二重帝国とアメリカ連合国 (gh0sttimes)
しおりを挟む

プロローグと紹介

1865年、南北戦争はアメリカ連合国(CSA)の勝利におわった。

そして、1914年、セルビアでオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されたことによって起きた第一次世界大戦も史実とは全く異なった道を進むこととなった。

1915年、ロシア帝国軍がドイツ帝国に対して、無停止攻撃を開始したことで、1917年にドイツ帝国が降伏。

さらに、オスマン帝国もフランス軍にコンスタンティノープルを占領されたことで降伏した。

しかし、オーストリア=ハンガリー帝国軍がフランス軍の戦線を突破し、パリを占領した。

これを受け、イギリスとフランスはオーストリア=ハンガリー帝国と講和条約を結び、事実上の降伏宣言をし、1919年に第一次世界大戦は終結した。

これで、世界が平和になる···

はずがなかった。

1920年にイギリスとフランスで共産主義革命が発生し、フランス=コミューンとイギリス連合が成立し、ドイツ帝国と対立を深めていった。

極東では、大日本帝国、エチオピア帝国、ロシア帝国の3ヶ国が同盟を結び、アメリカ連合国と対立を深めた。

南米では、親米派の陣営であるアメリカ同盟のチリ、アルゼンチン、コロンビアと親日派の陣営である自由協定のベネズエラ、パラグアイ、ボリビア、ブラジル、ペルー、エクアドルが戦争を始め、南アメリカ戦争が始まった。

北米では、大日本帝国の独立保障を受けているメキシコとキューバがアメリカ連合国と対立。

ヨーロッパでは、ナチスの台頭に危機感をおぼえたオーストリア=ハンガリー帝国が大日本帝国と同盟を結んだ。

そして、ナチスはアメリカ連合国と手を結び、大日本帝国と対立していった。

そう。対立構造は5つ巴になっているのである。

そして、恐れていたことは起きた。

1939年9月25日、アメリカ連合国が大日本帝国に対して宣戦布告。

これを受け、ロシア帝国、エチオピア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国もアメリカ連合国に宣戦布告。

これを、領土を取り戻すチャンスと考えたイギリス連合とフランス=コミューンもナチスドイツに宣戦布告。

さらに、休戦していた自由協定とアメリカ同盟が再び、戦争を始めた。

ついに、第二次世界大戦が始まってしまったのだ。

 

国家紹介

 

·ドイツ国

ナチス政権下のドイツ。

アメリカ連合国と同盟を結んでいる。

首都はベルリン。

 

·大日本帝国

極東の列強。

ナチスと対立している。

首都は東京。

 

·アメリカ連合国

いまだに、奴隷制が残っている。

首都はワシントンD.C.

 

·オーストリア=ハンガリー帝国

第一次世界大戦の戦勝国。

技術·経済などすべてに於いて、世界一である。

首都はウィーン。

 

·イギリス連合

共産主義国家。

首都はロンドン。

 

·フランス=コミューン

共産主義国家。

今回もドイツに轢き殺される。

首都はパリ。

 

·ロシア帝国

広大な領土を持つ国家。

現在は民主化が進んでいる。

首都はモスクワ。

 

·エチオピア帝国

アフリカの国家。

エチオピア帝国軍の兵器のほとんどが日本から購入したものである。

首都はアディスアベバ。

 

·オーストリア=ハンガリー領インド帝国

オーストリア=ハンガリー帝国の植民地国家。

オーストリア=ハンガリー帝国側は植民地を統治できる能力が無いため、あとで解放しようと考えている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

開戦
平和な時代の終わり


1930年7月13日、この日はいつもの月曜日とはならなかった。

ウィーンの証券取引所で株価が大暴落を起こしたのだ。

これにより、大損害を受けた投資家は次々と自殺。

これを受け、オーストリア=ハンガリー帝国政府は再生政策と呼ばれるオーストリア版ニューディール政策を打ち出した。

しかし、これの影響を受けなかった国家がある。

イギリスとフランスといった共産主義国家だ。

英仏はこれを好機と見て、大軍拡を開始。

1939年1月の時点で、軍事力はナチスやアメリカを超え、その矛先はオーストリア=ハンガリー帝国に向いていた。

これを受け、オーストリア=ハンガリー帝国は国家予算を大々的に割いて、ドイツとの国境とフランスとの国境に«ハプスブルク線»と呼ばれる大要塞を建設し、戦争に備えた。

そして、遂に時が来た。

1940年、アメリカ連合国海軍航空隊が千島列島の日本海軍の軍港に奇襲攻撃を仕掛けたのだ。

これを受け、大日本帝国の同盟国であるロシア帝国、エチオピア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国はアメリカ連合国とナチスドイツに対して宣戦布告。

さらに、これを好機と見た英仏がナチスドイツ及びオーストリア=ハンガリー帝国に対して宣戦布告。

第二次世界大戦が始まってしまったのだ。

早速、ドイツ軍はポーランドを道路にし、ツァーリツィンに進撃を開始した。

しかし、1941年3月6日にツァーリツィンの戦いで日露連合軍に敗北したことで、ロシア戦線ではドイツ側が劣勢に。

しかし、米軍によるラングドッグ地方への上陸作戦により、フランスが降伏したことで、米軍がロシア戦線に出向くことが可能となり、再び、ドイツ側が優勢になった。

しかし、1942年8月2日にロシア帝国軍がドイツ本土北部に上陸したことで、独米連合軍は本土防衛のため、一部のドイツ軍の部隊がロシア戦線から引き抜かれることとなる。

この2年後の1944年4月2日にドイツとロシア帝国の国境に建てられた要塞線であるヒトラー線を日本軍が突破。

これにより、体制を整えることが出来なくなったドイツは1945年2月6日に無条件降伏をした。

その後に結ばれた講和条約で、ホーエンツォレルン家の青年を皇帝として即位させ、ドイツ帝国が再興された。

扱いはロシア帝国の属国である。

そして、これを機に、ロシア帝国軍は国内に残されたドイツ軍の部隊をすべて殲滅。

独露戦は終結した。

極東では、1945年8月16日に大日本帝国海軍がミッドウェー海戦に敗北。

しかし、フアンフェルナンデス諸島沖海戦に於いて、大日本帝国海軍がチリ海軍とアメリカ海軍を破り、フアンフェルナンデス諸島を占領。

これを受け、アメリカ連合国はガダルカナル島への上陸を諦め、艦隊を大西洋に動かした。

この後、フアンフェルナンデス諸島から日本軍がチリのバルパライソに上陸。

途中で、チリ陸軍やアルゼンチン陸軍との戦闘はあったが、侵攻の障害とはならなかった。

そして、チリは1945年12月6日に無条件降伏をした。

その後、ボリビアとパラグアイとウルグアイがアルゼンチンに対して宣戦布告。

これを受け、大日本帝国もアルゼンチンに対して宣戦布告。

最初はアルゼンチン陸軍が優勢であったが、1946年1月2日にサンタクルスの戦いでアルゼンチン陸軍が敗北したことで、戦線が崩壊。

 

1946年2月6日 コルドバをボリビア軍が占領。

 

1946年3月1日 アルゼンチンの臨時首都であるマルデルプラタにウルグアイ軍が入城。アルゼンチンが降伏。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アフリカでは

1946年3月6日、アフリカでは、親米派のエジプト王国と南アフリカ共和国がエチオピア帝国に対して宣戦布告。

さらに、ザイール共和国とマダガスカル共和国がエジプト王国と南アフリカ共和国に宣戦布告。

中央アフリカ戦争が始まった。

これを受け、オーストリア=ハンガリー帝国はエチオピア帝国を支援するため、アレクサンドリアへの上陸作戦«ヘートフェー作戦»を実施。

しかし、米軍とエジプト軍の強い抵抗に遭い、失敗。

しかし、二回目の上陸作戦でエジプト軍を撃破。

スエズ運河を手中におさめ、アメリカの植民地であるアメリカ領パレスチナを占領。

さらに、トルコが親米政権下のイラクとイランに宣戦布告。

その後、南下してきたトルコ軍と合流し、イランとイラクを降伏させた。

そして、エチオピア帝国がエリトリアと同盟を組み、アメリカ領ソマリランドに侵攻。

1946年5月13日には全土を掌握した。

その後、南アフリカ共和国占領下のベイラに上陸。

トランスバール全域をわずか3日で占領し、オレンジ自由州を占領したことで、南アフリカ共和国は1946年5月20日に降伏。

南アフリカ共和国は解体され、トランスヴァール共和国、オラニエ共和国、ナタール共和国が独立した。

この2日後、イギリスの同盟国であるジンバブエ社会主義共和国がトランスヴァール共和国に対して宣戦布告。

これを受けて、大日本帝国とマダガスカル共和国がジンバブエ社会主義共和国に対して宣戦布告。

マダガスカル空軍によるハラレへの爆撃により、ジンバブエ軍は壊滅的な被害を受けた。

その後、トランスヴァール陸軍がブラバーヨを占領したことで、1946年6月14日にジンバブエ社会主義共和国は降伏した。

 

極東では、大日本帝国海軍とトランスヴァール海軍がハワイ諸島を占領。

ロサンゼルスから50キロメートルの地点でアメリカ海軍と衝突した。

 

トランスヴァール海軍のとある戦艦の艦長の録音音声

 

艦長:砲撃用意! 目標、アメリカ海軍。撃てっ!

 

<爆発音>

 

乗組員:アメリカ海軍の戦艦を1隻撃沈しました。

 

 

アメリカ海軍のとある戦艦の艦長の録音音声

 

乗組員:砲弾が直撃しました! 動力室で火災が発生!

 

艦長:ちっ、アフリカの国ごときに何を手間取っている!? とにかく撃て!

 

乗組員:ダメです! 当たりません! うん? エンジンが停止しました! 再起動不能!

 

艦長:しょうがない。総員退艦!

 

この海戦はロサンゼルス沖海戦と呼ばれ、トランスヴァール共和国が後に列強仲間入りをするきっかけとなる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大西洋での海戦

ちなみに、トランスヴァール共和国軍の武器はほとんどオーストリア=ハンガリー製と日本製です。


1946年12月1日、オーストリア=ハンガリー帝国軍はイギリス本土上陸作戦«ナランチュシャールガ作戦»を実施。この上陸作戦は大日本帝国海軍とトランスヴァール海軍とオーストラリア連邦海軍(完全に独立している。)が参加する大規模な作戦である。

戦力はこんな感じ。

 

大日本帝国海軍

戦艦 13隻

空母 5隻

駆逐艦 40隻

軽巡洋艦 6隻

重巡洋艦 5隻

 

大日本帝国海軍航空戦力

 

戦闘機

 

光武改 500機

噴式一四型戦闘機 500隻

噴式零型戦闘機 500機

零式艦上戦闘機 500機

 

ミサイル

 

奮龍 700発

○六式噴進弾 300発

 

 

オーストリア=ハンガリー帝国海軍

 

戦艦 16隻

駆逐艦 48隻

軽巡洋艦 10隻

空母 5隻

重巡洋艦 4隻

戦闘機 5000機

 

オーストリア=ハンガリー帝国陸軍(上陸部隊)

 

戦車 800両

歩兵 16個師団

工兵 2個師団

狙撃兵 4個師団

砲兵 3個師団

 

トランスヴァール海軍

 

戦艦 10隻

空母 1隻

駆逐艦 40隻

 

オーストラリア連邦海軍

 

戦艦 17隻

空母 2隻

駆逐艦 30隻

戦闘機 2000機

 

 

敵側

 

イギリス連合海軍

 

戦艦 15隻

駆逐艦 50隻

巡洋艦 16隻

空母 7隻

 

その後、大日本帝国海軍の潜水艦である«伊8000»がドーバー海峡でイギリス連合海軍の艦隊を捕捉。

海戦になると判断した大日本帝国海軍とトランスヴァール海軍は臨戦体制に入った。

2時間後、大日本帝国海軍とトランスヴァール海軍はドーバー海峡でイギリス連合海軍と衝突。

まず、大日本帝国海軍の空母«信濃»から飛び立った対艦攻撃機500機がイギリス連合海軍に襲いかかった。

これにより、イギリス連合海軍は軽巡3隻、空母3隻、駆逐艦16隻、戦艦4隻の大損害を負う。

しかし、その後のイギリス連合海軍の反撃により、大日本帝国海軍も戦艦2隻、駆逐艦4隻、空母1隻、重巡1隻を損失。

空戦が終わった後は、戦艦同士による砲撃戦が始まった。

この海戦は3日ほど続き、最終的にはイギリス連合海軍は駆逐艦2隻以外をすべて失い、撤退した。

そして、1946年2月2日、オーストリア=ハンガリー帝国陸軍は無事にリバプールに上陸。

電撃的な侵攻を行い、1946年2月13日にマンチェスターの戦いでイギリス連合陸軍を破り、ロンドンへ進撃。

そして、1946年5月6日にロンドンが陥落。同日、イギリス連合は無条件降伏をした。

オズワルド=モズレーの処刑は取り敢えず、対米戦終結まで延ばすことにした。

しかし、イギリス連合軍で活動していた督戦隊«ホームガード»の指導者である«ジャック=チャーチル»は大日本帝国軍によって逮捕され、3日後に処刑されることとなった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

オーストリア=ハンガリー帝国

登場人物紹介

ホルティ=ダヴィッド
オーストリア=ハンガリー帝国の政治家。


1947年1月2日

オーストリア=ハンガリー帝国 ハンガリー王冠領 

ハンガリー王国 ポジョニブダ

ホルティ=ダヴィッド視点

 

「では、これより、帝国会議を始めさせていただきます。今回の議題はローマ王冠領の設置についてです。では、各自、賛成か反対かを決め、理由も述べてください。」

「私はローマ王冠領の設置に賛成であります。現在、イタリアはオーストリア帝冠領の直轄地シチリア島とイタリア半島南部については、ヴィットリオ=エマヌエーレ国王領南イタリアとして、皇帝陛下の支配地域にありますが、独立を求めるテロ組織«イタリア独立軍»により、イタリア半島の治安は劣悪なものとなっています。この事から、ローマ王冠領の設置はイタリア半島の安定のため、最も優先すべき課題と考えます。そのため、ヴィットリオ=エマヌエーレ国王領南イタリアを廃止し、旧イタリア王国支配地域をローマ王冠領として、多少の自治権を与えるべきであります。」

 

以下略

3時間後・・・

 

「では、反対0でローマ王冠領の設置が可決されました。2年後にローマ王冠領の設置を行います。」

この後、ヴィットリオ=エマヌエーレ国王領南イタリアは廃止され、ローマ王冠領がイタリア半島に設置された。

また、これにより、ヴィットリオ=エマヌエーレ4世はヴィットリオ=エマヌエーレ国王領南イタリアの国王から退位。

これにより、イタリア独立軍の活動は完全に停止し、イタリア半島に安定が訪れた。

 

その頃、ロシア帝国軍のアレクサンドル=ゴルベフ率いるロシア帝国南アジア軍団は大日本帝国陸軍の六反拳也陸軍中将率いる南アジア軍団と共にアメリカ連合国の植民地であるインドシナ半島へ侵攻を開始。

これを受け、アメリカ連合国海軍はアメリカ領南洋諸島のミクロネシアから戦艦ミズーリを出撃させるが、これを発見したタイ海軍が在インドネシア豪軍とインド洋に展開しているオーストリア=ハンガリー帝国海軍に連絡。これを受け取ったオーストリア=ハンガリー帝国海軍は戦艦テゲトフ率いるオーストリア=ハンガリー在日極東艦隊を沖縄から出撃させ、見事、これを迎撃した。

これに業を煮やしたアメリカ海軍は東京への空襲を行うため、ニュースター(ホーチミン)から長距離爆撃機B-29を出撃させた。しかし、これも、オーストリア=ハンガリー在日極東艦隊が発見。即座に横須賀海軍航空隊に連絡。

これを受け取った横須賀海軍航空隊がB-29を全機撃墜。

これにより、アメリカ連合国軍による日本本土への攻撃は失敗。

さらに、大日本帝国陸軍によるミクロネシア占領を許してしまった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アメリカ領北西アフリカを制圧せよ。

1947年5月13日、エチオピア帝国は「植民地主義の打倒」を理由にアメリカ領北西アフリカ及びアメリカ領インド洋諸島に侵攻を開始。

これを受け、大日本帝国もアメリカ領インド洋諸島に宣戦布告。

山本五十六率いる連合艦隊がインド洋に出撃した。

この戦闘では、1946年に開発された«く号電磁波照射装置»。通称«く号兵器»が使われる。

そして、1947年5月15日、大日本帝国海軍はセイロン島沖でアメリカ海軍と衝突した。

戦力はこんな感じ。

 

大日本帝国海軍

 

戦艦 7隻(大和が旗艦)

駆逐艦 50隻

巡洋艦 13隻

空母 5隻

 

航空戦力

 

戦闘機

 

零戦 500機

ジェット戦闘機«光武改» 4500機

 

アメリカ連合国海軍

 

戦艦 8隻

空母 4隻

駆逐艦 45隻

巡洋艦 12隻

 

航空戦力

 

戦闘機

 

F-84サンダージェット 500機

F-86D 400機

P-80シューティングスター 1100機

FHファントム 3000機

 

この海戦は大日本帝国海軍の勝利に終わり、この海戦は後にセイロン島沖海戦と呼ばれた。

そして、1947年5月17日、大日本帝国陸軍はセイロン島南部に上陸。

事前の大日本帝国海軍航空隊によるセイロン島への爆撃でアメリカ陸軍は壊滅していた。

そのため、3日でセイロン島全域の占領が終わり、セイロン島の米軍はすべて降伏した。

 

1947年5月20日 大日本帝国陸軍がモルディブに侵攻。

 

1947年5月24日 シナッドホーでアメリカ陸軍と衝突。シナッドホーの戦い。大日本帝国陸軍が勝利。

 

1947年5月26日 モルディブ占領。

 

1948年1月2日 アメリカ領インド洋諸島の最後の米軍部隊が降伏。インド洋での戦闘が終了。

 

この後、エチオピア帝国がアメリカ領北西アフリカの一部となっているリビアへ侵攻。

これを受け、大日本帝国陸軍も在インド日本軍を中東へ向けて進撃させた。

 

1948年1月5日 在インド日本軍、カブールへ進撃。

 

1948年1月10日 カブール攻防戦。

 

1948年1月11日 カブール攻防戦に大日本帝国陸軍が勝利。この頃、イランが大日本帝国と同盟を結ぶ。

 

1948年1月13日 大日本帝国陸軍がイラン軍と協力し、バグダッドへ進撃。

 

1948年1月16日 バグダッド攻防戦。大日本帝国陸軍がイラク軍を破り、バグダッドを占領。

 

1948年1月17日 大日本帝国陸軍とイラン陸軍がアメリカ領ヨルダンに侵攻。マリ攻防戦でアメリカ陸軍を破る。

 

1948年1月23日 エル=アラメイン運河攻防戦。エチオピア帝国軍がアメリカ陸軍を後方から攻撃。

 

1948年1月26日 アメリカ領ヨルダンを占領。リビアへ進撃。

 

1948年2月2日 トブルク攻防戦。大日本帝国陸軍とエチオピア帝国陸軍と北上してきたトランスヴァール陸軍がアメリカ陸軍を破り、トブルクを占領。

 

1948年2月2日 エルヴィン=ロンメル率いるドイツ帝国軍アフリカ軍団がベンガジへ上陸。在インド日本軍と合流。

 

1948年2月3日 アメリカ北アフリカ軍団がベイダー大撤退を実施するが、ほとんどが日本陸軍に轢き殺されることとなる。

 

1948年2月5日 アメリカ連合国が新たに12個師団を北アフリカ戦線に送る。

 

1948年2月6日 ラス=ランファ攻防戦。大日本帝国陸軍が劣勢となり、トブルクまで押し戻されるが、トブルク攻勢の失敗により、大日本帝国陸軍が優勢になる。

 

1948年2月13日 第二次ラス=ランファ攻防戦。アメリカ陸軍12個師団がほぼ壊滅。

 

1948年2月15日 スルト攻防戦。大日本帝国陸軍が米軍の少数部隊を破る。

 

1948年5月15日 最後の少数部隊を殲滅。アメリカ領北西アフリカを占領。

 

この一連の戦闘は後に«北アフリカ戦争»と呼ばれることとなる。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 5~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。