死に目に魂貰いに来るタイプのロリババア (Pool Suibom / 至高存在)
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第一話「黎き森の女王」
隠居の反対って陽居?


研究したり考察したり干渉したりガーデニングしたりする話です。物語の起伏らしい起伏はちょみっとしかないぞ!


 

 

 マルスリグルと呼んでいる赤色の花。その球根を潰して煎じたものを、沸騰した清水の中へ入れる。煎じ汁は程なくして球状に凝固し、鈍い赤色の光を放ち始める。刺激臭が辺りに漂い始めるが、数分と経たぬ内に甘い香りに変わっていく。

 火力を下げて湯の温度を下げていくと、マルスリグルの球はゆるやかに周囲の水を吸収し始めた。吸収した分、大きくなる。美しい球体の形を保ったまま、拳大の大きさにまで育った辺りで湯が尽きた。

 

 先ほどまで沸騰した湯の中にあったにも関わらず、常温より少し温かいくらいのマルスリグルの球を取り出して、麻袋に入れる。鈍い光はしかし、麻袋を通さない。袋の中を覗いた時のみ、まるで光る眼玉のような球体が複数、こちらを覗き返しているだけだ。

 

 小屋を出て、庭に広がる畑にそれを持っていく。

 等間隔に掘られた浅い穴。そこにマルスリグルの球を一つずつ入れて、土を被せていく。数にして十八。九つが二列。

 その全てを埋め終わって、一息。

 

 ぎゅるん、と……マルスリグルの球を埋めた所から、新しい植物が姿を現した。

 それは茎を太く、花弁や枝葉のほとんどない異形の花。茎の太さは30cmから40cm程で、マルスリグルの球と同じく鈍い赤色を放っている。月明かりを透かして見れば、どくんどくんと脈動している事がわかるだろう。

 

 また数分、眺めて待つ。

 

 すると、乾いた……破れるような音がその植物から鳴り始め、段々と、目視でわかる程の"罅"が入り始めた。植物の茎に、卵の殻のような罅が。

 罅は次第に大きくなっていく。横軸よりは縦軸を多く広がっていくその罅は、ようやくその中身が生まれる事を許した。

 

 ずるり、と出てくる──赤い花弁を頭につけた、少女たち。手足の先は絡まった蔦のようになっているものの、顔や胴体はヒトそのもの。衣服の一切が無いその少女たちは、呆けたような顔でその場に座り込み、こちらを見上げてくる。

 

「──素晴らしい」

 

 特に意味のない指パッチンをして少女たちに簡素な衣服を纏わせ、小屋に帰る。別に鳴らさなくても出せる。

 

 さぁ、次の実験に移ろう。

 

 

 

 

 人間、何で働くか、って話なんだよな。要は食わなきゃ生きていけないわけで、食うには労働がいるから働くわけで。そこが取っ払われたのなら、働かない道を選ぶのは当然というべきか。

 俺はチートを貰った。なんか至高存在とかいう奴に。もう会うことは無いだろうって言われたからもう気にしてない。気にしなくていいことまで気にしていたら身が持たないしな。

 

 貰ったチートは、【衣食住からの解放】と【不老不死】である。チートォ!

 体温調整しなくていいし食べなくていいし排泄しなくていいし病気にもならない素晴らしい体で、老けない死なない寝放題! の素晴らしいチートである。

 ただまぁ一応代償というか原動力? みたいなものは必要で、前者は何もないんだが、後者は"魂の摂取"を必要とする。俺はこの"必要"って言葉が大っ嫌いで、だってこれがあると労働しなきゃいけなくなるからホントに嫌いで、でも問答無用の不老不死っていうのは至高存在さんとやらでも難しいから、仕方なく、なのだそうな。ホントは上げたいんだけどね、って言われた。良い人やったわ。

 

 で、"魂の摂取"ってなんぞ、って所なんだけど、文字通り魂を摂取する事で寿命を延ばせるんだと。

 これが人間相手限定とかだったらクソ面倒だったんだけど、緩和に緩和を重ねて「どんな魂でも魂と見做す」にしてくれたから、これは諸手を挙げて喜ばざるが得ない山の如し。一寸の虫にも五分の魂という奴で、虫だろうが植物だろうがなんでも良いんだと。しかも摂取といっても食べる必要があるわけじゃなくて、死に行く肉体の傍にいれば自動的に魂を掠取してくれると来たもんだから、ノーウェイノーウェイ。

 

 元から人間社会にいたいと思っていなかった俺は、こうして深い深い森の中で隠居生活をしている。寿命の短い虫が周囲で死ねば、自動的に俺の寿命が延長されるって仕組み。無論森の中にいる動物や他植物たちもその対象だけど、主な対象は虫だわな。

 ただ、虫の魂というのは魂でこそあるものの、規模的には動植物には劣るようで。一寸の虫にも五分の魂じゃないらしいのだ、この世界では。差別か区別か。知らんが。

 

 寿命に余裕こそあるものの、なんかもっと効率のいい手段無いかなぁ、とくるくる考えていたその時、ピコンと光りますは天啓の電球。

 無いなら、創っちゃえばいいんだ、ってぇ話でして。

 

 どんな魂でも魂と見做してくれるのだから、人工のそれでも良かろうばい。

 そう思って着手したのが生命創造。理系で良かった。実験が楽しい。

 着手から数百年。残念ながら、ゼロから有を作り出す、というところには未だ至れていない。何かしら元手が必要なのだ。その辺はまたなんか切っ掛けでもあるだろうから、今は保留。

 しかし魂の規模を広げる事には成功した。

 

 それがさっきやっていた【魔物娘化】である。

 その辺の植物とその辺の動物の細胞因子をいい感じに配合したり強化したりして、規模の小さい動植物や虫の魂を、規模の大きい魔物へと変化させる。魔物娘にするのは普通に俺の趣味。

 これをすることで、こいつらが死んだ時の寿命蓄積値がどんと跳ね上がるのである。小さな手間で大きな見返り。ローリスクハイリターン。出来ればノーリスクが一番なんだけど、無から有を生み出す実験はまだ成功していないので見送りで。

 

 この森がどれほど拡大しているのかは知らないが、至る所で魔物娘に出会えるだろうってくらいの数は生み出している。知能がどれくらいあるのか、とか、人間に殺された、狩られた、とか、その辺は知らん。あいつらの生活に興味は無いし、死んだら俺の寿命になるので早いか遅いかの違いでしかない。

 ただ俺の周囲で死んでくれないと困るから、この森から出ようとしたり、連れ出そうとするやつにはキッツいお仕置きをする事にしている。割と殺したりする。寿命で死のうが俺が手を下そうが結果は同じだからな。

 

 そういう所以あってか、創造主でありながら恐怖の対象として、魔物娘たちはあんまり俺の家に寄ってこない。家っつーか小屋っつーか。食事も排泄も必要ないから、実験道具を置いておく物置程度の場所なんだけど。 

 つまり謀反を起こされる心配もない安全地帯であるというワケである。元々怪我も病気もしないから心配はないんだけどね。でもほら、木槍とか矢とか向けられたら怖いじゃん。ストレスとか感じたくないバブ~。

 

 そんな感じで、ビバ隠居生活である。

 この先数百年、いや数千年くらいの寿命ストックがあるので何にも切羽詰まってないし、この森に棲み続けていればさらに増えていく素晴らしい仕様。必要がないだけで食事も睡眠も出来る。排泄だけ出来ないけどまぁそれはそれとして、研究も続けてりゃある日突然無から有を生み出すきっかけに恵まれるだろう。

 

 いやほんと、素晴らしいな。

 宇宙圏で酸素と水なしで光だけで生き永らえる生物になりてぇ! って常々思ってたけど、地上にも楽園はあったんだ!

 

 ──こんだけフラグ建てたら、なんか素晴らしい研究切っ掛けとか起きねえかな。

 

 

 

 

 起きた。

 

 可燃性ガスが年中噴出している湖のある方向に、いきなり凄まじい規模の魂が入り込んできた。なんじゃこりゃ、魔物娘なんてメじゃねえ。これを取り込めば数百年の蓄積値が入ろうというソレは、湖を避けて、何故かウチの方へ一直線に進んでくるではないか。

 何か目印でもあるのか? 魔物娘達の生態も生活も知らないから何とも言えないんだが、もしかしたら道なり看板なりがあるのやもしれん。あったとしても「あっちにいっちゃダメ」とか「通行止め」の看板だろうが。

 

 特に気負う事無くその魂の接近を許してみれば、俺の小屋のある広場の入り口でその歩が止まったのを確認した。森の中に突然小屋があったら誰だって驚く。俺だって驚く。驚かないんじゃね?

 しかも灯りがついているものだから、尚更驚くだろう。

 

 ……明かりがついているからここに向かってきた説。あると思います。

 

「誰かッ……! 誰か、いるんだろう! 頼む、助けてくれ!」

 

 そしてすんぎょい久々に聞いた自分以外の"言葉"になんか変な感動を覚えた。魔物娘達も言語を有しているっぽいんだが、如何せん関わる機会がないし、関わる気が無いし。

 こうして直接、俺に向かって投げかけられる言葉なんて珍しいオブ珍しい。というかこの世界に来てから初めてかもしれん。至高存在のいた空間をこっちの世界と表現するかどうかによって変わってくるとは思うけど、人間生物に話しかけられたのは初めてだ。今日を記念日にしよう。カレンダーとか作ってないから来年の今日がいつなのかわからんけど。

 

「頼む……子供がいるんだッ! もう、死にかけている。いるんだろう、誰か……いるんだろう!」

 

 声の主は必死に懇願している。押し入って入ってこない辺り、やっぱり俺が怖い存在だってのは魔物娘達の痕跡物からわかっている感じかな? それを押し通してでも助けを求めているのは、余程その子供とやらが大事なのか。

 んー、だったら何故入ってきたんだ。あの入り口、可燃性ガスを吸い込めば2分ちょいで人間生物は絶命すると思うんだけど。あそこから入る必要があった。

 

 ……追われていた系?

 

「頼む……お願いだ、黎き森の女王よ!」

 

 ……。

 ……?

 

 いずいっとみー?

 

「女王よ! 我が魂を捧げます……ですから、どうか、我が子をお救いください!」

 

 しかも俺が魂を欲しているのを知っている?

 なんだ、魔物娘達はそこまで知能があるのか?

 

 ……んー、とりあえず出て行ってみよう。くれるらしいし。

 

 がちゃ。

 

 

 

 

 追われていた。

 追っていたはずだった。けれどそれは罠で、追い詰めたはずの奴の手には最愛の子がいて。

 片腕を犠牲に助け出した子は、衰弱しきっていて。追手は苛烈さを増し、その中には見知った顔がいくつもあった。警備の者、騎士、冒険者──。何故、とは問わない。わかるのは一つ。国内に逃げ場はないということだけ。

 

 なら、国外に逃げるしかない。

 それも国の目が届かない場所へ。判断は早かった。国の西。大陸の中心。袋小路ではあるが、誰にも手出しが出来ぬ魔物の棲処。

 

 怖き森。黒き森。黎き森。

 刺激をしてはならないと、手出しをしてはならないと、大陸の全てで不可侵条約が結ばれた最古の森へ。

 

 森は来るものを拒まない。だが、去るものを許さない。事実、魔物以外……この森から出てきた者はいない。この奥に何があるのか、何故魔物が出てくるのか、何もわかっていないその森の、唯一の御伽噺があった。

 

 黎き森の女王。

 とある国に住まう魔物の血を引く一族の長老。凛とした女性の姿をした彼女は唯一、人間の血が混じらない純血種……つまり、森から出てきたそのままの魔物だ。

 彼女曰く、森の中心には女王が住むという。すべての魔物の母。母でありながら恐怖の対象として黎き森に君臨し続ける女王が。

 

 選択肢はなかった。その話が人間を森に入れさせないための嘘だとしても、事実出てきた人間はいないのだから、何か別の脅威がいるのだろう。

 どの道行ける場所が無く、もし、本当に女王がいるのなら──我が子を助けられるかもしれない。

 子の衰弱は明らかに毒の類によるものだった。森の女王ならば薬草の一つを持っている可能性は高い。代償が何になるかはわからないが、それでも、希望があるのなら。

 

 

 毒霧の湖を越えて、森の中心を目指す。森に入った辺りで追手はいなくなっていたが、依然、上空に目がある。気球が一つ、飛んでいる。しかしそれを気にしている余裕は無いし、降りても来られないだろうと踏んで走り抜けた。鬱蒼と茂る森は、だがそこら中に道らしきものや目印のようなものがついていて、ここにも文化があるのだと知らされる。

 研究者としての本分が調べたい欲として顔を出すが、今はそんなことを言っていられる場合ではない。

 

 そうして夢中で駆け抜けて、ようやく、辿り着いた。

 本当に。本当にあったのか。感動と畏敬と、少しばかりの、恐怖。

 

 一体であれだけの甚大な被害を齎す魔物を無数に生み出す女王の棲み処。

 それは簡素な小屋。あそこにいるのか。

 

 腕の中で、我が子が血を吐いた。

 

「頼むッ」

 

 普段であれば多少の礼節は備えもしたのだろうが、焦りはそれを蹴飛ばして、自らの口から懇願を吠えさせた。みっともなく、誇りも無く。人類を幾度となく脅かし、殺戮の限りを尽くす魔物の長に、頭を垂れて願い続ける。

 女王よ。森の女王よ。お願いだ、頼む、我が子をどうか救ってくれ。

 

「我が魂を捧げます……!」

 

 上級の魔物は魂を食らう。女王がそうであるとは限らないが、差し出せるものなどそれくらいしかなかった。その程度で我が子を救えるのなら、何も問題はないのだ。

 

 ──扉が開く。

 

 あ、という声が出たのかどうか、わからない。

 ゆっくりと開いていく扉の先には──少女がいた。

 

 少女だ。幼い、まだ親の庇護下にあって然るべき少女。

 それが、こちらを見ている。

 それが、私を見ている。

 それが。

 

 口を開いた。

 

「──聞くが」

 

 鈴を鳴らすような、木々がざわめくような、川のせせらぎのような──美しい声。

 ああ、一瞬でも見た目で侮った自らを後悔する。これは、女王だ。我らが相手取る魔物とは比べ物にならない──人類種の敵わぬ相手だ。

 

「魂を売る意味を、理解しているか」

 

 問いだ。脳よりも早く口が答えを紡ぐ。

 

「はい」

「そうか。良いだろう、助けてやる」

 

 たったそれだけだった。

 いつの間にか私と我が子の眼前に女王はいて、その小さな手が我が子を撫でた。

 

 目に見えて、子の顔色が安定する。さらに女王は私の腕にも手を翳し、次の瞬間には一切の感覚がなくなっていたそれに子の熱を感じた。

 

「……とりあえずはこれでいいだろう。あと数日、毒抜きと神経系の治療をやる必要があるな」

 

 女王はそう呟いて、再度私へ視線を投げた。

 

「名は?」

「ぁ……ウィナン・ディスプと言います」

「ディスプ。数日はここにいる事を許す。ここで傷を癒せ。その子の治療は俺がする。お前の腕の治療もな。それで、お前は俺に魂を捧げると言ったな」

 

 少女の姿で、随分と男らしい口調だった。

 そのアンバランスさは、しかし面白いと思うには状況が状況過ぎて。

 

「はい」

「……ふむ。今は要らん。だがいつか必ず貰う。この強大な規模は、お前かと思っていたが、その子供のようだ。お前たちはここで傷を癒し、外へ帰れ。必要なものがあれば持っていけ。命以外であればなんでもくれてやる。そうして、外で国を拓け」

「はい……は?」

「お前は俺に魂を売った。俺は対価として治療を取った。よってお前には既に俺への服従という使命が発生している。守る守らないは自由だが、守らなければどうなるかくらいわかるだろう。まぁ、安心しろ。特に俺から何か指示を出すということはない。お前に課せられる使命は、この森を出て、国を拓く。それだけだ」

 

 何を言っているのかわからない、ということはない。

 けれど、何を言われているのか、という疑問はあった。私が国を拓く? 一介の研究者に過ぎぬ私が?

 

「食料は自由にその辺の畑から取れ。毒性があるものは隔離してある。あぁ、それと。森の中にいる魔物……達とも親睦を深めておけ。これから長い時を過ごすのだからな」

 

 それだけ言って、女王は小屋の中へと帰っていった。

 

 残されたのは状況が掴めない私と、指をくわえて眠る我が子。

 

 そして、遠巻きに私達を見ていたらしい、無数の魔物たち。

 

 私達は、命からがら救い出されるように、その場から運び出された。

 

 

 

 

 不労所得、いいですよね。

 

 我が魂を捧げます、と言われてピンと来たのは悪魔の契約である。悪魔の契約というのは、簡単に言えば悪魔が力を与えるなり悪魔が使い魔になるなりする契約を結んだ後、その契約内容履修後に魂をいただく、という奴。使い魔になるのはNGとして、力を与えて働かせる、というのは素晴らしいアイデアなんじゃないかと思った。

 

 まずディスプと名乗ったこいつを外に帰らせる。その時とりあえずありったけの魔道具やら薬草毒草やらを持たせて、多分追われたりなんだりしてたんだろうコイツを自衛が出来る状態にする。さらに幾人かの魔物娘を付かせて、魔物娘が普通にいる国を拓かせる。どうやって拓くかは知らん。勝手にやってくれ。

 ちょうど森も手狭になってきたなぁ、と思い始めていた頃だったのでこれ幸い。国を広げるのも発展させるのも魂を生み出すのも全部ディスプがやってくれて、俺はそこで生まれた魂の掠取を行うだけ。

 

 百年とちょっと前に森が急速に拡大した事があって、俺の"周囲"という範囲から森がはみ出てしまうんじゃないかと危惧した時に作った中継器的な役割をする植物をディスプに持たせ、街路樹的なアレでこういい感じに魂吸取機的なアレでアレがアレしてアレ。

 

 人間っちゅーのは増える生き物だ。人口爆発人口爆発。そして虫よりも魂の規模が大きい。おせっせを沢山してもろて、俺の糧になってもろて。不労所得サイコー! というのが俺の目論見。

 

 そのためなら赤子の毒を抜くのも、おっさんの腕を治すのも、なんら苦労には思わない。

 

 さて、と。

 そいじゃま、数百年ぶりに最初の魔物娘ちゃんに会いに行きますかね。

 移住の話、通してもらいましょか。

 

 

 

 

「何を、しに来た……」

「ほー、随分と上手く言葉を操るんだな」

 

 今日は森が騒がしかった。人間が森へ入ってきたから。それも血の匂いをふんだんに漂わせて。

 人間は女王の小屋へと向かうと、何かを話して、森へ受け入れられたのがわかった。女王の加護が備わったのだ。

 そうであるのならば、あの人間は我らの子も同然だ。我らは助け合って生きていかなければならない。はじめに生まれた私。そして次に生まれた三人。かけられた言葉は、争うな、というものだった。

 

 "森から出るな"と"争うな"。これだけがこの森のルール。

 それを破ったモノがどうなるかは、言葉に出来ぬ程、残酷だった。

 

 故に、我らは人間であろうと助けなければならないのだ。

 

「ファムタ。森の外に出てみたいと思ったことはあるか」

「……無い」

「俺が外に行け、と言ったら、出て行く気はあるか」

 

 ──森の、外。

 木々の隙間から覗く事しか出来ない、外の世界。そこに。

 

「……ある」

「それじゃ、お前が幾人か見繕って、あの人間についていくやつを決めろ。あの人間……ディスプと言うんだがな、あれの怪我とあいつの子供の毒抜きが終わり次第、お前たちを伴って森の外で国を拓かせる。その後の事は知らん。好きに生きろ。あんまり国外で死んでほしくはないがな」

 

 それは。

 あまりにも、唐突で……恐ろしい魅力を持つ話だった。

 

 外に行ける。好きに生きる。

 女王の縛り無く、好きに。

 

「以上だ。……あぁ、もし、この森に帰って来たくなったら、いつでも帰ってきていいぞ」

「来たくならない」

「そうか。それじゃあ、数日後。心の準備でもしておくといいさ」

 

 女王はそれだけを告げて、自らの小屋の方へと帰っていく。

 

 自由。

 ……初めて、得るもの。

 植え付けられた知識だけが知っていた、自由を。

 

 私は、手に出来る、らしい。

 

「……すばらしい」

 

 そう、呟いた。




無から有を生み出したい系女子

黎き森はくろきもりって読むぞ! くらきもり、こわきもりって読む場合もあるんだ!


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争いの種を蒔く(物理)

基本、魔物娘と女王以外はダーク寄り


 30年の歳月は経た事だろう。

 女王より知恵と道具と国民を授かった私は、拓けと言われた国を広げる事に邁進した。魔物の住まう国。他、迫害を受けている種族や難民を受け入れる、最後の希望と呼ばれる国を。

 治世を敷く、というつもりはなかった。否、出来なかった、が正しいだろう。一貴族に腕を買われる程度の研究者が王になどなれるはずもない。周囲にいるのはモノを知らぬ魔物だけ。好きにしろと一度(ひとたび)言えば、弱いものが淘汰され、強い者だけが生き残る……凡そ希望などとは呼べない国になっていた。

 

 あの森は争いが禁止されていたという。争いを起こせば、女王に処刑されるのだと。

 あの森は外に出る事を禁止されていた。森から出ようとすれば、直後には見るも無残な死体になっていたという。

 

 それが、この国では解禁されている。

 この国がある限り、魔物たちは自由を謳歌できる。故にだろう、始めは私に対しての敬意など欠片たりとも無かった魔物たちが、私を"王"と呼び始め、この国を"魔王国"と呼称するようになったのは。無論女王から授かった道具無しでは魔物たちに歯向かう事すら出来ないし、寿命という点においてもそろそろ私は限界だ。

 あくまで敬意ではなく舞台として、私を王に据えている。

 

「大丈夫ですか、父上」

「……ああ」

 

 30年だ。

 あの時毒を受けて衰弱していた我が子も、凛々しい男へと成長した。異母となるが姉妹とも仲良くやれているようで、もう、私の庇護は要らないのだろうことが分かる。

 

 ひとつ、咳をした。

 

「父上!」

 

 咳か。血か。

 これが寿命であるのか、病であるのか。最後までわからなかった。私が延命を断ったからだ。この国に亡命してきた者の中にも腕の良い医者は多数いたが、どうも、違う、と。

 私の本能が言うのだ。

 

 私は、ここまででいい、と。

 

「……フィル。フィルエル・ディスプ」

「──……はい」

 

 言葉を紡ぐ唇が重い。言葉を浮かべる脳が重い。最愛の息子を見やる瞼が、重い。

 

「お前に、王を継ぐ。次の王はお前だ。好きにやれ」

「……はい」

「最期に、あの木を……こちらへ持ってきてくれないか」

「木、ですか?」

 

 部屋の隅に置いてある、一本の小さな木。

 この国の象徴にもなっているその木は、国中の至る所に生えている。

 

 椅子の横に置かれたその木の枝葉に、重い手を添えた。

 

「……いいか、フィル。私はこの生に満足している。他人が見れば、幸福とは程遠いだろう事はわかる。だが、あの時、お前を守る事が出来た……お前を生かすことが出来た事実を、心から、嬉しく思う」

 

 目を閉じる。

 

「皆に知らせるのは、明日の朝にしてくれ。今日は静かなまま、眠りたい」

「……わかりました」

「国を頼んだぞ」

「っ、はい!」

 

 フィルエルが執務室を出て行くのを感じて、とうとう、体の力を抜ききった。鼓動が弱くなっていくのを感じる。

 

 充実した人生ではなかっただろう。あの国で研究者を続ける事と比べても、どちらに傾くかわからない程、上手く行ったとは言えない人生だった。なんとも私らしい。

 このおいぼれが、今や魔王。人類に恐れられ、最優先討伐対象として名を馳せる魔王国の王。

 

 なんだ、それは。

 

「──素晴らしい」

 

 ふと、声がした。

 長らく聞いていなかった声。少女の声だ。

 

 顔どころか、眼球を動かす事も出来ないこの身体は、彼女の顔を見る事さえままならない。

 

「なるほど、経験値か。ディスプ。お前の魂の規模はあの時より拡大している。これならば上質であると言えよう。礼を言っておこうか。お前のおかげで、また一つ知恵を身に着けた」

「……女王よ」

「なんだ」

 

 ぶっきらぼうに。彼女は言う。

 あの時は笑えなかったが、今なら、笑って逝けそうだ。

 

「私は……使命を、果たせました、でしょうか……?」

 

 国を拓け。そう言われた。

 私は、ちゃんと。

 出来ましたか。

 

「ああ。十二分の出来だ。誇っていいぞ」

 

 なら。

 

「良かった」

 

 ふと、体が軽くなるのを感じた。あれだけ重かった全身が、羽のように軽く。

 私はそのまま、ふわふわと浮いて──女王の手の中へと落ちる。

 

「確かに受け取ったぞ。ああ、全く――素晴らしい」

 

 私はそこで、終わった。

 

 

 

 

 "魂の摂取"についての研究が進んだ。一寸の虫にも五分の魂が何故成り立たないか、という所で悩んでいたのだが、どうも"寿命"と"経験"が関係しているらしい。RPG的に言えば経験値。XP。他者を殺すとか戦うとかそういうのじゃなくて、概念的なものでしかない"経験"をどれだけ経ているか。それが魂の規模に大小をつける。

 あの森は平和だ。食い物は潤沢で目に見えた敵が一人。「喧嘩をするな」と言ってあるので争いは起きず、故にあの森で生まれた魔物娘達は平和なままの一生を送る。

 虫よりも寿命が長いから魂の規模も大きいが、森の外界にいる人間と比べると天と地の差が生まれてしまう。圧倒的な経験値不足。さっきチラっと外の国の魔物娘達を見てきたけど、生まれたばかりの幼子が森の成体を凌駕する魂の規模を有していた。

 

 そりゃ効率が悪いわけだ。

 短絡的にこの国を今全滅させれば数十万年の寿命が手に入る。森を全滅させたところで数万年にしかならない。それくらいの差がある。この国にはもう中継器が敷いてあるから良いのだが、そうなってくると欲が出てくるのが人間というもので。

 

 国外で死んだ命……勿体ないよなぁ。

 

 大陸の中心にあるっぽい俺の森と、それに隣接したこの国。土地面積はそんなに大きくない。ここに住まう人間や魔物娘達は全体から見れば少ないのだろう。大陸全土、あらゆるところの魂が回収できれば、俺の不労所得は倍々ババーイに増えていくはずだ。

 

 うん、うんうん。

 考えても考えても良いことずくめだぞ。デメリットが全く見当たらない。

 

 そうと決まれば中継器の量産である。いや、自分で育てるより種の状態でばらまく方が良いか?

 この国から……こう、いい感じに全国に……あいや、この国貿易とかしてんのかな。全然知らねえや。

 

 ……困った時の、最初の魔物娘ちゃんである。

 

 

 

 

 湯船に浸かりながら、お気に入りの本を読んでいる時だった。

 何か嫌な予感がして、咄嗟に防護の術を浴室に張る。ぐしゃあ、と潰された。

 

「よぉ、入浴中だったか。随分と人間文化に染まったな」

 

 膝の、上。

 重さは全く感じないけど、体温を感じる足がちょこんと乗っている。直立。簡素な白いワンピースを着ているだけの、何百年と前から変わらぬその姿。あの森を出てから濃くなった日々は森の数百年を凌駕する密度を誇っていて、たった30年会わなかった事がどれだけ私のストレスを失くしていたか、という事に思い至らされる。

 

「女王……何をしに来た」

「へえ、言葉も流暢になってる。それに、魂の規模は……凄いな。随分と自由が楽しかったとみる」

「世間話をしに来たのなら、出て行って。私はこの生活を満喫してる。女王の顔は見たくなかった一生本当に本気で一切」

「ああ、それで構わん。今回はお前に頼み事があってな。これ、適当に旅人とか商人に渡してくれ」

 

 そういって放られた麻袋を、受け取らない。壁に当たって落ちたそれは、中からいくつかの黒い……種を覗かせた。

 

「……黎樹(レイジュ)の種?」

「ん? なんだ、既に同じものがあるのか」

「女王が……王に持たせたレイジュが、実をつける。その果実がこの種を持っている」

「へぇ、それは知らなんだ。じゃあなんだ、既に世界中に拡散しているのか?」

「国外にはまだ。国内でも高級品だから」

 

 へぇ、なんて言いながら種を見る女王。元から私達の事に何て興味が無いのだ。国の事だってこれっぽちも知らないのだろう。

 

「それだけ?」

「ああ、それだけだ。国外に出してくれりゃいい。戦争に行く兵士に食わせておく、とかでもいいぞ」

「この国に戦争なんてないけど」

「へぇ、平和な国なんだな」

 

 これじゃ、王も浮かばれない。あれだけ女王のために、女王のためにって言ってあくせく働いていたのに。女王は欠片も興味が無い、なんて。

 

「じゃあ出て行って欲しい。見ての通り、私は今お風呂。読書もしてる」

「ああ、邪魔したな。また用が出来たら来るよ、ファムタ」

「もう来ないで欲しい一生来ないで欲しい」

 

 溶けるように女王が消える。

 ……転移阻害の術を誰かに倣う事に決めた。国中に敷くべきだ。

 

 ……この種、売ったら凄いお金になるな。

 

 

 

 

 森の人(?)口は昔に比べてかなり減った――ということは、全くない。構成比はがっつり変わっているだろうが、今も尚森の中は至る所に魔物娘がいる。

 俺が作り出し続けてるからな。

 

 ゼロから有を、無から有を作り出す実験は、未だ難航している。動植物や虫を魔物娘にする事はもう片手間に出来るくらいの習熟を経たけど、無機物から魔物娘に、となると難しいオブ難しい。スライム娘とかゴーレム娘とか作りたいんだけど全然命宿ってくれねえんだこれが。

 あ、いや、あくまで魔物娘の創造は俺のノーリスクハイリターンが目的であって、決して、決して! 魔物娘そのものが好きだから作ってるってわけじゃないからな! いや好きだけど、別に作り出して鑑賞したい、とかは思ってない。本当だ。

 

 ゴーレム娘とスライム娘は、増やすのが簡単そうだから、という理由で今熱心に研究をしている。生み出す手段さえ見つかれば、適当な山の中に一匹ぶち込んでおけばわんさか増えそうだし、適当な水源の中に一匹垂らしておけばものっそい増えそうだし。

 あと人間の魔物娘化もやってみたい。手元にいないし、研究に必要なのは一人や二人じゃないから面倒が勝ってやってないんだけど、いつかやってみたい。

 

 

 さて、ディスプのおかげで魂の規模は、その蓄積値は、そいつの経験値によって左右される、という事が分かったわけだが。

 じゃあ今度は"どういう経験値が一番効率が良いのか"ってところが知りたくなるよな。

 ディスプの場合、森に来たあとはなんやかんやして国を拓いた、という経験で、通常の魔物娘の100倍近い規模を持っていた。じゃあ国をひっくり返した、とか、国を乗っ取った、壊した、とかならどれだけ入るんだろう。ファムタの言っていた事が正しいなら、あの国はまだ一度も戦争を経験していない。

 

 悲しみ、あるいは怒り、憎しみ。それらを経験した経験値は、魂の蓄積値は、いったいどうなるんだろう。

 あるいは喜びや快楽の方が質として勝るのか。

 

 いやはや、飽きないな。趣味として素晴らしい題材だ、魂というヤツは。

 実益もあって面白い。俺にデメリットが無くてサボっても問題が無い。

 

「素晴らしい」

 

 種の行く末で何か面白そうなことがあったら、終わり様にだけ行ってみよう。研究の発見があるやもしれんし、観察の発見があるやもしれん。常日頃いるのはノーサンキューだ。面倒くさい。

 

 俺の道行に幸あれ。そして頑張れファムタ。お前にかかっているぞ!

 

 

 

 

 古来より黎き森は魔物の棲み処として知られていた。元来大陸には動植物と人間くらいしかいなかったから、魔物というのは当時の人間にとってさぞ異形に映ったことだろう。

 魔物。魔物種。

 その全てが女性である事と、平均して長い寿命を持つ事。強大な術を使用する事や、身体能力も高い事。そして、ほとんどの場合において人類種と敵対する事。

 魔王国以外の国で魔物種について学ぶのであれば、これらが"もっとも大事なこと"として覚え込まされる。教え込まれる。

 

 "とある国のとある一族"以外の魔物はまだ基本的にヒトとして認められておらず、動物や虫を見るが如く図鑑などまでが流通している始末。魔物種と出会ったことの無い者はそれを下卑た心で見る事もあるが、一度でも敵対した者ならそっと諭してくれるだろう。「やめとけ」と。

 

 ただ、いつの時代も考える事は一緒というべきか。

 

 既に大陸全土において、ほとんどが貧民層の括りではあるが、亜人種というものが蔓延っていた。

 魔物種の血と、人間の血。"とある国のとある一族"もまたこれに該当するのだが、つまり混血の、魔物でも人間でもない亜人種が、各国の貧困層に一定率は存在するのだ。

 そのほとんどが、過去に討伐された魔物の特徴と合致している、と言えば……まぁ、皆まで言う事はないだろう。

 

 亜人種は人間から迫害を受けている。誰が生んだとも知れぬ彼らは、少なくとも人間種には無い特徴――角や翼――を持った、一目でわかる異形であるから。異形が隣人である事を受け入れられる人間と言うのは、少ないものだ。人間とは群れの生き物であり、安全と排斥は表裏の関係にあるがために。

 悲しいかな、魔物側は魔物側で、こちらは完全な実力主義。人間の血が混じってしまっている亜人種では純粋な魔物種には到底及ばず、亜人の最後の希望と周辺諸国から呼ばれている魔王国であっても、被支配層としての生活を享受せざるを得ないのである。

 

 ただ、希望は確かにあった。

 

 現国王とその姉妹。

 国王は人間で、姉妹は亜人であるのだ。

 姉妹は黎き森出身の魔物と国王の子であるという。その待遇、そして力は、他の亜人とは一線を画すもの。境遇は変わらないはずなのに、差がある。ではその差はなんだ。

 そう考えた時に、思い当たるものなど一つしかなかった。

 

 王家の血、である。

 

 魔王国を建立した前国王。そして魔物種に並び立つかという腕を持つ現国王。彼らの血が、余程特別なものであるのだ、という噂が広まるのに、そう時間は要さなかった。前国王亡きあと、ひと月足らずで魔王国のほぼすべての亜人女性達が、現国王に娶ってもらう事を考え出したくらいには。

 現在の自分たちの境遇をどうにかする、してもらう、という発想に至らないのは、あるいは"王に逆らってはならない"という本能の刺激だったやもしれない。根底の最奥、魂に刻まれた囁き。

 

 その血欲せども剣は向けず。

 

 それこそがこの、愛憎塗れた"魔王の嫁探し事件"の真相――あるいは、原因である。

 

 

 

 

 さて、黎き森から外へ出てきた魔物種はざっと数百人が存在し、その全てが魔王国にいるわけではないものの、半数くらいがこの国で自由を謳歌している。魔物種は亜人種と違って余裕があるのは、この国でなくとも自然界で生きていけるためだろうか。本当にどうしようもなくなれば森へ帰るという手段もあった。また外に出られるかわからないから、それを取る者は極僅かであろうが。

 彼女らは別に、豪勢な居を構えているだとか、国に優遇されているとか、そういうことはない。むしろ他から見れば質素ななんでもない住宅街で、隣人と井戸端会議をしている、といった、その辺の平和な国の人間たちと変わらぬ生活をしている。

 

 彼女ら一人一人が周辺諸国の軍隊を一人で相手取れる強大存在である、ということは、既にあんまり認識されなくなっていて、むしろ"マイペースな優しいお姉さん達"といった安全よりの評価を受けている現状だ。

 

 ファムタもまた、その一人だった。

 魔物種からは未だ微かな畏敬と同情みたいな目線を貰う事も多いが、亜人種からは平均して優しいお姉さん扱いである。ファムタ自身に争いを起こす気が無い事と、絶対に森に帰る事だけは嫌だ、という思いが今の彼女を形作っているのだが、そんなことはおくびにも出さない。

 ただ亜人種や魔王国で生まれた魔物種の幼子が「森って所に行ってみたいなぁ」と言った時だけ、表情を消して「やめておいた方がいい」と言うくらいである。

 

 そんなファムタの耳に、最近変な噂が届くようになった。

 

 ──魔王様が嫁探しを始めた。

 ──魔王様との間に生まれた子は、とても強い子になる。

 ──魔王様は亜人種を好んでいる。

 

 全て亜人種が話していた事で、ただ秘密の共有、といった感じで教えられたそれに、ファムタは久方ぶりの頭痛を覚えた。

 

 前国王と現国王。彼らは王家の血でもなんでもない、ただの人間だ。前国王が国王足り得たのは、女王が与えた諸々のせい。現国王が魔物種に並びえるのは、赤子の時分に毒抜きと共に与えられた滋養強壮の(身体能力爆増)研究植物のせい。魔物種の自分たちが怪我をしたときなどに使うポーションの原料を、赤子の時分の七日間、口にしているのだ。本来は体が弾けてなくなってしまうその規模も、女王の加護のせいで耐えられる。

 つまり現国王が強いのは現国王限定のことであって、その子供には多分、特に何も受け継がれないだろう、という事実。多分ファムタ以外、黎き森の魔物種であれば全員気付いているその事実を、しかしまるで「夢のある話」みたいに話してくる亜人種に告げるのは迷われた。

 

 わざわざ夢を壊す事と、生まれた子が育ち切ってから夢破れる事。

 どちらがいいか。

 

 ファムタは後者の方が良いと、そう判断した。

 

「この話を聞きつけて、大陸全土から選りすぐりの娘達が魔王様へ嫁ぎにくるみたいなの。魔王国は貴族制度のない国だから、外国の誰とも知れぬ女でも可能性はある、って大盛り上がりよ。勿論、私達もね!」

 

 数年前からファムタに懐いた亜人種の少女が、元気いっぱいに話してくるその姿に、ファムタはなんだかいたたまれなくなって、話を逸らすことにした。

 

「そういえば、国王がデミャン*1好き、というのはどこから?」

「だって、魔王様は王家のお姉さま方にデレデレじゃない。ほら、この間人間のキシが来た事があったでしょ? その時の一番前にいた人が、悔しいけど凄く綺麗なヒトだったわ。けれど、魔王様は欠片も興味を示さなかった。きっと魔王様は、人間には興味が無いのだわ!」

 

 なんとも夢見がちな憶測に、しかしそれはあるかもしれないな、と考え直す。

 あの親子は人間の国に身を追われ、その命を落としかけていた。前国王が人間に対しての嫌悪を吹き込んでいてもおかしくはないし、実際、この国に来た他国の騎士大隊に対しても、冷たい態度を取っていたのは事実だ。まぁあれはほとんど攻め込んできたようなものだから、受け入れる態度なんて取るはずがないのだけど。

 

「ファムタさんも、どう?」

「どう、って?」

「勿論! 一緒にアタックするのよ、魔王様に!」

 

 ファムタは額に蔓の手を押しあてた。確かに自分は前国王と子を成さなかった魔物種であるから血のしがらみは無いが、まさかそんなことを勧められるとは。思いもしなかった。本当に。

 ただこの純粋な目を……どうしたものか。

 

「遠慮しておく。私は魔物種だから、一人で増えられるの。学校で習うでしょ?」

「う……なんか……習ったような、気がする……! あんまり覚えていないのだけど!」

 

 結果、ファムタはきっぱり断る事にした。

 仮に自分と現国王が交わってしまった場合、本当に強い子が生まれる可能性がある。曲がりなりにもファムタは最古の魔物種で、女王の加護と女王の研究成果によって最大限の強化が為された、他の魔物種に比べても尚特異な存在である。そんなのは自分一人で良いと、果実を作る気もない。

 

「一応、応援してる。頑張って」

「ええ! 必ず魔王様のハートを射抜いて見せるから!」

 

 じゃ! と元気よく去っていく少女の後ろ姿に、一つ溜息を吐いた。

 

「周辺諸国から旅人が来る、というのは、朗報」

 

 カバンに入れた麻袋。

 いい感じに、誰かに押し付けようと画策するファムタだった。

 

 

*1
亜人種の別名。亜人種は基本的に蔑称であるため




レベル高いヤツの魂程寿命が沢山延びるってこと。

ウィナン・ディスプは国を拓いた程度で魂の規模がここまで大きくなったんだな!


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魂を売られて喧嘩も売られる

話数表示がないのは、まだ1話だから。


 植物というのは成長のために欲しいものの方向に伸びていくもので、基本的には日光が欲しいから背を高くするし、水や栄養が欲しいから広く根を張る。劣悪な環境であれば、稀に移動手段を得るヤツやら虫を食う奴やらが現れるけど、基本的には高く広くが植物というものだ。

 ではこの森はどうだろう。

 木々の背は高く、草花も鬱蒼と茂っている。しかし俺の小屋の周辺には全く枝葉を伸ばして来ない。別に剪定しているとか、除草剤を巻いてるとかそういうことはないのに、だ。枝葉も根も、俺の小屋周辺には存在しない。魔物娘達が何かやってるのかとも思ったけど、今の所小屋周辺にそういった力の動きは見受けられないから、森自身が避けている、としか思えない。

 

 果たしてそれは個であるのだろうか。

 木々の一本一本が、草花のひとつひとつが、本能的にそうしているのか――あるいは、森という群が、本能的にそうしているのか。

 

 ちょっと気になった。

 気になってしまって、魔物娘化をすることにした。

 

 結果から言えば、森は森として──つまり群として存在していた。森全体に対して魔物娘化の手順を取ったにも拘らず、一体の魔物娘しか生まれなかったのだ。

 その魔物娘は明らかに他の魔物娘たちとは一線を画す魂の規模を有していて、しかし欠点があった。

 森がその魔物娘を守りたがるのだ。植物に母性なんぞというものがあるのかは知らないが、事実としてその魔物娘は森に守られていた。こちらからその魔物娘にアクションを起こそうものなら、たちまち森が魔物娘を隠してしまう。捕捉こそ簡単だが、わざわざ自分の住みやすい空間を壊してまで捕まえたいかと問われると悩み所。

 群体であれば魂の規模が大きくなる、という例をサンプルとして取っておきたかった感は否めないが、面倒くささとデメリットの方が目立ったために断念。

 

 結構昔の話だ。いつの間にかその魔物娘は森の外へ出てしまっていて、恐らく森自身が彼女を逃がしたのだろうことが伺えた。

 勿体ない事をしたなぁ、とその時は思ったものだ。

 

「それがまさか、お貴族様をやっていたとはなぁ」

「ひっ……」

 

 ファムタ曰く黎樹と名付けられた俺の中継器は、魔王国の全土に街路樹、あるいは観葉植物として植わっている。成長の遅い木で、30年経ってようやく実をつけるものがいくつかあるかないか、という程度のそれは、果実が大変美味なのだとか。まぁほとんどが俺に入ってくるとはいえ、魂を蓄えた果実であるのに間違いはないからなぁ。それを美味と取るかというと疑問が残るが、体に良い事は間違いない。

 

 黎樹が俺の中継器足り得る原理として、あれは俺の魂の何百万分の一を溶け込ませてある事に由来する。種の時点でその規模の俺の魂が分身として宿っているから、"魂の摂取"の条件である"周囲の魂を掠取する"に該当するのだ。無論分身は不老不死でもないし、衣食住からの解放もされていないから、例えば黎樹が切り倒されたら分身も死ぬだろう。

 ただ死んだ所で分身は俺に戻ってくるだけだし、溜め込んでいた魂の蓄積値が欠けることも無い。デメリットのあるものなんか作らんからな。最大限おれがサボれる仕組みにしている。

 

 基本的に分身は意識を持たない。眠っているといえばいいか、必要なのは"俺である"という事実だけ故に自我を持たせていないのだ。だからディスプの時やファムタの時のように分身を伝って俺の意識を浮かび上がらせる事をしたとしても、肉体の再現はほとんどできない。俺の肉体は至高存在製の特別なものなのだ。むしろ分身を使って中空から生きた人間を生み出せるのなら、俺は既に無から有を作り出す実験に成功していると言えてしまうだろう。

 

 そういうワケで、黎樹あるところであれば俺はスッカスカの体と言えど、実体化できる。

 実体があるとどうなるか、というと。

 

「じょ……女王、様、ご機嫌……麗しく……」

 

 平身低頭。猛虎落地勢。

 昔、森から逃げ出した唯一の魔物娘──"森"の魔物娘が、そこにはいた。あの頃から幾分かは成長したか、少女から高校生くらいの姿になっている。後ろには幾人かの少女。皆同じ特徴を備えた……しかし八割を人間としているらしい、亜人種とかいうヤツ。

 

「ティータ」

「は……はい」

「森から出ようとした者の末路を知らんお前じゃあないだろ?」

 

 "森"の魔物娘、ティータはファムタに比べて何代も後の魔物娘だ。既にその頃魔物娘達は「外に出てはならない」ということを知っていたはずで、こいつが知らなかった、という事もない。

 "森"が逃がさなければ、同じ末路を辿っていたはずだ。

 

「ぁ……」

「まぁ、俺も鬼じゃあないんだ。既に生活を手に入れてるヤツに、今更森に戻れ、なんて言わないさ。魔物娘のための国を作ってやるくらいには寛容だ。だから、ティータ」

 

 麻袋を取り出す。

 入っているのは勿論、黎樹の種だ。

 

「お前に償う気持ちがあるなら、これを世界中にばらまいてくれ。何、期限は設けないさ。気ままに、適当に。な?」

「い……命に、代えまして、でも……!」

「それじゃあ、元気でな。ああ、諸々片付いたら、森にも帰ってやれよ? 森が寂しがってるからな」

「……はい」

 

 一度だって目を合わせない魔物娘に、苦笑する。

 実体があると、こうなるのだ。ファムタもティータも──嫌悪感マシマシ。ただし服従。目の前に俺がいる、という恐怖は、とてつもないものらしい。

 

 ふと、心配そうにティータを見つめている亜人種たちに目を向ける。

 

「お、お願いします! あの子達は、どうかあの子達だけは、お見逃しください!」

 

 すると今までびくびく震えていたティータが、突然声を荒げて俺と亜人種の間に入ってきた。あー、なんだったか。愛情、とかいう奴か。……ふむ、目に見えて魂の規模が上がっている。これはどっちだ? 恐怖か愛情か。どっちの経験値がティータの魂を拡張している?

 

「亜人種、と言ったか」

「女王! どうか!」

「どうだ、魔物種になってみる気があるやつはいないか?」

 

 ちょうどいい、とは思っていた。これだけ人数がいるなら、一匹くらい貰ってもいいだろうし。人間種と亜人種、どちらもまだ魔物娘化を試していない。ティータの血を引いているなら、森の薬品とも親和性があるだろうし。ぞ、とした表情になるティータ。爆発的な魂の拡大に、なるほど、と独り言ちる。

 愛情との比較がしたい。するにはどうするべきか。

 

「……いないか。じゃあ、適当に見繕うか」

「──逃げろ、お前たち!」

 

 何かに囲まれる。四角い、薄い膜のようなもの。随分と脆そうなそれは、しかし一瞬でも俺の視界を奪った。複数の足音が遠ざかるのを感じる。膜を触って少し押してみると、ぱらぱらと割れてしまった。目くらましの魔法? かな。そういうの全然わからないんだけど。

 あれだけいた亜人種はその全てがいなくなっていて、あれだけ震えていたティータだけが一人、腰に佩いていた剣を抜いて──その切っ先を、俺に向けていた。

 

 表情は既に恐怖でなく──覚悟を決めたソレ。

 

「二秒も保たないか……! くそ、化け物め!」

「そんなにアレらが愛おしいのか」

「当たり前だ! 我が子を愛さぬ親がどこにいる!」

 

 人間ならまぁわからんでもないんだが、お前魔物娘じゃん。……いや、人間社会に馴染めば全員こうなるのか? でもお前親いないじゃん。とか。思ったりしないでもない。

 まぁ、良いか。サンプルは取れた。

 恐怖と愛情、どちらが勝るのか、というサンプル。確かに。

 

「んー、勿体ないな」

「何?」

「ここでお前を殺すのも良いんだが、お前はまだまだ"魂の拡張"の余地がありそうだし……何より、あの種を広めてもらいたいんだ。あの亜人種たちのことは、潔く諦めるよ」

 

 そういっても、剣を納めないティータ。まぁ、それは別に良い。

 亜人種なんて多分そこら中にいるんだろ? 人間ってそういう生き物だからな。見目麗しい魔物娘にそういう感情を抱くのはまぁ、わからんでもない。だって俺がそうだもん。可愛いよな、魔物娘。

 そんじゃま、帰るとしますか。

 

 あ、いや。

 

「ま、ふと目に着いた奴を拾う事はあるかもしれないが──」

 

 瞬間、俺の胸には剣が刺さっていた。

 素晴らしい。恐怖も凄まじい拡張だったが──こちらの方が、何倍も。

 

「この手応えは……分け身か」

「俺に手を出したのはお前が初めてだ。誇っていいぞ」

 

 ハリボテの身体が溶けていく。良いサンプルだ。

 魔物娘は、悲劇的状況で愛情のために覚悟を決めると、凄まじい拡張を見せる、と。それに、愛情は恐怖を凌駕するのだと。十分な成果だ。今度、似たような状況を作ってサンプル数を重ねよう。

 

「種の拡散を忘れるな。それをしている限りは、見逃してやる」

「……二度と、私達の前に現れないでくれ。私はもう黎き森の魔物ではないんだ」

「それも──お前次第──だ──」

 

 じゃあ、頑張ってくれ。

 

 

 

 

 森から出る、という事がどれほど恐ろしい事なのかは、十分に知っていたはずだった。先達とでも言えばいいか、あの森には自分以外の魔物が数多くいて、それらによれば、森から出ようとした魔物は見るも無残な手法で処刑されるらしい。

 

 私にはいくつかの運の悪い事柄があった。

 ひとつ、その処刑を実際に見た事がなかった、という事。話には聞けども、その頃には外に出ようとする愚か者は一人としておらず、故に恐怖心は薄かった。

 ふたつ、木々の隙間から、馬車を見てしまった事。当時は馬車というものさえ知らなかったから、見たことの無い双頭の生物だと勘違いして、大いに好奇心を刺激された。

 みっつ、森が私に味方をしてくれた事。女王の手から、森は私を守ってくれた。魔物は基本的に親というものが居らず、あるいは自らの種子で増やしたそれを子と呼ぶ者もいるが、やはり亜人種や人間種が持つ親子という概念とは違うものだと私は思っている。ただ、森だけは。私にとって、親とでも呼ぶべき愛情を感じ取ることが出来ていた。

 

 衝動的に、あの馬車を追いかけたいと思った。薄まった恐怖心は一歩を踏み出す事に躊躇を見せず、感知するはずの女王の網に、森が穴をあけてくれた。

 出ることが出来た、と言う感覚はなくて、ただ夢中で追いかけて──気付けば、当時の人間としては珍しい、魔物を相手に物怖じしなかった最初の夫と恋仲に落ちていた。

 

 まさかそれが、大陸のとある国の王子だとは露知らず。

 

 

 

「大丈夫ですか、お婆様……?」

「ああ──問題はない。お前たちも、……無事でよかった」

 

 女王の去った、静寂の満ちた部屋。事の収束を悟ったのか、逃げろと言ったにも関わらず部屋へと戻ってきた我が子達に苦笑しつつ、床に落ちた麻袋を拾い上げる。中を見れば、黒々と光る種子が詰まっていた。

 

「それは……」

「黎樹と呼ばれる木の種だ。一粒で数千万はくだらない……まぁ、劇薬だよ」

「危ないもの、なのですか?」

「少なくともお前たちに食べさせたいとは思わないな」

 

 私は"森"の魔物だから、わかる。この種は純粋な植物ではない。どこか私達魔物種と同じ感覚と女王の気配が混在する、一つの命だ。

 これを世界中に拡散する、というのは……中々に憚られる。少なくとも私の家に置いておきたいものではない。だが。

 

「……?」

「……潰した刃も鉄は鉄、か」

 

 それをしている限りは、見逃してやる。

 言葉が響く。大事な子供たちと、世界。どちらが大切か。

 

 決まっていた。

 

「すまない、ガーディ。私は、お前との子供の方が、国よりも大事なんだ」

 

 謝罪は既に亡き夫へ。この悪魔の種を世界へ届けよう。

 魂を売る、とは。正にこういう事なのだろうな。ああ、反吐が出る。

 

 ああ、どうか女王よ。世界の片隅で、ひっそりと死んでくれ。それが世界を平和にするのだから。

 

 

 

 

 ただ。

 亜人種である娘達にとっては、魔物種になる、という提案は、酷く魅力的に映ったという。

 

 

 

 

 研究は一つの境を越えた。

 などと言えれば良かったのだが、越えかかっている、が正しいだろうか。

 ここ数年、俺が研究に熱を入れていた二つの魔物娘の内の一つ、スライム娘がなんとか形になったのである。

 

 製法としてはまぁ、あんまり進んだとは言えない。媒介にしたのは血。俺の、ではなくその辺の動物の、である。血液の魔物娘、というのがもっとも精確だろうが、基本水をはじめとした水分を周囲に纏う事で見た目が完全にスライム娘だから許してくれ。スライム娘らしく、赤いコアという形で血液結晶が見えてしまっているのもグッド。

 ただ正直、魂の規模は想定の水準には至らない、というのが現実だった。

 ぶっちゃけ、今まで作った魔物娘の中でもかなり弱い部類に入る。いやまぁ陸上であればの話で、水中であれば生物的強さはそこそこくらいにはなるんだが、うーん、という感じ。魂の規模は陸上だろうと水中だろうと変わらないわけで。

 

 んー、これを量産しても、得られる蓄積値は微々たるものだ。まぁ森の中にある毒の泉にでも放り込んでおきますかね。あの泉、何やら地下水に繋がっているようで、ワンチャンそこから拡散できるだろう。適当に頑張ってくれ。

 

 ゴーレム娘がこの結果に終わらない事を祈って、研究を再開するとしますかね。

 

 

 

 

 各地に現れる白いワンピースの妖精、という噂話を聞いた時、ファムタは嫌な顔を隠そうともしなかった。

 亜人の子供がウワサするそれは、祖父母の家に現れただとか、力尽きて倒れる騎士の元に舞い降りるだとか、総じて"人の死に目に現れる存在"として知れ渡っているらしい。

 自身の姿が見られることに頓着するような性格ではないというのはわかりきっているにしても、何故妖精などというファンタジーな存在として知れ渡ってしまっているのか。あの悪辣な性格を知れば、妖精ではなく悪魔やら死神やらだとわかりそうなものなのに。

 

死に目の妖精(ポンプス・イコ)は、死者の魂を狙う悪魔からその魂を守ってくれるのよ! とても可愛らしい容姿をしていて、けれどとても強いの!」

 

 そう楽しそうに話す亜人種の子。逆じゃないのかな、とファムタは思った。

 死者の魂を狙う悪魔が、ソイツだよ。確実に。

 

「ファムタさん、こういう御伽噺はお嫌い?」

「嫌いではない。ただ、白いワンピースというと嫌いな知り合いを思い出す、というだけ」

「ファムタさんに嫌われるなんて、とっても酷い人なのね」

 

 うん。そいつがソレ。

 

「国王のお嫁さんにはなれそう?」

「それが……最近国に来たデミャンの女の子が、とっても可愛らしい子で、魔王様が熱心に口説いている、というらしいの……。ファムタさん、知っている? リンゼスの有名なお貴族様らしくて」

「うわ」

 

 思わず声が出た。

 黎き森の魔物であれば、誰でも知っているだろう。逃亡者。リンゼスのティータ。魔王国が出来る前は羨望の目が向けられていた彼女も、今では憐みとしてしか呟かれないその名前。女王に敵対して得た自由が、今ファムタ達の享受する自由に勝るとは到底思えなかった。

 亜人種ということは、それの娘か。人間との子を設けたとは聞いていたけれど、何故わざわざ女王に近づくような真似をするのか理解できない。

 

「なんか、親御さんの反対を押し切って嫁ぎにきたらしいわ。悔しいけれど、覚悟の違い、という奴なのかしら、あの子はとっても真剣で……身を引いてしまったわ。私も、私の友達も」

「ふぅん。真剣」

「でも、諦めたわけではないのよ! 私も真剣に魔王様を好きになれる理由を見つけて、再アタックするのだから!」

「そこからなんだ」

 

 死に目の妖精(ポンプス・イコ)に魔王の嫁取り合戦。それに黎樹の種と……全く。

 蔦の手足をまとめて手の形状を作り、目の前で息巻く子の頭を撫でる。

 折角得た自由。好きに使いたいのに、どうしてこう心労が絶えないのか。前国王の時もそうだったし、今はちょっと、この可愛らしい子が心配でならない。凄く面倒くささが勝る。

 

「あなたは、そのままのあなたでいてね」

「?」

 

 ファムタは願う。どうかこの子に幸あらんことを。

 そして私に幸あらんことを。もっと。いっぱいの。そしてダラけられるやつ。

 

 ……女王に不幸あれ。最大の。




起起起起起起承起起起起起起起起転起起起起起起結くらいの構成ですよこの小説

ジャクリーンは亜人種だから、とっても短命だぞ! 魔物娘にとってはな!


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無関心の外道

エグめの描写が入ってくるから気を付けて!


 "寿命"と"経験"が魂の規模を拡大する、というのは散々述べた通りであるのだが、この世界の法則であるらしいそれは、転生をしたとはいえこの世界の住人となった俺にも適用される。"魂の摂取"による延命は、魂の規模を拡大していると言い換えても何ら間違いではなく、ひっくり返して"寿命"が延びて"経験"が積まれている、という仕組みになっているようなのだ。

 至高存在が俺に与えた【不老不死】の仕組みがこれで、【衣食住からの解放】もまた"経験"に左右されるものであることが発覚している。RPG的なヤーツに当てはめると、レベルが高いとスタミナが減りにくい、状態異常耐性が高くなる、とかそんな感じ。

 左項が上がったら右項も上がる。そういう等号で繋がっている。

 

 なら、減らしたらどうなるのか、という部分に着目するのは当然の思考回路であると言えると思う。

 

 無論俺に試すわけじゃない。試すのは魔物娘だ。いっぱいいるしな。

 

 実験は三つ。「寿命を減らしてみる」、「経験を減らしてみる」、「魂の規模を削ってみる」。

 

 寿命を減らす、というのはまぁ、簡単だった。毒やらなにやらを与えればいい話だから。同じ種族の魔物娘を、成体と、その種子から生まれた直後のものを用意して、散々っぱら弱らせた後、全く同時に死なせて俺に蓄積する魂の規模を測る。「生きた年数」と「寿命」は微妙にニュアンスが違って、つまり「これまでどれだけ生きたか」と「これからどれだけ生きそうか」という話。「生きた年数」はどちらかといえば"経験"側に含まれるものだ。

 未来予知、運命云々の話じゃなくて、「どれだけ元気でいられるか」みたいな話なので、明日の朝事故死する、殺害される、とかいう場合でも魂の規模自体は大きく見えるのが難点。

 

 結果、身体の衰弱と比例して魂の規模は小さくなっていくことが分かった。つまり病弱な者や身体に障害のあるもの、あとは老い先短い年寄りなんかではあまり魂の蓄積値が得られない、って事だ。 

 経験の薄い森の魔物娘では、死の直前、成体は森の動物と同じくらいの、幼体に至っては虫と同程度の蓄積値しか得られなかった。

 "魂の摂取"を行うのであれば、健康体に限る、という実験結果になった。

 

 次に経験を減らす、というのをやってみた。

 経験というのが些か概念的で、とりあえずいくつかの実験方法をとる事にしたのだが、まず思いついたのは記憶だ。経験なんて言うくらいだから、それを経験した記憶が消えれば"経験"側も消えるんじゃないか、と。

 森の魔物娘の経験など微々たるものだとはわかっていたが、人間を調達するのはあまりに面倒が勝ったため、仕方なく実行。生きた年数が同じ魔物娘二匹の片方に記憶喪失の薬を投与し、完全に記憶を失ったタイミングで双方を殺して魂の蓄積値を測る。

 実験の結果としては、思ったより変わらないな、というものだった。

 森の外に出た事が無いとはいえ百何年を生きた魔物娘だ。その消去された分の記憶はそこそこの重みがあるんじゃないかと思っていたのだが……なんとも、期待外れというか。これが濃密な記憶を持つ人間だったら違うのかもしれないので、この実験は一旦保留になった。

 

 もう一つ、経験を減らす方法を思いついたので、それも試す。

 先ほどは記憶。今度は感情である。

 愛情。恐怖。殺意。覚悟。これらが魂の規模を跳ねあがらせるというのはわかっているから、じゃあそれを失えば経験も減るんじゃないか、と。

 これも森の魔物娘達では感情の濃度に欠けるんじゃないか、という危惧もあったけど、まぁまぁ、生物的恐怖はどんな場所においてもあるもんだろうと割り切る。

 

 これまた適当な生きた年数を同じくする魔物娘を用意して、まず二人に処刑宣告を言い渡す。疑問と恐怖を浮かべた魔物娘の片方に感情を殺す薬を投与し、片方には何もしない状態で、今度は弱らせずにすぐに殺す。感情を殺される、ってわかったら恐怖が倍増して実験サンプルとして成り立たなくなるからな。出来る限り条件は同じにしないと。

 こっちの実験結果は上々だった。

 明らかに感情のあるやつの方が、魂の蓄積値が多い。恐怖によって拡大した魂の規模は、感情の一つや二つを失くした程度で縮小してしまうらしい。恐らく愛情も同じと見た。森の魔物娘でコレなのだから、外の魔物娘や亜人種であればどれほどのものが見込めるか楽しみでならない。

 

 "魂の摂取"を行うなら、感情豊かで長い年数を生きた、健康体の魔物娘。これが最高効率である、ということが分かった。

 

「……素晴らしい、が。しかしそうなると、アレは……?」

 

 しかしここで、ふと疑問が生じる。

 いつかディスプが来た時の事だ。あー、子供の名前。なんといったか、いやもう覚えてないからいいのだが、その子供は毒を投与されたことで衰弱しきっていた。

 だというのに未だ鮮明に覚えている程の魂の規模を有していた。寿命も無ければ経験も無い状態で、あれだけの魂の規模というのは……やはり、どう考えてもおかしい。

 

 それとも人間種は法則が違うのだろうか?

 

「……ふむ、今度試してみるか」

 

 面倒ではあるが、今度は人間種か、亜人種で。

 もし人間種の方が魔物娘の長い寿命を圧倒的に凌駕する経験密度を持っているというのなら、俺は効率的な方を取る。そうなっても魔物娘を作るのはやめないけどな。人間社会に溶け込むのは嫌だし。

 

 

 さて。

 

 最後に、魂の規模を削ってみる実験である。

 

 

 

 

 魂の規模の可視化、というべきか、実際に視覚的に見えているわけではないのだが、感覚としてコイツはこれくらい、アイツはこれくらい、というのが分かるようになった。最初はわからなかったんだが、"魂の摂取"を繰り返している内にわかるようになった、という感じ。

 ではこれに干渉できないか、と考えるのは普通だと思う。とりあえず増やすのは出来なかった。"魂の摂取"以外で魂の規模に直接干渉する術は今の所見つかっていない。先の実験のように間接的なものはいくらでもあるのだろうが、直接増やすとなると現状は無理。というか多分一生無理なんだと思う。それが出来るなら、至高存在は俺に無条件の不老不死を与えられただろうから。

 

 で、減らす方。

 これは出来た。"魂の摂取"も周囲の魂を削るようにして掠め取るものだから、それを模倣する事から始めた次第。削ったモノを俺以外の魔物娘に植え付ける、というのは出来なかったのだが、削るだけなら割と簡単に出来た。硬い土塊を指で削っていく感じに近いか。

 俺の技術不足なのかそもそも無理なのかどうかはわからないが、一気にスバーンと断ち切ることは出来ず、ガリガリと削っていくのみに収まってしまっている。これが大変非効率で、この方法で相手を殺したり弱らせたりするくらいなら、直接やった方が百万倍良い、という結論で終わっている。

 

 魂の規模は縦横軸として球体のような形を取っていて、横幅が経験を、縦幅が寿命を表している、っぽい事はわかっている。だからディスプなんかは平べったい魂の規模をしていて、寿命は全くないのに経験だけが膨大だから巨大な天使の輪っかを頭に浮かべているようでちょっと面白かった。いつか色付きで見えるような技術を作りたいものだ。

 逆に森の魔物娘は縦幅のなが~~い楕円である。どう削るにも寿命を先に削ってしまうから、みるみるうちに衰弱して行ってしまって、すぐに替えの魔物娘を用意しなければいけなくなかったのが多少面倒だった。

 

 実験の成果として魂の規模から寿命や経験に干渉する術を得たものの、使う機会はあるかなぁ……といった感じ。正直今回の実験は感情に関するもの以外、ほとんどが失敗に終わったと言ってしまえる結果だと思う。まぁ研究なんてのは失敗続きが地だから特に気にしちゃいないんだが、最近すこしばかり停滞気味だなぁ、というのが所感。

 無から有を作り出す実験も全く進んでいないし、何かきっかけでも起きないものか。

 

「……素晴らしい。順調だ。順風満帆とはこれ正にこの事だ。ああ素晴らしい素晴らしい」

 

 こんな感じでフラグを建立すれば、ディスプの時みたいな切っ掛けが来るんじゃないかって言う。

 

 

 

 

 来た。

 

「……女の子?」

 

 場所は森の、俺の小屋の前。

 ぺたんと地面に座り込むのは──全裸の少女。年の頃は中学生……高校生くらいか? 人間の年齢の見立て、出来なくなってきてるな。 

 少女は突然現れた。ディスプの時のように追われてきたとか、森を抜けてきたとか、そういうことは無く、出現した。

 

 無から現れたのだ。

 

「名前、あるか?」

「えっと、ジャクリーン。あなたは?」

「なんだ、記憶があるのか。生まれたばかりではない……無から現れたわけじゃないのか? ふん、喜び損だな。じゃあアレか、転移術とかそういう……なんか、魔法でもあんのかね。知らんけど」

 

 無から現れたわけじゃなかったっぽい。がっくり。

 

 それによく見れば……亜人種、という奴か。人間じゃないな。猫の亜人種? んー、猫の魔物娘は作ったが、外に出した記憶はない……ああいや、むかーし、魂の規模を減らす実験に使ったやつを森の外に捨てた事はあったか。……あの状態から生き延びて、人間と交わったのか? 

 ふむ。そうそう、ずっと疑問には思っていたんだ。この森から逃げ出した魔物娘は唯一ティータだけ。だから"森"の亜人種が沢山いる事はおかしくはない。だが、それ以外の種族がいるのはどういうことだ、と。ファンタジーよろしく亜人種が人間よりの種族であればそんなに興味も惹かれないんだが、魂の規模を見るにどう見ても魔物娘と人間の混血である。

 つまり、今多種多様に存在する亜人種は、過去に魔物娘と人間が交わった結果の産物であるということ。

 俺はティータしか逃がしていないのに、魔物娘が外に出ていたというのは……おかしな話である。

 

 つまるところこれは俺のミスか。実験体として魂の規模をすり減らした魔物娘は、蓄積値を測るために殺す事も多いが、数を重ねるだけのために使用した個体は適当に森の外に捨てる事も多かった。最近は勿体ない精神が大きいからそんなことはしないんだが、昔は結構ノンエコロジーな生活を送っていたわけである。

 いやはやそれがまさか、生きてここまで種を繋いでいるなんて思いもしなかった。

 んー、ということはなんだ? もしかしたらどこかに、昔捨てた魔物娘たちがいて、魂の規模を拡張している可能性もあるわけだ。基礎的な寿命は長いはずだからな。生きている確率も高そう。うんうん、回収しないのは勿体ないよな。お残しは許されん。

 

 それに。

 

「転移術、ね。これで外に出たってやつもいるのかもしれないな……」

「きゃっ! ちょ、ちょっとそんなペタペタ触らないでよ……っていうか、なんで私ハダカなの!?」

 

 魔物娘の生態や人間社会に興味が無いから、それを知る事さえしなかったツケとでもいうべきか。学習なんてたとえ俺がデメリットを被ろうとも行うつもりはないが、なんだか魔法みたいなものが存在しているのは事実らしい。ティータの目くらましの奴とか、ファムタが風呂で本を読んでいたのも同じ感じか? 濡れてなかったもんな、アレ。

 そして別々の場所に生き物を飛ばす術。ふむふむ。

 

「君、名前は!? ダメよ、レディの身体に触れるのは魔王様の特権なんだから!」

「……ジャクリーンと言ったか」

「ええ、そうよ! 三度目だけど、あなたの名前は!?」

「魔物娘になってみる気はあるか?」

 

 とりあえず、良いサンプルが手に入った。外に出向いて亜人種を見つけてくる苦労が消えたのは幸いだ。そして、この少女を殺すのも無し。ジンクスと言えばいいか、フラグを立てた後に来た切っ掛けは、いい感じに外に返した方が良い気がするのだ。ディスプがそうだったから、というだけの理由だが、まぁファンタジーだから縁掛けも意味があるだろ。

 

「魔物に、なる? ……あのね、あなたは、まだ幼いからわかんないと思うけど、デミャンは魔物にはなれないのよ? ああ、わかった。ここ、とっても田舎なのね。学舎が無いんだわ。んんっ、仕方ないわね、お姉さんがお勉強を教えてあげます!」

「なる気はない、ということか」

「なれるものなら是非なりたいけど、無理なものは無理なのよ? わかるかしら」

 

 そうか、成りたいか。

 その言葉を待っていた。そうだよな、誰だって可愛い魔物娘にはなりたいよな。

 

「七日間、こちらで出す食事を食って生活しろ。あとは、そうだな……お前にかけられた転移術の解析もさせてもらう。それが条件だ」

「え!? ご飯をくれるの? そんな、悪いわ。あ、ううん。だからこそ、頑張ってお勉強を教えるべき、ということよね」

「衣服はその辺の魔物娘達に聞くと良い。ああ、お前たち。今日から七日間、この娘は森の仲間だ。()()()()()()?」

 

 傷をつけるなよ、と釘を刺して。

 早々に小屋へと戻る。亜人種の魔物娘化に関する薬品は、既に考案済みだ。まぁ投与自体は初になるから何が起きるかわからないという懸念事項はあるが、死んでも特に問題はない。ボーナスみたいなもんだからな。感情の豊かな娘だから、経験の規模もそこそこあるようで俺にメリットさえあるのが良い。

 

「え、ちょ、ちょっと! 四度目だけど、あなたの名前は!?」

「亜人種としての最後の七日間、ゆるりと楽しむと良い」

 

 どうせ記憶は引き継がれないのだからな。

 

 

 

 

 親しくしていた亜人種の子が消えた。

 

 愛憎乱れる魔王子の嫁取り合戦。そこには当然、嫉妬がとぐろを巻いて居座っている。あの子は明るいけれど、同じくらい頭が弱い。策略謀略を以て魔王子に嫁がんとしている者たちにとっては、さぞ面倒な存在に映ったことだろう。目障りと言った方が正しいか。どちらも同じか。

 

 とりあえずは魔物種の皆に、そして自身に繋がりのある方々の亜人種に彼女の行方を問うも、答えは無かった。亜人種の子がファムタに会いに来なくなったのは六日前。毎日のように今日あったことの報告をしに来ていたものだから、一応気になりはしていた。

 だが、ファムタは恐らくこの国においても最長を生きる最古の魔物種で、性格自体も面倒くさがりだ。森で幼体がいなくなる、なんてことは少なくはなかったし、魔王国へ移住してからも亜人種はすぐに姿を消す部類の存在。まぁ、そういうこともあるかな、と諦めていたのだが。

 

「……服だけが見つかった?」

「ええ、学舎の女生徒の服だけが、ぽつりとね。ほら、貴女の探していた……えーと、女の子? 確か学舎に通うくらいの年齢だったな、と思って」

 

 ファムタよりは何代か後の世代とはいえ、同じ魔物種。それも亜人種や人間種に友好な部類の*1友人に、その話を聞いてから、少しばかりの──嫌な予感が過ぎり始めた。

 

「転移痕は調べられた?」

「鑑識が言うには、具体的な距離は掴めないけれど、方向としては……あっち、だっていうのよ」

 

 その指が向く方向。友人もまた、額に皺を寄せた表情をしていて、恐らく自分もそうであるのだろう。

 だってその方向は。

 

「黎き森……」

 

 帰りたくない故郷ランキングNo.1である、その場所だった。

 

 

 

 

「ねぇ、アルタさん。イコちゃんはどうしてあそこに住んでいるの? ご両親は?」

「……イコ、というのは、()()のことか」

「うん、あの白いワンピースの子よ」

「それがアレの名なのか?」

「私が名付けたの。今魔王国には死に目の妖精(ポンプス・イコ)っていう妖精さんが現れるんだけど、噂で言われてる姿にそっくりだから!」

「……アレがどうして森にいるのか、親が何なのか。全くわからない。わかるのは……アレが、私達の敵であるということだけだ」

「敵? どうして? あんなに可愛い女の子なのに」

「いずれわかる。明日にはわかるだろう。知らない方が幸せでいられることはあるんだ、ジャクリーン」

 

 あと──半日で。

 

 

*1
基本魔王国の魔物種は温厚だが、友好的であるかは別である




むしろ平常心で向き合えるファムタが異常

イコちゃんという呼称を使うのは今の所ジャクリーンだけだぞ! 魔王国の民も、ポンプス・イコと呼んでもちゃん付けはしないからな!


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親の心子知らず、子の心親知らず(当然)

またエグめの描写&R15?っぽい描写がなかったりあったりします!


 動植物や虫の魔物娘化は、プロセスとして"生物的強化"と"元となったモノの増殖手順の再現"が肝になってくる。植物であれば果実や球根といった"魂の規模"濃度が最も高い部分の抽出と再構成、動物であれば心臓や脳だな。虫は全身と、まぁ種別ごとに様々あるんだが、"その生物にとって最も重要な部分"を抽出源にすればいい、というのはわかっている。

 "魂"というのがそもそも「生物の本体となる場所に宿る」という性質を持っているから、本体の抽出を行えばそれに乗って流れ出てくるものに"魂"が宿るという寸法である。

 

 "魂"の抽出が終われば、次に必要なのは"再誕"だ。

 これもまた種別ごとに様々な手法でやる必要があって、鳥類であれば殻を作ってやったり、肉塊とはいえ胎を用意してやったり、土に埋めてやったりと様々。ただ胎生の動物は一番楽な部類で、"魂"の抽出を終えた後の躰が転がっているのだから、それを使えばいい。

 魔物娘になるために、自らが魔物娘を生む母体になる、というワケだ。エコロジーだろう。

 

 先日手に入った亜人種のサンプル……ジャクリーンといったか。確か。それが今、俺のほうに頭を向ける形で、仰向けに眠っている。既に魂の抽出を行うための下準備……つまり、抽出に使う心臓と脳に"魂の規模"を集める薬品は投与済み。濃度が高いといっても全身に"魂"は行き渡っているから、何の準備もせずに抽出を行うと八割くらいしか取れないんだ。それを十割取れるように集中させる薬を七日間、じっくり投与させてもらった。

 

 それではいざ摘出を行わん、とした時だった。

 

 一瞬。一瞬だ。

 視界が真っ白に染まる。それはトンネルから出た後の日差しがホワイトアウトレベルに強烈になるとかそういう類の、目が眩む、という現象。こっちに来てから、この身体になってから【衣食住からの解放】によって日差しを眩しいとも熱いとも感じなくなっていたから、凄く新鮮な感覚。

 ただそれも1秒2秒に満たぬ時間で、すぐに視界を取り戻す。

 だが、目の前にあったはずのジャクリーンの躰は無くなっていた。

 

 代わりに、森の外縁部に向かって超高速で移動する見知った気配が一つ。ああ、隠されているがジャクリーンもそこにいるな。

 

「まぁ待てよ、ファムタ。どこへ行こうというんだ、折角の帰郷だろ?」

 

 黎樹の分身と原理的には同じだが、森の中なので一切のタイムラグ無く現れることが出来る。

 決死の形相、といった感じのファムタの腕には、未だ眠り続けるジャクリーンの肢体。なんだ、欲しかったのか? まぁ待てまぁ待て。魔物娘に変えたら与えてやるから。

 

 しかしその返答は刃だった。しかもなんかバリバリしてる。電流が流れてる? あれじゃん、蚊とかハエを叩くラケット。

 

「ッ」

 

 見るも無残に切り裂かれる俺の分身。しかし斬られた体が粘性の水のように刃へと絡みつき、ジュウジュウと焼ける音を立てながらも柄を持つファムタの方へ追い縋る。

 スライム娘を作っている時の副産物だ。最終的に血液に魂を宿らせる、といった方向で終わったあの研究だが、最初の方は色々と試していて、その一つがこれ。肉体をそのまま粘性にする、液化の実験。見た目がグロめなのと、スライム娘というか肉の粘土みたいになっちゃったのでお蔵入りになったのだが、森から出ようとする魔物娘を捕らえるには存外役に立つ。

 

 黎樹から出現する場合にスッカスカの実体しか持てない、というのは説明した通りだが、こういう風に初めから肉体を用意してやれば、それに乗り移る事は出来るわけである。元々の魂があると難しいから、"魂の規模"の拡張には使えないんだけどな。

 ファムタが柄から手を離す前にその腕を拘束したスライム俺は、ファムタの身体を取り込むようにその肢体を覆っていく。ついでにジャクリーンも。

 

「──ターニア!」

 

 こちらと一切話す気が無い、と言った風のファムタが声を荒げる。すると、ジャクリーンの姿が淡く光だしたではないか。なんだ、アレか、魔法ってやつか?

 結局ジャクリーンの身体を調べても転移術とやらの仕組みは全く分からなかったので、これは好都合と観察をする。淡い光……魂の規模が縮小している? ……いや、どこかへ移動しているのか? "魂"に直接干渉しているというよりは、肉体側に作用する……まさか、量子テレポーテーション? おいおいSFだなファンタジーどこいった。あ、サイエンスファンタジーかSFって。

 

 時間にして一分かかるかかからないかくらいで、ジャクリーンの身体はこの森の中から完全に消え去ったのがわかった。しかも、黎樹で感知できる範囲にもいない。うわー、好奇心に駆られて勿体ない事をした。俺の七日間を返してくれ。

 そういう意味を込めてファムタを睨むと、しかしそこにあったのは、あの時のティータと同じく覚悟を決めたその表情。

 

「……んー。あー、なんだ。お前がなんでアイツを欲したのかだけ聞いておくか? どうせ未来はわかってるだろ?」

「友達だから。それだけ」

「友達? ……友達ぃ? あ、あー! ああ、そうか! そういうことか!」

 

 なるほど。

 

「お前、友達欲しかったのか。なんだ、そういうことなら早く言ってくれ。そういえばそうだよな、ファムタは同じ種族の魔物娘いねぇし、同年代もいないわけだから、友達を与えてやる必要があったわ」

 

 すっかり忘れていた。ファムタともう3人より後の魔物娘は、基本的に二匹以上ずつを森に放つようにしていた。魔物娘が種子で自己増殖することをまだ確認していない時代だ。増やすなら俺の手じゃなく魔物娘同士の繁殖の方が楽だよなー、なんて考えで、そういう風になった。

 種子による自己増殖がわかってからも、一度に一匹を作るより複数匹作った方が効率よくね? って感じで魔物娘化を行っていたので、森の魔物娘は同種が二匹以上いるのが当たり前だ。

 

 いやぁ、そうかそうか。そういえば欲しいよな、他の奴がそうなら。

 

「よし、良いだろう。久しぶりに作ってやるよ。ああ、初心に帰るというのも大切だしな」

 

 ぐじゅる、と、取り込みを再開する。ずぶずぶと肉液に飲み込まれていくファムタは、もう抵抗する気が無いようだった。おいおいそんなに落ち込むなよ、別に取って食うってわけじゃないんだからさ。

 ……いやまぁ今の絵面は取って食ってる最中そのものなんだけど。溶かしたりしないだけ良心的だろうよ。

 

 

 

 

 転移術の痕跡というのは、非常にわかりやすいものだ。対象を飛ばした方向に向かって、周囲の建物や自然物に粒状の擦過痕のようなものが付く。そしてその痕跡がどれほど小さいかによって、術者本人の力量も分かるといって良いだろう。

 今回亜人種の子が飛ばされたのだろう現場に向かってみれば、酷く粗い転移痕があるのがわかった。ほとんど習熟をしていないのだろうその粗さは、少なくとも下手人が魔物種ではないことが見て取れたし、転移術を扱うにまで術に造詣が深い人間だとしても、もう少し丁寧にやる。

 つまるところ種としての力に驕った亜人種。基本魔物種にも人間種にも劣っている亜人種だが、魔物種の血が濃い場合にのみ魔物種の特徴が色濃く表れる事がある。今回は多分ソレで、そんな亜人種は限られてくるというもの。

 

 最初に思い当たったのは王家の姉妹。ファムタの次と次と次に生まれた三人の魔物種と前国王の子達。彼女らであれば転移術など軽々と扱うだろうが、あれらの術であればもっと綺麗な痕跡になるだろうし、何より飛ばす理由が無い。国王に嫁ぐ、なんて噂を鼻を鳴らして馬鹿にしていたくらいだ。亜人種の子を邪険に思うほど余裕が無いわけではないし、我儘娘とはいえ同族の命は大事に思う部類にある。黎き森がどういう所か、など、彼女らの母親から散々聞かされているはず。そこに幼子を飛ばそうなど、考えるとは思えなかった。

 

 次に思い当たったのが、ティータの娘。今この国に来ているという彼女は、ティータの特徴を色濃く引き継いだ魔物種寄りの亜人種だという。亜人種の子と国王の嫁争いをしている真っ最中であるし、動機は十分。

 そう思って彼女の元を訪ねてみれば、正解であった。

 

 ターニアと名乗ったその娘は、ファムタの姿を見ると酷く狼狽した態度になり、問い詰める前に自白をした。なんでも学舎の女生徒失踪事件について調べて回っている魔物種がいる、というのは耳にしていたようで、しかもそれが自らの母をも凌ぐ"古種"であると知ったものだから、生きた心地がしなかったと。

 

 魔物種というのは、歳を重ねれば重ねるほどその強さを増すものである。生命力がどうのとか生命を生命たらしめている心臓と脳に刻まれた原初の術式によるものだとか、亜人種の研究者がなんやかんや発表していた気がするが、正確な事はわかっていない。

 ただ、長い時を生きる魔物種は総じて危険である、というのが常識であるくらいだ。

 

 一応。本当に一応、ファムタは最古の魔物種である。当然その力は強大にして超大で、並の魔物種や人間、況してや亜人種が敵うものではない。かつてティータが話したという「喧嘩を売らないで欲しいリスト」の一番上に名を連ねていた存在、らしいのである。なんだそれはと、ファムタは溜息を吐いた。

 

 犯行は衝動的なものだったという。

 正々堂々勝負しましょう! と言ってくる、特別な才能も持たない亜人種の少女。今までは視界にすら入れていなかったその姿が、何故か脅威に見えて、折角手に入れた国王の意中の人、というポジションを奪われかねない恐怖から、「入ったら絶対に出てこられない場所」に彼女を飛ばした、と。

 

 反省は、あるようだった。というか国王に詰められたらしい。現国王の性格は前国王と違って公明正大であるから、まぁそうだろうなぁ、という感想しか湧いてこなかった。バレないと思っているなら嘗め過ぎだし、バレてもいいと思っているなら見込み違いだし。

 命だけはどうか、と乞うてくるターニアに、ならば交換条件として、亜人種の子を助け出す事に協力してほしいと告げた。転移術は対象の組成を一度完全に洗い出してから飛ばす術なので、彼女の位置はわかっているはずなのだ。

 問題は女王の目をどう掻い潜るか、なのだが、彼女の母は"森"の魔物種である。人間の血が混じっているとはいえ、"森"にとっては孫がやってきたようなもの。快く協力してくれるだろう。

 

 時間が惜しいので、その日のうちに決行する。

 まずファムタが女王から亜人種の子を奪還して、森を出られるか試みる。恐らく無理なので、外縁部に来て完全な探知が出来るようになったら転移術で引き戻す。残念ながらターニア程度の転移術ではファムタを飛ばすことが出来ないので、ファムタの脱出は自力。

 さらに保険として、黎樹が周囲に存在しない場所……つまり天空か地下にターニアは待機をする。遠話の術でファムタがターニアを呼んだ瞬間に完全な探知が出来ていなくとも転移術を発動する、等、とにかく亜人種の子を逃がすための準備を整えた上での決行だった。

 

 ファムタ自身、どうしてそこまで亜人種の子を気に掛けるのか、よくわかっていない部分はある。今まではそうじゃなかったし、身近な亜人種や魔物種が死んでも特に気にしなかったのに。

 でも今は、あの女王の元に彼女を置いていてはいけないという、これまで生きてきて的中率100%の嫌な予感が警鐘を鳴らしまくっているのだ。ファムタはそれに従う事にした。

 

 

 果たして。

 

 亜人種の子……ジャクリーンが光の泡となって消えていく様を、ファムタは眺める。半身が液状の肉に埋まり、その悍ましい感覚に身を撫でられながらも、彼女の無事に安堵した。

 

 自身に纏わりつく、女王の声がする女王とは思えない化け物が、問う。何故ジャクリーンを助けたのか。それにファムタは、自然と口を開いた。

 

 友達だから。それだけ。

 

 自分で言って、自分で驚く。

 友達。友人。魔物種にこそそう言える存在はいるけれど、すぐに死ぬ亜人種の友達というのは、いなかったかもしれない。知り合いは沢山いるけれど、身内と定義するにはあまりに脆すぎる亜人種を、ファムタは今自然に認定した。

 

 ならばそれは、それは、それほどまでに。

 この数年間、毎日のように話しかけてきてくれるあの少女といる時間が、ファムタにとって数百年にも勝る楽しみとなっていたのだろう。

 

 満足だった。友達を守って死ぬのなら、あの子が幸せになるのなら。

 それでいいと。そう。思えたのだ。

 

 

 

 

 実はファムタと+3人の魔物娘は、他の魔物娘達とはちょっと違う種類になる。他の魔物娘達は基本一つの動植物や虫から生まれいでた、単数種の魔物娘。マルスリグルの花だったらマルスリグルの魔物娘に、蛇だったら蛇の魔物娘に、といった具合で、元の生物から魔物娘になるまでの命の数とでもいうべきものが等号になっている。

 しかし、最初期の、効率もクソも知らなかった俺は、とりあえずありったけ「命っぽいもの」を詰め込んだ。魔物娘を創る手順なんて、教えてくれる存在はいないわけで。独力独学、何度も失敗を繰り返した挙句のファムタである。努力の結晶なのだ。大分サボりサボりでやってたけど。

 

 つまるところ、ファムタ達は複数種の魔物娘……キメラ、あるいはキマイラに括られる。

 ファムタはその中でも、植物のキマイラだ。この森にあるありったけの滋養強壮の薬草、あとキノコ等の菌糸類に、苔類。それらを全ていい感じに配合して生み出した存在だから、何分配分が難しい。レシピとかちゃんとメモしている性格で良かった。字が汚すぎて読めない部分はちょっとあったがご愛敬。木の机ってガタガタなんだよ、わかれよ。

 

 邪魔な衣服を剥ぎ取って薬液に漬けたファムタから、彼女を構成している現在の組成を洗い出す。友達を作るんだ、生まれた時のファムタを作り出しても娘とか孫みたいな存在になってしまうだろうから、年数を経た組成に揃える必要がある。

 調べてみれば、出るわ出るわの知らない素材。模倣と再現を片手間に繰り返しながら数を揃えて、それら素材をファムタの胎に溜めておく。あくまで容器としての役割であって、産んでもらうとか融合してもらうとか、そういうことはない。それじゃ友達じゃないもんな。

 

 そうして作り上げた"抽出物"をファムタの胎から取り出して、地面に植えれば準備オッケー。

 最後にエッセンスとして、ファムタの時と同じ俺の血液を振りかけてあげれば……お、出てきたな。

 

 初めに顔を出したのは、蔦。ウリ科を思わせるその蔦は、支柱も無いのに中空を起点に螺旋を描き、細く鋭く伸びていく。それは途中からグラデーションのように人肌と肉に変わり、肩に至る頃には女性らしいラインのあるそれになっている。

 蔦から腕、肩と這い出してくれば、あとは簡単だ。ゆっくりと顔が出てきて、胸や腹、腰、足といった具合で、まるでプールからプールサイドにあがるのをじ~~~っくり再生するかのように、その魔物娘は誕生した。

 

「お前の名は、ファールにしよう。ファムタが目を覚ましたら一緒に帰っていいぞ。あ、お前の場合は行くになるのか? わからんが」

「……」

「ん? 初めから言葉は発せられるよう調整したはずだが。なんかおかしいことあったか?」

「……本当に」

 

 "魂の規模"が拡大する。生まれたばかりの小さなそれから、異様な速度で横幅が広がっていく。ほほう、これはこれは。何やら興味深い事が起きているな。これ、ローリスクハイリターンに使えそう。

 

「心から──死んでほしい」

「……この"経験"の伸び方は、感情だけのものじゃないな。もしや記憶があるのか? しかし、誰の、というか何から? 脳を作ったといっても蓄積する記憶まで再現できるもんなのか?」

「女王。あなたは何がしたい? 私達を弄ぶ事だけが、目的?」

 

 俺を女王と呼んだ、という事は、やはり記憶があるらしい。イントネーションはファムタのそれに似ている。発音に慣れないのか、舌の筋肉がほぐれていないのか、少しばかり幼子のような印象を受けるそれも、しかししばらくすればファムタと同一になるだろう。

 ……もしや、これって。

 

「ふむ、ちょっと診てみるか」

「あ、ぐっ!?」

 

 喉を掴む。喉と言うのは背骨と脳にアクセスするのに最適のポイントで、心臓も近い。"魂の規模"を精査するのに一番効率が良いのが首なのだ。見れば大体の事はわかるが、やはり触った方が正確性も増すというもので。

 

 ファールの首を左手で掴んで、未だ薬液の中で眠っているファムタの首を右手で掴む。

 

 む。むむ。むむむ。

 ……おお!

 

「まさか、完全に同一か。複製の成功……うんうん、これは快挙だな! 元手は必要だが、これを使えば倍々に増やすのがさらに効率的になる……!」

「げ、ぅ、ぐ……!」

 

 二匹の首から手を離す。今までの魔物娘化の手順との違いを一つ上げるのなら、素材を長期間ファムタの胎に保管しておいたことだ。恐らくあそこで"魂の規模"……色、あるいは質とでもいうべき部分が同一になったのだろう。もう少しサンプル数を重ねない事には確証に至れないが、この手法を使えば普通の魔物娘であっても死に際に複製をして魂の蓄積値を倍々に得られるやもしれん。

 夢が広がるな!

 

 いやはや。

 やはりフラグというのは凄い。こうしてちゃんと、研究を進ませてくれる。いやまぁ確かに無から有を作り出す実験も無機物に魂を宿らせる実験もこれっぽちも進んでいないのだが、それはそれ。いつかフラグの方からやってくる事だろう。

 ジャクリーンを森に送り込んでくれた誰かに対価を支払わなければならないかもな。多分魔物娘はそういう「俺に気取られかねない事」はしないだろうし、亜人種か人間種のどちらかであるはず。ジャクリーンはファムタが亜人種のままをお望みのようだからそのままにして、その誰かを魔物娘化するのもいいかもしれない。誰だって魔物娘になりたいだろうし。

 

 うんうんうんうん。

 いいぞぉ、良い風が吹いている。無料十連を回したら狙ってなかったSSRが零れ出た、みたいな感じだ。うわ、なんだその単語なっつ。ソシャゲとか懐かしすぎだろ。

 

「う……」

「ん? あぁファムタ、起きたか。ほれ、これがご所望の友達だ。ファールという。仲良くしろよ? さ、意識が戻ったのなら帰ると良い。別に森に留まる事を止めやしないがな」

「……」

「……だって」

「──最悪」

 

 流石複製元と複製体、主語が無くても通じ合えるらしい。衣服が無いから見れば見るほど鏡写し。まぁここから髪型とか服装とかで差を付けていくんだろう。双子が同じ服を着るのを嫌がる、みたいなやつ。

 ファムタとファールはしばらく互いを見つめ合った後、のそりと起き上がって、ファムタがもともと住んでいた森の棲み処の方へ歩いていった。

 

 やっぱり一人より二人の方が良いな。基本アシンメトリーよりシンメトリーの方が好きなんだ。これは早急に他三匹のキマイラ娘たちの複製体も用意してやる必要があるだろう。

 

 いやはや、これが親心ってやつか?

 ……魔物娘を娘と思えるかどうかというと、うーんなんだが。魔物だし。産んだのは……まぁ俺っちゃ俺だけど……うーん。

 

 まぁどうでもいいか。魔物娘達が親と呼びたかったら呼べばいい、くらいのスタンスで。別に俺は気にしないからな。

 

 

 

 

 どう頑張っても、嫌悪が隠せなかった。

 鏡を前にしている。だというのに、違う動きをする。

 

「貴女は、私」

「うん」

「……でも、貴女にとって私は」

「私」

 

 ファールと、そう名付けられた。

 けれど、その自意識は。

 

「私はファムタ。……でも、貴女も、ファムタ。ううん、私は……ファール、なんだね」

「女王の言葉に、間違いがないのだとすれば、そう」

「……私は」

 

 記憶に断絶は無い。亜人種の子を助けるために森へと突貫し、女王の視界を奪って今まさに首を断たれんとしていた亜人種の子を助け出したことも、彼女を逃がすために身を挺して肉液に飲まれたことも、消えゆく彼女の姿を満足して見届けた事も、全部覚えている。

 あの可愛らしい笑顔の子といる時間が、何よりも輝かしいものとなっていたことも、全部。

 

 けれど、ファールはファムタではない。

 

「このまま、一緒に帰っても……」

「たとえ姉妹と言ったとしても、あの子と過ごしたのは……あの子と過ごしたと、あの子に認識されるのは、ファムタ、だけ」

 

 守って死ぬ。その事に何の悔いもなかったはずだ。

 だが。だが。だけど。

 

 他人に、知らない誰かにされる、というのは……そんなのは、耐えられない。

 

「……私が、森に残れば」

「それを知りながら、私はのうのうとあの子と一緒に?」

「……そんなことは出来ないのが、私」

「うん。だって、そんなの」

 

 面倒くさい。負い目を抱えて生きていく、など。そんな面倒なことはしたくない。

 けれど、いくら考えても正解は見えてこなかった。いっそのことファムタとファールの双方が「帰らない」という選択肢を取ろうとするくらい、どうしようもない問題。

 

 そしてその選択肢は、途切れたはずの"遠話の術"から聞こえた声により、ないものとされた。

 

 ──"お姉さん! ファムタさん!"

 

 ターニアより繋げられたそれから、()()()()の耳に響く、亜人種の子の声。

 幸か不幸か、全く同じ存在として誕生したファールにも、そのパスはつなげられていたのだ。

 

 ──"私は無事よ! だから、お願い! どうか帰ってきて! 生きているなら、また、お喋りがしたいわ。……お願いよ、帰ってきて。私は……私は、ファムタさんの事が──"

 

 帰らない、という選択肢はこれで消えた。

 そして呼ばれているのがファムタであるのなら。たとえ自らがファムタであるという自覚があったとしても、ファールが身を引くのは、やはり。

 

「変な気配につられて来てみれば、なんだ、お前たちまだいたのか。そんなに(ここ)が恋しかったのか?」

「ッ!」

「ターニア、早く切って!」

 

 前触れなく現れた女王。その姿に、先ほどまでの暗く湿った空気は払拭され、一気に臨戦態勢まで空気が張り詰める。ファムタとファール。どちらがどうなるにせよ、亜人種の子を守りたいという気持ちは同一だ。

 逆探知をされぬよう、ターニアに"遠話の術"の切断を要請する。

 

 が。

 

 ──"あ、イコちゃん! そこにいるのね? お願い、ファムタさんを返してほしいの! 全然帰ってこないから心配で、ターニアちゃんに相談したら、イコちゃんが食べてしまったかもしれない、って……。そ、そんなことないよね!?"

「いや、魔物娘を食うとか、あり得ないだろ。……ん、なんだ? この声、どこから聞こえてるんだ?」

 ──"繋げてないはずの対象に遠話が繋がるなんて……! く、女王というのはそんなにも"

 ──"イコちゃん、お願い! ファムタさんは私の友達なの! お願いよ、返して!"

「返しても何も、俺はとっとと帰れと言っているんだが……。んー、まぁ、丁度いいか。俺もな、転移術ってのを模倣してみたんだ。この短時間じゃ完全な再現には至らなかったんだが、まぁ許してくれ。あーっと、ジャクリーン。近くに黎樹はあるか?」

 ──"黎樹? 遠くの公園にあるわ!"

「じゃあ、そこへ送る。ファムタ、ファール。お前らは実験台な」

 

 何か、言葉を発する暇はなかった。

 ファムタとファールは、耳を閉じてしまいたくなるような怨嗟の洪水の中を一瞬だけ通り抜ける。それはすべてが自らの境遇を嘆く者で、出ることが出来ない、出してくれ、還してくれと嘆く亡者の泉。中には見知った魔物種の顔や亜人種の顔もあって、さらには前国王もそこにいて──。

 

 気付けば二人は、魔王国のとある公園の、黎樹の元に立っていた。

 森で適当に見繕った衣服や補助具もそのままに、身体の欠損や不調も無く、初めからここにいたかのように、ぽつんと。

 

 二人は互いに向き合って、全く同じタイミングで、深い溜息を吐く。

 もう、こうなってしまっては仕方がない。隠れる事は出来ない。どちらがあの子に選ばれるにせよ、それを受け入れる以外の道はないのだ。

 

 それ以上考える事の方が面倒くさいから、ファムタとファールは思考を放棄した。

 遠くの建物から一直線に向かってくる、可愛らしい少女を微笑ましく眺めながら。

 

 

 

 

「ファムタさんが増えたわ! ふふ、知っているのよ。これが両手に花というヤツね!」

 

 




誰だって魔物娘にはなりたいよな。

ファムタとファールは鏡合わせではなく完全に同一の見た目をしているぞ! 左右反転はしてないってことだな!


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懺悔の天秤(体積計)

注.今までの5話とは比べ物にならないくらいエグい&グロいです。
多分描写が無理な人います。キツいと感じたらすぐにブラウザバック推奨です。
あるいは何も読まずに一番下までスクロールしても、大体の話の流れはわかります!


 さて、女王の元から見事救出されたジャクリーンの身体には、いくつかの異変が起きてしまっていた。ファムタとファールが歪ながらぎこちない姉妹として知られるようになったように、ジャクリーンにも歪な部分が出るようになったのだ。

 その一つが、頭脳明晰化とでも言えばいいのか、急激な知能指数の上昇である。

 ファムタから見て、ジャクリーンはひとえに馬鹿の部類だ。頭の弱いだとか明るくて元気だとかそういう濁し言葉を使うまでも無く、馬鹿の類だ。類、だった。

 それがどうだろう。あの森から帰ってきてから、なんと学舎における最高成績優秀者を飾ったというのだ。普段の話す言葉の端々にも思慮深い言動を見せるようになり、その可愛らしい性格こそ変わらないものの、どうも女王の影がちらついてしまって、ファムタも、そしてファールも気が気でなかった。

 

 また、身体能力の向上も見て取れた。無論魔物種には届かないものの、学生の身でありながら人間種の戦士程度の身体能力を見せるようになったのだ。本人曰く「全然疲れなくなった」とのこと。

 

 医者と、ファムタの信頼の置ける学者に人道的な調査をしてもらったところ、全身に平均して行き渡っているはずの生命力、あるいは"あらゆるものの源"とでもいうべきチカラが、心臓と脳に集中してしまって降りてこないのだという。

 だから、ファムタ達にはそんな素振りを全く見せなかったのだが、実は手先が不器用になってしまっていたり、温度や痛みに対しても鈍感になっていたりと、医療的検査を進めていくうちに沢山の不調を発症している事がわかった。

 

 ジャクリーンは大丈夫、なんて笑っていたのだが、ファムタとファールの心境はどん底である。

 もう少し自分が早く動いていれば、あるいは女王のものだろうその処置の進行を薄められたやもしれない。それは重く圧し掛かる可能性だった。

 日常生活に支障が出るほどの感覚喪失である、と診断されて、すぐ。ファムタとファールは同時にある提案をした。

 

 つまり、私達と一緒に住まないか、と。

 

 亜人種の学生というのは、齢10を越えた辺りで寮へ入る。魔王国の土地はそこまで大きくないから、住める場所が少ないのだ。立場の弱い亜人種が一軒家を構えている事は滅多になく、ほとんどの場合が集合住宅にて過ごしている。

 学生もまた、移動の負担が無い者を除いて、学舎に隣接した学生寮に入寮するのは当たり前の事になっていて、親離れが人間種に比べても早い。

 

 そうなってくると、今度はおかしな見栄、あるいは矜持の世界が顔を出す。つまり、親離れは当たり前なのだから、親元にいるのはカッコ悪い、という共通認識だ。これは男女双方にあるもので、16を数えるジャクリーンが今更両親の元へ帰るというのは、陰口の対象にさえなる。ジャクリーン当人もいい顔はしないだろう。

 だが、()()であれば話は別である。

 亜人種の立場が弱いというのは散々述べてきた事だが、だからこそ魔物種や人間種に見初められるのは、学業を疎かにしてでも祝福される事。亜人種同士の恋仲は見向きもされない*1が、魔物種の、さらに言えば"古種"に囲われたというのなら、たちまち憧れの対象だ。

 

 そして、その事実を抜きにしたとしても、ファムタ達の提案はジャクリーンにとってあまりに魅力的だった。だってジャクリーンは。

 

 

 かくして()()()()()恋人となった彼女らは、魔王の嫁とかそういう話は全く関係ない所で、歪ながらも幸せに暮らしたのだった。

 

 ──ジャクリーンが、寿命で亡くなるまでは。

 

 

 

 

 犯行の償いとして救出を手伝ったといっても、ジャクリーンのその後を考えれば、向上した知能や身体能力を差し引いたとしても依然釣り合うものではない。それは多分、ターニア自身も分かっている事だった。けれど、引き留める親の反対を押し切ってまで魔王に嫁ぎに来たという目的は、反省をしたからと言って捨てきれるものではない。

 むしろ障害となり得たジャクリーンが魔王を諦めたのであれば、これ幸いにとアプローチを再開するのは当然の帰結であった。

 

 しかし、悲しいかな。いつだって世界は不平等だ。巨悪の悪事はまったく、これっぽちも裁かれる気配がないのに、比較して小さなその悪事の償いは、それでは全く足りなかったのだという事実を突きつけられることになる。

 

 

 それは、魔王国にしては珍しく、雷の降る夜だった。

 雷という現象の原理解明は既にされていて、だから人々は構う事無く日常を過ごす。避雷針の技術が完全なものにまで発達しているから、落雷の心配をする存在は一人だっていなかった。

 ターニアも同じく、雷が鳴っている、ということ自体には些細な気を向ける事はあれど、怖がることはない。

 

 ならば、この動悸はなんだというのか。

 ターニアの心臓が、否、もっと大切な部分が、強く震えている。

 

「ん? ……亜人種か。というか、ティータのとこにいた奴じゃないか」

 

 それは突然現れた。

 雷の光った瞬間。ホワイトアウトのその隙間に、白いワンピース姿の少女が立っていた。

 

 死に目の妖精(ポンプス・イコ)──違う。

 黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)

 

 妨害や牽制などの前に、自身が逃げるべきだという判断を下すことが出来たのは、褒められて然るべきだ。手放しの称賛を受けることが出来たであろう。逃げるために使用したのが、転移術でなければ。

 

 ふわ、と抱き留められる。しかしそれは母の腕などではなく、複数の人肌──女王の腕に連れられた、意識のない魔物種の三体。いつのまにか転移術は強制終了させられていて、再度の発動も出来なくなっていて。

 ターニアが口を開く前に、刺激臭が彼女の脳へ辿り着き、その意識を刈り取った。

 

 また一つ、神鳴りが響く。

 そこにはもう、女王も、ターニアも、魔物種も。

 初めからいなかったかのように、何もなかった。

 

 

 

 

 キマイラ娘達はそれぞれコンセプトが存在している。たとえばファムタであれば植物のキマイラ娘。見た目はマンドレイクに近いか。手足が蔦の少女で、ポニーテールの先に花弁がある。特に叫んだりしないし、それを聞いたところで死にゃしないがな。

 次に作ったのは動物のキマイラ娘だ。森にいる動物をありったけ突っ込んだ、一番想像に難くないキマイラ娘。ただし鳥類を混ぜると"再誕"の手順が面倒になるため、翼はついていない。蛇の尻尾もないな。あくまで哺乳類のキマイラ娘だ。

 その次が虫のキマイラ娘。ただ、こいつは昆虫と虫の区別を付けずに"抽出"を行ったせいで、結構な数の失敗をした。虫さん生態複雑すぎなんだよな。とはいえ試行錯誤の果てに晴れて魔物娘として生み出す事が出来たのだから、人間やってみるものである。

 最後が鳥類のキマイラ娘だ。

 本当は水棲生物のキマイラ娘とか爬虫類のキマイラ娘もやりたかったのだが、森に海があるわけでもないし、可燃性ガスの泉にはほとんど生命が住んでいないしで水棲生物は断念。爬虫類もトカゲと蛇くらいしか見つからず、これが洞窟でもあればそれらの種類にも恵まれたのだろうが、地表では数が揃わずにこれも断念。

 

 その頃になると単数種の魔物娘の創造に成功していて、キマイラ娘を創る必要がなくなった、というのもあるな。単数種の魔物娘は自己分裂に近い形で増える事が出来るのもわかって、じゃあこれを揃えていこう、となった次第だ。

 

 で、その最後の鳥類のキマイラ娘だが、うーん、まぁ簡単に言うと、飛ぶことはできなかった。重量的にキツいんだろう、翼はあれど飛べないヒトガタという、残念な結果に終わってしまった。その後に作った単数種の魔物娘で鳥類のものの中には飛べるヤツもいたから、使った鳥が悪かったのかもしれないが……うーん。

 何度か作り直してはみたものの、飛べるようにはならず。まぁハナから実用的なソレなんて求めていないし、見た目がハーピーっぽいので良しとした。

 

 そんな、ファムタを除くキマイラ娘三匹。

 これらが魔王国に住んでいるとわかったので、黎樹を伝って回収しにきたわけである。

 

 そうそう、この模倣転移術だけど、原理としては大分簡単な部類。俺が黎樹を伝って分身できるのとほぼ同じで、つまり対象の"魂の規模"を完全に覚えた状態で一度完全分解し、黎樹を伝わせたその先で再構成する、っていう、詳しくは知らないが多分転移術とやらと同じ仕組みだ。

 あくまで分解であって殺すわけじゃないから"魂の摂取"も発動しないし、同質の魂は互いにくっつこうとする性質があるから再構成も容易。結構いい感じに出来たんじゃないかって言う自負がある。

 今はまだ俺が作った魔物娘しか運べない。亜人種や人間種の"魂の規模"を完全に把握しているわけじゃないからな。俺の感知能力をもう少し鍛えないと、それは行えない。

 

 

 手際よくキマイラ娘ズを回収する。寝てるところに気化した昏睡薬を嗅がせるだけだ。睡眠から気絶に変わったそれらを黎樹の所に運び出して、あとは転送。それだけでいい。

 そんな感じで運び出している最中の事だった。

 ふと、この間感じたばかりの気配を覚えて観葉植物になっている黎樹から出てきてみれば、いつぞやのティータの娘がそこにいた。ティータの娘は俺の顔を見るなり突然淡い白い光を纏いだすではないか。これ幸いとばかりにその身柄を確保する。

 

 俺の元にジャクリーンを()ってくれたのは多分この少女なんだろう。そんな感じがする。なら、研究が進んだことへのお礼も兼ねて、あと亜人種の魔物娘化の実験も兼ねて、この子を魔物娘にしてあげることにしよう。一石二鳥、ってやつだ。

 ついでに人間種も適当に浚っていく。ディスプの息子は色々強化しすぎて純粋な人間種かと問われると微妙な部類になってしまったので除外。特例はサンプルとして扱いづらいんだ。普通の奴が良い。

 ということで、ファムタとファールを送った黎樹の近くにあった広場でぽつんと佇んでいた人間種を確保。雨に打たれていたから"寿命"が多少縮んでいたが、これくらいなら薬でどうとでもなる。

 

「素晴らしいな」

 

 こうして、すべての用事をきれいさっぱり終えた俺は、転送の出来ない亜人種と人間種を連れて鼻歌を歌いながら森へと帰るのだった。

 気分は上々である。

 

 

 

 目を覚ました時、まず初めに感じたのは、水。

 口、鼻、目、耳──喉にも、肺にも、胃にも腸にも。水があった。水が入っていた。

 けれど、苦しいとも、つらいとも、痛いとも感じない。空気を吐き出すか吸い込むかをするはずの肺は全身を漬ける水を行き来させるばかりで、それだけだ。水によって滲んだ視界も、数度瞬きを繰り返せば、段々とはっきりとしたものになってくる。

 そうして視認できるようになったそこは、なんだか小汚い物置のような、散らかった倉庫のような場所。勝手に拡縮を繰り返す肺は自らの意思で止める事が出来ず、ターニアが動かせるのは瞼と眼球のみだった。体は、一切が動かない。

 

 自身の身体を見下ろす事も出来ない状態で、五分くらいが経過しただろうか。ふと、物置にソレが入ってくるのが見えた。

 

 白いワンピースの少女。

 黎き森の女王だ。

 

 身構えようとしても、身体は動かない。声も出ない。ただ、目だけが見開かれる。

 

「……意識が戻った? おかしいな、確実に三日は昏倒するはずなんだが。さては"森"か? ……ふむ、まぁ動けんだろうし、いいか。えーと、アウラスナッテの花弁は……んー、もう少しだな。ラドミド草はいい感じに煮詰まってる。もう火を止めて良い頃合いだな」

 

 女王はターニアの方を一度見たにも関わらず、一切の興味を示さずに机の上に向かう。様々な色をした液体がいくつかの容器に揃えられ、粉や固形物と混ぜられる度に色を変え泡を噴き凝固し液化しているのが見て取れる。

 何故かターニアの頭は、全く知らないはずのそれらが()()()()()()()()()であると判断を下した。

 

「ふむ。"魂の規模"の集中具合も十分だな。それじゃあそろそろ、抽出に移るとしますかね」

 

 ごぼ、という音がして、全身を覆っていた水がどこかへ排出されていくのを感じる。体内にあったそれまで強制的に排泄され、ターニアは羞恥心が隠せなかった。依然として苦しさや痛みはなく、同じように体を動かす事も出来ない。

 どうやらターニアは透明なガラス瓶のようなものの中にいれられていたようで、それがターニアを完全に拘束しているらしかった。

 シュゥ、と、今度は空気の抜ける音が響く。丁度首のあたりで瓶に亀裂が入り、そこから外気が入ってくるのを感じた。卵を割るようにして頭部周辺のガラス瓶が開く。久しぶりの酸素に、しかし肺は動かない。苦しさも痛みもなく、ただ、眼球だけが、わなわなと震える。

 

 ガラス瓶のフレームが無くなって、少しだけ視界が開けた。

 それによって隣にもターニアと同じように捕まっている存在がいる、というのが見て取れる。見て取れた。見た。見て、確認した。

 

 横顔でなく、正面の顔を、サカサマに。

 

 何か言葉を発する間もない。そもそも喉が動いてはくれないだろうが、発そうという気になる事さえない一瞬で、ターニアの首は切断される。決死の思いで止めてくれる魔物種などいるはずもなく。ただ作業の結果として、ターニアの首は床へ落ちる前に抱き留められた。

 生物というのは脳から完全に血液と酸素が抜けきるまで、切断された状態であっても首の方に意識がある。それは本来であれば極短時間のはずだが、女王の薬液は素材の保存のためと血液の流出を防ぎ、瞬時に漬けられた別の薬液によって酸素の供給も開始される。

 

 今度こそ眼球を動かす酸素を失ったターニアの首は、瞼を閉じる事も出来ないままに、女王の所業を眺め続けるしかなかった。正面から見ることの無い、衣服纏わぬ自身の身体。その胸に大穴が開く。無造作に穿たれたそれはターニアの横に置かれ、これもまた、どくどくと鼓動を鳴らし続ける。

 

 そして女王は次に、ターニアの隣にいた者に手を掛けた。

 

 見た事がある。ないわけがない。ジャクリーンという予期せぬ障害が現れるまで、強敵として競い合っていた、人間種の少女。魔物種寄りの亜人種であるターニアに追い縋る程の知能と強さを持つその少女は、しかし窮地に立たされていた。魔王との婚姻が出来なければ、家族の縁を切られると。

 魔王国はあくまで実力主義の社会だ。だが、数の少ない人間種の国民は、身を寄せ合って生きている。それが最も種としての力を発揮できると知っているからで、だからこそ、異端者は排斥される。

 少女は美しい容姿をしていた。人間種とは思えぬほどに。あるいは特徴こそ発現していないものの、恐らく先祖返りとして、亜人種なのだろう。

 

 ターニア自身が亜人種だから、何が問題なのかと思う所もあるが、自らの境遇に置き換えてみたら納得もする。"森"の亜人種は特別だ。"森"の魔物種たるティータを嫌いな娘はいないし、姉妹の全員が家族の絆を抱えている。それを失うのは、怖い。

 一人だけ追い出される、なんて。家族から出て行けと言われるなんて。半ば家出に近い形……反対を押し切って出てきた身であっても、それが怖いというのは理解できた。

 

 そんな、死に物狂いで努力を重ねていた少女の首が、すとん、と落ちる。

 

 こちらは意識がまだ戻らない状態で、安らかに眠っているような顔で、ターニアの目の前にそれは置かれた。キスもたるや、という距離で──その美しい顔が、しかし、首から下のない状態で。

 程なくして少女の胸にも大穴が空き、脈打つ臓器が添えられる。

 

「ん、おっけ。よしよし、傷も無いな。うーん、我ながら完璧な仕事ぶり。……仕事? 仕事じゃないから! 仕事とかいうとモチベ下がるから! 止め止め!」

 

 幸いであったのは、首だけとなったターニアに、聴覚の類が残されていなかった事だろう。生命維持に必要な部分以外は既に機能を停止していて、直に目も見えなくなる。

 

 ただしたり顔で何度もうなずく悪魔だけが、ずっと、ターニア達を見下ろしていた。

 

 

 

 

 濃密な"魂の規模"が確認できるパーツを薬液に漬け、煮沸する事30分ちょい。

 ゆっくりとそれらから染み出した血液の混じる赤色が、薄い青と薄い緑の中間色みたいな水の色を朱色に染めていく。水の色が変わらなくなってから5分くらいで"抽出源"を網杓子で取り出して、適当に保管。残った赤色の水は程なくして球状に凝固し、赤い光へと変貌する。ツンとした鼻を衝く刺激臭は、少しずつ甘い匂いに変わっていく。

 それを頃合いとして少しずつ火力を下げていけば、球体は周囲の薬液を我先にと吸収し始めた。30秒くらいですべての薬液を吸い尽くした二つの球体は、片手の拳をもう片方の手で覆った時くらいの大きさになっていて、赤い光が脈を打つ。

 

 それぞれを"抽出元"の胎の中へと戻し、木の台の上に寝かせて、誕生を待つ。

 

 一時間はかかったか。まぁ元の生物が大きければ大きい程"再誕"は時間がかかるから予想の範囲内だ。

 

 腹部の縫合痕にある縫い糸が、少しずつほどけていく。ゆっくり、ゆっくり。

 眺める事、さらに一時間。ようやく、手が姿を見せた。

 美しい白磁のような指先は完全に人間のソレ。段々に現れてくる腕や肩、そして顔、胸と、その全てが人間らしい見た目をしていた。

 ただ、亜人種の魔物娘の方だけ、臍の部分が"抽出元"と同じく樹の洞のようになっている。人間の魔物娘は完全に人間の見た目だな。

 

 そうしてずるりと這い出た二体は、きょろきょろと辺りを見渡す。

 そして俺を見つけると、こてん、と首を傾げた。

 

「んー、名前は……マルダハとシオン。亜人種の魔物娘がマルダハで、人間種の魔物娘がシオンだ」

 

 さて、名前も決まったことだし、魔王国に返してやるか。流石に"抽出元"が森の生物じゃないからな、居心地悪いだろ。

 

 

 

 

 その日、魔王国から幾人かの失踪者が出た。

 王家の三姉妹の母親達。異国から来た魔王の嫁候補。近年"もっとも美しい人間種"として、学生の身分ながらも選ばれたとある少女。

 計()()が魔王国から姿を消した、と──。

 

 そして数十年後には、もう二人。

 

第一話「黎き森の女王」 / 了

  

*1
勿論美醜による羨望や嫉妬は存在するが




ちなみにですが、
死に目の妖精(ポンプス・イコ)はPomps・Ycoと綴ります。

黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)はDawest・Fornです。


注.
これから先も、これと同程度か、それ以上の描写が入ってきます。R18Gに届かないよう細心の注意を払いますが、今の時点でキツいという方があれば、ここで読むのを止める事を推奨いたします。

ジャクリーンは猫の亜人種だな! 猫耳が生えているぞ! 人間種の耳はないんだ!


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第二話「莽の旅人たち」 / 「玉莽れ時」
優越感と憐憫の対価(笑顔はプライスレス)


今回の話は精神的にはエグいけどグロとかはないから安心してほしい。精神の方もエグさでいえば江口とエグゼクティブの中間くらいだから安心してほしい。


「素晴らしい……」

 

 呟く。

 ついに完成したのだ。研究の、一つの節目。

 

 無機物の魔物娘──ゴーレム娘が。

 

 

 

 

 なんか、どう頑張っても、どうやっても、無機物に"魂"を宿らせることは無理っぽい、という所で落ち着いた。色々と進展のあったときから100年か200年くらい頑張ってみたんだが、絶対の法則として無理っぽい。至高存在さんに問い合わせをしたいところなのだが、何分連絡手段がわからん。電話番号もわからん。どうしようもない。

 でも夢とは捨てきれないものである。いやまぁ実際の所"魂の規模"の拡大は留まるところを知らず、【不老不死】に蓄積した寿命は数十万単位にまで昇っているから、やらなくてもいいことなのだが。

 でも、これ別に遊びみたいなもんだからなぁ。なんだろ、1000ピースパズルが残り数ピースなのに形が違って悩んでる、みたいな。やんなくていいことだけど、やんないとすっきりしない、みたいな。そんな感じ。

 

 んじゃあどうにかする方法を考えよ、って話なのだが、ま一番簡単なんは一からピースを作っちゃう、って所だよな。現存する法則(ピース)から合致するものを探すより、新しい法則(ピース)を作っちまう方がよっぽど簡単だ。

 

 妥協オブ妥協。

 それでいいのか趣味人よ。

 

「いや、別に良いだろ」

 

 折角チートっていう妥協しても何も失わない力を貰ったんだから、つかわにゃ損だろ子々孫々。

 

 ということで、さっそく着手にかかる。

 無機物に"魂"は乗せられない。だが、"魂"が複製できるものである、というのは既に発見してある法則だ。なら、複製した方の"魂の規模"を変えずに段階的に肉体側を無機物に変えていけば、最終的に完全無機物のゴーレム娘が出来上がるんじゃないだろうか、というアプローチ。

 しかしこれは、心臓と脳が無機物に代わった時点で定着しなくなる。"再誕"以前に球状の凝固が起きなくなるのだ。だからここに、新しい要素を加える。

 

 血液と言うのは無機物と有機物の混合物だ。俺はこれに"魂"を宿らせる実験に成功していて、その成果は今なおどっかの水中にいることだろう。

 ここから、有機物を取り除いていく。ただし、煮沸だのなんだのといった通常の物理法則によるものではなく、転移術で。模倣転移術もそこそこの習熟度になってきていて、触って確認した相手であれば、初見であっても転送できる程にはなった。

 

 転移術が対象を完全に精査する必要があるのは、そうしないとぶつ切りで置いていってしまうためだ。以前ジャクリーンがここに来た時衣服を纏っていなかったのは、術者の技量が低かったというのが大きい。随分と血液も失っていたし、胃液も減っていた。あと少し足りなければ部位欠損があっただろうな。

 とまぁそういう理由でそこそこ難度の高い技法のようなのだが、それは言い換えれば、自分の出来る範囲においては自由度が利く、という事である。

 つまり、何を残し、何を送るかを選別できる。

 転移した部分と転移しなかった部分は"ぶつ切り"になるから、その一瞬だけは無機物にも"魂"が乗っている状態になる。放っておけばすぐに離れるけどな。

 

 "魂"の宿る血液を、有機物を取り残して無機物だけを転移術で飛ばす。

 "微かに魂の宿る無機物水"を作り出すのである。

 

 また、肉体に"魂"が定着しなくなるのは心臓と脳のどちらもを失った状態なので、どちらかまでなら全体の半分の"魂"が残る。その空いた空洞に"微かに魂の宿る無機物水"を送り込んで、模倣転移術の壁*1で密閉。肉体側に作用する転移術と違って、模倣転移術は"魂の規模"に干渉する術だ。そこに無理矢理循環を起こさせて、定着したことにする。

 そこまでできれば、あとは心臓を摘出して、同じように"微かに魂の宿る無機物水"を送り込めば完成だ。

 

 よし、手順は頭に入れた。手順書も書いた。

 マニュアルよーし! さぁ、実験開始だ。

 

 

 

 

 クレイテリア。それが、僕の名前。

 でも、隣の子も、クレイテリア。その隣の子も、クレイテリア。

 その隣の子も、その隣の子も、その隣の子も、その隣の子も、その隣の子も。

 

 みんな、クレイテリアだ。

 

「あーと、一番新しいのは……いたいた。おーいクレイテリア。行くぞ」

 

 クレイテリアが連れていかれる。僕、じゃない。隣の子でもない。

 あの子は、最新のクレイテリア。僕は、最古のクレイテリア。

 僕らは蟻の魔物種だ。だから、見た目が似ている奴と群れでいることには慣れている。

 

 けれど、それが自分であるというのは。

 ただ、救いはあった。新しく生まれたクレイテリアは、必ずどこか、"石"が混じっている。それは指だったり、指と耳だったり、指と耳と足の指だったり。少しずつ増えていく混じり石は、は、僕らに違いを生んでいた。

 それだけが、自分を自分だと……()()()クレイテリアだと認識できる、最後の(よすが)

 

 みんな。

 どのクレイテリアも、自分が"石混じり"だと自覚すると、最初の内は耐えていても、次第に顔を伏せたまま立ち上がらなくなって、倒れていく。

 女王はクレイテリアに目を止めることなく、新しいクレイテリアを作り続ける。僕と最新のクレイテリアにだけ強制的に栄養を取らせてくるから、僕らは生き続ける。

 

 女王曰く、バックアップは取っておかないといけないから、らしい。意味は分からない。

 

 虫の魔物種はそもそもが強い部類じゃない。力比べなら負けないし、寿命だって人間種や亜人種には負けないけれど、それだけだ。魔物種全体の中で見れば確実に弱い括りで、だからこそ同じ蟻の魔物種たちと群れで行動する。

 でも、クレイテリアは、こんなに数がいるのに何かをしよう、という気力に欠けていた。

 

 ()()()僕は、自分がクレイテリアだと思っているらしい。確かに思い出は、そのまんまだった。楽しかった事や嬉しかった事、好きな食べ物や苦手な食べ物。いつかやってみたいことまで、一緒。

 でもその体は、その混じり石は、確実に本物のクレイテリアではないということを現していた。少なくはない優越感と、そして憐憫。僕がクレイテリアであるという事実は、だからこそ僕らの間に軋轢を生んでいる。どうせ自分は本物ではないのだ、と。

 

 女王が小屋から出てくる。この高い高い金属の壁に囲まれた部屋の中に、また一人。クレイテリアが増えた。先ほど連れていかれた一人と、増えた一人。増えた一人は下半身のほとんどが石になっていて、余りに憐れだった。

 クレイテリアは「増えたのは僕じゃなくて、君の方だろ?」とか、「嘘だ、だって連れていかれたのは僕で」とか、「僕は女王が"抽出"を行っていたことまで見ていたんだぞ!」とか、酷く錯乱している。今まで通り、増えたほうに、増えた自覚がない。

 

 バランスが保てなくて、上半身で這う事しか出来なくなったクレイテリアが、涙を流して周囲を睨んでる。混じり石の比率が少ないクレイテリアを見て、恨みの籠った表情をするんだ。

 そして最終的に、その怨みは僕に来る。

 これもまた、いつも通り。今まで通り。

 

「僕が、クレイテリアだよ」

「──……ッ!」

 

 僕だって頭が悪いわけじゃない。

 あの偽物のクレイテリアが、僕と同じ思い出を持っているというのはわかってる。

 

 多分あのクレイテリアは、その記憶は、女王に連れてこられてからずっと、身体の混じり石が増えていった、という風になっているんだ。段々動かせる場所が減っていって、とうとう下半身まで、と。今まで何度も繰り返したんだ。この問答は。だって、次に連れていかれるのは、あのクレイテリアだから。

 最新のクレイテリアは、毎日のように事実を嘘だと吐いて棄てて、頭のおかしくなりそうな現実を生き続けていると勘違いする。本当はさっき生まれたばかりなのに、ずっとずっと。

 

 心から。

 

 僕が、本物のクレイテリアで良かった、って。そう思う。本当にね。

 

 

 

 

 この最悪な日々は、さらに続いた。

 来る日も来る日もクレイテリアは増えて行って、僕から生まれたクレイテリアなんかは既に死んじゃっている。生きる希望を失くして、女王も興味が無いから、そのままね。

 ほとんどのクレイテリアが身動ぎ一つしない毎日を送ってる。女王が無理矢理体内に転送してくる栄養剤のせいで、僕と最新のクレイテリアは否が応でも生き続ける。もう嫌だと思っても、勝手に元気になってしまう。その上で、殺し合いが起きないようにだろう、僕らは鎖に繋がれていて、動き回る事は出来ない。

 

 ただ囲いの対角線上で、僕を睨む最新のクレイテリアと、ただそれを見返すだけの日々を送るしかない。

 最新のクレイテリアはもう顔の半分以外を全て混じり石にしていて、女王曰く「いや、心臓は動いてるぞ?」とのことだけど、もう魔物種というには無理がある風体になっていた。

 だから、喋る事も出来ない。ただ片方の眼球だけが、仇敵を見るかのように僕を睨み続ける。

 

「クレイテリア~っと。ふぅ、結構時間がかかったが、あと二、三回で終わりそうだな」

 

 女王が来た。動くことのできない最新のクレイテリアを担いで、小屋の中へ連れていく。踏まれた小石の中に、かつてクレイテリアだったものが混じっている、なんてこと、女王は思いもしないんだろうな。もしくは、知ってても興味が無いか。

 

 あと二、三回。

 それが終わったら、僕は……どうなるんだろう。

 

 

 

 

「素晴らしい……」

 

 小屋から、そんな声が聞こえた。

 女王が出したその感嘆の声は、けれど僕には悪魔がニヤけているようにしか聞こえなかった。

 

 ゴロ、と。まるで物でも捨てられるかのように、連れていかれたクレイテリアが小屋から排出される。女王曰く「いやだから心臓だけは動いてるぞ?」らしいそのクレイテリアは、当たり前だけど何も言わない。睨むことだってしない。ただそこに、物言わぬ石像となって、置かれている。

 

「……僕は、僕が、クレイテリアだ」

 

 呟いた。

 栄養剤は今も尚僕を健康体で保たせている。連れてこられる前よりも健康かもしれない。もし、このまま。何もされることなく帰してもらえるなら。

 僕は別に、女王の所業を誰かに言うような真似はしないし、それを咎めたいとも、復讐したいとも思わない。だって僕は、連れてこられて長期間閉じ込められて、健康にしてもらった。

 

 ただそれだけだから。

 

「それじゃ、今日からお前はオーゼルだ。んー、クレイテリアとは姉妹になる、のか? いや、同年代の友達……娘ではないよな。有機物と無機物なワケだし。ま、なんでもいいか」

 

 女王と共に、ソイツは出てくる。

 体は、その形は、やっぱり僕だ。クレイテリアの身体。ハダカで、だからこそ細部まで同じなのがわかる。けれどその材質は、石。混じり石の──ううん、完全な石になった、クレイテリア。

 

「よし、オーゼル。ちょっとそこで待ってろ。じゃ、クレイテリア。最後の締めに行くか」

 

 終わり、じゃないのか。

 終わり、じゃないのか。

 

 終わったんじゃ──ないのか……。

 

「まぁすぐに終わる。何度も繰り返したからな、最適化は済んでるよ」

 

 女王は、そう。

 まるで何かを成し遂げたかのように、快活に笑った。

 

 

 

 

 目を覚ます。

 最初に連れてこられた時を思い出した。あの時もいつの間にか意識を失っていて、こうやって目を覚ましたんだっけ。

 それで、隣には石混じりになったクレイテリアがいた。あの時は大層驚いたものだ。けれど僕は、本物のクレイテリアで。心から安心したことを覚えている。

 

 隣を見る。やっぱりそこには、クレイテリアがいた。動悸が、少しだけ。

 

 ハダカのクレイテリアを、見まわす。調べる。動悸がする。

 なんで。どうして。

 おかしい。おかしい。おかしい!

 

 心臓がうるさい。元気にされた心臓が、跳ねるように騒ぐ。

 

 無い。

 無い。

 無い。無い。無い。無い。

 

 無い!

 

「混じり石が……無い。そんな、じゃあ」

 

 今度は急いで自分の身体を触って確かめる。目視できる範囲には無い。じゃあ後ろ。足の裏、お尻、背中、後頭部。まさか臓器? 体を外から押してみて、探す。探す。

 探す。無い事を祈って探す。動悸が、苦しい。胸が。激しく脈打つ。

 

「ん? 起きたのか。ふむ、まぁ元気な方を取っておくのが良いよな」

「じょ──女王、僕は、クレイテリア、だよね?」

「うん? クレイテリアだろ、お前。まさかファムタじゃあるまいに」

 

 そ──そうだ。そうだ、よね。

 僕はクレイテリアだ。記憶に断絶は無いし、何より僕の方が先に起きた。前もそうだった。僕が先に起きて、石混じりのクレイテリアが後に起きた。

 だから僕は、本物の。

 

 本物の、クレイテリアだ。

 

「よし、どちらも完璧に一致しているな。んじゃ、お前はバックアップ行だ、クレイテリア」

 

 僕と、眠っているクレイテリアの手を触っていた女王が、そう言った。

 うんうんと頷いてから。

 

 僕の方を見て。

 

「ぁ……」

「ああ、こっちのクレイテリアはちゃんと元の場所に戻すぞ。オーゼルもクレイテリアといたほうが絵になるだろうし。クレイテリアにもしもの事があった時用に、お前は健康体を維持させるから安心しろ。死ぬことは無いぞ」

「ぃ……い、ぃや……嫌だ……!」

 

 言葉を絞り出す。

 動揺と恐怖で、舌が上手く回らない。

 

 違う。これは、この匂いは、女王の使う弛緩剤だ。

 

 体に力が入らなくなる。起こしていた上体が、そのまま倒れようとして──女王に優しく抱き留められた。

 

「おお、言った傍から傷をつけるところだった。んー、これ、即効性があるのが良いんだが、ありすぎるのが問題だな……。今度改良するか」

 

 けれど女王はもう、僕を見ていない。

 

 そのまま。

 

 僕は、ガラス瓶に収められて、暗い暗い物置の片隅に。

 

 本物のクレイテリアは、僕なのに。

 僕、なのに。

 

 僕は。

 

 

 

 

「えーと、オーゼル、でいいんだよね。クレイテリア、じゃなくて」

「……そうだよ」

「うわ、結構流暢に喋れるんだ。どうなってるの、その口と喉」

「……知らない。あと、オーゼルだけど、クレイテリアの記憶と、……ホマリア、かな。多分。記憶は、ぐちゃぐちゃ」

「ホマリア……? うーん、心当たりないなぁ」

「……僕も、無い。でも、だから、二人合わさってるから、クレイテリアじゃなくて、オーゼルで、いい」

「わかった。それじゃ、とりあえず巣穴に戻る? みんながオーゼルを受け入れてくれるかは……うーん、どうだろ。君もクレイテリアの記憶があるなら多分」

「……無理。僕らは、蟻の魔物種以外に対して、当たりが強いから」

「だよね」

 

 じゃあ。

 

「魔王国ってところ、行ってみる?」

「……女王が、許すかな」

「僕が頼んでみるよ! 大丈夫、殺されやしないさ。だって僕は」

 

 ──本物のクレイテリア、だからね。

 

 

 

 

 オーゼルとクレイテリアが魔王国へ行きたいと言ってきたので、オーゼル側のバックアップも取った上で好きにしていいと告げた。これであいつらがどこぞで死んでも、無機物の魔物娘化の実例は消えない。

 ゴーレム娘(オーゼル)の食事はその辺の鉱石で行けるようにしておいたから、自己増殖も本能で行えるだろう。こう、食った石を形にして魂を宿らせる的な。それは糞では? ボブは訝しんだ。

 

 実の所、単数種の魔物娘の自己増殖だって、俺にとっては予想外だった。いや植物種が増えそうだな、ってところまでは思いついてたんだが、まさか番がいない状態で哺乳類の魔物娘や鳥類の魔物娘が増えるとは思わねえじゃん。未だにそこについては、ちゃんとした原理がわかってないし。あれだ、母体の神秘ってやつ? 知らんが。

 増えたのを確認した時は、結構舞い上がったものだ。

 ただ自己増殖で増えた魔物娘は、幼体と呼んでいる程に"魂の規模"が小さい。成長すれば成体の時と同じようにはなるから問題は無いんだが、如何せん年数がかかる。だからこそ俺は"複製"の成功にあれだけ歓喜したわけだな。

 

 既に黎樹の"魂の摂取"可能範囲は大陸の四分の一くらいにまで拡大していて、魔王国周辺であればどこへ行ってどこで野垂れ死のうと掠取は可能だ。

 ファムタやティータが頑張っているかどうかは知らないが、黎樹の種をばら撒こうと決めた時点以降魔王国へ向かった魔物娘達には、その体内に黎樹の種を仕込んである。消化の出来ないそれは、排泄物として対外に排出されることだろう。

 やっぱり種を運ぶといったら便だよな。植物に倣う事は多い。

 

 あとはオーゼルが自己増殖を繰り返しまくって、無機物の魔物娘が量産されれば、無から有を作り出す実験は完成だ。最後の最後が魔物娘任せになってしまうのは、まぁしょうがない。時間以外の解決方法が無い事柄ってのは結構あるもんだ。俺も万能ってわけじゃないしな。【魔法でなんでも出来る能力】みたいなチートでも貰えばよかったやもしれん。

 ……いや、貰っても多分使わないな。なんでも出来たら何にもやらなそう。仕事しなくて趣味まで失ったら、人間として失格だよな。

 

 

 そういえば、クレイテリアを置いておく囲いを作ってみて思ったんだが、俺の小屋()狭くねえ?

 【衣食住からの解放】によって家としての機能は一切要らないんだが、物置兼居住スペースになっているせいか、物が溢れてきて仕方ない。クレイテリアとオーゼルのバックアップなんか、人間大のポッドが二つ並んでるんだ。狭い狭い。

 

 んー……じゃ、久しぶりに家、建てるかぁ。

 これまでの魔物娘に関する研究や実験で、「凝るのは楽しい」という知見を得たので、いい感じの家を建ててみよう。外見だけな! 中身は全部倉庫でいいだろ。

 

 ……家の魔物娘とか、作れんのかな。

 

 

 

 

「出生率が低下した村、ね……」

「どうかしたの、シオン。この依頼書、なにかおかしいかしら?」

「いえ。ちょっと気になっただけだから」

「ふぅん。あ、ファムタさん達行ってしまうわよ」

「うん、今行く。先に行っていて、マルダハ」

 

 見遣るのは、森の方。

 自分たちが生まれた森。黎き森。

 

「……今は、無理」

 

 その反対。今自分たちが向かっている方に、目を向ける。

 幾人かの女性が、自分を心配そうに見つめていた。

 

「……でも、いつか」

 

 今は決意を秘めて。

 未だ世界に唯一人の、人間の魔物種である彼女は、希望の方へと歩を進める。

 

 いつか。

 必ず。

 

 

 

 

 

*1
つまり、外に出ようとしたら中に戻すを繰り返し続ける術




僕っ娘はいいぞ

クレイテリアは蟻の魔物娘だけど、すっぱいものが苦手らしいぞ! 蟻酸はすっぱくないのかな!


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二兎追う者一石二鳥

気分を害したって言ってくる人いるけど、注意したからね! 今後もエグいよ! 気分を害するなら読まない方がいいよ!

※R15表現が最後の方アリです。いんもらーる。


 魔王様は人間種ではない。

 

 何を当たり前の事を、と言われてしまうだろう。魔王国以外の人間にとっては、魔王国は魔物種と亜人種の巣窟で、その頂点に君臨する魔王が人間ではない事くらい、わかりきっているじゃないかと。

 だが、建国の王であり魔王様の父であった前国王は、人間だった。亜人種からしても短いと感じるたった30年だけ王の座に就き、病か老衰かは明かされていないが、亡くなってしまったのだ。

 

 魔物種の子は魔物種になる。魔物種と人間種の子は亜人種に、魔物種と亜人種の子も亜人種に。亜人種と人間種の子も亜人種になって、人間種と人間種の子は人間種になる。魔王国に住まう者なら、幼年期に学舎で必ず習う遺伝子の話。

 前国王の奥方が魔物種や亜人種だった、という話は聞いていない。

 聞いていないし、何よりそもそも、魔王様の身体に特徴として出てくるべき魔物種のそれが一つだって存在しない。先祖返りの可能性はゼロではないが、その容姿は、良くも悪くも人間種に収まっていると言えた。

 

 けれど、魔王様は人間種ではない。

 

 だって──500年も生きる人間種なんて、いるわけがないのだから。

 

 

 

 

 200年から300年程前から、(くさむら)の旅人たち、と呼ばれる少数の集団が大陸の各地を訪れている事が確認されている。魔物種のみで構成されたその旅団は、目的に「安住の地を探している」らしく、見つけるために旅を続けているのだと、訪れた国や村の住民に話している。

 魔物種であるというのに人間種に敵対しない珍しさからか、はたまた問題の解決能力からか、莽の旅人たちは住民に歓迎されることも少なくはない。

 その中でもシオンと名乗る、一見して魔物種であるとはわからない少女は、莽の旅人たちの中でも一番人気であると言えるだろう。そういった格付けをしてしまうのは人間種の性であるのだが、手を出すような真似をする者がいなかったのは幸いだろうか。友好的であるとはいえ魔物種。もし敵意を持たれたらと想像するに、被害の甚大さは恐ろしいものになっていただろうから。

 

 とにかく、そのシオンという少女は、莽の旅人たちの中でもとりわけ人気で、その物憂げな雰囲気や知的な言葉遣い、そして圧倒的な強さに惹かれ──皆が彼女の秘密を、その出自を暴かんとしてしまうのは、時間の問題であったと言えるだろう。

 むしろ200年も300年もよく保っていたものである。ただ、悲しいかな。人間種は群れの生き物であっても完全な統率が取れるというわけではなく、いつだって必ず、欲に負けた「ぬけがけ」が、全体に負債を背負わせるのである。

 

 

 魔王国の建国から500年。

 魔物種の巣窟ということもあってか、幾度となく討伐隊の組まれたそこは、しかし国を挙げての戦争、というのに恵まれた事は無かった。恵まれた。あるいは、ふっかけられた、だろうか。戦いよりも縛られない日々を過ごす事の方が楽しかったから、少なくとも魔王国の魔物種は他国を侵略する、なんて面倒なことをする者がいなかったのだ。

 その姿を腑抜けだと、平和ボケだと馬鹿にする声も確かにあった。森から出て、しかし魔王国へ移住せずに周辺諸国を襲いに行った魔物種たちだ。女王の支配下であったストレスの反動からか、はたまた人間種や亜人種を見下していたからか、魔物種の半数ほどは今なお人間種の天敵として恐れられている。

 

 きっかけは"恋心"だった。

 シオンという魔物種に惚れてしまった一人の王族が、その出自を調べるために、幾人かの護衛を引き連れ自国を出て、魔王国へ訪れた。魔王国にも少ないとはいえ人間種がいるから、その訪問自体は珍しがられたものの、拒絶されることなく通された。

 通されて、しまった。

 

 魔王国内の人口比率は、魔物娘が10%、人間種が5%。そして残った85%を亜人種にしている。

 完全な実力主義のこの国は、奴隷や従者、あるいは"愛玩動物"が制度としてでなく存在していて、決して平和であるとは言い難い。人間種と亜人種の暗黙の了解として「魔物種には喧嘩を売らない」というのがあるくらいで、この国には遠慮も配慮も存在しない。生き残りたければ、強くなれ。強くなければ飢えて死ね。

 それが魔王国だ。

 

 それは勿論、他国からの訪問者にも適用される。

 

 結果から先に言えば、その王族は死んだ。護衛の部下が有能であったのが最大の不幸だろう。シオンという少女の出自を唯一知っているとされる魔物種を努力で見つけ出し、見つけ出してしまい、それを王族に報告してしまった。

 200年、300年前の出来事だ。人間種の寿命は50年から80年。亜人種は150年程。文献に残っていないというのなら、一番信憑性に富むのは魔物種の記憶である。

 

 王族はかの魔物種にシオンについてを聞きに行って、話す事は何もないと一蹴され、しつこく聞き縋って、殺された。

 その程度で、と思うかもしれない。でも、それが魔王国なのだ。魔物種は温厚だが、人間種に親密なわけではない。友好的なものも一部分だけは存在するが、ほとんどが「温厚なだけ」である。邪魔だと思えば一旦は飲み込んでくれるだろうが、しつこければ対処をする。

 況してやそれが、自らの友人たちに関する話であれば、多少、過敏な反応になるのも仕方がないというものだ。

 

 斯くして戦端は開かれる。

 これまた有能で無能な護衛の部下が、黙っているという選択肢もあっただろうに、忠義に篤く王族の死を国に伝えてしまったものだから、国側も腰を上げざるを得なかった。

 

 アジュ・ルビーィズ。それが国の名前で、この戦争の名でもある。

 

 

 

 

「戦争? ……魔王国と?」

 

 それは、言外に「馬鹿なの?」というニュアンスを多分に含んでいるのだろう聞き返し。否、シオンがそんなこと言うわけがないと男どもは言うかもしれない。

 例の王族の不憫さと言えばいいのか、彼の者が国を出た後すぐ、莽の旅人たちはルビーィズを訪れていた。

 

「殲滅されて終わりじゃないかしら」

「ええ、ですから……助力をいただけないか、と」

「……言っている意味が、よくわからないわ」

 

 今度こそ、冷たい目線だった。

 シオンと話しているのは国の重鎮の一人。彼もまた莽の旅人たちを好む人間種であるが、その容姿というよりは、問題の解決能力に重きを置いている。どころか亜人種を目に見えて差別する程には、魔物種の異形たる見た目を嫌悪しているのだが、おくびにも出す事は無い。

 自身の好悪と評価を分けるくらいはできる男だった。

 

「魔王国との戦争に、お力添えをいただけないかと言っているのですよ」

「私達が魔物種である、というのは、知っているわよね」

「ええ、勿論です。……ですが、魔王国を好いてはいないのでしょう?」

 

 これは多分、男でなくとも気付くことだ。莽の旅人たちは、魔王国の話をあまり好いてはいない。話をはぐらかすし、シオンとマルダハに至っては口を開こうともしない。余程嫌な思い出があるのか、はたまた何かをしでかしてしまったのか。

 どちらにせよ彼女らが魔王国を嫌っているのだろうことは確実に思えた。

 

「お断りするわ。私達は、あの国に近づきたくはないのよ」

「それは残念です。……ところでシオンさんは、死に目の妖精(ポンプス・イコ)という妖精をご存じでしょうか」

「っ!」

 

 わざとらしくしょんぼりした男が、ふと思い出した、とでもいう様に、その名を口にした。

 

 シオンの反応は劇的だった。驚き。怒り。あるいは憎しみ。あらゆる負の感情が折り重なったようなそのに、男は満足げに微笑む。

 

「……知っているわ。死に際をうろつく妖精。白いワンピースの少女で、彼女が現れる事は、身近な誰かの死の合図だと」

「ええ、そうです。その死に目の妖精(ポンプス・イコ)ですが」

 

 ──戦場となるだろう平地に、ぽつんと佇んでいる姿が発見されたそうですよ。

 

 男は笑みを深めて、そう言った。

 

 

 

 

 黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)は全知全能ではない。万能ですらない。

 それは莽の旅人たちにとっての共通認識だ。

 御伽噺に知られる"魔物たちの母"であることは認めたくなくとも事実だし、恐ろしい知識量と薬品の在庫数、そして黎樹を用いた神出鬼没さや耐久性能は、確かに脅威ではある。

 けれど術式に対してはかなり疎かったり、魔物種のことについても全てを知っているわけではなかったりと、"隙"とでも呼ぶべきものが沢山ある。女王はあくまで自分の事にしか興味が無いから、その興味範囲外で起きた事を調べようとすらしないのだ。

 

 それは、反撃の嚆矢として、明確にすべき部分であった。

 

「魔王国との戦争、ね。随分と……愚かな事を考えるもんだ、人間種ってやつは」

「うん。そこには同意します。けど」

「女王が出た、と。今度は何をするつもりか……」

「戦場は、たくさんの命が死ぬ。でも女王は、死体にはあまり興味を示さない」

「するとすれば……やっぱり、()()()()()()()"群れ"の魔物種の創造、かしら」

 

 土壁の囲いで作り上げた簡易居住スペースに、十人はいた。

 ファムタとファール。シオンとマルダハ。そして"哺乳類"の魔物種であるアウラとオーロラ、"蟲"の魔物種であるモアレとファサラド。"鳥類"の魔物種であるタブラとラサ。

 シオンとマルダハ以外、それぞれが対を為して同じ顔をした、不思議な空間だ。

 

「"人間"の魔物種、って事か。恐ろしい話だね」

「戦争はもう止まらないのか」

「ええ。人間種にとっては面子、あるいは矜持というものが、命よりも大切にされるの。悲しい事にね」

 

 女王は全知全能ではない。思い込みの勘違いもよくするし、理解したと思った事の奥行きがさらに広がっていたことだってザラなのだ。

 

 その証拠が、シオンとマルダハだった。

 

「シオンはだから、そうして私と競い合ったんだものね」

「懐かしい話ね」

 

 覚えていた。

 人間種だった頃の記憶と、亜人種だった頃の記憶。

 亜人種のある学者は記憶は脳に宿る物だと力説していたが、ここに証拠がある。首を落とされ、元の脳を失ったはずの魔物種二人が、過去を覚えている。

 それは実は、女王自らの気付いていた"魂の規模"に纏わる事実であるのだが、女王自身が"抽出元"とも魔物娘とも対話をしないから、わからなかった話。

 

 女王には粗があって、隙があって、知らない事が沢山あって──ならば、完全とは程遠い。

 あの巨悪を、世界より失くすことは出来るのだと。その確信が、莽の旅人たちにはあった。

 

「どっちがいいと思う?」

「残酷な選択ね」

「非道な天秤ね」

「"集めるのを阻止する"か"集めたものを奪う"か」

「……」

 

 何故女王が黎樹を拡散したがるのか。それについて、莽の旅人たちは長らく研究を続けていた。そもそも女王が何故魔物種を作り出しているのか、それすらも彼女らはわかっていない。かつてファムタがジャクリーンの噂話に対して思った「逆じゃないの、それ」という言葉が真実であるなどと露知らず、しかしこれが女王の中継器の役割を果たしている所までは掴んでいた。

 つまるところ女王は大陸全土を黎き森にしようと目論んでいて、それに対抗するためには"黎樹の入ってこれない土地"を創る必要があると。少なくともそこまでは、わかっているから、それを目的に動いている。

 

 その調査の中で、気になる事例が散見されることがあった。

 黎き森はこの大陸の中心部に位置するのだが、そこから離れれば離れるほど、つまり大陸外縁部に行けば行くほど、国というものは少なくなってくる。あるのは町村ぐらいで、中でも小さな町や村、あるいは集落の"出生率"が、年を追うごとに低下しているという話がそこかしこであるのだ。そしてそれは今に始まった話ではなく、記録されている限りでは100年程前から少しずつ、少しずつ、新しい子供が生まれなくなってきているのだと。

 さらに比例して、家畜の出産率や農作物類の収穫率も下がってきていて、廃村となった場所も少なくはないと。

 

 これが極一部の地域で起きている事なら、飢えて死ぬのは弱いからだと切って捨てていたかもしれない。魔物種として、本当に危なくなったら奪えばいい、という心は、シオンとマルダハ以外に根付いているものだ。

 けれど、ここまでの規模で、ここまで同じ現象であるとなると、自然と原因の推察が出来てしまう。

 

「命には、限りがある。私達は……いくつもの命を持っている」

 

 アウラが自らの胸に手を当てた。

 彼女と、その半身たるオーロラは"哺乳類"の魔物種だ*1。それは複数種の魔物種とされる他四人も同じで、祖母に"森"の魔物種を持つマルダハもまた、その感覚を持っている。

 唯一シオンだけがその感覚を有さないが、長年連れ添った家族のような存在の言葉を疑う事は無い。

 

「単数種の魔物種は、一人でいるなら、問題こそないんだと思う。けれど魔物種は自分だけで増える事が出来てしまう上に中々死なないから、本来亜人種や人間種、それに動植物が法則としていたはずの命の総量の法則を乱してしまう。それが多分、この問題の原因」

 

 世界には限りがある。大陸の外には海しか存在せず、海の先は、滝となって落ちるのみだ。この小さな世界は、そもとして保有する命の総量が少ない。それが、何度も話に出ているとある亜人種の学者と莽の旅人たちが話し合って出した"答え"だった。

 誇大妄想家と罵られた亜人種の学者は、名をオーマと言う。

 

「……問題は、"問題があるのかどうか"って事よねぇ」

 

 女王はこの世にいてはいけない存在だと思う。復讐の気持ちもあるし、これ以上その被害を出さないために、討伐すべきだとも思う。

 しかし、女王が魔物種を作り出す事が──魔物種にとって、何か不都合になるだろうか。

 

「人間種が少なくなったところで、亜人種が少なくなったところで……困りは、しない」

「今回の戦争でもし、本当に"人間"の魔物種が作られるとしたら、次に生まれる人間種はどれだけ減るのかな」

「一つの国が兵を挙げて戦争を行うのだから……それは勿論、一つの国の半分くらいの量は、減るんじゃないかしら」

「戦争には亜人種も出ると思う?」

「魔王国を守るために、出ると思うわ。……そうしたら、"亜人"の魔物種も?」

 

 究極的には、やっぱりどうでも良い話に見えた。

 彼女たちの目的はあくまで女王の討伐であり、世界を救う事ではないのだから。

 

 けれど。

 

「……王家も……あの子達も、戦争に出る、と思う?」

「……出る前に終わる、とは、思う」

 

 懸念。あるいは杞憂なのかもしれない。

 ただ事実として魔王国には置いてきた娘達がいて、そうでなくとも、口を噤んで自分たちを見送ってくれた友人が、沢山いる。

 ルビーィズとの戦争には勝てるだろう。魔王国側は、もしかしたら無傷での勝利を収めるかもしれない。

 けれど、女王が相手となるのなら。

 

 女王の所業の是非ではなく、友人や家族の安全の問題。

 

「シオンとマルダハは、残ってもいい。思い入れは、ないでしょ」

 

 ファムタが言う。シオンの家族は人間種で、とっくに死んでいる。マルダハは魔王国に繋がりのある存在を有していない。魔王国にだって大した思い出は無いだろう。あの重鎮の男は嫌っている、などとほくそ笑んでいたが、好いても嫌ってもいない、が正しい。何の感慨も持っていない。

 だから、来る必要はないと。

 

「いえ、行きます。みんなの故郷を守るためなら」

 

 そしてもう一つ。

 確かめたい事があるから。シオンは、それだけは内に秘めたままに。

 

「私も行くわ。風の噂によれば、魔王様も元気にしているらしいのよね。少しあって、話したい事があるの」

「あぁ、それは私も気になっていた。あの男、まだ生きているらしいな。人間種か、本当に」

「赤子の時に女王の強化を散々に受けた人間種。あたしらにしてみれば、なんで女王があの人間種を助けたのか、ってのも気になるところなんだが……」

「決まったね。でも、ルビーィズに味方をするわけじゃないよね」

「勿論。魔王国を……いえ、大事なみんなを、女王から守りに行くのよ。良く知らない人間種のためじゃ、ないわ」

 

 アジュ・ルビーィズの戦い。その行く末は──さて。

 

 

 

 

 無機物の魔物娘の創造に成功した事で、魔物娘の幅がぐんと広がったように思う。オーゼルもしっかりと自己増殖を行っているのは確認済み。俺はこの世界の法則の一つに打ち勝ったわけだ。いやまぁ打ち勝つのが目的じゃないし、今までが負けていたわけでもないんだが。

 家の魔物娘、というのはまぁ、出来なかったんだが。あの時の俺はどうにかしていた。だって家って基本的に有機物じゃん。普通に木材の魔物娘が出来るわ。だめだねー人間調子に乗ると。後々冷静になっていや馬鹿だろって思うようなことも必死に取り組んじゃうんだ。wikiをくれwikiを。

 

 ただ、"微かに魂の宿る無機物水"の研究成果を用いて、ブラッシュアップというべきか、スライム娘の改良版を作る事には成功した。今度こそ血液をコアにしない、液体の魔物娘だ。例のごとく種としての強さは虫の魔物娘と同じか低いくらいなんだけどな。でもこれ、酸性の液体とかを纏えばこう……アシッドスライム的ななんかになるんじゃね? 知らんけど。

 

 いつも通り可燃性ガスの噴出する泉……湖……水溜まり? に放しておいた。

 

 無から有を作り出す実験はとりあえずこれでendって事になる。くぅ疲。

 

 

 さて、元の研究というべきか、"魂の規模"の拡張についての実験に戻ろうと思う。

 "魂の規模"はたとえ生まれた状態の、謂わば無の状態からであっても、記憶が複製されていたり巨大な感情を抱きさえすれば、"経験"の横幅がぐんと拡張する事が確認されている。ファール含むキマイラ娘ズ#1がそうだし、オーゼルもそうだな。一応クレイテリアもか。

 ただ、移植先に既に"魂"が存在していると、"魂"は定着しない。"魂"は同質であればくっつこうと、異質であれば反発する。

 

 話を戻して、この法則を元に考えてみた事がある。

 

 ──興奮剤って、"魂の規模"を増やせるんじゃね?

 

 感情が爆増する事で"経験"が拡張されるなら、感情を昂らせる薬を用いればひいては"魂の規模"の拡張に使えるんじゃないか、という。

 興奮剤ってのは、アレだ。その、こう、色々とカーッとなるやつ。あんまり口に出しづらい奴。いやまぁ合法のものもいくつかはあるから一概にってわけじゃないんだが。あ、この世界ってそういう法律あんのか? あっても関係はないんだけどさ。

 勿論一時的に昂った感情は時間と共に萎んでいくんだろうが、昂っている状態で摘み取ればいいんじゃないか、っていう、そういう話。

 

 まぁ無理だったわけなんですが。

 

 "魂の規模"には、形というものがある。球状であると、前に述べた。けれどそれは、感情と言うのが足並み揃えて発達していくから、であるようなのだ。勿論ばらつきはあるけれど、怒りや憎しみが発達したら、その裏面には喜楽や快楽が追随する。悲しさばかりを持っているように見えても、裏には深い愛情とやらがあったりする。

 そういう風に、見えていなくとも伴って育っていく感情、というのが"魂の規模"の球状を作っているらしかった。

 適当な魔物娘に興奮剤を使用してみたところ、"魂の規模"は刺々しい形になったり、大きく棘が生えたり*2、一点は膨張して他が縮小したりと、球状が保てなくなってしまった。

 "魂の造形"とでもいうべきかな。そういういびつな状態で"魂の摂取"を行ってみても、蓄積値は元の状態と変わらない。あれだけ興奮していたのに、あれだけ怒って、あれだけ嘆いたのに、特に普段と変わらない蓄積値しか得られなかった。

 

 が、何も得られなかった、というワケじゃない。

 

 いつも通り魔物娘を見繕う時に成体と幼体のどちらもを10匹くらい用意したのだが、双方共に"魂の造形"の膨張収縮の変化幅が最大になった時の"魂"の質が、非常によく似たものになる、という実験結果が得られた。普通は個体ごとにそれぞれあるはずの"魂の規模"が、興奮剤による最大感情の時だけ誤差があるかないかくらいにまで似通る。薬が抜けた時、元の"魂の規模"の質が多少の変化を起こしている事も分かっている。

 そしてその実験を行った後、家の中の一室に入れておいた魔物娘全員が互いを好き合っている姿が観察されている。自己増殖を可能とする魔物娘が、である。これは謂わば、同質の"魂"がくっつき合おうとする法則の現れなんじゃないかと俺は睨んでいるわけだ。

 

 その後も興奮剤の投薬を繰り返してみると、やはり初めはバラバラだった魔物娘達の"魂"の質はどんどん似通ってきているようで、この実験を繰り返せば"魂"が融合して、一匹の魔物娘になるんじゃないだろうかという推測を立てた。

 一匹一匹の恐怖や愛情を拡長するより、10匹分の一匹の拡張を行った方が、遥かに楽である。

 それは勿論10匹、50匹、100匹と増やしていければ効率は跳ね上がっていく。

 

 さらにこの法則は、魔物娘だけでなく、人間種や亜人種にも適用できるんじゃないか、と。

 

 うんうんうんうん。

 いいことづくめ!!

 

 やっぱり思いついたら何でもやってみるべきだな!

 

 

 

 

 ずっと、おかしいな、とは思っていた。

 だって貴女は、私で。私は貴女で。

 

「ファムタ」

「……ファール」

 

 皆には言えない。

 けれど、どうして、こんなにも。

 ジャクリーンに感じていたものとは違う。こんなにも。こんなにも。

 

「……自分なのに」

 

 どうして──愛おしいと、思ってしまうのか。

 

 

 

*1
亜人種の学者によって動物の系統というのは事細かに別たれているのがわかっている。

*2
はっきりと視認できるわけではないが




ガールズラブだもの!!

※私用により明日6/10(wed)の更新はありません。
予約投稿じゃない事に驚いたな!

莽の旅人たちという名前は自分たちで名乗ったわけじゃなく、とある学者が、ならばこういう名前はどうでしょう、といって付けた名前だったりするぜ!


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遥か風吹く故郷の空(思惑)

注.一部カニバリズムを彷彿とさせる表現があります。(性的なそれじゃないです)


「──お久しぶりです。また会いましょうと、そう言って別れはしましたが、心のどこかで──もう会うことは無いのだと、貴女方を目にする事は出来ないのだと、そう感じておりました。ですが、こうして。()()()()()()()、我が国で再会できたことを、心より嬉しく思います」

 

 膝を突く。その姿は、周囲をどよめかせた。

 膝を突いたのは──魔王。魔王国を治める、生きる伝説。

 

 その先にいるのは、ローブ姿の六人と、二人の魔物種。

 

 否、彼の視線はローブの六人にだけ向いていてる。その事に気付いたのだろう。

 二人の魔物種は顔を見合わせて。

 

「あの、無視しないでもらえますか?」

 

 流石に手は出さなかった。

 

 

 

 

「た……ターニアと、リリアン? は……はっはっは、何を言っているんだ。ターニアはもっとこう……俺の言動の一つ一つに突っかかってきては好きですと言いながら殴りに来るような亜人種だし、リリアンはリリアンでナイフを首に突き付けてこのナイフを引いてほしくば私を好いてください今すぐにとか言う人間種だし、君たちとは似ても似つかない……あー、ヤンチャな娘達だぞ?」

 

 莽の旅人たちが魔王国を訪れた。他国ではかなりの人気を誇る十人の集団で、魔王国内での知名度はそれほどでもないが、個人的には激烈に応援していた旅団だ。それもそのはず、莽の旅人たちの構成員は、そのほとんどが自身の義妹達の母親である。

 訳あって国を出るしか無かった彼女らを、どうして見捨てる事があろうか。幼少の時から、とてもよくしていただいていた魔物種の方々なのだ。たまに彼女らの活躍が耳に入る事があって、その時は国内の魔物種の友人と一喜一憂したものである。

 

 国を出る時、「私達が()()なってしまったことは、娘達には伝えないでおいてくれると助かるわ」と言われた。下手人は明かさなかったが、黎き森の女王による誘拐事件と国民失踪事件。既に忘れ去られたこれらの被害者たるお三方──お六方は、優しい嘘として、その言葉を残したのだと思う。

 

 俺は明かしていない。あいつらが盗み聞きしていただけだ。

 

「お母様たち、ああ、寂しかったのよ!」

「私達も連れて行ってくれたら、どんなに良かった事か!」

「おかえり!」

 

 部屋を二つに、一角では俺と魔物種の二人が、一角では義妹達と母方たちが、それぞれの話をしている。

 その光景に、やはり、時というものは苦しいな、と感じてしまった。

 

「……そう、よね。あなた達は……亜人種だもの」

「ふふ、私達より……年上に見えてしまうわね」

「ごめんね、連れて行って上げられなくて……黙って、出て行って」

「あたしらはそれを後悔していない。けれど、寂しかっただろう?」

「ただいま!」「ただいま!」

 

 亜人種の平均寿命は130年~150年だ。それを、恐らく母方の魔物種の血の影響もあるのだろうが、よく。

 よく、ここまで……生きてくれたものだと。

 

「貴方は、変わりませんね。私達を前にして、いつも違う女性を見ている」

「まぁそう言うな。大切な方々なんだ。少しくらい、感傷に浸らせてくれ」

「私達との再会は感傷にはならないというのかしら?」

 

 当たり前だろう、という言葉を飲み込む。

 火に油だ。

 

「本当に、ターニアとリリアン、なのか」

「今はもう、マルダハとシオンです。私達は女王の手によって、魔物種に生まれ変わらされてしまった」

「むしろ私は、魔王様が今でも若いままなのが不思議でならないわ。あなた、本当に人間種なのかしら?」

 

 それには、まぁ、苦笑で返すしかない。

 容姿も名前も変わった旧知の二人だが、そもそも彼女らに会った時点で170を超えていた。80を超えて尚20の若造と変わらない容姿のままであれば、慣れもする。異質である事には変わりないのだろうが、俺は俺だ。どうしようも、言い訳のしようもない。

 

 魔王と呼ばれる自分は、まるで魔物種の王であるかのような呼称だが、その実人間種だ。人間種の父親と人間種の母親から生まれた人間種。

 しかし、学者曰くあらゆる臓器が人間種に許されぬ領域まで強化されていて、それが何の負担を生むわけでもなく、定着していると。身体能力や術式の保有能力、そして寿命までもが魔物種に届かんとするくらいの強大さを誇るのだと。

 

 心当たりはまぁ、あった。

 

黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)。彼女らも、そして君たちも。そうなってしまったのは、女王のせい、なのだな」

「ええ。……ただ、正直な話をすれば。私は、魔物種に生まれ変わった所で……失ったものは、あまりない。要らない家族の縁と、すぐに死ぬ人間種の身体と、周囲の機嫌を伺わなくてはいけない弱い立場。失ったものは、それだけなんです」

「私の場合は、"森"の亜人種であるという事実が損なわれたわ。……けれど、お婆様は受け入れてくれた。だから、失ったものは、実はそんなに無いのよね」

 

 小さな声で言う。

 それは多分、気遣いなのだろう。彼女らに俺の話を聞いていたのかもしれない。

 

 そうだ。俺もまた、女王の所業によって、()()()()側の存在。

 この寿命。丈夫な身体。そして父上に下賜され、俺に引き継がれた様々な薬品と植物、そしてその知識。

 少なくとも俺は、伝え聞いた以外の部分では、女王に対する悪感情を抱いていない。抱けていない、と言った方が正しいか。実感が湧かないのだ。その悪辣な所業と、父上から聞いていた素晴らしき女王の実像が結ばれない。

 

「しかし、こうしてこの国に帰ってきた、という事は、火急の用事があったのだろう? まさか人間種の国との戦争の件ではあるまい」

「いえ、その件であって、その件ではないというか」

「戦争が女王に利用される事を防ぐために帰ってきたのよ。魔王様。事態はあなたが思っているよりも、大きなうねりを持っているわ」

 

 シオンとマルダハは。

 神妙な表情で、そう言った。

 

 

 

 

「命の上限数と複数の命を有する魔物種。それを作り出す女王、か」

「はい。そして此度の戦いで、二人の魔物種が生まれようとしていると私達は推測しています。何百の人間種の命を持った魔物種と、同じく何百の亜人種の命を持った魔物種。恐ろしい程の犠牲者が出るのは想像に難くない」

「名前も顔も知らない亜人種や人間種がどうなろうと私は構わないけれど──ねぇ、魔王様。()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 どこか蠱惑的な、挑発的な視線で、マルダハが問うてくる。

 知っていたのか。言わないで済むなら黙っていようと思ったんだが。

 

「え、魔王様、ご結婚為されていたんですか?」

「あら、知らなかったの、シオン。そうよ、この人は私とシオンと、そしてジャクリーンがいなくなった後、普通に他の女と結婚しているの」

「その咎めるような口調は止せ。別にお前たちに断りを入れなければならんというわけでもなかろうに」

「誰ですか? キリニ? シュメー? ハナメロ?」

「……亜人種ではない。魔物種だから、お前たちの知らぬ者だ」

「本題はそこではないのよ、シオン。大事なのは、魔王様の子供はまだ生きていて、前線に出る気満々である、という事実。噂、届いているわよ」

 

 少しだけ、面白そうに。この(マルダハ)がターニアであると確信させる、何かを見下すような、嘲るような声と共に、口を開く。

 

「人間嫌いの狂王子。随分とヤンチャのようね、息子さんは」

 

 その言葉は、俺に深いため息を吐かせ、額をこれでもかと顰めさせる力を持っていた。

 

 息子。俺の息子。

 獅子の魔物種の妻と俺の間に出来た息子は、当然獅子の亜人種になる。

 獅子と言えど、妻はおしとやかで、とても心の強い女性だった。魔物種でありながら人間を見下すことなく、公平さと偉大さを併せ持つような、まさに肉食獣の王たるような、そんな女性。ターニアとリリアンをはじめとした多数の亜人種から好意を寄せられていた*1俺は、しかしすべてを振り切って、彼女に求婚した。

 一度や二度は断られるかもしれないと踏んでいた俺の告白は、しかし、何かを見据えているようなその瞳と共に受け入れられた。

 晴れて俺達は結ばれ、すぐに子供を授かることになる。

 

 獅子の亜人種。しかしその性格は。

 

「凶暴の一言、なのよ。国にいる人間種でさえ、視界に入れば殺しに行くような、魔王国以外にいる魔物種と同じような行動を続けている。即ち、人間種の天敵、という奴。人間種が嫌いで嫌いで仕方がないのだというわ」

「よく知っているものだ。息子は……そうだな。人間種を嫌っている。それは多分、俺が人間種であるから、なのだろう。弱い人間種が心底気に食わないらしい」

「何故? 魔王様は、失礼ですが人間種とは到底思えない強さをお持ちであると思うのですが」

「血だよ。俺の異常さは、しかし当代限りのものだった。今にして思えば、妻のあの瞳はそういう事だったのかもしれない。俺の強さも、寿命も、息子には受け継がれなかった。あいつは単なる獅子の亜人種で、だから俺や妻よりも寿命が短く、力も弱い。あいつは母親の事は認めているから、自身にもう"これ以上"が無いのは俺のせいだと……人間種という血のせいだと、妄信している」

 

 種族差問題というのは、昔から存在していた。違う種族同士が婚姻をすれば、ほぼすべての場合において片方が先立つ。残される悲しみというのは、どの種族であってもつらいものだ。その点においても俺は恵まれていて、恐らく俺と妻の寿命はほぼ同じくらいである事がわかっている。

 だからこそ、息子は荒れている。俺は息子にもこれが受け継がれると信じていて、そうではなかったから、その怒りを諫めることが出来ずにいる。どれほどの謝罪をしたところで何の償いにもならない。それは妻に対してもそうだ。彼女にとっては見えていた未来なのだろう。

 自らの息子が、自らより先に旅立つ事を知っていて尚愛情を注ぎ続けるのは、どれほどの……。

 

「……それで、その息子さんが、どうしたというの? マルダハ。貴女がここに戻ってきた理由は」

「勿論、その子を守るためよ。かつて好きだった、今も大好きな魔王様のために、女王からその子供を守る。真っ当な理由ではないかしら?」

 

 リリアン……否、シオンと数秒、見つめ合う。

 本心? まさか。だよなぁ。

 

「しかし、こちらは女王に対しての情報が欠片も無いというのは事実だ。襲撃が実際にあるのであれば、対策を考える必要がある。ルビーィズとの闘いは片手間に、そちらの対処を優先しよう」

「あ、はい。それを考えるために王城を訪れたんです。あちらも話し合いが終わったようですし、作戦を考えましょう」

「ああ。……そういえば、ファムタ様とファール様はどちらに?」

「あの二人なら、献花に行きました。大切な人が眠る場所に」

「そうか。……そうだったな」

 

 懐かしい話だ。

 

 

 

 

 この大陸の山は、一番高くて500mくらいである。

 魔王国周辺にもいくつかの山が存在するが、そのどれもが400mを越えないくらいで、そのほとんどが緑の少ない禿山だ。動物も虫も、魔物種でさえ寄り付かない──寄り付くメリットが皆無なその山の一つに、二人は来ていた。

 

 自然にできたそれではない。セメントや術式などを用いて作った人工の洞窟は、巧妙に隠された入り口もあってか早々に見つける事の出来ない場所にある。

 

 ここに、ジャクリーンが眠っていた。

 

「良かった、黎樹は入り込んできてない。設計者に感謝しないと」

「うん。もう死んじゃったけど、本当にありがたい」

 

 見た目こそ洞窟だが、その全貌は山を被ったような球体である。最古の魔物種たるファムタとファールの掘削工事は、一人の天才建築家の指導の元、完璧なシェルターを作り上げる事に成功した。建築家は人間種であったが故早々に亡くなってしまったけれど、人間種に興味のないファムタとファールがその名を今でも覚えているくらいには、感謝の念が尽きずにいる。

 

「……ジャクリーン。ただいま。今も貴女は、ここにいるのかな」

「それとも、旅立ったのかな。でもここは安全だよ、ジャクリーン。女王の手は届かない」

 

 花を添える。黎き森には咲いていない種類の、大陸の外縁部の廃村に咲いていた青い花。

 もう少しで"海"に飲み込まれるところだった、小さな小さなその花を。

 

「私は、本心を言えば、女王に勝てるなんて……思ってない。私が生まれてから、かなり経っているけれど、女王が傷を負った所を見た事は無いし、彼女が眠っている所すら見ていない」

「無理、だと思う。全滅は必至。アレは私達とは違う生物で、生命の法則すらも異なっている」

「私達の目的は、ジャクリーン。貴女を女王の手から逃がす事。貴女が貴女のまま、生きて、旅立って、幸せであり続けられる事」

「あの皺皺な手で、私達の頬を撫でてくれた貴女の笑顔を。あの元気な瞳で、初めて私に話しかけてきてくれた日を、私達は絶対に忘れない」

 

 それはもしかしたら、自問自答であったのかもしれない。

 ファムタとファールはもはや別人で、あの時点から別々の経験を有しているけれど、でもやっぱり二人は自分自身で。

 だから決意表明というか、再確認というか、言葉に出す事で露になる自分の気持ち。

 

 自分たちの、目的。

 

「オーマは言ってた。本来命は流転するもので、その容量は一定であるものの、姿を形を変えて、世界を回り続けるんだって」

「世界は繁栄と衰退を繰り返し、続き続ける閉じた輪こそがこの世界の真理なんだって」

 

 その全てを、信じられているわけではない。あの学者は少しばかり話を誇張する癖があって、話し方も煽動家のようで、だから全部を全部信じ込んでいるわけではない。

 

「もし本当に流転するなら、ジャクリーンの命はもう帰ってきたのかな」

「貴女が死んでから、300年。貴女は今どんな姿になっているのかな」

 

 それとももし、まだここにいるのなら。

 流転して、私達の知らない所で、女王の手にかかるくらいなら。

 

 

 ──ここは、ここだけは、安全だよ、ジャクリーン。

 

 

 

 

「素晴らしいな」

 

 興奮剤の投薬実験から7日後。俺の目の前には、一匹の魔物娘が虚ろな目で座っていた。

 足元には倒れ伏す九つの躯。同じ魔物娘ではない。森にいる動植物の代表格っぽい魔物娘を見繕ってそれぞれの幼体と成体を揃えた。

 結果残っているのは、蛇の魔物娘の幼体。

 

 しかしその"魂の規模"は、他の魔物娘の幼体とは比べ物にならない程大きく、広い。いや、幼体のみならず、一部の成体をも超えるやもしれん。今はまだ幼体で、ならばこれから成長する(しろ)が大いにある。

 今は昏睡薬で意識を奪っているが、先ほどまではずっと叫んで、泣いていた。感情の振れ幅もかなりのものと推測される。

 

「ディアスポラ。今日からの、お前の名前な」

 

 さて、コイツの複製作業を始めるとしよう。

 

 

 

 

 出来ないんだが?

 

 ……まーた行き詰まってしまった。クレイテリアの複製でかなり手慣れた方だと思っていたんだが、うーん。やっぱり違う種類の魔物娘だったのがダメなんかなぁ。なんかどうにも、既存の"魂の規模"とは違う性質を持っているというか、そのまま複製! というのが出来ない。

 多分同じ手法で融合種の魔物娘を作る事は出来るんだろうけど、それだと手間も時間もかかるしなぁ。俺はあくまで楽をするために研究をしているのであって、そこに苦労が発生したら意味が無いんだよなぁ。仕事じゃあるまいし。

 

 んー、まぁ出来ないモンは仕方ない。気分転換だ。

 

 魔物娘の融合種は作れた。んじゃ、人間種と亜人種だな。亜人種を大量確保するには魔王国に行くのが一番として、人間種はどうすっかな。魔王国、人間種あんまりいないっぽいんだよな。どっかに都合のいい大勢の人間種はいないものだろうか。

 

 大勢っつっても10人とかそこいらでいいんだが。いや5人でもいいぞ。なんなら3人組とかでもいい。

 

 いないかなー。

 

 

 

 

 アジュ・ルビーィズの軍隊が出国した、という情報は、魔王国が斥候を務める真面目な部類の亜人種によって国中に伝えられた。

 魔王国に軍隊などは存在しない。それじゃあ適当に、といった感じで紅茶をすする魔物種がいれば、戦争なんて嫌ねぇ、なんて言いながら好戦的な笑みを浮かべる魔物種がいるくらいで、別段戦争ムード、というわけではなかった。

 

 ただ、名をタッシュ・ディスプというこの男だけは違った。

 

 手に持つのは、武骨な長剣。手入れの行き届いたそれはしかし、血に飢えるタッシュの顔を悍ましくも映している。南の地平線上から差し込む太陽の光も、彼の顔を覆い隠す事は出来ない。

 タッシュは唯一人、そこにいた。戦場。戦場の予定地か。

 

 アジュ・ルビーィズの軍隊が来るであろうその荒野にて、一人、誰を引き連れることなく立っている。理由は勿論、一番に手を付けるためだ。一番に、一番多く、手にかけるためだ。

 

 そこに。

 

「ん? なんだ、亜人種か」

「あ?」

 

 白いワンピースの少女が、現れた。

 

 

 タッシュの行動は早かった。即ち、寄って斬る。

 どこからともなく現れたその少女。その見た目はタッシュの大嫌いな人間種のソレで、あろうことにタッシュを見て、落胆したように視線を外したのである。亜人種である事はタッシュにとっての最大のコンプレックスだ。弱い人間の血の証。

 この幼子は、いともたやすくタッシュの逆鱗を踏みぬいたのである。

 

 魔物種に比べてしまえば、タッシュは弱い。天と地がひっくり返っても勝つことのできないだろう、種族としての差が広がっている。けれど、亜人種の中では上位に入るだろう。王家の三姉妹にこそ勝りはしないものの、獅子の亜人種としての地力が他を寄せ付けない。亜人種も人間種も、彼の前では容易く手折れる肉人形でしかない。

 

 だから、斬った。そこに技術らしい技術はなく、ただ力任せに振るった、殴打とも取れる斬撃。

 力任せな、しかし強引な制御によって、寸分違わず長剣は少女の脳天をカチ割る。避ける暇などあるはずもない。人間種の、それも幼子だ。傍から見ればあまりにも凄惨な、タッシュにとってはいつも通りのゴミ掃除。

 すぐに興味を失くし、今から来るだろう人間種の軍勢に心躍らせ──ようとして、その場を飛びのいた。

 

「んー、亜人種と人間種って混ざるのか? いや、一応亜人種だって人間種の血を持っているはずだから、親和性は良い……か?」

「てめェ!」

 

 今度は、横薙ぎ。馬鹿にされていると思った。あの一撃で殺す事が出来なかったという異例さを理性の範囲外に置いて、タッシュは怒りのままに長剣を振るう。

 まただ。また言いやがった。亜人種(おれ)が、混じりものだと。俺の目の前で、俺に人間種の血が混じっている事を突き付けやがった。そんなこと、人間種はおろか亜人種にだってされたことはない。それを、このガキは。

 

 長剣が少女の肩を裂く。皮と肉と骨。長剣の入り込むその白い肌は、抵抗するという事を知らない。刃は瞬時にも首へと達し、反対側の肩からずるりと抜けた。

 

「おーおー、すごい"魂の規模"だな。んー、まぁ勿体ないし、コイツでいいか。"寿命"はちと物足りんが……まぁ後でいいや」

「クソがっ」

 

 そこまでくれば、流石のタッシュといえど異常に気付く。

 一度目の斬撃を外したのは幻覚の術式である事を考え、抵抗する術式を身に纏って二撃目を入れた。その双方で皮を破る感覚も肉を断つ感覚も骨を割る感覚もあったのに、なんでもなかったかのように少女が現れている。

 ならば、と、タッシュは長剣を捨て、少女に掴みかかった。既にこの時点でタッシュは少女の事を人間種だとは思っていないが、おちょくられたという事実は変わらない。それに対して黙っていられるほど、タッシュは大人ではなかった。もう何十年と歳を重ねていても、タッシュはずっと子供だった。

 

 避ける事も、身構えることすらしない少女の小さな肩を、タッシュが掴む。ただそれだけでぐしゃりと肩が潰れるが、気にしない。持ち上げればどこかの骨が外れる音がして、さらに力を込めれば骨が粉砕する音が聞こえた。

 

 そしてタッシュは、獅子の亜人種であるタッシュは、その大口を開く。

 牙揃う口。噛みついて離さず、食い千切る事に長けたその口を、少女の方へ向け──小さな頭に、思い切り食らいついた。

 下顎が閉じる。上顎の歯はぞぶりと背中の方にまで入り込んで、背骨を砕き貫いた。下歯は辺となって少女の鎖骨あたりを横断し、半月状を描いて抉り取る。

 ガチン。タッシュの顎が閉じて歯と歯が音を鳴らした時、少女の上体はまるで、幼児の描く服のような形になっていた。

 

 どさ、と倒れるその体。

 

「おー! いた! すげえ、なんて幸運だよ。フラグ建てまくっといて良かった。やっぱりこの世界フラグ建てまくるのが一番の近道な気がする。至高存在さんに感謝でも捧げておこう」

 

 底冷えするような感覚がタッシュの身体を包む。寒い。寒い。否、熱い。

 あまりにも、あまりにも、身体が熱すぎて──周囲の気温が寒く感じられる。そんな錯覚。

 声が出た。声。言葉ではない。

 吠え声だ。獅子の亜人種としての? 獅子の魔物種としての? それとも、動物としての、だろうか。

 

 タッシュは、地面に倒れたまま、叫び続ける。

 

「んじゃあっちにも興奮剤の投薬をしてくるかぁ。人間種と亜人種の融合種。出来るかどうかはわからんが、まぁ失敗したら失敗したって事で」

 

 少女の声はもう、タッシュには届かない。

 自らの叫びすら上回る鼓動の音が、耳を劈くようにして響き続ける。限界まで開かれた瞳は赤く充血し、じわりと血の涙が零れだす。獅子の口の端が裂け、人間の手足の指が折れ、そして、そして。

 

 興奮剤に加えられた女王の回復薬が、その体を無理矢理修復した。

 

「──、──!」

 

 自身の声なのか、誰かの声なのか。

 判断が出来ない。ただぼーっとした表情で、けれどその瞳は、ある集団を捉えた。

 

 長剣は、握らない。

 女王の興奮剤は感情をアンバランスに増幅する。どこぞの魔物種たちであれば、喜楽や愛欲が。

 タッシュの場合は、嫌悪が。はじめからあった、人間への嫌悪が──自ら以外の、すべての生命への嫌悪へと変貌する。

 

 彼なるは既に亜人種ではなく。

 あるいは黎き森の女王が作ろうとしなかった、魔物そのものであった。

 

 

 

*1
何故か俺が亜人種好きだという噂が大陸中に広まっていた




タッシュ・ディスプは身長186㎝の頭が獅子で体は人間な亜人種だぜ! そこまで大男でもないな!


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見せびらかされた冴えたやり方(後悔)

 アジュ・ルビーィズ軍のとある部隊長は、言い知れぬ感覚に戸惑っていた。

 まるで酒を飲んだ後のような、久しぶりに会った仲間と昔を語らっている時のような、深夜に溜まった書類仕事をしている時のような、そんな感覚。

 それは部隊長だけでなく、彼の率いる部隊員の全員が感じているらしい事は、彼らの目を見ればわかる。

 皆が皆、笑顔で。時折下卑た笑みを浮かべているものもいるが、総じて幸せそうで。

 

 これから戦争に行くというのに、である。

 

「おいおいみんな、あんまり浮かれるものではないぞ」

「何言ってんですか隊長~。浮かれてなんかいませんよっ!」

「いやぁ、でも、なんでか楽しいっすね。本当に」

 

 軍隊は引き締まっているべきだと思う。けれど、こういう空気も悪くはない。少なくとも隊員同士のコミュニケーションが取れないほどにまで険悪な空気であるよりは、遥かにマシだ。

 

「よーしみんな! 勝つぞ! 勝って祝杯を上げるんだ!」

「いえー!!」

 

 隊員は、そして部隊長は、明るい気持ちでいっぱいだった。

 

 

 

 

 魔王国建国から500年。

 その節目の日に、その戦火は赤い手を上げた。

 

 ルビーィズの重鎮が話した死に目の妖精(ポンプス・イコ)の発見された場所よりも、かなり離れた地点。大小様々な岩石が並ぶ、些か足場の悪いその場所で、魔王国とアジュ・ルビーィズの軍がぶつかり合う。

 アジュ・ルビーィズは総勢一万人。全員が、人間種。

 対して魔王国は、たったの一人だ。獅子の亜人種、タッシュ・ディスプ。

 

 図らずとも奇襲に成功したタッシュは、そこで殺戮を繰り広げる。暴れ狂う獅子の魔物は、悲しいかな、少しでも冷静さを残していた頃であれば持っていただろう"引き際"や"回避"という選択肢を完全に排除し、自らが傷付くことも恐れずに猛進する。

 

 助けなど来ない。来るはずもない。だってタッシュは一人で、ここに来たのだから。

 だってタッシュは一人で、あそこに立っていたのだから。

 

 だってタッシュは。

 家族をも、嫌っていたのだから。

 

「──!」

 

 言語ではない。唸りだ。喉にとぐろを巻いた怒りと嫌悪が、タッシュの身体を膨れ上がらせる。

 

「行け行け! 押せ押せー! やれるぞ、俺達なら!」

「こりゃあ楽しいな! 相手はたったの一人だ! 十分に勝機はある!」

「魔王国の魔物を討ち取れーぇ!」

 

 対するルビーィズの軍は、これもまた異質。

 隣で仲間が頭を食われても、前を向いたまま、笑ったままにタッシュを迎え撃つ。誰が死んでも、誰が倒れても、心が折れる事は無い。どころか、楽しくて仕方がないとばかりに喜色を浮かべる。

 一人、食われて。また一人、食べられて。また一人が、いなくなった。

 

 増援は次から次へと来る。その全員が、明るい未来を目指して笑顔で頑張っている。

 暗い気持ちなど、欠片たりとも知らないかのように。はじめから、持っていないかのように。

 

 そして双方の"感情"が最高潮に達した時、それは起きた。

 

「ァ──?」

「カ、ク……」

「ぅあ……!」

 

 殺戮の果ての中心。岩石の全てが血に塗れたその土地で、ルビーィズの軍が倒れ始める。失血死ではない。心が折れたわけでもない。

 

 ただ──そう。

 まるで、魂が抜けたかのように。

 

 そして変化は、タッシュにも訪れた。

 

「──ァ、……──ルビーィズ軍、ニ──」

 

 言語を取り戻した……というわけではない。

 

「栄、光──アレ──!」

 

 融合だ。記憶が混濁する。記憶が混ざる。感情が入り込んでくる。

 彼が失っていた喜楽の感情を補うかのように、ルビーィズの軍人たちの喜楽が入り込んでくる。女王が見れば、言うだろう。いびつな形をしていた"魂の規模"が、球状を取ったと。

 

 否、実際に今言ったのだろう。

 だってこれを導いたのは、女王なのだから。

 

 降り立つ。

 

「実験は成功、と。人間種と亜人種でも融合するんだなぁ。まぁ"魂の摂取"が出来る時点で、"魂"の根源と言うか本質的な部分はどの種族も変わらないんだろうことは予想付いてたけどさ。しかし、すげーな。ここまでの"魂の規模"は……いや、はや」

「ルビーィズニ……」

「しかしなんで亜人種側に集まったんだろ。その辺の法則も知りたい所だけど、如何せん数を揃えるのがなぁ。こんな都合よく大勢の人間種がいる場面なんて早々出会えないだろうし。そもそも黎樹の緑覆率とでも言えばいいか、微妙なんだよな……。まだ5分の3くらいしか覆えてないのがな~」

「栄光アレエエエ!!」

 

 食らい付く。肩口から心臓までを、噛み穿つ。

 一口では足りない。そのまま、完食に至るまで食い続ける。

 

「ま、時間はいっぱいあるんだし」

「ァア!」

「ゆっくり考えると」

「アジュ・ルビーィズハ!」

「するかねぇ」

「不滅ナリ──」

 

 もし仮に、タッシュが人間種の事をよく知っていれば、最初の斬撃の時点で気付くことができたのかもしれない。余りに軽すぎるし、余りに脆すぎる。人間種は弱いものだという先入観は、弱すぎるという事に気付くことが出来なかった。

 たとえ気付くことが出来ていたとしても、結果は同じだったのかもしれないが。

 

「それじゃ、新たな魔物娘の誕生と行こうか」

 

 それが、女王が初めて、タッシュを見た瞬間。

 そしてタッシュという男が最後に見た光景でもある。

 

 

 

 

「……ルビーィズの軍が全滅している?」

「はい。夥しい量の死体や血液で正確な人数を確認できたわけではありませんが、肉の川、とでも表現すべき……すみません、幼子の前で使う言葉ではありませんでしたね」

「いや、構わん。こいつは人間種の少女に見えるやもしれんが、魔物種だ。お前よりも長く生きているぞ」

「そ、それは失礼いたしました!」

「いえ、慣れていますから……それで、報告を続けてください」

 

 魔王国では今、黎き森の女王討伐及び防衛のための対策本部が開かれていた。と言っても魔物種と魔王、そして幾人かの亜人種がいるだけで、それぞれが専門家だとか策略家だとか、そういうわけではない。むしろ魔王国の国民であるからか、そのやる気はあんまり高くない。

 

 だって、弱いから死ぬんじゃないか、と。

 生き残るには強くなれ。強くなければ飢えて死ね。それが魔王国のルール。

 たとえ莽の旅人たちが女王から魔王国を守りに来たと言ったとしても、その理念は変わらない。

 

「はい。ルビーィズの軍は、そのどれもが体を引き千切られたり、頭部を噛み千切られたり、四肢を失くしたりして死んでいて……」

「わかった、もういい。もうわかった」

「ただ、その場にタッシュ様はいませんでした。ルビーィズまでは確認できていないので何とも言えませんが……」

「……まぁ、外ではそれが摂理だ。喧嘩を売った自国の王族を恨め、くらいしか言えんな」

 

 下手人はわかった。

 それはこの斥候もわかっているのだろう。今の報告を聞けば、大体の者は理解する。

 

 斥候が地図を指さして現場の場所を説明していると、それに違和を覚えたのだろうシオンが彼の元へと寄ってきた。

 

「──ねぇ、斥候さん。そこに黎樹はあった?」

「は……黎樹ですか? ええ、まぁ。あの樹はあの辺りであればそこら中に生えていますから」

 

 先ほどまでの諦めと呆れに似た顔が、真剣なものへと切り替わる。

 

「おい、シオン。女王は"人間"の魔物種を作るのではなかったのか? 死体には興味が無いといったではないか!」

死に目の妖精(ポンプス・イコ)が現れたのはこっちだって、ルビーィズの人間種が言っていたのよ! こんな遠い場所じゃなかったのに……!」

「……魔王様。息子さん、危ないかもしれないわ。私の想像通りなら」

「黎き森か」

 

 もし、マルダハの想像通りであれば。あるいはシオンの想像通りであれば。

 

「明日には魔物種になって帰ってくるかもね」

 

 一瞬だけ、魔王は迷った。

 だってそれは、ある意味でタッシュの悲願だ。

 魔物種へと変えられる現場に立ち会ったことの無い魔王は、一瞬だけ、何か悪い事があるのだろうか、と思った。思ってしまった。

 

「なんだ、王の矜持だけでなく、とうとう性根まで腐ったなぁ? ほら立て、バカ息子を救いに行くぞ」

 

 その魔王の尻を、思いっきり蹴る者が一人。

 

 黄金色の肌。細やかに生えた毛は、しかしつるりとした肌にも見える。長い黒髪を美しく揺らして、鋭い眼光が魔王を貫く。

 

 獅子の魔物種。魔王の妻。黎き森の中でも最大の肉食獣を元にする、禁止されていなければあるいは、共食いを起こす事も辞さなかっただろう危険種。

 

「アイオーリ……」

「私はわかっていて産んだ。アンタはわかってなかった。その救いは、女王なんかに齎されていいものかい?」

「……すまなかった!」

 

 どこまで行ってもエゴでしかないのだろう。どちらに転んでもエゴにしかならない。

 ただ今は、一人息子を救う。その末に泣かれても、怒られても、嫌われても、それを受け止めなければならない。

 

「行くんですね……黎き森に」

「すまない。あんなのでも、タッシュは大事な息子なんだ。許してくれ」

 

 言外に含めた言葉は、ここで尽きる事を、だろうか。

 それとも──シオン達の前で、それを言う事を、か。

 

「ものすごく既視感だわ……物凄く。300年前もこうして駆り出されて、あぁ、懐かしい」

「行くの?」

「……まぁね。ごめんなさいって。ファムタさん達に言っておいて」

 

 ファムタとファールはまだ戻ってきていない。献花に行った後から、姿を消している。

 ここにいるのは王家の三姉妹とその母親達。

 

 だが。

 

「……そうだな。お前たちは、ここに残れ」

「うん。行ってらっしゃい」

 

 長年連れ添った義妹は、もう歳だ。

 その母親達もまた、彼女らから離れたがらないだろう。

 

 なら、もういう事は無い。

 

「マルダハ。……行くか」

「ええ、行きましょう。アイオーリさんも、それでいいかしら?」

「問題はないよ」

 

 行かない。

 シオンはやっぱり、行かない。

 

「急ぐぞ」

 

 ああ、けれど。

 

 後手とは、後手を呼ぶものである。

 

 

 

 

「テリアン。お前の名前はテリアンだ」

 

 声と共に、身体を起こした。

 聞き覚えのある少女の声。けれど、怒りや嫌悪は湧いてこない。あるいは、平行。平坦。あれほど渦巻いていた煩い声達も、今はなにも響かない。混濁していた記憶は静かで、時折波のように寄せては返すことがあるけれど、自身のそれとは違うのだと感じられる。

 こんなにも心が凪ぐ事はあっただろうか。

 落ち着いている。初めて、この言葉を使ったように思う。

 

「……オレは」

「人間種と亜人種の融合種の魔物娘……長いな。まぁ融合種の魔物娘でいいか。いや、それだと被る……でも"魂の規模"はどうにも同一っぽいんだよなぁ。融合種になった時点で"魂の規模"は同じになるのか?」

「女……?」

 

 ぺたぺたと体を触る。衣服は無く、だからこそ目視でも、わかる。

 張った胸も、緩やかな曲線を描く体のラインも、あるはずのモノも。

 

 声もかなり高くなっているし、何より顔を触ってみて、気付いた。

 鼻は……元のままだ。耳も。けれど、鬣や大きな口やらが、随分と減っている。

 自らの寝かされた台のようなものを降りて、水場を探す。それを止める声はない。先ほどまでオレの横にいた少女は、何かを紙に書きなぐっている。

 

 水場はすぐに見つかった。あまり綺麗ではないのだろうその水溜まりは、しかしオレの顔くらいは映してくれる。

 

 そこにいたのは、やはり女だった。

 どころか。

 

「……母上?」

 

 水面の向こうからこちらを覗いているのは、衣服のない母親の姿。本人であれば絶対にしないだろうキョトンとした顔でオレを見ている。

 心は何故か、ずっと平静だ。

 

「あの、女は。融合種の魔物種、と、言っていたな」

 

 じゃあ、オレは。

 魔物種になったのか。

 

 どくん、と心臓が跳ねた。

 今まで感じたことの無かった全能感が体を包む。力が張る、とでもいえばいいのだろうか。そしてその感覚は、制御できないソレではなく、確実に我が物として操る事の出来る──あぁ、だからやはり、全能感だ。オレは。オレは。

 今、オレは。

 

 何でもできる。

 誰にだって──勝てる。

 

「あ、いたいた。テリアン。ほれ、服。外に帰るなら必要だろうしな」

 

 テリアン。先ほどもそう呼ばれた。

 それがオレの名か。新しいオレの。

 

 少女が放った服はオレの身体に勝手にまとわりつく。植物のようなソレは、少し青臭いが、楽で良い。気に入った。

 

「ん……? なんだ、めちゃくちゃ懐かしい"魂の規模"が入ってきたな。それにアイオーリと……マルダハか。なんだ、帰郷か?」

「任せろ。オレがやる。気に入ったぜ、アンタ」

 

 この全能感は、しかし、少女を排除したいとは思わなかった。これを与えてくれた存在だというのもあるのだろうが、どこか親近感のようなものを覚えるのだ。近しい物をもっているような、どこか似たところがあるような──そんな感じが。

 

「あー、剣が欲しい。でかい奴だ」

「剣? ……作ったことねえな。えーと、剣、剣……なんかサンプルがあればいいんだが。えーと、まず鉱石を溶かして固めて……そっから造形する、ってわけじゃないだろ。なんだっけ、叩くんだっけ? まずは型作りからやんないとか?」

「そうか。そりゃ仕方ねえ。別になくても問題はないな」

 

 「無ぇ」だけ聞いた。「無ぇ」なら仕方ない。

 握るモンがないっていう物足りない感じはあるが、この全能感。これは今すぐに、試したい。

 

 心は平静だ。平坦だ。平行だ。

 だからオレは、この状態が、正常だ。

 

「待ってやがれ──クソ親父!」

 

 タッシュは──テリアンは、恐ろしい速度で駆けだした。

 

 

 

 

 ディスプの息子。フィ……フィ? まぁいいや、ディスプの息子は、正直異常だ。

 何を思ってかディスプと同じように森を一直線に駆け抜けて俺の家を目指してるアイツの"魂の規模"は、あれだけ人間種を融合させたテリアンでさえ敵わない大きさをしている。多分俺の毒抜きと回復で臓器類が強化された、みたいなところは少なからずあるんだろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、"魂の規模"がデカい。

 あるいは俺と同じように"魂の摂取"を行っているのかとも思ったが、その様子は見受けられない。ただ単純に、超巨大な"魂の規模"を有している人間種のようなのだ。

 

 いやいや。いやいや。冗談はよしこさん。

 なんじゃそりゃって話なんだよな……。そんなのが生まれ得るなら、そんなのが出てくるなら、俺がちまっちま"魂の規模"を拡大させた魔物娘達を改良し続けた研究の意味がまるで無いじゃないか。昔はなんか理由があるのかな、とか育ったらもっとすごくなりそうだな、とかいう単純な理由で放ったけど、あの時捕まえて研究しておけばと超後悔。

 

 アイツを生むメカニズムが分かれば、その時点からの魔物娘は全てあの"規模"に出来る。それらが自己増殖をすれば、もうウハウハだ。ウッハウハである。

 

「──黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)!!」

 

 ……。

 ……?

 

 いずいっとみー?

 

「出てこい、黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)! 話がある!」

 

 なんだドーレストホルンって。どういう意味?

 

「取引をしたい! 息子の件についてだ!」

「オレが、なんだって?」

 

 息子? ディスプの息子に息子がいたのか。うわ、なんか下ネタみたいだな。やめよやめよ。

 だから、ディスプの孫か。へぇ、まぁ息子があの"魂の規模"なんだし、その息子……ディスプの孫が今も生きてたっておかしくはない、か? あれ、ディスプが死んでから今何年目? やっぱりカレンダーとか付けたほうが良いんだろうか。

 でも、そういえば"魂の規模"は特に遺伝とかしないんだよな。魔物娘達は自己増殖だから置いておくとして、森の動物たちを観察してみたところ、親の"魂の規模"の最大値より子の"魂の規模"の最大値の方が大きくなることなんてザラにあるし、逆もまた然り。

 この世界においては遺伝ってあんまり意味ないのかも。あ、でも亜人種は確実に遺伝だよな。遺伝かぁ。あんまり詳しくないんだよなぁ遺伝。俺が得意なのはアルゴリズムとかそっち系で。遺伝的アルゴリズムと生物の遺伝子を一緒にするなと何度言ったら。

 

「オレ、だと? まさか、お前、タッシュなのか?」

「今はもうテリアンだ──融合種の魔物種、テリアンだ!」

 

 んー、ディスプの息子なぁ。こうして目視してみても、やっぱり大きい。なんならこの森の魔物娘を数十体融合させても敵わないまであるぞ。いやいやどんだけだよ。

 そういえばあの時は一切興味なかったから聞かなかったけど、なんでディスプって追われてたんだろうな。ディスプの息子に入ってた毒も、人間種に使う量じゃなかったし。あんなの魔物娘でも衰弱するぞ。あの頃からあの"規模"を持っていたから死ななかっただけだ。

 

 いや、もしかしたら俺みたいに"魂の規模"について研究してる奴がいるのか? おーい至高存在さん、他に転生した奴がいるなんて聞いてないんですけど。いやまぁ言わなきゃいけない義務も無いんだが。

 

「タッシュ……お前、その姿は」

「ああ、母上! ようやく──理想を手に入れました。私は、これでようやく、母上に並び立てる!」

「遅かったようね……」

 

 例えばここで興奮剤を散布したら、テリアンとアイオーリとマルダハが融合するとして、ディスプの息子は融合するんだろうか。しない気がするなぁ。興奮剤の元になる材料、昔ディスプの息子に使っちゃったんだよな……。他の材料で似た効果を引き出すもの作らないと効かなそう。

 

「女王の家よ。あの家のどこかに、首と心臓があるわ」

「そんな……いや、ならば、タッシュは……!」

「残念だけれど、彼──ううん、彼女はタッシュなのよ。私がターニアであるようにね」

「女王は、死者の蘇生を──行えるというのか?」

 

 死者の蘇生?

 ……死者の、蘇生?

 

 なんだ? 今何がひっかっかった?

 

「魔物種としてなら、ね。私達はそうして、魔物種になったのよ」

「なんということだ……それはもう、生命への冒涜じゃないか!」

「それが女王さ。フィル。それよりも今は、前を向きな。死ぬよ」

「くっ!」

 

 ……そういえば、赤子を殺すのに、わざわざ毒なんか使うか? 外傷で簡単に死なねえ? 俺ですら10通りくらい思いつくぞ。なんでわざわざ毒なんか使う?

 "魂の規模"のせいで傷が付かなかったのか? いや、生まれる前からアレだと母体が死ぬぞ。親より子の"魂の規模"が大きくなるのはあくまで成長後の話であって、生まれる前の話じゃない。あるいは、母体も同規模であればまた話は別だが……"魂の規模"は遺伝しないんだよなぁ。二代連続偶然規格外な"魂の規模"を有していた、なんて事あり得るか?

 

「タッシュ! 何故だ、何故俺と戦う!」

「テリアンだ! そして、何故だと!? 簡単だ──気に入らねえからだよ!」

「──ッ、俺の血が、お前を、亜人種としてしまった事か!」

「違ぇ!」

 

 ……あるいは、大きくなったか、だよな。

 生まれ落ちた時は正常で、赤子の時分に何かを施されて、莫大な"魂の規模"を得たと考える方が、やっぱりしっくりくる。生まれ方の問題じゃなくて、処置の問題。

 個人の"魂の規模"を増やす方法……。やっぱり複製か? 複製して、複製して、複製しまくって……。

 

「てめぇが、オレより強い事だ……! なぁ、なんでだ! なんでそんなにお前は強い! 人間種!」

 

 複製したら、二倍に増えるんだから。

 それを融合させたら、"魂の規模"は二倍になる、な。

 ……ああ、そうだ。同質の"魂"はくっつこうとするから、増やしてくっつけてを繰り返すだけで、超巨大な"魂の規模"が作れる。

 複製と融合ができる事に気付いたのは最近だから今までの非効率を嘆いても仕方がないとはいえ、これは、なんとも効率的な手段だな。

 

 ……これを思いついた奴が、いたってことか?

 

「なんなんだお前は! なんで……お前は、オレより高い所にいる……!」

 

 いや、違う。衰弱していたんだ、ディスプの息子は。殺されようとしていたんだ。

 "魂の規模"に気付いている奴なら、そんな勿体ない事はしないはずだ。"魂の摂取"を仮に持っていたとしても、殺すのは成長しきってからにする。赤子の時分に殺す意味が無い。だから、気付いているわけじゃない。

 偶然そうなってしまった、とすれば。

 

「……俺は」

「ちょいと、()くぞ」

「──!?」

 

 黎樹の枝を一本持って、それをディスプの息子の心臓のある位置に突き刺す。そして模倣転移術を発動し、貫いた心臓を他方へと飛ばした。

 

「フィルエル!」

「魔王様!」

「てめぇ、親子喧嘩(オレ達の話)に水差すんじゃねえ!」

 

 そのまま観察。

 すると、やっぱりだ。

 

 やっぱり、だ。

 

「──~~~っ、ったい、な……!」

 

 即死であるはずのディスプの息子は、ゆっくりと起き上がる。

 心臓を飛ばした事で空いた穴は、ゆっくり塞がっていく。見えなくなったが、恐らく心臓も復活したんだろう。

 そして──膨れ上がる、"魂の規模"。それはぴったり二倍。死んだことで離れかかった"魂"が一度は分離し──しかし()()()宿()()()"()"がそれを引き寄せ、融合する。

 

 そうだ、なんで思いつかなかったんだ俺。

 どうせ殺すからと、死ねば"魂の摂取"が発動するからと、そっち方面の研究を一切しなかったのが本気で馬鹿すぎる。これが。これこそが正解だろ。

 

 ディスプの息子は。

 

「……あれ?」

 

 再生者だ。




アジュ・ルビーィズは織物の盛んな国だぜ! カラフルな衣服や染め物のカーテンがとっても美しいんだ!


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実はもう、どうしようもない。

 大陸最北端──。

 完全なそれではないにせよ、上空から見れば円形に広がるこの大陸における最北端とは、全国に普及した地図のもっとも上にある場所、と捉えて構わない。方位磁針などというものの存在しないこの世界において、東西南北は地図上の記号でしかない。何者かが普及させたそれに書いてあった事を、すべての国の民が当たり前のように知っている。

 大陸の中心に向かってはなだらかな上り坂に、"海"へ向かっては下り坂に。それがこの世界の、この大陸である。

 

 そんな、世界の最北端──そこにある、廃村。

 そこは今、"海"に飲み込まれようとしていた。

 

 大陸の端からガラガラと崩れ始める地面は、一度流体に飲み込まれた後、物凄い速度で沖合に引き摺り込まれていき、そして見えなくなる。柵が、家が、井戸が。既に廃村となっていることが幸いだったのだろう、人間種や亜人種はいない。ただ、生活の痕跡が、その全てが崩落していく。

 

 この崩落は近年速度を上げ続けていて、大陸は少しずつその大きさを縮小していた。

 けれど、こうして目に見えての崩落が常にあるというわけではない。あるいはここに1000年前を生きる者がいれば、その恐怖を"懐かしい"と称したのやもしれない。前触れなく始まる大崩壊は、1000年前であれば頻繁に起きていた事だと。

 

 飲まれていく。すべてが飲まれていく。"海"は大地を砕き、飲み込み、"滝"が無へと帰す。

 

 ようやく崩落の歩みが停滞を見せた頃には、大陸最北端の村は完全にその姿を消していた。後に残るのは、寒々しい色を隠そうともしない黒い"海"だけ。静かに。静かに。

 

 "海"はまた少しずつ、少しずつ、大陸を蝕んでいく。

 

 

 

 

 再生者──この世界でそれをそう呼ぶのかはまぁ、わからない。知らんし。ただ現実、ディスプの息子は、生き返った。不死者(アンデッド)なのかどうかはわからない。ゾンビっぽくはないから違うんじゃないかな。ただ、再生するだけの──人間種。

 心臓を貫かれようと、首を刎ねられようと、脳を潰されようと、全身を溶かされようと──再びこの世に舞い戻る。どこに起点があるのか、離れようとした"魂の規模"が完全に雲散する前に、新しく"魂の規模"が宿って、それとくっつく。そうして"魂の規模"は倍々に、倍々にと拡張されていく。

 

 【不老不死】のチートが仇になった、とでもいえばいいのか、俺には真似出来ない所業だ。

 

 ディスプの息子。果たしてこれが後天的なものなのか先天的なものなのかはわからないが、あれほどの致死毒を受けていたのはこれが原因だろう事は確かだろう。殺さないレベルの毒を与えて衰弱させ、動けなくする。死ななければそれ以上の"魂の規模"は得られない……毒なんかへの耐性も上がらないからな。

 おそらくコイツは幾度となく殺され、その結果を研究され続け、尚も実験を受け続けた、ってところか。惨い事をするもんだな。

 

黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)……!」

 

 どこからそのエネルギーが湧いて出ている? 肉体の再生も、死んでからの生き返りも。脳か心臓のどちらかが残っているから、とかではない。さっき全身を模倣転移術で散り散りに飛ばしてみたにもかかわらず、ここに戻ってきた。どういうことだ。何を起点にして、そしてどこからエネルギーを供給して、それを行っている?

 至高存在さんは俺に無限の"寿命"を与える事が出来なかった。至高存在さんに出来ない事を、こいつが出来るとでも? あるいはコイツをこんな体にした誰かが?

 

 ディスプが──追われていた。違うな。コイツが追われていて、それを助け出したディスプが巻き添えを食らっていただけで、ディスプ自体には恐らく追われる理由が無い。ディスプを追っていた何者かの目的はコイツのみで、そいつらはコイツの再生能力に気付いていた。

 ディスプはあの時「子供が死に掛けている」と言っていたから、ディスプが再生能力について知っていたわけではない。

 

「くそっ」

「女王、ここで討ち取らせてもらう!」

 

 ……いや、そうとは限らないな。

 たとえば全く別の目的の実験をディスプの息子に施していたとして、それの副作用としてこの再生能力を得た、という可能性はゼロじゃない。

 

 そういえばディスプはなんでか俺が"魂"を集めている事も知っていたんだよな。あの時は魔物娘達に聞いたのかとも思ったんだが、もしかして違うのか?

 例えば、ディスプは俺の事を魔物娘の母、みたいな風に言っていたから、俺が胎を痛めて産んだものだと勘違いしていたとしよう。その上で俺が"魂"を欲すると思い込んでいたってことは、その子供、魔物娘が"魂"を食らうってのが常識に無いといけない。けどそんな魔物娘は作っていないし、肉体が生きている状態の"魂"に直接干渉出来るんなら俺が使ってる。

 

 気になってはいたんだ。ずっと。

 

 どうして亜人種なんてのがいるのか。俺が実験の結果捨てた魔物娘が生きていた、とか、模倣じゃない方の転移術で逃げた、とか。そんな可能性の低い話じゃなくて。

 

 いるんじゃないのか?

 魔物。俺が作ってる魔物娘じゃなくて、"魂"を食らう魔物ってやつが。

 

「酷い、事をするもの、だな……女王よ。俺は……かつて、貴女に助けていただいたが……」

「ディスプの息子。お前、母親は誰だ?」

「は──母親? 何の話を」

「お前の母親は、ディスプの妻は、魔物か? お前は"魂"を食らう魔物に生まれる事が出来なかったから、"そう"なるための実験を繰り返されていた。結果それが叶ったのかどうかは知らんが、副産物として、その体を得た」

「親父は人間種だよ。オレがその証明だろ」

「近しい奴でも良い。母親でなくとも、ディスプの近くに魔物がいたな? 待て、そもそもお前はどこで生まれた? ディスプはどこの人間種だ。確かあの水溜まりの方から入ってきたな……というか、あれのガスが毒性を持つってのを、なんで知っていたんだ。それ以前に何かが外部から入ってきていたんだとしても、気付くはず。あっち……あっちに、答えがあるのか?」

 

 かつて湖だった、そして泉から、もはやただの水溜まりに変わってしまった地下水脈に繋がる水場。可燃性ガスが常時噴き出していてまともな生物であれば近づくことのできないそこは、俺自身もあまり近づかない。欲しいモン無いからな。

 だが、今。一際興味が惹かれる。惹かれてならない。あそこに――あの向こうに、何がある?

 位置としては魔王国の反対だ。拓く場所は好きにしていいと言ったから、ディスプは逃げるようにして入ってきた場所の真反対に魔王国を拓いた。

 

「……確認してみるか」

 

 こっちに出していた意識を断って、そちらにある黎樹に意識を向ける。マルチタスクな奴だったら両方同時に、とか出来たのかもしらんが、俺は一つの事に集中しないと無理。ディスプの入ってきた側に生えている黎樹は正直あんまり無い。魔王国を中心に黎樹の緑覆率を上げていったのだが、3/5の辺りで何故かそれ以上進まなくなってしまったのだ。だからこちら側は、この森を伝って伸びていった分しか生えていない。

 

 さて、何があるか──。

 

 

 

 

 女王が突然動かなくなった。何度殺してもどこからともなく現れていた少女の身体は、今や地面を虚ろに見つめるだけの肉人形だ。アイオーリがその首を爪で刈り落せば、その体は地面へと倒れ、そのままぐずぐずと溶けるようにして消えていった。

 

「……ふぅ」

 

 溜息を吐いたのはフィルエルだ。そんな彼に、マルダハが服を渡す。

 

「早く着てくれるかしら。婦女子のこれだけいる場で、いつまで全裸でいるつもり?」

「いや、お前以外は身内……」

「蹴るわよ。どこを、とは言わないけれど」

 

 フィルエルは苦笑しながらその衣服を纏う。人間種のそれよりも遥かに自由度の高い事象を起こせる魔物種の術式は、物質の分解と再生成を容易に成し得るのだ。

 

 彼はもう一度、一息を吐いた。

 手を開いたり、閉じたりして、その両手を見る。

 

「生きてる、よな」

「……お前は、なんなんだ。クソ親父」

 

 そうだ。女王に水を差されはしたが、自分は今タッシュと殺し合いをしていたんだ、と。

 フィルエルが彼を──彼女を見る。

 けれどそこにあったのは、怒りや嫌悪ではなく──恐怖だった。

 

「絶対に人間種じゃねえと思ってた。でも、血が証明してる。オレの中に流れてる……流れてた血が、親父を人間種だって認めてた。けど……違う。お前、人間種でも、亜人種でも……魔物種ですら、ねぇな?」

「タッシュ……」

 

 武骨な男の姿から、魔物種としての……獅子の少女の姿へと変貌したテリアン。500年前から生き続ける人間種の、未だ20そこらにしか見えないフィルエル。何も知らぬ者であれば、そこに血のつながりを見出す事は無いだろう。否、亜人種のままであっても、親子の面影は無かった。

 

「……母上。私は、本当に……貴女の息子ですか」

「ああ……。間違いなく、あんたは私が腹を痛めて産んだ子だよ。フィルエルとの子だ」

「お前は……俺の息子だ。間違いない。タッシュ。嫌なのはわかるが──」

 

 その肩に。一歩後退ったテリアンの肩に、フィルエルが手を置こうとして、思い切り弾かれた。

 手加減の一切無いそれはフィルエルの手首から先を千切り飛ばす。

 

 しかし、直ぐ様肉体の再生が行われる。20秒もあれば元通りの手が生えてきていた。

 

「ぐっ!?」

「……んだよ、そりゃ。じゃあお前は、死なないのか。どんな化け物だ。そんなのがオレの父親だって?」

 

 テリアンは薄く笑う。

 軽薄に、というよりは、酷薄に。

 

「よしてくれよ。ああ、もういい。お前へ向ける恨みなんか、無くなった。怖気しかねぇや。怖い怖い。化け物め。まぁ、オレはもう魔物種になったからな。タッシュじゃねえ、テリアンだ。タッシュは死んだ。もうお前とも、家族じゃねえ」

「……」

 

 もう、いいと。そう言って。

 茫然自失と言った様子のフィルエルを余所に、テリアンはアイオーリの前で膝を突く。

 

「母上。貴女に産んでいただいた恩は、忘れません。貴女に頂いた身体は失くしてしまいましたが、私が貴女の息子である事に変わりはない。あの少女に融合種の魔物種と呼ばれました。同じ魔物種として並び立てる事を嬉しく思います」

「……ああ」

 

 返事を返されたのが嬉しかったのか、テリアンは獅子の顔を緩めて、そしてマルダハに視線を移した。

 

「……えーと、アンタは……誰?」

「"亜人種"の魔物種よ。一応、同族ではあるのかしらね」

「へえ。オレはテリアンだ。名前、教えてくれるか?」

「マルダハ。別に、覚えなくてもいいわ」

「そうか?」

 

 テリアンは快活に笑う。その表情に狂王子の色は一つだってない。余裕があって、自信があって。コンプレックスを失った彼女にはもう、他者に当たる理由が無い。恐らく人間種を前にしたとしても、平静を保つことが出来るだろう。

 

 彼女の心は晴れやかだった。

 そして。

 

「しかし、あのチビには感謝しかないな。この身体は本当に最高だ。女になったってのはまぁ実感が湧かねえが、この身体なら男に劣るって事も無いだろ。アイツ、なんて名前なんだ? マルダハ、知ってるか?」

「……黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)よ。あるいは単に女王と。死に目の妖精(ポンプス・イコ)、なんて呼び方もあったかしら」

「なげぇな。ホルンでいいか」

「本人が名乗ったわけじゃないから、適当でいいんじゃないかしら?」

 

 未だに固まったままのフィルエルを、テリアンは見ようとすらしない。

 本当にもういいのだ。彼女の心にはもう、フィルエルの入る隙間は存在しない。

 

 アイオーリがフィルエルを担ぎ上げた。

 

「帰るよ。()()()()、あんたはどうするね? 国に帰ってもいいが、自由を謳歌してもいい。好きしな」

「いえ、私も帰ります。その後はわかりませんが、こんな私にも僅かながら友人がいるもので」

「亜人種の友達? もしかして、男性だったりするのかしら」

「ん、おう。そうだが?」

「……驚くでしょうね、その友人は」

 

 マルダハは自らが帰郷した時──つまりリンゼスのティータの元へ戻ったときを思い出す。あの時も随分と驚かれたものだと。

 

「……そういえば、あの女王の家。あの中に、欲しいものがあるのよ。取ってきてもいいかしら」

「自分の首と、心臓か」

「ええ、そう。多分テリアンの……というよりタッシュのものもあると思うけれど」

「うげぇ。オレはいらねぇよ、昔の自分の首なんて」

「ま、普通そうよね。じゃあちょっと行ってくるから、先に帰っていて頂戴」

「ああ」

 

 言って、一人。

 マルダハは女王の家の方へと歩いていく。放心しているフィルエルは別として、アイオーリもテリアンも、その後ろ姿を引き留める事は無い。

 

 まるでもう、すべてが終わったかのように。

 まるでもう──平和が訪れた、とでもいうかのように。

 

 彼女らは、魔王国へ帰っていった。

 

 

 

 

「……オーマ」

「ああ──莽の、お二方。お久しぶりです。すみません、こんな姿で」

 

 ファムタとファールは、魔王国より遥か北西に位置する街へと赴いていた。こんな時にも拘らず、だ。仲間が女王と戦わんと、そうしているときに、では何故ここにいるのか。

 訪ねるのは一つの集合住宅。その一室。ボロボロな床を越えて辿り着いたそこで出迎えたのは、亜人種の男。

 

「もう、長くない」

「ええ。そうです。私はもう少しで、肉体を手放す。命の流転に従い、次は何になるか……。文字を紙に書ける手さえあれば良いのですが」

 

 老人。そう言って差し支えなかった。

 杖を突いて辛うじて立っていらっる、と言った様子のオーマは、それでもにこやかに笑う。

 

「お二人が、お二人だけでここにいらっしゃった、ということは……()()()()()()()

「うん。だから最後に、貴方の考察を聞かせて欲しい」

「貴方が感じていた、この大陸の……この世界の、おかしな所。この世界がもっと、広かった頃のお話を」

 

 ええ──と。オーマは、笑う。己のベッドにゆっくりと腰を下ろし、話を始めた。

 

 

「世界に溢れる命の総量は決まっている。以前、貴女方が全員揃っている時にそう話しました。命の総量は決まっていて、その中を永遠に流転し続ける生命の循環。その循環を乱してしまうのが貴女方魔物種であり、黎き森の女王である、と」

 

 けれど。オーマは緩やかに手のひらを閉じる。

 

「この街には、とある文献が残っていました。それは1000年程前の大陸地図と、それに纏わる書籍です。何分古い言葉なので翻訳に苦労しましたが……そこにはこんな文章が書かれていたのです」

 

 ──ヒトの過ちにより崩壊は始まった。黒き海を止める手立ては残されていない。

 

「黒き海については、ご存じでしょう。大陸の外にある、すべてを飲み込む"海"。途中からは滝となっていて、そこから帰ってきたものはいない。恐らく滝の下には虚無が広がっていて、あらゆるものを無に帰すのだと」

「うん。知ってる」

「黒き海が何なのか、本当に虚無などというものがあるのか。それはわかっていません。知る事が出来るとすれば、黒き海に飲まれた時だけでしょうから」

 

 これがその地図ですと、オーマが壁に掛けられた大陸図を指さす。それは明らかに今のものよりも広く、地続きでない小さな大陸があったり、そもそも円形でなかったりと、まさに別の大陸であるかのような、そんな地図だった。

 さらにオーマは、その地図の一部を杖で指し示す。

 そこには大きな大陸の上に、綺麗な円形があった。

 

「これは、火山というものです。火を噴く山……考えられない事ですが、この頃の大地の下には超高熱の溶けた石が流れていたらしく、それの噴出口、とでも思ってください。そしてこれの周囲」

 

 杖で範囲を描いていく。大雑把に、しかしそれだけで、二人には何の形か理解出来た。

 川や湖、国や大きい街のある位置。

 

「今の、大陸だ」

「はい。この火山の周囲の、たったこれだけの範囲が──この世界に唯一残された、最後の、私達の大陸です。この地図がこの時代の全ての大地を現わしているのであれば、たった、六万分の一。それだけの面積しか残っていないんです」

 

 たった1000年前である。たった1000年で、大陸はここまで縮小した。

 黒き海に飲み込まれた。

 

「先ほど指示(さししめ)した円形。あれが世界の中心の森。黎き森の、その中にある湖です。毒性の湖があると、そうおっしゃっていましたよね」

「うん。汚い色をした湖がある」

「恐らくそこが火口です。この大陸は火山の火口から麓までを残しただけの、ただの山。我々にとっては巨大な──昔の世界で考えれば、さても珍しくは無い火山。それが今あるこの世界の正体だ」

 

 ファムタとファールは思い出す。記憶は必ずしも定かではない。最初の頃は、日付や暦などというものを考えなかったから。

 けれど、ぼんやりとでも思い出してみて──自分たちが生まれたのは、恐らく800年ほど前なのだろう、という事をオーマに告げた。

 

 するとオーマは驚いたような顔をして、けれども「やっぱりですか」と言う。

 

「魔物の被害、というのは、1000年前からありました。貴女方の様に見目麗しい魔物種が出てきたのは600年程前で、それまでは話が通じないどころか、同じ生物であるとは思えない姿をしていた──そう綴る文献があります」

「私達じゃない」

「はい。そして、こうも書いてあるのです。──"魔物を生み出した事は、人類にとって最大の過ちだ。あれらはいずれ、すべてを食らい尽くすだろう"と。この人類というのは、恐らくは人間種の事でしょうね。過去には亜人種も魔物種も、存在しなかった。だから人間種、なんて風に分ける必要も無かった」

 

 よたりと立ち上がって、部屋の窓を開けるオーマ。カーテンに遮られていたその窓から見える景色に、ファムタとファールは息をのんだ。地上からでは見えなかった、高い所からの景色。

 

「黒き海……」

「直にこの街も飲まれます。黎き森の女王が命を回収しているから? はは、それもまた、原因の一つではあるのでしょう。恐らく彼女が死ねば、大陸が緑で覆われる程の命が解放される。貴女方魔物種がいなくなれば、世界中で大量の人間種が生まれる事になるでしょう。動植物も溢れかえる」

 

 けれど、それだけだ。

 薄く、薄く──全てを諦めた笑み。オーマは。

 

「絶対に彼女のせいだけではない。この世界の滅びは、もう止まらない。世界はもう、救えない」

 

 いるんですよ。

 貴女方の陰に隠れて、本当の人類の天敵が。

 

 

 

 

「……なんだ、ここ」

 

 死屍累々。いや、わざわざ簡潔に言う必要はないな。しっかり形容するなら──溶解した国、って感じか? 建物も……人間種も。何にもねえや。いや、あるけど生きてねえ。"魂の規模"が感じられねえから、本当に死んだ国だ。

 ここがディスプの故郷?

 

「あら」

「ん?」

 

 いや、見落としか。なんだ、生命がいるじゃねえか。"魂の規模"はぶっちゃけそこそこだけど。人間種……いや、亜人種か? 俺が見たことないから魔物娘ではないだろうが……。

 蝙蝠の翼に、尻尾? 角……キマイラ娘か? キマイラ娘の亜人種……は、既にいるしな。他にキマイラ娘を作った覚えはない。蝙蝠に尻尾とか角とかあったっけ?

 

「お嬢さん、ここで何をしているの?」

「は? よく見たら、なんだその"魂の規模"は。色々な質が混じってる……なんで反発しない? 融合種? いや……」

「あら、どうしましょう。話が通じないわ。見た目は人間種なのに」

 

 というかここ結構高い位置なんだけどな。まさかそのちっさい翼で飛んでるとでも? おいおい物理法則ゥ。ファンタジー世界に求めるべきじゃないのはわかっちゃいるが、もう少しリアリティをだな。

 服の材質は……ラバーか、これ。ラバー? この世界じゃ初めて見たな。合成樹脂って、確か唯の樹脂ですら発見はそんなに昔じゃない……いやまぁこの世界魔法みたいなのがあるっぽいから当てはめるべきじゃないか。

 

「お嬢さん。私はゼヌニムっていうの。貴女の名前を聞かせてくれる?」

「ゼヌニム? ……悪魔か?」

「へぇ」

 

 あんまり民俗学とか伝承には詳しくないんだが、確かその辺の名前だったはず。サキュバスとか、そう、いう……ん?

 サキュバス。おー。言われてみれば露出の多い衣服に、角と尻尾と蝙蝠の翼。

 ほー? 悪魔、なんていたのか。いやいるか。ファンタジーなんだし。

 

「とっても美味しそうな魂を持っているから、名前を聞き出して契約を、と思ったけれど……バレてしまったら仕方がないわ」

「ゼヌニム。ウィナン・ディスプという男を知っているか?」

「……貴女、何歳? そんなに懐かしい名前、良く知っているわね。初代魔王でしょう?」

「"経験"の拡大……、これは愛情か? なら、お前がディスプの妻か」

 

 これだけマーブルな"魂の規模"でも、その変動の仕方は今までの研究内容で推測できるっぽい。しかし、どうやってこれを可能にしてるんだ、本当に。普通これだけ明確に違ったら反発しそうなもんなんだがな。あるいは何かくっつける手段があるのだとしても、逆に混ざり合うとか。こんな斑点みたいな質……うーん、研究してぇ。

 とりあえずコイツをサンプルに持って帰ってみる、か?

 

「悪魔の嘘を見抜くなんて。これは分が悪そうね。この辺でお暇させてもらうわ」

「あ、おい!」

 

 あー! うわー、勿体ない! 逃がした……。空気に折りたたまれるみたいにして消えたな。転移術っぽくはなかったけど、また魔法か。めんどくせぇ。

 ……でもまぁ、見たぞ。ああいうことも、やろうと思えばできるんだな。あー、でも、やる意味……あるか? あんだけ混ぜてんのに、"魂の規模"はそこそこだった。量が増えないなら俺の目的からは外れるしなぁ。

 

 ディスプの息子の再生に関する技術を、と思ってきたが……この様子だと調べようがないし、知ってそうなのには逃げられたし。んー、んー。

 正直ディスプの息子相手に実験をしたところで感はあるんだよな。その性質は大体理解できたし。俺が苦労して、その膨大な"魂"が回収できるならともかく、ディスプの息子の"魂の規模"を大きくするだけに終わる気がする。

 

 もっと根本的な部分の情報を手に入れないといけないんだが……。

 面倒が勝る。

 

 とりあえず俺は俺の方法で再生者を作ってみるか。その上で行き詰まったら、今度こそあのサキュバス探しだ。まずは森を出ずに出来る事をやろう。外にまで探しに行くほど、俺は精力的じゃないんでね。

 

 さて。

 

 

 

 

「あの……離してくれない、かしら。私、急いでいるのだけど」

「……」

「なんでこの子、幼体の癖に私より力が強いのよ……!」

「……」

「あーもう! 早くしないと女王が戻ってきてしまうでしょう!」

「……ディアスポラ」

「は?」

「わたし」

「あ、ああ。それが名前なのね。じゃあディアスポラ、私の腕を万力の如く締め上げているその手を解いてくれる?」

「……」

「誰か助けて……!」

 

 

 

 




この物語は、24部程(四話+n)を予定しております。

オーマは梟の亜人種だぜ! だから多少他の亜人種よりは長く生きるけど、魔物種に比べたら短命も短命だな!


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一つの時代の終わり(誰も思い通りに行かない)


ヒトの過ちにより崩壊は始まった。

黒キ海を止める手立ては残っていない。

願わくは、最後の希望は

朝陽集う、夜明けの森へ


オーマ・ウォロッソ──[訳]






 アジュ・ルビーィズ。

 そこでは──今、すべてが終わろうとしていた。

 

 枯れていく。青々と茂っていた植物が、建物の木材が、水路の水が。

 そして、生き物も。

 

 まるでどこかで増えた()()()()でも払わされているかのように、生命が失われていく。人々は藻掻き苦しみ、しかしどこに何を、誰に言葉も伝える事の出来ぬまま、息絶える。

 さらには、国の中心。

 住宅街のど真ん中。丁度国の中心に位置したとある一軒家が、()()()。轟音を立てて、沈む。沈んでいく。家が──家具が、そして中にいた、死んでしまった生命が。

 残るのは大穴。ぽっかりと、真っ黒い穴が出来上がった。シンクホールだと、女王が見れば言ったかもしれない。それが──続けざまに、アジュ・ルビーィズの各地で起き始める。

 

 沈む。沈む。沈む。

 崩壊する。崩落する。黒に飲まれていく。

 

 やがて穴だらけになったアジュ・ルビーィズの土地を、端の方から崩していくものがあった。

 黒き海──その波が、大地を削っていく。穴に流体が流れ込み、穴を広げ、更なる崩落を呼ぶ。

 もう命は残っていない。人間種も、動物も、植物も。全て、すべて。そしてその亡骸を、黒き海が削り飲んでいく。飲み込んでいく。飲まれたすべてはさらに細かく砕かれ、沖へと引き摺り込まれて"滝"より落ちる。

 

 また、変わった。

 大陸の地形が。それは──明らかな、大崩壊の始まりであった。

 

 

 

 

 シオンは一人、魔王国のとある場所に来ていた。ルビーィズの軍が全滅していた事や女王が中々現れない事を受けてか、この国に欠片くらいはあった「いつもと違う空気」は完全に払拭され、元の色合いを取り戻している。

 そんな魔王国の、片隅。

 スラムと呼んで差支えのない場所。魔王国にはこういう場所がいくつかあって、けれどそれらが救われる事は無い。弱いから。強くなければ飢えて死ね。魔王国に住むのであれば、当たり前。

 

 そこに。

 

 シオンはいた。

 

「懐かしい、といって良いのかな」

 

 見据えるのは──ボロボロの、しかし他の建物よりは幾分かまともな、集会場のような場所。シオンは躊躇なく足を踏み入れる。

 中にいた襤褸切れを纏う者達が一瞬シオンを見て、すぐに興味を失くした。シオンが可愛らしいからだ。見た目が小綺麗な時点で、関わらない方が良い。ここにいる者達の自衛。人間種の、自衛。

 

「……当たり前だけど、みんな……もう、土の下ね」

 

 シオンがリリアンであったのはもう300年も前の事だ。リリアンよりも年上であった人間種など、一人たりとて残っているはずがない。

 だからこれは、ただの感傷。

 

 シオンは進む。集会場の奥の方へ。

 そもそもの話だ。

 

 そもそもの話──リリアンは、魔王に嫁がなければ人間種のコミュニティから追放されると、それが嫌なら魔王の心を手に入れろと言い渡され、苦心していた。

 まだ若い……というか、学舎にいるような年齢のリリアンに、だ。

 

 何故か。

 それはリリアンが類まれなる容姿をしていたから。絶世の美女とさえ言われる程、妖艶で、男の心を掴む美貌を持っていた。美しすぎて、人間種とは思えないと……異端であると、排斥されるくらい。

 

「……先祖返り、ね」

 

 そう、言われた。リリアンの何代も上の代に混じった魔物種か亜人種の血が、突然リリアンの時に発現したのだと。けれど、莽の旅人たちとして世界を回っている間に、先達の魔物種から……とりわけファムタとファールから、魔物種の始まりを聞いた。魔物種のルールなるものも聞いた。女王によって作り出されたことも、魔王国の始まりの事も。

 

 先祖返り。

 "そう"なるには、些か血が()()()()()()()()。そう結論付けることが出来たのは、亜人種の学者オーマのおかげだ。もしリリアンの血筋に魔物種が混じった事があるというのなら、先祖返りなどではなく普通に亜人種であるはずだと。先祖返りであるというのなら、もっともっと、もっと前の時代に混ざって、さらに拡散していなければおかしいと。

 

 だから。

 

「よい、しょ……って、もう、言わなくてもいいわね」

 

 古びた扉を開ける。長らく開いてなかったのだろうそこは、確かに、カムフラージュがされているから、知らぬ者ではそれが扉であるとさえ気づけないだろう。他種族から"巧妙"だとか"狡賢い"と言われる、人間種の知恵。

 現れるは地下への階段。埃塗れのそこを、静かに下りていく。

 

 暗い。

 一切の光の挿し込まない作りになっているそこは、本来であればカンテラや蝋燭を持って降りていく場所だ。魔物種の目でもなければ、この真黒の世界では、何も見えずに足を踏み外す事だろう。

 そうして、しばらく歩いたところに、もう一つ。扉があった。

 

 門前に一人、誰かが扉に背を預けるようにして座っている。

 

「……本当に、要領の悪い人」

 

 呟く。

 この場所を知っていて、この場所を自らが死ぬ最後の時まで守りたがる者など、一人しかいない。

 

「ただいま、お父さん。……開けるね」

 

 物言わぬ躯を脇に退けて、重い石の扉をゆっくりと開く。

 そも──何故、魔王国に人間種がいるのか。亜人種は各国の人間種から迫害を受けてきたから、難民という形でこの国に逃げ延びた。それはわかる。魔物種は元からいて、じゃあ人間種は何故。

 群れなければ、個では弱い人間種。それがなぜ、魔物の巣窟にいたのか。

 

 簡単だ。

 

 元からいたのだ。元から、ここにいたのが、人間種だった。

 

「……これが」

 

 前国王は女王から国を拓けと言われ、自らの追手のいる国の反対側に魔王国を拓いた。けれどそこには初めから小さな村が存在していて、それを食い潰す形で、魔王国は成った。前国王には女王から下賜された薬やら植物やらがあって、それは恐ろしく強力で。人間種は頷かざるを得なかった。

 けれど、ここだけは。これだけは守り通すためにと、この地下室の上に集会場を作り、たとえ周囲がスラム化しようと、離れる事は無かった。

 

 扉を開けた先。そこには、一冊の本が、まるで祭壇のような形の石の台の上に置かれている。

 

「……悪魔の書」

 

 酷薄に笑う何かの書かれた、書物。

 

 シオンはそれを──手に取った。

 

 

 

 

「始まりましたね。大崩落──大陸が、飲まれます。ファムタさん、ファールさん」

 

 言う。

 オーマは、悲しそうに、笑って言う。

 

「行きなさい。黎き森へ。あそこは──あそこだけは、安全なのですから」

 

 そう言って──オーマは、事切れた。

 "寿命"? 違う。"魂"が抜けたのだ。総量に空いた穴を埋めるために、今を生きる生命の"魂"が、摘まれた。

 窓の外の黒き海が、街の西端を飲み込み始めるのが見える。視界の片隅で建物が一つ、地に沈んだ。

 

「ファール」

「ファムタ」

 

 二人は互いを呼び合って、直後に走り出す。

 世界の中心。ではなく、彼女の墓があるところへ。

 

 最後は、一緒に。

 

 

 

 

 大陸全土は地響きに包まれていた。

 恐ろしい音と共に、何かが崩れる音が鳴り続ける。

 

 人間種のいない辺境で眠りこけていたとある魔物種の姿がフッと消える。そこには大きな穴が開いていて、そこから魔物種が這い上がってくることは、無かった。

 

 農作物の育たなくなった事で捨てられた廃村。唯一の植物は、可憐に揺れる青い花の花畑だけ。食用にならないその花は、ただ綺麗なだけの命だ。

 それが、一斉に萎れていく。萎びて、そして直後、地面が割れた。入り込んだ黒い流体が、無残にも花畑を削り飲み込んでいく。流体に飲まれた花が浮かび上がる事は無い。そうして、花畑も、廃村も、ものの15分足らずで完全に削り取られた。

 

 上空から見る者があれば、恐怖におびえる事だろう。

 大陸が目に見えて縮んでいっている。その収縮速度は──あと、半日と経たずに。

 

 すべてが飲み込まれるだろう程の。

 

 

 

 

 リンゼスでも、それは起きていた。

 

「何事……!」

「お婆様!」

 

 ティータは自らの邸宅から、それを見た。

 国が崩壊していく。それは比喩ではなく、崩れ、砕け、壊れていくその様を現わした言葉。

 

 あれだけ立派だった王城も、理路整然とした城下町も、すべてが壊れていく。

 

「こんなことをするのは……女王! 何故ですか、私はしっかりと黎樹の拡散をしていたというのに!」

 

 今や国中にある黎樹に向かってそう呼びかけるも、その黎樹ですらも黒き海に飲み込まれていくのが見えた。黒き海。黒き海が、ここまで迫ってきている。

 判断は早かった、と言えるのだろう。ティータはすぐに娘達を呼び寄せんと振り返って──絶句した。

 

「お婆……さ、ま……!」

「ど、どうしたというの!? あぁ、あぁ、そんな、死んで……!?」

 

 先ほど自らを呼んだ娘以外、全員。

 喉を掴んで、涙を流して──息絶えていた。"森"の亜人種はもう、ティータの腕に抱かれたこの子しかいない。

 

「フィリア……嘘でしょう、息を……息を、して」

「ぁ──、っ──」

 

 そうして、その子さえも。

 首を掴んで……眼球が裏返って。

 死んだ。生命活動を、終了した。

 

「く……女王! 女王!! 黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)!!」

 

 いつか、女王の襲来に怯えていた姿はなんだったのかというくらいの、憎しみ。

 まさに鬼の形相と言って差し支えのない表情のティータは、黎き森の方へ向き直り──その身を浮かせた。

 浮遊術式──それを用いて、ティータは黎き森へ向かう。全速力で──大切な娘達の、仇を取るために。

 

 その背後で。

 

 ティータの邸宅が、崩壊と共に、黒き海へと飲まれていった。

 娘達の亡き骸も──リンゼスも。

 

 

 

 

 黎樹がどんどん消えていってるんだが?

 え、何何燃やされた? いやいや、樹木と銘打っちゃいるが、火が付いた程度で燃え尽きるような構造にはしてないぞ?

 しかも大陸全土から……末端の方から、すんぎょい速度で消されてる。

 

 あれこれなにこれ不味い奴?

 

 意識を末端に集中、ぅ、うわ、だめだ。消えた。じゃあもうちょっと手前の……も、消えた。

 いやいやどういうこっちゃねん。何? 伐採業者でもいるの? 黎樹伐採令でも出た?

 

「女王! ちょっと、この子取ってくれないかしら! このディアスポラって子!」

「……」

「はーなーしーなーさーいー!」

 

 かなり近いが、魔王国の端末に実体を持たせて、家から家へと昇っていく。軽い身体って便利。ひょいひょいひょひょーいと昇って、一番高いっぽい……あー、なんつーんだっけこれ。鐘楼? みたいなのの屋根に乗って……ワオ、と驚きの声が出た。

 

 黒い……なんだあれ。コールタール……? にしては粘性の低い……なんだあれ。キモ。

 とにかくよくわからない液体が、えーと、めっちゃ迫ってきてる。黎樹とか関係なしに全部飲み込んできてる。これはヤバイヤーツですね。

 

 何がヤバイって、"魂"の回収が出来ない。遠目になんかの動物が黎樹付近で黒いのに飲み込まれたのが見えたんだが、その"魂"が俺の元に入ってきていない。"魂の摂取"が発動しないって事は、あの動物が死んでないか、もしくは、あの黒いのに飲み込まれた事で"魂の摂取"の範囲外に行ってしまったか──あるいは、"魂"自体が消滅したか。消滅なんかするのか知らんけど。

 

 いやいや、と。

 いやいやいや。さっき再生者とかいう最高効率の手段を見つけたとはいえ、まだ再現は出来てない。俺がほとんど趣味とはいえ積み重ねてきた研究成果を、まさか誰かが横取りしようって魂胆じゃあるまいな。さっきのサキュバスとか!

 夢の中でああいうの使って……その、色々だろ! 色々! 知ってるんだぞ!

 

 というわけで、緊急事態であると判断。国外にも魔物娘いっぱいいるし、あれに飲まれたら余りの勿体なさに泣いてしまうかもしれない。

 

 意識を戻す。

 

「はーなーれーろー!」

「……」

「何なの……」

 

 とりあえず出せる限りの分身を黎樹の根元に出す。マルチタスクは無理なので、その視界をモザイクアートよろしく結合。うわぐっちゃぐちゃ。だけどまぁ、見えるっちゃ見えるな。

 

 目についた魔物娘を全員転移! 勿論森の中へ。さらに漏らしがないかを確認して、もう一度見て……。

 結構な大所帯に戻ってしまうが、仕方ないだろう。この森の中で縄張り争いなんかをして死んでくれる分には俺の糧になるし。あ、喧嘩はするな、って言ってたっけ。

 ……ま、生きるためならオッケーとかにしておくか。あとで。

 

「な、なに今の……助けて、助けてって……」

「シオン! 良い所にきたわ。この子を引き剥がすの、手伝ってくれないかしら!」

 

 黎樹が無い所は見えないのがマジで不便。魔王国、結構ブラックボックスあるな……まぁ魔王国にいたファムタに黎樹を拡散しろ、って言ったから、灯台下暗しよろしく魔王国が疎かになるのはわからんでもない。

 って、うわぁ、もうだめだ。森の外部、とりあえず人間種や亜人種がいるところに伸ばしていた黎樹が軒並み飲まれてる。恐ろしすぎるだろ。

 

 ……あれ、そういえばキマイラ娘ズとファムタにファール、あとティータも見てねえな。

 

 おいおいおいおい!

 あいつらこそダメだって! 一番"魂の規模"蓄えてんだから!

 

 どこだ、どこにいる?

 

「おい、ホルン! なんだよ、まだ何か用があるのかよ!」

「……フィルエルは……置いてかれちまったねぇ」

 

 いない。いない。いない。いない。

 どこにもいない。もうアレに飲まれたってことか?

 

 ……勿体ねえ。本気で。

 

「くそ……俺が何したって言うんだ」

 

 その時、ずしんと森が激震した。

 魔王国の反対側──あの溶解した国の方から、黒いやつが迫ってきている。この森の中から見えるって事は、相当だな。もうキマイラ娘ズは無理だ。諦めるか……もったいない。とっとと収穫するべきだった。

 

 そして観察の結果わかったのだが、黎樹は、黎樹だけは飲み込まれるだけで済んでいる。黎樹の生えている場所が大地だから、それが崩れると根こそぎ持っていかれるっぽいんだけど、黎樹そのものが砕けた様子はない。意識を向ける事は出来ないから分身が飲まれてるっぽいか? 本来は観葉植物みたいな根が切断されている状態でも分身は置けるんだけど、ありゃダメだな。

 けれど、黎樹が砕けない、という情報さえありゃ対処は出来る。

 

 倉庫にある、ありったけの成長促進剤。

 

 これを惜しみなく、全て地面へと降り注ぐ。

 すると黒いアレのぶつかる音とは別の、地面を蠢くモノが発する地鳴りが響き始めた。

 

 黎樹の根だ。恐ろしい速度で成長をする根が、森の外周部に到達。そこでうねうねと絡み合い、交じり合い、まるで防波堤のようにして森を守る。

 地面を根で強化し、周囲を幹で防護。外側の黎樹の上に見張り役の分身を出して──うわー。

 

 一面、黒。

 なんだこれ。どういうこっちゃ。どういう……どういうこと? マジでわからん。

 

 黒い……水? か。水だな。黒水が、この世界の大陸を全部削り取って……というかこの星? 大陸? なんか変だとは思ってたんだよな。一日中昼だったり一日中夜だったりすることがたまにあって、いやぁ研究が楽しすぎて一日経ったかどうか覚えてないぜもしかしたら一瞬だったのかもなぁなはは、とか考えてたんだけど、アレはマジで昼が続いてて。

 

 一応黎樹で堰き止めは出来てるな。うん。

 んー。でも、悲しい。

 

 超、悲しい。

 

 キマイラ娘ズ……最古の魔物娘ちゃん……あとティータ……。

 めちゃくちゃ巨大な"魂の規模"持ってる奴ばっか失くした……。つら。

 

「……ん?」

 

 魔王国側。少し離れたところに……なんじゃありゃ。丸い……白い、丸い奴がある。いや、丸い奴としか表現できないんだって。なんか丸い奴が……ある。

 

 んー?

 

 んー。

 

「……ファムタ!」

 

 その丸い奴にはなんか四角い入り口が開いていて、その入り口に、今一番愛おしかった姿があった。

 丸い奴は黒水に削られるたびに修復を繰り返しているが、どんどん押されてきている。このままじゃ、砕けるのも時間の問題だろう。

 

「待ってろ、今助けてやる!」

 

 歓喜である。

 大事なものを全部失くしたと思っていたら、一番大事なものだけが見つかったのだ。嬉しく思わないはずがない。あいつさえいれば、だって何体でも複製できる。一番"魂の規模"が大きい奴だから、複製すれば失った分も取り戻せる。

 

 まさに神の御導き……至高存在さんの御導きだ。

 

「秘蔵品だ──ほら、飲め!」

 

 本体に意識を戻して、倉庫の奥の、超頑丈に作った金庫の中身を取り出す。

 

 それは、丸いガラス玉の中に入った、血液。

 俺の血だ。【不老不死】のチートのおかけで一切の外傷を負わない俺が流した、唯一の血。

 

 それを、四分の一ほど取り出して、地面に注ぐ。

 

 効果は絶大だった。

 

 先ほどの成長促進剤なんてメじゃない程に、まるで巨大な樹木の腕のようになった幹の集合体が、少し離れた場所にある白い丸いのに直進する。それは白い丸いのに衝突するとグーにしていた拳を開くように広がり、瞬く間に白い丸を根と枝と幹で覆い尽くしてしまう。腕は中の白い丸に圧力を与えないように、しかし隙間が出来ない様に何重にも何重にも成長し続ける。

 

 ファムタ……ファムタだ!

 多分ファールもいるだろう。良かった……本当に良かった!

 

 これでやり直しが効く!

 

 あとは……上も閉じるか。黒水が昇って入ってきたら嫌だし。

 ……キマイラ娘ズと、ティータ。他にも"魂の規模"はそこそこだけど、俺の作り出した半分くらいの魔物娘が、黒水に飲まれてしまったんだと思うと……。うう。つらい。悲しい……。

 

 せめて早めに摘んでおけば……放し飼いにしたのが間違いだったか……。

 

「女王……落ち込んでいる、の?」

「ん……シオンか。……シオンか?」

「え、ええ。そうだけど……」

「……」

 

 ん?

 なんだこいつ。なんだこの、"魂の規模"。違和感……?

 いや、まぁ別に今はどうでもいい。えーと、とりあえず。

 

「まだ、喧嘩は無しだ。けれど状況次第で、まぁ。生き残るためであれば、解禁するよ。まだダメだからな」

 

 釘だけは、刺しておかなければ。

 

 

 

 

「くそ……なんだ、なんなんだこれは! アイオーリ! たっ……テリアン! 誰か、いないのか!」

 

 それは、泳いでいた。

 あらゆるものを削り取る黒き海を──一人の人間種が。

 

「魔王国も、飲まれてしまっている……幻術ってわけでもなさそうだ。というか、チクチク痛いなこの水は……!」

 

 泳ぐ。泳ぎ続ける。

 何もない無の果てを。

 

「おーい! 誰か! 誰かいないのか!」

「女王! こんなことをして、何が目的──」

 

 それは浮いていた。

 黒波の上を樹木の女が。

 

「……えーと」

「魔王国の、フィルエル、様?」

「あ、はい」

 

 生命は、まだ。

 

 

 

 

第二話「莽の旅人たち

第二話「玉莽れ時」




玉莽が時で「おおまがとき」と読むんだけど、大禍時は黄昏時だから、それを捩る形で玉莽れ時と書いているぜ! だから読みはたそがれどきなんだ! はは!


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第三話「泥中の蓮、あるいは」
あるいは新世界への旅路(引きこもり)


そんなにグロい表現ではない気がするけれど、残酷な描写があります。ご注意。


 大陸が無くなってから、まず初めにやったことはあの黒水の調査及び研究だ。

 分身体でとりあえず突貫してみたところ、着水と同時に意識が戻ってしまった。多分分け身とはいえ"魂"が吸われたか、弱すぎる実体が保てなくなったかのどちらか。いや、どちらもかな。

 これだと調査のしようがないので、じゃあ壊れない黎樹を用いてでっかいスプーン……というか受け皿的なものを作って、黒水を掬ってみようと再チャレンジ。

 

 わかったのは、掬う事は出来るっぽいんだがクソ重い、という事。流体の癖になんだあの重さは。黎樹が折れる事は無かったけど、危うく地面が捲れ上がるところだった。けど中に沈める事は出来るんだよな。粘性が特別高いってわけじゃなくて、比重が死ぬほど重いって感じか? いやいや、どういう物質だよ。水銀でもこんな重くはねーぞ。

 けど、黒水は近くに寄ってみるとなんとなく金属光沢があるようなないようなので、まぁそっちの線も捨てないで置くのが吉と見た。

 

 黎樹で完全に防ぎ切れているから黒水に関してはとりあえず問題は無い……が、流石にこの森も生物である。森そのものの栄養が無から生まれるわけもなく、たとえば今いる魔物娘全員を死なせて"魂の摂取"を行い、その肉体で肥料を作った所で、何百年。千何年保つかどうか。魔物娘の複製だって元手無しに出来るわけじゃないので、やっぱりエネルギー問題は出てきてしまう。

 

 早々にこの黒水をなんとかする手段か、黒水の向こうに何かが無いか、というのを確認する必要がある……のだが、如何せんこの水の性質が俺の分身体を悉く許さない。さてどうしたものか、というのが現状の問題。

 

 うーん。しかし全く手段が見えてこない。

 船でも作ってえんやこらするか? ……非現実的だな。一応作っておきはするが。

 

 困った。仕方が無いので、研究をしよう。今やれることをやって、人事を尽くすんだ。至高存在さんは必ず見ていてくれる。その先で、フラグが立ってさえいればなんか新しい切っ掛けでもあるだろ。

 

 嘆いていても仕方がない。前を向こう!

 

 

 

 

 森にはいくつかのコロニーが形成されている。言わずもがな魔物娘達のそれだけど、数百いる魔物娘達がそれぞれ縄張りを作ろうとしても、この森の面積的に衝突は避けられない。俺の家のある場所と毒の水溜まりがある場所を除き、そのほとんどで終日喧嘩が起きている……そんな状態が何日も続いていた。

 まぁ天井閉じちゃったから一日の感覚とかわからないんだけどな。なんとなくだ。なんとなく。

 

 いつ死ぬかわからない、というのは、今すぐに殺される、という状況よりも感情の振れ幅が大きいらしい。これは魔物娘に限った観察結果だから、人間種や亜人種ならば違ったのかもしらんが、残念ながら外は黒。一面真っ黒の大海だ。人間種も亜人種も残っているとは思えん。

 

 ……あ、ってことはディスプの息子も死んだのか? いや、いやいや。あの再生能力なら砕かれようと削られようと生きて……あー、でも黎樹の分身が消えた辺り、魂に干渉する系統だったらマジで死んでるかもしれん……。ほんっと、勿体ねえ。楽しみに取っておいたデザートを火炎放射器で消し炭にされたみたいなもんだ。俺は食わなくても生きていけるとはいえさぁ。

 ほんと、なんか俺が悪い事したかよ。理不尽すぎるだろ。

 

 まぁ、過ぎた事を悔いても仕方が無いわけで。

 

「んー……傷に対して、再生率は20%くらいか。んー。どーも、上手く行かんな……」

 

 前を向くと決めた日から、ずっと再生者を作る研究をしている。単に回復量を高めるだけだと、"寿命"がガリガリガンガン削れて行っちゃうんだよな。で、最後には"魂の規模"がぶっつんする。それらは同質の"魂"であるけれど、起点となり得るものがないのか、再び舞い戻ったりすることなく雲散霧消する。まぁ"魂の摂取"が回収してしまうからなんだけど。

 これも最近ちょっと仇だ。研究において「経過観察」っていうのは結構重要な要素なんだけど、肉体が死んだ時点で"魂の摂取"がそれを回収してしまうせいでその後の動きが理解できない。この森にいる内は"魂の摂取"範囲だからなぁ。全体に黎樹があるからさらに範囲は広いし。

 

「んー。ダメだな。ほいじゃま、ぷすっと」

 

 あと少しで死ぬだろう魔物娘に興奮剤を打ち込む。これも改良に改良を重ねて、挿した直後に最大にまで上がるようにした。一瞬で"魂"の質が変化する。変化する事で、ぶっつんする前に融合可能になるわけだ。あとは"魂"の質を変えた魔物娘が自ら融合先の所にまで這いずって行って、融合。

 その融合先は、ディアスポラだ。最初は十体だけだったが、今や何百という魔物娘の"魂"を融合したこいつは、"魂の規模"だけならファムタとファールに次いで大きい。キマイラ娘ズがいないからこの順位、というのもあるんだが。

 

 ちなみに実験に使っている魔物娘は複製体な。複製元はアルタ。森に残り続けた魔物娘の中では一番頑丈だったもんで、都合が良かったんだ。

 

 そういえばファムタとファールに関して何だが、実はまだ確保できていない。

 あの白い丸、黎樹を通さねえんだよな。入り口も閉じられたせいでマジで干渉できん。まぁ全体を覆っているから中で死ぬ分には回収できて良いんだが……せめてバックアップは取りたい所。複製さえ出来れば死んだ所で問題ないんだが、やっぱり一回限りとなると惜しくなるこの気持ち。

 せめてファムタとファールのどっちかがこちらの手中に収まってくれればなぁ。

 

「くそっ、こんなところに連れてきて、何をするつもりだ、女王!」

「えーと、次試す事は……」

「な……なんだ、これは。わた、し、か? この──死体の山は」

 

 回復薬だからいけないのか? あー、じゃあ例えば、外部から肉を強制的に継ぎ足す、とかどうだろう。傷によって出来た欠損の修復に元来の自然治癒力を消費しているのだとすれば、外から欠損を補ってやれば"魂の規模"はどうなる?

 

「女王……やめろ。それを、その枝を私に近づけるな」

 

 しかし、黎樹というか模倣転移術というのはほとほと便利なものである。切断や除去においては精密機械も真っ青な精度で可能だし、魔物娘の体構造を把握しているから皮を傷つけずに内臓へ干渉する事も可能。なんなら胃の中のものを体外に排出したり、逆に腸の中に石ころを入れたりも出来る。意味ないからやんないけど。

 一度ぶつ切りにしたものを同じところに戻してくっついた! が出来ればそれが一番だったんだけど、流石に無理。生物は基本不可逆なのがなぁ。まぁ複製いっぱいあるからいくらでもやり直しは利くんだけど。

 

「ぁ──ぎ、い……!」

「えーと、甲虫の魔物娘用の肉スライム肉スライム……」

「ひ──やめろ、その気持ちの悪いものを近づけ──ぅあ」

 

 どうしても"魂"に関する実験をしていると肉体が余るもので、同族の身体は流石に受け付けないのか魔物娘に与えても食べようとしないものだから、仕方なく肉スライムとして保存している。分身を乗せるやつな。普段は俺と同じ姿にしているけれど、中身はグロい肉のスライムだ。まぁ魔物娘の肉ってのは動物のそればかりではなくて、虫だったり植物だったりの肉スライムは割とマシな方だと思う。

 これらは森中にいて、縄張り争いで死んだ魔物娘の肉体を取り込むことで回収と森の清掃を行っている妖精さんみたいなものだ。あるいはキジムナー……木霊かもしれんが。

 

 見境なく、ではなくちゃんと種別ごとの肉スライムが回収に行くから、混ざったりすることも無い。そうして取り込んだ肉体は今の様に補肉として使用したり、魔物娘の複製時の素材にしたりと様々。余すことなく有効活用だ。俺は学んだのだ。

 

 素材は全て、管理する。野放しにしない。放置しない! ……ファムタ達はまだ回収できていないけれど。

 

「──! ──!!」

 

 癒着速度は微妙だが、"寿命"の減りはまだ緩やかな方だな。恐怖と嫌悪に関しちゃまぁ、いつもと同じか。

 ふむ……このアプローチはあってる、か? じゃあディスプの息子は、外から肉となるものを集めていた? ……肉となるもの、つったって……森の中には魔物娘と植物、あと土やら小石くらいしか……。

 

 ……。

 

「まさかとは思うが……そういうことか?」

「──」

 

 アルタの複製体に興奮剤を突き刺し、肉スライムを引かせる。

 

 なるほど、なるほど。だからあんなに頑張っても出来なかったのか。

 くそ、やられたぜ。この世界がファンタジーなのを忘れてた。

 

 俺が出来ないから、誰しもが出来ない、なんてのは……はは、余りに驕りが過ぎたな。調子に乗っていたんだ。自戒しねぇと。

 

「えーと、だから、つまり」

 

 今必要なのは──オーゼルだ。

 

 

 

 

 結果から言うと、オーゼルはいなかった。クレイテリアも。

 回収し損ねた、という事だ。

 

 しかぁし!

 

 俺にはバックアップがある。やはりバックアップ最強だなあらゆる場面で役に立つ。

 今回クレイテリアに用は無いのでオーゼルのバックアップをポッドから取り出し、複製。またバックアップをポッドへと戻して、複製の方で実験を開始する。

 

 オーゼルは疑似的な無機物の魔物娘である。どう頑張っても無機物に"魂"を乗せられない事がわかったから、黎樹範囲内においてのみ、常に体表から体内に向かって発動する模倣転移術を身に纏った、ゴーレム娘。自己増殖を行ってもその仕組みは同じで、俺のかけた模倣転移術をそっくりそのまま増殖先の幼体も身に纏っている。

 今更だけど、自己増殖はもしかしたら複製と似た原理なのかもしれないな。

 この模倣転移術が必要な理由はオーゼル内部にある二つの水、"微かに魂の宿る無機物水"を逃がさないようにするためだ。これはこれで実は違う魔物娘で、スライム娘の複製体の残滓、みたいなものと思ってくれればいい。

 オーゼルはクレイテリアの肉体を石に変換したものと、ホマリアというスライム娘の残滓を組み合わせて作られた疑似的な無機物の魔物娘。疑似的とは言え、無機物の魔物娘なのだ。

 

 そのオーゼルに、新たな機構を追加する。

 それは周囲の無機物を自動収集する模倣転移術。俺の"魂の摂取"の無機物版。あるいは、生物が当たり前のように持っている食事という行為のオート無機物ver.

 アルタを見るに、有機物の……生物でも、周囲からの自己素材の補填で"寿命"減少の緩和が見られた。結局生物と言うのは不可逆的で、くっつけたところで修復には更なるエネルギーが必要である、というのがいけないのだ。肉を補填したところで、それを肉体にするにはまず取り込んで、結合して、経路を通して、馴染ませて、といった様々なプロセスが必要になる。

 自然治癒力で行うよりは効率が良いから"寿命"減少も緩慢になるけれど、それでも消費は避けられない。

 

 だが、オーゼルは違う。

 オーゼルの身体は特に特別な要素のない石だ。いなくなってしまったが、外に出ていたオーゼルが様々な鉱石を食していたのも確認済み。まぁそうなるように作ったんだが、それが成功していた事が何よりの証左。オーゼルは、なんでもいいのだ。自分を構成する要素が……つまり、無機物なら、なんでも。

 恐らく流体だとそもそもくっつかないから保てはしないんだろうけど、土とか、石とか、身体の形成さえ出来れば何でもいい。

 

 スライム娘のホマリアもそうだな。その後に作った改良版のスライム娘も含め、身体に纏うのが水であれば、流体であればなんでもいい。保有できる流体量はぶっちゃけかなり少ないんだが、流体さえあれば供給に困らない。あいつらは逆に固体だと困るのやもしれんが。

 

 ファンタジーにおけるゴーレムって、まさにそうだよな。どこからともなく岩石を収集して、何度倒されようとも復活する自然の驚異。あるいはコアさえ潰せば倒せるけれど、それさえ無事ならあまりに強力。

 それがゴーレム娘とスライム娘なんだ。

 それが出来るのが、無機物の魔物娘。

 

 というか、無機物に"魂"を宿した奴ら、なんだろう。

 

「調べてないから何とも言えんが……あの溶解した国」

 

 あの溶け方は、あの()()()()()()()()は、思い返せば冷えた溶岩に似ていた。熱されて溶けだした金属、あるいは岩石。それらが一度は流体となり、再度固まったもの。

 あの国で行われていた研究……あるいは実験は、無機物に"魂"を宿らせる実験。いや、"魂"の宿った無機物は元からいて、それを……自分たちに適用する実験、か? 何らかの事故で国中にその結果が暴発して、実験の成功と共に国は滅んだ……。その後なんらかの要因で国も人間種も溶けだした。

 

 仮定Xが多すぎる。が、式はこれであっている気がする。こっちは勘だが。

 

「……そうだ、ホマリアとアルディーカ。ホマリアは……無理か。アルディーカ、アルディーカ……」

 

 オーゼルに追加機能の処置を施して、そのまま黎樹の根を纏わりつけて、閉じた天井にまで持っていく。

 その間に水溜まり周辺にいる分身体に意識を向け、アルディーカを捜索。いなけりゃ新しいのを作ればいいんだが、えーと。

 

 あ、いた。

 

「アルディーカ!」

「あれ。主。用。珍しい」

 

 アルディーカはホマリアの後に作った改良版のスライム娘だ。血液ではなく"微かに魂の宿る無機物水"を用いて作ってあるため、コアらしいコアがない。アルディーカは自らの拠所たる無機物水を周囲の液体に希釈する事で、元の身体よりも多い流体を扱うことが出来る。まぁそんなに量は多くないんだが、模倣転移術の範囲内であれば外傷によって死ぬことは無い。水だからな。蒸発したら多分一瞬で死ぬ。水だからな。

 

 痛みを感じる器官がないためか、"経験"の横幅はあんまり広くない。感情はあるっぽいんだが、恐怖を抱いたことがない臭いんだよな。生物的恐怖に直面しないと感情と言うのは中々育たないものなのだ。今度熱してみるか? フライパンとかで。

 

「何? 何? 持ち上がる」

「よし、これで……あとは、船だな」

 

 アルディーカも黎樹で作った皿で持ち上げて、黎樹ドームの外へ持っていく。

 外の分身体につなげて、と。

 

 船を作っておいて良かった。やっぱ前々に前もっての準備って大切だな。

 

 

 

 

 初めて、森の外を見た。

 

「君。石?」

「……うん。僕は、オーゼル。君は、水かな?」

「水。色々。ちゃぷちゃぷ。アルディーカ」

 

 染みない木で掬われて、ちょっと前に全部が閉じてしまった森の上のところにまで上がってきて、そこには水底にある小石の集まりみたいな見た目の子がいた。私はその子を見て驚いたし、その子は私を見て驚いたみたい。

 びよーんと体を伸ばしてあげれば、また、石の子は驚いた様に、わ、と言った。

 

「……ホマリア、じゃないんだ」

「アルディーカ」

「……うん。わかった。アルディーカ、君も、女王に、連れ出されたの?」

「用。珍しい。嬉しい」

「……変わってるね」

 

 生み出されてすぐ、あの泉に放された。何か下の方に出口があるようだったけど、不便が無いからずっとそこにいた。時折畔を通る子を驚かせたり、主じゃない主の姿を真似したり。毎日、楽しい日々。

 何をすればいいのかよくわからなくて、何をしたいのかも無かったから、毎日、楽しかった。

 

「森。外。水?」

「……うん。僕も、初めて見た。こうなってたんだ。魔王国っていうのは、どこにあるんだろう」

「丸?」

「……あれが、そうなのかな。女王が魔王国を守ったの?」

 

 森から染みない木が伸びて、丸くなっている。あれが魔王国というものかな。名前だけは知ってた。畔を通る子が、たまに話していたから。

 行く機会があったら行ってみたいと思っていたけど、行っても何をしたらいいかわからないから、別に行かなくていいや、って。そう思ってた。

 

「よし、進水式……は別に良いか。誰が見てるわけじゃねーもんな」

「主」

「……僕たちに、何の用?」

 

 主じゃない主は、この森のどこにでもいる。森の外にいるのには驚いたけど、それだけ。主じゃない主は普段はふらふらしているだけだけど、たまに、主じゃない主が主になって、何かをしている事がある。これも主じゃない主だけど、主になってる。

 

「オーゼル。アルディーカ。お前たちには、この黎樹の船で外洋探索に行ってもらう。あの水は、全て無機物だ。補給は出来る。金属っぽい性質もあるからオーゼルでも行けるはずだ。陸地でもなんでもいい。見つけて、帰ってこい」

「……無かったら」

「主。任せて。頑張る」

 

 初めて、自分の生に目的が出来た。

 何かを見つけて、持って帰る。嬉しい。オーゼルは、嫌なのかな。

 

「オーゼルには黎樹を持たせる。黒水に着水した黎樹からは分身体が削ぎ落されるが、削ぎ落されて単なる頑丈な樹木と化した黎樹の上なら、黎樹は元の力を保ったままに出来る。観葉植物と同じだな」

「……?」

「?」

「大陸があったころでも効果は発揮していたから、大丈夫だとは思うが、この黎樹を黒水に浸けることが無いようにだけ気を付ければいいだろう。この黎樹さえあれば"魂の摂取"も発動するからな。デメリットは無い。不味い事があったらこの黎樹を強く掴めばいいという事だ」

「……?」

「?」

 

 主は喋ってるけど、私達に喋ってるわけじゃない。みんな主に喋りかけるけど、主は聞いてない。だから、私も主の前では、自分の事だけを喋るようにしてる。ただ、名前にだけは反応してくれる。名前を出すと、主は必ず私を見てくれる。

 

「アルディーカ」

「ん?」

「頑張る」

「なんだ、アルディーカ。どうした?」

 

 普段は絶対に見せてくれない、主の瞳。正面から見た時にだけ見える、空色の瞳。

 

「オーゼル。一緒。見つける。帰る。ね?」

「……わかったよ。君は、本当に、変わってるね」

「なんだ?」

 

 初めて出る森の外。初めてもらった、生きる目的。

 ……絶対。

 

 うん。行こう。

 

 

 

 

 10隻、出した。

 

 オーゼルの複製体とアルディーカの複製体を乗せた黎樹の船を、10隻。

 キマイラ娘ズと違って名付ける程の"魂の規模"ではないからまぁ回収しなくてもいいっちゃいいんだが、ご飯粒一粒でも残したら罰が当たるって言うしな。食わないでいい俺にとっちゃ、どんな小さな"魂"も回収対象だ。

 

 で、10隻中回収できたのは8隻だけ。

 

 探索先で何があったのやら、マルチタスクが出来ないから一個一個チャンネルを切り替えるようにして監視して、意識を戻しては研究をして、って感じだったから、転覆なりなんなりをした原因はわかってない。ただ模倣転移術による自動回収機能は正常動作しているようで、オーゼルの複製体もアルディーカの複製体も、回収時の"魂の規模"は出立時よりも大きくなっていた。

 

 で、残りの2隻なんだが。

 

 1隻は、今も黒水の上を漂ってる。転覆はしていない。けれど、オーゼルの複製体とアルディーカの複製体は乗っていない。

 

 もう1隻は……なんか、金属で出来た城? か? これ。よくわからんが、なんかの上に座礁しているようで、こちらも周囲にオーゼルの複製体とアルディーカの複製体の姿は見えない。

 でも一応これで、黒水に飲まれない陸地……? があるのはわかったな。

 問題はどこにあるか、である。

 

「……どう考えても、どう感じてもコレ……下、だよなぁ」

 

 黎樹のある場所は大体わかる。

 わかるから、疑問だった。

 

 真下ではないにせよ、下。黒い海のある、下。でも見た感じ海底ではなくて、けれど海の下。ん~?

 んー。んっんー。んーん。

 

「わからん。でも深さはわかったから……やってみる、か」

 

 とりあえず俺では、つか有機物の魔物種では黒い海は通れない。潜るなんてもっての外だ。じゃあどうするか。

 方法は二つ。といっても実質一つだが、一応二つ。

 

 この森は別に黒い海に浮いている、というわけではない。ちゃんと地面があって、その地面を黎樹の根が補強する形になっている。その深度は結構なもの。ただ地下水脈だのなんだのに当たる気配はなく、もっと深くまで地面が続いている、という印象がある。熱もなさそうなんだよな。

 だからここに大穴を開けて、海底に至るまでの通路を作る、という方法。これは多少の心配がある。地盤がある程度緩んでしまうことと、もし黒水が入り込んできたときに森の中にまで浸水しかねないってことだ。そうなると、結構痛い。

 

 となるともう一つの方法を取らざるを得ない。こっちもまぁ、やる事は同じだ。

 ただ森の外にトンネルを作るというだけの違い。黎樹で、分身体は抜けてしまうから、何度も何度も重ね塗りしていく感じで掘り進める。施工期間は前者の方法の何倍もかかるし、消費する黎樹の量も跳ね上がる。

 ……うーん。

 

 まぁ、やるかぁ。なんかこの、必要な事? 死ぬほど嫌なんだけど、やらないと終わりが見えてるのがなー。こんなことが起きなかったら生きるためにー、なんて考えなかったんだけど、まぁ仕方がない。うーん。面倒。面倒面倒ドメインドメイン。

 

「気長にやるか……気持ち早めで」

 

 やっぱり完全な【不老不死】のチートが欲しいよー至高存在さん。

 

 




頑張る子は可愛い

アルタはかつてジャクリーンの世話をしていた魔物娘だな! 責任感が強い代わりに頑固で意固地で、森から出るという誘いも流行には乗らん! って断ったんだぜ!


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その名の意味は、キスの味と共に。

名は、とても強い意味を持つ。


 そこそこの──時間が経った。

 今なおトンネル工事は続いていて、最近じゃ新しい魔物娘も作り出さずにこの作業を続けている。正直ダルいし、全く同じことの繰り返しだから面白みもない。魔物娘の研究は度々いろんな発見があって本当に楽しかったんだな、って事を思い知らされる。

 

 視界は黒と青のコントラスト。水平線がまっすぐで、綺麗だ。面白みもねえや。

 

 あぁ。早くぐーたらな生活に戻りたいなぁ。

 

 

 

 

 ずるる、ずるる……と、重い体で這いずる音が森の中に響く。

 フォリーは枝の上で、絶対に音を立てまいと身を縮めていた。体感時間で2時間くらいは、ここにいる。

 羊の魔物種であるフォリーは、あんまり力が強くない。否、種族のせいにするべきではないと、姉*1に言われたばかりだ。事実、最初の羊の魔物種であるヴィラなんかは、この間獅子の魔物種であるアイオーリを撃退した。丁重に話して帰ってもらったと言っていたけど、肉食動物の魔物種に話なんて通じるものか。どれだけ聞いても教えてはくれなかったけど、とても凄い術式や技術があるに決まってる。

 

 ずるる……。

 

「──」

 

 だめだ、他の事を考えては。

 慎重にならないと、気を出来るだけ張り詰めていないと──死ぬ。死が、すぐそばにあった。

 

 黎き森はいつからか、生と死が背中合わせにあるような、とても殺伐としたところになってしまった。最初は喧嘩さえしなければ、女王という災害こそ来るものの、食べるに困らない寝るに困らない良い所だったのに。女王さえいなければ楽園だったんだけど。

 それが、何を考えてるのか、女王が全部を閉じてしまった。外に出てたっていう魔物種も全部引き戻して、前は見る事くらいはできた外の世界も、明るい日の光も、青い空も、全部全部閉じてしまったのだ。そうして言い渡された、生き残りをかけて争え、という言葉。

 

 あんまりだ。魔物種には元となった存在ごとに強さが分かれていて、草食動物が元になっている魔物種はかなり弱い部類に入るのに。女王はなんの保護も補填もくれないで*2、自分だけ外に出て何かをしている。

 誰も助けてくれないのなら、自分で自分の身を守るしかない。羊の魔物種はヴィラから始まって、4人。自分で増える事が出来るフォリーたちは、けれどそこから増える事をしなくなった。だって、ご飯が足りない。森の木だって草だって、食べられるものが全てというわけじゃない。

 中には毒草も多くあるし、食べられる草が他の魔物種の縄張りにあることだってよくある。

 

 フォリーたちは少数で固まって、けれど他の魔物種に殺されてしまわないように気を付けつつ、さらには新しく美味しい草の生えた土地を探さなければならないのだ。

 

 そして脅威は、他の魔物種だけではない。

 

 ずるる……。

 

「……」

 

 アイツが這う音が聞こえる。

 ……魔物種が互いに争うようになってから森に放たれた、脅威。

 

 死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)

 とても気持ち悪い、色々な肉の混じった、肉の集合体。肉塊。

 これが常時森の中を這いずりまわっていて、見つかったら──食べられる。

 元々は死んだ魔物種を掃除するだけの存在だったのに、今や生きてる魔物種まで狙ってくるから、フォリーたちは毎日これから逃げて、時には戦って、自分の安全を確保しなければならない。

 

 死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)は特定のルートを周回しているだとか、いつになったらいなくなるだとか、そういうのが明確に決まっているわけではないから、本当に命懸けだ。

 フォリーは一刻も早く家族の元に戻りたいのに、さっきからずっと、一体の死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)が周辺を這いずりまわっている。やっぱりフォリーを探しているのか、それとも別か。

 

 フォリーは泣きそうになりながら、幸運を祈る。

 

「ん? おっと、結構な大物だな……が! オレがその程度で怯むかよ!」

 

 荒々しい声がした。その、お世辞にも綺麗とは言えないきったない笑い声を上げながら──死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)に対して突っ込んでくる存在があったのだ。

 死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)はどの魔物種に対しても脅威である。物理攻撃をしようにもぬるぬると取り込んでしまうし、術式を用いて散り散りにしてもどこからか戻ってくる。一番の対処法は凍らせてしまう事なんだけど、残念ながらフォリーは*3氷を扱う術式への適性が無かった。

 

「マルダハ!」

「ええ、わかっているわ──」

 

 また別の、二つの声。

 打って変わってとても澄んだ綺麗な声と、ちょっと気の強そうな声。それがフォリーのすぐ近くで響いて、次の瞬間、フォリーはふわっとした浮遊感に包まれていた。 

 

「えっ、えっ!?」

「黙ってなさい! 今助けてあげるから……!」

 

 恐らくは植物系の魔物種。ぱっと見でなんの、というのが出てこないけれど、その魔物種がフォリーを優しく抱きしめて、その場からの離脱を図る。

 普通、死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)を相手取る時は樹上戦術を取る。逃げるのが一番で、どうしてもという場合にだけ戦う。木を伝う事は出来ても浮遊する事の出来ない死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)はそうやって撹乱するのが一番なのだ。

 だけどその魔物種は、あろうことに地面を目指し、そして着地した。

 

「ひ──」

「大丈夫よ」

 

 怯えるフォリーを前に、しかし魔物種は……マルダハと呼ばれたその子は、振り向きさえしない。

 そんな彼女らとすれ違うように、一人の魔物種が死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)の方へと歩みを進める。先ほどの凛とした声の持ち主だろうか、その手には折れた黎樹の枝。死んでいるらしいその枝は、森の中であればたまに見つかるもの。

 

「テリアン──準備はいい?」

「ああ、いつでもいいぜ!」

 

 どうにかこうにか、マルダハの肩口から顔を出すフォリー。怖いけれど、行く末は気になる。

 

 これまたぱっと見なんの魔物種かわからない子が、ぐぐっと身を引き絞る。弓の様に。

 そして手に持っていた黎樹の枝を──思いっきり、投擲した。

 フォリーでは目で追う事の出来ぬ速度で放たれたソレは、鋭利な枝先を先頭に地面へと突き刺さる。勿論、死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)を縫い付けるようにして。

 そこから発生するのは氷だ。術式だろうそれは、瞬く間に死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)を凍らせていく。普通であれば氷が溶ける前に逃走するのだけど、この子達は違うらしい。

 

 テリアンと呼ばれた獅子の魔物種が、大ぶりな剣を構える。先ほどまでの荒々しさはどこへやら、長年の研鑽が感じられる型のようなものを取って──それが、凍り付いた死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)に振り落とされた。

 当然、そんな質量をそんな速度で落とされれば、氷塊は砕ける以外の道を持たない。死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)はその一撃によって粉々に砕け散り──。

 

「今の内よ! テリアン、貴女は殿!」

 

 あ、なんだ。やっぱり逃げるんだ。

 死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)を完全に殺し切る術を見られるのかと思ったフォリーは、内心ちょっと落胆した。

 

 

 

 

 元の縄張りに帰して欲しいと言ったのに、一切聞き入れてくれる様子のないマルダハに連れられて、フォリーは森の端の方へと来ていた。あんまり来たことの無い場所だ。

 そこに、フォリーの家族である羊の魔物種達が揃っていて、彼女らはフォリーを見つけるなりマルダハの元へと駆け寄ってくる。マルダハがフォリーを下ろしてあげれば、ようやく感動の再会がここに行われた。

 

 ここなるは、有志の元に作られた、魔物種同士の輪を繋ぐコミュニティの集会場。無論一人で十分だと参加しない魔物種も多いけれど、単体では弱い魔物種の多くはここで共同生活を送っている。それぞれに食料を分け合い、過干渉をしない。死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)の脅威へは皆で対応するし、他に助けられる魔物種がいないかの捜索も怠らない。

 生き残るには強くなれ、強くなければ飢えて死ね──そのルールが罷り通っていた魔王国からは考えられない程の、あるいは()()()()()とさえ言われてしまうだろうコミュニティは、しかし皮肉にも最後の希望、などと呼ばれていた。

 

「ふぅ……」

「お疲れ様」

 

 フォリーがあんまりにも帰して帰してと暴れるものだから、最初の内は無視していたマルダハも、途中からは何度も「ちょっとくらい黙ってられないの!?」とか「もう少し静かにして!」とか、子供をあやす母親のようになっていたから、それがとても疲れたらしい。

 簡易的に作られたベンチに座って一息ついている所に、シオンが来た。

 

「女王は?」

「ずっと天井で何かやってるまま。本体を刺激しても一切反応なし。倉庫の方も、黎樹で固められてて開けられない。いつもと一緒よ」

「そう……。本当、何をやってるのかしらね」

 

 あの一斉転移の時、シオンは魔王国にいた。マルダハも森にいたから、二人とも何が起きたのかを目にはしていないのだ。ただ、話には聞いていた。

 黒き海。この大陸に住まう者ならだれでも知っている死の領域が、浸水してきたのだと。それは大地を割り建物を穿ち、あらゆる生命を飲み込まんとした──ところで、女王が一斉転移を発動。

 あわや黒き海に飲まれそうになっていた魔物種は、生まれて初めて女王に感謝したのだと。もっともその寸前までは、黒き海の氾濫も女王が原因だと思って散々っぱらに恨み節を発していたらしいけど。

 

 その一斉転移の少し後から、女王は魔物種達から興味を失くしたように森へ来なくなった。

 最初の方は凄惨な実験をしているようだったけど、土の塀によって中身は見えないし、連れていかれたという魔物種もいない。その時にあったことと言えば昆虫の魔物種の一人が昏倒していたり、水の魔物種らしい子が森の色んな水場で見られるようになったくらいで、女王の影はない。

 本当に女王は魔物種から興味を外したのだろうか。

 

 だとすれば、そんなに嬉しい事は無い。

 

 未だ死に目の妖精(ポンプス・イコ)があちらこちらにいたり、新しく現れた脅威である死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)が出たりと懸念事項は多いけれど、最も警戒すべき、対処のしようがなかった黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)がいなくなったのなら諸手を上げて喜ぶべきである。

 ただ完全にいなくなったわけではなく、何故か閉じてしまった空の向こう、黎樹の天井の上で何かをしている、ということだけが、気がかりではあった。

 

「いつまで……続くのかしら。この生活は」

「……わからない。でも、何をするにしても女王をどうにかするか、森を取り囲む黎樹の壁に穴をあけるなりしないと……不味い、気がする」

「やっぱり、気になるのね?」

「うん。……私は最初からこの森にいたわけじゃないから、判断は難しいんだけど……」

 

 二人が見遣るその方向。

 森の一画。しかし、他が青々とした枝葉のなる樹木であるのに対し、その一画だけは、まるで絵の具を塗り間違えたかのように、茶色が広がっていた。

 

 枯れているのだ。

 

「……"森"は、まだ大丈夫だ、と言っているわ」

「わかるの?」

「お婆様の様に明確に聞こえるわけではないけれど、なんとなくね。けれど、あくまで"まだ"。ずっとは、保たない」

「……」

 

 深い沈黙が二人の間を滑るように泳ぐ。

 先ほどシオンは「女王をどうにかする」と言ったけれど、これといった手段は思いつかない。女王の肉体は女王の家にいて、目を開いたまま一切動かないのだが、これに対して打撃を加えたり斬撃を加えたり、刺したり引いたり燃やしたり凍らしたりしてみたけれど、どれも無駄に終わった。そもそも術式を受け付けないというか、弾かれる。

 術式というのは使い手の技量や扱える力の量によってかけられる対象に差が出るのだが、元人間種で現魔物種であるシオンが、つまり人間種の技量と魔物種のゴリ押しで貫けない術式耐性となるとよっぽどだ。

 筋力においてシオンの上を行きそうなテリアンはしかし、女王に関しては協力の姿勢を見せてくれない。死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)の退治は鈍る体と闘争心を鎮めるためにだろう助力してくれるのだけど、女王の事になると、「なんでオレがチビを殴らなきゃならねえんだよ」と言ったまま梃子でも動かないのだ。

 

 じゃあ黎樹の壁を突破する、という選択肢も現実的ではない。

 

 黎樹はとにかく頑丈だ。これには手を貸してくれたテリアンが全力で殴っても、マルダハの作り出した剣で叩き切ろうとしても、びくともしない。傷一つだって付かない。本当に樹木なのか怪しい程の硬度を持っている。

 ただ、不動不滅の存在、というわけではないようで、黎樹自体が何らかの要因で枝を落とす事があるようなのだが、その何らかの要因はわかっていない。わかっていないが、黎樹でなら黎樹を傷つける事が出来るのは確認済みだ。流石に枝程度では壁に傷をつけるのみに終わるけれど、もし幹くらいの大きさの黎樹の破片が手に入れば、それを用いて黎樹の壁に穴をあける事も可能だろう。

 

 そんなのが手に入れば、だが。

 

 現状は、正直、詰みであった。 

 

「……」

 

 重い沈黙を吐く二人の元に、近づく影があった。

 ディアスポラだ。彼女はじぃ、とマルダハを見つめている。

 

「あら? ちょっと、行ってくるわ。ディアスポラが呼んでる」

「ああ、うん。いってらっしゃい」

 

 ディアスポラという魔物種とマルダハは仲が良い。

 蛇の魔物種で、未だ幼体。だというのにマルダハやシオンよりも力が強く、テリアンにさえ匹敵する程だ。ただ基本的に寡黙というか、あんまり言葉を喋らないから、シオンは少しだけ苦手だった。何を考えているのかわからない。

 

 だけじゃなく。

 

「……あの子の、()。なんて……恐ろしい」

 

 あるいはシオンにのみ見える事があったから──かもしれない。

 

 

 

 

 さて、ディアスポラに連れられて森の中を行くマルダハは、少しばかりの違和感のようなものを覚えていた。

 

 見覚えが無いのだ。

 

「ちょ、ちょっと、ディアスポラ? ここは……」

「……」

 

 もう300年、いや400年くらいはこの森にいる。太陽が見えないのでもっと長いかもしれないし、短いかもしれないけど、亜人種であった頃からは考えられないくらいの長い時間*4、ここにいる。

 勿論縄張りというものがあって、コミュニティに参加していない魔物種のそれにまで詳しいわけではないけれど、見た事くらいはあるものだ。そもそもが"森"で、全く見覚えが無い、なんてことはあり得ない。

 

 こんな──岩石と水場に溢れた場所など、マルダハは知らない。

 

「……"森"の声が聞こえない……本当にここはどこなの?」

「エイビス」

 

 ようやくディアスポラが、言葉を発した。

 ディアスポラの立っている場所。そこには、何やら古めかしい扉が鎮座している。扉にはニタニタ笑う何かの顔がレリーフとして施されていて、見る者に嫌悪を覚えさせるというか、あまり開けたいとは思えない意匠だった。

 類に漏れずマルダハもそれは感じていて、嫌がるように身を捩る。というか、後退ろうとした。

 けれど。

 

「ディアスポラ……あの、嫌なのだけれど。その、腕を掴むのはやめないかしら? 痛い。痛いわ。すごく痛い」

「……逃げなければ、痛くない」

「そうね。そうね。その通りだわ。でもこの扉からは凄く嫌な予感がするのよ……こう、それこそ女王を相手にする時に似てるわ。怖気が走るというか、生物的に長く相対していてはいけないような雰囲気が」

 

 マルダハはいやいやと逃げようとするけれど、ディアスポラがそれを許してはくれない。

 そうしてじりじりと、ずるずると、扉の方へマルダハを引っ張っていくのだ。

 

「そ、その先に何があるのかしら!? ディアスポラ! 先に言ってくれれば身構えることが出来るわ!」

「……」

「ディアスポラぁ!」

 

 そうして、扉はゆっくりと開かれる。

 触ってもいないのに、ゆっくり、ゆっくり。重厚な音を立てて──扉が。

 

「この先にあるのは」

「う、うん? なぁに、なにがあるの?」

 

 ディアスポラは──にっこりと、笑った。

 

「全部が"問題なく"なった世界、だよ」

 

 駆けだす。くぐる。落ちる──。

 ディアスポラとマルダハは、その扉の向こうへ落ちていった。

 

 扉が、ゆっくりと閉まる……。

 

 

 

 

「……このまま」

「死ぬ。そう思う」

「うん」

「でも、中々」

「死なないんだ。悲しいね、私達」

 

 ジャクリーンの墓がある、球体の中。

 ファムタとファールは、二人蔦を絡ませて(手を繋いで)、仰向けになって倒れていた。

 

 もし、このまま入り口を解放すれば、女王はファムタ達を助けてくれるのだろう。その先にどんな未来が待ち受けているにしても、何百年と食事をしていない二人を見れば、すぐさま栄養剤を腹に転送して強制的に助けてくれるはずだ。

 でもそれは、したくなかった。だって、ジャクリーンの墓に黎樹を入れてしまうことになるから。

 

 ただ、最古の魔物種といえど。

 どれほど強大な力を持っているにしても。

 

 何の補給も無しに活動し続けるというのは……もう、限界だった。

 

「……ジャクリーンはどうなったかな」

「わからない。黒き海に大陸が飲まれたら」

「新しい命は産まれられない」

「魔物種として生まれるのかな」

「女王が作れば、生まれてしまうのかな」

 

 ファムタ達はそもそも、それが目的だった。

 女王には勝てない。女王を倒す事は適わない。だから、諦める。

 けれど新しく生まれるジャクリーンだったものが、女王の手に渡るのは──許せない。

 

 故に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは予期せぬ結末で、失敗に終わったけれど。

 

「……こんなにも」

「ジャクリーンのこと、大好きだったんだ」

「苦しいんだね、ずっと会えないって」

「つらいね。また会いたいのに」

「全然立ち直れない。ああ──」

「大好き、だから」

 

 外は今、どうなっているだろうか。

 女王諸共黒き海に飲まれた……ということはないだろう。オーマによれば、黎き森は黒き海に対抗するための、最後の希望だ。生命を運ぶ揺り籠。残された楽園。闇に消えゆく世界の、夜明けとなり続ける森。

 あそこだけは無事だと、オーマは踏んでいた。

 事実、依然として黎樹がここに入ろうとしてきているのが感じられるから、多分、無事。

 

「早く……死んでくれればいいのに」

「そうしたら私達も、黒き海に飛び込んで死ぬのに」

「アイツがいなくならない限りは」

「……まだ、死ねない」

 

 けれど、限界は気合ではどうにもならない。

 

 もう──限界だった。

 ファムタとファールは。あと少しで()()を迎える。

 

 だから。

 

「……ねぇ、ファムタ」

「……」

「貴女も私。だから、わかってる」

「……」

 

 ファールが、身体を起こす。

 ファムタは起きない。

 

「私達はもう限界で──だけど、死ぬわけにはいかない」

「……」

「だってもう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 限界だった。

 

 二人は、二人の"魂"は。女王が見れば臨界点を越えていると評すだろう。

 もう、別々でいる事が、限界だった。

 

「良かったね。私達、植物の魔物種で」

「……ファール」

「多分、肉のある子達と違って、抵抗は少ない方だよ」

 

 食料はなく。そして個であることさえも危うい状況。

 ならば、ならば、ならば。

 

 ならば、先に。

 

「私は、最初はファムタだった。けど、ジャクリーンと過ごすうちに、莽のみんなと過ごすうちに、少しずつファールに()れてきていた」

 

 今でも覚えている。最初にファムタという名を付けられた、産声の時。そしてファールという名を与えられた、偽りの気付き。ファールの中にあるファムタとしての記憶は、女王によってファムタから写し取られた模造品に過ぎない。

 そんなことはないと、言ってくれる子はもういない。あるいは、言ってくれたとしても……自分自身がもう、自覚している。

 

「……私はもう、ファムタには戻りたくない。ファールだよ。私は」

「うん」

「だから──私が、私でなくなる前に。ファールが、ファムタと混ざってしまう前に」

 

 覆い被さる。仰向けに寝転がるファムタの上に、ファールが。

 蔦の手足を絡ませて、涙を流して。

 

 ファムタの口に、キスを落とす。

 

 

 ──食べて。

 

 

 その耳元でそう、囁いた。

 

 

*1
正確には年の離れた双子とでもいうべき存在

*2
最初から期待はしてないけど

*3
というか羊の魔物種は

*4
もっとも、マルダハ含む莽の旅人たちは200年から300年ほど活動しているのだが




魂には性質がある。魂を見ることが出来る者ならば、それに名を付ける事も出来るだろう。付ける者によって多少の違いはあれど、意味は同じ。名付けの本人が、その意味を知らぬという事はあり得ない。なれば──。


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科学世紀の悪魔(仲間と笑い合う日常)

 技術的特異点(シンギュラリティ)──頭止め、あるいは袋小路に入っていた技術の発展が、人類よりも優れた知能存在の出現によって、人類の一切を不要とした次なるステージへと進んだ時点を指す。

 どこか別の世界の、高度に発展しきった技術力を人類が持つようになる惑星でさえ、何十億と2045年の果てに手に入れるとされたそれは──しかし、この世界においては()()()()()()()()訪れた。訪れて、しまった。

 

 その時世界は様々な問題を抱えていて、その一つに資源不足──あるいは食糧問題があった。世界に溢れる人口に対し、食料が足りない。飢えて死ぬ人間がいない日はなく、その数はどんどん膨れ上がっていく。

 

 これを前に人類は、食糧問題をどうにかする、ではなく医学を発展させる、という選択肢を取った。

 

 術式という、「自らの魂が世界に影響を及ぼす可能性」を消費する不可思議な力がこの世界にはある。それを扱う技術と共に文明が進んできたから、多用は控えるように学校で習うとしても、小さな子供ですら力の扱いに長けていた。

 その術式を用いて、人々の命を助ける、寿命を延ばす、という、本末転倒な……けれど、ある意味で正解の方向へ進んでいく。医学──それも、人体工学の方向だ。

 怪我をすればその治療を出来るだけ痛みを覚えさせずに迅速に、部位が欠損すれば生体となんら変わらぬ感覚を持つ義手を安価で提供。果ては足腰の立たなくなった老人をして、若い頃のように動けるボディへと()()を提案する。

 

 いつしか人類は、隣を歩く者が完全な機械の身体で、どこかに安置されたポッドに脳だけが浮かんでいる、という()()()()()()()にも慣れ、肉体からの脱却を図っていった。

 

 ただ、脳だけ。脳だけは機械に変えられない。自らの人格を転写した人工知能は作れても、それを脳として用いてしまうと、術式が使えなくなるのだ。つまり術式とは「自らの魂が世界に影響を及ぼす可能性」を消費するものであるから、それが消費できなくなっている──可能性を失い、魂が宿っていないのだと、そう結論付けられた。

 事実、人工知能として脳をチップに代替してしまった者は、それ以降新しい発見や発展、アイデアを出すことが出来ず、つまり転写時点でセーブされたままにしかならない、という残酷な打ち止め結果に終わってしまったのである。

 

 術式は文明の発展に欠かす事の出来ない要素だ。無機物に魂を宿らせることは出来ないから、脳だけはどこか安全な場所に置いておかなければならない。そしてどれほどの延命を行っても、脳は寿命を持つ。死だけは、死からだけは、逃れられない。むしろ身体が悪くなってくるというサインが無いから、突然死ぬ、という恐怖が人類全体を襲い始める。

 脳をなんとか無機物に、寿命のないものに変えたい。魂をどうにか無機物へと宿らせたい。

 

 その願いが、ある扉を開いた。

 

 悪魔。その概念自体は遥か古来からあれど、眉唾と言うか、ファンタジーな御伽噺として捉えられていたそれが、実際の生命として現れたのである。とある科学者集団の悲願の成果──とでもいえばいいだろうか。自らの持ち得る"可能性"の全てを用いて、()()()()()()()()()()()()()。あるいは、()()()()()()()()()()()()()()のである。

 

 悪魔は、無機物に魂を宿らせる術を持っていた。

 否、悪魔が無機物に魂を宿らせる術を独占していたからこそ、人類がそれを扱うことが出来なかった。マッチポンプ。どうせこれが必要になるだろう、という事がわかっていたから、先回りして独占し、必要になってどうしようもなくなった人類に対して取引を持ち掛ける──。

 

 悪魔たちは、どうしようもなく、悪魔だった。

 けれどその事実は人類に知らされることなく、笑顔の裏側で虚無へと放り込まれた。

 

 かくして契約は成立し、取引は為される。

 

 人類が得たのは無機物に魂を宿らせる術と、その法則の所有権。悪魔に売り渡したのは、もし死を迎えた場合のその魂と、一部の居住スペース。扉から現れた悪魔は一匹ではなく、だから住む場所が欲しいと。

 人類は快く応じた。なんだその程度ならと、快く。だってその時は既に死は脳の寿命以外に直面する事は無く、その脳でさえもこれから魂の宿るチップに代替される。人類は死から解放されるのだから、もし死を迎えた場合、などというのがまず起こらない。

 居住スペースもまた同様に、肉体からの脱却を図ったことで、それまで必要不可欠とされていたモノ──主に食料関係の土地がいらなくなった。だからそこを好きに使っていい、と。

 

 人類側にデメリットのない、なんと良心的な取引だろうか。

 

 こうして人々は新たなるステージへと進む。無機物に魂を宿らせる法則を手に、新しい時代へ。

 

 

 

 

「こんなところが、ここの歴史よ。……聞いている? マルダハ」

「え、ええ。聞いているけれど……とても信じられないというか、理解できない事が多いというか……」

「どんなところが理解できない? 大丈夫、時間はたっぷりあるから。そうだ、マルダハも、その体は不便でしょう。早い所替えてきてしまうといいわ」

「け、検討しておくわ」

 

 とあるマンションの一室。そこにマルダハはいた。彼女の後ろにあるベッドでは、すやすやと寝息を立てるディアスポラが時折寝返りを打っている。窓を閉め切っているから、とても静かな空間。

 そんな窓の外では、夕焼け色が空を覆い、時折高速で移動する人影が目に入る、そんな光景が広がっていた。窓から下を見下ろせば、美しい夜の都市が目に入る事だろう。

 

 ディアスポラに連れられてこの都市にやってきたマルダハを確保したのは、アウラだった。

 王家の三姉妹の母親──莽の旅人たちの一人である、"哺乳類"の魔物種の一人、アウラ。女王による一斉転移で回収されなかった事で行方不明になっていた彼女が、そこにいた。

 他の旅人たち、オーロラを初めとした5人が、つまりは行方不明の6人全員がここにいるのだという事を知った時には、マルダハも安堵の息を漏らしたものである。

 

 そして。

 

「お母様、ただいま。……あら? ターニア……じゃない、マルダハじゃない! 貴女もこちらに来たのね?」

「えーと……もしかして、ローラ?」

「あぁ、そっか。貴女と最後にあったのは、皺くちゃのお婆ちゃんだったから……ふふ、どう? こっちに来てボディを変えて、あの頃の私に戻れたと思うんだけど?」

「そう、ね……。ああ、そういえばそうだったわ。あの無駄に豪華絢爛な無駄に輝いた無駄に着飾った三姉妹の内の一人は、確かこんな顔だった」

「田舎の青臭いチビ女が良く言うものね~。けど、その時代はもう脱したから」

 

 亜人種だったはずの、王家の三姉妹も、ここで生活を送っているという。

 もうあの別れから300、400年が過ぎている。亜人種の寿命では耐えられないその時間を、しかし当たり前かのように彼女らは生きていた。

 それはつまり、彼女らはもう。

 

「貴女も、全身……機械、というものになっているの?」

「ええ、勿論。むしろ生体を持ってる人なんて、極僅かよ。だってデメリットしかないじゃない。臨機応変にボディをカスタマイズすることだって出来ないし、年数を経ると機能低下まで見られる。あんな皺くちゃの身体でいる意味がないわ~」

 

 それは、生きていると。そう言えるのか。

 マルダハとて、ターニアが首を落とされ、心臓をくり貫かれ、何やら怪しい薬液に漬けられ、女王の手によって拵えられた肉体に意識を植え付けられた存在であると言える。生まれ変わり、あるいは転生。記憶が続いているから、マルダハは己をターニアの生まれ変わりであると認識できているけれど、ターニアである、という自覚は薄い。だって、容姿が違う。声も身体能力も違う。好きな──食べられるものが増えたけど、それだって味覚が変わった、と捉える事も出来る。

 少なくともマルダハは客観的に今の時分とターニアを並べて、それが完全に同一である、とは言えなかった。

 

 それを。

 それを、全身を金属に代え、脳も心臓も機械とやらに替え、肉体に刻まれた歴史さえも変え──果たしてそれが、生まれ変わりなのか。同一なのか。彼女が彼女であるという証拠は?

 その、魂とやらが。誰に見える? 誰が確認できる?

 

「そ……れで、結局ここはどこなのかしら? 黎き森の外であるのは確かだろうけど、大陸中を回ってみても、こんな場所は無かった」

「ここは、地下よ。外に見える空は、実は人工物なの。時間によって色を変える。あれの向こうに、マルダハたちのいた地表がある。人類は空を不要としたのよ。天候を制御するには、空なんかない方が都合が良かった。防水はしっかりしているとしても、水気は無いに越したことは無いの」

「……地下」

 

 ではやはり、ディアスポラに連れられて扉をくぐった時、落ちていったのは……そういうことなのか。

 

「ディアスポラは、どうしてここを知っていたの?」

「さぁ。あの子は千何年か前からここに出入りしているけど、どこに住んでいるのかは知らないわ」

「千何年……? 貴女たちがいなくなったのは、多く見積もっても400年前くらいだと思うのだけど」

「こっちは時の流れが速いのよ。そっか、その辺りの知識も地表には無いのね。大丈夫、ここにいれば自然と高度な知識と技術を自分のものに出来るわ」

「……頑張って、覚えるわ」

「脳をチップに代えてしまえば頑張る必要はなくなるのに」

 

 何故それをしないのだろう、という純粋な疑問の映る瞳。

 けれどマルダハには、それがどこか無機質なものに見えて仕方が無かった。

 

「まぁ、今日はゆっくり休むと良いわ。肉体は疲労をするものでしょ? 私達はもう、睡眠を必要としないけど……あ、確か肉体は排泄や食事が必要よね。……食料を扱う場所、近くにあったかな……」

「食料に関しては、私は魔物種だから、すぐに取らなければ倒れてしまう、という事はないわ」

「魔物種! 久しぶりに聞いたわ、その単語。けど、マルダハ。ここではあんまり魔物という言葉は使わない方が良いわ。良い意味ではないから」

「……わかった」

 

 とりあえず頷いておく。けれど、納得は行かない。

 魔物種は、魔物種という種族は、少なくとも亜人種だったターニアにとっても、そして魔物種として生を受けたマルダハにとっても、良い言葉だ。尊敬する母がそうであるし、莽の旅人たちを銘打つ代名詞でもある。

 何か──致命的に、何か。かつて"哺乳類"の魔物種であったアウラは、マルダハと違う存在になってしまった。そう、感じる。

 

 黎き森に帰りたいとは思わない。けれど、ここに長くいるのも、不味い気がする。

 そんなジレンマが、マルダハを苛んでいた。

 

 

 

 

「本当、マルダハ、どこへ行っちゃったのかな……」

「こんだけ見つからねえんだ。死んだ、って考えんのがまぁ自然だわなぁ」

「……」

 

 ここ半年、マルダハの姿を見ていない。

 ディアスポラに連れられて森の奥へ入っていったきり、行方が分からないのだ。最初にいなくなったとき、テリアンやアイオーリ、他協力的な魔物種で黎き森の全面捜索を行ったが、マルダハも、ディアスポラも見つからなかった。

 この閉じた黎き森で見つからないとなれば、答えは自ずと見えてくる。死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)に取り込まれ、命を落とした。あるいは何らかの要因で命を落とし、死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)に掃除された。そのどちらかだ。

 

 あるいは女王の実験体として連れ去られた、という可能性もあるか。

 

「落ち込んでたってどうしようもねぇだろうよ。アイツが弱かった。それだけだろ?」

「……」

「あー……、なんだ。まぁ、オレも少ないとはいえ友人がいたからよ、気持ちはわかる。多分、他の奴のいう事が正しいなら、黒き海に飲まれちまったんだろう。死んだってことだ。それについては、まぁ、多少。残念に思う気持ちはあるぜ」

「……貴女に友人を想う気持ちなんか、あったのね」

「見えねえだろ?」

「ええ、全く」

 

 まさか他人にほとんど興味を示さないテリアンに慰められるとは思っていなかったから、シオンは少しだけ笑ってしまった。シオンの前で、獅子の顔がニッと笑う。

 

「仕方ねえ事を嘆いたって仕方ねえんだよ。前を向け、前を。アンタは……まぁ、割といい女だと思うぜ、オレは」

「何それ。もしかして私を口説いてる?」

「は、どっちも女じゃ世話ねえな」

「元男でしょ、貴女」

「じゃあ付き合ってみるか? オレと」

 

 獅子の顔が、笑みを深める。

 付き合う、なんて言葉はとても久しぶりに聞いたものだから、シオンはさらにおかしくなって笑ってしまう。かつて人間嫌いとして名を馳せていた癖に、随分と人間種らしい事を宣うものだ。否、魔物種はみんな、どこか人間種らしいところがあるのかもしれない。マルダハも、莽の旅人たちも、どこまで行っても泥臭くて、全然芯が定まってなくて、目的もブレブレで。

 でも、最初から最後まで同じ意見しか主張できないような停まった存在であるより、そういった泥臭い方が、シオン自身、好きだと思える在り方だ。

 

「遠慮しておくわ」

「おい、今のは乗る流れじゃねえのかよ」

「私はもっと可愛らしい子が好きなの」

「マルダハみてぇな、か?」

「……ええ、そうね」

 

 認める。

 同時期に魔物種として生まれ落ちた、元競争相手。

 それが長年連れ添って、親友となり、相棒となり……いつしかそれ以上の感情が、彼女に向いていた。

 

 魔物種と魔物種では、生殖活動は行えない。男性の魔物種というのが存在しないからだ。魔物種は自己増殖で増える事が出来るから、というのもある。それぞれの素材となった動植物と同じような生殖器官を持っているから、一部雌雄同体のものもいるけれど、やっぱり生殖活動は行えなかった。女王が出来ない様に調整したのか、はたまた別の理由か。

 魔物種と魔物種の子、というのは産まれない。

 

 だから、ただ、好き。

 結婚したいとか、交わりたいだとか、そういう事は特になくて、ただ好き。

 それがシオンの、マルダハへ向ける想いだ。

 

「はン、じゃあもっと信じたらどうだ。アイツが生きてるってよ。オレの言葉になんか、惑わされんじゃねえよ」

「……そうね。その通り。本当……貴女が本当にタッシュだったのか疑わしくなるわね。それとも荒れてさえいなければ、元からそういう性格だったの?」

「知らねえよ、そんな事。あの頃の気持ちなんか思い出せねえからな。それに、オレに関しちゃ融合種の魔物種だ。だから多少、あの時殺した……あー、ルビーなんとかの兵士の性格が混じってる可能性もある」

「それ、平気なの? 自分が自分じゃないかもしれない、って……」

「今自分が自分なら、それでいい。タッシュって男が死んだのか、生まれ変わったのか、人間種の兵士に埋もれちまってて、実はオレはあのクソ親父と何らかかわりのない誰かなのか。どうでもいいな。オレがオレとしてここに生きてる事に、何にも変わりはねえだろ」

 

 それは。

 けれど、シオンには受け入れられない考え方だった。シオンはあくまでリリアンで、リリアンという記憶が続いているからこそ、シオンでいられる。リリアンの矜持や嗜好、考え方が、今のシオンを形作っている。

 だって、怖いから。

 今も──あの、女王の倉庫の中に、自分の首と心臓があって──もし、女王がそれを蘇らせる術を持っていたら、じゃあ、果たして、シオンは誰になる?

 シオンがリリアンの"続き物"でなかったら、じゃあ、シオンはどこから来た。それが、わからないのが、怖い。

 

「あー、また湿っぽくなっちまったな。話題を替えようぜ」

「ええ、いいけど……こういう湿っぽい空気は苦手?」

「苦手だな。もっとスッキリしてた方が、気持ちがいい」

「そこはとっても貴女らしいのね」

 

 やっぱりテリアンは、タッシュとは少し違うのかもしれない。どれほどの割合がタッシュで、どれほどがタッシュでないのか。それは多分、女王にしかわからない。女王が教えてくれるなんて思えないので、一生わかる事は無いのだろう。

 けど。シオンは無理だし、怖いけど。タッシュはそれでいいんだと、そう思える。

 

「それで、話題って?」

「あぁ、弱っちい奴ら……ほら、草食動物の魔物種共が話してたんだけどな。シオンお前、悪魔、って知ってるか?」

「──」

 

 唐突なその単語に、息を飲んでしまう。

 けれどシオンは、なんとか取り繕って、言葉を反芻する。

 

「悪魔……というと、死の間際に魂を掠め取りに来る者達……の事よね」

「ああ、それだそれ。んで、死に目に現る悪魔を恐れよ、決して名を教えるな、奴らに隙を見せたら最後、魂を奪われ虚無に沈む。死に目の妖精(ポンプス・イコ)よ、死に目の妖精(ポンプス・イコ)よ、我らの魂を守れ守れ、どうか最後の揺り籠へ……ってのが、魔王国にあった子守唄なんだけどよ、こっちは知ってるか?」

「勿論、私も魔王国の出身だもの。まぁ、死に目の妖精(ポンプス・イコ)から後ろの歌詞は、私の時代には無かったから、後付けだと思うけど」

「へぇ、そうなのか。じゃあまぁそこはいい。で、問題はこの死に目に現る悪魔ってトコな」

 

 シオンの内心も知らないで、テリアンは続ける。

 

「──見た奴がいるらしいぜ。森の中で。死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)に襲われて死に掛けた奴が──悪魔ってやつを」

 

 

 

 

「……なぁ、どう思う?」

「何がですか」

「そりゃ勿論、現状について、だよ」

「抽象的過ぎませんか? もう少し具体的にお願いします」

「……自然派、とかいう宗教に担ぎ上げられて、こうして椅子でふんぞり返ってる事」

「貴方、魔王では? ふんぞり返る事はお得意でしょうに」

「……」

 

 地下──。

 そこに、遠方に見えるビル群には似ても似つかない、巨大な金属の城があった。

 木々に囲まれた真っ黒い城。威圧感の塊みたいなそれは、そこそこの土地面積の上に建っていた。

 

 人々はこれをこう呼ぶ。

 新・魔王城と。呼んでいるのはこの城に住まう者だけなのだが。

 

「500年くらい、か? 今日で……俺達がここに来てから、経った時間」

「そうですね。この作られた空が偽りでないというのなら、そうなのでしょう」

「ああ、ティータさんはこの空が嫌いなんだっけ?」

「雨を降らせない空など、存在意義がわかりませんね」

 

 フィルエルとティータ。

 二人はそこで、魔王とその秘書をやっている。秘書である。大臣とか副王とか妃とかじゃなくて、秘書。

 

「……水やり、行かないとな」

「いつも感謝しております。この広範囲に水を撒くことのできる者など、限られていますから。機械達は水を使いたがりませんし」

「あの黒き海を泳いだ後から、ほとんど無制限に術式が使えるようになったんだよな……なんかすごい効能のある水だったのかもしれん。どうにかあれを引いて、城内に温泉でも作りたいものだ」

「……悪趣味ですね、魔王様」

 

 真っ黒い湯に、本当に浸かりたいと思うのか。

 ティータは内心と顔で魔王を小馬鹿にした。

 

「自然派、ねえ」

「宗教はお嫌いですか?」

「良い思い出は無いな……。父上も魔王国に宗教はいらないと言っていた。ただ、女王に感謝だけしていればいいと……あ、悪い」

「いえ。もう、終わった事ですから。500年も前の話です」

 

 この都市には、かつての魔物種や亜人種、人間種が多く身を寄せていた。それらのほぼすべてが機械の身体を手に入れていて、けれどその中にティータの娘たちはいなかった。知り合いもまた全員が全員この都市にいるわけではなく、来ることが出来なかった、とされる者も少なくは無い。

 女王という単語に過剰反応する程、心の整理が出来ていないわけではなかった。

 

「宗教は、弱きが強きヘ立ち向かうには必要なものだろう。だから俺には必要ないし、ティータさんにも必要ない。でも、弱きが強きヘ立ち向かえるようになるって事は、弱きを担う者がいなくなるってことだ。世の中には天秤があって、どちらかに傾けば、どちらかが割を食う。……弱い者は弱いまま、強い者は強いままでいたほうが、平和なんだよ」

「強き者の主張ですね」

「まぁ、そうだな。俺はずっと王家の人間種で、よくわからんが術式の強度も魔物種並み。傷を付けられてもすぐに治るこの身体じゃ、弱き者の立場はわからん」

 

 それは恐らく、ティータも同じ。

 魔物種の中でも強力な部類なティータに、弱者の立場はわからない。はじめから王族と恋に落ち、迫害を受ける事も無かった。

 

「では、担ぎ上げられるのは許容しないと?」

「……言ってる事は理解できるし共感できるのがなんともな。俺も機械の身体になりたいとは思わないし、ティータさんもそうだろ。人間は……あ、人間種も亜人種も魔物種もな、みんな、肉体があって、死がすぐそこにあるからこそ、生きてるって、そう言えるんだと思うんだよ」

「貴方がそれを言うんですか」

「息子に化け物と言われた俺じゃ、説得力はないか」

「……いえ、すみません。これに関してはこちらの失言でした。私もその考えには同意ですから」

 

 この城にはそういった、機械になる事を拒否した者たちが集まっている。この都市に元々いた者は、部位が義足や義手であったりはするものの、完全に機械になるという事だけは嫌だとここへ逃げてきた。そして落ちてきた魔物種もまた、機械になる事を拒んでこの城に住んでいる者がいる。

 残念ながらこういった思想を持っていた亜人種や人間種の自然派は、もう亡くなってしまった。

 

「俺達も──いつかは、機械を選ぶのだろうか」

「私は、"森"の身体を捨てるくらいなら、燃えて死にます」

「……じゃあティータさんが燃えて死ぬまでは、俺も肉体であり続けるよ」

「魔王様はそもそも体に手術刀が入らないじゃないですか」

「そうなんだよな……」

 

 ここは新・魔王城。

 魔王と秘書の雑談が、年がら年中響く場所。

 

 これがテロリストとさえ罵られる自然派のトップ2の姿であった。

 

 

 

 

「──これで、最後、だぁぁああ!」

 

 ガゴン! という硬質な音。明らかに今までの砂……海底に積もっていた地表とは違う、なんか金属っぽいめちゃくちゃ硬い岩盤かなんかを、黎樹が貫く。

 瞬間、ごぽっ……という気泡のふくらみ浮かぶ音と共に、黎樹トンネルの中の黒水が急速に減り始めた。やっぱり中に空間があるのか。黎樹アンテナの位置と海底の深度があまりにも違ったから、おかしいとはおもってたんだ。

 

 地底とか……やっぱファンタジーだな。

 とりあえずそこから黎樹を伸ばしていく。おお、するする伸びる。今までのクソめんどい工事とは打って変わってもう気持ちがいい程に伸びる伸びる。行け行け! 俺の鬱憤はこんなものじゃないぞ! 早く終わって研究させろ馬鹿野郎! というか研究は後でも良いからぐーたらさせろ!

 

「……結構でかい空洞なのか? 黒水の抜ける速度が緩まらんな」

 

 この水がめちゃくちゃ重いってのもあるんだろうが、黒水の抜ける先もかなり広そうだ。それ、地盤とか大丈夫なの? よくここら一体陥没しなかったな……。というかどういう構造してるんだこの星。

 

 黎樹を空洞の天井だろう場所に伝わせて伸ばしていき、さらにさらに、さらにさらにと広げていく。まだ黒水が付着しているからだろう、分身体は使えない。だる。

 しかし海底にすら有機物が混じってなかった辺り、ちょっと怖いんだよなー。今までの労力が無駄にならないと良いんだが。俺を働かせたんだ。ちゃんと見返りがないと割に合わん。

 

 さて──お!

 

「見つけたぜ、栄養分……!」

 

 こいつは、当たりだ!

 

 




ティータが敬語なのは、フィルエルは別に良いって言ってるのに頑なに取ろうとしないからなんだぜ! ターニアに関して恨みでもあるのかな! はは!


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やっぱり自動が一番!

注意.R15表現、残酷な描写があります。グロテスク寄りです。


 人類が肉体を脱却してから、年齢という概念は過去のものとなった。

 子供でいたい者は子供として、知識制限を受ける。難しい事は考えなくていい、ではなく、難しい事は考えられない。考えるに至らない。故に無邪気で在り続けられる。

 大人でありたい者は大人として、知識共有をする。チップ性能が同じでも、魂の規模によって個人差、言い換えるなら人格というものが現れるから、議論にはなる。善悪感情、損得勘定。好悪好嫌。知らない事は無いけれど、意見が違う。新しい技術に対しての理解度が全員同じであるまま、それに付随するメリットデメリットをそれぞれが判断する。

 

 だから、成長という概念も捨て去られた。そのままでいい。そのままであれば、問題ない。

 奇しくも弱者は弱者のままであれという、どこぞの魔王の思想と同じそれが、この都市エイビスの基本思想である。

 

「マルダハ、おはよ!」

「ええ、おはよう。エミリー」

 

 エミリーは子供だ。子供だから、毎日楽しく、学校に通っている。学校と行っても勉強をする場所ではなく、ただ友達がたくさん集まって、色々な遊びが出来る……それだけの場所。毎日が楽しくて、毎日が楽しくて、毎日が楽しくて、毎日が楽しい。それだけでいい。

 そんなエミリーは、少し前に学校へ編入してきたマルダハという女の子と仲が良かった。マルダハは未だ肉体を残している変わり者で、おへそに変なペイントをしているのも相まってか、クラスにもあんまり友達がいないみたいだった。

 

 だから、()()()()()()()()()()()、エミリーはマルダハと仲良くなったのだ。

 

「ねねっ、昨日の続き、話してよ!」

「ああ……どこまで話したかしらね」

「オーマさんと出会った所! もー、共有してくれればすぐわかるのにー」

 

 マルダハは絶対に自分の知識を共有しようとはしてくれなかった。とても面白い話を作るのが得意なようで、全部見てみたいとエミリーがお願いしても、「私はそういうのじゃないから」と言って見せてくれない。楽しかった事や嬉しかった事は共有して、一緒に気持ちを楽しむものなのに、マルダハは独り占めをしてる。

 だからエミリーはこうやって、わざわざ発声機能なんかを起動して、話を聞く以外に面白い話を知る術が無かった。

 

「ああ、そう、オーマと出会ったのは私達が国を旅立ってから120年が過ぎた辺りの事よ。ファムタの顔を見るなり駆け寄ってきて、"あぁ、貴女はファムタさんではないですか? ああ、やはり……夢で見た通りだ"なんて言いながら、彼女の手を握ったのよ」

「なんで手を握るの? 接触式でしか共有が出来ないのかな」

「さあ、余程感激していたのでしょうね。その後オーマが"少しお時間頂けないでしょうか"って言って」

「あ、やっぱり! 共有に時間がかかるんだ。大昔の接触式は今みたいにパパっと出来ないんだよね!」

「そこで私達は、この世界の仕組みについて、知ったわ。勿論その時は何を言っているんだろうって、妄想も大概にしておきなさいよ、なんて思っていたのだけど」

「信頼性のない情報だったの? だめだよ、そういうのは大人達が検査してから、共有可能の制限が解除されるんだから」

 

 マルダハの話はところどころおかしな点があったけど、知識に該当するストーリーがどこにもなくて、だから面白かった。聞いた話は全部録音して記録データにしてあるし、共有も続けている。マルダハの話はもうこの都市の全員が知っているけど、興味が無ければ触れる事も無い。

 こうやって、創作物というのはみんなで楽しむものなのだ。

 

 全部聞き出してさえしまえば、その話を元に沢山の創作が広がりを見せてくれる。

 

 もっと話を。

 

「オーマはね、そんな私達を見て、こう言ったのよ。黎き森の女王は──」

「黒?」

 

 その時、ちゃぷ、と。

 この都市ではまず聞かない音がした。それはエミリーの足元。そんな必要はないのに、エミリーはマルダハの方を向いて話を聞いていたから、気が付かなかった。

 足元に黒い水溜まりがある。

 

「なにこれ……泥?」

「……あ」

 

 強い衝撃。エミリーから、都市全体へアラートが発信される。

 

「エミリー? ……え」

 

 マルダハがエミリーへと振り返った時、エミリーは顔の半分を失っていた。断面からは、複雑な機械類や基盤が顔を覗かせている。

 ごしゃ、くしゃ。驚いているマルダハの前で、二度。エミリーの身体が潰れた。マルダハの魔物種としての動体視力が、何が起きているのかを捉える。

 

「黒い──水」

 

 それが──もうボコボコに潰れてしまっているエミリーの残骸を、完全に押しつぶした。

 

 

 

 

 人類が地下へと移住してから長らく直面してこなかった緊急事態。自然派と呼ばれるテロリストが出る事はあれど、肉体持ちなんかすぐに鎮圧の出来る技術力を彼らは有していて、都市全体に緊張が走る、なんてことは一度も無かった。

 

 初めに気付いたのは誰だったか。空の色が変わった。それは青空から夕空、夜空へと変わる普段通りのソレではなく、先ほどまで青空だったそれが幾度か明滅して、夜空よりもさらに暗くなるという、明らかな異常。事象の映像を"大人"に共有すれば、すぐさま解析が行われる。あるいは未知の事象であると、喜んだ者さえいたかもしれない。

 だが、次の瞬間都市全体に放たれた緊急事態のアラートは、それが脅威であるという事を示していた。

 発信元は子供。耐久限界を超える衝撃によるボディの大破。黒色の液体が、耐ショック性能に長けた現代のフレームを叩き潰したというのだ。

 

 それを嘘だ、などと揶揄する者はいない。アラートにさえなかった情報は、正確である事が当たり前だからだ。大破の瞬間までの映像、そして周囲の人間の目やカメラから得られる情報を既に何十万の者が研究、考察し始めていて、潰れた子供のボディも完全に壊れきるまで情報の発信を続ける。

 

 しかしそれは前兆に過ぎなかった。

 

 天空──天板。人工物の空に、先ほどから不具合を発していた空に大穴が開く。そこからどろりと出てきたのが、先ほど子供のボディを潰した黒色の液体。水滴の一つ二つであれほどの衝撃を見せた、未だに解析の終わらぬそれが、ビル一つを覆い隠すほどの範囲で降り注ぐ。

 その下にいた者は、逃げる間もなく潰された。逃げる必要がなかった、というのもある。だって彼らの本体と言えるチップは、もっと頑丈で安心の出来るところに保管されているのだから。勿論、始めに潰れた子供も。

 

 だから、潰れたボディは情報を発信し続ける。粘性、重さ、通電性や可燃性など、様々な性質を壊れるまで試す。

 

 結果は出た。

 どうしようもないという、結果が。

 

 その事実が、都市全体に共有された。

 

 

 

 

 黒水襲来事件で俺は、二つの知見を得た。

 一つは、放し飼い良くない、って事。放し飼いにしてたから失ったキマイラ娘ズとか、他の魔物娘とか、自分の管理下にないと失った時の後悔がパない。っぱない。

 だからまず、すべての魔物娘に黎樹の種を埋め込む事にした。GPSみたいなもんだ。黎樹は俺の分身体が宿るもので、種の状態だと実体を持つレベルの量は込められないが、位置くらいはわかる。さらにはいつでも模倣転移術を使用できる。どんな場所にいても、だ。種に触れてさえいればいいから、種が体内にあれば必ず触れていることになる素晴らしい仕組み。

 

 埋め込む場所は首と頭と脾臓。どこか一つにすると信頼性に欠けるからな。既に森の中にいる魔物娘には黎樹の種を埋め込んであって、常に俺の管理下にある。ただ俺がマルチタスク無理だから、森のどこにいるかがわかる、ってよりは森の外にいないかがわかる、って感じだな。全部を把握しておくとか無理無理。

 

 これで森にもしもの事があってもすぐに対処できるだろう。主に黒水が入ってくるとか。

 

 二つ目は、勿体ぶらずに使っちゃう、という事。

 

 もう結構な数の魔物娘を減らした。大きい奴以外いらないからな。アルディーカとオーゼルは有用性があるから話は別だけど、複製が出来る以上"魂の規模"が小さい奴を沢山揃えるより"魂の規模"が大きい奴だけを残した方が良いだろ? 感情を揺さぶって成長させ続けるオリジナルと、"魂の摂取"のために産んですぐに殺す複製体。名前はまぁ、いいだろ。流石に膨大になるからな。

 

 で、さらに言うと、いちいち俺が手ずから複製する、ってのは面倒。今まではそうしてたけど、どうにか自動化を図れないもんかと考え中、ってわけである。

 

「女王……!」

 

 用意したのは獅子の魔物娘、アイオーリだ。この森においてはディアスポラとテリアンとシオンが横並びに"魂の規模"がでかいんだけど、ディアスポラとテリアンは融合種なのでサンプルには向かないし、シオンはなんか……うーん、そんな事あり得ないって俺が一番わかってるんだけど、敢えて表現するなら、不純物が混じってる……みたいな感じがするから止めた。

 なんで次に"魂の規模"が大きいアイオーリを選んだのだ。

 

 まず、アイオーリを支え木に括りつける。あれだ、アサガオとかの蔦を絡ませる奴。

 そうしたら今度は、ちょっと大きめの培養槽にそれごとアイオーリを入れる。足が付かない状態で支え木を立たせたら、いつもの薬液を入れる。酸素は問題ない。黎樹によって別途肺に転送してるからな。

 いつか"魂"は脳と心臓に色濃く宿っていて、他の部位にも2割くらいがあると述べたように思う。今までは"抽出元"がいらなくなるから頭部を切断して心臓をくり貫いていたけど、今回は"抽出元"には残っていてもらわないといけない。だからこうして全身を薬液に漬けて、複製に必要な"魂"をゆっくり抜き出していく。

 栄養も別途送り込んでいるから死ぬことは無い。一匹分の"魂"が染み出し終わった事を確認したら、一度薬液を排出。後は適当な肉塊にそれをぶち込んで放置だ。肉塊は一瞬だけ"生きて"、次の瞬間死ぬ。残念ながら薬液からそのまま"魂の摂取"で回収を行う、というのは出来なかった。一度別の生命として複製しないと死んだ扱いにならないのか、薬液のまま置いておくとアイオーリへと再融合してしまうのである。一応血液みたいな扱いなんだろうな。

 

 とまぁこうやって、薬液を注入して、時間に成ったら排出して、それを肉塊に注いで包んで、放置。っていう機構を黎樹で作り上げた。絡繰り細工、あるいはLG Machineか。あんまり上手く行ったとは言えないので今後も改良して行こう。

 

 んー、ちょっと放置して問題なく動きそうだったら、融合種も試してみるかね。

 

 

 

 

 足元から、生ぬるいものが上がってくる。薄い緑色の液体。それは足裏を撫で、腿を撫で、腰を、腹を、胸を撫でて頭に届く。液体が体内に入るのを防ぐことはできない。自らの体温より数度だけ低いそれは粘性を帯びていて、眼球の動きにさえまとわりついてくる。視界は緑に染まり、呼吸は浅い。息を吸っているという感覚はなく、喉には満遍なく液体があって、けれど咳き込む事さえできない。

 胃も腸も酷く重く、胸を膨らませる事さえ億劫になる。

 半日ほど、その状態。

 半日が経つと、緑色の液体は抜けていく。粘性の高さが液体を千切れさせることなく引っ張り出すものだから、何度もえずいて、けれど胃から何かが吐き出されるという事は無い。何も入っていない──液体しか入っていないのだから、当然。

 体内にある液体を貫くのは口だけでなく、耳もそうだ。耳から排出されるどろどろの液体が、喉から来るものの数割を運んでいく。

 

「──っは、っはぁ、っは……まったく、旦那も子供もいる女に……酷いことをする」

 

 衣服は無い。排泄の機能も使用して行われる液体の排出は、当然羞恥心を呼ぶ。誰も見ていないということは幸いであれ、自己に対する羞恥が消えるわけではない。

 

 自らの身体から出た液体は、ガラス瓶の下部に繋がった管を通り、水車だろう木車や滑車のようなものを通過して、奥の方に寝かされた肉塊へと注ぎ込まれる。液体が全て注ぎ込まれると肉塊は一瞬赤く脈動し、少しだけ跳ねて──()()()()()()()()()()()()()()()()その肉を此方へと膨らませ、しかし事尽きる。

 肉塊が動いている時間はまちまちで、幾度か、うめき声のようなものを発した事もあった。それがたまに、言葉に聞こえる。それがたまらなく、アイオーリの精神を蝕んだ。

 

 わかるのだ。わかってしまう。

 アイオーリはとても頭が良くて、直感にも冴えていた。

 

 あれは、自分だと。わかってしまう。

 

「──っ、すまないね……」

 

 誰に対しての謝罪なのか。夫か、息子……娘か。それとも、産まれたにもかかわらず生きる事の出来なかった、新しい生命に対してか。それがたとえ、自分であれ。

 新しい生命には変わりないと──そう言うのか。

 

 ごぼ、と足元で音がした。

 まただ。またここから半日、液体に漬けられる時間が始まる。

 

 アイオーリは気丈な魔物種だ。けれど、終わりの見えない地獄というのは──歯向かう相手すら見えない、ただ一人の地獄は、どれほどの精神力も打ち砕いてしまうものであった。

 

 ガラス瓶に液体が満ちる──。

 

 

 

 

「……クソッ」

 

 テリアンは荒れていた。最近の余裕はどこへやら、じっとしている事が出来ずに立ち上がってはその辺の樹木を殴ったりして、呼吸を整えて、頭を掻き毟って悪態をつき、吠え声を上げたりと終始落ち着きが無い。荒れて、落ち着かなくて──震えていた。

 

「母上……どこですか、母上!!」

 

 30年程前、マルダハが姿を消した。黎き森は出口が無いというのに、忽然と。その後ひょっこりディアスポラだけが帰ってきて、けれどディアスポラは何も話さなかった。

 その時はシオンが荒れていた。ディアスポラを親の仇の様に恨み、怒り、その度にテリアンが諫める程の荒れようだった。今は落ち着いているが、帰ってくると信じていただけに、その苦しみが大きかったのだろう、コミュニティの方へ顔を出す事も少なくなってしまった。

 

 テリアンは強い奴が好きだ。それが恋愛感情なのか好奇心なのかはテリアン自身にもわからないが、とにかくマルダハやシオンは強いから好きだった。ディアスポラも強い様だが、あれはよくわからないので好きかどうかもわからない。

 それが荒れていたら、苦しんでいたら、助けてやろうというくらいの気概は持っている。自分に出来る事があるならと、奔走してやるくらいの気持ちはある。

 だけど心のどこかで、弱いから仕方ないという気持ちがあった。マルダハは弱くて、ディアスポラは強かった。それだけだと。シオンも強いが、今は弱っているから、もうどうしようもないと。

 

 そういう理念が、テリアンの中にある。

 

 だから、荒れていた。

 

「──ァア!」

 

 テリアンにとって。あるいはタッシュにとって、母親たるアイオーリは最強の存在だった。父親とかいう得体の知れない奴でなく、しっかりとした理由を持つ強さ。獅子の魔物種。肉食動物の魔物種の頂点であり、思慮も働く最高の存在。

 事実魔王国の魔物種もアイオーリを前には機嫌を伺うような所作をすることがあったし、タッシュが生まれる前からアイオーリと共にいる者から話を聞いても、いつだって凄い方だとか、美しく強い方だとか、賛辞しか返ってこない。タッシュの前だから委縮しているのかと考え、友人に調査を依頼したことさえあったが、そこでも母を褒め称える言葉しか出てこなかったのを、とても鼻高々に思っていた。

 

 母上は強く、美しく、誰からも尊敬される存在。

 そしてそれは、テリアンになってアイオーリよりも筋力に秀でた今であっても同じだった。テリアンにない思慮深さや、経験から来る知恵。技術にもかなりの開きがあり、未だアイオーリに勝てた試しはない。

 

 だから、荒れる。

 この状況はマルダハと同じだ。閉じた森から、突然の失踪。それはつまり、死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)に取り込まれ、殺された──死んだのだと。そういうことにしか思えない。

 そんなに大事なら信じてやれよ、と言った。テリアンはシオンにそう言った。

 けれどやっぱり、シオンにとってのマルダハと、テリアンにとっての亜人種の男友達では、重みと言うものが違ったのだろう。そこに想いの差がある。差はあるのだ。半身を千切られる思いと、残念に思う程度の友人では。

 

 それが今、理解できた。

 

 テリアンにとって、母アイオーリは大切な存在だった。父親が()()だから、というのも大きな要因だ。アイオーリを失う事は、自らが死ぬことよりも余程恐ろしく、苦しい。それは適当な経験談に当てはめた慰めでは到底拭いきれる悲しみではなく、テリアンは自らの過ちを知った。

 

「──母上! 母上! どこに──どこにいるのですか! 返事を下さい──生きているのなら、どうか声を上げてください!」

 

 テリアンは森を駆け続ける。どこか、どこかにいないのか。

 けれどテリアンの中にある最強の存在であるはずのアイオーリであれば、どこにいたとしても、自ら帰ってくると……障害だろうが他の魔物種の罠だろうが、蹴散らして帰ってくるはずだと、そう叫ぶ。

 だから、帰ってこないのであれば──もう、どこにもいないのだと。

 

 死んだのだと。

 

「……──ッ!」

 

 慟哭。

 膝を突き、声にならない声を上げるテリアン。

 

 その背後に、ずるりと影が蠢いた。

 

 死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)だ。動物種を取り込む死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)が、ずるりずるりとテリアンに近づいていく。けれど、テリアンは天を見上げたまま動かない。だらんと腕を下げて、口を大きく開いたまま──動かない。

 

 弱いから、死んだ。

 弱い奴は死ぬ。強い奴は生きる。死んだ奴は、弱い。

 

 あるいはテリアンの中のタッシュが、そう、薄く嗤うのだ。テリアン程愛情に気付けていなかった、自らを認められなかったタッシュが、悪魔の誘いをかけるかのように──嗤う。嘲る。

 死んだ奴が弱いなら。母上が、死んだのなら。母上は──弱い。弱かった。それに勝つことの出来なかったテリアンは──もっと弱い。

 

 ああ、なら。ならば。ならば、ここで。

 

 弱い己は、死ぬべきなんじゃないか──。

 

「馬鹿言わないで、立ちなさい!」

 

 涙伝うその頬を、鋭い飛び膝蹴りがぶち抜いた。

 

 

 

 

「な、ァっ!?」

 

 膝の主は、シオンだ。けれど普段と格好が違う。

 黒い、光沢のあるぴっちりとしたそれが、シオンの煽情的なボディラインを一切隠そうともせずに強調する。露出の程もかなり多く、服としての役割を果たしているようには見えない。

 

 何より"人間種"の魔物種であるはずのシオンに、あり得ないものが付いていた。

 捻じれた角。蝙蝠の翼。三叉に湧かれた尻尾。

 

 なんとか身をひねって地面へと着地したテリアンは、素早く樹上へと上がる。そして一度、目をこすった。

 

「な──なんだ、お前、それ。人間種って、"そう"なのか?」

()()()()()。人間種は、"こう"なの」

 

 シオンが死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)を銛のようなもので突き刺す。すると肉塊は、その突き刺された辺りから石へと変貌していき──シオンが銛を抜いた事で、ばらばらと砕け散った。

 再び動き出す様子は、無い。

 死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)の完全停止。森にいる魔物種が誰も成し得なかった快挙。

 

 けれどそんなことより。

 

「お前……大丈夫、なのか?」

「貴女こそ。死のうとしていたようだけど」

「……」

「ごめんなさい。意地悪したわ。ちょっと、付いてきてほしいの。ちょっと話しましょう。アイオーリを助け出す話も、そこでね」

「!」

 

 シオンは。

 唇に人差し指を当てて、片目を瞑って。

 力強い笑みで、そう言った。

 

 

「この森から抜け出す算段が着いたわ──協力、してくれるわよね?」

 

 




シオンは気を許した相手には「うん」とか「~よ、~ね」という砕けた口調になるけど、まだ友達程度の関係の奴には「~ましょう、~かしらね」といった微妙に距離のある口調になるぜ!


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もしかして俺、なんかやっちゃいました?

 悪魔との取引には、裏があった。それに気付くことだって出来たはずだ。けれど、既に契約者は──悪魔を召喚せしめた研究者の集団は、「自らの魂が世界に影響を及ぼす可能性」の全てを消費しきっていたから、気付くことが出来なかった。その時点で研究者たちは凡人ですらない、ただの木偶の坊になっていたのである。

 

 悪魔たちは言った。法則を与える代わりに、もし死を迎えた場合の"魂"と、一部の居住スペースを貰う、と。

 

 人類の見落としは二つ。死を迎えた場合にある、"死の定義"が曖昧であるという事。そして一部の居住スペースに、広さに関する指定が無かった事。要らない土地ならいくらでも余っているから、と安堵した代表者は、しかしそのいくらでもが、まさか──世界全土を指すなどと、夢にも思わなかったのである。

 

 気付いた時にはもう遅かった。

 悪魔たちの作り上げた扉。そこから溢れ出る、黒い魔物たち。どれもが異形、どれもが醜悪。それらは瞬く間に世界を侵略し始め、土地という土地を占領した。人類は機械で立ち向かったけれど、無駄だった。魔物は無機物を食らう。食らって生き延びる。再生もするし、再起動もする。

 銃弾も、爆弾も、砲弾も、魔物には通じない。電撃を浴びせても、火炎を放射しても、高圧水で穿とうとしても、ダメだった。術式を用いた転移術だけが唯一有効打に思えたけれど、どこかへ飛ばされた魔物はその場所で活動を再開するから、対症療法にしかならない、

 

 食糧問題の時、人類は本末転倒な方向──医療を発展させ、寿命を延ばすという手段を取った。

 魔物によって人類が滅亡の縁に追いやられたその時、人類はまたしても──逃げる選択肢を取る。即ち、地下への移住。チップ化した人類は全体の7割で、残りはまだ脳のまま。けれど、待っている時間は無い。

 地下開発は迅速に行われた。情報の伝達速度にラグが無くなったことや、強引な意思統一が出来るようになったことは、主に開発工事においての必要日数を大幅に縮め、ほぼひと月で地下に巨大な空洞と、地盤を強化する補材を整える事に成功したのである。

 そうして人類は、地下へと移住する。チップ化した7割の人類と、それが追いつかなかった2割の人類が、地下へ。その頃にはもう地上は魔物の楽園になっていて、ヒトの住み得る場所はどこにもなかった。

 

 ただ一つ、とある火山を除いては、だ。

 

 地下に移住した9割の人類。けれど残り1割。チップ化も、義体も、何もかもを拒み、時代遅れと称された者達がいた。彼らに明確な名前は無かったけど、闇夜にも似た魔物に対し、暁天だとか朝焼けの、だとか……まぁ、聞くも恥ずかしいような、ちょっと格好つけて名乗ってしまった感じの呼称が文献に残されている。達筆で。

 彼らは各所に拠点を作っては魔物たちと抗戦し、危うく成れば逃げ、再度立て直しては抗戦するという、ともすれば泥臭い足掻きを繰り返したとされている。

 紅炎の奇跡(ノルー・イェストル)。それが、彼らが外周を回るようにして抗戦を続けた火山の名である。無論、自ら達を暁天だとか朝焼けのだとか呼称していた筆者と同筆者である事は言うまでもないだろう。

 

 ああ、けれど、データの共有を行えない人間と言うのは──確実でない手段でしか意思疎通が出来ない個々というのは、やはり信用に欠けるものである。

 

 残された人類にはしかし、裏切り者がいた。

 

 悪魔信奉者──。

 研究者たちによって召喚された悪魔は、言わずもがな人類の敵である。なんせ、その配下にある魔物を世界に解き放った張本人たちなのだから、当然。

 けれど、それでいいと。それが正しいのだと、妄信する者たちがいた。肉体は肉体であるべきだと……それを選ばない人類はヒトに非ず、滅ぶべきだと唱えるその過激派。彼らは悪魔を裁定者として仰ぎ、自分たちをこそが人間種であると主張する。人類種から分かたれた人間種。地下へ行った者達を人工種として蔑み、嘲笑う。

 

 朝焼けの者達と悪魔信奉者は対立した。

 魔物との生き残りをかけた闘いの最中であるにも関わらず、彼らはいがみ合い、罵り合い、分裂する。朝焼けの者達は自ら達の手で一刻も早く人類を再建すべきだと言い、悪魔信奉者はヒトでなくなった者達を先に滅ぼすべきだと言うのだ。

 両者ともに勝手にしろ、という風には出来なかった。残された人類は少なく、協力しなければ魔物を撃退する事も敵わない。朝焼けの者達も悪魔信奉者も、互いが必要である事は間違いなかった。相手の意見は飲めないけれど、戦力は必要だと。

 

 そんな、美味しそうなもの、悪魔が逃すはずもない。

 

 悪魔はまず、信奉者たちに接触した。

 ──悪魔の血を飲んでみる気はないか、と。それを飲めば力が手に入る。身体能力の向上、知能の増加。術式の扱いも各段に上手になる……と、つらつらメリットを並べる。信奉者たちは受け入れた。これで朝焼けの者達がいらなくなる、と。

 

 悪魔は次に、朝焼けの者達に接触した。

 ──自分たちと契約する気はないか、と。人類と契約したのは一部の居住スペースで、全部ではない。だから、それを明け渡す代わりに、魔物と共存できるようにしてやろう、と。

 

 果たして、悪魔信奉者たちは魔物にも勝る身体能力や術式の干渉強度を手に入れ──しかし、デメリットが生じなかったのは、極一部の者だけ。適合者とされた、見た目の一切が変わらなかった者達を除いて、角が生えたり、耳が生えたり、顔が獅子になったり、足が蛇になったりと……今世に蔓延る魔物と同じような特徴が信奉者たちの身体に現れるようになったのだ。

 身体能力は確かに向上した。けれど最早、ヒトではなくなった。それが──亜人種の始まり。

 適合者は悪魔信奉者の1割に満たぬ数だ。悪魔の言葉に嘘は無かった。適合者だけはそのままの見た目のまま身体能力の向上が見られたし、知恵が回るようになって、術式の──「自らの魂が世界に影響を及ぼす可能性」も広がった。

 

 嘘は言っていない。言わなかった事があるだけ。

 

 それでも尚、悪魔信奉者は──適合者は、悪魔を信奉し続けた。自ら達こそが真の人間種であると、一切信じて疑わずに。その狂信は異教徒への敵意にも発展し、朝焼けの者達さえも滅ぼすべき対象に入れる。亜人種と共に人間種は、朝焼けの者達に完全な敵対宣言をしたのである。

 

 反対に、朝焼けの者達は契約を拒絶した。その手には乗らないと。そしてその残された土地こそが最も重要であるのだと見抜いた。紅炎の奇跡(ノルー・イェストル)さえ無くならなければ、人類が完全に負ける事は無いのだと。

 だから徹底的に戦った。悪魔信奉者たちとも、魔物とも。戦って、戦って、けれどやっぱり、段々押されていく。無理なのだ。悪魔信奉者たちが敵に回ってしまった今、もう押し返せるだけの戦力が無い。亜人種と化した信奉者たちと人間種を名乗る信奉者たちを相手取って、疲弊して。

 

 そうして、そうして、ついに最後の一人となってしまって──折れた。

 

 朝焼けの者達を名乗る、暁天の最後の一人。

 彼の名を、リーアム・ディスプ。その後世界中に散らばっていく亜人種や人間種の中に唯一人混じった、最後の人類である。

 

 

 

 

 天より注いだ黒い液体は、量としてみればそこまででもなかった。住宅街の一切を潰し、真黒の池として鎮座している以外は特に動く様子もなく、被害としてみれば、いくつかのフレームボディの損失と区画の破損程度に収まった。どうしようもないという結果が一瞬、多少の混乱を招いたが、すぐに情報が共有され、都市は落ち着きを取り戻す。すべてが平静を取り戻すまでにかかった時間はたったの二時間ほど。意思を統一した人類というのは、ああこうあるべきなのだと誰もが誇らしく思った事だろう。

 

 だから、見落とした。

 

 統一されていたから──誰もが黒い液体に注目して、これをどうにか解明せんと躍起になっていた。その裏で、液体の落ちてきた穴から蛇のような、触手のような、あるいはひび割れのような──あまりに、あまりにも無数の枝が伸びてきている事に、誰一人気付かなかったのである。

 否、気付く者はいた。いたけど、共有しなかった。

 

「なぁ、アレって」

「──女王っ!」

 

 フィルエルとティータ。

 出来なかった、が正しいだろう。彼らはまだ、脳のチップ化を行っていなかったから。

 そしてその伝達不足は、もう、当然の様に……悲劇を生む。

 

 恐ろしい速度で伸びてくる枝の一部が一番高いビルに到達する。次の瞬間、ビルから明かりが失われた。突然の停電。否、灯りだけでない。中にいる人類……機械達もまた、完全に停止している。目視こそ叶わずとも、ビルが都市のネットワークの全てから切断されたという事実は、平和になりかかっていた人々を叩き起こす。

 

 そのまま枝はビルの外壁へと絡みついていき、後から後から、うにょうにょ、ぐにょぐにょと生理的嫌悪を催す見た目の根や葉があふれ出してくる。もっとも生理的嫌悪を催したのはどこぞの魔王のみで、人工知能達からは生理的嫌悪などという感覚はとっくに消えてなくなっているのだが。

 

「魔王様! あれは、あれはなんですか!? あれは──自然神の御姿なのでしょうか!?」

「ああ、見てください! 森が……木が! 生命がお怒りだ……! 鋼鉄と合金とチップで出来た機械共に、裁きの鉄槌を下してくださるのだ!」

「自然派こそ人間のあるべき姿! 機械に魂を売った愚か者どもめ、そのまま朽ちて果ててしまえ!」

 

 新・魔王城に住む、自然派の者たちがやいのやいのと騒ぎ立てる。アレと自分の森を一緒にされたからだろう、ティータの目がどんどん冷たくなっていくのだが、自然派の者達は気付かない。ただ一様に天を仰ぎ、空を蝕んでいく根の姿に涙する。

 

 枝は一番高いビルを完全に拘束すると、それを一つの幹とするように、まるで太陽に向かって身を広げる樹木のように、その身を伸ばしていく。サカサマの木。反転した樹木。

 一つ、また一つと明かりが消える。人類がこれをも解析しようと沢山の考察を繰り返すが、黒い液体と同じく答えが出ない。こちらはどうしようもない、ではなく──完全に未知。見た目は樹木だ。けれど、動きはあまりに動物的で、意思さえ感じられる。

 ただ落ちてきただけの黒い液体とは違う。あれは。あれなるは──こちらを捕食対象として、狙いに来ている。

 

 また一つ、建物から明かりが消えた。

 

「……どうする。アレ、黎樹だよな」

「個人的には今すぐにでも女王の元へ行ってその胸を刺し貫いてしまいたいところですが──"森"の魔物種として、警告しておきます。アレに触れるのは止めた方が良い」

「でもこっち来てるぞ」

「なっ──なんで貴方はそんな呑気なんですか!」

 

 枝は都市全土に広がりを見せている。

 当然、新・魔王城の方にも伸びてきている。ティータがフィルエルを呑気だと罵るが、本当に呑気なのは観察対象から視線を外して肩を竦めていたティータの方である、など、フィルエルは口が裂けても言えなかった。

 

 黎樹の枝が、新・魔王城に取り付く──前に。

 

 ザバァッ! と、新・魔王城の敷地内にある小さな池から、水が持ち上がった。

 

「主。主! 久しぶり!」

「……それ、聞こえてるの?」

 

 水は何かのフレームだろうスクラップを一緒に持ち上げていて、その両者が声を発した。

 一瞬の、間。あるいは「えーとはいはいなんだって?」とでもいうような、躊躇いのようなもの。

 

 直後、枝先に一人の少女が現れた。

 白いワンピースを着た少女。少女はキョロキョロと周りを見渡し──水とスクラップを見て、口を開く。

 

「えっ、何? SF?」

 

 困惑だった。

 

 

 

 

 ようやく黒水が抜けきって、黒水に触れていない黎樹の進行が可能になった。トンネルに使っている黎樹は周囲の黒水を堰き止めているから分身が抜けちまうし、先ほど栄養源を突き止めた根も抜け落ちた黒水で濡れているから分身は置けない。諦めて後続をどんどん行かせて、手ごたえのあった栄養源を片っ端から吸い取っていたら、なんか声が聞こえた。

 ほらあれ、伝声管? パイプの中を伝って声が届く奴。あんな感じの声。ちょっと前にファールを作った時があったけど、あれの前後辺りに似たようなのを聞いた気がする。ファムタとジャクリーンといた時に聞いた声の感じに近いな。

 ……ジャクリーンとか。懐かしい言葉、よく覚えてたな俺。亜人種だっけ? ……えーと、ほら、あれだ。あれ……。そう、猫! 猫の亜人種!

 

 そんなことはどうでもいいのである。

 

「はいはいちょっと待ってくれよ~、っと」

 

 なんか呼ばれたように思うので、今やってる作業をパパっと終わらせにかかる。アイオーリと同じような自動回収装置をいくつか作っていたのだ。"魂の規模"はアイオーリには劣るけど、それなりにデカい奴らをポンポンポンと。ポッドが一列に並ぶ姿は、なんだか畑みたいである。確かに魔物娘は作物みたいなところあるし。

 って、あぁこうやってすぐに思考が逸れるの、俺の悪い所だよな。

 

「えーと……? ん、アルディーカ、か? アレ」

 

 黒水に塗れていない根で以て見る地下世界。視界いっぱいに広がる透き通ったスライム娘が、全長30m程。そんなにデカくなれるように作った覚えないんだが。そしてその肩には……これまた見覚えのない金属に身を包んだオーゼルが乗っている。

 この狭い視界じゃなんもわからんな。とりあえずれっつらごーが良いだろう。

 

 と。

 

 夜景。都会の街並みをタワーの上とかから見下ろすとこんな感じだよな、っていうビルの立ち並ぶ地平と、なんか浮いてる丸いのとか、ちっさいのとか、あと光の粒とか。

 

 SFだ。サイエンスフィクション! サイエンスファンタジー! スペースファンタジー!

 

 いやいや。

 んなワケ。

 

「主! 主! 頑張った! アルディーカ。帰れない。オーゼル。アルディーカ」

「アルディーカもデカくなりすぎだろ。オリジナルより"魂の規模"が大きくなってるじゃないか。"寿命"と"経験"の増大が凄いな。まだ旅に出てからそんなに経ってないはずなんだが」

「……アルディーカ。揺れると、落ちる」

「あ。謝る。嬉しい。主。会えた」

「"感情"の増大……これは、喜色か。へぇ、どんと伸びるわけじゃなく、じわじわ膨らんでいくのか……それは知らなかったな。ふむ、まぁとりあえず、先に森に帰すか」

 

 枝葉を伸ばし、アルディーカの体内へ入れる。瞬間、アルディーカとオーゼルは消えた。あの水溜まりに落ちる事だろう。丁度水が少なくなっていたし、水が足されて万々歳かもしれない。オリジナルのアルディーカもあそこにいるけど、特に問題は無いだろ。喧嘩になったとしても、さっきのアルディーカが勝つだろうし。

 オーゼルは……アイツ、泳げるのか? 水泳機能とか付けた覚えないけど。……戻って確かめるべきか? バックアップにとってある"魂の規模"の小さいオーゼルより、今のオーゼルを複製してバックアップにした方が良い、よな。

 

 よし、一旦戻って──。

 

 ……。

 

 ──は? はぁ?

 ……あー!

 

「ティータ! それに、ディスプの息子!」

 

 目の前にあった金属の城。

 そこに死んだと思っていた二人がいた。や……やった! すげえ嬉しい!

 ティータもディスプの息子も、"魂の規模"が物凄い事になってる。まぁティータに関してはディアスポラを越えないくらいだから置いておくにしても、ディスプの息子。コイツだよ。

 

 なんだ、この規模。あの後何回死んで、何回蘇ったんだ?

 俺の1/100くらいには匹敵するぞ。凄まじいな、おい。

 

「女王……っ!」

「何をしに来たのだ、女王! いや、それよりタッシュは……テリアンはどうなった! アイオーリは、生きているのか!」

「テリアンとアイオーリ? あぁ、生きてるぞ。別に、殺す理由もないしな。むしろ貴重な存在だから、ちゃんと栄養も取らせてる」

「そうか! それはありがたい! ……ん?」

 

 さて、こいつらを持って帰って研究するのは当たり前として、ちょっとこのSFチックな場所も調べてみたい欲求がある。見た感じ無機物で──それに"魂"を乗せている。じゃあ、ここが悪魔の巣か。俺の予想通り、悪魔は無機物に"魂"を乗せる法則を有していて、だから俺にはそれが使えなかった。

 法則の所有権って、どうやったら渡せるんだろ。とりあえず適当なのを採取して、上で研究するか。あ、ディスプの息子……どうやって転移しよう。黎樹の種を埋め込むか? ……排出されてぶつ切りになったりしたら面倒だな。というか、ちょっとグロい。

 じゃあ精査するか? ……まぁそれが一番良いか。

 

「じょ、女王よ! 黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)よ!」

「うわ、久しぶりに聞いたなソレ。もしかして俺を呼んでるのか?」

「ティータさん、やはり言葉が通じるぞ! あれは本物か?」

「……昔の女王は、多少、言葉が通じる事がありました。本物である事は間違いない。けれど……」

「おい、なんだよディスプの息子。こう見えて俺は忙しい……いや、忙しくは無いんだが、やりたいことがいっぱいあるんだ。暇じゃない……いや、暇は暇だな。うん。暇じゃないとおかしいし」

 

 やだやだ、忙しいとか暇じゃないとか、使いたくない言葉一位。そうだ、ここの調査とかどうでもいいじゃないか。"魂"が乗っているのは見えているし、どうせ無機物であるって事以外結果は出てこない。ゼヌニムとかいうのを探すついでにここにある"魂"全部貰ってくってのはどうだろう。多分悪魔の貯蔵庫とかそんなんだろ、ここ。 

 まぁ他人のものを横取りするのは多少気が引けるが……俺も黒水に魔物娘達を横取りされたし、あとは悪魔たちが黒水からなんかを横取りすれば、いい感じの三つ巴になるだろ。ヘーキヘーキ。

 

「女王よ!」

「だからなんだよ要件は早く言え」

「何故、世界を壊さんとする! 何故、人類を脅かさんとする! お前の目的はなんなのだ!」

 

 ……ん?

 え、待って、何?

 

「何一つ身に覚えがないんだが……あ、目的は健康長寿だよ。長寿祈願」

 

 もしかしてアレか、俺の知らんところで魔物娘達がなんかやっちゃったか?

 

 

 

 

 白いワンピースの少女の姿は、各地でも目撃されていた。

 何の機構も持たずに宙に浮くその姿は未知である──かのように思われたが、複数の発信により詳細なデータが共有される。

 死に目の妖精(ポンプス・イコ)黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)

 黎き森と呼ばれる場所で凄惨な人体実験を繰り返し続けるマッドバイオロジスト。魔物種と呼ばれる肉体を持つ生命を作り出しては弄び、殺して殺して殺して、最後には捨てる──悪しき狂人。

 

 魔物を生み出す、という言葉に、大人は震えた。

 人類がここへ移住してくる際の、その原因となったものこそが魔物だ。それを生み出す者となれば、決まっている。

 

 悪魔だ。悪魔が、とうとうここまでやってきたのだ。

 

 契約は履行したはずだ。居住スペースはちゃんと与えた! むしろ騙されて、けれど抗う事無く差し出したのに!

 不満が溜まる。ストレスが溜まる。

 それはそれぞれが全体に波及し、増幅し、倍々になってまた増える。

 

 そんな都市の様子に──白いワンピースの少女が、振り返った。

 

 

 

 

「──、ぐ、っはぁ……っはぁ……!」

 

 地表──黎き森。

 その中心にほど近いところにある女王の家の庭で、数十人の魔物種がガラス瓶より助け出されていた。女王が意識を分身体に飛ばしたのを狙って行われた救出劇は、見事に成功したのである。

 

「母上!」

「……あぁ、ああ。みっともない、ところを……みせちまったね」

「いいえ! いいえ! ご無事で──何よりです!」

 

 いずれも強大な魔物種。そのどれもが裸に剥かれ、怪しげな装置によって苦しんでいた。

 助けたのは、シオンとテリアン。そして草食動物の魔物種達。随分と数を減らした──死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)による被害は甚大であったけれど、こうして勇気を振り絞る事が出来るくらいには、彼女らの仲間意識は強いものとなっている。

 

 そして。

 

「……クソ、許さねえ、あのチビ」

「ようやく目を覚ました? そう、女王は最悪よ。その所業を許してはいけない」

 

 テリアンが牙を剥く。尊敬する母親をこんな風に辱めたというその事実は、その屈辱をここでようやく目の当たりにして、女王への感情が全て、ふつふつと込み上げる怒りに変わっていく。自らの夢を叶えてくれた──憧れの魔物種にしてくれた、という感謝は、しかしアイオーリに手を出された憎しみで、簡単に砕かれた。

 

 ガラス瓶に入れられていた魔物種は酷く疲弊している。

 けれど、ずっとここにいるわけにはいかない。いつ女王が戻ってくるかわからないからだ。

 

 テリアンが腹いせにだろう黎樹の枝で女王を殴るが、黎樹の方が折れてしまった。何をしても壊れることの無かった黎樹が、簡単に。そしてテリアンの手もまた、裂ける。

 

「あぁ、何をしてるのよ。女王に物理的な攻撃が一切意味をなさない事、説明したでしょ?」

「……じゃあ、この怒りはどこにぶつけりゃいい」

「今は抑えるの。……みんな! あらかじめ伝えていた通り、移動を開始するわ! 家族でいない者がないか、ちゃんと確認して!」

 

 未だ森は黎樹によって囲まれていて、出口などない。

 けれど黎き森にいれば、女王の手から逃れる事は出来ないだろう。

 また捕まって──今度は全員、あのガラス瓶に入れられてしまうかもしれない。

 

 じゃあ、どうするか。

 答えは出ていた。

 

「これから──悪魔の世界へ行くわ。みんな、はぐれないようについてきて」

 

 この世界から、出てしまえばいい。

 

 




暁天は「ぎょうてん」と読むぜ! 彼らは自分たちを朝焼けの旅団とか暁天の一柱だとか日の出団とか自称してたんだ! 最後の日の出団だけダサいな! はは!


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"魂"の在り処(塞がる蜃気楼)

 ディスプの息子と話していたら、急激な"経験"の増大を感じた。ディスプの息子のものではない。背後──あのビル群。あそこ全体に宿っている融合種らしき"魂"が、爆発的に大きくなっている。ゼヌニムのそれやテリアン、ディアスポラのものとも違う、雑多な融合種。無駄が多い。なんだこれ、"魂の造形"が……球状じゃない。いびつな、けど幾何学的な。

 ふむ。

 先ほどから栄養源として吸い取っているソレは、"魂の規模"としてみたら薄い、上澄みのようなものだ。いつか見た本来の転移術に近いかな。魔法みたいなソレが、このビル群全体を覆っている。

 それとは別にある"魂"。んー、濃度にムラがあるな。抽出をするには薬液に漬けないといけないんだが……無機物だしな。

 

「女王よ、どこへ行く!」

「あー、黙っててくれると助かる。考え事してんだ」

 

 真下にある黒水の水溜まりには触れないように、黎樹をどんどん伸ばしていく。調査はまぁ、いいんだよ。どうせ全部吸うんだし。けどどうせなら複製したい感はある……ああいや、二兎を追う者は一兎をも得ずっていうしな。欲張りは良くない。魔物娘の畑で十分だし。

 じゃあ、回収しますか。

 

「女王! 待ちなさい、私が相手です──!」

 

 切断、と。

 

 さぁて、作業の続き、を……。

 

「な──」

 

 畑が荒らされていた。

 俺が丹精込めて育てていた"魂のなる木"こと魔物娘自動複製装置が、何者かに開けられ、中の魔物娘が全て奪われている。

 いや。

 いやいや。

 

 いやいや!

 

「……許せねえ。クソ、どこのどいつだよ!」

 

 あり得ないだろ、少しくらい常識を持て。あるいは良識を。

 人が! 手間暇かけて育ててたモンを! 盗むとか!!

 

 絡繰り細工を作るのだって時間がかかるんだぞ! 複製元の魔物娘だって元手はタダじゃないし、複製用の肉塊は廃棄した魔物娘で出来てる。全部! 俺がこの森で! いちから生み出して一から育てた大切な俺の糧なのに!

 誰だ、こんなことしたの!

 

「いや──こういう時こそ、GPS!」

 

 つけておいて良かった!

 えーと……?

 

 あぁ!?

 

「森の中にいない……森の外にもいない!?」

 

 ……どういうことだ? 

 急いで黎樹の外に出て見ても、やはり辺りは一面黒海。じゃあさっきの地下かと分身体に意識を繋げるも、GPSに反応は無い。

 

「くぁああああ! このっ、死になさい──死ね、女王!」

 

 もう一度森へ戻って、集中して探す。いないはずがない。たとえ死んだとしても、黎樹の種の位置はわかる。わからないのは黒水に浸かってしまった場合だが、そんな馬鹿な真似はしないと……しないと、思いたい。魔物娘のことだから珍しい水とかあったら好奇心で浸かってしまいかねないから微妙な所。

 黎樹の種を埋め込んでいないアルディーカとオーゼルがいるのは確認済み。まぁこいつらはいい。"魂の規模"も大きくなったとはいえそこそこだからな。

 

 問題はアイオーリとテリアン、シオンに……マルダハもいねえ。ディアスポラは……。

 

「ディアスポラ!」

「……」

 

 良かった、いたいた!

 ディアスポラさえいるなら話は別だ。あ、しかも地下にはティータもいるんだった。とりあえずじゃあこの二匹を"魂のなる木"に入れるか。えーっとじゃ、あ、とりあ、えず~。

 くい、っと服を引っ張られた。

 

「ん?」

「ディアスポラ」

「ああ、ディアスポラだな。なんだ?」

「女王の名前。教えて」

 

 名前? まぁ別に良いけど。つか知らないのか?

 ……いや、名乗ったことないか、もしかして俺。

 

「俺の名前はディムだよ。それが何か──」

 

「──契約、成立」

 

 ディアスポラの"魂"の質が変質する。元々融合種であるが、この変わり方は、なんだ?

 渦を巻いて……質だけじゃない、在り方まで変わっている。捻じれて、渦を大きくして、けれど気丈に、完全に。

 

 その渦が俺の"魂"をも飲み込んで──。

 

 

 ディアスポラの首を、掴んだ。

 

「あぐっ!?」

「今のは──"魂の摂取"か? いや、似ているが違う。生体に作用して、摂取というよりは捕食……無抵抗でなくとも食いつけるんだな。どちらかといえば生体を自分のものにするような……ん?」

 

 ディアスポラを掴む腕に、何か魔法のようなものが取り巻いている。それは俺の皮膚に吸い込まれようとするたびに弾かれ、けれど何度も何度もチャレンジして、また弾かれては弾かれてはを繰り返す。何かが入り込もうとしてきている……が、【不老不死】のチートと【衣食住からの解放】のチートが完全に防いでるな。

 これで防げるって事は、状態異常系か。

 

「魂の……荊を、防ぐ……なんてっ……!」

 

 さっき、契約成立とか言ってたな。んで荊と。

 縛る系統……契約……ははーん?

 

「ディアスポラ……お前、悪魔に憑りつかれてるんだな? そうかそうか、悪魔ってのはそんなことも出来るのか」

 

 いやまぁ悪魔だしな。悪魔っていったら、人間を騙してかどわかして、嘘塗れの契約を押し付けて最後に魂を奪い、弄ぶ、とかいう最悪の存在。俺みたいに自分の糧にしてるんならともかく、食材で遊んじゃいけないって習わなかったのかね。

 釣った魚を地面に置いて、「ぴちぴち跳ねてて可愛い~」ってやってるのに対する嫌悪感と同じものを感じるわ。

 

「さて、どうするかね……このまま殺すのもアリっちゃアリだが」

「……っ!」

 

 ただまだ幼体なのがなー。勿体ない。せめて成体になってから摘み取りたい。

 ふむ。

 

「とりあえず色々試してみるか。上手く行けば悪魔を捕まえられるかもしれないし」

 

 まさかとは思うが俺の畑を荒らしたのも悪魔じゃあないだろうな?

 

 

 

 

 さて、まず試してみるのは、抽出である。

 "魂の規模"が膨大な融合種といえど、ディアスポラは幼体だ。どれほど大きくとも"魂"の宿る先が身体以外になることはなく、幼体であればその密度も自然と高くなる。薬液によって流れ出る分毎の"魂"の量も、他の魔物娘に比べて当然の如く多い。

 ほかの魔物娘がいないのでやることが無く、だから手作業で抽出作業を行う。久しぶりな感じするな。

 

「ぁ……ぁああ、ぁ、ぁ!」

「まぁ安心しろって。悪魔とやらを分離出来たらすぐ戻してやるし、これで分離できなくても戻してやる。一旦確認するだけだ」

「ぁああ! ぁ──あ、あ、あ、──ァあ!」

 

 薬液に漬けたディアスポラをじっくりと揉んでいく。普段は面倒だからやらないんだけど、こうすることで比較的早めに"魂"の抽出が行えるのだ。ただししっかりと"魂"の濃度を見極めながらやらないと、どこかに偏りが出て抽出率が10割に届かなくなるから注意。もしそうなってしまったら、再度"魂"を肉体に入れなおして、再度抽出しなおさないといけなくなるので面倒なのだ。

 さて、薬液に滲むようにしてディアスポラの身体から赤いそれが出てくる。言っておくけどこれ、血じゃないからな。一度体内に入った薬液が"魂"を含むと赤くなるんだ。元は薄い緑色。体外に排出されるときは赤。だから、体内から出てきたのに赤が薄かったり、緑のままだったりしたときは漬けが甘い。急ぎすぎだ。

 そういう時は今使っている浅い浴槽のような隙間のあるやつじゃなく、体形に合ったポッドを使って薬液を馴染ませる必要がある。この作業は見極めが大事なので、"魂のなる木"を作る時は下手に揉んだりせず時間に任せ、決められた時間で排出をするよう設定しないといけないのが肝。だから"魂のなる木"一つ作るのにかなりの時間がかかるのだ。

 

 それを盗みやがって……ほんと。

 

「出て──行く、あ、感じ、ょう……心、出て、おね、ちゃ──!」

「まだ喋れるのか。やっぱ融合種はすげぇな」

「消──えル、っ! みん──な──アぁっ!」

 

 普通の魔物娘であれば、この辺りで肉体に残った"魂の規模"の減少が作用し、"経験"──つまり感情を失ってしまう。無論薬液側に乗ってるから永遠に失われる、なんてことはないんだけど、肉体は流れ出る赤と共に弛緩していくし、言葉数も少なくなるはずなのだ。

 それを、やはり融合種で幼体というのは、密度が濃い。

 未だ肉体に残る"魂の規模"が多いのだろう、尚も"感情"が増大しているのがわかる。素晴らしい素材だな。

 

「や──ゃ、ゃ、やめ、──」

「よし、もうちょいで終わりだ」

「──ッ!」

 

 大分柔らかくなってきた。融合種といえど蛇の魔物種であるディアスポラは、思ったより水分を持っている。だからこうして揉み解すと水分を出しきってしまい、ともすれば脱水症状を起こしかねないのだが、そこは黎樹の出番だ。体内に直接水分を入れてやるのは勿論の事、生命維持に必要な栄養分も逐次転送している。

 さっきも述べたけど、ディアスポラは出来れば成体になってから死んでほしいので、幼体の内は出来るだけ守りたいのだ。変な話、患者みたいな扱いをしてる。あれだ。農家のおじさんが、愛情込めて育ててます、優しく扱ってます、っていう奴。そんな感じ。

 

「おーし、抜けたな。ふぅ……で、悪魔悪魔っと」

 

 ようやく動かなくなった事を確認し、ディアスポラの入った浅い浴槽に蓋をして、ちょっとのけておく。ここからは薬液に乗った"魂"を見極める作業に入る。

 

 これも結構大変で、はっきりと視認できるわけじゃない"魂"に対して、薬液を攪拌したり掬い上げたり放置してみたりしながら、少しずつ少しずつ全体の精査をしていく。如何せん規模が大きいから、時間はかかる。

 尚、この時肉体は仮死状態になっていて、生きてはいない。一応死体ではあるのかな。心臓止めてあるし。今"生きている"と言えるのはこの薬液だけで、ディアスポラの全てがここにある。赤と薄い緑の混じった液体。丁寧に慎重に、不純物が混じっていないかを見ていく。

 

「……」

 

 んー。

 んー?

 んー……。ん!

 

「問題なし、だな。"魂"に直接住み着いてる、とかいうわけじゃないのか」

 

 結果、悪魔はいなかった。いやまぁ悪魔が憑りついている様を見た事があるわけではないから確証ではないんだけど、俺が以前確認したディアスポラの"魂"とほとんど違いは無い、というのが今回の見解。ほとんどっていうのは、まぁ"経験"の幅が多少広がってる事だな。生きてりゃこんくらい広がるだろって感じ。

 

 大丈夫そうなので、ディアスポラの肉体に"魂"を還していく。

 先ほどの浅い浴槽よりも多少手狭なものを用意して、そこにディアスポラをイン。隙間のほとんどないそこにディアスポラの"魂"を注ぎ込んでいくと、すぐさま赤色が体内に吸収され始めた。魔物娘化の時はこれを煮沸しながら行うのだが、今回は戻すだけだからな。余計な加工はいらない。

 

 そうして赤色を全て注ぎ込んだ後は、蓋を被せて放置。

 生命維持に必要な酸素だの栄養だのは転送で常に十分量送り込んでいるので、あとは起きるのを待つだけだ。

 

 な、簡単だろ?

 

 さて、次は何で悪魔を剥がしますかね……。

 

 

 

 

 結論、ディアスポラの"魂"の中に悪魔はいなかった。

 "魂"の抽出に"魂"の洗浄、"魂"の醸造に"魂"の圧搾など様々な検査をしてみたが、ノーヒット。でもいないはずがないんだよな。ディアスポラがあの時に発していた魔法みたいなやつ、あれは確実に"魂"に作用するものだった。俺は当然そんな機能つけてないし、何より俺に使ってきたってのが問題だ。俺は別に、ディアスポラに恨まれるような真似をした覚えはない。ファムタとかティータには多少、やってるかもしれないけど。面倒事押し付けたりとか。

 

 だから第三者……つまり悪魔がいるはずなんだが。

 

「……忠誠を、誓います。ディム様」

「あー、ディアスポラ。汚いから足なんか舐めるな。いや【衣食住からの解放】が俺を汚さないとはいえ、見た目やっぱ汚いだろ。幼体なんだから健康には気を遣えよ」

「主の身体に汚い所などありません。このマハラス、貴女の意のままに動きましょう」

「いや汚い所がないのはその通りなんだけど、おーい話を聞けよディアスポラ。会話をしようぜ口があるんだから。あー、だから舐めるなって」

 

 なんか、ディアスポラがおかしくなってしまった。

 "魂"の精査は完璧に行ったし、戻すのにも細心の注意を払った。一度だって気を抜いていない。のに、これだ。なんか名乗ってる名前も違うし……。マハラス? ……やっぱり悪魔だ。けど、いなかった。

 うーん。うーん?

 しかし【衣食住からの解放】は体が汚れないという素晴らしい利点のある反面、何されても特に感触が無いのがアレだなぁと常々感じる。【不老不死】は外傷・病・毒を防いで寿命を半永久的にする、死ななくなる、っていうメリットだらけなチートである分、【衣食住からの解放】のデメリットが結構目立つ。

 ……いや、デメリットでもないか。ぶっちゃけ死なねえんなら、怪我しねえんなら感触なんていらないしな。

 

「んー、まぁ言う事聞いてくれるっていうんなら、ほら、盗まれた魔物娘達を探してくれないか? 足舐めるとかどうでもいいことじゃなくてさ」

「御意に」

 

 そう言ってディアスポラは、空気に折りたたまれるようにして消えた。

 

 ……反応なし。ふむ、ディアスポラに埋め込んだ黎樹の種型GPS……ロストしたな。自分の意思で行ける場所、って事は、死んでないな、これは。

 ふむふむ。これは風が向いてきた気がする。やっぱり良い事をすると自分に帰ってくんだな。

 一日一善……は、面倒なので、まぁ何十年かに一善くらいはしておけば、いい感じにフラグも立ってくれるだろ。

 

 さて、じゃあ。

 

 ティータ、確保しにいきますか。

 

 

 

 

 科学世紀が始まって以来初となる、未曽有の悲劇──黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の襲来から約三年が経過した。ビル群はほぼすべてが黎樹と呼ばれる木の枝によって絡めとられ、あらゆる機能を失って沈黙している。

 白いワンピースを着た少女、死に目の妖精(ポンプス・イコ)は発見次第即射殺するのが許可されていて、同時に死に目の妖精(ポンプス・イコ)の現れた近辺に出現する死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)という生体の化け物は凍結処理を行うよう人類でない無人機械が対応する。

 

 これらはすべて、とある自然派の子供から齎された的確な対処法であった。

 

 黎樹が正に自然派を象徴しているような存在故か、自然派を排斥する傾向のあるこのネットワークにおいて、唯一認められているのがその子供。頑なに機械派にならないその子供の名を、マルダハと言った。

 

「おはよ、マルダハ!」

「……おはよう、エミリー」

 

 マルダハは子供である。子供であるから、バランスを保つために、情報の引き出し役は子供が担う。マルダハともっともコミュニケーション記録のある子供の人格はエミリー・アルディニスであったため、黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の襲来より少しだけ前に起きた黒雨事件(※現・淵池/立ち入り禁止)で大破したボディを元に再度形成。以後これを用いて情報の収取を行うものとした。

 エミリー・アルディニスの人格チップは常にバックアップを更新し続け、最大限マルダハに寄り添い、必要情報を収集する。

 

死に目の妖精(ポンプス・イコ)は何で出来ているの? 生体だってのは知ってるよ!」

「……何で出来ているかはわかっていないわ。倒してもすぐに復活して、けれど倒さないと死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)の目になる。視覚情報が死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)と共有されている辺り、同一存在の可能性もあるわ」

「情報が不正確だね! もう少し確固たる根拠はないの?」

 

 会話の構成はエミリー・アルディニスに一任するが、収集すべき情報や言葉の選択は大人が行う。子供では知識に制限がかけられている部分が多くあるから、大人の手助けが必要なのだ。

 また、できるだけマルダハを黎樹の近くへ誘導する事。マルダハしか知らない黎樹への対処法を出すためであれば、ボディの損傷は考えなくてよい。更新され続けているバックアップがすぐに新しいエミリー・アルディニスを生み出す。

 

「エミリー」

「何々? もしかして、黎樹への有効打が見つかった?」

「……いえ、なんでもないわ」

「もう、マルダハ! そういうの、無駄なリソースっていうんだよ!」

 

 怒った表情を瞬時に作るというのも、幾度とない試行回数が自然さを作っている。エミリー・アルディニスの表情は今や都市全体の誰よりも柔軟で、様々な色を見せる事の出来るサンプルにまでなっていた。

 

 ふと、マルダハが歩を止める。

 そして空を見上げた。黎樹の枝の張り詰める空を。

 

 そこに、死に目の妖精(ポンプス・イコ)が一体、浮かんでいる。

 

 直後都市中から一斉掃射が行われた。狙いは精確。一発の撃ち漏らしも無く、死に目の妖精(ポンプス・イコ)が──浮いている。

 再度、掃射。けれど、まだ。銃弾は当たっている。貫通もしている。四肢が千切れる事もあるし、首が飛んで頭が潰れる事だってある。

 けれど、それは宙に浮いたまま──マルダハを見た。

 

「──ッ!」

「マルダハ!」

「マルダハじゃないか!」

 

 奇しくも死に目の妖精(ポンプス・イコ)とエミリーの声が重なる。片方は喜色。片方には、感情は無い。ただ規定事項として、マルダハを守らんと前に出る。エミリー・アルディニスにプログラムされた機構の一つだ。死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)や黎樹を含む、なんらかの危険がマルダハに迫った場合、対象とマルダハの間にボディを置いて、マルダハに逃走を促せ、と。

 本来死に目の妖精(ポンプス・イコ)は攻撃性のない単なる視界役だが、これは違うと──あるいは、エミリー・アルディニスに残された最後の"魂"らしきものが叫んでいた。

 

「マルダハ、逃げて!」

「ん……? "魂"の乗った無機物か。随分と薄い……"寿命"が擦り切れている。いや、これはもう……死んでるな? 無理矢理縫い付けてあるから剥がれはしないが、既に死んだ"魂"を……無機物に縫い付けて、ただ縫い付けたまま放さない。ふん、"経験"がある分いびつだな。悪魔とやらは、随分と"魂"遊びが好きらしい」

「早く! マルダハ、私は替えがあるから!」

「もう少し詳しく見てみるか」

 

 エミリー・アルディニスの首に、小さな細い手が回る。生体だ。けれど、これは。

 掃射は続いている。エミリーの前で少女の首が飛び、潰れ、千切れ、けれどコンマ一秒に満たない時間で、元に戻っている。少女はまるで妨害電波のノイズが走る立体映像のように何度もブレながら、しかしエミリーの首を離そうとはしない。

 

「……なるほど、本体はここに無いのか。心臓も脳も無機物で、ディスプの息子のような再生は出来ないものの、パーツのカスタマイズで修復が可能、と。……なんだ、やっぱり面白みの欠片も無い。ここは悪魔の貯蔵庫かと思ったが、失敗作置き場の可能性も出てきたな」

黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)──凍り付け!」

 

 エミリー・アルディニスの身体から、極低温のガスが発射される。死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)対策のそれは、しかし現存する物質のほぼすべてを凍らせられる温度を持っている。ガスはエミリー・アルディニスの首を掴む少女の腕に衝突し──。

 

スクラップ(こんなもの)であるなら、遠慮の必要も無い。一応は他人様のもの、自分がやられたからといってやり返すのは良くないと自戒していたが……ふん、これを潰されて怒るようであれば、それこそ平行線だな」

 

 直後、エミリー・アルディニスの身体から全機能が失われた。

 ネットワークからも完全に遮断され、その四肢がだらんと垂れ下がる。

 少女はエミリー・アルディニスを地面に下ろすと──マルダハを見た。

 

「マルダハ。こんなところにいたのか。探したぞ」

「え……えぇ、ディアスポラに連れてこられたの」

「ディアスポラ? ……ふむ、やっぱり悪魔の線は消えないんだな。まぁ良い。帰るぞ」

「……」

 

 未だ掃射は続いている。他、警備用無人機が既に到着しているし、銃器以外の方法でもこの死に目の妖精(ポンプス・イコ)を──黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)を攻撃しているが、全てが効いて、全てが意味を為さない。

 ならばマルダハを強制移送しようと無人機が彼女を持ち上げる。

 その腕が、消し飛んだ。

 

「おいおい、今言ったばっかだろ。人のものは盗むなって言ってんだよ。……ん? 俺言ったっけっか?」

 

 マルダハに機械が近づく。しかし、その全てが消し飛んで──都市の郊外の方で検出される。テレポーテーションだ。しかし何の装置もなく、それを成し得るものなのか。

 

「全部死んでんのな。で、全部が縫い付けてある。効率悪過ぎねえか。それしか出来ないわけじゃねえだろう?」

 

 ならば少女にと突撃を行えば、今度は機械が機能を失って倒れる。無人機も有人機も関係なく、完全に機能を失い、ネットワークから遮断される。けれどそんなのは端末だ。人格チップがある限り何度でも蘇るし、そもそも死んでいない。

 壊れた機械は回収し、新たなボディの材料とする。エミリー・アルディニスの身体もまた再形成が終わった。あとはマルダハさえ確保し、黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)を撃退すれば問題は無い。

 

「──コレか、スクラップの大本は」

 

 都市全体に衝撃が走った。

 その方向。そこには、無数の枝が伸びてきている。黎樹の枝。

 それらは地面に向かって突き刺さり──何かを、引き抜いているようだった。

 

 ずず、ずず……と、地面から抜き出されていくもの。

 白亜の塔。地の下に埋め、地盤を最高に硬め、幾重もの、何重もの防護を敷いてあったはずのその塔が──人格チップの納められたその塔が、引き出されていく。

 

「棺桶だな、こりゃ。悪趣味悪趣味。全部が死んでて、全部がすり減ってる。"魂"の扱い素人かよ。悪魔ならもう少し丁重に扱えよな」

 

 ぁ。ア、ア、ァ。

 声が響く。発声機能など、エミリー・アルディニスの身体以外は滅多に使用されないはずなのに──声が。都市全体に、声が響く。声が響く。声が響く。

 ──! ぁあああ!

 響く。響く。響く響く響く。

 慟哭か悲鳴か、苦痛か──歓喜か。

 滂沱の涙を流すかの様に、声が声が声が溢れる。

 

 黎樹の枝は塔を抜く。高く、高く、高くまで。かつて逃げた、地下へ逃げた、肉体を捨てた人類の全てがここにある。あの時に転写した人格の全てがここにある。ここに、全て、全て納められている。

 

「棺桶かと思ったけど、楔か。さしずめ巨大な地縛霊……あーあ。こんなの"摂取"したって魔物娘一匹分にもならねえや。まぁ貰うモンは貰うけどさ。"魂"は"魂"だ。骨折り損のくたびれ儲けってな、まさにこれの事だな」

 

 溢れる。満ちる。

 しかしそれは、しかしそれは。何故か──恨みではない。怨恨ではないのだ。

 

 一万年近く、人類はここにいた。無機物に"魂"を宿らせた人類は、少なくとも地下における時間軸の一万年。その間、死ぬことも増える事もなく──()()()()()()()、ここにいた。

 それだけの時間があれば、あるいは魔物に対抗する手段も構築できただろうに。それだけの時間があれば、地表に出る事だって容易だっただろうに。

 

 人類はそれを放棄した。

 ここで安寧に浸かり、泥の様に眠る事を享受した。

 放棄せざるを得なく、享受せざるを得なかったのだ。

 

 "魂の規模"とは、術式とほぼ同義である。

 即ち、「自らの魂が世界に影響を及ぼす可能性」を指し示すもの。これをすり減らす事で、世界を改変する術式を行使できる。

 無機物に人格を転写した時点で。無機物に自らの"魂"を宿らせた時点で、"魂の規模"はこれ以上増えなくなった。新しい発想。アイデア。創作。研究。それらさえあれば"魂の規模"は増えていくと思い込んだ──信じて疑わなかった、科学信仰の末路。

 いつの間にか感情を抑制し、いつの間にか共有で個性を均し、いつの間にかコミュニケーションというものを失った人々に、"魂の規模"など増やせるはずもない。

 

 それを知らずに術式を行使し、ボディの再誕の度に"寿命"をすり減らし。

 

 気付けば、死んでいた。

 もう死んでいた。無理だった。人類が永遠を生きるのは──人類が人類として、永遠を生きるのは。外付けの何かでも、無い限りは。

 

「つか、そんなに大切なモンなら分けて保管しろよ、とは思う。なんでまとめてあるんだ? 不用心すぎるだろ」

 

 それは。

 最初に、否、最後に自らをチップとした誰かが、それを行う前に思ったのだ。

 冷たいチップとなって、これからを過ごすのなら──せめて魂の宿る場所くらいは、身を寄せ合って生きていたいと。

 あるいはその誰かは、全てを見据えていたやもしれないが。

 誰も知らぬ話は、無いのと同じである。

 

 枝が、黎樹が、白亜の塔を──握りしめる。

 罅の入る音。都市中に、全てに、響いて。あぁ、ぁああ、ぁ! ぁ! ああ!!

 

 粉砕される。粉々に、一切の慈悲なく。

 

 ここに。

 都市エイビスの、機械派の民は──全滅した。

 

 

 

 

 さて、自然派。

 一部始終を、彼らは見ていた。死に目の妖精(ポンプス・イコ)が、否、黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)が現れ*1、白亜の塔を引き抜き、その後静寂が訪れた始終を。

 自然派は機械派を否定していた。すべてを機械にしてしまっては生きている意味が無いと。肉体こそ自然であるのだと。

 そして黎樹を自然の化身の御姿であると崇め、奉り、さらには黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)までもを信奉しようとした。

 

 ティータはそれを止めたし、フィルエルもあいまいな顔を返したけれど、元々担ぎ上げられただけのフィルエルに大した忠義が無いのか、次第に自然派は二人の元から離れるようになっていた。

 けれど、今日。本当にたまたま、マルダハという少女の()()についての助力を仰ぎに来ていた自然派の面々は、それを目にした。

 

「脅威か、幸運か。選べよ、人類」

 

 口にしたのはフィルエルだ。

 ぽかんと口を開けて、白亜の塔の粉砕された方を見たまま動かない。

 

 ティータはフィルエルに目礼をした。

 

「ああ、ティータさん。楽しかったよ」

「私もです。魔王様──お元気で」

 

 ティータの身体が浮く。

 彼女には、本来の目的がある。心の整理がついていないわけではない。けれど、怒りが収まったかと問われれば──そんなことはない。

 すべてを奪った女王。それを前に、そして落ちてきた魔物種や亜人種たちを、何の感慨なく殺した悪魔を、やはり殺してしまわなければ──もう、どうにかなってしまいそうだったから。

 

 アレが本体でないことなどわかりきっている。

 だから、天井の穴を抜け──本体のいる場所へ。

 

 突撃する。

 その後ろ姿を、フィルエルが羨ましそうに見つめていた。

 

 

 

 

「ほら、帰るぞ」

「……女王」

 

 すべてを、傍で見ていた。遠くからでなく、すぐ隣で。

 変わってしまった友達が殺されたところも、都市全体が殺されたところも。

 

「いた、のよ。中に……あの塔の中に、王家の三姉妹や、莽のみんなが……!」

「ディアスポラの報告も聞かにゃならんし、やる事は大積なんだ。ああ、嫌だ嫌だ。なんで俺が忙しくしないといけねえんだ。隠居させろっつーの」

「アウラとオーロラが! モアレとファサラドが! タブラとラサが! それに、他のみんなだって、いたのよ! それを、それを……」

「おお、いきなり声を出すなよ。びっくりするだろ。えーと? キマイラ娘ズ……あぁ、キマイラ娘ズな。知ってる知ってる。あの楔の中にいたのは見えてる。けど、ありゃもうダメだよ。"魂の規模"がすり減りすぎて、ほとんど死んでる。いや、一回死んだ可能性もあるな。死んだけど、悪魔に"魂"を縫い付けられたか……なんにせよアイツらじゃ意味がない。お前と、あとティータ。偉いな、自分で帰ろうとしてる。転送してやるのに。で、そう。お前とティータが必要なんだよ。他にいないからさ」

 

 話が通じる。

 その事実に、少しばかり黙ってしまった。

 

 それを了承と受け取ったのだろう。

 

 女王が、その手をマルダハへと差し伸べる。

 

 マルダハは。

 マルダハ、は。その手を。

 

 

「大好きよ、マルダハ! そして大嫌いよ、女王! べーっだ!」

 

 

 突如マルダハの足元に現れた黒い水が、彼女の身体を包む。

 さらに水の中から現れた──珍妙な格好をしたシオンが、マルダハを黒い水の中へ引き摺り込み、黒い水ごときれいさっぱり消えてなくなった。

 

 その間、1秒。

 

「……」

 

 少女は、ふむ、と顎に指をあてた。

 そして、口を開く。可憐な声と共に。

 

 

「は? ブチギレなんだが?」

 

 

 割と。

 黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の沸点は、低い。

 普段は誰も認識していないから怒るも何もないけど──何度も何度も同じことをやられると、具体的に言うと自分の所有物を盗まれると、結構、怒る。

 

 結構、怒っていた。

 

 

第三話「泥中の蓮、あるいは」 / 了

*1
黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の本体が現れたわけではないが、それは彼らの知らぬ事である




術式は"魂の規模"をすり減らした結果の改変事象だから、常駐型であれば黎樹が吸い取れるんだな! 転移術とか普通に火炎放射とかだと"魂の規模"が常にそこにあるわけではないから、吸い取る事は出来ないぞ!


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第四話「選択の此岸」
冷静に怒れ。(物に当たるな)


 怒りで我を失うのは良くない。まずは冷静に、"魂のなる木"を作る。

 

 意識を本体の方へ戻すと、黎樹のドームの外にティータがへばりついているのがわかった。あぁ、開けるの忘れてたな。けど解放したら今度こそ泥棒がこぞって来そうだから……いや閉じてるのに来てるから意味ないっちゃ意味ないんだけど、気持ち的にアレだから、黎樹の枝を伸ばしてティータを内側に取り込む。取り込むついでに黎樹の種を埋め込んでおく。用心に越したことは無いってな。

 

 そういえばこいつ、飛べるんだな。"森"の魔物娘なのに。鳥類ならわからんでもないんだが、"森"がなんで飛べるんだ? アレか、風が吹いて木の葉が飛ぶ的な。

 内側へ排出したティータを、まずはとりあえず黎樹へと括りつける。俺を前にして一切の衰えを見せることなく"経験"……"感情"の、怒りかな。それが増大している辺り、黎樹の種の拡散がそんなに面倒だったか、あるいは死んだと思っていたから放置していた事に怒ってんのか……それについちゃわからんし知らんのだが。

 

 マルダハまで盗まれてしまった今、ティータしか強大な魔物娘は残っていない。アルディーカとオーゼルはいるけど、あいつら複製したところでなぁ。得られる量は微々たるものだし、大きくなったアルディーカに至っては複製の元手に水が必要なのが痛い。あとで地下に水源が無いか探してくるとするか。いやまぁ俺が、じゃなくて黎樹が、だけど。

 

 ティータは"森"の魔物娘だ。その肌は樹皮に近く、なんならファムタとファールよりも樹木寄りの、というか植物寄りの見た目をしている。中の素材もほぼそういう系だ。だからディアスポラに行った、揉んで吸収・抽出を早くする、という手段は使えない。割れちゃうんだよな。

 外側が固い魔物娘はそれが面倒なんだ。まぁ今回は自動化するからあんまり関係ないんだけど。

 ということで、倉庫からポッドを取り出してきてうんちゃらかんちゃらする。この辺の作業はまぁ、いつも通りだしな。つか、畑泥棒よ。俺の"魂のなる木"を盗んだのも怒り心頭なんだが、わざわざポッドまで壊す必要あったか? なんの工業設備も無しにこれだけ綺麗なポッドを生成するのがどれだけ大変か、職業体験させてわからせてやるぞ?

 ……ふぅ、落ち着け。作業とはいえ精密に行うべき事だ。ティータを失うわけにはいかないしな。びーくーる。

 

「んー、複製素材は森の……あー、適当な木でいいか」

「っ!」

 

 ティータは"森"から抽出を行って作ったから、当然素材は森の木である。様々な種類があるけど、全部合わせて森。だから一応こいつもキマイラ娘になるのかもしれない。森には意思があって、俺の家を意識的に避けてるっぽかったから、あの時は群れの一個体、総体であると見て抽出を行ったわけで。じゃあその複製を作るとなれば、適度に森の木を集めた素材を用意しなければならない。

 が、まぁ、別に完全な複製を作る、って話じゃない。アイオーリ含め"魂のなる木"と同じように生命活動の行えない肉塊……ティータの場合は木筒とかに流し込めばいい話なので、適当な木を伐り出して、容器に形成する。

 いやはや、この黎樹を用いた加工作業もかなり手慣れてきたものである。まぁ無機物には使えないんだけど。地下のロボみたいなのは薄いとはいえ"魂"が乗ってたので話は別。

 

 黎樹に磔にしたティータにポッドを被せ、いい感じの場所に動かす。薬液を調合し、それをだぷだぷと入れていく。うん、おっけー。空気の入る隙間なし。相変わらず完璧、と。うんうん、誰も褒めてくれる人いないからね。自分で褒めるしかないからね。うんうん。

 

 一度一通りの流れがちゃんと動くかを確認する。

 だぷだぷ、ずずず、ざばぁ、とくとく、からから、とろとろ、びくっ、だぷだぷ。

 おっけー!

 

 今度こそ盗まれない様に黎樹でしっかり囲いを作って、完全に固めてしまえば終わり。

 ティータはこの森に残った最後の最後の大切な一株だからな。もうどこにも行かない様に、誰にも奪われない様に、誰もどうしようも出来ない場所で永遠に"魂"を作ってもらうとしよう。他の魔物娘達の様に放牧する事が出来なくなったのはまぁ多少可哀想に思うけど、森から逃げたお仕置きって所で。

 

 元気に育ってくれよ? もう少し落ち着いたらちゃんと複製を作って、畑としての姿も取り戻してやるからさ。

 

 

 

 

 さて、女王の去った地下。無論死に目の妖精(ポンプス・イコ)死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)、そして黎樹は未だ残っているから完全に去ったなどとは言えないそこに、フィルエルと自然派の者たちはいた。

 黎樹は舗装された地面のあらゆる場所にその枝を突き刺し、かつての光溢れる都市は完全にその灯りを失い、時折残る独立式のライトだけがその異様さを照らしている。天頂の光──すべてを明るく照らしていた偽造太陽にも黎樹は絡みついていて、元々大した熱量を持っていなかったそれは、今や黒く冷たいただのガラス玉へと変貌していた。

 

「……魔王様」

「なんだ?」

「我々自然派は、どうしたら……良いのでしょうか」

 

 どうしたらいいのか。

 そんな、幼子のような言葉を吐くのは、自然派の中でも古株に位置する老人だ。両目が義眼、右腕と右足をそれぞれ義腕義足にしているが、自然派らしく脳や心臓、その他の部位はしっかり生体で、だからこそ年老いてしまっている。

 それが。その老人が、どうすればいいのか、など。

 

「お前が選べよ。お前達が選べ。俺はどうもせん。どうもしてやらん。……俺も、そろそろここを立ち去らせてもらう」

「そんな……では、我々を見捨てると言うのですか!?」

「別にお前達は俺の国の民ではないし、お前らも俺を王だとは思っていないだろう」

 

 フィルエルは突き放す事を選択した。

 ティータを見送りはしたが、フィルエルとて自身でもよくわからない規模の術式の行使が出来る。飛べるし、転移術だって使える。

 じゃあ何故ここに残っているのか。

 そんなの、自然派の面々が見捨てられなかったからに決まっている。

 

「お前達は何がしたかったのだ。機械派の面々を滅ぼしたかった。そうではないのか? 黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の襲撃はお前達にとって幸運で、悲願の成就が今ここに為された。そうだろう」

「それは──」

「それとも、なんだ。お前達の願いは。主張は。機械派の者共を──自らの手にかけたかったと、そう言うのか」

 

 フィルエルはまだ青い。幼い。たとえ何百年と生きていようとも、だ。幼少期に膨らみ過ぎた"魂の規模"は彼からストレスというものを奪った。ストレスに対する耐性が人より極めて高く、故に成長が出来ない。嫌な事。辛い事。苦しい事。我慢しなければならない事。それらを経て心は大人になる。大人になるのが必ずしも良い事ではないし、子供のままでいる事が評価される場合もあるのだろう。けれどフィルエルは一国の王で、力があった。妻も子供もいた。本当はもっと早くに成長しなければいけなかったし、成長は伴うものだと他ならぬフィルエル自身が思い込んでいた。

 彼はまだ子供だった。子供のままだ。王として──あるべき深みを、心の強さを持っていない。

 

「……そう、なのでしょう。そう──なのでしょうな」

 

 けれど。

 

「我々は……ああ、機械派を、()()なってしまった友人知人たちを、どこか別の生物のように……気持ちの悪いものとして、見ていた。我々は機械派から排斥されていましたが、何より我々自身が、機械派を排斥していた。自ら達こそが人類であると。我々こそが"本物"で──アレらは"偽物"であると」

 

 その青臭さは……ああ、自然派でありながらも、長らくを地下で過ごし、擦り切れてしまった人々には、なんと。なんと、眩しく映ることか。

 どれほど輝いて──どれほど美しく、得難く、強き者として映る事か。

 

「……彼らは、死んだ。そう、なのですよね」

「恐らくはな。女王に殺された、と言えば、収まりもいいか」

「いえ。彼らは恐らく、悪魔に魂を売り渡す契約をした時点で……死んでいたのでしょう。止められなかった我々が何を言うべきではないし、移住に賛同した時点で同罪。しかし……いけないことでしょうか」

「……何がだ」

「繁栄を望むのは。これから先を──未来を望むのは。我々にはもう、許されない事なのでしょうか」

 

 フィルエルは、弱きが強きに立ち向かうべきではないと考えている。

 弱きは弱きのまま、強きは強きのままでいるべきだと。

 生き残りたければ強くなれ、強くなければ飢えて死ね。それは魔王国のルールだ。法律ではなく、そうである世界こそを魔王国とした。

 

 けれど何も、強きが何もしない、というわけじゃあない。

 魔王国にいた魔物種は、有事の際には自らが出て行って国を守らんとする。今は無い魔王国だが、その姿勢は、魔王国の王たるフィルエルにも言える事。

 弱きは弱きのままでいるべきだ。だから、弱きが弱きでいる間は──強きが、外敵から弱きを守ってやる。国内で弱きが強きに虐げられる事は何とも思わない。けれど、侵略を受けたのなら、自分を守る術のない弱きを強きが守る。

 

 それこそが本来の魔王国の在り方である。

 

「魔王様。ここに国を建てたら──貴方は、王となってくれますか」

「……」

「我々自然派は……いえ、残された最後の人類は、ここで……この壊れた文明の跡地で、静かに、しかし未来へ命を繋いでいきたい」

「ああ──」

 

 フィルエルの脳裏に浮かぶのは、最愛の妻と子。

 心より愛おしい家族の二人と、そこまで親しいわけでもない、最近では自らに愛想を尽かして出て行って、今更見捨てないでくれと懇願してきた他人を天秤にかける。

 探しに行きたい。助けに行きたい。

 当然の欲求は、しかし。

 

「──いいだろう。俺が、この国の王になってやる」

 

 他人に、傾いた。

 

 誰が見ても、あるいはかの女王がその立場になったとしても、決して理解できないだろうこの決断。まだ青く、幼く、夢見がちな少年心を失わぬフィルエルが──けれど、全てを飲み込んで王に着く。彼のストレス耐性が、家族と会えない苦しみを軽減したのだろうか? それとも未だ深みを持てぬ心が、愛情を軽く扱ったのだろうか?

 

「本当はな、今すぐにでも探しに行きたい奴らがいる。ティータさんが心から羨ましい。自分の欲求が一つしかないのが、本当に。ああ、でも、クソ。お前らは、見捨てられない。お前らは、お前達は弱い。限りなく弱い。魔王国の民の赤子よりも弱いだろう。そんな──そんな者共に、懇願されて」

 

 ああ、出来ないのだ。

 彼はまだ青く、幼いから。

 

「……選べるか。そんな、重い選択。命に優先順位なんか、ないだろう」

 

 最愛の二人と、見知らぬ他人。

 どちらかを捨てる。どちらかを拾う。それが──選べない。

 

 ただ、あの女王が二人の無事を保証した。ならば自分は、あの二人が帰ってこられる場所を作るべきだと無理矢理納得する。だって魔王国は無くなってしまったのだから。一家の大黒柱として、ここに新しい家を建てる。

 

 それが、フィルエルの出した答えだった。

 

「申し訳ありません」

「謝るくらいなら、強くなれよ。俺がいらないくらいにな。そうすれば俺はあいつらを探しに行ける。……何百年かかっても、別に良い。どうも俺は中々死なんらしいからな」

 

 ──ここに、新たな魔王国が拓かれる。

 崩壊した文明と侵食する木の枝。大地は僅かにしてしかし、その王によって堅牢。人類は新たな一歩を踏み出す。新たなステージではなく、始まりの第一歩を。

 

 

 

「ところで、この城はなんでこんな所にあったんだ?」

「あ、いえ、その……ここは、その、元々……その、自然派のためのホテルでして」

「?」

 

 

 

 

 さて、怒るか。

 

「ディアスポラ」

「はい」

 

 呼べば出てくるらしい。なんだ、暇してたわけじゃないだろうな。

 

「あいつらは見つかったか?」

「はい」

「そうか。そこは、どうすれば行ける?」

 

 やっぱり悪魔なのかなーディアスポラは。うーん、でも"魂"にそれらしいところは無いんだよな……。

 今は怒るのが優先だからアレだけど、全部終わったらもう一回精査するべきか。今度は違うアプローチで。

 

「……主は、行けないかと……思われます」

「やっぱりか。けど、黎樹は行ける。そうだな?」

「はい」

 

 まぁ予想はしていた。本来の方の転移術を俺が使えないのは多分、あの魔法みたいなやつが効かないからなんだよな。あれに関してはどう頑張っても使えなかったし、そもそもどういう仕組みなのか知らんし、加えて先日のディアスポラがやってきた……あー、契約? 的な奴も効かなかった。

 どういう原因で、どういう法則があるのかは知らん。あんまり大したことできないっぽいからそんなに興味が無い。ただ、今回ばかりは多少残念には思う。

 

 俺自身が行けない──俺の手ずから、盗人を懲らしめてやれないのは結構イライラする。ま、仕方ないなら仕方ない。怒るってのはエネルギーを使うんだ、あんまり他の事にまで怒ってるとダルい。

 

「問題は黎樹と俺のつながりが切れてしまう事。……地続きの移動手段は無いのか? 別に、俺が入れなくてもいい」

「あります」

「ならそれでいいじゃないか。早く教えてくれ、そろそろ苛立ちも限界に近いんだ」

 

 流石に所有物に当たる程馬鹿じゃない。ディアスポラに当たったって何かが帰ってくるわけじゃないし、森や家に当たるのはもう論外だ。だから冷静に話せているけど、苛立ちが収まったわけじゃない。

 今の俺はヤバイぞ。結構ヤバイ。何がヤバイって言うと、かなりヤバイ。マジヤバの民。

 

「我々の世界は、この世の外にあります。こちらにおいては黒キ海が無ければまともな生命活動をする事さえ出来ませんが──」

「ああ、いいよいいよ前置きはいいよ。今話とか聞きたくないんだ。どうやって行くのかと、どこから行くのか。それだけでいい」

「──(そら)です。この宇宙の外に、我々の世界はあります」

 

 ……それもヤバイな。俺よりヤバイかもしれん。

 

「いや、地続きになってるって言ったな」

「はい」

「どれほどの距離がある?」

「エイビスよりは遠いですが、倍はないかと」

「エイビスってのはなんだ」

「地下都市の事です」

 

 そんな名前なのか、あそこ。失敗作置き場になんで名前なんか付けてんだ? あ、いや、つけるか。名前くらいなら。

 

 で、海底の1.5倍くらいの距離だって? 宇宙が?

 ……ファンタジーすぎねえ? 流石に。

 

「じゃあ、今から黎樹を伸ばして、宙をぶち破れば」

「はい。我々の住む世界へ辿り着くでしょう」

「はーん。じゃ、必要なのは──タッパだな」

 

 なんだ。なんだよ。

 そんな簡単な事だったのか。ああ、ああ、もう早く言ってくれよ。

 

 無駄に時間を費やした。

 

「──大盤振る舞いだ」

 

 倉庫から、ガラス玉を取り出す。俺の血が入ったガラス玉。元の11/20を残すそれを──地面に叩き付ける。後先なんか知るか。俺は怒ってんだ。

 

 瞬間、地面から物凄い勢いで黎樹が成長する。

 まるで立ち昇る竜の如く……ってな。俺の血を吸って、鈍く赤く発色した黎樹が、互いを食らい合って絡み合って伸びて伸びて伸びていく。

 

「主……今のは、血、ですか?」

「ん?」

「ひ、す、すみません! なんでもないです!」

「いやビビりすぎだろ。俺は別にディアスポラには怒ってねぇから安心しろって。ちょっと怖かったか? ごめんな」

「──い、いえ」

「で、今のはそう、血であってるよ。俺の血。……あー、まぁあんまり大声で言いたい話じゃないんだけどな。今のはつまり、俺の──あー、破瓜の血だよ」

 

 そこだけは、外傷扱いじゃなかったらしいんだよ。

 

 黎樹は伸びていく──。

 

 

 

 

 リーアム・ディスプは悪魔と契約をした。他の亜人種や人間種が悪魔の血を受け入れる中で、唯一人、契約と言う形で悪魔と付き合っていくことになった。

 契約内容はたった一つ。

 一つ、悪魔は基本、契約者がいなければ実体を保てない。故に悪魔を適合者に降ろす手段を作る事。対価として、"経験を見る目"を授ける。

 

 ただそれだけだ。

 リーアムがいる内は、リーアムの周囲であれば顕現出来る悪魔。それらが欲するのは手段だった。適合者とは悪魔側の用意したフォーマットであり、あとは接続の構築だけをリーアムがする。勿論リーアムが成し得なければ子へ、その子が成し得なければまた次の子へ。

 完成するまで、永遠にその契約は続く。

 

 悪魔側の契約者はゼヌニム。

 ディスプの血筋とゼヌニムは代々契約を交わし、研究者として研究を続けた。次第に何も知らぬ人間種や亜人種が増え始め、国を興し、村を作り、様々な文明を作り上げる中、延々と。悪魔を降ろす──その手段を、研究し続けることになる。

 

 ただ、一人。それに抗ったディスプの血筋がいた。

 それが、ウィナン・ディスプである。"奮闘"の意味を名に持つ彼は、いとも簡単に"悪魔を適合者に降ろす術式"を完成させ、事もあろうになんとゼヌニムに求婚した。

 ウィナンはゼヌニムへ毎日毎日愛の言葉を贈った──というわけではない。リーアムは戦士だったが、それ以降の子は皆研究者の道を辿っている。ウィナンも例に漏れず、研究者。その生に男としての魅力は無く、元より容姿に恵まれていた、という事も無い。何よりそんな、人間種が惹かれるような内容で、悪魔の気を引けるわけもない。

 

 だからウィナンは、惚れ薬を使った。

 惚れ薬だ。媚薬──否、媚毒と言った方が正しいか。悪魔の知恵に寄らない、独力だけで作り上げたその惚れ薬は、ゼヌニムの警戒を緩めた。ある種、人類の作り出した最高位の毒だ。受け継がれてきた"経験を見る目"が生んだ、"経験"に作用する一つの答え。黎き森の女王が未来で生み出す興奮剤よりも、さらに強力な"愛情"に特化したその毒を、自らとゼヌニムの両方へ使用した。

 

 結果──ゼヌニムは落ちた。ウィナンの求婚を受け入れたのである。

 

 ゼヌニムがウィナンを受け入れたその夜、ゼヌニムの意識が落ちている内に、ウィナンはある術式を使用した。それは産まれてくる子に契約を引き継がないようにするための術式。死後──自身の魂を、魂に絡みついた荊を全て、自身が手放さないようにするための術式だ。

 これによりウィナンはもう悪魔の契約から解放されることは無くなった。魂が流転しても尚、新しく生まれたどこかの誰か、あるいは何かであっても、ウィナンの魂は悪魔に縛られる。永遠に解かれぬ荊をさらに縛り付ける鎖。それをウィナンは、自身の魂に深く深く打ち込んだのである。

 

 そうして、ゼヌニムは一人の子供を産む。

 純粋な人間──最後の人類と、純粋な悪魔の血を引く男児の名を、フィルエルとして。

 

 

 さて、けれど、そもそもの話。

 悪魔は契約者がいなければ実体を保てない。それは半悪魔となったフィルエルとて同じこと。いずれは肉体と魂が乖離し、赤子の内に死んでしまうだろう事が予測された。

 だからウィナンは、更なる細工を赤子のフィルエルに施す。

 

 フィルエルに悪魔との契約をさせたのだ。

 つまり、自分自身との──フィルエルの中の悪魔の血との契約である。契約内容は一つ。フィルエルの肉体が死んだら、その魂を差し出す。代わりに魔物と同じ、無機物を食らって再生する力を与える。

 これによりフィルエルの悪魔は契約者と共にいる事で実体を保てるようになり、フィルエルは人間の身体のまま、無機物を生体へ変換する法則に縛られるようになった。そこにゼヌニムや他の悪魔の関与は無い。完全にフィルエルの中でのみ閉じた循環である。

 

 ああ、しかしウィナンのこの決死の行動は、良い結果を齎したとは言えなかった。

 

 要因の一つとして、ウィナンが、というかディスプの血筋が自らの研究内容を周囲に話していなかった事があるだろう。既に悪魔の血の適合者は世界中に散らばっていたが、自らが悪魔の血の適合者であるという事を知っている人間種は極僅かだった。とある村で遠い先祖の書いた悪魔の書を守っている一族以外、ほとんどが自身を単なる人間種であると、そう信じていた。

 だからウィナンは、自らが研究しているものは"悪魔を適合者に降ろす術式"ではなく"寿命を延ばす術式"であると言っていた。なまじそのカムフラージュのための研究が効果を出してしまっていたから、とある老貴族に腕を買われてお抱えになるまでになってしまったというのは、ひとえにウィナンの天才性にあるかもしれない。

 

 そして二つ。そんな彼の周囲の人間種は──ウィナンが思っているよりずっと、嫉妬深く疑い深かった、という事。

 

 ゼヌニムが実体を保っているから、当然その姿は周囲の人間にも見える。流石にその時の衣服は未来でゼヌニムの着ているような露出度の高いそれではなかったけれど、それでも隠せぬ妖艶な空気と目の覚めるような美貌は、多くの嫉妬を生んだ。ウィナンはあまり顔のいい男とは言えないから、というのもあるのだろう。その釣り合わなさが、周囲をウィナンについての調査に駆り出した。

 悲しい事に、彼らは有能だった。調べがついてしまったのだ。ウィナンが自身の息子、赤子であるフィルエルになんらかの術式を施していると、そこまで見抜いてしまった。けれど有能止まりの彼らは、そこまでしか見抜けなかった。

 

 なんらかの術式を施している。それが何かはわからない。

 そこにウィナンの研究が──研究の腕が、貴族に買われる。嫉妬と疑念。そして、興味か。"寿命を延ばす"などという眉唾が、しかし出資をされる程のものであると確定している。

 

 赤子に"寿命を延ばす術式"など使うはずがない、というのは、彼らも気付いていた。知っていた。だから、本当に気の迷い──あるいは悪魔信奉者たちの血が囁く、悪魔を妻とした者への嫉妬であったのだろう。

 彼らはウィナンの子を拐い──傷をつけた。はじまりは、傷をつけるつもりは無かったのかもしれない。他の研究者に子を見せて、どんな術式がかかっているのか、それを自分たちで扱えるものなのか。そう言ったことを聞くだけのつもりだったのかもしれない。

 血を抜くための、針一つ。

 その傷が見る間もなく塞がっていくのを見るまでは──ああ、出来心だったのだろう。

 

 彼らはこれが、フィルエルにかけられた術式が"寿命を延ばす"などと言うものではないのだと知った。ああ、心躍ったことだろう。これは"寿命を延ばす"ではなく──"不老不死"の術式なのだと。

 

 そこから始まるのはまぁ、予想通りの、想像以上の、考えたくも無い実験の数々である。

 どれほどの怪我なら治るのか。どれほどの怪我でも治るのか。死んでも、生き返るのか。この赤子に死は追いつくのか。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も──彼らはフィルエルを傷つけ、殺した。まだ赤子である。けれどそこに倫理観などというものは存在しない。欲望の狂気と、そして彼らに流れる悪魔信奉者たちの血が、まるでフィルエルの中にある悪魔の血を求めるかのように傷をつけ続ける。

 次第にフィルエルの身体は刃を通さなくなった。針を通さなくなった。剣を振り下ろしても、大男が斧を叩きつけても、高い塔の上から落としても──何も。フィルエルの身体に傷をつける事が、出来なくなっていった。

 

 自棄になった彼らが次なるターゲットにしたのは、ウィナンだ。ウィナンの外出中に彼の部屋に盗み入り、研究資料の類を持ち出した。研究者にとって研究サンプルと研究資料は何よりも大事なものである。だから、盗んだ。

 そしてたった一人で盗人を追いかけてきたウィナンに取引を持ち掛ける。

 フィルエルを返してほしければ、術式を明かせと。ウィナンは酷く動揺したことだろう。"経験を見る目"はあくまで"経験"──"感情"や質を見る目であって、"魂の規模"を見ることが出来なかったから、その大きさには気付かない。ただ、毒を食らって衰弱している我が子が盗人の手にある。その事実を目の当たりにしたのだから。

 

 それでもウィナンは"不老不死を得る術式"など明かさなかった。当たり前だ。そんなものは無いのだから。そう告げたところで、盗人が……誘拐犯が納得するはずもない。狂気に満ち、激情する誘拐犯と単なる研究者であるウィナンは戦い、片腕を深く斬られながらも、我が子を取り戻した。

 しかし、国に帰った時点で、あるいは見張りの兵に出会った時点で気付く。かつての友人、かつての同僚。それらはすべて、ウィナンを狙っていた。違う、フィルエルを狙っていた。"不老不死"の体現者を? それとも、"悪魔の血"を?

 糾弾する間も、確かめる間も──ゼヌニムを探す間もなく、ウィナンは国から逃げ出す。

 逃げて、逃げて、逃げて……そして、辿り着くのだ。

 

 女王の住まう黎き森──かつて朝焼けの、そして暁天の一人が「朝陽集う、夜明けの森」と称した、その森へ。

 

 




ウィナンが作り出した惚れ薬は超強力だぞ! なんならファムタでも堕とせるな! 女王には効かないけど!


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悪魔か女王か、生か死か。(どっちがどっち?)

ちょっと痛い表現があります。残酷な描写注意。


 悪魔の世界というのは、だだっ広く、基本何もない所である。

 何の植物も生えていないし、何の動物もいないし、ただ巨大な太陽が二つ、上空で回転を続けている……夜も朝も昼もない、明るいはずなのに暗く、暗いはずなのに朱色の、そんな世界。何もない。何もない。何も無くて、何もない。

 

 心の底から──暇で、暇で、暇な世界だ。

 

「……人間、死んだようね?」

「ああ、死んだな」

「死んでいたのが死んだワ……ああ、面白い」

 

 そこには二人の悪魔がいた。ゼヌニムと、ラヘルという悪魔だ。

 

 二人の手には大口のワイングラスがあった。

 その中に、脳が一つずつ、入っている。

 

「ねぇ、聞いてる? 貴女のコピー、死んだみたいよ? ……ああ、そんなに震えて。可笑しい、もしかして、死ぬのが怖いの?」

 

 ゼヌニムがくすくすと笑う。

 脳。脳だ。彼女らの手にある脳は、そう、肉体を捨てた人類のもの。チップに魂を複写して、未だ魂の最も大事な部分の残っていた脳を廃棄した、あの愚かな人類から得た戦利品である。

 あるいは、その効果をよく理解することもなく使用した、"不老不死を得る術式"──"生体の魔物化"の失敗による反動で肉体を石化させた、愚かにもほどがある適合者の物かもしれないが。

 

「ねぇ、生きたい? もう一度肉体を得て──もう一度、大地を踏みしめたい?」

 

 グラスの中の脳は当然、何も答えない。

 けれどゼヌニムが取り戻した"経験を見る目"が、グラスの中の脳の怯えと、恐怖と、そして微かな期待を見抜く。

 

「──ダメよ、貴女達には、私のナカがお似合いだわ」

 

 グラスを持ち上げ、そして、それを飲み干した。

 脳を、ではなくそれに宿る魂を、である。そうしてただの脂質とタンパク質になったそれが、悪魔の世界で実体を保つことが出来ず、溶けるようにして消えていく。

 

「優しいな、奴らに肉を返すのか」

「微々たるものでしょう? 気に障ったのなら謝るわ」

「いや、良い。私も私で、遊びを講じている。お前の遊び心程度に目くじらを立てる程余裕がないわけではない」

「どんな遊び? それって、もしかして、()()()()()()()の事?」

 

 ゼヌニムがラヘルへと詰め寄る。娯楽のないこの世界では、他者の娯楽でも楽しまなければ、あまりにつまらない。

 

「いやぁ、あれらに手を出さば、クナンが怒ろうよ。今は大好きなものをコレクションに、悦に浸っているようだからな」

「あぁ、クナンの適合者の子、随分と表に出てきているのねぇ。そういえばマハラスは? マハラスも適合者に降りていたじゃない。どこへ行ったの?」

「マハラスは……あれは降りたと言えるのか微妙な所だがな。肉体が適合者でないにも関わらずの降臨だ。そんなことが出来るのなら、とっくにやっている。……あの女王とやらの作る生命は……ああ、あまり関わらん方が良いだろうな」

「この間一瞬会ったけれど、話の通じない気の狂った女の子だったものね。けれどこちらの嘘は見抜いて、ああけれど、とても、とーっても、美味しそうな魂をしていたわ……。ウィナンを思い出すのよ」

「……お主、まだ気付けぬのか。その恋はまやかしであると」

「失礼ね、私は彼に惚れたのよ。彼のテクは凄かったのよ?」

 

 頬を赤らめ、腰やら肩やらをくねくねと動かすゼヌニムにラヘルは苦い顔をする。数百年前、ゼヌニムは"悪魔を適合者に降ろす術式"を掴み取って、悪魔の世界へ帰ってきた。快挙である。あとは一定以上の魂を持つ適合者さえいれば、悪魔は肉体の必要な世界の土を踏むことが出来る。

 しかし、戻ってきたゼヌニムは……その、ちょっと、色ボケていた。悪魔が人間に恋をするなど、あり得ない。そもそも種族が違う。法則すらも違う。けれどゼヌニムは、口を開けばその男の事ばかり、口を閉じてもくねりくねり。

 ラヘルや、まだ適合者のいなかったクナン、メシュシュ、ナーマウ等の悪魔に惚気を語りまくって、そして死んでしまった事を落ち込んで、また楽しかった思い出を話して……と、随分と人間に染まっていた。まわりがげんなりするくらい。

 

 玩具でしかない種族との愛恋や性交の話など、死ぬほどどうでもいいものである。自慰について延々と語られているようなものだ。嫌にもなる。

 最近は鳴りを潜めたかに思われていたそれは、その実全くで。最近はちょっと実入りが良かったから隠せていた、というだけのようである。

 

「それで、遊びって何なのかしら?」

「急に戻ってくるな……。何、そこまでおかしなことではないさ。脳に二つ以上の魂を入れ、その取り合いを眺める遊び……あれを魔物の身体で行おうと思ってな。あの争いを、視覚的に楽しめないものかと模索中なのだ」

「へぇ、面白そう」

「お前も好きだろう、希望。期待。私は希望が好きなのだ。隣人さえ殺せば、恋人さえ殺せば、自分が助かるんじゃないかと言う希望……ククッ、あぁ気持ちがいい」

「やる時には言ってね? ちゃんと見に行くから」

 

 また一つ、脳の入ったグラスを取り出すゼヌニム。

 中のそれを愛おしそうに、面白そうに、無様そうに眺めて、コロコロとグラスを回す。

 

「……それで、結局マハラスはどこへ行ったんだっけ?」

「さぁな。リリスと遊んでいるのではないか?」

 

 魂がまた一つ、嚥下される──。

 

 

 

 

「ねぇ、可愛い子。貴女はどうして泣いているの?」

「……誰」

 

 二つの影があった。

 一つは、ファムタ。

 もう一つは、背丈30㎝程の、小さな小さな少女。

 

「私はリリスよ! 貴女は?」

「ファムタ」

「そう、ファムタっていうのね。……あれ?」

「本当の名前じゃ、ない。貴女は、悪魔?」

「あれ! もしかして私、ピンチ?」

「……別に、何をする気もない。私はここにいなきゃいけないから」

 

 ふぅん、と言って、リリスはちょこんとファムタの膝に座る。

 

「……何か、用?」

「ううん! ちょっと暇で、ふらふらしてたら変なものを見つけて、面白そうで入ってきたの」

「そう。ここはお墓だから、面白いものなんてないよ」

「お墓?」

 

 ファムタの背後。そこに、簡素な石碑がある。

 ただそれだけが墓だ。何の文字も、何の花も、何の装飾もない。

 

「誰の?」

「大切な人」

「……ふぅん。なんでここにいるの?」

「守るため」

「……誰から?」

「女王から」

 

 女王? リリスは、可笑しそうに笑って、聞き返した。

 

「女王様がいるの? 貴女達は、じゃあ王国の民なのね」

「……そうじゃないけど、そう呼ばれてる。そう呼んでる」

「そうじゃないの? それなら、名前は何なのかしら」

 

 けれど、ファムタはそれに答えられなかった。

 知らないからだ。

 

「ふぅん。貴女、その人の事、何も知らないのね」

「……知る気も無い」

「知らない人からお墓を守っているの?」

「敵であるとわかれば、それでいい」

「それはおかしな話ね。敵であると認識するには、まず知らなきゃ! 嫌うためには愛情が必要なの。知ってた?」

「……」

 

 リリスは、一度ファムタの膝から飛び出して、ふわふわと宙を漂う。

 小さなその体を、何故か、ファムタは追ってしまう。

 

「悪魔はね、この世界を愛しているわ。生物を、人間を、全てを! だから、面白いと思う子がいるし、悍ましいと思う子もいる。その中でもね、貴女達魔物種は、一際愛おしいのよ。今までにいなかった法則の元動く生命。悪魔は法則を集めたがるから、貴女達の身体は宝石のようなの」

「……」

「ああ、けれど、その法則は手に入らないのよね。悲しい事に、誰かが独り占めしていて……。知っている? 今、外は黒い水でいっぱいなの。あれは私達の法則。あれがあるところなら、私達はどこへでだって現れられるし、実体を保っていられる。それがないところだと、こうやって、吹けば飛ぶような体でゆらゆらするしかないの。つらいでしょ?」

「それが、私に関係ある?」

「あるわ。だって、貴女が嫌っているその女王様って、法則をたくさん握っている誰かでしょう? しょーきょほーという奴よ。ふふ、貴女は、随分と嫌ってる。何があったかは知らないし、聞く気も無いけど」

 

 ファムタの眼前に、リリスが来る。その鼻先に止まった少女の身体は、なるほど軽い。触れた感覚があるくらいで、重さは無い。

 

「私達は、その法則を解放したいのよ。協力してくれない? その代わりになら、そのお墓に入っている魂、守ってあげるわ。契約なんかしなくていいから、ね?」

 

 リリスは蠱惑的に笑って、ファムタにウィンクを落とす。

 

「頷くと、思う?」

「ありゃ、やっぱりダメかぁ~。意思が固いのね、それに魂も。……随分と、大切にされてる」

「大切に?」

「身に覚えがないのかしら? これは、血の縛り……いいえ、加護ね! 体の細胞にも加護が刻まれているけど、それ以上に濃い加護。直接吸い込みでもしない限り、ここまで強くはならない。……一層、貴女が欲しくなっちゃった」

 

 じゅるりと涎を垂らす真似をするリリスに、ファムタは顔を顰める。リリスの目は所有欲の色以外に、確実な色欲があった。具体的にはファムタの胸とか臍とか股とかをじろじろとみて、垂れる涎を何度も掬っているのである。汚い。

 

「ねぇ、ちょっと、契約とか関係なしに……えっちしない?」

 

 直球だった。

 

「もう、どこかに行ってほしい。無駄な体力を使いたくはない」

「無駄な体力って、そんなに元気が有り余っているのに?」

「……大切な相手から受け継いだ、大事な元気、なの」

「ふぅん? ……んー、じゃあ、譲歩! 譲歩しましょう!」

「出て行って欲しい」

「協力、じゃなくていいわ! ファムタ、貴女に──法則を解放する力をあげる。タダでね。特別よ?」

「出て行かないと、実力を行使する」

「使用方法はとーっても簡単!」

 

 リリスのいる空間が、ぐ、と圧縮される。

 その体が潰れていくけれど──リリスは、笑顔のままに言う。

 

「キスをするだけ! 女王様にキスを落とせば──その瞬間、全ての法則が解放されるわ! それじゃ、またね! 今度会ったらえっちしようね! きゃーっ!」

 

 潰れた。

 けれど、肉体の残骸も残らない。実体を保てない、と言っていたから、そういうことなのだろう。

 

 ファムタは自分の唇を触る。特に何の変化も無い。揶揄われただけ──そう、捉えるべきだ。

 ……べきだ。

 

「……法則の、解放」

 

 悪魔の甘言など、乗るべきではない。昔の魔王国には悪魔に関する子守唄があって、それを死に目の妖精(ポンプス・イコ)と絡めたものを、ジャクリーンがよく話していた。ジャクリーンは……悪魔から身を守るモノとして、死に目の妖精(ポンプス・イコ)を。

 女王にも、悪魔にも。

 ……決して与するべきではない。ない。ない。

 

 ないのに。

 

「──独りは、つらいね」

 

 零した言葉。

 

 それは直後、世界全体を揺るがすような轟音──天を割る衝撃によって、掻き消された。

 

 

 

 

「……シオン、これ──何?」

「何って、見てわからない? 標本よ、標本! 頑張って集めたコレクション!」

 

 マルダハの視界には、一面、異様なものが広がっていた。

 過去の──戦士だろうか、左手には裸の男が、ずらり。

 右手には、マルダハさえも息を飲むような美貌の女と──魔物種達が、こちらも衣服を剥かれて、ずらり。

 

 皆一様にポーズを取っていて、けれどそのまま動きもしない。彼ら彼女らはガラスの箱の中へ入れられて、()()されていた。

 

「標本……? コレクション……?」

「様々な時代の英雄、美しき者、そしてあぁ、生物としてあまりに異様な、魔物種……! 素敵でしょう? 素敵よね、これ、欲しくて欲しくて仕方なかったのよ! 適合をしてしまうには余りに惜しい。本当は()()()もここに収めたかったけれど、この子以外の適合者があの森にいなかったのよね。残念だわ! 本当に! マルダハと、あとアレ、あの子は少しだけ適合者の血があるようだったけれど、薄すぎるわ。仕方なく、この子にするしかなかったのよ。信じて!」

「……貴女、誰?」

 

 マルダハは、距離を取った。取ったつもりだった。

 しかし、上手く体が動かない。ふわふわとしていて、今にも溶けてしまいそうな感覚。

 

「ああ、ダメよ、マルダハ。貴女は私の大事な、大好きな子なんだから……溶かしてしまいたくはないの。本当は貴女もコレクションに入れてしまいたいけど、貴女だけはずっと、私とお喋りをして、私の目を見て、私の身体と……あぁ、あは、交じりあって、ずっとずっとここで過ごすの」

 

 マルダハの目の前にいる存在がシオンでないことなど、火を見るよりも明らかだった。見た目はシオンだ。そして先ほど、この展示会場に連れてこられるまでも、シオンだった。良かった、無事だったんだと抱き合って、少しだけ泣いて──そうして連れてこられたのが、ここ。

 あるいは女王が見れば博物館か? とでも称しただろうそこに、全てがあった。

 

 そしてこれらは、彼ら彼女らは。

 

「……まだ、生きて……る?」

「当たり前よ! 死んだのを集めたって意味が無い。そんなの、誰にだって出来る。私が、私だけが、生きている美しき生物を、輝かしき魂を集めてこられるのよ! 見て、この肉! この眼球! この皮! あぁ、あぁ!」

「……」

「なんて──なんて、悍ましい! 見ているだけで吐き気がする……そんな素晴らしい事、ある? ここまでの娯楽、そうそう無いわ。生体って、どうしてこんなに気持ちが悪いのかしら……。あぁ、あは、ねぇマルダハ。これを、例えばこの雌の皮膚を、鑢で削ぎ落したら、どんな魂の震えが見られると思う?」

 

 そう言ってシオンが指さすのは、羊の魔物種の──フォリーだった。

 

「止めなさい、そんな……そんなこと」

「勿論、これは標本。コレクションだもの。傷をつけたりなんて、しない」

「それは、良かった。いえ、良くは無いけど……」

 

 オーバーなリアクションで「やらないやらない」というジェスチャーをするシオン。

 それに安堵したのも、束の間。

 

「だから、コレクション以外にはやってみたくなるよね。ざざざざーっ!」

 

 止める間もなく、鑢が引き下ろされる。対象は──シオンの手に現れた、脳。

 脳だ。

 

「あはは! 凄い、凄い魂の震え! 痛い? 痛い……痛いねぇ? くふ、くふふ、あぁどうしよう、このままじゃ貴方、悪魔の世界の空気に耐えられなくて溶けてしまう!」

 

 マルダハは、動けない。

 足が言う事を聞かない。まるで地についていないように、ふわふわと、感覚がない。

 

「どうする? 懇願する? 痛い痛いって泣き叫んで、同情を誘う? ……ふふ、悍ましい。気持ち悪い。ほら、踏み潰してあげる」

 

 シオンは、その手に持った削れた脳を地へと放り、思い切り踏み潰した。

 その足に脳漿が飛び散るが、すぐに大気へ溶けていく。

 

「マルダハも、どう? やらない? とっても楽しいのよ」

「……出来ないわ。体が、動かないの」

 

 ここで拒絶する事も可能であったけど、マルダハはカマを掛けてみる事にした。

 自身の状況を何とかする術がないかと、それを誘う。

 

「出来ない? あー、そっか。マルダハは適合者だけど薄すぎるし、誰かが中に入ってるわけでもないし……そっか、動くと消えちゃうのよね。んー、んー、でもやりたいでしょ、これ。じゃあどうしようかな……」

「……ちょっと、シオンと話させてくれないかしら、()()()()

「えっ?」

 

 驚いた顔で、シオンはマルダハを見る。

 その瞬間、その顔つきがきょとんとしたものから、引き締まったものへと変わった。

 

 シオンだ。

 

「説明をしなさい」

「……ごめんなさい、マルダハ。私はもう、ダメ、だったみたいなの。私は……悪魔の適合者に選ばれてしまった。クナンという名の悪魔よ。私は元々、悪魔を信奉する一族の末裔で、悪魔の血を飲んだ者の直系。近親の交配を繰り返して、私の代で悪魔の血は最大にまで濃くなってた」

「……何一つ頭に入ってこないけれど、それで?」

「女王に……身体を替えられた。あれが、適合を長らく遅らせていた。けれど時が経って、私の魂は受け入れを勝手に許可して……悪魔の書を開いた。そこにはいろいろな手順が乗っていたわ。ああ、けれど私は、みんなを逃がすために、あの森から出る術を得たと勘違いした。苦心したわ。この方法を遣えば、女王の手の届かぬ所に皆を逃がせるって。ああ、それで、みんなを集めて、そう、けれど、ああ、なのに」

 

 シオンは、頭を押さえて言う。

 言う? 呟く? ぼやく? ……悔悟するように、しているのだろう、深く深い後悔を。

 

「……この世界に入った途端、私の中のクナンが、私を侵したわ。既に適合していたのよ。既に降りていたの。クナンは。そうして、私の身体を使って、クナンはみんなをアレの中に閉じ込めた。ああ、マルダハ、アレをこの世界で割ってはいけない。みんなの身体が溶けて消えてしまう。割るなら、逃がすなら、女王の森でないと」

「……黎き森に、連れ戻せっていうの?」

「こんな! こんなところより! 絶対に、絶対に女王の元にいたほうがいい! ああ、ああ、わかったのよ! 私は恐ろしい事をしたんだって……女王は、悪魔は、悪魔は女王には勝てないから! 女王の庇護下であれば、私は、私達は、ああ!」

 

 頭を掻き毟って、シオンは言う。

 懺悔だ。告解だ。

 シオンはもう、ダメだ。マルダハにもわかった。悪魔の適合者とやらでももうダメで、魔物種としても、もうダメだ。人格に恐ろしい程の罅が入っている。

 

「女王は……あぁ、女王よ。女王が、そう、女王が……いるわ。あの世界に帰れば、女王がいる。ああ、私はもうクナンに乗っ取られる。でも、安心して。女王が──来るわ。女王が来るの。ふふ、ふふふ、私は、悪魔に一矢報いたのよ。あぁ、貴女を連れてくると、連れてきたいと嘯いて──女王に喧嘩を売ってやった」

 

 顔を覆う両の手の間から涙をボロボロとこぼしながら、笑う。嗤う。

 自滅的な、破滅的な笑いだ。適合者。その代償。

 

「マルダハ……貴女を、利用したのよ。みんなを助けるために、私は、貴女を!」

「……」

「助ける? 助かる? その先に待っているのは、女王の凄惨な実験! でも、女王は、女王なら、悪魔には負けない! 命を、でも、命は私の、私の命が、それだけで済むのなら、みんなは──あぁ、ダメ、逃げて──マルダハ、貴女は逃げて!」

 

 逃げろと言われても、だから足が動かないのだ、と、マルダハはどこか冷静な思考を回す。

 シオンには悲しみと怒りと自戒と、とにかくごちゃまぜな感情が渦を巻いて存在しているようだった。自分ではない自分になる、という感覚。それは、ターニアがマルダハになるのとは、違うのか。

 

「悪魔は女王を倒せないの?」

「出来るはずがない! あんな、あんな! あんな──恐ろしい、化け物。何を見たの? 何を見ていたの? アレの、何を知っているの? アレに、本来人格なんてない! アレに、本来溜め込む機能なんてない! どうして? 誰? 誰があんな、恐ろしい化け物を作り上げたの? アレさえいなければ──私は、私達は、世界をこの手に出来たのに!」

「貴女は、クナン?」

「そう、そうよ。私はクナン……ふう、なんだか疲れたわ。どうして? ふふ、おかしい。私達が疲れるなんて、面白い事でもあったのかしら。ええと、貴女。誰だっけ、可愛いわね。それに、とってもイイ身体をしてる。ねえ、ちょっと私のコレクションになってみる気はない? コレクション? ……あれ? 私ったら、どこも傷つけずにケースに入れるなんて、気でも触れていたのかな?」

 

 振り返って、ケースを見た。

 クナンが……その手に鑢と鋸を取り出す。

 

「もう、ダメね、年を取ると。男は腕をもいで、女は足を千切る。そうした方が、美しい魂の震えを見せるのよね。こんな展示じゃ勿体ないわ。その上で、美しく着色をしないと」

 

 動かない。マルダハの身体は、一切、動かない。

 ……。

 

 マルダハは。

 

「──浅ましく、愚かしく、願うわ。散々嫌っておいて、いえ、今も嫌いだけど」

 

 呼ぶ。

 呼べ。

 嫌だし、嫌だけど。どっちがいい、なんて選べないけど。選びたくないし、そっちが良いなんて、口が裂けても言いたくないけど! 死んでも乞いたくはなかったけれど!

 

「助けて──」

 

 直後、地面が割れた。

 

 




おいおい手のひらクルックルだな! 人間じゃあるまいし! はは!


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此岸から見得る、彼岸の大口

ちょっとR15寄りの表現があるかも?
精神的エグさは軽め?


 遥か頭上で、黎樹の天頂が宙を捉えたのがわかった。なるほど、これは近い。空も大気圏もあるし、宇宙もある。けれど、何と言えばいいのか……これが適切な表現かはわからないけど、「デフォルメされている」というような印象を受けた。自然に発生したそれではなく、何かが──どこか別の本物を見て、真似をして作った、かのような。

 それは、ああ、しかしどうでも良い事だ。そんな起源の話なんて、俺には関係ないのだから。

 

 ただ、今は。

 この怒りを──早くぶつけてしまわなければ。

 

 

 

 

 地が割れる。

 裂け目からは、あぁ、勿論、木の枝が顔を出した。けれどそれはすぅ、と溶けるように消えてしまい──それを覆い潰すように、後からあとから、木の枝が、枝が、枝が生えてくる。この世界が有機物の実体を分解する速度よりも、木の枝が成長し絡み合い伸び続ける速度の方が、遥かに上を行くのだ。

 枝は一か所からでなく、多方、沢山の地面から、メキメキとゴリゴリと音を立てて聳え立っていく。何度も消えて、消えたところが覆われ太くなって、さらにそこが消えて、増えて増えて増えて。瞬く間だ。赤く、暗いこの世界に、影が落ちる。黒い──黎い影が。

 

 そして、その枝先の一つに。

 白いワンピースを着た少女が現れた。

 少女もまた、消える。溶けるように、ぐずぐずと薄まり、どさっと身体を落として、消える。

 

 それが何千、何万体と出現する。出現し続ける。

 "この世界で生体は肉体を維持できない"、"この世界で生きているものは活動できない"。悪魔の所有する二つの法則が、しかし、押し負けている。

 

「……女王」

 

 マルダハの視界を埋め尽くすほどの死に目の妖精(ポンプス・イコ)。悪魔の世界には無い色の、あまりにも美しい白が並ぶ。黒白のコントラスト。その小さな口が、少女の可憐な口が、ゆっくりと開く。

 

「──シオン」

 

 荘厳。畏敬。

 ああ、何故か震えが止まらない。マルダハが今まで感じていた──感じた事のなかった、女王の"魂"が、恐ろしく、恐ろしく、恐ろしい程に巨大で、美しきものであるという事実を、今ここで知る。黎き森にいた頃も、エイビスにいた時でさえわからなかったソレは、身体がふわふわとして動くことのできない今、自然と(こうべ)を垂れてしまいたくなるほどの威光を放っていた。

 

 鑢と鋸を持ったシオンが……否、クナンが、死に目の妖精(ポンプス・イコ)にゆっくりと目を向ける。その手は──震えていた。ああ、大地から生えてきた枝は、けれどわざわざケースを避けてくれる、なんてはずもない。マルダハから見て左手側、過去の様々な英雄と言われた全裸の男たちのケースが、そのほとんどが黎樹の幹へと飲み込まれてしまっていた。

 ならば、だからこれは、恐怖の震え、ではない。

 

「どうして……どうしてくれるのよ! 折角折角折角集めて、頑張ったのに頑張ったのに! もういないから、取り返しがつかないのよ! 大事な大事なコレクション! 大事な大事な英雄のコレクション! 弁償! 弁償してよ!」

「お前、悪魔か。シオンじゃないな。ははっ、そうか。じゃ、やっぱり悪魔か。悪いのは。まったく、ディアスポラといいシオンといい、規模の大きい奴ばっか憑きやがって……あ、いや、そうか。よく考えたら俺、防虫対策とか全くしてなかったんだな……そうか、それが原因か。あぁ、反省反省。そこが俺の悪い所であるのは認めるよ。ああけど、虫食いだからって他人様のモン盗んじゃダメだろ」

「──あ、ダメね、コレ。ここまで大きいと、こっちの声なんか届かないわ。じゃ、私逃げるから!」

 

 狂気で、あるいは怒りで指先に至るまで震えていたはずのクナンは、しかし、ケロっと表情を変えて、唇に人差し指を当てた。ウィンクを一つ。

 

「シオン」

 

 その背後に、死に目の妖精(ポンプス・イコ)が現れた。移動してきたわけではない。現れたのだ。

 小さな手が彼女の首に伸びる。柔らかく可愛らしい少女の指。機械の掃射を受けていた時のようにじりじりと身体をブレさせながら、けれどその手は確かにクナンの首を掴んだ。

 

「じゃ、もうその生体はいらないわ! じゃね!」

 

 クナンの──否、シオンの口から、どろりと……女が出てくる。白目を剥いたシオンの口が限界まで開き、顎を外し、半固体を思わせる形で吐き出された小麦色の肌の女は、シオンとは似ても似つかない。美女であるのは間違いないが、どこか嗜虐的で、どこか見下した印象を周囲に与えるその顔が、爽やかに歪む。

 クナンだ。これこそがクナンの姿だ。

 そして捨てられたシオンの身体はだらんと四肢を垂れ下げ──その指先から、じくじくと溶けるように消えていく。

 

「おいおい、"(それ)"を返せって言ってるんだよ、こっちは」

 

 ああけれど、女王がシオンの身体に何か処置をする事はない。むしろクナンへ向けて、無数の死に目の妖精(ポンプス・イコ)を伴って移動を開始した。

 動くことのできないマルダハの前で。その眼前で、白目を剥き、泡を噴き、全身の骨が折れてしまったかのようにあらぬ方向に曲がった手足を大地に擲って倒れるシオンの身体が、端の方から粒となって消えていく。もう手首から先がない。膝から先がない。腕が消え、腿が消え、肩が消え、腰が、腹が──ああ、全てが消えていく。

 

「シオン……」

 

 マルダハには、どうする事も出来ない。

 そうして、一分を数えぬ内に──シオンの肉体はこの世界から完全に消滅した。

 

 ただ三つ。地面に、黎樹の種を残して。

 

 

 

 

「上げたのに! 欲しがってたあの子の身体は!」

「……"魂"はやはり、シオンのものだな。不純物が混じっているように見える。ディアスポラは無理だったが、こいつは不純物さえ取り除けばいけるか?」

「き、気持ち悪い! 生体……生体ばっか! 法則で、消えても消えても増えていく! リリスの嫌いな奴は本当に頭がおかしいのね! 地獄に魂を与えるとか、相当頭のおかしい奴に決まってる!」

「問題はどうやって"魂"を持って帰るかだな……いやまぁ、ここで"摂取"してしまうのもアリっちゃアリなんだが。ティータがいれば問題ないしな。他のはまぁ、新しく作ればいいか」

 

 クナンとて、猛スピードで走っている。否、時折転移を繰り返して、遠く、遠くへ走る。悪魔の世界は実質的な広さを半永久的に広げられるから、女王が諦めるまで逃げ続ける。そのつもりで、けれど女王は、死に目の妖精(ポンプス・イコ)はその勢いを衰えることなく増え続け、追い縋り続ける。夥しい量の白いワンピースの少女が悪魔の世界の空を覆っていた。

 

 アレを倒すことが出来ない、なんてクナンにはわかりきっている。生体を悍ましく思い、だからこそ集め、眺めて傷をつけて遊んで楽しむ彼女にとって、死とは絶対のものだ。残念ながらこの世界においても加減を間違えると生体は命を落とす。そうでなくとも、クナンの加護や法則がなければ肉体の維持なんて出来ない。

 今でこそ生体コレクションのエキスパートとなった自信のあるクナンだが、昔はしょっちゅう加減を間違えて殺してしまい、未だ生きている、という付加価値の消滅に嘆いたことが幾度もあるのだ。

 

 悪魔でさえ、死者の蘇生は出来ない。

 それは絶対の法則だ。この世界が、そして生体の住まう世界が現出した時からある絶対法則。

 人類との契約によって"居住スペース"として地表を奪った時、悪魔たちがあの火山を残したのは、何も人間たちが徹底的に抗ったから、なんて理由ではない。そんなものは何の弊害にもならない。

 あそこに、あの火山こそが入り口なのだ。即ち、地獄の門。あの先にあるのは、肉体の死んだ魂であれば善人も悪人も一緒くたに飲み込む地獄だけ。だけだった。そのはずなのに。

 

 いつしか──悪魔が人類を騙して地表のほとんどを奪ってすぐの辺りに、そこに何かが住み着いた。"何者かの魂"だ。少なくとも悪魔が契約をした人類ではないし、適合者や亜人種、唯一の契約者でも、ない。完全な異物。この世界にいなかったはずのその魂は──地獄だった。地獄そのもの。

 けれど同時に、そんなはずはない。古来より地獄はそこにあって、けれど魂や人格を得たことなど一度も無かった。だから誰かが、何者かが、"何者かの魂"を地獄に与えたのだ。肉体の死んだ魂としてでなく、人格として。

 

 そして、その"何者かの魂"は余りに理不尽だった。死者は生き返らない──誰も抗えぬ絶対法則。その法則の裏を突いたのだ。今クナンを追い続けている死に目の妖精(ポンプス・イコ)黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)が、悪魔でさえ超えられなかった絶対の法則を、新規の法則の適用で捻じ曲げた。そう、かの女王こそが"何者かの魂"だ。地獄。地獄そのもの。

 この世は生体の世界と、悪魔の世界と、地獄の三つで成っている。愚かな適合者や亜人種たちの一部が語るような天国とやらは存在しない。その内の一つが人格を持つなど、誰が考えられようか。

 

 クナンは推測している。クナンとリリスには予想があった。即ち、女王とは。

 この世界を作り上げた存在が、世界に新たな法則を書き込むために送り出した外付けの異物(パッチファイル)

 比較的新しい悪魔であるマハラスやラヘルにはわからないだろう。あるいは、適合と乖離を繰り返した他の悪魔でも、その根源的恐怖を忘れてしまった者もいるかもしれない。クナンとリリスだけが唯一古来からの記憶を失っていないから、これほど諦めが良い。潔い。

 

 だからダメなのだ。

 それには勝てないし、仮に抗ったとしたら──クナンを潰すためだけに、新しい法則が生み出される可能性がある。

 抗ってはいけない。逃げるしかない。甘言を弄せばあるいは、などと考えたのは一瞬だけだ。あれなるが単なる法則としての地獄でなく、人格を有す魂であれば、行けるかもしれないと希望を抱いたのは瞬く間だけ。会話の出来ない者に対して、悪魔は無力。

 逆らってはいけないとわかっていたのに、なぜかの女王の所有物に手を出してしまったのか。

 それは、あるいは、何故あそこに濃い適合者の素質を持つ魔物種がいたのか、という話にもなる。まるで導かれるように、まるで当然のように女王は"人間種の魔物種"としてあの少女を作り上げたが──何故適合者の直系が、近親の末に生まれた濃い血を持つ者が、女王の目に留まったのかという、偶然に。

 

「捕まえた」

「え──」

 

 その声は耳元から聞こえた。

 可憐な声だ。少女の声だ。泣き叫べば、どれほど美しい音色を奏でる事だろう。涙を流し、涎を垂らし、やめてやめてと懇願させたらどれほど悍ましく、気色の悪く、ああ、それを潰すのはどれほど楽しい事だろう。

 

 そんな──幻想を抱く。

 確実な現実逃避だ。恐怖がクナンに、幻覚を見せた。

 

「お前、"魂"だけなんだな。肉体が無いから宿るものもない。むしろ肉体が存在できない、"魂"だけで存在できる世界か。なるほど、それほど複数の"魂"がまだら模様を見せても反発しないのも、そういう法則をお前たちが持っているから。非効率だが、ああ、勉強になった。新しいものを見るというのはいい経験だ。面倒でなければな」

「な、なんで転移出来ない、なんで、私を掴めるの!?」

「ん? なんだお前、喋れたのか。ふむ、まぁ別に隠す事でもないか。俺の模倣転移術ってな、"魂"を転移させるものだ。本来の転移術は肉体を飛ばして、それに伴って"魂"が移動する──そういう仕組みみたいなんだが、お前達のソレは俺のものによく似ている。けど、俺の模倣転移術はあくまで肉体があるものを運ぶ仕組みだ。動かして、定着させる。そういうプロセスを取ってる。でもお前、肉体ないだろ?」

 

 ぼろ、と。クナンの肩が崩れた。

 ぼろぼろと……崩れていく。クナンの"魂"が、悪魔の身体が、形成を維持できない。掴まれたところから、"魂"が強制的に移動させられている。

 移動した"魂"は肉体の維持できないこの世界においても強制的に肉体へ定着されようとし、けれどそんなものは存在しないから──死んでいく。分割されて、分断されて、崩されて死んでいく。

 

「"魂の摂取"は──良かった、この世界でも普通に機能するな」

 

 食いつかれている。クナンの魂に、地獄の大口が食いついている。噛みついて、牙を立てて、離さない──逃がさない。

 あるいは肉体を捨てなければ、そちらの定着の方が強かったから、振りほどくことも出来たかもしれない。けれど、クナンの魂は──シオンの魂はもう。

 

「あ──い、いいの? ()()()も、食べてしまう事になるわ! このシオンという子もね! 私を食べれば、ああ、この子まで」

「それを目的に作ったんだから、良いも悪いもないだろ、アホか」

 

 食べ物の恨みは恐ろしい。

 女王の大事な大事な魔物種についた害虫は、しかし虫だろうがなんだろうが全てを飲み込む女王によって、その果実ごと、捕食されるのだ。

 

 ああ、もう、クナンの身体は半分も残っていない。丸呑みでなかったことは幸か不幸か、クナンに最後の景色を見せつけた。

 悪魔の世界の空を埋め尽くす、巨大な白い海のような死に目の妖精(ポンプス・イコ)。それは生体の世界を覆った黒キ海と対を為すように、この世界を白く埋め尽くしていく。遠く、クナンの逃げてきた方向には巨大な樹木。地から白い海へと伸びるそれが、ただただ黎く、地平と空の水平を割っていた。

 

「──!」

 

 大口が閉じる。

 クナンの魂は、その適合者となったシオンと共に──地獄の底へと落ちていった。

 

 

 

 

 さて──ゆったり魂を呷っていた二人の悪魔の元にも、その光景は届く。

 地を割り天を突く巨木と、世界を侵食する白き海。

 

「……ラヘル、あれ、どう思う?」

「あれを娯楽に捉えるのだとすれば、私はお前がとうとう色にボケ過ぎてダメになってしまったのだと罵るだろうな」

「良かった、私の感覚は間違っていないのね。面白いものとマズイものの区別のつく頭で良かった」

 

 けれど、と。ゼヌニムは……少しだけ頬を赤らめて言う。

 

「どうしてかしら? あの白いのも、あの樹も……なんだか、とっても愛おしいの」

「やはり色ボケ過ぎてダメになってしまったな。私は逃げるが、お前は向かうか?」

「うーん……愛おしいけれど、死にたくはないのよね。ウィナンに対するこの想い……そう、これはラブ。昂るこの気持ちを捨てるのは、あまりに惜しいし。ウィナンが流転してくるまで、適当な場所に隠居でもしてようかな、って」

「悪魔が隠居か? ……まぁ、そうさな。もう少し遊べると思っていた人類が全滅したのは想定外だ。また一からやり直すのも、悪くは無い」

「次の人類が現れるまで、どれほどかかるかしら?」

「人類よりも前に虫や花が溢れかえろうよ。その中に、クク、お前の想い人もおるかもな」

「別に良いのよ、そうしたら虫かごの中で可愛がるんだから」

「……色ボケめ」

 

 そうして。

 

 じゃあね? とウィンクをしたゼヌニムとラヘルは──その場から消えた。

 数分後、そこを死に目の妖精(ポンプス・イコ)の群れと黎樹の枝が埋め尽くすが、潰されたのは無数の脳くらいで、そこに残っていた"魂"が摂取される程度の些事しか残っていない。

 女王という司令塔がいなければ簡単に逃げられる。引き際をわきまえている事こそが、ゼヌニムとラヘルの長所であるのだろう。

 

 もうそこには、誰もいない。

 

 

 

 

「マルダハ。お前、身体はどうしたんだ」

「あ……女王」

「"魂"だけだな。まぁ、無いなら……もう、いいか」

 

 マルダハのすぐ近くにいた死に目の妖精(ポンプス・イコ)が突然口を開く。

 未だクナンの博物館は、並べられたケースは健在だ。クナンがいなくなったとて、その法則が消えるわけではない。

 その手が、マルダハの首へと伸びる。

 触れた。

 

「女王」

「ん? あぁ、なんだ。"魂"だけでも喋れるのか。どういうことだよ。あぁ、で? なんだ、マルダハ」

「あのケース、割ってはいけないわ。この世界で割ると、肉体が消滅してしまうらしいの。割るなら、黎き森で」

「肉体が消滅すると、何か悪い事があるのか?」

「え?」

 

 きょとんと。

 マルダハも、そして女王も、不思議そうな顔をする。

 

 声は届くのに──致命的なまでに、ズレがある。

 

「別に良いだろ、無くなっても。まぁ複製は出来なくなるが……また作ればいい。ちょっと増やし過ぎたとは思ってたんだよ。これからは質の良い物を手狭にやっていこうと思っててな。森も有限なわけだし」

「そ……そんな、また作ればいい、なんて……貴女は、どうしてそう……!」

「収穫時期ってやつだよ。まぁ、森にはティータがいるしな。他のはもういいだろ。いっぱいあるから虫が付くんだ。とりあえず防虫対策が出来るまで、一株で良い」

「お婆様、が……黎き森に?」

 

 また、きょとんとした。目を真ん丸に開く女王。その顔だけなら可愛らしい少女のそれ。

 

「お婆様? ……あ、そうか! マルダハって確か、ティータの娘から作ったんだっけ! へー、覚えてるのか? 凄いな、あれか、身体に刻まれた記憶、とかいう奴か? ……いや、そもそも記憶は"経験"、"魂"なんだから、覚えててもおかしくはない、か? んー、まぁその辺は今度じっくり検証してみるか。で、えーと。そう、お前なんだっけな、名前。マルダハの前……覚えてない、っていうか知らないな。けどティータの娘なら、そうか」

 

 女王がぶつぶつと呟いて、うんうんと頷いて、ぱぁっと顔を輝かせて笑った。

 

「じゃ、隣に置けばいいよな。身体は……ティータのでいいか」

 

 恐ろしい事を呟いて、女王が固まる。死に目の妖精(ポンプス・イコ)に変わったのだ。恐らくは本体……黎き森にいる女王の身体で、何かを企んでいる。

 もとより動くことのできないマルダハは、首を掴まれたまま──黎樹の枝が、魔物種の入ったケースを割り砕いていくのを眺めるよりほかない。そうして、誰も彼もが泡となり粒となり、消えていく様を見ている事しか出来ない。

 フォリーもテリアンもアイオーリもアルタも……黎き森の魔物種達が、消えていく。

 もう何も、ここには。

 

 

 

 

 そして──マルダハの視界が突然、明るいものに切り替わる。

 赤黒い世界ではない。緑と光と、茶と白と……とかく、様々な色に溢れた世界。天井を覆っていた黎樹のドームさえも解放され、陽の光が穏やかに差し込む黎き森だ。

 

 マルダハは、赤色の薬液の中にいた。

 いた、という表現であっているのかはわからない。だってマルダハには、身体が無かったから。

 

 薬液の詰められたガラス瓶の中の、薬液そのものが……今のマルダハだった。何故か意識のある状態で、周囲を見渡すことだって出来る。

 

「よし、ちゃんと来てるな」

 

 そうして、マルダハのガラス瓶のあるところに女王が入ってきた。

 女王は薬液となったマルダハを見て頷くと、黎樹の根だろうソレに持ち上げさせた樹木をマルダハの方へと向けた。

 樹木、ではない。

 

 ティータだ。

 

「一応マルダハ用に"亜人種の魔物娘"仕様の調整はしたけど……まぁ定着するかどうかは実験次第だろうなぁ」

 

 声の出せぬマルダハの入ったガラス瓶の上部が開き、そこへ物言わぬティータの身体が入ってくる。入ってきて、わかった。これは死んでいる。いや、生きていない、と言う方が正しいか。はじめから生きていない、ただの人形。

 それが薬液のマルダハの中へ、沈む。蓋がされた。

 

 自らの中に異物があるという違和感と──尊敬するティータの身体が、余すところなく自身に浸かっているという理解の出来なさがマルダハを占める。女王がどこかへ行く、ということはない。ただ座って、じーっと、ティータの入ったマルダハを見つめている。

 

 そうして、段々と。

 マルダハは何かに引き込まれるような感覚を覚えた。それは中心に、中心に向かって、少しずつ浸み込むように──あぁ。マルダハは気付いた。これは、この感覚は。

 自身が、ティータの身体の中へと──ティータの肉体へと、吸い込まれている感覚なのだと。

 自身を生んだ母の胎内に戻るという感覚に、しかしこれは母でなく、複製で、ああけれど、姿形は尊敬するお婆様そのもので。

 恐怖と不安と、畏怖と違和の入り混じった"感情"は──しかし、いつのまにか。いつの間にか、だ。

 

 気付けばマルダハの視界は、上の方で固定されていた。

 体に感覚がある。ためしに手を開いてみれば──指が、動く。根の様になっている足がざわめく。木の葉の髪が揺れる。

 マルダハの肉体とは明らかに勝手の違うソレは──"森"の魔物種の、身体そのもの。

 

 次第に薬液が減っていく。身体を包む薬液が減って、身体の感覚が鋭敏になっていく。

 そうして最後の一滴が体に吸い込まれた時、ああ、彼女はもう、マルダハだった。ティータの身体をした、マルダハだった。

 

「おー、成功だな! うんうん、おっけおっけ」

 

 ガラス瓶越しに嬉しそうに笑う女王。

 その満面の笑みに、クナンの浮かべていたような嗜虐心や嫌悪感は欠片だって無い。純粋。無邪気。一切の穢れなく、マルダハをティータの身体に入れた事を喜んでいる。

 

「じゃ、次と」

 

 ああ、そして。

 マルダハの身体は、指や根となる足が動きはするものの、地面には着かなかったし、身体を捩る事も出来なかった。鋭敏な肌は、自身が何かに括りつけられている──磔にされている事を知る。

 先ほどまで薬液に浸かって濡れていたはずの身体は、しかし、既に渇いた樹皮になっていて。

 

 そこに別の薬液が注がれ始めた。

 

「こ……これは、ひぃうっ!?」

 

 その薬液は、マルダハを浸していく。ぬるぬるとした粘度は先ほどの己には無かったもので、それが増えるたび、全身へ侵入する。新しい体は鋭敏で、その全てを優しく手のひらが撫でるかのように、ざらざらと上がってくる。体内も体表も全てすべて、薬液が埋め尽くしていく。

 溺れる、という恐怖は、しかし胸に入り込んだ薬液にむせる事さえなかったこの身体が問題ないことを教えてくれた。

 

 それだけだ。溺れないだけ。溺れる問題がない、だけ。

 それは、マルダハがディアスポラに連れられ、エイビスで"平和な日常"を過ごしている間に森の魔物種達へと行われていた、作物の実験。"魂のなる木"。

 何の慈悲も無く、躊躇もなく、悪魔の世界から連れ戻されたマルダハは"魂のなる木"にされた。

 

 そして。

 

「やっぱり畑だし、並べておくべきだよな。防虫対策考え着くまで暗い場所で我慢してもらうことになるのはごめんとしか言い様がないけど、まぁすぐに開発するから!」

 

 マルダハの入ったガラス瓶が、黎樹の根によって移動させられる。

 そこにはすでにガラス瓶があった。

 

 中には、ティータが入っている。

 

「取れる量に違いがあるからちょっと薬液の排出、注入ペースがズレるのはまぁ、仕方ないか……個体差はなぁ、まぁ農業には観察もつきものだし」

 

 ティータは俯いたまま、しかし息をしているようだった。生きている。

 傷一つない。"森"の魔物種として考えても、青々と茂るその身は健康そのものだった。

 

 さらには──その口が開く。声が、聞こえる。

 

「──あぁ、いつまで、こんな……」

「お──婆、様?」

「え?」

 

 ティータが顔を上げる。その目にマルダハを捉え、しかしそこには恐怖があった。

 何に恐怖したのか。それに気付いて、マルダハは声をあげる。

 

「あ──私です、お婆様! マルダハです!」

「マル……ダハ。あ──ああ、そんな。そんな……あり得ない」

 

 何百年も前に家出同然で国を出て、魔王国で行方不明になった娘の一人。

 そしてその後、魔物種になったと、女王のせいで体を変えられてしまったと言ってきた、娘。

 

 それが、またしても。

 今度は──自身の複製となっている、など。

 

 ──薬液が満ちる。

 

「ああっ……あああっ!」

 

 恐怖か。嫌悪か。怒りか憎しみか。あるいは羞恥もあるだろう。娘の前で、という。

 会えた喜びがあるのかどうかはわからない。果たしてこれを再会と呼べるのかも、わからない。

 

 ただもう、ティータには叫ぶ以外の道が無かった。狂ってしまいたいほどの感情の大渦が彼女を包む。

 けれど、狂う事は出来ない。狂えない。何故。何故か。

 

 もう、ティータも、マルダハも。発狂に対する耐性が──"魂の規模"が、それ以上になってしまっている。気付かぬ内だ。あるいは女王の手によって、マルダハは悪魔の手によって育て上げられた"魂の規模"が、彼女らに発狂も、自決も許さない。

 

 いつかティータは、フィルエルに向かって「気楽で羨ましい」と漏らした事があった。

 今なら──わかる。

 

「……嫌」

「お婆様……」

 

 悲しい事を悲しめない。苦しい事を苦しめない。嘆けない。悶えられない。狂ってしまう事の出来ない──一生、一生、一生だ。これから先、ずっと、ずっと。

 ティータとマルダハは、ここでずっと。

 

 ──薬液が、満ちる。

 

 "魂のなる木"が並ぶ。暗い畑に並ぶ。

 二つは永遠に、自身の複製を生み続ける。一瞬生きて、すぐに死ぬ複製を。

 

 もう誰も──助けは、来ない。

 

 




"魂"に直接触れさえすれば、声が届いたり届かなかったりするみたいだな! はは!


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破滅の名前

「女王! おい、女王よ!」

「うるっさいな! 聞こえてるから叫ぶな!」

 

 そんなやり取りがあった。

 地下へ伸びる黎樹の枝から、もうめっちゃ叫ぶ声が聞こえて仕方なしにそこへ向かえば、ディスプの息子がなんか叫んでるようで、とりあえず話を聞くことにした。

 ところどころ声が小さくて聞きづらかったんだが、何度も聞きなおして聞きなおして聞きなおしまくった。呼びかける時はあんなにうるさかったのに対面すると声が細くなるとかコミュニケーション能力不足が過ぎるだろ。

 

 で、ディスプの息子はあの場所に新しい魔王国を拓きたい、んだそうだ。

 いや勝手にしろよ、とか思うのは俺だけだろうか。

 それで、黎樹の枝が国を侵食するのを止めて欲しい、と言い出した。ああ、そういうことね、と俺も納得。じゃあ国に普通に植えてくれれば黎樹の枝はひっこめるよ、という取引を交わした。あの時はちっさすぎて気付かなかったけど、あそこ地縛霊以外にも普通に生き物いたんだな。"魂の摂取"が出来る分にはこっちも何も言う事ない、どうせ魔物娘じゃないし。って事で、地下には手出し無用という事になった。

 

 じゃあ森の栄養源をどうするか、っていう根本の部分に話は戻る。

 黒水のせいで大陸がなくなって、森が欲している栄養源が無くなったのがそもそもの問題。俺の血液を存分に吸ったから、黎樹以外の植物もめちゃくちゃ生き生きとしてるんだけど、それがいつまでも続くかっていったらンな事は無くて。

 上の、悪魔たちがいた世界に伸びたままの黎樹からは、どーにも何にも奪い取れない。あそこには栄養らしい栄養がないっぽいのだ。使えねえ。

 

 それじゃあとうとう八方塞がりだ。

 

 こうして行き詰まってしまったら、どうすればいいか。

 そう、フラグを建てまくるのである。至高存在さんは俺を導いてくれるからな!

 

「いやぁ、盗まれた魔物娘も回収できたし、マルダハとティータの"魂のなる木"の実り具合も順調。ディアスポラがいきなり俺の身体を舐め始めるのだけはちょっとうーん、なんだが、まぁ順調。あ、そういえば」

 

 思い出した。

 その時、俺の前に降り立つ影があった。

 

「お! 噂をすれば!」

 

 ファムタだ。

 

 

 

 

 久しぶりに対面して──ファムタは、女王がどういう存在なのかを肌に感じていた。

 恐ろしい程に大きな"魂"。小さな少女のその体に、この森全体よりも遥かに巨大な"魂"が宿っている。以前はそんな事、感じ取れもしなかった。今は何故か、わかる。

 

「──食ったか」

「!」

 

 少女が零した言葉は、ファムタの虚を突いた。

 ファールがいない、という事は誰が見てもわかるだろうけど、そこまで。

 

「そっか。友達を食べたか、お前。……俺、仲良くしろよって言ったよな」

 

 冷たい声だ。

 冷たい。背筋の凍るような声だ。

 

「……食べてと、言われた」

「そうか」

「うん」

 

 沈黙。

 静寂。

 

「名前を教えて欲しい」

「ん? ……最近よく聞かれるな……」

「貴女の好きなものを教えて欲しい」

 

 聞く。

 知らないと、嫌えない。

 愛情が無いと、嫌えない。

 

 あの悪魔の言葉は……ファムタの心に、何かを生んだ。

 

「ディムだよ。ファムタ。で、好きなもの? んー、ぐーたらして、ごろごろして、気になったことを調べる、くらいか?」

「ディム」

 

 初めて知った。

 ここで初めて、名前を知った。

 

「ああ、ディムだ」

「ディム。嫌いなものは何?」

「労働。必要。仕事。仕方ない。暇じゃない。……そういうの、全部」

「ディム。好きな食べ物は何?」

「んー、これといって、っていうのは無いんだが……まぁ普通に甘いモンは好きだよ。森にもほら、生ってるだろ。紫と緑の縞模様の果実」

「……あれは、毒があるけど」

「そうなのか? 知らなかったな。ま、効かなけりゃ全部美味いよ」

 

 からからと笑う。女王は、ディムは、笑う。

 ファムタの言葉を受けて楽しそうに。

 

「ディム、好きな色はある?」

「好きな色……? ……緑、とかかな? 一応、一番使う色は緑だし……あ、白も好きだな。ほら、これ。シンプルだけど、良いだろ?」

「ん。ディム、好きな人はいる?」

「好きな人ぉ? ……いー、ないな? うん。いない。いたことも……まぁ、あるっちゃあるけど、今はいないよ。別に寂しくも無いしな」

「嫌いな人は?」

「それはいないよ。嫌うほど、周囲に愛情が無い」

 

 嫌えない。

 愛情がないと、相手を知らないと、嫌えない。

 どこがだろうか。何がだろうか。

 ああ、やはり悪魔は嘘つきだ。

 

「ディム。私の事、どう思ってる?」

「えぇ……思春期か? んー、どう思ってるか、か。んー。んっんー。んー」

 

 少女は顎に手を当てて、その手の肘にもう片方の手を当てて、口を山なりにして悩む。

 

 そして。

 

「んー? ──まぁ、丹精込めて育てた、一番美味しそうな果実、かな?」

 

 ──あぁ、悪魔とは、どこまでも心に入ってくる。

 

 中途半端に知っていたら、多分、ファムタは女王に絆されていたかもしれない。

 けれど、そこまで言ってくれるなら。

 

 十分だ。

 

「ディム。少しの間、目を瞑っていて欲しい」

「ん。いいぞ」

 

 何の疑念も無く、何の抵抗も無く。

 女王はその目を閉じた。

 ファムタはゆっくりと少女の元へと歩み寄る。

 

 もう一度、思い返す。

 今さっきまで話していた少女を。どこにでもいる、なんでもない少女。けれど、やはりどこか、自分たちとは違う少女。

 

 ディム。

 ねぇ、私の名前。知ってる?

 

 その意味を。

 

「ん──」

 

 その唇に──口づけを、落とした。

 

 

 

 

「──ねぇ、ホマリア。これで満足?」

「……」

「貴女を放逐した黎き森の女王。貴女を愛さなかった、貴女に目を向けなかったあの女王。そして──貴女に向けなかった愛を、何も知らずに貰った妹ちゃん」

「……別に、妹じゃないし」

「ふふふっ、そうね、血のつながりは無いものね。ねぇ、ホマリア。これで契約は、完了?」

「……女王は、死んだ?」

「まさか。あれが死ぬわけがないでしょう? 至高存在によって送り出された異界の"魂"。法則の独占と新規作成を担う端末。あくまで至高存在は舞台装置だけど、だからこそ、その意思を遂げる者が存在する」

「……女王が死んでないなら、まだ、契約続行」

「あら? でも、貴女の願いは"黎き森の破壊"だったじゃない」

「……じゃあ、私の身体、使っていい。けど、私も一緒にいる」

「へぇ、悪魔を身に宿すと言うの? ふふっ……愛って、怖いわね? 初めから与えられないそれを貰えなかったからって──悪魔に魂を売ってまで、復讐を遂げようとするのだもの」

「……リリス」

「ええ、分かったわ。付き合ってあげる。ふふっ、めくるめく復讐の世界で、たおやかなダンスを踊りましょう」

 

「女王が死ぬまで──永遠に」

 

 

 

 

「……!」

 

 ファムタにキスされた、ってのはまぁ置いておこう。そんなに重要じゃない。

 その瞬間に起きた事の方がヤバイ。この、この地響きは。

 

「──クソ、前兆無しとか──薄々そうじゃないかとは思ってたけどさ!!」

 

 轟音が鳴る。轟音が、上がってくる。

 地鳴り、地響き。揺れている。地面が揺れている。

 

「ファムタ、逃げろ! オーゼル、アルディーカ! どこだ!」

 

 黎き森の端にある、可燃性ガスが噴き出る毒の水溜まり。

 そこから、気泡が……飛沫が噴出した。しかしそれは、始まりに過ぎない。

 

 それを驚いた目で見るアルディーカと、アルディーカの複製体と、オーゼルの複製体を捉える。無機物魔物娘はまだ改良の余地があるはずだ、死なれちゃ困る!

 黎樹の種による模倣転移術を発動。家の中に無理矢理ぶち込んで、黎樹で全体を固める。伸ばして伸ばして伸ばして伸ばす。固めて、覆って、形なんか適当で良い、出来るだけ隙間を失くして球体を造れ!

 

 あぁ、クソ、ファムタには──黎樹の種を埋め込んでない。

 

 なんでコイツ、俺から離れたんだ。キスしたまま、近くにいろよ! そうすれば飛ばせたのに──もう届かない! クソ、なんで──そっちへ行く! そっちは、一番危ないのに──。

 

「……さようなら、ディム。私達の──お母さん」

 

 直後。

 

 直後だ。凄まじい爆音と共に、()()()()()()()

 

 薄々、気付いていた。この森の形や地質を調べていたから気付いていた。

 ここは、火口だ。けれど地熱の一切が感じられない程にまで死んだ火山。だったはずなのに。クソ、キスされた瞬間に噴火とか、三流作家が過ぎる。

 確かにあの湖が、その体積を減らしていた。だから、地下の方で何かしらの動きがあったんだろうことはーー水が抜け落ちるような変動があったのだろうことは考えちゃいたさ!

 けど、普通なんかもっとハッキリとした異常あるだろ!

 

 ああ、オレンジ色が立ち昇る。それは当然の如く、森の木々を燃やし、焦がし、倒して進んでいく。

 黒煙が広がり、大地が割れる。これは、まだ来るな。まだ、まだ大きいのが来る。

 

「……まだ、行けるだろ」

 

 そうだ、まだ諦めるな。

 黎樹は燃えない。黒水が大陸を飲み込んだ時、俺は一度絶望した。育てた魔物娘が全て死んでしまったと、俺の知らぬ所で、"魂の摂取"の出来ない所で、バックアップも取っていない魔物娘が半数近く失われたと絶望した。

 そして何よりもファムタとファール、キマイラ娘ズ、ティータといったより"魂の規模"の大きいものを失ったことを後悔した。

 

 キマイラ娘ズは、もう無理だった。地下にコピーがいたけど、ダメだった。

 ティータは戻ってきてくれた。自分から。

 ファムタとファールは、助け出すことが出来た。ファールはいなくなったが──。

 

「生きてる。まだ助けられる!」

 

 煌々と光る紅炎に突っ込む。

 この身は、この体は──【不老不死】だ!

 

 事実、熱くも痛くも無い体は溶岩の中を駆け抜け、掻き分けられる。ただ、どれほど黎樹を用いても、視界が全てオレンジでは探しようもない。

 

「ファムタ! どこだ! 返事をしろ!」

 

 先ほどファムタが歩いていった方向。どこだ。どこだ。

 家の方は問題ない。黎樹が完全に溶岩を防いでいるのを確認している。今はファムタの捜索にだけ気を裂け。

 ファムタは植物の魔物娘だけど、"魂の規模"は十分にある。燃焼が起こるまでに多少の猶予はあるはず。だから、探す。探して保護して、マグマから隔離すればまだ希望はある。

 

 掻き分けて、掻き分けて。

 あぁ、視界が悪い!

 

「ファム──」

 

 いた。

 いた、けど。

 

「……ディアスポラ?」

「あ」

 

 降りしきる炎の中──ディアスポラが、ファムタの腹を……貫いていた。その小さな腕で。

 

 "魂の摂取"が、死に行く森の木々や動植物、虫達の"魂"を回収し──その中に、一際大きく、強いものがあったのを感じた。

 

 死んだ、か。

 まぁ、マグマで死ぬのも、何に殺されて死ぬのも同じだけど。"魂の摂取"は特に問題なく発動してるみたいだし。

 

 はぁ、勿体ない。柄にもなく焦って、まぁ。

 せめてバックアップ取っておきたかったなぁ。勿体ねえ……。

 

「な、何も言わないのですか?」

「ん?」

 

 噴火は続いている。

 俺は【不老不死】だからいいとして、こいつはどういう原理で燃えないんだ? やっぱり悪魔か。

 

「これ、お前の仕業だったりする?」

「いいえ。……リリスの仕業かと」

「リリス……あぁ、そう。いつ止まるとか、わかるか?」

「さぁ……?」

 

 ディアスポラは、俺の前に傅く。察して足を引く。

 

「何故避けるのですか!」

「舐められたくないから」

「えぇ!? あ、いや……ところで、主よ。こんなものを()()()のですが」

 

 この悪魔、どうやったらディアスポラから退去するんだろうな。あとでもっといろいろ試す必要がありそうだが。

 そんなことをつらつら考えていると、ディアスポラはその手……ファムタを貫いていた方の腕を差し出す。その拳は、握りしめられている。

 

 この流れるマグマの奔流の中、まさかそのまま拾ったものを見せてくるわけじゃねえだろうなと思っていたら、本当に手を開き始めたのでディアスポラを転移。悪魔のいた世界へ伸びるところ、つまり溶岩の届かぬところまで持ってきて、分身体を出した。

 

「で、なんだ」

「ええ、それが……これです」

 

 その手の中。

 そこには、種が二つ。黎樹の種、じゃないな。これは……。

 

「ファムタの、種か?」

「ええ、そうです。魔物種は自己増殖をするもの。そのために作り出した種子でしょう」

「……それが、アイツの腹にあったって?」

「はい。自分で作り出した種子を、我が子のようなこれを、自分で食べていたみたいですね」

 

 ディアスポラから、それを受け取る。

 ファムタの種子か。そういえばあいつ、自己増殖してないんだよな。一回も。

 

 ……新しく作るかぁ。どうせそのつもりではあったけど、森が()()だもんなぁ。

 

「ディアスポラになんかメリットでもあったのか、これ」

「ディム様の命令なく、忠実な働きをするのが下僕の務め」

「……それじゃ、前のディアスポラに戻ってくれ。なんかもう、面倒」

「ん」

 

 俺の意思に忠実ならこんな種じゃなくてファムタを確保しておいてほしかった。

 まぁ、いいや。もう仕方ない。流石にこれを前にウダウダ言うほど、現実が見えないわけじゃない。

 

 未だに、火山は噴火を続けている。幸いにというべきか、黒水は溶岩を削れないらしい。むしろ押されて、あー、溶けてる? 元々液体の癖に。いや、水銀も熱せば赤熱して溶けるか。いやあれは酸化して戻ってを繰り返すんだっけ? まぁなんらかの金属なんだろうけど、よくわからんな。

 そうして……新たな陸地が出来上がっていく。ああけど、無機質の火山灰って全然栄養無いんだよな。大丈夫か? こう……なんも育たない荒野になられても困るんだが。んー。

 けど、そうか。ティータとマルダハの"魂のなる木"って、複製素材が木筒でいいから、しかもあれほとんど劣化しないから、追加の素材は特にいらないんだよな。しいて言えば"魂のなる木"に与える生命維持用の栄養がアレだけど、黎樹に溜め込んだ分身体から持ってくればいいか。

 最悪の場合は、ディスプの息子との取引でどうにかしよう。ティータとマルダハの栄養程度なら分けてくれるだろ。

 あ、そういえば地下への黎樹トンネル。……今閉じておこう。だいぶ遅いだろうけど。

 

 はぁ。

 なーんか。最近、色々失ったなー。まぁ自分で収穫したのはいいにしても。

 ……やる気、大分失った感ある。"魂のなる木"の様子はちゃんと見つつ、向こう数百年はゆったりするかぁ。

 

 ふぅ。

 

 

 

 

「それで、何の法則を解放したのかしら?」

「んーとねー、まず、魔物種の創造ね。あれを女王の独占から解放して、世界由来にした。女王も作れるけど、勝手に、適当なところから生まれるのよ」

「……それは、我らに何のメリットが?」

「魔物種と契約が出来る。女王を気にせずにね!」

「……ふむ、考え様か」

 

 どこか。

 テーブルを囲んで、ソファに座った三人が話している。

 二人は悪魔の身体を。

 もう一人は……スライムだ。

 

「あと、"善悪"の解放」

「なぁに、それ」

「んー。過去の地獄は、"魂"から"記憶"を分けて並ばせて、それが善なら7日後にすぐ送り出すし、それが悪ならものすごーく長い年月を経てから流転に回されるんだけど、あの女王が出てきてから、肉体の死した"魂"ならなんであれすごーく長い年月を経てから流転に回される仕組みになっちゃってたんだよね。それはまぁ、人類が自ら肉体を捨てるとかいう自殺を図るから、悪人の量が増え過ぎたってのもあるんだろうけど……それが死んでも尚、仕組みが戻らないみたいだから、解放をしたの。善なる"魂"は蓄えられたとしても7日間だけ、それが終われば流転に入る。悪なる"魂"はものすごーく長い時間を地獄で過ごして、その後に流転に入る。元通りにねー」

「それは、悪魔にメリットがあるのか?」

「こっちはあんまり無いかな。ただこれをやらないと、新しい命が生まれないから。新しい命が生まれないと、私達の遊び道具も無くなっちゃうじゃない?」

 

 スライム……リリスは、うにょーんと体を伸ばしたり、前に座るゼヌニムとラヘルの体型を真似たり、あられもない格好にしたりしている。

 ゼヌニムはゼヌニムでそれをつついたり、抓んでみたり、手を入れてみたりと落ち着きがない。

 

「私達が契約した人類は死んだか」

「それは貴女達の責任でしょ? 整理整頓をしなさいっていつも言ってるのに、契約者の脳がどれかわからなくて置いてくるとか……はぁ」

「ごめんねぇ。だって、あの樹や白いコに飲まれたら、死んじゃいそうだったから」

「……すまぬ」

 

 リリスがうにょんうにょんと伸びて二人を叱る。力関係は、リリスの方が上にあるようだった。

 そう、もう悪魔と人間の契約は切れている。悪魔を召喚した研究者の集団。彼らもまた人格をチップに転写し、脳を捨て、その脳を遊ばれていた。"一部の居住スペースを貰う"、"もし死を迎えた場合にその魂を貰う"という契約はその脳に宿る魂に紐付けられていたのだが、今回の死に目の妖精(ポンプス・イコ)の増殖及び黎樹の侵食、黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の襲撃事件によってそれらを紛失。

 先ほど、契約者全員の死亡が確認された。脳だけとなったそれを、黎樹の枝が圧し潰したのだろう。

 

 悪魔側は黒キ海を引かせなければいけない。だって、今いる人類や魔物種、そして黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)は契約に一切関係がないのだから。そういう所を守るのが悪魔だ。契約に関係のない者には、あんまり、迷惑を掛けない。

 

「あぁ、それと被創造物の長寿化。アレは解放じゃなくて封印になったわ。ま、私としても異論は無かったし」

「魔物種も魔物も、か?」

「ええ、そうよ。魔物はまぁ寿命なんてないようなものだけど、黒キ海の上であっても無制限に生きていられる、って風には出来なくなっちゃった。代わりに魔物種も、何百年も生きる、なんて風にはならないわ。まぁあの女王が生かし続ける、というのなら話は別なんだけど。延命治療までは封印出来ないし」

「死者の蘇生は?」

「元から蘇生はしてない、って。女王がやってるのは転生。生まれ変わりだから、蘇生じゃないの一点張り」

「ふむ。となると、あの女王はいずれ、悪魔の魔物種、などというものも作り出すやもしれんな」

 

 一瞬。沈黙が流れる。

 

「……そういえばマハラス、帰ってきてないのよね」

「……」

「ちょっと見てみたさはあるかも」

 

 水の魔物種の身体を手に入れたリリスが言う。適合者のそれではなく、契約による乗っ取り。

 それは、けれど魔物種化とは経路の違うものだ。

 

「じゃ、女王から善なる"魂"が出て行って、私達も黒キ海を引き戻して……また新しい世界が芽生えたら、新しい遊びを始めましょう」

「だな。クナンも食われたようだし」

「クナンは……悪しき魂でしょうねぇ。ふふふ、地獄ってどんなところなのかしら」

 

 立ち上がる。ゼヌニムとラヘルは立ち上がって。

 

「それじゃあまた会いましょう。元気でね」

「面白い数百年だった。これから退屈な日も続こうが、また出会える日まで消えていない事を祈ろう」

「ウィナンは多分善なる魂だから、7日後に探しに行くことにするわ!」

「……色ボケめ」

 

 去っていく。

 どこかへ、どこかからどこかへ。

 

 少なくともこの場からはいなくなった。残ったのは、リリスだけ。

 

「……」

 

 リリスはうにょうにょと形を変え、ある人物の姿を取る。

 それは黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)。白いワンピースのあの少女の姿を取って。

 

 パチン! と弾けた。

 

「いつまで、保つかしら?」

 

 楽しそうに笑って。

 彼女もどこかに消えていった。

 残されたテーブルもソファも、まるで元から存在しなかったかのように、消える。

 

 消えた。

 

 




リリスは可愛い女の子が好きだ。昔は小さな体であんなことやこんなことをしていたようだが、今はスライムの身体を手に入れてしまったな。まぁ、野暮なことは言うな、という事だ。


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今も尚、変わらず(衰えず)

ホラーっぽい表現アリ?
R15描写アリ。


 夏──。

 

 セミがうるさい。うるさいセミがうるさく鳴いている。求愛行為、だっけ? それとも生命賛歌? なんだっけ、理科の授業でやったけど、覚えてないや。

 どこに……って、あ。いた。街路樹……じゃなくて、電柱にへばりついてる。それ、木製だけど生きてる木じゃないよ。虫ってそんなのもわからないのかな。

 

 あぁ、シャツが張り付く。汗びしょびしょ。今年の夏は特に暑いから、熱中症に気を付けろってニュースでやってたけど……本当に暑い。コンクリートの地面から湯気が出てる。というか、蜃気楼まで出てる気がする。遠くの街並がほら、反対向きに映って……幻想的。こんなに暑くなければね。

 

 ふと、視界に白いワンピースを着た少女の姿が映った。

 あの子……大丈夫かな? この炎天下で、帽子も被らずに。ポーチやバッグを持っている様子も無いし……近所の子なのかな。

 

 あ、こっちを見た。

 ……あれ?

 

 あれ、どこいったんだろ。笑顔が可愛い、って思って、無意識に瞬きをしたら……いなくなっちゃった。もしかして、ユーレイ?

 ……というか、蜃気楼かな。ううん、疲れてる。暑いし、早く涼しい学校へ入ってしまおう。

 それで、とりあえず、あの怪奇現象大好きな教授に報告してみよーっと。

 

 

 

 

「おぉ、では、死に目の妖精(ポンプス・イコ)を見たのですね!?」

「教授、近すぎ」

 

 私の通う大学で、一番の変人として知られている逢魔教授に今朝の事を話した。それで、この食い付きである。こちらの手をがっしりと握って、握りしめて、壁に詰め寄ってきて。セクハラですよ?

 

「ああっと、失礼しました。すみません、つい興奮してしまって」

「いつもの事なんで良いですけど……それで、ポンプス・イコってなんですか? 何語?」

「死に目の妖精、ポンプス・イコ。古来からいる妖精ですよ。生物の死に目に現れて、その魂を掠め取らんとする悪魔からこれを守り、正しい流転に乗せてくれる。守り神のようなものですね。死に目の妖精(ポンプス・イコ)を見たら、身近な何かが死ぬ合図、と言われています」

「えっ」

「はは、大丈夫、人であるとは限りませんから。大抵の場合はちょうど近くを通っていた鳥だとか、虫だとか……心当たり、ありませんか?」

「虫。あー。あー」

 

 じゃあ、あのセミ。

 帰り道、一応見てみるかな。

 

「それにしても、妖精、でしたっけ。本当にそんなの、いるんですねぇ」

「おや、疑ってますか?」

「いえいえ、教授って基本嘘くさいけど、言う事は合ってることが多めだから、信用はしてますよ。けど、妖精なんて……ちょっとファンタジー過ぎません?」

「まぁ無理も無いでしょうね。妖精種、というのは未だ見つかっていませんし、死に目の妖精(ポンプス・イコ)もそういう種族なのかどうかはわかっていません。ただ──」

 

 逢魔教授が、その眼鏡をクイ、と人差し指上げる。ちょっとウザさみ。

 そしてその指で、窓の外を指した。

 

 天地を繋ぐ、水平を分かつ世界樹。それを指さしている。

 

「ただ?」

「世界樹の根元に、何があるか……知っていますか?」

「黎明の森林公園では? 噴火した火山の上に育った、街中の原生林。この街最大の観光スポット。教授がこの前彼女と行ったデートスポット。敢え無く破局」

「うんうん、余計な事は言わなくていいのですが、そう、あそこには黎明の森がある。あの森は昔、黎き森と呼ばれていました。正確には、あの火山灰や冷えた溶岩の下にある森が、ですが」

 

 言いながら、棚にある資料の中から一冊の本を取り出す。それをぺらぺらとめくって、逢魔教授はドヤ顔をして、私に本を差し出してきた。うざ。

 

 渋々その本を、そのページを見る。

 縦書きの見出し。"黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)という存在について"。

 

黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)は知っていますね?」

「ああ、はい。すべての命の母、でしたっけ」

「そうです。普人、獣人、魔人。それらすべての命を作り出した母。大地そのものであると唱える者や、海であると力説する者、はたまた空であると言う者もいますが……」

 

 逢魔教授の指が、本の中の一文に止まる。

 ──"黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)は、純白の布に身を包む、可愛らしい童女の見た目をしている。その瞳は万物の魂を見るし、その声は万物の魂へ届く。彼女のあるところに悪魔は現れない。何故なら女王は、悪魔の魂をも見抜いて、新しき命に生まれ変わらせてしまうからだ"。

 元は違う言語を現代語訳してあるのか、所々おかしな文法があった。そのページに指を挟んだまま、本を閉じる。タイトルは、『新訳:神話の世界』。作者は……Filler・D。訳は、逢魔洞人……って。

 

「教授、時間の無駄っていうんですよ、そういうの」

「私は訳しただけですから。それで、何か気付くことはありませんか?」

「……死に目の妖精(ポンプス・イコ)の特徴とよく似ています。白い服で、女の子で、悪魔に強い」

「はい。ですから、私は黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)死に目の妖精(ポンプス・イコ)が同一の存在であると考えています」

黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)も妖精ってことですか?」

死に目の妖精(ポンプス・イコ)が女王そのものである、という事ですよ」

 

 言って、逢魔教授は目を伏せる。

 今何か悲しい話が一つでもあっただろうか。それともアレ? 雰囲気で流せると思ってる感じの?

 

「……ここからは、戯言なのですがね」

「今まで戯言じゃなかったんですか?」

「今までのは講義ですよ。……いいですか、紫遠君。私達が……いいえ、あの人達が、あの時、彼女に抗わんとした事は、決して間違いなどではなかったのです」

「何の話ですか?」

「だから、戯言ですよ。大局的に見れば、私達の行為は何の意味もなかったし、敵意も嫌悪も、抱いたところで伝わるはずも無かった。相手にされてすらいなかったのでしょう。文字通りスケールが違う。その死さえも、意味のない、彼女にとっては片手間にも満たない出来事だったはずです」

 

 逢魔教授は、語る。意味の分からない話。誰目線なのか、主語が曖昧過ぎる。

 けれど何故か、昔を懐かしんでいるかのように、その手を握り締めて、ゆっくり開いて……また口を開く。

 

「私は道半ばで尽きてしまいました。いつも、そうです。美しき女に絆された英雄を呼び止める間も無く、呼び寄せた特異点に喜び勇む彼らを見ながら、人生で最高傑作と言える白き作品が完成する前に、そして彼女らに最も大切なことを教える前に──私はその生を終えた。いつも、間に合わなかった。いつも、手遅れだった。……けれど、彼女達はやり遂げました。それでいいのです。それだけでいいのです。それが何よりも、善き事なのですから」

「……はあ。えーと、つまり何が言いたいんですか?」

 

 よくわからない長い話がようやく終わりを見せた。

 要約すると、自分は何にも為せないダメ人間で、その彼女達? とやらがめちゃくちゃ良い人って事かな?

 

「──貴女にまた、こうして会うことが出来て、嬉しく思うと……そう言う事です。たとえ今、彼女が畏敬たる存在として崇められていたとしても、それに抗い、あるいは諦め、あるいは悔やんだことは、決して無駄ではない。無意味ではない。無価値ではないのです。貴女達は、誰一人として等しくは無かった」

 

 逢魔教授は、私の肩に手を置く。

 さっきからセクハラなんですけど。

 というかもしかして口説いてます? ナンパしてます? 私の事。訴えますよ?

 

「これくらいにしておきましょうか。あ、そうそう。明日のフィールドワークですが、今話に出た黎明の森林公園に行きますからね。虫よけスプレーなんかは自前で用意しておいてください」

「……わかりました。けど、一般人の調査許可なんてよく出ましたね」

「まぁこれでも私は多方に顔が利くんですよ。あ、でも危険な場所である事には変わりませんから、そこは十分気を付けるように」

「はい」

 

 ほんと、いつも急なのがなぁ。

 

 

 黎明の森林公園。

 背の高い、どこぞの原生林みたいな木々が立ち並ぶ、街中にあるめちゃくちゃ深い森だ。中心に聳え立つ世界樹は天まで伸びていて、てっぺんは見えない。

 世界樹っていうのは一本の太い木じゃなくて、沢山の木が絡み合って絡み合って絡み合って一本の樹に見えている、不思議で巨大な木……なんだけど、とにかく硬くて、現存する物質のどれよりも硬いというのだから調査はほとんどできていない。

 下、つまり根の方は地下国家エイビスに繋がっている。実は根じゃなくて枝っていう説もあるんだけど、じゃあなんで下に伸びてるのかわからないので多分根だと思う。エイビスはエイビスで最先端にして超古代都市とかいう意味の分からない場所だから、世界樹はそこで作られたんじゃないかって説もあるらしい。根がそこにあるなら納得も出来る。

 

 ちなみにエイビスの国王様はこれを否定している。「俺達のせいにしないでくれ」って言ってるらしい。エイビスには限られた研究者しか行けないから、本当の事かわからないんだけどね。

 

 公園に話を戻す。

 中に作られたウォーキングコースを外れると、必ずと言っていい程道に迷い、外に出られるかは運次第という、結構危ない場所だったりする。ウォーキングコースさえ守れば特に問題は無いのだけど、例年、珍しい植物や動物を求めて世界中から集う研究者諸々が行方不明になるケースが後を絶たない。

 運よく森から出てきた人は、けれど決まって「肉の怪物に追い掛け回された」だとか「水の怪物に弄ばれた」だとか「石の怪物に出してもらった」だとか、とにかく怪物にあったんだと主張する。そんなのいるわけがないのにね。

 

「黎き森の女王さま、かぁ」

「女王が、どうかした?」

「わっ!?」

 

 大学の中庭にあるベンチ。缶の炭酸を買ってその冷たさで首元を冷やしていると、いきなり横から声がかかった。目を瞑っていたからびっくりしたぁ。

 

 横を見ると、肩や腰に鱗を持った、蛇の少女。

 

「ディアさん……こんにちは」

「ん」

 

 ディアさんは蛇の魔人で、大学の先輩……? になるのかな。どこの学部かも知らないし、そもそも大学生にしてはあんまりにも身長が……いやいや、魔人の人って確か身長がこんなに小さい人とこーんなに大きい人がいるんだよね。ふぅ、失礼な考えは捨てよう。

 ……ただ、なんというか、私はこの人が苦手で。何を考えてるかわからない、っていうのもあるんだけど……本能的に、というか。なんというか。

 

「女王の話」

「えっ? あっ、はい。えーと」

「SMに興味がある?」

「は?」

 

 ディアさんは、その可愛らしい顔でなんかとんでもないことを宣った。

 

「足を舐めたり、鞭で叩かれたり」

「い、いえ! 興味ないです! これっぽっちも!」

「……なんだ」

 

 残念そうに。

 え、この人こんなキャラだったの?

 

「じゃあ、女王っていうのは?」

「あ、黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の事です。知ってますか? 神話に出てくる女の子で」

「……知ってる。会うの?」

「会うの、って……神話の話ですよ? 会えるなら会ってみたいですけど、無理ですって」

「会ってみたいんだ」

 

 ディアさんは、じゅるじゅると余りにもお上品な音を立てて、缶のジュースを啜る……って。それ私の……。

 

「ん。これはまぁ、契約じゃなくて、取引かな。成立」

「はい? って、ディアさん? ……どこですか?」

 

 変なことを呟いて、ディアさんは消えた。炭酸の缶が無くなってるから夢じゃないと思うけど……いや、もしかして炭酸を買ったところから夢?

 ……うん、暑くて疲れてるんだ。明日のフィールドワークに支障を来さないように、今日は早めに帰っちゃおうかな。どうせコマも入って無いし。

 いや、……じゃあ何故私は大学に。ワーカーホリック? 怖い怖い。

 

「まぁ、会えるなら会ってみたいと思うのは、普通だよね」

 

 何故か。

 言い聞かせるように、そう呟いた。

 

 

 

 

「あ、セミ」

 

 帰り道。日が暮れて、ようやく暑さも紛れてきた頃に、それを見つけた。

 力尽きたのか、電柱から剥がれ落ちたソイツは、けれどまだ生きているようで、足をうぞうぞ動かしている。ちょっと鳥肌。

 

「……後どれくらい生きられるのか知らないけど、ここじゃ車に轢かれちゃうね」

 

 一瞬考えて、どこか塀の上にでも置いてやる事にした。

 死に目の妖精(ポンプス・イコ)が見えてたから、逢魔教授のいう事が合ってるなら、このセミはもうすぐ死ぬ。ならせめて、圧死轢死なんかじゃなく、最後まで生きさせてあげたい……みたいな? エゴだね。

 

 そう思いながらセミの胴体を抓もうとして──。

 

「あっ!」

 

 突然暴れ出したセミが、私の手をすり抜けて暴れ、自力でひっくり返って飛んで行ってしまった。なんだ、まだ元気じゃん。いや、最後の力を振り絞ったのかな?

 

 もうセミの姿は見えない。

 涼しくなってきたとはいえ、明日は運動をするのだから……私も早めにかえろーっと。

 

 長生きしなよ~。

 

 

 

 

 いやー、不味い。非常に不味い。

 どれくらい不味いかって言うとうーんとマズい。

 

「迷った……!」

 

 あれほど。あれほど危険だと。

 あれほど迷ってはいけない場所だと自戒していたのに、迷った。ウォーキングコースは守っていたはずなのに、いつの間にか道順を示すロープが無くなってて……ヤバイ。

 えーと。

 怪物、が出るんだっけ? そんなのいないと思うけどなぁ。

 

 とりあえず、来た道を戻ってみる……来た道? あれぇ、あれぇ。草木がたくましすぎて、足跡がわからない……。えーとえーと。

 

 これは。

 

「えっ?」

 

 ふと。

 ふと、木々の間に変なものが見えた。おかしなものだ。

 こんなところにあるわけがないもの。

 

「……コテージ? 黎明の森林公園に? ……調査員さん達の活動拠点かな?」

 

 家だ。木材を重ねて作られた家。

 黎明の森林公園って、建造物に関して物凄く厳しい法律があった気がするんだけど……活動拠点にするにしても、なんでこんなオシャレな感じに。

 ……でも、四の五の言ってられない。だって絶賛迷い中。地図とか、目印とか、教えてもらえるかもしれない。

 

 とりあえず、家をぐるっと回ってみる。入り口、入り口……あれ?

 このコテージ、ドアがない。窓も無い。……家としての機能がゼロ。どうやって中に入るんだろ。

 

 周囲を見て回っていると、これまたおかしなものを見つけた。

 

 液浸標本の、大きい版だろうか。私の身長よりも大きいくらいのソレが、綺麗に並べられている。なんでこんな屋外に? 確か日光が当たると紫外線で黄色くなる……んじゃないっけ。専門じゃないから詳しくないけど、なんにせよ実験道具を屋外に置いておくのはあまりにもあまりにもだ。

 

 ただ、興味はある。

 何が入っているのかなーっと。

 

 え。

 

「……えーと、木彫りの……女の人の、裸の像……? 悪趣味ぃ~……」

 

 ちょっと、あんまり見て面白いものじゃなかった。なんでこんなものを屋外に置いておくかなぁ。子供が見たらどうする気なんだろう。

 ……こんなところに子供は来ないか。

 人目に付かない所だから、こうやって人には言えない自分の作品を展示してる、ってこと? ……まぁ、それならとやかく言わないけどさぁ。

 

 ──あ。

 

「!」

 

 驚きすぎて、腰が抜けた。その場にへたり込んで……後退る。

 今。今。

 今……喋った? 木彫りの人が、薄い緑色の液体に使った木彫りの女の人が、「あ」って言った気がする。それに、目を……開いて。

 

 ──あ、ああ。

 

 やっぱり、気のせいじゃ……無い。

 この木彫りの人。

 

「生きて……る?」

 

 ──……逃げて。

 

「え?」

 

 ──逃げて、逃げて……シオン!

 

 

 後ろに、足音を感じた。

 木彫りの人の声に気を取られていて気が付かなかったけど、後ろに誰かいる。けど、腰が抜けて動けない。へたり込んで、足を震わせる私を──白い少女が、真上から覗き込んだ。

 

「あれ、シオンじゃないか」

「……」

 

 簡素な白いワンピースを着た少女。昨日見た死に目の妖精(ポンプス・イコ)と同じ。

 そういえば、あの、セミ。

 死んでなかったな。

 

「へぇ。ふぅん。ほほー」

「な……なん、ですか、貴女。誰……」

「これはあれか? ここまで森を戻した俺へのプレゼントか? 至高存在さん流石だな」

「た、たすっ、助け──」

 

 ヤバイ。

 やばい、感じがする。寒気がするというか、総毛立つというか。

 私は一刻も早く、ここから逃げないといけないのに──立てない。

 

「これは天啓と見た。久しぶりに魔物娘、作るかぁ。おーいアルディーカ、これ、洗っといてくれ」

「主! 仕事! アルディーカ。仕事!」

 

 どろりと、家の……陰から、それは現れた。

 ああ、あれ、嘘じゃなかったんだ。

 

 水の怪物。それが、私の方へ迫ってくる。

 あぁ、だめ。追いつかれる。早い。どうにか身体をうつ伏せに、這ってでも逃げようとしたその足を、冷たい感触が掴み取った。掴まれた感覚がある。それは瞬時に昇ってきて……違う、私が、飲み込まれているんだ。

 

 手を伸ばした先に、木彫りの女性の悲痛な顔があった。

 あれ、誰だっけ、この人。なんか……知ってるような。

 

 顔が水に入る。

 服が……あぁ、なんか、眠く……。

 

「洗う! 汚い。洗う。綺麗にする! アルディーカ。大丈夫。殺さない」

 

 そんな声が。

 

 

 

 

 気付くと私は、何か、容器のようなものの中にいた。服はない。容器は薄い緑の液体で満たされていて、時折水面にぽこ、と気泡が浮かぶ。

 体を動かす事は出来ない。麻酔でも使われたのか、ふわふわと浮いた感覚のまま、そのまま。

 

 そんな私を覗き込むものがあった。

 あの、白いワンピースを着た少女だ。

 

「昔はなー、俺も、結構無駄の多い魔物娘化をしていたもんだよ。わざわざ頭を落として心臓を貫いて、その胎で魔物娘を生ませる、とかさ。無駄無駄。勿体ない勿体ない」

 

 からからと笑う少女。その言動の悍ましさとは裏腹に、とても可愛らしい表情で。

 恐怖は──しかし、私の身体を動かさない。

 

「そのまま使うのが今の流行、ってな。まぁ俺一人なんだけど」

 

 少女は。

 私の身体に、何やら怪しい粉をかける。赤色の粉。

 

 瞬間、その振りかけられた部位が、熱く熱く火照り出した。仰向けに浮かぶ体の前面、そして体をひっくり返されて、身体の背面にも粉がかかるのを感じる。薄緑色の液体に顔がついて気付くのは、自身が呼吸をしていないという事。

 もう一度仰向けに返されて──少女は、私の入る容器に蓋をした。

 

 熱い。

 熱い。焼けるように熱い。何か──どこか、燃えているような、けれど苦しくも痛くも無い。わかるのは、わかるのは──私が、この炎のような粉によって。

 

 再誕している、ということ。

 

 お母さんから生まれたはずの私が、今ここで、新しく生まれようとしている。

 心臓がうるさい。呼吸は聞こえない。

 段々、身体が沈んでいく。緑色の液体の中に沈んでいく。そんなに深くはないはずなのに、まるで海の底に落ちていくみたいに──沈んでいく。

 

 ああ。

 誰か。誰か。

 

 助けて──。

 

 

 

 

「……君。シオン君?」

「……あ」

 

 視界いっぱいに、逢魔教授の顔があった。

 あれ、私。

 

「びっくりしましたよ、振り返ったら後ろにいなくて……こんなところに倒れているなんて」

「教授」

「はい」

「教授」

「はい?」

 

 手を、握って、開いて。

 握って、開いて。動く。

 

 ここは……まだ森林公園の中だ。けど、両脇にウォーキングコースを示すテープがある。

 

 夢?

 

「申し訳ありません、事前にもっと入念な体調検査をするべきでした」

「いえ……私が、管理を怠ったから」

 

 夢。

 あの、木彫りの女性も──白いワンピースを着た少女も?

 水の怪物も、全部夢?

 

「そ……そうだ、教授。会ったんです」

「会った?」

「白いワンピースを着た少女……喋って、私」

黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)と喋った、のですか!?」

 

 興奮──するかと思った逢魔教授。しかしその表情に浮かべるのは、心配の一色だ。

 

「そんな……ああ、本当に無事でよかった!」

「あの、羨ましがらないんですか? というか、そもそも嘘じゃないかって……」

「……このフィールドワークが終わったら、いくつかの質問回答をしたのちに教えようと思っていたのです。黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の……裏の姿について」

「……裏の」

 

 立てますか? と促されて、ああ、しっかりと立つことが出来た。

 そのまま、ウォーキングコースを歩いていく。時間はすでに日暮れ。もうすぐ暗くなるから、早めに出ないと。

 

「……黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)はすべての命の母と呼ばれています。ただし、産んで終わり、というわけではありませんでした」

「……」

黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)は……産んだ我が子を、より強くしようと、より長寿にしようと、様々な事を試します。それは一見、良い事の様に思うでしょう。けれど……その試行錯誤は、凄惨なものだったと聞いています」

 

 ──頭を落として、心臓を貫いて。

 あの言葉がよぎる。

 

「女王は我が子の強化に余念がない。試せるものならなんでも試す。目に入ったものすべてが実験の対象です。動植物。虫。岩、水──そして、ヒトも」

「人……」

「この森で、肉の怪物に襲われた、という話を聞いた事がありますね?」

「はい」

死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)という化け物の記録が実際に残っています。それらは、実験の失敗作を食らい、その怨念が生きる者を求め、襲い掛かるのだと」

 

 そんな。

 そんなものを……作ったのも、黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)

 

「全ての母は、災厄の母でもあるのですよ」

 

 逢魔教授のその言葉と同時に、森から鳥が一斉に飛び立った。

 

「……帰りましょう。そして、明日には一応健康診断を受ける事。女王に何かされていなくとも、森の中で長時間倒れていたと言うのは、少々危険ですからね」

「……はい」

 

 森を──黎明の森林公園を、見る。

 陽の光が当たらなくなった黒い森。黎き森。

 

 身震いを一つ。

 

「そういえば、あれ……」

「どうしましたか?」

「いえ……」

 

 あの、木彫りの女性。

 誰だったんだろう。

 

 




黎明の森林公園は一般人の立ち入りはウォーキングコースのみであれば許可されているけど、それを外れると不法侵入扱いに成ったりするぞ! 調査許可は結構なお金を取られるな! 女王に入ってくる収入じゃないのに、どこが許可を出してるんだろうな!


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出口のない循環は永遠と呼べるのだろうか(何度手を離しても、何度も手を繋げばいい)

 かつてここに、栄華を誇った文明があった。

 暗き地の底、闇の底。しかし美しく咲く電光の花畑は、一度散った。

 否、元から造花であったのだろう。美しくも、ただ美しいだけ。生きてはいない機械の花。新しい発明が、興味深い発見が生まれ続けるかの都市には、感情というものが欠けていた。

 

 今、眼下に見得るのは──同じく、電光の花畑だ。

 けれど、その細部には人がいる。人が、疲れ果てて、笑い合って、苦しんで、喜んで……生活をしている。

 同じものを作ってはならぬと努めた人間が、また一人、また一人と死んでいく中で、新しい命がこの国を継いできた。

 

 遠い。遠い過去。

 自らが父親から受け継いだ、あの血と泥に塗れた国を思い出す。強く、強くあるために、誰もが強くあり──弱きは弱いまま、虐げられ、働かされ、汚く果てて死んでいく。

 何も変わっていないのだろう。自らは、地上で魔を纏めようとも、地下で人を守り抜こうとも、決して何も変わらずに──あぁ、歳だけ取ってしまったのだろう。

 

「魔王様」

「……ああ」

「……ありがとう、ございました」

 

 何か──側近の誰かが、何かを言った。

 声はもう、聞こえない。"魂"には規模があると、昔、教えてもらった。学者だったか、研究員だったか。とかく地上の者で、もう顔も名前も覚えてはいない。

 

 私の。

 

 ……俺の"魂"は、大きくなり過ぎたのだと。いずれ貴方は、誰の声も聞こえなくなる。いずれ貴方は、孤独に身を窶す事になる。そう、言われた。

 まさにそうだ。その通りだった。

 

 聞こえない。

 人の声も、虫の音も、鳥の囀りも聞こえはしない。ただ、この国に流れる淡水の川のせせらぎと、木々の揺れる風のざわめきだけが嫌に響く。

 静かな──誰もいない、何も聞こえない、孤独な世界。

 

 こんな世界が、どれほど続くのか。

 こんな世界が、どれだけ続いたのか。

 

「──素晴らしい、と……言っておくか?」

 

 ふと、声が聞こえた。

 少女の声だ。美しい鈴の音のような、透き通る硝子のような声。

 

 窓辺に、彼女はいた。

 

「最近あんまりにも素晴らしい事が無くて、言ってなかったんだがな。なぁ、ディスプの息子。久しいな、何千年ぶりか」

「……名は、教えただろう。それにディスプは……家名だとも」

「フィルエル」

 

 どこから入ってきたのか、などと聞くのは無駄だろう。

 この国の至る所。恐らくは地表の全てに、彼女の樹はある。様々な用途が当てられる硬質の樹木は、近年になってようやく加工技術が発見された。持ち出された樹木が高額で取引されていることなど、彼女は興味も無いのだろう。

 どこに運ばれようが、彼女にデメリットはない。この世の全てを覆い尽くした彼女に、そこへ割く興味は存在しない。

 

「……お前は、変わらないのだな。初めて見た時から……ずっと、その姿だ」

「俺は【不老不死】だからな。お前も、人間種にしちゃ随分と成長の遅い方だろ」

「はは……違いない。それは本当に、違いはないのだろう」

 

 成長は遅かった。

 周りがどんどん老齢になっていく中で、俺だけが取り残される。誰もが先を行く。誰も振り返ることなく、俺を置いていく。

 けれど、ようやく。

 ようやくだ。

 

「……あの時の、父上の年齢は……とうに追い越した。容姿はようやく、追いついたな」

「あぁ、老けたな」

「老けることが出来た、だ」

 

 自身の手。腕。胴も足も、もう皺だらけだ。

 

「"寿命"だけを消費して、"経験"が残るのか。いびつだな」

「"寿命"だけが延びて、"経験"がほとんど育っていないお前が吐く言葉では、ないだろう」

「ヤだよ。"経験"が育つって事は、忙しいって事だ。そんなのお断りだね」

 

 自然と、話し相手は"魂の規模"を大きくする者だけになっていった。

 俺の中を流れるらしい、悪魔の血。それを見てか──はたまた、親の情でもあったのか。ゼヌニムという悪魔が来たり。それに連れられて、一羽の鳥が来たり。戸棚を勝手に開けて、勝手に食料を漁るマハラスという悪魔が来たり。面白半分に、ラヘルという悪魔が来たり。

 ……悪魔ばかりだな。

 

「あ、そうそう。丁度見つけたんだよ。森の近くに捨てられててさ。ほれ、これ」

 

 俺の横たわるその寝台に、一つの籠……動物などを入れるケースが置かれた。

 中には、二匹の猫。親と子。

 

「……あぁ。そうか。そうなのか」

「おいおいまだ"経験"……"感情"が増大するのかよ。枯れねえ奴だな」

 

 子猫の方は、俺を威嚇するように親猫の前に立ち、こちらに牙を見せている。

 そこまで嫌いか。傷付くな、本当に。

 

「捨てられていたのか」

「森は結構不法投棄多いぜ? 基本オーゼル達が食べるからいいんだけど、こういう動物はなー。魔物娘にしても大した規模が得られないっていうのは知ってるし、基本は適当な食料として殺すんだけど、見覚えのある"魂"だったから、ついでにな」

「……相変わらずのようだな、お前は。本当に」

 

 可哀想と思う心はあるが、思う対象が違う。惜しむ気持ちはあるが、惜しむところが違う。感情がないわけではない。恐らく、この国に住む人間一人分程度の感情は持っているが──価値観が、世界観が違う。

 それはでも、俺もそうなのだろう。強きが強きのままであれ、弱きが弱きのままであれという俺の理念は、しかしもう、この国からは薄れている。聞こえていた頃も、聞こえなくなった今も。人々は助け合い、ぶつかり合い、騙し合い傷つけ合い、そして手を繋ぎ合い。弱きと強きが並んで歩く姿など、俺は見たいとも思わないし、弱きが立ち上がる姿など、無い方がいいと考えているし。

 ……いや、そうではないのかもしれない。いつか──自然派などという宗教があったころに、俺は言った。お前たちが強くなってくれれば、俺は二人を探しに行ける、と。

 じゃあ、なんだ。はは、矛盾していたか、俺は。

 

「この……二匹は。この国に、放ってくれ」

「言われなくても面倒見るつもりなんかないよ。お前がいらないっていうなら、適当な栄養源にするつもりだったし」

「だろうな」

「ま、放ってくれっていうなら放つけど。死に目の奴には、優しいぜ、俺は」

「冗談が……上手いな」

 

 手を伸ばす。 

 この身は、老衰で死ねるのか。"寿命"はすり減らした。悪魔から聞いた、父上の施した術式。俺の中の悪魔が、俺の"魂"を契約としてもらい受け──俺が蘇る仕組み。

 永遠は、俺にはいらなかった。辛かったかどうかと問われれば、わからん。楽しかった事も多かったし、嘆いたことも少なくはない。子に突き放され、最愛の妻とも別たれ──国を治め。ああ、けれど。ただ、もういらないだけだ。

 ずっと、選ばない事を選び続けてきた俺は、死ねるのか。

 

「なぁ、女王よ。俺は死ねるのか。俺は──お前は、俺を殺す事が、出来るのか」

「出来るぜ」

 

 即答。

 少女は窓辺から降りて、俺の横に立つ。

 

「まぁ、お前の危惧通り、このまま老衰で死んでも、お前は生き返るよ。そのまま心臓が止まる直前と止まった状態を交互に繰り返しながら、"寿命"が十分量になるまで生き死にの狭間を彷徨う。その間"経験"は倍増するから、瞬間的に莫大な量の"魂の規模"が得られるだろうさ。その技術に関しちゃ垂涎ものなんだが、お前の場合悪魔との契約が原理になってるからな。俺に再現できる奴じゃねえ」

 

 小さな手で、俺の服を捲る。完全に老人の身体だ。

 

「防虫対策、結構研究したんだ。で、悪魔ってのには契約のプロセスとか契約のラインとか、有効期限とか……まぁ面倒なのがいっぱいあるのがわかった。いちいち考えるのが面倒な奴がな。悪魔が憑くと、基本、もう助からねえ。分離できないんだよ。融合して、混ざり合ってしまう。悪魔が"魂"を食うならいいんだけどな。悪魔が、悪魔以外に融合すると、もう切り離せない。が、契約は違う」

 

 契約は、契約不履行が起こった瞬間に解除される。女王はそう続けながら、手に一つの木の枝を取り出した。

 黎樹の枝だ。

 

「ディアスポラ曰く、お前と、お前の中の悪魔の契約は"お前が死んだ場合、悪魔が魂を貰う。その代わりお前が傷を受けた場合に周囲の無機物を吸い取って肉体を再生する"ってのらしい。お前は別に融合はしてなくて、行われているのは契約だけだと」

「……ああ」

「なら、その契約。悪魔側かお前側のどちらかに契約不履行が発生すれば、契約は解除される」

 

 じゃあまぁ、簡単だ。

 彼女は、黎樹の枝を──俺の心臓に突き刺した。

 

「ぐッ!」

「痛むのはまぁ我慢しろよ。死ぬために必要な事だ」

 

 そしてそこから、メキメキと黎樹の枝が成長する。

 俺の身体を囲むように。隙間など、一切無く。

 

「結構簡単なんだよ、本当に。結局お前の再生は無機物によるもの。無機物を生体に変換する、とかいうトンデモ技術は俺には真似できない類のもんだけど、生体を吸い取って再生できないってんなら欠陥品だ。だからお前は、生体に囲まれたら──一分の隙間なく有機物によって隔離されたら、再生できない」

 

 刺し貫かれた心臓が、どくんと音を立てた。

 再生を行おうとして──けれど、行えない。起きない。否、衣服に含まれた多少の無機物がそれを補助するが、それも束の間。さらに周囲から黎樹の枝が突き刺さり──傷をつける。

 

 痛みだ。久しぶりの。

 

「"魂"ってのは、どうも、もう新しい奴は産まれないらしい。ここ数千、いや、一万と何百か? まぁそれくらい"魂"を集めてきたし、見てきたけど……どうも同じ奴ばっかなんだよな。その都度虫やら植物やらになるから全部が全部毎回一緒ってわけじゃないんだが、もう、何度も何度も同じ"魂"が別な肉体で生まれてる。記憶がどうなってるかは知らん。生まれ変わってあったら持っていけるし、無かったら持っていけない、だ。自分で確認しろ」

 

 俺の中の悪魔はまだ、契約を履行しようと、再生を行おうとしてくれているのが分かる。

 けれど、黎樹は完全に俺を隔離しているらしい。"魂"を揺るがす女王の声だけが、脳裏に反芻する。

 

 もう、いいんだ。ありがとう。

 

「俺は死なん。【不老不死】だからな。死なない様に生きてきたし、死なない様に生きていく。だから、新しい命には成れん。成りたいとも思わん」

 

 黎樹に分断された肉体が死んでいく。貫かれ、久しぶりに血を吐いた。血を流して、意識が遠くなっていく。けれど彼女の声だけは聞こえる。

 

 その声が、初めて──欲を見せたように聞こえた。

 

「もう十二分に生きただろう。誇れよ。そして、次はもっと短命な生物に生まれ変われ。十分な感情を蓄え、経験を蓄え、そして黎樹の元で死ね。また生まれ変わって、今度は長命な生物になれ。そして"魂"を鍛え、この星で死ね。この閉じた世界で、永遠に、永遠を、永遠、俺の糧になり続けろ」

 

 いつかティータさんが言っていたことを思い出す。

 女王には言葉が通じる時期があった。その時には少なくとも、会話が出来るだけの常識があるように思えたと。会話が出来れば、女王はこちらを対等に見てくれる可能性があると。

 

 どこがだ。

 

 女王は、彼女は──()()()()、そもそもが違う。

 そもそも、対等とか会話とか、そういう話をしていない。出来なくても、出来ても、同じだ。

 対話は手段に成り得ない。語らいは感情に繋がらない。生命は未知を恐怖し、嫌悪だと勘違いするものだが──ああ、これが()()()()()()()()()

 

「あぁ、あぁ! 黎き森の──黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)よ! お前に、貴女に! いつか、いつかとびきりの死があらんことを! 俺の様に孤独を嫌え! 俺の様に静寂を拒め! いつか、いつか、いつか!」

 

 だって、生物とは、死を嫌うものだろう。

 

「いつか──貴女にも、死に目の淵に立つ、誰かが──!」

 

 声を荒げて、枯らして、俺は。

 

 死んだ。

 ──死ねたよ、ようやく。

 

 

 

 

 ディアスポラが無事、幼体から成体になったため、"魂のなる木"にする事にした。

 

「あの、主。その、これは」

「結局お前は、マハラス、なんだっけ」

「あ、はい」

「ディアスポラは?」

「ええと……そもそもの話をしますと、主の作っていた融合種の魔物種、というのは……あれはまさに、悪魔の作り方、なんですよね」

「ふむ」

 

 ティータとマルダハに始まり、"魂の規模"の大きい魔物娘を使った"魂のなる木"もこれで10本目。なんか"魂の摂取"は同じ"魂"を好まんのかなんなのかわからんが、あの火山の噴火以降"寿命"の伸び率がぐんと落ちている事が分かった。

 もうちょい正確に言うと、複製した"魂"を取り込んでもそれらがくっついちゃってる、みたいな……んー、なんと言ったらいいのかよくわからん。俺も"魂の摂取"の内訳に詳しいわけじゃないし、なんか視認できたりするわけでもないから検証の仕様が無いんだよな。

 ただわかるのは、これ以上"魂のなる木"を作ってもあんまり意味が無いというか……もっと言うと、"魂のなる木"自体が意味のないものになりつつあるというか……。悲しい事に、この自動化装置はそろそろ畳んだ方がいいっぽいのだ。

 結構頑張って作ったんだけどなぁ。

 

「悪魔とは、数多の"魂"が偶発的に、且つ急激に集った場合に発生する……なんというか、自然現象なんです。これはこの世界の設計者が"そう"あると設定したもの、としか思えない……あー、なんでしょうね、私達も何故生まれたのか、というのはわかっていない状態なんです。あの主、大分締め付けが強い」

「へぇ、至高存在さんが。じゃあ何かしら意味があんのかね」

「至高存在……?」

 

 ぶっちゃけもう、世界中に黎樹は張り巡らせた。だからもう必要のないものなのだ。この"魂のなる木"は。どころか無駄に複製素材と薬液を消費して、言うほどの"魂の規模"は得られないという、無用の長物になりつつある。効率が悪いんだな。

 あの噴火はリリスとかいう悪魔のせいらしい。その時点で"魂のなる木"の効率が変わってしまった辺り、そのリリスとかいうのが何かした、と見ていいだろう。許せねえ。

 

「じゃ、つまりなんだ。俺はディアスポラを作っていたつもりで、そこにいろいろな魔物娘を融合させてたけど、それは悪魔の製法と同じで」

「はいっ……主、この体勢かなり苦しいですっ」

「ある意味で、ディアスポラとかアルタの複製体とかが諸々纏めてお前、って事?」

「合ってます! 正解、正解! 何故蓋を!」

 

 よって俺は、もう、本当に致し方なく、"魂のなる木"を廃棄する事に決定した。流石に数千年となるとティータやマルダハ含む魔物娘の寿命も尽きていて、今は栄養剤で延命治療を続けているに過ぎないからな。効率が上がらないどころか下がると言うのなら、これら栄養剤や日々の確認作業が無駄になる。無駄。嫌な言葉だな。

 

「ひうっ、ぬるいのが、上がって……」

「よし、完成。じゃ、マハラス。最後の"魂のなる木"として、これから頼むよ。悪魔って基本"寿命"が無くて、栄養も特には必要じゃないって、お前言ってたよな」

「あ、いえっ! 私はディアスポラの悪魔化に割り込む形で降臨したため、寿命はありませんが栄養は必要ありまして! いえそんなに多くは要らないのですが!」

「……まぁ、"寿命"が無いだけマシだよマシ。俺は昔の"魂のなる木"を片付けてくるから、良い実を生らせろよ~」

「あ、ぅあ……!」

 

 現状を省みるに、魔物娘9体の"魂のなる木"より、ディアスポラ……もといマハラス一匹の"魂のなる木"の方が、効率がいい事が分かったのだ。魔物娘はぶっちゃけ"寿命"が短すぎて話にならん。最初のファムタとかキマイラ娘ズはやっぱり長生きな方だったんだな、とここにきて痛感する。バックアップ無いの痛すぎな。

 

 ということで、"魂のなる木"の立ち並ぶ畑へやってきた。

 それらの培養槽の蓋を開け、薬液を全部排出する。魔物娘達を縛る黎樹を全部地中に戻して、おっけー。

 

 栄養剤はもう与えないから、いずれ死ぬだろう。"寿命"はとっくに過ぎている。

 

 さて、次の研究でも……いや、いいや。

 またなんかしたくなるまで、ぐーたらしよーっと。

 

 

 

 

 久しぶりに目を開けた。

 緑色の液体越しでも、ガラス越しでもない景色。

 

 周囲には、膝を抱えたまま座って動かない魔物種や、ふらふらとどこかへ去っていく魔物種の姿があった。

 遠く離れた所にあるもう一つのガラス瓶は開いておらず、中から嬌声のようなものが響いている。

 

「助かっ、た……?」

 

 未だ信じられず、けれど。

 今、自由だ。

 

「ようやく──ようやく、自由に……! お婆さ──お婆様!?」

 

 その感動を分かち合おうと、対面にあったお婆様の姿を見る。

 

 そこには、うつ伏せに倒れた……ああ。

 

「……おやすみなさい、お婆様」

 

 もう、息をしていない。

 死んでいる事が分かった。解放された瞬間に、力尽きたのだろう。

 ……私も、身体が重い。

 

 もう何年ここにいたのだろう。数えていないし、覚えてもいない。

 

「う……」

 

 重い体を起こして、ゆっくりと歩く。

 何か、どこかに惹かれるような気がして。一つ、二つ。初めて使う根の足を出して、歩いていく。

 

 地形が、どころか森の形状も、木々の種類も変わっている。

 けれどこっちに、何かがある。

 

「……あ」

 

 そうして辿り着いたのは……水場だった。

 ここだけは変わらないのか。それとも別の水場なのか。もう、わからない。判断する頭がない。

 

 けど、いた。

 惹かれた相手がいた。

 

「シオン」

 

 私の声に、彼女が振り向く。

 純白の髪。金色の瞳。かつての彼女の面影はどこにもない。だってもう、あの時の彼女は死んだのだ。

 

「えーっと……? あ、ポッドの中にいた人……?」

「ええ、そうよ。覚えているの?」

「うん。……人間の私が、ここを出て行ってから、何にもすることがなくて……たまに貴女を、見ていた」

「それは恥ずかしいわね」

「私の名前を、呼んでくれた方の人、だよね」

「……ええ、そう」

 

 そうか。

 見た目では、見分けは着かない。

 けれど気付いてくれるのなら、嬉しい。

 

「ヘンな事、言うね?」

「ええ、いいわ」

「私、貴女に会った事がある……気がする。それで、わからないけど、謝らないといけないような……気がするの」

「……」

「私は貴女に、心から酷いことをした。貴女をずっと苦しめて、殺されたって仕方のないことをした。……私は、貴女を……愛していた気がする。名前も、顔も、全然覚えてないし、覚えていなかったのに……今、胸が苦しくて仕方がない」

 

 リリアンの顔とも、シオンの顔とも、違う。

 今のシオンは、誰でもない。私の知っている子ではない。けど──覚えているのか。

 

「貴女の名前を、教えてください」

 

 彼女は私の手を取って、言う。

 顔を近付けて……目を瞑った彼女。

 

 

 その顔に、手のひらをべちょっと当てた。枝と蔦の集合体のような手のひらが、シオンの顔を不細工に歪める。

 

 

「ぶべっ、……えっ? え??」

「ダメよ。失格。貴女じゃ、私には釣り合わないわ」

 

 言って、背を向ける。

 視界は暗い。呼吸が浅い。もう、無理だと。体が言っている。

 けれど、精いっぱいの笑顔を作る。

 

「──生まれ変わって、また会いましょう。その時に、名乗ってあげる」

 

 ばいばい、シオン。

 またね。

 

 

 

 

「はい! はいはーい! お姉さん、こっちこっち!」

「今行く」

 

 少女が走っていく。

 その姿を危ないな、と眺めつつ、周囲の樹を見た。

 

 ……もうどこにも、逃げ場は無いのだと知る。

 

「はやくー!」

「うん」

 

 ならば、もう。

 次も、その次も、その次も。

 必ず彼女と再会し──二人で、ううん、三人で。

 

 一緒に。

 

「……それでいい」

 

 それだけで。

 

 

第四話「選択の此岸」 / 了




ご読了、ありがとうございました。


この世界は閉じている。同じ魂が違う形をとって、ずっとずっと輪を描いている。そこに異界の魂を一つ入れた。平坦に、平静に回り続けていた世界に一つの起伏が出来た。それはただあるだけで、周囲の魂に影響を及ぼす。ただあるだけで、感情の増幅を促す。この狭い世界を、少ない世界を、いずれ満たし、そして破るだろう。私はそれが見たい。ようやくそこに、新しいものが生まれると信じているから。


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