ちゃんと戻ってくるとは思うので、待ってくれれば……」

「……そ、そうか、分かった…」

 

 よく分からないけど、あの人がちゃんと戻ってくるならこの際何でもいい……かな…? でも戻って来たらそれはそれでまた新しい問題ができそうな気がする。特に土居さんや高嶋さんが目にしたら、それだけで大騒ぎになってしまいそう……絶対。

 

「「あっ…」」

「では彼女がここに戻り次第、丸亀城に向か「あら、諏訪の人達がいない」おわぁ!?」

「ほ、ほむらさん!?」

「「っ…!?」」

 

 乃木さんが話してる途中、彼女がいきなり白鳥さんのすぐ隣に立っていた。二人と共に四国に来た、私そっくりの謎の勇者が……。

 あまりにも唐突で白鳥さんと藤森さん以外が驚き、中でも上里さんは信じられないものを見る目……そのお気持ち、とてもよく判ります……。

 

「今の状況は?」

「……こちらの対バーテックス組織、大社がみんなを四国中のホテルに連れて行ってくれました」

「そうなの? ……参ったわね、まだ盾の中に彼らの私物が残ってるのに」

「というかどうして突然エスケープしたのよ! おかげで乃木さんにこれはドリームだって疑われたのよ!」

「私だって疑ったわよ………冷静になれた今でも信じられない。前例はあったけど……

 

 白鳥さんと藤森さん、普通に話して……あの人に慣れてる……。聞こえる声まで私と同じ。私は……やっぱりまだどこか少し、怖いと感じてしまう。

 

「な、なぁ…良いだろうか…?」

「………ええ、乃木……」

「ああすまない、自己紹介がまだだった。乃木若葉、ここ四国の勇者のリーダーだ。暫定だがな。それで彼女が上里ひなた。巫女で私達勇者を支えてくれている」

「………性格は全然違うわね……」

「え?」

「何でもないわ。私は……暁美ほむら……」

「「「えっ!?」」」

 

 私とまどかと上里さんは驚き声を上げ、真偽を確認するかのように白鳥さんと藤森さんを見る。それに気づいた彼女達は私達が思っていることに気づいたのか、不思議そうな顔で頷いた。私と同じ顔、同じ声、同じ背格好……同じ名前……!?

 

「……あなたは彼女と血縁関係にあるのか?」

「……こっちが知りたいくらいよ……暁美ほむらが二人……それに」

「……あ…あのっ……! 私の名字は鹿目……鹿目ほむら…です……!」

「鹿目!!?」

 

 私が名前を言うと、今度は彼女が動揺する。まるで私の名字が鹿目であることが異常だと言うかのように……。

 ……何だろう…? あの人は私の存在が信じられないみたい……それは私だって同じ。だけど私が鹿目姓であることはそれと同じぐらい信じられない……そんな反応をするなんて……。でも私の苗字は……。

 

「それじゃああなたは……あなたの名前は……!?」

「えっ、わたし……鹿目まどか…です……」

「………こっちは……って、えっ? 二人とも鹿目?」

「ああ、彼女達は姉妹なんだ。まどかが姉で、ほむら……こっちのほむらが妹にあたるんだ」

「……姉妹!?」

 

 ……乃木さん、確かにその通りなんだけど、それだけじゃますます混乱させるだけです……。なんたって私とまどかを姉妹って紹介した所で、私達に面影なんて欠片も無い……血の繋がりは無いんだから。

 

「養子です、私。三年前のあの日に両親を失って、鹿目家に引き取られました」

「それは………ごめんなさい、無神経だったわ」

 

 私が鹿目ほむらになったのは三年前から。彼女……暁美さんが何を思って私の名字に驚いたのかは知らないけど、今はその名前に誇りを持って生きている。この名前に誓って……私は勇者になる道を選んだのだから。

 

「……色々お聞きしたいことがありますが、ひとまず他の皆さんと合流しませんか? きっと首を長くしてお待ちしていることでしょうし……」

「……それもそうだな……土居と友奈あたりがうずうずしているのが目に浮かぶ。暁美さんも構わないだろうか?」

「…………まぁ、異論は無いわ」

 

 ……詳しい話は後、暁美さんは謎でいっぱいだけど、乃木さんが言った通り悪い人ではないと思う。きっと向こうだって私と同じでわけが分からないだけなんだって……そうなんだよ……たぶん……。

 

「……ねえ、まどかは……どう思う?」

「暁美さんのこと……? 歌野ちゃん達が大丈夫だって言うなら大丈夫だと思う……けど……」

「けど?」

「……わかんない……なんだろう……あの人を見てると何か……………嫌な…予感が……?」

 

 曖昧なまどかの呟き。それを聞いたのは私だけで、ほかのみんなは丸亀城に向かうべくバスに乗り込もうとしていた。暁美さんがバスの中に入って、その後ろを謎の黒い猫がついて行き、途中でその場に止まって振り返る。

 

『…………』

 

 黒猫は私とまどかをじっと見つめると、不意に前を向いて暁美さんの後を追う。私達はこの時の黒猫の行動の意味を特に考えもせず、バスに乗り込んだ。




 文字数の割にストーリーほとんど進まなかった(涙) 己の筆力が憎い!


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第五十話 「紹介」

 GW前の軽い気持ちでウマ娘をインストールした結果、オグリでうまぴょいさせるべく育成に夢中になり、気がつけば前回投稿から10日経っても100文字という目も当てられない時間のロスに……。
 無事に攻略サイト無し、目覚まし無しでうまぴょいを拝めたので、猛スピードで執筆にに取り掛かりましたが……遅筆すみませんでしたorz


 ……さっきから教室の中が騒がしい。と言っても騒がしくしてるのは土居さんだけで、高嶋さんと伊予島さんはそんな土居さんを相手しているだけだろうけど……。

 

「まだか~? まだ若葉達は帰って来ないのか~?」

「早いよタマっち先輩……。ついさっき全く同じ事を呟いたばっかじゃない」

「んなこと言ったってもう昼じゃないかー! 気になって仕方ないんだよー! 諏訪の勇者と巫女だけじゃなくて、全く新しい謎の勇者も来たんだろ!?」

「時間が掛かってるんだよ、きっと」

 

 今朝急に上里さんから連絡が来て、その内容はつい先日墜とされたとばかり思われていた諏訪の住民達の生存。そしてそんな彼らが瀬戸大橋に逃れてきたという誰にも予測できなかった報せだった。

 おまけに諏訪にいる勇者は一人だけのはずなのに、全く新しい、存在が知られていなかったもう一人の勇者も一緒にいるのだと。

 

 彼女達が話しているものはその事だ。私は勇者だけど、はっきり言ってどうでもいい。大勢の人間が生きていたというのは良いことだというのは分かるけど、私には関係の無い話だからだ。

 

「私もタマちゃんの気持ちが解るよ~! それに諏訪の勇者ってことは、若葉ちゃんとまどちゃんのお友達なんでしょ? まどちゃん、たくさん悲しんでたってホムちゃん言ってたから……良かったよ。本当に」

 

 私達勇者のサポートをする巫女の二人。その内の一人は諏訪との最後の通信を境にショックで家に引きこもっていた。

 こんな世の中だからこそ、いつ誰かが死のうともそれを覚悟しておくべきであって、それを受け止められないで高嶋さん達を心配させるなんて情けない……何割かはそう思っていた。

 

「ぐんちゃんもそう思うよね!」

「……ええ、そうね」

 

 別に私は彼女と特別親しい訳でもないし、今までもこれからも、勇者と巫女は一人を除いて馴れ合うつもりはない。

 ただ、それでも三年間私達のためにひたすら尽くしてくれて、共に学校生活のような日々を過ごしていた訳で……早く立ち直りなさいとは考えていた。

 

 …………高嶋さんが悲しむからよ。それ以外に理由はないわ……。

 

「てかアイツらがこっちに来てないって、それってもしかして若葉達と一緒に会いに行ったってことだよな?」

「たぶんそうじゃないかな。まどかさんもひなたさんと同じ神託を受けたのかも」

「ならタマ達も大橋に行って良いんじゃないか!」

「今から!? おとなしく待ってた方が良いよ!」

「待つのはタマの性に合わない!」

 

 ………さっきから大きな声で……土居さんが本当にうるさい。会ったこともない人にこれから会うだけで、どうしてそんなに騒げるのか理解に苦しむ。

 

「……少しは静かに待つって事ができないものなの……」

「う~ん、難しいんじゃないかな? ぐんちゃんだって、新しいゲームの発売日はソワソワしない?」

「……それは……そうかもしれないけど……」

 

 ………言われてみれば、それは近いのかしら……。高嶋さんの言うことに間違いは無いし、初めてプレイするゲームを前にした時に気分が高揚するのは身に沁みている。

 いやでも、私はあんなにうるさく、周りの誰にも迷惑なんて掛けない。やっぱり土居さんが煩わしい事実は変わらない。

 

「私もちょーーー楽しみ!! 新しいお友達が増えるんだって思うとワクワクする♪」

「……………」

 

 ………そして、気に食わない。ただこれは誰も悪くない、私の最低で気持ち悪い身勝手な感情のせいであって、喜んでいる彼女の前で言うわけにはいかないないけど……。

 

 私には一人しか友達と言える存在がいない。それとも一人も私の友達でいてくれる人がいるとでも言うべきか……。

 

 高嶋友奈……誰よりも優しくて、明るくて、元気で、彼女が側にいてくれるだけで幸せになれる。私とは正反対の性格だけど、彼女が隣にいてくれる時が何よりの幸福であり、私の全てであった。

 ……高嶋さんは優しすぎる。私だけではなく、他の人達にも(すべか)らく、その天使のような笑顔を絶やさない。それは間違いなく、高嶋さんのたくさんある魅力の一つだけど、それを常に私一人に向けてほしいと思ってしまう私はなんて浅ましく、卑小な存在なのかしら……。

 

 ……かと言って、私が他の人達と仲良くできるとも思えない。性格が合わないから……高嶋さん以外と私が仲良くできるわけがない。

 

 土居さんは押しが強く、うるさくて空気を読まない。

 

 伊予島さんは弱くておどおどしている様が気に入らない。

 

 鹿目さん姉妹の妹の方も、どこか私を受け入れがたいと思っている節があるみたいで……。姉の方は……彼女は大社からの余計な入れ知恵で私の過去を知っている……。あの事は誰にも……高嶋さんにだって触れてほしくない。性格云々ではなく、そもそも最初から関わりたくない存在だ。

 

 同様に上里さんも知っているが、特に彼女はあの人とばっか一緒にいるから、もっと相容れない。

 

 

 

 

 そして、乃木若葉……私は彼女が大嫌いだ。

 

 

 

 

「おいっ! バスが来たぞ! あれじゃないか!?」

 

 教室の格子窓に張り付いている土居さんが声を上げる。すぐさまその後ろに高嶋さんと伊予島さんも並んで外を眺める。私も一応席から立ち上がり、三人の頭の隙間から外を確認すると、一台のバスが丸亀城の敷地内へと入ろうとしていた。

 観光バスではない、おそらく大社の……。来てしまったか……。

 

「みんなで出迎えようよ!」

「だな! タマ達の新しい仲間達だ! いくぞあんずぅ!」

「わぁっ! タマっち先輩いきなり引っ張らないでよー!」

 

 相変わらずのテンションで教室から慌ただしく飛び出す土居さんと、彼女の破天荒さに振り回される伊予島さん。私は興味無いからここでゲームしながら待つことに……。

 

「行こっ♪ ぐんちゃん♪」

「ええ。高嶋さん」

 

 高嶋さんの温もりに満ち溢れた手が私の手を包み込み、女神に匹敵する程の可愛らしい笑みで誘われる。この高嶋さんを前にして「NO」と断れる者がいるとすれば、それは絶対に人間として失格だ。間違いなくその体に血は通っていないだろう。

 

 ギュッと握られる高嶋さんの手の温かさを感じながら、この上ない極上の幸福を味わいながら一緒に外へ。やっぱり高嶋さんは最高ね。一緒に話したり遊んだり手を繋いだり……そこに高嶋さんがいると思うだけで、私の淀んだ心が癒されるんですもの。

 

 二の丸を過ぎると、そこに土居さんと伊予島さんはいた。見返り坂の方に身体を向けて大きく手を振っている。そして案の定、バスは彼女達が手を振っている方から私達へと近づいていた。高嶋さんもそれに気づくと、パアっともっともっと魅力的な笑顔を咲かせ、彼女達のように私の手を握ったまま上げ、元気よく振り始めた。

 

「おーーーい!! 若葉ーーー!! ひなたーーー!!」

「まーどちゃーーん!! ホームちゃーーん!!!」

 

 ………少しだけ、もどかしい……。高嶋さんが誰にも優しいなんて分かりきってることなのに、目の前の笑顔が私に向けられていないってだけで、どうしてもモヤモヤが湧き上がりそうで……。

 

 バスが停車する。高嶋さんと土居さんの興奮はピークに達し、近くに駆け寄ろうとした。

 だけど、バスの扉が開くと同時に一人の少女がその中から飛び出した。どこか別の学校の制服を着ている彼女は、その長い黒髪を靡かせながらこっちに駆け出し………ほむらさん?

 

「あっ、ホムちゃん! おーい!」

「友奈っ!」

 

 勢いそのまま、彼女は高嶋さんに抱きついた。

 

「ふえっ?」

「「「な……!?」」」

「友奈!? 本当に友奈なの!?」

 

 咄嗟のことで誰も動けなかった。ついさっきまで気分上々だった土居さんも固まり、この状況に驚いていた。

 高嶋さんに抱きついた少女……鹿目ほむらさん……よね? 何故かいつもとは違う制服を着ていて、いつもの大きく二つに分けられた三つ編みの髪型ではなく、更には眼鏡を掛けていない、普段と違った装いをしているけれど……彼女は私達と同じく勇者、鹿目ほむらだ……。

 

 彼女の姿がいつもと違うだけではなく、唐突に高嶋さんに飛びつく事態に全員が困惑する中、ほむらさんは私達に負けないほど驚愕に染まった表情を高嶋さんに向けていた。

 

「えっ!? なになに!? どうしたのホムちゃん!? えっ!? ホムちゃんだよね!?」

「どうして……なんで、あなたまで…!?」

「な、なんだ……? いきなりどうしたんだよほむら……?」

「お、落ち着いてくださいほむらさん……!」

 

 事態が飲み込めない……。ほむらさんはいつもおとなしい。自分を表に出すことが少なく、ぱっと見気弱な雰囲気をしている。高嶋さん達との仲は良い方だけど、それでもこんな風に感情を爆発させた事なんて、今までに一度もなかった。

 

「ホムちゃん待って待って……!」

「っ、大丈夫よ友奈……! 一緒にかえ…」

「………はっ! ちょっと! 高嶋さんが困ってるでしょ……!」

 

 視界に入った高嶋さんの困惑顔。高嶋さんも彼女のただならぬ様子に戸惑い、待ったを掛けるも、彼女は高嶋さんの言葉が聞こえなかったのか完全に無視していた。

 私の中で怒りが湧いてくる。高嶋さんを困らせるなんてどういうつもりなのか……挙げ句の果てに、高嶋さんの許し無く、そんなに密着し続けるなんて……! 高嶋さんが許しても私が許さない!!

 

 彼女の手を掴み、高嶋さんから引き剥がそうとしたところで……その手が異常に冷たいことに気づく。

 

「っ、放して!」

「……!?」

 

 私が掴んだ彼女の手は、強引に振り解かれてしまうも……明らかにおかしい……。あの手の冷たさは……人間の体温のソレじゃない……。

 それに彼女がこんなに強気で、それも誰かに反抗的な目を向けるなんて、今までに一度も無かったはずよ……?

 

 怒りを孕んだ瞳が向けられる。そして彼女の顔も……死人のように蒼白だった。俄に信じがたいけど……彼女は私達の知るほむらさんではない……!

 

「……あなた…誰……! 高嶋さんから離れなさい……!」

「え!? おい千景何言って……」

 

 得体の知れない謎の相手に感情を乗せて言い放つ。ほむらさんの姿をした、人間とは思えない正体不明の相手……まさか人間に擬態したバーテックス……!?

 私よりも高嶋さんに近い位置を取って……悔しいことに、この状況は高嶋さんを人質に取られているようなものだ。

 

 高嶋さんに手を出してみなさい……! 人間だろうがバーテックスだろうが関係ない。塵一つ残さず駆除してあげるわ……!

 

「……たか…しま……?」

「ひゃっ!」

 

 ……予想外なことに、彼女?は高嶋さんに抱きついたままだった腕を解いた。ただ今度はありえないものでも見るかのような表情で、高嶋さんをジロジロ見つめて、ぺちぺちと確かめるようにその顔を触わ………………殺す!

 

「おい! お前達、何をしている!?」

 

 ポケットから携帯を取り出そうとしたその時、この場に大嫌いな彼女の声が響き渡る。

 

「暁美さん、話が違います! バスの中で言ったではありませんか! 皆さんが驚くでしょうから、まずは私達が事情を説明する手筈だったじゃないですか!」

 

 それから、上里さん……。暁美さんって……?

 

 彼女達は目の前のほむらさんの偽者と同じく、バスから降りて走ってくる。それにバスの昇降口では焦り気味のまどかさんが顔を覗かせて……隣に一緒になって覗き見してる人もいる。見知らぬ女の人が二人……それと……どういうことよ……。

 

「なにぃいいいいいいいい!!!? ほむらぁあああ!!!?」

「ホムちゃん!? ホムちゃんが二人!!?」

「は、はい……そうみたいです、土居さん、高嶋さん……」

「ちょっ…! ええっ…!? ならこちらのほむらさんは!!?」

「わたし達にも何が何やら……」

「ハローエブリワン! はじめまして! 諏訪で勇者やってました、白鳥歌野です! 今日から皆さんと一緒にここでお世話になります!」

「うたのん空気読んで!?」

「諏訪の勇者……ほんとに無事だったんだ! 私、高嶋友奈です! よろしくね! 歌野ちゃんって呼んでいいかな!」

「返した!?」

「高嶋友奈…………彩羽さんと羽衣ちゃんの……!」

 

 ……大橋に向かった人とそこから来た人は異常事態だというのに、こちらよりは幾分かは落ち着いている。……まさか、このほむらさんの偽者がもう一人の勇者ってわけなの?

 

 ……初めから新しい勇者に興味なんて無かったけど、ますます気に入らないわ。怪しいといったらありゃしない。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 全く……。暁美さんにも困ったものだ。何故友奈達が彼女の姿を見て驚く事を理解しながら、事前の話し合いを無視して飛び出していったのか……。

 瀬戸大橋から丸亀城に向かう間、バスの中で話を通していたはずなんだ。予め、新しい勇者がほむらと瓜二つだと言うことをみんなに伝えてから出てきてもらうつもりだったんだが、土居と友奈の呼び声を聞いた途端に顔色を変えて真っ先に……。

 

 顔色と言えば、暁美さんは体調不良なのだろうか? 白鳥さんの怪我は問題無いと言うが、暁美さんのあれはそれと同じくらい心配なのだが……尋ねたのだが、はぐらかされてしまった。

 

 ……というか、ほとんどはぐらかされたのだが……。特に勇者アプリ……さも当然のように扱って服装が変化した時は驚いた。あれは大社が研究に研究を重ね、生み出した物だぞ。故に所有者は私達四国の勇者だけのはずなのだが……。

 

 北海道……人知れず神秘の魔境だったのか?

 

 ……後からもう一度聞いてみよう。彼女だって勇者で、同じ志を持った仲間なんだ。今後も力になってくれるのは間違いないだろうし、私個人としても彼女には友を救ってもらった身だ。こっちに来て色々戸惑うことはあるだろう……力を貸すのは惜しまないつもりだ。

 

 というわけで早速一つ。彼女達をみんなに紹介せねばなるまい。現に土居と伊予島はほむらと暁美さんを驚愕に満ちた顔で交互に見比べ続けている。きっと先程までの私達も同じだったのだろうな……。

 友奈も驚いているようではあるが、それよりも顔が喜びを隠しきれていなかった。既に白鳥さんと藤森さんの事も下の名前で、それもちゃん付けで呼ぶなど、相変わらず適応力が高い。暁美さんの事も、友奈からすれば友達と同じ姿だから、むしろ嬉しいと思っていそうだな……。

 だが……郡さん…。彼女が暁美さんを見る目……あれは敵意じゃないか? 警戒があからさますぎるぞ……。私も郡さんとは仲良くやりたいとは思っているが、苦戦中だからな……すまない暁美さん……。郡さんは私では力不足かもしれん。

 

「ゴホン……えー……皆も既にひなたから知らされたと思うが、諏訪の人々は無事だった! そして今日、彼らはこの四国の地に逃れ、生き延びた! 彼女達は諏訪で戦い続けていたが、これからは私達と共に戦う新たな仲間達だ!」

「改めまして、白鳥歌野です♪ バースデーは12月31日の大晦日! 好きなフードは蕎麦! ホビーは農業です!」

「ホビー? なんだそりゃ?」

「タマっち先輩、趣味って意味だよ……にしても独特な話し方ですね……」

「カッコいいでしょ! これから仲良くしてプリーズ♪」

「面白いヤツだな! タマは気に入ったゾ! よろしくな歌野!」

 

 白鳥さんの一風変わった自己紹介に何名かは苦笑する。通信の時はこんな風に英語混じりではなかったからな。それにいつも丁寧語であった。

 だが、藤森さんが言っていたが、これが本当の白鳥さんなんだ。彼女のこの素の一面を知れて、思わず顔がほころびそうになるほど嬉しく思える。これからもより彼女達と絆を深めたい……通信ではなし得なかった、こうして奇跡的に出会えたからこそ、この幸せを強く噛み締めたい。

 

「巫女の藤森水都です…! よ、よろしくお願いします…!」

「丸亀城の三人目の巫女さんだ! こちらこそよろしくね! 水都ちゃん!」

「これからもまどかと友達でいてくださいね」

「も~! ほむらちゃん、それどの目線なの!」

「うふふ。ほむらさんも、私と仲良くしてくれると嬉しいな」

「はい! もちろんです!」

 

 藤森さんにも、友奈とまどかとほむらが受け入れて、楽しげな空気に包まれている。藤森さんは人見知りな性格であるのだが、断言できる。私も、仲間達も、彼女に壁は作らない。仲間で、友達で……掛け替えのない存在だからだ……。

 

「…………」

「………あのぉ……郡さん?」

「………なに」

「……いえ…なんでもないです……」

 

 ……ただ、郡さんが少し分からない……。唯一郡さんに心を許されている友奈が羨ましい……ハァ…。

 

「それで若葉さん、そちらのほむらさんそっくりの方は……?」

「そうだぞ若葉! タマ達全員おっタマげたんだからな! ほむら、そっちのほむらの隣に立ってくれないか」

「え? あ、はい」

 

 白鳥さんと楽しげに話していた伊予島と土居の興味の対象が切り替わる。それにつられて他の全員の視線が暁美さんに集まった所で、土居がほむらを暁美さんの隣に並ばせる。

 

「そいそいそい!」

「きゃあ!? ど、土居さん! 返してください!」

 

 そして引ったくるようにほむらから眼鏡を奪い、流れるように三つ編みを結んでいる二つのリボンを解く。

 髪が解かれ、土居の勢いに長い黒髪が靡く。眼鏡と三つ編みという異なる点が無くなり……う…むぅ……。

 

「……どちらがほむらさんか暁美さんなのか、全く見分けがつきませんね……」

「これもう完全に同一人物だろ! 制服しか違うところがないぞ!」

「まるでウィリアム・ウィルソンのような衝撃的遭遇……現実は小説より奇なり……ってことですね……」

「あうぅ……前が見えないぃ……」

「タマちゃん眼鏡は返してあげて!」

 

 土居の手によって見える顔と髪型を同じにして比較してみると、全く同じ人物が二人並んでいるようにしか見えない。まあ、ほむらは眼鏡が無いからかふらついて、暁美さんはほむらよりも血色が……やはりどうしても心配になるぞこれは。

 見た目は合致している。カチューシャの色まで……土居の言うように制服の差異しかないのだ。

 

「もしかして、暁美さんってコンタクト?」

「いいえ。裸眼よ。視力で困ったことは一度もないわ」

「う、羨ましいです……。私眼鏡が無いと視界がぼやけて……」

 

 ……視力は異なるのか。これで暁美さんまで悪かったら本当にコピーのようだな。既に否定しにくいのだが……。

 

「球子ちゃん、リボンちょうだい。ほむらちゃん、髪編み直すね」

「おう、悪かったなほむら」

「もう……いきなりはやめてくださいよぉ…」

「うちのタマっち先輩がすみませんでした…」

「ねえねえ、暁美さんだっけ? 下の名前は何て言うの?」

 

 土居のせいで脱線していたが、彼女の自己紹介はまだだったな。暁美さんについて知りたいことは私もたくさんある。仲間としても、勇者としても……。

 

「暁美さん。自己紹介をお願いする」

「……暁美ほむら、中学二年」

「なにィ!? マジか!? 名前まで一緒なのか!?」

「声もほむらさんより少し低いけど……ほぼ同じ……!」

「すごーい!! ねえねえ! これからは、ほむらちゃんって呼んで良い!?」

「……あ、暁美さん…それだけか……?」

「……誕生日は3月12日、趣味は色々、好きな食べ物は……友達が作るぼた餅や料理」

「いや、白鳥さんの自己紹介に寄せなくても……」

 

 暁美さんの自己紹介……なのだが、私達が聞きたいのは他にあるというか……。いや、勿論今教えてもらった誕生日だとか趣味とか好物とか、そういった当たり障りのない内容だって大歓迎ではあるのだ。趣味を元に友好を深めたり、誕生日には好物を用意して盛大に祝うことだってできるからな。

 しかし、暁美さんは誰も存在を把握していなかった、遠く離れた北海道の勇者なんだろう? その辺の内容も付け加えてもらえると非常に助かる。

 

「暁美さん……もう一度頼みたいのだが、北海道ではどのような……」

「期待に添えなくて申し訳ないけど、北海道の話はしたくないといってるでしょう」

「いやしかし、あなたの情報提供で事態が良い方に傾くかもしれないだろう?」

「………気が向けば」

 

 ……結局、はぐらかされてしまったか。しかし何故こうも話すのを拒むのだろうか……。何か理由があってのことだろうが……仕方ない。話してくれる時が来るのを待つか。きっと余程の理由があるに違いない。

 

「………高嶋さんとは」

 

 ふとそこに、先程から一言も発さなかった郡さんが、暁美さんを睨み付けながら呟く。

 

「郡さん、彼女は新しい仲間なんですから、そんなに警戒しなくても……」

「……ふんっ」

「ぐんちゃん、私とはって?」

「…………あなた、何故高嶋さんを知っていたの」

「……何?」

 

 暁美さんが友奈を知っていた? そういえば、先程バスから飛び降りた時、彼女は友奈のすぐ側に……。

 

「少なくとも、高嶋さんは今日の今日まで、暁美ほむらという人の存在を知らなかった。知っていたら、高嶋さんは間違いなく、私達全員に伝えているはずよ。鹿目ほむらと瓜二つの知り合いがいるって」

「う、うん……私はほむらちゃんの事をホムちゃんだって思ってたけど……ほむらちゃんとは今日がはじめましてだよ…」

「……なら何故、あなたは高嶋さんを、友奈なんて呼べたの……何度も何度も、言ってたわよね……」

「なんだと……!?」

 

 あの時、私には郡さんと暁美さんが何やら揉めているように見えていたが、何故その様になったのかは知らないままだった。

 だが……確かに奇妙だ。ここに来る前に、彼女の前で友奈という名前を口にしたかもしれないが、それだと友奈の容姿までは知らないはず。郡さんが警戒心を露わにしているのはそのためか……暁美さんは会ったことの無いはずの友奈の事を知っていると……。

 

「……偶然よ」

「……なんですって?」

「私の友達に、結城友奈って子がいるの。そこの高嶋さんとその友奈って子が似ていたから、間違えただけよ」

「……何を言い出すのかと思えば……馬鹿馬鹿しい」

「信じなくても結構よ。あなたに否定されても肯定されても、何もこれっぽっちも変わりはしないのだから」

 

 ……お、おい……何だこの一発触発の空気は……。郡さんだけでなく、暁美さんまでもが敵意を剥き出しにし始めたぞ……!

 

「ま、まあまあ二人とも…! 喧嘩はダメダメ! っていうか本当!? 私と同じ友奈で似ているって!?」

「……ええ。雰囲気も似ている。それに高嶋って苗字も、前にとてもお世話になった先輩と同じなの」

「すごいすごい!! 高嶋って先輩もいるんだ! っはぁ~…私も会ってみたいなあ!!」

「………チッ! どこをどう聞いても盛り過ぎじゃない!」

 

 ゆ、友奈…っ! 頼むから今は郡さんのフォローをしてくれ……! リーダーとして情けないが、郡さんを鎮められるのは悔しいがお前しかいないんだぞ……!?

 

ビーーーッ

『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

「「「「「「「「「「「!?」」」」」」」」」」」

 

 私達の携帯から突如、異常な警報音が鳴り響く。私達四国の勇者と暁美さんの携帯から、同時に……。

 

 私達はこの警報機能について知らされていた。それがいつ鳴り響くのか、ここ数日神経をすり減らすほど。

 

 樹海化警報……バーテックスの侵入が確認され、世界が姿を変える前触れだった。



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第五十一話 「指揮官」

「あと少しで完成かな?」
「ここもうちょっと書き込も」
「よっし完成! 保存保存♪」
「うん? エラー?」
「……飛んだ…!」


 スキルptが5上がった
 体力が30減った
 根性が10下がった
 やる気が下がった
 「夜ふかし気味」になってしまった
 「なまけ癖」になってしまった


『♪♩♬♪ ♪♩♬♪』

ビーーーッ ビーーーッ

 

 樹海化警報……およそ300年も昔のこの世界でも機能するのか確証はなかったが、それは杞憂に終わる。私のスマホから鳴り響くそれは、かつて何度も私達を命懸けの戦いに駆り立てた物と寸分違わず。違う世界を生きてきた私までもあの結界内部へと誘う、人の意を考えない神様らしい横暴な宣告だ。

 

 だが、今回だけは例外だ。違う世界を生きてきた私をも誘う……それは好都合に他ならない。

 

 瞬間、世界その物が静止した。静寂が支配する世界の中、けたたましい警報音だけが鳴り響く。他の雑音全てが取り除かれ、私と、この世界の勇者達だけが別の世界に跳ばされているかのようであった。

 

「来たか……みんな!!」

 

 慌ただしく動き出す、この世界の勇者達。それをまとめ上げるリーダーの彼女、乃木若葉。間違いなくこの人が乃木さんの御先祖様とやらで、大赦の礎を築いたらしい初代勇者張本人だろう。何やら堅物そうな印象で、とても彼女の先祖とは思えないほど性格に差がありそうだ。尤も300年も空いていれば、先祖子孫の性格の違いなんて関係無いだろうけど。

 

 ……にしても、彼女達の先祖に会えるとは……別に会いたいと思った事は無いけど。それでもまさか、彩羽さんと羽衣ちゃんの先祖が……高嶋友奈、世の中は分からない事だらけだ。

 私の知る結城友奈と名前が一緒だというのは彩羽さんから聞いていた。元々この高嶋友奈があの子の名前の元であると……。だけど誰がどう見ても見間違えるレベルで顔や声まで似ているなんて、それこそ友奈の先祖なのでは……? 実は友奈と彩羽さん達って親族だったり……。

 

 それに……鹿目まどか、眼鏡バージョンのメガほむもいるなんて……。

 私や彩羽さん羽衣ちゃんの例があるとはいえ、こんな所で勇者や巫女として遭遇するって……まどかは兎も角としてメガほむは何なの、他人なの? 私達も先祖子孫の関係なの?

 深い事情もあってか鹿目家に養子になっているみたいだし、正直ものすごく気になるわ……状況がこんなのでなければ。

 

「各々の神器は持っているな!?」

「っ、はい…!」

「大丈夫!」

「まずっ……! タマの旋刃盤ロッカーの中だ!」

「急げ!」

 

 乃木若葉が指示を出しているが、その表情は多少の動揺こそあれど恐怖に怯えてなどいない。むしろ、読み取れる僅かな動揺すらも徐々に霞み、決意に満ちた眼光が鋭くなる。

 

 背負っているものがある。彼女の強い瞳から、私はそう感じ取れた。幾度もなく見てきた、感じてきた、勇者部(みんな)と似ている想いが伝わる。

 それに胸がざわめく。その感覚はどうしてもみんなの姿を思い浮かべてしまい、私の心を駆り立て強く締め付ける。胸が苦しくなり、浮かび上がるみんなの表情が曇るとより痛くなる。

 

 ……この時代に跳ばされてから、欠片もみんなの事を考えなかった時なんて一度もない。

 みんなが無事にあの戦いを乗り越えられたのかどうかすら知らない。満開をした彼女達が無事でいるのかどうかも解らず終い。

 

 私の無事だって、きっとみんなは知らないままだ……。

 

 

 

「ねぇ、これってバーテックス……? ……みーちゃん? みーちゃん!? って、まどかさんと上里さんも……!? 何コレ固まってるわよ!?」

「……大丈夫よ、白鳥さん。これは私達勇者以外の時間が止まっているだけ。神による人類を守る手段の前触れよ」

「そうなの?」

 

 諏訪では樹海化なんて起きず、白鳥さんはひたすら結界を守り続けていたから飲み込めていないのだろう。でも藤森さんと確か上里ひなた……それから、鹿目まどか……巫女達は凍りついているかのように動かない。

 さっきまで話していた人達が樹海化を知らないまま、唐突にそうなってしまえば、驚き戸惑うのも無理はない。私達が初めて樹海化を経験した時だって…………変ね、思い出せない。いいえ、思い出したくない? なにやら思い出せば死にたくなるような気が………。

 

「………部外者のくせに、随分と詳しいじゃない」

「……私の所でも似たような処置がされていただけ。いちいち突っかからないで」

「……ふん。高嶋さんと同じ名前と容姿の友達がいる……なんて、嘘丸見えのくだらない詭弁を垂れる不審者を警戒して何が悪いのかしら?」

 

 ………さっきからネチネチネチネチと……。この陰気臭い女は本当に勇者なのか、甚だ疑問だわ。

 他の勇者は「郡」や「ぐんちゃん」と呼んでいたかしら。少なくともこの勇者は、白鳥さんや乃木若葉達他の勇者とはどこか違うものを見ている気がする。

 

 まぁ、それは私も同じね。今の私は迫り来る敵ではなく、みんなの事しか考えていない。それ以外の事なんてどうでもいい。他人にどう思われようとも痛くもないし、知ったことじゃない。警戒するのもどうぞご自由に。

 

「ぐんちゃん仲良くだって……わあっ!? なにアレ!?」

「これが樹海化か……うっ…!」

 

 陰湿な勇者がそっぽを向くと、外の空は裂け、世界が幻想的な極彩色の光に包み込まれようとしていた。眩いその光に慣れていない彼女達は反射的に目を閉じずにはいられない。

 すぐにスマホを取り出し変身する。私は世界が神樹の結界に姿を変えるこの瞬間を待ち望んでいた。この時のために、神樹の結界に入るために、諏訪から四国に向かうことを決めたのだから。だけど………

 

 

 

 

 私は戦わない。みんなの元に帰らないといけないから。

 

「白鳥さん、あとは頑張って」

 

 この世界で出会った彼女に呟くのは別れの言葉。同じ世界(とき)を生きていれば、みんなに負けず劣らない素敵な友達になれていたであろう白鳥さんに……元の世界に帰る私はもう、彼女の期待に何も応えないのだから。

 

 この言葉が彼女に届いたかどうかは分からない。多分聞こえていないでしょうね……。

 私は白鳥さんの返す言葉を聞く前に、閃光が世界を完全に包み込んだ瞬間に、左腕の盾を回してその場から跳び去った。

 

 

◇◇◇◇

 

 その時が訪れるのを私達は覚悟していた。この手で破壊者に反逆し、世界に真の安寧を取り戻す。それが私達勇者の役目であり、普通の中学生のような生活を棄ててまで過ごしてきた日々も訓練も、人類の矛となるこの瞬間のために積み重ねてきた。

 

「うわぁーー! 樹海化ってこういう風になるんだ!」

「ワーオ……なんてカラフルな光景なの! というか樹海化って……誰か説明プリーズ!」

「神樹様の霊力によって作られる、対バーテックス用の最終防御結界だ。私自身こうして直接見るのは初めてだがな」

 

 私達の眼前に広がる色鮮やかな木々や蔓で形成されている世界。空も今の時間帯に不相応な濃色だ。事前にこのように世界が姿を変える事を知らされていなければ、戸惑うことは当たり前だっただろう。現に今日四国に来たばかりの白鳥さんは分かり易く驚愕している。

 

「ふぃ~。間に合った~!」

「土居さん、神器は肌身離さず持っていないと……」

「いやぁ、焦った焦った。もし旋刃盤が手元に無ければ戦えないもんな!」

「………」

「……伊予島さん?」

「心配すんなって、あんず! バーテックスなんざこのタマにとっちゃ、ちょちょいのちょいだからな!」

 

 他のみんなの声も聞こえる。滞りなく、大社から伝えられた通り事が動いているようだ。

 

 今私達が立っているこの場所は、先程まで私達が自己紹介を交わしていた丸亀城の教室に非ず。座標となれば同じ地点なのだろうが、地面や建造物に張り巡らされている樹木や蔓で大きく変貌を遂げ、唯一分かりそうであった地形でその場を判断するのも難しい。

 そして、この世界に存在できるのは私達勇者だけとなる。敵の侵攻を勇者がこの結界内で迎え撃つためが一つ。現実の世界での被害を抑えるためがもう一つだ。

 

 故に先程まで私達と一緒だった、ひなた、まどか、藤森さんの三人、巫女である彼女達はこの場にはいない。勇者が八人……それがこの世界にいる人間の数。

 

「みんな揃っているな?」

「ええっと……ぐんちゃん、私、若葉ちゃん、歌野ちゃん、ホムちゃん、アンちゃん、タマちゃん………あれ? あれれ!? ほむらちゃんがいないよ!?」

「ほむらならそこに……あぁ、暁美さんの方か………なんだと!?」

 

 予想外極まりない友奈の言葉に慌てて周囲を確認する。それで見えたのは、私と同じ様な行動を起こす仲間達の姿であった。友奈も白鳥さんもほむらも土居も伊予島も、そして郡さんまでもが残った一人の勇者の姿を探していた。

 

 ここにいるのは私達七人。白鳥さんや藤森さん、諏訪の人達と共に来た北海道の勇者、暁美ほむらの姿はどこにもなかった。

 

「……あの人は樹海に来ていないのでしょうか……?」

「ええっ!? 何だよソレ! 新しく仲間になった意味が無いじゃないかーー!」

「そんなぁ……彼女とっても強かったのよ……」

 

 ぐぅ……! なんということだ……まさか勇者が樹海に現れないなんて、ここに来てそんな原因不明のトラブルに見舞われようとは……!

 彼女だって、樹海化直前の世界の硬直には巻き込まれてなかったはずだ。にも関わらず、尚且つ私達全員が同じ場所にいて、暁美さんだけが樹海にいないとは……神樹様のミスか何かなのか!?

 

「……どうでもいいでしょ。あんな不審者の力を借りなくても、自分の力だけで十分よ」

「……ですが……!」

 

 元々暁美さんを受け入れていなかった郡さんが冷めきった言葉を言い放つ。確かに暁美さんがこの場にいないのは事実なため、我々が何に焦ろうとも嘆こうとも、原因が分からなければそれは対処の仕様がないためどうしようもない。

 だが、前々から気になっていたが、郡さんは我々仲間達を信用しようとしてくれないのだ! 唯一友奈だけには心を許してはいるが、それ以外には誰であろうとも無頓着! 暁美さんがこの場にいない事を割り切るのならまだしも、これでもかと仲間を疑い続ける彼女に物申したい気持ちであった。

 

「……もしかして、あの人一人だけが私達とは違う別の地点に跳ばされた……なんてことは……」

 

 そこにほむらが別の視点からの考えを口にする。その通りだと良いのだが、如何せん確信が持てない。

 

「………いや待て……そうだマップだ!」

 

 我々の携帯にインストールされている勇者アプリ。それには瞬時に勇者に変身できる機能に加え、勇者や敵の位置をマップに表示する物がある。

 すぐに携帯を取り出し、アプリ起動し画面にマップを表示させる。中央に私達七人を示すアイコンと名前。その前方には数多くの赤い小さなアイコン。「星屑」と呼ばれる小さなバーテックスの群だ。

 

「っ、あったぞ!」

 

 私達の後ろ側を位置する地点、そこに一つだけ別のアイコンが動いていた。「暁美ほむら」と正しく名前も表示され、彼女も無事樹海に来ていた事が判明した。

 

 ホッと一息つき……しかし、新たな問題点が浮上した。

 

「これは……」

「おいおいっ! アイツどこに行こうとしてるんだ!?」

 

 同じくマップを見ていた土居も気づいたようだ。暁美さんはマップのアイコンから見るに、明らかに移動している。だがその進行方向は私達やバーテックスがいる方向とは真逆の方に向かっていた。

 そちらは私達が守るべきこの世界の神、神樹様しかない。勇者の役割はバーテックスから神樹様を守ることであり、前線で敵を食い止め戦う事が当たり前なのだ。神樹様の目の前まで追い込まれてしまったのならまだしも、最初から戦わずして後方に向かうなど愚策としか言い様がない。

 

「連れ戻すぞ!」

「敵が今にも攻めてきそうなこのタイミングで? 馬鹿言わないで。あんなのは放っておけばいいのよ」

 

 身体を反転するも、背中にぶつけられた言葉に足が止まる。郡さんが心底呆れたように私を一瞥し、今の私の行動が軽率だと言うかのように、続けざまに言葉を紡ぐ。

 

「戦わない勇者がいた所で、それを気にして戦力を削ごうなんて、それこそ愚か者よ。足手まといは最初から必要無いわ」

「しかし……! 世界の危機だからこそ、勇者みんなで協力して迅速に敵を打ち倒さなければ……!」

「そこにもう一人、戦えそうにない人がいるというのに?」

「……っ!」

 

 その言葉に伊予島がビクッと反応する。伊予島は樹海に来てからはどこか不安気だった。表情も若干恐怖に滲んでおり、俯きながら僅かに肩を震わせている。命懸けの戦い故に怖いというのも頷けるが、郡さんの言い方はまるで伊予島も責めているかのように取れてしまう。

 

「敵前逃亡するわ、戦う前から怖がっているわでチームワーク以前の問題じゃない。勇者としての自覚が足りないんじゃないかしら。よく周りがそんな体たらくで世界の危機がどうのこうの……」

「郡さん、言い過ぎです」

 

 言葉を遮ると、郡さんはどうでも良さそうに顔を背ける。だが確かに今の伊予島の状態のままでは、彼女はバーテックスと戦えるとは考えにくい。もっと強い心を持ってもらわなければ、戦いの中、いざという時に取り返しのつかない事態に陥る危険性だってあるのだから。

 

「伊予島。怖いのは判るが、今私達は前を向いて戦わなければならないんだ。気をしっかり保たなければ、怪我では済まない目に遭う可能性だってあるんだぞ」

「ひっ……! ご…ごめんなさ……」

「の、乃木さん……! その言い方は余計怖がらせるだけです……!」

「え…?」

 

 ほむらの少し焦ってるような、批判するような声で気づく。伊予島は私の説得に顔を上げるどころか、涙を潤ませて、もっと俯いてしまっていた。

 

「おい若葉、千景! 怖がったってしょうがないだろ! あんずもタマ達も、みんなまだ中学生なんだ! 無理強いするなよ!」

 

 ……っ! やって…しまった……。リーダーという立場でありながら仲間達の心境を推し量れぬとは、私の言動が軽率であったことに他ならない。勇者だからとその使命を押し付け、人間にとって大事な意志というものを強制するなど、私の方こそ周りを、仲間を見ていないではないか……。

 

「……兵の士気高揚も指揮官の努めだったわね……乃木さん……場をまとめ上げて役割を成すどころか悪化させて……果たしてあなたにリーダーとしての資質は足りているのかしら?」

「…………」

 

 返す言葉が見つからない。第一、これが初めてではないのだ。過去にも自分の考えを仲間に押し付け場の空気を悪くしてしまった事もあった。

 人類を滅亡寸前に追いやった敵との戦いに不安を抱いて当然なのだ。それを分かっていながら一丁前にリーダーぶって、自分勝手にまとめ上げる。そんな様で自分がリーダーであると胸を張れるわけがない……。

 

「はーいみんな、そこまで! 仲間内で喧嘩はノーよ」

「仲良しはいいけど、話し合いは後にしよっ!」

「「「仲良し?」」」

 

 私達の重苦しい空気を、二人の明るく活発な声が押し退ける。戦前だというのに普段通りに振る舞う白鳥さんと友奈に対し、私達は逆に呆気に取られてしまう。

 

「喧嘩するほど仲がいいって…」

「「「違う!!」」」

「ええっ!?」

「……あの、高嶋さん……私も違うと思います…」

「……同感です…」

「ホムちゃんとアンちゃんまで!?」

「まぁ、ベクトルは違うわね」

「歌野ちゃんも!!? ガーン!!」

 

 友奈、反撃からの追い打ちに加え裏切りに遭い大ダメージ。それでもよろめきながらも立ち直り、気を取り直して言うのであった。

 

「でも、喧嘩の原因を作ったバーテックスがそこまで来てるんだよ。友達相手に怒ったり喧嘩したりするよりも、バーテックスに怒る方が正しいよ」

「!」

「ザッツライト。友達がお互い傷つけ合ってちゃ、私達を応援してくれるみーちゃんやまどかさん、上里さんが悲しんじゃう。それよりも私達を仲違いさせようとするバーテックスにお仕置きする方が断然ベターよ」

 

 二人の言葉にハッとし、目から鱗が落ちるようであった。ここで自分の役不足を後悔し、ズルズルと引き摺るのは間違いだ。情けない姿を晒すのでもなく、負の感情を背負ったままうなだれるのでもない。

 

「そう…だな」

「……高嶋さんの言う通り…ね…」

「……ですね……また悲しませちゃ、だめです」

 

 土居、郡さん、ほむらも気まずそうに顔を見合わせる。彼女達も私と同じで気づけたようだ。不満も苛立ちも仲間に抱くものではない。それを向ける相手は他にいる。

 

 前を向かねばらなぬのだ。勇ましく、誰もが不安に陥らぬよう立つ……リーダーとして。

 

「みっともないリーダーですまない、みんな。だが、目は覚めた」

「タマも悪かったよ。気合い入れて頑張るから許してくれよな」

 

 さっきまでの嫌な空気はもう漂わない。仲直りした土居と互いの顔を見てクスリと笑い合い、友奈に白鳥さん、ほむらも安堵するよう笑みがこぼれている。

 郡さんは微笑みこそしていないが、鋭かった視線は今や気まずさを感じない。どこか穏やかに思えるほど落ち着いていた。

 

 だが、伊予島はまだ怯えている。流れが変わったとはいえ、いきなり恐怖心を抑え込むのは難しいのだ。

 しかしそれを強制するのでは駄目だ。仲間が戦えないのなら、その分私が補って戦えばいい。

 

 覚悟を新たに、他の者も携帯を取り出しアプリを起動する。

 

「変身だ。征くぞ!」

 

 号令を合図に、私達の身体は淡い光に包まれる。それと共に服装も神秘的な意匠を凝らした物へと変化し、力が漲り溢れ出す。

 

 戦装束は花をモチーフとする。四国に来たまま初めから戦装束を纏っていた白鳥さんは、金糸梅を思わせる黄色だ。

 

 私は桔梗を思わせる青と白。

 

 友奈は山桜を思わせる桃色。

 

 ほむらは時計草を思わせる白と紫。

 

 郡さんは彼岸花を思わせる紅。

 

 土居は姫百合を思わせる橙色。

 

 それぞれの花の花弁が光となって舞い散り、神の力を宿した勇者達が樹海へと現れる。

 

「ワオ! やっぱり便利なのね。勇者アプリって……あら?」

 

 だがその数は今この場にいる七人よりも少ない……六人だ。伊予島だけが変身できておらず、戦装束を纏っていないのだ。

 

「……ご、ごめんなさい……やっぱり、怖くて……」

 

 勇者に変身するためにはその者の精神状態が大きく左右される。その覚悟と意志を持たぬ者にはそう容易く扱える物ではなく、伊予島の今の精神状況では適合に失敗してしまったのだ。

 

「心配すんなあんず。タマ達が全部やっつけてやるからな!」

「土居の言う通りだ。焦らなくても良い。その分私が背負おう」

 

 伊予島には伊予島のペースがある。彼女がこの大きな壁を乗り越えられるかどうかは彼女次第だが、私達はそれを成し遂げられると信じるのみ。

 

「白鳥さん」

「ん?」

「もう一度確認だが、本当に怪我は大丈夫なんだな?」

「……まぁ、無理すれば痛むし悪化しちゃうけど……でも戦えないって訳じゃないわ。ドントウォーリーよ」

「そうか……白鳥さん、今まで藤森さんと二人だけに戦わせて悪かった。漸くだ……漸く、私達もお前達の隣で戦える」

「……うん。私だって、この時が来るのをずっと待ってたわ」

「無理はするな。存分に頼れ。あの様な思いをするなど、私も、まどかも、他のみんなも、二度と御免だ」

 

 これは私達四国の勇者にとって初めての戦だ。我々が戦いに備える長い間、白鳥さんは諏訪でずっと戦い続け、何度も傷ついてきた。こうして合流を果たし、彼女達の隣で戦い守る事を、どれほど待ちわびてきただろうか。

 ここで不甲斐ない戦いをすれば、今までの白鳥さん藤森さんの努力を踏みにじるのと同義だ。白鳥さん達のような強き勇者であると胸を張って誇れるようになるために……そして、あの時のような苦しい思いをしないため、させないために。

 

「……ええ。遠慮なく頼らせてもらうわ。だけどね乃木さん、何も私はみんなのお荷物になるためにここに来たんじゃ無いの。みーちゃんと一緒に夢を叶えるため、諏訪のみんなと土地神様との約束を果たすため、あなた達の期待に応えるため……全身全霊で行かせてもらうわ!」

「ふっ……白鳥さんらしい答えだ」

 

 一度は諦めた……諏訪は滅んだものだと、生存は絶望的であると。勇者であること、まどかやみんなの手前できなかったが、本当は泣きたくて仕方がなかった。

 バーテックスと避けようのない残酷な運命を心から憎悪し……奇跡が起こったと知った時、今までに無いほど歓喜に打ち震えた。

 それが彼女達が来た瀬戸大橋では珍しくもなく、まどかも諏訪の全ての人々も同じ様に喜び合い、喜びの涙を堪える人もどこにもない。あのような幸せな光景を最高の気持ちで眺められるなど感無量……そして誓ったのだ。もう悲しみに暮れる人々を増やすわけにはいかない……守り抜くのだ。人々も、掛け替えのない友も、何もかも……。

 

「郡さん、さっきは生意気な事を言ってすみませんでした。言葉ではなく、行動で示します」

 

 強く地面を蹴って前方に大きく跳躍する。勇者の脚力を以てすれば、その一歩で私達とバーテックスまでの距離を僅か数十メートルにまで詰め、敵は一斉に前に出た私に殺到する。

 

 無惨に命を奪う大きな口を開いて私を葬り去ろうと……私達の大切なものを奪い尽くしたその姿を晒し出す。

 

 落ち着け。気を鎮まらせろ。私達が対峙するのは人を喰らう異形の化け物だ。冷静に……それでいて魂を熱く滾らせろ。

 私達が負けることは許されない。亡き人々の無念を晴らし、奴らに報いを受けさせる。研ぎ澄ました反逆の刃を解き放つ……その事だけを考えろ!

 

「うおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 先頭のバーテックスが私に食らいつく瞬間、鞘から解き放たれた刃の一閃がそれを両断する。その後ろのバーテックスも瞬時に斬り裂き、回り込んで噛み付こうとする別個体の攻撃も、それより速く斬りつけ真っ二つにする。

 

 これからが私達人間の反撃だ。忌々しい敵に宣言するように……仲間達を鼓舞するように、雄々しく叫ぶ。

 

「勇者達よ!! 私に続け!!」



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第五十二話 「戦闘」

 戦いの幕が開ける。先陣を切った勇者、乃木若葉の魂をも震わせる叫びが樹海に木霊し、それは彼女の後方に立つ勇者達にも届いていた。

 

「……っ」

「へっ! 若葉の奴、気合い十分だな!」

「……す…すごい……若葉さん……」

 

 先頭に立つ者として、勇者として、若葉は果敢にも異形の化け物『バーテックス』に立ち向かう。かつて多くの多くの人々の命を理不尽に奪い尽くしてきた化け物の群に、若葉は刀を振り下ろしその体を断ち斬っていく。

 その姿を見た勇者達の中では様々な想いが駆け巡っていた。例えばそれは仲間の勇姿に血を滾らせる者、自らと彼女を比較する者、眼前に広がる戦場の光景に戦慄する者……。

 

「よーし、若葉ちゃん! 私も行くよー!」

「乃木さんに負けてられないわ! 農業王のニューストーリーの幕開けよ!」

 

 そして若葉に次いで飛び出した二人の勇者、高嶋友奈と白鳥歌野。親愛なる友の姿に触発された彼女達は恐れという感情を抱くよりも、信じられる存在と共に世界を守り抜くことに確かな喜びを抱く。

 戦場に躍り出た二人は打ち合わせをしたわけでもなく、それぞれが同時に左右に散って目の前の敵と対峙する。

 

「せいやっ!」

「スマッシュ!」

 

 数体の白い化け物が大きな口を開き喰らい付こうとするも、友奈は疾風のような速度でありながらも岩のように重い拳を放ち化け物を打ち抜く。歌野は瞬時に縦横無尽に鞭を走らせ、襲いかかる化け物を次々に打ち倒していく。

 

「やるなぁアイツら!」

「土居さん! 郡さん!」

「おう! 待ってろよあんず。タマ達がすぐ終わらせてやるからな」

 

 残った勇者達も続く。唯一無二の存在を何があろうとも守り抜く……決して断ち切れることの無い決意を胸に抱いた二人の勇者、土居球子と鹿目ほむら。

 

 鹿目ほむらが前、その後ろを球子が位置取り樹海を駆ける。二人の武器の特徴上ほむらは接近戦を主とし、球子は遠距離の敵にも対処できる故に彼女は前を譲った。それが得策であるものの、球子はほむらが表情を強ばらせ両手で武器の杖をより強く握り締めているのに気がついた。

 

「援護、お願いします…!」

「ほむら、お前……」

「…………っ」

「……ああ、タマに任せタマえ!」

 

 ほむらの本来の両親は3年前、彼女の目の前で殺された。今現在対峙している白い化け物、バーテックスに食い散らかされた。つい直前までは肉親だったものの身体から咀嚼する度に響いた骨が砕ける音、辺りに飛び散る臓物混じりの赤黒い血、パニックに陥った周囲の人間達の阿鼻叫喚……その時の悍ましい記憶が鮮明に蘇り、再び彼女を耐え難い恐怖が襲いかかっていた。

 

「……ふざけないで……!」

 

 それでも、忌むべき恐怖の権化との距離が刻一刻と迫る中、ほむらの足取りは落ちるどころか勢いを増す。恐ろしいからこそ、ほむらは挫けるわけにはいかなかった。かつて自分が味わった絶望の怖さを忘れられないからこそ、ほむらは勇者として戦いの道を選んだのだ。

 

「これ以上……誰も…悲しませない……!」

 

 あの様な絶望を未来永劫閉ざすために。金輪際誰にも自身のような苦痛を味わわせないために。独りだった自分を導いてくれた……最愛の家族の笑顔を守るために。

 

「惨劇の運命は、覆す!」

 

 地面をより強く蹴って一気に加速する。弾丸のように前に飛び出した彼女は勢いそのまま、憎き化け物の体に強烈な杖の打撃をめり込ませる。その衝撃は直撃を受けたバーテックスの全身を巡り、多くの人々の命を食い散らかした歯が粉々に砕け散る。振り払われた杖に弾き飛ばされたバーテックスは致命傷を負い跡形もなく消滅する。

 

 その杖に宿りし霊力の名は『天魔反戈(あまのまがえしのほこ)

 魔を討ち返し、生きとし生けるものに平穏安寧を作り出す輝きを秘める。

 

「やああああああああっ!!」

 

 仇一体を倒すも、彼女の中の炎は消えはしない。一歩前に踏み込むと杖を振り上げ二体目の顎を殴り抜ける。真上へと敵を吹き飛ばし、次は彼女の周囲を取り囲もうとするもう二体の別個体へと、身体を回転しながら遠心力を加えたスイングでそれぞれを殴り飛ばす。

 

「っ、させるかくらえッ!」

 

 回転攻撃で生じた隙を狙い、群の先頭のバーテックスがほむらに喰らい付こうと接近する。だがそれを彼女の背後で察知した球子が回転する刃、旋刃盤を投擲し逆に切り刻む。

 球子の攻撃で切断されたバーテックスが落下。地面に落ちるタイミングを狙い、ほむらはその肉片を杖で打ち上げるようにスイングをかまし、群の他のバーテックスに叩きつけ無事な個体諸共吹き飛ばした。

 

「よっしゃあっ! ナイスショット!」

「ゴルフじゃないんですってば……」

「え? だってその武器ゴルフクラブだろ? チャーシューメーンってやつ」

「どこの世界にゴルフクラブで化け物と戦う人がいるんですか……」

「まあ何でもいいか! 次行くぞ次!」

 

 倒したところで樹海に侵入したバーテックスはまだまだ残っている。新たな一群が殺意を剥き出しにしながら襲いかかり、ほむらが正面から迎え撃ち、球子が旋刃盤で後ろから援護する。

 

 現状ほむらと球子はバーテックス相手に優位に立てている。それは最前線でバーテックスを相手する若葉、歌野、友奈の三人の活躍が大きい。大抵のバーテックスはリーダーとしてと己の信念に燃えている若葉、それに負けない勢いで怒涛の攻撃を放つ友奈、3年間敵と戦い続けた経験に加え、共に戦う仲間を得て精神的にも絶好調となった歌野の三人に倒される。樹海中に蔓延るバーテックスと言えども、この三人の勇者を突破できるものは半分にも満たない。そうして突破できたものも、ほむらと球子の隙を見せない連携プレーを前に倒されていった。

 

「タマっち先輩……!」

「なんだ、結構楽勝だな!」

 

 旋刃盤でバーテックスを切り裂きながら球子が満足気に呟く。ふと球子の妹分である杏の声が聞こえた気がし、この調子なら彼女を守り通せる……そう考えながら視界に入ったバーテックスへと旋刃盤を投げつけた。

 だが、それが気のせいではなく、球子に迫る危機を伝えるべく発せられた声であった事に気づけなかった。

 

「っ!? 土居さん危ない!!」

「え…」

 

 順調だったがために彼女達はバーテックスの奇襲に反応が遅れていた。ほむらと球子に倒されるバーテックスを囮にしつつ、死角から大きく回り込んで球子の背後に回り込んだバーテックスが、今まさに球子に食らいつこうと迫っていた。

 球子も一度放った旋刃盤を手元に戻すための時間も無く、武器がない今反撃の手段も無い。突如訪れた絶体絶命の窮地に球子の身体は硬直してしまう。

 

「やらせない…!!」

 

 杏の声に無意識に反応していたほむらが球子に視線を向けた時、瞬時に事態を把握していた彼女は身体を反転して飛び出していた。それはバーテックスに対する恐怖から……共に切磋琢磨し訓練ばかりの日々を送ってきた友達を失いたくなかったから。

 

「はあああああっ!!!」

 

 バーテックスが球子の頭にかぶりつく直前、猛スピードで飛び出したほむらが振り下ろした杖がその歯に炸裂し口内を殴り抜ける。そのまま勢いに任せて宙で一回転を加えて下顎体を抉り、全身全霊の一撃による衝撃はバーテックスを地面に叩きつけた。

 

「あ………あうぅぁっ!!」

 

 ただほむらは球子の窮地を救う事だけを考えており、その後の事は完全に失念していた。火事場の馬鹿力と思える勢いのまま飛び出しバーテックスを仕留めたことは良いが、受け身をまったく取れていなかった。ほむらは激しく落下し、殺しきれなかったスピードに耐えきれず派手に転がってしまう。

 

「ほ、ほむら! スマン、大丈夫か!?」

「い、いたたた……ぅう………なんとか……」

 

 すぐさま球子は倒れたほむらの元へ駆けつける。傍目から見れば打撲は当然。最悪骨折の可能性もあり得る程の勢いであったが、ほむらは痛みに呻きこそしたものの無事であった。神の力をその身に宿す勇者にとって、この程度の転倒では精々軽い擦り傷程度で済んでいた。

 

 差し出された球子の手を取って起き上がるほむら。しかし一難去ってまた一難……これまで二人で制圧できていたバーテックスがこの機を狙い取り囲む。

 二人が武器を構え直すも、バーテックスは四方八方から同時に襲いかかる。囲まれて退路を断たれた今、攻撃を避ける事もままならず、目の前のを迎撃しようにも他の個体に襲われてしまえば意味を成さない。

 

 ほむらと球子の表情に苦渋の色が滲み……次の瞬間、上空から彼女達を取り囲むバーテックス目掛けて無数の矢が降り注ぐ。それらの矢はバーテックスに深々と突き刺さり、致命傷を負った個体は一斉に光の粒子となって消滅する。

 思い掛けない救援に、二人は矢が放たれた方角に目を向ける。そこにいたのはクロスボウを手に取り、紫羅欄花を思わせる白い装束を身に纏った勇者……伊予島杏だった。

 

「あんず!?」

「タマっち先輩! ほむらさん! 今です!!」

「っ! うんっ!」

「うおっ、まだ生きてた! でもこれで……てりゃああああ!!!」

 

 彼女達を取り囲んでいたバーテックスは杏の矢を受け殆どが地に伏している。悶え苦しんでいたバーテックスにほむらは止めの一撃を叩き込み、球子はダメージが浅かった残りの敵に向けて扇状に凪払うように旋刃盤を飛ばして一気に切り裂いた。

 窮地に立たされたかと思いきや、勇者達は再度バーテックスの殲滅に成功する。ほむらと球子の元に杏が合流し、彼女の瞳にはまだ涙が滲んでいるものの、恐怖に震えてはいなかった。

 

「あんず、お前……」

「……変身……できちゃった……。タマっち先輩とほむらさんが危なくなって、私が助けなきゃって思って……そしたら……」

「伊予島さん……ありがとう。助かったよ」

「エヘヘ、タマは信じてたゾ! あんずはやればできるヤツだって! 最っ高だぞあんずぅ♪」

 

 戦いが終わったわけではないが、球子は自分達が杏の振り絞った勇気に助けられた事実が嬉しくてはしゃいでしまう。守ろうと誓った存在に逆に守られたのは悔しいと思いながらも、それ以上に誇らしい気持ちに包まれる。

 それに、球子の誓いは何があろうとも揺るがない。妹分が見せた勇気は彼女の魂に高らかに鬨の声を上げさせる。

 

「タマも前に出るから、あんずは援護してくれ!」

「うん!」

「お願いするね、伊予島さん。土居さん、お互いあまり心配かけない範囲で、頑張りましょう」

「だな。よーし、お前ら! タマに続けーーっ!!!」

「「言ったそばから! もうっ!」」

 

 三人の勇者の心が一つになるも、遠慮が無くなった球子が真っ先に前に飛び出す。慌ててほむらも飛び出して併走し、杏もその後ろを近過ぎず離れ過ぎずの距離を保って走り出し、再び湧いて出てきたバーテックスを迎え撃つ。

 

 杖で殴られ凹み飛ばされるバーテックス。旋刃盤で両断されるバーテックス、クロスボウで全身の至る所を貫かれるバーテックス。そして遠方でも鮮やかな剣技や巧みな鞭使いで敵を葬る勇者達の姿がある。

 一人の紅の勇者が崖の上からその光景を眺めていた。彼女は杏が球子達の危機に飛び出すまで……否、それよりも前、無数のバーテックスが他の勇者達と交戦を始めてからずっと、抑えきれない恐怖心の宿った目で戦場を見渡していた。

 

「伊予島さんも…戦えてるのに……変身すら…できてなかったのに……私だけ……」

 

 郡千景……開戦の前には誰よりも冷徹に戦える者を見極めていた彼女自身、ただ一人動けずにいた。

 そもそもその冷徹としか捉えられない態度も、本当は彼女の恐怖心の反動によるもの。彼女だけが三年前にバーテックス遭遇しなかった勇者であり、敵の存在や姿こそ大社の入手した映像で知っていたものの、その恐ろしさだけは身に滲みていなかった。

 

「ぅ……ぁあ……」

 

 故にこの場で彼女が感じていたのは全く未知の恐怖。初めて肌に突き刺さる化け物共の威圧感……千景の本能が命の危機を知らせる信号を最大限に発し、身体の震えは少したりとも収まる様子はない。

 

 何故、他の勇者達が戦えるのかわけが分からない。怖くはないのか……既に三年間も戦い続けている歌野、物事を深く考えようとしない単細胞の球子、生真面目で堅物で天然で馬鹿正直で頑固野武士の若葉ならまだしも……。

 だけど杏は自分よりも怯え震えていたではないか……。ほむらは目の前で両親を殺され、誰よりもバーテックスの恐ろしさを理解しているはずではなかったのか……。

 

 千景を襲うのはバーテックスに非ず、寧ろ自分自身。千景は彼女達の中で一番年上であるにも関わらず、諏訪の人々の命を救ったとされる戦場に居ない謎の勇者含め、年下の誰よりも世界の守護に貢献できていない。

 かと言って恐怖で固まった身体は動くこともできず、ただひたすらに焦り、悔しさ、疎外感が募る一方だった。

 

「ぐんちゃん!」

「高嶋…さん……?」

 

 千景が塞ぎ込む中、そこに友奈が跳んでやってくる。若葉と歌野と共に最前線で敵を引き付けていた彼女は、遠くに見えた親友の様子がどこかおかしい事に気づいて二人にその場を任せて戻ってきたのだった。

 

「どうかしたの? 大丈夫、ぐんちゃん?」

 

 その身体にはバーテックスとの戦いで付いた擦り傷がいくつも……。にも関わらず、友奈は自分の怪我を気にする素振りを見せず、真っ先に千景を気遣うのであった。

 特に酷くない怪我だとしても、それは命懸けの戦いで負った負傷だ。友奈の傷は更に千景の心を曇らせる。戦いの使命から目を背け続ける千景は親友にも責められるのではないかと内心恐れ、彼女から目を背けて謝罪の言葉をこぼしてしまう。

 

「……ごめん…なさい……戦うの…怖くて……あんなに偉そうなこと…言ったのに………私だけ……!」

「そんな顔しないで、ぐんちゃん」

「えっ…」

「大丈夫! 私が側にいるから」

 

 友奈は満面の笑みで千景の手を取った。千景の心を包み込む暗い感情を照らそうとしてなのか、友奈は彼女が思っていたような責めるような言動はしなかった……そもそも、そんな友達を悲しませる考えなど欠片も思ってもない。

 

「一緒に行こう、ぐんちゃん!」

「きゃあっ!? た、高嶋さん!?」

 

 友奈は千景の手をしっかりと握ったまま、再び戦場に飛び出した。突然の友奈の行動に驚きながらも、千景の手には友奈の心地良い温もりがあった。彼女の言う通り、千景のすぐ側には友奈がいる。そして彼女は何時如何なる時でも離れない、ずっと一緒であると、千景に優しく語りかけるよう微笑みを浮かべる。

 

「ぐんちゃんならできる! 私達はバーテックスなんかに負けたりしないよ」

 

 二人の姿を認識し、襲いかかるバーテックス。千景と手を繋いでいる方とは反対の方の手を握り締め、放つ。

 その一撃を受けたバーテックスの体は弾け、絶命する。懲りず他のバーテックスが二人を狙い迫り来るも、敵の呆気ない幕切れと友奈の心強さに千景の心は揺れ動いていた。

 

「ぐんちゃんだってとっても強いんだよ。私はいつでもそれを信じてるから、ぐんちゃんも自分の力を信じて!!」

 

 自分の力を信じて……誰よりも千景の事を想う友奈の言葉に報いたい。千景はどんな時でも友奈の言葉に間違いはないと確信しており、怯えていたはずの心の中で一つの意志が芽吹き出す。

 

 友奈が側にいてくれるのならば、バーテックスなど恐ろしくもない。友奈が千景ならできると断言するのならば……。

 

 人間の背丈ほどのサイズの大鎌が振り下ろされ、バーテックスは自身が斬られたことに気づく間もなく両断され、絶命する。

 

「……できた……?」

「すごいよ! 流石ぐんちゃん!」

 

 バーテックスを斬り裂いた瞬間、大鎌を持つ彼女の手には紛れもない感触が……自らの手で容易く、人々を蹂躙した化け物を倒した手応えを感じ取っていた。

 それに加えて千景の成果を自分の事以上に喜び褒め称える友奈。千景の心はバーテックスへの恐怖心ではなく、筆舌に尽くし難い爽快感と確固たる自信に包まれた。

 

「次、来るよ!」

「ええ!」

 

 バーテックスの再来……しかし千景には欠片の動揺も無く、友奈が手を離すと大きく鎌を振り払い、たった一振りで同時に二体を斬り裂いた。攻撃が届かなかった個体も、瞬時に反応した友奈が飛びかかり拳で打ち砕く。

 自分の力だけでも余裕で三体。そして友奈が側にいてくれるのならばまさに無敵。バーテックスは自分達に刈られるだけの存在であり、恐れる必要は何も無かったのだと確信する。

 

(……私……バーテックスより強いのに……あんなに怯えて……!)

 

 同時に屈辱であったと怒りが湧いてくる。その感情をぶつけるべく、他の仕留めるべきバーテックスを見つけようと辺りを見渡し……。

 

 

 

 敵が最も集中する最前線、その圧倒的な数は他の勇者が何の策を持っていなければ戦意を削られかねないほど悍ましく、勝てると言い切る者はいないだろう。

 

「どうした!? そんなものかバーテックス!! 人類の力を舐めるなァ!!!」

「おかしいわね!! あんた達ってこんなにウィークだったかしら!? 今更謝ってももう遅いわよ!!」

 

 だが現実は違った。本来蹂躙する側のバーテックスは絶え間なく倒され続けていた。二人の勇者、乃木若葉と白鳥歌野が背中合わせで無数のバーテックス相手に無双していた。

 

 鍛え抜かれた若葉の居合い斬りは瞬時に敵を両断し、バーテックスは食らいつこうと口を開く前に散っていく。他の個体の犠牲に隠れて奇襲するバーテックスも最小限の動きで躱し、次の瞬間にはその胴体は切り離される。

 歌野の鞭も縦横無尽に泳ぐように飛び回るバーテックスを寸分違わず打ち据える。怪我人とは思えないほど活力に満ちており、本来鞭の特徴から仲間が近くにいる場合の扱いは極めて至難の業であるにもかかわらず、針の穴を通すような精密さで鞭が稲妻の如き勢いで走る。歌野と若葉には決して掠りもせず、彼女達の身体の隙間から神出鬼没に飛び出す鞭がバーテックスを叩く。

 

 明らかに他の勇者達とは常識外れの力を発揮していた。激しい戦闘であるにも関わらず、一度たりとも敵に優位を譲らず圧倒する。

 そして何よりも二人は……。

 

「ねえ乃木さん!」

「なんだ!?」

「前、私が言ったこと覚えてる!? 現実は想像よりベリーヘビー! って!」

「忘れるわけがない!! だがその時の言葉は英語ではなかったぞ!!」

「アハハハハ!! あれ言った時、確かに潰れちゃうんじゃないかってぐらいホントヘビーだったの!!」

 

 二人は苛烈を極めた戦闘で、笑い合っている。

 

「でも今は違う……何て言うか、私だけじゃなくて乃木さんや暁美さん達がキャリーしてくれてるようなフィーリング!!」

「その通りだ!! もうこれからは自分一人だけに重圧を背負うことはない!! 共に笑い、共に生き、共に苦楽を乗り越えるんだ!!」

 

 若葉の返した言葉に歌野の目にはうっすらと涙が滲む。その言葉をどれほど待ち望んできただろうか……今までは通信機越しで話すだけの、顔も知らない友達でしかなかった。どんなに直接会いたいと願っても決して叶わず、彼女達が共に戦ってくれるのならなんて心強いだろうかと……ただひたすらに夢を見るだけで……。

 

「白鳥さん……いや……」

 

 

 

 

「歌野。ありがとう……こんな世界の中で私に数え切れない希望を与えてくれた友よ。今度は私がお前達に報いる番だ」

「…っ! ……何…言ってるのよ……若葉……!」

 

 数え切れないほどの希望を貰ったのは若葉だけじゃない。涙ぐみながらも歌野はありったけの感謝の想いと、これから共に未来へと歩む意を込めて、彼女の名前を呼ぶ。

 

「さあ! 敵を蹴散らすぞ、歌野!!」

「バックは任せて、若葉!!」

 

 そして二人の快進撃はより勢いを増す。一瞬の内に迫り来るバーテックスは斬られ、逃れようとするものには鞭に打たれる。今の彼女達ならば言葉通りどんな敵にも負けはしないだろう。

 

「………」

「すごいね、若葉ちゃんと歌野ちゃん」

 

 そんな彼女達を見て、千景は言葉を失っていた。バーテックスなんて…と自信を持った矢先、よりによって彼女が誰よりも嫌う人が自分の手の届かない所にいる気がして……。

 

 その姿に………彼女は感情を抱く。自覚したものは千景の中に、僅かながら負の想いを募らせた。

 

 

 勇者達の優位は動かぬまま、戦況は新たな段階へ。

 彼女達の奮闘によりバーテックスは目に見えて数を減らし、勝利は目前へと近づいていく。そんな中、残ったバーテックスの内の何体かが一箇所に集まり出す。

 白い蛭のような個体は形を変え、不気味な気配はより濃くなる。それを見た若葉は表情を強ばらせ、『進化』した敵を睨みつける。

 

 3年前、若葉を敵前逃亡せざるを得なくした一段階上の強敵……それが樹海に現れる。

 

「進化体…!」

 

 

 

 そしてその頃、一人の勇者が四国を守る土地神、神樹の前に立っていた。

 

 突如遠く離れた甲信越地方に出現した、神樹の力を使いこなすイレギュラーな存在。

 一度だけ神樹から膨大な力を引きずり出され、内部の神々が混乱する事態に発展するも、その時に捧げられた供物を通して彼女が敵側の存在ではなく、神樹の力を行使できる理由は判明していた。

 

 故に、神樹はその時点で彼女の処遇を決めていた。例え彼女が望まなくとも……何せ、彼女は神樹に選ばれた勇者なのだから……。




 「メガほむ」や「かなほむ」こと、鹿目ほむらの武器、「天魔反戈(あまのまがえしのほこ)
 これって別名「天逆鉾(あめのさかほこ)」と言い、更にそれの別名は「天沼矛(あめのぬぼこ)」と言います。

 天沼矛……原作「乃木若葉は勇者である」の終盤に出てたの完全に失念、というか天魔反戈の別名の別名がこれって調べるまで気づきませんでした……。
 ただ一応、天逆鉾と天沼矛は位置付けや性質は異なっており、天の神側から神樹側へと移った神々もいることから、そのままゴーサインを出しました。力としては天魔反戈と天沼矛は別物であることをご了承くださいorz


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第五十三話 「恐怖心」

 お待たせしました! 前回投稿からだいぶ空いてしまって申し訳ありません!
 前回から今回までの間にゆゆゆい4周年が来たり、夏凜ちゃんの誕生日が来たり、アニレコ2期が発表されたり、若葉様の誕生日が来たり、酒呑童子高嶋さんが来たり、酒呑童子高嶋さんで爆死したり……あ……れ……神樹の恵み……ない……。

 もう……いいや……急にすべてが馬鹿馬鹿しくなってしまった。同時に激しい憤りと苛立ちを感じた。なぜこんな苦痛を受けながらガチャを回さなければならないのか。
 SSRすら出さない端末への憤り。TwitterのURゲット報告への憎悪。必死になって神樹の恵みを貯めてもここ数ヶ月ピックアップを排出しないゆゆゆいへの嫌悪感。

 もうガチャを回しても既に終わっているのだ。当たらない苦痛に耐えてまで回す価値があるのか。
(馬鹿みたい……こんな酷い爆死して、苦しい爆死しながら次のガチャ回して……若葉様、弥勒さん、そのっち、東郷さん、刀使ノ巫女の皆さん、チュン助、セイウンスカイ……私、なんで今まで一生懸命ゆゆゆいしてきたんだか、わからなくなっちゃったよ……ガチャなんて、ただ当たらなくて、苦しいだけで……なんで……)

 なんでガチャを回すのかって?

 ゆゆゆ民だからだよ!! 理由なんて、それで十分だ!


 世界が樹海化する瞬間に時間を止め、この時代の勇者達から距離を取った私は神樹の元に一直線に跳躍し駆け抜けて行く。

 今頃彼女達は侵入したバーテックスと戦闘中だろう。私達がそうであったように、自分達の世界を守るために無慈悲なる敵と対峙する。

 

 私には関係無い話よ。こんな所で敵と戦って満開して散華するなんて、たった一回だけでも腸が煮えくり返る思いだったのに。これ以上私にとって何も意味を成さない世界で、みんなが悲しむ要因を増やすわけにはいかないのよ。

 

 勿論この世界の人々が死んでしまえばいいとは思ってない。ただ、生きている世界が違うだけ。

 私の戦場はここじゃない。この世界を守るのが彼女達、私は勇者達のみんながいるあの世界を一緒に守り抜く……たったそれだけのこと。

 

 大体この世界は私達が暮らしてきた世界の過去。勇者は世界を守るためにバーテックスと戦い、過程や結末はどうであれ、再度バーテックスが出現して勇者という存在が必要になったとはいえ、300年後の世界は無事に機能している。世界は彼女達の望み通り守られて、私達が生きている神世紀の世界が存在している。

 未来から過去に紛れ込んでしまった私という異物が介入しなくても問題は何もない。私がいなくてもこの世界は彼女達によって守られる。彩羽さん、羽衣ちゃん、乃木さん、彼女達が神世紀で生きているということは、その先祖である高嶋友奈と乃木若葉も犠牲にならず、家庭を築いた事が確定している。

 

 

 

 何も変わらない。私がこの世界にいたところで特別良い事なんて……むしろ元の世界にいるみんなを心配させて傷つけてしまうだけ。

 

 

 

 樹海にそびえ立つ神秘の大樹が徐々により大きく見えてくる。この世界を守る神様の集合体……神樹を前にした時、私の中で逸る想いは最高潮になる。

 気持ちは極限状態に近いのに、心臓は全く動かない。改めて自分の体に起こった変化に言葉に表しきれない気持ち悪さを抱き……一秒でも早く楽になりたい一心で叫ぶ。

 

「神樹ーーーーーっ!!!!」

 

 神樹は私達人間を守り救う神様。神世紀における常識でありながら、それは私達が勇者になってからは手段はどうであれ正しかった事実……。

 

 この時代においてもきっとそれは変わってない、神樹は人間達の味方だって。

 

「私はっ!! この世界から300年後の未来から跳ばされて来た!! その時代に四国で戦った勇者よ!!」

 

 戦いの届かない静かな樹海に響く。私を押し潰そうとする孤独感不安感に耐えながら、震える声で……。

 

 ……そう、怖いのよ……。かつて散華の事を知った時よりも……世界の真実を目にした時よりも……。

 安心感を得るのは、それは神樹に邂逅する時じゃない。遠い諏訪からここに来たのはその安心感を掴み取るためのただの通過点だ。

 

 藤森さんからこの時代には既に神樹が人類を守っていることを聞いて、その在り方が私達の世界のものと一貫していると知った。神樹の力が最大限発揮され人々をバーテックスから守る結界を生み出し、敵に対抗できる少女達に力を与え勇者になれる者が現れる。

 故にこの世界でも神樹は存在しており、その事実が私の願いを叶える唯一無二の方法へと導いた。

 

「跳ばされた原因は勇者に与えられた神樹の力によるもの!! 私達の時代の戦いの最中、その力が暴発して私は過去であるこの世界に来たの!!」

 

 神樹になら私の願いを叶えられる根拠……私は勇者になって最初から時間停止の力を使えていた。時間停止……これは散々神樹が使ってきた力でもある。バーテックスが出現する度に、神樹は勇者以外の世界の時間を戦闘終了まで止めることができる。

 ただし私の時間停止は回数制限も時間制限もある、言わば神樹による時間停止の劣化版だ。完全に使いこなせないのは神様と人間の差でしょうね……。

 

 この事を踏まえて、私の……というか勇者の力は要は神樹からの借り物だ。ただの人間にあんな化け物と戦う手段は無い。戦うために神樹は自身の力を与え、勇者はそれを活用して戦う。

 つまり私達勇者にはできて、神樹にできない事など存在しない。それどころか私達以上に高精度の力を神樹本体なら発揮できる……そう考えた。

 

「────暴発してしまったとはいえ、時間遡行の力だって、人間に譲渡できた力をあなたが使えない道理はない!!」

 

 神樹が私に与えた時間遡行の能力……人間を別の世界に跳ばす力。時間停止とは違って直接神樹がその力を使用するのを見たわけでも体験したわけでもない。だけど私がその力を使えるってことは、神樹も使えないと逆におかしすぎるのよ。

 単純な考えだけど、確実性は高い。私をこの世界に跳ばせる力があるのなら……掻い摘んで言えば、一人の人間を難無く別の時間軸に跳ばせる力が神樹には備わっている。

 

 私では現在(いま)から過去への一方通行……では、私よりも高度にその力を扱えるであろう神樹本体なら?

 過去から未来、元いた世界へ送り返す。神樹だけが私を救うことができるただ一つの存在。

 

 人類のために300年も守り抜いてくれる神樹なら……

 

 私達の味方でいてくれる存在なら……

 

「できないとは言わせない!! 私を元いた世界に戻して!! 300年後の私達の街に返しなさい!!!!」

 

 矢継ぎ早に、まくし立てるような叫びがこの場に響く。神樹の前で全てを明かした。私の正体もここに至るまでの経緯も望みも……。

 私は300年後の世界で戦ってきた勇者……断じて神樹、延いてはこの世界の敵などではない、そちら側の人間だ。

 

 だからこそ信じた。神樹の元にたどり着ければそこで望みが叶う、助かるんだって……。神樹はいつだって私達人間を守って導いてきたから、人間、ましてや勇者の願いを不意にするわけが無い……。

 

 

 

 忘れていた。失念していた。元の世界、大赦と神樹が私達にしでかしたことを……。それを思い出す前に、巨大な薄桃色の何かが私を叩きつけようと目の前まで迫っていることに気づく。

 

「なっ!!?」

 

 咄嗟に横に跳んで転がるように距離を取ると、それは直前まで私がいた地点に轟音と共に突き刺さる。勢いよく舞い上がる土煙と地面を走る振動の大きさが、容赦なく私を襲った事を知らしめる。

 何が起こったのか、一瞬理解できなかった。だってこれは後ろからの攻撃ではなくて正面の……! 神樹の根元から延ばされていて、どう考えてもバーテックスの仕業ではない! この樹海化された世界に張り巡らされている植物と同じにしか……それどころかこれは見ての通り()()()()……?

 

 つまり、私は神樹に攻撃された……!?

 

「何を……!?」

 

 突然の神樹の不可解な行動に憤るも、次の瞬間辺りの地面から複数の根が突き破って現れる。それらは再び私を叩き潰す勢いで……殺すつもりであるかのように襲いかかってきた。

 

「……っ!」

 

 予想外の神樹の攻撃に激しい困惑を覚えながらも迫り来る身の危険は止まりはしない。地面を蹴って振り下ろされる根を避けるも、すぐさま別の根が私へと凪払われる。低く屈み込んで僅かな隙間の差で凪払いは外れ、猛烈な風圧が私を怯ませる。

 バランスが崩れ、風圧によって集中を欠いてしまった私に再度根が凪払われる。爆弾……それは駄目…! 時間停止を………間に合わない!!

 

『!!』

「キャァアッ!!」

 

 根は私の全身に直撃……する直前に割って出現したエイミーのバリアに突き刺さるも、その勢いは収まらずに私達を強烈に叩き飛ばす。痛みは無くてもその衝撃に体は耐えきれず、空中で立て直そうにも動かせない。受け身を取れぬまま私は地面を激しく転がっていくも、エイミーのバリアで致命傷にはならない。けれども、精霊のバリアは決して攻撃を完全に遮断しきれるものではない。強固なバリアであるものの、幾分のダメージは通ってしまう……倒れた私は今のダメージのせいで満足に体を動かないまま、起きられなかった。

 

 ……でも今のは……神樹の根が精霊バリアに直撃した時、そこから何か……荒々しい怒りが伝わっていた。

 思い返してみれば…………ええ、確かにあれは怒りの感情だった。あの攻撃、それより前のも、神樹の隠しきれない怒りが溢れ出していて、私にぶつけようと……?

 

「……どうして……神樹……?」

 

 私には神樹の意図が皆目見当がつかない。勇者である私に突然こんな仕打ちを受ける謂われは無い……。

 

 神様の考えている事なんて、この時の私には解らなかった。その答えを知った時、私は改めて思い知る。神様なんてものはどうしようもない高慢な存在だ。

 

『神樹は人類の味方である……が、それ以前にこの存在は文字通り『神様』。それも多数の土地神の集合体。勇者といえどもたった一人の人間とは天と地の差よりも絶対的な格の違いが存在する。

 その差は対等であると考える事は当然論外。話しかける事すらおこがましく、御法度とされる行いでもある。ましてや勇者としての使命を放棄し自分勝手に意見や希望を垂れる人間など、あまりにも愚かく不敬な身の程知らずに、我を忘れて怒り狂う理由として十分すぎた』

 

 怒り狂う神様がそんな呟きを気にするわけがなく、倒れている私の体に植物の蔓が巻き付けられる。何かを考えるまでもない、この蔓の先にあるもの……これも神樹の一部……!

 先程と同様の恐ろしいとしか思えないプレッシャーが絶え間なく襲う。そのまま絞め殺すつもりなのか、私に巻き付いた蔓がよりきつく食い込み始める。抵抗しようとするとそれも許さないとでも言うように、神樹の方へと引っ張られ、引きずり込まれて……精霊バリアが!? 本当に殺す気……!?

 

「くっ……この……! エイミー…!!」

『!?』

 

 勇者は死なないらしいけど、相手が勇者の力の源である神樹本体ならばそんな保証はどこにもない! 冗談じゃない……! こんな訳の解らないまま別の世界で死んでたまるものか!!

 私は痛覚を散華していて痛みを感じない。そしてエイミーのバリアで致命傷を負うことはない。

 

 痛覚が無いことと精霊バリアがあるからこそ実行できる自爆。私の右手に出現する爆弾……それのスイッチを蔓が巻き付いてる胸元に押し込み起爆を試みる。この蔓を吹き飛ばして拘束から逃れるために。しかしそれが爆発する瞬間、爆弾は光の粒子となって消え失せた。

 

「そんな……!? あっ!」

 

 そうだった……神樹に勇者の攻撃は…効かない……。東郷がそれに失敗したから、バーテックスの攻撃を誘導していたのに……。

 

 そして神樹は今の自爆未遂で更に怒りが沸き上がったのか、乱暴に、乱雑に引き摺り回され、そのスピードに容赦なんてものは欠片もなかった。

 脳が揺さぶられ平衡感覚が狂い始め、振り上げられた蔓は私の体を宙に浮かせ、そのまま逆にしなやかな蔓を振り下ろし地面に叩きつける。

 

「がはっ…!!」

『…!』

 

 激突の勢いで地面が凹む。それでもなお蔓は私の体に巻き付いたまま、神樹はその暴挙を繰り返す。私の体は再び宙を舞い、大きく弧を描きながら反対側の地面に叩きつけ……神樹の裁きという名の怒りの発散は三度、四度と続く。

 

「ぁ……ぐ…」

 

 痛みはなく、どうしようもない衝撃だけが私の全身の内側を震わせる。肺の中の空気は一片も残さず吐き出してしまって呼吸する事がままならず、頭の中がクラクラして意識が朦朧として……

 

 やがて私の体はどこにも叩きつけられなくなる。神樹の気が晴れたのかどうかは知らないけど……いいえ、きっとまだ。蔦は依然巻き付いたまま、ゆっくりだけど私の体を神樹の方に引き摺っている。

 体に力が入らない。精霊バリアがあっても蓄積したダメージは酷く、勇者じゃなければ既に死んでしまっている。どんなに痛めつけられても勇者は死なない……不思議と、この時はそのような事は思いもしなかった。

 

「……温…かい…? ひっ!!?」

 

 体中を包み込む不思議な感覚。どこか安心するような温かさがあり、全身が何かと溶け合うような悍ましさを本能が教える。

 恐怖心だけが私の心を支配する。死なないなんて、嘘としか思えなかった。このまま謎の感覚が私の意識を安らかに手放し……そうすれば、私の意識は二度と戻らない事だけがハッキリと解ってしまった。即ち……

 

「…いや…だ……死にたくない……帰りたい……ひっく!」

 

 このまま…みんながいない真っ暗闇な世界、誰にも気づかれる事なく、怒り狂った神樹に嬲り殺されたら……そう思ってしまった。本当にもう二度とみんなに会えなくて、話すこともできなくて、一緒に笑い合うこともできない。

 

 永遠に失われてしまう。何もかも……

 

「ゆうなぁ…! とうごぉ……! ふうせんぱいぃ……! かりぃん……! ぃつきちゃん……! みんなぁ……!!」

 

 必死に手を伸ばすこともできない永遠の絶望の闇が迫っている。その絶望に包まれた自分の末路を思う……それだけで心が張り裂けそうになる恐怖に震えが止まらない。両目からボロボロと大粒の涙が絶え間なく溢れ出し子供みたいに泣きじゃくる。

 

「いやだいやだいやだいやだぁぁぁあああああああああ!!!!!」

 

 恥も外聞もなかった……。頼れる彼女達がどこにもいない世界、信じられるものなんて何もない独りぼっちの私……。待ち構える永遠の孤独、その事実は死の恐怖と共に私の心をへし折った。

 

「やめて殺さないで死にたくないゆるして赦してぇっ…!!!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいああああああああああああああああ!!!!!」

 

 神樹の元に引き摺られ近づくにつれて、何かと溶け合うような感覚がより鮮明になる。意識も朦朧とし始めて入らない力ももっと弱々しくなる。

 皮肉にも絶望だけが今の私を支えていた。一瞬でも気を抜けばそれで一貫の終わり……それが堪らなく嫌で、死に物狂いの叫びが響く。

 

「たすけて誰かぁ!!! 友奈!!東郷!!風先輩!!夏凜!!樹ちゃん!!乃木さん!!彩羽さん!! イヤァァァアアアアアアア!!!!」

『  、      !! !』

「………え……?」

 

 頭の中に直接声が……次の瞬間、私を引き摺る蔓は光となって儚く消え失せた。私を溶かそうとする感覚も、きれいさっぱり無くなって……代わりに蔓が巻かれていた胸元に何やら重みを感じる。

 

「エ…イ……ミー…?」

『~~~!』

 

 エイミーが私の胸の上に乗っている。そして、その両目からは……涙?

 ……助かった……の…? というかあの声は一体……エイミーなの? たすけて、って……あの蔦が消えたのは……消したのは? 今こうして泣いてるのは……どうしてなの……?

 

「何が………っ!!?」

 

 猛烈な怒気と殺気のプレッシャーが襲いかかる。再び先程の恐怖が鮮明に思い返され、体中の震えが再発した。

 どうやったか、どのような意図があったのかは解らないけど、蔓を消したのはおそらくはエイミー……。そう、決して神樹本体の意思などではなく、殺そうとしたのを邪魔された……今まさにその状況の直後だった。

 

「あぁ……ああぁぁ……!!」

 

 収まってなんかいない、神樹の怒りは。神樹から延ばされた蔓も根も蔦も、今度こそ私を捕らえて……神樹の中に取り込ませようと……!

 

 あんな恐怖、もう耐えられない!! 逃げなければ……時間を止めて一刻も速く!!

 

「……そんな……なんでもう溜まってるのよ!!!!」

 

 盾を回しても時間は止まらない。神樹の絶え間ない制裁で精霊バリアを展開し続けていたのが原因か……既に満開ゲージは全て満ちて……

 

 

 

 

 

 

 

 神樹の蔓が目前まで来ていた。

 

「うわああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 

 そして、満開の花が咲き乱れる。目の前の恐怖から、情けなく逃げ出すために……。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 上空に現れた、たくさんのバーテックスが合体することで生み出される強化個体、『進化体』

 今まで私達が倒してきた白い個体よりも危険な雰囲気に満ち溢れている。見た目は棒状で、今までのバーテックスのような口は無い。だけど倒せるイメージを捉えるのが難しい……でも、絶対にこいつを倒さないと!

 

「私が!」

 

 アンちゃんがタマちゃんとホムちゃんの後ろから、クロスボウで矢を連射する。金色の矢があのバーテックスを貫く……そう簡単にはいかなくて、バーテックスから赤い板状の物体が出現する。アンちゃんの矢はその板状の物体に当たったけど、その全てがアンちゃんの方に跳ね返った!

 

「危ない!」

 

 跳ね返された矢がアンちゃん達を傷つけることはなかった。タマちゃんが武器で盾のように防ぎ、ホムちゃんも武器で打ち払って守っていた。ホッと安心、一息……でもアンちゃんの矢は駄目だった。あれはただの板じゃない、反射板だった。

 

「だったら私の拳なら!」

「高嶋さん!」

 

 進化体に飛びかかり、力を込めたテレフォンパンチ……は、なんか勇者っぽくないかな? 勇者の必殺技だから……名付けて!

 

「友奈流○拳!!」

「勇者パンチにしておけ!!」

「怒られる!!」

「せいやぁ!!」

「○星拳でその掛け声はデンジャーよ!!」

 

 若葉ちゃんホムちゃん歌野ちゃんが何やら叫ぶ中、必殺技を進化体の反射板に叩き込む。ガツンと拳がきれいに入った音が響く……けど、固い! 反射板には傷一つ付いてなくて、一旦バーテックスから距離を取る。

 

「やっぱり強い…!」

「伊予島さんの矢が跳ね返されて、高嶋さんの拳も効かないとなると……」

「歌野、進化体を相手にする時の策はあるか?」

「まずはクールダウンよ、みんな。確かに進化体はストロングだけど、一体だけなら倒せない敵ではないわ」

 

 勇者パンチ(友奈流星○は不評だったから今度から勇者パンチ)一発では効かなかった。でも私の必殺技だもん、威力はちゃんとあるに違いない。

 だったらやるべき事は一つ。一発が駄目ならもっと殴ればいい! 十発、百発、千発……何度だって叩きつければいい!

 

 そうと決まれば、意識を集中し力を顕現させる。

 

 勇者には切り札がある。神樹様に記録されている力を抽出し、その力を発揮する事ができる。それで精霊の力を引き出せば、勇者は大きなパワーアップができる。

 

「……あれ?」

 

 神樹様にアクセスできない……? えっ、何でどうして!? どうしちゃったの神樹様!? これじゃあ切り札が使えないよ…って……

 

「あれ、何だろ…?」

 

 アクセスできなくてどうしたものかと神樹様の方を振り向いて気づいた。何か白くて光り輝いているものがこっちに飛んできている。物凄いスピードで、流星みたいな勢いで。

 

「みんな! 私が切り札を…」

「待って若葉ちゃん、あれ!」

 

 私が指差した方をみんなが見て全員がビックリした。一体あれは何なのか、神樹様にアクセスできなくなったといいどうなっているのか……歌野ちゃんが声を上げた。

 

「あれって……暁美さん!?」

「「「「「ええっ!?」」」」」

「……何ですって…?」

 

 暁美さんって……ほむらちゃん!? ええっ!? だってあれ空を飛んでるよ!?

 

「詳しくは知らないけど暁美さんって白くて光るウィングが生えるのよ! 諏訪ではそうだったわ!」

「ますます訳がわかりません!」

「おいおいおい! あれこっちに……止まらなくないか!?」

「っ、総員退避!!」

 

 タマちゃんの言う通り、ほむらちゃんは勢いが全く落ちないままこっちに突っ込んで来る。ちょうど私達がいるこの辺りに落ちそうで、巻き込まれたらひとたまりもない。でもそしたらほむらちゃんが!

 

「高嶋さん離れて!」

「ぐ、ぐんちゃんでも…!」

 

 ほむらちゃんだって無事では済まない、受け止めなければと思ったけど、私を心配したぐんちゃんに手を引かれてその場から離される。確かに私一人じゃ無理だったかもしれないけど、罪悪感が溢れ出す。

 

 そして、物凄いスピードと勢いで突っ込んできたほむらちゃん……一瞬だけ見えた、その背には歌野ちゃんが言ってた通り真っ白で綺麗な翼があった。

 

 私達は全員離れていて、そこにいるのは進化体バーテックス。その翼が進化体バーテックスの反射板に触れた瞬間、固くて傷一つ付けられなかった反射板は粉々に砕け散った。

 反射板だけじゃない、進化体バーテックス本体も気がつけば影も形もない。今の一瞬で巻き込まれて消滅していた。

 

「「「「「「!!?」」」」」」

 

 ほむらちゃんが隕石が落ちたみたいに地面に落ちる……そう思っていたけど、彼女は落下したその地点でズザァッーっと滑って体を反転させながらピタリと着地した。

 みんなが何が起こったのか理解できなくて……それでようやく解った事が、あの進化体バーテックスはほむらちゃんに倒された……ってこと?

 

「な……何なんですか今のは……!」

「オウ……諏訪でもそうだったけど、進化体を一瞬で……」

「諏訪でもって……圧倒的すぎませんか…!?」

「ウソだろ……あんずと友奈の攻撃が効かなかったヤツだぞ…!?」

「信じられん……だが現実に……!」

「…………っ!」

 

 みんなの戸惑いと驚きは止まらない。口々に言い合い今の事を必死に受け止めようにも難しいみたいで……いつの間にか、若葉ちゃんの背後に小型バーテックスが一体近づいていた。

 

「若葉ちゃんっ! 危ない!」

 

 若葉ちゃんが振り返ると既にバーテックスは口を大きく開けて喰らい付こうとしていた。このままじゃ食べられてしまう…………ギリ、ブチィ!

 

「……まずいな。食えたものではない」

 

 噛みつきを避けた若葉ちゃんが逆にバーテックスの一部を食べて斬っちゃった……。ホッ……無事でよかった。

 

「……タマ、これからは若葉を怒らせないようにする」

「……うん、私も……」

「バーテックスを食うのは勧められそうにない。気持ちは痛いほど解るがやめておいた方が良いぞ、ほむら」

「やりませんよ最初から!」

 

 でも今ので……樹海に侵入したバーテックスは全部倒した! 私達の勝ちだね、ブイっ!

 切り札が使えなくて一時はどうなることかと思ったけど、ほむらちゃんのおかげでなんとかなって良かったよ。ちゃんとお礼を言わないと。

 

「ほむらちゃ…」

「ハァ……ハァ……ぃゃ……ぃゃぁ! ぅぅうう…!! ぐ……ごほっ…げっほ……ぅぁあ……ぁぁぁ……!!」

「ほむらちゃん!?」

 

 いつの間にかほむらちゃんの背中の翼は消えて無くなってて、ほむらちゃんは酷く咳き込み体が震えていた。それにこれ、ほむらちゃん体、土でいっぱい汚れてる? それに顔も……泣いた跡?

 

「……ゆう…な……?」

「ほむらちゃん! 大丈夫!?」

「………じゃない……」

「えっ!?」

 

 大丈夫じゃない!? どどどどうしよう!!? 戦いは終わったし早く病院!?

 

「……友奈じゃ…ない……」

「えっ? 私、友奈だよ…?」

「…………」

 

 ほむらちゃんは何も言わなかった。でもとても苦しそうで哀しそうで、今にも崩れてしまいそうで……樹海に色鮮やかな花弁が舞う。元の世界に戻るみたいだし、話は向こうで、ゆっくり聞けばいいのかな……。




偶然主人公の死に物狂いの逃亡に巻き込まれた(物理的に)進化体氏「解せぬ」

 満開ゲージが溜まるのって、実際かなりハイペースですよね……。


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第五十四話 「名前」

 樹海と化していた世界は元の姿に。殺戮者は一匹残らず勇者達に殲滅され、人々に安寧の時が訪れる。

 

「ほむらちゃん! みんな!」

「まどか!」

「……良かった……ちゃんとみんないる……!」

 

 そして彼女達もまた、勝利を祈り待ち望む者達の元へ帰還する。その姿を見た途端、生きて戻ってきた事実に感極まり駆け寄る少女達。

 

「うたのん!」

「みーちゃんただいま! 大丈夫? 怪我はない?」

「それはこっちのセリフだよ……」

「ノープロブレムよ……ねぇ、みーちゃん」

 

 命を懸けた戦いを恐れぬ者など有りはしない。しかし勇者達にはその恐怖を上から塗り潰してくれるような存在が……互いが互いを支え合い、共に大きな壁を乗り越える。

 

「ここには、仲間がいるわ」

「……うん!」

 

 仲間がいる。敵には手に入れようも無い、決して断ち切れない絆を武器に彼女達は強者を打ち倒した。

 

「お帰りなさい、若葉ちゃん」

「ひなた」

「最初から解っていました。皆さんなら必ず成し遂げられると」

 

 これが彼女達勇者の第一歩。かつての屈辱、怒り、犠牲になってしまった人々の無念を晴らす反撃の幕開けだ。拳を握り締め、天に向けて突き上げる。鬨の声と共に……。

 

「我々の勝利だ!」

「「「「「「「「おおーーーー!!!!」」」」」」」」

 

 そんな勝利に一丸となって喜ぶ彼女達。

 

 しかし、二人の勇者だけはそのような気分にならなかった。

 

「…………なんなのよ、一体……」

 

 一人は別の二人の勇者を見ていた。目覚ましい獅子奮迅の活躍をした彼女達のリーダーと、たった一瞬の内に圧倒的かつ異質な力を解き放った謎の勇者の背中を。それらを見る目はこの場の空気にそぐわない感情を秘めていた。

 

「……………」

 

 もう一人は虚空だけを眺めていた。周囲の歓喜の声を聞いてもいなかった。決して他の勇者達には解らない、ただ一人だけ、希望を断ち切られた勇者の姿がそこにはあった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 我々の初戦は華々しい結果に終わった。始まる前は伊予島が変身できず、暁美さんも一人どこかへ行ってしまうなどといった懸念もあった。だがいざ蓋を開けてみれば伊予島は戦闘の恐怖を乗り越え土居とほむらの窮地を救い、暁美さんは別格の存在である進化体バーテックスを一瞬で葬った。

 

 勿論他のみんなの活躍も素晴らしかった。三年前は撤退しか術はなかったというのに、我々は遂に奴らに反旗を翻したのだ。今までの歌野達の戦いもこうして明白な実を結び、私達の気分は最高潮に……なるはずだった。

 

「若葉ちゃん! バーテックスを食べたら駄目でしょう!」

「し、しかし……」

「しかしじゃないよ! どうして食べようと思ったの! お腹を壊しちゃったらどうするの!?」

「む、昔友達を食った奴らに同等の報いを……」

「だからって本当に食べていい理由にはなりません! も~! 通信の時から薄々感じてはいましたけど、乃木さんってどこかおかしいです!」

 

 私に待ち受けていたのはひなた、まどか、藤森さんの巫女三人による説教だった。正座を強制させられ、三人の息の合った正論の刃が私をめった刺しにする。

 というか何故樹海にいなかった彼女達がそれを知ってているんだ!? それに他のみんなも気の毒そうに私を見てはすぐに目を背けるのはどうしてなんだ!? 誰か一人くらいフォローをしてくれても良いではないか! 

 

「あんなに強かった若葉さんがたじたじに……」

「本当に怒らせちゃマズいのは巫女達の方だったか……」

「みーちゃんに若葉のイーティングの事言ったの、アウトだったかしら?」

「……私も、まどかに教えちゃいました……」

「私はヒナちゃんに……」

「歌野ほむら友奈!! お前達の仕業か!?」

「「「若葉ちゃん(乃木さん)!! 聞いてる(ます)!?」」」

「か、勘弁してくれぇ……」

「……自業自得じゃない……」

 

 くぅ…! おかしいじゃないか…! 我々は勝利したのに素直に喜ぶことができないなど!

 

 しかし、巫女達が大袈裟に心配してしまうのは仕方がないと言えよう。私達が樹海にてバーテックスと戦っている間、彼女達の時間は止まっていた。この三人の目線ではバーテックス襲来を告げる警報が鳴り響いたかと思いきや目の前にいた私達の姿が消え、その時には戦闘が既に終わっている。

 戦局を全く把握しきれないのだ。相手は人類を滅亡寸前にまで追い込んだ化け物……無事でいられる保証など知れたものではない。勝利を信じていたと彼女達は言ってはいたが、不安が無い訳ではないのだ。怪しいと思ってしまった事に過敏になるのは当然の結果だった。

 

 だが解せぬ……ひなたもまどかも藤森さんも、私の燃え滾るバーテックスへの怒りは熟知しているのではないのか……。何故私だけがこんな目に……ゆったりとくつろいでいるあいつらが羨ましい……。

 

 私がひなた達に説教されている……それ以外にも喜べない事が二つもある。一つは暁美さん……彼女は今私達と共に教室にいるのではなく、保健室にいる。一人にしてほしい、疲れたから休むと言っていたが、これはきっと本当の事だろう。

 

『……暁美さん、また無理していたのね』

『また? 諏訪でもそうだったのか?』

『ええ。膝を付いて息を切らせながら戦って、フィニッシュした後もその場でダウンしてたわ……』

 

 歌野からの報告がある。以前にも同じ様な出来事があり疲労困憊に陥ったのだと。比類無き力を見せはしたが、その分体力の限界を越えてしまうのだろうか? 何にせよ、今は彼女の回復を待つことにしよう。

 

 そしてもう一つ……これは不可解だ。何度目か解らないが心の中で溜め息を吐き、その時窓の外が一瞬眩く光る。閃光から1秒、2秒……

 

ドオオォン!!!!

「ひゃぁっ!?」

「うおぉ…! 近いな……!」

「何で急に降り始めたんだろうね? 天気予報じゃ今日一日中晴れだって言ってたのに……」

 

 近年稀に見る大雨……元の世界に戻ってきた私達を待ち受けていたものがコレだ。快晴だったはずの空は瞬く間に灰色に染まり、激しい豪雨と雷が轟く異常気象に。

 晴れやかだった私達の心に無粋にも水を差されたのだ。天よ、世界を護るべく戦った私達の一体何が気に食わなかったとでも言うのか。

 

 せっかく完全勝利を収めたというのにどうしてこんなことに……。バーテックスもまずかったし散々だ……。

 

 などと後悔していると、ひなたの刺々しい目線が別の方へと移る。許されたのか? 私もその視線の先に目を向けると………なんだ、あの惨状は……。

 

「それから球子さん」

「うぉえっ!? ……な……なんだ…?」

「そちら、球子さんの仕業ですよね?」

 

 私の視線の先、急に冷たい笑みと話を振られた土居が錆び付いたロボットのようにぎこちなく向けた視線の先にあるもの、それはここで生活する私達の荷物を仕舞う共有ロッカーだった。だがその周りにはあらゆる物が散らばっており、唯一開きっぱなしだった土居のものの中も、言葉に表すのが嫌になるほど酷い散らかり様だった。犯人は……言わずもがなだろう。

 

「な、なにあれ!? 体操服とお菓子と教科書がグチャグチャに溢れてこぼれ落ちてる!? タマっち先輩……」

「な……ナンノコトカナー……??? タマ、チンプンカンプンだゾ……?」

「……土居さん、ロッカーの中に神器があるって慌ててましたよね……?」

「早急に綺麗に片してください。いいですね?」

 

 む? 今また雷が落ち

 

ドガァァアン!!!!

「ハ、ハイィッ!!」

「アメージング! サンダーをも味方にするなんて……!」

「こっこここ、怖かったぁ…!」

 

 ……何というか、てんやわんや……本当に日常に戻って来たのだな。つい先程まで命を落としてもおかしくはない戦場に身を置いていたが、誰も欠ける事無く、失う事無く全員がいつものこの場にいる。天気こそ最悪だが、場を包み込む空気はどこか楽しげで穏やかだ……ひなたの笑みがどこか恐ろしくて背筋が冷えるが……。

 

「あ~、チョコレートか? 箱からこぼれてるのが溶けてるじゃないか」

「えぇ…? 溶けてるって……ロッカーの中身は無事なの?」

「……ん? ……コイツは……うげぇっ!?」

「タマっち先輩? ……ああーーーっ!!? それ、私がほむらさんから借りてタマっち先輩が無くした本!!」

「えっ!? 見つかったの……ちょっと! 表紙が折れ曲がってるしページもチョコまみれじゃないですか! 土~居~さ~ん~!」

「こ、こんな所にあったんだな……! いや~、見つかって良かっ「「良くない!!」」……で、でもほむら、前にもう怒ってないって言「「そういう問題じゃない!!」」ヒエッ…!?」

 

 ほむらと伊予島が土居を連行……そのまま教室の隅で慣れた手付きで土居を教室に吊し上げ……嫌に平和すぎてくだらない光景だな。呆れて物も言えん……。

 

「あちゃー……まどちゃん、ぐんちゃん、代わりに私達で片付けとこう?」

「そうだね、友奈ちゃん」

「……高嶋さんがそう言うなら……」

「あ、私もヘルプするわ」

「私も手伝います」

 

 ……しかしまあ、これで良いのかもしれないな。使命を果たすのは何よりも大事な事だが、私達の個を殺すとなってしまえば無意味かもしれん。それを今回の戦いで改めて気づかされた……仲間達に固い考えを押し付けるのではなく、彼女達の意志を信じ、それに報いるのが私の為すべき事。私も、あいつらも、同じ人間なのだから。

 

「……あのぅ、すみません……」

「あなたが郡千景さん…ですよね?」

「……なによ今更……」

「あぁうん、自分でも今更って思ってます……。まぁお互い挨拶するタイミングが無かった事ですし、改めてこれからよろしくお願いします!」

「………別に、敬語とか、使わなくて結構よ……」

 

 ……同じ人間……なのだが、何故だろう。私が歌野達の様に郡さんに声を掛けたところで、同じ様に相手にされる事はないと思ってしまうのは……。無視されるか舌打ちされる未来しか見えない……。

 説教される私、そして仲睦まじく清掃に励む彼女達……届きそうで決して届かないようなこの差は一体何なんだ……。

 

 ちなみに歌野と藤森さんはそれぞれの勇者装束、巫女装束から制服に着替えている。今は私服が手元に無いらしく、丸亀城に予備として置いてあった私達と同じ制服を貸し出したのだ。この件についてはとても良く似合っている上に、二人がこの姿で私達と共にいるのだと思うとまさしく感慨無量だった。

 

「球子さん、って言ったっけ。彼女、いつも何かやらかしちゃうの?」

「タマちゃん、昨日もヒナちゃんに吊されたんだ」

「二日連続!?」

「そうだったの? 球子ちゃんってば……」

「まどかさんは知らなかったの?」

「……うん、昨日は……」

「………腑抜けている暇なんて、もう無いわよ……」

「千景さん……はい、わかってます」

 

 ロッカー周りを片付ける彼女達の会話は私にも聞こえていた。歌野達の、まだこちらの仲間達について明るくない事。まどかの、塞ぎ込んでしまった間の事。

 諏訪の人々の生存脱出に新たな勇者と巫女の仲間……そして遂に四国を襲撃してきたバーテックス。今日一日だけでこれまでの状況は完全に変化してしまった。だが、それは間違いなくプラス側に傾いていた。

 

「……みんなにいっぱい迷惑をかけちゃって……でももう大丈夫です。歌野ちゃんも水都ちゃんも無事で、ほむらちゃんそっくりの新しい勇者も仲間になってくれて……みんなが頑張って、今日の戦いに勝てたんだもん。だからわたしも頑張らなきゃって……とっても心強くて、もう何も恐くないんです」

「……なら、いいわ」

 

 誰もが窮地も恐怖も乗り越えた。絶望は塗り替えられて、全員が前を向けるようになった。

 郡さんも素っ気なく返すが、それを隣で見ていた友奈は嬉しそうに笑みを浮かべている。郡さんにとって何か良い事があったから笑っているのだろうか。実は郡さんもこれまで口に出さなかっただけで、本心では私達と同じ事を案じ、気に掛けていたのかもしれない……彼女達を見ているとそう思えてくるのであった。

 

「私もそう思います。千景さんは周りを良く見ておられるお方ですから」

「ひなた? 口に出していたか?」

「若葉ちゃんの考える事くらいお見通しです。お説教の最中に向こうに気が逸れておりましたから」

「…………まだ続くのか……?」

 

 温かさの中に極寒の冷気のような気配……。恐る恐るひなたの表情を窺い……満面の笑みでこちらから目を離していなかった。

 

「まどかさんと水都さんの分も含めて、じっくりと♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バーテックスは二度と食べない。この日そう固く誓うのであった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 時計の針が夕方の6時を示す。一向に収まる兆しのない豪雨に足留めされ、寄宿舎に帰ることも躊躇われる。特にまどかとほむら、二人は寄宿舎ではなく市内の実家にて暮らしている。距離自体そこまで離れている訳ではないが、傘があったとしても帰らせるのは酷であろう。

 どうしたものやらと悩む二人。それを見かねたひなたが私達全員に提案した。

 

「それでしたら、今日は皆さん全員丸亀城でお泊まり会というのはどうでしょう?」

「お泊まり会?」

「はい。歌野さん、水都さん、暁美さんの歓迎会と祝勝会を兼ねて」

 

 なるほど……それは良いアイデアだ。教室内の机や椅子を退かして布団を敷けば寝泊まりできる。それに彼女達とより親睦を深められるというのであれば尚更だ。

 

「私は賛成だ。皆はどうだろうか」

「いいじゃないか! 大人数で一緒に寝泊まりってのも乙なものだぞ!」

「なんだかとても素敵かも」

「わたし達も楽しみになってきちゃった。ほむらちゃん、パパ達に連絡しておこう」

「うん、そうだね」

「さんせー! ぐんちゃん一緒に寝よっ♪」

「グボハァッ!!!!? たったたかたかたかしまさんとぃぃぃいっしょイッショ一緒にぃぃ寝ぇ!!!! よよっよよょよよっよよよ喜んで!!! 不束者ですが!!!」

 

 おおっ! 郡さんもお泊まり会に乗り気とは!

 日頃の雰囲気であまり良く思われていないのは分かってはいたが、だからといって決して私達を邪険に扱ってはいないのだ。きっと郡さんも本当は私達に寄り添おうと思ってくれていたに違いない!

 

「私、ほむらちゃんにも伝えてくるね!」

「………ええ」

 

 ………友奈の口から暁美さんの名前が出て教室から出て行った途端、郡さんの目が一瞬で冷めきってしまった……。まだ彼女を警戒しているのか………ハァ…。

 

「うふふ♪ 四国でのファーストデイの夜が新しい仲間とのお泊まり会だなんて……生きてるって、こんなにもハッピーばっかりだったのね」

「うたのん……」

「積もる話は山ほどある。歌野、今夜は思う存分語り明かそう!」

「ええ! 若葉!」

 

 歌野も喜びを隠さず、藤森さんもそんな歌野の姿に安心しきっていた。私も遂に出会えた友人達の姿がひたすらに嬉しく、かつての通信の時とは違う、互いに顔を見て語り合えるようになったのだと思うと待ち遠しくて仕方がない。歌野に声を掛け、向こうも同じ想いであるかのように満面の笑みを見せた。

 

「………あれ? そう言えば……」

「巫女は巫女で、まどかさんと三人でじっくり話し合いましょう水都さん♪」

「あ、ありがとうございます……って、ねえうたのん?」

 

 ふと藤森さんが何か気掛かりなことがあったのか、歌野に声を掛ける。ただし彼女の視線は歌野だけではなく、私にも向けられれていた。

 

「みーちゃん? どうかした?」

「えっと……いつの間にか二人とも名前で呼び合ってない? うたのんと乃木さん……」

 

 む? 名前呼びだと……ああ、そういうことか。藤森さんも歌野と同様、私とまどかの四人で通信していた仲だ。通信では常に白鳥さんと呼んでいたし、今日会ってからもそれだった。歌野と初めて呼んだのも、彼女に若葉と呼ばれたのも樹海で……その時の事を他のみんなは知らないままだった。

 歌野もクスクスと笑い、あの時の思いを馳せているのだろう。漸く出会えた友の存在は尊かった。名前を呼んで、呼ばれて、互いに無限大の力を与えてくれたのだ。

 

「大切なフレンドの名前を呼ばない理由なんて無いわ。そうでしょう、若葉?」

「まったくだ。寧ろまどかのように最初から名前で呼んでいればよかったな」

 

 通信の時、あれは勇者の代表としての仕事だった。故に相応の姿勢を示さなければと、世界と人々を救う勇者のリーダーとして己を律していたのだが、今思えばただの考え過ぎだ。友達と話すのに堅苦しさなど必要ない。

 

「そういうわけだ……水都」

「えっ?」

「お前も歌野と同じだ。私の大切な友であり、居なくてはならない仲間なんだ。だから、これからは水都と呼ばせてくれないか」

「……はいっ! 若葉さん!」

 

 ……ふふっ。漸く水都の名前も呼べた。やはり気分がいい……昨日まで生きている事が絶望的と思われていた彼女達と今まで以上の絆を育めるとはな。

 

「ぬぅぅうううう!!」

 

 だがここでどこからか唸り声と共に猛烈な視線を感じる。ただならぬ気配に戸惑いつつも、私達はその声の主の方を見た。

 

「……な、なんだどうしたんだ……?」

「名前呼びだとぉ!? くぉぁぁあああ!! タマ達を差し置いてェ……ずるいずるいぃ!!」

 

 ………ええぇ……?

 

「ずっと一緒に過ごしてきたのにどーしてタマ達は名字のままなんだ!! ひなただけならまだしも、友奈もまどかもほむらも名前呼びなのに!! 今日来たばかりの歌野と水都を名前で呼ぶならタマも名前で呼べーーーっ!!!」

「た…球子ちゃん…? いきなりどうしたの……?」

「あー……実はタマっち先輩、若葉さんに名前で呼ばれないこと、結構気にしてたんです……」

「まあ! そうだったのですか」

「そそそんな訳ないだろ!!? 気にしてなんかないからな!!?」

「……どっちよ……」

「あと、私も名前で呼んでほしいです」

「あんず! お前タマの言葉に乗っかかりやがったな!?」

「いいでしょ! 私だって気にしてたんだもん!」

「ま、まあまあお二人とも……」

「ほむらさんだって言えてますからね!?」

「そーだそーだ! お前はまどか以外全員名字呼びじゃないか!!」

「うぅ…!? す、スミマセン……」

 

 ……まぁ、言われなくてもそのつもりだったのだが。ただ今まで本人に確認しなかったことは私の落ち度だ。友奈は最初に会った時に本人の希望で名前呼びが良いと。まどかとほむらは姉妹で同じ名字故に。彼女達に名前呼びの切っ掛けが無かったものの、友で仲間なのだから切っ掛けなんてものは関係無かったのだ。

 

「…………私も……名前で呼んでいいわ……」

「「「「!?」」」」

「千景さん……」

「………何よ、その反応……」

「……いや、まさかあなたもそう言うとは……意外と言うか……」

 

 ……寧ろ彼女の名前も呼ぼうと考えていた。そして逆に名前で呼ぶなと冷め切った目で睨まれ拒絶されるかもしれない……そう思っていたぐらいだ。

 彼女自身私達の思っていた事を察したのか、私達を恨みがましい目で睨んですぐにそっぽを向く。だがその頬は僅かに紅潮していた。

 

「………変じゃない。私だけ名字呼びのままは……それに、敬語も不要よ……。あなたの敬語は聞いててむず痒い」

「む、むず痒い……?」

 

 ……それは一人だけ敬語で話されるのは嫌だという事だろうか。年長者だからと敬意を表していたつもりであったが、余計な気遣いだったのだろうか……。

 

「………リーダーが常に下手に出るなんて気持ち悪いのよ」

「気持ち悪い!? ……うん? リーダー?」

「……自分の立場も忘れたの?」

「い、いや……! 私は暫定のであって……」

 

 思いがけない言葉に戸惑ってしまう。私はリーダーとしての素質は足りていないのではと自問自答していたのだ。他ならぬ彼女に指摘されたから……それなのにあたかも私がリーダーであると……。

 

「その件なんだけど若葉ちゃん、実はみんなで話してたんだ。これまでは大社が決めてたけど、やっぱりリーダーは若葉ちゃんがいいんじゃないかなって」

「え…」

「今日の戦い、若葉が先頭で頑張ってくれてただろ? それも一番槍だ。あれを見たからタマ達は戦うことができたんだ」

「もし乃木さんがいなかったら、私達の内の誰かは大怪我……最悪、死んでいたかもしれません。乃木さんの誇り高い意志が私達を守ってくれた……そう思ったんです」

 

 自信が無かった。今までリーダーとして振る舞おうとした結果、みんなの心配や不安を無視しては失敗ばかりだった。だが彼女達が私を見る目は輝いている。ただひたすらに、私を信じてくれている。

 

「私も若葉さんがリーダーをやるのがいいと思います!」

「……高嶋さんも賛成していたし、活躍もしていたし……反対はしないわ…」

「……歌野と水都も…なのか?」

「私は最初から若葉がリーダーって思っていたわ。武士っぽくてそんなアンビアンスしてるし」

「若葉さんになら私もうたのんも安心して付いて行けますから」

 

 ……ふふっ、みんながこうも私を信頼してくれる。仲間達が私になら任せられると……何事にも報いを、だな。私も仲間達の想いを信じよう。それがリーダーとしての第一歩だ。

 

「良かったですね、若葉ちゃん」

「ああ………ありがとう、みんな」

 

 心が温かい……。今日は敵を下しただけではなく、仲間との絆が確実に強くなった。

 そこに保健室にいる暁美さんを呼びに行った友奈が戻ってきた。一匹の黒猫を抱えて……。

 

「みんなー! ただいまー!」

「……高嶋さん…?」

「あれ? あの猫……」

 

 声を弾ませ、誰にでも分かるような満開の笑顔。何か良いことでもあったのだろうか? それに友奈が抱えている黒猫、あれはいつの間にか居なくなっていた暁美さんの猫ではなかったか?

 

「友奈さん、暁美さんは?」

「ええっと、ゴメンね! まだ気分が良くないみたいで、今日は遠慮するって」

「オーノー……あとでお見舞いに行かなきゃ…」

「ああ待って! 今はグッスリ眠ってるから明日にしない?」

 

 と言うことは、暁美さんはお泊まり会に不参加か……。休んでいるのに押し掛けるのは良くない。私も明日様子を見に行くとしよう。今は……

 

「みんな、良いだろうか?」

 

 私はみんなの想いを受け取った。頼り無い姿も見せたが、それでも私なら…と有り難い言葉と共に私を信じてくれた。

 

「みんなには感謝してもしきれない。お前達がいたからこそ、今日の初陣を勝ち取る事ができた。リーダーとして、心強い仲間達が私に付いていることを誇りに思う。

 

 友奈。ひなた。まどか。ほむら。千景。球子。杏。歌野。水都。そして、暁美。

 

 みんなありがとう。これからもよろしく頼む」

 

 実に清々しい気分だ。みんなも私と同じ様に笑っていて、そう思っているに違いない。

 かつて全てを奪われた世界だが希望は無くなってなどいない。頼れる仲間達を見ていると不思議でも何でもなく、そう思えて仕方がなかった。

 

 

 

 

「……ところで友奈さん」

「な、何かなアンちゃんっ…?」

「その猫ちゃんはどうしたんですか?」

『~♪』

「ああこの子! ほむらちゃんの飼い猫だって! スゴいよ~! なんと空を飛べちゃうんだよ~!」

「「「………は?」」」

 

 ……やはり暁美の黒猫であったか。そして猫の存在を知らなかった千景と球子と杏の三人が同時に言葉を失った。というかやはり空を飛ぶのだな? あの時の私達の見間違いなどではなく。

 

「ええっと、正しくは本物の猫じゃなくて、精霊って呼ばれる存在らしいです」

「「「「「「「「精霊?」」」」」」」」

 

 水都がとある単語を口にする。だがそれは私達の知っているものでありながらも、こうして直接目にするのは初めてだった。

 精霊と言えば、それは私達勇者の切り札……この身に宿し、強大な力を発揮する奥の手のはずだ。だが目の前の黒猫は果たしてそのような存在なのか……わからん。だがどう見てもこの猫は普通ではない。北海道の精霊はこのような形で勇者に恩恵を与えるのだろうか……。

 

「空を飛ぶし、テールも二本あるし、ドロンしちゃうし、ビックリすることいっぱいあるのよ、エイミーちゃんって。アハハ」

「「……エイミー…?」」

「ええ。この子のネーム、エイミーちゃんって言うのよ」

 

 歌野の水都は共に四国に来たからか、暁美に関わる事はそれなりに知っているのだな。

 

 

 

 

「……ねえ、ほむらちゃん……」

「……うん……偶然……なのかな…?」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 数分前

 

「………ねえ、ほむらちゃん!」

「…………」

「その……大丈夫…? 顔色良くないし、さっきもあんなに苦しそうにしてたし……」

 

 あの姿に気づいて違和感を抱いていたのは、たぶん私一人だけだった。他のみんなが安堵や達成感に浸る中、自分で言うのも何だけど、私は気を配り続けていたから彼女のただならない様子に感づいた。

 

「…………ちがう……」

「えっ……?」

 

 心配に思って彼女の顔色を窺った。でも彼女は否定の言葉と共に顔を背ける。その時垣間見えた表情は苦虫を噛み潰したようで、ますます焦る想いが加速した。

 

「ま、待ってよほむらちゃん…! ほむらちゃん、戦いが終わってからずっと苦しそうに見えるの……!」

「…………っ」

「バーテックスもみんなで倒して、戦いも終わったんだよ。世界も守れてみんなが無事なのに……ほむらちゃんだけが笑ってないんだよ?」

「…………れ」

「何かあったんじゃないの…? 私、ほむらちゃんのこと…まだ知らないことばかりだけど……でも嫌なんだよ、友達が悲しんでるなんて…」

 

 

 

 

 

「黙れ!!!!」

「あっ!?」

 

 突然ドンって突き飛ばされた。後ろに倒れ込んでお尻を打ってしまう。でもそんな痛みなんて少しも気にならなかった。

 

 ほむらちゃんがボロボロと涙をこぼしながら……今にも人を()()()()()()()()()、怒りしか宿っていない鬼のような目で私を見下ろしていた。

 

「友達!? あなたが!? 違う違う違う違う!!!! 一緒にするんじゃないわよ!!!!」

「ほむら……ちゃん……!?」

「知ったような口を……馴れ馴れしい、不愉快極まりないのよ!!」

 

 そこから浴びせられる罵詈雑言……一言一言に今までに味わったことの無いような、酷く苦しい想いが私の心を直接殴りつけるみたいだった。

 

「わ、私……そんなつもり…なくて……心配なだけで……!」

「お呼びじゃないのよ!!!! その顔を見せないで!! その声を聞かせないで!! 私に近付かないで!!!!」

 

 

 

 ……その後のことは、あんまり覚えていない。ただあの場所にいても、私には何もできそうになかった。ゴメンって一言呟いて、急いで出て行ったような気がする……。

 

「……ごめん……ごめんね……!」

 

 何より、悔しくて仕方がなかった。私はほむらちゃんの心の中に土足で踏み込もうとしていたのか、ほむらちゃんが何に苦しんでいるのか気づけなかったとか、何もできずに出て行ったこととか……。

 

『………』

「すん………えっ…?」

 

 気がつくと、私の側には可愛らしい一匹の猫ちゃんが擦り寄っていた。保健室でも見た、ほむらちゃんの側で見守るように見つめていた猫ちゃんだった。もしかして私を追いかけてきたのかな……?

 

「……ほむらちゃんの……ペット? ……えっ? ええっ!?」

 

 猫ちゃんはその場でふわりと浮かんだ。驚き固まる私の顔の真ん前まで浮かぶと、猫ちゃんは頭をコツンと私のおでこに当ててきた。

 

「……ひょっとして、慰めてくれるの…?」

『……♪』

「……うん……ありがとう猫ちゃん」

 

 涙を拭っていつものように笑顔を作る。このまま教室に帰ったらみんなに心配させちゃうもんね。それで何かあったのか聞かれて、さっきの事を知られたらほむらちゃんが悪く言われちゃう……。ぐんちゃんと喧嘩しちゃう事にもなりかねない……。

 

「……私が……黙っていればいいんだ」

『………』

「猫ちゃん猫ちゃん! 一緒にみんなのところに行こっ? みんなとっても優しい人ばっかなんだ~!」

 

 ……ごめんね、ほむらちゃん。私には何にもできなくて……。

 せめて迷惑は掛けないようにするから……ね。

 

 

 

 

やっぱり……ごめんなさい……




 次回は第五十五話ではなく、予てより予定していた外伝、『焔環の章』第一話「夢の中で助けられた、ような…」を投稿します。
 本編第一話の前に外伝パートを載せていく予定ですので、目次の最初の方に追加します。


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第五十五話 「輝」

 遅くなって大変申し訳ありません!! 7月は多忙で全然時間も取れず、書けても途中でボツになったりで難産でした。
 超電磁砲コラボや待望のマギレコ2期が始まり気分は上々↑↑ まあ、引き弱の私にコラボキャラが引けるわけないんですけどね……。
 マギレコ2期も第1話のまさかの展開に大興奮でした。
「ほむらちゃんの事はわたしが絶対に助けてみせる。だからさやかちゃんはわたしを助けて。そしたらいつかきっと、ほむらちゃんがさやかちゃんの事だって助けてくれるよ!」ってセリフがあって、この後に本当にこういう展開で助け合うの、私大好きなんです! 魔女化の真相を知った後にも希望に満ち溢れた展開で、本当に観れて良かったと……黒江ちゃんも無事に再登場おめでとう!


 ……いつの間にか、寝落ちしてしまったみたい。胸が苦しくて、悔しくて、頭の方も怒りでおかしくなりそうで、今日は絶対に眠れそうにないと思っていたのに。

 

 失われたはずの()()()()()()()で、私がぽつんと一人突っ立っているこの場所は知らない建物の中。けれども、壁に貼られている交通安全を促すポスター、習字にどこか幼さを感じる雑把な絵。そして何よりも、賑やかな子供達の集う教室……どうやらここは小学校のようだ。夢の中の……。

 

「……四度目……」

 

 ……私が満開を使って最初に意識を手放した時に起こる謎の現象。妙に意識が鮮明な夢を見てしまうこれは一体何なのか。

 

 最初に見たものは荘厳な城、次にありふれた普通の町中、三度目は諏訪から四国への移動中、途中で休息をとった時。今度は片田舎に……本当にわけが分からない。

 そして四度目の今回は小学校……小学校なんて、何の思い入れもないのに。

 

「……小学校なんて……」

 

 讃州中学に入学してからのことを思えば実につまらない六年だった。ただ一つの存在だけに執着して、自らの振る舞いを何一つ省みないで孤立して……人は一人で生きていても虚しいだけだって今は思う。今はみんながいるから何もかもが幸福に満ち溢れていた。どうしようもない絶望であろうとも、何も恐くなかった。

 

「……また、ひとりぼっち……っ!」

 

 このおかしな夢から覚めて、その先の現実にみんなは………いない。いるのは違う世界の住民だけ……私が守りたかった存在は、どこにもない。

 友達にも、先輩にも、後輩にも、両親にも、決して私の声は届かない。代わりに私の声を勝手に受け取った何も知らない人が、望んでもいない的外れの想いを返してそれで終わり。誰にも理解されない絶望を独りで背負わされてしまう……。唯一の救いも、昨日無慈悲に断ち切られた……。

 

 神樹だけがそれを可能にすると思っていたのに、返ってきたのは無慈悲な神罰……。神樹に私を助ける意思は皆無だった。散々痛めつけられた後、自分の身体が溶けて消え失せかける感覚が忘れられない……!

 神樹にとって、私の命なんてどうでも良かった。思い通りに動かないのであれば、私の力だけを取り込んで排除しようと……。

 

 神樹には私を使い潰す意図しか持ち合わせていない。逆らうようなら即処分して力だけを回収する……私の存在はその程度の都合の良い駒だった……。

 

 私は……全てを失っていく……。小学生の時のように、私に笑いかけ、心で繋がれるような素晴らしい人達がいない現実だけが返ってくる。

 

 既に肉体の痛みも、命を突き動かす心臓も、人間として当然の温もりも……目の前に広がる世界の彩りさえ失った。

 

 希望への道はどこにもない。

 

 

 

 ふと気がつけば、目の前には下の階へと繋がる階段がある。廊下の壁に背中を預けて立っていただけなのに、この夢の中の小学校を歩いてもいないのに、いつの間にか階段の前に一人立っていて……

 

Du verschwindest von hier

「………え…?」

 

 嘲笑うかのような声と一緒に、何かにドンって背中を強く押されて突き落とされた。足は床から離れて身体は前に倒れ込む。固くて冷たそうな踊り場に頭から落下して……もう一度、誰かの悪意のない嘲笑う声が聞こえた。

 

 

 

 

「………もう……いやだ……!」

 

 再び意識が戻って、世界の方もモノクロの保健室に戻る。たまらず視界を手で覆って、この現実から逃れようと隠してもどうにもならない。指の隙間から見える白と黒の中間のような配色で広がる世界は、比喩表現とか抜きで実際に私が見ている世界だった。

 

 四度目の散華で失われたのは、色彩感覚。色を認識できなくなった私の世界は心身共に照らすような明るさを失い、薄暗い灰色に包み込まれている。

 

 散華で失ってしまったものは二度と戻らない。目の前のモノクロの世界も、私の心も……。

 

 彼女達の笑顔も、二度と……。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

「う……む…?」

 

 起床するも、眼前の天井が私達の暮らしている寄宿舎のものではない。いつもと異なる場所で寝起きしていた事に一瞬不思議に思うも、それはすぐに霧散した。

 

「ああそうだった……丸亀城か、ここは」

 

 戦闘後の大雨もあって、全員でここに布団を引っ張り出して寝泊まりしたのであったな。身体を起こし、軽く背伸びする。激しかった雨音は聞こえないことから既に止んでいるのだろう。昨日までの不安が解消されたからか、ぐっすりと快眠できたみたいだ。ただ教室に掛けられた時計を確認するも、何時もより起床時間は少し早い。周りを見渡すと、まだ私以外誰も起きていないようだ。

 

 歌野と水都達の歓迎会、私達の初戦の祝勝会、そして私のリーダー就任記念を一遍に行い大いに盛り上がった。会話は弾み、歌野と水都も友奈や球子や杏とすぐに打ち解け愉快に騒いだものだ。千景も口数こそ少なかったが拒絶することもなく彼女達を受け入れていた。暁美の話題になると露骨に機嫌を悪くしていたが……。

 

「……完成体……か……」

 

 とある呼称を思い出す。それは昨夜、諏訪で歌野達に何があったのかを話してもらった時に初めて私達がその存在を把握したものだ。これまで三年間も戦い続けた歌野ですら、今まで遭遇したことの無かった規格外の超大型の個体が出現したのだという。

 

 歌野がそれを見た時に思った事は、それは頂点という名を冠した敵が完全なる進化を完了させたであろうというものだった。

 

 即ち、完成体バーテックス。

 

 その時の事を話す歌野は歯を食いしばり、表情に怒りの色を表し拳を強く握り締めていた。一目見ただけで桁違いだと分かる、それの放つ威圧感、存在感、そして脅威は進化体の比ではなかったのだと言う。進化体は複数の小型バーテックスが融合したものであるが、それは果たして何百何千以上のバーテックスの集合体であるのか……。

 

 ……この世界を奴らから取り戻すのは困難を極めるのは分かりきっていたはずだ。だがこうして(もたら)された情報から、新たな強敵の存在まで明らかになってしまうとは……。

 

「……暁美の力が鍵になりそうだな」

 

 そんな絶望の象徴とも取れる完成体バーテックスは、暁美が一人で撃破したとのことだ。私自身、昨日の戦闘で彼女の力を目にはしたものの、あれは私達の力よりも突出して凄まじい。

 諏訪では暁美は爆弾や巨大な弓を使ってバーテックスを倒していたらしいが、昨日はそのようなものを使いもせず、一瞬で強固な進化体バーテックスをまるで紙切れのようにバラバラに消し去った。友奈と杏の攻撃が効かなかった個体をだ。尤も、あの後暁美が体調不良を伝えたのは気がかりだが……。

 

 おそらくその力は、これまで彼女が戦ってきた北海道の神によるものだろう。我々の神である神樹や、諏訪の土地神よりも高位の神々なのかもしれん。

 暁美も我々と同様に勇者のアプリを使用していた。北海道にもこちらの大社のような組織が存在していたのだろう。詰まるところ、彼女の携帯端末及び勇者システムには向こうの神々の情報や霊的回路が繋がっているはずだ。

 これらを勇者アプリを開発した大社の研究者達に回して分析、解析すれば、私達の勇者システムもその神々の恩恵に肖れ大幅な強化に繋がるだろう。

 

 水都が言っていたが、北海道は既に滅びていた。それが他の地域の勇者である暁美が諏訪にいた理由であり、完成体バーテックスの恐ろしさとも言える。あの暁美ですら、敗走してしまったという事なのだからな……。

 北海道の勇者は諏訪の歌野と同じく暁美ただ一人のみ。憶測になってしまうが、いくら暁美が強力な力を有していようとも、数の利が圧倒的ならば……完成体バーテックスが束になって襲撃されてしまえば、一人で護りきるには無理があったのだろう。

 

 しかし、今ここには勇者は八人もいるのだ。暁美の勇者システムを我々のものにもインストールし、全員が完成体バーテックスと対抗できる力が備われば、私達が後れを取るなど有り得ない!

 

「……しかし、何というか……人の物を横から掠め取るようで気が引けるな……」

 

 だがそんな中ふと考えてしまった葛藤。我々は神樹から力を得ているのだが、優れているからといって暁美の神の力にも手を伸ばそうとしている。これまで暁美だって様々な苦難を乗り越えたに違いないのに、私達は何の苦労も無しに彼女の力を受け取ろうだなどと……些か卑怯ではないだろうか?

 

「むむむ……」

「どうされましたか? 若葉ちゃん」

「うおっ!?」

 

 考え込んでいると、横からひなたが顔を覗き込ませてきた。さっきまでひなたも眠っていたと思うが、もしや口に出てしまった言葉で起こしてしまったのだろうか?

 

「…おはようひなた。うるさくしてしまったか?」

「おはようございます若葉ちゃん。お気になさらず」

 

 やはり私のせいか。だがひなたは穏やかに微笑み、不快に思ってなどいない。考えてみれば、ひなたはよく私を起こしてくれる。いつもの起床時間もこの時間帯だとすれば、問題は何も無いのだろう。

 

「そうか。私の方も気にしないでくれ。きっと本人に尋ねる方が早いだろうからな」

 

 他のみんなは相も変わらずまだ眠っている。球子と杏、まどかとほむら、歌野と水都が、それぞれ互いの手を繋いで仲睦まじく寝息を立てていた。ただし暁美のペット……ではなくて精霊、エイミーがいなくなっている。歌野と水都によると神出鬼没らしいが、暁美の元に戻ったのだろうか?

 友奈と千景は一緒の布団で眠っている。友奈の方が千景を抱き締めるようにくっ付いて……って、千景の奴、目を開けたまま眠っていないか? うん? 千景の奴、白目剥いていないか!? 顔も真っ赤だし、一体何事だ!?

 

コヒューー……コヒューー…………って、あなた達、なにジロジロ見てるのよ……」

「千景!? 起きているのか!?」

「……ずっとドキドキしっぱなしで……眠れるわけ…ないじゃない……!」

 

 明らかに眠そうにしながら身体を起こす千景……言われてみれば、目元に酷い隈ができている。というかこの言い様だと碌に睡眠ができなかったどころか、一睡もできていないのか?

 

「そ、それでは困るぞ! 今日何があるのか……」

「うるさいわね……高嶋さんが起きてしまうでしょ」

「………すまん…」

 

 ……いや、友奈は身体を起こしているお前に抱き付いたままだぞ。体勢的にも寝かせてやらないと自然に目が覚めそうなものだが、自分から離して寝かせてやろうとは思わないのか?

 

「時間は正午からですし、今からでも睡眠はきちんと取ってもらわないといけませんね……」

「……問題ないわよ……徹夜した事は割とあるし、記者会見ぐらい……」

()()()じゃない! 記者会見だからこそしっかりせねばならんのだ! 人々を希望に導く勇者として!」

「……ああもう……相っ変わらずのバカ真面目ね、乃木さん」

「人々に我々が頼りないと思われては意味がないんだ。だらしない姿で人前に出るのはリーダーとして認められない」

 

 昨日の夜、私達勇者のお目付役であるひなたとまどかの携帯に大社から連絡が入った。それが本日、我々勇者の記者会見を開くというものである。

 何せ、昨日は怒涛の一日だった。諏訪の住民達が四国に逃れただけでなく、初めてバーテックスがこちらに襲撃してきたのだから。そして私達はバーテックスを打ち倒した……大社はこれを期に、我々の存在を世間に大々的に報道する事を決定したのだ。

 

 というか、既に報道されていた。昨日の夜にはテレビで大社が抱えていた情報を明かされ、先程述べたことがニュースに流れていた。訓練を積み重ねた六人の勇者の名前と顔写真と、諏訪と他の地域で戦い抜いてきた二人の勇者……その存在は四国中を駆け巡る。

 大社の狙いは明らかだ……今まで存在を隠していた勇者を明らかにすることで、四国の人々を安心させる方針を採ったのだろう。三年前の殺戮者、バーテックスを滅する人類の希望として。

 

 現に我々は成果を上げている。歌野と暁美が諏訪の人々を救い出し、昨日のバーテックスも撃退した。人々はこれらの事実を把握し、大きな安堵と歓喜に包まれた。

 

 人類を絶望の淵から救い出す、八人の勇者は爆発的に話題になる。SNSではトレンドとやらに挙がり、千景が見つけたとある掲示板ではその事実を嘘か真かで議論する者で溢れかえっていた。尤もそちらは昨日大量の大社のバスが諏訪の民を四国中の居住区に送るべく走っていた目撃情報も合わさり、真実味があるという意見が多かった。

 とはいえ疑いの目を向ける者がいたこともまた事実。大社としては人々を安心させるのが目的故に、即刻勇者達の姿を明かしたい……そういう魂胆もあって、本日いきなりにだが記者会見が開かれる運びとなった。

 

「……あの人達も……観るんでしょうね……」

「うん? 何か言ったか?」

「……気乗りしないって言ったのよ……」

「それは……心中お察しします……」

「…………勝手に人の内面を想像しないで」

「おい千景…」

「いいんです若葉ちゃん。申し訳ありませんでした千景さん」

 

 ……何だ? 今のやり取りでひなたに非は無いと思うのだが……。

 

 ……まあ、文句を言いたいのも分からないこともない。大社の思惑も理解してはいるが、芸能人でもないのに私達の顔や名前が四国中に公開されるといえば良い気はしない。ほむらも杏も難色を示していたのはあいつらの性格上頷けるが、球子と友奈も少々渋っていたのだ。歌野は諏訪の人々に勇気を与えられると大賛成し、それを聞いた他のみんなも納得したという流れだった。

 

「……ん……あっ!?」

 

 突然千景が慌てた声を出す。見れば千景を抱いて眠ったままだった友奈が、その手が緩まり、身体も傾いていて……。千景が支える前にぼすんと音を立てて布団に倒れてしまった。そのせいで彼女の目がうっすらと開き、戸惑う千景を捉えた。

 

「……ん……ぐんちゃん……? おはよう…」

「お、おはよう…高嶋さん……」

「……あ、若葉ちゃんとヒナちゃんもおはよう!」

「ああ」

「おはようございます、友奈さん。他の方はまだぐっすり眠っておられますので、少しばかりお静かに」

「うん! シィーっだね♪」

「ぐっ…!!」

 

 ニッコリと可愛らしく笑いながら人差し指を口元に当てて反応する友奈。そして胸を銃で撃たれたかのようなリアクションをして布団の上に倒れ込む千景……睡魔には勝てなかったのだろう。

 

「あれ? ぐんちゃん?」

……あざとい……! あざとすぎる……! がわいずぎる……! はぁあ~……!

「今は眠らせてやってくれ。うまく寝付けられなくて寝不足らしくてな」

「今のは寝不足とは別の物が原因かと思いますが……」

「ぐんちゃん眠れなかったの? 私はぐんちゃんがぽかぽかしてて気持ちよくてぐっすり眠れたんだけど……」

 

 今度こそしっかりと睡眠をとってほしいものだ。しかし私とひなたはともかく、友奈も起床は早かったのではないだろうか?

 

「友奈ももう少し眠っていてもいいぞ?」

「う~ん、大丈夫かな。ぐんちゃんの寝顔を見るのも良さそうだし」

「ふむ」

 

 確かに千景の寝顔を眺められる機会など珍しそうだが……後で居心地の悪い冷たい視線を向けられかねない。私はそうだな……少々早いがいつも通りだ。訓練所を借りて朝の鍛練に勤しむ事にした。

 ただし私の稽古着があるのは寄宿舎の自室だ。一旦外に出てそちらに戻らねば。

 

 起きている二人にその事を伝え、一人教室を出る。今着ているものが体操服で、後少しで10月に入ることからやや肌寒い。まあこの程度は問題ないが……鍛練していれば自然に身体は温まる。それに有事に備えて身体を鍛える事はとても重要、実に合理的だ。身も心も引き締まり、まさに良いこと尽くめではないか、鍛練というものは。

 

 ガタッ  ガシャン

 

「……む?」

 

 丸亀城の本丸から外に出て、二の丸を通り過ぎたところで、遠くの方から奇妙な音が聞こえてくる。機械が軋むような、歪な音が……。

 ……私達がここに通うようになってからの三年間、一度もこのような音が聞こえた事はない。もしやニュースを見てここを嗅ぎ付けてきたマスコミか何かか? 大社がここを管理するようになってから一般人の立ち入りは禁じられ、門も閉ざされてはいるが、もしや何者かが侵入してきたのではあるまいな……?

 

 ゴトッ  ドッ

 

 ……それにしては、人の声は全然聞こえない。そして歪な音だけが何度も続いている。気になって音の聞こえる方に駆け出し、坂を下っていくと、音の原因と思われる物を発見した。

 

「……何故ここに車が……? それもこんなにたくさん……」

 

 見返り坂の先の広場には数十台にも及ぶ車が並んでいた。小型に普通乗用車、大型トラックなども車種関係無くいろいろな物が辺り一面に。丸亀城の駐車場はもう少し先に行った所にあるのだが、ここに停めては違法駐車……それ以前にこれらは一体誰の車だ?

 車に近付いて分かる範囲で確認を取ろうと、車内やナンバープレートを……

 

 

◇◇◇◇◇

 

「……なに!? 長野に……松本に……諏訪!?」

 

 ……この声は……何でこの時間帯に外に出ているのよ。まだ日も登り切っていないというのに……。

 

「っ! そこにいるのは誰だ!!」

「………」

『!』

 

 ……うるさい。返事を返すのも億劫だ。頭の上のエイミーが何やら反応するけど、私には至極当然どうでもいい。そのまま盾の中の異空間から車を目の前に取り出す。若干地面から離れて現れてしまうから、10センチ程度の高さからだけど落ちて耳障りな音が響く。

 あと何台残っていたかしら? 面倒だけど、盾の中に仕舞っていた所で何の意味も無いし、役にも立たないのよね……。この世界の大赦に、四国中に散ってしまった持ち主の元に届けた方が良いでしょうし。

 

「あ、暁美……と、エイミー…?」

「………」

『~♪』

 

 薄暗い視界の端に見えた、昨日の満開後から白黒になった人間。そんなものを気に留める訳もなく、踵を返して他に車を置くための空いているスペースへと移動する。

 

「ど、どうしたんだ…? 勇者に変身して……」

「………」

「……そ、そうだ! 身体の調子は大丈夫なのか?」

「………」

 

 ……何故付いてくるのよ。昨日の高嶋友奈といい、無視をしているのだから黙って立ち去ろうとは思わないの? そんなお人好し、私にはあの子達で十分なのよ。それ以外の部外者……いいえ、異分子なんて必要ない。

 

「……あ、あの……暁美…?」

「………」

「……ああそうかスマナイ…!」

「………?」

「気を悪くしたのなら謝ろう。だが私としては、仲間としてもっと親密になりたくて……それで呼び捨てにしていたんだ」

「………」

「私の事も良ければ若葉と呼んで欲しい。だから私もお前を……」

「チッ!」

「っ!?」

 

 ……どいつもこいつも、馴れ馴れしくて本当に腹が立つ! 人の気も知らないで好き勝手言ってくれる! 誰がいつあなたと仲間になりたいと言った!? あなたの勝手な願望を私に押し付けないで!

 

『~!』

 

 イライラしながら歩いていると、真っ黒な何かが視界を塞ぐ。触れ慣れたサラサラな毛が、その正体をすぎに明らかにする。

 

「……どいて、エイミー」

『………』

 

 頭から離れたエイミーが私の前に浮き塞がる。いつものように気持ち良さげに喉を鳴らすのではなく、つぶらな目が真っ直ぐ私を捉える。

 そういえばこの乃木若葉とエイミー、互いを知っている様だった。それも、白鳥さんと藤森さんにただ話を聞いただけとは思えない。……エイミー、昨日の夜見ないと思ったらまさか……。

 

「……話を聞いてやれって言いたいの? 私には関係無い相手よ」

「か、関係…無い……?」

『~~! ~~!!』

 

 ……珍しく興奮気味の様子。エイミーは明らかに今の言葉に怒っている。どうやらエイミーはこの世界の勇者達に既に懐いたらしい。

 ……人懐っこい性格って、こんなにも面倒なものだったのね。

 

「……名前なんて、好きに呼べばいいわ。乃木若葉」

「そ、そうか………フルネームか……壁が……」

 

 他人に気安く接するわけがないでしょう。乃木という名字だって、本当はあなた相手に使いたくはないのよ。それは私にとって、付き合い自体は短くとも、同じ様な苦難を得て私達に想いを託してくれた仲間の物だから。

 

「……そ、それでなんだが、この辺りの車は暁美が…? 諏訪の人々の車のようだが……」

「……ええ。大赦が回収して届けやすいようにね」

「なるほど。話に聞いていた、異空間に繋がっている盾とやらだな……大社の仕事量の多さが心配だな……」

「それが連中の役目でしょ。あなたも、諏訪の人々は大赦が心から歓迎するとか言ってたと思うけど、彼らの車ぐらい何とかしないとみっともないわよ」

「………」

 

 乃木若葉が訝しむ様にこちらを見るけれども、大赦に抱いてる悪意や不満なんて隠す気はない。この世界の大赦と私達の世界の大赦がやってきた事はあまり関係無いだろうけど、そんなので納得できない所行を連中は私達に課した。

 金輪際信用しないし利用されるつもりもない。敵ではないけど連中がみんなの身体の機能を奪ったも同然だ。バーテックスと同じか、それ以上に大ッ嫌いなのよ、大赦って組織は。

 

 そして……私がこんな所にいるのも……結局は……ッ!!

 

「……それはそうと、大事な話が二つあるんだ」

「大事な話?」

 

 正直わざわざ聞く必要は無いけど、大事な話と言われたら聞かざるを得ない……勇者部の性分かしら?

 

「実は昨日、大社が我々勇者の存在と昨日の出来事全てを世間に公表したんだ」

「……何ですって?」

 

 勇者の存在は、私達の世界ではトップシークレットなのに……。それにバーテックスとの交戦の事もということは、バーテックスなんて化け物の存在も……。

 ……いいえ、待って。諏訪では住民はみんな白鳥さんが勇者である事、そして彼女がバーテックスと戦っていた事は知っていた。私にはこの世界での勇者やバーテックスがどこまで世間に知れ渡っているのか、何も知らないじゃない。きっとこの世界では常識である事でも知らない事があるのかも……。

 

 しかし、乃木若葉の説明を聞いていく内に、そんな懸念はどうでもよくなった。

 

「───それで今日記者会見が開かれることになったんだ。暁美には是非、北海道で戦い抜いて大勢の命を救った勇者の一人として、四国中の人々を鼓舞してほしい」

「………もう一つは?」

「暁美の勇者システムを、大社に提供してほしい。昨日私もこの目で見たが、あの力は我々の物よりレベルが圧倒的に違いすぎる」

「……レベルが……」

「大社には優れた研究者や技術者が揃っている。暁美の勇者システムを我々の勇者システムにもアップデートすれば、戦力が大幅に上昇する事間違いないのだ!」

「………」

「勿論研究以外の用途で扱わせないのは約束する! 研究が終了次第返却もする! 終始一貫丁重に取り扱う事を誓おう! 我々人類の勝利のため、バーテックスを倒すために!」

「論外よ。両方とも」

『……!?』

「……なん……だと……!?」

 

 ……その熱意だけは認める。ただし、それ以上に私が許せないだけ。

 

「な…何故だ…!? 人々に希望を与えるのも、バーテックスに優位に立てるようになるのも、どうして拒む……!」

「気に入らないのよ。それ」

「気に入らない……だと……!?」

 

 両方とも、大赦がバックに付いている。特に前者は人々を安心させるとか大層志の立派な事を唱いながら、大赦のイメージアップを図る魂胆が見え見えだ。勇者もバーテックスも、存在を明かさずとも世間はごく平和に過ぎていくものよ。

 

「勇者を宣伝材料にするならあなた達でどうぞ勝手にして頂戴。ただし私は大赦の都合の良い道具になるつもりはない……反吐が出るわ」

「……そんなの、お前の想像だ! かつて絶望を味わった者にとって、バーテックスを倒し人々を救った存在は眩しく見えるはずだ! 勇者の存在が希望になるのだぞ!?」

「あらそう。私にはあなた達がそんな大層な存在には見えないわ。滑稽で哀れな、神様にとっても従順で便利な手駒よ」

「……っ!」

『……!』

 

 勇者という存在が希望なんて、一度たりとも思った事はない。勇者でなくたって、あの子達はいつどこでも輝いていた。

 曖昧な存在に縋り付いて、それを希望だと称えて何になる。裏にあるのは大赦の描く、勇者を含む大勢の人々を操り利用しようとする気持ち悪い意図だけだ。

 

「……お前は……人々の想いが解らないのか……! お前が護ろうとした、北海道の人々の想いが……!」

「そうね……知らないわ」

『~!』

 

 重ねた嘘の内容を指摘されても、私には知りようがないもの。それに本当に私が護りたかった人達の想いこそ、乃木若葉の勝手な物差しで言われる筋合いもない。

 

「……私は……お前が歌野達を助けたと知って、闇夜を照らす焔のように……まさに奇跡の象徴であるかのように、輝いて見えた…!」

『……! ……!』

 

 振り絞るようにそう言うと、乃木若葉は踵を返してこの場から立ち去って行く。振り返る前に見えた彼女の表情……怒り、失望、悲しみ、色んな感情が混ざり合った暗いものだった。エイミーがその背中を追いかけようとして、躊躇いがちに私を見る。好きにしてと、乃木若葉とエイミーから視線を外し中断していた車出しを再開した。

 

 私は乃木若葉の期待を裏切ったはずだ。それなのに、罪悪感が湧いてない。一つ目の話を受けるなんて有り得ないのも確かだが、改めて私はこの世界では無関心なんだと気付かされる。やっぱりここは私にとって何も無い世界なのよ。

 

 二つ目の話も実に無意味だ。大赦にこれを預けるなんてとんでもない。そしてこの勇者システムは私にしか適合しない事が明らかになっている。仮に彼女達の勇者システムに同じ物が導入された所で起動しないわ。

 そもそも彩羽さんが言うには、既に私達の世界の大赦が量産化を試みてる。結果は大失敗らしいけど。西暦時代の謎の勇者システムなだけあって、不明な点も多々ある………?

 

 ………西暦時代よね、この世界は。じゃあこの勇者システムは、寧ろ彼女達の方が詳しいんじゃ……?

 保管していたのは彩羽さんと羽衣ちゃんの先祖である高嶋友奈……。彼女がどのような経緯で謎だらけのこれを手に入れたのか………っ!!?

 

 ………確か、高嶋友奈は知っていた……子孫に勇者システムと言葉を遺していたはず……。

 

『何十年後か、それとも何百年後かは分からない。でもこの中身が必要とする人が現れるまで、高嶋家の人間は全てを失ってしまってでも、この中身だけは絶対に守り抜け』

 

 ……これは……私が生まれるのを知っていた? 私が未来から来たことを知っていた!? 過去の世界の人間である高嶋友奈が、未来の世界の人間である私にしか扱えない勇者システムを未来に遺そうとしたのは……私に届けるため……。なんでそんな未知なる物を彼女が持っていたのか……それは……まさか……!

 

「………こうなる事が……運命だった…!?」

 

 暁美ほむらが神世紀300年から西暦の時代に跳ばされるのは、運命によって定められていたことだったとでも言うの!?

 

「……私が今使っている勇者端末が高嶋友奈の手に渡り、そして300年後に……私ではない暁美ほむらが受け取る……」

 

 ……それじゃあ……私はどうやって元の世界に……いいえ……運命が勇者システムを手放す形で巡っているのなら……私の終着点も決まっている……。

 

「……私は……元の世界に帰れないまま……ここで……」




 いつも~モノ~クロ~だった♪ ひとみ~のお~くの~♪


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第五十六話 「物憂」

 陳謝!!! 1ヶ月近く空けてしまい大変申し訳ありませんでした!! ちょっと精神的に参ってしまった時期がありまして……完全に乗り切れたのでその点はもう大丈夫です!!
 時間も取れるようになったので執筆ペースも以前のように改善できそうです。もう2週間以上開けさせない。

 また、今月に入ってTwitterを始めました。よろしければフォローお願いします。
https://mobile.twitter.com/yusyabuyuhomu


 こんなにも晴れやかな気持ちで朝を迎えられるなんて、昨日までのこの時間帯に泣いていた時には思いもしなかった。わたしは今、あの悲しみに押し潰される前と同じような、平穏な時を過ごしていた。

 

「ハァ……記者会見……取材……四国中に生中継……」

「てぃひひ♪ ファイトだよ、ほむらちゃん!」

「……うぅぅ、まどか、巫女はやらないからって他人事だと思ってない…?」

「まさか。頑張れー!って、ひなたちゃんと水都ちゃんと一緒に応援し続けるつもりだよ」

 

 わたしの隣で冷たい水で顔を洗っている、目の前の鏡に映るほむらちゃんの顔は、はっきりと不安である事を示している。昔から人前に立つことが苦手で、緊張してしまうんだってのはわたしも良く分かる。

 だけどわたしの友達が、家族が、これから人々に希望を与えられる存在として注目される。今までのみんなの頑張りをずっと見てきたわたしには、それが誇らしく思えるのと同時に、これから戦いは本格的になるんだって怖くもある。

 

 もちろんわたしの知らない所でほむらちゃん達みんなが命懸けで戦って、酷い怪我や考えたくないような目に遭うかも知れないなんて、不安じゃないなんて言えば当然嘘になる。だけど奇跡は起こって、希望はまだ無くなっていないんだって、今のわたしは知っている。ほむらちゃんやみんなになら、それを絶やさないまま先に進めるんだって信じている。

 

「あったわ洗面化粧室。ふぅ、迷子にならずに済んでよかった」

「過ごしやすいように改築されてるのはいいけど、早く丸亀城の中身を覚えないとだね……」

 

 流れる水の音に紛れて外の方から二人の声が聞こえてくる。ガラガラと音を立てて開かれた扉の向こうから、長い間抱き続けていた夢が叶って出会えた友達の姿が見えた。わたし達がいることに気付くと二人とも表情を緩ませる。わたしも自然に笑みがこぼれて声を掛けた。

 

「おはよう、歌野ちゃん、水都ちゃん」

「おはようまどかさん……と……」

「ええっと………ほむらさん……?」

 

 なんだかタオルで顔を拭いているほむらちゃんにはぎこちない挨拶で、一体どうしたんだろうと思ったけど、すぐにその原因を思い出した。

 

「あ、はい、鹿目です。私」

「ああやっぱり…! ほむらさんの方だったのね、ソーリー…」

 

 ……暁美…さんと…ほむらちゃん、どっちなのか判断できなかったんだ。

 

 暁美さん、どうしてほむらちゃんとそっくり……ううん、同じ姿、なんだろう…?

 声はほむらちゃんより少し低いけど、あれならほむらちゃんにだって普通に発声できるだろうし、眼鏡も髪型も手を加えているだけで元の所ではどう見たところで一緒なんだもん。世の中には自分と似ている人間が三人はいるなんてよく聞くけど、まったく理由にはなってないし、だいたい名前まで一緒なんてそんなこと本当にあるのかなぁ?

 

「いえ、今はご覧の通りですし……」

 

 ほむらちゃんもその事はちゃんと分かっているから、名前を言うのに躊躇されたなんて気にしない。ちょうど今ほむらちゃんは顔を洗っているから眼鏡を外していて、髪も梳いているからいつもの三つ編みじゃない。だから今のほむらちゃんは暁美さんに見えてもおかしくないんだ。特にわたし達より暁美さんと一緒にいた時間が長い二人なら、ほむらちゃんより暁美さんの姿の方が見慣れているだろうし……。

 

 気にしないでと小さく笑って、わたしとほむらちゃんは一歩横にずれる。二人も安心したかのように微笑み返して、わたし達の隣に立って身だしなみを整えだした。

 目の前の大きな鏡にはわたし達四人が映っている。ほむらちゃんと、いなくなってなんかいなかった二人の友達と、一緒に……。

 

「ふう……えっと…まどか、私の眼鏡どこに置いたっけ?」

「ああうん、はいっ」

「ありがとう………ふふっ、まどかなんだか嬉しそう」

 

 眼鏡を掛けて、鏡を見たほむらちゃんがそんな言葉をこぼした。理由が解っているからか、ほむらちゃん自身も嬉しそうに。

 

 笑い返してほむらちゃんの後ろに回って、触り親しんだ綺麗な髪をいつものように編み始める。本当はほむらちゃんが自分一人でできることだけど、ほむらちゃんは何も言わずわたしに三つ編みを任せてくれた。

 最近は歌野ちゃんと水都ちゃんの件で、あれだったから……昨日も一応やったけど、不足しちゃったほむらちゃん分をもっと補いたかったり。なんてね。

 

 気分はここずっと味わったことの無いような上機嫌。ほむらちゃんの髪型を作りながら、こっちに来たばかりの友達に話しかけた。

 

「二人とも、丸亀城でのお泊まりはどうだった? よく眠れたかな」

「ええバッチリ! ……なんだけど、つい気が弛んで寝坊しちゃったから気持ちはちょっとブルー……」

「寝坊? まだ7時ですけど……」

「うたのんっていつも5時前には起きてるから。農作業で生活リズムが決まってたの」

「ふえぇ……5時前って大変じゃない?」

 

 起きる時間と言っても、わたしには考えられないスケールで驚きの声が出た。諏訪で畑仕事をしていたのはよく聞いてたけど、同い年なのに毎日わたし達のパパよりも早く起きて農作業していたなんて、やっぱり歌野ちゃんってすごいなぁ。

 

「この私としたことが……未来の農業王としてあるまじきミステイクだわ……」

「今は畑は無いんだし、気にしなくてもいいってば!」

 

 そしてそんなやり取りを間近で見て思わず笑いがこぼれる。何度目なのかもう解らないけど、こうしてなんやかんや言いながらも愉快に接し合う二人の姿が幸せすぎて、ほんの少し涙が滲む。

 

 この一時が本当に幸せだ。今まで顔も知らなかった友達と、ほむらちゃんと一緒にお喋りできる、他愛のないこの時間が。昨日もいっぱい話したと思うのに、ずっと言いたかった、話したかった言葉はほんの少しも減らないような気しかしない。

 

「……はい! できたよほむらちゃん」

「ワオ、暁美さんからほむらさんにチェンジしたわ」

「どういう関係なんだろ、ほんと……」

「……うん、ありがとう。やっぱりまどかに任せると良い出来だね」

 

 四人で話しながら、ほむらちゃんの三つ編みを作り終える。ずっと好きでやってきた事だから、髪を三つ編みにするのは完全にお手の物。ことほむらちゃんに対しては誰にも負けないと自負してる。

 

「えっへん、ほむらちゃんのお姉ちゃんですから」

「同い年でしょ」

「もう少しで14歳だもーん」

「誕生日、楽しみにしててね」

「えへへ、ありがと」

 

 一応わたしはほむらちゃんの姉ってことになっているけど、友達としての出会いが始まりだから、普段はその辺りの関係は正直意識してないんだよね。わたしもだけど。

 ただ、間違いなく家族だとは思っている。本当に大切な人で、ずっと一緒にいたい人。だからほむらちゃんが誕生日の事を考えてくれて、わたしのことを想ってくれていてすっごく嬉しい。楽しみで仕方がない。

 

「えっ? まどかさん、誕生日近いの?」

「10月3日です。それに4日は上里さんも誕生日なんです」

「リアリー!? まどかさんとひなたさんのバースデー!? なんてナイスなタイミングなの! おめでとうまどかさん!」

「ま、まだだよ、まだ……」

「それでもお友達の誕生日に直接おめでとうって言えるなんて、嬉しいよ」

 

 そして、今度の誕生日は今までとは違う。みんながいて、そこには歌野ちゃんが、水都ちゃんがいるんだ。

 

「寝坊なんかで落ち込んでいるヒマなんて無いわ! みーちゃん! 二人へのプレゼントを一緒にシンキングよ!」

「うん!」

 

 ……歌野ちゃん、水都ちゃん……もうとっくに、貰っちゃったよ。二人からの最高のプレゼントを……。

 生きてあなた達がここにいる。無事な姿のあなた達がわたしの目の前で笑っている。わたしがずっと望んでいた瞬間がここにある。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 身だしなみを整えて四人で丸亀城の食堂に移動する。さっきは少し道に迷いかけたけど、今度はまどかさんとほむらさんが一緒にいるからその心配は何もない。

 

「ここの食堂はセルフサービスなの。お金も大社からだから払わなくていいから、みんな好きな物を食べ放題できるんだよ」

「好きな物! それじゃあ私は当然蕎麦を……って、ワンダフル! トッピングもたくさんあるじゃない!」

 

 まどかさんは諏訪で通信していた時よりも、とっても明るい雰囲気で話しかけてくれる。声しか知らなかった頃とは違って、可愛らしい笑顔と一緒に安心感が伝わって、心がぽかぽか温かくなる。

 ほむらさんも、正直まだ大人しくなった暁美さんってイメージは結構残ってはいるけれど、それでもまどかさんと若葉さんの話に聞いていた以上に良い子だった。穏やかな紫の瞳に、人見知りの私でも一切不安を感じることは無くて、友達として打ち解けるのも時間はかからなかった。

 

「あとここではみんなで纏まって一緒に食べるようになっているんです。ほら、あちらに」

「おーい、こっちだこっちー!」

「タマっち先輩、海老天取りすぎ! 他の人の分も残さないと!」

「朝にまどちゃんとホムちゃんがこっちで一緒に食べるのって何だか久しぶりだね」

「…………眠い……」

「千景さん、2時間くらいしか眠れなかったんだっけ…?」

 

 もちろん他の勇者の方々や巫女のひなたさん、みんな良い人ばっかりだ。親切で、温かくて、来たばかりの私達をすんなりと受け入れてくれて、ここに一緒にいるのが当たり前だというかのように接してくれる。

 

 かつてのうたのんと二人っきりで、滅びを待つだけだった時の恐ろしさなんて、まるで夢だったかのようにどこにも無い。うたのんが守りたかった人はみんな生きている。うたのんが一人で苦しむ必要なんて無い。まだ全てが終わったわけでもないけど、今の私達にはとっても眩しい世界が広がっていた。

 

「あれ? 若葉ちゃんとひなたちゃんは?」

「エイミーちゃんと一緒に暁美さんを呼びに……そろそろ来ると思います」

「……大丈夫かな、ほむらちゃん……」

 

 ……私達を取り巻いていた世界は確かに良い方向に一変した。だけど、まだ全部を手放しで喜べた訳じゃない。暁美さんがしっかりと回復して、もう大丈夫だと分かるまでは……。

 

 そして食堂に若葉さんが入ってくる。頭の上にはエイミーちゃんが乗っていて、隣にはひなたさんもいる。暁美さんは、いなかった……。

 

「む、みんな既に集まっていたか。遅れてすまない」

「ううん平気! それよりほむらちゃんは……?」

「……それなんだが……」

「若葉ちゃん、立ち話もなんですし、ひとまず先に私達も朝食を取りましょう」

「う、うむ。もう少しだけ待っててくれ」

 

 ひなたさんからトレーを手渡されて、急ぎ足でうどんをどんぶりに入れる若葉さん。ただトッピングを乗せる若葉さんの表情、なんだか曇っていた。

 そして二人ともうどんを乗せたトレーを運んで私達のいるテーブルについた。

 

「……さて、何から言えば良いものか……」

「だったら私から言わせてもらうわ!」

「う、歌野…?」

 

 話を切り出そうとした若葉さんを遮って勢い良く立ち上がるうたのん。さっきまでの蕎麦を前にして緩んだ顔なんかじゃなくて、キリッとした真剣その物な眼差しでみんなを見渡す。みんなの視線もうたのんに集まる中、満を持して再度その口が開かれた。

 

「どーしてみんな揃いも揃ってうどんなのよ!!!?」

 

 神妙な面持ちになってまで言うことがそれなの!?

 

「若葉だけじゃない…! ひなたさんも球子さんも杏さんも友奈さんも千景さんもUDOOON!!! まどかさんもほむらさんも流れるようにうどんを選んで……ホワイホワイホワーーイ!!!!」

「……そんなの決まっているだろう。ここは……香川県。我々の総本山だ」

「……まさかここにいるの全員……若葉と同じ…うどん党!!? まどかさん!! あなたはうどん党ではなかったはず……」

「え、えっとね……わたしとほむらちゃんは基本朝はお家で、お昼もパパのお弁当なんだよね……。だから普段食堂のご飯って食べられないし、いつもみんな美味しそうに食べてるから……つい……」

「そ…んな…………ほむらさんもそんなリーズンで…!!?」

「えっ!? わ、私は……」

「残念だったな歌野。ほむらは最初から我々うどん党の一員だ!」

「オーマイガーーッ!!!!」

 

 ……うたのんは四国に来てもうたのんのままだね。若葉さんもうたのんに触発されたのか、急にノリノリになってるし。

 

「……なんてこと……! みんなに蕎麦党のシードを蒔いて、ゆっくりじっくり育てる華麗なるプランが最初から破綻していたなんて……!」

「ふっふっふ、大方まどかの妹なら同様にうどん党ではないと高を括っていたのだろうが、当てが外れたな!」

「ぐぬぬぬぬ……!」

「……あれ? 私乃木さんに何かのマウントを取るためのだしにされてる……」

「……………うどんだけに」

「ぐんちゃん、何か言った?」

「……あのぅ、若葉さんと歌野さん、さっきから一体何をしてるんですか?」

「しらね。麺が延びるしそろそろ食べないか?」

 

 こうなってしまった二人を止めるのはとっても骨が折れる。土居さんの言う通り麺が延びることになっちゃうから、諦めてうたのんと若葉さんを除くみんなで合掌、いただきますと言って、私は目の前の蕎麦に手を着けた。

 

「……それでヒナちゃん。ほむらちゃんは……」

「まだ体調は優れないんですか?」

 

 確かにずっと気になっていた。若葉さんとひなたさんは暁美さんを呼びに行ったはずなのに、その暁美さんはこの場にいない。それに、若葉さんも何か辛そうにも見えたし……。

 

「実は……」

「………?」

「……暁美さんが行方不明になりました」

「「「「「「「え?」」」」」」」

 

 それはあまりにも予想外すぎた。みんなにとっても考えもしなかったことだろう。若葉さんと論争していたうたのんも固まって、青冷めた表情でひなたさんを見つめていた。

 

「保健室はもぬけの殻……こちらに向かう直前まで丸亀城の敷地内を回ったのですが、そのお姿はどこにも……」

「ちょ、ちょっと待てよ…! 行方不明って何だ!? なあ友奈、あいつ寝込んでたって言ってたよな!?」

「えっ…! 寝込んで……う、うん!」

「……それ、何だかおかしくないですか…? 体調が悪いのに一人でどこかに…いなくなるなんて……」

「……ゆ、誘拐…だったり…?」

「…そ、それもおかしいと思う。丸亀城に部外者が入るなんて……」

 

 みんな慌てふためいて、みんなの好物だっていううどんに手付かずのまま。私も到底蕎麦を味わえる気なんて全然感じなくて、ただただ不安だけが募っていく。

 

「……暁美さんの盾は…? 昨日みたいにあの盾の中に入ってるってことは……」

「わかりません。誰もそれらしき物や暁美さんを見た人はいません……ただ、外には大量の長野県ナンバーの車が停められていました」

「それって暁美さんの盾に入れてもらった……!?」

「その可能性は極めて高いはずです。暁美さんはおそらく、自らの意思でここを立ち去ったのかと……」

 

 ……自分から、ここからいなくなった? この四国の勇者達に合流して、人々の前に立ってバーテックスに反撃できるようになったこのタイミングで……。

 

「記者会見を控えている以上、大社に捜索をお願いすることは難しいですし、どうすることもできないのが現状です」

「………」

「……でも、エイミーはここにいたままってことは、後でちゃんと戻ってくるつもりなのでは……」

「……そうだと良いのですが……」

『………』

 

 ……一体どうしちゃったんだろう、暁美さん。私達に何も言わないままいなくなって……。

 結局良くない空気が残ったまま、私達は朝食を食べた。もしこの食堂に暁美さんもいたら、みんなで楽しく明るい気持ちのままだったんだろうって思うと、余計に残念な想いは大きく感じてしまう。

 

 

 

 そして午前10時になって、うたのんや若葉さん達勇者のみんなが記者会見の支度を始めた。記者会見は暁美さん不在で行われることになった。元の予定では八人の勇者が出る手筈で世間にもそう伝わっているから、肝心の人々を護る勇者が一人欠けていたら、それはマイナスの印象を与えてしまうのは避けられないかもしれない。

 みんな頑張っているのに、もしかしたらその事で無責任だって酷い事を言う人が現れるかも知れないと考えると悲しくなって……その時だった。

 

「………上里さん、これ」

「千景さん? 何でしょう……っ!?」

 

 携帯をいじっていた郡さんがそれをひなたさんに渡す。そして画面を見たひなたさんが目を見開いて……

 

「若葉ちゃん! 皆さんもこれを!」

「どうしたんだ、ひなた、千景……っ!」

「これって……!」

 

 みんなひなたさんの周りに集まって画面を覗き込む。それは全く知らない人のSNSの書き込み。貼り付けられた二枚の画像に私達は驚きの声を上げた。一つは昨日の夜に流れたニュースの一場面、四国の勇者のみんなの顔写真と名前が明かされた時の……そしてもう一つが……。

 

『例の勇者の一人じゃね? 鹿目ほむらって子。写真と髪形とか違うけど同じやつだろ』

 

「暁美さん…!?」

 

 隠し撮りのように撮られた画像。今世間の話題になっている人物を見かけたって、確かにその写真に写っている女の子の顔は、私達が知っている顔。そして今もすぐ側にいて一緒に画面を見ている子と同じだった。

 ニュースで顔写真と名前が明かされたのは大社が写真を持っていた六人だけ。うたのんと暁美さんについてはまだ、他の地域の勇者もいるって事しか公になっていない。だからこれはほむらさんの目撃情報として上げられているけど……!

 

「暁美…だよな!? ほむらはここにいるもんな!?」

「制服が…暁美さんのものです、これ」

「ほむらちゃん……っ」

 

 ……暁美さん、本当に知らない所に一人で行ってた。昨日体調を崩したばかりなのに、朝早くからいなくなって……。

 画像に写っている暁美さんは物憂く佇んでいる。鮮明とまではいかない画像だからはっきりとは読み取れないけど……今までの暁美さんと雰囲気が違うような…?

 

「ん~、このピクチャーの場所ってどこなの? 私にはチンプンカンプンだわ…」

「背景のお店に看板ありますね。店名は……検索します」

 

 携帯を取り出すほむらさんを固唾を飲んで見守る。すぐに表示された検索結果を見てほむらさんは深く息を吐いた。

 

「ヒットしました。場所は香川県の観音寺市、八幡町……観音寺はここから25キロほどの距離になります」

「観音寺市……そこにほむらちゃんが…」

 

 私には分からない地名が出てきたけど、言われた通りの距離ならそう遠くまで離れてはいない。

 

「そこまで近いんだったら、今から連れ戻しに行けばいいんじゃないか?」

「っ! た、球子、それは……」

「……不要よ。そもそも自分からいなくなったってことは、あの女にここにいる気が無かっただけでしょ」

「千景さん、暁美さんを悪く言うのはやめて。ほら、朝のウォーキングで慣れない道で迷子になっただけかもしれないじゃない」

「普通、来たばかり町を一人でウォーキングはしないと思いますが……」

 

 連れ戻す……それなら急げば、暁美さんも無事に記者会見に間に合うかもしれない。暁美さんの力は彼女に力を与えた北海道の神様の影響か、うたのんだけじゃなくて若葉さん達四国の勇者よりもかなり勝っているらしい。それに諏訪のみんなを救った実績だって……。

 リーダーは若葉さんだけど、暁美さんの存在は間違いなく大勢の人々にとって希望になる。

 

『……どういたしまして。といっても、勇者として当然の事をしたまでよ』

『ここの人々を助ける方法……それを見つける前に自分勝手にここから去ったら、私は大切な人達に合わせる顔がない』

『なせば大抵なんとかなるものよ。できる限りの事は協力するわ』

 

 ふと、暁美さんの優しい言葉を思い出す。人としての思い遣りに満ち溢れた暁美さん……彼女は……

 

「あの! 私、暁美さんを連れ戻しに行きます!」

「み、水都!?」

 

 暁美さんは必要な人……人々を未来に導くために、私達にとってなくてはならない人だ。

 

「暁美さんがいなくなった理由は分かりませんけど、暁美さんのことは私、よく分かっているつもりですから。あの人は誰かの期待を裏切るような、そんな人なんかじゃありません」

「ぐっ…!」

「若葉ちゃん、わたしも行くよ」

「まどかさん……」

「水都ちゃん一人じゃ道とか難しいかもだし、わたしもやっぱり、あの人の事が心配だから……」

 

 

「よせ!! やめてくれ!!」

 

 

 部屋を静寂が包み込んだ。誰もが息を飲んで、たくさんの驚愕の目が彼女に集まった。

 

「……若葉…さん……?」

「……やめてって……どういうこと……?」

「っ!? いや…それは……!」

 

 視線を向けた若葉さんは顔を真っ青にしている。明らかに失言としか思えない言葉と態度に、誰も、わけが分からなくなっていた。

 

 ただ一人を除いて。

 

「若葉ちゃん」

「……ひなた…」

「私もお二人に同行します。若葉ちゃんと他の皆さんは引き続き、記者会見のお支度を」

「そんな……それでは…!」

「最初から隠し通せることではありませんでした。どう取り繕っても、いずれすぐ……分かってしまうことです」

「………」

「皆さん、驚かせてしまって誠に申し訳ありませんでした。ただ、若葉ちゃんは皆さんを無闇に不安に陥れ悲しませたくなかっただけなのです」

 

 ひなたさんの不穏な言葉と、若葉さんの慌てよう……。誰も口を開けないで動けない。ただ、部屋の隅にいたエイミーちゃんだけがふわりと浮かび上がってひなたさんの側についた。

 

「行きましょう、まどかさん、水都さん」

「えっ…あの…!」

「ひなたちゃん…?」

「……あなた方には先にお伝えします。若葉ちゃんが聞いた、暁美さんの本音を」

「暁美さんの……本音?」

 

 ひなたさんに連れられて部屋を出ても、不穏な空気は欠片も消えなかった。まどかさんも不安と困惑が入り混じった様子でついてきて、同じような私と目があった。

 

 ただ猛烈に、嫌な予感しか感じられなかった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

「……何だったのよ、結局……」

 

 乃木さんと上里さん、一体何を隠してるの? 十中八九あの女(暁美ほむら)絡みだろうけど、例によって嫌な予感しかしないわ。

 

「……勇者をエゴサするんじゃなかったわ……」

 

 たまたまあんな投稿を見つけてしまったせいで変な空気に……高嶋さんが不安そうにしてるじゃない。

 忌々しく思いながらも諸悪の根源となった投稿を睨み付ける。注目されてかいろんなコメントが付いたり拡散されたり……あの女の事が広く知れ渡り始めて、余計に腹も立つ…………ん?

 

『勇者ー! 後ろ後ろー!』

『何これ気味悪い……』

『なんで勇者と霊の心霊写真撮れてんだよww』

『(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル』

 

「……心霊写真…? ………っ!!?」

 

 何故今まで気付かなかった…!? 何故彼女達もみんな気付かなかった…!? 暁美ほむらだけを注目して見ていたから他を見落としたか……!

 

 画像の端に小さく写っている、靄に包まれているような真っ黒な人影。辛うじて見える顔面は真っ青で、真っ赤な口は裂けているかのように大きい。

 そしてその手には先端が酷く曲がったかのような棒……否、あれは棒なんかじゃない。あれとは違うけど、もっとしっかりした形の物を武器とする私には分かる。あれは……鎌。命を刈り取る凶器を手にした人型のナニカは、暁美ほむらだけを見つめていた。



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第五十七話 「接触」

 まず最初に謝ります。本ッッ当にスミマセン!!!!
 すっごい痛い!! 書いててすっごく胸が痛かった!!


「……暁美さんが……そんなことを…!?」

「今朝若葉ちゃんが直接彼女から聞かされたそうです。記者会見を控えた皆さんを困惑させる訳にはと、今まで黙ってましたが……申し訳ありません」

「な、何かの間違いじゃないんですか……!」

「……水都ちゃん……」

『~~! ~~!』

 

 観音寺市に向かう電車の中。これからあの方と向き合わねばいけないためお二人に伝えましたが……水都さんには、酷な話をしてしまいました。私や若葉ちゃん、皆さんとは違い、水都さんと歌野さんはここ数日間あの方と行動を共にされていました。更にはお二人や諏訪の人々が生き残れたものは暁美さんに依るところが大きい……単純に言えば、暁美さんは彼女達の命の恩人に他ならないのです。

 

 そんな暁美さんが、人々の希望として前に出ることを気に入らないと一蹴し、記者会見を拒絶……。多くの人々の期待と想いを背負うはずの勇者がそんなものなど知らないと平然と言い放ち、勇者の存在自体も神様の便利な駒であると侮辱されたなど……断じて信じたくはないでしょう。

 

「……暁美さんは……これまでにうたのんを馬鹿にしたり嘲ったり、そんな事は一度たりともありませんでした……むしろ……」

「……ひなたちゃん。わたしも正直、その、信じられないよ……」

「まどかさん……」

「暁美さんはまだ出会ったばかりで、ちゃんと話もできてないよ…? 知らない事だらけだけど………でも、信じたいよ……」

『………』

 

 まどかさんも反論なさいますが、残念ながら確信を得るような根拠は持ち合わせていないようでした。おそらく、暁美さんを同一人物であるかのように似ているほむらさんと重ねておられるのでしょう。

 昨夜お聞きになられた諏訪でのエピソードを認知してから、まどかさんにとっても暁美さんの存在は恩人に近い。ご自身の最愛の家族と極めて酷似している外見を持ちながら、決してどんな人も見捨てない優れた人格者……これ否定されてしまったとなればまさに信じていた方からの裏切りに……。そして残るは、妹と同じ姿をした無情な人……まどかさんにとっても受け入れ難く、辛いものは大きいはずです。

 

「私も若葉ちゃんも、暁美さんを信じたいという想いはお二人と一緒でした。だからこそもう一度、今度は私も腹を割って話をするべきだと思い若葉ちゃんと共に暁美さんを追求しようとしたのですが……」

「その時には、もう……」

「はい。暁美さんが丸亀城からいなくなられた後でした」

「……暁美さん、誰にも何も言わずに……」

「若葉ちゃんに直接思想を暴露した直後の失踪です。……おそらく、あの方は丸亀城に戻る気は無いのだと思われます。すなわち私達に協力する意思も人々を護る責任の放棄と同様、稀薄なのです」

 

 いつか必ず明らかになる時が来るとは言え、それを皆さんに知られる訳にはいかなかった。先導して人々を守り戦う勇者であると宣言する当日に、皆さんを困惑させて精神を疲弊させる訳にはいかなかったのです。暁美さんの記者会見不参加だけならどうとでも理由をでっち上げる事はできました。昨日の事で体調不良は周知の事実だったのですから。ですが失踪されただけでなく、まさか偶然SNS上に拡散されて水都さんとまどかさんが連れ戻しに向かう事になってしまうとは……。

 

「ま、まってひなたちゃん…! ほむらちゃんが言ってたよね? エイミーは丸亀城に置いたままでどこかに行ったってことは、ちゃんと戻る気があるかもって…」

「確かに、エイミーちゃんは暁美さんの精霊と呼ばれる存在……。若葉ちゃんやほむらさん、勇者の皆さんが神樹様にアクセスして強力な力を顕現させる“切り札”もまた精霊と呼ばれるものが起因しています。この子がもたらす恩恵の有無は分かりませんが、そう易々と手放して良い存在で無いことは間違いないでしょう」

「だったら決めつけるにはまだ早いよ…! 偶々外に出て行っただけかもしれないでしょ…? 若葉ちゃんに言った事が本当だとしてもだよ? それって記者会見に出るのが嫌だってだけで、わたし達に協力する気その物が無いって言い切れないよ…!」

『………』

 

 ……まどかさんの主張は、エイミーちゃんを丸亀城に置いてきたままだから暁美さんは私達の元に戻る気はあった……

 

 しかし、暁美さんと行動を共にしていた水都さんと歌野さんから昨夜聞いたはずです。普通の猫や犬ならその主張は通りますが、このエイミーちゃんは普通ではない存在なのですから。

 

「まどかさん……エイミーちゃんは暁美さんの精霊です。飼い主の迎えを待つようなペットなどではないんですよ」

「え…?」

「……そうだよまどかさん。この子はいつでも、私達の前からパッと消えて居なくなれるんだよ。それですぐに、暁美さんの側に一瞬で出て来れるの」

「…あ……」

 

 エイミーちゃんは神出鬼没……忽然と目の前から煙のように姿を晦まし、そしていきなり暁美さんの側に召喚されるかのように現れるのです。丸亀城にエイミーちゃんを置いていったところで、この子は自力で彼女の元に戻ることが出来ます。わざわざ彼女が丸亀城に戻る必要なんて、どこにもないのです。

 

「そうですよね、エイミーちゃん」

『………』

 

 心配そうにまどかさんと水都さんの顔色を伺うかのように下から覗き込むエイミーちゃんに訊ねると、ゆっくりとその頭を下げていました。エイミーちゃんは猫ではなく精霊なのでとても賢いという表現で良いのかは分かりませんが、私達人間の言葉を完璧に理解できています。

 その結果、頷いたのですこの子は……やはりいつでも暁美さんの元に戻れるということです。寧ろ今こうして私達に付いて来ていること自体少々意外でしたが、お二人を気遣うような身振り素振りから察するに、この子はまどかさんと水都さんが少なからず傷付いてしまう事が分かっていたから……でしょうか?

 

 ……俯いて悲しげに呟かれるまどかさんと水都さんの姿が痛ましい。

 水都さん達を救い、人々の生存に尽力しながら数日間行動を共にした暁美さん。若葉ちゃんの人類のための頼みを払いのけ、彼女の故郷の人々を見下し想いすらも躊躇無く切り捨てた暁美さん。

 

 何故こうも180度正反対なのです……。水都さんと歌野さんの知る暁美さんなら、私達は間違いなく信じることができるでしょう。

 

 しかし後者なら、恐ろしい。若葉ちゃんが話した暁美さんが本当なら、もしかすると、彼女は故郷の北海道の人々に感慨を持っていない……そんな可能性が存在するのではないのでしょうか…?

 

 北海道を護る勇者は暁美さん一人のみ。ところが北海道は既にバーテックスに滅ぼされたとのこと。暁美さんは北海道でバーテックスに敗走し、たった一人生き残り諏訪に逃げ延びた………

 

 …………考えたくはありません。ですが、暁美さんの思想から一つの疑念が生まれてしまう。負の感情とは恐ろしいものです。一つの悪い点を見つけてしまえば、他に有ったりしないのかと不安で新たな悪い点を探ってしまう。見つけてしまった所で、何も良いことなんて無いと分かっているのに……。

 

 あの方は本当に、北海道の人々を護るために戦っていたのでしょうか? どうでもいいと思っている人のために、その命を懸けて戦っていたのでしょうか?

 

 本当は彼女は北海道の土地も、力無き人々の命も、使命も、全てを捨ててきたのではないのでしょうか……?

 

「……エイミーちゃん、暁美さんは『次は、観音寺。観音寺です。お出口は』……」

『………?』

「……ひなたちゃん?」

「……いえ、なんでもありませんでした。お気になさらず」

「観音寺……確かここで……」

 

 ………これ以上の邪な考えは止しましょう。これは私の勝手な憶測。これ以上なく最も最悪で卑劣極まる最低な印象を当てはめようとする、暁美さんへの侮辱とも取れる行為です。

 第一、北海道の人々を見捨てておきながら、諏訪の人々の命を救っているというのは矛盾しているではないですか。それこそ命懸けで、疲労困憊で倒れ込んでしまうほど戦われるなんて……。

 きっと、今の私の考えは正真正銘、あってはならない愚かな勘違いなのですよ……。

 

 目的地である観音寺の駅に到着し、電車から降りる私の後ろを明らかに重い足取りで付いて来るまどかさんと水都さん。心構えをしていただくため説明は不可欠だと思ったのですが、そう簡単に割り切れる事ではありません。

 

「お二人とも、大丈夫ですか?」

「……うん」

「……元々私から暁美さんに話を付けるつもりでしたし、任せてもらっても結構ですよ?」

「…ううん、大丈夫! 暁美さんはきっと良い人だもん…!」

「水都ちゃん…」

「……言うはずがないんだよ……あんなに優しかった人が……四国に無事に辿り着いて私達が助かって、笑顔でおめでとうって言ってくれた人なんだよ…!」

「……本当に、信用なさっているのですね」

 

 私自身、暁美さんの本心を直接聞いた訳ではありません。若葉ちゃんが聞いたから……それだけで私が暁美さんをどう思うのか、理由は十分のつもりでした。

 

「彼女が水都さん達の知る暁美さんであると確信を得て一緒に帰りましょう。若葉ちゃんの勘違いだと笑い話にできるように」

「…っ、はいっ!」

「それだと若葉ちゃんが少し可哀想な気が……でも…ふふっ、そうだね。それなら若葉ちゃんが悪者になった方がみんな幸せになっちゃうね」

「ええ! 若葉ちゃんも暁美さんも含め、皆さんが」

 

 水都さんがこれほどまでに心を痛め、熱く語ってくださったのです。本当に冷酷な方なら、ここまで庇う理由など無いはずです。

 大切な友人の想いを無下にする訳にはいきません。私も直接彼女と話し、その本当のお気持ちを見極めなければなりません。この際若葉ちゃんが間違えていたで全然構わないのです。罪悪感で悶えることになるのでしょうが、それを慰めるのもまた一興ですし♪

 

「それで暁美さんはこの町のどこにいるんでしょうか?」

「………どこでしょう? そもそも今も観音寺市にいるのでしょうか?」

「ええっ!? ちょっ、ひなたちゃん!?」

 

 ……肝心な事が抜けていました。電車を利用したので千景さんが例の投稿を見つけてから30分も経たずにこの場に来れたのですが、その時間分暁美さんもどこかへ移動している可能性大です。

 新たな目撃情報を求めてSNSを探れば良いのでしょうか…? 運頼みで時間もかかるでしょうが、それしか方法が……

 

『……!』

「あれ? エイミー?」

『……! ……!』

「え、エイミーちゃん…!? ま、まってよ…!」

 

 突然何かをアピールするかのように飛び回るエイミーちゃん。そして次の瞬間何の迷いもなく、真っ直ぐ前方の道を突っ切って行ったのです。

 慌てて私達はエイミーちゃんの後を追いかけます。幸いにもそこまで速く飛んでいる訳ではないので走る必要はありません。途中チラチラと私達の方を振り返る様子も見せているので、先程のアピールはどうやらエイミーちゃんは付いて来てほしいというもので良いでしょう。

 

「もしかして、暁美さんの居場所が解るんですか?」

『!』

「そうみたいだね…」

 

 なんと、まあ……流石は精霊と言うべきでしょうか? ここまで付いて来たのは私達を案内するためでもあったのですね。水都さんは諏訪出身、まどかさんも3年前にご家族と丸亀市に引っ越しって来られたばかり。私も観音寺に来るのはこれが初めてではありませんが、土地勘が明るいという程ではないのでエイミーちゃんには大助かりです。

 

「……どこまで行くんだろ…」

「千景さんの見つけた情報じゃ八幡町だったよね……。標識だともうそこに着いたみたいだけど……」

「もう2キロくらい歩いてるんじゃ……」

「エイミーちゃんの動きに迷いはありません。確実に暁美さんの元に近付いているはず……っ!」

 

 休みなしで歩き続ける私達に少々疲労の色が見えだした頃、私達は遠くに一人の女の人の姿を捉えました。

 

 真っ黒な黒髪を靡かせる後ろ姿が……。目の前の学校、観音寺中学校の前で茫然と立ち尽くしている、私達の探し人が。

 

「暁美さん……」

「……上里ひなた」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 私って、どうしてこんなことになっちゃったの……。

 

 町中を彷徨い歩きながら私は考える。この町は私が13年間過ごしてきた故郷の讃州市……ではなく、『観音寺市』と違う名前だった。私の故郷があるはずの場所なのに、違う名前の町が堂々と鎮座している……どうしようもない不愉快を感じ、同時に激しい虚無感に包まれた。

 

「ここも……」

 

 どうして私がこんな偽物の町にいるのか……自分でも分からない。現実に絶望して、そこから逃げるようにあの城を飛び出した。そして気が付いたらこの町にいた……もう何時間も宛もなく、偽物の町を歩き回った。土地に面影はある……けれども致命的に違う、モノクロのこの町を……。

 

 私の家があるはずの場所は駐車場だった。友奈の家と東郷の家がある場所には別の知らない建物が建てられていた。風先輩と樹ちゃんが住んでいるマンションは無く更地だった。夏凜のマンションはあったけど、ここにあの子はいない。誰もいない。

 みんなで何度もうどんを食べに行ったかめやも、楽しい思い出を作ったカラオケ屋も……。勇者部の活動で何度も回った私の故郷が……故郷じゃない……。

 

「うっ…うぅぅ……!」

 

 幸せだった。友奈に出会ったあの日から。友奈と東郷と友達になってから。東郷が作ったぼた餅を友奈と取り合った、子供みたいに過ごした時間が。風先輩に勇者部に誘われた日から。世のため人のためみんなと勇者部の活動に勤しんで、多くの人達から心からの笑顔を貰ってから。ただの学校生活でさえ毎日が楽しい事で満ち溢れていて、クラスメイトとの何気ない会話だって充実していた。樹ちゃんを先輩として導くのだって、どんどん立派に成長していくあの子を見ていれば嬉しさでいっぱいになった。夏凜が何事にでも一生懸命で素直になれない不器用さを持っていながらも、その頼もしさは私達のすぐ隣にあって、彼女と友達になれた運命に感謝だってした。

 

 これまでのことがあったから、私は過酷な戦いを頑張ってこれた。例え痛覚を、心臓を、体温を失ってしまっても、大切なみんなが側に居てくれるなら何も惜しくない。恐くない。私が大好きな存在を護れるなら、散華なんてどうでもいい。何を失ったって構わない。だってそうすれば私の隣にはみんなの笑顔があったんだよ……?

 

 ……それなのに……どうして……?

 

 どうして体温だけじゃなく、色覚までこんな所で失ってしまったの…? どうしてこんなどうでもいい所で二回も散華したの……?

 体温の散華はまだ、納得することはできた。いくら違う世界とはいえ、あのまま放っておけば何百何千という犠牲が出ていた。勇者部の誇りにかけて、業腹であってもあれが最善の手だったとハッキリ分かり切っているから飲み込めた。

 

 それで…私の役目は終わりで良いじゃない!! 私をみんなの元に返してくれても良いじゃない!!! 訳が分からないまま殺されかけて、命からがら逃げ出して、私は世界の色を失った!!!

 四国にまで辿り着けば私の願いは叶うと思っていたのに、大勢の人間の救助に協力したというのに、その見返りがこれなの!!?

 

 私の戦場はここじゃない!! この世界には私が守りたい存在なんて何一つありはしない!! 求めてない!!

 

 

 

 

 

 

 ……なのに…何なのよ……この狂った運命は……。

 

 曰く付きだった私の勇者システム……それはこの時代から遺されてきた物だった。300年も昔のこの時代から、私に専用の勇者システムが送られていたなんて衝撃の事実を知ってしまった。乃木若葉が言うには、この時代の勇者の誰よりも圧倒的に優れている勇者システム……そのルーツを考えれば答えは一つしか考えられなかった。

 

 繰り返されていた。私、暁美ほむらが時間遡行するのは……。私が今持っているこの勇者システムは、私じゃない()が使っていた……。そして今度は別の……更に未来の()に受け継がれるよう、運命はループする……。

 

 勇者なんて、変身するための勇者システムが無ければただの人。勇者システムを手放すなんて、ただの人間となった私はみんながいる元の世界に戻れるのか……きっと、戻れない……! あの傲慢な神が人間の望みを叶える訳がないのは昨日分かったじゃない!!

 

「駄目だ…駄目だ…駄目だ…駄目だ…駄目だ……」

「ちょっと何アレ……」

「独り言? 気味悪っ」

 

 帰らないと…みんなが悲しむ……。私達は六人で勇者部……誰一人として欠けちゃいけないのに……。

 まだまだたくさん、やるべきことは残っているのに……。まだまだたくさん、話したいことはいっぱいあるのに……。

 

 何よりも、私はまだ……あの子に……っ!

 

「───て、ないのに……!」

 

 

 

 観音寺中学校……ここもやっぱり違う……。校舎の形は非常に似通っている。というか、おそらくこれが後の讃州中学になるのかもしれない。

 でも、今のこの学校には勇者部なんて部活動は存在していない。勇者部は風先輩が作った部活だから……私達の大切な…居場所だから……! 

 

「……会いたいよ……みんなぁ……!」

「暁美さん……」

 

 ………私の名前を呼ぶ声……だけど、あの子達の声なんかじゃ…ない……。

 

「……上里ひなた」

「暁美さん…!」

「……まど……鹿目まどか」

「暁美さん。探しました」

「……藤森さん」

 

 私が会いたいのはあなた達なんかじゃない。

 

「……エイミー、あなたね?」

『………』

「相変わらず好き勝手やってるのね。どうして彼女達がここにいるのかしら?」

『……! ……!』

「……いいわ。何を言ってるのか全然分からないもの」

 

 無駄に人懐っこい性格のせいで、どうでもいい人達と引き会わせるなんて困った精霊だ。私の精霊ならそれくらい察してほしいものなのに、嫌に頑固な子だ。

 

「暁美さん、どうして突然居なくなられたのですか」

「そうだよ。何も言わないまま出て行って、みんな心配してたんだよ…!」

「……別に、心配してほしいとも探してほしいとも頼んだ覚えはないわ」

「心配するに決まってるじゃないですか! 暁美さん、昨日の戦いが終わってからずっと体調が悪かったんでしょ!?」

 

 ……あの子達が普通に言いそうな事だわ。やっぱり彼女達はみんなと芯の部分が似ている。お節介で、優しくて、人を信じて思いやれる。

 

 非常に不愉快だわ。みんなの代わりに彼女達で心の隙間を代用して埋めろと言われたようで。

 

「とにかく、一緒に丸亀城に帰りましょう? 若葉さんの…」

「何故?」

「え、な、何故…?」

 

 あんな所にいた所で私に何をしろと言うのかしら? 乃木若葉には協力しない旨を既に言った。薄情と言われたところでもう知った事じゃない。この時代は彼女達の時代であって、私にとっては忌むべき世界……もう何もかもがどうでもいいのよ。

 

「……ハァ。藤森さん、私諏訪で言ったわよね? できる限りの事は協力するって」

「はい。おかげでうたのんもみんなも助かって」

「できる限りの事は協力し終わったわ。もう私があなた達に手を貸す義理はどこにも無い」

「………え…?」

「他の勇者達に伝えておく事ね。後はあなた達で勝手に戦って頂戴」

 

 三人とも言葉を失い目を見開く。乃木若葉から聞いていないのかしら? リーダーなのに報連相もまともにできていないとしたら、全然リーダーに相応しくない。無駄に熱血で生真面目な性格かと思えば実は無能。それで乃木さんの先祖ですって? 笑えないわ、全く。……そういえば暫定のリーダー……だったわね。

 

「……暁美さん、それは本心で仰るのですか?」

「本心に決まってるじゃない。どうしてこれ以上関係無いもののために命を張らなくちゃいけないのよ」

「…っ、勇者がたくさんの人達にとっての希望だからだよ! バーテックスを倒して、人々が平和に暮らせる世界を取り戻すためだって、暁美さんも…!」

「姦しいわよ鹿目まどか。あなたは……あなた達は確か、巫女だったわね。命を賭けもしない勇者の腰巾着のクセに、偉そうな事を言うのね」

「っ!?」

「それに今の、何も私が戦わなくてはいけない理由になってないわよ。勇者は誰であろうとも関係なく、死ぬ気で戦って平和の為の礎になれと……仲間や妹の事を何だと思ってるの?」

「違っ…!?」

「違わない。私はね、妹や仲間の為ならそれこそ全ての責任を受け止めて、全てを敵に回そうとした人を知っている。あなたは……何? 言うに事欠いて結局全てが他人任せじゃない」

「そんな……わたしは……」

 

 どの時代も変わらない。勇者は実に都合のいい道具だ。中学生を……小学校を卒業したばかりの樹ちゃんですらためらい無く矛に仕立て上げようと画策し、それを正当化させる連中が蔓延っている。元の世界でもはらわたが煮えくり返り、ここでもその風潮を広めようとしている。実に屑共の巣窟としか思えない世界だわ。

 

「な、なんでそんな酷い事を言うんですか!?」

「事実よ。藤森さん、あなたはよく知っているはずよ?たった一人の勇者だから、白鳥さんは何度も何度も戦って傷付いた。勇者は生け贄よ。その他大勢が生を貪るための」

「やめてよ!!! どうしてうたのんをそんな風に言えるの!!? うたのんがどんな想いで戦ってきたのか、暁美さんは知ってるんじゃなかったの!!?」

「そうね、彼女が持っているものはとても立派な志だとは思うわ。勇者という言葉も眩しいくらい似合ってる。でも彼女が大勢にとって都合のいい道具である事実は変わらない」

 

 感極まってか、藤森さんの目から涙がこぼれ落ちる。……本当にどうでもいいのね。あの涙を見ても、何の感情も湧いてこない。罪悪感も感じない。数日間一緒にいた人間であっても、勇者部のみんなと比べたら全く。

 

「……友人であろうとも容赦なく言葉の刃を突き立てるとは……見損ないました!」

「……友達? 私が? 高嶋友奈と同じ事を言うのね。本っ当に不愉快……」

「友奈さん……?」

 

 ……何よこの反応。今の私の言葉と昨日高嶋友奈を拒絶した事、簡単に結び付きそうなものなのに。

 

「……高嶋友奈から聞いてないの?」

「……何のことですか…?」

「……そう……友奈なら、そうなるものなのかしら……どこまで人の心を踏みにじれば気が済むのよ…!」

「………っ!? まさか昨日!? 友奈さんに何を言ったのですか!」

「……本人に聞けばいいじゃない」

 

 友奈と同じ顔で、声で、いかに友奈が言いそうな事を言う高嶋友奈……その存在はただひたすらに不快よ。それに、私がこんな所にいる元凶の一人……! 思い返すだけでも怒りがこみ上がる!

 

「友奈さんまで……! ……とても…残念です…! 若葉ちゃんが言っていた事は本当の事だったのですね…!」

「……なんだ、ちゃんと乃木若葉から聞いていたのね。てっきり頼りない無能なリーダーを持ったと思ってあなた達を哀れんでいたもの」

「……今何と仰いましたか? 若葉ちゃんが頼りない……無能……ですって?

 

 …………怖っ、突然何? というかそれを撤回してあげたのだけど。でも経験上分かる……これを説得するにはかなりの労力が必要だわ。だったらわざわざ説得する必要は無い。たかが巫女一人の怒り、どうってことはない。

 

「嘘だ!!!!」

 

 突然、藤森さんの叫びが木霊する。目にいっぱい涙を溜めて、それが溢れて絶え間なく流れ続けている。

 

「暁美さんは私達を助けてくれたのに!! うたのんの背中を護ってくれたのに!! 私達の叶わない夢を叶えてくれたのに!!! あんなに優しかったのに…どうしてなの暁美さん!!!」

「藤森さん……」

 

 ……あれ……? 藤森さん、どうして泣いてるんだっけ……? あんなに苦しそうに……心から悲しんでいる。私が……あの子を泣かせた…?

 昨日長年の願いが叶って、歓喜の涙を流していた彼女が、今はそれとは正反対の涙を……私……

 

「お願いだから……嘘だって言って!!!! 私達を助けてくれた時の優しい暁美さんに戻ってよ!!!!」

「……私……っ…」

 

 

 

「こんなの……暁美さんの故郷の大切なお友達だってきっと悲しむよ!!!!」

 

 私の心の中に湧き出ていた罪悪感が一瞬で霧散した。代わりにマグマのように煮えたぎった怒りが私の心を包み込んだ。

 

 直後、学校の屋上から真っ黒な影がこちらに瞬時に飛来する。不気味なほどに目を見開き、裂けているかのように大きい口はまるで残酷な笑みを浮かべているよう。そしてその手には、姿同様真っ黒な鎌が握られている。

 

「……………え?」

 

 そいつは……四度目の満開で新たに現れた()()使()()()は、その鎌の刃を藤森水都の首筋に当てた。小さな赤い雫が垂れる。

 

「『………取り消せ』」

 

 私の口から……使い魔の口から同時に言葉が紡がれる。夥しい殺気のような怒りを放ちながら……鹿目まどかと上里ひなたも状況を把握できないのか微動だにしていなかった。

 

 藤森水都は……

 

「『何も知らないあなた如きがッ!!!! あの子達の事を口にするんじゃないッ!!!!』」

「水都さん!!?」

「水都ちゃん!!?」

『………!』

 

 使い魔は鎌を彼女の首筋から離すと、その正面に回り込んで鎌の峰で彼女の腹部を突いた。その一撃で意識を失い、アスファルトの上に倒れ込み、二人とエイミーが慌てて彼女に駆け寄った。

 

「水都ちゃん!! 水都ちゃん!!」

「『次は無いと思いなさい』」

 

 ……殺しはしない。流石に絶対に越えてはいけない一線ぐらい分かっている。でも、もう一度人の心に土足で入り込むような真似は絶対に許さない!!

 

「暁美さん、あなた……!」

『~~!』

 

 エイミーが私に飛び付いてくる。そして、私の腕に思いっきり噛み付いた。

 

「…っ!? エイミーちゃん!?」

「……痛くないって、分かるでしょ」

『~~! ~~!!』

 

 ポケットから携帯を取り出して、エイミーをこの場から消す。どうせすぐ勝手に出てくるんでしょうけど、いい加減勝手な事ばかりするエイミーにお灸を据えなければいけないもの。

 

「……あなたも、いつまでここに居たままなの?」

『……Tschüss

 

 最初に試して召喚してからずっといたから。しかもエイミーとは違って一般人にもその姿が見えるから少しうんざりしていた。

 もういいと使い魔に言うと、そのままこの場から煙のように消えていなくなった。残されたのは私と、気を失った藤森水都を介抱している巫女二人……。

 

()()接触し(さわら)ないで」

 

 勇者の姿に変身し、飛んでこの場から去っていく。やっぱり、後悔も罪悪感も何一つ感じられなかった。




 ○ーみんたすけて! ゆー○んたすけて!!

【使い魔召喚】
 四度目の満開で取得した、暁美ほむらの五つ目の能力。散華は色彩感覚。子供サイズの人型の使い魔を召喚する。使い魔は基本的に勝手に行動するが、常に暁美ほむらが望んだ行動を取る。召喚の際に満開ゲージは変わらないが、使い魔がバーテックスにダメージを与えた場合にゲージが上昇する。精霊とは異なり一般人にもその姿は視認できる。

 現段階で使い魔は六種類召喚可能。満開を繰り返す事でその上限が増える。

 使い魔の戦闘能力は一体が西暦の勇者一人とほぼ同等。

【■■■】
 鎌を持った6番目の使い魔。黒髪。根暗な性格。

【使い魔のセリフ翻訳】
 ポケットから携帯を取り出して、エイミーをこの場から消す。どうせすぐ勝手に出てくるんでしょうけど、いい加減勝手な事ばかりするエイミーにお灸を据えなければいけないもの。

「……あなたも、いつまでここに居たままなの?」
『……Tschüss(……じゃあね)』


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第五十八話 「表明」

 よぅ……3ヶ月ぶりだな。鬱展開。

 大変長らくお待たせしました! 3ヶ月ぶりの本編更新です!
 そして2021年最後の投稿になります。今年は投稿ペースが目に見えて遅くなってしまい申し訳ありませんでした!

 来年の目標は遅くても2週間以内に投稿!! まだまだ書きたい展開が本編も外伝もたくさん残っていますし、わすゆ編だって書きたいのでこれからも頑張ります!
 そして今後も、どうかこの作品をよろしくお願いします!


 その日、四国中に前代未聞の激震が走っていた。

 

 3年前、世界に混沌をもたらした異形の化け物、バーテックス。突如全世界に現れたそれは瞬く間に人類を殺戮し、人類の抵抗は何の意味を成さないまま、滅亡寸前にまで追いやられる。

 生き延び、数少ない神による結界で守られている地域に逃れた者も、その恐怖と絶望感は決して忘れられるものではない。当然だろう……化け物には人類が生み出した、人類を地球上で最も力のある生物へと押し上げた力ともいえる兵器が一切通用せず、軍隊も壊滅しているのだ。にも関わらず、向こうからは一方的に蹂躙され、人の命はあっという間に貪り尽くされ潰される。そんな地獄と破滅の象徴、そしてそれを生み出した(そら)を見ただけで精神を病み、廃人になった者も少数ではないのだ。

 

 人類が今なお絶滅していないのは、まさに奇跡としか言い様がない。だがしかし、結界の外には、世界中には人類を殺し尽くした化け物が溢れかえっている状態だ。いつこの束の間の安息の地が襲われてもおかしくはない。

 

 兵器が効かない不死の化け物から、身を守る術のない人類はこのまま、神に助けを請い願うしか道はない……そんな祈りが、届いたのだ。

 

 ある者は、そんな話は出鱈目だと鼻で笑った。だがそれも、心の中では初めて訪れた人類の転機の報せ故に、無駄に強がりながらも気にせず無視するなんて選択ができた者は極僅か。

 ある者は、一刻も早くと嘘か真か真実を知りたがり、ネットや他の人から流れに流れた噂話など、自分達が持てる手段で情報を求め続けた。確かにそれはこれまでの事態を覆す眉唾な話だ。突然の出来事に理解が追い付かなくても無理はない。しかしそれでも、彼らは救いを求めずにはいられなかったのだ。

 

 またある者は、闇に閉ざされてしまったこの世界に訪れた、新たな時代の幕開けだと歓喜した。

 

 だからこそ、人々はこの話題に食いつかざるを得ないのだ。

 

 人類の希望である、勇者の発表を。

 

 

 

 多くの報道陣がカメラを構えているのは大社本庁の敷地内にある屋外広場だ。その前方にあるステージに緊迫した様子で身体を向ける。ここで、これからの人類の歴史が再び動きだす重大発表が行われるということで、記者達は少しでも情報を仕入れようと必死だった。

 それでも流石はプロとでも言うべきか、彼らは自らの報道という使命を全うするため平静を装っている。固唾を飲んで、その時を待つ。

 人類の希望である七人の勇者が姿を見せる、その時を……。

 

 やがて、彼らの前に一人の人物が立つ。記者達は一斉にカメラのフラッシュを焚き、多数の光とシャッター音が包み込む。

 

「お集まりの皆様、並びに、当配信を御覧の皆様、大変長らくお待たせ致しました」

 

 カメラの前でそう言ったのは、勇者達の身元を預かる組織、大社の神官の男性だ。彼の口から出た言葉は、勇者達の準備が完了した事を告げるもの。記者達の顔にもハッキリとした期待の色が見えている。

 

「───今からおよそ三年前、世界がバーテックスに襲われた事は、皆様も記憶に新しいことと存じ上げます。強大な力を持つそれを前に、世界中に多くの犠牲者が出てしまったことも」

 

 神官の男性は記者会見冒頭の挨拶を口にする。記者達が求めているものはそれではないため、早く例の少女達を出せという念を抱く。

 

「しかし、記者の皆様、当会見を配信で御覧になられている方の中にはこのような方もいらっしゃることでしょう。三年前のあの日、バーテックスを打ち倒した少女に救われたという方が」

『!』

「彼女達はそれぞれ、香川県丸亀市、愛媛、高知、島根、奈良、長野、北海道で神に選ばれた存在。唯一バーテックスを滅することができる人智を超越した力を手にした、勇者であるのです」

 

 その力の込もった発言を聞いた記者達は唾を飲み込んだ。この日の前日に、当の大社からこれらの情報は既に発表されてはいたのだが、こうしてこの場で改めて知らしめることで、内心冷静さを失いかけ落ち着きが無かった彼らを抑える結果になる。

 

「我々大社は彼女達勇者様を導く者として、この四国の地を守護しバーテックスの侵攻を阻む壁をお作りになられた、神々の集合体で有らせられる神樹様の神託を受けました。来るべきその日……勇者様方が世界をお救いになる日のために、彼女達の神聖なるそのお力を鍛え、高める環境を整えよと……今、その時は遂に訪れたのです!」

 

 会場に集まった者達のどよめきが走る。彼らの目的の者達が姿を現すまで秒読み段階に入っていた。逸る彼らを一瞥した神官は、己が使命通りより彼らにその者達の持つ力を知らしめるべく……。

 

「ある勇者様はたったお一人で3年間もの永き間、バーテックスを打ち倒し人々をお守りになられた。またある勇者様は四国より遠く離れた地方の民を無傷で送り届けた。そして昨日、我等が勇者様は四国に滅びを齎さんと襲撃したバーテックスの群を、見事討ち滅ぼしたのです!」

 

 やがて最後の熱弁が終わる頃、待ち望んだその時は訪れる。とある記者がそれに気づき、近くにいた同僚にカメラを向けるように指示した。他の者達も遅かれ早かれ気づく。

 演説している神官の真上、ステージの屋根の上。いつの間にか、そこには数人の少女が立っていた。そして……

 

「彼女達が勇者! 人類に残された最後の希望にして、我々を輝かしい未来へと導いてくださる救世主なのです!」

 

 これから行われるものは、勇者の存在やその力を疑問視する者、バーテックスの脅威に脅えている者に向けられた、彼女達の実力を示すデモンストレーション。これを見た民衆は神に選ばれた救世主達の偉大なる人類救済の力を、生涯決して忘れる事は無いだろう。

 

 彼らは真っ先に己の目を疑う。屋根の上に立っていた少女の内の一人がいきなり飛び降りたのだ。地上から10メートルはある、その高さから。

 この場にいる者も、このテレビ中継を観ている者も、多くの人々が身投げした少女に驚愕し、一瞬先に地に叩きつけられる姿を想像してしまったその瞬間、彼女はごく自然に地面に着地した。まるでたった一段しかない段差から跳んだかのように、スタッと軽い音を立てるだけで。彼らは目だけではなく、耳までも疑うしかなかった。

 

「勇者達よ! 私に続けぇーーっ!!」

 

 会場全体に響き渡る勇ましい声に、人々は震え上がる。そんな中、少女の声に呼応するように、また別の少女が同じ様に高い屋根の上から飛び降りた。

 

「いくよ、若葉ちゃん!」

 

 拳を振りかぶりながら。

 

「てやあっ!!!」

 

 落下の勢いを付けた拳が、彼女に襲いかかる。突然の攻撃宣言に驚く会場内の人々、四国中の人々。だが若葉と呼ばれた少女は顔色一つ変えもせず、半歩分横に動くとその間を殴りかかった少女がすり抜けていき、拳は地面に叩きつけられた。

 

 ドゴォ!!!

 

『!!?』

 

 殴りつけられた地面が大きく凹み割れ、砕け散る。その衝撃が離れた場所に立っていた記者達の元にも伝わり地が揺れる。これが、人間の力で出せるものなのか?  何の躊躇いもなく高所から飛び降りたり、地を割ったり、勇者の力の一端を目の当たりにして呆然とする記者達に構わず、三人目の勇者がその大鎌を振るう。

 

「やあっ!!」

「ふっ!」

 

 それに合わせて若葉も鞘から刀を引き抜き振るった。刃同士がぶつかり合い火花を散らして拮抗、激しい金属音が鳴り響く。

 しかしそんな状態であってもお互いに顔色に変化は全く無く、同時に鍔迫り合いをやめ距離を取ると、再び刃をぶつけ合う。

 

 振り下ろし、間髪入れずに刈り取るように薙がれる深紅の大鎌。堅実に刃で猛攻を防ぎ、かわし、流れ込むような一閃を走らせる月白の刀。激しく打ち付けあい甲高く鳴る剣戟の音、時折空を切る風切り音を響かせながら両者はお互い一歩も引かず戦い続ける。

 

 ……といっても、その実体は勝敗を決める戦闘では無く、演武とでも言えばいいものだろう。先程の地面を砕いた強烈なパンチも、この二人の刃入り交じる猛攻も、相手に当てる気は勿論、ほんの一片の殺気や悪意すら持たない。

 彼女達がこれまでに何度も行ってきた模擬戦よりも気軽にやるだけ。ただ単に自分の武器を相手の武器に大袈裟に当て、四国中の民衆に人間を超越した勇者の力を魅せるだけの、ド派手なチャンバラである。

 

「おい友奈まだか!?」

「………はっ! いけない、見とれちゃってた!」

 

 二人の繰り広げる、舞踊のような鮮やかな攻防。彼女が発してしまった言葉通り、思わずそれに見とれてしまった勇者が自分の残っている仕事が頭から抜け落ちていた程である。

 

「勇者ぁぁ、パーンチッ!!」

 

 すかさず刃をぶつけ合う二人に向き直った彼女は地面を蹴り、その長い赤い髪を靡かせながらそこに突撃。背後のその気配を察知した大鎌を持った勇者が真横へ飛び退くと同時に、地面をも砕く勇者の拳が今度こそ若葉を、若葉の持つ刀を殴り抜ける。

 

「おっ…と!」

 

 その衝撃で彼女の身体は浮かび、背後に5メートル程弾き飛ばされるも両足でしかと踏みとどまる。それ程の打撃を受け止めた刀だが、折れないどころか傷一つ付いていない。記者達や民衆に改めてこれら勇者とその武具の攻撃や防御、その類を見ない高さに声も出ないのだ。

 

 だがその隙を逃すまいと、三度拳を振り抜いた勇者だけでなく大鎌の勇者が跳躍。二人掛かりで彼女に狙いを定め追撃を仕掛けてきた。

 

「ホムちゃんとタマちゃん! 準備オッケーだよ!」

「た、高嶋さん…! あまり大きな声で呼び掛けるのは……!」

 

 そこに新たに二人の勇者が若葉の前に、迫り来る二人に立ち向かうかのように舞い降りる。一人は小柄な橙色の装束を纏った少女。

 

「避けろよ友奈! そりゃあっ!!」

 

 着地と同時に左腕を振ると、そこから刃の付いた円盤が回転しながら飛び出した。狙われたのは、桜色の勇者……。

 

「わっ、とっと…!」

 

 咄嗟に後ろ宙返りで見事に投擲攻撃を避け、そのまま連続バク転で後方へと距離をとる。アクロバティックなその動きに至る所から感嘆の声が漏れる。

 

「郡さん、いきます…!」

「いいから、早く済ませてちょうだい」

 

 その一方で、大鎌を振りかぶる勇者の前には別の勇者が大きな三つ編みのおさげを揺らしつつ、銀色に輝く杖を握り締め正面から飛びかかる。

 攻撃対象を若葉からその勇者に変更するかのように周囲に見せつけ、大勢に見られているこの茶番に飽き飽きしているかのような冷めた表情を浮かべながらもそれを迎え撃つ。

 

 ガキィィン!

 

 両者の得物が衝突した瞬間、空気を震わせるほどの凄まじい衝撃波が生まれ両者の間に土煙が上がる。吹き荒ぶ砂埃の中で、衝撃に耐えきれずに後方に弾かれたのは大鎌の勇者。

 

「ぐっ……!」

 

 元々彼女が相対した勇者の杖は、他の勇者の物と比較しても高い打撃力と衝撃力を誇るのが特徴の神器である。それに加えて今回は、大勢の人々が見ているという状況下で緊張により力加減をやや誤ってしまった事も相まった。

 

 そんな後輩の不甲斐なさと手の痺れにイラッとしつつも、この程度の痺れなら普段の訓練を思えば全然大した事ではない。すぐにスイッチを切り替え、何事も無く冷静に受け身を取って地面に着地……

 

「キャーッチ♪」

「ふぁえっ…!!? た、高嶋さん!!?」

「ぐんちゃん、大丈夫?」

「は……はぃぃ……」

 

 する前に、着地地点に待ち構えていた勇者によって受け止められた。力強いが、温かく優しい、まるで恋人にする抱擁のような。彼女にとって唯一無二の存在から与えられた幸福は、筆舌にし難い心地良さと一緒に包み込み、直前まで感じていた多少の苛立ちも消え失せるのみ。

 

 そして、その二人を屋根の上から狙う純白の勇者が。連弩を構え引き金に指をかけ、矢を引き絞っている。

 

「い、今あの二人を攻撃したら、私が千景さんに殺されちゃうんじゃ……」

「ホワイ? 当てる訳じゃないんだし、杏さんが彼女が立っている所にショットするのはプラン通りじゃない」

「それはそうなんですけど……」

「ドントウォーリーよ、杏さん。私が付いているんだから」

「で、ですよね? では歌野さん、よろしくお願いします!」

 

 これは戦闘でもなければ訓練でもない、ただの一般市民に向けたデモンストレーション。ゆえに彼女はその力を見せつけるべく、屋根の上から更に高く上空へと跳び上がった。

 勇者という存在、それが今、助走も無くただのジャンプで10メートル以上も跳び上がる。人々の視線が彼女に釘付けとなると、意を決した彼女は引き金を引いた。それも瞬時に三度も。

 

 連弩から連射して放たれた三本の矢は二人の勇者へ。しかし実際に彼女が狙った箇所は地面。二人の勇者から10cm程少しずれた足元だ。

 二人が動かなければ矢は当たらない。しかし初めて勇者の力を目の当たりにする人々にとってはその僅かな差だけではわざと外して放たれた物だと気付けない。それも高く上空から放たれた矢となれば尚更だ。

 

 だが何も知らない人々からしてみれば、それは些か心臓に悪い。理解が追い付く暇もなく、矢は勇者の元へ迫っている。しかし、人々の視線が矢を放った純白の勇者に集まっていたがため、最後の勇者が降り立っていた事に気づいた者はいなかった。それに気付いた瞬間、その勇者の手元が高速でブレると同時に一瞬宙でも細長い何かが残像を生み出し……

 

 スパアァンッ!!

 

 強烈な風切り音と共に三本の矢が全て叩き折られ、勢いを完全に失ったそれらが地面の上に落ちた。最後に現れたのは鞭を片手に持つ勇者。上空からの目では捉えきれないスピードで降ってくる細い矢三本を一瞬で叩き折る精密な鞭捌き……彼女も他の勇者と同様、圧倒的な技を見せつけるのであった。

 登場した勇者の中で人々が唯一顔と名前を知らない勇者であったが、その功績だけは知っていた。恐らく他の追随を許さないであろう、他の地方をたった一人で守り抜いた偉大なる英雄であると……それがまさしく彼女であった。

 

 上空に跳び上がっていた勇者も、やはり何事も無いかのようにストッと着地する。屋根の上にはもう新たに実力を示す勇者はおらず、会場前方にいる勇者全員が各々の武器を収め、勇者達の演武は終わりを告げる。

 

『ワァアアアアアアア!!!!』

 

 瞬間、会場内にいる全ての者達が一斉に感嘆の声を漏らし、我先にとカメラのフラッシュを焚いた。

 

 眩い光に包まれる。それでもその人物達は、しっかりとした足取り、真剣な面持ちのまま中央に歩を進め集まっていく。

 記者やカメラマン達はその者達から目を離せなかった。同時刻、この光景を現場からのテレビ中継で観ている四国中の人々も同様だ。既にその者達の顔写真と名前は大社が準備できなかった二人を除いて公表されてはいたが……幼さが残る彼女達の可憐な顔立ちでありながら、彼女達の纏っている神秘的な装束、そしてかの神々の力を宿す武器を持つその姿に、人々は圧巻されるしかなかった。

 

「すごい、本当に本物の勇者なんだ……!」

「あれだけ激しく戦えるなんて」

「でもあんな小さな女の子なのに、どうしてここまで戦えるのかしら?」

「やっぱり特別な訓練なんだろ! 大社が指導してたっていう!」

 

 始まりから終わりまで、彼らはひたすら驚かされ続けた。全員が人間離れした身体能力を持ち、刀や鎌などといった武器を巧みに使いこなす。

 こんなに幼い、まだ中学生にしか見えない少女達が……中にはつい数分前までそう思った者も決して少なくはないだろう。しかしその風格は単なる中学生という物で表せることはできないほど威風堂々としているのだと、この場の人物達はそう感じざるを得なかった。

 

 人々は確信するしかない。自分達を守ってくれる勇者様達は、まさに神に選ばれた特別な存在である事を。彼女達なら、あの世界を滅茶苦茶にした化け物を本当に倒しきれるだろうと。

 

「この世界に生きる全ての者達よ」

『!』

 

 一人の勇者が一歩前に踏み出す。勇者の中でも一番背の高い、凛々しい顔立ちの青い勇者から発せられた凜とした声を、人々は静かに受け止める。

 

「私の名は乃木若葉。勇者のリーダーを務める者だ」

 

 彼女は自身の名を名乗り、真っ直ぐ前を見据えたまま続ける。その姿を見た者の心臓はドクンと跳ね上がる。彼女の纏う雰囲気に呑まれそうになるのだ。

 

「絶望しか見えなくなった世界で、三年もの永きに渡る時をよくぞ堪えてくれた。其方達が共に力を合わせ、この未曽有かつ理不尽極まりない天災を生き延びたからこそ、我々は奴等に対抗できる力を高める事ができた。心より感謝を申し上げる」

 

 そこで一旦言葉を区切る。その間、誰もが微動だにせずただ黙って話を聞いていた。彼女が次に何を言おうとしているのか、何を言いたいのか……それは彼女にとって最も重要なものであり、同時に最も重い言葉であるからだ。

 

「私達は今日この時を持って、ここに宣言しよう。我々はこれより先、何者にも屈しない。たとえどんな障害が立ち塞がろうとも必ず打ち破り、平和を勝ち取ってみせる」

 

 それは、自分達勇者の決意表明。静寂の中、彼女は力強く言い放つ。これから先の困難に立ち向かうための強い意思を込めて。

 

「人類が反旗を翻す時が来たのだ! 何時訪れるのか知れぬ恐怖に脅える日々は終幕を迎える……我々勇者の手によって!」

 

『うおおおおおおおお!!!!』

 

 一瞬の沈黙の後、凄まじい拍手喝采が巻き起こった。まるで神への信仰心を捧げるかの如く、または新たな時代の到来を告げるかのように、彼女達勇者を讃える歓声は鳴り止まなかった。

 

「流石は若葉ちゃん♪ こんなにたくさんの人の心をがっちり掴んだ!」

「…………ふん」

「……本当なら彼女もここにいたはずなのに……」

 

 そんな光景を目の当たりにした、桜のように優美な装束を身に纏っている少女、否、勇者が喜びを露わにする。それに対し、隣にいた紅色の勇者は不機嫌そうな表情を浮かべていたのだが、天真爛漫な彼女は残念なことになのか、不幸中の幸いなのか、この事に気づけない。ついでにもう一人の愁いを帯びた勇者の表情にも……。

 

「ひぇぇ……! これって全部私達に向けられているものなんですよね……!?」

「あうあぁ……! 心臓がすごくドキドキする……!」

「あんずぅ、ほむらぁ、あんなに派手な事やったってのに何言ってるんだよ。もう少し堂々としとけよな?」

 

 また、リーダーの勇者を挟んだ反対側でも、白と紫の装束の二人の勇者が目を泳がせていた。それでも必死にそんな醜態を撮られないようとする意気込み自体はあるのだが、臆病な性格寄りの彼女達は僅かにではあるが身体が小刻みに震えている。呆れながらも発破をかける小柄な勇者に対し、二人は小さくコクコクと首を縦に振ることしかできない。

 

 今ここにいる彼女達が勇者……人類の未来への命運は、彼女達七人の手に託された。

 

(……七人?)

 

 その疑問は会場に訪れた者も、ライブ中継されているこの会見を観ているほぼ全ての者も抱くものだった。

 事前に公表された情報とは違う。勇者はこの四国で訓練を積み重ねてきた六人、長野県で既に三年間戦い続け、つい昨日四国の勇者達と合流した者……その者を手助けして共にこの地に辿り着いた別の地方の勇者の計八名がいるのだと。にも関わらず、この場にいる勇者の数は一人少ない……。

 

「質問よろしいでしょうか!?」

 

 当然、記者の一人がその違和感について尋ねるべく挙手した。すると他の記者もまた一斉にそれに倣い始める。

 

「どうぞ」

 

 それを予想していたかのようなスムーズさで、リーダーである若葉は許可を出す。

 

「あの、ここには確かに神に選ばれたという八名の勇者がいると聞きしましたが? なのに、ここには七名しかいないというのはどういうことでしょう!?」

「………」

「八人目の勇者とは一体どのようなお方なのでしょうか!? 何故この場に来ていないのですか!?」

「何か事情があるのなら教えてください!! お願いします!!」

「そうですよ! この場には勇者様方が全員揃ってこそ意味があるのです! どうか理由を教えて下さい!!」

 

 やはりこうなってしまうか……若葉はそう歯噛みしたくなる気持ちを抑えながら暫し瞑目した後、ゆっくりと口を開いた。

 

「この場にいない勇者についてはご心配無く。八人目の勇者は現在四国外のバーテックスの調査任務に向かって行ってもらっている」

 

 しかしそれは、何も知らない民衆を仕方なく欺くための、大社や勇者達にとって都合の悪い事を隠す虚偽の報告である。

 

「我々の存在と同時に公表されたためご存知だろうが、昨日バーテックスはこの四国に襲撃を仕掛けてきた。我々勇者はそれを殲滅したが、三年にも及ぶ静寂は破られたのだ。今、四国を守る壁の外に忌々しい殺戮者が集結していたとしてもおかしくはない。ゆえに我々の中でも特に戦闘経験が豊富である、他の地方の勇者である彼女に調査に出てもらったのだ」

 

 八人目の勇者、暁美ほむらは非協力的だと言える訳がないのだ。人々を守る勇者がその責務を放棄しているのだと、知れ渡って良いわけがない。

 既に大社が八人の勇者がいると公表してしまった手前、その存在を今更否定する事など出来やしない。この場にいる七人の力が本物だとしても、一度期待してしまった人々からの信用は大なり小なり失われてしまうだろう。

 

「とはいえ、最悪な事態が起こり得るという可能性は限りなく小さい。これはあくまでも慎重に、万が一を想定した急な決定だ。予定とは異なりこの場に勇者が全員揃わなかった事、深くお詫び申し上げる」

 

 しかし今現在、彼女達が最も信頼しているお目付役の巫女達が暁美ほむらの説得に向かっているのだ。例え数時間前が非協力的だったとしても、その説得で考えを改めて、再び勇者として協力してくれる可能性だってまだ残っている。

 だからこそ若葉は人々に尤もな嘘の話で隠そうとする大社からの案に賛同した。混乱を招かないよう、もう一度だけ仲間(暁美)を信じて迎えるために。

 

「……皆さん、私の話を聞いてください」

「……歌野?」

 

 今まで若葉一人が前に出て話していた中、別の勇者も真っ直ぐ前を見据えて一歩踏み込む。勇者、白鳥歌野は迷い無き瞳と言葉を示す。

 

「四国の皆さん、はじめまして。私の名前は白鳥歌野。ついこの前まで長野県の諏訪市で戦い続けて、昨日この四国にやってきた勇者です」

「おおっ! やはり貴方が!」

「はい。それで私から四国の皆さんに、どうしても言いたい事が三つあります」

 

 この場にいる記者達も、そして他の勇者達も、全員の視線が歌野に集う。

 

「まず一つ目ですが、これは若葉が言った事と同じです。元々は諏訪の勇者の私がここに来たのはこの世界を救うためです。必ず、バーテックスを倒し、世界の平和を取り戻すことをここで誓います!」

 

 堂々たる宣言にカメラのシャッターが何度も光る。眩い閃光に包まれながらも、歌野は目を背けることなく前だけを見つめる。

 

「二つ目はお願いです。この四国には私と一緒に、私の大切な故郷の人々がたくさん来ています。みんなが私にとって最高の仲間で、家族みたいに愛おしい人達……大好きで、掛け替えのない、生きる希望とも言える人達なんです」

「おお……!」

「みんなが故郷から離れて、幸せな未来を掴み取るためにこの地に来ました。大社の方々のご尽力で居住区や食料を提供させて頂いたのですが、きっとみんなはまだまだ慣れない日々で大変な時間を過ごすんじゃないかって思うんです。ですから皆さん、もし諏訪から来た来た人が困っているのを見かけたら、是非あなた達の力を貸してください! いいえ、諏訪の人々だけでなく、困っている人には救いの手を差し伸べてほしい! こんな世界だからこそ、それを忘れないでいてほしいんです! それで救われた人が、絶望しか見えない世界で希望を受け取った人が、どれだけ素晴らしいシャイニングな世界を見られるのか……私は知っているから」

 

 慈悲深い言葉に感動した記者達が急いでメモを取る。大勢の人を思いやる、まさに勇者に相応しい言葉ではないか。

 そして歌野はこれらの事を語りながら、思い返していた。絶望しか見えなくなった世界で光を、希望を見せてくれた勇者のことを。

 

「三つ目は……今私が言った事を教えてくれたフレンド……友達こそが、皆さんの言う八人目の勇者なんです」

「歌野……」

「多分皆さんも彼女がここに来ていない事、まだ納得できていないと思います。理由が何であれ、今日という大事な日にいない事は事実だから……」

 

 そのように語る歌野自身、その事実に納得できていないようで儚げであった。歌野は何も知らない人々とは違って、その勇者が四国外に調査に向かった事は大社からのごまかしの虚偽であり、本当の理由は突然何も言わずに失踪してしまったためだと知っている。それが人々に言えない事も、重々承知している。

 

「ですから、彼女に変わってこの私が言います」

 

 だが歌野はこの場にいる誰よりも、彼女の事を知っている。理解しているからこそ、それを大勢の人々に伝えるのが自分の役目なんだと確信していた。

 

「安心してください。彼女は決して皆さんの期待を裏切るような人なんかじゃないんです」

「……っ」

「ガッカリしないでください。彼女はどんな時も未来のために、たくさんの人達の笑顔のために戦える人だから」

「………」

「信じてください。姿が見えなくても、分からなくても、彼女は私達と一緒にいるんです」

 

 そこで一旦区切ってそこで一旦区切って、歌野は大きく息を吸った。そして胸を張って、力強く言い放つ。

これが、歌野の伝えたかったこと。歌野が本当に言いたかった、心の底からの本音。

 

「彼女は、勇者なんですから」

 

 かつて、閉ざされかけてた歌野の心に希望の焔を照らしてくれた少女のように。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「「……つ、疲れたぁ~……!」」

 

 同時に深く息を吐いてその場に力無く座り込むのはほむらと杏だ。大人しく気弱な性格のこいつらにとって、やはり大勢の前で堂々とするのはかなり酷な事だったのだろう。緊張から解放された結果、とても先程まで人類の希望と言われていた勇者らしくない、期待している人々には決して見せられない有り様だ。

 

「おいほむら、杏、まだ今日の予定が全部終わったわけじゃないぞ」

「次は一人ずつインタビュー。それが終わったら今度はポスター撮影があるんだよね?」

「「ええぇ~~!!」」

 

 既に精神的に疲労困憊状態の二人だったが、まだまだ続くと聞かされると露骨に嫌そうな顔を浮かべる。気持ちは分からんこともないし、同情もするが、こればかりはやり遂げて勇者をより宣伝しなければならないのだ。私達にできることは、頑張ろうと二人を励ますことくらいだろう。

 

「それにしても歌野……お前は……」

「うん?」

「お前は心から、暁美の奴を信頼しているのだな」

 

 ……今この中であいつ、暁美ほむらの本心を知っているのは私だけ。みんなには何かがあったと思われてはいるようだが、詳しい事はまだ伝えてはいない。知ってしまえばこの度の会見等で悪い影響が出てしまうと懸念したからだ。

 

 私とて、あいつが言った事が本心であると受け入れたくはない。だが暁美の冷め切った目と冷徹な発言が、何よりの証拠となってしまった。あの時の事を思い出せば今でも暁美に対する失望と怒りが込み上がる……だったが……

 

「オフコース! 若葉と暁美さんの間に何があったのかは知らないけど、それは若葉の勘違いよ、絶対」

「な、なんだ、私の方が悪者か?」

「ふふっ。ドントウォーリーよ若葉。暁美さんは本当に良い人だって私もみーちゃんも保証するし、昨日だって暁美さんの大活躍を聞いた時の若葉、アイズをキラキラ光らせていたじゃない。もう一度ちゃんと話せば、今度こそお互い分かり合えるって♪」

 

 ……やはり、私も暁美を信じたいのだ。歌野があれほどまでに熱く語った勇者なんだ。本当に、私の勘違いであるのならどれだけ良いことだろう……。

 

 勇者達の披露は終わってしまったが、これからも共に戦ってくれるのであれば、いつでも歓迎したい。ひなたとまどかと水都が暁美を探しに行った……既に数時間経ってはいるが、これから四人で戻ってきてくれるなら……。

 

 

 

 

 

『観音寺市内で暁美さんを見つけることはできました。ですが説得は失敗。疑いの余地無く、彼女に協力の意思はありません』

 

 そんな希望は、無慈悲に払いのけられた。それも、より最悪な事実を上乗せにして。

 

「え……何を言って……ひなたさん……?」

 

 携帯のスピーカーを入れるよう、最初にひなたから促されていた。この事実を私だけでなく、勇者全員に伝えるために。

 だから、歌野も真実を知ってしまった。歌野が決してあるわけがないと思い込んでいた、残酷な真実を。

 

『……うた…のん…!』

「みーちゃん…?」

『暁美さん……違ってた……! 別人みたいに冷たかった……!』

 

 携帯から聞こえる声は、ひなただけではない。まどかの声も、そして、堪えきれない涙声で嗚咽をこぼす、水都の声も……。

 

「……みーちゃん、どうしたの…? なんで泣いて……」

『……水都さんは……襲われ、怪我を……』

「「「「「「「!?」」」」」」」

『大丈夫……ちょっとお腹に痣ができちゃっただけ……』

「暁美が……やったのか……?」

『微妙な所です。暁美さんが直接手を出した訳ではありませんが、下手人は暁美さんの声に反応したように見えました』

「下手人だと!? そいつは何者だ!?」

『……わからないの、あれが何なのか……でも、少なくとも人間とは思えない何かだった……』

「な、何ですかそれって……人間とは思えないって…!?」

 

 私の中で、もはや分かり合えたらという思いはもう、どこにもない。ただ一つ、真っ赤に燃え滾る怒りしか感じられなかった。

 水都を……傷つけた……? あいつは自分を友と呼んでくれる者を、自分のために涙を流してくれる者を何だと思っている……!?

 

『勇者とは神様の都合のいい道具、そして生け贄。巫女とは勇者の腰巾着、護るべき人々の命とは、文字通り見知らぬ関係無いもの……それが暁美さん自身が語った、彼女の価値観の形です』

「な…なんだよそれ……オイ……?」

 

 みんなも徐々に知ってしまう、暁美ほむらの本性。歌野と水都から語られた物とは清々しいほど真逆で、誰もが驚愕するか、怒りに震えるしか選択肢がない。

 

『それからもう一つ……友奈さん』

「えっ…」

『昨日、暁美さんから何か言われませんでしたか?』

「っ!」

『例えばそう、私達や若葉ちゃんが聞いた言葉に属するもの……勇者としてあるまじき発言を』

 

 全員が一斉に友奈を見る。友奈が既に、暁美に傷つけられたのかもしれないと……

 友奈の表情は青ざめていた。今聞いた話が衝撃的だったから……決してそれだけではないに違いない……!

 

「た、高嶋さん……」

「……し、知らない! 私、そんな事聞いてなんか無い…!」

『…………』

「ほ、ほら、昨日言わなかったっけ…? 私が呼びに行った時ってほむらちゃん寝込んでたんだよ…?」

『……友奈ちゃん……暁美さんがね、言ってたの…。わたし達が友奈ちゃんと同じ事を言って不愉快だって……』

「え……」

『友奈ちゃんが人を傷付けるような事を言うはずがないって、そんな事わたし達が一番よく知ってるんだよ……。……逆に友奈ちゃんが酷い事を言われていたとしか思えないの……水都ちゃんにだって、酷い事を言ってたから……』

 

 必死に弁解しようとする友奈の言動は私達全員が悲しくなるだけだった。声が上擦っている。明らかに、こんな事実が明らかになってなお奴を庇おうとしている……!

 

「おい友奈! 本当の事を言え!!」

「だ、だからそれは……その……」

「……高嶋さん、どうしてあんな奴を庇うの?」

「ぐ、ぐんちゃん…?」

「上里さんとまどかさんが言ったでしょう? あの女は私達に協力する気が無いだけじゃなく、勇者じゃない藤森さんに手を出したのよ」

 

 誰も、今だけは友奈の優しさが理解できない。自分も傷つけられ、仲間も傷つけられ……にも関わらず、一切の怒りを見せようとしない友奈が、わけが解らない。

 

「……ごめんなさい。いくら高嶋さんと言えども、今回ばかりはあなたの考えが全く理解できない……受け入れられない」

「そんな…ぐんちゃん…!」

「……そうなって当然ってことくらい……今までの話を聞いたら解るでしょ……!」

 

 ……何が勇者だ……暁美ほむら……! お前は勇者失格、それ以前に人間失格だ!! お前に期待した私が馬鹿だった、恩を感じた私が愚かだった!!

 

 勝手にするがいい……誰がお前の力など借りるものか!!

 

 

 

 

 

「……暁美さん……っ!」



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第五十九話 「使魔」

 年が変わって1週間が経ちましたが新年あけましておめでとうございます! 今年は投稿ペースを早くする事を目標に頑張りますので、どうか楽しんでいただけると幸いです。


 帰るべき居場所に帰れない、私の望みを叶える手段は途切れ、神経を逆撫でさせる身勝手な言葉ばかり送られて……何時間経っても変わらない、一生このままの色の無い街並みだ。もう疲れた……怒りも、悲しみも、絶望も、何もかもが虚無になる。

 

 そんな私は、今現在世間を賑わせていた例の物を手に入れて、無気力なままそれに目を通していった。そう、それは乃木若葉の言っていた勇者達の記者会見。彼女達の威勢のいいインタビューが載せられ、四国中大いに盛り上がった大ニュース。彼女達をひたすらに賞賛し褒め称える内容の、どうでもいい記事だった。

 

『信じてください。姿が見えなくても、分からなくても、彼女は私達と一緒にいるんです。彼女は、勇者なんですから』

「……勝手な事を言うんじゃないわよ。白鳥歌野」

 

 そう言って私は号外発行されたばかりの新聞をクシャクシャに丸め、公園のゴミ箱に叩き込む。

 さっき街中で遠目で見た、お祭り騒ぎ状態のたくさんの人達、そして会見で彼女達が語った内容……見事に人々が()()の思惑通りに煽動されていて呆れるしかなかったわ。

 

 勇者は人々の希望であると……。勇者の人智を越えた魅力的な姿しか押し出さず、勇者ならバーテックスに必ず勝てる、救われるとしか考えられないように。

 

「勝てるわけないじゃない」

 

 私はこの時代の勇者の戦闘能力を知っているのはただ一人、白鳥歌野のみ。仮にも彼女には一時だけ背中を預け、諏訪での戦いや四国に来る道中でその力を見た。小型の雑魚バーテックスしかロクに倒せない貧弱な力を。

 

 魚型バーテックスを見ただけで戦意喪失し、私達が今までに倒してきた奴らのなり損ないみたいな脆いのですら、一人で倒すのは難しいと悔しそうに言っていた程度の力で……。

 

 あの時は厄介すぎる敵だと言いたそうにしていたから、時間停止中の短時間の間に多くの爆弾を出してスタミナをかなり消費してしまったのに結局は爆弾2、3個で全部事足りるくらい弱すぎた。

 普通に戦ってあんなのに苦戦するなんて、みんなと比べると弱すぎて冗談としか思えないのに、その程度で謎の自信を持っている。

 

 勇者全員の実力が白鳥歌野と同程度しかないとしたら絶対に無理よ。バーテックスの中には私達が満開をしてようやく倒せる奴がいるっていうのに、普通のバーテックスですら太刀打ちできない彼女達に、世界を救えるわけがない。

 

「現実は甘くも、優しくもないのよ……」

 

 現に、300年後の私達の世界は救われていない。彼女達は結局世界を救うことはできず、敗れたのだから。

 『大社』改め……『大赦』……。バーテックスを倒そうとする勇者に力を与える神である神樹。それを祀る組織が、赦しを求めるようになっている。何に対して? そんなもの、分かりきったことじゃない。

 

 公園のベンチに座り直し、制服のポケットから携帯食を取り出し封を開ける。食欲は昨日から一切湧いてこないけど、最後に何かを口にしたのは昨日の朝、四国に到着する前だ。流石に空腹感はごまかしきれないし、行き倒れなんて末路は嫌だ。

 

「……勇者部…六箇条……よく寝て…よく食べる………」

 

 諏訪の人達が盾の中に持ち込んでいたたくさんの非常食……どうせ彼らには大社が食べ物や飲み物を提供してくれるみたいだし、私が食べても文句は言うまい。

 

「………おいしくない……」

 

 ……酷い味。全く以て温もりを感じさせない、淡白すぎる味だ。今までにも食べたことが無いわけではないけど、それにしたってこんな……無機質で味気ない、食べることの喜びを感じられないものは初めてだった。

 全く喉を通らない……それでも、なんとか口に入れていく。噛み砕くたびに砂の塊でも食べているような錯覚に陥る。パッケージに記載されている味ではある……でも、一方的に虚しさだけが募る最悪な味だった。

 

「………東郷のぼた餅が…食べたい……」

 

 自然と涙が出てきた。あの子の料理が恋しい。あの日以来、一度も口にしていない私の大好物の味を、思い出してしまったから。もう二度と食べることのできない、優しい味わいを。

 

 携帯を取り出し、電源を入れてアルバムを……大好きなみんなの姿をどうしても見たくて堪らない。ただでさえ色が解らなくなって見えにくくなった視界がぼやけてしまう。

 

「ぁ……」

 

 ……アルバムを開いて、思い出が詰まった写真に縋りつこうとした瞬間、携帯の画面が突然真っ暗に。電源が落ちた……バッテリーが切れた……。

 今までバッテリー残量なんて気にする余裕が無かったから、こっちに跳ばされてから一度も充電できていなかった。当然といえば当然か。むしろ今日までよくもった方……でも、写真とはいえこっちでも、とことんみんなから引き離されてしまう現実を突きつけられた……。

 

 傷心の私の左手は無意識の内に頭の上へ……昔から愛用している、トレードマークのカチューシャを取り外していた。

 大切なカチューシャの裏側には、一枚のシールを貼ってある。まだ誰も不幸になっていなかった頃、誰も絶望なんて知らなくてもいいことに気づいていなかった頃、一緒に心から笑い合った最高の友達とのツーショットのプリシー……友奈と私の…心からの幸せそうな笑顔……………っ!

 

「……ぐすっ……うぅ……友奈ぁ……東郷ぉ……風先輩……樹ちゃん……夏凜……!」

 

 耐え切れずに嗚咽を漏らしながら、彼女達の名前を呼んでしまう。会いたいと願ってしまう自分がいる。もう一度会いたくて、声が聞きたくて、抱きしめられたいと思ってしまう。それが絶対に叶わないって解っているからこそ、苦しくて、苦しくて、どうしようもなかった。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 ……どれくらい、茫然としていただろう。気がつけば、辺りは夕焼けに染まりつつあった。

 そしてまた、ふと気づく。さっきまで泣いていたはずなのに、いつの間にか泣いていないことに。

 頬に手を当ててみる。指先に伝ってきたのは、濡れていない乾きかけの涙の跡だけだった。

 

 泣けないんだ……悲しいのに、苦しいのに、胸の奥に穴が開いたように痛いのに、涙が流れない。感情は壊れてしまったかのように働かず、ただ漠然と動くだけの人形になってしまったようだった。

 まるで、私という存在そのものが消え去ってしまったかのような、そんな感覚すらあった。

 

 私は立ち上がり、公園を出て行く。当てもなく歩き続ける。もうどこに行けば良いのかさえわからない。何も考えたくない……何も……。

 

「ね、ねえ…あれって……」

「うん? どうし……んん?」

「えっ嘘!? えっ、似てない!?」

「似てるも何も……待て待て待て…! 今調べて……!」

「いやいや! 間違いないだろ! 何でこんな所に来てるんだ!?」

 

 少し開けた大通りに出ると、人々がざわめきながらこちらを見つめてくる。老若男女、仕事帰りの大人からカップルや友人達と一緒に帰宅しているのであろう学生達。

 彼らの中には携帯を取り出し、どこかに連絡を取り始めたり、写真を撮ろうとする人まで出てくる始末。

 一体何事なのかと思っていると、同じ年頃らしき男の子が私に声をかけてきた。

 

「あ、あの……すいません!」

「……?」

「ゆ、勇者様…ですよね……?」

 

 その一言で、周囲の人々も一斉に私の元へ駆け寄り、あっと言う間に、私は囲まれてしまっていた。

 

「ほらやっぱりそうだよ! 間違いない!」

「本物だ……テレビで見るより綺麗……」

「握手! 握手してください!」

「…………」

 

 ……何なの、一体……。どうして私が勇者だって知って……?

 

「鹿目ほむら様!!」

「っ!」

 

 メガほむ!? ここにいる人達全員、私の事をこの時代の勇者の鹿目ほむらだって勘違いしている!

 

「……人違いよ。私は鹿目ほむらじゃない」

「えっ? あっ、ひょっとしてお忍びで来たんですね! それなのに見つけられるなんて、いやー、運が良かった!」

「あのっ! アタシ学校でお昼の中継観ました! 勇者様全員格好良くて痺れました!!」

「勇者様!」

「勇者様!」

 

 私と同じ、暁美ほむらの姿をしている彼女はこの世界を守る勇者として大々的に世間に知れ渡ったばかり。違いは眼鏡の有無と髪形のみ……これで別人と言われて一体誰がそれを信じるというの。

 どうして鹿目ほむらなんて二人目のほむらがこの世に存在しているのか……おかげでとても面倒な事態に遭いそうになって……!

 このままではまずいと、私は群衆を掻き分けてその場を立ち去ることにした。しかし……

 

「なんだこの人集り…?」

「あそこに勇者様が来てるのよ!」

「勇者!? バーテックスを倒したっていうあの勇者!?」

「うそっ、どこどこ!?」

「……っ!」

 

 騒ぎを聞きつけたらしい別の集団がぞろぞろと現れ始めてしまい、私の周りには更に人垣ができてしまう。とても抜け出す事はできそうにない人の壁が、私の進路を完全に塞いでいた。

 

「俺…応援してますから! 絶対勝てますよね、バーテックスに!」

「私のお父さん、あの日から天恐になってしまって……お願いです! バーテックスを倒してください!」

「頑張ってください勇者様!」

 

 ……ああ、本当に嫌になる。私は勇者だけど、あなた達を守る勇者なんかじゃない。こうやって、無責任に期待されて……それがどれだけ残酷なことかわかっていないくせに、勝手に希望を押し付ける。私の苦しみを知らないのをいいことに、自分達だけが救われることだけを考えて、都合の良い言葉だけをぶつけてくる。

 

「勇者がいれば、バーテックスなんて恐くねぇよなぁ!」

「違いねえや! 俺達助かったよな!」

 

 大ッ嫌いだ!! こんな世界!!!

 

 

「……ひぃっ!? な、なんだあれは!!?」

「えっ……キャァアアアーーー!!?」

 

 突然、私を取り囲む人達が悲鳴を上げる。目の前の人の目には、はっきりとした脅えの色があった。その人の視線の先にあるものは二つの影……私達を電柱の上から見下ろしているそれらは不気味という表現でしか言葉にできそうにない。

 恐れおののく力無き人々……けど、あれって……

 

「ば、化け物!?」

(使い魔……?)

 

 ……ええ。あれは私の使い魔だ。偽街の子供達のような、漆黒の装束を纏う、口が裂けているかのように大きく、ギョロリと目が見開いている人の形をした何か。

 昼前に私の前から消えていったものとは異なる……あれは黒髪で鎌を持っていた。今ここにいるのは、二体の使い魔……短髪と、色覚を失った私には白く見える長髪の別個体が、いつの間にやらこの場に現れていた。

 

『『Gehen Sie aus dem Weg!』』

 

 不可解な叫びを上げながら、二体は同時に地面へと飛び降りると、こちらに向かって走り始めた。突然彼らの前に現れた、スプラッター映画に出てきてもおかしくはない見た目の使い魔が自分達の方へ駆け出す……その正体を知らない彼らにとって、それは恐怖以外の何物でも無いだろう……。

 

「ひっ……!」

「こっちに来るわよ……!?」

「おい押すなって!」

「いやっ、いやっ! 来ないでぇえ!!!」

 

 二体が近づいてくるにつれ、人々はパニックになり、我を忘れて散り散りに逃げ出していく。この場で動じていないのは正体を知っている私だけだった……が、

 

「ぐうっ…!?」

 

 短髪の方の使い魔は勢いそのまま、私の制服の襟台を掴むと猛スピードでこの場から走り去る……後ろに倒れた私を引き摺りながら! 首が絞まる!!

 

「ば…ばか…! 何やってるのよ……!?」

 

 私の使い魔のくせに主に危害を加えるとはどういうことなのか……!? いくら勇者は死ぬことは無いとはいえ呼吸できないのは苦しいのよ!!

 

 しかし透かさずもう一体の使い魔が下から不安定すぎる私の身体を担ぎ上げる。私を引き摺ったままのがさつな使い魔と同じ速さで走るため、首が絞まることは無くなった……体勢が完全に仰向けでもの凄く揺らされながら運ばれている形なのが気に入らないけど。

 次の瞬間、使い魔達が勢いよく跳躍した。

 

「きゃあっ!」

 

 一瞬宙に浮いたような感覚の後、使い魔達の手を通して全身に着地の衝撃を受ける。衝撃その物はほんの僅かだけ……でも浮遊感と一緒に全身で風を切る感覚は……勇者で高所への跳躍、それに落下は慣れてはいるけど……変身していない、生身の状態でのこれは感じる恐さが全然違う…!

 

「ぐっ……」

 

 使い魔達は着地後すぐに再び疾走、からの跳躍を繰り返す。その間も私は振り回されているだけで、何もできない。まるで荷物扱いだ。

 

「……っ!」

 

 ジェットコースターのような高速移動のせいで目眩がする……吐き気も込み上げてきた。抵抗しようにもこんな状態で、もしその拍子で使い魔達の手が離れて空中で落下でもしてしまえば……………問題ないわね。死なないし、痛くもないし。

 襟台を掴んだままの使い魔の手を離させようと思ったが、丁度その時ようやく二体の足が止まって自分から解放する。身体を支えていた方もゆっくりその場に下ろし、私の身体も自由を取り戻す。

 

「………」

 

 地面に座り込むような形で俯いて息を整えつつ、取りあえず確認……。途中からは運ばれる形だったけど、最初は思いっきり地面に引き摺られていたから……制服のスカートが汚れて、しかも少し破けてしまっている……。

 

『!?』

 

 乱暴に扱ってくれた使い魔の脳天に無言で拳骨を叩き込む。痛覚があるのかないのか知らないけど、叩かれた方は頭を押さえて屈み込んだ。

 もう一体の方も睨みつけると、ビクッと肩を震わせて見開いた目と大きく裂けた口を開きっぱなしの不気味な表情のまま、ガタガタと震え出した。

 ……まあ、こっちの使い魔はむしろ被害を軽減してくれた方だし、許すことにしよう。

 

 溜め息しつつ顔を上げ辺りを見ると、ここはどこかのマンションらしき建物の屋上……どうやらあの人集りから私を引き離すためにあんな強攻策に出たらしい。

 

「……」

 

 さっきまでの出来事を思い返しながら、眼前に広がる町を見渡す。車が走って人通りも多いけど、先程までの喧騒が嘘のように静か……あそこからそこそこ離れた別の町に来たみたいで、この辺りにはあの場にいた人は誰もいないようだった。誰も私や不気味な使い魔やらに騒いでいる素振りの人はどこにも見当たらない。

 

「……誰が……あなた達なんか……!」

 

 呟くように言った言葉は風にかき消される。やるせない気持ちを抑えきれずに、胸元に手を当てて強く握り締める。

 私は戦うつもりなんて微塵もないのに、人々は私が誰なのか認識するや否や殺到した。彼らの希望に満ちた目は、正しくは鹿目ほむらに対して向けられていたものだ。それを何故か同じ姿の私と間違えて、勝手に期待されても困るというのに……!

 彼らにとって勇者はただの人間じゃない……奇跡を起こす存在として崇められている偶像なのだ。こんな世界でそんなものを背負う気など毛頭無いし、ましてやそれが私の使命だと思われるなんて冗談じゃない。

 

 だけど、どれだけ否定しても無駄だった。恐らくこれからも、私の姿を見る人々は私が鹿目ほむらであると間違い続けて、その度に私に言葉をぶつけてくる。滅びようが知った事じゃない、こんな世界を守れ……身体の機能を失い続けることになるとも知らず、連中は私に戦いを強要させる言葉を悪意無く投げつけ続けるのだ。

 

 鹿目ほむらに対しての言葉であって、暁美ほむらに対しての言葉でなかろうとも、それは私にとっては呪いのようなもの……。

 結局は勇者である私自身に向けられているものと同じこと……! 誰が……お前達なんかのためにこの身体を捧げるものか……! この身体は勇者部のみんなが笑顔でいられる世界を守るための私の身体だ! こんなまやかしの希望に縋る惨めな世界を守るためではない! 大社の道具として生け贄にされるためのものでもない!!

 

「ふざけないでよ……!!」

 

 改めて自分の境遇に対する怒りと、自分勝手な人々の願いに押し潰されそうになりながら、声の限り叫んだ。

 

「一体何様だって言うのよ!?」

『『………』』

 

 使い魔達は相変わらず何も言わずに、黙って私の傍に立ち尽くしている。

 

「…………もう…いい……」

 

 ……こんな事をしていても意味がない。いくら叫んでも、泣いて喚いても、何も……。だったら私はもういい。何もしないで……人々の前から居なくなればいい。

 

「……充電切れだったわね」

 

 携帯を取り出そうとして、肝心のバッテリーが尽きている事を思い出す。充電器なんて元の世界に置きっぱなしの鞄の中、おまけに財布もだ。尤も財布があったところで、中身のお金の製造年が神世紀の物だと偽造硬化や偽札扱いされただろう。

 ……どちらにせよ、今の私には何もできない。このまま座り込んで泣き寝入りするのが関の山だ。

 

「……」

 

 ふと視線を落とすと、使い魔達がじっと見つめていた。無言のまま、何かを訴えるような眼差しをこちらに向けている。

 

「……何?」

Überlasse es mi!

 

 訊ねると、二体の内一体、短髪の方の使い魔が、自信ありげに胸を叩く。まるで任せろと言っているかのような仕草だった。

 するとその使い魔は走り出すと屋上から別の建物へと飛び移って行く。転々と移動しながら、あっという間にその姿は見えなくなった。

 

「……行かないの?」

『……』

 

 残ったもう一体は、その場で佇んだまま動かない。何を考えているのか分からないけど、どうでもいい。

私はそのまま、その場に座り込んだ。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 屋上から見えるモノクロの町並みは、日が落ちかけてより暗くなってきている。真っ暗な夜が来るのもう少しかもしれない。

 宿も無ければ食べる非常食も盾の中だから無し、お金も無いこんな状況じゃ、今夜を凌ぐことすら大変だ。このまま、こんな日々が続くなんて考えれば考えるほど気が滅入る。

 当然、丸亀城にいるであろう彼女達の元へ行くなんて考えは無い。行けば戦いを強要させられるだけだ。

 

 少し肌寒い風が吹き始めた頃、座っている私の肩がつつかれる。振り返れば一緒にここにいた長髪の使い魔がある方向を指差していて、そこから屋上から飛び出した使い魔が飛び移ってくる姿が見える。

 そして私の前に降り立った使い魔の手には、ポケットサイズの物体が握られており、それを得意気に私に手渡してくる。

 

「これは……モバイルバッテリーじゃない」

『♪』

「…………」

 

 その自信たっぷりでふんぞり返ってる使い魔の額を指で思いっきり弾く。突然のそのデコピンは想定外だったのか、無防備な額に綺麗に炸裂し、呆気なく後ろに倒れ込む。だけどすぐに勢いよく起き上がって騒ぎ出した。わざわざ持ってきてやったのに、褒められこそすれども叩かれる謂われはないと抗議するように、両手を上げてせわしなくバタつき出すのを冷めた目で見つめることしかできなかった。

 

「……これ、明らかに新品なんかじゃないわよね?」

…………Äh……

「……ハァ……」

 

 どこから調達……いいえ、盗んできたのよ……。仮にも私の使い魔が軽犯罪を犯すなんて呆れと溜め息しか出てこない。だけど、遺憾ながら今は藁にもすがりたい気持ちではある……。結果的に盗んでしまって申し訳ないけど……借りよう、今だけ。

 

「……ちゃんと後で持ち主の所に戻してきなさいよ」

「見つけたぞコラァーーーー!!!!

 

 ケーブルを携帯に差し込もうとした時、突然背後から怒声が飛んでくる。最近聞いたばかりの少女の声……丸亀城で対面した、勇者の声が木霊し、私と二体の使い魔はその声の主の方を振り向く。

 勇者装束を纏った小柄の勇者………名前は確か…………

 

「………なんて言ったかしら?」

「うぉおおおい!!? 土居球子だ!! タマは土居球子だ!!! 何で覚えてないんだお前ぇ!!!」

 

 ……ああ、確かにそんな名前だった気がする。向こうで自己紹介された覚えが無かったから曖昧だったわ。

 いいえ、そんなことよりも、どうして彼女がここにいるのか……性懲りもなく、またしても私を説得しに来たのか……。

 

「言ったはずよね。私達に接触しないでって」

「コイツはお前の仕業か!?」

「……?」

 

 土居球子は私に、ではなく、使い魔の方に怒りの込められた指先を突きつける。それが意外で、何の事なのか分からないでいると……

 

「そいつがタマの部屋に侵入して、タマのモバイルバッテリーを盗んだんだよ!!」

 

 

 

 

 

 次の瞬間、私の拳骨が再び使い魔の脳天に突き刺さり、アホの使い魔はコンクリートの地面に崩れ落ちた。




【●●●】
 がさつでわんぱくな性格の1番目の使い魔。茶色の短髪。

【▲▲▲】
 真面目だが引っ込み思案な性格の3番目の使い魔。薄いブロンドの長髪。

【使い魔のセリフ翻訳】
 昼前に私の前から消えていったものとは異なる……あれは黒髪で鎌を持っていた。今ここにいるのは、二体の使い魔……短髪と、色覚を失った私には白く見える長髪の別個体が、いつの間にやらこの場に現れていた。

『『Gehen Sie aus dem Weg!(そいつから離れろ!)』』

 ふと視線を落とすと、使い魔達がじっと見つめていた。無言のまま、何かを訴えるような眼差しをこちらに向けている。

「……何?」
Überlasse es mi!(任せタマえ!)』

「……これ、明らかに新品なんかじゃないわよね?」
…………Äh……(…………あー……)』


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第六十話 「愚者」

 2週間以上空けるなって言ったルオオ!!


 タマにとって、昨日みんなの前に現れた新しい勇者の登場は、そりゃあびっくらこいた。

 八人目の勇者だっていうその存在だけで一万ぶっタマげ、見た目と声がどっからどう見てもほむらその物で名前まで同じだって事で三万ぶっタマげ、んでもってあんなにヤバそうだった進化体バーテックスを一瞬で倒しちまったのでもう三万ぶっタマげだ。

 

 タマが勇者になった時の二万七千ぶっタマげと、初めてみんなと手打ちうどんを食べに行った時の三万ぶっタマげの記録をあっと言う間に塗り替えやがった……。とにかくスゴい奴が新しく仲間になったんだって認識で、興奮していたんだ。

 

 そう、仲間なんだって思ってた……心強い仲間が増えたんだって……。

 

 

「あっ………みんな……おかえり……」

「記者会見、お疲れ様でした」

「まどか……上里さん……」

「ああ、ただいま……」

 

 記者会見やインタビューとか全部終わって丸亀城に帰り着いたタマ達を出迎えてくれた、まどかとひなた。二人とも揃って暗い表情のままだ。

 とても、言葉通りタマ達を労えているとは思えない。もちろん全く無いってワケじゃないんだろうけど、それ以上に別の事が二人をそんな顔にしてるんだろうなって事は誰もがすぐに分かっていた。みんな、同じ事でショックを受けているんだからな……。

 

「……二人とも、みーちゃんは?」

「泣き疲れて……今は保健室で眠っています」

「……みーちゃん……」

「歌野さん……」

 

 中でも一番苦しいのはきっと歌野だろう。まだタマ達と出会って一日しか経ってないが、歌野と水都は互いにものすごく信頼し合っている、立派なパートナーみたいな関係だってのはすぐに分かったんだ。

 タマ達四国の勇者とは違ってたった一人で戦ってきた歌野と、それを支える巫女の水都だ。タマにとってのあんず、若葉にとってのひなた、ほむらにとってのまどか、千景にとっての友奈みたいな物だって。

 

「……行ってこい、歌野」

「……ええ」

 

 そんな水都の心が深く傷ついたと知って、しかもそれをやった奴が仲間だと思ってたヤツで……。

 若葉に促されて一人で保健室の方に歩いていく歌野。昨日初めて会った時から明るく、タマや友奈と同じくらい元気で気持ちが良いヤツだったのに、今はその背中があまりにも小さく見えて、まるで泣いているみたいに見えた。

 

「チッ……気に入らない空気ったらありゃしないわ」

「歌野ちゃん……っ」

「高嶋さん?」

「歌野ちゃんについて行く。二人のことが心配だもんっ!」

 

 そう言うとすぐに歌野の後を走って行く友奈。そんな友奈の表情も、やっぱりどこか曇ってる。

 タマ達は今日勇者として、四国中の人々の前でバーテックスを倒すんだって宣言したばかりじゃないか……。なのにこんなにもテンションが全く上がらない空気、嫌すぎるにも程があるぞ……。

 いや、タマにだってこんな風になってしまった原因は解っている。暁美の奴が、まさかあんな事をするなんて誰にも予想できなかった事なんだ。アイツと数日間一緒だった歌野と水都ですら裏切られたようなもので、心の整理がつかないんならしょうがないと思う。

 でも、だからと言ってここでウジウジしててどうなるってんだ。そんなのどこも勇者らしくないぞ……。

 

「……私の考えが甘かった……」

 

 タマと同じで丸亀城全体を包んでいるかのような重い空気に耐えかねたのか、若葉の奴が口を開く。その声音は重く沈んでいて、けどその中には隠しきれない悔しさや怒りがあった。

 

「未練がましく話し合えば何とかなると思い込んだ私の……今朝の時点で気付くべきだったんだ…! そのせいで水都は………っ! あいつを仲間に引き入れるなどという事は考えるべきではなかった……!」

「乃木さん……」

 

 そう言って唇を噛む若葉。その拳も強く握り締められ震えていた。若葉の奴、ずっと後悔していたんだな……でも、暁美がまさかあんな奴だったなんて誰も想像できなくて当然だろ……。歌野と水都から聞いてた話とはあまりにも違いすぎだったんだからな……。

 

「若葉が謝ることなんかじゃないだろ。少なくともタマは、若葉はリーダーとして正しいことをやったんだって思ってる」

「若葉さん、私もタマっち先輩と同じ意見です。暁美さんがそんなに冷たい人だったなんて、誰も信じたくはない事だったんですから……」

 

 若葉は何も間違ってなんかいない。むしろ一度説得に失敗して暁美の本性を垣間見たのに、それでももう一度あいつを信じようとして、仲間として迎えたい心を失わなかった。それはとても勇気がいる事で、そして勇者として本当に正しかったと思う。

 

 それを、仲間を傷つけられるなんて最悪な形で裏切られた若葉の心痛もあまりにも大きいだろうし、タマなんかよりもよっぽど辛くて悲しいはずだ。

 

 ……やっぱり、どうしてもタマも暁美の奴に対してイライラしたものを感じずにはいられない。若葉も歌野も水都も、それから友奈までも……いや、結局は暁美の事を信用していたタマも、あんずも、まどかも、ほむらも、ひなたも、千景も、タマの大事な仲間達全員を裏切って悲しませたあいつが許せない……!

 

 

◇◇◇◇◇

 

 こいつもお前の仕業か暁美ィィイイイ!!!!

 

 

 

 今、タマの目の前に立っているコイツは、盗まれたタマのモバイルバッテリーのコードを携帯に差し込もうとしていた!! その傍らには、寄宿舎の自室に戻ったタマに不法侵入とかいう予想外の衝撃を与えた不気味で変なヤツが立っている!!

 

 マジで驚いたんだぞ!? 部屋に戻るとそこにいたのは本来いるはずのない人間…ですらない! 鍵もちゃんと掛けていて、鍵を開けてタマは部屋の中に入った……それなのに肌の色が真っ青で目ん玉ギロギロさせながら人の部屋の中をうろちょろ物色していたんだ……ビビって腰を抜かすかもしれないだろ! タマは抜かさないけどな!

 

 勇者だから、タマは咄嗟に勇者システムで変身してそいつを捕まえようとしたけど、意外にすばしっこく飄々と避けやがる。その隙に変身の時に邪魔だからと床に置いたタマの鞄を掠め取り、中の大社から支給されたモバイルバッテリーだけを抜き取って、そのまま部屋から逃げやがった……なんか既に割られている窓から。

 

 色々あって疲れていてイライラしている所に突然変なヤツが現れて、タマのモバイルバッテリーを堂々と盗みやがった!! おまけにただでさえ散らかっているタマの部屋がしっちゃかめっちゃか!!

 叫んでタマも窓から飛び出し、しつこく逃げ回るそいつを追いかけ回して今に至るってわけだ。ちょこまかとしやがって、すばしっこいわ隠れもするわで何度見失いそうになったことか……。

 というか、おかしい……本当に何なんだこいつは……。地面からのジャンプで軽々と建物の屋根の上まで跳べているのも、勇者のタマが全力で追いかけても、その距離がなかなか縮まらないなんて、どう考えても普通じゃない。

 

 なんか途中誰かから電話が掛かってきたけど、電話に出た隙に完全に逃げられて見失うかもしれないし、それどころじゃない。そもそもタマの怒りは有頂天なんだよ!! 

 

「見つけたぞコラァーーーー!!!!」

 

 そして、最終的に辿り着いた先にこいつがいた。タマ達の仲間になることを拒んだ、冷たい目をした勇者が……! 暁美ほむらがいた!

 

「…………」

 

 暁美はただひたすら無言でタマを見つめる。タマのイライラを気にも留めない様子で、まるでどうでもいい物でも見るみたいに。

 

「………なんて言ったかしら?」

「うぉおおおい!!? 土居球子だ!! タマは土居球子だ!!! 何で覚えてないんだお前ぇ!!!」

 

 こ、こいつ……! なんて失礼なヤツだ……どうして何も言わなかったのか、ただ単にタマの名前を忘れていただけだった!!

 人を舐めた発言でますますイライラするタマに対し、暁美は付きまとうタマをあしらう時の千景と全く同じ声色と表情で、心底うっとうしくてうんざりしているかのように口を開く。誰がうっとうしいだ!!

 

「言ったはずよね。私達に接触しないでって」

 

 ハァ!? 何様だこいつは!? じゃあお前が今その手に持っている物は何だ! どうしてそこの変なヤツに盗まれたタマのモバイルバッテリーを持っていて、今にも使おうとしているんだ!

 

「コイツはお前の仕業か!?」

 

 ビシッと暁美の隣にいる変なヤツに指を突きつける。暁美がモバイルバッテリーを持っているのも、こいつがこの変なヤツに盗んでくるよう言ったからに違いない!

 よく見れば似たような変なヤツ、そっちはモバイルバッテリーを盗んだヤツとは違って髪が長いしブロンド色のも反対側にいる。あんずのに似てる……って、何変なことを考えているんだ! あんずがこんな変なのと一緒なわけ無いだろ!

 

 一体何なんだ、この変な奴ら……暁美の仲間なのか? いや待て……そういえばまどかが言っていた、水都を直接殴って傷つけた、人間とは思えないヤツってこいつらのことか!

 

「……?」

 

 すっ惚けるつもりか!? あからさまに首を傾げてもこのタマはお見通しなんだ!

 

「そいつがタマの部屋に侵入して、タマのモバイルバッテリーを盗んだんだよ!!」

 

 ゴツン!!

 

「いっ!?」

 

 ………な、なんだぁ…? 突然暁美が泥棒した変なヤツを拳骨で殴りやがった。スゴい音がしたし、倒れるのも顔から行ったぞ、オイ……。

 倒れたそいつは起き上がらない。よほど今の暁美の拳骨が効いたのか、うつ伏せに倒れたままピクピクと痙攣しているぞ……。

 

Das ist keine Überraschung……』

 

 もう一体の変なヤツが倒れたのに近づいてその体を揺らす中、暁美は手で両目を覆って天を仰ぐと、思いっきり深い溜め息を吐いた。

 

「……どこから調達してきたのかと思えばよりによって……ハァ……」

「な、何やってるんだ、お前……?」

 

 どっからどう見てもほむらにしか見えないし、声だってメチャクチャ似てる奴が、目の前でまさかのバイオレンスな行動にちぃとばかしビビった……。こいつとほむらは別人だって解っちゃあいるんだが、あいつそっくりな姿でこんな事をするのをいきなり見てしまうと、一瞬混乱しそうになってしまう。

 

「……ってそうじゃない! おいコラお前! 盗んだ物を返せ!」

 

 ハッと気を取り直し、モバイルバッテリーを持ったままの暁美の方に一歩前に踏み込む。言ったところでどうせ素直に返すとは思えないが、大人しく黙ってこのままおめおめと引き下がるタマじゃないぞ!

 

「………ん」

「えっ、とぉっ!?」

 

 一瞬反応が遅れてしまったが、意外なことに暁美はタマの言うことを聞いて、持っていたモバイルバッテリーをこっちに放り投げた。無事にキャッチして、盗まれた物はこうしてタマの手の中に。あまりにあっさりと返してくれたものだから、タマの方が戸惑ってしまう。

 

「確かに返したわ……これで用件は済んだでしょう…」

「お、おぉう?」

「それじゃあ」

「……イヤイヤ、待て待て待て待て!!」

 

 思わずツッコミを入れてしまうタマ。本当に返してくれたなら別にいいけどさ……それよりどうしてタマの頼みを聞くような真似をしたんだ? 何か裏があるんじゃないかって勘ぐってしまうだろ……。

 

「……どういう風の吹き回しだ? 自分で言っておいて何だが、普通すんなり盗んだ物を返すか?」

「……何を言ってるの? 土居球子、あなたは人様から盗んだ物を使うのに抵抗が無いのかしら?」

「盗ませたヤツが何言ってんだ!?」

 

 何なんだこいつは! ホント意味不明だ! もう訳がわかんないぞ!

 

「だぁあああ!!!! 何なんだお前は!! 急に居なくなったと思ったら丸亀城に車バラ蒔いて、記者会見からいなくなって、水都を怪我させて、それで今度はタマのモバイルバッテリー盗んで返して何がしたいんだよ!?」

「……最後の一つについては私は悪くないと言わせてもらうわ。コレが勝手にしたことだもの」

「知るかーーーっ!! こっちは部屋の中荒らされて窓ガラスまで割られてるんだぞ!?」

 

 イライラとか暁美の妙な言動のせいで消化不良なのが合わさって、最早訳わかんなすぎて頭ん中グッチャグチャのタマである。間違いなく怒ってもいいはずのに、すんなり返してくれたのと、向こうは何だか少し同情の込もった目でタマを見やがるから変な感じしかしない。

 そしてもう一度深い溜め息を吐き、うどん倉庫の過剰在庫でも見るかのような「かわいそうだけど、信じられない捨値でワゴンセールに並ぶ運命なのね」ってなかんじの冷たく残酷な目で、デカいタンコブから煙を出して倒れている変なヤツを見やって指差した。

 

「……もう、それ連れて行っていいから。掃除や雑用なり何なりこき使っていいから、それで納得して帰って頂戴」

「いるかぁああっ!!」

 

 なんでそんな得体の知れないヤツを連れて行かなきゃいけないんだよ!? そもそも部屋をメチャクチャにしただけじゃなく、水都をやったのもコイツなんだろ! そんなヤツとタマを一緒にしようとするんじゃぁない!!

 

「もう一度だけ言うけど、それを盗んだのはそこのアホ使い魔が勝手にしただけ」

「ゼェ……ゼェ……! ……ほ、ホントかよ……」

「……確かに携帯の充電が尽きて困ってはいたけど……窃盗しようだなんて考えは思いもしなかったし、私は無関係よ」

 

 でもそれなら暁美がすぐに返してくれた事の理由にはなっているのか…? 暁美自身が盗みに関しては否定的だったから、持ち主のタマに返すのに抵抗は無かったってところなのか……?

 

「……わかったよ。盗むようにお前が指示したんじゃないんだな?」

「ええ」

「そっか、取り返してくれてありがとな」

「…………」

 

 ……正直なところ、若葉達の想いを無下にして裏切ったこいつに礼を言うのは釈然としないが、それでも盗まれた物を素直に返してくれたこと自体は感謝している。それに、直接相手にこういう言葉を伝えるのは大切だからな。例え相手が誰であろうとも、気さくに接してやることができるのはタマのたくさんあるカッコイイポイントの内の一つだ。

 しかし暁美はこちらの言葉に対して何も答えず、呆けたように黙ってタマを見つめるだけだった。

 

「……なんだよ。何か気に入らないことでもあるっていうのか?」

「……風…ぱい……」

「んあ?」

「……いいえ、何でも無いわ」

「……何で急に不機嫌そうになるんだよ」

 

 小さくて聞こえなかったが、あいつ今何て言ったんだ? だがそれを問い詰めるよりも早く、突然暁美はくるりと踵を返し、そのままこの建物の屋上の出入り口へと向かってしまう。

 

「お、おい! どこ行く気だよ!」

「さあね。そんな事、私の方が知りたいぐらいだわ…」

「ちょっ、待てよ! お前行く所っていうか、四国に身内とかいるのか? 北海道から来たんだろ?」

 

 タマがそう訊ねると、暁美の足が止まる。だが振り返りはせず、背中を向けたままだ。

 

「……いないわ」

「じゃあ、どこに行こうとしてるんだ? もうそろそろ夜で真っ暗になってしまうぞ」

「あなたには関係ない」

「んな事言ってる場合じゃないだろこの馬鹿!」

 

 やっぱり思った通りだ! こいつ自分から丸亀城を出て行ったくせにアテなんて全く無いんじゃないか!

 

「……お金は? 中学生なんだし、いっぱいあるってわけじゃないんだろ」

「…………」

「図星だな……今はホテルだって諏訪の人達の受け入れに回されているし、空いてる所が見つかっても安くはないってことくらい知ってるだろ。お前今の所持金いくらなんだ? どうせすぐに尽き…」

「0」

「ほらやっぱりってうぉおおおおい!!!!? お前よくそんなので丸亀城から出て行こうと思ったな!!? アホだろ!? お前もあの変なヤツと同じでとんでもないアホじゃないかぁ!!」

 

 アテどころか何も、これっぽっちも考えが無い、逆に恐ろしくなるほどのノープランの家出じゃないか!! つーか0って、こいつはお金の重要さが解ってないのか……って……

 

 ……水都が昨日言ってたな……。暁美は諏訪に来て初めて自分の故郷以外に人が生きている地域があるって知ったって。それじゃあ北海道から出てもお金なんて使う必要どころか使える場所なんてどこにも無いって思っていれば、1円も持っていなくても全然おかしくはないか……。

 

 とはいえ勇者なのに宿無しっていう問題以前に、年頃の中学生の女の子として夜中でも町中を徘徊するとか、キャンプでもないのに野宿でホームレス生活とか、マジで笑えないマズすぎる話だ……。なんかタマにニュースである女子中高生の家出の末路みたいな事態とかになるかもしれんし、そうじゃなくてもそのうち勇者なのに警察に補導されて、めっちゃややこしい事に……こんなんほっといていいワケがないだろ!

 

「ああもう、一緒に戻るぞ!」

「丸亀城に?」

「それ以外に何があるってんだ!」

「それには及ばないわ」

「無一文のヤツが言うセリフか!」

 

 こんな状況でどうして拒み続けるんだか……家もない、お金もない、そしてさっき何気に携帯の充電も尽きたとか言ってたな……詰んでるじゃないか。やっぱりこいつ頭おかしいぞ。タマならこういう場合絶対帰るっていうのに……。もしタマが今の暁美のように戻りたくない時……それは……。

 

「わかったぞ! さてはお前、丸亀城に戻るのが気まずいんだろ!」

「………」

「自業自得だからな。それは流石のタマも知らないぞ」

 

 こいつの人々を蔑ろにする発言、そして必死に説得しようとした水都をそこにいるヤツを使って殴らせた……そう簡単に割り切っていい問題なんかじゃない。なあなあで済ませていいわけがない。

 

「言っておくが、タマも他の奴らもお前が若葉や友奈やまどか達に言ったこと、水都にやったことはスゴくムカついてるんだ。許してなんかない。でもな、タマは鬼じゃない。それはあいつら全員だってそうだ。お前が心から反省してあいつらに、特に水都に謝って、元通りの関係に仲直りできたら許してやらんこともない」

 

 だから暁美にも全部言わなくちゃいけない。こいつがいったいどんな酷いことをやらかしたのか、深く考えさせなくちゃ意味なんて何もないんだ。

 後悔するならぶっちゃけ誰にでもできる。だからタマが求めるのは二度とそんなことが起きないよう、こいつの考え方が変わることだ。

 

「わかったか暁美? 気まずいのはお前が後悔しているからだ。でもそれは元はと言えば…」

「戦いを強制する連中の巣窟に戻るつもりはない」

「んなっ!?」

 

 タマのいい話を問答無用でぶった切った暁美の声は、全くこれっぽっちも温もりを感じさせなかった。タマの言葉が暁美に響いている様子……そんなもの、どこにもない。

 

 自分が友達に何をやったのか、罪悪感なんてひとかけらも抱いていない。それでいてまたしてもタマ達を見下すような発言をかまし、とことんタマ達を何とも思わないかのような態度……いい加減、堪忍袋の緒が切れそうだ……!

 

「強制なんてしてないだろ!」

「八人目の勇者なんて、本人の了承を得る前に勝手に英雄認定して世間に公表した大社が、姑息で狡猾な組織が戦えなんて命令しないとでも?」

「それは……」

 

 正直、そうかもしれない。だって、そりゃそうだろ……悔しいが、暁美の勇者としての実力はタマ達より上だ。歌野を助け、昨日だってみんなこいつが進化体をあっという間に倒した瞬間を見た。

 その力さえあれば、今まで以上にバーテックス相手に優位に戦える。この世界だってきっと救うことができるのに、それを全く活かそうとしないことが実に不可解だ。

 

 こいつは本当に、この世界すらどうでもいいと思っているのか……!

 

「……どうしてお前は戦わないなんて言うんだ? 仮にもお前は勇者なんだぞ」

「それを聞いて何になるの。何を言われようとも私の答えは変わらない……何も、良いことなんて有り得ない」

「いいから答えろ。それが水都を……お前が友達を傷つけてまで断る理由なのか、タマに教えろ。もしふざけた理由を抜かしたらここでお前をぶん殴ってやる」

「………………」

 

 脅しじゃない、マジでやってやるつもりだ。タマが変身していて、向こうがそうじゃない状態だとしても、手加減なしで思いっきり顔面をブン殴ってやる。

 そして暁美は、観念したようにため息をつく。

 

「私は……こことは別の世界の人間だから」

「……は?」

「この世界に私が守るべき物は一つもない。だから戦う理由が無い……と言っても、その様子だとやっぱり信じてないわね」

 

 ブチッ…! ……バーテックス以外にここまで怒りが湧いたヤツ、こいつが初めてだ……!

 

「信じるわけがないだろ!! この期に及んでふざけるのも大概にしろーーーッ!!!!」

 

 言うに事欠いて、戦わない理由が違う世界の人間だからぁ!? こいつは自分が宇宙人か何かとくだらない冗談でタマを騙せると!? 真剣に聞いたタマをおちょくって、本当にこいつが水都を何とも思わず傷つけた最低なヤツだと確信した!!

 

「タマ達みんな……昨日までお前の事を仲間だと思ってたんだ!! 歌野と水都はお前を友達って言ってたのに……ちくしょうがああああ!!!!」

 

 携帯の充電がなくて変身できなくても関係ない! こいつは絶対に許しちゃいけないヤツだ! 暁美に飛びかかり、怒りのまま握り締められたタマのパンチはこいつの左頬に吸い込まれる。

 

 

 

 ガァンッ!!!

 

「なっ…!?」

「ねぇ、土居球子。もう一つだけ教えてあげる……私の敵はバーテックスというのは語弊がある。正しくは、無駄な争いをする馬鹿が敵よ」

 

 タマの渾身のパンチは、暁美に届いていなかった。タマと暁美の間に割り込んだヤツ、勝手にタマのモバイルバッテリーを盗み、暁美に制裁されてずっと倒れていたあいつの使()()()が、そいつの腕にある楯が、勇者であるタマのパンチを受け止めやがった!

 

was zum Teufel machst du da!

「ぐあ…!」

 

 直後、そいつはタマの腹に突き刺すような勢いで蹴りを放つ。咄嵯に反応しきれずに喰らってしまったタマは吹き飛ばされ、後ろに吹っ飛ばされる……だと!?

 勇者に変身して強くなっているタマをだぞ!? こいつ、こんな不気味な見た目のくせに勇者並みのパワーがあるっていうのか!?

 

「そして愚か者が相手なら、私は手段を選ばない」

「うぐぐ……って、ああっ!」

 

 倒れた身体を起こしたタマが見たものは、屈み込んで屋上に落ちた何かを拾っている暁美の姿。その手にあるのは、あいつに返してもらったばかりのモバイルバッテリー。

 

「あなたがやるって言うのなら、今度は使わせてもらうわよ。恨むなら敵の目の前に簡単に落としてしまったあなた自身を恨むことね」

「ド、ドロボーーーッ!!」

 

 タマの叫びも虚しく、暁美はコードを自分の携帯に差し込みやがった。充電切れだったあいつの携帯が点灯し、起動準備の状態に……あいつ、さっき自分で盗んだ物を使うのは抵抗がどうのこうの言ってたくせに!!

 

 だが、実際これはかなりマズい……! あいつ、タマを殺る気か!?

 歌野が暁美の武器は超強力なボンバー、つまり爆弾だと言っていた。ここは樹海でもなくてただの町中にあるマンションの屋上だ。さすがに爆弾なんて危険な物をこんな所で使うなんて考えたくもないが……相手はあの暁美なんだ! 爆弾を爆発させないなんて確信があるわけない!!

 

 だったら、携帯の電源が入りきってない今の内に止めるしか……!

 

「携帯を捨てろ暁美!!」

 

 タマの武器、旋刃盤をあいつの持っている携帯目掛けて飛ばす。携帯を手放して避けないと、お前の手が大変な事になってしまうぞ!

 

 だが、そんな暁美に向かう旋刃盤目掛けて、またあいつの使い魔が行動に出る。さっきタマのパンチを受け止めた楯を、タマの旋刃盤と同じように飛ばしぶつけやがった!

 

「なっ、コイツも旋刃盤か!?」

 

 勢いを完全に相殺されたタマの旋刃盤はそのまま弾かれた先に落ちる。即座にワイヤーを引っ張り回収するも、次の瞬間、暁美の携帯が光り、それはあいつの身体を丸ごと包み込む。

 光が消えて無くなると、そこにいたあいつの服装は制服じゃなくなっていた。こんな所までもほむらと瓜二つの白と紫の勇者服。そして、左腕の丸い盾……暁美が勇者に変身しやがった……!

 

「くっ…! おい暁美! 爆弾はやめろ!!」

 

 あいつが爆弾を使えばこのマンションに住んでいる人達が危ない! 頼むから関係ない人達まで巻き込まないでくれ!

 

「土居球子、上よ」

 

 心の中で必死に説得していると、突然あいつが人差し指を上に向ける。上を見ろってか? 馬鹿言うな、今こいつから目を離すわけにはいかんだろ!

 

「大社に伝えて、私の持ち込んだこのゴミの山はあなた達に処理をお願いするって」

「ゴミの山……?」

 

 

 

「うぉおおおおおおおお!!?」

 

 

 

 

 

 私の目の前にあるのは中身が詰まってパンパンに満ちた大きなゴミ袋、その数ざっと60といったところかしら。今までずっと私の盾の異空間の中の一角に集められていた、避難中の諏訪の住民が出したゴミ山の一部だ。

 異空間から物を取り出す際は私の手元だけでなく、目に見える所から自在に取り出せる。今のは土居球子の頭上数メートルの高さに出現させて、それが彼女に降り注ぎ埋もれてしまった。

 

 勇者といえども、この大きさとこの数のゴミ山に埋もれて脱出するのには時間がかかるでしょう。モバイルバッテリーも、今度は返す必要はないわね。襲いかかってきたのは向こうから……自衛のために敵から奪った、それだけだもの。

 

「土居球子、あなたと話していたこの時間、何故かあの人と話しているような錯覚ばかり感じて………とても不愉快だったわ」

 

 ふんっ……我ながら、実に馬鹿馬鹿しい。あんなのと風先輩が何度もダブって見えていたなんて。

 

 どうでもいいゴミ山はもう見る価値も無い。一瞥もせず、この場から飛び去った私は……これから、どこに行けばいいのかしらね……。

 

 

 

 

 

 

 暁美ほむらがマンションの屋上からいなくなった後、残されたゴミ山には一つの黒い人影が残っていた。

 主は後から追いかけるなり、他の仲間と合流して一緒に向かえばいいと考えていたその使い魔は、一体だけこの場に残っていた。

 先程まで一緒だった仲間はゴミ山に埋もれた存在を気にすることなく、既にこの場からいなくなっている。残っているこの長髪の使い魔は、せっせっとそのゴミ山を少しずつどかしていた。

 

『…………!』

『♪♬♩♪ ♪♬♩♪ ピッ………タマっち先輩!? やっと繋がった! 今どこにいるの!? タマっち先輩のお部屋が荒らされてて心配で……!』

「……あ、あんずぅぅぅ……! 助けてくれぇえええ!」

 

 その声を聞いた使い魔はホッと胸を撫で下ろして一安心。いずれこの場に来るであろう彼女の仲間達に救助を任せ、一体遅れてその使い魔もこの場から去っていった。




【使い魔のセリフ翻訳】
 倒れたそいつは起き上がらない。よほど今の暁美の拳骨が効いたのか、うつ伏せに倒れたままピクピクと痙攣しているぞ……。

Das ist keine Überraschung……(そりゃそうだよ……)』


 タマの渾身のパンチは、暁美に届いていなかった。タマと暁美の間に割り込んだヤツ、勝手にタマのモバイルバッテリーを盗み、暁美に制裁されてずっと倒れていたあいつの使()()()が、そいつの腕にある楯が、勇者であるタマのパンチを受け止めやがった!

was zum Teufel machst du da!(何しやがんだ!)』


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第六十一話 「心変」

「「「せーのっ!」」」

 

 私達が探していたタマっち先輩は丸亀市の隣町、善通寺市にあるマンションの屋上でゴミの山に埋もれている所で見つかった。運良くゴミ袋の隙間から手と顔が出ていたから窒息の危険性は無かったけど、身体の方はものすごい量のゴミ袋で挟まれて身動きが取れず、自力での脱出は出来ずにいたみたい。

 

 既にまどかさんと一緒に帰宅中だったほむらさんも含め、ショックで落ち込んでいるであろう歌野さんと、歌野さんと水都さんのお二人を気遣いに行った友奈さん以外の勇者四人で探し回る緊急事態。

 タマっち先輩を発見した私は急いで別の所を探し回っていたほむらさんと若葉さん、千景さんに連絡して集まってもらい、目の前の積もったゴミ袋の山をどかして崩し、四人でタマっち先輩の手を掴んで引っ張り出した。

 

「で…出られた……ぢぐじょぉぉ…! タマをゴミなんかで生き埋めにじやがっでぇぇ…!!」

「良かった……もうタマっち先輩…! ものすごく心配してたんだからね私……ぐすっ…!」

 

 見つけた時からずっと泣きべそをかいているタマっち先輩だけど、怪我は無いみたいで安心した。自室に荷物を置きに行ったタマっち先輩が夜ご飯の時間をとっくに過ぎているのに食堂に来なくて、電話を掛けてもそれも全然繋がらなくて……。様子を見に行った私があの荒らされた部屋を見て、どんなに恐ろしくて怖い想像をしたことか……。

 

「……それにしても、どうしてこんな所にゴミが積もって……いえ、誰がこんなことを……」

「おい球子。お前の荒らされた部屋といい、一体何があったんだ?」

「聞いてくれよ!! これには聞くも涙語るも涙のタマの不遇物語がぁ……!」

「……ちょっと、臭いが移る……近寄らないでちょうだい」

「うわぁあん!! 千景が冷たぁあーーい!!!」

 

 ゴミに埋もれて自分一人じゃ助からない状態に陥ってよほど心細い思いをしたのか、いつもより情緒不安定な様子のタマっち先輩……。身体に怪我は無くても、あのタマっち先輩が悔しがってこんな風になっちゃうなんて相当な事だ……。

 

「こ、郡さん、それはあんまりです…! 臭いなんて気になりませんよ、土居さん。落ち着いて、ゆっくりでいいですから話してもらえますか?」

「ほむらぁ! やっぱりお前良いヤツだなぁ! そっくりなのに中身は暁美とは大違いだ」

「暁美だと!?」

 

 その名前を聞いて、私達全員の顔色が変わったのが自分でも分かった。勇者なのに人の命を何とも思っていない冷酷な思考を露わにし、友人であろうと平気で傷つけたあの人が、今度はタマっち先輩を……!?

 

「ううっ……そうなんだよ! タマはあいつにやられちまったんだよー!!」

「くっ……またしてもあいつが絡んでいたか……!」

 

 そして地団駄を踏みながら、タマっち先輩は部屋とここで何があったのかを話し始める。ひなたさんとまどかさんの話に出てからずっと気になっていた、人ならざる何か……それがタマっち先輩の部屋の中を物色している場面に遭遇してしまい、モバイルバッテリーを盗まれたのだという。それを追いかけるのに夢中になって私達が掛けた電話に出なかった結果、暁美さんと遭遇してしまって………

 

 

 

「そういう時は追いかけないですぐに連絡してよ! 一人で危険な事に首を突っ込んで……もしものことが有ったらどうするつもりだったの!」

「あ、あんず…………ごめん」

「……怖かったんだよ私……! タマっち先輩が急にいなくなって、電話も繋がらなくて……!」

 

 タマっち先輩から全てを教えてもらい、もしもの事態を想像して恐ろしさのあまり目を潤ませながらタマっち先輩に詰め寄った。

 あんなに強くて誰よりも頼もしいタマっち先輩が……なんて信じたくはないけど、タマっち先輩を返り討ちにしたその人物があの人ならそうとは言えない。暁美さんの力は私が傷一つ付けられなかった敵を一瞬で倒せるほど群を抜いていて、その力で人の心を傷つけることをも厭わなかった……。

 

 話を聞く前からタマっち先輩はこの場で何者かにやられていたって事だけは、状況を見れば想像するのは難しくなかった……。それでも、タマっち先輩の無鉄砲すぎた今回の出来事は咎めずにはいられない……!

 怪我も無く、無事だったから良かったものの、タマっち先輩が最悪あのバーテックスと同じ目に遭っていたかもしれないと思うと……私……っ!

 

「伊予島さん、気持ちはよく解るけど、そのくらいにしてあげて?」

「ほむらさん……」

「落ち込んでいる人にかける言葉に、責めの言葉は良くないよ」

「………そうですね……。すみませんでした、ほむらさん……タマっち先輩も……」

 

 冷静に制止してくれたほむらさんのおかげで一旦落ち着きを取り戻す。タマっち先輩の事を想えばこその怒りだけど、私の不安ばっかりのこれを、ゴミの山に埋められるなんて人としての尊厳までも傷つけられたタマっち先輩に追い打ちでぶつけるのは間違っている。

 

「あ、謝らないでくれ……! ……そうだよな。みんなにもいっぱい心配や迷惑をかけてしまったよな……? 本当にごめん!」

「……ううん、私はタマっち先輩が無事だったら、それだけで十分だよ」

 

 タマっち先輩は素直に自分の非を認め、反省している。私も、もうこれ以上言うべきじゃないよね……。

 

「……それで、結局あの女には逃げられたのね」

「うっ……」

「何やってるのよ……油断していい相手なんかじゃないはずよ」

「おい千景!」

 

 呆れているかのような冷めた口調で言い放った千景さんを、若葉さんが咎めるように呼び止めた。

 

「暁美を見失うよりも、球子の身が無事であることの方が大切なんだ! 責めるような発言は控えるんだ!」

「……乃木さんだって気に食わないと思っているはずよ。これまでに何人も暁美ほむらに散々虚仮にされたのに、やられっぱなしで姿を消しているのよ」

「ぐっ……!」

 

 図星なのか、口をつぐむしかない様子の若葉さん。暁美さんは昨日の時点で友奈さんを罵倒したらしく、今日になってからは私達の内の出会った人全員の意志を見下し、撥ね除け、裏切った……。

 乃木さんはよくご自身の家訓を口にする。何事にも報いを……被害者は全員、私達の仲間なのに、当の暁美さんは報いを受ける前にいなくなっていては、その言葉に相反するから……。

 

「ち、千景ぇ……ひょっとしてお前もタマのために暁美のヤツに怒ってくれているのか……?」

「………は? 重症ね、土居さん。ゴミの臭いが脳にまで染み込んでしまったのかしら?」

「……………タマ、いい加減もうそろそろ泣き喚いてもいい?」

「「よ、よ~しよしよし……!」」

 

 ……今の発言は何気に酷いけど……やっぱり、タマっち先輩もだいぶ精神的に傷ついてる。許せなくて仕方のない相手に挑んで、呆気なく返り討ちに遭って、一人じゃ抜けられないゴミの中に埋められて……。私達がここに助けに来るまでの間心細かっただろうし、何よりも一番、悔しくて悔しくてグチャグチャな気持ちだと思う。

 

「土居さんなんてどうでもいいのよ! 高嶋さんまでもくだらない嘘で騙して、立派な想いを貶して、あの優しい心を傷つけた……!」

「……っ!」

「このまま野放しにしておくなんて、私は絶対許さない。引きずりだして相応の報いを受けないと気が済まないわ!」

 

 千景さんは苛立ちを隠すことなく言い切った。元々千景さんだけが、出会った時から暁美さんに対して100パーセント明確な警戒心を抱いていた。ある日何の脈絡もなく存在が明らかになっただけでなく、見た目もほむらさんそっくりなあの人をずっと怪しんでいる様子だった。

 あくまでも、最初は警戒心……でも今の千景さんの目には憎悪が宿っている……。暁美さんを決して許さない、恐ろしいまでに殺気立った目に私の身体は震えた。

 

 だけど、私の隣に立っているほむらさんは、私とは違う反応を返した。

 

「…………貶しているのは……」

「?」

「……貶しているのは、あなたも同じではないですか!」

「ほむら……?」

「……なんですって」

 

 普段聞くことはない、怒鳴り声に近い声で叫んだほむらさんは、千景さんの方を睨んだまま、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「土居さんを気遣う素振りを何一つ見せないばかりか、傷ついてる本人の前でどうでもいいだなんて……! 郡さん自身やってる事が暁美さんと大差ありません!」

「なっ…!? あの女と一緒にしないで!!」

「一緒です! 大切な仲間を想う気持ちを蔑ろにしているところとか特に……!」

「このっ……!」

「ひっ…!」

「ち、千景さん……!」

「やめろ千景!」

 

 ほむらさんの言葉を受けて頭に血が上ったらしい千景さんは、ほむらさんの胸倉を掴む勢いで詰め寄っていく。それでもほむらさんは一瞬だけ怯んだけど、すぐに強い眼差しで千景さんを見つめ返していた。

 

「……高嶋さんがあの人に傷つけられたことが許せない……それはみんな同じなんです、仲間なんですから! なのにどうしてその気持ちを土居さんにも向けてあげないのですか……!」

「関係ないでしょ! 高嶋さんと土居さんは違うのよ!」

「何が違うっていうんですか……! 二人とも、大切でかけがえのない仲間じゃないですか!!」

「……っ…! さっきからうるさいのよ! あの女と同じ顔と声で……!」

「そこまでだ二人とも」

 

 ヒートアップしていく二人の言い争いを止めるように、若葉さんが割って入って千景さんの腕を掴んだ。若葉さんは怒りを露にする千景さんをじっと見据えると、静かに口を開く。

 

「……言いたい事はほとんど言われてしまったからな、私が言える事は………間違えるんじゃない。こいつは鹿目ほむらであって、暁美ほむらではないんだ。無関係な怒りの矛先を向けるのは筋違いだろう」

「…………」

「千景、お前と友奈の友情の深さは私もよく知っているつもりだ。だからこそ、お前自身がその気持ちを裏切り貶すような真似をするな」

「…………ふん」

 

 若葉さんの言葉で冷静になったのか、掴んでいた手を離した千景さん。緊迫した状態だったけど、さっきまでの千景さんの怒りに満ちた表情は徐々に薄らいで、まだ不満は残っているようには見えるけど、これ以上事を荒立てる気はもう無いみたい……。

 

「……土居さんも見つかったわけだし、さっさと帰るわよ」

 

 ただ居心地は悪かったのか、そのまま踵を返すと私達を置いて一人で屋上から跳んで行ってしまった。ここにあるゴミの山、まだ回収作業が残ってるんですけど……。

 

「…………はぁぁ~~~」

「えっ、ちょっ…!」

「ほむらさん!?」

 

 千景さんがいなくなると、ものすごい大きな息を吐きながらその場に膝から崩れ落ちたほむらさん。慌てて駆け寄る私達に、ほむらさんは今までの千景さんの威圧を思い出しているのか、真っ青な顔をして肩が震えていた。

 

「こ、怖かった……うぅぅ……心臓が……」

「だ、大丈夫ですか? 立てますか?」

「なんとか……」

「いやぁ……意外だったぞ。お前が千景相手に啖呵を切るなんて……」

 

 私の手を取って立ち上がるほむらさん。その姿を見たタマっち先輩は感心するように言った。

 私も内心全くの同意見……。ほむらさんはこう言っちゃなんだけど、私と同じくらい内気というか、弱々しいイメージが強い。そもそも私とほむらさんは境遇も似ている。幼い頃から病気がちで、なかなか自分に自信が持てない臆病な性格なのも。

 それ故に親近感も感じていて、人見知りな私達が打ち解けるのもそう難しくなかった。後輩だからっていうのもあるだろうけど、まどかさん達家族の皆さんを除いて、唯一私にだけ敬語を使わずに話しかけてくれるぐらい気兼ねなく話せる仲でもある。

 

 そんなほむらさんがあそこまで感情的になるなんて……本当に意外だった。初めてだったから……あんなに強く、誰かに対して怒る姿を見るなんて……。

 

「……ごめんなさい、皆さん……私が口出ししたばかりに、ご迷惑をお掛けしました……」

「気にするな。お前が言わなければ私が言っていたさ」

「ありがとな、ほむら。タマのために怒ってくれて」

 

 でも、それだけタマっち先輩の事を大事に思っているってことだよね……。

 

「伊予島さん? どうかした?」

「いえ、やっぱりほむらさんはほむらさんだなって」

「……?」

 

 さっきタマっち先輩の言った通りだよ。ほむらさんはとても優しくて、仲間思いの良い人なんだ。外見や声はどういうわけか全く同じにしか見えないくらい似ていたとしても、とても大事な心という物は、ほむらさんと暁美さんとで全然違うんだから。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 屋上にある大量のゴミを、上里さん経由で大社に呼んでもらったゴミ収集車まで四人で持って行った後、ようやく私は帰路につけることになった。元々家に帰っている途中に土居さんがいなくなったって連絡が来たものだから、まどかを先に帰らせて探し回っていたわけだけど……明日がちょっと気まずい……。郡さん、さっきの事を怒ってなければいいけど……。

 

 まどかに土居さんは無事であることをメールで送っておいたし、今頃安心しているだろう。とても心配していたから……ようやく会えた藤森さんが目の前で傷つけられて、ショックを受けている最中だったのに……。

 

「暁美……ほむら……」

 

 白鳥さんと藤森さんの命の恩人で、諏訪の人々の救世主……かと思いきや、冷めた心と辛辣な物言いで次々私達の心を遠ざけていった、冷酷な勇者。私とそっくりなんてレベルじゃなくて、まるで鏡を見ているかのような感覚に陥るほど酷似した姿で、正直に言うと不気味だという第一印象が強すぎて、進んで近付こうとは思っていなかった。

 

 考えれば考える程、分からなくなる。あの人は一体、何者なんだろうって……。でも……一つだけ確かなのは……

 

『暁美に関わろうとするな。あいつに何を言おうとも、通じることはきっとありはしない』

 

 乃木さんが言ったように、あの人とは関わらない方が良いということ……。

 

 少なくとも、向こうから私達に干渉してくることはあるとは思えない。今までの全部、あの人がこちらをひたすら拒絶してきたのだから。

 その度に、誰かがあの人の残酷な言葉に涙を堪えていた……なら、もう誰も、私の友達が…仲間が泣かないためにも、あの人に関わらずにいた方が良いに決まってる。

 

 

 ……でも、それでも…………

 

 あの人は……絶望と悲しみに暮れていたまどかを救ってくれた人なのに……。

 

「……お礼……言えてない……」

 

 確かに第一印象から怖いとも思ってはいた。だけど、諏訪で窮地に陥っていた白鳥さん達を救い、一度は死を受け入れた彼女達とまどかを引き合わせてくれたのも、奇妙ながら紛れもない事実だ。

 せめて一言だけでも感謝の言葉を伝えないといけなかったのに、結局それは叶うことなく終わってしまった。この胸の奥底から湧き上がるような気持ちは、ただの自己満足なのかもしれない。でも、どうしても伝えたかった……伝えなくちゃいけなかった……。まどかは私の、大切な人だから……まどかを救ってくれた、お礼を……。

 

「……あっ」

 

 そんなことを考えながら歩いている内に、気付けば自宅の前に辿り着いていた。

 一日ぶりの我が家だ。お父さんとお母さん、タっくんとは昨日の夜電話で話したけど、顔を合わせるのは昨日の朝以来になる。まどかももうとっくに帰り着いていることだし、私も早いところ、みんなの顔を見たい……。

 

「ただい…」

「「ほむら!」」

 

 扉を開けると同時に聞こえてきた二人の声。そしてその直後に駆け寄ってきた二人が……私の身体を強く抱き締める。

 

「お父さん……お母さん……」

「ほむら……おかえり」

「うん……ただいま」

 

 私も二人を抱き返す。何だか久しぶりに感じる両親の温もり。乃木さんや伊予島さん達丸亀城にいるみんなと一緒にいる時に感じる物とは違った、心が穏やかに落ち着く感じがする……。

 

「……バーテックスと戦ったんだよな」

「うん」

「怪我はしていないかい?」

「大丈夫」

 

 昨日既に電話で伝えた事だけど、二人は改めて確認するように聞いてきた。それほど心配してくれているんだと思うと……心から嬉しかった。

 

「記者会見、観てたよ……緊張してただろうに、よく頑張ったね」

「……うん」

「……怖かったか? バーテックスは……」

「……うん……!」

 

 少し泣きそうになりながらも首を縦に振った。乃木さんが逞しく先陣を切ってなければ訓練の成果を活かせなかったかもしれない……。伊予島さんの援護が無ければ死んでいたかもしれない……。

 あの場では常に恐怖というものが付きまとい、三年前のあの地獄のような光景が過ったのも一度や二度じゃない……。

 それでも何とか乗り越えられたのは、私を支えてくれる仲間がいたから……。帰りを待っている、家族がいるから。

 

「偉いぞ…! 約束ちゃんと守って、無事に帰ってきて…!」

「……うん…!」

 

 私を抱きしめるお母さんの腕の力が強くなる。その声も震えていて、だけど悲しみなんかじゃなくて、抑えきれない喜びの感情が滲み出てる。そんなお母さんの声を聞くのも初めてで……そのせいか、目尻に溜まっていた涙が一筋頬を流れ落ちた。

 

「ねーちゃ!」

「ほむらちゃん」

 

 リビングの方から幼い弟の声が聞こえてくる。その姿も、すぐに見えてきた。

 まどかに抱っこされて、姉弟揃って私の方に近付いてくる。弟……タっくんは私が帰ってきたことが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべながら抱きかかえられたままこっちに両手を伸ばしてきた。

 

「……タっくん」

「ねーちゃ! おかえい!」

 

 両手を広げて満面の笑みを浮かべる弟を見て、自然と口元が綻ぶのを感じた。

 

「タっくん、ただいま!」

「あい!」

 

 私はそっと手を伸ばすと、タっくんの小さな手を優しく握ってあげた。

 

「えへへぇ~♪」

「ふふっ……」

 

 無邪気に幸せそうな笑顔を見せるタっくんの顔が、何とも可愛らしい。そんな風に思っていると、まどかも微笑ましそうにその様子を見ていた。

 

「……何だか久しぶりな気がする。ほむらちゃんとタツヤがこうして一緒にいるところを見るの」

「そうだろうね、まどかは……」

 

 お父さんはまどかの頭を優しく撫でると、心から安心したかのよう穏やかな表情を見せる。

 

「まどかも元気を取り戻せたみたいでホッとした……諏訪にいた友達、無事だったんだね」

「パパ……」

「まどかが泣いていたのに、僕達は何もできなかった。それがずっと心残りでね……。もう大丈夫なのかい?」

「………それは……」

「まどか……?」

 

 まどかはお父さんから視線を逸らすと、自信なさげに小さく俯いて呟くように答えた。

 

「……まだ、わからない……」

「えっ……」

 

 思いがけないまどかの言葉に、お父さんは呆然としていた。私も当事者の一人だから、まどかが何故そう言ったのかはわかるけど、そうじゃないなら絶対にお父さんと同じ反応をしたはず。

 

「わからないって……どういうことだ? 白鳥歌野ちゃん、だったよな……何度もまどかから話で聞いてたし、今日だって元気いっぱいで記者会見に出てなかったか?」

「……ひとまず、この話は置いておこう。二人ともお腹空いているだろう? 今日は一段と腕に縒りをかけて作っているから」

 

 

 

 美味しい具材たっぷりのうどんに、まろやかなクリームシチュー。私とまどかの大好物を食べながら、二人に昨日から今日にかけてあった出来事を事細かく話す。

 それは世間には四国外の調査に赴いたと公表された、諏訪の人々を救ったと言われる謎に包まれた八人目の勇者の真実……。彼女と出会い、そして彼女の語った、私達とは決して相容れることのない冷酷な思想を持ったもう一人の『ほむら』の話。

 それを聞いた二人は、とても信じられないという顔をしながらも、真剣な様子で最後まで話を聞いてくれた。

 

「………つまり、八人目の勇者は実在するけど、それはほむら達の味方ではないってことかい?」

「そういうことになるかな……」

「それで見た目もまんま髪を解いて眼鏡も外したほむらって……マジかよ」

「本当なの。だから大社も暁美さんについてほとんど何も公表しなかったの。実際に暁美さんとほむらちゃん、二人が一緒にいるところを見てもらわないと、嘘臭いって思われそうだから……」

 

 本当ならこの重大な話は両親だからと言っても無闇に明かすべきではないと思う。世間に知られでもすれば、大社は大事な事を嘘偽りで隠し、大勢の人間を騙していたということで批判は免れない。そして何よりも、暁美さんの無責任な行動のせいで勇者の立場や信頼もも危うくなるかもしれない。

 

 だけど二人なら、絶対に他の人に話すことはしないという確信があった。それに私とまどかが知る中で、最も頼りにできる人達。その二人のことを信用しているからこそ、打ち明けても大丈夫だと解ってる。

 

「…………引っかかるな」

「ママ?」

「うん、僕もどうしても気になることがあるんだ」

 

 二人とも、考え込むような仕草を見せながらも、何かが腑に落ちないようだった。そんな二人に尋ねるかのように視線を向けると、お母さんが口を開いた。

 

「いやね、その子がほむらそっくりで名前まで一緒だってことも気になるけど………最初のイメージとえらく違いすぎてない?」

「最初って……正直私はドッペルゲンガーかと思って怖かったんだけど……」

「ほむらのイメージじゃなくて、歌野ちゃんと水都ちゃんのこと。その諏訪の二人から聞いた話に出てきたその子と本当に同じ子なのかいって思うくらい、キャラが違いすぎてる」

 

 ……それは私達の誰もかもが感じてはいたことだった。だってお二人が言うには、あの人は命懸けで人々を救うおうとするのに躊躇い無かったとか。時に完成体バーテックスの奇襲から身を挺して二人を庇い、諏訪の壊滅の危機に自ら力になることを名乗り出て大勢の人々を救い、命も、心までも守り抜いた……まさに勇者という言葉が相応しい人だった。そんな人が仲間になるなんて、頼もしいことこの上ない……誰もがそう思うに足る立派な人だった。

 それが今や一変して、まるで別人のような態度で振る舞い、あまつさえ私達に関わるなと敵意すら向けてきた。そのあまりの変わり様に、私達は戸惑うしかなかった。

 

「やっぱりおかしいよ……僕達はその八人目の勇者なんて子は全然知らないけど、普通人間の心なんて物はそんないきなり正反対の形に変わるものじゃない」

「わたしも信じられなかった……でも、直接見たし、聞いたんだよ……」

 

 白鳥さん達の見てきた暁美さん、それとも冷酷な思想を持つ暁美さん……元から後者だったと考えて、敢えて自らを前者の仮面で偽って接触してきた……それは何のために……。

 

「その暁美さんって子の性格が最初から今現在のそれだったとして、そんな考えを持っている人がわざわざ自分を偽ってまで命を懸ける意味なんて……果たしてあるんだろうか……? 僕には何も考えつかない……」

「……言われてみれば……」

 

 暁美さんが最初から後者のような人間だと、彼女の行動の辻褄が合わない。まどか達に今を生きる人々の命なんてどうでもいいと断言したのなら尚更……。

 逆のパターン、仮に彼女がかつては前者であって、今は後者に心変わりしたというのであれば、それはどうしてなのか……。

 

「……これはアタシ達がいくら話していても、憶測はあっても正しい答えなんて出てこないよ」

「そう…だよね……」

「ああ。何てったって、誰も暁美って子の事を詳しくは知らねえんだ。一緒に四国まで来たっていう、歌野ちゃんと水都ちゃんも含めてな」

「えっ…」

「二人がその子の考えや内側を本当に全部知っていたなら、最初からこんなトラブルは起こってないだろ?」

 

 ……そうだった。私達はあの人の事について本当に何も知らないも同然だ。思い返せば私自身、あの人と直接言葉を交わしたのだって、出会ってすぐに名前を言った時、一言二言程度なんだから……。

 じゃあ何で暁美さんの事を知ってるのかというと、全部白鳥さんと藤森さんが語ってくれたから。そして、それはあくまでも今までお二人が見てきたものだけが共有されていたにすぎないんだ。

 

「……知らないことだらけだね。わたし達……」

「うん……」

 

 私には暁美さんの事も、暁美さんの本性も、暁美さんが本当はどういう人なのかも、暁美さんが何の為に生きているのかも、そして暁美さんは一体何をしようとしているのかも、何もわからない。

 だけど一つだけわかることがある。それは暁美さんはきっと、この先も私達を知ろうとはしない。私達と関わろうとはしないということ。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 翌朝になって、この日もまどかと一緒に丸亀城へと向かう。その表情もお互いにどこか沈んでいる。

 昨夜は結局、あれ以上暁美さんの話を掘り下げることはしなかった。

 私とまどかは、暁美さんの事を何にも知らないままでは良くないと思っている。だけど、今の私達に何ができるわけでもない。肝心の暁美さんは消息を断ってしまって……とにかく悶々としたまま一夜を過ごした。

 そんな気分のままでも、今日も丸亀城にて勇者の宣伝がある。勇者揃っての私達の顔出しパネルを作るとか……正直大社は何を考えてるんだろうって思う。恥ずかしいし、昨日並みに憂鬱な気分……。

 

「……あれ?」

 

 そんな中、突然まどかがその場で立ち止まる。釣られて私も足を止め、視線もまどかが向いてる方に向けると、そこには私達が見知った顔があった。

 

「あっ! まどかさん! ほむらさん! グッモーニン!」

「…………えっとぉ……」

「……歌野ちゃん……」

 

 何故か道路沿いの畑の上に立っている白鳥さん……見知った顔ではあるんですけど……その、白鳥さんがジャージの下に着ている、何て言えばいいのか全く解らなくなる謎のTシャツについては知らないです……。

 

「ほむらさん、ひょっとしてこの農業王Tシャツに見とれてる? どう、カッコいいでしょ♪」

「……何て言うか、その……斬新ですね」

「ふふん♪ 私のトレンドマークよ。予備でいっぱい持ってるし、良かったら着てみない?」

「……いえ、恥ずかしいので遠慮します……」

「恥ずかしい!?」

 

 ガーンという擬音が聞こえそうな表情と声でショックを受ける白鳥さん。だって無地の白いTシャツに大きく殴り書きされた農業王という文字のセンスの時点でもう……というか農業王とはいったい何なのか……。

 

 ……いや、そもそもそんな事よりも、どうして白鳥さんが丸亀城の外に? 昨日最後に見た時の白鳥さんは、暁美さんと藤森さんの件で可哀想なぐらい落ち込んで……。

 

「歌野ちゃん、もう大丈夫な…」

「ほらね、私って農業王を目指す女ですので! だけど仕方がないといってももう何日も農作業サボりっぱなしだったでしょ? それじゃあノンノン、ここの畑の持ち主さんにお願いして、畑仕事を手伝わせてもらっていたの」

「そ、そうなんだ……それで大…」

「それでね! 実は思い切って大社に私用の畑が欲しいってオーダーもしてるの! そしたら……なななんと! 収穫物の何割かを納めるって条件で、大社がマネージメントしてる畑を使わせてもらえそうなの!」

「よ、良かったね……だ…」

「今日の勇者の宣伝が終われば早速大社に行って私の畑、ホワイトスワン農場の視察に行かなくちゃ♪ ちなみに収穫した農作物はみーちゃんと二人でデリバリーもするつもりだから、これからたっくさん頑張らなくちゃってドキドキワクワク……」

「歌野ちゃん!」

「オーケーよ」

 

 ずっと嬉しそうに笑いながら話していた白鳥さんの声が、きっぱりとしたものに変わる。そして表情も楽しくて仕方がないといった満面の笑みから……穏やかな、優しい微笑みを浮かべる。

 

「アハハ、ソーリー……テンションがハイになってたからつい口が勝手に動いちゃったわ……暁美さんのことでしょ? 私は平気、ノープロブレムだから」

「ほ、本当……? だって昨日あんなに……」

 

 間違いなく、暁美さんの件で一番ショックを受けていたのはこの人のはずなのに……。私もまどかもそう簡単に彼女が吹っ切れているとは考えられない。

 

「まぁ、若葉とみーちゃんにも全く同じリアクションされちゃったしね……」

「それはそうですよ……」

 

 こんな所で畑仕事をしていて、さっきのまどかの質問も何度も遮って話を続けたのもあって、正直ショックのあまり現実逃避に走ってしまったのかと考えてしまうところだったのだから。

 

「……そうね、さっきの農作業をサボってたから云々は本音の七割ってところかしら?」

「「結構高い……!」」

「でも残り三割は、自分自身にシャキッとするよう活を入れるためね」

 

 そう言うと真剣な面持ちで鍬を掴むと、慣れ親しんだ動作であるかのようにゆっくりと持ち上げ、重さで落として先の部分を土に入れ込む。

 

「確かに昨日、ものすごくショックだった……」

 

 そのまま後退して土を寄せるように削り、耕していく。

 

「みーちゃんが泣きながら暁美さんが別人みたいに変わってしまったって言って、頭の中がホワイトになって、何もシンクできなかった」

「歌野ちゃん……」

「信じたくなかったのに、保健室のベッドでスリープしてたみーちゃんの涙の跡を見て、リアルなんだって突きつけられた……」

「白鳥さん……」

「私もみーちゃんみたいに泣けばいいのか、それとも若葉みたいに怒ればいいのか、全く解らない……ただただ、一つの事だけを考えながらボーッとすることしかできなかったの……暁美さん、どうして……って」

 

 ザク…ザク…と、白鳥さんの声と一緒に掘り起こされる土の音が妙に耳に響く。一つ一つ刻まれるかのように聞こえるその音は、白鳥さんの気持ちを表しているようで……

 

「そしたらね、友奈さんが教えてくれたの」

 

 とても、規則的で正しいリズムで聞こえてくる。

 

「苦しんでいるのはほむらちゃんも一緒……暁美さん、一昨日の戦いが終わった後泣いていたんだって」

「「……えっ…?」」

 

 予想していなかった言葉に私もまどかも聞き返した。暁美さんが……泣いていた……? それを高嶋さんが……。

 

「ど、どういうことですか、それって……」

「残念だけど、私も当の友奈さんも詳しくは知らないの……でも友奈さん、一昨日の夜の時点で既に暁美さんに貶されたって話だったのに、ずっと彼女を庇ってたでしょ。そういうバックグラウンドがあったから……暁美さんを責める気にならなかったみたい」

「……そんな…」

「それを聞いて私思ったの……私、どうしてその事に気づいてあげられなかったんだろうって……」

 

 ザク…ザク…と、絶え間なく耳に届く音。今度のそれは、溢れんばかりの白鳥さんの感情が込められているように感じた。

 

「気づいたのは友奈さん一人だけだった。私ね、自分がものすごく情けない酷いヤツって思ったわ……フレンドが悲しんでいる事実に言われるまで気づかないばかりか考えすらしなかった……!」

 

 その感情は自分自身に対する悔しさ、哀しみ、情けなさ、怒り……色々な想いが混ざり合った後悔の念。

 

「何が……フレンドよ!!!! 一方的に助けられてばかりで、私は彼女が苦しんでいる中、呑気にみんなと楽しい時間を満喫して!! それで自分にショックな出来事があったから落ち込んでもっと何も考えられなくなったですって!! そんな場合じゃないでしょう!?」

 

 勢い良く掘り起こされた土が宙を舞うように飛び散る。そこにあったのは彼女の手によって綺麗に耕された立派な畑。邪魔な草も丁寧に退けられて、素人目にも言葉を失う見事な畑へと変えられていた。

 

「私はね、プロミスしたの……暁美さんからもらった返しきれない恩を必ず返すって。落ち込んでる場合なんかじゃない。暁美さんが苦しんでいるなら、今度は私が彼女を助けるターン!」

「「………っ!」」

 

 ……それが、白鳥さんが導き出した答え。眩しいくて真っ直ぐで、清く正しさを兼ね備えた勇者の答え……。

 

「……ってな感じで、気分転換リラックスも兼ねて農作業をやろうかなーって♪」

「ちょっと言い方ぁ!!?」

「締まらないよぉ!!?」

 

 ずっこけた……! まどかと二人揃って同時に……!こ、この人は初めて会った時からマイペースがすぎる……!

 

「でも全部本当のことよ。100パーセントリアルで本心だから、暁美さんとみんなを仲直りさせることがパーパスね」

「……わかりましたよ……もう」

「てぃひひ、歌野ちゃんらしというかなんというか……」

 

 ……暁美さんは私達も、そして四国中で頑張って生きている人々すらもどうでもよく思っている。どうしてそんな考えをしているのかは知らないけど、きっとそれは最初から彼女が抱いていたものとは違うはずだ。

 そうじゃなければ、白鳥さんがここまで暁美さんのことを想うわけがない。だからきっと、かつての諏訪の人々を救った時の優しさと思い遣りは偽物でも無いはずだ。

 

「そうだわ! せっかくだから、二人もここで農作業を体験してみない?」

「制服じゃあ無理だと思うよ?」

「あら、農業王Tシャツだけじゃなくてジャージも数人分持ってくるべきだったわ」

「そのTシャツを着ることは確定事項なんですね……」

「だって既に1()1()()()あるんだもの。着なきゃ勿体ないでしょ」

 

 ……暁美さん、確かに私達はあなたのことをほとんど知らない……でも、知りたいと思っている。

 あなたはきっと関心を示さないだろうけど、ここにはあなたを友達と呼んでくれる人がいるんですから。




 次回……最悪です。存在が罪な連中が蔓延る村を描写するなんて……。今回書いた鹿目家との落差ぁ……


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第六十二話 「底辺」

 原作ノベル、漫画版、ゆゆゆいのクソ村を確認しながらクソ村執筆によるクソ村カルテットでごっそり精神削られた……私鬱展開は好物ですけど胸糞系は苦手……。


 四国中に勇者の存在が知れ渡ったあの日から数週間。それは同時に、初めてバーテックスが四国に襲撃してから数週間が経ったことも表している。

 世間は勇者である私達をテレビや新聞、週刊誌にネットやSNSなど多岐に渡り讃え、賞賛する。特にテレビでは連日四国の有名なコメンテーターがこれまた名の知れた学者、専門家、時には大社のトップに位置する者と対談する内容の物が恒例になっている。その話題全てが、人類の希望となった七人の少女についてだ。

 

「見て見て! この雑誌と新聞、この前のみんなのインタビューが載ってるよ!」

 

 この日も友奈が最新の雑誌と新聞を抱えながら丸亀城の教室に駆け込んでくる。僅かに見えた雑誌の表紙には、以前私が撮られた覚えのある写真が使われており、一目で私達の特集が組まれている物だと判断できる。

 

「どれどれ……あら! 写真のポーズもバッチリ決まっててナイスじゃない! うんうん、ホワイトスワン農場のプロモーションもオッケー♪」

「歌野お前、取材の時に宣伝もしていたのか? 商魂逞しいな……」

「……私、あの時こんな事を言ってたんだ……」

「インタビューの時は緊張で頭が真っ白になっちゃいますもんね、私達は……」

 

 これまでは存在を秘匿にされていて、人知れず丸亀城で勉強や戦闘の訓練をしていた私達が、今や四国で知らない人は絶対にいないであろう有名人だ。

 リーダーの私をはじめ、ムードメーカーの球子、元気いっぱいの笑顔を振り撒いてくれる友奈、クールな雰囲気の千景、穏やかな清楚系美少女の杏、あがり症だが勇気と強い心を持っているほむら、三年間諏訪を一人で守りきった歌野、といったように、誰もが勇者のことを知っている。

 

「ぐんちゃんこれ、新聞のここ……って、今はぐんちゃん休暇で故郷に帰ってるんだっけ……」

「郡さんに見せたい物があったんですか?」

「そうなの。ほら、これ見てよ♪」

「えっと……花のある外見も注目を浴びており郡千景勇者の髪型などを真似する者を『千景ニスト』と呼ぶ流行も発祥している………うわぁ……すごいスケール……!」

「ねえねえ! ホムちゃんもぐんちゃんと同じで黒くて長い髪だし、一回千景ニストになってみない? ぐんちゃんと同じ髪型にして」

「ぁはは…試しにやってみるくらいなら構いませんが……」

 

 勇者というより、最早アイドルみたいな扱いを受けることもしばしばだが……。

 

「あら! こっちには私のバズワードが!」

「ばず……?」

「コホン……甲信越地方長野県諏訪市を守護された白鳥歌野勇者は英語をこよなく愛し、日常会話に置いても一部単語をカタカナ英語に言い換えた話し方が話題を呼んだ。なぜそのような話し方をしているのかという質問に対し、歌野勇者からは『諏訪にいる頃、お年寄りは私が若者言葉とか英語を使うとハイカラだオシャレだって笑顔になってくれたんです。私はそれが嬉しくて、日常的に横文字を多用するようになったんです。』とのコメントが返ってきた」

「歌野さんが日頃から英語を使われる理由ってそれでだったんですね。なんだかとても素敵だと思います!」

「えへへ、サンキュー杏さん♪ それで続きね……他者を思いやる慈愛の精神に満ちた解答はまさしく勇者足るものであり、同世代の若者を中心に数多くの共感の声が上がった。歌野勇者のようなお年寄りに向けてに加え、四国にて生活している外国人の人々を励まそうとカタカナ英語混じりの会話をする人が増えている。このカタカナ英語を2007年初頭に当時の女子高生の間で流行していた『■■■(大社検閲済)』に倣い、『歌野ランゲージ』と呼ばれている……ですって!」

 

 ………勇者はお笑いタレントとしても扱われてしまうのか……。

 

「それにしても『最後にして最強の楯 勇者』……今回は楯だぞ。タマ達は人間だってのに兵器とか希望とか楯とか、記者の人はよくこんな言葉がポンポン出てくるもんだな」

「でもそれだけ多くの人達が私達のことを応援してくれてるってことじゃないかな」

「そうだな。確かに私達は勇者である以前に一人の人間だ。だが人間であるからこそ、勝利を信じてくれる彼らの期待に応えてみせるべきなんだろうな」

 

 持ち上げられすぎてむず痒く感じる事もしばしばあるが、彼らの願いを背負い、希望を作り出すことは私達の果たすべき使命だ。そしてそれは、勇者だからやらないといけないというわけではない。私が私であるが故にやり遂げなければならないと常日頃から感じている物である。

 みんながバーテックスを倒し、世界に平和を取り戻す時を待ち望んでいる……そんな日々が当たり前になった、2018年の10月。

 

「……こっちの方も話題になっているみたいですね」

「使い魔……だね」

 

 別の新聞の方を捲る杏の呟きにほむらが反応する。今、世間を騒がせているものは勇者だけではない。そこに載せられていたのは、不気味な笑みを浮かべる真っ黒い人型の異形ついての新たな報道だった。

 そのタイトルは『四国に現れた口裂け女』、見出しは『バーテックスとの関係は』である。

 

「こいつもタマのモバイルバッテリー盗んだヤツみたいに盗んだり、何かやらかしたりしたのか?」

「ううん、ただの目撃写真だよこれ。でもこんなにはっきり写った写真って、初めてじゃないかな……」

「ツインテールっぽい感じ……これで四体目でしょうか、全部で何体いるんだろう……?」

「……まさかバーテックスじゃなくて勇者の方に関係があるものとは考えられませんよね。やっぱり……」

 

 勇者が世間に知れ渡った日と同日から、四国内では稀に人型の不気味な存在が目撃されている。それが使い魔……名称は以前球子が奴から聞いた。その名前通り、暁美が使役する謎の存在だ。

 この使い魔は見た目の不気味さも合わさって、勇者に対抗するために新たに現れたバーテックスの一種なんじゃないかという噂まで飛び交う始末。

 

「むぅ、みーちゃんの事があるから上手く言えないけど、みんなオーバーに怖がりすぎじゃない? 要はエイミーちゃんみたいなものでしょう?」

「あれは精霊だろう。使い魔と精霊、一般人にも視認できるか否かの違いだってある。安全な存在だと断言する事はまだできない」

 

 ただ、我々が把握している内容もこれが全てだ。幸いにもこの使い魔による一般人の被害は今まで一度も聞かないものの、水都を鎌のような得物で殴りつけ、球子の部屋に侵入して物を盗んだ事実はある。これらは当然、公表すれば世間に混乱を広める事態になり得る事は想像に難くない。

 だが同時に確信を得られない、いい加減な情報を発信するわけにもいかない。姑息な手段として安全であると伝えても、暁美のように危険な本性を現しでもすれば……だからこそ大社も手を拱いており、世間の人々はこの正体不明の存在を忌避し、怯えることしかできないんだ……。

 

「この使い魔については現状大社の判断に従うしかない。三人とも、今日はその件で大社本部に呼び出されているわけだからな」

「今日はって言うより、今日もだけどね……」

「……そうだな」

 

 大社は暁美を我々の一員に加えることを諦めていない。先日からひなたとまどか、水都が私達勇者のお目付役であることを理由に、どこにいるかも分からない暁美の捜索及び戦闘への説得を命じられている。

 どういうわけか目撃情報すらも皆無なのだが、捜索対象が未だ人々には明らかになっていない勇者だからこそ、大掛かりな人員を動かす事も、我々勇者を使う事もできない……。少数のお目付役のみでたった一人の人間を見つけるだけでなく、あのような認め難い思想の持ち主を説得するなど一度は不可能だったのに。

 

 何日経とうとも変わらない結果と、毎日無理難題の仕事を押し付けられることにより、目に見えて疲労の色が浮かぶひなた達……。

 暁美が我々の一員に加わることはもう望んでいないというのに、何故ひなた達がそのような苦労を請け負わなければいけないんだ…!

 

「今回の大社の命令は無責任であると言わざるを得ない……暁美とは相容れる事はできないと何度も言ってるのにどうして判らないんだ!?」

「むっ! ちょっと若葉! そのセリフは聞き捨てならないわ!」

 

 歌野が不機嫌そうな顔になり、注意する。そうであった……大社だけではない。ここにも暁美が我々の一員になることを望む奴がいた。

 

「なんだよ歌野、お前まだアイツの事気にしているのか? 悪いことは言わないから止めとけって……」

「断じてノー! フレンドが悪く言われるのを黙っているほど、私はお人好しじゃありません!」

「「「………」」」

 

 このように力強く断言する歌野を、私と球子と杏は何とも言えない目で見つめる事しかできなかった。あのような事が起こってもなお、歌野は暁美の奴を友であると信じ続けているのだから……。

 

「ちゃんと話し合えば絶対に分かってもらえるわよ! 私の知ってる暁美さんはそういう人だもの!」

「……私も、許す許さないの前に、まずはそうするべきだと思います……私達、まだまともに何も話し合えてなんかないではありませんか……」

「若葉ちゃん、タマちゃん、アンちゃん……もう一度、信じてみようよ。あの子はそんな悪い子なんかじゃないって……」

 

 ……こいつらは……歌野とほむらと友奈は、暁美の事を信じたいと思っている。それに今この場にいないまどかと水都も、普段の様子から察するにきっと同じ……。

 

 

『私には関係無い相手よ』

 

『論外よ 気に入らないのよ 私は大赦の都合の良い道具になるつもりはない。反吐が出るわ』

 

『そうね……知らないわ』

 

 

「……お前は直接あいつの目を見ていないからそんな事が言えるんだ、歌野……。あの何もかもを、全てを有象無象としか思わない光のない冷め切った瞳を」

「若葉!」

 

 駄目だ……最初に直接対峙し、二度目のひなた達への暴虐を聞かされ、三度目となる球子への一蹴を知った私には分かる。奴に何を言ったところで無駄なんだ。何もかもを諦めた目をしていた……何もかも、奴にとっては路傍の石ころと同じように見ていた。

 暁美ほむらは何も見ていないんだ。誰かが必死になってあいつに声を掛けようとも、暁美はその相手を決して見ることはない。全部、歌野の独り相撲で終わってしまうんだ……。

 

 

 

 

 

ビーーーッ

 

 

◇◇◇◇◇

 

 母の容態が悪くなった。珍しく父から連絡が来たかと思えば、そんなことを伝えられた。ちょうどそのタイミングで大社からも特別休暇を言い渡され、こうして今走行中のバスに揺らされていた。

 休暇はこの前の襲撃やその後の勇者達のお披露目とも言える数々の宣伝、取材による疲れを取るための物のはず。それなのに、気乗りするわけがない……休暇は寄宿舎の自室で徹夜で積みゲーを消化したかった。それでもこうして地元行きのバスに乗ってしまったのも、その事を高嶋さんに知られてしまったからだ。ただ純粋に私の母のことを心配し、悲しそうな表情で行ってあげてと言われたから……。

 

(一年ぶり……いいえ、二年ぶりかしら……)

 

 多分その頃だっただろう。私が高嶋さんと仲良くなれて、丸亀城の生活に慣れた後だったはずだから。私が以前、故郷の実家に戻ったのは……。たった一度だけ、私がいなくなってからの両親がどうなっているのかをこの目で見たのは。たったの一度だけだ……勇者に選ばれた私がその後に実家に帰ったのは。

 

 薄情な娘だと言われても否定はしない。あんな両親と一緒にいても息苦しいだけ。それだから私はあの両親のことが嫌いだし……向こうも、私の存在その物を呪っているのだから。

 

「……降ります……」

 

 目的地のバス停に着き、鬱屈とした感情を抑え込むかのようにプレイしていたゲームの電源を切る。もう少しでハイスコアが達成できそうだったのを中断され、来たくもなかったこんな田舎村に到着してしまったため最悪と言っていい気分だ。

 大きな布袋に納め、座席の傍らに置いていた神器である大鎌を持ち上げてからバスを降り、私が生まれ育った故郷の大地を踏み締める。良い思い出なんて何一つ有りはしない、惨めで救いようがない過去の私を思い出しながら。

 

「………?」

 

 数歩歩いて立ち止まり、後ろを振り向く。そこにあるのは何て事はない、さっきまで私が乗っていたバス。他に降りる人はいないからか、バスはエンジンをかけるとそのまま次のバス停へと走っていった。そしてやはり、バスが行ってしまったためにもうここには何もない。それにここは小さな田舎の村……周辺に人の姿は見当たらない……。

 

 ……それじゃあ、さっき感じた視線と気配は一体……?

 

「……気のせい……かしら?」

 

 ……きっと、この村の空気が私を感傷的にさせているんだわ。そうに違いない。そう思い込むことにして私は歩みを再開する。

 

 

 

 

 

 ───やだ、あの子よ……

 

「……っ」

 

 久しぶりだけど馴染みのある通りを渡った所で、ふと昔の事を思い出した……。

 そう、まだ小さい頃の私がこの歩道を歩いている時に、前の方でで立ち話をしていた大人達がこちらに気づくと同時にひそひそと話し出した時のことを。私が視界からいなくなるまでの間、ずっと腫れ物を扱うような目を向けられた時のことを。

 

 ───陰気臭い子だわ。ずっと下を俯いて歩いて……ちょっと、今こっち見たわよ……!

 

 ───本当。気味が悪い……まあ親があれなんだから、当然子供もそうなるわよ

 

 ───言えてる!

 

 ───アハハハハ!

 

 蔑みと嘲笑の声色、それらは全て幼い私の心に突き刺さっていた。今までそんな物は無かった丸亀城の生活で忘れかけていたのに、どうしてこうもはっきり思い出してしまうのよ……!

 

「……っ!」

 

 嫌な記憶を思い出してしまい、胸の奥底から忘れかけていたあの感情込み上げてくる……。

 悔しくて、辛くて、痛くて、悲しい……。そんな感情を押し殺すように唇を強く噛み締めてから、あの頃と同じように実家の方に歩いて行く。

 

 どうしようもない、惨めな自分を背負いながら……。

 

「ただいま……」

 

 玄関を開けるなり、何も期待しないで中に向かって声をかけてみる。しかし当然ながら返事は無い。靴を脱ぎ、廊下を歩くと足元にあった何かに当たってしまう。カラカラと音を立てながら転がっていく空っぽの酒瓶を一瞥し、私は舌打ちを漏らす。

 

(捨てようともしないでその辺に放置……本当、昔から何も変わらない……)

 

 目視できるほど埃が溜まっている廊下を見ても、いくつも積み重なって悪臭を出すゴミ袋を見ても、床中に散らばっている空き缶を見ても、今度は溜め息すら出てこない。どうせそんな事だろうと、最初から分かっていたことだもの……。

 

 ───こっちは仕事で疲れたんだ。気になるなら自分でやればいいだろう

 

 かつて自分で散らかしたのに片付けようとしない父が母から掃除しろと言われた事がある。けれども父は自分勝手な文句を言いながら、テレビから視線を移すことなくビールを飲んでいた。

 その言葉を聞いた母は、父のことを罵りながらも代わりに掃除をする。でも結局すぐに父は、片付けられたら部屋をひっくり返すようにまた汚くする。

 曰く、必要になったんだから取り出すのは仕方がない。服ぐらいその辺に置いたままでも何も困らないだろう。食い物を食ったり酒を飲んだらゴミが出るのは当たり前。仕事で忙しいのに、俺に面倒な事をさせないでくれ。

 

 それを何度も繰り返している内に、諦めてしまった……私も、母も……だから……。

 

 そんな母は、居間に入るとすぐに視界に入った。布団に伏せって寝ており、その顔は酷く真っ青で、肌も荒れている。髪も年齢の割に白髪交じりでボサボサで……。

 

(……二年前より酷くなっているのかしら?)

 

 天空恐怖症候群、それが母の病名。三年前の天からバーテックスが襲来するのを目撃した人が、奴らに恐怖を刻まれる事で発症する精神病。その恐怖が度々フラッシュバックすることから始まり、徐々に精神に悪影響を及ぼし日常生活に支障を来す。

 聞いた話に寄れば、当時同じ勇者のほむらさんがただ一人数週間遅れて私達と合流したのも、目の前で両親をバーテックスに殺された影響で天恐を発症し入院していたからとか……。ただ彼女は今でも類を見ないと言われる奇跡的な回復によって立ち直れたとか……勇者だから? まぁ、奇跡はそう簡単に起こる物じゃないから奇跡と呼ぶ。他の人はこの三年間ずっと、過去の恐怖に囚われ続けるしかない最悪の病である事に疑いようがない。

 

 母はそれの一つ先、幻覚まで頻繁に見るようになったのだという。それに最終的に天空恐怖症候群には精神が崩壊し発狂する例も少なくはない。母は、そうなる最終ステージに移行してしまっても全くおかしくないのだとか……。

 

(……自業自得よ)

 

 そんな母の悲惨な姿をこうして目の当たりにしても、何の感情も湧いては来なかった。

 私を見捨てた母に対して、家族だなんて大切に思う気持ちはとっくに消え失せているのでしょうね……。天空恐怖症候群が発症したのも、不倫なんかで余所に男を作って出て行った事が原因なわけだし。

 

 ───千景はアンタが育てなさいよ!

 

 ───どうして俺が面倒見なくちゃいけないんだ!? これまで通りお前が見ればいいだろう!

 

 ───アンタそれでも父親!? もうこっちは色々とうんざりなのよ!!

 

 ───不倫したのはお前じゃないか! この淫乱ビッチが!!

 

 結婚してすぐの頃はこんな事は無かったはずなのに、母は子供のように責任感皆無で自由奔放な父に愛想が尽きて不倫をした。その事が周囲に明らかになってなお、二人は離婚することはなかった。二人とも離婚した方が楽になれると、心から思っていたけれど……娘である私を引き取りたくないと、どちらも親権を相手に押し付け合うばかりで……。

 

 両親二人とも、私が側にいてはならない呪われた忌み子であることを隠そうとしなかった。

 

「千景! 帰ってきたのか!」

 

 不意に向かいの襖が開くと名前を呼ばれ、そちらに視線を向ける。そこには少し痩せ細った体格と、不潔な顔をした中年の男……私の父が驚いたように立ち尽くしていた。

 

「……ええ」

 

 一言漏らして私は目を逸らす。別に今更、この人に何かを言われる筋合いは無い。

 私が黙っていると、父はどこかホッとした様子を見せる。

 

「いや、帰って来てくれて安心したぞ。久しぶりにお前の顔も見れたわけだし」

「お父さんが帰ってこいって連絡してきたんでしょ」

「それはそうだが……母さんが入院するまでに一度くらいと思ってな……」

「……何を今更」

 

 本当は母の事なんてむしろ邪魔としか思っていないくせに、よく言うわ……。大体こんな、食べ終わっても洗いも片付けもしないインスタント麺やコンビニ弁当や惣菜のプラスチック容器を机の上にそのままにして、既に数週間どころか数ヶ月は回収しないで放置されてそうなゴミ袋を病人がいる居間に置きっぱなしにした、劣悪な環境を作り出しているのはどこの誰よ。

 

「そういうセリフは部屋の掃除をやってから言って。廊下もゴミ置き場なんかじゃないのよ」

「あ、あぁ……でもパートの仕事と母さんの看病が忙しくてなぁ……」

 

 ……過去何回も聞いては一度たりとも信じられなかった言い訳をまたしても聞かされる。結局父は最初からこの酷い有り様の部屋を片付ける気はさらさらない。今の私の言葉を聞いても、きっと改善されることはない。また同じ事を繰り返すだけ。

 

 久しぶりに帰ってきたこの村は、はたしてあの頃から何かが変わったのだろうか。少なくとも、息が詰まりそうになるくらい淀みきった実家は、無責任な父親は、私を見ようともしない母親は、何も変わってない。

 

 大嫌いだ。鈍色に見えそうなほど、重苦しい空気と臭いに包み込まれた家が……地べたの底で行き詰まり、顔を上げる余力すら無いほど疲れきった姿をした両親の姿が……。

 

「千景? どこに行くつもりだ?」

「……散歩」

 

 この家は私にとって安らぎの場ではない。気が滅入るだけだ。

 早々に踵を返して玄関に足を運ぶと、靴を履いて扉を開ける。父の視線が背中に当たり、それすらも嫌悪感が湧き上がってこの場から出て行きたい思いは募ってくる。

 

「……ま、待ってくれ…」

「……何?」

 

 だけど背後から力無く呼び止められ、足を止めてしまう。なるべくその姿を見ないように振り返ると、父はおずおずと口を開く。

 

「あ、いや……言ってないと思ってな……」

「……?」

「母さんの入院費用なんだが、払うとなるとこっちの生活も苦しくてな……大社からの報奨金の額をもう少し上げてくれるよう掛け合ってほしい…」

 

 ガシャンと激しく音を立てながら閉められたら戸を見つめる目は憎悪渦巻くものに変わり、無意識に拳を強く握り締めていた。

 確かに勇者の家庭には大社からの報奨金と便宜が図られる事は知っている。詳しくは知らないけど、決して少なくはないはずのお金がこの家に支給されているのは解りきっているのに、生活が苦しくなるから増やしてほしい? あんなにたくさんのお酒が転がっていたのに!?

 

 私が怪我どころか、命を落とす可能性だってある勇者になって入ってくるお金を当てにして豪遊していたクズが何をほざいてるのよ!

 

「私を……何だと思っているのよ……!」

 

 私の価値って、一体何なのよ……。

 自分の事なのに、長年その答えが解らない。ただ、私という存在そのものが呪われているのだけは嫌と言う程理解している。

 

 ───あんな親の子じゃロクな大人にならない

 

 私はあのクズな男の子供だから。

 

  ───阿婆擦れの子! 淫乱女~!

 

 家族を捨ててまで、夫とは違う男と逃げた女の血を引いているから。

 

 最低最悪の人種が、その周りの人々に許されるなんて事は無い。例えそれが、何も悪いことをやっていない幼い娘であろうとも。

 

 ───キモいから息しないでくれない?

 ───何喋ってるのよ気持ち悪い!!

 

 口を開くだけで頬を引っぱたく子供がいた。突然口の中に広がる鉄の味は、恐怖以外の何物でもない。

 

 ───ターゲット発見! 一斉攻撃ーー!!

 

 何もしていないのに、突然石を投げてきた男子がいた。逃げても逃げても、ぶつけられる硬い石は痛みを絶え間なく襲ってきた。

 

 ───キャハハッ!! やっちゃえやっちゃえぇっ!!

 

 私の髪を掴んで引っ張り回す女子たちもいた。ブチブチと髪が抜ける感覚と、涙が出る程の激痛。それでも彼女たちは飽きるまで私を痛めつけた。

 

 ───何でアンタが服なんて着てるのよ。服は人間が着るものなのよ

 

 無理やり服を脱がされ焼却炉で燃やされた。下着姿で羞恥に震えていると、そこに通りかかった人々は揃いも揃って嘲笑う。

 

 ───うっとうしい髪。切ってやるよ あ、血! あはははは!

 

 鋏で髪と一緒に耳を切られた。涙が止まらないほど激しい痛みと傷口から流れる鮮烈な赤い液体は、私に死の危険を知らせてくれた。

 

 ───……やば……逃げろ

 

 階段から突き落とされた。運悪く頭を打ち付け、視界がぐちゃぐちゃになった。吐き気を催すほどの酷い頭痛と、全身を襲う鈍い痛み。

 

 ───先生の余計な仕事を増やさないで

 

 救急車で運ばれて、その後にやってきた担任から告げられた言葉は、今でも忘れられない。

 

 私は忌み子。穢れた血を引いた呪いの存在。友達はいない、むしろ周りの全員が私を意味もなく嫌い、目の前から排除するかのようにいじめ抜く。

 大人だってそう、ロクな大人にならないと勝手に決めつけて、誰も助けようとしない。陰口、悪口を平然と口にして、自分は当然の事を言ってるだけだと言わんばかりに……。

 

 親だって……。

 

 

 私は……生きているだけで罪深いような人間。だから私自身、郡千景という呪われている人間が大嫌いだった。誰にも見てもらえず、ゲームに逃げることしかできない、弱くて、惨めで、疎ましくて、生きる価値を誰にも認められないまま死んでいくような私自身が……心底憎かった……。

 

 ───痛い……痛いよぅ……!

 

「……なんでこんな事を思い出して……!」

 

 ここにいると嫌な記憶が蘇ってくる。自分が醜く見えるようで気が狂いそうになる。

 

 ……帰ろう。高嶋さんが……私を認めてくれた友達がいる丸亀城に。

 

 

「……千景……やっぱり千景じゃん!」

 

 帰ろうと思ったその時だった。突然私の名前を呼ぶ人が現れたのは。

 

「……っ!」

 

 かつて何度も私を虐げていたクラスメイトの一人……あの時とは雰囲気が違うけど……この声、顔つき……間違いなくアイツだ……。

 

「うわー! ホントに帰ってたんだ!」

「……え…」

 

 ……雰囲気……本当に違う……? この人がこんなにも無邪気に声を掛けてくるなんて、数年前は無かったはず……。恐る恐る私は口を開くと、彼女は殴る素振りが無いどころか、更に嬉しそうなテンションになる。

 

「……ホントに…って……知ってたの?」

「さっき千景を見たって人が言って回ってたのよ!」

「言って回って……」

「郡さん!」

 

 状況が飲み込めない私の前に、また別の人が現れる。今度も私を日常的にいじめてきた元クラスメイト……。同じように、期待の込もった目のまま駆けつけて来る。

 

「覚えてる!? 私たちの事!」

「………………まぁね」

 

 私が言うと、二人はお互い不安そうな表情を浮かべる。そして、それは相手の顔色を窺う媚びへつらった物へと形を変える。

 

「私達、郡さんはいつかすっごい事やるってわかってたよ! 友達だもんね!」

「……は?」

 

 思わずそんな言葉を漏らしてしまった。何を言っているのか解らなかったからだ。

 

「小さい頃ヤンチャして一緒に遊んだ千景が世界を救う勇者だなんて、ヤバいよ! 絶対すごいこと出来ると思ってたんだよ!!」

「…………」

「おおっ! 千景ちゃん!」

「この村出身の勇者様が帰ってきたぞ!」

 

 さらに現れたのは、昔私を蔑みの目で見ていた大人連中。みんな一様に興奮し、目を輝かせながら、私を取り囲む。

 何が起きているか理解できなかった私に、彼らは次々と話しかけてくる。

 

「勇者として頑張ってくれ!」

「お前ならできると信じてるよ!」

「ぜひウチの店の物を食べていってくれ! 大歓迎だ!」

「俺達の希望の星だよ!」

「ええ! この村の誇りだわ!」

「………!」

 

 私を取り囲む人は騒ぎが大きくなればなるほど、どんどん集まってくる。その中には嬉々として私を虐めていた人たちも何人もいて、それが今度は満面の笑みで褒めちぎる。

 

「千景……頑張れ!」

「アンタはアタシらの自慢なんだから!」

「ありがとう、郡さん!」

「勇者万歳!!」

 

 ……ああ、そういうこと……。最初は全くここにいる人達の心変わりの意味が解らなかったけど、よくよく考えたら簡単な事だった。

 惨めだったあの頃とは違う……私には、力がある。勇者という、唯一世界を破滅させる怪物を殺すための、人智を越えた力が……ある。

 

 そして、彼らにはそれがない。言わば力のある勇者に守られるだけの、とてもとても、無力でどうしようもないちっぽけな存在。私と彼らの間にある物は、天と地ほど離れた絶対的な差のみ。

 

 彼らが底辺……かつて私が位置していた所。

 私が天……誰にでも認められる、至高にして絶対の、一番の価値を有する者。

 

 

 

 

「皆さん………私は…価値のある存在ですか……?」

 

 誰からも、愛される存在……。私は、胸を張ってそう呼ばれて………

 

「もちろんよ。だってあなたは」

 

 

 

 ……私は、勇者だから……

 

 

Fass sie nicht an

 

 私が望む言葉が言われるまさにその瞬間、辺りは今までの騒ぎが嘘のように静寂に包まれる。

 

「………え?」

 

 誰も気付いていなかった。いつの間にか、この場に人ならざる者が紛れ込んでいたことに。そいつが今、媚びるかのような表情で私に向けて手を伸ばしていた人の腕を片手で握り締め、ギリギリとその人の腕の骨を軋ませて漸く事態を把握して……。

 

「あ………あっ……ぁぁぁ……!」

Ansonsten falte ich es

 

 人型の異形に、私以外の人全員の表情が一瞬で恐怖に歪む。

 

「「「キャアアアアアアアア!!!!」」」

「「「う、うああああああああ!!!! バ…バーテックスだぁああ!!!!」」」

 

 阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡る中、私の中で長い間消化不良だった怒りの炎が燻り出す。こいつはバーテックスなんかじゃない! よくもおめおめと私の前に現れることができたものね!

 

「暁美ほむらの使い魔!!」

 

 瞬時にポケットから携帯を取り出し、勇者システムを起動する。燃え盛る真っ赤な炎のような光が私を包みこんだ。




【☆☆☆】
 撫子色のツインテールが特徴。争い事を嫌い、心優しいがドジな性格の4番目の使い魔。四国内を徘徊しているところで偶然一般市民に見つかり、戸惑う最中ベストショットを決められ慌てて逃げ出した。

【使い魔セリフ翻訳】
Fass sie nicht an(彼女に触らないで)』

 私が望む言葉が言われるまさにその瞬間、辺りは今までの騒ぎが嘘のように静寂に包まれる。

「あ………あっ……ぁぁぁ……!」
Ansonsten falte ich es(さもないと、折りますよ)』


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番外編 「つらい日々はおしまい」

 エイプリルフール特別番外編! 去年のリベンジ達成! 久しぶりに幸せな世界が書けました(´▽`)


 授業が終わって、帰りのホームルームも元気いっぱいの挨拶で終わると、わたしはランドセルを肩に掛けてから、仲が良いクラスメイトの子たちに別れを言う。

 「じゃあね、また明日ね!」って、みんなに手を振ってから、足早に教室を出ていく。

 もちろん廊下は走らない。でも上履きを脱いで靴を履いてからは超特急だ。校門を出てからは赤信号の時にしか立ち止まらない。

 

 ただただずっとわくわくしながら、今日はどんな活動をするんだろうって思いを馳せる。みんながいるあの場所へと駆け抜ける。

 

 わたしはまだ小学生だけど、中学校の部活動に特別に部員として参加させてもらっている。その部活内容っていうのが、困っている人たちを勇んで助ける、世のため人のために頑張ること。

 

 この前は商店街でお手伝い、その前は幼稚園のレクリエーションでお人形劇や絵本の読み聞かせ。

 

 どれも楽しかったなぁ……ああいう風に、たくさんの笑顔を作るっていう活動がこんなにも胸がぽかぽかあったかくなって、幸せな気持ちに包まれちゃう。

 

 そんな素敵な活動のお手伝いが出来ることが、嬉しくてたまらない。きっと今日の活動も楽しいに違いない。だから今日も、わたしはみんなと一緒に楽しい時間を過ごすんだ。

 

 あっという間に目的の場所に到着し、いつまで経っても無くならない期待に胸を高鳴らせながら扉を開ける。

 讃州中学勇者部。そこがわたしがいつも足を運ぶ場所。

 

「こんにちは!」

 

 わたしの名前は高嶋羽衣。小学五年生、11才。勇者部の名誉部員です!

 

「おっ! 来たわね羽衣~!」

「こんにちは、羽衣ちゃん!」

「はいっ! 風さん、樹さん! 高嶋羽衣、今日も一日頑張ります!」

 

 頼りがいがある立派な部長の風さんと、風さんの妹でいろいろな事を手取り足取り優しく教えてくれる樹さん。今日も笑顔で出迎えてくれる二人はいつも優しくて、大好きな勇者部の先輩でお姉さん!

 

「こんにちはー! って、羽衣ちゃんだー! いらっしゃい!」

「ふふっ、羽衣ちゃん今日も元気ね」

「いつも小学校から走って来るなんて偉いわね。はい、にぼし。走ったり運動した後はコレが一番よ」

「友奈さん、ほむらさん、夏凜さん! こんにちは! にぼしいただきます! はむっ」

 

 わたしに勇者部に入るきっかけを作ってくれたほむらさんと、ほむらさんのお友達の友奈さんと夏凜さん。友奈さんはいつもとても明るくて、夏凜さんははきはきとしていて少し厳しい所があるけどとってもかっこいい。それでやっぱりみんなわたしの憧れのお姉さんだ。

 

 残りの勇者部のメンバーも、みんなとっても良い人ばかり。だって……ほら!

 

「お~っす! 乃木さん家の園子だぜー!」

「こんにちは園子ちゃん! 高嶋さん家の羽衣だよー!」

「おぉ、うーたんノリ良いねぇ!」

 

 昔から仲良しの園子ちゃん。猫さん枕のサンチョを抱きかかえてほんわかした暖かい雰囲気の園子ちゃんが一緒だと、わたしも釣られて胸がポカポカあったかくなって大好き。

 

「ふふっ、そのっちったら……羽衣ちゃん、今日もお疲れ様。ぼた餅を作ったのだけど食べる?」

「うん! ありがとう須美さん!」

 

 わたしにいろんな事を教えてくれる、真面目で優しいお姉ちゃんの須美さん。むぎゅっと抱きしめてくれた後に頭を撫でられると、何だか心がぽわぁって気持ち良くなって、つい顔が緩んじゃう。

 

「今日も学校楽しかった?」

「えへへ~♪ もっちろん!」

「……うん、良かったね、羽衣」

「お姉ちゃんもね♪」

「うん!」

 

 それからいつだってわたしのことを大切に想ってくれる、大好きなお姉ちゃん! お姉ちゃんもこっちで同じ学年のお友達もできて、とても楽しい学校生活になったみたいでわたしも嬉しくなっちゃった。

 

「おーおー、相変わらず楽しそうだのう仲良し姉妹よ……いつきぃ♪ いつでもお姉ちゃんの胸に飛び込んできていいわよぉ?」

「また彩羽さんに張り合おうとしてる……。しょうがないなぁ……むぎゅー♪」

「うっほぉおう♡ なんてぷりちーな妹! どうよ彩羽ぁ? 犬吠埼姉妹のラブラブパワーも負けてないわよ!」

「ふふっ、そうだね。風ちゃんと樹ちゃんはいつ見ても仲良しさんだもんね」

 

 楽しそうにじゃれ合う樹さんと風さんの姿にお姉ちゃんが微笑む。ずっとお姉ちゃん一人だけがわたし達の中で一番年上だったから、きっとお姉ちゃんだけにしか分からないプレッシャーとかあったんだと思う。

 だけどここには明るくて頼もしい、同じ3年生の風さんが一緒にいてくれる。もうお姉ちゃん一人だけで背負い込む必要は無いんだよね。

 

 なんて考えていると、わたしの横腹辺りに何かが押し込まれるような感覚が。もぞもぞと動くから少しくすぐったいけど悪い気は全然。隣にいるお姉ちゃんとの間に割り込むようにひょっこりと顔を出したのが須美さんだって分かってたから。

 

「美森ちゃん?」

「……姉妹で仲良くするなら私もと思いまして……」

「犬かあんたは。彩羽さんが絡むと友奈のとは違う意味で甘えん坊ね」

「わっしーは変わらないね~」

 

 園子ちゃんがニヤニヤと笑いながらそんなことを言う。それを聞いた須美さんは顔を赤くして照れていたけど、わたしもお姉ちゃんもそんな須美さんを可愛いと思った。だから二人で須美さんの頭を撫でてあげると、とても幸せそうな表情を浮かべて……うん、やっぱり須美さんは可愛かった!

 

「うふふ……姉さまぁ、羽衣ちゃん♪」

「わぁ……東郷先輩、すごく穏やかな顔……」

「……………」

「あら友奈、彩羽さんに嫉妬?」

「えっ!? べ、別にそういう訳じゃ……! ただその……」

「ふふっ、友奈は素直ね」

「ほ、ほむらちゃん……!」

 

 わたし達……特に須美さんを見つめる友奈さんが嬉しそうな、でもどこか納得いかないような、複雑な表情を浮かべている事に気づいたほむらさんが分かってるとばかりに友奈さんに声をかける。ほむらさんの言葉を聞いて友奈さんはわたわたし始めたけど、ほむらさんは優しく微笑んで友奈さんの頭を撫でてあげた。

 

「おおー! わっしーを巡るゆーゆとろっはー先輩の熱いバトルの勃発かなー? 是非ともメモに収めたいところ~♪」

「茶化さないの園子。そのメモ没収」

「あ~ん! 最初に茶化したのほむほむのくせに~! いじわるぅ~!」

 

 園子ちゃんも新しいお友達と一緒にはしゃいで楽しそう。ほむらさんが取り上げたメモを取り戻そうとじたばたしている姿を見ながらみんなが笑うの。何気ない日常でも、それがわたし達にとって一番幸せな時間なんだって事をみんなが知っているから。

 

「──さて、そろそろ今日の活動始めるとしますか! 全員席に着いてー」

「「「「「「「はーい!」」」」」」」

「えっ、あの、もう少しだけ……」

「ぁはは……美森ちゃん、また後でね?」

「はい……」

 

 風さんの号令でわたし達はそれぞれの席に着く。名残惜しそうに須美さんが離れていくと、お姉ちゃんは苦笑しながら須美さんの背中を見送った。

 

「東郷さーん♪ 座って座って♪」

「うん、ありがとう、友奈ちゃん」

「えへへ~♪」

「うふふ、どうしたの友奈ちゃん? 何だか嬉しそうね」

 

 席に着いた須美さんを待っていた友奈さんが隣の席に誘う。友奈さんの隣に座った須美さんに嬉しそうにはにかんで、二人の仲睦まじいやり取りを見て夏凜さん達が呟いた。

 

「……友奈って人には自分からグイグイ行く分、構われなかったりした時の反動が大きいのかしらね……」

「昔から東郷がいなかった時の友奈は結構危ういものよ。寂しかったり不安だったりで精神が不安定になりがち」

「愛なんよ~♪」

「愛だね~」

「うーたんも分かってるねー」

「ねー♪」

 

 友奈さんにくっつかれている須美さんは、お姉ちゃんと一緒にいる時と同じくらい幸せそうな表情をしている。初めてわたしがほむらさんに出会った時に聞いていたように、須美さんは大好きな人達と巡り会えて本当に良かったなって思うの。

 

 あの二年間は寂しかったけど、須美さんはそんな優しい人達に囲まれて毎日を楽しく幸せに生きていた……だったらわたしも嬉しい。須美さんの笑顔が好きだから!

 

「ほらほら、イチャイチャはそこまでにしなさい。ミーティングが始められないでしょーが」

 

 風さんがパンパンと手を叩いてみんなの注目を集める。みんなの視線は風さんが立ってる前に向けられて……。

 

「……お、お姉ちゃんそろそろ離してよぉ…!」

「あんたもイチャイチャしてんじゃないの! 樹にくっ付いたままやるつもり!?」

「えっ? うん」

「うん、じゃないでしょ!」

 

 真面目な顔で樹さんをギュッと抱きしめたままの風さんに夏凜さんがツッコんだ。

 

「だって! こうでもしないと勇者部の中でアタシの専売特許かつ独壇場だったお姉ちゃん力が彩羽に負ける一方でしょ!」

「どうでもええわ!!」

「このワガママっぷりのどこにお姉ちゃん力とやらがあるのかしら?」

「べ、別に勝ち負けとか競ってるつもりはないんだけどね……?」

「強者の余裕を見せよって! このっ、このっ!」

「ああもう私恥ずかしいよーー!!」

 

 風さんが駄々っ子みたいに騒いじゃって、その様子にわたし達も我慢できなくてついクスっと笑っちゃう。

 

 あの病室で独りぼっちだったつらい日々はおしまい。

 みんなで力を合わせて頑張って、讃州中学の勇者部でたくさんの楽しい思い出を作っていく。そんな幸せな世界がわたしの目の前に広がっていた。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「もー! お姉ちゃんってばほんとしょうがないんだから!」

 

 ほっぺたを膨らませながら隣を歩く樹さんが言う。その言葉を聞いてわたしはさっきの風さんを思い出して、大変だったなぁって苦笑いしちゃう。

 

『イヤァアーーーーッ!!! 何でアタシと妹を離れ離れにさせるのよーーー!!?』

『あんたのその病気を治すためだって言ってるでしょ!! 樹は吹奏楽部の手伝い、風は私達とかめや直々の新しいうどんメニューのアイデア出し! うちをうどん部と見込んで頼まれた大型の依頼なんだからシャキッとしなさい!』

『うどん部? ここって勇者部だよね~?』

『いいから行くわよ! 彩羽さん、反対側持ってください! 園子は足持って!』

『ごめんね、風ちゃん…』

『ドナー♪ ドナドー♪ ドーナドーナドナドナー♪』

『樹ぃいい!! 出荷されるうううう!!! 離れたくないよぉおおお!!!!』

 

 あはは……風さん、お姉ちゃんと園子ちゃんと夏凜さんに運ばれるみたいに叫びながら連れて行かれたんだよね……。

 

「……羽衣ちゃん、ひょっとして彩羽さんも私のお姉ちゃんみたいになったりするの?」

「うーん……たまに大げさだよって思っちゃう事はあるのかな?」

「……お姉ちゃんって、どこもそういうものなのかな……」

 

 樹さんはちょっと困ったような顔をして溜め息を吐いた。まぁ、昔須美さん達と仲良く話しているといきなりお姉ちゃんが嬉しいって泣いちゃった事があったけど、その時もみんなびっくりしたもんね。

 

「でも確かに風先輩、何だかいつもよりすごかったね。何があったんだろう?」

「あれは……まぁ、言ってた通り彩羽姉さまに対抗意識を燃やしちゃったのが原因じゃないかしら。姉としての」

「樹ちゃんに何が何でも良いところを見せたかったんでしょうね。東郷に次いで樹ちゃんまで環に……じゃなかった、高嶋に……いえ、取られないように」

「……そんなに張り合わなくても、お姉ちゃんは私にとって一番のお姉ちゃんなのに」

 

 呆れたように呟く樹さんのほっぺたが少し赤くなってる。照れてるのかも。

 それから程なくして、わたし達は目的地の市民館に到着した。入り口の所に中学校の制服を着た女の子達が数人集まっていて、わたし達に気付くと手を振ってきた。

 

「こんにちはー! 讃州中学勇者部来ましたー!」

「あっ、勇者部さん! 来てくれてありがとう!」

「うん? ねえねえ結城さん、もしかしてこの子が最近勇者部に入ったっていう小学生の子?」

「はい! はじめまして、高嶋羽衣です!」

「まあ! とっても可愛いらしい上に元気な子!」

「勇者部六箇条、挨拶はきちんと、ですから♪」

「しっかりしてるわねぇ~。小さくてかわいいし」

 

 中学生の人達がわたしを褒めてくれたり頭を撫でたりしてくれる。なんだか嬉しいような、少し恥ずかしいような……。

 

「明日ある吹奏楽コンサートの設営って聞いてるのだけど」

「そうなの。 練習に時間割きすぎちゃってつい……勇者部の皆さんには座席を並べる作業と会場内の飾り付けを手伝ってもらいたくて」

「了解しました!」

 

 須美さんがビシッと敬礼をする。その様子に中学生達も笑顔になって、それじゃあよろしくお願いしますって頭を下げて建物の中に入っていった。

 

「羽衣ちゃんは私と一緒にしようね」

「はい、樹さん!」

「ふふっ、樹ちゃんも先輩として張り切ってるわね」

「うん! なんだか樹ちゃんが頼もしいね」

「えへへ……。友奈さんやほむらさん、東郷先輩に優しくしてもらったみたいに、私も羽衣ちゃんのお手本になれるよう頑張ります!」

 

 そう言って胸を張る樹さんはやっぱり頼もしくて、わたしを安心させてくれる。樹さんは人のために頑張ろうとする姿がはっきり見える優しい人で、だからきっと、樹さんは心からわたしにとってとても頼りになる先輩なんだなって思う。

 

「じゃあ私が座席配置の指示を出すから、友奈ちゃんとほむらちゃんで席を並べてくれる? 樹ちゃんと羽衣ちゃんは飾り付けをお願いできるかしら?」

「はーいっ! じゃあまずはシートを並べて……」

 

 須美さんの言葉を受けて、友奈さんとほむらさんの二人が早速動いた。二人ともテキパキと動いてて、丸まっていて重そうなシートを次々と運んでいく。

 

 わたしと樹さんも、言われたお仕事の飾り付けに。テーブルの上には吹奏楽部の人達が用意した色紙やリボンやらが置いてあって、樹さんが色紙を手に取った。

 

「羽衣ちゃんはお花の作り方は分かる?」

「お花……ごめん、分からない」

「お花はね、こうやって作るの」

 

 樹さんは色紙を何枚か重ねると、端っこの方から少しずつ折っていって細長くした。それの真ん中に輪ゴムを巻くと、色紙を一枚一枚丁寧に捲っていって……。

 

「わあっ! ふわふわのお花だぁ!」

「羽衣ちゃんもやってみて」

「うん!」

 

 樹さんが教えてくれたように、わたしも色紙を取って初めてのお花作りに挑戦。樹さんも二つ目を作り始めて、二人で一緒にお花を作っていく。作りながら樹さんにアドバイスをしてもらって、さっきのお花っぽくなった。

 

「こうして、ここをちょっと摘まんで……」

「んっしょ……よい、しょ……できた!」

 

 出来上がったお花は樹さんのに比べると下手っぴだったけど、それでもわたしの目にはなんだか綺麗に見えた。

 

「上手だよ羽衣ちゃん!」

「えへへ……そうかなぁ」

 

 樹さんも褒めてくれて、それがお世辞でも何でもないって事はその嬉しそうな顔が教えてくれる。

 

「もっと作ってみる!」

「うん、頑張ろうね」

 

 これは飾り付け用のお花であって、主役は吹奏楽部の人達なんだけど、わたしの作ったこのお花で綺麗だなって嬉しい気持ちになってもらえるといいな……。

 

 そんな風に思いながら、わたし達はどんどん沢山のお花を作って飾っていった。他にもリボンで蝶々を作ったり、風船を膨らませてテープで留めたり。

 そうして作業している内に時間は過ぎていって……。

 

「これで完了っと!」

 

 友奈さんの声。どうやら座席配置が終わったらしい。たくさんの椅子が綺麗に並んでいて、吹奏楽部の演奏がいつでもできる準備ができていた。

 

「樹ちゃん、羽衣ちゃん、そっちはどうかしら?」

「こっちも終わりましたー!」

「まあ! とっても素敵になったわね!」

「流石だね二人とも! お疲れさま!」

「……羽衣ちゃん……本当に、素敵なものができたわね……!」

 

 わたし達が飾り付けした所を眺めてみんなの表情が明るくなる。特に須美さんは本当に嬉しそうな顔をしている。それはなんだか、今にも泣いちゃいそうな声でもあって……。

 

「ぐすっ……羽衣ちゃんの楽しい気持ちがいっぱい込められていて、見ているだけで幸せな気分になれて……。こんなに嬉しいことは他にはないわ……」

「東郷さん……」

 

 須美さんは目に涙を浮かべている。ずっと重い病気で入院していたわたしが、今はここにいる事を心から喜んでくれてるんだと思うと、なんだかすごく胸が熱くなる。

 

 それを隣に見ていた友奈さんも、須美さんが何を感じているのか察したみたいで、優しくわたしの両手を包み込んだ。

 

「……羽衣ちゃん!これからはいっぱい、いーーーっぱい!! 幸せにならないとダメだ!」からね! 私達と一緒にたくさん楽しい思い出を作ろうね! 笑って……嫌なこと全部忘れちゃうぐらい…!」

「友奈さん……」

 

 ……友奈さんも須美さんと同じ。むしろポロポロと涙がこぼれ落ちちゃっている。

 友奈さんは須美さんと違って入院していた時のわたしを知らないけど、その時の事を思って心を痛めている。わたしがこれからも勇者部にいることを、誰にも負けないくらい望んでいる。

 

「ほら友奈、東郷も泣かないの」

「「だってぇ~!」」

 

 そこにほむらさんが苦笑いしながら近づいて、二人の目元にハンカチを当てる。優しく涙を拭ってからわたしの頭をゆっくり撫でて、初めてほむらさんと出会った時に見せてくれたような微笑みを見せた。

 

「──────」

「うん? 今何て……」

「あら、夏凜から連絡…………みんな、終わったらかめや集合ですって」

「「「はーい!!」」」

 

 ほむらさんの報告に元気よく返事する須美さん達。吹奏楽部の人達にみんなで元気いっぱい手を振って、明日のコンサートをみんなで見に行くからねって約束を。

 この日の幸せな時間はまだまだ続いていく。手を繋いで……ギュッと強くて優しく、温かく。もう、離したくない。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「取材? わたし達に?」

「そ。羽衣と彩羽と乃木に新聞部からの依頼」

 

 いつものように部室にやって来たら、風さんから今日の活動内容を伝えられた。取材されるなんて初めて……でもどうしてわたし達を取材したいんだろう?

 

「そりゃあ編入生と小学生がみんないっぺんに勇者部に来れば注目も集まるわよ。ほむら並みの天才児の乃木だったり、あの東郷の姉貴分の彩羽だったり、あんた達全員誰でも興味津々よ」

「羽衣ちゃんも学校で有名人だよ! クラスでよく勇者部にいる小学生の可愛い子って誰って聞かれるんだよ」

「えっ、そうなの!?」

 

 そんな風に思われてたのはちょっと意外かも。わたし達が有名人……お姉ちゃんや園子ちゃんなら疑問に思わないけど、わたしまでだなんてなんだか照れちゃうよ……。

 

「こんにちはー! 讃州中学校新聞部でーす!」

「おっ、来たね~。Hey! キャメラマン come on!」

「あ、あはは……園子ちゃんはいつも通りですごいね……」

「緊張なんてnonsense! ありのままのそのっち、ろっはー先輩、うーたんでレッツゴー!」

 

 元気いっぱいの園子ちゃんの言葉に、わたしもお姉ちゃんも一緒に笑ってしまう。園子ちゃんには昔から、わたしがとても小さい頃からいつもこんな風にさせられたっけ。

 

 わたしの前には新聞部の人。そして、わたしを見守ってくれる勇者部のみんながいる。

 

「それじゃあ、自己紹介お願いするね」

 

 

「高嶋羽衣っていいます! 身長はえっと……143センチ、4月26日生まれの小学5年生。血液型はA型、みたいです。お姉ちゃんも同じA型で、周りからはお姉ちゃんと仲良しだねってよく言われます。えへへ……。

 実家は大橋市で、病気で入院していたけど、みんながいつもお見舞いに来てくれて、病気は大変でキツかったけど、とても幸せでした。……あ、えっと、みんなっていうのはお姉ちゃんと園子ちゃん、須美さん……じゃなかった、美森さん、それから銀さん……そこにわたしを入れて五人です。わたし達はずっとずっーっと一緒の仲良し姉妹だって、とーっても仲良しです!

 園子ちゃんにはいろいろなお話を教えてもらって、わたし園子ちゃんの書いた小説がいつも楽しみなんです! オススメの小説はいっぱいあるから、とっても尊敬しています!

 美森さんはとっても優しくて、日本の歴史についていっぱい教えてくれたんです! わたしの知らない事をたくさん知っていて、まるで学者さんみたいでとってもすごいんです!

 銀さんは元気いっぱいで頼もしくて、かっこいいお姉ちゃん! 本当に……かっこいい、憧れの……」

 

 わたしと、お姉ちゃんと、園子ちゃん……わたしの楽しかった記憶はこの三人から始まった。そしてそこに須美さんと銀さん……ほむらさんが来て……

 

「それで、お姉ちゃんが作ってくれたお豆腐のハンバーグをみんなと一緒に食べるのが楽しい! お豆腐ハンバーグはお姉ちゃんがわたしのために作ってくれるんです。病気で食べられる物が少なかったのに、お姉ちゃんはレシピを調べてわたしでも食べられる、栄養もいっぱいある美味しいものをって……。

 とても美味しいお姉ちゃんのハンバーグだけど、一人じゃなくてみんなで楽しく食べるからもっと美味しかったんだって思います!」

 

 ほむらさんから勇者部のみんなのことを教えてもらって……

 

「わたし、みんなに愛されていたんだなぁって。お母さん、お父さん、お姉ちゃん、園子ちゃん、須美さん、銀さん、ほむらさん、病院の看護士さんやお医者さん、お見舞いに来てくれた小学校のクラスメイトのみんな、先生や大赦の人達、友奈さんに夏凜さんに樹さんに風さん、勇者部の人達に」

 

 たった11年しか生きていない人生だけど、いろんな人達に巡り会えた。

 

「わたしは……高嶋羽衣は」

 

 ありがとう。本当に、幸せだったよ。

 

「みんなが大好きです!!」

 

 

「以上、高嶋羽衣でした」

 

 話し終わると、目の前にいたはずのみんなの姿はどこにもなかった。取材に来ていた新聞部の人も、勇者部のみんなはここにはいない。

 

 だってここは勇者部の部室じゃない。わたしの部屋……ずっと入院している、狭くて真っ白な病室なんだもん。

 

 ここにいるのは呼吸器を付けられて眠ったままのわたし……それから……

 

「会いたかったよ……銀さん」

「……羽衣……」

 

 二年前に大赦からの御役目で死んじゃった、銀さんだけ。

 

「……気づいてたんだな……今までの全部、夢だって……」

「……だって、銀さんがどこにもいないんだもん……」

「………」

「どうしていないんだろうって考えて、銀さんは死んじゃったって思い出して……いろいろ思い出して……わたしが元気になってるのって、おかしいでしょ?」

 

 変だもんね。病気が治った記憶も無いのに、ほむらさんから教えてもらった勇者部で、ほむらさんから教えてもらった人達と一緒に活動しているなんて。わたしが名前ならともかく、みんなの顔や声なんて知らないのに……。

 

「……銀さん、わたしね、願い事が叶ったんだ」

「………」

「お姉ちゃんと園子ちゃんと須美さんに会えたんだ。お話はできなかったけど……でも、二度と会えないと思っていたのに会えたんだよ」

「………だろ…!」

「……もう十分だよ。わたし、もう未練はないや」

「そうじゃ…ないだろおおお!!!!」

 

 聞いたこともないような、銀さんの怒りの込もった叫び声。いつもの優しい顔もものすごく恐ろしくて、わたしは何も言えなくなる。

 

「お前の願いはっ! そんなふざけたものなわけないだろ!!!! 生きたいんだろ!!!! 須美と一緒に!!!! 園子と一緒に!!!! 姉ちゃんと一緒に!!!!」

「………」

「勇者部のみんなと一緒に!!!!」

「……っ!」

「諦めるなんてアタシは認めないぞ! この大バカ野郎!!!!」

 

 銀さんの目から大粒の涙が絶え間なく溢れ落ちる。

 

「……銀さ「触るな!!!! アタシに触わったらダメだ……もう二度と戻れなくなる……!」」

 

 ……そうなんだ……だからわたしはあの夢を見ていたんだ……。銀さんがわたしに生きる事を諦めないようにって、みんなとの幸せの世界を見せていたんだ……。

 

 わたしの目が覚めたら、夢が終わってしまったら……

 

 

「なっ!?」

「一緒にいて、銀さん」

 

 わたしは銀さんの手を握った。銀さんの手の温もりが、わたしを蝕んでいた苦しみがだんだん消していくような感覚を覚えた。

 

「羽衣!!!!」

「……生きたかったよ」

 

 悲しみでいっぱいになった銀さんの怒鳴り声を、わたしは心からの笑顔で返した。それを見た銀さんが固まって、わたしは逆にとても大きな安心感に包まれていた。

 

「もっとお姉ちゃんと一緒にいたかった。もっと園子ちゃんと一緒にいたかった。もっと須美さんと一緒にいたかった。勇者部のみんなに会ってみたかった」

「羽衣……」

「……その願い、叶ったんだよ、銀さん」

 

 とっても幸せな夢だった。幸せすぎて、病気のはずの体が全く苦しくないくらい。

 友奈さん、園子ちゃんみたいに明るくて好きになった。夏凜さん、銀さんみたいにかっこよかくて好きになった。風さん、お姉ちゃんみたいに頼りがいがあって好きになった。樹さん、須美さんみたいに優しくて好きになった。

 みんなに囲まれて、そこにはお姉ちゃんも園子ちゃんも須美さんもいた。銀さんはいなかったけど、勇者部九人の世界は最高だった。わたしが望んだ夢は、確かに叶ったんだから。

 

「……バカ…野郎…!」

「わっ!」

 

 突然、銀さんがわたしの体を強く抱きしめる。嗚咽で体が震えていたけど、この二年間の空白を埋めるようにわたしにくっ付いた。

 

「うっ……うぅ……!」

「銀さん……ありがとう」

 

 もうわたしは独りじゃない。つらい日々は……おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ…! はあっ…!」

「羽衣!! 羽衣ーーーー!!」

 

 二人の少女が病院の廊下を駆け抜ける。二人とも既に泣き崩れており、涙で前が見えないのだとしても、立ち止まる事なんて出来はしない。

 

 そして二人が同時に病室の中に飛び込んで、彼女達の叫びは街中に轟くかのように響き渡る。

 

 

 

 窓の外で、一枚の羽が舞い上がり、淡い光となって消え失せた。




【高嶋羽衣】
年齢:11才
誕生日:4月26日
肩書き:一般人
身長:143cm
出身:香川県
趣味:好きな人とのお話し
好きな食べ物:豆腐ハンバーグ
好きな人:みんな
外見、性格:環うい


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第六十三話 「賞賛」

 この前のエイプリルフール投稿後のアニレコであんなことになるなんて思いませんでした。「今度アニレコでハッピーエンドあるから大丈夫でしょ!」みたいに思っていた所でアレです。おかげで私も番外編をご覧になられた皆様と同じような喪失感を感じられました!!


 それは生き物ではない。かといって機械によって作られた無機物だというわけでもない。

 

 豊富な心や感情を生み出すための魂だって持ち合わせてはいない……あるのはただ、決して変わることのない独自の性質。それから……何があろうとも主と共に在るという揺るぎない本能のみ。

 

『……………』

 

 この日、小さな少女の姿をしたそれは、モヤモヤとした言葉にできない何かを感じていた。

 先程述べたように、この使い魔達には心も感情も存在しないというのに、ジッとしてなんかいられないという考えがずっと付きまとう。昨日までは何ともなく、他の使い魔と聞き取り不可能な謎の言語でやり取りしながら適当に四国内を徘徊していたというのに……。

 

 使い魔は首を傾げつつ、無意識に自慢の長い黒髪を片手で弄る。その黒い長髪は、この使い魔にとってのアイデンティティ。数週間前に主の世界の色と引き替えにこの世界に顕現した時から、この使い魔は自身の髪を大切にしたいと感じていた。

 別に黒髪が珍しい訳ではない。何なら同じく黒髪かつ長髪の仲間(使い魔)は鎌を携えた他のもいる。主だって同じだ。それでもこの使い魔は彼女達の黒髪に興味は無く、自分自身の髪が宝だった。

 

 何故そう思い続けているのか、その理由は使い魔自身分かっていない。髪に自身の手が触れている間、そしてゆらゆら揺れては靡くその黒髪が視界の端に映る度に、不可解な焦燥感がチラついて仕方がないのだ。

 それがこの使い魔の性質の一つであった。使い魔自身は理解していなくても、本能が自らを執拗に刺激し、行動を促し続ける。

 

 ───Verpassen Sie nicht den Fehler

 

 使い魔はその本能に従った。相変わらず意味が分からないが、それを無視することは自身の存在価値を半分否定するのと同じである。

 それに、主は何も命じない。彼女の心境は主の持つ勇者システムと、自分達と繋がっている神々の霊的回路から直接流れ込んで理解している。本来ならば、それを通じて主の敵を認識。数人の使い魔によるチームプレイで敵を翻弄し、任務を遂行する。

 

 主を支えたいのだが、その主は自分達に何も求めようとしなかった……厳密に言えばたった一つだけ使い魔全員には命令されている事があるのだが、それはやる気を出して挑むものでもなければやりがいだって感じないほど拍子抜けな物。

 

 端的に言うと、使い魔達は揃いも揃って街中をうろつくくらい暇なのである。それも一般人に見つかると何故か大騒ぎになってしまうため、コソコソ隠れながらの徘徊だ。感情なんて物は無いくせに、各々の性質がそうであるかのように模倣し知覚させるのか、フラストレーションは溜まる一方である。

 形だけの背伸びをして、彼女はそのモヤモヤの原因を探すことにした。

 

Warten Sie mal

『?』

Du wirst es heute sein

 

 その時一緒にいた別の使い魔がとある物体を投げ渡す。主からの唯一の命令……それを容易くキャッチをすると、建物の屋根や屋上の上を伝ってその場から姿を消した。

 

……War es so ein Kind?

 

 仲間にすら変だと思われている行動だった。残された使い魔の不思議そうな呟きも当然届いていない。彼女は冷たく興味なさげに放っておく事はできず、どこか不安げに佇んでいた。

 

 

 本能の赴くままに動き、心底億劫そうに一台のバスに乗り込んだとある人物を見かけ、同時に使い魔の感じていたざわめきがより強まり後を追うことを決めたのは、それから数分後のことである。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 紅蓮のように真っ赤な光が花弁のような淡い光となって消えると、その中心に立つ私の姿は変化する。先程の光と同じ紅い装束を身に纏い、身体中に凄まじい力が湧いてくる。流れるように布袋から巨大な大鎌を手に取ると、そこからも神秘的な力が流れ込んでくるようである。

 

 大鎌の神器『大葉刈』

 農耕を司る地の神が友の葬儀に訪れた際、自分がその死んだ友と間違えられたことに激昂し、彼の喪屋を斬り捨てたとされる呪われし刃。高嶋さんの想いを踏み躙った暁美ほむらとその下僕を断罪するのに、まさにこの武器こそがふさわしい!

 

 土居さんのように、みすみす敵を逃がすような無様な真似はしない。私の前にぬけぬけと姿を現したのなら、力付くで取り押さえてあの女の居場所を吐かせるのみ……容赦はしない!

 

「たぁっ!」

 

 周囲の人達が邪魔だから、大葉刈は凪払えない。よってその場で跳び上がり、空中で大鎌を回して逆手に持ち直し、急降下の勢いをつけて石突の部分で突きを放つ。

 

Eh, hey!?

「ヒィッ…!?」

 

 憎き使い魔は掴んでいた女性の腕を離すと紙一重で飛び退き、突きを避ける。大葉刈の石突は地面を砕いて突き刺さり、その隙に使い魔は地面を転がって距離を取ろうとする。

 

 一瞬だけ視界に映った、使い魔に腕を掴まれていた女性……彼女の腕にはその痕がくっきりと浮かび上がっていた。悍ましい手形となってそこに残り、私以外にも見る者にはいかに強く掴まれていたのかが想像できた。きっと、あと少し力が込められていたら、彼女の腕の骨は砕けていていたであろう……。

 突然現れて理由もなく残虐非道な真似をするなんて……

 

(……やっぱり、勇者でもない一般人を襲うのに躊躇いが無いのね、暁美ほむら!!)

 

 今まではあの女のふざけた言動と高嶋さんのことで気に入らないというのが大部分だったけど、立派な大義名分ができた。もうどこにも暁美ほむらを放置してもいい理由なんてものは残されていない。この使い魔も同じ……完全に人間に、勇者に仇なす存在じゃない!

 

 石突を引き抜き、すかさず追い掛けて追撃しようとするも、さっきの使い魔への攻撃に驚いて尻餅を着いて倒れたこの女性が邪魔で前に踏み込むのに僅かなロスが生じてしまう……チッ!

 

「うわあっ!? く、来るなっ……!!」

「いやぁぁーーっ!!!」

「千景! 早く何とかしてよ!!」

 

 使い魔をバーテックスと勘違いしているのだろう。転がる使い魔の進行方向にいる人達が口々に叫びながら逃げ惑う。

 

「あ……っ!」

 

 さっきまで私を至近距離で取り囲み、口々に賞賛の声を掛けていた人達が一変して恐怖に怯え、蜘蛛の子を散らすように私の前から人がいなくなろうとしていた。それは勇者として敬われ愛されるべき私を、揃いも揃って次々に見捨てて消え去っていくような、喪失感に似た何かを覚えそうになる。

 

 ──ねぇ……私が何をしたっていうの……?

 

 目の前にいたはずの、私を愛してくれる人達が我先にと離れて……。

 

 ──……どうして誰も……私のことを見てくれないの……

 

 ……そして、恐怖も……愛してくれる人が誰もいない、あんな惨めな私にはもう二度と戻りたくない!!

 

「うろたえないで!!」

「っ! ち、千景!」

 

 焦りを孕んだ叫びが木霊する。私は勇者なのよ……かつては見下され、忌み嫌われるだけの存在だった私は、人々に認められて当然の存在になれたのよ……!

 それをたかが不気味な暁美ほむらの使い魔如きに、意味もなく踏み躙るかのように滅茶苦茶にされてたまるものか!!

 

「黙って見てなさい! こんな奴に怯える必要なんて……無い!!」

 

 狙いはあの憎い使い魔ただ一つ。未だに腰を抜かして倒れたままの女性を飛び越え、着地の瞬間一気に地面を蹴って疾風の如く走り抜ける。

 使い魔の移動速度は侮れないと聞いていても、周り中人だらけのこの場では進路を様々な障害物が紛れているも同然。彼ら彼女らは未知の存在への恐怖でバラけて逃げるものの、それはご自慢の脚力を有する奴にとって遅すぎる上に邪魔でしかなく、土居さんを引き離したような速度まで達することはない。

 そこへ背後から、普通の人間を超越した身体能力から成される踏み込みは、瞬き程度の一瞬で敵との距離を詰める。

 

「やあぁああーー!!」

 

 大鎌による広範囲攻撃のデメリットを無視する、縦方向からの振り下ろし。逃げ遅れている周囲の人々は巻き込まない、正面の忌々しい敵だけを狙い斬りつける。

 

Scheisse…!

 

 だが、私が攻撃に移ると同時に使い魔も瞬時に反転し、左腕で身を守るように体の前に出す。その腕には円盤状の盾らしき物が装着されていた。

 大葉刈の刃と奴の盾が激突した瞬間、激しい金属音と共に反動による衝撃と火花が走る。

 

「ぐぅ……!?」

 

 その瞬間、真っ赤に燃え盛っていた私の闘争心は上から押さえつけられる。両手の痺れるような痛みと、予想外の戸惑いで……。

 あの盾、何て硬さなの……!? 神の力が宿った神器なのに、まるで巨大な大理石の柱を思いっきり素手で殴ったような異常な手応え……大葉刈で斬りつけたのに傷どころか痕すら残っていない……!

 

 それでいて私の手にはその硬度故にビリビリとした痺れが残っている……。大鎌を握り締める手が今にも弛んで離れそうだった。

 ジンジンと響く手の痛みとこいつらへの怒りで顔は歪んでいるのかもしれない……。そんな私と目が合った使い魔に表情の変化は無い。ただひたすらに不気味で、嘲っているかのような三日月型の口と見開かれた目が、私の神経を逆撫でさせる。

 

「こ…のっ…!! 嘗めるな!!」

Stop!

 

 意地で力を込めて大鎌を握り締める。盾でカウンターを決めたからか、油断して動きを止めいる使い魔に左から右にかけて大鎌の一閃を放つ。ギリギリのところで体を攻撃の方向に向けられてしまい、腕を反対側の真横に伸ばして再び盾に遮られてしまう。握り締めている両手を反動が襲うも、無視よそんなもの!

 痺れが何だって言うのよ……この程度で私が止まるわけがない。土居さんが暁美ほむらを逃がしたと知って彼女を責めたくせに、もし私もこいつを逃がしてしまえば、人のことを言えない……この上なく滑稽な身の程知らずになってしまう! そんなの、絶対にあっていいわけがない、許せるわけがない!!

 

 咄嗟に大葉刈を弾いたことで生まれた一瞬の硬直。更に使い魔の体勢は今、直前の防御によって体を右側に半回転している。大葉刈はその勢いを殺され止められてしまったけど、神器だけが私の、勇者の武器じゃない。

 

 パワーアップした身体能力もまた強力な武器となる。

 

「はああああああっ!!」

『…!?』

 

 大鎌を手放し、踏み込んで奴の死角の外からの回し蹴りを放つ。私の右足が背の低い使い魔の後頭部に命中し、そのまま吹き飛んでコンクリートの擁壁に激突した……。

 

「どうよ……!」

 

 ……あまり得意ではなかった格闘技。それでも勇者としての訓練の中で多少は身についてはいた。そして何よりも、武術を華麗に使いこなす高嶋さんの姿が私の記憶と網膜に焼き付いている。見様見真似だけど、それが今こうして憎き暁美ほむらの使い魔に目に物を見せることができた……ありがとう高嶋さん!

 

 無様に吹っ飛んだ結果、顔面から叩き付けられた使い魔。衝撃で土煙や割れたコンクリートの欠片がパラパラと舞い落ちる中、両手はだらんと力無く垂れ下がり、そのまま動こうともしない。

 ……手応えは確かにあった。効いたのかしら……? 気絶しているのならそれに越したことはないけど、この使い魔とかいう奴らは全くの未知なる存在。後頭部に強烈な一撃を入れることができたと言っても、そこが人間と同様に急所であるという確証は無い……。

 

 地面に落とした大葉刈を拾い、細心の注意を払いながら歩く。

 用心して近づかなくては……こいつは捕まえなくてはいけない。さっきから変な言葉ばかりで日本語が話せないのだとしても、何としてでも暁美ほむらの居場所を吐いてもらわなければいけないのだから。

 

「……や、やったのか!?」

「スゴいよ千景…! アンタ最高だよ!」

「どうだ化け物! ザマーミロっ!」

 

 周りの誰かの声が聞こえる。それは、この場で考えたくもないゲームのあるあるどころかお約束の展開を私に思い出させる……余計なフラグを……馬鹿なの!?

 

『!』

「ヒィッ…! まだ生きてる!!」

 

 嫌な予感は的中した。使い魔が再び動き出し、両手だけを上空へと掲げ上げる。

 

「くっ…!」

 

 何かある……慎重に動いている場合ではなくなった。地面を蹴って、未だ擁壁に体をめり込ませて背を向けたままの敵を斬りつけるべく飛び出し……

 

ypaaaaaaaa!!!!

 

 刹那、私は確かに目撃した。使い魔の両手に突如として現れた真っ黒い棒状の得物を……。それを握り締めた使い魔がその棒を正面に辛うじて捉えられたスピードで振り下ろした結果、奴の持つ武器が硬いコンクリートに叩きつけられた瞬間……

 

 ドゴオオォン!!!!

「……っ!!?」

「う、うわああああっ!!? ぶっ壊しやがったぞ!」

 

 数メートルの大きさのコンクリートの擁壁は、たった一回の打撃でまるで発泡スチロールのように呆気なく、粉々に砕け散る。爆発でもしたかのような大量の土煙とその破片を辺りに撒き散らしながら崩れ落ちていく……!

 

「しまっ……!? ……う…くっ! ……目が……!」

 

 奴に向かって全力で駆け出していた私はモロにその土煙を浴びてしまう。土煙が目に入ってしまい、視界を塞いでしまう失態まで犯してしまった…!

 

「このっ…!」

 

 前が見えない中、一か八かの斬りつけ……手応えは皆無。当たらない……! 逃げられたか……!

 それに土煙に遮られてなのか、両目の痛みで集中できないせいか、勇者の感覚を以てしても奴らしき気配も感じ取れない……!

 

 焦りを覚え、腕で目元を擦ってどうにか視界を取り戻す。まだ開ききってはいないけど……それに煙もまだ晴れきっておらず、辺りに舞っている。

 そしてあの使い魔は見当たらない。激突したコンクリートを木っ端微塵に吹き飛ばし、それによる目くらましでそのままどこかに隠れてしまった。

 

「どこに……!」

「や、やっぱり化け物だぁああ!!」

「ちょっ、そこどいてよ!! 逃げられないじゃない!!」

「おいババアなにボサッとしてんだ!! 邪魔なんだよ!!」

「あうっ!」

 

 そんな状況の中聞こえてしまった、力の無い一般人の慌てふためき恐怖に怯える絶叫。目の前の異形の持つ力が明らかになり、それが今度は力の無い自分達の身に降りかかるのではないかと恐れるほかない。他人を押しのけてまで醜く、自分がこの状況から助かることだけしか考えていない。

 いや、それでも彼らにはまだ、縋れる存在がいる。

 

「千景!! 早くなんとかしなさいよ!!」

「っ!?」

「アンタ人間を助ける勇者なんでしょ!?」

「そ、そうだ! バーテックスを倒せ!!」

「千景!!」「郡さん!!」「おい!」「千景ちゃん!!」「やれえぇっ!!」

 

 勇者に……私にあの使い魔をどうにかしろと次々に叫ぶ声がする。

 私ならできると、全幅の期待を寄せている彼らの視線と声が一斉に集まる。昔の私には決して向けられることはなかった物……認められ、望まれ、愛されるからこそ、それが今こうして私を求めるのだ。

 

 ……そう、彼らはこの世界の希望である私の力を信じて……

 

「何ボケッとしてんだ!!」

「…………?」

 

 信じ…て………

 

「どこ見てるのよ!! バーテックスをやっつけろって言ってんの!!」

「アンタの役目でしょ!? アタシ達を守るんでしょう!? 何やってるのよ!!」

「早く殺せよ!! ちんたらしてんじゃねぇ!!」

 

 ……えっ………でも……あの使い魔、今どこに隠れて……

 

「ちかげー! はやくぅ!」「はやくこいつをやっつけてよぉお!!」「なにグズグスしてんだよ!!」「はやくしないと殺されっちまうぞ!!」「殺してくれって言ってんのがわかんねェのか!?」

 

 ……違う……みんな、私に期待しているわけじゃ……ない……?

 昔と似たような、同じような罵声入り混じる怒号が聞こえる。私があの使い魔を見失って動けないことに苛立ち、怒りを露わにしている……。

 

 なに……これ……勇者に選ばれたのに、結局は何も変わらないってことなの……!? 私は変われたんじゃないの!? 誰にでも認められる存在に……価値のある愛された存在に!!

 

 今の私に向けられている物は、惨めで弱い、殺したいほど大嫌いな私自身に向けられていた物と同じもの……。

 私は、何も変わっていない……!? 人々に疎まれ、嘲られ、憎まれ、呪われる……私は……私は……どうすればいいの!?

 

「何やってんのよ!! 結局勇者になっても役立たずじゃない! この無の…」

Halt deinen Mund!!!!

「……!?」

 

 突如として聞こえてきた謎の言語……その言葉が紡がれた瞬間、辺りに漂っていた土煙の中から一つの黒い影が飛び出した。

 それはまるで弾丸のようなスピードで一瞬にして人々の顔の前へと現れ、その眼前の地面に向かって真っ黒な棒を叩きつける。

 

 ドゴオォン!!

「うわぁあっ!!?」

「きゃああっ!!!」

「ひぃっ……!」

 

 叩きつけられた衝撃で砕けるアスファルトの地面。

 地面は陥没してクレーターのように凹み、そこにいた人々は衝撃による振動で倒れ込み悲鳴を上げた。

 

Halt deinen Mund!! Halt deinen Mund!! Halt deinen Mund!! Halt deinen Munnnnnd!!!!

「あ……あぁっ……!」

 

 目の前に飛び出し驚異的な力が奮われ、彼女達に当たらずとももしものイメージを抱かせるには十分すぎた。ましてやその使い魔は今、烈火の如き勢いで意味不明な言葉を叫び続けている。

 

 怒り狂っている……そうとしか見えない異形の姿に、彼女達は自分達の命が数分後も続いているのか読むことができるはずがない。

 気が強かったであろう彼女が初めて身を以て悟る死の恐怖。先程までの私に対して不平を叫んでいた気力は完全に消え失せて、ガタガタ震えながらボロボロと涙を流す。更には失禁してしまったのか、ズボンの股間部分が濡れて染みが広がる醜態まで晒してしまう。

 

 もう誰も動かない。あれだけ威勢良く騒いでいた人々が全員、恐怖で体を震わせて固まってしまっている。

 

 ……ただ一人、私だけを除いて。

 

(……こいつだ……! こいつがここに現れてから何かがおかしくなった!)

 

 さっきまで私は賞賛されていた。認められていた。誰もが私の存在を祝福し、かつての忌々しい過去は忘却されたはずだったのに!!

 

 この使い魔が現れた途端に全てが巻き戻ろうとしていた。満面の笑みで私を褒めちぎっていた人達は皆、それを消して昔のような私を責め立てる荒々しい表情と声になっていた! 勇者という絶対の力なんて関係無しに、かつての虐げられ続けていた郡千景を見る冷たい目と何が違うの!!

 

(こいつさえ……! 暁美ほむらさえいなければ!!)

 

 そう確信した私は即座に武器を握りしめ、走り出す。

 

「お前達だけは許さない……!」

 

 私の願いを奪う悪魔の姿を再び視界に入れ、絶対に倒してやるという思いを込めて叫ぶ。

 

「暁美ほむらぁああああ!!!!」

 

 使い魔が接近する私に振り向くよりも早く、私は大鎌を斬り上げた。

 瞬時に自分が攻撃されていることに気が付いた使い魔。相変わらずの反応速度で回避行動に移るけど……捉えた!

 こいつがバックステップで飛び退く瞬間、斬り上げた大葉刈は奴の左腕を捉えていた。厄介な硬すぎる盾の上を、なおかつ肘より上に刃が吸い込まれ、斬り飛ばす!

 

『!?』

 

 宙に舞い上がる奴の左腕と、そこに装着されたままの盾。唖然としながらそれを見つめる使い魔に対し、私は攻撃の手を緩めない。

 

「まだ終わりなわけがないでしょう!!」

 

 すかさず、そのまま大鎌を横に薙ぎ払った。大きな峰が使い魔の腹部を殴り抜け、奴の体が吹き飛ぶ。だが、私はそこで追撃の手を止めない。地面に倒れ込んだ使い魔の頭上に飛び上がり、落下と共に大鎌を振り下ろした。

 

「はあぁあっ!!」

『!!』

 

 仰向けで倒れ伏したままの使い魔だったけど、奴は右手に握りしめたままの棒状の得物で攻撃を弾く。だけど、今の私にとってそんなことは想定内よ!

 

「無駄よ!!」

 

 私は空中で回転しつつ、遠心力を加えた大鎌をもう一度振る。今度は横から、奴の唯一の武器を弾き飛ばす!

 

「やぁあああああっ!!」

『……!』

 

 硬質な音を立てて、ついに手から離れた得物が飛ばされる。着地と同時に、両足で使い魔の右手と胴体を体重を乗せて踏みつける。押さえつけ、動けないよう拘束する。

 大鎌を再び構え直し、首筋に刃の先端を突きつける。いつでもお前を殺せるのだと告げるように……。

 

「暁美ほむらの居場所はどこ?」

 

 ……本当なら今すぐにでも、私の幸せを壊したこいつを始末したい。その首を撥ね飛ばし、暁美ほむらの手先をこの世から抹消させたい……!

 それは……後回しよ。こいつには吐かせなくてはならない事がある。諸悪の根元たるあの女の事を……高嶋さんの前に引きずり出し、地べたに這い蹲らせて自分が何をやらかしたのか懺悔をさせるために!

 

『………』

「答えなさい!! 暁美ほむらはどこ!?」

……übel

 

 ボソッと訳の分からないことを呟くと、抵抗しようと奴の右腕に力がこもる。でも所詮はそれだけ。踏みつけたままの右足に重心を預け、完全に動かせないよう固定する。

 右腕を封じ、左腕も失われた。身動き一つ取れない……もはやこの使い魔に打つ手はない。

 

「暁美ほむらはどこ!? 答えないつもりなら「……せ…!」……え…?」

 

 ……私以外の声が聞こえた。まともな言葉を何も言わない使い魔が遂に口を割った……わけでもない。その声は目の前の見下ろしている使い魔ではなく、横から聞こえたものだから。

 

 顔を上げてその方向を見る。そこには……羨望と期待に満ち溢れた人々の清々しい顔……?

 まるで自分達の手が届かないトップアイドルやプロのスポーツ選手が目の前にいるかのように、彼らは私を見つめて興奮している様子だった。

 

 そして口々に、彼らは望み待ち焦がれる瞬間の公開を、今か今かと期待し叫びだす。

 

「「「「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」」」」

 

「あ……」

 

 言葉を一瞬失った……だって……

 

 

 

 私の幸せが戻ってきたのだから……!

 

 彼らが私に向ける視線が使い魔が現れる前のそれだもの。驚異的な力を見せた使い魔は、私の手によってこうして無様な姿を晒している。自分達に危害を加えようとしていた存在は捕まり、私が少し大鎌を動かすだけで奴は終わりだ。

 私が彼らを救った……それがこの場にいる全ての人達の心を、私の元に引き戻した! 私が決して無価値なんかではない、その真逆の存在であることを知らしめた!

 

「やっぱり勇者ってすげえよ!」

「千景ーー! 早くやっちゃいなよ!」

「クソッタレなバーテックスをぶっ殺せー!!」

「見せてくれよ! バーテックスを殺す勇者様の大活躍!」

「「「「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」」」」

 

 今度こそ明らかに、みんなが私を認めていた。私にこれ以上ないほどの想いを込めて、心地良い感情が私を包み込む。

 

「……ふ…ふふ……あーっはっは!!」

 

 なんて……なんて最高な気分……! 私を見下し嫌う者が一人もいない光景が! 私の一挙一動にプラスの感情ばかりを向けられる充足感!

 これが今の私なのね……! 本当に惨めだった頃の私と訣別できたのね……!

 

 

 

 

 私は彼らに愛されているのね

 

 

 

 

 大鎌を少し上に構え直す。彼らにこいつの首が飛ぶ瞬間をハッキリと見届けさせるために。

 

 結局こいつは暁美ほむらの居場所を吐くつもりはない。そもそも何を言っているのかすら分からない。期待するだけ無駄……もはや用はないのだから、ここでその命を刈り取ってあげる。

 それに、そっちの方が彼らが喜ぶ。忌々しいこいつが惨たらしく散れば、散々怯えてきた彼らの気が晴れるというもの。そして、こいつを倒した私はもっともっと、なくてはならない存在として認められるのだから。

 

「じゃあね♪」

 

 嗚呼……こんな満ち足りた気分で大葉刈を振り下ろすなんて……初めて♡

 

 

 

 

「「「「殺せ!! 殺せ!! うおお      」」」」

 

 突然、周りの人々の叫び声が止んだ。まるでこの世界その物の時間が止まったかのように……

 

ビーーーッ

「っ!?」

 

 鳴り響いたその音で身体が硬直してしまう。大鎌の刃が使い魔の目の前で止まり、全身に冷や水を浴びたような錯覚に陥った。

 

「これは……!」

 

 バッと顔を上げて再び辺りを見渡す。私に期待を寄せていた彼らは本当に止まっていた。数週間前の巫女の三人と全く同じように……。

 

「……バーテックスの…襲撃……!? このタイミングで!?」

 

 けたたましいアラートを鳴らし続けるのは、私の携帯の勇者システム……。この場において予想外すぎた、二度目のバーテックスの進行を告げる。

 

(……っ! それよりも、今はこいつにトドメを……)

 

 驚きのあまり止めてしまった攻撃を再開しようと思い直し、使い魔に視線を戻した私の視界には……

 

……Verzeihung……!

「………え」

 

 こちらに向けて伸ばされている、失われたはずの奴の()()と……

 

 

 

 

 ハンドガン

 

 

 耳を劈く発砲音が静寂な世界に轟いたのかと思いきや、私の右肩に言葉にできない熱さと激痛が走り、赤い液体が飛び散った。




【◆◆◆】
 黒髪ロングストレートの2番目の使い魔。自分でも意味が分からないままこの髪を大切にしている。真っ黒な細長い棒を武器として扱うだけでなく、奥の手として銃を隠し持っている。


【使い魔セリフ翻訳】
 それがこの使い魔の性質の一つであった。使い魔自身は理解していなくても、本能が自らを執拗に刺激し、行動を促し続ける。

 ───Verpassen Sie nicht den Fehler(間違えたら駄目だ)


形だけの背伸びをして、彼女はそのモヤモヤの原因を探すことにした。

Warten Sie mal(ちょっと待って)』
『?』
Du wirst es heute sein(今日はあなたの番よ)』

 その時一緒にいた別の使い魔がとある物体を投げ渡す。主からの唯一の命令……それを容易くキャッチをすると、建物の屋根や屋上の上を伝ってその場から姿を消した。

……War es so ein Kind?(……あんな子だったかしら?)』


 周囲の人達が邪魔だから、大葉刈は凪払えない。よってその場で跳び上がり、空中で大鎌を回して逆手に持ち直し、急降下の勢いをつけて石突の部分で突きを放つ。

Eh, hey!?(どうして!?)』
「ヒィッ…!?」


 大鎌による広範囲攻撃のデメリットを無視する、縦方向からの振り下ろし。逃げ遅れている周囲の人々は巻き込まない、正面の忌々しい敵だけを狙い斬りつける。

Scheisse…!(ふざけないで…!)』


 ただひたすらに不気味で、嘲っているかのような三日月型の口と見開かれた目が、私の神経を逆撫でさせる。

「こ…のっ…!! 嘗めるな!!」
Stop!(止めて!)』


 何かある……慎重に動いている場合ではなくなった。地面を蹴って、未だ擁壁に体をめり込ませて背を向けたままの敵を斬りつけるべく飛び出し……

ypaaaaaaaa!!!!(やあああああああ!!!!)』


「何やってんのよ!! 結局勇者になっても役立たずじゃない! この無の…」
Halt deinen Mund!!!!(黙りなさい!!!!)』


 地面は陥没してクレーターのように凹み、そこにいた人々は衝撃による振動で倒れ込み悲鳴を上げた。

Halt deinen Mund!! Halt deinen Mund!! Halt deinen Mund!! Halt deinen Munnnnnd!!!!(黙れ!! 黙れ!! 黙れ!! 黙れぇええええ!!!!)』


「答えなさい!! 暁美ほむらはどこ!?」
……übel(……どうしよう)』


 驚きのあまり止めてしまった攻撃を再開しようと思い直し、使い魔に視線を戻した私の視界には……

……Verzeihung……!(……ごめんなさい……!)」


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第六十四話 「芽生」

 お待たせしました! 4月から生活リズムが変化した影響で執筆時間の確保がなかなかできませんでした……。
 代わりと言っては何ですが、文字数多めです。1万5千ぐらい。投稿ペースを早めるよう努めます。


ビーーーッ

 

 若葉ちゃんと歌野ちゃんが言い争っている最中だった。歌野ちゃん以外の私達の携帯から同時に警告音が鳴り響いたのは。

 

「えっ…!?」

「っ! 敵だ!」

 

 今まで歌野ちゃんや私、それからホムちゃんに諭すように喋っていた若葉ちゃんの声色が強くなる。同時にみんなも戸惑いの表情を浮かべるけど、すぐに気合いを引き締めたような雰囲気が出る。

 

「二回目のバーテックス……!」

「この前のもだったけど、バーテックスの奴らいきなりやって来やがるなあ! タマ達の事なんかお構い無しか!」

「こんな時に……ど、どうしよう……!」

 

 それから、なんだかこの世界を包み込む空気が変わった気がした。今この場にいるのが私達勇者だけで、元から辺りも私達の会話する声しかしなかったけど、直感でしかないけど今は本当にこの世界には私達しかいないような気がするの。他のみんな……いつもは一緒だけど今日はここにはいないまどちゃんやヒナちゃんに水都ちゃん、大社の人達、私達が守らないといけない大切なみんなから切り離されているんだって。

 

 この世界の時間が止められている。バーテックスの襲撃からみんなの安全を守るために。

 

「若葉! エマージェンシーだから話の続きは後よ!」

 

 その心はみんなも同じ。さっきまで若葉ちゃんの意見に反論してばかりだった歌野ちゃんも、状況が変わったからすぐにスイッチを切り替えてロッカーの中から何かを取り出していた。

 歌野ちゃんも若葉ちゃんもみんなも、この世界を守りたい。そしてそのためにはみんなの力を合わせることが一番なんだって解っている。

 

 他のみんなも一斉に動き出す。若葉ちゃんは刀を、ホムちゃんは杖を、タマちゃんは旋刃盤を、アンちゃんはボウガンを手に取った。

 

「友奈!」

「………」

「おい友奈ってば!」

「……えっ、何!?」

「なにボーッとしてんだよ! ほらコレ、お前の武器!」

「あっ、ゴメン…! ありがとう……」

 

 タマちゃんから投げ渡される私の手甲。これがないとバーテックスとは戦えない……だというのに、他のことを考えていたせいですっかり自分の武器を取りに行くことが頭から抜け落ちていた。

 

 丸亀城の窓の外で空間が裂けるように広がって、そこから変わった、不思議な色をした光が溢れ出す。光は眩しく輝きながら舞い散る花弁みたいに空を覆い尽くして、世界中を包み込んで、樹海化が始まった。

 

「……よし、我々の手でこの世界を守り抜くぞ! 出陣する!」

 

 若葉ちゃんが力強く号令を言ってから、みんなも揃って若葉ちゃんの気合いに負けないように頷いた。

 

「……大丈夫…だよね……?」

 

 私以外のみんなは……。どうしようもない不安を感じながら私の口からこぼれ落ちた言葉は、樹海化によって生じるゴゴゴゴゴ!って大きな音に掻き消されて、みんなの耳には届かなかった。

 

「えっ…」

 

 それと実は歌野ちゃんも頷いていなくて、どこかポカンとした感じの顔で気の抜けた声をこぼしていたことに気がついた。

 すぐに辺り一面が眩しい光に包まれる直前、私は見た。歌野ちゃんが大事そうに抱えている物……あれは歌野ちゃんの鞭だけじゃなくて、なんだか白っぽいような、黄色っぽいような…………あっ!

 

 そして私達は樹海の上に立っていた。大きくてなんだかカラフルな植物の蔓や根っこみたいな物がどこまでも張り巡らされている。遠くにはたくさんの白くてうじゃうじゃとした小さな敵が、集まり群になって飛んでこようとしているのが見える。

 二度目の樹海化を前に、この前よりかは落ち着いた様子のみんなの姿があった……ことはなかった。

 

「ちょ、ちょっとウェイト! もう樹海化するの!? 私が着替える時間がないじゃない!?」

「「「「えっ?」」」」

 

 慌てた様子で歌野ちゃんが声を掛ける。この前はずっと落ち着いていて、ケンカしちゃいそうだったみんなを止めていた歌野ちゃんが、今度は真逆の反応をしていた。みんな頭の上にハテナマークを浮かべていたけど、すぐにその理由に気がついてハッとした。

 

「そ、そっか……歌野さんの勇者装束は私達と違って直接着替える必要が……」

「待って待ってよ神樹様!? 世界をストップできるなら着替える時間ぐらいプリーズ!」

「お、お気持ちは判りますけど無茶な……神樹様はともかくバーテックスが待ってくれませんよ……!」

 

 私達が手に持っている物はそれぞれの武器だけだけど、歌野ちゃんは武器の鞭とセットで勇者の戦闘服まで抱えている。その理由はこれまで諏訪で戦っていた歌野ちゃんには、私達とは違って勇者システムなんて物は無かったから……。

 

 携帯を操作してタッチするだけで勇者になれる私達だけど、歌野ちゃんにはそれがない。武器だけでもバーテックスをやっつけることはできなくはないけど危険すぎる。勇者装束は私達に必要な装備だから……。

 もう間もなくここにはバーテックスがやってくるのに、今からあの勇者装束に着替えるってなると到底間に合うとは思えない。着替えている間にバーテックスにやられちゃう……。

 

「ほむらは歌野の準備完了まで側で護衛を! しばらくの間は私達で戦線を食い止める!」

「わかりました! 白鳥さん、一旦後ろに!」

「うぅ~……ハイテクなみんなのシステムが羨ましいわ……」

 

 若葉ちゃんが指示を出して、それに従ってホムちゃんと歌野ちゃんの二人は急いでここから走り去って行く。ひとまずは大丈夫……ホムちゃんなら何があっても歌野ちゃんを守ってくれる。そもそも絶対にバーテックスを神樹様もいる後ろの方には行かせないっていう強い意思を若葉ちゃんから感じる。

 

「歌野だけ勇者アプリが無いというのはよくよく考えてみれば大問題だったな……。この戦いが終わったら大社に報告と相談をしなくては……」

 

 それでも困ったように呟く若葉ちゃん。確かに、この前みたいにたまたま勇者装束を着ていたらいいけど、バーテックスの襲撃はいつ来るのか分からないから、普通にしてたら歌野ちゃんは出撃に出遅れてしまうんだね……。

 

 今から始まるのは二回目の命懸けの戦い。一緒に戦ってくれるみんながいるなら、怖くないなんて言えば嘘になっちゃうけど大丈夫。怖くたって、みんなが私に安心を与えてくれるから前を向いていられる……そう思いたかった。

 でも、全員がここにいるわけじゃない……。歌野ちゃんとホムちゃん、それにほむらちゃん……そして……。

 

「……友奈? どうしたんだ、お前にしては珍しく静かじゃないか」

「……ぐんちゃんが……」

「千景さんですか?」

 

 ぐんちゃんが見当たらない……それだけで私の心の中で不安が燻っていた。

 

 ぐんちゃんはちょうど今お母さんのお見舞いで故郷に帰っている。ぐんちゃんはなんだか乗り気じゃなくて、本当は帰るつもりは無かったみたいだったけど……

 ……たった一人の、ぐんちゃんのお母さんのことだから。私とホムちゃんは、お父さんとお母さんは三年前に………それでもホムちゃんには今、まどちゃんと弟くんと同じくらい、本当の子供のように愛情を注いでくれる新しい家族がいる。

 

 私には……それが無い。お父さんとお母さんが一緒だった平和な日常はある日突然終わってしまった……。バーテックスをやっつけられる力があったから、私の周りにいた人達を安全な四国まで守ることで精一杯だったから……。

 二人がどうなったのか、この目で見れたわけじゃない。何も分からないまま、私は大好きだった家族と離れ離れになってしまった……それはとても……今でも苦しいの。

 

 だからぐんちゃんに故郷に帰るように言ったの。お母さんが大変な今だからこそ会わないといけないって……万が一、ぐんちゃんに私みたいな思いをしてほしくなかったから……。

 

 ……まさかそんな時にバーテックスが進行してくるなんて……。ぐんちゃんは私にとって、とてもとても大好きで大切なお友達。ぐんちゃんが一緒にいてくれるって思うだけで無限に勇気が湧いてくる。ぐんちゃんが私を見ていてくれるだけでどんなに恐ろしいバーテックスも全く怖くなくなっちゃう。私にたっくさんの希望を与えてくれる、お星さまみたいにキラキラ輝いている存在……それがぐんちゃん……。

 

 それなのに、ぐんちゃんは私が送り出したからここにはいない。この前の戦いの時でもぐんちゃんが一緒だから、ぐんちゃんを守らなくちゃって、戦うことができたのに……。

 そうじゃない今、ぐんちゃんにここにいてほしい、私を見守っていてほしい、私がかっこよく戦えるんだって信じてほしい、恐ろしいバーテックスから私を守ってほしいって、不安ばかりが包み込んでいた……。

 

 ……ぐんちゃんのお母さんが大変だっていうのに、私があんな事を言ったから、そんな事をしなけりゃ良かった……なんて、ほんの一瞬でも思ってしまった自分が嫌になる。

 

「千景なら大丈夫だろう。あいつだって勇者なんだ。今どういう状況なのか分かってるはずだろう?」

「……そう…だよね」

「にゃははっ! 友奈は寂しがり屋だなぁ! 心配すんなって。今頃千景の方もタマ達に合流しようって急いで向かってるところだろきっと」

 

 励ますように背中を叩いて笑い飛ばすタマちゃんの言葉に少しだけホッとする。そりゃそうだよね……ぐんちゃんだって勇者なんだから、こうして世界が樹海化するならどうするべきなのか、ちゃんと分かっているよ。

 

「千景さんの故郷は確か……高知県でしたよね。流石に今すぐというわけにはいかないでしょうけど、そう時間はかからないはずですよね」

 

 高知県は丸亀市からはそれなりに距離があるけれど、私達勇者の身体能力があれば、ここまで戻ってくるのにそう時間はかからない。

 アンちゃんが勇者システムのマップを開くと、ぐんちゃんが今いる場所を探し始める。私達勇者の居場所ならどこにいても表示される優れ物。マップのサイズを変更して、ぐんちゃんが向かってきているであろう高知県の方まで見えるようにして……アンちゃんの表情が戸惑いに変わった。

 

「……っ!? ゆ、友奈さ…皆さん!」

「アンちゃん……?」

「なっ……!?」

「はあ!? どういうことだよコレ!?」

 

 見せられたマップには、高知県の……そこにぐんちゃんの位置を示す名前とアイコン。それはバーテックスが攻めてくる緊急事態なのに、私達の方に移動していない。

 そして……

 

 

 

「何故だ……何故暁美が千景と同じ場所にいるんだ!?」

 

 

 

 ぐんちゃんのすぐ側に、ずっと行方が分からなかったあの子の名前とアイコンも……。

 

「ってマズい! バーテックスが見えてきたぞ!」

 

 四国を取り囲む壁の方から、たくさんの白い化け物の群れが飛んでくるのが見え始めた。世界中のたくさんの人々を悲しませたバーテックスの群れが、再びその罪を犯そうと私達の目の前に現れて……

 

「友奈! お前は千景の元に急ぐんだ!」

「い、急ぐったって……別に悪いことって決まった訳じゃ……!」

「水都と球子の事を忘れたのか!? それに千景の現在位置が少しも動いていない時点で怪しいだろう!!」

「……っ!」

 

 ……水都ちゃんは私達の元に戻ってくるように涙を流しながら必死になって訴えた。その結果、水都ちゃんは鎌なんて危険な物でお腹を殴られた……。

 タマちゃんも、運が悪かったら窒息しそうなほどたくさんのゴミの中に埋められて、その前の水都ちゃんにやったことを本当に気にも留めず反省なんてしていなかった事を聞かされて……。

 

『ハァ……ハァ……ぃゃ……ぃゃぁ! ぅぅうう…!! ぐ……ごほっ…げっほ……ぅぁあ……ぁぁぁ……!!』

 

 あの子を信じたい……あんな事をする子だなんて信じたくない……。

 絶対に何か理由があるはずなんだ……悪いことばかりに目を向けちゃ駄目なんだ……! そうだよ、そうじゃなきゃ、あの時のほむらちゃんの涙の理由は何って話……!

 

『……高嶋さん、どうしてあんな奴を庇うの?』

『いくら高嶋さんと言えども、今回ばかりはあなたの考えが全く理解できない』

 

「いい加減に現実を見ろ!! 奴は我々の味方ではない!!」

「っ、ぐんちゃん……!」

 

 ぐんちゃんに対して感じていた不安は、新しく芽生えた不安と混じり合って大きくなる。正面の方から近づいてくるバーテックスと衝突しないよう、ぐんちゃんがいる地点に向かって一直線に跳ぶ。

 ぐんちゃんも若葉ちゃんも、私の大切な友達は揃って同じような事を言う。私には何がなんだか、分からなくなっちゃう……ほむらちゃん、あなたを信じる事っていけないことなの? あなたを信じたいって思うこの気持ちは、間違いなの……?

 

 

◇◇◇◇

 

「………?」

 

 その時、私の左手の甲……勇者服の一部である籠手に刻まれたトケイソウの刻印が一つ輝き色付いた。色覚を失った今の私の目には色の変化は判断し辛いけど、これは間違いなく……。

 

「……何故」

 

 ここ数日間言葉を発しなかった口からもごく自然に疑問がこぼれ落ちる。それを聞いたものは誰もいない、私だけだけど……。

 当然時間を止めたわけでも攻撃したわけでもされたわけでもない。相も変わらず無気力に座り込んでいるといきなりだった。

 戦いの意思は完全に放棄した。今更ゲージが溜まろうとも満タンになろうとも、戦いの中でその力を解き放たなければそれに意味はない。だからこの現象に慌てたり戸惑う必要はないけど、脈絡無く一つ狂った力の発動条件が芽を出したと思うと気味が悪い。動くことも考えることも、何もかもが億劫になっている私は久しぶりに頭を回転させた。

 

(……まさか、あの使い魔達……? 時間経過で勝手にゲージが溜まるのかしら?)

 

 新たな異常事態の原因を探るなら、比較的新しく現れた力である使い魔達に注視するべきだろう。私の意のままに六体の使い魔を呼び出せる力。

 言うことに忠実で、命令をこなして今現在私を追跡しているであろう大社から逃げおおせている彼女達。

 便利といえばそうなんでしょうけど、もし使い魔の維持にも力を使い、それが原因でゲージが溜まる可能性は……。

 

(……おそらくそれは違う。それなら今日より前にもゲージが増えないとおかしい。数週間でゲージ一つだけだなんて不自然だわ)

 

 今日になってイレギュラーな何かがあったと考えるのが妥当だろう。以前の満開から今日になって初めて起こった現象……私のゲージが溜まるには大きく分けると時間停止、攻撃、精霊バリアの三つが主だ。ただその中のどれも身に覚えがないから除外するべき……第四の理由?

 

 ……いや、本当に除外してもいいの? 確かに時間停止と精霊バリアは違うと断言できる。前者は私の意思で発動、後者は攻撃された瞬間に直接エイミーが目の前に現れる。両方そんな事は起こってもやってもいない。

 残されたものは攻撃のみ。これも私には身に覚えがないけど……前回からそこそこ時間が経っているはず。そして、攻撃手段は確かに外には存在している。

 

「……バーテックス? それと……やっぱり使い魔」

 

 ……おそらくそれだわ。この世界で再びバーテックスが攻めて来た。それを行動に制限を課した訳でもない私の使い魔達が迎え撃っているだとしたら……。

 使い魔は私に付き従う存在であり、あの満開と散華を経てから現れた、私の力の一部といえる。人型の姿で私の言うことが無くても好き勝手動けるといっても、その実体は爆弾やら他の能力と何ら変わりはないのかもしれない。つまりは私が攻撃していなくても、使い魔の攻撃によるダメージは私の攻撃であることと同じ。

 

 かつてみんなと満開のシステムをレベルアップで例えた事があったけど、経験値が入るのは使い魔ではなく私ということになる。それが単純に手数が数倍になる使い魔達のデメリット……。

 

(……まったく……何やっているのよ。バーテックスと戦う必要なんてないでしょ)

 

 久しぶりに熟考してみれば実に呆れ果てる結論ね。もうゲージが増えようがどうでもいいことには変わりないけど、この時代の勇者の手助けにはなってしまう。

 彼女達の背後にあるのはあの馬鹿げた組織(大赦)の前身。手助けした事を笠に着てますます一方的な要求を飲ませようと躍起になってもおかしくない。

 

 大赦や大社の思惑通り……そんなものは気に入らない。第一こんな世界に私の身を捧げること自体が無意味で無駄で、嫌悪感しか感じない。この世界で私が貢献したところで、みんなに救いが訪れるはずがないもの。マシになるのはここだけで、その代償が私の身体の一部……手足や神経、内臓をドブに捨てると同じじゃない。それに気づかないでただ目の前のバーテックスを狩っているのだとしたら、私の使い魔のくせに連中は愚か者の極みだわ。なんだか、嫌ね……かなり……。

 

「………」

 

 ……ただまあ、長々と不満が過ったけど、これがその通りだと決まった訳じゃない。これは単なる仮説。本当は第四の条件や別の要因があってゲージが増えたという可能性だってある。果たしてこの私の使い魔が本当に救いようのない馬鹿ばっかなのか……。

 

「………ハァ……」

 

 このままここにボーッとしているだけだったら真実は曖昧なまま、シュレディンガーの猫ね……。一応外に顔を出すだけで、世界が樹海化しているのかどうかで答えは分かる。

 それで使い魔がバーテックスと交戦していたら止めさせよう。この時代の問題はこの時代の人間に。これ以上私の力を利用されるなんて真っ平だ。

 

 仕方なく立ち上がって、この空間の出入り口を開く。盾の中の異空間……そこが今の私の唯一の居場所。

 建物は無くても以前諏訪の住民達を匿っていた際の道具はほとんどそのまま……雨風は無く、布団に毛布、水や非常食は豊富。何も無い空間だったけど、住と食は困らない。それでいて外部との関わりを完全に遮断できる……仮設トイレは使う気になれなかったから、公園とかの外にある公衆トイレを使う時以外は……。

 

 問題は私がこの中にいる間は盾そのものが外に置きっぱなしになってしまうこと。中にいる間は外の状況は確認できず、知らない内に誰かに拾われて持って行かれたら面倒だ。ましてやそれが、偶然にも大社の人間だったとすれば……。

 ただそれも使い魔達に常時携帯させ、中にいる私ごと持ち運びを命じてある。決して手放さず、大社やうざい勇者達を私に近づけさせないように……。

 

 外の世界の地面に降り立つ。……今では住み慣れてしまった広すぎる虚無の世界から、異なるもう一つの虚無へ……。

 

「………樹海……最悪……」

 

 そして私の目の前に広がるのは神樹による樹木の結界……どうやら私の使い魔は人の懸念を気にすることなく問答無用でバーテックスに立ち向かう愚か者だったらしい。それでも暁美ほむらの使い魔なの……?

 

 おまけに、決して手放さないよう命じていたはずの私の盾が地面の上に転がっている……。この盾は至って簡単に装着可能だし、何かの弾みで落ちてしまうような柔な代物でもない。にもかかわらず、今まさに戦場と化している世界の地べたに放置とは、躾が全然なってないとでも表現すればいいのか……その必要がある存在なの、使い魔って……以前のエイミーじゃなくて牛鬼みたいなものなの?

 

Hilfe!

 

 盾を回収しつつ自分の力に呆れ果てていると、背中側から当の存在の謎の声。なんとなく焦りを帯びているように感じたけど、そんな事は気にするわけもなく文句を言うためだけに振り向いた。

 

「あなたねぇ……余計な事はするなと言っ……」

 

 思わず言葉を失ってしまう。使い魔だけじゃなかった、そこにいたのは。そしてそれはバーテックスでもなかった。

 

「はっ…! はっ…! あ、あ、がぁあああぁ……ううううっ!!」

 

 蹲るように倒れ、耐えきれない苦痛に悶え、起き上がれそうにない人の姿。彼女の右肩、それを必死に抑える左手が真っ黒に染まっている。そしてそこからポタポタと止まる兆し無く溢れる、彼女の身体を黒に染め上げている液体は樹海の地面までも、その液体()で小さな水溜まりを作っていた。

 

『……!!?』

「……勇者…………えっ?」

 

 傍らにエイミーが飛び出すように現れた瞬間、私の体は動き出していた?

 彼女の側に向かって、途中で足元がもつれて転びそうになるくらい不安定な走りで駆け寄ろうと……。

 

「いた…い……助け……! たか…し…ま……ぁぁぁっ!」

「動かないで……!」

『……!! ……!!』

 

 余程の激痛なのだろう、目を強く閉じて歯を食いしばらないと気が狂いそうなくらい、周りの音なんて気にしてなんかいられないくらい……おかげで私が近寄った事にも気づいていない。

 よく見るために膝を着いてしゃがみ込んだ際に、膝や靴や籠手もろとも手を血で汚しながら傷口であろう肩を抑えている手を退かす。

 そこには小さな丸い穴が。深く、ドクドクと血を噴き出している。そしてもう片方の手で支えている背中側からも、ベッタリとした感触が……この傷、貫通している……。

 

「………っ!?」

『……!』

 

 いつの間にか盾の中から白鳥歌野の怪我の治療で見た憶えのある医療セットまで取り出して側に置いていた。そこから清潔そうなガーゼにビニール、必要そうな道具を手にとってしまう。

 ……何やってるのよ私は……この時代の勇者がどうなろうとも知った事じゃないのに、身体が勝手に動く……。意味のない事だと分かっているのに、目の前で人が重傷を負っているこの状況を放ってはおけないの……?

 

「落ち着いて、深呼吸して」

「はぁ……はぁ……っ!」

「聞こえてないか……」

『………! ………!!』

 

 勇者といえどもたかが中学生。身体に穴が空いた激痛に冷静でいろなんて無茶か……。

 この苦痛を止める手立てなんてありはしないけど、このまま放置してしまえば失血死だってあり得る……ったく! 私が満開ゲージ増加の原因を気にして外に出ていなかったらこの勇者はどうなっていたことか!

 

「上、脱がすわよ」

「……ぐ…ぅぅ……ぇ……っ……?」

『…………!!』

 

 ……本当にしょうがない、止血のためにはまず出血部位を目で確認しないと始まらない。ただしバーテックスの攻撃に耐えないといけない勇者服がたかが鋏で切れる訳がない。

 幸いにもこの勇者の勇者服は羽織るような構造のタイプで怪我をしている肩の部分は露出させやすい。その下のインナーもずらせばなんとか……。

 

「あがぁ…っ!」

「我慢して……!」

『……!! ……!!』

「さっきから鬱陶しいわよエイミー! じっとしてなさい!」

『……! …………』

 

 傷口のすぐ隣の付け根をキツく縛り、大きいガーゼを傷口の上に巻くように重ね当て、圧迫し止血を試みる。その間ずっと忙しなく飛び回るエイミーが邪魔! 心配したいんだったらうろちょろしないで!

 

 何なのよもう……さっきから頭が重い。それに無性にイライラする……!

 血の匂いが原因ね、きっと……。……まさか、こんな血塗れの人の介抱で焦ってるなんてことは無いでしょうし……。

 

 ……元の世界でならともかく、この何もない狂った世界においてそれは無い、絶対……。

 

(……本当に…そう……?)

 

 ……何やかんや思っていながら、結局は良心が勝手にってこと? ……確かにみんななら、どんな状況であろうとも、誰であろうとも、目の前で酷い怪我を負っている人がいれば迷わず救助に向かうに決まっている。私がそんなみんなのことが大好きで、心の底から尊敬していることは言うまでもない。

 

 私も、そんなみんなと同じであり続けたい。勇者部の一員としての責任感故の無意識の行動……無意識の反応、なのかしら……?

 

(……そんな綺麗事で状況が変われば苦労しない!)

 

 感謝されたところで、次に来る言葉は大社からの勧誘に決まっている。みんなの元に返してくれないだけじゃない、更なる代償を支払わせるだけの行為に意味などありはしない。無意味なのに……!

 

「あぁもう……!」 

 

 

 

「……う、うぅぅ……」

 

 かつて色々な知識を取り入れようと独学で勉強したことのある緊急の応急措置のマニュアルを思い返しながら、手当すること数分後。ようやく、少しは痛みに対して落ち着き始めたみたいだ。相変わらずの酷い汗、苦痛に歪んだままの表情に変わりは無いけど、閉じられていた瞳が僅かに開きかけようとし始めている。

 

「……落ち着いた?」

「…っ……? ……ほむ…ら…さ………っ!!?」

「動かないで。応急措置は粗方済んだけどちゃんと医者に看てもらわっ……!」

『……!?』

 

 突然だった。私の顔を見れるようになった瞬間に、無事な方の左手で私の身体を突き飛ばした。

 

「………っ!」

「あっ……つぅぅぅ……!!」

 

 思い掛けない彼女の行動に尻餅をつき、支えを失った彼女の方も自らの血でできた水溜まりの上に落ちる。その衝撃は傷口にも伝わり再び激痛が走ったのだろう。呻き声を上げ、そのまま身悶える。

 しかし、その視線は憎悪に染まりきり私に向けられていた。傷の痛みよりも、今目の前にいる人間に対する憎しみの方が勝っているのかもしれない。

 

「……はぁ……っ……はぁ……っ……いつの…間に……っ!」

「……どういうつもり?」

「……っ!」

 

 彼女は答えなかった。ただ、憎悪に満ちた目で睨みつけるばかり。やがて彼女の口元が嘲るように笑みを浮かべ始める。

 

「随分…と、見窄らしい姿になったじゃない……暁美ほむら……!」

 

 ……開口一番何なのかしら、この憎まれ口は。見窄らしい姿……まぁそうでしょうね。行き場の無いストレスのお陰で眠れない毎日が続き、目元にははっきりと濃い隈が浮かんでいる。自慢だった髪を手入れする気力も失われて、ボサつき枝毛だってできた。お風呂やシャワーなんて無い空間にずっと閉じ籠もっていたから不潔の塊みたいなものだ。そこにあなたの血なんかが至る所にベッタリと付着してしまったら、かつて私をこの世界を守る勇者だなんて騒いだ連中だって近寄ろうとは思わないだろう。

 否定はできない。しかしだからと言って、普通自分がこんな大怪我を負っている状況で迷わず他人を嘲笑するだろうか? 勇者のくせに、随分と陰湿な性格だこと……。

 

「……あぁ、思い出した。確かあなただったわね。初めて会った時からどうでもいいことで一々突っかかってきた勇者は……」

 

 彼女はあの時の癇に障る勇者だったか……。どうでもよすぎて今の今まで存在を忘れていたわ。

 ……名前は……どっちだったかしら、乃木若葉と高嶋友奈がそれぞれ違う名前で呼んでいた覚えがあるけど……。

 

(ぐん)……そんな名前だったかしら?」

「お前がその名前で呼ぶなァッ!!!!」

 

 樹海に轟く一番大きな怒号。それだけでも彼女が私に抱いている憎しみの強さを物語るのに十分過ぎるものだった。

 

「それは高嶋さんが付けて呼んでくれる私だけの渾名!! 高嶋さんじゃない奴が……!! お前なんかが軽々しく口に出していい物なんかじゃないわよ!!!!」

「……あらそう」

「うっ…!? ぐぁああ…あぁ……!」

「大声で叫ぶから」

「だ…まれ……!」

 

 高嶋……高嶋友奈……ね……。友奈と同じ顔、同じ声、そして同じような明るさを持つ勇者の名前。どうやらこの勇者にとって高嶋友奈の存在はとても大きい物だと考えられる。

 友奈の魅力に惹かれ、他の何よりも執着していそうなこの雰囲気……まるで東郷のような愛の形……。

 

(……だから何であの子達と姿が重なるのよ……)

「……何…なのよ、その目は……!?」

 

 友奈や風先輩の時ほど強い錯覚に陥りはしないけど、こうも似たような関係性を感じると不愉快だ。東郷とは似ても似つかぬ容姿なのに、自然とあの子を思い浮かべてしまう。決して手の届かない場所にいるあの子……その代わりにいるのが目の前の人に噛み付く姿勢を崩さない根暗勇者。不機嫌にならない方が難しいに決まってるじゃない。

 

 おまけに勝手に興奮して自分で傷を悪化させている。気まぐれとはいえせっかくの人の好意を無駄にして……もはや完全に呆れ果てているけど、ここまでやって結局ぶっ倒れてそのまま血を流しすぎて駄目でした、なんてオチは実にくだらない。下手をすれば他の勇者達に私のせいだなんて冤罪をかけられてもっと面倒な事態にもなりかねない……。

 溜め息をこぼし、仕方なく残り少しの手当を再開するために歩み寄ろうとし、次の瞬間、咄嗟に後ろに飛び退く。直後に私がいた地点を鋭利な刃が通過した。

 

「っ、寄るな!!」

『……!?』

「………」

 

 彼女は足元に落ちていた紅い鎌を左手で掴むと私目掛けて横凪で振った。完全に私を敵と見なし、傷つけ、あわよくば排除するための一閃。無茶な動作で傷口から再度血が吹き出し、痛みに悶えて膝から崩れ落ちてまで……。

 自分の状態がいかに危険なのか、よく理解していないのかしら? こんな状況でも相も変わらず警戒し続けるなんて、まるで野生動物ね……。

 

「……近寄らないと、あなたのその傷の手当ができないわ」

「……何…言ってるの……!? 誰が私を撃ったと思って……う、ぐぅぅ……!」

「……私のせいだとでも?」

「こ…のっ……白々しい……!!」

 

 一体何を言っているんだか……私が何をしたって言うのよ………。

 ……そういえば、妙ね……。思えばあの傷はどう考えてもバーテックスに付けられたものとは思えない。この世界でよく見かけた白くて小さいのの攻撃パターンは噛みつきや体当たり。対して彼女の傷はまるで銃で撃たれたようなもの。

 仮に射手型が現れて戦っていたとして、その矢をくらってしまったにしては小さすぎる。それこそ本当に銃創のような……。

 

(……そもそもこの辺りにバーテックスがいた形跡すらない? じゃあ一体何にやられて………)

 

「……まさか」

……Verzeihung……

 

 ……さっきから使い魔がずっと私から……いいえ、この勇者から距離を取って離れて見ているのはそういうことかしら。

 思い返してみれば、最初からこの場にはそこの勇者の他に私の使い魔がいた。時間が止まっているこの世界で動けるのは勇者とバーテックス……それから神樹の力が宿る精霊とそこから派生している力、使い魔ぐらいのものだ。ここにバーテックスはいないって事は、残った存在が犯人だと疑いようがない。ましてやこうして私が外に出た理由だって、使い魔が攻撃を行ったから……まさかその相手がバーテックスではなかったとは……。

 

「……どうして毎度毎度余計な事しかしないのよ、この使い魔共は……」

 

 なるほど、そんな怪我をしていながら私に悪態をつき続けるわけだ。彼女はこの使い魔にやられたのね……。

 それじゃあ確かに私を怨んでもおかしくはない。突然撃たれたのに惚けられたら憎しみや怒りしか感じないだろう。でも……

 

「……勇者が聞いて呆れるわ。見た目の雰囲気に惑わされたのか、それとも私への露骨な警戒心が理由かしら? 無抵抗の使い魔が反撃せざるを得ない状況にまで追い詰めたのね」

「はぁ…!?」

「その怪我はあなたの迂闊な行動が招いた結果。自業自得よ」

 

 私に反論する権利は無い……ただしそれは、向こうに非が無い場合。

 

「この使い魔達にはあなた達勇者や大社の相手はするなと言いつけてあるわ。仮に見つかったら捕まらないよう逃げるようにと。無駄な争いは一切許してはいない」

 

 使い魔が彼女に襲いかかったのではない。使い魔のことはまだまだ知らないことが残っているけれども、無闇に人を襲う存在でないことは解る。なにせこの子達は神樹の力によって生まれた存在。それがバーテックスのような悪事に手を染めさせることは、あの神の尊厳を壊す事に繋がるのだから。

 

「そんな無駄な争いの種を相手が一方的に蒔いてきたら? それはもう無駄でも何でもない。やらなければやられる。不合理な事態で散ってしまわないよう、自分の身を守る必要が現れる。時には正当防衛で相手を傷つけて無力化する必要が」

「言わせておけば……勝手に決めつけて……! 元はと言えばそいつが一般人を襲ったから」

「ふん……そんな話ありえないわ。あの神が力の無い一般人を襲う存在を放つだなんて……あなたの早とちりでしょう?」

「なん……ですって……!? その場にいなかったくせによくそんな事が言えるわね……!」

「そういうものだからよ。いた、いなかったなんて本当に些細、問題じゃないの。それどころか、あなたの責任転嫁にしか聞こえない。私は使い魔の正当防衛を主張するわ」

 

 今回のことも、所詮はいつもの出来事と大して変わらない。突然勇者に襲われたけど、やがて勇者の攻撃はバーテックスのように殺気を纏わせる。バーテックスが相手なら、こちらとしても倒すしかなくなる……。

 だからこの使い魔は力を奮った勇者を返り討ちにした。バーテックスを退けるのと同じように。

 

「……この世界を守るために授かった力でしょう? くだらない事に使った自分を反省して、暫くは病院で大人しくしてなさい」

 

 私の事を気に入らないと思うのは勝手だ。私自身彼女達を快く思っていない以上、文句なんて欠片も抱かない。

 ただし勇者としての力をバーテックスではない気に入らない存在を排除するために使っていたなんて……風先輩が大赦に騙されそんな思いをしてしまう程に苦しめられたのに対して、この勇者の理由は羽根のように薄くて軽い、身勝手すぎる動機。

 私と違ってその力で守らないといけない存在があるにも関わらず、その思想は危険だ。もし使い魔ではなく人間を同じような殺意を以て襲っていれば……。

 

(……傷の手当をしたことが本当に馬鹿馬鹿しく思えてきたわ)

 

「近寄るなって言ってるでしょ! 殺すわよ!!」

「じゃあ勝手に、死ねば?」

 

 口を開けばみんなが決して言わないような攻撃的なものばかり。自分の状態を気にするよりも、私の思い通りにはさせないといった敵対心しか出てこない。

 なんて愚かな存在なのかしら……。ただでさえ訳の分からない私自身の献身にムカついていたところでこの反応、もはや応急措置の残りなんて完全にどうでもよくなった。言っても聞かないこんな愚か者なんて。

 

「っ!」

『……!』

 

 そして私は彼女の傍らに置いたままの医療セットを思いっきり蹴り飛ばす。こんな物、もうゴミと同然だ。

 箱が壊れ、中身を撒き散らしながら遠くに転がっていく医療道具。そして突然の私の行動に固まった彼女を、私も冷め切った視線で見下ろす事しかできない。

 

「応急措置はもう結構なのよね? あなたが余計に騒ぐから、まだ終わっていなかったけど」

「………!」

「血、さっきまで収まりかけてたのにまた流れ始めてるわね。このまま放置すれば失血死かしら」

「ぁ………!」

 

 元々ありはしなかったけど、愛想が尽きて興味も失せた。手を伸ばしても掴もうとしない、そんな奴に手を伸ばしても無意味だ。

 

 変な気まぐれという物は起こすものじゃない。覚えておきましょうか……。

 

『………!! ………!!』

「………また……まったく」

 

 エイミーが飛んで、散らばった道具を必死に集めようと小さな前足でかぎ集めようとする。この勇者を何としてでも助けたいのか……。

 

「……あなたも勝手にしなさい。私はもういいわ。そこの勇者の存在価値なんて、無いに等しいもの」

「違う……!!」

 

 踵を返したその時、腹の底から張り上げられた声が響く。

 

「……?」

「お前が私の価値を……決めるな……!!」

「……何? まだ何か言いたいことでもあるの」

 

 相も変わらず憎悪しか宿っていない瞳を向けられる。しかしその中にはどこか不安、怯え、恐怖が滲みかけている。それでも敵対心だけは失わず、思いの限り叫びを上げる。

 

「私は勇者、郡千景よ……!! そこら中の人には無い凄い力を持っている勇者……!! バーテックスを殺して、認められ、愛される!! その役目を放棄した奴が、私の価値を決めるな!!!! 誰も知らない偽物の勇者が!!!!」

「……認め……愛される……?」

「存在価値が無いのは……お前の方よ!! 暁美ほむら!!!!」

 

 彼女、郡千景の糾弾……。それを聞かされた私は……絶句する他なかった……。

 彼女はいったい何のために戦っているの……? 以前、彼女が私達とは違うものを見ているということは何となく察してはいた。でも、もし私が今思っているものが目当てで戦うのだとしたら、それは……!

 

「……終わってるわね、この世界の勇者は……! そんなくだらない有様だから……みんなは……!」

「黙れ……! お前の声は聞きたくもない……!」

「くだらないわ!! そんなもののために戦うあなた達が!! そんな連中が勇者だなんて……!!」

「……っ! なんですって……!?」

「承認欲求……そんな物が目当てで戦う勇者のどこに価値がある!!? 世界の危機に自分勝手な欲望を抱いているからお前達はバーテックスに負けるのよ!!!!」

 

 失望した……! 私達の時代までバーテックスとの戦いを宿命付けられたのも、東郷に彩羽さんに乃木さんに羽衣ちゃん、彼女達が戦いの中で大切な人を失ったのも、みんながあんなに苦しんで地獄を見たのも……何もかも全部、この世界の勇者が不純な動機で戦っていたから……!! 負けてその使命を私達に押し付けたから!!

 許せない……!! バーテックスや大赦だけじゃない、この世界の無能な勇者共のせいで……私達は!!

 

「バーテックスに負ける……? そんなわけない……! 奴らは私の手で葬られる存ざ…」

「黙れ!!!! 現実を甘く見ている愚か者の集まりが、世界を救えるなんて夢を見るんじゃないわよ!!!!」

「こいつ……ッ!! 私だけじゃなく高嶋さんまでも侮辱を……!! 高嶋さんがどれだけ強くて、私達になくてはならない唯一の存在なのか知らないくせに……!!」

 

 ……何も理解してなんかいない。その高嶋友奈は私達に何をした? 彩羽さんと羽衣ちゃんを……自分の子孫を不幸のどん底に叩き落とし、私をこんな世界に飛ばす片道チケットを用意した、諸悪の根元……! そんな奴に望むことなんて、求める価値なんて、たった一つのみ!!

 

「さあね!! 適当な男でも捕まえて、子供でも産んで引っ込んでいればいいんじゃない!?」

 

 300年後の私達の世界に、彩羽さんと羽衣ちゃんを残すこと、それ以外はどうでもいい!!!!

 

「貴様ァァアアアアアアアア!!!!!!」

 

 その時、樹海が大きく揺れ動く。同時に目の前の似非勇者が血が燃えるような紅い輝きを放つ。

 装束が変わる。元の勇者服の上から白いフードが纏われる。今まで以上の殺気を迸るその視線は正面から……そしてその隣、または別の位置からも……

 

 七人の郡千景が大鎌を握り締め、佇んでいた。

 

「「「「「「「その女を殺せ!!!! 斬って!裂いて!削いで!刺して!抉って!刻んで!嬲り殺せ!!

 

七人御先!!!!

 

」」」」」」」




 Q:乃木若葉に求める価値は?

 A:ゆうほむ「さあね!! 適当な男でも捕まえて、子供でも産んで引っ込んでいればいいんじゃない!?」
 上里様「貴様ァァアアアアアアアア!!!!!!」

【使い魔セリフ翻訳】
Hilfe!(助けて!)』

 盾を回収しつつ自分の力に呆れ果てていると、背中側から当の存在の謎の声。なんとなく焦りを帯びているように感じたけど、そんな事は気にするわけもなく文句を言うためだけに振り向いた。


(……そもそもこの辺りにバーテックスがいた形跡すらない? じゃあ一体何にやられて………)

「……まさか」
……Verzeihung……(……ごめんなさい……)」


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第六十五話 「切札」

 初登場から1年以上お待たせしましたが、遂にお披露目できる……! というかこの作品もあとほんの僅かで2周年! まさか自分が2年間も一つの作品を書き続けることになろうとは思いもしなかった……。
 そんな何よりも思い入れのある作品故に、何としてでも完結させたい意思があります。投稿ペース低下気味が現実ですが、作者ながら私もこの作品の結末を読みたい読者の一人でもあるのです。


 数多くの化け物が漂うその場所に向かって、私達二人は全力で樹海の中を駆け抜ける。仕方ない理由があったといっても、この遅れは1秒でも早く取り戻さないといけない……私達二人が考えているのはこれだけだった。

 

 そして戦場が近づく。刀で斬り裂かれた化け物が地面に落ちるような音、彼女達のそれぞれの特徴的な武器が発射される際の音、それらが私達の耳に届き始めていた。

 

「ほむらさん! 歌野さん!」

「! 来たか……!」

 

 到着と同時に私達二人は揃って大きく飛ぶようにジャンプする。そこで戦う皆さんを襲うタイミングを窺っている敵の上から、それぞれ杖と鞭の一撃を叩き込む。

 

「加勢します!」

「お待たせ!」

 

 私が殴りつけたバーテックスはそのまま地面に叩きつけられ潰れ、白鳥さんに鞭で抉るように打たれた個体も空中でその体が弾け飛ぶ。

 

「待っていたぞお前ら! よし、若葉のとこに行ってくれ!」

 

 バーテックスと交戦中の乃木さん達に合流した私と白鳥さん。目の前にたくさん、何十体も、もしかすると百体はいるのかもしれないバーテックス……。

 こんな数を相手に今まで皆さんに任せっぱなしだったと思うとやっぱりどこか申し訳なく思えてしまう。もちろん白鳥さんが悪いなんて少しも思っていないけど、だからこそ皆さんの疲労を肩代わりするように気合いを入れ直して戦わないといけない。

 

 ただそんな決意も、ふと気づいた疑問に阻まれる。

 

「……高嶋さんと郡さんは……どちらに……」

 

 たまたまご実家に帰省していて元々一人別の場所にいた郡さんだけじゃない、私達が離れるまで一緒にいたはずの高嶋さんもこの場にいない?

 

 前回の襲撃と同じで乃木さんは獅子奮迅の動きでバーテックスを倒している。でも、どういうわけか前衛は乃木さん一人だけ。その数十メートル少し離れた後方、左右で土居さんと伊予島さんが乃木さんの援護と回り込もうとするバーテックスを遠距離からの射撃と投擲。三角の陣形を組んでバーテックスと戦っているみたいだけど、敵は前衛の乃木さんに集中しているせいか、その分前回には無かった疲労の色が見え見えだった。

 

「はあっ!」

 

 すぐさま白鳥さんは乃木さんの近くに駆け寄り、喰らいつこうと口を開くバーテックスを叩く。

 

「若葉、ポジションチェンジよ! 迷惑懸けちゃった分、今度は私が前に出るわ! 下がってて!」

「……そうは言ってられない。休んでいる暇なんてあるものか。っ、せやあっ!」

 

 跳躍し、上から迫り来るバーテックスを斬りながら、乃木さんは白鳥さんの言葉を拒否する。

 私も前の方に出て杖を大きく振り回す。恐怖心はやっぱり、どうしても完全に拭いきれるものじゃないけど、怖がっているだけだったらまたしても大切なものを取りこぼしてしまう。それを覚えているから、私はこの杖を握っている。

 

「ええーーいっ!!」

 

 前から飛んできたバーテックスの顔面に振りかぶった杖がめり込み、勢い任せに振り抜き吹き飛ばす。そのまま飛んでいった先に浮かんでいた別の個体と激突し、共に地面を転がり動かなくなって消滅する。

 

「ナイスショット! 素晴らしいスイングだわ、ほむらさん!」

「白鳥さんまで……ゴルフじゃないんですって……! それよりも乃木さん! 高嶋さんと郡さんは!?」

「……千景の方で緊急事態が起こった。だから友奈をそっちに向かわせたんだ」

「き、緊急事態……!?」

「実は……ちぃっ! また……」

「ウラァッ!」

 

 またしても目の前に迫り来るバーテックス。それは後ろから飛んできた円盤に切り刻まれるも、すぐにまた別の個体が何体も集まっては次々にやってくる。

 

「大丈夫かーお前らー!」

「球子さんナイスアシスト!」

「……説明している時間すら無いか……! とにかく今は友奈を信じろ。我々は勇者としての使命を果たす! ほむらは西、歌野は東だ!」

「……わかりました」

「オーケー」

 

 郡さんの事は気になるけど、気にしすぎてずっと引きずっていれば取り返しのつかないミスだってあるかもしれない。

 ただ前だけを向いて、戦わなくちゃ……! ここは今、世界や人々の未来を懸けた戦場なのだから……。

 

「総員出撃!」

 

 号令と共に左右に飛び出す私と白鳥さん。群れを成したバーテックス目掛けて飛びかかり、同時に後ろの方から伊予島さんの矢が飛んできて数体のバーテックスを貫く。

 

「私達の世界から、いなくなって!!」

 

 伊予島さんの攻撃で既に絶命しているバーテックスもろとも、全力の一撃で殴り飛ばす。

 着地後、間髪入れずに再度跳躍。ただひたすらに、目の前の殺戮者を除くために杖を振り下ろし、振り回し、叩きつける。

 

 ───いやあああぁあぁあぁあぁあああぁあああ!!!!!!

 

 三年前の……初めてバーテックスを殺した時の事を思い出しながら……。

 

(……っ……パパ……ママ……)

 

 その度に、どうしても脳裏に地獄の過去が過ってしまう。あの時の私の意識は、気が狂いそうな光景による恐怖と絶望が逃してくれなかった。ショックで失神することを、既に勇者としての力が芽生えていた私を神樹様が許さなかったから……。

 

 耳に響くのは周りの人達の悲鳴だけじゃない。固いものが砕ける音。柔らかいものが潰れる音。赤い液体が床と私の身体に飛び散る音。これらは全部、私の両親だったもの……。

 その音が止んだ時、音を出していた赤黒く染まった巨大な口が腰を抜かして座り込んでいた私に向けられる。大きく開かれたその口の中には………。

 

 ───あっ、ああぁぁああああッッ!!!!!!

 

 化け物が私に喰らいつく前に、手が勝手に動いていた。それまでは恐怖で少しも動かなかった手が、近くに転がっていた錆塗れの杖を掴み取ると同時に身を庇うようにがむしゃらに振り払う。

 その杖の先端が化け物の横顔にめり込んだ瞬間、化け物の顔の一部が抉れて消し飛んだ。杖に宿っていた神様の力が初めて日の芽を浴びた瞬間だった。

 だけど私にはそんな事に気づく余裕は無い。化け物に殺される……その一心で叫びながら、私は杖を振り続ける。

 

 両親を惨たらしく殺したバーテックスを、自分でも訳が分からなくなるほどに無我夢中で、力を宿したばかりの杖で、何度も何度も叩きつけて……殺した……。

 

 

 その時と全く同じ感触が今、再び伝わるのだから……。バーテックスの姿が、その恐怖が、感触が、今なお私に地獄を見せ続ける。

 

 前回もそうだった……きっとこれからも、バーテックスがこの世に存在し続ける限り、あの悪夢が消え去る事なんて絶対にないんだ。

 

 ───ほむらちゃん!!!!

 

 ………うん……分かっている。忘れないよ。何があっても。

 

「……!」

 

 次々とバーテックスを倒していくも、突如として数体のバーテックスが中央の一ヶ所に集まり始める。グジャグジャと気持ち悪い音を発しながら、それらは一つに融合し姿を変える。

 

「出たわね進化体!」

 

 全長2メートル程の白くて口だけのバーテックスから、青白く細長い顔を持った巨大な姿に。その大きさ、どう見積もって30メートル近くはあるかもしれない……。

 

「デカくなっただけか……?」

「どうなんだろう……?」

 

 進化体は今まで以上に油断ならない相手。この前はあの人が倒したけど、それでも高嶋さんと伊予島さんの攻撃を受けつけなかった……。

 その事を踏まえて、後方で援護射撃していた土居さんと伊予島さんが慎重になりながらも前に出る。白いのはもう……目に入る範囲で目立つ敵はあの進化体くらい。援護射撃よりも、ここからは全員前に出て一斉に戦う方が……。

 

 次の瞬間、進化体が動き出す。その何メートルもある巨大な口を開くと一瞬そこがパッと明るく光ったように見えた。それが何か、直感的に分かった事は、極めて危険なものであるという事……。

 

「うおおおおおっ!?」

「きゃああ!!」

「球子! 杏!」

 

 狙われたのは直前に動きを見せていた土居さんと伊予島さん。彼女達に無数の光が雨霰となって降り注ぐ……!

 ゾッとする光景を一瞬想像しそうになるも、土居さんが武器である旋刃盤の刃を回転させながら、盾のように構えて矢のような攻撃を間一髪防ぐ。隣にいた伊予島さんを守りながら。

 

「び、ビビったぁ……! 何だコレ!? 矢!?」

 

 進化体の攻撃は続く。土居さんが防いでいるけどあんな鋭い攻撃が当たってしまえば良くて重傷……最悪だと……!

 そんな中、白鳥さんが大きく跳躍し、進化体に攻撃を仕掛ける。

 

「こんのぉ……! 大人しく倒されてなさ…ってわわわっ!?」

「白鳥さん!」

 

 進化体は土居さん達への攻撃を止め、即座に飛びかかる白鳥さんに顔面を向けて再び激しい攻撃を放つ。

 

「くっ……はぁあああ!!」

 

 空中の白鳥さんに走って避ける手段は取れなくても、彼女は俊敏な鞭捌きで自分に当たりそうな矢だけを叩き落とす。それでも雨のように数多い攻撃は白鳥さんの身体を掠り、肌を傷つける。

 攻撃に移ることはできず、急いで着地した後に地面を蹴って走る。その後にも絶え間なく放たれた矢が降り注いでは突き刺さり、滑り込むように樹木の陰に逃れた白鳥さんは辛うじて敵の攻撃から逃れることができた。

 

「はぁ…はぁ……デ、デンジャラス……! どうしましょう、あんなタイプの進化体なんて初めてだわ……!」

「次が来るぞ! 全員避けろーーっ!!」

「……っ!」

 

 白鳥さんに攻撃が当たらない事を悟ったバーテックスが、今度は攻撃対象を周りにいる私達へと変更する。顔を動かしながら絶え間なく矢を放ち、それは次々に私達全員に襲いかかる。

 

「みんな!?」

「ちぃっ……! 今のうちに誰か叩け!」

「乃木さん……っ、うわあっ!?」

 

 私に、乃木さんに、土居さんに、伊予島さんに、容赦ない矢の嵐が射線をまるでレーザーのように自在に薙ぎながら飛んでくる。他の誰かが狙われていると知って動こうとも、少しでも近付けば今度はその人が狙われる……近付けない……!

 

 白鳥さんは諏訪で何度か進化体とも戦ったことがあると言っていた。流石に簡単に倒せる存在ではないと分かっていても、白鳥さんが逃げて隠れざるを得ないとなると、なんて厄介な相手だというのか……。

 そもそも、白鳥さんが進化体に近付けなかった。攻撃が激しすぎて、それをかいくぐる事が難しい。当然なことに、近付かないと攻撃が当たらないのに、進化体の攻撃は私達を寄せ付けそうにない……。白鳥さんだけじゃなく、近接主体の私や乃木さんにとっても不利な相手だ……。

 

「私が!」

 

 接近が無理でも、伊予島さんの武器は遠距離の敵をも射抜けるクロスボウ。側に立っている土居さんよりも前に出て、私達を苦しめるバーテックスを倒そうと美麗な輝きを秘めた矢が連続して放たれる。

 一直線に飛んだ矢は今私に注意が向いたままのバーテックスの横顔に全て突き刺さり、神聖なる神樹様の力が弾け炸裂する。

 

「よし、当たった! 良いぞあんず!!」

「………ううん」

 

 ……普通のバーテックスなら、今ので倒せていた。でも、今戦っているのは進化体……伊予島さんの矢が何本も当たっていながら、その部分の表面だけが吹き飛んだだけで全然堪えていない。巨大過ぎるからか、伊予島さんの矢が大して効いていなかった。

 

「ダメージが足りてない……! もっとたくさん撃ち込まないと……!」

 

 伊予島さんも攻撃ができる勇者が限られている事を理解していた。離れた所から攻撃するしか打つ手がなくて、それができるのは伊予島さんと土居さんのみ……。

 自分達がやらなければ、世界に未来はない。故にその焦りからか、伊予島さんは敵を見る前に再び攻撃の構えを取る。

 

「いかん! 戻れ杏!!」

「えっ…」

「伊予島さん!!」

 

 伊予島さんが複数の矢を放つと同時に、バーテックスも伊予島さんに大量の矢を放つ。伊予島さんの矢は飛んでくるバーテックスの矢を正面から破壊するも、それによって彼女の矢の方も相殺されて壊される。

 だけど、物量では伊予島さんは完全に負けていた。今の一瞬で伊予島さんが矢を5本速射していて、バーテックスの矢を5本破壊したとする……残りの飛んでくる矢は数え切れないほど残っているのに。

 

「させるかこんにゃろーーッ!!」

 

 後ろから駆け込んできた土居さんが、合流ざまに伊予島さんの身体を抱きかかえ即座に後方に跳躍して離脱する。直後に今まで伊予島さんが立っていた地点に矢が突き刺さり、最悪の事態は避けられた。

 

「セーフッ……! 怪我はないな?」

「タマっち先輩……ありがとう……」

「全員物陰に隠れろ! 奴の射線上から離れるんだ!」

 

 とはいえこのままじゃいつ誰かがあの矢を受けてしまっても不思議じゃない……。危機感を孕んだ乃木さんの声に従い、私達は降り注ぐ矢を避けながら大きな樹木の陰に身を隠す。

 背後の樹木に無尽蔵に放たれる矢が突き刺さる音が耳に響く。容赦なんてあるわけなく、ただ私達を抹殺しようとしながらも、ただ単にその辺を飛ぶ虫を鬱陶しいからと潰すような殺意のない意思だけがそこにはあった。

 

「うぅっ……速いし、数も多い……!」

「攻撃のタイミングどころか近づく隙が無い……。無闇に突っ込めばあっという間に剣山だ」

 

 伊予島さんが悔しそうに呟くのを、乃木さんも同様に肯定する。敵の矢は完全に伊予島さんを上回っていた。数も速さも……威力は同じでも、攻撃がかき消されてしまう。

 

「くぅ~! 友奈も千景もまだ戻ってこないのか! こっちがこんなに大変だって時に!」

 

 ……私達は今、絶体絶命の崖っぷちに追い込まれている。遠距離からの一方的な攻撃に為す術無く、全員揃って隠れて身を守りながらチャンスを窺う……そんな余裕すら、私達には無いのだから。

 

「……っ、な、何よこれ……ツリーが枯れてる…?」

「くっ……影響が出始めたか……!」

 

 たくさんの矢が突き刺さった樹木や地面が少しずつ、色黒く変色する。この樹海は神樹様が世界を守るために生み出した結界だ。その結界が傷つけられれば、元の世界にも悪影響が生じる。その事を目の前の変化が私達に改めて現実を突きつけた。

 

「このままじゃ……世界が……」

 

 ───ほむら

 

 みんながいる世界が壊される……。かつて一度はぐちゃぐちゃに噛み潰された私の世界。

 そこに、手を差し伸べてくれた家族がいた。

 

 ───ほむら

 

 抱きしめてくれた両親が。

 

 ───ねーちゃ!

 

 心を温めてくれる弟が。

 

 ───ほむらちゃん

 

 光をくれた……あの子が導いてくれた世界を壊させない!! 絶対に!!

 

「ほむらさん!?」

「お、おい……!」

 

 危険だとか、怖いとか、そんなものよりバーテックスに世界を壊される方がもっと嫌だ。臆病な感情はいらない……隠れていた樹木の陰から飛び出して、自分の体の内側に意識を集中させながら私の姿を捉えたバーテックスを睨みつける。

 

「戻ってほむらさん! あなたの武器はパワー系の近接メインじゃない! あいつとの相性はベリーバッドよ!」

「いや待て歌野! ほむらは()()()を使う気だ!」

 

 神樹様の概念的記録の中に意識を潜行。そこにある無数の存在の中から、私の想いに呼応する力にこの身を預ける。

 私に適応してくれた()()の力が身に宿って杖を強く握りしめるのと、進化体バーテックスが私目掛けて恐るべき矢を放つのは同時……

 

 だけどその瞬間、私は己の唯一の武器であるはずの杖を、何もない地面目掛けて突き刺さるような勢いで投げつける。

 

「なっ……?」

 

 武器を棄てた……そんな風に完全に初見かつ初耳の白鳥さんを一瞬勘違いさせたかもしれない……。私は武器を棄てたんじゃない。私のこの体と一緒の力を宿した神器、天魔反戈は水の中に沈むように樹海の地面の中に吸い込まれる。

 

 これにより、この結界内と……私達人間が生きてきたこの世界全ての思念と繋がった。

 

()()()()の力、お借りします」

 

 ……解ります、あなた方の想いが……。痛いくらい、それを果たせなかった無念が伝わってきます……。

 栄誉、誇り、正義、国、友人、家族、未来……理由は様々でしょう。辛い苦悩に押し潰されそうになったことも、本当にその道が正しいのか解らなくなったこともあったでしょう。中には力や欲に溺れ、人道に反する行いをしたものもいたかもしれない。傷つけたのかもしれない……だったら今度こそ、一緒に正しい力を人々のために使いませんか?

 

 あなた方はみんな、現実に裏切られた……そうでしょう? 必ず勝つと誓ったのに、理不尽な化け物はその決意を嘲笑いながらあなた達を貪り尽くしたのだから。

 

 私はそれが嫌なんです。勝手でごめんなさい、あなた達のような目になりたくない。あなた達とは違う結末を手にしたい。私はあなた達が切望したものが……大切な人達と一緒にいる未来が欲しい!

 

 それが勇者、鹿目ほむらのたった一つの道しるべ……だからお願い、私にみんなを守らせて!!

 

 

 

古戦場火(こせんじょうび)!!

 

 

 無色の炎が立ち上がり揺らめく。その炎の数は幾千を越える。熱を帯びず、近くの物を燃やさない。そう、これは既に燃え尽きてしまった炎……命の炎。

 そして、私の両手にも無色の炎がまとわり付いていた。それは周りの炎とは似て非なる、精霊古戦場火の力を宿した私の燃え上がる魂の炎。

 

 進化体バーテックスが放った矢が間もなく私の身体に突き刺さる……そうなってしまう前に、両手を素早く前に出すと共に手の炎が瞬時に形を変え、確かな質量を持って実体化する。

 周りに浮かぶ無数の炎も、全く同じ形に変化する。大きさも含めて同じ……あの膨大な炎の数全てが正面に向けられた。

 

 無色の炎から、鋼鉄の黒い塊に。Personal Defense Weapon……またの名を『MP7』。ドイツ製の、サブマシンガンとアサルトライフルの中間にあたる性能を誇り、世界各国の軍隊でも採用されていた兵器である。

 

「撃てぇーーーーー!!!!」

ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッ!!!!

 

 両手の二丁のMP7のトリガーを引くと同時に、全ての兵器が一斉に火を噴く。両手の二丁に共鳴するかのように、宙漂う幾千の燃え尽きた命までもがトリガーを引かせている。

 災禍を砕くは決意の弾丸。私達が耳を劈く銃声を響かせ放った銃弾が、バーテックスの放つ矢を次々に撃ち抜き破壊する!

 

「ええええーーーーっ!!? ガ、ガガガ、ガンスリンガぁーーー!!!?」

 

 進化体バーテックス……それは巨大な口から恐るべき速さと数の矢を放つ破滅の使者。誰も近づくことを許さず、矢は全ての邪魔する存在を射貫く。

 ……ええ、確かに厄介だった。だけど伊予島さんがやってみせた……彼女は後れをとってしまったけど、攻撃を加えればその矢を壊せることを証明してくれた。厄介であって、完全なんかじゃないって!

 

 古戦場火……私の切り札の精霊は、戦死者の魂を呼び起こす。この世界で命を散らした兵士達の記録から、彼らの命を預けた兵器を具象化、再びこの世界を守るためにその力を発揮する。

 ……人間には戦争という悲しみばかりを紡いだ歴史がある。世界中で、それも何千年も……ううん、人類が誕生した時から争いばかりを繰り広げた。兵器とは、人間が人間をいかに楽に、たくさん殺すために生み出された。それは実際に、数えるのも馬鹿らしくなるぐらいの命を奪った。

 

 だけど兵器というものは何も人を殺める事だけが存在意義じゃない。護るためにも引き金は引かれる。それは自分だったり、友達だったり、その人が思う大切な物を奪われないよう立ち向かうために。

 

 そんな守りたいという願いを込めた世界中の軍人達……彼らは一人残さず、大切な物諸共バーテックスに殺された。

 バーテックスには、人類が生み出した兵器は効かない。どんなに殺傷能力が高い危険な兵器を使ったとしても、神によって生み出されたバーテックスには傷一つ付けられない。抵抗虚しく、彼ら世界中の軍人達は……。

 

「人間を……嘗めないでーーーー!!!!」

 

 古戦場火の力で具象化した兵器には、神器と同様に神樹様のご加護が宿る。かつての敗因だったダメージの無効化はすり抜けて、兵器本来の力をバーテックス相手にも発揮する。

 

 ねぇ、進化体バーテックスの矢は速いよ。数もたくさんあるよ。

 だけど、彼らが使ったこのMP7は秒速750メートル、それに一分間に千発もの弾丸を発射できる。

 

 加えて……三年前にバーテックスが見向きもしないで適当に殺した世界中の軍人達の魂が今、揃って銃口をそっちに向けている。

 その数5793丁。それが同時に弾丸を連射していて、その程度の矢でどうにかできると思う?

 

ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッ!!!!

「……すっげぇ……!」

 

 ダメージレースはこちらが優勢。完全に状況をひっくり返して、古戦場火による弾幕はバーテックスが矢を放ったそばから破壊する。そしてその他の弾丸もバーテックスの表面に無数の弾痕を穿つ。

 

(MP7じゃあ決定打にならない……)

 

 流石に巨大な進化体に対してMP7だとダメージこそあるだろうけどジリジリと削るぐらい……。ならばと、全てのMP7が形を変える。

 

 対戦車擲弾兵器、『RPG-7』。これもバーテックスに蹂躙された兵器の一つ。だけど同時に全身にとてつもない疲労感が……それもあって、周りに浮かんでいる同一の兵器が大量に消失する。

 

「人類の反撃を……食らって!!」

 

 倒れない……こんな所では。構え直した新たな兵器の引き金を引き、数百のRPG-7が穴だらけのバーテックスに飛来する。

 

ドゴオオォン!!!!

「きゃあっ……!」

 

 ものすごい爆風と衝撃がこっちの方まで流れてくる。倒れそうになるのをなんとか堪え、持っていたRPG-7を杖代わりに突いてもたれ掛かる。

 

 爆発による黒煙が上がる中、そこにあの厄介なバーテックスの姿はどこにもない。あの爆撃で完全に消滅して……。

 

「はぁ…はぁ……やった……」

 

 もたれ掛かっていた兵器と周りに浮かんでいる物も全て光となって消滅し、身体中に宿っていた精霊の力が消え去った。少し離れた所ではカランと音を立てながら、私の本来の武器である杖が地面の中から飛び出して転がっている。

 

「ぁ……」

 

 そして不意に目眩が……。強大な力を宿す精霊の力を使った影響なのか、いまいち力が入らない。そのままフラッと後ろに倒れて……

 

「「「「ほむら(さん)!!」」」」

 

 後ろから駆けつけてきた仲間達が支え、受け止めてくれた。

 

「みなさん……」

「ほむらさん凄かったです! 進化体バーテックスを一人で倒すなんて!」

「やりやがったなほむら! 大金星だゾ、お前ぇ♪」

「全く、精霊の力を無茶をして使うとは……だが、よくやった、ほむら」

「ていうか凄すぎよ! 切り札が使える勇者システム……ますます羨ましいわ!」

「……ふ…ふふっ」

 

 ……良かった。私、ちゃんとこの世界を守れたんだ。一時はどうなることかと思ったけど、誰一人失わずに今回の戦いも乗り切れた。

 

 そう思っていると樹海に色鮮やかな花弁が舞い上がる。バーテックスを全て倒したから、世界が元の形に戻るんだ。

 

「終わりましたね」

「ああ」

 

 今回疲れたけど、何事もなく戦いは終わった。まどかや上里さんや藤森さん、お父さんお母さん達に早く会いたいなって思いが出る。

 

「……ところで、結局友奈さんと千景さんは来なかったわね……」

「……っ! そうだその話だ!! 暁美が千景の元に……」

「私が何ですって?」

 

 突然、低いトーンの私の声が聞こえた。ううん、私の声じゃない……その声を持つ人を、私達全員は知っているから……。

 やがて樹海に舞う花弁が完全に消え去ると、私達は元いた丸亀城の外に立っていた。直前までその場にいなかったはずの、彼女まで一緒に……。

 

「暁美……!」

 

 目の前に立っているのは、全身を真っ赤な血で汚した、私そっくりな勇者……。凍てついた眼差しは私達の誰をも見ようとはしていない。ただ単に、言葉にできそうにない異様さだけを醸し出していた。




かなほむ「ねんがんの じゅうかきをてにいれたぞ!」

ゆうほむ 1 そう かんけいないね
    >2 殺してでも うばいとる
     3 ゆずってくれ たのむ!!

使い魔 『was machen Sie!(な、なにをするきさまー!)』

【古戦場火】
 鹿目ほむらの切り札の精霊。古戦場火が過去に地球上で戦死した兵士、軍人、騎士、武士の魂の記録を読み取り、それらの者が使った武器を魂の残留思念から具象化する。この際元の古戦場火も魂と同じ武器に形を変え、それが指令塔ともなるほむらの武器になる。これらには神樹の力が宿るため、バーテックス相手にも極めて有効。
 周囲に浮かぶ武器は元が実体を持たない魂故に宙に漂うだけだが、ほむら自身の攻撃がトリガーとなり、同じ様に対象を攻撃する。読み取る魂を変えることで武器も変更でき、その気になれば戦車や戦闘機も具象化可能。ただしほむらが潜在的に抱いている武器のイメージが強力であればあるほど、彼女に精神的負荷がかかってしまう。それでも強力な武器を歴史上死亡した兵士の人数分使用可能であることの利点は高く、精霊の中でも圧倒的な物量と火力を誇る。
 一方、他の精霊下ろしとは異なり、能力発動中でもほむらの身体能力は一切変化しない。例え星屑の攻撃を食らってもほむらにとっては無視できないダメージになるなど、防御力は最低クラス。


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第六十六話 「幻想」

「暁美が千景の元に……」

「私が何ですって?」

 

 この声は………戻ってきたわね、偽りの元の世界に。目の前に見える建造物は丸亀城……それから、戦闘を終えたばかりの様子のこの時代の勇者達。直前まで私の周りに気配がなかった五人の少女。

 

「暁美……!」

 

 ……思った通りね。かつて彩羽さんと乃木さんが、私と友奈と東郷を自分達の元に呼んで満開の真実を語ってくれた……。勇者の力を使えば、樹海化の解除と共に念じた地点に転送される。

 私が会わせろと念じた、あの二人以外の勇者の元に。

 

 ……思いつきで念じながら、樹海化している地面を二度三度踏みつけただけだけど、これくらいの要求なら神樹にも通るのね……ふん、狭量な神が。

 罰当たり? 知った事じゃないわ。私を元の世界に戻すのを拒んで殺そうとしたやつに敬意なんてあるわけない。今も昔もこれからも。

 

「暁美さん……!? その姿は!?」

 

 耳に残るうるさい大声。私を見るなり顔を青ざめさせる様子を見せるのは白鳥歌野だ。何やら勇者全員固まってメガほむ……鹿目ほむらの身体を支えている中、白鳥歌野一人だけが立ち上がって離れると、私の方に駆け寄ってくる。

 

「き、救急車!! 誰か救急車をコールして!!」

「………」

「しっかりして暁美さん!! ああなんてこと……目が虚ろだわ……お願い、死なないで暁美さん!!」

「触らないで」

「っ!」

 

 馴れ馴れしく延ばされた白鳥歌野の手を払い除けると、焦り一色だった白鳥歌野の顔から血の気が引いてゆく。私の事を気遣おうとしたみたいだけど、その必要はないわ。見た目は血塗れでも実際には痛みも大きな怪我もない。その余計な献身がただただ鬱陶しいだけだもの。

 

「あ、暁美さん……?」

「……勘違いしないで。これは私の血じゃないわ」

「そ、そうなの?」

「二度同じ事を言わせないで」

「それじゃあ……暁美さんは大丈夫なのね……!」

 

 不安一色だった表情を露骨に弛ませ、白鳥歌野は胸を撫で下ろしていた。その態度を見て私は思う。

 

 こいつは馬鹿なのかと。私が其方の立場なら尋ねるか警戒するしかない点に気づいている様子がない。

 

「あなたの血じゃない……? えっ!?」

「じゃ、じゃあ……それはいったい誰の血だって言うんですか……?」

「………」

「そうだ……お前は千景と会っていたはずだ。そこには友奈を向かわせていた!」

「郡さんと高嶋さん……緊急事態ってまさか……!」

「……ええ、その通り。その二人には会ったわ……それで、あなた達は何が言いたいのかしら?」

 

 はっきりと気づいた様子を見せたのは三人。乃木若葉と鹿目ほむら、それから覇気の無さそうな大人しげな少女……この時代の勇者の名前で残っていた最後の一人、伊予島杏……だったかしら。

 まあそんなことはどうでもいい。彼女だって、郡千景と同様にその存在価値は無いもの。逆に彼女達の方はこの問題を無視できない。私の全身に付着している血は他人の物なのだから。この血を流した者の安否……その原因を突き止めずにいられない。

 

 白鳥歌野と私を除き、既に樹海化解除と共に勇者の状態も解除されているにも関わらず、乃木若葉は右手に握りしめた刀の切っ先をこちらに突きつける。怒りと不安が表れたその手は僅かに震えていて、動揺を隠せていない。

 

「千景と友奈をどうしたんだと聞いている!!」

「ああ……」

 

 この場にいない二人の勇者……つい数分前まで私の目の前に立っていた二人が今どこにいるのか、どうなっているのか、彼女達は何も知らないのだから。

 

 そう、全部知らない。ここの無能共は。

 

「安心していいわよ。高嶋友奈には手を出していないわ。一応、あの女に何かあれば困るもの」

「友奈には……だと……千景はどうした!? 言え! 言わないとただでは済まさんぞ!」

「郡千景は──」

 

 ───ぐんちゃん!!!! ぐんちゃん!!!!

 

 ふと思い出す。あの時高嶋友奈が必死になって友奈と同じ声で呼ぶ名前が、あの落第勇者の物だった事を。

 

 醜くも地べたに倒れ伏し、力無く四肢を投げ出して、まるで壊れた人形のように動かずにいた女の手を取って叫ぶその姿……偽物にしか見えない、実際偽物でしかないそれは実に空虚な光景……。

 

 何もかも目障りで、消えてしまっても構わない。

 

「──殺した

「「「「「っ!!?」」」」」

 

 殺気に似た怒気が漏れたわね。中でも乃木若葉、彼女はただ一人瞳に憎悪を宿らせながら前に踏み込んだ。

 

「貴…様ァアアアア!!!!」

「若葉っ…!」

「……」

 

 勇者に変身することなくその武器を振り上げる乃木若葉。刃ではなく峰の方なのは勇者らしく非情になれない心の甘さ故か。

 

「愚かね」

 

 それが私に振り下ろされる前に、何も無い所から音もなく現れた二体の使い魔が同時に振った鎌と棒状の得物が風を切る。勇者ではない生身の状態で使い魔二体の攻撃を防ぎきれるわけがない。硬質な金属音と火花を放ち、その衝撃は彼女が握りしめた刀をも叩き飛ばす。

 

「ぐっ!?」

「つ、使い魔!? いつの間に……!?」

 

 使い魔召喚……どこにいるのか分からずとも、私の意思一つで即この場に彼女達を呼び出せる。そして私の思い描いた指示を躊躇無く実行する。

 呼び出し指示した内容通り、鎌持ちの使い魔はそのまま乃木若葉の首に刃を当てる。下手に動けばその首を切り落とすとでも伝えるように、その首筋から一滴の血液が流れ落ちた。

 

「こいつが……! こいつらが……!!」

「乃木さん…!」

「若葉さん!」

「若葉ッ!? 暁美ィ!! お前いい加減に……!!」

「あ、暁美さんやめさせて! 怪我しちゃうのはNGよ!」

「………」

「若葉も落ち着いて! さっきのはジョークに決まってるじゃない! 普通に考えてありえないでしょ!?」

 

 ……今の乃木若葉や他の勇者達の姿を見て考えが浮かぶ。仲間の危機には動いてしまい、見て見ぬフリなんてできやしない……腐っても勇者だというからには、乃木若葉以外の他の勇者も十分暴れる可能性がある。

 

「仕方ないわね」

「ホッ……。でも暁美さん! 千景さんを殺しただなんてジョークはいくらなんでもバッドテイストすぎる……」

 

 本当……溜息すら出てこない。再度使い魔達に命令を出す。

 

「全員、黙らせなさい」

「えっ……うっ!?」

 

 新しくこの場に呼び出した四体……今、ここに六体いる私の僕全てが集結する。

 

 その内の二体……ツインテールとボブカットの使い魔はさっきから隣で姦しい白鳥歌野の腕を掴み、そのまま地面に引きずり倒して拘束させる。彼女の声はもう聞き飽きた。

 

「ひっ…!?」

 

 続いて伊予島杏の側に立って彼女の頭部に向けてボウガンを構えるのが一体。怪しい動きを見せたら即座に撃ち抜いてもらう。

 

「何…おわぁっ!!」

 

 最後の一体も土居球子に猛ダッシュで突進し、地面に押し倒したところでその上に馬乗りになる。

 

「痛ってぇぇ……くそぉ、どきやがれ! ……ってお前! タマのモバイルバッテリー盗んだヤツ!! またしてもお前かぁあああ!!!!」

「土居さん、伊予島さん、白鳥さん…! っ!?」

 

 そして既に疲労で満身創痍のような鹿目ほむらに、鎌持ちの使い魔と一緒に呼び出していたロングストレートヘアーの使い魔が棒状の武器を突きつける。銃があるならそっちを使えばいいのに。

 

 目障りかつ耳障りな彼女達全員の拘束及び無力化が完了。仲間の犠牲が引き金になって全員が抵抗を始める……それは別に構わないけど面倒だから、誰も動くんじゃないわよ。

 

「ぐっ……暁美さんどうして!? なんで止めてくれないの!?」

「うるさいわね。骨の一本か二本でも折れば静かになってくれる?」

「……暁美…さん……?」

 

 地に伏した白鳥歌野を一瞥もせず、彼女を拘束する使い魔に命じる。

 

「やりなさい」

 

 白鳥歌野の両腕を、曲げてはいけない方に力を込めさせ……

 

「あぐぅっ…!」

「歌野!! どけぇえええーーーーっ!!!!」

『!?』

「チッ……」

 

 その時乃木若葉が自分の首に当てたれたままの鎌を掴み押し退ける。刃は彼女の手の平に食い込み血が噴き出す。それでも決してその力を弛ませず、強引に刃を自分の首元から離させた。

 

「許さんぞ貴様等ァ!!」

 

 自らの手に刺さったままの鎌をそのまま奪い取り投げ捨てる。迸る激しい怒りと共に、乃木若葉の伸ばした手が使い魔の胸倉を掴んで持ち上げた。

 いくら使い魔が子供程度の大きさしかないと言っても、その身体能力は勇者に引けを取らないはず……にも関わらず、あの状態から生身の身体のままで逆転するとはなんて雄々しい……。完全に本来の意味での女子力を棄てて、風先輩的な意味での女子力を発揮しているわね……

 ……だからあの女と風先輩を重ねるな…! 誰よりも立派で頼りになる先輩と無様な敗残兵を一緒にするな!!

 

「こ…の……外道共がぁあああ!!!!」

 

 宙吊りでもがき抵抗する使い魔を、一回転するように振り回し私へと……否、白鳥歌野の方に投げつける。今まさに彼女の腕を折る寸前の二体の使い魔へ……。

 

『『Aua!』』

「っ……! わ、若葉!」

「離れろ!!」

 

 二体とも、手を離して突然飛ばされてきた仲間を慌てて受け止めた。おかげでその隙に立ち上がった白鳥歌野は困惑を隠せずにいながらも私や使い魔から距離を取って警戒態勢……。

 まあいい。結果的に黙ってくれさえすれば、わざわざ手を出す必要もない。それにさっきまでの反応からして、白鳥歌野は私に危害を加える素振りは一つも見せないし……。

 

「うおおおおおおお!!!!」

 

 ……黙れって言ってるのに、乃木若葉はこちら目掛けて走り出した。落とされた武器を拾いに行かず、目の前の私に全てをぶつけようとその拳を振りかぶる。

 

「後ろ……気をつけたら?」

「ぐぁ…っ!?」

 

 乃木若葉の背後から飛びかかる三つの影。私しか見ていなかった乃木若葉は、先程自分自身が投げたりそれに巻き込んだ使い魔の手により地面に押し倒される。

 念入りに手足や胴体を三体がかりで押さえつけ、もはや彼女が動かせるのは頭ぐらい。それでもなお殺気走った瞳は私から離さず、少しでも使い魔の力が弛めば吹き飛ばしそうな勢いで抵抗し続けて起き上がろうと吼えている。

 

「あああああああああ!!!! ふざけるなふざけるなふざけるなぁあああ!!!! 千景を殺したなどと……暁美ィィイイイイ!!!!」

 

 自分の命が懸かった脅しに怯まなかった……そんなものは関係ないってわけ。自分の命よりも、ここで私を殴り倒さないと気が済まないと。

 

 ……まったく、面倒な奴。これが土居球子みたいに他の勇者達ならどうでもいいけど、乃木若葉は高嶋友奈と同様本当に殺すわけにはいかないのに。わざわざ彼女達に説明する時間は無意味なのに、仕方がない。

 

「話は最後まで聞きなさい。殺していないわよ」

「「「「「………えっ……?」」」」」

 

 殺したと口にしたけど、本来ならその後にそれを打ち消した言葉を紡いでいた。その前に早とちりした乃木若葉の暴走に邪魔されただけで、本当は殺してなんかいない。

 

 連中の勘違いを正すよう呆れ果てながら口を開くと返ってきたのは間の抜けた声。白鳥歌野も土居球子も伊予島杏も鹿目ほむらも、そして怒りに支配されていた乃木若葉ですら目を丸くしていた。

 

「郡千景。死んではいないはずよ」

 

 あれから私のいない所で失血死していない限り、生きている。その上今は高嶋友奈が側にいるだろうし、樹海化が解けた今なら病院に……勇者というVIPを受け入れられる、大社絡みの施設に向かっているんじゃないかしら。そう、つまり……

 

「ハァ…ハァ…ッ…!! みんなぁああ!!!! ぐんちゃんが…ぐんちゃんが!!!! ……っ!!?」

「あら、噂をすればお戻りね」

 

 思ったより早いタイミングで現れた。空高く飛ぶような跳躍を繰り返し、並みのヘリコプターなんかよりもずっと速いスピードでここまで走ってきた彼女、高嶋友奈。

 そしてその背に背負われている、既に意識を手放した血塗れの……。

 

「ぅ……うぅ…」

「ち、千景さん!!」

「そんな……酷い……!」

「ねえ? まだ死んではいないでしょう? 高嶋友奈」

「……なん……で……まだ向こうに居たんじゃ……!?」

「裏ワザよ」

 

 私の発する言葉にすら警戒心を露わにしながら、一歩だけ後退る高嶋友奈。そこには初めて出会った日のような人懐っこい笑顔も、誰にでも振りまくような快活な雰囲気すらも無い。何故ならさっき……。

 

「まだぐんちゃんを傷つけるつもりなの!?」

「変わらず郡千景が私の邪魔をするつもりなら。だけどいっそのこと、この場で終わらせてもいいかもね」

「……っ!」

「……チッ」

 

 やはり私はこの女が気に入らない。友奈と同じ顔で、そんな不安しかなさそうな友奈の顔でこっちを見ないで。不快でしかないの。

 

「友奈ぁ!! 千景は……千景は生きているのか!!?」

「う、うん!! だけどいっぱい血が流れちゃってて……急いで手当てしないと本当に……!!」

「大社に連絡を、友奈さん!! 千景さんしっかり!!」

 

 今まで私に噛みつかんばかりの怒りを見せていた乃木若葉も意識がそちらへ向かう。他の勇者達もそう、唯一無害そうだから拘束していない白鳥歌野も一目散に二人の側に駆け寄り、郡千景の手を取って力強く呼び掛ける。それでも郡千景が返す言葉は一つもない……当然よね。

 

「く、ぐぅぅぅ……おおおおおお!! 暁美!! 今すぐこいつらをどけろ!! どけるんだ!!!!」

「私にメリットが無い。第一こうしてあなた達を拘束しているのも、元はと言えばあなたが私に危害を加えようとしたからよ。分かってる?」

「ふざけんな!! それだってお前が千景を殺したなんて言うからだろ!! 若葉は何にも悪くない!!」

「図々しいわね。もっと痛い目を見ないと分からないのかしら? それとも……」

 

 喧しい乃木若葉と土居球子から目を背け、歩いて地面に落ちたそれを拾い上げる。この質感ときめ細やか、実に良く斬れそうね、乃木若葉の刀は。

 

「「……っ!?」」

 

 そして乃木若葉と土居球子の代わりに色のない視界に収めるのは……伊予島杏と鹿目ほむら。使い魔達に武器を突きつけられ身動きの取れない彼女達の元に、刀を握りしめながら一歩ずつ歩み寄る。

 勇者達は自分が傷つく事を厭わない……

 

 なら、自分以外の人が傷つけば分かってくれる?

 

「「……ッ!!? やめろぉおおおお!!!!」」

「………」

「分かった、分かったから!! それだけはやめてくれ!!!!」

「お前の言うことに従う!! 私達は千景の側に居てやりたいだけなんだ!! だからっ………頼む暁美!!!!」

 

 地べたから顔を見上げながら必死になって懇願してくる二人……ここまで牙を折れば十分かしら。もう向かってくることはないでしょう。

 指を鳴らすと彼女達を押さえ込み拘束していた使い魔達が一斉に散らばる。勇者全員の視線がバラバラのタイミングで全てが私に向けられ、それでいて揃いも揃って苦虫を噛み潰したかのような苦悶の表情を浮かべる。けれども誰も私を糾弾しようとしない……全員にとって郡千景の側に駆け寄ることの方が重要だから? それとも、次は無いと分かっているから……なのかしら。

 

「くっ…! 千景!!」

「千景さん!! 千景さん!!」

「しっかりしろ!! おい!!」

「だめっ! 肩に触らないで……! 一番酷いのはそこだから……」

「……っ! もしもし! こちら勇者、鹿目ほむら! 至急救急車の手配を……!」

 

 ……仲間……か……。彼女達にとって郡千景の存在は尊いのだろう。仲間の存在が人の魂を激しく揺るがし、それは先を切り拓く全ての源になる。それは私が一番良く理解している。

 

 それを突然失う恐ろしさも……もっとも、彼女達がどうなろうとも私の知ったことじゃないけど。私達の未来と彼女達の命、比べるまでもない。

 ……それにしてもこの刀、効果はあるのかしら? このまま盾に直してもいいけど、素人の私に訓練を重ねた夏凜のように実戦で使いこなせると考えるのは烏滸がましい。一応役に立つ時が来るかもしれないから持っておいて損は……

 

 なんて思いながら柄を握ったままの乃木若葉の刀を見ていると、刀身に何かが纏わり付く手応え。その瞬間刀が勢いよく引き抜かれ、私の手から離れる。

 

「フレンドがフレンドの刀で、また別のフレンドを傷つけるのなんて…見たくない……!!」

 

 宙を舞うように引っ張られた刀は、その鞭をしならせた白鳥歌野の手の中に……取り返された。白鳥歌野の鞭の範囲内ギリギリ。他の勇者が郡千景の元に集まる中、白鳥歌野だけは前に出て仲間の武器を取り戻した。

 ……反抗の意図があると見るか……いや、今のセリフからして私に乃木若葉の武器を奪われたままなのが嫌なだけ。正直もう何も来ないだろうと油断していたところに私を狙わずに刀に鞭を巻き付けた。だったら変わらず、白鳥歌野は私の障害にはならない。

 

「別に良いか……返すわ、その刀。乃木若葉に雑魚狩りをさせる方が効率的だわ」

 

 刀に未練があるわけでもないしやっぱりいらない。私にはそれよりも各段に勝る力がある。時間停止や爆弾然り、満開が。

 

 白鳥歌野は刀を手にしたけど案の定動きはない。代わりに何かを訴えそうな瞳がこちらに向けられる。

 

「……本気…だった……。若葉と球子さんが止めていなかったら……本当に杏さんとほむらさんを殺す気だった……!」

「良かったわね、そうならなくて。でもこれで分かったでしょう? 私の邪魔をするとどうなるのか」

「暁美さん! 本当にあなたが千景さんを……!?」

 

 ……いい加減くどいわね。とはいえまだハッキリと言い切ってはいなかった。さっき途中で乃木若葉に遮られた言葉の続きを教えてあげようかしら。

 

 

 

「殺した……つもりだったんだけど、殺し損ねた

「!?」

殺しても殺しても死なない能力があるなんて。これが全文」

 

 彼女達が樹海でバーテックスと戦っている間、私と郡千景が何をしていたのか……その答えは殺し合い。互いに明確な殺意を持って、目障りなその命を奪い取る。

 

 抵抗は無い。だって、その命に価値は無いもの。

 

「……本当に、いったいどうしちゃったっていうのよ!! 私が知っている暁美ほむらって勇者は……そんな人じゃなかったはずよ!?」

 

 ……そうでしょうね。だって棄てたもの。今までの甘えた覚悟なんて……

 

 

◇◇◇◇

 

 話は数分前まで遡る。樹海で、目の前の郡千景が()()に増えたところまで。

 

(これは……っ!?)

 

 七人の郡千景……いきなりそんな事を聞かされても何を言ってるのか分からないと思うし、私自身何が起こっているのか状況を判断しきれなかった。

 ただし、向こうは別だ。こちらが事態を受け止める前に行動に移り、そしてようやく私も本能が全開で警報を鳴らして理解した。このまま呆けているのはマズいって。

 

「があッ!!」

 

 怒りの咆哮と共に速攻でこちらに飛びかかり、左手で強く握り締めている大鎌を横に薙ぎ払ってきた。そこには怒りにまみれ、私を消そうとする殺気だけしか感じられない。

 

「く…っ!」

 

 大鎌に合わせて盾を構える余裕がない。それでもギリギリ反射的に身を屈めつつ後ろに仰け反り、その一撃を回避する。しかし、完全な殺意が込められた刃はその怨念が逃さない。回避するよりも早く、大鎌の切っ先は私の頬をほんの僅かにだが切り裂いた。

 

(バリアが出ない……!?)

『………!!?』

「エイミー!! 何をやってるの、戻りなさい!!!!」

 

 数十メートル近く離れた地点で蹴り飛ばして散らばった医療道具をかぎ集めていたエイミーを怒鳴りつける。あんなに離れている所にいるから、私の側でバリアを展開できなかったのか……もし今の攻撃を避けられなかったら、私の身体は綺麗に真っ二つだった。

 

『……!!』

 

 遠くにいるエイミーがその姿を消す。私の端末に戻って致命傷を負うリスクはなくなった。

 

「ぁああっ!!」

 

 直後に郡千景が前に踏み込み大鎌を振り下ろす。肩の傷から噴き出した血がこの勇者の顔を染め上げ、その姿はまさしく、怨み憎しみに呑み込まれた幽鬼そのもの。

 

「けれど!」

「っ…!? しま……っ!」

 

 一度見て、尚且つ意識をそちらに向けられていれば、今度は見切れる。その一撃を左腕の盾で受け止める。激しい金属音が鳴り響いたにも関わらず、私の腕にはこれといった衝撃はほとんど伝わらない。

 

「くぁ……っ!!」

 

 代わりに苦悶の声を漏らしたのは大鎌で攻撃してきた方の郡千景だ。片手一本に盾を叩いた反動が全て流れ、人の背丈程もありそうな大鎌を握る力を削がれ、落としてしまう。

 

 私が初めから有している盾はバーテックス相手に有効打となる攻撃性能が無い代わりなのか、防御性能は群を抜いている。絶対的な硬さと靱性を兼ね備えた衝撃耐性は、砕けるどころか傷が付くビジョンすら浮かばせない。逆に敵側の攻撃を容易く弾き、近接攻撃なら相手の肉体に反動というカウンターを返してやれるほどだ。

 

「ぐぅうう……ッ!! おのれぇ……!!!!」

「その傷で襲ってくるなんてどうかしてる……っ!」

「「「死…ねェッ!!」」」

 

 一人を無力化しても意味がない。即座に第二の郡千景が飛ぶように接近して鎌を振り回す。第三の郡千景が背後から接近して鎌を振り下ろす。第四の郡千景が……私に避けるなんて選択肢をことごとく潰しにかかる。

 私の盾で、同時に襲いかかる三つの鎌を防ぐなんて不可能。加えて私の盾の硬度を理解した郡千景も甘くなく、一人も盾にぶつけることなく私の身体に斬撃が走る。

 

「エイミー!!」

「「「……!?」」」

『……!』

 

 ただしそれは精霊バリアが防いでくれる。衝撃はあれども薄紫の障壁が全ての斬撃を弾き、郡千景にとって予期せぬ戸惑いを与えた。

 この時代の勇者達に精霊バリアなんて便利なものはない……あれば郡千景は撃たれた傷なんて無い。とにかく盾と精霊バリア、二重の守りによって郡千景の動きが一瞬固まり、その隙を突いて大きく跳び上がる。

 

「待て!!」

「この……! しつこい……!」

 

 この郡千景が七人に増える謎の力、もしかすると私達の満開のような力なのか。その答えは違うだろうけど、明らかに通常時には無いであろう飛行能力が発揮されている。跳躍から着地後樹海を走り距離を取る私を、郡千景は空を飛びながら追いかけた。

 

「くっ……!」

「ああああああああ!!」

「その傷も、腕も、痛みを感じないの……!?」

「関係無い!! お前がまだ動いて息をしていることの方が我慢ならない!!」

『………!!』

「それが勇者の在り方!?」

「黙れ!!!! 高嶋さんを穢したその口を開くな!!!!」

 

 私が走るよりも速く、蝶のように舞い蜂のように刺す……そんな攻撃を走りながら盾で受け止めカウンターを食らわせても怯まず、次々と飛んでくる郡千景が狂ったように攻撃を続ける。肩の傷から血が噴き出そうとも、何度も攻撃を盾に弾かれようとも、盾をくぐり抜けて精霊バリアに防がれようとも……。

 

「死ね!! 死ね死ね死ね死ねェ!!!!!」

「ふざ…けるな!!!」

「だぁあああああっ!!!!」

「うっ!?」

 

 痛みは感じずダメージも大きく軽減されようとも、衝撃を完全に消せるわけではない精霊バリア。数人で同時に放つ郡千景の執念が私の身体を吹き飛ばし、樹海で真っ逆様に落ちていく。

 何十メートルもの高さから落とされて、地面に激突。仰向けに倒れている私の真上から、七人全員揃って突っ込んだ。

 

「地獄で高嶋さんに詫び続けろ!!!! 暁美ほむらァアアア!!!!」

「……!」

 

 

 

「なっ……!?」

「消えた……!?」

 

 七つの大鎌が私を斬り裂く瞬間、地面に叩きつけられていたはずの私の姿が一瞬にしていなくなっていた。郡千景の鎌は全てが地面に突き刺さり、私がいた所には左腕に身に付けていた盾が重力に従い落ちてカランと金属音を鳴らす。

 

「どこに消えた!!? 姿を見せろ!!」

 

 郡千景は驚愕し、私の姿を探そうと辺りをキョロキョロ見渡し、やがて地面に落ちた盾を見つめ、ハッとする。

 

「……盾の中の……異空間……!」

 

 思った通り、郡千景は白鳥歌野か藤森水都から私の盾の異空間の事を聞いていた。一度入り口を開けば触れるだけで全身を一瞬で中に入れることができ、それで追撃を回避できる。

 そして今、入り口は固く閉じられている。盾に触っても誰も外から異空間の中には入れない。これに気づいた郡千景は醜く顔を歪め、抑えきれない怒りと憎しみをぶつけるように盾を蹴り飛ばした。

 

「あああああああッッ!!!! 出てこいこの卑怯者ッッ!!!! 逃げるなァアアア!!!!」

 

 転がる盾に追い討ちで囲って絶え間なく大鎌で叩きつける。そんな事をしても私が傷つくわけでもないし、盾にすら傷一つ入らない。完全に無駄な行動でも郡千景はそうせざるをえなかった。怒りをぶつけるだけじゃなく、外の様子が分からない私が顔を出した瞬間袋叩きにするために。

 

 もっともそれは私が本当に異空間の中に退避した場合に限るけど。

 

(……撒けた)

 

 私は郡千景が七人がかりで私の盾を叩き続けるのを、そこから200メートルは離れた崖の上から眺めていた。あの時私は異空間の中に入ったのではなく、時間停止を発動していた。

 時間停止は白鳥歌野と藤森水都にも明かしていない能力。その存在を知らない郡千景の前で、敢えて盾を取り外してその場に放置。私だけが止まった世界の中でこの場から離脱することで、異空間の事は知っているであろう向こうは私がその中に隠れたと誤認すると読んだ。

 

 読み通り、郡千景の意識は置いてきた盾に。守りの要かつ時間停止と異空間を手放したのは痛いけど、頃合いを見て使い魔に回収させればいい……最初はそんな考えがあったかもしれない。

 

 

 

「……あんなのが……勇者ですって……!?」

 

 でも、その時の私を支配していた感情は、この時代の勇者達に対する大きな失望。そして郡千景のものなんかよりも遥かに大きい、心の弱さ情けなさ身勝手さに対する憎悪。

 

「……あんなのが……みんなと同じ……!」

 

 世界を守るための勇者でありながら、郡千景はその功績や力を周りに認められ賞賛されたいがために使うことしか頭にない。

 

「何よそれ……! そんなくだらない理由で戦えるほど、バーテックスは弱くない……!」

 

 弱い……それが私がこの世界の勇者達に抱く一番の印象。脆弱な心はその力の方にも表れる。

 

 白鳥歌野……初めは彼女の心意気や人々の前に立ち先導する姿から、私も彼女に勇者部のみんなと同じぐらいの尊敬の念を抱いた。でも、所詮そんなものは私の思い違いだったのかもしれない。あの戦いを今振り返れば、彼女はあのバーテックスのなり損ない、進化体なんて大層な呼称が付けられている雑魚にすら苦戦するような弱者。それなのに一丁前に無謀な未来、幻想を抱いた身の程知らずでしかない。

 

 他の勇者だって同じ事。連中は知らない、自らの非力さを自覚していない。私達が戦ったあの無限に湧いて出現する、星座の名前を冠する巨大バーテックス。そいつらの脅威を知らずして世界を救えると本気で思いこんでいる。愚かな幻想を抱いている。

 

 だから敗れた。乃木若葉と高嶋友奈は生き残ったのかもしれない。他の勇者達はどうなったのか知らないけど、そんな事は1ミリたりとも関係無い。

 

『私はただ……羽衣と園子ちゃん、須美ちゃんと銀ちゃん……みんなが幸せに生きて、立派に成長していくのを見ていたかっただけなのに…!』

『……治りたいよね。私も治りたいよ……歩いて友達を抱きしめに行きたいよ……』

『お願いだから……みんなに会わせてよぉ……お姉ちゃん…園子ちゃん…須美さん…銀さん……ぅぁあああ…!』

 

 重要なのは、彼女達の弱さ故の過ちの責任を、私達に押し付けられたこと。自分達の子孫に、自分達が敵わなかった化け物の相手を押し付けて、不幸にした。あの尊い姉妹達を引き裂き、多くの身体の機能を奪い、大切な人の命を奪い、ごく平凡な日常さえも奪った。

 

 勇者? いいえ、やってることが前に彩羽さんから教えてもらったこの時代のバーテックスのそれと変わりないんじゃない?

 

『……それじゃあ、みんなの体はもう…元には戻らないの…?』

『……風先輩が暴走……どういう事よそれは!! ふざけるな!! 風先輩が何の理由もなくそんな事をするわけないのよ!!』

『う………ああ……ううううっ…!! ああああああああああああっ!!!! 駄目…!! 絶対に駄目よ、そんなの…!! 忘れたくない……忘れられたくない…!!』

『終わらない……私達の生き地獄は永遠に終わらない……だから! この世界を終わらせるの!! 間違ってるこの世界を終わらせて……私はみんなを救いたいだけなんだよ!!』

『嫌だよ!! 怖いよ!! 友奈ちゃんもほむらちゃんも、私を忘れてしまう!! もう嫌だ!! 私を一人にしないでよぉ!!! うあああああああああ!!!!』

 

 こいつらのせいで、みんなが泣いた。苦しみ怒りに震え、どうしようもない覆せない現実に絶望した。

 全ては大赦の的外れで自己満足と己の価値観でしか判断しない頭が原因……だけど諸悪の根源はまさしく、この時代の勇者達の弱さ。勇者としての実力も、心構えも、何もかもが中途半端で幻想に縋ることしかできない哀れで惨めな存在が世界の命運を託されていた事実。

 

「……今、ようやく解った……なぜ神樹が私を元の世界に帰してくれないのか……ははっ」

 

 答えに辿り着いた私は一周回って渇いた笑みを浮かべることしかできなかった。だけどその内側では、目には見えないけど絶対に禍々しい形をした炎が激しく燃え上がっていた。

 

「……なぁんだ……流石は神様。もう既にお見通しなのね……連中がバーテックスに負ける未来が」

 

 雑魚しか倒せない役立たず、それもたったの七人。世間ではチヤホヤされているけど実際は無責任を無自覚で無価値な無能共、神樹は世界を救えるだなんて期待はしていない。このままバーテックスに敗れて、大社が謝り倒してなんかして大赦になって、何やかんやで猶予を貰ってそのまま未来の私達に丸投げだ。

 ところがこの謎の勇者システムによる運命で決められた事なのか、この時代に未来の勇者の私が流れ着いた。時間停止、高威力爆弾、満開……この時代の勇者は私の足元にも及ばない強大な力を有する勇者の登場だ。

 

 負け戦の中に可能性が見えた。だから神樹は私をみすみす手放す気は皆無。私のたった一つの願いを踏みにじり、みんなの笑顔を奪い、私達の未来を閉ざし、奴らの世界にだけ平穏な未来を作ろうと私を捕らえた。

 

「………これが……この感情が……殺意なのね」

 

 バーテックスが存在しない理想郷のために、骨の髄まで私を利用し尽くしたい……それが神樹の意志。無能共に力を貸して、拒むのなら殺して私の力を取り込んで糧にすればいい。神話で繰り返されてきた生け贄のように。

 

「…………く、くくっ」

 

 何か……決定的な何かが音を立てて切れたような感覚が。

 

「はーーーっはっはっは!!!」

「っ!? いつの間に外に!!」

「ははっ! あーっはははは!!!!」

 

 神樹の思惑が理解できた。決して共感できず到底納得できるものではないけど……でも、一つだけハッキリしたことがある。それに気づいた時、私は耐えきれず、馬鹿みたいに大きな声で笑った。それが原因で離れた地点にいる郡千景に気づかれたけどどうでもいい。所詮は生きる価値すら無き醜い敗北者。鬱陶しい障害となろうとも、壊すのに大した苦労の無い小蠅みたいな存在だもの。

 

「何がおかしい!!?」

「はははっ!!! それが……それがお前が提示する条件ってわけ……!」

「……何を……言ってるの!!」

 

 収まることのない怒りに震えながら、郡千景はこちらに目掛けて飛び出した。変わらず、邪魔な私を殺そうというたった一つの感情を剥き出しにしながら。

 それを消すことしか、私の頭の中に考えはなかった。これからもずっと目障りな障害であり続けるのなら……私達の幸せな未来を拒むのなら。

 

(私としたことが、今まで長いこと無気力のままうなだれていたと思うと実に腹立たしい)

 

(そんな有り様で居続けたところで事態は何も変わらないというのに、何もない所に身を潜め、ここの人間の視線を遮断し、騒音から耳を塞ぎ閉じ籠もる……なんて無様な姿かしら)

 

 神樹の願いはバーテックスが存在しない世界。それを成すために私を解放しないのであれば……逆に言えば、それさえ成すことができたのなら、私にもう用は無い。

 

(……オーケー、降参。もう駄々はこねない……其方の要求に一つだけ従うわ)

 

 戦いを続けていたら、満開は避けられない……もっと色々な機能を失い、やがて彩羽さんや乃木さん以上に悲惨な姿になるだろう。

 私、頑張ってみる。どんなに辛い思いをするのかわからない……何度だって挫けそうになるかもしれない。

 

 だけど心がバラバラに砕け散る事は決してない。もうこれ以上ない絶望を味わった身、死よりも恐ろしい恐怖を味わった身だもの。

 

 それにこの目を閉じれば、彼女達の笑顔が浮かび上がる。この記憶と瞳の奥に焼き付いたあなた達との思い出は、色覚を失った今なお決して色褪せない。

 

 例え四肢を失い達磨になろうとも、五感を奪われ何も感じられなくなろうとも……何を犠牲にしてでも帰らなくちゃいけないのよ。みんなの笑顔を守るために。

 

「……あの子達に再び会うためなら……ええ、いいわ。やってあげる。バーテックスの完全撲滅を」

 

 覚悟を決めた。この腐った世界で無意味な戦いに身を投じる覚悟。だけどその結末はきっと、私が望む世界があるのだから。満開をも恐れない理由が蘇る。

 甘えは棄てた。目を背けては逃げて……そんな事で未来は何も変わりはしない。

 

 変えなくちゃいけない……私の持つ謎の勇者システム……この時代のオーパーツ。私はこれを、元の世界の西暦の時代にも、同じ様に異なる世界から別の暁美ほむらが流れ着いたのだと推測している。その結末は、勇者システムが残っていることからきっと……絶望の最果て。

 

 甘えは……私にも絶望の最果てへと誘う運命を呼び寄せる。

 

 郡千景……大切な事に気づかせてくれたあなたには一応お礼を言っておくわ。

 

「……ついでにもう一つだけやってあげる。私、完璧超人だし手際が良すぎって色んな人から結構評判だったものよ」

 

 だから……

 

 

 

ゴミ掃除

 

 目障りなあなたは私の目の前から失せなさい。

 

「ぐんちゃん!! ほむらちゃ……!!?」

 

 足に力を込め、弾丸のような勢いで崖下からこちらに接近してくる郡千景に落下の勢いを加えて飛びかかる。咄嗟に振るわれた大鎌が私に当たるよりも先に、鋭く蹴るように伸ばした足が一人の郡千景の肩の傷に突き刺さる。

 

「~~~ッッ!!!!!」

 

 その声にならない郡千景の絶叫を聞きながら、私達は揃ってそのまま崖下へ。激しく肩から血が噴き出し、それが私の足を、噴き出すよりも早く落下する私の顔にも付着する。

 

 そして、郡千景の肉体をクッションに、地面に激突する。派手に土煙が舞い、血飛沫が飛び散り、郡千景の右腕が肩から先が千切れ落ちた。

 

「イヤァアアアアアアアアアアアア!!!!」

「………」

「ぐんちゃん!!!! ぐんちゃん!!!!」

「……偽物か。本物じゃない」

 

 目の前の郡千景が息絶えた直後、彼女の肉体と大鎌が淡い光となって消え失せる。仕組みはどうであれ、郡千景は七人に増えていた。その内の六人が偽物で、本物は一人だけ。見た目に違いは一つもなく、全員が本物と同じく肩に銃創がある。おまけに血の汚れも全部が一致ときた。運悪く今のはハズレを引いてしまっただけ。

 

「……あら? 八人だったかしら……数え間違い?」

 

 他の郡千景達を見上げてみると、一人始末したはずなのに数が変わっていない。六人ではなく七人が、こちらを憤怒の表情で見つめていた。けれど、その表情の中にはさっきまで感じられなかった、怯えのような色が滲んでいた。

 

「来ないの?」

「……っ、図に乗るな……!!」

「愚かね」

 

 残り七人残っていようが関係無い。誤差だ。郡千景達は怒りに身を任せ、彼方此方に分散しながら接近する。

 

「はあっ!!」

 

 まず最初に近づいた一人が左腕一本で大鎌を振り下ろす。それを半歩左にずれて避け、分かり易い弱点の傷口を思いっきりぶん殴る。

 

「ああああああッッ!!!!?」

「痛い? なら今度は本物?」

「かっ…!」

「チッ……! おのれぇ!!!!」

 

 そのまま顔面も殴り抜いて地面にノックアウト。その追撃を前に、今度は別の郡千景が上から襲いかかる。

 

「偽物に用はない」

 

 念じて右手の中に出現する物体、それを軽く頭上に放り投げる。投げたそれをこんな物とばかりに反射的に郡千景が切り裂いた瞬間……

 

ドォン!!!

「!?」

 

 爆発がその郡千景を包み込み、粉々に吹き飛ばす。こっちにまで爆風が来ないよう威力抑え目の爆弾一つでお陀仏……やはり脆い。いや、偽物だからか。

 

「あれが爆弾!? くっ……!」

「はぁ……さっきまでの威勢はどこへやら」

「チィッ……!」

「どうしたの? 攻撃が来ないけど次は仲良く逃げる準備?」

「黙れ!!!!」

 

 叫んで鎌を振りかぶりながら四人がかりで突進。前後左右を包囲し、同時攻撃を狙う。

 けれどもただでさえ大鎌なんて巨大な武器を右肩の負傷のせいで左腕一本で扱う郡千景の隙は大きいし動きもよく見てさえいればすっトロい。

 

「「「「とった!!」」」」

「そうやって簡単に挑発に乗ってくれるとありがたいわ」

 

 四人の斬撃が同時に襲いかかる直前、私の身体を中心に爆発が起こる。予め先を読み、郡千景からは見えないよう既にこっそりスイッチを押していた。

 

ドゴオオォン!!!!

「うぅっ……! じ、自爆……!?」

「とはならないのよね」

「なっ……!? 何で声が……!」

 

 四人の郡千景が消滅する爆炎の中、精霊バリアに守られる私は声が聞こえた方向に爆弾を投げつける。

 

「っ……! あ、危なかっ」

 

 それがその郡千景の最後の言葉。私が投げつけた爆弾を郡千景は横に飛んで回避した。けれどもその爆弾は郡千景の背後にて、ベクトルに変化が生じていた。

 

schießen!

 

 地面を蹴ってそこに跳び上がっていた私の使い魔。それが飛んできた爆弾の勢いをリフティングするかのように足で弾いて殺し、そのまま郡千景目掛けて起爆しないように蹴り飛ばした。

 

ドゴォン!!!!

 

 一度避けたはずの爆弾が第三者の足によって戻ってくるなんて考えられず、背後からの爆弾で六人目の郡千景が消滅した。

 

「う……っく……ぁあ……!」

 

 残すはさっき地面に殴り倒した……最後の一人だ、本物に違いない。右肩へのダメージ酷いのか、大鎌を手放し手を当てている。

 その大鎌を拾ったのは私。人々の命を救うはずの武器を自己承認のために使おうとした彼女を葬るのになんて相応しいのかしら。

 

(……これから私は本当に人を殺すのね)

 

 ふと数週間前の事を思い出す。あの時も鎌だった、知ったような事を口にする藤森水都を黙らせた時に使った武器は。人の命を奪うような事をすれば、二度とみんなに会わせる顔がない……だから情けをかけて殴るだけに済ませた。

 

 人を殺せば、私はみんなとの輪に戻れなくなってしまう……それは……

 

 まあ、こいつらは人以下の存在だから関係無いか。

 

 このまま生かしておけば、必ず私の邪魔をする……そしたら私達の再会をも邪魔される……。今も昔も未来も私達を不幸に陥れる郡千景をこの場で殺すこと……それはみんなが喜ぶ結果に繋がるのよ。

 

「ほむらちゃん!!!! だめえええええええ!!!!!!」

「………」

 

 大鎌が郡千景の頭部を刎ね飛ばした。

 

 それはいつの間にやらこの場に来ていた高嶋友奈の前まで転がり……

 

「……ぐんちゃ……ぐん……」

 

 またしても光となって消え失せる。ついでに私が首を刎ねた大鎌も一緒に。

 

「………はあ? どれが本物よ………あれは……」

「フー……! フー……!」

「!! ぐんちゃん!! ぐんちゃん!!!!」

 

 まさかの七人全部が偽物だったパターンを思い浮かべるも、辺りを見渡すとそこには全部殺したはずの郡千景が……

 全員が血塗れで、特に右肩の銃で撃たれた傷が目立つ。それはさっきまでと全く同じ。変わらず七人揃ってそこに存在している。

 

「……なるほど、そういえば、七人御先なんて言ってたかしら。精霊の力というわけね」

 

 以前本で読んだことがある。常に七人組の集団亡霊七人御先。その七人という数は決して変わらない。一人を呪い殺すと七人御先の内の霊の一人が成仏し、替わって取り殺された者が七人御先の内の一人となる。

 その力が表れていたのか。例え殺しても、七人という数が固定だから蘇って死んだ事がなかったことに。最初に殺した時に八人いたと思ってしまったのはやっぱり間違いで、殺したと同時に蘇ったと……。つまりは全員が本物だったけど、殺しても殺しても、意味がない。

 

「その体力が保てばだけど」

「……あけみ……ほむ…ら……!」

「ぐ、ぐんちゃん!?」

 

 恨みの込もった言葉を紡ぎながら、一人の郡千景がその場に崩れるように倒れ込んだ。その瞬間、他の六人の郡千景は一斉に消滅し、残った正真正銘本物の彼女が纏う服も、一般的な私服へと変化した。

 すなわち、勇者の変身が解けた。理由は考えるまでもない。元々重傷を負っていたところに不死性を発揮する特殊能力……加えて私に何度も殺された。復活の度に死ぬ際の致命傷は無かったことになるのか、傷は能力を発動した時に既にあった肩の傷しか無かったけど、彼女達は痛みを感じていた。傷口を攻撃された時は特に顕著で、悶えて動けなくなる事も。

 そうなってしまえば、精神に限界が訪れるのもそう遠い話ではない。郡千景は意識を失い、その面倒な不死性も消えた。

 

「ぐんちゃん!!!! ぐんちゃん!!!!」

 

 必死になって郡千景に呼びかける高嶋友奈。友奈と同じ顔で、同じ声で、そいつの心配をしていることに苛立ちが募る。

 

「……早いところトドメを刺しましょう」

「っ!! ……トドメって……何……!」

 

 今なら郡千景を始末できる。そう思って郡千景と高嶋友奈の元に歩み寄る。だけど高嶋友奈が瞳に涙を溜めながら振り返り、震えた声を発してきた。

 

「……ぐんちゃんの腕が……頭が……! なんであんな酷いことができるの!? ぐんちゃんの……人の命を何だと思っているの!?」

「くだらない。忠告してあげる。友達は選んだ方がいいわよ? 特に郡千景は……」

 

 言い切る前に立ち上がる高嶋友奈。いや、きっと何を言おうとも彼女の取る行動はどれも同じだったに違いない。大きく振りかぶった、あの子の必殺技と同じ、テレフォンパンチの……。

 

「勇者ぁ……パァァアアーーンチ!!!!」

 

 

ドゴオオォン!!!!

 

 お腹を精霊バリアの上から衝撃が走り、私の身体が浮かび上がる。後ろへと飛ばされてしまい、必然的に彼女達から距離を離される。

 

「チッ……!」

 

 受け身を取って即座に右手に爆弾を生成し、放り投げ……られない。思いきってしまう前に、視界を通じて私の脳裏には二人の少女の姿が映っていた。

 

(彩羽さん……羽衣ちゃん……)

 

 ここで爆弾を投げたら郡千景は仕留められるけど、高嶋友奈も巻き込むだろう。そうすれば……あの二人は……。

 ……高嶋友奈は……殺せない。そしてそれは……乃木若葉も同様……。

 

「……信じていたのに……私……!」

 

 涙をこぼしながら、高嶋友奈は郡千景を背負ってこの場から立ち去った。

 

 

◆◆◆◆

 

「今度からは私もバーテックスと戦ってあげる……それを伝えに来た」

 

 この場の勇者達の信じられないという視線を浴びながら、みんなに思いを馳せる。

 

 ここはそう、言わば出口の見えない迷宮だ。命懸けで戦うことの本当の意味を、命に懸けても守りたい存在の持っている大きすぎるその重みを抽象的にしか知らなかったあの頃に憧れていた……暁美ほむら()が乗り越えなくてはならない運命の壁なんだ。

 

 友奈  東郷  風先輩  樹ちゃん  夏凜  彩羽さん  乃木さん  羽衣ちゃん  みんな……

 

「なれ合うつもりはないから、邪魔はしないで頂戴」

 

 待っていて、必ずみんなの元に帰ってくるから。




Q:ゆうほむは神樹様に勇者の資格を剥奪されないの?
A:原作ののわゆにて、剥奪はぐんちゃん死亡の原因となったため最終決戦前に勇者システムは改良され、以降は神樹の意志では資格は奪われなくなっております。詳しい事を書くと核心的ネタバレに繋がるのでざっくり言うと、ゆうほむの勇者システムはそのシステムがインストールされているため如何に非道な行いをしようとも勇者の資格を失うことはありません。

Q:ぐんちゃんは神樹様に勇者の資格を剥奪されないの?
A:相手がゆうほむでしたから許されました。精霊バリアで致命傷を受けないため神樹が守る必要がないため。そして一番の理由が……神樹がかつて自身にとんでもない無礼を働きながら逃げ果せたゆうほむを嫌っているからです。それこそ殺しかけるほどに痛めつけた相手を守る理由が神樹にはなかったのです。

 藍井エイルの『シンシアの光』。これが作者の私が思う、この焔の章のイメージソングです。考えている先の展開含め、歌詞のシンクロ率がとても高かったり……。

【暁美ほむらの盾】
 ほむらが勇者に覚醒した時から所持している円盤状の盾。常に彼女の左腕に装着する形で装備されており、簡単に取り外し手に取る事もできる。盾その物にバーテックスを相手取るに足る攻撃能力は無いものの、その硬度は非常に高く、鈍器としての威力はバーテックス相手なら星屑や双子型などある程度小さければ仰け反らす事ができ、人間や勇者相手なら痛みに震え悶える程度はある。その硬さから防御力は凄まじく、大型バーテックスをも撃ち抜ける東郷の狙撃であろうとも、それを受け止めたほむらに僅かな衝撃も伝えず容易く弾き飛ばせる程。しかし大きさは直径28cmであり、そのため密度や体積が圧倒的に大きすぎる攻撃はほむら自身が耐えきれず受け止めきれない場合もある。(魚型の押し潰し、満開した東郷の砲撃)

【使い魔セリフ翻訳】

 宙吊りでもがき抵抗する使い魔を、一回転するように振り回し私へと……否、白鳥歌野の方に投げつける。今まさに彼女の腕を折る寸前の二体の使い魔へ……。

『『Aua!(うわあ!)』』


schießen!(それっ!)』

 地面を蹴ってそこに跳び上がっていた私の使い魔。それが飛んできた爆弾の勢いをリフティングするかのように足で弾いて殺し、そのまま郡千景目掛けて起爆しないように蹴り飛ばした。


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第六十七話 「異彩」

 突然知らされた、考えることがそもそも怖かった報せ。

 わたしだけじゃない、ずっと一緒にいたひなたちゃんと水都ちゃんの顔からも血の気が引いていて、痛いくらい激しく鳴り続ける心臓をもっと動かすように必死で走る。

 

 駆けつけたここは、大社の管理下にある大きな病院。そこの通路を慌ただしく走ってしまっても、静かにしなきゃって考えは少しも出てこない。

 それよりも一秒でも早く、質の悪いイタズラだって思いたくて……本当はそんなわけないって分かりきっていたのに、藁にも縋る気持ちで信じたくなかった。

 

「っ、杏ちゃん! 球子ちゃん! 友奈ちゃん!」

 

 無我夢中で……聞いていた場所まで向かって曲がり角を曲がって見えたロビーチェアに三人が並んで座ってる。いつもの元気いっぱいの明るい雰囲気は少しも感じられない。それもそのはず、座っている三人の前にある扉の上に点灯してあるランプを見れば、事情を知らなくても誰でもわかる事だから……。

 

「……あ、お前ら……」

「千景さんは……!」

「まだ……」

 

 力無くゆっくりと視線が向けられた先にある『手術中』の文字……改めて、息が苦しくなるような感覚に襲われる。

 

(わたし達の知らないところで……)

 

 二回目のバーテックスの襲撃があった……わたし達巫女がそれを知ったのは戦いが終わった後で。その間に事態は様変わりを始めていて、一回目の時には無かった考えたくもない現実が姿を表していた。

 

「……お前らも座ってろよ……。今のタマ達にできることなんて、千景の無事を祈って待つことしかできないんだからさ……」

「……悔しい、ですけど……」

「友奈ちゃん……」

「……っ…! …ぅぅ……!」

 

 特に、友奈ちゃんのこんな姿は見たことがない……。下を俯いていて顔が見えないけど、時々肩を震わせながら、嗚咽をこぼしている。

 友奈ちゃんの隣に座って、その背中を優しくさするけど、気休めになるかどうか……。友奈ちゃんは千景さんの事をいつも気にかけていて、それでいて千景さんが一緒にいる時はいつも幸せそうで、本当に大好きなんだって伝わってくるんだもん……。こんなことになって、不安にならないわけがない……。

 

 ……それだけじゃなく、簡単に説明された分だけしか知らないけど、加えてあの話が本当の事なら……もっと……友奈ちゃんの心は今、ズタズタに傷つけられているはず……。

 

「……本当…なの……? 暁美さんが…郡さんを殺そうとしたなんて……」

 

 少し前に何の前触れもなく連絡が来たのかと思えば、衝撃で怒涛の出来事が伝えられた。急いでみんなが移動していた病院にわたし達も向かうしか考えが……ううん、信じたくないって思いしか抱かない。そうだったのに、結局……

 

「……本人がそう言いました……」

「……なん…で……暁美さん……!」

 

 事実だった。千景さんは重傷で手術中……それがバーテックスに襲われたものじゃなく、みんなと同じ勇者の仲間であるはずのほむらちゃんそっくりのあの人が……。

 水都ちゃんも友奈ちゃんと同じようにとても苦しそうに肩を震わせていた。涙を滲ませて、水都ちゃんが知っているあの人の姿が遠ざかるのにショックが大きすぎて。

 人を殺すなんて絶対に認めちゃいけないこと……それを平然と行えるあの人が恐くなって……。

 

「千景だけじゃない……! アイツはあんずやほむらも殺そうとしたんだ……! クソッ!!」

「そんな……っ! ね、ねえ…!? ここにほむらちゃんがいないのって……」

「そうです! 若葉ちゃんの姿も見えません!」

「う、うたのんもだよ……!? わ、私、イヤだよそんなこと…!」

 

 連絡を受け取ってはいるけど、全部を知っているわけじゃない。今の球子ちゃんの言葉で一斉にわたし達の心の中にある不安や恐怖が膨れ上がる。ただでさえ千景さんの事で心臓が締め付けられるかのように苦しいのに、そこにほむらちゃんと杏ちゃんがいたかもしれないなんて知ってしまえば……。

 

「お、落ち着いてください…! その三人が一緒じゃないのは別で検査しているだけであって大丈夫ですから……! きっと……!」

「……すみません、取り乱して……。何があったのか、詳しく教えてください」

 

 ……一応、ほむらちゃん達は無事みたいでホッとしかけるけど、すぐにそんな安心していい場合じゃないんだって思い出す。

 バーテックスが攻めてくる間、神樹様の力で勇者やバーテックス以外の全ての時間は止まってしまう。わたし達が知らない間にみんなの所で何があったのか、球子ちゃんと杏ちゃんが振り返ってくれた。

 

 千景さんが故郷に帰省している時に起こった襲撃……最初はすぐに駆け付けるだろうって思われていたけど、その時既に千景さんは……。

 友奈ちゃんを千景さんの元に向かわせて、勇者システムがない歌野ちゃんが着替えるまでの間ほむらちゃんと二人で離脱。若葉ちゃんと球子ちゃんと杏ちゃんの三人で戦っていたこと。二人が戻ってからしばらくして、進化体バーテックスが現れて苦戦したけど、ほむらちゃんがやっつけた……その後に……。

 

「───という……ことなんです」

「「「………酷い」」」

 

 ……それしか、言葉が出てこなかった。平気でみんなを無理矢理黙らせて、傷つける事を何とも思わずに脅し、踏みにじる……。これが本当に勇者の……人のやることなの……?

 あの人は歌野ちゃんと水都ちゃんの命を救ってくれた人、諏訪の人々の滅びの未来を変えてくれた人、わたし達の願いを叶えてくれた人じゃなかったの……?

 

「その後の暁美さんは?」

「言いたいことだけ言って、またどっかに跳んで行っちまったよ……二度と来るなってんだ……!」

「………」

 

 ママ達は言っていた……人の心っていう物はそう簡単に変わらないって。何か大きな理由があるんじゃないかって……それをわたし達は知らない。知らないけど……

 

「……私……動けなかった……っ!」

「友奈さん……」

 

 隣の友奈ちゃんの両目から、遂に堪えきれなくなった雫が落ちた。

 

「信じたかったのにっ……! ひっく、争ってるみたいだったから、やめてって言おうとしたのに……っ……ぐんちゃんの腕が……千切れるのが見えてっ……! 頭の中がグチャグチャに……!!」

 

 ポロポロ、ポロポロ……泣いている友奈ちゃんの姿なんて、もう三年間も一緒にいるのに初めてで。

 友奈ちゃんはとっても優しくて、明るくて、わたしなんかよりも強い心を持っている女の子。友奈ちゃんの存在はいつだってわたし達を助けてくれて、そして、みんなとの絆を繋いで決して離さないでくれる……本当に素敵で、尊敬してばかりの自慢のお友達。

 

「……無事だった……よく分からないけど、ぐんちゃんは大丈夫だった……一瞬だけ安心した……なのに! 何回も目の前でぐんちゃんが爆発されて……! ドガンドガンって! ころされて……!」

「……無理しないで……」

「間に合わなかった……! 何もできなかった……! 助けなきゃいけなかったのに……! ぐんちゃんが酷い目に遭う度にっ……苦しくてっ……息が…できなくて……! 目を……背けちゃった……」

 

 人を寄せ付けない気難しい性格だからなんて言えばあれだけど、みんなが羨ましくなるぐらい千景さんと仲良しで、そんな人を目の前で惨たらしく痛めつけられて、今の弱々しい友奈ちゃんの姿がここにある。

 助けようと思った……あの友奈ちゃんが信じていた人に裏切られたショックと合わさって見せつけられた光景は、その思いを躊躇わせた。ただただ深い悲しみだけが、その時の友奈ちゃんの心を支配して動きを止める。その結果、目の前で起こった惨劇は悲しみよりも恐怖による焦りが上回る時まで続けられる……。

 

「ぐんちゃんが苦しんでいるところを見たくなかった……! だから……伸ばした手が届かなかった……首が……ぐんちゃんの首が…私を見つめて……助けられなかった……!!」

「……もういい」

「だから……! 私っ……! ぐんちゃんを見捨てちゃった!!」

「もういいんだよ友奈ちゃん!」

 

 こんなことで深い悲しみを負った友奈ちゃんを慰められるとは思わないけど、少しでも今のつらい気持ちを受け止めたくて抱きしめる。それからさっきの友奈ちゃんの言葉を否定する……友奈ちゃんがその場にいなかったら間違いなく、千景さんは本当に殺されていたんだから。

 

「見捨ててないよ! 助けたんだよ千景さんを!!」

「まど…ちゃん……!」

「ショックを受けて当然なんだよ……! それでも千景さんを助けられた友奈ちゃんはすごいんだよ!」

「う、うぅぅ……! うぁぁぁあああぁぁ……!」

 

 感情が決壊して、友奈ちゃんは大声で泣き始めた……。今まで溜め込んでいた苦しみと後悔を吐き出すように……。

 

 友奈ちゃんはわたしの胸の中でわんわんと泣く。友奈ちゃんをここまで追い詰めたのは……暁美さん。

 

 ……歌野ちゃんと水都ちゃんを助けてくれた事には心から感謝している……でも、それ以降の事はどれもこれも認められない。やっちゃいけないことだよ……。

 みんなを悲しませて、苦しませて……こんなの絶対おかしいよ。暁美さんが苦しんでいるかもしれないって、友奈ちゃんと歌野ちゃんは言ってた……パパもママも、何か理由があるのかもしれないって言っていた……。

 

 だからって、誰これ構わず人を傷つける事が許されていいわけがない。ましてや殺すつもりだったなんて……

 

 そんな人がこれからはバーテックスと戦うなんて言っても穏やかじゃない。安心できない。爆弾なんて危なそうな武器を使うって話だもん、みんなを平気で巻き込んでも不思議じゃないかもしれない……。

 

 変わってしまったその理由、それすらも分からない今何を言っても響かないはず。

 今回の件でハッキリした……バーテックスを倒して世界を救うことを願うみんな。だけど二度目の襲撃も乗り越えたのに、誰一人心が晴れやかな子はいない。

 その原因になった価値観の違うあの子が次に何をしようとするのか分からない。今回の千景さんの事だけじゃない、みんなの心を苛む物はこれからも続く。このままじゃみんなに訪れるものはきっと不幸なんだ。

 

 ───命を賭けもしない勇者の腰巾着のクセに、偉そうな事を言うのね。

 ───あなたは……何? 言うに事欠いて結局全てが他人任せじゃない。

 

「……違うよ……」

 

 前に暁美さんに言われた言葉を思い出す。

 

 わたしはほむらちゃんの……みんなの腰巾着になるためにここに来たんじゃない……! 形は違うけど、バーテックスには何もできないけど、それでもみんなと一緒に戦うためにここに来たの!

 

(……早く、聞き出さないと……! これ以上みんなに良くない事が起こる前に!)

 

 知らないといけない。どうして心が変わったのか。

 やめさせないといけない。人の命を軽んじる冷徹な考えを。

 

 わたしが勇者のお目付役として動かないといけない……ううん、これはお目付役なんて立場は関係ない。嫌だから。友達が苦しむ姿が、悲しむ姿が。だからこれは、友達を助けるためにわたし自身が動かなくちゃいけないことだから。

 

(ほむらちゃんと同じ勇者だって言うんだったら、前みたいにみんなと手を取り合って、助け合って……支え合おうよ……)

 

 わたしの友達の命を助けてくれた。わたし達の夢を叶えてくれた……その時の暁美さんに戻って……。点灯中のランプを見ながら、わたしの頭の中にはあの人の姿が映っていた。

 

 

◆◆◆◆

 

 実に久しぶりに浴びるシャワーは快適だった。顔にこびり付いた血が落ちるわ、カサカサだった肌が潤うわで気分的にはまるで生き返るよう……気分だけは。けれどもボサボサだった髪も水気を含んで、元通りサラサラのキューティクルとまではいかなくてもスッキリ。とても身体が軽いわ……。

 

「あったかい……」

 

 長い浮浪者生活もどきには無い温もりだった。体温の無い冷たい身体にこの温もりは沁みる……。

 

(リンスも探さないと。300年前にあのメーカーは無いだろうから……)

 

 でも精神的ショックが大きすぎて抜けていたけど本来これが普通というか、当たり前で、うら若き乙女が何週間もお風呂に入らずに過ごすなんてあってはならない事よね……。

 

「ふぅ…」

(たかがお風呂でこんな気分に浸れるなんて…………さすがに、あの時よりは劣るけど……)

 

 身体も心もあったかくて、幸せに包まれて……それを六人全員で共有できた夏の合宿と比べたら全然物足りない。

 所詮はただのシャワー。無駄にスペースのあるシャワールームに私一人だけなんて虚しいもの……

 

Gibt es juckende Stellen~?

es ist nicht da~♪

「………」

Übrigens……Versuchen wir es mal mit dem Klassiker~♪

Was!!

Hör aufー!!

……mist……

「………使い魔達は賑やかね……」

 

 厳密に言えば一人ではない。私の使い魔六体全てもここにいる。仲睦まじく頭の洗いっこをしたり、室内で追いかけ逃げ回っては後ろから飛び付いて抱きついたり、シャワーを浴びながら横目でその様子を見て溜息をこぼしたりとそれぞれがバラバラな様子を見せる。

 ちなみに使い魔六体、全員揃って服を着用したままである。脱ぎなさいよ……と思ったけど、なんとこの使い魔達の体は服装込みで構築されている。最初から肉体と漆黒の衣服が一体になっている、分かり易く例を挙げるならぬいぐるみみたいな感じかしら……ビッショビショでものすごくシュール。そもそも汗とかかかないだろうからシャワーを浴びる必要性すら疑問なのに……。

 

「……またいつか、私達もこんな風に……」

 

 それでも同士内で賑やかな使い魔達の姿が私にあの頃の憧憬を浮かばせる。それは今の私の目指すゴール……必ず掴み取らないといけない、奪われた私達の未来。

 

 早く取り戻さないと息が詰まる。心地良くはあったシャワーを止めて、鏡に映る白黒の自分の姿を見つめる。未だに色濃く残ったままの隈や、不覚をとって郡千景に付けられてしまった頬の傷……。

 この世界の全てが忌々しい。だからこそ、全てが終わった後に待ち受ける未来が愛おしい。前みたいにみんなとわいわい楽しく温泉にでも浸かれたら……そう考えるだけで私は何でもできる。

 

 どうしても自然に笑みがこぼれ、決して悪い気分なんかじゃなかった私はそのまま扉を開いて出ようとして……即刻嫌悪感に包まれる。

 

 そもそものこの場所は、この時代の勇者を支援する大社の本部。

 

 あの勇者達への用が済んだ後、ここの重要人物にも話を付けるために訪れていた。エントランスホールで返り血にまみれた私の姿に悲鳴が上がったことは置いといて……こんな所でも既視感を覚えるとは……。何も変わらないと言った方が正しいか。

 

「お着替えをお持ちしました、勇者様」

 

 脱衣所には中学生から高校生くらいの数人の少女が頭を垂れながら待ち構えていた。元の世界のような気味悪さバリバリの神官装束ではないにせよ、彼女達は十中八九この組織の人間だろう。

 それぞれが襦袢や白装束らしき衣類を手にし……二人、一つで十分な清潔そうなタオルを持っているのはそういうこと? たかが身体を拭くのに私の手を煩わせることはないと。畏れ多いとでも思っているのかしら。

 

「………ふぅん」

 

 ……一人だけ、他の女達から離れて平伏さずに壁を背にしてこちらを見つめている女が声を漏らす。

 勇者の前で火は着いていないもののタバコを堂々と銜える様が意外だった。大社の人間と思われるのに、その人からは一切の敬意だとか、私を特別扱いするような空気を感じさせない。

 

「勇者様、お身体を」

 

 そっちの方が逆に気が楽になりそうなのに、目の前で崇めようとする多数の方が目に入り舌打ちが出る。

 

「余計なお世話よ……」

「え? あっ……」

「………」

 

 上の立場の人間に命じられたのか、自分の意思でなのかは知らないけど、事この組織の人間が平伏す様は前々から反吐が出るほど気に食わない。

 

 この世界に跳ばされる前から、私達を人間として扱わないこの仕草には憎悪しか感じない。自分の事は自分でできる。敬うな、たかが小娘相手に。タオルだけを引ったくるようにして奪い取り、濡れた身体に巻き付けてその場を離れた。

 

「あ、あの、お召し物を……ヒィッ…!?」

『~♪』

「必要ない」

 

 そそくさと制服を入れたロッカーを解錠する最中呼び止めたその声も、伸ばした手も、浴室の中からぞろぞろと出てきたスプラッター感溢れる見た目の使い魔達に驚き戸惑い遮られる。大社の人間が、使い魔が自ら信仰する神樹によって生み出された存在と言っても過言ではないのにそうとも知らずこの反応……皮肉を通り越して滑稽………

 

「………ねえ」

「は、はいっ…! どうなさい……っ!?」

 

 ……何も変わらない……この組織の人間はいつだって私をイライラさせる。その感情をそのまま全部目に宿して睨み付け、殺気をぶつけてやった。

 

「私の荷物、探ろうとしたわね?」

「い、いえ……! そんな、滅相もない……キャッ!?」

 

 虚言を抜かした女を使い魔が蹴り倒す。無様に倒れ込むそいつの髪の毛を掴み上げ、無理矢理に顔を上げさせる。

 

「あうぅ!」

「へぇ」

「………」

「い、痛いっ! や、やめ……っ!」

「篠原さん!!」

「ゆ、勇者様!? 突然何を!?」

「ロッカーの中」

「えっ……」

「脱いだ制服と一緒に入れたカチューシャの位置が5ミリずれている。制服の皺の形が入れた時より小さくなってる」

 

 気のせいなんかじゃないわ。私がシャワーを浴びている間、中身を触れられ戻された痕跡がある。微細すぎるけど、記憶の中の状態と比較すれば違いが分かる。誰かに勝手にロッカーを解錠され、中身に触れない限り生まれない変化……ここは大社の本部で、この女達はその大社の人間だ。ロッカーの合い鍵を持っていてもおかしくはない。

 

「ご、5ミリ……!? 皺……!? そ、そんなデタラメな……! 気付くわけ……普段からそんなの気にする人がいるわけ……!」

「今度は否定しないのね。人の荷物を探ったこと」

「……そ、それは……!」

 

 もっとも否定しようがしまいが、答えは聞いていない。確信していて、決して覆らない事実なのだから。

 それよりも理由だ。ここに来て早々に物色とは、何が目的なのか……かつてのやり取りからなんとなく予想は付けられる。だからこそ理解はできるし、狙われて当然だと思う。勝手にこんな行動を起こされた事を責めない理由にはならないが。

 

「手段を問わないのはそちらだけじゃないのよ」

「ちょちょちょ……! どうしちゃったの鹿目ちゃん妹!!? 鹿目ちゃんが泣いちゃうでしょ!!?」

「ソイツは鹿目ほむらではないぞ。見た目はそっくりだがな」

 

 怯えながらも傍観するしかなかったそばかすが特徴の女が慌てて勘違いを口にしたその時、別の場所から訂正の声が入る。

 私の苛立ち、荒く髪を引っ張られている女を目の当たりにしながら、極めて冷静な声色だった。興味深そうにこちらを見つめるその女はタバコを噛み砕くと飲み込み……なんだ、お菓子だったのねアレ……。

 

「ククッ、なるほど。お前が新入りの藤森や勇者の土居を痛めつけたって話も納得だ。勇者の中にもお前のようなヤツがいるんだな」

 

 口元を押さえ、私を見て楽しげに笑う。視線をこの女に移して威圧するも、それによって眉一つすら動かさない。この世界の勇者全員が息を飲んで引くしかなかった私の殺気を受け流す……ただ一人だけ、この状況で平然としているこの女からは異彩が放たれていると感じざるを得ない。

 

「頂戴」

bitte

 

 使い魔から手渡されるのは透明のチャック付きポリ袋。外側は濡れていて、内側は一切濡れていない。その中に入ってあるのは私の携帯、勇者端末。

 片手で操作し変身アイコンをタップ。これがあるから連中の用意した着替えは必要ない。瞬時にバスタオル一枚だけだった私の身体は、血塗れではなく神樹の加護で浄化され汚れ一つ無い勇者服に包まれた。

 

「端末は生命線よ。私を血眼で探していた組織の本拠地で手離す理由は無いでしょう」

「上里から聞いている。乃木の頼みを蹴ったらしいな」

 

 浴室内に持ち込んで正解だった。ロッカーを解錠した目的は二つしか考えられない。組織的目的に沿うもの、考えるのも悍ましいけど穢らわしい欲求を満たすもの。後者だった場合即刻満開して大社を塵一つ残さず消し飛ばすレベルの話だわ。

 

「つまり最初から盗られる事態を想定していたわけか」

「ええ。それで案の定だったわね」

「ああ。まさかミリ単位で中身の状態を記憶していたとは思わなかったな。私も完全に元通りに戻したつもりじゃなかったが……大分イカレてるな、お前」

 

 前に乃木若葉から私の勇者システムの提供を求められた事がある。分析解析ができたら連中の強化に繋がるから……生憎と私達の世界ですらそれには失敗している。これは私の専用の勇者システムなのだから。結果が無駄だと分かりきっている。それを信用なんて言葉から一番遠い所に位置する組織的に預けられるわけがない。

 

「あなたは大社の上の人間かしら?」

「大社に属してはいるが権力者ではない。ただの教師だ。ひねくれ者のな」

 

 そう言ってポケットの中から何かを取り出す。チャリンと軽い金属音を鳴らす、束になった鍵を私に見せびらかす……決まりね。

 

「あなたが窃盗の実行犯?」

「ひっ……!?」

 

 罪には罰を。一体の使い魔がボウガンを構える。私と女のやり取りを見ていた有象無象が固まった。

 

()()()()!!」

「黙れ。会話の邪魔だ……窃盗未遂だ。だが発案者でもある。上のヤツらが未だに欲しがっていたんでな。駄目か?」

 

 悪びれもなく言い放つ女。大した度胸の持ち主……いえ、己の命の価値観が狂っている。こうして今、使い魔のボウガンがこの女に向けられているのに欠片も恐れを抱いていない。私が本気であること、脅しではないと、恐らくこの女は気づいているのに、精々ギャンブルでチップを賭けて負けたくらいにしか思っていない。

 

「乃木若葉にも言ったけど、論外なのよ。覚悟はできてるのね?」

「仕方ない事だろ。いつでも構わん」

 

 とはいえこのまま見過ごすわけにはいかない。役立てたいからと言っても勇者システムを狙われる事態が今後も起こるなんてあってはならない。見せしめは必要なのよ。

 

『……!!』

「ぐっ……!」

 

 使い魔がボウガンの引き金を引き、常人の目にも留まらぬ速度で矢が飛ぶ。

 ところが、それより先に飛んできた黒色の塊が女にぶつかった。その勢いで女は仰け反り体勢を崩す。

 矢は射線上から倒れかけた女にではなく背後の壁に突き刺さる。女ですらこの事実は想定外だったらしく、初めて驚きと困惑の色を浮かべていた。

 

「痛っ……なんだ今の? 何がぶつかった……?」

 

 女は理解していない。自分の身に何が起こったのか。しかしその他の少女達は揃ってある一点を見つめる。

 

「ね、ねこ……? 浮いてる……」

「……エイミー……」

「?」

 

 答えはエイミー。私のやろうとした事に気づいたこの精霊が体当たりで女を守った。精霊の姿を見ることができない女はそのことに気づけず、気づいた他の連中は……巫女か。前例がそれしかない。

 

「よく分からんが、気は済んだか? それとも私を殺すまで撃ち込むか?」

「……いいえ、その必要はないわ」

 

 食えないわね……なんだか掌の上で踊らされる感じで癪だわ。ボウガンを下ろさせ、これ以上のやり取りは無意味だと視線を外す。

 そもそもここに来たのだって、こんな連中と戯れるためじゃない。ロッカーの中に入れっぱなしの制服を盾の中に入れ、大事なカチューシャを頭に着ける。

 

 女は一瞬面白いとでも言うかのような笑みを浮かべたが、私にはどうでもいいことだった。

 

「そういやお前、今まで姿を隠していたくせにどうしてここまで来たんだ?」

「下っ端には関係ない話よ」

「……ってことはだ、上のヤツらに話があるんだな」

「………」

「私にも権力者かどうか尋ねたな。……で、だ……どんな要求を飲ませるつもりなんだ? それだろう、お前がここに来た理由は」

「………当ててみる?」

「口にするのは止めておこう。やぶ蛇を突ついたら今度こそ殺されかねん」

「賢明ね。私の事を知ったような口でペラペラ話されるのが一番ムカつくのよ」

 

 気質は問題有り……でも、なかなか聡明な人間ね。相手にするのは面倒で厄介。けれども、人材としてはかなり優秀なタイプだ。恐れを知らず、だけど退き際を心得ている……利用できそうね。

 

「……拠点よ」

「あ?」

「それから食べ物、服。衣食住よ」

「……それだけか?」

 

 拍子抜けと顔に書いてある。さっきまでの不敵な笑みはどこへやら。

 

「不服そうね」

「そりゃそうだ。そんなの勇者への当然の支援だろ」

「でもそれは、この組織の道具に成り下がる事を意味する」

「……へぇ」

「道具って……球子や杏ちゃんはそんなのじゃ……!」

「外野は黙ってなさい」

「お前ら悪いことは言わん。全員部屋に戻ってろ。お前達にはコイツの考えは理解できない」

 

 今まで散々利用されてきた。世界を救うためのみんなの頑張りは裏切られた。最終的に動けなくなれば私達の日常を奪い奉って、自分達の信仰を神樹にアピールするための置物だ。

 この世界でだって、勇者の存在は人々に希望を与える存在として知れ渡ってはいる。けれどもそれに伴い、勇者を背後からバックアップする大社の存在も大々的にアピールしている。結果大社への支持は集まるだろう、注目の的だろう。その実態は、勇者の活躍で蜜を吸う吸血鬼でしかないのに。

 

「都合の良い道具になるつもりはないわ。この命は私だけのものよ」

 

 だから私は大社からの要求は一切無視。だけどこちらの要求は都度飲ませる。

 バーテックスを殲滅するための資金源として、この組織を逆に利用し尽くしてやる。

 

 女は実に痛快だと言うようにくつくつと笑う。今の発言、あの勇者達なら黙ってはいられないと言いそうなのに、この女の反応は異常とも取れるだろう。

 

「そいつを一人でやるつもりか? 勇者のサポートも私の仕事の一つだが、手伝ってやろうか?」

「一人で余裕だと思うけど……あなたは何が望み?」

 

 この異常者の考え……イマイチ分からないし理解不能。

 

「あの狸爺共の間抜け様……お前が色々ぶっ壊してくれれば面白い物が見れそうだ」

 

 だけど、その力があれば事を私にとって良い方に運んでくれるかもしれない。いざとなれば切り捨てればいい、利用できる便利な道具よ。

 

「あなた、名前は?」

「烏丸久美子だ。ぼっちのガキのサポートくらい引き受けてやる」

「ひねくれ者を自称するだけのことはあるわね。その扱い、気が楽だわ」

 

 

 

 

 ───十数分前

 

 

 私、烏丸久美子は狸爺共から下らない命令を言い渡された。

 勇者の一人が連絡もなしに訪れた。そして今、そいつはシャワーを浴びているから出迎えに行けと。そういうのは上里や鹿目、藤森の仕事だろうと一蹴したかったが、ここには巫女のガキ共が何人もいる。そいつらに向かわせればいいと考え、引き受けた。

 

 が、ここであることに気がついた。先程二度目のバーテックスの襲撃が発生し、勇者七人全員が病院で検査されているとかそういう話だ。その連絡を受けて上里達が向かったという報告もあったはずだ。

 ……となると、今大社本部に来ている勇者というのは悪い噂のある、北海道から来てバックレたとかいう八人目の勇者、暁美ほむらではないか……。

 

 興味が湧いた。一度この目で見てみるのも悪くないと。そういえばそいつの持っている勇者システムは高性能で、それを大社に提供していないらしい。爺共が喜ぶのは癪だが、この土産はアイツへの良いサポートになるかもしれない。そう思って脱衣所のロッカーのマスターキーを用意して向かった。

 

 

 

「……なんだ? ……どういうことだ、このガキ……?」

 

 解錠したロッカーの中にお目当ての携帯は無かった。セキュリティ意識の高い奴なのか……そんな考えよりも、別の事に困惑する。

 それは何の変哲もない、ただの髪留め、カチューシャに過ぎない。だがその裏側に貼ってあるプリクラのシールが気になって仕方なかった。

 

(……このガキ、何者だ? 暁美ほむらだけじゃない……友奈……じゃないが、友奈にそっくりじゃないか……)

 

「……フッ」

「烏丸先生?」

「なに、面白い事に気づいただけだ」

 

 藤森が言っていた。こいつは四国に来て突然人が変わったように冷酷な人間になったと。だがこのシールではそんな冷酷な人間とは思えない。こんな屈託の無い笑顔で、「最高の友達」なんて書き込む奴が。

 

 ……何かあったな。こいつと、この友奈そっくりのガキとの間に……。

 

 そうだな……上里になら聞かれたら答えてやってもいいか。聞かれたら……な。それまでは私一人だけでこの娯楽を興じるとしよう。




【使い魔セリフ翻訳】

 身体も心もあったかくて、幸せに包まれて……それを六人全員で共有できた夏の合宿と比べたら全然物足りない。
 所詮はただのシャワー。無駄にスペースのあるシャワールームに私一人だけなんて虚しいもの……

Gibt es juckende Stellen~?(痒いところはありませんか~?)』
es ist nicht da~♪(ありませ~ん♪)』
「………」
Übrigens……Versuchen wir es mal mit dem Klassiker~♪(さーて……定番の奴いってみようか~♪)』
Was!!(わぁ!!)』
Hör aufー!!(キャー!!)』
……mist……(……バカバカしい……)』
「………使い魔達は賑やかね……」


「頂戴」
bitte(どうぞ)』

 使い魔から手渡されるのは透明のチャック付きポリ袋。外側は濡れていて、内側は一切濡れていない。その中に入ってあるのは私の携帯、勇者端末。


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第六十八話 「爆発」

 ……はい、スミマセン、大変長らくお待たせしました……危うく3ヶ月失踪ですコノヤロウ釜茹でにされやがれ。
 活動報告にて言い訳をしましたが、理由は難産です。そしてそれは現在も進行中です。全然進みません。
 ただし幸いにもと言うべきか、その話は外伝パート焔環の章の話。次に投稿するものはこちらの予定で作ってうまく形にできず、時間を浪費してしまいました。

 さすがにこれ以上待たせてはと、予定変更で本編を進めようとこの話を執筆しました。割と普通より早いペースで筆が進みましたコノヤロウ最初からやれ油で揚げるぞテメー。


 とてもとても、辛い事が起こった……でも、へこたれてしまえばそれまで。

 

 どんなに辛い目に遭っても、人は必ず立ち上がれる……これは私達が大切にしている合い言葉。私のプライドに懸けて、守り抜くと誓った。

 

 ネバーギブアップ。信じていれば、夢は叶うのだから。

 

 

 

 願いを胸に。ミラクルは起こる。決して、失われはしない……あなたがそれを教えてくれたのよ。

 

 

 

「んっ、くぅぅ~……よし!」

 

 農業王、白鳥歌野のモーニングは早い。長年使い込んできた私の体内ウォッチはとても正確で、この日もスリープしていた私の意識は朝の4時半にバッチリ目覚める。

 布団を畳んで歯を磨いて、いつものジャージに腕を通すと、さっそく外へと飛び出した。

 

 季節は10月、まどかさんとひなたさんのバースデーもこの前過ぎた秋の真っ最中。そして野菜を育てるのがベストなシーズン! まだまだ日が昇りきっていなくて真っ暗な中を駆けていく。

 

「フンフフ~ンフ~ン♪ 栄養~♪ 満点~♪ ベ・ジ・タ・ブル~♪」

 

 まず鼻歌混じりに最初に向かう場所は、大社にお願いして私に与えられた畑、ホワイトスワン農場。

 

「キャベツ玉葱ほうれん草~♪ ごぼうにイチゴにエシャロット~♪ み~んな大好きホワイトスワン~♪」

 

 ついこの間植えて、まだまだベイビーみたいな物がほとんどだけど、夢や幸せがいっぱい詰まっているのがこのベジタブル達だ。ここで今すくすくと育っているラブリーな野菜を思い浮かべれば気分はアゲアゲ!

 

「立派な野菜に育つのよ。この農業王が付いているんだから♪」

 

 小さな芽に一つ一つ語りかけ、問題は無いかのチェックも済んだ。やるべきことをやった後、ネクストへゴーするために私はホワイトスワン農場を後にする。

 

 少しばかり走った所にあるそこにはこれまたエクセレントな畑が。それを生み出したんだっていう偉大なるその人達を見つけると、お腹の底から大きな声で呼びかけた。

 

「おっはようございまーす! 今日もお手伝いさせてもらってもよろしいでしょうか!」

 

 こっちに来てからお世話になっている農家のおじいさんとおばあさんに元気いっぱいの声を。早朝でも畑仕事の準備をしていたおじいさん達は私を見ると笑顔で迎えてくれた。

 

「おお、勇者様! 今日もこのような年寄りなんかのところに来ていただけるとは……何とお礼を言えば良いか」

「いえいえそんな! むしろお礼を言いたいのはこっちの方ですから!」

 

 これが二つ目の朝の日課、他のファーマーさんのお手伝い。ホワイトスワン農場はできたてホヤホヤの畑だから収穫作業なんてものはまだまだ先の話。種や育てた育苗を植えて、土をいじって、様子を見て……今できる事はそれでエンド。ほうれん草みたいな種まきから収穫までが早い物ならあと3週間くらいで収穫できそうだけど、それだけじゃ農作業にハングリーな私を満足させることはできないわ。

 そこでホワイトスワン農場ができる前からやらせてもらっていた、丸亀城近くのファーマーさん達のお手伝いを続けさせてもらっているってワケ。このシーズンは本来は栽培と収穫の両方で忙しい時期だもの。ファーマーの誼みとして力になりたいの。

 

「余所者の私のワガママなのに大切な畑の土を触らせてもらえるんですもの。感謝してもしきれないくらいですよ♪」

「いやぁ……勇者様にそう言ってもらえるとありがたくてなぁ。儂等の方も笑顔で溌剌している勇者様を見ていると元気を分けてもらえますわい」

「うふふ。なら、お互いにウィンウィンの関係ですね♪」

 

 なによりも、やりがいはとてもビッグだし、未来の農業王としてこのウェーブは見逃せないでしょう?

 

「さて! なんでも任せてください! 勇者アンド農業王、白鳥歌野にできない事などありませんよ!」

「ほっほ。頼もしいですなぁ」

 

 …………

「………あら?」

 

 上機嫌なおじいさんとおばあさんとトークする私の背中に、ふと気配と視線をフィールした。

 この感じ、とても安心する。まだ私達が諏訪にいた頃、楽しげに農作業に励むのを優しげに、幸せそうに眺めていた……みーちゃんが私を見ていてくれるフィーリングだもの。

 

「みーちゃんも来たの?」

 

 私の半身と言っても過言じゃないパートナーが来てくれた。つい嬉しい気持ちを抑えきれなくて、私の身体はガバッと反射的に振り返った。そこには思った通り、私の愛しいみーちゃんが……

 

『………!?』

「えっ……」

 

 私が振り返った瞬間、彼女は慌てて物陰に身を隠した。

 

「勇者様? どうかしたのかい?」

「ごめんなさい、ちょっと気になることが……すぐ戻りますから!」

 

 みーちゃん……じゃない。一瞬見えた彼女は、みーちゃんが着ないようなブラックの服を身に着けていて……それに私は見覚えがあった。

 

 ───骨の一本か二本でも折れば静かになってくれる?

 

 ───やりなさい

 

 あの時、私の腕を折ろうとした二体の使い魔の内の一体だ。

 

「待って!!」

 

 気が逸る。その使い魔が隠れた所に急いで駆け込んだ。

 使い魔は暁美さんの手下? エイミーちゃんみたいな精霊? その正体は何だって構わない。今インポータントな事は、あの使い魔くらいしか暁美さんの事を知っていそうにないことぐらい……!

 先日の件からまたまた姿を眩ました暁美さんの居場所、使い魔なら知っているはず! 教えてもらって……今度こそ話を、説得をするんだから!

 

「あっ!」

 

 使い魔が隠れた物陰には既にその姿は無い。とっくに、離れた建物の屋根や屋上の上をジャンプしながら去っていく……。

 

「待って!! 待ってってば!!」

 

 あんな風に逃げられたら追いつけるなんてムリよ。勇者のスピードとジャンプ力があればまだしも、スーツが手元に無い、生身の私の身体じゃ……。

 

 遠くに跳んでやがて小さくなるブラックな背中に、叫ばずにいられなかった。

 

「暁美さんは今っ……どこにいるの!!?」

 

 届いたのか届かなかったのかは分からない……。結局オンリーワンの手がかりを持っている使い魔は、そのまま未だ太陽の昇りきっていない真っ暗な空に消えていったのだから。

 

「………」

「おお戻ってきた……勇者様、大丈夫ですかい?」

「すみませんいきなり飛び出しちゃって! オールオッケー! 始めちゃいましょう!」

 

 心配をかけちゃうといけないから、ファーマーのおじいさんおばあさんの元にはスマイルで戻って農作業をリスタート。でもやっぱり心の中ではモヤモヤが収まりそうになくて……。

 

 今度からは戦うとは言っていた……暁美さん、次に会えるのはバーテックスが攻めてきた時、樹海でなのかしら……? でも、馴れ合うつもりは無いとも……。

 どういう意味よ、それ……! 今は勇者や巫女だとかそんな物は関係なく、生きていくために人間一人一人が力を合わせる時でしょう……!?

 

 今にも途切れそうだった私達の命を、会いたくても会えなかった友達との出会いを繋げてくれたあなたが……それを否定しないでよ……!

 

「……あっ」

 

 土から引っこ抜こうとした根菜類、慣れ親しんだ作業なのに、引っ張ると葉っぱが千切れるなんてミスをしてしまう。

 ……今は、暁美さんの事を考えるのは止めておこう。農業王を目指す女がマイナスの事を思い浮かべて、一生懸命なファーマーさん達にも、この野菜達にも失礼だわ。

 

 

 

 

 んしょっと……! う~んワンダフル! これまたずっしりとして美味しそうなカボチャ! 流石です! いいですよねーカボチャ! ええもちろん! ラブですラブ! みんなカボチャが大好きですよもう! ほむらさんなんて一番好きな野菜がカボチャだって言っていましたし……えっ良いんですか貰っても!? 私お礼が欲しくてお手伝いさせてもらっているわけでは……いえっ!ありがたくいただきます! サンキューソーマッチ! はいっ、みんなと一緒に食べます!

 

「うふふ~何がいいかしら~♪ ひなたさんに相談して………あら!? もうお昼!?」

 

 農作業に精を出していたら、気がつくともうこんな時間。いやぁ、時間の流れって早いわねー……。

 それに、携帯にメールが着ている。みーちゃんから。

 

みーちゃん:うたのん今どこにいるの? もうそろそろ集合時間だよ?

 

「……オーマイーゴッド……」

 

 やっちゃった……今日は休日だから丸亀城に登校する必要は無いけど、スケジュールが……お昼から外せない用事があったのに、つい農作業に夢中になっちゃって頭から抜けていたわ……!

 

 名残惜しいけど、今日のお手伝いはエンド。そして急いでみーちゃん達と合流しないと!

 

歌野:ソーリーみーちゃん! 今作業が終わったからすぐ向かうわ!!

 

みーちゃん:先にまどかさん達と行くからね。前みたいに汚れたままで来ないでよ? ちゃんと着替えてから来てね

 

 うっ、ネイルを刺された……。前に農作業を終えて、泥まみれのままお店の中に入ろうとしたところ止められて、寮のお風呂で全身オールウォッシュされた事があったもの。今となったら笑い話だけど。アハハハハ!

 あら? それっていつの話だったかしら? 何年前? ってそんな事よりも急がないと!

 

「すみませーん、私そろそろ帰らないといけなくて!」

「やぁ、本当に助かりました勇者様。ありがとうございます」

「こちらこそありがとうございます! またお手伝いに来てもいいですか」

 

 収穫した作物をおじいさん達に渡して、感謝の言葉と共に私はその場を後にする。カボチャのお土産を包んでくれて、笑顔で手を振りながら見送ってくれるファーマーさん達との繋がりが出来たハッピーを噛みしめつつ、手早くシャワーと着替えを済ませるために、私とみーちゃんが住んでいる寄宿舎に向けてダッシュを始める。

 

 ここで一つ説明を。四国にいる勇者のみんなは地元民のほむらさんを除いてみんな大社が丸亀城の敷地内にビルドした寄宿舎に住んでいるの。それはもちろん私や一緒に来た巫女のみーちゃんも同じなんだけど、私とみーちゃんはみんなとは別、丸亀城からは近いけど敷地外の寄宿舎に住んでいるの。理由はイージー、向こうにもう空き部屋が無いから。彼女たちがいる寄宿舎って、若葉ひなたさん友奈さん千景さん球子さん杏さんの六人分の部屋しかないのよ。

 私達が合流するなんて大社にとってはアウトオブ想定。それでも大社は急ピッチで私達が住める寄宿舎をビルドしてくれたの。それで最近完成した……三人分の部屋がある寄宿舎が……。

 

「………暁美さん……」

 

 寄宿舎にアライブ、玄関のキーを開けて、だけど私の体は中には入らないでストップしちゃう。その体は隣の、今は誰もいない彼女のために用意されていた部屋を向いていた。

 いろいろと悲しい気持ち……本当に、四国に来る途中のあなたと一緒にいる時はこんな事になるなんて思いもしなかった。

 

「……どこにいるの?」

「………え?」

 

 何の脈絡も無く、目の前の扉がガチャっとオープン。誰もいないはずの部屋の玄関から、聞き覚えのある人の声が聞こえた気が……

 

「………え?」

 

 ……あれ? なんか人がいるんだけど………ポカーンと呆気にとられて私を見つめている人が。私が探していた人が……!

 

「……あ、暁美さん!?」

 

 間違いなく、彼女は暁美さんだ……! さっきのこぼした声も、今私が見ているその姿だって!

 それを決定付けるかのように、徐々に彼女の表情が苦々しく歪む。その口からはまるで呪いでも吐くかのように、苛立ちでコーティングされた声で呟かれる。

 

「……烏丸久美子ぉ……!」

 

 ………カラスマ……えっ、誰?

 

 

◆◆◆◆

 

『聞いていないわよ。隣人がいることも、よりによってそれが白鳥歌野だということも』

「初めて電話を掛けてきたかと思えばそんな事か?」

 

 暁美ほむらの補佐役に任命されて初めて電話をしてきたあいつの声は不機嫌である事を隠そうとしない。それがあいつが抱いている他の勇者達への印象、そして突き放し害する対応から、完璧に予想通りの形で思わず笑い声が出てしまうところだった。

 暁美が大社に要求したものは衣食住だが、勇者が戦う事を当然視し、それによって一般人からの支持を得たかったのが上の連中だ。下心丸見えのそいつらを脅して、連中を暁美の言いなりになるATM同然に変えたまでは良いものの、そこから次に起こるであろうイベントの発生が以外にも遅いと思っていたところだったからな。

 

「そこはお前が姿を消す前からお前用に準備されていた、勇者の第二寄宿舎だ。お前と白鳥、それから藤森もだな。近隣住民にも勇者の為だと話を付けて大工に夜間でも働かせた、四国外から来たお前達の為に建てた新築だぞ?」

 

 厳密に言えば、急拵え故に食堂や浴場が無い。それら住民達の共有スペースがあって寄宿舎と定義されるため、そこは友奈達の住んでいる寄宿舎とは異なりアパートと言うべきだろうが些細だ。まだ暁美が住み始めて三日だが、この間で一度も白鳥達と遭遇しなかったのはそういった共有スペースが無かったからだろう。

 

『藤森水都もいるの……あんな能天気な役立たずが隣の部屋に住んでいるってだけで不愉快なのよ。すぐに別の居住を用意して』

「それなら大社の人間用の共同生活寮に入寮希望の連絡を入れてやる。許可が下り次第迎えに行ってやるから安心しろ」

『……嫌よ、そんな所。他にもっとちゃんとした所があるはずよ』

「ねぇよ。四国中のマンションにアパートにホテル……一体どこの誰が埋め尽くしたと思っている?」

 

 こいつは大社という組織とそれに属する人間が心底気に入らないようだ。憎んでいると言ってもいいだろう。理由までは知らん……なにせあんな醜い組織だ。心当たりが多すぎる。

 まあこいつの事だ。勇者なんて強大な力を支配できれば人間欲望が爆発する。大社の上の奴等然り、ひょっとすると、ここに来る前の北海道で暁美をサポートしていた組織がろくでもない所だったから、なんて八つ当たり的な理由も有り得るな。本当にろくでなしか否かは知らんが。

 

「新築で、テレビはもちろんネット設備も充実、立地も良い。家具も完備してやった、立派なお前の城だ。その寄宿舎を断る理由なんてどこにも無いだろう? お前の年相応の、ガキらしいワガママ以外に。気まずい同級生とは顔を合わせたくないーって、苛められっ子の発想みたいだな」

『………チッ』

 

 ははっ、苛立ってる苛立ってる。だが暴論を言っているのは暁美でこっちは正論だ。それでいてコイツは冷酷だと判断されてはいるが、根幹では甘々だ。諏訪の人間を救ったエピソード、私しか見ていないだろうがあのカチューシャのプリシーなんかを見れば分かる。

 

「白鳥達と関わりたくなければそうすればいいだろう。そこはお前がどうするかだ」

『………』

「気に入らないのなら向こうを追い出せばいい。藤森を人質にとれば白鳥を武力行使で叩きのめすなんて余裕だろう。わざわざ勇者を相手にするのが面倒だって言うなら、一般家庭を…」

『やっぱり異常者ね、あなた。よくもそんなアイデアが浮かぶものだわ』

「心外だな。私はワガママをほざくお前のために期待に沿えそうなアイデアを出しただけだが?」

『……結構よ。そこまでする必要なんて無い。盾もあるし、相手にしなければいいだけの話なんでしょう?』

「……ああ、そうさ」

 

 コイツは完全に非情に徹しているわけでもない。仮に私がコイツの立場でそこの寄宿舎から出て行くんだとしたらだ、住みやすそうな家を乗っ取って大社に隠蔽してもらう。だがコイツにはそれに躊躇いがある。必要が無いなんて言い訳をしてだ。

 ただし必要を感じれば容赦が無いのもまた事実。その判断を誤れば、私は言い訳のしようも無く上里の怒りを買ってしまうだろう。そうなればここに()()()が呼び出される。それは何としても避けたい……だからこそ、決して失敗はできない。そのリスキーな末路が存在する分スリルは最高だがな。

 

『……今後は説明を省かないで、ちゃんと言ってほしいものだわ』

「聞かれなかったからな……切ったな」

 

 残念だったなぁ、嫌なのに私に論破されて、その部屋で継続だ。だが言った通り、暁美達勇者の寄宿舎は住みやすい一級品だ。悪くはないだろう?

 さて、暁美の期待に応えられなくて上々と言ったところだが、なんか薄いな……。アイツならもっと面白そうなイベントでも引き起こすものと思っていたが、案外大人しい。

 

 すると、またしても携帯が震える。今度の着信は電話ではなくメールだ。送信者は……。

 

【暁美ほむら】

 

「?」

 

 送信者……暁美だと? 今の今まで電話していただろうが。終わって口ではなく文字で文句か? だとすれば、失礼なガキめ…………

 

「………ふむ」

【メッセージを削除します。よろしいでしょうか?】

【削除する】

 

 そのメールを一読し、何の感慨も浮かばず即座に削除の欄をタップする。何せ今のメール、送ってきたのはどうやら暁美ではなさそうだったからな。一々正体不明の奴の話を聞いてやる義理は無い。

 

 誰だかは知らんが、人に頼み事をするならせめて自分の名前くらいは明かすことだ。

 

 

◆◆◆◆

 

 午前にあった新聞取材を終えた私は一緒にいてくれたひなたと共に移動を開始していた。今日の午後は全員で集まる事になっていたからな。リーダーとしての仕事を請け負っていたため遅れてしまったが、他のみんなは既に集まっている頃だろう。

 

「うん? おーい歌野ー!」

「……あ、若葉にひなたさん。こんな所で合流できるなんてラッキーね」

「歌野さんお一人ですか? 他の皆さんは……って、何かありましたか? なんだか元気が無さそうに見えるのですが……」

 

 だがそんな予想は反した。その途中で重い足取りで目的地に移動している歌野と合流したのだ。何だか大きくて重そうな袋を手にしてはいるが、精神的にも落ち込んでいるように見えていた。

 ……いやしかし、歌野の持つ袋も外側からでも実にずっしりとした中身であることが分かる。何だろう……気になる。

 

「ああコレ? カボチャよ。ホワイトスワンじゃないけど、畑で取れたてホヤホヤの」

「……お見舞いの品としてカボチャはどうなんだ?」

「カボチャの話は置いておくとして、歌野さんの事をお聞きしたいのですが……」

 

 むっ、それもそうだ。歌野がこの時間に一人でいることも疑問だ。更に人一倍明るい性格の歌野のこの様子が既にただ事ではない……。

 

 ……まさか、またしても暁美絡みか……?

 

 しかし、いざどうしたんだと聞けば近隣の農家の手伝いにのめり込んでしまったらしい。人助け……実に良い事だが、前々からの約束の時間を蔑ろにしてしまう事は如何なものか。なるほどそれで時間に遅れ、水都に置いて行かれたのかと呆れながらも内心ホッとした。

 

 そう思いきや……

 

「歌野の隣の部屋!?」

「ビックリでしょ? 私も全然気がつかなかったわ。いつの間に引っ越してきたのよって話よ」

 

 歌野からの思いがけない報せに驚愕した。やはり奴が絡んでいたんだ、それはビックリなんて表現では全然足りない。歌野と水都の住むすぐ隣に危険が潜んでいたとなれば当然だ! 一体いつから……どんな手を使って大社の管理する寄宿舎に!?

 

「……歌野さん、大丈夫だったんですか? あなたが暁美さんを見つけた時、警戒心を解いて詰め寄ったと想像するのが難しくないのですが……」

「ひなたの言う通りだ! 怪我は無いように見えるが心の傷までは……」

「それが聞いてよ二人とも! 暁美さんったらすぐに部屋の中にキーをロックして閉じ籠もったのよ!? バンバンドアを何十回もノックしたりインターホンを連打したり大声で名前を連呼したのに全部無視されたのよ!? さすがにショックよ!!」

「何をやっているんだお前は!!?」

 

 歌野……なんという恐れ知らず……! 相手はあの暁美なんだぞ!? そんな傍迷惑な行動をすれば奴なら命を奪おうとする事ぐらい考えられないのか!? というかよく歌野の所行を黙って見過ごしたものだな暁美は!?

 

「さすがにそれは……なんてこと、初めてあの方に同情を……」

「う…むぅ……」

 

 ……ひなたの言うように、とても複雑な心境だ……。

 

 だがしかし、やはり歌野は軽率だと言わざるを得ない!

 

「お前分かっているのか!? 暁美の危険性を……あいつは千景を殺そうとしたんだぞ!?」

「……っ! ……分かってるし……分からないわよ……」

 

 さすがの歌野も、この前の悲劇で揺れているはずだ。だが諦めきれてはいないんだ……歌野はまだ、暁美の事を友と言うのだから……。

 

「……歌野さんが気に掛ける理由も分かるんです……ですが言わせてください。いい加減に切り替えないと、このままでは絶対に良くない事があなたの身に起こってもおかしくはないんですよ!?」

 

 奴はまさしく爆弾だ。下手に触れて爆発を引き起こす。それで心身に深い傷を負うのは誰だ……関わるべきではないのだ……。

 

「お断りよ!!」

「「なっ…!?」」

 

 それでも歌野は奴を信じ続ける……何故だ……!?

 

「誰が何と言おうとも、暁美さんは私のフレンドよ!! 絶対に見捨ててなるものですか!!」

「その友人はあなたの事を同じように思っていると考えているんですか!? 断言できます! 答えは絶対にNOです!!」

「今はそうかもしれないけど、諏訪にいた頃は絶対に通じ合っていたわ!! だったらもう一度分かり合える時が来る!!」

「この分からず屋!!」

 

 端から聞けば歌野の破滅的な願望に過ぎない言葉に思わず苛立ちが募る。我慢ならず、納得できない怒りに飲まれた私の手は歌野の胸元を掴んで……

 

「いっ…つ!?」

 

 手に激痛が走り、離してしまう。

 

「「若葉(ちゃん)!?」」

「ぐっ……だ、大丈夫だ……!」

 

 心配そうに詰め寄るひなたと歌野の姿、そして手の痛みで頭が冷める。そして手の平を見ると案の定、巻かれた包帯から血が滲んでいた。

 

「手を、若葉ちゃん……」

「ああ……すまない歌野。頭に血が上っていた……」

「若葉……」

「……だが……分かるだろう、この手の平の傷……」

「……ええ」

 

 ───あぐぅっ…!

 ───歌野!! どけぇえええーーーーっ!!!!

 

 あの時、暁美は使い魔に歌野の腕を折るように命じた。それを止めるために、私は牽制する使い魔の刃を素手で握り締めた。

 歌野を守れた。この傷に悔いは無い。だがしかし、歌野を害そうとしたこと、この傷を付けた事、ましてや千景の件だ……いったいどうやって許せと言うんだ……!

 

 再び燻り出す怒りを感じ始める。私の大切な者達を次々と不幸に突き落とす奴に……我々の宿願を邪魔され、蔑むような存在を……果たして許して良いものか……!

 

 そして……

 

『ひぃなたぁ~……んっ…! はぁ~~そこぉ~♡』

 

 …………………………

 

「「………え?」」

「あ、私の携帯です。ええっと……水都さんからのお電話ですね」

 

 …………………………………え″?

 

「……おい待てひなた!!? なんだその有り得ない着信音は!!? まさか…まさか!!!?」

「はい、先日若葉ちゃんの耳かきをした際の、気持ちよさそうなトロトロ若葉ちゃんの声です♡」

「なああああああああ!!!?」

 

 ひ、ひなたぁあああああ!?!?!?!? いつの間に録音を……そうじゃない!! よりによって何故そんなものを携帯の着信音に設定しているんだ!!? 正気の沙汰じゃないぞこれは!!?

 

「あ……やっぱり今の、若葉の喘ぎ声だったのね……」

「喘いでいるとか言うなぁあああああ!!!!」

「えっ……じゃあえっと……なんというか…その………エッチね……?」

「あああああああああ!!!!!!」

 

 顔を赤らめないでくれ歌野!!!! 余計に恥ずかしくなって頭が沸騰する!!!!

 

「若葉ちゃん、そんなに大声で叫んで……近所迷惑ですよ」

「誰のせいだ誰の!!? 消せ!!!! 今この場で消去しろ!!!!」

「はい水都さん、申し訳ありません、到着にはまだもう少しばかり時間がかかりそうです」

「聞けぇえええ!!!!」

 

 もはや何も考えられない……! 直前まで感じていた苛立ちは、今すぐにでも全力で走り出したい程の羞恥心で上塗りされる。

 

 そんな私の心境を知ってか知らずか、ひなたの持つ携帯からはハンズフリー故に周囲にも電話口の水都の声が届いていた。

 

 

 今にも泣き出しそうな、震えている声が

 

 

「……なん……だと……!?」

「そんな……どうして……!」

 

 羞恥心の上から更に覆い尽くす、こちらが爆発寸前となる怒りを運んで。

 ……思わず欠けるのではないかというほど、無意識の内に強く歯を噛み締める。傷が開きかけてしまうほど、痛みを忘れて拳を強く握り締める。それでもこの怒りは消え去りそうにない!!

 

「……歌野……暁美の住処はお前の部屋の隣だったな?」

「え、ええ……」

 

 そちらの寄宿舎の場所は覚えている。頭がどうにかなりそうな怒りに満ちる中、鞘を掴んで持ち運んでいた生大刀の柄を持ち直す。

 

「っ! ダメです若葉ちゃん!! 危険です!!」

「こんな話を聞いて……おめおめと黙ったままでいられるかァァ!!!!

「若葉っ!!」

 

 制止する二人の間を突き抜ける。関わる事は間違いであり、それが私達の安全のためだとしても、この感情は止まらんぞ……決してだ!!

 

 今の今まで耐え抜いてきたつもりだった……避け続けていれば奴は我々に手荒な真似はしないと……だが……奴の悪事をのさばらせる事もまた大いなる過ちだった事に今更ながら気づいてしまった!!

 

 暁美が千景に与えた傷は……私達が思っていたよりも遥かに大きかったんだ!!

 

 

◆◆◆◆

 

『──3日前の午前10時に発生した香川県綾川町の山林火災で、高松市消防本部は今日鎮火宣言を出しました。火が強風にあおられて火災が拡大したとの見解ですが、出火の原因については現在調査中で……』

「……………」

 

 付けてあるテレビのニュースで流れているものは、バーテックスの二度目の襲撃の日……決して忘れられそうにない、思い返すだけで苦しくなったあの日に起こってしまった痛ましい火災について。

 これが本当に()()()()()()だったら、きっと私は大変な事があったんだなってしょんぼりするだけだったと思う……。でも若葉ちゃん達が言うには、この山火事の原因は自分達にあるって……。

 

 この前、私はぐんちゃんと合流するためにみんなとは別行動でバーテックスとは戦っていないから知らなかったけど、かなり苦戦しちゃったんだって。最終的にホムちゃんが切り札を使って倒したんだけど、バーテックスの攻撃が神樹様の結界である樹海を傷つけたから、その影響が山火事になって現れたんだって……。

 

 私がぐんちゃんにお母さんに会いに行くように勧めたから………そんな事を考えちゃダメなのに……。

 それか私が初めからぐんちゃんと一緒にいれば、あの子とのトラブルも止められてぐんちゃんの怪我も無いまま、そのままみんなと合流してバーテックスと戦えていたのに……。

 

(……どうしてこう、悪いことばっかり……)

 

 悪いことばっかり頭に浮かぶけど、今この場でそんな顔をしちゃいけないって思い出してハッとした。いつも通りの高嶋友奈の笑みを浮かべて、私は心配事なんか吹き飛ばす気持ちを意識しながら振り返る。

 

「ああごめんっ! ついニュースが気になっちゃって……この辺りに住んでいる人達大丈夫かなぁ~って!」

「………」

「野生動物とかもいっぱい巻き込まれちゃったんじゃないかって思うとかわいそうだし……心配だね……」

 

 ……心配だなんて、どの口が言っているんだろう……。世間一般では原因不明の山火事だとしても、私達の責任だった事実は消えやしない。特に、みんなと違って戦いもしなかった私は……。

 それでもそんな感情は胸の中に押し留めた。この場に相応しくない、表に出しちゃいけないものだから。だから心配しているって気持ちだけを前に出して、それ以外はいつも通りの私のつもりで……ぐんちゃんと接する。

 

「………そうね……」

 

 ……ぐんちゃんは、それだけしか言わなかった。ベッドに横たわって傾けたマットレスに背中を預けてはいるけれど、ずっと俯いていて視線は何も捉えてなんかいない。心ここに在らずといった感じだ……。

 腕に取り付けられている複数の点滴の管。その内の一つと繋がっている輸血パックは赤黒く、痛々しいイメージが拭いきれない。病院服の襟元から覗く右肩に巻かれている包帯も辛いけど、それよりも普段なら私に向けてくれる優しい微笑みが……意識が戻ってから、ほんの一瞬すらも無い事が悲しかった。

 

 ぐんちゃんの怪我は、手術したお医者さんによると肩の傷が全てらしい。その他にはどこも、精々倒れてしまった時にできたと思われる打ち身や擦り傷程度しか無いんだって。その肩の傷も、反対側まで貫通しているけど幸いにも関節や動脈への損傷は無くて、後遺症の心配もほとんど無いんだとか。

 ……ただ、いっぱい血を流しすぎたから衰弱している。いずれ空いた穴が塞がっても、ぐんちゃんの肩には一生その痛々しい傷痕は残る。しばらくは絶対安静……最低でも1ヶ月は入院してなくちゃいけない。当然その間、仮にバーテックスが攻めてきたとしてもぐんちゃんは戦えない。

 

「……ぐんちゃん、傷、痛い?」

「………薬が効いているから……今は、平気……」

「やってほしい事があったら何でも言ってね! ぐんちゃんの怪我が治るまでは私がぐんちゃんの手の代わりだよ!」

「……ありがとう」

「………」

 

 ……今日も、ぐんちゃんは笑ってくれない……。

 

 ふとそこで、外からこの病室の扉がノックされる。ここに来るのはぐんちゃんの容態を看に来た看護師さんか、ぐんちゃんを心配している他のみんなというわけで……。

 

「はい、どうぞ!」

「来たよ、友奈さん」

「おっす千景! 具合はどうだ?」

「お邪魔します、お見舞いに来ました」

「水都ちゃん! タマちゃん! アンちゃん! いらっしゃい!」

 

 思った通り、部屋にやって来たのは私達の大好きなお友達。ぐんちゃんを想うみんなの事が、改めて嬉しくて気持ちが朗らかになるのを感じた。私は。

 

「まどちゃんと歌野ちゃんは一緒じゃないの? 若葉ちゃん達はまだ時間がかかっているのかな」

「まどかはおばちゃん達と先にほむらのとこにいったぞ。たぶん二人で一緒に来るんじゃないか?」

「そっか。ホムちゃんは今日で退院だもんね」

 

 ホムちゃんはこの前の襲撃で切り札の精霊を発動させていた。この切り札っていうのは勇者にすっごい力を宿すから、その分身体にかかる負担も大きいらしい。実際に戦いが終わった後のホムちゃんはヘトヘトで、検査のために入院することになっていた。

 特に異常も無いみたいで無事にホムちゃんは退院できる。ぐんちゃんへのお見舞いと合わせて安心できる話題で嬉しかった。

 

「うたのんは遅刻だよ。急いでこっちに来ると思うけど」

「若葉さんとひなたさんも、もうこちらに向かって来ている頃とは思いますけど、ちょっと確認してみますね」

 

 襲撃が終わったばかりでバタバタとした、勇者としての忙しい仕事に一段落付いた今日のこのタイミングで集まってくれた。

 

「確認の前に……こちらお見舞いです。新鮮なフルーツ、早く怪我が良くなってほしくて」

「美味しそうな物をみんなでじっくり時間をかけて選んだんです」

「わぁ♪ 凄いねぐんちゃん! リンゴにバナナにみかん、おっきいメロン! フルーツの宝石箱みたい! ありがとうみんな♪」

「………」

 

 ……ぐんちゃんは表情一つ変えない。部屋に入った三人を見ると、すぐに顔を逸らして……。

 

「千景さん、元気……」

「………」

「……では、ないですよね……」

「千景! 早くその怪我治してくれよ! あの野郎にやられた怪我なんてさ!」

「………! ……暁美……ッ!」

「……っ!? ち、千景さん……?」

 

 タマちゃんがあの子の事を口にした瞬間、病室の空気がピリついた。今まで無反応だったぐんちゃんを中心に、なんだか重くて怖いプレッシャーが私達に走る。

 

 とても嫌な……冷たい殺気。それがぐんちゃんから……心がざわめく。

 そんな嫌な、ぐんちゃんらしくない感情は……

 

 

 

「千景さん、みんな、お待たせー」

「皆さんが郡さんのお見舞いに来ていると聞いて……」

「まどちゃん、ホムちゃんも!」

 

 

【───無価値な勇者が】

 

 

 理不尽に爆発する。

 

「暁美…ほむらァアアアアアッッ!!!!」

「えっ……ぐ、ぐんちゃん……!!?」

 

 この場にいる誰もがいきなりの事で体が反応しなかった。何が起こっているのか全然飲み込めなかった。こうなる意味がわからなかった……。

 

「があああああああああぁぁッッ!!!!」

 

 肩に酷い怪我を負ってたくさんの血を流して弱っているはずのぐんちゃんがベッドから飛び跳ねるように、新たに病室に入ろうとしたホムちゃんに飛びついた。

 

「っ!?」

「きゃあっ!? ……ち……千景さん!?」

 

 点滴のスタンドがぐんちゃんの動きに合わせて引っ張られて、ベッドに引っかかる……強引な勢いそのまま、ぐんちゃんの腕から一気に針が抜けて……。

 その針が抜けるのと同時にぐんちゃんの腕を引っかくように傷つけて、床に血が巻き散った……!

 

「え……えっ…!?」

「か…は…っ! こおり…さ……!」

 

 痛みを気にする素振りを見せない……。ホムちゃんを強く叩きつけるように床に押し倒して、その弾みでホムちゃんの眼鏡が落ちた。

 

「よくも……!! よくもぉおお!!!!」

 

 そのままホムちゃんの顔を見るぐんちゃんはまるで鬼の形相で……ホムちゃんじゃない、同じとしか思えないほどとても似ている違う人の顔を見ている。ぐんちゃんにとって、憎くて仕方ないその人に恨みを晴らすつもりでしかない。血が滴り落ちる握り締めた左手で叩きつけようと……

 

「だめぇーーっ!!!!」

「何やってんだお前ぇえええ!!!!」

 

 ようやく私達の身体が動いた。ホムちゃんの顔が殴られる前に、必死になって伸ばした手が間一髪でぐんちゃんの腕を掴めた。それと一緒にタマちゃんも後ろから羽交い締めしてホムちゃんから引き剥がそうと叫んでいた。

 

「離して……!! そいつを殺せない!!!!」

「やめて……!! やめてよぐんちゃん!!」

「離せえええええ!!!!」

「くっ……バ……バッキャローーッ!! そいつはほむらだ!! タマ達の仲間だ友達だ!! 暁美のヤツと間違えるなああああーーーッッ!!!!」

 

 それでもなお、ぐんちゃんは私とタマちゃんを振り解こうと暴れ出す。二人掛かりなのに、必死に叫んでいるのに、ぐんちゃんの爆発した感情は止まらない。

 

「けほっ、けほっ……っ!?」

 

 押し倒された背中の痛みと肺の中の空気を吐き出してしまったホムちゃんが苦しそうに咳き込む中、世界の動くスピードが遅くなったかのように感じる。手を掴んで、身体を引っ張って、それでぐんちゃんの暴走を止められると思ったら大間違いだった。

 

「ぅううう"う"う"!!!!」

 

 足が、うずくまるホムちゃんの顔面に迫って……

 

「あぐぁっ…!!」

「っ!!?」

 

 咄嗟に滑り込んで、ホムちゃんを庇うように割り込んだまどちゃんの背中を激しい勢いで蹴りつけた……。

 

「ぅ……ぁぁぁ……っ…!」

「まどかぁっ!!!!」

 

 病室の中にホムちゃんの悲痛な叫び声が響き渡る。痛みに呻くまどちゃんに必死の形相で声をかけ続けて、私も……みんなも……ホムちゃんの叫び声が耳に届く度に胸が苦しくて痛くて仕方がなかった……!

 

「ハァ……ハァ……ッ!!」

 

 なのに……なのに……! ぐんちゃんは変わらず、恐ろしく血走った目をホムちゃんに向け続けていた……! 私とタマちゃんを振り解こうとするのをやめようとしない……

 こんなぐんちゃん……誰だって見ていたいなんて思わない!!!!

 

「もう……いい加減にしてよ!!!!」

「……!」

 

 パァンって……乾いた音が聞こえた。ぐんちゃんの前に立ったアンちゃんが、ボロボロと涙をこぼしながらほっぺたを引っ叩いたんだ……。

 

 その音は、ビンタのジンジンとした痛みは、他の事を何も考えられなかったぐんちゃんの中にも響く。ホムちゃんしか……ううん、ここにはいないあの子だけを見ていたぐんちゃんの景色がようやく戻りかける。

 

「まどかさんを……ほむらさんを……何を……やっているんですか……!! 友奈さんが泣いているのが見えないんですか!? いい加減目を覚ましてよ!!!!」

「……たかしまさん…が……ないて……?」

 

 理解していないように、ゆっくりと腕に組み付いている私を向く。私にはぐんちゃんの今の表情がよく見えていない……溢れ出る涙が全然止まらないから……!

 

 やがてぐんちゃんは、辺りの様子も見渡したみたい……。沈黙がこの空間を支配して……

 

「……ぁ……ぇ……わたし……なにを……」

 

 震えた、ぐんちゃんの声だけが聞こえる。

 

「……だって…そこに……暁美……どこに……」

「……どこにもいませんよ……最初から……」

「………でも…わたし……つかまえて……けって……」

 

 ぐんちゃんの二つの目が、痛みで苦しそうにしているまどちゃんを捉えて、見開かれる。顔も真っ青になって、声だけだった震えがはっきりと身体の方にも現れた。

 

「……ぁ…ぁあ……! ちが…う……!」

「…………」

「 そんなつもり……わたし……! ごめん…なさ……ごめ……っ」

「!?」

「お、おいっ!!」

 

 ふらっと傾いたと思いきや、突然その場で膝から崩れ落ちる。タマちゃんも一緒だったから、倒れそうになるぐんちゃんを支える事ができた……。

 ただ、そのぐんちゃんの身体は赤黒く染まろうとしていた……今の今まで気づかなかった。私の服にも、タマちゃんの腕や身体にも、それが付いている。

 

 ぐんちゃんの意識は朦朧としていた。ずっとこぼれ落ちていたから……肩に空いた穴から……血が……。

 

「傷口が……!? ナ、ナースコール……!!」

 

 叫んだ水都ちゃんが行動に移るけど、もう私は何も考えることができなかった。

 

 堪えきれない、悲しさと後悔だけしか感じられない。あの時、私が間に合って二人を止められていればと思わずにはいられない。到着するまでに何があったのか、それは私はまだ知らないけど、そっくりなホムちゃんの姿を見ただけでこんな事になっちゃった……今、あの時に何があったのか、これだけは分かった……。

 

 ぐんちゃんは心を……プライドをズタズタにされたんだって……。




 次回 決戦乃木若葉


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第六十九話 「決闘」

 ゆゆゆい、また会う日まで!!


「出て来い暁美ィイイ!!!!」

 

 水都の部屋、歌野の部屋の前を通り過ぎ、その先にある扉を刀を掴んだままの拳で叩きつけながら怒鳴る。そうしなければ壊れてしまいそうな憤怒の感情に支配され、似たような迷惑行為を働いた歌野の事で棚に上げる形になっていたとしても、怒りの叫びと扉の連打を止める事ができなかった。

 

 だがそれでも内側から扉が開かれる様子が無い。苛立ちは募り、ついには勇者システムを立ち上げて鞘から刀を抜く。

 

「10秒だ!! 出なければこの扉を破壊する!! 10!! 9!! 8!!」

 

 右手を負傷していて普段とは逆の手で持っていたとしても、勇者になったこの力があればただの扉を破壊する事など訳無い。歯噛みしながらも精神を統一させ、一つ、また一つとカウントを取り続ける。

 

 扉は一向に開く兆しを見せず。

 

「3!! 2!! 1!!」

 

 遂に一際大きく刀を振りかぶる………瞬間、微かな音が……何か、小さな物体のような物が突っ切るようにこちらに迫っていると、空気の流れがそれを察知させた。

 

「っ!」

 

 即座に反応した私は扉ではなく、その飛んできた物体を刀で弾き落とす。とても軽く、手応えなどあってないような……空っぽの空き缶が地面に転がった。

 

「……缶コーヒー?」

「白鳥歌野がまた押し掛けると思ったら、今度はあなた……」

 

 その声を聞いて、警戒心をこれ以上無いレベルに引き上げる。そうして不覚ながら、今になってようやく気がついてしまう……私は今の間ずっと、奴に背を晒していたのだと。

 元からこの部屋の中にはいなかった。私がここに来る前から、こいつはこの寄宿舎の外に……私が今立ち尽くしているこの部屋の入り口前が見える地点を取って監視していた!

 

 空き缶が飛んできた方向、対面の建造物の屋根の上に。そこで奴は初めて見る制服や勇者装束以外の私服姿、厚手のトレーナーにズボン、深くかぶったニット帽にネックウォーマーという若干時期が早いファッションスタイルでくつろぐように座っている。

 

「暁美……貴様……!!」

「……物騒ね。いつから勇者じゃなくて押し入り強盗にジョブチェンジしたのかしら、乃木若葉?」

 

 だが、ニット帽の陰から覗かせる瞳はどうしようもない物でも見るかのような冷め切った、まさしくあの“暁美ほむら”の目でこちらを眺めていた!

 

「はぁ…はぁ……若葉ちゃん!」

「ゼェ…ゼェ……! カボチャ全部抱えて全力のダッシュはっ……ヘビー……! ……若葉…! 気持ちは分かるけどディープブレス! 落ち着いて!!」

「ひなた! 歌野! 来るんじゃない!!」

 

 暁美と対峙したこのタイミングで私を止めようと追いかけてきた二人もこの場に到着してしまう。危険人物が目の前にいるこの場に近づいてほしくはなかったがもう手遅れだ。

 私とは違って暁美は勇者に変身していない……今なら奴がその素振りを見せる前に即座に取り押さえることができるはず。だがしかし、暁美の異様な威圧感を浴びてしまえば、それは私に最悪の事態を想定させる。そう簡単にいくのかと慎重になって状況を見極め判断をしなければと、結果私の身動きを制限する。

 

「……白鳥歌野……あなた、しつこく扉のノックとインターホンを連打して……非常識って言葉を知ってる?

「うっ……!」

 

 暁美の闇のように冷たい瞳が二人にも向けられ、ひなたと歌野も本能的に奴の方を見る。やはり歌野の迷惑行為については気に食わないのか、心なしか私に向けられた視線よりも突き刺さるような苛立ちが感じ取れる。

 

「……これはもう、私達も引き返せる様子ではなさそうですね……」

「暁美さん……なんてアイズをしてるのよ……!」

 

 私がこの場に向かうのを止めようとした二人だ。この邂逅は決して望んではいないだろうが、即座に暁美のプレッシャーを察知した彼女達はこの状況を悟り、歌野は盾になるようにそっとひなたの前へ出る。

 ……やはり恐ろしい目だ。僅かに見えた奴の紫色の瞳が映すのは澱んだ光景なのだろう、得体の知れない闇を抱えているように見える。更には目の下の濃い隈も、それとは正反対の真っ白い肌のせいで刻まれたようにはっきりと浮き出ている。

 

 絶えることのない威圧感と共に向けられる奴の人間離れした眼差し……一体何を見つめているんだ……!

 

「しつこかったのは謝るわ……だけど暁美さん、あなた……っ! イエスタデー何時に寝たの!! ちゃんとぐっすりスリープしなきゃ体にバッドじゃない!!」

「くっ……! 睡眠不足ではないだろう……!」

「そうです歌野さん、この状況で天然ボケは自重してください……!」

 

 未だに警戒心の緩い歌野の発言に注意が向きそうになるが、もう隙は見せない。ひなたも暁美の方を直視したまま、奴の表情、仕草を観察する。

 

「ここずっと夢見が悪くて全然寝付けないのよ」

「………あなた、歌野さんに便乗してふざけているんですか?」

「ひなたさん私大真面目だったんだけど!?」

「寝不足なんぞで子供が見れば泣いてしまいそうな目つきも闇も出来るわけがないだろう」

「あーはいはいそれなら血行不良よ悪かったわね闇を抱えた目つきで」

 

 心底どうでもよさそうな早口言葉とトーンだが、ふざけ返すとは予想外だ。おかげでひなたの注意が一瞬逸れてしまった。冷酷で、残忍酷薄な奴がその一瞬の隙でひなた達を襲う可能性は十分考えられる。だからこそ此方には来て欲しくはなかったが……

 しかしまるで悪魔に魂を売ったかのようなその禍々しい雰囲気を纏う奴を、逆に絶対に逃がさないという強い意志を込めて睨みつける。これ以上私の仲間達に手を出す事は許さんと、全力の覇気をぶつける。

 

「歌野が非常識だと言いたいようだが……お前に非常識を咎める権利があると思うな!」

 

 その言葉を口にして、先程の話を聞いて生まれた感情が徐々に呼応し始める。ギリッと歯を食いしばりながら、奴の前でこの怒りを露にする。

 

「貴様、あの時千景に何をした!?」

 

 傷を負った仲間をみんなが心から心配した……早くその傷を癒やしてほしいと、その願いを心の傷という名の爆弾で滅茶苦茶にされた!!

 

 そんな想いを込めた糾弾を聞いた暁美は……

 

「………ハァ。今更そんなどうでもいい話を蒸し返すつもり?」

「どうでもいいだと!?」

「やめてくれないかしら? それで私の居場所が分かり次第報復? 勇者の風上にも置けないわね」

「どの口がそれを……!!」

 

 奴の口から漏れるのは呆れたような溜息。そして私に対する侮蔑の言葉。頭に血が上り、刀を握る拳が震えてしまう。

 

「本気でそのような事を言うんですか……!?」

 

そしてそれは、ひなたも同じだった。本来私が暁美と接触するのを止めようとしていたはずのひなたが、その状況になってしまったとはいえ今の奴の言葉に並々ならぬ怒りを覚えている。

 

「千景さんは病院で……あなたと似た顔の鹿目ほむらさんの姿を見ただけで、怪我の事を忘れて激しく取り乱すほどの深い傷を心に負っているのですよ!?」

「………」

「その姿を見た皆さんがどれだけ胸を痛められたのか……!! 理不尽な怒りをぶつけられたほむらさんの感じた恐怖がどれほどのものか……!! まどかさんの受けた苦痛が……友奈さんが流した涙の重みが……!!」

 

 ひなたがこんなに感情を露わにするなど、きっと今までに無かっただろう。大切な仲間が受けた苦しみは、全てがひなたの苦しみも同じ。

 

「正気に戻れた千景さんが直面した、仲間に手を出してしまった絶望感が……!! それでもあなたはどうでもいい話で済まされるとでも思っているんですか!?」

 

 だが、奴は……

 

 私達がここまで憤りを感じているにもかかわらず、全く動じていない。

 

「……感心した。郡千景……ここまで呆れて物も言えない見事な被害者面は初めてだわ」

「……!?」

「なん……ですって……!」

 

 救いようが無い馬鹿を見る目から何も変わらない。

 

「ふ…ざけるなぁあああああ!!!!」

「っ、待って!!」

 

 堪えようとした怒りが遂に爆発する。奴に相応なる報いを……もはや私の頭にある想いはそれだけだ!!

 

「はああああーーーーーーっ!!」

 

 地面を蹴り、屋根の上で胡坐をかく悪魔に刀を振るう。辛うじて理性が邪魔をし峰打ちだが、その勢いはまさしく奴をこの世から滅するが如く。

 

lass nicht

halte

 

 しかしその刀は止められる。陰から飛び出してきた二体の黒髪長髪の使い魔が割り込み、それらの持つ鎌の斬撃と棒による打撃をぶつけられて、耳を劈く金属音を響かせ拮抗する。

 

「ぐっ……! こいつ等……またしても……!!」

「……変身している勇者の前で無防備な姿を晒し続ける馬鹿がどこにいるの。少し考えれば分かるでしょう」

「チィ……ッ!」

「勇者足る者、半端な心や未熟な精神では務まらない。それに引き換え郡千景は……本当に無様ね。勇者っていう誇りはたった一度の敗北で壊れるような人間が背負っていい物ではないのに」

「貴様のような外道が、勇者を語るなぁあ!!!!」

 

 湧き上がる力が二体の使い魔を武器ごと弾き飛ばす。しかし此方が掴みかかろうとするよりも早く受け身を取った使い魔達は暁美を抱えて寄宿舎の屋根の上に飛び移る。

 

「ちぃ……!!」

「こっちの屋根の上にジャンプしたの!? 見えない!」

「お前達はそこから動くな!!」

 

 向かいに立つ暁美の冷たい声が重くのしかかる。氷のような冷徹さを持つ暁美は、まるで機械のように淡々と言葉を紡ぎ始めた。

 

「……あなた達が無意識に身内贔屓しても、それはまあ甘く見ても仕方のないことだと受け入れてあげる。けれども事の発端は私ではなく郡千景。人の恩を唾を吐いて返した挙げ句、始めに殺す気で襲いかかってきたのは彼女の方よ」

「なに……!」

 

 ……そんなはずはない。確かに以前から千景は暁美の事を嫌っていた。だが千景は嫌いだからと言って人に襲いかかるような奴ではない。

 

「……これ以上……千景を貶めるつもりか!!?」

「それが身内贔屓だって言ってるのよ。まったく……郡千景の心象が悪くなる事実に蓋をして、此方を一方的に悪者扱い……うんざりだわ」

「黙れ!! それに……恩だと……!? 貴様のような外道の言う施しなんて碌でもない物に決まってる!! それで棚に上げているつもりか!!」

 

 奴が千景にしてきた仕打ちを考えれば、それは当然の認識。それなのに暁美はまるで自分が善人、千景が悪人であるかのように告げる……ふざけるな……ふざけるな!!

 

「……何を言っても無駄ね」

「ああ……そのようだ!!」

「………じゃあ……どうしてくれる? 」

「……ッ!?」

 

 突然奴の冷たい瞳に憎悪が宿る。肝が冷える殺気が迸り、思わず体が硬直してしまう。

 

「郡千景の過ちを認めようともしない連中が……! 現実から目を背け続ける連中が……! つまりこれも無視するってわけね……!」

 

 怒りに震える奴の手が、ゆっくりと頬に当てられる。その部分には真ん中部分がうっすらと赤く滲んでいる、白いガーゼが貼られている。

 

 そして、奴はとんでもない事を口にする。

 

「長年の!自慢の!宝物の!顔に!傷が付いた……! ねぇ、どう責任を取るつもり……鏡でこの傷を見る度に屈辱と怒りに震える私の憤りを……!」

「……!?」

 

 傷付いた場所を指でなぞりながら、怒りの形相を浮かべてこちらを睨み付ける。

 今ふと思い出す。あの日、樹海化が解除された後に私達の前に現れた暁美。奴は千景の返り血を浴び全身を真っ赤に染めていたが、今奴がガーゼで覆っている部分には確か……鋭利な刃物で裂かれたような、小さな傷があった。

 

 たった今の奴の発言と、当時の状況から判断するに、その傷は千景の鎌によって付けられた……。

 それだけの事で今、奴は激しい怒りを感じていると言うつもりなのか!? こいつは……っ! どこまで腐りきった外道なんだ!!

 

「ガーゼで覆える程度の傷が何だ!! 貴様が千景に与えた傷がその程度で治る物と等しいとでも言うつもりか!!!」

 

 なんて身勝手な言い分! こんな奴の戯言を聞く耳など無い!

 

「お前の度し難い言動は心底見下げ果てたぞ!! 暁美ほむら!! 貴様に……勇者を名乗る資格など無い!!!!」

 

 もう何もかも我慢ならない!!

 

「私と決闘しろ!! 暁美!!」

「………はぁ?」

「1対1だ!! その使い魔の力を借りず、正々堂々とこの勝負を受けろ!!」

 

 ここでけりを付ける……貴様の腐りきった精神を叩きのめす!! 言葉にその想いを全て込めて言い放つ。

 

「……くだらない。あなたのお遊びに付き合えって言うの?」

「遊びではない!! 決闘だと言った!! 私が勝てば、これまでの全てを謝罪した上で、今貴様の持つ勇者システムを永久に放棄しろ!!」

「ちょっ…若葉!?」

 

 下の方から会話だけを聞いていた歌野が寄宿舎の敷地外に飛び出て私達を見上げる。その後ろにはひなたの姿も。

 戸惑いの声を上げるも当然の報いだ!! 私は今奴に勇者を辞めるよう言ったも同然なのだから。

 

「……確かに、利に適ってるとも言えます」

「ひなたさん、何を言って……! 暁美さんのストロングな勇者システムを棄てさせるなんて勿体ないなんてレベルじゃないわ!? 今度こそ本当に協力してもらうってプロミスにすればいい話じゃない!」

「……その場合、若葉ちゃんが勝利して、本当に暁美さんが協力する保証があると言えますか? 実戦時に約束を反故してスタンドプレーを行い、何も変わらないままの可能性の方が圧倒的だと思います」

「………っ」

「一方でこの若葉ちゃんの要求は、放棄と言いましたが正しくは提供です。かつて拒んだ彼女の協力な勇者システムの提供。若葉ちゃんが勝った場合、今度こそ渡して貰いシステムを調べ上げて皆さんの強化に繋げる。その後返さずに大社で保管という形を取れば、事実上暁美さんは勇者の資格を剥奪されるというわけです」

 

 全てひなたの言う通りだ。それが最善の手段……奴を相応しくない勇者の座から追放し、持て余し悪用され続けた力は私達で正しく扱う。土壇場で反故するつもりがあると仮定しても、勝敗と同時に奴から携帯を取り上げれば済む話だ。

 奴の力が強大だとしても、それを操る奴を私は仲間だと認めない!! この世界は私達で守る!!

 

「謝るだけで済ませる訳がないだろう……!! 貴様を勇者だと断じて認めん!!」

 

 仲間を苦しませ、笑顔を奪う……暁美ほむらは私達の進む未来に邪魔なだけだ!!

 

 ……ただし、大きな問題が一つ。決闘とは双方の合意の元行われる物。今現在その強力な力を有するのが暁美だとしても、奴が決闘を受け入れる理由が無ければ話は流れる。

 ……だがしかし、絶対に逃がさん……!! 断ろうとも何度でもこの話を突きつける。地の果てに逃げようとも追い詰めてこの決闘を受けさせ……

 

「……いいわ」

「!」

「乗ってあげる。その決闘とやらに」

 

 淡々とした口調かつ、無表情で言い放った。自らが背負わされた代償を失った際の事を考える素振りもなく。

 

「暁美さん!? 何を言ってるの!! あなたが負けた時のリスクが……!!」

「……二言は無いな?」

「あなたが勝つ場合の条件を提示するなら、逆に私が勝った場合の条件さえ呑んでくれれば」

 

 ……当然だろう、何の利もなくこんな話を受け入れるわけがない。私が勝利の暁を求めたように、奴にもそれを求める権利がある。

 

「……若葉ちゃんはあなたに勇者の資格という大きな代償を要求しています。……それに釣り合った、大きな代償を要求するおつもりですか……!?」

「まさか……命!?」

「いらないわよそんなゴミ」

 

 考え得る最悪の代償は違うようだ。だが身も蓋もない悪質な一言に青筋が浮かぶ。結局は人の命をそのような物としてしか見ていない、やはり最低の屑だこいつは!

 暁美ほむらが求める物……それは……。

 

「あなた達全員が、私に対して完全な不干渉を貫く事。私のやることなすこと、今後一切余計な口出しも目障りな接触も無く私に関わらない。それが条件」

「………そうか」

 

 ……つまり、私達に求める物は何も無かったも同然だった。だって、何も期待していない。奴は私達を見る気も、相手にしたいとも思っていない。

 

「あなた達から奪って価値が有るものなんて一つも無いわよ」

「……我々はお前にとって、目障りな小蝿と変わらないか」

「あら、私は初めから雑魚散らしか囮程度の働きには期待してあげてるわよ」

 

 もはや怒りも通り越した。こいつにはもう、その価値もない。

 

「……場所を変えよう。ここでは人目に付く……ついて来い」

「………」

 

 地面に飛び降り、一旦変身を解除する。暁美も再び使い魔に抱えられ、軽やかに地面に降り立つ。先を歩く私の後をついて、決闘の場へと歩みを始めるのだった。

 

「若葉……暁美さん……」

「歌野さん、あなたもそろそろ決断の時を」

「………」

 

 後ろの方で聞こえたその会話を最後に、誰もが無言になる。次に言葉を発したのは、舞台に辿り着き、暁美ほむらと正面から向き合った時だった。

 

 

◆◆◆◆

 

「これより双方合意の元、決闘を執り行います。立会は私、上里ひなたが務めます」

「「…………」」

 

 私達以外だれもいない丸亀城の広場にて、決闘の前口上を告げる。正面には勇者装束を身に纏う若葉ちゃんと、暁美さん……。

 この決闘、若葉ちゃんが勝てば皆さんの戦力が各段に上がることは間違いありません。ですが、そのためにはその力を有する暁美さんに打ち勝たなければならない。その壁は高く、乗り越えるのはこれまでのバーテックスの襲来の時よりも険しく困難でしょう。

 

「ルールは1対1の真剣勝負。これは勇者としての力を示す決闘です。よって武器も模擬戦用の物ではなく、各々の神器の使用を許可します」

 

 実戦のように、危険も伴う。若葉ちゃんの刀に暁美さんの爆弾……両者大怪我のリスクがある内容を耳にしても、表情一つとして変わらない。

 

「勝敗は先に降参をするか、戦闘続行不可能になるか……または私の判断でこれ以上は危険だと判断した時に試合は強制的に終了。その場で劣勢の方の敗北となります」

「…………」

「若葉ちゃんが勝利した際は……」

「確認はいい、ひなた」

 

 若葉ちゃんが遮りました。既に覚悟は決まっている彼女に、この前口上は無粋ですね。

 

「……私も御託はいい。上里ひなた、あなたが乃木若葉に対して汚い忖度をしないと誓ってくれるならそれで」

 

 暁美さんの鬱陶しげな言葉を受けつつも、冷静を保つ。確かに私は100対0で若葉ちゃんの勝利を望んでいる人間です。暁美さんの勝利なんて認めたくはありません。

 

「……私は若葉ちゃんの勝利を信じています。そのような真似は若葉ちゃんの誇りを無視し蔑ろにする事も同然です。勝敗は、公平に、公正に判断すると神樹様にも誓いましょう」

「……まあいいわ」

 

 腕を組んで暁美さんは言います。その後改めて若葉ちゃんと暁美さんが向かい合い、二人ではなくそれを見つめる私達の間に緊張が走ります。

 

「……歌野さん、答えは決まりましたか?」

「……ええ」

 

 小声で尋ね、短い言葉が返ってくる。歌野さんはこれまで暁美さんを友達と信じ続け、裏切られてきました。

 若葉ちゃんが勝てば、暁美さんは勇者ではなくなる。暁美さんが勝てば、金輪際私達とあの方との間に繋がりはなくなる。

 

「……私は……若葉を応援する」

「……分かりました」

 

 ……それは純粋に、暁美さんとの訣別のために選んだ答えではないのでしょうが……いいでしょう。答えを出すだけでも苦渋の決断だったに違いないのですから。

 

「……それにしても、郡千景がどうなったのかもよく覚えているでしょうに決闘を申し込むなんて、本当に愚かとしか言い様がないわね」

「……っ」

 

 ……まずい、挑発ですね。それも千景さんに触れた……。

 

「はぁ、思い返すだけでもイライラしてきた。自分の能力も精神も碌に備わってない未熟者が、感情のままに暴れてヒステリックに叫ぶわ、うざい事この上ない。そんな死にたがりをお望み通り痛めつけて責められるなんて、本当に理不尽な世界だわ」

 

 開始前に若葉ちゃんの感情を煽ってペースを乱すつもりなのでしょう。真っ直ぐで真面目で正直すぎることが魅力の若葉ちゃんです。挑発は彼女にはとても効果が……。

 

「侮るな」

 

 反応を返したとは言え、その感情は極めて冷静でした。

 

「この命、奪えるものなら奪ってみろ。貴様の如き力の使い道を誤った外道にそのような隙を晒すほど、私は弱くない」

「……あら、そう」

「若葉ちゃん……!」

 

 これまでの私のよく知る若葉ちゃんなら、暁美さんの目論見通り怒っていたでしょう。ですが今の若葉ちゃんは決して負けられないこの状況下において、過去最大のポテンシャルを秘めている。

 

「ひなた」

 

 揺るがない精神は例え格上の存在が相手であろうとも打ち負かす。見えません……若葉ちゃんの負けるイメージが!

 

「必ず勝つ」

「はい!」

 

 鞘から刀を抜き放ち、若葉ちゃんが構えました。切っ先と鋭い眼光を向けられながらも、暁美さんは全く動じず平然としています。それどころか左腕に装着している円盤型の盾を片手で弄る始末……。

 

 まるで若葉ちゃんを脅威と認識していないかの如く。

 

 ……若葉ちゃん……勝ってください……!

 

「両者……始め!!」

「ッ!!」

 

 試合開始の合図を告げると同時に先手を取ったのは若葉ちゃんです。爆発的な速度で踏み込み、刀を振るいます。暁美さんとの距離を一瞬で半分近く詰め、

 

「──ぁっぎ!? ぶごぁあっ!!?」

「「………えっ……」」

 

 突然……私達の耳に断末魔の叫びが届いた……。信じられないものが……ほんの一瞬だけ、私達の目に映った……。

 目の前で完璧な一手を繰り出し、今まさに一閃を放とうとした若葉ちゃんは、その姿が見るも無惨な形に崩れていた……。

 

 浮き上がった、くの字に折れ曲がった若葉ちゃんの体……その体に、楕円形の形をしたバスケットボールサイズの何かが砲弾のように炸裂した。

 

「こればかりは──」

 

 砲弾は若葉ちゃんの体に激突した勢いで四方八方あちこちに飛び散って、その勢いが直撃した若葉ちゃんはまるで時速100キロ越えの大型車に跳ねられたような勢いで飛ばされ、

 

「気に病む事は無いわ。初見なら誰もがそうなって当然の結果だから」

 

 地面に……叩きつけられ……赤い液体が……ピクリとも動かなかった……

 

「……わ………若葉ちゃぁぁああああん!!!!!!」

「……な…なにが……起こったの……!? 一瞬で若葉がボロボロに……ふっ飛んで……!」

「ありえません……こんな……こんなのって……!!!!」

 

 どうして若葉ちゃんが倒れているんですか……!! 若葉ちゃんを見下ろす暁美さんは……その場から一歩も動いてすらいないのに……!!

 

「……………っ!!? そう……だった……思い出した……アレだわ……!!」

「………アレ……?」

「諏訪で離れたところにいた進化体バーテックス三体を一瞬で倒した!!」

「!」

 

 歌野さんの言葉を聞いて、かつて彼女達が話してくれた事を私も思い出した。目の前で話していたはずの彼女が、会話が終わる前に凶悪な進化体を複数同時に倒してしまったと……移動すらせず、空襲のように大規模な爆撃を浴びせたと……!

 

「乃木若葉……あなたは負けた」

 

 ……なんなんですか……そんなデタラメな話は……! 瞬間移動のような非現実的な超能力を有するなんて言うつもりですか……!? いえ、もはや瞬間移動なんて生易しいレベルでは片付けられない……!

 

 

 

「もし私が殺す気でやっていたら今、あなたは100回死んだ」

 

 

 

 あの方はいったい……何者なんですか……

 

 

「さようなら。もう二度と近づかないで」

 

「……ま……て……」

「「!」」

「………」

「まだ…だ……私は……負けて…ない……!」

 

 ポタポタと頭から血を流しながら、若葉ちゃんはそれでも立ち上がりました。刀を杖代わりにして、震える膝を無理矢理立たせながら……

 

「……! わ、若葉ちゃ……」

「ぜぇ…ぜぇ……! はっ……ゲフッ……!!」

 

 若葉ちゃんの目は鬱で、焦点が定まっていませんでした。鼻血や、口からも血が流れているだけでない。顔中殴られたように腫れ上がっていました。手足にもハッキリと痣が浮かび上がっているのが見えます。

 

 若葉ちゃんは……立ち上がることはおろか、意識を保つことすらやっとの状態で……。

 なのに……若葉ちゃんは……刀を暁美さんに向けようと……

 

 そんな若葉ちゃんを見て、暁美さんは……

 

「……手加減が過ぎたかしら? 難しい」

 

 困った様子もなく、ただ面倒そうに、淡々と呟く。

 

そして、若葉ちゃんの身体が既にもう戦える状態ではないと見抜いていながら、地面を蹴って一気に距離を詰める。

 

「うっ……くっ!」

 

 傷ついた身体で咄嗟に刀を振る。しかし、本来の若葉ちゃんなら有り得ない剣速と、込められるはずのない力……そんなものでどうこうできる相手のはずがなく、左腕の盾で刃を軽々受け流す。

 

 そのまま暁美さんは身体を半回転させ、捻りを加えた刺すような鋭い蹴りを若葉ちゃんのお腹に叩き込んだ。

 

「がっ……!?」

「ああっ!」

「わ、若葉っ!」

 

 若葉ちゃんは宙に浮き上がり、ボールのように何度もバウンドしながら地面に倒れる……。

 その光景を目の当たりにした歌野さんの絶叫が響き渡る……。

 

「……若葉……ちゃん……っ!」

 

 これ以上は……もう……っ!!

 

「この決闘! 勝者……!!」

「まだだぁ!!!!」

 

 この悲劇に幕を降ろそうとしたその時、倒れ伏した若葉ちゃんが血を吐きながら叫ぶ。若葉ちゃんは、それでもなお、立ち上がろうとしていました。

 

 その姿を見て、止めようとしていた私は言葉を失い、決して諦めようともしないその姿に涙を流し……

 

 暁美さんは……

 

「もう一回、そうね……これは……ふむ」

 

 何やらぶつぶつと呟いていた。すると左足を前に出し、まるで何かを勢いよく蹴るかのような姿勢に……

 

「相手の体を細胞ごと破壊するかのような鋭い一撃を……これでお見舞いする。名付けて」

 

 そのままサッカー選手がシュートするように、何もない虚空を蹴りつけようとする、瞬間

 

「ゲノムリビルド──」

 

 彼女の足元にカボチャが出現する。

 

「スクワッシュフォーム!!」

 

 振り抜かれた暁美さんの足から放たれた、砲弾の如く発射されるサッカーボール大のカボチャが、凄まじい速度で立ち上がろうとする若葉ちゃんに直撃した。

 カボチャはあまりの威力に耐えきれず爆発し、若葉ちゃんの体がまた吹っ飛ばされる。

 

 ……絶句するしかなかった。必死になって立とうとする若葉ちゃんに……私は一体何を見せられたのですか……?

 

「………名付けて…って…言いました……? あんなふざけた攻撃を……即興で……? あ……あなたはこの状況を遊んでいるんですか!!!?」

 

 かつて無い怒りに包まれる私に対し、暁美さんは何事もなかったかのように平然としている。いいえ、つまらなそうにしている……!

 

「もうこれは消化試合じゃない。最初からつまらなかったのに、技名付けて遊んでないとやってられないわよ」

 

 悪魔が……そこにいる……。

 

「……あれ……その辺に置いてた私のカボチャは……? ない……」

「ああ、鈍器にちょうど良さそうな物が転がっていたから、拾っておいたわ。弁償しろって言いたいなら代金は大社にツケて頂戴」

「っ!!?」

「歌野さんっ!!」

 

 隣の歌野さんが、怒りに任せて飛び出そうとしたので私は慌てて彼女を引き止める。

 ……怒りの……歌野さん……? あの歌野さんが暁美さんに、初めて明確な怒りの感情で睨み付けている……?

 

「……あのカボチャは……! とても優しいファーマーのおじいさんとおばあさん達が私達のためにって……!! それなのに……あんまりじゃない!!!!」

 

 歌野さんの怒声に、暁美さんの眉間にシワが寄る。彼女は不快そうに、苛ついた様子で舌打ちをした。

 

  なんて最低な反応……。この人は……どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのでしょう……。

 今までずっと信じてくれた歌野さんを改めて裏切り、さらには善良な人々の想いまでも踏みにじる。

 

「みんなが……」

「………」

「泣いたんだ……」

「若葉ちゃん……もう……!」

 

 いつの間にか若葉ちゃんも起き上がっていました。身体中が痛々しく腫れ上がっているのに、それでも立ち上がり……刀を構える。

 

「みんなを泣かせたお前に!! 絶対に負けるわけにはいかないんだぁああああ!!!!」

 

 若葉ちゃんは、これまでで一番激しい気迫で叫び、暁美さんに飛びかかる。

 

「……そうね……」

 

 しかし、若葉ちゃんの振り下ろした刃は暁美さんにかわされ

 

「……………」

 

 

 

 乃木若葉の言葉から、あの時、真実を明かされた日の事を思い出した。

 

 全身を包帯で覆い、動けなくなった少女と。両腕と両目を失い、愛する人を抱きしめられなくなった少女が、涙を流しながら言った言葉を。

 

『ちゃんと言ってほしかった……分かってたら…怖いって分かっていても……それでもあの子達ともたくさん遊んで、たくさんお喋りできて……幸せだったはずだから……』

『伝えておきたくて…!』

 

 彼女達が負った、決して癒えない傷の痛みが浮かび上がる。

 

 

 

「私のセリフだわ。お前達にそれを言う資格があると思わないで」

 

 

 

「無責任の権化が」

 

 真上に出現した大きなベッドが、若葉ちゃんを押しつぶした。

 

「………っ! この決闘の勝者!!」

 

 ベッドに押し潰されたまま動かなくなってしまった若葉ちゃんを見て、私は宣言する。

 

 悔しさから来る涙を堪えきれず、もうこの悪魔から縁を切りたい一心で……その名を叫ぶ。




 決闘は結果のみが真実

【使い魔セリフ翻訳】

 地面を蹴り、屋根の上で胡坐をかく悪魔に刀を振るう。辛うじて理性が邪魔をし峰打ちだが、その勢いはまさしく奴をこの世から滅するが如く。

lass nicht(させない)』
halte(止まって)』

 しかしその刀は止められる。陰から飛び出してきた二体の黒髪長髪の使い魔が割り込み、それらの持つ鎌の斬撃と棒による打撃をぶつけられて、耳を劈く金属音を響かせ拮抗する。

【ゲノムリビルドスクワッシュフォーム】

 原作のようにほむほむ自身がカボチャになって攻撃するのではなく、勇者の脚力を利用したシュートでカボチャを蹴り飛ばし、相手に炸裂させる。2020年にこの作品が始まったため、2022年に登場したこの技の事を多分ゆうほむは知らない。
 敵単体にダメージ[Ⅶ]& 与えるダメージDOWN & MP獲得量DOWN(敵全/3T)& 必ず幻惑 & 必ずマギア不可(敵全/2T)& MPダメージ(敵全) & スキルクイック(自/1T)&白鳥歌野に怒り付与

ひなた様「この悪魔!!」


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第七十話 「悪夢」

 ───両者……始め!!

 

 開始の宣言と同時に飛び出した。力強く、そして速く踏み込んだ一歩は直前まで立っていた地面を砕く。1秒の半分にすら満たない僅かな時間で、私と奴の距離は残り数メートルまで縮まる。

 今までにない、気の高まりを感じる……この時の私は過去に類を見ない程の、所謂火事場の馬鹿力とやらを発揮していたのだと思う。

 

 完璧な速攻だった。現に奴はひなたが宣言した時の構えのまま……いや、これは断じて構えと呼べる物ではない。左腕の盾を右手でガチャガチャと弄る、ただの棒立ちに他ならない。

 私の動きに対し何の反応も起こさない。だが今更危機に気づき、避けようと動いた所でもう遅い。回避の動作に移る余裕すら奴には無いのだ。

 

 それは全て、今まで奴が私を侮ってきた報いだ……と。

 

(皆の心を散々傷つけた貴様の罪を、その身を持って償うが良い!!)

 

 

 

 視界から奴の姿が消えた。

 それと全く同時だった。後頭部に強い衝撃が走ったのは。

 

 ───………ッッ!!?

 

 後ろから殴られた……コンマ0.1秒でその事に気づいたまさにその瞬間、顔面に堅い、金属バットのような感触の何かが猛烈な勢いでめり込んだ。

 

 ───!?

 

 否、めり込んでいた。勢いそのままに殴り抜けられ、顔面の内側で堅い物が砕ける感覚……鼻が折れた。痛みを脳が信号として送る前に、視界の端に奴の姿がほんの一部だけ映った……脇腹に強烈な衝撃が襲った。

 

 ここで全ての痛みが駆け巡る……後頭部と顔面、脇腹に、思わず声を漏らしてしまいそうになるも、それは叶わない。

 

 それよりも先に、顔を横から殴られる。口の中で折れた歯が転がり……殴られた勢いで首が真横に向かう前に、今度は側頭部に蹴りが入る。

 

(なっ……!? 何が……)

 

 分からない。痛みを感じる間もなく絶え間なく攻撃が襲い掛かる。防御を取ろうと考えようとする前に、身体が反射的に身を守る前に……。遅れて激痛を感じる頃には別の部位が壊される痛みが襲うのだ。

 

 腕、肩、腰、足、脛、膝、腿、肘、指先……体中至る所を滅多打ちにされる。それらは全て、5秒にも満たない僅かな時間で遂行されていた。

 

(目が……開けられ……!)

 ───ぎ…

 

 意識が遠のきかける……それよりも前に、鳩尾を思い切り蹴られ胃酸が逆流する。口から吐き出すよりも前に、顎を打ち上げられる。

 

 よりも前に……よりも……前に………

 

 ───がっ…

(耐え…ろ……!)

 

 何も出来ない、一方的な的に成り下がろうとも……

 

 ───ぶっ…!?

(チャンスを……)

 

 立つことが出来なくなろうとも……

 

 ───……あ…ぁ…

(負けられないんだ……!)

 

 皆の悲しみを消すために……

 

 

 

 

 絶対に……負ける訳にはいかなかったのに……

 

「………っ!! ぐぅぅ…っ!?」

 

 悪夢から解き放たれたと同時に、飛び起きるように上半身を起こした。だが、今の私にとって負担の掛かる動作だ。全身に走る鈍い痛みによって再び倒れ込む。

 

「ぐ…ぎぎ……ハァー……ッ! ハァー……ッ!」

 

 今の身体を起こそうとする動きだけで……息をする事だってままならない程、その痛みは深刻だった。うずくまろうにも身の回りにある点滴の管が邪魔で上手く動けない。

 痛みに堪えようと歯を食いしばろうにも、咥内も傷つき奥歯も折れているためそれも出来なかった。だから必死で目を強く瞑り続ける事で、それで痛みが小さくなっていくのを待つことしかできず……。

 

「う……うぅ…!」

 

 滲み出る涙が浮かびつつ、やがてゆっくりと目を開けた。左目は眼帯で覆われていて見ることができない。右目の視界に映るのは薄暗い病室の天井。物静かな事も踏まえると、時間は深夜帯だろうか。

 

「………」

 

 茫然と無意識に右手を上げる。暗くてはっきりとは見えないが、元から手の平の裂傷に巻かれていた包帯以外、手首から肘にかけて巻かれている包帯が目に映った。

 

 無数の打撲に、ヒビが入った骨。筋肉は断裂して、身体中ズタズタにされた。それらの傷全てが適切な治療を施され、耐えられない痛みではないのだとしても、今なおズキズキと悲鳴を上げている。

 

「……ひ……な…た」

 

 何時も側に居てくれる幼馴染の名前を呼ぶも反応はない。そもそも彼女は夜になる頃に病院の面会時間を過ぎたため寄宿舎に戻っているのだから。

 明日になればきっと来てくれるのだろうが、それまでの間私は一人っきりだ。こんな痛みや息苦しさだけが隣に……そう思うと胸が苦しくなり、涙腺が弛む。

 

 そこから滲み出てきた涙が頬を伝うのに、そう時間は掛からなかった……。

 

「……ひっ…ひっ……ひっく…! んぐ…!」

 

 痛いのは、全身だけじゃない。心が張り裂けそうになるほど辛く、痛い。その痛みは完全に肉体のそれを凌駕していた。

 あの時の記憶は鮮明に残っている。私は奴に負けたのだ。

 

『乃木若葉……あなたは負けた』

 

 負けた。完膚なきまでに。手も足も出ずに一方的にやられた。

 

『もし私が殺す気でやっていたら今、あなたは100回死んだ』

 

 手を抜かれていた。私の身体は誰がどう見ても重傷……だが、奴ならばもっと酷くこの身体を壊す事、殺す事ができていたはずなんだ。

 

『無責任の権化が』

 

 私は奴に……勝たなければならなかった……! 千景の無念を晴らすために……! 皆の心の安寧を取り戻すために……!

 勇者の正しさを証明し、奴の間違った力を否定しなければならなかった!!

 

「うっ……ぅうううううううう!!」

 

 思い返し、涙と嗚咽が止まらない。

 情けない。自分の弱さが憎い。悔しくて、惨めで、何もできなかった自分が許せなくて……。

 

 奴の間違った力に叩きのめされた……私の魂とも言える誇りはグチャグチャだった。

 

「うぁぁ……あああぁぁぁあぁ……!!」

 

 声を抑えることができず、むせび泣く。大粒の涙を拭う事すらできず、顔中とベッドのシーツを濡らすことしかできなかった……。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 今日見る夢は……懐かしい。

 

「ハアァ!!? 暁美アンタ、うどん好きじゃないの!!?」

 

 突然響き渡った大声に、咄嗟に両耳を塞ぐ……。これは私達が勇者部に入部して一週間も経っていない頃の……思い出だ。

 

「……いや、たかがうどんでしょう? 嫌いなわけではないけど特別好きというわけではないです。食事なんて必要な栄養さえ取れればそれで十分ですから。ねぇ二人と……も?」

「「……!? ………!!?」」

 

 同意を求めるように振り向いた先の彼女達も、あの時初めて見るくらいビックリしていた表情で固まっていた。特におかしな事を言ったつもりはなくて、彼女達の反応を怪訝に思いながらも、気取ったように昼食用に用意していた栄養調整食品を齧った。

 

 そのブロックタイプの栄養食に、味はない。食感も……だってこれは夢だから。この世界に来てしまってから続く、お約束の。

 

「うどんがカロリー○イトやゼリー飲料に劣ると申すか貴様ァ!!! それでも香川県民か!!?」

「ま、まあまあ部長……! でもほむらちゃん、それだけじゃやっぱり……」

「そうよ。ちゃんとした物を食べないと身体に毒よ」

 

 目の前で客観的に見える光景を目の当たりにしながら、あの時は釈然としない気持ちだったと当時を振り返る。

 本当に遠い昔の記憶を辿れば美味しい料理か口に合わない料理に一喜一憂していたとは思う。だけど二度目の人生となるこの世界にて娯楽や趣味の類の探求を早々に放棄した私にとって、食事とはなんて事はない当たり前すぎる毎日のルーティン。

 

「……そうは言っても、ぼた餅やお菓子みたいに手っ取り早く食べられることだし」

「「だーめ!」」

 

 別に美味しい食べ物に興味は無かった……あ、でもカボチャは割と気に入っていた。そんな味覚を持った身体だったから。

 ただし多少味が良い料理を口にしても、それよりも栄養と時間の効率性を重視して携帯食料を敢えて食べる……この時はそれが“暁美ほむら”らしいと思っていたから。

 

 そんな固定概念を初めて揺さぶったのが、東郷のぼた餅。絶妙な甘さと柔らかさ……足が不自由な友達が私達の喜ぶ顔を見るためにと、一生懸命になって作ってくれたそれには味や食感以外の美味しさがあって。とても珍しいことに、お店で出しても通用するなんて評価を口にしたっけ。

 ……だからこそ、私が好きになる食べ物はぼた餅だけだと決めつけていて……。

 

「……今までも全然平気だったし」

「今は良くても成長してからがヤバいもんなのよそういうのは! いくわよ東郷! 結城! ターゲット確保!」

「あいさー!」

「もぐもぐ……えぇー……? もぐもぐ……サーでいいの?」<サクサク

 

 不満げな私の反応なんて何のその。ズルズルと引き摺られるように私の身体は引っ張られる。当時のこの反応とは裏腹に、客観的にこの流れを見ている今の私は、心の底から願って止まない光景を目の当たりにして心が締め付けられる気分。

 

「アタシが奢っちゃる! ちゃんとしたうどんを食べなさい!」

「うふふっ。その栄養調整食品のお菓子、よーく味わって食べるといいわ、ほむらちゃん。これから先はもうそんな物で満足できない、うどんを求めずにはいられない身体になるんだもの」

「何それ怖い……もぐもぐもぐもぐもぐ」<サクサクサクサク

「危険を察知して頬張るな! リスかあんたは!」

 

 その声が染み渡る。その笑顔が、怒り顔が、呆れ顔が、愛おしくてしかたがない。そっと彼女達の顔に手を伸ばそうと……ううん、動かせるはずがない。この時の私はとてもそんな風に感じていないから、手を伸ばす理由なんかない。

 

「……ひょっとして想像してたのと違うタイプの子なのかしら、暁美って……」

ふぁひふぉうぃっへふんへふはふぁはひは(何を言ってるんですか私は)

「口に入れたまま喋るな!!」

「ゴクン……見ての通りクールな女です」<ホムーン!

「どこがじゃい!!」

 

 現実ではない、過去の思い出だもの。懐かしむ余裕すら存在しない……切ない……

 

「…………」<ホムゥ…

「…………」

「見ての通りクールな女です」<ホムーン!!

「『!』が1つ増えた!?」

「ほむらちゃんの凛々しさが!」

「変わっとらんわぁあああ!!!!」

 

 ……痛いな。苦しいな……胸が……心が、ずっと……。過去を振り返る夢の中でしかみんなに会えないなんて。

 毎日、毎日、意識を手放し眠りにつく度に、過去の自分達の姿が呪いとなって映し出される。幸せの象徴たる思い出を、そんな形として認識してしまうなんて不本意の極みでしかない……でも、そう感じる他ないのよ……。

 

 いつもなら、幸せな日常の光景に耐えかねて飛び起きてしまう。でも、今回は続きがあった。

 

 そう、それから四人で初めてかめやに行ったんだった。お店の中に入ると同時に、何を食べるのか決めていた三人がすぐに注文をして、興味の無かった私にバラバラなオススメをアピールしてくるの。

 肉にわかめにきつねに海老天に山菜に月見にぶっかけにカレーに鍋焼き……うどん初心者を沼に引き摺りこむべく片っ端からオススメされた。

 

「……それで、メニューに書いてあるうどんを全部の魅力を語られて、結局何を頼めばいいの?」

「もちろん、ほむらちゃんが食べたいなーって思ったうどんだよ!」

「迷う必要はないぞ若者よ。お主はようやくのぼりはじめたばかりだからだ……はてしくなく遠いうどん坂を」

「途中で未完になるんじゃないかしら」

「ふふっ、部長が言いたいのは何もうどんを食べに来るのは今回だけじゃないって事よきっと」

「うん! ほむらちゃんは今さっき、そんな美味しそうなうどんがいーっぱいあるんだって思ったばかりでしょ!」

「ええ…まぁ……」

「今日食べなかったうどんも、また次来た時に頼めばいいよ!」

「友奈ってば……もう次に来た時の事を考えてるの? まだ食べてもいないのに、ちょっと気が早過ぎるんじゃない?」

「だって、みんなと一緒に食べるうどんなんて絶対に美味しいに決まってるもん! 今から食べるうどんも、そのまた次に食べるうどんもワクワクするでしょ!」

「みんなと食べる……」

 

 温かい言葉ばかりがそこにはあった。味気ない栄養補給の為だけに取る食事なんかにはない、温もりが。それはそう、一人で黙々と口に含むだけ、作業に等しいそれと、みんなと一緒に幸せを噛み締める対話が同じはずがない……。

 

「…………」

「ほらほら、早く決めないとアタシ達のうどんが先に来ちゃうわよ。麺が延びるのはイヤだし、先に食べ終わってもおかわりするから良いけど、やっぱ食べる時は一緒に食べたいじゃない?」

 

 とっくにみんなが知っている、当たり前の事。ニカッと笑う彼女達を見て、感じる。この時はまだぼんやりとだけど、確かにその事実に気づき始めた。

 

「……私は……じゃあ───」

 

 

 テーブルに置かれた四つのうどん。一見すると、ただのうどん……でもこの時の私の目には、今まで目にしてきたうどんよりも、どこか美味しそうで温かく見えた。

 

「それじゃ、いただきますっ!!」

 

 三人が美味しそうに、気持ちのいい啜る音を立ててうどんを食べるのを、箸を手にしたまま見つめる私。

 食事が、うどんが彼女達を幸せ気分を味わわせる。そんな光景が、彼女達の笑顔が、胸に響く。

 

 私も一緒に、みんなと初めてのうどんを口に……そこから私も、うどんが大好きに……

 

 

 

「………ッッ!!!?」

 

 はっきりとした、気持ち悪さと悍ましさ。ドロドロとした感触の、臓物の味が口いっぱいに広がった。同時に脳味噌をグチャグチャにかき混ぜられるような、猛烈な不快感と吐き気に全身が支配される。

 

「かっ…! ゲホッゲホッ……! ぇっ…………オェエエッ……!!」

 

 苦しさに涙を浮かべながら、必死に自分の身体を見下ろし……吐いてしまう。夢の中なのに、口の中に酸っぱい、お腹の底から混み上がる胃液……実際に嘔吐してしまったかのようなリアルな感覚に襲われる。

 吐き出した物の中に、赤黒い何かが混じっている事に気づくまで少し時間がかかった。生々しくてグロテスクな…………なんで、こんなものが……!?

 

「……な…に……!? ハァ…ハァ……!?」

 

 頭が酷く重く、内側から張り裂けそうな()()が止まらない。痛覚を失ったこの身が久しく感じなかった痛み……

 

「あら、吐き出すだなんて勿体ない」

 

 そんな声が頭の中に響いた。

 

 愉悦を存分に孕んだ女の声。

 

 私の隣に座っている風先輩の声、前に座っている友奈の声、東郷の声……そのどれでもない。

 

「…………!」

「こんなに美味しいうどんを食べられないなんて、可哀相ねあなた」

 

 私の前に座っている……()()()

 

「…わ…たし……!?」

 

 友奈の姿も、東郷の姿も、風先輩の姿もそこにはない。動揺に支配された私と……暁美ほむらの顔をした、ナニカがそこにいた。

 

「食べないんだったらもらうわよ」

 

 そう言ってそいつはテーブルの上でこぼれた、赤黒い腐臭を放つ丼を手に取ると、その中の悍ましい物を啜る。

 

「……ッッ!!?」

 

 私の口の中に、名状し難い鉄と生臭い味、グチョグチョと粘着いた最悪なんて言葉が生易しい地獄その物の食感が広がった。間違いなく、目の前にいる得体の知れない何かが口にしている物の感触……それがダイレクトに私にも伝わってきていた。

 

「~~~~ッッ!!!!」

「ふぅ……堪らない死ねる(生き返る)味。最悪(最高)だわ」

「ぉ……ぅぅ……ッ」

 

 うっとりと恍惚とした顔で食したそいつ。まともな言葉を一つも紡げない、息も絶え絶えの死にかけた表情でテーブルに崩れ落ち痙攣している私……。

 

「はぁ……今日はなんて日かしら。久しぶりに味わい深いうどんを食べられて……これもあなたのおかげよ。どうもありがとう」

「…………!」

 

 なにが……! 大体コイツは……! この夢は一体……

 

「なにがって……うふふ♡ あなたが郡千景に続いて乃木若葉を手酷く痛めつけてくれたから♡」

 

 …………は?

 

「あなたがその壁を壊してくれたおかげで、まだまだ不完全ではあるけどこうして私が出てくることができた」

「…………」

「もうゾクゾクが止まらなかったわ!! 絶対に負けないって言ってた勇者様が、何もできずにボロ雑巾みたいにやられていって本当に!!」

 

 席から立ち上がると仰々しく踊るような身振りと共に、その感情を露わにする。嬉々として、興奮して、楽しげに。

 

 狂喜に満ちたその笑みは、直後に変わる。真顔になり、瞳に光はなく、ただただ漆黒で潰されている。

 

「いい気味だわ、無能な土地神共が」

 

 そう言い捨てると、そいつの足下から闇が広がっていく。徐々に空間を覆い尽くしていくそれは、そのまま私を飲み込んでいった。

 

 真っ黒な闇の中で、そいつの姿形だけははっきりと見えていた。まるで、そいつだけ別世界に切り離されているかのように。

 

 そこから見えるそいつの顔は、満ち溢れている。

 

 悪意と、殺意と、憎悪に。

 

一人じゃなにもできない巫女風情が

「………ッ!?」

「……あは…アハハハハハハハ!!!!」

 

 狂ったように高笑いを上げる、私の顔をしたナニか。その瞳に宿る感情は明らかに常軌を逸していて、その奥底にどす黒く渦巻いているモノは……

 

「……おまえ…は……何者なの……!?」

「……私が何者か、ですって?」

 

 一瞬キョトンとしたかと思うと、またあの嘲笑を浮かべた。でもこの瞬間には、もうソイツの表情からは狂気じみた色が消え去っていた。

 

 先程までの邪悪さはどこにもなく、慈愛すら感じる程の穏やかな微笑み。それが私に向けられた。

 

「酷い事を言うわね。長年寄り添ってきた半身に対して」

「半身……? な、何を戯言を……! お前みたいな得体の知れない奴が……!」

 

 諭すような口調で語りかける。私にそっくりなそいつは、私に向かってゆっくりと歩いてくる。

恐怖が、畏怖が、嫌悪が、私を支配する。

 

「私の事はあなたの悪夢が生み出したダークサイドの暁美ほむらとでも考えてみる? つまらないわよ、それって」

「……煙に巻くような言い方は止めて……! 私が聞いているのは、お前が何者で私の敵かどうかって事」

「─────」

 

 私の言葉を遮るように、そいつが言う。

 

「………えっ?」

「だからそれ、私の名前」

 

 ふざけないで……!! そんな訳の分からない事を言われても納得できるわけがないじゃない……!

 そんな私の思考を読んだのか、そいつはまた微笑む。

 

「それともこう名乗った方が良いかしら……鷲尾……いいえ、やっぱりこっちね、私の名前は───」

 

 

 

 目が醒めた。真っ暗い部屋の中、飛び跳ねるようにして上体を起こす。

 

「はぁ……! はぁ……! ……うっ!?」

 

 悪夢と同じ気持ち悪さが一気に込み上がる。息を整えようと深呼吸を繰り返しても、吐き気が収まらない。

 

「……っ! げほっ……!」

 

 トイレに駆け込もうとするも堪え切れず、その場で戻してしまう。

 

「はぁ……! ぐぅっ……!」

『………! ………!』

 

 慌てたようにエイミーが現れて、私の身体にくっ付いた。荒々し過ぎる呼気と共に口から溢れ出すのは唾液混じりの吐瀉物。歪む視界、目眩、重くて怠い頭。何も考えられそうにない、ただ、ありとあらゆる苦しさしか感じれそうにない……。

 

 何度も、何度も繰り返して、ようやく吐き気と目眩が落ち着いた頃には絶望感しか残されていなかった。

 

「うっ……」

 

 ふらつきながら立ち上がり、洗面台へと歩く。途中手探りで電気を付けると明るくなり、形だけなら分かるようになる。その際目に入った時計の時刻は午前1時……布団に入って二時間しか経っていない。

 鏡には酷い顔をしている私が写っていて、思わず目を逸らす。ここまで醜い顔を見て、ますます惨めな思いをするだけだもの……。

 

「……っ」

 

 とんだ最低な悪夢だ。私がうどんを好きになるきっかけのエピソードの最中……世界が真っ黒に塗りつぶされた。

 笑顔に包まれていたみんなの姿は呑み込まれ、そこに一人で呆然と立ち尽くすしかない。何度も名前を呼んでも、誰の声も返ってこない。

 

 過去の煌びやかな思い出が二度と戻らないと突きつけられたようで。

 

 もう二度とあんな風にみんなと笑い合えないのかもしれないと思えば、胸が締め付けられるような苦しみを覚える。だから他の全てを犠牲にしてでも取り戻すと誓ったばかりなのに。

 

「……帰るの……絶対に……!」

『…………』

 

 早く戻らないと思い出が穢れる。この日も、その次の日も、同じような悪夢を立て続けに見せられた私は一層その思いを募らせる。

 

 

 

 

『やっぱりまだまだ不完全ね。せっかくお話できたのに、ほとんど忘却されている』

 

『……ふふっ。帰れるわけがないのに♪』




 もう「げはーーっ!」はできそうにないねぇ……


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第七十一話 「王子」

 とても静かで、重々しい空気が充満している教室。いつもの教室の形から異なるのは、二人の少女が居ないという事のみ……。

 若葉さんと千景さんが重傷を負って入院。誰も決してその状況を受け入れられないまま、重々しい空気を引き摺ったまま、それが既に2週間は続いている。

 

「………」

 

 この日だって同じだった。お気に入りのラブソングを聴いていても、本来心に染み入る曲調や胸を焦がす恋にときめくような気持ちになれなくて……そっとイヤホンを外してポケットに仕舞い、溜め息をこぼす。

 

「「はぁ……あ」」

 

 たまたますぐ側で音楽を聴いていたタマっち先輩も、イヤホンを外して同じ様に。

 

「……あんずもやっぱそんな気にはなれないよな……」

「うん……」

「全然気分が上がんないぞ……。タマの大好きなノリのあるパンクロックだってのに……」

 

 私とタマっち先輩、音楽の好みは違っていても決して良い気持ちになれない現状は同じ。もしこれがなんともない、平穏ないつもの日常と同じだったら私達はお互いに好きな音楽を共有し合っていたかもしれない。片方の好きな歌の方が良いって軽い口喧嘩をしていたかもしれない……平和に、仲睦まじく。

 とても今はそんな事が出来るような心境じゃない。千景さんと若葉さんがあんな風になってしまって、そんな中で何事にも喜びを見い出せる訳が無いんだから……。

 

「杏ちゃん、球子ちゃん」

 

 二人して良い気分に浸れないでいると、まさに私達の心境を案じるかのような声で名前を呼ばれる。ごく自然に私とタマっち先輩は名前を呼んだ彼女の方に目線を向けた。

 

「二人とも大丈夫かなと思って。やっぱり元気があるようには見えないし……」

「まどかさん……」

「そりゃぁ……そうだろ」

「ですよね。私達も同じですし……」

 

 一向に良くなりそうにない私達の様子を気にしてくれていたのだろう。まどかさんの後ろからはほむらさんの姿もあって、心配そうな表情を浮かべているように見えた。

 

「まどかさんの方も、背中の方は…?」

「うん、もう平気だよ。蹴られた時は痛かったけど、別に骨とか折れたわけでもないし」

「……よかった、大した怪我じゃなくて、本当に……」

「……ただ、千景さんの事を思うとどうしても……」

「「「………」」」

「あっ、いや……だからって千景さんが悪いなんて事は全く思ってなくて……」

「言わなくても分かってるよ……」

 

 どうしても、胸が痛い。蹴られた事よりもそっちの方の痛みが強く残っている……言われなくても分かっている……。

 あの時の千景さんを見て彼女が悪いなんて誰が言えるの。ほむらさんの言葉に私もタマっち先輩も頷く。ただほむらさんの表情は自分を庇ったせいでまどかさんが痛い目に遭った事を悔やんでいるのか、私達よりも強い悲しみが滲んでいる様子だ。

 

 そしてタマっち先輩の方は、思い出した感情に肩を震わせてた。

 

「悪いのは…全部あいつじゃないか……!」

 

 怒りを込めるように拳を握るタマっち先輩。そんなタマっち先輩に私達はかける言葉を見つけられない。

 

「千景の事も若葉の事も全部全部! あの暁美のせいじゃないか!!」

「「「………っ!」」」

 

 叫ぶような大声に、私達は無言で俯いて応える。

 千景さんの件は……正直よく判っていない。どうして二人が争っていたのか、経緯は判明していない。でも千景さんは肩と心に大怪我を負い、友奈さんが向かっていなければ千景さんは殺されていた……死んでいたかもしれない。

 

 若葉さんの件は、信じたくはないけどお互いに合意の上で行われた決闘だった。ちゃんとお互いが決めたルールに則って戦い、若葉さんは負けてしまった。文句や糾弾する資格は無い……無いはず。悔しいけどそれは負けてしまった若葉さんを却って侮辱するとも取れてしまうから……

 ……でも、明らかにやり過ぎだった……! 全身を滅多打ちされたように打撲傷が酷く、骨だっていくつも折れていたりヒビが入っていたり、いくらルールに則った決闘だとしても、あんな傷だらけの若葉さんの姿を見てしまえば湧き上がる感情なんて限られるよ……!

 

「……乃木さんが勝てなかったって事は、あの人はこの前言った通りに動くんだよね」

「その……これからは暁美さんもバーテックスと戦うっていう……」

 

 決闘が行われた話は千景さん以外の全員が、その場に居合わせたひなたさんと歌野さんから聞いている。若葉さんは暁美さんの勇者としての力を没収しようとし、失敗した。

 没収できなければ、当然暁美さんは行動を起こし続ける。彼女自身が私達の前で宣言した通りに。千景さんと若葉さん、遡れば水都さんとタマっち先輩も傷つけた力を、使い続ける。

 

「ざけんな!! これ以上あいつの好き勝手されてタマるか!」

「でもタマっち先輩、私達はもう……」

 

 私達はもう、暁美さんと関わってはいけない。そういうルールが二人の決闘によって成立してしまったから……。

 

「……球子ちゃん、お願いだから、変な気は起こさないで……」

「……わかってる……わかっている…けどさ!!」

 

 まどかさんに諭され、タマっち先輩は少し冷静になったようだけど、それでも納得がいっていないと言わんばかりに唇を強く噛み締める。

 

「土居さん……」

「……悪ぃ。これでも我慢しなきゃって思ってるんだ……ただ」

「……大丈夫、言いたいことは分かりますから……」

「……ああ、そっか。ほむらにはバレバレか」

「似た者同士ですから。私と土居さんは」

 

 ほむらさんとタマっち先輩は何か通じ合うものがあったのか、二人とも不安気な表情の中で小さく笑った。

 ただ、タマっち先輩はすぐに表情を引き締める。

 

「……でも、じゃあどうすればいい? あいつがまた誰かを傷付けないとも限らないだろ……」

「「「……」」」

「タマは今、そいつが一番怖いんだ……」

 

 私達の間に重苦しい沈黙が流れる。これまでの出来事から、暁美さんが私達の事なんて何とも思っていないことは明白。爆弾なんて危なっかしい武器を、私達を巻き込む事を厭わずに使うなんて事も十分あり得る話だった。

 タマっち先輩はそうなってしまう事を不安に感じている。不安に感じない訳がない、重すぎる問題。誰もが答えを見出せず、口を閉ざしている。

 

「……もし、あんずがあいつに傷付けられたらと思うと…タマは……!」

(……あ)

 

 タマっち先輩が発したその言葉には、一際大きな感情が込められていた。それに感づいて、だからさっきほむらさんはタマっち先輩の心境を察したのかが私にも分かる。

 似ているとはそういうこと。不安を感じて後ろ向きになるのはそうだけど、私はその言葉にモヤモヤを感じずにはいられなかった。

 

「……らしくないよ、タマっち先輩」

「あ、あんず…?」

 

 その言葉は私にも大きな不安を伝染させるものだったから。タマっち先輩が、私が傷ついたらっていうもしもの話を怖がっている……。

 無理もない事だけど、私にはそれがどうしようもなく嫌で、無意識の内にタマっち先輩の手を握っていた。

 

「約束してくれたじゃない……私を守るって……」

「………!」

 

 私が初めてタマっち先輩と出会ったあの日から、目の前の可愛い女の子は私の一番の勇者だった。幼い頃から憧れた創作の世界に夢見た、格好良くて、勇敢で、優しくて、私を救ってくれる王子様……それが土居球子という私の……お姉ちゃんだった。

 

 ずっとタマっち先輩は頼もしく立っていて、太陽みたいに眩しい笑顔で臆病な私の手を引っ張ってくれる。バーテックスを怖がっていた私に、守ってやると力強く言い放ってくれた姿は忘れられない。

 

 それだけ私に大きな希望を与えてくれた存在、それがタマっち先輩なのに。

 

「………あんず」

「……っ」

 

 手を握る力が強くなる。タマっち先輩が私を守ってくれないの?なんて不安を上乗せに。

 

 ……タマっち先輩だって女の子。不安になっちゃいけないって言うわけでもないけど、どんな時だろうと不安になってほしくなかった。どんな時でも前を向いていてほしかった。勝手な話だけど、目の前で信じ続けた光が曇る事が私には耐えられない……!

 

「タマっち先輩は私の……ヒーローなんだよ……!」

 

 次の瞬間、小さな身体が私の身体を強く抱き締めた。強く優しく、温かい。それらはみるみるうちに芽吹き出そうとしていた暗い気持ちを無くしていった。

 

「そうだよな。タマはあんずのヒーローだもんな!」

 

 力強く、カッコイイ、私の大好きなタマっち先輩の声が。

 

「ごめんな、あんずが不安になるような事を言って……でももう一回約束するぞ!」

 

 3年前のあの日、バーテックスに怯えていた私を助けてくれた時と同じ、太陽のような眩しい笑顔が。

 

「あんずは必ずタマが守ってやるからな! バーテックスからも、例えあいつがまた襲ってきたとしても!」

 

「だから、タマに任せタマえ!」

 

 私のお姉ちゃんは、そう約束してくれた。

 

 

 

ビーーーッ

 

 3度目の襲撃が起こる、直前に。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 タマ達の目の前には、鳴り響いた警報の音を聞いてしまって不安気な表情のまま止まってしまったまどかがいる。つまりこの警報は間違いでもない、マジだってことだ。

 

「土居さん! 伊予島さん!」

「おう! 行くぞほむら、あんず!」

「うん!」

 

 急いで自分達の武器を手に取る。それから、この前思い付いた秘密兵器も。

 そう時間が立たない内に教室の窓の外から眩しい光が。今から3回目の戦いが幕を上げる。

 

 何があっても必ずあんずは守るんだ。あんずだけじゃない、他のみんなだって、バーテックスをぶっ飛ばしてタマが守るんだ。

 あいつが変な事をしようとも、絶対にそいつは止めてやるんだ…!

 

 タマの中で決意を固め、光はタマ達を包み込む。まだ慣れちゃいないから眩しさに目を瞑っちまうが、そいつが収まって目を開くと世界は樹海になっていた。

 

 今ここにいるのはタマとあんずとほむら。勇者は全部で7人、若葉と千景、友奈と歌野がここにはいない。友奈はいつも通りで、歌野は用事があるとかで。

 が、怪我してる二人はともかく、残りの二人はすぐに来てくれるはずだ。タマ達は人数が少ない事に戸惑ったりすることなく、戦うために携帯のアプリを開き勇者に変身した。

 

 そして、その点についてはやっぱり心配するような話じゃなかったって答えが返ってきた。

 

「おーい! みんなー!」

「高嶋さん!」

 

 勇者に変身した友奈がタマ達の方に大ジャンプで近づいて来るのが見えた。そのまま着地し、みんなと顔を合わせる。

 

「あの、友奈さん、やっぱりお二人は……」

 

 あんずが訊ねたのはこの場にはいない3人の内2人の事。今日友奈はひなたと水都と一緒に若葉と千景のお見舞いに行っていた。今日はじゃなくて、今日もか……友奈は付きっきりで千景の側にいるからだ。

 だが、話を聞く限りじゃこの前の一件は千景にとってもダメージが酷く、友奈ですらまともな会話にならないらしい……。ほむらを暁美と勘違いして襲いかかって、まどかを思いっきり蹴りつけた事を後悔して、思い返す度に罪悪感に震えているとか……。

 

「……うん、樹海に変わった時、私の近くにはいなかったよ」

「……今回ばかりはそれで良かったです。今の乃木さんと郡さんを戦わせるわけにはいきませんし」

 

 そんな千景と同じく病院にいる若葉は樹海には来ていない。ほむらの言うように、それで良かった。戦力が大きく下がる事よりも、怪我をしている二人に無茶をさせない事の方が何万倍も大事だ。

 

「ああ。若葉と千景の分も、タマ達で戦うんだ!」

 

 タマの言葉に全員が力強く頷いた。みんなが同じ気持ちだ。あいつらが戻ってくるまでの間、あいつらの意志を継いでやるっていう……。

 

「ザッツライト! 今こそ私達のパワーを見せ付ける時よ!」

 

 突然タマ達の後ろの方から、もう一人の勢いの良い仲間の声が響き渡る。樹海化によって出てきた草木を掻き分け、現れたそいつは……歌野は

 

「私達が頼りなかったら若葉も千景さんも安心してリカバリーできないもの! ファイトよみんな! オーー!!」

 

 農業王って書かれたTシャツとジャージ姿だった。オマケになんかでっかい袋を手にしている。

 つまり、全く戦える状態には見えないぞ! おい!!

 

「「早く勇者装束に着替えてください!!」」

「ほえっ?」

「お前勇者システムのインストールはまだできてないだろぉおおーーー!!!!」

「あわわわわわ…!」

 

 タマとあんずとほむらの叫びが樹海に木霊する。友奈も状況のヤバさにパニクっていた。

 歌野が勇者システムを持っていないから、勇者装束に直接着替える形だってのは前回の事で誰もが知っている。そのマズさもだ。

 だからこの前の襲撃の後、歌野にもタマ達と同じ様に携帯に勇者システムをインストールしようという話になったんだ。だが、歌野はタマ達とは違って神樹様に選ばれた勇者ではなく、諏訪の土地神様に選ばれた勇者だ。詳しくは分からんが、神様の性質の違いみたいなやつのせいですぐにインストールができなかった。いくつか設定をいじる必要があるみたいで、いずれは可能らしいが今はまだ……その重要性が分かってないのかこいつは!?

 

 でも、歌野は平然としていた。

 

「だいじょーぶ! とうっ!」

 

 勢いよく着ていたジャージとTシャツをバサッと脱ぎ捨てて……って。

 ……着込んでいたのは黄緑と白色の一風変わった服。というより、こりゃぁ歌野の勇者装束じゃないか……!

 

「あれからいつ戦闘があっても大丈夫なように、バトルスーツはオールウェイズ身に着けるようにしてあるわ」

 

 それから持っていた袋の中から、武器の鞭を取り出した。勇者システムを使わずあっという間に歌野の姿は勇者に早変わり。

 

「ああ、なるほど……」

「ビックリしたー……でも良かった!」

 

 言われてみれば、ここ最近歌野は勇者装束と同じ色の手袋をしていたな……。花の髪飾りは簡単に付けられるだろうからいいとして、最近冷えてきたし、スカートの下も白色のタイツを履いているのかと思っていたが、これ全部勇者装束だったのか……。

 制服の内側にも折り曲げればなんとか収まりそうでもある。今まで気づかないわけだ……。

 

「これならスクランブルにも対応できる。何かがあっても今度こそ……」

 

 ともあれ、ここにいる全員このまま戦えそうだ。バーテックスの姿はまだ見えないが間もなく出て来るのは分かってる。

 みんなで一ヶ所に固まっていたからそれぞれ散って、間隔を空けて位置を取る。いつでも動き出せるように、敵が現れるであろう方向に体を向けて……

 

「……っ」

「友奈さん? どうかしまし……」

 

 友奈と、少し遅れてからあんずの二人が息を飲んだ。二人とも表情はこの一瞬の内に暗く、そこに宿っている感情は……不安。そして怯え。前方を見る前にタマタマ樹海のある一ヶ所が目に付いただけで、二人はそこから目を離せずにいた……。

 

 なんでそうなってしまったのか、他のタマとほむら、歌野もその方向を見る前から分かってしまった。そして同時に、二人の視線の先を辿り睨み付ける。

 

 そこに奴がいるからだ。タマ達から見えるのはそいつの後ろ姿だが、グツグツとメチャクチャ熱い激しい怒りムカつきが溢れ出す……この最低最悪の人でなし野郎がッ!!

 

「………」

 

 無言で少し離れた崖の上に立っている、暁美ほむら……あいつを見てこの感情を抑える事なんて出来るわけが無いだろ!!

 

「……どの面下げて…ここに来やがった…ッ!」

 

 勝手に溢れ出してしまう、抑える事が難しい感情。あいつらの受けた苦しみが、タマの胸の内にあるそれを激しい炎で燃やすような感覚に包まれる。

 これまでにタマが感じた事のない怒りを以て睨み付けているんだ……きっと奴も、自分にそいつが突き付けられては居ることに気づいているだろう。呟きも聞こえてしまっただろう。

 だが、奴は動こうとしていなかった。顔は見えないが、タマには何となく分かってしまう。あいつは今、表情一つ変えず、眉も動かさず、タマのこの怒りを完全に無視してやがる……!

 

「クッ……!」

 

 いや、あいつがここに来ることは分かっていたはずだ。だがそれでも、ごく平然とした様子でそこに立っている事が我慢ならない。タマの手は固く握り拳を作り、そして足はあいつの方へと駆け出しそうになる。頭の中も真っ赤に、熱くなる。

 タマの怒り、千景と若葉の怒りをぶつけたいという事だけはイヤにはっきりとしていた。

 

「ダメ! タマっち先輩!」

 

 怒りのあまり前に走り出しそうなタマの足をあんずの声が止めた。タマにこれ以上前に進むなと目で訴えていて、それが納得いかなかった……いくわけがないだろうが……!

 

(あいつのせいで、千景と若葉が!!)

 

 ダメだと分かっているのに、あいつら二人の事を思うだけで……! あいつら二人がここにいないのに、その元凶がそこにいるなんて許せない……!

 

「タマちゃん!」

「……っ!」

 

 気がつけば少しばかり離れた所に位置取っていたはずの友奈がタマの手を掴んでいた。

 

「……駄目だよ……行っちゃ駄目なんだよ……」

 

 友奈の手は、震えていた。俯いていて、それでも見えてしまった友奈の瞳には、明らかに怯えの色が浮かんでいた。

 ……そうだったな。友奈は千景がやられちまったのを直接見てしまっている。トラウマだって、デカいはずだ……。

 

 あの友奈がこんな顔をしちまうなんて、それこそあいつがタマ達の前に現れまで一度も無かったことだ。それを思ってしまえばやっぱりむかつくしかないが……関わらない方が身のためなんだって言うんだろ。友奈の言う通りだ。

 

「……わかったよ。我慢する」

「……お願い。どの道、あの子からは私達と関わる気は無いみたいだし……」

 

 あいつが無視するんだってならこっちも無視だ! 無視!! 相手にするのも馬鹿馬鹿しいって向こうが言ったんだとすれば、それはこっちのセリフだ馬鹿!!

 どうでもよくなった事を頭をブンブン振って振り落として、心配してくれた友奈に気にするなって気持ちを込めて向き直る。ところが、友奈は俯いたままでタマの顔を見ちゃいない。

 

 コイツ……不安を誰よりも背負い込んでいやがる。無理も無いが、そんなしみったれた顔はやめろ! 苛ついたタマは柔らかい友奈のほっぺたを摘まんでグイグイ引っ張ってやった。

 

「だぁあーーーもぉおーーー!! そんな顔すんな!! 友奈らしくない!!」

「いひゃいいひゃいいひゃい!! やめへ~~っ!!」

 

 あいつのせいでそうなっちまったんだって嫌でも思ってしまう! タマは暁美の野郎が作ったそんな顔が大ッッッ嫌いなんだよ!!

 

「う~~……ヒドいよタマちゃん……ほっぺた痛い……」

「いつまでもうだうだしてっからだ。そんなんじゃいつまで経っても、千景の仏頂面をまた崩せるようになれないぞ?」

 

 あいつの名前を出してやれば、友奈はまた俯いちまうが今度は違う。

 

「それは……嫌だな……うん!」

 

 それは友奈にしかできない事だからな。責任感を強く感じ、今度はしっかり前を向いてくれた。いつもの友奈にとても近い感じで。

 

「私達は私達で、若葉ちゃんとぐんちゃんの分まで頑張ろう……! 世界を救うのが私達の役目なんだって…きっと二人もそう言うだろうから!」

「おう!」

「ありがとう、タマちゃん」

「なーに言ってんだ。そいつはタマのセリフだぞ!」

 

 やっぱり、友奈はこうでなくっちゃあな。いや、それはタマもか。タマと友奈はみんなのムードメーカーだもんな!

 

「タマっち先輩! 友奈さん! 前方の方から敵が! ものすごいスピードで接近中です!」

「「っ!」」

 

 良い気分の中、遂にその時が来る。すぐにあんずの言う方向に向き直すと、かなり奥の方で何かが動いている。

 勇者に変身した今、いつもよりも視力もかなり良くなっている。だから遠く離れたそいつの姿も見えたんだが……

 

「今回は最初から進化体……かな?」

 

 ……なんか、変な見た目のヤツだ。口だけの雑魚バーテックスとは全然違う見た目なんだが、進化体と言う割にはだいぶ小さい。この前の進化体は2.30メートルはあったのに、そいつの大きさ的には雑魚バーテックスとあまり変わらないように見えた。

 

「人型っぽいよな……」

 

 でも二足歩行で全力疾走していやがる。人間の下半身のような姿で、気色悪いフォームで……。

 

「…………」

 

 ……一瞬だけ見えてすぐにタマは目を逸らしちまったが、暁美のヤツが物凄く嫌そうな顔をしてやがった。

 

「みんな! 私アレなら知ってる! 進化体よ!」

「やっぱりそうですか?」

 

 おおっ! ここに来て歌野が知ってるバーテックス! 

 

「小回りが利いてスピードも見た通りよ。機動力がとんでもなくて、こちらの攻撃もヒュンヒュン避けるの」

「ではどうすれば……」

「とにかくアタックの手を弛めないで。スピードはとんでもないけど、ディフェンスは大したこと無い。小さな体だし、たった一撃でも向こうには大ダメージになるわ」

「当たりさえすればこっちのものか」

 

 厄介な機動力だが、それさえ分かればなんとかなりそうな気がしてきた。この前のは避けるのに精一杯だったから、それに比べりゃ余裕だろ。こっちには勇者が五人もいるんだし。

 

 ……それに……

 

「……ふっふっふっ」

「タマちゃん?」

 

 タマにはこの状況に相応しい秘策がある!

 

「ここはタマに任せタマえ!!」

「球子さん、何かプランが?」

 

 みんなの視線がタマに集まる。讃えるがいい、この完璧な作戦を閃いたタマの頭脳を!

 

 あいつのせいで今は若葉も千景もいない……だから最近はいつでもバーテックスと戦えるよう、この秘密兵器を用意してた。旋刃盤と一緒に取り出していたそれを懐から手に取りみんなに見せつけるように掲げる。

 

「そ、それはまさか……!」

「タマだけに、うどんダマだあああっ!!」

 

 それを思いっきり、進化体がこれから通るであろう地点にぶん投げた。

 

「その手があった! しかもあれは……! 土居さん凄い!」

 

 やはり気づいたか、ほむら。若葉やタマと同じレベルでうどん好きなお前なら分かると信じてたぞ!

 

「知っているの!? ホムちゃん!!」

「ええ!」

 

 興奮のあまり、ほむらはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねている。あいつだって普段お目にかかれない伝説のものが、これから新たな歴史を作るのだ。そうなって当然だろう、なあ!

 

「最高級手打ちうどん……讃岐うどんの申し子、吉田麺蔵さんが素材を厳選し打ったという至高の一品…! その喉越しは食の愉悦その物とされ、世界の全てを食するのに等しい恍惚感に包まれるとされる…!!」

 

 説明乙だ、ほむら! そう、タマが投げたのはうどん玉、それも超高級の一品!

 バーテックスに知性があるのは周知の事実。ならばこの誘惑には抗えないだろう。間違いなくこのうどんに食いつくはず。

 

 そうなればこっちのものだ。歌野も手こずった機動力を完全に封じるも同然、奴には致命的な隙が生まれるのだ。

 そしてこれは、始まりに過ぎない。今回の戦いで成果を上げることは間違いない。そうなれば次の襲撃でもその次の襲撃でも、このうどんトラップは大活躍。次々に奴らの隙を生み出し、バーテックスは為す術なく倒される……つまり!

 

「世界はうどんによって救われると言っても過言じゃないの!」

 

 なっはっはっは!! ノーベル賞はタマの物だーーーっ!!

 

「……なるほど。確かにパーフェクトなプランね」

「へへっ! そうだろそうだろ~!」

「……でもそれは、うどんじゃなくてこっちを使ったケースだったらって話よ!! せぇえーーーいっ!!」

 

 高笑いするタマの目に、宙を飛ぶ物体が映った。歌野の持っていた袋の中から取り出された、大きな四角形。それはタマの投げたうどん玉のすぐ側に落ちると、その場に堂々と鎮座した。

 

「本当はこんな所でポイするためにゲットしたんじゃないけど、このワンステップで全ての状況をリメイクできるんだったらやるしかない! さあ、思う存分食らいなさい!!」

 

 そこでタマ達は目にした……思いがけない宿敵の姿を……。

 

「なっ…!? 蕎麦……だと……!?」

 

 信じられない……驚愕に満ちた表情を歌野の方に向ける。歌野は渾身のドヤ顔だった。

 

「しかもあの形……あれってギフトセット用として贈るような物なんじゃ…!?」

 

 ほむらの叫ぶような声に思わずハッとしてしまう。タマのうどん玉と比べて、歌野の投げたそれは説明不要なほどデカいのだ。

 

「そう、私とみーちゃんのホームグラウンドが誇る信州蕎麦! 中には50gの束が16束入っている。球子さん、ほむらさん……果たしてたった1玉のうどんでバーテックスが満足できるのかしら?」

「「ぐぬぬ……!」」

「麺のプリンス、信州蕎麦ならオールオッケー!!」

 

 歌野のヤツ……なんて汚いマネを!!? パクりやがった!! だが、いったい何なんだ、あの蕎麦の箱から伝わるこの魔力……! 吉田さんのうどん玉の放つ輝きと拮抗してる……だと……!!?

 

 ……だ、だが、認めん……タマは認めんぞ!!

 

「な……なぁーに言ってんだ! 麺の束なんて茹でないと意味ないだろ!! 食べられないじゃないか!!」

 

 絶対に吉田さんのうどんの方が効果があるんだ!! 蕎麦には負けない……あの吉田さんのうどんなんだ!!

 

「信州蕎麦なら茹でる前のパリッパリでもナイススメルなのよ!! だいたいそっちのうどんだってボイル前の味のしない麺オンリーじゃない!! ノットデリシャス!!」

「吉田さんのうどんを嘗めないでください!! 伝説の職人技で打たれた究極のうどんなんだから!!」

「アルティメット!?」

 

 ほむらの援護射撃!! やっぱり大好きだぞお前ぇ!! お前みたいな仲間を持てて、タマは幸せ者だ!!

 究極のうどんと聞いて歌野が仰け反った。だが、歌野は長い間若葉と闘い続けている、あいつの宿命の好敵手……! すぐに闘う意思を示し、口撃に出やがるつもりだ。

 

 負けるものか……! 吉田さんのうどんの方がすごいんだ!

 

(歌野を黙らせるぞ、ほむら!!)

(こんな所で負けるわけにはいかない……行こう、土居さん!!)

(……この人達、直接脳内に……)

 

「ふ、ふんっ! それを言うなら信州蕎麦はウルトラスーパーアルティメットよ!!」

「ちっがーーう!! 吉田さんのうどんはウルトラスーパーグレートハイパーアルティメットだ!!」

「あらソーリー、ちょぉっとだけ抜けていたわ!! 信州蕎麦はウルトラスーパーグレートハイパーミラクルスペシャルアルティメット!!」

「吉田さんのうどんはその程度ではありません!! ウルトラスーパーグレートハイパーミラクルスペシャルエクセントリックメガトンアルティメット!!」

「男子小学生!?」

 

 くっ…! この高度な攻防について来るとは、やはり歌野は侮れない……!

 

「あ、あのさ……もうあの進化体もうどんと蕎麦の所を通りそうだし……」

「そ、そうですよ……仲間内で言い争う意味なんて……」

 

 ……つまり、判定はあの進化体が決めるってわけか……

 

「「「上等だ(よ)!!!」」」

「「はぁ……」」

 

 タマ達の視線は今なお全力疾走のバーテックスに向けられる。信じているぞ……お前が蕎麦ではなくうどんを選ぶ事を……!

 進化体バーテックスがうどんを取るまで残り30メートル……20メートル……10メートル

 

 ……ん? なんだあれ? あのうどんと蕎麦の間に飛んできた、黒い筒みたいなヤ

 

 

 ドグオオォン!!!!

 

 

 

「「「……………」」」

 

 ……声が……出ない。幻がタマの世界を写してる。

 

 変な幻だなぁ。さっきまでうどんがあった所に真っ黒い煙が上っていて、地面の上をパチパチと音を立てながら燃えている炎が見えるなんて。

 それに判定を決める進化体バーテックスが木っ端微塵に吹き飛んだなんて……なあ? それじゃあ誰がうどんと蕎麦、どっちが良いのか決めるんだって話だろ。

 

 って、ありゃ? うどんと蕎麦が見当たらな無いぞ? なんか変わりにボロボロになった、真っ黒な燃えカスが二つあるが。まさかあの爆発でそうなったって訳じゃないよなー!

 

 あははははは!! 何言ってんだタマは! 爆発だなんてないない、あるわけ無い! 爆発だなんて……爆発……爆……………あはははははははははは

 

 

 

「「吉田さぁあーーーーーーーん!!!!」」

「オーーノォオーーーー!!!! プリンスゥウーーーー!!!!」

 

 タマとほむら、歌野も、目の前の残酷な光景に膝から崩れ落ちた。幻なんかじゃあない……! うどんと蕎麦は……爆発した……!

 

 い、いったい何が起こったんだ……! あの進化体が自爆したのか!? だが吉田さんのうどんはバーテックスも大好きなんだ!! バーテックスがうどんを吹き飛ばす訳がないんだ!!

 

 ……あの直前に飛んできた黒い筒………っ!!?

 

 地面に両手を付いたまま、タマは顔を上げた。呆然と、思い当たる節を確かめるべく。

 視線の先に立ち尽くすそいつは横目でこちらを見ていた。こちらを心底蔑むような、冷酷な眼差しと目が合って。

 

 ……タマの考えた答えが合っていると、確信した。

 

 

 

 

 タマはこの日の出来事を一生忘れる事はできないだろう。

 この日感じた、言葉にすることの難しい憤りを一生……

 

「暁"美"ィ"イ"イ"イ"!!!! お前ってヤツは……お前ってヤツはーーッッ!!!! お前の血はぬわに色だァアアア!!!!」

 

 

 千景を殺されかけ、心までもズタズタにされた。

 

 若葉を手酷く痛めつけられ、誇りまでもボロボロにした。

 

 そして今回、タマの用意した特製吉田麺蔵さん手打ちの高級うどんを無惨にも爆破された。

 

 タマはこれ以上ないレベルで怒っていた。うどんでバーテックスの隙を作るっていう完璧すぎる作戦を何も考えていないあいつに呆気なく潰された事に。作戦を邪魔されただけじゃない、そのうどんが誰にも食べられる事無く黒炭にされ消し飛ばされた事に。

 

「許せない許せない許せない!! 人類への冒涜じゃない!! ……たった今…完全に確信した……!! 同じ顔をしていてもあの人とは決して分かり合うことはできないって!!」

「ふっっっざけんじゃないわよ!!!! 信州蕎麦を美味しいって言って食べたくせに!!!! 知り合いに無理言って貰ってきた一つなのにデビルの所業だわーーー!!!!」

 

 全く同じ理由でほむらも怒り狂っていた。歌野もうどんじゃないけど蕎麦で、同じ様な理由で怒りを叫んでいた。

 当然だろ、うどんなんだから。前にお店で知り合ったおばあちゃんが言っていた……人が決してやってはいけない事が二つある。仲間を泣かせる事とうどんを粗末にする事…って。蕎麦? 蕎麦はいつか完璧に打ち負かす宿命の相手って若葉が言ってた。

 

「この鬼ぃーーー!!」

「悪魔ぁーーー!!」

「バーテックス!!」

「ちょっ、みんな落ち着いて……!?」

「許せない気持ちは分かりますけど今は──」

 

 タマは地面に座り込んだまま、怒りを叫ぶ。ほむらも、歌野も。友奈とあんずはそんなタマ達を落ち着かせようと、こっちの方に意識が向いていて……

 

 もう一度だけ言う。タマはこの日の出来事を一生忘れる事はできない。言葉にすることの難しい憤りを一生忘れない。

 

 その後に起こった惨劇によって、そこに永遠に焼き付いたのだから。

 

 冷め切った奴の冷酷な眼差しが、獰猛な殺気を帯びた。そのまま身体を勢いを付けて右回転。あいつの手から、黒い物体が猛スピードで放たれる。

 

「バーテックスと戦わ……」

「ッッ!!?」

 

 最初に動いたのは、歌野だった。一瞬で顔中に汗を流し、そこから全力で飛び出した。10数メートル離れた仲間の元へ。

 歌野が鞭を伸ばした時、タマは……気付いた

 

 気付いたその時には、奴が投げつけた爆弾が

 

 

 

 

 あんずの身体に直撃する寸前だった。

 

「あん──!!!!?」

「え…」

 

 あんずも気付く。突然迫り来る、命の危機に。

 

 爆弾があんずの身体にぶつかる……瞬間、歌野が伸ばした鞭の先端が、爆弾を突き飛ばした。

 

 だが、その結果は爆弾の軌道をあんずの身体から僅かにずらしたのと、時間をほんの僅かにだけ延長したにすぎない。

 

 あんずの身体に当たる衝撃から、鞭に当たった衝撃に変わっただけなのだから。

 

 

 

 

ドグオオォン!!!!

 

 耳鳴りが酷い爆音、肌を襲う熱風。

 

 爆発の衝撃で宙を舞う──

 

 

「あんずぅうううぅううううう!!!!!!!!」

 

 守るって約束した、タマの妹……

 

「伊予島さんッ!!!?」

「アンちゃん!!!!」

 

 そのままあんずの身体は、地面に落ちた。受け身を取らず、叩き伏せられるように……。

 

「あんずっ!!!! あんずーーーッッ!!!!」

 

 ようやくタマの身体は飛び出した。あんずの元へ……。心臓がバクバク音を鳴らす。全身からぶわっと嫌な汗が流れる。止まらず、歯がガタガタ震えて……止められない。前が見えない。息が苦しい。

 そんな状態でタマは、倒れたあんずの側に着いた。それで倒れたあんずの身体を起こし……て

 

「……ぁ……あ……あぁ…」

「タマちゃん!!!! ………そ…んな………」

「いよ…じま……さん……」

「…………くっ…!」

 

 左腕と……タマの一番の自慢のあんずの可愛い顔が、左半分が……

 

 

 焼けただれていた……

 

「う………ぁ………」

 

 息は……ある……でも、弱々しい。激痛に、熱さに苦しんでいる。

 

 涙が……

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 あんずの顔に、ボロボロと大粒の涙が落ちる。あんずのこの姿が、あんずが今感じている痛みが、全てがタマの痛みだった。

 

 守るんだって約束していながら、守れなかったタマが憎くて苦しかった。

 

 

 

 なんで

 

 そいつら全部を包み込む、疑問と憎悪。

 

 あいつがあんずを傷つけた。いきなり……なんでだ。

 

 なんであんずに爆弾を投げつけた。なんでお前はあんずに爆弾を投げられた。なんでタマに爆弾を投げなかった。

 お前が爆弾を投げたのは、タマ達がお前に悪口を言ったからか? あんずは言っていないのになんで狙ったんだ? なあ、おい、なんでだ。

 

 

 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで

 

「なんでだあああああああああああああーーーーッッ!!!!!!」

 

 タマの怒りに世界が震え出す。絶対許せない。謝ったところであんずが受けた痛みがもう……無かったことにはならない!!!!

 この意思が勇者らしくないものだって分かっている……それが何だ!!? タマの宝物を傷つけられて黙っていられるか……!!!!

 

 力を借せ……!!!! あいつを……力を

 

輪入道!!!!

 

「精霊!? 土居さん!!!!」

「うるせぇ!!!! あいつはタマが───」

 

 そのための力を!!!!

 

「ぶっ殺す!!!!」




 ゆうほむがあんずんを狙った理由は消去法。かつてのやり取りで、勇者は自分よりも他の人に何かが起こる方がダメージが大きいと気付いているため、粛清対象の三人を除くとターゲットはたかしー&あんずん。しかしたかしーは仲間のご先祖であるため狙う訳にはいかず。

ゆうほむ「よくも決闘の約束を反故にして暴言をほざいたわね。殺してやる……」
かなほむ「ヤバいです土居さん!!」
タマっち「くっ!」
あんずん「大変ですねあなた達」
ゆうほむ「殺してやるわ伊予島杏」


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番外編 Aiming for the stars is because of her instinct.

 まだ私のエイプリルフールは終わってはいないんだーーー!!

 間に合わなくてすみません……供養はさせてください。


 その時の空は鉛色だった。日も暮れ始めた時間帯と、空全体を覆い尽くす巨大な雨雲が相まって薄暗くなっていたのだ。

 

 当然そんな空模様であるのなら、太陽の光なんてほとんど差し込んでこない。地面に叩き付けられるように落下し激しい音を奏でる雨粒に視界を奪われてしまえば、もはや足元すらろくに見えなかった。それほどの大雨が降っていたのだ。

 

「…………」

 

 しかしそんな中でも、その馬鹿は一人佇んでいた。降りしきる豪雨の中、頭から爪先までずぶ濡れになりながら、ただ呆然と雨に打たれていた。

 

 その馬鹿とは私の事だ。

 

 バスケの大会でボロ負けしただけで、叫んでその場から一人勝手にいなくなって、死んだような目をしていて絶望を感じているような奴を、馬鹿と言わずに何という?

 

 ただ、誰とも会いたくない……誰にも今の情けない私を見てほしくない……そう思った私は、逃げ出したんだ。

 

 両親から、友達から、仲間から。

 

 自分自身が嫌で、嫌で……みんなの前から逃げた。

 

「……グスッ…ひっく……ひぐ…! うぅっ……」

 

 逃げる事以外に出来た事と言えば、そいつに相応しい姿で惨めに涙を流して泣くことだけだ。

 

 私は勘違い野郎だったんだ。自分は凄い才能に満ち溢れた特別な存在だって信じていた。

 今まで他の人達よりも優れている結果を出せていたから……今までの試合も、いつだって私は活躍していたから……私はあの人に認められていたから……

 

 ───私には、あの人みたいな特別な力がある……だって私は、私の知っている一番凄いあの人と同じなんだから。

 

 長い間、そんな馬鹿な勘違いを真実だと思い込んでいたのだと分からせられた。所詮は井の中の蛙……ちょっとした要因から、イキがって強がっていただけの、傲慢な子供だったのにだ。

 

 涙が止まらなかった。悔しくて悲しくて恥ずかしくて、自分が嫌いになって……泣いていた。自分が今まで積み上げてきた物の形が、なんて歪で醜いのだと全てが許せなくて、暗い感情が止まることなく溢れかえる。

 

 

 何よりも、私が尊敬するあの人の名前に泥を塗った……それが許せなくて、死にたくなって……

 

 

 私の身体中に叩き付けられる雨が止まった。

 

「見つけた」

 

 その声が聞こえると一緒に、私の頭の上を傘が覆う。

 

 なんで……とか、そんな風に思う前に世界が少し明るくなる気がした。

 こんな私なんか見ないでほしいのに、目が勝手にその声の主の方に動く。

 自分の傘を私が濡れないように差して、激しい雨に身体中を打たれるその人は、太陽のように穏やかな微笑みを浮かべて……

 

「試合がんばったね。一緒に帰ろっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けると当然その人は目の前にいなくて、代わりに目覚まし時計の音が朝になった事を告げていて……。

 

「………昔の夢を見るとか、別に今は現実逃避したいとか思ってないだろ、私……」

 

 ……まぁ、悪くはない朝だ。

 

 

◆◆◆◆◆

 

「ん、ベーコンが残り少ないな」

 

 朝6時に起きて、トーストとベーコンエッグとサラダ、ミルクの朝食を作り、それを食べる。いつも通りすぎる私の朝の流れだ。変わり映えのしない、私らしい平々凡々な日常だが別にそういうのでもいいだろう。わざわざ特別なんてものに片足を突っ込まなくたって、そんな響きは過去の恥ずかしい勘違いでもう充分だ。

 そういうわけでテーブルの上に置いた普通の朝食。ホームセンターで買われた一般的な椅子に座り、両手を合わせる。

 

 これも普通の所作だが、大切な事だから。

 

「いただきます」

 

 まだリビングには私以外に人はおらず誰も聞いてはいないが、その言葉を忘れずに口にする。形だけに留まらず、感謝の気持ちを充分に込めて。

 そこまで真剣にならなくても別に構わないだろうと思うのもいるだろうが、悪いな。私にとっては言わない事の方が考えられないんだ。私達は物心付いた頃から()()にそう教わってきてるんだ。

 

 感謝を忘れないこと。原料となった小麦や豚や野菜や卵にその他諸々。食べるという行為は私達の命を未来ある明日へと繋げていく。

 それらを育てるために汗水流した農家や畜産家や酪農家、配送業者にスーパーの従業員、多くの人達のこれまでのプロセスがあってこそ、私達は生きることができる。だから、忘れてはいけないんだって……。

 ……あの人らしい、考え方だ。

 

 とはいえ食べること自体は話し相手がいないから黙々と食べてはいるが……。だがもうそろそろ私の母か父か、どっちかが起きて来てもおかしくはない時間である。

 するとやはり部屋の外から足音が聞こえる……この足音、お父さんの方だ。私の両親は二人とも夜遅くまで仕事に取りかかる事が多い。まだ眠そうながらも、部屋に入って真っ先に娘である私の名前を呼ぶ。

 

「おはよう、夕奈」

「ん、おはよー」

 

 ……自己紹介がまだだったな。

 

 私の名前は柚木()()。香川県観音寺に住む14歳。

 

 世界を守ったかの大英雄である高嶋友奈……彼女と同じ音の名前を持った、一般人だ。

 

「ちょっと待ってて、このトースト食べたら用意するから」

「いや、簡単にコーンフレークで済ませるから、夕奈はゆっくり食べていいよ」

「フレークって言ったって、どうせただミルク掛けるだけでしょ。それだけって……」

「いやぁ……深夜に夜食を食ったし少なくてもいいかなって…」

「朝食は妥協しちゃ駄目だって。仕事の疲れが残ってるなら尚更。いいから私が用意するから、スクランブルエッグとウィンナーでいい?」

「あ、ああ。ありがとう」

 

 既に小さくなっていたトーストを口の中に入れて席を立つ。お母さんもそう遅くない内に起きてくるだろうから、二人分の卵とウィンナーを焼いておく。

 

 私達柚木家は3人家族。翻訳家の母とデザイナーの父と中学生の一人娘。自分で言うのも何だが、経済も家族仲も順風で結構裕福と言える家庭だと思う。

 

「ふわぁ~、おはよぉ夕奈ぁ、お父さん…」

「ああ、おはようお母さん」

「おはよう。今二人の朝ご飯作ってるから、今の内に顔でも洗ってきたら?」

「助かるわぁ。夕奈ってば本当に気が利く良い子に育ってくれたわねぇ……」

 

 ほんのりと顔が熱くなって、起きてきたお母さんからつい顔を逸らす。そのまま何事もなく朝食作りを再開して、二人からは照れているんだって、それを誤魔化してるように見えていないだろうか……ハズい……。

 まぁ、真っ直ぐな大人達に囲まれて育ってきたし、非行に走る気は更々無い。今後反抗期に入っても、周りには迷惑をかけたくないとも思ってる。

 

 ……というより、身近にいる誰かに私が不良の道を歩みそうだとか、そんな風に思われでもしたら…………

 

(……死にはしないだろうけど、人格は間違いなくあの人に修正されるな……)

 

 ……本当、凄い大人達に囲まれたものだ。自分の事ながら感心するしかない。

 字は違っても大英雄と同じ名前を与えられた私は特別な存在だ、なんてもう思っちゃいない。女の割に背が高いし運動が得意ではあるが、そんな事はただの長所や特技の枠に収まる程度だ。プロやスポーツ競技の大会に出るようなやつらには到底及ばない。それに身長の高さはほぼ確実に目立つから軽いコンプレックスだし……。

 

 ただ、特別な存在と関わりがある。その関わりが私の……私達の人生に大きな影響を与えた。

 その人の色に染まっていると言ってもいい。いつだってあの人の存在というものは多くの人達に影響を与える……あの人とはそういう人だ。

 

 ……見た夢といい、今日が近づくにつれてどうしてもあの人の事を考えるのが増えているな。ここ最近はなかなか時間が取れず会えていないんだが……実は今日、数ヶ月ぶりにあの人に会えるかもしれないんだ。

 

「………」

「夕奈は、今日は何時頃に家を出るんだ?」

「……一応10時に待ち合わせしてるから、それに間に合うように出るつもり」

 

 その人の事は私よりも、お父さんとお母さんの方が付き合いが長い。ただ、二人は今日もこれから仕事だ。私と一緒に会いに行くような余裕はない。

 

 ……緊張しているのか? というより、なんだかむず痒い気分……。

 あの人が苦手というわけではない。誰に対してもとても優しいし、ずっと尊敬しているし、先日から今日が来るのを楽しみにしていたほどなんだが……。

 

 これが思春期ってやつのせいなら、なんて厄介で面倒な……。

 年頃の些細なはずの悩みに唸る私に、お父さんは真剣な様子で一言発する。

 

「……くれぐれも、失礼のないようにな」

「……お父さん……それは──」

 

 〈ピンポーン

 

「? こんな朝早くに、誰だろう?」

 

 突然来客を告げるインターホン。だがちょうど今火を扱っている私は動くわけにはいかない。そこでお父さんが壁に付いてあるモニターを見に行く。

 

「はい、どちら……うん? 夕奈ー」

「………ああ」

 

 お父さんの反応で察してしまった。そういえばここ最近、1週間も前からあいつは今日が来ることをまだかまだかと悶々悶えながら過ごしていた。昨日なんて楽しみすぎて目がトリップしていた。一挙一動が完全にヤバい奴のそれで、私が側にいなければ先生に報告ないし、警察に通報されていてもおかしくはなかった程で……。

 となれば、普通じゃ考えにくい休日のこの時間であったとしても、私の家を訪れる人物の心当たりなど一人しかいない。

 

 溜息は今までに出し尽くした。火を止めてフライパンの中で綺麗に焼けた卵とウィンナーを皿に移し、そのまま玄関に向かう。

 

 そして扉を開けるとそこには案の定、予想通りの人物が立っていた。

 興奮気味なせいで忙しなく揺れ動く身体に釣られて、そいつのやわらかい青緑色の髪も大きく揺れている。そこで扉を開けた私に向けられるのは、その冷め止まない感情が満ち溢れ、爛々と輝くレモン色の瞳。

 

「おはようゆうちゃん! 準備はできた!?」

 

 付き合いの長い、私の幼馴染。

 

「早すぎだ馬鹿め」

「できてないの!? 早くしてよぉ!! はーやーくー!!」

「うるさいな……」

 

 10時に待ち合わせしていたはずの相手が、7時にもなっていない早朝に場所すら無視して私の家の前に来るとか何を考えているんだこいつは。

 

 ……いや、これは私の落ち度だ。こいつの熱意は充分身に染みていたはずなのに、待ち合わせしていたから大丈夫だろうと甘く見積もった私の失敗だ。あの事象が絡む時、こいつの行動や思考回路は常に私達の考えの斜め上を行くのだ。

 瞼の下にイヤにくっきりと浮き出た黒い隈が出ている。間違いない……こいつ、今日の事が楽しみすぎて、きっと昨日は一睡もできていない。ハイな精神状態が睡眠不足による脳機能の低下で更に跳ね上がっているのか……。

 

「近所迷惑だ。取りあえず家の中に入れ。そして寝てろ」

「いやいやいや! 眠れるわけがないでしょ!? ほら、触って! 私の心臓、昨日の夜からドックンドックン音がすごいんだって!!」

「確かにこれは凄いな。病院に行ってこい」

「やだ!!」

 

 相変わらずこの幼馴染は私の手に負えそうにない……。だからこそ、いつまで経ってもこいつの暴走に近いあれこれに付き合わないといけなくなるんだろう。

 

 しかしだ、さっき人との関わりが云々言ったが、それはこいつも同様だ。こいつと深い関わりができてしまったから、私の人生は退屈とは程遠いものになってしまったのかもしれない。

 

「確かに約束の時間より早めに来ちゃったけど、その時間で一番良い所を場所取りしてもいいんじゃない!?」

「言っておくが今私は朝食を用意してる途中だし、食べ終わってもないし、その後食器洗いもするし、シャワー浴びるし、予定通り10時に間に合うようにしか動く気はない」

「え"っ、まだ7時にもなってないのにそんなの遅いって!? どれだけ待たせるつもり!? 臨機応変にいこうよー!!」

「元々の約束の時間を遅いとか言うな。お前の堪え性の無さが悪いんだろうが……普段は全く問題ないくせに、あの人が絡むといっつもコレだ……」

 

 私のお母さんとこいつのお母さんが友人同士という関係から、私達は小さい頃から姉妹みたいな感じで育った仲だ。だからこそ、私はこいつのことを他の誰よりも知り尽くしている……この病気が不治の病である事も当然。したがって、私には呆れ果てるという選択肢しか残されていない。

 

 そんな幼馴染は……こいつの名前は……

 

(……お父さん……やっぱり、失礼がないようになんて言葉は私にじゃなくて……)

「そこに高嶋友奈様がお越しになられるんだよ!!?」

()()に言って……)

 

 横手すず……趣味は高嶋友奈の追っかけとかいう、幼馴染でなければ早々に離れていたであろう危ない奴だ。

 

「計画を変える理由なんてそれで充分だ!!」

「友奈おば様の名言を汚すな」

 

 私が貧乏くじを引かされるのは、いつものことだった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 かつてこの世界を守るべく、恐ろしい化け物と戦った勇者がいた。ある者は岩や地面をも砕く拳を嵐のような激しさとパワーで叩き込み、またある者は多くの人の命を食い散らしたとされる化け物の群れの中に飛び込み逆に獰猛に食らいついて暴食の限りを尽くしたとか……。

 私が生まれる前にその戦いは終わっているが、親の世代は当事者であり、皆世界中を襲った惨劇を熟知している。つまり非科学的な化け物は昔確かに実在し、それに対抗した人を超越した存在もまた真実。

 

 その後生き残った勇者は混乱期の世の中を治めるべく大赦という組織を率いて、今の平穏な世の中を保つべく動いている。

 

 友奈おば様……高嶋友奈は、かつて世界を救った勇者にして、現在にて世の中を支える巨大組織の指導者その人だ。

 そして私にとっては、もう一人の母親とも言える存在でもある。

 

 何故一般人の子供に過ぎない私なんかが、誰もが知ってる有名人である高嶋友奈と近しい関係にあるのか……。

 答えは単純だ。友奈おば様は私の母の友人だというのだ。それもかなり長い、数十年来の付き合いの。

 

 元々は母の友人の紹介。すずのお母さんの紹介で二人は知り合ったらしい。ただ、一般人の母に対してこの人は今現在どころか当時も世の中の中心として動いていた超がいくつあっても足りない程の、偉人クラスの有名人だ。普通なら対等に話しかける事すら有り得ない天上人なのだが……あの人の温もりに触れてしまえば……な。

 

 まあそういうわけで、私は物心付いた頃からかつて世界を守り抜いた大英雄、勇者高嶋友奈と顔見知りだったということだ。

 すずも同じ理由だ。友奈おば様は友人の娘である私達を会う度に可愛がってくれた。世話になったことも数えればキリがない。

 

 ……私がまだ赤ん坊の頃、お父さんが自殺を図ったのを岩をも砕く拳で殴って止めて、その原因から私達家族を守った話なんて、それの最たるものだな……。

 

「やってきましたFoohhhh~~~!!!」

「うるさっ!」

 

 それはそれとして、友奈おば様。おば様はここにいる貴女に病的な憧れを抱いてしまった娘への接し方を考えるべきだった。

 

「ハイスタッフホール!! 高嶋友奈様が特別審査員を担当なされた美術コンクールの展示会場!! 高嶋友奈様がご来場なさる聖域だよゆうちゃん!!」

「スミマセンスミマセン! 連れがお騒がせして申し訳ありません! すず! 人前でそれはやめろって言ってるだろ! いい加減テンション抑えろ!」

 

 そうこうしてる間に時間は流れる。私とすずが家を出て向かった先は今こいつが言った通り、地元観音寺の市民会館だ。

 

 県主催のコンクールが開催されたともあって、だいぶ規模の大きい展示会となっている。参加者のレベルもその分高いと思われる。故に声を掛けられるVIPも超一流だったのだろう……友奈おば様が特別審査員としてコンクールの関係者に名前を載せていたのは。

 

(……おば様が芸術方面に明るいなんて話は聞いたことがないんだがな……)

 

 大人の世界は色々と大変で面倒だということだろう。それでもそのおかげで、本来多忙であるはずのおば様が観音寺に、一般人も参加できるイベント会場にやってくる。コンクール入賞者に、彼女自ら表彰するためだとか、講話をするんだとかで……。

 

「……会えるかな、おば様に……」

 

 おば様は本当に忙しい人だ。昔からそうだったが、私自身中学に上がってからは学校や部活等で忙しくなり、会う機会はめっきり減っている。仕方ない事だが、悲しさは感じてしまう……。

 今日は友奈おば様と同じ建物の中にいるんだ。可能性はあまり高くはないだろうが、もしもおば様のスケジュールに余裕があって、会って話ができるのなら嬉しい。できなければ……残念だ。

 

「会えるかな、じゃなくて、会わないと!」

「……!」

「テレビや新聞なんかじゃないんだよ!!生高嶋友奈様を久しぶりに拝めるチャンスでしょ!!」

「………」

「生の!!!! 高嶋友奈様を!!!! キャァーーーーッ♪♪♪」

 

 ……普通にこの会場に足を運んできた一般来場客の視線が刺さる刺さる……。

 ……こいつ、もういいから不敬罪とかでしょっぴかれてしまえ……。

 

「そこの二人。会場前だぞ、騒ぐんだったら出て行ってもらおうか」

「す、すみませんすぐに黙らせ………」

 

(……え? …い、いや、今の声って……まさか……)

 

 ドキッとさせられる感情の込められていない声は第三者のもの。一瞬慌てるが、直後に聞き覚えのあるその人物の顔が浮かび上がり、背筋が冷える。

 そもそもこの異質な空間に躊躇無く口を挟める時点で並みの人間ではないんだ。

 恐る恐る、私はその声が発せられた方を向いて……

 

「ゲッ…!?」

「ゲッ!?とはなんだ、ゲッ!?とは」

「ゆうちゃん? あの、夕奈ちゃんとお知り合いの方ですか?」

「忘れたのかすず? 二人とも久しぶりに会ったかと思えば、それぞれ随分と傷つくリアクションだな」

「い、いや……驚いただけで……」

「えっ!? 何で私の名前を知って……」

「サングラスが邪魔か? ならこれで見えるだろう」

「な………なあああああ!!?」

 

 な……なんでこの人までここに来てるんだ……!? 確かに規模の大きいイベントだが、おば様だけじゃ足りないってのか…?

 

「思い出せたか。それで、私に何か言う事は?」

「……な……何故、そのようなお姿を……?」

「そっちの質問が先か。なんだ、似合わないか?」

「いえそのような事は……!」

 

 普段メディアで多く目にし、私達もよく知る姿ではなく帽子やサングラス、体格と年代に適している服装を決め込んで、気品漂う婦人として完璧に周囲にとけ込んでいるからか近くを通っている人達の中に気付いている様子の人はいない。すずだってサングラスをずらしてもらってようやくこの人の正体に気付いたレベルだ。

 

「人が大勢来るイベントだ。いつもの姿では目立つからに決まっているだろう? 私を誰だと思っている?」

「ごもっともで……」

 

 ただ、そこにいるだけで本能的感じる、人を寄せ付けようとはしない圧倒されるプレッシャー……。私はいち早くそれを感じ取ってしまってだな……。

 

 下手な動きなど、これまでに蓄積された記憶と経験上不可能であると、私もすずも把握している。

 

 この人の事も友奈おば様と同様に昔から知っている。上里ひなた様に並ぶ大赦のトップ故に、メディアでも数多く共にいる姿を映し出されている。当然、おば様経由で会った回数も少なくはない……。

 だが、この人はおば様とは正反対の……生き物だ。

 得体が知れない……それも悪い意味で。温もりや優しさなんて物は一切感じさせない。

 

 聞かれるまでもない、苦手な存在だ……。

 

「えと……お、お久しぶりです…」

「烏丸久美子様……」

 

 二つある大赦の派閥、乃木派と高嶋派……その片方の中核を担う、高嶋派の最高位。烏丸久美子なのだから……。

 

「ああ、息災だったか?」

「ええ…まぁ…」

「烏丸久美子様も、お変わりないようで…」

「クックック……立ち話もなんだ、こっちに来て話し合おうじゃないか」

 

 気持ちが込められていない淡白な言葉で告げられても、逆らったり逃げることなどできやしない。それほどまでに冷徹な瞳だった。年期も合わさり、威圧感に圧倒されるばかりだ……。

 

 それ以前に、もしそれらの反抗的な行動を取ろうものなら、恐らく本当に私達に未来は無いだろう……。

 おば様が顔であるため複雑ではあるのだが、大赦という組織には良い噂だけでなく悪い噂も存在している。前者をおば様が作っているとして、それを支えながらも後者を率先的に作っているのは十中八九目の前のこの人であるとしか考えられないような人だからだ。

 

 仕方なしに、こちらの心境をなるべく表に出さないようにすずと共に頷くも、意地悪な程に勘が鋭そうなこの人には恐らくバレている。妖しげな笑みを浮かべた後、背を向けて付いて来るように言葉無く促して歩いていく背中を、私もすずもげんなりとしながら見つめるのだった。

 

(烏丸久美子様……顔見知りと言っても何で私達と話す気満々なんだ……)

(……お母さんが久美子様は人が嫌がる事をやるのが大好きな人って言ってたから……)

(……ああ、私もそれ聞いた事あったな……分かっててやってるのかあの人。私達が嫌々だってのに気付いて……)

(あの高嶋友奈様をお導きになられた偉大なる巫女だったって話、今でも信じられないよ……)

((ハァ……))

 

 性格の悪さにすず共々溜息が出る。友奈おば様を尊敬して止まず、おば様の関係者にも並々ならぬ敬意を隠さないすずも、唯一この人に対しては苦手意識の方が勝るのだ。

 私もすずも、烏丸久美子様と昔接点があったらしいすずのお母さんからこの人だけは常に気をつけろと耳にタコができる程聞かされているし、実際に恐ろしい……。

 

「さっきから失礼が続いているみたいだが?」

 

 ニヤニヤしながら言ってる時点で悪意しか感じない。おば様に会えるかもという日に別の最悪のエンカウントで気が沈まずにはいられないのに。

 

「あ、あの…烏丸久美子様は本日はどのようなご用件でこちらに…? やっぱり高嶋友奈様と同じ大赦の公務でしょうか…?」

「大赦の人間としてここに来る奴が、こんな服を着て来ると思うか? 今日は部下に仕事を全部押し付けて完全オフで遊びに来た」

「そ、それでいいのか…!? 巨大組織のトップが……?」

「私の部下に無能はいないから問題ない。そんな馬鹿共は最初から弾いてる」

 

 横暴のようだが、この人はプライベートで来ているってのか……。それで運悪く私達は捕まったのか……。

 

「で、でしたら…烏丸久美子様はコンクールの展示物を鑑賞なさろうと?」

「ああ」

 

 この人にも、芸術鑑賞に興じる趣味があったとは……意外だ。

 ……本当だろうか? 仕事を押し付けるほど、この人が芸術に熱がある人だって俄かに信じられないんだが……。

 

「先日すず、お前の母からこういう話を聞いたんだ」

「え?」

 

 そう思い浮かんだ考えは……

 

「今度のコンクール、お前と柚木が一緒に行く事になった……ってな」

「「………え!!?」」

 

 破顔した笑みで、間違っていないと突きつけられる。

 

「せっかくお前達と久しぶりに会える機会だったからな! 一緒に作品を見て回ろうじゃないか!」

「な……な……」

「お母さぁああああああああん!!!! 何やってくれてんのぉおおおおおお!!!!」

 

 悪魔だ……! この人はやっぱり悪魔だ……!! 私達を弄ぶためだけに、わざわざ私達が来る事を知った上で仕事を放り投げて私達に会いに来るなんて……!

 それになんで……!? すずのお母さんはとても良識のある人で、「久美子さんみたいな大人にだけはならないでね」が口癖なのに!!

 なんで私達の楽しみを奪うような事を……!!? ショックが大きすぎて、足が前に全然進まない……。

 

「ハッハッハ。しっかりしろ。元気溌剌で若さが取り柄の中学生がバテるには早いぞ」

「ひ、酷いよお母さん……最近勉強が全く集中できてなかったからといってこの仕打ちはあんまりだよ……」

「私は何も悪くないのに……お前のせいかすずぅ…!」

「私も悪くないやい! お母さんが悪いんだい!」

「立ち止まるなよ。時間が勿体ない」

 

 私もすずも、泣きたい気持ちでいっぱいだった。

 なのに私達の意思などお構いなし、強引に腕を掴まれて引っ張られていく……。

 

 そして何も考えられなくなった私達が辿り着いた場所は、建物内のとある扉の前。久美子様が扉を開けるも、中にどれほど凄い芸術作品があったとしても、私達の心は動かないだろうが……

 

「連れてきたぞ、友奈」

「ありがとう久美子さん」

「「………………………」」

 

 ………………………!?!?!!?

 

「お「高嶋友奈様ぁあああああああああああああ!!!!!!!」

「久しぶりだね、すずちゃん。元気にしてた?」

「うぇぎゃぁああああああああああ!!!!!!!!」

「うん、元気そうで良かった」

「………」

 

 ……頭の中がまだ、困惑しているのだろうか……? 今日は一日を台無しにされるのではなかったのか……? おば様には……会えないんじゃなかったのか……?

 

「なんで……」

「なんでじゃない、さっき言ったばかりだろ。茉莉から連絡があったって」

「えっ?」

「うん。すずちゃんと夕奈ちゃんがそっちに行くつもりだから、二人と一緒にいられる時間を作ってもらえないかって。私も二人には会いたかったから久美子さんに探しに行ってもらったんだけど……久美子さん、またやったね?」

 

 思わず久美子様の方を見た。してやったりと言ったような顔がそこにはあった。本当にただ、私達はこの悪魔に弄ばれていただけだったのか……。

 

「おかげでこのコンクールで一番面白い物が見れた。満足したから一緒に見て回るって話はナシだ。戻って任せっきりの仕事に手を付けるとするさ」

 

 そう言って、何の思い入れが無いようでそのままこの部屋から出て行った。私とすず、そしてもう一人だけが残される。

 

「まったくもう……久美子さんは……」

「きゃぁああああああああっっ!!!! 高嶋友奈様ッ!!! とぉーーっても麗しくて綺麗ですぅうううう!!!!」

「あー……40歳過ぎてる、中学生の子供がいるおばさんがこんな格好してたら恥ずかしくないかな……?」

 

 20代半ばと言われても信じてしまう程若々しい外見に加え豪華絢爛な美しいドレスに身を包む彼女から目が離せない。美麗で気品があって、健在の太陽のような温かさと眩しさが私達を包み込み……。

 

「グワァアアアアアアッッ!!!! 高嶋友奈様の後光が眩しすぎて目をやられたぁああああ!!!!」

「すずちゃん!?」

「アホめ……」

「うぇ……ひ…ひひ…てぃひひひ……!」

「……ふふっ。なんだか懐かしい笑い方だ。不思議だね」

 

 すずが両目を抑えてぶっ倒れた。身体も痙攣していて、意識が残っているのかもどうか……。

 

 こいつの目はいずれ勝手に再生するだろうからどうでもいい……。すずの亡骸から視線を外すと、二つの視線は交差する。

 

 先程までショックで固まってた心が動き出すが、口が動かず思うような言葉が出ない。

 

 やっぱり、思春期の感情なんて面倒だ……。

 

「会えて嬉しいよ。夕奈ちゃん」

「……私も、です……おば様……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋から出て行った烏丸久美子は、そのままコンクール会場の中を移動する。芸術といった物に惹かれない彼女は数々の作品に目もくれず、一直線に外へと向かっていた。

 

(……ん?)

 

 だが、途中で足が止まる。ふと彼女の目には一つの展示作品が映ったのだ。

 それはこのコンクールの最優秀作品。観る者全ての心を惑わような絵で、芸術に疎い久美子でも惹かれる謎の魅力があった。

 

(…………)

 

 烏丸久美子は考える。果たしてこれを描いた人間はどういう人間なのか、何故このような絵を描くに至ったのか、そもそもこれは一体何を伝えようとしているものなのか……。

 

 

 

題名:死者蘇生

 

 

 

 

 

作者名:アリナ・リリエンソール

 

 烏丸久美子からは見えない、何を信念(テーマ)に、この天才は怪作を創り出したのか。

 

 

◆◆◆◆◆




 この時系列が一番原作とのバタフライエフェクトがヤバそう。

 4月8日から始まる【芙蓉友奈は語部となる】にて登場する横手すずさんを先行して登場させて、キャラクターのイメージと違ってたらどうしましょう……


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第七十二話 「流星」

 戦場で食べ物を投げて遊ぶようなふざけた連中からぶつけられる言葉に苛ついただけ。でもそれだけで十分すぎた。躊躇も罪の意識は無かった。あるのは救いようがない単細胞への激しい嫌悪感のみ。

 

 乃木若葉との決闘の対価を他の仲間連中が知っていようがいまいが、今まさにあの連中はその約束を無視した行動を取っている。存在自体が人の神経を逆撫でる、私達の道を無意識に妨げ続ける、害虫のように目障りで耳障り。

 

 人の形をしていたとしても、それが吹き飛んでしまえば清々するだろう。自分ではなく自分以外の者に矛先が向けられれば、より自らの愚かさを悔いるだろうと、私は気弱そうな伊予島杏に思いっきり爆弾を投げつけることができた。

 

 死ねばいいのだから。

 

「あんずぅうううぅううううう!!!!!!!!」

 

 爆音の直後に轟く叫び声も鬱陶しい。元はと言えば敵の姿が見えてなお食べ物を投げてふざけ倒し、約束を反故にしたお前達愚図が悪いのよ。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 うるさい。

 

 一応は勇者を名乗っている以上、大人しく雑魚狩りしていればいいのに騒ぎ、喚くだけ。何も成し遂げられない無能な勇者共が、おこがましいにも程があるわ。

 

『……!!? ~~!!!! ~~~!!!!』

「エイミー……」

 

 もはや勝手に出てくるようになって、完全に言う事を聞かなくなったエイミーの抗議するかのような突進……それを手の甲で弾くように叩き落とす。

 

『…!』

「いい加減うざいのよ」

 

 手甲の硬さからか、勢い余って小さい猫の体は地面に落ちると軽く弾む。

 それでも地に伏ながらもエイミーは瞳を私から外さない。猫……忌々しい神樹の遣いである精霊のくせに、二つの眼からはボロボロと大粒の雫を落としながら……。

 

「害虫駆除に躊躇も同情もする必要は無いわ」

『~~~~~~~~!!!!!!!』

 

 新たに生成した爆弾をもう一つ投げつけてやろうか……そう思い浮かんだ時だった。

 

「なんでだあああああああああああああーーーーッッ!!!!!!」

(……っ)

 

 土居球子の咆哮と共に、樹海が震える。彼女の怒りに呼応して大気が激しく脈打つ。

 この感覚には覚えがあった。満開の発動と似て非なる肌のピリつき。以前郡千景と衝突する直前にもこれと同じ様な感覚があったけど。

 

 ……その時の郡千景の身には実体のある分身を一定数顕現させる不思議な力が宿っていた。これが連中の引き出す神樹の力か。 新たな力を解き放つ、連中の覚醒……それが今、再び。

 

「ぶっ殺す!!!!」

『…!!?』

 

 私に突き刺さる、荒々しい殺意を帯びた視線。それだけではなく、辺りの気温が急上昇しているのか空気が薄く、微かな息苦しさを覚える。

 

「………そう」

『………!! …………!!』

 

 それだけで状況を把握するには充分よ。伊予島杏ごときくだらない存在が誰のせいで制裁されたのかを考えもせず、愚か極まりない感情的な思考に支配された土居球子が。

 

 私に逆らい、害を成すのなら。邪魔をする気だというのなら。

 

「望み通りに殺してやるわ、土居球子」

『………………!!!!』

 

 眼前にある私の敵全てを抹消し尽くせば手に届く、その先にある未来に向かって歩き続けるために。

 これから肉の塊と化す運命が待ち受ける愚者を、目に収める。

 

「やめてタマちゃん!!」

「邪魔すんな!!!!」

 

 土居球子の変異した装束、巨大化した盾状の武器を視認。土居球子は両手でその武器を掴むと、その場でハンマー投げの要領で回転する。近くにいる仲間の存在などお構いなしに。

 

「キャァッ!?」

「高嶋さん!!」

「怪我するから退いてろ友奈!!!! お前等もだ!!!!」

「……ッ! 友奈さん! ほむらさん! 杏さんを連れてこっちに!!」

 

 仲間達も剣幕と危険な武器に阻まれ近付くこともできない。向こうにとっては手後れだけど、声を張り上げて必死で止めようとする仲間達を振り切り前へ飛び出すと、刃を纏う円盤をこちら目掛けて投擲する。

 更には円盤からは土居球子の心境を写したかのような炎が吹き荒れる。炎が噴出する勢いも加わり、回転の速度も加速する。

 

 極めつけに円盤にくっ付いていたワイヤーが外れた。遠距離から巨大化した武器による切り刻みと合わさり、なる程強力な力というわけ……。

 

 実にくだらない。土居球子は以前感じた性格上、ただでさえ単純な脳みそで考えもなく動く猪突猛進タイプだろう。加えて冷静を失った今、尚更土居球子にできる攻撃は策もない力任せの投げつけ一択だ。

 

 距離はそこそこ……大きい刃であろうとも、炎が攻撃範囲を広めていても、この場から離れて回避することなど造作もない……

 

(当たるわけ……)

 

 

 

 

 映し出されたのは

 

 

 

「タ…マ……っち……」

 

 

 

 

 

 倒れ、虫の息の伊予島杏の姿。

 

グジュァ

「──っ!!!?」

『!?』

 

 一瞬、頭の中身が激しく揺らされる錯覚に陥る。前後左右上下、全ての方面を360度周りながら一瞬で回される不快感……

 

(……!! う……ぎ……な…に、これ……!?)

 

 視界が歪み、平衡感覚が崩れる。思わず膝を突きそうになるのを必死に抑える。その間にも絶え間なく、頭の中の脳その物が圧縮され、凹み、歪み、溶けていく……そんな名状し難い不快感に襲われていく。

 

 今までに感じたことのない、形容しがたい苦痛が頭の中を駆け巡った。獰猛な気持ち悪さが止まらず胃酸までもが込み上がる。叫びたくても声すら出せない地獄のような苦しみが続く。

 

(あた……まが……っ!! 壊れる……!!?)

 

 頭の中が丸ごとかき混ぜられているとしか思えない気持ち悪さ。辛うじて意識は繋ぎ止めているものの、それ以外はどうすることもできない。

 食いしばった口の端から唾液が垂れ流れてしまう。このままずっと耐えられるものではない……だがそれでも私は歯を噛み締めふらつく足に力を込めて耐える……が。

 

バキンッ

 

 私の頭の中で何かが弾けたような気がした。同時に、何かの甲高い嘲笑が、蕩けた頭の中全体に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

『あはははははは!!!! ははっ!!!! あーーーっはははははは!!!! 伊予島杏!!!! 顔!! 随分と面白い顔になったじゃない!! あぁ可笑しい!! お前にお似合いの無様さだわ!!!!』

 

 

 

 

「………!!」

 

 狂喜に満ちた声の主は、他でもない自分自身の声……

 

 ……いや、違う……私は忘れていた……。

 

 私の中に巣くう、この怪物の存在を。狂気を愛する悪魔へ、極上の快楽を提供していたのだと気づいて……。

 

「お前は……何なのよ……!!」

 

 猛烈な息苦しさを押し切って、叫んだ私の声は

 

「鹿目ほむらァアアッッ!!!!!!」

『……!!?』

 

 目の前に迫り来る巨大な円盤の刃の高速回転する音と、吹き荒れる炎の音に遮られ、誰にも届かない。

 

「!!」

 

 苦痛で動けない私の身体を、回転する円盤は、刃は、炎は、止まらない。容赦なくこの身を巻き込んでいく。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 輪入道……その本性は一般的にイメージされ、見た目から読み取れるような単に炎を撒き散らしながら走るシンプルな存在などではない。正しくは自らの車輪によって見た者全てを引きずり回し、全身をバラバラに引き裂き、残った魂をも根こそぎ吸い尽くす悪霊とされる。

 

「くたばれクソ野郎ォオオッ!!!!!!」

 

 つまり、今目の前の光景はまさしく精霊その物の残虐な面が発揮されていると言えよう……暁美ほむらの身体に直撃した旋刃盤は、その巨大な質量を以て彼女を押し潰す。

 その程度で済むはずが無く、高速回転しながら前へ前へと飛ばされる旋刃盤は投擲時からのスピードと勢いを落とさない。無数の刃は絡め捕った敵を逃さない。接触する地面ごと、荒れ狂った痕跡を刻み続けるのみ。業火も刃と共に走り、その痕を敵共々燃やし尽くしていた。

 

「よくも……!  よくもよくもよくもよくもォオオ!!!!」

 

 ワイヤーは外れ、範囲の限界は突破された。質量、威力、範囲を大いに進化させた旋刃盤は、球子の敵を執拗に刻み込みながら縦横無尽に飛び交い、暴れ回る。

 怒りで我を忘れた球子は、暴走する感情に身を任せるまま、ただひたすらに力を振るう。

 

「あんずが何をした!!!! あんずが………うがあああああああああああああああ!!!!!!」

 

 それは正真正銘、土居球子の魂の憎悪の現れだった。仲間達の必死の声と制止を振り切り、放たれた旋刃盤。精霊の力を宿したそれは世界を護るという崇高な使命を果たすために非ず、純粋な怒り憎しみによって動いていた。

 

「あああああああああああああッッ!!!!!」

 

 喉が張り裂けんばかりの叫び。溢れ止まらない涙。それらは傷つけられた妹分の姿のフラッシュバックによって止むことはなかった。

 

(ちくしょう!!!! ちくしょうちくしょうちくしょうッッ!!!!!!)

 

 彼女にとって一番の自慢であった杏の腕と顔が溶かされた……その直前、自分は何をしていた……?

 苦労して手に入れたうどん玉を吹き飛ばされた怒りのままに叫んで、他にどんな事を考えていただろうか……。

 その時、杏と約束していた……彼女の事は何があっても守る……うどんの恨みを叫んだあの時、球子は杏への誓いの事を考えていただろうか。

 

 答えは否。冷静を欠いていた中で、球子はそこまで多くの事は考えられない。

 だからこそ、球子は許せなかった。暁美ほむらにも、自らに刻み込んだはずの誓いの事が抜けて油断し、取り返しが付かない事態を招いた自分にも……

 

 

「ちっくしょぉーーーーがぁぁあああああぁぁぁああああッッ!!!!!!!!」

 

 

 二人分の憎しみを一つにして、暁美ほむらにぶつけるしかないのだ。

 そんな暁美ほむらは巨大な旋刃盤に隠れて対象の姿は見えないが、無事であるはずがない。誰もがそう確信する。

 

「……あ……ああ……ぁ!」

「……っ!」

「どうして……こんな事に……!!」

 

 状況の判断材料はけたたましく響き渡る激突音、刃の回転音、吹き荒れる炎の轟音、そして変わる兆しのない球子の憤怒のみ。

 

 ようやくそれらに気付いた時、

 

 高嶋友奈は顔を青ざめて絶句した。

 鹿目ほむらは思わず目を逸らして震えた。

 白鳥歌野は絶え間ない悔しさと後悔の念に打ちのめされた。

 

 何としてでも、彼女達は仲間を止めなければならなかっただろう。しかしこの場に置いても動揺が彼女達の思考を鈍らせた。かつて無い怒りに飲まれた球子の気迫と殺意にたじろぎ、既に賽は投げられ手遅れに。

 

「ぅぁ……ぁ…ぁ……」

 

 そして一番の理由は気の迷いから。彼女達に囲まれ、生気のない、苦痛に歪んだ顔で呻いている伊予島杏の姿を見てしまったのだから……。

 

 大切な仲間に突然爆弾を投げつけられ、酷い傷を負わせた事への激しい怒り。球子のようにはっきりと表に出さずとも、それは友奈もほむらも歌野も全員が共通して怒りの炎を滾らせていた。

 故に、無意識の内に彼女達もこう思ってしまった……球子は止めなくて良い。よくも杏をこんな目に。球子の怒り、報復は当然の事である……と。

 

 しかし、球子が齎した想定外に大規模な報復は彼女達3人の倫理観と正義感を遅かれ正気に戻す事となる。あんな強大な力を一方的に受け続けて、無事でいられる訳がないのだから。どう考えても骨は粉々に、肉は千切れ、炭化する未来しかありえない。

 

 もはや暁美ほむらには死ぬ以外の運命は残されていない。3人はその結末を悟り、底知れぬ恐れの感情が再び動き出した。

 

 それはあまりにも衝撃的で凄惨で、決してあってはならない事象。非は全面的に相手側にあるのだとしても、共に笑い合い生きてきた仲間が()を殺す現実というものは……。

 

「……ッ!! タマちゃ……!!!!」

「輪入道ォ!!!!」

 

 球子には、仲間達の声など決して届かない。やがて旋刃盤から噴き出した炎が爆発的に燃え上がる。ようやく引きずり回した敵を離した瞬間空中を旋回し……

 

「土居さん!!!! だめぇぇええええええッッ!!!!!!」

「お前もあんずの痛みを知りやがれぇぇえええええ!!!!!!!!」

 

 落下の勢いを加え、真上から彼女の身体を叩きつけた。凶悪に、獰猛に、160cm程の小さな身体を地面ごと押し潰すだけに留まらない。吹き荒れた炎が爆発するように辺り一帯を焼き焦がす巨大な火柱が天高く立ち昇り地面ごと周囲を焼き尽くした。

 

「………………暁美………さん……」

 

 それを見た三人は言葉を失ったままだったが、やがて歌野だけは力無く膝から地面に崩れ落ちた。

 

「…………」

 

 もう誰も何も言えない。静寂だけがその場を支配する中、ただ呆然とその光景を見つめているしかなかった。

 

 誰もがこの一撃をもって球子の復讐劇は幕を下ろしたのだと悟った。

 

 仲間が殺人を犯すという最悪の形で。

 

 

 

 

 

 その一言が発せられるまでは。

 

 

 

 

 

「満開」

 

 

 

 

 

 暁美ほむらの持つ力の底を知らぬが故に。

 

 

 

「……っ!?  なんだこいつは……?  何か様子がおかしい…」

 

 地面が震え流れが変わる。大気中を漂う空気が、神樹が齎す聖なる力の向きが、一ヶ所に集約するかのように感じ取り……

 

 次の瞬間、巨大な閃光が迸り、球子の意志で全身全霊の力を込めて抑えつけていた巨大旋刃盤が突然押し返され、吹き飛ばされた。

 

「なっ…!!?」

「えっ……!?」

 

 炎の渦までもが霧散し消滅する。それを発生させていた球子の輪入道を上回る膨大な力が、内側から一気に弾けた事によって。

 

 宙に映し出され、眩く輝く巨大な力はある形を象って具現化する。それは、白紫に輝く巨大な花。

 

「トケイソウの花……」

「あの姿は……!」

 

 勇者を包み込むように咲き誇る大輪の花。その中心に佇むのは、大きく、より神聖な装飾が加わり変異した勇者装束に身を包んだ暁美ほむらだった。

 

「耐えたってのかよ……!? 嘘だろ…オイ……!」

「球子さん!!」

「……!?」

 

 ゆっくりと翼を羽ばたかせ浮かぶその姿はかつて凶悪な怪物を葬り、歌野達を救った救世主の姿。

 

「逃げて!!!」

 

 しかし今となっては、その姿は彼女達に恐怖心と絶望を植え付けるものでしかないだろう。その力がかつて杏と友奈の攻撃を受け付けないバーテックスを一瞬で紙吹雪のように散らした……あの時の光景を鮮明に思い出させるから。

 

「バーテックスの殲滅は──」

 

 静かな憎悪を揺らす、常闇色に濁った瞳で勇者達を見下ろす視線は明確な敵意があるだけだった。その敵意が最初に向けられたのは先ほどの声に反応してか歌野の方……もとい、一ヶ所に固まっていた球子以外の四人の勇者。

 

「「「!?」」」

「後回しよ」

 

 散々好き放題やってくれた恨みを晴らすために、土居球子には先程以上の後悔と絶望を与えなければ気が済まない。

 関係性や詳細は定かではないが……そこにいる自分と同じ顔をした存在のせいで味わった不快感のお礼参りだってある。

 

 となれば、暁美ほむらの次の行動は一つしかないだろう……視線に宿るのもただ一つ、純粋な殺意のみなのだから。

 

 

 

「どこ見てやがんだお前ぇ!!!!」

「………」

 

 緊張に包まれる仲間達であったが、その状況を許さない球子は声を張り上げる。しかしそれは、危険に晒されようとする仲間達を想った意図で発せられた物ではない。

 

「お前の相手はタマだ!!!! こっちを無視してんじゃねぇ!!!!」

 

 気に食わなかっただけだ。杏を傷つけた敵に放った渾身の攻撃は防がれた。その上で自分の事をまるで眼中にないと言わんばかりに他の仲間達の方に意識を向けている事が。

 

「…………」

 

 球子の怒りの声に反応するように、暁美ほむらはゆらりと首を傾けると、 静かに、そして冷淡な目つきで球子を見下ろし、思案した。

 伊予島杏への爆撃はほむらを不愉快にさせた三人の勇者への制裁のためになされた物。自らの愚かさをより深く味わわせるために、無関係な他者へ危害を加えるという手段を用いたのだ。

 未だに喚き散らす土居球子に構う必要は無い。このまま残りの連中を葬る事が土居球子へのこれ以上無い罰に成りうる……だが……

 

 暁美ほむらにとって土居球子はこの上なく目障りで、耳障りで、邪魔で、鬱陶しいだけの存在である。

 

 故に……

 

 

 

 

 自分に殺意が向けられている……そう認識した時、球子の背筋にゾクッとした寒気が走った。

 だが退く訳にはいかない。絶対に許せない理由が球子の背中を押しているのだから。

 

 球子はその視線を受け、逸る感情を抑え込もうと睨み返そうとする……が

 

「…な…んだよ……おい……!? どうなってんだよ……!?」

 

 両者共に敵の視線とぶつかり合ったその時、球子は遅れながらも現実離れした事実に気が付いた。その得体の知れない現実に慄き青ざめ、彼女の足は無意識に一歩後退さる。

 

「なんで………!!」

 

 今の暁美ほむらを見て、平然といられる訳がなかった。球子は怒りを忘れ、あってはならない事態に混乱し、芽生えた恐怖を必死に押し隠すように叫んでしまう……。

 

 

 

「なんで……あいつは無傷なんだ!!?」

 

 

 顔面蒼白の球子が目にした暁美ほむらの顔に多少の土埃や煤で汚れ、地面に擦り付けられた痕が付着してはいても、肌に傷一つ負っていない姿。血の一滴すら滲んでいない。

 元から彼女の頬を覆っていたガーゼを除く、顔にも頭にも腕にも脚にも胴体にも、切傷、裂挫創、火傷、打撲傷、骨折……あらゆる外傷が存在していないのだ。暁美ほむらは球子が渾身の力で繰り出した輪入道の猛攻撃をその身に受けたはずなのに……。

 

「……土居球子……」

 

 そして暁美ほむらは、その問いに対して答える事もなく淡々と呟いた。

 

「これから居なくなるあなたが、知る必要のない事だわ」

 

 処刑宣告を。

 

「ッ!! 輪入道……ッ!!」

 

 危機を察知し、反射的に自らの力を奮わせる球子。それに呼応するかのように、地面に落ちていた巨大な旋刃盤は再び火炎を噴き出し出して飛翔する。

 

 それが暁美ほむらへと刃を回転させながら飛んでいく……事はなかった。

 

 暁美ほむらの淡く光る翼から、無数の粒子が左手に集う。それは彼女の背丈の近く倍長い、弓の形を形成していく。

 

 粒子が造りし弦を引き絞って放たれるのは、神樹の加護を受けた光の弓矢。それは恒星の如く輝きを樹海中に解き放ち……

 

「シューティング・スター」

 

 流星が飛ぶ。矢は宙を穿つ一条の閃光となり、瞬く間に球子の元へと到達した。

 それは一瞬の出来事。瞬きの間に音速を超え、大気を切り裂き、空間を歪ませ、全てを焼き尽くす光が、土居球子の身体を盾となった旋刃盤ごと吹き飛ばす。

 

「うわあああああああっっ!!!!」

 

 悲鳴を上げ、勢い良く吹き飛ばされてから地面の上を激しく転がる球子。やがて元居た場所から数百メートル後方の巨大な樹木に激突し、ようやく止まるも、打ち付け傷付いた頭からは真っ赤な血が流れだしていた。

 

「………は……? え……?」

 

 その表情には苦痛と困惑が入り交じり、現状を受け入れられないと言わんばかりに呆けている。

 

 輪入道の力を全力全開で防御していたはずだった。危機を察知し、巨大旋刃盤を球子の目の前に戻し、吹き荒れる炎で旋刃盤をコーティングし構え、暁美ほむらの攻撃の手を防ぐための強力な守りを展開したはずだった。

 だが……そんな事は関係無しとでも言うかの様に、暁美ほむらの放った一撃はそれを貫き、球子を遥か後方まで弾き飛ばした。

 派手に打ち付けた全身の痛みを感じる余裕は無かった。あるとすれば、自分の守りを無慈悲に崩す強力無比な攻撃を見せつけられた衝撃だけ。

 

(なんだよ……それ!!? 何だってんだよ!!!!)

 

 渾身の攻撃が効かない、渾身の守りが通じない、理不尽な強さを前にして、球子は戦慄する事しか出来なかった。

 

 

「………仕留め損ねた……」

 

 一方、暁美ほむらは遠くの樹木に背を預けて座り込む球子を見つめ、静かに呟いていた。

 先ほどの一撃で球子を殺すつもりでいた。しかし球子はしぶとく生き残ってしまった……その理由を彼女は力加減の誤りであると感じていた。

 

(……まだ、頭が重い……)

 

 先程より弱まってはいるものの、残っている気だるさのせいで力の集約が不十分だった。その結果球子の致命傷にはならず、半端に吹き飛ばす程度の威力しか出せない形となってしまったのだ。

 

「……チッ」

 

 ほむらは疼く頭を右手で抑えながらそう結論付けると、忌々しげに舌打ちをする。

 しかし、仕留めきれなかったのなら次の手を繰り出せば良いだけの話。

 

 弓を構えるだけに留まらない。再び翼から飛び出した光の粒子が集い、次は眼前に巨大な陣を描き出す。

 

「フィニトラ・フレティア」

 

 描かれたのは魔法陣を模した、エネルギーの増幅器。間髪入れずそこに光の矢を撃ち込むと、矢は魔法陣の内部で更に膨張していき、眩い光を放ちだす。

 

 そしてその光は、魔法陣全体から無数に分裂した光線となって土居球子に降り注がれた。

 

 

「っっ!!」

 

 血で滲む視界の中、土居球子は自らに殺到する無数のレーザービームを見て息を飲む。

 

(やばい……死ぬ……殺される……!!!)

 

 本能が激しく警鐘を鳴らす。このままでは間違いなく自分は跡形も無く消し去られるだろう。

 

「…ふざ…っ…けんなよ……」

 

 その少し先の未来を想像し、恐れ……

 

 

 

「ふざっっけんなよ!!!!!!」

 

 為す術なく死にかけている自分に、暁美ほむらに恐怖している自分に、腹が立ち、球子の感情は再び怒りへと傾く事となる。

 

 暁美ほむらは無傷だった。殺意を以て杏に大きく醜い焼き痕を刻んだ。

 そんな存在がどうして平然としていられる? どうして今度は自分がそいつに殺されようとしている?

 

 どうして自分は、最愛の妹の仇を討てずにいる?

 

 認められる訳がない。こんな所で、なにも成し遂げられないまま終わって良いわけがない。そんな想いを抱き、土居球子は叫ぶ。声を振り絞り、自らの魂を奮わせる。

 

 震えはもう無い……最初と同じ身を焦がす怒りだけが、土居球子を突き動かす。

 

「来い!! 輪入道!!!!」

 

 その声に応え、激しい炎を噴き出しながら飛び出す巨大旋刃盤。それは球子の方へと猛スピードで飛翔し、彼女の目の前を通過する瞬間、彼女はその刃を握り締めた。旋刃盤は飛翔を止めず、彼女を運んで矢の雨が降り注ぐその場から離脱した。

 

「………っ!!? ~~~~~ッッ!!!!」

 

 鋭利な刃は球子の手を裂き、血飛沫を撒き散らすも些細な問題である……避ける間際、無数の矢の内の一本が彼女の左足を貫いた痛みも同様だった……。

 

(バカ野郎……この程度の痛み……!! あんずの痛みと比べりゃ屁みたいなもんだ!!!!)

 

 力を振り絞り、彼女は旋刃盤の上に飛び乗った。掴まってぶら下がったままでは見て対処することが難しい……未だに止む兆しを見せない攻撃をどうにかするために。

 

「……鬱陶しい……本当に害虫みたいにしぶといわね……」

 

 ほむらは球子が逃げていくのを見ながら悪態をつくも、追撃の手を弛めない。絶えず光の矢は飛び回る旋刃盤ごと球子を狙う。

 

「ぐっ……! うぅぅ……!!」

 

 狙いは的確に……旋刃盤には幾つもの矢が突き刺さる。炎など何の役割を果たせず突き抜けて……

 それでも上に乗っている球子には現状左足以外に当たっていない。飛翔する旋刃盤を傾けて、しがみつき、裏面を襲い来る矢の盾にしている。

 

 辛うじて防ぐことが出来ている。だが、球子には逃げたり身を守る為に飛び回ってなどいない。

 

 逆だった。旋回しながら球子は距離を詰めている。ほむらの元へ、一直線に。

(タマの攻撃が効かなかったってんなら……効くまでやってやらぁ!!!!)

 

 単純明快。攻撃を喰らわせ敵を討つ……その為に球子は暁美ほむらに向かって駆け出しているのだ。

 

 速く、熱く、強く……通用しなかった先程を上回る力で……

 

 ブーストが掛かり旋刃盤が加速していく。

 

「うおぉおおおおおおおおおお!!!!」

 

 やがてほむらの放つ光の矢の雨を掻い潜り、球子は暁美ほむらの目前にまで迫る。

 

「!」

 

 炎を纏う旋刃盤の全力全開の突撃が、

 

 

 暁美ほむらを覆う、淡く輝く障壁に直撃した。

 

「……バリ…アー……だと……?」

「ええ」

 

 回転する刃と炎がぶつかり歪な音を立てるも、微動だにしない。傷も、痕も付かない強固な光のバリア。

 奥の手である精霊の攻撃を寄せ付けない正体を、暁美ほむらは事も無げに明かす。

 

「私への攻撃は全て無意味なのよ」

 

 暁美ほむらの翼の形が崩れ動き、旋刃盤に絡みつく。完全に動きを封じた状態で彼女は弓を球子に構えた。

 

「お前の存在と同じで」

 

 暁美ほむらは冷静に、冷酷に、無慈悲に弦を弾く。光が集い、球子の心臓を貫く閃光が……

 

 

 

 

 

 遡ること、十数秒前……

 

 

 

「ホムちゃん……歌野ちゃん………アンちゃんをお願い」

 

 樹海から、桜色の光が飛び立っていた。

 

 

「タマちゃんを……守るんだ!!」

 

 

 

 

 

 

「来い!! 一目連!!!!」

 

「!」

 

 暁美ほむらの頭上から、雷鳴のように轟く叫び声。嵐のように吹き荒れる猛風と共に舞い降りたのは……

 

 

 

「勇者ぁ……パァァアアーーーンチ!!!!!!」

 

 

 竜の如く叩き込まれる怒涛の拳が、旋刃盤を捕らえる不定形の光の翼を打ち抜いた。

 




 最後に満開したのが2年前の6月ってうっそだぁ~!


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第七十三話 「邪魔」

 空から暴風を纏い急降下する勇者。ただ一つの信念だけを瞳に宿し、友の為に拳を放つ少女の名は高嶋友奈。

 

「!」

 

 その姿と、ただずっと真っ直ぐな決意を宿した眼差しが、暁美ほむらの脳裏に映し出される友の姿と重なった。

 

(友…奈……)

 

 それは一瞬の気の弛みを生む。本来ならば不可能に近い、彼女の力で満開という強大な力を穿つ事を可能にする弛みを。

 

(じゃない、しまった…!)

 

「勇者ぁ……パァァアアーーーンチ!!!!!!」

 

 最初の一撃が炸裂したのは強固な障壁の外にある翼。足を負傷している球子を乗せた旋刃盤を解放するため、友奈が狙うのはその一点のみ。

 

「はあああああああああああああああ!!!!」

 

 右手が殴り抜けるのと同時に、左手も叩きつけ連打。連打連打連打。連打連打連打連打連打……

 

ドガガガガガガガガガガガガガガッッ!!!!

「…っ!」

(速い…っ!)

 

 人間の網膜に残像が残る時間は0.1秒前後とされる。この僅かな時間の中で暁美ほむらに見えた高嶋友奈の腕の残像の数、実に10本。

 

 時速にしておよそ400km。目にも留まらぬスピードと、鋼鉄をも砕く破壊力。息もつかせぬラッシュがぶつかる度に激しい猛風が巻き起こる。いくら満開という未来の力を有するほむらでもこの衝撃と猛風は無視できず、邪魔な友奈を振り落とせずにいた。

 ほむらの翼は無数の光のエネルギーが集い重なりあったもの。友奈の拳を受け続けた光の翼は不意を突かれた上、竜巻並みの威力を誇る衝撃により粒子の結合は崩壊を見せる。

 

「千…回…だぁああーーー!!!!」

 

 神風 一目連。暴風の象徴たる神の名を冠した精霊の力は、旋刃盤を拘束していた光の翼を貫き、真っ二つに弾き飛ばした。

 

「よしっ!!」

「ゆ、友奈っ…!?」

「この…偽物が…!!」

 

 しかし、貫かれたのは片方の翼だけ。本体へのダメージは無い。

 

「邪魔よ!!」

 

 ほむらは動揺を怒りに変え、もう片方の翼を振り払い友奈を、そして球子を旋刃盤ごと、二人を別々の方向に弾き飛ばす。

 

「うわっ!?」

「くっ…! タマちゃん!!」

「消えろ!! 暑苦しいだけの無能勇者!!」

 

 吹き飛ばされた球子へと間髪入れずに光矢を射るほむら。それは速攻故に、光が凝縮された形は歪。先程の旋刃盤の防御ごと球子を吹き飛ばした一撃よりも不安定だ。

 だがその不安定さが矢を形成するエネルギーの形を波状に変え、当たり判定を広げていた。ダメージを負い、弾き飛ばされて体勢と旋刃盤の角度を戻せていない今の球子には今度こそ防ぎようがない。確実に命ごと消し飛ばす閃光だった。

 

「させる…かぁあああーーーーーっ!!!!」

 

 勇者は不屈。その言葉を表すように友奈は諦める事無く、弾き飛ばされた先の樹木を一目連の力を全開に蹴って球子に向かって飛び出した。

 

「やめ…!? 来るな!!」

「──ッ!!? 馬鹿がッ!!!!

 

 光の矢が球子の身体を消し飛ばす……直前に友奈は追いついた。友奈は勢いを殺さずそのまま球子を腕に絡める。その動作で視界の端に見えた物は、二人を飲み込まんとする破滅の閃光。

 

「っ!!」

 

 矢の到達間際。破滅が訪れようとする者は球子と、外から割り込んでいた友奈の二人。背を向けていては友奈に防御なんて出来やしない。球子を守ろうと無謀な行動を起こしたばかりに、却って犠牲者が増える現実が。

 

「だあああああああああああああぁッッ!!!!」

 

 諦めない。最後まで。友奈は即座に旋刃盤を全身全霊で蹴って、その反動で緊急離脱。変身によって長く伸びた赤い総髪が光に触れ、蒸発。それでも友奈の身体には紙一重で当たらず、光の射線上から外れていく。勿論球子と共に。

 

ゴォオォオ!!!!

「…………………………」

 

 刹那、乗り捨てられた旋刃盤を波状のエネルギーが飲み込んだ。光のエネルギーは旋刃盤ごと空の彼方へ……。暁美ほむらは先程までの激情を忘れ、ただただ茫然とその光が霧散し中からボロボロになった旋刃盤が落ちていくのを眺めていた。

 

「がっ…!」

「うっ…!」

 

 着地を考慮していない急降下で背中から叩きつけられるように地面に墜落する友奈。球子を前に抱きしめるように庇ったからか、彼女は無事だ。友奈も勇者装束を身に纏っているため重傷ではない。

 息を切らしながらも、激突した痛みこそ強くても、二人とも生きていれば友奈にとってそれらは苦ではない。

 

「はあっ……! はあ……! よかった……間に合った……」

「ゆ、友奈……お前……」

 

 痛みよりも喜びが勝る……だからこそ、友奈にとっては完全に予想外だった。

 

「タマちゃん……っ!?」

 

 球子が突如として身を翻すと、安堵していた友奈の胸ぐらを掴んで強引に持ち上げたのは……。

 

「馬鹿野郎…ッ!! 邪魔すんなって言ったろ!! あぁッ!!?」

 

 球子の口から出たのは友奈に対する非難の言葉。

 

「なんで来たんだよ!! お前まで死にかけやがって……ふざけんじゃねーぞ!!!!」

「……うん、今のは本当に危なかった……でも──」

「これはタマのケジメだ……! ! タマが気を抜いちまったせいであんずがやられた……!! 守ってやるって何度も、何度も何度も何度もあんずにそう言った!!! 必ず守るって約束したのにそいつを破っちまったんだぞ!!?」

 

 友奈の言葉は球子の耳には届いていなかった。一言も……。

 自分の命が危機に瀕していたと言えども、球子にとってこの現状は誰であろうとも決して譲れないものだったのに。球子一人の怒りと妹を想う姉として、相討ちに成ろうとも仇を討つと義憤に燃えていた所に水を注されて……。

 

「そのケジメは自分でつけなきゃ……あんずが報われないだろうが!!!!」

 

 血にまみれた幽鬼の形相で球子はまくし立てながら叫ぶように言い放つ。穴が開いた左足から噴き出す血も痛みも、我も忘れていた。ただし怒りと、自分の不甲斐なさから溢れ出る涙だけは別だった。

 

「あいつは……タマの敵だ!! わかったらどっか行けぇッ!!!!」

 

 勇者の使命も、友奈の想いも関係ない。そんなものはどうだっていい。

 たった一人の大切な妹のためと称した自分の復讐心を満たすためだけに、球子は友奈を遠ざけようとした。

 

 そして、友奈の存在を忌々しく感じている者がもう一人……。

 

「……ええ、その通りよ」

「ッ!! 暁美ィ!!!!」

 

 暁美ほむら。並々ならぬ憎悪を滲ませた声音で呟く彼女は、想定外の友奈の乱入に激しく憤りを募らせていた。

 球子の始末を邪魔されたから……そんな問題は些細だ。どうせすぐに殺す機会はすぐに戻ってくる……。

 

 ほむらが最も気に入らない問題……それは単純に、邪魔だからだ。

 

「高嶋友奈……今すぐここから立ち去って、バーテックスの相手をするのなら見逃してあげる」

「……えっ?」

「そこの死に損ないと一緒にここで終わるのは、あなたにとっても不本意でしょう?」

「…………?」

「……飲み込みが悪いのね。とっととここから失せろと言ってるの。邪魔なのよ」

 

 友奈には彼女の言葉の意味を理解しかねている。これまで周りが悲しむ事を尽くし、今現在杏と球子の命を奪おうとしておきながら自分の事は逃がしてもいいなどと……。

 

「………どうして……?」

 

 だが、球子はそのような疑問を抱くことは無い。

 

「……死に損ない……だぁ……!? タマが終わったって決めつけんじゃねぇぞ!!!」

 

 ほむらの発する言葉一つ一つが球子の怒りを逆撫でしている。危機的な状況が続こうとも、球子の憎しみは彼女を討つまで終わらない。

 

 頭の傷から血が流れ出し、一歩前に踏み込むごとに左足の穴から血が溢れる。それでもなお、憎しみに満ちた球子の瞳は暁美ほむらだけを睨みつけ、その身を動かす。

 

「タマちゃん、もうやめて!!」

「戻れ、輪入道!!」

 

 友奈の制止を無視し、再度精霊の力を起動……遠くに飛ばされた旋刃盤を自分の元に呼び戻そうとし……

 

 

「…………で?」

「………は……?」

 

 しかし、何も起こらなかった。どれだけ強く念じても、球子はその思念が旋刃盤に伝わる手応えがまるで無い事に気づく。

 そんな中で聞こえた暁美ほむらの感情の込もっていない淡白な一言は球子を困惑の渦に叩き落とすのに十分すぎた。

 

「……おい、戻れ……戻ってこい、輪入道!!」

「………」

「なんとか応えろよ、輪入道!!!」

 

 暁美ほむらの攻撃でいくら遠くに飛ばされたのだとしても、反応が皆無だなんて有り得ない。球子は今なお精霊の力を解放したままであり、消えていないというのに……旋刃盤が……。

 

 焦燥感に駆られ、力任せに何度も何度も叫ぶ球子だったが、そこで声が聞こえた。

 

 

 

「壊れたんじゃない、あなたの武器?」

「…………え?」

「壊れ…た…って……タマちゃんの神器が……?」

 

 

 

 残酷な現実が。

 

「アレが切り札みたいだけど、満開した私の攻撃をあなた達程度の貧弱性能の力で全部防ぎきれるわけがないじゃない。ボロボロのゴミ屑が落ちていくのが見えたわ」

 

 事実ほむらが最初に放った流星の如く巨大な一撃で旋刃盤の刃は過半数が折れて、砕け、欠けていた。表面上にもその時点では大きくないにしろ亀裂が入っており、そこからさらに光矢の連射を受けた事で更に破損。最終的に光の奔流に飲み込まれて、この場から遠く離れた地点に落下した時には……もはや、鉄屑と化してしまっていた。

 

 精霊が宿る器が壊された……結果そこに精霊輪入道は力を介せない。球子と神器だった鉄屑の間に、力の繋がりは存在しない。

 

「理解できた? 死に損ないの土居球子」

「……くそ……くそ…くそ、くそ、くそぉおおお!!!!!」

「……理解できたのなら」

「うあああぁあぁあぁあぁッッッ!!!!」

「ここで死ね」

 

 暁美ほむらの言葉を受け、球子が爆発した。怒り狂い叫び散らしながら、武器を失ってもなお血走った目でほむらに殴りかかろうとする。だが、それが届くことはない。

 

「うっ…!?」

「逃げるよ、タマちゃん!!!」

「……そいつも連れて行っていいとは言ってないのだけど?」

 

 後ろから友奈が抱きしめるようにして球子の動きを封じたからだ。そのまま即座に球子を肩にからう様に担ぐと、勇者装束の身体能力の高さを活かして全速力でその場から離脱する。入り組んだ樹木の海の中に飛び込み、姿を隠しながら暁美ほむらから距離を取る。

 

「……まぁ、当然そうなるわよね……」

 

 球子を抱えながら逃げ去る友奈を見て、ほむらは小さく溜息をついた。その背中を弓で狙うこともせず、姿が見えなくなっても追うことはしない。

 

「面倒な事を……高嶋友奈……」

 

 ただし逆に、弓の結合を解除し折れた翼に粒子を戻す。ほむらにとっては面倒で不本意極まりないが、もうこれから先弓を使うつもりはない。感じたばかりの激しい動揺が、この状況で弓を使うことを躊躇わせた。

 

 やがて彼女はゆっくりと息を吸い込み、そして吐く。心を落ち着かせ、今なお過る失敗のフラッシュバックを払拭するために。

 

「郡千景の時と同じ様に逃げられると思わないことね」

 

 ほむらは球子を消すことを諦めてなどいない。折られた翼も所詮は武器となる光の集合体というだけで、飛行能力その物は満開の力がほむらの身に与える付属の加護でしかない。

 数十秒掛けて気を静め、冷静さを取り戻したほむらは、球子を仕留めるために彼女達が入り込んだ樹海の中に飛び込んで行く。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 場面は変わり、友奈の突入で暁美ほむらの注意が逸れた隙に、ほむらは杏を背負いその場から飛び出していた。そして大量の樹木と蔓によって入り組むように生成されている樹海の中へ飛び込み、尚且つ死角となる樹木の陰に身を潜める。

 

(……ここなら……探して攻撃して来ない限り危険は無いはず……!)

「……う……ぅ……」

「伊予島さん……! しっかり……!」

「…ぁっ…い……いた…い……よ……」

「くっ…!!」

 

 杏の体を地面に下ろし、ほむらは彼女の状態を確認する。朦朧とした意識の中で、顔と腕を焼かれた痛みで苦悶の表情を浮かべる杏。そんな彼女の姿を見て、ほむらは涙を滲ませ唇を噛んで悔やみながらも、今すべき事だけを考える……だが。

 

「どうすれば………水が無い……!」

 

 丸亀城で受けた応急措置の座学で火傷の処置方法は習っている。

 平たく言えば、流水で冷やす。あくまでも応急措置だが、何もしないよりは遥かにマシである。

 しかし、ここは神樹の結界に覆われた樹木の世界。自分達以外全ての時間が止まり、そこに存在する水というのは海……海水だけ。綺麗な流水なんてものは辺りに存在しない。

 

(落ち着け……考えろ……考えろ……! じゃないと伊予島さんが……!)

 

 必死に思考を回転させる。もしかしたら樹木に覆われていない川もあるかもしれないが、見つけられる可能性は極めて低いだろう。

 それを探し当てるまでに時間を掛ければそれだけ杏の苦痛が増すことになる。連れ回して探すことも今の杏を思えば不可能だ。

 

 だからといって、このままでは確実に手遅れになる。焦りが募り、判断力が低下していく。その最中……

 

「ほむらさん!!」

「っ! 白鳥…さん……」

「ソーリー…マップが無いから二人を見失っちゃって……遅くなっちゃって……」

 

 現れた白鳥歌野の声に、今にもほむらは泣きそうな顔を向けた。

 歌野はほむらの顔を見て彼女の心境を察する。だがそれに対し言い及ぶ事無く、歌野は即座に行動を起こした。

 

「これ! 杏さんに使って!」

「えっ…! とぉわあっ!!」

 

 歌野が手にしていた大きな袋をほむらに放り投げるように渡す。予期せぬ行動から咄嗟に受け止めようとするも、受け止めたほむらは袋の見た目以上に及ぶ想定外の重量に体制を崩しかけた。

 

 先のやり取りにて蕎麦が取り出されていたそれは、樹海化する事を知らないが為に偶然歌野が樹海に持ち込む事になった、彼女が別の目的で集めていた物資。

 

「重ぉっ……!? こ、これ40キロ近くありません!?」

「勇者のパワーなら持ちきれなくはないでしょ!」

「で、ですけど……この中身一体何が詰め込まれて…………っ!!」

 

 中身を確認して、ほむらは驚愕に目を開く。そこには先程目にした大きな蕎麦の箱の他にも……

 

 雑に詰め込まれたTシャツとジャージの下には茄子や南瓜などの野菜類、海苔、葱、山葵といった薬味と麺汁……天然水が詰まった、5リットルサイズのペットボトルがなんと6本。

 

「な、何この量…!? 蕎麦の材料にしたって多過ぎるけど……」

「今はそんな事どうでもいいから! 杏さんのケアにウォーターが必要だと思って回収してきたの!!」

「白鳥さん!」

 

 一人遅れてしまった理由は、戦場から離脱する前から杏を助ける方法が自分の持ってきた水にしかないと気付いていたから。歌野の頼もしい事この上ないフォローに、ほむらは感謝してもしきれない思いを抱く。

 

 だが今は、疑問や礼を言うよりも先にしなければならないことがある。ペットボトルの蓋を開け、ほむらはTシャツを濡らして傷を冷やす。

 

「頑張って……! 今助けるから……絶対助けるからね……!!」

 

 ペットボトルの水とタオル代わりのTシャツ。使える物が限られる中、ほむらは懸命に手を動かし続ける。ほんの僅かだとしても苦痛が和らぐためならばと、彼女は杏の身を心の底から案じながら励まし続ける。

 

「…………」

 

 杏と真剣な様子のほむらを側で見守っている歌野だったが、意を決したように立ち上がると彼女達の側から離れて背中を向けた。

 

「ほむらさん、杏さんをお願い」

「えっ?」

「杏さんの事は心配だけど……私には、他にやるべき事があるから」

 

 歌野はここに向かう途中で目撃した物があった。それを放ってはおけない……ほむらなら安心して杏を任せられる。そう信じたからこそ、歌野はそちらを優先すると決めた。

 

「バーテックスの群がこっちに来てる。あれは私が相手をするわ」

 

 ほむらは目を丸くして驚く。だが歌野の言う通り、樹海の中には既に数十もの星屑の群れが入り込んでいた。

 敵は自分達ではなく神樹を狙っている。自分達がこのまま隠れていれば世界が滅ぶ事は事実ではあるのだが……。

 

「白鳥さん一人でだなんて……大丈夫なんですか……?」

 

 危険の一言に尽きる。せめてもう一人は戦力が欲しい所ではあるが、自分はとてもじゃないが手を放せない。この場にいない残りの勇者も自分達以上にそれどころではない状況。必然的に歌野一人しかいない事実に突き当たり、ほむらはそれ以上何も言えなかった。

 

「ちょっとちょっとー、忘れたの? 元々私、諏訪では一人でバーテックスとやり合ってたのよ?」

「………」

「大体今行けそうな勇者なんて私しかいないし……それに……」

 

 言葉を区切り、振り返った歌野。それを見たほむらは彼女に対して初めて、気圧される形で息を飲んでしまう。

 

 

 

 

「……このとってもアングリーな気持ち……あいつらに全部まとめてぶつけてやらないと気が済みそうにないの……!!」

 

 

 

 

 彼女の表情は、今まで見た事も無いほどに……怒っていた。普段明るく元気で、誰に対しても分け隔てなく接する彼女から溢れこぼれだした、激しい憤り……。

 

 直後に歌野は飛び出していった。樹海の木々の間を縫うようにして駆け抜け、あっという間に進軍するバーテックス、星屑の前に立ち塞がる。

 星屑は前方に現れた歌野の存在に気付くと、一斉に彼女に襲い掛かる。

 

「お前達が来なければ……」

 

 だが歌野は焦る事無く、大きく跳躍してその突進を飛び越える。そのまま空中で体を捻って体勢を整え、着地すると同時に握る鞭を振り回し、最後尾にいた星屑の一体を一瞬の内に真っ二つに裂く。そしてそのまま次の獲物へと振るい、白きその体を木っ端微塵に弾き飛ばす。

 

「こんな事にはならなかったのに……!」

 

 既に方向転換した星屑は歌野への攻撃を再開しようとするも、彼女はそれよりも早く新たな星屑を打ち抜いていく。

 怒りに身を委ねながらもその動きは一切鈍らず、歌野は瞬く間に周囲の敵を殲滅していく。

 

「返してよ……」

 

 静かな、だがそれでいて煮え滾った力強い怒りの言葉と共に、歌野の鞭は次々と敵を討つ。真っ直ぐ群の中に飛び込み、単身一人で縦横無尽に暴れ回る。

 

「返しなさいよ!!!」

 

 歌野の中に恐怖なんて物はない。有るのは激しい怒りと、それを上回る深い悲しみ……。

 過去の思い出が蘇っていた。かつて自らの全てを救ってくれた友が見せてくれた笑みが、瞼の裏に浮かんでは消えていく。その次に映し出される物は、その人物が仲間の血を浴び、闇に堕ちた姿。

 

「私にホープを取り戻してくれた友達を返しなさいよ!!!!」

 

 歌野は叫ぶ。身を焦がす感情を全て吐き出すように、力の限りに……。

 

「ファアアーーーッック!!!!」

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 あんな思いをするのは、もう二度と嫌だった。

 

 ───イヤァアアアアアアアアアアアア!!!! ぐんちゃん!!!! ぐんちゃん!!!!

 

 目に焼き付いて離れない、千切れ飛んだぐんちゃんの右腕、爆発して跡形もなく消えていくぐんちゃん。首を切られて、私の目の前に転がったぐんちゃんの頭……。

 

 精霊の力で出来たぐんちゃんの分身の……だったけど、だからってあの時感じた恐怖と絶望感はこれっぽっちも軽くならない。本当に胸が苦しくて、息ができなくなる……。

 

 ───があああああああああぁぁッッ!!!! よくも……!! よくもぉおお!!!!

 

 あの日の病院での出来事だってそう……。あんなに怖いぐんちゃんなんて見たくなかった……あんなに可哀想なぐんちゃんなんて、絶対に見たくはなかったんだよ……!

 

 

 ……もう、嫌なんだよ……

 

「ふざけんなよ友奈ァ!!!!」

 

 背中側からタマちゃんの怒鳴り声。それと一緒に、私の肩にぶら下がったままのタマちゃんに背中を思いっきり叩かれた。

 少しだけ前につんのめってしまう。でも私はタマちゃんを離さなかった。咄嗟だったから、体勢も変わらず、タマちゃんをまるで米俵をからう形のまま。

 

「タマの邪魔をしてそんなに楽しいか!!? あんずの敵討ちの邪魔をして嬉しいか!!?」

「……ッ!」

 

 また背中を強く叩かれる。痛い。だけど、それでも……私の足は止まらない。

 

「……このままじゃ…タマちゃんが殺されちゃう……それにもう、神器が無いんだもん……」

「関係あるか!!! 旋刃盤が無くたって、死んだって……!! あいつをぶちのめせるなら関係無いんだよ!!!!」

「どうやって…やるつもりなの……?」

「どうもこうももない!!!! やらなきゃいけないんだ……やるっつったんだからやるんだよ!!!!」

「……駄目だよ…置いていけない」

「友奈ぁあああああああ!!!!!」

 

 背中に何度も衝撃が走る。ドン!ドン!って、タマちゃんの握り拳が強く背中にぶつけられる。

 身体はあまり痛くなかった。前に読んだ漫画で背中の衝撃に対する耐久力は正面の7倍もあるってのもあったし、すぐに慣れた。何よりも一目連のおかげで普通に防御力も上がっているのが大きかった。

 

 一方的に痛いのは心の方。こればかりはどんなに守りを固めても、スルリとすり抜けて刺してくる。とても辛い痛み……とても悲しい痛み。泣き叫びたくて仕方のない、絶望的な感覚。

 だけど、それらはとてもであって、一番ではない。一番辛いのも、一番悲しいのも、本当の絶望感がやってくるのは……そう……。

 

 ───離して……!! そいつを殺せない!!!!

「離せ!! あいつを殺せないだろうが!!!!」

「…………!!」

 ───離せえええええ!!!!

「離せえええええ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカァアアアアアアアアアアアッッ!!!!!!!!!」

「っ!!?」

 

 もう、二度とあってはいけないんだよ。

 

「死んでもいいとか!! 殺してやるとか!! さっきからずっとふざけたことばっかり言って何なの!!? 人の命なんだよ!!? 捨てて、奪って、正しい事なんだって決め付けて……そんなの全然いいわけないでしょ!!!!?」

「あいつは…っ! いいや、人間だなんて思うな!!! あの悪魔は」

「そんな事を言ってるんじゃない!!!!」

「っ……!」

 

 私の言葉に、タマちゃんは息を飲んで黙ってしまった。自分でもビックリするぐらい大きく響く声、それはきっと私の胸の奥底、魂からの叫びって言われるものだと思う。

 

「タマちゃんの事を言ってるの!!!! タマちゃんが捨てたがってる命が!心が!!誰にとって大切な物なのかを考えてよ!!!!」

 

 バーテックスの襲来で私は故郷を失った。両親と離れ離れになった。でも、心の底から大切だと思える友達ができた。3年間一緒に笑い合い、励まし合い、時には些細な言い争いをして、仲直り。こんな残酷な世界でも頑張ることができたのはみんながいてくれたから……。

 それが欠けてしまうなんて…………だめだ……少し考えてしまっただけでも涙が出てきた。

 

「みんながタマちゃんの事が大好きなんだよ……みんなが、明るくて元気いっぱいなタマちゃんの存在に、いつも救われているんだよ……」

「………」

「……嫌だよ……! タマちゃんがいなくなるのも……今までのタマちゃんじゃなくなってしまうのも……!!」

 

 今のままじゃ、誰も心から笑えなくなる……二度と元には戻らない……そんな手後れにはさせない……!!

 

「私達の世界には、これからもずっとずっとずっとずっと……!! タマちゃんが必要なの!! みんなが笑って過ごせてる世界は、タマちゃんがいなきゃダメなの!!!!」

 

 私が、絶対に!!

 

 息を切らした私の荒い呼吸だけが、私とタマちゃんの耳に届く。一瞬の沈黙の後、背中に何かが押しつけられた。握り拳よりかは大きくて、少し柔らかい……タマちゃんが顔を押し付けてきたんだと分かった。

 

「……くやし…かったんだ……」

「………うん」

 

 小さな嗚咽。私の背中に顔を埋めながら、その身体を震わせていた。

やがて、私の服を掴む手に力がこもっていく。そして絞り出すような声で呟いた。

 

「タマだって……ワケがわかんなかったんだぁ……! ひっぐ…うぅううううう……!!」

 

 タマちゃんの目から溢れ出した雫が、私の背中を濡らしていく。本当は誰よりも辛くて、苦しくて、どうしようもなくて……。

 そうなって当然だった……だってタマちゃんは、アンちゃんのお姉さんなんだから……。

 

「……ごめん……ごめんよ、ゆうなぁ……!」

「……大丈夫。わかってるから」

「…あん…ず………あんずぅぅうう……!! うわぁぁあああああぁああ……」

 

 タマちゃんは私の背中でむせび泣く。何度もアンちゃんの名前を呼んで、後悔の念を口にしながら。

 

「ぁぁああ……あ……」

「……っ、タマちゃん……?」

 

 徐々にその声は小さく、消えていく。その直後タマちゃんの姿が淡く光ると、タマちゃんの羽織っていた白い装束と首回りにある大きな輪っかが消えてなくなっていった。

 タマちゃんは意識を失っていた。それで精霊の力が解除されたんだろう……。

 

 そもそも、タマちゃんの怪我は大きい。頭も足も血でべったりだし、やっぱりあのまま向かって行っていたらと思うと……。

 

 ……でも、もう大丈夫……。うまく撒けたのか、あの子がここまで追いついては……

 

 

 

 

ビュンッッ!!!

「!!?」

 

 一瞬だった。風を切る轟音が聞こえ、反射的に後ろを振り返る。その瞬間、真っ白に光り輝く影が……ジェット機をも超える猛スピードで私のすぐ隣を通り、背後で停止する。

 

 

「…………」

(嘘……!?)

 

 

 そこにいるのは無表情で佇んでいるあの子。僅かに身体を捻り、私が折った方とは逆の翼を傾けて、それを眠ったままのタマちゃん目掛けて叩きつけようとしていた。

 

「ッッ!!!」

 

 脳みそが理解するよりも早く、私の身体はもう一度反転しタマちゃんを攻撃の軌道上からどかす。それと同時に、私の身にその翼が叩きつけられた。

 

「がああっっ!!!」

 

 とても翼とは思えない、堅くて熱い、強烈な殴打。私の身体はタマちゃん諸共吹き飛ばされ、地面に激突しようとしていた。

 

「くっ…! ううぅぅぅ……!!」

 

 痛みが襲い、激突が迫る中、それでもタマちゃんだけはと空中で回転し、なんとか両足で着地する。

 その状態で上を見上げると、その冷たい眼差しと交差する。宙に浮かび、私達を見下ろす……みんなが悪魔と呼んだ姿のままで。

 

「……庇うのは想定内だけど、大人しく倒されてほしいものね」

「……どうしてもタマちゃんを殺すつもりなの?」

「ええ。どうせ生かしておけば今後も逆らうに決まってる」

「……そうしないよう、私から言っておくから……もう誰も約束は破らないって誓うから……だから!」

「戯けないで。お前達の命乞いなんて何の価値もない」

 

 私の言葉を遮って冷たく言い放つ。無慈悲にも鋭い殺意を、私達に飛ばしてくる。

 

「郡千景の時と同じようになるとは思わない事ね……今度は逃がさない。土居球子は確実に仕留める」

「……っ!」

 

 思い返す……あの日の病院での惨状……。みんなが……ぐんちゃんが流した涙……。

 みんなが打ちひしがれた、絶望……そんなの……!

 

「……逆だよ」

「逆?」

 

 タマちゃんをゆっくりと地面に下ろす。このまま抱えたままじゃ危険すぎる……。そして横たわるタマちゃんの前に立ち、拳を構え前を見据える。

 

 もうあんな悲劇は繰り返させない。戦って守って、みんな無事にこの局面を乗り越える。

 

「絶対に……ぐんちゃんの時と同じような事にさせてたまるもんか!!!!」



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第七十四話 「落下」

「絶対に……ぐんちゃんの時と同じような事にさせてたまるもんか!!!!」

 

 叫ぶように私は自分の決意をぶつけた。タマちゃんを殺させるわけにはいかない。タマちゃんが死ぬなんて絶対に許せない。

 誰かが悲しむ未来なんて絶対に認めない。握り締めた拳に力を込め、前方の空中を浮いている彼女に向かって飛び掛かった。

 

「だああぁぁぁぁぁああ!!」

「ふん……」

 

 一目連の力を宿した渾身の右ストレート。一直線に飛んでくる私を、彼女は涼しい顔で真上へ飛んで避ける。

 そのまま私は通り過ぎてしまう……すると向こうにタマちゃんに攻撃するチャンスを渡してしまうことになる。

 

「まだまだぁっ!!」

 

 勇者パンチをかわされた瞬間、空中で一回転して直線上にある大きな樹木を一目連の猛風を纏わせた両足で蹴る。間髪入れずもう一度、今度は後ろからもっとスピードを上げて追撃する。

 

「もう一発! 勇者ぁ……!」

「……後ろからの攻撃をわざわざ宣言するような馬鹿正直さとか……なんでこう……本当に」

「パァーーーンチ!!!」

「気に入らない!!」

 

 私の一撃をまるで待ち構えていたかのように、その背中の翼が守るように閉じられる。

 

「くっ……!」

 

 私の拳が翼に当たってもビクともしない……。

 

「さっきはいけたのに……堅…い…!」

「言ったはずよ。あなた達程度の貧弱性能の力でどうこうできる話じゃ…ない!」

 

 その翼が開き、私の身体ごとパンチを弾いた。腕は外側に大きく開いてしまって、そのせいで体勢が崩され構えが解ける。

 

 その一瞬の隙を晒す中、目の前ではその体が鮮やかに、後ろの縦方向に鮮やかかつスピーディー回転する。背中側にいる私の頭上から彼女の足が、オーバーヘッドキックの形で襲いかかってくる。

 その足にはぼんやりと白い光が纏われている。さっきまで彼女が持っていた弓と同じ……翼から溢れ出ているとてつもなく大きな力が付与された………っ!

 

「ぐっ……! あぁっ!!?」

 

 なんとかもう片方の手でガードしようとするけど……その威力はとても蹴りとは思えないほど強力で、重い。ガードした腕ごと身体を吹き飛ばされて、激しく地面に叩きつけられる。

 

「きゃぁああ!!!」

 

 地面が凹み、亀裂が走る。激しく巻き上がる土埃の中、全身を鈍い痛みが襲う……。

 圧倒的な力……一目連の力が全く歯に立たない、非情な現実……。頭の中ではどうすればいいんだって、鈍痛と不安が過る以外無い……。

 

「うぅ……!!」

「土居球子は」

 

 だけどその言葉が聞こえた瞬間、私の顔はハッキリとした痛みを感じながらも素早くガバッと宙を見上げた。

 彼女は私に目もくれず、タマちゃんを見下ろす。人を殺すのに何の躊躇いもない、真っ黒な憎悪の目付きで……。

 

 直後、彼女はタマちゃん目掛けて急降下していく。私を退けたからこそ、今度こそタマちゃんに確実なトドメを刺す気なんだ……。

 

「ぉ……ォオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 その光景を見た瞬間、私の体は痛みなんて物を忘れた。そんな物を気にして、邪魔をされて、タマちゃんがいなくなることなんて絶対にダメだ!!

 

(倒れるな!! 立て、高嶋友奈ッッ!!!!)

 

 脳がリミッターを解除したのかもしれない。まさに火事場の馬鹿力……今までに感じたことの無い力が全身を駆け巡り、私の身体を突き動かす。

 

「そっちに行くなぁああーーーーー!!!!」

 

 私は立ち上がる……拳大の、砕けた地面の欠片を掴み取りながら。

 腕に烈しい竜巻が巻き起こる。私の想いに呼応して、一瞬でぐんぐんと巨大化しながら、勢いを増していく。

 

「だ…っりゃぁあああーーーーっっ!!!!」

 

 思いっきり欠片をぶん投げた。嵐の力を帯びて高速回転する欠片は一直線に。空気を切り裂き、ジェット機にも迫る剛速球で。

 

「!?」

 

 タマちゃんを殺す事に注意が向けられていて私の事なんて見向きもしなかった彼女が気づいた時には、欠片はもう頭のすぐ隣。

 

「うっ…!」

 

 翼の防御も回避も間に合わない……でも、一瞬で現れた白紫色のバリアに阻まれた。

 

 欠片はバリアにぶつかった衝撃で粉々に砕けた。彼女の方はバリアに守られて傷一つ付かなかった……

 でも、顔のすぐ横に物体がものすごいスピードで飛んで、激突したんだ。人間なんだから不意を付かれた彼女の身体は反射で一瞬硬直する様を見せた。

 

 不意打ちが決まった奇跡も合わさって、タマちゃんの攻撃をバリアで防いだ時と違って踏ん張れなかった。いくら向こうがとんでもなく強い力があるとは言えだよ、私の全部を乗せた投岩だ。ダメージは通らなかったけど、ぶつかった衝撃だけなら通ったみたいで彼女は数メートル先まで仰け反るように弾かれる。

 

「やああぁああああっっ!!!!!」

 

 そのチャンスを逃しちゃいけない。向こうもまだ体勢を立て直してなんかいないんだ。もう一度地面を強く蹴って、彼女に飛び掛かる。

 

「くっ……!」

「あああああああああ!!!!」

 

 空中に浮かんだままの彼女のお腹に膝をめり込ませる。そして左手で胸ぐらを掴んで固定……。

 気が引けるとか、そんな酷い事を……なんて思っている場合じゃない……。胸が痛むのを必死に我慢して、彼女の顔面目掛けて渾身の拳を叩き込む。

 

バキィッ!!

 

「…くっ……うううううう!!!」

 

 でもそれはまたしてもバリアに防がれる。堅くて傷一つ入らない、バチバチと音が鳴るだけで通用していない。

 ……ふと、気付いた。この堅いバリアとそれで守られている彼女との間に、他にも何かが存在している。白と紫に紛れて見える黒い塊……それが持っている二つの眼差しと私の目が交錯する。

 

(……エイミー…ちゃん……!?)

 

 丸っこくて可愛らしい、尻尾が2本生えた猫……それは彼女に付き従う精霊。

 

『………!』

 

 可愛げがあって人懐っこかったこの猫ちゃんの目は……なんだかとても、悲しそうに見えて……

 

『……!!』

 

 同時に私に対して何か、とてつもなく大きな想いを訴えかけているように感じて……

 

「……無駄な事を」

「はっ…!?」

 

 彼女の背中の翼が羽ばたいたように見えた瞬間、それらはグニャリと形を無視してねじ曲がる。彼女の脇の下からスルリと間に入り込み、素早く振り払われて。

 

 お腹を翼の強大なエネルギーの塊で殴り抜けていった。

 

「───ッッ!!? が…はっ…!!」

『…………!!!!』

 

 咄嗟にタマちゃんを庇ったさっきと違って、柔らかいお腹に直撃……。体の内側で堅い何かが砕けた激しい痛みが駆け抜けた。駆け回り続けていた。

 一瞬で息ができなくなって、声にならない叫びと一緒に血が口から漏れ出す。意識が飛びそうになる。視界がチカチカと明滅する。呼吸ができない。

 精霊の力で防御力が高まっているはずなのに、相も変わらずそんな物は関係無い。身体中を巡るこの強烈な衝撃は……耐えられない……。

 

「ゲホッ…! ゲホ…! く……うぅぅ……!」

「これでも離さない……」

「…あたり…まえだよ……!!」

 

 でも私は怯まない。彼女を離さない。

 駄目そうになったらみんなの顔を思い浮かべればいい。力が入らなくて困った時でも、それでみんなが力を貸してくれる気がするんだから。

 

「哀れね」

「え……っ!?」

 

 そんな中、後ろから何かが強い力で抑えつけてくる。強制的に彼女の身体と密着させられて……大きな翼が私達の身体を包み込んでいた。

 

「わざわざ捕らわれるような手段しか取れないなんて」

「う……くっ……う、動けな……!? 離し……」

「言われなくても、ちゃんと離してあげるわよ……これから」

「……っ!?」

 

 彼女の冷め切ったトーンの声が聞こえた直後、頭上から全身にかけて激しい風が吹き荒れてきた。

 ……ううん、違う、これは……風が吹いているんじゃなくて……彼女の顔や身体や翼であまり見えないけど、視界の端に見える景色が変わっていく。ものすごい速さで見える物が下に沈んでいる……。私の身体が猛スピードで上昇しているんだ……!

 

(飛んで………まさか…!?)

 

 彼女が次に何をしようとしているのか……その答えがなんとなく分かってしまった。このままじゃマズいって、激しい危険信号が脳内で鳴り響く。

 

「うっ…ぐぅぅううう!!」

「あなたの力は通用しないって、一体何度言えば分かるの?」

「うううううううううう!!!!」

「……どこまでも、どこまでも……どこまでここの勇者は愚かなの?」

 

 歯を食い縛って、なんとかして翼を引き剥がそうとするけど、全然ビクともしない……。そもそも不意を突かない限り勇者パンチを受け止めてもビクともしないくらい堅い翼……抱き締めるように包んでいる私ごと空高くへ舞い上がっている。

 そして彼女は私を抱き留めたまま、一気に加速して高度を上げていく。ぐんぐんと、広い樹海中を一眺できる程に高く……!

 

 そして……

 

 

 

 ぐるんと逆さまに、地上に向かって一気に急降下を開始した。

 

「っっ!! うっわあああぁぁあああぁぁ!!!!!」

 

 とんでもない加速も合わさって、思わず悲鳴が上がる。彼女の翼の中に閉じ込められて、自由を奪われて、身動きすらできない……! こんな状況で、地面に叩きつけられたら絶対にもう動くことはできない……!! そしたら私だけじゃなく、タマちゃんも殺されて……!!

 

「……!?」

 

 ……いや、そもそもこれの落下地点……落ちながらも少しずつ位置調整されているのか横にも動いている………これって、もしかして……もしかすると……!!

 

「気付いた所で何も変わらない。変えられない……」

「だめ……! だめぇええええええ!!!!!!」

 

 

「土居球子とかいうクッションがあって良かったわね」

 

 私達の落下地点は……意識無く横たわっている、タマちゃんのいる場所へと速度も調節されながら落とされていく。多分一緒に落ちている彼女だけ、直前で何らかの方法で被害を回避するために……。

 だからこのまま落ちると、強化されている私は良くて大怪我で済む可能性は少しはあるのかも……。ただし、私の身体の下敷きにどころか潰されてしまうタマちゃんにあるのは確実な……死。

 

 地面が、倒れたタマちゃんがまで数百メートルを切った時、落下に錐揉み回転が加えられた。

 

「ああああああああああああ!!!!」

(!!?)

 

 迫る命の危機……時間の流れがゆっくりに……スローモーションがかけられたみたいに、これが走馬灯って言うやつなんだ……。

 

 世界がゆっくりと動く中、予想外の動きが……一瞬、私を覆っていた翼が解かれた。でもそれとほぼ同時に彼女の右手が私の胸ぐらを掴む。

 

 そこから力任せに振りかぶり……落下の勢いを加えたまま、下にいるタマちゃんに私を投げつけようとしていた……自由に空を飛べる自分だけが激突から回避して、確実に私達二人を仕留める方法を……!!

 

 もうすぐ、刹那で、絶望が齎される。私は、大切な友達が殺されるのを止められない……? また守れないの……?

 悲しみの連鎖は……みんなの心を引き裂き不幸にする……そんなの……

 

「乃木若葉と一緒に自分の無力さに震えていなさい」

「っ!!」

 

 そんなのは嫌だ!!!! 諦めたくない……!!!! まだ、まだ終わってなんかいない!! 私が諦めたら、終わりなの……!! まだ……!! まだ、間に合うんだからぁああっっ!!!!!

 

 

「絶対に死なせないんだァアアアアアアアッッ!!!!!!」

 

 

 

 胸ぐらを掴んでいた右手が離された。

 

 でもそこに、投げつけるための動作はなかった。

 

 ただ、離れただけ……彼女の右手には僅かな力も無く、呆気なく私の身体が抜け落ち取りこぼした。

 

「散…っ!」

 

 何か……彼女にとっても計算外の何かが起こっている……? 彼女の翼が一瞬にして消滅して、神秘的な勇者装束までもその光が剥がれ落ち、ホムちゃんと同じ見た目の装束に戻っているなんて……でも、困惑するのとか何がどうなったのかなんて、今は考えなくていい!!

 

「勇者ぁあ──!!」

 

 守るんだ!!!! 今度こそ!!!!

 

「キィーーーーーッッック!!!!!!」

 

 拘束が解かれた上に、落下する勢いだけは変わっていない。空中で思いっきり身体を捻り、私はその全てを攻撃に変えて、彼女の身体目掛けて蹴りを放つ。

 

「ぐ……っ!」

 

 バギィイイッ!!…って、またしても攻撃はバリアに防がれるけど、十分だった。一目連の力を発揮したキックの勢いと反動で私達の身体は空中で、それぞれ正反対の方向に弾き出される。当然、真下にいたタマちゃんとの距離を空けるように。

 

「!? あぐっ……!」

 

 私はそれで落下の勢いを相殺。彼女の方は地面に激突する瞬間やっぱりバリアが発動したけど、それでも着地には失敗して横転して倒れ込んだ…!

 

「ふ、ふざけないで……このタイミングで満開の時間切れ……!? よりによって……!!」

 

 怒りをはっきりと表情と声に出して、地面に左手を付いて身体を起こそうと……直後に空中から着地し、一気に彼女目掛けて駆け出しながら拳を振りかぶった。

 

「!」

 

 向こうも咄嗟に左腕とそこに付いてる盾を前に構える。その怖そうな表情から何かしらの反撃が来るのはハッキリとしている! でも止まれないし止まらない!

 

 反撃も避けて、全身全霊全力全開のパンチをぶつけるしかないんだ!!

 

「……ッ…! くそッ!!」

 

 ところが、向こうからの反撃は来なかった……? 何故か私から視線を外して、忌々しく自分自身の右手を睨みつけている……。

 その右腕は力無くブランと垂れ下がっていた。ひょっとしてさっき地面に倒れた拍子に痛めたのかもしれない…………

 

「ここから──!!」

 

 可哀想だ……なんて思っている余裕は本当にない。タマちゃんの命が掛かっているこの時だけは、心を鬼にしなくちゃいけないんだ!!

 

「出て行けぇええええええ……えっ!!?」

 

 厄介なバリアごと、彼女を遠くまでぶっ飛ばすつもりで、渾身の一撃を叩き込む……そのはずだったのに、

 

 両手の手甲から光が飛び散って小さく、左目周りのバイザーも消えて……私の勇者装束が元通りに……。

 

「そんな……!?」

 

 切り札、精霊降しの限界……この力を使い始めてからずっと全力以上に力を引き出して使っていた。なんならとても重い攻撃をお腹に受けた……多分、肋骨は何本か折れている……麻痺していた強い痛みが、蘇る。

 

「ああぐうぅうう!!!!」

 

 激痛が身体中を支配する。まだまだやれる、やらなくちゃいけないと思っていても、非情にも限界を迎えていて、肝心の力は留められない……

 

 全身の力が一気に萎んで、足がもつれてガクッと崩れてしまった。そのまま前に倒れ込んで……

 

 思い描いたように殴ることは出来なかった……けど、

 

「は? ちょ…!」

 

 

 ……そういえば前に歌野ちゃんが、さっきまでのあの翼が生える力はその後は反動でものすごく疲れるんだって言ってたっけ……?

 何やらまだ立ち上がれていなかった彼女にもたれ掛かるように激突………え? あえ…?

 

「おっ、とっと……と?」

 

 そんな彼女の後ろは地面になっていた樹木の途切れ目……高さ数メートルはある崖のような場所になっていて……!?

 

 勢い止まらず、私達はその先へ落ちていった。

 

「わー!」

『…!? ーーーーーー!!!!』

「このっ! 退きなさい!」

 

 といっても、勇者に変身している状態だから、この高さから落ちても全然怖くもないんだけど……。

 

「いっだぁあああ!!!!」

 

 ただ、正面から落ちた衝撃が折れた肋骨に響いた……動けな…い……!

 

「い、いた……いい、い、い……お腹が……ががが………あ、あれ……?」

 

 ……なんだか、落ちた先の地面が柔らかい……堅い……ような……? うつ伏せに倒れ込んで悶え苦しんで、涙目になりながらもゆっくりと目を開く。

 

「……高嶋…友奈ぁ……!」

「…………」

 

 目の前には、怒りの形相を浮かべて、私を見上げている彼女の顔があった。落下したまま、彼女の上に覆い被さるような体勢になってしまっていて、それで私が押し倒している形で……………

 

「わあーーーーーー!!!!」

 

 慌てて彼女の両腕を掴んで抑え込んだ。だってこんなことしたら、また暴れられて大変なことに……!!

 ってほら!! 左腕の方がグググって力を込めてきた!! 痛い痛い痛い痛いお腹が痛い!!!! 精霊の力が無くなってただでさえ全身に力が入らないのに!! でもここで押し負けたら間違いなくもう後がないよ!!

 

「う……ぐぐぐぐ……っ」

「放せ……っ!! 退け!!!」

「絶対に…嫌だよ!!」

「っ……!!」

 

 でも切り札後で本来の力が入ってないのは向こうも同じなのか、私が上で向こうが下というのも合わさって奇跡的に勝負は互角に……。だからこそ、必死に歯を食いしばって激痛と共に耐える。もうこれ以上、誰も傷付けさせたくないんだ!!

 

「やめてよ……!! これ以上みんなの幸せを奪わないでよぉ!!!!」

 

 彼女の上に馬乗りになったまま、涙声のまま叫ぶ。抵抗は止まないけど、今の自分自身の一言で、私の心のダムは決壊した……。

 

「おかしいよ……こんなの絶対おかしいよ!!!? どうして勇者同士で傷付け合うの!!!? どうして悲しい事つらい事、苦しい事を続けようとするの!?!?」

「く…………ッ!」

「嫌なんだよ……!! 誰かが傷付けられるのも、傷付けるのも……!! みんなそれが嫌だから、必死になって頑張ろうとしてるんだよ!! 力を合わせてみんなで生きるために手を取り合ってるんだよ!!!!」

 

 お腹の痛みのせいなんかじゃない、ボロボロと溢れ出す涙が彼女の顔に落ちていく。

 

「お願いだから……!! もうタマちゃんを見逃してよぉ!!!!」

 

 泣きじゃくりながら、それでも彼女の腕を決して離さない。

 

「邪魔だからとか、そんな理由で命を奪わないで……!! 生きているのって、とってもすごい事なんだって気付いて……ううん、思い出して!!」

「…………」

「あなたは歌野ちゃんや水都ちゃん達を助けてくれたじゃない!! 私と同じ名前の友達と先輩がいるって、優しく微笑んで話してくれてたじゃない!!」

 

 ……そうだよ……この子は変わっちゃったんだよ……。初めて会った時の彼女と、今の彼女の目は違う。

 

「本当に命を粗末にするような人が! あんなに優しい顔ができる訳がないよ!!」

 

 違うんだよ……今のこの子は違う。本当の彼女は……私を見て、私の知らない誰かの姿を思い浮かべて優しい顔をしていたあの子だったんだから!

 

「思い出してよ!! ほむらちゃん!!!!」

 

 息を切らしながら、声と肩を震わせながら、彼女の名前を呼んだ。初めて出会った時から友達になりたいと思っていた女の子の名前を。

 

 

 

 

「…………ふぅ……」

「…!」

 

 小さく吐かれた息の後、抵抗していた左手の力が抜けて地面の上にそっと置かれた。さらにその手の中が一瞬淡く光ると、そこには彼女の携帯が出現する。

 電源が入っていて、画面にはトケイソウの花の絵のアイコンが……そこに、彼女の親指が当てられた。

 

 身体中が光に包まれて、直後に見た目が変わる。戦闘をする勇者装束から、至ってシンプルな厚手の生地の私服姿に。

 

「ほむらちゃん……!」

 

 

 

 

 ほむらちゃんの指が、もう一度花のアイコンに触れた。

 

「えっ!?」

 

 光に包まれる。戦いに向かない私服姿から、あの勇者装束の姿に、もう一度……。

 

 

 

 

 

 

 

 追加される新しい力の中身、使い方が脳内にインプットされるのは

 

「……なるほど」

 

 満開の後、次に勇者に変身した時。

 

 

 

 

 

 

 

「高嶋友奈……あなた……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所で何をしているの?」

 

 

 

 

 

 

 

 顔や勇者服に付着してしまった土や汚れを叩き落とす。高嶋友奈には思ったよりも随分と時間を取らされてしまった……満開の火力の高さは連中にとってはオーバーキルだからこそ、敢えて手加減をしなくちゃいけなかった分色々制限されて難しかった。乃木若葉の時のように時間停止を使った方が明らかに簡単に片付く話だったわね……。

 

 まあ、いいわ。邪魔者は片付いた。後はこの上で倒れている土居球子を殺して終わり。

 高嶋友奈……無駄な抵抗をその言葉通りの結果で終わらせた、忌むべき愚者はもういない……だけど……。

 

「……どの口が……!」

 

 ……ああ駄目だ、さっきの事を思い出して腸が煮えくり返る……! あの女が残した言葉は耳に残り、離れない……それが連中への憎悪をより肥大化させる。

 

 みんなの幸せを奪うな……!? 私達の日常と身体と幸せを奪うきっかけを生み出した奴が何を言う!?

 悲しい事つらい事、苦しい事を続けようとする…!? 私にその方法以外の道を断ったのは誰だ!?

 力を合わせてみんなで生きるために手を取り合う…!? その結果お前達は誰と誰と誰と誰の人生を滅茶苦茶にした!!!?

 

 ───私と同じ名前の友達と先輩がいるって、優しく微笑んで話してくれてたじゃない!!

 

「ふざけるな……!! あの二人を穢すな…!!」

 

 身を焦がし尽くす憎悪。その怒りを背負い、土居球子のいる樹木の上へと飛び上がろうと一歩踏み込み……その一歩で右足に妙な違和感を感じた。

 

「っ………?」

 

 ……何やら、右足の感覚が鈍い……? 散華の影響か……今回の満開で、私の右腕はもう全く感覚が無い。動かせない。

 ただ、正確に言えば右腕ではなく右半身……だったりするのかしら? 腕の方に偏って、足側は中途半端に機能が麻痺しているのだとしたら……

 

「……どうでもいい」

 

 別に構わない。両手も両足も失わずに元の世界に戻れるなんて甘い希望的観測はとっくに棄てている。まだ動かせて変な違和感があるくらい、少し歩きにくいだけで気にするまでもない。

 

 飛び上がり、土居球子のいる地点に進むのみ。

 

 

◇◇◇◇◇

 

「はあっ!!」

 

 速攻の鞭がバーテックスの肉をバラバラに弾く。これまでに何十回とスマッシュを叩き込んで、何十体も倒してきた。

 

「ハァ…ハァ……! あと、少しね……!」

 

 目に見えて少なくなっている敵の数。感情がハイになってたせいで力がオーバーして余計に体力を消耗しちゃったけど、ようやく終わりが見えてきた。

 

「っ! っと!」

 

 後ろから回り込んできたバーテックスの噛み付きを避けて、真っ二つに引き裂くスマッシュ。

 

 残す敵は片手で数えられる程度……油断と隙を見せなければ大丈夫。

 

 ()()ならこのまま勝てる!

 

「ラストスパート! 行くわよ!!」

 

 鼓舞しようと声を上げた直後、だった。

 背にしている樹海の中から何かが飛び出したのは……

 

「…………え?」

 

 勢い良く飛び出したその姿は私が理解するよりも早く、前方の宙を漂うバーテックスに肉迫する。

 私達の増援……そんなわけがないのに、あってはならないリアルが姿を現していた。

 

 

(……なんで…!? どうしてあなたがここに来てるの!?)

 

 拳を握り締めた、二つの人影が。

 

「うぉおりゃぁああーーー!!!!」

Schlaーーg!

 

 二体のバーテックスを打ち抜いた。

 

「友奈さん!!?」

 

 球子さんを助けるって言って、戦線から離れていった彼女が……。

 球子さんは……いない。友奈さん……と、あれは暁美さんの使い魔……? 朱い髪の、友奈さんみたいな手甲を付けた……あんな子、私が知っている使い魔の中にはいないわよ……?

 

「あっ…! く…ぐぐ……!」

!? Ist das ok!?

 

 飲み込めないシチュエーションに戸惑うけど、樹海の中からバーテックスに飛び出した友奈さんが着地した瞬間、彼女はとても苦しそうにお腹を抑え込んでうずくまった。

 

「友奈さん!!」

 

 ただならない、痛みに襲われている顔色。それが目に入れば困惑は吹き飛んで、別の種類の困惑が焦りと一緒にやってくる。たまらず私の足は友奈さんの元へとダッシュする他なかった。

 

「大丈夫!? 友奈さん!!」

「歌野ちゃん……ごめん、遅くなって……」

「……は……はい……?」

 

 脂汗を滲ませながら、全く気にしていないことを謝られた。

 何を言ってるの……友奈さんは球子さんを助けに行った。それは間違いないのに……

 

「……どうして……球子さんは…」

「みんなが、戦ってるのに……私だけジッとしてるわけには……いかないから……ううっ…!」

「……え……ええ…?」

「……歌野…ちゃん……?」

 

 何を……言ってるの……!? ほむらさんはともかく、杏さんは戦える訳がない。ジッとしているわけにはって、友奈さんは誰よりもインポータントなミッションを果たそうとしていた……そこに負い目なんてどこにもない!

 

 戸惑いしか無く、言葉をロストした。友奈さんの方も苦しさを浮かべながらも不思議そうに顔を上げる。そして周りを確認して……

 

 

 

 

「……歌野ちゃん、他のみんなは……? ホムちゃんとアンちゃん、タマちゃんは……?」

「!!?」

「若葉ちゃんと…ぐんちゃんは……? いないの……?」

 

 ……頭の中が、真っ白になった……。

 

「……球子さんは……友奈さんが助けに行ったんじゃ……?」

「……え? ………………………ッッ!!!!?」

 

 

 

 

 

『…………え?』

 

 気が付いた時、私は樹海の中にいた。ほんの一瞬前まで私は病院に、付きっきりでぐんちゃんの側にいたはず。

 瞬きしたらぐんちゃんがいなくなっていた。病室じゃなくなっていた。突然、世界が変わっていた……。何が、どうなって……そんな疑問を考えようとして、でもそれはできなかった。

 

『あ…れ? っ! あぁあっ…くぅぅぅ……!!!」

 

 お腹の内側で、動けなくなるくらいの強い痛みが走っていた。まるで骨が折れているんじゃないかってほどの激痛で、何も考えられなくて……

 

『なん…なの…これ…!?』

 

 分からない分からない分からない……。何がなんだかさっぱり分からない。

 必死に痛みにこらえてギュッと目を瞑っていたけど、ふと気付いた。

 

『う……ぅぅぅぅ……っ!?』

 

 下に何か、柔らかいような堅いような感触があった。大きい形をした何かの上に私がいる……ようやくだけどその事だけは気が付けて、ゆっくりと目が開かれる。

 

『……え………ええっ!!?』

『…………』

 

 そこにあったのは、いたのは人だった。私は人の上に覆い被さっていて……しかもその人って言うのがあまりにも予想外の人で。

 

『……退いてくれない?』

『……う、うん……』

 

 ぶっきらぼうに言われたその言葉に、大人しく従った。

 というより、どうして私は彼女の上に乗って……普通に考えて退くしかなくて、激痛を我慢しながら身体を動かして離れた。立ち上がることは身体が辛すぎてできなかったけど、彼女の方は起き上がって付いた土を手で軽く叩き落とす。

 

 その格好は勇者装束……というか私の服も勇者装束だった。変身なんてした憶えがないのに。

 

『……ね、ねえ……これって何がどうなってるの……?』

『…………』

『……あ、そっか、話しかけちゃ駄目なんだよね……ごめん……』

 

 若葉ちゃんと彼女の決闘の事を思い出した。何もかもが心苦しい結果で終わったそれによれば、もう彼女に口を利く事は許されていない。

 本当に困った。この痛みも、状況も、何もかも不明で。目の前にいる人に聞くこともできなくて……そんな矢先だった。他ならない、彼女の方から口を開いたのは。

 

『……行かないの?』

『……えっ……?』

『バーテックス。戦うんじゃなかったの?』

 

 向こうから私に話しかけてきた。これってつまり……こっちも話しかけても良いって事なのかもと、恐る恐る口を開く。

 

『…あの……やっぱり、バーテックスなの……?』

『それ以外に世界の樹海化はありえないでしょう』

 

 返事が返ってきた。大丈夫だった。それに、これはバーテックスの襲撃って答えが判明した。それ以外の事は全く分からないけど……

 

『……そっちの方向に真っ直ぐ突き進んだら、開けた場所に出られるはず。そこにあなたの仲間と、バーテックスもいるんじゃない?』

『本当?』

『嘘を吐いてどうなるってのよ』

『……その……行きたいのはやまやまなんだけど……』

 

 そう言って指を差すけど、苦しくて動けない。私は勇者なんだから、世界の護るために戦わなくちゃってなってるのに、立ち上がる事がとても厳しかった。

 

『なら……連れて行ってもらえる? 彼女を』

 

 左腕にある盾を翳した。するとそこに、綺麗で色鮮やかな光が集った。それは人の形を作るように固まっていき、発光が収まると二本の足で地面に立つ。

 

 私と彼女だけのこの場に、朱い髪の使い魔が現れた。

 

Überlass es mir!

『えっ! えっと……?』

Es ist okay, ich werde mit dir kämpfen! Ich werde nicht zulassen, dass dir etwas passiert!

『……なんて?』

 

 何て言ってるのかサッパリ分からないけど、でもどこか私に任せて!って言ってるような気がした。安心だって伝えるみたいに元気いっぱいなのを表に出して……そのままヒョイと私をおんぶした。小さい身体なのに力があって、落ちる心配が全く無い。

 

『連れて行ってくれるの?』

Natürlich!

 

 とても明るい口調……もちろん!って答えたのかな?

 

Na dann los. Festhalten!

『あ、待って!』

 

 走りだそうとしたこの子に慌てて呼び止める。ありがたいんだけど、不思議に思うことがまだ一つ。首を動かして、手を貸してくれる彼女を見やる。

 

『あなたは……? 来ないの……?』

『……ここでやる事があるのよ』

『やる事?』

『早く行きなさい』

Jaーー!

『わわっ!?』

 

 その言葉が聞こえるのと同時に、私をおんぶした使い魔は猛スピードで走り出した。咄嗟にしがみついて、見る見るうちにそこにいた彼女の姿は小さく、見えなくなって……

 

 

 

『記憶操作……連中を追い払うのに悪くない力だわ』

 

 

 

 

「あああああああああああああああああああああ!!!!!!」

「友奈さん!?」

 

 ……な……なんで……! なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!?!?!? なんでなの!!?

 

 なんで私は!! タマちゃんを守らなきゃいけなかった事を忘れていたの!!!?

 

 記憶が……消されていた!!!?

 

「タマちゃん!!!! タマちゃんがまだあそこに!!!!」

「えっ!? 友奈さん!! あなた本当にどうしたの!!?」

「分からない分からない分からない!!!! 分かんないんだよぉ!!!!!!」

 

 まだやる事があるって言っていた!! 私を遠ざけて、残った所でやることなんて……そんな……そんなのって……!!!!

 

「うわあああああああああああああああ!!!!!!」

「友奈さん!!!! っ!?」

「!?」

 

 歌野ちゃんの背後から、残ったたった一体のバーテックスが迫っていた。泣き叫ぶ私に寄り添っていた歌野ちゃんはその反応が遅れて、鞭が振るえない。

 

「歌野ちゃん!!!!」

 

バシュッ!

 

 その音が聞こえた瞬間、そのバーテックスに一本の細い物が突き刺さっていた。バーテックスは力無く地面に落ちて、光の粒子になってバラバラに消えていなくなる。

 

「……今のって……」

「……はぁあ~~!」

 

 矢……だった。バーテックスに刺さった物は。目の前で歌野ちゃんが安心したように大きく息を吐くと、ある一点を見つめていた。

 

「ありがとう。おかげで助かったわ」

 

 

 樹海全体が震え出す。今のバーテックスが最後の一体だったんだ。これで襲撃が終わって、世界が元通り動き出す。

 

 たくさんの花弁が舞い上がって世界を包み込む。それが止んで視界が開け……そこで目にしたものは……

 

 

 

 

 

 

 

「これは………」

 

 

 

 

 

 

「土居球子が……いない……?」

 

 

 

 

 

 

 

 樹海化が解除されて、その後に何が起こり得るのかを考えた。

 

 間違い無く、狙われる。樹海でなくて現実の世界であろうとも、あの人は絶対に動くに決まってる。

 

 ふざけないで……そんな事、絶対にさせない!!

 

 彼女達のためなら私だって命を掛けられる。ここで逃げ出すような奴を、私は死んだって絶対に許せない!!

 

 間もなく樹海化が解除される……だからこそ神器を強く握り締めた。精霊の力もいつだって使える。

 

 後ろには、これ以上傷付けられたらいけない大切な仲間達。

 

 樹海化が……解除された。

 

 同時に私は、同じ場所に現れる彼女に武器を突き付けた。

 

 

 

「………ホム……ちゃん……?」

 

 高嶋さんの声が聞こえた……良かった、無事だったんだ……。

 とても嬉しいけど、でも、今は喜んで安心している場合じゃない。

 

「動かないで」

「…………チッ」

「顔も、指一本たりとも」

 

 暁美ほむらから、今度は私が護るんだ。

 

「その時は、あなたを殺してでも鎮圧する」

 

 高嶋さんも、私の後ろにいる伊予島さんも、土居さんも、みんな傷付けさせない。




【記憶操作】
 五度目の満開で取得した、暁美ほむらの六つ目の能力。散華は右腕(右半身?)。相手の瞳と目を合わせる、または両手の平同士を叩き合わせた際の音を聞かせる事で発動でき、その者の記憶を書き換える。瞳を合わせた時間が短ければ操作できる時間と範囲も相応に短く、きっかけ次第で記憶も元に戻る。

 一方この力を高め、かつ一瞬ではなく長い間発動した時は……


【***】
 朱い髪を持つ天真爛漫で明るい性格をした、満開によって新たに追加された7番目の使い魔。拳が武器で、誰かのためなら恐れずにバーテックスに突撃する。

【使い魔翻訳】

  拳を握り締めた、二つの人影が。

「うぉおりゃぁああーーー!!!!」
Schlaーーg!(パーンチ!)』

 二体のバーテックスを打ち抜いた。


 球子さんは……いない。友奈さん……と、あれは暁美さんの使い魔……? 朱い髪の、友奈さんみたいな手甲を付けた……あんな子、私が知っている使い魔の中にはいないわよ……?

「あっ…! く…ぐぐ……!」
!? Ist das ok!?(!? 大丈夫!?)』


 私と彼女だけのこの場に、朱い髪の使い魔が現れた。

Überlass es mir!(まかせてよ!)』
『えっ! えっと……?』
Es ist okay, ich werde mit dir kämpfen! Ich werde nicht zulassen, dass dir etwas passiert!(大丈夫、私も一緒に戦う! あなたに怪我はさせないよ!)』
『……なんて?』



『連れて行ってくれるの?』
Natürlich!(もちろん!)』

 とても明るい口調……もちろん!って答えたのかな?

Na dann los. Festhalten!(じゃあ行くよ。しっかり掴まってて!)』
『あ、待って!』


『あなたは……? 来ないの……?』
『……ここでやる事があるのよ』
『やる事?』
『早く行きなさい』
Jaーー!(はーーい!)』
『わわっ!?』


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第七十五話 「裏切」

 邪魔をした高嶋友奈が去る時この地点を通っていない。使い魔に背負われて運ばれた所よりも高低差のあるこの場所に見向きもしていない。

 第一高嶋友奈のここ数十分間の記憶は消してやったはず。使い慣れていなくても新しい能力の使い方に間違いはない。

 

 バーテックスが襲撃中のタイミングで土居球子がここにいたなんて、高嶋友奈には万に一つも考えつくはずがない……なら、どうして……

 

「土居球子が……いない……?」

 

 つい先程まで意識を失い横たわっていた土居球子……その姿が影も形もなかった。あるのはそこには確かに土居球子がいた事を示す、あの女から流れた血の跡だけ。

 

 高嶋友奈と下に落ちていた間に意識が戻り、自力で逃げた? それは絶対に違う。足を射抜いてやったのよ……その状態でどこかへ行こうものなら、必然的に少なくない出血によって逃げた先に血で道標が描かれる。

 私がこう考えていることから察せるでしょうけど、無いのよ。目の届く範囲に、その道標ってものが。一つの広がった血だまりを中央に、どこへ行ったのかが分からない。

 

 仮にも勇者……重傷を負っていたとしても高嶋友奈を見捨てて逃げたとは考えにくい。血の跡が続いていない事も合わさって、考えられる答えは一つしかない。

 

「……他の勇者の仕業ね」

 

 白鳥歌野か、鹿目ほむらか……。私が下に落ちていた間に動ける勇者が近くまで来て、土居球子を救助して高く跳躍し逃げたか。傷口から地面に血がこぼれ落ちないよう注意していたなら、跡を残さず今この瞬間のように欺ける。抗い続けた高嶋友奈を残した疑問はあるけれど……

 

(……いいえ、土居球子を連れて逃げるタイミング次第では高嶋友奈を一人見捨てたとは限らない。立ち去ったのが高嶋友奈がいなくなった後なら……)

 

 樹海化している世界の中これを実行できる者は白鳥歌野か鹿目ほむらしかありえない。そして立ち去れてからも、高嶋友奈がいなくなって私がここに戻る1分にも満たない僅かな時間しか空いていない。

 

「無駄な抵抗ばかり……」

 

 逃げた方向が不明でも、勇者システムのマップを開けばすぐに分かる。

 満開直後の疲労感が強く、踏み込む度に感じる右足の違和感も気に障るけど、マップから死に損ないの逃げ道を追跡してトドメを刺すぐらい簡単だ。追いついて、時間を止めて、爆弾を側に置くだけで良い。

 

 左手に携帯を呼び出してマップを開く瞬間、手元に黒い塊が飛びかかった。

 

『~~~~!!』

「っ! エイミー……!」

 

 呼び出してもない私の精霊は突然現れたのと同時に、左手の携帯を咥えて奪い取った。空を飛び、私の手の届かない制空権を取り、一丁前に潤んだ瞳でこちらを見つめてくる……訳が分からない!

 

「本っ当……! この世界に来てから頻繁に私の邪魔をするようになったわね、エイミー…!」

『………!! ………!!!』

「この世界の勇者達にくだらない情でも湧いたのかしら!? 諸悪の根源なのよ連中は! みんなを……地獄に落として、不幸にした……!」

『……!!!! ……!!!! …………!!!!! …………!!!!!!』

「返せ!!」

『……!』

 

 上にいるエイミーに向かってジャンプし手を伸ばすも、精霊特有の軽やかな動きに避けられる。歯噛みしながら着地……

 

「っ…!? くっ…!」

『!! ……!!』

 

 失敗し、転倒する。右足が身体を支えきれずに崩れ落ちてしまって……。

 

「散華……この呪いのせいで……!」

『……! ………!!』

 

 忌々しい……何もかも。医者に診せようが、神に遣える組織に報せようが無意味。散華で失った機能は治らない、一生そのまま背負い続ける私への呪い。こうして私の行動を妨げ続ける要因となるのはどうしたって不快だ。

 

『………!』

「うざったらしい!!」

 

 言葉を発さないから忙しなく宙を飛び交う事で感情を表に出して伝えようとするのか、それが非常に神経を逆撫でる。

 

「……どいつもこいつも、私達の邪魔ばかり……」

 

 言う事を効かないエイミーに、神樹に、憎しみをより強く募らせられた。神樹を信じる存在に吐き気を催す。神樹の言いなりになる存在を心から嫌悪する。

 

「みんなが受けた苦しみを……解き放とうともせず、嘲笑うかの如き愚行を繰り返す…!」

『………!』

「お前も……結局は神樹の手先だったのね」

 

 携帯を取られていなかったら爆弾を投げつけていた……もうこの精霊に対して、愛着という物は失い始めている。

 

 

「……もういい」

 

 

 その呟きには過去一番の諦念の感情が乗せられた。

 

 そこにいるのは私を守ろうとしていた可愛らしい精霊ではなく、狂った神に仕える従僕。私を守るためでなく、最低な神の命令に従うだけの存在なのだから。

 

『……? …………?』

 

 エイミーの物憂いげな視線を無視し、一本の大きな大樹に近寄り背中を預けた。満開後の疲労感が強く、散華の影響に慣れていない今のこの体であのすばしっこい精霊を捕まえるのは厳しい。

 マップが無くとも、しばらくすれば土居球子を仕留める瞬間は訪れる。この樹海化が解除され、現実に戻る時……

 

「そこで仕留めればいい」

 

 最初に乃木若葉と郡千景の姿は無かった。伊予島杏は一人で動ける状態ではなく、土居球子も再起不能。高嶋友奈ももう碌に動けまい。

 残った白鳥歌野と鹿目ほむらがバーテックスを相手取るしかない以上、奴らに掛かる負担もそれ相応のはずだ。戦いが終わって気を抜くであろう連中の不意を突くぐらい訳ない。

 

 目を閉じてその時を待つ。そうして待つこと数分、樹海の世界が揺らぎ始めた。

 

 現実の世界に帰還するタイミングが今だと理解し、薄く目を開いた。舞い上がる花弁が視界中を埋め尽くし、左手に爆弾を生み出す。

 

(土居球子は……っ!)

「………ホム……ちゃん……?」

「動かないで」

 

 現実に戻ったのと同時だった。後ろから、硬質で長い物体が私の顔のすぐ側に突き付けられた。聞き覚えしかない声。忌々しい、敵の声……。

 

「…………チッ」

「顔も、指一本たりとも……その時は、あなたを殺してでも鎮圧する」

「ほむらさん!?」

 

 鹿目ほむらが私の後ろを位置取り、武器を突き付けてきたのは。

 

(………こいつ)

「爆弾……思った通り、ここでも土居さんを……仲間達の命を狙っていたのね…!?」

 

 顔は見えない……けれども間違い無く、鹿目ほむらの宿す瞳には連中の十八番、実力に見合わない強い意志が込められている。私の背に怒りを以って突き刺さり感じる視線、それは明らかだ。

 

「あれは…………っ!?」

「タマちゃん、アンちゃん!! う、ぐっ……!」

「友奈さんはドントムーブ! 私が!」

 

 高嶋友奈と白鳥歌野もいる。その反応と彼女達の視線は私達の後ろの方に向けられており、白鳥歌野が飛び出した。そして言っていることからして、そこに土居球子と伊予島杏がいるというもの。そいつらの声が無いのは話せる状態ではない、気を失っているということか……。

 

「杏さん、球子さん……! ……友奈さん! 二人は無事よ!!」

「……ッ! ……ホムちゃん…が…!」

「……やっぱり、土居球子がいなくなったのはお前の仕業だったの、鹿目ほむら」

「…………黙って」

 

 計算を狂わせたこいつに殺意を帯びた言葉を掛けるも少しも怯えはしなかった。この女は左手の爆弾を僅かにでも動かした時点で、具体的には筋肉が反応した時点で、この武器を私に叩き付ける……躊躇いを棄て、正義感も棄て、いざとなれば有言実行。本気で私を排除する威圧感を放っている。

 

 ……我ながらこんな奴に先手を取られるとは、屈辱で本当に不覚。対バーテックスの戦力を削減したから直ぐには反応できないだろうと、結果それは甘く見積もり過ぎてた。

 

 ……でもまあ、それはそれで構わない。大した問題じゃない事実は変わらない。

 

「それで私の首でも取ったつもり?」

「…………」

「不可解すぎて逆に教えてもらいたいものだわ。あなた達程度の力で、どうすれば私の命を脅かす事が可能なのか」

 

 私は死なない。何があろうとも、狂った神の力で創り出される呪縛は誰にも破ることはできない。

 鹿目ほむらがいくら私を殺そうとしても、無駄な行為に終わる。だから私の背後を取る事はできてもそれが何だと言うのか……。

 

 何が指一本動かすな、殺してでも鎮圧する……よ。馬鹿馬鹿しい、構うことはない。脅しにもならないその言葉にこの爆弾を爆発させない理由はどこにある?

 殴りたければそうしなさい。私はその後にお前達をまとめて殺して……

 

ぞくっ

(っ!)

 

「……そうやってみんなを見下し続けて、踏みにじって、悲しませて、傷つけて………大切な世界をあなたに蹂躙されてばかりの現実は───

 

 もういい加減うんざりなのよ

(こいつ……)

 

 私に突き刺さっていた威圧感が形を……質を変えた。強い決意はそのままに、背後の鹿目ほむらから新たに強大な力が鳴動を始めていた。

 表情には出さなかったが、それはこの私が思わず息を飲む程に強烈な気配……だった。

 

「……可能だとか不可能だとか、そんなのは関係ない。今度は私が、仲間のために命を懸けて立ち向かう番なだけよ」

「……っ! ほむらさんのそれって精霊の……!?」

「……でも……前のとは…何だか……」

 

 言葉が紡がれる度により強くなるこの威圧感はハッキリと大気を脈打ち、私の肌をビリビリと震わせている。明らかに人を超えた力が呼応し、増幅しているのを感じるこの現象は……

 

(この感覚は、郡千景と土居球子の時と同じ……)

 

 過去、そして先程にも似て非なる物を私は浴びている。これは即ち覚醒。奴らの力を極限まで高める、精霊の力をその身に宿す切り札発動の前兆……勇者と神樹の霊的回路が繋がりいつでもその力を解放できると周囲へ知らしめる余波といったところだろう。

 

 余波……この大きさで…?

 

「高嶋さんが命懸けで守り抜いて繋いでくれた命を奪わせはしない。例え返り討ちに遭うと分かっていても、爪痕くらいなら……消えない屈辱的な傷を負わせるくらいなら!」

(……同じじゃ…ない……?)

 

 異様な現実が私の行動を抑止する。郡千景の時も土居球子の時も感じられたこれが別物としか思えなくて……。

 高嶋友奈もその力を以ってしつこく私に食らい付いてきたように、連中が切り札として扱うのも頷ける力の増幅は存在する。しかし、鹿目ほむらはまだその力を完全に解き放っていない。現時点ではそこから漏れている少量の力が流れ出ているだけの余波の段階に過ぎないはず。

 

 だけどこれはその時点で、これまでの連中の切り札の力を優に超えていた。郡千景、土居球子、高嶋友奈……その三人の切り札を合わせても及ばないであろう、暴力的な力……。郡千景は七人御先、土居球子は輪入道と、高嶋友奈は……なんだっていい。ともかく鹿目ほむらが解き放とうとしている精霊は、こいつらが降ろした精霊とは格が違っていた。

 

「徹底的に足掻いて、刃向かって、あなたの喉元に食らいついて離さない!! 覚悟はもうできているのよ!!」

 

 溢れ出す力は止まらない。絶大な力は解放されずとも高まる一方……。

 

 

 近くを浮かぶエイミーも鹿目ほむらから流れ出るプレッシャーに充てられた。その瞬間……

 

『……!?!?!?!?』

 

 その小さな体が戦き、怯え、恐怖に顔を歪ませ、その場で小刻みではあるが激しく震え出した。そして……。

 

 

 

 

バキンッ

 

「うがぅっ…!?」

 

 強烈な力の波動に当てられたせいかどうかはわからない……でも、脳が揺さぶられるかのような錯覚と共に先の謎の不快感が再発した。頭の中がぐにゃりと歪み、酷い吐き気を催す。

 

 

 

『あら? あら! あらあらあらら! うふふふふふふ♪』

 

 

 

 不快な幻聴もだ。

 

『…!!!?』

「! ……何……?」

「か…がぁ…!」

「暁美…さん…?」

「…また、しても……!!」

 

 視界がガンガン激しく揺れ、脳をきつく締め上げられるかのような感覚に意識が飛びかける。それでも必死に歯を食い縛り堪え、よろけながらも膝を着くことだけは回避した……が、

 

「今ッ!」

 

 左手に下方向から硬い物体をぶつけられた。鹿目ほむらが速攻で武器を振るい、危険物の排除に動いた……爆弾が上空に弾き飛ばされて。

 

ドゴオオォン!!!!

 

 何もない空で爆発する。

 

「……あなた……それは……?」

「はぁ…はぁ……!」

 

 顔中に溢れ出した大量の汗と荒い呼吸、外傷もなく無く突然ツーっと流れ落ちた鼻血……私の様子から今のは害を成すための動きではなく不可抗力と見たのだろう、追撃はなかった。こちらも満開の疲労感だけならまだしも、このよくわからない気持ち悪さを抱えたまま爆弾を生成するための集中は威力の調整がままならない……。

 

「……いいえ、不調だなんて言い分を聞き入れる気は一切ない。あなたがこれまでにしてきたことを考えれば!」

 

 しかし再度鹿目ほむらは杖を突き付ける。今のはあくまでも特別で今度は何があろうとも容赦しないと言わんばかりに、精霊の重圧を浴びせてくる。それがこっちの頭痛の種だってことに気が付かないからこいつは!!

 

「鹿目…ほむら……!」

 

 歯を食いしばりながらこの女を睨みつける……そこにいるのは私の姿形が眼鏡と髪型以外瓜二つどころか同じにしか見えない()()()。お互いにそれぞれの瞳に映るほむらを敵と認識した鋭い視線が交差する。

 もうこちらとしてもうんざりなのよ。土居球子の抹殺を二度も邪魔されて、挙句こんなわけのわからない気持ち悪さや吐き気を誘発させる……! 私達の未来を妨げる、ふざけた真似ばっかりする勇者共しかいないこの世界も、私を追い詰めた気でいる目の前の偽者も、私に干渉してくる全てが憎たらしい……!

 

「……やってみなさい、偽物」

「……」

「始めましょう……望み通りの処刑を」

「……処刑……」

 

 今感じる苦痛を凌駕する憎悪をそのままに込めた呟きを届ける。疲労が幾分か蓄積され、この不自由になった体も不慣れではあるけど、この足掻きは受け入れてやってもいい。今はただ、こいつの存在が邪魔だ、目障りだ。消せるのなら戯れに付き合ってもイラつくがまあいいだろう。

 

 他の連中を上回る精霊の力を発揮する気だとしても……それでも生憎、満開の力には遠く及ばない。こいつの大きな力の中には、満開とは異なり神にも比肩する理不尽とも言える力が感じられない。

 

 驚きはした。だけど結局のところやはり、力の差は決して覆せはしないのよ。

 

「だ、ダメよ!!? ここは樹海じゃなくてリアル、現実の世界で……!! 大体……ほむらさん!!」

「……なるべく、周りに被害が出ないよう努力するけど……」

 

 その殺気に反応したのは、怯えたように眺めている白鳥歌野。そんな声は無視だ。聞くに値しない。この町に滅びようが、悪いのは散々歯向かう姿勢を崩さない甚だしい正義感を抱いたこいつの方だ。

 一方で鹿目ほむらは私に対する敵意を途絶えさず、横目で白鳥歌野に申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。

 

「……白鳥さん、高嶋さん……もしもの時は……」

 

 こいつらは身の程知らずな夢を見るだけの、弱い存在なのだから。

 

 

「降りなさい!! 天

 

 

『~~~~~~!!!!!!』

 

 

「「……っ!?」」

 

 声にならない叫び……その言葉通り、実際にも発せられてはいないその声が聞こえたわけではなかった。

 ただ、呼び止められた気がした。それも私と、鹿目ほむらの両者に対して。私の動きを止めた心臓を震わせるかのような衝撃が走り、鹿目ほむらの荒々しい力の波も途切れ霧散する。

 

 ()()()()()()()()()……不思議なことに本能がそう告げているみたいだった。私も、鹿目ほむらも……

 

 

『…………チッ』

 

 頭の中を駆け巡っていた頭痛八百が、つまらなそうに吐き捨てるような幻聴の一言の後ピタリと止んだ。

 

「…………」

「…………」

「…………エイ…ミー……?」

「……この……馬鹿猫め」

『……!』

 

 上を見上げ、そこにいるのは私の携帯を咥えたままの役立たず。裏切者。今なお小刻みに小さな体を震わせながらもただただ必死さだけを前面に押し出して、こちらにふざけた意思をぶつけていた。

 

『…………!!』

 

 止めろ、と。

 

『…………!!!』

「何か…伝えたがっているの…?」

「あれって携帯……? 暁美さんの…? エイミーちゃん、どうしたの……?」

「……どうもこうもないわ。理解不能よ」

 

 地面から十数メートル離れたそこから、高度を変えずに少しずつ後方に動いていく。ゆっくりと、城の敷地の外側へ向かう。その動作とこちらを見つめ続けて離さない瞳からエイミーは、強く訴える。

 このまま続けるつもりならこの携帯を……勇者システムを捨てに行くつもりだ。例えば山の奥、例えば海の底……どこか遠く、私の手が届かなない探しようのない所へ。

 

「この精霊はあなた達に情が沸いているのよ」

「……えっ?」

 

 エイミーは私を脅していた。

 

 そこにいるどうでもいい屑の命が消されないよう、本格的にこちらを裏切ってまで……。

 

 樹海での携帯の奪取に続いてここまでやるか。奪い返すのには先ほど失敗したばかり……その上今は間違いなくこの場の勇者の邪魔が入るだろう。状況を完璧に理解しているわけではないだろうけど、あからさまに怪しい携帯を私の手に渡らないようにするくらいの判断は取れてもおかしくはない。

 

 エイミーは本気で捨てに行くだろう。追いかけるにも、その場合も勇者たちはエイミーが逃げ切れるよう食い止めようとするはずだ。素のままでしばらく鹿目ほむらのあの大きな力を相手取るのは……使い切ったばかりの満開のゲージも再び溜まって殲滅できるようになる頃には捨てられてしまってアウトだ。

 

 ……この脅しは流石に無視できない。勇者システムを失ってしまえば……。今は変身中だけど、一度解除されてしまえばもう二度と…………引かざるを得ない……か。今すぐこいつらを始末したい衝動と殺意を抑え込んで、臨戦態勢を解くのだった。

 

 …………今ここで優先することは、憂いを断つ……。

 

「折衷案を出すわ」

『…!? ………?』

「折衷案……?」

「あなたにじゃないわ。そこの神の下僕に対して言ってるの」

 

 散々歯向かったこの勇者共を許せるか? 答えはノーだ。だけどエイミーの望みを叶えないわけにはいかない。

 その姿は敢えて見ないようにした。見れば身を焦がす怒りが溢れ止まらなくなるだろう。背を向けて、私は内容を告げる。

 

「今すぐ携帯を返しなさい。そうすればお望み通り、今日のこいつらの件は見逃してあげる」

「「「!?」」」

『……!? ………!』

 

 私の言葉に勇者共が驚愕に息を飲む。至って普通の反応。命を狙っていた相手を逃すと言われても全く安堵なんてできはしないだろうし、他ならぬエイミーも明らかに反応に困っている。人を脅しておいて、その後どう転ぶのか全く考えていなかった様だわ。

 

「見逃す……? 今更何を言っているのあなたは……!?」

「そのままの意味だから折衷案と言ったのよ。携帯が無いと困るは言うまでもないでしょう。お互いに妥協できるラインを提案したまで……」

「あなたの口から出た見逃すなんて言葉を誰が信じられると思っているの!?」

「口約束は信用できないかしら? 確かに……それなら私はお前たち愚図と同じ、決めごとを簡単に反故する厚顔無恥に成り下がる気は無いとしか答えられないわね」

「どの口が!!」

「……どの口が? 被害者面ばかりしてるけど、今回の一件の引き金を引いたのはお前達よ。鹿目ほむら、白鳥歌野、土居球子」

「………ッ!!?」

 

 私の指摘を受けて、鹿目ほむらの顔色が青ざめていく。そう、元を辿ればそもそもこいつらが余計なことをしなければ、私がわざわざ邪魔者の駆除に動くことはなかった。

 

「私に干渉するなと決まっていたにも関わらず、一応は強力な個体のバーテックスを倒した私をどういうわけか罵詈雑言を浴びせたわね? 自分で言うのもなんだけど、檻の外にいるライオンや熊みたいな猛獣にわざわざちょっかいかけるような真似をあなた達はしたのよ。ご親切に警告はしていたのだから、それで何かあっても自己責任の自業自得よ」

「そ、それは……! あなたがうどんを吹き飛ばしたから……!」

「蕎麦もよ!!」

「そんな馬鹿げた怒りに駆られて仲間を瀕死に追いやって、伊予島杏はさぞ不幸だったでしょうね」

「うぐっ……!?」

 

 全てお前達の身勝手さが招いたこと。手を引くと話は終わり、命までは取れないけどあながち罰は与えられたと見ても良いかもしれない。パパッと息の根を止めて何も感じられなくなるよりも、愚かさと弱さ、後悔の念を抱き続けて嘆き苦しみ続けるのも連中には相応しい裁きとなり得るだろうし。

 

「最初に馬鹿を始めたのは土居球子だったわね。その後も伊予島杏の報いだってうるさく泣きわめいて……お前が伊予島杏を殺されかけるきっかけを作ったんじゃない。言っても今は何も聞こえないでしょうけど」

「……もういい、黙って……!」

「端からこっちのセリフよ。あなたの発言は求めてない……いや……」

 

 ……鹿目ほむらには一つ確認したい事があった。期待通りの答えを得られるのかは期待できないけど。

 

 ───だからそれ、私の名前。

 

 頭の中に残っている、掘り起こされた気味の悪い声。裏と悪意しか感じられない笑みで口にされた

 

 ───それともこう名乗った方が良いかしら……鷲尾……いいえ、やっぱりこっちね、私の名前は………

 

 奴の名前。

 

 ───鹿目ほむら

 

「鹿目ほむら……あなたのこれまでの発言と行動は全て……」

 

 本当にその本心から来ている物なのかしら?

 

「黙ってと言ったはずよ!? あなたとはもう口を利きたくもない!!」

 

 質問を聞く耳を持たないのは当然でしょうね……。まあいい、どちらにせよ明確な答えが分かるとは思えないし、そもそもあの存在その物が怪しさ100パーセント。

 愉快そうに鹿目ほむらと名乗ったのも怪しい。あの悪夢で見たその姿は確かに、ほむらだった……私と同じロングヘアーの。眼鏡も三つ編みも無い、鹿目ほむらとは異なる特徴。と言ってもそれだけならどうでもいい違いだけど、いちいち何もかも真実味の欠ける言葉を真に受ける必要はないわ。

 

 興味も失せて鹿目ほむらから視線を外す。代わりに向けるのは忌々しい神の従僕へ。

 

「早く携帯を返しなさい。私の気が変わらない内に」

『…………』

 

 エイミーは怯えた様子のまま私に近づいてくる。本当に返しても大丈夫なのか、葛藤が残っているようだけど。

 迷いながらゆっくりと、それでも携帯をこちらに差し出した。無言でそれを受け取って、勇者たちに背を向ける。

 さっき言った通り、即座に約束を反故する連中と同じ穴のムジナになる気はない。これで今日のくだらない出来事は終わりだ。もう二度とこんなことが起こらないといいわね……ストレスが溜まる一方、苛立ちが募りすぎて発狂してしまいそうだもの。……だから。

 

「次があれば……巫女から殺す」

「なっ!!?」

 

 背中に浴びせられる困惑と怒り、怯えの入り混じった声を聞き流しながら、私はその場から飛び立ち城の外へと出る。残された勇者共はその場から立ち尽くして動けないみたいだったけど。

 

◇◇◇◇

 

「………行っ…た……?」

 

 暁美ほむらが立ち去った……。まさか、あそこから誰も傷付かずに切り抜けられるなんて……! 私自身今度ばかりは本当に死ぬ覚悟で立っていて、それが今も生きている……。そう安堵して、宿しかけていた精霊の力を完全に離した瞬間、全身から一気に大量の汗が噴き出してきた。

 

「───ッッ!!!! ハァ…ハァ……ハアッ…!!!」

 

 あ、ああ足が……震えが止まらない……! 腰が砕けてその場に座り込んでしまって、この場は無くなっと言っても今更死の恐怖感にガタガタと歯が鳴り、涙がで視界が滲む。

 ……でも、みんな生きている……白鳥さんも高嶋さんも、伊予島さんも土居さんも……っ!!

 

「それどころじゃない…! 白鳥さん、高嶋さん! 救急車を!! 伊予島さんと土居さんを一刻も早く病院に!!」

「っ…ええ!」

 

 座り込んでしまった身体を無理やり立たせながら二人に向かって叫んだ。伊予島さんにも土居さんにも、できる限りの応急措置は施してあるけど、重傷で危険な状態なのは変わりない。樹海化の解除の影響で近場に戻された、白鳥さんが持ち込んできたあの大きな袋の元へ駆け出して、その中から彼女は携帯を取り出して電話を掛ける。

 

「ほむらさん…! さっきのリアルに死ぬつもりで戦おうとしたの、後で説教だから…!」

「……はい」

「っ……! 繋がった! こちら勇者、白鳥歌野!! 救急車を……怪我人が3人! ハリーアップ!!」

 

 しまった……! 二人だけじゃない、高嶋さんも怪我を負っているんだ……! 高嶋さんは土居さんを守ろうと立ち向かっていったんだから……!

 高嶋さんは意識があるけど、こっちに戻ってきてからずっと顔色が悪く座り込んでいた。口元には吐血したような血の跡が残っている……。縺れる足で急いで彼女の方へ駆けつけて、彼女の肩に手を添える。

 

「高嶋さん!! 大丈夫ですか!?」

 

 声をかけるも、しばらくは反応が無かった。ぼんやりと私を見つめていて……やがてその瞳からボロボロと、大粒の涙が零れ落ちた。

 

「……うっく…! ひっぐ…!」

「高嶋さん……?」

「よかった………ほんと、に……よがった……!」

 

 嗚咽交じりに、何度も良かったと呟いて、私の手を握ってくる。喜びと感謝の気持ちが一杯に込められた温かい手の平を以って……

 

「ホムちゃんが、タマちゃんを助け出してくれたんだよね……? ホムちゃんがいなかったら……タマちゃん、殺されてた……!」

 

 …………それは……

 

「ありがとう……ほんとうに、ありがとお……! うぅぅぅぅ……!」

「高嶋さん………」

 

 ……おかしいとは思っていた。変だとも……でも、それ以外の可能性はありえないと……だけど、やっぱり……

 

「……やっぱり、高嶋さんじゃなかった……」

 

 誰が……

 

「……私じゃ…ないんです……」

「………え?」

「……私、ずっと伊予島さんの側から離れられませんでしたから……どこにも動いていないんです……」

 

 一体誰が、高嶋さんに替わって土居さんを助け出したの……?

 

「どういう……こと…?」

「…………」

 

 

 少しばかり遡って……樹海にて。

 私はずっと伊予島さんの火傷を水で濡らしたシャツで冷やしていた。腕と顔の痛々しい火傷は目に入る度に心苦しくなって、私がもっとしっかりしていればこんなことにはならなかったのかもしれないと思うと……後悔してもしきれなかった。

 そんな気持ちに苛まれながらも伊予島さんの苦痛が少しでも和らいでほしい一心で手を動かし続けていた……その時だった。私達が隠れていた樹海の陰の中、そこの草木が誰かの侵入を許したように、不自然に音を立てながら揺れ動いたのは。

 

『……っ!?』

 

 咄嗟に杖を構えて警戒した。白鳥さんはバーテックスの相手に、高嶋さんは土居さんを助けに向かってあの人の相手を……とてもこの場に来れるような状況じゃない。

 もしかしたら白鳥さんから逃れたバーテックスの可能性。もしかしたら……伊予島さんに止めを刺そうとする暁美ほむらの可能性。その場合高嶋さんと土居さんは……なんて最悪の事態も考えられたから、私の意識はより一層集中させた。

 そして、そこに現れたのは……

 

 草木を突き抜けて、彼女の体が投げ入れられた。

 

『えっ……!!?』

 

 血まみれで意識を失っていた、仲間が。

 

『ど、土居さん!!!?』

 

 杖を放り投げて、飛んできた彼女の体を受け止めた。

 

 酷い有様だった。頭から血を流しているし、左足に穴が。でも、息をしていた……生きていてくれた。正直ものすごく困惑したけれど、急いで彼女にもできる限りの手当てを施して……

 そこで、高嶋さんはどうなったんだって……高嶋さんが土居さんだけでもってここに投げ入れて、今もあの人を食い止めているのか……なんて考えたりもした。にしてはそれらしい戦いの音は……あの人の絶大な力が振るわれていれば響いてもおかしくはないのにそれはなくて……。

 

 ……でも一つだけ……高嶋さんはきっと、無事ではないんだろうって……

 

 

『……高嶋さんが土居さんの命を繋いでくれた……今度は私が…守るんだ……!』

 

 

 

「……それじゃあ……ホムちゃんじゃなかったの…?」

「…………」

 

 涙を浮かべたままキョトンとした表情で私を見つめてくる高嶋さんに、私は無言のまま首を縦に振った。

 当然、白鳥さんにもそれができたわけがない……

 

 一体、何がどうなって……?

 

 

◇◇◇◇

 

 何度も何度も、取り戻した携帯にあるそのアイコンをタップする。

 しかし何の反応もなかった。かつてはタップした瞬間現れていたのに、今は向こうから完全にそれを拒絶している。気に食わないことこの上ない。

 

 だったらいい、こちらにも考えがある。ちょうど寄宿舎に辿り着き、扉を開けてからは一直線に台所へ。そこで手に取るのは今まで一度も使っていなかった包丁……

 

 逆手に持って、それを躊躇なく自分の体に突き立てた。

 

『……!!?』

 

 ほら、出てきた。

 バリアで弾かれた包丁をそのまま投げ捨てて、私はこの精霊の首を掴んで壁に叩きつけた。

 

『……!? ……!』

「所詮はみんなを苦しめ抜いた神樹の手先……バリアで守ってくれるからって馬鹿みたいに信用していた私がどうかしていた」

 

 今回の出来事で、この精霊に対しての信頼も愛情も、全てが消え失せた。私達の未来を邪魔する連中を助け、こいつ自信邪魔をし、挙句に脅しに来たもんだ……金輪際信用することなんてできないわ。

 もう二度と、私の身を守ってくれるパートナーだなんて思わない。便利ではあったけど、もうこいつの存在に頼る気はない。

 

「消えなさい。バリアを張る時、私の後ろに現れて張る事だけは許してあげる」

『………!?』

「その機会はもう無いでしょうけど」

 

 もう要らないと思ったところで棄てられる物ではないけど……もう精霊バリアは頼らない。最初から攻撃に当たらなければ良いだけのこと。守られているという慢心を捨て去れば、バリアの有無は関係ない。

 

 便利な防御手段の放棄……些細な問題よ。それでこの鬱陶しい精霊との繋がりが薄れるのなら。

 

「二度と……二度とそのふざけたマスコット動物姿を私の視界に晒さないで」

『~~~~~~!』

 

 必死になって、精霊のくせに一丁前に涙をこぼすその姿は、怒りと憎しみしか感じられないのだから。




 完全に本編とは関係ない余談で、私事ではありますが……先日、18年間愛して可愛がってきたペットの愛猫が老衰で亡くなりました……。この話を書いてる時にいなくならないでよ……。


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第七十六話 「何故」

 この場にいるのは巫女三人と、勇者三人……。手術室前で項垂れているだけじゃ何もできないから、彼女たちの無事だけを祈って若葉さんの病室に集まった。当然その場も途端に重苦しい空気が充満してしまうけど、杏さんと球子さん、友奈さんの近くじゃないだけ暗い雰囲気を当ててしまわない分マシなのかも……

 

「……あの、千景さんは…?」

「精神を病んでいる今の千景さんに友奈さんが負傷したと伝えるのは、あまりにも……。遅かれ早かれ、気づかれることになるとは思いますが……」

「……これから一体、どうなってしまうんでしょう……」

「……私だって、どうなるのかなんて何も、分かりませんよ……」

 

 若葉さんと千景さんのお見舞いに病院に来ていた私とひなたさんが三回目となるバーテックスの四国襲撃があった事を知ったの同時に聞かされた、衝撃的な出来事。その時の私の頭の中は一瞬真っ白になって何も考えられなくなってしまって、その後病院に到着した救急車から運ばれた彼女達の姿を一周回って呆然と見つめていたような気がする……。

 

 ショックは大きかった……大きくないわけがないから。球子さんが、杏さんが、友奈さんが…三人が最後に会った時とは違うとても痛々しい姿になっていて……。親しい人たちが、私とうたのんを優しく笑顔で受け入れてくれた仲間が、そんな目に遭わされて……平気なはずがないから……。心臓を直接鷲掴みにされたように呼吸をすることを忘れてしまったくらいだから……。

 

「……こんなのって、ないよ…」

「まどかさん……」

「……わたし、直前まで球子ちゃんと杏ちゃんと一緒に…いたんだよ……。球子ちゃん、杏ちゃんを守るんだって……そう言って元気付けてた……なのに…! 二人とも……友奈ちゃんもこんな……こんなのって!!」

 

 手術室に運ばれて行った彼女たちの姿を見送ることしか出来ないで……。戦いが終わった後のみんなとすぐに合流し、一緒に救急車に乗って病院に来たまどかさんもずっと泣いていて……。

 

「く……そぉッ!!!!」

 

 直後、壁際の方で拳を叩き付けたかのような音を聞いた。声の主の方を見ると、怒りに満ちた表情を浮かべている若葉さんが……その拳を壁に押し当てていた。

 その右目には涙が浮かんでいて……悔しくて堪らないという気持ちがありありと伝わってくる。

 

「若葉さん! まだ怪我は癒えてないのにそんなこと……!」

「……私、が……居ない、ところで、あいつら…が……!」

 

 壁に叩きつけられた、包帯に巻かれたままの若葉さんの拳。決闘があった日から時間が経っているから、少しなら動けるまでに回復してはいるけど完治にはまだほど遠い身体。

 折れた歯、傷ついた咥内から紡がれる声だってどれも掠れて……激情のまま強烈に壁を殴ったせいで悪化しない方が変……。だけど戦闘に出られなかった若葉さんの怒りや悔しさは、とてつもなく大きいもので……続きは何も、言えなかった。

 

「……いったい、今回の襲撃で何があったのですか……?」

 

 そんな中、ひなたさんはどうにか動揺を抑えようとしながら説明を求める。事情を知っている、樹海で戦っていたうたのんとほむらさんに。

 

「三人があのようになるなど、今回のバーテックスはそれほどまでに強力だったのか……それとも……」

「……ごめんなさい……」

「ほむら…ちゃん?」

「……悔やんでも、悔やみきれないわ……」

「うたのん?」

 

 二人の言葉は何故か謝罪から始まる。そしてそれは後悔に満ちていて……。

 

 私たちは、今回の襲撃で樹海で起こったことを全部聞いた……。

 

 

 

「………っ!?」

「……なんで……なんでまたこんな酷いことばかり!?」

「……また……暁美さんが……」

………………れ……

 

 暁美さんが今回は三人を殺そうとしたんだって……聞いてしまった……。

 ひなたさんは驚きのあまり絶句してしまって、まどかさんは悲痛な声で嘆く。若葉さんは……俯いていて顔はよく見えない。なんて言っているのかも……ただ、小刻みに肩が震えている。

 

 ……私は……話が進んでいく中で、頭の中が今度は真っ黒に塗り潰されてしまう。何も考えたくなくなってしまうくらい…。怒りとか悲しみとかそういう感情で、頭がおかしくなりそうになる……。でも、悲しみだけは一際胸を締め上げていく……。かつて期待して、信頼していた分、それが次々に裏切られている現状がひどく辛くて……。

 

 暁美さんのこと……うたのんを助けてくれたあの人の事、信じたかった……。だって、どうしても忘れることなんてできなかったんだから……あの日私達が二度も失われながらも取り戻してくれた、光り輝いて見えた希望は……。みんなの心の底から涙と一緒に沸き上がった、とても温かな気持ちは……。

 

 なのに今は、こんなにも胸が苦しい。痛くて苦しくてたまらない……。嘘としても思いたくもない冷たい瞳と言葉を置いて私達の元から離れていって、球子さんをあしらって、千景さんを、若葉さんを……時間が流れるにつれてその痛みは増していくばかり……。

 

 そして……今日……。

 

 

 

 ……私には……もう、無理だよ……。怖いよ……。

 

 

 

「……ほむらさん、歌野さん……そこに」

 

 報告が終わって静まり返るこの場に、ひなたさんの声が響いた。話を聞いてからというもの、ひなたさんの肩は僅かに震えている。聞こえた声も普段とは少しだけ感情が漏れていたように、どこかいつもと違っていた。

 

「上里…さん」

「……少々、お預かりします」

 

 話す事も辛かったのは傍から見ているだけでも分かるほどに、ほむらさんの顔色は悪くて……。そんなほむらさんの前に近寄ったひなたさんは、そっと彼女の顔に手を伸ばすと、了承を得る前に彼女の眼鏡を手に取った。

 

「え、あの」

 

 パンッ!!

 

 次の瞬間、乾いた音が響き渡る。突然の事に何も理解できない私たちの前で、ひなたさんは手を振り抜いた姿勢のまま固まってしまっていた。

 誰もがひなたさんがほむらさんを叩いたことに気付いたのは、その音が聞こえてから数秒経った後だった。

 

「ひなたさ…」

「……ッ!!」

 

 パァンッ!!

 

 うたのんの呼びかけよりも早く、もう一度振り抜かれたひなたさんの手。それが今度はうたのんのほっぺたを強く叩く。

 驚きながらも呆然としている私たち……。その中でただ一人、叩いた本人であるひなたさんだけが、はっきりとした怒りを露わに、わなわなと手を震わせながら口を開く。

 

「御自分達が何をしたのか……解っているのですか……!?」

「「…………」」

「バーテックスを目の前に、うどんと蕎麦で口論…!? それを爆破されたから、若葉ちゃんの件を忘れて絡んでブーイング!!?」

 

 いつもお淑やかなひなたさんが心からの激情を露に、叫んでいた。

 

「どれだけ迂闊な……! どれだけ愚かな……! その無責任の極み、自分勝手な言動がどのような結果を齎すのか、考えもしなかったとでも言うのですか!!!!」

「「…………は…い……」」

「はい、じゃあ……ないでしょう!!!?」

 

 うたのんとほむらさん、この場にはいないけど球子さんに対してとても大きな不満を一切隠すことなくぶつけていく。

 確かに……私にはあまりにもショックが大きくて、今になって何が大きな問題だったのかをようやく気づかされた。最初に杏さんに爆弾を投げつけられたっていう話だったけど、その原因はうどんと蕎麦。そこからうたのん達が我を忘れて取り乱してしまったからだってことに……。

 うたのんの蕎麦に対する熱意と拘り、ほむらさんと球子さんがうどんには目が無くてのめり込まずにはいられない性分であることは、私たちみんなが熟知していることではある。だけど、今回の事は場を弁えずにそれで暴走してしまったせいで致命的なミスを犯してしまった……。何も非が無い杏さんを巻き込んで、連鎖的に友奈さんをも巻き込んで……だから、ひなたさんのこの反応は当然なんだと思う……。

 

「ひ、ひなたちゃん……その……気持ちはわかるけど……二人だってずっと後悔して…」

 

 ひなたさんがうたのんとほむらさんを責める光景なんて心苦しいだけ。それに病院に来る前からずっと思い詰めている様子だったから……。二人はひなたさんに言われるまでもなく、迂闊な行動だったことを理解している。

 

「私だって、傷ついた貴女達を責めたいわけではありません! 本当に悪いのは疑うまでもなくあの方ですから………ただ、ただ……!」

「「「「……」」」」

 

 それでもひなたさんは二人に言わなければいけなかった……。私とまどかさんがショックを受けて言うことができないんだったら、彼女が私達の分まで背負う必要があったから……。仲間を想う心があるからこそ、目を背けてはいけない話だったんだから……。

 

「……何を……馬鹿なことを、やっているのですか……!」

 

 ひなたさんの泣きそうな声に、うたのんとほむらさんは何も言い返すことが出来ない。他ならない、行動を起こした暁美さん自身から二人は自分たちのせいだって責任をぶつけられている。馬鹿なことをしたんだってとっくに後悔の念に押しつぶされていた。そこからどうしてもひなたさんが言わずにはいられない想いから改めてその過ちを突き付けられて、堪えるように唇を噛み締めていた。

 

「……私、伊予島さんになんて謝れば……!」

「……ミー…トゥー……」

 

 後悔一色に彩られた雫が一滴、ほむらさんの頬を流れ落ちる。それを見たうたのんも表情により深い影を落とし、罪悪感が一層強くなったみたいで……。

 

「……少なくとも、二人は当分の間、うどんと蕎麦を食べる資格が無いことは確かです」

「「そんなッ!?!?!?」」

 

 二人の打ちのめされた後の暗い表情が、一瞬で絶望感でいっぱいの真っ青なものになって…………はあ?

 

うたのん?

ほむらちゃん?

「「ひぃっ!?!?!?」」

「……何ですか、たった今の顔は!!? うどんと蕎麦を蔑ろにされたがために杏さんの命を危険に晒した方々には当然の報いでしょう!!!!」

「「…………ごもっとも…です……」」

 

 ……流石にこの反応は、私とまどかさんも何を言っているのって怒りが顔を出した。二人と土居さん、今回は悪くないけど若葉さん……彼女たちのうどんと蕎麦への愛情は度が過ぎてる!!

 

「杏さんが心身共に回復するまで、うどんと蕎麦を食べる事を固く禁じます!! 良いですね!!?」

「「……はい……」」

 

 有無を言わせないひなたさんのその宣言を、二人は受け入れるしかない。そうじゃなきゃ、今度は私達も許せない……。

 

 ……だけど、問題を起こした二人に今罰を与えても、良いことがあったり誰かが報われることは無いんだ……。

 むしろ内容があんなのだとしても、二人を激しく糾弾してしまったんだから、最悪な空気としか言いようがない。誰も何も言えなくなってしまって、重苦しい沈黙がこの場を支配する。

 無音が支配する……誰もがそう思った。

 

「…………の……れ……」

 

 実際には、違った。私達の中で沈黙が生まれたことによって、その呟きが私達の耳に届くようになったんだから……。

 今までずっと埋もれていた、蚊の鳴くような小さな呟き。でもその中に含まれていた感情は……

 

「……おの……れ……!」

 

 怒りは、憎しみは、憎悪は……全てを押し潰さんばかりの激情に満ちていて……

 

「おの…れ……おのれ……おのれぇええええええッッ!!!!

「っ!?」

 

 まるで呪われた怨霊のような、血を吐くように絞り出された怒声が、静まり返った室内に響き渡る。

 

暁美ィィィィイイイイイイイイイッッ!!!!!!

「ひっ…!?」

 

 若葉さんが立ち上がって叫び出した。とても若葉さんとは思えないほどの怒号を上げて、暁美さんへの恨みを吐き出す。普段の若葉さんからは想像もできない姿だ。強い憎しみを抱いて、今にもその憎しみを爆発させてしまいそうな危険な様子で……。

 

「うあああぁああああ!!!!!!」

 

 そのまま若葉さんは外に飛び出そうと駆け出そうと……いけない!!

 

「だめ!!若葉さん!!!」

 

 あれは若葉さん、自分の今の状態なんかお構いなしで暁美さんに復讐する気だ!!

 

「っ、若葉!!」

 

 私の声に反応したのか、話していた間ずっと落ち込んでいた様子だったうたのんが顔を上げるのと同時に部屋の出入り口の前に立ち塞がってくれた。

 うたのんはまだ勇者システムも持っていないからってのもあるけど、バーテックスの襲撃みたいな緊急事態にいつでも対応できるようにって、ここ最近勇者装束を着込んだまま生活している。

 今もうたのんの着ているジャージの下には勇者装束が。身体能力は勇者の力そのままって事で、難なく若葉さんを受け止めることができた。

 

「離せ!!歌野ぉおお!!!!」

 

 だけど、若葉さんはうたのんを振り払おうとして暴れ出す。炎のように荒い真っ赤な怒りに飲まれて、何も周りを見ることができずにいたから……。

 

「くっ…! 言ったでしょ!! 今度暁美さんにちょっかい出したら、今度は巫女から殺す気だって!! 何のプランも無くて飛び込んで……あなた、自分だけじゃなくてひなたさん達三人を殺すつもり!!?」

「……っ!?」

「アングリーはオフコース……だけど、ふざけるんじゃないわよ!!」

「歌野……」

「……私達が悪かったから……もうこれ以上は……! 勘弁してよ……!」

 

 振り絞るように言われたうたのんの言葉を聞いて、ハッと我に返ったように若葉さんの抵抗が弱まる。うたのんの声は、とても苦しそう……心の中ではいっぱい泣いちゃってるかのような悲壮感に溢れているように感じられたから……。

 

「………違うぞ、歌野……悪いのは…お前達では…ない……」

「…んなわけ……」

「諸悪の根源…なんぞ…全て………ぁ、く…!」

「!? 若葉!」

「若葉さん!? しっかり!」

 

 突然目の前で若葉さんが崩れ落ちるように倒れかけた。咄嵯に駆け寄って体を支えた……やっぱり、体中がボロボロの若葉さんにとって、今の行動は全身にかなり無理があったようで……苦しそうに、必死に再発した激痛を堪えている。

 

「わたし、看護師さん呼んでくる…!」

 

 そう言ってまどかさんが部屋から出て行こうとした。でも、それを遮るように伸ばされた腕がまどかさんの足を止める。

 

「……いや、いい……大丈夫だ……」

「若葉ちゃん……」

 

 痛みが混じった声色ではあるけれど、若葉さんは私の肩を借りようとして……その意図を汲み取れて、一緒に立ち上がった。そんな若葉さんの表情は辛そうではあるけれど、意識ははっきりとしていて……一応自分の足で歩けるくらいには問題なさそうな感じ……。

 

「……若葉ちゃん。今はとにかく…体を労わってください」

「そうですよ、若葉さん……。今は若葉さんの体だって、みんなが心配しているんですから……」

「……あぁ」

 

 ゆったりとした足取りで椅子に座った若葉さんの傍に、ひなたさんと一緒に寄り添う。さっきまであんなに荒れ狂っていた若葉さんも、少しだけ落ち着いてくれたみたいで……

 

「……ゆる…さん……! 決して……!」

「若葉…さん……」

 

 ……そんなこと、あるわけがない。仲間を殺されかけて、私達巫女に危害を加えると脅して、若葉さんが許せるはずがないから。

 

 今下手なことをするのは良くないから、動くのをやめただけ。若葉さんにできることはただ一つ……蓄えるしかなかった。憎悪と殺意に塗れた怨念を宿したまま……それを―――

 

「必ず報いを……貴様に……貴様だけは……!

 

 

 

 

絶対に…許しはせんぞ……!! 暁美ほむら…!!」

 

 

 若葉さんの心の中に激しい怒りの炎が燃え盛っている。それはきっと、消えることは無いのだろう……と、そう思ってしまう程に、深い憎悪の業火に彩られていた……。

 

 

◇◇◇◇

 

 三人の手術は終わった……。

 三人とも命は助かった……それだけはいい事だけど。術後、運ばれて行った病室にみんなで足を踏み入れる。

 

 三番目に入った彼女の病室に特に重い足取りで……ベッドの上に横たわる彼女に、こっちが知っていて向こうがまだ知らないことを伝えに行く。

 

「……アンちゃんもタマちゃんも……まだ意識が戻らないんだね……」

「……うん」

 

 悲しげに、話を聞いた友奈さんはそう言った。友奈さんの負傷は打撲が数ヶ所と肋骨を3本骨折。鎮痛剤や術後の発熱のせいで意識がぼんやりとしていたけど目を覚ましていた。

 だけど杏さんは腕と顔に、焼け爛れるような火傷を負った。爆炎が彼女の左目までを焼かなかったのは奇跡としか言いようがないほど大きな範囲を……。

 

 友奈さんの病室に入る前、私達は最初に杏さんの病室を見に行った……。そこには……私達の知る姿とは似ても似つかない変わり果てた姿の彼女がいたから……。包帯に包まれた顔と左腕。お医者さんが言うには今後再生しない火傷がその内側にある。痛々しいその姿に、みんな涙を堪えられなかった……。

 

 そしてその次に入った球子さんの病室……彼女も、樹海で大量の血を流してしまった。左足を貫かれて全身を激しく打ち付けていて、両方の手の平も鋭利な刃物が食い込んだかのように裂けていた。

 それに……数センチ、頭が割れていた……って。

 

「……私がもっと早く動けていたら、もっとしっかりしていたら……タマちゃんはもう少しはマシだったのかな……」

「高嶋さんは、あの場で誰よりも立派で正しい行いをしていました……。本当に……」

 

 傷だけで見れば、球子さんが一番危険だった。大怪我を負ってなお、球子さんは杏さんを傷つけられた憎悪に突き動かされた。友奈さんが止めに行くのが遅かったら、仮に暁美さんに止めを刺されなかったとしても死んでいたかもしれない。それでもやっぱり、意識は戻っていない……いつ目覚めるかは、わからない……。

 

 それに、球子さんの神器は壊されてしまった。今は大社に回収されて、どうにかして修復できないか専門のチームに預けられたけど、私もその時に一目見たけど、ボロボロだった…。きっと元通りに戻る可能性はかなり低い……。

 今後の球子さんの回復と勇者として復帰できるかどうか、みんな締め付けるような胸の痛みを堪えるしかなかった。

 

「……でもさ、結局私、肝心な所で失敗したし……ホムちゃんが牽制してなかったら、今頃……」

「下手を打ったのも全部私達が……悪いのは、私の方なんですよ……!」

「二人とも、やめろ。自分を、責めるな」

「「…………」」

 

 どんなに辛く後悔するしかないとしても、過ぎ去ってしまった過去はやり直せない。それが取り返しのつく失敗じゃなくて取り返せもしない致命的なもの。だからそれを悔いるのは当然だけど、そればかりにとらわれてはいけないって思うのに、誰もこの絶望を振り払えない。

 

「……だけど、こうして友奈ちゃんが無事に……とは言えないけど、ちゃんと生きていてくれているのは本当によかった……」

 

 ……でも少しだけ、一瞬だけ薄めることなら……そう思ったのか、まどかさんがしみじみと呟く。

 

「そうそう! 友奈さんは言わずもがなだけど球子さんのレスキューと暁美さん相手にサバイブできた時点で。ほむらさんは二人の応急処置とラスト油断しないでディフェンスの要になって守ってくれて、二人は文句なしのグッジョブだから! 鹿目だけに!」

「…………うたのんはさあ……」

「まあ、気が抜けるようなダジャレが今は有難い……かな?」

 

 うたのんの相変わらずの酷いフォローに、みんなは微妙な苦笑いを浮かべている。それでもまどかさんが言った、友奈さんはちゃんと生きている……死んでいない。それは杏さんや球子さん、ほむらさんにうたのん。みんなの命が失われずにここに。

 ……暁美さんはみんなの事を居ないものとして扱う……今回のことはもう終わって、掘り返してみんなが襲われる事はたぶん無い。

 たくさん傷付いた……身も心も……。今回のことがあったんだから、こっちももう誰も暁美さんに関わろうとする人は居ないはず……。こんな悲劇は訪れない…………

 

『藤森さんね。私は別にテレビを盗もうとしたわけじゃないのよ。本当よ?』

 

『どういたしまして。といっても、勇者として当然の事をしたまでよ』

 

『ここの人々を助ける方法……それを見つける前に自分勝手にここから去ったら、私は大切な人達に合わせる顔がない』

 

『なせば大抵なんとかなるものよ。できる限りの事は協力するわ』

 

『白鳥さんと藤森さん、本当に仲が良いのね』

 

 ……もう、二度と……。

 

『……おめでとう、白鳥さん、藤森さん』

 

 誰も関わらなければ…………

 

「……ッ!」

「水都さん?」

「暁美さん……何…で!」

 

 何故。何故。何で。どうして……。苦しい。辛い。悲しい。そんな気持ちが溢れて止まらない。裏切られた友情、私の中で膨れ上がっていく黒い感情に……呑み込まれてしまいそうになる。

 

 

 

 

 

「あのねみんな……一つだけ、いいかな…?」

 

 だけどその寸前、友奈さんが静かに口を開く。それはどこか自信なさげな声だったけれど、不思議と病室に響いてみんなの耳に届いている。

 そして友奈さんは……はっきりとこう言った。

 

「……あの子、たぶんなんだけど……私を殺す気はなかったみたい」

「「「「「……えっ?」」」」」

 

 みんなの声が重なった。

 

 

◇◇◇◇

 

 友奈さんから思いがけない話を聞いた……だからといってそれは簡単に飲み込める話ではないし、どういうことなのって、ますます疑問が深まるばかりだった。

 誰もその答えを導くまでには至らない。気づけば病院の面会時間が過ぎようとしていたし、今日は本当にいろいろと疲れたから、何も考えられそうにない。それに友奈さんを休ませることはとても大事……今日はこの場で解散するって話で落ち着いた。

 

 結局杏さんと球子さんも、未だ意識が戻らない。私もみんなも明日ももちろん様子を見に行くつもりだけど、どうか明日には目が覚めていたらと思うしかない。

 

「それじゃあ、また明日ね……」

「では……」

 

 私達とは別の方向に。病院の前で別れるまどかさんとほむらさんがお家に帰っていくのをうたのんとひなたさんと一緒に見送る。

 心にぽっかりと穴が開いた気持ちは埋まらないままだ……。だけどそれを表には出さずに笑顔で手を振った。

 

 まどかさんとほむらさんの姿が見えなくなったところで、今度は私達が帰ろうかなって話になった時。ふとひなたさんが何かを思い出したかのように呟く。

 

「歌野さん、待ってください」

「ワッツ? 何かしら?」

 

 いきなり呼び止められて、うたのんは首を傾げる。何を言われるのか何も予想がついていない様子のうたのんに、ひなたさんはうたのんが持っている袋を指さして、凛とした声を発する。

 

「……その中身、蕎麦の材料だと耳にしていますが今の歌野さんには不要な品でしょう? 腐らせるのもなんですし、よろしければこちらで回収して大社の方で役立てますが」

「…………」

 

 うたのんの表情が気まずそうなものに変わってしまった。そういえばそうだよ…。うたのん今日は朝から知り合いの人を訪ねたり、買い物に行ったり、蕎麦の材料を集めていた。どの素材の明らかにこだわりの物で、量だって見た通りたくさん……。気合を入れてとてもおいしい蕎麦を作るんだって言ってるようなものだ。集め終わって一息ついたタイミングでバーテックスの襲撃があって、それで……。

 

「いや、その……この蕎麦は……ちょっと」

「…………」

「アハハ……ひなたさん、アイズがスケアリー……ハハッ……」

 

 無言の圧力。うたのんは冷や汗を流しながら苦笑いするけど、そんなもので逃げられるわけがない……ううん、私だって逃がさない。

 

「……うたのん、約束でしょ」

「み、みーちゃん……」

 

 杏さんがあんな目に合って、いっぱい後悔しているといってもこの罰から逃げるなんてとてもじゃないけど許せない。杏さんだけじゃない、うたのんの事を思うからこそ、ここで簡単に約束を破ることは認められない。そんなの蕎麦が大好きだとしても、私が心から憧れたうたのんなんかじゃないから。

 

「そ、そうじゃないの…! この蕎麦は最初から、私が食べるために集めた物じゃなくて……!」

「えっ?」

「なんて言うか……」

 

 後ろめたそうに頭を掻きながら、うたのんは言葉を詰まらせている。そして観念したように深くため息をつくと、申し訳なさそうに私達の方を向いて、言った。

 

「……実は、四国に来てからこっちで仲良くなった子供達がいて……その子達に最高にデリシャスな蕎麦をご馳走してあげるってプロミスをしていて……」

 

 ……仲良くなった子供達…? その子達に蕎麦を…?

 

「……そういえばうたのん、今朝今日は夕方から用事があるって言ってたよね……その事だったの? 時間は大丈夫なの?」

「……じつは結構ギリギリ……あんなエアーの中じゃ言い出せなかったけど……」

 

 なんだ、そういうことだったんだ……。それならそうと早く言えばいいのに………あれ?

 ……いや、逆に変だよ。どうして、言い渋るような話なんかじゃないのに……私はたった今、うたのんと仲良くなった子供がいるなんて話を聞いたよ?

 それは当然、ひなたさんも全く知らないことなわけで……。

 

「子供達……ですか?」

「毎朝ホワイトスワン農場のお手伝いもしてくれているの。それで日頃の感謝のつもりで蕎麦パーティーを考えて……」

「……そんな話、私初めて聞いたよ?」

「あ、あれ…? 言ってなかったかしら……?」

 

 聞いてない。そんな話は初耳だ。というかそんな話をしていたら絶対に覚えてるはずなのに……。少しの間、私とひなたさんはお互いの顔を見合わせる。

そして、疑いしかない目を一斉にうたのんに浴びせた。

 

「だからこの蕎麦が無くなると、その子達にお礼ができないというか……」

「「…………」」

「本当なの! お願い信じて!」

 

 慌てて懇願してくるうたのんを見て、もう一度ひなたさんとお互いに顔を見合わせて、溜息を。……まぁ、うたのんだから……。

 

「……分かりました。そちらの蕎麦をこちらで取り扱う事は致しません」

「リ、リアリー…? 蕎麦パーティー、行ってもいいの?」

「うたのんが蕎麦を食べるのはダメだけどね」

「わ、分かってるって!」

 

 いくらなんでも、あんなに大事な約束を簡単に破るような人じゃないから、うたのんは。うたのんが蕎麦を食べないんだったらそれ以外に問題は無いんだし、だから一先ずは信じれる。ただ……

 

「ですが、今の歌野さんの反応……イマイチ信用できません」

「……うたのん、絶対何か隠してるよね……私達に……」

「うえっ!? かかか隠ししてなんか……!!」

 

 私達が疑っていることに気付いて、うたのんは露骨に取り乱す。やっぱり何かあるみたいだ。怪しい……怪しすぎる。

 

「水都さん、歌野さんに付いて行って本当にその子供達に蕎麦が振る舞われるのかの確認、それから一緒になって蕎麦を食べないよう、歌野さんの見張りをお願いしても良いですか?」

「もちろん。付いていっていいよね、うたのん」

「えっ!!?」

「歌野さん……まさかとは思いますが、こっそり食べればバレないと思って……?」

「そそそそそそそそそそんなことするわけが……! ただどうしてもこれは!」

「うたのん、震えすぎ……」

 

 ひなたさんと揃ってジト目でうたのんを見る。さすがにうたのんも観念したようで、両手を上げて降参とばかりに大きくため息をついた。

 

 

 

「それで、どうしてあんなに必死に隠そうとしていたの?」

 

 病院から出て向かうのは、集合場所に選んでいたらしいうたのんのホワイトスワン農場。目的地に辿り着くまでの道中、気になっていたことを訊いた。

 

「……この際、向こうに着いたら分かっちゃうんだけど……お願いみーちゃん」

「?」

「これから誰と会うのか、みんなにはナイショにしていてほしいの」

「……だから、それがどうしてなのかって訊いて……」

 

 いつの間にかうたのんと仲良くなっていたっていう子供達。それだけならまだしも、私にも言えなかった相手。しかもこの期に及んで他の人達にも内緒にしてほしいなんて言っている。……もしかしなくても私達に知られたくないような相手……正直理解不能で不安でしかない。

 

 一体どんな子達なんだろう……。

 

 

 

Langsam!!

 

 …………は?

 

「ソーリー遅くなって! そっちもみんな揃ってる?」

Ja. Sie haben darauf gewartet, dass du kommst

Übrigens, Herr Utano, wer ist das?

「あぁあなた! 今日は本当にありがとう! おかげで私も友奈さんも命拾いしたわ!」

「……え、は……え…………はぁ!?!?!?」

 

 ホワイトスワン農場で、私は見た……。顔面蒼白で、両目を大きく見開いて、大きく口が裂けた、真っ黒の衣装に身を包んだ()()()を。その子供達がぞろぞろとうたのんの側に集まってくるのを……!!

 

Ist das Kind nicht Mi-chan? Utano hat mir viel erzählt

Nun, schön, dich kennenzulernen. Vielen Dank im Voraus

Ich bin unbeholfen……

「ひっ……!!?」

 

 ギョロリと動く目玉がいくつも私に向けられる。不気味でしかないその姿を前に足が竦んで尻もちをついちゃう。

 そこで目に入る………前に私を鎌の刃を向けて、お腹を殴りつけたこの姿……! 恐怖が一気に沸き上がり、倒れたままうたのんの足に縋りつくしかできない……!!

 

「……大丈夫よ、みーちゃん。この子たちは全然悪い子達なんかじゃないから」

「……う、うたのん……!?」

Geht es deiner Schwester gut? Kannst du es aushalten? Ich helfe dir?

「そういえばあなたは初めましてよね。新しい子が増えるなんて嬉しいわ! 私は白鳥歌野、こっちはみーちゃんよ♪ よろしくね!」

「……………!!?」

 

 うたのんは何ともなく、いつも通り。フレンドリーな雰囲気全開で、笑顔で、あの暁美さんの使い魔と話していた。

 使い魔は……前に私を殴ったり、千景さんを襲ったりしたらしいし……うたのんの腕の骨を折ろうとしたことだって……! それ以前にあんな事があったというのに、暁美さんが使役する得体のしれない怪物なのに、うたのんはそれを今、平然と受け入れていて………!!?

 

 ……………まさか………いや、そんな………でも、そうとしか思えない……! うたのんは……まだ……

 

 

 

「……まだ諦めていないの……? 暁美さんの事を……まだ……」

 

 信じられない想いで吐き出したその言葉に対し、うたのんは………

 

「……もちろん許せないって気持ちはみんなと一緒。お腹の底からアングリーなのだって……でもね」

 

 曇り一つない、私が憧れた白鳥歌野という人間そのままの真っすぐで明るい笑顔でこう言った。

 

 

 

「友達だもの」




ゆうほむへの西暦組好感度一覧(A~E判定)
A―大好き
B―好き
C―普通
D―嫌い
E―大嫌い


乃木若葉:F (悪魔の敗北者)
「必ず、この報いは受けてもらう……!!」

上里ひなた:E (宝物を傷つけられた者)
「二度と、皆さんに関わらないでください……!!」

土居球子:F (打ちのめされた復讐者)
「くそったれがァ!!!!」

伊予島杏:E (理不尽な犠牲者)
「………タマっち先輩……みなさん……」

高嶋友奈:C (足掻いた者)
「………どうして…だろう……わからないことばかりだ……」

郡千景:F (存在の否定)
「殺してやる……」

鹿目まどか:C (悲劇に呑まれし少女)
「…………」

鹿目ほむら:E (忍び寄る謎)
「自分の顔や声が嫌になりそう……」

藤森水都:? (裏切られた少女)
「忘れたいのに…忘れられない……」

白鳥歌野:S (農業王)
「この想いに嘘はない」


【使い魔翻訳】

Langsam!!(遅ーい!!)』

 …………は?

「ソーリー遅くなって! そっちもみんな揃ってる?」
Ja. Sie haben darauf gewartet, dass du kommst(ええ。みんなあなたが来るのを待っていたわ)』
Übrigens, Herr Utano, wer ist das?(ところで歌野さん、そちらの方は?)』
「あぁあなた! 今日は本当にありがとう! おかげで私も友奈さんも命拾いしたわ!」
「……え、は……え…………はぁ!?!?!?」

 ホワイトスワン農場で、私は見た……。顔面蒼白で、両目を大きく見開いて、大きく口が裂けた、真っ黒の衣装に身を包んだ()()()を。その子供達がぞろぞろとうたのんの側に集まってくるのを……!!

Ist das Kind nicht Mi-chan? Utano hat mir viel erzählt(この子がみーちゃんって子じゃないかな? 歌野ちゃんがよく話てくれた)』
Nun, schön, dich kennenzulernen. Vielen Dank im Voraus(えっと、初めまして、ですね。よろしくお願いします)』
Ich bin unbeholfen……(私気まずいのだけど……)』
「ひっ……!!?」

 ギョロリと動く目玉がいくつも私に向けられる。不気味でしかないその姿を前に足が竦んで尻もちをついちゃう。
 そこで目に入る………前に私を鎌の刃を向けて、お腹を殴りつけたこの姿……! 恐怖が一気に沸き上がり、倒れたままうたのんの足に縋りつくしかできない……!!

「……大丈夫よ、みーちゃん。この子たちは全然悪い子達なんかじゃないから」
「……う、うたのん……!?」
Geht es deiner Schwester gut? Kannst du es aushalten? Ich helfe dir?(お姉さん大丈夫ですか? 立てますか? 手を貸すよ?)』
「そういえばあなたは初めましてよね。新しい子が増えるなんて嬉しいわ! 私は白鳥歌野、こっちはみーちゃんよ♪ よろしくね!」
「……………!!?」

 うたのんは何ともなく、いつも通り。フレンドリーな雰囲気全開で、笑顔で、あの暁美さんの使い魔と話していた。


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第七十七話 「野菜」

 予定より長くなってしまったため前半後半に分けることにしました。
 今回と次回は使い魔のセリフ量も相当なので、いつもの後書きの翻訳はカット。本文中にそのまま訳を載せます。キャラクターは何を言っているのか分からないまま進みますが……


 黒衣を身に纏う、7体の使い魔……彼女達は神樹と繋がっている精霊猫又、そこから暁美ほむらが介して顕現した存在であり、彼女が率いる対障害の兵士である。

 

 オーバーテクノロジーを誇る勇者システムの賜物か、その戦闘能力はこの時代の勇者に引けを取らない。それでいて主である暁美ほむらの命には忠実に従い、命令とあらば非力な人間であろうとも害するのも厭わない。

 

 彼女達には、魂も心も存在しないのだから。在るのは……プログラムされた、機械的な……

 

 だがしかし、7対の使い魔全てが戦闘に精通している……それは誤りである。

 勇者の力を持った者のように、縦横無尽に樹海を駆け廻れる身体能力、仮に走る車に激突されても普通に起き上がれる頑丈な肉体を全員が有してはいるが、それでも基本的にその能力を荒事に活かそうとはしない使い魔が、2体いる。

 

『……Hm…?(あれ…?)』

 

 その内の1体にはとある日課があった。

 

 なぜそれを行うのかは使い魔自身にもわからない……体に染み込んでいる本能のような、使命のような何かが毎日、同じ時間同じ場所に使い魔の足を運ばせていた。

 フワフワな髪質の、茶色のボブカットが物陰からひょっこりと顔を覗かせる。ここ数週間の間に開かれた、真新しくもそこそこの敷地を誇るこの場所に。

 

「………………ふぅ」

『……Sie wirken heute etwas lustlos……?(なんだか今日は元気がないっぽい……?)』

 

 ホワイトスワン農場。諏訪からやってきた勇者、白鳥歌野が大社から借りた菜園だ。使い魔は毎朝早くにここを訪れて、そこで農作業をする一人の少女を遠くから隠れて眺めている。決して少女には近づかず、自分がこっそり覗き見ている事に気付かれないよう隠れながら、心から楽しそうに野菜を育てている少女を見守ること。それが正しい感情を持たない彼女の欠かさない日課だった。

 

「…………」

Sie scheint sich normalerweise gut zu amüsieren……(いつもは楽しそうにしてるのに……)』

 

 しかしこの日、いつもであれば鼻歌交じりに土と植物を弄る少女、白鳥歌野は少しもそのそのような顔を見せなかった。影を帯びた目、憂いを帯びた横顔……何かを思い悩んでいるように見える表情はとても彼女らしい物とは呼ぶことはできない。

 暗い表情のまま淡々とそれでも野菜には水をやり、作物に肥料を与え……いつもと変わらないように過ごす少女を遠くから見つめながら使い魔は首を傾げた。あの元気で明るい少女が、なぜあんな顔をしているのだろうか、と。

 

 

 

 

(…………やっぱり……ね)

 

 

 

 

 

 翌日、相も変わらず使い魔は日も昇り切っていない早朝の農場前にやってきた。結局昨日の歌野の悩みの理由を知ることができなかった使い魔だったが、そんな事は関係ないと言わんばかりにこの日も当たり前のようにそこにいた。己が本能の示すままに、この日も農作業をする歌野を見るために。

 

Ach, das……?(あ、あれぇ……?)』

 

 いつも歌野からは気づかれない、隠れながらも覗き見るのに絶好のポジションを位置取った使い魔。しかし、いざそこから畑の中に視線を移した時、使い魔は不思議そうにポロっと小さな声を漏らした。

 歌野がいつもの様に農作業をしているはずの畑の中に……その影も形も見当たらなかったからだ。

 

Wie? Normalerweise wären sie schon längst hier gewesen……?(えっ? いつもならとっくに来ている時間だよね……?)』

 

 毎日欠かした事の無い白鳥歌野の明朝の農作業。タイムスケジュールも徹底され、一切の狂いなく行われるその作業が当然の物だと思っていた使い魔は、どこにも歌野の姿がない事が不思議でならないと言わんばかりに首を傾げる動作をする。

 

Ist sie an der falschen Stelle…?(場所が悪いのかな…?)』

 

 キョロキョロとあたりを不思議そうに見回しながら、もしかすると今覗いているここの位置が悪いのかと考えた。一応念のために物音を立てないようこっそり前へ出て。より近い場所から畑の中を覗き込んだ。

 

『……?』

 

 そこからも、歌野の姿はどこにも見当たらない。が、しかし、使い魔はそこで土の上に不自然に置かれていたある物体に気が付いた。

 歌野が居ないことを理由に、使い魔は一歩、また一歩とそれに近づいていく。無人の畑に完全に足を踏み入れて、使い魔はそこに書かれていた文字を読んだ。

 

『フレッシュでおいしい野菜です!!! ご自由にどうぞ!!!』

Leckeres Gemüse……(おいしい野菜……)』

 

 それは一つの籠。中身は色取り取りの野菜が籠一杯に詰まっていて、そしてA4サイズの紙に書かれた書き置きが貼られていた。

 この農場で育てられた野菜だろうか……いやそもそもこの農場で野菜を育て始めたのはここ数週間前、最近の話だ。一番成長が早い野菜でも収穫はまだ先の事だろうと歌野も先日呟いていたのだって使い魔は聞いていた。

 ……それ以前に、なぜ無人のこの場にこんな物が置かれているのだろうか……。勝手に取っていいのだとしても、普通なら人通りのある場所に設置するべきだろう。来る人の限られるホワイトスワン農場など、場所がおかしいと言わざるを得ない。

 

『……Kann ich es haben……(貰ってもいいんだ……)』

 

 しかし使い魔はそんな事を疑問には思わなかった。彼女は人ならざる存在が人を模した存在……故に、常人のように疑い深く思考しようという意思は欠けていた。

 歌野がここにはいない。この野菜を取ってもいい。素直にそのままの事実を受け止め、使い魔は篭からキュウリを一つ手に取った。

 

haben…Hm?(いただきま…ん?)』

 

 手に取ったキュウリを目にした時、使い魔はもう一つ、ある物に気が付いた。今まで籠の方に意識が向いていたために、そしてそれが籠よりも目につきにくい物だったから、この時になってようやく地面にある変わった物の存在を認識する。

 

 使い魔の目線の先、手に取ったキュウリよりも下。籠のすぐ側……使い魔の足元。地面の土の中から数センチだけ伸びてある、変わった形の一本の管のような物。

 先端付近には無数の小さな穴があり、そこから外側へ空気が出たり入ったりを繰り返している。

 

 使い魔は無知などではない。仮にも長く人間たちの世界を見守り続けた神の眷属の一端だ……人間が作り出し普及させた道具の固有名詞くらい知っている。しかしそれはこの場においては普通使われないだろう、ここにこう存在していること自体がありえなく、使い魔の思考回路を狂わせる。

 

Schnorchel……?(シュノーケル……?)』

 

 

 

 

 その瞬間、地面が蠢く。

 

 完全に使い魔の想定の範囲外だった。

 

 足元が一気に盛り上がり、居ないはずの存在が土の中から、地面を突き破って飛び出してくるだなんて……

 

 

 

 

どっっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい(ぶをぉっっぶぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい)!!!!!」

Waaaaaaaaaaaaaaas!?!?!?!?(ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?!?!?!?)』

 

 地面が弾ける勢いのあまり空中に浮かび上がる、小さな使い魔の体。その上飛び出してきた全身畑の土塗れの人物の勢いはそのまま、使い魔へと肉薄し、そして……

 

「ぬぉおおーーーっ!! キャーーーッチ!!!!」

 

 全身でがっちりと使い魔を抱きしめた。

 

Hör aaaaaaauf!! Erde、korrumpiert werdeeeen!!!! Hiiiiilfe!!!!(いやぁーー!! 土、汚れるーーー!!!! 助けてーーー!!!!)』

 

 

 

 

 

「ごめん待って。うたのん一回ストップ」

「えっ、うん」

Soba, köstlich……(蕎麦、おいしい……)』

Die Nudeln laufen die Kehle hinunter, gut……Ich kann so viel essen, wie ich will……(喉越し、良い……いくらでも入っちゃうよ……)』

Oh, mein Gott……Dieser hier hat……30000 Punkte……!?(なんてこった……こりゃぁ……3万はあるぞ……!?)』

Das Tempura-Gemüse ist gut……。Gut knusprig gebraten und knackige Textur……(野菜のかき揚げの天ぷらも良い……。カラッと揚げられたサクサクの食感がまた……)』

 

 あの子たちが初めての蕎麦をエンジョイしている間にみーちゃんに数週間前のバックストーリーを語っていたんだけど、途中でいきなりストップされた。蕎麦のそばちょことお箸を置いて、両手でフェイスを覆い隠してまで。そのポーズのまま身体は固まっていて、だけど時折口からはディープな溜息が漏れている。

 

 ……いや溜息って、あらやだみーちゃん……もしかして私また何かやっちゃったのかしら?

 

「……つまり、えっと、地面の中に潜って隠れていたってこと?」

「そう言ったじゃない。バレにくいし居心地良いし、このチョイスはベストだったと自負しているわ!」

「心地良い…って………」

 

 ようやく手を離して見えるようになったみーちゃんのアイズはいわゆるジト目ってやつで。

 

「……人間がやることなんかじゃ……ない………言うことじゃ……ない……」

 

 ……あれ? なんだか私、呆れられちゃってる…?

 

「本当よ? 土の中って心地良いのよ! やっぱり自分も野菜になれたみたい~って感じて最高だったんだから!」

「やっぱりって何なの……前にも土の中に隠れた事でもあるとか言うつもりじゃないよね……」

「ザッツライト! さすがみーちゃん!」

「…………」

「うふふ♪ 前にかくれんぼした時に隠れて思ったのよ。これこそ身を隠すのにも野菜の気持ちをラーニングするのにもベストなポジションだって!! まぁその時はそう思ってたのに割とアッサリ見つかっちゃって………あら?」

「……もういいから………うたのんの言ってることの意味、私にはわからないから……」

「いや待って………………んんん??? おっかしいわね……」

 

 ………かくれんぼって……いつの話だったかしら………? いつ誰とやったんだっけ……何年も前のような気もするし、割と最近、中学2年の今頃だった気もする。いやそもそも本当にそんな事あったかしら……? あんな事を言っていながら、今さっきの自分の言葉に何一つ全く自信が持てないの……。とってもワンダーだわ……。

 ひょっとしたらいつ見たのかも覚えていない、朧気な夢の中の出来事を口にしてしまっただけだったり……。

 

「うたのんってさ」

「う~~~~ん………むむむむむむ……」

「読めなさすぎて、いつか諏訪で御柱壊したバーテックスとも仲良くなれそうで怖いんだけど」

「……………ならないわよ!!?」

 

 ビックリした!!!ホントにビックリした!!! 考え事が一瞬で全部空の向こうにフライアウェイ!!!! いきなりなんて事を言い出すのよ!!?

 

「あれも地面から飛び出したんだし。やってる事同じじゃない。同類と言うか何というか……どっちも色々と予測つかないし……」

「ヘ、ヘイトスピーチ…!! 大体アレとっくに暁美さんがぶっ飛ばしたし、諏訪の仇よ!!? 私アレに泣かされたのよ!!? ないないないないないアレだけはぜーーーーっっったいない!!!!」

 

 人が3年間守り続けた大切な物を、守り切ったんだって安心していた途端に粉々にしてくれた最悪ファッキンデカブツバーテックス!!!! 呆れるだけならまだしも、私をそれと同じように見てしまうなんて……!! ディスるにしてもこれほどまでに不名誉な形で、こんなに悲しい思いをしたのは生まれて初めてかもしれないんだけど!!!?

 

「わ、分かってるんならいいんだけど……」

「ふぅー…! ふぅーッ…! メ……メメメ、メンタルが……同じ悔しさや悲しみをシェアしたみーちゃんの口から……そう言われるだなんて……!」

「……だったら、この使い魔達は……?」

「…………」

「変な事を言っちゃったのは……ごめん、謝るけど……うたのんがこの子達と仲良くできてる意味が分からない……」

 

 そう言って俯くみーちゃんはまだ、一緒に蕎麦を食べているこの子達を警戒していた。実際みーちゃんも被害を受けた事もあるし、その後の悪いことの積み重ねだって……うん、みーちゃんの気持ちがわからないこともない。

 

「ちゃんと話してよ……。みんなだって、暁美さんに泣かされてるんだよ……?」

 

 ……そりゃ、そうね……。私達の故郷をジェノサイドの一歩手前に追いやったデカブツバーテックス。私達の友達の身も心も、殺すつもりで酷くボロボロにした暁美さん。どっちとも、とても最低なことをやらかしている。

 贔屓しちゃいけない……どっちとも、許していいわけがないのよ……。

 

「……私だって、今の暁美さんは認めたくないわ。はっきり言って、大っ嫌い」

「……ッ」

「…………今の…は、ね?」

 

 

 

 

 

 

 不審者が飛び出し数分後、そこには体を畑周りの木にロープで縛られ、吊るされている使い魔が。目の前には全身見事に土塗れではあるが、勇者装束を身に纏い完全武装している勇者が……。

 

「ふふん、作戦通りうまくいったわ♪」

Bubba bubba bubba…!(あばばばばばば…!)

 

 満足げに腕を組んで使い魔を見上げる白鳥歌野がそこにいた。

 

「さーて、これでもう一昨日の時みたいに逃げることはできないわよ?」

『……!?』

 

 使い魔の体が一瞬ビクッと震える。使い魔は決闘の行われた2日前の朝、ふと馴染みに似た気配を感じ取った歌野に1度見つかっていた。

 かつて自分達の主である暁美ほむらは大社や勇者との面倒な接触を避けようと、使い魔達にも彼らとの非接触を命じていた。それは過去の話で、大社の命令を無視ししながらも資金は自由に使い、勇者との関わりも自分から全て拒絶する道を歩むことを決めた彼女は、もうその必要はないと、使い魔達への非接触の命を取り下げてはいる。

 しかし、使い魔の姿は人目に付けば騒ぎになる……元々が人類を守護する神樹から派生した存在故に、命令されているのならまだしもそうでなければわざわざ人々を恐怖に陥れるべきではないという思想が存在する。故に使い魔は普段から人々に見つからないように行動しており、いざという時は騒ぎになる前に逃げる。見つかったこの時も、その時は歌野が勇者装束を身に纏っていなかったがために容易く撒くことができたのだが……その出来事は歌野に使い魔が自分の近くにいたという認識を与えてしまっていた。

 

「一昨日もだし、昨日も来てたし、今日こそはじ~っくり話したいと思っていたから。うふふふふ♪」

「……!!?」

 

 確信を得たのは昨日の朝。激しい苛立ちの傍らで、それがこのホワイトスワン農場に来ていると仮定し、逆に歌野の思惑に感づかれないよう周囲を探っていると見つけたのだ……歌野が求めていたターゲットを。

 その一言で使い魔は気づいた……昨日の彼女のあの暗い表情の内側には、ここで自分を捕えるための策を張り巡らせていたのだと。

 

 使い魔の体は意に反してガタガタと震え始める。少しも抵抗しないのは自身が非戦闘員であるがために歯向かおうとする意志が最初から欠けているのが原因なのか……暁美ほむらの使い魔ならば、素の身体能力でロープを無理やり引き千切れなくはないのだが……。

 

was zu tun ist, was zu tun ist Sie werden mich umbringen……!!?(どうしようどうしよう…! 私殺されちゃうの……!!?)』

 

 使い魔なら四肢が飛ぼうが首が飛ぼうが霊力によってすぐ再生されるのだが、この使い魔の思考パターンはネガティブへの偏りが強かった。先日逃げ出した件ならまだしも、それよりも前にこの使い魔は目の前の勇者の腕を主の命令で折りかけた……報復か、あるいはより酷い仕打ちを受けるのではないか。そんなマイナスな考えばかりが頭を埋め尽くし……。

 

Kann mir jemand,helfeeen!(だ、誰か、助けてーー!)』

「あ、あら……?」

 

 これには流石の歌野も面喰った。目の前の子供の鬼気迫る言動は完全に悪意のある暴力に怯える人のそれに見えてしまったのだから。

 歌野としては、ここにきて相手に逃げられたくなかっただけなのだ。2日前に逃したばかりで、此度は逃がさないよう縛って吊るしただけ。決して使い魔が考えたような報復などしようとは思っていない。

 

「ご、ごめんソーリー、そんなに怯えないで……! 私はただ、あなたと一緒にトークしたかっただけなのよ……!」

Wie?(えっ?)』

 

 慌てて宥める様に言うのと同時に、歌野は使い魔が吊るされている木の枝の上に飛び乗り結びつけていたロープを解く。そのまま手にしたロープを使い魔ごと引っ張り上げて、その体を抱えて枝の上から飛び降りてから、体にぐるぐる巻きにしていたロープを解き束縛を解除してやった。

 

「ほら、これでもう大丈夫!」

『……Ähm,Kann ich sie gleich losbinden……?(……あの、すぐに解いちゃってもいいの……?)』

「ふふっ、どういたしまして! って、いいわよサンクスなんて…! こっちがちょっと手荒だっただけなんだから」

Denn das ist sie nicht……(そうじゃないから……)』

 

 今の一瞬で地面に潜って隠れてまで捕まえた意味が無に還った……結局何がしたかったのかと言わんばかりの使い魔の心境をスルー。気の良い笑顔を見せる歌野に、使い魔はとことんペースを狂わせられる。

 しかし、敵意は感じない。そもそもたった今歌野は話がしたいと言ったばかり。ならばきっと大丈夫かもしれないと、使い魔はおとなしく状況の流れに身を任せるべきかと観念した。

 

「…………オーマイガー!! せっかく捕まえたのにかわいそうだからってロープを解いちゃった!!」

Ich habe es gerade erst bemerkt……(今更気づいた……)』

 

 こういう事態に人は呆れという感情を抱くのかもしれない……心を持たない彼女は初めてそんなことを思った。

 

「まま待って、お願いだから逃げないで!!!」

IIIIch laufe nicht weg! Ich werde nicht weglaufen!!(ににに逃げない! 逃げないから!!)』

 

 咄嗟に伸ばされた手が使い魔の腕を掴み、そのままグイっと引き寄せられた。そしてもう片方の手を腰に当て、歌野は使い魔の顔をジッと見つめる。焦りながらもその真っ直ぐな瞳が、凛々しい顔が使い魔を襲う。反射的に叫びながら何度も首を激しく縦に振った。

 

「うんうん……って、イエス? 逃げないってこと?」

Ja, Sir……(うん……)』

 

 もう一度だけ頷いてやれば、歌野の表情はみるみる内に明るくなっていく。

 

「……あはっ! サンキューソーマッチ!」

『……Das verstehe ich nicht(……訳がわからないよ)』

「それじゃあ早速……!」

 

 隠しきれない喜びを露わにしながら、歌野は畑の方へと駆け出していく。追いかけた方が良いのか一瞬過るも、特にそのような行動は起こさない……それよりも今は状況を整理したかった。

 こんな不気味な見た目の使い魔に優しく、腕を折ろうとした彼女に欠片も負の感情を抱いている素振りを見せず。

 

 すぐに歌野は使い魔の前に戻ってきた。ワクワクを抑えきれていない明るい笑顔で、その腕にはたくさんの野菜が入れられた籠を抱えて。

 

「この野菜、食べてみてプリーズ♪」

 

 昇り始めた日の光が僅かに当たり、差し出されたトマトが一瞬輝いて見えた。一瞬でも、確かに目を惹くその輝きに負けずとも劣らない笑顔をあの暁美ほむらの使いに振り撒いて……

 

Puh. Seltsam(ふふっ。へんなの)』

 

 それがどうしようもなく心地良かった。

 

 差し出されたトマトを手に取り、そのまま口に運んだ。口の中で果肉が潰れ、そこから溢れた果汁と風味らしき感覚が口の中を押し広げる。

 使い魔は痛覚と同様味覚を持たない。この果肉に込められた野菜の栄養素や旨み、甘味も彼女には一切感じ取れない。

 

「どう? どう? デリシャス?」

『……Jawohl. Jawohl. Nicht schlecht. köstlich(……うん。なかなか。おいしいよ)』

 

 それなのに……美味しいと感じた。2口目が自然に運ばれ、再び味の代わりにふとした幸福感が体に広がった。

 

「でしょう!」

 

 歌野は目の前で野菜を齧る使い魔を見て、今の言葉を聞き取ると満足そうに頷いた。彼女が発する言語は何語でそれぞれにどんな意味があるのか歌野には知る由もないが、今の悪くはないという言葉の意味だけはその言動から確信できてしまう。

 ……使い魔の表情は一貫して変わらない。瞬き一つしない大きく開かれた目と頬まで避けているかのような大きな口。しかしこぶし大程度のトマトを両手で包み込むように持ちながら、一口一口ゆっくり味わいながら食べるその様はどこか小動物のような愛おしさを感じさせる。まるで……

 

「……なんだかこうして畑の前で野菜食べてるの見ていると、諏訪に居た頃を思い出すわ……」

『?』

「あの頃も収穫したばかりの野菜をその場でみーちゃんと一緒に食べたりしてね……あ、みーちゃんっていうのは私の大事なパートナーでね!」

 

 歌野の目にはか弱い使い魔の姿が、一人の少女の姿と重なって見えていた。使い魔の所作一つ一つがどことなくあの子を彷彿とさせる……それに雰囲気も、髪型も……。

 歌野の表情が不思議そうに変わるのを、使い魔もどうかしたのだろうかと思ったのか咀嚼が止まる。両者の目が交差した時、歌野は使い魔の隣に籠を置くとそっと腕を伸ばした。

 

「……ソーリー、ちょっとだけいいかしら?」

Was Was?(えっ、なに?)』

 

 戸惑うような声が漏れるも、使い魔は嫌がる素振りを見せず歌野の手を受け入れる。彼女の手は使い魔の頭に、その髪の毛の上に乗せられると軽く撫でおろす。

 

「………う~~~~~ん………っぽいわねぇ………シミラー……」

Wie? Was ist das?(なに? 何なの?)

「……不思議……あなた、色々みーちゃんに似ているのよ……」

 

 歌野が確かめた使い魔の髪のやわらかい質感……その感触は歌野が大好きな感触に近かった。彼女の巫女と同じ茶色の髪は、彼女の巫女と同じ柔らかさを持っていた。

 

「昨日も一昨日も、隠れていたあなたに気付けた理由だってそれだったのよ。何百回も受けて大好きになったみーちゃんの視線をフィールしたと思ったら、みーちゃんじゃなくてあなたがいてね……」

Ach…so……(そう…なんだ……)』

 

 気配までも……。

 

「ねぇ、あなた達っていったい何なの……? 暁美さんの使い魔っていう存在自体、ミステリアス……。あなた達諏訪に居た頃はいなかったわよね……いつから暁美さんの使い魔をやってるの? どうしてあなたはみーちゃんにシミラーなの? 暁美さんが変わってしまったのはどうしてなの?」

Ich wüsste es nicht, wenn Sie mir das sagen würden.Ich kenne niemanden, der Mi-chan heißt……Ich denke, Nekomata würde es wissen(そんな事言われても私にもわからないよ。みーちゃんって人の事も知らないし……』

「…………ハァ、だめ………言葉が分からないのって不便だわ……」

 

 真相を知りたかったとしても、その手掛かりからは情報を得られそうにない。言語が分からないという初歩的な壁にぶつかり、歌野はやるせない気持ちで溜息をこぼした。

 とはいえ、使い魔の正体が依然として不明のままではあるのだが、今回使い魔と話そうと思った本来の話題には未だ触れていない。

 

(……ま、こんな簡単にアンサーが分かっちゃえば苦労しないわ。それに別にこの子達が悪いってワケじゃないだろうし)

 

 気を取り直そうとしたその時、ちょうど使い魔は手にしていたトマトを食べ終え、チラリと真横の野菜籠に目をやろうとしていた。

 

 それを見た歌野は先ほどの事など気にしないというかのような微笑みを浮かべ、手を伸ばして籠から一本の大根を手に取る。

 「よっ!」と短い掛け声に合わせて大根を真上に放り投げ、腰元に下げていた鞭を抜いた瞬間目にも留まらぬ速攻で振り払う。鋭い一閃は宙で大根を綺麗に真っ二つに断ち切り、歌野の両手に落ちて回収される。

 

 似ている理由は不明でも、そうであるならより愛着も湧いてくる。籠を挟んで歌野も腰を下ろすと、使い魔に他の野菜も遠慮せず是非食べてほしいと言いたげな満面の笑みで雄弁に伝えながら半分になった大根を差し出した。

 

Ich danke Ihnen(ありがとう)』

「うふふ。ユアウェルカム♪ ちょっとだけ辛いかもしれないけどそれも大根をもっとデリシャスにするスパイスだと思えば気にらならないし、実際生の大根って味も栄養もとってもベリーグッドな野菜よ」

 

 二人一緒にそれぞれの持つ大根の断面にそのまま齧りつく。シャクシャクと歯ごたえの良い音が二人の耳に入っては程よい甘味辛味と合わさり、心地良い気持ちが広がっていった。

 

「ん~~! やっぱりイケてる! 流石、熟練ファーマーの長年のエクスペリエンスとスキルが成せる業ってやつね! 憧れるわ~!」

Haben Sie Sehnsucht danach? Wen bewundern Sie?(憧れる? 誰に?)』

「あぁ、あはは……自信たっぷりで出しちゃってるけど実はこの野菜、私が育てた物じゃなくてこっちのファーマーさんにおすそ分けで貰った物なのよ……。見たら分かると思うけどホラ、ここの畑スタートして日が浅いから、まだ……」

Ja, das ist wahr(あー、それもそうだね)』

「ここが諏訪だったら私の育てた野菜を食べさせてあげられたんだけど……」

 

 なんか騙しちゃったみたいでごめんね?と言いたげな苦笑い。しかしすぐに歌野は前に広がる自らの畑を見つめ直すと、その双眸には歪み無いまっすぐな光が宿って見えた。

 

「でもいずれはこっちでも、彼らにも負けない最高にグレートな野菜を育ててみせるわ! こっちで出会えた仲間にも食べてもらうって約束だってあるし、やってやるんだから!!」

 

 そう言って拳を振り上げる歌野。彼女らしい前向きな志は太陽の様に眩しく、その輝きに釣られるように使い魔も頷いた。

 

Ich verstehe. ...... Ja, viel Glück!(そっか……うん、頑張って!)』

「その時になったら……ねえ、一つだけお願いがあるの、聞いてくれる?」

 

 突然声のトーンを落とし、歌野は使い魔のことを見つめ直す。その双眸は先ほどの希望に満ちた輝きとは似て非なる……その瞳に込められた覚悟は、今日これまでの彼女にはなかった揺るがぬ決意を確かに感じさせて……。

 

「暁美さんに私の野菜を届けて食べさせてもらえないかしら?」

『…………』

「こうやって二人でトークしたかったのも、これをあなたに頼みたかったから。一昨日の決闘で私から彼女に近づくのも話しかけるのもNGになっちゃったから、私じゃダメなのよ………お願いできる?」

『…………』

 

 彼女の言葉に、使い魔は何も答えられなかった。

 使い魔達は知っている………自分たちの主が目の前の少女とその仲間に対して抱いている感情が荒々しく渦巻く怨念に他ならないことを。そんな相手から差し出される物を、果たして主が素直に受け取るだろうか……いや、ないだろうと。

 

「………そう、よね……でも」

 

 無言のままの使い魔の反応から歌野もその理由を察する。しかし、歌野はそれでも言葉を続けた。この決意だけは、想いだけは曲げるにはいかない。

 

「大事なフレンドみんなと幸せをシェアしたいの。暁美さんだけ仲間外れにはできないわ」

Freunde……Ist sie auch das?(友達……それって彼女も?)』

「……あなたは知ってる? 一昨日にあった暁美さんと私達のリーダーの決闘のこと」

『…………』

 

 歌野は使い魔から目を外し、語り始める。その目で見届けてしまった乃木若葉と暁美ほむらの勝負とは言えない、一方的な暴力とその結末についてを。

 

 

 

 その時白鳥歌野は改めて己の目と耳で、歌野の信じていた物から変わり果ててしまった友の姿と声を見て聴いた。情け容赦なく他者を傷つけ痛めつけ、守るべき民の想いすら……歌野にとって平和や幸せ、希望の象徴と言える野菜を蹂躙の道具として酷使した挙句、粉々に砕くという形で踏み躙った。

 

「……あの時初めて、私は暁美さんに対してぶん殴りたくなるような怒りが湧いたわ。みーちゃんと球子さん、千景さんの時はただただショックで悲しかったんだけど……この時ばかりは……」

 

 仲間よりも野菜を砕かれて怒りが募ったのは、当然ながら歌野が薄情だからというわけではない……彼女はただ、何が起ころうとも信じたかった。何を言われようとも友であると。かつて彼女から受け取った光は、歌野にすべてを照らす希望を与えたのだから。

 それがどうだ。向こうが歌野の想い全てを意図せず無下にし、踏み躙り、傷つけた。かつて歌野にすべてを与えてくれた友はこの時、それらを強引に奪い去って歪な傷跡だけを残していったとなれば……

 

 全身隈なくボロボロにされ、病院送りにされた親友と、歌野の心の中に芽生え始めたとある感情……彼女はそれを、暁美ほむらに対する度し難い怒りであることをはっきりと理解した。認識した。

 誰も彼もが悪魔と呼んだ。歌野自身それが悪魔の所業だと罵りたかった。歌野のいつもの歌野の顔から笑みが隠れ、険しい表情が現れる…………

 

 解くことなど、出来なかった。

 

「……そんな姿が彼女の、暁美ほむらの本性だって…………

 

 

 

 私はそれを否定したいの

 

 

 

 受け止めているからこそ、険しい表情を解くことができなかった。これからの事を考えるととてもじゃないが何も考えず対策も取らず、ヘラヘラと笑っているだけでは何も為すことはできない……そう思っていた。

 

「私は、あれが暁美さんの本性だなんて認めない。本当の彼女は……」

 

 白鳥歌野は信じているからだ。あの日彼女から与えられ、今も歌野の胸の中にある希望は本物であると……。そう確信する根拠だって、あの日、初めて彼女と出会った時に魂に。

 

 

 

「たくさんの人達の笑顔のために戦える人……だもの」

 

 焼き付いていた。そして、現状を把握してはいないがこの四国には存在しているのだ。

 暁美ほむらによって未来を与えられた、5万人の民が。

 

 そして歌野は知っている……民が救われたその瞬間に暁美ほむらが口にした言葉が【祝福】であったことを。

 

「他でもないあの日あの時、私達を助けて救ってくれた大切なフレンドに。暁美さんこそが本当の彼女なんだって証明したいのよ」

 

 

 

 

 

「……そのチャンスが欲しくってね。野菜を……私達の想いを、幸せをプレゼントして少しでも思い出してもらいたかった」

「…………」

「そしていつか、少しでも心をオープンさせることができたら向こうから来てくれるかもしれない。約束を破る事にはならないんじゃないかって思ったのよ」

 

 みーちゃんの目から一筋の涙が……

 

「とても厳しいし、今日のミステイクは本当に……悔やみきれない……でも、諦めないわよ」

 

 ……私にはお見通しなんだからね、みーちゃん。あなたも本当は、今でも暁美さんの事を信じたいんだって。

 でもそれはとても苦しいこと……とても耐えられないこと……だから

 

 

 もう少しだけ待ってて。必ず、私達のフレンドを引っ張り出してくるから。




【♧♧】
 非戦闘員で茶色のボブカットが特徴。ネガティブ思考だが仲間の幸せを一番に願う5番目の使い魔。同じ非戦闘員の4番目の使い魔と仲が良く、歌野の農作業を眺めるのが日課で野菜好き。

【かくれんぼ】
「結城友奈は勇者である 花結いのいらめき」より。2020年8月の誕生日イベント。原作では8月生まれの3人、乃木園子(小)乃木園子(中)弥勒蓮華が鬼になり、讃州中学全域に隠れている勇者たちを探すといったもの(巫女組は進行・アナウンス)。鬼に見つかった勇者はその人にハグをしながら感謝の気持ちや誉め言葉を贈るてぇてぇ内容。オチ担当うたのん。未見の方はCS版を買って是非見タマえ!

【高嶋彩羽】
8月22日生まれ。心眼と評される気配探知スキル持ち。異世界にて泥塗れの勇者からのハグはやんわりと断った模様。


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第七十八話 「鯖」

(…………?)

 

 それに気が付いた時、たった一つの明かりしかなかった暗い世界から光が消えていた。闇に溶けそうだった意識を繋ぎとめていた声も途絶え、静寂が包み込む空間に一人……。

 

 いつからそうなっていたのか、分からない。重苦しい感情に圧し潰されていた心では、最後に僅かでも思案できてからどれだけの時間が経ったのかさえ分からない。

 だが確かに光はすぐ近くにあった。壊れかけていた精神を唯一繋ぎとめてくれたそれは間違いなくそこに……数時間前までは。

 

 唯一の光、温もりが失せたのはいつから……そしてそれらは突如として何処へ消えたのか。

 

 精神はともかく、傷付いた肉体の方はまだ完治とは言えずとも大分マシになっている。この身体の足は勝手に立ち上がって交互に、死霊のような足取りで前へと動き始める。

 

 何処へ……あれが無いと、このままでは壊れてしまう……例え壊れてしまってもいっそ楽になるだけだろうけど……

 

「…………た………さ…」

 

 深い闇が思考を穢す。自分の足が今動いているという自覚すら持たず、訳も分からない事すら認識せずに歩を進める。どこへ行くのか自分自身ですら分からない……だがそこに、突然消えてしまった光と温もりがあるのかもしれない……澱みきった心の中でほんの僅かだけ、そう感じていた。

 

 真っ暗の闇を歩き続ける……何も考えることはできず、本能の赴くままに光に向かう……

 

 足が止まる。光はまだ先にある……だが途中で何も見ていない瞳の中に見えた物がある……特別でも何でもない、ただの物体に過ぎないそれを目にした時……

 

(…………え?)

 

 闇の底へ溶けかけていた意識が蘇る。

 

(……どういう……こと……?)

 

 疑問に思う……蘇ったばかりの心ではそれが限界だった。だが、肉体は精神に引っ張られたのか、無意識ながら身体はその心が望んだ行動を取った。左手が勝手に動き、目の前にある壁を……扉を開いたのだ。

 

 その扉のすぐ側には札が下げられていた。そこに書かれているのはただの名前に他ならない。だが扉を開く前、闇に沈んでいた瞳がこの札を見たのがきっかけとなり、彼女の瞳には薄くとも光が灯る。

 

 皮肉なことに……その光景が、動揺が、衝撃が、不安が、怒りが。彼女を包み込んでいた闇を切り払う。

 

「…………い…よ……じま……さん?」

 

 病室の前にある名前を持つ少女の変わり果てた姿を見た時、壊されたはずの彼女の心はそこに戻っていた。

 

                        

 

 このままじゃ、うたのんの諦めの悪さがいつか取り返しのつかない事態を招いてしまうかもしれない……ここで暁美さんの使い魔達に会ってから、うたのんが笑顔を見せてからずっと。そんな風に思い続けている。

 

 数時間に目にしたばかりの杏さんの、球子さんの、友奈さんの姿が何度だってフラッシュバックした。彼女達の傷と同じ物が他の人にも刻まれる想像も……したくもないのに勝手に頭の中を過る。他ならない、彼女の手で……

 何度だって。それはうたのんがこれまでの経緯を話している間……ずっと……

 

 不安な思いは少しも変わらなかった。こんなの今にも崩れそうな危ない橋の上を勢いよく走り抜けようとするのと同じだ。話を聞き終える前に、理由が何であれ危険な真似はやめてって言いたくて……言わないといけなくて……。

 

 言うつもりだったのに、言えなかった。

 

「……うたのんが暁美さんの事を諦めない理由は……分かったよ」

 

 気の迷いでも何でもない。暁美さんの事を私達の友達だって信じるうたのんの想いは何一つとして変わっていない……それに気づいた時、目に見えない何かがゆっくりと私の胸を刺していた。私の目元が熱くなって、間もなく少しだけほっぺたが濡れて……涙が流れていた。

 

 不安ともしもの時の恐怖しかなかった心の中に、小さいながらも芽生えたからかも……悪いことばかりが続く今現在に、あの日あの時以来の希望を夢見たいと願う気持ちが。

 これまでが地獄のようだった。あの恩人を友達のように思っていたのに、誰もが彼女に強い怒り憎しみを抱く。その様を間近で見て、それを拒絶したくてもできない現実が立ち塞がる。彼女の事を信じる事が罪と言わんばかり、憎しみを抱くことが正しいと言わんばかりの現実が……まさしくその通りでしかなく辛かった。

 

 決別以外の道は無い。彼女のことはもう、切り替えて諦めるしかない……もう仲間だって思って、友達になれたはずの恩人なのに……。そう思っていたはずなのに、うたのんは……

 

「……ごめんなさい。説明したからって、みんなが納得できるわけがないっていうのは私だってアンダスタンド。どう考えても私の勝手なエゴ……デンジャーな橋の上をみんなの命もろとも渡ろうとしていることだって、おバカでふざけるなって言われそうな事だって自覚もある」

「ホントだよ……」

「それでも、どうしても見捨てたくないの。このままじゃ誰も心からのスマイルなんて生まれない……危険だとしても、いつかは暁美さんを中心にできてしまったこの嫌な現実を断ち切らないといけない」

 

 うたのんは今、歪にねじ曲がった道の中それでもまっすぐ先の世界を見据えている。かつて諏訪に居た頃と同じ……たったひとりでバーテックスから諏訪を守り抜く絶望的な状況の中でもみんなが生き残る道を。若葉さんやまどかさん、遠い場所にいる友達、仲間との出会いを目指し諦めなかったあの頃のうたのんとまったく同じ目をしていた。他の人にも勇気や希望を分け与える、曇りのない自信に満ちた瞳。それを以ってうたのんは言った……暁美さんをかつての彼女の姿こそが本物であることを証明するんだって……。

 

「暁美さんを救う……それが彼女に救われた命が返す、最初の恩返し。暁美さんのフレンドとして成し遂げないといけないミッションだから!」

 

 助けたいって強く思っていて……その思いが私の中にあるものと重なってどうしようもなくて……。うたのんならもしかすると、きっと……心の奥からふつふつと沸き上がっていて……

 

 暁美さんを、助けてほしいって……そう感じたからこその涙だった。

 

「やっぱり、うたのんには敵わないよ……」

 

 目元を指先で拭うと笑みが生まれた。うたのんの行動は問題でしかないけど、それでも私はうたのんを信じたいって思えたんだ。

 

「……無茶な事、今日みたいな馬鹿な事だけは絶対にしないで」

「……ええ。もちろん。これ以上みんなを危険に晒さないって事だけは約束する」

「なら……私はもう、止めないよ……うたのんの想いを。信じるから」

「みーちゃん………うんっ! サンキューみーちゃん! 愛してる!!」

「……はいはい」

 

 うたのんはいつだって私達の希望その物だった。うたのんならどんなに暗い闇でも切り払ってくれる……だから今度も、この先が見えない闇の中から……

 

 

 

 うたのんなら、私達の友達を引っ張り出してくれる……

 

 

 

 

Utano!(歌野!)』

「ひゃわあぁっ!!?」

 

 思いを馳せている最中、突然私の隣から1体の使い魔が大声を挙げながら飛び出して飛び出してきた。一気に心臓の鼓動が早くなって、素っ頓狂な悲鳴を上げてしまって距離を取っちゃうけど……使い魔は空っぽになったせいろの器を片手にそのままうたのんに詰め寄っていった。

 

Soba-Nudeln, Nachschlag!!(蕎麦、おかわり!!)』

「あら、もう全部食べたのね! 美味しかったでしょう? これこそがうどんよりもデリシャスでヘルシー! ヌードル界のキングオブキング・蕎麦!! さらにはその蕎麦の中でも絶対的な存在として名を轟かせた信州蕎麦のパゥワー!!」

Weil es köstlich war,Soba-Nudeln, Nachschlag!!(美味かったから蕎麦、おかわり!!)』

「そんな蕎麦を高みへとリードする我らが蕎麦党は24時間365日いつでもメンバー募集中よ! 目下のミッションは宿命のライバルであるうどん党蔓延るこの街にシードを埋めて勢力拡大……やがては厄介なうどん党幹部たちをこちらに引き摺りこむの!!」

Machen Sie sich darüber keine Sorgen!!  Nachschlag!!(んなこたぁどうでもいいから!! おかわり!!)』

「リアリィ!? 蕎麦党に入ってくれるって!!? オーケーオーケー大歓迎!! みーちゃん聞いた!? 我ら蕎麦党のニューカマーよ!!」

Soooobaaaa!!!!(蕎ぉおおおお麦ぁああああ!!!!)』

「……ね、ねぇ、うたのん……この子なんか怒ってない…?」

 

 話が通じなくて癇癪を起こす子供みたいに見える……。というかうたのんにはあの使い魔の言ってる謎言語が解ってるの……? あの様子だと、うたのんにとって自分の都合の良い言葉に解釈しているとしか思えないんだけど……。

 余談だけど、今の蕎麦党はリーダーが蕎麦禁止令を出されているから、事実上蕎麦党の活動は現状不可みたいな扱いになるだけだろうし……。完全にテンションに身を預けて言っちゃってるよ、うたのんってば……。

 

「違うんじゃない……? 空っぽの器を突き出してるし………蕎麦のおかわり、とか……」

Ich stimme zu!!!(そうそれぇ!!!)』

「ひっ……!?」

 

 私の方に振り向くのと同時に、ビシッと素早く指をさされた。あまりにも早くて勢いもあるものだからまたしてもビクッと身体が跳ねてしまう……。

 

「ああ、おかわり……は、ソーリー。無いのよ……」

…………hat sie…………gesagt…………!? Weil du neulich gesagt hast, du würdest eine Menge machen………!? Das ist nicht viel, nur ein Getränk!?(…………何…………だと…………!? だってお前、この前いっぱい作ってくれるって、そう言ってたじゃないか………!? これじゃあいっぱいじゃなくて一杯だぞ!?)』

「1箱800グラム入りの信州蕎麦を2つ用意してたんだけど、1つは暁美さんにボンバーされたから。残り1箱をここにいる8人で分けたらちょうど無くなっちゃって……」

Wie kann diese Frau es wageeen!!(あんの女ァーーッ!!)』

「……暁美さんが爆破したってより、うたのんがバーテックスに投げつけたってのが明らかに原因だって思うんだけど」

「………………ホ、ホラ! 野菜の天ぷらならまだまだいっぱい作れるから…!」

 

 分かり切っている事だけど、うたのんはやっぱり平気そう。決意が固いといっても、うたのんだって痛い目を見そうなことだってあったのに……。

 

「ナスにする? お芋にする? それとも、カ・ボ・チャ?」

Ich möchte Buchweizennudeln essen!! Buchweizennudeln Buchweizennudeln Buchweizennudeln!!(蕎麦が食べたい!! 蕎麦蕎麦蕎麦!!)』

「オーケーかき揚げね! すぐ揚げてくる!」

Nein, Siiiiiiir!!!!(ちっがぁあああああう!!!!)』

Hör auf! Du bist einfach nur egoistisch,Belästigen Sie Herrn Utano nicht!(もうコラ! ワガママばっか言って、歌野さんに迷惑でしょ!)』

(別のが来た…!?)

 

 声を上げながら現れた薄いブロンドヘアーの使い魔が、咎めるようにその使い魔の肩をゆすった。それでもなおかんかんに怒り喚き続ける使い魔を、私は数歩後ろに後ずさって、怯えを胸に宿しながら眺めるしかない。

 さっきのうたのんの話を聞いて、うたのんの意志については飲み込むことはできたけど、一緒にいる使い魔達の事についてはまだ受け入れられていない……。使い魔に近づかないよう外回りしてうたのんの方に行き、ジャージの袖を掴んで少し震えた声をかけていた。

 

「う、うたのん……あれ、本当に大丈夫なの…?」

 

 私にはまだ、トラウマが残っているから……。

 

 うたのんの背に隠れながらも恐る恐る、私の視線は使い魔の方に向けられる。それは比較的近くにいる二体の使い魔ではなく、少し離れたところで蕎麦を食べながらも何事かといった様子でその二体を見ている五体の使い魔の内の……黒髪の一体。

 あの日、鎌を手にして私を襲った使い魔……。

 

「…………っ」

 

 ……思い返したら、あの時殴られたお腹がぞわっと嫌な感じに疼いてしまった。あの冷たい大きな刃物が首筋に当てられた恐怖も……。

 

 でも何より、やっぱりあの痛みが……重くて硬い鉄の塊を強烈にぶつけられた痛み。一瞬で意識が遠のいて、目が冷めた時にもじわじわとした鈍痛が残っていた。でも最初のその一瞬の痛みと恐怖は大きくて、鮮明で……

 

「……怖がらなくても大丈夫。あの子たちはとっても頼りになるんだから」

 

 身を縮込ませていると、相変わらずのうたのんの声が聞こえてきた。私の不安な気持ちを感じ取ったのか、その口調はさっきと変わらない。

 

「病院前で言ったと思うけど、あの子達はここの畑仕事を手伝ってくれていたの。最初はみーちゃん使い魔オンリーだったけど、声をかけてくれたのか日が経つにつれて手を貸してくれる子が増えてきてね」

「みーちゃん使い魔……」

「おかげで毎朝ワイワイ賑やかで、いつもの農作業も楽しくて捗るってものよ!」

 

 ……たしかに、あそこに固まっている使い魔の内一体が件の使い魔なのかも。どこか私っぽい感じの髪型に見える……。見えるんだけど、使い魔と私のことをとても一緒に見てほしいとは思えない。複雑な気持ちでとにかく、嬉しくはない……。

 

 …………私の髪型……どころか、他の使い魔達も……

 

「……どうして使い魔なのに畑仕事を手伝うのさ?」

「それね、元々みーちゃん使い魔が毎日早いモーニングからわざわざ来てくれたのかっていうのも、あの子が農作業に興味があるからってことでね!」

Ich habe nicht gesagt, dass ich interessiert bin……Aber ich hasse es nicht(興味があるとは言ってないんだってば……でもまぁ、別に嫌ってわけじゃないけど)』

「野菜や畑を愛する人に悪い人なんていないでしょ?」

「……あの子今溜め息吐かなかった?」

 

 言葉は分からないし顔色は変わらないけど、ジェスチャーやリアクションは割と豊富だ……。うたのんが勘違いで無理矢理手伝わせてるなんてことはないよね……。

 

「嫌がってるはずがないわよ! ねえみんな!?」

『『『a-ha-ha,Das stört mich nicht(あはは、嫌じゃないよ)』』』

Beim nächsten Mal möchte ich dabei sein!(今度から私も参加するー!)』

Buchweizennudeln!!(蕎麦ぁ!!)』

Ich habe jetzt genug davon!(ああもういい加減にしてって!)』

…………

「一体無反応なのがいるんだけど!?」

「ふーむ……あの子はつい最近来るようになった子なんだけど、まだ慣れてないのかしら?」

 

 上から私っぽいのと、まどかさんみたいなピンクのツインテール、そして暁美さんのような黒上のロングヘアー。友奈さんを思わせる天真爛漫なテンションから揺れる赤い髪。わんぱくな声で叫ぶ使い魔とその側にくっつく二体の姿はそれぞれ球子さんと杏さんを。そして前に私を殴った使い魔、この場の雰囲気に流されない寡黙な姿は、よく見れば、まるで千景さんで……。

 

「それにクールだし。あ、でもちゃんと毎日来てくれて黙々と頑張ってくれるのよ。ツンデレってやつかしら?」

Ich bin kein Tsundere!(ツンデレじゃないわよ!)』

 

 ……たぶん、この使い魔は暁美さんではなく、暁美さんに力を与えている神様由来で生まれた物…なんだと思う……。この子達の姿が私達と酷似している理由を考えたら、それくらいしか思い浮かばない。今の暁美さんは私達みんなを殺そうとするほど嫌っている……だったらそんな暁美さんが私達の面影のある使い魔を呼び出すのはおかしいから……。

 

 暁美さんと私達が出会ったことで、彼女に力を与えている神様も勇者のみんなや巫女の私達の存在を知って、模した存在を暁美さんの使い魔として作り上げた……。何故そうしたのかまでは流石に分からないけど……何分全部が憶測でしかないから。

 

 だからこそ使い魔の目的が全く分からない。何を考えているのか分からない。スケールが暁美さんじゃなくて、神様の範疇になれば何も……。

 

 

 

「……本当に、信用できるの?」

 

 

 

 暁美さんにみんなを傷つける力を与えた神様が、何を考えてみんなの姿を模した使い魔を……

 

「できる!」

 

 ……確信を持って高らかに声を上げるうたのん。正直期待せずに、私はうたのんに続きを問いかける。

 

「……その心は?」

「ヘイ! ブロンドヘアーのあなた、カモン!」

……Was, ich etwa?(……えっ、私ですか?)』

 

 突然声をかけられた杏さん似の使い魔は首を傾げながらも、暴れる球子さん似の使い魔を他の使い魔に預けて私達の方に歩み寄る。

 近づく使い魔に私の身体は強張って……うたのんは、使い魔の肩を抱き寄せて、私に向かって満面の笑みを浮かべて思いがけない事実を言った。

 

 

 

 

 

 

「ジャジャーン! 実は今日───」

 

 

 

 

 

 

 暁美ほむらの不思議な力で、球子を守らないといけないという強い意思を消されてしまった高嶋友奈。彼女がそのことを思い出せた時にはもはや球子を守り戻れる訳がなく、友奈は底知れない絶望を前に激しく取り乱してしまった。

 その時彼女のすぐ側にいた歌野も、状況を何一つとして理解することなどできなかった。ただ、常軌を逸した異常事態であることは、自分たちの身に良からぬアクシデントが起こっている事だけは分かったものの、押し寄せる混乱の前には彼女の集中も完全に霧散させられた。

 

 一瞬の油断が命取りになる戦場の中で。最後に残ったたった一体の敵が牙を剝き襲い掛かる最中で。彼女達二人は何一つ迎撃の体制を取ることが出来ずにいた。

 意識こそ襲い掛かる敵に気付けども、体は動かない。バーテックスの巨大な口は、人二人を同時に食い殺すなど造作もない。二人はまさに命の危機に瀕していた……

 

 だが、そのバーテックスに狙いを定める者がいた。歌野と友奈を殺そうとする敵を倒すために……二人を死なせないために、ボウガンを構える戦士がいた。

 

 彼女が放った矢は、この襲撃最後のバーテックスの命を貫いた。

 

 

 

「私と友奈さんは、この子に樹海で命をレスキューされました!!」

「…………え!?」

De,deshalb……(ど、どうもぉ……)』

 

 

 

 ……思いがけない発言だった。恐ろしい姿で仲間たちを傷つけもした、そんな使い魔がうたのんと友奈さんの窮地を……命を救った……?

 どういうことって聞くと、うたのんはその時の出来事を話してくれて……話を聞いた限り、本当に二人の命が危なかった場面で使い魔が現れていたみたいで……。

 

 ……そういえば、ここに来た時最初にうたのんがそんな風に言っていた……この使い魔の前に駆け寄って命拾いしたとかなんとか……。使い魔の集団に遭遇した戸惑いと焦りのせいで、その時には何の疑問も持てなかったけど、確かに……言ってた……。

 

「この子だけじゃないわ」

 

 驚いて声も出ない私に微笑みかけると、うたのんは他の使い魔の所に歩いていく。そこにいる使い魔を優しく、1体1体撫でながら、私に向けて使い魔達を褒めるように、言った。

 

「この子も、この子も、この子だって……私と一緒にバーテックスと戦ってくれたの」

「……一緒に、戦った……?」

「杏さんが傷付いて、球子さんと友奈さんがいなくなって、ほむらさんに杏さんを任せて……戦えるのが私一人だけになった時、4人の使い魔が飛び出してくれてね」

「……それじゃあ、うたのんは……」

 

 ……そう、病院で今回の詳細を聞いた時に、今回はうたのん一人だけでバーテックスと戦わざるを得ない状況に陥ったって言ってた。ここに来て出会えたはずの仲間がみんないなくなった、孤独の戦いに挑んだんだって思って胸が締め付けられた思いをしたけど、うたのんは一人で戦ったわけじゃなかったの……?

 

「暁美さんに対する怒りで前が見えにくくなってた私に、落ち着いて、クールダウンだって言ってくれた。バックは任せてって、言ってくれた。みんなでバーテックスを何体も倒してくれた」

 

 うたのんは今回の襲撃で傷一つ負ってない。うたのんは強い……バーテックスに負けないぐらい。けど、全くの無傷で戦いを乗り越えるのはうたのんだって簡単なことじゃない。

 

 ……それこそ危険がいっぱいの戦場のど真ん中、うたのんを守ってくれる、一緒になって戦ってくれる、頼りになる存在が居ない限り……。

 

「独りじゃなかったの。私」

 

 救われて、そう心から喜んでいる事が分かる綺麗な笑顔でうたのんは締めて……今の話を聞く限り、使い魔の半数がうたのんを助けてくれた……使い魔は、うたのんの言うように本当に悪い存在なんかじゃ……?

 揺れ動く私の心……そしてうたのんは穏やかな雰囲気で、

 

「それからこれはあくまでも私の予想なんだけど……」

 

 

 

 ……今回の一件、誰もがその真相を理解できずに困惑する他なかった出来事が二つあって。一つは、暁美さんが友奈さんだけは殺さないように立ち回っていた事。精霊を降ろした球子さんを物ともせず、友奈さんの介入が無ければ間違いなく、有無を言わさず殺されていた。にもかかわらず、友奈さんに対しては最初から警告だけで済ませようとしたこと……そして、彼女を相手にする時、球子さんに酷い怪我を負わせた弓を使わなかったらしい。積極的な攻撃らしきものもほとんどなく、最終的には一時的に記憶をおかしくされたけど、生かされたまま見逃されていて……理由は誰にも分らなかった。

 

 だけど、今はもう一つの分からなかった事……それが…………

 

 

 うたのんには分かって……

 

 

「今日樹海で暁美さんから球子さんを助けて、ほむらさんの所にテイクしたのだって、多分この二人のどっちかよ」

「……う…そ……!?」

 

 うたのんの視線の先には、私っぽい見た目の使い魔と、まどかさんっぽい見た目の使い魔が……!

 うたのんと友奈さんだけじゃない、もう一人の命を救うのは、あの場の誰もが実行できなかった事だった。正体不明の奇跡が起こったから、球子さんは生きているのであって、その奇跡の正体が今私の目の前にある……そういっているの!?

 

「他の子達は一緒に戦ってくれたから知ってる。でもこの二人だけ樹海で見かけなかったから」

「……詳しく説明して……!!」

「そもそもホラ、樹海化している間世界の時間はストップしてるでしょ。動けるのって、私達勇者とバーテックス、神樹様みたいな神様…と、エイミーちゃん……は、カテゴリーは精霊よね……」

「……それに加えて彼女たち、暁美さんの使い魔……あれ? これって……」

 

 その時点で、誰が球子さんを助けられるのか候補が絞られていた……。数時間前は私の中では不明瞭だった。うたのんしかあの舞台にいる役者全員を把握できていなかったけど……。

 舞台を動かせるのは、舞台の上に立っている役者だけ。

 

「ええ。つまり、この時アリバイがない人こそが球子さんを救ってくれたMVPってこと!」

 

 うたのんは身を乗り出して、二人に詰め寄った。嬉しそうな表情のまま言葉を発して……だけどその声はほんの少しだけ震えている……喜びが、大きいから…!

 

「ねえそうじゃない? 合ってるんだったらどの子がやったのか、いっぱいお礼をしたいから教えてプリーズ♪」

『『……』』

 

 二人は一緒に、チラリとお互いに視線を向き合わせるけど、また一緒にうたのんの顔に向き直って……

 

 

 

 主に見つかれば、確実に彼女はそこにいた従僕に命令していただろう……そこにいる死に損ないに止めを刺せと。

 だから彼女たちは隠れていた。誰にも見つからないように隠れて、訪れるのか分からない機会を伺っていた。

 

 彼女がチャンスを生み出すのを、信じて待っていた。

 

 

 ────おっ、とっと……と? ……わー!

 ────っ!? 二人とも、行ってぇええーーーっ!!!!

 ────このっ! 退きなさい!

 

 

 樹海にて、力を使い果たした高嶋友奈が体勢を崩した際に暁美ほむらと激突し、そのまま彼女の背後に崖下に落ちて行った時、彼女たちは動く。

 

 たった一人残されたその場所に。傷付いて動けなくなった者が倒れるその場所に。

 

 

 

 彼女には戦うための力は備わらずとも、誰よりも強く、歪で残酷な運命を拒絶したいという意志を宿していたのだから。

 

 

 

 

 二人一緒に手を挙げて、縦に頷いた。その瞬間、うたのんは二人に跳ねるように飛びついて、力強く抱き着いた。

 

「ありがとう!! 本っ当にありがとう!! 球子さんを助けてくれて……暁美さんを人殺しにしないでくれて……!!」

Es ist schmerzhaft……!(く、苦しいよ……!)』

eine so große Sache…….Wenn ihr uns danken wollt, sagt das den Nekomata, nicht uns. Wir sind nur umgezogen, weil sie uns darum gebeten hat(そんな大したことは……)』

 

 涙交じりのうたのんの歓喜の声……これはそうなって当たり前なわけで……。

 この活躍はまさしく誰にも成し遂げられなかったものだ。それでいて、本当だったら避けられない大きな悲劇があったはず……。仲間を弔い、うたのんの決意が水泡に帰す……二度と元には戻れない絶望があった。

 

 それを防いだのが……この子達だった。この子達はうたのんを、友奈さんを、球子さんを……私達の未来を守ってくれたんだ……。

 

……Entschuldigen Sie, Sir?(……ちょっと、いいかしら?)』

 

 立ち尽くす中、私に掛けられる謎の言葉。いつの間にか私のすぐ近くには別の使い魔がいた。

 その使い魔は例の、前に私を殴った、トラウマを作った子……。私の心臓は驚きや恐怖で鼓動を強くする、なんてことは起きなかった。

 

 もう、怖くは……

 

……Es tut mir leid, dass ich dich neulich geschlagen habe……(……この前は、殴ってしまってごめんなさい……)』

「…………うん」

 

 やっぱり、言葉は分からない。でもそのしおらしい、おどおど緊張している様子でチラッと目を見ては逸らして、また私の目を申し訳なさそうに見る。

 そんな中で発した彼女の言の葉に含まれていた想いは……たぶんだけど、わかったよ……。

 

「……もう、気にしてないよ」

……Ich danke Ihnen(……ありがとう)』

 

 ……少しだけ、肩の荷が下りた気がする。うたのんのおかげで、見直すことができて……。

 

「…………ねえ、そこのあなた」

 

 こうやって自分から、他の使い魔にも声を掛けられる。

 

「……食べかけなんだけど、あまり減ってはいないし……私の蕎麦でよかったら食べる?」

Sind Sie sicher!?(いいのか!?)』

「いつもうたのんを手伝ってくれるお礼……かな」

 

 うたのんみたいにこの子達に笑いかけるのも、全然苦じゃないや。

 

「みーちゃん……」

「ん?」

「……ううん……ありがと」

 

 ……いやほんと、まさかこの子達の事を受け入れられるなんてね……。他のみんなが知ったらどう思うだろうか……みんなは暁美さんに良い印象を持っていないから、今回の彼女達の活躍を伝えたところでどうにもならないだろう。

 そう思うと少し悲しい……ああ、だからうたのんは今幸せそうに微笑みかけたんだ。私がこの子達の事を理解してくれたのが嬉しくて。

 

 千景さん似の子や球子さん似の子を…………

 

 …………今更なんだけど、7人もいるのに使い魔の子とか、わざわざ誰々似とか言うのとか、ややこしい気がする。もっとシンプルな呼び方とかないのだろうか? 名前とか。

 

「うたのん、この子達って名前とかってないの?」

「名前? ……って言っても……」

●●●!』『◆◆◆』『▲▲▲』『☆☆☆』『♧♧』『■■■……』『***!

「……ね?」

「……ごめん、そりゃそうだったね……」

 

 たぶん改めて名乗ってくれたんだろうけど何にも分からない……。言語の壁って、やっぱり厳しいんだね……。

 

「ならうたのんは今までこの子達の事は何て呼んでたの?」

「あなた…とか、そっちの子…とか? 大体これで通じてはいたんだけど……」

 

 まぁ、そんなのだろうとは思ってた。今までうたのんの呼び方がそんな感じだったし、うたのんはうたのんだから、名前を呼ばなくてもうたのんらしく接していけばそこに問題なんて無いようなものだから。

 でもこうして私が指摘したからか、うたのんは腕を組んで目も瞑ると、う~~んとうなり始めた。

 うたのんもこのまま曖昧なのも嫌になったのだろう。信頼している相手でもあるんだし、名前を呼ばないっていうのもおかしな話。ただしそれが分かる手段も無いわけで。

 

「……………はっ!? ピッカーーンと閃いた!」

 

 何かを思いついたのか高らかに声を上げるうたのん。開かれた両目はつい今の言葉を保証しているかのようにキラキラ輝いていた。

 

「この子達って使い魔でしょ? ということは…………ねぇみーちゃん、使い魔って英語で何て言うんだっけ?」

「英語? というかそれをうたのんが振らないでよ……いつも英語使ってるくせに」

「普段使い魔なんてワードは使わないでしょー!」

「それはそうだけど、じゃあ尚更私が知ってるかどうか怪しいでしょ……まぁ携帯で調べたら良いだけなんだけど」

 

 とりあえず携帯を開いて、「使い魔 英語」で検索してみた。ページの一番上にはお目当ての単語が表示されて、うたのんは何を思いついたんだろうって思いながら、それを読み上げる。

 

「使い魔は英語でfamiliar……ファミリアだって」

「なるほどファミリア! 聞いた事がある気がする!」

「あ、でもこれって小動物とか精霊とか、そういった人型じゃない見た目の場合って書いてる」

 

 注釈に気付いてそれも伝える。どう見ても人型だから、ファミリアって言うんだったらむしろこの子達じゃなくて、猫型の精霊のエイミーちゃんを指すだろう。

 となるとより適している物は……類語の中から確認して、それらしい物をうたのんに伝える。

 

「若干意味は変わっちゃうけど、召使いや僕従で意味でservant……サーバントってのも一応は当てはまりそうかな?」

「フムフム、サーバント……オッケーみーちゃん、ありがとう!」

 

 納得したようにうんうんと頷くと、うたのんは私似の使い魔の体を、小さい子に高い高いするみたいに持ち上げた。そして……

 

「これからあなたの名前はサーバントみーちゃん……略してサバみーちゃんよ!」

 

 …………新しく、変な名前を付けた……。

 

「サ……サバみー………」

 

 ……えっと、つまり、そういうこと……? 名前が分からないなら、こっちで判別できる名前を付けようと思ったってこと……。

 理に適ってはいる……んだけど………サバ…って……

 

「他の子達もイカしたナイスな名前付けてあげる♪ そっちの子、リアクションややんちゃっぽさが球子さんっぽいから……」

「ま、待ってうたのん……! サーバントだからサバを付けるだけって、安直すぎだとかそんな次元の話じゃ……」

 

 勢いに乗ったうたのんは……止まれない……。

 

「あなたは……サバ子!」

「サ バ 子!!」

 

 苛められてもおかしくない名前に仕上がってしまった……! 今時そんな名前を付けられてしまうだなんて可哀想でしかないよ!

 

「サバ子にベッタリのあなたは杏さんみたい♪ そういうわけで、あなたの名前はサバ島よ!」

「サバ島ぁ!!? 酷すぎて名前って言って良いレベルじゃないってばぁ!!!」

「それからこっちが友奈さんそっくりだから………高嶋……友奈………………サバ嶋!」

「被っちゃってるよ!! サバ島と!!」

 

 そこはサバ奈でいいよね!? って違う違うそうじゃなくて!!

 

「ストップうたのん!! 一旦ストーーッ」

「う~ん……みんながみんなサバっていうのもアレね……。一人ぐらい鯖じゃなくて蕎麦に……って、みーちゃん?」

 

 

 

 

 頭の中で光が現れて……それが明滅する。明るくなり、暗くなり、そして、光の中でその世界を色付けていく……

 

 これは…………神託だ……。

 

 

 神託を受けて、それを正しく読み取るのには巫女の中でも個人差がある。人によっては神様の些細な思念をも受け取れたり、一つの神託から複数の物事を把握する事が出来たり。

 人によって神託を受け取る能力は得手不得手がはっきりと現れる。例えはまどかさんは前者。ひなたさんは後者に当たる。

 

 そして私は、他の巫女の人たちよりも視覚的に神託を捉えやすい体質なんだとか……。視覚的に捉えやすいというのはつまり、ぼんやりとした形の物でもそれが他の人たちよりもより正確に近い形で読み取れるというもの。

 今回の神託で映し出された光から、私にはある形と色が見えた。

 

 身に覚えがある明るく、気高い清廉な青色

 

 

 

 

「………ッ!!?」

 

 

 それが、漆黒に染まっていく。

 

 

「若葉……さん……!?」

 

 

◇◇◇◇

 

 来訪者は何の前触れもなくそこに現れた。思いがけないその姿に、彼女は驚きの声を漏らす。

 

「お前……」

 

 長く伸びた、傷んだ髪に遮られ、俯いている顔の瞳までは見れない。だがしかし、その全身から伝わるおどろおどろしい負の感情は隠せるものではなかった。

 

「ここに来る前に見てきた。おかしいと思ったから……それが、こんな事になっていたなんて」

 

 来訪者が口を開く。それは彼女が久しぶりに聞いた声。初めて聞く、憎しみだけに彩られた怨嗟の声。

 

「あなたが知らないなんてことは無いはずよ……リーダー」

 

 それがこの場にいる彼女にのみ突き立てられる。怒りを向ける理由は充分だ……来訪者は、あれが、目の前の女の怠慢であると思うしかなかったのだから。

 

「答えて、あれは何?」

 

 一言一言に怒りを乗せ、彼女は……

 

「土居さんと伊予島さんの有様は……! 高嶋さんのあの大怪我は!!」

 

 郡千景は、乃木若葉の胸倉を掴み上げた。

 そう、同じ勇者である3人の見るも無残な姿に……リーダーという立場でありながら、彼女にとって大切な者を守れなかった乃木若葉に、怒りの矛先を突き付けていた。

 

 だが、若葉の表情は少しも変わらなかった。その代わり、彼女は千景に問いかける。

 

「……私もお前に、訊きたいことが…ある。屈辱的な体…験を……蒸し返すことになる、だろうが……」

「……なによ」

「暁美ほむらとの戦い……お前はどのようにして戦い、敗れたんだ?」

「ッ!!!」

 

 次の瞬間、千景は悪鬼の如き形相を浮かべ、胸倉を掴んだ左手を離すと同時に若葉を突き飛ばした。

 ……幸いここは、若葉が入院している病室。そして千景がそのままずけずけと中に入ってきたのだから、元から若葉がいたのはベッドの上だ。突き飛ばされてもベッドの上に倒れる若葉に、新たな怪我は生まれない。

 

 一方、千景の方は今の若葉の言葉で……もとに戻る。屈辱と後悔によって刻まれた傷は、たった一人への憎悪によって覆い隠された。その憎悪の根幹を、たった今の言葉から掘り起こされた。

 憎むべき、悪魔の存在。そして傷付いた自分以外の大切な存在……千景の中で今、その答えが繋がった。

 

「まさか高嶋さんは!!!!」

「………」

 

 その言葉に若葉は何も返さない……だが、無言の空気がそれが事実であると千景に伝える。

 真相が千景にも知れ渡る。この瞬間、千景にはこの場に留まる理由が無くなった。

 

 彼女の心を包み込む、蘇る所か激しさを増す憎悪。先ほど他の病室で目の当たりにした、小さくはない傷を負って眠りに付いていた宝物……高嶋友奈。その下手人が彼女が今この世で最も憎み、存在をも許せない女が手に掛けた。

 千景の心はもはや爆発寸前としか言いようがない。即座に踵を返し、彼女は復讐へと……

 

「……私は手も足も出なかった」

「!?」

 

 若葉の言葉が千景の足を止めた。再び踵を返し、若葉を……この時になってようやく、千景は若葉の今の姿に気が付いた。

 

「無様な姿……だろう? 明らかな手心、加えられて掠り傷一つも付けられずに……負けた」

「あなたが……」

 

 怪我人だ。千景は誰よりも知っていた……目の前の彼女が誰よりも強く、たくましい存在であるのか……だがこの姿はなんだ?

 まるでミイラとまでは言えないが、似たようなものだ。全身のほとんどを包帯で覆われ、まっすぐ前を見据える瞳も片方を塞がれ、残ったもう片方も彼女らしい気高い光が全く見えない。

 そして先ほどから口にする言葉もたどたどしい……外も内も、彼女はボロボロだった。あの乃木若葉が、暁美ほむらに敗れたせいで……。

 

「……お前は奴の顔に傷を、付けたそうじゃ…ないか……凄いな……」

「……馬鹿にしてるの? そんな物無意味なのと何も変わらない……あの女が未だこの世でのうのうと息をしている以上は」

「だが、今奴に仇討ちを挑んだ、所で……結果など目に…見えてる。奴の力が突出、しているのは…認めるしかない……のだからな」

「はぁ!!?」

 

 若葉の姿は確かに千景をこの場に留めるに至ってはいるのだが、怨嗟は変わらない……それどころか、ますます強く……。

 千景の頭の中には暁美ほむらの排除しかなかった。すぐにでもあの女の元へと向かい、深紅の大鎌で切り裂かなければならないと……

 

 若葉はそれを、これまでの彼女を知る者にとっては信じられない暗い眼差しを以って制していた。

 

「諦めろと……!? あの屑をこのまま野放しにしても「奴を断罪するのは!!」……ッ!」

「今ではない……今は」

 

 千景はその瞳の中に、底知れぬ闇を見る。

 

「千景……もしお前がその気であるのなら……それは私とて、同じだ。奴は……暁美ほむらは我々が歩み進み続ける世界と同じ場所に存在してはならない!」

「乃木さん……あなた……」

 

 それはかつての乃木若葉からかけ離れている決意……

 

「お前の力を借してくれ、千景。あの外道を、暁美ほむらを討つ為に」

 

 今の乃木若葉の、絶対的な正義が浮かんでいた。

 




【歌野命名使い魔名】
●●●→サバ子
◆◆◆→サバほむ
▲▲▲→サバ島
☆☆☆→サバ目
♧♧→サバみーちゃん
■■■→サバちか
***→サバ嶋→サバ奈(水都命名)


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最新話
第七十九話 「交錯」


 他の人間と情報を共有することは大事だ。数少ない情報を互いにかぎ集め、一緒に中身を分析して、答えの候補を絞り込める。

 そしてその答えを私が導き出せなくても、相手の知識や頭脳が可能にしてくれるかもしれない。

 

 私の有する範囲の知識では、その答えを出すことができなかった。私の体験を相手に余すことなく伝え、その逆向こうで何が起こったのかを私は把握できた。それでも私達が体験した不可解な現象を解明することは叶わなかった。そう、私の知見では。

 

「…………」

「どうした? 急に、黙り込んで……」

「………………乃木さん、あなたがやられた時の事、もっと詳しく聞かせてくれないかしら」

「……詳しく、とは?」

「いいから詳しくよ。事細かく、あいつから攻撃を受けた瞬間の事を全部」

 

 自分から提案していながら不甲斐ない所ではあるのだが、結果的にここでの私の役割は向こうにこちらの知っている事を伝えるところまでとなり、そこから先は彼女の領分となる。私としても、この展開はまさかと思う他なかった。私にはてんで思い付きもしなかった内容だったが、向こうには引っかかる点があると思案し始め、より細かな仔細を求めてくる。

 

 ならば当然、私は記憶している限りを振り絞り、把握する全ての情報を開示するだけだ。

 

「……姿が消えるのとまったく同時に攻撃が当たっていた。攻撃は恐ろしく硬い金属バットのような何か……たぶんそれはあの女の盾ね。馬鹿みたいに硬いあれなら鈍器としての性能も十分すぎる……。それが頭から足まで、全身に絶え間なく叩き付けられ続けた? 言葉通り、僅かなタイムラグも無く? ………超スピードの殴打……でも、前に白鳥さんが言っていた諏訪での戦闘……超スピードだけじゃ片付けられない……! それにカボチャ……? 距離もあったはずなのに、誰にも気づかれずに回収していたって……」

 

 その間向こうは頷くことすら惜しいといった様子で聞き入っており、硬い表情のままブツブツと私が言った事を復唱しながら、その頭の中では目まぐるしく考えを張り巡らせていることだろう。

 

「……乃木さん、とても重要な事よ……暁美ほむらの攻撃を受けている間、奴以外の周囲の様子は……どうなっていたの…?」

「……いや、周囲の事など……激痛に耐えるのに精一杯、で……とてもじゃないがわから」

「思い出しなさい。今。ここで!」

「…………」

「……そこには上里さんと白鳥さんもいた……だったら、その二人はあなたが無残にやられている最中……ざっと数十秒の間に上里さんの悲鳴とか、白鳥さんの止めようとする声とか、何かしらの反応があってもおかしくはないでしょう」

「! …………いや、そういえば……特に、二人の声は聞こえたりはなかった……が」

 

 やがて情報の開示が終了し、向こうは沈思黙考が訪れ、沈黙が流れる。

 

「……やっぱり、そういう事……!!」

 

 その長い静寂を破られた時、千景の顔は一瞬驚愕の色に染まる。だがそこから屈辱と怒りが再燃するのだろう、直後には複数の感情が入り混じった歪んだ表情が浮かび上がっていた。

 

「攻撃完全遮断のバリアに一時的な記憶の抹消のみならず!? どこまでふざけ倒せば気が済むのよ……!?」

「……なあ教えてくれ、一体全体…何が、解ったんだ?」

「…………ここまで材料がありながら、あなたはまだ解ってないの?」

「……さっきの反応…だと、お前も今しがた、気が付いたばかり…なんじゃ……?」

「うるっさいわね!? あなたの方が判断材料を多く持っていたくせにってことよ!」

 

 八つ当たりするほどだろうか……溢れ出る怒りと憎しみに震えながら、千景は導き出した答えを伝える……

 

 

 

「暁美ほむらは………時間を止める力を持っているわ」

 

 

 

「……時間を…止める…?」

 

 神妙な面持ちで放たれた言葉に、私は思わずオウム返しに聞き返す他なかった。

 その言葉を聞いて最初に思い浮かんだのは、神樹による樹海化時の世界の保護だ。私達が既に2度3度目の当たりにしている現象ではある。世界の時間を止める事で、我々勇者や憎きバーテックスを除いたそれ以外を樹海の外に残して危険な戦場から切り離す……その力と同じ物を、あの暁美ほむらが有している?

 

 ……つまり、どういうことだ? 要は世界の状態を維持し保護できる力であると思うのだが……。確かに、あのような鬼畜な外道でも仮にも人の身。それでありながら神樹と同じ力があるとすれば、それは驚くに値するのかもしれないが……千景がこれほどまでに苛立ちを隠さないほどだろうか?

 

 そんな疑問を感じているのを、千景は勘付いたのだろう……怒り心頭の表情のまま向けられた顔に、みるみるうちに呆れが広がっていく。

 

「……いまいちピンと来ていないわね……」

「む……まぁ……」

「チッ! 自分が時間停止の犠牲者のくせに、これだから頭の固い馬鹿真面目野武士は……!」

「の、野武士……」

 

 あまりにもな罵倒に閉口してしまうが、私の理解が及んでいないのは事実……ここは彼女の説明を待つしかあるまいと、大人しく説明を受ける態勢をとった。

 ブツブツと文句を吐き続けながら時折舌打ちを鳴らすという、余程気に食わない事態だったのだろうが、やがて少しは落ち着いてくれたようで重々しく口を開いた。

 

「時間停止能力……数多くあるゲームや漫画の中でも圧倒的で、チート能力の代名詞の一つ……。個人的には世界を書き換える能力に次ぐ、最強に近い能力だと思っているわ」

「? ? フィクションの話か?」

「……その馬鹿げたフィクションの能力をそのまま、暁美ほむらは使えるって言ってるの。いい? 時間停止っていうのはね、言い換えれば自分だけの世界を創り出せる能力とも言えるのよ」

「……自分だけの…世界……?」

「乃木さんの事だから時間停止と聞いて思い浮かんだことなんて樹海化現象の際の一つだけでしょうけど、それを戦闘方面に活かしているのが暁美ほむら……あいつの時間停止は、一瞬の油断が命取りになる戦場の中であろうとも相手に数十秒から数分間の間完全に無防備な隙を強制的に作り出す」

「なっ!?」

「上里さん、まどかさん、藤森さん……私達勇者以外のすべてが止まった外の世界を以前私達も見たでしょう? 暁美ほむらもそれと同じ状況を任意のタイミングで作り出せるの。それも今度は、私達勇者であろうとも、暁美ほむら以外のすべてを停止させる……」

「数十秒から、数分間もの間、無防備………では……私は……」

「暁美ほむらは自分以外の全ての時間が止まった世界で、あなたを完膚なきまで叩きのめした……そういう事よ……」

 

 ……千景の口から語られたのは、確かな脅威であった。そしてあの日私が味わった不可解な何かの正体を知り、全てを理解し、戦慄した。あの時全く認識できない速さで体中を壊されたのは……なにもできず、無様に地に伏したのは、つまり……

 千景が最初にあのような反応をしたのも今となっては頷ける。実に人間の力を無視した、神に並ぶ所業とさえ思える力……。あの時の私の最大のコンディションなど、その力の前では本当に無力でどうでもいい物に過ぎなかったのだ。

 時間停止とは自分だけの世界を創り出す力……言いえて妙だ。こちらの動きも戦意も何もかもを止めて、攻撃も防御も思考すらも止めてしまう……。そして、奴は何もできない相手の心臓に刃を突き刺すのも、赤子の首を捻るより易々とやってのけるだろう。

 

「そういうこと…だったのか……!」

 

 あの日、奴が私との真剣勝負を持ちかけられても眉一つ動かさずに平然としていられた理由が、その力があったから。現に私はまんまと奴のその力の前に手も足も出ずに地に叩き伏せられた……戦わずしてその光景を奴が見ていたのも至極当然のことじゃないか……!

 最悪にして最凶の……時間停止能力。そして、それを暁美ほむらが持っているという衝撃的事実は、私を大きな絶望へと追いやるには十分すぎるものだった……。

 

「……その時間停止の力に、何か弱点は……あるのか、千景……!」

 

 縋るような気持ちで問うてみたが、そんな物は聞かずとも無いだろう……一度味わい、詳細を理解した今なら分かる……それは無敵の力だ。千景の言うように、馬鹿げたチート能力だ。戦闘中という括りで見ればまさしく、最強としか思えない力ではないか……。

 

 ……どうすれば、その能力を打破して奴を打ち取ることができる……! どうすれば……!

 

「…………あるわ」

「……ッ!」

 

 だが、千景の返答は意外なものだった。

 

「暁美ほむらの時間停止には弱点がある」

 

 時間停止を突破する手段がある。その可能性を帯びた一言に、私の胸中に何かが芽生えていくのを感じた。俯きかけていた顔が上がり、こちらに向けられた千景の眼と交わり、彼女の宿した奴を憎む意志と共に交錯する。

 

「時間停止能力が強力だっていうのは数多くあるゲームや漫画の中でもありふれて当たり前の共通認識……。だけど、そんなありふれた時間停止能力だからこそ、その中にもいくつかのセオリーがあるの」

「……セオリー……では、奴の能力を打ち崩した例も、ゲームや漫画の中には…存在するというのか?」

「結論を急かさないで。……残念だけど、そういったものは大抵が実現不可能よ。作品のジャンルが異能バトル物なんだから、フィクションの時間停止能力を打ち破った例なんてそっちもフィクション染みた特殊な能力ばかりだもの」

 

 目には目を、歯には歯をという訳にはいかないか……まぁ、千景の言うように尤もな理屈だ。現実離れした能力を奴が有しているのだとしても、事実私達にはそれが無い。今ある私達の力で奴を打ち倒すしかない……正直なところ、強大な力の正体を知ってしまった今、それを成す方法など私には皆目見当もつかない。

 が、千景は弱点はあると言った。その言葉を信じ、視線を以って彼女に仔細の続きを促した。

 

「セオリーと言うのは……そもそも時間停止能力は登場する作品によって微妙に異なる性質があったりするの。時間を止められる長さであったり、最大何メートル先の範囲まで止められるのかだったりだけど………今回の場合、能力者以外にも何が止まらないのかが重要になる」

「能力者……以外……? この場合、暁美以外…ということだろうか? ……暁美以外が、止まらない……?」

 

 まさか千景はそう言いたいのだろうか? 先ほど千景が自分だけの世界を創り出すのが時間停止と語ってくれたばかりだが、必ずしもそうではないという事なのか……。疑問符を浮かべながら千景を見やると、彼女はゆっくりと力強く頷いた。

 

「……人形遊びはしたことがあるかしら乃木さん?」

「む……それは、まぁ……幼い頃に、ひなたと……何故今、それを?」

「さすがに人形遊びの説明まではしなくてもいいみたいね……人形はこちらで動かさない限り動かないでしょう?」

「当たり前だ。勝手に動いたら、怖いだろう……」

「そう。動かないからこそこっちで人形の手足や頭を動かしてあげないといけないし、仮にハサミやカッターで刺したり切ったとしても、傷はできても反応なんてあるはずもないし血だって噴き出さない。そしてそれは、大抵のフィクション作品内における時間停止でも同じような事になるのよ」

「…………なるほど……それで、人形の話を、例として挙げた…のか」

 

 昔の思い出を引き合いにして照らし合わせると何となく理解できた。時間停止中動けなくなると、その身は抵抗もできない的になったも同然。つまり、誰かに動かしてもらわない限り動かない、意思や自我を持たない人形のようなものとも然程変わりはないのだろう……。

 ……それだけではない……止まった世界と共に動けなくなったその身は、時間を止めた存在によって体を人形のように動かされる。手足を勝手に動かされるなんて遊びの範疇から外れた、手足を折られ壊される……そういった事になろうとも、人形のように止まっているその身はされるがまま……。

 

「フィクションの中に登場する時間停止の多くは止まっていて自分が認識できない世界の中でやられたとしても、自分がそうなった事に気付かないまま死んでしまうのがよくあるパターンよ。時間を止めた側が止まっている間に刃物を心臓や喉に突き刺して、時間が動き出したらこいつは死ぬなって高笑いしたり嘲笑するシーンはよく見るわ」

「くっ、下種共が!」

「罵倒する相手が違うでしょ……」

 

 いつもより千景の口も妙に饒舌なことも相まっておかげですんなりと今まで知る由もなかった異能能力についての解説が私の頭の中に入り込んで来るのではあるが、話を聞けば聞くほど本当に恐ろしい能力だと思うしかない。だがそこで一点妙な、あの体験とは食い違う点がある事に気付く。

 攻撃を受けても、奴が時間を支配している間はそれに気づくことはできない……だが私はあの時…………

 

「……っ、待て千景! ……これは、暁美の用いる時間停止ではないな!?」

 

 ああそうだ。時間が止まっていたあの時、奴の攻撃を受けた瞬間、私はハッキリとその衝撃と痛みを認識しているのだ。ただ今の話における時間停止能力の性能とは矛盾している。

 そもそも千景は弱点があると前置きし、その後に続けた言葉では奴以外にも止まった時間の中を動けると暗に言っていた……つまり……

 

「時間停止能力の必要最低限の知識はこれでいいわね……確かに時間停止と言えば今の説明の物が最もポピュラーではあるのだけど、作品のメタ的視点で見ればスタンドプレー専用の能力なわけ。使用者も悪役に偏りがちになってしまう……けど、味方側が時間停止能力を魅せる作品なら? だったらスタンドプレーよりも他の仲間と協力する形で時間停止の力を最大限発揮させた方が良いって、出てきているわけよ……使用者以外も一緒に動ける支援型の時間停止能力が」

「!! ………………よく分からんが…………分かったぞ…! もしや触れること……時間が止まっている間に、あいつと触れている間は動けるのか……!?」

「………そのフレーズを使っていながら本当に理解していた人って初めて見たわ……正解よ。時間停止の能力者と能力発動中にその人が間接的にでもいい、触れてさえいればその相手も止まった時間の中を動けるようになる、パーティーの仲間によくあるタイプの時間停止……あなたの体験談を聞いた限り、あの女の時間停止は間違いなくこれよ」

 

 そういうことだったのだと、ようやくあの日の理不尽で不可解な現象の正体に納得ができた。

 私が斬りかかる最中、奴は迫りくる私を世界の時間ごとその場に静止させた。奴だけの時間を創り出した。自らの敵がただの的になり下がり、奴は私の背後にゆっくりと回り込み、後頭部を殴りつけた……その瞬間私の止まっていた時間は動いた。束の間だけ。

 奴が殴るという行程を得て私に触れる……故にこの瞬間だけは認識できていた。攻撃を受けたと。だがその手が離れるのと同時に再び私の時間は止まり、次の攻撃を受けて再び私の時間が動き出していた……だがそれも、奴のめり込ませた盾が私の身から離れるまで……。

 

 異様な硬度の盾を用いて躊躇なく殴る、蹴る、そして壊す。蜂のように刺す間髪入れない猛攻だ。すぐさま触れていた攻撃の手は離れ、私が動けるようになっていた時間は全て痛みで足止めされるしかない……。それが時間停止が解けるまで延々と繰り返られた……それがあの決闘の……顛末。

 

「……弱点というのは……つまり……」

「……時間停止中でも暁美ほむらに触れてさえいればこっちだって動けるようになる。最強のチート能力といえどもあって無いような物よ。間接的にでも、触れてさえいればね……」

「…………触れる事さえできれば……間接的に、とは?」

「例えばあの女の身体の一部にロープを巻き付けて、そのロープをこっちが触れていてもそこから奴とは繋がっているって判定になるの」

「ふむ……言葉通りの意味の、ようだが、本当にそのようになる…のか…?」

「あなたが体験した、奴の腕の盾で殴られた時も動いている認識があったって話が本当なら、確定よ」

「………なるほど……」

 

 勝敗を決めるに直結する無慈悲な能力ではあるが、それを無力化できる瞬間は存在している……。

 奴の実力の程から実現可能かどうかを聞かれればその答えは厳しいものではあるのだが、完全無欠と思われていた能力にも付け入る瞬間があると判れば、全力でその好機を物にするしかないだろう。

 

 ただし、それにも重大な問題が……二つある。

 一つは、奴が時間を止めるタイミングが読めない事……。触れていれば無力化できると知ったところで、その予兆すら不明のままであればこちらも動いたところで不用意な行動となり意味はない……だが、

 

「……それからもう一つ。暁美ほむらの時間停止には発動するための条件がある」

「!?」

「……今思えば、あの時消えたのは盾の中に隠れたからじゃなかった。きっとあれも時間を止めてのうのうと立ち去っていたとしたら……」

「ッ!? ど、どういうことだ……!?」

 

 私の疑問に千景は応える。その千景の眼は、確かな確信と自信を宿していた。

 

「あなたがあの女に斬りかかる直前、あいつは自分の盾を呑気に弄っていたって言ってたわよね」

「あ、ああ……」

「思い返してみると私の時もそうだった……私があの女に斬りかかった時も、あいつは自分の盾を弄っていた。その直後にあいつは私の目の前から忽然と消えたわ」

「……!? 盾を……弄る……?」

「……より正確に言ってあげる……暁美ほむらが腕に身に付けている盾を、ぐるっと回したら…よ」

 

 千景が告げた盾を回すという動作。それを耳にした私は、頭がくらりとするのを感じていた。その動作は……

 

「そんな普通なら意味のない動作……乃木さん、あなたの時はどうだったのかしら?」

 

 その動作は……見た覚えが、ある……。完全に朧気であったその些細な仕草が、千景の言葉から鮮明に形と色を帯び始め、私の頭の中に映り始めていく……。

 あの瞬間、人を舐め腐っているかのように見えた奴の仕草……それはまさしく弄ると言うよりも……

 

「盾を……回していた……!」

「……決まりね」

「それなのか!? 奴が…時間を止める方法は!!」

 

 私も辿り着いた結論に千景は頷いた。

 今までは硬すぎる硬度を持った盾だとしか認識していなかった……だが、それが奴の有する異能の種でもあるというのか……。いや、そもそもがあの盾には異空間に繋がっているなどという、こちらも常識離れの性能もあったのだ。ただの硬すぎる盾だと思うなど、こちらにの考えが甘すぎたのだと今更だが後悔し歯噛みする。

 

 その露骨な怪しさを見落とした甘さがあの日の無様な敗北に繋がり、それによって結ばれた制約が、昨日の悲劇にも繋がったのであれば……!

 

「触れていれば、時間停止を事実上無効化できる……盾を回さなければ、そもそも時間を止められない……それが奴の弱点……」

「……でも色々言ったけど、弱点と言ってもあいつには他にも厄介な爆弾やバリア、底知れない翼の切り札がある。時間停止を無力化して、ようやく初めて同じ土俵に立てるようになるってことは念頭に置いておいて…………事実私は、盾を手放した状態のあいつに……負けたんだから……」

「……ああ、もちろんだ」

 

 ……問題点だった一つは千景が解明してくれたが、残ったもう一つ、今まさに千景が語ったばかりの難所はどうすべきか。

 

 二つ目の大きな問題、奴の豊富な強大なる力だ。爆弾、バリア、時間停止や異空間に繋がる強固な盾、怪しげな複数の使い魔、友奈を惑わせた記憶の改竄……そして球子を死の淵に追いやろうとした、絶大なる力を秘めた翼。分かっているだけでもこれら全て、もしかすると他にもあるやも知れんこれらの対処法を導き出さなければ、勝利はない。

 

「……千景……引き続き、共に作戦を考えてくれ」

 

 ……ならば、見つけるまでだ。

 

「奴をねじ伏せる手段を。これまでの全ての行いを永劫に後悔させるような、敗北を刻み込める術を、共に」

「…………あなたの口からバーテックスじゃなくて人間相手にそんな言葉が出るなんて、少し前まで想像もつかなかったわね……」

「……奴が、人間と同じであるものか…!?」

「………ッ!?」

 

 奴を人間などと思えるわけがあろうか……奴は、もはやバーテックスなんぞよりも悪質な、内側から侵食し厄災を齎す人類にとっての癌細胞に他ならない。

 

「暁美、ほむらが……お前を踏み躙った!杏を焼いた!球子を蹂躙した!友奈を弄んだ!! ……それを許して、なるものか……!! 死んだとて、許されるものか……!!」

「……」

「……この恨みは、奴自身が私に押し付けたものだ。奴が与えた憤怒の炎が、この身を燃やすならばこそ……その炎を燃やし尽くして、奴の全てを灰へと変える……!! 報いを与える!!」

「…! ……乃木、さん……」

 

 感情的になりすぎただろうか……だがこれが今の私の胸の内にある全ての想い。全てが、奴一人への怨みで渦巻いている怒り。

 奴を葬るために、我が身の全てを燃やし尽くしても構わない。そう思わせる程に、私の胸には憎悪が燻り続けているのだから。

 

「………………」

 

 千景はしばしの沈黙の後、一言だけ呟いた。

 

「………私も概ね、同意見よ」

 

 と。千景は私と同じく、私の怒りと怨みの炎を肯定してくれた。

 

 

「二人のトークは全て聞かせてもらったわ!!」

 

 

 突然、そんな一言が扉の外側から投げかけられ、私と千景は同時に視線を向けた。直後、扉は勢いをつけて開かれ、現れたのは……

 

「言いたい事は結構あるけど……でもまずは千景さん! やっとメンタルがリカバリーして良かったわ! みんな本当に千景さんのことを心配してたんだから!」

「……白鳥さん…?」

「っていうか若葉、千景さんの事を知っていたんだったらちゃんとみんなにシェアしなさいよ! なんだか久しぶりのグッドニュースだっていうのに!」

「歌野……お前……」

 

 突然の来訪者……それは歌野だった。普段の彼女よりも数倍増しのテンションになっているようにすら思えるが、それは本人が触れたように目の前の千景の事でだろうか。

 しかし歌野が身に纏っている気迫と言うべきか、雰囲気は……その高いテンションからは想像し難い、一瞬交わった瞳からはとてつもなく硬い決意を秘めているようにも感じられた。

 

「……聞かせてもらった、だと?」

 

 私と千景の会話を聞いていた……いつからだ?

 

「最初から、よ。若葉に話があって来てみれば、千景さんが若葉の病室に入っていくところが見えたものだから。いったい何かしらって思ってずっと扉の前で聞きイヤーを立てていたら……」

「思い切り盗み聞きじゃない。趣味が良いとは言えないわよ」

「あはは、まあまあ! えっとそれでぇ? 暁美さんの能力を全部ブレイクしてやっつけるためには……って時間停止って!! リアリィ!!? 暁美さんには本当にいっつもサプライズされてばかりだわ……!」

「……本当にしっかり聞いていたみたいね……白鳥さん、言い方に気を付けて。あの女を持ち上げているようにも聞こえて、心底不快よ」

「……しかし、聞いていたなら、話は早……い……」

 

 ……盗み聞きについてはこの際別に構わない。それよりもこの話を聞いて歌野も私達と共に暁美の打破に協力してくれるのならばなんとも心強い。

 中距離の敵をも速攻で討てる歌野の鞭は私や千景にはない優れた性能を誇っている。また鞭であれば、距離が多少離れていようとも伸ばして巻き付ける……千景の言った、奴に間接的にでも触れること……奴の時間を止める能力に対して、相性が良いのではないだろうか?

 

 …………だが、たった今の歌野の発言……一つだけ妙な違和感が一瞬あったように感じられたが……。そう、まさしく千景が指摘したかのように歌野の発言にはどこか、嬉々とした何かというか、感心しているかのような……

 

 ……いや、何を馬鹿な事考えているんだ私は……。確かに以前こそ、歌野は救われた恩からかあの外道をあろうことか友と信じ続けてきた。それでも度重なる裏切りに遭い、その愚かしさを思い知ったことだろう。

 だから暁美ほむらが今度こそ完全に敵と分かった今、歌野が以前のように奴を信じようとすることなどあるはずがない……あって良いはずがない。

 妙な違和感は勘違いだ……そうに違いない。

 

「若葉?」

「……そうだ。歌野、お前も奴を倒すのに……協力してくれるな?」

「そりゃあもちろん答えはノウッ!!」

「………はぁ?」

「………」

 

 ………白鳥歌野が、私の友が、そんなことを言うはずがないんだ。みんながあんな目に遭ったというのに暁美を信じるわけがない。

 万が一、億兆が一、目の前の白鳥歌野がそう言うのなら……

 

「若葉、千景さん。この際だからあなた達にもハッキリ言っておくわ。私は暁美さんに復讐する気も、見捨てて追い払う気も、これっぽっちも全くナッシングなのよ!」

「…………そうか」

 

 歌野と水都は暁美と一緒に四国に来た………最初から、仕組まれていたのだとしたら

 

 

 

 目の前の敵の味方は、なんなんだ?

 

 

 

お前は、誰だ?

 

「………みーちゃんが受けたヤバい神託……リアルにヒットしちゃってるじゃない…………友達で、仲間よ!! あなた達と!暁美さんの!!」

 

 机の上に手を伸ばした私は、そこにあった花瓶を掴み目の前のそいつに投げつけた。




 原作ではこのタイミングで温泉旅行なんですってね? いいなぁ……


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