Cクラスな日々! (ふゆい)
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試験召喚戦争編
第一問


 アンチなしの作品として頑張っていこうと思います。ギャグは……まぁ、ある程度優しく温かい目で見てもらえると幸いです。


 文月学園新校舎三階、2-Cと書かれた札が下がっている教室前にて。

 波多野進(はたのすすむ)は一人で怪しく何度も頷きながら、扉の前で立ち尽くしていた。教室内は新学期特有の喧騒に包まれていて、クラスメイト達は新たな仲間達との親交を深めているのだろう。今年一年共に暮らし、戦い抜く戦友達なのだ。仲良くなっておくに越したことはない。

 そんな中、波多野は何故か教室に入ろうとはせず、何やらうんうんと唸りながら首を捻り続けている。時折漏れる呟きは彼の思考が零れているのだろう。無意識に漏れている言葉を拾ってみると、こんなことを言っていた。

 

「俺のキャラを印象付けるインパクトの強い挨拶……いっそのこと扉蹴破って入ってみるか……?」

 

 ちらと目の前の扉に視線をやるが、裕福な高校レベルの設備である教室のドアを蹴り破るのは少々骨が折れると思って即座に却下。ちょっとだけ軽く蹴ってみたものの、弾力感ゼロの衝撃がそのまま自分に帰ってきて足が痛いだけだった。くそぅ。

 クセのないストレートの黒髪を軽く掻き上げると、「うーん」と唸りつつ頭脳をフル回転させる。

 ……二分間ほど考え込んだところで、波多野は力強く頷くと左手の方にある別教室――――学年最高クラスであるAクラスの豪華な教室の方を向くと、

 

「Aクラスとの試験召喚戦争を土産にすればインパクトでかいんじゃないか……?」

「余計なことしないでさっさと入ってきなさいよいつまでかかってんのこの馬鹿!」

「アウチッ!」

 

 何やら無謀な自殺行為をクラス単位で行おうとしていた波多野を制止するかのようにCクラスの扉を開けて勢いよく飛び出してきた気の強そうな少女は、今にもAクラスの教室に乗り込もうとしていた彼の頭を思いっきり引っ叩いた。結構洒落にならない強さだが叩かれた本人は意外と堪えていない様子だ。頭を擦ることもせず突っ込み少女の方に向き直る。

 

「……思ったよりデケェな、小山」

「アンタがチビなだけでしょうが。ちゃんとカルシウム取ってるわけ?」

「うっさい気にしてんだから触れんなボケ。それと、俺が言ってんのは身長の事じゃねぇ」

「はぁ? だったらなんだっていうのよ」

 

 低身長を貶されて若干ジト目になった波多野の言葉に眉を顰める小山。ただでさえツリ目で威圧感の強い彼女の雰囲気が三割増しされるが、波多野が怯える様子はない。彼女との諍いには慣れているのか、特段怖がる様子もなかった。

 波多野は胸の辺りで腕を組んで自分を睨んでくる小山を――――より正確には彼女の胸を指で示すと、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて飄々と言い放つ。

 

「ペチャパイだと思ってたけど、よくよく見れば想像していたよりもずいぶんと大きな膨らみじゃない俺の肘関節が可動域360度にぃいいいいいいいい!?」

「こんのセクハラ野郎がぁああああああああああああ!!」

「ぎゃぁあああ!! 折れる! 折れるって小山! このままじゃ新人類に一歩近づいちまうってぇえええええ!!」

 

 あくどい笑みを浮かべたのも束の間。気が付いた時には足を払われ、誠に綺麗な腕ひしぎ十字固めを極められていた。その速度はまさに神速。突然のセクハラ発言に顔を真っ赤にした小山は一寸の遠慮や同情を見せることはせずに目の前の無礼者を駆逐することに決めた。コイツは絶対今ここでぶち殺す。

 怨嗟の声を漏らし続ける怨敵に若干口元を吊り上げると、先程よりちょっとだけ力を込める。

 

「アンタはそろそろ一回くらい臨死体験した方がいいと思うのよね……!」

「なんじゃそれ! なーんじゃそれぇ! そんな一回は絶対にない!」

「あら、だって波多野は何よりも面白いことを求めるんでしょ? 去年そう言ってたじゃない」

「確かに言ったが命を賭けるとまで言った覚えは無いわ! てか、そろそろ放せぇえええええ!!」

「ふんっ!」

「トドメぇっ!?」

 

 波多野の素っ頓狂な悲鳴が新校舎三階に木霊すると同時に、ベキィッという鈍い破砕音が廊下に響き渡った。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 文月学園には学力によって生徒をクラス分けする特別な制度がある。

 学園長によるとランク分けすることで生徒の競争力を上げ、勉強の効率を底上げする目的があるとかなんとか。そのために、クラスによって与えられる教室設備の豪華さもそれぞれ違っている。

 たとえばAクラスならば冷暖房完備の上に大理石の床。勉強机はシステムデスクで飲食ブースも設置という異例のラインナップだ。正直生徒が利用する施設としては裕福すぎる気がしないでもないが、これだけの設備を我が物にしようと勉強に励む学生も少なくはない。

 また、例えばFクラス。

 こちらは最低学力クラスなだけあってか、Aクラスとは正反対にどん底かつ貧乏な設備だ。

 まずはあちこちにカビの生えた粗末な畳。窓ガラスはひび割れていて、机代わりの卓袱台に至ってはちょっとした衝撃で足が折れてしまうほどのボロさ。お世辞にも勉強できる環境とは言えない。だが、そもそもFクラスに編入される生徒の大半は基本的に勉強に対して意欲がないものばかりなので、妥当と言えば妥当なのだろう。どうせシステムデスクとか与えても遊び倒すだけだろうし。

 そして、波多野進が所属するCクラスはというと……、

 

「ちょっと裕福な高校レベルって想像しづらいよなー」

「どちらかと言うと大学の教室って感じよね。机が分離していない辺りを見ると」

「てか、これって清涼祭の時にちゃんと取り外せるんだろうな……?」

 

 十人単位で繋がっている長机を撫でながら、共に教室設備の感想を述べる波多野と小山。結局波多野が延々と悩んでいたインパクトのある入室は小山によって完璧に阻止され、二人で口喧嘩しながらのお披露目となった次第だ。痴話喧嘩よろしく口論と共に入室してきた二人を目の当たりにしたCクラスメンバー達は一同揃って「夫婦か?」と目を疑ったものの、小山には既に彼氏がいるのでそういった関係では決してないのだ。……まぁ、その彼氏とやらの評判は著しく低いが。

 小山は波多野の隣で朝のHRで配られたプリントを鞄に詰め込みながら、会話を続行。

 

「それにしても、アンタがまさかCクラスだなんてね。文系科目が滅茶苦茶いいから、AかBにでも振り分けられたのかと思ってたのに」

「文系だけならな……ただ、鬼門の理科系科目が全力で足を引っ張ったんだ」

「理科系って……Aクラスレベルの社会と国語を相殺するくらい低かったわけ?」

「一桁」

「選択問題全部同じ解答選んでももうちょっとマシな点数取れるでしょうが……」

 

 はぁ、と呆れたように溜息をつく小山。額に手を当てて「やれやれ」とわざとらしく肩を竦める彼女に怒りのボルテージが若干上昇するものの、クラス代表である彼女は波多野よりも総合点数が高いため文句の一つも言えないのであった。学力絶対主義の風潮がここに来て俺の邪魔をするのか、と口元を引き攣らせつつ怒りを抑える波多野。

 そんな震える修羅状態の彼に二人の男子生徒が話しかけてきた。

 

「よぉ進。お前もなんだかんだでCクラスだったんだな」

「よろしく頼むよ、進君」

「おー、黒崎に野口じゃないか。今年もよろしくー」

 

 底抜けに明るい雰囲気の少年が黒崎トオル。そして落ち着いた調子で柔らかい話し方をする方が野口一心だ。二人とも去年波多野と同じクラスであり、それなりに交流を深めていた。第二学年で有名な観察処分者と愉快な仲間達程ではないものの、それなりに一緒にバカやって面白おかしい学校生活を共に送ってきた仲である。見た感じ男子の知り合いがあまり多くなさそうなCクラスにおいて二人の存在は波多野的にはそれなりに大きい。

 黒崎は小山に気付くと、何故か嫌らしい含み笑いを浮かべた。

 傍らで呆れたような顔で肩を竦める野口を他所に、小山に話しかける。

 

「ウチの代表は小山か。なんか波乱が起きそうな一年だな」

「ちょ、どういう意味よ黒崎君。私が代表を務めることのどこが不安なわけ?」

「いやいや、小山が代表な点はいいんだよ。ただ俺が言いてぇのは……」

 

 そこで言葉を切った黒崎はちらと波多野に視線を向け、ニコニコと微笑ましく笑うと、

 

「波多野との不倫が根本にバレないように気をつけろってことなんだけどさ」

「いいい、いきなり何言い出すの貴方は! 意味がッ、意味が分からないわ!」

「え? いやいや、そんな誤魔化さなくてもいいぜ代表。今日だってメチャクチャ仲良さそうに教室に入ってきたじゃねぇか」

「やっ、あ、あれは……あれは馬鹿な事企んでた波多野を止めてただけで! 代表としての責務だし!」

「それに進のことだけ呼び捨てだしさ。彼氏の根本ですら君付けするくせに」

「ぐ、偶然よ! 単純に語呂が良いから呼び捨てにしているだけだって! 別に深い意味なんてないわ!」

「だそうだけど、そこんところはどうなんだよ新野?」

「放送部ネットワークでは『意識している』が優勢ですね」

「すみれ貴女急に出てきて余計なこと言わないでっ!」

 

 不意にぶち込まれた衝撃情報に動揺を隠せないながらも声を張り上げる小山。対して怒鳴られた紫髪の少女は特徴的なシングルテールをピョコピョコ揺らしながら黒崎と二人でケラケラ笑っていた。

 新野すみれ。文月学園放送部に所属する、期待のエースである。

 朗読大会では常に県上位をキープし、去年は一年生ながら全国大会にも出場した実力の持ち主。「やけに耳に残るいわゆるアニメ声な彼女の声によって語られる物語は目前に風景を映し出してくれる」とはかつて全国大会の審査員を行った評論家の言だ。

 顔を真っ赤にして詰め寄ってくる小山をなんなく躱しながら、新野はポケットからボールペンと手帳を取り出すと野口と世間話に興じていた波多野に質問を開始する。

 

「波多野さん波多野さん! 放送部兼新聞部として友香ちゃんとの関係性についてインタビューしたいのですが!」

「コラーっ! ドサクサに紛れて何聞いてんのすみれぇえええ!!」

「小山との関係? まぁ、喧嘩仲間って言ったらそれで終わりなんだけど……」

「そ、そうよね。ほら、聞いたでしょすみれ。私と波多野はあくまでもただの友人なのよ」

 

 波多野の答えに安堵の溜息をつくと、これ以上の追及を回避するべく話題を終わらせようとする。しかし若干表情に(かげ)りが見られるのは想像していたよりも淡泊な関係性だったからだろうか。それでもそれ以上話題に触れるのは得策ではないと判断した小山は半ば強引に会話を打ち切ろうとした。

 だが、彼女は忘れていた。

 波多野進という少年が何を最優先にして生きる人間であるかということ。そして、そのためには何事も恐れない無謀な少年であるということを。

 声を張り上げて新野達を牽制する小山の陰で思案顔を浮かべていた波多野はパチンと指を鳴らすと、新野の注意を引きつける。動きを見せた波多野に気付いた小山が慌てて振り向くが、もう遅い。

 波多野は既に悪戯っ子特有の笑顔を顔全体に張り付けると、堂々たる面持ちで言い放つ。

 

「俺と小山の関係……それは言葉で表現するにはあまりにも複雑で、淫らで、エキサイティングな関係だ!」

『おー!』

「『おー!』とか感心している場合じゃっていうか淫らでエキサイティングってなによその関係性ぃいいいいいいいいい!!」

 

 Cクラス教室に小山友香渾身のツッコミが響き渡った。彼女の絶叫によって各々雑談に励んでいたクラスメイト達が揃って波多野達の方に注目する。新クラスの代表が何やら面白い目に遭っていると判断したCクラスメンバー達は若干遠目でニヤニヤしながら様子を窺うことに決めたらしい。無駄に団結力の強いクラスだった。

 そんな絶賛動物園状態の自分にさえ気づいていない小山は〈ガッシィッ!〉と波多野の襟首を掴み上げると、肩ほどまで伸ばした髪を振り乱しながら赤面状態でヒステリックに捲し立てる!

 

()アンタふざけんじゃないわよ! 今の発言で私がどれだけの噂を立てられるか分かってるわけ!? アンタは独り身で失うものなんて何もないから気楽なんだろうけど私には一応彼氏がいるの! いや最近は仲も微妙だし正直愛想もつき始めているけど世間体があるのよ世間体が! 不倫とか二股とかレッテル貼られる私の身になってみなさいこのバカ進!」

「わー! 分かった分かった分かったから手ぇ放せ友香(・・)! 今のはさすがに面白さ求めて無茶言い過ぎた! 謝罪ついでに放課後いろいろ奢ってやるから今は許してくれってば! それと興奮しすぎて名前呼び出ちまってるよそっちの方がヤベェんじゃねぇの!?」

「えっ!? ウソ、そういうことはもっと先に言いなさいよ! また変な噂立てられちゃうじゃない!」

「人の話を聞かないうえに勝手に自爆したお前に言われたくねぇ!」

 

 あわあわと頭を抱えて混乱の渦中にある小山と必死に酸素を吸入している波多野。今に会話で既にいくつか地雷を踏んでいる気がしないでもないが、そこら辺はあえてスルーしておくのが文月学園クオリティというやつである。こういう面白いネタは後でゆっくり弄ってやるのが一番効果的でかつ面白いのだし。

 それを分かっているクラスメイト達は馬鹿騒ぎすることはせず、いたって普通を装いながらも生暖かい視線を二人に向ける。今年一年の良いカモを見つけたと言わんばかりに舌なめずりしているのは新野すみれと黒崎トオルだ。一方野口は冷静に苦笑いを浮かべて様子を見守っている。

 そんな大規模野次馬状態の教え子達の中に不覚にも飛び込んでしまったCクラス担当化学の布施先生は気まずそうに頬を掻くと、騒動の原因となった二人に向けて控えめに語りかけるのだった。

 

「えーと……まぁ、お幸せに」

「弁解をさせてください!」

「や、でも勘違いさせたままの方が面白くね?」

「アンタは黙ってろ!」

 

 二年Cクラスの一年は、クラス代表のヒステリックなツッコミで幕を上げた。

 

 

 



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第二問

 一応断っておきますと、この物語の主人公は小山さんです。


 ――――キーンコーンカーンコーン

 午前授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響き、昼休みが始まる。午前中は始業式やら学年集会やらで眠気と気怠さと戦っていた生徒達はようやく訪れた休養の時に揃って凝り固まった身体を解し始めていた。

 我らがCクラスでもそれは例外ではなく、小山友香は大学スタイルの机に上半身を突っ伏した状態で「うぁー」と間の抜けた呻き声を漏らしている。相当お疲れのようだが、どうも学校行事で疲弊している様ではないらしい。バレー部所属の小山は同年代に比べて高いスタミナとメンタルを所持しているので、並大抵のことでは疲れきることはないのだ。

 それでは、何故彼女はここまで疲れているかというと。

 

「進のバカ……教室移動の度に騒動に巻き込まなくてもいいじゃない……」

 

 Cクラスが誇るトラブルメイカー、波多野進が引き起こす事件の数々に片っ端から巻き込まれたことが直接的な原因であった。

 三度の飯よりどんちゃん騒ぎを好む彼は、あぁ見えて結構運が悪い。いや、要領が悪いと言った方が良いだろうか。勉強に関しても運動に関しても、常に遠回りな手段を選んでしまうほどに彼の要領の悪さは筋金入りだ。そのため、うまく物事が捗らずに結果として騒動を引き起こしてしまう。

 たとえば今日の午前中の例を挙げると……、

 

 ・始業式へ向かう途中の階段で波多野が急に躓き、彼の幼馴染であるAクラス所属の佐藤美穂を巻き込んで転倒。階段を転げ落ちた末に彼女の豊満な胸に顔を埋めて女子勢からフルボッコ。小山は波多野のフォローの為に佐藤に全力で謝罪。

 

 ・二時間目の学年集会の為に講堂へ向かっている時に横から飛び出してきた一年生を避けようとした波多野がバックステップで小山の方へ。回避する暇がなく衝突。揉みくちゃになって最終的には波多野が小山を押し倒しているような格好に。現場を目撃したこれまた波多野の幼馴染であるFクラス須川亮が嫉妬と怒りで波多野を襲撃。一方小山は偶然居合わせた姫路と島田になんか勘違いされる。

 

 ・三時間目。教室でのクラス役員決めの際に副代表に立候補した波多野が理由を問われ、「小山を守るのは俺の役目だからな」と何故か自信満々に答えてしまいクラス中に衝撃が走る。羞恥で絶叫する小山を他所に微笑ましい空気が教室を包み込み、なんか外堀を埋められる。

 

 ……なんかもう、要領が悪いとかじゃなくてドジなだけなんじゃなかろうか。最後に関しては完全に故意だろうと思わないでもない。面白いこと優先思考の波多野ならやりかねないので、小山としては溜息をつくしかない。せめてもう少し大人しくしてくれれば彼女としても気が楽なのだが。や、波多野の幼馴染二人がこれまた騒動を呼びやすい体質と性格だということも災いしているとは思うが。

 もはや身体を起こす元気も残っていない小山は「あ~~~」と扇風機の前に座って出す類の声をひたすら漏らし続けていたが、そんな彼女に眼鏡姿の優等生然とした女子生徒が話しかけた。

 

「ど、どうしたんですか友香さん。いつもに比べて三割増しでお疲れのようですけど」

「……あぁ、美穂か。はぁ」

「どういう意味合いの篭った溜息ですかそれは」

 

 気の抜けた息を漏らす小山に頬を引き攣らせる彼女は、先程の騒動に一枚噛んでいた波多野進と須川亮の幼馴染、佐藤美穂だ。

 須川の向かいの家に住んでいるとかいうラブコメ染みた境遇の彼女は隣のAクラスに所属している才女で、小山、波多野達とは去年同じクラスであった。須川は違うクラスだったが、四人とも仲良くしていた。なんでも三人は小学校時代からの幼馴染らしく、高校で友人となった小山から見ても仲睦まじい様子だったことを覚えている。

 小山はよいしょと上体を起こすと、佐藤が右手に提げているランチバッグに視線をやって、

 

「愛しの須川君にお昼ご飯を届けに行くのね。まぁ、頑張って」

「こ、声が大きいです友香さん! それと一人で行かせないでください何の為にここに来たと思ってるんですか!」

「……自慢?」

「協力要請です!」

 

 小山の無気力なボケにボブカットを振り乱しながら全力で反論する恋する乙女佐藤美穂十六歳。顔を真っ赤にしているが事実を否定しない辺り素直だなぁと感心してしまう。自分とは大違いだ、と我ながら客観的に自虐めいたことを考えるのは徹底的な保守思考のせいだろう。

 

(……いやいや、その前に私は波多野なんかなんとも思ってないから。馬鹿だし五月蝿いし。まぁ、私との口論に毎度毎度嫌がりもせずに付き合ってくれる点は感謝してるけど……)

「そういう呟きが漏れている時点で手遅れだということにそろそろ気づきましょうか友香さん」

「はぇっ!? ななな、何のことかしら分からないわねあははーっ!」

 

 ねっとりとしたジト目を送ってくる親友から全力で目を逸らしつつ、鞄の中から弁当を取り出して佐藤と共に旧校舎へと向かう。先程波多野も弁当を持って須川のところに向かったことは確認済みだから、このままFクラスで四人で昼食としゃれ込もう。今朝約束した謝罪代わりの放課後デー……お菓子タイムについても話しておきたいし。

 渡り廊下を通ると、旧校舎が姿を現す。新校舎とは違って全体的に古めかしく昭和な雰囲気を醸しているこの校舎には、学年下位クラスであるEクラスとFクラスの教室が位置している。ちなみに須川が所属しているFクラスは、噂によるとカビだらけの畳にボロボロの卓袱台というなんとも悲惨な設備であるらしい。普通レベルとはいえそれなりの教室設備を得ているCクラス生としては、若干の同情を覚えないでもない。

 

「まぁ仕方ないか。バカなのが悪いんだし」

「それは間違いではありませんけどそうやって直接言っちゃうのはどうなんでしょう……」

「あ、そういえば美穂の思い人はFクラスだったわね。気が利かなくてごめんなさい。今度から言葉には気を付けるから」

「いろいろと言いたいことはありますけど、友香さんは喧嘩っ早いんですからあまり相手を煽るような発言を控えた方が良いと思いますよ。また進君の手を煩わせるのも嫌でしょう?」

「う……善処します」

「よろしい」

 

 ニコッと目尻を下げて柔和な笑みを浮かべる佐藤だが、背後に異様な迫力を湛えた阿修羅が浮かんでいるように小山は幻視してしまう。普段物静かで落ち着いている分、怒らせると文月学園の誰よりも恐ろしいというのが佐藤美穂という女子生徒だ。去年須川と波多野がどれだけ恐怖におびえている姿を見てきたか、思い出すだけでも鳥肌が止まらない。

 

「ほ、ほら美穂。Fクラスに着いたわよ。早く入りましょ」

「む、そうですね。亮君もお腹を空かせて待っている頃でしょうし」

 

 身の危険を覚えた小山の決死の機転によってなんとか話題を逸らすことに成功。木製の扉に手をかける佐藤の背後で安堵の溜息をつく。よかった。二年生初日に三途の川でおじいちゃんと感動の再会を果たすことにならなくて。

 駆け足で去っていく一難に心の中で手を振りながら、気持ちを入れ替えてFクラスへと入る。

 

『諸君、ここはどこだ?』

『最後の審判を下す法廷だ!』

『異端者には?』

『死の鉄槌を!』

『男とは?』

『愛を捨て、哀に生きる者!』

『宜しい。これより、2-F異端審問会を開催する!』

「待て! これは誤解だ話を聞いてくれ!」

「亮の言う通りだ! 俺達はあくまで小山と美穂と一緒にお昼ご飯を食うためにFクラスに来ただけであって、やましい気持ちなんて微塵も――――」

「ば、バカ進! そんなこと言ったら――――」

『吉井副会長の名を以てここに宣告する! 被告人二名は下半身露出の上、女子更衣室に放置の刑に処す!』

『仰せのままに』

「畜生! 何とかしろよ会長だろ亮さんよぉ!」

「無理言うな! 異端審問会の上層部は臨機応変が基本だから、今更何やっても遅い――――」

 

 静かに扉を閉めた。

 

「あ、あの……友香さん。今のは……」

「美穂、黙りなさい。今私達は何も見なかった。須川君と波多野なんていなかったし、覆面の集団なんて存在すら確認できなかった。いいわね?」

「で、でも、私は亮君にお弁当を届けないと……」

「放課後にでも渡しなさい。少なくとも、今あの教室に弁当を持って突っ込んでいくのはあまりにも無謀な行為だわ。二人の死期を早めるだけよ」

 

 できるだけ冷静を装って捲し立てる小山だが、背中にびっしりと冷や汗をかいている事実に戦慄を覚える。なんだ、なんなのだあの某KKKに似通った覆面の集団は。ここはいつから秘密結社の集会場になってしまったのだろうか。いや、もしかしたら旧校舎は去年から汚染されていて、既に彼らは存在していたのかもしれない。元々存在していた所に自分達が不用意に飛び込んでしまっただけなのではないか。

 恐怖で全身が震えているのを嫌というほど自覚しながらも、現状を打破するために小山は震える唇を必死に動かして言葉を紡いだ。

 

「……とにかく、今日はAクラスで一緒にご飯を食べましょう」

「そうですね……」

 

 背後から聞こえる二人分の断末魔を全力で無視しながら、小山と佐藤は全速力で新校舎へと駆け出した。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 昼休み後の四時間目が終了するや否や、小山は教室を飛び出すと全速力で廊下を駆け抜けていた。新校舎と旧校舎を繋ぐ渡り廊下付近にやけに生徒達が集まっているのは、昼休み終了と同時に開戦したFクラス対Dクラスの試験召喚戦争のためだろう。新学期初日に上位クラスへ宣戦布告するとか正気の沙汰ではないが、最底辺クラスを常識で推し量ることは無謀であると彼女は友人二人から学習しているのでそこまで不思議に思うことはしなかった。大方、Fクラス代表の坂本雄二の策略だろうし。

 そんなことよりも小山にはやることがある。

 

「あのバカ、本当に女子更衣室に置き去りにされてんじゃないでしょうね……!」

 

 昼休みの騒動後教室に姿を見せていない波多野を心配して、捜索及び救出するため。小山は生徒達の間を縫って一階へと駆け降りると、体育館にある女子更衣室へと急ぐ。五、六時間目はCクラスとAクラスの合同体育があり、必然的に女子更衣室は使用される。もし波多野が宣告通りに女子更衣室に軟禁(どちらかというと放置)されているなら、一刻も早く助け出さないといけない。このまま放っておくと彼は明日から覗き魔の烙印を押されたまま学校生活を送ることになってしまう。それは小山としても避けたいことだ。

 

(アイツの肩書きなんてどうでもいいけど、代表としてクラスメイトが犯罪者になるのを止める義務があるわ!)

 

 何故か若干顔を赤らめつつ盛んに首を横に振り続ける小山。脇を通り過ぎていく生徒達から怪訝な視線を浴びながらも、体育館に入ると女子更衣室の扉を勢いよく開く。

 

「進、いるっ!?」

 

 感情が高ぶったせいと周囲に誰もいないことから、人前では控えているはずの名前呼びが出てしまっているがそんなことを気にしている余裕はない。大声で名前を呼び、波多野の行方を探す。

 彼は更衣室中央にある長椅子の上に簀巻きの上に猿轡を噛まされて置き去りにされていた。ズボンは脱がされておらず、下半身露出などといった事態には陥っていないようだ。さすがに彼らにも最低限の良識はあったらしい。須川がいないのは試験召喚戦争のためだろう。

 突然入ってきた小山にビクッと怯えながらも、それが小山であることに気がつくと「むー!」と救助を要請してきた。周囲に人がいないことを再確認すると、彼の縄を解いていく。

 

「……ぷぁっ。た、助かったぜ友香……」

「無駄口叩いてる暇があったらさっさと逃げなさい。後、名前呼びは控えるようにって言ったじゃないの」

「それはお互い様だろ。まぁ誰もいないんだからいいじゃないか」

「よかないわよ」

「まぁ、今はとにかく窓から逃亡を――――」

『体育、久しぶりだねー』

『っ!?』

 

 不意に窓の方から飛び込んできた姦しい声に二人は背筋を震わせる。思わず備え付けの時計を見て時間を確かめると、授業開始まで残り五分を切っていた。体育を控えた生徒達がちょうど更衣室に到着する時間だ。耳を立てると、体育館の方からも女子生徒達の会話が聞こえてくる。

 前門の虎、後門の狼とはこのことを言うのだろう。顔中にびっしりと汗を浮かべる二人は顔を見合わせると、いっそう色を失っていく。

 

「や、やばいだろこれは……」

『あれー? なんか鍵が閉まってない?』

「いぃっ!? あ、あーごめーん! ちょっといつもの癖で閉めちゃったのー!」

『なーんだ、友香ちゃんかー。もー、お茶目は良いけど早く開けてよー』

「う、うん。ごめんね今から開けるー!」

 

 状況を誤魔化すために適当に相槌を打つが、もはや追い込まれすぎて笑いすら出ない。小山と二人で女子更衣室にいる状況を見られれば、覗き魔の烙印どころじゃすまない気がする。文月学園の生徒達なら、関係性の偽装とでっちあげくらいちょちょいのちょいでやってしまいそうだ。そうなれば小山は明日から二股女の二つ名を背負っていく羽目となる。それだけは御免被りたい。

 かくなるうえは――――!

 

「進ごめんっ! ちょっと私のロッカーに入ってて!」

「なっ!? ちょ――――!」

 

 返事を待たずに波多野をロッカーへとぶち込むと、体操服を取り出して扉を閉める。心臓が早鐘を打っているのを自覚しつつも、小山は更衣室の鍵を開けた。平謝りする小山を生徒達は笑って許すと、体育の授業に向けて更衣をするべくブレザーを脱ぎ始める。

 男子生徒が一人、ロッカーの中に隠されているとも知らずに。

 

『(やっべぇええええええええええええええええ!!)』

 

 奇しくも二人の気持ちが一つになった瞬間だった。

 ロッカーのドアを挟んで波多野と小山は引き攣った顔のまま汗を流し続ける。内心悲鳴をあげる二人だが、ここでようやく最大の難所に思い当たってしまう。

 女子達がワイシャツを脱ぐ光景を不可抗力で目撃している波多野と震える両手でブレザーのボタンを外している小山は声には出さないながらも、心の中では確かに同じ予想に行き着いていた。

 わいわいと姦しい雰囲気の中、絶望に顔を染める。

 

『(これって……このままだと、私(コイツ)の着替えを見せる(見る)ことになるんじゃない(か)!?』

 

 新学期初日の体育の授業を前にして、最大の試練が二人に襲い掛かろうとしていた。

 

 

 

 

 



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第三問

 き、驚異的なお気に入り増加数に驚きを隠せません。
 期待を裏切らないように精一杯頑張っていきたいと思います!


 新学期初日、五時間目の体育開始まで残り三分。 

 波多野進は社会的な死への第一歩を今にも踏み出そうとしていた。

 

(やべぇ……これは面白いどころじゃすまないぞ……!)

 

 昼休みに異端審問会に捕縛され、女子更衣室に放置の刑を実行された波多野はギリギリでクラスメイトの小山に助けられたが、少しばかりタイミングが遅かったらしい。窓から逃げる時間もなく、逃げ場を失った波多野は小山の案で彼女のロッカーに隠れ潜んでいた。女子勢に鉢合わせるよりは百倍マシだが、これはこれで結果的には危険な橋を渡っているように思えなくもない。

 ちょうど目の辺りにある隙間からは、キャピキャピと騒ぎながらワイシャツを脱ぐ女子達の姿が見えた。

 こ、これは……役得と言っていいのだろうか。

 

「(アンタ……まさか嬉しそうに着替えを凝視して無いでしょうね……?)」

「っっ……!?(ブンブン!)」

 

 周囲にバレないように気を遣いながらも隙間から鋭い眼光を浴びせてくるのは小山友香。去年からいろいろと因縁及び関係のある友人だ。女子更衣室に軟禁されていた自分を助けてくれた少女でもある。養豚場の豚を見るような視線をぶつけてくる彼女に多大なる恐怖を感じた波多野は無駄に反論することもせず咄嗟に首を全力で左右に振りまくった。恐ろしさのあまり悲鳴を上げそうになったのはここだけの秘密だ。

 ドアを挟んで牽制しあう二人。だが、ここにいるのは自分達だけではない。

 

「あれ? 友香ちゃん着替えないの?」

「え、えっ? あ、愛子か」

「もうっ。どうしたちゃったのさ友香ちゃん。さっきから様子が変だよ?」

 

 女子勢が既に半裸状態になっている中で一人だけ未だワイシャツを脱いでいない小山を不審に思ったのか、どこかボーイッシュなAクラス生徒工藤愛子が首を傾げながら彼女に話しかけていた。去年の終わりに波多野達のクラスに転校してきた彼女は一応顔見知りではあるが、知人だからといって今の状況がばれてしまうのは限りなくマズイ。

 同じ結論に至った小山も顔を引き攣らせながら必死に応対。

 

「べ、べつになんでもないのよ! ちょ、ちょっとだけなんか恥ずかしくなっちゃって……」

「恥ずかしく?」

「そ、そう! え、えーと……」

 

 この場を凌ぐために全知力を総動員して理由を導き出そうとしているのがこちらからでも分かる。凄まじい勢いで両目は泳いでいるうえに冷や汗の量がハンパないので動揺を勘付かれるのも時間問題ではないかと正直気が気でないが、現在犯罪者予備軍になりつつある自分は黙って状況を見守るしかない。

 それよりも問題は、小山が少し動いたことで女子更衣室の光景が再び波多野の目に飛び込んできたことだ。

 今回CクラスはAクラスとの合同体育。よって、今女子更衣室にはAクラスの女子生徒もいるということになる。学年主席の霧島翔子や木下優子。幼馴染の佐藤美穂に、目の前にいる工藤愛子。いずれも学年最高クラスの美少女達だが、そんな彼女達が現在波多野の目の前で更衣をしているのだ。これは男として如何ともしがたい事態である。願うことなら、盗撮の一つでもしておくべきではないだろうか。

 ……まぁ、

 

(そんなことしたら友香に何されるか分かんないから、やらないけど)

 

 一応これでも善良な一学生を自負しているので、自ら犯罪者になる必要も気持ちもない。こんなしょうもない理由で補導されるのもアホだし。それにさっきから小山の視線が痛いのであまり余計な事を考えると後々酷い目に遭うことが分かりきっている。新学期初日から命を落とす趣味はない。

 はぁ、と溜息をつくと、再び小山の挙動に気を配る。

 工藤から浴びせられた質問の返答を必死に思案していた小山は顔を真っ赤にしながらも、ようやく思いついたであろう答えをテンパった様子で何故か大声で叫んだ。

 

「そのっ、最近胸の成長が芳しくなくて、あんまりみんなに見られたくないなぁって思って!」

 

 何を言っているんだろうかこの馬鹿は。

 あまりにもこれから先の展開が予想できてしまうほどに安直な地雷をいきなり踏んだ悪友に対して衝撃と戦慄が止まらない。それと現在彼女は慌てすぎて失念しているようだが、小山の話を聞いている少女はあの工藤愛子である。保健体育実践派を自称している典型的なお転婆少女を前にしてそんな爆弾を投下するとか、脱がせてくれと懇願しているようにしか思えない。自分から地獄に飛び込んでいくとか本当に何を考えているのか。

 少し経ってようやく自分の過ちに気付いた小山はさらに顔を赤らめると、両手をぶんぶん振りながら必死に前言を撤回。

 

「ち、違うの! 今のはちょっとした言葉の綾で――――」

「ふ~ん……友香ちゃんはそんなにおっぱいの成長具合を確かめてほしいんだ~?」

「ちがっ……!?」

「優子、代表。ちょっと友香ちゃんを脱がすから手伝ってくれない?」

「ぶほぉっ!? い、いきなり何言ってんの愛子って霧島さんも木下さんもなんで私の腕を拘束するのぉおおおおおおおおおおお!?」

 

 我らが代表が今世紀最大の悲鳴をあげているが、Aクラスメンバー達が手を緩める様子は全くない。華麗に動きを拘束された小山のワイシャツのボタンを上から徐々に外していく工藤。肌色率がだんだんと大きくなっていくにつれて、波多野の鼓動もさらに速度を増していく。さっきから女子の下着とか胸とかが見えていたというのに、小山の裸が露わになっていくことに対しては先程とは比べ物にならないくらい羞恥と焦燥、そして歓喜の感情が胸の中で湧き上がっていた。

 様々な感情がせめぎ合い、波多野は涙目だ!

 

(うわ、うわぁあああ!! なんだなんだなんなんだよこの感情は! 別に俺はあいつの事なんてなんとも思ってないはずだろぉおおおおおお!!)

 

 そうは言ってみるものの自分の赤面率が上昇している事実に波多野は気づいているのだろうか。そしてその間にも小山がワイシャツを脱がされ上半身をブラジャーだけの姿にされていることに遅まきながら気がつくと、一瞬我を忘れかける波多野進十六歳。思春期男子のリビドーが爆発しかけた。いやマジで。

 露わになった小山の胸部をまじまじと見つめながら、工藤はニマニマと嫌らしく笑う。

 

「へぇ~……友香ちゃんって着痩せするタイプ? Bくらいだと思ってたけど……CかDくらいはありそうじゃん」

「!?」

「余計なこと言わなくていいから! なんでそんなこと言うかな愛子は!」

「どう思う、優子?」

「ちょっとだけ脂肪吸引しても罰は当たらないわよね?」

「木下さんは私に何をする気なの!? ちょっとその手の動きはどういう意味合いが!」

「……友香。ちょっとだけ……ね?」

「霧島さんの真意が分からない!」

「あぁもううるさいなぁ。優子、やっちゃって!」

「えいっ」

「ふぁあんっ!?」

 

 霧島に拘束を任せると背後から小山の胸部を下から持ち上げるように掬い上げる優子。柔らかな球体がブラジャーの上から零れ落ちそうになっているが、あれってどれくらい柔らかいんだろうか羨ま……けしからん!

 セクハラ紛いの行為にもはやマトモな反抗を返せていない小山に気をよくした優子と工藤はそれぞれ片方の胸をやけに丹精込めて揉み込んでいく。それに伴い徐々に小山の表情が甘いものへと変化し始めていた。

 

「やっ、ちょっ……はぁ……!」

「もー。こんなに大きいくせに成長度合いが心配だなんて、友香ちゃんは我儘だなぁ」

「そ、そういうわけじゃ……て、いうか、やめっ……」

「妬ましい……ワンサイズくらい分けなさいよ羨ましい憎たらしい……!」

「木下さんなんか変な感情が出ちゃってる! そんな揉んでもサイズダウンしないからぁ!」

(うわ……うわうわうわぁあああああああああ!!)

 

 予想はしていたもののあまりにも百合百合した光景に波多野の性的本能がムクムクと本領を発揮し始めていた。だがここで大人しく負けを認めてしまうと行く末は刑務所あるいは鉄人の根城。男としては理性を外すべきなのだろうが社会的に生き続けるためにも理性を総動員して必死に耐え抜くしかあるまい。たとえ憎からず思っている悪友の裸体を目の前にしようとも、今の波多野は煩悩を消し去って無我の境地に至る必要がある。

 精神統一の為に目を瞑る……ことまでしなくてもいいか。音の遮断……も必要はないだろう。いや、煩悩に敗北しているとかではなく、ほら、状況の把握は大事だし。

 五感すべてを全開にしつつも、心の中では煩悩と過酷な戦いを繰り広げる波多野。

 

(色即是空、空即是色……!)

「もういっそのことブラジャーまで外して全貌を明らかにしちゃおうよ!」

「いやぁああああ!! せ、せめて今日は勘弁してぇええええええ!!」

「ごちゃごちゃ言わないの。あんまり反抗すると下も脱がすわよ」

「木下さんたまに凄まじいこと言うのやめてくれない!?」

「…………」

「霧島さんは無言で私のショーツに手をかけないで!」

(無理だぁああああああああああああああ!!)

 

 五秒で敗北した。というか、どれだけの鉄の意志を持っていればこの性欲地獄に耐え抜くことができるのか。ムッツリーニ辺りでは貧血で大変なことになっているレベルだと思う。自分は頑張っている方だ。まだいろいろと実力行使に出ていないだけ褒めてほしい。録画すらしていない自分は偉いはずだ!

 実質盗撮犯になっていない自分を自画自賛しながらも、小山の痴態をしっかり記憶に焼き付けようとしている辺り情けないにも程があるが、そこは触れないでおくのが吉だろう。彼にも一応なけなしのプライドがある。それがたとえ発泡スチロールよりも脆いものであったとしても、できれば尊重してもらいたい。

 霧島が小山のショーツに手をかける。抵抗虚しく徐々に下ろされていく布地を鼻息荒く凝視する波多野を無意識に睨みつける小山だが、彼女は彼女で泣きそうになっていた。しかし救済策はない。

 ショーツが完全に下ろされ、秘所が露わになる――――!

 

『お前らいつまで着替えている! もう授業は始まっているぞ!』

「げっ、大島先生!」

「すみません! 今すぐ行きます!」

「友香ちゃん、続きはまた今度!」

 

 素晴らしいタイミングで飛び込んできた体育教師大島先生の怒声に慌てて更衣室を出ていく女生徒達。Aクラス三人娘も小山を残して走り去っていく。変な静寂に包まれる中、どこか憔悴しきった様子の小山と色々感情の整理がつかない波多野だけが残された。

 

「…………」

「…………」

 

 終始無言。気まずいにも程がある。黙りこくって下着を着直し、体操着に着替えていく小山を前にして嫌な沈黙が二人の間に広がっていた。

 着替え終わると、小山はロッカーのドアを開ける。

 なんか言葉で言い表すのも馬鹿らしいくらい恐ろしい形相で波多野を睨みつけていた。

 重苦しい雰囲気の中、静かに呟く。

 

「……見た?」

「み、見てません見てません! ずっと目ぇ瞑ってました!」

「……下着の色は?」

「黄緑!」

 

 あ。

 失言に気が付くが時すでに遅し。もう恥ずかしさの臨界点をとっくの昔に天元突破している小山は目の端に涙を浮かべて小刻みに身を震わせながら、拳をぎゅっと握りしめると視線を下に俯いている。裸を見られたのが相当堪えたのだろう。男子の自分にはよく分からないが、女子はそういうところを気にするらしいし。

 女子の涙が極度に苦手な波多野はあちこち視線を彷徨わせるが、手を差し伸べてくれる女神様がいっこうに現れる様子はない。いや、このタイミングで性別・女が出現しても困るのは波多野だけれども。

 何か言わないと。お通夜でももうちょっと騒々しいだろうというくらいに沈黙した雰囲気を打破するべく、波多野は全力で頭をフル回転させるとできるだけ尾を引かないウィットに富んだ言葉を返そうと小山の方を向き直り、

 

「俺は……お前の身体、綺麗だと思ったぜぶるちっ!」

 

 渾身の右ストレートを顔面に入れられ、結局放課後まで監禁されてしまう波多野であった。

 

 

 



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第四問

 ギャグが、ギャグの勢いがぁ……!


「酷い目に遭った」

「同情はするけど、私の裸を見たことは絶対に許さないから」

「あれは不可抗力だろ。それに、俺に見せても恥ずかしくないくらい綺麗な身体だったと思うぜ?」

「…………」

「なぜ顔を赤らめて黙り込む小山よ」

 

 アンタがいきなりそんな恥ずかしいことを堂々と顔色一つ変えずに言ってくるからでしょ!

 羞恥に全身が沸騰するような感覚に襲われながら内心絶叫するが、隣を歩いている朴念仁が自分の秘めた想いに気が付く可能性は限りなくゼロに近いだろうことは分かっているのでなんとも虚しい。そのうえデリカシーもないのだからどうしようもない。「恥ずかしくて黙ってんだから余計なこと言わないでよバカ!」とか正直に言ってしまえば気も楽なのだろうが、それもそれで素直に負けを認めるようで癪だ。女心は複雑なのである。

 あの後、怒りの右ストレートを食らった波多野は気絶してロッカーに閉じ込められていたのだが、放課後になって小山に解放され現在は下校中である。本来ならば二人のほかに須川や佐藤がメンバー入りする予定だったが、須川は試召戦争、佐藤は日直の仕事があるとかで予定が合わなかったのだ。そういうわけで、結果的に二人で帰ることに。……根本君? 知らないわよあの人は。

 

「なんでお前はそんなに根本に冷たいんだよ。一応恋人だろ?」

「……うっさいわね。アンタには関係ないでしょ」

「いや、そうだけどさ。あんまりお前に変な噂が立つのも嫌だし、相談があれば乗るぜ?」

「相談ねぇ……」

「そうそう。根本との関係……恋の悩みか。俺結構そういうのは得意だよ。恋愛の悩みを打ち明けてみないか?」

「…………」

「だからなんで赤面状態で俯くんだよ小山」

 

 無言で下を向く小山の顔を覗き込みつつも怪訝な表情を浮かべる波多野。もう狙っているのではないかというくらいにわざとらしい変化球を投げてくる彼に胃痛が止まらない。なんだこの傍迷惑なトラブルメイカーは。相談役がさらに悩みを増やしてどうする。

 波多野が不意に投下した爆弾に若干の頭痛を覚えながらも、小山は胸に手を当てて密かに溜息をつく。

 

(……いつからだっけ。コイツのことでこんなに動揺するようになったのは)

 

 始まりがいつからだったのかは、よく覚えていない。気がつくと視線が彼を追いかけ、どんな時でも波多野のことを考えるようになっていた。根本とは中学時代からの腐れ縁で交際関係となっていたが、彼氏がいるのに小山の中では波多野関係のことが常に上位をキープしていた。彼とは去年にいろいろと騒動があったからというのもあるだろうが……その他心当たりがある感情は、あまり直視したくはない。そんなロマンチックな感情は私には似合わないし。

 状況を整理すると、さらに深い溜息が漏れた。なんでこんな奴のことで悩まないといけないのか。

 ちらと隣を歩く彼に視線を飛ばす。

 

「どうした小山、そんなに胸を押さえて。せっかく美乳なんだから余計な刺激は与えない方が――――」

「なんでアンタはいっつもいっつもそういうことしか言わないのよ! 狙ってんのか!? わざとか!?」

「わざとかわざとじゃないかと聞かれれば……」

「聞かれれば?」

「……わざとさっ☆(きらっ)」

「…………」

「いたっ……! 横腹をグーで殴るな地味に痛い! 同時に足を踏むなしかも爪先を!」

 

 相も変わらず阿呆な会話しかしない悪友に殴打を加えながら自己嫌悪に陥ってしまう。ホント、なんでこんな奴のことで悩んでいるのか。無性に悔しくて腹立たしくて仕方がない。こんな騒々しくてエッチでデリカシーのないトラブルメイカーにいちいち悩まされるなんて、時間の無駄でしかないのに。

 肩を竦めて嘆息する。

 もう今日は疲れたし早く帰ろうかな、と思った矢先、不意に波多野から手を掴まれた。

 反射的に頭に血が昇り、間の抜けた声が漏れる。

 

「ひゃいっ!? な、なに!?」

「いやさ、朝に約束したじゃんか。お詫びに何か奢るって」

「あ、あぁ……そのことね。なんかいろいろありすぎて忘れてたけど」

「そうそう。んで、どうせならデザート奢るだけじゃなくて本格的なショッピングにしてしまおうと思ってさ。デートみたいに!」

「で、でーと!? え、いや、なんで……」

 

 いきなりの提案に混乱が止まらない。手を掴まれたままだし顔もちょっとだけ近いし、なんか知らない内に身体の距離も近くなってるし! ていうか波多野の手ぇ温かい! なにこれドキドキする! あぁもうなんなのよー!

 一人錯乱状態であわあわテンパっている小山。繋がれた右手と波多野の顔を視線が何度も往復していて傍から見れば挙動不審者以外の何者でもないのだが、今の彼女にその事実を突きつけるのは酷というものだろう。神経質な性格上ストレートな好意に耐性がない小山は彼の所業に慌てふためくしかなかった。

 顔を真っ赤にしながら理由を問う小山に、波多野はいたっていつも通りの快活な笑みを浮かべると、自信満々に言い放つ。

 

「なんでってそりゃ……そっちの方が面白いだろ?」

 

 ニカッと歯を見せてお世辞にも上品とは言えない所作で笑うと、小山の手を引っ張って走り始める。小山の返事も待たずに強引に連れて行かれているというのに、不思議と嫌な感じはしなかった。それどころか、心のどこかで歓喜している自分がいる。

 太陽のような満面の笑みを浮かべている波多野の顔を見ると、自然と表情が綻んだ。

 

(進って……ホント、子供みたいよね)

 

 今走っている理由もどうせ「時間が惜しい」とかそんな感じのものだろう。自分との外出に対して特別な感情を抱いているとは思えない。ただ面白いことを追求しているだけ。彼はそういうやつなのだ。

 傍迷惑な奴だと思っている。いつも騒動に巻き込むし、からかってくるし、余計なセクハラしてくるし。デリカシーがないうえに気遣いも感じられない。本当に小山のことを異性として意識しているのかすら怪しいレベルだ。

 ……それでも、小山は素直にこう思う。

 

(進に振り回されるのも、悪い気はしないかな)

 

 底抜けに明るい波多野の笑顔につられて苦笑を浮かべながらも、小山はどこか幸せそうな面持ちで握っている手にいっそう力を込めるのだった。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「じゃあとりあえず最初はやっぱりゲーセンだよな!」

 

 突発的にそんなことを言い出す波多野に溜息が漏れる。……バカだった。このストレートトラブルメイカーに情緒や情趣を少しでも期待した私が大バカだった。

 ウキウキと傍から見てもはしゃでいるのが分かるような明るい表情でゲームセンターの中に入っていく彼の後に続きながらも、あまりの失望感に額に手を当てて俯いてしまう。頬がヒクヒクと引き攣っているのが自分でも分かった。波多野のデリカシーの無さは去年から知っていたつもりだが、こうも露骨に目の前にすると衝撃と絶望が止まらない。そんなものはロマンチックだけでいいのだが、肝心のソレは止まらないどころか影を見せてすらいないのが厳しい現実だ。どういう神経しているのかしらこの馬鹿は。

 世の中の不条理に落胆する小山を他所に、波多野は彼女の手を引いてとある筐体の前に連れて行く。

 

「これやろうぜこれ!」

「はぁ。何やるのよ……?」

 

 興奮気味に叫ぶ波多野が指で示した先に視線を飛ばす。

 

《アンデッド・ガンスリンガー ~血肉を散らして殺し合え!~》

 

 波多野の顔面に思わず渾身の右ストレートが炸裂した。

 

「馬鹿じゃないの!? 女の子と遊んでいる時にこんなの選ぶ奴がいるか!」

「い、いひゃい……小山、めっひゃいひゃい……」

「自業自得よ! 殴られたくなかったらもっと雰囲気のある奴を選びなさい!」

「ら、らじゃー……」

 

 鼻を押さえながら周囲を見渡す波多野。完璧人間を目指せとまでは言わないが、せめて女性に対する最低限の気遣いと礼儀くらいは弁えてほしいと思う今日この頃である。どこの世界にデート中の異性にゾンビゲームを勧める男がいるというのか。……いや、デート中ではないけども。そこは、まぁ、気分的に。

 しばらく視線を彷徨わせていた波多野はある場所に目を止めると、小山の肩を叩いて注意を引いた。

 

「じゃ、じゃああれなんかどうだ? 小山のイメージと趣味にぴったりだと思うんだけど」

「私のイメージ? へぇ、そんなの見つけたんだ」

 

 意外にも私のことをそれなりに考えて吟味してくれていた波多野の優しさに口元が綻んでしまう。もしかしたらニヤけているかもしれない。普段から阿呆なことしか言わない波多野ではあるが、いざとなればこのような気遣いができるのか。少し彼を甘く見ていたかもしれない、と小山は心の中で彼への評価ポイントを吊り上げる。イメージを掴めるほどに自分のことを見ていてくれていたのかと思うと、顔が熱くなると同時に心が満たされるような感覚を覚えた。

 終始仏頂面な小山には珍しい柔和な笑みを浮かべながら、波多野の視線を追う。

 

《ストリートアンデッド4 ~路地裏のゾンビ最強決定戦~》

 

 無言のボディーブローが波多野の鳩尾にめり込んだ。

 

「が、がはっ……! な、ぜ……」

「アンタ……私に対してどんなイメージ持ってんのよ……」

「どんなって、そりゃ……暴力的でサディスティックでヒステリックで――――」

「それ以上言ったら埋めるわよ」

「どこに!?」

 

 「ひぃぃ!」と怯える波多野にもう何度目か分からない溜息をつく。

 もうこれは絶対わざとやっているとしか思えない。なんだそもそも女子にゾンビを勧めるって。鼻も恥じらう十六歳の乙女を捕まえて、この騒動狂(トラブルハッピー)はいったいどんなイメージを抱いているというのか。ゾンビゲームがイメージってなんだ! それと私の趣味は別にゾンビじゃない!

 思わずなりふり構わず叫びだしたい衝動に駆られるも、さすがに公衆の面前でヒステリーを起こすわけにはいかない。自分はこれでも品行方正な生徒(多少誇張有り)で通っている身だから、迂闊なことをやって評判を下げるわけにはいかないのだ。

 ……まぁ波多野に暴力的な制裁を加えている時点で品行方正の優等生には程遠いのだが、小山友香はそのことには気づかない。知らぬが仏とはよく言ったものだ。人間本当に知るべきことは知らないものなのである。

 

(……はぁ、仕方がないわね)

 

 こうなったら小山が決めてしまうほかあるまい。

 いつの間にか痛みから復活していた波多野の手を握り返すと、ゲーセンの奥――――プリクラコーナーを指さして溜息交じりに口火を切る。

 

「もうここでぐだぐだ言っても仕方ないから、プリクラだけでも撮って別のところに行きましょ」

「あ、う……うん、そうだ、な。……それがいい、うん」

「進? 急に何どもってんのよ」

「い、いや、その……なんでもないぜ?」

「何よアンタらしくない。煮え切らない態度は似合わないわよ」

 

 急に焦ったような態度を取り始めた波多野に思わず名前呼びが出てしまうが、彼はそれには気づかずちらちらと小山の顔とプリクラコーナーの方に交互に視線をやっていた。普段からはっきりものを言う彼にしては珍しい様子に小山としては違和感を覚えてしまう。なんだ、何が彼をここまでテンパらせているのだ。

 首を傾げながらも、波多野の視線を追うようにプリクラコーナーを見る。

 そこには――――

 

《本日はカップル感謝デー! 恋人連れのお客様専用となっております!》

 

 顔から火が出るかと思った。

 

「ななな、な――――――――っ!?」

「お、俺は構わないんだけどさ……小山は一応彼氏持ちだろ? あんまりこういうのは避けた方が良いんじゃないかと思うんだけど……」

 

 彼にしては珍しく小山を気遣っているようで、どこか気弱な様子で言い訳を並べていた。顔を赤らめて気まずそうに視線を逸らすその姿はあまりにも新鮮で少しばかり目を奪われたものの、今は彼に見惚れるよりもこの場を乗り切ることが先決だ。頭を振って煩悩を追い出すと、まだ熱が残る顔をできるだけポーカーフェイスにするよう試みつつ会話を続ける。

 

「か、関係にゃいわよ!」

「…………」

「…………」

「……えっと、今噛ん――――」

「言わないでっ! 思い返すと底抜けに恥ずかしいから言わないで!」

 

 もういっそのこと死んでしまいたいくらいに恥ずかしい。普段ならば仕事のできるクールビューティで通っているはずの自分が何故この馬鹿男の前ではこんなにも無様で惨めで哀れな女になってしまうのか。おかしい。何かがおかしい。波多野進の前だと身体のどこかが不調を訴えているような気持ちになってしまう。胸が苦しくて、呂律もうまく回らなくて……最終的にはちょっとした失敗を繰り返してしまう。

 頭を抱えて呻き声を漏らす小山。穴があったら掘り進んでブラジルまで行ってしまいたい。

 「うぁぁ……」と情けない声を漏らし続ける小山に波多野は何を勘違いしたのか、苦笑交じりに肩を竦めると、彼女の背中に手を当てて言った。

 

「じゃあ撮るか。いざとなったら俺のせいにすればいい」

「へ……?」

「お前朝言ってただろ? 世間体がどうとかかんとか。だったら全部俺のせいにしちまえばいい。根本に責められようが周囲に罵られようが、俺のせいにしてしまえば平気だろ?」

「や、それはそれでアンタに申し訳が……」

「大丈夫さ! それにどちらかというとそうしてくれた方が面白い! 理不尽な逆境は人生における最高のスパイスだよな!」

 

 「うぉー!」と天井を見ながら猛烈に絶叫する波多野を見たまま、ポカンと口を開けて呆けてしまう。何の責任を感じたのかは知らないが、どうやら彼は小山の世間体とやらを肩代わりしてくれる所存らしい。何がどうしてこうなった。これってそういう話だったっけ?

 会話の流れが直滑降すぎて着いていけないものの、彼が自分を気遣ってくれたことだけはなんとなく分かる。小山が呻いている理由を勘違いした上に恥ずかしいことをつらつら並べ立てるとか、彼は相も変わらず突拍子もない人間であるようだ。

 しかし……彼を見ていると、なんとなく悩んでいる自分が馬鹿らしくなった。

 ちょっとした失敗とか、変な感情とか、あまり気にしすぎても仕方がない。彼といて、楽しいならばそれでいいではないか。

 

(なぁんか、進の信条に影響されている感が否めないわね)

「どうした、早く行こうぜ小山」

「……そうね。さっさと撮って、早いと次の場所に行きましょうか!」

 

 子供のように催促する波多野に答えながら、プリクラコーナーへと向かう。その手が握られたままだということに気が付く様子はない。しかしまぁ、それをわざわざ指摘するのも野暮というものだろう。

 結局プリクラを撮った後に買い物と夕飯で帰宅が遅くなって二人とも親からキツイ説教を受けてしまうのだが、それはまったくの余談である。

 

 

 

 

 

 




 感想、誤字報告などお気軽に。お待ちしています。
 次回もお楽しみに!

※小山さんの身長は167cm、波多野が163cmの設定です(一応)


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第五問

 ちょっと間隔空きましたが、最新話です。


 翌朝。

 今日はいつもより念入りに髪の毛のセットに時間をかけて学園に登校した小山は、我らが拠点であるCクラス教室がなにやら普段以上に騒がしいことに気が付いた。休憩時間にクラスメイト同士で喋っている光景自体は普段通りなのだが、今日は彼らの様子がどこか驚きと焦りに染まっているような気がする。

 がやがやと不自然な喧騒に包まれながら席に着くと、隣で新野とどこか真剣な表情で話していた波多野が身を翻して小山の方を向いた。

 

「よぉ、おはようさん」

「おはよ。で、なんで今日はこんなに騒がしいワケ?」

「ん? あぁ。それはだな……」

 

 小山の問いかけに、何やら勿体ぶるように腕を組みながらニヤニヤ笑う波多野。またいつもの傍迷惑な展開か、といい加減予測でき始めてきた彼の行動に辟易しながらも、今朝教室に来る前に売店で購入した缶ジュースを飲みながら彼の話に耳を傾ける。やれやれ、今日は何を言われるのか――――

 

「俺に彼女ができた件についてなんだけど――――」

 

 グシャァッ!! というけたたましい破砕音が教室中に響き渡ったかと思うと、彼が手を置いている机に何かの破片が勢い良く突き刺さった。一瞬反応が遅れた波多野が慌てた様子で小山の手元を見れば、何やら鉄の残骸と共にジュースっぽい液体が彼女の手を濡らしている。

 波多野の表情が目に見えて三割増しくらいに青褪めた。そんな彼にしては珍しい戦慄具合にイイ感じの笑顔を顔全体に張り付けながら、小山は実に笑えない覇気を全身に纏わりつかせて淡々と言い放つ。

 

「あら、ごめんね進。なんかよく聞こえなかったんだけど、気が付いたら缶を握り締めちゃった。私にとって忌々しく憎たらしい発言が聞こえた気がするんだけど……気のせいかなぁ?」

「や、そ、その前に、それってもしかしなくてもスチール缶……」

「気のせいかなぁ?」

「…………冗談です。全部冗談です。誠に申し訳ございませんでした」

「おほほほほ。やぁねぇ別に謝る事なんてないのにぃ」

 

 表情筋をピクリとも動かさずに言ってのける小山。彼女が不自然な高笑いを上げる度に哀れな子羊が肩を激しく震わせるのだが、現在怒りに燃える代表様にはそんな些細な変化をいちいち気にかけている余裕はなかった。……ツギハ、ホンキデ、ツブス。

 リアルな地獄巡りでもしてきたのかと言わんばかりに絶望の表情を浮かべる波多野はしばらくガクガクと震えていたが、新野による蘇生術(暗示)によって復活を遂げると、ようやくまともに口を開いた。

 

「き、昨日にさ、Fクラス対Dクラスの試験召喚戦争があっただろ?」

「あぁ。新学期早々Fクラスが下剋上目指して喧嘩売ったアレね」

 

 昨日波多野を救う為に更衣室へ向かって疾走していた際に行われていた戦争の事だろう。新学期初日から、学年最底辺クラスであるFクラスがDクラスに宣戦布告したことで始まった戦争。大抵は学期末に開催されるのが当たり前な戦争が初日から行われたことがあまりにも衝撃的な事件だったので、放課後になる頃には学園中にそのことが広まっていた。ということは、今日のこれもFクラスの無謀さについてか。

 

「それで? どうせ負けるくせに無謀にも格上相手に喧嘩売った馬鹿共の噂しているっていうワケ?」

「それがさぁ、なんとFクラスの勝利で終戦したらしいんだよ」

「どうせDクラスが勝ったんでし……え?」

 

 今、波多野はなんて言った?

 ちょっと信じられないことを言われた気がして思考が一瞬止まった。小山の中の常識が軽く揺らぐレベルの発言をされた気がするのだが、まさか。

 背中に感じる冷や汗の気持ち悪さに顔を顰めながらも、恐る恐る尋ねる。

 

「ごめん波多野。もう一回言ってみてくれない?」

「ん? だからさ、FクラスがDクラスに勝ったらしいんだよ」

「……マジで?」

「マジ」

「…………」

 

 言葉も出なかった。

 「すげぇよなぁ」とか言いながら目を輝かせているクラスメイト一名を前にして、あまりにも予想外の事態に驚きを隠せない小山。おそらく今自分はポカンと情けなく大口を開けて呆けたような表情をしているのだろう。

 ここ文月学園に置いて、学力振り分けというものは想像以上に重要な意味を持っている。

 教室の設備や学習進度、その他諸々が学力によって左右されてしまうため、学園全体の風潮として学力カースト制が完成してしまっているからだ。学園内での評判、人気はほとんど成績によって決まり、教師の対応も学力次第。終いには成績によって周囲からの扱いが変わってしまう始末だ。それほどまでに、学力の差というものは文月学園生徒にとって大きい。

 そして先程会話に出てきたFクラスは、六つあるクラスの中で最下位に属する。学業最低ランクの生徒が集まった落ちこぼれクラス。設備は腐った畳に卓袱台という貧相なもの。勉強に対してのやる気なんてほとんどない、お騒がせ集団。文月学園に置いてはもちろんあまりよく思われてはいない。……だが、そんな彼らが下位クラスとはいえ格上のDクラス相手に勝利を掴んだ。その事実は学力カーストの中で生きる生徒達を衝撃の渦に叩き落したことだろう。現に小山は予想以上の衝撃を受けている。

 

「Fクラスの代表と言えば、あの坂本雄二だったっけ?」

「そうですね。かつては【神童】と呼ばれ名を馳せた天才。中学生になってからは勉強から離れて喧嘩に明け暮れていたらしく、ここ近辺では【悪鬼羅刹】という二つ名で知られていたようです」

「悪鬼羅刹か……くぅ~! そういうの滅茶苦茶かっこいいな! 俺も付けてほしいや二つ名!」

「【騒動起爆剤(トラブルメイカー)】なんてどうでしょう?」

「それかっこいい!」

 

 かっこよくねぇよ。

 そんなツッコミさえ言葉に出せない程に、今の小山は驚きを隠せないでいた。何故なら、今まで自分達とは関係ないと思っていたはずの試験召喚戦争が、今回の件によって嫌が応にでも近しいものとなってしまったからだ。

 今回敗北したDクラスはCクラスの一つ下に位置する。上位クラスと下位クラスの境目である以上それなりの学力差はあるのだが、平均してみるとそこまで大きな差は開いていない。Dクラス上位とCクラス下位の点数はほとんど変わらないと思っていいだろう。ランク自体はどちらも普通。その日の調子次第では戦力が入れ替わってもおかしくない程度の差だ。Cクラスは、そこまで優秀なクラスではない。

 FクラスがDクラスを下した以上、次はCクラスに攻め入ってくる可能性は大いに考えられる。何を考えているか皆目見当のつかない坂本雄二の策略を予想することは小山には出来ないが、警戒しておくに越したことはないだろう。万が一放っておいて隙を突かれでもしたら、無いとは思うが敗北してしまうかもしれない。

 一通り考えをまとめて波多野にそのことを話すと、彼はとびっきりの笑顔で賛同してくれた。

 

「そうだな! 来たる戦争に向けて英気を養っておかないと!」

「な、なんか楽しそうね、波多野。そんなに戦争が待ち遠しいワケ?」

「そりゃあもう! なんたってこの学園の醍醐味といって良い行事なわけだし!」

 

 少々危機感が足りないように思うが、まぁ彼の言うこともあながち間違いではない。試験召喚獣制度は文月学園が独自に取り入れた新しい教育スタイルだ。全世界から注目を浴びる召喚獣に対して憧れを抱いている生徒達も決して少なくはない。ゲームの世界でしか有り得なかった召喚獣というオカルト的存在を自分の手によって強化し、操作できるという快感は文月学年生とならではの利点である。

 それに、波多野は誰よりも騒動を好むいわばトラブルメイカー。そんな彼にとってクラス同士で教室の設備をかけて争う試験召喚戦争は願ったりの行事なのだろう。昨日はAクラスに攻め入ってやろうかとか考えていたくらいだし。迷惑なんでやめてほしいとは思うが。

 しかしまぁ、この学校にいる以上試験召喚戦争は絶対に避けては通れない難所だ。クラスを預かる代表として、対策及び作戦を考えておかなければならない。

 ちらと波多野に視線をやる。こういう時に頼れるのは、結局のところ波多野進だ。理系が駄目だったとかでCクラスに振り分けられてはいるものの、文系科目の成績と頭の回転の速さはAクラスにも劣らない彼である。こういった場面における作戦を考えるのも何気に得意だったりするのだ。……まぁ、何故か将棋は弱いのだが。

 いつの間にか近くに来ていた黒崎や野口と件の戦争について雑談していた波多野は小山に視線に気づくと、いつも通りの悪戯っぽい笑顔で小山に笑いかける。

 

「大丈夫。作戦立案及びトラブル関係は俺の専売特許だ。神童だかなんだか知らないが、Cクラスの力を思い知らせてやるよ」

「波多野……」

「ま、タイタニック号に乗ったつもりで楽にしな」

「最終的には沈むじゃないの、それ」

 

 ……大丈夫、よね?

 何故か独自のアレンジを加えた諺を平然と言ってくる波多野に対して、ちょっとだけ不安を覚えた小山であった。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「我々Dクラスは、Cクラスに対して模擬試召戦争を申し込む!」

 

 二時間目が終わった休憩時間。

 いつも通りに駄弁りながら授業の準備に取り掛かっていたCクラスの雰囲気を一変させたのは、Dクラス代表である平賀源二の一声だった。

 突然の出来事にクラスメイト達がざわめき始める。かくいう小山も驚きを隠せないでいた。しかし代表という立場である以上、彼への応対をせねばなるまい。

 緊張で引き攣る表情を必死に隠しながらも、教室後方のドアで居心地が悪そうにしている平賀の元へ向かう。

 

「えぇっと、一応確認なんだけど、模擬試験召喚戦争を申し込むって言ったのよね?」

「そうだ。我々Dクラスは、Cクラスに対して模擬試召戦争を申し込む」

「……DクラスはFクラスに戦争で負けたから、宣戦布告はできないはずだけど」

 

 小山が疑問に思っていたことを尋ねると、周囲から同意の声が上がる。

 文月学園試験召喚戦争規則において決められている事項の中に、「試験召喚戦争で敗北したクラスは三か月間宣戦布告ができない」というものがある。これは負けたクラスが即座にリベンジをしかけて戦争が泥沼化するのを防ぐためのルールだ。この規則に従えば、昨日Fクラスに敗北したDクラスがCクラスに宣戦布告してくることはおかしいと言える。

 だが、平賀は首を振った。

 

「その点については問題ない。昨日の戦争は和平交渉によって引き分けということになっているからな」

「和平交渉って、そんな終結があるワケ……?」

「それに俺達が申し込んでいるのはあくまでも『模擬』試験召喚戦争だ。設備を賭けるわけでもない、いわば練習試合。そこまで警戒することもないと思うけどね」

「それはそうだけど……」

「いや、警戒はしておくに越したことはないと思うぞ?」

「波多野?」

 

 不意に背後から聞こえた声に振り向くと、小柄の生徒が何やら思案顔で小山の方へと歩いてきていた。言わずもがな、波多野進である。

 波多野は小山の隣に立つと、平賀の方を向いて言葉を続けた。

 

「和平交渉だろうがなんだろうが、DクラスはFクラスに負けている。このことは事実だ。格下クラスが上位クラスに対して設備交換を求めていないということは、何か条件を提示されたと考えるのが普通だろう?」

「……ノーコメントだ」

「それに、Fクラスの代表はあの坂本だぜ? アイツが関わっている以上、何か裏があると考えずにはいられない。変に油断して背中を刺されちゃたまったもんじゃないしな」

 

 波多野の正論に、平賀は返す言葉も思いつかないのか渋い表情を浮かべて黙り込む。久しぶりに見る真面目な波多野に小山はどこか安心したような気持ちを覚えた。やはり彼は頼りになる。普段があんな態度なので多少心配ではあったが、締めるところはしっかり締めてくれる。これならば戦争時の参謀を任せても問題ないだろう。

 周囲を見渡し、偶然目が合った新野と頷き合う。小山達からの信頼度が急上昇する中、波多野は真面目な表情を崩さないで平賀の名を呼ぶと、

 

「でもまぁ、練習試合くらいなら面白そうだしやってもいいかな」

「……は?」

「ほ、本当か!?」

「あぁ。それに、下位クラスからの宣戦布告は拒否できないっていう決まりだし――――」

「なに勝手に承諾してんのよアンタはぁああああああああああああああああああ!!」

「ん? なんだ小山そんなに山姥みたいな顔して四の字固めからのジャーマンスープレックスげふぅ!」

「死ね! アンタなんか地獄三周した上に輪廻転生の輪から外れて死ね!」

「お、落ち着け代表! それは既に死んでるし、その前に下手すりゃ戦争前に参謀が殉職するぞ!」

「知るか!」

「それは最高責任者としてどうなんだ!」

 

 結局は面白い方に事を進めてしまった馬鹿一名の命を刈り取った小山を黒崎が必死に押さえつけるが、怒りに燃える代表様が攻撃の手を緩める様子はない。後頭部から床に落下した波多野は現在絶賛臨死体験中である。このままではさすがにヤバいとついには野口と新野が加勢したことでようやく修羅を止めることに成功。Cクラスに平和が訪れた。

 若干一名意識が戻らないながらも、三人の決死の説得によって多少は落ち着いた小山は荒くなった息をなんとか押さえつつ平賀との会話を再開する。

 

「しょ、承諾しちゃったからもう仕方がないけど……日時はどうするの? すぐにやる?」

「一応今日の昼休み後からお願いしたい。こっちも昨日消費した点数を回復しておきたいからな。まぁ本番前の軽い練習試合くらいの意気込みでやってくれると嬉しい」

「そうはいかないわ。やるからには絶対に勝つ。それに、仮に油断して格下のDクラスなんかに負けたとなっちゃ、いい笑いものだからね」

「っ……へぇ、言ってくれるじゃないか」

「生憎と、口の悪さと喧嘩っ早さには定評があるのよね」

 

 互いに牽制しあう代表二人。小山は昔から喧嘩っ早く、平賀は平賀で正義感の強い少年なので、こういう事態に陥ってしまうのはもやは必然とも言えた。何気に彼女のストッパー役を背負っている波多野が気絶している以上、今の彼女を止める者はいない。

 バチバチと火花を散らしながら教室を出ていく平賀。彼の姿が見えなくなったところで、小山はくるっと仲間達の方に向き直ると拳を握った。怒り心頭の瞳に浮かぶのは、成敗の二文字。

 拳を突き上げ、全力で叫ぶ。

 

「皆、模擬とはいっても戦争よ! 遠慮手加減油断は一切禁止。格下だろうが全力で駆逐して、絶対に勝つわ!」

『おぉ!』

「ウチに挑んできたことを後悔するくらい完膚無きまで叩きのめす! 私についてきて! いい!?」

『任せとけぇええええええええええええ!!』

 

 小山の声に約五十人の戦友達が呼応し、鬨の声が教室中に響き渡る。すべてはクラスの勝利の為に。絶対勝利を掴むべく、Cクラスは手を取り合って全力を振り絞る。

 皆が拳を突き上げて戦意を高めている隅っこで気絶していた波多野を蹴り起こすと、小山は新野と黒崎、そして野口を招集して作戦会議を始めるのだった。

 

 

 

 

 



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第六問

 昼休み終了のチャイムが校舎内に響き渡ると、新校舎の一角が一際騒がしさを増した。Cクラス対Dクラスの模擬試験召喚戦争が開戦したのである。

 二つのクラスは位置的に向かい側にある為、戦闘区域自体は教室前の廊下のみだ。有意義かつ効果的な作戦よりも力押しで攻める方が定石と言える状況。そもそも互いの教室の位置取りが戦争向きではない。このような場所であれば、地力で勝るCクラスが有利と言えるだろう。

 Cクラス教室のドアを背中越しに守りつつ、波多野は開戦と同時に声を張り上げた。

 

「教室防衛班は俺と一緒に待機! 突撃班は黒崎、野口に続いて敵をぶっ潰せ! 遊撃班は新野を主体に戦闘に横槍を入れろ! 戦場をひっかきまわすんだ!」

『了解!』

 

 波多野の指示に応じて生徒達がそれぞれの行動に移っていく。狭い廊下に数十人規模の生徒達が密集しているので暑苦しいことこの上ないが、突撃班班長の黒崎は実に素晴らしい笑顔を浮かべながらDクラス防衛部隊へと突っ込んでいく。

 

「船越先生! Cクラス黒崎がDクラス笹島に勝負を挑みます!」

「分かりました。承認します」

「ちぃっ、Cクラスがなんだってんだ! 試験召喚(サモン)!」

試獣召喚(サモン)!」

 

 掛け声に呼応するように二人の足元に魔法陣が浮かび上がる。四則計算記号や数字が周囲に浮かび上がっているのは船越教師の担当科目が数学だからだろう。

 魔法陣が光を放ち、その中心からそれぞれの召喚獣が姿を現す。

 インド風の衣装にターバン、円月刀(シミター)を携えた黒崎の召喚獣。

 騎士鎧に両手剣を持った笹島の召喚獣。

 互いに異なった武装の召喚獣が顕現すると、二体の頭上に点数が浮かび上がる。

 

『Cクラス 黒崎トオル VS Dクラス 笹島圭吾

 数学   150点   VS      103点  』

 

 点数はやはり黒崎の方が上回っている。円月刀と両手剣がぶつかると、甲高い金属音が発生した。

 黒崎の召喚獣が力任せに刀を押し、敵に肉薄。笹島の召喚獣もなんとか押し返そうと力を込めるが、点数で劣る以上力押しでは勝ち目が見えない。

 徐々に押され、刃が顔面へと迫る。

 

「くそっ……! ここまでか!?」

「さっさと戦死にしてやるぜ! 行って来いよ補習室!」

 

 押し合いの末に剣を落とした笹島の召喚獣が慌てて脱出を試みるものの、その隙を逃す黒崎ではない。完全に体勢の崩れた召喚獣の上に馬乗りになると、一切の遠慮を見せることをせずに円月刀で首を刈り取った。

 

『Cクラス 黒崎トオル VS Dクラス 笹島圭吾

 数学   143点   VS      0点   』

 

 見事に笹島を打ち取った黒崎は続いて部隊長の塚本に戦闘を仕掛けている。その隣では遊撃班班長の新野が黒崎の援護をするべく召喚獣を召喚していた。

 巨大な筆ペンを抱えた新野の召喚獣が敵を貫き、その背後にいた傷ついた召喚獣に黒崎が止めを刺す。

 本人達に似たコンビネーションの良さだな、と感心する波多野。去年からお騒がせコンビとして活動してきた彼らの連携は完璧だ。二人で組んで戦えばおそらくBクラスにも引けを取ることはないだろう。少しだけ野口が羨ましそうに二人を見ているのは、親友である黒崎と一緒に戦う機会を奪われたからだろうか。しかしそんな彼も金髪ハーフ少女の木村シェリルと共に巧みな連携攻撃を披露していた。

 

「イッシン! 後ろから敵が来てるネ!」

「分かってるよ! シェリルさん援護お願い!」

「リョーカイ!」

『Cクラス 野口一心 & Cクラス 木村シェリル

 数学   115点  &      108点    』

 

 二人ともCクラスでは平均レベルの点数だが、両手槍を操るシェリルと投げナイフ主体の野口とのコンビは全距離に対して無類の強さを誇っている。今もシェリルが槍を振り払う隙を狙って飛び込んできた召喚獣が野口の放った投げナイフによって顔を貫かれ、戦死した。

 ――――これは、俺も負けてられないな!

 仲間達の健闘ぶりに対抗心を刺激された波多野は副隊長の遠山平太に防衛を任せると、突撃班が開けた道を突っ切ってDクラスの教室へと侵入する。

 

「Cクラスが副代表、波多野進参上だぜ! 大将の首を大人しく寄越せよな!」

「させませんよ! 清水美春、世界史で波多野進に勝負を挑みます!」

『試獣召喚!』

 

 教室に飛び込むや否や口上を垂れる波多野。平賀との勝負を申し込もうとする者の、そうは問屋が卸さない。親衛隊であろうツインドリルな髪型をした女子生徒清水美春に間に入られ、勝負を仕掛けられる。勝負科目は世界史。最初から教室内に世界史の田中先生を保有していることから考えると、親衛隊には文系を得意とする生徒が多いのだろう。目の前の清水もどこか得意げな表情で波多野に対峙している。

 召喚獣の頭上に点数が表示された。

 

『Dクラス 清水美春 世界史 203点』

「ふふん。どうですこの点数は。いくら格上のCクラスとはいっても、ここまでの点数を取ったことなんてないんじゃないですか?」

 

 自慢げに胸を張り、勝ち誇った笑みで波多野を見下す清水。確かに高い点数だ。Dクラスに所属しておいて200点オーバーというのは、優秀といっても過言ではないだろう。彼女が得意になるのも頷ける。Cクラスにおいてもなかなかお目にはかかれない点数だ。

 教室内のDクラス生徒達が清水に同調するように声を上げる。絶対的孤立無援。しかし、波多野は恐怖するどころかむしろ楽しそうに口の端を吊り上げて一人妖しく笑っていた。

 

「な、なんですかその笑いは。勝ち目が見えなくておかしくなったんですか?」

「あぁ? いやいや、そんなことねぇよ。そりゃ確かに凄い点数だけど……」

 

 怪訝そうに様子を窺う清水にニヤリと微笑むと、波多野は自信満々に高らかに声を張り上げる。

 

「そんな程度じゃ、俺には到底敵わないよ」

『Cクラス 波多野進 世界史 394点』

『なぁっ!?』

 

 表示された点数を目にし、Dクラス生徒達から焦りと恐怖のざわめきが広がる。清水はあからさまに驚いたように仰け反り、目を白黒させていた。

 魔法陣を蹴破るようにして現れる波多野の召喚獣。

 両肩にスパイクの付いた甲冑に、額には白いバンダナ。両手には何も持っていないものの、背中には召喚獣の全身程はあろうかというくらいに巨大な盾。

 近接武器が大半を占める召喚獣の中でも珍しい、防具をメイン武装とした召喚獣だ。

 大盾を武器とする波多野の召喚獣を見て清水は明らかに小馬鹿にした表情を浮かべると、気に喰わないと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 

「ふん。そんな守る事しか能のない召喚獣に何ができるというんですか!」

「そんなのやってみなきゃわからないだろ?」

「だったら……そのデカブツでなんとかしてみなさい!」

 

 両手剣を腰だめに構えた清水の召喚獣が床を蹴って一気に肉薄。200点越えしているだけあり、その速度は並大抵の召喚獣とは比べ物にならない。まさに一瞬ともいえる時間の中でゼロ距離まで接近すると、剣を横薙ぎに払う。

 だが、波多野の召喚獣は400点に迫る高得点。即座に背中から盾を外すと、高速ともいえる清水の攻撃に合わせるようにして剣を防いだ。

 ガインッ! と乾いた音が響く。

 

「なかなかやります……ね!」

「そっちこそ……な!」

 

 防がれた剣を引き戻し、清水は身体の回転を利用して逆方向から振るう。小回りが利く剣ならではの攻撃パターンに大盾では反応しきれない。咄嗟に身体を捻ると、甲冑の腹辺りを剣が弾く。さすがに二倍近い点数を持つ波多野を一回で倒すのは不可能だったらしく、波多野は点数を少し失った程度で済んでいた。

 鎧に弾かれて剣のコントロールが利かなくなった清水の召喚獣。隙を狙っていた波多野は盾を持ちなおすと、彼女の側頭部に向かって思いっきり振るう。

 バランスを失った清水の召喚獣はふわりと宙を舞い、床を転がるようにして吹っ飛ばされた。

 

『Cクラス 波多野進 VS Dクラス 清水美春

 世界史  326点  VS      103点 』

 

 普通ならここで一旦手を止めるのだろう。しかし、波多野は絶対に躊躇しない。

 床に倒れる清水の召喚獣に一瞬で近づくと、背中越しに馬乗りになって盾を振り下ろす。後頭部に向かって、何度も何度も鉄の塊を振り回し続ける。

 既に目がイッちゃってる感が否めないが、誰も彼を止める者はいない。どこの修羅だお前はとツッコミが入りそうなものだが、彼を止められる幼馴染二人は別クラスであるし、ストッパーの小山は教室で待機中だ。今の彼に枷は無く、自由奔放に心のままに戦闘を楽しむことができる。

 彼の猛攻撃に、教室内に嫌な雰囲気が広がり始めた。

 全員からドン引きされている中、波多野は一人狂ったように笑い声を上げながら清水の召喚獣を舐っていく。

 

「ふははははは! やったれ! やったるでこの野郎! Cクラスを舐めんじゃねぇぞゴルァ!」

「ひ、ひぃぃいい!? わ、私の召喚獣が見るも無残な肉塊に変わっていきます!」

「いーち、にーい、さーん、トドメぇええええええええ!!」

「いやぁあああああああああ!?」

 

 実に素晴らしい笑顔で親指を地に向けると、召喚獣が盾を振り下ろして清水の召喚獣の頭を捻り潰した。

 召喚獣は血を出さないからいいものの、頭が弾けている映像はあまり教育によろしくない感を全力で醸している。あまりのグロさに教室の隅ではDクラスの女子生徒がエチケット袋の中にテレビ的なキラキラを吐き出していた。他人の気分まで害する戦闘狂っぷりに敵仲間問わず戦慄が走る。

 

『うわ……やべぇなアレ』

『清水さんがあられもない……いや、お茶の間にはお見せできない姿に……』

『僕、明日清水さんの席に菊の花を飾るよ』

「な、なんで私本人が死んじゃったみたいな雰囲気が流れているんですか!? 私じゃなくて召喚獣! 死んじゃったのは召喚獣!」

「騒いでいるところ悪いが、清水。貴様には行くところがあるだろう?」

「げっ!? 西村先生……!」

「さて清水。……戦死者は補習ぅううううううううう!!」

「いやぁあああああ!!」

 

 涙交じりに引きずられていく戦友にDクラス生徒達は揃って合掌した。召喚獣を今世紀最大的残酷な殺され方をしたうえに鬼の補習に連行されるとか不幸以外の何物でもないのだが、それが文月学園試験召喚戦争というものである。他所に比べると少々奇行の目立つ生徒達が集まった学園であるため、同情こそすれ彼女を助けようとする者は誰一人としていなかった。

 変な沈黙が教室を支配する中、一人明るく笑い続けていた波多野は「ふぅ」と息を吐くと、

 

「それじゃあお前達、一斉にかかってこいや。そっちのが面白いし」

『こ、この野郎! 舐めてんじゃねぇぞ!』

『総攻撃じゃ! かかれぇえええええ!!』

『うぉおおおおおおおおお!!』

 

 波多野の目に見えた挑発に乗せられて親衛隊が一斉に波多野の召喚獣へと飛びかかっていく。

 最初は余裕を見せていた波多野だが、やはり十人を超える敵を相手に点数を消費した状態では苦戦してしまっている。なんとか盾で攻撃を受け流してはいるものの、徐々に点数が減少していた。

 しかし、波多野の表情は未だに明るい。

 

『なに笑ってんだ気持ち悪いな!』

「いやいや、実に予想通りに動いてくれて、面白いなって思ってさ」

『やられているくせに何言ってんのよ!』

「確かにボッコボコにされているさ。でもな……これが俺の作戦なんだわ」

 

 ニィ、と八重歯を見せると同時に波多野の召喚獣が戦死し、姿を消す。

 だが、その時には既にすべてが遅かった。

 波多野に気を取られ彼に総攻撃を仕掛けた親衛隊。全員が波多野との戦闘にかかりっきりになっていたため、現在平賀の防衛任務に就いている者はゼロだ。平たく言うなら、大将を孤立させている状態。

 そんな裸の王様状態のクラス代表を一人取り残していると、こんなことが起こる。

 

「黒崎トオル、Dクラス代表の平賀に勝負を挑むぜ」

 

 不意に黒崎の声が上がり、召喚獣が現れる。

 が、それだけでは終わらない。

 

「野口一心、同じく勝負を挑みます」

「木村シェリル、勝負ネ!」

「新野すみれ、よろしくお願いします」

 

 野口、シェリル、新野が続いて名乗りを上げる。Cクラスの主戦力とも言っていい四人が平賀を囲むようにして包囲網を築いていた。無論、彼に逃げ場はない。

 平賀は焦ったように口をパクパクさせると、西村に腕を掴まれている波多野に慌てて視線を飛ばす。

 計画通り、と波多野はどこから見ても気持ちよさそうに快活に笑った。

 

「周りが見えていないぜ、代表様よ」

「くっそぉおおおおおお!!」

『Cクラス 黒崎トオル & 野口一心

 世界史  103点   & 105点 』

『Cクラス 新野すみれ & 木村シェリル

 世界史  104点   & 115点   』

『Dクラス 平賀源二

 世界史  112点 』

 

 平賀の悔しさが滲んだ絶叫が教室内に木霊すると同時に、四つの武器が彼の召喚獣を貫いた。

 

 

 

 

 

 



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第七問

 第二学年初の模擬試験召喚戦争は、Cクラスの勝利で幕を下ろした。

 平賀を打ち取って戦争に勝利した小山達ではあるが、今回はあくまでも模擬であるため設備交換や戦後処理があるワケでもない。とりあえず代表同士二、三言交し合って、それで終わりだ。

 

「それじゃあ今回はありがとう」

「えぇ、こちらこそ。いい経験になったわ」

「……Fクラスには気をつけろよ」

「気が向いたら、頭の片隅に置いておくわよ」

 

 平賀の忠告を軽く流す素振りを見せながらも、小山は自分なりに対Fクラス戦を想定した作戦を考え始めていた。いくらFクラスが格下とはいえ、彼らには不確定因子が集まりすぎている。

 まずは保健体育において無敵の強さを誇る寡黙なる性識者(ムッツリーニ)こと土屋康太。

 彼は他教科に関してはFクラスでも下位レベルの点数しか取れないが、こと保健体育については間違いなく学年最高点を保持している。おそらく彼に対抗できるとすれば、Aクラス所属の工藤愛子くらいのものだろう。彼女も一応保健体育を得意としている生徒だ。……実技が得意っていうのは冗談だと信じたい。

 次に、実力的には学年次席とも噂される姫路瑞希。

 振り分け試験の際に体調を崩したとかなんやらで点数を失い、結果的にFクラスに配属されてしまった不運な生徒だ。身体も弱いし、あの薄汚れた教室ではさぞ辛かろう。だが、そんな彼女も戦争という場においては脅威でしかない。ほとんどの教科が300点を超える怪物っぷりは、生徒達を恐怖のどん底に陥れることだろう。

 そして観察処分者である吉井明久……はおいといて。

 最後に、Fクラスの勝利の鍵を握ると言っても過言ではない生徒、坂本雄二。

 かつては神童と呼ばれて町内で名を馳せていた彼の頭脳は、たとえ不良に成り果てて勉強を疎かにしているとしても未だ健在だ。臨機応変な対応力に誰もが一目置くほどのカリスマ。そして何よりも仲間からの信頼を勝ち取る行動力。そのすべてにおいて彼はずば抜けているといって良いだろう。小山の彼氏である根本恭二でさえも警戒をしているほどである。油断すれば、敗北は必至だ。

 

(これはしっかりと作戦を立てておかないとね)

 

 よし、と拳を握り込んで頷くと、勝利の余韻に浸る仲間達の方に向き直って作戦会議の開始を呼びかける。

 

「皆、勝って嬉しいのは分かるけど、来たるFクラス戦に向けて作戦会議を――――」

「テメェ黒崎! あの時お前が新野とイチャついていなけりゃもっと早く戦争が終わったんだよ!」

「何言ってんだよ進! そもそも進が最初っから遊撃班として敵陣に突っ込んでりゃさらにスムーズに勝てたんじゃないか!」

「言い争いはやめるヨ二人とも! ワタシから言わせてもらえバ、どっちもアホで決着ネ!」

『お前にだけは言われたくねぇよこの味音痴!』

「いい度胸だコラ私に喧嘩を売るとどうなるかその身体に刻み込んでやるヨォオオオオオオオ!!」

「わーん! 三人とも落ち着いてくださーい!」

「…………」

 

 なんだこれ。

 非常にいい気分で仲間達の方を向くと、何やら黒崎と波多野、そしてシェリルが長箒を手にちゃんばら……いや、あの目はマジだ。おそらく結構ガチな感じで仲間割れを開始していた。さっきまで手を取り合ってDクラスと戦っていた彼らの面影はどこかへ逃げ去ってしまい、残るのは背後に闘気を浮かべながら箒をぶつけ合う馬鹿三人と涙目で彼らを止める苦労人新野、そして我関せずといった感じで黙々と参考書を捲る野口だ。ちなみに小山は騒ぎに介入することさえままなりませんです、はい。

 あまりにも唐突な出来事にしばらく思考能力を放棄していた小山だったが、これ以上放っておくわけにもいくまいと判断。一応の事情を把握すべく、なんとか彼らを止めようとしている新野から話を聞くことにした。

 

「すみれ。この馬鹿三人は何が原因で喧嘩を?」

「あ、友香さん! ちょうど良かった波多野君達を止めてください!」

「いや、だから、理由を――――」

「そこの三人! それ以上の横暴は我らが友香さんが許しませんよ!」

 

 だから話を聞きなさいよこのパパラッチ娘!

 叫びだしたくなる衝動をなんとか抑え込む。いけない。ここで怒ったらいつもの私じゃないか。少しは成長したところを見せないと、クラス代表としての威厳がなくなっちゃう!

 ふぅー、と大きくを息を吐き、できるだけ柔和な笑みを浮かべるように心がけつつ優しく言葉をかける。

 

「いったい何があったの三人とも。よかったら一回箒を置いて、詳しく話を――――」

「あぁん!? お前には関係ないだろこの長身女!」

 

 ビキ、と小山の額に青筋が浮かぶ。

 

「ま、まぁそんなこと言わないで、事情だけでも――――」

「そうだぜ代表! これは俺達の喧嘩だ。何気に茶道部所属なギャップ系女子は黙っておいてもらおうか!」

 

 手元の机に若干のヒビが入った。

 

「し、シェリルはそんなこと言わないわよね? 友達だもんね――――」

「ごめんヨ、ユーカ。これは真剣勝負なのデ、短気なユーカに介入されるわけにはいかないネ!」

「…………へぇ、そう」

 

 ゆらり、と何かが小山の背後に浮かぶ。オーラとも覇気とも知れないソレはどこか修羅の形を表しているようにも見えるのだが、気のせいだろうか。彼女の後ろで冷や汗流しながら「ひぃぃ!!」と新野が恐怖しているけれども、彼女の様子に四人が気づくことはない。三人は喧嘩を続け、小山は一人ゆっくりと力を溜めている。

 ――――そして、小山が動いた。

 彼女は実にスムーズに三人に近づくと、まずは無言で波多野の襟首を両手で掴む。

 

「な、なんだよ小山。今はお前の出る幕じゃ――――」

「誰が……」

 

 そのまま身体を捻りながら波多野を引き寄せ、膝の屈伸を利用しつつ腰を落とすと、

 

「誰がっ、長身女よぉおおおおおおおおおおお!!」

 

 双手背負いで彼を全力で床に振り落とした。

 バキィ! というけたたましい音と共に床に亀裂が入り、波多野の身体がゴムボールのようにバウンドする。そのまま数回跳ね続けると、彼は床にうつ伏せになった状態で物言わぬ骸と化した。もはや呻き声すら出せない様子ですっかり消沈してしまっている。

 目の前で行われた惨劇に、シェリルと黒崎の顔に恐怖の二文字が躍った。

 

『ひ、ひぃぃいいいい!?』

「……さぁて、二人とも?」

『は、はいっ!』

 

 二人に背を向けたまま放たれる彼女の言葉に、もはや反抗の意思を見せる余裕さえ失った様子の黒崎とシェリル。地獄の底から這い上がる亡者の如き声で語りかけてくる小山を凝視しながら、為す術もなく直立不動を維持することしかできない。段々と汗の量が増えていくことに気づきながらも、彼女が放つ威圧感に指先一つ動かすことができなかった。

 最後の頼みの綱として、二人はそれぞれの相棒に視線を飛ばすと助けを請う。

 

「すみれ! お前だけが頼りだ助けてくれ!」

「イヤです。だってトオル君私がせっかく止めたのに聞いてくれませんでしたもん」

「イッシン! 後生ネ一生の頼みヨ助けてチョーダイ!」

「却下」

「即答!?」

 

 「あわわわわ!?」とガクガク震える馬鹿二人を他所に呆れた様子で溜息をつく新野と野口。何気に常識人な彼らにとって黒崎達の境遇は自業自得としか思えないので、変に介入するのはやめる方向で結託したのだ。無駄に止めに入って小山の怒りを買うのは得策だとは思えない。それと、これで少しは反省してくれればなと一縷の望みをかけてみる。

 今にも泣きだしそうな黒崎達を見据える小山は波多野の背中を踏みつけると、一切の感情が窺えない無表情で口元だけを異様に綻ばせた。

 

「三途の川を渡るには、渡し賃がいるらしいのよねぇ……」

「なんで!? なんで今三途の川について話してんの代表!?」

「普通は六文だって言われてるけど、現代通貨に換算するといくらくらいなんだろ」

「知らないネ! ていうか、そんなことわざわざ気にしなくてもいいかラ! とりあえずその握り込んだ拳を下ろすところから始めるヨ! 平和に行こウ! Love and peaceネ!」

「……まぁ、三途の川さえ渡らせなければいいだけの話よね」

『一気に地獄まで落とすつもりだこの人ぉおおおおおおお!!』

「歯を食いしばりなさいっ……!」

『いやぁあああああ!!』

 

 やけに深く息を吸いながら腰を落とす小山。彼女に格闘技の心得は無いはずだが、何故ここまで本格的に正拳突きの構えを取ることができるのか理解に苦しむ。純粋な怒りは乙女の限界を瞬時に破壊したのだろうか。恐るべし小山友香。

 彼女の気迫に形容しがたい恐怖を感じた二人は必死に逃走を試みるが、足が床に張り付いたように動かない。最後の望みとして他のクラスメイト達に助けを求めようとするものの、よからぬ気配と危険を察知した彼らは我先にと教室から脱出していた。既に騒ぎの中心にいる六人しかここにはいない。

 結果、二人は死刑。 

 小山の足が床を蹴り、風を切って拳が唸る。

 まずは一人目と言わんばかりに黒崎の鼻先へと吸い込まれ――――

 

「たのもー! Fクラスからの使者として須川亮と坂本雄二が参ったぞー!」

「ほ、ほらユーカ! お客様ネお客様! 対応しなくちゃ駄目ヨ!」

「……ちっ。仕方ないわ……ねっ!」

「ぶげらぁっ!」

 

 突然の来客を好機と捉えたシェリルの機転によって、小山は渋々ながらも黒崎を殴るだけで攻撃の手を止めた。一切の手加減がない右ストレートを顔面に喰らった黒崎は固定式の長机に叩きつけられていたが、彼を心配するものは誰一人としていなかった。ただ、新野だけが若干心配するような目を向けていただけ幸せだろう。ちなみに波多野には意識を刈り取られてから誰も駆け寄ってはいなかった。人間日ごろの行いが大切だということだ。

 騒ぎを鎮める尊い犠牲が払われたのを一切無視して、小山は息を整えるとドアのところで何やら顔を引き攣らせている坂本と須川に歩み寄る。

 

「……それで、我がCクラスにいったい何の御用ですかFクラス代表様?」

「い、いや、その前に色々と突っ込みたいことが満載なんだが……」

「どういった御用ですか代表様?」

「……なんでもない。用件だけ話そう」

 

 死屍累々を地で行くCクラスに何やら近しさと恐ろしさが入り混じったような表情を浮かべる坂本ではあるが、そこはさすがにクラス代表といったところか。すぐに真面目な顔になると、須川を伴ったまま口を開いた。

 

「Dクラスとの模擬試召戦争お疲れ様。というわけで、次の戦争の準備は万全か?」

「まさかとは思うけど、学年最底辺クラスの貴方達がウチに喧嘩を売ろうとか思っていないわよね?」

「ほぅ。なんだ一応予想はしていたんだな。そこは腐ってもクラス代表と言ったところか?」

「……ウチには優秀な参謀様がいてね」

 

 既に息絶えている死体Aに複雑な感情が入り混じった視線を向ける。そう、アイツは役にはたつのだ。ただ、性格面において若干の難があるだけで、総合的な面から見れば優秀なのだ。……たぶん。

 あまりにも情けない側近に不甲斐なさを覚えながらも、ニヤニヤとほくそ笑む坂本の様子を窺う。今彼は「次の戦争の準備」と言った。これは十中八九Cクラスに戦争を仕掛けてくることを指していると見ていいだろう。Dクラスに模擬試召戦争をさせたのは、坂本の指示によるものか。情報収集あるいは戦力の衰弱、そのどちらかが目的だと推測できる。戦争が始まるたびにテストを受けさせられれば、もちろん生徒達は疲労する。直接的な学力では上回っているCクラスといえど、体力勝負に持ち込まれると少々キツいものがある。ただでさえFクラスには体力自慢が揃っているのだし。

 内心Fクラスを警戒する小山にあからさまな笑顔を向ける坂本。その隣で黙っていた須川は彼の目配せに気がつくと、ようやく口を開いた。

 

「えーと、まぁ、俺から言うことは一つなんだが……その前にそこの馬鹿を起こしちゃくれねぇか?」

「波多野を? 別に構わないけど……」

 

 依頼の真意を測りかねるままに波多野を蹴り起こす。

 

「ほら、起きなさいバカ」

「いたっ……お前人を起こすのに頭蹴るなよ頭を」

「顎蹴り上げられなかっただけでもマシと思いなさい」

「……次蹴ったらその着痩せした胸揉みしだいてやるからな」

「っっっ!? ば、バカ! 変なこと言ってないでさっさと須川君と話してきなさい!」

 

 何故かねっとりとした性的な目を向けてくる波多野に全身が粟立った。胸を隠すように両腕を交差させ、彼を睨みつける。突然のセクハラに心臓が高鳴り、顔は自分でも感覚的にわかるくらい真っ赤になっている。今の発言によって昨日の更衣室ハプニングを不意に思い出してしまったのはここだけの秘密だ。

 そう、あんな全裸に近い自分を彼に見られたなんて、そんなこと……。

 

「…………うぅ」

「なんでまた顔赤らめているんですか友香さん」

 

 新野の指摘が今だけは恥ずかしい。放っておいてくれと内心懇願する小山。

 一人羞恥心のスパイラルにすっかり嵌まり込んでいる小山を尻目に、須川と波多野の会話が始まった。

 

「なんだよ亮。お前がCクラスに来るなんて珍しいな」

「いやいや、お前はさっき気絶していたから知らないかもだけど、俺達はCクラスに宣戦布告に来たんだわ」

「え……うぁ、なんだよせめてもうちょっと日が経ってから来いよ。こっちは今日戦争したばっかだってのに」

「すまんすまん。でもさ、まさかお前からそんな弱気な発言が飛び出るとは思わなかったな」

「……なんだと?」

 

 どこか挑発するような須川の台詞に波多野は眉を顰める。口元はヒクヒクと引き攣り、どこからどう見ても苛立っているようだ。あんな小さな挑発に乗せられ始めている波多野に一抹の不安感が浮かび上がってくる。まさか……これは最悪の事態にもつれ込むのではなかろうか。

 小山の心配を他所に、須川は大仰に肩を竦めると、

 

「『面白いことが好き』なんて言っておきながら、連日の戦争を嫌がってんだぜ? 結局普通の騒動を避けようとする一般人の考えじゃねぇか」

「これに関してはクラスが掛かっているからな。俺の独断でそう易々と決めていいもんじゃないんだよ。そりゃあ俺だって戦争はしたいさ。もっと召喚獣だって使いたい。でも、さすがにクラスをわざわざ危険に晒すのはちょっとばっか早計にすぎると思うわけだよ」

「はぁ……つまりは、アレだな。お前はこう言いたいわけだろ?」

 

 瞬間、須川の目がキラリと光ったように見えた。まずい、と小山が言葉を挟もうと口を開けるが、一歩間に合わない。どこか勝ち誇るように八重歯を見せつけながら、須川はできるだけ感情を込めた調子で波多野の地雷を思いっきり踏み抜いた。

 

「CクラスじゃFクラス相手に負けちまうと思って、ビビってんだろ?」

「…………」

「ほら、なんか言い返してみろよ」

「……お」

「お?」

 

 ピク、と波多野の肩が上がり、全身が怒りに震え始める。拳は既に握られていて、後ろから見ていても分かるくらいに力が込められていた。プルプルと小刻みに身体を震わせている波多野の表情は、今まで見たことがないくらいに怒りに染まっていた。

 

(あ、これはもう手遅れだわ)

 

 一年間彼と共に過ごしてきた小山だからこそ分かる。今の状態の波多野はキレる一歩手前だ。こうなった彼を止めることは小山にすら不可能といって良いだろう。なんだかんだで自己顕示欲が強く負けず嫌いな波多野は、ちょっとした挑発や侮辱に対して過剰な怒りを見せてしまうことが多々ある。それこそ、自分で神経質と認めている小山にも引けを取らないほどに。

 はぁ、と額に手を当てて大きく溜息をつく。ふと背後を向けば、悪友達も小山と似たような表情を浮かべていた。だが、呆れたように顔を引き攣らせながらも、小山達はどこか嬉しそうに肩を竦める。

 波多野は何気に短気で、その怒りは誰にも止めることはできない。だが、彼が怒るときは決まって――――

 

「俺達のクラスを舐めてんじゃねぇぞ、この野郎!」

 

 ――――大切な仲間達を、馬鹿にされた時だ。

 目を吊り上げて激怒する波多野に苦笑しつつも、彼の隣に並ぶ。多少は我慢して黙っていたが、さすがに自分のクラスが馬鹿にされるのは我慢ならない。ここはせめてもの抵抗として、能動的に戦争を起こしてやろう。

 ちらと隣に視線を向けると、少々冷静になった波多野がばつが悪そうに小山から視線を背けていた。口をとがらせてそっぽを向いている辺り、頭に血が昇っていた自覚はあるのだろう。

 やれやれ。

 軽く息を吐くと、後頭部の辺りで手を組んでぼんやり突っ立っている坂本に指を突きつける。

 

「我々Cクラスは、Fクラスに対して試験召喚戦争を申し込むわ!」

「いいのか? 俺達はただの雑魚なんだろう?」

「雑魚だろうがなんだろうが関係ない。貴方達はCクラスの誇りにかけて、絶対に倒してみせる!」

「……開戦は明日の昼休み。せいぜい頑張るこったな」

「減らず口ね。そっちこそ、ハッタリかましてんじゃないわよ」

「どうだかな。ま、ご想像にお任せするよ」

 

 軽く鼻を鳴らして教室を出ていく坂本。彼の後を追って須川が教室から姿を消すと、残されたCクラス六人は顔を見合わせて同時に拳を突き上げる。

 

「絶対勝つわよ!」

『おぉーーーっっ!!』

 

 すべての威信とプライドをかけた戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 



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第八問

 Fクラスに宣戦布告を行った翌朝。朝のホームルームを終え、最低限の回復試験を完了させた小山達は教室にて最後のミーティングを開いていた。やはり連日の試験は精神的にクるものがあるのか少々疲れが溜まっているように見えるものの、Fクラスとの決戦を前にしてその表情は戦士のソレだ。Cクラスとして、学年上位クラスとして最下位クラスに負けることは決して許されない。己のプライドを守るためにも、本気を出して挑む必要がある。

 席に座って自分を見る仲間達を力強い眼で見据えると、教卓を両手で叩いて空気を仕切り直す。

 

「作戦自体はいたってシンプルよ。Fクラス代表があの坂本雄二である以上、長期戦はリスクが高い。何か仕掛けられてからじゃ遅いからね。開戦と同時に全軍を突撃させて、速攻で敵本陣を攻め落とすわ」

「ユーカが戦場に出るのはちょっとばかし危ないんじゃないネ?」

「確かに大将が突撃するのは危険だけど、変に防衛部隊を残して兵力を中途半端にするくらいなら全力を注いで一気に坂本君を打ち取った方が良いと思うの」

「まぁ友香さんは私達のクラスでも最高点数保持者ですし、そう簡単に負けるとは思いませんが……」

「だが、姫路さんが出てくるとなるとそうもいかねぇんじゃねぇか?」

 

 新野の言葉に黒崎が反論する。学年次席とも噂されるFクラスの切り札、姫路瑞希。確かに、彼女が最前線に出てくるならばたとえ地力で勝るCクラスと言えども倒されてしまうことは避けられない。教科によっては数人程勝負になる生徒はいるものの、そう都合よく教科選択ができるわけもない。最悪、戦死覚悟で総攻撃をかけるしかないだろう。

 黒崎のもっともな疑問に他の生徒達も頷きを見せる。そんな中で手を挙げたのは、我らが参謀波多野進だ。

 波多野は挙手で一手に仲間達の注目を集めると、小山の隣に立ってホワイトボードに貼られた校舎見取り図を示しながら説明を開始した。

 

「おそらく姫路が出てくるとしたら、最終防衛ライン……旧校舎の入り口だな。そこを俺達が突破した時だろう。それまでは秀吉や島田、亮といった主力部隊で応戦してくるはずだ」

「吉井君は? 僕が聞いた限りだと、彼も何気に強敵らしいんだけど」

「アイツは観察処分者で確かに手強いが、それだけだ。こいつは火力が低いから遠距離部隊に迎撃を任せる。攻撃が当たらなくても怒るなよ。攻撃させないようにしさえすればいい」

「それで、ヒメジはどうするネ?」

「あぁ。姫路に関してだが……こいつに関しては、俺が当て馬になろうと思っている」

「波多野君が、ですか?」

「その通りだ」

 

 Fクラス最強生徒の迎撃に立候補した波多野に新野が怪訝そうな声を上げる。見れば、クラスの何人もが彼女と同じように首を傾げ、波多野に訝しげな視線を向けていた。まぁ、無理もない。波多野は確かに学年全体から見ても成績優秀者ではあるが、それはあくまでも文系科目に関してのみの話だからだ。文系科目が強力な分、波多野は理系科目においては下手すればFクラスとタメを張るレベル。姫路は一応理系に分類される生徒らしいので、常識的に考えれば彼が姫路に対抗することは難しいと言えるだろう。

 波多野は校舎見取り図にマグネットを一つ貼ると、

 

「この磁石は担当教師。今回の戦争における立会教師は社会担当の福原先生だ。今回はこの先生を軍の中心に拘束しつつ、Fクラスに突撃する」

「でも、福原先生はFクラスの担任だよ? 戦争開始時に僕達が先生を捕まえることなんて……」

「その点に関しては問題ない。既に手は打ってある」

 

 パチン、と指を鳴らすと、それまで暇を持て余して突っ立っていた小山がやれやれといった様子で教卓から離れ、教室後方の掃除用具ロッカーに向かう。クラスメイトの注目を一身に受けて少々気恥ずかしさが募るが、目の前のロッカーに収容されている彼のことを考えるともはや溜息をつくことしかできない。

 大仰に肩を竦めつつ、小山は実に気まずい表情で恐る恐るロッカーを開ける。

 

「むーっ! むーっ!」

「ご覧の通り、福原先生は既に俺達の手中だ」

『こいつ最低だぁ――――――――っ!!』

「……ごめんなさい、先生」

 

 猿轡噛まされた上に簀巻き状態の福原先生に軽く謝罪するも、ゆっくりと扉を閉める。寸前に何やら悲鳴らしき呻き声が聞こえてきたが、小山は全力で耳を塞いだ。これはCクラス勝利の為に仕方がないことなのだ。福原先生には非常に悪いことをしている感が否めないが、今回ばかりは我慢していただきたい。

 パタン、と虚しく響くドアの音を皮切りに、波多野は作戦会議を再開する。

 

「とまぁ、社会教師を所持している以上戦闘科目は基本的に社会だと思ってもらえればいい」

「Fクラスが理系教師を用意していたらどうするネ?」

「午後からの授業状況を見た限りだと、物理と化学、後は数学教師の可能性がある。確かに向こうが物理教師を準備してくるとなると、ちょっと危ないかもしれないな」

「ちなみに進よ。今回の物理の点数は何点だ?」

「3点だ」

「あれほど勉強しろって言ったじゃないのこのバカ!」

「アウチッ!」

 

 黒崎の問いに何故か自信満々に答える波多野。もしかしなくても学年最低点を叩き出した馬鹿野郎の後頭部を思いっきり平手で打っておく。

 昨日宣戦布告の後に一応確認はしておいたのだ。理系科目の勉強は大丈夫か、もしよかったら教えてあげてもいい。純粋な親切心(下心がなかったかと言われるとノーコメント)から言ってあげたことなのだが、彼は小山の申し出を拒否した。なんでも「俺を信じろ」とか言っていたのだが……なんだそのザマは。

 叩かれた後頭部を涙目で擦りつつ、波多野はシェリルの問いにようやく答えた。

 

「でもまぁ、向こうが物理教師を用意してきたところで実質的には関係ないんだけどな」

「どういうことヨ?」

「教師が開く召喚フィールドの干渉。去年習っただろ?」

「えぇと、確か、フィールドには範囲があって、それが重なると両方のフィールドが消滅してしまうって仕組みでしたっけ」

「その通り。さすがは新野だな」

 

 頬に手を当てながら教科書通りの説明をしてくれる新野に波多野は軽く頷きを見せる。

 

「物理の召喚フィールドが展開されている範囲に社会の召喚フィールドをぶつけて干渉、相殺するという作戦だ。これなら少しだけど時間と隙が生まれるし、その間に姫路をやり過ごすことができる」

「でもそんなうまくいくかなぁ。向こうは向こうで、そのことに対して作戦があるかもしれないよ?」

「野口の心配ももっともだが……まぁ、その辺は臨機応変に対応するさ。あまり気にしすぎても仕方ないだろ?」

「そうだけど……」

「大丈夫。いざとなりゃ俺がどうにかするさ。それに……」

 

 不安げに質問を繰り返す野口をなだめるように捲し立てると、波多野は一度言葉を切った。そして目の前の仲間達を見渡し、精一杯の笑顔を浮かべながら言い放つ。

 

「俺達は最強、だろ?」

「……なにアホ言ってんのよバカ波多野」

「うるせー。ほら、最後にお前が一つ挨拶しろよな。小山友香代表?」

「副代表のくせに生意気なのよ」

「生まれつきだ」

 

 ニカッと相変わらずの幼い調子で笑みを見せる波多野に、小山は肩を竦めながらも苦笑する。どんな状況でも最後に自分を立ててくれる彼の優しさに、小山は安らぎにも似た感情を抱いていた。常にギブ&テイクに物事を進める根本とは違う、無償の優しさ。喧嘩仲間ながらもいつも自分を気にかけてくれる波多野は、小山にとってもはや大切な存在になり始めている。

 

(……そろそろ私も、覚悟を決めないとね)

 

 ここ最近顕著になってきたとある決心(・・・・・)を再確認しつつ、波多野がどいた教壇に立つ。視線の先には、49人の仲間達。今年一年を戦い抜くかけがえのない戦友達が、期待と不安の入り混じった表情で小山をじぃっと見つめていた。今自分にできるのは、彼らの不安を拭うこと。絶対に勝利を掴む為、士気を上げることだ。

 横目に波多野をちらりと見ると、彼は柔和な笑みを浮かべて小山に向かって親指を立てていた。その普段と変わらない姿に、不思議な安心感を覚える。

 ――――よし。

 大きく胸を張り、深呼吸。クラスメイト達をしっかりと見据えると、できるだけ声を張る。

 

「相手は学年最底辺のFクラス。でも油断できる相手じゃないことは皆も分かっているはずよ」

 

 小山の確認に、全員が首を縦に振った。

 

「今回は何が何でも勝たないといけない。格下だからって舐めてかかっちゃ足元を掬われるわ。常に全力、手加減や手抜きなしで精一杯頑張りましょう!」

『おぉーっ!』

「私達Cクラスの誇りにかけて、この戦争……絶対に勝ちに行くわよ!」

『よっしゃぁあああああああ!!』

 

 ある者は拳を天に突き上げ、またある者は大声をあげて自信を奮い立たせる。それぞれがCクラスの勝利を願い、奮闘することを誓っていた。

 勝とう、絶対に。

 隣で人一倍声を張る副代表に視線を向けながらも、小山は心の中で固く決心するのだった。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 開戦まで残り三十分まで迫った休憩時間。小山はクラスメイト達に教室を空けることを伝えると、階段の踊り場でとある人物を待っていた。先程その人物からメールで頼まれたのだ。()は小山にとってもそれなりに重要な関係を持つ人物だったので、無視はできなかった。それに、小山自身も彼に伝えなければならないことがあった。

 手持ち無沙汰に壁に凭れ掛かっていると、件の人物が現れる。

 

「よぉ、友香。ちゃんと来てくれたんだな、嬉しいよ」

「……まぁ、一応。アンタの彼女だし」

「一応、ね。つれないなぁ。中学校からの仲だろ? そんなに邪険にするなよ」

 

 不機嫌さを隠そうともしない小山にヘラヘラとした笑いを返す男子生徒。どこか他人を小馬鹿にしたような表情を浮かべる彼の名前は根本恭二。Bクラス代表であり、小山の彼氏でもある少年だ。だが、周囲からの彼への評価は結構低い。

 試験にカンニングは当たり前。喧嘩の際には凶器を用い、相手に一服盛る事さえ厭わない。などなど。

 さすがにそのすべてが事実だとは思わないものの、そう噂されるのが不思議ではない程に卑怯で卑劣な男なのだ。

 根本は左手をズボンのポケットに突っこんだまま、話を続ける。

 

「今からFクラスとの試召戦争だろ? せっかくだから激励でもしてやろうかと思ってな」

「それはどうも。でもこんなところで油売ってる暇があるワケ? もし私達が負けた場合、次は根本君達のクラスが狙われる番だと思うけど」

「たとえBクラスが狙われたところで、あんなクズ共に負けるわけがないだろう? それに今回は友香達が勝つんだ、その心配はないと思うけどね」

「それは、そうだけど……」

「それよりも心配なのはCクラスだな。Fクラスよりは優秀だとしても、所詮は平均点レベルの生徒が集まった無能集団だ。変に油断して負けられるとこっちが困る」

「……どういう意味よ」

「友香は俺の彼女だろ? お前が代表を務めるクラスが最底辺の馬鹿共に負けたとなりゃ、俺の株も下がるんだよ。そこんところ、肝に銘じておいてくれないか?」

 

 完全にCクラスを見下した発言に、小山は思わず拳を握り込んでしまう。

 結局のところ、根本恭二は常に損得勘定で生きる人間なのだ。他者を自分の駒としか考えない、ずる賢い男。自分の目的のためなら平気で他人を傷つけることも厭わない、最低な人間。

 中学生からの腐れ縁でずるずると交際関係を続けてきたが、もう限界だった。恋人であるはずの小山のことも、目の前の男は所詮都合のいい女としか思っていないのだろう。愛よりも利をとる根本のことだ、そう考えていても不思議ではない。

 内心怒りに煮えくり返りながら根本を睨みつける小山。そんな彼女をどこか愉快そうに眺めつつも、根本はまったく懲りない様子で口を開く。

 

「おいおい、そんな怖い顔するなよ友香。大好きな彼氏様が怖がっちゃうぜ?」

「……ねぇ根本君。ちょっと、いいかな?」

「何だ? 愛の言葉なら、放課後にいくらでも聞いてやるが」

「私と、賭けをしましょう」

「賭け?」

「えぇ」

 

 小山の提案に根本が怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「この戦争に勝ったら、私達はBクラスに試召戦争を仕掛けるわ。その戦争で勝った方は負けた方の言うことをなんでも一つだけ聞く。どう? 悪い話じゃないでしょう?」

「……なるほど、まぁ、良い提案だな」

 

 負けた方が一つだけ命令を聞く、という部分に何を思ったのか、普段の三割増しで邪悪な笑みを浮かべる根本。薄気味悪い彼にどこか恐怖を覚えるが、表情に出ないようにポーカーフェイスに努める。

 別に賭けを行う必要はなかった。伝えたいことをこの場で言って、関係を終わらせてしまえばそれでよかった。無駄にリスクを負って、小山自身が損をする確率を上げる必要もなかった。

 だが、小山はあえて賭けという条件を出した。本来ならば不必要な段階。しかし、彼女はこうした方が良いと思った。

 なぜなら。

 

(こうした方が、面白いものね?)

 

 憎めないトラブルメイカーな悪友を脳裏に浮かべると、自然と口元が綻んだ。どうやら自分はあのお騒がせバカに相当影響を受けてしまっているらしい。常に防衛思考だったはずの自分が、彼と過ごすうちにいつの間にかここまで無謀な考えをするに至っている。バカだなぁ、と自嘲気味にこっそり呟くが、今はその自嘲さえも心地よかった。

 一人表情を和らげる小山を訝しげに見ながら、根本は「だが」と話を切り出す。

 

「そんな重大なことを代表一人の一存で決めていいのか?」

「それは……」

「俺は別に構わないけどな。だが、そんな自信満々に宣言しておいて、クラスの奴らに反対されたから駄目でしたとか言われちゃこちとら迷惑なんだよ――――」

「それについては問題ねぇよ、Bクラス代表様」

「……誰だ」

 

 不意に飛び込んできた声に根本だけでなく小山までもが視線を向ける。階段の最上部――――三階部分から、小柄で黒髪の生徒が不敵な笑みをその顔に湛えて小山達を見下ろしていた。その見覚えがありすぎる風貌に、小山は思わず彼の名前を呼んでしまう。

 

「はた、の?」

「よぉ小山。もうすぐ開戦だから呼びに来たんだが……取り込み中だったか?」

「いや、まぁ……一応」

「……そんなことはどうでもいい。波多野、さっきの言葉はどういうことだ?」

「どういう事も何も、言葉の通りだが」

「なに?」

 

 睨みを利かせる根本にまったく動じることもなく、波多野は彼を真っ直ぐ見据えるとニヤリと笑って言葉を返す。

 

「ウチのクラスはあぁ見えて結構仲間思いでさ。友達の頼みはできるだけ聞いてやろうって皆思ってんだよ」

「…………」

「それに、小山は俺達のためにいつも頑張ってくれてんだ。そんなコイツの頼みを、俺達が無下にするワケないだろ?」

「波多野……」

「一応さっき全員に聞いておいたんだ。『小山がもし何かを頼んで来たら、聞いてくれるか?』って。答えは満場一致で『イエス』だってよ。よかったな小山、お前、皆に愛されてるぜ」

「……バカ。余計なことしてんじゃないわよ」

「まぁ、そういうわけだからさ。せいぜい首を洗って待っておくことだな」

「ケッ。Cクラス如きが勝ち誇ってんじゃねぇよバカ共が。無様な醜態晒さない内に謝っておくことをお勧めするぜ」

「残念。お前に下げる頭なんてウチの奴らは誰一人持っちゃいねぇよ。勿論、そこの不器用な代表様もだ」

「……覚えてろよ、波多野進」

「忘れるまではな」

 

 小者めいた捨て台詞を残して教室に帰っていく根本に挑発を繰り返す波多野。そんな彼の隣で様子を見守っていた小山は、浮ついた気持ちを抑え込むのに全力を注いでいた。

 おそらくCクラスの皆にそんな質問をしたのは、彼なりに小山のことを考えた結果だろう。面白いこと最優先な考えがあったかどうかは分からないが、たぶん波多野は彼女の考えを見通した上で仲間達に聞いたのだ。もしかしたら小山が根本と接触した時点で、ある程度予想していたのかもしれない。この一年間ずっと自分の隣にいた彼ならば、小山の考えを見越していたとしても不思議ではない。

 結局、全部バレていたのだ。

 

「小山」

 

 不意に名前を呼ばれ、はっと視線を向ける。自分より少し下の位置から放たれるその声は、普段の彼らしくない真剣なものだ。いつも楽しそうに、明るく叫びまくっている彼とは違う、シリアスな雰囲気。

 波多野は横顔で軽く小山に微笑みかけると、いつになく真面目な調子で言った。

 

「勝つぞ」

「……えぇ」

 

 相変わらず妙な安心感に溢れた彼の言葉に心臓の高鳴りを感じつつ、小山は大きく頷きを返した。

 

 

 

 

 



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第九問

 Fクラス戦、開戦です。


 昼休み終了のチャイムが鳴る。それは同時に、Fクラスとの戦争が始まる合図でもあった。

 

「お前達、準備はいいか?」

 

 集団の先頭で廊下の様子を探っていた波多野が旧校舎側を見据えたまま背後の仲間達に問いかける。他クラスは授業中のため、応答は叫び声ではなく静かな呟きで返ってきた。だが、声は小さかろうとも彼らのやる気は十二分だ。かつてないほど高い士気に波多野は満足そうに頷くと、相変わらずの笑みを浮かべる。そんな彼を集団の中心部から眺める小山もまた、心なしか表情が綻んでいるように見えた。

 実際、小山は内心上機嫌である。先程の根本との密会で波多野が自分の為に彼と対峙してくれたことが非常に嬉しかったのだ。予想していなかった分、その喜びは平生の数倍と言って良いだろう。

 しかし、ここで気持ちを浮つかせるわけにはいかない。Fクラス戦に集中しないと、Bクラスに戦争を仕掛けるどころの騒ぎではなくなってしまう。そうなれば、小山が根本との関係を終わらせる機会の一つを失ってしまうことにつながる。別に賭けとは無関係に別れを切り出してしまえばいいのかもしれないが、あのような形式を提案した身としてはその行為は逃げのようで嫌だった。根本恭二に勝利し、後腐れなく決別する。それが小山の願いであり、決意だ。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。よし、と軽く呟くと、拳を握って気合を入れる。

 ちょうど小山が息を吐き終わるくらいに、波多野が扉を三度叩く音が聞こえた。それと同時にクラスメイト達は息を整え、突撃の準備に入る。今回は速攻戦。どれだけ速く敵陣に乗り込めるかが勝利の鍵となる。

 

「ろ、廊下はあまり走らないでくれると嬉しいんですけどね……」

「ごめんなさい福原先生。でも、今回は見逃してください」

 

 小山の隣で遠山平太と榎田克彦によって担ぎ上げられている福原教師が苦笑気味にぽつりとそんなことを漏らしていたが、小山は謝罪と同時にスルーを要求。彼も素直に要求を聞いてもらえるとは思っていなかったのか、頭を下げる小山に「私のことは放っておいて、精一杯やってくださいね」と優しく微笑みかけてくれた。さすが何年もFクラスの担任教師を務めていただけのことはある。器の広さが素晴らしい。

 

「よし、行くぞ皆」

 

 波多野の呼びかけに、小山は慌てて前方に向き直った。今は余所見をしている場合ではない。集中して、一丸となって戦わないと。

 じっと波多野の方を見る。彼は一人先に教室から一歩踏み出すと、合図として右手を突き上げて大声で叫ぶ。

 

「全員で突撃作戦……名付けて【スイミー作戦】、始動ぉおおおおおおおおお!!」

『行くぞぉおおおおおおおおおお!!』

「え、えーと……おー」

 

 初めて耳にする作戦名に呆気にとられてしまった小山はイマイチ仲間達のテンションに乗り切れずに引き攣った笑みを漏らしてしまう。鬨の声をあげながら全力疾走を始める彼らの中心で、彼女は必死に足を動かしながらもこんなことを一人考えてしまうのだった。

 

 作戦名……もっとマシなの無かったの?

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 渡り廊下、新校舎側入口。

 

「来たわ、Cクラスよ!」

「総員、構え!」

『おーっ!』

 

 旧校舎への道を守るようにして立ちはだかるのは、島田美波と木下秀吉が率いる先遣防衛部隊だ。基本的に軍力で劣るFクラスは大概の場合防衛線を主としており、戦力分割の際にもより適切な防衛網を築けるような班分けをするようになっている。時間を稼いで策を弄する。それがFクラス代表坂本雄二の基本戦術だった。

 だが、先日のFクラス対Dクラス戦について情報収集を担当した新野から話を聞いた波多野は坂本の戦術を大まかにではあるが分析している。彼が戦力の低いFクラスをどう活用し、勝利に導くか……何種類かの予測をしたうえで、彼は今回の作戦を提案しているのだ。その作戦はいたってシンプル。

 突っ込んで、押し潰せ。

 

「福原先生、村田奈々がFクラス横溝君に現代社会で勝負を挑みます!」

「承認します」

「くっ、試獣召喚!」

「試獣召喚!」

 

 先陣を切るのは、村田を初めとした比較的文系科目が得意なメンバー達。波多野は対姫路戦のジョーカーなので少し後方に移動している。第一陣は、六人からなる少数舞台だ。

 村田に続くようにして、残り五人も召喚獣を呼び出す。まだ敵側には懸念していた理科系教師が到着していないのか、なにやら苦い表情で召喚を行っている。もしかすると、理系が得意な集団が防衛を行っているのかもしれない。防衛隊長の島田美波も、確か得意科目は数学だったはずだ。

 出現した召喚獣の点数が表示される。

 

『Cクラス 村田奈々 VS Fクラス 横溝浩二

 現代社会 189点  VS      67点  』

「覚悟っ!」

「げぇっ!? くそ、物理教師はまだ来ないのか!?」

「持ちこたえるんじゃ! できるだけ回避に徹し、持久戦に持ち込め!」

「そうは問屋が卸さないぜ! 横尾、岡島!」

「行きますわよ!」

「アタイらに任せとかんかい!」

 

 時間を稼ごうとするFクラス防衛班。回避に専念することで戦力を削ごうとしているようだが、元々点数では圧倒的にCクラスが勝っている。たとえ人数で押されようとも、生徒の質で優れていることに変わりはない。十五人ほどの防衛班に対して、六人の突破部隊は大盤振る舞いといっても過言ではなかった。

 先程村田と同時に召喚した清純系大和撫子こと横尾知恵と関西元気娘こと岡島久美が秀吉達防衛班を相手取っていく。一人当たり二人とちょっとばかりの不利な戦いだが、点数的にはダブルスコアを誇る彼女達は押し負けるどころか徐々にFクラス生徒達の点数を刈り取っていた。一人、また一人と補習室へと送られていくFクラス防衛班。

 Cクラス軍は少しずつではあるが、着々と旧校舎への進軍を果たしていた。

 

『Cクラス 横尾知恵 & 岡島久美 VS Fクラス 福村幸平

 現代社会 195点  & 168点  VS       52点 』

「まずは一人ですわね!」

「もろうたで!」

「ぐ、ぐぁぁぁああ!!」

「こっちに来いこの負け犬が! 補習室に連行だ!」

「いやぁあああ!! 誰かっ、助け――――」

「ぬぅっ……少々、キツい戦いじゃのう……!」

「一度退いて第二部隊と入れ替わりましょう、木下!」

「了解じゃ! 第一防衛班、撤収!」

「よし、チャンスだ! 一気に押し進め!」

 

 人数が三分の一ほどにまで減少してしまったFクラス防衛班が撤退を始める。一応殿として秀吉と武藤啓太が残っているようだが、所詮は学年最低レベルの二人だ。Cクラス六人を相手にして戦うことは難しいらしく、攻撃を捨てて操作のすべてを回避に注いでいる様だった。

 村田のクナイや岡島のハリセンを秀吉が薙刀で払い、横尾の鉄扇を武藤が金棒で受け止める。

 

「ちょこまかと鬱陶しい!」

「アンタ、早いとこやられた方が楽やで!」

「そうもいかんのじゃよ。ワシらの任務はお主達の足止めじゃ。その為には、一秒でも長く戦闘を続け、戦力を一人でも削ぐ必要がある!」

「というわけで、ちょっとばかし付き合ってもらうぜ、Cクラス!」

「くっ……ここはわたくし達だけで充分ですから、代表様達は早く先へ進んでください!」

「分かったわ! 波多野!」

「全軍、第一陣の間を抜けて旧校舎に入れ!」

 

 第一部隊の六人に秀吉と武藤を任せて、小山達は旧校舎へと進む。相手は格下のFクラス、その上人数で勝っているのだから、村田達が負ける理由はない。さっさと倒して、本陣に合流してくるだろう。

 旧校舎に入るや否や、目の前に二十人ほどの部隊が小山達の前に立ち塞がった。

 

「ここから先は、絶対に通さねぇぜ!」

「亮……!」

 

 第二防衛班の先頭で自信満々に胸を張るのは、波多野の幼馴染である須川亮だ。刈り上げた髪が特徴的な、中肉中背のFクラス生徒。クラス内では結構上位の成績を持っているのか、部隊長を務めているようだ。彼の足元で棍を構えている召喚獣が強い意志を湛えた双眸でCクラス軍を睨みつけている。

 須川が召喚獣を繰り出すと、背後に控えていたFクラス生徒達も次々と召喚を行っていく。

 

『Fクラス 須川亮 現代社会 61点』

 

 理系科目を得意とする須川はやはり現代社会の点数は低い。これならば、Cクラス一人で充分相手取ることができるだろう。

 だが、ここでマトモに彼らの相手をしている暇はない。今回は速攻戦。そのために、ここは最少人数に任せていち早く突破しなければ。幸い点数が高そうな切り札的生徒は見当たらないので、一気に通り抜けることができるだろう。

 

「第二陣、前へ!」

「太田廉が須川亮に勝負を申し込みます! 試験召喚!」

『Cクラス 太田廉 VS Fクラス 須川亮

 現代社会 157点 VS      61点 』

 

 太田の召喚獣が鉄製のトンファーを振りかぶって須川に襲い掛かる。だが須川は攻撃を予測していたのか、棍を頭上に掲げると二本のトンファーをまとめて防いだ。

 点数では勝る太田が力任せに押していく。須川は徐々に後退していたが、棍を咄嗟に縦に持ち直すことで力を分散させ、攻撃をいなした。

 

『Cクラス 太田廉 VS Fクラス 須川亮

 現代社会 146点 VS      47点 』

「面白くありませんね」

「こちとら毎回崖っぷちの戦いやってんだ。この程度の点数差で負けるわけにはいかねぇな!」

「減らず口を!」

「打倒Aクラス! てめぇらなんか眼中にねぇんだよ!」

 

 挑発に乗った太田がトンファーをべらぼうに振り回す。しかし狙いもなく放たれる攻撃にむざむざ当たる須川ではない。棍を巧みに操ってトンファーを弾きつつ、隙を見て召喚獣の顔を中心に攻撃を加えている。

 とても考えられない召喚獣の操作技術に、太田だけでなく波多野までもが舌を巻いた。

 

「なんでそんなに上手いんだよ!」

「前回のDクラス戦で俺達がただ我武者羅に攻めていたとでも思ってんのか? 吉井の動きを真似して、操作技術の向上を狙ってたんだよ!」

「くそっ、鬱陶しい……!」

「点数じゃまず勝てねぇからな! 操作技術で実力を補わせてもらうぜ!」

 

 棍を振るい、太田を壁際に追い込む須川。

 思わぬ苦戦に波多野が表情を渋くさせるが、周囲を見渡すと第二陣は思っていた以上に苦しい状況に陥っていた。

 点数で負けることはない。二倍、あるいは三倍の差があるのだから、地力で言えばCクラスが断然有利だ。

 だが、そこに操作技術が加わると戦況は分からなくなる。

 以前のDクラス戦は先手必勝、つまりは技術向上なんて言った目標を一切掲げずに敵を倒すことだけを考えていた。模擬戦争だったから早く終わらせたいという思いもあったが、今考えるとあの時に操作を練習しておくべきだったと後悔の念が残る。

 常に上位クラスと戦わなければならないFクラスは、最初から操作技術の向上を視野に入れて戦争をしていたという事か。

 

「どっせぇええええい!」

「ちぃっ……!」

『Cクラス 太田廉 VS Fクラス 須川亮

 現代社会 54点  VS      42点 』

 

 素早い動きに撹乱されている太田は大幅に点数を失い、今では須川とほとんど変わらないくらいになっていた。予想外の展開に太田は慌てた様子で召喚獣に指令を与えるが、そもそも心を乱されている時点で彼に勝機はない。精神的なプレッシャーは思った以上に自分の動きを阻害する。

 まずいわね、と小山は混乱の渦中にある軍の中心で歯噛みした。これでは足止めを食らって突破どころではない。そもそも人数が多すぎるので、Fクラス防衛班をどうにかしてしまわないとFクラスの教室までたどり着くことができない。このままでは持久戦に持ち込まれてしまう。

 

「くそぉおおお!!」

「あばよ、とっつぁん!」

 

 不意に太田の悲鳴が響く。気づけば彼の召喚獣は点数を失い、光の粒子となって消え去っていくところだった。いつの間にか第二陣は戦力を半分ほどに落としてしまっている。対してFクラス防衛班はせいぜい三人が戦死した程度のダメージだ。まだ防衛には十分な人数が残っている。しかも先程の第一防衛班と比べると、全体的に操作が上手な生徒が集まっているように思える。最初に油断させ、後で大打撃を与える作戦だったか。

 

(なんとか、なんとかしなきゃ……!)

 

 頭をフル回転させて必死に対策を練ろうとするものの、既に焦りまくっている今の小山が起死回生の妙案を生み出せるわけもない。ただひたすらに負のスパイラルに囚われ、どうしようもなくなってしまう。

 いくつか作戦は浮かぶが、そのどれもが穴だらけの下策だ。今の状況を一変させられるほどの効果を持ったものではない。仮に実行したとしても、その場合自軍に甚大な被害が出てしまう恐れがある。そうやすやすと行える作戦ではなかった。

 徐々に減っていく生徒達を見ながらも何もできない自分に嫌気が差す。あまりの悔しさに拳を握って唇を噛みしめてしまうが、そうしたからといって状況が変わるわけでもない。

 ちくしょう、と一人吐き捨てるように呟く。

 ――――その時だった。

 

「Cクラス副代表、波多野進。現代社会でここにいるFクラス生徒全員に勝負を挑むぜ!」

 

 突如として放たれた名乗りに小山は弾かれるように顔を上げた。視線の先に映るのは、本軍を背中に庇うようにしてFクラス相手に立ちはだかる我らが副代表。須川達に指を突きつけて啖呵を切るその姿は、まるで窮地に現れたヒーローのようだ。小柄ながらも、彼の背中は小山に謎の安心感を与えてくれる。

 彼女に背を向けたまま、波多野はぽつりと呟いた。

 

「お前は、俺が守るから」

「え……?」

「いくぜ、試獣召喚!」

 

 不意に届いたそんな台詞に呆気にとられる小山を他所に、波多野は大声で召喚獣を呼び出した。

 

 

 

 

 

 



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第十問

 駆け足です。申し訳ない。


「試験召喚獣、試獣召喚(サモン)!」

 

 Fクラス軍からCクラスを守るように先頭に立った波多野の呼びかけに応じて召喚獣が顕現する。身の丈ほどもある大きな盾に騎士鎧という格好をした召喚獣を足元に従えると、彼はニィと不敵な笑みを浮かべた。決して有利とはいえない状況下で笑う波多野を怪訝に思ったのか、須川が密かに眉を顰めた。

 

「全員を相手にするとは、いくら点数に自身のあるお前でも少々キツイんじゃねぇのか?」

「そんなことはないさ。相手が何人いようが所詮は学年最底辺クラスの成績保持者だ。確かにお前達の連携とチームワークには目を見張るものがあるが、別に俺の敵じゃあない」

「へぇ……さぞかし良い点数を取ったんだろうなぁ?」

 

 挑発も兼ねた須川の問いかけに言葉を返さず、ただ口元を吊り上げて反応する波多野。そのあまりにも厚顔不遜な様子にFクラスメンバーが次々と疑問の声を上げ始めるが、それでも波多野はあくまで無言を貫き通していた。

 召喚獣が顕現し、数秒遅れて点数が表示される。数字の羅列が召喚獣の頭上に浮かび上がった瞬間、敵味方を問わず様々な意味合いを込めたどよめきが広がるのだった。

 騎士鎧を身に纏った召喚獣が大盾を敵前に構える。

 

『Cクラス 波多野進 VS Fクラス 二十人

 現代社会 658点  VS     平均67点』

「ろ……六百点オーバーだと!?」

「馬鹿なっ! 下手すると学年最高点だぞ!」

「進、テメェ……ッ!」

「……見たかよ、Fクラス。絶対的不利な状況の中で単騎活路を開く救世主。この戦争において、これ以上ない程面白い展開じゃないか!」

 

 驚愕するほどの高得点にFクラス勢が目を丸くして呻く中、波多野は一人両手を広げて高笑いを続けている。その姿は勇者一行の前に立ち塞がる魔王そのもの。試行錯誤を繰り返して勝ち抜いてきた集団を力でねじ伏せる暴力的な存在。今の波多野は、まさにそんな『力』の根源とも言えた。

 あまりの点数差に戦慄の表情を浮かべる相手戦力を前にして、波多野進は再び冷酷に裂けるような笑みを浮かべる。

 場の空気が凍りつく様子を楽しむように喉を鳴らすと、彼はゆっくりと右手を振り上げ――――

 

「『衝撃波』!」

 

 轟! と空気を切り裂くけたたましい音を上げながら一陣の烈風が――――いや、烈風の塊とも言うべき巨大な衝撃波が波多野の召喚獣が持つ盾から放たれる。廊下全体を埋め尽くすほどの衝撃波は彼の目前で臨戦態勢に入っていたFクラス生徒達の召喚獣を根こそぎ巻き上げ、天井や壁、床に次々と叩きつけていく。逃げることはおろか防ぐことすら許されない暴力の嵐はFクラス防衛班の戦力を完全に奪い、瞬く間に全員の召喚獣を戦死させていた。

 

『…………は?』

 

 一瞬、旧校舎から完全に音が消える。沈黙が支配する空気の中で両クラスの生徒達がようやく口に出したのは、もはや言葉ともいえない気の抜けたような疑問の声だ。今目の前でいったい何が起こったのか。誰もが眼前の光景を信じられないと言わんばかりに目を見開き、呆気にとられている。かくいう小山も例外ではなく、ぽかんと間が抜けたように大口を開けて波多野の所業を眺めていた。

 奇妙な静寂が旧校舎を支配する中、突如として波多野が叫んだ。

 

「何やってんだ小山! 今の内にFクラスに行けよ!」

 

 はっと弾かれるように我に返る。そうだ、元はと言えばそういう作戦で、波多野は自分達の突破口を開くためにわざわざ召喚獣を呼び出したのではないか。ここで無様に立ち止まっている余裕はない。今は一刻も早く敵陣に乗り込むことが先決だ。

 波多野の言葉に導かれるようにして、Cクラス生徒達が次々と廊下をFクラスの教室に向かって走っていく。波多野の腕輪の能力によってほとんど壊滅状態に追い込まれたFクラスが戦況を立て直すことは最早容易ではない。かろうじて生き残った残存勢力がCクラス軍に攻撃を加えるが、それも些細な攻撃力だ。地力で勝るCクラスが痛手を負うほどではない。

 これなら行ける。白星を勝ち取れる。

 誰もがそう確信した。ここまで来れば負けはない。絶対に勝てる。

 

「そこまでです! ここから先には絶対に行かせません! 試獣召喚!」

 

 Fクラスの教室から慌てたように廊下に飛び出てくる桃色髪の美少女。名を姫路瑞希という学年次席レベルの才女が目の前に現れても小山達が動じなかったのはそんな確信があったから。彼女と共に廊下に出てきた物理教師の召喚フィールドが福原教師の現代社会フィールドと相殺し、大剣を抱えた姫路の召喚獣が霧散していく。

 召喚フィールドの干渉。作戦会議で波多野が言っていた通り、理系科目を打ち崩すことに成功。

 

「そんなっ……こんな力任せだなんて!」

 

 あまりにも原始的な突破法に悲痛な声を上げる姫路だが、召喚獣を使役していない今の彼女にCクラスを止める術はない。大挙して押し寄せるCクラスの大群に巻き込まれないように教室の扉から退くことくらいしか、姫路瑞希にできることはない。

 波多野を先頭にして、Fクラスの教室へと侵入する。カビの生えたボロボロの畳を踏みしめつつ進んだ先には、目に見えて慌てる間抜けそうな少年と気怠そうに寝転んでいる赤髪の少年の姿があった。『観察処分者』の吉井明久に、Fクラス代表の坂本雄二だ。

 

「ど、どうしよう雄二! Cクラスに囲まれちゃったよ!?」

「落ち着け明久。ただでさえ見るに堪えないアホ面をさらに歪ませるんじゃない」

「キサマ! この期に及んで僕を貶すんじゃないよ! 状況分かってんの!?」

「……そうだな。まぁ、ピンチと言やぁピンチだな」

 

 ギャーギャー騒ぎ立てる吉井に軽口を叩きながらも、坂本はどこまでも飄々とした楽観的な表情を浮かべて波多野達を見据えている。そのあまりにも場違いな態度を不審に思った波多野は、わずかに眉を顰めると警戒心を隠そうともせずに坂本に声をかけた。

 

「おいおい坂本代表よぉ。お前が神童って言われて頭良いのは知っているが、今の状況が分からないほど馬鹿だとは思わなかったぜ?」

「へぇ、随分と勝ち誇ったご様子だなCクラス副代表さんよ」

「そりゃあな。姫路瑞希も突破した。教室には観察処分者の吉井しかいない。加えてこの大人数だ。多勢に無勢どころの騒ぎじゃない。勝ち誇って当然の状況だろ?」

「確かに。こいつは結構な窮地だ」

「……随分と余裕じゃないか」

「そう見えるならそうなんだろうよ」

 

 あくまでも余裕の表情を崩さない坂本にCクラス生徒達から戸惑いの声が上がり始める。坂本は基本的にハッタリと巧みな策略で知られているが、もしかすると今の態度もハッタリなのではないか。いや、それとも今回こそは何か作戦があるのかもしれない。そんな思考に囚われ、困惑の表情を浮かべるCクラス。

 そんな彼らを前にして、坂本は周囲に気づかれない程に小さく笑みを零す。

 

「なぁ波多野。今回の戦争についてだが……なんで俺達がわざわざCクラスなんかに勝負を申し込んだと思う?」

「そんなの……Aクラスに勝つための布石作りじゃねぇのかよ」

「まぁ確かに、そういう考えもあるな。だが、正確には正解じゃあない」

「なんだと?」

「そもそも俺達にとって、今回の戦争は回り道みたいなものだ。Dクラスを倒したのに同程度のCクラスに挑む意味があるか? そんなもんは無駄でしかない」

「……待てよ。じゃあ、お前らはなんでこの戦争を……?」

「牽制さ。Cクラスには懸念すべきイレギュラーがいるからな。なぁ? 波多野進さんよ」

 

 学力平均レベルで特にこれといった長所を持たないCクラスにおいて、切り札ともいえる特別な存在が波多野進だ。Aクラスにも劣らない文系科目は他クラスにとっては驚異でしかない。坂本がわざわざ遠回りをしてまでCクラスを牽制するほどの実力が波多野にはある。

 だが、ずっと二人の話を聞いていた小山は一つ疑問に思った。

 なぜ坂本は、自分達にこんな話をするのだろうか。

 追い詰められたから苦し紛れに目的だけでも話しておくというのはあながち不自然でないわけでもないが、現在の彼に別段追い込まれた様子はない。あたかも均衡、いや、それ以上の戦況であるかのような余裕を見せている。波多野との会話でも彼を挑発するくらいだ。隣で慌てふためいている吉井明久の方がよっぽど正しい態度を見せていると言えるだろう。吉井を見るに、Fクラスにこれ以上の策はないはずだ。

 しかし、だったら坂本の余裕っぷりは何なのか。大量のCクラス勢を前にしても眉一つ動かさない坂本に、小山は心なしか気圧されてしまう。

 

(このまま放っておくと何か危険な気がする。早く倒した方が良い)

「波多野」

「分かってるよ、小山。ここまで追い込んだんだ。後はお前が直々に引導を渡してやれ」

「おっと、代表対抗戦か? いくら格上とはいえ、悪鬼羅刹を相手にタイマン張ろうとは少々無謀な気がするがね」

「減らず口もここまでよ。後で吠え面かいても知らないんだから」

「肝に銘じておくよ。……っと、そんなに時間もないんだ。さっさと召喚しよう」

「えぇ、試獣召喚」

「試獣召喚っと」

 

 坂本に促されるように召喚呪文を唱える小山。彼女の声に応じて足元に展開された魔法陣から巫女服に身を包んだ召喚獣が三叉槍を持って飛び出してくる。対する坂本の召喚獣は白染めされた改造学ランにメリケンサックだ。どこの不良学生だよと心の中で思わずツッコミを入れてしまう。

 

 ――――この時、小山友香は一つの間違いを犯していた。

 

 坂本の言葉に釣られてそのまま召喚を行った小山だが、彼女はこの時大切なことを忘れていた。それは作戦に関わる最大の案件であり、この戦争の鍵を握ると言ってもいい内容だ。CクラスがFクラスの本陣まで突入できた理由の最たるものであるその案件を、代表である小山自身がすっかりド忘れしていた。

 最強の敵である姫路瑞希を華麗に跳ねのけ、Fクラスに侵入できた最大の要因。

 召喚フィールドの干渉。

 干渉した召喚フィールドは破壊され、張り直すにはそれなりに時間がかかる。だったら、今自分達は何の教科で召喚したのだ?

 小山と坂本の召喚獣が顕現し、その頭上に点数と戦闘科目が浮かび上がる。

 

『Fクラス 坂本雄二 VS Cクラス 小山友香

 保健体育 106点  VS      127点 』

「なっ……!? ほ、保健体育ですって!?」

「今だ、出番だぜムッツリーニ!」

「…………試獣召喚」

「まずっ……! 試獣召喚!」

 

 坂本の声に、どこに隠れていたのか小柄の男子生徒が突如として目の前に現れると流れるようにして召喚獣を呼び出す。彼の正体にいち早く気が付いた波多野が慌てて召喚獣を顕現させるが、波多野の表情は苦しいものだった。

 三白眼と引き結ばれた口元が特徴的な青年、土屋康太。別名『寡黙なる性識者(ムッツリーニ)』と呼ばれている彼の得意科目は保健体育。通常科目に置いては学年最底辺である彼だが、こと保健体育に関しては他の追随を許さない。あのAクラスでさえも危険視するほどの高得点を有するFクラス生徒。保健体育の場において、土屋康太に敗北はない。

 

『Fクラス 土屋康太 VS Cクラス 波多野進

 保健体育 594点  VS      194点 』

「…………邪魔するな」

「ぐっ……駄目だ、勝てねぇ!」

 

 Cクラス内では優秀な成績である点数の波多野でさえも一太刀で点数を奪われ、戦死してしまう。空中に霧散していく召喚獣を悔しそうに見る波多野。

 

「波多野!」

「小山、てめぇはさっさと坂本倒せ! ムッツリーニは黒崎達が足止めする!」

「おうともさ! Cクラス残り二十五名、全員で挑むぜ!」

『試獣召喚!』

「…………無駄」

『Fクラス 坂本雄二 VS Cクラス 小山友香

 保健体育 84点   VS      115点 』

『Fクラス 土屋康太 VS Cクラス 25名

 保健体育 587点  VS    平均106点』

 

 すかさず小山に狙いを定める土屋だが、黒崎を初めとしたCクラスがその行く手を阻む。だが、Cクラスの点数に対して土屋の点数は五倍以上。急遽組み上げられた防衛線はそう長くは持たないだろう。瞬く間に次々と点数を刈り取られていく。

 しかしながら、幸いなことに坂本は召喚獣の操作慣れしていない。後方で指示を出す代表であるだけでなく、彼自身あまり操作を得意とはしていないようだ。なんとか動き回っているが、徐々に小山に追い込まれている。

 時間との勝負。小山が坂本を打ち取るか、土屋が小山を打ち取るか。

 

『Fクラス 坂本雄二 VS Cクラス 小山友香

 保健体育 16点   VS      84点 』

『Fクラス 土屋康太 VS Cクラス 5名

 保健体育 524点  VS    平均31点』

「やべっ……!」

「もらったぁあああああああ!!」

「…………やらせない……! 【加速】……!」

 

 壁際まで追い込まれた坂本の召喚獣。これを好機とばかりに顔面に狙いを定め、小山は三叉槍を思いっきり突き出す。代表の危機を悟った土屋もまた、残りのCクラスを無視して腕輪を発動。神速と化した召喚獣で小山の召喚獣への突進を図る。

 そして――――

 

 

『Fクラス 坂本雄二 VS Cクラス 小山友香

 保健体育  0点  VS       0点  』

 

 

 文月学園史上類を見ない、代表同士の戦死でFクラス対Cクラスの試験召喚戦争は幕を下ろした。

 

 

 

 

 



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第十一問

 二か月! うぉー! ごめんなさい! うぉー!


 CクラスとFクラスによる試験召喚戦争は、クラス代表の相打ちによって前代未聞の引き分けという結末を迎えた。勝ちでもなく負けでもないその結果に両クラスは動揺を隠せないでいる。設備交換や様々な交渉が行われるはずの戦後対談を前にして、会場として宛がわれたCクラス教室内は異様な騒がしさに包まれていた。

 CクラスとFクラス、総勢百名ほどが輪を作る中央で代表格のメンバーが向かい合う。Fクラス側は坂本雄二に吉井明久。対するCクラス側は小山友香に波多野進だ。引き分けと言う結果を前にして、彼らはどのような判断を下すのか。

 

「まぁとにもかくにも、だ。今回の試験召喚戦争は代表相打ちによって引き分けっつう結果に異論はないな?」

「えぇ。その点に関しては事実だしね。正直悔しいにも程があるけれど、相打ちだもの」

「いやー、でもホント危なかったよー。ここで負けなくて良かったぁ」

「お前は何もしてないだろ、吉井」

「あはは、それは言わないでくれると助かるかな」

「……アンタ達、少しは場の雰囲気に合った緊張感ってものを持ちなさいよ」

「言っても無駄だろ。馬鹿は死んでも治らん」

『誰が馬鹿だ! 馬鹿って言った奴が馬鹿なんだぞこのバーカ!』

「ほらな?」

「波多野……アンタがなんでCクラスなのか偶に本気で不思議だわ……」

 

 坂本の挑発に吉井と二人して叫び声をあげる副代表のあまりの情けない姿に額に手を当てて顔を顰める小山。一応今回の戦争における立役者のため本来ならばクラスを上げて讃えるべきなのだろうが、当の本人がこの調子ではあまり褒める気も起きない。いや、小山的にはよくやったと思っているし、絶体絶命の大ピンチに追い込まれた時に見せた真剣な表情はカッコよかったと心の底から――――

 

「どうした小山。急に顔を赤くして」

「なっ、なんでもないわよ! ちょっと戦争後で全身が上気しているだけ!」

「え、なんだよ。もしかして興奮してんの?」

「アンタは黙ってろ!」

「ひでぇ!」

 

 相も変わらず調子に乗ろうとする馬鹿を一喝の元に黙らせると、火照った顔を冷ますべくぶんぶん首を振ってから改めて坂本に向き直る。

 

「そ、それで、今回は引き分けだけど、戦後交渉はどうするの? 私達に挑んで来たんだから、一応考えはあったんでしょ?」

「あー、それなんだが……この戦争はCクラスに対する牽制が目的だったから、特に要求することはないんだ。しいて言うなら、互いに不干渉を貫きたいってくらいだな。俺達の方から要求することはねぇよ」

「はぁ……なんか拍子抜けね。Fクラスの事だから『設備を寄越せ!』とでも言ってくるかと思ったのに」

「Aクラスの設備を手に入れる予定があるのにCクラスの教室を貰っても意味ないだろ?」

「どこから湧いてくるのよその自信は」

「自信なんてねぇよ。ただ、俺達には確信があるだけさ」

「……意味わかんない。バッカじゃないの」

「最高の褒め言葉をありがとう」

 

 ニヤリと口元を吊り上げて不敵な笑みを浮かべる坂本を見て小山は呆れの表情を隠そうともせず肩を竦める。バカと天才は紙一重だとはよく言われるが、かつて神童と呼ばれていた目の前のFクラス代表はまさにその諺を体現しているなぁと思う。頭が切れて行動力のあるバカとか危険物以外の何物でもない。

 再び溜息をつく。

 Fクラスから要求することはほとんどないらしいから、今度はCクラスが考える番だ。戦争が引き分けで終わった以上、こちらにも何かを要求する権利がある。たとえ向こうが何もしなかったとしても、できることなら最大限手を打っておくに越したことはない。保険はいくらかけてもかけ足りないものなのだから。

 さてどうしよう。うんうんと唸りながら首を傾げる小山だったが、彼女が頭を悩ませるのとほとんど同時に副代表波多野がふと口を開いた。

 

「聞きたいんだけどさ、坂本達は次にどこのクラスを狙うつもりなんだ?」

「……唐突だな」

「ちょっと気になってさ。Cクラスに仕掛けたんだから次はBクラスだと思うんだけど、どうなんだよ」

「馬鹿正直に教える利益が全くないな」

「まぁそりゃそうだけどさ……でも、利益がゼロってわけでもないぜ?」

「何?」

 

 思わせぶりな波多野の発言に坂本が思わずといった様子で眉を顰める。次に狙うクラスを言う場合に発生するのは「自分達の目的及び戦略がバレる」というデメリットだけのはずだ。波多野が胸を張って言うほどに高いメリットがあるとは到底思えない。坂本はそれを分かっているから首を傾げたのだろうし、現に小山も波多野の真意が掴めず疑問符を浮かべている。先程から対談にすら参加していない吉井に至っては理解することを諦めて呆けている始末だ。さすがに吉井程ではないとしても、波多野の考えていることがまったく予想できない事実は小山としても変わらない。

 三人の視線が波多野に集中する。

 

「俺達Cクラスはこの後Bクラスに試験召喚戦争を申し込む。そしてこれはあくまで俺の予想だけれど、お前達FクラスもBクラスに試験召喚戦争を申し込むつもりでいたはずだ」

「それは、えっと……」

 

 波多野の質問を向い合せに聞いていた吉井が慌てた様子で坂本に視線を送る。クラスにとって重要、機密情報と捉えても良い質問内容だから、迂闊に答えても大丈夫かどうかを確認しているのだろう。自分があまり頭を使う役柄ではないと自覚している吉井が坂本に意見を求めるのは極々自然だ。

 だから坂本は軽く溜息をつくと、あくまでも牽制状態を崩さずに答える。

 

「仮にその通りだったとして、お前達Cクラスが俺達にどういう利益をもたらしてくれるって言うんだ?」

「そうだな……。まずはその前にたとえ話なんだけど……強大な敵がいたとして、一人で敵わない場合に坂本はどうする?」

「どうするってお前、そりゃあ仲間を募って多対一に持ち込む――――」

 

 はた、と坂本の動きが止まる。

 ニィ、と波多野の口元が吊り上る。

 状況についていけていない吉井と小山は二人の様子に首を傾げながら場の行く末を見守っていた。

 参謀同士の会話が……終着点を迎えつつある。

 

「波多野、まさかお前……」

「……あぁ、おそらくは坂本の思っている通りさ」

「何よ波多野。もったいぶらずにさっさと言いなさいよ!」

「分かってるよ。分かってるからヒス起こすなって」

「ひす?」

「明久。場の空気が壊れるからお前はちょっと黙ってろ」

 

 若干一名が戦力外通告を受けて落胆しているが、そこはおいといて。

 おそらくは考えを察して度肝を抜かれたような表情で固まっている坂本と置いてけぼりをくらって苛立っている小山の方を向くと、周囲で様子を見守っているCクラスFクラス全員に聞こえるように声を張り上げて、波多野は盛大にこう宣言するのだった。

 

 

「Bクラスを倒すために、俺は今この場を借りてCクラスFクラス連合軍の結成を宣言するぜ!」

 

 

『……はぁっ!?』

 

 波多野と坂本を除いたその場にいる全員から驚きの声が上がる。それもそのはず。教室の設備を争う試験召喚戦争において、クラス同士が連合軍を組んで一つのクラスに勝負を挑むなんていう事は前代未聞だからだ。それはクラス代表である小山にとっても同様で、そもそも原則として有り得ない提案を言ってのけた目の前に大馬鹿野郎に対して言い知れない驚きと呆れを覚えている真っ最中である。今すぐにでも叫び倒してやりたいくらいだ。

 だが、周囲が騒々しくなる中で一人だけ冷静なまま思考を続けていた坂本が落ち着いて質問を続けていく。

 

「試験召喚戦争の規則として、多対一は大丈夫なのか?」

「校則の第一章には『原則としてクラス対抗』とは書かれているが、別に複数クラスでの対抗戦が駄目なんて書かれていないよ」

「そりゃそうだが、相手はBクラス単体だろ? 多勢に無勢で戦争自体が成り立たないんじゃないか?」

「こっちは二つともBクラスにとっちゃ下位クラスだぞ? それに、用心深いAクラスが相手ならともかくBクラス代表はあの根本恭二だ。俺達みたいな雑魚連合軍の戦争を拒否するなんてアイツのプライドが許さないだろうさ」

「学園から許可が出るとは思えないが」

「出るさ。『勝利のためには手段は選ばない』、『時には集団で対抗する』なんて戦争の基本だし、何より『成績下位クラスが協力して成績上位クラスに立ち向かう』なんて世間様にとっちゃ熱い展開以外の何物でもないだろ? 話題作りにもなるから、スポンサーへのアピール代わりにきっと了承してくれる」

「……勝率は?」

「俺とお前が考えて吉井率いるFクラスの行動力と小山率いるCクラスの団結力があるんだぞ? 勝てない道理がどこにある」

「馬鹿だなお前」

「よく言われるさ」

 

 嘆息気味に漏れる坂本の言葉に満面の笑みで答える波多野。どこまでも純粋でどこまでも子供じみた笑みを顔全体に貼りつけた彼は周囲を見渡すと、意気揚々といつもの台詞を言い放つ。

 

 

「だって、そっちの方が何千倍も面白いじゃんか!」

 

 

 ――――あぁ、やっぱ進はバカだ。

 思わず溜息が零れる。もうかれこれ一年間彼の友人として行いを見てきたわけだが、彼が持つ年齢不相応の好奇心と行動力にはいつも呆れさせられる。後先考えずに面白さを求めるためだけに重点を置いて行動するから、その後の尻拭いで苦労するのはいつも小山の方なのに。毎度毎度謝罪巡りに奔走する自分の気持ちにもなってほしいところだ。いい加減に胃がストレスで破れるのではないかとたまに本気で心配になる。

 

(……でも、私は――――)

 

 立ち上がって生徒達を説得している波多野に視線を向ける。楽観的で直情的で、その場の勢いで突っ走る猪みたいな馬鹿野郎。いつも小山に迷惑をかけてばかりいる問題児。それでもたまに凄い洞察力と頭の回転を披露して周囲を驚かせ、Cクラスを引っ張ってくれるよく分からない参謀役。最後には毎回小山を支えてくれる副代表。そして、かけがえのない親友。

 考え、理解し、決意した。彼女の中で答えが定まった。

 揉みくちゃにされながらも必死に訴えを続ける問題児に視線を向けたまま、小山友香は一人の女性として彼への想いを自覚する。

 

(私は、そんな貴方が大好きです)

 

 勝とう。絶対に、根本率いるBクラスを倒すんだ。

 胸に秘めたほんのちょっとの感情を内心に押し留め、少し頬を染めながら。

 小山は場の収拾を付ける為にとりあえず声を大にして叫ぶことから始めた。

 

 

 




 うぉー!


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第十二問

 Fクラスとの戦後対談を終え、一旦教室に集合したCクラスメンバー。帰りのホームルームを乗り越えるとやってくるのは待ちに待った放課後だ。来たるBクラス戦に向けて最後の調整&勉強が待ち受けている。試験とは違って仲間の為に戦うことができる今回の戦争に対して、Cクラスメンバーのやる気はマックスと言っても過言ではなかった。

 

「さよならネ、ユーカ。明日は頑張るヨ!」

「じゃあまた明日。代表も頑張ろうね」

「うん。気を付けて帰ってね、シェリル。野口君」

 

 揃って小山に声をかけながら教室を出て行く二人に手を振り返す。視界の端では今回の試験召喚戦争について新聞記事をどうするかという相談をしている黒崎と新野が確認できたが、非常に集中しているようなので挨拶するのは遠慮しておいた。普段ははっちゃけメインのトラブルメイカーな二人だけれども、やるべき時にはしっかりと集中して物事に取り組める二人だ。そういうテキパキしている点がCクラスにおいて攻撃の主軸となっているのだろう。どこぞの騒動起爆剤に爪の垢でも煎じて飲ませたいほどだ。

 

「それで、そのトラブルメイカー代表はどこにいったのかしら」

 

 ホームルームが行われていた最中は確かに隣の席にいたのだが、それが終了するや否や学生鞄も持たずに一目散に教室から走り去っていった波多野。トイレでも我慢していたのかと思ったが、別段焦ったような表情をしているわけでもなかった。それどころかどこかワクワクしたような……面白いことを目の前にして、興奮冷めやらない子供のような感情を顔全体に浮かべていたように思える。いつもの波多野らしい、どこまでも突き抜けた馬鹿みたいに単純な笑顔で。

 あの表情から察するに、彼の居場所は一つしか考えられない。

 

「あのバカ。どうせFクラスに行って坂本君達と明日の作戦でも練り合っているんでしょうね」

 

 前代未聞のCクラスとFクラス連合によるBクラスとの試験召喚戦争。今日の戦争後に学園長に話をつけに行った坂本と波多野の話では、CクラスFクラス連合対Bクラスの戦争はどうやら許可されたらしい。こちらが両クラスとも下位のクラスであり、Fクラスが学園史上最低クラスの学力である事。そしてBクラスの根本が自身のプライドから下位クラスからの宣戦布告を怒り半分で承諾してしまったことが許可の主な原因であるようだ。先程の戦後対談の時に話の中で出てきてはいたが、無駄にプライドだけは一人前の根本が小山達の宣戦布告を断るわけがない。他人を見下すことを良しとし、他人に見下されることを良しとしない彼らしい判断と言えるが、今回に限ってはその傲慢な性格を坂本や波多野に逆手に取られたと考えていいだろう。Bクラス生徒達はドンマイというべきか。

 おそらく作戦会議に熱中する余り鞄の存在など完全に忘れ去っているであろう悪友のために一肌脱いでやるか、と誰にともなく呟いてから波多野の鞄を持ち上げると、小山は教室を後にする。

 

(ったく。いったい誰に言い訳してんだか)

 

 自嘲気味な溜息を漏らす。ここまで来てもまるで成長していない――――自分の気持ちに素直になれず、思ってもいないような言い訳を垂れ流す自分自身に嫌気が差す。先程の戦後対談の際に波多野への素直な想いを自覚したはずの小山であるが、だからといって恋する乙女脳全開な某ヒロインのように波多野に対して傾倒するのは少々癪だと思っている。元来の高いプライドのせいか、自分から好意を示していくというのはなんだか負けた気がしたからだ。そもそも恋愛における好意なんて勝ちも負けもないのだが、そういう変な部分に拘ってしまうのが小山のヒステリーたる所以である。神経質と言っても良い。

 小山友香は波多野進のことが好きだ。それに関しては紛れもない事実である。しかし、そのことを周囲に知られることは何としても避けたいと思っているのもまた事実なのだ。変にからかわれるのは嫌だし、なにより格好悪い。元々気が強くガキ大将的なポジションを有している小山らしい考えとも言えた。

 

(子供じゃないんだから、いつまでも変な意地を張るわけにはいかないってのは分かってんだけどねぇ)

「あれ? 小山さんじゃないですか?」

「ん?」

 

 どこまでも素直になれない自分に対して盛大な溜息を漏らしていると、不意に後方から名前を呼ばれて足を止める。聞き心地のいい鼻から抜けるようなこの声は、確か……。

 顔を上げて、背後にいる声の主を見やる。

 まず目に入ったのは腰ほどまで伸ばされた桃色のふんわりとした髪。柔和な顔立ちに、ちんまりとした背丈。大人しい小動物のような雰囲気とは不釣合いなほどに大きな胸部。何より特徴的なウサギの髪留め。

 見覚えがある。というか、この学校で彼女を知らないものはおそらくいないほどの人物。

 

「姫路さん?」

「はいっ。先程の試召戦争ぶりですねっ」

 

 小山の呼びかけに、にぱっと柔らかい笑みを浮かべる姫路。そのあまりにも純粋な笑顔に思わずときめいてしまい言葉を呑み込むが、一旦深呼吸を挟んでからゆっくり落ち着く。噂には聞いていたが、やはり美少女だ。スタイルも良いし、何より可愛い。さすがFクラスのアイドルと言われているだけのことはある。主に胸部を注視してそう思う小山。主に胸部を見て。

 

「こ、小山さん? そんなに胸を見つめられるととても恥ずかしいのですが……」

「……捻じり取ってやろうかしら」

「小山さん!? お、落ち着いてっ。目が怖いですぅ!」

「はっ! ご、ごめんなさい。ちょっとだけ嫉妬に駆られそうになっちゃった」

「美波ちゃんもそうですけど、なんでたまに暗黒面に堕ちる人が多いんでしょうか……」

「女にはときに許せない存在というものがあるのよ」

「小山さん?」

「うぅん。なんでもないわ気にしないで」

「いや、今明らかに不穏な発言があったような気がするのですが……」

 

 冷や汗一筋口元を引き攣らせる学園のアイドル的少女に誤魔化しの意味を込めた言葉を贈る。小山自身も別段小さいわけではないが、目の前で複雑そうな表情で立ち尽くしている姫路が相手となると少々厳しい戦いになることは必至だ。Cクラス……いや、Dクラス級の小山がそう思うのだから、Aクラス級の島田であれば親の仇のように思うのは至極当然の事であろう。FクラスのFクラス級とかシャレにしてはタチが悪い。

 くっそー、とか愚痴ってひとしきり姫路の豊乳を睨みつけると、改めて姫路との会話を再開する。

 

「姫路さんは今から帰るところ?」

「いえ、ちょっとトイレに行ってきた帰りです。教室に戻ろうかと」

「ふぅん。あ、そういえばウチの波多野がお邪魔してない? たぶん坂本君達と作戦会議をしていると思うんだけど」

「はい。波多野君なら今作戦を立案中ですね」

「やっぱり……まぁ、アイツらしいといっちゃアイツらしいけど」

 

 それなりに予想はしていたが、やはりか。明日の試験召喚戦争を楽しみにするあまりホームルームが終わると同時に教室を飛び出すというのは少々子供っぽすぎやしないかと呆れるばかりではある。いざという時には格好良くて頼りになるくせに、普段はどうしてあぁも精神的に幼いのだろうか。……文月学園の男子は全体的に幼い感じがするとかは言ってはいけない。

 やれやれ、と肩を竦めていると、目の前で何やら面白そうに口元を綻ばせている姫路の顔が目に入った。

 

「なに笑ってんのよ、姫路さん」

「ふふっ……小山さんって、やっぱり波多野君の事が大好きなんですね」

「なっ……! き、急に何を……!?」

「だってほら、波多野君の話をする時の小山さんって本当に楽しそうにしているじゃないですか」

「嘘っ……!?」

「ウソじゃないですよ。小山さん、本当に幸せそう」

「ぅ……」

 

 あまりにも真っ直ぐな瞳で見つめられながら言われてしまい、不覚にも言い返すことができなくなってしまう。彼への好意を自覚した後であるから、尚更動揺を隠すことができない。マトモな反論を一つも考えることができず、ただ恥ずかしそうに顔を赤くして姫路から目を背ける。

 そっぽを向く小山に対し、姫路は言葉を続けた。

 

「美穂ちゃんが言っていました。小山さんは素直じゃないけど、分かりやすいって。どっちなんだろうって思っていましたけど、うん、小山さんは分かりやすいです」

「悪かったわね……こちとらポジション的に複雑なのよ」

「そうですね。根本君と波多野君。二人の板挟みと言うと変な感じですが……」

 

 そして、姫路は笑みを浮かべると、

 

 

「小山さんの中では、もう答えは決まっているんでしょう?」

 

 

「……意地が悪いわね、瑞希(・・)

「ふふ。そんなことありません。友香(・・)ちゃんが素直じゃないだけですよ」

 

 ――――ホント、この学園の奴らっていうのはみんな意地が悪いわ。

 馬鹿そうに見えて大事な部分は的確に見抜いてくる観察眼にもはや感服するしかない。波多野然り、姫路然り、吉井然り。小山の周囲にはどうしてこうも面倒くさいと思う程に厄介な連中が集まっているのだろうか。できることなら普段からしっかりしてほしいと願うところである。

 溜息を一つ。

 

「私の秘密を知ったんだから、瑞希が吉井君のことが好きっていう秘密も教えておいた方が良いわよ」

「も、もう知ってるんじゃないですか! なんでわざわざ改めて言う必要が……」

「証、拠、確、保♪」

「その右手に持った携帯電話を下ろしてください! どこに電話するつもりだったんですか!」

「え? 吉井君だけど。さっき戦後対談の時に一応番号を貰っておいたから、丁度いいかなって」

「なにがどう丁度いいんですか! 駄目ですよ!」

「えー? いいじゃない別に減るものでもなし」

「ダメーッ!」

 

 赤面&涙目で小山から携帯電話を奪おうと飛び掛かってくる姫路を巧みに避ける。女子の典型的なパターンというかなんというか、他人の恋愛には興味津々に首を突っ込んでくるが、自分の恋愛事に関しては恥ずかしさのあまりに少々素直ではなくなってしまうらしい。それは小山だけではなく、どうやら目の前の姫路瑞希も同様であるようだ。個人差はあれど、他人に自分の弱みを見せるのはあまり好ましい事態ではない。

 携帯電話を奪ってなんとか小山の蛮行を阻止しようと健気にジャンプを繰り返す姫路だが、155cmの低身長である彼女が10cmほども差がある小山に届くわけがない。繰り返す内に、次第に息切れが激しくなっていく。

 

「ぜひゅー……ひゅー……うにゃぁ……」

「ちょ、ちょっと。瑞希大丈夫?」

「あぅぅ……だいじょうぶ、です……」

「そういえばアンタ、身体が弱いんだったわね……。ちょっとふざけすぎたわ。ごめんね」

「い、いえ、気にしないでください。私も楽しんでましたし、おあいこです」

 

 膝を折って深呼吸を繰り返す姫路。そもそも彼女がFクラス行きとなった理由は振り分け試験の際に高熱を出してしまい途中退出による無得点扱いとなってしまったからだ。そのことは二年生内にはそれなりに知れ渡っており、もちろん小山の耳にも入っている。そんな身体が弱い彼女に対し、少しやりすぎたかなと罪悪感に駆られる。だがまぁ、あまり気を遣うのも本人にとって失礼だろう。

 少々頭を下げると、足元に置いていた二人分の鞄を持つ。

 

「それじゃあまぁ、そろそろFクラスに向かうとしましょうか。波多野に鞄を届けないといけないしね」

「またそんな言い訳を……素直に波多野君に会いに行こうって言えばいいのに」

「私が吉井君の電話番号を表示させた状態で携帯電話の画面を開いているという事実を忘れない方が良いわよ、瑞希」

「ひゅいっ!? そ、それは卑怯ですよ友香ちゃん! 早く携帯電話をしまってください!」

「えー? それはどうしようかしらねぇ」

「な、なんでそんなにニヤニヤしながら言うんですかっ」

「だってねぇ……」

 

 姫路が向ける非難がましい視線をどこ吹く風という様子で軽く受け流すと、小山はニィと口の端を吊り上げながら子供のような無邪気な笑みを浮かべて心底楽しそうに言い放つ。

 

「そっちの方が、面白いでしょう?」

 

 ぽかんと大口を開けて呆気にとられる姫路を残し、小山は満面の笑みを顔全体に貼りつけたままFクラスの教室へと走り始めた。

 

 



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第十三話

 久しぶりの更新なのにものごっそ短いです……。


 決戦当日。

 打倒Bクラスを掲げるCクラスとFクラス。教室の距離的に行動を抑制されやすいCクラスは大半がFクラスの教室に移動している。現在Cクラスに残っているのはごくわずか。余談ではあるが、波多野も残留部隊に配備されている。

 畳と卓袱台が目立つ旧校舎の古い教室。その前方で古びた教卓に手を付いた坂本雄二が雄々しい表情で戦前演説を始めていた。

 

「皆、今回の戦争は、俺達Fクラスにとっても負けられない正念場だ。Aクラス戦を前にした最大の壁とも言えるだろう。俺達だけではゆうに勝つことも難しい。作戦だけでどうにかなるのかすら分からないほどの相手だ」

 

 学年最低……いや、もしかしたら文月学園史上最低とも揶揄されているFクラス。もはや擁護できない程の問題児が群を為すこの集団が、優等生クラスであるBクラスに勝利することはおそらく難しいだろう。かつて神童と謳われた坂本の頭脳があれば可能性はあるかもしれないが、それでも勝率はかなり低い。余程のラッキーが訪れない限り、敗色濃厚だ。

 だが、仲間達を前にする坂本の顔には、心配の色は微塵も感じられない。

 

「だが安心してほしい。今回の俺達は一人じゃない。どこよりも頼りになる、Cクラスの面々がついている!」

『おぉー!』

 

 左手を広げて小山達の方を指し示す坂本。応じるようにFクラスから歓喜の声が上がるが、注目されることに慣れていないCクラスメンバーはどこか居心地悪そうに頬を掻いている。成績はいたって普通で、周囲からは『長所も短所もない凡庸なクラス』と呼ばれているCクラス。そんな彼らにとって、相手がたとえ最底辺のFクラスであろうが持ち上げられることは嫌な気持ちはしない。むしろ気恥ずかしい気持ちになってしまう。

 

「こ、こんなこと言うのもなんだけど、妙に恥ずかしいね……」

「こんなに純粋な憧れの視線とか向けられるの何年ぶりでしょうか……」

 

 野口と新野も小山と同じように顔をやや赤らめて居心地が悪そうに視線を泳がせている。なんだかんだ言って人に褒められることに慣れていない自分達がやるせなく思われるが、そんなCクラスの面々も嬉しさを隠すことなく賞賛を受け入れている。Fクラスとの調和が目下の懸念材料だったのだけれども、心配はいらないようだ。

 偶然にも同じタイミングでこちらを向いていた坂本と目が合い、お互いに力強く頷きを返す。大丈夫。この2クラスなら、負ける気は全くしない。

 軽く教卓を叩くと、坂本は今回の作戦について軽く説明を始めた。

 

「作戦……といっても大したことじゃない。戦争ってのはようは物量戦だ。いくら点数で劣っていようが、数で押せば勝利は決まったも同然だ」

「じゃが、BクラスはワシらFクラス十人分程の点数を持っているはずじゃ。数で押すとは言っても並大抵の事ではないと思うのじゃが……」

「そこでCクラスの出番だ。俺達はCクラスの生徒を軸にして、いくつかの小隊に分かれてBクラスの下っ端どもを潰していく。根本とその親衛隊以外を全滅させりゃあ上出来だ」

「Cクラスを中心にすれば大丈夫か。それに、俺達には姫路がいるしな」

「そのことなんだが……今回、姫路は防衛部隊に入ってもらう。遊撃隊には参加しない」

「瑞希が防衛? 火力的に大丈夫なの?」

 

 怪訝な顔をする島田だが、彼女の心配ももっともだ。Fクラス最大火力を有する姫路が戦闘に参加しないとなると、大幅な戦力ダウンは避けられない。おそらくはCクラスも含めて最高成績保持者である彼女の火力を補うとなると、相当な工夫が必要となるはずだが……。

 島田の疑問に、坂本はニッと八重歯を見せる。

 

「島田。良いことを教えてやる。成績の差が戦力の決定的な差になるわけじゃないんだぜ?」

「なによそれ。点数が高いに越したことはないでしょう?」

「まぁ見てろって。今回のキーマン共は俺達の期待以上の働きをしてくれるはずだ」

「そういえばキーマンって誰なんですか? 土屋君と須川君は遊撃隊に参加するみたいですし、野口君も新野さんも教室に残っていますけど」

「情報漏洩が怖いからあまり言いたくはないんだけどな。まぁ、一人はそこのCクラス代表様だ」

「友香ちゃん……ですか?」

「今回は俺が合同クラスの代表として出ているから、小山は遊撃隊長だ。突破口を開くメインウェポンとして働いてもらう」

 

 Cクラス代表、つまりはCクラス最高成績保持者である小山が主力になるというのは納得がいく。姫路を欠いた構成で遊撃を成功させるには必要不可欠な人材なのだから。

 しかし、小山を主力とするのなら、姫路を軸に突撃した方が成功率が高いのではないかという声も出る。当然ではある。一騎当千の武将がいるだけで、周囲の士気は向上するものだ。メリットデメリットを鑑みても、そちらの方が圧倒的にメリットが大きい。

 だが、坂本は首を振る。

 

「姫路は戦力が大袈裟すぎて対策を取られやすいからな。具体的に言えば、弱みを握られて脅迫紛いに行動を制限されるかもしれない。姫路に頼るのも作戦としてはいいかもしれないが、姫路が行動不能になったせいで作戦が止まっちまったら元も子もないんだよ。考えうる限りの可能性は潰しておくに越したことはない」

「じゃあ誰が瑞希の穴を埋めるっていうのよ」

「分からないのか? いるだろ、FクラスとCクラスのエースとも言える究極の馬鹿二人が」

「……まさか」

「そのまさかさ」

 

 心当たりを思い出した島田の頬が引き攣るのを見て心底楽しそうに口元を吊り上げる坂本。そんな光景を眺めながら、自分もまったく同じ二人を思い出したであろうことに少々苦笑を浮かべてしまう。隣を見れば、姫路も引き攣った笑顔で困ったような顔をしていた。互いに目を合わせると、揃って嘆息。

 つまりは、そういうことだ。

 

「Bクラス戦に関して言えば、あのコンビが最強だろうな」

「だが、進はともかくとして吉井はどうなんだ? あいつは学年最低レベルの成績だが……」

「須川。明久の真価は点数じゃない。あいつの役職を言ってみろ」

「役職って観察処分者……あ」

「そういうことだ。マトモに試召戦争もやったことがないBクラスを相手に、明久が負けるわけがない」

 

 教師の雑用を任される観察処分者は、事ある度に召喚獣を用いるために一般生徒に比べて遥かに卓越した操作能力を持つ。学年ではワーストクラスに成績が低い彼ではあるが、こと操作能力の話になれば右に出る者はいない。そして、対する波多野も操作能力が高いわけではないが、突発的な行動力に定評がある。あの二人ならば、きっと想像以上の働きをしてくれるはずだ。

 ようやく皆が納得したのを確認した坂本は、満を持して言い放った。

 

「あんなクソみたいな代表は、速攻で潰してやろうじゃないか」

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 午前十時。

 Bクラス対CクラスFクラス連合の試験召喚戦争が幕を上げた。他のクラスが授業を受けている中、Bクラスの教室、そして旧校舎のFクラス教室から生徒達が次々と廊下に飛び出していく。新校舎と旧校舎にクラスが分かれている為、主となる戦闘場所は校舎を繋ぐ渡り廊下だ。Bクラスの作戦が分からないクラス連合の基本指針は突撃であるから、Bクラスの先遣部隊は連合を渡り廊下で待ち受けることになる。

 ――――はず、なのだが。

 

「いくらなんでも、防衛部隊の人数が少なすぎやしないか……?」

 

 目の前に広がる光景に思わずと言った様子で呟いた須川。彼が漏らした言葉に、小山は隣で頷きながら同じことを考える。

 人数では連合に劣っているBクラスだが、個々の能力は両クラスよりも秀でている。Fクラス五人分以上の成績を保持するBクラス生徒にかかれば少人数で遊撃隊を撃退することも可能ではあるのだが、渡り廊下で小山達を待ち受けていた生徒はたったの5人。50人生徒がいるにもかかわらず、この数はある意味異常だ。逆に連合クラスの遊撃隊も80人と馬鹿みたいに多いのだが……この人数差で凌げるとでも思っているのだろうか。

 

「何か策があるのかもしれないわ。気を付けましょう、須川君」

「合点だ」

 

 こっそりと耳打ちすると、秀吉率いる第一部隊を先頭に渡り廊下へと進軍を始める。Bクラス生徒達の背後にライティングの森川先生が控えているのを確認すると、小山は一人ほくそ笑んだ。自分が得意とする科目、英語ライティング。相手がいくらBクラス生徒だとはいえ、互角以上の勝負ができるはずだ。

 

『試獣召喚』

 

 第一部隊に続いて、遊撃隊が次々と自身の召喚獣を喚びだしていく。点数差も数で押せば怖くない。そう言い聞かせ、突撃の指示を出そうとしたところで、小山はふと気が付いた。

 

 気が付いてしまった。

 

 相手方の召喚獣。西洋甲冑や武者鎧など見ただけで強いと分かる強固な武装に身を包んだ彼らの召喚獣。しかし、自分達との違いは少しの点数差と装備の豪華さだけだ。

 ……と、そう思っていた。

 小山は目を見張る。

 五体の召喚獣の左手首に光る、金色の腕輪に視線を捉えられたまま。

 

『Bクラス 5人 VS Cクラス40人&Fクラス40人

 英語W 平均412点 VS 平均124点&平均67点』

 

「か……各自散開――――ッ!?」

「遅いわよ、Cクラス代表さん!」

 

 条件反射で声を上げ、各人に逃走を支持する。だが、約80人が列をなす廊下は鮨詰めにも近い状態で、全員が回避運動を行うことができない。一点集中作戦が、いきなり裏目に出たのを理解する小山。

 無様に逃げ惑う連合クラスを前にして、Bクラス生徒達は各々いやらしい勝ち誇った笑みを浮かべながら、召喚獣の左腕を掲げる。

 

「ここで、散ってもらおうか!」

 

 烈風、光線、濁流、閃光、弾丸。

 五種五様の『能力』が、発動と同時に渡り廊下の遊撃隊を片っ端から呑み込んでいく。

 

 

 

 

 

 



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第十四問

 お楽しみください。


 全滅しなかったのは、奇跡と言っていいかもしれない。

 Bクラス防衛隊五人が同時に腕輪の能力を発動した瞬間、小山は咄嗟に左手にあった【茶道部】の扉を開錠。付近にいた先遣隊をできる限り多く部室に引っ張り込んで事なきを得たのだ。

 ……しかし、たかが部室程度の広さに、しかも咄嗟の勢いで匿えた人数などたかが知れている。

 

「残ったのは10人か……」

 

 須川の悲痛な呻き声に、小山は声を発する余裕もない。悔しそうに歯噛みをする。

 80人いた遊撃隊が、たった一度の攻撃によって10人にまで減らされた。ただでさえ戦力に乏しい連合クラスにとってこれは酷過ぎる痛手だ。もしかしたら廊下に生存者がいるかもしれないが、Bクラスの精鋭を前にして慈悲を与えられているとも考え難い。

 改めて、生存メンバーを見返す。

 Cクラスは小山と野口、新野、横尾、岡島の五人。Fクラスは須川、秀吉、島田、横溝、福村の同じく五人。一応両クラス内でも上位の成績を持つメンバーが集まってはいるが、Bクラスに比べると目劣りしてしまうのは否めない。

 

「坂本はんは物量戦って言うてたけど、既に人数ですら負けとるかんなぁ」

「そうだね……いくらなんでもこの人数であの防衛部隊を突破するのは難しいよ……」

「な、なに弱気になってんのよアンタ達! まだ始まったばかりじゃない!」

 

 もはやすっかり敗北ムードで会話する野口と岡島に、島田が慌てたように反論を始める。ここで弱気になってはいけないというのはもっともなのだが、岡島達の意見もまた正しいと言えば正しい。

 低い点数を人数で補うというのが今回の作戦だった。人海戦術と言えば聞こえはいいが、ようはただのゴリ押しだ。80人とかいう常識はずれな人数で押せ押せ行け行けという作戦だったのだが、既に10人まで減らされているうえに戦力的にも微妙と言うありさまだ。このやられようでゴリ押し作戦を実行するというのは、少々命知らずと言っていいだろう。 

 しかし、このまま待機しているわけにもいかない。もしかしたら防衛部隊が手薄になったFクラスに攻め込んでいる可能性も捨てきれないのだから。

 

「ここは一旦Fクラスに戻るべきではないかのう?」

「ですが、部室を出た途端に待ち伏せされる可能性もあります。迂闊な行動は避けるべきではないでしょうか」

「そうですわね。せっかく生き残ったのに全滅してしまっては元も子もないですわ」

「かといってここにずっと立て籠もっているわけにもいかない。何か行動を起こさないと、消耗戦で不利になるのは俺達の方なんだぞ?」

「うーん……」

 

 誰かが案を出せば、誰かがそれを否定する。決定的な案を出さない限り提案と否定が堂々巡りを繰り返す。生産性のないループが数回続いた末に、誰もが口を閉ざしてしまう。打開策を出さねばならないとは全員分かってはいるけれども、あまりにも絶体絶命な状況下に置かれてしまっているからか、暗い雰囲気に支配されて口を噤むしかなくなっている。

 訪れる静寂。重くなる空気。

 もう誰も有効な策を考え出すこともできず、このまま負けを待つしかない。

 誰もがそう思った。

 その時である。

 

『今だシェリル、やっちまえ!』

『オーケィねトオル! イングリッシュならワタシの独壇場ヨ!』

『なっ!? 後ろから……伏兵だと!?』

『二人だからって舐めるなよ!』

『【一閃】ネ!』

『きゃぁああああああ!!』

「この声は……シェリルと黒崎君……?」

 

 唐突に廊下から響き渡った聞き覚えのある声に、小山をはじめとしたCクラスの面々が驚いたように顔を上げる。残留部隊としてCクラスに待機しているはずの二人が、何故この場にまで出てきているのか。作戦はどうなっているのか。様々な憶測、疑問が頭の中を飛び交うが、そんな彼女達の困惑を他所に茶道部の扉が開かれる。

 そこから覗いたのは、先程の二人。

 

「大丈夫か、代表達!」

「助けに来たネ!」

「シェリル、黒崎君……」

「お二人がどうしてここに……?」

「どうして? おいおい、何言ってんだお前達」

「は?」

 

 当たり前の疑問をぶつける新野に、黒崎とシェリルは何故かキョトンとした顔をして首を傾げる。何がどうなっているのか。Cクラスだけではない。須川達Fクラスメンバーも状況が把握できずに戸惑っているようだ。作戦に変更でもあったのか。しかし、試召戦争中は携帯電話も使用禁止であるため、クラス間の通信は原則困難であるはずだが……。

 現状が掴めない小山達の様子をようやく察したのか、二人は目配せすると、シェリルが代表として口を開く。

 

「もしかしてユーカ達は知らされていないノカ? ワタシ達は渡り廊下で戦闘が始まったら、隙を見て不意打ちをかける特殊部隊としてCクラスに残っていたヨ」

「特殊部隊……? 波多野や土屋が配属されている部隊とは違うの?」

「ノンノン。まったく違うネ。ススム達はあくまでも主力部隊。ワタシ達はユージに最初から救援部隊として行動するように言われていたヨ」

「坂本の野郎……もしかして最初から俺達が待ち伏せ食らうことを分かっていやがったな……?」

「80人の捨て駒……? でも、戦力の八割を失っていったい何の得が……」

 

 捨て駒作戦自体を否定するわけではない。時と場合によってはそれが最適な手段になることもありうるのだから、一概に悪いとは言えない。だが、今回の作戦に関してはメリットが全く思いつかない。神童とまで呼ばれ、学内でも一目置かれている坂本雄二のことだから何も考えていないということはさすがに有り得ないだろうが……それにしても、まったく予想ができない。

 彼はいったい何がしたいのだろうか。小山の疑問は尽きないが、これ以上悩んでいるわけにもいかない。廊下の防衛部隊は二人が駆逐してくれたようだから、今は作戦の遂行に向けてBクラスに攻め込むことを最優先とするべきだろう。

 そのことを皆に提案すると、各々十分な納得はしていないながらも自分達の役目を把握してはくれたらしい。頷きを確認し、全員で茶道部の部室を後にする。

 が、現実は想像よりも厳しくできているらしい。

 茶道部の部室を出て、新校舎へと進み始めた小山達の前に立ち塞がる人の壁。その数、およそ40人。先程まで存在しなかったはずの防衛部隊を目の前にして、思わず全員が言葉を失う。

 

「よぉ、どうしたよ連合クラス! そんな顔真っ青にしちゃってさぁ!」

 

 その向こう。渡り廊下の遥か先から、厭味ったらしい男の声が聞こえてくる。もはや名前を思い出す必要すらない、忌々しいながらも自分と最も因縁がある相手。現在において最終的に倒さなければならない強敵。

 Bクラス代表、根本恭二。

 根本はBクラス生徒の間を通って渡り廊下の前まで歩いてくると、見ているこっちが気分が悪くなるような下品な笑みを浮かべて挑発してくる。

 

「あれれぇ? 連合クラスなのに随分とこじんまりとした遊撃隊だなぁ?」

「……少数精鋭よ、悪い?」

「少数は認めるが精鋭ってのは認められないなぁ。Fクラスのクズ共とCクラスの雑魚共が精鋭ぃ? ハッ、冗談もここまでくると笑うに笑えないわ」

「根本! テメェ……!」

「駄目よ須川君。アイツの挑発に乗ったら相手の思う壺だわ」

「でもよぉ……!」

「Fクラスってのは我慢もできないのか? 勉強がお粗末なんだからせめてそこくらいは人並みでいてくれよ。人として」

「……言いたいことはそれだけかしら? Bクラス代表さん」

「つれないねぇ。まぁ、戦争が終わればその減らず口も叩けなくなるさ」

 

 くつくつと喉を鳴らす根本。仲間を貶され激昂する須川と黒崎を皆が必死に抑えているのを横目に眺めつつ、小山は顔を俯かせることもなく気丈に根本を睨み続ける。ここで挑発に乗っては元も子もない。だが、だからといって彼の言いたいように言わせておくのも中々に神経を削る苦行だ。いつもの小山ならば光の速さで激怒していることだろう。ここまで耐えられているのは、いつも傍らにいてくれたあの少年の存在が大きいのかもしれない。

 拳を握り込み、下唇を噛みしめて必死に耐える小山。彼女が黙っているのをいいことに、根本は罵詈雑言を並べ立てていく。聞いていると耳が腐るのではないかという程に嫌悪感を覚えるが、小山はなんとか耐えていた。

 

「アンタ! いい加減にしなさいよ!」

「そうネ! それ以上悪く言うとワタシが許さないヨ!」

「あぁん? 雑魚がいくら吠えてもなんともねぇなぁ」

 

 背後から島田とシェリルの叫びが聞こえる。仲間思いの彼女達が怒るのは予想の範疇だ。大丈夫。まだ大丈夫。

 耐える。耐えて見せる。耐え抜いている間に作戦を考えるんだ。この圧倒的劣勢を打破できる、起死回生の秘策を。

 小山は我慢していた。それはもう、誰が見ても尊敬するであろう程に、彼女は気丈に耐え抜いていた。

 ――――しかし、根本恭二はそんな彼女の努力さえも嘲笑う。

 ()の名を、出すことによって。

 

「ったくよぉ。雑魚と問題児の相手ばかりで可哀想だよなぁ友香。特にあの波多野ってバカは、始末に負えねぇ」

「…………」

「コバンザメみてぇに友香にくっつきやがって迷惑だよなぁ。あんな底辺野郎と仲が良いって噂が立つと、お前の風評にも関わるんじゃねぇか?」

「…………黙れ」

「ちょっと文系科目が良いからって、理系はFクラスにも劣るクズじゃねぇか。なんであんな奴がCクラスに残れてるのか不思議でたまらねぇよ。カンニングか、それとも教師に賄賂でも送ったのか? 有り得そうだな」

「……黙れぇえええええええええええ!!」

 

 気がつくと、小山は右腕を振りかざしていた。

 気がつくと、小山は床を蹴って駆け出していた。

 気がつくと、目の前に根本の顔があった。

 

「小山さん! 駄目!」

 

 島田の制止の声が聞こえるが、小山の心には届かない。今の彼女には何も聞こえなかった。大切な人を馬鹿にされた怒りが。好きな人を虚仮にされた憤りが。愛する人を貶された憤怒が、彼女の心を染め上げていたから。

 拳を握り込む。

 腕を振り上げる。

 クソ野郎の顔面を狙って、思いっきり怒りをぶつける!

 

「がっ!?」

 

 ゴッ! という鈍い音が聞こえたかと思うと、根本はやや後方に軽く吹っ飛んでいた。……いや、正確には吹っ飛ばされていた。小山の殴打によって、彼は頬を腫らせて廊下をのた打ち回っている。

 ミミズのようにグネグネと悶絶している根本を見下ろしたまま、小山は感情の赴くままに思いの丈を吐き出していく。

 

「アンタに……アンタなんかに、進の何が分かるっていうのよ!」

「な、なんだよ……!」

「確かにアイツは日頃から問題ばっかり起こすし、騒動起爆剤(トラブルメイカー)だし、理系科目に関してはFクラスどころか学年最低レベルかもしれないわ。他の生徒によく思われていないかもしれない。でも、アイツがどれだけ友達のことを……仲間の事を考えているかアンタに分かるの!? 場を和ませようと、明るくしようと努力しているアイツの気持ちが! 他人を蔑むことしかしないアンタなんかに!」

「グチャグチャうるせぇな……おい、鉄人! その五月蝿い女を早く補習室に連れて行けよ! 召喚者による攻撃は戦争規則違反だろ! さっさと失格扱いでこの場から連行してくれ!」

「西村先生と呼ばんか! ……小山、理由はどうあれ手を上げたのは事実だ。お前はこの場で失格とする」

「ほら、早く行けよバカ女! 目障りなんだよ!」

「根本、それ以上悪口を言うようなら貴様も失格にするぞ! いい加減にしろ!」

 

 西村の怒声に押し黙る根本。だが、その表情に悔しさは見受けられない。敵の主力を戦場から追放できたことに対する喜びに、密かにほくそ笑んでいるのが見なくても分かる。

 悔しかった。あんな奴に良いように言われたままこの場を去るのが、どうしようもなく悔しかった。

 

「小山さん!」

「島田さん……」

 

 駆け寄ってきた島田に思わず顔を上げる。自分の身勝手な行動で彼女達に迷惑をかけてしまった。罪悪感に押しつぶされそうになり、堪えきれずに目の端に涙が浮かぶ。

 

「ごめん、なさい……。私のせいで、みんなが……!」

「……ただの嫌味な女かと思っていたら、案外カッコいいじゃないの」

「え……?」

「後はウチらに任せなさい、友香(・・)

「しま……美波……?」

「アンタの想いはきっと届いてる。大丈夫よ。絶対に勝つから」

 

 「アンタは結果を待ってなさい」そう言って小山を送り出す島田。Bクラスを前にしてまったく臆した様子もなく、彼女は大群に立ちはだかる。見れば、遊撃隊の他メンバーも同様に小山に背を向けるようにしてBクラスに仁王立ちしていた。彼らに怯えた雰囲気は一切感じられない。

 

(皆、ごめん……。お願い、勝って……!)

 

 身勝手だとは思う。自分から不利にしておいて、都合がいいとは思う。

 だけど、今の自分にできるのは祈ることくらいだ。

 後ろ髪をひかれながらも、小山は西村に連れられるように戦場を後にした。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

『あはは。いやぁ、小山さんらしいと言えばらしいけど、まさかあそこまでするとは予想外だね』

『馬鹿なんだよアイツは。我慢しておけば良いのに、変なことでキレてさ。今までの努力が水の泡じゃねぇか』

『僕達のことなんて放っておけばいいのにねぇ。何言われても今更気にしないし』

『俺がCクラスで一番の問題児ってのは周知の事実だからな。あんな分かり切ったこと言われても流すだろうと思っていたんだが……あのヒステリックは治らないらしいな』

『まぁまぁ。でも満更でもない顔してるよ?』

『……うるせぇよ。ジロジロこっち見んな』

『……さてさて、小山さんが退場しちゃったからちょっと厳しいけど、どうする?』

『あ? 決まってんだろそんなの』

『だね。そう言うと思ったよ』

友香(・・)を泣かせやがったんだ。ぶちのめしてやらねぇと気がすまねぇ』

『意外だな。僕も実は同じ気持ちなんだ』

『馬鹿と同じ気持ちとか嬉しくないな』

『キミも相当馬鹿だと思うけど』

『違いねぇ』

 

 体育で教室を空けているDクラス(・・・・)の扉に手をかけたまま、彼はニィと笑みを浮かべる。怒りの炎を瞳に湛え、かつてない闘志を身に纏わせながら。

 

『行くぞ吉井。あのクズ野郎をぶっ飛ばす』

『オーケー波多野君。僕も一発お見舞いするよ』

 

 問題児二人が、戦場へと飛び込んでいく。

 

 

 




 根本の扱いに批判が出るかもですが、ご容赦を。
 次回もお楽しみに。


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第十五問

 その展開を、この場にいるいったいどれだけの生徒が予想できただろうか。

 40名のBクラス軍に対し、C・Fクラス連合軍はたったの11名。しかも最高戦力である小山友香さえも補習室に連行されてしまい、実質的な戦力は当初の20%ほどに落ち込んでしまっていると言っても過言ではない。対して、Bクラス軍は数名の防衛部隊を失ったとはいえ8割の生徒を残す万全の状態。そのうえ生徒一人一人の地力すらも連合軍の数段上を行っている。Aクラス程ではないにしても、学年でも上位に位置する優等生クラスを前にして、須川達の勝利はほとんどありえないものと化していた。そして、おそらくはその場にいる誰もがBクラスの勝利を確信し、連合軍の敗北を予期していただろう。

 Bクラス代表を務める根本恭二は当然ながら、現在において連合軍部隊長の須川も例外ではなかった。口では強がりを言っているものの、この窮地を脱する具体策が浮かんでこない。今の戦力をどう利用しても目の前の大群を打倒す妙案が浮かばない。元々頭を使うことが得意ではない彼にとって、一点集中突破が通じない相手は苦手と言っても良かった。

 そんな時、そんな時である。

 本来ならばずっと前に聞こえても良かったはずの声。今まであまりにも聞き慣れた、学内でも有名な『騒動起爆剤(トラブルメイカー)』の声が突如として新館の廊下に響き渡ったのは、本当に予想外の出来事であったのだ。

 

「遠藤先生ぃいいいいいい!! 召喚フィールドの準備をお願いしまぁぁぁぁす!!」

「り、了解しました。試獣召喚を承認します!」

「試獣召喚!」

 

 いつの間に確保していたのか、おそらくはDクラスから飛び出してきたであろう波多野は後方に遠藤教師を引き連れて廊下に姿を現す。Bクラスの背後。位置をより詳細に言うならば、須川達と共にBクラス軍を挟み撃ちにするような形で彼は戦場に殴り込みをかけたのだ。しかも、坂本がわざわざ分けた別働隊を引き連れず、単騎のみで。

 

「何やってんだ、あのバカは……!」

 

 あまりにも命知らずな行動に須川は思わず頭を抱える。彼が最も得意とする社会系の科目ならいざ知らず、今回の科目は英語だ。確かにそれなりには高得点を取っているのだろうが、それでも一騎当千と言えるほどの点数があるワケではない。どう考えても無謀すぎる。

 召喚フィールドの科目を確認した根本も同じ考えに至ったらしく、見るからに波多野を見下した表情で高らかに下品な笑い声をあげた。

 

「ひゃひゃっ! なんだよその普通としか言えないお粗末な点数はよぉ! そんだけの武器でわざわざ敵軍に突貫してくるとか、ヤキが回りすぎてとうとう頭の回路がショートしちまったかぁ?」

「……確かに、脳の回路が焼き切れちまいそうなくらいに、今の俺はドタマに来てるよ」

「あぁん? 何意味わかんねぇこと言ってんだオマエ」

「テメェには一生かかっても分からねぇよ! 俺がキレてる理由なんてなぁ!」

「なっ……!?」

「オラァ! さっさと根本までの道開けろ雑魚共!」

『キャァッ!?』

 

 西洋鎧と大盾を装備した召喚獣の頭上に表示されている点数は157点。Cクラスにしては高く、Bクラスでも通用するであろう点数。しかし決して図抜けているとは言えない中途半端な戦力。それでも波多野は、未だに実践慣れしていないBクラスの面々を力任せに薙ぎ倒していく。防御することなんて微塵も考えていない、邪魔する召喚獣達を片っ端から殴り、踏み、蹴散らしていく。その姿はまさに鬼神。自らが傷つくことを恐れずに邁進する波多野を前にして、Bクラスの面々に恐怖が伝染し始める。

 

『やべぇ……あいつやべぇって!』

『目が完全に正気じゃないわよ……!』

「ゴチャゴチャ言うな! いいから全員纏めてあの馬鹿野郎をぶっ潰せ! 数で押せば怖くなんかねぇだろ!」

 

 もはや怒りに身と心を支配されている波多野に慄くBクラス生徒達だったが、根本の一喝によって少しずつ彼の召喚獣に攻撃を加え始める。いかに操作慣れし、異様なまでの圧迫感を放つ波多野といえど、理不尽なまでの数の暴力を前にしてはなかなか前に進めない。無慈悲にも少しずつ点数を削られていく。

 

「くそが……!」

「ハハッ、ざまぁねぇな波多野! いいぞお前ら、そのまま……」

「だらっしゃぁああああああああ!!」

「なに!?」

 

 徐々に弱体化していく波多野に気を良くした根本が次の指示を与えようとした瞬間、Bクラスの(・・・・・)窓をかち割って廊下に乱入してくる謎の一名。何か固いものでも殴り続けたのか、左手から血を流している茶髪の少年。どこか抜けたような雰囲気を纏う、中性的な顔立ちの男子生徒。おそらくは文月学園においてトップクラスに有名な伝説的のバカ。

 Dクラスに潜んでいたはずの吉井明久が、廊下にガラスの破片を撒き散らしながら根本の付近に舞い降りた。

 

「げっ、吉井!?」

「根本恭二! 僕はお前に勝負を申し込む! いくぞ!」

「チッ、雑魚が一丁前に出しゃばるんじゃねぇよ、試獣召喚!」

「よし、俺達もいくぞ!」

 

 改造学ランに木刀を携えた吉井の召喚獣が根本に襲い掛かる。その場面を目撃した須川は、ここぞとばかりに声を上げた。乱入者の連続による統率が乱れたBクラス。彼らの数を少しでも減らす好機は今において他にはない。ここでできるだけ数を減らしておけば、まだ戦場に到着していない姫路瑞希や土屋康太の手によって勝利できる確率が飛躍的に上がる。須川の掛け声に、残された連合軍メンバーも各々の召喚獣を顕現させるとBクラス軍に特攻をかけ始めた。守ることに意識は向けない。ただ前に。前に進むことだけを考えて攻撃を加えていく。

 

「進め! 一人でも多く倒すんだ!」

「くそ、雑魚クラスのくせに……!」

「そうやって見下してばかりいると、いつか足元掬われるわよ!」

「そうネ! 今からその腐った性根を叩き直してやるヨ!」

 

 比較的点数が高い島田とシェリルが突破口を開き、須川達が援護攻撃を行う。点数では勝るBクラス生徒達であるが、多対一に持ち込まれると戦況は途端に連合軍側へと傾き始めていた。元々協調性及び団結力に欠けるBクラスである。チームワークにおいてはトップクラスである連合軍を相手にして有利でいられる理由は少ない。もはや協力することを忘れ、単独プレイに走り始めた生徒達を一人ずつ確実に葬っていく須川達。

 Bクラス側が徐々に人数を減らしていく中、吉井は根本との一騎打ちを続けていた。

 

「こんのぉ!」

「ちょこまかと鬱陶しいんだよバカの癖に!」

『Fクラス 吉井明久 VS Bクラス 根本恭二

 英語   54点  VS      176点』

 

 吉井の木刀が根本の脇腹に掠ってわずかながらにダメージを蓄積するが、激昂した根本の反撃は当たらない。ただでさえ操作に慣れていないうえに観察処分者である吉井は操作能力に関して言えば学年トップクラスに君臨するほどの猛者だ。ほとんど直線的な動きしかしてこない相手を回避するなんて造作もない。

 しかし、吉井は学年最低クラスの馬鹿であることもまた事実だ。いくら攻撃を避け、反撃を喰らわせたとしても、与えるダメージはかすり傷に等しい。焼け石に水とまでは言わないが、ほとんど効果は上がっていない。

 ジリ貧。まさにそう形容するのが最も適している光景がそこにはあった。

 

「くそっ! ゴキブリみてぇな動きしやがって!」

「ははっ! Bクラスの癖にFクラス一人仕留められないなんて、とんだお笑い草だね!」

「なんだとっ! この野郎、バカのくせに調子に乗りやがって!」

 

 吉井の挑発に激昂した根本がさらに攻撃の手を加える。四方八方から大振りに飛んでくる鎌をちょこまかと小刻みに動きながら回避する吉井の召喚獣。いつの間にか回避に専念し始めたようで、ついには根本の攻撃が掠りもしなくなる。

 あまりにも攻撃が当たらないことに苛立ちを覚え始めた根本は早急に対処すべきと判断したのか、咄嗟に周囲の仲間に援護を要請した。

 

「おいお前ら! さっさとこの馬鹿を叩きつぶして――――」

「……その『お前ら』っていうのは、ここで無様に膝をついている負け犬共の話か?」

「なっ……!?」

 

 根本の叫びを遮るかのように現状を説明する須川。周囲を見渡せば、40人いたはずのBクラス生徒は既に5人ほどまでに減っており、自身を守る親衛隊すらもマトモに生存してはいなかった。対してC・F連合軍側も多少は人数が減ったとはいえ、須川や島田、黒崎といった主力メンバーが未だに戦場に残っている。

 ――――そして。

 

「…………試獣召喚」

『試獣召喚!』

 

 ハスキーな声が聞こえたかと思うと、それに続いて数名の生徒が同じように召喚獣を戦場に喚び出した。Cクラスに潜伏していた、土屋康太率いる別働隊だ。ある程度人数が減ったら出動するように言われていたのか、満を持して登場した別働隊を前に明らかに顔色が悪くなる根本。ただでさえ旗色が悪い中、あまりにも決定的な増援に打開策を見いだせないでいる。

 

「そんな……そんな馬鹿な……!」

 

 かろうじて生き残っている数名の生徒の背後で頭を抱える根本恭二。確実に勝利できていた、負けるわけがなかった。そんな考えが頭の中を駆け巡っているのか、既にマトモな思考ができている様には思えない。

 そんな彼に加えて絶望を与える、傷だらけの兵士が一人。

 自慢の盾は上半分が吹き飛んでいて、西洋鎧も一部がかろうじて引っかかっているだけ。歩き方も歪で、もう少ししたら力尽きてしまうだろうことは容易に推測できる。背後に黒髪の低身長な少年を控えさせた傷だらけの盾役が、根本の召喚獣の前に立ち塞がる。

 彼の接近に気付いた根本は、目を見開いて思わずといった様子で擦れるように目の前の人物の名前を呼んだ。

 

「はた、の……すすむ……!?」

「……よぉ根本。見下していた相手に追い詰められた気分はどうだ?」

「っ……!」

「言葉もねぇか。まぁいい。とりあえず一発思いっきりテメェの顔面ぶん殴って――――」

「ひぃっ!?」

「――――やろうかと思ったが、さっき友香が俺の分までぶん殴ったからな。それでチャラにしよう」

 

 先程までの威勢はどこへやら。完全に竦み上がってしまっている根本に罪悪感を覚えた波多野は拳を下ろすと、どこか居心地が悪そうに後頭部をガシガシと掻く。ここまで追い詰めるつもりは毛頭なかったのだが、どうやらプライドが完全にぶっ壊れてしまったらしい。悪い事をしたなぁと軽く謝罪する。波多野が目の前まで近づいているというのに、生存したBクラス生徒達が攻撃を加えてくる様子はない。さすがに自分達の負けを認めているのだろう。大人しく根本までの道を譲っていた。

 軽く溜息をつくと、盾を構える。

 

「最後に一つだけ言っておくぜ、根本恭二」

 

 すっかり戦意喪失し、武器の大鎌も床に落としてしまっている根本の召喚獣に狙いを定めつつ、波多野は口を開く。自らの意思、自らの信念を、目の前の仇敵に伝える為に。

 

「小山友香を泣かせる奴は、この俺が絶対に許さねぇ!」

 

 召喚獣が腕を振り抜く。壊れかけの盾が根本の召喚獣の側頭部を捉え、思いっきり吹き飛ばす。

 そして――――

 

 

 

 

 




 はい、ようやく一巻内容が終了です。次回はエピローグかな? そういえばいつの間にか初投稿から一年以上が経過していたようで、時間がかかってしまい申し訳ないです。戦闘描写が下手なのに無理して戦争ばっかりやったからこういうことに……おそらく二巻以降は日常描写の割合が増えるかと思われ。
 死ぬほど時間がかかってしまった試験召喚戦争編ですが、一応は次回で終幕。最後までお付き合いいただけると幸いです。
 ではでは。


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第十六問

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 夕陽が差し込む校内を一心不乱に駆け抜ける一人の少女。横に流した前髪をヘアピンで留めたツリ目の少女は呼吸が乱れるのにも構わずに階段を黙々と駆け上がっていく。時折見知った顔とすれ違って声をかけられそうになるものの、彼女はあえて気づかないふりをすると一目散に最上階――――屋上へと急いだ。

 先程まで一階の生徒指導室で補習を行っていた彼女――――小山であるが、試験召喚戦争が終了したことによってようやく解放された。戦争の結果を聞き、とある人物の下に急ごうとはしたものの、その前に終わらせなければならないことを思い出し早速実行。現在はその任務を終え、目的の人物との合流を果たそうとしているわけである。何故か電話にも応答しなかった彼の居場所を突き止めるのには苦労したが、黒崎と新野がたまたま(・・・・)知っていたために事なきを得た。その際に二人が何やらニヤニヤと気色が悪い笑みを浮かべていたが、どう考えても小山にとっては面白くない意味であることは明白であるためそれ以上詮索することはしていない。その代わりいつか制裁を加えようと決心する小山。

 脇目も振らず階段を駆け上がり、ようやく目的の扉へとたどり着く。はやる気持ちをそのままに、荒い呼吸を整えることもせず、小山は勢いよく屋上へと続くその扉を開いた。

 

「進――――!」

「んぉ? よぉ、小山じゃねぇか」

 

 思わず名前呼びが出てしまったことは気にすることはなく、彼女の登場に驚くどころかいたって普段通りの様子で視線を向ける波多野。手摺に身体を預けたままぼんやりと階下の風景を眺めていたらしい彼はわずかに口角を上げると、いつもとは明らかに違う様子の小山に屈託のない子供のような笑顔を向けながら、

 

「勝ったぜ、友香(・・)

「っ……!」

 

 満を持して告げられた結果に小山は感極まった様子で波多野に駆け寄ると、そのままの勢いで彼の胸の中に飛び込んでいく。自分より背が低い男性の胸に飛び込むのは体勢的に少々無理があったのか、抱かれるというよりは抱き締めるような体勢になってしまっているのはご愛嬌だ。今、大切なのはそこではない。

 普段のイメージやプライドなんてすべてかなぐり捨てて、彼女は顔を伏せたまま肩を震わせる。

 

「ごめん、なさい……!」

「……何が?」

「私のせいで……私が勝手な事をしたせいで、アンタに迷惑を……」

「……迷惑なんかじゃねぇよ。むしろ、ありがたいくらいだ。面白い展開になったんだから、謝る事なんて何もねぇよ」

「進……」

 

 明らかに挑発されていたとはいえ、一時の感情に支配されて一瞬でも仲間達を危険に晒してしまったのは事実だ。たとえ結果がどうあれ、クラスの代表としては落第点と評されてしまっても文句は言えない。指導室で補習を受けながら、一人罪悪感に打ちひしがれていた小山は謝罪の言葉を口にする。

 しかし、波多野から向けられたのは叱咤の言葉でも叱責でもなく、感謝。何よりも騒動を好む彼にとって、小山の行動は正しくもあり好ましいものだった、と。肩を震わせて涙を流す彼女の頭を軽く撫でながら、波多野は笑顔で小山の行動に感謝を表す。

 それに、と付け加えると、小山の顔を上げさせて少し照れくさそうに頬を掻く。

 

「俺の事であんなに怒ってくれたんだもんな。だから、その……あ、ありがとう……」

「…………」

「な、なんだよその幽霊でも見たような顔は」

「い、いや……アンタが恥ずかしがってる光景が想像できなくて、今目の前にある表情が新鮮すぎてちょっと戸惑ってる」

「うるせぇなぁ! お、俺だって人並みに羞恥心くらい持ってんだよ!」

「戦争中にあんなにイタい台詞を堂々と言い放ってるアンタが? 聞いてるこっちが恥ずかしくなるっての」

「あ、あれはその場の勢いに身を任せてるから……って、お前もさっき馬鹿みたいな台詞吐いてただろ! 全部リピートしてやろうか!?」

「なっ!? や、やめなさい! あれは言葉の綾というかその場の勢いというか……」

「『確かにアイツは――――』」

「やめろぉぉぉおお!!」

 

 今更ながらにかつての自分を思い出して羞恥心に悶える二人。傍から見れば同レベルとしか思えない幼稚な言葉の応酬が始まると、しばらくの間互いに貶しあいながらギャースカと馬鹿騒ぎを続ける。先程までの甘いシチュエーションはどこへやら、いたって彼ららしいやりとりが屋上を支配する。

 数分罵り合って気も晴れたのか、どちらともなく溜息を吐くと会話を仕切り直した。

 

「それで? 根本との話し合いは終わったのか?」

「えぇ。しっかり別れの言葉を突きつけてやったわ。これで晴れて私は独り身よ」

「吉井や坂本達と同じ部類ってことだな」

「確かに間違ってはいないし分類はそうなるかもしれないけれど、あの二人と同列に並べられるのは甚だ遺憾だわ」

「やーい非リアー」

「何か言ったかしら……?」

「はっはっは何も言っては俺の右腕が肩から一気に抜けるぅーっ!?」

「反省しなさい」

「イエスマム!」

 

 まったく反省の色が見えない波多野に、もはや恒例となってしまった呆れを込めた溜息をプレゼント。しかし、小山の表情はどこか清々しさに満ち溢れた気持ちの良いものだ。憑き物が落ちたように、晴れやかな笑みを浮かべている。波多野の右関節を極めながらもにこやかに微笑む彼女につられるように、波多野もまたニィッと快活な笑顔を浮かべた。

 

「でもまぁ、安心したよ」

「安心?」

「あぁ。こんな言い方は良くないかもしれないけどさ、お前が根本と別れてくれて安心した」

「波多野……?」

 

 やや気恥ずかしそうにそっぽを向いてそんなことを言う波多野。いつもの彼らしくない言動に、小山は自分の頬がわずかに火照るのを感じる。夕陽に照らされてバレてはいないだろうがおそらくは朱に染まっているだろう自分の顔。どこか思わせぶりな彼の発言に、そんなはずはないと分かってはいても鼓動が早まる。

 チラ、と小山の顔を見ると、

 

「理由はよく分からないんだけどさ、お前が根本と付き合ってるってのが俺的には面白くなかったんだよ。お前と根本が二人でいる場面に遭遇するだけで、胸の中がもやもやしてた。何故だか、俺以外の奴がお前と仲良くしてるってのが気に喰わなかったんだ」

「ちょっ、いいい、いきなり何言ってるわけ!? そ、そんな言い方ってまるであのあの」

「俺にもよく分からないんだ。ただ、お前が根本と別れたって話を聞いて、俺はどうしてか安心してる。肩の荷が下りたって言うのか? 少しすっきりしたんだ」

「す、すっきりって……」

「……友香」

「あ、あぅ……」

 

 唐突に放たれる誤解を招きそうなセリフの数々に、勘違いだと理解はしていてもドキドキと心臓が高鳴ってしまう。彼への想いを自覚している今だからこそ、波多野の口から飛び出てくる言葉に期待を抱いてしまう。そんな精神状態で名前まで呼ばれると、自分の意思とは無関係に彼へと視線が向いてしまう。

 波多野と目が合う。見れば彼も頬を染めていて、いつの間にか完成した雰囲気のせいか「そういう」気持ちなのではないかと錯乱してしまう程に戸惑っていた。互いに視線を交錯させたまま、少しずつ距離を縮めていく。

 ヤバイ、と心の中で自分自身に制止を促すが、本能がそれを切り捨てた。潤んだ瞳に波多野を映し、半開きの口からは切なげな息が漏れる。完全に恋する乙女モードに入ってしまった小山を止められるものは、自分を含めて世界のどこにも存在しない。対する波多野も雰囲気に呑まれてしまっているのか、恥ずかしそうに口元をヒクヒクと痙攣させてはいるものの、小山との距離を離そうとする様子は見られなかった。

 拒否されてはいない。そのことを自覚するだけで、全身に甘ったるい快感が走る。

 

「す、進……」

 

 無意識に彼の名前を漏らすが、波多野は言葉を返す余裕もないらしい。傍から見ても分かる程に顔を真っ赤に燃え上がらせている。小山が波多野を止められないように、波多野も小山を止めるほどの気力を持ち合わせてはいないようだった。

 何度か目を逸らし、その度に互いを見つめる。

 いつの間にか自分の両肩には彼の手が添えられていて、わずかに踵をあげて背伸びしている姿が目に入った。普通キスをするのに背伸びをするのは女子の方だろう、逆じゃね? とかいうツッコミを内心入れるが、自分が長身なのは重々承知しているので今更感のある御託は喉の奥に引っ込める。その代わりと言っては何だが、恥ずかしくないように目を瞑ると唇を重ねやすい陽にゆっくりと軽く顔を傾けた。

 波多野の手に力が籠る。鼻先にかかる小刻みな息から、彼との距離がすぐそこであるということを悟った。

 唇に触れる、柔らかな感触――――

 

「あっ」

 

 それは、不意に小山の耳に届いた。

 バッ! と首が捩じ切れんばかりの勢いで声がした方に視線を向ける。波多野も気が付いたらしく、顔中にびっしりと汗をかきながらも渾身の睨みを聞かせて音源に顔を向けていた。

 視線の先――――屋上と校舎を繋ぐ扉の陰から何やら声が聞こえてくる。

 

『なんで声出しちゃってるんですかトオル君! せっかくいいところだったのに!』

『す、すまんすみれ! あまりにも見慣れない光景過ぎて思わず声が出ちまった!』

『トオルはうっかりさんネ! でも今回ばかりは許されないヨー!』

『さ、三人共! 代表が、進君が! 二人がこっち見てるから! 僕達滅茶苦茶ピンチだよ!?』

「…………」

「……テ・メ・エ・らぁあああああああ!! 何やってんだこらぁああああ!!」

 

 黒崎トオル。新野すみれ。木村シェリル。野口一心。

 毎度おなじみCクラスの仲良し四人組が扉の陰から小山と波多野の会話を覗いていたらしい。まったく反省していない会話が続けて聞こえてくるが、もはや叱責の言葉すら浮かんでこないレベルで、現在の小山は羞恥心に身悶えていた。見られたという事実よりも、雰囲気に呑まれたという現実が彼女のプライドをへし折っていく。

 頭を抱えて声にならない叫びを上げる小山。対して、羞恥心が第一に出たらしい波多野は珍しく戸惑った様子でお騒がせ四人組を追いかけていく。

 

「テメェら! 覚悟はできてんだろうなぁ!?」

「やっべ! 逃げるぞみんな!」

「逃げんな!」

 

 慌てて階段を駆け下りていく四人と波多野。彼らを見送ってしまい完全に取り残された小山は、ポカンと呆けた顔で一人屋上に立ち尽くしている。――――そして、周囲に誰もいないことを確認すると自分の唇を指先で軽くなぞった。

 

「……よし」

 

 一瞬ではあったが、確かに感じた唇の感触。最終的にはお預けのようなものになってしまったものの、一連の流れから小山は改めて決意を固める。可能性はゼロではない。戦いは、始まったばかりだ。

 屋上で一人、言葉を漏らす。

 

「絶対振り向かせて見せるんだから。覚悟しなさいよ、進っ」

 

 ニィ、と口の端を吊り上げると。とりあえず彼らを追いかけるべく屋上を後にする。クラス代表として、先程の恨みも含めて制裁を加えねばならない。拳を握り込みつつも、口元を綻ばせながら階段を駆け下りていく。

 

 

 Cクラス代表の一年は、まだまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 




 はい。長らくお待たせいたしましたが、これにて第一巻えぴそーどは終了でございます。次回からは清涼祭編。やっとやー!
 一年とかいう馬鹿みたいな長さでようやく一区切り。読者の皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしました。次こそはっ、次こそはもっと早く!
 さてさて、感謝してもしきれないとはこのことで、本当であれば一万字ほど皆様への感謝を綴りたい所存ではございますがそれは気力が持たないのでまたの機会に。
 それでは、また次回お会いしましょう!


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清涼祭編
第十七問


 清涼祭編突入です。


 あれだけ満開に咲き誇っていた桜の花も徐々に散り、夏の始まりを思わせる新緑が芽吹き始めるこの季節。生徒達がようやく新学期にも慣れ始める中、ここ文月学園もクラスの団結力が高まり、来たる『清涼祭』に向けての準備に取り掛かろうとしていた。

 それは我らがCクラスでも例外ではない。

 

「さてさて、そろそろ清涼祭での出し物を決めるぞお前達。より良く面白いものをやり遂げるには、やっぱり早い段階からの準備が必要不可欠だからな」

 

 教壇に立ち、早速会議を進める司会進行の波多野進。本来ならば副代表の彼ではなくクラス代表の小山が司会を務めるべきなのだろうが、ヒステリックな彼女が取り仕切るとマトモに話し合いが進まないというクラス全体の意見により今回は降板させられてしまったわけだ。彼が学園祭実行委員を兼業しているというのも一つの理由ではあるが、小山的にはどうにも納得がいかない話である。誰がヒステリックだ誰が。

 ノートパソコンが備え付けられた豪勢なデスクにうつ伏せになりながら一人頬を膨らませる小山。ここで余談ではあるが、先日行われたBクラス対CクラスFクラス連合軍の試験召喚戦争で連合軍側が勝利したことにより、Bクラスの教室設備はめでたくCクラスの設備と交換されていた。Fクラスとの兼ね合いをどうするかが懸念されていたのだけれども、彼らはBクラスの設備には興味が無いようで、快くCクラスに権利を渡してくれたのである。その代わりにBクラス自体を動員して何事かを行ったらしいが、そこは小山達の知るところではない。とりあえず、Bクラスの面々が非常に可哀想だったという事だけは記しておこう。

 

「まずは俺の意見を聞いてくれないか?」

 

 と、ここで提案の声と共に手が上がる。顎を机に乗せたまま視線だけをそちらにやると、挙手しているのは活発な雰囲気の少年、黒崎トオルだ。いつも先陣を切ってCクラスを引っ張っている彼であるが、今回はどんな意見を出してくれるのだろうか。少々期待を膨らませつつも耳を傾ける。

 

「で、黒崎は何がやりたいんだ?」

「ちょっとは珍しいものをやりたいなぁとも思ったんだが、ここは無難にメイド喫茶を提案してみようと思うんだ」

「メイド喫茶かぁ。じゃあその場合男子は全員厨房か?」

「いや、それはそれで勿体ないから、男子は燕尾服を着てメイド&紳士喫茶でもいいんじゃないかと。メイド喫茶と違って女性のニーズも増えるから、そこそこ稼ぎが見込めるんじゃないかな」

「なるほどな。筋は通っているから、候補に入れておくか」

 

 紳士&メイド喫茶、と黒板に記入する波多野。

 

「……ちょっと一人二役は面倒くさい気がするんだが」

「じゃあ代表が書記をやりなよ。司会は向いてなくても、それくらいならできるんじゃない?」

「野口君、貴方しれっと私を馬鹿にしているでしょ?」

「さぁてね」

 

 のらりくらりと小山の追及をかわす野口。相変わらずどこか掴みどころの無い性格をしている彼は、たまに小山の天敵となる。少々気を付けておこう、と心の中で危険度を上げる。

 彼の推薦を受け、黒板の前に立つと波多野からチョークを受け取る。

 

「そ、そんじゃ頼むぜ……こ、小山……」

「え、えぇ……」

 

 どこか気まずい雰囲気に包まれながらも隣に立つ二人。お互いにチラチラと視線を向けては、目が合う度に逸らすという過程を繰り返している。顔も若干赤くなっており、まるで中学生同士のカップルかと言わんばかりの小山達にクラスメイ全員から呆れの籠った溜息が漏れた。

 試験召喚戦争後に屋上で密会……もとい、話をしていた二人。その際に雰囲気に呑まれてではあるものの、抱き合った上にキス未遂までしてしまったのがどうにも気になっているようで、そこから今のように二人して気まずい空気を醸し出すようになっているのだ。最近はあまり二人きりでいるところは見ないうえに、会話すらロクにしていないように思える。嫌っているというよりはお互いを意識しすぎて委縮してしまっているという具合か。今更何を恥ずかしがっているのだろうかと思わないでもないが、そこは当人たちにも思うところはあるらしい。どうすることもできず、不器用な二人に溜息をつく面々。

 そんな絶賛少女漫画状態の二人司会の下、会議を続ける。

 続いて手を上げたのは、金髪ショートパーマに碧眼の美少女兼問題児、木村シェリルだ。カタコト日本語と騒々しさに定評のある彼女は、腰に手を当てると大声で自らの意見を述べた。

 

「ワタシがやりたいのハ、ストリップ喫茶ネ!」

『日本の法律嘗めてんのかこの脳味噌蛆虫野郎!』

「全員で一斉に悪口言うのは倫理的にオーケーなのカ!?」

 

 何やら滅茶苦茶な意見を押し通そうとしたシェリルは女子一堂により簀巻きにされたうえで掃除道具箱の中に詰め込まれていた。若干ストリップ喫茶に興味を示していたのはCクラスの男子精鋭であるが、そもそも代表の性格からして女子の方が権力が強いクラスである。真っ当な理由があるならばさておき、ただ性欲と性的好奇心のためだけに意見を通すのは普通に無理だった。

 その後もいくつか意見が出るが、シェリルの提案が影響しているのかマトモなものが出てこない。

 

「本当に大丈夫かこのクラスは……」

 

 机に両肘をついて頭を抱える苦労人の肩を同情で一度ポンと叩いておく。……ちょっと恥ずかしかったのですぐに手は放したが。

 

「……それじゃあ、そろそろ私の方から意見を言わせていただいてもよろしいでしょうか?」

「すみれ? そういえばアンタまだ一言も話してなかったわね」

「タイミングを窺っていたもので。結構いい案も浮かんだので、まぁ期待してくださいな」

「へぇ……まぁ、アンタに任せておけば失敗もないか」

 

 普段は黒崎と共にゴシップネタを求めて学園中を縦横無尽に駆け回っている新野だが、内面のみを見てみるとなかなかにマトモな常識人だ。ある意味ではCクラス最大の良心と言っても過言ではないだろう。以前三馬鹿トリオの喧嘩を仲裁していた時のように、彼女はある意味でストッパー的役割を果たしているとも言える。たまぁに暴走するときはあるものの、確率的には常識人枠に入る事の方が格段に多い。

 そんな彼女が提案する出し物はいったいどのようなものなのか。クラス中に期待が高まる中、皆の視線を一身に受けた新野は相変わらずの通りの良い滑らかな声で高らかに言い放った。

 

「私が提案する出し物、それは……演劇です!」

『……演劇?』

「はい! それも恋愛劇。男性と女性の甘く切ない恋模様を描いたラブストーリーです!」

「……あぁ、そういうことか」

「え? ど、どういうこと?」

 

 何やら拳を握って熱弁を始めた新野。彼女の提案に黒崎を初めとしたCクラスの面々が分かったような表情で神妙に何度も頷いていたが、小山と波多野は意味が分からずに首を傾げている。皆が何故新野の提案に何かを悟ったような顔をしているのか。完全に置いてけぼりを食らってしまい、あからさまに戸惑う二人。

 

『演劇かぁ。お金稼ぐ出店ばっかり考えていたけれど、そう考えるとそれもいいよなぁ』

『しかもラブストーリーだろ? ウチのクラスにはこれ以上ないくらい適材適所なコンビがいるもんな!』

『これをいい機会にして、あの不器用かつ初心なお二人さんを劇的ビフォーアフターできればいいんだけどねぇ』

「ちょっ、なんなんだよお前達! なんでそんなに団結してんだよ!」

「そうよ! まだマトモに説明すらされていないのに、その納得っぷりは何なのよ!」

「そんなだから代表達は【熟し忘れた林檎】とかいう渾名をつけられるんだよ!」

『意味が分からない!』

 

 もはやアウェーどころの騒ぎではない。ここまで置いて行かれると逆に悲しくなってくるので、そろそろ教えてくれないかと新野の言葉を急がせる。

 

「すみれ! ちゃんと説明してちょうだい!」

「ふ、いいでしょう。今回の配役、そして演劇を提案した主旨を説明すれば、友香さん達にも私の狙いがお分かりいただけると思います」

「主旨、だと……?」

「はい。それでは発表いたします……」

 

 勿体ぶるように台詞を溜め、空気を作り上げる新野。よく分からない緊張感に支配された教室で、思わず生唾を呑み込む小山。

 そして、満を持して新野の口が開かれる。

 

「まず配役!」

『おぉっ!』

「物語の主人公であり王子様、それはやはり何と言ってもこの人しかいない! Cクラス副代表にして騒動起爆剤、波多野進ダァーッ!」

『いぇぇえええええええい!!』

「何故実況風! 何故絶叫する! そしてそのテンションは何なのよ!」

「やはりこういうのはノリが大切かと」

「うるさいわよ!」

「俺が王子かぁ……照れるなぁ」

「アンタはちょっとは抵抗しろっ」

 

 どこから取り出したのかマイクを片手にプロレス実況者も真っ青な叫び声で配役を発表し始める新野にツッコミが止まらない。クラスメイトのテンションも正直理解ができないが、それ以上に傍らで何故か若干照れくさそうに王子役を受け入れている波多野にも理解が追い付かない。天然なのかわざとなのかは分からないが、少しくらいはツッコミに回ってくれないかと切に願う。

 

「そして次ィ! 皆が憧れるお姫様! それでもやっぱりこの人でしょう! 素直になれないツンデレ娘! 現在絶賛恋愛中! Cクラス代表にして安定感抜群のツッコミ係! 小山友香ぁああああ!!」

『Fooooooooooooo!!』

「黙れ! そして誰がツンデレ娘だ! 素直になれないとか余計なお世話よ! そんでもってツッコミなのはアンタらが見境なくボケ倒すからでしょーがっ!」

『あぁ、ツッコミが落ち着くなぁ』

「ぶっ飛ばすわよ!?」

「ほらほら、そんな荒れていると相手役の進君との折り合いがつかないよ?」

「何が相手役……って、は? 相手?」

「そうさ。なんたって恋愛劇なんだから、王子様とお姫様は恋愛するんだよ? それに、やっぱりラストはキスシーンで終わらせたいよね」

「きききき……きぃ――――ッ!?」

「え、いや……おい野口、マジかよそれ……」

「本気と書いてマジと読む。大真面目さ」

 

 予想外の展開に最早頭の回転が追い付かず、半ばショートしかけている小山。困惑はしているものの多少は落ち着いている波多野が代わりに聞き直すが、余計な補足を入れた野口はいたって真面目な表情を浮かべている。周囲の微笑ましい視線の中で、呆れと諦めが混ざったような溜息をつく波多野。

 そんな状況下に置いて、小山はもはや限界寸前だった。

 

(きききキスなんていやいや確かにこの前は未遂とはいえちょっとは触れるようなキスはしたけれど今回は劇のラストだからしっかりしないとでもでもさすがに公衆の面前で本格的なのはやらせないだろうけどでもこのメンバーなら余計なことに全力を入れてちゃんとしたキスまで持ち込むような気もしないでも――――!)

「お、おい小山? 大丈夫か?」

「ひ、ひぅ!? う、うきゃぁあああああああ!!」

「こ、小山ぁあああああ!?」

 

 顔を真っ赤にして今にも爆発するのではないかというほどに目をぐるぐると回す。あまりにも大丈夫ではない小山の様子に心配した波多野が肩を叩いて呼びかけるが、彼に触れられたことが引き金となり羞恥心がオーバーヒートを起こしたらしく、目にも止まらぬ速さで教室から飛び出していった。予想外の展開に言葉を失う波多野。

 

「女性陣追いかけて! まだ遠くまでは行っていないはずよ!」

「男性陣は波多野君のケアを! 王子様には強いメンタルを持ってもらわないといけないんだからね!」

 

 しかしながらクラスメイト達は小山の行動も予想の範囲内だったのか、惚れ惚れするほどの手際の良さで対応を始めていた。そんなことができるならもっと小山が混乱しないような言い方をすればよかっただろうに、とは言ってはいけない。

 

「まぁ頑張れよ波多野。お前ならいけるって」

「お前らなぁ……小山の気持ちも考えてやれよ……」

「今更何言ってんだよ。そもそもお前達が変に気まずい感じ出してるからこういうことになったんじゃないか」

「それはそうだが……」

「余計な事をされたくなかったら、さっさと自分の気持ちに正直になれよなー」

「…………」

 

 黒崎の言葉に思うところがあるのか、やや落ち込んだように目を伏せる波多野。そんな彼を横目に、再びやれやれと肩を竦める黒崎。

 Cクラスの出し物は無事に演劇に決定したが、一波乱は免れないようである。

 

 

 

 

 

 



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第十八問

 遅くなりましたぁー!


 放課後。

 それなりに紆余曲折、というか騒動はあったものの、Cクラスの出し物は当初の予定通り演劇に決定した。演目及び脚本は後日新野が製作して持ってくるらしい。小山的には非常に納得がいかない結果となってしまったが、Cクラスが一丸となってしまっている以上今更拒否もできない。数の暴力と言ってしまえばそれまでだが、そもそもクラス全体の団結力を高めるという名目で行われる清涼祭の出し物に対して個人的な意見を通すわけにもいかない。気は進まないが、大人しく状況を受け入れるしかないだろう。

 

(……気が進まない、か)

 

 何を言っているんだろう、と再び溜息をつく。気が進まないだなんて、そんなのはただの言い訳に過ぎない。乗り気じゃないわけないではないか。自分が憎からず思っている、それどころか好意を抱いている相手とのカップリング劇なのだ。嬉しいどころでは済まない結果である。むしろセッティングしてくれた新野に感謝すらしていいくらいの状況。それなのに未だに気が乗らない風を装っているのは、何よりも素直になれない面倒くさい乙女心のせいに他ならない。後は、ほんのちょっとのプライドと羞恥心くらいだろうか。何にせよ、小山のしょうもない見栄である。

 Bクラスとの試験召喚戦争を乗り越え、屋上にて自分の気持ちを再確認した。自分は彼の事が好きで、絶対に振り向かせて見せると決意した。その感情に嘘偽りは全くない。

 しかし、現実はどうだろうか。

 彼の顔を見ただけで心臓は高鳴り、マトモに会話すらできない。以前は何も考えずにできていたスキンシップさえも、少し肩が触れるだけで全身が沸騰してしまう。距離を縮めるどころか、自分から全速力で遠ざかっている有様だ。これで波多野を振り向かせようとしているなんて、片腹痛いどころの騒ぎではない。

 自分の不器用さが、つくづく嫌になる。

 

「なにやってんだかなぁ」

「そうですよホントに。何をやっているんですかこんな昇降口のど真ん中で」

「うっひゃあ!?」

 

 背後から突然投げかけられた言葉に油断しきっていた小山は驚きと共に飛び上がる。まったく予想だにしなかった接触は彼女の平常心を完全に奪い去っていたが、残されたなけなしの理性が視線を後ろに向けさせた。

 そこにいたのは、眼鏡を掛けたボブカットの知的な女子生徒。

 Aクラスに所属する波多野進の幼馴染、佐藤美穂だ。

 佐藤は目を白黒させている小山に奇妙な物でも見るかのような視線を送ると、

 

「何のことで悩んでいるか大方見当は付きますが、下駄箱の前で一人悶えているのは正直やめた方がいいと思いますよ」

「違っ……!」

「はぁ。友香さんは一人で悩むとドツボに嵌るタイプなんですから、こういう時は誰かを頼ることをいい加減に覚えた方が良いですよ」

「で、でも。こんなこと誰にも相談できない……」

「何を言っているんですか。そういう時にこそ親友である私を頼ってくださいよ」

 

 ポン、と肩を優しく叩きながら、ふわっと微笑む佐藤。慈愛の一言に尽きる聖母のような笑みを湛えたその姿は荒みきった小山には直視できない程に眩しくて、思わず腕で視界を遮ってしまう程だ。なんだ、なんなのだこの女神は。包容力と優しさに溢れた、この聖人は!

 佐藤に女神を幻視する小山。そんな彼女を、ゆっくりと抱き締める聖母。

 

「ほら、今から一緒に喫茶店にでも行きましょう。心がすっきりするまで話してみてください。さすればきっと救いが貴方を包み込むことでしょう」

「美穂……!」

 

 優しく抱きしめられる。その勢いで彼女の豊満な胸に顔を埋めながら優しさに全身を震わせる。あぁ、どうしようもなくて悩みまくっていた自分を見透かしただけでなく、解決までしてくれようとしているこの親友に一生ついていこう。イェス、ユア、ハイネス。

 よしよしと頭を撫でられ子供扱いされながらも、明らかに同年代とは思えない彼女の包容力に埋もれつつ、喫茶店に足を進めた。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 時間は遡って、再び放課後。

 屋上にある貯水槽。その上に仰向けに寝転がりながらぼんやりと空を眺めている一人の少年。グラウンドから聞こえてくる運動部の掛け声を背景に波多野進はいつになくダウナーな表情で日向ぼっこに勤しんでいた。春の心地よい風が波多野の髪を揺らす。放っておけばすぐにでも寝てしまいそうな程に気持ちの良いシチュエーション。しかしながら、何かに悩んでいるのか、波多野の表情は優れなかった。

 はぁ、とついた溜息が風に流されていく。

 

「自分の気持ちに正直になれ、ねぇ」

 

 清涼祭の出し物会議で黒崎からぶつけられたその台詞は、想像以上に波多野の心を揺さぶっていた。

 原因は分からないが、どうしてか小山の事になるとちょっかいを出したくなったり庇いたくなったりしてしまう。普段は面白いからだとか言っているが、実際のところは彼女に構ってもらいたいというのが正しいのかもしれない。自分でも分からない。どうして自分は、あんなにも小山の事が気になってしまうのか。

 

「……顔、真っ赤だったなぁ」

 

 冷やかし半分本気半分といった感じであろう新野が提案した出し物に対して、何かが限界を迎えたように教室から凄まじい勢いで出て行ってしまった小山の顔を思い浮かべる。彼女が怒りで顔を真っ赤にするのはいつものことだが、今回に限ってはそれ以外の感情が強かったようにも思えた。今まで特に感じてこなかったはずのものに対して戸惑っているような、そんな表情。

 彼女が何を考えていたのか、波多野には察することはできない。昔から他人の気持ちを推察する能力だけは鈍感だと言われ続けてきた不器用少年である。妙に鋭い時があるとはいえ、基本的に好き勝手してばかりいるトラブルメイカーにそれを求めるのは少々酷であろう。

 胸のどこかに妙な引っ掛かりを覚えながらもうーんと首を捻る。そんな時、貯水槽の下から彼の名を呼ぶ声が聞こえた。

 

「おーい、進。そんなところで油売ってないで一緒に帰ろうぜー」

「俺は男と仲良く二人で帰るような趣味はないので、吉井辺りを頼ってくれませんか」

「そういう意味じゃねぇよ! それにそんなことしたら島田辺りに殺されるわ!」

「なんだ、そういうところは分かってるんだな」

「裏切り者を不幸のどん底に陥れるためには人間関係の把握は必須なんだよ」

 

 そもそも異端審問会なんて発足しなければお互いに平和に暮らせるだろうに、と思わないでもないが、現実波多野自身もFFF団との騒動を楽しんでいる節があるので余計なことは言わない。

 須川を放ってこのまま寝続けるのも一興ではあるが、そろそろ風も冷たくなってきた。良い頃合いだろう。傍らに置いていた鞄を持ち上げると、貯水槽から飛び降りる。

 

「今日は美穂と帰らなかったんだな」

「あちらさんは別件で今日は不在だ。ま、たまにはいいんじゃねぇの?」

「彼女と帰れなくて残念でしたねー」

「あいつはただの幼馴染だっての!」

「毎日弁当作ってくれたり一緒に下校したりするただの幼馴染ねぇ」

 

 世間一般ではそういう関係の事を恋人というのではなかろうか。

 

「てか、お前も人のこと言ってる場合かよ」

「あん? なんで」

「小山さんだよ小山さん。なんか噂によればキスまでしたらしいじゃん。俺の知らないところでいつの間にそんな進んでたんだよー。ひゅーひゅー」

「カッターナイフ片手に言う台詞じゃないからな、今の」

 

 笑顔でナチュラルに刃物を向けてくる悪友が恐ろしい件について。

 腕を蹴っ飛ばして須川から凶器を奪いつつも、今の発言についてしばし考える。彼が耳にしているということは、もうそれなりに噂が校内に広まっていると思っていいだろう。事実はどうあれ、波多野と小山は『そういう』関係という認識になっているのかもしれない。実際にはキスはしていないどころか恋人でさえないのだが、噂とはげに恐ろしきかな。誰が広めたのか大方見当はついているが、これ以上彼女に余計な危害を与えないようにするためにも早いところ鎮圧を急がなければならない。

 そんなことを考えていた波多野だが、須川の声に我に返る。

 

「あのよぉ。俺が言うのもなんだけど、なんでそんなに小山さんとの仲を認めようとしないんだ?」

「……? すまん、言っている意味が分からないんだが」

「だからさ、なんで進は、自分の小山さんに対する恋愛感情を否定しようとするんだよ」

「恋愛感情……? は、いや、待て。なんのことだ?」

「え。いやいやいやいや、嘘だろ? 今更そんなこと言ってるのかお前」

 

 何やら信じられないものを見たような顔つきをする須川だが、信じられないのは波多野の方だ。どうして自分が小山に対して恋愛感情を持っているという話になっているのか。そこがまず分からない。自分と小山はあくまでもクラスメイトであり、親友でしかないはずだ。そんな歯が浮くような関係ではない。

 ……そう、ただの、友達なのだ。

 

「…………」

「急に黙り込んでどうした」

「あ……いや、なんでもない」

 

 表情に出ていたのか、波多野の異変に心配そうな顔を向ける須川。慌てて首を振って否定するが、突然走った胸の痛みは紛れもない本物だった。心臓が絞め付けられるような、じわじわくる鈍痛。何故だろう、小山の顔が過ぎるとともにその痛みが増していくのは。

 再び黙り込む波多野。唐突に訪れる静寂。

 そんな空気を取り払ったのは、須川の突然の一言だった。

 

「俺と清涼祭の召喚大会に出てみないか?」

「……は?」

 

 予想だにしない申し出に、波多野にしては珍しく素っ頓狂な声を上げてしまう。そんな彼を差し置いて、須川はこれ以上ない程に輝かしい笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 行きつけの喫茶店に移動した小山と佐藤。

 

「なるほど……まぁなんというか、友香さんらしい悩みですね」

「な、なによぅ。どーせ不器用な女ですよーだ」

「不器用というか素直じゃないというか。進君にも言えることですけど、お二人はホントそういう面に関しては赤点レベルですよね」

「う」

「少しは否定してくださいよ……」

 

 はぁ、とこれ見よがしに溜息をつく佐藤だが、むしろ息を吐きたいのは小山の方である。根本と別れてせっかくフリーになれたというのに、肝心のお相手とまともに話すことすらままならないという初心すぎる状態。進歩したと思いきや、関係的にはむしろ退化していると言われても否定はできない。おかしい、こんなはずでは。試験召喚戦争後に発生した屋上イベントがまさかここまで足を引っ張るとはさすがの小山も予想できなかった。

 ココアを煽り、息をつく。

 

「まぁ改善はともかくとして、少し肩の力を抜いてみてもいいかもしれませんね」

「簡単に言ってくれるわね……。こちとらストレスで夜も眠れないって言うのに」

「だから、そのストレスを発散してみるんですよ」

「発散ねぇ……」

「……そんな友香さんに私から提案があります」

「提案?」

 

 頬杖をついてだらしなく目を細めながらの小山の言葉に、待ってましたと言わんばかりのドヤ顔で鞄から何やら取り出そうとする佐藤。ゴソゴソとしばらく鞄の中を漁った後に現れたのは、何やらイラストが目立つ一枚のチラシ。

 目の前に差し出されたソレを読み上げる。

 

「清涼祭試験召喚大会?」

「はい。二人一組のタッグマッチで行われる、試験召喚システムを使ったトーナメント大会です」

「へぇ……まぁ、文月学園らしいと言えば文月学園らしいけど」

 

 全国でも文月学園にしかない特別なシステム。世界中からも注目されているこの特徴を宣伝するにはもってこいのイベントだ。大会制にすることによって生徒の協力も得られるし、理に適った方式と言えるだろう。

 さてさて、だ。おそらくはこういうことだろう、と小山は顔を上げる。

 

「もしかして、これに一緒に出ようとか言わないわよね?」

「そのもしかしてですよ友香さん。私と一緒に優勝目指して頑張ってみませんか?」

「本気で言ってるのアンタ……クラス代表とはいえ、私はCクラスなのよ? 勝てるわけないでしょ……」

「友香さんの大好きな進君なら、そんな弱気なことは絶対に言いませんけどね」

 

 聞き捨てならない佐藤の台詞に、小山の耳がピクリと反応する。

 

「……どういう意味よ?」

「そのままの意味ですよ。最初から躊躇するなんて、そんなの面白くないじゃないですか。進君が聞いたらたぶんがっかりすると思いますよ」

「は、波多野は関係ないでしょ」

「大有りです。彼に近づきたくないんですか? 彼がやりたいことなら、自分の事のように全力になりたいとは思わないんですか?」

「波多野の、やりたいこと……」

「この大会、おそらく進君は出場しますよ。組み合わせ次第では、彼と戦うことになるかもしれません。自分の力を証明したくありませんか? 貴女の想いを、彼にぶつけたくありませんか?」

「ちょちょ、どうしたのよ、なんでそんな大それた話に……」

「確かに大袈裟ですが、このままでいいんですか? このまま逃げていて、友香さんの悩みやストレスは解決されるんですか? 時間の経過で済むような、そんな軽いものなのですか?」

 

 捲し立てるような佐藤の物言いに戸惑うが、彼女が向ける真剣な眼差しを前にすると二の句が継げなくなる。言い方は多少無理矢理ではあるが、確かに今の小山は問題と向き合おうとはしていない。自分から逃げて、波多野から目を背けて、問題の解決に背を向けているだけだ。今の小山を彼が見れば、「面白くない」と一喝することだろう。困難に向き合い、全力でぶつかることを何よりも好む彼ならば、間違いなく。

 

 ――――確かに、美穂の言う通りかもしれないわね。

 

 

「勝算は?」

「その場の勢い」

「作戦は?」

「ぶっつけ本番」

「……勝つ自信は?」

「聞く必要がありますか?」

「アンタも大概バカよね」

「友香さんほどではないですけどね」

「……」

「……」

『……ぷっ。あははっ』

 

 互いに皮肉をぶつけ合い、しばらくの間睨み合う。後に訪れたのはどちらともなく零れた笑い声。何が面白いのか、目の端に涙を浮かべるほどに腹を抱えて爆笑する乙女二人は、他の客からの視線を受けながらもそのまま相手に向かって右手を差し出す。

 

「勝つわよ、美穂。あのバカに私の本気を見せてやるんだから」

「当然です、友香さん。目に物見せてやりましょう」

 

 先程とは打って変わって、しかしながらどこまでも小山らしい大胆不敵な笑みを湛えて。目指すは優勝、ただ一つ。何かが吹っ切れたような、清々しい胸の内。重荷が取れたと言わんばかりのすっきりした表情で、小山友香は本来の自分を取り戻す。

 ――――佐藤の携帯電話に、須川からの『作戦成功』メールが来ていることなんて、微塵も知らないながら。

 

 

 

 

 

 



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第十九問

 波多野と須川、小山と佐藤という両コンビが誕生した日から二週間ほどが経過し、ついに到来した清涼祭当日。大会参加者用に用意された模擬戦空間での特訓や、出し物である演劇の練習に精を出してきたが、ついにその成果を発揮する時が来たのだ。

 実際の公演は最終日の明日ではあるが、Cクラスの教室は既に演劇の舞台に改装されている。演劇部に所属しているシェリルが用意した照明や音響器具によって、それはまさに本物の劇場を彷彿とさせた。教室の入り口付近には新野力作のパンフレットが置かれてあり、開場時間までも飽きさせない工夫が随所に見られる。元々はBクラスのものであった教室であるから、収容人数もそれなり。準備は万端と言えるだろう。

 そんな中、舞台の奥に用意された控室兼更衣室では、今回の花形ともいえるヒロイン、小山友香が着替えを行っていた。更衣や化粧を手伝っているのは横尾知恵と岡島久美。実家が貸衣装屋、美容院というCクラスが誇る二大ファッショナブルな二人が、小山をヒロインへと昇華させていく。

 

「ほ、本当にこれ着るの?」

「当然ですわ。シンデレラと言えばドレスと相場が決まっているのですから」

「というか別に今すぐに着るわけやないんやから、恥ずかしがらんでもえぇやろ」

「今じゃなくても着ることには変わりはないでしょ!」

「諦めてくださいまし。それよりも、早くこのみすぼらしい服を着てくださいな」

「知恵の口調でそれを言われると現実味が増すのよね……」

 

 横尾から渡されたつぎはぎだらけの服を手に取りながら、口元を引き攣らせる小山。お嬢様口調の横尾が今回演じるのは継母。まさに適役と言っていいほどに彼女の威圧感は想像以上だ。ニコォと笑顔を浮かべながらも表情の奥に狂気を感じさせるその演技力には脱帽するしかない。

 仕方なしに衣装を身に纏いながら、なんとなしに愚痴をこぼす。

 

「というか、わざわざ前もって試験召喚大会にまで衣装を着ることはないと思うんだけど」

「なに言うてんねん。代表は試験召喚大会に出るんやろ? ほんなら、劇中のカッコして大会に出たほうが集客効果が見込めるやん」

「人を客寄せに使わないでよ……」

「まぁまぁ。でも、こんなに綺麗なんですから、それを利用しない手はございませんわよ?」

「き、綺麗とか……」

 

 不意に褒められたのが恥ずかしかったのか、小山は顔を赤らめるとわずかに視線を泳がせる。性格上あまり人に褒められることが多くない彼女はこういう素直な賞賛に対して耐性が薄いらしく、こうして褒められる度に今回のような初々しい反応を見せる。まるで乙女のように恥じらうその姿は、普段の気丈な態度とのギャップから凄まじい破壊力を持つ。Cクラス内ではすでに癒し系との位置づけをもらってしまう程だ。

 小山の反応に、横尾と岡島は顔を見合わせると同時に怪しい笑みを浮かべる。

 

「ほら代表。せっかく着替えたんやから愛しの進はんにしっかり見せに行かんと」

「は、はぁ!? なんでわざわざ!」

「どうせ外に出るなら見せることになるのですよ? 今更恥ずかしがってどうしますの」

「いや、でも……波多野に見られるのは、ちょっと……」

「ちょっとなんやねん」

 

 岡島の問いに、小山はしばらく黙り込むと、真っ赤な顔でぼそぼそと言葉を漏らす。

 

 

「可愛くない、って言われたら、ショックじゃん……」

 

 

『…………』

 

 なんだこの可愛すぎる生物は。

 そう言わんばかりに、いや、そう言わざるを得ない程に萌力の高いギャップを披露した小山。顔を赤らめて恥ずかしそうに視線を逸らすその姿には、日頃の強気でヒステリックな面影はない。しかし、それ以上の何か、彼女も恋する乙女であることに違いはないのだと思わせる純愛的な雰囲気が岡島と横尾のハートを貫く。

 これはもう、愛する彼の下に送り届けるしか選択肢はないだろう、とメイク二人は意思を固める。

 

「んもぉー! かぁいいなー代表は!」

「ですわですわ! 早くさっさと早急に波多野さんの所に行きますわよ!」

「えっえっちょっ!? 背中押すなー!」

 

 ぐいぐいぐいと背中を二人に押されて更衣室から外に追いやられる。ちょうど舞台裏、控室となっているその空間に押し出された小山だったが、奇跡的なタイミングで噂の彼とご対面を果たす。

 

「あっ」

「ん?」

 

 時間を持て余し暇だったのか、台本を読み返していたのであろう波多野と目が合う。一瞬頭の中が真っ白になるが、現在の服装を思い出すと慌てて更衣室の中に戻ろうと振り返る。

 しかし、扉は頑なに動かない。おそらくは、中で二人が押さえているのだろう。

 

「アンタ達ぃー!」

「あー、その、小山? その衣装……」

「ふにゃあ!?」

 

 ついに衣装を指摘されてしまい尻尾を踏まれた子猫のような甲高い素っ頓狂な声をあげてしまう。よりにもよってつぎはぎだらけの貧しい娘姿を見られたことが彼女の羞恥心を煽る。純白のシンデレラドレスならまだしも(良くはないが)、こんなみすぼらしい服装を実際に見られたとなると想像以上の恥ずかしさが全身を染めていく。「あうあう」と目を白黒させて目の端に涙を浮かべる彼女の姿は筆舌に尽くしがたい。

 そんな絶賛混乱中の小山だったが、ふと目の前の波多野の服装がいつものブレザーではないことに気が付いた。

 

「は、波多野? その恰好……」

「あん? あぁ、これか? なんか試験召喚大会で出し物の宣伝してこいって言われてさ。こーゆーのは似合わないって言ってんだけどなぁ」

 

 やれやれといった様子で溜息をつきつつ豪奢な襟を指でいじる波多野。純白の記事に金色の装飾があしらわれたそれは、どこからどう見てもおとぎ話に出てくるような王子様の衣装だ。服装に合わせているのか、普段は下ろしている長髪もワックスで掻き上げられている。ちんまりとした騒々しい問題児の面影はすでにそこにはなく、絵本から出てきたと言われても信じざるを得ない程の王子様が、そこに。目の前に。なおこれは小山自身の補正が入っているため、多少大げさな描写が含まれていることは扉の隙間から様子を伺う野次馬二人が保証する。

 数秒。短いとも長いともとれるその数瞬の間、小山は確かに見惚れていた。先ほどまでは自分の似合わない服装に戸惑っていたというのに、意中の相手、それも普段ならば絶対にしないようなレアな恰好を目の前にして、彼女は完全に思考を停止させてしまっていた。

 小山が自分を見つめていることに気が付いた波多野は少したじろぐが、ここで引いてはいけないと思ったのか若干目を逸らしながらも手持無沙汰に後頭部をガシガシと掻く。

 

「そ、その衣装……」

「あ……ち、違うの! ほ、本当はもっと綺麗な衣装もあって、こんなつぎはぎだらけの服がメインってわけじゃないの! 進に見せたかったのは、こんなぼろっちい衣装じゃ……」

「小山、小山。出てる出てる。名前呼びが出ちゃってる」

「あ、ぅ……」

「……ったく、あいっかわらず上がり症だなぁ」

 

 テンパって終始慌てている小山の姿に何を思ったのか、思わずといった様子でぷっと吹き出す。どこか張りつめたような空気が一瞬で霧散し、心地よい雰囲気に包まれる。

 それは、ちょっと前までは当たり前にあったような、二人の間に常に存在していたような居心地のいい空気。緊張感なんて微塵もない、リラックスできる温かな空間。

 ……どこか肩の荷が下りたような、そんな気持ちが生まれる。

 

「……アンタこそ、チビのくせに似合わない恰好してるじゃない。背伸びしたいお年頃なの?」

「馬鹿言え。俺はどんな服を着ても最高に似合うんだよ。元がいいからな」

「寝言は目を閉じてから言いなさいこの騒動起爆剤」

「どうも」

「褒めてないわよ」

 

 そんな減らず口をお互いに叩き合うと、どちらともなく笑い声を漏らす。まだ、完全に修復したわけではない。今でも彼を見ると鼓動が高鳴っているし、身体も熱い。できることなら今すぐにでも彼の前から姿を消して悶々としてしまいたい程だ。恋する乙女の恋心は、そんな簡単に治まりはしない。

 だけど、だけど。

 この前みたいにまともに話もできず、どちらも気を使い続けて離れ離れになっていくようなことはもうやめだ。そんなことでは、ここから先に進めない。

 ここは私から一歩踏み出してやろう、と柄にもなく決意を固めて口を開く。

 

「まぁ、いいんじゃない? 私の相手役としては及第点といったところかしら。それなりにカッコイイわよ、波多野」

「…………お、おぅ」

「え、なにその微妙な反応」

 

 せっかく褒めてあげたのに、なぜかどもったように口籠っている。よくよく見れば、どこか頬が赤らんでいるようにも見えないでもない。どうしたのだろうか。こんな態度は彼らしくない。

 首を傾げる小山を他所に、波多野は頬を掻きながら視線を泳がせている。

 

「あ、いや、なんだろうな……」

「何よ、はっきり言いなさいよ気持ち悪い」

「酷いな? ……いや、なんかさ。お前に褒められると、こう、胸のあたりがくすぐったくなるというか、恥ずかしくなってくるというか……」

「は、はぁ!? そ、そんな思春期みたいなこと言ってるんじゃないわよ! こっちまで恥ずかしくなってくるでしょ!」

「わ、悪い……」

 

 なんだ、なんなのだ。なんなのだこの男は!

 せっかく勇気を出して踏み出したというのに、出鼻を挫くように照れた表情を見せてくる。普段見せないようなそんな弱々しい顔を見せられると、いつもとのギャップで、こう、イケナイ気持ちになってしまうではないか。

 どう返事をしたものか頭の中でぐるぐると思考が回る。同時に黙り込んでしまい、再び訪れるのは甘々な恋愛空間。もう帰ってこなくてよかった雰囲気がただいまと言わんばかりに現れる。

 そして、不幸は続くもの。黙ってしまった小山に何を勘違いしたのか、彼はふと小山の目を見据えながらこんなことを言ってきやがったのだ。

 

「で、でもさ。小山の恰好も最高に似合ってるし、可愛いと思うぜ?」

「~~~っ!?」

 

 ボン、と。小山の鼓膜を確かに震わせた爆発音。脳内が沸騰したように体温が急上昇し、全身が動作不良を起こし始める。何か反論しようとするが、うまく舌が回らない。完璧な不具合が小山を襲う。

 

「にゃにゃにゃ!? と、突然にゃにを――――!?」

「あ、いや……素直な感想を言っただけなんだけど」

(可愛いって言われた可愛いって言われた可愛いって言われた可愛いって言われた――――!)

「にゃ――――ッ!!」

「こ、小山ぁ!?」

 

 羞恥心が臨界点を突破し、脇目も振らず控室から走り去ってしまうヒロイン。もはやプライドも羞恥心も崩れ去ってしまった今の彼女を止める術はない。すべてをかなぐり捨てて恥ずかしさと戦う神経質少女の明日はどっちだ。

 一人残された波多野に申し訳ないように手刀を切った二人の野次馬が彼女を連れて帰るまで、およそ十分の時間を要することになるのだが、それはまた余談である。

 

 

 

 

 



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第二十問

 お、お久しぶりです……。


 そんなこんなで、試験召喚大会の一回戦である。

 

「うぅ、あの二人いつか絶対シメてやる……」

「どうしたんですか友香さん。両親を殺され復讐を誓った人みたいな顔してますけど」

「あながち間違ってはいないわ」

「?」

 

 継ぎ接ぎだらけの服に身を包みながらも涙目でぶつぶつと呪詛を呟き続ける小山。隣に立つ佐藤が心配そうに顔色を窺ってくるが、小山が纏う負のオーラが鎮まる様子はない。結果オーライだとか何だとか、そういうことは一切合財抜きにして、あのメイク二人に天誅を喰らわせることを心の中で決意した。少なくとも埋めてやる。この屈辱は決して忘れない。

 対戦相手を見ると、BクラスとDクラスのコンビ、それも上級生であるようだ。まだ受験勉強が本格化していないこの時期に目一杯思い出を残しておこうという心持だろうか。男女コンビで、様子を見る限りはカップルであるようだ。

 

『拓夢! この大会で優勝したら、アタシは貴方に一生の愛を誓うわ!』

『勿論さ瑠璃! ボク達の愛を以てすれば、障害になり得る生徒なんて一人たりともいやしない!』

『拓夢!』

『瑠璃!』

「…………」

 

 もうすでに帰りたい。

 上級生とはいえ、さすがにツッコミの一つも入れたくなるが、こちらはこちらで勝たねばならない事情がある。この試験召喚大会で優勝して、あの鈍感騒動起爆剤に目にモノ見せてやると誓ったのだ。彼の為にも、そして自分を焚き付けてくれた相棒の佐藤の為にも、こんな序盤で負けるわけにはいかない。

 しかしながら相手の片割れはBクラス。それも操作能力では格段に分があるであろう上級生だ。いくらCクラス代表の小山と言えども、苦戦以上の戦いを強いられる可能性は捨てきれない。

 向こうもそれを分かっているのか、見るからに勝ち誇った表情で小山達を煽り始める。

 

 

『見なよ瑠璃! あちらは下級生、しかもCクラスだ! 相棒はAクラスのようだけど、見るからに地味で強そうには見えない! これは勝ったも同然だね!』

『そうね拓夢! あっちのCクラスは相手にならないし、Aクラスの方も地味で陰気で図書館の隅が似合いそうな引っ込み思案臭がプンップンするわ! あんな目立つのが嫌いそうな地味女に、アタシ達のラブラブパゥワーが負けるはずないもの!』

「…………へぇ。地味、ですか」

「あー……」

 

 聞いているだけで頭が痛くなるような言葉の連続にもはや呆れ以外の感情が浮かばないが、隣で顔を俯かせたまま静かに呟く相方の様子に胃が痛み始める。どうしてあぁいう人種は他人の地雷をマッハの勢いで踏み抜くのだろうか。この学校は煽り力、という点においては学年主席レベルの猛者が大量に集まっている気がする。まったく自慢にもならないけど。

 隣に立っているだけなのに、ぶわっと嫌な汗が吹き出し始める。ここに須川と波多野がいたら一目散に会場から逃げ出しているか、対戦を止めてでも佐藤を落ち着かせていただろう。それほどまでに、彼女にとっての禁句なのである。

 ゆらり、とわずかに顔を上げた佐藤が相手方へ声をかける。

 

「私は……私はそんなに、地味ですか……?」

『わざわざ確認作業をするとはちょっと頭のオツムが弱いようだね地味娘! その髪型に眼鏡、そして規則正しく着用した制服! これを地味と言わずに誰を地味と言うんだい!?』

『彼氏なんて一生できなさそうな、そんな真面目雰囲気だわよ!』

「…………へぇ」

(ひぃいいいいいいい!)

 

 今すぐここから走って逃げ去りたい。一般公開される三回戦じゃなくて良かったと心底思う。まさかAクラスの優等生が、こんな見るからにダークなオーラを醸しているとか文月学園の沽券に関わる。霧島や久保がいればフォローの一つも入ったのだろうが……いや、佐藤以外のAクラスメンバーを見る限り、ちょっと安心できない小山がいた。どうなっているんだこの学校は。

 キリキリと悲鳴を上げ始めた胃袋を抑える為にこっそり胃薬を服用しつつ、召喚の準備を整える。Cクラスだけでも手一杯だというのに、どうしてストレスの元が次々と出現していくのだろうか。二年生に進級してから胃薬の量が格段に増えた気がして涙が止まらない小山友香十六歳だ。

 審判を行っている古典担当の向井先生が合図とばかりに右手を上げる。長々とくっちゃべっている相手とは反対に、こちらは、というよりも佐藤がやけに準備万端だ。せめて安らかに眠れ、と小山は痛むお腹を押さえつつ馬鹿ップルへの黙祷を捧げる。

 

『さて、それでは早速一回戦を始めましょうか。双方、召喚をお願いします』

『サクッと勝ってデートの続きといこうか、瑠璃! 試獣召喚!』

『肝試しで拓夢のハートをキャッチマックスよ! 試獣召喚!』

「……試獣召喚」

「さ、試獣召喚」

 

 温度差が滅茶苦茶エゲツナイ中、片やマイペースに、片やギスギスした雰囲気で召喚獣を呼び出していく。カップル二人は予め調整でもしていたのか、ハートマークのペアルックTシャツに、お揃いのレイピアを装備していた。可もなく不可もなくといった様子だが、油断はできそうにない。

 

『Bクラス 斎藤拓夢 & Dクラス 有明瑠璃

 古典   167点 & 98点      』

『フフッ、どうだいマイハニー。これがボクの実力さ!』

『キャー! カッコイイダーリーン!』

 

 観客がいないのを良い事に、これ見よがしにいちゃつき始める上級生達。若干のイラつきを見せる小山ではあったが、数分後に訪れる結末を思うと同時に哀れなものを見るような表情を浮かべるしかなかった。

 小山の点数はそこまで高くはない。そもそもそんなに古典は得意でもないし、所詮はCクラス代表。つまりは学年平均レベルだ。相手に有利を取れるほど高得点を取っているわけでは決してない。

 ……だが、相方の佐藤はどうだろう。

 確かに外見的には地味で引っ込み思案に見えるかもしれないが、彼女はこれでもAクラス四天王と呼ばれる程の実力者だ。久保と霧島にはさすがに及ばないが、木下優子と共に学年でもトップクラスの成績を誇る優等生。しかも、彼女の得意科目は文系。文学少女な見た目から分かるように、こと国語系統の教科に関しては、彼女は他の追随を許さない。

 ――――たとえそれが、学年主席であったとしても。

 ディスプレイに表示される小山と佐藤の点数。

 

『Cクラス 小山友香 & Aクラス 佐藤美穂

 古典   103点 & 556点     』

『『ごっ、500点オーバー!?』』

 

 驚愕に染まる馬鹿ップルの二人。無理もない。400点を超えれば優等生の証である腕輪が貰えるような世界で、それを遥かに凌駕する化物じみた点数を引っ提げて登場したのだから。

 というか、佐藤の事を地味だなんだと揶揄していたが、学業成績がすべてを決める試験召喚戦争において、何をトチ狂った暴言を吐いていたのかと心底疑問に思う。地味で勉強ができる生徒が輝く制度、それが試験召喚制度だというのに。そもそも成績でクラス分けされている時点で地味だ派手だは議論の対象にならないことに気が付くべきだろう。

 ネイティブアメリカン風の衣装に鎖鎌を持った召喚獣を一歩進ませながら、佐藤はハイライトの消えた瞳で相手を見据える。

 

「地味だ地味だと人の気も知らないで散々っぱら言ってくださいましたね先輩方……」

『ひ、ひぃっ!』

「私だって……私だって好きでこんな大人しい雰囲気でいるんじゃありませんよ……? 化粧の勉強もして、ファッションも学んで……それでも、こういう文学少女スタイルしか似合わない私の気持ちが……私の心が貴方達に分かるんですか……!?」

『こ、来ないで! 来ないでぇええええ!!』

「許しません、逃しません、返しません。貴女方の命運は、今ここですべて私が断ち切るのですから……!」

「……こえぇ」

 

 ゆらり、と幽鬼のごとく挙動を見せる佐藤に滅茶苦茶ビビッている二人。そんな彼女達を他所に、一人完全に雰囲気に置いていかれた小山は大仰に溜息をつく。完全にブチギレた佐藤を見るのはこれで3回目だ。1回目は入学当初に波多野からセクハラを受けた時。2回目は須川が他の女子生徒に色目を使った時。その2回と同じくらいの地雷を踏んだ彼らにはもはや合掌を捧げるくらいしか小山にはできることがない。せめて安らかに眠れ。

 巫女服に三叉槍というなんともマニアックな装備をしたためた小山の召喚獣が飛び込む隙がないくらいに威圧感を垂れ流す佐藤と召喚獣。鎖鎌をブンブンと振り回すその姿はまさに悪鬼。今この瞬間においてはかの悪鬼羅刹坂本雄二も恐れを為すこと間違いなしだ。というか、ここまで佐藤を怒らせた自分自身を責めてほしい。

 

「天誅ゥ――――ッ!」

『『いやぁああああああ!!』』

 

 上級生達の悲鳴空しく、腕輪能力【雷電】を使用した佐藤の鎖鎌一閃により、わずか数分にして小山の1回戦は終了と相成ったのであった。

 

 

 

 

 




 お久しぶりです、ふゆいです。
 更新が二年近く空いてしまい申し訳ございません。言い訳は致しません。
 ただ、これから遅れても更新だけは続けていこうと思うので、目に付いた際には読んでいただけると幸いです。


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第二十一問

「あ、おかえり代表。一回戦どうだった?」

「……鬼がすべてを蹂躙していったわ」

「鬼?」

「なんでもない。気にしないで野口君」

 

 波乱の一回戦を勝利で飾り、極度の精神的疲労を抱えながら教室へと帰還した小山を受付をしていた野口が出迎える。演劇の開始時間までは残り30分。形式としては複数回に分けて上映するのではなく、最初から場面に分けて通す感じで行っていく。つまり、初日に前半パートを二回に分けて演じ、二日目に後半パートを二回に分けて、合計四つのパートにチャプターを分けて演劇を進めていくという具合だ。一応途中から来たお客様用に、上映済みのパートは録画を別室で放映することになっている為、その辺りは抜かりはない。Bクラスの教室は結構な広さを誇る為、空間を二つに分けても支障がなかった。

 暗幕の裏を通って楽屋へと向かう。横尾と岡島による化粧はまったく崩れてはいないもの、一応はヒロインを演じる立場である為、服装の再確認だけでもしておいた方が良いと思った為だ。第一部では王子様の出番はないため、現在波多野は試験召喚大会の一回戦に出場している。王子様の白い衣装を纏った波多野が戦っている姿を想像するだけでニヤニヤが止まらない。……少し格好いいかもと思ったのは、ここだけでの秘密であるが。

 

「そんなにニヤついて、どうせまた波多野君のことでも考えていたんでしょう友香さん?」

「な、何言ってんのよすみれ。今の私はシンデレラ。継母や義姉達からのいびりをどう耐え抜くかしか頭にない可哀想な美少女……」

「そうですか。だったら私が土屋君に頼んで撮ってもらった王子様姿の波多野君写真はいりませんね」

「あら、こんなところに野口英世が一人」

「毎度ありがとうございます」

「くっ……自分の自制心の無さが憎いっ……!」

 

 満面の笑みで千円札を財布に入れる新野と、購入した写真を鞄のポケットに仕舞いながら悔し涙を流す小山。ちなみに今回の配役としては、新野はナレーションである。朗読全国ランカーの新野はまさに適役だと言えるだろう。ただ、台本を読むだけである彼女は現在暇しているらしく、こうしてムッツリーニ協会と手を組んで小遣い稼ぎを行っているようだ。被害者の小山としてはたまったものではないものの、貴重な王子様衣装波多野の写真を提示されてしまっては我慢できるはずがない。一瞬の躊躇いもなく千円札を取り出す姿はFクラス顔負けなのだけれど、小山本人はそのことに気が付いていない。新野も特段指摘するつもりはないようであるが。

 とても波多野には見せられない下衆下衆しい表情を浮かべる小山を苦笑交じりに見やる新野だったが、そんな彼女達に話しかけるドレス姿の金髪女性。

 

「まーたユーカがデレデレしてるネー」

「誰がデレデレしてるって?」

「おー、ベリーフィアー。ジョーダンだから気にしないで欲しいヨ」

 

 ヘラヘラした口調で煽ってくる金髪長身の少女だったが、小山の睨みに少々焦ったように両手をぶんぶん振っていた。胸元を強調する衣装で元来の日本人離れした巨乳がこれみよがしに目立っているが、ハーフである彼女と身体的特徴で勝負するつもりは毛頭ない。

 小山は溜息一つ、Cクラスの誰よりも衣装を着こなしている彼女に言葉を返す。

 

「あのねぇシェリル。そうやって私を弄ろうとしているけど、アンタも野口君とそれなりの仲なの知ってるんだからね?」

「何を言ってるネ。ワタシとイッシンはそもそモ、一年生の時からバーニングラーヴなスペシャルカップルだヨ!」

「でもそれ、シェリルさんの一方的な好意で、野口君からはしれっとあしらわれてますよね」

「あれはイッシンなりの照れ隠しネ。ワタシにはお見通しヨ!」

「じゃあ今入り口で受付している野口君に聞いてくるけど、大丈夫ね?」

「イヤァアアア! せめてッ、せめてこの心地よい関係性に甘えさせてテェエエエ! 辛い現実を突きつけるのはノーサンキューヨォオオオオ!」

 

 楽屋裏だということも忘れて頭を抱え絶叫する巨乳ハーフ。これだけの声量ならばおそらく野口のいる場所にも届いているだろうが、現在絶賛混乱中のシェリルがそんなことに気が付くはずもなく。正体不明の絶叫に客席の方からざわめきが聞こえ始めてきたため、多少暴力的にではあるがシェリルを無理矢理黙らせた。奇声騒ぎで客が減るのはできるだけ避けたい。

 ちなみに、シェリルの役は継母である。こんな四六時中ハイテンションなアッパー系外国人に務まるのか不安ではあるものの、脚本監督を務める黒崎お墨付きらしく、その演技力は皆の予想を遥かに超えている。さすがは腐っても演劇部といったところだろうか。

 Fクラスには負けるが、随分とキャラの濃いメンバーが集まったものだ、としみじみ思う。

 

「そう言う友香さんも大概ですけどね」

「何か言ったすみれ?」

「いえ別に。そういえば先程、第一部講演が終わったら一緒に学園祭を回ろうと波多野さんが言っていましたよ。伝えておいて、と言伝を頼まれていまして」

「ふ、ふーん。ま、まぁ? アイツにしては素晴らしい心がけじゃない? ひ、日頃の迷惑を考えると、そ、それくらいはやってもらわないとね?」

『キモい』

「ぬぁんですってぇ!?」

 

 見るからに絵に描いたようなツンデレムーブを行う小山に辟易したような顔を見せる二人。対する本人は激怒しているものの、茶番にしか思えないリアクションを見せられている二人の気持ちはいわんをや。

 

「はいはいそこの三人、もう講演始めるから各自位置に着けよー」

「う、分かったわよ」

「りょーかいネー!」

「は、はい! すみませんトオル君!」

「おう、頑張ろうぜすみれ」

 

 全体的な纏め役として場を仕切っていたらしい黒崎の声でそれぞれポジションにつく。その際にやや上擦った様子で返事をする新野だったが、彼女の様子に気が付いていないらしい黒崎は素直に笑顔を浮かべた。彼の表情に、新野が少し顔を赤らめているのを見逃す女子二人ではない。

 

「私達には色々言っているくせに、すみれも大概よねぇ」

「ムッツリ系女子ってやつネ」

「そ、そこの二人五月蝿いですよ!」

『いいものを見せてもらいました』

「もー!」

 

 怒った新野が顔を真っ赤に染めながら投げ始めたシャープペンシルを華麗に避けつつ、ニヤニヤが収まらない小山とシェリルは一目散に準備を始めた。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 第一部講演は、上々の滑り出しと言えるだろう。

 客席は満員とはいかなかったが、それでも七割近くの入場を記録することができた。このペースで行けば、最終公演には満員御礼も夢ではない。

 ――――そう。ラストにはキスシーンが控えている、最終公演には。

 

「~~~っ!」

「急にクラスメイトがコスプレ衣装で柱に頭をガンガンぶつけているシーンに出くわした俺の正しい反応を教えてほしい」

「す、進! 一回戦はどうだったの!?」

「名前呼び名前呼び。勿論勝ったに決まってんだろ。俺と亮のコンビだぜ? そこらの生徒に負けるかっての」

 

 来たる羞恥プレイを想像してどうしようもなく混乱の渦中にあった小山だが、不意に聞こえた想い人の声に一瞬にして我に返る。試験召喚大会の会場からそのまま来たのか、白銀の王子様衣装を着込んだままだ。低身長ゆえのちんちくりんさは否めないものの、やっぱりカッコイイなとか乙女な思考に陥ってしまうのは惚れた弱みというやつだろう。この罪作りな騒動起爆剤め。

 ちなみに、小山は未だにみすぼらしい村娘染みた衣装だ。第一部は魔法使いがシンデレラの前に登場するところで切られてしまった為、メインの白いドレスを着させてもらえなかったのだ。第二部からは本編も盛り上がりに入るので、試験召喚大会にもドレスを着ての参加となるだろう。少し恥ずかしいが、この継ぎ接ぎだらけの衣装よりは百倍マシだ。

 

「……進の隣に立っても、見劣りしないし」

「何をボソボソ言っているか知らんけど、さっさと中に入ろうぜ。亮からゴマ団子の無料券貰ってんだ。Fクラスは中華喫茶だってさ。面白そうだよなー」

「Fクラスの設備で飲食店って心配しかないんだけど……」

「まぁそこは代表が坂本だし、最低限はちゃんとしてんだろ。文句言うのはクレーマーくらいじゃね」

「そうかなぁ」

「そうだって。とにかく、一緒に飲茶でも食べようぜお姫様」

 

 既に役を作っているのか、それとも学園祭の空気に充てられてキャラに入っているのか、普段なら恥ずかしがって絶対にやらないような発言で小山の手を取る波多野。通常なら羞恥心で走り去ってしまう小山ではあるけれど、無駄に王子様ぶっている波多野を前にすると、照れている自分が馬鹿らしく思えてきて逆に正気に戻っていた。嬉しいから指摘はしないけど。

 周囲から指摘されれば一発でバレるくらい顔を赤らめる小山だったが、鈍感一直線な波多野は彼女の変化に気が付くことはない。無駄にカッコイイ決め顔で小山の手を取ると、そのままFクラスのドアを潜っていく。

 

「さぁてFクラス。文月学園随一のイケメン美少女コンビがお通りだ――――」

「これが俺流のバックドロップで締める交渉術だ覚えとけ!」

「べぶるちっ!?」

「世紀末か何か?」

 

 教室に入るや否や、クラス代表坂本雄二によってプロレス技を決められる男子生徒を見せられる小山達。傍から見れば停学案件以外の何物でもないが、常識人枠の木下や島田が苦笑いしているのを見ると、どうやらいちゃもんか何かをつけられていたらしい。喧嘩慣れしている坂本に完璧なフィニッシュを決められ、上級生らしき二人は捨て台詞を残しながら逃げ去って行く。

 だが、どうやらFクラスは汚い段ボール箱や卓袱台をそのまま設備として使っていたらしく、利用客の何人かが衛生面を指摘して出て行こうとしていた。仕方ないと言えば仕方ないけれど、高校の文化祭相手に少々手厳しくはないだろうか……。

 そんな中、冷静なツッコミを見せていた波多野が王子様衣装を翻すと、今までキョトンと様子を見守っていた吉井に声をかける。

 

「いやいや遅れてすまんな吉井! Cクラスの綺麗な机の用意が遅れたわ! 今からすぐに届けるから、しばし時間をくれ!」

「え? どうしたの波多野君、そんな話今まで一度も――」

「いやぁようやく来てくれて助かったぜ波多野! あまりに遅いからお客様に迷惑をかけてしまった!」

「すまねぇな坂本! お客様、ご安心を! 俺達の準備が遅れたにもかかわらず、学園に迷惑をかけまいと最低限の設備でこいつらは頑張っていたんです。どうか責めないでやっていただきたい! すべての責任は俺にありますから!」

 

 何を考えているのか、劣悪な設備で営業を行っていたFクラスを庇い、あろうことか全責任を自身で負い始めた波多野。そんな約束はまったくしていないにも関わらず、黒崎に電話をして机の手配まで始めている。咄嗟にFクラスを庇い始めた彼の思惑が理解できず、小山は一人ポカンと立ち尽くすしかない。

 道化を買って出た波多野は小山に振り向くと、彼女にしか聞こえない程の声でボソボソと呟く。

 

「勝手にすまねぇな小山。だけど、ここで恩を売っておくのは悪い話じゃねぇだろう?」

「いや、それはいいんだけど、アンタ今の状況ちゃんと理解してんの?」

「まったく。だけど、亮たちが困ってんなら手助けするのが友達ってもんだろ? 得とか損とかは別にして、Fクラスがちゃんと営業してくれた方が面白いしな」

「はぁ……相変わらず身勝手にも程があるわね……」

「それが俺だからな。だけど、小山も満更でもねぇだろ」

「確かに、瑞希や美波が助かるならそれに越したことはないけどね」

 

 波多野の勝手な行動を一応形としては諫めるが、小山自身もFクラスを助けたい気持ちはある。何せ、友人の姫路や島田が所属しているのだ。彼女達が被害を被ることはできるだけ避けたい。

 お客さん達も坂本の主張と、明らかに優等生っぽい波多野の演技に充てられたのか、先程までのネガティブなリアクションは引っ込んでいた。大至急で机を届けに来た黒崎や野口を笑顔で出迎え、それぞれが満足そうに飲茶を楽しんでいる。

 

「……ふぅ、ま、こんなもんかね」

「すまんな波多野。真面目に助かった」

「困った時はお互い様だって。それよりも、今回の飯代くらいはご馳走してほしいなぁ?」

「任せろ。クラス代表として、清涼祭中はお前と小山の飯代は須川と明久にツケておく」

「乗った」

『理不尽にも程がねぇか!?』

 

 キッチンとウェイターから若干二名ほどの悲鳴が聞こえるも、彼らの主張を聞き入れる者はいない。Fクラスは実益主義なのだ。

 

「あぁいうところを見ると、波多野君ってカッコイイですよね」

「友香には勿体ないわ」

「……何が言いたいのよ瑞希、美波」

「べぇつにぃ。友香ももう少し優しくなってもいいんじゃないかなって思うだけだから」

「悪かったわね素直じゃなくて」

「友香ちゃんがモタモタしていると、私が事前に友香ちゃんの想いを伝えちゃいますよ?」

「余計なお世話だっつーの!」

 

 ニヤニヤと野次馬よろしくいらぬことを言ってくるFクラス女子生徒二人に反論しつつ、何気に気が利くところを見せた波多野に愛しげな視線を向ける。

 普段からあぁしておけば王子様っぽいのになぁ、とは小山だけが抱いた感想だった。

 

 

 

 

 

 




 ちんちくりん王子


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第二十二問

 もしかしたら設定に齟齬があるかも。


「そういや、坂本達も試験召喚大会に出てるんだったよな?」

「おう、まぁな。清涼祭の華みたいなもんだし、出て損はないだろ」

「吉井が出るなら分かるんだが、面倒くさがりの坂本まで出てるっていうのがちょっと引っかかるんだけど」

「何言ってんだ波多野。面白そうな行事に参加するのに理由なんているかよ」

「確かになぁ。俺と亮が坂本達に当たるのは決勝か。楽しみにしておけよ?」

「理系科目が出た瞬間敗北する未来しか見えないけどな」

「余計なお世話だ」

 

 痛い所を突かれ少しブーたれる波多野。文系科目なら無類の強さを誇る彼であるが、理系科目に関してはFクラスにも負けない程の低得点を取っている。総合して平均得点のCクラスレベルなのだから、神は二物を与えないというのは本当らしい。我儘を言うならば、もう少しマシなステータスに割り振ってくれればとは思わないでもないが。

 調理担当は須川と土屋だということで、ゴマ団子を初めとした飲茶のクオリティも流石のものだ。高校の文化祭だとは思えない程の美味しさ。あまり期待してはいなかったが、なかなかどうして侮れない。

 何の気なしに教室を見渡していると、小山が食べているゴマ団子にじぃっと視線を向ける波多野に気が付いた。肉まんを持ったまま、何やら物欲しそうな目で小山の手元を見つめている。

 

「……ゴマ団子、欲しいの?」

「欲しい」

「即答か。はぁ、まぁいいけどね。じゃあほら、食べなさ――」

「あーん」

「っっっ!?!?!?」

「? どうした小山。早くくれよ」

(いやいやいやいや何考えてんのこのバカは!)

 

 口を開けたまま首を傾げる波多野だが、対する小山は赤面の上に目を白黒させている。普通は自分でゴマ団子を取って食べるものであって、他人から、しかも女子からの「あーん」を求めるのはおかしな話ではないだろうか。なんでこの悪友はさも当然のように口を開け、雛鳥のように食べさせてもらうのを待っているのか、理解に苦しむ。

 そして、先程の大立ち回りと衣装のせいで周囲からの視線が痛い。Fクラス男子からは殺意が、そして女子勢からは微笑ましげなオーラが飛んできている。王子様と村娘とかいう奇特な組み合わせだからか、ただの日常のワンシーンにも関わらず物語の登場人物にもなった気分だ。

 ……相方があまりにもロマンチックの欠片もないのは、ちょっと物申したいところではあるが。

 

「え、いや、その、ほら、周囲の目とかあるし、私と波多野はまだそういう関係じゃないし……」

「何言ってんだよ小山。いいから早くゴマ団子くれって」

(ぴぃいいいいいいい!)

「い、いいじゃない友香……くふっ。はやっ、早くあーんしてあげなさいよ……ぷぷっ」

「だ、駄目ですよ美波ちゃ……ぷひゅっ。そんなに笑っちゃ……ふっふぅ」

「おいそこの野次馬女子二人」

「むー、仕方ないな。じゃあ最初に俺からやるよ。ほら肉まん。あーん」

「ぶほぇ」

 

 完全に見世物と化している現状に異論を申し立てたい小山ではあるけれど、それよりも先に波多野からの「あーん」とかいう地雷をぶっこまれてそれどころではない。しかもその肉まん、彼の食べ欠けである。一口だけではあるけれど、おそらくは彼が口をつけたであろう方を向けられている為、間接キスは免れない。先程から面白そうにこちらへカメラを向けている女子二人は後で制裁を加えるとしても、この場においてこういうことをするのはまずいのではないだろうか。

 というか、何故彼はこういうことを平気でできるのだろう。以前のBクラス戦後、キス未遂までした仲だというのに。もしかして、彼にとって自分は異性として見られていないのでは――――

 

(……うぅん。駄目よ友香。弱気になっては駄目。アイツは元々そういうことに疎い鈍感クソッタレバカなんだから、いちいち悩んでたらキリがないわ)

 

 ギュゥッと手の甲を抓んで我に返る。そうだ、波多野進は常に面白い事を優先するタチで、そのためなら羞恥心なんて二の次な大馬鹿だ。彼のペースに乗せられて思い悩むなんて、割に合わない。彼と付き合っていく中で一番大切なのは、常に勢いで行動すること!

 ぐっと波多野に視線を向ける。相も変わらずヘラヘラと腹の立つ笑顔を浮かべている彼をぶん殴りたくなる衝動に駆られるが、そこを抑えて彼が差し出している肉まんに勢いよくかぶりついた。

 

「お、いいじゃんいいじゃん。その調子だぜ小山」

「ぷはっ。ほら、次はアンタの番よバカ王子!」

「何をそんなに顔真っ赤にして」

「うるさいくらえぇええええ!」

「モゴォッ!? 熱ッ!? できたてにも程があるっての!」

「ふふふ、甘いのよ波多野。私の方が一枚上手だったようね!」

「なにおぅ!? 喰らえ必殺アツアツシューマイッ!」

「むぐぅっ!?」

 

 お互いに箸を片手に相手の口へ獲物を突きこんでいく小山と波多野。傍から見れば完全にイチャついているカップル以外の何物でもないが、本人達はいたって大真面目。色も恋も何もなく、ただ純粋に相手を下そうと奮闘しているに過ぎない。ただ、あまりにも子供っぽい戦いに、Fクラスメンバーは嫉妬よりも先に呆れの方が出ているようではあるが。

 

「おーいそこのバカップル。そろそろ周囲のお客様に迷惑だから静かにしてくれ」

『誰がバカップルか!』

「お前らだよこのCクラスコンビ。これ以上騒ぐとムッツリーニと新野に頼んで、ある事ない事書いた新聞町内に出回らせるぞ」

『すみませんでした』

 

 クラスを代表して現れた坂本の極悪非道な宣告によって土下座を余儀なくされるCクラス代表格の二人。この場面だけ見ると完全にFクラスに順応している辺りもう色々と手遅れなのかもしれない。

 

「ほらほら、その料理を食ったら出てった出てった。今回の出し物はウチだけじゃないんだ。二人で仲良く清涼祭デートでもしてこいよ」

「まぁイチャついていたらぶっ殺すけどね」

「吉井の目がガチすぎて怖い」

「いいわねぇ友香。自慢の彼氏と学園祭デートだなんて、羨ましいわぁ」

「そ、そんなんじゃないから。だからその興味深々な目をやめて美波」

「ふぁいとです、友香ちゃんっ」

「その応援が今だけは辛いわ……」

 

 十人十色の声援を受け、とにもかくにもFクラスの中華喫茶を後にする。あのままFクラスに滞在していたら、もしかするとFFF団の制裁を受けていたかもしれない。主に波多野が。

 とりあえず旧校舎を後にして、新校舎へと向かう。やはり最初はクオリティが高そうな上位クラスを攻めるのが無難だろう。美穂によるとAクラスはメイド喫茶らしいから、そっちに行くのもいいかもしれない。

 

「で、どこに行く?」

「そうだなぁ。二回戦までは三十分くらいあるし、軽く回れるところにするか」

「二年生の出店は結構飲食店多いから、気軽に入れそうにないわね」

「だったら3-Aに行くか。あそこ確かお化け屋敷やってただろ」

「あれ、やけに詳しいじゃない。知り合いでもいるの?」

「まーな。去年からよくお世話になっている常夏先輩達がいるんだよ」

「へぇ? 私も部活の先輩がAクラスにいるから、もしかすると知り合いかもね」

「まぁさっきFクラスで坂本にぶん投げられてた先輩なんだけどな」

「問題児じゃない……」

「素行は悪いが面白い人達だよ。付き合ってみるとなかなか楽しいし。面倒見も良いし」

 

 楽しそうに先輩のことを話す波多野だが、先程Fクラスで見た光景が悪印象過ぎて彼の言う好印象な彼らが湧いてこない。ソフトモヒカンとスキンヘッドという時点で既に外見的印象はよろしくないのだけれど、彼がそう言うのならば多少は良い人なのだろう。営業妨害していた時点で結構危ない気はするってのは言わない方がいいかもしれない。

 演劇用の衣装を着込んだまま歩いているせいか、やけに周囲からの視線が刺さる。好奇の目、と言えばそれまでだが、あまり視線慣れしていない小山からすれば恥ずかしいの極みだ。逆にこういうことに慣れているらしい波多野は平気な様子で隣を歩いている。こういう肝が据わっているところは見習いたい。

 階段を昇り、四階へ。広い教室を生かした本格的なお化け屋敷らしく、結構な行列がAクラスから続いている。他のクラスに迷惑をかけないためか、二人の男子生徒が最後尾札を持って列の整理を行っていた。ソフトモヒカンとスキンヘッドの二人組。特徴からして、先程話題に出た常夏先輩とかいう二人だろう。

 彼らを見つけると、最後尾に並びつつ波多野が声をかける。

 

「先輩方お疲れ様でーす」

「うお、なんだよ波多野その恰好は」

「イケメンでしょ?」

「身長伸ばしてから言え。つーかお前、さっきFクラスで俺ら助けなかっただろ。何してんだよ」

「どうせ先輩方の自業自得だろうなって思ったので。目先の利益だけ見て変な企みするのはやめた方がいいっすよ」

「うるせーな。お前に心配されるようなことは何もねぇよ」

「まぁ確かに。どうせ坂本と吉井にボコられてフィニッシュでしょうしねぇ」

「なにニヤニヤしてんだ殴るぞ」

「まぁまぁまぁまぁ」

「こいつムカつく……!」

 

 ニヤニヤと嫌らしい笑みで先輩二人をからかう波多野。見た目からしていつ殴られるか気が気ではないのだが、仲が良いというのはどうやら本当らしく、なんだかんだ言いつつもじゃれあうようにわちゃわちゃしている三人。不安の種が一つ消え、小山は安堵の溜息をつく。

 

「そういうお前はデートかよ。良い御身分だな」

「デートではないですけど、自慢のクラス代表ですよ。綺麗でしょ?」

「ちょっ、波多野……!」

「ウチの小暮程じゃないが、まぁそこそこって感じじゃね」

「小暮先輩と比べられるのはちょっとさすがに勝ち目ないんで勘弁してください……」

 

 茶道部の先輩であり3年Aクラス所属の小暮を思い浮かべる。高校生とは思えない妖艶な雰囲気を纏ったナイスバディな先輩だ。セクシーランキングでも作ろうものならダントツで一位を取るだろう彼女に勝てるわけがない。霧島や姫路でさえちょっと辛い勝負になるのではというくらいハイレベルな女性なのだ。そんな彼女と比べられるのは少し困る。

 

「まぁ楽しめやクソ後輩」

「ハイクオリティのお化けに悲鳴でも上げてろバカ後輩」

「Fクラスに痛い目見せられないように気を付けてくださいねアホ先輩方」

『…………(メンチを切り合う三人)』

「どうどう。どうどう波多野」

 

 息を吸うように喧嘩を売るクラスメイトをなんとか宥める。いくら仲が良いとはいえ、先輩相手にそこまで挑発するとかどんだけ鉄の肝っ玉をしているのか。ただでさえ最近胃薬の量が増えたのに、これ以上ストレスをかけないでほしい。

 結局最後までお互いを煽り合う三人をなんとか落ち着かせ、多大な精神的ストレスと共にお化け屋敷へと入ることになる小山だった。

 

 

 

 

 

 



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第二十三問

 反動と言わんばかりに毎日更新。


「まさか波多野がお化けが苦手だったなんてねぇ」

「う……良いだろ別に」

「いやぁ、いいんだけどぉ。へぇ~、お化けがねぇ~」

「そのニヤニヤするのをやめろ小山ぁ!」

 

 普段の彼らしくない取り乱した様子で怒鳴りつけてくる波多野。そんな彼を心底馬鹿にしたように見下ろしつつ、今まで知らなかった一面を垣間見ることが出来た喜びに浸る小山。日頃飄々として怖いもの知らずみたいな言動をしている彼がお化け屋敷の仕掛け一つ一つに絶叫する様は非常に興味深いものがあった。眼福、と言っていいだろう。

 波多野としても自身の弱点を見せたことをあまり快く思っていないのか、少し不機嫌そうな表情で口を尖らせている。

 

「そりゃあお前みたいにガサツで男勝りな奴とは違って、俺は繊細だからな。怖いものの一つや二つあるってもんだ」

「な、なによその言い方。棘があるわね」

「だって事実だろ」

「はぁ? アンタみたいなトラブルメイカーにどうこう言われたくないんだけど」

「お騒がせはお互い様じゃねぇか」

「なによ」

「なんだよ」

 

 最初は冗談半分のつもりだったのだが、どうにも売り言葉に買い言葉で剣呑な空気が漂い始める。元々血の気が多く口が悪い二人だからか、ちょっとした発言が相手の神経を逆撫でする結果となっていた。炎上、とまではいかないが、お互いにどこか苛立ちを隠せない様子で視線を交錯させている。

 自分の欠点を露呈させたことに苛立つ波多野。対して、小山は別の事でストレスを抱えていた。

 

(なによ進のヤツ。もう少し私を女性として扱ってくれたっていいじゃない……)

 

 今に始まったことではないが、どうにも自分が男友達として扱われている気がしてならない。新野や姫路を相手にする時と、小山を相手にした時の言動があまりにも違いすぎるのだ。仲が良い証拠、と言ってしまえばそれまでであるが、些か釈然としない。

 確かに小山自身も自分が男勝りなのは自覚している。自覚しているが、それでも好きな人から女性扱いされていないというのは精神的に傷ついてしまう。それが自分の早とちりである可能性を考慮しても、だ。

 些細な発言から会話がなくなってしまい、互いに黙り込んだままCクラスの教室へと向かう。つい数十分前には仲睦まじく話していたというのに、どうしてこんなことになってしまったのか。そこまで腹を立てるようなことでもなかったはずなのに、どうにも心がささくれ立ってしまう。

 

「およ、代表に進じゃん。もうすぐ試召大会二回戦だろ? 二人とも頑張れよ~」

「……えぇ」

「……あぁ」

「え。なんで二人ともそんなになんか機嫌悪ぃんだよ。喧嘩でもしたんか?」

『別に』

「ひえぇ」

「と、トオル君一旦こっちへ! それ以上はマズいです!」

 

 そんな状況とは露知らず、いつものように声をかけてきた黒崎だったが、予想だにしない二人の反応に怯えた様子で震えあがってしまう。ちょうど通りかかった新野が間一髪で彼を回収していったが、これ以上この場に留まっていれば泣いていたかもしれない。そんなに不機嫌な感じだったか、と少し反省する小山。

 そんな中、またもや唐突に会話に参加してくる金髪天然少女、木村シェリル。相変わらずの胡散臭い笑顔で二人の肩を抱くと、ハイテンションに話しかけてくる。

 

「おやおヤ、仲良しコンビはそろそろ出番かナ? ユーカ、ススム、頑張るヨ!」

「え、えぇ……ありがとうシェリル」

「べっつに心配するこたないんじゃねぇの。ちょっと睨み利かせば大概の相手は降参するだろ」

「……何よその言い方」

「なんだよ。自覚でもあんのか?」

「アンタこそ、そのちっこい見た目で舐められて試合前にイライラしないといいわね。弱っちい外見だし、中学生みたいだもの」

「……喧嘩売ってんのかよ、オイ」

「どっちが」

「ちょちょちょ!? お、落ち着くネ二人共! ドーシタドーシタいつもの二人らしくないヨ~!」

 

 ただならぬ雰囲気を感じ取ったシェリルが彼女らしからぬマトモな反応で小山と波多野を諫めるものの、お互いに負けず嫌いかつ血気盛んな二人が怒りを鎮める様子は見られない。代表格二人が不仲とかいう滅多に起こり得ない状況に、Cクラスの面々はどうしたら良いか分からず右往左往してしまう。

 

「友香さん、そろそろ二回戦始まるらしいので、会場に向かいましょう」

「……えぇ。迎えに来てくれてありがとう、美穂」

「せいぜい敵さんを怖がらせないようにな」

「中学生は校舎見学でもしておけば?」

「あー……これはまたなんとも珍しい状況で」

「さ、佐藤さんなんとかできない?」

「無理ですね。こうなった時の二人はほとぼりが冷めるまで放っておくしかありません」

『ふん、だ!』

 

 目も合わせず、完全に仲違いしてしまった二人を呆れたように眺める佐藤。誰よりも波多野との付き合いが長い彼女がお手上げだと言っているのだから、Cクラスメンバーにはどうすることもできない。ただ、まだ学園祭は一日目なのに大丈夫だろうか、という懸念だけが残る。

 やれやれ、と大仰に溜息をつく佐藤に連れられて、教室を後にする小山。結局彼から応援の言葉一つ送られることはなく、それがまた小山の怒りを煽る結果となってしまったことは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 その後、試召大会の二回戦は無事に勝利し、演劇の第二部講演も多少のぎこちなさを残してではあるが無事に終了し、一日目を乗り越えることができた。明日の三回戦以降、そして後半の講演に向けて英気を養うのが吉だろう。

 特にこれといって用事がなかった小山は清涼祭の熱気に包まれる文月学園を後にし、真っ直ぐ自宅へと帰りついていた。いつもであれば波多野と二人でデートよろしく街中を出歩いていたのだろうが、今日はそういう気分ではない。というか、結局あれから波多野と一言もマトモに会話できてさえいないのだ。目を合わせれば罵倒と暴言。とても普段の二人とは思えない険悪さに、クラスメイト達も困っていた様子だった。

 

「まるで、一年生の時に戻ったみたい……」

 

 制服のままベッドに寝そべり、愛用のぬいぐるみを抱えて一人ごちる小山。服が皺になってしまうのも忘れ、ぎゅぅっと大きな狐のぬいぐるみを抱き締める。時刻はまだ夕方の5時。母親から風呂と夕飯の招集がかかるまで、しばらくは一人で物思いに耽る事が出来そうだ。

 ぼんやりと狐の頭に顎を乗せながら、波多野の事を考える。

 彼と初めて会った時。一年生の序盤は、波多野との仲は最悪だった。

 波多野は無駄に正義感が強くて、男だろうが女だろうが間違ったことは正すような奴で、小山は小山で今よりもツンケンしていた上に、自己主張が強くガキ大将気質。当然のように、自分に突っかかってくる波多野は小山にとって天敵もいいところ。何かあれば衝突し、その度に工藤や黒崎達に止められる始末。顔を合わせれば罵倒し合っていたあの頃に戻ったような感覚に襲われる。

 今思えば懐かしい。普通であれば歯牙にもかけないような細かいことで諍いを起こし、時には取っ組み合いの喧嘩にまで発展した。「小山と波多野」と言えば水と油より相性が悪いコンビだと言われたこともある。それほどまでに仲が悪く――――また、彼の事を嫌っていた。

 似た者同士、だったのだろう。その上、気が強い自分に歯向かってくる男子なんてものが物珍しかったのもある。どれだけ悪口を言っても跳ね返して来る彼が目障りで、腹立たしくて――――そして、何故か無視することができなかった。

 その後様々な展開があって今の関係に収まるのだが、思えば彼から女性扱いされたことなんて片手で数えるほどしかない気がする。

 

「私、そんなに魅力ないのかな……」

 

 情けない呟きが自然と漏れる。

 彼が色恋沙汰に鈍感で、そういった機微に疎いのは重々承知だ。今更少女扱いされないからって落胆することもない。だけど、それでも少しくらいは女の子扱いされたいのが乙女の心情というやつである。

 試験召喚戦争後の反応を見るに、脈が無いわけではないのだ。ただ、だからといって今までのように男友達と接するような言動を続けられるのはなんか腹が立つ。だって、そこの関係性が変わらないと、波多野の事でいちいち一喜一憂している自分があまりにも馬鹿みたいではないか。

 かといって、自分から「もっと優しくしろ」なんて言えるわけがない。それは小山のプライドが許さない。あくまで彼の方から意識を変えてもらわなければ、女としての沽券に係わる。

 「あうあうあー」と気の抜けた鳴き声を漏らしつつ、ぬいぐるみを抱えたまま寝返りを三度。しばらく唸り続けたところで、ふと机の上に飾られているフォトスタンドが目に入った。木製のシンプルなそれには、数か月前の自分と波多野の姿が写っている。

 一年生の終わり、二年生に進級する寸前に、新野に撮ってもらったものだ。満面の笑顔で小山の肩に手を回している波多野と、赤面しつつ戸惑いを隠せない表情を浮かべる小山。この時はまだ根本とは別れていなかったので、結構気が気ではなかったのだが、こうして見ると満更でもなさそうに写っている自分に気が付いて少し恥ずかしい。

 バカで、誰よりもトラブルを好むような問題児で、小山の気持ちなんて微塵も気が付いていないような朴念仁で。その上、自分を男友達扱いするような無神経などうしようもない野郎で。

 それでも、そんな最低な悪友を、小山は好きになった。好きになってしまった。

 

「……これくらいで怒ってちゃ、アイツと付き合うなんて夢の夢よね」

 

 自分をぞんざいに扱う波多野が悪いという意識は消えない。だけども、少し大人げなかったと思わないでもない。男子の方が精神的に幼いとはよく言うではないか。こういう時に小山が大人な対応を見せて、頼り甲斐があるところを見せるべきだろう。そうすれば、彼も小山に対する評価を改めるかもしれない。

 とりあえず、明日彼に謝ろう。そんでもって二倍返しで謝らせよう。

 できるだけ自分のプライドを傷つけず、それでいて気持ちよく仲直りができる方法を模索すべく、まずはリラックスする為にブレザーとワイシャツを脱ぎ始める小山だった。

 

 

 

 

 

 




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