銀騎士珍道中 (自称・エリート銀騎士)
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アノール・ロンド編
銀騎士日記:1


(オーバーロード要素はまだ)ないです。
申し訳ない、しばらくはダークソウル編です。


 ***月***日

 

 人の子が書くと聞く日記というものを、神族の吾輩もしてみようと思って書くこととする。

 

 吾輩は銀騎士である。太陽の光の神、偉大なるグウィン王に仕える近衛騎士。眩い銀の鎧を身に纏い、輝ける白銀の剣を佩く精強なる騎士団。それが銀騎士である。吾輩ことガレアもまたその一人だ。

 しかも吾輩は第一世代……伝説の大戦争、灰色の古竜との戦いを偉大なるグウィン王の指揮の下戦い抜いた古参も古参の配下である。言うなればエリート中のエリート。伝説のスーパー銀騎士ということであるな。

 

 さて、そんなエリート銀騎士であるところの吾輩が何故日記などを始めたのか。勿論エリートである吾輩としては矮小な小人どもの真似事などするつもりは更々なかったのだが、同じ銀騎士のレド君からのプレゼントとあっては無下にするわけにもいかない。

 エリート銀騎士仲間であるレド君は吾輩の数少ない友人の一人である。……いや、別に人付き合いが苦手というわけではない。エリート中のエリートである吾輩はどうも他者からは取っ付きにくく感じるらしく、あまり話しかけてもらえないだけだ。向こうから話しかけてくれればこちらとしても付き合うに吝かでもないのだが、話しかけてくれないのだから仕方がない。かと言ってエリートである吾輩が自ら話しかけて一般銀騎士君を委縮させてしまうのも忍びない。エリートの弊害というわけであるな。重ねて言うが、別に友達作りが苦手というわけではないのだ。

 

 ……吾輩は日記で何を弁明しているのだ。話を戻そう。

 そう、プレゼントだ。何を隠そう本日は吾輩の誕生日である。毎年誕生日になるとレド君は手製のダンベルやリストバンドを送ってくれるのだが、流石にそろそろダンベルの置き場所にも困ってきたし、鎧の下は漏れなく貰ったリストバンドでギッチギチだ。嬉しくないわけでは断じてないのだが、「たまには別の物が欲しいなぁ」とさり気なくお願いしてみたところ、今回はこの日記帳を頂いたというわけである。

 

 しかし日記帳とは、脳筋なレド君らしからぬチョイスじゃないか。しかも随分と洒落た装丁の上物だ。上司から譲って貰った銀細工の万年筆の使い所にも困っていたところだし、ありがたく使わせてもらうとしよう。

 

 

 

 ***月***日

 

 日記を始めて二日目。二回目にしてこんなことを書くのもどうかと思うのだが、少々参ったことがあったので愚痴らせて頂く。

 

 今この日記を書くのにも使っているちょっとお高い万年筆を吾輩に譲ってくれた上司……オーンスタイン殿が酷いのだ。聞いてくれ。いや、日記なんだから誰に見せるわけでもないのだがとにかく聞いてくれ。

 “竜狩り”オーンスタインといえば、我らアノール・ロンドの衛兵たる銀騎士を束ねる四騎士の長。偉大なるグウィン王が最も信頼を置く戦士の筆頭である。その戦闘力は並の神格を凌駕する。彼を純粋な力で上回るのは神々の中では偉大なるグウィン王、そして武力においては大王に並ぶと称えられる偉大なる太陽の長子様ぐらいなものであろう。

 

 そんな無敵のオーンスタイン殿であるが、彼に伍する戦士がいないというわけではない。それは誰あろう同じ四騎士の一人、“深淵歩き”ことアルトリウス殿である。

 片や、かの大戦において王のソウルを見出した神々を除けば最も多くの首級を挙げ、我ら銀騎士を率い数多の古竜を討ち果たした“竜狩り”オーンスタイン。片や、我ら神族にとっては絶対の毒である深淵を踏破し、世界を侵す暗黒から神々を守護する“深淵歩き”アルトリウス。いずれも押しも押されもせぬ最強の戦士、アノール・ロンドを代表する神々の守り手である。伝説のスーパー銀騎士である吾輩をして尊敬を禁じ得ない素晴らしき忠臣なのだ。

 

 さて、そんな最強の座を二分するお二人であるが、実は両者の仲はあまりよろしくない。別に悪くもないし互いが互いの力量を認め合っている雰囲気は感じるのだが、それ以上に相手をライバル視しているようなのだ。どちらも真面目な方なので仕事に私情を持ち込むようなことはなさらないが、たまに顔を合わせれば互いに火花を散らしている。大らかなレド君などはそれを見てもしれっとしているが、繊細な吾輩は運悪くその場に居合わせる度に胃がキリキリと痛むもので少々困っている。

 

 うむ、何故こんな話をしたのかと言うと、どうも先日の模擬戦でオーンスタイン殿はアルトリウス殿に負けてしまったようなのだ。

 

 何かと多忙なお二人であるが、時間が合えば模擬戦とは名ばかりの決闘を始めるのは有名な話だ。「やろう」「うむ」の二言で激闘が始まるのはもはやアノール・ロンドの日常と化している。一周回って仲良いんじゃなかろうか。これが小人が言うところの「ツーカーの仲」というのだろう。

 

 で、その決闘でオーンスタイン殿が敗北した。それも何と二連敗である。珍しい。

 これまでは一勝と一敗の繰り返しだった。オーンスタイン殿が勝てば次の決闘ではアルトリウス殿が勝ち、アルトリウス殿が勝てば次はオーンスタイン殿が勝利する。ここ数百年はずっとそんな調子だったのだが、どうも今回ついにその法則から外れてしまったらしい。

 

 勿論それでアルトリウス殿に道理の通らぬ悪感情を抱くようなオーンスタイン殿ではない。騎士長殿は高潔な精神の持ち主である。勝利してなお驕らず、敗北すれど決して腐らぬ武人の鑑たるお方だ。そしてそれはアルトリウス殿にも言えることである。今回の結果がお二人の関係に尾を引くようなことはないだろう。

 

 だが、それで納得できるかといえば別である。敗北したオーンスタイン殿は「このままではいかん」と思ったのか、これまでと比べてより一層鍛錬に打ち込むようになった。

 これには我らが偉大なるグウィン王もにっこりである。元より神懸かった実力の持ち主であったお二人だが、決闘をするようになってからというもの、両者の実力は“鷹の目”殿と“王の刃”殿を置き去りにする勢いで上昇を続けている。即ちそれは神々の座すアノール・ロンドの守護がより一層盤石となることを意味していると言えよう。彼らが健在である限りグウィン王の治世は安泰であろう、と銀騎士たちからの評判も上々である。

 

 吾輩としてもオーンスタイン殿が更なる力を得るのは大歓迎である。その鍛錬に付き合わされるのが吾輩でなければの話であるが。

 

 繰り返すが吾輩はエリートである。多くの銀騎士が塵となったかの大戦を生き残り、今なお第一線で活躍しているのだからエリートでないわけがない。大戦後に生まれた一般銀騎士君たちなんぞ吾輩からすればヒヨっ子もヒヨっ子、レド君≧吾輩>>>一般銀騎士君ぐらいの実力差がある。だが、それ故にオーンスタイン殿の目に留まってしまったのであろう。エリートの弊害というわけであるな。

 

 ぶっちゃけオーンスタイン殿は吾輩の完全上位互換である。稲妻の如き身のこなし、大槍を手足のように扱う技量、岩の鱗を穿つ雷の力、兵を統率する優れた指揮能力。まさに騎士の長に相応しい実力の持ち主なのだ。

 一方、吾輩が明確にオーンスタイン殿に勝てると断言できるのは腕力ぐらいのもの。体術では及ばず、技量でも及ばず、吾輩の雷では古竜の鱗を貫けても命までは届かない。しかも銀騎士の代名詞たる白銀の剣の扱いですら敵わない。槍一本のみで戦場を駆けるオーンスタイン殿だが、あれであの方は武芸百般を体現する武人の中の武人なのだ。剣・槍・弓、いずれの扱いにおいてもアノール・ロンドで比肩する者は限られる。

 

 そんなオーンスタイン殿と吾輩が戦えばどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。そりゃあもうボッコボコである。サンドバッグよりはマシ、といった程度であろう。これは酷い。

 それでも相手がいないよりは余程実りのある鍛錬になったらしい。一頻り吾輩を痛めつけたオーンスタイン殿はご機嫌な様子でそう語っていた。うむ、尊敬する騎士長殿が喜んでくれたようで何より……なわけあるかバーカ!!! こんなのいくらエリートの吾輩でも身体が持たんわ!!!

 

 失礼、奥ゆかしくなかった。だが考えてみてほしい。オーンスタイン殿は朽ちぬ古竜すら単騎で討ち滅ぼすような実力の持ち主。一方の吾輩はレド君と協力しても古竜には及ばない。古竜の末裔である飛竜ぐらいならまあ単独でも倒せるだろうが、流石に古竜ともなると格が違う。

 うむ、改めて考えてみるとやべーなオーンスタイン殿。正直勘弁して頂きたいというのが本音なのだが、さりとて吾輩以外の適任がいないというのもまた事実なのだ。

 

 なら同じ四騎士がいるじゃないかと思われるだろうが、ライバルのアルトリウス殿と比べて残る二人はやや毛色が異なるタイプの戦士である。

 “王の刃”ことキアラン殿はどちらかと言えば凶手に近い。闇に潜み、気配もなく静かに大王に仇なす者の息の根を止める。その腕を疑う愚か者などアノール・ロンドには一人もいないが、正面切っての戦いとなると話は別。恐らく吾輩でもそこそこ戦えてしまうのではないだろうか。ましてやオーンスタイン殿と面と向かってよーいドンで戦うなど論外であろう。

 というかそもそもキアラン殿はアルトリウス殿にほの字であるしな。騎士長殿に頼まれたとしてもアルトリウス殿に不利になるようなことをする彼女ではない。吾輩そういう男女の機微には敏いからすぐわかっちゃう。

 

 “鷹の目”ことゴー殿は巨人族の戦士だ。その弓の腕前は並ぶ者なく、アノール・ロンドの城壁から山向こうの竜を撃ち落とした逸話は誰もが知るところだ。しかも巨人族だけあって単純な腕力にも優れ、恐らく真っ向からの殴り合いになればオーンスタイン殿もアルトリウス殿も敵わないだろうと思われる。

 だがその巨体がために動作は鈍重である。懐に入られればオーンスタイン殿の敵ではないだろう。狼の如き俊敏な身のこなしを持ち味とするアルトリウス殿との決闘を見据えた鍛錬の相手に向かないであろうことは明白である。

 

 ゴー殿と同様の理由でエリート銀騎士のレド君も不適格となるだろう。彼はとても力持ちで、腕相撲では吾輩は一度も勝てたことがない。竜退治の遠征後、見上げるような竜の死骸を一人で担いで運ぶ光景には吾輩も騎士長殿も流石にドン引きしたものだが、筋肉に全振りしている分彼はフットワークに難がある。縦横無尽に戦場を駆けるオーンスタイン殿との相性は最悪だし、対アルトリウス戦を想定した鍛錬の相手として向いているとは言い難い。

 

 一方の吾輩はオールラウンダーなエリート銀騎士である。通常の銀騎士の三倍の実力がある。

 アルトリウス殿は片手それぞれに大剣と大盾を持ち自在に振り回す腕力があるが、吾輩とて同等かそれ以上の怪力である。レド君が規格外なだけで十分に力持ちなのだ。加えて足腰にも自信がある。勿論アルトリウス殿の剣技について行ける程ではないが、辛うじてオーンスタイン殿と打ち合える程度のフットワークはある。

 

 以上の理由により吾輩に白羽の矢が立ったというわけなのだ。これから暫くはオーンスタイン殿のスパーリングに付き合う毎日が続くだろう。他に適任がいないのだから仕方がないと諦めるしかあるまい。

 いやしかし予想以上に辛い……一般銀騎士君たちは「騎士長殿から直々に稽古をつけてもらえるなんて!」と大層羨んでいたが、体験してみればわかるけどそんなに良いものじゃないぞ。

 何しろオーンスタイン殿はとても真面目なお方。何をするにも全力なのだ。騎士長の任においても、竜狩りにおいても、ライバルとの決闘においても、当然鍛錬においても常に全力である。手加減などしない。岩の古竜を貫いた十字槍が騎士長殿の全力で襲ってくる様を想像してみるといい。流石の吾輩も何をとは言わないが少し漏らしてしまった程だ。ちょろっとだけ。

 

 一応吾輩も先の大戦を戦ったエリートであるからして、偉大なるグウィン王の加護により岩を穿つ雷の力をこの身に宿している。対古竜戦においては雷の大槍で飛来する竜を迎え撃ち、剣の刃に雷を纏わせて岩の爪牙と打ち合ったものだ。特にこの雷の力の扱いに関しては全銀騎士の中でも吾輩が最も達者であるという自負がある。

 だが、うむ。流石に“竜狩り”オーンスタイン殿の雷光と比べられては如何ともし難い。騎士長殿の総身に漲る雷気は吾輩の比ではなく、神々の特別製である竜狩りの槍がその力を更に押し上げている。騎士長殿を指して吾輩の完全上位互換と言ったのにはこの辺りの事情もあるのだ。ただでさえ戦士としての位階が違うのに、吾輩の一番の得意分野でさえ後塵を拝しているのだから勝ち目など皆無と言っていいだろう。

 

 だが、吾輩とてエリートとしての自負がある。ただ為す術なくサンドバッグに甘んじるなど伝説のスーパー銀騎士らしからぬこと。何とかして一矢報いようと思う。

 それに仮にもアノール・ロンド最強の戦士の鍛錬相手として選ばれたのだ。嬉しくないと言えば嘘になる。そもそも消去法での指名とはいえ、ある程度の信頼なくば一銀騎士相手に本気で打ち込んでくる筈がない。きっとオーンスタイン殿は吾輩ならば本気の鍛錬にもついて来れると判断して下さったのだ。その信頼に応えられずして何が誉れ高きエリート銀騎士か。

 

 ……しかし何だ、愚痴が大半だったとはいえ二日目にして随分と書き込んでしまったな。いや、案外筆が進むものだ。吾輩これまで碌に書き物などしてこなかったが、もしや意外と向いているのではなかろうか。部屋のインテリアにしかなってなかった銀細工の万年筆も心なしか喜んでいるようにも感じる。

 それを見越したプレゼントだったとするなら、レド君の慧眼には感服する他ない。流石は我が無二の親友であるな。もう脳筋なんて言わないよ。

 

 

 

 ***月***日

 

 レド君はやっぱり脳筋だった。あの野郎ついにやりやがった。銀騎士としての誇りを捨てたのだ。

 何と騎士長殿と鍛冶長殿に無理を言ってでっかいハンマーを作ってもらい正式装備にしやがったのだ。許せん。白銀に輝く剣と槍こそが我ら銀騎士の象徴であろうに、あんな野蛮な大槌に走るなど。洗練さの欠片もない黒くて硬くて大きいばかりの得物など誇りある銀騎士に相応しくない。

 

 でも吾輩は面と向かってそうは言わなかった。決して新しい専用装備を手に入れて喜んでいるレド君に気を遣ったわけではない。

 だが腹立たしいものは腹立たしいので、夕飯のおかずを一品ちょろまかしてやった。しかし浮かれているレド君はそのことに気付かなかった。ちくしょう。

 

 だが、まあ良い。吾輩は優しいからな。レド君は親友だし、一度の過ちぐらいは大目に見てやるのが良き友人というものだろう。

 それに悪いことばかりではない。レド君に専用装備が許されたということは、同じエリート銀騎士である吾輩も頼めば特例を許してもらえるかもしれないということだ。

 

 いや、別に今の装備に不満があるわけでは断じてないのだ。偉大なるグウィン王より下賜された銀騎士の剣と槍はかつてより今も変わらず吾輩の誇りである。ぶっ壊れる度に打ち直してもらい使い続けてきた我が愛剣と愛槍はもはや吾輩の半身と言っても過言ではない。

 でも、でもだよ? エリートである吾輩の武器と一般銀騎士君たちの武器がデザイン・性能共に全く同じって正直どうなの? と思わなくもないのだ。別に不満があるわけではないのだけど。

 

 うむ、そうと決まれば頃合いを見て直談判だ。幸か不幸かオーンスタイン殿と会う機会には事欠かないので、騎士長殿の機嫌が良い時にでもお願いしてみようと思う。

 

 

 

 ***月***日

 

 吾輩の武器が黒くて硬くて大きいばかりの野蛮な得物になってしまった。吾輩は悲しい。

 

 いや、うむ。この一文だけでは何を言っているのかさっぱりだな。後で読み返した時に吾輩自身混乱するかもしれないし、一応詳しい経緯を記しておこう。

 

 事の発端はイザリスの異変である。偉大なるグウィン王と同じく始まりの火より王のソウルを見出した大いなる魔女殿の名を冠したかの地が混沌に呑まれ、今やデーモンなる魑魅魍魎が跋扈する異界と化してしまったらしい。

 詳しい事情は我々銀騎士に知らされることはなかったが、為すべきことはしっかりと伝えられた。我らに課せられた任務はデーモンの殲滅。銀騎士たる我らは偉大なるグウィン王の勅命に従い、大いなる忠誠と慈悲を以てデーモンの尽くをこの地上より消し去るのみ。イザリスで起こった何かについて我々が知る必要も意味もない。勅の実行のみが我ら銀騎士の至上命題である。

 

 イザリスへの遠征の指揮は吾輩に一任された。四騎士はアノール・ロンドを離れられないし、妥当な人選であろう。本音を言えば吾輩もアノール・ロンドを離れたくはなかったのだが、他に任せられる者もいない。レド君は優秀なのだがちょっと変わり者だし軍の指揮となると不安が残る。やはり吾輩をおいて他に適任はいないだろう。何しろエリート銀騎士であるからな。

 

 で、遠征に当たって我々には新しい装備が支給された。それが冒頭の一文に繋がるわけであるな。

 

 まず武器だ。銀騎士と言えば輝ける白銀の剣と槍、空駆ける竜を落とす大弓、女神の守護が宿る銀の盾である。だが、我らがこれより相手取るデーモンは強大であり、何より多種多様である。全局面的な対応が求められる故、これまでとは全く異なる得物が選ばれた。それが剣、大剣、大斧、斧槍である。

 いずれも従来の銀騎士武器とは比べるべくもなく大振りの得物である。しかも神々の威光を示す壮麗な拵えは新装備にはない。あるのは実用性を突き詰めた武骨さのみ。黒々とした刃に刻まれた金彫りはどこか禍々しく、荒ぶる戦神のような威圧感を感じる。

 

 そして甲冑も新しく改良を加えられた物が用意された。銀騎士の象徴であった鳥の翼を模した立物(たてもの)は失われ、より鋭利さを増したスリットとシンプルな双角が特徴的な兜へと生まれ変わった。鎧も長期の遠征を想定し、軽さと頑丈さを両立したものへと。そしてイザリスの混沌に対抗するべく鍛造された鋼は黒ずみ、銀騎士を象徴する輝く白銀から曇った黒銀へと変化する。

 

 うむ、見事なまでに武骨オブ武骨。まあアノール・ロンドを守護する衛兵には相応の格というか見栄えが求められたからな。むしろ今までが華美すぎたと言えるのかもしれん。長期の遠征、それも激闘が想定されるとなれば見栄えなど余分と言うことなのだろう。

 

 だが吾輩の趣味には合わん。これだけははっきりと伝えたかった。何より吾輩の一番のお気に入りだったお洒落マントが新装備にはないのだ。これが残念でならない。

 そしてそれ以上に不満というか腑に落ちないのが、新しい武器が……何と言うか妙に手に馴染むことだった。大きく分厚くなった分確実に重くなっている筈なのに、その重みがむしろ心地良いというか。特にこの大剣。分厚い切っ先は威力を生むが、重心が先端に偏るため扱うには相当な筋力と技量が求められるだろう。かなりの曲者だが、吾輩にとってはむしろこれが一番扱い易かった。何故だ、流麗な銀騎士の剣とは比べるべくもなく異形の剣だというのに。

 

 答えは意外なところからやって来た。誰あろう我が親友レド君である。

 

「答えはたったひとつ。たったひとつの単純(シンプル)な答えだ。

 君もまた脳筋だったのさ」

 

「なん……だと……」

 

 要するに吾輩の筋力に見合った武器であるというだけのことだった。むしろ今までが軽すぎたのだという。

 確かにオーンスタイン殿との鍛錬では度々威力不足を実感していたが……銀騎士の象徴たる剣が吾輩に合っていなかっただと……?

 い、いや。そんなことある筈がない。威力不足は(ひとえ)に吾輩の実力不足故のこと。大剣が手に馴染んだのは偶々、そう偶々だ。そもそも武骨に過ぎるとはいえ、神々の鍛冶技術で造られた武器が粗製であるはずもなく。一見すると異形に見えるこれら新装備も間違いなく一級の大業物なのだ。

 

 うむ、この話はここまでにしておこう。これ以上は自ら墓穴を掘りかねない気がする。まだ吾輩は墓王の世話になりたくないのでな。

 何にせよ、今は余計なことに思考を割いている余裕はない。イザリス遠征は明朝より開始される。日記はこの辺にして、今夜はしっかりと英気を養いたいと思う。

 




~登場人物紹介~

・銀騎士ガレア

本作の主人公であり、アノールロンドを守護する自称・エリート銀騎士。だが石の古竜との戦争を生き抜いた実力は本物で、銀騎士としては破格の力を持つ。具体的には中ボス以上エリアボス未満。
部下の一般銀騎士君たちからは寡黙で気難しい人物だと思われているが、人と話すのが苦手なだけで中身はご覧の通り。


・銀騎士レド

『DARK SOULS3』にて登場した銀騎士。主人公の親友。脳筋。
古竜を信奉する「岩のような」ハベルとも友誼を結んだ変わり者の銀騎士。だが主人公とは真逆のコミュ力お化けであり、変わり者ではあるが彼を慕う者は多い。


・“竜狩り”オーンスタイン

ご存じライオン丸。アノール・ロンドを守護する四騎士の長であり、太陽の長子に仕えた筆頭騎士である。
ガレアが神々の次に尊敬する人物であるが、実は主人公とはほぼ同時期に生まれたという背景がある。付き合いはアルトリウスより長い。


・“深淵歩き”アルトリウス

イケメン。説明不要。
人と話すのが苦手という点でガレアに対し妙なシンパシーを感じている。しかしレドとオーンスタインしか友がいないガレアより友達が多い(内訳:キアラン、アルヴィナ、シフ)ため自分の方が勝ち組だと思っている。


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銀騎士日記:2

 ***月***日

 

 イザリスへの遠征を開始してから早数年。混沌のデーモンとの戦いは熾烈を極めていた。

 

 大いなる神々と四騎士の庇護下にあり、数百年に渡り続いた平和に慣れていたアノール・ロンドの銀騎士たちにとってイザリス遠征は過酷な旅路となった。精強なる銀騎士たちにとってすらデーモンは強大であり、何より数が多かった。

 

 斯く言う吾輩も何度となく栄光のアノール・ロンドに焦がれ夢枕に見た。古竜との大戦を経験した吾輩をして気を抜けば弱音を吐いてしまいそうになる程だったのだ。

 それは何もデーモンの強大さ故だけではない。最たる要因はここイザリスの環境そのものにあった。とにかく熱い。暑いではなく熱い。その一言に尽きる。

 

 混沌に呑まれた廃都イザリス。そこは火とは似て非なる質量を持った炎熱に蝕まれ、ゆっくりと溶け崩れていく魑魅魍魎の住処と化していた。混沌から生まれ混沌の力を身に宿すデーモンたちは溶岩の海の中でも平然としているが、吾輩たちはそうもいかない。黒銀の鎧は炎に強いが、熱を完全に遮断してくれるわけではないのだ。

 

 正直ここまでとは思っていなかった。敵の強大さではデーモンは古竜に及ぶべくもないが、かの大戦とは決定的に異なるのがこの熱さである。この過酷極まる環境の中で普段通りのパフォーマンスを発揮し続けるのは至難の業だ。本来の実力を出せれば問題なく倒せた敵に足を掬われ、命を落とした同朋も少なくない。

 

 だが侮るなかれ混沌のデーモンたちよ。我らは誉れ高き銀騎士、偉大なるグウィン王より信任を受けアノール・ロンドより罷り越した最強の騎士団である。

 そして恐れよ。我が名は銀騎士ガレア、精強なる銀騎士の中でもエリート中のエリートである。デーモン共よ、その爪牙で我が肉体を砕けるものなら砕いてみるがいい。できぬならば死ぬがいい。この大剣で素っ首叩き斬ってくれようぞ。

 

 それに、当初は頼りなかった一般銀騎士君たちも修羅場を潜り抜ける度に頼もしくなっていった。悍ましいデーモンの威容に怯える新兵さながらの若輩者はもういない。今や一人一人が立派な悪魔殺し(デモンスレイヤー)である。

 

 奮い立て銀騎士諸君。我らが大王、偉大なる太陽の光の王の威光を知らしめるのだ!

 

 

 

 ***月***日

 

 ヒャッハー! デーモンは(みなごろし)だー!

 死んだデーモンだけが良いデーモンだ!

 デーモンの死骸で城を作ろうぜーっ!

 

 

 

 ***月***日

 

 栄光のアノール・ロンドより伝令が来た。イザリス遠征は終了、至急王都に帰還すべしと。

 まだデーモンは残っているが、荷駄に満載していた備蓄もそろそろ尽きようとしていた頃合いだ。武具の消耗も激しい。区切りとするには丁度良いだろう。

 

 ご苦労だった一般銀騎士諸君……いや、もう一般銀騎士ではないな。君たちは既に立派なエリート銀騎士だ。エリートの中のエリートたる吾輩が認めよう。

 さあ、凱旋だ。諸君、よもや疲れて動けぬなどとほざく軟弱者はおるまいな? 一刻も早く王都へ帰還し、我らが偉大なるグウィン王に遠征の成果をお伝えするのだ!

 

 ……ところで、伝令の銀騎士君が我々を見て酷く怯えているのだが何かあったのだろうか?

 

 

 

 ***月***日

 

 灼熱のイザリス遠征より帰還した我々を待っていたのは、常ならぬ疑懼(ぎく)に揺れるアノール・ロンドだった。

 永遠の太陽に包まれ純白に煌めく王都は、何があったか陰りを見せている。よもや偉大なるグウィン王に何かあったのかと色めく我々を出迎えたのは、何と“竜狩り”オーンスタイン殿であった。

 

 騎士長殿直々の出迎えに恐縮する我々に短く労いの言葉を告げると、オーンスタイン殿は何やら深刻な様子で吾輩に後日部屋に来るよう申し付けた。

 言葉少なに立ち去って行ったが、部屋とはオーンスタイン殿に用意された騎士長専用の執務室であろう(正直あまり使っている場面を見たことがないのだが)。

 

 何か内密に話したいことがあるのだろう。突然の遠征中断と何か関係があるのやもしれん。

 気になって仕方がないが、後日と言われたからには大人しく待つより他あるまい。粗相がないよう、長きに渡るデーモンとの戦いで身体にこびりついた混沌の血とソウルの残滓をしっかりと洗い落としておかなければ。

 

 

 

 ***月***日

 

 ……少々混乱している。順を追って今日起こったことを日記に記そうと思う。

 

 

 久し振りに銀騎士の正式甲冑に身を包み、意気揚々と執務室に向かった吾輩を待っていたのはオーンスタイン殿だけではなかった。

 

 灰色の世界に差異を齎した始まりの火、その内より特別な王のソウルを見出した四柱の一。栄光のアノール・ロンドに座し火の時代を実質的に支配している輝ける太陽の光の王、偉大なる大王グウィンがオーンスタイン殿を侍らせ吾輩を待っていたのだ。

 

 ……その時の吾輩の驚きといったら、言語を絶するものがあった。だが、幸いにも心の準備をする時間はあった。何しろ吾輩は大戦時より大王に付き従っていた古参の直臣。その大いなるソウルの気配を見紛う筈もなく。騎士長殿の執務室があるフロアに到着した時点で吾輩はグウィン王の存在を感じ取っていたのである。

 

 普段はその強大なソウルがために半ば隔絶した空間にて玉座にあったグウィン王が、よもや御自ら配下の部屋に足を運ぶとは。驚き言葉もなく平伏する吾輩に、偉大なる大王はイザリス遠征の働きに対するお褒めの言葉と共に驚くべき事実を告げたのだ。

 

 

 火の時代に終焉が迫っていると。

 

 

 ああ、こうして謁見より時間が経ってから日記に書き記すだけでも身体が震える。文字を綴る手の震えがもどかしい。

 だが、吾輩はエリート。銀騎士は狼狽えない。

 

 思えば兆候はあったのだ。イザリスに起きた異変、急に姿を見せなくなったアルトリウス殿、小人の間に現れ始めた不死の呪い。

 どうやら、吾輩がイザリスでデーモン退治に明け暮れている間に事態は取り返しのつかぬところまで進行していたらしい。これら全ての異常は、火の時代の根幹をなす始まりの火に端を発していたのだ。

 今や始まりの火は消えかけ、世界は急速に終わりへと歩みを進めている。あらゆる事象の基盤たる始まりの火が弱まっているならば辻褄は合う。信じたくないことではあるが。

 

 だが偉大なるグウィン王のお言葉に偽りがある筈もなく。ならば全て事実なのであろう。銀騎士たる吾輩はその事実を粛々と受け入れるのみ。

 そうして何とか無様を晒さずに済んだ吾輩であったが、直後に続いた言葉には流石に動揺を隠せなかった。

 

 偉大なるグウィン王は告げられた。御自らが薪となり、始まりの火に往時の勢いを取り戻すのだと。

 

 確かに火が消えかけているというのなら、燃料を焚べることで消失を防ぐのは道理である。だが、何も大王が身を捧げる必要はないのではないか。

 それは代用が効かぬものなのか。我ら銀騎士一同、王と火の時代のためとあらば喜んで自らを薪にする覚悟である。だが、そう声を上げる吾輩に対しグウィン王は静かに首を横に振った。

 

 始まりの火は特別なソウルでなくば熾らない。凡百のソウルを幾万と積み上げたところで薪の代わりにはならないのだと。そして、偉大なる太陽の光の王を超えるソウルはこの世のどこにもありはしない。

 

 吾輩は悔しかった。普段はエリート中のエリート、伝説のスーパー銀騎士などと自称しておきながら、本当に大事な時に王のお役に立つことができない。

 そして吾輩と同じかそれ以上に憔悴した様子のオーンスタイン殿を見て悟った。恐らく騎士長殿も吾輩と同じ考えに至り、だが薪の資格を持たぬが故に力なく頭を垂れているのだ。

 

 そして言葉もない吾輩に対し偉大なるグウィン王は命を下した。吾輩は四騎士と共に銀騎士を率い、王なきアノール・ロンドにありて女神グウィネヴィア様をお守りせよ、と。

 頼んだぞ、我が忠臣ガレアよ──吾輩は声もなく、兜の下で涙した。ああ、よもや、よもや覚えていて下さったのか。一人では石の古竜一体も狩れぬこの矮小な騎士の名を。吾輩など、王からすれば数多いる銀騎士の中の一匹に過ぎぬだろうに。

 

 ……だが、だからこそその王命には従えない。

 幻の女神グウィネヴィア王女もまた吾輩が信仰する偉大なる神の一柱であるが、吾輩はこの身この魂、ソウルの一滴までもグウィン王に捧げると決めている。王なきアノール・ロンドに吾輩の存在意義はないのだ。

 

 王の命に背くなど、きっと吾輩は希代の不忠者なのだろう。だがどうかお許し下さい。吾輩は王なき世に何も見えないのです。

 

 吾輩は王の僕。仰ぐべき太陽なくば息もできぬ愚かな銀騎士。こんな不忠者は火に焼かれ、灰となって世界に降り積もるがお似合いである。

 せめて、せめて。火の時代を一秒でも長く存えさせんとする高潔なる王の意志、その一助とならんことを願う。吾輩の卑小なソウルがその一秒となれるならば本望だ。

 

 結局、王は吾輩の訴えに是とも否とも答えなかった。だが王は近い内に火継ぎに旅立たれる。吾輩は石に齧りついてでもその旅路について行く所存である。

 

 

 

 ***月***日

 

 久し振りに会ったらレド君が非行に走っていた。何と巨大な大槌を得物にするだけでは飽きたらず、銀騎士の魂とでも言うべき甲冑にすら改造を加えていたのだ。

 美々しき翼の立物(たてもの)は見るも無残に捻子くれ、まるで竜の角のように聳え立っている。そして白銀に煌めいていた鎧は分厚さを増し、まるで遠征組に支給された黒銀の鎧のように燻されくすんでいた。

 

 吾輩が悲壮な決意を固めている時にこいつは何をしているのだ。思わずぶん殴ってしまった吾輩は間違っていないと思う。

 拳を痛めた。この鎧硬すぎである。

 

 だが、まあ。元気そうで何よりだった。レド君が変わり者なのは今に始まったことではないし、むしろ彼らしくて結構なのではないか。

 ちょっとセンチメンタルな心境にあった吾輩は「男前で似合っている」とお世辞を言っておいた。

 

 頭でも打ったのかと馬鹿にされた。思わずぶん殴ってしまった吾輩は間違っていないと思う。

 拳が弾かれた。この鎧強靭度高すぎである。

 

 すると、レド君は吾輩に王の勅について尋ねてきた。なるほど、レド君は吾輩が帰ってくる前に火継ぎの話を伝えられていたのだろう。彼は吾輩と同じく古参のエリート銀騎士。知っていても可笑しなことではない。

 なので吾輩は正直に答えた。吾輩は愚かにも王命に背き、王と共に始まりの火に焚べられる道を選ぶと。

 

 不忠者と嗤うがいい。そう言った吾輩に対し、レド君は「君らしい」と柔らかく笑った。

 レド君は火継ぎの旅路に同行せず残るつもりらしい。そして吾輩の決意を称えた。生きながらに燃料として焼かれるが薪の定め。そんな苦難の道を迷わず選んだ吾輩はまこと銀騎士の鑑であると。

 

 いいや、それは違うぞレド君。吾輩は苦難の道を選んだのではない、楽な道に逃げたのだ。

 吾輩は王なき世の絶望に耐えられなかった軟弱者。この選択は絶望を感じる間もなく王と共に燃えて消える「楽」への逃避である。

 むしろ、太陽を失ったアノール・ロンドに残り生き続けることの方が吾輩にとっては苦難に見える。故にその道を選んだレド君のほうが真に称えられるべきであろう。変わり者だったが、レド君は吾輩などより余程銀騎士に相応しい男であった。

 

 この情けない男の代わりに、どうかグウィネヴィア王女をお守りしてくれ。そう言って頭を下げた吾輩だったが、レド君はあっけらかんと言った。自分はアノール・ロンドを離れ旅に出ると。思わずぶん殴ってしまった吾輩は間違っていないと思う。

 でもやっぱり弾かれて拳を痛めた。こいつ全体的に硬すぎである。

 

 ええい、こんな変人のことなんぞもう知らん! どこへなりでも旅に出るがよかろう!

 それでハベルとか巨人とかと仲良くなって、永遠に変わり者として名を残すがいいさ!

 

 バーカバーカ! レド君の脳筋! 絶交だーっ!

 

 

 

 ***月***日

 

 レド君と(一方的に)喧嘩別れした翌日。ついに大王が火継ぎに旅立たれた。

 当然吾輩もそれについて行く。偉大なるグウィン王は何も仰られなかったが、吾輩の同道を拒絶することもなかった。ならばそういうことなのだろう。

 

 そして驚いたことに吾輩以外にも王に付き従う銀騎士がいた。それも結構な数が。

 よく見れば彼らはイザリス遠征に際して吾輩の指揮下で戦った新エリート銀騎士君たちだった。というか装備してるのが銀騎士の鎧じゃなくて黒銀の甲冑なんだからもっと早く気付けよ吾輩。

 

 暫く首を捻っていた吾輩だったが、新エリート銀騎士君たちの意図に気付きハッとする。

 そうだ、あまりお洒落ではないが対混沌の黒銀鎧は炎の熱に強い耐性を持つ。これを纏うことで少しでも燃え尽きるのを長引かせ、薪となる王の助けになろうということなのだろう。

 

 流石、若い騎士たちは思考が柔軟である。すぐに思いつかなかった自分が恥ずかしい。吾輩も慌てて自らのソウルの器から鎧を引っ張り出し装備した。

 甲冑を着替える際に一々脱いだりしなくて良いのは便利だ。こうした咄嗟の装備変更も慣れれば容易い。まことソウルの業とは素晴らしいものである。

 

 

 

 ***月***日

 

 全ての始まりの地、最初の火の炉は近い。

 王は終始無言であったため吾輩たち銀騎士一同も固く口を噤んでいたが、旅の終わりが近付いてきたことを察しより一層の沈黙が我々を支配した。

 

 この日記も今日で書き修めであろう。今いる野営地を出ればあとは真っ直ぐに火の炉へと向かうのみだ。

 

 おさらばだ、我が友レド。変な別れになってしまったが、最後まで変わらぬ君でいてくれよ。

 おさらばだ、わが友からの贈り物たる日記帳。最初は小人の真似事などと馬鹿にしていたが、思えば随分と長い付き合いになってしまったな。

 

 ……おさらばです、我が永遠の太陽。偉大なる光の君、輝ける神なる王よ。

 大いなる御身と比べ、我が身はあまりに卑しく小さい。きっとすぐにでも燃え尽きてしまうでしょう。ですが、私の灰で御身の愛した火の時代を少しでも長く世界に繋ぎ止めてみせます。

 

 私はガレア。太陽の光の王グウィンより認められし忠臣、銀騎士ガレアである。願わくば、私の灰が世界の礎とならんことを。

 

 ──太陽あれ!

 

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 

 再び熾った火がまた陰り、世界が暗闇に包まれた後の時代。ロードランに至った太陽の戦士ソラールはこう語った。

 

『ここは、まったくおかしな場所だ。

 時の流れが淀んで、百年以上前の伝説がいると思えば、ひどく不安定で、色んなものがすぐにくずれやがる』

 

 火の時代は始まりの火と共に起こり、火の中で育まれた。故に全ての根源たる火に異変があれば、世界そのものがおかしくなるは道理である。ロードランの時の流れの淀みは火の陰りと共に広がった。

 

 ならば、同じく始まりの火が消えようとするガレアの時代にも世界の歪みはあって然るべきである。況や、全ての異常の発生源たる最初の火の炉の中ともなれば。

 

 それは誰にとっても予期せぬ不幸な事故だった。火の炉の中心に立った大王グウィンの身体に火が灯り、その強大なソウルが起爆剤となって始まりの火が爆発的な再点火を起こしたまさにその瞬間、世界のあらゆる法則は限りなく無に近くなった。

 滅びに瀕した世界の再生。揺り籠の再構築。その爆発的な衝撃は綻び歪んでいた世界の壁に間隙を穿ったのだ。

 

 とはいえ所詮は僅かな隙間である。世界が息を吹き返せば瞬く間に塞がってしまい、何ものにも影響を与えることはなかっただろう。

 ……それが、偶然にも銀騎士ガレアの足元に生まれなければ。そして、彼が最初の爆発であっさり燃え尽きてしまう程度の脆弱なソウルの持ち主でしかなかったのであれば。

 

 だから、これは本当にただの事故。悪辣な世界蛇の意思も介在することのない、全き運命の悪戯。だからこそ誰にも予想できなかったし、誰も反応できなかったのだ。瞬時に燃え尽き灰となった騎士たちは元より、大王グウィンでさえも。

 

 

 斯くして、中途半端に強大なソウルを宿すが故に燃え残ったガレアは世界に空いた隙間に落ちた。

 唯一の幸運は、ガレアのいた世界の外側にも別の世界があったことか。そして隙間に落ちた不運の代わりだろうか。彼は世界の狭間に攫われることなく、運良く別の世界に着地することができたのである。

 尤も、王と共に燃え尽きることを望んだガレアにとって、そんなものは何の慰めにもならないだろうが。

 

 




ガレア「解せぬ」


大王グウィンが火継ぎに至るまでのストーリーは全くの想像であり、『DARK SOULS』から設定を拾って作った二次創作です。ご注意下さい。

そして次回からようやくオーバーロードに入ります。緩いノリで進みますのでご承知おきを。


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オーバーロード編
迷子の銀騎士:1


ガレアの日記帳

アノール・ロンドを守護する古き銀騎士、ガレアが愛用した日記帳
かつて上質な装丁で飾られていたそれは、今や見る影もなく焼け焦げ、最初の火の炉に置き去りにされていた

火の炉で不死の英雄を待つ大王グウィンは、最後には自我なき燃え殻と成り果て
だが、最後までこれを手放すことはなかったという



 目が覚めると、吾輩はどことも知れぬ森の中で倒れていた。

 

 灰を散らしながら身体を起こす。全身が焼けるように熱い。

 だが、火に炙られる苦痛はイザリスで散々に経験した。吾輩は身体の痛みを無視して立ち上がる。

 

 ……さて、ここはどこなのだろうか。

 いや本当に見覚えがない。吾輩が良く知る王家の森庭とは違うし、果たしてこの森は何なのか。

 というか、そもそも吾輩は火の炉にいたのではなかったのか? 確かに吾輩はこの目で偉大なるグウィン王の玉体に火が灯ったのを見たし、大いなるソウルの爆発も全身で感じ取った。直後に我が身を襲った灼熱も克明に覚えている。あれは決して夢ではなかった。

 

 うぅむ、どうも頭がぼーっとして上手く思考が回らない。周囲に手掛かりはなさそうだし、この場に留まっても収穫はなさそうだ。ともかく移動するとしよう。

 空を見上げれば、天には輝く太陽がある。うむ、いつ見ても太陽は良いものだ。我らが王の威光を全身に浴びるのは心地が良い。

 

 ……何やら違和感を感じぬでもないが、まあ良い。ともかく困った時は太陽だ。太陽に向かって歩けばいずれアノール・ロンドに至る。迷子になった時、吾輩はいつもこうして王都に帰還したものだ。

 

 念のため対デーモン用の大剣を右手に担ぎ、左手に持った盾をいつでも構えられるようにしながら進む。エリートたる吾輩は常在戦場の心構えを忘れたことはない。たとえ急に木の陰から亡者が飛び出してきても問題なく対処できるであろう。

 尤も、哀れに干乾びた亡者では吾輩の肉体に傷を付けることなどできないだろうが。

 

 

 ……

 …………

 

 

 うーむ、一面のクソ緑。

 

 ちょっとこの森広すぎじゃない? 吾輩そろそろ足が棒になりそうなのだが。

 ただでさえ長い道程を旅して最初の火の炉に辿り着いたのに、何故またこんなに歩かされなければいかんのだ。

 あと身体が熱い。そこまで苦しいわけでもないのだが、やはり違和感は拭えない。もしや風邪でもひいた? 神族が人間の病に罹るなんて話は聞いたことがないが。

 

 それとも吾輩の身体が熱いのではなく、この土地の空気が熱いのか? よく見れば遠くの方に煙が立っているし、空気の乾燥と熱で山火事でも起こったか──

 

 いや、違う! 風に乗って馴染みある臭いが漂ってきた。これは紛れもなく戦場で嗅ぎ慣れた血と鉄の香り。

 ならば遠くに見えるあれは山火事ではなく、人為的に起こされた火による煙に違いない。

 

 ようやく手掛かりのお出ましというわけであるな。何やら物騒な気配ではあるが、まあ良い。変わらぬ森の景色にも飽いていたところだ。早速向かってみよう。相変わらず身体は熱を持ってるし疲労で重いしで万全とは言い難いが、ファイトだ吾輩!

 

 太陽あれ!(我慢) 太陽あれ!(気合)

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 城塞都市エ・ランテルの北東、広大なトブの大森林の外れに位置する小さな開拓村、カルネ村。これといった特産品もなく、貧しくはないが特別豊かでもない辺境の村がエンリ・エモットの故郷であった。

 エモット家の長女、エンリは十六歳の村娘である。両親は健在、十歳の妹が一人いる。至って普通の仲睦まじい四人家族であり、他の家と同様畑を耕して毎日平和に、それはもう平和に暮らしていた。

 

 何しろこの村は約百年前にトーマス・カルネなる者の手によって開拓されて以来、現在に至るまで碌にモンスターの襲撃を受けたことがない。それというのもカルネ村は森の賢王なる強大な魔獣の縄張りと隣接しており、森の賢王を恐れてモンスターが寄り付かないからだ。

 だから一般的な村であればあって然るべき防護柵なんてものはない。外敵を警戒する必要がない故の合理的判断というものであろう。エンリもまたそんな特殊な立ち位置にある村の恩恵を受けて生きてきたため、生まれてこの方身の危険といったものを感じたことがなかったのだ──今日この日までは。

 

 その日、村の平穏は唐突に破られた。何の前触れもなく平和だったカルネ村に謎の武装集団が雪崩れ込んできたのである。

 帝国の騎士だ、と村の誰かが叫んだ。王国民であり女であるエンリは帝国の騎士など見たことはなかったが、この村の男たちは毎年決まった時期になると帝国との戦争のため王国からの徴兵に応じ戦地へ向かう。帝国騎士の見た目を知っていてもおかしくはない。

 

 鎧が擦れる金属音。無遠慮に村の領土を踏み荒らすけたたましい足音。鈍く光る刃が走り、明瞭な殺意の一閃を浴びた村人が血を噴いて倒れた。

 怒号と悲鳴が村に響く。これが白昼夢ではないのだとようやく悟った村の住民は、我先と迫る帝国騎士に背を向け逃げ出した。

 

 だが、百年の平和の代償は大きい。非常時の備えなど何もないカルネ村には、外敵が村内に侵入してきた際のマニュアルが欠如していた。ある者は意味もなくただ叫び、ある者は鍵もない薄い戸を閉ざし家に籠もる。またある者は村の外に逃げようと走るも、誰も彼もがてんでバラバラの方向に逃げるためあちらこちらで衝突事故が多発する始末。

 

 騎士たちにとってはさぞ容易い捕り物であったことだろう。村人は次々と斬り殺され、あるいはひっ捕らえられ村の中央に引き摺られていく。

 

 エンリも同じ末路を辿る定めにある筈だった。だが、エンリの父親の行動が不可避の運命を覆す。彼は良き父であり、愛する家族のためならば如何なる難行にも身を投じる勇気を胸に宿した男だった。

 たとえ、自らの死が不可避と知っていても。

 

「お前たち、逃げろォォ!!」

 

 父親は愛する妻と娘たちに叫び、今にも家に押し入ろうとした騎士に全力で体当たりをした。

 全くの無力と思われた村人のまさかの反抗に、虚を突かれた騎士は父親の全体重を乗せた突進を受け止め切れずもんどりうって転倒する。だが、それが癪に障ったのだろう。騎士は激昂し自らに組み付く父親を乱暴に引き剥がすと、逆手に持った両刃の剣の切っ先を勢いよく肩に突き刺した。

 

 父親が激痛に叫び、噴出する血が地面を濡らす。目と鼻の先で起きた惨劇に硬直するエンリと妹のネムの手を取り、母親は湧き上がる激情を堪えて家を出た。愛する夫が生み出した奇跡のような時間、たった一瞬たりとて無駄にはできぬと。

 

 そうだ、それでいい。妻は決して期待を違えなかった。恐怖に足を止めることなく、命よりも大切な娘たちを逃がすべく動いてくれたのだ。

 強い女だ、きっと生き延びてくれる。どうか生き延びてくれ。乱暴に引き抜かれた剣が今度は己の心臓を照準しているのを眺めながら、父親は妻子の無事を天に願った。

 

 

 果たして、その願いが天に届いたかは誰にも与り知らぬことではあるが。

 父たる男の勇気ある行動が生み出した僅かな時間は、結果的に()がこの場に至るまでの猶予となった。

 

 

 巨大な影が日を遮る。今にも剣を不届きな村人の男へと突き込もうとする騎士の背後より、日光を背負った()は巨大な刃を振り下ろした。

 成人男性の身の丈ほどはあろうかという巨大な剣、その黒く厚い刃が騎士の頭から股下までを一直線にかち割った。真っ二つに身体を別たれた騎士は、最後までなにが起こったか知らぬままに絶命する。

 

 噴出する血飛沫と零れる臓物が父親の身体を汚すが、彼はそれを気にする様子もなく帝国騎士の背後より現れた影を凝視する。逃げようとしていた母親も、手を引かれるエンリとネムも、思わず足を止め呆然とその存在に見入った。

 

 それは二メートルを優に超える規格外に長身の戦士だった。全身を精緻な紋様が刻まれた漆黒の鎧で覆っており、右手には巨大な剣を、左手には大盾を携えている。武装のいずれもが鎧と同色の漆黒であり、まるで火炎に炙られたように光返さぬ黒に塗り潰されていた。

 

「……人の子らの諍いに介入するつもりはなかったのだが。力ある者が力なき者を一方的に襲い、命奪う様は見るに堪えん」

 

 抑揚少なく、だが明確に怒りの感情を湛えた低い声が双角の兜の内より響く。スリットの奥は影が差し見通せないが、エンリはそこに冷徹な帝国騎士とは異なる色の視線を感じ取った。

 

「あ、あなたは……」

 

「名も知らぬ小人の男よ、非力なその身でよくぞ刃に立ち向かった。その勇気に敬意を表し、我は義によって汝らの力とならん」

 

 戦士は巨大な剣をまるで枯れ枝のように振るい、遠心力によって刀身に纏わりついた血を振り払う。

 気付けば、戦士を中心とする一帯の空間には沈黙が落ちていた。周囲の帝国騎士たちはその圧倒的な存在感に村人を襲う手を止め、いとも容易く人体を割断してのけた戦士の一挙一動を恐々と眺めている。

 ギロリ、と兜の奥より剣呑な眼差しが遠巻きにする帝国騎士たちに注がれた。

 

「──畏れよ小人。我こそは栄光のアノール・ロンドを守護せし神々の僕、銀騎士ガレアである」

 

 頭から爪先まで漆黒に染まったその戦士は、自らを銀騎士と名乗った。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 吾輩は激怒した。必ず、かの野蛮な鎧の小人どもを除かなければならぬと決意した。

 吾輩には小人の世の道理が分からぬ。吾輩は、アノール・ロンドの銀騎士である。神々の住まう都で華やかに暮らしてきた。故にこそ邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 

 小人は群れる生き物だ。幾匹かが集まって村となり街を作り国を生む。偉大なるグウィン王の治世の下であっても、愚かな小人どもは幾つかの国に別れ争っていた。

 それを悪とは言わぬ。かつて大王が古竜と争ったように、あるいは吾輩たちが混沌のデーモンと殺し合ったように。種族が違えば、部族が異なれば争いは生まれよう。悲しいがこれは自然の摂理である。

 

 だが、強きが弱きを虐げるは争いとは言わぬ。生存競争の上に成り立つ必然の闘争ですらない。ただの悪逆だ。獣畜生以下の蛮行である。吾輩が目の当たりにしたのは、そんな小人どもの生み出す地獄絵図であった。

 

 きっと長閑であっただろう村に火の手が上がる。傲然と闊歩する蛮族の足音が平和を蹂躙する。

 焼け落ちる村の有り様は、まるで斜陽に向かう王都を見ているようで。それがどうにも吾輩の神経を逆撫でた。

 

「抗う術を持たず、哀れに逃げ惑う(せな)を斬り付けるか……」

 

 逃げる小人の背に追い縋り、鎧纏う小人は手にした剣で切り伏せる。絡繰りのように冷徹に。あるいは悪鬼のように残虐に。惨劇は村の至る所で繰り返された。

 

「気に食わん」

 

 吾輩は神ではないが、人ならぬ神族に連なる超越者である。不朽の古竜ほどではないが肉体的に頑丈で長きを生き、小人とは比べるべくもなく強大なソウルを身に宿し人ならぬ神秘に精通する。

 故に吾輩は積極的に小人と関わろうとはしてこなかった。人間には人間の、神族には神族の領分がありそれぞれの世界の道理がある。不用意に交わっては歪みを生もう。何しろ我々の力は小人には大きすぎる。

 人の世の悪であろうとそれは例外ではない。人の膿は人の手で除かれるが道理。如何にその光景が腹に据えかねようと、人ならぬ吾輩が一時の感情で介入するべきではない。

 

 だが──今この場に、悪に抗う力を持つ者はいない。この吾輩を除いて。

 

「…………」

 

 城壁より弓を射かけ、天翔ける飛竜すらも正確に射貫く吾輩の自慢の視力はその時、ある男のとった行動に釘付けとなった。

 寸鉄も帯びぬ丸腰。鎧纏う小人と比べ明らかに非力でありながら、しかしその男は守るべき者を救うために単身悪へと挑み掛かったのだ。

 

「天晴れ見事」

 

 思わず呟いていた。戦う術を持たぬ身でありながら死中へ飛び込むとは、費やされた勇気の量は如何ばかりか。吾輩、貴公のその姿に太陽を見た。

 

「うむ、うむ。それほどの勇気と覚悟、報いがなくば道理が立たぬ。

 確かに人と神は交わるべきではない。だが、信仰篤き勇者には古来より神の加護が付き物だ。

 

 ──ならば些か不遜ではあるが。今ここにはおらぬ神に代わり、神の僕たる吾輩がその勇気に報いるとしよう」

 

 腹は決まった。規律に厳しい騎士長殿も今はおらぬし、少しぐらいは構うまい。

 吾輩は森を飛び出し、イザリス遠征で培った足腰の強さを発揮して瞬く間に現場へと急行する。そして男の心臓に刃を突き立てようとしていた小人を縦に斬り割った。

 

 ……危ない危ない。地味に間一髪であったわ。

 

「あ、あなたは……」

 

 震える声で吾輩を見上げる男を見下ろす。

 やはり小さい。そして悲しいほどに非力だ。

 だが誇るがいい。貴公の勇気は見事、吾輩の心を動かしてみせたのだから。

 

「名も知らぬ小人の男よ、非力なその身でよくぞ刃に立ち向かった。その勇気に敬意を表し、我は義によって汝らの力とならん」

 

 そう告げ、周囲を取り囲む鎧纏う小人共を睥睨する。

 何やら帝国騎士などと呼ばれていたようだが、こんな輩を吾輩は騎士などとは認めん。良くて蛮族の戦士辺りが妥当であろう。

 

「畏れよ小人。我こそは栄光のアノール・ロンドを守護せし神々の僕、銀騎士ガレアである」

 

 神々の僕、と口走った辺りで小人共が何やら酷く怯えたように狼狽えた。

 ふふん、さもあろう。人の子にとって神罰ほど恐ろしいものはあるまい。だが全ては自業自得、己の蛮行は己が命で贖うがいい。

 案ずるな、痛みは一瞬だ。吾輩は優しいからな。速やかに墓王の御許へ送ってくれよう。

 

 すっかり手に馴染んでしまった対デーモン用の大剣を振り上げ、一瞬で間合いを詰めた吾輩は小人の一人を勢い良く叩き潰した。

 かつて対峙した混沌のデーモンは強大であり、故に体重を乗せた独特の戦技が生まれた。見上げるようなデーモンでさえ一撃で葬り去った吾輩の踏み込みからの叩き付け、如何に鎧を纏おうと小人に耐えられる筈もなく。それは地面に大きな血の華を咲かせる結果となった。

 

 敵わぬと見たか小人どもは村の中心に向かって逃げ出した。恐らくそこにいる仲間を頼ろうという魂胆であろうが、無駄なことだ。小人が幾ら集まってもこの銀騎士ガレアには到底及ばぬということを教えてやろう。

 

 辺りに転がる村人たちの死骸を横目に、逃げる背中を追って村の中央の広場に踏み入る。すると、隊長格と思しき男を中心に陣を組んだ小人共が吾輩を迎え撃たんと構えている姿が目に入った。

 そしてその後ろでは集められた村人たちが怯えた様子で震えている。雷の槍で纏めて吹き飛ばしてやろうかと考えていたが、それでは村人たちに当たってしまうな。仕方がない、丁寧に磨り潰していくとしよう。

 

 隊長の指示の下、十を超える剣が吾輩に向かって迫る。小賢しくも時間差をつけて回避を困難にしているようだが、相手が悪かったな。避けるまでもなく吾輩は大剣を大きく薙ぎ払い、十人を纏めて斬り捨てた。

 それを見て隊長は目の色を変えるが、もう遅い。何か指示を飛ばされる前に吾輩は一塊となる陣形の中に突撃した。

 

 後はもう消化試合である。呆気なく連携を崩された小人に為す術なく、盾の尖った部分で頭蓋をかち割り、大剣の一振りで上下に割断する。何度か小人が振るう剣が吾輩の鎧を叩くが、混沌と対峙するべく神々の鍛冶技術で鍛えられた鎧がその程度で砕ける筈もなし。

 

「……神よ!」

 

 絶望に血の気を引かせた小人が神の名を叫びながら突貫する。

 死の際に信仰に目覚めたか。だがその絶望は貴様らが今の今まで無辜の村人らに与えていたものだ。これぞ因果応報というものであろう。吾輩にできるのは、せめて痛みを感じさせる間もなく、慈悲深き刃の一閃で速やかに命を絶つことである。

 

「退却する! 時間を稼げ!」

 

 隊長の一喝で恐慌を起こしていた小人らが僅かに正気を取り戻す。すると小人の一人が笛を取り出し、高らかに音を響かせた。

 同時に村の外から馬蹄を打ち鳴らす音が聞こえてくる。騎馬の機動力で速やかにこの場を離脱する腹積もりであろう。だが──

 

「生憎と、吾輩は動体を射貫く腕にかけては銀騎士の中でも一番を自負していてな」

 

 流石に“鷹の目”殿には敵わないが、それでも地を駆ける馬を射貫くぐらい目を瞑っていてもできる。吾輩はソウルの器より竜狩りの大弓を取り出すと、まるで槍の如き大矢を番え弦を引き絞った。

 アンカーが大地を穿った時点で既に吾輩は照準を終えている。弦に漲った張力が解放される音が激震と共に大気を震わせ、直後、こちらに向かって駆けていた馬が複数纏めて胴を射貫かれ血肉を地面にばら撒いた。

 

 倒れた馬と騎手は慣性に従って大地を赤く染めながら激しく転がる。その様を唖然と眺める小人共を尻目に、吾輩は動揺が走る残った騎馬隊を睨み右腕を構えた。

 今もなお失われぬ太陽の光の加護が吾輩の総身に雷気を漲らせる。黄金に輝く雷光は一点に収斂し、輝ける大槍となって掲げた右手の内に顕れた。

 

「アノール・ロンドの神々も照覧あれ。火が陰ろうと我が信仰に曇りなく、我が雷光は過たず神敵を穿つであろう!」

 

 手の中で暴れる稲光を完璧に抑え込み、吾輩は天に向かって雷の大槍を投げ放つ。すると虚空を穿ち炸裂した大槍は幾重にも別たれ、複数の槍となって騎馬隊の頭上に降り注いだ。

 かつて群れる雑竜の掃討に用いた降り注ぐ雷光の奇跡。一つ一つの威力は小さいが、相手がただの馬であればむしろ過剰だ。ましてや跨る騎手にとっては致死の雨となろう。金属の鎧は雷をよく通す故な。

 

「これぞ太陽の光の奇跡。大いなる神々の御業である。

 ……さあ、これでもはや貴様らに逃げ道はない。諦めて我が剣の錆になるがいい」

 

 再び大剣と盾を握り直し、残る小人共に向き直る。すると彼らは力なく膝をつき、我先と剣を地に放り投げた。

 戦意を失ったか。それを情けないとは言わぬ。弱者を嬲ることしかできぬ小人にエリート銀騎士たる吾輩の相手は辛かろう。絶望に心折れても仕方がない。

 

 吾輩は高潔なる銀騎士。戦いの意志を放棄した者に向ける刃は持ち合わせておらん。……この者たちの処遇は、この村の人間が決めるであろう。どのような判決であろうと甘んじて受け入れることだ。

 

「さて、取り敢えずの危機は去った。安心するがいい、村の小人たちよ」

 

 呆然とする村人たちに向き直り、吾輩は努めて柔らかい声でそう呼び掛ける。その一言で自分たちの命が助かったことを悟ったのだろう。息を潜めるように震えていた彼らはようやく一息ついたように肩の力を抜いた。

 

「あ、ありがとうございます……何とお礼を言ったらよいか……」

 

「良い。吾輩は善意ではなく、己が信条のため動いたに過ぎぬ。感謝ならば吾輩をその気にさせた勇者に言うがよい」

 

「はぁ……」

 

 恐らく村長なのだろう。吾輩からすればみすぼらしいが、他の者よりは上等な衣服に身を包んだ壮年の男が代表して礼を告げながら吾輩に歩み寄る。

 彼の視線からは感謝の念が半分、警戒の念が半分ほど感じられる。不敬とは言うまい。非力な小人からすれば武装した神族は敵でないと分かっていても恐ろしかろう。気配り上手な吾輩は大剣と盾を自らのソウルの器にしまい込んだ。

 

 突然消失した武装に驚くも、明確な凶器が消えたことで幾らか安心したのであろう。幾分視線が和らいだ村長はもう一度頭を下げると、いっそ過剰なほど恐縮しながら吾輩が何者なのかについて尋ねてきた。

 ふむ、ならば今一度我が名を聞くがいい。大王より直々に忠臣と認められた、誇り高き我が名を!

 

「我が名はガレア。神々の座す栄光のアノール・ロンドを守護せし古き白銀の騎士。銀騎士ガレアである!」

 

 吾輩の名乗りに小人たちはどよどよとざわめいた。

 ふふふ、吾輩の素晴らしい名乗りに声もないようだな。……何やら困惑しているようにも見えるが、きっと気のせいであろう。

 

 なに? 黒いのに何故銀騎士なのかだと? 何を馬鹿な……確かに対混沌の黒銀鎧は銀と言うにはやや黒っぽいが、まだギリギリ銀騎士と言い張れる色合いだった筈──

 

「…………あれ?」

 

 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!

 アァアアア鎧の色がァ!! 鎧の色が変わっているぅぅ!!

 こんなんじゃ吾輩、銀騎士じゃなくて黒騎士になっちゃいましゅうううぅぅぅぅ!!!!

 



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迷子の銀騎士:2

沢山のお気に入り登録、評価、感想ありがとうございます。
偉大な先駆者様たちが作り上げたテンプレートをなぞることしかできない拙作ですが、今後も目を通して頂ければ幸いです。


 目覚めてより吾輩が感じていた違和感の一つに、絶えず全身を苛む灼熱感があった。

 

 これについては概ね見当がつく。吾輩は偉大なるグウィン王と共に最初の火の炉へ足を踏み入れ、王のソウルを燃料に爆発的な再点火を起こした始まりの火に焼かれた。身体に感じるこの熱はその残滓だろう。あの瞬間、確かに吾輩の肉体とソウルは創世の炎に晒され、だが如何なる理由か燃え残ったのである。

 ちなみに、吾輩の黒銀鎧が真っ黒に焼け焦げていたのもこれが原因と思われる。吾輩はそっと銀騎士の鎧に着替えた。

 

 この熱を始まりの火の残滓……暫定的に「残り火」と名付けよう。疑似的に薪となった吾輩の身体にはこの残り火が宿り、燻りに焼かれた状態にある。分かりやすく言うならば火傷状態であるな、多分。差し当たって大きな問題はなく、徐々にではあるが身を苛む熱は治まりつつあった。きっと吾輩の身体がこの状態に慣れてきたのであろう。

 

 さて、問題はもう一つだ。それは吾輩が目を覚ましてから初めて見上げた太陽に抱いた違和感である。

 

 天にありて遍く生命を照らすそれは紛れもなく吾輩がよく知る太陽そのものであり、一見してこれといった差異はないように思えた。だが、時間を置いたことで冷静になった吾輩は決定的な違いに気が付いてしまったのだ。

 

 我が永遠の太陽、神々の王たる大王グウィンの神威が感じられないのである。

 

 アノール・ロンドにおいて、大王グウィンとは太陽であり、また太陽とは大王グウィンである。永久(とこしえ)に輝き王都を純白に照らす陽の光は絶対なる王威の証明であった。逆に言えば、王が玉座を去れば輝きのアノール・ロンドは忽ちの内に光差さぬ暗夜に包まれるであろう。

 そして終に王はお隠れになり、薪として時代の礎となられた。それが外の世界に如何なる影響を与えたのかは吾輩には分からないが……その結果がこの太陽の変異なのだとすれば、悲しいが納得できた。

 

 だが事はそう単純なものではなかった──それはカルネ村の村長の邸宅に招かれ、歓待を受けている最中のこと。何かお礼をしたいという村長に対し、吾輩はこの近辺の地理情報を、あわよくば地図でも貰えないかと申し出た。

 何しろ吾輩、ただ今絶賛迷子中の身なれば。いや、太陽に向かって歩けばいずれ必ず王都に辿り着けるとは思うのだが……吾輩ってば少しばかり、いやほんの僅か、干乾びた亡者のソウル量並に微かに方向音痴である可能性があるのでな。地図があるならばそれに越したことはない。

 

 しかし、村長の口から語られた答えは吾輩の予想もしないものであった。

 「残念ながら地図はご用意できないのですが……」と申し訳なさそうに言った村長は、吾輩に知る限りの周辺国家の情報について語ってくれた。それがリ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国の三国家であった。

 

 吾輩は困惑した。ロードラン、ソルロンド、アストラなどの著名な国家や地名の名は一切出てこず、吾輩がそれらについて尋ねても村長は首を傾げるばかりであった。逆に吾輩は村長の語る国々については全く聞いたことがない。

 何よりも衝撃を受けたのは、栄光のアノール・ロンドについて全くの無知であることだった。アノール・ロンドといえば神々が住まう伝説の都として世に膾炙(かいしゃ)しており、あらゆる伝承・物語にその存在を語られている。吟遊詩人や敬虔な聖職者らの手によって神々の物語は広く伝えられ、如何な辺境の地であろうと知らぬ者はいなかった。

 

 あるいはここは吾輩の想像を超えた辺境、世界の最果てなのか。そう思い吾輩はアノール・ロンドのみならず、火の時代に生きる者ならば当然知っているであろう伝説の名を挙げ連ねた。

 王のソウルを見出し火の時代を開闢した太陽の光の王グウィン、混沌の魔女イザリス、最初の死者ニトの三柱より始まり、王の同盟者白竜シース、小ロンドの公王、そして我らが四騎士──火の時代に綺羅星の如く輝く生ける伝説の名を村長らに語って聞かせ、しかしそのいずれも知らぬの一点張りであった。

 

 結論として、彼らは火の時代の()の字も知らぬのだと判断する他なかった。常に冷静沈着な吾輩もこれには頭を抱えた。流石にこれは異常である。辺境だの世界の最果てだの、その程度では説明がつかぬほどの圧倒的な隔絶が彼我の間には存在している。

 そこでようやく吾輩はこの地で仰ぎ見た太陽に感じた違和感の正体を掴んだのだ。──即ち、あれは吾輩が知る太陽とは()()()()()()()()という事実だった。

 

 異世界。吾輩の脳裏をそんな言葉が過る。小人が綴る三文小説よりなお突飛な現実に吾輩は眩暈がする思いだった。

 だが、それ以外に何の説明ができよう。何と言うことだ。吾輩は薪として燃え損ねたばかりか、もはやアノール・ロンドに帰ることすら叶わぬというのか──

 

 頭を抱える吾輩を見て何か粗相をしてしまったのかと慌てる村長夫妻を手で制し、吾輩は供された白湯を一息に呷った。うむ、味がしない。

 そうだ、この者らは吾輩の境遇とは何も関係がない。ただでさえ村を襲われた今の状況を不安に思っているであろう彼らを、吾輩の所為で更に動揺させるのは本意ではなかった。

 

 それに──吾輩はこの身に宿る仮称・残り火に意識を向ける。これは始まりの火の欠片。糸のようにか細い、だが確かな火の時代との繋がりであった。

 そう思えば、この身を焦がすような灼熱感にも愛おしさすら感じる。言うなればこれは故郷の灯だ。どうしようもなく孤独な吾輩に安心感を与えてくれる導きの灯火。即ち、これぞ紛れもなく太陽である。

 

 おお、素晴らしきかな太陽。世界は神の奇跡で満ちている。太陽万歳!

 

 斯くして吾輩は平静を取り戻した。安心召されよ村の小人たち。エリート銀騎士は狼狽えない。

 そのようにして気持ちを立て直した吾輩であったが、まるでそれを見計らっていたかのようなタイミングで村長宅に村人の一人が駆け込んできた。

 動揺に震える彼を宥めて話を聞いてみると、遠くの方から村に迫ってくる騎馬の影が見えたらしい。ふむ、もしや賊徒共にまだ仲間がいたのだろうか。

 

 不安に表情を曇らせる村人たちに、吾輩は銀騎士の剣と盾を掲げながら心配無用と言って聞かせる。たとえ賊徒が先の倍に増えようと吾輩の有利は覆らない。いや、相手が百でも千でも結果は変わらないだろう。

 故に安心して吾輩に任せるがいい。だが、もし相手が賊徒とは別の勢力であった時のために村長には共に来てもらおう。神族である吾輩では要らぬ混乱を招くかも知れぬからな。

 

 

 

 

「この村を救って頂き、感謝の言葉もない」

 

 練達の武人の気配を纏う男は、そう言って吾輩に頭を下げた。

 

 結論から言うと、やって来たのは先の賊徒共とは関係のない小人たちであった。彼らはここカルネ村を領有するリ・エスティーゼ王国に仕える戦士団であり、またそれを率いる目の前の男の名をガゼフ・ストロノーフといった。王国の最高戦力であり戦士長の位を戴く彼は、王命により戦士団を連れて近隣の村々を荒らして回る帝国の騎士どもを追っている最中なのだとか。

 しかし戦士長という名称から察するに、その立場はアノール・ロンドで例えるならば騎士長、即ちオーンスタイン殿と同等の位に相当しよう。そのような身分の者が、如何に吾輩が神族とはいえ故の知れぬ相手に頭を下げるとは……同じく王家に仕える身としては感心しないが、吾輩個人の感情としては好感が持てる。

 

「面を上げられよ、戦士長殿。吾輩は己の信条に従い、己がために剣を取っただけ。誰かに感謝されるようなことではない」

 

「それでもだ。本来であればこれは我々が果たさねばならなかった責務。王国の戦士として、王国民を救っていただいたことは感謝の念に堪えませぬ。

 ……ところで、見たところ貴殿の他に戦える者はおられぬ様子。お一人で帝国の騎士共を撃退するとは、さぞ名のある戦士なのでしょう。差し支えなければ名前をお聞かせ願えまいか」

 

 ほうほうほうほう。

 いやはや、この地に来てからというもの名乗りを上げる機会に事欠かないな! 無論、王より忠臣と認められた誉れある我が名、聞かせるに吝かではない。

 

「我が名はガレア。輝きの神都アノール・ロンドの守護戦士、銀騎士ガレアである」

 

 うむ、やはりこういう名乗りは気持ちがいいな! 石の古竜や混沌のデーモン相手にはこういう機会がなかった故、何というかとても新鮮だ。次はあれだ、遠からん者は音に聞け~という東国風の名乗りもやってみたいな。

 

 だが、我が名を聞いた戦士長は微妙な表情をした。

 ……まあそうであろうな。この地に栄光のアノール・ロンドを知る者はおらず、それはこの男も同様であったらしい。村長より身分が上で、当然より多くの知識に触れられるだろう戦士長が知らぬとあれば、やはりここが異世界であるという吾輩の推測は間違っていなかったようだ。うん、吾輩知ってた。だから寂しくないよ。

 

「いや、うむ。吾輩はここより遠く離れた異国よりやって来た身なれば、この名を知らぬのも無理からぬこと。だからそのように申し訳なさそうな顔をなされるな。逆に傷付くゆえ」

 

「あ、ああいや、失礼した。貴殿の実力を疑ってなどおりませぬ。何せ私ですら見上げるような見事な体躯、それに輝かんばかりの武装の数々……貴殿の武勇の程は察するに余りある」

 

 おお、我が銀騎士の鎧に目を付けるとは流石戦士長。王国一の武人だけあるな。

 そう、吾輩はエリート銀騎士。アノール・ロンドでも五指の指に入る実力者である。ちなみに五指の内の四指は言うまでもなく四騎士の方々であり、吾輩は五番目である。……え、レド君? 雷の扱いでは吾輩の方が上だから。

 

「さて、話を戻そう。カルネ村を襲った賊徒共の半数は吾輩が討伐し、残る半数は戦意を失い降伏したために捕縛した。今は村の蔵に閉じ込めてある」

 

「おお、それはありがたい。生きて連れ帰れば情報も引き出しやすい」

 

「この場で尋問はなされぬか」

 

「生憎と専門の技術を持つ者は我が戦士団にはいないのです。それに、被害にあったばかりの村で更に血を流すのは憚られる」

 

「尤もであるな。愚問であった、忘れてくれ。……ふむ、村長。何度もすまぬが、今一度場所をお借りしても宜しいか。戦士長殿をいつまでも立たせたままにしておくのは忍びない」

 

「あっ! こ、これは気が利かず大変失礼を……! すぐに場所をご用意いたします!」

 

「いや、そう畏まらずとも結構。それより、私の部下を村の手伝いに使って下さい。今は力仕事をこなせる人手が入用でしょうから」

 

「お気遣い、痛み入ります……!」

 

 吾輩という恩人と国一番の戦士という要人を二人も前にしているからか、先程から恐縮しきりの村長は何度も何度も頭を下げる。それに戦士長は何とも具合が悪そうに対応していた。恐らく、一番大事な時に間に合わなかったという負い目が彼にはあるのだろう。人が好すぎるというのも考えものだな。

 

 ともあれ、再び村長の邸宅に招かれた吾輩は戦士長と向かい合わせに席に着く。出会いは奇貨、故におくべしというものだ。優れた精神と武勇を兼ね備えた勇士は、それが小人であれ尊ぶが吾輩の流儀。是非とも色々な話を聞かせてほしいものだ。

 ……ところで、さっきから村長の家の椅子が吾輩の巨体に悲鳴を上げているのだが。これ大丈夫? 話してる最中に潰れたりしないよね?

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 王国の戦士長であり、人類最強の戦士との呼び声も高いガゼフ・ストロノーフは、平静を装いながらもかつてない緊張の只中にあった。

 その原因は目の前で言葉を交わす戦士にある。いや、戦士というよりは騎士だろうか。白銀に輝く優美な鎧を纏うその身体は、高身長であるガゼフと比べても頭一つ分以上は大きい。かといって痩身というわけでもなく、まさに戦士の理想とでも言うべき重厚な存在感を示す見事な体躯の持ち主であった。

 

 しかし、何もその巨体ばかりが緊張の理由ではない。その原因は目の前の騎士の総身から滲み出る、あまりに強烈な強者としてのオーラだった。

 強い。ガゼフはその姿を視界に入れた瞬間から、戦慄と共にそう確信していた。ガゼフは人界において類稀なる実力を持つ剣士であり、それは誇張でも何でもない全くの事実である。だが、目の前の騎士はそのガゼフをして格上と断じるに足る圧倒的な気配を自然体のままに漂わせていた。聞けば帝国騎士を鎧ごと手にした大剣で膾切りにしたというが、然もありなん。

 

 アノール・ロンドなる国の銀騎士ガレアと名乗った彼は善良な心根の人物であり、よほど目に余るような態度を取らない限りその力がこちらに向けられる心配はしなくて良さそうなのは幸いだった。だが、王国戦士長として王族や貴族といった権力者と触れ合う機会の多いガゼフは、ガレアの洗練された所作と気品ある言動から彼が国では相当に高い身分の人物であっただろうことを悟っていた。

 そういった高貴な身分の者は往々にして、ガゼフのような平民の者には想像もできぬところに思わぬ逆鱗を潜ませているものである。それを経験則で知っていたガゼフは、万が一にもガレアの機嫌を損ねないよう細心の注意を払いながら言葉を選びつつ会話をこなしていた。

 

(まあ、どうやら杞憂に終わりそうだがな)

 

 ガゼフは手に持った器に注がれた白湯に視線を落とす。今でこそ王に取り立てられ戦士長という高い身分にある彼だが、元は平民であるためこういった下々の飲み物を口にするのに抵抗はない。だが、王国の腐った貴族共であれば──まず貴族が辺境の村に足を運ぶことなどないが──沸騰させただけの水など出しては烈火の如く怒り狂うであろう。

 だが、ガレアは気にした様子もなく白湯を口にしている。むしろ村人たちの精一杯の歓待に心から喜んでいるようですらあった。加えて、自らも戦う者であるためかガゼフのようなむくつけき戦士に対しても理解があるらしい。貴族共からは散々に野蛮だの何だのと罵られてきたガゼフは、ガレアの言葉の端々に滲む戦士という人種に対する敬意の感情に面映ゆい心地を味わっていた。

 

 だが、穏やかな時間は唐突に終わりを迎える。話を始めてから半刻と経たぬ内に、ガゼフの部下が深刻な表情で緊急事態を告げた。

 

「報告します! 村の周囲に複数の人影を発見。徐々に包囲を狭めつつあります!」

 

 

 

 

 

「確かにいるな」

 

「村全体を等間隔で包囲している模様です」

 

 ガゼフは家屋の影から村の外を窺う。部下の報告通り、法衣を纏った何者かが隊伍を組みながら接近してくるようだった。

 だがガゼフが注目したのはその何者かではなく、彼らが引き連れる異形の影だった。

 

「あれは召喚モンスター、それも天使か……ふん、なるほどな。敵はスレイン法国だったか」

 

 優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、召喚魔法により異界からモンスターを呼び寄せ使役するという。そのような高位の魔法を扱う集団、それも天使となれば自ずと敵の正体は知れる。

 そして、向こうもまたそれを隠そうとはしていないだろうということも。

 

「ふむ、敵はバハルス帝国なる国の騎士ではなかったのか?」

 

 ふと、その巨体を窮屈そうに潜めさせるガレアが呟いた。そういえば遠い異国から来られたのだったな、とガゼフは敵を法国の人間と断じた理由を説明する。

 

「私はあまり魔法には詳しくないのですが、天使や悪魔など高位のモンスターを召喚する魔法を扱える者はかなり限られると思われます。それほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)をあれだけの数揃えるとなると……噂に聞く法国の特殊工作部隊、六色聖典の一つと見るのが妥当でしょう。お誂え向きに、かの国は天使を神聖なるものとして信仰していると聞く」

 

「なるほど、帝国の鎧は偽装であったか。……益々気に食わぬな。誇るべき戦装束を偽りと欺瞞で汚すとは」

 

「全くです」

 

 このような状況ではあるが、ガゼフは銀騎士の率直な物言いに破顔した。彼も全くの同意見だったからだ。つくづくこの御仁とは話が合うな、と久しく感じなかった清々しさに頬を緩める。

 だが次の瞬間には笑みは消え去り、公人としての冷徹な表情を露わにする。ガゼフは予想される敵の強大さを計算に入れ、羞恥と屈辱に蓋をしながらガレアに向き直った。

 

「恥を承知で頼みます。どうか我々に雇われては頂けませんか?」

 

「ほう?」

 

「このようなことを、本来この国の人間ではない貴殿に頼むべきでないとは承知しております。ですがどうか、貴殿のお力を我々にお貸し頂けないだろうか。無論、報酬は望まれる額をお約束致しましょう。何卒、ご一考を……!」

 

「…………」

 

 沈黙が降りる。翼を象った立物(たてもの)で飾られた兜の奥は影が掛かっており見通せないが、幸いにも気分を害した様子はない。だが即座に了承されるような気配もなく、ガゼフは手に汗握りながら返答を待った。

 

「……同族同士の争いほど無益で醜いものはない。だがそれもまた人の営みなのだろう。神族(われら)から見れば全く愚かとしか言いようのない戦争を繰り返し、だがいつしか人間は優れた文明を有する知性体へと進歩を遂げた。であれば、吾輩にとやかく言う資格はあるまい。愚かだが闘争もまた人の本質、否定すべきことではない。

 ──だが、それに吾輩が加担するかと言えば話は別だ」

 

 まるで人間という種を神の如き視点から俯瞰したようなガレアの物言いにガゼフは目を見開き、だが反論すべき点を見出せず恥じ入るように顔を伏せた。

 

「愚かなことを申し上げた。この村を救って頂けただけでも望外のことだというのに、過ぎた望みでした。どうか忘れて頂きたく──」

 

「しかし、だ」

 

 引き下がろうとしたガゼフの言葉を遮り、ガレアは強い口調で続ける。ハッと顔を挙げれば、彼の手にはいつの間にか規格外の大弓が握られており、兜の奥から覗く銀色の双眸がガゼフを見詰めていた。

 

「今この村を襲う脅威に対し村人たちは抗拒する手段を持たず、然るにこれは戦争でも闘争でもない。唾棄すべき暴虐である。吾輩はそれを見過ごすことはできぬ」

 

「! では……」

 

「人の戦争に人ならざる吾輩が関わることはなく、故に貴公らに手を貸すことはない。吾輩はこの村のためだけに剣を振るおう」

 

 それで十分だった。この騎士が村を守っていてくれるというだけでガゼフの心は軽くなった。

 たとえ自分たちが力及ばず倒れようと、ガレアがいる限りこれ以上この村を悲劇が襲うことはない。斯くも憂いなき戦いがあろうか。

 

 ガゼフは深く、深く頭を下げる。ガレアの物言いから彼が恐らく人間種ではないのだろうとは察したが、そんなものは関係がない。相手が人であろうとなかろうと、感謝すべき相手に感謝を告げる。頭を下げることに躊躇いはなかった。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

「騎士様、何故戦士長様は出て行かれるのでしょう……」

 

「心配召されるな。かの者はこの村を見捨てたのではない。元より今ここを包囲する者らの狙いは戦士長殿にあった。故に彼は敢えて打って出ることで自らを囮とし、この村から注意を逸らしたのだ」

 

「何と……では私たちはどうすべきなのでしょうか? このまま村で動かない方が……」

 

「戦士長殿が勝利すればそれで問題はない。だがもし仮に敗れるようなことがあれば、次なる狙いはやはりこの村となろう。帝国騎士に扮する偽装工作まで行う連中だ、目撃者を生かしたままにするとは考え難い」

 

 吾輩がそう推測を口にすると、村長は顔を蒼褪めさせて震えだす。見れば、遠巻きにこちらを窺う村人たちも不安に表情を曇らせていた。

 だが心配は無用である。何故ならこの村にはエリート銀騎士たる吾輩がいる故な。吾輩は大弓の弦を指で軽く叩き、その音で押し黙る村人たちの注意を集めた。

 

「何も問題はない。如何に魔法詠唱者(マジック・キャスター)なる者が相手であろうと、吾輩がいる限りこの村には何人たりとも踏み入れさせはせん。その時は我が竜狩りの妙技をお見せしようぞ」

 

 流石に白竜公爵ほどの結晶魔法の使い手が相手となれば吾輩でも危ういが、見たところ敵にそこまでの魔術師はいない様子。天使だか何だか知らないが、あんなもの吾輩にとってはただの案山子よ。物の数ではない。

 そう告げると、村人たちは目に見えて安堵した様子だった。うむ、それでは吾輩は見晴らしの良い高台にでも場所を移そう。そこから戦場を俯瞰し、戦士長が窮地に陥るようであれば矢を射かけ援護する。アノール・ロンドを侵す鼠共を尽く射貫いた銀騎士の弓技、とくとご覧に入れよ。

 




拙作における大王グウィンや残り火に関する諸々の描写は私の拙い独自設定を含んでおり、『DARK SOULS』及び『DARK SOULS3』で公式に語られた設定ではありません。ご注意下さい。


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迷子の銀騎士:3

ガレア「いつでもばんぜん(I am anytime.)


「オオオオオオオッ!!」

 

 〈恐慌(スケアー)〉の魔法を浴び行動不能となった騎馬を乗り捨て、ガゼフは雄叫びを上げながら突貫する。王国最強の戦士たる彼の吶喊はそれだけで並の人間の気力を挫く迫力に満ちていたが、相手もさる者。一切の動揺なく傍らの炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)に指示を出し、迫るガゼフに嗾ける。

 

「ぬん!」

 

 鞘から抜き放った両手剣を振り被り、力の限りに天使の一体へ叩き込む。シルエットこそ人型だが、どこか無機質で非人間的な炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の腹に鋭い刃の一閃が食い込んだ。

 だが──

 

(硬い!)

 

 それも物理的な硬さではない。まるで押し返されるような抵抗に刃が通らない。岩石程度なら苦もなく一刀両断するガゼフの剣は、天使の腹の半ばまで食い込みそこで止まった。

 ただの物理攻撃では通りが悪い。ガゼフは剣を引き抜き、天使が振るう燃え盛る炎の刃を躱しつつ距離を取った。

 

「武技〈戦気梱封〉」

 

 武技──戦士に属する者たちが扱う特殊技術を発動する。戦士にとっての魔法とでも言うべきこれは、魔法と同様その効果も多岐に渡る。

 今ガゼフが発動した〈戦気梱封〉は、武器に戦気を込めることで一時的に魔法武器と同様の効果を付与する武技である。天使に対して通常の物理攻撃は通用しないようだが、これならば。

 

「はぁッ!」

 

 戦気が宿り淡く輝く剣を振るう。今度は抵抗されることなく、天使の一体を両断することに成功した。

 だが、依然こちらの形勢が不利。ガゼフの他に武器に属性を付与できる武技を扱える者はおらず、なのに天使は倒しても倒しても召喚され補充されていく。

 

「このままではジリ貧か……ならば、狙うは指揮官!」

 

 敵陣の奥で悠然と佇む人物を睨み、ガゼフは猛然と駆け出した。そうはさせじと天使が徒党を組んで迫るが、ガゼフは立ち止まることなく更なる武技を発動させる。

 

「邪魔だ──武技〈六光連斬〉!!」

 

 戦気が宿り淡く光っていた刃が、その刹那眩い程の光輝を放つ。

 虚空を裂いて奔る剣閃──その数、実に六撃。一撃が鋼をも切り裂く威力を宿し、更に〈戦気梱封〉による属性ダメージも加算される。一拍の刹那に六度振るわれる神速の剣閃は、迫り来る天使を過たず刃の嵐に捉え()()させてのけた。

 

 その様子を見た部下たちは表情を明るくする。これならばいける。自分たちは無理でも、戦士長の剣ならば天使にも届く。

 王国最強ここにあり──だが敵は強大であり、残酷なまでに冷静だった。

 

「見事だ。それ程の武技を使いこなすとは、周辺国家最強の名は伊達ではないか」

 

 敵の指揮官──頬に大きな傷痕が残るその男は、剃刀のように鋭い目を細め無感動にガゼフを称賛した。

 その称賛は本心からのものなのだろう。だが言葉とは裏腹に男の態度は余裕に満ちており、自らの勝利を疑っていないように見えた。

 

「だが無意味だ。──次の天使を召喚せよ。ストロノーフに集中して魔法を叩き込め!」

 

 それは呆れるほど単純であり、だが憎らしいほど有効な戦術だった。

 物量を以て王国最強を押し潰す。彼らはそれを可能としていた。何故なら彼らはスレイン法国が誇る六色聖典が一、光の神アーラ・アラフを奉る亜人殲滅のスペシャリスト。隊員は例外なく第三位階の信仰系魔法を習得しており、何より信仰に篤く肉体・精神共に優れる。全体の練度において、陽光聖典はガゼフ率いる戦士団を大きく上回っていた。

 

 次々と召喚される天使。現れる魔法陣はその全てがガゼフただ一人を照準しており、されど敵首魁は未だ彼方。

 苦々しげに歯噛みし、ガゼフは眼光鋭く指揮官を睨んだ。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

「うーむ、これはよろしくない」

 

 村から少し離れた所にある高台に立ち、ガレアは全く深刻そうには感じられぬ声音で呟いた。

 

 大弓の射程距離内であれば自在に見通すガレアの目は、遥か遠方で行われる戦いの様子を苦もなく視認する。異形の天使、見慣れぬ魔術、そして武技。それら異世界の技術を僅かも見逃すまいと観察していた。

 

「むー、見えない……」

 

「こらネム、騎士様のお邪魔になるでしょ!」

 

 ガレアの傍らから幼子と少女の声が上がる。そこには好奇心に惹かれるまま銀騎士の後をつけてきたネム・エモットと、それを見て慌てて後を追ってきたエンリ・エモットの姿があった。

 だがエンリの心配とは裏腹に、ガレアにそれを気にした様子は見られない。彼は大らかに笑うと、懸命にガレアの視線を追って彼方の戦場に目を凝らすネムの頭に手を置いた。

 

「敏い娘よ。吾輩の傍にいることが最も安全であると本能で悟ったのであろう。

 如何にも、吾輩はアノールの城塞と称えられたエリート銀騎士。攻め戦においては我が親友レドに一歩譲るが、こと防衛戦を指揮する手腕にかけては騎士長殿からも認められた実績がある。我が守りは鉄壁。ゆえ、安心して我が盾の内にいるがよい」

 

「は、はい……」

 

 ガレアが自信満々にそう告げると、何が恥ずかしかったのかエンリは仄かに頬を赤らめ俯く。それを尻目に今一度戦場に視線を戻すと、ガレアは(おもむろ)に大弓の弦に手を掛けた。

 

「戦士長殿はよく戦ったが、敵の方が一枚上手だったようだな。……どれ、少し離れるか耳を塞ぐといい。我が弦音は雷鳴の如しだ」

 

 魂の器から溢れたソウルが結実し、槍の如き大矢が実体化する。とても矢とは思えぬ長大なそれを番え、ガレアは眼下の戦場に照準を合わせた。

 戦場までの距離は優に二キロはあろうか。だが、王都において“鷹の目”と“竜狩り”に次ぐ弓の名手であったガレアにとってはどうということもない。二人が律義に耳を塞ぎ距離を取ったのを確認すると、ガレアは大弓のアンカーが地を抉るのとほぼ同時に矢を撃ち放った。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 大王グウィンは薪の王としてその身を世界に捧げ、しかし甦った始まりの火は時代が下ると共に再び陰りを見せた。

 二度の黄昏を迎えた世界はいよいよ滅びの一途を辿り、陰の太陽を除く神々は王なきアノール・ロンドから続々と姿を消した。かつて神の都として伝説に綴られた王都は、仰ぐ神を失い亡霊のようになった銀騎士と命なき石の傀儡が徘徊するだけの廃都と化したのである。

 

 だが、往時の栄光を失おうとやはりそこは伝説の地。輝きのアノール・ロンドは使命のために訪れた不死の英雄たちに神の都の何たるかを証明し続けた。

 中でも一等悪名高く、数多の不死に恐れられたのが亡霊と化した銀騎士たちによる防衛網である。神なき終末の世に抜け殻のように成り果て、それでも失われぬ武の冴えは屋根伝いに神の城を侵す不死たちに牙を剥いた。特に手の届かぬ遠方から一方的に押し寄せる竜狩りの矢衾は、悪辣なセンの古城を乗り越えた不死たちをして震え上がらせたという。

 

 

 陽光聖典を襲ったのは、まさに王都の侵入者たちに蛇蠍の如く忌み嫌われた銀騎士による矢の歓待だった。

 

 

「ぐああああっ!!」

 

「な、何事だ!」

 

「どこから撃たれている!?」

 

 しかも射手はただの銀騎士ではない。全盛期のアノール・ロンドにおいて四騎士を除けば最優の射手との呼び声も高かったガレアによる狙撃である。矢を撃ってから次の矢を番えるまでのタイムラグが殆どなく、しかも矢を番えた瞬間には既に照準を終えている始末。結果として、ガレア一人で銀騎士十騎分にも匹敵する矢衾が形成されていた。

 

 瀕死のガゼフに止めを刺さんとした天使が突如飛来した大矢に射貫かれたのを皮切りに、天より飛来した矢の雨が次々と陽光聖典を襲う。ついさっきまで殺されかけていたガゼフですら思わず同情してしまいそうな程の阿鼻叫喚が生まれていた。

 

 陽光聖典を率いるニグン・グリッド・ルーインは、混乱する隊員たちを宥めながら下手人たる敵影を探す。矢の狙いは正確だが、幸いにもこの場は開けた平野。視界を遮るものはなく、よく注意して見れば飛来する矢の軌道を目で追うことはできた。

 

「……み、見えた! 馬鹿な、あんな遠くからだと!?」

 

 矢の雨を躱しながら射手の姿を発見できたのは奇跡に等しかった。ニグンが常人より優れた位階に(レベルが高く)なければ視認すら困難だったかもしれない。

 しかし、常人と比べれば桁外れのニグンの視力を以てしても、射手の姿は黒い点のようにしか映らなかった。それを射手と断定できたのは他にそれらしき影が存在しないためである。

 

(エルフの弓兵ですらこれ程の遠方から矢を届かせるなど不可能! 敵は一体何者なのだ……!?)

 

 そして恐ろしいことに、射手はニグンに気付かれたことを理解したらしい。矢を射掛ける手を止め、今度は何やら黄金に輝く槍のようなものを天に向かって投げ放った。

 それは真っ直ぐに天を駆け抜け、暁に染まりゆく空の中心で弾ける。警戒しながら身構えていたニグンは、炸裂し枝分かれしながら自分たちの頭上に降り注ぐものの正体を理解して血相を変え叫んだ。

 

「雷だ! 総員、〈電気属性防御(プロテクションエナジー・エレクトリシティ)〉を──いいや駄目だ防ぎ切れんッ! 避けろォ──ッ!!」

 

 法衣が土で汚れるのも構わず地面を転がり、命懸けの全力回避を敢行する。陽光聖典の隊員たちもニグンに倣い身を投げ出すが、今度は矢ではなく雷。さしもの精鋭も文字通り雷鳴の速度で降り注ぐ稲妻の雨を全て避け切ることは難しく、矢衾を生き延びた隊員たちの多くが直撃を許し悲鳴を上げながら倒れ伏した。

 

「クソッ、我が陽光聖典の精鋭たちが……!」

 

 当初は百名近くいた隊員が、今や半分以下の二十人ほどまで減少してしまった。その残った者たちも到底無事とは言い難い。陽光聖典の隊員は一人一人が選りすぐりの精鋭、替えの利かぬ人類守護の要だというのに──!

 任務達成は目前だったというのに、これは一体何者の仕業なのか。突如我が身を襲った理不尽に憤慨するニグンはその時、大地を奔る稲妻を見た。

 

 否。それは稲妻ではなく、総身から雷気を迸らせながら疾走する銀騎士であった。馬よりも速く、まるで“竜狩り”オーンスタインを彷彿とさせる雷鳴の如き韋駄天走りで平原を駆け抜け、銀騎士ガレアは陽光聖典の前に立ちはだかった。

 

「おお、あなたは……!」

 

「手酷くやられたな戦士長殿。宣言通り吾輩は貴公らに手を貸すつもりはなかったが、このままではカルネ村の防衛に支障が出そうなのでな。こうして押っ取り刀駆け付けたのだが……ふむ、どうやら()()()()死に損なったらしい」

 

「はは、そうですな。()()()()命拾いしたようです」

 

 何と白々しい会話だろうか。ニグンは額に青筋を浮かべて憤激しそうになるが、辛うじて激発することなく堪えることに成功する。

 

(落ち着け……敵の強さは未知数。迂闊に行動するべきではない)

 

 現れた白銀の全身鎧に身を包んだ騎士をニグンは油断なく観察する。

 強い。それはまず間違いない。だがその強さはどの程度だ。あのストロノーフが上位者にするような態度と口調で接している以上、その強さは戦士長より上か。ならば英雄級以上は確実。あるいは漆黒聖典の隊士に匹敵するか……まさか隊長には及ぶまいが、いやしかし──

 

 刹那にニグンの脳裏を様々な憶測が駆け巡る。だが銀騎士の視線がこちらに向けられたことで思考の中断を余儀なくされた。

 

「貴様、何者だ」

 

「良かろう、まずは我が名乗りを聞くがいい」

 

 駄目で元々の誰何にまさかの即答での了承。鼻白むニグンに向かって一歩踏み出し、堂々と胸を張ったガレアは銀騎士の剣を掲げながら声高らかに名乗りを上げた。

 

「遠からん者は音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは輝きのアノール・ロンドにありて歴戦を謳われし古き守護戦士。偉大なる太陽の光の王より銀騎士として召し上げられし我が名はガレア! 銀騎士ガレアとは我のことよ!」

 

 ドン!! という擬音でも聞こえてきそうな大迫力の名乗りに、ニグン及び部下の隊員たちは開いた口が塞がらない。ガゼフも初対面で聞いたものより更にバージョンアップした口上に目が点になっていた。

 もしやコイツは馬鹿なのか? 敵前で長々とした名乗りをぶち上げたガレアにニグンは異質なものを見るような視線を向けた。

 

「フッ、吾輩の素晴らしい口上に声もないようだな。しからばそちらも名乗られよ。名乗り合戦といこうではないか」

 

「……誰が名乗るか、馬鹿らしい。崇高な任務を邪魔立てする不心得者に聞かせる名などありはせん」

 

「ふむ、そうか」

 

 すげなく断られたガレアは残念そうに掲げた剣を下ろす。その視線はニグンと彼の傍らに浮かぶ天使を交互に巡り──

 

「残念だ──せめて、これから死にゆく者の名ぐらいは記憶してやろうと思ったのだが」

 

 その言葉の意味を噛み砕く間もなく。直後、ガレアの姿はニグンの目の前にあった。

 

監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)ッッッ!!!」

 

 全身鎧に身を包んだ天使がニグンの叫びに呼応し、手にしたメイスを迫る剣に合わせる。巨大な柄頭のメイスが火花を散らして銀騎士の剣とぶつかり、しかし天使は一瞬の抵抗の後呆気なくメイスごと身体を斬り裂かれて消滅した。

 

「なッ……!?」

 

「む、意外と硬いな」

 

 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は第四位階の天使召喚魔法で呼び出せる天使であり、同位階で呼び出せる権天使の中では最も防御能力に優れている。ニグンを守るために動いてしまったことで「静止状態に限り視認する自軍構成員の防御力を引き上げる」という特殊能力こそ失われてしまったものの、その堅牢さは圧倒的だった筈なのだ。

 なのに、まさか武技すら発動した様子のない剣の一振りで斬り捨てられるなど。しかもあろうことか出た感想が「意外と硬い」である。

 

「痛みを感じさせる間もなく殺してやろうと思ったのだが。吾輩の踏み込みに反応するとは、中々どうして大したものよ」

 

「全天使を突撃させろ!!」

 

 天晴れ見事、などと笑いつつ再び剣を振り上げるガレア。ニグンは半ば転げるようにして間合いから離れつつ、口角泡を飛ばしながら隊員に攻撃を命じた。

 

 呆然としていた隊員たちは慌てて炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を一斉に嗾ける。ガレアはそれをつまらなそうに一瞥すると、身体の捻りと共に剣を左から右へと大きく薙ぎ払った。

 たったそれだけだ。特に大きく力んだ様子も、ガゼフの〈六光連斬〉ように大それた武技を発動した様子もない。にも拘わらず、十を超える天使はその一閃であっさりと斬断され消滅した。

 

「案山子を幾ら並べたところで児戯にもならん。せめて今の……プリンスパリシティなんちゃらとかいう奴を用意するがいい。ざっと五百ほど揃えばもう少しマシな勝負になるやもしれんぞ」

 

「……何者なのだ、貴様は……」

 

「名乗った通りだ。我が名はガレア、古き銀騎士である」

 

「……意味が分からん。そんな名は聞いたこともない! 貴様はどこの誰で、何の大義があって我らの任務の邪魔立てをするのだ!?」

 

「大義。貴様らが大義を説くか」

 

 今度はガレアが詰問する番だった。闘争の興奮に熱を帯びていた声色は急速に醒め、硬く鋭い眼差しでニグンを睨んだ。

 

「帝国の騎士に扮し自らを偽り、戦士長殿を誘き出すためだけに無辜の村人を虐殺して回るが貴様らの崇高な任務とやらか。

 太陽の使徒たるガレアが問う。心して答えよ……その行いに大義はありや?」

 

「大義ならばある! 我らスレイン法国は徹頭徹尾人類存続のために行動している。種族としての地力で劣る我ら人間種は一丸となって亜人共と戦わねばならんのに、王国は安全圏にいるのを良いことに腐敗した!

 分かるか。腐った果実は排除せねばならん。他の果実までも腐らせる前に、腐敗の種は除かねばならんのだ!」

 

 ニグンは弁明するように必死に、だが確かな憎悪を滲ませて叫ぶ。その糾弾と憎しみの凝視を受けたガゼフは、ニグンの視線を直視できず俯いた。

 そう、リ・エスティーゼ王国は今や腐敗の温床と化している。立地的に人間の国の中で最も安全で肥沃な土地を有している王国は、その豊かさに甘え堕落した。民は肥えた領主に蔑ろにされ、犯罪組織の跳梁を許し、宮廷は王派閥と貴族派閥に分かれ無益な権力闘争に明け暮れている始末。

 

 スレイン法国は期待していたのだ。豊かな土地では豊かな人材が育つ。法国が人類守護の壁となって亜人種から人類を守っている間に、王国で人類の希望となる勇士たちが育まれるのを。

 だがその期待はものの見事に裏切られた。王国の裏社会では今や麻薬生産すら行われており、王国だけで蔓延するならまだしも、周囲の国家にまで堕落の毒は波及しようとしている。

 

 もはや我慢ならぬと、法国は王国を切り捨てることを決定した。ニグンが果実に喩えたように、王国の腐敗が周囲に悪影響を及ぼす前に。幸いにも王国と隣接するバハルス帝国の皇帝は優秀な統治者だ。優れた皇帝の下で目覚ましい発展を遂げている最中の帝国に王国を併呑させることによって、かつて王国に期待した役割を帝国に担ってもらおうと法国は考えていた。

 

「ふむ、吾輩は王国の内情は知らぬが、その言が正しいならば貴公の言い分にも一定の理があると認めよう。だが、何故それが戦士長殿の抹殺に繋がる? 彼はまさにスレイン法国が期待した通りの勇士ではないか」

 

「認めよう、ストロノーフは人類の希望足り得る勇者だと。……だがストロノーフ一人の価値では贖えん程に王国の腐敗は酷い。故に殺す。ストロノーフという希望があるから王国は醜く生き足掻いているのだ。この男がいなくなれば王国など帝国に抗う術も持たん弱小国家に成り下がる」

 

「……成る程な。ふん、人の世界とは何ともままならぬものよ。

 だがまだ吾輩の問いに全て答えてはおらぬぞ。戦士長殿を抹殺するためだけに村人に行った蛮行、到底看過できることではないが」

 

「我らとて好んで同族を殺すものか! これは人類全体を思えばこその致し方ない犠牲だ!」

 

「それよ」

 

 人類の守護者たるを望み、そのように尽力する姿勢は素晴らしいのだろう。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という増上慢がどうにも鼻についた。

 

「法国には法国が信ずる正義があるのだろう。だが掲げる正義の絶対性を盲信するあまり、それ以外に対する傲慢さが透けて見える。だから斯様な軽挙に走るのだ」

 

「知ったような口を……! 犠牲なき平和があるものか!」

 

「愚か者、犠牲とは誰に強制されるものでもないわッ!」

 

 突如声を荒らげたガレアの迫力にニグンは怯んだように後退る。

 

 ガレアの脳裏にあるのは大王グウィンの献身だった。自らのソウルを薪とし、火の時代を永らえさせるための燃料とする。その自己犠牲を、ガレアは最も近いところで目の当たりにしたのだ。

 犠牲など本来は美談でも何でもない。だが身を捧ぐ者の願いと祈りが、暗く悲しいだけの犠牲に一握りの輝きを宿すのだろう。

 

 犠牲なき平和など存在しない──王の火継ぎを見届けたガレアはそれを否定しない。

 だがその犠牲を他者に求めるのならば、もはやそこに正義はない。他者に強制した犠牲で成り立つ平和に、果たして如何程の価値があろうか。ましてや犠牲となるのが何の罪もなく、覚悟もない無辜の民草ともなれば。

 

「少なくとも、目の前で行われる正義の名を借りた暴虐を見逃す吾輩ではない。さりとて、法国が行ってきた人類への献身まで否定する資格など吾輩には存在しない。

 故にこの場は見逃そう。大人しく国へ帰るならば、吾輩はこれ以上何もせん」

 

「馬鹿な、神官長より任せられた使命を果たさぬまま帰れるものか!」

 

「よく吠えた。()()()()()()()

 

 種族は違えど、ガレアもニグンも共に信仰の道に生きる者である。秘める祈りと覚悟は断固たるものであり、誰かの言葉で容易く揺らぐようなものではない。

 ガレアの言葉は確かに正論だが、所詮は神族の、それも異世界からの来訪者というある意味究極の余所者の言葉である。その程度でニグンの信仰を覆すことはできないだろう。

 

「言葉では分かり合えぬ。ならば後は刃を以て雌雄を決するよりあるまい。……あるのだろう? 切り札が」

 

「!」

 

「我が剣技の冴えを目の当たりにしてなお、貴公の瞳にはまだ絶望の色がない。この銀騎士ガレアを前にまだ勝ちの目を残している……」

 

「…………」

 

「さあ、遠慮は要らぬ。使うがいい。貴公の信仰を見せてみよ」

 

「後悔しても知らんぞ……!」

 

 ニグンは懐から一つのマジックアイテムを取り出す。それは掌に収まらぬ程の大きな水晶の塊であり、内に秘めた輝きはどこか神聖さを感じさせた。

 そのアイテムが姿を現した途端、陽光聖典の隊員たちはあからさまに表情を明るくする。身構えるガゼフと悠然と佇むガレアを睨み、ニグンは決然と水晶を掲げた。

 

「最高位天使を召喚する! 総員、我らの神に祈りを捧げよ!」

 

 マジックアイテムの名は「魔封じの水晶」。その効果は超位魔法を除く一~十位までの全位階のあらゆる魔法を封じ込め、任意で発動することができるという破格のもの。

 但し魔封じの水晶は込められた魔法をただ発動することしかできないため、ニグンや隊員たちが幾ら祈りを込めたところで魔法の威力が上がったりはしない。

 だが、ガレアは己の信仰を見せろと言った。神の道に生きる法国の人間として、その言葉は無視できるものではない。元より祈りとは見返りを求めて行うものにあらず。

 

 この祈りは、神の使徒たる我らの覚悟を示すためだけに。

 

「見よ! 最高位天使の輝きを! 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)よ、その光輝で神の威光を知ろし召し給え!」

 

 ──そして、それは地上に降臨した。

 

 それは人の世ではあり得ぬ程に濁りのない、全き純白に輝く翼の集合体だった。それに頭はなく、足もなく、王笏を捧げ持つ両の手以外に人らしき部位が見当たらぬ明確な異形。

 されど、それが纏う神聖さは正しく神の威光を体現する天使に相応しいものである。まるで周囲一帯の空気を清浄なものへ作り変えてしまうかのような、圧倒的で絶対的な聖にして正の渦動。これぞ紛れもない最高位天使の威容。

 

 第七位階魔法〈天使召喚(サモン・エンジェル)・7th〉、“至高善”威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)。人の領域を逸脱した奇跡が顕現した瞬間であった。

 

 ニグンの表情は神の威光を目の当たりにした感動で溶け崩れ、隊員たちもまた御伽噺でしか耳にしたことのない法国の祈りの結晶に滂沱の涙を流す。これぞ二百年前に大陸中を荒らし回った魔神の一体を完膚なきまでに滅ぼした天使。スレイン法国が誇る最高位天使である。

 

 ガゼフはその姿を見た瞬間に力なく膝をついた。それまで決して膝をつくことのなかった不屈の男が、神の奇跡の顕現に遂に膝を折ったのだ。

 勝てるわけがない。否、あれに挑むということが既に間違っている。あれぞ究極の善。ならば、それと対峙する己は大罪人に違いない──

 

 然もあろう、第七位階など人が到達し得る限界を超えている。逸脱者の一人として名高い帝国の老魔術師でさえ第六位階が限界だというのに、それ以上などもはや伝説を通り越した神の領域である。絶望に闘志が潰えたガゼフを誰が責められよう。

 だが──

 

「ほう! この気配、小さいがこれは紛れもなく神に類する者のみが有する上位者のソウル! 流石は人類の守護者を謳うだけはあるな!」

 

 銀騎士だけは変わらず、依然不敵な態度のまま悠々と最高位天使を眺めていた。

 むしろ嬉しそうに笑い、ニグンら法国を褒め称える余裕すら見せるガレアに、ニグンとガゼフはギョッと目を剥いた。

 

「貴様、何故最高位天使を前にそれ程の余裕を保てる……!?」

 

「慣れているから、としか言いようがないな。何故ならアノール・ロンドは神々が座す光の都。銀騎士たる吾輩にとって、上位者の特別なソウルは身近にあったゆえ」

 

「は……? 神々の、都……?」

 

 何でもないことのように告げられたガレアの言葉の内容に、ニグンは束の間己の正気を疑った。

 

(今この男は何と言った? 神々が座す都だと? 神の気配が身近にあったと言ったのか?)

 

 白痴の戯言と片付けるのは容易いが、目の前の銀騎士に嘘を吐いている気配は見られない。それに先ほど見せた尋常ならざる戦闘力に、最高位天使を前になおも余裕を貫く超然とした佇まい。ハッタリの一言では片付けられない何かがある。

 

(まさかこの男……いや、このお方は──)

 

「さあ行くぞ! 竜狩りの雷、見せてやろう!」

 

 叫び、ガレアは勢いよく駆け出した。その声でニグンはハッと我に返る。

 そうだ、事ここに至ればもはや戦いは避けられない。互いの主張は交わらず、どちらも退く気がないとあれば後は刃を以て自らの信仰の優れたるを証明するより他あるまい。

 

「〈善なる極撃(ホーリー・スマイト)〉を放て!」

 

 召喚者としてニグンは威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)に命を下す。契約に従い、神の僕たる主天使は天罰の光輝を漲らせた。

 それは信仰系の第七位階魔法。天より来たり、悪なるものを滅する光の柱。夕日の赤に染まる雲間を貫き、裁きの光が銀騎士の頭上に降り注いだ。

 

 だが、そんな分かりやすい動作の攻撃を態々喰らってやるガレアではない。天から一直線に大地を貫く光柱を更なる加速で掻い潜り、銀騎士の剣を大きく振り被った。

 

「太陽の光の王の加護ぞあれ! これぞ古竜のウロコをも(少し)斬り裂いた神鳴りの刃である!」

 

 白銀の刃が光り輝き、やおら雷の力を帯びる。

 これぞ太陽の光の長子が振るい、配下の騎士たちに伝えられた奇跡「太陽の光の剣」。武器に太陽の光の力……即ち雷を宿す戦神の御業である。

 

 銀騎士が扱うそれは神の雷光には到底及ばないが、朽ちぬ石のウロコに傷を付ける程度の威力はあった。特に火の時代の黎明より王に仕えてきたガレアに宿る太陽の加護は一際強力である。飛竜のウロコ程度ならば容易く斬り裂く雷の剣は、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の翼を雷鳴と共に斬り飛ばした。

 

「なッ……最高位天使の身体に傷が!?」

 

 絶対の聖性を纏う天使の翼がもがれた事実に動揺するニグン。主天使は銀騎士の剣から逃れるように後退するが、ガレアは更に懐深くに踏み込み刃を振り翳す。

 機動力においては騎士の方が上だ。それを悟ったニグンは慌てて魔法を発動しガレアに狙いを定めた。

 

「各員、天使を援護せよ! ──〈緑玉の石棺(エメラルド・サルコファガス)〉!」

 

「〈石筍の突撃(チャージ・オブ・スタラグマイト)〉!」

 

「〈炎の雨(ファイアーレイン)〉!」

 

「〈聖なる光線(ホーリーレイ)〉!」

 

 ニグンに倣い、隊員たちも次々と魔法を発動しガレアに差し向ける。見たことも聞いたこともない異世界の魔法を警戒したガレアは直撃を嫌い、自慢の脚力を駆使してその尽くを回避した。

 しかし、それこそがニグンの狙い。元より第七位階に属する最高位天使に傷を負わせるような相手に、自分たちの魔法がまともに通用するなどとは考えていない。だが少しでも注意を逸らし天使が体勢を立て直す時間を稼ぐことができれば──

 

「今だ! もう一度〈善なる極撃(ホーリー・スマイト)〉を放てェ!!」

 

 再び主天使の身体から光輝が放たれ、至高の一撃が繰り出される。

 しかも今度はただの〈善なる極撃(ホーリー・スマイト)〉ではない。主天使が両手に捧げ持っていた王笏が砕け、一度の召喚につき一回限りしか使用できない魔法威力大幅強化の能力が発動される。

 ここにニグンの生まれながらの異能(タレント)──「自身が召喚したモンスターの能力を若干ながら強化する」という特殊スキルによる能力強化が加算される。このタレントがあるからこそ、彼は〈天使召喚(サモン・エンジェル)・7th〉が込められた国宝級のマジックアイテムを授けられたと言えよう。

 

「む……」

 

 避ける──否、先程のものとは規模が異なる。より威力と効果範囲を増したこれを完全に回避するのは不可能。

 中途半端に回避するぐらいならば、万全の態勢で防御するべし。古竜との戦いで幾度も灼熱の息吹(ブレス)の洗礼を受けてきたガレアは自身の経験からそのように判断した。女神の祝福が施された銀騎士の盾を構え、どっしりと腰を落とす。

 

 そして、()()()()()()()

 

 彼方より大地を貫き、なおも増大していく光の奔流。かつて威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)は魔神を単騎で滅ぼしたというが、これならばその伝説にも頷けよう。悪の一切を滅ぼす神の如き一撃。これを受けてもなお生き残るとするなら──

 

 ──それはもう、神をおいて他にはないだろう。五体満足でその場に立つ銀騎士の姿を、ニグンは愕然と眺めることしかできなかった。

 

「今のは痛かったぞ。古竜の息吹には及ばずとも、飛竜のそれに匹敵する威力はあった。さしもの吾輩も、今の光をあと三度浴びれば危ういかもしれん」

 

 白銀に煌めく鎧は表面から煙が上がっているものの、融解し形を崩している様子はない。つまりガレアにとってはその程度の熱量でしかなかったということなのだろう。魔神ですら耐えられなかった裁きの光も、古き銀騎士を仕留めるには至らなかった。

 

「では、次はこちらの番だ」

 

 大技を発動した反動で硬直する主天使を容赦なく雷の剣が襲う。天を舞う純白の翼が次々と斬断され、竜狩りの雷光が聖なる身体を焼き焦がす。弦楽器のようにも聞こえる悲鳴が上がり、遂に天使は地に墜ちた。

 大地に臥せった天使の巨体を、ソウルの器より取り出した銀騎士の槍で地に縫い付ける。そして剣を収めたガレアの右手に、眩い程の雷光が溢れ出した。

 

「刮目せよ、これぞ神々より伝わりし竜狩りの奇跡! 翼をもがれ地に墜ちた竜への手向けたる神の慈悲である!」

 

 火の時代の始まりの伝説、神々による竜狩りの物語。かつて大王グウィン率いる光の軍勢は雷の槍を投げ放ち、天翔ける竜を墜としたという。

 しかし竜と同じ地平に立ったのならば、雷を投げてはならぬ。不朽のウロコを貫かんと欲するのならば、その手で直接突き立てるべし──それこそが竜狩りの奇跡の一つ、「雷の杭」である。

 

 かつて太陽の長子が竜狩りの剣槍と共に振るったという奇跡が開帳される。裁きの光柱に勝るとも劣らない圧倒的な光と熱が雷鳴と共に爆発し、太陽の如き灼熱が地上に顕現した。

 戦士たちの衝突によって踏み荒らされた地面が捲れ上がる。舞い上がる砂塵は吹き荒れる奇跡の奔流に吹き飛ばされ、見守るニグンとガゼフの肌を叩いた。

 

「────……一つ、質問をお許し頂きたい」

 

「許そう」

 

「あなたは、神なのですか?」

 

 絞り出したようにか細く、許しを請うように弱々しいニグンの声が響く。一瞬の沈黙の後、眩い銀の鎧を纏う騎士は朗々たる声でその問いに答えた。

 

 

「否、この身は神に非ず。我は神の僕にして、偉大なる薪の王の忠臣。

 銀騎士ガレア。太陽の光の使徒である──」

 

 

 天使の墜落と共に夜の闇に包まれた平原に、その声は不思議とよく響いた。

 



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銀騎士(時々黒騎士)冒険譚:1

 「太陽の光の癒し」──太陽の光の王女グウィネヴィアに仕える聖女たちに伝えられる特別な奇跡であり、癒しの奇跡の中でも最高峰の御業であるとされる。

 

 その効果は凄まじく、自分を中心に致命傷や四肢の欠損すら瞬時に回復する癒しの光を周囲一帯に振り撒く。吾輩も何度かその恩恵に与ったことがあるが、あれは素晴らしいものだ。古竜の顎に砕かれ襤褸雑巾のようになった身体すらも回復され、即座に戦線復帰できるようになった時には流石の吾輩も夢でも見ているのかと思った程である。

 全てに愛された王女グウィネヴィアの奇跡はその恩恵を広く戦士たちに分け与えた。古の竜たちとの戦いにおいて、不朽のウロコ持たぬ我々が戦い続けられたのはこの奇跡に依るところが大きいであろう。

 

 まあ吾輩には使えないのだが。だって吾輩聖女じゃないし、そもそも王女の守護を放り出して火継ぎの旅に出た不忠者だし。王女の守りの誓約を捨てた吾輩にこの奇跡の使用は許されていないのである。

 悔しくなんてないし。ホントだし。

 

 まあともかく、吾輩に太陽の光の癒しは使えない。だが癒しの奇跡を全く扱えないというわけではなく、効果は一段下がるが幾つか回復の奇跡を修めている。

 その一つが「大回復」である。その名の通り大きく生命力を回復する奇跡であり、これは小人の間では高位の聖職者しか扱えぬ偉大な奇跡とされる。大回復に纏わる神の物語は膨大であり、教養高く、何より信仰に篤い者にしか修めることができないからであろう。勿論、神々への信仰心においては銀騎士随一を自負する吾輩は当然の如くこの物語を網羅していた。

 

 そら、神の恵みをありがたく受け取れ! 太陽あれ!(大回復) 太陽あれ!(大回復)

 

「おお、傷が治った!」

 

「目が、目が見えるぞ!」

 

「奇跡だ!」

 

 吾輩の奇跡で次々と傷を癒され、驚愕の表情で立ち上がる村人たち。太陽の光の癒しほど絶対的なものではないが、大回復も人の身には十分すぎる奇跡である。これを機に貴公らも太陽の光の神への信仰に目覚めるがよい。

 

「……何度見ても凄まじいものだ。天使を圧倒する程の剣と魔法を扱い、更にこれ程の回復魔法すらも使いこなすとは。逸脱者とはガレア殿のような者を言うのだろうな」

 

「おお、ガゼフ殿」

 

 神の奇跡に涙する村人たちを満足げに眺めていると、背後から戦士長……いや、ガゼフ殿が声を掛けてくる。

 先日の戦いを乗り越えた吾輩たちは互いを名前で呼び合うようになった。これは遂に吾輩にも三人目の友人ができたと言っても過言ではないのではなかろうか。“深淵歩き”アルトリウス殿も灰狼や白猫と友誼を結んでいたわけだし、小人を友達にカウントしても構うまい。

 ちなみに戦士団の中で最も重症だったガゼフ殿はいの一番に回復させた。何しろ炎の剣で腹を貫かれていたのでな、後回しにしては死んでしまう恐れがあったのだ。

 

 奇跡詠唱のために跪いていた吾輩は立ち上がり背後を振り返る。そこにはすっかり元気になった様子のガゼフ殿が立っており、その更に背後には生き残った部下たちが勢揃いしていた。

 

「もう出立するのかね?」

 

「ああ、事の顛末を早く王にお伝えしなくてはならないからな。ガレア殿のお陰で捕虜にできた法国の者らを連行する必要もある」

 

 ガゼフ殿は横目で部下たちが厳重に固めている場所を見る。そこには帝国の鎧を剥ぎ取られ、粗末な服装で縄に繋がれた法国の騎士たちの姿があった。

 彼らは最初にカルネ村を襲撃した法国の小人である。そこに平原で対峙した魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちの姿はない。

 

「すまぬな、勝手に帰してしまって」

 

「いや、我々は力及ばず負けた身だ。結局最後までガレア殿に頼り切りだったのに、どうこう言えるような立場ではないさ」

 

 吾輩が敵をみすみす生かして帰したことを詫びると、ガゼフ殿は気にしていないと笑って許してくれた。

 

 最高位天使……ど、ど……ドミニク・オリジナリティとかいう天使を倒した後、意気消沈した様子の隊長を吾輩は殺さず国へ帰した。再三繰り返したように、吾輩は国同士の争いに介入するつもりはない。戦争とは自らが死ぬ可能性を覚悟した者同士の戦いであり、その中で生きるも死ぬも小人たちの自己責任だ。神族たる吾輩の関与するところではない。

 だがカルネ村で起きたあれは戦争ではなく、強者による弱者への一方的な命の搾取であった。所詮は人の世の悲劇とはいえ、全てを見て見ぬ振りするのは憚られた。それ故に居ても立っても居られず介入したが……あの者らが村に手を出す気がなくなった時点で吾輩に戦う理由はなくなってしまった。敢えて見逃したのにはそういう経緯があったのである。王国にとっては甚だ不本意であろうがな。

 

「ではな、ガゼフ殿。貴公の息災を祈っておるぞ」

 

「……やはり共に来て下さるつもりはないか。せめて王とお会いになっては頂けないか? ここカルネ村は国王の直轄領。貴殿はそこに住む民を救って下さった英雄だ。きっと王は喜んでお会いになるだろう」

 

「残念だが特定の国家と深く関わるつもりはないのだ。でないと愛着が湧いてしまいそうなのでな」

 

 正味、こうしてガゼフ殿と親しくしている時点で吾輩的にはかなりのグレーゾーンなのだ。何せ彼は王国戦士長、国家の重鎮である。辺境の村と交流するのとはわけが違う。

 それに、吾輩はこの世界のことについてあまりに無知だ。ガゼフ殿の為人(ひととなり)からは全く想像できないが、どうもリ・エスティーゼ王国は国として腐敗を極めているらしい。これも所詮は法国人からの情報に過ぎないため鵜呑みにはできないが……だからこそ吾輩はこの目で見極める必要がある。

 

「ガゼフ殿。吾輩は旅をしようと思っているのだ」

 

「旅?」

 

「うむ。既に貴公も知っての通り、吾輩は人間ではない。我らは自分たちを神族と自称しているが……分類的には先日戦った天使に近いと言えるだろう。肉体よりも(ソウル)に存在の比重を置く霊的生命体、と表現するべきか」

 

 それでも竜や巨人よりは人に近いのだが。竜なんてあれ石とか植物みたいなものだしな。

 

「何の因果かこうして人の世界に降り立ってしまったが、これも神の思し召しよ。どうあれ人と関わらざるを得ないなら、しっかりとこの目で人の世を見極め、その上で身の振り方を判断するべきであろう」

 

「だから旅に出る、というわけか。……であれば、どうだろう。冒険者になるというのは」

 

「冒険者とな?」

 

 冒険者、初めて聞く響きだ。字面通りであれば冒険する者を指す言葉なのだろうが……。

 ガゼフ殿曰く、冒険者とはモンスター退治の専門家なのだそうだ。冒険者組合なる組織に所属し、組合が斡旋する依頼を達成することで得られる報酬を糧に日々を暮らす者ら。あるいは対モンスター用の傭兵と言い替えても良いだろう。

 

「冒険者組合が掲げる理念はたった一つ、モンスターの脅威から人々の生活を守ることだ。彼らは徹底した中立を維持しており、国の政治や戦争には一切関与しない。……ガレア殿にうってつけではないだろうか」

 

「うむ。冒険者、獣の爪牙より人々を守る戦士たち……守護騎士たる吾輩にピッタリではないか!」

 

「国々を旅して回るとなれば先立つものも必要だろうしな。それに冒険者資格があれば国境を越えるのにかかる手間も少なく済む。ガレア殿の道行きに役立つことも多いだろう」

 

 まさしく。今の吾輩はこの世界で使える貨幣を全く持っておらぬから、何かしら手に職をつけようとは思っていたのだ。ソウルでやり取りできれば楽だったのだが、不死でもない小人にソウルの業など扱える筈もないからな。

 その点、冒険者なら来歴不明の放浪者たる吾輩であっても問題なく加入できそうだ。冒険者に求められるものは強大なモンスターと対峙する実力、ただそれのみ。

 

「ならば決まりだ。これより吾輩は冒険者ガレアとなる! フフフ、ガゼフ殿もモンスター絡みで困ったことがあればいつでも吾輩を頼るがよい。すぐにこの銀騎士鎧に相応しいランクの冒険者となってみせる故な!!」

 

 ガゼフ殿が言うには、冒険者は(カッパー)(アイアン)(シルバー)(ゴールド)白金(プラチナ)・ミスリル・オリハルコン・アダマンタイトの八段階にランク分けされているらしい。(カッパー)が最低ランクであり、アダマンタイトが最高ランクであるな。

 栄えある銀騎士たる吾輩には貴金属のプレートこそが相応しかろう。アダマンタイトなるものがどんな金属かは知らないが、世界最硬と言うからにはきっと上質な鋼なのだろう。我が鎧の白銀に映えるに違いない。

 

 だが、吾輩がそう言うとガゼフ殿はとても微妙な表情をした。まるで初めて吾輩が名乗りを上げた時のような表情だ。

 な、何だ。吾輩何かおかしなこと言った?

 

「あー……ガレア殿はその恰好で冒険者として活動されるおつもりで?」

 

「う、うむ。この鎧は我ら銀騎士にとっての誇り。当然このまま冒険者になろうと考えていたが……」

 

「目立つでしょうなぁ」

 

「なぬ?」

 

「無論、冒険者とは目立って何ぼの稼業。しかしガレア殿の鎧は……その、些か派手すぎる」

 

「ゑ?」

 

 は、派手?

 ウソ、銀騎士の鎧って派手なの? 生まれてこの方ずっとこの鎧姿だったし、騎士長殿の全身黄金獅子鎧を見慣れてたから全くそんな自覚はなかったぞ。

 

「あくまで冒険者としては、だ。冒険者は徹底した実力主義で、あまり装備の派手さで自らの実力を主張しようとはしない。プレートを見れば一目瞭然だからという面もあるのだろう。だからガレア殿の鎧は……こう言っては何だが、悪目立ちしそうではある。王宮勤めの騎士であれば華やかさも求められるから何も問題はなかったのだろうが……」

 

「…………スン」

 

「あ、いや! ミスリルより上のトップランク冒険者ともなればまた事情が変わってくると思うぞ! 私も一度だけ見たことがあるのだが、アダマンタイト級冒険者の“朱の雫”や“蒼の薔薇”の方々などはみな煌びやかな魔法の装備で身を固めていて──」

 

 正直、この時の吾輩はカルチャーショックであまりガゼフ殿の話を聞いていなかった。

 そっかぁ……銀騎士鎧って派手なのかぁ……最近の若い子って控えめなんだね……。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 時は流れ約三週間後。カルネ村の復興及び防護柵の設置などの手伝いを終えた吾輩は、村人たちから惜しまれつつも出立。ガゼフ殿の助言に従い、城塞都市エ・ランテルを訪れていた。

 

 ここエ・ランテルはリ・エスティーゼ王国の東に位置する国王の直轄領エ・ランテルと同名の都市である。バハルス帝国、スレイン法国の領土に面しており、貿易都市としてもその名が知られているらしい。

 最初にこの街を選んだのはその立地によるところが大きい。カルネ村から一番近くにあり、人間の国として栄えている主要三カ国に隣接している。仮の拠点とするにはうってつけと言えるだろう。

 

 吾輩は検問所の衛兵から聞いた通りに道を進み、この街の冒険者組合へ向かう。土が剥き出しの道を進むこと暫し、やがてそれらしき外観の建物に到着した。

 ……うむ、恐らくここで合っているだろう。みすぼらしいが他の建物よりは大きく頑丈な造りになっているし、中からは戦士特有の荒っぽい気配が感じられる。

 よし、では頼もう!

 

 簡素な扉を押し開け建物の中に入る。その瞬間、談笑していた冒険者と思しき者たちが一斉に吾輩へ鋭い視線を向けた。

 品定めするような不躾な視線が殺到する。恐らく吾輩の身形からその力量を測ろうとしているのだろう。ふん、ならば思う存分観察するがよい。今の吾輩は──

 

 

 灼熱のイザリスでデーモン共の血に塗れ、最初の火の炉で始まりの火に焼かれた漆黒の鎧姿だからな! さぞ厳つかろうよ。

 

 

 そう、吾輩は不承不承ながら銀騎士の正式装備から黒銀鎧──今や見る影もなく真っ黒だが──へと着替えていた。今の吾輩は銀騎士ならぬ黒騎士ガレアである。

 誉れ高き銀騎士の鎧を脱ぐことには抵抗もあったが、黒騎士の鎧とてイザリス遠征へ赴く我らのために王から贈られた正式装備であることに違いはない。いい加減吾輩もこの装備を認めるべき頃合いであろうな。

 ただ、アダマンタイト級に上り詰めた暁には銀騎士鎧に戻す。これは決定事項である。

 

「初めて見る顔だが……デケェな」

 

「ああ……人食い大鬼(オーガ)とタメ張れるんじゃねぇのアレ」

 

「それに装備を見ろよ。鎧は一見すると真っ黒だが全体に細かい模様が刻まれている。ありゃ手間掛かってるぜ……一体いくらすんだろうな」

 

「片手で持ってる剣も馬鹿みたいにデカいな。俺の身長と同じくらいあるぜ」

 

 ヒソヒソと吾輩に聞こえないよう小声で囁き合う冒険者たち。残念だが我ら神族の身体能力は小人の比ではない。聴力もまた然り。ばっちりと聞こえているぞ。

 だが侮られている様子はないようで安心した。黒騎士鎧と大剣の厳つい外観に驚嘆の声が上がっているだけで、特に悪目立ちしている様子はない。やはりガゼフ殿の忠告は確かだったということだな。

 

「失礼する」

 

「は、はい!」

 

 受付と思しきカウンターに歩み寄り、制服に身を包んだ女性に話し掛ける。吾輩の上背に驚いたのか声が上擦っているが、許せ。吾輩が大きいのではなく人間が小さいのだ。

 

「冒険者登録をお願いしたいのだが」

 

「冒険者登録ですね、承りました。それでは、まず組合の規則について説明させて頂きます」

 

 しかし吾輩が普通の冒険者志望と分かるや、彼女はすぐさま驚愕から抜け出し流暢に言葉を発し始めた。流石はプロの受付嬢、立ち直りが早い。

 

 さて、受付嬢の説明によると、冒険者となるに当たって厳守すべき規則は大まかに三つ。

 

 一つ目は、人間同士の争いには関与せず、モンスターの脅威から人々を守るという冒険者の理念に徹すること。国家運営に関する活動に参加することは決して許されず、場合によっては冒険者資格の剥奪もあり得るらしい。

 二つ目は、組合の依頼は自身の階級に応じた難易度のものしか受けることはできないというもの。例えば(アイアン)級の冒険者は(アイアン)級相応の依頼しか受けることは許されず、如何なる場合においても例外は許可されないそうだ。

 三つ目は、冒険者同士の私闘及び市民への暴力行為の禁止。冒険者の持つ武力はモンスターにのみ向けられるものであり、人間に対して向けられるべきものではない。例外は犯罪者が相手であった場合のみであり、同じ冒険者相手に暴力を振るえば罰則が科せられ、もし市民に向けられることがあれば一発で資格剥奪もあり得るとのこと。

 

 他にも細々とした禁止事項はあれど、この三つだけ最低限押さえておけば問題はないらしい。概ねガゼフ殿から聞いた通りの内容だ。「何か質問はございますか」と問う受付嬢に問題ないと返すと、彼女は一枚の書類を吾輩に差し出した。

 

「ではこちらの用紙に必要事項を記入して下さい。名前以外は任意での記入となりますので空白でも問題はありませんが、記入された内容は公式のものとして組合に記録されますのでご注意下さい」

 

「承知した」

 

 流石、身分を問わず誰でもなれるというだけはある。必須事項が名前のみとは。名前が必要なのは認識票(プレート)に記述されるからであろうな。

 

「ムッ!」

 

「ど、どうされましたか!?」

 

 渡された羽ペンを手に取り、いざ書こうとしたところで吾輩は動きを止める。急に大きな声を上げたからか驚いた受付嬢も釣られて声を上げ、建物内の冒険者たちも何事かとこちらを見た。

 

「文字が読めぬ」

 

「はい?」

 

 そう、書類に書かれている文字が全く読めなかったのだ。一番上に記入するのが名前だろうことは何となく分かるのだが、それ以外はさっぱりである。

 思えばここは異世界、それも小人の国である。言葉が通じるからと言って文字まで同じだとは限らなかったのだ。ガーンだな、出鼻を挫かれた。

 

「吾輩、異国の出身ゆえこの国の文字が読めぬ。驚かせてしまったようで申し訳ない」

 

「ああ、そういう……でしたら問題ありません。冒険者の中には文字の読み書きができない方も大勢いますので、その際には我々組合のスタッフが読み上げや代筆を承っております」

 

「いやはや、(かたじけな)い」

 

 受付嬢が苦笑しながらそう言ってくれたので、吾輩はお言葉に甘え代筆をお願いすることにした。そのうちこの国の文字も覚えなければならんな。

 

 受付嬢の質問に答える形で書類の記入を埋めていく。名前はガレア。年齢は……まさか馬鹿正直に答えるわけにもいかないので適当に三十歳としておく。性別は当然男。種族も神族とは言えないため無難に人間と答える。

 だが、出身国に関しては嘘偽りなくアノール・ロンドと答えた。これはもし万が一にも吾輩と同郷の者がこの世界に来ていた場合を考慮してのことである。正直あまり期待はしていないのだが、いるなら是非その者とは知り合っておきたい。それだけの些細な理由ではあるがな。

 

「……はい、以上で手続きは完了となります。プレートの受け渡しは明日の正午となりますので、忘れずに取りに来て下さいね」

 

「うむ、承知した」

 

「ところで、本日の宿はもうお決まりですか?」

 

「む? いや、まだだ。エ・ランテルには今日来たばかりなのでな、観光がてらゆるりと探そうと思っていたところよ」

 

「それでしたら、組合のおすすめの宿がございます。よろしければご紹介しましょうか?」

 

「おお、それはありがたい」

 

 吾輩が異国の人間と知ったからかは分からぬが、随分と親切に教えてくれるものだ。冒険者は荒くれ者の集いとも聞いていたから、てっきり組合の対応も相応のものと覚悟していたのだが……これは良い意味で期待を裏切られたな。少なくとも組合の職員は極めて真っ当であるらしい。

 「駆け出しの冒険者に紹介する宿ですのであまり上等な所ではありませんが……」と前置きされた上で説明を受ける。駆け出し冒険者の懐事情などたかが知れているためかなりの安宿らしいが、過酷なイザリス遠征を経験した吾輩にとっては最低限雨風を凌げるならばどこでもよい。所詮はアダマンタイトになるまでの辛抱よ。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 エ・ランテルに冒険者用の宿は三軒存在する。それぞれ低級・中級・上級と利用者層に応じた格に分かれており、低級の宿であれば(カッパー)(アイアン)が、中級は(シルバー)白金(プラチナ)が、上級は白金(プラチナ)以上に属する冒険者が主な利用者となるだろう。尤も、その上級宿である「黄金の輝き亭」は貴族が利用することもある最高級宿であり、一般に上位冒険者と言われる白金(プラチナ)以上の冒険者であっても恒常的に利用している者は限られるが。

 その日、とある黒騎士が訪れたのはそんな冒険者用の宿屋の中でも最も低級に位置する宿だった。

 

 三階建ての木造建築。古色蒼然とした……口さがない言い方をすれば老朽化が進み古臭い建物である。突風が吹けばいとも容易く傾きそうな風情ではあるが、これでも多くの駆け出し冒険者に利用されている──利用せざるを得ない──宿だった。

 その利用客は「我こそは低級冒険者でござい」と物語っているかのような風体の者たちばかりだ。安物のレザーアーマーに、手入れのなっていない鉄剣。身嗜みも到底整っているとは言い難く、彼らが如何に金銭のやり繰りに苦心しているかが見て取れる。

 

 故に、身を屈めるようにして入口を潜り現れた黒騎士は、彼らにとっては別世界の住人のように感じられた。

 

 まるで焼け焦げたかのように艶のない、だが芸術品のように精緻な紋様が表面に刻まれた漆黒の全身鎧。成人男性の身の丈ほどは優にありそうな巨大な剣の刃は拭い切れない血の跡で赤黒く染まり、掲げる大盾は鉄塊という表現がこれ以上なく似合う重厚な存在感を放っている。

 それらの武装を身に纏うのは、軽く見積もっても二メートル半はありそうな巨体の大男である。職業柄冒険者には体格に恵まれた者が多いが、その男は恵体の一言では片付けられない巨大さを有していた。体格は元より、その存在感も。

 

 (カッパー)(アイアン)で燻っている者たちにとって、黒騎士が放つ存在感はあまりに強烈だった。一目で生物としての格の違いを思い知らされるような、そんな圧力(プレッシャー)とでも言うべき強大な気配が彼らを沈黙させる。

 冒険者とは傭兵紛いの荒くれ者であると口さがない者は言うが、当の冒険者たち自身もそれを否定しない。事実として彼らは暴力を生業とする荒くれ者であり、破落戸(ごろつき)との差は暴力の矛先が人かモンスターかの違いでしかない。況や低級冒険者ともなればなおのこと。

 だが、そんな彼らをして現れた黒騎士に率先して絡みに行くような真似はしなかった。彼らは獅子に扮した竜*1にならそれと気付かずちょっかいを出すが、一目で竜と分かる怪物に手を出すほど無謀ではないし馬鹿でもないのだ。

 

 結果として、黒騎士は下品な言葉で囃し立てられることも、短い足で通行を妨げられることもなくカウンターまで歩を進める。カウンターの奥に立つ大柄な店主は緊張を隠せぬ様子で眼前に立ちはだかった黒騎士を見上げた。

 

「店主よ。組合の紹介で来たのだが、部屋を借りれるかね?」

 

「あ、ああ……一日七銅貨、前払いだ……です」

 

 店主が敬語を使った! 元(ゴールド)級冒険者の店主が! 騒めく冒険者たちの声が聞こえているのかいないのか、黒騎士は気にした様子もなくカウンターの上に銅貨を並べた。

 枚数に不足がないことを確認した店主は震える手で部屋の鍵を手渡す。それを受け取った黒騎士は短く礼を言うと、古びた床板を盛大に鳴らしながら上階へと消えていった。

 

 巨大な存在感が消えたことで一階の酒場に喧噪が戻る。言うまでもなく、彼らの話題は揃って今し方の黒騎士についてであった。

 

「おい、見たかよ」

 

「ああ、ありゃすげぇわ。桁が違うね」

 

(アイアン)の俺でもわかっちまうぜ。『クラルグラ』の連中でさえあそこまでじゃねぇよ」

 

「『天狼』や『虹』にだってあんな桁違いのオーラは出せやしねぇ。流石の俺もこの短足を出す勇気はなかったね」

 

「そんなことしたらお前の足は潰れちまうな! 聞いたかよあの足音、こんなボロ宿の床板なんかあっさり踏み抜いちまうんじゃねぇの?」

 

 幸か不幸か黒騎士が体験することはなかったが、この宿を初めて利用する新人冒険者にはある通過儀礼が洗礼として浴びせられる。

 それは先輩冒険者たちによる謂れのない難癖である。新人に安易に舐められないようにするというのも当然あるが、何よりも先輩からの難癖という危機的事態への対応力を見ることで、その新人が使()()()か否かを判断するという意味合いが大きい。例えば先輩とはいえ同じ人間に凄まれた程度で怖気づいてしまえば、その者は「いざ強大なモンスターと出会ってしまった時にもビビってしまって使い物にならない・頼れない人間である」という烙印が押されてしまうだろう。

 

 モンスターとの命の奪い合いを日常とする冒険者にとって、緊急時に頼れるかどうかは仲間を選ぶ上で最も重要な判断基準となる。いくら素質があろうといざという場面で足が竦んでしまうようでは足手纏いにしかならないし、どれだけ腕が立っても緊急時に仲間を見捨てて逃げるような者に背中は任せられない。新人冒険者にとって、この洗礼を如何にして切り抜けるかが冒険者稼業を続けていく上での分水嶺となるだろう。

 

 ではどうして黒騎士には通過儀礼が為されなかったのか──そんなもの、どう考えても無意味だったからに決まっている。

 小鹿を恐れる獅子はいないし、獅子を恐れる竜などいない。それと同じく、たかが(カッパー)(アイアン)程度の低級冒険者の恫喝でどうにかなるような手合いでないのは誰の目にも一目瞭然だった。元(ゴールド)級冒険者だった店主が緊張していたのが良い証拠である。

 

 彼らは低級冒険者。首にぶら下げているのは銅か鉄のプレートであり、実力はその材質相応といったところ。一般人に毛が生えた程度の腕っ節しかない。

 彼らは弱く、だがそれ故に強者の気配には敏感だった。後に光の速さで階級を上げていく黒騎士の噂を耳にし、彼らはこの日の判断の正しさを実感したという。

 

*1
言うまでもなく我らが魔導王のことである




アインズ様の場合……めちゃくちゃ強いけど中身が一般人だから、そのちぐはぐさが邪魔して正確な強さを判断しにくい。→おいおい、痛ぇじゃねえか! どうしてくれんだよオイ!

エリート銀騎士の場合……アインズ様ほど強くはないが、(自主規制)年に渡って戦い続けてきた経験が誰の目にも明らかな強者の気配となって表れている。→(コイツやべぇよ……手ぇ出さんどこ)


ところで会う人会う人主人公のことをデカいと言っていますが、具体的に銀騎士や黒騎士ってどのくらいの身長なのか調べてみました。
過去に販売された黒騎士の1/6スケールスタチューが高さ約41センチとのこと。直立した姿勢であるため、単純にこれを六倍した高さが黒騎士の身長と言って良いでしょう。従って黒騎士の身長は約240センチということになります。“地上最強の生物”範馬勇次郎ですら190センチ程度であることを考えるとかなりデカい。


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銀騎士(時々黒騎士)冒険譚:2

投稿が遅れたのは早くも飽きたからとか書く気力が失せたからとか、そういうことではありません。
ただ実家の牛(頭のデーモン)が産気づいただけです。

すいませんただ遅筆なだけです。忙しくて書く暇がありませんでした。
急いで書いたので出来はイマイチかもしれません。早く二次創作らしい展開を書きたいものです。


 冒険者となった吾輩がまずやったことは、依頼(クエスト)の受注ではなく仲間探しだった。

 

 当初、吾輩は単独(ソロ)で活動し階級を上げていくつもりだった。だがとある親切な受付嬢曰く、戦士一人で冒険者活動を続けていくのは難しいそうだ。

 それは何も吾輩に戦士としての力量が不足しているとかそういう話ではない。単純に戦士一人でできることなどたかが知れているということだった。

 

 例えば小鬼(ゴブリン)退治の依頼を受けたとする。そうなれば吾輩は小鬼(ゴブリン)が目撃されたという一帯を対象が見つかるまで虱潰しに探して回る必要があるだろう。だが野伏(レンジャー)なる技能を持つ者であればもっと容易に、効率よく対象を捕捉することができる。斥候の重要性は吾輩も良く知っている。

 また、後々ランクを上げていくことでより強大なモンスターと戦う機会が増えていくと、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の有無も重要になってくるらしい。魔法詠唱者(マジック・キャスター)は戦士などと比べて絶対数が少ないため確保するのは難しいが、冒険者として上位を目指すなら必ず一人は必要になるとのこと。味方の能力を上昇させたり、傷を癒したり、物理攻撃が通用しにくい敵への有効な火力源になったりと、その活躍の幅は計り知れない。

 

 などなど、熱心に力説してくれた受付嬢に感化され、吾輩もパーティーを作ってみようと思い立ったわけである。だが──

 

 さっぱり見つからない。既にパーティーが完成しているところには声を掛けづらいし、さりとて一人や二人で暇そうにしている奴に話し掛けても何故か逃げられる。そもそも目も合わせてくれないし。

 ええい、一体何だというのだ! せっかくエリートたる吾輩が声を掛けてやっているというのに、何が気に入らんというのだ! 吾輩は凄いぞ。山みたいにデカい飛竜を一人で討伐した実績があるし、イザリスでも数多いるデーモンを千切っては投げ千切っては投げの大活躍だったんだぞ! こんな超絶カッコイイ(くろ)騎士に声を掛けられておきながら、なーにが「いえ、実力的に釣り合いませんし……」だ! 吾輩が力不足だとでも言うのか小人風情がァ!

 

 失敬、奥ゆかしくなかった。

 そもそも、レド君ぐらいしかまともな友達がいなかった吾輩に仲間作りなど土台無理な話だったのだ。小人が相手ならあまり気負わず話し掛けられるのだが、そもそもの経験がなさ過ぎて言葉選びが致命的だった可能性もある。やはり第一声で「最強の(くろ)騎士を仲間にいかがかな!?」は良くなかったかもしれない。自分で自分のことを最強なんて言う奴に碌な者はいないと相場が決まっているのだ。次からは内心で自称するに留めておこう。

 

 というか、よく考えたら別に仲間とか要らなくない?

 斥候は確かにいるに越したことはないが、吾輩レベルになると古竜でもない限り対処は容易いし。魔法だって奇跡でよければ吾輩も使えるし。雷による属性攻撃も癒しの奇跡による回復も何でもござれだ。何なら弓を使えば遠距離戦もこなせる。

 

 うむ、ますます仲間とか必要ないな。吾輩一人で何でもこなせるではないか。接近戦しか能のない小人の戦士とは格が違うのだよ格が!

 

「というわけで、やはり一人で活動しようと思うのだが」

 

「だ、ダメですよ! そうやって『俺は一人で大丈夫』って言って死んでいった冒険者なんていくらでもいるんですから!」

 

 この女小人(アマ)ァ……!

 親切なのは結構だが、ここまでくるとお節介の領域だぞ! 吾輩が一人で活動しようが組合には何も迷惑など掛からないではないか! 吾輩に仲間探し何ぞさせてたらいつまで経っても終わらんぞ! それでも良いのか!?

 

「あれ、あんたパーティメンバー探してんの?」

 

 お願いだから昨日の有能そうな受付嬢に代わってくれ、と吾輩が内心忸怩たる思いでいると、背後から軽薄そうな男の声が掛かる。振り返ってみると、そこには案の定軽そうな出で立ちの小人が一人。

 

「う、うむ。だがどうにも上手く行かず、いい加減一人で依頼を受けようとしていたところだ」

 

「うわ、改めて正面から見るとすっげぇタッパ! ははーん、なるほど。あんたが断られまくってる理由に合点がいったぜ」

 

「なんと!」

 

 この小人、軽そうな見た目に反して鋭い洞察力の持ち主であるらしい。まさか一目見ただけで吾輩が仲間探しに難航している理由を見抜くとは。

 

「なぁに、簡単なことさ。ビビってんだよ」

 

「びび……?」

 

「萎縮してるってこった。こんな昼過ぎに組合で屯してる奴らなんて、これといった依頼がなくて退屈してる駆け出し冒険者が殆どさ。どう見てもあんたの実力とは釣り合わねぇ」

 

 な、なるほど。要するに吾輩の醸し出すエリートオーラが小人共を怯えさせてしまっていたというわけか。アノール・ロンドで一般銀騎士君たちと会話が続かなかったのと概ね同じ理由であるな。かーっ! つれーわー! エリートすぎてつれーわー!!

 

「冒険者パーティーってのは実力の近い者同士で組まないと早晩破綻するからな。仕方ないっちゃ仕方ないんだが。……ところで、俺らのチーム『漆黒の剣』は(シルバー)級のパーティーなんだ」

 

「ほう、(シルバー)とな」

 

 (シルバー)級は(アイアン)級の一つ上、下から三番目のランクだ。大半の冒険者が(ゴールド)以下に属することを考えるに中堅程度の実力はあるのだろう。そう言われてみれば、これまで吾輩が話し掛けてきた者たちより装備が整っているようにも感じる。

 

「その若さで(シルバー)とは、中々大したものではないか」

 

「お、嬉しいこと言ってくれるねぇ! ……けど、正直なところ行き詰まってる感があってな。このまま順当に行けば(ゴールド)ぐらいまでは何とかなると思うんだが、それ以上となるとな」

 

「伸び悩んでいると」

 

「ま、仲間からは焦り過ぎって言われるんだけどな。……で、物は相談なんだけどよ」

 

 ススっと近付いて耳元に口を寄せてくる男。優しい吾輩は小人の背丈に合わせて少し屈んでやる。

 

「あんた仲間を探してるんだろ? 試しに俺らのチームに入ってみる気はないか?」

 

「それは願ってもないが……良いのか? 仲間に相談もせずに」

 

「事後承諾にはなるけど、たぶん嫌とは言わねぇと思うぜ。更に上を目指すためにも、もう一人前衛が欲しいなって話は出てたしな。見たところあんたバリバリの戦士って感じだし、そんなデカい大剣担いでるからには力も申し分なさそうだ」

 

 うむ。レド君には及ばないが、吾輩もかなりの力持ちを自負している。オーンスタイン殿にも腕力ばかりは劣らなかったぐらいだ。屈強な牛頭のデーモンだって吾輩にかかれば片手で一捻りよ!

 当初の予定とはやや外れるが、せっかく吾輩の腕を見込まれて仲間にと勧誘されているのだ。ここで断っては(くろ)騎士の名折れ。試しに小人とチームを組むのも悪くはない。

 

 その誘いに了承の言葉を返すと、男は「そうこなくちゃ!」と手を叩いた。

 

「じゃあ早速仲間にあんたを紹介しよう! 俺はルクルット、ルクルット・ボルブってんだ。あんたの名前も聞かせてくれよ」

 

「我が名はガレア。(くろ)騎士ガレアである。よろしく頼むぞ、ルクルット殿」

 

「殿なんて敬称は要らねぇって! ランクは違うけど、俺らはこれから同じチームの仲間だ。気楽にやろうぜ!」

 

 うーむ、グッドコミュニケーション。この軽薄そうな小人、軽薄な見た目の割に物怖じせず吾輩と会話するとは見込みのある小人だ。これならば他のメンバーにも期待ができようというものである。

 

「うぅ……良かったですねガレアさん! 無事にお友達ができて……!」

 

 そして何故か嬉し泣きしている受付嬢。貴公は吾輩の何なのだ。母か。

 

 

 

 

「初めまして、ガレアさん。俺は戦士のペテル・モーク。『漆黒の剣』のリーダーです」

 

「ダイン・ウッドワンダー、森祭司(ドルイド)である!」

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)のニニャです。よろしくお願いします」

 

「で、この俺がチームの頼れる野伏(レンジャー)! ルクルット・ボルブだ!」

 

 ルクルットに連れられ組合の一角で待っていた吾輩の前に現れたのはチーム「漆黒の剣」の四人。とても人の好さそうな雰囲気の四人組であり、冒険者特有の荒っぽさというものをあまり感じない。特にリーダーのペテルは絵に描いたような好青年で、初対面の吾輩にも分け隔てなく接してくれる高いコミュニケーション能力の持ち主であった。そのコミュ力を少し分けて頂けないものか。

 

 おっといかん、吾輩も挨拶をしなければ。

 

「我が名はガレアという。先日冒険者になったばかりの新参者だが、よろしく頼む」

 

「新参……」

 

 ペテルの視線が吾輩の頭から爪先までを行ったり来たりする。フッ、我が鎧の見事さに声もないようだな。然もあろう、これは混沌と対峙するべく神々の鍛冶技術の粋を凝らして鍛造された至高の甲冑。見惚れてしまうのも無理からぬこと。遠慮せず見るがいい……いや、神の威光に平伏しながら見るがいい!

 

「冒険者としては素人だが、戦士としてはそれなりに長い。戦闘で足を引っ張ることはないだろう」

 

「あ、いえ、それは心配していません。それ程の武具を装備できるのですから、ガレアさんの実力は疑いようもないでしょう」

 

 うむ、戦士の実力を知りたければまず武器を見よ……というヤツであるな。道理である。“竜狩り”の神槍然り、“深淵歩き”の聖剣然り、優れた戦士は優れた得物を振るうものだ。

 そうでなくとも、刃の使い込みを見れば相手の実力は知れるだろう。刃の欠け一つにも武は表れ出ずるもの。我が大剣の血錆、我が鎧の傷跡、それら全てが我が戦歴を物語っている。ペテルの瞳に一瞬過った嫉妬の色は武具そのものではなく、武具に刻まれた我が戦いの遍歴にこそ向けられたものであろうことは疑いようもない。わかるわかる、戦士とは凄惨な鉄火場にこそ憧れを抱かずにはいられぬ生き物だからな。

 

 さて、仲間に了解なく新メンバーを連れて来たルクルットに多少の小言が向けられた以上のトラブルはなく、吾輩は無事『漆黒の剣』の一員として迎えられた。尤もこれは確定ではなく、今後暫く共に活動した上で最終的な判断が下されることになるだろう。彼らとて性格の合わぬ者を仲間にしたいとは思わぬであろうし、また人の性格など一朝一夕で見極められるものでもないからな。

 まあ、吾輩はアノール・ロンドでも類稀なる神格者(じんかくしゃ)として名を馳せたエリート銀騎士。性格的な問題など皆無であろうが。

 

 吾輩を加えた新生『漆黒の剣』の目的は森から溢れたモンスターの討伐だ。主な対象は小鬼(ゴブリン)や狼、人食い大鬼(オーガ)となる。彼らは普段から頻繁にこのような仕事を行っており、森から出てきたモンスターが人の生活圏を侵さないよう定期的に間引きしているのだという。

 厳密には依頼ではないため然程実入りは良くないらしいが、それでも討伐数に応じて報酬は支払われるらしい。これが『漆黒の剣』の主な収入源なのだとか。

 

「後衛のダインとニニャはともかく、前衛でモンスターと戦うペテルの武具の消耗が激しくてな。武具の修理費や回復薬の購入費用でウチの懐事情はカツカツなのさ」

 

「加えて、俺は攻撃系の武技があまり得意ではないもので……どうしても決め手に欠け、戦闘が長引く傾向にあるのです。その分アイテムや武具の消耗も激しく、満足な装備を整える資金が中々貯まらないのが実情ですね」

 

「うーむ、世知辛いものだ」

 

 ダインの森祭司(ドルイド)というのはよく分からないが、ルクルットの口振りから察するに魔法詠唱者(マジック・キャスター)の亜種のようなものなのだろう。そのルクルットは野伏(レンジャー)であり真っ当な前衛とは言い難い。するとどうしてもチームの盾となるペテルの負担が大きくなり、ただでさえ費用が嵩む金属系の武具の消耗が加速すると。中々の悪循環ではないか。

 

「僕みたいな魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)は火力こそ申し分ないですが、魔力量の問題で継戦能力に難があります。ダインならそこそこ前衛も張れるものの、やはり本職の戦士には及ばない……なので、ガレアさんのような屈強な戦士の加入は渡りに船でした。今の状況ではペテルの負担が大きかったので……」

 

「そのようだな。なぁに、大船に乗ったつもりで任せておくがいい。この大剣が伊達ではないということを証明してみせようではないか」

 

 チームの盾となり、また剣となって敵陣に切り込む前衛のペテル。敵の偵察・攪乱を器用にこなす遊撃手ルクルット。様々な術を駆使して補助・火力支援を行う後衛のダインとニニャ。一見バランスの良いように見えるパーティだが、今彼らが語ってくれたようにこのチームには純粋な火力が欠けている。

 そこで吾輩の出番である。竜を射落とす太陽の雷とデーモンを屠る剣技が加われば、『漆黒の剣』はこれまでとは比較にならぬ強大なモンスターにも通用する矛を手に入れることになる。攻めと守りの両方をこなさねばならなかったペテルに代わり吾輩がチームの一番槍を務めれば、このパーティは更なる飛躍を果たすであろう。

 

 フフフ、神族として……否、エリート銀騎士として小人の前で恥ずかしいところは見せられぬ。ここで華々しい冒険者デビューを飾り、必ずや『漆黒の剣』をアダマンタイト級まで押し上げてみせようではないか!

 

 

「あ、すみません。ガレアさんに指名依頼が入っております」

 

「ゑ?」

 

 

 我らの冒険はここから始まる! みたいなテンションだった吾輩に水を差すように声が掛かる。何事かと振り返れば、そこにはカウンターの向こうから吾輩を手招きする受付嬢が。よく見れば彼女は先日の有能そうな方の受付嬢ではないか。

 

「し、指名依頼?」

 

「冒険者になったばかりのガレアさんに、何故……?」

 

 吾輩と同じく困惑した様子の『漆黒の剣』一同。だが吾輩はそれ以前の問題として、その指名依頼とやらが何なのかがまず分からんのだが。

 

「えっと、冒険者は組合が提示する依頼を選び、それを受注する形で仕事をこなしますよね? それとは別に、依頼者が特定個人の冒険者を名指しして仕事を依頼する場合があります。これが指名依頼ですね」

 

「当然、これには態々名指しされるだけの確かな実績・信頼が不可欠である! 故に指名依頼は通常、(ゴールド)級以上の上位冒険者が対象となるものなのだが……実際の実力はどうあれ、未だ(カッパー)であるガレア殿を指名するとは如何なる事情によるものか」

 

 ニニャとダインが指名依頼について説明してくれるが、なるほど吾輩が指名された理由が分からんな。確かに吾輩は伝説のスーパー銀騎士として名を馳せているが、それはあくまでアノール・ロンドでの話。異世界であるこの地では全くの無名であろうに。

 

「ふむ、吾輩を指名したのはそこの御仁かね?」

 

「はい。こちら、依頼人のンフィーレア・バレアレさんです」

 

 相対的に有能な方の受付嬢が頷いたので、吾輩はカウンターの前に佇んでいた人物に向き直る。長い前髪で目を覆い隠した金髪の少年は吾輩の上背に面食らっていたようだが、すぐに気を取り直したように頭を下げた。

 

「ご紹介に与りました、依頼人のバレアレです。ガレアさん……でしたよね? あなたにはカルネ村までの護衛をお願いしたいのですが……」

 

「ほう、カルネ村!」

 

「カルネ村をご存知なのですか?」

 

「うむ、先日まで厄介になっていたのでな。しかし何故吾輩を? 吾輩は昨日冒険者登録をしたばかりの(カッパー)級に過ぎぬ。指名依頼はもっと実績ある冒険者にするものと聞いたが」

 

「ええ、実は──」

 

 曰く、薬師であるンフィーレア殿は薬草を採取しに定期的にカルネ村及びトブの大森林を訪れるのだが、いつも護衛を頼んでいた冒険者が都合がつかなくなってしまったらしい。そこで代わりの冒険者を探していたところ、ついさっき(カッパー)のプレートを受け取った吾輩の姿を見たのだという。

 

「こう言うと失礼かもしれませんが、(カッパー)級の冒険者であれば安く雇うことができますので……あなたのような屈強な戦士を(カッパー)相当の依頼金で雇えるのならお得でしょう?」

 

「なるほど。うむ、その強かさは嫌いではないぞ」

 

 どうやら吾輩の全身から滲み出るエリートオーラがンフィーレア殿の目に留まってしまったらしい。かーっ! つれーわー! エリートすぎてつれーわー!!

 だが、残念ながら吾輩には先約がある。これから吾輩は新生『漆黒の剣』の一員として森までモンスター討伐に赴かねばなら──

 

 いや、待て。吾輩ってば名案を思い付いてしまったぞ。『漆黒の剣』は森までモンスターの間引きに行きたい。そしてンフィーレア殿も薬草を採取しに森へ行きたい。両者の行き先は一致している。

 

「であれば、どうだろう。吾輩だけでなく彼ら……『漆黒の剣』も雇ってみては」

 

「えっ、でも……」

 

「報酬は吾輩一人分で構わん。元より我ら『漆黒の剣』の目的も森にあったのだ。我らは本来の目的に加えて護衛の報酬を得られ、貴公はより多くの戦力を得られる。悪くない取り引きではないか?」

 

 アイコンタクトを送れば、ペテルは無言で頷きを返した。勝手に決めてしまったが、幸いにも異論はないらしい。

 

「そういうことなら……じゃあそれで、是非」

 

「決まりだな。では改めて、新米冒険者のガレアだ。よろしく頼む」

 

「バレアレ薬品店のンフィーレアです。よろしくお願いします」

 

 契約成立だ。吾輩とンフィーレア殿は固い握手を交わす。エ・ランテルに来てすぐカルネ村に舞い戻ることになるとは思わなかったが、まあ良い。きっと命の恩人たる吾輩が戻れば村人たちは喜ぶであろう。

 

「いやーでかしたぜガレア! まさかバレアレさんと伝手を得られるなんてな!」

 

 すると、ルクルットが笑顔で吾輩の背を叩いた。随分と嬉しそうだが、バレアレとは有名な家系なのだろうか。

 

「バレアレといえば、エ・ランテルでも一番の薬品店ですから。冒険者にとってポーションは必需品。その最大の供給先と少しでも関係が得られるのは凄いことですよ!」

 

「いえ、そんな……凄いのは僕じゃなくておばあちゃんですから」

 

 照れたように謙遜するンフィーレア殿だが、ペテルたちの反応を見るにバレアレのブランドはかなりのものらしい。

 ポーション……噂に聞く不死人の宝「エスト瓶」のようなものだろうか。吾輩もあらゆる傷病を瞬時に癒す「女神の祝福」を所持しているが、数に限りがあるためおいそれとは使えない。あるいはそのポーションとやらに世話になる時が来るかもしれないな。

 

 何はともあれ、これでようやく吾輩も冒険者デビューだ。不安もあるが、それ以上に楽しみでもある。果たして神なきこの世でどんな景色が見られるものか……あるいは、レド君が王女の守護を放棄してまで旅に出た理由が吾輩にも分かるかもしれないな。

 




備考:自己評価/S
   コミュ力/C
   冒険心/B


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銀騎士(時々黒騎士)冒険譚:3

投稿が遅れてしまって申し訳ありません。恐らくこの小説の存在など今の今まで忘れていた方が殆どでしょうが、恥ずかしながら戻って参りました。
前書きで長々と語るのは好きではないため、遅れた理由については後書きにて説明させて頂きます。興味のない方は本文だけ見て読み飛ばして下さい。


「ぬぅん!」

 

 風を巻いて大剣が迫る。巨体を誇る人食い大鬼(オーガ)は、信じられないといった面持ちで()()から振り下ろされる漆黒の刀身を凝視した。

 

 オーガは全長二~三メートルにも達する亜人の一種である。小鬼(ゴブリン)は元より、大きくとも二メートルが精々である人間種とは比較にならぬ体格を有し、またその巨体に比例するように筋力も優れている。引き抜いた木の幹を棍棒として振り回すことさえ可能であり、人間がその剛力をまともに受ければただでは済まないだろう。

 逆に知能は低く、武器を扱う程度の知性はあるものの、ゴブリンのように独自の文明を築くような知能や社会性は存在しない。総じて正面からの力比べは無謀だが、多少搦め手を用いれば対処は容易いというのが冒険者からの評価である。

 

 オーガは知能が低い。簡単な罠すら見破れないし、体格で遥かに劣るゴブリンにさえ顎で使われる。だが、自らの種族が()()()のだという自覚はあった。オーガにとって敵とは常に下から来るものである。小うるさいゴブリンの喚き声も、獣の牙も、人間の剣や槍も、全て遥か下方から来るものであるというのが彼らの常識であった。

 

 だがこの日、オーガが知る常識は裏切られた。全身を真っ黒な鋼で覆ったソレはオーガと遜色ない視点の高さで彼らを睨み、彼らの頭より高い位置まで手にした大剣を振り上げたのだ。

 オーガは大きく、力は強いが鈍重である。しかし相手は大きく、強く、そして速かった。ソレはオーガの認識が追いつくより(はや)く眼前に迫り、オーガの鈍重な反射神経が応じるより(はや)く刃を振り下ろした。

 

 縦に両断される巨体。人の身では及ぶべくもない大鬼の肉体が為す術もなく割断される光景に誰もが目を奪われる。

 黒騎士ガレア。(カッパー)級に過ぎない筈のその男は、下位冒険者にあるまじき偉業を見せつけた。

 

 

 

 

「これで終わり……っと」

 

 ルクルットの矢が最後のゴブリンの頭を射貫き、戦闘は終了した。成果はしめてゴブリンが約二十体にオーガが約五体。(シルバー)級のパーティーではそこそこ苦戦する規模の群れだったが、消耗は驚くほど少なかった。それは偏に、新たに『漆黒の剣』に加わった新メンバー候補の存在がためである。

 

「凄いですよガレアさん! あの数のオーガを殆ど一人で倒してしまうなんて!」

 

「全くだぜ。俺らの出る幕はほぼ無かったな」

 

 当初は自らより低い階級でありながら優れた武装を纏うガレアに複雑な感情を抱いていたペテルだったが、先の大立ち回りを見せられては嫉妬の感情など抱きようもない。

 ガレアがやったことは至極単純、開幕の一刀でオーガを真っ二つに斬り捨てただけだ。だがそれは知能の低いオーガに実力の違いを知らしめるのにこの上ない効果を示した。オーガの強靭な筋骨を両断するなど尋常なことではない。桁違いの戦力を見せつけられたオーガとゴブリンの群れは一瞬で戦意を喪失させたのである。

 

 そうなれば後は消化試合である。明らかに怖気づき怯んだゴブリンをペテルは容赦なく斬り、逃げるゴブリンはダインの魔法で足止めされ、ルクルットの矢とニニャの〈魔法の矢(マジック・アロー)〉で止めを刺された。

 そしてガレアにとってはオーガなど大きいだけの的に過ぎない。彼がイザリスで対峙したデーモンはもっと大きかったし素早かった。右往左往するだけとなった木偶の坊を直ちに斬り捨て、その戦闘は呆気なく決着したのであった。

 

 恐怖に戦意を失った獣の群れなど、ソウルを求めて遮二無二襲い掛かってくる亡者にすら劣る。そんなものを幾ら斬ったとて何の誉れにもなりはしないが、それはそれとして小人たちからの無垢な称賛は嬉しいものだ。ガレアは得意げに胸を張り、もっと褒めろと言わんばかりに背筋を反らした。

 

「はっはっは! なぁに、この程度吾輩にとっては朝ごはん前よ! この三倍でもまだ足りぬわ!」

 

 それが大言壮語でないのは先の戦闘を見れば分かる。(ゴールド)白金(プラチナ)級ともなればその優れた武装と卓越した技量でオーガの肉体をも容易く切り裂くだろうが、一刀両断するとなると話は違う。頭蓋を割って肉を裂き骨を断ち、オーガほどの巨体を頭頂から股下まで真っ二つにするなどペテルの理解の外にある技術だ。ましてや武技も用いずにそれを為すなど、ミスリル級にも匹敵する実力なしには不可能であろう。

 彼のランクは(カッパー)だが、それは冒険者になって日が浅いからに過ぎず。真の実力は恐らく英雄級にも届くかもしれない。そう確信したからこそ、ペテルから醜い嫉妬の感情は消え失せた。彼は清い心根の人物であり、また生粋の戦士であった。戦士たるもの、優れた力の持ち主には然るべき敬意を払うのは当然の行いである。

 

「お疲れ様です、見事な戦いぶりでした。……さあ、すぐに出発しましょう! 一刻も早くカルネ村に向かわなくては!」

 

 馬車の御者席で手綱を引くンフィーレアは『漆黒の剣』に労いの言葉を掛けると、逸る心を抑えようともせず護衛の面々を急かす。道行きの始まりからずっとこんな調子であるンフィーレアを見て、ペテルたちは顔を見合わせて苦笑した。

 

「まあまあンフィーレアさん、ガレアさんが言うにはそのエモット家の皆さんは無事らしいじゃないですか。そう慌てなくても……」

 

「それは分かっています! 分かっているのですが……すみません、どうにも落ち着かなくて」

 

 エ・ランテルを出立する際、ガレアは予てよりカルネ村と親交があるらしいンフィーレアに先日村で起きた出来事について事情を話していた。無論スレイン法国のことは明かさず、帝国騎士による襲撃があったという表向きの事情ではあるが。

 だが、それを聞いたンフィーレアは途端に血相を変えた。凄まじい剣幕でガレアに詰め寄り、エモット家の安否について尋ねてきたのだ。一介の村人に過ぎない小人の名前などあまり覚えていないガレアだったが、流石に一番最初に助けた男とその家族のことは覚えている。エモット家の無事を伝えると幾らか落ち着いたようだったが、それでも焦りは拭えなかったのか終始こんな調子だった。

 

 変なところで勘の鋭いガレアは、ンフィーレアの様子から色恋沙汰特有の気配を感じ取った。そしてエモット家の中で彼と年が近い人物といえば長女のエンリ・エモットしかいない。「ははーん……」と兜の下でニンマリと笑ったガレアは何も言わず、粛々と先を急ごうとするンフィーレアの護衛に徹することにした。好意を寄せている女が危険な目に遭ったのだ。一刻も早く駆け付け、傍にいてやりたいと思うのは男として当然の感情であろう。

 強いて不満点を挙げるとすれば、常に気もそぞろなせいでンフィーレアがガレアの戦いぶりに大して関心を向けてくれないことか。冒険者の初仕事として依頼主に良いところを見せようと張り切っていただけに、それが空振ったことでガレアは若干ながら内心不貞腐れていたりする。

 

「どのみち一回は野営を行う必要がありますし、今からそんなに焦ってもしょうがないですよ。ね、ガレアさん」

 

「うむ。気が急くのは分かるが、そうも我武者羅に進まれては我々としても護衛に支障が出る。先程も危うくゴブリンの群れと正面衝突するところだったではないか」

 

 護衛にとって一番厄介なのは、外敵ではなく「守られている」という意識のない護衛対象である。それにンフィーレアは馬車に乗っているからまだ良いが、護衛任務中の『漆黒の剣』は徒歩で移動している。(シルバー)級冒険者として常人と比べれば遥かに体力はあれど、重い武具を装備しての移動ともなれば消耗は避けられない。いざという時に疲れて依頼人を守れませんでした、など笑い話にもならないだろう。

 

 まあ、ガレアなら馬以上の速度で三日三晩走り続けようが大した疲労にはならないのだが。

 

「……そうですよね。すみません、少し頭を冷やさないと」

 

「まあンフィーレアさんの気持ちも分かるけどな。分かるぜ、カルネ村に好きな()がいるんだろ?」

 

「ん゛ん゛っ!」

 

 ルクルットの一言で顔を真っ赤にし噎せるンフィーレア。何とも分かりやすい反応にルクルットは益々笑みを深めた。

 

「ほう、流石はルクルット。初めて会った時といい、見事な慧眼であるな」

 

「おっ、旦那も気付いてたクチ? いいねぇ、青春だよな!」

 

「な、な、な、なんで気付い、いや違くて!」

 

「こらルクルット! 依頼人を揶揄うんじゃない! ガレアさんも!」

 

『はーい』

 

 リーダーの一喝で身を引くガレアとルクルット。一方、ンフィーレアは秘めた(つもりでいた)恋心を見抜かれたことに動揺し、真っ赤な顔でわたわたと狼狽える。

 だがこれによって「一刻も早くカルネ村に向かわなければならない」という思考一色で染まっていたンフィーレアの緊張は解け、落ち着いた彼は無茶な速度での移動を自重するようになったのだった。

 

 

 

 

 

 一度の野営を挟み、翌日の午前にはカルネ村に到着した『漆黒の剣』の一行。ガレアを除き初めてカルネ村を訪れたペテルたちは何も疑問を抱かなかったが、何度も村を見たことのあるンフィーレアは村の外周を囲むように立てられた防護柵が目についた。トブの大森林及び森の賢王の縄張りと隣接するカルネ村は滅多なことではモンスターからの襲撃を受けることはなく、従って柵を張るなどして外からの脅威に備える必要がなかったのだ。

 だが今のカルネ村は以前までの長閑な姿が見る影もなく、外界を拒むように堅牢な防護柵で覆われている。ガレアから話は聞いていたが、こうして実際の光景を目の当たりにしたンフィーレアは村の変化に唾を呑み込んだ。

 

「やあやあ、数日振りだな皆の衆! 銀騎士ガレアが戻ったぞ!」

 

 そんなンフィーレアの様子には気付かず、ガレアは陽気な声色で村の中に向かって声を上げる。すると、村の正面に設えられた門がゆっくりと内側から開いた。

 

「ガレア様!」

 

「やっぱりガレア様だ!」

 

「ようこそおいで下さいました!」

 

 門が開き、中から現れた村人たちは明るい表情でガレアを迎える。嬉しそうな様子の村人たちを見てガレアは満足げに頷くが、他の面々はそうもいかない。現れた村人たちは誰も彼もが鋤や鍬などの農具、粗末ながらも剣や槍、弓などの武器を手にしており、その村人らしからぬ物々しい出で立ちにペテルたちはギョッと目を剥いた。

 完全武装の村人たちの姿は彼らの警戒心の強さを表している。それは戦火からは遠く離れた辺境に生きる村人の姿としてあまりに異常であると言わざるを得ない。それ程までに話に聞く帝国騎士の襲撃は凄惨なものだったのかと『漆黒の剣』が戦慄する中、ガレアは気にした風もなく村人たちの歓迎を受けていた。

 

「さてンフィーレア殿、まずはエンリ殿に会いに行ってやるといい。心配だったのだろう?」

 

「え、あ、はい。……あ、でもまずは村長に挨拶しないと」

 

「それは吾輩がやっておこうではないか。薬草採取のため暫く逗留させて欲しい旨を伝えればよいのであろう?」

 

「ええ、そうです。いいんですか?」

 

「構わぬ」

 

 男を見せてこい、などと笑いながら言うガレアに促され、ンフィーレアはカルネ村の門を潜る。

 ……そして、露わになった村の内部を見てンフィーレアは息を呑んだ。

 

 見慣れた筈の村はその様相を一変させていた。記憶にある家屋はその幾つかが姿を消しており、至る所に生々しい火災の痕が見て取れる。襲撃してきた帝国騎士に火を放たれたのだろうか。

 長閑で平和だった村の雰囲気に似つかわしくなく暗く沈んだ様子の村人の姿も散見される。例えばある家の軒先に力なく座り込む老人は、まるで生きる気力を失くしたように表情を陰らせている。ンフィーレアが記憶する限りでは、あの老人はいつも幼い孫娘を構っていた筈だが……目に入れても痛くないほど可愛がっていた孫娘の姿はどこにもなく、老人の手にはその子がいつも持っていた人形が握られている。何があったかなど、その様子を見れば想像に難くない。

 

 復興しつつあるのは確かだが、それでも隠し切れぬ惨劇の痕跡が嫌でも目につく。なまじ平和だった頃のカルネ村を知っているだけに、その差はンフィーレアにとって一目瞭然だった。痛ましさに目を伏せる。

 足早に村を進み、真っ直ぐにエモット家へと向かう。やがて見慣れた家の姿──玄関の扉は新しいものになっているが──が目に入り、そこでようやくンフィーレアは肩の力を抜いた。

 

 真新しい扉に拳をぶつけて三度ノックする。すると中から覚えのある少女の声で返事があり、パタパタという足音と共に扉が開いた。

 

「はーい、どちら様……あら、ンフィーレアじゃない!」

 

「や、やあエンリ。よかった、元気そうで……」

 

 中から現れたのは、ンフィーレアが密かに恋心を抱く片想いの少女だった。エンリは驚いたように一瞬目を見開くと、すぐに嬉しそうに口元を綻ばせる。見る限り怪我もなく、至って元気そうな様子にンフィーレアは安堵の溜め息をついた。

 

「薬草の採取に来たの?」

 

「うん、そろそろ材料の在庫が切れそうだったからね。それに、村が襲われたってガレアさんに聞いたから……」

 

「えっ、ガレア様が来てるの!?」

 

(……え、何その反応!)

 

 ンフィーレアがガレアの名を出すと、エンリは分かりやすく喜色を露わにした。頬を赤らめ、しかもさり気なく指で前髪を整えだす始末。まるで意中の相手を前に身嗜みに気を遣う乙女のようではないか。

 

(いや……落ち着くんだ、ンフィーレア)

 

 ンフィーレアは村人たちの様子を思い出す。彼らは帝国騎士の襲撃から村を守ってくれたガレアに感謝すること頻りであり、まるで──まるで、ではなくまさしく、なのだろうが──救世主に対するかのように接していた。何せ虐殺の際にあったところを救われたのだ、ンフィーレアだって彼らの立場にあれば同じようにしただろう。

 そう考えればエンリの態度も別におかしくはない。大恩ある人物にみっともない姿を見せたくないと思うのは至って普通の考えだ。ンフィーレアは嫉妬を抱きそうになった自分を恥じた。

 

(エンリの命の恩人なら僕にとっても大恩人だ。下種の勘繰りも大概にしろンフィーレア!)

 

「おーいンフィーレア殿! エンリ殿には会えたかね?」

 

「ガレア様!」

 

(エンリ──!?)

 

 ンフィーレアが内心で己を叱咤した直後、エンリはガレアの姿を見つけるやンフィーレアを置いてすっ飛んで行く。まるで魔法の矢(マジック・アロー)のような速度で走り去っていくエンリを、ンフィーレアは呆然と見送ることしかできなかった。

 

 ちなみにンフィーレアの懸念は全くの杞憂である。神族であるガレアと人間であるエンリは根本的に種族が違うので、ンフィーレアが心配するようなことは起こり得ない。

 尤もエンリはガレアが人間でないことを知らないが、彼女は良くも悪くも現実主義者(リアリスト)であり、身分違いの恋愛に憧れを抱くような少女ではなかった。出で立ちや立ち振る舞いからガレアが村人など及びもつかぬ上位の人間であることは察するに容易く、エンリがガレアに抱いている感情は恩人に対する純粋な尊敬や憧れに過ぎない。

 現時点で抱いている感情の大きさがガレア>ンフィーレアであることは事実だが。彼の敗因はいつまでも及び腰で自分の恋心を打ち明けなかったことである。

 

「ガレア様、またいらして下さったんですね!」

 

「冒険者の仕事でな。ンフィーレア殿の護衛として参った次第。うむ、見たところ変わらず息災なようで何よりだ」

 

「父の怪我もガレア様の魔法のお陰ですっかり良くなりまして……今は畑仕事で村の外にいるので、良ければ後で会って頂けませんか?」

 

「勿論だとも。勇者と会うのに理由は要らぬ。こちらの仕事が終わってからになるが……ンフィーレア殿、『漆黒の剣』はいつでも出立できるぞ。あとは貴公の準備次第だ」

 

「ハイ、ボクモスグニデラレマス……」

 

「何故片言なのだ……?」

 

 何故か消沈した様子のンフィーレアに首を傾げるガレアとエンリ。

 少年の恋心が報われるのは、もう少し先の話である。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 カルネ村を出た吾輩たちはンフィーレア殿の先導に従って深い森を分け入っていく。

 トブの大森林というらしいこの広大な森は、この世界に迷い込んだ吾輩が最初に目を覚ました場所でもある。つまり二度目の来訪というわけだが、変わらず地理についてはさっぱりである。もう少し開けていれば別だが、こうも木々が鬱蒼と生い茂っていては吾輩の千里眼も形無しだ。

 

 しかしンフィーレア殿は勝手知ったるといった様子で迷いなく進んでいく。流石に長年この森で採取を続けてきただけある。野伏(レンジャー)のルクルットにも負けぬしっかりとした足取りだ。

 ちなみに村を出る時は挙動不審だったンフィーレア殿だが、森に入る頃には落ち着きを取り戻していた。まあ、どういうわけか吾輩に対する時だけ何故かまた挙動不審になるのだが。特にこれと言って失礼をした覚えはないのだが、小人の思考回路とは摩訶不思議なものである。

 

「……さて、到着しました。この周辺に目的の薬草が群生しています。僕は採取に集中しますので、皆さんは周囲の警戒をお願いしますね」

 

「分かりました。頼んだぞルクルット、ダイン」

 

「あいよ。森の中の索敵は俺にお任せってな!」

 

「任された!」

 

 森は野伏(レンジャー)森司祭(ドルイド)の独壇場である。索敵はルクルットとダインの二人に任せ、吾輩とペテル、ニニャの三人はンフィーレア殿の周囲で警戒に当たる。

 しかし吾輩が感知できる範囲にモンスターの気配はない。カルネ村までの道中では幾度かゴブリンやオーガと出くわしたが、そちらとは打って変わって静かなものだ。街道よりも静かな森とか不思議なものだが、これも森の賢王とやらの縄張りが近いからだろうか。

 

 ルクルットも同じ考えに至ったのだろう。護衛を開始して暫くの間は張り切っていたルクルットだが、半刻が過ぎても碌にモンスターの気配が感じられぬことで徐々に気の抜けた顔つきになってきた。

 ペテルが気の抜けた様子のルクルットを目線で咎めるが、ルクルットは肩をすくめてモンスターが皆無であることを告げる。確かに仕事中に気を抜くのは褒められたことではないが、ここまで何もないと気が抜けてしまうのも分からないでもない。

 

「ふむ……ンフィーレア殿、トブの森とはこうもモンスターがいないものか?」

 

「そうですね……流石にここまで静かなのは珍しい気がします。いつもは採取中に一度か二度はゴブリンの襲撃に遭うんですが」

 

 見ればンフィーレア殿が背負っている籠には結構な量の薬草が収まっている。この様子ではそろそろ採取も終了するだろう。

 だが、それだけの時間が経過したにもかかわらずモンスターはおろか、獣の気配すらも皆無。森らしからぬ静けさには不穏なものを感じざるを得ないな。

 

「薬草も必要な量は集まりましたし、そろそろ戻りましょうか」

 

「うむ、それが良かろう。何やら吾輩の銀騎士センスが嫌な予感を感じておるわ」

 

「……銀騎士センスって何ですか?」

 

「今考えた造語だ。銀騎士としての長きに渡る戦いの中で培われた吾輩の優れた第六感のことで……おっと」

 

 不思議そうに首を傾げたニニャにそう答えていると、吾輩の感知に何やら大きな気配が引っ掛かった。噂をすれば何とやらだな。

 ややあって異変に気付いたルクルットが表情を険しくする。件の気配はかなりの速度でこちらに近付いてきているが、この速度からして相手はゴブリンやオーガではあるまい。

 

「どうした、ルクルット」

 

「……やべぇな。ちょっとお目に掛かったことのない大物が引っ掛かった。真っ直ぐこっちに向かって来るぜ」

 

「何だと!」

 

 慌てて身構える『漆黒の剣』の一同。

 だが少し違うな。向かって来るのではなく、()()()()が正しい。

 

「どれ、少し下がっていろ」

 

 暗がりから飛来したソレを左手の盾で弾く。まるで蛇のようにうねるソレは、しかし蛇ではあり得ぬ速度と威力で盾にぶつかり、轟音と共に盛大な火花を散らした。

 

「ガレアさん!」

 

「大事ない。吾輩の盾はこの程度では小動(こゆるぎ)もせんわ。しかし中々の俊足よ。森の中に限れば吾輩よりも上と見た」

 

 僅かな間にこの森を走破する強靭な足は警戒に値する。吾輩はペテルに無事を伝えると、改めて盾と大剣を構えた。

 蛇のようにも見えたあれは恐らく尻尾だろう。瞬く間に伸縮し森の暗がりに戻っていったが、吾輩の目は木々の間から覗いた白銀の体毛を見逃さなかった。いやに森が静かだったのはコイツが近くにいたからか?

 

「蛇の如き尾に白銀に輝く体躯。この特徴を具えた存在に吾輩は心当たりがあるぞ」

 

「……まさか、森の賢王!?」

 

『如何にも』

 

 まさかの返答にンフィーレア殿は驚愕に目を見開く。

 伝説に曰く、森の賢王は自在に人語を操るという。であれば、森の奥から届くこの声は森の賢王のものに相違なかろう。吾輩も幾度となく強大な怪物と対峙してきたが、こうもはっきりと言葉を発するのは古竜以外では初めてだ。年甲斐もなくワクワクしてきたぞ。

 

 やがて木々を薙ぎ倒し、地響きを立てながら森の賢王が姿を現す。

 白銀の体毛。硬質な鱗で覆われた蛇のような長い尾。人語を解するだけの優れた知性を感じさせる──つぶらな丸い瞳。

 

(うん?)

 

 姿がはっきりしてくるにつれ強く感じる違和感。白銀に輝く体毛はまあ見事なものだが、その体毛で覆われた巨体は妙に丸っこい。力強く大地を踏みしめる手足もやたら短く、こじんまりとしている。

 何よりその顔。その短い口吻に発達した前歯は、時にアノール・ロンドの下水にも出現した──

 

「……鼠?」

 

「何と失礼な! 鼠なんかと一緒にしないでほしいでござる!」

 

 そうは言うが、どこからどう見ても鼠だった。確かに人間すら捕食する獰猛な下水鼠よりは愛嬌がある見た目だが、その特徴はどう見ても鼠ないしそれに連なる齧歯類の様相である。

 何と言うか、伝説との乖離に吾輩がっかりである。名前に王なんてついてるわけだし、吾輩はてっきりもっとこう、獅子とか狼みたいな猛獣のような姿を想像していたのだが。

 

「これが森の賢王……!」

 

「伝説に違わぬ凄まじい迫力だ!」

 

「んー?」

 

 だが、吾輩以外の面子は戦慄したように表情を強張らせていた。どうやら肩透かしを感じているのは吾輩だけなようで、彼らにはこの鼠モドキが伝説の大魔獣に見えているらしい。

 やはり神族と小人の価値観は相容れないようだ。こんなちょっと大きいだけの鼠で怖気づくなど、もし竜なんて目にした日にはショック死してしまうのではなかろうか。小人とはなんと蛍の如き儚い生き物だろう。

 

「どうする、リーダー」

 

「戦って勝てるような相手じゃない。逃げの一手しかないだろう。けど……」

 

「すぐに追いつかれるのがオチであるな」

 

「……俺が時間を稼ぐ。お前たちはンフィーレアさんを連れて逃げて──」

 

「いや、それには及ばぬ。殿は吾輩が務めよう」

 

 何やらペテルが覚悟を決めた顔をしているが、そうも腰が引けているのに任せるわけにはいかん。

 鼠狩りなど、吾輩に任せておけばいいのさ……

 

「けど、ガレアさん!」

 

「ペテルよ、チームのために身体を張ることだけがリーダーの役割ではない。窮地にあればこそ冷静に、状況に適した采配を振るうことこそ将たる者の為すべきことだ。さて、この場であの獣を抑えるのに適しているのは誰だ?」

 

「……分かりました」

 

 唇を噛み締め、渋々と引き下がるペテル。まだ正式なメンバーではない吾輩に無理を強いることを厭ったのだろうが、安心せよ。竜やデーモンと比べればこの程度、何ということもない。

 

「さあ、来るがいい森の賢王。銀騎士ガレアが相手だ!」

 

「それがしを森の賢王と知ってなお挑むその勇気や良し! 相手になってやるでござる!」

 

 賢王は逃げるペテルらを追わず真っ直ぐに吾輩を睨んでいる。武人気質と言うべきか、理由はどうあれこちらだけを狙ってくれるなら願ったりだ。

 

 まず動いたのは先方。四肢を踏ん張り大地に立っていた賢王が直立する。後脚で立ち上がり、前脚に具わる鋭い爪で切りかかってきた。

 なるほど確かにただの鼠ではない。恐らくあの長い尾でバランスを取っているのだろう。多少前傾姿勢ではあるものの、しっかりと二足で立ち上がり巧みに腕を振り回してくる。

 

 だが短い手足が仇となりリーチに乏しく、動作も見切りやすい。吾輩は堅牢な盾で爪撃を受けつつ、大上段から大剣を振り下ろした。

 

「なんの!」

 

 大剣の刃が敵の頭蓋に到達する寸前、横合いからの強い衝撃により狙いが逸れ虚しく大地を抉る。

 尾だ。蛇のような尻尾は、まさしく蛇の如くしなるような軌道で吾輩の手の甲を叩いたのだ。自らも腕を動かしつつ正確に吾輩の手を狙い澄ますとは、何と器用なことよ。

 直後、賢王はその巨体を活かした強烈な体当たりをぶちかます。剣を大地にめり込ませた姿勢の吾輩は諸にそれを受け、何と三歩分も後退させられた。

 

「中々の衝撃だ。賢王よ、貴公を鼠と言ったが撤回しよう。エリート銀騎士たる吾輩を三歩も後退らせるとは、たかが下水鼠風情と同列に扱うなど失礼であった」

 

「むむむ、何と頑丈な人間でござろう。西の魔蛇とてそれがしの体当たりを食らえばただでは済まぬというのに、まるで巨岩の如き堅牢さでござる」

 

 賢王は驚いたようにつぶらな瞳を瞬かせている。西の魔蛇とやらは知らぬが、口振りからして賢王と同等のモンスターなのだろう。

 だが概ね力量は見切ったぞ。デーモンに換算するなら恐らく山羊頭以上牛頭以下と言ったところか。いや、知能の高さを加味すれば牛頭に並ぶか? どうあれ獣にしては大した力だが、幾多のデーモンを相手にしてきた吾輩にとっては物の数ではない。

 

「どれ、そろそろ終わらせるとしようか」

 

「ムッ、もう勝ったつもりでござるか? 勝負はまだまだこれからでござるよ!」

 

「吾輩とてもう少しこの戦いを楽しみたいが、生憎と護衛任務中でな。あまり雇い主を放っておくわけにもいかん」

 

 口の中で王たる神への祈りを唱え、総身に雷気を漲らせる。

 これが吾輩の通常戦闘形態にして古き銀騎士の戦い方よ。太陽の光の加護を宿す我らはその身に雷を滾らせ、古竜に抗う身のこなしと膂力を得た。剣に雷を纏わせるのみならず、全身に太陽の光を宿してこそのエリートだ。

 

「さあ行くぞ。これぞ竜狩りの秘儀、古き銀騎士の戦いである!」

 

 剣の切っ先から迸る電気が草木を焦がし、我が踵は大地に灼熱の轍を刻む。瞠目する賢王目掛け、吾輩は激烈な踏み込みと共に肉薄した。

 雷の如き踏み込みに賢王は明らかに反応しきれていない。吾輩は勝利を確信した。あとはその頭蓋を叩き割り、以てこの戦の締めとしよう。戦利品は何がいいかな。竜狩りに倣うならば首だが、やはりこの場合はその見事な白銀の毛皮だろう。鞣してマントにでもするか。

 

 などと脳内で皮算用をしつつも、我が腕は恙無く動作し大剣を振り上げ殺意のままに叩き込む。

 森の賢王、強壮なる獣であった。

 

「まま、参ったでござる〜! 殺さないでほしいでござるよ〜!」

 

「ぅろっしょい!?」

 

 短い両手を精一杯伸ばし、頭上をガードし蹲る賢王。まさかの戦意喪失に吾輩は慌てて剣の狙いを逸らした。

 微かに頭を掠めつつ、再び大剣が大地を抉る。しかし先程とは異なり、我が剣は雷光と共に衝撃を発し地面を爆散させた。

 

「ひょえぇぇぇ〜!?」

 

 すぐ傍で生じた爆発により賢王の巨体が引っ繰り返る。彼は何とも情けない悲鳴を上げて仰向けに転がった。

 そしてそのまま動く気配がない。獣の世界において、腹を見せる姿勢は服従を示すという。そうでなくともあの情けない声は演技ではないだろう。どうやら本当に賢王は戦意を消失させてしまったらしい。

 

 森の賢王、何とも締まらない獣であった。我輩はため息と共に剣を下ろした。

 




言い訳ですが、率直に申しまして自宅が沈みました。少し前の話になりますが、大雨と洪水によって我が家は氾濫した水と泥で埋まりまして、愛しのPCもその時臨終致しました。今回は辛うじて避難が間に合ったスマホにて書いている次第でございます。

現在も到底元のような生活に戻れたとは言い難く、従って趣味に割ける時間も限られたものとなるでしょう。投稿間隔もかなり伸びると思います。
それに伴い、完結できるかも怪しくなって参りました。当初予定していた結末はこのペースだと大分先であり、場合によってはエタる可能性も十分に考えられます。個人的にエタるのは嫌なので結末を早めるなどしてとりあえず完結させる努力は致しますが、あまり期待はしないで下さい。今後はほぼエタったものと割り切って読むことをお勧め致します。拙作を読んでくれる人がどれだけいるかは分かりませんが。

それではまた次回、早ければ来月あたりにまたお会いしましょう。


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城塞都市騒擾 in 銀騎士:1

前回は温かいお言葉をかけて下さりありがとうございます。大変励みになりました。

遅くなりましたが最新話です。黒騎士装備なのに頑なに自分を銀騎士と言い張る自称・エリート銀騎士がエ・ランテルを恐怖のどん底に突き落とすお話となっております。


 吾輩は誇り高き銀騎士である。相手が獣であれ、戦意を失い降伏してきた相手を斬るような真似はしない。毛皮で新しいマントを作る計画が頓挫したのは残念だが。

 というわけで腹を向ける森の賢王の命乞いを受け入れた。まるで借りてきた猫のように大人しくなった賢王を引き連れ、吾輩はカルネ村まで撤退した『漆黒の剣』と合流する。

 

「まさか森の賢王に勝ってしまうなんて……」

 

「それも無傷で制圧するとは、凄まじい実力である!」

 

 ペテルとダインの純粋な賞賛が耳に心地良い。そしてルクルットとニニャは恐る恐る近付き、感嘆の声を上げながら賢王を眺めている。見世物にされている賢王は満更でもなさそうだ。

 

「うおぉぉ……すっげ、本物だ。やべぇよ、俺いま伝説を目の前にしてる……」

 

「間近で見るとより一層強大さが際立ちます。これ程の大魔獣を従えてしまうなんて……」

 

「うむ。それがし、殿のお力に平伏し申した。これからは殿に仕え、精一杯お役に立つ所存でござるよ!」

 

 意外にも賢王は敗北をあまり屈辱には思っていないようで、吾輩への従属に意欲的な様子である。

 吾輩としても懐いてくれるのは悪い気はしないが、実際どうなのだろう。どうやら賢王はついてくる気満々なようだが、確かこいつはトブの森の秩序形成の一角を担っているのではなかったか。

 

「その、ガレアさん。カルネ村は森の賢王の縄張りに隣接しているからこそこれまでモンスターの脅威に晒されずにいました。もし森の賢王がガレアさんについて行ってしまえば、縄張りがなくなって森からモンスターが溢れたりするのでは……」

 

 ンフィーレア殿も同じことを思ったようで、不安そうに尋ねてくる。遠巻きにする村人たちもその言葉にざわざわと騒めいた。

 

「そこの所どうなのだ? お前がいなくなることで森の秩序が崩れるのであれば、残念ながら吾輩はお前を連れて行くことはできん」

 

「ま、待ってほしいでござる! そもそも今の森は妙に荒れていて、それがしの縄張りも以前ほどの影響力はないのでござる」

 

 短い手をわたわたと動かして捲し立てる賢王。

 賢王が言うところによると、最近になって森を出ていくモンスターが増えてきたそうだ。そのモンスターたちは何かに追われるように忙しなく移動しており、賢王の縄張りだろうがお構いなしに侵入してくるのだという。

 今回吾輩たちが襲撃を受けたのは、そういったモンスターの存在に気を張っていた賢王の感知に吾輩の強い気配が引っ掛かったかららしい。フッ、またしてもエリートの弊害か……

 

「言われてみりゃ確かに、カルネ村までの道中でも妙にモンスターの襲撃が多かったよな」

 

小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)の群れに出くわすこと三回。確かに街道を行ったにしては多いです。それも森の賢王が言う森の異変によるものなのでしょうか……」

 

「実は少し前に西の魔蛇から協力を求められたのでござるよ。協力というか、森の異変が収まるまで互いの縄張りには手出ししないという取り決めでござるな」

 

 西の魔蛇。そういえば先の戦いの最中にもその名前は聞いたな。

 

「あの森は南をそれがしが、東を不死身の巨人が、西を魔法の蛇がそれぞれ支配し縄張りにしているでござる。そして魔蛇曰く、空白地帯だった北の領域で異変の兆しが見られるそうでござるよ」

 

「何か強力なモンスターが新たに居座ったのか?」

 

「さて、それがしは殆ど自分の縄張りから動かないでござるし、色々と探っているらしい魔蛇も原因は特定できていないみたいでござるよ。東の巨人も独自に動いているようでござるが、そちらは非協力的で魔蛇の奴も殆ど情報を得られなかったとぼやいていたでござる」

 

 ふむ、何と言うか西の魔蛇とやらは苦労しているらしいな。協調性のない巨人に、“賢王”という割に無知で縄張りから出てこないマイペースな魔獣。吾輩が魔蛇の立場だったら面倒臭くなって両方ともぶちのめしてしまいそうだ。

 

 そしてカルネ村の小人たちはトブの森に森の賢王と同格のモンスターが更に二体もいたことを知らなかったらしく、不安そうに顔を見合わせている。加えて、そんな強大なモンスターが三体もいて未だに全容を把握できていない“北の異変”。不安に思うのも無理はない。

 

「うーむ、やはりお前を連れ出すわけにはいかなそうだ」

 

「そ、そんなぁ! 殿~!」

 

「まあ待て、何もこれ切りの縁というわけでもなかろう。賢王よ、森の異変が収束するまでは今まで通り縄張りを治めていろ。荒れているとはいえ、お前がいれば多少はマシな筈だ。魔蛇との取り決めもあるのだろう?」

 

「うぅ……殿のお力があれば異変もすぐに解決できるのではござらんか?」

 

「何が起きているかも分からぬのに介入できるわけなかろう。ただでさえ混乱している現状に、モンスターによって保たれている秩序が吾輩の介入で崩壊したらどうする。異変の内容によっては徒に森を荒らす結果にもなりかねん」

 

 魔蛇と巨人が賢王のように力で言う事を聞かせられる手合いであれば良いがな。もし争いになり、吾輩が魔蛇なり巨人なりを殺してしまえば、彼らが支配していたモンスターたちは統率を失い更なる混乱を引き起こすかもしれん。それでカルネ村にまで被害が及ぶのでは本末転倒だ。

 

「森の異変は森に棲む者らの手で解決するに越したことはない。お前が森を出るのは異変が収束し落ち着いてからでも良かろう。

 それでもし、北の異変がお前たちの手に負えぬものだった場合は吾輩を呼ぶがいい。その時は力を貸そうではないか」

 

「でも、森の外にいる殿をどうやって呼べばいいでござるか?」

 

「これを使う」

 

 吾輩が取り出したのは、ソウルの力が溶け込んだ蝋石(ろうせき)である。「白いサインろう石」というこれで地面にサインを書けば、ソウルの御業によって次元の断絶すら越えて協力することができる。

 使い方は簡単、サインに触れて念じるだけだ。そうすれば吾輩の霊体がその場に召喚される。サインを書くにはサインろう石に自らのソウルを溶け込ませる必要があるためソウルの業の習得が必須だが、ただ協力を求めるだけなら賢王にもできるだろう。

 

「こいつでお前の寝床にでも吾輩のサインを書いておいてやろう。もし窮地にあればサインを通じ吾輩に助けを求めるがいい。すぐに駆け付けるであろう」

 

「す、すごいでござる! 流石は殿、かような魔導にも精通しているとは……それがし、感服したでござる!」

 

「ははは、やめいやめい。褒めても何も出んぞ」

 

 吾輩のいた世界では特に貴重でもなんでもないサインろう石だが、ソウルの業など影も形もないこの世界においては珍しく映るらしい。ニニャ曰く転移の魔術を扱えるような高位魔法詠唱者(マジック・キャスター)の存在は相当に限られているようだし、無理もないのかもしれんが。

 

「殿、殿」

 

「む? 何だ賢王よ」

 

「一度別れる前に、それがし名前が欲しいでござる」

 

「名前とな?」

 

 はて、お前には既に森の賢王という立派な名前がついているではないか。名前負けしてる感が否めないのは事実だが。

 

「森の賢王というのは人間が勝手につけた通り名であって、それがし自身の名前ではないのでござる。これまでは特に不便もなかったので森の賢王と名乗っていたでござるが、それがしは今や森の南方を統べる魔獣ではなく、殿に仕える忠実な獣。是非とも殿自ら名前をつけて欲しいのでござる」

 

 ほほう、何とも可愛らしいことを言うではないか。

 確かにこいつの言う事も分からんでもない。吾輩は最初の火の傍でにゅっと自然発生した名も無き銀騎士であった。故に大王より授けられたお気に入りの銀騎士の兜にちなみ「(ガレア)」と自称するようになったが、吾輩も叶うならば大王御自らの手より名を賜りたかったものだ。所詮は神々の一下僕に過ぎぬ身で、高望みだとは分かっているのだがな。

 

 よろしい。ならば、この銀騎士ガレアがお前に相応しい名を考えてやろうではないか。

 しかし残念なことに吾輩はあまりネーミングセンスに自信がない。レド君からは「自分の名前を考えるのにセンスを使い切った男」呼ばわりされたぐらいだ。

 なので過去の偉人の名を拝借しようと思う。実際、神や英雄の名に肖って名付けを行う慣習は至る所に存在するからな。

 

「よし。ではロードランより遥か東方に伝わるという古き賢者の名に肖り、テオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムと……」

 

「長い長い! 長すぎるでござるぅ!」

 

 と思ったら速攻で文句をつけられた。

 何だ何だ、賢王なんだからそのぐらい覚えたまえよ。

 

「あの、ガレアさん。王族ですら名前は五個構成なので、森の賢王とはいえ六つというのは流石に長すぎるかと……」

 

「むぅ、そんな決まりがあるのか? 仕方がない、ンフィーレア殿に免じて別の名前を考えるとしよう」

 

 センスの無さを露呈してしまう前にさっさと良い感じの名前をつけてしまいたいところだったが、致し方ない。

 

「では小人の国家にて善政を布いたと伝えられる賢王の名に肖り、ハンムラビ・ニムロデ・ユスティスケというのは」

 

「おお、それなら覚えられるでござるよ!」

 

「略してハムスケだ」

 

「略す必要あったでござるか……?」

 

「短い方が覚えやすいのであろう?」

 

 ともあれ、ハンムラビ・ニムロデ・ユスティスケ(ハムスケ)の名付けを終えた吾輩は『漆黒の剣』に事情を説明し、サインを置くために今一度森へと引き返す。

 ハムスケとは一旦そこでお別れだ。彼にはカルネ村の様子を気に掛けておくように言いつけ、吾輩は仲間と共にエ・ランテルへ帰還するのであった。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

「皆さんのお陰でかなりの量の薬草を採取することができました。ありがとうございます」

 

「いえ、また何かあれば是非『漆黒の剣』を頼って下さい! それじゃあ、俺はンフィーレアさんのサインを持って組合に依頼達成の報告をしてくるよ」

 

「おう。俺らは先に荷下ろししてるから、早いとこ終わらせてこいよー」

 

 冒険者組合への報告はリーダーであるペテルが受け持ち、残る我々は荷車に満載された薬草を店に運び入れるのを手伝う。

 所詮は葉っぱとはいえ、麻袋にぎっしり詰め込まれているためそこそこの重量がある。これをンフィーレア殿一人で運ばせるわけにはいかないため、これも冒険者である吾輩たちの仕事となる。

 

「じゃあ皆さん、こちらへ運んで頂けますか?」

 

「わかりました」

 

「了解である!」

 

 キビキビと荷物を下ろすニニャとダインに続き、吾輩とルクルットも持てる限りの荷物を抱えてンフィーレア殿の後を追う。

 既に日は落ち辺りは薄暗い。ンフィーレア殿は火の点いたランタンを片手にバレアレ薬品店の扉を開けた。

 

「おばあちゃんはいないのかな……?」

 

 見る限り店内は真っ暗で照明の一つも点いていない。ンフィーレア殿の祖母であるリイジー・バレアレはかなりの高齢らしいため、明かりもなくこの暗闇の中にいるということはないだろう。

 となれば必然留守ということになるが……はて、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ンフィーレア殿がランタンを掲げ店内に入る。同時、店の奥の扉……恐らくは従業員用の勝手口と思しき扉がゆっくりと開いた。

 

「はァ~い、お帰りなさぁい」

 

 甘ったるい声が不吉に響く。暗闇の中から現れたのは、外套で身体を覆った金髪の女だった。

 

「あ、あの……あなたは、一体……?」

 

「え、知り合いじゃないんですか?」

 

 困惑したンフィーレアの様子に、女を完全に店の従業員だと思っていたらしいルクルットが呑気に尋ねている。

 吾輩はンフィーレア殿を守るように前へ出る。巧妙に隠してはいるがこの女、抑えきれぬ殺気が微かに漏れ出ているぞ。

 

 女は鳶色の瞳を猫のように細める。一見すると緊張感の欠片もないふざけた笑みだが、その視線は油断なく吾輩の一挙一動を見定めていた。

 

「……ふーん。王国の冒険者なんてアダマンタイト以外はノーマークだったけど、とんだ隠し玉がいたものねぇ。そのオーラで(カッパー)とか嘘でしょ」

 

「答えよ女。貴様の目的は何だ」

 

 吾輩が詰問の声を上げたことでようやく異常事態を悟ったのだろう。遅れて他の面々も武器を構えンフィーレア殿を庇うように前に出た。

 まあ、問い詰めるまでもなくこの女の目的など分かり切っているが。案の定女は小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、それまで抑えていた悪意を隠すことなく曝け出した。

 

「私の目的はンフィーレア・バレアレを攫うコト。君の生まれながらの異能(タレント)が欲しくてさー。ちょーっとアンデッドの大群を喚んでほしいんだよね~……っと!」

 

 夜闇に溶け込むような暗い色の外套が翻る。視界を遮るように広がった布を突き破り、十字短剣(スティレット)の切っ先がこちら目掛けて放たれた。

 スティレットとは鎧や鎖帷子の隙間を貫くための細く鋭い形状の短剣である。その設計思想通り、女が操るスティレットは吾輩の胸当と腰当の隙間を狙って突き出された。狙いが腹だったのは単純に身長差の問題で狙いやすかったからであろう。

 こんな貧弱な短剣の一撃を受けたところで吾輩の腹筋を貫くことは不可能であろうが、みすみす直撃を許すのも癪だ。吾輩は盾であっさり弾いてやると、女を袈裟斬りにすべく大剣を振り回した。

 

 だが、吾輩が大剣を振るった時には女はその場を離脱していた。

 思えば速さの割に盾に感じた衝撃はあまりに小さかった。この不意打ち気味の刺突はブラフ。女は端から吾輩と戦うつもりなどなく、与しやすしと思わせ剣を振らせることが目的だったのだ。

 

 刹那の思考で女の狙いを悟るも、振り抜いた腕はそう易々と止まってはくれない。吾輩の大剣は小人の家屋で振り回すにはあまりに大きく、テーブルなどの家具を破壊し粉塵を巻き上げた。

 舞い上がった木屑や埃などを隠れ蓑に、胸が床に接するほどの前傾姿勢になった女が『漆黒の剣』の足元を縫うように駆け抜けていく。その際、手にしたスティレットでルクルットたちの足の腱を切り裂いていったのを吾輩は見逃さなかった。

 

「……小癪!」

 

 この女やりおる。振り向いて剣を振るおうにも、腱を裂かれ頽れた仲間の身体が邪魔になって思うように腕を動かせない。済まぬと手短に詫び、吾輩は動けないルクルットらを蹴り飛ばし強引に空間を開いた。

 

「じゃあねん♪ この子は頂いてくよ~」

 

「が、ガレアさん!」

 

 だが、その時には既にンフィーレア殿の身柄は女の腕の中にあった。女は人一人を抱えているとは思えぬ程の身軽さで跳躍し、窓を割って外へ飛び出していった。

 吾輩は体当たりで壁を粉砕し強引に外へ出る。だがその一瞬で女は姿を眩ませており、しかも何らかの魔法か道具でも使ったのか気配すら感じられなくなっていた。

 

 やられた。多くの家屋が立ち並ぶ街中は複雑に入り組んでおり、身を隠す場所など幾らでも存在する。加えて人が多いせいで特定個人の気配を辿って追跡するのは困難であり、しかも相手は自在に気配を隠せるときた。これでは追いかけようがない。刺客の類であればあるいは可能なのかもしれないが、近衛騎士である吾輩には身を隠しながら逃げる相手を追跡する技術がないのだ。

 

「否、まだだ」

 

 認めよう。まずは貴様の勝ちだ、女。吾輩はンフィーレア殿を護衛する任を負っていたにもかかわらず、無様にも出し抜かれ護衛対象を連れ去られてしまった。何という失態、何という醜態であろうか。これは言い訳の余地なく吾輩の敗北である。もし騎士長殿がこの場にいれば叱責は免れなかったであろう。

 

 だがまだだ。まだ終わっていない。奴の口振りから察するに、どうやら敵はンフィーレア殿の能力を利用するつもりでいるらしい。

 ならばすぐに殺されるようなことはないだろう。何らかの利用価値があるから生かしたまま連れ去ったのであり、少なくともその利用価値が失われるまではンフィーレア殿の身の安全は保障されているといって良い。それまでに連れ戻せれば最悪の事態は避けられる。

 

「な、何じゃ。これはどうしたことじゃ……!?」

 

「ガレアさん、何があったんですか!?」

 

 振り返ると、戻ってきたペテルがただならぬ様子の吾輩を見て驚いた顔をしていた。その隣には老婆がおり、彼女は吾輩が粉砕した店の壁を見てギョッと目を剥いている。

 何の関係もない一般人を理由もなくペテルが連れてきたとは思えない。状況からして恐らく老婆の正体は話に聞くンフィーレア殿の祖母、リイジー・バレアレ氏であろう。ならば丁度いい。

 

「ペテル、手短に言うのでよく聞け」

 

「え?」

 

「ンフィーレア殿が攫われた。吾輩は今から下手人を追う。店の中に負傷した仲間がいるので任せた。そしてご老人、壁の修理代は後ほど払わせて頂く」

 

「え……ええ!?」

 

「ではさらばだ!」

 

 吾輩は返事を聞くことなく駆け出した。

 一歩で風になり、二歩で音を超え三歩で稲妻と化す。放電しながら道路を疾走し、四歩目で大きく跳躍する。

 

 敵は気配を隠し逃走しているが、吾輩の目は遮るものさえなければ文字通り千里を見通す。不可視にでもならない限りは何人も我が目から逃れることは不可能である。

 ……すまん千里は誇張が過ぎた。実際は十里ぐらいだ。それ以上になると見えても個体の判別はできない。

 

 全力の跳躍によって上空から街並みを俯瞰する。敵は恐らく人目を避けるように移動している筈だ。ならば狙い目は路地裏などの暗がりだろう。

 

「……見つけたぞ!」

 

 飛行能力を持たない吾輩の身体はすぐに自由落下を始めるが、滞空していた一瞬で敵の姿を捉えることに成功した。女は小人らしからぬ速度で西に向かって移動しているようだ。

 敵の姿さえ明らかになれば、あとは単純な駆け比べである。小人にしてはあり得ぬほど素早いようだが、このガレアに足の速さで勝てるとは思わぬことだ。

 

「イザリスの混沌をも踏破した我が駆け足を見せてやろう。イヤーッ!!」

 

 気合一閃、雷気を迸らせながら疾走する。一歩ごとに地面に亀裂を生み、盛大に砂塵を巻き上げつつの全力疾走である。路上にいた小人たちが悲鳴を上げているが、緊急事態につきどうか許してほしい。

 

「いたぞ、いたぞおおおおおおお!!!」

 

「あ? んえ!?」

 

 丁度路地裏から出てきたタイミングの女に追い縋る。女は吾輩の姿を二度見すると、血相を変えて更に足を速めた。

 だが純粋な駆け比べでは分が悪いことを悟ったのだろう。女は路地裏に戻ることなく、敢えて人混みの多い道を選んで逃げ出した。

 

「チィ、小癪な真似を!」

 

 女は雌豹の如き身のこなしですいすいと人混みを縫うように走るが、吾輩はそうもいかない。吾輩の大きな身体では路上の小人を撥ね飛ばしてしまう。かといって建物の上を飛び移りながら移動しようにも、小人の貧相な家屋では踏み込みに耐えられず崩れてしまうだろう。仕方なく速度を落とし、だが決して女を見失わない程度の速度で追跡を継続する。

 

「全身鎧の大男が突っ込んでくるぞ!?」

 

「に、逃げろ! 逃げろー!!」

 

 日が落ちたとはいえ深夜にはまだ早く、外にはそれなりの人が出歩いている。そんな中に突っ込んでいったものだから路上はちょっとしたパニックに陥っていた。

 飛び交う悲鳴に対し吾輩は内心で謝罪しつつ、だが決して追跡を緩めるようなことはしない。そろそろ人混みを抜け都市の外周に広がる共同墓地に辿り着くだろう。そこまで行けば吾輩を遮るものはない筈だ。

 

「〈能力向上〉! 〈疾風走破〉! クソッ、武技まで使ってるのに全然撒ける気がしねぇぞ!?」

 

「待たぬかああああああ!!!」

 

 今は後塵を拝しているが、墓地に着けばこちらのものだ。女よ、そこが貴様の墓場になるであろう!

 墓地だけにな!!!

 




ハムスケの名前についてですが、他にしっくりくる名前が思いつかなかったのでかなり強引にハムスケにしました。森の賢王呼びのままでも良かったのですが、やはりハムスケ呼びの方が個人的に好きなので。

そして以前は書き上がり次第投稿していたのですが、今回は試験的に三話分の書き溜めを行いました。
次話は今回と同じ時間、明日の20:00頃に投稿しますのでよろしくお願いします。


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城塞都市騒擾 in 銀騎士:2

 バレアレ薬品店を営むポーション職人、リイジー・バレアレの孫が誘拐された──その知らせは冒険者組合を震撼させた。

 

 リイジーのポーション職人としての腕はエ・ランテルでも最高峰だ。ともすれば王国全体で見ても上位に位置するだろう。冒険者にとっての必需品であり生命線であるポーションを作るリイジーは組合にとって最重要人物であると言える。

 そんなリイジーの孫であるンフィーレア・バレアレは、若年ながら現時点においても既に優れたポーション職人として頭角を現している人物だ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)としても優秀で、次代のバレアレ薬品店を担う人材として注目されている。

 

 そんなンフィーレアが誘拐されたとなれば、それはエ・ランテルの冒険者にとっても一大事である。『漆黒の剣』とリイジー本人によってその大事件を知らされた組合は即座に手隙の冒険者を招集、異例の速度で捜索隊を結成する。

 肝心の行方だが、意外にもその手掛かりは簡単に判明した。『漆黒の剣』の一員であるガレアが既に追跡を行っており、その行き先は道路の破壊という形でこれ以上なく明確に刻まれていたのだ。

 

 バレアレ薬品店からエ・ランテル西端まで延々と続く派手な破壊痕がただの足跡であることに捜索隊は戦々恐々としつつ、唯一の手掛かりを辿って彼らは共同墓地に突入する。

 

 そして彼らは、新たな英雄誕生の瞬間を目撃することになる。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

「カジッちゃ~ん! へるぷ、へるぷみ~!」

 

「……クレマンティーヌ、貴様は何を連れて来たのだ」

 

 予期せぬ逃走劇により全身汗だくとなったクレマンティーヌは這う這うの体で共同墓地に逃げ込み、協力者である男に助けを求める。

 カジッちゃんと呼ばれた男──秘密結社ズーラーノーンの高弟、カジット・デイル・バダンテールはとても助力を請う者の態度とは思えぬふざけた声を上げる協力者に呆れ顔を向けつつ、彼女の後を追ってきた侵入者を油断なく睨んだ。

 

「貴様らがンフィーレア殿誘拐の首謀者か。一応通告しておこう、大人しくンフィーレア殿の身柄を返したまえ。そうすれば命だけは取らないでやろう」

 

「愚か者め。どうやら自分の立場が分かっていないらしいな」

 

 全身を重厚な漆黒の鎧で覆った偉丈夫──ガレアの通告をカジットは鼻で笑う。この場は死霊魔法を扱う彼にとって最大限に力を発揮できるフィールドだ。眼前の敵は(カッパー)のプレートに見合わぬオーラを放つ屈強な戦士のようだが、墓地にいる限りカジットに敗北はない。

 

(だが、足手纏いを抱えていたとはいえクレマンティーヌがまだ殺していない……殺せていないというのは気にかかる)

 

 協力者であるクレマンティーヌは、スレイン法国が抱える最強の特殊部隊『漆黒聖典』の元メンバーという経歴を持つ。その戦闘力は漆黒聖典時代に使っていた武装を手放している現在であっても絶大であり、冒険者に換算するならアダマンタイト級……即ち英雄級の実力を有する戦士なのだ。並の冒険者が束になってかかったとしても彼女なら笑いながら殺せるだろう。

 そしてクレマンティーヌは快楽殺人者という一面も持っている。人間を殺すこと、弱者を甚振る行為を「愛している」とまでのたまう狂人であり、彼女と敵対して生きて帰れる可能性は絶無であると言っていいだろう。それは彼女が纏う軽鎧の表面に打ち込まれた無数の冒険者プレートが示している。

 

 そんな彼女が戦わずに「逃走」を選択し、あろうことか戦闘者として格下のカジットに──それが本心からのものかは分からないが──協力を求めてくるという異常事態。それだけで相手が只者ではないと分かる。

 尤も、戦士ではないカジットにはガレアの正確な力量を測ることはできない。同じ戦士であれば足運びや体幹などの身のこなしからおおよその実力を割り出すのだろうが、完全後衛職である彼は装備品の良し悪しなどから何となく察するしかなかった。

 

(見上げるような巨体、儂の身長より大きな剣、精巧な造りの鎧……少なくとも駆け出し冒険者の出で立ちではないな。あまり油断し過ぎるのも危険か……)

 

 とはいえ確かにガレアから放たれる重圧と敵意は尋常ではないが、それでもカジットは自らの優位を疑っていなかった。第三位階の魔法を操る己に、最強クラスの戦士であるクレマンティーヌ。そしてカジットには及ばないまでも、優秀な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の弟子が十名ほど。対する相手は戦士がたった一人。これ程の数的優位があれば苦戦する方が難しいだろう。

 加えて──

 

(儂にはこの『死の宝珠』がある!)

 

 カジットは不敵に笑い、手にした黒い球体へと視線を注ぐ。

 死の宝珠という名のこれは「知性あるアイテム(インテリジェンス・アイテム)」という稀少な魔道具である。その名の通りに宝珠そのものに自我が存在し、死霊魔法やアンデッドの支配を補助する強力な効果を宿している。これによりただでさえ高位魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるカジットの魔法は著しく強化されるだろう。

 

 墓地という自らに有利なフィールド。伝説級のアイテム。意のままに動く優秀な弟子たち。そして言う事は聞かないが優れた実力の協力者。カジットは改めて自らの陣容の充実ぶりを再認識し、いつに無い高揚感に頬を吊り上げた。

 

「ふん、とっとと邪魔者を片付けるぞ。早く死の螺旋を完成させねばならぬ」

 

 邪悪な笑みを浮かべ、カジットは弟子たちに指示を出そうとする。

 カジットがその気になったことを察した弟子たちは即座に杖を構える。クレマンティーヌもまたチェシャ猫のような不気味な笑顔でスティレットを手に取り──

 

 その敵意を以て開戦の合図とし、ガレアは問答無用で斬りかかった。

 

 つい先ほど無駄に問答したせいでみすみすンフィーレアを奪われたばかりである。ガレアはこの期に及んで一切の手加減をするつもりはなかった。

 相手が敵と分かったのならば是非もなし、如何に小人が相手だとて容赦はせんと。名乗りもなく一瞬で間合いを詰めたガレアは、カジットの前で隊伍を組んでいた弟子たちを大剣の一振りで薙ぎ払った。

 

「なッ……!?」

 

「コイツ……!」

 

 瞬きの刹那に数的有利は失われる。カジットの動体視力ではガレアの踏み込みに反応できず、彼の目には突然血飛沫と共に弟子たちの上半身が失われたようにしか見えなかった。

 クレマンティーヌにしても、これ程の速度で間合いを潰されるのは予想外だった。ついさっきの逃走劇の時点で嫌な予感はしていたが、あろうことか相手の足の速さは自身に並ぶ。彼女は驚愕と共に想定していた敵の力量を上方修正した。

 

 身軽さを活かした軽快な立ち回りと素早い身のこなしを得意とするクレマンティーヌに迫る速さ。そして弟子レベルとはいえズーラーノーンの魔術師を十人まとめて斬殺できる力。これ程の実力者が(カッパー)級の冒険者であることも、これまで無名であったこともあり得ない。ともすれば漆黒聖典の隊員クラスの戦士が敵となったことにクレマンティーヌは歯噛みした。

 

「王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ、『蒼の薔薇』のガガーラン、『朱の雫』のルイセンベルグ・アルべリオン、かつて戦士長と互角に戦ったっていうブレイン・アングラウス……王国で私と戦える実力の戦士はそのぐらいだと思ってたんだけどなー。カジッちゃん、油断しない方がいいかもねー?」

 

「分かっておるわ! くっ、何故よりにもよって大願成就を目前にして邪魔が入るのだ……!」

 

 今度こそ油断を排したカジットは忌々しげに顔を歪めながら死の宝珠を掲げる。魔法発動の気配を感じ取ったガレアはそうはさせじと再び距離を詰めようとするが、その前にクレマンティーヌが立ちはだかった。

 

「〈不落要塞〉!」

 

 武技を発動し、スティレットで振り下ろされる大剣を受け止める。

 迫るのは大剣どころか特大剣とでも言うべき巨大な剣。それと比べれば、クレマンティーヌの得物はあまりに小さく頼りない。だが武技〈不落要塞〉の効果により一時的に城塞の如き堅牢さを宿し、武器の差を覆してガレアの剣を弾くことに成功した。

 

 スティレット諸共クレマンティーヌを叩き潰すつもりでいたガレアは、信じ難い手応えと共に自慢の大剣が跳ね返されたことに兜の下で瞠目する。

 その隙を逃すクレマンティーヌではない。彼女は大きく態勢を崩したガレアの懐に飛び込み、兜と胴鎧の継ぎ目を狙ってスティレットを突き出した。

 

「ガッ……!?」

 

 だが次の瞬間、クレマンティーヌの腹に漆黒の大盾がめり込んだ。

 盾は相手の攻撃を受け止める防御用の装備だが、ガレアが片手で持つそれは人間が扱う壁盾にも匹敵する巨大さを有しており、振り回せば十分な殺傷力を持った質量武器になる。身軽さを確保するために最低限の装甲しか装備していないクレマンティーヌにとって、そのシールドバッシュはかなりの痛打となった。

 

「よくやった、クレマンティーヌ!」

 

 吐血しながら吹き飛ぶクレマンティーヌを尻目に、カジットは召喚した二体のアンデッドを嗾ける。

 そのアンデッドは人骨の集合体とでも言うべき姿をしていた。無数の骨が寄り集まり、長い首、大きな翼、強靭な尾を形成している、さながら骨でできたドラゴンのような異形のモンスター。

 

 名を骨の竜(スケリトル・ドラゴン)。死の宝珠の補助を得て召喚した、カジットにとって最大の切り札となるアンデッドである。

 

「これは……!」

 

 竜はガレアにとって……否、火の時代を開闢したあらゆる神々にとって因縁深い相手だ。岩のウロコを持つ万古不易にして火の敵対者。裏切りの古竜、白き竜公シースの助力によってようやく打倒が叶った前時代の支配者である。

 無論目の前の存在は本物の竜ではなく、竜の姿を模しているだけのアンデッドに過ぎない。しかし見る者に根源的な畏れを抱かせる超越種の似姿はガレアを警戒させるには十分な効力を持っていた。

 

 動揺するガレアの姿を見たカジットは嗜虐的な、しかしどこか安堵したようにも見える笑みを浮かべた。

 

「本来ならば召喚に二ヶ月もの大儀式を要するアンデッド、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の連続召喚! これが死の宝珠の力だ!」

 

 夜の静寂(しじま)を引き裂き、異形のドラゴンの咆哮が墓地に響き渡る。

 同時に、俄かに墓地の入り口が騒がしくなる。何事かとガレアが振り返れば、そこには彼の後を追って駆け付けたのだろう冒険者たちの姿があった。

 

「ガレアさん、助太刀に来ました!」

 

 その先頭にいるのはペテルたち『漆黒の剣』だ。足の腱を切り裂かれていた筈のルクルットらも復帰している。恐らくその場にいたリイジーからポーションを都合してもらい負傷を癒したのだろう。

 だが間が悪い。冒険者たちの中には(ゴールド)のプレートをぶら下げている者も散見されるが、敵は英雄級の戦士クレマンティーヌに、死の宝珠の補助を得たカジットの手によって召喚された骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が二体。彼らには荷が勝ちすぎる相手だった。

 

「チィ、冒険者どもめ……骨の竜(スケリトル・ドラゴン)! 奴らを始末しろ!」

 

 号令一下、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の片割れが皮膜のない翼を羽搏かせ飛翔する。向かう先は今し方入ってきた冒険者たちだ。

 

「させん!」

 

「それはこちらの台詞だ!」

 

 ガレアの頭上を飛び越え冒険者たちに迫る骨の竜(スケリトル・ドラゴン)。ガレアはそれを阻止しようと動くが、カジットは即座にもう片方の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)をガレアに嗾ける。

 迫る異形の鉤爪。骨ばかりとはいえ竜の爪である。ペテルたちの安否も心配だが、自身に迫る脅威を無視することもできない。ガレアは舌打ちし、仕方なく己を狙う骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に向き直った。

 

 左腕に装備された黒騎士の盾を掲げる。混沌に抗するべく鍛造された漆黒の大盾と骨の鉤爪が激突し、轟音と共に火花を散らした。

 

「……む?」

 

 だが、覚悟していたものより遥かに軽い衝撃にガレアは首を傾げる。これでは賢王改めハンムラビ・ニムロデ・ユスティスケことハムスケの尾の一撃よりも劣る。

 然もあらん。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は確かに強力なアンデッドだが、それでも難度は48である。対して森の賢王は骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を大きく上回る難度90の大魔獣なのだ。それを容易に下したガレアにとって、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)など本来ならば難敵でも何でもない。ただ竜の似姿を前に過剰に警戒してしまっただけである。

 

「ガレアさん、こっちの骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は我々で相手をします!」

 

「あ、うむ」

 

 ガレアは何とも言えぬ表情で曖昧に返答し、腕の一振りで盾に爪を立てていた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を吹き飛ばした。

 

「な、何だと!?」

 

 確かにガレアは非常に大柄な戦士だが、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はそれに輪を掛けて大きい。ドラゴンの名を冠しているのは伊達ではなく、その体高は三メートルを超え、尾を含めた全長はゆうに十メートルに達するだろう。肉がないとはいえ、その体重はかなりのものの筈だ。

 にもかかわらず、漆黒の戦士は片手で骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の全体重を押し返し、しかも大きく吹き飛ばしてしまったのだ。その異常性は魔法詠唱者(マジック・キャスター)のカジットにすら容易に察せられる。

 

「ぐっ、〈負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)〉! 〈鎧強化(リーンフォース・アーマー)〉! 〈下級筋力増大(レッサー・ストレングス)〉!」

 

 カジットは慌てて骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の負傷を癒し、同時に魔法による防御力と攻撃力の増強も行う。援護を受けて魔力のオーラを全身から立ち昇らせた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は、咆哮を上げながら再びガレアに向かって突進した。

 

「似ているだけの()()()であったか。が、仮にも竜の(なり)をしておるのだ。ただ叩いて砕くのでは風情がなかろうな──」

 

 それを迎え撃つガレアは、大剣を地面に突き刺し空いた右手を頭上に掲げる。次の瞬間、夜天に瞬く星々を掴むかのように大きく開手された掌の上に極小の太陽(プラズマ)が出現した。

 黄金の輝きは神の奇跡たる証。一瞬で夜の闇を尽く掃い去ったその業の名は「雷の大槍」。古き竜狩りの秘儀である。

 

「魔法だと!? 貴様、戦士ではなかったのか!?」

 

「如何にも。我は銀騎士、白き神座を守護せし()()()()である」

 

 雷即ち神鳴り。これぞ神の従僕たる証であると。

 アノール・ロンドを守護する銀騎士は一騎一騎が優れた戦士であり、同時に神の奇跡を物語る聖職者でもある。加えて火の時代の始まりより神と共にあったガレアの身に宿る祝福は銀騎士の中でも特に色濃く、その奇跡は小人の聖職者が扱うものとは比較にならぬ威力を宿していた。

 

「だ、だが! 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は魔法に対する絶対耐性を有するアンデッド! 戦士が魔法を扱うことには驚かされたが所詮は無意味よ!」

 

 そう、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は魔法攻撃を無効化する能力を有しているモンスターなのだ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)にとっての天敵というべき存在であり、更にアンデッド特有の各種耐性も相俟り冒険者からはミスリル相当の強敵と認識されている。

 

 ──しかし、実はその認識は正しくない。確かに骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は魔法に対する耐性があるが、正確には「第六位階までの魔法の無効化能力」が正しい。尤もこの世界では第六位階以上の高位魔法を使える存在は皆無に等しいため、絶対的な魔法耐性があると勘違いされても仕方がないのだが。

 

 そしてガレアの「雷の大槍」は第六位階以上の威力を有していた。彼の扱う奇跡はこの世界の位階魔法とは根本から異なるため一概には比較できないのだが、少なくとも第七位階魔法である〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉と同等かそれ以上の威力があることは確かだった。

 

「太陽の光の王の加護ぞあれ! 願わくは、死せる竜に永久の眠りを与え給う!」

 

 辺りを真昼のように照らしていた雷の輝きが最高潮に達する。ガレアは大きく右腕を振り被り、地鳴りを伴う踏み込みと共に黄金の雷槍を投げ放った。

 太陽面爆発(フレア)を思わせる灼熱を撒き散らし、爆音と共に飛翔する雷槍。それは真っ直ぐに牙を剥く骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に突き刺さり、僅かの抵抗も許さずその巨体を爆散させた。

 

「あ、あり得ん! こんなことがあり得るかあああああ!?」

 

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の総身を砕いた「雷の大槍」は、しかし一切威力を失わぬまま突き進む。その矛先が向かう先にいるのは、援護のために骨の竜(スケリトル・ドラゴン)のすぐ背後にいたカジットである。

 カジットは狂乱しつつも、咄嗟に〈電気属性防御(プロテクションエナジー・エレクトリシティ)〉を発動する。これに加え元々装備していた魔法防御を付与する魔道具の効果によって、第三位階の雷属性魔法程度なら無傷で凌げる程度の防御を得る。

 だが、それが何だというのか。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の魔法無効化能力すら貫通してしまう理外の奇跡に対して、我が身を守る防御の何と心許ないことか。

 

(何故だ、何故、どうしてこんなことに──)

 

 時間の流れが鈍化する。迫る雷槍の余波だけで既に炭化しつつある皮膚の痛みすら忘れ、今わの際にあるカジットの思考を占めるのは「何故」という思いだけだった。

 何故こんなことになったのか。どこで何を間違えたというのか。何故、どうして──

 

 彼の三十年以上に渡る研鑽。その道程の始まりから既に間違っていたことにすら気付かず、カジット・デイル・バダンテールは死の宝珠諸共その生涯を終えるのだった。

 

 

「去らば、名も知れぬ小人よ。貴様の死出の旅路に、せめて太陽のあらんことを」

 

 名を尋ねることすらせず焼き払った小人に対し、せめてもの慈悲としてガレアは小さく祈りの言葉を口にする。

 辺りは静寂に包まれていた。もう片方の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)も召喚者の消滅により活動を停止しており、それを相手にしていた冒険者たちは開いた口が塞がらぬ様子でガレアを凝視している。

 

「さて」

 

 地面に突き刺さっていた大剣が重々しい金属音と共に引き抜かれる。身の毛もよだつような風切り音を上げて刀身に付着した土を払い落とし、大剣を肩に担ぎ直したガレアは残るもう一人に視線を向けた。

 

「残るは貴様だけだ、女」

 

「は、はは……冗談きついって……」

 

 兜の下から覗く銀の眼光に射貫かれたクレマンティーヌは蒼褪めた顔で後退る。

 片手で骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の巨体を投げ飛ばす怪力を持ち、更には絶対的な魔法耐性をも無視する埒外の魔法を操る戦士──何だそれは。いつから現実は物語の舞台になったのだ。

 

 冗談ではなかった。こんな化物、聖典の逸脱者でもなければ相手にならない。同じ化物同士、きっといい戦いになるに違いない。

 

「ねえ、見逃してくれない? 見逃してくれたらコレあげるからさ、ね、コレって凄い魔道具(マジックアイテム)なんだよ? 叡者の額冠っていうんだけどさ、実は法国の最秘宝で──」

 

「女。いや、クレマンティーヌといったか」

 

 有無を言わせぬ威圧が籠もったガレアの声に、クレマンティーヌは命乞いの中断を余儀なくされる。

 

「小人を下に見るつもりはないが……いや、虚偽は侮りを上回る侮辱だな。正直に言おう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この屈辱は、完膚なきまでの勝利によってのみ雪がれるであろう」

 

 故に許さぬと。

 要するに、ガレアはまんまとクレマンティーヌに出し抜かれたことを根に持っていたのである。

 銀騎士ガレア、微妙に器の小さい男であった。

 

「生き残りは貴様だけになってしまったからな。尋問のためにも命までは取らぬ。……だが、口を利くのに手足は要らぬであろうな」

 

「達磨女が好きなんてイイ趣味してるじゃない……でも、そんなおっきな剣で手足を斬られたら出血多量で私死んじゃうよ?」

 

「安心せよ、吾輩は回復の奇跡を修めておる。頭と胴体さえ残っていれば生かしておくのに問題はない」

 

 問題大ありだっつーの、という罵声が出そうになるのを堪える。今更回復魔法まで使えることに驚きはしないが、その事実はクレマンティーヌを更に絶望させるには十分な威力を持っていた。腕と足は戦士にとっての命に等しい。手足を失えば、クレマンティーヌは生きながらにして死んだも同然の有り様になるだろう。

 死は恐ろしくない。この世界には蘇生魔法が存在するため、死んでも甦ることは不可能ではないからだ。

 だが、蘇生魔法では()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もし手足を断たれた状態で傷口を塞がれてしまえば、クレマンティーヌの身体はその状態で固定されてしまうだろう。

 

(逃げなきゃ)

 

 だがガレアの身体能力を考えれば、普通に逃げただけでは遠からず追いつかれてしまうだろう。

 そこでクレマンティーヌはここまで運んできたンフィーレアの存在を思い出した。気絶させ少し離れた所に転がしておいたあの少年を人質にとれば、もしかしたら逃げられるかもしれない。

 

 そう思い立ったクレマンティーヌは即座に行動に移す。まず第一条件として、ンフィーレアの身柄を確保するまでにガレアに追いつかれるわけにはいかない。

 対象との距離はそう遠くはないが油断はできない。狙いを悟られないよう視線はガレアから動かさず、僅かに腰を落としいつでも飛び出せるように体勢を整えていく。

 

 ガレアは動かない。自分から仕掛けるつもりはないのか。強者の余裕というやつだろうが、好都合だ。クレマンティーヌは足に力を込め、ンフィーレアを横たえてある地下神殿の入り口へと飛び出そうとし──

 

「莫迦め。吾輩から逃げられると思うたか」

 

 その声は背後から。金属特有の硬く冷たい感触に肩を押さえつけられ、クレマンティーヌは全身を総毛立たせた。

 肩に手を置かれている。それを理解した彼女は血の気を引かせた。

 

(そんなバカな! 私は一切目を逸らさなかったぞ! コイツ、まさか……!)

 

「転移魔法……!?」

 

「そんな便利なものを使えれば言う事はないのだがな。生憎と魔術師でない吾輩には転移魔法を使うことはできん。ただ目にも留まらぬほど速く動いたというだけよ」

 

 クレマンティーヌは先ほどガレアが見せた踏み込みが最高速度だと思っていたが、その認識は正しくなかった。

 ガレアは身に宿した雷の力によって通常より速く動くことができる。彼が知る最速の戦士である“竜狩り”オーンスタインも同様の原理による高速移動を得意としており、とりわけオーンスタインは光速一歩手前という出鱈目極まる加速を可能としていた。

 だが、ガレアの実力では()()()()速さは出せても、()()()()の速度で動くことまでは不可能だった。そのぐらいの速度であれば、クレマンティーヌの動体視力ならば辛うじて目で追う程度はできただろう。

 

 では、どのようにしてクレマンティーヌ程の戦士の動体視力を振り切ったのか。その絡繰りはガレアが「残り火」と名付けたものにあった。

 ガレアはこの世界に落ちる直前、最初の火の炉で始まりの火に全身を焼かれ、しかし燃え残ったことでその身に始まりの火の残滓を宿した。始まりの火とは火の時代における万物の根源。グウィンら創世の神々を王たらしめる特別なソウルもまた始まりの火の内より生じたものだ。欠片とはいえ根源たる始まりの火、その灼熱の神秘が齎す力は想像を絶する。

 かつて大いなるイザリスですら再現しようとして失敗した原初の火。それを宿したガレアは、疑似的ではあるが大王グウィンと同じ存在──薪の王となったのである。

 

 漆黒の鎧の隙間から赫奕と共に火の粉が漏れ出る。肩に置かれた手を通して圧倒的なエネルギーの奔流を感じ取ったクレマンティーヌは、反射的に手を払い除けようと身体を動かす。

 グシャリ、と肩当ごと腕が握り潰される音が響き渡った。

 

「ッッ……!!」

 

「まずは左腕」

 

 歯を食い縛って悲鳴を堪え、クレマンティーヌは壊れた肩を庇いながら飛び退る。

 今ので完全に左腕が使い物にならなくなった。切断されなかっただけマシと捉えるか、無駄な重石ができたと嘆くべきか微妙なところだ。少なくとも、力が入らずぶら下がるだけとなった左腕は確実に動作に支障を来すだろう。

 

「クソッ、ちくしょう……!」

 

 悪態を吐きながら駆け出す。とにかく立ち止まっては駄目だと本能が叫んだ。

 案の定、一瞬前までいた空間に大剣の切っ先が突き出される。動いていなければ確実に右腕を吹き飛ばされていた。ぶわり、と全身から嫌な汗が噴き出す。

 

 相手は信じ難い速度での移動を可能にしている。よって逃走は不可能。

 ならば活路は正面にしかない……が、敵の力はあまりに強大だ。次元が異なると言っていい。まず勝ち目はないだろう。

 進むも地獄、退くも地獄。完全に進退窮まった現実にクレマンティーヌの表情が絶望に染まる。

 

「クソ、クソ、クソッ! クソがああああッ!!」

 

 どうせ地獄ならば、せめて一矢報いてやる。そう開き直ったクレマンティーヌはヤケクソ気味に吼え、スティレットを握り締めて飛び出した。

 

 〈能力向上〉──

 〈能力超向上〉──

 〈疾風走破〉──

 

 続けざまに武技を三種発動、身体強化の三重掛けにより限界を超えた肉体を全力駆動させる。

 並の人間からすればそれこそ瞬間移動と見紛うほどの超加速。全身の血管が破裂するのではないかという程の負荷に負傷した左腕が激痛を訴えるも、クレマンティーヌはその一切を意識から排除した。この程度の痛みが何だというのか。無理をしてでも動かなければどの道死ぬのだ。

 加速する身体とは反対に鈍化する意識の中、視線の先では漆黒の戦士が悠然と佇んでいる。構えることすらしないのは余裕の表れだろう。漆黒聖典の隊員ですら全力を出したクレマンティーヌの動きを目で追うのは至難の業だったというのに。

 

 しかしクレマンティーヌには僅かにだが勝算があった。

 先ほど〈不落要塞〉で大剣を弾いた時、ガレアはまるで未知の現象に直面したような驚きを見せていた。確かに〈不落要塞〉は習得難度の高い武技だが、それなりのレベルにある戦士にとってはさほど珍しい技ではない。ガレアほどの戦士であれば自ら習得していても不思議ではないだろうに、何故そのような反応を見せたのか。

 

 考えられる可能性としては、元々防御系武技の適性に欠けており、且つ〈不落要塞〉を扱う戦士との戦闘経験がなかったというもの。

 誰にでも向き不向きというのはあるもので、レベルは十分でも素質の問題で特定の武技が習得できないという現象は珍しいものではない。

 そして冒険者という人種はモンスターとの戦闘経験は豊富でも、対人戦闘の経験には乏しいというのが常だ。対モンスターに特化した職種であるため仕方のないことだが、それ故にレベルは高いのに対戦士・対武技への理解が不足してしまうということもあり得てしまう。

 

(正直、これ程のレベルの戦士に限って都合よく武技の知識に疎いなんてあり得ないとは思うけど……今はそれに賭けるしかない)

 

 真っ直ぐに駆ける。小細工の一切を用いず、全速力で突撃しスティレットによる急所への刺突攻撃を敢行する。これぞクレマンティーヌの基本にして極みたる戦法。これまで数多の敵を打ち砕いてきた必殺の一撃が放たれ──

 

「鈍いわ!」

 

 ──それで終わる相手ではない。当然のように盾で防がれる。大抵の相手はこれだけで決着がつくような一撃だが、今回に限ってこれは次なる一手に繋げるための布石だ。

 

「まだ終わりじゃないんだよ!」

 

 〈流水加速〉──!

 

 技後硬直の一切を無視し、流れゆく水の如き滑らかさで次の動作に移行する。突撃のために伸び切った筋肉も盾で弾かれたことによる反動も、その全てがこの武技発動中に限り無視できる。

 

 果たして、クレマンティーヌは賭けに勝った。兜で覆われているため表情は窺えないが、明確な動揺が伝わってくる。やはりコイツは武技を、〈流水加速〉を知らなかった──!

 

「貰ったァッ!!」

 

 盾を踏み台にガレアの巨体を駆け上がる。そのままスティレットを逆手に持ち替え──スリットから覗く眼球目掛け刃を振り下ろした。

 

「ッ……!」

 

 ガギン、と硬質な音を立てて刃が止まる。眼球を潰すつもりで放ったスティレットの切っ先は狙いを外れ、歯で噛んで止められてしまう。そしてメリメリと音を立てて刃が噛み潰されようとしている感触が柄を通し伝わってきた。

 仮にもオリハルコンでコーティングされたミスリル製の刃を噛み潰すなど、とてもではないが人間の咬合力ではない。つくづく化物め、とクレマンティーヌは内心で毒づいた。

 

 だが問題はない。本当は眼球を貫き脳を破壊する腹積もりだったが、これならこれでやりようはある。

 このスティレットには〈魔法蓄積(マジック・アキュムレート)〉という魔法付与が施されており、第三位階までの魔法を込めることでその魔法を一度のみ使用することが可能となっている。クレマンティーヌが所持する四本のスティレットには例外なくこの〈魔法蓄積(マジック・アキュムレート)〉が付与されており、それぞれに異なる効果の魔法が込められていた。

 

 そして、今クレマンティーヌが手にしているスティレットに込められた魔法は第三位階魔法〈火球(ファイヤーボール)〉。優秀な射程と威力を両立した、殺傷力の高い魔法の代表格とも言える()()()()()()である。

 

「死ねェッ!!」

 

 爆炎が迸る。今にも砕かれようとしていたミスリルの刃から魔法の炎が噴出し、口腔を通じガレアの肺を焼き尽くす。

 それだけでは止まらない。着弾地点で爆発し広範囲に熱波と火炎を撒き散らすという凶悪な性能を誇る〈火球(ファイヤーボール)〉は、零距離で放たれたことにより一瞬で全身を焼き尽くす程の業火となってガレアを包み込んだ。

 

(勝った……!)

 

 クレマンティーヌは勝利を確信し笑みを浮かべた。

 これで殺せたのなら良し。よしんば死んでいなくとも、体内から焼かれたことによる大ダメージですぐには動けまい。その隙に逃げれば勝利条件は満たせる。

 

(勝った! 隊長クラスの化物に! この私が!)

 

 勝った──その、筈だったのに。

 

 

「見事だ、クレマンティーヌよ」

 

 

 ああ、そんなことがあり得るのか。

 何故こいつは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「小人風情と言ったが撤回しよう。以前の吾輩であれば、この一撃で少なからずダメージを負っていたであろうからな。

 ……貴様は運がなかった。今の吾輩にとって、()()()()の熱量は微風に等しい」

 

 〈火球(ファイヤーボール)〉の炎が、ガレアの内から生じた別次元の灼熱によって塗り潰される。

 クレマンティーヌには知る由もない。それは始まりの火、原初の炎。その熱量のみを以て世界一つを存続させ続けた創世の劫火である。今や欠片に過ぎぬとはいえ、人間の生み出した炎で掻き消すにはエネルギーの桁が違い過ぎた。

 

 総身から紅蓮を立ち昇らせるガレアの威容に、今度こそクレマンティーヌの表情が絶望で埋め尽くされる。然もあらん。五臓六腑を焼き尽くされて、それでも平然としていられるような手合いに対抗できる手段など彼女は持ち合わせていないのだから。

 

「飛竜の吐息(ブレス)にも及ばぬ小火とはいえ、吾輩の肉体に一撃を見舞った事実は評価せねばならん。侮辱には死の苦痛を以て応じるのが戦士の慣わしだが、これ程の勇士を虫の如くに潰してしまうのはあまりに惜しい」

 

 ガレアにとって、盾と鎧の守りを抜いて攻撃を受けたのはこの世界では威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)による〈善なる極撃(ホーリー・スマイト)〉以来ようやく二度目のことだ。かつての世界においても、歴戦の銀騎士であるガレアにまともな傷を負わせられる存在は限られた。それが小人ともなれば尚のことだ。

 並の戦士では銀騎士の鎧に傷一つ付けることなく斬り伏せられて終わる。その例外たる勇士の手足を虫のように()いでしまってはあまりに無体というもの。ここは一つ、広い心で過去の因縁は水に流してやるのがエリートの度量というものであろうと。

 

「五つ裂きにしてやろうと思っていたが、貴様の戦士としての力量に敬意を表しそれは取り止めとしよう。が、それで犯した悪事が無かったことになるわけでもなし。吾輩の温情に感謝し、大人しく公の沙汰を待つがいい」

 

 そう告げ、ガレアは一歩で彼我の距離を詰める。咄嗟に飛び退ろうとするクレマンティーヌの頭を掴んで止め、剥き出しの腹に重い拳を叩き込んだ。

 臓腑が引っ繰り返るような衝撃に、クレマンティーヌの意識は為す術なく暗転する。ガレアは吐瀉物が鎧を汚すのも気にせず崩れ落ちた女戦士の身体を抱き留めると静かに地面に横たえ、遠巻きにする冒険者たちに声を掛けた。

 

「ンフィーレア殿誘拐の下手人は取り押さえた。此度の一件はこれにて落着である。誰ぞ、縄でも鎖でも縛れる物を持っておらぬか? 気絶させたが、念のため手足を縛り確実に拘束しておきたい」

 

「……お、俺が縄を持ってる。使ってくれ」

 

(かたじけな)い」

 

 ガレアの要求に一人の冒険者が応える。白金(プラチナ)のプレートを首に下げたその男は、震える手でガレアに縄を手渡す。

 ガレアは男が震えていることに気付いたが、敢えてその訳を尋ねるようなことはしなかった。神族であるガレアにとって、小人から向けられる畏怖の感情はむしろ馴染み深いものだ。この男もそれと同種の恐怖に震えているのだろうと推測していた。

 

 だが、その推測は半分正解で半分不正解だった。

 確かに彼らはガレアの異常とも言える力に畏怖を抱いていた。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)をも砕く未知の魔法を操り、〈火球(ファイヤーボール)〉の直撃を喰らっても平然としている不死身の如き巨躯の戦士。しかも戦士としての実力も桁違いで、明らかに英雄級の強さを持っていた女戦士を情け容赦のない苛烈さで圧倒したのだ。これ程の超人を前にして畏怖するなという方が無理な相談である。

 

 しかし同時に、この場に居合わせた冒険者たちは誰もが得も言われぬ興奮を感じていた。それは自らが歴史的瞬間を目撃した生き証人になれたという自覚が齎す高揚感。

 ()()()()()──個の武力が戦争をも左右し得るこの世界において、英雄の存在は果てしなく大きな意味を持つ。

 

 リ・エスティーゼ王国内で例を挙げるならば、周辺国家最強の戦士たるガゼフ・ストロノーフに、アダマンタイト級冒険者の『朱の雫』と『蒼の薔薇』といったところか。いずれも王国のみならず、世界中にその名を轟かせる英雄豪傑たちだ。王国人が国自慢をする際には必ずと言って良いほど彼らの名が挙がる、と言えばその勇名の程は容易に知れよう。

 そこに新たな英雄が加わるかもしれないのだ。それが冒険者で、且つ長らくアダマンタイト級が存在しなかったエ・ランテルに所属する人物ともなれば、彼らの期待は一入(ひとしお)である。

 

 果たして彼らの期待は現実のものとなり、エ・ランテルに一人のアダマンタイト級冒険者が誕生することとなる。

 それは遠くない未来、今より約一ヶ月ほど後のことだった。

 




原作と違いクレマンティーヌは死んでいませんが、だからといって運が良いかというとそういうわけでもなく。結局のところ、死んでいようがいまいが風花聖典か邪神教団に回収されるというオチに変わりはありません。合掌。

それではまた明日、20:00頃にお会いしましょう。


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城塞都市騒擾 in 銀騎士:3

 ンフィーレア殿が誘拐された事件から数日。エ・ランテルでも有数のポーション職人の孫が攫われたということで冒険者組合は上を下への大騒ぎだったが、吾輩の大活躍によって事件は無事に収束しめでたしめでたし──とは残念ながらならなかった。

 ちなみに吾輩がクレマンティーヌを追う途中で出した二次被害──バレアレ薬品店の壁の破壊とか諸々──が原因ではない。そちらはンフィーレア殿を救出した功績で帳消しになったので大きな問題にはならなかった。住民からの苦情は多少来たらしいが。

 

 問題は件のクレマンティーヌの身柄にあった。吾輩が気絶させてしまったため、更に厳重に拘束した上で転移阻害の術を施した独房に閉じ込め、目が覚め次第尋問するつもりだったらしいのだが……何と明朝に確認したところ彼女の姿は影も形もなくなっていたそうだ。

 無論のこと装備品は全て没収済みで、武器や魔道具(マジック・アイテム)の類を一切所持していなかったのは確からしい。独房も容易に脱出できるほど柔な造りではなく、そもそも内側から破壊された痕跡はなかった。そのため脱出を手助けした何者かがいたとして捜査が進められているようだが、これといった手掛かりもなく事件は迷宮入りしてしまったようだ。

 

 そしてもう一つ、クレマンティーヌが持っていた「叡者(えいじゃ)額冠(がっかん)」という魔道具。生憎吾輩は詳細を知らぬのだが、こちらも明朝にはなくなってしまったらしい。魔術師組合の……確かラケシルとかいう男が言うには相当な価値のある魔道具だったようで、それが失われたことに彼は酷く落胆した様子だった。

 

 吾輩の尽力に泥を塗られたようでそこはかとなく不満だが、起きてしまったことは仕方がない。吾輩としては依頼人であるンフィーレア殿が無事だっただけで概ね満足である。

 奴らがンフィーレア殿を攫って何をしようとしていたのか、そして捕えていたクレマンティーヌを脱獄させたのは何者なのか。気になることは多々あるが、所詮は小人の浮世で起きた小事。これ以上吾輩が関与すべきではないだろう。

 

 それよりも吾輩にとって重要なのは、先日の戦いで発覚した「残り火」の使用に伴うリスクについてだ。

 当初の吾輩は始まりの火の欠片が齎す凄まじいパワーと全能感に酔って気付かなかったが、こいつは相当なじゃじゃ馬である。エリートとはいえ一銀騎士に過ぎぬ吾輩を騎士長殿に追随できるレベルにまで強化してしまう力がノーリスクで運用できる筈もなく、当然のように相応の対価を支払う羽目になった。

 

 結論から言うと、この残り火は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 考えてみれば当たり前の話なのだが、そもそも吾輩は薪として王と共にこの火に焼かれる筈だったのだ。大本の火種から離れたことで燻るに留まっているが、本来この火は吾輩を完膚なきまでに燃やし尽くすために存在しているのである。燃え盛れば燃え盛るほど、燃料たる吾輩のソウルが消耗するのは当然の帰結であった。

 

 普通にしている分には殆ど消耗しないが、一度燃え上がれば平時とは比較にならぬ勢いで吾輩のソウルは燃焼し目減りしていく。恐らく一ヶ月も燃え続ければ吾輩は灰となって消滅してしまうだろう。

 そしてこの一ヶ月というのはあくまで目安で、先日の戦いにおける火勢程度の燃焼を基準にしたものに過ぎない。吾輩が望めば残り火は更なる勢いで燃え上がり、比例するように我が身を加速度的に焼き尽くしていくであろう。代わりに得られる力は比類なきものとなるが、それは文字通りの魂を賭した乾坤の一手。吾輩にとっての最終手段となる。本来ならばあの日燃え尽きる筈だった我がソウル、今更惜しみはしないが使い時はよくよく吟味せねばならんな。

 

 恐らく吾輩が真に薪の王としての資格を持つ者であれば、始まりの火とはいえこの程度の僅かな火で燃え尽きることなどなかったのだろう。所詮は紛い物の薪ということだ。

 とまれかくまれ、そのような理由によりおいそれと残り火の力を使うことはできなくなった。使い過ぎれば早晩燃え尽きてしまうのだから然もあろう。やはり旨い話には裏があるといったところか。

 

「ガレア様、失礼致します」

 

 ふと声を受けて顔を上げると、そこには見覚えのある受付嬢の姿があった。彼女は吾輩が冒険者申請をする際に担当してくれた受付嬢で、何やら桐箱のような物を手に持っている。

 組合のラウンジで何をするでもなくソファに座り物思いに耽っていた吾輩は、畏まった様子の受付嬢に合わせて居住まいを正す。すると彼女は目の前のテーブルに箱を置き、恭しい手付きで蓋を開いた。

 

「大変お待たせしてしまい申し訳ございません。ガレア様の新しいプレートがご用意できましたので、お渡しさせて頂きます」

 

 箱に敷き詰められた上質な布の上に置かれていたのはミスリルに輝くプレート。その表面にはこの世界の文字で吾輩の名が刻まれていた。

 良く魔力に馴染み、魔法武器の素材としても使われるらしい魔法銀ミスリル。初めて見る金属に吾輩はやや興奮しながら手に取ってみるが……意外と柔らかいな。少し指先に力を入れたら折れ曲がってしまいそうだぞ。

 

「本来ならば組合長直々にお渡しする手筈だったのですが……申し訳ありません、先の一件で組合長は現在手が離せず……」

 

「構わぬさ。組合長が多忙であることは承知している。謹んで受け取らせて頂こう」

 

 得られる筈だった情報が得られなかったというのは大きい。既に死亡していたのなら諦めもつこうが、まだ生きていた囚人に逃げられたとなればそれは捕らえていた組合の責任問題にもなりかねん。組合長──プルトン・アインザックはその対処に追われているのだろう。

 アノール・ロンドにおいてもそういった不始末の責任は重かった。かつて王都に忍び込んだ一匹の“鼠”をあわや聖堂目前という所まで侵入を許してしまったことがあり、その時に防衛部隊の指揮を執っていた吾輩はその不手際の責任を取らされたのだ。冷たく暗い独房に閉じ込められ、身動ぎもままならぬ状況で看守である処刑者スモウ殿の凝視を受け続けるという罰は吾輩の精神に強いトラウマを残した。それ以降、吾輩は二度と同じ過ちは犯すまいと固く心に誓った。侵入者殺すべし、慈悲はない。

 

 ……そういえば、スモウ殿は一体何者だったのだろうか。いつからアノール・ロンドにいたのかも定かではなく、気付けば懲罰や処刑などに携わる者として王都の暗部にいた謎多き彼あるいは彼女。神族にしては大き過ぎ、巨人族にしては小顔過ぎるということで我々銀騎士の間では度々その正体に関する話題が囁かれていた。

 まあこうして世界を違えてしまった今となっては、吾輩がかの者について考察することに意味などない。あまり接点がなかったので彼の実力については未知数だが、あれほど巨大な槌を持っているのだから決して弱くはないだろう。彼が変わらずアノール・ロンドにいるのなら幾らか安心できるというものだ。

 

 さて、目の前の事柄に意識を戻そう。吾輩の名が刻まれたミスリルのプレートが示す通り、吾輩は晴れて(カッパー)級からミスリル級へと昇格を果たした。ミスリルはアダマンタイト、オリハルコンに続き上から三番目のランクだ。最低ランクである銅級から数段飛ばしての怒涛の昇格である。

 それだけ吾輩の実力が評価されたということなのだろう。どうもクレマンティーヌは小人の基準において「英雄級」という強さの持ち主だったらしく、それを圧倒した吾輩もまた英雄級の実力者と判断されたらしい。

 

 英雄級とされる者はそう多くない。冒険者の中ではアダマンタイト級が英雄の領域にあるとされるが、王国内には二チームしか存在しないそうだ。

 吾輩もその数少ない実力者と目されているわけだが、すぐにアダマンタイト級に昇格しないのは他の冒険者との軋轢を避けるためらしい。吾輩の戦いぶりを直接目にした者ならともかく、当時あの場にいなかった者にとって吾輩は「ぽっと出の癖してどういう訳か一気にアダマンタイトに昇格したどこの馬の骨とも知れぬ怪しい奴」ということになりかねない。

 

 明らかにアダマンタイト級の人間をいつまでも実力不相応の階級に留めておいて他所の街や国に逃げられたくない。さりとて冒険者同士の間に徒に不和を起こすのも憚られる。その折衷案としてミスリル級への昇格に留まったというわけだ。

 小人の世界とは面倒臭いものだ。が、今となっては吾輩もその世界の中で生きる身。郷に入っては郷に従えという東方の格言通り、吾輩は組合の方針に従うまでである。

 

 ……それよりも、吾輩にとって重要なことが一つある。

 

「あっ! ガレアさん!」

 

 依頼書が貼り付けられた掲示板の前で屯していた冒険者の一人が吾輩に気付き声を上げる。

 あまり印象に残らなかった小人の顔などすぐ忘れる吾輩だが、流石に彼のことは忘れない。チーム『漆黒の剣』のリーダー、ペテル・モークが嬉しそうに駆け寄ってきた。

 

「おお、ペテルか。依頼を探しているのかね?」

 

「はい。先日の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)との戦いで剣がいかれてしまったので、修理のためのお金を稼がないといけませんから」

 

 ペテル以外のメンバーはこの場にいないようだ。依頼に赴くための必要品の買い出しなどを行っているのだろうか。

 しかし、相変わらず世知辛いことだ。素質はあるのに金銭的な理由で実力に見合った武具が揃えられないというのは何とも憐れなことである。

 

 生まれてこの方金銭に困ったことのない吾輩は内心でペテルを憐れんでいると、彼は吾輩の新しいプレートに気付き「あっ」と声を上げた。

 

「ガレアさん、ミスリル級に昇格したんですね!」

 

「うむ。組合長の好意と……何より貴公らが口添えしてくれたお陰でな」

 

「いえ、俺たちは事情聴取の際に尋ねられたことを正直に答えただけです。ガレアさんなら遅かれ早かれ飛び級で昇格していたことでしょう」

 

 あの場に居合わせた冒険者たちが強く吾輩の実力を保証したことでスムーズに昇格が決まったと言っても過言ではない。ペテルたち『漆黒の剣』も証言してくれた冒険者の一人なので、吾輩は彼らに感謝すべきなのは言うまでもなかろう。

 だが、吾輩はそのことを素直に喜べずにいた。何故なら──

 

「ガレアさんの戦力がなくなってしまったのは痛いですが、まずは俺たち自身が強くならないといけませんからね。ガレアさんを見習って、いずれパーティの名前に恥じない冒険者になってみせます!」

 

 ミスリル級昇格と同時に、吾輩は『漆黒の剣』のメンバーから外されてしまったのである。

 

 以前ルクルットが「冒険者は近い実力の者同士で組むもの」だと教えてくれた時、吾輩は「そういうものなのか」と特に何の感慨も抱かず聞き流したが、よく考えてみれば吾輩と『漆黒の剣』の関係性にも同じことが言えるのだ。吾輩のレベルに見合うモンスターでは『漆黒の剣』は実力不足で、『漆黒の剣』のレベル相応のモンスターだと吾輩は手持ち無沙汰になってしまう。我らの間に隔たる力の差は圧倒的で、これでは双方にとって悪影響にしかならない。

 聞けば、ペテルは吾輩が森の賢王を下したあたりで既にその結論に至っていたらしい。彼の言い分は筋が通っており異論を差し挟む余地はなく、結果として吾輩だけの昇格となったのである。

 

 吾輩としては既に彼らを仲間だと思っていただけにうら寂しいものがある。しかし彼らを真に友と思うのなら、尚のこと距離を置くべきなのだろう。『漆黒の剣』は吾輩の武勇を盛り立て、優越感を得るための幇間(ほうかん)ではない。彼らの無垢な称賛と羨望の眼差しは心地良かったが、そんな自己満足のためだけに傍に置き、彼らの成長の機会を奪うべきではないのだ。

 

「ペテルよ。今や我らは袂を別った身だが、吾輩と貴公らが友であることに変わりはない。何か困ったことがあれば遠慮なく吾輩を頼るがいい。必ず力になってみせる」

 

「ガレアさん……」

 

「そうだ、これを渡しておこう」

 

 吾輩はソウルの器から「女神の祝福」を取り出し、ペテルの手に握らせた。

 女神の祝福は奇跡「太陽の光の癒し」と同等かそれ以上の回復効果を持つ、文字通り神の奇跡そのものとも言えるアノールの戦士の宝である。流石の吾輩もそれほど多く所持しているわけではなく、今や再び入手する手段のない貴重品だが、『漆黒の剣』はこの世界でガゼフの次にできた数少ない小人の友だ。これを送るのに躊躇いはない。

 

「ほんの人差し指程度の大きさの小瓶だが、侮るなかれ。たった一滴で欠損した肉体すら再生させる至高の秘薬である」

 

「そ、そんなの伝説級の秘宝じゃないですか! 受け取れませんよ!」

 

「そう言うな。実のところ、吾輩は奇跡……いや、回復魔法が使える故これを持て余していてな。女神グウィネヴィアの微笑みは遍く戦士に向けられるもの。吾輩が認めた戦士にこそ使ってほしいのだ」

 

「……分かりました。では、これはありがたく頂戴します。

 その代わり、ガレアさんも何かあれば遠慮なく『漆黒の剣』を頼って下さい! 俺たちの実力でどこまでお役に立てるかは分かりませんが、できる限り力になってみせますから!」

 

「ありがたい。その時は存分に頼らせて頂こう」

 

 ペテルは女神の祝福を大事そうに懐に仕舞い、一礼して吾輩の下を去っていった。

 去らば、友よ。貴公らの冒険に太陽の祝福があらんことを。

 

「……ところで、今の秘薬については口外せぬように頼むぞ?」

 

「は、はい。絶ッ対に誰にも言いません……!」

 

 実はペテルとの会話中、ずっとその場にいた受付嬢に念を押しておく。この世界の回復薬(ポーション)の性能を鑑みるに、女神の祝福の効果は少々どころでなく度を越している。もしこの存在が小人の間で広く知られてしまえば厄介なことになりかねん。

 受付嬢にもそれは十分に想像できたのか、やや蒼褪めた表情で激しく首を縦に振る。うむ、分かればよろしい。

 

 「お飲み物をお持ちしますので……!」と言って逃げるようにその場を後にする受付嬢の背中を見送る。少々性格が悪いと自覚しながらも慌てる小人の姿に小さく笑い、吾輩はソファの背凭れに深く身体を預けた。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 スレイン法国は人間の国家の中では最大の軍事力を有する大国である。しかしそれ程の国力がありながら武力を背景に他の国家に深く干渉することはなく、むしろその軍事力を以て積極的に小国の支援を行う程だった。

 

 何故なら、スレイン法国は人類守護を国家の理念としている。通常の国家であれば自国の繁栄を第一にするところを、法国は自国だけではなく人類全体の繁栄を望んでいるのだ。それは六百年に渡る法国の歴史の中で一度として違えられたことのない、何においても優先される建国以来の至上命題であった。

 

 もう一つ他の国家と異なる点として、リ・エスティーゼ王国やバハルス帝国のように王が存在しないということが挙げられる。

 スレイン法国は厳格な宗教国家であり、国のトップに位置するのは王ではなく各宗派を束ねる最高神官長である。その下に六つの宗派の最高責任者たる六人の神官長がおり、司法や立法、行政など(まつりごと)を行う機関は更にその下に位置する。王や皇帝の先導によって政を行う王国・帝国とは大幅に異なる政治構造を有する国家なのだ。

 

 その性質故に、スレイン法国の上層部は他国と比較し強固な意思統一が為されている。これが王国であれば王派閥と貴族派閥による権力争いがあったりするのだが、法国においてはそういった派閥闘争とは無縁であった。

 何故なら、彼らの頭上には常に絶対の信仰が存在している。私欲だの権力欲だのといった俗世の雑念など、彼らにとっては虫の羽音にも等しい。強固な信仰心によって揺るぎない自己を確立している彼らは、下らない人の欲に目先を曇らせるようなことはなく、常に()()()判断によって動くことができた。

 

 ──全ては、六大神の威光遍く清浄なる世界のために。

 

 

 この日も、清廉にして勤勉なる神官長たちによる会議が行われていた。

 スレイン法国の最奥に存在する神聖不可侵の一室に、各機関の長たちが集結している。最高神官長を始めとする火、水、風、土、光、闇の神官長に、政を主導する三機関長、魔法の開発を担う研究官長、軍事機関の最高責任者たる大元帥の計十二名。スレイン法国の最高執行機関である彼らは六大神の御姿を象った聖像に囲まれながら、厳粛な空気の中でいつものように人類の未来、より良き世界のために言葉を交わし合っていた。

 

 そして数時間に渡り喧々諤々と議論を交わし合った彼らは、いよいよこの日最後の議題に取り掛かる。それが場合によっては法国の未来にも関わるものと理解しているだけに、彼らの間に常ならぬ緊張が走った。

 

「──それでは、本日最後の議題に入ります。エ・ランテル近郊にて陽光聖典と交戦した、銀騎士ガレアと名乗る戦士についてです」

 

 その名を聞いた全員の表情が強張る。()()()()()()()()()()()()()()彼らにとって、今やガレアという存在は王国や帝国との関係、エルフの国との戦争以上の重大事として認識されていた。

 

「……私としては、その名を呼び捨てにするのは畏れ多いと思うのだがね」

 

 光の神官長イヴォン・ジャスナ・ドラクロワが議事進行を行う最高神官長補佐役の青年に苦言を呈する。一つの宗派を担うに足る圧倒的な威厳と貫禄を滲ませる神官長の一瞥を受け進行役の青年は息を呑むが、すぐさま他の神官長がイヴォンを嗜めた。

 

「およしなさい。まだかの者が(プレイヤー)に連なる者と決まったわけではないでしょう?」

 

「しかしベレニス、君も土の巫女姫の儀式魔法を通して見た筈だ。あの神話の如き戦いを。そしてあの方は神の存在についても言及していた」

 

「……同意する。かの御仁は自らを指して神の僕と仰っていた。百年の嵐と時期も合致する……プレイヤーそのものではなくとも、それに仕える従属神、あるいは神の子孫である可能性は十分に考えられるだろう」

 

 水の神官長ジネディーヌ・デラン・グェルフィがイヴォンの主張に同意を示す。火の神官長にしてこの場で唯一の女性であるベレニス・ナグア・サンティニは、熱に浮かされたような様子の光と水の神官長を見て眉を寄せた。

 

「まあまあ、お三方とも落ち着いて下さい。それについては既に先日の会議で散々に議論し尽くし、断定するにはまだ時期尚早であると結論したばかりではないですか」

 

 いずれもかなりの高齢にある神官長の中にあって幾らか若い──それでも四十代半ばといった風情だが──土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンが穏やかな口調で三人を宥める。それに闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエも同じくといったように頷いた。

 

「私もレイモン同様、まだそうと断定するには早いと考える。確かに御仁の発言にはプレイヤーとの関係を窺わせるものが多くあったが、同時に六大神の建国神話を連綿と受け継ぐ我々をして未知の言葉も散見された」

 

「──神の都アノール・ロンド」

 

「左様」

 

 神々が住まう輝きの都、アノール・ロンド。ガレアが告げたその言葉は驚愕を以て受け止められた。

 それはプレイヤーがこの世界に降臨するより前にいた世界の名なのか。残念ながらアノール・ロンドの名は法国の記録には存在せず、真偽を確かめる術を彼らは持っていない。だがもしそれが真実ならば、ガレアは確実にプレイヤー本人かそれに準ずる存在ということになる。そうなれば法国は最上級の待遇を以てガレアを迎え入れねばならないだろう。

 否、そうでなくとも最高位天使を容易く葬った程の戦士とあらば是が非でも味方に引き入れたいというのが本音だ。人類守護の壁となって亜人種との闘争を続けている法国にとって、優れた実力者は幾らいても困るものではないのだから。

 

()()()()は何と?」

 

「寡聞にして知らないと仰られた。しかし従属神たるあの御方の知見を以てしても、プレイヤーの世界については知らぬことの方が多いと聞く。そのためか、完全に神の都の存在を否定することもなかった」

 

「やはり情報が足りないか……」

 

 状況的に仕方がなかったとはいえ、陽光聖典は早々にガレアと敵対してしまったため得られた情報は限られる。また違う出会い方をしていればもっと早く法国に招くことができたのかもしれないと思うと、彼らはもどかしさに歯噛みせずにはいられなかった。

 

 束の間の沈黙に包まれる一室。その静寂を破るように、風の神官長ドミニク・イーレ・パルトゥーシュが口を開いた。

 

「……残念ながらプレイヤーとの関係を裏付けるものではないが、エ・ランテルに潜入していた風花聖典の構成員からかの人物について新たな情報が上がっている」

 

「聞かせてくれ」

 

 室内にいる全員からの視線が集中する。十一人による凝視の中、ドミニクはやや複雑な表情で告げた。

 

「その前に、クレマンティーヌという女の名を覚えておられるだろうか」

 

「……クインティアの片割れか」

 

「覚えているとも。忌々しい記憶だがね」

 

 ()漆黒聖典第九席次『疾風走破』。一人一人が英雄級の実力を誇る漆黒聖典の中でも、彼女は戦士として最高峰の実力を有する優秀な隊員だった。

 だが如何なる理由によるものか、クレマンティーヌは突如として神に背き国を裏切った。しかもただ国外に逃亡するだけでは飽き足らず、法国の最秘宝「叡者の額冠」を強奪していったのだ。

 

「風花聖典はクレマンティーヌの追跡任務にあった筈だな? その様子だと無事に捕獲できたようだが」

 

「左様。だが捕らえたのは風花聖典ではない。エ・ランテルで冒険者となっていたかの者の手によって倒され、冒険者組合に拘束されていたところを確保したのだ」

 

「冒険者に……王国で登録したのか?」

 

「どうやらそのようだ」

 

 その報告を受け、彼らの表情が不快げに歪められる。法国にとって今や王国は憎悪の対象と言っても過言ではない。神かそれに類する可能性のある人物がそんな国にいるというだけで彼らには耐え難いことだった。

 

「報告によると、彼は公共墓地でクレマンティーヌの他にズーラーノーンの構成員と目される魔法詠唱者(マジック・キャスター)数名と対峙。これを撃破したとのこと。その際、召喚された骨の竜(スケリトル・ドラゴン)()()()討伐したそうだ」

 

「なに? 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は魔法に対する完全耐性を有するアンデッドだろう。それを魔法で撃破したというのか?」

 

「もしや威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を倒したあの雷か? あの威力ならば納得はできるが……」

 

「いや、もしかしたらそういう特殊耐性を貫通できる生まれながらの異能(タレント)を所持しているのかもしれん」

 

「……話を戻そう。彼はその功績を以て(カッパー)級からミスリル級に昇格。本人もそれを承諾し、引き続きエ・ランテルを拠点に活動を続けていく意向を示したそうだ」

 

 ドミニクの発言を受け、神官長たちは互いの顔を見合わせる。

 その反応は銅からミスリルへの大幅な飛び級に驚いてのことではない。むしろ()()()()()()()()()()()()()()()ということに驚いたのだ。

 

「あれ程の力があってたかがミスリルだと? 王国の冒険者組合の目は節穴か」

 

「魔法軽視の風潮による弊害かもしれないわ。彼らは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を倒す程の魔法にどれだけの価値があるか理解していないのでしょう」

 

「あるいは、他の冒険者に配慮した結果かもしれん。いずれにせよ愚かなことだ。凡百の冒険者のために不当な評価を下し、それで余所に逃げられてしまえば元も子もなかろう」

 

 人類が大陸全体から見てどれ程の窮状にあるかを理解している法国は強者の発掘、及び育成には余念がない。相応の実力の者には正しい評価を下し重用することを徹底している法国の人間にとって、冒険者組合が下した判断は貴重な人材を徒に損ないかねない愚行としか映らなかった。

 

「だが一番の驚きは、彼がミスリル程度の評価に大人しく甘んじていることだ。本当に何の不満も出なかったというのか?」

 

「少なくとも、現在挙がっている報告においてはそのようだ」

 

「神にしては随分と大人しい。八欲王がそうであったように、自らの力を以て勢威を知らしめようとはしないのか?」

 

「監視させている者によれば、強者にありがちな傲慢さは見られるものの、同時に寛容さも持ち合わせており人品に大きな問題はなし。概ね人類に対して好意的に見受けられ、こちらが礼節を以て応じれば相応の態度で返してくれるだろうということだ」

 

「……六大神と同様、人類に友好的であることが分かっただけでも収穫か」

 

 ニグンとの会話から少なくとも無辜の民草が虐げられることに憤りを示す程度の善性があることは把握していたが、風花聖典からの報告によってそれがより確かなものとなったのは彼らにとって喜ばしいことだった。

 六大神の一、闇の神スルシャーナがそうであったように、プレイヤーが必ずしも人間種であるとは限らない。亜人種や特に異業種は精神構造が人間とは大きく異なっているため、場合によっては人類に対して敵対的な可能性も十分に考えられる。ガレアがプレイヤーであると仮定した場合の最大の懸念はその一点にあったが、それが杞憂であると発覚しただけでも彼らには僥倖だった。

 

「……陽光聖典に落ち度はなかったが、間が悪かった。村々を焼いて回った一件で彼が法国そのものに悪感情を抱いてしまっている可能性は否めないだろう。将来的に彼と接触する際には細心の注意を払う必要がある」

 

「では、やはり暫くは静観するのが最善か?」

 

「それが良いでしょう。事を急ぐあまり更に印象を悪くしてしまっては元も子もない。今は情報収集に努めつつ、最良のタイミングを計るべきです」

 

「異論はない」

 

 斯くして、ガレアへの対応は静観すべしとして意見の一致を見る。そして最高神官長による終了の言を以てこの日の会議は締め括られた。

 

「──太陽の光の王、か」

 

 囁くような独白が虚空に溶ける。光の神官長イヴォンの目が怪しい光を帯びていることに、終ぞ誰も気が付くことはなかった。

 




三日間の連続投稿はこれで終了です。次の投稿にはまた暫くお時間を頂くことになるでしょう。
お話を書くのは自分としても楽しいですが、趣味に時間を割けるのは安定した生活があってこそ。何卒ご理解頂ければと思います。


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破滅の竜王と銀騎士:1


お久し振りです。そしてお待たせしてしまい申し訳ございません。予想外の多忙につき執筆の時間がとれなかったのです。
決してPS5を購入できなかった現実を儚み、三ヶ月も腐っていたわけではございませんよ、ええ。
アンバサァ(怨嗟の鬼)


 

 中天に座す太陽を見上げ目を細める。

 ンフィーレア殿誘拐事件から幾日かが過ぎたある日の昼下がり、吾輩はエ・ランテルの街並みを茫洋と眺めながら歩いていた。

 

 とはいえ目的もなく歩いているというわけではなく、一応組合長から呼び出しを受けており冒険者組合を目指してはいる。しかし生憎と指定された時間までまだ余裕があった。それ故これといってやることもなく暇を持て余していた吾輩は、遠回りをして定刻まで時間を潰している。

 

 ちなみに今の吾輩は黒騎士の鎧は着ているが、剣と盾はソウルの器にしまい込んでおり身に付けていない。何故なら街の住民から「剥き身の剣を持ったまま街中を歩くのはやめてくれ」と苦情が来たからである。

 基本的に我ら神族は生来の技能としてソウルの業を扱えるため、剣も鎧も自らの内に無形のソウルとして収納してしまえる。それ故に刀身を収める鞘の類は必要としてこなかった。“深淵歩き”アルトリウス殿の聖剣にすら鞘は存在しない。

 

 銀騎士の剣は儀礼剣としての役割もあるため形だけの鞘は存在するが、デーモン退治のために鍛造された剣や大剣に鞘はない。故にそのまま肩に担いでいたのだが、それが良くなかったらしい。先日ついに組合を通して住民からの苦情を受け、街の中では武装を解くことになったのである。

 ぶっちゃけ剣などなくとも小人程度素手で捻り殺せる故、武装の有無を問わず吾輩の脅威度というか戦闘力に違いはないのだが……まあ見た目に威圧感を感じてしまうのは分からないでもない。脆弱な小人にとって武装した神族はそれだけで恐怖の対象なのだろう。王より下賜された武器を一時とはいえ手放すのに多少の抵抗はあったが、ここは吾輩が広い心で譲歩すべきであろうな。

 

 なら鞘がある銀騎士の剣を装備すれば良いと思われるかもしれないが、残念ながら火に炙られて真っ黒になってしまった黒騎士鎧と白銀に輝く銀騎士剣とでは見た目の相性が最悪なのだ。アダマンタイト級に上り詰めるまで銀騎士の鎧は身に付けないと誓った手前、今はこれで我慢するよりない。

 

「おや、そこにいるのはガレアさんじゃないか」

 

 ふと声を受けて顔を向けると、そこには吾輩の腰ほどもない小さな老婆が立っていた。当て所なく歩いていたつもりだったが、気付けばバレアレ薬品店の前まで来ていたらしい。

 

「これはバレアレ殿。あの事件以来だが、変わりはないかね?」

 

「リイジーでいいよ。ああ、ンフィー共々元気にやってるさね。それもこれもあんたのお陰さ」

 

「なに、大したことではない。あの程度の敵、吾輩の手に掛かれば一捻り故な」

 

 ちなみにこれは誇張ではない。確かに吾輩は優れた戦士としてあの女の実力を認めたが、それには「小人としては」という但し書きがつく。ただでさえ神族と小人の間には多大な性能差がある上に、この身はキャリア数千年のエリート銀騎士。百年も生きていないような小娘とは積み上げてきた経験が違う。

 あるいはあの女がソウルの業に開眼し、更に時をかけてソウルを喰らい技を磨けば、いつかは吾輩にも届いたかもしれぬ。それ程の天稟を感じさせる戦士だった故生かしておいたのだが……さて、いったいどこへ消えたのやら。

 

「ところでガレアさん、今日は冒険者稼業はお休みかい? 見たところ武器を持っていないようじゃが」

 

「いやいや、実は組合長からお呼びが掛かっていてな。用件次第ではすぐにでも仕事になるやもしれぬ。……ふむ、そうさな。せっかく来たのだ、有事に備えポーションを幾らか買わせて頂こう」

 

「おや、ウチのポーションを買ってくれるとは嬉しいねぇ。ちょっと待ってておくれ」

 

 リイジー殿は老いを感じさせぬしっかりとした足取りで店に入り、商品棚へと歩いていく。そういえば優れたポーション職人は優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)でもあるという話を聞いたことがある。もしかしたらこの老婆も、見かけによらず老練の魔術師なのかもしれん。

 微塵もぶれぬ体幹でひょいひょいと高棚から商品を取る老婆の背を眺めつつ、吾輩はそんな益体もない思考に耽るのだった。

 

 

 

 

†††

 

 

 

 

 エ・ランテル冒険者組合、その二階部分に設えられた会議室。上質な机や椅子が並べられたその一室には錚々たる顔触れが集っていた。

 

 冒険者組合長、プルトン・アインザック。そして魔術師組合長、テオ・ラケシル。

 彼らはエ・ランテルに存在する全ての戦士と魔術師……即ち全冒険者たちを束ねる組織の長である。両者とも元冒険者という経歴を持ち、既に一線を引いた身ながらその体躯には並の冒険者を凌駕する覇気を秘めている。

 

 そして、そんな彼らに勝るとも劣らぬ……否、それ以上の覇気と威風を纏う冒険者たち。

 エ・ランテルに三組しか存在しないミスリル級冒険者チームの一角、『クラルグラ』の面々がその位に恥じぬ堂々たる存在感を放っていた。

 

 現在エ・ランテルの冒険者組合にはオリハルコン級以上の冒険者は存在しない。つまり、それはここにいる『クラルグラ』が紛れもなくこの街で最上位の冒険者チームであることを示している。

 中でも、リーダーであるイグヴァルジは他のメンバーと比べても格が違った。純粋な実力という点でもそうだが、何よりも放たれる気迫において他と一線を画している。

 その鋭い眼光が見据えるのは己の栄達、ただそれのみ。だが栄達といっても金や権力、名声といった栄誉は彼にとって副次的なものに過ぎない。

 

 イグヴァルジが求める栄達とは、己が“英雄”として成り上がること。それ以外の一切は眼中にないとさえ言えるほど、彼は英雄という存在に焦がれていた。

 

 目的に邁進する狂的なまでの想念。それが鬼気迫るとでも表現すべき気迫となって表れていた。事実としてイグヴァルジは英雄となるための研鑽を怠らない努力の人であり、その並ならぬ熱意一つを以て『クラルグラ』の全メンバーを過不足なく統率している。

 その熱意が高じるあまり手段を選ばない……()()()()()()傾向にあるところは仲間からも問題視されているが。

 

 そして今、イグヴァルジはただでさえ鋭い眼光を更に尖らせていた。端的に言ってかなり怒っている。

 

「……つまり、どこの馬の骨とも知れぬぽっと出の冒険者を一足飛びでミスリル級に格上げした挙句、この俺にそいつのお守りをさせようってわけか?」

 

 ふざけているのか、という怒声が飛び出そうとするのを堪えるのに、イグヴァルジはかなりの自制心を働かせなければならなかった。尤も、仮にも自身が属する組織の長を相手にしているにもかかわらず敬語が抜けているあたり、彼が如何に冷静さを欠いているかを物語っている。隣に座る副リーダーの男は気が気でない様子で胃の辺りを押さえた。

 

「……君の不満も分かる。だが理解してほしい」

 

 アインザックはイグヴァルジの態度に目を瞑った。それは彼の怒りが尤もであると承知しているためである。

 自らが彼らの自尊心を損なうことを言っている自覚はある。だがそうと弁えた上で、アインザックは自身の発言を取り下げる気はなかった。彼は常人であれば失禁しかねないほどの眼光を放つイグヴァルジを真っ直ぐ見据えると、今一度依頼の内容を語る。

 

「『クラルグラ』にはミスリル級冒険者ガレアに協力し、トブの大森林の奥地へ行きとある薬草を採取してきてもらいたい」

 

 薬草の採取など、本来なら駆け出し冒険者が受けるようなお遣いレベルの依頼だ。それをミスリル級である『クラルグラ』に依頼するというのは一見して意味不明に思えるが、別にアインザックがとち狂ったとかそういうわけではない。

 無論、それはイグヴァルジとて理解している。この依頼における薬草とは十把一絡げの薬草に非ず。如何なる万病をもたちどころに癒すという伝説級の霊草。それもトブの大森林の奥深く、ごく限られた特定の地域でしか採取できないという曰く付きである。

 

 かつて剣豪ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファン率いるアダマンタイト級冒険者チームが、更にミスリル級のチームを二つ加えてようやく達成させたという伝説はイグヴァルジも聞き及んでいる。それ程の難行を任せられるとなれば、それは間違いなく彼を英雄に至らしめる大いなる飛躍の一助となるだろう。たとえ故も知れぬ冒険者一人が加わるとしても、本来ならば快諾して然るべき依頼である。

 

 にもかかわらず、何故これほどまでにイグヴァルジが怒り心頭なのか。

 アインザックは言った。「ガレアに協力し、薬草を採取せよ」と。

 

 ガレア()『クラルグラ』に協力するのではない。

 ガレア()『クラルグラ』が協力するのだ。つまりはガレアが主で『クラルグラ』が従。アインザックはそうイグヴァルジに告げたのである。

 

 かつてアダマンタイト級一チームとミスリル級二チームで達成させたトブの薬草採取。つまりアインザックは、ガレアという男をアダマンタイト級一チームとミスリル級一チームに匹敵する個人戦力であると評価していると。そう暗に告げているに等しかった。

 

 その事実がイグヴァルジには我慢ならない。人類最高戦力とも評されるアダマンタイト級()()()と比較される()()だと? そんなもの──まるで“英雄”のようではないか!

 ふざけるな、とイグヴァルジは内心でありったけの罵詈雑言を吐いた。俺がミスリル級に上り詰めるためにどれだけの時間と努力を費やしたと思っている。その労苦を鼻で笑うかのように突然現れた推定英雄……とてもではないが許容できるものではない。

 

 イグヴァルジのその反応を半ば予想していたアインザックはうっそりと溜め息をついた。彼が英雄というものに懸ける執念については把握している。己が英雄に至るための道程を脅かす者に猛烈な敵意を向けるということも。要するにプライドが高く嫉妬深い男なのだ。

 それでもイグヴァルジの実力は本物である。別けても野伏(レンジャー)から派生するフォレストストーカーという職業(クラス)を有する彼の技能は、この依頼においてなくてはならないものと予想された。

 

 それなら『クラルグラ』を主軸に依頼を組めば良いと思われるだろうが、そうもいかない理由が二つ。

 まず単純に『クラルグラ』全メンバーを合わせてもガレア一人に実力で及ばないというのが一つ。ローファンの証言を基にした記録──三十年以上前のものだからかあまり正確な記録ではないようだが──から推察するに、この依頼において最も重要なのは森林探索の腕前ではなく純粋な戦闘力である。恐らくは目的の薬草が生息する一帯に強力なモンスターが住み着いているのだろう。

 

 そしてもう一つの理由。それはこの依頼がガレアをアダマンタイト級に昇格させる口実に過ぎないからであった。

 ガレアの実力がミスリル級に留まらないことは、先日の事件における冒険者たちの証言と現場の破壊痕からも明白である。他の冒険者との軋轢を恐れて暫定的にミスリル級としたが、一刻も早く彼の実力に即したランクに昇格させたいというのがアインザックとラケシルの本音だった。

 もし自身の実力が正当に評価されないことで愛想を尽かされ、ガレアに街を出て行かれてしまっては困る。とても困る。それを防ぐためにも、適当な依頼を幾つか消化させて手っ取り早くガレアをアダマンタイト級にするつもりだった。

 

 そんな折にとある大貴族から舞い込んできた伝説の薬草を採取せよという依頼。アダマンタイト昇格の口実作りには持ってこいの内容だったが、何せこれは()()剣豪ローファンをして一筋縄ではいかなかったという難行である。ガレアの実力を鑑みれば不可能とは思わないが、もし万が一が起きてエ・ランテルの将来を担う英雄の身に何かあっては事だ。三十年前の成功例に倣い、最低でもミスリル級のチームを応援につけるのは当然の保険だった。

 

 ではどのチームを協力させるかについてだが、これが一番の悩みどころだった。

 エ・ランテルに存在するミスリル級冒険者のチームは、ベロテ率いる『天狼』、モックナック率いる『虹』、そしてイグヴァルジ率いる『クラルグラ』の三つだ。

 順当に考えるならリーダーの人間性を考慮し、協調性に優れる『天狼』か『虹』を応援につけるのが道理だろう。だが、協調性を度外視してもイグヴァルジの技能は採用する価値があった。場所が広大極まるトブの大森林の奥地ということもあり、今回の依頼遂行の適性においては『クラルグラ』に軍配が上がる。

 

 協調性を求めるなら『天狼』と『虹』。確実性を求めるなら『クラルグラ』だ。この依頼をガレアの手柄としたい以上、あまり協力するチームが多すぎるのは望ましくない。採用するなら一チーム。アインザックとラケシルは連日に渡って悩み抜き──

 

 その結果が現在組合の会議室に充満する重い空気である。アインザックとラケシルは早くも自分たちの決断を後悔し始めていた。

 

「そもそも、俺はそのガレアという名前を聞いたことがない。そいつもミスリルである以上、それに相応しい何らかの偉業を成したはずだ。まずは組合がそいつをミスリル級と判断した所以をお聞かせ願いたいもんだな」

 

「ああ、そういえば例の事件があったとき君たちは依頼で街を空けていたんだったな」

 

 ならば知らないのも無理はない、とアインザックは納得する。高ランクの冒険者ともなれば依頼で長期間街を空けるなど珍しくもない。事件直後は新たな英雄誕生の話題で持ち切りになったものだが、時間が経ち話題も下火になった現在、積極的に調べようとしない限り彼の耳に入ることはなかっただろう。

 そしてイグヴァルジは能動的に他の冒険者の情報を集めるタイプの男ではない。競合するチームなど長らく『天狼』と『虹』しかいなかったのだから無理もないが。

 

「彼は墓地の事件を早急に解決したという偉業を成したのだよ。それも殆ど誰の手も借りることなく、たった一人でね」

 

 アインザックは嬉々としてガレアが打ち立てた功績を語る。

 

 墓地の事件、即ちンフィーレア・バレアレ誘拐事件においてガレアはミスリルに相応しい……否、それ以上の偉業を成した。その最たるものはクレマンティーヌと名乗った女戦士の打倒である。

 クレマンティーヌが装備していた軽鎧には悍ましいことに無数の冒険者プレートが打ち込まれていた。そしてそのプレートに刻まれた名前を組合の記録と照合したところ、それがここ数年の間に何者かの手によって殺害された冒険者のものと一致したのだ。

 期せずして近年王国内で問題になっていた冒険者連続殺害事件の犯人が判明したわけだが、同時にそれがクレマンティーヌ一人の手によって為されたものであることも明らかになり、事件関係者を騒然とさせた。狩猟証明(ハンティングトロフィー)として鎧に打ち込まれていたプレートにはオリハルコンもあったわけだが、つまりそれは彼女がオリハルコン級の冒険者をも単独で殺害せしめるほどの卓越した武力を有していることの証明に他ならない。オリハルコン級以上……即ち、アダマンタイト級にも匹敵する規格外の戦士であると。

 

 ならば、そんな戦士を一方的に打ち破ったガレアもまた規格外の戦士に他ならないだろう。その場に居合わせた冒険者たちの証言、そして事件後のガレアに負傷どころか疲労の気配もなかったことから察するに、規格外という評価すらもあるいは不足かもしれない。

 

 しかし、アインザックの話を聞いたイグヴァルジはなおも不満を隠そうとはしなかった。

 確かに功績そのものは素晴らしいのだろう。日々モンスターを相手に戦い続ける冒険者すらも獲物にしてしまう恐ろしい狂人。聞けばその場に居合わせた白金(プラチナ)級の冒険者をして挙動に目が追いつかなかったという。白金級といえばイグヴァルジらミスリル級の一個下、十分に強者と分類される冒険者の中の冒険者である。そんな彼らが目で追えぬような手合いを容易く屠ったとなればそれは相当だ。

 

 だが、それでもたった一度である。冒険者とは一歩一歩着実に、少しずつ功績を積み上げ階級を上げていくものだ。それをたった一度きりの偉業で踏み越えられれば反感を覚えるのも無理からぬことであろう。(とみ)にイグヴァルジは己以外が英雄の座に近付くことを病的に厭う男である。論理立ててガレアが成した偉業の価値を説かれようと、嫉妬に濁った脳髄は理解することを拒み続けた。

 

(やはり人選を間違ったかもしれん)

 

 隠すことなく不満を露わにするイグヴァルジを見て、アインザックは心の裡で嘆息した。もう少し堪え性があると期待したのだが、結果は御覧の有り様である。

 誤解するべきではないのだが、彼は冒険者としては文句なしに優秀な男なのだ。結成以来ただの一人としてチームから欠員を出していないというのがどれ程の偉業であるか、それが分からぬ冒険者など存在しないだろう。人間性もその実力に比例して優れていてくれれば何も言う事はなかったのだが。

 

 念を押して『クラルグラ』だけを先に召集した判断は間違っていなかった。もしガレアも交えて席を設けていようものなら、イグヴァルジはそれこそ狂犬のように噛みついていたことだろう。エ・ランテルの未来を担うだろう英雄の不興を買うことは避けねばならなかった。

 

「……まあ推定英雄級の犯罪者を打倒したのはいい。だが他に戦果らしいものといえば骨の竜(スケリトル・ドラゴン)ぐらいなのだろう? 確かに骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は強敵だが、それでも常識の範囲内における強敵に留まる。ミスリル級の冒険者なら倒せ──」

 

「──討伐手段が魔法だったとしても?」

 

「……は?」

 

 それまで沈黙を保っていたラケシルが口を開く。沈黙の理由が説明を面倒臭がっていたからであると知るアインザックは白けた視線を送るが、ラケシルはどこ吹く風といった様子で意にも介さない。

 

 そんな二人の間だけで成立するやり取りなど知る由もないイグヴァルジは、突拍子もないラケシルの発言に混乱していた。

 当然ながらイグヴァルジは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)というモンスターについて十分に知悉している。実際に対峙し、これを討伐したこともある。だからこそ意味が分からなかった。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は魔法に対する絶対的な耐性を有するモンスター。それを魔法で倒したとはいったいどういう事なのか。

 

 鼻白むイグヴァルジに対し、ラケシルは皮肉げな表情で口を開いた。

 

「この情報はその場に居合わせた全ての冒険者への聞き取り調査、及び現場に残された戦闘痕の検証によって十分に精査されたものだと理解した上で聞いてほしい。結論として、まず間違いなくガレア殿は魔法で骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を倒している。冒険者たちは満場一致でこう答えたよ。幾重にも束ねられた雷の槍が骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を貫いた、とね」

 

「これまでは魔法に対する絶対耐性を持つと思われてきた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)だが、その通説が覆される可能性があるかもしれないな。実は絶対耐性ではなく、例えば第六位階以下の魔法の無効化能力だった……とか」

 

「なッ! そ、それは……!?」

 

 イグヴァルジは限界まで目を見開き絶句する。

 それは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の特殊能力についての通説が覆されたことへの驚き──ではない。

 英雄級の実力を持った戦士が、更には骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の耐性をも貫通する魔法を操る魔法詠唱者(マジック・キャスター)でもあったという事実に驚いたのだ。

 

「あ、あり得ない! 何かの間違いじゃないのか!?」

 

「私も最初にそれを聞いた時は耳を疑ったさ。凄腕の戦士でありながら優れた魔術師でもある。王国戦士長と帝国宮廷魔術師を足して割ったような存在だ。これを英雄と呼ばずして何と言う?」

 

「納得しろとは言わん。だが現実を理解し、割り切れ。ガレア君への対応は特別扱いでも何でもない、当然の待遇なのだ」

 

『組合長』

 

 コンコン、と扉が叩かれ三人は同時に口を噤んだ。扉越しに聞こえてきた女性の声はこの組合の受付嬢のものだろう。重要な会議中であると通達している中での訪問である。であれば、その用件は一つしかない。

 

『ガレア様がお見えになりました』

 

「通してくれ」

 

 アインザックが入室を促すと、受付嬢──名前は確かイシュペンといったか──は「失礼いたします」と断りを入れながら扉を開いた。

 

「どうぞ中へ。組合長がお待ちです」

 

「うむ」

 

 頭が天井に触れないよう腰を屈めた、偉丈夫。

 窮屈そうに扉を潜った男がその姿を見せた瞬間、会議室の空気は一変した。

 

 淀んだ気を押し流すかのような、清澄にして甚大な威を孕む呼気。自然体でありながら他と一線を画す気宇壮大の佇まい。躯幹七尺にも達しようかという巨体をはち切れんばかりの武威と共に黒備えの甲冑に押し込めた堂々たる威容。

 

 銀騎士ガレア。話題の渦中たる人物がその姿を現した。

 

「よく来てくれた! さあガレア君、空いている席に掛けてくれ」

 

 アインザックは席を立つと、直前までの空気などなかったかのように朗らかに笑いガレアを歓迎する。ガレアもまた兜の下で上機嫌に笑い、組合長から見て下座……丁度『クラルグラ』の向かい側となる席に腰掛けた。

 すると自然、イグヴァルジはガレアを正面から直視することになる。盛大に椅子を軋ませながら着席した、比類なき戦士。その威容がテーブルを挟んだ目と鼻の先に現れたことで、イグヴァルジは否応なしに彼の姿を直視せざるを得なくなった。

 

 イグヴァルジはまず、唾を嚥下する音が周囲に聞こえなかったかを心配する必要に駆られた。眼前の偉丈夫に圧倒され、音を立てて唾を呑んだなど誰にも知られるわけにはいかないからだ。万が一にもこのいけ好かない男に気圧されたと周囲に思われるなど、イグヴァルジのプライドが許さなかった。

 さりとて視線を逸らすこともできなかった。眩く、圧倒的で、勇猛さと高貴さを過不足なく同居させたその佇まい。目を離すことを本能が拒絶する。まるで怯える小動物が天敵から目を逸らせないのと同じが如くに。

 

 これが、英──そこまで思考が至った瞬間、イグヴァルジは奥歯で己の口内を噛み切った。

 そうでもしなければ、怒りと情けなさでどうにかなりそうだった。

 

「前回はお互いに慌ただしかったから、まずは改めて自己紹介をさせてもらおう。私がこの街で冒険者の組合長を務めている、プルトン・アインザックだ。そしてこっちの瘦せっぽちがエ・ランテル魔術師組合長、テオ・ラケシル」

 

「紹介に与った瘦せっぽちのテオ・ラケシルだ。この筋肉馬鹿とは古馴染みでね」

 

 冗談交じりに自己紹介するアインザックとラケシルをイグヴァルジは冷めた目で眺めていた。その冗句からは直前までの張りつめた空気を払拭する目的が透けて見える。つまりは、空気一つにも配慮せねばならないほど両組合長はガレアという存在を重んじているということ。

 気に入らなかった。仮にも自分が所属する組織の長が、たった一人の男を相手に阿っているという事実が。そして何より、二人にそうさせるだけの存在感を当たり前のように示すガレアの在りようが。

 

「そして彼らが……あー、君と同じように私たちの招集に応えてくれたエ・ランテルが誇る冒険者チーム。ミスリル級の『クラルグラ』だ」

 

 アインザックが一瞬口籠もったのは、イグヴァルジの内心で強烈に渦巻く妬心を見て取ったからか。

 結局アインザックの紹介に対してイグヴァルジは一言も発さなかったが、代わりに失言を口にすることもなかった。黒々とした感情が籠もった視線ばかりは誤魔化しようがなかったが、それでもイグヴァルジにしては上出来な対応だろう。

 

 幸いにもガレアは気分を害した様子もなく、頷きながら興味深げに『クラルグラ』の面々を見渡している。

 まるでこちらを歯牙にもかけぬかのようなその態度に、イグヴァルジは更に苛立ちを深める。残念なことに、それが根拠のない言い掛かりに過ぎないと認識できるほどの冷静さは今の彼には存在しなかった。

 

「ではこちらも名乗ろう。我が名はガレア。遠くアノール・ロンドより此方(こなた)へ罷り越した流浪の騎士である。憚りながらミスリルの位を戴いておるが、冒険者としては未だ半人前の身。益々上進すべく鋭意努力していく所存なれば、何卒よしなにお頼み申す」

 

 冒険者らしくなく格式張った、妙に古風な言い回しである。しかしそれを奇妙だとは思わせない貫禄があった。声音は覇気に漲り、威風堂々たる物言いは絶対的な自負に満ちている。

 だが、ただ自信に溢れているだけではない。それだけならば傲慢さばかりが鼻についただろうが、そうと感じさせないのはガレアが確かな敬意を言葉と態度に表しているからだろう。冒険者という職、そしてアインザックら先達に対する敬意だ。その真摯さ故に漲る自負はそのままに、颯爽たる風韻すら醸し出していた。

 

 やはり彼こそは英雄であると、アインザックはその思いを強くする。

 実のところ、この世界において英雄と呼ばれるための条件は一つしかない。それは「強さ」。人品すら強さの一点の前には条件として霞んでしまうだろう。精神的に英雄である必要はない。ただ肉体的に超人であることのみが至上とされる。極論、実力が伴うならば犯罪者であっても英雄と呼ばれるに値するのだ。

 

 しかしガレアは違う。圧倒的な実力を具えるのみならず、精神性においても非の打ち所がない。

 こうして対面すればそれがよく分かる。英雄級の戦士の打倒、悪名高き魔術結社の高弟とそれに召喚された強大なモンスターの討伐。それほどの偉業を一夜の内に、それもたった一人で成し遂げておきながら、ガレアはそれを誇る様子が微塵もない。

 

 これが他の人間だったならば、功績を背景にもっと傲慢に振る舞うだろう。そしてそれは許される。強者であるということはそれだけで強大な権威を宿すからだ。

 翻ってガレアにはそれがない。功績を鼻にかけることはなく、ただ泰然自若としてそこにある。獅子は自らが獅子であることを誇示しないのと同じように、彼もまた必要以上に武威を誇ることはなく。それどころか力で劣るはずのアインザックらに対し礼を示す度量すら見せつけた。

 

 この大器こそが正しくその証であろう。英雄()なのではない。紛れもない()()なのだ。

 

 そうと感じたのはアインザックのみならず、ラケシルも……そして『クラルグラ』も同様だった。

 他のチームメンバーたちは素直な感嘆を表しているが、イグヴァルジはそうもいかない。そも、ここで素直に相手を称賛できるだけの余裕があるのならアインザックがこうも苦悩することはなかっただろう。

 

 とはいえ、ガレアについて予め説明されていたことが功を奏したのは確かだ。こういう男が来るのだという心構えがあったからこそ、イグヴァルジの態度はこの程度で済んでいると言える。そうでなければ開口一番暴言が飛び出していたことだろう。

 

「では早速本題に入りたいのだが……」

 

「その前に、兜ぐらい外したらどうなんですかねぇ。英雄サマは腕は立つようだが礼儀は知らないらしい」

 

 それでも嫌味ぐらいは口にしなければ収まりがつかないのがイグヴァルジである。それが徒に不和を齎す結果になろうと、ガレアという存在を認められない以上、とことんまで足を引っ張るのが彼のやり方だった。

 むしろ、積極的にガレアを怒らせようとさえしていた。たとえ自らの評価が多少なりとも落ちる結果となろうが、この気に食わない男の泰然とした態度を崩してやりたいと。そのような短慮に走る程度には今の彼は冷静さを欠いていた。

 

「よさないかイグヴァルジ! その程度のことで──」

 

「いや、結構。それが作法というのであれば従うとも」

 

 冒険者とは決してお行儀の良い職種ではない。相手を侮辱するような意図が明らかでもない限り、兜を取らなかったという程度で目くじらを立てる冒険者など殆どいないだろう。

 そこを敢えて言及したということに少なからぬ悪意を見出さずにはいられない。アインザックは思わず声を荒げるが、ガレアはそれを遮り黒騎士の兜に手を掛けた。

 

 多分に皮肉を含んだ物言いでこそあったが、イグヴァルジの言はそう的外れなものではない。重要な会議の場面で、それも初対面の相手もいる中で一人兜を被り素顔を晒さないというのは、まあ世間一般の常識に照らし合わせれば確かに失礼に当たる。

 ガレアがそれに気付かなかったのは決して礼を弁えていなかったからではなく、単純にアノール・ロンドにそのような作法が存在しなかったからというのが大きい。

 

 前提として、銀騎士はアノール・ロンドにおいて精鋭を誇る王族の近衛兵であると同時に、神の軍勢においてはただの一兵卒にしか過ぎない。銀騎士の内部において個々の練度の高低こそ存在するが、神の視点から見れば等しく「銀騎士」という名の盤上の駒、替えの利く雑兵(ポーン)でしかないのだ。

 つまりは、古竜戦争時代より数千年に渡り神に仕え戦い続けてきたガレアですら「銀騎士」という枠組みにおけるその他大勢の中の一騎に過ぎないということ。固有の名と位を持つ四騎士が例外なのであり、銀騎士にとって“個”というものは決して重要視されるものではなかった。

 

 人間からすると不思議に思えるかもしれないが、神という超越存在を頂点に戴くアノール・ロンドにおいてこれは至って自然である。人間が蟻の群れの中から個体を判別することができないように、神の視座からすればガレアも一般銀騎士も同じ「銀騎士」でしかない。大王グウィンが特別だっただけで、他の神などはガレアという名前を耳にしたところで態々覚えたりはしないだろう。

 

 結果として、神を中心に回るアノール・ロンドの銀騎士は“個”というものに固執しなくなった。元よりソウルの業に親しむ彼らは魂の波形から容易に他者を識別できるということもあり、人間のように「素顔を晒す」という行為に意義を見出すことは終ぞなかったのである。

 故に彼らは顔や名前という“記号”を特別視しない。古参も新参も全ての銀騎士は寸分の狂いなく同じ装備に身を包み、如何なる場合においても兜を取ることはなく、己である前に「銀騎士」であろうと徹した。むしろ、殊更に名乗りを上げたり鎧や武器に手を加えることで自己を主張しようとするガレアやレドの方が異端であったと言えよう。

 

 概ね以上のような理由により、ガレアは他者と接する際には被り物を払い顔を晒すべしという人間の習慣に無頓着だった。だから以前大王グウィンに謁見した際、ガレアもオーンスタインも兜を取らなかったのである。偏にその習慣がなかった故に。

 だが、それはあくまで神族の間でのみ通用する常識。そして今ガレアがいる場所はアノール・ロンドではなく人間の国家リ・エスティーゼである。異端は己であり、その振る舞いが非常識というならば改めるのに躊躇いはなかった。

 

 しかしイグヴァルジはガレアの反応に不満を持った。言ってみてから自分でも正直どうかと思う程度には──相手が標準的(つまりは血気盛ん)な冒険者だったなら即殴り合いの喧嘩になってもおかしくない──露骨に嫌味を込めてしまったにもかかわらず、相手はさして気にした様子もなく素直に非を認め、兜を取ろうとしている。

 残念ながら、イグヴァルジはこれを相手の器量として受け取ることができなかった。むしろ意に介されていないとして益々思考を硬化させる結果となる。

 

 だからだろう。止めておけばいいものを、苛立ち紛れに更なる失言が口を衝いてしまったのは。

 

変梃(ヘンテコ)な兜なんざ被りやがって。よほど自分の顔に自信がないのか、それとも何か後ろめたいことでもあるのかね」

 

 その言葉に込められたのは、双角という派手な立物(たてもの)に垣間見える衒気(げんき)への皮肉。そして見るからに高価で立派な鎧を持つことへの嫉妬。それらが綯い交ぜになった末に出た悪口雑言である。

 ──兜を取ろうとする手が、止まる。

 

 

 

 

「 ほ う ? 」

 

 

 

 

 直後に響く破砕音、大気を引き裂く豪風、金属が軋む耳障りな不協和音。

 気付けばガレアは総身に怒気を漲らせて立ち上がり、巨大な戦斧の刃をイグヴァルジの首に宛がっていた。

 

「……へぁ?」

 

「我が兜を哂ったな。主神より賜りし、騎士の装束を虚仮にしたか」

 

 音の正体はそれぞれ、立ち上がった勢いで椅子が粉砕した音、黒騎士の大斧を振るった際の風切り音、それを無理矢理止めたために手甲が軋んだ音である。

 

 彼らが感心していた器量と言う名の堪忍袋、その紐はイグヴァルジの一言で呆気なく千切れ去った。

 我への侮辱は許す。しかし神の恩寵、騎士の誇りたる兜を侮辱するのは許されぬと。それまでの寛容さが嘘のように激昂するガレアの剣幕から、イグヴァルジが図らずも特大の地雷を踏んでしまったことは明白であった。

 

 怒りが身体の内側から溢れて鎧を喰い破り、圧力を伴って放出されているかのようだった。その圧迫感たるや、まるで巨大な壁が迫ってくるかの如く。ガレアの巨体が更に一回り大きくなったと錯覚させる程の凄まじい憤怒である。

 

 この場にいるのはいずれも歴戦の冒険者である。『クラルグラ』は言うに及ばず、組合長のアインザックとラケシルもかつては凄腕で鳴らした優秀な冒険者だった。

 そんな彼らが今や、まるで獅子を前にした兎のように震え上がり声もない。何しろ相手が相手だ。前時代の覇者たる石の古竜との激戦を生き残り、廃都を埋め尽くす混沌のデーモンを滅びの際に追いやった戦歴(キャリア)数千年にも及ぶ神の従僕である。その身に蓄積された強大なソウルの器は、人間からすれば力が山を抜き気が世を覆うと形容されるレベルで化物だった。

 

 爆雷の如き赫怒が石造りの建造物を震撼させる。階下から響く悲鳴はガレアが放つ怒りの波涛に当てられた憐れな冒険者たちのものだろう。階を隔ててなおその有り様なのだから、怒りの根源を目の当たりにしているアインザックらの恐怖は想像を絶する。それこそ竜に睨まれたような心地だろう。

 ()()だけでそれなのだ。ましてや、真っ直ぐ殺意(それ)を向けられているイグヴァルジにとっては何をか言わんや。

 

「命拾いをしたな、(わっぱ)。もし貴様が虚仮にしたのが銀騎士の兜だったのなら、吾輩は怒りを制御できず首を刎ねていたであろう」

 

「────」

 

 もはやイグヴァルジは言葉もなく。怒涛のように押し寄せる怒りと殺意から意識を保つのが精一杯で、何かしら反応を返すような余裕などなかった。

 

 漆黒に染まった戦斧の刃はあまりに大きく、何を敵として想定し造られたのか想像できないほど重厚に過ぎた。刃の根本付近に至っては、一般的な両手剣の剣身ほどの分厚さがあるだろう。

 そんな暴力が形を取ったかのような兵器が、首筋に生えた産毛に触れるか触れないかというところにまで迫っていた。この寸止めが狙ってやったものならば言語を絶する神業と言う他ないが、十中八九これは偶然であろう。刃が首を断たんとした刹那に、辛うじて我を忘れる程だった怒りの制御に成功したに過ぎないのだと、この場の誰もが過たず理解していた。

 

 それ程までに兜を侮辱されるというのはガレアにとっての逆鱗だった。何しろ自分の名前すら兜に因んで付けているのだ。その思い入れたるや余人には想像できないものがあった。

 別に戦いの中で敵に傷付けられるのは構わないのだ。実際ガレアの兜はその戦歴を物語るかのように細かな傷に覆われている。だが、それが悪意によるものとなれば話は別だ。彼は“鷹の目”ゴーほど寛容ではない。もし騎士の誇りを貶めんとする悪意の下に兜を汚されるようなことがあれば、ガレアは地の果てまで下手人を追いかけ殺すだろう。

 誇りを汚すもの。神の恩寵を貶すもの。自らの信仰に懸けて、アノールの銀騎士はその一切を許すことはない。

 

 とはいえ今回はガレアへの中傷の出しとして兜が使われただけであり、ましてや物理的に兜が傷付けられたわけでもない。そしてアノール・ロンドの神々を知らぬこの世界の人間に神を貶める意図などある筈もなく、そういう意味ではガレアの怒りは見当違いと言えなくもなかった。

 無論知らなかったから許されるという話でもないが、情状酌量の余地はあって然るべきだろう。何よりガレアは瞬間的な怒りの上昇値こそ高いが、その感情が長続きするようなタイプではなかった。イグヴァルジの怯え切った顔を見たガレアは大きく深呼吸をすると、まるで火山噴火のようだった怒りを鎮静化させ、手にした大斧をソウルの塵と化し存在を霧散させた。

 

「……失礼した。吾輩ともあろうものが怒りで我を忘れるとは、まさに汗顔の至りである」

 

「あ──あ、ああ……いや、先に失礼な態度を取っていたのはイグヴァルジだ。ガレア君に非はないだろう」

 

 爆発的な怒りの波涛が収まったことでようやく呼吸を再開したアインザックは、びっしりと額にかいた冷や汗を拭いつつ何とか言葉を絞り出した。

 

「いや、理由はどうあれ先に手を上げてしまったのは吾輩である。感情に任せ剣を抜き、剰え人に向けるなど匹夫の如き醜態。如何なる処罰も甘んじて受ける所存だ」

 

「そうか……いや、ならば喧嘩両成敗ということでいいだろう。冒険者同士の喧嘩なんて日常茶飯事だ。結果的に大事には至らなかったのだからどうという事はないさ」

 

 果たして“喧嘩”で片付けて良いものだったかはさておき、客観的に見ればガレアに非がないのは明らかである。

 むしろ幼稚な感情論で要らぬ諍いを引き起こし、忠告していたにもかかわらず平然と重要人物の地雷を踏んづけていったイグヴァルジにアインザックは少なくない怒りを覚えていた。

 

 しかし顔面蒼白にして息を荒らげ、何とか意識を保っているというような状態のイグヴァルジを叱責する気になれないのも事実だった。

 少なくとも、今この場で話を蒸し返してまで責任を追及するべきではない。ここは恥を忍んでガレアの申し出に乗り、多少無理矢理にでも場を収めるのが最善であるとアインザックは判断した。そうでなければ一向に話が進まない。ここに来てもらったのは『クラルグラ』と対立させるためなどではなく、あくまで昇格のための依頼を受けて貰うのが目的なのだから。

 

 斯くしてようやく本題に入ったアインザックは、先程『クラルグラ』にしたのと同じ内容をガレアに説明する。トブの大森林の奥地にあるという霊草の採取。これを成し遂げた暁には、間違いなくガレアをアダマンタイト級に昇格させるという約定も申し添えて。

 

「だが、ガレア君が望むなら『クラルグラ』ではなく『天狼』か『虹』に協力を要請しよう」

 

「お気遣いなく。組合長殿がその力量を見込んで協力を要請したというのならば、彼らの実力は疑うべくもない」

 

 ガレアは改めて兜に手を掛ける。漆黒に染まる鋼の内から束ねられた銀髪が零れ、遂にその素顔が露わとなった。

 

 齢にして三十後半から四十前半といったところだろうか。髭はないが刻まれた皺は確かな年齢を感じさせる。声音に宿る瑞々しい覇気からもっと若い姿を想像していただけに、自分より年上にも見えるガレアの姿にアインザックらは僅かな驚きを覚えた。

 顔立ちについては文句なしに整っていると評して差し支えないだろう。繊細さよりも精悍さを強く感じさせる彫りの深い表情。そして透き通るような白皙と、髪と同色の白銀の瞳は全身を覆う漆黒の甲冑に反するような白妙の色彩である。

 

 戦士の雄々しさと貴種の気品を併せ持つ、正に英雄然とした風貌の益荒男だった。実は密かに鬼種(オーグル)巨人種(ジャイアント)とのハーフなのではないかとその正体を疑っていたアインザックとラケシルだったが、兜の下から出てきたのが普通の人間の顔であることに安堵した様子だった。

 無論、亜人の血を引いているぐらいで問題にするつもりなど皆無だったが、王国は人口の九割以上を純粋な人間種が占めている人類国家である。法国のように人間至上主義を掲げているわけではないにしろ、やはり奇異の目で見られてしまうことは避けられないだろう。生じる得る面倒事を思えば、ガレアが超人的な体躯を持つだけの人間に過ぎなかったことは歓迎すべきことであった。

 

「銀騎士ガレアの名において、必ずやこの任務を成功させると誓おう。その成果を以て先の醜態を雪がせて頂きたく」

 

「ああ、よろしく頼むよ。吉報を期待している」

 

「安んじてお任せあれ」

 

 兜を大事そうに小脇に抱え、優雅に一礼してみせるガレア。さらりと白銀の髪が動作に合わせて流れる。

 その姿には先程までの鬼神の如き荒々しさも、難行を前にした緊張や不安も見られない。至って自然体だ。

 

 英雄が自然体でいるのだ。もはやガレアがこの依頼を恙なく完遂することをアインザックは疑っていなかった。

 だがもし万が一にも失敗するならば──その時はガレア自身ではなく、それ以外が原因となる可能性が高いだろう。

 

「分かっているなイグヴァルジ。ガレア君が許した以上もう何も言わないが、また問題を起こすようなら、その時は……」

 

「……承知、しています」

 

 念を押すアインザックに対し、イグヴァルジは何とかその一言を絞り出す。

 先の一幕で既に彼我の格付けは済んでしまった。ガレアが凄み、イグヴァルジは怯んだ……実力と気迫の双方において優劣がはっきりした以上、今後イグヴァルジが何を言おうが弱者の妬み僻みにしかならないだろう。

 そして冒険者にとって評判は命である。もしイグヴァルジが下らない嫉妬で他の冒険者に暴言を吐くような男だという評判が知れ渡ってしまえば、それは今後の冒険者生命にもかかわる。

 

 イグヴァルジとて分かっている。これは組合長として、これまで組合に貢献してきた冒険者へ与える恩情であるのだと。

 アインザックからしてみれば、ガレアの怒りを買う危険を冒してまで『クラルグラ』に拘る理由はない。今度こそ『天狼』か『虹』に依頼し直せばいいのだ。それをしないのは、今し方の失態を払拭するチャンスを与えてくれたからに他ならない。

 

 イグヴァルジは『クラルグラ』のリーダーとして、私情を捨ててガレアをサポートしなければならない。不満はあれど、この期に及んでその感情を表に出すような愚は犯せない。それをしてしまえば自身の進退を窮めるばかりではなく、折角チャンスを与えてくれたアインザックの顔に泥を塗る結果となるだろう。それだけは避けねばならないと、そう判断できる程度には冷静さを取り戻していた。

 

 とはいえ、一朝一夕でガレアとの間にある──多分に一方的なものだが──蟠りが解消されることはないだろう。

 相手が英雄である限り、イグヴァルジと相容れることは決してないのだから。

 




破滅の竜王編改め、イグヴァさん改心RTA編開幕。

歯牙にも掛けられていないとか意に介されていないとかで憤慨していたイグヴァさんですが、実は強ち言い掛かりでもなかったりします。悪意なく軽んじていると言うべきか、きゃんきゃんと吠える子犬に悪感情を抱かないのと同じ理屈でガレアは基本的に人間のことは眼中にありません。
ただし大事なもの()を傷付けられたら子犬といえど容赦はしないスタンス。

ガレアの価値観としては、まず前提として自分たち神族は人間(小人)より上位にある存在だと認識しています。見下しているというほど明け透けではないにしろ、ナチュラルに上から目線な感じ。
その上で、自分と同じ戦士(この場合の戦士は“職業:戦士”ではなく“戦闘者”を指すため魔術師なども含まれる)だと評価が上がります。更に実力と高潔な精神が伴えば、小人であっても限りなく対等な立場の存在として接するでしょう。今のところはガゼフがギリギリこれに当て嵌まります。

逆にそれ以外の人間に対しては、場合によっては傲慢ともとれる態度で接するでしょう。ただの人間なら儚い庇護対象として寛容に接するものの、これが貴族だと「弱いくせに威張ってる鼻持ちならない奴」という認識になります。個として傑物であるならともかく、人間社会の権力者というだけで相手に敬意を払うことは決してありません。それが一国の王だったとしても同様に。


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